血液由来の所長 (サイトー)
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序章
啓蒙0:ずっと先の赤子まで


 所長が好きですので、オルガマリーが主人公&ヒロインな作品を書いてみました。ついでに、フロムも好きなのでクロスさせてみました。
 読み初めて頂き、ありがとうございます。


 彼女には、生まれた価値などなかった。今を生きている意味などなかった。呼吸するだけで息苦しくて、歩くだけで押し潰されそうで、目を開けるだけで瞳が焼かれそう。

 ―――生まれるべきではなかった。

 無能力者と言う訳ではない。忌み子でもなく、呪われている訳でもない。障害もなく、健康な精神と肉体を持ってもいる。容姿も両親と同じく、人並み以上だろう。

 しかし――世界全て、私に興味がない。

 彼女はそう感じ、そう生きた。誰からも期待されず、誰からも特別だと思われない。ただの人間、そこらの魔術師。オルガマリー・アニムスフィアとは、そんな存在でしかなかった。

 だから愛など知らず、故に愛されず、誰も愛せず。

 親に関心など持たれなかった。けれども、関心を引こうとも思えなくて、魔術師の貴族としてのみの自分が作られていった。

 だからか、何もかもが記号に過ぎなかった。アニムスフィアと言う価値が名前に付加された記号。魔術師と言う記号。貴族と言う恵まれた身分。国連組織を私有する資産家の娘と言う境遇。何より、魔術協会時計塔ロードの次期当主となる一人娘。そんなもので、生物として遺伝子の素となる両親はいるが、誰かの子でもなく、誰かの友でもなく、誰かと家族になったことも一度もない。

 それが、一体何なのか?

 魔術師としての当たり前な苦難はあったが、自分に語るような不幸もなかった。冷えきった家庭ではあるが、金に困ることは一度もなく、ある意味好き勝手に生活していた。

 オルガマリーは、野放しだったのだ。

 教育係は居たけれども、あの広い屋敷で飼われていただけの人間に過ぎなかった。

 果たして、それがまともなのか。

 どうして、こんなに哀れなのか。

 空しくて、心の中には何もない。

 脳が、酷く疼いた。頭の、頭蓋の、その中身の脳味噌が蛞蝓みたいになった気分だ。

 何もない苦しみ。

 心の中に在るのは、何も無い虚しさ。

 悪夢から覗かれて、人の営みから除かれて、オルガマリーは全身が蛞蝓に生まれ変わった夢を見た。獣に生まれ変わりそうな自分が炎に焼かれ、おぞましくも愛らしい小人まみれになって、血の中に幾万幾億の虫が寄生して、人間以外の軟体生物に作り変えられる夢のような悪夢。宇宙からの啓示。空にあった宇宙の真実。彼方からの呼び声が、脳の中に反響する。し続ける。呪い声が絶えず祝福し続ける。

 

 彼方から、私に呼びかけて頂けた。

 彼方から、私に夢を与えて頂けた。

 彼方から、私に啓蒙して頂けた。

 

 

 生まれるべきではなかったこんな私を―――――――

 

 

「―――……」

 

 夢から覚めた。悪夢でしかない生まれ変わったあの日は、しかして今の彼女からすればただの過去の記憶でしかない夢だった。

 もはや儚い夢だったのだ。

 今となっては、人間だった頃を懐かしむべきだろう。

 生まれるべきではない無価値な存在―――だが、そもそも夢を見ない者に価値など皆無。

 ならば、そもそも生まれなどに意味はない。意味を持つのは生まれた末に、どんな夢を見て、どんな存在へ成長するのか。完成する過程にある幼年期こそ、人間を人間足らしめる人間性に意味を見出せるもの。

 そう言う意味では人理保障継続機関フィニス・カルデア所長、つまりはロードを受け継いだ時計塔の魔術師オルガマリー・アニムスフィアは、あの両親から生まれるべきではなかった。しかし、今の彼女は夢を抱いていた。だからこそ、カルデア所長として実に有意義な毎日を送っていた。

 

「……あ、所長。おはようございます」

 

「えぇ、おはようございますロマニ。しかし、“あ”とは何よ、“あ”って。私と朝会うと、そんなに驚く訳?」

 

「そんな事はないよ、うん本当」

 

「ふぅーん……まぁ良いでしょう。普段の私、重役出勤してる自覚あるもの。そんな腰が重くて有り難くない上司が、朝からこうして自分の職場にいるのを見れば、貴方からすれば良い気分じゃないものね?」

 

「え”。いやだなぁ……―――と言うよりも、所長、何故ここへ?」

 

「……はぁ。本当、貴方、医者でしょ?

 そしてここは、私が貴方に任せたカルデアの医務室よ」

 

「そうだね……え、ウソ。あの所長が病気に!?」

 

「――――――」

 

「ウソウソウソ!? 指をワシャワシャしながら近付かないで!!」

 

 獣化しかかった血管が浮かび上がる手から力を抜き、所長はちょこんと椅子に座った。ロマニ、態ととは言え場を和ませる失言を行ったが、逆に所長の方の冗談が怖かった。ユーモアに理解がある自分より年下の上司とは言え、いや……だからこそか。この人、ぶっちゃけ悪乗りが酷いしなぁと彼は思いつつ、何時も通り苦笑いを浮かべる。とは言え、彼女は自分をある意味で“人間”にしてくれた人の娘である。死んだ恩人の一人娘が責務を負わされて苦労しているとなれば、ロマニの人間性を考えれば無関係は装えない。

 まぁ、今となっては、カルデア所長に失礼なことを言う人間も、ロマニ・アーキマンくらいしかいない。人じゃないなら、このカルデアにもう一人いないこともないのだが。ついでに、皮肉混じりで地味に反論してくる夜に髪がモジャモジャ動きそうな男と、何か全ての返答が御意とか御意のままにしか言わない男もいる。正確に言えば、一人見た目が美女とは言え、全員所長以外男ではあった。それなりに自分の所長と言う立場を抜きに話せる相手が、たったの四人しかおらず、友人となる同性が皆無な南極蛸部屋暮らし。何て無様な逆ハーレム状態。

 あぁ、せめて同性のお友達が欲しいと願わずにはいられない。二十歳を超えても、ずっとこのまま大人になるなんて。思春期って結構大事。そんな事を考えている所長であった。

 ……とは言え、最近は一人だけ、同性のお友達らしき何かが一人いる。

 父親が死んで権限が与えられたので、新しいAチームメンバーにして酷使する予定の女だった。このカルデアに来る前は聖職者をしていたとか言ってはいたが、何処まで本当なのかは分からない。何せ、Aチームの通称クリプターの連中は経歴詐称だらけ。

 特にあの芥とか名乗る不審日本人。ドラ〇もんも、ナ〇シカも、仮〇ライダーも、スレイ〇ーズも知らなかった。ついでに、エヴァンゲリ〇ンも知らなかった。交流しようと思って話を振った時、「ハ?」みたいな顔をされたのを所長は絶対忘れない。絶対にだ。職場でアニメを話題にするのは、とても勇気が要る行為なのに。所長は地味に傷付いた。何時も変なタイトルな本を読んでいるから、話題に乗ってくれると思っていた。しかし何故か、ペペロンチーノを名乗るパスタマンは反応してくれたが。奴は多分、あんな名前だが十中八九日本人か日本育ちだろう。

 

「―――で、どうしたんだい?」

 

「お薬よ、お薬。気持ち良くなるお薬頂戴、お医者様」

 

「言い方ァ!」

 

「何よ。だって、注射って気持ち良いじゃない。こう血管から異物が入って、そこから液体が中に入り込んで、血の中に薬品が溶けて、混ざって、流れ込んで……はぁ、良いわね。血に融ける感覚って、貴方分かる?」

 

「やだ。ド変態。分かりたくもないですね」

 

「良く言うわね。私のパピーとは深い秘密の関係だったんでしょ。私、知ってるんだから。あの人、奥さんと娘だっていたんだから。その上、ロマニ、ちょっとあの性同一性障害でもないのに美女が好き過ぎて自分が美女になった性転換したオジサマとも、何か凄く如何わしい雰囲気じゃない。

 ……不潔よ、もう凄い不潔。

 何と言うかあれよね、女に飽きて男に手を出し始めた王様みたいな感じよ」

 

 それにロマとロマニって何か名前が似てるしね、と無駄なことを考えている所長。ちょっと、いや半分くらい、名前的に白痴でも不可思議ではない。

 

「ちょっとヤメてよね、そう言う誹謗中傷って根が深くなるんだからさ!」

 

 不意に過去を思い出すロマニ。嘗て人間性が薄かった時は華麗にスルーしていたが、住んでいた場所でも悪口陰口噂話は絶えず行われていた。今思うと、妃と妃の会話の中で、王様はあれが巧かったとか、王様は女性のあれを責めるのがお好きなのよとか、王様は何回まで求めて来たとか。そう言う女同士の牽制が何かと見えてしまうこともあれ、無視して暮らせていたのはある意味で有り難かったのかもしれない。

 しかし、今じゃ穴に入って引き籠りたい気分になる。人間味がないヤツだったが、男としても中々に性根が腐っていたのだろうと今は後悔中。なので、地味にケモノ耳な女王様へ当時の女性関係を今になって懺悔したいと思っていた。まぁ、思うことしか出来ないが。

 

「はいはい、良いから。アニムスフィアお抱えの医者なら、とっととその当主に薬物注入するように」

 

「分かりましたよ。仕事なんだし、ちゃんとやるから」

 

「当然よ……―――ハァハァ」

 

「だから、それ!?」

 

「五月蠅いわね。少し興奮した程度でしょ」

 

 事実、注射はただの医療行為に過ぎない。しかし、血の医療行為だ。今のオルガマリーには、それはもう気持ちが良いことだ。魔術師なので色々と経験自体はしておいていたが、注射の方が気分が良い。出来れば、もうずっと輸血していたい程である。

 そして自分が所属する組織の所長が、この変態だ。軽くロマニは絶望した。未来を知るが故に足掻いた果てに来た南極のカルデアで、そこのトップがコレだった。しかしながら、オルガマリー・アニムスフィアが此処までヤバい人間性である事を知っているのは、医療部門統括であるロマニだけ。多分だけど、死んだ親さえ娘がこうなのは知らないことだろう。彼だけが知っている秘密である。嬉しくないことだ。辛いだけ。

 なので、この絶望は自分の胸の内だけに仕舞っておこうと言う悲壮な決意を、彼はほぼ毎日味わっている訳だった。酷い話である。

 

「それが嫌なんだよ。ボク、本当に医者としての技術を求められて、ここに居るんだよね。と言うよりこれ、もう普通にパワハラでセクハラだよね?」

 

 と言いつつも、薬品を注射の中へ素早く入れ、準備を整えている。無表情を装いつつ、所長は相変わらず素晴らしい技巧のロマニを内心で称賛する。

 ただの天才ではない。天才となるべく努力を無駄にしない天才だ。

 そして、医療の技術と知識も軒並み素晴らしいが、この男の本質は魔術関連の技術。

 魔術回路はないが、それ以外の才能がぶっ飛んでいる。人類で最も優れた魔術師となるべく生まれた才能と素質の塊なのに、何故か意図的に魔術回路だけに恵まれていないかのような状態。オルガマリーはロマニの才能を一目で見抜き、医者として魔術に関わる仕事を新しく所長として彼に与えていた。

 何せ、彼の血に融けた名―――魔術王だった者、アーキマン。

 そんな名前を啓蒙されたら、それはもう父親との関係性から何から何まで、全て見通して仕舞えるのは普通の思考回路を持っていれば、当然と言えば当然の話。しかし、今の所長は人のプライベートな仕事理由には突っ込まない余裕があった。ついでに言えば、こうしてマスターだった男の遺産で働いている姿を見ると、此処で自分から白状しないのであれば、アレの娘として黙り続けるのもまた、カルデアの所長の責務。

 後、普通に相手はあの魔術王。

 本気を出せば、普通にカルデアとか滅び去る。

 なので、父が命を預け合った自分の相棒を雇っていたのなら、黙って父の意志を継いでその人を大切な人材として扱い、丁重に激務に落すのが人情だ。それはそれとして、色々と父と怪しかった部分は問い詰めてはいたのだ。オルガマリーとて人の娘、プライベートとして聞くべきことは聞かねばならない。

 

「んー……――ッん。はぁ、本当、ロマニって注射が上手よね」

 

 そんな無意味な思考をしている内に、注射針が所長の皮膚をスルリと突き破り、血管に突き刺さり、押された薬品が流れ込んで来た。

 実に良い仕事。ロマニから薬品を貰えば自分でも出来ることだが、彼のこれを味わう為に所長は態々毎日彼から注射をして貰っているのであった。

 

「いやボク、注射が巧いって医者仲間に言われたことはあっても、ここまで注射するだけで変な気分になったことないよ。

 本当もう、毎日の事とは言え、君のそれには慣れないね」

 

「健康マニアなのよ、私って。所長が元気じゃないと、職員も不安になるじゃない?」

 

「その職員であるボクは、毎日不安になってるんだけど?」

 

「耐えなさい。そう言う意味では、レフも貴方の仲間よ」

 

「―――……はぁ。最近レフさ、ちょっと疲れてるみたいだよ」

 

「良いのよ、別に。私に気を遣わず、レフがロマニに溢した愚痴を私に言ったって」

 

「そう言う訳にはいかないよ」

 

「真面目ねぇ……―――ふぅん。

 同僚に上司のことで愚痴られた程度、些事でしょ。そんな程度のことで、私があのレフを閑職なんかに追いやる訳ないのに」

 

「ハハ。まぁ、聞かなかったことにして」

 

「そうね、分かったわ。今は人類史が観測出来ない緊急事態だし。でも、これが終わればシバに続く第二観測レンズ、ソロモンの隠し目を開発して貰わないと。これがあれば、未来の消滅を観測したカルデアを、過去の時点で予め観測するなんてことも可能になる訳。

 やっぱりダブルチェックは基本中の基本よ。

 私がもっと早く所長になっていれば、この人理消滅騒ぎも早目に発見出来ただろうしね」

 

「レフェ……ま、彼には彼なりに頑張って貰うのが一番だろうね。勿論、そこは所長も分かってくれてることだけれども」

 

「そうねぇ……ふふ。でもレフって、あのレンズのこと何故か嫌ってるのよね。そんなものに何故、あのシバって名前を付けたのか、実に不思議じゃないロマニ?」

 

「そ、そうだね。何せ、シバだもの。不思議と言えば不思議かも」

 

「そうそう。まぁ、参考にしたのは分かるわよ。世界の未来と過去を見通すオーバーテクノロジーな人工物―――つまりは、文明技術による完璧な千里眼。それこそ、グランドに選ばれるキャスターの素質よ。で、中でも分かっているのは三人。

 勿論のこと最初の魔術師、ソロモン。

 次は神代と人代を分けた古王、ギルガメッシュ。

 それと稀代の宮廷魔術師であった混血児、マーリン。

 この三人って、揃いも揃って凄まじく女癖が酷い英霊なのよね。ソロモン王は言わずもがな例のラブレターで有名で、挙げ句自分の宮廷に父譲りのハーレムを築いて、父から継いだ国家資産を湯水のように使っていた王よ。ギルガメッシュは処女権使い過ぎて国民から顰蹙買い捲った挙げ句、エルキドゥに正面からぶん殴られた王。最後のマーリンなんて、もう誰これに手を出した挙げ句、ヤバい女に監禁されたランスロット並の間男野郎。

 ―――うん、確かに。

 人間に対して潔癖が強いレフが、そんなヤツらを参考にして作った道具を好む訳もないもの。まぁ、直ぐにでも浮気野郎の第二千里眼を作って貰うけど」

 

「はは、あははははは―――……はぁ」

 

 医者から注射をされて少し恍惚とした笑みでそんな事を言う所長に、ロマニは苦笑いしか浮かばない。何せ、もう本当にその通りだったからだ。

 

「はい。もう大丈夫だよ」

 

 注射痕を消毒しつつも、何時も通り完治した所長の皮膚を見る。ロマニからすれば、この所長の怪物性が奇怪ではあるも恐ろしくはない。そんな異常性など、世界では有り触れたもの。魔術刻印がある魔術師ならば、内臓がないまま生存する者もいなくはない。

 

「うむ、感謝するぞ。ロマニ・アーキマン」

 

「偉そう」

 

「ここで一番偉いのよ。トップよ、トップ」

 

「はいはい、そうですね」

 

「冷たいわ」

 

「このやりとり、何回目だと思っているんだい?」

 

「ルーチンよ、ルーチン。これ込みでロマニのお注射なの。分かってね?」

 

「分かりません」

 

「―――……ま、これも今日で最後じゃない。当分は忙しくなって、そうそう出来なそうだし。明日、やっとメンバーが到着して揃うもの」

 

「人理修復かぁ……―――うーん?」

 

「貴方、本当に素直そうに見えて懐疑主義者よね。むぅ……いえね、そう言う所もパピーのお友達感あって怪しいんだけれども」

 

「パピー……―――あ、じゃなくて、ボクってそんなに疑わしいのかな?」

 

 しかし、パピー。あのマリスビリーをパピー。この二人の親子関係、冷め切っている筈なのにそう言う所は不可思議だ。マリスビリーも所長のことを紹介する時に真顔でマリーちゃんって呼んでいたし、もしかしてそう言う趣味なのか。あるいは、マリスビリーの奥さんが結構愉快な人で、そう呼ばせていたのか。今となっては、その真相をロマニが知ることはない。

 

「ええ。でも、駄目じゃないのよ。誰にだって隠し事はあるし、私だって隠し事はあるもの。ついでに、隠し事とか大好きだしね。

 ……だからこそ、人の隠し事は見たくなる。

 愚かな好奇心が自分を殺すまで、魔術師ってヤツは暴きたくなる衝動を抑えられない。抑えるつもりもない。そんな自分を恥じる事さえない」

 

「―――……ま、別に所長はそれで良いと思いますよ。何だかんだで、ボクに興味が有る訳じゃありませんからね」

 

「知るべきことは知っているから、私はそれで良いのよ。所長としてすべきことはきっちりしっかりと、やれるだけのことはやってますので」

 

「ドライだねぇ」

 

 そこでフと所長は壁に掛けておいた時計を見た。既に始業時間は過ぎており、明日の為に忙しいのでもう職務を始めなければならない。その為の薬物はロマニから摂取出来ており、ならばもう仕事をする準備は万全。

 

「―――ん。じゃ、まぁ今日はこれでいいわ。何時もありがとう」

 

「うんうん、どういたしまして。頑張ってね」

 

「ええ」

 

 気分はそこそこ。やはり上位者(グレート・ワン)の意志が混ざる血液と比較すれば快感とはならないが、それでもロマニ製の造血薬物は素晴らしい。所長は血の気が増え、その思考もまた冴え渡る。脳を苗床にする瞳が月明かりのように眼光を宿し、世界全てを丸裸にする快楽を伴った強い万能感に身を震わせる。

 あぁ、やめられない。止められない。

 そんな歓喜を隠す事もせず、しかし所長は確かな歩みでドアを抜けて退出した。ロマニは、彼女の主治医は、血に酔う女へ憐憫の情を向けそうになるも、それだけは今も昔も関係無く捨てた筈の人間性だと思い出し、何時も通りの仕事へ戻るべく書類と向き合う。

 遂に明日、レイシフトが実行される。であるならば、マスター達とクリプターらの健康状態の把握と管理をしなければならない。ロマニはカルデア医療部門トップとして、為すべき事を為すだけであった。

 

「あら、所長。ごきげんよう」

 

 扉を潜り、少しだけ歩くと所長は声を掛けられた。

 

「ええ、おはよう。ディール」

 

 その女は実に普通だった。整ってはいるが、美人ではない。愛嬌はあるが、可愛くはない。何と言えば良いか、実にそう普通としか形容出来ない顔立ちだった。過不足なく、特徴がなく、パーツパーツは良い形で悪くないのに、奇跡的に美女とは呼べない女だった。

 そのカルデアのマスター―――いや、Aチームメンバーのクリプター。

 先代所長から運用を引き継いだクリプターではなく、彼女自身が新たに選んだ者。

 

「ふふ。おはようだなんて、可笑しいですね。だって所長、もうずっと寝ておられないのでしょう?」

 

 名を―――アン(Ann)ディール(Deal)

 英語圏内では世間一般的な女性名を持つ元聖職者の魔術師。とは言え、だからこそ魔術師らしくなく、実に偽名臭い。古い名を受け継ぐのであれば、同時に古臭い名字であり、親から付けられる名前も魔術的に家独特の韻を踏むのが自然。

 しかしながら、ディール家など知らない。聖堂教会に所属する一族にもいない筈。となれば、恐らくは突然変異の一代目。しかし、父が呼んだ魔術師なので、所長が深く考えても仕方なし。何せ、ロマニと同じく名前など見るだけで啓蒙できる。

 本名を、原罪の探求者。

 ただただソレだけ。人の名前ではなく、それでは称号でしかない。

 スカラー(SCHOLAR)オブ(OF)ファーストシン(THE FIRST SIN)。そんなモノが(ソウル)から実の名前を上書きする程に、彼女はただただソレとして生きていた。見るだけで容易く啓蒙された。見た目通りの年齢ではないことは確かだろう。今まで見て来たあらゆるモノの中で、最も古い神秘の怪物であるのだから。本当に自分のパピーって人材ハントが悪趣味過ぎ、とカルデアに来た時に所長は苦笑いを浮かべたのを思い出す。

 

「そうね。まぁ、私も皆とレイシフトするか不安に思うかもしれないけど、大丈夫。今日もちゃんとさっきロマニから太いのぶっすり打って貰いましたから。

 それにね、今日はもうしっかり寝ます。

 悪夢さえ見えない程、やっと深く眠れることでしょう」

 

「凄く深くぶっすり打って……――あ、じゃない。そう言う言い方、アーキマンさんが誤解されまして、どうかと思いますよ?」

 

「別に、エロい意味じゃない。エロく聞こえるのなら、それは聞く人が色欲塗れなの」

 

 と言うか、凄く深くなんて言ってない。そう思う所長であった。

 

「あら、そうなのですね。でしたら私、確かに溜まっているのかもしれませんね」

 

 はふぅー……と、溜め息を吐くディール。美人ではないが、だから妙に色気が凄まじい。もう何と言えば良いか、変な気分になる所長であったとさ。

 

「いや別に、男なら紹介しても良いわよ。合コンとか社内恋愛も禁止していないもの。基本ここってフリーダムが主ですからね」

 

「いえ、ごめんなさい。恋愛も肉欲にも興味ないですよ、私。このカルデアで期待しているのは、未知の世界を探求すること。その一点だけですからね。まさかこの世に異空からなる世界が泡のように生まれては、泡のように消えて逝くなんて……えぇえぇ、実に不可思議。それに見た事もない化け物や敵も、その世界に溢れていると想定されています。

 カルデアのレイシフトなんて眉唾だったけど、あの男の無駄に高い話術に乗って、こんな寒いだけの土地に来た甲斐があるものです」

 

「そうなの。まぁ、私も戦闘狂と言うか、自分の技術を試したくなる気持ちもあるから、貴女の欲求は否定しないけれど。魔術で吸血鬼共を宇宙から絨毯爆撃するのとか、凄く気持ち良かったもの。

 けれど、それ、所長の私に言うこと?」

 

「いけませんか?」

 

「いいえ。その戦闘能力を買ってクリプターに捻じ込んだんだもの。それに実際、貴女はカルデア最強のマスター。

 その意気込みを挫くような無意味な行為を、所長のこの私がする意味もなしってこと」

 

「ふふふ。最強ですか……」

 

 強いと言うか、この女はそう言う次元ではない。只管に巧い。身体能力も高いが、それ以上の能力を持つ怪物など死徒連中では珍しくなく、だがそれらをいとも容易く抹殺する。核弾頭に匹敵する化け物や、サーヴァントさえも恐らくは。

 聖職者を名乗る魔術師は、そう言う類の怪物であった。

 

「そうよ。その為の特攻特異点Aチームなの」

 

「その言い方、他のクリプターの皆様方は酷く嫌そうな顔を浮かべますよ。ゼムルプスさんとか特に」

 

「え~……だって、本当のことだしね」

 

 何度か起動実験は行ったが、まだ人体実験を行っていないレイシフト。それを本番当日で行い、人類史を救いに行く八名のクリプターと、他四十名のマスターら。

 所詮、人類を救うと嘯いたところで、カルデアとて魔術師の為の施設。

 目的、言うまでもない。行き着くは根源以外の到達点に何ら価値無し。

 等と、考えれば、あるいはこの人類史消滅も父が聖杯か何かで仕込んだ人理実験かもしれないと思いつつ、なればこそアニムスフィアの本懐だろうと嗤わずにはいられない。所詮、未来を語ったところで、魔術師の狂気が行き着く実験に過ぎぬなら、もはやこの二千年のアニムスフィアが人類を有意義に消費する者となる。

 

「けれど、漸くね。カルデア運営の無駄金とされたマスター達が、明日やっとその有能性を示すことになるわ」

 

「そうですね。確かに、何事もなく訓練だけをしていましたから」

 

 人材の珍味。それが特攻特異点を見た所長の感想であった。建前のチームワークは守りはすれど、信頼と信用はない。同じ場所で共同活動をしていたので、ある程度は互いに理解はしてはいたが、人となりが分かっていた程度。

 ……まぁ、そう言うのはこれからか。

 所長はそう考え、これから命を預け合う最低限度のラインは超えていると判断はしていた。よって問題はない。多分ではあるが、あの個性派集団は自分の個性を爆発させて、あらゆる問題を乗り越えるだろうと、そんな期待さえ所長は抱いているのだから。

 尤も、そんな風に考えているのは所長だけであったが。大多数の職員が、カルデアで一番弾けた人物を質問されれば、まず最初に所長の名を挙げるくらいだ。これまでマリスビリーが開くことなどなかった新入職員歓迎パーティにおいて、運命力が低い籤運皆無なカドック・ゼムルプスは意味も無く一発芸を披露させられ、芥ヒナコはコスプレで露出“強”なチャイナ服をずっと着せられていた。

 

「でしたら、何も問題にはならないです。是非、私共に期待して下さい、オルガマリー所長」

 

「ええ、分かってるわ。アン・ディール」

 

 今日が、当たり前なカルデア最後の一日。その朝の出来事であった。

 







 アン・ディールの正体は後程に。また英語表記ですと原罪の探求者アン・ディールはAldiaとなり、Aldia, Scholar of The First Sinとなります。ここのアン・ディールとは別人となります。このアン・ディールは名前を受け継いだ不死でしかありません。



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設定
<〇>:時系列順設定


 ソウルシリーズを丸ごとクロスさせましたので、型月世界におけるフロムワールドの説明みたいな二次創作設定です。作者の妄想による独自設定であり、考察ではありません。又、考察サイトや考察動画をとても参考にしたものです。取り敢えず、時系列順に並べました。


◇世界観の時系列順クロス設定

 

 古い時代の地球に、外側から何かが飛来する。

 ↓

 何かは地球のシステムを理解し、其処から人類史と全く関係無い異界へ旅立つ。

 ↓

 自分の箱庭である世界にて、シルヴァルと名乗る。

 ↓

 創造主シルヴァルが三柱の神を創造。自分の子に世界創造を命じ、自分は眠りに付く。

 ↓

 二柱が創造に飽きてシルヴァルに還る。

 ↓

 最後の一柱が世界創造を続ける。だが光の黒竜ギーラ、闇の白竜シースに分かれる。

 ↓

 長い時間の果てに世界消滅。

 ↓

 全ての神秘と生命がシルヴァルに還るも、長い時間の眠りでシルヴァルは名を失う。

 ↓

 古い獣の誕生。ソウルの輪廻を司る神となった。

 ↓

 人類史、神代。魔術師が根源から神秘を持って来ようと孔を開けるが、世界の外側で眠る古い獣と繋がる。新たな魔術基盤の発見。

 ↓

 ソウルの業、誕生。使い手である最初の要人は魔法使いと定義も出来るが、神秘を独占しなかったので魔術でもある。またこの惑星の神秘法則から完全に外れた業であり、魂を持つ者であれば神秘が薄れない永劫の外法でもあった。

 ↓

 真エーテルと溢れる世界にて、古い獣の神秘よりソウルと言う新たなエーテルが発見。

 ↓

 ソウルとは、生物が思考し、世界を理解するためのエーテル。魂と同義であるが、その魂を世界の観測者として燃料化した力。同時に物質化した概念でもある。

 ↓

 同時に、その法則が発見されたことで「ソウル」と言う概念で以って生物の魂を奪えば、世界の観測者を減らして人類史の維持を不可能とする自滅の道でもあった。

 ↓

 後の未来の汎人類史にて発見させる第五架空要素の否定。観測者である魂を持つ人間が世界に存在する限り、ソウルと言うエーテルは枯渇することなく永劫にあるが、真エーテルのように世界に満ちることはない。

 ↓

 後の要人となるエーテル使いの魔術師達、更なるソウルの業の探求にのめり込む。

 ↓

 根源と繋がった要人ら、ソウルと言う神秘の大元である獣と接触。獣を呼び起こし、外なる世から世界に招かれる。

 ↓

 人類史に古い獣が襲来する。

 ↓

 世界が霧に覆われる。

 ↓

 神である獣の神秘が世界を侵食する。

 ↓

 他の全ての神秘が駆逐され、ソウルの業だけが唯一無二の神秘と化す。その際、真エーテルも全て獣に吸収されて完全枯渇する。

 ↓

 デーモンが獣から誕生。人間のエーテル還元化。ソウルとして獣に蒐集される。

 ↓

 ソウルが奪われるとは、世界を観測する魂の消滅。

 ↓

 世界が霧散する。世界を認識することが不可能となりつつあり、惑星のソウルさえも既に餌となって消えた。

 ↓

 汎人類史が崩壊して剪定事象に選ばれるも、だが逆に世界を観測する古い獣のソウルが世界を認識し、その住処になることで剪定によって絶対に滅びない永劫の世と化した。あるいは、地獄。

 ↓

 濃霧を呼んだ責務を全うする為、自らを生贄に要人が古い獣を封印する。

 ↓

 深い孔の底。楔の神殿の最深部にて、獣は眠る。

 ↓

 封印の楔が各地に穿たれる。

 ↓

 要人のソウルが世界を観測することで、僅かな土地が生き残る。

 ↓

 霧に囲まれた世界であるが、楔の神殿によって土地が人類に戻る。

 ↓

 一度は濃霧によって文明が滅びたが、再び文明を取り戻し、王によって国が甦る。

 ↓

 歪んだ歴史により、汎人類史ではない異聞史が歩み始める。

 ↓

 ボーレタリアが誕生する。

 ↓

 数百年後、ボーレタリアの王オーラントによって古い獣が目覚める。

 ↓

 また世界が濃霧に包まれ、世界ごとソウル化してしまう。拡散の尖兵さんが各地に襲来。

 ↓

 最後の希望である後のデーモンスレイヤーがボーレタリアに訪れ、竜の神にグーパンされ、楔の神殿で火防女の力で甦る。

 ↓

 取り敢えず、火防女が可愛かったので言われるがままデーモンを殺し回る。

 ↓

 幾度も死ぬが、デーモンを殺し切る。 

 ↓

 オーラントの写し身を殺した後、地下に降りて成り損ないのオーラントを殺害。

 ↓

 自分が要人になることを決める。

 ↓

 何故か、楔の神殿から人生が再開されてしまう。

 ↓

 何度も繰り返す。

 ↓

 気が付いたら、自分がデーモンになるほど膨大なソウルの化身(カンスト)になっていた。

 ↓

 実はもう世界の歴史に先が存在せず、自分が要人になることで世界が滅びる直前の時間を繰り返し、滅びから逃れる為にループしている現象が引き起きていた。これこそが要人が何とか導き出した世界の延命方法であり、これ以外にもはや世界は存続できなかった。

 ↓

 世界に世界が重なり、因果が積み、時空が歪む。

 ↓

 それからも続けて幾度も要人になり、幾度も世界を滅亡から救う。

 ↓

 繰り返されるデーモンスレイヤーの自己犠牲。共に世界滅亡が繰り返されることで因果が澱む。古い獣由来のデモンズソウルもまた限界まで歪み、膨れ、よりデーモンとデーモンの霧に包まれた世界を狂わせる。

 ↓

 ソウルの業を研究し、人間が新たに住まう事が出来る世界を自らの澱んだソウルで描く。

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 膨大なソウルを使い、デーモンによる写し身の力で絵画世界を生み出す。

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 世界に見切りを付け、火防女を殺して踏み付ける事で自らの人間性を捨て、古い獣と共に世界全てをソウル化させた。

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 濃霧に包まれた世界は消え、全てのソウルが消えた。

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 火防女もまた最後のデーモンとして絵画世界に取り込まれる。

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 世界から世界に渡る古い獣によって絵画世界が汎人類史に流れ着く。

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 だが絵画世界はまた違う世界として、神話の異世界が内部で形成される。

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 その中で世界がまた滅びるも、火防女によって絵画世界の作り方が受け継がれる。

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 絵画世界の中で更に絵画世界が作られ、世界がソウルによって滅びる度に世界が作られる。

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 幾度も世界が滅びるも、絵画世界によって絵画世界が続く。

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 そして世界に深淵が生み出され、世界がループすることで因果が狂い、ソウルが完全に澱む。

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 澱んだソウルからダークソウルが生み出てしまう。

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 人間性によって人間は闇の生き物となる。

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 純粋な霧であるソウルではなく、闇のソウルを顔料に絵画世界が作られる。

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 また絵画世界が生み出され、その世界に生き残った人間が移住する。

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 だが何故か描かれたのが灰の世界であり、その世界に適応する為に人間性のまま人間が進化する。

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 蛹となる。

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 人間は植物のような形となり、足が根となり、昆虫のような羽を生やす。

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 人は皆、天使となった。

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 更に時間が経過し、枷のない人間性は死のない植物と鉱物を合わせたような灰の竜に人を深化させた。岩の古竜の誕生。

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 長い時間が経ち、灰の世界を描いた者によって隠された火を白竜シースが見付け出す。

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 死のない竜の内の一人がシースが与えた火によって更に深化し、生の熱を宿す。よって死ぬ事が可能な何かとなり、シースがそれを殺し、その竜の遺体が世界を描く闇に溶けて生き物が幾匹か生まれ出る。

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 更に闇に溶ける古竜の死骸が、火を更に燃やす一番最初の薪となった。最初の火は火種としてあったが、燃え上がる薪は古竜となる。

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 死した古竜の生まれ変わりである闇の生物が、闇を燃料にして燃える火から王のソウルを見出す。

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 火に関する力を四匹の生物が獲得する。

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 雷をグウィン、熱をニト、光をイザリス。そして、誰も知らぬ小人が薪。

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 だがニトだけ見出した火の力で直ぐ死ぬ。しかし、その力で死の神となれた。危ない。

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 火を純粋なエネルギーとして見出した場合、そのプラズマエネルギー現象から更に不死の岩を砕く事が可能な高純度エネルギーが火の雷。石の古竜に命を与えることで生命体にし、其処から更に生死を操って命を奪う不死身殺しの死となったエネルギーが火の熱。火が映し出す明かりを実際に空間へ向けてイメージを描き、立体映像の幻想を実体化させるエネルギーが火の光。それと、燃やす為の純粋なエネルギー源となる火の薪。

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 火の側面は見出すも、火そのものは誰も手に入らず。だが同時に、最初の火から王のソウルを見出せるのも、その火の燃料となる闇たる薪から生まれた者のみ。シースには出来ぬこと。

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 鱗もなく、目も見えぬシースは不死ではなく、また命の熱を得ていた。実は前の世界から続く火防女の血族。彼は同時に彼女でもあり、古竜にとって盲目の火防女。

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 古竜の死骸から進化した闇の幾匹かが王のソウルによって神の権能を獲得。

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 グウィンが古竜殲滅を提案し、自分達の世界を作ろうとニトとイザリスに協力を願う。それを二柱は了承し、火の力によって竜狩りを開始。しかし、殺せど数多く、挙げ句に不死。

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 火による世界を求めるグウィン、イザリス、ニト。古竜たちに勝る軍勢を作り出す計画を始める。シースも技術提供し、人間もまたグウィンの口車に乗って協力。

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 大王グウィンが女神イザリスと交わり、戦友との間に長子とグウィネヴィアを作る。

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 長子とはそも、古竜に勝つ為にグウィンとイザリスが竜を殺す最強の神として生んだ者。神の尖兵として只管に古竜を殺し続ける。グウィネヴィアも同じく、雷と光を混ぜ合わせた新しい火の力を目的に作られた。

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 後に太陽の光の力と呼ばれる雷の力が、長子へと受け継がれた。

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 後に名を失う鍛冶の神が生まれた。古竜を狩り殺す為の、神々の武具をグウィンが欲し、イザリスとの間に作られた。

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 古竜は生きる岩でもある。その死骸から武器を鍛える為の楔石を、鍛冶の神が錬成によって作り出す。

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 楔石を殺した古竜の分だけ作り、大量の原盤が戦争中は量産される。

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 竜を殺す為の神々の武器が作られ、グウィンの軍勢の武装化が始まる。

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 結果として戦争が進むにつれ、鍛冶の神によって古竜を殺せば殺す程、神々の戦力は加速的に増幅する。だが、ドラゴンの死骸でドラゴンを殺してドラゴンのソウルを冒涜する竜狩りを作った神の傲慢さに、鍛冶の神は自分の業に疑問を覚えた。

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 長子、グウィン以上の戦神となる。グウィネヴィア、矛盾する互いの火の側面たる信仰と理力を持つ優れた雷の魔女となり、後に生まれるグウィンドリンの魔術の師匠。王のソウルであるグウィンの雷を信仰の奇跡として一番最初に使えるようにしたのが長子であり、グウィネヴィアが他の回復系奇跡を父の血から母の血で見出し、理力系技術もグウィンの神族が使えるよう体系化。とは言え、ソウルの魔法はシースの専売特許。

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 しかし、グウィンとイザリスだけでは神の数を増やせず。直接的に子を為すにも、王のソウルを削るにも限界がある。

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 殺した古竜の死骸を利用し、生死を支配するニトが生命の苗床にする。グウィンはニトによって自分自身の劣化分身である騎士団を作り出し、イザリスは同一存在の亡者へ自らソウルを分けて女神の娘達とした。要は後の神族、その全てがこの三人の子供達。錬成システムを生み出していたが、それを技術体系として完成させたのがこの時代の三人とシース。

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 グウィンと長子が共に騎士団を率いて殲滅戦を始める。他の神々も続く。

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 戦神によって暖かい火を望む竜が神側に寝返る。お手柄。

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 時間が経ち、三柱の神を祖とする子孫が発生。神々に多様性が生まれる。錬成技術も使われて神族にも種類が増え、また他種族を神族にする神の業も生まれる。アルトリウスやオーンスタイン、ゴーなどが生まれたのはこの辺。また巨人族の始まりはグウィンが戦争の為の更なる戦力を求め、協力者のシースが神の血で人間が持つ人間性を刺激させて、錬成された人間から作り上げた亜人となる。だから後の時代、神々から奴隷種族として扱われていた。

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 鍛冶の神、巨人を弟子入りさせる。メッチャかわいがる。

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 灰の世界、竜狩りの戦争が加速。グウィンに歴史を消されているも、ダークソウルから繁殖した人間も大勢参加。ついでに騎士団以外にも長子が更に凄く暴れまくったが、その功績はグウィンの手で消されてる。グウィネヴィアもとある裏切り行為をしており、兄である長子と共に作った功績を消されている。

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 神族と裏切り者の一匹が古竜を滅亡させる。火を遮る邪魔者を始末。

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 最初の火の炉をイザリスが建築。火を映す魔法によって作成され、最初の火を幻影として空へ映し出す超巨大なイザリス製錬成炉。

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 そこへ最初の火とその薪をグウィンが隠す。この世界でありながら、何処でもない世界が生まれる。と言うよりも、イザリスによる火が持つ精神世界。

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 ニトが自分の骨と古竜の死で作った最初の篝火を作成。炉の中心に置く。

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 最初の火を篝火に縫い付ける楔として、グウィンが雷で削った古竜の鱗より螺旋の剣を作成。

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 螺旋の剣を火が灯る篝火へ刺し込んだ。グウィン、天上へ火の力に自分のソウルを混ぜ、それを雷の塊に変えて投擲。

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 灰の世界をグウィンの雷球が照らし、空の絵画が描き込まれる。イザリスとニトの権能が合わさることで太陽となった。

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 実は、これが輝かしい雷球の元ネタ。グウィンが封じた理由は、後の時代で一緒に太陽を作ったニトとイザリスと敵対してしまったため。それは激しい怒りとなり、やがて深い慟哭となった。

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 その結果、グウィンは火の写し身を空へ送ることに成功し、火の化身である太陽が作られる。

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 よって太陽は、火から見出された三柱の力を再び炉で統合したもの。太陽の輝きは火の雷であり、その輝きが闇より世界を映し照らすのが光であり、太陽の温もりが生命となる熱を与えている。つまりは、グウィンが雷を核に練り上げ、イザリスが世界と言う神話を光で描き、ニトが不死に寿命を与えた。だからこそ火の薪が太陽に加えられておらず、燃料となる闇が太陽には存在していない。

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 雷の神である大王グウィン、三柱代表として太陽の光の神の別名を得る。

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 ニトもイザリスも実は太陽神であり、太陽賛美の万歳ポーズは、ニトによる死の力が混ざった黒い死神の怒り。つまり、ダクソOPのあれ。後、あの衝撃波。そして、それが神の怒りと言う奇跡の始まり。ニト様が処刑した古竜を太陽篝火の素材にしたので、死の神による処刑の合図が太陽賛美となった。

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 それと白教の主神ロイドは灰色を意味する。ニトは白教の所以となる白い炎を持ち、更に黒い死の瘴気を持つ。白い火は神の怒りの衝撃波の元の力であり、ニトが纏っているあの白いオーラで、邪教や神聖と言う属性を生んだ大元。その二つが合わさって灰のロイド。グウィンが雷の神から太陽の光となったように、後の時代の彼は死の神から邪悪な不死を封じる聖なる太陽と偽った。

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 火の時代を始める。

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 同時にシースもグウィンに協力し、太陽の光を受けて夜を照らす月を生み出す。

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 神都アノール・ロンドの建築が始まる。

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 ニトが人間に死の骨を与え、髄骨に枷を加える事で人間性による植物化と天使化と竜化を防ぐ。後は諸々の魔物化。

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 グウィンが更にニトと協力し、闇を照らす太陽を利用して火の封を死によって人体へ施す。ソウルを貪り喰らい、幾度も死ねる人間性が内側へ封印。不死化する人間が激減するも、生態機能が上昇して繁殖する。

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 死神が人類を祝い、神の支配する時代がある程度は安定する。

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 太陽の長子、多分シースに惚れてプリシラ生まれる。同時に、王族と結ばれたシースが神々の親族となる。

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 神と古竜の混血とは言え目出度いこと。しかしグウィン、月に連なるプリシラが持つ火の側面である陽炎の幻を見て、それを神族として欲する。つまり其処から生まれる新たなる火の側面、燃える火が映す陰たる権能が神々の保険となることにグウィンが気が付く。

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 幻を使う半竜プリシラに、より強い火のエネルギーである雷さえあれば、陰の太陽が作れるとグウィン確信。

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 グウィンが孫のプリシラに手を出し、息子にして曾孫の四分の一が竜のグウィンドリンが生まれる。プリシラ可愛いからね。仕方ないね。

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 しかし、生まれたは神の成り損ない。竜としても出来損ない。父であるグウィンから存在しない者として扱われるが、祖父の長子もかなり複雑。

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 グウィンが火の薪となるダークソウルの王に輪の都を与え、更に一番愛しい末娘のフィリアノールのソウルによって火の時代から封じ込める。しかし、神の与える永遠を嫌う魔術師が居た。

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 太陽の長子、キレる。火の時代を維持する為とは言え、娘を孕まされ、妹も人間共の贄となったので当然。戦友の竜を連れて父グウィンと殺し合うも、引き分け。アノール・ロンドは滅びず、しかしシースがグウィンの味方をしたので長子は色々と彼らの思惑を悟り、全てが虚しくなる。

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 暗月にして陰の太陽の権能を持つグウィンドリンを隠す為、グウィンは竜マニアの長子を追放した上で歴史から抹消。同時にシースへ更なる権力として公爵の地位を授け、楔として王のソウルを分け与える。大図書館と実験施設と私設軍隊をゲット。やったね。

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 グウィネヴィア、兄たる長子の願いを聞いて彼のソウルから神性を剥ぎ取ることを決意。戦神は妹に頼み込み、ソウル錬成とは逆となることを自らに施した。

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 太陽の長子、父との繋がりである神族のソウルを捨て去り、神の血も棄て亡者となる。また神が亡者化するのは、そもそも神も人と同じ闇の生物だからであり、王のソウルに由来する神性を捨てれば生物として本来の姿になる。未来のグウィンと同じ姿になるのは皮肉であり、神族であるミミックなどが亡者になる現象も同じこと。

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 ついでに、上の通り人も神も生まれは亡者みたいな闇の生命体で、その生物に王のソウルと闇のソウルがソウルにラベルされて最初の四匹がいるだけ。王のソウルの血統だと神性付きの亡者で、闇のソウルの血統だと人間性付きの亡者なだけでしかない。なので亡者だから不死じゃなく、最初からこの世界の生き物が亡者だったと言う話。

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 その後、長子は竜に乗って竜の山に行く。こうして神性ごと家族を捨て、名を捨て、自らの全てを捨て、完璧な竜の同盟者となる。

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 グウィネヴィア、アノール・ロンドを見切る。愛する父グウィンを捨て、自分が分けた赤子の長子を連れて違う土地を目指して旅に出る。これにより、長子と関わる部分の彼女の歴史が抹消された。

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 グウィネヴィア、旅の途中でイザリスに訪れる。神としての長子が別の分身体として完全独立し、その赤子を母であるイザリスの国に預けた。イザリスであればグウィンも赤子に手を出せないと判断。

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 母である女神イザリスと、女神の娘達は、この赤子を家族として迎え入れる。グウィネヴィアは去った。

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 息子と娘を自らの過ちで失ったグウィンが騎士団に対し、神の時代の秩序を守るべく自分の筆頭騎士を新たに任命する。言わば、組織の再編。後に王の四騎士となる者だが、この段階だと長子の筆頭騎士だったオーンスタインが戦神代理で、銀騎士から出世したアルトリウスが更にオーンスタインの代理となる二人。多分だが、ゴーとキアランは後に任命される。

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 闇の魔術師マヌス、グウィンとの契約を破って闇を深める人間性の研究をする。神の飼犬である輪の都を見切り、神の目が届かない場所へ移る。恐らくは、これも闇撫でカアスの仕業。またマヌスは小人の王か、その血統に連なる王族の一人。

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 マヌス、ウーラシール建国の祖になる。闇の魔術師が作った光の魔術の国家となる。祖の闇を隠すには丁度良い。後の時代、輪の都の王族を祖とする国の為、輪の国とウーラシールで国交が結ばれる。

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 闇より深淵が生まれる。マヌス、自らのソウルから生まれたその深淵に魂が沈む。元より疑っていたグウィンが暖かな死で眠るマヌスを発見し、遺体を地下へ運び、封印の王墓を建築。後の時代、隠された地下墓地の上にウーラシールの街が更に発展。多分、グウィンにとってウーラシールは防犯装置みたいなもので、マヌスが起きれば上の街で悲劇が起こって自動的に察知出来るように黙認したもの。

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 イザリスが王のソウルから作り出した火の魔法から、更に最初の火を作り出そうとするも、生まれたのは混沌。それは火ではなく、ソウルが溶けた溶岩でしかなかった。人間が持つ人間性、つまりはダークソウルを由来とする闇を利用したのが原因。後、副産物の呪術。呪術による火は混沌から見出された物理現象に近い薪から燃え出る火であり、王のソウルを生み出せる最初の火ではなかった。

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 都が混沌に沈み、混沌の溶岩がデーモン共の子宮となって滅ぶ。

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 デーモンが混沌の溶岩から誕生する。そして、デーモンは核となるモノを必要とする生物であり、イザリスに住まう多くの人間が混沌に溶けてデーモンに再誕した。無論、人間以外にも様々な物体が核となり、魔女である女神らも例外ではない。

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 だがしかし、混沌はイザリスが最初に火から見出した魔法による産物。必然的にデーモンとは、イザリスが最初の火から生み出した火の生命体である。神でも無ければ人でも無い故に、闇の生命体だった魔女の女神イザリスが王のソウルから見出した生命系統樹、デーモンである。

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 成長した神の長子、姉妹を何人か助けるも混沌に飲まれる。彼もデーモン化。

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 母と娘の何人かは苗床になり、あるいは蜘蛛に変貌し、他の生き残った娘は火の魔法を捨て呪術師となり、息子の長子は爛れ続ける者になった。余談だが、この世界観だと絶望した後のソラールさんにトドメを刺し、何かヤベー感じに狂った理由がこれ。太陽を求めて戦神を信仰して太陽万歳していたのに、神たる長子は混沌に爛れて化け物になり、今までの信仰に何一つ価値など無かったと理解したため。なので混沌万歳に狂ってしまい、混沌から生まれた光である虫で太陽万歳してしまった。とは言え、神を辞めて亡者になった戦神は古竜の頂きでドラゴンライドをエンジョイ中。ひゃっほい。

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 ついでだが、太陽虫は長子のソウルの雷から生まれたデーモンの一種。なので、本当に太陽でもあった。

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 アノール・ロンド、イザリスの廃都へ騎士を派遣。グウィンは妻だった戦友の女神の子供達であるデーモンを確認し、それらが闇の火である混沌から生じていると判断。神にとって人の闇と同じ火の時代の脅威と断定。デーモン狩りを行い、デーモンもまた神族に作り変えて神の戦力へ加えるようと企む。

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 グウィン、本当はイザリスを討ちたくはなかった。しかしながら、火から生じた闇で在るデーモンを放置する訳にもいかない為に葛藤を抱く。火の時代を人間が導く闇の時代に変わる事を拒むように、混沌の時代もまたグウィンには許せない世界。

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 だがそもそもグウィンは長子殺しを諦めておらず、最初の火から零れたデーモン共は太陽の子でもあった。しかし、だからこそ殺さないとならないのだが、イザリスが死ねば太陽が本格的に弱まる。そうなれば人間の時代が訪れるので、イザリスは滅ぼさずにデーモン狩りに留める。イザリスと魔女の娘らと敵対するだけに終わる。

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 鍛冶の神、ついに大王の蛮行に本気で怒る。長子やグウィンドリンの事件は何とか我慢したが限界超え。親族を道具扱いし、神の子でもあるデーモンを獣として狩り殺し、愛想も尽きた。

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 鍛冶の神、己に流れる大王の血を憎み、そのソウルが融けた血を楔石に注ぎ、自分自身のデーモンで神の償いを為す。母の成れの果てである混沌に楔石ごと、肉体とソウルを捧げた。その時、持ち物の原盤から楔のデーモンが生まれた。故に、そのデーモンは鍛冶の神の似姿であり、鍛冶師とその道具を合わせたカタチとなり、更に雷を有している。そのデーモンがまた混沌より溢れ、アノロンと楔のデーモンが敵対する。

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 これを裏切りと見做し、グウィンは歴史から鍛冶の神から名を奪った。

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 引き籠りの死神。実はイザリスと同じく、ニトも最初の火に取り憑かれていた。火が闇を燃料とするように、人間共の闇から更なる死を見出そうと世界を呪い始める。神でなく人と結託し、墓王の眷属が生み出された。そして、ニトの眷属共はグウィンの目から隠れ、大昔から暗躍していた。

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 霊体とは死後の姿である。墓王の眷属こそ、霊体の始まりとなる神秘。ニトの特権だったが、神は勿論のこと、人間や世界蛇に霊体化による他世界への侵入のシステムが伝わってしまった。闇霊の赤い瞳もオリジナルはニトの瞳が由来。他の霊体も、大元は死の眷属によるシステム。

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 篝火の作成方法も、ニトが人間に齎した神秘。人間が幾度も死に続ける為の拠点に、己が眷属となる死骨の篝火が使われるのは都合が良い。

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 死の瘴気が墓場から段々と溢れ出し、太陽が照らす世界を陰らせていた。更に闇である人間を、自分の力の影響化に置く事で死の呪いを更に増幅させていた。理由は、死の瞳を使って人間共の人間性から死の闇を見出すことで、自分の権能をより強めるため。

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 アノール・ロンドとニトが敵対する。だがイザリスと同じくニトが死ねば、太陽が弱まって人間の時代となる。更に人へ施した封印も無くなる可能性も高い。グウィンはニトを放置するしかない。

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 この段階になり、人間共の中で流行っていた白教の黒幕をグウィンが悟る。白教の主神はニト。眷属共を利用し、名を偽った。更にロイドは灰を意味するが、白を意味するグウィンに死の色である黒を足すと灰色。もし最初の火が神の父だとするならば、最初の火の父は燃料となった古竜。そして、古竜の死によって神は生まれた。存在しない最初の神である大王グウィンの叔父を名乗るならば、死神こそが相応しい。互いを助け合う白霊もまた形を変えた死に過ぎない。理由はどうあれ、死の姿になった人間共が世界に死を撒き散らせる為の教えでしかない。

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 裏切っていたニトだが、しかしグウィンは一旦ニトとは和解する。ニトは何も変わらず死を撒き散らすが、グウィンとの相互和解の条件として神以外の種族を標的とする契約を結ぶ。神都と火の時代に干渉せず、神にとって平和な世界を維持することに努める。 人間の死と、幾度も死ねる不死共の死が、神都が死を供養する為の墓王へ捧げる供物となった。

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 白教が神都に逆輸入される。人間共の社会に対し、神々にとって白教が都合の良い宗教的道具となる。

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 墓王からの感謝の意。ニトとその配下である墓王の眷属らがせっせと作った宗教基盤へと、グウィン一族の神族が奇跡=物語として本格的に加わる。

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 戦友イザリスを失った二柱、最初の白教を元にして人間対策の為に宗教を作る。神が神の奇跡を真実にする為の物語。ニトの白教もグウィンとアノール・ロンドの協力により洗練され、存在しない主神ロイドが神の物語として成立。それが後の白教。何より、宗教とは人間が死と苦難を受け入れる為の外付け精神浄化装置に過ぎない。人間の精神に神を根付かせる為の最高神としてならば、死を司るニト以外に相応しい白教の神など存在しなかった。

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 その為に歴史改竄を始める。そして、白教以外の宗教や宗派も人間用に神が作り上げた。色々と登場する神々も、二柱が支配する火の時代をモデルにした物語。混沌に堕ちたイザリス自身は勿論、イザリスの娘である魔女の女神達も、グウィンとニトが歴史改竄した後に物語の中へ登場させて奇跡化させてしまった。白教に登場する罪の女神や涙の女神なども、そう言うソウルの特色があった女神を二次的に変換させた物語。

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 中でも太陽の戦士は特徴的。そもそも宗派のトップになる長子が追放された後に、太陽の戦士と言う不死らを束縛する為だけにアノール・ロンドが作った教え。崩れたあの像は長子の存在を消す為に壊されたのではなく、元よりそう言う物語にする為に立てられたモノ。最初から壊す為に作り、その長子を模された偽りの象徴だった。

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 四騎士と処刑者がアノール・ロンドに揃う。彼らは純粋なグウィン一族ではなく、多種族で構成されている。オーンスタインは竜の血で混血化した騎士、キアランは神の血を混ぜられた人間、アルトリウスは銀騎士の神性を強めた特別個体、ゴーは神性の加護を与えられた巨人、スモウは神の血を混沌の溶岩に入れることで生み出されたデーモンとなる。グウィンはもはや自分の血族だけを信じておらず、深い忠誠心を持つ部下を求めていた。

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 ぶっちゃけ、四騎士異種族混成部隊説の根拠はほぼ見た目。オーンスタインは鎧が竜の形で、竜マニアの筆頭騎士だったから。多分シースやグウィンが戦力増加で竜を利用する際に生み出された混血騎士で、竜血から生み出た神を騎士にして竜狩りに何人か利用していた。四騎士にはならなかったが、竜狩りの剣士もその部類。

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 他四人だとキアランは見た目が人間サイズなので多分人間で、元が闇属性の不死だし汚れ仕事をさせていた。ゴーは種族とか関係なく竜を撃ち殺しまくった英雄で、単純に狙撃神シモ・ヘイヘだったので巨人でも採用。アルトリウスは何か銀騎士っぽい雰囲気で、何か黒騎士みたいに豪快で、何か凄くハイブリット。スモウとか見た目と戦い方と武器が不死院のデーモン系列にそっくり。

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 そして、実はスモウこそ白教の処刑者。デーモンの顛末を見ていたニトが混沌の溶岩に“死”を投げ入れ、死の遣いとなる魂砕きの役人を生み出した。墓王が自分の遣いとしてアノール・ロンドに送った死を齎す火、つまりは死のデーモンである。

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 小ロンドが建国される。その偉大な指導者である四人は不死であり、人間を飼い馴らしたいグウィンは公王の位を授け、シースと同じく王のソウルを分け与えた。彼は人間を自らの親族にし、眷属となる新たな神に作り変えた。故に、その公王の国は神の小人が治まる神の国、小ロンドと名付けられた。

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 火の時代、やっと落ち着くも、火も落ち着き始める。最初の火の燃料となった最初の薪も限界。他にも火が弱まった理由があり、グウィンと共に太陽を支えるニトとイザリスが闇に染まりつつある為、システムが狂い出す。

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 構わずイザリスは最初の火を求めて更に炎を練り込み、混沌を溢れさせている。

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 ニト、愉悦部ムーブ。和解した筈のグウィンに、生贄となることを提案。死の神であるニトが薪となれば人に施した死と言う封印が弱まるも、グウィンならば人間の闇に影響を与えず薪となれる。勿論グウィンが死ねば人を抑え込む太陽は弱まるが、グウィン自身が太陽の薪になれば問題ない。そして、我ら神々を狂わせた最初の神として、神の親である古竜を狩り始めた親殺しの神として、死神の死よりも過酷な罰を受けろと白教の主神が笑う。

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 神の時代を続ける為に、非道を続けた。人間を騙して使役し、妻の子供であるデーモンも殺した。何より妻も息子も娘らも裏切った自分が贖罪を為す刑罰と思いつつ、実はグウィンも暖かい火を求めていた。もう良いのではないかと諦めていた。

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 火が弱まるのをグウィンが感じ取り、闇から生まれた自分の肉体を燃料にする為、残った王のソウルを自分の親族へ与える。神を捨てた大王グウィンは火を得る前の亡者の姿となる。

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 大王はそのソウルと、燃え殻となる肉体に分離。

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 グウィンドリン、残り滓に等しいが王のソウルを得る。

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 自分が火の燃料になっていた闇の代わりの薪となるため炉へ行き、燃えた。彼は薪の王と成り果てた。

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 長子が父のソウルを察し、父が消えたアノール・ロンドに戻る。本来ならばグウィンの死で神々の王となるべき戦神であり、そもそも雷を継ぐ王は彼一人だけであるが、既に神が運営する火の時代を見切っていた。

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 長子と確執があったのはグウィンだけだったので、戦友である騎士団の者たちや元部下のオ―ンスタインと戦いになることはなかった。

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 火継ぎによって消えたグウィンの為の、空の棺に息子として最後の言葉を残した。

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 追放されたとは言え、グウィンの血と雷を継ぐのは長子ただ一人。そして、彼を追放したグウィンは火継ぎに燃え、王位継承権が長子に戻り、そして騎士団らを率いる資格を持つ唯一の神となった。もはや王は長子以外に相応しくなく、同時に彼だけが騎士たちにとっての王である。

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 戦神は父の後を継がず、だが血を継ぐ王である故に、臣下を捨てた無名の王となってしまった。

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 残っていた騎士団や家族との決別を終え、神々を本当の意味で戦神は裏切った。力も血統もありながら王を継がず、竜の同盟者となってアノール・ロンドから彼は消えた。 ↓

 アノール・ロンドに王はなし。グウィンドリンが本当の意味で自由となった。

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 世界は平穏無事のまま。しかし、やがてグウィンさえ燃え尽きる事を懸念し、フラムトとグウィンドリンが人間の薪化を計画し始める。

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 シースとグウィンの混血であるグウィンドリンが太陽を月で隠し、火は健在なれど光は陰る。

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 ダークリングが人間から生まれ、ダークソウルが活性化し、人間性が顕在化する。

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 カアス、マジキレ。火の時代、もう止めよう運動を本格開始。闇の王を求む。

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 アノール・ロンドに住まう神が去り始める。火の時代の終わりを神々が悟り、何より神にもまたグウィンような自己犠牲が出来る者もおらず、居ても素質がない。最終的に残ったのは暗月、四騎士、処刑者。後は配下の騎士団と、巨人奴隷と、神族が飼うデーモンと、臣下にした人間共。

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 カアスがアノール・ロンドの衰退を把握。暗躍によってアノール・ロンドの属国だった小ロンドの公王を諭し、力を与えた。そして、人間が持つ闇の真実を伝える。

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 公王は闇の力に溺れた。仕える騎士たちは闇の騎士、ダークレイスとなる。

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 輪の都でダークソウルを暴走させて竜化した狂王がフィリアノールを殺害するも、磔にされた上に武器化。ソウルの封印をそのままにする為、フィリアノールが眠ったまま亡者となる。

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 ウーラシールにて、祖である暗い魂の王の墓が発掘される。カアス、口先だけで頑張った。

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 魔術師マヌス、再誕。長い死が暗い魂の闇を更に深め、人間性が人間を次の人類へ進化させた。また深まった闇が深淵となり、ウーラシールの街が沈む。とは言え、深淵で神の封印も弱まっていた。少し刺激されると、静かな深海のような世界で眠るマヌスが目覚める程に。今は薪してるグウィンからしても何時か破られると察知していたが、カアスによって復活の時期が早まる。

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 神の中で人間を最も敵対視したグウィンが正しかった。古竜の灰の時代を神が滅ぼしたように、神の火の時代も人間から生まれる闇の王が終わらせると神々が確信。

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 ウーラシールにアノール・ロンドが騎士を派遣するも、アルトリウスが深淵に沈む。

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 人間性を肥大化させたマヌスは更に人間性を狂わせ、彷徨う愛しい宵闇をソウルのまま求めて手を伸ばすが、間違えて史上最強の不死人も過去に連れて来てしまう。

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 深淵の主、ウーラシールにて消滅。だが、まだ滅びず形を変えて子供が生まれる。

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 カアス、闇を撫でる深淵の主が持つ左腕を垣間見る。自らを闇撫でと称する事が可能な業を覚えた。

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 闇に誘っていた小ロンドの公王をカアスが更なる深淵へ至らせる。

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 闇より暗い深淵に堕ちた公王によって、闇の騎士たちが深淵に堕ちたダークレイスと成り果てる。瞳によって自らを闇霊とし、世界と時間を超えてソウルを奪い取り始める。

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 公王が治める小ロンドが深淵化するも、水没されることで封印。

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 シース、原始結晶は生み出すも鱗の研究に悩む。ダークソウルである人間性が活性化することで人間が変質する性質に目を付け、その中でもソウルの石化現象に注目し、鱗化の為に人体実験を開始する。アノール・ロンドのグウィンドリンはそれを黙認した上で、グウィネヴィアに仕えていた聖女をシースに差し出す。シース、本格的に狂い出す。

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 実は別にまだまだグウィンが燃え尽きていないので、アノール・ロンド最後の神であるグウィンドリンは悠長に不死へ試練を与えて、神々から王のソウルを狩り獲れる最強の英雄を待つ。

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 とある不死が不死院に投獄される。武装の他には、思い出の依る辺となるペンダントしか持っていなかった。

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 計画開始から約千年後、フラムトが求めた史上最強の不死人がアノール・ロンドに到着。大鴉のお手柄です。

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 試練を超えた不死の英雄、男の娘が演じる幻影おっぱいに出会い、フラムトにも出会い、器に王のソウルを注ぐようまんまと騙される。そもそもな話、王のソウルなど薪になる為に不必要だった。

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 王のソウルを器に捧げる。グウィンドリンが太陽を隠していた月に王のソウルが宿り、正真正銘本物の陰の太陽になる。錬成炉による太陽の錬成であると同時に、月の魔法を権能とするグウィンドリンによる世界を騙す幻影でもあった。

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 何も知らぬ最強の神殺しはまだ燃え尽きぬグウィンと出会い、全てを悟ったグウィンが人間の闇が火の燃料になる事に恐怖して立ち向かうも、そのまま殺されてソウルを奪い取られる。

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 神殺しの不死、火継ぎをしてしまう。

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 暗月の復讐の神であるグウィンドリンは、母を愛した祖父を追放し、その母さえ絵画世界に封印し、自分を女に偽った末にアノール・ロンドに幽閉したグウィンに自分自身の復讐を果たす。また祖母である狂ったシースも復讐相手であり、グウィンと共に火の時代を開いたニトとイザリスも復讐相手として抹殺する。彼は王のソウルの持ち主を不死を利用することで皆殺しにし、自分を無き者として扱った神々全てに復讐した。つまり、最初の三人の神が夢見た火の時代を、復讐者が手に入れた。

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 皆既日蝕によって本来の火が遮られ、グウィンドリンが望む月の時代が訪れる。彼の復讐が最後まで成し遂げられた。

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 ついでだが、ソラールさんが狂ったのは戦神爛れ過ぎ問題だが、絶望したのはグウィンドリンの所為。太陽などもはや何処にもなく、彼の祈りは何処にも向いていなかった。太陽に万歳など一度としておらず、讃えていたのは神の欺瞞が生み出した輝く陰の太陽に過ぎなかった。そもそも日の陰りでダークリングが浮かんだ不死人は、その時点から日の光に照らされることは有り得なかった。その上で、戦神を探して見付けたら爛れてたので発狂しちゃった。

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 フラムト、全てを悟るも手遅れ。マジキレしてアノール・ロンドと手を切る。カアス、マジかよと更なる暗躍を開始する。ロスリックとロンドールの建国準備。

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 長子の筆頭騎士だったオーンスタインは、王が作り上げた太陽を月で隠したグウィンドリンを見限る。そして、暗月の神を殺しても良かった。しかし彼もまた大王グウィンの息子であり、そして彼が慕う戦神の兄弟であり、その孫であった。もはやオーンスタインはアノール・ロンドを捨てる以外に選択は残されていなかった。

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 それと殺した筈のオーンスタインやスモウが生きているのは、グウィンドリンの計画に騙されて協力していたから。不死が白霊として召喚されるように、グウィンドリンの幻影として死んでも問題ない霊体が召喚されていただけ。

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 スモウは残虐ではあるが、神に忠実なのでグウィンドリンに従い続ける。

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 神殺しを薪にして偽りの火の時代が続く。

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 アノール・ロンドが各地にピザ釜を建築。最初の火の炉へ繋がっており、そこに強いソウルの持ち主を入れると燃料化される。

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 その後も、グウィンドリンが態と光を遮る事で人間性を活性化させることでダークリングを人間から浮か上がらせ、人々を不死の時代に落し入れる。グウィンの時と同様、不死が出現するようになってからも余裕を持って薪を選定する猶予時間を作る。

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 暗月の計画通り、火が燃え尽きる前に強靭なソウルの持ち主である不死を定期的に薪として火の炉へ焚べる。

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 最終的に、火の炉は人間共の管理に置かせ、アノール・ロンドのグウィンドリンが管理せずとも不死が現れる時代にするだけで、人間らが勝手に不死を薪にする家畜化システムが成立。

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 火の時代を続ける為、皆既日食を行う月を太陽のように輝かせる為に人間が薪となり続ける。

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 不死となった二人の兄弟、ヴァンクラッドとアン・ディールがドラングレイグを建国。

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 アーロンさんが去った後に鉄の古王が滅び、その国も滅亡。

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 マヌスの仔が暗躍し、幾つかの国が栄える。ドラングレイグ、サルヴァ、エス・ロイエスが発展。

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 サルヴァが名誉欲に暴走した男によって眠り竜シンが目覚め、滅亡。またイザリスの後始末をする為に、白王がその身を捧げて混沌を抑え込むも、王亡きエス・ロイエスが滅亡する。

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 ドラングレイグが更に栄え、巨人の故郷を襲撃する。復讐しに来た巨人共と巨人の王も撃退に成功する。

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 ヴァンクラッド王の兄であるアン・ディールが研究の末、火継ぎの真実を理解する。 

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 アン・ディールが古竜を知り、その仕組みとソウルを知り、人造の火防女を製造する。しかし火防女は竜の失敗作に過ぎず、再度挑み古竜を創造。

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 ヴァンクラッド王が霊廟に籠もり亡者化。レイムは黒霧の塔でマザコンに覚醒。

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 実は王のソウルの持ち主はまだ滅びず、マヌスと同じく形を変えて人間らを利用して暗躍していた。

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 イザリスの成れの果てが罪人として幽閉され、ニトのソウルに憑かれたサルヴァの王が腐れ、虫になったシースは亜人を作り出してソウルを研究し、グウィンの残滓は溶けた土になった。

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 マヌスの仔デュナシャンドラによってドラングレイグが完全支配。火継ぎのピザ釜が地下に隠される。

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 ドラングレイグの地へ後の新たな原罪の探求者が訪れる。

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 言われるがまま古き王のソウルの残滓を殺し、膨大なソウルを宿すことで不死の一人が資格を得る。

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 原罪の探求者アン・ディールと出会い、英雄殺しは真実を知る。

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 ドラングレイグだけではなくサルヴァ、黒霧の塔、エス・ロイエスにも訪れ、マヌスの仔を知り、英雄殺しを敢行する。

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 火を手にしようとする最後の闇の仔デュナシャンドラを殺し、立ち向かって来たアン・ディールも殺し、英雄殺しの不死は全てを知る為に、ただの不死として火の炉から立ち去る。

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 英雄殺し、アン・ディールの火を宿す。ソウルが混ざり、原罪の探求者を受け継ぐ。最初の火ではなく、探求者を炙る炎を火継ぎした。

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 一方その頃、ロンドールが黒教会の三姉妹によって建国される。巡礼者システムを創造。

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 建国されたロスリックもまた残り少ない女神を王の妃として迎え入れ、忌まわしくもおぞましい血の営みが繰り返される。

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 絶望を焚べる者が原罪の探求者としてロスリックに辿り着き、シースの蔵書保管庫だった大図書館に興味を持つ。

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 世界蛇から知識を得る為、ロスリックに協力する。ソウルの奔流などと言った様々な魔法の開発と研究にも関わる。

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 まだ若き不死となる前の王子へ、原罪の探求者が魔術を伝授。

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 だがロスリックの血の営みのおぞましさから、己が人間性が耐え切れず、用が済んだと探求者はまた探求の旅を続ける。

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 探求者はアノール・ロンドなどにも訪れ、王のソウルを知る。絵画世界も旅をし、世界の仕組みを把握する。

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 後に法王となる魔術師サリヴァーンが、探求者によって絵画世界の外に興味を抱く。

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 黒教会のロンドールに探求者が辿り着き、そこで三姉妹に絵画世界について語る。

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 後に灰となる三姉妹の長女エルフリーデが、探求者によって絵画世界に興味を抱く。

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 火の原罪を探求し続ける旅の中、様々な人と出会い、語り合い、絶望を焚べる者として語り継がれる。

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 旅の果て、全てを知った原罪の探求者は自らのソウルを枯らせ、不死の亡者として世界の終わりまで墓所に眠る。

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 旅の終わり、オーンスタインは戦神と出会うことが出来た。しかし、彼はもはや亡者と成り果て、そのソウルを枯らせていた。戦友であった竜が彼の墓になった頂きを静かに守り、だがオーンスタインは自らの肉体全てをソウルに変えた。無名の王は嘗ての筆頭騎士のソウルを喰らい、それでもまだ目覚めなかった。

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 その間も火継ぎは行われるも、燃料の薪を燃やす火そのものが火力不足になる。

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 強大なソウルの持ち主を薪する新しい火継ぎシステムが、探求者が協力したことで技術発展したロスリックにより行われる。また自らの故郷を滅ぼした魂喰らいである追放者ルドレスも、計画の為に必須なる薪の王のソウル錬成に協力する。

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 罪の都の為にヨームが薪となるが、しかし消えぬ炎が人間を焼き殺す。

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 魔術師サリヴァーンが絵画世界を抜け、世界を旅する。罪の都で消えぬ火に魅入られ、人間性の欲望を自覚し、イルシールを支配する。

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 魔術師サリヴァーンが君臨するイルシールが、神の国であるアノール・ロンドやロスリックと戦争を始める。

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 ファランの不死隊が深淵に関わった人、街、都、国を滅ぼし続ける。後、ロスリックの話を聞いて自ら薪となる。

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 聖者エルドリッチは人間が人間性が更に深まることで別の闇の何かへ変態し、更に人間性そのものから闇の生物が生まれ出る深海の時代を夢見始める。人間性を得る為に人間を食べ、聖者から人喰いエルドリッチと呼ばれる。

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 本来なら神への信仰を司る聖堂が、闇の底の深淵を求める深みの聖堂にエルドリッチの手で作り変わる。

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 最初の火に心惹かれ、蕩けた無形の人喰いエルドリッチが薪になる。

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 ロスリックが再現する最古の火継ぎに協力したルドレスが、計画の為に自らもまた生贄となるために薪となる。

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 ファランの不死隊、巨人のヨーム、人喰いエルドリッチ、追放者ルドレスが薪となって燃えるも、燃え尽きず火継ぎの棺に保管される。

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 ロスリックの血の営みとは人間から神を作り出す為、まず生け捕りにした女神と人の王が子供を作り出す。男子が生まれた場合、その半人半神がまた女神と子を成し、四分の三が神の人間が生まれる。またその子供の男子が女神と子を為し、八分の七が神の人間が生まれる。それの繰り返しが血の営みであり、生まれ変わりを司る女神ロザリアが人間共に強いられたことだった。その末、先王オスロエスが先祖であり母であり妻であるロザリアと幾人もの子を作り、フラムトの実験が成功した萎びた奇形の王子を国名であるロスリックと名付けた。

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 先王は事実を知り、発狂。末の子であるオセロットを喰らう。妃である女神を何故か深みの聖堂に監禁する。

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 ローリアン王子、デーモンの王子を討伐。その数年後、火が陰り始める。

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 グウィンの写し身として薪になるべく造られたロスリック、火継ぎ拒否。むしろ、拒否して当然。

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 最初の火が消える。世界に闇の時代が訪れる。

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 グンダさん、暗くなった後に炉へ向かうも遅過ぎ。火はもうなかった。そんな場面で時間軸が狂った後の世界のロスリックから訪れた火のない灰に出会ってしまい、良く分からないまま殺され、挙げ句の果てに王たちの化身によって火継ぎの剣もどきの鞘にされた。その後、更に甦った灰の人らの為の試練代わりに利用される。

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 火の時代が終わるも、火の時代の残り火から僅かにまた王たちの化身が火を灯す。ルドレスとフラムトの計画通り。

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 太陽が甦り、火の時代も甦るも、世界が大きく歪み始める。

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 鐘が、鳴った。

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 フラムトの計画である一番最初の火継ぎを再現する為、最初の火を宿す燃え尽きなかった薪の王をロスリックの祭司共が甦らせる。

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 しかし、ルドレス以外の王が計画に離反。まぁ、当然と言えば当然。薪の王らは、人を利用する神の嘘を薪の燃え掛けとなることで知ってしまった。何故なら、最初に薪になったグウィンや神殺しの不死の意識と記憶もまたソウルとして、薪に残っていた。

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 薪の王が故郷へ帰還する。無論のこと、エルドリッチも深みの聖堂に戻り、女神ロザリアを犯して深海の時代の生き物として蛆の子供を産ませたが、そこで魔術師サリヴァーンと出会う。

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 サリヴァーンは神の欺瞞を消し、自らが神に騙され続けた人を導く王となるべく、暗月の神を人喰いエルドリッチに喰わせる計画を実行する。

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 サリヴァーン、エルドリッチと深みの聖職者達とイルシールの軍勢を従え、アノール・ロンドを強襲する。

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 エルドリッチはグウィンドリンを食べることで神喰らいエルドリッチとなり、魔術師サリヴァーンは法王を名乗り、最後まで抵抗したスモウは殺された。プリシラの子であるヨルシカもまた、サリヴァーンは塔に幽閉する。

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 人間を騙して薪にし、火の炉を使って偽りの太陽として月を輝かせたグウィンドリンを、逆にジワジワと苦しませて焼き尽くそうとしたサリヴァーンの計画が成功する。これにより法王サリヴァーンは、人間を騙し続けた詐欺師共を舞台から排除し、正しく人類を導く為にイルシールで恐怖政治を更に加速させる。

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 アノール・ロンドに集中していたイルシールの兵力を使い、法王はロスリックの本格攻略に出る。

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 時が流れ、残り火で燃える最初の火が消えそうになる。

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 残り火で炉が燃えている為、それと繋がる薪の王のソウルに刻まれた土地だけが世界に照らされ、他の土地が闇に沈み始める。つまり、火継ぎに必要な王の故郷のみが残り火の時代であり、僅かな火で照らされる事が許された。火の弱まりによって世界が縮小し出したことで、王の故郷がロスリックに流れ出した。

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 そして、ソウルと言う観測者が認識出来なくなった世界は霧散する。薪の王たちのソウルの記録にない土地が存在不可能のも必然。

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 亡者としてソウルが枯れた死体を墓から暴き出し、灰として再利用する最後の計画が実行される。

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 今までの不死とは別に、新たな不死の呪いとして灰が世界に甦り始める。

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 絶望を焚べる者の墓も無縁墓地に辿り着いており、ソウルを失くした死体として補完されていた。

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 王たちの化身が自らのソウルを溶かした血を首を切り裂いた剣から垂らし、この儀式によって王たちの化身を殺すことを使命とする灰として探求者が再誕する。言うなれば、OPの王たちの化身がしてた例の儀式。多分、本来なら適当な亡者に血を与えて灰の主人公にしたと思われるが、この世界観ではダクソ2の後に世界を旅した主人公が3でも主人公をする設定。

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 これによって血に融けたグウィンや神殺しの不死のソウルも流れ込む。他の王たちのソウルも入っている。

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 なんかもう完全に生まれ変わり、意識も記憶も真っさらになった火が大好きなだけな炎マニアの灰が生まれ出てしまった。

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 遅過ぎグンダを何となく殺して何か懐かしい螺旋剣を奪い取った後、言われるがまま火防女が可愛いからと使命を全うする火フェチの灰。

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 深淵の監視者は自らの使命が偽りと知りながら、それでもそれを信じた自分は嘗て居たのは本物と信じ、灰の人が火の炉へ行くのを止める為、何より悲劇を続けて灰の人がこれ以上絶望を味合わせない為に戦うも、火が見たいだけの灰さんは平気で首を狩り取った。灰は所詮、灰なのだ。

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 ヨームもまた灰の人が火の炉へ行って絶望させるより、ここで灰を殺し尽くすのが慈悲と灰と戦う事を決めるも、友にまた出会うことで自らの末路に満足して死亡。灰は巨人の友である灰に感謝しつつ、これまたヨームの首を狩り取った。灰は所詮、灰なのか?

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 イルシールの法王は灰が神の欺瞞に騙されていると悟り、止めるべく憐憫を抱く灰の人の為に戦うも、ただたんにサイコ火フェチなだけなので法王を殺した。やっぱり灰は灰ですね。

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 エルドリッチは人間が更に人間性のまま進化する深海の時代の為、強いては人間と言う生物が人間として暮らす世界を目指す為、火の代わりに闇が人を照らす静寂な世界を作る手段として空に浮かぶ暗月を喰らおうとするも、灰の人は平然と聖者の首を狩り取った。南無。

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 グウィンドリンが完全に消滅した為、幻影で隠された本物の太陽が現れる。つまり、輝きを失った月に隠された皆既日食の太陽である。この世に陰の太陽が出現した。

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 火継ぎを拒絶したロスリックであったが、人では無く神たるグウィンが薪になった過去を再現する為、彼は今回の火継ぎで必ず生贄にされなければならなかった。死ぬ為に生み出されたなど己が人生として有り得無く、狂わされた兄と共に灰と戦うも、灰はもはや完璧な王殺しであった。

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 山の頂きで灰は鐘を鳴らした。亡者になって頂きを墓に眠っていた長子だが、オーンスタインのソウルによってついに甦った。竜の鐘が竜狩りの魂を呼び起こす。

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 古竜の頂きにて、神を捨てた人ならざる亡者の戦神がいた。竜と共に戦う男は、灰にとって間違いなく今までの敵の中で最強だった。そして、戦神もまた灰から懐かしい気配を感じ取り、捨て去った筈の感傷が溢れ出た。戦神は父から授かった神の権能ではなく、一人の亡者として信仰する太陽の雷を身に纏い、灰と同じ名も亡き誰かとして殺し合った。男は世界の終わりの間際、両親も兄妹も一人娘も全て死んだ先、名前も神性も捨てた無名の王として長かった人生の最期を迎える。

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 戦神は死ぬ。裏切り者として死ぬのではない。筆頭騎士オーンスタインが救いとして求めた戦士としての死を、世界の最後の死闘の果て、やっと手に入れる事が出来た。

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 火継ぎによって火を宿した薪の王らの生首とソウルを並べ、ルドレスと共に錬成の生贄に捧げる。これによって、グウィンの代わりになる薪と、王のソウルの代用にする四つの生贄と、薪となる王殺しの灰が準備される。これにて、最古の火継ぎの再現が完成された。

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 言われた灰の使命はここまで。だが、彼を甦らせた者の使命はまだ果たせず。

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 王たちの化身を殺し、灰は使命を全うした。

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 薪のソウルを灰は手に入れた。そこには大王グウィンを殺した神殺しのソウルが守る思い出を核に、数多の薪たちのソウルが炎となって解け合っていた。グウィンのソウルの残り滓が、死した思い出を守る光だった。故に薪と燃えるソウルだが、それでも思い出は燃え尽きず。神殺しはやはり不死のままであった。

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 だがしかし、世界はループする。灰は何故かまた墓地から甦る。

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 最古の火継ぎを繰り返す。王たちの化身を幾度も幾度も、化身からの使命を全うする為だけに灰は殺し続ける。

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 灰はふと気が付いた。王の故郷が流れ着く歪み果てた世界にて、そもそもな話、一度は燃え尽きた火で世界を存続するとは何か?

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 最古の再現により、ソウルに囚われた世界そのものが薪の王を材料に錬成され直されていた事に気が付く。即ち、月を太陽に錬成したグウィンドリンを準え、ロスリックを作ったフラムトが火の時代を続ける為の答えがそれだった。言わば、火の時代が消えるのは避けられず、その残り火の時代を延々と薪の王を幾度も生贄にして繰り返すこと。だからこそ、贄となる王の記録に残る世界だけが、闇に飲まれず残り火の時代に取り残された。

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 世界は既に、王たちの心象風景(ソウル)に取り込まれた。

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 だがしかし、火が好きな灰には関係ない。気が付けばソウルの化身(カンスト)になってしまった。平行世界の自分である灰とも殺し合い、殺したり殺されたり出来るので、火継ぎに飽きることもなかった。

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 しかし、あるループの時、祭壇の裏に隠された涙の女神に祈る奴隷騎士ゲールに出会う。新たな土地である絵画世界にゴー。

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 アリアンデル絵画世界で三姉妹の長女と出会い、画家のお嬢様を助ける。ついでに修道女を狙う幼女監禁ストーカーから邪王炎殺剣を奪い取ってヒャッハーする。やっぱ、厨二病って不治の病ですね。

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 教会の地下にて、灰は教父と出会う。腐った絵画世界を焼き尽くす炎見たさに、拘束されている教父を起こそうとしたが、別に世界とか腐って良いじゃない派のフリーデと殺し合う。しかし、灰は世界を燃やし尽くしたい派である。

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 腐った世界を焼く劫火が見たかったので、灰は教父の炎が欲しい。なので、眠る教父の目の前で愛し合っていたフリーデを何時も通り平気で殺す。教父、激オコ。灰、やっぱりサイコパスな火フェチ。

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 教父の火が世界に広がり、フリーデが燃える。残り火パワー。だが、火により命が繋がったフリーデと教父を灰は殺した。ついでに灰も燃えて、落ちてた原盤を冷静に拾う。やったよ。これで、腐った絵画世界は燃え尽きる。やったぜ。

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 それでも教父のソウルは死なず。最後の力を振り絞り、フリーデに教父の炎による残り火を捧げた。これにて、絵画世界の腐れを受け入れ腐っていたフリーデは覚醒し、腐れが燃えることで本来のエルフリーデに覚醒する。つまるところ、黒い炎のフリーデである。ついでに、愛しい男を目の前で灰に殺された挙げ句、その男の人間性の本質であった自己犠牲によって甦ったので、むしろ全盛期を超えて燃え上がっていた。

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 黒い炎のフリーデを殺害し、灰はついに絵画世界を燃やす炎を見れて満足する。やっぱり灰は所詮、ただの灰。だがそこで、画家のお嬢様から面白い話を聞いてしまう。またソウルと人間性の腐れを燃やすアリアンデル教父の火を味わうことで、世界を繰り返す灰の火を求め腐った渇望がそこそこ燃えた。灰はそこで火以外の願いを思い出す。

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 灰は原罪の探求を目指す。同時に数多の不死としてではなく、グウィンと神殺しと王たちが託したかったダークソウルの使命を自覚する。

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 世界が吹き溜まりに集まる遥か未来の時間軸に移動し、混沌最後のデーモンを抹殺。これにてイザリスが作った混沌は残滓さえも消え去った。

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 デーモン飛行便でグウィンが隠した輪の都へ辿り着く。

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 そこで灰は正体を現したパッチに出会った。世界の最後、人間として生き残った都外の不死は、灰と、パッチと、ゲールだけ。暗黒の魂を受け入れた不死だけが、己がソウルを保っていた。

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 グウィンの遣いであると応えた灰は、ついにフィリアノールのソウルが僅かに保っていた世界卵の殻を破壊する。触れるだけで世界を騙していたソウルが崩れ去れ、グウィンの末娘はダークソウルから解放された。グウィンが灰に託した使命が果たされた。

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 そして輪の都は、眠る神が見た夢の世界。暗い魂の渇きを満たし、小人の王たちの渇望を癒し続ける充足の夢。故に暗い魂から飢えと渇きを無くす神の封印であった。

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 だが腐り、その腐れも乾いたソウルの大元はまだ。神殺しと王たちが終わらせたいダークソウルは直ぐそことなる。

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 本当の姿になった世界が灰の前で広がった。夢も晴れた本来の、数千年後の未来にて、ダークソウルの王は亡者である本当の姿となって血を枯らしていた。

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 お嬢様の為、ゲールはダークソウルが溶けた血液を絵画の顔料にする使命があった。しかし、ダークソウルの王は血を枯らしていた。だが、それはもう最初から分かっていたこと。ゲールはまだ血を枯らしていない自らを顔料とするべく、小人の王からダークソウルを奪い取る為に彼らを喰らった。まるで、深海を夢見た聖者エルドリッチのように。

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 そして、ゲールが望む灰の英雄が到達する。自分が死ぬことでダークソウルが溶けた血痕をお嬢様へ届けさせる為だった。その為の灰だった。しかし、奴隷騎士は長い時間とダークソウルにより、自らのソウルを見失っていた。

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 戦いにより、ゲールは倒れた。そして、彼は血を流した。何も無い瞳から、血の涙が流れ、朽ちた処刑剣に堕ちた。 

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 ダークソウルが世界の終わりの果て、そこで現れた人間性の本質とは自己犠牲だった。ゲールは血の涙を流し、闇の暖かさを理解し、火の薪となるダークソウル最後の持ち主として灰と死闘を繰り広げた。目玉も何もない空洞の孔から血の涙を流しながらも、灰との戦いの果てに殺されたゲールは、お嬢様の為に何千年も続けた使命を全うする。

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 灰の英雄は最期を見た。暗い魂の持ち主になった奴隷騎士は、信じる白教の涙の女神クァトと同じく、涙の中にこそ誰かの心を見た。暗い魂から生まれた人間性とは、人を思って流れ出る暖かい闇であった。

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 ダークソウルが最後に辿り着いた答えとは、光も闇も関係なかった。世界の最後に残った人間性は、誰かの為に命を賭けて戦い続けて死ぬことだった。灰は、その自己犠牲を最後まで見届けた。

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 お嬢様に灰は暗い魂の血を届けた。そこで灰が見た新しい絵画世界とは、熱と冷たさもなく、生と死もなく、光と闇もなく、しかしそれらを混ぜた灰の世界だった。そして、ダークソウルを燃料に僅かに燃える小さな火だけだった。

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 だからこそ、寒さと暗さをまだ魂が実感出来る優しい世界。古竜が生きていた灰の世界とはまた別の、この時代の生命が辿り着いた灰色の世界。エルドリッチが夢見た完璧な暗闇である深海の世界とは別種の、僅かにまだ火がある生命の生きる場所。

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 ダークソウルを終わらせた。火から見出された全ての力が、火により始まったソウルが、火を守る王たちが求めたようにやっと結末を迎えられた。

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 灰は思った。この世界が滅びようとも、自己犠牲によって新たに人間の世界が続いて行くことが、分かってしまった。世界は何度滅び去ろうが、人間が諦めない限り、何度もやり直せるのだと。

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 残り火の時代がループしているが、そもそも世界が絵画世界としてループしているのだと灰は分かった。恐らくは、絵画世界の作り方も前の絵画世界から受け継がれて、画家のお嬢様に継がれ、ダークソウルによって作られた新しい目の前の絵画世界の中でまた絵画世界が作られ、世界が滅ぶ度にダークソウルの絵画によって人間性は世界から世界へ渡り続ける。

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 幾度か残り火の時代を繰り返した灰は、このループに止めを刺すと決めた。

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 亡者の王が持つ闇の暗い穴を最初の火の炉の代わりとし、化身を殺して最初の火を自らのダークソウルの奈落へ取り込んだ。言わば、火を簒奪した闇の王。

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 灰は火の簒奪者となり、ロンドールの王となった。己が死と闇を火の燃料とする闇の薪の王とも呼べる存在となり、だがしかしそのままではまたループ現象が起きるだけ。火を消さずに皆既日食が続く亡者の世界が続いたところで、また世界を存続する為の抑止が働いてしまうだろう。

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 ダークソウルから生まれた人間が不死であるように、ダークソウルから作られた世界もまた不滅。それこそが、絵画世界が永劫回帰する因果律。

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 灰と成り果てた原罪の探求者は、ついに探求の旅の終わりに到達する。

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 生き残った人間を、亡者の王として灰はお嬢様が作った絵画世界に送り込んだ。ここが、人間が最後に人間として生存出来る新たなロンドールであるのだと。ついでに絵画世界を作れるお嬢様も、絵画世界の神である罪の女神ベルカの末裔として、巧みな話術で送り込む。世界存続に必須な魂を持つ火防女も送った。

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 火の時代の最後である残り火の時代、灰は闇と深淵を燃料に世界全てを焼き尽くした。身に宿ったアリアンデル教父の炎を最初の火に混ぜて使い、本当の世界だと思っていた自分達の絵画世界を全て焼き尽くした。

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 新たな灰の絵画世界にて、縛るモノがない人間は人間性のまま進化し、天使となり、古竜となり、絵画世界の中でまた世界を続く。しかし、もはや闇と死を燃料にする新たな薪の王には関係無かった。

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 灰、外側で幾度も重なり合った無人の絵画世界を全て焼き尽くす。マトリョーシカ化した滅び去った絵画世界を全て灰は見届け、人間の末路である自分自身を愚かに思い、しかして新たなる絵画世界に祈りを捧げた。永劫に回帰する我らの暗黒の魂が、最後まで人間で在らんことを。

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 絵画世界の外側に出た灰は、自分のソウルにお嬢様が描いたダークソウルの灰世界を取り込んだ。

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 ダークソウルと最初の火を持つ灰が神代の汎人類史に辿り着く。

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 灰の人、死ねば死ぬ人間性無き世界を旅する。外側の世界にて、何故我らのソウルとダークソウルが生まれ出たのか、新たなるソウルの原罪を求める探求の旅を続け始める。

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 しかし、灰は既に空。最初の火を宿してソウルの業を求めるのも、灰となる前のまともな不死だった頃の人間性の名残。繰り返される残り火の時代、空の器に過ぎない彼女を終わりまで導いた根本的な根源は、強くなる事のみ。対人厨の鏡で、ダークレイスの化身。

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 とあるヨーロッパの一地方にて、探求者の灰が人間の魔術師に人間性を与える。トゥメル人の発祥。やっちまったぜ。

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 ソウルと人間性は血に溶ける為、トゥメル人の血液も変化する。彼らに適応する為、ソウルと人間性もまた変態し、虫と呼ばれる魔力的な神秘エーテルに生まれ変わった。

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 人間の空想より生まれた魔物が空よりトゥメルの魔術師によって呼ばれ、トゥメル人が持つダークソウルの人間性に触れることで別の上位存在に転生する。その魔物の血液にも虫が流れ出し、体内に神秘を宿す寄生虫が生み出され、脳に瞳として虫の卵が具現した。瞳は啓蒙を齎し、上位者を上位者足らしめる新たな世界を観測させた。とは言え、トゥメル文明時代は上位者を上位者とは呼ばず、最初期では交信し合えるが良く分からない人以外の知性体であった。

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 上位者の世界である悪夢が異界として誕生する。と言うよりかは、最初の上位者が悪夢になった。

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 悪夢そのものから幾匹かの上位者が自然発生。しかし、上位者は眷属や眷属の上位者は作れるが、自分の血を受け継ぐ子供に等しい上位者を作れず。挙げ句の果て上位者が上位者を生み出すには配合相手が上位者ではなく、何故か人間でなくては上位者自身の赤子は作り出せなかった。だがその赤子でさえ、条件が整わなければ眷属ではない上位者に成長せず。

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 悪夢が雲海によって遮られ、階層で空間が湧かれた。後の時代、現実からも世界が反映され、赤子によって様々な悪夢が悪夢の中で夢見られる。

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 加え、現実世界と構造が反転し、上位者が住まう領域でもヤーナムの土地が基点となる。だが悪夢における宇宙も深海も果ては無し。

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 宇宙は空にある。トゥメル人が悪夢を空と考え、交信し続ける。

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 この惑星に囚われない外宇宙の法則を運営する神ではない神たちを、トゥメル人が神として信仰し始める。

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 悪夢にも上位者らの領域があり、それぞれが自分の悪夢を持つ。

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 深海、宇宙、月、死、深淵。とは言え、上位者が増えればそれぞれの領域の悪夢が発生するので、最初から全てあった訳ではない。

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 姿無き上位者オドンが悪夢から這い出た。自分自身の赤子の上位者を求め続け、優れた母体に赤子の種を植え付け始める。

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 オドンは悪夢に生まれた意志。始まりの血液であり、悪夢における血の上位者であり、水銀の似姿。悪夢の意志の眷属として、使者が悪夢に広がり、上位者の種族としての繁殖を手伝い、上位者や人間の精神に呼応する使い魔的生物として存在する。

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 また滲む血こそオドンとなる。その本質は上質な血の触媒であり、オドンそのものは血に融け、悪夢に生きる上位者の血に流れ込む。やがて姿なき虫として上位者の血中に存在する。

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 謂わば、上位者に寄生する上位者。他の上位者の血と混じることで、その上位者の神秘を助ける姿無き虫を体内に作り出す。全ては上位者の思索を進化させることで、赤子が生まれる可能性を高め、種として自分達上位者自身とも言える悪夢を善くする為。

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 それが進化の為に赤子を求めるオドン固有の思索。

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 他の上位者もオドンを真似る。トゥメル人に上位者の血が一気に混ざる。

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 上位者「輝ける星(コスモス)」が人間と接触。推測だが、星の娘が祈ってる死骸の上位者のこと。多分、これが教会の聖体。

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 オドンや輝ける星が、赤子を求めて人間を利用。悪夢に住まう上位者同士では血の交じりが出来ず、赤子は人より生じる。

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 輝ける星に由来する眷属が増殖。上位者アメンドーズも悪夢に溢れた。しかし、親の血を継ぐ赤子の上位者には届かず。

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 ゴース(人間時代)が上位者オドンの赤子を孕み、しかし生むず、自分自身も赤子と繋がり続けて血を継いだ新たな上位者となる。上位者、ついに求めた血を継ぐ赤子の上位者を作り出す。また、赤子を孕ますことで母体さえ上位者として作り変える事が可能だと理解する。

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 ゴースの血は海である。人間に寄生虫を植え付け、その寄生虫が卵を植え付け、脳を苗床にすることで卵が瞳として開花し、後の漁村で人間を魚の獣に作り変えた。

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 トゥメル文明が異常成長。上位者の血液により品種改良文化が一気に進む。また上位者の神秘により文明が進むと同時に、知識を理解する啓蒙によって更に様々な技術発展する。

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 更にトゥメルでも古都ヤーナムと同じく獣の病が流行る。同じく、獣狩りの狩人による狩りが行われる。

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 輝ける星の神秘が混じる母体から出た赤子が成長し、輝ける星の娘エーブリエタースと呼ばれる上位者がトゥメルで誕生する。

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 エーブリエタースの血液も自分達に使用する。

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 トゥメル人の女王、ヤーナムが生まれ出る。後、オドンによって赤子の上位者メルゴーを孕む。

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 本体は血が固まった赤い石であり、そこに赤子の意志が眠っている。トゥメルは上位者の眠りを奉る。

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 オドン、パパになる。歓喜。

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 メルゴーによってヤーナムが孕んだ石の幻である赤い月が昇り、トゥメルが上位者達の悪夢に呑み込まれる。

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 悪夢の中で人と獣と上位者の全ての境界が崩壊した。

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 トゥメル文明、滅亡。生き残った一部が聖杯を生み出し、それを楔として地下に半ば悪夢の世界として墓所を作り、引き籠る。女王ヤーナムは上位者メルゴーを生まず、母として聖杯の墓所を支配し、トゥメル人と共存する上位者と共にまた文明を運営し続ける。

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 オドンもまたトゥメルと共に、悪夢にて眠りにつく。何時か墓荒しが眠りを暴くまで。

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 滅んだトゥメルであるが、遺跡に住む生き残りに平穏が訪れる。悪夢に帰らなかった上位者も墓所にて眠る。

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 また上位者の悪夢によって滅んだトゥメル以外の都市も最後はトゥメルの悪夢に沈み、トゥメルの遺跡と統合されてしまう。

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 大陸を旅する探求者、仙人が消えた仙郷に隠された桜の古樹に竜血と人間性を与える。幾年か過ぎ、神の桜竜が生まれた。

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 朽ちぬ古竜と同じく、不死の力を桜竜は得る。

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 また大陸にて、その時代の権力者と神秘を使う大陸の術者からも迫害されて滅亡寸前の一族に乞われ、自らの人間性を分け与える。その一族は後にオカミと名乗り、海を渡って移民を始める。オカミの一族は、環境に合わせて自分を変態させる性質に目覚める。遺伝子の神秘。

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 探求者さん、更に旅を続けて海を渡り、未だ神々と魔物が平気に跋扈する未開の神代世界に辿り着く。

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 土地神を信仰する祈祷師の豪族に出会う。後に豪族から貴族となる一族に頼まれ、神秘が薄れて消えかけた土地神にダークソウルが溶けた血を流し込む。その土地神は水に溶け、その源泉にて大和の神々に負けぬ強大な神秘を取り戻す。貴族となった彼らは源の宮と源泉の土地に名付け、そこに屋敷を立てて引き籠る。取り敢えず、宮の水さえあれば快楽のまま生きられる人間のような何かになってしまった。

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 葦名の水に神が宿る。更に神秘が膨れ上がり、宮から水が出た下流にも神の神秘が色濃く残る。

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 大陸の桜竜、枯れる。神秘の枯渇が原因。

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 自分の種を作り、竜胤の巫女を桜竜が作成する。

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 巫女を揺り籠にし、新たなる桜の水場に相応しい仙郷を目指す。しかし、もはや神秘枯れた大陸に相応しい仙郷はなし。

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 仏教伝来により、葦名で仙峯寺が立つ。また、土地神を信仰する神道とも上手く融和し、源の水の恩恵を受ける。しかし、水の土地神の神秘に気がついた僧侶が、死なずの求道者となってしまう。寺内部で研究が始まる。

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 旅の果て、葦名の土地に桜竜の巫女が辿り着く。実は探求者さんの所為で、同じくダークソウルに由来する桜竜にとって葦名は理想的な仙郷だった。

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 宮の貴族は神道系列の祈祷師でもあるので、自分達の神を巫女が迫害しないなら良いよと共存を許す。それに、巫女は貴族と同じく寿命がない不死であり、永遠に美しかった。それにこの土地では神様は何にでも宿りますので、桜の神が移民して来ても別に構わなかった。

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 しかし、それが間違い。桜竜が源泉に住み付き、自分の仙郷に作り変える。水に宿る土地神からエネルギーを吸い取り、土地神に寄生する寄生虫のような神として生きながらえる。巫女は受け入れてくれた貴族を裏切り、自らの神の所業を黙る。

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 葦名が二つの神によって法則が狂った。ダークソウルにより、絵画世界の外側だろうと因果が歪み始める。

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 本来なら現世に影響を与える上位世界の仙郷であるが、更に違う上位世界の仙郷が存在し、現世と仙郷ともう一つの仙郷が互いに干渉し合い始める。つまりは、大陸思想と神道と仏教と陰陽五行思想とダークソウルの世界観の悪魔合体である。日本の神話世界観がヤバい世界の土台になった。神話時代に土地神が支配する世界で、違う法則で生きる神が共存など不可能であるが、それを可能にするのがメイド・イン・ダークソウルの仙郷。

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 それによって桜竜の神秘も葦名の源の水に混ざり込み、因果と同じく神が住まう水も同様に澱んでしまう。

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 葦名の土地が神々の権能が重なり合り、時代が進んで更に摩訶不思議なマトリョーシカ式異世界化する。

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 神が宿る葦名水が澱んで変若水になる。更に澱み続けて、変若の澱みも生まれる。

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 源の宮の貴族が奇形化する。この時点で巫女に騙されたと宮の人は気が付くが、もはや時代が進んだことで桜竜の眷属になっていた。と言うより、更にアシナ・ウォーターが美味しくなったので尚の事、良し。彼らは土地神を捨て桜竜側に寝返った。

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 葦名に虫憑きが一気に増え始める。

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 仙峯寺もまた仙郷を操る巫女によって桜竜側に寝返ってしまい、たが同時に土地神の虫による死なずの研究も更に加速する。寺の僧侶にとって虫の正体など問題にならず、死なずの虫は桜竜によって葦名に持たされた神の奇跡であった。

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 源の宮と仙峯寺が桜竜の巫女により支配される。

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 しかし、寺は寺で更なる深淵を覗きたいと暴走。その結果、桜竜と葦名の神を殺す赤と黒の不死斬りを作り上げてしまう。

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 オカミの一族が葦名に辿り着く。その中でも巴の一族が源の宮に行き、受け入れられる。で、あっさり奇形化。

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 生贄文化のあるオカミは、自らを贄として桜竜の生贄となる。それが彼女らの輿入れであり、神への嫁入りであった。

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 喰われたオカミが神々に寄生する。

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 源の水が更に澱む。

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 不死に悩む八百比丘尼が源の宮に辿り着き、貴族は彼女を受け入れる。

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 人魚の肉を食べて不死となった八百比丘尼だが、実は更に不死化効果を及ぼす源の水を飲む事で、美人であったが奇形となり巨大化する。そのため貌を隠す仮面を被ったが、挙げ句、桜竜によって歪み澱んだ土地神が虫となり、彼女に寄生。桜竜側に寝返っている貴族は、彼女を破戒僧として門番にした。

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 他のオカミの一族が葦名に移民する。ここは、良い仙郷。落ち谷衆や百足衆になる。彼女らも白蛇に嫁入りの生贄儀式で食われることで神々に寄生する。

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 オカミが土地神にも寄生することで更に葦名が狂い始める。葦名の水が流れる川自体が狂い始め、空間と時間の繋がりさえも澱み始める。

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 とは言え、人間の世界は変わらず。だが、戦国時代となって他国の大名に国を奪われる。

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 良く分からない仏教系列の移民と忙しかったが、国を取られたことで葦名の人々は土地を奪い返すことを目的とし始める。隷属されては酒も不味いし。

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 後の時代、葦名一心が率いる葦名衆が結成される。

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 一心はまず国取りをする前に、自分達の土地を整えて反乱の為の国力を高めたかった。ぶっちゃけ、仙郷の宮の貴族やら桜竜のいざこざが面倒だった。

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 一心は神殺しと竜殺しの為、仙峯寺にある不死斬りを求める。とは言え、赤の不死斬りは不死でないと使えないので、黒の不死斬りを欲する。

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 一心に仕える猩々が任務を受け、黒の不死斬り「開門」を手に入れる。これにより、彼は呪われて怨嗟が積む先となった。赤は担い手を一度殺すが、黒は人として担い手を殺して修羅にした。とは言え、赤の方にも修羅化効果有り。猩々はメンタルブレイク寸前。

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 仙峯寺が葦名衆や宮を警戒し、赤の不死斬りも異界に隠す。未来にて作成される変若の御子もまた秘匿するべく、同じ異界に隠される事となる。

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 猩々から黒の不死斬りを受け取り、一心も同じく怨嗟の積む先になるが気合いで何とかなった。

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 仙郷に訪れ、一心が巴と殺し合う。片目を失うも、巴の殺害に成功。

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 巴を下し、一心が仙郷にて桜竜を不死斬りで殺害する。正確に言えば、殺したが命がなくとも死なず、あの世である仙郷へ追いやった。片手と片目を奪い、隻眼隻腕の竜の死骸となる。更にそこで奥義である竜閃の元になる技を体感。

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 桜竜の肉体は死ぬも、その魂までは死なず。巫女の記憶に基づく因果の夢の中に移動し、仙郷もまた取り込まれる。更に土地神も取り込まれ、現世の毒を取り込んだ翁らが浄化の為に毒を吐き、それが更に葦名の水に流れて現世の毒と成り、その毒がまた仙郷に影響して翁が毒を吐く無限循環になる。

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 葦名の水に土地神が浄化の為に吐き出した毒が混ざり、土地神と桜竜によって妖怪などの魔物が住み付き難い葦名にて、神の水に由来する異形の者が溢れる。それが悪霊であり亡霊となる怨霊たち。神宿る葦名の水が霧になることで、物理世界である現実さえも大きく異形に歪む。言うなれば、葦名の忍びや宮の貴族などが神の宿る水を霧にすることで幻影の下地を作り、そこで音による刺激を与えてることで幻を操る幻術が使えるが、土地神そのものによって幻術化した水に溶ける残留思念が怨霊たちの正体。葦名の水で育った種鳴らしが音で幻術にダメージを与えられるのが、その為。

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 仙郷のパワーバランスが崩壊。土地神に一気に傾く。桜竜は淀んだ水で虫に変態した土地神に魂を喰われ、死ぬのも時間の問題。

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 更に葦名の異世界化がマトリョーシカしてしまう。絵画世界を作り出すダークソウルによる世界の重なり合いが、葦名を狂わせる根源であった。

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 桜竜の竜胤の血を黒の不死斬りが吸うことで開門され、竜の死骸から御子の丈が生まれ出る。正確に言えば、その死体の斬られた桜竜の目玉が人間になってしまった。ついでに落ちた腕も開門の材料となり、人化した瞳の中に取り込まれている。つまるところ、自分の遣いを作り出す腕が一本、御子の血に溶けている。

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 丈が一心に殺された巴を竜胤の力で復活させる。

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 そして、御子による従者が、桜竜の腕として転生された不死となる。開門された竜の腕が桜の死人に埋め込まれ、その腕が肉体と精神を再構築し、人になった瞳を通して竜の腕として活動する死体人形。つまるところ正真正銘、竜の遣いとなる。だから回生が可能。だから、互いに互いの不死性が影響する。竜の視界を司る瞳と、竜の遣いとなる腕は、そもそも桜竜の体の一部であるのだから当然と言えば当然。不死を断つなら、先にどちらかが不死と共に死なないとならないのは、これが原因。

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 竜胤の御子の出現により、桜竜とその巫女が揺り籠計画を開始する。

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 竜の瞳でもある竜胤の御子により、葦名を竜が観測することで竜の仙郷とより深く重なり合う。またしても更なる葦名の異世界化。瞳を通して物質世界が精神世界にもなり、桜竜の脳内世界である仙郷は、これによって葦名を縛るあの世となり、その過去を記録する因果を司る神の世界が桜竜となる。

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 一心、黒の不死斬りによって起きた全てを理解してしまう。更に竜胤の力と、竜の瞳の種として人に化けた丈の正体にも気が付いてしまう。

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 それにより、桜竜の呪いによって一心は桜竜の竜胤による竜咳に感染する。不死斬りによる修羅化衝動との二重苦となるのだが、これまた気合いで抑え込む。

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 死した故にまだ生きる桜竜がいる宮にて、そのもう一柱として居場所のない丈を一心は連れて帰る。巴も主である桜竜が人になった丈を護衛するため、宮を下る。

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 一心、葦名衆を連れて敵将田村を討ち取り、国取りに成功する。

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 一心に仕えていた梟、戦場にて戯れで狼を拾う。結果、子育てと弟子育成に嵌まる。

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 時が経ち、現世の葦名が栄える。豪勢且つ堅牢な難攻不落の葦名城が完成。この頃、弦一郎が葦名一心の城に引き取られる。また一心、猩々、お蝶、梟、道玄、エマ、丈、巴、弦一郎、狼など、葦名の土地で戦のない時代を生きる。とは言え、戦火はまた戦国の世にて燃え上がる。

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 仙峯寺にて、仙郷の巫女より僧侶へ御告げあり。変若の御子の作成が始まる。人体実験を繰り返し、竜胤の御子と対になる揺り籠が完成する。

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 丈、桜竜化。体が植物に変態し始める。仙郷に帰ろうとするが還れず、竜咳が広まる。竜胤を殺す不死断ちをする為、葦名が持つ黒ではなく赤の不死斬りを探す。だが丈に影響される巴により竜咳が更に広まる。また、赤は不死の巴しか使えないモノと分かっており、しかし赤は最期まで見付からず。

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 一心、手遅れになった丈を黒の不死斬りで殺害。竜胤の血によって開門が為され、丈から九朗が生まれ出る。巴は主の死により、竜胤の因果から放たれ、ただの人になる。しかして、一心に斬られ逝く救えぬ主を目撃し、それから生まれた九郎と言う存在に深く絶望し、自刃。同じ瞳とて、同じ人の身ではなく、巴が生きる価値を失う。弦一郎、全てを見届ける。また梟も竜胤の力と黒の不死斬りの力を知ってしまい、潜めていた野心が目覚めてしまう。

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 猩々、修羅となり掛けるも、寸前で一心に斬られる。正気に戻り、だが城を出る。また一心はこれを最後に、黒の不死斬りを葦名の何処かへ隠す。その在り処は、孫の弦一郎にのみ伝える。

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 老年の一心、覚醒。剣聖を超えて剣神の境地へ至る。神殺しに竜殺し、戦に人斬りに忍び斬りに修羅斬りと、それら全てを己の業に取り込んだ。

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 九郎が梟などの忍びが守護する平田屋敷に送られ、平田氏の養子となる。

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 梟、狼を九郎に会わせる。この時点で狼を九郎の忍びにし、更に九郎を守る為に死ぬ事態を演出することで九郎の関心を買い、狼を竜胤の加護により史上最強の不死の忍びにすることを思い付いた。言わば、あの最強の一心を超える忍びを自分の右腕にしたかった。そしてあわよくば、不死になった自分の息子へ噂に聞く赤の不死斬りの担い手にすることを思い付く。

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 葦名一心の死期を梟が悟る。即ち、一心の寿命=葦名の寿命。

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 葦名が生きるには、葦名の忍びである我らが忍びとして生きるには、一心に代わる死なぬ最強の将と竜胤が今直ぐにも必要だと梟が焦る。

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 平田屋敷襲撃。

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 お蝶は梟の計画を聞き、自分が竜胤を狼が受ける為の贄となる。師匠であったお蝶を殺したことで放心した狼を梟が殺し、その狼の死体を九郎の前に晒すことに成功。胸から血を流す狼から御子へ、血が流れ込み契が成された。そして、葦名と共に滅亡する薄井の忍びを生かす為の唯一の手段だとお蝶は理解し、狼と葦名と丈の生まれ変わりである九郎の為に自らの死を願った。

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 梟、計画通りと甦った狼を確認してほくそ笑むも、何故か目覚めない狼を見て狼狽。九郎の持つ竜胤に見切りをつける。野望の失敗を悟り、自らの野望の寿命が尽きたと葦名から姿を隠す。計画変更を余儀なくされる。

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 三年後、狼が目覚める。毎日狼を見守っていたエマも、彼の復活を確認。九郎と再会。弦一郎と戦い、不意打ちの手裏剣を弾いた隙を突かれて隻腕となり、狼を拾った猩々から忍び義手を貰う。

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 しかし、狼は空っぽだった。記憶も人格も無くし、僅かに残った忍びの記録だけが彼を生かす。そもそも彼の肉体も竜胤によって作られた複製のようなものであり、回生によって直ぐに甦った訳でもない。巴はオカミの血によって直ぐ様に桜竜の腕として変態したが、ただの人間である狼が竜の遣いに生まれ変わるには長い時間が必要。三年後の狼は精神もまた初期化され、オリジナルの狼から魂足るソウルだけが肉体と精神に移された不死化だった。なので、魂はそのままに死後の別人に転生した仏や菩薩のような存在。

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 梟、腑抜けていたが狼の復活を確認。野望がまた蘇り、内府の侵略を好都合と考える。しかし、全盛期から衰える。

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 宮にて桜竜を運んだ竜の巫女が意識のみで暗躍。竜胤の繋がりを辿り、巫女と繋がる御子の従者である狼を感知し、自分の意識と仙郷と繋がる彼の意識に干渉を開始する。

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 狼、竜胤によって仙郷の巫女に囚われるが鬼仏の加護を受ける。また仙郷による異空間を操る巫女により、神の視点で観測していた葦名の過去を記憶とし、狼を擬似的に過去の記録情報が物質化した仙郷へ、つまり巫女が加護を与えた菩薩から神隠しワープで仙郷に記録された三年前の平田屋敷に移動出来るようになる。しかもちゃんと物質化した精神世界なので、平田屋敷で手に入れた物質の記録も現実に神隠し可能。忍具なども持ち帰れる。また神隠しを利用した仏ワープが狼さんは好き勝手出来るようになる。また必要となれば、何かに祈ることで隠された異空間に神隠しで移動できるようになる。

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 狼、隻狼と一心から呼ばれる。戦いにより、嘗ての自分が持つ力を取り戻し始める。同時に、その戦いの記憶を死して仏になった自らに供養することで更に成長する。また、人と関わることで嘗て死んだ筈の自分を取り戻す。そして、巫女に誘導されて記憶を取り戻すことで、嘗ての自分が御子を助ける為に自己犠牲で死んだこともまた、狼は思い出す。

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 変若の巫女に出会い、赤の不死斬りを得る。

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 生前も死後も狼は義父上の言葉を第一とするが、しかし死して仏となり空っぽになっていた狼は、本当なら死んだ自分が為すべき事を為すために今を生きると決めた。即ち、忍びとして仕えていた父親か、今は人として仕えている御子か。

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 野望に燃える梟、最後の選択を迫る。つまり、一心と共に死ぬ運命にある葦名を梟と共に救うか、御子の為に今まで殉じて来た忍びの掟を生贄に捧げるか。尤も、不死斬りによって怨嗟で修羅となれる狼は、自らの人間性である御子を捨てれば修羅に堕ちる定めではあるが。

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 狼、梟を殺害。

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 御子様の思いをこっそり盗み聞きし、人帰りの為に記憶を写した仙郷へ神隠しワープ。そこで義父上と出会い、殺し、桜を奪う。

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 変若の巫女から便利な米を貰っていたが、その所為で色々あって御子様も自分も竜胤の因果から逃れる術を知る。で、準備が整う。狼さん、美味い美味いとお米を意味も無くボリボリ食べていなかった場合、そのまま人返りエンドでした。

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 源の宮へ行き、桜竜の涙を奪う。つまるところ、竜の魂が雫となった涙を狩り取った。全てが仙郷の巫女の計画通り。拝涙とは魂の具現であり、桜竜の力を竜胤たる桜の樹の種に分け与える儀式。

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 桜竜と繋がっていた一心死亡。内府軍襲来。葦名にて怨嗟が噴き出し、仏師が怨嗟の鬼となる。

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 狼、仏師を殺害。修羅の果てを知る。

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 御子様を救う為、弦一郎を倒す。そして、開門で隻狼と同じくあの世から黄泉帰りを果たした一心と殺し合い、死闘の果てに勝ち、狼は父である梟が望んだ通り葦名一心を超える忍びとなった。この世界観ですと、この一心は老境のメンタルのまま全盛期ですので、竜閃も一心も平気で秘伝を使いこなすつつ、槍も銃も素手も強いガチガチの武神且つ剣神でした。

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 竜胤の因果そのものを断つ為、竜の帰郷エンドで旅に出る。尤も狼としては、変若の巫女もまた竜胤に囚われている事を知ってしまったので、それを知らなければ自分を殺して御子様だけを救っていた。何より、御子様も彼女を知れば、その竜胤の因果と断つだろうと。よって不死である隻狼は同じく不死である揺り籠の巫女と守り、全ての因果を断ち切る為、その戦いは続いていく。

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 そして、葦名から桜竜の影響が完全に消える。土地神は元に戻り、その澱みもまた消えて無くなった。

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 桜竜の全てを竜胤に移し込み、巫女の魂もまた揺り籠に乗って去る。とは言え、今はもう変若の御子に取り込まれたが。

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 西にある神なる竜の生まれた地、枯れた仙郷の遺跡。辿り着いた竜胤の故郷にて、とある男の手掛かりを掴む。その人間こそ、桜の古樹に何かを捧げて桜竜とした元凶であると。

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 忍びは御子を安全な仙郷に隠し、更なる元凶を探す旅に出る。

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 一方その頃、諸悪の根源である探求者、ソウルの根源探求に行き詰る。何よりも汎人類史に来た当時の世界と違い、神代が生きている土地も減っているので、神秘関連の探求が思うようにいかなくなっていた。とは言え、まだまだ十分神秘は生きているので、神の残滓がまだある土地に出向いてはいた。自分が蒔いたソウルの種の結果を集めるのも良いだろう。

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 時が経つ。幾十年も、狼は元凶を求めた。

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 邂逅。狼、あらゆる魂を喰らう髑髏の騎士と出会う。原罪の探求者、狼からダークソウルを感じ取る。遥か昔、人間性によって人間が植物の天使に変態し、更に竜化する変態機能を模索するための実験だった桜の古樹。ならば、呪いを溜め込んだ樹が人間化したあの館の呪腹の大樹のように、樹に人間性と竜の魂が溶けた血によって生まれるモノは、やはりダークソウルに連なるモノとなる。それも神性を持つ古樹ならば何となるのか、探求者は探求すべく絶望を何時も通りに焚べて、こうして探求者が求める暗い魂の人間を作ったことを悟る。

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 ならば、ソウルの収集を。ソウルを奪い取る力こそ、渇望を願うダークソウルの本性ならば、灰は探求のコレクションとして狼の魂を奪い取らねばならない。ソウルの根源のために、ソウルの可能性を理解せよ。

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 狼、元凶らしき者に殺されるが、殺す。しかし、甦ったその者にまた殺され、殺し返し、殺し合う。

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 そして、狼の傷口からダークソウルが溶けた血が入り込む。竜胤による不死となった狼は、薪の血によって自らの魂を暗い魂としてしまった。もはや竜胤の加護などなく、自らが竜胤の不死性をより強い歪みに進化させてしまった。そして、同じく狼のソウルもダークソウルたる人間性が変態し、人の魂を奪う新たな渇望の竜胤となった。

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 真に心折れぬ不死ならば、不死と不死に勝利も敗北も、生と死もなく。探求者は竜胤の魂が溶け込んだ血に満足し、狼は元凶は不死斬りでも殺せぬとも竜胤を生んだ親の力を奪い取った。狼の旅は終わりを迎え、最後に進む。

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 枯れた仙郷にて、竜胤は断たれた。忍びは御子を竜胤に縛る呪いであったが、今はただの不死。暗い魂の血を取り込んだ狼は、闇の竜胤を身に宿す。御子の因果は忍びから離れ、忍びの因果もまた御子から離れた。双子のように絡んだソウルの因果は、薪に燃える暗い魂の血が解放した。

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 御子、己が不死にした忍びの不死から解放された。常桜によって狼が己を不死斬りにて不死断ちせずとも、そのまま人返りが可能となる。変若の御子もまた竜胤の因果から解放される。

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 隻狼、御子ではなくなった二人の天寿まで守り続ける。

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 為すべきことを為し、もはや狼の使命は全うされた。赤と黒の不死斬りを自らに封じ、闇の竜胤を抑え込み、そのまま拝涙と開門を受け入れた。狼は暗い魂の血の涙を流し、不死から人へ生まれ変わった。拝涙は竜胤の歪みを全て外側へ出し、開門が不死の力が薄れた彼を元の人に作り戻した。赤と黒は隻狼と共に砕け散り、自己犠牲の果てに最期へ到達出来た。

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 魔術師ウィレーム、古都ヤーナムに訪れる。場所としてはヨーロッパの何処か。登場人物の名前的に、ドイツやチェコの付近。森と湖がある山間部の隔離された街。

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 そのヤーナムにて単身でトゥメル文明の痕跡を発見する。程無くしてトゥメル文明の遺跡を発掘。墓所に潜り、ヨーロッパに伝わる既存の神話にも伝承にもないヤーナム独自の魔術文明の探求を始める。

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 しかし、一人で出来る事業ではないと把握。寂れたヤーナムで仲間を集う。

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 遺跡発掘を主目的した考古学大学、即ち私立ビルゲンワース大学を創設。ウィレームは学長となり、ビルゲンワースの研究者による遺跡探索が始まる。

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 ウィレーム、ローレンス、ゲールマンが率いる探索チームが結成。遺跡を進む。人形使いの魔術師ミコラーシュも好奇心のまま参加。同じくルーン魔術師であったカレルも探索隊にいた。

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 トゥメル人と遭遇。また遺跡に眠る上位者達と邂逅する。

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 トゥメルの地下墓地は悪夢と同様に広大で、イズなどの上位者の住処も創り続けていた。

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 蒼褪めた彼らの血液と、虫が流れる血液由来の神秘を持ち帰る。またトゥメル文明の技術や知識も外へ運び出し、ビルゲンワースによる上位者の研究が開始される。

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 遺跡はまだ広く、研究と同時に探索もまた進められる。

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 悪夢より現世を観察していた上位者たちが、また求めた赤子が作れると現実世界に空から密かに降り始める。

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 人間の低次元な視野を広げ、より高次元を知る為に思考の瞳をウィレームは求める。それこそが、自らが上位者になるための手段だと思考し、実験を繰り返す。それによってヤーナムの人は、有り得ざる知識を知る脳に啓蒙が齎せるようになってしまった。

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 カレル、上位者と交信してカレル文字を生み出す。啓蒙を高め、啓蒙のまま、次々と新たなるルーンを描き出し、そのルーンは神秘を宿していた。

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 研究者が狂い出す。鎮静剤の開発。それは啓蒙されて活性化する人間性と反する獣性を、濃密な人血より見出し、血中より虫が湧かない飲み薬として狂気を中和させた。その処方により、神秘を宿す人血もまた人を超える業だとビルゲンワースは発見。

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 それこそ血の医療の原型だが、ウィレームの思想と反する獣血を見出す業でもあった。

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 ビルゲンワースは上位者と出会わずとも交信と思考による叡智収集方法を研究し続ける。

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 血を嫌うウィレーム学長が探索を中止する。彼は自らの脳と思考で高次元を求めた。

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 ローレンス、ウィレームの消極的な手段を拒否。更なる遺跡探索を行うため、学長からビルゲンワースの学派が枝別れる。

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 ビルゲンワースをローレンスが名乗り、ゲールマンを含めほぼ大部分が彼に続く。

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 血の医療となる輸血技術が鎮静剤製造法を元に作られ、更にトゥメル文明から学び、上位者の血液を希望者に輸血し始める。

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 トゥメルの業がビルゲンワースに引き継がれる。これにより輸血された者がトゥメルで獣と眷属を殺し続けた狩人の力と技を手に入れ、ヤーナムの古狩人の原型となるビルゲンワースの狩人が誕生。

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 ゲールマンが学び舎最初の狩人となる。とは言え、まだ仕掛け武器はなく、通常の武器や銃火器による武装。

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 ローレンスやミコラーシュやロマと言った遺跡探索部隊が輸血によって狩人となり、大幅に探索速度が上昇する。

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 人間の獣化を発見する。人血が、虫が生まれる獣血となることも解明される。同時に、瞳を得た脳が持つ啓蒙により獣化を抑える効果も見出すも、血によって上位者の眷属となることも確認。

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 トゥメルはまだだが、イズの方は完全に墓を暴き尽くす寸前。

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 蛞蝓は、目の触覚が切り落とされても光を視覚で感じる。脳自体が目としての機能を持つ生物。なのでビルゲンワースが神秘のイズで見付けた先触れである軟体生物の精霊を研究し、頭蓋骨の内なる脳の瞳を得るのは非現実的な神秘学であると同時に、実は現実的な視点も有した生物学でもある。

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 史学と考古学へ生物学と神秘学も取り入れたビルゲンワース大学の初期から続く研究は、現実に脳を瞳にする生物がおり、その生物に酷似した神秘生命体が存在し、脳を瞳にし、それを人の脳が得れば悪夢を認知することが可能。まずは始めたそれの研究もずっと続いている。

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 上位者「輝ける星」の死骸(教会のロマ似のヤツ)をイズで見付ける。聖体として地上に持ち帰る。また共にいた星の娘エーブリエータスを捕獲し、輸血液の原料に利用する。

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 地下のトゥメル人の他に、上位者の眷属を恒常的に輸血液作りに使え、血による神秘探求が加速する。

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 輝ける星に由来する宇宙の領域の神秘が、ビルゲンワースの学徒に血液に混ざる。

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 悪夢の海から現実世界に流れ、ヤーナム近くの漁村にゴースが漂着する。ゴースの血が混じった湖から取れた海産物を食べ、彼女の血液が住民に混ざり始める。やがて村人は神と崇め始めた。

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 また現実の漁村は古都近郊の湖にあり、悪夢だと上位者が深海から昇って来る海に立地している。そして、悪夢の海と現実の湖は繋がっている。

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 漁村の住民は通常の獣ではなく、悪夢の海に住まうゴースによって半魚の獣と化す。

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 ビルゲンワースが漁村に向かう。村人で冒涜的な人体実験が目的。そこでビルゲンワースの研究者であり、ミコラーシュの友人でもあったロマが上位者と接触し、脳の瞳を与えられて眷属の上位者となった。マジェスティック!

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 正確に言うと、輝ける星に由来するイズの墓地の上位者関連の血液をビルゲンワースは神秘探求に使っていたので、ロマは輝ける星の眷属の寄生虫を持ちながら、ゴースの瞳で深化した眷属の上位者。実はゴースの眷属ではない。なので、ロマは魚人間っぽい深海系統の上位者ではなく、輝ける星の領域の蜘蛛っぽい姿。

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 奇跡を見たローレンスは遺跡以外の上位者を逃すつもりもなく、ゲールマンと共にゴースを殺害。上位者の遺体を手に入れ、その仕組みを解剖して解明しようと企んだ。

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 遺跡に居た眷属の上位者ではなく、正真正銘の悪夢から血を引き継ぐ上位者の血をローレンスとゲールマンは大量に浴びてしまう。

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 ミコラーシュ、ゴースの寄生虫を手に入れる。しかし、苗床の文字を啓蒙していないため、上位者の変態能力を得られず、ノットカリフラワー。だがしかし、それでも自分の腕に寄生させ、後の悪夢にて神殺メンシス神秘拳に覚醒。武器と銃を捨て、素手と秘儀で狩人を狩る神秘マンとなる。

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 ゴースの中には上位者の赤子がいた。名はゴスム。それもゴースを孕ました上位者の血を引き継ぐ特別な赤子であり、眷属ではない本物のオリジナルとなる上位者だった。

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 ミコラーシュ、ゴースかゴスムか、母親か赤子か、そのどちらかの上位者がロマに瞳を与えたのだと理解。

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 だが神秘は啓蒙された。人形遣いとして、ミコラーシュが覚醒。

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 ミコラーシュの操り骸が人形ちゃんの原型。そして、彼が悪夢探索に利用した人形が破棄され、それらが使者の苗床となり、瞳を物理的に悪夢で得たことで眷属化し、ほおずきとなった。

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 生まれる前に死した赤子の上位者が悪夢を作り出した。それはトゥメル人からダークソウルを見出した最初の上位者以外に不可能な世界を創造する神以外の何者でもない権能であった。

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 ゴースの遺子によって作られた悪夢の中へ、ゴースの遺体ごと漁村が呑み込まれた。

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 上位者の力をビルゲンワースが垣間見て、啓蒙を高めていた者が仕組みを理解した。

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 赤子の上位者は生まれることなく母の中で殺されると、現実の肉体を失い、悪夢の異界で新たな上位者となる。その彼らは生まれていない故、自分の死を確定させず夢にした。だから悪夢より現実に干渉する能力を持ちつつも、しかして現実として存在出来ない夢の化身。永遠に赤子で在り続ける彼らこそ、月の魔物と呼ぶべき上位者であった。とは言え、そのような上位者になれる赤子も特別な血を引き継ぐ必要であり、ただの赤子では悪夢になれずに死ぬだけ。更にその赤子が成長したところで眷属の上位者となるだけであり、上位者の子供として血を引き継ぐことが出来て漸く通常の上位者となる。

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 これよりビルゲンワースの知識を学んだ者は、母から生まれぬまま死んで上位者になった赤子を、上位者の中でも特別に月の魔物と呼称する。

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 つまるところ、上位者が赤子を求めるのはその為。人間から赤子の上位者が生まれ、その中で特別な血を得られた赤子が母の中で死ぬことで最初の上位者と同じ悪夢を作り出す能力に覚醒。その赤子の悪夢が大元の悪夢と繋がり、更に悪夢の世界を拡大させられる上位者そのものの生態系を、ついにビルゲンワースで研究し続けたローレンスとミコラーシュが解明する。

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 赤子ごと殺した際にゴースの血を浴びたローレンスは、ゴースの遺子の悪夢へ干渉する神秘に覚醒する。未来のミコラーシュと同じく、悪夢の主としての力である。

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 ゴースの遺子の悪夢の中にもう一つのヤーナムを作り上げ、実験棟と時計塔を建築する。そして、その悪夢の奥地にゴースの死体とゴースの遺子を漁村ごと封印する。

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 ゲールマンの為、仕掛け武器が作られる。銃火器を併用する戦い方をゲールマンが確立する。

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 狩人の業、誕生。

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 狩人の装備を作る工房もどきが作られ、仕掛け武器などの装備が整う。またゲールマンを師とし、ビルゲンワースの狩人が育成される。

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 力を得たビルゲンワースはトゥメルの遺跡を一気に開拓する。

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 後の女王殺し、女王ヤーナムを撃退。捕獲する。

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 教会における輸血液作りにおいて、そのトゥメルの神秘の原液となる赤子を妊娠した彼女の血液が使用可能となる。

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 ビルゲンワース、トゥメル人を奴隷にする。

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 更に血液の研究し、トゥメル人化した人間も作り上げる。

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 ビルゲンワースに裏切り者が現れる。遺跡より発掘した聖遺物と実験成果を持ち去る。後の穢れた血族を作り出し、カインハーストに住む貴族と従者へ輸血し、更にトゥメルの遺物によって自分の子供を孕ます女を母体として作り変えた。そして、その者はカインハーストの王となる。全ては裏切り者が望む血の女王と邂逅する為に。

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 カインハーストも狩人を作り、戦力を整える。

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 ローレンス、裏切り者の出現に焦る。古都ヤーナムを管理する組織を作り上げ、より効率的に研究材料の収集と人材収集をする為だけに医療教会を設立する。ビルゲンワースから学長と一人の学徒を除き、全ての研究者と狩人が教会へ移籍した。

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 教会が血の医療を始める。上位者の血液でヤーナムを満たす計画を開始。上位者を作り、赤子を生み出すには、上位者の血を受け入れた母体を孕ますのが好ましい。

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 住民は半信半疑で輸血による治療を受け入れなかったが、不治の病を患っていた患者を完治させる。更に医療教会の病院に入院した患者が次の日に退院する。挙げ句、病気がなくても健康を維持する効果が著しかった。

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 ヤーナムの住人が血の医療が利益になると受け入れた。

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 受け皿作りに成功し、初代教区長となったローレンスは医療と宗教を融合させた。ヤーナムの他宗教を一掃した上、更に医療教会の聖職者へ改宗させる。またヤーナムの医療関係者を教会へ取り込むことに成功。と言うより、血と秘儀で教会に強制入信。

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 生活に密着する病院が輸血液を薬化させ、医療教会が運営する血の医療の窓口になる。もはや健康飲料に近い生活必需品。経済さえ医療教会が牛耳る。

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 医療教会がヤーナムを実質支配することで、人体実験の材料をさっそく集め出す。孤児院も普通に利用される。今では慈善活動もする立派な宗教団体。

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 ヤーナムで奇病が流行る。獣の病と呼ばれ、その病を予防するためヤーナムの住人は更に輸血液に頼る。

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 もはやヤーナムでは警察や法律さえまともに機能せず。

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 一方で研究も進めるローレンスは現実世界では理論的に不可能な人体実験をする為、悪夢における血の効能と上位者の神秘を探求する為、ゴースの遺子の悪夢に予め建てておいた実験棟をさっそく利用する。

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 ゴースによる血液を使い、患者の脳が瞳の苗床になる為に巨大化するも瞳が宿らず。しかし、頭部が肥大化した母体は上位者の赤子を孕むことに成功し、実験成功となるも生まれたのは瞳も無ければ瞳の苗床になる脳さえない失敗作たちだった。作れたのは所詮、眷属の赤子止まり。頭が肥大化した母体から生まれたのが、奇形の無頭児だけとは皮肉であったが、その失敗作たちによる神秘により、教会は彼方への呼びかけの秘儀開発に繋がった。

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 しかし、ローレンスは諦めず。無論のことミコラーシュを含めた研究者らも同じこと。実験棟では、また実験材料を飽きずに使い、あるいは持ち込み、血液由来の神秘を探求する。そもそもな話、血を受け入れた狩人でもある研究者の中に神秘の実験を愉しめない者など存在しなかったが。

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 獣の病が更に流行るも、教会に移籍した元ビルゲンワースである学舎の狩人が住民を守る。住人は教会こそヤーナムの希望だと思い、また教会が始めた輸血医療が予防になるのだと有り難がる。勿論、錯覚です。

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 計画通り、狩人こそ獣対策であると自作自演な演説を教会が行い、大々的に人員募集も行って狩人の大量生産に着手する。輸血液が予防になるんだぜーとか平気で嘘も吐く。伴って医療者も募集。そもそもトゥメル文明の歴史も解読し尽くしたローレンス達にとって、獣の病は態と起こさせた悲劇であり、それを狩る為の狩人もまた教会が戦力を民間人から掻き集める為の口実。

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 ルドウイークが教会最初の狩人となる。そこで才能を見出だしたゲールマンの助言により、月の魔物であるゴースの遺子の悪夢に溢れていた虫を血で固め、そこから刃が作られ、ゴースの寄生虫も剣に埋め込み、彼は月光の聖剣遣いとなる。ぶっちゃけ、例のジョジョ立ち神の怒りを剣でピカピカさせたもの。

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 ヤーナムの外から来たマリアと名乗る狩人志望の女とゲールマンが出会う。そして、マリアが教会所属の狩人となった後、その高い能力からゲールマンの弟子となる。

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 ルドウイーク、上位者の血に流れる虫の輝きを月光の導きと錯覚。無論のこと刃から迸る光もまた、寄生虫による神秘に他ならない。とは言え、あらゆる上位者を狩り取れる程に強力な赤子の上位者の秘儀ではあったが。後により彼を絶望させる原因。

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 崩壊したヤーナムの秩序を教会の狩人が再建。理想的な英雄となり、住民は行政を切り捨て治安維持さえも教会を支持。ヤーナムの政治体制を完全に医療教会が私物化する。つまりは、ローレンスの独裁状態。

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 狩人の為の武器である仕掛け武器と銃器が工房の職人の手で量産される。またヤーナムにて民間の工房が発展。狩人は更に技を磨き、武器を蓄え、数を増やし、教会は私設軍隊と呼べる軍事力を公的に構築。

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 ビルゲンワース時代に捕えていたトゥメル人奴隷や、実験で改造した半人トゥメル人なども教会の狩人や医療者として利用し、人外の管理と運用を始める。

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 研究によって血液由来の生物兵器を教会は作ってはいたが、それらもまたトゥメル産の人外と一緒に運用を始める。

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 聖剣のルドウイークを筆頭に、教会の狩人もビルゲンワース時代から活動する学び舎の狩人に劣らぬ業を得た。医療教会は学舎のゲールマンとは別の狩りへ進む。

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 ローレンス、ヤーナムの全てを手に入れる。裏切り者のカインハーストを滅ぼす戦力を整えた。

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 だがヤーナムにおいて、獣狩りが日常化。とは言え、それもまたローレンスの計画通り。

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 ローレンス、何故か血に溺れ始める。

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 実は医療教会の指導者を殺すための狩人であるマリアであったが、師と弟子の垣根を越えて敵である筈のゲールマンと互いに惹かれてしまい、故郷カインハーストを密かに捨てた。

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 ヤーナム、獣で溢れ返る。ローレンスが思った以上にヤーナムの住人は血を好んだ。

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 緊急的に権力を得た教会が立場を守り続ける為、幾年経とうと獣狩りを終わらせず、もはや終わらせる手段もなし。

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 血に酔うベテランの狩人が更に獣を狩り出し、新しい狩人もまた血に酔う。強い狩人はより狩りに酔う。獣も人も狩人も狂い混ざり、悪夢より生まれぬゴースの赤子が密かにずっと見詰めていた。

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 血に飢えた狩人が悪夢に囚われ始めた。狩人の為の獣も一緒に神隠し。ゴースの遺子の悪夢は狂った狩人と獣に溢れ出し、もう一つのヤーナムは狩人の悪夢と名付けられた。とは言え、そこも今や悪夢の主ローレンスの管轄に過ぎず、ゴースの赤子を研究のために放置し、観察を続ける。

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 上位者オドン、眠りより覚醒。ヤーナムに来訪。元より悪夢から生まれた上位者の血に寄生していた虫ではあるものの、感応する精神として夢見るような無意識的な働きを止め、上位者の一つとしても意識存在となって動き出す。

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 ローレンス、交信した上位者の思考を聞き、オドンの目的と手段を啓蒙。教会の一つをオドン教会と名付け、密かに上位者の赤子作りに協力し、更に生まれた赤子を自分が研究せんと暗躍。

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 上位者オドンの母体作りのため、ローレンスが血の聖女を計画。同時に、負傷した狩人のための良質な輸血液作りでもあるとカモフラージュも行う。またオドン以外の上位者の赤子も孕めるように、母体に適した血液の改良も進む。

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 ヤーナムにて、おぞましい奇形児が生まれ始める。稀に紐状の虫に寄生された赤子が生まれる。

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 上位者と人間の血を繋げる瞳のひも、臍の緒を発見。正体は瞳持つ上位者と同じく、上位者の中で生まれる瞳を得た寄生虫。それが次元の低い人間をより高次元の存在に高め、しかし人のまま瞳によって上位者の神秘と対抗する物だと解明。

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 ローレンス、ミコラーシュ、ゲールマンが三本目の臍の緒を使い、啓蒙を得る。即ち、人が人の儘で上位者と伍する思考の瞳を得るも、本質的に数が足りないことに使った後に気が付く。三本要るのに、三人で一つづつ使ってしまった。

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 マリアがゲールマンの子供を授かる。同時、ヤーナムにてオドンが求め続けた最高の母体を見つけ、彼女に赤子の種をはらませた。正確に言えば、胎の中の赤子の中に流れる血の中に虫が寄生。

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 ゴースと同じく、月の魔物たる赤子の上位者が産まれる条件が整った。

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 ゲールマン、自分とマリアの子が上位者だと分かり、精神を酷く病む。加え、子供と臍の緒で繋がるマリアがゴースのように上位者と成り果てる前に、つまりは子供を生む前に、葬送の刃で彼女を介錯した。最後の最期、狂う前に死ねた彼女を祈り、冥福と共に彼女の血と骨で模した人形を、人形使いのミコラーシュに頼んで作る。そして、その臍の緒を教会の隠れ工房に捨て去った。

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 条件達成。生まれぬ赤子、月の魔物「青ざめた血」が悪夢にて生まれた。

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 マリア、死して現実から醒め、悪夢で目を覚ます。目的もなく、悪夢の世界を彷徨い歩く。

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 ローレンス、新たな赤子を察知する。狩人の悪夢の中にて、ゲールマンと共に邂逅する。故、死骸に眠り籠るゴースの赤子に興味が薄れ、青ざめた血を主軸に赤子の研究を進める。

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 狩人と、狩人の夢の始まり。

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 ゲールマン、赤子が己が赤子だと父親として感じ取る。全て、儚い夢だった。自らの使命を自覚する。更にマリアとその赤子を殺したことで、青ざめた血が作る悪夢の主となる。

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 狩人の両親から生まれた赤子は、狩人の上位者に他ならない。半人間半上位者とも言える月の魔物は、赤子より人間のように直ぐ成長し、父と母の思い出を写し取った狩人の夢こそ自らの悪夢とした。何よりも、青ざめた血の血液は紅かった。故にこそ、その血液は上位者にとってのペイルブラッド。

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 同時に、オドンの赤子である。彼は赤子で在りながら、赤い人の血に故、人を越えた人である。故にこそ、親たるオドンを信仰する祈り人であり、オドンの血と共にオドンの願いを祈り継ぐ者。また赤子の誕生は秘するべき儀式。赤子は、赤子の赤子を生み出す苗床を夢にこそ隠す。尤も、子作りは人間も秘することで、誰かに見せるものじゃないが。

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 赤子のままである筈の月の魔物。しかし、この月の魔物は赤子の姿から育った。つまるところ、上位者の中でも更に特別な月の魔物ではあるが、蒼褪めた血(ペイルブラッド)は月の魔物の中で更に得意な上位者。ローレンスはこの赤子が最も進化した上位者と考え、月の魔物「青ざめた血」を自らが求めるべき上位者だと望んだ。

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 赤子は自らの悪夢に月を持つ。だからこそ、ビルゲンワースは赤子の上位者を月の魔物とも呼び始めたが、赤子の月には他の上位者にはない法則があることを、ローレンスとゲールマンは知る。狩人の夢こそ、正しく月の力であった。

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 あるいは、悪夢の宙に生まれ落ちた月こそ赤子。

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 メルゴーの月、老いた赤子の月、青ざめた血の月に、ローレンスは数多の上位者が求める赤子の秘密があると思考した。彼らの赤く染まる夢の月により、血は現実へ溢れ後れる。

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 青ざめた血により、ヤーナムは悪夢に法則が歪む。狩人は人間ではあったが、このヤーナムでは人間でも上位者でもない“狩人”と言う新たな存在として成立した。

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 狩人の悪夢の主であったローレンス、肥大化し過ぎた悪夢より逆流するゴースの血に潜む虫に理性を蝕まれる。自分のソウルを蝕む虫が血液に入り込んで全身を掛け巡り、だが頭蓋と全身から何とか異物を吐き出す。その様子を見たとある狩人が、瀉血の槌のアイデアを啓蒙。また血によって発狂した場合、理性を失って狂う前に自分の血液ごと虫を脳味噌から吐き出し、狂気そのものを瀉血する死を厭わぬ狩人の技が生まれた。発狂すると血がブシャーするのは狂気を治す為の瀉血となる。

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 失った血を輸血でローレンスが補うも、血に溺れる。高めた啓蒙でゴースの眷属へ変態する自分を臍の緒による防壁で抑え込むも、もはや肉体の変化事態は止める手段はない。しかし、ウィレームの啓句を思い出し、いざという時の人血の鎮静剤をがぶ飲みして己を人間に留めた。それを見抜いた赤子が老いた泣き声をローレンスに聞かせ、思考が鈍化していまい、眷属でも上位者でもなく、高い啓蒙を保持した獣に進化した。

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 ローレンス、ヤーナムにて最初の聖職者の獣へ変貌。墓所で上位者狩りを行う狩人さえ返り討ち、殺戮を繰り広げる。

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 月の魔物により、ヤーナムで最も古い獣狩りの夜が始まる。赤子の悪夢が明けぬ夜を作り上げた。

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 啓蒙の高い狩人は、獣になったローレンスの殺害が夜を明かす条件だと自然と啓示される。

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 聖剣のルドウイーク、たった一人で獣化したローレンスを聖剣で断頭。

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 血から虫は湧く。獣血なら尚の事。虫に支配された肉体は頭がなくも、精霊と反する獣血の寄生虫が意志となる。

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 獣血の主をルドウイークが撃退。

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 この時点において、誰も倒せぬ獣を討った彼こそが最強の狩人であり、ヤーナムの救世主であり、医療教会を朝へ導いた英雄となる。

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 しかし、夜は明けず。

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 ローレンス、赤子の呪いにより反転。死することで現実から目が醒め、夢の中で目を覚ます。

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 ルドウイークは夜明けのため、ローレンスを追って狩人の悪夢へ向かう。

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 そして、現実である獣からも目が醒め、しかし狂い、人に戻った学び舎の狩人ローレンスをルドウイークが追い詰めた聖堂で倒す。しかし、夢から醒めることで遺体から、獣のローレンスが遺体から夢として呼び出された。たが、獣のローレンスは夢の中で夢に沈み、目覚めを得られず。

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 狩人の悪夢は主を失う。もう一つのヤーナムは、老いた赤子が望む儘、現実から遠く深い眠りに沈む。

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 ルドウイークは聖堂にローレンスを封じ込めた。そして、狩人の悪夢に住まうまだ正気の古狩人に案内された。そこでは、医療教会の本性があり、封じられた漁村にて月光を知った。彼はそれでも狩人故、悪夢が覚めるまで狩りを全うする。

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 聖剣遣いは医療教会の狂気と恥部を隠す選択を行う。自らがローレンスと同じく獣に堕ちるまで。

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 夜が明けた。

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 ゲールマンが医療教会を抜ける。そして、自らを教会の工房で介錯したが、狩人の夢で目が覚めてしまう。彼は死ぬことで一番最初の夢の狩人となった。死にたくとも死ねず、夢で死のうとも現実で死ねず、死がただの目覚めになっていた。そして幾度も死ぬことが出来る不死の狩人がヤーナムに現れ、人の手に余る獣と上位者が狩り殺された。やがて十分にゲールマンは狩りを全うし、月の魔物に抱擁され、その赤い血液を輸血された。支配された彼は助言者となり、狩人の夢の中でマリアを模した人形と共にただ在った。

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 悪夢の主であった死したローレンスは獣となり、ゲールマンは悪夢の主を自ら放棄した事で、夢の狩人から助言者となった。

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 これ以降、この時代から活動するベテラン狩人は、自然と新しい狩人から古狩人と呼ばれるようになる。

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 ミコラーシュ、ローレンスが死んだ医療教会を見切る。独自路線へ舵きり。また教会の工房でゲールマンに契約通り新作人形を渡しに来たが、死んでいたゲールマンの遺体を回収。ついでの供養に人形を置いていく。

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 ミコラーシュが人造の上位者の赤子を作るため、調整した骸人形 つまりはゲールマンの遺体をゴースの中に入れる。肉体を喪ったゴースの遺子であるゴスムは、生まれる前に殺されたことで悪夢では意志だけとなっていたが、ゲールマンの遺体が赤子の意志の入れ物となり、意志そのものがゴースと赤子を繋げる臍の緒となる。

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 臍の緒とは、瞳のひも。瞳を脳に持つ上位者に寄生する虫が瞳を得た精霊の一種。使えば人間も瞳を抱き、人を人と言う上位者にし、上位者と伍する思索を得る。赤子の上位者が持つそれが、ゲールマンの遺体に使われることで上位者として脳に瞳を得る事が出来、またゴスムより消失もしてしまった。

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 ゲールマンの意志は狩人の夢にあるも、肉体は狩人の悪夢に秘匿された漁村。

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 上位者、ゴースの遺子が、ゴースの遺体に孕まされた。

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 ミコラーシュが、教会から枝分かれたメンシス学派を組織する前。そして、悪夢の主としての神秘をローレンスから受け継ぐ為、別の赤子の悪夢による上位者探求を企む。その為、教会のトゥメル人とトゥメルもどきを勧誘し、更に輸血液作りに使われていた女王ヤーナムを教会から誘拐する。

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 まだ女王ヤーナムの中で生きる赤子の上位者を母親ごとミコラーシュは殺し、メルゴーを月の魔物へ進化させた。全ては自らの探求の為だけに。ヤーナムは赤子をメンシス学派に奪い取られ、ヤーナムに仕えるトゥメル人は赤子を人質にされたヤーナムの為にメンシス学派共の手駒となる。

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 ローレンス亡き後、ミコラーシュの裏切り行為で更に暴走する医療教会。

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 今までは赤子メルゴーを妊娠する女王ヤーナムの血と、輝ける星の眷属であるエーブリエタースの血を、人間の血に混ぜてカルピス原液の水割りみたいに輸血液を作っていたが、それが出来なくなってしまった。

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 殺されてしまったが、ヤーナム市民に呪われたメルゴーの血も輸血したい。だがそもそも、恒常的に血液を得るには、そもそも上位者は生きてないとならない。

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 生け捕りにされた輝ける星の眷属エーブリエタースに、母胎から抜き取られて死んだメルゴーの死血を輸血する。

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 成功。人を悪夢に捕らえる赤子の血を、培養してしまった。

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 更に、ゴースの死血もエーブリエータスに輸血する。

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 医療教会、良い事を閃く。人間の狩人は勿論、獣化した異形の血も、啓蒙されたまま混ぜる。

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 聖堂地下に、混血児にされたエーブリエータスがヤーナムの輸血液の原料となる。

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 結果、ヤーナムの輸血液は様々な上位者と繋がる血縁となる。

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 輸血液に様々な血の遺志が宿る。

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 なので、この時期から輸血液には月の血の因子も混ざっており、それに適応するヤーナム輸血された患者が狩人の夢と繋がり、夢の狩人に選ばれてる時代の始まりの前段階。

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 姿なきオドンは肉体はないが、そのオドンの血を持つ者の因子が輸血液に混ざったり、アメンドーズもしかり。

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 その所為で、ヤーナムの輸血液は様々な反応が人間に作用する。

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 例えると、トゥメルのメルゴーはヤーナム人との半人半上位者であって人間の要素もあり、血は獣の病の元であり、獣血であり、虫であり、炎であり、人の獣性を刺激する神秘である。人間側に作用する人間と上位者の赤子の血なので、上位者の啓蒙作用とは反発する。ローランも人間と上位者と混じった結果の、あの雷系列の獣化現象。

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 眷属エーブリエタースに流れる輝ける星の血は啓蒙の大本で、宇宙であり、瞳。恐らくは悪夢の宇宙の、星界の神秘。悪夢ワールドにおける宙を司る血。

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 即ち、啓蒙とは神秘であり、獣性とは血質。軟体系上位者の血がコスモス由来の神秘で、人を獣にする獣系上位者がメルゴー由来の血質。

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 謂わば、血質は獣血系上位者メルゴーの神秘。トゥメルが炎の神秘が使える原因。狩人の血液弾が火薬を必要とせず、弾の血そのものが火薬代わりに炸裂するのはその為。大砲の水銀弾などが爆発する理由でもある。

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 結果、様々な上位者の特色が、ヤーナムの人間に具現する。トゥメル人っぽくなったり、宇宙人になったり、獣になったり。

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 またヤーナムの輸血液は死んだ赤子の血肉を直で使えたメルゴー系と、直系眷属であるエーブリエタースが実験に使えた輝ける星系が強く作用し易いというだけ。様々な作用によって、違う上位者の特色も出てくる可能性は高い。ローラン系列やゴース系列もヤーナム市民には出る可能性がある。ついでにルドウイークみたいに混ざったりもする。

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 いわば、輸血液は上位者の混血。それを数滴か人血の輸血パックに混ぜて大量製造可能とする。親となるオリジナルの上位者と、親から独立した眷属ではない子の上位者と、その上位者の子となる眷属の上位者と、上位者との血縁によって人間から進化した眷属の上位者と、更に人間から進化して独立した眷属ではない上位者もおり、それらの可能性を秘めた血をエーブリエタースを造血装置にして古都に充満させる。

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 ヤーナムの輸血液はそれらを混血した、医療教会が採取出来た血液全ての研究成果となる。

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 正しく、ブラッドボーン。血液由来の惨劇。

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 そしてエーブリエータス自身は、輝ける星の眷属であり、その血に星の神秘を持つ。だが、それ以外の上位者の血も混じり、親以外の違う眷属に無理矢理にされ、ヤーナムと言う悪夢に囚われてしまった。

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 ヤーナムから出られない狩人と同じく、エーブリエータスも目覚めて輝ける星の領域である悪夢に帰れなくなってしまう。

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 故、星の娘は親である死骸を見下ろし、その中の宇宙の悪夢を見上げて泣いていた。

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 ミコラーシュ、教会離反。メンシス学派を創設。上位者の赤子を使い、上位者の召喚を試みる。報酬は無論、脳の瞳。

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 メルゴー、親を求めて上位者を悪夢から呼び出す。その声なる音が上位者を悪夢から呼ぶ釣り餌。これこそミコラーシュの計画の肝であり、女王ヤーナムは完全にメルゴーの力を失う。

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 呼ばれた上位者は、メルゴーの親代わりとして悪夢に産み出された故、メルゴーの乳母となる上位者として存在。彼女はメルゴーから輸血されることで子たるメルゴーを利用し、悪夢に住まう。目的はメルゴーを自分の上位者として成長させること。つまりは、メルゴーを自分の赤子とすること。

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 ミコラーシュは悪夢に新しい領域、メンシスの悪夢の創造には成功する。

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 しかし、報酬の脳の瞳は腐った巨大脳、上位者メンシスの脳味噌だった。何故か腐っていて使いものにならず、そもそも脳の瞳そのものが欲しいのではなく、自分の脳に思考の瞳が欲しかった。

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 悪夢での失敗をミコラーシュは悟る。乳母とのバッドコミュニケーションに絶望。やっぱりメルゴー違う赤子を孕んでいたゴースを使いたいが、あそこには瞳のへそで思考の瞳を得たゲールマンの遺体が遺子としてゴスムの器とある上、あのマリアが漁村を守っている。

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 ヤハグルの計画はそのまま続行。

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 ミコラーシュ、上位者メンシスの脳味噌を悪夢を照らすランタンとして使い、防衛機能として再利用。

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 また人形遊びの一環として、その脳味噌を人形に使うことを思い付く。人形に腐った脳の瞳を植え付け、眷属ほおずきを作成。ほおずきは英名ウィンターランタンであり、湿った提灯で、植物のほおずきとのミコラーシュなりの言葉遊び。脳から飛び出た瞳がランタンみたいに光るのが愉しく、手駒の眷属として量産。

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 女王ヤーナム、子をミコラーシュに殺されて奪われた上、その死後さえ上位者たちの望む悪夢の赤子として利用される。彼女が出きることは、子の部屋の前で泣き崩れるのみ。

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 こうして、ヤーナムにて三つの悪夢を生み出した三人の狩人が悪夢の主となった。母たるゴースと赤子の老人を殺して狩人の悪夢を作ったローレンスは血に囚われた獣となり、母たるマリアと青ざめた血を殺して狩人の夢を生み出したゲールマンは月に囚われた助言者となり、女王ヤーナムとメルゴーを殺してメンシスの悪夢を生み出したミコラーシュは夢に囚われた狂人となった。

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 つまるところ、上位者の血から生まれた狩人もまた、上位者にとって赤子の上位者を生むための道具に過ぎず、上位者に必要だから上位者を殺す力が与えられた。故に、狩人による上位者狩りもまた、彼らが赤子を生み出すための過程に過ぎなかった。

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 とは言え、その内の二人はもう悪夢の主の資格を失っている。狩人として、主足り得るのはミコラーシュのみ。

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 ヤーナムは悪夢に覆われ、更なる悪夢に覆われ、マトリョーシカのように悪夢と悪夢が重なり合う。むしろ、その重複が絵画世界から引き継がれる悪夢の特性。

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 医療教会が内部分裂。我の強い部署しかない教会であったが、ローレンスのカリスマが解決していた。しかし、ローレンスの統率がなくなってそれぞれの部署が好き勝手にヤーナムを遊び場に暗躍する。

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 中でも聖歌隊が教会の権力闘争に勝利し、ローレンスに代わって運営を始める。また教会の裏切り者であるメンシス学派を強く敵視して滅ぼそうとしつつも、本心では彼らの実験成果を強奪して神秘を味わいたいと計画。またローレンスが警戒したカインハースト完全抹殺の為に狩人達から選出した者を処刑隊とした。

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 悪夢を彷徨っていたマリアが実験棟に辿り着く。そこでローレンスと医療教会の所業を知り、封じられた漁村に訪れる。

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 ゴースを見たマリアは自分の赤子の正体を啓蒙する。そして、カインハーストを捨ててまでした事も理解する。漁村は赤子を玩弄した人間と言う罪。

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 狩人の罪。それは、人間が母親を殺して赤子を奪う貪欲な知的好奇心と、その為に母親の子宮を使って遺体から遺子を産み出したこと。

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 マリアは、ゴースの遺子であるゴスムの意志が、ゲールマンの遺体を操り骸とし、上位者「ゴースの遺子」となったことを知る。

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 狩人の悪夢は、狩人の夢の逆しまとなった。夢にはゲールマンの意志とマリアの肉体があり、悪夢にはマリアの意志とゲールマンの肉体が存在する。

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 ビルゲンワースから継承された業を学んだ教会の悪行を隠していたのはルドウイーク。マリアは狩人の罪と、師であるゲールマンの遺体を暴かれない為、漁村を封じていた。

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 狩人として、漁村の再封印を決意。

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 失意と絶望のまま漁村の井戸へ愛用し続けた仕掛け武器を捨てた。しかし、教会の狩人としてゲールマンから貰ったもう一つの仕掛け武器は捨てなかった。そして、獣のローレンスを再度深く眠らせ、人間の遺体を実験棟に通じる装置へ安置する。

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 医療教会からも見放された患者を憂い、面倒を自然と見るようになり、赤子になれなかった失敗作たちをマリアは憐憫を抱く。やがて悪夢の時計塔にただ独り住まい、時計塔のマリアと呼ばれた。

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 幾年経って世代が変わる程に時間が経過し、それでもヤーナムは病と獣と狩りに溢れ、もはや血と血の医療が固有の文化となる。教会は住人にとって当たり前の公共機関であり、医療が進んだ都市として名前が外部でも流行る。

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 カインハーストにて、王となった裏切り者が望む血の女王が生まれた。彼女は死なず、殺されず、幾度も甦る不死であった。そして、自分の血族である彼女を自分の女王とする。

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 処刑隊、頃合いを悟る。トゥメル人の血を引くローゲリウスが隊長となり、カインハーストそのものの処刑を開始する。

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 貴族の男は車輪で引き潰し、女は容赦なく首を撥ねて処刑した。貴族に仕える従者もいたが、処刑対象ではないので適当に殺戮する。中でも王は肉片に変えた後は、その肉片を更に焼いて消炭にした。

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 しかし、ローゲリウスは女王と出会ってしまった。裏切り者が持ち去った禁断の血こそ、女王ヤーナムの血。トゥメルの血を引くローゲリウスは彼女に対して心折れ、彼女を殺そうとした仲間の処刑隊の狩人を処刑し尽くした。幽閉するのが限界であり、幻影によって周囲から隔離し、自分を楔に女王を封印した。

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 ミコラーシュ、隠し街ヤハグルの作成に取り掛かる。またメルゴーと交信可能な悪夢の主となった神秘により、幾匹かヤーナムに潜んではいたアメンドーズを悪夢から大量に現実世界へ送り込む。そして生贄収集の手段に誘拐を選び、ミコラーシュは狩人とトゥメルの攫いによる誘拐システムを運営する。

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 檻を被り、交信の啓蒙を得て、悪夢で目覚めることを選んだメンシス学派のメンバー全員が、肉体を死で眠らせて活動の場をメンシスの悪夢に移す。本格的な上位者化実験と、上位者作成と、上位者召喚の神秘を思う儘に行い続けた。また現世におけるヤハグル的活動も行う為に、悪夢から現実世界に交信することでメンシスの手駒を十全に操り続ける。

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 ヤーナムにて獣狩りの夜が幾度か起こる。

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 月の魔物「青ざめた血」は死した人を夢へ誘い、夢の狩人にし、その使命たる狩りを全うさせ続ける。最後は助言者ゲールマンに介錯されることで、死を現実から夢への目覚めにする不死の輪廻から解き放ち、夢の狩人だった者がヤーナムに住まうようになる。稀に使命を全うしても血に酔って夢を望む者も現れるが、最初の狩人ゲールマンに狩られ、最後は介錯されて夢から覚めて現実へ起きた。

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 青ざめた血は狩人を利用した上位者狩りの上位者となり、ヤーナムにて悪夢を狩り殺す最強の狩人を待ち続ける。全ては、自らと同じ赤子の上位者たる他の月の魔物を狩り殺し、自分だけが次なる上位者達の高次元へ至る為に。

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 獣狩りの夜が続く。

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 ミコラーシュ、ついにメンシス学派によって最終実験を開始。

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 宇宙に浮かぶ人の世の月を隠すため、ヤーナムの空そのものにメルゴーの赤い月が浮かぶ。

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 赤子の赤子が産まれることを啓蒙したウィレーム、メンシス学派の凶行、つまりはミコラーシュの渇望の阻止を決意。密かに管理していた白痴の蜘蛛を湖に作った水面の裏側の異界に潜め、月を入り口にし、メンシス学派や医療教会から秘匿。その蜘蛛によってメルゴーの赤い月を隠蔽し、人が見る現実の月で夜を照らす。

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 悪夢に隠されていた赤子を狙う青ざめた血、目的であるメルゴー狩りを開始する。またメンシスの悪夢への入り口となるヤハグルを塞ぐビルゲンワースが邪魔になる。

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 他の上位者としても、ミコラーシュによる上位者の赤子が産まれる実験は有益であり、赤子の赤月もまた悪夢には重要。医療教会とメンシス学派がビルゲンワースに自分の眷属たちを送る。

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 ビルゲンワース、眷属まみれに。ウィレーム、穢れながらもメンシス学派とメルゴーを狩り殺せる狩人を待つ。

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 治療しに来た患者が輸血され、青ざめた血に選ばれる。しかし、病気は治ったが記憶を失う。

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 病室を出たら殺され、死んだと思ったら夢で目が覚め、記憶も曖昧なまま夢の狩人になってしまっていた。

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 獣を殺し、敵を殺し、狩人も殺す。啓蒙のまま突き進み、助言者に言われるがまま行動し、聖杯を拝領して夢の墓地で墓荒しを続け、血の意志を延々と溜め込む。そして人形に捧げて強くなり、強くなれば強い獲物を狩る様になり、更に多くの意志を捧げて強くなり、また意志を貯める。

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 メルゴーに辿り着き、その乳母を殺して赤子の上位者を始末した。月の魔物は現実世界で肉体を持たない故、夢で死ねば現実で目が覚める事もなく、そのまま狩人に狩られるのみ。

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 ついでに、使うと啓蒙できる臍の緒を手に入れた。

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 使命は果たしたと助言者に介錯され、夜明けを迎えた現実の世界に戻った。安心した夢の狩人だった者は、もう狩人の夢は見ることはないと当たり前な人間としての眠りにつく。

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 起きると何故かまた初めて輸血された病室で目が覚めていた。

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 またメルゴー殺して介錯され現実に戻り、寝て起きたら病室。

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 今度は介錯された後に自害してみるも、何故か目覚めて病室。

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 次こそは眠らずにいようと介錯された後に起き続けていたが、朦朧となる意識を保ち続けても気が付けば病室。

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 幾度か夜明けに足掻くも、全て病室送り。

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 獣狩りの夜の結末に疑念を抱く。他の夢の狩人だった者と自分は違い、介錯では夜明けは訪れないと絶望。

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 聖杯に潜り、地底人化する。獣狩りに上位者狩りに、血晶石集めとその選別がライフワーク化。

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 ある日、夢の狩人は聖杯による墓所の迷宮そのものに疑問を抱く。そもそも、この聖杯ダンジョンって何処?

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 疑問にそう思ったが、普通に考えれば直ぐに推理出来た。夢の中にいることを前提にし、更に迷宮が現実で訪れていない土地だと考えれば、恐らくは夢の中で狩人の記憶を夢見ているのだと考えた。使者が灯りを照らしてくれるのも、自分が実際に訪れて触れた場所のみだと考えると、夢見る為にも記憶と言う材料がいると考えた。また夢の中で死ぬまで夢見る現状、記憶の夢だろうと同じ夢ならそこでのアイテムが持ち帰るだろうと思い、啓蒙や意志を使えば夢での想像も夢の中では真実となるので、グロカワな使者から道具が買えるんじゃないかとかなぁと、色々と啓蒙で分かることでも考察するようになる。

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 では誰の記憶からダンジョンが作られるかと言えば、それはその場所を覚えており、且つ夢を見ている人物となる。つまるところ、過去に実際に探索した狩人であり、今も探索する自分以外の自分である夢の狩人。

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 啓蒙は脳味噌限界まで常に貯めるように心掛け、もはや上位者レベルの高次元視点を持つも、人間としての知識不足を悟る。分からないことは勝手に啓蒙されて雰囲気で分かるが、学者として知識と理論を積まないと駄目じゃんと自己嫌悪。

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 考察と推測も趣味となる。だがそれはそれとして、自分以外の夢の狩人を相手に狩人狩りを行い、上位者狩りには要らない対人技能も極める。もはや今までの狩りの何もかもを限界まで高め、そうしなければ狂気に犯されずとも発狂しそうだった。

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 今度は介錯を選ばなかった。ゲールマンと殺し合い、勝ち、何か黒幕っぽい上位者に抱き締められ、輸血された。

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 意識が覚めると狩人は助言者になっていた。現実に目覚めることさえなく、しかし夢の中で眠気に耐えられず眠ると夢見ることなく病室で目覚めた。

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 今度こそなんて何も思わず、だからこそ今回の夢はヤーナムを隅々まで観察し、啓蒙し、考察し、念入りに調べ尽くしながら狩りをしようと思った。なのでまずは聖杯だ。古代遺跡みたいだからあるだろうと、墓荒しを愉しむ。

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 悪夢の中の学徒共の教室で、幾つもの興味深い資料を見付ける。カインハーストの図書館でも、メルゴーの悪夢でも、医療教会の私設でも、読み込める資料を徹底して読みまくる。明けぬ夜故に、時間は腐らせても止まったままだと、狩人は狩りと同時に没頭した。

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 三本目の三本目と言う謎解きみたいな記述を見つける。それを見て、何故か教会の工房で見付けた臍の緒の干物が怪しいと啓蒙光る。またメルゴーから奪えた臍の緒から、上位者由来の何かの秘密だと判断。

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 何でもいいから手掛かりが欲しく、臍の緒は生き物中にあるからと、色んな生物を素手で解剖してみた。銃撃で相手の体勢を崩し、素手で内臓をかき回して内臓ごと大量出血させる技術が、それはもう限界を超えて巧くなった。殺してから解剖するよりも、生きてるままで良いからとやりまくる。

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 本物のヨセフカを殺して成り代わり、恐らくは医療教会の聖歌隊から来たスパイっぽいヨセフカを名乗る女医なる者が気になることを、獣狩りの夜が終わる頃に喋っていたのを思い出す。なので、そのまま素手で腸を抉り、子宮を鷲掴み、そのまま強引に引っ張ってみた。

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 手の中の子宮の中に、あの干物っぽい臍の緒の生バージョンを見付ける。奇形児も一緒に出て来たが、余り血の意志は美味しくなかった。

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 啓蒙がこれだと叫ぶ。取り敢えず、この形をした奇形の赤子か、赤子を孕んでいる女が怪しいと分かる。またメルゴーもまた赤子であった。

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 ダンジョンで殺し合った女王ヤーナムは一目で妊娠しているのが分かったので、また聖杯潜りに専念して女王に内臓攻撃。何度か殺し、その度にまた新しい女王を殺して調べた。しかし、血しかなく、臍の緒がない。夢の中では違うらしい。

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 人間が上位者を孕むと臍の緒が取れる事は分かった。そして、どうやらオドン教会に臍の緒の元凶がありそうだと気が付き、姿無きオドンが実際に存在して赤子を孕ませることを狩人は分かった。そして、赤子と母体が繋がっており、それの原因がこの臍の緒らしく、赤子を殺せば母体も死ぬこともわかった。三本目の三本目を達成し、しかし四つ手に入れたので全部使う。啓蒙が増える。

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 あの黒幕上位者と対抗可能な力を宿した狩人。啓蒙で月の魔物と呼ばれる上位者だと知り、今まで出会ったどの上位者よりも強いと分かるも、この上位者によって解放された臍の緒の力が狩人の血液を巡り、月の魔物を上回った。

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 一瞬でほぼ全ての血液を引き抜かれるも、狩人は月の魔物の血液を奪う。狩人は上位者の血と自分の血が入れ換わる。

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 黒幕を倒した狩人、自らが上位者の赤子となった。人形に抱き上げられ、酷く安堵してしまい、眠気に耐え切れずに寝ると病室で目覚めた。

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 狩人、放心。

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 この目覚めのループは、あの上位者を倒して赤子になっても破れず。しかも、あの赤子になった自分は月の魔物から更に進化し、人間の上位者とも呼べる新たな人類の幼年期でもあった。言うなれば、人の魔物か。発生条件としては、月の魔物が半ば上位者化した人間と血液を互いに交換し合うことで、上位者側が死ぬことで相手の夢として寄生した後に肉体も融合し、別の上位者の赤子を自分達を生贄に誕生させる儀式か。上位者は人間由来の生まれぬ悪夢の赤子を求めたが、悪夢の赤子は逆に生まれる前に死んだ自分をまた生んでくれる親を人間に求めたのかもしれない。

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 上位者がより上位の高次元に進化するのと、狩人のループはまた別問題。とは言え、狩人にとってあの上位者化した時の思考と視点は脳髄にしかと刻まれている。

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 臍の緒による上位者化ループを繰り返す。聖杯ダンジョンの石選別が癒しになる。

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 狩人、人形による強化がカンスト。血の化身と成り果てる。石集めだけが生き甲斐の地底人化。

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 思案しながらオドン教会を狩人が出ると、何故か教会のマスコットになっているアメンドーズに啓蒙を感じた。そして、何故か狩人の夢で同じマスコットの使者が持って来たアイテムと関連する気がした。狩人、見慣れたループから差異を覚えた。

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 狩人の悪夢へ渡る。アメンドーズ便は何処だろうと一瞬で到着。しかし、呪いの声が聞こえてしまう。

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 新しい仕掛け武器に興奮しつつ、ルドウイークを撃破。彼方への呼びかけの元ネタ上位者もどきを殺し、人形そっくりなマリアも殺害。実験棟の資料を読み漁りたい衝動を抑え込み、まずは悪夢の元凶を叩く為に漁村へ。

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 母たるゴースの死骸で眠る月の魔物、赤子の老人が月の狩人を感じ取り、遺体から流れ産まれる。

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 上位者ゴースの遺子、ゴスムを殺害。

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 だが母親の胎に繋がったままのゴースの遺子の意志が黒い影となり、狩人がその臍の緒を断ち切り、遺子であるゴスムはゴースから解き放たれた。

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 月の魔物であるゴースの赤子は、母たるゴースの死骸ではなく、母たるゴースが来た上位者の故郷へ帰って行った。呪いと海に底は無く、故に全てを受け入れる。親を求める赤子の老人は、ゴースの海に親を求めた。そして、月の魔物を含めた上位者には、帰るべき悪夢が存在している。自分を流産させた親の代わりとなるものがいる。メルゴーもまた親の代わりを求め、乳母を悪夢より呼び出していた。自分を上位者にした青ざめた血も、親代わりであろう助言者を逃さす夢の中に閉じ込めていた。

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 ならば、やはり赤子は、産まれる前に死んだ自分をまた産まれる機会を与える親を、赤子の親となる新たな上位者を欲すると知る。それこそが、赤子の上位者である月の魔物たちが求める赤子の正体。

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 だが、狩人の悪夢には元凶がいた。医療教会の設立者にして、全ての悲劇の根源が、獣になって眠っていた。とは言え、狩人はローレンスを完全に抹殺することに成功。

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 そして、疑問だけが残る。夢とは、誰かが夢を見るから存在する。赤子は悪夢を生み出すが、その赤子が死んでも一度生まれた悪夢は消えることはない。何故なら、一度でも作れば悪夢は記憶され、夢と夢は繋がり、繋がる夢を誰かが見るだけで創造主が消えた悪夢は存続する。ならば、主が滅んだ筈の夢を見ているのは、同じく月の魔物に他ならない。

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 悪夢を見る上位者が複数いれば、悪夢もまた重なり合う。そして、悪夢から悪夢は生まれる。あるいは悪夢の中で悪夢を見て、そのまた悪夢の中でと無限に悪夢はマトリョーシカするのだろう。悪夢の繰り返しとは、やはり悪夢による悪夢。

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 狩人の悪夢を上位者化ループを繰り返す度に、その悪夢も共に繰り返す。そして、啓蒙するヤーナムに潜む三体の月の魔物と、三つの赤子の悪夢。それを意味するのは、上位者が求めた赤子ならば、悪夢を作り出せると言うこと。ならば、そのまた赤子はどうなのか?

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 そして、狩人は自分自身が生み出していた悪夢が自分の夢をループさせていたことに気が付いた。覚えのない病室の走り書き。青ざめた血を求めさせるのは、一番最初に上位者化した自分が人形を使って残したもの。

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 赤子の赤子の上位者が悪夢を作った自分であり、そのまた赤子がループを繰り返す悪夢に囚われた今の自分。狩人の悪夢から聞こえた赤子の赤子、ずっと先の赤子とは狩人を呪う言葉であり、呪いの声は絶えず狩人を苛む。故に呪いの声を断たねば、狩人は自分自身の悪夢から逃れる術はない。何よりも、夢の循環に狩人は止めを刺さなければならない。

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 ならば手段は唯一つ。夢見る自分に、夢を見続ける自分が悪夢を見させる。親を求める赤子である青ざめた血を受け入れ、赤子の親の赤子として、赤子の赤子となり、人類の幼年期を終わらせる。狩人は幾度も繰り返した最後の幼年期に到達した。

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 啓蒙するまでもなく簡単な話、最初の上位者は赤子を生む悪夢を求め、その悪夢が創造者の赤子となる上位者を求め、その上位者は悪夢となる赤子を求め、その赤子が死した自分を生み直す赤子を求め、そのまた赤子は嘗て人間の狩人だった夢の赤子を求めた。ならば、そのループの最後にいる赤子である自分は、人間を人間足らしめる人間性を求めるべきだ。啓蒙深き闇の魂に祝福を。

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 自らの狩人の夢と、違う自分の狩人の夢が重なり合った。殺すべきは眼前の自分自身。上位者狩りにして、狩人狩りの夜が始まる。

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 結果は分かりきったこと。全てが輪廻の繰り返し。産み出された子は、ただただ親を求めていただけだった。

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 そうして、終わらぬ悪夢は夜明けを迎えた。この狩人もまた、上位者であるのだから。

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 悪夢より目覚めた狩人、ヤーナムの悪夢は夜明を迎えたが、上位者の因果は未だに絶てず。その元凶を探らねばならない。悪夢は終わらずとも、知らねばならない。しかし、生まれぬ赤子から生まれた赤子として、やはり現実の肉体をもたず。たが悪夢より、瞳は狩人に探求の術を授け、青ざめた血の遣いであった使者は狩人の現世での目であり、あるいは手足にもなる。

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 故、上位者を上位者足らしめる力の源は理解した。血の意思だ。上位者の神秘と生態と悪夢の大元だ。

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 血の意思とは、血を流す持ち主の意思ではない。文字通り、血そのものが持っている意思である。血に溶けて流れる虫が、血液由来の意思であった。人と獣と上位者に流れる血の中の虫こそ、あらゆる因果の根源だ。この虫が変態し、あるいはなにかを産み出し、上位者に住まう寄生虫と虫の卵であろう脳の瞳が生み出されると悟る。しかし、最初から虫が虫として血液にある訳ではなく、虫は血液そのものの意思でしかない。即ち、血液に融け込んだナニカが血の意思と呼ばれる虫となるのだと啓蒙する。

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 ヤーナムにて、誰よりも正しかったのは連盟の長だった。ローレンスより、ミコラーシュより、獣喰らいが真実を啓蒙していた。ヴァルトールが見たそれは確かに在り、血の虫が潜んでいたのだ。狩人を殺した時、獣を殺した時、上位者を殺した時、啓蒙の目で見たあの月光のような光こそ虫であり、意志であり、瞳より他者から喰らうモノの正体。我ら狩人が狩りによって得る最も貴きモノが、虫の本質。血に溶けた虫こそ血質。

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 獣と狩人と上位者の全てが、血液由来(ブラッドボーン)の力であった。

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 そして、その何かを誰かが血液に溶かしたのだ。それがまるで病のように巡り、ヤーナムの悲劇は起こった。狩人は血液由来の神秘を解明し、人造された血の虫になる前の正体を知らねばならない。

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 上位者を作り出した根源を知ること。赤子の赤子から生まれた赤子は、自らの人間性を悪夢からついに啓蒙した。

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 最後の狩人は、狩りを始める。その為にまず、自分の悪夢を脳味噌に入れるべき寄り代が必要だ。それこそ悪夢を観測する資格有る者。その者の天文台に観測されたと悟り、使者を送り、面白い逸材を発見。彼女には天啓が必要であり、星の宙よりヤーナムの宙にこそ相応しい。狩人と同じく、生まれるべきではなかった女。生きる価値を見出せない女。人生に意味が生まれない女。その運命を抱いて死ぬべき女にこそ、狩人が啓蒙するに値する素質。

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 オルガマリー・アニムスフィア、十四歳。魔術協会が封印する都市の名を何故か思い出し、あるべきモノがソコにあると思い込む。遠くより彼の忌まわしい血の地を覗き込み、何かに見られたと脳が疼く。血の楔が魂に穿たれた。

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 父の研究を盗み取り、オルガマリーは英霊召喚の儀を強行。理由はなかった。意味もなかった。亜神を呼ぶには魔力は足りず、その身と魂は英霊に一切適応せずまま、その上で個人の魔力だけで儀式を行う。だからこそ、呼ばれる者もいる。純粋な呼びかけにこそ、応える上位者がいる。

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 蛞蝓がいた。小さ過ぎる小人に運ばれる虫がいて、魔力なんて何も感じないのに、サーヴァントの気配もないのに、英霊には余りに程遠いのに、彼女は迷わなかった。輝く蛞蝓は一筋の月明かりになって、彼女の瞳の中へ吸い込まれていった。

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 血液由来(ブラッドボーン)の探求者が、後の天文台の狩人が、呼ばれた狩人の夢にて最初の狩りを行った。悪夢が晴れるまで、時さえ止まった夢を彼女は流離った。しかして、現実の目覚めは一晩の眠りに過ぎなかった。

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 アニムスフィア家、次期当主である一人娘が頭のヤベー魔術狂いの狂魔術学者だと協会で恐れられる。更に売られた喧嘩は全て買い、魔術師に呪文を思考さえさせず、無造作に胴体に収まる全ての臓腑をバラし奪った。そんな魔術師、魔術師じゃないわ。

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 魔術の研究? そんなものは脳内の思考実験で充分過ぎると笑い、段々とアニムスフィアの家業を手伝い出す。まぁ実際、悪夢の中ならあらゆる魔術事象の条件を達成させて魔術が使えたので、魔術に研究資金を掛けることなく実験可能。同時に、啓蒙の瞳に理解できぬ神秘なし。自分自身の魔術探求もまた深まる。

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 父、娘に愛着などないが、純粋に有能なオルガマリーに必要になるだろう魔術を教えつつ、それ以外の家業でも頼るようになる。また父が南極でのカルデア運営に専念するため、魔術師としてのアニムスフィアの研究を引き継ぐ。

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 ロマニ、旅する中、求道者ガトーと意気投合する灰と出会う。3人は何故かエジプトで邂逅し、誰かによって甦った呪われし暗黒のファラオを倒し、封印。三人が一息している中、ピラミッドを見たガトーが行き成り、ソロモンよ私は帰って来たと意味も無く叫び、ロマニ一瞬だけ心肺停止。灰の人、同調してソロモンのコンペイトウと叫び、ロマニ更に困惑。

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 何故かその三日後、平気な顔してファラオ復活。しかし、土下座して命乞いをし、相手が油断した隙をついて糞団子を投げる灰にロマニ、人生最大のドン引き。ガトー、糞団子がついて発狂する敵に、何ら構わず火炎瓶投擲しつつ、灰から借りた覇者の指輪で唐突にインドで学んだカラリパヤットを悟り、ミイラに殴る蹴るの暴行。ついでのロマニ、灰から投げ渡された炸裂連射クロスボウを撃ちまくる。暗黒のファラオ、その正体を明かせず勢いそのまま死ぬ。とは言え後のルルハワにて、正体が明かされる。

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 後のロマニ、人間の限界と無力感からカルデアに行き、マシュと出会う。とは言え、別にそういうの関係ない人間がいるのも知る。

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 ヘッドハンティングなマリスビリー、ロマニから聞いた話で興味を持ち、灰の人をカルデアに誘う。成功。元より大胆且つ慎重な好奇心の塊なので、基本的に面白そうなら取り敢えず肯定する灰。そして、ガトーも勧誘されたが断る。まだまだガトー、神を諦めず。

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 ロマニ、マシュの教育中に灰と再会。叫ぶ。マリスビリーにキレる。灰、面白半分で情操教育中のマシュにデビルマンの漫画を渡し、ロマニがデビルマンに。

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 オルガマリー、父親が南極のカルデアに居ることを良い事に、好き勝手に行動。

 ↓

 マリスビリー、死す。オルガマリーが当主になり、カルデア所長に。

 ↓

 所長、父と怪しい関係だと思っていたロマニと念入りに話す。後、髭のおっさんからモナリザな美女になった啓蒙高いサーヴァントとも出会い、何故か啓蒙アップ。そして、仕掛け武器マニアの所長、ダ・ヴィンチの天才性によって瞳が更に刺激される。

 ↓

 レフに親近感を所長は覚える。彼はよく隠し事はするが、人間であれば在る筈の偽善が一切存在しないことに驚愕。他者への深い憐憫こそ人間の証であり、彼の優しさの源。また引き籠りの魔術師ならいざしらず、魔術師として社会の中を生きていたとは思えないほど、レフと言う魔術師は人に真っ直ぐであった。中年のおっさんにしてはかなりピュアで、マシュと接する彼を見れば人間性も良く分かる。且つ何事にも優秀で仕事も直ぐ終わらせた上に完璧なので、めっちゃ信用する。所長、むしろこいつが所長すれば良くねと思うも、我慢。しかし、彼を代理にして仕立て、南極から啓蒙深める為に外出する計画を一秒もせず考え付き、実行可能な準備を直ぐ整える。レフ、所長の思考力と行動力に戦慄。

 ↓

 所長、マリスビリーの遺産であるマシュ・キリエライトの現状を把握。多分あの英霊、マシュを殺そうとすれば絶対に起きる女好きなタイプだと啓蒙したが、取り敢えずロマニに任せる。それに人並み程度の寿命が欲しいなら、あの父の娘として責任があるとか周囲に暗黒説教しつつ、愉悦な気分で気楽に輸血すれば良いとか思ってた。素で鬼畜、所詮は狩人の赤子である。

 ↓

 Aチームであるクリプターと交流。父親の思惑を啓蒙し、だが尚の事、アニムスフィアであるならば悪徳も感傷も大願成就の穢れにすらならず。尤も、啓蒙にて真なる名を暴き出し、全て理解はしていたのだが。

 ↓

 灰、所長により八人目のクリプターに。彼女に本質は見抜かれたが、正体には気付かれず。

 ↓

 人材を腐らせるつもりはなく、所長はAチーム魔改造を開始。カルデアにおける楽しい趣味に。

 ↓

 所長に眠る狩人、灰から血の意思に近い何かしらを啓蒙したが、諸悪の根源だとは断定せず。しかし、漸く見付けた手掛かりであり、同時にこの世で最も上位者に近く、あるいはそれ以上の何かであるとは理解する。だが啓蒙にて知ったソウルのラベルたる本当の名、原罪の探求者とは如何なるモノなのか?

 ↓

 所長、サーヴァントの召喚実験を再開。成功例、レオナルド・ダ・ヴィンチに続く英霊を求む。阿頼耶識に抑止力とか関係するサーヴァント召喚儀式だが、来ないなら来るまで座にピンポン連打してこそ夢の後継者。

 ↓

 ダークソウルはダークソウルから生まれた新たなソウルを求める呼び水となった。人の血に溶けた暗い魂の血は、神の水に溶けた暗い魂の血を呼び起こす。尚且つ歴史に名を刻まぬとも、神と竜と剣神を殺めた忍びは、英霊の儀に相応しい。

 ↓

 死して仙郷で眠る不死断ちの忍び、夢の宿り人に召喚された。しかも黒と赤の不死斬り、忍び義手、瓢箪、忍具、流派技、忍びの体術、常在効果、忍殺忍術の全てを揃えた隻狼カンスト完全体。

 ↓

 灰、あいつじゃんと吃驚。正直な話、今まで殺し合った敵の中、前の世界で出会った自分と同じ力量を持つ闇霊、白霊、世界の主以外では、ここまでの強敵はいなかったので良く覚えていた。しかし、その時はダークレイスのコスプレをしていたのでバレなかった。 

 ↓

 狼、取り敢えず所長を主とする。忍びとしてならば、掟の限りは主君に尽くす従者の鏡。

 ↓

 所長、歓喜。嬉しさの余り、鼻歌を一日中。

 ↓

 狼の愛刀は神なる竜の超巨大神剣さえ幾度も弾き逸らす凄い頑丈な日本刀ではあるが、それだけ。死なずの仙峯寺がロバートパパの為に変若の水で鍛え直して神が宿る鎧が相手且つ、まだ記憶を思い出す前の狼の腕前とは言え、斬鉄が出来ない程の最悪の切れ味。金属バッドや鈍器で人間を切断出来る腕前を持つ狼だからこそ、切れ味最悪な刀だろうと人間を何人も斬殺出来た。とは言え、だからこそ余り刃毀れもせず、剣聖が振う不死斬りとも対等に斬り合えたのだが。後、忍びとして殺しの手応えが刀を換える度に変わるのが嫌だったとか。

 ↓

 楔丸、所長が魔改造。自分の新しいサーヴァントだからと実は滅茶苦茶テンションが上がり、要らぬお節介をしてしまった。死蔵されていた血石で鍛え、選別したコレクションの良い使い道と血晶石を入れられるだけ入れる。

 ↓

 狼、愛刀が不死斬り並に凄く良く切れて困惑。でもまぁ、重さや重心に変化はなかったので良し。何時も通りの斬り方で、鉄が空気みたいに切れた。後、自分の血液でも血を纏わせる面白い仕組みが後付けされていたとか。

 ↓

 未来がカルデアスで観測出来ず。

 ↓

 原因調査のレイシフトのため、マリスビリーが集めていたAチーム以外のマスターを収集。

 ↓

 藤丸、拉致。南極へ。

 ↓

 廊下に眠り、盾の騎士とビーストⅣと現代担当の魔神柱と出会う。

 ↓

 カルデア、テロ発生。

 ↓

 プロローグ。啓蒙1。

 




 長い後書きです。と言うよりも、隻狼までクロスさせた個人的感想です。手直しが一通り終わったので追加します。また設定が趣味なので後から雰囲気何となくで改竄もし、受けた感想にも影響されまくって書き直しますが、本編とは殆んど関係ないのでスルーして下さい。

 型月とフロムの考察サイトも読み漁って二次創作設定の妄想具現化しているので、かなり参考にさせて頂いてます。過去に見たサイトですと、クズ底様、アシッド様、ソウルの種様です。動画ですと、ネオバグ様や上級騎士様です。それとフロム動画と言えば個人的にふぅ様。執筆モチベ維持に良く見てます。後、一番好きななろう小説は略 妹様。
 とは言え、自分の世界観設定は考察ではなく、こうすればフロムキャラ全員型月世界にぶちこめるぜ、と言う妄想です。考察を参考にしたこの二次創作の設定です。設定作りの為に個人的ゲーム考察も勿論しましたが、これは考察を書く為の考察ではありません。単語単語で読み漁ってる人が見るとあのサイトに啓蒙されたんじゃねと思うことでしょう。ですので先人様の考察に影響されまくった二次創作執筆用の考察をして、設定を妄想具現化しています。この二次創作の舞台設定ですので型月とフロムを合わせて何でも有りにしてますので、矛盾も多いので白痴の蜘蛛になって頂けると幸いです。フロムキャラ出す説明するの本編じゃ無理やな、と諦めたのでこちらに載せてます。
 この長い二次設定を読んで頂き、本当に本当に、ありがとうございました。


灰(AI画像)
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デーモンスレイヤー(AI画像)
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狩人(AI画像)
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褪せ人(AI画像)
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炎上汚染都市「冬木」
啓蒙1:星見の狩人


 閃光と、高熱。

 飛礫と、爆音。

 下半身が四散するだけには留まらず、散らばった自分の肉片が燃えている。頭部が付いている上半身もまた、炎に焙られて燃えてしまっている。

 

「――――――…‥」

 

 つまるところ、見たままの爆破テロ。死にはしなかったが、痛いものは痛いのだ。

 

「…………悪い、夢ね」

 

 そう呟いてしまった。喉も焼かれ、掠れた声が出た。

 下半身が消えて無くなった女―――オルガマリー・アニムスフィアは、更に残った上半身を焼かれ焦げ、熱と炎で融けた服が彼女の肌と融け合わさりながら、頭部も全て黒く焦げて焼死体と変わらない姿になってしまっているのに、意識を失わずに口を開いた。独り言を、何でも無いかのように洩らしていた。狩り殺した聖職者の獣が、半身を失っても死に切れなかったように、狩人もまた同じなのだろう。重要なのは、生存を諦めぬ意志。生きた狩人として、血を流し続ける意志。それが続く限り、生きる意志が死に逝く肉体へ活力を与える。

 とは言え、だ。オルガマリーは獣ではない。人だ。例え脳が蛞蝓みたいになって瞳が幾つもあろうとも、その体は赤い血が流れる人のもの。死ぬべき時、容赦なく、奇跡なく、ただ死ぬしかない。

 

「あぁ…………ァ――――」

 

 だがしかし、ドバリドバリと内臓が溢れて、一緒に血流が零れ落ちる。切断された胴体から全てが流れ落ちて、なのに―――彼女は、まだ生きている。意志を宿している。

 まだ―――死ぬべきではない。

 普段は持ち歩いている輸血液だが、彼女は自分の夢の空想として、脳内部の異空間と融けた血液の中から、自分の血液を溶かし入れた輸血液の瓶を取り出すことが出来た。この身は既に人からは程遠い“何か”であるため、特別な血さえあれば何一つ問題なく肉体を再生可能。とは言え、狩人の夢にある工房なら兎も角、血の中に同じ血を保管するのは少し血同士で反発し合う。同じく、血を溶かした液体である水銀弾も同じ反作用性を持つ。なので輸血液入りの瓶も無限に体内保管出来ると言う訳ではなく、しかし今は緊急事態なので致し方ないだろう。

 注射針が付いた瓶―――その先端を、心臓へ直接打ち込んだ。

 戦闘中ならばやり易い太股の脈へ素早く打ち込むのだが、今はもうそもそも足がない。ならば、心臓を選択したのは実に正しく、死に際で薄れ掛かる意志がまだ甦るのを彼女は実感した。

 

「だ……大丈夫ですか、所長―――?」

 

「貴女も…‥ね、マシュ?」

 

 近くだった事もあり、所長とマシュは同じ方向へ吹き飛んだようだ。マシュはまだ肉体を所長のように欠損した訳ではなかったので運は良いのだろうが、しかし―――運悪く、下半身が瓦礫の下敷きになっていた。あの質量に押し潰されたとなれば、助かったとしても二度と歩けない。そして、今早く助けなければ、直ぐにも死ぬことだろう。

 

「でも下半身がない人に大丈夫かだなんて、言うものじゃないわよ?」

 

「そう、ですね。でも、もう……何も見えな、くて」

 

「そう……――――けれど、やっと漸くね」

 

「―――……え?」

 

「何でもないわ、マシュ。余り喋らない方が良いわよ、多分貴女は助かるだろうしね」

 

「―――――ふ……ふふ。そうですね。ありがと…‥ぅ、ござ‥…いま―――ゴホッ、ぅ―――ァァ」

 

 マシュにとって、所長とはただ単に悪い人だった。人に優しく出来る悪人だった。けれども、彼女のことを一度も嫌ったこともなく、まるで夢を見る子供のように楽し気な所長は好きでもあった。恐らくはカルデアの所長として悪事に手を染めているのだろうが、それでも所長はロマニとはまた違う保護者であった。

 彼女には―――とても所長は、普通の人間らしく優しかったのだ。

 まるで姉妹を見るかのようなとでも言うべき瞳。無条件の慈しみ。

 その所長が明らかに助かる見込みがない自分に助かると言う。気休めにしかならないのだとしても、マシュは所長が喋る普通の人間の当たり前な優しい嘘が、確かに今味わっている死の恐怖が少し薄れたことに感謝した。

 

「ほら、無理しないで」

 

「は……ぃ」

 

 しかし、所長は見抜いていた。マシュの体内、その中に眠る意志がまた目覚め始めているのを。漸くかと軽口が漏れるのも無理はない。そして、自分の考えが間違っていた訳でもない事も理解した。

 ―――聖杯の騎士、ギャラハッド。

 あの円卓の騎士が復活する。アーサー王伝説において、唯一無二の偉業を為した聖者。父親(ランスロット)を超え、王の使命(オーダー)を超え、願望(グレイル)へ至った者。そして、カルデアの英霊召喚システムの要となり、数多の英霊を呼び寄せる大事な、大事な、彼方に在る人理の守護者へ呼びかける―――触媒。

 マリスビリーにとって、この英雄は触媒に過ぎなかった。今のマシュと言う“ヒト”はもはやこのカルデアの職員であり、職場を同じとする皆にとっても大事な同僚となったが、カルデアと言う組織からすれば何処まで行ってもシステムの一部分。マシュがその道具を使う為に生み出された人材であるのもまた、事実。

 ありがとう。

 本当に、本当に―――ありがとう。

 終わりのピースが埋まるのを所長は実感した。この先の未来もまた、見通すことが出来た。もし本当に抑止力が働くのだとすれば、やはり世界とは悲劇なのだ。今起きた束の間の虐殺劇もまた、人が人の世界を救う為に必要なことに過ぎないのだと、カルデアの“使命(オーダー)”を所長は啓蒙してしまった。

 所長は、直ぐにでも助かる。血の意志も甦った。

 マシュも同様、直ぐ助かる。盾の意志が宿った。

 そして、このまま強制レイシフトが発動することだろう。

 カルデア初のレイシフトによる特異点攻略―――ファースト・オーダーが、今これから始める。それはもはや避けられぬ未来へ続く一本道となった。

 しかし、職員を虐殺した憎悪は忘れない。その事実は本当の感情だ。まだ見えぬ敵。しかし、見定まった敵を、必ず殺す。それでも尚、私の部下、私の職員、私のカルデア、私のカルデアスが、壊れた。そう思いつつ、一人一人全ての顔を覚えており、名前も覚えている所長は、この恨み辛みを受け入れた。復讐は必ず遂げる。

 所長の血へ意志を与えた小さな狩人(ナメクジ)が囁くのだ―――狩りを全うせよ、と。

 

「――――少し……眠るわね、マシュ」

 

「……はい」

 

 だが、蘇生には輸血した血液では足りず、入れた血液も消費してしまった。脳に血が回らず、脳の活動が途切れそうになる。今は喋る気力もない。

 ―――夢へ、落ちる。

 しかし、まだだ。意識ははっきりしている。脳が機能停止しようとも、所長にとって何一つ問題になどなりはしない。頭蓋が砕けて脳味噌が零れ落ちようとも、血の意志によって魂を明らかとする狩人は、その生きる意志が途切れぬ限り生き続ける。しかし、別に死んでも良いのも事実。

 死ぬならば、生きる意志を手放せば良いだけ。

 所長にとって死はもはや普遍。死んでも良い。

 だが、この状況で死ぬのも悪手だった。夢となれば、レイシフトの発動に巻き込まれない。そうなれば、マシュが一人送られてしまうだろう。本来の戦力が一つも足りていない状況を考えれば、マシュは死ぬ。同時にマシュの死はカルデアの死へ直結する。人理保証において必須のパーツであり、もはや替えも利かぬと所長は正しく現状を理解していた。泡沫の身に過ぎぬサーヴァントではなく、生きたギャラハッドの写し身として、人間の生身で生きるマシュが居なくばならないのだ。

 

「…………」

 

 そんな静かな時間、僅かな静寂へ少年が一人迷い込む。人為的な破壊工作が成された危険地帯へ、誰か一人でも助けられればと、そんな淡い望みを持って少年は走り―――既に、手遅れなのだと、一目で理解した。

 彼の前に居たのは、下半身が瓦礫で潰れた少女と、上半身だけが残った黒焦げの焼死体。

 

「……はい。ご理解が早くて、助か……ります。所長も私も、もう……だから、早く藤丸さんも、逃げないと―――」

 

『―――観測スタッフに警告。カルデアスの状況が変化しました。シバによる近未来観測のデータを書き換えます。近未来百年までの地球において―――』

 

 そのアナウンスがマシュの言葉を消した。

 

『―――人類の痕跡は発見できません。

 ―――人類の生存は確認できません。

 ―――人類の未来は保障できません』

 

 悲劇より、更なる悲劇が生み出される。機械から告げられたのは、嘘偽りのない人間の結末だった。人の世が今この瞬間、終わりを迎えたのだと。

 

『コフィン内マスターのバイタル、基準値に達していません。レイシフト、定員に達していません。該当マスターを探索中…………―――発見しました。

 適応番号48藤丸立香をマスターとして再設定します』

 

 ああ、と所長は音にせず呻いてしまう。藤丸立香、それがそうなのかと。一番遅くに見付かった人類が許される限界の適性を見せたマスター候補。そして、今やたった一人戦うことを使命にされるだろう最後のマスター。もしレイシフトから飛んだ特異点から生きて戻ったとしても、逃げる事は出来ない。無論、所長ももう彼を逃がすつもりもない。

 だが、これは何と言う偶然だろうか。

 最後の説明会において体調が明らかに優れておらず、レイシフトの安全を考えて休ませるように指示を出したあの少年が、まさかそれで破壊工作から生き残る事になろうとは。

 

『アンサモンプログラムスタート。霊子変換を開始します。

 ―――全行程完了(クリア)

 

 やっと所長は、肉が甦るのが分かった。得た血が骨肉に作り変えられ、全身に意志を抱く血流が巡り始める。僅かでも生きていれば彼女はその場で甦る事が出来るが、この状態から意地でも意志を途切れさせず生き抜いたのは初めてであった。普段ならば、直ぐ様輸血も出来ず追撃で死ぬか、そのまま潔く死んで夢に帰っていた。だが、彼女は生き残った。

 そうして、最後の言葉が告げられた――――

 

 

 

 

 

特異点F

炎上汚染都市「冬木」

 

【星見の狩人】

 

 

 

 

 

 ―――始まりは唐突だ。そして炎の中から、獣狩りは始まる。

 星見の瞳を持つオルガマリー・アニムスフィアは、血に酔う一人の狩人として己が死へ微笑んだ。

 

『ファースト・オーダー。実証を開始します』

 







 今回はプロローグでした。キャラも余りクロスさせていませんでしたが、これから出していきたいです。


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啓蒙2:獣狩りの夜が始まる

 燃える都市、冬木。そこは特異点となった世界であり、オルガマリー所長が漂着した夜の街であった。

 

“おー……再生する肉体って相変わらず便利ね。しかも死んでも甦れるなんて、敵からすれば無敵より性質悪いもの”

 

 焼け焦げた肉体。しかし再生した事で本来の血肉を取り戻し、所長は立ち上がった。着ていた服は既に破れ、焦げ付き、少し動いただけで体から剥ぎ取れてしまう。むしろ今取れた。

 言うなれば―――全裸。

 頭に黄金三角コーンを被れば、聖杯の遺跡で出会った女王殺しと同じ格好になるが、まだ羞恥心を捨てていない所長にその勇気は一切ない。裸族でもない。しかし、夢で体験した獣狩りの夜において、全裸で高速移動しながら蛞蝓ゲロするカリフラワー生やしてジョジョ立ちする狩人も鐘女に呼ばれたことがあるので、正直ヤーナムではそこまで変態度が高い訳ではない。何せ人は皆、獣だ。そうヤーナムの獣なら、別に裸一貫でも問題ないだろう。

 所長は人間性に溢れた真っ当な魔術師なので、大いに問題だが。まぁ稀にテンション上がって、顔を隠す装備だけしてヤーナムを走り回ったこともあれど、今はそういう場合でもない。夢の中でもない。

 

「じゃあ、さてと―――」

 

 無意味な独り言を止め、彼女は周囲を索敵する。どうやら魔物の気配とサーヴァントが多くおり、感じた限り殺し合いはしていないようだ。なので、脳に融けた蛞蝓である狩人の上位者が持つ異界常識―――狩人の夢の住人である使者へ所長は呼び掛けた。何時も通り不気味なれど聞き慣れると愛嬌のある、あの唸るような笑い声が耳に入る。

 瞬間、足元に白い小人が湧き出る。

 言うなれば、彼らは夢の使者。所長にしか見えぬ使い魔。

 そして、その小人は灯りを支えていた。世界が異界に歪み、狩人の夢と此処が繋がった。その気になれば、カルデアの自室にある灯りへ所長は移動出来るが、まだその時ではない。

 

「――…………ん」

 

 同時に()の中から衣装を取り出す。カルデア内では着たことはなかったが、彼女にとって実に愛着のある衣装。名をヤーナムの狩装束。茶色の外套と服で身を覆い、襟が鼻まで顔を隠し、帽子を深く被り付ける。念の為に戦闘用の下着も収納しておいたので、ノーパンノーブラで戦うような事にもならない。

 私の啓蒙冴えてるわぁ……と、狩人的冗談を思いつつ、次は戦う為の道具が必要。万能性を考え、何時も通り彼女はノコギリ鉈を右手に取り出した。これ一つあれば獣を抉り解き、上位者さえバラバラに刻み切れる。無論、相手が人間であれば血肉を抉り取り、斬り殺すことだろう。同時に、左手には獣狩りの散弾銃。水銀弾がバラけて放射されるので威力は短銃に劣るも、命中範囲と衝撃力に優れている。

 正に、ヤーナムの狩人とでも言うべきもの。

 獣狩りの夜にて、オルガマリーが狩人として血に酔った姿であった。

 そうして、装備を完全に整えた所長の横に何ら音もなく、気配もなく―――男が一人、片膝を地面に突いて待機していた。

 

「あら、アサシン。ちゃんと生きていたの?」

 

「………回生にて」

 

 静かに、その男は佇んでいる。影よりも暗い陰とでも呼べる存在感。気配殺しの腕前は異様なまでに高く、視認していても認識出来ない領域の達人である。それこそ戦国の世において、達人と呼べる侍だろうと視覚外からならば反応出来ず、同業の暗殺者(アサシン)でも気配を察知不可能な程。

 

「そう。貴方が不死で良かったわ。私が召喚に成功した私のサーヴァント、特異点消滅前に消滅しちゃうとか悲しいもの。涙が流れる程にね。

 ……私の裸も、じっくり見ていたようでもあるみたいだし?」

 

 そう所長から見られ、しかしアサシンは鋼の無表情。とても無愛想な男であった。

 

「御冗談を………主殿」

 

 爆破時、所長の隣に居たカルデア英霊召喚四号。それが一言返したアサシンの正体。

 無論のこと爆発に彼も巻き込まれていた。二人は知らぬことだがあの爆薬はサーヴァントさえ殺せるように魔力が含まれる概念的強化がされた火薬で作られており、所長は自分のサーヴァントが木っ端微塵に粉砕される様も見ていた。だからこそ、銃弾を何発も耐える所長であろうと、下半身が吹き飛び、焼死体一歩手前の黒焦げになった。

 とは言え、アサシンの不死性は所長よりも利便性が高い。死に難い所長も死ねば現実から目が覚め、夢で甦る不死。だがアサシンは死んでも幾度かその場で蘇生し、死に尽くすと回生されずに神隠しによって甦る。

 故にアサシンは死んだ。直後、甦った。

 主が生きていることをラインを通じて察し、だが不死である彼女に対し、アサシンはするべき事はなかった。傷薬瓢箪で回復しても良かったが、輸血によって回復する彼女には無意味。下半身が瓦礫で潰れるマシュに与えても、ただ死期が伸びて苦しむだろうと見ていただけであり、同時に彼女の中にいる何者かの御霊降ろしも察していた。手出しは無用だろうと判断するのも自然。

 今の彼は、静かに今生の主であるオルガマリー・アニムスフィアの隣で佇み、事の成り行きを見守るのみ。

 

「それで、どのような雰囲気かしら」

 

「あちらと……そちらに……」

 

 アサシンは視線を向け、敵の気配がある方角を見た。正確に言えば、自分達に意識を向ける者がいる方角でもあった。また味方も同時に存在する場所でもあり、今正に戦闘が始まろうとする気配が発生している。

 

「ふーん、本当ね。血が匂い立つわ」

 

「………は」

 

「それで……うーん。やっぱりあの人、生きてたわね」

 

「………あの人、とは?」

 

「本名不詳、偽名アン・ディールと名乗るカルデアのマスターよ。しかし、変ね。あの時のアナウンス、再設定されたのは藤丸立香だけだった筈なのに。それとも最初に登録されていたから、事故の影響で飛ばされてしまったのかしら。召喚範囲に居た所為で、巻き込まれた今の私達みたいにね。

 貴方はこの状況、どう考える?」

 

「まずは、敵を斬るべきかと……」

 

「なるほど……そうね。まずは脅威の排除が一番よね、隻狼」

 

 ニコニコと笑う所長から、アサシンのサーヴァント―――隻狼は目を逸らした。何故かこの女性は、自分を無条件で信頼している。その上で、私人としても信用している。恐らくは、その刃で心臓を串刺しにされたとしても、彼女は一切の邪念なく隻狼を死後も信頼するのだろう。

 狂気に達した感情。

 オルガマリー・アニムスフィアが信頼するとは、そう言うことだった。

 隻狼にとって、彼女だけがカルデアで不可思議な女だった。忍び故に女を抱いたこともあり、そう言う情緒にも理解を持つ隻狼であるが、愛なのか、情なのか、友なのか、どのような感情なのか分からない。澄み狂う瞳を持つ女など、忍びの中にも居なかった。

 だから、隻狼には永遠に分からない事だろう。所長はとても単純に、一番最初に自分が召喚したサーヴァントだから凄まじく依怙贔屓しているだけなのだと。そんな子供染みた独占欲が、それ程の狂気にまで達しているなんて言うことを。

 

「何時も貴方は分かり易く、シンプルよ。うんうん、素晴しい私だけの忍びだわ」

 

「……主殿。お戯れを」

 

 内心、その称賛を否定しようとアサシンは考えたが、止めた。確かに、召喚された自分はもう嘗て仕えた御子様の忍びではない。全てを為し終え、責務も使命も無き今、彼は天文台の忍びである。生涯使えるべき御方はあの方唯一人のみだが、次の生涯を天文台で送る今であれば、この召喚者を主とするのも掟に反することでなし。何よりも、忍びの御子様は不死の因果を断つ志を持つお人。幼き身でありながら、葦名より竜胤を失くす意志を貫き続けた主。

 世界を救うのを、拒む狼に非ず。

 世界を救いたいのだと呼んだ一人の女を、今生の主と認めるのも信条に反せず。

 

「とは言えね、まずディールは放っておいて良いわ。普通に魔力や気配の察知が出来るしね。相手が気配を完全に消せば分からないだろうけど、まずは安全に合流する為に、彼女も向かうべき場所へ最初に向かう筈。私達と同じ考えだと思うのよね。

 だから、さっさとマシュの気配がする方へ向かうことにする。それで良いわね?」

 

「御意」

 

「ふふ。貴方、その台詞好きよね……―――うん。それで、そうね、貴方はこれから単独行動をして。あの二人に間に合うよう、少しでも急ぐように。

 そっちの方が私より足も速いし、障害物を跳んで移動出来るでしょう?」

 

「……は。御意のままに。

 しかし……いえ……何でも、ありませぬ。直ぐにでも?」

 

 己が主を一人にすることを不安に思うも、だが主が目の前の狩人であることを再確認。隻狼と同程度の技量を持つ所長を思えば戦力は十分であり、そもそも死なず。従者である自分がこう考えるのも如何かと彼は思ったが、主の命は換えが利く。死んでも良い者を優先せず、死して死ぬ彼らを優先するのが戦力増加を思えば必然。

 死なずの戦士が主ならば、と隻狼は一瞬で納得をする。

 主へ盲目的に絶対の忠誠を誓っているように見えて、実は自分で考えて行動し、主からの使命の意味を自分なりに吟味する。そんな忍びらしくない最強の忍びが隻狼であり、それでもやはり彼は忍びらしく従者として主に忠実であった。

 

「そうね。ふふふ、そうして頂戴」

 

「御意」

 

 その一言を残し、忍びは一瞬で所長の視界から消えた。直後全力で走りながら、忍びはからくり仕掛けの左腕を起動。義手から鉤爪を射出し、高所のビルに引っ掛けて飛び去って行く。更に建物の壁を走りながら跳び、空中で自在に進路変更しつつ、更に移動速度を加速させる。

 その光景を所長はポケーと見守った。

 忍びの技量は理解しており、訓練施設で刃も交えたが、こう言う広い場所での移動する姿は初めて見た。日本の戦国時代で生きていたと本人から聞いたがあの姿を見るに、絶対に建物が少ない時代よりも、コンクリートジャングルと呼ばれる現代都市の方が活躍出来そうだ。しかもあれだけ派手に移動しているのに、最初から忍びが存在していると脳で理解していなければ、あそこで跳んでいる姿も認識出来ない程の気配殺しである。

 特異点F攻略勝ったわね、と彼女は心の内側でほくそ笑んだ。どう足掻いても、忍びが得意とするフィールドだ。あれと接敵する相手が可哀想と思い、やっぱり私のアサシンは最強よ、と所長は表情を変えて微笑んでいた。

 

「うーん……本当、私の忍びってばスパイダーなヒーローよね。そうは思わない、そこの人?」

 

 なので、まずは挨拶を。獣のような気配だが、それでも人の気配でもある。敵であれ、味方であれ、無関係であれ、この街で最初に出会う人か如何なる者か、見定めなければ情報不足。ただただ狩る為ならば言葉など無用なのかもしれないが、今重要なのは些細な事も把握する為の情報だ。

 言葉を交わせば、それだけで膨大な情報を手に入る。

 所長はこんな機会を逃すつもりもなく、戦闘に入るのが避けれないのだとしても、この人物から情報を出来る限り抜き取る予定だった。

 

「…………ぁ、アア。まだ人間が、いたのね? 生きた人間が?」

 

「え、なにそれ。凄く際どい服ね。古い部族出身の英霊かしら」

 

 胸も股間も隠してはいるが、本当にそれだけ。剣と盾を持っていることで戦士だと分かるが、それがないと水着か、あるいは民族衣装の一種に見えることだ。

 

「私は、私は―――……あれ、殺す。そうね、貴女を殺すの」

 

「なるほど。理性は僅かと。資料通りなら、貴女のそれ、言うなれば黒化ね」

 

 サーヴァントの生態系を調査したカルデアの資料庫。本来の性質から英霊が変異するのを、オルタナティブ現象、黒化、反転などと記されていたのを思い出す。確かにあの姿を見れば、そのどれもの言葉が当て嵌まるを実感する。

 何かしらの呪詛により、霊基が黒く染まる姿。

 その呪いが霊体全体を変異させて、形さえ変えてしまう現象。

 所長はマリスビリーの知識を有り難くも有能に使い、今陥っている現状を正しく理解した。

 

「けれどもね、今の貴女ってえづく程に血生臭い。どれだけ人を狩り殺して、何人くらい斬り愉しんだのかしらね。勝利の女王様?」

 

 啓蒙が脳で花開く。瞳がまた強く瞼を開いたのだ。何時も慣れない感覚であり、それこそ狩人が求める神秘の醍醐味。脳が酷く、凄く、とても、恐ろしく、どんなに形容する言葉さえ超えてしまう程に気持ち良い。その啓蒙が黒い女の名をオルガマリーに告げた。

 名を―――ブーディカ。

 哀れにも屍人形として使役される女王の正体。それが黒化したライダーのサーヴァントであった。

 

「殺す。ただ、殺す。ただただ、殺す。死ね、人間。この終わった街に、人間は、死んで消えないとならない―――!」

 

 走り出すライダーを前に、所長は何も構える事もせず。何せ間合いではなく、相手が間合いまで接近して来てくれる現状ならば、今この状態が好機。隙を晒すことで相手を攻勢に回し、その隙を穿つのが狩人の狩りだ。一秒も待つまでもなく近付いたライダーは剣を振り上げ、その勢いのまま振り下し―――発砲音がした。

 一瞬で引き金を引きながら散弾銃の銃口を向け、狙いが定まると同時に散弾を撃っていた。

 相手が避けるタイミングを完全に潰し、盾を構える機会さえ一切与えない狩猟の業。それは正しく徹底的に鍛え抜かれた早撃ちであり、迎撃の為の曲芸撃ち。

 所長にとって散弾銃とは―――盾だ。

 能動的に作用し、相手の動きを止める為の防具。

 脳や心臓を破壊しても殺せぬ獣が溢れるヤーナムにて、血質が宿らぬ銃は獣殺しに至らず。分厚い護謨の如き皮膚すら通らず、貫通したところで鋼鉄の筋肉が弾丸を受け止める。重要なのは急所を的確に潰すのではなく、急所を的確に狙うことで動きを止め、その上で相手の肉体を損壊させる。臓器ごと破壊し、生きる動力となる血を流し出させる。あるいは、その骨格ごと潰して破壊し尽くす。

 

「ッ―――!」

 

 停止させられたライダーへ、彼女は音も無く殺意を込めた一撃を振う。慣れた作業であり、ノコギリ鉈がライダーの腹を横一閃。皮膚が抉り取れ、肉が斬り抜かれ、臓物が露出する。その終わりと同時、鋸が所長の右腕に吸収される。彼女の血に融け、その腕を異形の獣へ変異させた。

 おぞましい威圧を纏う爪。黒く染まり、殺すことだけを求める獣化だ。

 切り裂かれた腹部を更に破壊する形で爪が入り込み、その手が内臓を突き進み、心臓まで一気に掴み取った。狩人が好んで使う殺し方であり、内臓攻撃の始まりだ。

 直後―――何ら躊躇うことなく、所長は腕で体内から殴り付け、後ろへ吹き飛ぶライダーから一気に臓物を抜き取った。

 

「ゲェハァッ―――!!?」

 

 例え人間以上のサーヴァントであろうとも、霊核である心臓ごと内部全てを破壊されれば生き残れない。腹部から吐瀉される内臓が周囲に飛び散り、それ以上に血液が地面を汚す。勿論、所長もまた全身真っ赤に血で染まる。しかし稀にだが、それでも死なぬ化け物がいるのも事実。だが相手が例え不死であろうとも、殺害に成功すれば生きる血の意志を吸い込む狩人は、その者の意志である魂を確実に自分へ吸い込む。死ねば最後、狩人に意志を吸い殺される。

 故に所長は、ライダーの血に流れる意志を瞳から吸い込んだ。

 上位者の血液が蔓延するヤーナムの血とは全く違うが、獣や上位者とはまた違う赤い熱量が所長の血液の中を循環する。

 

“ふむ。初めて殺したけど、サーヴァントってそう言う生き物なのね”

 

 所長は脳内で試案する。幾つものカレルのルーン文字で刻み埋まった脳味噌が、その内臓ごと抉る吸血行為(内臓攻撃)によって所長を多く祝福をする。今この手で殺し、死に、死体ごと太源に融け消えるだろう女―――女王ブーディカの思い出、記憶、あるいは意志は血に融けている。血の意志として所長は黒いブーディカの意志を食し、そして啓蒙が脳の瞳へ訪れる。

 冬木。戦争。七騎。聖杯。暴走。虐殺。汚染。死亡。復活。黒化。

 記録の断片を取り込み、今を理解し、脳を啓蒙した。恐らくは、セイバーに殺された事でまるで生贄のように聖杯へ焚べられ、そこで魂を聖杯の泥に汚染され、また聖杯から強引に復活させられた際、その魂が黒く狂っていたのだろう。

 

“でも、遅過ぎて鈍間でさえない。技が温過ぎる下手糞。

 これじゃあ、業が極まった英霊から程遠い偽物ね。こんな人形、本物の女王ブーディカが見れば、自分から殺したくなることでしょう”

 

 黒化もあるが、あれは一度死んで頭が馬鹿になっている。映画で良く出るゾンビみたいな存在に過ぎない。黒くなる前の女王であれば、あのような血に酔う獣を狩る為の見え透いた一撃、盾で受け流していた事だ。獣狩りの迎撃射撃と、狩人狩りの迎撃射撃では殺戮技巧も違うもの。しかし、より効率的に狩る為の業は、このブーディカを素早く殺す最適解を導き出していた。

 

“さて、ね。まずは皆と合流しないとならないわね”

 

 思考の瞳が街を見渡すも、そもそも忍びと所長は視界を共有可能。また視覚のみならず、聴覚や嗅覚も同調する。天文台の忍びは、既にマシュと藤丸立香の確認は出来ていた。やはりと言うか、マシュはデミ・サーヴァント化に成功した模様。先程狩ったライダーと同様、中々に破廉恥な格好をしていた。流石にアレはマシュの趣味ではないので、恐らくあの英霊の趣味なのだろう。伝説的な父親の節操の無さを考えれば、欲の意志も親から子へ継がれるのも道理だと理解した。狩人の意志は何時だって正しい啓蒙なのだ。

 そのまま分割思考を使い、自分とは別に忍びの目を観察する思考回路を形成。

 視界を使ったまま気配を探り、今の自分の位置と合流地点の位置を照らし合わせる。

 

「―――――――……ん?」

 

 視線に殺気。あるいは、憎悪と嫌悪。遠くから監視されていると言うよりかは、直ぐ傍の両目から覗かれているような違和感。所長が初めて味わう視線の焦点であり、高次元から見下されている事を正しく実感。

 つまるところ―――千里眼だ。

 だが、何一つ問題はない。覗き込むならば、視線を辿って覗けば良い。

 所長は全てを見通す千里眼など持たぬが、何もかもを見抜く啓蒙の瞳を脳へ宿しているのだから。

 

“あぁ―――成る程ね。そう言う……でも、見たわ”

 

 そして、その相手も覗き返された事を理解した。視線と視線が絡み、向こう側から視線が切られた。この場は特異点であり、その覗いていた“魔術師”もまたこの特異点Fに居た。見慣れた男の姿であり、ロマニ・アーキマンと同程度に所長が信頼していた相手でもあった。

 

「―――フラウロス……ねぇ?」

 

 姿は一緒だが、名が違う。故にそれは、所長にとって初めて出会う人間である事を意味する。爆破時の状況から裏切り者と断じていたが、正しくそうなのか疑問が浮かぶ。だが、それは問題ではない。持ち主となる意志は兎も角、あの肉体は間違いなく“彼”のモノ。

 しかし、答えは出会えば分かること。今はこの疑問を啓蒙し、考察し、訪れるだろう未来の思案するだけで良い。まずはあの三人と合流することが先決だ。所長は自分の装備品が全て破損しており、マシュか藤丸立香が持っているだろう連絡装置を使い、カルデアの現状を知る義務がカルデア所長としてある。その後、ディールとも合流し、あわよくばマシュの盾を利用することで英霊召喚を行う。そして、最後に特異点Fの元凶を叩く。同時に職員を虐殺した犯人を見付け、報復を全うする。

 安全確保、職員保護、状況連絡、戦力補強、元凶撃破、報復完了。

 この六つを如何に効率的に完了させ、カルデアはファースト・オーダーを終わらせる。現状の目的がはっきり分かれば、戦略もまた立て易い。

 

“あー……―――?”

 

 等と、楽観的なれど建設的な戦略を考えつつ、脅威が迫るのを感じ取った。あの腐れ緑モジャめ、覗き返された腹癒せに何かしたな、と内心で所長は罵りまくる。もはや時間が皆無だと分かり、味方がいる地点へ疾走を開始した。

 

「■■◆◆■■◆■――――!」

 

 恐ろしい獣の雄叫び。それが、その脅威が発した死の合図。

 燃える街から離れた森より、黒く狂った巨人―――大英雄(ヘラクレス)の成れの果てが街へ襲来する。

 






 この作品の所長は狩人様本人ではありません。召喚された狩人様が脳味噌に寄生しているマスターと言う設定です。なので、このような狩人の戦いが出来る魔術師となります。


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啓蒙3:忍殺

 アサシンのサーヴァント――隻狼は街を駆け抜けた。霊体を得たことで生身の枷から外れた身体能力を発揮し、彼は余りに軽い体を動かし、目的地へ急ぐ。忍義手から出した鉤縄はコンクリートだろうと食い込み、忍びは宙を自由自在に舞いながら、一瞬で数kmの道程を踏破した。

 

「―――マシュ!」

 

「先輩ッ………!」

 

「ふふふ。弱い……弱いですね。とても同じサーヴァントとは思えない」

 

 ビル崖下の敵。地上数十メートル上空へ躍り出た忍びは、その忍びの目にて、二人と一体を視認。戦闘中であることも確認し、正に絶殺の好機にして、忍殺の機会。戦闘に意識を割いている相手を不意打ち殺すなど余りに容易く、こうして忍びが落ちているのにも気が付かない。

 ―――邪念は不要。

 ―――気配を殺せ。

 無念によって殺意さえ死に、殺気も風へ融け消えた。

 一切の音なく落下し、同じく鞘から楔丸を抜く。体は風を切りもせず、一直線に目的へ迫った。

 

「――――――」

 

 ―――忍殺に専心する無念。

 最初に殺意が漏れ出す刃を振えば、達人相手であれば落下途中に気付かれる可能性有り。忍びは右手に刀を持ちながらも、忍義手を鎌を持つ女へ差し向ける。直後、流れるように首へ絡み巻き、相手に一切抵抗する素振りさえさせず、気管と血脈を抑えて身動きと同時に意識さえ動かせぬよう、まるで屠殺する鶏の首を捩るかのように締め上げた。

 察知も出来ず、殺意さえなかった一瞬の出来事。

 鎌を持つサーヴァント――ランサーは何事が起きたかも判断出来ず、忍びを軸に首から回転し、視界が一回転させられる。意識が漸く事態に追い付く頃には、後頭部より地面へ叩き付けられた。

 

「―――カハ……!」

 

 その場にある隙間など、衝撃で吐息が漏れる合間のみ。仰向けに倒されたランサーは気が付けば、橙色の衣を纏う男に押し倒されており――――その認識と共に、一太刀の刃が首元を串刺しにしていた。

 

「――………御免」

 

 死を労わるかのように、忍びは優しく刀を引き抜いた。流れ出る命に向けて一握りの慈悲を言葉にし、忍びはただただ殺した相手の死を怨嗟が宿る忍義手で拝む。

 幾度―――忍びは人を殺し、死へ拝んだのか。

 仏と呼ぶに相応しい供養の姿でありながら、殺したのは忍び自身。

 正にその姿、人を斬る鬼の仏。命を殺し、死を拝み、自らの業へ供養する。忍びは義父から伝授された教えのまま、矛盾を飲み乾す無念の境地を忍殺へ体現し続ける。

 

「っ―――――………」

 

 怪物になった自分を殺しておきながら、地上で生きる誰よりも真摯に自分の死へ祈る男。仮初の命であるとランサーは狂った理性で自分の存在を理解しておきながら、まるで人喰いの怪物ではなく、今を生きる一人の人間として殺されたようだと思ってしまった。

 ……死ぬべき時に、死ぬ。

 こんな言葉は死に酔った狂人の戯言に過ぎないと直ぐ様死ぬだろう彼女は考えていたのに、確かに今の自分にとってそれが今なのかと納得してしまった。これ以上の醜態を晒すよりかは、良いのかもしれない。女子供甚振って殺して、その魂を愉しんで喰らう化け物として退治されず、ただただ殺されて死を悼まれる。

 

「…………」

 

 無言のまま残心する忍びを掠れた視界で見ながら、ランサーも同じく無言のまま息絶えた。良くはないが、悪い殺され方ではなかった。そう思いながらも、彼女は忍びを何故か恨めずに、そのまま首元の苦痛も薄れて亡くなって逝った。

 そして忍びは、それを見守り続けた。

 刀を無形の型で構えながら、最後の一片まで命が散るのを拝み続けた。

 そうして、彼は音も無く鞘へ納刀する。義手もダラリと下がり、その忍殺を動く事なく見ていた二人の少年少女へ向かった。

 

「―――何者ですか!?」

 

 マシュにとって、忍びは見たこともない人物。気配殺しで空気に融けていた彼は、同じカルデアの職員でも知らぬ者が多い。カルデアの所長がアサシンのサーヴァントを使役していると言う事は全ての職員が知ってはいても、そのアサシンを見たことある者は限られていた。言わばカルデア七不思議の一つであり、所長も態々部下に自慢するつもりもなく、隣に居る時でも紹介することはなかった。無論、気が付けた特定の人物には、その存在を知らせており、アーキマンやライノール、また同じサーヴァントとしてダ・ヴィンチにも姿も周知させてはいたが。

 よって何も知らぬ彼女にとって、忍びは凄まじい脅威である。あのランサーを容易く暗殺する技巧を見れば、戦いは死を意味した。何よりも、後ろにいるマスターを命を賭して逃がした所で、確実に殺されるのだと。ここで自分が勝たねば、何も意味がないのだと。

 

「…………天文台の、忍び」

 

「「―――はい?」」

 

「主の命より、助けに来た……」

 

「フォウ……!」

 

「フォウさん!?」

 

 駈寄る小さな動物。猫か、犬か、見た目では判断できないが、フォウさんとマシュから呼ばれた者は、一切の警戒なく忍びへ近寄った。

 

「……フォウ殿……暫く」

 

「フォウ、フォフォフォーウ!」

 

「…………は。良く分かりませぬ」

 

「フォーーゥ……」

 

「――……すみませぬ」

 

「フォウ!!」

 

 気にするなと言わんばかりに片足を上げるフォウへ、忍びは目だけ意志を伝える。どうやら人の言葉を理解してはいるのだと分かるが、彼では獣の言葉は理解出来ない。精々がどのような感情を持って接して来ているのか、それが察せられるのが限界。しかしそれでも接し方が今一分からない忍びは取り敢えず何時も通り、ロマニの隠し棚からくすねた美味しいおはぎでも上げようかと思ったが、懐に隠している和菓子全てが爆発で吹き飛んだのを思い出した。無念なり。非常食として何時でも食べたいので補充しておこうと、そう思う忍びであった。

 とは言え、ファインプレーと言えばそうなのだろう。マシュもフォウの親し気な態度から、この男が天文台の忍び―――つまりは、カルデアのサーヴァントであることが嘘ではないと判断した。立香も同じく、鬼神を超えて鬼仏にも見えた忍びに対し、警戒心を解きそうになっていた。

 その時、唐突にププーと立香の腕から音が鳴る。

 どうやらやっと無音を貫いて役立たずになっていた連絡装置が機能し始めたようだ。

 

『ああ、良かったやっと通信が繋がった!!

 藤丸君聞こえるかい、こちらロマニ・アーキマンだ、返事をしておくれよぉ……!!?』

 

「「「「…………」」」」

 

 無言のまま彼はボタンを押し、ピッと立体映像を映し出した。勿論、他二人と一匹も無言であった。

 

『映った、映ったよ皆!!

 ……って、あれ? でも何でそんな無言なの?

 まぁ良いや。でも無事で良かったよ藤丸く―――って、マシュも無事だったかって、えー!? その破廉恥な格好ってどういうことなの!!?』

 

「「「……………」」」

 

「フォ……フォーウ!」

 

 しかし律儀に返事をする人が、いや獣が一匹。彼は多分、凄く良い(ヒト)なのだろう。だがフォウの声で場が仕切り直され、話もそこそこに、カルデアと特異点で情報交換が成された。サーヴァント、特異点、英霊、その修復など、知識不足の藤丸立香は現状をそれなりに把握し、自らが生きる為に必要なことを知った。

 

『それでマシュ、調子は大丈夫かい?』

 

「ええ、ドクター。何時もより万全です」

 

『……そっか。うん、良かった。でも何か異常を感じたら、直ぐにボクへ報告するんだよ?

 些細な事でも、体を守る為には大切な情報だからね』

 

「はい。分かりました」

 

『うん。お願いだよ。それで……そうだね、此方は既に壊滅的打撃を受けている。援護は出来ない状況だと思ってくれていい。

 出来る事も、周辺の状況を監視し、異常を見付けて教える偵察が限界だろう。

 礼装さえ揃えておけば、マシュの盾で抑止力を利用して、特異点での英霊召喚も出来たんだけれども……あぁ、それか所長が居れば――――って、そこに居るの狼君!?』

 

 混乱を収まり、場を見渡したロマニは何故か何時も通り気配殺しで存在感零な忍びを発見した。映像で判断はできないが、バイタル状況を見る為の探査をした際、そこに何かが居る事に気が付いた。そして、その存在を違和感として察すれば、姿も自然と浮かび上がり、まるで幽霊を見付けた人のように驚くのも自然の流れ。

 しかし、忍びが本気で気配を殺せば、それでも見付からぬもの。彼は自然体のまま、気配を隠蔽している訳であった。

 

「……は」

 

『それって―――え!? 嘘、所長生きてるの!?』

 

「……は」

 

『だって、あの場所でしょ!!』

 

 爆破地点の中心部分。あのカルデア所長オルガマリー・アニムスフィアとは言え、木端に爆散して生き延びる道理はないとロマニが思うのも無理はない。

 

「問題ありませぬ。我が主は、死なず故……」

 

『嘘だぁ……!』

 

「……真でございますれば、此方へも向かっておりまする」

 

『――――』

 

 所長のサーヴァントが忍びなのだとロマニは聞いている。実際に見ており、日本人の英霊だからと和菓子のおはぎを上げた事もある。実は結構な食道楽で、無愛想なのに愛嬌がある不可思議な男だとも分かっている。

 だから、それなりの信用は持っていた。彼が居るのならば、所長もまたこの特異点にいるのだと。

 

『―――……うん。そうだね。確かに、そうじゃないと、狼君が生きているのも変だしね。それに合流も出来るなら、君たちの安全度も上がるんだし、良い事だらけだ』

 

「……は」

 

『じゃあ、まずは合流しようか』

 

 取り敢えずは現状把握を完了させた。ロマニは悩みつつも、今最もすべきことを思考する。その彼に一人、同じく悩む少年が声を掛けた。

 

「それでドクター、俺はこれからどうすれば?」

 

『…………藤丸君かい?

 君はマスターだ。君が死ねば全て終わる。絶対に死ぬな。マシュを信じて、支えてくれ』

 

「でも、それじゃあ―――!?」

 

『これは、今の君にしか出来ないことなんだ。良いかい、カルデアが特異点を観測出来ているのも、君が生きているからだ。マシュがサーヴァントの力を維持出来ているのも、君がそこにいるからだ。

 藤丸君は……その、言い方は悪いけど―――要なんだよ。

 本当なら他に47人もいたレイシフト適応者のマスターたちがすべきこと、それを今は一人で背負わないといけなくなった。カルデアが必要とした人材の仕事を、一人に任せなくてはいけなくなった。

 ……こんなこと、プレッシャーにしかならないから言いたくなかった。けど、まだ所長とも合流出来ていない現状、君は絶対に死んではならない。

 出来る限りで良い。だから―――臆病になって、生き残ってくれ』

 

「分かり……ました。ドクター」

 

『ごめんね。藤丸君』

 

「いえ。大丈夫です」

 

『じゃあ、まずは移動しよう。霊脈をポイントにすれば、そちらでの補給活動が可能になる。所長もこっちに来るみたいだし、狼君が居れば場所も随時把握出来てるから、まずは皆の安全確保といこう』

 

「はい、ドクター!」

 

『良い返事だよ。マシュ、じゃ急ごうか!』

 

「……っ―――否。二人だけ、急がれよ」

 

 突如として刀を引き抜き、忍びは何時もと違い、無形の型ではなく、刀を人斬りとして構えた。感じた気配は、この特異点で感じた中で最上位の怪物だと囁いていた。

 ……ついでに、その巨大な怪物に追い駆けられている二つの気配。

 つまりはそう言うことか、と内心で事実を認める。念話で直ぐ様に主と連絡し、だが繋がらない。外部の何者かがジャミングをオルガマリーと隻狼をピンポイントに狙ってしていることを、忍びは悟ったのだ。

 

『そ、そんな……敵性反応、五時方向から急速接近中。みんな気を付けて、凄まじい魔力反応だ!!?』

 

「お早く……」

 

「―――ッ……出来ません!

 私もカルデアのサーヴァント、一緒に戦います!!」

 

「俺も同じく!」

 

「フォーーウ!」

 

「………………」

 

 忍びは、静かに思う。侍でもなく、忍でもなく、当たり前な人である少年と、守る力を与えられただけの無垢な少女。忍びが与えられた命は、この二人を危機から助けること。其れを為すには、此処に居て貰っても困るだけだ。

 だが―――それが、二人が自ら決めた心構えなら。

 人は、自らに定めた己が掟に逆らえぬ。戦うと決めたのならば、もはや忍びにとって言葉は無用。

 

「……承知。

 しかし、フォウ殿はお隠れを」

 

「フォ……フォーウ……?」

 

「はい、ありがとうございます!!

 そうですね、フォウさんは隠れてて下さいね!!」

 

「―――フォ?」

 

「ああ、フォウは俺に任せて!」

 

「……フォウ?」

 

 藤丸はフォウを抱き持ち、マシュの背後へ回り込む。忍びは脅威の暗殺よりも、まずは生存を優先する。あの怪物の雄叫びが鮮明に耳に入り込み、互いに罵り合いながら仲良く走る主とあの女もまた、遠くを良く見る忍びの目で確認出来た。

 言葉にはしない。しないのだが……本当にどう反応すれば良いのか、忍びには全く分からなかった。

 

「◆◆■◆■■――――ッ!!!」

 

「ディール、ちょっと。もう少しは上司を守ろうって気概は湧かないの!?」

 

「すみませんね。そう言うのはちょっと、あれですかね。予定通り、私のサーヴァントを召喚させて頂いてから命令して貰えませんか?」

 

「無理に決まってるじゃない!!」

 

「では、一緒に逃げるしかないですねぇ……―――あ。じゃあ、こう言うのはどうでしょうか。次のタイミングで私が右、所長が左に走り抜けるってのは如何ですか?」

 

「い・や・よ! あの巨人、最初はディールの方を殺そうとしてたのに、今は如何見ても私の方を先に殺そうとしてるじゃないの!!

 しかもなんであんなに激怒してるのよ、絶対バーサーカーの狂化だけの所為じゃないでしょうに!!」

 

「…………ちょっと。まぁ団子を少々ですね、はい」

 

「はぁ!? 団子に何の関係が!?」

 

「ははははは。神の類を見るとつい癖でして。いやはや、巻き込んですみませんね。

 視るからにバーサーカーで狂っていますし、少し当てただけなんですよね。それなのに、まさかあんなに怒るとは思いもしませんでした。スマヌスです」

 

「だから団子って何なのよ!?」

 

「うーん……そうですね。人間でしたら、毎日しているモノですよ。命の巡りと言いますが、成れの果てとでも言えるかもしれません。でも、この星で懸命に生きるってのは、どんなに汚くてもそう言うことですから。太陽万歳ってことで、納得して下さいな」

 

「いやだから何なのよぉもうー!!?」

 

 所長の様子を端的に言えば、本気で怒っていた。凄まじい速度で疾走し、アスリートよりも綺麗な姿勢で障害物を乗り越えながら、街中を一瞬たりとも止まらず走っていた。完璧なスタミナ管理であり、ディールの方も同じく罵詈雑言を厭味に皮肉を混ぜながら返しつつ疾走中。

 しかし、自らの決意を新たに構えたマシュと立香にとって、その光景は色々と気が抜けた。

 凄まじく美しいフォームで走る女二人と、その背後で怒り狂いまくってる黒い巨漢と言うこの世のモノとは思えぬ地獄の如き一枚絵。これを見て、果たしてどんな感想を言えば良いのやら、と。

 

『えぇ~……と。つまり、どう言うことなの?』

 

 ついついロマニが無言のままでいられないのも無理はない。

 

「「―――あ」」

 

 そして、忍びとマシュと立香に気が付く逃走者二人であった。

 

「あ、隻狼よ! 助けて勝ったわ特異点F完!!」

 

「ほら、見て下さい。やはり私の目に狂いはありませんでした」

 

「最初から最後まで、全部貴女の所為でしょ!?」

 

「あ、それと。こう言う場面でネタを入れるのって、結構不謹慎ですから気を付けて下さいね」

 

 瞬間、所長の蛞蝓脳髄に稲妻走る。そもそもな話、カルデアで部下とコミュニケーションするために便利だからと、サブカル文化を布教してきたのは横で全力疾走しているこの女だ。アン・ディールこそ、オタク知識の根源だ。魔術と関係ない日常会話でネタを挟むのが癖になったのも、全てこの女の仕業だ。カルデアで数少ない友人になったこの聖職者崩れが、オルガマリーを愉快な怪人にしたのに、この仕打ち。

 もはや、何もかもが許せない。

 後ろの危機的状況以上に、頭から瞳が飛び出そうな憤怒を感じた。

 

「ハァーッこれ、職員と親しみが持てるようにって、御節介な貴女に言われたことを実践してるだけなんだけど!」

 

「すみません。嘘です。今謝りますね」

 

「な、なんですってぇ……!」

 

「◆◆■◆■■――――ッ!!!」

 

「ヒェ……ほらぁ何かもっと怒ってるじゃない!?」

 

「そうでありますねぇ……」

 

『これは酷い』

 

 ロマニはオルガマリーの性格を良く知っていたつもりであったが、あれが所長ではない素の彼女の狂態なのだと雰囲気で察した。歳相応、と言うよりも更に若い感じであった。それをこんな非常事態であろうとも引き出すAチームメンバー“アン・ディール”の姿も、初めて見ることになった。

 とは言え、ここまで愉快な女性たちとは想像も出来ないのは当然。

 何時もAチームの中でも尚更に特異な存在感を持つ人物で、本人は聖職者崩れだと言っていたが、自動車並の脚力を見ると元代行者であったとしても不思議ではない。

 

「隻狼、早く手助けお願い!!」

 

「―――御意」

 

 だが、忍びに迷いなどない。黒い巨体を忍びの目でしかと観察し、その体幹を把握し、膂力と敏捷を理解。敵に向かって疾走し、一瞬で接触範囲に到達。振われるは、黒い巨人の一太刀だ。

 ガギイィン、と鈍く轟く剣戟音。

 一番前に忍びは立ち塞がり、あろうことか巨人の進撃を一閃で食い止めた。

 だが岩の斧剣は全く動じずに再度振るわれ、それもまた弾き流す。理性のない暴力は一切止まらず振るわれ続け、しかし忍びの刃もまた一切澱みなく弾き逸らす。その場から動くことさえせず、完全に凶暴性のまま剣を振って振って、振るい続ける削岩機のような暴威を流し切った。

 瞬間―――巨人が尚更に力んだ一刀を、忍びは大きく弾き飛ばした。

 合気道にも似た受け流しは巨躯を支える体幹を完全に崩し、忍びは何ら迷わず敵の心臓へ楔丸を串刺した。

 

「―――っ…………?」

 

「■◆◆■――ッ!」

 

 しかし、先端が皮膚に刺さらず。肉を貫き、臓腑を抉るに及ばず。相手がそう言う類だと一太刀で悟った忍びは迷いなく、義手に仕込んだ忍具を起動。巨人もまた刺される事を何ら躊躇することなく、次の一手を迷わず振った。

 斧剣の直撃―――

 

『狼君―――!?』

 

 ―――燃える忍び。

 鴉の火羽を舞いながらも、忍びは巨人の上空へ舞い上がっていた。義手忍具、ぬし羽の霧がらすは忍びを焔の幻とし―――だが、それで終わる忍びでもなし。

 背中に負う二振りの内、赤き諸刃の刀を抜刀。空中にいる状態で刃に凶悪なまでの怨嗟さえ感じる念が込められ、黒い瘴気が諸刃から溢れ出す。巨人を殺しは出来ぬが、燃えるぬし羽は巨人の両目を熱し、一瞬とは言え確実な隙を生み出した。

 ―――秘伝、不死斬り。

 空から落ちる力のままに赤き諸刃は巨躯を切断し、だがそれで終わらず。忍びは更に念を込め上げ、もう一度諸刃を巨人の背後から一閃させた。

 

「…………―――」

 

 そして、忍びに油断はない。命を拝むにはまだ早い。並の生物ならば、不死斬りの黒い瘴気で二度も両断されれば死ぬが、忍びはそう思えず。確実な死を与えるべく、その手に握る刃で忍殺せねば残心からも遠く、己が業にも反する殺し方。死体となった巨人へ一切迷いなく、彼は更に赤の不死斬りを心臓へ刺し込んだ。

 刹那――巨人を押し倒し、足で抑え込み、赤き諸刃を頭部まで疾走。

 そのまま不死斬りは二度も両断された巨人を、心臓から縦に真っ直ぐ切り裂いた。例え不死であろうとも、心臓と脳髄を甦れぬよう断たれてしまえば、後はもう死ぬしかない。

 

「◆◆■……◆■■!」

 

 やはり、巨人は生きていた。不死を見極める隻狼の目は、忍びの中でも特別優れた眼力を持つ。生きているか、死んでいるか、拝むべきか、穿つべきか、その判断を間違えることなど有り得ない。そして愛刀二振りで感じた切れ味からして、その気になれば楔丸の血刀にて巨人の肉は裂けれども、その不死を断つことが不可能だと手応え有り。

 念を込め、死なずの不死断ちを行う。

 黒い瘴気は出さずとも、命ごと不死の呪いを―――断ち切った。

 

「―――御免」

 

 その姿を拝み、命散る巨人を忍びは見守る。例え狂化されて技が鈍り、その上で呪われて業も穢れ、ただ動くだけの死体人形に成り果てた肉塊なのだとしても、忍びは彼から魂を感じ取れた。この巨人が何かを守りたくて戦っていたのを理解出来てしまった。その守るべき幻影に狂わされ、もはや無敵の不死であるだけのモノに落ちてしまっていた。本来ならば容易く忍殺を行える大英雄であらずとも、最初の一手さえ行えれば殺せてしまえる程に、彼はもう呪いに疲れ切っていた。

 御免、と一握りだけ慈悲を忘れず。

 せめて呪いなく不死から逃れられよ、と隻狼は太源に融けながら死に行く狂戦士を見送った。

 

「わぁ……え、凄い。うん、ねぇディール、ねぇねぇ、私の忍びって凄いわよね?」

 

「そうでありますねぇ……いや、本当に」

 

 ―――英霊殺し。忍びの業を初めて見た所長は、興奮の余り螺子が一つも嵌まっていない脳味噌が蕩けそうになる。巧い、強い、素晴らしいと知っていたが、啓蒙で見抜いた以上の業が渦巻いている。隻狼は忍びであるが、神域と言える剣士でもあった。剣聖を超えて、剣神の境地に至り、おそらくはその先にまで辿り着いている。剣神を殺し、その上で更なる技を求め、長い時に埋もれて業を深めた。

 例え大英雄(ヘラクレス)だろうが、武の境地を失くした狂戦士(バーサーカー)である時点で、不死斬りを持つ忍びに勝てる道理など最初からなかった。理性無き不死であるだけの怪物など、諸刃を以って断てば良いだけだ。

 

「でしょうでしょう、そうでしょう。

 アレって、あのね―――私が召喚したサーヴァントなのよ!?」

 

「はぁ……まぁ、でしょうね」

 

 死、そのもの。そうとしか形容出来ぬ黒い巨人―――ヘラクレス。

 啓蒙された叡智を脳の瞳が見詰めた時には、既にもうオルガマリーは手遅れだった。神が英雄に与えたのだろう呪われた祝福はおぞましく、ヘラクレスと言う大英雄を不死の化け物に作り変え、狂戦士の狂気が最強を具現するだけの暴力装置に生み直し、黒く染まった泥の呪詛が脳髄の奥まで犯し尽くし、醜い化け物へ仕立て上げた。呪いに呪詛が重なり、恨みに憎悪が合わさり、狂いに狂気が積まれ、尊厳など一切破却されたのがこの黒い巨人(ヘラクレス)だった。

 ―――綺麗だったんだろう。

 冒涜的なまでに魂を犯された一人の英霊の末路が、オルガマリーにとって啓蒙的未知に見えてしまった。そして、それを全て見抜き、理解し、だからこそ隻狼は一切の無駄なく彼を殺め、拝み、業へ供養した。これ以上苦しむことなきよう、理不尽な神が与えた呪いがまだ死ねぬと彼を苦しめぬよう、その不死を断ち切った。

 人斬りの鬼であり、死なずを不死から断ち切る仏―――それを正しく、オルガマリーは理解した。

 

“狂ったヘラクレス。それでもね……”

 

 ……確かに、所長でも殺せない事はない。技巧を持たぬ暴力に過ぎぬ故、仕留めるのは容易かろう。黒い呪詛の所為か、あの宝具の防御性能も劣化し、魔力も十分でなく、動作も感じる威圧感よりかは見切り易くはなっている。

 神秘が薄れた今の世であっても、あの黒化したバーサーカー程度ならば、まだ倒せる神域の怪物。その怪物狩りを行える生きた英雄も現代にいない訳ではない。非常識なまでに優れた魔法に届くだろう素質を持つ魔術師ならば、巨人の頭蓋を魔力の奔流で吹き飛ばせよう。しかし、それでもヘラクレスは不死身の大英雄なのだ。判断を一つも誤らずとも、僅かに鈍い動きをすれば木端に叩き割られ、足元の地面に赤い染みがこびり付くだけとなる。

 近くにカルデアで最も強いサーヴァントがいれば、その忍びに頼るのは必然だった。何よりも、自分一人で特異点F攻略作戦を強行しようなどと、所長は己惚れた事は一欠片も考えてもいなかった。

 

『……ふぅ。敵性反応、完全沈黙。お疲れ様、狼君』

 

 そのロマニの声で、他の者も安堵の声を漏らす。しかしマシュと藤丸からすれば、行き成り出て来た黒い巨人が、頼りになる忍者が凄まじい早技で真正面から暗殺したので、何が何やら分からない状況に過ぎない。詳しいことを聞こうとあの三人に近付くのも自然な行動であり、不安を抱えたままなのは些か気持ち悪い心境だろう。

 

「ありがとうございました……」

 

「ありがとうございます! その……あの、狼さん?」

 

 立香とマシュに眉を動かして反応を示すも、しかし体は動かさず。何よりも彼は、騒がしい主とその友人にも態度で反応していなかった。

 

「――――――……」

 

 故に、忍びは殺しに心を置いたまま。如何な不死とは言え、この黒い巨人の脅威は完全に去り、警戒する必要はない。

 ……ならば、他にまだ脅威があると言うこと。

 

「いやー、強い強い。見ていたけどよ、オレが手を出すまでもなかったな!!」

 

 それは実に快活でありながら、見計らったような計算高さもある声。 忍びは自然と立香とマシュの前に立ち、その蒼い男を静かに視界へ入れた。

 

『サーヴァント反応だって! 一体何時から!?』

 

「あん、ルーンだよ。ルーン。軟弱そうな声のヤツ」

 

『軟弱……―――え、ボクってそんなに軟弱?』

 

 ロマニへ雑な対応をする青フードの男は、何ら警戒心も無さそうに装いつつ、何時でもルーン発動が出来る状態で忍びへ進む。まるで久方ぶりに出会った知り合いに挨拶するかのように、軽い足取りだ。即ち、殺し合うことが生前から日常だった名残であり、戦士と戦士が殺し合って生き残る闘争が当然だと言う認識の人間。

 ……まるで昼下がりの休憩時間(コーヒーブレイク)と同じ気分なのだろう。

 挨拶をし、冗談を言って笑い合い、相手の武を讃え―――殺すのだ。それが出来てしまえた時代の戦士であり、その地獄で日常を謳歌し、人を殺して名を上げた英雄である。

 

「何奴……」

 

「見た目通り、キャスターさ」

 

「……戯れ言を。その業、槍であろう」

 

 しかし、忍びはそこまで敵対心はない。この男は確かにずっと監視していたが、命を拝む自分の邪魔はしなかった。しかし彼はそう思いながらも、もし黒い不死の冥途を拝む間に不意を突こうものなら、このキャスターへ確実な忍殺を決めるつもりであった。

 忍びにとって―――親は絶対。

 生前に人として己が掟を決めた身で在れど、忍びの業は死後だろうと引き継がねばならない。一握りの慈悲さえ要らぬと笑う鬼ならば、その修羅へ落ちた心へ慈悲を示すのもまた、葦名へ仕えた薄井の忍びで在らねばならないのだから。

 

「ハッ……ちげぇねぇ、その通りだとも。だがよ、それでも今のオレはキャスターのサーヴァントなのさ。

 ―――で、そう言うアンタはアサシンかい?」

 

「……言えぬ」

 

「おいおい、こっちはクラスを言ってるんだぜ。ならよ、そんな見え透いたことなんて隠さずに、情報交換といこうや、な?」

 

「……明かせぬ」

 

「――……くぁー。本気で見た目通りお堅いヤツなんだな、アサシン!」

 

「……」

 

「認めらんねぇからって、今度は無視か!

 成る程、成る程。こりゃまた分かりやすい男だな。面白いほど糞真面目なアサシンってところか!」

 

「……――」

 

「ちょっと、そこの青フードのサーヴァント。私のアサシンをネチネチ苛めないように。

 ……見たところ、私たちも貴方と協力するのも有益だって言うのはわかる。けど、そのままアサシンをからかうなら、話し合いにも応じないわよ」

 

 全力疾走をしていた後だと言うのに、まるで疲れた様子がない所長は、息も切らさずにキャスターを名乗る不審な青フードに近寄る。無論のこと、忍びよりも前には出ないが。その横でニコニコと綺麗な笑みを浮かべつつ、実は腹の底でニヤニヤ嗤うディールもまた、興味が溢れて堪らないと言う足取りでその皆へ近寄った。

 

「ほらな。やっぱりアンタ、アサシンじゃねぇか、な?」

 

「………主殿。お戯れを」

 

 とは言え、忍びの無愛想な面が変わることはないのだが。そして、自然な様子で所長が一番前で男と対峙した。最高責任者兼現場責任者兼カルデア所長として、現地サーヴァントとの交渉の場に出るのは全く以って道理である。

 

「―――で、見た雰囲気。そっちの嬢ちゃんが……いや、姉ちゃんが頭ってことで良いかい?」

 

「そうよ。後、別に私のことは嬢ちゃんでも良いわ。そう言う扱いされたことないし、結構新鮮で良いわね。うーん、でも私が嬢ちゃんかぁ……」

 

「いや、オレはまぁどっちでも良いんだけどよ……―――ま、だったら嬢ちゃんって呼ぶのは止しておこう」

 

「え、何でよ?」

 

「雰囲気的になぁ……いや。なに、そっちの姉さん方、バリバリの戦士タイプじゃねぇかよ」

 

「―――あら。分かりますか、流石はサーヴァントですね」

 

 話題になったので、ディールは自然な態度で口を挟む。この特異点で戦闘行為を誰にも見せていない筈だが、このサーヴァントが相手では無駄らしい。

 

「アンタも相当な狸だな……――やれやれ。魂の腐り具合はウチの師匠を超えてるようだ」

 

「素敵な褒め言葉ですね。そうですか、そんなに私のソウル()って腐って見えますかぁ?」

 

「いや、そこで何で喜ぶんだよ。オレ、結構な辛口評価したんだぜ」

 

「ふふふ。何ででしょうかね」

 

『―――ちょちょちょっと、ちょっと良いかい?』

 

 この話が横へズレていく感じ、所長の悪い癖だった。ついでに、愉快犯が酷いディールも同じ傾向が強い。それを修正すべく、ロマニは入り難かろうとカルデアから交信し、その自称キャスターと話すべく声を掛けた。

 

「あ、なんだよ。優男」

 

『だから、何でそんなに辛辣なのさ………いや、良いけどね』

 

「……―――さぁ。いや、そう言われると、何でなんだろうな。オレもわからねぇが……ま、良いじゃねえか。

 第一印象は今一信用出来ない優男って思ってたがよ、どうやらそっちのブレインは雰囲気からしてアンタみたいだ。身内から信頼されてるって言うんなら、オレの話もアンタが聞いて纏めて聞いてくれや」

 

『―――う! いや、けどなぁ……所長?』

 

「貴方がやりなさい。所長として認めます。貴方がその場に居るってことは、カルデアから指示を出せるのは貴方しかいないって事なんだし。情報を纏めるのもお願いします。

 まぁでも……やっぱり、レフはそっちで死んだのね?」

 

『はい。所長の近くに居ましたので』

 

「………そう」

 

 瞳を瞼で覆い、血塗れな所長は一息だけ洩らす。

 

「―――レフ教授……………」

 

 マシュにとって彼は先生だ。魔術を教えてくれた恩師であり、カルデア職員になった後も先生であった。その彼が死んだと告げられたとなれば心穏やかになる事も出来ないだろう。況してや状況的に、恐らくは多くの知人も死んでいる。

 そして、親しい人が惨たらしく殺された過去を持たぬ藤丸立香には分からない苦悶。声を掛けようとも思ったが、今は止めておこう。彼はマシュを見るだけにし、この状況そのものに集中する。

 

『貴方はキャスターのサーヴァントで、良いんだよね?』

 

「おう……で、アンタらどうすんだい?」

 

『うん。其方の申し出に感謝するよ。取り敢えず、ボクたちで自己紹介としよう』

 

 










 バーサーカーについて。
 森の中→レフの幻影でイリヤのハートキャッチ場面を見せられる→狂気を吹き込まれる→雄叫び→市内へ誘導→レフの目的じゃないがアン・ディールに遭遇→素手で一回殺す→ソウルが吸えない→蘇生→面倒になって逃げる→追われる→何時もの癖で逃げる時に火炎瓶を投げるのだが、間違えて糞団子を背後へ投げた→当たる→更に暴走→全力疾走だ!→ディールの気配を探知したので様子を見に来た所長に遭遇→半裸の巨漢に追われる知人女性を街中で発見→ギリシャ怖い→啓蒙的逃走→ディールが逃げた所長を追い駆ける→一緒に逃げる→本編。

 全てはレフってヤツの所為です。千里眼を見返しされ、バーサーカーを所長に送ってやろうとしたら、完全な手違いで進路途中に居たアン・ディールと合わせてしまいました。





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啓蒙4:人理への呼びかけ

 取り敢えずの問題は解決した。今の段階で解決可能だった問題についてだけではあるが。

 中でもカルデアのコフィンで眠る危篤状態のマスターたちは直ぐ様に冷凍保存し、延命することが何とか出来てはいる。レイシフトしたメンバーの使われた魔力の補充も霊脈から行い、付いた傷も癒し、互いに現状も把握した。

 

「うーん、盾ね、盾。大盾。これが盾の英霊、シールダーってそう言うことなのね。体もスキルも盾相応に頑丈と。

 ―――……成る程。良いわね。

 私のパピーが態々マシュのデミ先英霊に彼を選ぶ訳よね。

 英霊との相性も親子レベルでピッタリだし、サーヴァント化の負担も理論値以内。身体機能の向上も過不足なく、マシュの肉体に適した数値と」

 

「あ、あの……えっと所長?」

 

「ん? 何?」

 

「その……いえ、何でも有りません」

 

 マシュの体をベタベタと触りつつ、うんうんと所長は頷いている。ロマニの代わりに所長はマシュを検診し、悪いところがないか調べていた。

 こうは言いたくないが、結果は異常。何時ものマシュと違って頗る健康だ。まるで、先の寿命を前借りした様な状態。肉体の健康さに反比例して、霊体の方はもう導火線に火が灯っている。死にそうなのではなく、もはや確実に死ぬしかない。眼前の危機に足掻く程、終わりの死に近づくチキンレースとなった。これでは時限爆弾と変わらないだろう。とは言え、想定通りなので、ファースト・オーダーには問題ない。結局の所、このまま任務を続けるしかない。

 所長はその結果をロマニ以外に黙っておいた。彼女の主治医はロマニ・アーキマンであり、余計な横槍は趣味でなし。患者へ何を告げるのか、決めるのは彼の仕事であった。

 

「成る程。シールダーですか。ええ、やっぱり戦いに盾を持たないとか、舐めプ過ぎますものね。良いクラスですよね、シールダー」

 

 その表情をマシュは見たことがなかった。芸術作品を楽しむ画家のようでいて、あるいは玩具を横取りしたい悪ガキのように、ディールはマシュが持つ大盾を見詰めていた。

 

「え、でも所詮は盾でしょ。さっきのバーサーカーみたいな獣が相手じゃ、そのまま押し潰されて終わりじゃないの?

 やっぱり攻撃は避けるのが一番よ」

 

「―――は?」

 

 急にマジギレモードになるディール。情緒不安定と言うより、確固たる信念を穢された戦士の如き気迫である。だがしかし、相手の地雷を明らかに踏み抜いたと言うのに、所長は全く動じず。彼女はちょっとメンタルが強過ぎた。

 

「え、いや。え? 何を言っているのですか?

 戦場では盾こそ命綱ですよ。強靭なる守りは相手が何者であれ、その身を城壁に作り変えるものですから」

 

「何言ってるのよ。盾なんかで防ぐ位なら、銃で零距離射撃した方が戦術的じゃない。直ぐにカウンターで攻撃も出来るものね」

 

「ふふふふ。可笑しな所長、先程のバーサーカーのような相手でしたら、銃なんて効かないでしょう。受けて、避けてのバランスが大事なんですよ?」

 

「えー、効くようにすれば良いだけじゃない。触媒で色々強化すればね、Aランク宝具並の貫通力程度ならば、まぁそこまで難しい魔術じゃないわ。魔力はカルデアから補給されているんだし」

 

「いやいや。それでしたら、それこそ攻撃を盾で逸らせば良いだけじゃないですか。まぁ私でしたら素手で弾き流せますけど、それでも盾を使えば確実ってモノですから」

 

「はははは。不思議なディール。あの暴力の受け弾きなんて技、私の忍びだから出来る技巧なのよ?」

 

「嫌ですね。そもそも、一手で受け流せば良いんですよ。連続的に命を晒すなんてこと、私は余りしたくはないですね」

 

「「………………」」

 

「ス、ストップですストップ!! お二人共、ヒートアップしないで下さい!?」

 

 自分の凄く格好良いナイトシールドの所為で、上司と同僚が喧嘩を始めてしまった。マシュに責任など皆無だが、それでも負い目を感じる責任感の強さが彼女らしいのだろう。

 

「いやね、マシュ。私はカルデア所長よ、ただ部下の話を上司として聞いていただけよ」

 

「そうですよ、マシュさん。別に私は何とも思っていませんから……ええ、本当に何とも」

 

「ほ、本当ですか……?」

 

「「本当本当」」

 

「そうですか。良かったです……!」

 

『…………そういうの、どうかとボクは思いますよ。そこのお二人さん』

 

 自己紹介と情報交換。そのどちらも終えた皆は、外側から視線を遮ることが出来る廃校舎で休憩時間を過ごしていた。まだまだ設備復旧が終わらないカルデアも、特異点F修復終盤に入る訳にもいかず、緊急事態に対応出来ない可能性がとても高い。またキャスターも他のサーヴァントを殺すのに魔力をそれなりに消耗していた。だが、今はもう問題はない。

 理由は分からない。原因も未だ不明。何故か、この特異点Fでは神代に近い魔力濃度である。豊富な太源に満ちた隔離空間であり、キャスターはサーヴァントではあるが、太源から魔力を吸い込んで自己回復が出来る状態にある。その上で、藤丸立香とキャスターは仮契約を結んでいる。現世と強い楔を持てたため、キャスターも回復に専念出来る訳であった。

 

「……はぁ」

 

 一呼吸を吐く程度には一段落。藤丸は色々と溜まった心底の澱を、溜め息にして吐き出した。

 

「溜め息なんてついてよ、どうしたんだ坊主?」

 

 静かな空間にて、座り込む立香へキャスターのサーヴァント―――クー・フーリンが声を掛けた。それは不安の余り思わず漏れ出た音であり、誰かに聞こえてしまった。その声が勇気も戦意もない心折れた腑抜けならば、面倒なのでキャスターも聞こえない振りもしようが、この男は恐怖心を抱いたまま生きる為に足掻く人間性を持つ。

 そんな懸命さから漏れ出る不安ならば、キャスターはその不安を解消する手間は惜しまない。こう言うのは、そもそも話を聞いて貰えるだけで心理面も整理整頓され、これから挑む死闘に悔いなく没頭も出来るというものだ。

 

「色々とあったから、ちょっと心が追い付かなくて。本当、何もかもが初めてだからさ」

 

「成る程、初陣か……ってなると、人死にも初体験か?」

 

「はい……」

 

 命有る者は、死ぬ。人はどうしようもなく、ただただ死ぬのだ。家族と笑い合っていても死に、恋人と共に居ても死に、友人に囲まれていても死ぬ。そして、寿命を迎えて死ぬ。そんな絶対に来る死を、彼は生まれて初めて実感した。

 死ぬのが怖い。これもまた、初めての感情だ。藤丸立香にとって、死の恐怖なんてただのフィクションに過ぎなかった。しかし、それが目の前で現実の出来事となってしまった。

 もはや、生き足掻く以外に生きる術はない。生へ渇望を抱く意志がなくば、あの鎌使いが見詰めて出来上がる石ころのように葬られるだけ。

 

「……俺は、無力な今の俺は何をすべきなのか。やるべき事をドクターから言われても、それは人としての責務に過ぎない。

 けれど―――すべき事が分からないんです。

 何かをしないとと思っているけれど、思うだけに留まってしまって……―――」

 

 言われたのは、生きろと言う一点。死なない事が最も重要なのだと、それは分かっている。分かっているが、その生きる為にすべき事が自分には有る筈であり、出来る事を見付けなくてはならない。つまるところ、藤丸立香にとってこの現状こそ、正に生き地獄である。

 ただの人間が、首元に死神の鎌を添えられたまま、ただただ生きろと言われているのだ。

 何もしない事など出来ようか。例えそれが最善なのだとしても、生き地獄で呼吸をするにはまだまだ彼は若過ぎる。

 戦いをサーヴァントに任せるマスターと言う立場。

 無力な人間がそんな立場に陥り、戦場で立たされるなど狂気さえ生易しい。何時自分に死が落ちて来るかまるで分からないギロチンや電気椅子に、ずっと目隠しされて拘束されているのと何も変わらない。これを真っ当な精神性でやり続けろと言う人間がいるならば、脳味噌が腐れ膿んだ蛞蝓に過ぎず、誰の心も理解出来ないイカれた異常者であり、その人間こそ人外の鬼畜生となろう。ロマニはそれが分かっているから、何も言いたくなかった。しかし、藤丸立香の生命を守る為に言わざるをえなかった。彼は人の為ならば、鬼となれる人だった。

 そして、これが続くならば―――人は、狂わずにはいられない。

 戦う手段を一切持たされず、生きる意志のみを胸に抱き、命を賭した戦いを続けれるモノではないのだから。

 

「なんだ、じゃ話は簡単だぜ?」

 

「――え?」

 

「まずは生きろ。この地獄を生き抜け、坊主。何を為すにも、何かを為そうとするのにも、それが出来なきゃ悩めもしねぇからな」

 

「でも、それじゃあ……それじゃ、駄目なんだ。駄目になりそうなんだ」

 

「―――……ああ、分かってるさ。此処に居るヤツは、その気持ちを分かっている。

 中には分かった上で何も想わない腐った外道も居るにゃ居るが、そいつもそいつなりに要の坊主を気遣っている。けれどよ、それでも生きるのさ」

 

「生きる……―――俺、が?」

 

「ああ。アンタが、だ。

 ……そのなんだ、オレも英雄と呼ばれた戦士。戦いは好きだし、殺し合いは得意分野だ。別に頼ったって構いやしねぇぜ?」

 

「生きる為に、頼る……でも―――」

 

 マシュに守られている。その実感があり、それが彼が自分の命を握り締める一本しかない綱である。生きるには誰かを頼るしかなく、そして頼った誰かを死地で戦わせると言うことだ。

 焦りしか、ない。

 あの少女を傍から見る事しか出来ないなんて、それこそ生き地獄。でも―――

 

「―――ああ。頼るだけじゃあ、生き残れやしねぇ。それが戦場ってモンだ。

 でもよ、それをどうするのかばかりは、やっぱ坊主が死に物狂いに生きなきゃ手に入らねぇものだ。オレのそれを言葉にしたところで、アンタには意味がないしな。

 んでよぉ……そこの、アサシン。アンタも何か、坊主に言いたそうにしているが?」

 

「……俺が、か?」

 

「おうよ。気にしてるって顔、すげぇ浮かべてるぜ」

 

「むぅ…………そうか……」

 

 忍びは、そも言葉を受けて熟達の忍びになった訳ではない。殺し合いで業を覚え、殺して技を得た。師の教えはあれど、それは絶対の掟。その掟を言葉にする事は実に容易いが、それはクー・フーリンが言った通り、悩める藤丸立香には意味がない。となれば、そのまま思ったことを口にすれば良いのだろう。

 

「藤丸殿。我ら忍びは……背負う者。しかし……お主も、背負う業を持つやも知れぬ」

 

 忍びは―――いや、人間に過ぎなかった狼は、そう決めて忍びと名乗る。背負うべき業を背負い続ける。それは自らが定めた掟以前の意志である。そして背負うことから逃れるには、死あるのみ。そして、死んだ者の業も背負い、薄井の忍びは只人には見えぬ浮かぶ形代として死者の業を得る。

 故に、狼は全ての死を背負った。

 掟を貫く忍びの意志は、そう在らねばまず得ることはないのだ。

 

「だが……自分で、それは決められよ」

 

「それは、どうして……?」

 

「自らを縛る掟は、自ら選ぶのだ……人として、そう在れ」

 

「ハ―――ハハハハハハ!! 

 そりゃそうだよなぁ、アサシン。全く以ってアンタの言う通りだぜ。我らケルトの戦士も同じだ。生きる為に戦うにしても、その生きる理由がきっちりなけりゃな?

 死にそうなら誰だって、まずは生きる為に戦い抜くもんだ。

 そこから更に這い上がろうってんなら、自分で決めるのが一番ってことだよな」

 

「………そうか」

 

「んだよ、アンタ。自分で言ったことだってのに、自信なさげだぜ?」

 

「功徳は積むも……俺は、人徳を得ぬ。正しさなど……――有り得ぬ」

 

「は――――!

 なに言ってやがる。んなことは、オレだって同じさ。ゲッシュを誓って戦士の信条ばかり貫き、他は何でもかんでも蔑ろにし続けた。自分がそれで死ぬのもどうでも良かった戦狂いだ。けどよ……ま、良いじゃねぇの。他に道なんて無かった口なんだろう?

 アンタもオレも正しさを、正しいなんて思う程、殊勝なヤツに育てられた訳じゃないんだからな」

 

 とは言え、子供時代のクー・フーリンをまともに教育出来る大人など、そもいなかったのだが。正味な話、自分流で自分勝手に成長した男である。影の国にて師匠と出会いもしたが、教育者と言う柄には程遠い腐った魂の持ち主であり、見習う所も反面教師とするべき所も多い人……と言うより、生きた女神であった。

 生前を思い返せば、積もる思い出も二十数年分。

 命短く駆け抜けた人生は、本当にアッと言う間だったのだろう。

 

「む……」

 

「はっはっはっはっは! 暗殺者なのに、嘘を吐きたくねぇってダンマリか。その境地に至ってるつーのに、存外まともな精神なのな、アンタ」

 

「…………」

 

 正直な話、二人の話は参考にはなったが、何かを決意するまでには至らなかった。立香にとって、やはり直ぐ様に何かが変わるような事はまるでなく、只人としてコツコツと何かを積み上げる事で手に入る志が、彼が生きる意志の核となるのだろう。

 

「……それじゃあ、参考までになんだけど、何をすれば良いと思います?」

 

 なので、この質問は不意に出てしまったもの。

 

「そりゃあ、まずは鍛えるんだな」

 

「……ああ」

 

「え、筋トレ?」

 

「それだぜ」

 

「まずは、藤丸殿……その血肉、鍛えられよ。生きる意志も、自然と湧き出よう」

 

「万国共通の鉄則だもんな。戦士なら、自分の肉体に自信を持つもんだし、鍛え抜けば愛着も湧く。体が心に追い付かなけりゃどんな危機も、それがなきゃ死ぬのが道理ってもんさ。

 ……なので、そうする為にもよ、話は最初に戻るが生きなきゃなんねーってこった」

 

「―――成る程。まずは、筋肉。意志も湧くか」

 

 啓蒙が花開く。狩人のそれとは違うが、やはり無知の精神からは程遠いもの。白痴では生きたいと願う意志も抱けぬものだ。

 

『皆、英霊召喚の準備が整ったよ!!』

 

 しかし、立香の思考もそれで途切れた。ロマニの声を聞いたことで、彼の意識もこの現状に集中される。

 

『いやぁ助かりましたよ、所長』

 

「当然よ。私ってば、カルデア所長なの。この程度の術式、もっと良い感じに改造済みよ」

 

 準備万端と言う訳ではないが、一通り召喚準備は整う。異常なまで優れた魔術師である所長がいることで、マシュの大盾を触媒にすれば、この特異点限定で英霊召喚が行える魔法陣が血液と魔力で描かれた。これで人理崩壊に対するカウンターとしてサーヴァント召喚がこれから可能となる。だが召喚は、一回が限定だ。リソースがまだまだ不足している今、準備出来たのも緊急用即席術式に過ぎず、召喚者にも負担が大きく掛ってしまう。

 となれば、召喚する人物は一人しかいない。サーヴァントと契約しておらず、そもそも最初からサーヴァントを現地で召喚する予定だった者。

 

「では、ドクターさん。私の方も準備万端です」

 

 ドバドバ、と血を流したのに一瞬で治癒し切った所長を白けた目で見つつ、アン・ディールはロマニに返答する。魔力は十分溜まっており、後は呪文を告げるだけで良い。既に呪文は“記憶”されており、何時でも万全に詠唱可能。今直ぐにでも唱えてしまえば、その魂と相性の良い魂を持つ英霊を呼び出せてしまうことだろう。

 ただ彼女はこうも思うのだ―――呪文を告げねば霊も呼べぬとは不便よなぁ、と。

 殺し合いの最中、彼方から仲間を呼び続ける哀れな召喚師を、その仲間の目の前で殺戮する悦びを思い出しつつ、ディールは脳に保管した呪文を思い返した。

 

『こっちはオーケー。所長の方は?』

 

「大丈夫よ、問題ないわ。やって良いわよ、ディール」

 

「ええ。分かりました。では―――」

 

 ロマニと所長の言葉を聞き、他者から自分の霊体へ喰らい奪った後天的“魔術回路”を起動させる。アン・ディールにはそもそも霊体に魔術回路など存在しないが、必要となれば誰かの魂から奪い取れば良いだけの話。彼女にとって、この世界の魔術と言う神秘文明は実に面白く、最初は探求者として魂が疼いたもの。けれども、それもとことん研究し尽くせば、行き着く所はどんな場所だろうと変わらぬのだが。

 普遍的な魔術師からすれば、喰らって回路を増築するこの女は神以上の魔神だろう。

 だが別段、アン・ディールが暮らしていた国では珍しいことではない。人間は人間の魂を喰らい、自らの魂を思う儘に暗く深化させる渇望の闇を備えた生き物。認識してしまえば、光となって開いた口へ吸い込まれるのも自然な現象だ。

 

「―――素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が火継ぎアン・ディール。

 降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 今はそう名乗る偽りの名前(アン・ディール)こそ、灰になる前の亡者に過ぎぬ女が告いだ賢者の名。原罪の探求者にして、神を暴き、だが届かなかった敗北者。因果に挑み、因果を断たれた孤独の狂人。

 しかし、だからこそ、その探求者が届いた火を彼女は継いだ。

 最初の火などに価値を見出せず、闇の世に答えを求めず、因果を探す為に炉を去った。聖職者に生まれた女の亡者は、旅路の終わりに残った最後のその一つを諦められなかった。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する。

 ――――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 そんな女が、求める者。英霊などとは嗤わせる。嘗て、腐っているからと描かれた世界を焼いて滅ぼした亡者が、聖杯などに願うものか。寄る辺など、あるものか。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。

 されど汝はその血に暗い魂を宿らせるべし。汝、人間の檻に囚われし者。我はその因果を澱ませ沈める者―――」

 

 求めるは、貪り続けたソウルに他ならない。英霊の座と言う神秘有る世界ならば、その中に居る可能性があった。彼女が世界に蒔いた種を引き継ぎ、何かを成して座へ昇った者が。あるいは、反英雄として強引に召された者が。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 光る。回る。魔法陣が、何かを讃えるように光り回った。マシュ・キリエライトに力を貸す英霊の宝具は、為すべきことを為し、今この場に彼方の誰かへ呼び掛ける触媒となったのだ。

 

 

「―――あぁ。まさか、悪夢に召した私を呼ぶ者がいようとは」

 

 

 茫然と、男はそれだけを呟いた。とても静かな声だと言うのに、静まり返った室内には良く響く。英霊の座と似て非なる外側の異界にて、門を開く“彼方からの呼びかけ”を男は確かに聞いたのだ。だから、その男は女の前に呼び出され、まるで人間のような形を無理矢理に強いられている。

 ―――獣のような、歪で希薄な存在感。

 そんな男は自分の内側から湧き出る使命感に戸惑い、だが酔い痴れる。

 狩り殺され、討ち捨てられ、あの悪夢に融けて死んだ自分を呼び出すような事など、この世に存在することが有り得ない。いるとなれば、それこそあの悪夢だけの筈。だが、分かるのだ。この女は我らの上位者よりも尚、深い宇宙の深淵より来た存在であると。男はそう考え、あの悪夢さえ焼き滅ぼす何かを持つヒトが、遂に夢を諦めぬ我ら探求者を呼び出したと信じてしまった。

 

「はい。私が貴方を此処へ呼んだのです」

 

「成る程……―――確かに。

 その知識を今し方、我が脳へ啓蒙されたぞ。しかし、あれこそ正に彼方からの呼びかけ……か」

 

 笑っているのだろう。黒いフードを深く被る男は肩を揺らし、寒気がする敵意でも殺意でもない邪気が、少しずつ漏れ出している。

 

「あら、どうされましたか?」

 

「いや、なに。自分で開発した術にも似たようなものがあってな。まぁ、此方から呼びかけるばかりの失敗品を、無理に再利用したものに過ぎなかったが……」

 

 懐かしみ、省みて、生の実感を味わい……――いや、そうなのだろう。懐かしいなどと、そう思い浮かべるだけの人間性を、彼はずっと喰い殺されていた。悪夢の赤子に囁かれた老いた泣き声が、心を狂わせる獣性が脳の瞳を曇らせていた。

 つまり、それを晴らす太陽のような女。

 悪夢を呵責なく焼き払う程の暗い火の光が、呼び出された従者として繋がった臍の緒(ライン)から激流となって血を沸騰させている。

 

「……いや、すまない。

 これがサーヴァントになると言うことか、なるほど。少しばかり、感傷的になってしまったよ」

 

 まるで、その光景は女王に跪く下僕のようであった。黒い法衣を纏う男は、神を崇める信仰者のように、悪夢を彷徨う狂信者のように、アン・ディールに頭を垂れた。

 サーヴァント―――その名の通り、従僕だ。

 黒い男は死して悪夢に目覚め、悪夢で殺され眠りに落ち、こうしてまた人に立ち戻った。嘗てのように、学び舎(ビルゲンワース)の狩人として、全盛だった神秘学者の形を取り戻してしまった。

 

「我が名は、ローレンス。

 悪夢に朽ちた身、我が主のお好きなように」

 

 堪え切れぬと笑った声が、空気を振わせた。嘗てそうだったように、悪夢より夢の住人は降りて来る。しかし、この邂逅も必然である。

 何故ならば―――宇宙は空にあるのだから。

 

「ええ。こちらこそ、私のアルターエゴ―――ローレンス」

 

 アン・ディールは喜んだ。

 暗い魂の血が、その血に宿る人間性の意志が、ローレンスを祝福していた。






 婦長さん、イラストが美人過ぎるサンタ様だった。嬉しい。しかし、蛇腹剣は浪漫武器ですよね。浪漫聖騎士集団のシャルルマーニュ十二勇士が使っていない訳がない。
 後、皆大好きローレンス登場です。
 一般的には、医療教会を作り上げた開祖の聖人君子です。所業として古都を実質支配した地方新興宗教の支配者でありましたが、彼こそヤーナムの悲劇全ての元凶にして、正体は腐れ外道が腐って死ぬレベルのマキシマム狂人。学び舎で血液由来の力を見出して狩人を作り出し、教会設立後は何も説明せず志願者の一般人に上位者の血液を流して狩人を量産し、嘘吐いて輸血が病の予防になるとか言い、普通の一般市民も実験に使います。オドンが人間の女性を相手に赤子を孕ませ易いよう、血の聖女として人類種の品種改良もする立派な聖職者です。また実験棟では人間の頭を瞳の苗床にするべく大きくしつつ、赤子が産める女性患者にゴースの虫を子宮に注ぎ、眷属の赤子を孕ませて出産させていたあたり、察して下さい。しかも、生ませた赤子が瞳がない無頭児だからと失敗作呼ばわりし、でも秘儀開発にリサイクルするかと開き直るヤバさです。殺した上位者を材料にし、自分が作った眷属さえも実験材料ですね。また孤児院の経営もするボランティア精神溢れる健常者でして、誘拐とかしなくとも実験材料は自分が流行らせた獣の病で両親を失った多くの子供を合法的にゲットして皆ハッピー。そのヤーナム的健全な神秘学者観点から、彼はマシュとか大好きです。逃げて。ビルゲンワースにはロクな奴がいませんね。
 しかしフロム、相変わらず登場する狂人がエゲツないですよね。

 後、タイトルの人理への呼びかけは失敗しました。明後日の方向の、悪夢への呼びかけとなりました。


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啓蒙5:シールドバッシュ

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 即ち―――宇宙は空にある。





 カルデア初の特異点での英霊召喚。本来ならば座にいる本体の複製存在として、サーヴァントと言う霊子と魔力の匣を用意し、分裂することで別個体となった新たなる使い捨ての魂を呼び込む降霊術の一種。亜神とも呼べる英霊を魔術師が御する形で使役する魔術となり、こうして成功すれば死者蘇生にも等しい奇跡となる。

 黒法衣の男―――アルターエゴのサーヴァント。

 明かした名―――ローレンス。

 それがカルデアAチームマスター、アン・ディールに呼び出されたサーヴァントの正体だった。

 

「―――……して、そちらは何者で?」

 

「ええ。そうですね、今はカルデアのマスターをしています。その前は魔術を少々嗜んでいましたが、聖職者をしていました過去もありますよ」

 

「成る程。我が主も元々は聖職者か。実は私も生前は聖職者をしていてな、それもまた縁なのかもしれん」

 

「そうでしたか。でしたら、奇縁もまた奇縁ですね」

 

 一通りの自己紹介は終わり、彼と彼女は相手が嘘は吐いていないことは確信する。しかし、凄まじい隠し事をしていることも確信した。

 そして、感じた雰囲気からローレンスは召喚者に対し、生前に世話になったウィレーム先生を相手にするように、その尊敬の念から畏まった話し方をしそうになる。だが彼が尊敬すべきはビルゲンワース学長ウィレームただ一人であり、尊ぶのは自分以上の神秘学者として高い啓蒙を持つ賢人のみ。例え相手が上位者本体であろうとも、語り合う学者の叡智がないのならば、全てがただの実験生命体に過ぎない。そして、あの小さな学び舎で共に知識と技術を磨いた友人以外に、彼は自らの心を晒すような真似をするつもりは全く無い。

 しかし、そうではないのかもしれない。違うかもしれない。

 アン・ディールと名乗る聖職者の女からは―――学び舎(ビルゲンワース)の学友と同じ探求者の気配がする。

 

『うーん……でも、アルターエゴか。ローレンス……さん、でしたか?

 カルデアではまだ見つかっていないサーヴァントのそのクラスが、実際に召喚された身として、どう言うものか分かるかい?』

 

「―――ほう。中々確かに……あ。いや、失礼。其方の名前を聞いても?」

 

 映像越しではあるが、優男に見えて、恐らくは自分以上の智慧者だと目の前の男を見抜く。あの頭蓋の中に埋まった脳髄には、果たして如何程の神秘と叡智が眠っているのか、実に興味深い。暴きたい。手に入れたい。嘗てそうであったように、頭蓋骨に穴を開けて直接見てみたくて堪らない。人間に血液を与えて調整した後、遺跡の眷属に倣って軟体生物を孤児の脳に寄生させて作ったあの脳喰らいのように、彼の啓蒙を吸ってみたい。

 ……等と言う啓蒙的渇望を抑え、ローレンスは紳士然と対応。

 彼は中々に出来る血に飢えた神秘学者なのだ。知的好奇心のまま行動する倫理観のない学者なのは事実だが、社会性に富んだ極悪富裕層である。

 

『ああ、ごめんごめん。ボクはロマニ、ロマニ・アーキマンさ。そちらの所長から任されて、臨時的にカルデア指令部部長をしている者だ』

 

「成る程。カルデア……―――星見屋か。しかし、その組織が、何故このような悪夢の世界に?」

 

「それはカルデア所長である私が後で説明するわ……―――あ。後、名前はオルガマリー・アニムスフィアです。覚えてね?」

 

「ほう、成る程。承知したぞ。お前が所長か……成る程、成る程。

 ならば、私のような者が呼び出されるのも分かるな。これ程までに業深い魔術師など、人間の領分では許されるものではないからな」

 

『言われてますよ、所長』

 

「はいそこ、お口をチャック。減給します、もうします」

 

『お、横暴だ―――ッ!』

 

「はいはい、今は黙ってて。減給はするけど。で、そのアルターエゴってヤツの詳細、出来る限り喋ってくれないかしら?」

 

『―――ちょっと!』

 

「あ、ああ。構わんよ」

 

 まだまだ学生程度の年齢だった時、ビルゲンワースで親しくした学友達の悪いノリを思い出しつつも、彼は自分のクラスについてその詳細を瞳で覗き込んだ。サーヴァントとして夢の写し身となったが、やはり何事も初めてから始まるもの。自分自身が未知になった知的好奇心を表情に出すことはせず、念入りに情報を収集した。尤も、得られた知識を如何程まで話すかは、彼の匙加減次第ではあるが。

 そうして、それを見守るディール。だが彼女は、もはや全てを見抜いている。文字通り、ローレンスのその全てをだ。

 

「アルターエゴとは……そうだな。もう一つの自我らしい。本体から分かれ生まれた別個の存在だな。インド神話で言う所のアヴァターラのような状態で座に居る英霊を、そのような霊基に当て嵌め、クラスの匣で運営するそうだ」

 

「ふーん。だから、分身の英霊。アルターエゴのサーヴァントね。けれど、アヴァターラっぽいってだけで、貴方はインド出身の英霊って訳じゃないんでしょ?

 ぶっちゃけ、インドしてるほどにインドっぽくはないし。英霊って、そのらしさが自然と上辺まで出るものだもの。生前の魂を核に、その前世の魂に色々と信仰やら伝承が雑多に混ぜ込まれて、死後の英霊って存在に転生させられるような存在だしね。

 まぁ……あれね、人間から英霊に輪廻転生するのは、インドっぽい阿頼耶識の構造ではあるんだけど。そう考えれば、ある意味サーヴァントはサーヴァントってだけで、アルターエゴ(分身存在)で在る訳だもの」

 

「……ふ―――あぁ、その通り。

 生前と違う魂に作り変えられた来世とでも言うべき英霊ならば、違う魂へ阿頼耶識に生み直されたとしても、やはり前世の業は捨て切れない。いや、それ以上に業も人々の信仰によって強引に深まり、その者らしいとでも言う気配を纏うものだ」

 

「そうそう。でも、貴方はそうじゃない」

 

「無論だとも。聖職者ではあったが、奇跡には程遠い男さ。私はな」

 

 むしろ生け贄を捧げる邪教徒だったがな、と内側で嗤いつつも、ローレンスはオルガマリーを観察し続けていた。

 結果、どう見ても狩人だと判断。

 顔立ちや性別は兎も角、狩り装束がヤーナム製で、気配が明らかに遺跡で上位者狩りをしていた者よりも禍々しい。こんな存在は、あの悪夢で自分を狩り()った奴以外にはいないだろう。しかし、だからこそ違和感が強いのも事実。

 

「まぁまぁ……お二人さん、今はその辺で良いでしょう。所長も実のところ、アルターエゴについては察しが付いているのでしょう?

 それをこうやって本人に聞くとなりますと、それはまるで嘘と真の間違い探しをしているかのように見える事ですから」

 

「え、そりゃそうよ。このサーヴァント、生粋の詐欺師よ。まだ嘘は吐いてないみたいだけど、隠し事はしてるもの。それか、人に嘘は吐かない人生縛りプレイでもしてるかね。

 まぁ兎も角、結果どちらでも構いません。

 それは私に見抜かれるって賢しく悟ったから、こうやってノラリクラリとしているに過ぎませんし」

 

 正解である。ローレンスは嘘を吐いた瞬間、頭蓋を銃弾で吹き飛ばされた直後、内臓を素手で丸ごとゴッソリ抉り取られる未来を予感していた。有言実行な上、やらなくても良い時でも構わずヤルのが所長である。

 

「だからこそ、です。貴女は、貴女のアサシンが話したくない事を私が無理矢理誘導尋問で聞き出そうとしましたら……その、どう思います?

 と言うより、どんな行動に移ります?」

 

「撃つわよ、ズギュンと。まぁ、サクっと避けられるでしょうけどね」

 

「…………―――まぁ、良いです。

 聞かなかったことには……うん、無理ですね。聞いてしまいましたけど、ちょっと横に置いておきます。それでしたら、私が言いたいこともお分かりで?」

 

 怨、と空気が澱んだ。

 

「―――貴女は、私を信頼しているのよね?」

 

「―――はい。ですから、貴女も私を信頼して下さいね」

 

 返答を間違えれば即、死に繋がる。ディールにとって何ら思わぬそよ風のような優しい危機ではあるが、その向けられた意志は余りに血生臭く、邪悪に歪み切った瞳の視線であった。それこそ、内側に飼い殺している火が揺らめく程に魂が震えてしまいそうだった。

 

「いいわよ―――信頼する。だって、私はカルデア所長だもの。

 それに部下に一々裏切られて殺された程度じゃ、この不死身の所長は欠片も死にませんから。不死鳥のように何度でも目覚めるもの。今日から不死鳥のオルガマリーと呼んでも良い程よ。略して、不死ガマリー」

 

「まぁ、頼もしいですね」

 

 不死ガマリーとか死ぬほどダサわぁと思いつつ、ディールは表情に出さない良い大人であった。

 

「うわ、如何でもよさげな返答ね……けれど、別に良いわ。そのサーヴァント、貴女がキッチリと手綱を握っておきなさいね。

 ……ホントよ?

 その男、人理保障の為に召喚されたから、こっちだって本当は信頼したいのよ?

 他の召喚方法なら兎も角、今回は私達が特異点で作用される抑止を利用する形での召喚だから、そのサーヴァントも守護者の役割を持ってる筈。阿頼耶識が人理救済の為に選んだ人材でもあるの。それに幾ら強い意志を持つ英霊だからって、現世の人間に疑われたままじゃ、世界とか別に救いたくなくなっちゃうし……義務感だけじゃ、やっぱ働く気力も長続きしないし、いや……うん。騒ぎがこれで収まれば、気にすることでもないんだろうけど」

 

「……はぁ、心配性に過ぎますよ?

 人理を保証する同意する意志を持つからこそ、そもそも彼は私に召喚されたのですから。その前提を忘れてはいけませんよ」

 

 鋭いな、と感心するディール。そもそも人理を守る守護者共になど興味はなく、見出だす価値もなく、呼び出す意義さえない。彼女は徹底して、集団の望みを排除し、それに行使される人間を無意味だと断じる。

 価値があるのは、個人が行き着く人間性の果て。

 限界に到達しても戦い続ける渇望の闇を願う者。

 ならば、その血に暗い魂を宿らせるべし。彼女はそう呪文詠唱の時に呪いを混ぜ込み、更に呪文をカルデアと周りの魔術師に認識させない秘匿の言葉でサーヴァントを召喚していた。

 

「そうかしら?

 でもね……いえ、まぁ仕方ないか。悪行を畏れられた反英雄も、私のカルデアだと召喚対象になっているものね」

 

 なので、所長の心配もまた事実ではあった。発言に間違いはない。カルデアが持つ守護英霊召喚システム・フェイトは英霊とマスター双方の合意があって初めて召喚可能であり、即ち特異点解決の意志を持つ英霊のみがカルデアに召喚される。それがマスターの意志に合意する為に必須なサーヴァントの契約内容となる。

 そこに英霊の善悪は関係ない。召喚された後に行われる所業に対し、英霊は正義と邪悪を問われない。

 だがそれでも尚、カルデアが行うべき人理保証に協力するのであれば―――いや、カルデアを総べるオルガマリー所長は、守護の意志持つ英霊を拒まない。

 そのシステム開発は前所長のマリスビリーであり、オルガマリーもまた術式に改良を加えている。

 自分で作り上げた魔術式を疑う訳ではなく、このローレンスと名乗るアルターエゴは確かにカルデアとの契約を合意したからこそ、マシュの盾を触媒に召喚することが可能になっているのだと、所長は魔術師として知識では理解はしている。無辜の民を様々な理由で虐殺し、更に鏖殺を愉しむような生前の持ち主だろうと、所長のカルデアは人理保証に必要とあれば躊躇わず利用する。

 このアルターエゴのような存在感を持つサーヴァントも、召喚されても問題はなかった。その存在を維持しているのはカルデアであり、アン・ディールのような優れた魔術師であれば、前所長からシステムを引き継いだ“所長”が念入りに開発した令呪で以って自害も容易く行えることだ。その気になれば、反英雄が持つ人間性を令呪で捻じ曲げることで善行だけを強制させるのも不可能ではない。

 

“けれども、ローレンスねぇ……―――”

 

 悪夢で眠っていた燃える獣。あるいは、教区長(ヴィカー)ローレンス。知っているのは聖職者の獣になった初代教区長の姿のみ。同じ名前なだけかと思えば、本人だ。名前を啓蒙された時は殺意なく短銃を早撃ちし、水銀弾で頭蓋を吹き飛ばしそうになるも、無意識の殺戮技巧を強引に所長は抑え込んだ。サーヴァントである時点で、そもそも問題にならない。彼の肉体の支配権はアン・ディールの手の内にあり、つまりは所長が部下に下す命令次第。またいざという時に所長独自の安全対策として、カルデアのマスターが持つ令呪は所長が発動させる権利を持ち、アン・ディールの令呪を使って今直ぐにでも殺せてしまうことだろう。

 だから問題はないのだ―――召喚者(アン・ディール)が裏切らない限りは。

 所長が問題視しているのは、その点だ。一体何処に、あのローレンスとアン・ディールに縁が結ばれるような事があったのか。遠く曖昧な縁であろうと、召喚される因果の有無が重要だ。そして、召喚されたと言うことは、何かしらの召喚触媒となるようなナニカがあるということ。

 それが意図的であった場合、あの医療教会創設者を態々この場に召喚させる理由が不透明。アン・ディールが曖昧な触媒だけで他は相性で召喚したのだとしても、つまりはアン・ディールとあのローレンスが近い人間性の持ち主となる事が推測できてしまう。

 

“―――いや、いやいや……どっちにしろ、大問題。ディールが悪い奴だって言うのは雰囲気で分かってたけど、ローレンスを相性で呼べる程ってなるとね”

 

 どっちにしろ、少しばかり不穏である。希望的観測はしないでおきたい。だが―――サーヴァントを信頼する部下を、カルデア所長が信頼するのも重要な責務である。裏切られた場合、責められるのは自分自身に他ならない。何時裏切られても良いように備えるのも必要で、裏切りの刃が他の者に及ばないようにするのも当然で、その上でアン・ディールの仕事を信用する。

 所長にとって裏切り者は、カルデアを裏切るまで裏切り者ではないのだから。恐らく今回の事件の犯人であろう裏切り者も、死んで詫びれば心情的には赦してしまうだろう。尤も、その在り方と責務から、所長は許しながらも相手を殺すのだけれども。

 

「ところで、他の者の紹介も宜しいか?」

 

 その雰囲気を一切気にせず、ローレンスは所長に問う。まずは知るべき事を知らねば、共に戦うことも出来ない事は、彼も良く分かっていた。狩人同士ならば言葉は不要なのだろうが、狩人でもない人間が相手ならばコミュニケーションは連携に必須である。

 

「オレはキャスター、クー・フーリンだ。宜しくな」

 

「ほう。アイルランドの偉大な英雄殿か。確かに、その勇猛な存在感、頷けるものだ。

 私では精々が野良犬であろうが、其方は正しく気高い狼と言った所か。それに、魔術師としてもかなり博識な様子……いや、キャスターなのだから、当然ではあるのだが」

 

「―――……ほう。アンタは正直な話、外道の類に見えたのだが、オレを語る心意気に嘘はねぇみたいだ。

 かぁ~ヤダヤダ、狸よりも化かし合いが好きなのな。そう言うアンタの雰囲気に合わない事すると、そこの姉さんが更に疑わしい目で見てくるぞ」

 

「自覚はある。だが、本心は本心故にな」

 

 その心に嘘は一欠片もない。ローレンスにとって貴い者は尊び、自分のような醜い狂人は薄汚いと断じている。しかし、それを言葉にすることに何ら感情も浮かばず、自分や相手がそうである事に価値を思うことがないと言うだけ。

 

「そして、貴方がカルデア所長のサーヴァントと?」

 

「…………ああ」

 

「ふむ……分かった。短い間だろうが、戦友となる。宜しく」

 

「…………承知」

 

 無愛想だが何処となく愛嬌も有る忍びを見て、やはり自分に負けず劣らずの奇人変人がサーヴァントになるのだなと納得する。

 

「最後に、マスターとそのサーヴァントと言う訳だな。そして、可愛らしい白い猫…‥犬、栗鼠か?

 見たことがない種類だが、まぁ良い。可愛らしいなら、それで全く良いものだ」

 

「うん。藤丸立香です、宜しく」

 

「はい。カルデア職員、シールダー。マシュ・キリエライトです。こちらはフォウさんです。どうぞ、宜しくお願いします。アルターエゴさん」

 

「フォーウフォ」

 

「うむ。宜しく頼フォウ」

 

「……――え、頼フォウ?」

 

 自分のサーヴァントが凄まじい語尾を突如として使ったので、聞き役に徹していた筈のディールはついつい素で聞き返してしまった。邪悪の権化且つ叡智の化身と言えるヴィカー・ローレンスとは思えぬ言動だ。

 

「んっんー……すまない。噛んだだけだ、マスター。それで二人共、この特異点では特に良く、宜しく頼む。なにせ、私はカルデアの新参者でな」

 

「ははは。そんな事はないですよ。俺だってつい数時間前までは何も知らない一般人だったから」

 

「そうかもしれません。でも、先輩はとても頼りになる人ですよ」

 

「そんな事はないよ、マシュ。いや本当にね、頼りにしてるのは俺の方だから」

 

「―――ほう……」

 

 つまりは、あれか。存在感と啓蒙によると彼は一般人そのままの気配であるが、この少年は何ら特別な事もなく、本当に気配のまま普通であると言う訳か。魔術師として優れている訳でもなく、役に立つ技術者でもなく、何かしらの武術を修めている訳でもない。

 そう考えたローレンスは深く笑みを浮かべ、実に優し気な笑みを藤丸へ向けた。

 

「……それはまた、面倒な事に巻き込まれたと見える。もし決意なく、また意志もなく戦場に立たされているとなれば、これ程に辛い事はない。意志があれば命を賭けるに値する何かを死地に見出せるが、それもなければ処刑台に立たされているだけと何も変わらない。つまりは、君の意志は何も成せない事となる。戦う力がないとなれば、仲間に対する罪悪感も積もるばかりだ。

 どうかね……辛いのならば、自らの為にサーヴァントを――――」

 

「―――いいえ。それでも俺は、此処で戦い抜きます。自分の意志で、生きる為に」

 

 既にこの身は、マシュ・キリエライトが命を賭して守った結果として生きている。ならば、それを見て見ぬふりしてこれから先の人生を生きようとも、そんな人間は呼吸をしているだけの屍と何も変わらない。まだ確かに答えを見出した訳でもないが今の藤丸にとって、マシュの命を自分の命のように大切に感じられる程に、彼もまた彼女を護るべきなのだと思っていた。

 

「成る程。余計な御節介であったか。だが決意があるのならば、自然と戦友になれよう。いや、試すような真似をしてすまなかったな」

 

「構いませんよ。場違いなのは理解しているし、自分の意志もこれから見付けるから」

 

「―――……あぁ、そうか。そうなのだな。

 普通に見えたが、君は苦しくても前を向ける人なのだな。まぁ、弱さと普通は等価では無い故に、不自然な事でもなし」

 

「うーん……良く分からないけど、俺を許したってこと?」

 

「まさか。許す許さないは関係ないことさ。重要なのは、自分の目と耳で事実を実感を伴って確認すること。私が君に意地の悪い質問をしたのは、ただただそれだけの事である」

 

 その時、一人の少女が手を上げた。

 

「あの………」

 

「うむ。何かね、マシュ・キリエライト」

 

 話し掛けて来たマシュに、ローレンスはまるで学校の先生のように名前を呼んだ。レフ教授を一瞬思い返した彼女ではあるが、本来の話す内容を思い出し、聞かねばならないことを彼に聞く。

 

「……アルターエゴさんは……その、もしかして先輩が戦う事に反対なのですか?」

 

 この問答を聞かされたマシュからすれば、実に心配になる内容だ。無論のこと、藤丸が戦うのを拒めば、その拒絶をマシュは拒む事はしないだろう。無垢なまま良き人の感情を理解し、肯定し、人理保証の為だけに短い寿命を当たり前な義務として焼き尽くすのみ。そして、何者にも成れず息絶える。彼女は自分の人間性に無自覚なまま死ぬのだろう。

 しかし、それでも彼女は藤丸立香と言う男の人間性に触れてしまった。それを知ってしまえば、無垢な白痴は啓蒙されてしまい、自分自身から湧き立つ人間性を感じ取れるもの。

 

「勿論だとも。そもそも私は戦い自体余り肯定的ではない。戦うにしても此方の準備を万端にし、熟練の狩人が獲物を狩り獲れるよう安全にしてからだと考えている。

 戦って殺すのではなく、狩って殺すのが私の戦法だからな。

 単純な話、戦闘になってはならないのだよ。互いの戦力が互角か、あるいは相手が格上だろうと、敵を狩猟する獣として扱える戦略が最も好ましいものだ」

 

「―――違います!

 話を……逸らさないで下さい、アルターエゴさん」

 

 彼女は少しだけ疑問に感じていた。何故此処まで、自分は言葉で心を乱されてしまうのか。

 

「ふむ。そうか、建前は無用だと?」

 

「……はい」

 

「成る程。君には辛い事だろうが、私は戦う術を持たない者が戦う事に―――反対ではない」

 

「それは、何故?」

 

 反対されていると思ったが、そうではないようだ。しかし、それならそれでマシュが何故と疑問を浮かべるのも必然。

 

「藤丸立香は、何も無ければ死ぬだろう。災害に巻き込まれた者が、その対処を知らねば生き残れないのと同じだ。況してや、知識も能力もないのではな。死ぬのが全く以って至極当然だ。

 分かるか―――……死ぬのだよ。

 君は自分の命にある程度の見切りを付けているから実感はないようだが、藤丸立香は死ぬ間際、勿論のことだが、苦しみ、痛み、辛く、絶望し、息絶え、死ぬ。死ぬのだ。私が先程言った言葉は、そのまま藤丸立香に返る結末の一つでもある。君は戦いによって敗れて死ぬのだが、彼は狩られて死ぬ事になろう。そこの英雄二人がそうであるように私もな、それならそれで仕方がないと言う結論は同じこと。

 彼がその末路を認めた上で戦うのなら、何一つ反対などしない」

 

 ローレンスと言う人間は、マシュと言う少女にとって初めて出会う人種の狂人だった。嘘吐きの詐欺師なのだろうが、故にこそ“この世の真実”に対してだけは誰よりも真摯であった。それがどんな些細な事であれ、真実として語ると決めたならば、何一つ偽らずに事実のみを伝える。

 マシュ・キリエライトが心乱されるのは当然だ。

 この男は恩人(センパイ)が、どうしようもなく今直ぐにでも死ぬ事を何ら偽らないのだから。

 

「ぁ……う―――それは、私が……私なら!」

 

「そうだな。あぁ、君なら確かに彼を守れるだろう」

 

「―――っ……!」

 

 ローレンスは全く嘘は付いておらず、事実それだけの能力がマシュに有る事を理解している。意志の強さも充分にあることも見抜いている。しかし、マシュ本人は自分自身に一切の自信がない。自然と煽られた風に感じ取れるのは極々普通の感性であり、そう受け取られると分かった上で彼は一切を偽らずに告げている。

 性格が悪い、と所長は視線でローレンスを串刺しにした。何気に相手を発狂させる程の“念”を込めた眼力であり、ローレンスが泡立つ獣性を自分の血の意志で抑え込む程の嫌がらせであった。血が灼熱と煮え滾る前に無表情で沈めたが、後少しで雄叫びとか上げそうであった。そして、そんな所長にディールは静かに近付き、カルデアの監視映像をスローにしないと分からない速度で膝裏に蹴りを入れ、バランス感覚を崩された。俗に言う膝かっくんである。

 自分ではないと見逃してしまうな、と御子(クー・フーリン)忍び(オオカミ)は二人揃って思いつつも、あれは所長が悪いと見て見ぬふりをした。女同士の揉め事に関わり合いになりたくない男の心情でもあった。

 

「シールダーの少女よ。人はな、英雄だろうと自分の命さえ守るべき時に守れない事がある生き物だ。況して、死から守るとなれば、君の命が幾つあろうと足りはしないだろう。

 君もまた―――頼ると良い」

 

 言葉は十分だと分かった。ローレンスが見た限り、彼女には意志が足りない。狩人が血の意志を糧とするように、彼女のような存在にも同じ意志が必要なのだろう。解放するのには、欲するモノを認める意志が重要だ。あの大盾が目覚めるのに重要なのは、精神に他ならない。

 だから、彼は手間を惜しまない。見たい物が出来てしまえば、啓蒙したくて堪らない。きっとあの宝具を見れば、自分に新たな啓蒙の瞳が脳で開くことだろう。その時の快楽を思えば、少女の心を奮い立たせる事など実に容易い誘導だ。

 

「そうだよ、マシュ。君がいないと、俺は死んでいた。それだけは事実なんだ。だからさ、もしサーヴァントとしてマスターを守れなくても、その時は俺の命は俺が責任を持つ。

 だからマシュ、まず最初に自分の命を守ってくれ。

 俺の事はそのついでで良いんだ。マシュがその盾で守るべきモノがあるんだったらさ、その為にも今を一緒に生き抜こう」

 

「あぁ……――――そうですね、先輩。

 こんな私でも、守り抜きたいものがあるんですよ。だから、一緒に生きましょう」

 

 きっと、貴方はまだ理解していないのでしょう。彼女は自分の思いを言葉にせず、けれども決意だけを言葉にした。色褪せた世界に色彩をくれた彼が彼女にとって鮮やかな輝きで、何でも無い事をしてくれた一人の人間。それを守りたいと思う事は、色の無い世界が否定しても間違いでは絶対にない。

 シールダー―――マシュ・キリエライトは自覚した。

 盾の騎士として守るべき“モノ”の傍に立ち、自らが絶対の城壁となることを。

 

「ありゃあ、惚れたな」

 

「そうね、惚れたわね」

 

「惚れたようですねぇ」

 

「ふーふふ、惚れたか」

 

「フォウ、フォフォー」

 

「………………………」

 

『本当、直ぐ要らない茶々を入れる。まともなのは、ボクと狼君だけみたいだね』

 

「……ロマニ殿、何時の間に?」

 

『それは流石に酷過ぎない!?』

 

 最近、人をからかう愉しみを覚えた悪い狼であった。

 

「―――あ、そうでした!」

 

「うん、慌ててどうしたの。何事なのよ、マシュ?」

 

 周囲の人間がどのような反応をしているか把握していなかったマシュであるが、この瞬間になるまでついつい所長へ報告すべき事を言い忘れていた。何せ、人を石化させる鎌女の襲撃からの忍びの助けであり、更に半裸の巨人に所長とディールが追い駆けられていた所からのキャスター出現であり、急務であったサーヴァント召喚と自分自身のメンテナンスがやっと終わった所。この拠点も直ぐ様に見付けだし、急ぎ走り込んだのだから、彼女が自分から話し出す機会が一切なかったのも問題だろう。

 むしろ、このタイミングで思い出せたマシュを褒めるべきなのかもしれない。

 

「所長、私―――宝具が、使えません……」

 

「ふーん、成る程。そりゃ大事ね……って、違うわよ!

 いやいやそれ―――え、だって盾ちゃんと出してるわよね。それってシールダーの宝具よね?」

 

「はい………」

 

「モノとしては宝具を出せるのに、真名解放が出来ないってこと? 真名も、そもそも分からないって事じゃないわよね? まさかまさかの、自分に憑依している英霊の真名も分からないって事はないわよね?

 今からでも嘘だと言っても良いのですよ。全てが悪い夢だったってね、マシュ?」

 

「………はい、所長。

 このマシュ・キリエライト―――全く何も、分かりません!!」

 

「元気に開き直った!!」

 

 この娘、藤丸の所為でハジけたなぁと成長を喜びつつも、マシュの悪影響になるかもしれないと要注意。まぁ、同じAチームにアン・ディールが居たので、ビシバシと人間性に悪影響な事などとっくに受けているのだが。

 

『嘘、どう言うことなんだい。所長、何か分かりますか?』

 

 ロマニもそれには驚いた。憑依自体は問題もなく、デミ・サーヴァントとしては異常無し。本来ならば、宝具の真名解放も問題なく行える筈である。

 

「あの英霊、瀕死のマシュを生かす事だけが目的だったのかしらね。自分を憑依させている彼女は助けたいが、私達カルデアに対しては何もしたくないのかも。けれども先程、その盾は召喚触媒として英霊の宝具として利用させて貰ったから、もしかすればマシュの代わりとなる戦力でも召喚し、その人理保証を承諾した英霊をサーヴァントとして使えば良いって考えなのかもね。

 そう考えば、取り敢えずの一連の流れは道理よね?」

 

『そうなのかなぁ………――うーむ。ボク、彼がそこまで他人頼りな英雄とは思えないんだけど?』

 

「え、そうなの。でもまぁ、マシュに憑く英霊との付き合いはロマニの方が長いから、貴方の考えの方が多分真実に近いでしょうね」

 

『いや、直接話した事はないんだけど……何と言うか、感覚的にさ?』

 

「成る程。だったら、尚更そうなのでしょう」

 

『―――アレ?

 ボクでも自分がかなり曖昧だって思ってるけど、所長は信じるのですか?』

 

「はぁ……駄目ね。貴方ってホント、もう駄目駄目ね。いやね、ぶっちゃけ私より貴方の方が頭良いじゃない。それにそう言う心情的な感覚と言うか、それ系統はそっちの方が勉強してるし、カルデアじゃあその分野だと貴方がトップで責任者なの。

 ―――分かるかしら?

 私の理論的推測なんかよりもね、貴方の経験的予感の方が正解に近いのよ。で、そもそもな話、自信ないの?」

 

『嫌ですね―――勿論、有りますってば』

 

「となると、答えは限られてくるわよね。ふふふふ」

 

 ニィ、と正に邪悪としか言えない笑みをマシュに向ける。今の所長を見れば、幼い子供は恐怖の余り吃驚して心筋梗塞になって死に、メンタルが強い大人でも夜に悪夢を見て失禁すること間違いなし。藤丸など素でひぇとか声が出てしまっている。だが残念な事に、ロマニはもうそんな所長に慣れ切ってしまっていた。

 そして、マシュも同じく慣れていた。Aチームメンバーに無茶ぶりする際、あんな表情を良く浮かべていたものだと懐かしく思う程に。

 

『そうなりますね……―――え、まさか。その所長、ボクが思い付いた事を、貴女の方も考えていらっしゃるとか?』

 

「大丈夫大丈夫。死にはしないわ…………多分」

 

「あのー所長、私すっごく嫌な予感がするのですが。もしかすると、もしかして、もしかしないなんて事はないですよね?」

 

「大丈夫よ、マシュ―――キャスターさん、アルターエゴさん、やってしまいなさい!」

 

 しかし、残念。マシュは自分の嫌な予感が現実になった事を理解した。

 

「んなことったろうと思ったけど、オレも荒療治にゃ賛成だ。命掛けで気合いをいれりゃ、そんな程度の不備なんて吹き飛ぶだろーしよ」

 

「成る程、これがカルデアか。中々に故郷を思い出させる野蛮さだな。ま、整備不良や不具合で動かなくなった仕掛け武器も殴れば動くようになることもある。それと似たような作業だと思い込むとしよう」

 

「ちゃんと手加減しなさいよ。なるべく怪我はさせないように……あ、させても治る程度によ。もしマシュを間違いでも殺したりでもすれば、男の尊厳ごと撃ち殺して内臓ズタズタですからね」

 

「「―――え?」」

 

 明らかに血生臭く邪悪な存在感を纏った短銃を、所長は左手の人差し指でクルクルと高速回転させていた。あんな銃で撃たれてしまえば最後、サーヴァントの霊体だろうと弾け飛ぶ事だろう。そして、こっちの方が問題だが、所長はやると言ったら本当に実行する女。(タマ)(タマ)(タマ)を狙われる恐怖でクー・フーリンとローレンスは一瞬だけ硬直するも、直ぐに動き出した。

 何分二人共、何だかんだでシールダーの大盾には興味深々である。マシュ・キリエライトが覚醒するのであれば、自分達にとっても良い娯楽となるのだろう。

 

「ちょ……ちょっと待って下さい、所長。

 私、まだまだ覚悟が全然完了出来ていないのですけど―――!」

 

「大丈夫よ、問題ない。私は出来ているもの」

 

「所長は関係ないじゃないですかぁ!?」

 

「安心しなさい。大盾の真名解放がなった曉にはサーヴァントとして十分戦えると判断し、一日千回のシールドバッシュを訓練として申し付けます。素振りの動作が加速すれば、もっと数も増やしましょう。目指せ一日一万回よ。既に完成された英霊の写し身であるサーヴァントは成長出来ませんし、無価値な行いでしかないけれど、人間であるマシュなら修行することは問題ないからね。

 ――――これを利用しない手は全く以って有り得ません。

 ああ、素晴らしい光景が見えるわ。攻撃手段が乏しいシールダーが憑依した英霊だったら、そもそもマシュが成長すれば良いだけの話だもの。後でカルデア製の武器も与えて、盾術の技巧も修練させて、ついでに基礎である体術も一から鍛錬し直しよ。サーヴァントには不可能な問題解決方法よね。

 良かったわよね、マシュ。ここを生き残れても、勉強することが一杯あるんだもの?」

 

「………せ、せせせ、せん……せんぱ―――先輩!!?」

 

 藤丸立香は、目を逸らす事しか出来なかった。

 









 ここのカルデアはかなり愉快なAチームになっています。マリスビリーが死ぬまでは原作通りでしてたが、脳味噌蛞蝓所長が来た所為か、能力が有る人物には更なる能力向上させる為にディスイズスパルタでした。中でもAチームメンバーは魔改造と呼べる程で、いざ守護英霊システムが駄目でサーヴァントがいなくても何とかなるように、所長が思いっ切り弾けました。またその暴虐に誰も逆らえませんした。魔術師としてぶっ飛んで有能な上に、素で強く、現代兵器や機械全般にも詳しく、まるで未来予測しているかのように金銭感覚も優れているという阿保みたいな化け物でしたので。勿論、マシュもその犠牲になってまして、平気な顔をしているのはアン・ディールだけでした。
 ……え、カドック君? そもそも劣等感など感じる程、余裕がある生活なんてAチームに所長が許す訳がありません。人理保証任務の為、彼はマッチョになりました。片手で大砲を持ち、もう片手でガトリング銃が撃てます。本人も南極へ何しに来たのか忘れていますが、多分レフのテロした御蔭で思い出している可能性もなくはないです。



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啓蒙6:大空洞

「すみません、先輩。私は、もう駄目なようです……」

 

「マ、マシュ―――!」

 

 地面に倒れ込むマシュを抱き止め、藤丸は悲壮な顔で叫び声を上げた。何と言う暴虐、何て言うおぞましき所業。たった一人の少女を相手に、大の男が二人揃って暴力を振うなんて、そんな事が許されて良い訳がない。彼が暮らしていたある程度は平和を維持していた日本国と言う国家において、個人よりも法律が優先される法治国家では有り得てはならない光景なのだろう。尤も、この冬木も日本であるのだが。

 だが、そんな事は如何でも良いのだ。今の彼にとって、彼女は自分を助けてくれた命の恩人。その彼女が不当な暴力を受けたのならば、毅然とした態度で理不尽なる者へ立ち向かわなければならぬのだから。

 

「所長。俺は―――」

 

「ん?」

 

「―――……いえ、何でもありません」

 

「そう? 良いのよ、好きな事を言ってね。部下の不満は組織改善に必要なパーツだもの」

 

「はい。藤丸立香、了解致しました!」

 

 一瞥されて、その気力も失ったが。まるで明日にはお肉屋さんに並べられるのね、と養豚場の食用豚を見る屠殺人のような目をしていた。あるいは、生け捕りした獲物を解体する間際の狩人の目付きであった。

 

「ごめん。マシュ、俺は弱い……!」

 

「良いんですよ、先輩。それだけで、私は良いのです……」

 

 所長の計画通り、二人の仲はある程度まで深まったようだ。自分を面白半分で悪役にしてみたが、思いの他上手く事が運んだ事が幸いした。英霊召喚によるサーヴァントならばマスターに対してある程度義理立てする性質を持つが、人間同士だとそう言う訳にもいかない事は所長も良く分かっている。それも今日初めて出会った同年齢程度の異性同士だと、それなりに距離感が生まれるのが自然だ。熟練の兵士ならばそれが戦闘で害になることも無いが、藤丸立香とマシュ・キリエライトではそうはいかないだろう。

 よって、宝具解放のついでに二人へ仲間意識を植え付ける事に成功する。イベントがあれば、善人同士且つコミュニケーション能力が激しく高そうな藤丸が勝手にマシュと仲良くなるだろうと所長は見抜き、事実そうなった。仲が良くなり過ぎても問題だが、二人が戦闘時に不仲でギクシャクする事はないと所長は安心した。

 

「茶番ね。まぁ良いわ。キャスター、アルターエゴ、御苦労様。カルデアを代表して感謝するわ。マシュの為とは言え、本当に、本当に、ありがとうございました」

 

「良いってことよ。オレも良いもん見れたし、宝具を解放するのも気分が良い」

 

「同じく。有意義な時間であった」

 

 おう、と格好良く片腕を上げてポーズを決める戦士が二人。僅かにたった親指が、マシュの教育を楽しんでしていた事を物語っている。流石は人間を極めた英霊、鍛練面においては清々しいレベルで鬼畜外道である。しかし、それは所長も同じである。

 

「マシュ、とても良い宝具だったわ」

 

 所長は近付き、そう言い放った。

 

「―――え……所長?」

 

「でもね、真名までは得られなかった」

 

 大盾の概念が生み出す神秘の解放自体は可能となった。だがしかし、その真名解放まではいかなかった。所長はマシュが宿す英霊がギャラハッドだと理解しており、その盾が円卓の騎士を集わせるラウンドシールドだと把握している。

 よって、本来の真名も分かっていた。

 そもそも宝具など、その瞳で見詰めるだけで名を啓蒙出来た。

 

「だから―――ロード・カルデアス。

 カルデアが守るべき人理の礎となる星見の要。貴女の宝具を、そう名付けると良いわ」

 

「……所長―――はい!

 マシュ・キリエライト、了解しました!」

 

「宜しい。素晴しい戦果だったわよ」

 

 所長が見たのは、擬似展開(ロード)/()人理の礎(カルデアス)。啓蒙された名前でもなく、その真名を叡智として瞳で見た訳ではないが、朧な真名で劣化されたいまは遥か理想の城 (ロード・キャメロット)である事は把握済み。

 ならば、今はコレが真名で十分である。

 所長が直ぐ様に真実全てを告げても構わないのかもしれないが、それではマシュの為にならないとその英霊本人は考えている。だからマシュに何も告げずに消えたのだろう。それを思い、実際にそうなのだと所長は真実を啓蒙したが故、まだ黙っておくことにした。

 

“けれど、良いもん見れたわね。あれ、面白そう。

 初代教区長(ファースト・ヴィカー)が使ってたあの狩人御用達の仕掛け武器(ギミック・ウェポン)、ローゲリウスの車輪の原型(プロトタイプ)ね”

 

 ローゲリウスの車輪。医療教会の処刑隊が使っていた仕掛け武器であり、カインハーストの貴族を肉片になるまで轢き潰すことで血肉が車輪にこびり付き、又同じく怨念が染み込んだ処刑器具。即ち、車輪内部に封じた怨念を変形させることで解放し、死霊が車輪を回転することで相手を呪いで轢き殺すおぞましく狂った神秘の狩猟具が正体だ。

 しかし、あれは違う。

 何故ならば、処刑隊がカインハーストを処刑する前に―――ローレンスは悪夢に堕ちた。

 そもそもローゲリウスを処刑隊の部隊長に任命した者を考えれば、車輪を貴族共の処刑器具に選んだ悪辣なる者も限られる。となれば必然、あの男が使うは貴族の怨念に染まるローゲリウスの車輪に非ず。言うなれば、教区長の車輪(ヴィカーズ・ホイール)であった。また所長が思うに、記憶から再現された夢の遺跡で会った女王殺しが使う車輪もカインハーストの怨念ではなく、トゥメル人を轢き潰し続けることで怨念を宿した車輪であり、ローレンスが持つ車輪と同じ系列なのだろう。所長も詳しいヤーナムの歴史は調べ切っていないが、ビルゲンワースが遺跡発掘で女王を見付けだした際、まだカインハーストは穢れた血族となっていなかった筈。車輪自体は古い時代から使われた狩り道具であり、あの道具はローゲリウスの車輪とは別物となる。

 そう考えれば、やはり面白いと断じるしかなく。所長はその、血液を燃料に発火する処刑車輪が欲しくて堪らなくなったのだ。

 

「むぅ…………」

 

 そんな様子を静かに見守りつつ、不意の事故があれば何時でもマシュを守れるように構えていた忍びが一人。だが宝具訓練も無事終わり、彼は周囲へ気を張りつつも少しだけ呼吸を漏らしてしまった。恐らくは、これから万全な状態とする為に消耗したマシュに対して休憩するのだろうが、彼女に溜まった疲労は藤丸に負けず濃い。いや、それ以上であると忍びは見抜いていた。

 よって、その解決方法を持つ彼が行動するのも当たり前なこと。戦闘前に勝率は数厘でも上げるのが忍びの常識だ。その為にも、この学校なる施設で液体の入れ物となる物資も手に入れておいた。

 

「……マシュ殿。これを」

 

「え……あの狼さん、これは?」

 

 そして、その疲れた様子を見兼ねた忍びは、マシュへそっと傷薬瓢箪から液体を注いだコップを差し出した。だが、それが何なのか分からない彼女が質問するのも当然だった。

 

「飲む傷薬だ……苦いが、良く効く」

 

「飲む………?

 えーと、飲むと体が癒えると?」

 

 飲むヨーグルトは知っているが、飲む傷薬など一度もマシュは聞いた事がなかった。むしろ、それってどういう作用で傷が治るのか、凄まじく不可思議に思ってしまう程。

 

「ああ……飲むと、傷が癒える。苦いが」

 

「苦いのですね、二度も言う程?」

 

「苦い。おぞましく苦いが、体には良い薬だ。飲まぬなら、瓢箪に戻すが?」

 

「いえ……――――マシュ・キリエライト、頂きます!」

 

 折角の好意を無碍にする心などマシュにはなく、忍びが虚言を吐く理由もない。しかし、この寡黙な男が念を押す程に苦いと言う薬を恐れるのもまた当たり前なこと。だがしかし、これから直ぐに戦闘となる事を憂慮すれば、万全な状態にするのがカルデア職員としての義務である。

 頭にクソが幾つも付くほど真面目なマシュ・キリエライトは、止せば良いのに傷薬瓢箪が作った良薬を一気に飲み干してしまった。苦い薬は味わうことなく一気飲みするものと考えている彼女にとって当然の行動であったが、今回はそれが仇になったのだろう。

 

「――――――――――」

 

 まるで彼女は、宇宙深淵を覗き見る(フォウ)のような表情になってしまっていた。あるいは、何かと交信することで脳の瞳が啓蒙された時の所長と全く同じ表情であった。飲んだ時のままポカーンとだらしなく口が開き、口内に残っていた傷薬が垂れてしまっている程だ。

 

「マシュ……あれ、マシュ。マシュ!」

 

「―――……ハッ!

 あれ、どうしました先輩?」

 

「いやいや、それはこっちの台詞だよ」

 

「え、一体何が……―――ゴハァ! ゴホゴホ、ゴガゴッフェ!!

 なんなんですか!? どうしてですか!!? え、どうしてこんなに私の口が苦くて堪らないんですかぁ!?」

 

「ちょっとマシュ! そんなどうして、さっきまで平気だったのに!?」

 

 一難去ってまた一難。身内からの障害によって危機に陥っているような気もしないではないが、忍びは元気に回復したマシュを見てとても安心した。そう思うことにした。

 

「………良薬は、口に苦し」

 

 証拠を隠滅するように傷薬瓢箪をそっと腰に下げて隠す。忍びは全く以って忍びらしく、父から子へ引き継がれるように卑怯者なのだ。しかし、そこまで苦いものなのかと今になって疑問に思った。忍びはこれを下さったエマ殿の、良薬はむしろ苦いほど良いと言う薬師の拘りを垣間見て昔を懐かしく思い、同時に瓢箪に染まった自分の味覚が怖くなった。

 そして、彼は知らないのだ。剣神の領域に達した無の境地がなければ、もはやその苦味は精神が耐えられない地獄なのだと言うことを。

 

『狼君、マシュをからかうのは程々にね』

 

「……否。揶揄などせぬが、承知。心掛けよう」

 

 何時もと変わらぬ無表情……ではなく、眉間に皺を寄せた忍びが以後気を付けようと決意した。そして、いざと言う時は躊躇わず使うと言うことも忘れずに頭へ記憶させておく。

 

「おう、所長さん。オレとしちゃ、休憩はこんなもんで良いだろうと思うんだけどよ。そっちはまだ休み足りねぇかい?」

 

「う~ん……まぁ、良いかしらね。マシュの疲労も隻狼の御蔭で回復出来たし、十分と言えば十分以上かしら。藤丸も極限状態から離れながら結構休めて、精神的な衰弱も人と話せたので良くなったしね。

 ディール、貴女達も良いでしょう?」

 

「勿論ですとも。何時でも大丈夫です」

 

「しかし、まぁなんつぅか、結構アンタらって愉快な奴らだよな。戦場のど真ん中で笑いが絶えないとはね、生まれ故郷のあいつらを思い出すぜ」

 

「いやね、それって私たちカルデアがケルトみたいってこと?

 カルデアも戦争屋をやってる所は十分ありますけど、あそこまで戦狂いじゃないわよ。まぁこの状況ですから、ケルトの戦士のような勇猛な方はとても大歓迎ですけど」

 

「言うじゃねぇか。けど、そう言う人を食った言い方が、アンタをケルトの女戦士っぽくしているんだと思うぜ。オレが話をしていてもそう感じるんだ。

 カルデアの他の連中からすりゃ、怖いアンタのこと、結構ビビっていたんじゃね?」

 

「否定はしないわよ。VR訓練が充実してたから、新しく来た私を……マリスビリーよりオルガマリーが劣っていると侮ったマスター連中を、まず殺してからプライド圧し折ったしね。色んな分野で有能性を示し、中でも得意とする戦闘訓練では特にね。特異点の詳細が分からない状況ですと、カルデアはそもそもマスターが特異点で死なない程度に強くないと、幾らレイシフトが出来た所で無価値だったもの。

 だからそう言うの、ぶっちゃけとっても好きなのよ。私もそうやって心も体も圧し折られて強くなったから、皆もそうされて、され続けて、今よりも強くなり続ければハッピーに成る筈だものね」

 

「はっはっは、そりゃ正しくケルト魂だ」

 

「……そうなの?」

 

「あぁ、そうだぜ」

 

 所長は、人間を極めたと言う意味では英霊と等しい存在だ。彼女が持つ狩りの業は、それこそ人類史の中でも最上位に位置する殺戮技巧となる。強い弱いは関係無く、須く生物は内臓を取られて死ぬだけだ。相手が神だろうと、何ら関係無く死ぬことだろう。サーヴァントになって所長と同じ領域であり、下手をすれば業だけでより上位の存在も殺せてしまう狩人だ。

 クー・フーリンはもしかすれば、あの魂が腐った女神さえも殺せるかもなと思いつつ、その自分の直感を疑わなかった。何故なら、戦士としての彼がこの女の何もかもを侮るなと訴えていたからだ。命を奪う純粋な殺戮だけではなく、死なぬ化け物も一度死なされれば恐らく確実に殺される。そう思わせる歪な存在感がオルガマリーには有った。

 

「そっか。うん、じゃあケルトも良い所なのね」

 

「そーだぜ。姉さんみたいな人が生き生き出来る世界だ」

 

 横で聞いていたディールはそうかなぁと思ったが、取り敢えず笑うだけにしておいた。確かに、オルガマリーはマリスビリーとはまた別系統の有能性の塊であったカルデア所長。恩師の娘があんなにバイオレンスな訳がない、とかキリシュタリアが簡単に要約するとそんな事を喋っていたのも思い出し、しかしカルデア職員ならば仕方がないと諦めていたのも知っている。何よりも、彼女は彼女自身が怪物なだけだった訳じゃない。

 人の働きをつぶさに見抜き、その人格と人間性まで把握し、人間を職務に対して効率100%で徹底して労働させる眼力。自分よりも自分が専門とする仕事を完璧以上にこなし、その上で自分の事を自分以上に理解して命令を下す事が出来るあの深く澄んだ瞳。下で働く人間からすれば、悪夢のような上司がオルガマリー・アニムスフィアなのだ。権力、能力、人格、そして理不尽さが絶妙なバランスとなっていた。そして、そのオルガマリーはコミュニケーション能力も不可思議な程に高く、理不尽だと畏怖されるのに一切逆らう気にさせない奇妙な存在感さえあった。ヤバイ、コワイ、エグイと言われることはあれど、性格や仕事ぶりを陰口されることも無い程に、まるで宇宙のように暗く深い器がカルデア職員の精神を鷲掴みにしていた。

 

「それでキャスター。貴方が確認する限り、敵の残りは?」

 

 そんなディールの思考も余所に、二人の話は進んでいた。

 

「黒くなった後で死んでるのを確認出来たのは、まずランサー、バーサーカー。後は所長さんが殺したって言うライダーの三騎だな。

 んー……でま、残るはキャスターのオレと、セイバーとアーチャーとアサシンだ」

 

「成る程ね。そうなると、未だ隠れているアサシンが一番危険ね」

 

「だな。サーヴァントより弱い人間からするとそうだろうぜ。なんで、所長さんには余り問題はない相手だ。殺される前に気配に気が付いて殺し返すなんて多分だけどよ、その業を見れば慣れてんの分かるしな」

 

「はぁ……やり辛いわね。私の業を見抜くなんて、そこのアン・ディールくらいしかしてこなかったけど、英霊にもなるとその鋭い眼力が特別じゃないのかしらね?」

 

「人によるぜ。けれどもよ、アンタはちょっと血生臭いわな」

 

「むー……ま、良いわ。課題にする」

 

「そうかい」

 

「あぁ……いや、ごめんなさい。そう思えば、話を逸らしちゃったわね。どうも私って長話をする傾向があると言うか、どんどん違う話題も出してしまうのよ。謝っとくわ」

 

「いや、そりゃこっちの台詞だ。アンタみたいな気の強い美人さんと話すのは生前から結構好きだしな」

 

「あら、そう。ふふ、男にちゃんと女として褒められたのは久しいわ。ありがとう、クー・フーリン。

 ―――で、戻すけど、敵は何処?」

 

「―――柳洞寺。勿論、案内するぜ」

 

「感謝するわ。出来る男は格好良いわよ」

 

「へ。こりゃまた一本取られたか。ま、アンタみたいなのが召喚してくれりゃ、オレも楽しく戦争出来んのにな」

 

「カルデアは何時でも貴方を歓迎します。職員一同、盛大にね」

 

「ハッハッハッハッハッハ!!

 死んでからも愉しめるとは、全くこれだから英霊ってのは面白い!!」

 

「…………」

 

 静かに忍びは御子(キャスター)我が主(オルガマリー)の話を聞きつつも、今の状況を忍びの戦術眼で俯瞰した。そんな中、忍びも含め、既に柳洞寺へ向かう準備を開始した。地面で悶えていたマシュも地獄の苦味から復活し、疲労どころか体調まで完全回復し、先程まで苦しみの余りのた打ち回っていたのが嘘のようだった。やはりエマ殿の良薬は苦い程に良いと再確認し、忍びは自分の武器を脳裏に浮かべて戦術を練り直す。忍びは生前と何も変わらず、自らを縛る掟の為に為すべき事を為すのみ。

 ―――仮の拠点を出れば、そこは地獄のままだった。

 忍びは……いや、狼と言う一人の男は戦火によって火の海に沈む街並みを見て、義手に燻る修羅の火種が怨嗟のまま憎悪を叫ぶのを聞いていた。怨嗟の炎を飲み乾して修羅を超えるが、人の世がそうであるように、狼の中で積もってしまった業が消えることはない。確かに、成り果ててしまった仏師殿のように、人間が焼かれる苦界から生まれた怨嗟の積もり先にはならずとも、それでも自分自身が積もり続けた怨嗟は自分に積もるしかない。修羅にならずとも、それだけは逃れられない。殺し極めた故に、今でも怨嗟を纏う狼は、その刃に念を纏わせて人を斬ることが出来るのだから。

 

「…………此処ね?」

 

「おう、此処だ。この洞窟がセイバーの根城になっている」

 

「セイバーのサーヴァント。騎士王、アルトリア・ペンドラゴンですか……」

 

「……不安なの、マシュ」

 

「はい。相手は伝説のアーサー王ですから」

 

 無菌室で暮らしたマシュにとって、書物は生活の一部であった。世界中の神話、伝説、伝承を読み漁り、有名な小説もほぼ読破した過去を持つ彼女にとって、アーサー王伝説とは身近に有りながらも、最も遠い世界だった物語である。

 

「おいおい。弱気になるなって。オマエらには頼もしい仲間に加えて、このクー・フーリンが付いている。そう思っとけ」

 

「そうですね……はい―――その通りです!

 あの伝説のクー・フーリンさんが味方なんですから、弱気になる方が失礼ですものね」

 

「そうだよね。確か、ウィッカーマンでしたっけ。あの巨大ファイヤーロボ、凄く強そうだった」

 

 意味も無くテレビで見た某ロボットアニメ、あの機動戦士を思い出した藤丸であった。

 

「いや坊主、ありゃロボなんて気前の良い品物じゃねぇが、まぁ宝具としちゃ似たようなもんだ。なんであれ、相手からすれば巨大兵器だからな」

 

「え、そうなの?」

 

「おうよ。ぶっちゃけ、ありゃ罪人を中で纏めて火刑にする処刑器具だ」

 

「―――OH」

 

「そんな顔すんなって。オレが好き好んで人を焼き殺して宝具になった訳じゃねぇ。

 ありゃ魔術師(ドルイド)としてルーン魔術で召喚した死霊の怨念が、何故かオレの宝具に登録されてたってだけだ」

 

 その刹那、全員が悪寒を感じた。まるで眉間に銃口を突きたてられているかのような、しかし狙撃兵らしくなく殺意に満ちた視線が洞窟前の辿り着いた皆を貫いていた。

 

「主殿……敵が……」

 

「そうね。多分、こいつ―――」

 

「―――おう。出て来いよ、アーチャー!

 テメェらしくもなく背後から不意打ちで矢を撃ちもせず、どう言うつもりなんだ!?」

 

 森から出て来たのは、黒く汚染された男だった。褐色の肌に白い短髪のその姿。武装しておらず徒手空拳であるが、キャスターが言った通り冬木で生き残っているサーヴァント―――アーチャーであった。

 

「戯け。気付かれていたからだ。貴様も、そちらの忍びが気が付いた事に気付いたから、私を注意出来たのだろう?」

 

「うるせー野郎だ。呪われた所為で、厭味も皮肉も鈍ってるぜ」

 

「善処しよう。ならば、貴様は特に煽ってやる。今から何と呼べ良いのかね、番犬……いや、牙を抜かれてキャスターになった貴様なぞ、犬ですらないかもな」

 

「……訂正する。やっぱテメェは変わらねぇ贋作野郎だ。その皮肉も、どうせ誰かの口癖でも真似てんだろ?」

 

「ほう―――ならば、此方も訂正しよう。人に噛み付くその様、やはり貴様はキャスターだろうと何も変わらない」

 

「―――っち……やっぱ、とっとと戦って殺しておくべきだったぜ。今までコソコソ隠れやがって、逃げるのだけは巧い野郎だぜ」

 

「まさか。逃げ足の速さは貴様に負けるさ。私は単純に、貴様よりも兵士として賢かった。それだけだ」

 

「「………‥ッ――――――!」」

 

「おっと……これは、あれですかねぇ」

 

 ああ、懐かしき殺し合いにおける煽り合い。ディールにとって殺人は遊戯に等しく、殺し合いは娯楽であった。様々な工夫を凝らした殺戮技巧と、刺激的な死に飽きぬよう如何に相手の感情を湧き立たせるか、色々と創意工夫した過去が本当に懐かしい。殺した相手の死体に糞団子を投げ付け、串刺しにした敵をやれやれと呆れながら追撃で殺し、コロシアムのように霊体を召喚して人と人を殺し合わせる事を娯楽にする人でなしを大弓で狙撃したり、大弓やフォースで人を奈落の底へ突き落としたりと、まぁ色々とディールは徹底した闇の悪霊(ダークレイス)でもあった。

 あぁ言うのは、何だかんだで無機物的な感情に血が通って面白かった。

 しかも見た雰囲気であるが、あの二人は知り合い同士となる。そこから更に見抜くと、どうやら互いに互いを幾度か殺し、殺された事もあるようだ。彼女の個人的な信条ではあるが、キャスターが手伝って欲しいと言えばその娯楽に参加するのも楽しく、逆に一人で相手を殺したいのであれば後ろでワイワイ応援するのもまた一興。はっきり言って、アン・ディールは人でなしの屑であった。無論、本人も自覚のある腐れ外道である。

 

「すまねぇな。アンタら、こいつはオレが殺すぜ。先にそのまま進んでくれや」

 

「ああ、私からもその方が有り難いと言っておこう。全員で挑むのであれば、こちらも道端の英雄らしく決死の覚悟が必要になるからな。

 洞窟の入口―――爆弾を仕掛けさせて貰った。

 そして、その場合、洞窟を崩壊させた上、私自身は逃走しつつアーチャーとして狙撃戦を選ぶとしよう」

 

「そー言うこった。時間稼ぎをこいつにさせると、あー……これから相手するオレが言うのもあれだが、かなり巧いヤツだ。

 戦術家としては、そこそこの腕前だったからな」

 

「ふむ。お褒め頂き恐悦至極、とでも言っておこうかな、キャスター」

 

「ぬかせ、アーチャー。仲間と情報は正しく共有しなきゃなんねぇだけだ―――って、訳だ。ここらで短いお別れにしようや」

 

 現状を把握した所長は、その途切れぬ思考回路が直ぐ様結論を出す。一切のタイムラグなく、彼女はキャスターへ返事をする。

 

「―――良いわよ。

 でも、確実にそのアーチャーを狩ってよね。こちらはアーサー王に専念しますので」

 

「ははははは、怖い所長さんだ。さ、行きな!」

 

 敵の交渉に乗るのは癪だったが、こちらが相手を殺す前に逃げられると流石に面倒だ。爆破で入口を塞がれるのも以ての外。土砂崩れでも起こされると、入るのに時間も掛る上、その間もアーチャーを警戒する必要有り。よしんば入れても、洞窟内で挟み打ちをされるのも分かっていればそこまで怖くはないが、その程度のことはアーチャーとて分かっていることだ。

 そして、アーチャーも全員をセイバーの元へ行くのは防ぎたい。中でもクー・フーリンは知った顔である故、その厄介さも良く知っている。取り敢えずは、まずこの男は仕留めておきたいと考えていた。

 

「―――さて、これでテメェの望み通り一対一だ」

 

 全員が洞窟に入った事を気配で確認し、キャスターは杖をアーチャーに向けて改めて構える。

 

「そのようだな。いやはや、まさかあれ程の戦力を貴様が整えられるとは思わなかったが……まぁ、良い。まずはこの厄介事を済ませれば、それで良い。

 セイバーと宝具で挟み打ちをすれば何人か殺し、そこからは済し崩し的にどうとでもなる事だ」

 

「相変わらず、せこい事を考えてやがるな」

 

「効率的なのさ。人を殺すのなら、その方が良い」

 

「そうかい、分かったぜ。だったらよ―――テメェもそうやって死に果てな……ッ!」

 

「もはや語るべき事もなし。貴様の見飽きた顔を見るのも―――おさらばだ……ッ!」

 

 激突するキャスターとアーチャー。その因縁の戦いは一秒ごとに激しさを増していき、ルーンと矢が幾度も交差する。

 しかし、闇の中―――暗殺者が一人、姿を隠して戦いを見守っていた。










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啓蒙7:聖剣の彼方へ

 キャスターを置き去りにし、皆は洞窟を歩き進んでいた。足取りは軽くもなければ、重くもなく、ただ真っ直ぐに目的地を目指している。

 

「でも良かったのですか、所長。私たちが洞窟を潜っている間、爆破される危険もありましたけど?」

 

「その時はその時よ。何がなんでも外に戻って、全員で囲んで、ボコボコに細切れにするまでよ。まぁ、少しでも魔力や火薬の気配でもすれば、一瞬で私の隻狼を外に送れるようにしていましたし、いざと言う時は霊体化でもさせて外に出せますから……あ、駄目だった。私の隻狼はマスター適性がない私と契約させる為、楔をカルデアと深く結ばせようと受肉させているんだった。所長、うっかりね。

 あぁ、でも、令呪で空間転移させれば問題ないか………」

 

 レイシフト適性は狩人に寄生されることで手に入れたが、サーヴァントと契約する素質を狩人は所長へ与えなかった。と言うよりかはただの副作用に過ぎず、現実から目覚めて悪夢で起きる異界常識は、所長の肉体を夢の特性を持たせる為に作り変え、それがレイシフトと相性が良くなっただけである。むしろ、英霊と契約を結ぶ素質とは何ら関係はない。鐘を鳴らせば狩人をあの夢の中では呼べたものだが、サーヴァント契約と狩人の共鳴は関係ないらしい。

 しかし、それで諦める所長ではない。ならば、そもそもサーヴァントがマスターとの契約と関係なく現界出来れば良いだけ……と思ったのだが、何故かオルガマリーは隻狼にだけはマスター適性が高かった。サーヴァントとして契約可能だった。恐らくは、何かしらの相性があり、本人間同士で触媒になる何かがあったのだろう。

 それなのに、まだまだ所長と忍びのラインは細いもの。ならばと所長は力技で隻狼をカルデアの技術力と自分自身の研究成果を使い、忍びを人間のように受肉させ、ラインが細くとも彼が万全に活動する事を可能にした。そして長く契約し続けることで、そのラインも通常以上に強く結び付くことになった。

 

「………あら。それは相変わらず悪辣ですね」

 

「安心しなさい。ちゃんと、いざという時の備えはしてるわよ。あ、でも、言いたい事はしっかり言うように。何を考えてるか雰囲気で察するのは簡単だけど、脳味噌の思考回路ってのは言葉にしないと相手に伝わる事はないからね?」

 

「ふふ。了解しました、所長」

 

「宜しい。では警戒を怠らずにね、ディール」

 

 新しい叡知を特異点に来てから啓蒙出来まくっている所長は、暗くジメジメして呪いで空気と太源が澱んでいる邪悪に満ちた闇黒洞窟内だろうと、実は結構上機嫌であった。

 中でも、英霊の血は美味だった。彼らの中身を吸い込んだ瞳が潤い、中々に癖になる血の意志であった。次点がヘラクレスの不死の呪い。やはり神は碌な存在ではなく、死んでまで英雄を神々の使命に縛り付けるとは、あの大英雄も難儀な者だと啓蒙する程だ。

 しかし、そんな思考も直ぐ途切れることになった。

 黒い光塔、肉塊の柱―――恐らくは、冬木の大聖杯。所長のみが見られる前所長の資料通りではないが、あれがこの冬木市で起きた聖杯戦争の聖杯の大元だと考えられる。

 

「聖杯……いや、大聖杯ね。あれ、如何見ます?」

 

『冬木の大聖杯……―――には、見えないね』

 

 それに直ぐ反応したのはロマニだけだった。通信越しからではあったが、彼からは何故かそれが真実だと言う確信を得ている気配がした。

 

「へぇ、ロマニ。根拠は?」

 

「―――ッ……………」

 

 その言葉に所長は少し違和感を覚えるも、反してそれを確信した。だが何処が如何に可笑しいのかは把握出来ず、しかしあれこそが聖杯なのだと啓蒙する。それにそもそも所長は聖杯には見慣れている。確かに自分が知っている聖杯は禍々しいモノしかなかったと彼女は思い出し、そう言う聖杯がサーヴァントのような存在を呼び寄せるのも理解出来た。

 

『…………――――あぁ。いや、ごめん。少し考えていたよ。

 でも、あれって明らかに呪われてる。願いを叶えるって話だけど、あんなんじゃまともに魔術師の願望を叶えるとは思えないな』

 

「ふーん……そっか、そう言う風に見えるのね。実は私もそう見えていたの。

 だからこその特異点。言い得て妙とはこの事。あんな存在がもし私達の世界の冬木にあったら、西暦2004年に世界が滅亡していても不可思議じゃない。

 となれば、特異点発生の原因はあれでしょうね……―――良し、消しましょう」

 

『え?』

 

「消すのよ。今からあの聖杯の破壊をカルデアの第一目的に定めます。だから、これから対軍規模の魔術を遣うわ。太源も豊富だし、とっとと消すのが一番そうね」

 

『いやいや、ちょっといきなりそれは……?』

 

「嫌な予感がするのよ。殲滅するわ――ー隠れている敵ごとね。

 マシュ、命令です。詠唱中の私を前方から守りなさい。命を預けるわ。それと聖杯の破壊に成功した場合、爆風も予想できるから、最後まで気を抜かないこと。後、目的達成したら直ぐに脱出しますので、逃げる準備も忘れずに。藤丸はマシュのサポートを」

 

「マシュ・キリエライト、了解しました……!」

 

「――はい!」

 

 大盾を構え、マシュは全てを守るように黒い聖杯に立ち向かった。

 

「皆さんも私の背後に隠れてください!」

 

「背後からの奇襲も警戒しておいて」

 

「……御意」

 

「任せてください」

 

「了解した」

 

『所長!?』

 

「ドクター・アーキマン。管制は、貴方なら出来るから任せたの」

 

『~~~ッ……あーもう所長は―――はぁ、ボクも了解です。どんな些細な変化も見逃しませんからね!』

 

「うん、宜しく」

 

 即断即決の速攻。相手に奇襲させる隙間なく、全てを絨毯爆撃する戦術眼。所長は対軍規模の周囲一帯全てを破壊尽くす神秘を為すべく、魔術回路を全力全開で廻し、アニムスフィアの魔術刻印も最大限活性化させ、脳内の夢に隠していた生きた触媒―――軟体精霊を掌の上へ掲げた。

 ―――宇宙は空にある。それこそが、この世の真実。

 星空から光を呼び落とす星見の大規模魔術を我流改良し、その魔術を自らの神秘としたオルガマリー・アニムスフィアだけの秘儀。

 

“あぁ……―――素晴しい。正にそれこそ、神秘に溺れた教会が見出した宇宙。星歌隊の皆よ、見えているか。宇宙は空にある、やはり空に在ったんだ!

 あれが、あれこそが、我らが求めし彼方への呼びかけだ……ッ―――!!”

 

 ローレンスが感動の余り、内心で叫びながら血の涙を流すのも無理はない。その血が燃えて、瞳が暗く澱むのも道理である。普段の自分を装うことさえ不可能となり、神秘学者ローレンスの本性が顕わになる。だが藤丸も、マシュも、この啓蒙に飢えた人獣を気にする事など出来ず、通信越しのロマニも一変した大空洞から目が離せない。

 大空洞の上部が―――宇宙となった。

 空に浮かぶ宇宙が、全てを黒い深淵の宙へ塗り潰れていく。本来の狩人が許された秘儀の範疇ではなく、この神秘は上位者でなければ許されぬ秘儀の領域。星歌隊の狩人では、頭上に開いた小さい宇宙から星の小爆発を呼び掛けるのが限界だった。しかしオルガマリー・アニムスフィアは、狩人を超えた上位者の狩人に脳を犯された魔術師なのだ。彼女は失敗作と捨てられた彼らと同じく、空に宇宙を浮かばせる秘儀に辿り着いていた。

 ―――宇宙は空にある。

 この言葉は比喩でも虚言でもない。概念そのままに、人は宇宙をこの星の空へ呼び寄せる。高次元暗黒は確かに空へ浮かび上がる。彼方への呼びかけとは、その言葉を真実とした上位者から見出した秘儀である。

 

“アアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァアアアア……ッ―――――!!!”

 

 啓蒙が脳に入り、思考の瞳が花開く。ローレンスは何日も徹夜で神秘を語り合った学友ミコラーシュと同じく、その余りに濃い上位の叡智が叫び声となって脳味噌が狂い始めた。ああ、しかしながらも、その思考に慣れてしまったのも事実。理性が狂って壊れてしまう前に、血の中に融けた狂気(意志)を体外に瀉血させ、そして目の前の神秘に自分の意志を慣れさせた。相手へ狂気を流し込むことで故意的に発狂させるのならば、それを防ぐには狂気を瀉血する以外に理性を治癒させる手段を狩人は持たないが、この神秘は啓蒙こそ高いが意志を発狂させる瞳の神秘ではない。単純にローレンスが神秘学者として嬉し過ぎた所為で勝手に発狂し、その秘儀がどう言うモノか詳しく瞳で知りたい余り深く啓蒙し過ぎた為に狂っただけだ。一度慣れてしまえばもう発狂を直す為に瀉血する必要はなく、だがこの啓蒙高い神秘学者が一度は発狂せねば深淵まで分からぬ秘儀となると、この所長が辿り着いてしまった宇宙の深淵は悪夢に住まう上位者共に等しい領域なのだろう。

 だから―――宇宙は空にある。宙にある。穹にある。

 狩人が空に浮かべた高次元暗黒から、キラキラと流れ星が降って来る。

 小爆発を呼び寄せるのではない。オルガマリーが呼びかけたのは、宇宙の小爆発を生み出す星々だった。

 

「―――……彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)

 

 空から青白く燃える流星群が―――落ちて来た。

 大聖杯を目指し、宇宙になった洞窟天井から綺麗な流れ星が降り注ぐ。彼女が唱えた呪文は神秘以上の宇宙を開く意志となり、この世の宇宙ではない高次元暗黒で地上の空を塗り潰した。

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)

 

 尤もその空に浮かぶ宇宙は、そんな真名と共に斬り払われてしまった。黒い極光の斬撃が空を地上から真っ二つに叩き切り、青い星々が墜落する前にオルガマリーの秘儀を抹消する。対城宝具でありながらも、夜空を切り裂く対界宝具の如き所業を可能とする極光の剣。

 騎士王の聖剣―――エクスカリバー。

 大聖杯の正面に現れた黒鎧の少女は、確かにその名を告げていた。

 

『間違いない。あの姿、あの宝具、騎士王アルトリア・ペンドラゴンだ!!

 所長、次の真名解放が来る……早く、マシュ達に―――対処の指示を!?』

 

「―――あー、駄目ね。ロマニ、一歩遅かったわ。あの女、こっちの奇襲を待伏せしてたわね。だからマシュ、聖剣二撃目来るわよ。防ぎなさい。

 その盾ならば、カルデアならば、あの黒い剣に負ける道理はないと―――証明なさい」

 

「―――はい!」

 

「マシュ、令呪を―――!」

 

『~~~……マシュ。君なら出来る、信じるんだ!!』

 

「お任せを!!」

 

 再度、その聖剣に光が充填されていく。人間が振う大きさだった刃は、更なる刃として黒光を纏い、巨大な光の黒剣と成り果てた。

 瞬間―――セイバーは跳んだ。

 恐ろしい事に宝具の真名解放する為の魔力充填を行いながら、ミサイルのように宙を駆け抜けた。逃さぬように近距離から叩き込む算段であった。

 

約束された(エクス)―――」

 

 薙ぎ払う為に捩られる少女の鎧姿。彼らの真正面に着地した瞬間、既に聖剣は解放されてしまっている。真名を唱えるまでもなく、呪いに満ちた空気が光によって焼き尽くされた。

 

「―――勝利の剣(カリバー)ァァァアアア!!」

 

「あ……ぁあ、あ―――ああああああああああああ!!」

 

 地獄の熱さと太陽に勝る黒い輝きを―――盾の騎士が、たった一人で受け止めている。その聖剣を一目した時、マシュ・キリエライトは本能と理性で自分の力を理解した。一時だけ止めるだけなら、真名解放をする必要もこの盾にはない。身を焼く覚悟があれば、この盾と英霊の技能だけで光を防ぐには十分だ。

 だが極光を抑え込み、更に相手へ撥ね返すならば―――唱えねばならないだろう。

 守るべきは自分だけではない。自分だけ守るなら真名など要らない。マシュは自分の後ろに居る全ての仲間を、カルデアの皆を守るべき盾の英霊(シールダー)であるのだから。

 

「やろう、マシュ!」

 

「はい、先輩!」

 

 それでも盾である彼女の隣には―――藤丸立香(センパイ)が居る。自分が今この瞬間に感じている同じ恐怖の感情に耐えて、それでも前に進める色彩に溢れた人が、彼女と共に立っていた。

 

「宝具展開。顕現せよ―――擬似展開(ロード)/()人理の礎(カルデアス)……ッ!!」

 

「―――面白い。貴様、あやつとの契約者か……!」

 

 令呪による補助と、マスターからの魔力が、鉄壁のマシュを城壁に作り変える。その上で宝具を展開し、もはやエクスカリバーでさえ遮る英雄の盾が騎士王の前に立ち塞がる。

 如何に聖剣エクスカリバーであろうとも……いや、聖剣の騎士王だからこそマシュの盾を打ち破ることは不可能だった。

 

「ぐぅ、ぁあああああ……ッ―――!」

 

 連続解放された聖剣。しかし、その光全てを撥ね返された。シールダーの宝具をセイバーの宝具は打ち破れず、聖剣の解放は騎士王が光に呑まれたことで治まった。彼女の盾は斬撃をただ防ぐだけではなく、そのまま相手へ反射させるほど強固に過ぎる宝具であった。セイバーはその場に居ることに耐え切れず、苦痛を抑えるような呻き声と共に弾き飛ばされた。

 そして―――騎士王を囲む四つの影。

 

「……あの者を囮に使うか。カルデア」

 

「結果としてね。受け攻めを幾つか用意するのは当たり前で、その内の一つが巧い具合に型へ嵌まっただけ。けれども、部下をそうしなければならない葛藤なら、貴方はわかってくれるでしょう?」

 

「成る程。ならば、その言い様、貴様がこの者らの王か。名は?」

 

「オルガマリー・アニムスフィアよ。それで貴女、降参する?」

 

 あの奇襲方法をする輩が相手だ。直ぐ様に問答無用で殺されると考えていたセイバーはキョトンとした表情を一瞬浮かべ、どうやら自分が死ぬまでに問答をすることを意外に思う。

 たが、セイバーは相手の考えを悟り、裏はあれど実際に甘い連中だと言うことも理解出来てしまった。

 

「ああ、敗けは敗けだ。宝具を自壊させて自爆する魔力もない」

 

「宜しい。ならカルデアの名の下、捕虜として貴女を保護します。他の黒いサーヴァントと違って、ちゃんと意識が確かみたいだし、殺さず生け捕りに出来たのは実に僥倖ね」

 

「そうか。随分と甘いヤツがカルデアを指揮しているのだな。しかし……」

 

 星に蕩けるような爛々とした綺麗な瞳。澄み切った星見の眼光。セイバーを油断なく、しかし興味深く観察する神秘学者の狂気が、ただ見詰めるだけで相手の心を狂わせる。

 狂っている。そう直感したのに、セイバーはオルガマリーを何故か信用できると錯覚してしまう。確かなのは、彼女が本気で特異点修復を目的とし、この冬木の惨劇を解決しようとしていることだけである。

 

「……ふ。なんて様だ。それで貴様は人間なのだな、アニムスフィアの末裔よ」

 

「だから、こんな様よ。英霊を頼れない人間が人理保証するには、こうなるのが唯一の手段だもの。

 けれども、まぁ、今は私のアレコレは関係ない。貴女が消耗し過ぎて死ぬ前に、聞かないといけないことがあるの。一つじゃなくて、沢山あるのよね。この特異点を消す前に、知らないとちょっと不都合なの」

 

「褒美だ。言うだけ言うが良い」

 

 つまるところ、あの夜空の隕石も騎士王が相手なら防がれると所長は分かっていたのだろう。大まかな作戦を幾通りか周囲に伝えたが、細かい調整や目的変更はその場で行い、果たせた騎士王捕縛も可能なら行う目的の一つだった。

 事実、殺す気で戦うも、生き残る算段が付けば敵からの情報収集もカルデアとしてやらねばならぬ職務。殺害してしまえばそれまでと諦めるが、マシュ・キリエライトが騎士王を殺さず打倒するキーであった。たがそれ以上の目的として、所長はマシュをカルデアが作り上げたデミ・サーヴァントではない生きた天文台の英雄として覚醒させる良い試練と見抜き、その憑依した英霊と騎士王の関係と、実際に見ることで相性の良さを啓蒙し、即断でエクスカリバーをマシュの為だけに利用し尽くした。

 所長は安全をなるべく確保しつつ、彼女を英雄に育てる責務がある。高い死のリスクがある危機に当たらせつつ、確かなマシュの生存を啓蒙した地獄を踏破させる。この冬木の騎士王はマシュにとって、英雄に昇る第一歩に相応しい因縁の相手であった。

 

「まず最初に、そもそもカルデアを知ってる貴方は何者? 

 貴女って歴史に記されてないだけで、生前にアニムスフィアの魔術師にでも会ってたのかしら。でも、それならアニムスフィアは知っていても、カルデアは分からないわよね。千里眼でもなければだけど」

 

 そんなおぞましい思考を隠し、所長はこの特異点の秘密を得るべく王手を掛けた。

 

「ただの死に損ないだ。だが貴様らが此処に来た時点で、世に思い残すこともない亡者となった」

 

「どう言う事よ?」

 

「はぁ……そうだな。泥の呪いに染まりはしたが、今の私は……ッ―――」

 

 問答をする騎士王と所長に近付いて来たシールダーとそのマスターを見つつ、疲れたように溜め息を吐きながらセイバーは―――余りのおぞましさに、直感まで凍り付いてしまった。

 

「―――アレも、貴様らカルデアの者か……?」

 

 本当にソレは唐突だった。誰も気が付くことが出来ず、誰も理解しようがない幻影だった。まるで最初からその場にいたような人物が、一体何者なのか誰も分からなかった。

 何故、騎士甲冑の人物が其処にいるのか?

 何故、キャスターとアーチャーの――生首を持っているのか?

 朧な気配とは裏腹に、この場に居る誰もが寒気で意識を凍えさせている。脳の蛞蝓に落とされた悪夢にて、繰り返す夢の果てに夜明けを見た所長は、それでもこの騎士が子供の頃に目覚めた悪夢よりも、邪悪な何かなのだと啓蒙された。

 

「そんな。キャスターさんが……ッ―――!」

 

「……―――!?」

 

 所長達の所へ付いた時、異常に気が付いたマシュと藤丸の二人は振り返った。振り返ってしまった。先程まで確かに生きていて、自分達と会話をしていて、自分達の為にアーチャーの足止めをしてくれた人が死んだのだと、分かってしまった。

 仲間だったキャスターが―――生首にされ、片手で吊り下げられていた。

 

「ロマニ……?」

 

『そんな……所長、あれは人間です。普通の人間の反応が、そこに突然現れました……!?』

 

「人間……―――あれが、冗談?」

 

 本来なら霊核が砕ければ消える定めのサーヴァントの、その生首を強引に現界させ、そして恐らくは魂を霧散させずに維持しながら持ち運んでいる―――唯の、其処らの人間でしかない存在。感じ取れる存在感は、カルデアの測定と同じく人間と言う結果だけしか彼らに教えてくれない。

 まるで、悪い夢が人の形をしているようだ。

 あるいは、触れぬ霧が目の錯覚で人影に見えてしまっていると、そう思い込みたくなるようだった。

 

「―――――」

 

 喋りもせず、ふらりふらりと騎士は歩いている。何とか立ち上がったセイバーはカルデアと馴れ合うつもりは一切なく、一人でその騎士と相対した。所長も相手のことを把握出来ず、だが騎士王を止めることもせず、部下とサーヴァントの安全を考えて静観を選んだ。まずは情報を得ることが先決だと判断した。

 酷い言い方だが、正しく所長は捕虜を都合の良い囮にしたのだ。セイバーの情報は欲しいが、そもそも特異点の元凶自体は眼前の聖杯だ。彼女がどうなろうが、まず生き延びて破壊しないと最低限度の任務も達成できない。冷徹なまで優先順位を見失うことなく、今の危機的現状を把握していた。

 

「貴様は……何だ?」

 

「アサシン」

 

 だが無言を貫いていた騎士は、確かにセイバーの言葉に対し、小さな声だが答えを返した。

 

「……何だと。だが、アサシンのサーヴァントは確かに―――」

 

「―――……苗床を」

 

 そして、確かな意志で彼女の言葉を遮る。足音さえせず歩き、隙だらけに見えるのに、それでも手出しした次の瞬間に、その者が死に果てると言う歪な予感が皆を襲う。だからか、誰もが騎士の言葉も歩みも止められない。

 

「我が古い獣の苗床を、探しに来た。この地において、暗殺者の匣を与えられた者である」

 

 しかしセイバーは、このような暗殺者(アサシン)英霊(サーヴァント)など知らなかった。彼女が殺したアサシンはハサン・サッバーハであり、黒化したアサシンも変わらず髑髏の仮面を付けたハサンであった筈。

 

「ふざけるな……貴様が、私が殺したあのアサシンの筈がない。戯言をこれ以上囀るならば、力尽きた身であろうと関係ない。

 死ぬ間際の私だろうと、聖杯への道連れ程度は容易いぞ……っ――!」

 

「嘘ではない。私は英霊として召喚はされずとも―――暗殺者の霊基を、このソウルに宿している。ならば、やはり私は、アサシンのサーヴァントであるのだろう」

 

 鎧の上から胃袋がある箇所を撫でながら、男だろうその声を発しながら、騎士は気配だけで笑みを溢している。霧のような存在感のまま、人間の気配のまま、この世ならざる何かであるのだと、この場に居る全員が悟ったのだ。

 

「彼の心から私はこの地について、とても良く教授させて頂いた。サーヴァント、マスター、英霊、魔術師、ヘブンズフィール、ホーリーグレイル………諸々可笑し面白く、成る程。

 ―――聖杯戦争か。

 そして、君が最後に残ったサーヴァント。セイバー、騎士王、アルトリア・ペンドラゴン。残るは聖杯と関係のない異邦者のみ」

 

 二つの生首を握った左手をセイバーに向け、しかし何も起こらず―――少し、仄かな青い光が一瞬だけ灯った。そして、セイバーの首が消えてなくなった。

 ……余りに唐突。反応出来た数名も、彼女を守ることは出来なかった。

 自分が狙われたならば回避は出来ただろうが、隣に立つ人間を庇うことさえ不可能な速度。その淡く青い一筋の閃光は、正に光と呼ぶに相応しい速攻である。心身共に弱ったセイバーでは、直感もまともに機能しなかったことだろう。

 

「―――え?」

 

 藤丸は、その余りに唐突な光景に絶句した。それしか出来なかった。相手がサーヴァントとは言え、黒い彼らと違って正気を保っていた相手が敵だった。人と人として、対話が出来そうな人だった。サーヴァントが人間じゃなかろうと、人の形をした者を自分がマシュと共に殺害すると言う結果は、やはり心の奥底では避けたかったのだ。だから本当は、マシュの宝具で撥ね返した聖剣でセイバーを無力化した上に生きていた事にホッとし、所長達が彼女を殺すつもりがない事にも安堵していた。相手が最後には必ず死なねば自分が生き残れないのだと分かっているのに、彼はそう考えてしまう人間だった。

 良かった、と思う事は避けられない。例えセイバーが数分もしない内に力尽きるのだとしても、その原因が自分にあるのだとしても、藤丸は人を殺めた者として見届けるべき敵の最期を心に置き止めたかった。それが惨劇から生き残った無力な自分が為すべき事であり、自分が生きる為に死なせる相手への供養なのだと思っていた。

 

「良い結果だ。生首を混ぜた光ならば、霊体の核も一撃で消し飛ぶか」 

 

 そんな藤丸立香の心情を、騎士は薄い存在感のまま踏み躙る。同時に、揺らめく蜃気楼のようにアーチャーとキャスターの首も消滅。詳細は分からないが、先程の青い光を使う為の触媒として、人の生首を使い潰したと言うことなのだろう。

 

「―――先輩、下がってください!!?」

 

「ほお、素晴しい盾だな。美しく、その上で実用的だ……―――良し。可愛らしい貴女を殺せば、そのソウルから私だけの珍しい大盾を作れそうだ」

 

 マシュがマスターを守るべく、一歩前に出るのは当然のこと。それを見た騎士はゆらりと一歩進み、既に何故か―――盾を構えるマシュの前に騎士は居た。とん、とそのまま何時の間にか取り出していた剣の柄で盾を上から叩き、まるで達人に柔術を掛けられた素人のように、マシュは自然と盾を横方向へ弾き流されていた。

 

「……ぁ―――?」

 

 死ぬのだと、彼女は理解した。何気ない騎士の動作が、あの聖剣の極光以上の死であるなんて、今日からデミ・サーヴァントとして目覚めたばかりの彼女が分かる筈もなかった。

 何故なんて疑問も思い浮かべる暇もなく――――短銃の発砲音が、彼女を救っていた。

 だが、騎士は呆気無く銃弾を防ぐ。左手に持っていたナイトシールドが真正面から弾き飛ばす。所長の水銀弾は音速を超えて飛来するも騎士には無駄。命中時に炸裂することでダムダム弾と似た殺傷性能を誇り、銃弾を貫通させずに生き物の肉体を効率的に破壊する対人兵器であるものの、純粋に硬い盾の前には無力であった。

 しかし、それでも遠慮なく二射、三射、四射と短銃を連続発砲。

 所長は騎士を濃厚な血質で対物狙撃銃に劣らぬ水銀弾の弾速と破壊力により、恐ろしい男をマシュと藤丸から引き離しつつ、その二人に近付いて自分の後ろへ庇っていた。

 

「……―――デーモンスレイヤー?

 貴方、その名は一体……いえ、そもそもこの特異点に来た私達と同じ来訪者?」

 

「君は我が獣の霧が見えるのか、悪夢を宿す者よ」

 

 血生臭い気配を纏う旧式拳銃―――エヴェリンの銃口から煙りを出させ、所長は相手の名前を啓蒙した。分かったのは、デーモンスレイヤーと言う真名だけ。そして、確かにサーヴァントの霊基を身に宿す者であるということ。

 

「どうしますか、所長?」

 

「狩りなさい、ディール。此方が保護した無抵抗の捕虜を殺した人でなしよ。遠慮は要らないわ」

 

「了解しました。ローレンス、気張りなさい」

 

「ほう……分かった、マスター」

 

「我がアサシン、あのアサシンを殺せ。命令です。藤丸とマシュは、まだ消耗が激しいわ。ここは任せなさい」

 

「―――御意……」

 

「「所長―――!」」

 

 騎士王を殺されたのは所長にとって非常に痛い。何よりもカルデアのマスターである藤丸立香と、デミ・サーヴァントであるマシュ・キリエライトが為した貴重極まる戦果だった。自分の期待以上の働きをすることで、カルデアにとって一番理想的な展開になった筈なのに―――この騎士が、全てを台無しにした。

 故にオルガマリー・アニムスフィアは―――死を覚悟する。

 眼前の騎士は強過ぎる。今まで出会ったどんな相手よりもおぞましい意志を持ち、そして強大な力を持つ怪物。ここでそれを倒さねば、カルデアが終わるのだと理解した。
















 ボス化したデーモンスレイヤーさん。カンストしたステータスで、手段を問わず相手を殺す黒ファンをイメージして頂けると分かり易いです。不意打ち大好きではありますが、今回は狼さんを遠くから見て断念。不意打ちしようとすれば、その不意打ち返しで逆に自分が殺されそうだと判断し、真正面からまずセイバーを挑発し、弱った敵から殺そうと画策していました。このデーモンスレイヤーさんのソウルの光は、サーヴァントの生首を消費型触媒にした最初の一発は、ガチでエグイ速度で攻撃してきます。
 後、この人も型月世界の人間を殺してソウル吸収してますので、型月の魔術師が持つ魔術回路なども自分に植え付けています。サーヴァントの霊基も喰い漁っています。世界観ごとキャラの戦闘能力や知識面も融合させています。


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啓蒙8:悪魔殺し

 感想、評価、誤字報告、お気に入り登録、とても嬉しく思います。この作品を読んで頂き、ありがとうございます!


 瞬間―――ローレンスは、脳に刻んだカレル文字を解放した。手を抜いて生存出来る脅威ではなく、同時に自らの神秘を十分に叩き付けられる相手だと判断。

 

「◇□□□□◇◇――!」

 

 人間の声とは思えない奇っ怪な音。獣でありながら理性的で、猟奇的でありながら生物が発する声ではなかった。怪鳥の鳴き声の方が人間の声に近いだろう。

 まるで―――カリフラワーのような人狼だった。

 誰も見たこともなければ、思考回路に浮かぶ事さえ拒否する狂いに狂った異形の者。ローレンスは啓蒙のまま自己が変態したことが快感に過ぎ、無意識の内に片手を上に捧げ、もう片手を水平に構えていた。それこそ、空にある宇宙へと通じる交信だ。

 

「ッ――――……ふ!」

 

 同じく、忍びもまた全力を覚悟した。無言のまま気合いを込め、御霊降ろしによってその身に阿攻の加護を宿らせた。首なしの勇者の遺魂は彼の意志に入り込み、まるで気が狂った赤目のように忍びの両目も血の輝きが光り出す。

 隻狼が得た業。遺魂を身へ降ろす構え。

 血煙のような全身を纏う淡い赤。明らかに、先程よりも強くなったと分かる忍びの凶悪な気配。隻狼は慣れ親しんだ御霊降ろしによる自己強化を行い―――赤い飴を、噛み締めていた。業による形代で首なしの遺魂を降ろすことも出来ようが、あのおぞましい騎士甲冑の悪霊を殺す為にも、溜め込んだ形代は一枚でも節約したい。生前の葦名においてあの仙峯寺が無計画な研究のし過ぎで資金難に陥り、死なずの研究資金を得る為に商人へ卸していた飴は、こうして狼がカルデアに召喚された事で現代に復活した。

 

「―――太陽万歳……!」

 

 他三人と全く同時に、アン・ディールも脈絡もなく全身が燃え上がった。煤けて熔けた騎士甲冑を何処からか身に纏い、赤い焔が余熱のように内側から溢れ出る。右手には螺旋状に捻れた燃える大剣を構え、そのまま布の御守を握った左手を天に向ける。

 するとキラキラと、輝く誓いの光が彼女へ降り注いだ。

 太陽を愛する戦士達の奇跡が彼女を守り、強め、更なる太陽の戦士へと崇めるべき者へ物語る。奇跡とは物語に他ならず、誓いの物語は戦士を謳う太陽の唄であるべきだ。ならば、太陽の化身と成り果てた者がいるのだとすれば、もはや太陽の物語は火を継ぐ者の為にあり、火の簒奪者が物語そのものを奪い取ったことだろう。奇跡を唄う者がただ一人しかいないこの絵画世界(テクスチャ)において、嘗ての物語全てが彼女の薪となる闇に集約する。

 太陽万歳―――正しく、世界はその通りだった。

 最初の火を奪った闇の王こそ、腐った絵画を焼いた太陽の正体だった。アン・ディールは太陽の光を纏い、その存在をより強固にさせる。

 

「……宇宙は空にある―――――」

 

 力を込めれば直ぐに砕けそうな古い骨を握り、所長はその古狩人の遺骨から神秘を抜き取り始めた。彼女自身が持つ生まれながら持つ魔術回路と、脳味噌に生えた思考の瞳と、蛞蝓と人形が住まう悪夢と、その悪夢から齎される啓蒙と、清く穢れた血の意志と、肉体に植え付けた寄生虫と、軟体精霊を溶かして染み込ませたアニムスフィアの魔術刻印が、それら全てが一つに統合することでオルガマリーの神秘と魔術は世界を歪曲させて意志のまま発現する。

 時空間が歪み―――何もかもが、遅延した。

 彼女の瞳が映す世界を脳が許す限界まで加速してしまう。本当に何もかもが遅くなり、比例して世界にとって所長こそ加速し続ける異常存在。周囲を高次元空間へ歪ませ、所長は己が時空間を加速させて行動を開始する。

 

「アンバサ……―――」

 

 それは、嘗て神を讃える言葉だった。つまりは、神と畏れられた獣を讃える聖職者の欺瞞的だった。だが世界が滅び終わった果てとなる今となれば、その言葉は正しく真実そのもの。神への祈りは信仰者へ力を与え、騎士甲冑を着込む彼を更に白い霧が覆い包む。霧こそ獣が齎したソウルが漂う姿であり、それを鎧とする奇跡を果てして奇跡などと呼んで言い物なのか。しかし、獣こそ神ならば、やはり守りの奇跡は全く以って神からの加護に他らない。

 堅き護りは―――神が語る論理である。

 もはや、それは奇跡であり魔術でもある神の力と化していた。魔術として生み出されようとも、全て獣の力を人間が如何に見出して作ったかの差異に過ぎなかった。獣の霧は淡く輝く光の玉となり、騎士の全身を玉が連なるように重なり合い、霧はあらゆる全てに変容する。

 今の騎士にとって、祈祷も論理も同じこと。全てがソウルの業であり、神の力であり、獣の霧に過ぎないのだ。祈るように論理を為し、また論理を祈ることさえ容易かった。

 

『――………』

 

 各々が戦闘準備を同時に行い、また時を同じく完了させた。一人はL字ポーズとなり、一人は仏像のような構えとなり、一人は空へ祈りを捧げ、一人はグッと片腕を上げ、最後の一人は両拳を合わせて拝んでいた。本当に瞬きのみの間、自然と誰も動かずに時が止まる。

 ………刹那な静寂が、決戦場に訪れた。

 戦闘中に何故か息が合ってしまい、唐突に訪れる空白の間が漂ってしまっていた。

 

『……え、なにこれ。変身バンク?』

 

 そんなロマニの言葉が―――決戦の幕開けだ。

 

「―――――――シッ!」

 

 所長は無言のまま烈火の如き気迫を出す。それは凶悪なまで濃い殺意であり、必殺の名に違わない狩人の業であった。もはや一瞬も満たず、その気迫が空気を振動させて皆の耳に入るよりも早く、騎士の元まで入り込んでいた。

 ……縮地、と言う武術の歩行技術がある。

 業を極めたヤーナムの狩人が持つ独自の歩行(ステップ)は、ビルゲンワースで業を生み出した学び舎の狩人ゲールマンより他の狩人で伝わり、そして狩猟技術を学んだ狩人から狩人へと伝授されていった技術の集大成に他ならない。縮地と呼ぶには相応しくない狩猟技巧ではあるが、それに値する究極の一となる一歩である。そして、狩人の夢に囚われた狩人は、ゲールマンが住まう夢に自らの心技体を啓蒙され尽くされ、血と共に狩猟の業を受け継いでしまっている。

 学ぶまでもなく狩人は、青ざめた血と共に狩りを―――継承した。

 脳に悪夢となって寄生する蛞蝓もまた、オルガマリー・アニムスフィアの意志と肉体を啓蒙し尽くしている。体の隅々まで上位者の蛞蝓を根源とする小さな血の虫が流れ込み、細胞の一つ一つが狩りを覚え、夢によって意識も業を啓発した。

 そんな狩人が、古狩人の業「加速」によって時空間を超越すれば如何なるのか?

 

「フ―――――――ッ!」

 

 恐ろしい答えを今、悪魔の騎士は味わう事となった。常の踏み込みとは違い、所長は自分自身が悪夢にズレ込むように加速時間をステップし、一瞬だけだが所長は確かに通常の空間から夢みたいに消えている。隻狼が持つ忍具である霧がらすと似た能力を持ち、その一瞬だけは何者も彼女を捕える事は不可能だろう。

 だが騎士の眼力が誇る見切りは、その業も含めて理解する。目に見えぬ程に素早く移動し、時空間を超越する加速歩行は凄まじいが―――それでしかない。

 加速のまま振われるノコギリ鉈の一振り―――ジャギン、と当然のように盾で弾く騎士。

 金属を鋸刃で削る不快な音がとても大きく大空洞に響き渡るも、その音こそ騎士が所長の加速の業に対応した証明だ。そして、騎士は盾を構えながらその身を守りつつ、右手に持つ得物―――北騎士の剣(ナイトソード)刺突武器(レイピア)のように突き出した。

 所長はその突きを当然のように見切り、更に一歩相手に踏み込む。盾で守れぬ側面から攻撃し、それを避けられるとなれば右手の旧式拳銃(エヴェリン)で銃殺するのみ。だが相手も手練の騎士、その騎士剣で鋸鉈を防ぐことで武器を封じ、盾を突き出して相手の視界を一瞬だけ封じ、所長の腹を一気に膝蹴りした。後ろにステップすることで威力を抑えることに所長は成功したが、凶悪な膂力によって風圧さえ生じており、彼女は流れるように空中へ持ち上げられた。

 騎士はそんな所長を逃すつもりは皆無。だが―――敵対する相手が一人だけなら、追撃も可能だったことだろう。

 

「◇□□□□◇◇」

 

 おぞましい奇声を上げる軟体啓蒙獣(ローレンス)は、その奇怪な音さえも神秘を為す呪文なのだろう。カリフラワーのような頭部にある獣の口らしき場所から、燃え上がる赤い血漿蛞蝓を銃弾のように騎士へ吐瀉した。そして蛞蝓に全身を集られる過去を垣間見るように思い出すも、騎士は容易く銃弾を見切る化け物だ。一歩だけ右に動くだけで蛞蝓吐瀉物を回避し、軟体生物と植物と獣を合成させたサーヴァントを突き殺すべく、ついでに燃える蛞蝓(ゲロ)を吐き出してきた狂人を始末するべく、必殺の意志を込めて剣を見舞う。

 しかし、空中より忍びが刀を構えて落下。

 そして、薪の灰が雷を槍のように投擲。

 敵を一人追い込めば、その隙を狙って他の者が攻撃する。味方の危機さえ好機にし、相手の必殺を虎視眈々と狙う殺人技巧―――ああ、酷く懐かしい、と騎士は人間のデーモンだった頃を思い出し、だからこそ敵の思考回路を読み取れる。

 躊躇わず、騎士は跳躍した。ただの人間だった頃には出来ぬ脚力だが、今の騎士は人に非ず。忍びの暗殺を警戒していたことで逆に暗殺返しを狙うが必勝。あの赤く燃え融けた騎士が投げ放った雷は高速飛来しつつ、そのまま狙った相手である騎士を自動追尾する。

 だがしかし―――忍びは、これを待っていた。

 足場の無い空中こそ隻狼が得意とする忍びだけの戦地である。空中忍殺をするべく体を一瞬で翻し、騎士を一刀両断すべく死を閃かせた。尤も、騎士は技巧だけでデーモンを殺し尽くす唯の人間だった者だ。無論のこと対人戦にも慣れており、恐ろしいことに騎士は忍びを相手に空中で、その空中忍殺を北騎士の盾(ナイトシールド)弾き逸ら(パリィ)した。

 そのまま殺そうとするも、しかし忍びの眼力を見切った騎士に油断はない。忍びは体幹がズレたが完全に崩れた訳ではなく、相手を空中で更に蹴り飛ばし―――騎士も同じく、忍びの蹴りに脚を合わせて蹴り出した。無理な蹴撃によって騎士は体幹が崩れてしまって体勢が空中で崩れたが、目論見は達成した。薪の灰と騎士の中間、即ち太陽の光の槍の弾頭軌道上へ忍びは蹴り飛ばされたのだ。

 ―――アレは、駄目だ。

 地面に降りた所長はアン・ディールが放った雷槍を見て、その神秘を一目で啓蒙してしまった。神霊魔術に匹敵する宝具でさえ鱗で防ぎ弾くだろう竜種の神を、恐らくは一撃で突き穿って地面に落とす神の奇跡だ。空を飛ぶ神以上の存在を地に落とす為の神秘を、果たして“人間”を極めたサーヴァントとは言え、受肉した忍びが受けて無事で済むものだろうか。

 

「――――ぬぅう………ッッ!!!」

 

 だが―――その程度の危機を踏破してこそ、葦名を相手した天文台の忍びよ。

 オルガマリー・アニムスフィアを主とする隻狼は、この特異点を修復する為ならば手段を一欠片も選ばず。横目で盗み見たアン・ディールのその秘術も一瞬で雷鳴が纏わり付くの見抜き、その攻撃方法を様子から見切っていた。

 直撃―――刹那、竜殺しの神雷が刀に宿る。

 念を刀身に宿らせる纏い斬り。殺し極めた業へ至った狼にとって、殺し尽くされた古竜の怨嗟が積もる奇跡の物語も同じもの。怨嗟の炎と同じく神の雷撃を刀に纏わせ、忍びは雷電を一筋の投げ槍として撃ち放った。

 ―――雷返し。

 仙郷に住まう桜竜の落雷を受け止め、そのまま斬り返して神なる竜を倒した葦名の業。

 

「――――ガッ!!!」

 

 騎士は、騎士甲冑と光玉の防護鎧を貫通した雷撃で全身が痺れて硬直。盾を構えて受け止めたが、それでも隻狼の雷返しで更なる怨嗟を積もらせた竜殺しの雷槍は、この騎士であっても万全に防御可能な神秘ではなかった。

 

「ひゃっはー、流石私の忍びよ!!」

 

 何時の間にか旧式拳銃(エヴェリン)から重機関銃(ガトリングガン)へ持ち替え、更に魔術回路をフル起動させた強化魔術を施した上に、骨髄の灰を銃火器に所長は染み込ませた。

 身動き出来ない相手に躊躇わず―――連続発砲。

 ガガガガガガ、と弾幕が炸裂し続ける重い音が奏でられた。同じく、その発砲音と同じ回数の着弾音が鳴り響いた。

 

「ああ……やはり、宇宙は空にある――――!!」

 

 掲げた両掌から小宇宙を空へ開き、その高次元暗黒から星々の小爆発を呼び掛けた。相手が怯んで身動き出来ない隙を逃さず、更に自分は安全な遠距離から一方的に攻撃する。やはり医療教会の理念を啓いた学び舎の狩人は、人間を狩り殺す最も有効な術を理解していた。卑怯者で在る程、狩人は狩猟が巧いものである。所長が空に浮かばせた宇宙と比べれば小さいのだろうが、その小爆発一発一発が当たったサーヴァントの肉体を抉り飛ばす破壊力を持つ。

 ―――まるで、空間を炸裂させた音。

 騎士は更なる白い霧を纏い、その神の力を一気に解放させていた。

 

「神の、怒り……っ―――!?」

 

 アン・ディールは騎士が放ったソウルの業を見抜く。その神秘のからくりを把握してしまった。それは正に、あの腐れ滅んだ神々よりも更に古き力の具現。だが彼女のそんな言葉も爆風の中に消えていき、何もかもが光に呑まれて行き、周囲全てが空間ごと吹き飛ばされた。

 ……騎士を中心に、地面にクレーターが作られている。

 スプーンで柔らかい豆腐やプリンを掬い上げたように、綺麗な断面で半球状の穴が掘られていた。

 

「……ふ、相変わらず苦い草だ。しかし、駄目だな。流石に同格相手では、四対一は無謀だったか。まぁ、慣れてはいるが」

 

 ムシャリ、と兜の口元を開き、そのまま草を食べた彼は呟いた。騎士と戦っていた四人全員が数十メートルは吹き飛んだ。爆発源から近かった者は生命力を強引に削り取られ、直撃せずとも爆風で地面に何度も叩き付けられた。

 この騎士とて、数の暴力を理解している。一対一ならば勝率は高いが、一人二人と増えれば敗北するリスクが劇的に上がる。ならば複数相手に一発逆転の技を隠し持つのは当然であり、ガトリング銃と小爆発の弾幕で巻き上がった土煙が巧いこと騎士の動きを隠していた。指輪と技術で巧妙に隠していた殺意と魔力の気配を相手に感じさせる頃には、既に獣より啓発された神の怒りを彼は全周囲へ向けて力を解き放っていた。

 しかし―――正しくこれこそ、眷属(ケモノ)となった騎士が撃ち放つ“神の怒り”である。

 嘗ての破壊力からは程遠い異常なまで膨れ上がった殺傷能力。地形を一瞬で容易く変える獣の奇跡となれば、名前通り神の怒りに相応しい。

 

「……では―――殺すか」

 

 騎士盾を持つ左手、その手首に巻き付けた獣の触媒(ペンダント)を光らせる。騎士はまるでシールドに仕込んだ銃火器を発砲するかの如き動作で、小さな火球の弾幕を所長へ向けて連発。騎士は敵対者共のリーダー格となる人物を見抜いており、まずはと最初の殺害対象として選んでいた。

 火の飛沫と呼ばれた魔術―――しかし、もはや重機関銃に等しい殺戮神秘である。

 ソウルの業は使い手のソウルが膨れ上がり、進化し、深化し、それこそ獣に並ぶ神秘(ソウル)の持ち主ともなれば、術理の限界に届くまで強くなるもの。威力、弾速、連射の三つが強まった騎士が制御する火の飛沫は、人類が生み出した殺戮兵器を超えた神秘兵器であるのが必然。

 

「……所、長ッ―――!?」

 

 だから、彼女はジッと黙って待ち続ける事など出来なかった。

 

「弱き人の子よ。だが、強き意志を持つ者よ。良き護りの盾だが―――」

 

 機関銃のような火の飛沫をマシュは所長を守る為に受け止め続ける。だが騎士は弾幕を張りながら嘗て無限に殺し尽くした偽王の力を真似て、地を滑る様に移動することで彼女の眼前に一瞬で迫った。

 

「―――騎士として、未熟なり」

 

 悪魔の男は北騎士の盾(ナイトシールド)を使ってマシュの十字架盾を押し出(バッシュ)した。しかし、そんな事は彼女とて理解していた。敵と自分の技量差を計ることさえ出来ない程、この騎士はサーヴァントとしても見ても異次元領域の巧さを誇っている。

 如何に堅く盾を構えた所で、一切無価値。

 どれ程強く盾を押そうとも、合切無意味。

 自分以上の盾の技巧を誇り、騎士は堅牢。

 ならば、単純に相手と技巧を挟まない力比べに持ち込む他に手段無し。盾が全く通じない技巧の悪魔が敵だろうと、それでもマシュは盾の英雄として戦わねばならないと自分自身で決心したのだから。

 

「それが、どうしたと言うのですかぁ……!!?」

 

「貴公……それは、捨て身か?」

 

「―――――!」

 

 しかし、向かって来たマシュに騎士はあろうことか、その硬い兜で頭突きを喰らわせた。生身の少女が相手だろうと、頭部を砕く躊躇いの無い攻撃だった。所詮は人間性を捨て去った人真似ばかりのデーモンなのだろう。

 しかし、人間がかまされると本来ならば頭部が血飛沫になって霧散する破壊力であったが、マシュはシールダーのデミ・サーヴァント。英霊と大盾からの護りによって彼女は額から血を流すだけで済み、頭蓋骨が指で押し込まれたビニールボールのように陥没することもなかった。

 

「だが称賛しよう―――……」

 

「ぁ………ッ――――――」

 

 頭部を狙って降り下した騎士剣の刃であったが、マシュは咄嗟に回避。何故かは分からなかったが、男はそんなマシュを見て本気で剣を振り下せなかった。隙を晒した敵を殺すなど幾万を超える程してきた行為だと言うのに、殺意を込められず何時もの反射的行動で温い剣戟を放ってしまっていた。

 剣に意志も込めずに振い―――その一閃が、振い終わった。

 

「……左腕は、頂くが」

 

 そして―――彼女はそれでも斬撃を避け切れなかった。

 ボトリ、と言う物が落ちた音。地面に堕ちた少女の左腕を流し見た騎士は、止めを刺そうか否かと言うデーモンに堕ちた筈の自分自身が思う訳もない葛藤に驚きつつも、それでも人間性を捨てた悪魔の心は躊躇わず剣を構えさせていた。

 

「マシュぅうううう――――――――!!?」

 

『マシュ……ッ――――!!!』

 

 その光景を見ながらも、藤丸は叫び声を上げても止まらず走った。通信機越しで見ていたロマニも、自分の声がマシュに届かないのだとしても叫んでしまった。

 

「――――ぐぅ、うぁわぁあああああ!!」

 

 けれども、それでもマシュは自分がシールダーであるのだと―――カルデアの盾なのだと、決意を強く、何よりも強く奮起させている。

 たかだか腕を斬られた程度の痛み、と自分で自分の痛覚を誤魔化した。

 

「貴公。まことの、騎士なのだな……」

 

 自分の胴体を砕く勢いで抱き締める片腕の少女を上から見て、この少女が所長と呼んだ女を殺す自分を捨て身で止める騎士を見て――――悪魔殺しの悪魔(デーモン)は、最後まで自分を見守ってくれた女を踏み潰したことで失った筈の人間性が今この瞬間、僅かに燃えるのを実感してしまった。

 自己犠牲など、そんな人間性に溢れた人間的行動が自分の行動原理だった。そんな悪魔に成り果てた騎士にとって如何でも良いことを、盾を投げ棄てて自分を盾にする少女を見て思い出してしまった。

 騎士は確かに、そんな自分と、それを思い出させるマシュに驚いていた。だが驚くと言うことは、その驚愕してしまった対象へ意識が一点集中することを意味する。

 

「……――――」

 

 短銃の発砲音。パン、と二つの銃口から撃たれた弾丸二射。それら二つは騎士の両目を突き破り、脳味噌を破壊し、兜で守られた頭蓋骨を粉砕した。

 

「―――くたばれ、悪魔が」

 

 部下の腕を奪った奴相手に、所長は怨嗟が籠った台詞を言い捨てた。気配なく無音で意識を再起させて飛び起きた彼女は、起きながらも殺害準備を直ぐ様に整えていたのだった。マシュが作った隙を再起後一瞬で把握し、教会の連装銃を脳から取り出し、同時に灰と魔力で強化しながら発砲していた。狩人にとって、相手となる自分以外に意識を向けて集中する獲物など、殺すに容易過ぎるのだろう。

 ―――しかして死んだ騎士は、神の奇跡を以て光り甦る。

 おそろしい事なのだろう。これ程の化け物が蘇生魔術を自分に掛けている等、考えたくもない事態。しかし、最初からそうかもしれないと戦いに挑んでいた忍びが一人。

 

「ぬぅ―――!」

 

 直撃した神の怒りによって確かに死ぬも、回生した狼は更に瓢箪によって肉体を癒していた。そのまま視認した騎士へ向け、納刀した楔丸の抜刀へ一心する。直後、斬り放った。

 竜閃―――空を斬り断つ居合こそ、葦名無心流の秘伝なり。

 忍びは剣聖を超えた剣神を、更に剣技で上回る達人。居合から斬り放たれた刃は、あの恐るべき騎士を一刀両断せんと宙を飛ぶ。

 

「グォ………ッ―――!?」

 

 まともに受ければ真っ二つ。騎士は自分の一瞬後の未来を測定し、危険と判断すれば生存に渇望する理性と本能のまま無意識的に行動可能。地面へ飛び込むように体を投げ出し、肩から着地することで流れるように前転(ローリング)回避した。転がった後は直ぐに起き上がり、一回転した視界を元に戻して状況把握に専念する。

 そこには、騎士にとっての死が溢れていた。

 獣の眷属となることで真なる神の怒りを解き放ったと言うのに、誰一人として息絶えた者がいなかった。

 

「おおぉおおおおお……っ―――!」

 

 勿論のこと再起したのは忍びだけな訳がない。らしくなく雄叫びを上げた薪の不死(ディール)は火継ぎの螺旋を更に炎上させ、騎士に炎剣を巧みに振って斬殺と焼殺を狙う。百メートル以上も離れた相手に対し、ディールは一気に飛び込んだ。だが、悪魔の騎士(デーモンスレイヤー)とて迎撃するのみ。一歩踏み込んだ状態を維持し、勢いそのまま噴射機動によって自らも飛び出した。

 ―――激突。

 空中で真正面からぶつかり合った二人は、その激闘による衝撃波と魔力波を撒き散らす。つらぬきの騎士の写し身(デーモン)が持つ剣を模した刃を刀身に纏わせて偽王の力で加速する騎士と、亡者の孔を炉にして封じ込めた最初の火から煮え滾る炎を大剣から溢れさせた薪の灰。

 もはやサーヴァントと言う領域からしても、余りに埒外な概念と神秘の衝突だった。

 

「貴様は、そのなりでまだ人間のままか……」

 

「御明察ですね……けれど―――そのソウルの業、何処で手に入れた!?」

 

 ソウルの根源を求めに求めて、未だ死なずに生きて求め続けるアン・ディール―――否、原罪の探求者を炙る炎を火継ぎした名無しの呪われ人は、絵画世界を飛び出して訪れたこの人理世界(テクスチャ)において、初めて自分の魂を起源としないソウルの業に出会った。出会ってしまった。

 彼女は―――火の無い灰は、亡者の暗い穴を炉にすることで最初の火を奪還した女。

 それら全ては、ソウルの全てを知る為に他ならない。つまるところ、ソウルの根源を求めて今まで生きていた。それが自分自身に課した灰の不死である彼女の使命なのだから。 

 

「神よ。神と信じられた獣が、我らにソウルの業を齎せた……―――だが、何故この世界でソウルの業を知っている?」

 

「お前に話す道理はないですねぇ……!」

 

 古い獣の大剣(北のレガリア)を騎士はソウルから取り出し、愛用の騎士剣を交互に仕舞い込む。鉄が溶けた全身甲冑を着込む女騎士を、この騎士は自分と同等の技巧と神秘を持つ怪物だと判断。使い勝手を考えれば北騎士の剣やクレイモアの方を騎士は好むのだが、悪魔殺しに一番相応しいとなればこの大剣なのだろう。ソウル内部に所有する武器たちの中でも、武器自体の強さを考えれば古い獣の眷属となった今、獣が悪意と共に世界へ残されたこのレガリアこそデーモンスレイヤーに獣の力を最も強く齎す神の宝具である。

 その場に獣の悪意が存在するだけで、レガリアを目にした人間の魂を歪まさせた。火の螺旋があらゆる魂を燃やす剣であるならば、獣の悪意はあらゆる魂を喰らう剣で在るのだろう。

 

「ならば、貴様は獣の餌となり給え」

 

「ならば、貴様のソウルを奪うまで」

 

 火継ぎの剣とレガリアは互いに同等の領域。神秘としては螺旋剣の方が格上かもしれないが、魂を斬り喰らう獣剣とて一撃で相手に致命傷を与える事だろう。

 数秒間で十を超えて百に近く、そして更に剣戟が交わる回数は増える。魂を焼き尽くすだろう美しい炎を撒き散らすディールを相手に、騎士は巧みな剣術で火炎ごと刃を斬り返す。あるいは騎士盾で受け弾き、流し逸らす。

 未だ、互いに致命傷を与えられず。だが薬草で霊体への損傷を一度きりの復活で蘇生してから回復していない騎士に対し、ディールは神の怒りを咄嗟にソウルから取り出したハベルの盾で防ぎ、その上で防ぎ切れずに負った傷をエスト瓶に溜めた篝火の熱で回復させていた。

 この何ともし難い状況を騎士は変えたかった。火の嵐によって周囲一帯ごと殲滅を考えたが、目の前で燃えるこの騎士を相手に火は有効ではないと判断し―――だが、獣から由来する魔術の火ならば如何かと試すのも一興。

 左手から騎士は炎を発火。

 しかし、同じくディールも左手に宿る呪術の火から黒炎を放つ。

 

「―――グヌゥ!」

 

「馬鹿が。この私が、ソウルの炎ならば見切れぬとでも思うたか……―――ローレンス!」

 

 人間性の重い黒炎は相手の武の構え(スタミナ)ごと体幹を崩し、だが騎士は死の予感を先に読み取り、受けた衝撃を利用して背後に向けて逃げる様に後転(ローリング)した。実に慣れた回避行動であり、一瞬にして数歩分の距離を稼いだ。

 直後、襲撃。狂わしい軟体獣が、その先で待伏せしていた。触手と共に獣の爪が幾度も絶える事なく振われ続ける。爪を避けようとも神秘の軟体触手が伸びて鞭の如き動きで騎士を叩き、懐に入ろうとも爪の連撃が一気に体勢を崩しに襲い掛かって来る。騎士は盾か剣で攻撃を弾き流し、その隙に軟体獣を殺しても良かったが、自分がそうするだろう隙を狙って連装銃を構える狩人が居た。螺旋の炎剣を構え、ローレンスから離れた瞬間に全てを焼き払おうとする薪の不死が居た。

 そして、忍びもまた戦線に立ち戻った。楔丸に自らの血を流し込み、まるで所長が持つ千景のように血刀を刃に纏わせていた。

 

「………っ――――!?」

 

 となれば手段は一つ―――逃走だ。甲冑を着込んで騎士の格好をしているが、騎士の矜持など微塵もない悪魔であるこの騎士は、相手を屠る為ならば平気で背中を見せる殺戮者である。だが、この相手四人に後ろ姿を見せるのは危険と判断し、バックステップからそのまま一気に移動。

 何ら躊躇いもなく見せられた騎士の逃げる姿。

 まるで滑空浮遊(ホバリング)するホバークラフトのように後ろ向きに疾走し、彼は一気に逃げ去った。無論、これは騎士殺害の好機である。忍びは血刀のまま影無く走り出し、軟体獣は更なる変態で四足歩行となり、薪の灰は足から火を吹いて飛び立とうと身構えた。

 

「止まりなさい、逃がして良い!!」

 

 だが―――それを止める声。所長は騎士の殺害は不必要と判断し、ヤツを逃がす為の命令を出した。正にその時、全員が自分自身に掛けた自己強化の術が順番に解けだし、通常の形態に戻っていった。とは言え、軟体獣になったローレンスは変わらずそのままで、ディールも火に溶けた騎士姿の状態であるのだが。

 それを見た悪魔の騎士(デーモンスレイヤー)は、やはりあの狩人は頭が切れると素直に内心で称賛した。記憶から奇跡を呼び出し、霊体を世界から排除する送還の呪文を備えていたのが、どうやら直感かなにかで悪寒を察した様だ。まだカルデアに戻って正式契約をしていないローレンスであればマスターの元に還されるのだろうが、所長のアサシンである隻狼であればカルデアに強制送還されていた可能性が高かった。霊体ではない生身の人間ならば無害な術だが、ことカルデアと契約したサーヴァントにとって最も有効な奇跡となろう。

 しかし、それはそれとして勝機を逃したのは事実。

 敵陣鏖殺を本懐とする悪魔殺しは、全員のソウルを奪い取りたかったが、今回はこの四つのソウルで我慢するしかないだろう。それにこの騎士王のソウルと言う魂は、月明かりの大剣と共に鍛えれば面白い()の“宝具”を神殿で生み出せるとデーモンとして確信していた。あの狩人と薪の灰はデーモンにとって更に素晴しいソウルだと感覚したが、今は諦めるしかないと撤退を決めた。なので、取り敢えず薬草を食べる機会も来たので念の為に生命力を回復させておく。

 騎士は漂流することで侵入した土地を眷属として記憶し、この世界に“要”を設置出来ていた。獣の眷属として世界へ遣わされる尖兵が正体の一つでもある男は、古い獣の瞳となる役目は終えたと考えて良い。

 つまりは―――この燃える世界を、獣の苗床にする準備はもう始められると言うこと。

 

「貴様ら、この度は存分に楽しませて頂いた。感謝する。しかし、大人しく殺されるのも癪でな。殺せぬは不愉快だが……―――いや、嘘を吐いた。

 ……全て、この殺し合い全てが、あぁ実に良かったよ。

 特に盾を持つ貴公、久方ぶりに悪魔に堕ちた私が人間を垣間見えた。では、さらばだ」

 

 言葉通り自分自身に納得し、しゃがみ込んだ騎士は姿を静かに消えて行った。本当にこの世から消え去り、魔力も存在感も完全に無くなってしまった。そんな捨て台詞を所長らは聞きながら、敵を逃がした苦い気持ちもなく恐ろしい敵を見送った。

 判断として―――敵を逃した所長が、一番正しかった。

 あんな敵ならば殺したとして、それで一体どうなると言うのか。恐らくは、不死。生命力を完璧に殺し尽くしたとしても、此処ではない何処かで蘇生する啓蒙が出来た。あの怪物から感じ取れた存在感から、悪夢に囚われた自分と変わらない不死性を瞳で解き明かした。

 この状況で逃げてくれるなら、それで良い。

 オルガマリーにとって最も重要な目的は突如として遭遇した第三者的敵対者の抹殺ではなく、この特異点の解決だ。しかし、今はそれよりも更に解決しなくてはならない問題が一つ生まれてしまった。

 

「マシュ……―――!?」

 

 騎士がこの世界から離れて去ったと瞳で啓蒙(確認)した所長は、背後で倒れる部下の元へ走り寄って行った。















 チュートリアルがそろそろ終わりに近づいて来ました。デーモンさんはマジのデーモンに成り果ててしまいましたので、まるでノーマルからネクストに乗り換えたレイヴンみたいな戦闘能力を持っています。なので偽王みたいにホバーブーストはしますし、悪魔パワーでジャンプだって出来てしまいます。
 それと型月主人公特有の強化イベント入ります。隻狼と同じで、本編主人公は片腕を失ってからが本番ですからね。式しかり、士郎しかり、所在しかり、やはり義手キャラは特別感高いです。FGO第一章の主人公は藤丸と見せ掛けて、藤丸視点で見続けるマシュの方じゃねと思いながらプレイしていましたので、第一章はマシュの方が主人公度高めで送って行きたい気分です。そこまでが色々と始める為のチュートリアルになる予定。


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啓蒙9:ベトレイヤーズ

 濃厚なキスシーンがあります。御注意ください。


 忍びは、憂いた目で少女を見ていた。自分と同じく、誰かの為に腕を失った者。もし有り得るならば、自分の忍義手を渡しても良いのだろうが、この娘に殺し極めた業を引き継がせ、怨嗟の寄る辺にする訳にもいかないだろう。

 そんな暗い気分になった所為か唐突に、この年頃の時、忍びは自分が何をしていたのかと過去を思い馳せる。

 

「…………」

 

 思い出は、修行と殺しだったか。戦国の世において、薄井の父が仕えていた葦名に敵は多かった。殺しなど日常に過ぎず、殺されぬ為の修行も当然の日課だった。義父である梟やお蝶とも子供時代は深く関わり合いがあったが、その二人も結局は自分が斬り捨てた。

 命を賭して守るべき者。マシュ・キリエライトにとって、それは一人だけと言う訳ではないのだろう。

 ならばこそ、身を投げて盾となる彼女を守るべき人がいなければならない。自分がそんな役柄ではないと無表情のまま内心、鼻で嗤うが、今はそう在っても良いだろう。

 そして、今の狼も守るべき主は一人だが、守りたい者は一人ではない。ならば、と忍びは黙り込む。何時如何なる襲撃にも備える為に、彼は影に溶けて見張りに徹することにした。

 

「いえ、大丈夫ですから。本当に無事ですので……」

 

「いや、いやいやいや。マシュ、貴女それって強がり過ぎじゃない?」

 

「でも、本当に大丈夫なんですよ。安心して下さい、所長」

 

「…………フォーゥ」

 

「ほら、フォウさんも心配しないで!」

 

 むん、と右手でポーズを取るマシュを所長を見た。普通に片腕がない姿が強調されて痛々しい。所長は次にあの悪魔野郎と出会ったら内臓全て千切り取ってやると決意を新たにしながらも、騎士は不死なので魂が磨り減るまで何度も内臓抉って殺してやると更に自分の心へ決意。

 ……純粋無垢にも程がある、と同時にオルガマリーはロマニとレフに悪態を心の中で吐いた。

 確かに善い娘にマシュは成長した。それは教育者として良い事なのだろう。人を羨まず、白く在りの儘に他人を喜べるマシュは、人間として羨ましく見えてしまう程に素晴らしいのかもしれない。しかし、マシュの片腕はカルデア所長を守る為に失った肉体の一部。そこまでの献身をマシュに求めておらず、下した命令に準じているならば、自分の命を第一に優先するよう命令してある筈。何よりも、彼女には待機する命を下しておいた。しかし、それでも所長の護衛は彼女の職務として正しく、ならばそれを責める権限も道理も、所長で在るが故にオルガマリーは所持していなかった。

 オルガマリーはまともな罪悪感など残ってはいない異常者ではあるが、自分を守ろうとしてその身を犠牲にした無垢な少女に対し、全く以って彼女らしくない罪の意識が脳に発生したことを自覚していた。

 

「はぁ……良いわ。いや、本当は良くないんだけど。まぁその……貴女は身を呈し、死ぬ寸前の私を守ってくれました。

 感謝します、マシュ・キリエライト」

 

「はい。ありがとうございます、所長!」

 

 左腕の切断面は、既にマシュが自分自身の霊媒魔術で治癒済み。流石に腕を生やすなど出来る訳もないが、出血を止めることは出来ていた。応急処置ならばカルデアでしっかりと学んでおり、怪我を放置して出血多量で死ぬような事にはならない程度の医療技術を持っていた。

 ちょっと箱入り娘に見えるマシュはこう見えて―――いや。知性的な雰囲気と見た目通り、非常に優れた学術知識と学問的技術を持っている。英霊を憑依させる程の魔術回路を持ち、魔術師としての素養も十分以上。Aチームでも学問は主席レベルの天才児。素の頭脳明晰さなら所長クラス。そのマシュは自分のそんな行動が、カルデアにとって一番利益となる正しい行いだと判断する。

 隻腕は辛いのかもしれない。けれども致命傷にならない外傷一つで所長が守れたのなら、自分の腕程度の犠牲なら安かったとマシュは安堵していたのだから。

 

「何処が安心できるんだよ、マシュ」

 

「せ、先輩……?」

 

「だって片腕が……マシュの左腕が―――!」

 

「…………―――先輩?

 でも、これは仕方がないことです。所長が死ねば、私はカルデアを守れませんから」

 

 怪我をしたことを心配される事は良く分かる。マシュにとって先輩はそう言う人で、そんな風に会ったばかりの何でもない自分へ、身を呈して守ろうとする程に立ち向かえる人だ。恐怖もあって、不安もあって、普通の感性のまま危機を超えて生き抜こうとすることが出来る人生の先輩だ。だが、それとこれの話は別。自分が戦闘で怪我をするのは同じく当たり前だ。恐ろしい事に、マシュは何の憂いもなく死ぬ気であったのだ。

 所長は、マシュはそれで良いと考えている。魔術師がそう在るべしと死ぬように、ロマニとレフによって外の知識と生きた感情を蓄えたマシュが、それでも今までの自分自身を肯定して生き、その結末として死ぬ事を許すのであれば、何ら問題はないと考えている。死ぬべきと本人が認めたならば、それで死んで良いのだろう。

 ……そう、思っていた筈。

 けれどもやはり、我々カルデアは彼女にとても酷い事をした。そして、今も行い続けていた。血塗れの悪夢を生き抜いた所長からすれば、純粋無垢など呪いよりも酷い束縛だ。強要せずとも、今の彼女は駒として完璧だった。だからこうして職務を全うして左腕がなくなった彼女を見て、所長は自分の魔術師的思想を嫌悪した。同時に、それを嫌悪出来る自分自身に安堵もしていた。

 

「ねぇ。マシュは………いや、良いんだ。今は、無事ならそれで。マシュは殆んど初対面だった俺のことも命掛けで守ってくれた。だから、マシュが所長を助けたことは絶対に間違いじゃない。俺もそうしたかもしれないし、助けたことは正しいことだから。

 それに俺はマシュが戦うことを否定しなかった。そうしないと全員が死ぬのは分かっていたから、怪我をするのも、許せないけど……生きる為に、仕方ないのかもしれない。

 でも――――所長、どう言うことですか?」

 

 だからか、藤丸はその様子からマシュの心を理解してしまった。身を捨てる献身を垣間見て、心情の動きを分かってしまうことが出来ていた。この歪みはマシュが自分自身で有するモノなのかもしれないが、それをそのまま利用しているのもまた事実。彼女が死んでも良い等と考えている訳ではないだろう。しかし、死ぬべき時に迷わず死ねるような強靭な意志を持っている―――否。持たされていると考えても良かった。それが職務上、許されている。

 藤丸は所長と言う人間と僅かな時間だが接してみて分かったことがある。

 オルガマリー・アニムスフィアは全てを理解した上で、マシュ・キリエライトがそう在ることを許容しているのだと。

 

「変に勘が鋭いわね、貴方。確かにカルデアは……いえ、違うわね。ごめんなさい。人間として謝罪するわ。でも、ここってそう言う組織なのよ。デミ・サーヴァントって言うマシュを見れば、想像通りのことをしていたとだけ言っておくわ」

 

「……ッ――――!」

 

「―――幻滅、したかしら?」

 

 その所長が洩らしたたった一言が藤丸にとって、確かに胸へ入り込む感情だった。顔の表情に嘘がないこの人は、勘でしかないが恐らくは―――マシュ・キリエライトの味方であるのだと。

 

「はい。けれど、所長やドクターが、望んでしたとは思えません」

 

「私は、まぁ何も言わないけどね。責任者だから、すべて承知の上よ。その上で部下が死ねば、その責任も所長として取るの。

 ……だから、カルデアを第三者的視点で聞きたいなら、ロマニからよく聞いておきなさい」

 

『ちょっと所長……!』

 

「なによ、主治医?」

 

『―――っ……はぁ、良いですよ。だから、帰りのレイシフト失敗なんて真似、しないで下さいよ!』

 

 そんな喧騒を聞きつつも、ディールはカルデアの礼装に戻り、蛞蝓とカリフラワーと狼を混ぜたような軟体啓蒙獣と成り果てていたローレンスもあっさりと人間の姿となっていた。

 

「フラグ乙でしょうか?」

 

「それは何だ、マスター?」

 

「嫌な予感と言うものです。虫の知らせを現代日本の流行り言葉で訳しました」

 

「ほう。いやはや、確かに言語変換の魔術は、余り魔術が得意ではない藤丸の母国語に合わせ、我らは日本語で話してはいた。だが、単語や文章の概念は分かるが、そこまでの流行り言葉は訳されぬ訳か。

 成る程。狩人は崖に立った、フラグ乙……と。こう言う使い方か」

 

「崖ですか……あれは、少し苦手です。それ以上に、好きにはなれたのですが」

 

 崖。正しく、身投げ場。敵を死に吸い込む掃除機。ダイスンスーン。特に聖職者にとって、格好の狩り場となるフィールド。アン・ディールは元々奇跡を扱う聖職者を素性とし、そして神に仕える人間として学んだ奇跡の内、攻撃力がない基礎的奇跡フォースがもっとも真価を発揮するのだから。

 ……フォースとは、決して守りの奇跡ではない。

 人を高所から落下死させる殺戮技巧の一種。ディールはよく無警戒に歩く獲物に崖近くで奇襲し、叫び声と共に哀れに落ちる不死の姿をほくそ笑みながら見るのが大好きだった。その光景、全く以て哀れなる落とし子であろう。

 ついでだが、苦手なのは自分も戦闘中によく足を滑らせて死んでいたからとなる。

 

「崖を?」

 

「はい。崖を」

 

「そうか。良くわからんが、我が主が天然だと言うことは理解した」

 

「何故です?」

 

「さてはて、何故かと来たか……難しい。それはまるで、その星が何故その名を有しているのか、と言うような問いだろう」

 

「ほうほーう。つまりあれですね、天然を天然と断じるのに理由はないと言うことですね?」

 

「流石は我が主、正鵠を射たな」

 

「カリフラワーみたいな顔だった癖して、口は随分と達者みたいですねぇ」

 

「あぁ、この世でもっとも美しい顔だろうな。そして私は、カリフラワーは好物である故に。暇な時があれば、白くべたつく蛞蝓眷属の血をソース代わりに頂きたいところだよ」

 

「おう……それはまた―――いや、良いです。食事をしても味とか私、全く分かりませんから何も言いません」

 

「残念だ。血の滴る獣肉ステーキほど、人間に幸福感と満腹感を与える料理はないと言うのにな。学友にも振る舞った我が叡智の料理学、マスターに振る舞うのも一興だったのだが」

 

「学友?」

 

「学友だ」

 

「ローレンス……友達とか、まさかいたのですか?」

 

「居たぞ。無論だとも。学徒らしく徹夜で研究し、学長と共に教室へ籠もって実験を繰り返したものだ。そして、私はあの生活に無頓着な連中の面倒を見るのが趣味でな、よく実験も兼ねて美味しい料理を作って食べさせたのさ。

 しかし解せんのが、評判が何故か一番良かったのが……ミコラーシチューだったのが許せんかった」

 

「ミコラーシチュー?」

 

「すまん。噛んだ。ミコラーシュシチューだ」

 

 学び舎ビルゲンワースの研究発表会において、ここぞと言う所でよく噛む男。それがローレンスであった。

 

「そうですか。ミコラーシチュー、食べてみたいものです」

 

 しかし、厭味ったらしく噛んだ方の名称を言う当たり、アン・ディールの性格は腐りきっているのだろう。その上でそんな彼女の言動を華麗にスルーするローレンスは、実に出来る大人な男であった。

 

「まぁ、旨かったぞ。ミコラーシュがヤーナム商店街で買い物して来た商品を適当に入れ、白くべたつくようクリーミィに煮込んだだけだったが。学び舎上級者は蛞蝓のような凄まじいゲテモノも好んでいたヤツも居た程だ」

 

「また白くべたつくって……え、それ、え。白子でも使っていたのですかね?」

 

「ふむ。白子料理か、まぁ嫌いでは無いぞ。精が付くからな、精だけに」

 

 ゲテモノ料理が何故か多いヤーナムである。牛や鶏よりも豚料理が多く、湖や川も近いので魚料理も豊富。部位を捨てることなく隅々まで食べる料理技術が発展していた。

 

「あら、セクハラですか?」

 

「そんな事を言えばだ、鶏の卵も殻の中身は卵子だぞ」

 

「成る程、確かにです」

 

 崖を使ったそんな殺戮技巧に酔っていた事までは流石に見抜けないローレンスは、自分のマスターが自分とは違う方向性で頭がぶっ飛んでいることを読み取りつつも、藤丸に負けないコミュ力を発揮していた。巧い事会話の方向性を逸らし、信頼関係を構築する手間を惜しまないマメなサーヴァントであった。

 

「―――で、ロマニ。計測はまだ終わらないのかしら?」

 

 マシュの体を肉体霊体含め総合的に健診しつつ、所長は管制室統括代理に声を上げる。一通りの敵を壊滅させたので傷を癒していたが、ロマニは変わらず働いている。取り敢えずの目的はまだ果たしていないが、敵性戦力がいなくなったこの特異点における各種情報を得るのも必要なこと。

 帰還する為に、所長はロマニの指令が必要なのだ。

 だが現状何も変わらないとなれば、この大空洞に訪れた当初の目標を破壊するしかないだろう。

 

『ええ、終わりません。しかし……この特異点は、今尚崩壊する気配はありません。やはり所長が言った通りだったようですね』

 

「そうね。じゃ、壊しましょうか―――大聖杯」

 

 肉体はそのままに、オルガマリーの意識が夢に堕ちる。数秒間だけだが意識を失い、所長は慣れ親しんだ狩人の夢に立ち戻り、その工房に保管しておいた水銀弾と、輸血液を血管に流れる血液に補充し直し、更に装備にも仕込み直しておく。素早く脳内魔術工房から意識が現実に戻れば、現実の所長も工房の装備品が充填されていた。だが、その短い間、主が無防備となる間は忍びが意識を張り巡らせ、やはり所長に隙などなかった。

 ふぅー……と、一息吐く。

 空に宇宙が再び浮かび上がった。高次元暗黒と繋がるアニムスフィアの魔術刻印が高速回転し、所長が改造し尽くした魔術理論が発火。

 空を超えた宇宙を制する外側の次元理論が熱を帯び――――

 

「―――吐き気が止まらないな」

 

 そんな聞き慣れた声の言葉を受け、所長は空の宇宙を消し去った。

 彼女は目論見通り、元凶を誘き出すことに成功。空の宇宙も霧が晴れるように消え去り、魔力を消費して暗黒を呼び込んだだけのようだった。水銀弾と魔力の消費も隕石を落とそうとした程のものでもなかった。そして所長の隻狼が前に出るも、それを逆に所長が念話で抑えた。この男の対応は自分がしなければならないと、彼女は男に声を出す。

 

「久しぶりね、レフ。数時間ぶりかしら」

 

「……腹立たしい限りだよ。私のことなど、最初から見抜いていただろう?」

 

「それは、どれの事を指しているのかしら?」

 

「この特異点に来た時点で、だ。汚らしいアニムスフィアめ!!」

 

 突如として激昂するレフ・ライノールは、カルデアの彼とは何もかもが異なっていた。

 

「……レ、レフ教授―――?」

 

「あぁ、マシュ・キリエライトか。デミ・サーヴァントになったばかりか、私が手駒に使っていたセイバー消滅の原因にもなるとはね」

 

「貴方は、本当に教授なのですか……?」

 

 悪意に満ちた憤怒の顔。邪悪と化した怨念の瞳。あのレフからは程遠い悪鬼の如き表情と声色は、マシュに疑念しか与えなかった。本人とは全く思えないのに、だがあの存在感と魔力はレフ・レイノールのものだと判断するしかなかった。

 

「そうだとも。中身は少々違うがね。

 故に、こう名乗っておこう。レフ・ライノール―――フラウロス、と」

 

「フラウロス……ねぇ。まさか、悪魔の名を名乗るなんて……―――あぁ、しかし、貴方のソレ、本物ね。冗談や思春期のアレなら一番良かったんだけど」

 

「屑が。この屑が……貴様は、相変わらずの屑さ加減だ、アニムスフィア。マリスビリーの方がまだ人間性に満ち溢れていたぞ。

 この時、この場面において、自分が死ぬ事さえ如何でも良いと思っているな!?」

 

「えぇ、そうよ。如何でも良いわ。私の命なんて……―――って、そう思ってはいたんだけど。そこの娘が左腕を犠牲にして守った命となれば、貴方の謀に焚べる訳にもいかないのよね」

 

「そうかい。マシュの腕を贄としながら、悪びれることもなく生存する。今まで出会った人間の中で特に君は、あの王を思い出させる非人間だ

 ―――死ね。

 直ぐに死ね。今直ぐ、一秒でも早く死ね!!」

 

 そう嘲笑ったフラウロスは、口上を述べるのを本当に直ぐ止めた。まるで高次元暗黒と交信する所長と同じような仕草で天に腕を掲げ、空中に黒い穴の門を開いた。

 

「この世で最もおぞましい魂の悪魔が―――あの獣の眷属が漂着した時は、担当する2015年も潰えたと覚悟した。だがしかし、君たちの働きによって恐ろしき眷属は撃退され、人理焼却は完成された!

 ……さぁ。見届けたまえ、狂った星見の女。アニムスフィアの末裔よ。あれがおまえたちが成してしまった愚行の末路だ」

 

 燃える星の姿。カルデアスが赤く焼け、地表全てが焼き尽くされていた。時空が連結した空間越しに、オルガマリーは、マシュは、ディールは、見慣れた筈の星見の地球儀が滅ぼされているのを確認した。

 

「わぁ……血みたいに真っ赤ね」

 

 なのにレフが見たかった驚き慌てるオルガマリーの姿はなく、やはりレフの想像通り何処か人類滅亡を日常で起こる些細な当たり前な出来事として受け止めている所長しかいなかった。冷静な所長に反比例し、マシュは凄く驚いており、カルデアスが燃えていることの意味も一目で理解していた。藤丸は正直、高そうな地球儀が燃えている程度の認識しか出来ないので、マシュが驚く姿を見て唯事ではないのだと雰囲気で察しているのみ。

 

「しょ、所長……カルデアスが。あのカルデアスが、燃えています!?」

 

「燃えてるわね、マシュ。こりゃ駄目ね。うーん、カルデア初のレイシフト任務、ファーストオーダーは完全に失敗ね。観測出来た原因の特異点は見付けたけど、その削除が出来なかったとなるわね。その挙げ句、今こうして人類全て燃え尽きて、観測した未来の可能性が現実となってしまった、と。

 ……それでどうなのよ、ロマニ?」

 

『言えることは少ない。だから所長、ボクが代わりに彼と話をさせて貰うよ』

 

「良いわよ。裏切り者を殺すのは、情報を取ってからにするつもりだし」

 

 と言いつつも、レフが所長対策が万全なのもまた所長は見抜いていた。身体強化と視覚強化により、銃弾を見抜いて対処する近接能力を持ち、更に周囲には水銀弾対策の魔術障壁に加えて、あの男は防御結界を周囲に纏いながら移動していた。本来ならば土地に建てる結界を自分と共に持ち運ぶなど、言うなれば城壁を移動させているのと変わらない。

 だが、そこまでしないと安心出来ないと言う慢心が欠片もないレフの姿でもあった。

 自分の所業を語る姿は隙だらけで、何時でも殺せそうに見えつつも、それは誘いに他ならない。隙を突こうと攻撃すれば、それこそ自分が隙を晒す事となり、レフの思惑に乗るのと同意。相手が時間稼ぎをしているのなら、所長は様子見をせず狩り殺すのだが、そもそも特異点脱出の為に時間稼ぎがしたいのはカルデア側だ。その気になれば大聖杯破壊も容易いこと。啓蒙的直感に過ぎないが、所長は自分の第六感を信頼し、ここは後手に回るが吉と判断。

 故に、最後には殺す敵を眼前にして会話をする必要はなくとも、何故かオルガマリー所長(アニムスフィア家)を憎むレフにとってはしなくてはならない事なのだ。そんなレフに近付けば、何かしらの罠が仕掛けられていると判断するのが狩人の常識だろう。それを察したからこそ、所長は不意打ちに水銀弾でレフの脳漿をぶち撒けることもせず、内臓を地面に撒き散らすこともしなかった。

 

「ロマニ・アーキマン、やはり生き残っていたか。私がファーストオーダーに急かしていたことを感覚的に疑い、様子見に徹していたか……―――屑人間め!

 同僚を信じぬ冷徹さ、所詮は魔術の徒。

 自らの頭脳のみでそこの女に気に入られた賢しさが、これほど憎たらしいと思った事はない!」

 

『……まぁ、ね。でもお気に入りって観点じゃ、君はボク以上だったじゃないか』

 

「そうよー。本気で疑ってなかったわ。なにせ正直な話、寂しい子供時代を送った女としての私にとって、貴方って理想の男だったもの。パピーよりも父って感じがして好きだったしね。後、普通に部下として特級で優秀だし、技術者としてならば、カルデア所属の変態技術者みたいに変態性もなく優秀で使い易かった。そして、人理保証機関カルデアにとってシバを作った貴方は、その運営基盤となる魔術師に他ならないもの。

 だから取り敢えず殺すけど、殺した後は存在する事を許してあげるわ。その死霊を加工して、カルデアの使い魔にしてあげましょう」

 

『ナチュラルに腐れ外道な発言を今するのは止めて下さい!』

 

「なによー」

 

『はいはい、良いから……―――それでレフ・ライノール、ボクから質問がある』

 

「何かね、ロマニ」

 

 取り敢えず、何時もの妄言だと所長の言葉を聞き流す。素直に聞けば脳が狂うことだろう。

 

『カルデアが外部と連絡が取れないのは、通信機の故障じゃない。燃えたカルデアスを見たままに、そもそも受け取る相手が消え去っていたのですね』

 

「―――そうだとも!

 故に、こう言わねばならないだろう。2015年担当者レフ・ライノール・フラウロスが、貴様たち人類を処理したのだと」

 

「どうして、どうして……―――そんなことを!?」

 

「……オルガが最後に集めた48人目の適合者。あぁ確か、藤丸立香だったか。ふん、神秘を見抜けぬ貴様に話した所で分かるまい。地獄を一度たりとて見もしなかった屑に過ぎず、平和を弄ぶだけの下衆の一匹に過ぎぬ貴様のような、死の何かを知ろうともせぬ塵屑そのものに過ぎない人類にはな!?」

 

 強烈なまでの悪意。そして、憎悪と嫌悪。ゴキブリを見た主婦を何千何万倍も凶悪にし、ホームレスを哀れむ富裕層のような傲慢に見下す瞳を凶星のように輝かせたとでも言うべきか。

 フラウロスの意志は、人間一人の精神を圧殺するには十分だった。

 だが、何故かは分からないが、藤丸は挫けなかった。湧き上がる意志が少年を前へ突き動かしていた。

 

「それは理由なんかじゃない!?」

 

 そして、所長もまた藤丸の行動を良しと考える。相手の情報を聞き出すのも重要だが、テロを行った犯行動機や心情もやはり重要な情報なのだ。

 感情のまま悪行を行った男へ問いを断行する正義感。いや、生き残った事への義務感か。

 

「―――……そうか。

 では無知蒙昧でありながら、愚鈍且つ、更に白痴に等しい無能の貴様でも分かり易い様、私の心情でも述べようか」

 

 語るつもりもなく、語るべきことでもない。レフとてそれは知っている。分かっている。その筈なのだが―――心を突き破られれば、憎悪は溢れ出てしまうものなのだ。フラウロスとなったレフ・ライノールにとって、それは確かに人間へ告げねばならない事であったのだ。

 そして、所長も信じていた男の心理を知っておきたかった。

 裏切り者は殺すが、それでも裏切る理由は分かった上で殺しておきたかった。

 

「それはな、貴様らが醜いからだ」

 

「―――……は?」

 

 意味が分からなかった。醜いから人を殺し、星を燃やし、全てを焼き尽くしたと言うのか。

 

「分からないと言う顔をしているな。では、そんな馬鹿な貴様でも分かり易い例えを出してやろう。自分が平和だと何も見ようともしない屑共に、誰かの不幸や死に対して共感も知識も有り得んからな。

 ふむ、ではあれだな……―――交通事故は分かるかな、藤丸立香?」

 

「な、何を言っている……」

 

「やれやれ。何も知らぬ貴様に、戦争で息絶える少年兵の話をして何になる?

 あるいは老人になるまで人を殺す事以外の職に就かず、そんな人間に殺される人間の話は?

 生きたまま焼き殺される前に、自分の目の前で娘や息子が殺されてから死ぬ女の話は?

 国家や宗教と言う大きな力による理不尽により、無実の罪で処刑台に立たされて死ぬ男の話は?

 ……故にだ、白痴の貴様だろうと分かる例えで説明してやるのだよ。平和な国を生きる君とて、人が文明を生かすのに人の命を消費していることは分かっていよう。人間は死に続けることで、他の誰かの死を貪ることで繁栄を許されている。人類史が腐り続ける事を、延々と許されている。

 そんな君にとって、交通事故はとても分かり易そうな“死”だと思ってな。そして、2015年の文明最先端において、金ほど人間を分かり易く擬人化出来る概念もないだろうな」

 

「……え?」

 

「少しは頭を使い給えよ。人が文明発展に発明品として乗り物を利用している。何故か?

 経済の為だ。金と言う概念をより高度に発展させる為だ。君も流石に交通事故で人が死ぬのは分かっている筈だ。平和な国にとって、一番凄惨な死の代表例だろうが」

 

 やれやれ、と首を振りながらフラウロスは溜め息を吐いた。

 

「人類史が生み出した金とはね―――人の命で出来ている。

 そして、平和な国を便利にする車両と言うシステムは、必ず死人が出る。如何に完成されたシステムを作ろうが、人が死ぬ。子供でも分かる当然のこと。だが、何故誰もが交通の文明を捨てないのか。人が死ぬのは間違っていると誰一人戦わないのか。それはね、人の死を上回るリターンがあると理解しているからだ。事故死と言う悲劇以上に、経済の繁栄の方が自分達に利益があると理解しているからだ。

 そして、そうやって人間の命を材料に経済を回し、社会は運営されている。ここまで言えば流石に分かるだろう……?

 何より、社会を運営する為に材料とされる人間の命は、交通の利便以外にも様々だ。文明の利器に果たして、どの程度の命が消費されているか理解してるかね。世界を見れば、おぞましい程の営みに溢れ返っている」

 

 会社の運営をしている所長には良く分かる。金は命を食べる魔物。精密機械に使われるレアメタルも安価に手に入れるには、アフリカで武装組織が支配する鉱山などで、人間が労働力として消費されて死んで逝く地獄があり、そんな地獄から生み出た商品を誰かが買い、更に自分が金を使ってその誰かから買っている。

 身近にある携帯電話に使われている材料にも、そう言った命で作られた材料が使われている。

 無論、それだけではない。テレビやパソコンや車などの工業商品、あらゆる食品やその加工食品なども何処かしらで人の命が使われいる。

 

「その金で現代人は生きている。故に、その細胞一つ一つが―――人間の命で生まれ出た。母親の胎の中で生み出る為にも命が使われ、生まれた後も同族の命を社会を通じて喰らって肥え太る人間共。

 人間は―――人間で作られている。

 命とは―――命から生まれ出る。

 更に人間は金によって生物を喰い、生命の糧とする。人間はな、食べ物に人の命をブレンドし、その死をトッピングしなければ快適に過ごせないと分かれば、平然と他人を喰い物とする気色の悪い獣なのだ。2015年の中、平和な社会で生存する全ての人間が例外ではない。無自覚のまま他人を喰らい、社会に喰い殺された不運な誰かを可哀想だと笑うだけの化け物だ。

 ……此処まで言えば、もう私の思想は分かった筈だ。

 今の貴様らは、赤子として生み出たその瞬間から―――命を喰らう薄汚いケダモノである」

 

 金と言う経済価値を維持する為に、果たして幾人もの命が消費され、そして今も消化され続けているのか。それは所長とて理解していた。

 1ドル、1ユーロ、1ルピー、1円。それらの一つ一つの通貨は、どれもが命を素材にしている社会の象徴だ。この位の金額なら良いだろうと安直な考えをする愚者を所長が心底嫌うのは、その為だ。世界を見回し、金と言う概念を社会がどんな風に生み出ているのか分かれば、一円程度だなんて、絶対にそんな台詞は悪意失くして喋れない。

 

「そら、そんな糞のような社会しか作れない塵共を―――この星から焼き消して、何が悪い?」

 

 もはや憎悪しかない。既に怨讐だけがフラウロスの両目の中で、聖人を磔にした十字架のように、黒く暗く輝いていた。

 ―――憎み、恨み、嫌い、貶め、辱め、嬲る。

 人間が、人間自体にして来たあらゆる邪悪を込めていた。

 

「……っ――――――」

 

 だから、藤丸には分からない。人間である藤丸には分からない。人間は確かにそうだが、人はそう在ることは罪ではない。だがしかし、もし人間が人間で在るだけで罰を受けるとなれば、この世全ての人間にナニカが罰を下すのかもしれない。

 けれども、やはりそれは間違いなのだと藤丸立香は決意した。

 邪悪によって滅ぶのかもしれない……いや、確かにこの瞬間、それによって焼き滅んだのかもしれない。

 

「―――間違っている。

 そうかもしれないのだとしても、無知な俺でもそれは分かる。俺は、俺が暮らしてきた故郷が、焼かれず平和な世界のままで在って欲しい!」

 

「それが傲慢なのだ、人間!!

 生き延び、生き永らえ、どの時代まで腐り済めば良い。

 何処まで、何時まで、我らは貴様らが死に腐るのを許せば良い。

 お前らが描き続けた人類史と言う絵画は、もう駄目だ。隅から隅まで腐り果てた。だからもう、我らが皆で燃やすしか手段など有り得ない!」

 

 濃厚な邪気と悪意に満ちた魔力は発しながら、サーヴァントに負けぬ威圧感が空間を押し潰す。

 

「その言い様、貴方って本当に人間じゃないようね。レフ・ライノールではなくなったフラウロス」

 

「―――オルガマリー・アニスムフィア。

 特に貴様は念入りに殺してやろう。人間らしい人外の化生め」

 

「へぇ、出来るのかしら?」

 

「貴様が如何な化け物と言えど、あのカルデアスに叩き落とされれば終わるしかあるまいて!!」

 

 瞬間―――念動魔術が発動する。その気になれば人間程度の肉体など、レフは空間圧縮によってテニスボールのような肉塊にする事も容易い魔術師だ。

 それを所長に向けて無詠唱のノーカウントで行い、彼女の全身を魔術力場で拘束。

 対魔力を持つサーヴァントだろうと中々に抜け出せない重圧は、レフの思念操作のまま相手を空中に浮かび上がらせ、自由自在に振り回すことも可能であろう。彼はその魔術によって所長をあの時空連結した穴へ叩き落とし、カルデアスによって分子分解させ続ける無限地獄に落とそうと画策していた。

 

「――――――ッ!!」

 

 思考の瞳とは――――脳に芽生えた意志である。

 へその緒とは――――人を超えた人の証である。

 狩人オルガマリーにとって、自らの思考と狩猟を縛る神秘など有り得てはならない。それが例え、自らの親となる赤子の上位者だろうと、人間以上の魔神だろうと、狩人は必ず敵を狩らねばならない。本来ならば悪夢の中でしか許されない上位者(グレート・ワン)の力だろうと関係ない。

 上位者が求めに求めた赤子の赤子、ずっとその先の赤子の赤子は、もはや上位者にとっても未知なる存在。

 

「―――ぐ、ぅ……ぉぉおおおおおおおおあああああああ!!?」

 

 オルガマリーの瞳が閃光を発する。眠る人の夢を覚ます朝日のように、彼女は両目から悪夢に浮かぶ赤い月の明かりを解き放った。

 それは夢の月光であり、現実を覚ます月明かり。

 

「私はね、レフ――――月の魔物に、血を穢されているの」

 

 赤い月明かりの瞳のまま、オルガマリーはそう微笑んだ。吹き飛ばされて叫び声を上げたレフは驚愕の表情のまま、オルガマリーに向けて目を見開いて更に絶叫する。

 

「なんだ……貴様は、それは一体なんなんだ―――ゲハァ!?」

 

 瞬間、フラウロスは全身の魔術回路が炸裂。大量の吐血を始め、両目から血の涙を流し、鼻と耳の穴からも血流が飛び出した。その光景はまるで、脳そのものが穴を通じて大量出血するイカれた姿であり、入り込んでしまった狂気を発狂する前に脳髄から直接的に瀉血するようだった。彼女に干渉してしまった所為で、逆に彼が魔術越しに狂気に近い何かに干渉され、その霊体と肉体と血管が狂い始めた。

 ……いや、狂い始めるところだった。

 それをレフは咄嗟の判断で、自らの血液を外へ噴出した。そうしなければ、オルガマリーの赤い月光で汚染された血が、レフ・ライノール・フラウロスを今とは違う存在へ作り変えていたことだろう。

 

「瀉血の業……か。それを学んでいなければ、私は貴様に返り討ちにあっていた訳か」

 

「いやはや、不死に近くないと無理な筈なんだけどね、それ。でも、何処で学んだのよ?」

 

「聖堂教会に伝わる秘術さ。何処ぞの秘境から伝わったのか知らんが、死徒に汚染された場合における緊急的処置だよ」

 

「あー……そんなことが。ふーん、ガスコイン辺りかしらね。でも素直ね、レフ。そんなにはっきり応えてくれるだなんて、降参でもする?

 それとも、ここから逃げ出す算段でもついたの?」

 

 一切の油断なく周辺の力場を瞳で監視し、フラウロスの動きにも注視する。無論のこと人間ならば再起不能なまで壊れた筈の魔術回路を修復しつつ、その回路によって再度エーテルを練る魔力の流れにも同じ様に注意する。人狩り専門に特化させた獣狩りの曲刀を右手に持ち、旧式拳銃(エヴェリン)を左手に備える。

 間合いを計る様に所長は、瞳で吹き飛ばしたレフに近寄った。

 油断も隙もなく、更に自分にはカルデアと言う仲間もいる。直ぐ後ろには隻狼がおり、進むマシュの背後から藤丸も近付き、ディールとローレンスも所長を守るようにレフへと近づいて行った。魔術回路が修復可能な化け物だろうと、ここで囲んでしまえば確実に殺せることだろう。

 

「あぁ、算段はついているとも……―――哀れなるオルガよ」

 

「……へ―――ぇ?」

 

「すみませんね、所長。人理焼却に賛同していたのです、私」

 

 所長の背後に居た忍びはあっさりと、女の右手で振われたクレイモアで首を断ち切られていた。油断も慢心もなかったが、暗殺者に彼の意識は注視せず、そして彼女の殺戮技巧は忍びに匹敵する暗殺術である。背後を晒した、それだけの隙が死に直結する程の業。警戒すると言う行いがそも無意味。対処するには、最初から女を徹底的に疑っているか、敵であると事前に気配を察知する必要がある。忍びは女にとって同格の技量を持つ技巧の化身であるが、そもそも同格の化物程度ならば暗殺し慣れていた。おそるべきは暗殺など絶対に不可能な忍びを相手に、いとも容易く暗殺を成功させる究極の殺人技。首を一閃された狼は、女の業を義父の業よりも惨たらしいと理解し、そのまま死んで逝った。

 そして、所長は背後から心臓を貫くように、左手の短剣で突き刺されていた。聖職者を名乗るこの女は剣神に等しい忍びを斬首するのと同時に、隙が全く無かった所長の心臓を刃で抉ったのだ。所長はその声の主を―――アン・ディールを見ようと振り返ろうとしたが、更に首を左腕で後ろから絞められて、大剣を手放した右手でまた短剣を突き直された。グチュリ、と血生臭い音が鳴って所長の心臓から、血が出た。

 

『所長……!?』

 

「ぐ……ぅ……っ――――!」

 

「やはり、良いものですね。自分を信じてくれる相手を、背後から短剣で突き殺すのって」

 

『アン・ディール……―――待て、待て待て、やめるんだ!!?』

 

「ふふふ。さてはてメインを頂きましょうか」

 

 そして、闇色に光輝くディールの左手が所長を鷲掴みにする。更に両腕で彼女を前から抱き締め、強引に自分の唇で所長の唇を抑え込む。舌で相手の舌を蹂躙し、溢れる唾液ごと口内を舐め回す。深淵のように暗い接吻は性的でありながらも冒涜的で、どんな陵辱よりも背徳的でさえあるほどだ。

 マシュと藤丸は助けに飛び出すも腕だけ軟体化させたローレンスの触手が首を絞め上げ、じっくりと所長が死に逝く姿を見るしかなく、そんな自らの無力に苦しむ二人はローレンスにとって最高の娯楽。叫び声さえ首を抑えられて上げられない二人と、啓蒙を喜ぶ一匹の獣と、地面に転がる生首と、遠くで何も出来ない医者と、人類を憎む一柱は、人を犯す闇の悪霊(ダークレイス)が作りあげた深淵の業を垣間見る事となる。

 

「ん……ッ――――」

 

 直後、悪夢のような吸精が始まった。

 白い光が吸い込まれるようにディールは唇から食べ、逆に所長は力を抜かれるように脱力していく。小刻みに体が震えているのが生きている証なのだろうが、それはまるで毒ガスを吸って臨死間際になった小動物のようだった。

 ダークレイスの業であるそれは本来、ソウルを犯して命と性を奪い取る邪悪な力。名をダークハンドと言う小ロンドの闇である。髑髏を模した闇の仮面を被る彼らは人の魂を闇で嬲るに過ぎないのだが、ディールは更なる深淵の業として実際に口付けし、相手から何もかも吸い上げることを可能としていた。

 もはや立つことも儘ならない所長は後ろへ倒れ込み、ディールもまた所長を押し倒すように前へ倒れた。それでもまだ吸精の接吻を続け、アン・ディールは自分が一度に吸い込める限度までオルガマリー・アニムスフィアに対して陵辱の限りを尽くしたのだ。

 

「ふぅ……中々のソウル、ごちそうさまでした。では―――もう一度」

 

 地面に倒れ込んだ所長を足で挟んで馬乗りとなり、ディールはまたダークハンドを光り輝かせた。

 パン―――と発砲音が鳴る。一瞬さえない早抜きで額に銃口を押し付けられていたディールは咄嗟に首を動かし、水銀弾の弾道から避け切った。再度の銃撃に備えてディールは一気に離れ、所長も立ち上がった。

 生きていた所長も凄まじい。だが、早撃ちに対応するディールもまた狂っている。

 だが直後、仕掛け武器が襲来する。たった一歩で間合いを支配した狩人相手に、徒手空拳であるディールに為すすべもなく―――等と、武器が無ければ死ぬ生易しい女ではない。神に至った仙人に匹敵する余りに鋭い体術を突如として万全に扱い、武器を捌きながら反撃に拳と脚が狩人を襲う。狩人は後退しながらも旧式拳銃(エヴェリン)で水銀弾を放ったが、あろうことかディールはその銃弾を手から何かしらの波動を発射することで正面から粉砕した。

 

「そう。貴女こそ、狩人を生み出した暗い魂だったのね―――灰の人」

 

「驚きですね。いや、凄まじい生存執念でありますよ―――夢の狩人」

 

 だが、違うのだ。所長は狩人オルガマリーで在る。その右手は生命力が僅かにでも意志が灯っておれば、彼女は自分の体を動かす事が出来る。ダークハンドによって拘束され、その余りに深い闇は狩人が放つ上位者の狂った眼光さえも魂にぽっかり開いた奈落の穴に吸い込まれ、一切の抵抗が出来ない様に見えたとしても、そうではない。

 右手に咄嗟に隠し持っていた輸血液を太股に差し込み、一瞬にして肉体を甦らせた。

 そして互いに通じたソウルと意志から、ディールがアニムスフィアの全てを理解したように、オルガマリーもアンを理解した。ディールこそ―――否、それこそ虚構。そんな名前の女など、カルデアには最初から居なかった。女の名は原罪の探求者であり、薪の王であり、闇の王であり、火の簒奪者であり、灰であった。

 

「灰か。偉く寂しい名だったのね、アン・ディール?」

 

「あぁ、それ偽名です。本名はそっちの灰。

 そうですね、恩人の彼女からは灰の人(アッシェン・ワン)と呼ばれていましたね。もし私を呼ぶなら、簡単にアッシュとでも言って下さい。まぁ、別に好きな名で呼んでも良いんですけどね」

 

「そう……アッシュと言う訳ね」

 

 つまるところ、原罪の探求者アッシュ・ワン。それこそ、この灰が持つ本当の名前となる。

 

「けれども、どうか大人しくして下さい。所長、そこで触手プレイの餌食になっている貴女の部下が、これからどんな結果となるかは、貴女次第と言う訳ですからね」

 

「―――はぁ……別に。捕まった時点で基本、死んだ者って考えるのが普通じゃない?

 貴女って何と言うかね、やっぱりちょっと抜けてるわよね。この私がまさかそんな程度のことで命を危機に晒す訳もないでしょうに」

 

「ふふふふ……あら、冷たいです。マシュさんは、所長の為に腕を失ったと言うのに」

 

「えぇ。だって、私がそんな普通なことをするとでも?」

 

 桜色の祝福が死体に降り注ぐ――――刹那、オルガマリーの隻狼は影ごと消え去った。薄井の森に潜む霧がらすのように、忍びは一瞬の間でローレンスの上空に移動。落下と同時に鞘から引き抜いていた楔丸と、仕込んだ義手忍具である錆び丸を義手に備え、二刀同時の斬撃を繰り出した。

 呼吸一つ挟む時間なく、ローレンスの触手は切断される。

 首を支点に空中に吊るされていた藤丸は落下し、マシュは落としてしまった盾を咄嗟に拾い直した。

 忍びは追撃でローレンスを二刀連撃で斬り刻んでも良かったが、今は安全確保を第一とする。戦う手段がない藤丸と手負いのマシュを敵と裏切り者共から守る為、二人の前で愛刀を構え、心臓を握り潰す凶悪な殺意で以って牽制していた。

 

「あぁー…‥油断しましたね。不死でしたねぇ、貴方。あの怪物の“神の怒り”を受けて生きていたのは不思議でしたが、そう思えばそう言うタイプの不死性でしたね。死ねば幾度かその場で蘇生する。

 ダークレイスの接吻が所長に決まった所為で、ちょっとテンション上がってましたか」

 

「隻狼、二人を守っていなさい。絶対よ。この裏切り者三人は、カルデア所長として処断します。それと、あいつら卑怯者だから、また手負いを必ず狙ってくるわよ。気をつけなさい」

 

「―――御意のままに」

 

 一言のみ、忍びは了承の念を漏らす。それだけで、彼は何者にも動じぬ像と成り果てた。

 

「―――狼さん……!

 私が先輩を守りますから、貴方はサーヴァントとして所長を守って下さい!!」

 

「……………」

 

「狼さん……?」

 

「……………」

 

 再度、刀を構え直す行為だけが忍びの返答。本音を言えば藤丸も所長の加勢をしたかったが、それをすれば自分とマシュは死ぬ。必ず死ぬ。先程まで仲間だった筈のローレンスの悪意を首から感じ取り、あの男はマスターの命令ならば何でもするサーヴァントなのだろう。

 そのローレンスは、既にマスターであるアッシュの方へ回っていた。自分とマスターで挟み撃ちにする方が良いとローレンスは思いつつも、念話によるマスターからの指示となれば従わざるをえない。結果、所長と灰が先頭で向かい合い、三対四の睨み合いに移行した。

 

「それで何故裏切ったのよ、ディール……じゃなくて、アッシュ?」

 

「別に名はどっちでも良いと言ったでしょう。でも、その問いには答えましょうか。何と実はですね、レフさんに協力すれば、この焼却から私と私の家族だけは助けてくれると約束してくれたのです。地表全ては焼き払われ、人間が住まう場所など一つもなくなり、文明が完全崩壊しようとも、此処とは違う平和な平行世界に送ると言って下さいました。

 …………カルデアを、裏切りたくはありませんでした。

 しかし、親兄弟を生きたまま焼き殺すと言われ、泣く泣く私は裏切りを働かないといけなかったのです。ですから、どうか私は助けて下さい、所長。お願いします、この命乞いを聞きいれて下さい!!」

 

 両手を合わせ、涙目で命乞いを願うアッシュは、本当にそうとしか見えなかった。放っておけば、土下座までする雰囲気である。

 

『嘘だ! 聞き入れちゃいけませんよ、所長!?』

 

「ええ、嘘ですよ。流石は浪漫野郎、鋭いです。カルデア以前からの付き合いですからね」

 

 ケロリ、と激しく表裏が裏返る。しかし、ロマニはこの女がそう言う手合いだと分かっていた。

 

『貴女がそういう女だって言うのをボクは分かっている。カルデアを裏切った理由も、魔術師らしく目的達成に近道だからって事だけだ』

 

「そうそう、裏切りの理由なんてそんなものですよ」

 

『……ッ―――貴女は、そんな程度のことで、カルデアを!!』

 

「んー……いや、少し勘違いですかね。私が裏切りを始めたのは、そこの裏切り者が爆破テロをした後ですからね。あの虐殺を迫られる謂われは何一つないでしょう」

 

『―――は?

 だったら貴女は爆破されたのにも関わらず、レフ教授に寝返ったとでも?』

 

「はい。人理焼却……―――とても、良いじゃないですか」

 

 虚偽も真実もアッシュにとっては等価に過ぎない。彼女は自分の目で確認し、自分の頭で思考し、それで得られた事実のみを受け入れる。同じく、人に話す言葉も同じなのだろう。他者に信じられようが、不信を抱かれようが、どちらも同じだ。

 嘘を吐いた直後、さも当然のように真相を吐露する。

 ロマニはその変化も見抜いたが、それは見抜かれても構わないとアッシュがそう考えているからでしかない。

 

「腐った絵画は焼き尽くすものです。人理(テクスチャ)も同じことでしかありません。腐り続ける者共が望まないなら私も放置します。あぁですが、その絵画に住まう者が一人でもその火に死の希望を見出すのであれば―――私は、世界を燃やす火を愛したい。

 腐り膿む前に燃え尽きたいと願うなら、私は人を焼き尽くす人間性の炎となりましょう」

 

 闇のように暖かく微笑みながら、太陽のように強烈な存在感だった。暗い魂が天を闇色に黒く照らし、相対した全員に地獄よりも深い暗黒を笑み一つで示し上げた。

 暗く、深く、高く、温かく、火のような闇。

 この女は本当に、絵画を燃やす様に世界を焼ける者だった。人理など一枚の絵画に過ぎず、されど然程も興味はない。しかし、腐った絵画(テクスチャ)を燃やす炎は、世界を焼き滅ぼす暖かい火は、灰にとって身を温める残り火よりも愛しいもの。

 篝火で身を休める様に、延々と揺らめく焚火を楽しむ様に、灰は何かを燃やす火を見届けたい。

 

「はぁ……それは本当だろうけど、本気で火が好きなんだろうけど、それはカルデアを裏切った理由じゃない」

 

「おっと、それは秘密です。辞表はありませんが退職しますので、所長だろうと話す気はない訳です」

 

「……軽いわね」

 

「えぇ。慣れるものですよ、色々とね―――ではフラウロス、尻尾を巻いて逃げるぞ。もはや頃合いだ。その身を犯す狂気も抜け切ったことだろうて」

 

「貴様が、我らを仕切るのかな?」

 

「構わんぞ。貴公が私を仕切れるのであればだが?」

 

 そのまま大剣(クレイモア)を装備し直し、灰は左手にダークハンドと呪術の火を宿したまま騎士盾の取っ手を握る。深淵の穴を持つ亡者からダークハンドに闇が伝わり、その盾も闇に染まった。火もまた同じく伝播するのだろうが、それをするのは魔力の無駄使いだろう。

 

「あらま。じゃあ逃げるのね、裏切り者共?」

 

「裏切り者ですか……―――ふふふ。えぇ、では裏切り者らしく、処刑される前に何とかしませんと。けれどもね、私の新しい上司さんが嫌だと言うのであれば……まぁ、仕方がないと言うだけのことですから」

 

 その光景をニヤニヤと背後からローレンスは見守るのみ。念話で話された計画通りに進み、こうしてキーとなる者も実際に現れたが、人理焼却は余程な悲劇であり、この特異点は喜劇なのだろう。あのヤーナムと同じく、悪夢を人の夢が巡り、そして我らは決して夢を諦めぬ。それだけを忘れず現実から目覚めれば、悪夢は決して終わらない。

 そして魔術回路と霊体を修正し、あの狂気を発狂前で瀉血によって排除したフラウロスは立ち上がり、まるで巨悪に立ち向かう人間のようにカルデアの前に立ち塞がった。

 

「この―――……っち。まぁ、良い。貴様相手に煽り合いなど不毛なだけだ。所詮、人理焼却さえも些事でしかない狂った人間性の化身め。

 ……だが、貴様らカルデアにはどちらも同じことだ。

 既に人類は滅んでいるのだから。もはやこの結末は誰にも変えられない。

 これは人類史による人類の否定だ。お前達は進化の行き止まりで衰退するのでも、異種族との交戦の末に滅びるのでもない。

 自らの無意味さに!

 自らの無能さ故に!

 我らが王の寵愛を失ったが故に!

 何の価値もない紙屑のように――――跡形もなく燃え尽きるのさ!!」

 

 グニャリ、と時空間が歪み切れた。風が吹いた霧のように世界が薄れ出し、裏切り者共(ベトレイヤーズ)の背後で此処では無い何処かに繋がる異空間廊(トンネル)が強引に開門した。

 

「君なら分かるだろう、マシュ?」

 

「……っ――――!」

 

 その言葉が発動キーになったのか分からないが、大聖杯が崩壊した。恐らくは、レフがカルデアを爆破したように何かしらの爆発物を使ったのかもしれない。その破壊力は凄まじく、この大空洞が完全崩落するのも時間の問題。

 この特異点Fは―――崩壊する。

 

「私はそろそろお暇する。君を殺せなかったのは個人的に残念だったがな、オルガ」

 

「私もよ。どの世界に逃げようとも追って、貴方を必ず狩り殺すわ。約束よ、レフ」

 

 邪悪な憎悪の貌で所長を睨むも、諦めたようにトンネルへ向かう。

 

「では、来給え。人類史を焼き尽くす同胞共」

 

「はい。それでは失礼させて頂きます。カルデアの皆さん、ではまた世界を焼く時にでも」

 

「我らは決して夢を諦めない。ならばこそカルデアよ、また何処ぞの悪夢で再会しようか」

 

 オルガマリーは裏切り者共の逃走を許す。空間を超えて消え去る三人を見送り、この特異点を安全に脱出する方を選択した。

 自分は良い。隻狼も大丈夫だろう。

 だがマシュ・キリエライトと藤丸立香は万全でなければ、意味消失に耐え切れないだろう。

 

『特異点の崩壊が始まっている。時空の歪みに呑み込まれるぞ。急いでレイシフトだ!』

 

 カルデア管制室でロマニは、医師にも関わらず完璧な操作によって澱みなくレイシフト準備を整えた。最初から用意していたように、後はキーを一つ押し込むだけで発動できるようになっていた。

 ……マシュは、マスターである藤丸と手を握る。

 一人で身を放り流されるよりも、誰かの体温を手で感じ取れる方が自分を見失わずに済む。

 

『いいかい、とにかく意識を強く持ってくれ。位相の波の中、意味消失になんとか耐えるんだ!』

 

「そうよ、マシュと藤丸。結構辛いから、二人は手でも繋い…………―――ほうほう、もう繋いでいるのね。偉い偉い。

 じゃあ、フォウは私の方に来なさい。邪魔しちゃ悪いからね」

 

「「所長!?」」

 

「フォウ!」

 

「アサシンはどうする、私と繋ぐ?」

 

「……御冗談を。しかし、主殿が……そう望むのであれば」

 

「いやね。冗談よ、冗談。

 さ―――皆で帰りましょう、私達のカルデアに」

 
















 原罪の探求者、改めて最後の灰について。ついでに、生まれは女の聖職者。名前は複数あり、薪の王、火の奪還者、原罪の探求者、火の無い灰。本人は原罪の探求者を真名とするが、名前は単純に灰となる。
 ↓
 200X年、マリスビリーに勧誘されて、ホイホイ南極へ。
 ↓
 デミ・サーヴァント計画に興味深々。英霊のソウルでルドレスの錬成炉を使いたくなる。むしろ、その気になればマシュをそう言う完全体に錬成可能。 
 ↓
 所長が死んだ後、自分のダークソウルの気配がする女が新しく所長に。
 ↓
 話して見た所、精神性が絵画世界のソウル中毒者に近いので仲良くなる。
 ↓
 テロに巻き込まれる。
 ↓
 異星の神がキリシュタリアと接触。
 ↓
 他のクリプターも異星の神に保管される。
 ↓
 キリシュタリア、交渉頑張る。
 ↓
 しかし、灰は最初から覚醒済み。そもそも篝火がないと睡眠する生態さえ備わっておらず。
 ↓
 神だったので適当にとりま糞団子を投げる。闇霊の対人礼儀は守ります。
 ↓
 糞団子、その衝撃に神が戦慄。
 ↓
 亡者の王として食べた最初の火を全力燃焼させ、火の奪還者を超え、彼女だけが持つ闇の薪の王モードに。
 ↓
 異星の神の不思議空間を、世界を焼き滅ぼす火で焼却。
 ↓
 空間を消滅させ、篝火を刺す。時間と世界を超えて脱出。
 ↓
 虚数空間に出てしまう。
 ↓
 冷凍亡者キャンセルに成功。
 ↓
 虚数空間、深淵より快適。
 ↓
 此処でまた篝り火セットし、単独顕現もどきで元の世界に戻ろうとする。
 ↓
 ソロモンの千里眼がヤベーのを見付けてしまった。見なかった事にしたいが、あれがカルデアに帰還すると時間神殿がファイヤーされて終わる。多分、人理焼却も効かず、計画成功してもタイムスリップに篝火で着いて来る確信があった。と言うより、この亡者の王は人間以外に勝ち目がない。何せ聖杯だろうと神霊だろうと、誰も到達出来ない本物の不老不死。
 ↓
 特異点Fに行く途中だったフラウロス派遣。相手の正体を知って恐怖する。
 ↓
 虚数空間で仲が良かった同僚の話をちゃんと灰は聞く。
 ↓
 前の世界と同じく、腐るならと世界燃やす運動に賛成。むしろ、滅びて腐る前に燃やすべき。
 ↓
 別にこの平行世界の汎人類史一つくらい良いかとノリノリ。
 ↓
 火を喰らった亡者である故に、そもそもな話、人理の炎を手に入れたい。星の火の輝きを見てみたい。
 ↓
 最初から世界など救うつもりはなく、滅びようとも平行世界に移動してまた探求の旅をすれば良いだけ。
 ↓
 特異点Fにフラウロスに連れられて移動。
 ↓
 何気ない顔で所長と合流しようとする。
 ↓
 千里眼を見返されたフラウロスが焦り、間違えて灰のルートにヘラクレスを送ってしまう。
 ↓
 所長と再会。
 ↓
 本編。

 序章が完結しました。取り敢えず目的でしたフロム主人公同士の濃厚な場面を書けて良かったです。流石にこの序章が、薪の王と狩人様の二人が幸せなキスして終了するとは、リハクの目でも見抜けまい。けれどもダクソしている人間なら、良くやっている事ですので分かっていたアンハッピーエンドでした。


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断章・冬木
<◎>:ステータス1・冬木編


 ネタバレを含みます。最新話まで読んでから見ることをお勧めしたいです。


◆◆◆◆◆

 

 炎上汚染都市「冬木」

 霊基を保有するカルデアのメンバーのステータス一覧。

 

◇アサシン:隻狼

◇フォーリナー:狩人

◇ルーラー:原罪の探求者

◇アヴェンジャー:デーモンスレイヤー

◇アルターエゴ:ローレンス

 

◆◆◆◆◆

 

真名:隻狼

クラス:アサシン

マスター:オルガマリー・アニムスフィア

性別:男性

身長/体重:168cm/66kg

属性:秩序・悪

 

パラメータ

筋力C  魔力D

耐久C  幸運A

敏捷A+ 宝具B

 

クラススキル

気配遮断:A+

――自身の気配を消す能力。完全に気配を断てばほぼ発見は不可能となるが、攻撃態勢に移るとランクが大きく下がる。しかし、剣聖を超える技量を持つ者であれば、気配殺しが乱れようが初手を奪えば事足りる。

道具作成:B

――忍びとして学んだ忍具作成能力。同時に、仏を彫る仏師としての技量。見よう見真似であるが、仙術に並ぶ神秘を発揮する忍具を材料さえあれば作成可能。

 

スキル

殺戮技巧(忍):EX

――殺人の極意。忍術と複合した特殊なスキル。これは忍びの業として極まった殺しの技であり、故に忍殺。使用する刃の「対人」ダメージ値に膨大なプラス補正をかける。ランクEXとなれば、止めに振われる一刀は宝具クラスの殺傷能力を持つ“技”として成立し、宝具で身を護るサーヴァントであろうとも容易く抹殺する。同時に、止めの一撃に繋げる攻防の技巧もまた忍びの業であり、忍術や忍具は無論、剣術や拳法さえ忍殺に繋げる技術として鍛えている。また、これ程のランクとなれば殺す相手を選ばず、人以外の神や竜とて死からは逃れられない。だからこそランクEXと言う規格外評価を受けるのは、実際に神と竜を殺害し、剣聖を超えた剣神も殺すことで人の限界と言える技巧を誇るため。

鬼仏の加護:B

――祈りと共に現れる仏像。修めた功徳でもある。祈る者以外に見えないが、見える者へは加護を施す。しかし、生前の名残を受け継いでいるのに過ぎず、今は自らの祈りだけで鬼仏の姿を心に浮かべている。だが問題はない。既に彼の精神が鬼の仏であるのだから。

無念:A

――滅私の精神性。文字通り、無念の境地。主の為に人を殺める度、一握りの慈悲を忘れず祈り続けた忍びは、やがて死を供養する仏の心境へ辿り着いた。そして彼は殺すだけの修羅へ落ちぬ義父の教えを守り抜き、剣聖を超えて剣神と呼べる領域へ辿り着いてしまった。しかし殺すだけの剣である故に、相手の命以外を見ずに人を殺める忍びの剣技は、正しく鬼と化した仏と呼ぶに相応しい所業であろう。

心眼(偽):A

――天性の才能による危険予知。視覚妨害による補正への耐性も併せ持つ。鍛えた忍術である忍びの目を持つアサシンであれば、もはや見切れぬ死などないだろう。

回生

――不死の魂。神なる竜による因果の歪み。生死を狂わせ、死しても甦る。よって正確には死なないのではなく、幾度も死に、幾度も甦ることが可能な力となる。とは言え、その場で蘇生可能な回数は限られており、命が尽きると鬼仏の加護で神隠しされてしまう。しかし小さな地蔵によって命を補うことも可能。本来ならば竜胤の主がなくば宿らぬのだが、とある不死によって彼個人を歪める呪詛となった。そして肉体を受肉させてしまうので副次的に単独行動の効果を持ち、甦る力が足りない場合は他の誰かから命の源を奪い取ってしまう。

 

宝具

忍義手(しのびぎしゅ)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――機械仕掛けの左腕。様々な義手専用の忍具を仕込んだ鉤縄付きのカラクリであり、戦闘において隻腕を補う忍びの殺し道具。担い手を修羅に狂わす怨嗟の炎を宿しているが、隻狼本人は精神防壁によって狂うことはない。また、この宝具がBランクとあるのは怨嗟を宿す義手単体を示したものであり、仕込んだ義手忍具はそれぞれ別ランクとなる。中でも瑠璃の忍具は英霊に対して高い殺傷能力を誇り、忍びが行う英霊狩りに有効となるだろう。

不死斬り(フシギリ)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~3 最大捕捉:1

――赤黒の二振り。不死の因果を断ち切る赤を拝涙と呼び、不死の因果を輪廻させる黒を開門と呼ぶ。担い手は使い慣れた赤の不死斬りを愛用し、数多くの死なずを不死の因果から断ち切った。それとは逆に、黒は不死を贄に別の不死を死なずの輪廻へ呼び込んだ。故、不死斬りは命を斬るのではない。その者が生きようとする魂の意志を斬り捨てるのだろう。

首無し四御霊(ごれいおろし)

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――護国の勇者だった遺魂。自分達を成仏させた忍びに取り憑き、やがて護国の加護を与えるようになった。四体おり、それぞれ違うCランク程度の強化能力を持つ。本当ならば取り憑いた相手を闘争に狂わせて殺す呪いであるのだが、宝具の持ち主にとって問題になる精神干渉ではない。とは言え、宝具化する程の強力な呪詛の類ではあるのは事実であり、アサシンの戦闘能力をステータスを超えて強める。また、実はこの遺魂の念を込めながら飴を作ることで、宝具の加護を得られる飴を持ち運べる。むしろ、その飴が生前に葦名で卸されていた。

 

【Weapon】

◇楔丸

 契約者によって鍛え直された愛刀。血の石で鍛えられ、更に選別聖杯血晶石を込み込まれ、千景の機構を仕込まれ、血刀化によってAランク程度の概念武装となる。しかし、だからと言って作り手の思いが消える訳でもなし。得物が違わなくば忍びの技に陰り無し。

◇瓢箪

 戦闘中に良く飲む。幾つか種類があるが、傷薬瓢箪は絶対に手放せない。本人に自覚は全く無いが、回復する為とは言え、相手から見ると斬り合いの中で行う水分補給は凄まじい挑発行為にもなる。思わずジャンプして突き刺したくなる気持ちも分からない事もない。

◇九郎のお守り

 所有者の耐性を上げる。対物理、対魔術、対呪術は勿論、火属性や雷属性などの自然干渉さえ弱める効果を持つ。また幸運を呼び込む効果も有り。忍びを案じる御子の祈りはずっと懐の中にあった。

◇形代流し

 真の名を奉魂と言う儀礼用短剣。切り裂くことで生きた人間から思念と生命を混ぜ合わせ、幻の形代を生成する。本来は川に流して神へ奉ずるのだが、隻狼は自分自身に供養する。自分自身を贄にし、自らの意志を力とする。

◇仙峯寺飴

 御霊降ろしの加護を与える仙峯寺の飴。隻狼と同じく加護の大元を成仏させた過去を持つ求道者が、その遺魂の念と一緒に砂糖と神宿る水を混ぜて作り、死なずの研究をする為の銭集めに商人に卸していたとか。なので、実は宝具を使わずとも飴で十分代用可能。しかし、寺の住職が金の為、御霊の魂を降ろして御礼に銭へ卸すとは、戦国の世に修羅が出るのも無理はない。と言うよりも、Cランク宝具に匹敵する加護が市場で普通に出回る葦名はマジヤバイ。だいたいそう言うのは神パワー溢れ過ぎな源の水の所為。なので隻狼も作ろうと思えば飴が作れる。むしろ、戦闘時の魔力節約に予め飴を作って戦闘に使用する。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:狩人

クラス:フォーリナー

マスター:オルガマリー・アニムスフィア

性別:不明

身長/体重:55cm/17kg

属性:混沌・悪

 

パラメータ

筋力B  魔力A+

耐久C  幸運E

敏捷A  宝具A

 

クラススキル

領域外の生命:A+

――外なる宇宙、高次元からの降臨者。悪夢に魅入られ、その血液を身に宿して揮うもの。しかし、まだ若い上位者に過ぎず、その者もまた魅入られて上位存在となった人間である。本来ならばEXランクに等しいのだが、まだまだ宇宙を狂わせる程の狂気を持たず。精々が夢で繋がる人類を悪夢に沈めるのが限界。

道具作成:A

――魔力を帯びた器具を作成できる。専用工房での狩り道具の作成が得意。また血液由来の神秘ではあるが、擬似的な不死薬も作りあげられる。

 

スキル

殺戮技巧(狩猟):EX

――惨殺に特出した狩りの腕前。射撃と複合した特殊なスキル。主に素手、武器、銃器による三位一体の狩猟技術。使用する爪の「対人」ダメージ値に膨大なプラス補正をかける。ランクEXとなれば、止めに振われる素手は宝具クラスの殺傷能力を持つ“技”として成立し、宝具で身を護るサーヴァントであろうとも容易く抹殺する。よってこのスキルが最も威力を出す殺害方法は素手による内臓破壊であり、相手の体内に突き刺した手で直接的に臓腑を掴み、そのまま血液と共に外へ引き摺り出す。要するに、相手を殺害するのと同時に生きたまま解体してしまう技。その隙を作る為に銃火器による射撃も極め、敵に当てるだけではなく、相手の動きを先読みして体勢を巧みに崩すことも可能。無論、純粋に武器を使った戦闘も凄惨極まる狩りの業。ランクEXと規格外評価を受けるのは、獣化した右手に貫けぬ生物はない狩人の鋭い一撃であり、銃器が効かぬ巨獣が相手だろうと接近攻撃で確実に怯ませる的確な殺害理論を保有する為となる。

直感:A

――自分にとって最適の行動を瞬時に悟る能力。未来予知の領域に達する。視覚・聴覚への妨害もある程度無視できる。

魔術:A+

――オーソドックスな魔術を習得。僻地独自の神秘も覚えており、触媒による秘儀やカレル文字と呼ばれる特殊なルーンも修得している。また寄生虫やルーンを応用することで、人外に変身する魔術も使用可能。またオルガマリーが元から保有するスキルであり、狩人本人が持つランクを更に+補正させている。

獣化:B

――身の内に潜む獣性を発露させる。肉体の変化がない狂化スキルとは違い、態と自らの獣性で人間性を攻撃させることで体を獣へ作り変えている。理性を代償にステータスを上げるのは同じではあるが、狩人は啓蒙によって代償なく肉体を獣へ変化させている。同時に、そのスキルによりランクが下げられてもいる。とは言え、一瞬且つ部分的ならば問題なく全力を出せる。

啓蒙

――中を見る瞳。あるいは、真実を見抜く思考。限界を超えてしまい、もう思考回路が狂っているが、精神性に異常は全く無い。また遮断クラスの精神防壁にもなり、発狂しても理性を失わない白痴の心理を保有。狂気さえも見通してしまう故に、自我を見失うことが有り得ない。そして啓蒙された脳は瞳を宿し、何も知らぬ白痴のまま見知らぬ知識を記録し、現実を見るだけで道理を悟る全知となってしまう。これによって、好きなだけ脳にルーンを刻み込んで文字の力を受けている。

 

宝具

狩人の夢(ハンターズ・ドリーム)

ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――

――召喚者が夢見る狩人の夢。固有結界の一種。夢の中には人形と、工房と、墓地と、満月がある。主な効果は、幾度死のうとも現実から目覚め、夢で意識が覚醒する能力。つまりは、死を夢として現実の出来事ではなくす事象改変による不死である。また工房はそのまま工房として使え、手に入れた道具の管理も可能。加えて、夢であるので記憶の中の道具を、使い魔へ代価を渡す必要があるが夢に登場させて生成する。この夢によってマスターはサーヴァントに寄生され、狩人の心象風景が召喚者の心象風景を塗り潰している。もはやデミ・サーヴァントでも擬似サーヴァントでもなく、人類とは違う高次元生命体として生まれ変わってしまっている一種の転生儀式である。死のうとも後戻りは不可能であり、宿主はもう夢の住人と成り果てた。よって狩人のステーテスは召喚者によって変動し、狩人自身が持つスキル以外にも召喚者本人の保有スキルが追加される。

血を継がれた者(ブラッドボーン)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:― 最大捕捉:―

――血液由来の能力。歪んだ吸血種としての特性。あるいは、血に宿る赤子の神性。返り血による生命活性、血に溶けた意志の収集、輸血による身体回復、血液の猛毒化と武器化、血の弾丸生成、血液汚染による発狂、瀉血による狂気の体外排出など、その効果は多岐に渡る。

彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)

ランク:A+ 種別:対界宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000

――星の小爆発。アニムスフィアの魔術刻印に寄生した神秘なる虫は、更に触媒となる精霊と共鳴し、高次元暗黒より惑星外の力を呼び寄せる。狩人に可能な本来の力は、外側から呼び寄せた爆発エネルギーを光弾に形成して放つ神秘であるが、この狩人は破裂する星々を虚空に穿つ高次元暗黒そのものから降り注がせる。言うなれば、隕石群による絨毯爆撃。どちらも十全に使えるが、隕石召喚であれば+補正される。

 

【Weapon】

◇輸血液

 生活必需品。同時に、狩猟必需品。全ては血液由来の悲劇であり、これこそ医療教会が齎した悪夢の元凶。しかし、血こそヤーナム。自らの血に意志を抱くには、ヤーナムの血を受け入れるのが一番だろう。

◇水銀弾

 夢に隠し持つ道具。その為、全裸状態でも一瞬で銃火器や秘儀で使用可能。ダムダム弾と同じく、衝突と同時に体内で炸裂することで、肉体を貫通する前に炸裂させる。しかしオルガマリーは、装備品の中に持てるだけ持ち運んでいる。血を混ぜた水銀は血の代用となり、神秘の触媒となるのだ。いざという時、これがないと始まらない。

◇ノコギリ鉈

 最も信頼する狩り道具。対人、対獣、対上位者と万能。これ一つで獣狩りの夜を幾度と終わらせられる上、血晶石で好きな用途に変えられ、それように幾つものノコギリ鉈を用意している。特に物理特化は何でも抉り切れ、神の血肉だろうと叩き割る。多量の出血を目的とした鋸刃による傷は、肉を削ぎ落し、命の意志たる血液を奪い取ることだろう。

◇獣狩りの曲刀

 狩人狩りに愛用する狩り道具。鋭い刃で裂くことを目的としており、加速による高速戦闘を好む古狩人に相応しい得物。完全に片手用武器なので銃と相性が良く、近・中・遠距離全てに対応可能。銃で牽制し、殺される前に素早く狩り殺す。それが曲刀の真髄である。

◇エヴェリン

 血質に特化した短銃。灰髄フルパワー状態ならば、一撃死カウンターも普通。そこから更に、爪による内臓攻撃となれば、相手は死ぬ。死ぬしかない。狩人狩りの狩人共の愛用銃だ。

◇ガトリング銃

 浪漫に溢れた銃火器。歩きながら獣を一方的に殲滅するのが好き。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:原罪の探求者

クラス:ルーラー

マスター:最初の火

性別:女性

身長/体重:171cm/60kg

属性:秩序・善

 

パラメータ

筋力B  魔力A

耐久B  幸運EX

敏捷B  宝具A+

 

クラススキル

真名看破:EX

――サーヴァントの真名を知ることができる。と言うよりは、魂を直接的に視ることが出来る為、相手が例え本物の生きた神だろうとソウルをラベルのように理解する。無論、名前だけではなく、魂の強さや、生命力さえ見通してしまう。正しくEXランクに相応しい眼力と言えよう。

陣地作成:EX

――篝火を作成する。宝具による領域ではあるが、工房としての能力は装備品の整備や、物資の出し入れ程度。だが、何処だろうと火を焚いて休憩可能。また最大の能力として篝火は時空間を歪ませるので、繋がっている篝火と篝火ならば自由自在に空間転移が行える。同時に、この篝火は作成者以外に視ることは不可能となる。要は一度来た場所ならば好き勝手にレイシフトが出来る単独顕現もどき。故に、規格外評価のEXランクとなる。

道具作成:A+

――魔力を帯びた器具を作成できる。高い鍛冶技能を保有し、神性や呪詛を持つ武器を作成出来る。また壊れた装備品も修復可能。実は追放者が持っていた錬成炉を死んだ後に拾っており、ソウル錬成に関する高い技術を持つ。

 

スキル

殺戮技巧(万能):EX

――鍛えた業を須く殺戮に運用する技術。無窮の武錬と複合した特殊なスキル。得物を選ばない万能の殺人特化技法となる。使用する武器の「対人」ダメージ値に膨大なプラス補正をかける。ランクEXとなれば、止めに振われる致命の一撃は宝具クラスの殺傷能力を持つ“技”として成立し、宝具で身を護るサーヴァントであろうとも容易く抹殺する。相手を殺す手段も道具も選ばない特異性をこのスキルは持ち、文字通りに殺戮の手管となり、敵に有効な殺し方で殺し易い武器を扱う。それは遠距離攻撃は無論、魔術や毒物や設置物さえも利用する。素手や盾でさえ殺戮道具となり、中でも敵の攻撃を誘うことで攻撃を逸らし、隙を晒した相手が確実に死ぬ一撃を下すのを最も得意とする。

指輪の加護:A

――幾十も所持する指輪の能力。状況に応じた加護を自分に施し、攻防や戦況に適応させる。これによりそもそも弱点がなく、本人の能力に不足もない。使い捨ての指輪でさえ、道具作成スキルによって元通りになる。

心眼(真):A

――修行・鍛錬によって培った洞察力。 窮地において自身の状況と敵の能力を 冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す“戦闘論理”。 逆転の可能性が全くなくとも、その作戦を実行させる機会を自ら作り上げる。中でもAランクとなれば、死闘や臨死も修行の内として自身を絶えず鍛え続けた程の執念が宿る。また実は本人の幸運がEXランクでもあるため、危機的状況を幸運にも打開する好機が訪れやすい。なので心眼はAランクだが、スキルに依らない作戦実行能力はAランク以上となっている。

魔術(偽):A-

――オーソドックスな魔術を習得。しかし偽の名が刻まれており、人類史の何処にも存在しない神秘も魂に記録している。使える特異な神秘は魔術、奇跡、呪術の三種類。スキル自体はAランクとあるが、触媒の補助によってより強力な神秘として運用可能。逆に触媒を持たない場合、-補正を受けてしまう。

人間性

――魂に潜む人の性。幾度も死亡することが可能であり、死ぬ度に自分の魂へ沈む死を力とし、死んだ生物から魂を求めて自分の魂に吸い込む。同時に、これ程の人間性の持ち主ならば何者も辿り着けない死の境地を得ており、無色不動の精神性がスキルを維持する。よって刺激を受けると異形へ変態してしまう危険性を持つも、完全に制御しているため問題はない。また人間の本質である力であり、運命に強く干渉する効果を持っているので、高過ぎる人間性の持ち主は絶対的な幸運を持つことを意味する。正しく渇望を叶えるスキルと呼べ、欲するモノを手に入れる因果律を自分へ強引に手繰り寄せる。

 

宝具

火継ぎの螺旋(コイルド・ファイア)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:20

――捻れた炎の剣。最初の火を刀身に宿す大剣であり、燃やせぬ存在がない炎を纏う。その火を炎上させることで、生死を共に焼く炎を自在に操れる。基本は大剣ではあるが、違う武器形態に変形する能力を持つ。この宝具の火に対抗出来るのは、それこそ闇に満ちた不死でありながら、神の世界を維持する薪の王の素質を持つ人間に限られる。それと武器以外の使い道があり、地面に突き刺すことで篝火による陣地作成が可能。この焚火の炎は人の死から発する熱で燃えており、幾度も死ねる不死にとって唯一無二の故郷である。要は闇を糧にする不死に、死を生として活力を与える矛盾を可能とする炎を持つ。この熱を専用のエスト瓶と呼ばれる道具に入れて運び、好きな時に回復する効果もある。なので、通常の生物がエスト瓶の中身である液化した火を飲むと、死の熱によって一瞬で寿命が燃え尽きる。

最初の火(ファースト・フレイム)

ランク:EX 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――灰として奪い取った世界の残り火。王たちの化身と同じく薪の王の権能を備える。本来ならば肉体を焼き尽くすのだが、既に肉体そのものを闇の炉にすることで封じている。また、この火は不死が持つ闇を燃料とする火であり、闇を焼くことでで火力を増幅させる特性を持つ。

闇の王(ダークソウル)

ランク:A+ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――最初の火を取り込むことで目覚めた亡者の力。大元となる暗い魂を持つ王ではないが、それに匹敵する深い闇を魂に宿している。その溢れる闇は物質化しており、霊体の受肉により単動行動と似た効果を副次的に発揮する。これによって自分自身が暗い穴となることで闇と深淵に成り果て、無尽蔵の暗闇を生み出し続ける。また闇である人間性を限り無く溜め込むことが出来ると同時に、人間の魂を喰らうことで更なる深い闇で穴を満たす。これが不死の大元となる存在であり、可能性と言う人間性を生み出す根源となる。

 

【Weapon】

◇呪術の火

 パイロキネイスを可能とする。理由はあれだが、黒炎と言った闇の呪術を好む。

◇ダークハンド

 吸精を可能とする深淵由来の力。使い手はどんなシリアスな戦闘場面でもキス魔になる。そもそもディープキスが嫌いな火の簒奪者や闇の王などカアスが認めません。

◇ダークソード

 単純に好きらしい。後、鍛えると普通に強い。多くの不死を幾度も殺した剣ではあるが、それだけのただの剣。魔剣でも聖剣でもないが、神も悪魔も等しく殺めた名剣となる。

◇糞団子

 不死にとって投擲道具となる便利な便。特に相手の顔面へ投げ付けて猛毒する。また糞団子はそれ自体が糞団子なので、社会的な理性を持つ人間を相手にした場合、実に有効な理性特攻となるだろう。対人戦において、挑発にも利く。尤も不死ならば、糞塗れになった程度で心折れるなら薪の王になどなれる訳はないのだが。不死が殺し合う際、雪合戦ならぬ糞団子合戦になるのも珍しくない。そして恐ろしい事にこの女、相手が神だろうと何ら構わず投げるので注意。ちゃんと殺戮技巧スキルの運用にも入っている。

◇竜狩りの槍

 雷撃を宿す神の騎士が持っていた槍。

◇ミルウッドの大弓

 幻肢の指輪と併用する炸裂大矢発射装置。闇霊として誰かを見付ければ、取り敢えずコレで射殺すことから始めたい。

◇アヴェリン

 三連射式仕掛弩。死にそうな逃げる相手の背後から撃ち込むのが醍醐味。

◇連射クロスボウ

 奴隷騎士ゲールのソウルから作り出した武器。あの騎士が最後まで手放さなかった道具であり、何発も連射する高性能な弩となる。

◇エスト瓶

 戦闘中に良く飲む。2種類があるが、両方とも絶対に手放せない。本人に自覚は全く無いが、回復する為とは言え、相手から見ると斬り合いの中で行う水分補給は凄まじい挑発行為にもなる。思わず殺したくなる敵の気持ちも分からない事もない。敵対する同じ不死なら尚更だ。誰だって殺したい。狩人の狩りを見た不死ならば、銃パリィを覚えたいことだろう。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:デーモンスレイヤー

クラス:アヴェンジャー

マスター:古い獣

性別:男性

身長/体重:179cm/81kg

属性:秩序・悪

 

パラメータ

筋力B  魔力A+

耐久A  幸運B

敏捷B  宝具EX

 

クラススキル

復讐者:B

――復讐者として、人の恨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。周囲からの敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情は直ちにアヴェンジャーの力へと変化する。殺して魂を喰らった故に恨まれ憎悪を集めるも、本人は特定個人を恨まず、一切の悪意なく悲劇しかない世界へ向けた憎悪を敵となった誰かへ叩き付ける。凄まじい怨念を持ちながらも、抱く諦観によって復讐者としては二流でしかない。

忘却補正:A+

――人は多くを忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。忘却の彼方より襲い来るアヴェンジャーの攻撃は致命の一撃をより強化させる。誰に殺されたのか決して忘れず、報復の時まで相手の殺害を一心に希う。

自己回復:B

――復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。微量ながらも魔力が毎ターン回復する。

 

スキル

殺戮技巧(神秘):EX

――デーモンスレイヤーの業。魔術と複合した特殊なスキル。武術・弓術・魔術と手段を選ばない問答無用の鏖殺手法となる。使用する武器の「対人」ダメージ値に膨大なプラス補正をかける。ランクEXとなれば、止めに振われる致命の一撃は宝具クラスの殺傷能力を持つ“技”として成立し、宝具で身を護るサーヴァントであろうとも容易く抹殺する。中でも受け流しや回り込みを得意とし、隙を晒した相手を一撃死させる殺し方を良く好んで使う。また使える神秘は魔術と奇跡の二種類であり、触媒の宝具によってより強力な神秘として運用可能。殺戮技巧に組み込まれた戦闘魔術は効率的且つ能率的で、距離に関係無く何時でも確実に殺す手段を有している。如何に殺すかなど考える前に、如何なる状況だろうと殺す手段を揃えている強さが正体。

指輪の加護:A

――幾つも所持する指輪の能力。状況に応じた加護を自分に施し、攻防や戦況に適応させる。これによりそもそも弱点がなく、本人の能力に不足もない。

薬物医療:B

――主に実践で学んだ薬草学。状態に合わせた薬物を的確に使用する。また栽培技術や薬品精製の技能も行える。

悪魔殺し:A+

――デーモンを殺し続けることで造られた意志。心眼(真)と透化の複合スキル。敵を殺し、敵に殺され、死を続ける内に死を力に変えて極めた戦闘論理であり、自らの死を普遍な現実だと受け入れた無情な精神性。これは人間以上の存在である悪魔に対して特攻がある訳ではない。例え力のない人間であろうとも、人を超えた者を凌駕する弱者の折れない心が形となったもの。死して折れず、諦めず、潰れず、足掻くことが世を救う人間性と呼べるのだろう。

火防女の獣

――不死者によって呪われた不死性。幾度も死に続けられる加護であり、火防女の死なぬ不死とはまた別の不死性。単動行動の効果を副次的に保有し、物質化した霊体として存在が確立している。また霧のように空間へ解放された魂を自分のソウルへ吸い込み、貯え続けて力とする悪魔としての能力でもある。大元を辿れば古い獣の眷属であるデーモンの火防女が死者を甦らせる呪いとなり、もはや人に非ず、その呪いに取り憑かれることで自分自身のソウルに呪縛されてしまった獣と化した。火防女は自分以外のデーモンを殺すにはソウルを奪うのが手っ取り早い方法と考えた。彼女は死人をソウルの霊体として蘇生させた上、その者が殺した相手がその場で蘇生しないよう肉体無き魂を喰らい続け、その果てに最も強いソウルとなる心折れぬデモンズソウルを編み出した。

 

宝具

古獣の御守(ビーストタリスマン)

ランク:EX 種別:対界宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:20

――奪い取った古い獣の似姿となる、古木のお守り。しかし、その古い獣の眷属となることで似姿ではない加護が宿り、小さな獣となって生きたソウルを持つ宝具。これによって魔術と奇跡を自由自在に使役するソウルの業が行使可能。同時に、狂ったこのタリスマンはソウルの業の根源に位置する獣の神秘である。自己と他者の生死さえ自在にする神域に等しく、古い獣が生み出した色の無い濃霧さえ支配し、概念と物理の両方へ効く純粋な古い力となった。

楔の神殿(ネクサス)

ランク:C 種別:対陣宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――何もない無人の神殿。一種の魔術工房。神殿内部であれば、この神殿の住人だった者達の保有技能を模倣する。よって武器や呪文などの作成と修練が行え、巨大な物資保管倉庫ともなる宝具。これは刻み込まれた心象風景であり、ソウルの内側に存在する異界常識となったもの。固有結界のように外側に展開することで空間を裏返す力は持たないが、その異空間にソウルの霊体となって移動することが可能。だが意識体だけで移動するため肉体はそのままとなってしまう。勿論のこと神殿内部の出来事は現実であり、実際に外側と物体の出し入れが出来る。また神殿の要を現実世界に設置することで、肉体ごと空間転移によって自由に移動する。

悪魔の化身(デモンズソウル)

ランク:A+ 種別:対人宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――

――殺した魂を喰らって得た獣の力。奪い取ったソウルを自分に取り込み、その魂が保有する能力を獲得する。この宝具は敵を幾度も殺し、その魂を喰らい、自らが肥大したソウルを持つデーモンとなったことで、古い獣の眷属として与えられた能力。嘗て殺したデモンズソウルを自分のソウルに古い獣によって融合されており、そのデーモンが持つ独自の業を保有スキルとして最初から獲得している。また新しくソウルを奪い喰らえば、更なる未知のデーモンへ延々と進化し続ける事も可能。

 

【Weapon】

◇北騎士の剣

 最も信頼する愛剣。騎士が持つ直剣の一つ。これだけ握って相手が何であれ殺してきたが、魔剣でも聖剣でもない。量産品であり、名剣でさえない。しかし鍛冶師によって限界まで鍛えられ、英雄も、魔物も、悪魔も、竜も、神も、これで殺し続けて生き抜いた。

◇ミルド・ハンマー

 竿状武器の中でも一番好きな殺人道具。突いて良し、斬って良し、叩いて良しの万能性。対人技量が低い相手なら実に効率的に殺せる為、人殺しのアイテムとして重宝していた。

◇肉斬り包丁

 敵を叩き切ることだけを求めて作ったデーモンの包丁。魔術を付与することで最も鏖殺に向いた白兵武器と化す。

◇北騎士の盾

 最も信頼する愛盾。受け止め、受け流し、如何なる危機を救って来た守りの要となる。

◇月明かりの大剣

 盾持ち殺し。相手の装備を一切無視して切り裂く光は、対人兵装として実に凶悪。何故か何本か持っているが、愛着がある唯一無二の宝具と言う訳ではない。

◇月明かりの聖剣

 特異点Fで手に入れた騎士王のソウルで月明かりの大剣から派生させた宝具。月光の騎士ビトーが振っていた時よりも更に遥か過去の力が甦り、光波を放出する白竜の力を宿している。数本持つ月明かりの大剣を一振り深化させたものとなり、この聖剣はかなりのお気に入りとなる。

◇北のレガリア

 古い獣の大剣。獣が残した悪意。古い獣の眷属であるデーモンとなったデーモンスレイヤーにとって、更なる神の力を獣から引き出して使うことが可能となる。魂を切り裂き、魔を切り裂き、ソウルを喰らう魔剣にして聖剣となる。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ローレンス

クラス:アルターエゴ

マスター:原罪の探求者

性別:男性

身長/体重:179cm/77kg

属性:混沌・悪

 

パラメータ

筋力B+ 魔力B

耐久A  幸運C

敏捷C  宝具A+

 

クラススキル

道具作成:A+

――魔力を帯びた器具を作成できる。宝具クラスの神秘を宿す触媒や精霊を作り出す事が可能。

獣化:EX

――身の内に潜む獣性を発露させる。肉体の変化がない狂化スキルとは違い、態と自らの獣性で人間性を攻撃させることで体を獣へ作り変えている。理性を代償にステータスを上げるのは同じではあるが、啓蒙によって代償なく肉体を獣へ変化させている。

マンイーター:B

――アルダーエゴとして保有する性質。名の通り、人喰いによる恩恵。脳を食することで啓蒙を貯め、血肉を喰らうことで自己改造を行う。即ち、獣化した眷族の狩人。聖職者の獣になった自分から人間性の側面を霊核に召喚された故に、アルダーエゴであるこのスキルを獲得した。

 

スキル

医療(血):A

――医術と投薬による治療技術。中でも輸血液などの血液由来の治療を得意としている。

心眼(偽):B

――直感・第六感による危険回避。獣由来の本能であり、且つ獣狩りの狩人として持つ感覚。

邪智のカリスマ:C

――国家を運営するのではなく、悪の組織の頂点としてのみ絶大なカリスマを有する。ローレンスの悪性カリスマはC、都市一つを影から完全に手中へ治めることも容易い。

魔術:A++

――オーソドックスな魔術を習得。僻地独自の神秘も覚えており、触媒による秘儀やカレル文字と呼ばれる特殊なルーンも修得している。

啓蒙

――中を見る瞳。あるいは、真実を見抜く思考。嘗て狩人の悪夢を支配者した学び舎の狩人であり、限定的な不死の存在でもあり、その叡智を瞳から啓蒙した過去を持つ。ローレンスは高い獣性で狂う肉体を保ちながらも、悪夢の眷属として啓蒙が脳に溢れて神秘に目覚めている。

 

宝具

古い学舎の業(ビルゲンワース・アート)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――

――加速の業。古狩人特有の神秘であり、自らの時間流を速めて行動する。精霊から作られた触媒なく発動する秘儀となり、狩人の血そのものを触媒とする神秘となる。学舎の狩人は遺跡から発掘した古いトゥメルの業に通じ、中でも加速は普遍的なビルゲンワースの狩猟技術に過ぎなかった。他にもトゥメルから業を引き継いでいるが、宝具化した秘儀はこれ一つ。

発火する獣血(パイロブラッド)

ランク:A+ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――獣の燃える血液。獣化した肉体は常に熱を帯び、血液が発火する状態となる。獣の爪と呼ばれる道具と血が完全に同化し、その肉体も獣化した上で狩り具の爪を生やしている。これは獣の体の中を巡る発火血液が宝具。熱く燃える血液は溶岩と似た形を成し、触れた生物を血の中へ溶かすように焼却する。しかし頭蓋が苗床になっており、獣の皮で覆われた体から触手が具現してしまい、獣と眷属を混ぜた怪物の姿が正体。

苗床の寄生虫(ゴース・パラサイト)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:20

――自らの頭蓋を苗床にした寄生虫。腕から全身を侵食し、生やした触手は触れるだけで命を脅かす。これは実験体から見出したルーンを脳へ刻み、自らの頭蓋を苗床に作り変え、上位者が生み出した虫である触媒を両腕に寄生させ、同一生命体として完全融合する寄生虫の宝具。学び舎の狩人ローレンスが最後に辿り着いた本当の狩り道具。だが今の彼は獣化した肉体でありながらも人型の精霊へ変態し尽くし、聖職者の獣でありながらも上位者の眷属でもあり、その上で狩人として確立するに至った。

 

【Weapon】

◇獣の爪

 遺跡から発掘した愛用武器の一つ。獣化することで血に融け、自分自身の肉体の一部となっている。聖職者の獣になった後は完全に融けて消えたが、今は取り戻している。また遺跡発掘を指導していた上、医療教会の初代教区長と言う立場を利用し、彼の武器はほぼ全てがフル強化した厳選石仕込み。

◇ゴースの寄生虫

 遺体から取り出した研究材料。実験棟で苗床のカレル・ルーンを発見し、自分の半人間半上位者の眷属もどきにする方法を手に入れた。聖職者の獣になったことで燃え尽きてしまい、脳内の苗床ルーンも違う文字に上書きされたが、今は取り戻している。

◇教会の杭

 狩人として実は愛用していた本来の武器。吸血鬼を殺す為に伝承に則って杭の形をしているが、最終的に使い易いウォーハンマーの形になった。

◇教区長の車輪

 処刑隊が使っていた車輪の原型。まだ穢れた血族を轢き潰して肉片塗れにし、その怨念を車輪に染み込ませていない為、カインハーストの貴族の死霊を宿していない。教区長は自分の血液を染み込ませ、発火する火炎車輪として愛用している。

◇教会砲

 何だかんだ失敗作と言いながら、その本人が一番使いこなしている砲門式個人兵装。

◇ロスマリヌス

 白い霧で命を徐々に奪う銃火器。

◇火炎放射機

 教会で開発した対獣焼却銃火器。

◇教会の長銃

 後にルドウイークの長銃と呼ばれる散弾銃。開発された時はそのまま長銃と呼んでいたとか。

◇教会の連装銃

 狩人として一番愛用していた銃器。二撃一射の水銀弾専用拳銃。

 

◆◆◆◆◆




 それと、狩人、灰、デーモンを殺す者が型月世界の戦闘速度についていけるのは、幾度も繰り返される世界は死が積み重ねられ、主人公以外の敵も更に強くなり、ソウルや意志もまた増幅され、それらを延々と相手して来たからとなります。ゲームとしてプレイヤーは周回による強さは限界がありますが、彼らは繰り返される世界において死に限界はありません。ソウルや意志が許されるカンストまで強くなります。その世界では、戦闘速度なども段々と早くなっていく雰囲気にしています。
 ただカンストまでしかソウルが強くなる事が限界なように、流石に世界の死で敵が強くなるのにもソウル的なカンストが存在してました。また勿論ですが、世界の死を乗り越えて次の世界に逝く主人公らは、その死の積み重ねによるパワーアップはないでしょう。ステータスは普通に敵を殺して強くなるしかないです。しかし、主人公以外は色々とリセットされるので、その繰り返し世界において、ステータスでは計れない戦闘や戦術による巧みさは主人公らが史上最強レベルとなっています。なので、この作品の主人公らは、其処らの雑魚敵が音速戦闘仕掛けて来るフロムワールド出身の主人公だと思って下さい。
 それと狼さんは、戦国時代出身の剣神越えの忍者ですので、素で無の境地を更に極めた化け物となります。その上でサーヴァントの身体能力を持ってます。


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落旗聖女竜獄「オルレアン」
啓蒙10:火の落とし仔


 最初から重めのファミパン。フランス特異点は中世暗黒時代らしくエンジョイ&エキサイティング。
 ちゃんと姉の元ネタらしくしていきたいです。



 その男はとても青ざめた顔色で、酷く心配そうな表情をしていた。だが、それでも隠し切れない歓喜を越えた喜びが、彼の脳に組み込まれた感情回路を乱れ狂わせていた。

 男は―――救うことが出来たのだ。

 火炙りにされて英霊の座に眠る死後の彼女は救えないのだろうが、この世界の彼女は火炙りにされることはなかった。魔女として火刑で死ぬことはなかった。聖杯だろうと魂が英霊に転生されてしまい、座に登録された彼女は救えず、その復活も出来なかったが、それでも特異点としてのフランスは違った。聖女は処刑される前に元帥が救い出し、この世界の彼女の魂だけは、英霊に成り果てることなく人間として救われた。

 これがどれ程の奇跡なのか、分からない男ではなかった。

 死後に救国の元帥として、あるいは猟奇快楽殺人鬼として、英霊と言う神擬きへ無理矢理に転生されられ、自己の消滅と言う罪科の救いすら無くした男。人類史に刻まれた伝承と信仰を形するために嘗て死んだ自分の魂さえも材料とし、生前の思い出が遠い前世となった名前(ラベル)だけは変わらぬ別人の魂。そんな彼は、座に登録される境界記録帯となったことで人理を理解した。

 この世界は―――腐っている。

 違う色の絵具と絵具が滲み出して変色した絵画のように、人間は止まらず腐り続けている。進化とは腐れであり、文明とは深みに他ならない。奈落の底に辿り着くまで、落ちる所まで堕ちるのだろう。

 

「―――………すー……ん……」

 

「良く寝ていますよ。ぐーすかぴー、と良い寝入りですね」

 

「そうでありますか……はぁ、良かった。あぁ―――実に、実に、良かったです」

 

 灰のような女は、ベッドで眠る少女と大人の中間に位置する女性の頭を撫で、その境遇に思いを馳せる。ローブ姿の男は余りに優し過ぎる聖人にしか見えない笑みを浮かべ、そんな風に良く寝入る女性を慈愛の瞳で見詰めていた。

 

「……それで、無事なのは確認出来ましたし、取り敢えず捕まえたアレらはどうしますか?」

 

「我が海魔の贄にしようかと考えておりますが……―――いえ、もしかすれば、貴女はもっと良い処刑方法をお考えで?

 それでしたら、ええ……是非とも、この私めにご教授させて頂きたいのですが」

 

「んー……そうですね。やはり自業自得、且つ因果応報こそ罪に対する罰に相応しいでしょう。それで償わせた後に、その者らに貴方の憎悪と怨讐を叩き付けるのが、一番気分良く、後腐れなく、皆殺しの宴を愉しめるかと」

 

「と、言いますと?」

 

 ニタリ、と狂人の笑みをローブ姿の男は女に向ける。

 

「体を拘束され、強引に犯される女の気分と言うものを、あの男共に味わわせてやりなさい。勿論、一人を相手に複数人用意することも忘れずにです。そして、魔女狩りに使われる拷問も同時進行です。

 命を潰すだけでは、貴方は何も癒されないでしょう。

 その尊厳を陵辱し、その肉体も破壊し、白くべたつく汚物塗れにし、そうしてやっと彼女の気持ちと言うものが理解出来ることでしょうね」

 

「おお、ぉおおお……何と冒涜的且つ背徳的な手法でしょうか!

 成る程、成る程。婦女子を犯す罪を哂う屑共には、同じく強姦魔による陵辱こそ刑罰に相応しい。その後に、私が惨たらしく、まるで肉塊人形のように薄汚い異端審問官を拷問死させる訳ですな!?」

 

「宜しいかと。だから、是非とも楽しみなさい。人間の命とは、一つしかないとても貴重な品物なのですからね」

 

「正に神からの啓示に等しき助言。感謝の限りを込め、ありがとうごさいます……!」

 

「いえいえ。その為の助言者ですからね。貴殿方が快適に世界を焼き尽くせるようにするのが、私にとって大事なことです」

 

「そうでありますか……しかし、でしたら、どうすれば良いのでしょうか?」

 

「え、何がです?」

 

「いえ、あの男共を犯す男共を、このフランスの何処から調達すらば良いかと悩みましてな」

 

「良いところがありますよ」

 

「ほう、それは?」

 

「罪人が投獄されている牢獄が良いでしょうね。中でも、同じような魔女狩りで拷問を受けている人など、狂わせれば良い演者となりましょう」

 

「おおおお……ッ―――!」

 

「そうして、狂乱の祭をあの牢獄で繰り広げるのです。女を無理強いして犯すしかない魔女狩り好きの異端審問官と、それに協力した腐れたブリテン兵どもを、逃げ場のない牢獄で一人一人拘束し、我らのフランスで罪を犯した受刑者共の贖罪の贄と捧げましょう。

 聖処女を穢して聖女にした汚い男共をより罪深く穢し、そして罪人共に対する神の試練にもなると言う訳です。正しく効率を愛する現代文化、ウィンウィンの相互関係と言う事となります」

 

「―――素晴らしいぃ!

 ですが、それは神の愛が御許しになるのでしょうか?」

 

「神の愛など知りません。しかし、愛とは人間性から生まれ、人生で育まれるもの。そして、人間性は深淵のようなもの。

 ならば、愛は何処までも深く、幾らでも多様性を持つべきものですからね」

 

(ワタクシ)ィィィイ、感服致しましたぁ!!

 アアアアああああ、これから先の地獄が楽しみで仕方ありませぬぅゥゥ!!?」

 

「ふふ。愉しそうでなりよりです。その憎悪と歓喜が火を絶やさぬ薪とならんことを願います」

 

「はい!」

 

「………うー……んぐ―――」

 

「あら、騒ぎ過ぎたみたいですね。起こしてしまうと可哀想です」

 

「おぉ、これは失敬。私も少しは、こう言う場面では自重と言うものを、今から覚えなければなりますまい」

 

 等と言いつつも、結構大声で騒いだのに起きない彼女の図太さに女は感服した。自分だったら絶対に神の怒りを放って吹き飛ばし、自分の怒り度合いを相手へ叩き付けることで教えている事だろう。そんな事を考えつつも、彼女の状態を思えば仕方がない事。

 漸く、我らが来たことで安らぎを得られたのだから。

 この一ヶ月間、女として最悪の生活だったのだろう。

 ベッドに眠る女性を慈しむ女も、自分の事を女らしくないと思いつつも、やはり女性としての倫理観は知っている。まぁ、知っているだけに過ぎないのだが。それを加味すれば、腐ったこの街は焼き払う方が人間性を尊ぶ為となり、この施設の男共は地獄に落とした後で惨たらしく鏖殺するのが人間的模範解答。

 手足の爪は剥ぎ取られている。

 体中の皮膚も剥がされている。

 右目は火で炙られて失明した。

 長い髪さえ短く切り裂かれた。

 死なぬよう針で串刺しされた。

 熱した鉄棒で血肉を焼かれた。

 三角木馬で股を裂かれる寸前。

 苦悶の梨さえも使われた形跡。

 茨の鞭で全身に走る蚯蚓腫れ。

 ブリテンの糞共は、彼女の目の前で安らかに眠る女を弄んだのだ。その上で、救うのが遅れれば焼き殺される結果を迎えていた。

 ……あぁ、全く以って腐った世界だ。

 自分が終わらせた世界でも人間性は腐れは呼んだが、そもそも人間は人間性など関係無く腐り果てる生命体なのだろう。挙げ句、このような悲劇はこの世界では有り触れた出来事だ。彼女が受けた拷問も、腐った絵画が作る人類史からすれば、ただの普遍的日常だ。

 惨たらしい拷問も、彼女だけが受けた苦痛ではない。宗教と国家と言う無意味な理不尽に目を付けられた不運な女性は、同じような苦痛を受けた果てに殺される。その光景を、この女は二千年以上も人理の世界で見続けて来た。そして、その地獄に女も男も関係ない。

 

“焼いてしまいましょう。まぁ、私もあの男に誘われるまで、この腐れもまた如何でも良い人間性でしたけど”

 

 長く生きた女は、この死ねる人間共を現代まで見守っていた。暗い魂による探求を繰り返しながらも、この人類史を見守って来た。

 だが、もはや如何でも良い。自分の世界と同じ様に立ち上がる者が現れた。

 絵画が腐り落ちて無価値になる前に、せめて人類史だけは焼き滅ぼそうと覚悟した住人が、この人理にも存在した。

 その想いこそ、自己犠牲の最果てだ。

 世界は輪廻することでソウルもまた輪廻する。この世界もまた違う世界と重なり合い、新たな絵画が描かれる事となる。

 

「しかし、生きているのが不思議な程の拷問ですね。本来の歴史とズレていますが、それもまた特異点化の影響なのかもしれません。

 ……あぁ、いえ、聖杯を持つ貴方を責めている訳ではないですよ。

 ただ普通ならば死ぬ程の拷問を受けて生きている現状を見て、あるいは加護自体は備わっていたのかもしれませんね。そこに救いは一切ないのが、まぁ神らしいと言えばらしいでしょう」

 

「ええ、彼女は本物でありました。我らが神に愛された聖女でありました。恐らくは、アラヤの後押しもあったやもしれませぬ」

 

「成る程。集合無意識、阿頼耶識ですか……ふむ。となりますと、色々と手を打たないといけません」

 

 一ヶ月間、聖女がこれ程の拷問を受けた歴史はない。もしかすれば、聖杯が来る前から特異点化した世界なのかもしれない。あるいは、泡沫と消える特異点化した場所に、あの王が聖杯を送った可能性もある。

 だが魔術の歴史において、聖女がアラヤの後押しをされた説は有力だ。となれば、拷問を受けても死なぬ程度には人間以上になっており、それによって彼女が生きている説明も付く。あるいは、本当にこの聖女とアラヤが契約する可能性も、女はまだ捨て切れていない。しかし、その可能性を話すことは止めておいた。契約を止めるには殺すしかないが、男が殺すとは思えない。どうにもならないならば、その時はその時で世界はそのまま進むのみ。

 

「―――あ、それとですね。彼女、心理面の方も健康でしたよ。何と言えば良いか、ちょっと頑丈にも程がある精神力ですね。普通は廃人化します」

 

「あ、はい。分かりました。私も正直、そこは心配しておりませんでしたので」

 

「え、心配して上げなさいよ。ちゃんと心のケアも大事ですからね」

 

「ふぅむ。宜しい、努力致しましょう」

 

 なんかそこは妙にドライな男を意外そうに見た後、彼女は慈しみしかない優しさに溢れた瞳で聖女を視界に入れる。

 暖かい毛布が被さった彼女の“腹部”を撫でながら、慈愛に満ちる完璧な聖職者として笑みを浮かべた。

 

「良い知らせと悪い知らせ。二つ有るのですが、どちらから聞きたいですか?」

 

 何気ないそんな台詞が、フランスを地獄に変えると理解しながらも。

 

「そうですねぇ……では、悪い方から聞きましょう」

 

「はい。悪い知らせはですね、彼女自体は今はもう健康なのですが……その、子供が危険です。この調子ですと流産する可能性が非常に高いですね」

 

「……――――は?」

 

「ええ、ですから流産です。栄養失調もあり、子の生命力が足りていませんね。子宮に対して過度な暴行の痕が見られますので、そちらの影響も大きいです。

 治癒しようにも、まだ人型になっていない胎児に蘇生の神秘を施せば、どのような影響が出るか分かりません。下手をすれば、水子の状態で肉が定着する可能性も高いですかね。細胞の塊に魂が在るのは確認済みですが、まだ肉体は不完全であり、精神など無そのもの。健康な普通の人間として生めるデッドライン間際ですかね、今のところは」

 

 ―――絶望を焚べよ。

 憎悪で世界を焼きたいならば、自らの思い出を―――薪にせよ。

 灰のような女はそれだけを相手に望む。世界を腐らせる膿と蛆を焼き払うには、自己犠牲以外に人が選べる手段は存在しない。

 

「そ、そんな……そんなことは、有り得ない。有り得ない、有り得ない、有り得ない有り得ない有り得ない有り得ないぃ!!

 何処までブリテンは……我が故国は、彼女を汚せば気が済むのだぁぁああ!!?」

 

 血の涙を本当に流す男を見て、彼女はやはり人の涙は美しいと感じ入った。そんな狂態を楽しみつつ、最後の娯楽を躊躇わず話すことにした。

 

「では、良い知らせを伝えましょう」

 

 つまるところ、良い知らせなど一つしかない。本来ならば祝福すべき事であり、今の彼女にとっては呪いとなる神の御加護。その営みに愛などなく、その所業に信仰さえなく、凌辱から産み出た聖なる忌み子でしかあり得まい。

 だが、それでも彼女は愛するのだろう。

 

「おめでとうございます。聖職者の一人として祝福いたいましょう」

 

 深みとしか言えない笑みだった。本当に、素晴しく良い表情のまま闇のように微笑む女であった。カルデアを裏切ることでアン・ディールの偽名を捨てた原罪の探求者―――灰の人(アッシュ・ワン)は、この真実こそフランスを狂わせるだろう災厄だと確信していた。

 

「ジャンヌ・ダルクは――――妊娠しています」

 

 ―――世界とは、悲劇なのか。

 灰に真実を伝えられた魔術師のサーヴァントは、狂ったように声を上げた。おぞましい笑みを浮かべた。人類史の為に死なねばならない聖女は特異点でしか生きられないと言うのに、その彼女は人理に生まれてはならない命を授かった。

 啓示を偽る魔女として拷問に掛け、何度も何度も男が犯して、多くの獣が犯し続け、聖女を聖処女でなくしたブリテンの腐れた審問官の種。それを植え付けられた子宮が、聖処女だった女の胎が、存在してはならない命の苗床となっていた。男が持つ聖杯は人類史を狂わせ、得られた筈の救済から気が狂いそうな悪夢が這い出て来た。人理は決して、この母子を赦さないだろう。

 獣が作った聖杯に呼ばれた男―――魔導元帥ジル・ド・レェは、死後の短いこの人生を一人の人間として賭けねばならない。人理などと言う腐った絵画(テクスチャ)を生み出した人類史に問わねばならない。そして、この人類史を生き抜いた全ての人間を、彼は問い殺さねばならないのだろう。故に狂う男は自ら人間性を捧げるしかなく、その魂に許された救いなどそれ以外に有り得ない。

 こうして、最初の滅びは始まった。

 人間が腐らせた汚濁の絵画(セカイ)を焼き尽くすべく、聖杯より獣共の特異点(失楽園)は生み出された―――

 

 

 

 

 

 

第一特異点

落旗聖女竜獄「オルレアン」

 

【火の落とし仔】

 

 

 

 

 

 

 ―――カルデア医務室。ロマニ・アーキマン本来の職場。

 そこに居たマシュ・キリエライトは、新しい自分の左腕になった義手を少しばかり……否、物凄く輝いた子供らしい瞳で見詰めていた。カチャリカチャリ、と神経接続と回路接続した義手を動かす度に、得も言われぬ高揚感が内側で広がる。

 義手自体の制作はカルデアの技術部門総出のもの。所長が仕掛け武器と呼んでいる変形(浪漫)武器と、アサシンのサーヴァントである隻狼が左腕代わりに付けている宝具「忍義手(しのびぎしゅ)」と、キャスターのサーヴァントであるレオナルド・ダ・ヴィンチが腕に付けているロケットパンチが発射可能な素敵(ヤベェ)義手が参考にされている。

 つまりは先人の変態技術者が作り上げた芸術品から、カルデアの変態技術者が創造した傑作義手だった。

 

「安心なさい、マシュ。カルデアの変態技術者のアイデア全てを絞り尽くした品物よ。安全性は……まぁ、ちょっと使ってみないと分からないけど、これこそ正に対英霊アームウェポン。サーヴァントの霊体を破壊し、その霊核も打ち破ることが可能よ。サーヴァントであるマシュが使えばね。

 ……あいつら、マシュの左腕が斬り落とされた時から良くも悪くもテンション上がって、何か私にすら許可取らず好き勝手に制作始めてたみたいだし、良かったら使って上げなさい。泣くから」

 

 こんなものをマシュに取り付けるなんて、あの変態共が……と所長は罵りつつも、使わざるをえない現状も分かっていた。

 マシュの腕を斬り落としたあの騎士野郎をぶっ殺してやると思いながらも、だったらあの悪魔騎士をマシュがきっちり安全にぶっ殺せる武器を作ってやろうぜひゃっほーと生き残った数名の変態技術者が結託し、そして技術部顧問であるダ・ヴィンチも変な狂乱に加わって作り上げたのが、マシュの左腕に今付属された義手となる。ついでに、出来あがった義手の完成品に所長も改良を加えている。と言うか、むしろその後に所長もその狂乱に加わり、その所為でもっと熱が上がり、更なる変態兵器に仕上がっている始末である。

 変態だからレフが狙わず爆破テロで生き残ったのか、そもそも変態過ぎて特異点レイシフト時も研究室に籠もって変態的研究活動をしていたから生き残ったのか、それは分からない。所長ですら答えを啓蒙できないが、所長を引き継いだオルガマリーが研究機関などから勧誘した数名の変態共だけは普通に生き残っていた。

 

「―――はい!

 喜んで頂きます、所長。ありがとうございます」

 

「あぁ……うん、こっちこそね。あ、それとあの変態共は随時バージョンアップし続ける、むしろ超エキサイティングって言ってたから、使い難い所とか、欲しい機能があれば遠慮なくあの変態共か、私やダ・ヴィンチに言うように。

 後は何だっけ……そうそう。マシュの肉体と義手の親和性については、ロマニに調整を全て任せていますから」

 

「―――え。ボクが、この義手の面倒も見るのですか……?」

 

「そうよ、当たり前じゃない。メンテナンスはあの変態共がするけど、メンテナンスや改良された義手諸々の調整は貴方の仕事よ。医療部門部長兼管制部門部長指令官代理兼アニムスフィア専属医師兼デミ・サーヴァント専門医ってなるから。

 あ、これからは管制室指令官とマシュの医療担当が主な仕事だけど、他の職務が無い訳じゃないからね」

 

「あれ、それって死にません? ボク、過労死しません?」

 

「大丈夫よ、大丈夫。いざって時は私が輸血して上げるから。気持ち良いのよ?」

 

「―――大丈夫であります。一切問題ありません、イェスマム!」

 

「宜しい。期待しているわ…‥いや、本当にね。

 それじゃあ、マシュ。その義手の説明でもしようかしら。使うのは問題なさそうなんでしょ、ロマニ?」

 

「ええ。無駄に完璧ですね、それ。生身の腕よりも使い勝手が良いと思います。ボクも欲しいくらいですし。あの変態共ですから、求めた仕事は完璧ですからね。まぁ、あの狂った浪漫の魂(ロマンソウル)が何時も熱を上げて、完璧以上の変態作品が生まれるのですが……」

 

 とは言え、如何にロマニに拒否感があろうとも、使わなければマシュ・キリエライトは死ぬだろう。現状は限られた資源、限られた戦術で人理焼却を解決する他なし。何よりも所長帰還後、直ぐ様に確認した裏切り者であるAチームマスター、アン・ディールが入っていたコフィンは空っぽになっていた。無論のことアルターエゴ・ローレンスの反応も有り得ない。

 裏切り者が二名に、現地召喚したサーヴァントも一名反逆。

 ならば、最悪の状況を想定した戦力確保は必須。味方が皆無な戦局は必ず訪れると判断すれば、マシュがマスターを守りながら生存する能力がなくては人類は滅亡する。所長は最強の狩人であり、そのサーヴァントも最強の暗殺者と呼べるが、それでもマシュの死は藤丸の死と繋がり、英霊召喚の要となる最後の一人がカルデアから消滅することを意味する。

 

「……はぁ、いやもうね。変態共の作品説明するの、ぶっちゃけ嫌なんですけど」

 

「駄目。しなさい、マシュの為にも。私がすると……ほら、その連中の同類って自覚あるから、話している内にテンション上がっちゃうのよ。

 義手って浪漫だし……コブラだし、ガッツだし。

 むしろ、自分って左腕要らないんじゃないかって思うのよ」

 

 鏡に向かって「コブラじゃねーか」と呟く赤タイツの所長を想像したロマニは、何とか笑いを吹き出すのを我慢した。

 

「はいはい。分かりましたよ、所長。そうやって自分がしたくないことをやらせるの、悪い癖だと思うなぁ」

 

「え、もっとお薬を私の為に作りたいって?」

 

「ハッ、了解致しました。ユア、マジェスティ!」

 

「宜しい。はい、説明ね」

 

「パ、パワハラです。カルデアでパワハラを見ました……!」

 

「違うわよ、マシュ。今や人類はカルデアだけ。そして、カルデアで一番偉いのはこの私。となれば、そもそも私はあらゆる法律よりも偉いと言う訳よ。

 守るべきは、このカルデアの規律と規則のみってこと。

 倫理はまぁ……雰囲気や状況によって、場面場面で解釈違いが生まれます」

 

「所長、恐ろしい人ですっ……!」

 

「安心しなさい。マシュ、貴女はこれからナニカサレテシマウのです。倫理的にいけない雰囲気で、このロマニが許した改造手術を受けることでね」

 

「ヒェ……」

 

「人聞きが悪すぎますよ、所長……って、ほら。マシュがボクを見ながら後ずさってますからぁ!

 あーもー二人共、ちょっと本当にちゃんとボクから説明するから、ボクで遊ぶのだけは止めてくれないか!?」

 

「「はぁーい」」

 

「仲良いね!? ……っは、また乗せられた」

 

 ひゅーコブラじゃねーか、とロマニは再び鏡の前でそう呟く所長をイメージすることで、先程まで見失っていた自分を取り戻す。そして、冷静な精神を最後脳の思考回路にインプットし、記録させておいた変態共の集大成作品の機能説明を始めた。

 

「取り敢えず、そうだね……変形する仕掛け義手って雰囲気だよ、マシュ。言うなれば、ギミックアーム」

 

「おおー、仕掛け義手(ギミックアーム)……!」

 

「そのまんまね。やっぱりアレな感性ね、ロマニ」

 

「そんな事はありませんよ、所長。ドクターを責めちゃいけません。格好良いネーミングセンスです、多分」

 

「や、これ考えたのはあの変態共だから。ボクは関係ないから……じゃなく―――説明をしますね、もう無理矢理にでも!!」

 

「「はぁーい」」

 

「…………っ――――ふぅー、我慢だ。我慢するのだ、ロマニ・アーキマン」

 

「良いのよ、別に爆発しても」

 

「―――ハイッお黙り。もう聞いてね、本当にね。まずねマシュ、その腕はワイヤーハンドと、マナブレードと、エーテルライフルが複合された変態義手となる。

 ワイヤーハンドはレオナルドのロケットパンチだね。それで何故これが付いているかって……ははは、ボクが知るもんか。けれど便利だから良いと思うよ。炬燵に入りながら遠くのリモコンとか取れる。ついでに狼くんの鉤縄みたいな三次元立体移動も可。

 マナブレードは前技術部門責任者コジマ博士が開発したコジマ粒子を、所長がアニムスフィアの天体魔術と秘境で勉強したとか言う僻地の魔術基盤で作った聖剣式魔術礼装に混ぜ込み、更に変態技術者共がその礼装を高圧縮魔力レーザーブレードに錬成改造したんだとか。改造し過ぎて名前がムーンライトコジマソードmk2改零式ってなったんだけど、ダサいから改名してゲッコウ。いやはや、ハハハハ……これ本当に頭可笑しいけど、簡単に言うと凄いビームチョップだね。当たると死ぬ。

 エーテルライフルは二ヶ月前、同僚とデキ婚で寿退社したカラサワ博士ね。あのコジマ粒子に取り憑かれた末に、悪夢から啓示されたレーザー発射装置の技術体系から、あの変態共が更に発展させて作ったんだとか。名前はカルデアマグナムとか所長が付けたけど、変態共がクソダセェと反乱して、単純にカラサワとなった。実は義手の主軸機能になっていて、腕がキャノンに変形することで使用可能になる。でも、んー……やっぱこれ、コブラじゃねーか?」

 

 目がグルグルして来たが、脳が爆発する前に一気にロマニは話し切った。しかし、何故かコブラのイメージがロマニから離れなかった。好きなのだろうか、赤タイツ。

 

「はぁ……コブラですか、ドクター・ロマン?」

 

「あ、戯言だから気にしないで。本当にもうね」

 

「いえ、私も知ってますから。ディールさんに……いえ、本当はアッシュでしたか。彼女に良く娯楽品は感情を育てると言われて、サブカルチャーには私も詳しいんですよ?」

 

 そう笑いながら義手をロマニに向けてサイコな銃っぽく構えると、ワイヤー付きの拳が折り畳まれ、下側にずれ込む。そして手首を出口にし、腕から如何にもな銃口が飛び出した。また腕全体も微妙に変形し、腕自体が一つの銃身に変化した。

 彼女も意図せぬ突如とした―――瞬間変形能力。

 ついでに、マシュにその気はなくても、銃口はロマニの方へ向いている。

 

「嘘、マシュ。それでロマニをサイコ撃ちするって言うの……恐ろしい子!?」

 

「ヒェ……マシュよ、どうして。ボクは味方なのに!」

 

「そんなことはありません!

 いきなり変形したんですってば!?」

 

「あ、それとねマシュ。変形は回路と繋がった義手が思念を読み取っても行えるから、ヒューなんてサイコな行動すると勝手に変形するから気を付けてね」

 

「…………冷静ですね、ドクター。

 私を揶揄いましたか。後、赤タイツさんを勝手にサイコパスにしないで下さい。今は冷凍されているカドックさんが起きた時、怒ります。彼も私が読んでいたの見て興味を惹いたのか、同じ漫画を楽しんでいたことがありましたから」

 

 所長が鍛えた特攻させられAチームも、レフによって冷凍させられAチームになってしまった。起きる時もきっと、映画で見た賞金稼ぎに窒素冷凍された宇宙密輸業者みたいに辛いだろうと、マシュは彼らの安否を心配した。そんなカドック・ゼムルプスも今はコフィン内で冷凍保存中。

 マシュが見たのは「義手か……」と呟きながら、自分の右腕を胡乱気な目付きで見ている姿。

 VR訓練で頭宇宙な所長に勝つ為に何故か火力に目覚め、銃火器を振り回す膂力を得ようと強化魔術の錬度と共に日々段々と筋肉が付いてマッチョ化する姿は印象深い。とは言え、服装を工夫する事で見た目の印象が余り変わらないカドックであった。そしてマシュが覚えているのは、どうも彼はカルデアの技術部門の発明品にも興味深々であったらしい。

 

「カドックさんと言うと、カドック・ゼムルプスかい?」

 

「はい、ドクター。彼がアッシュの持ち込んだ書物を読んでいる時でしたか、そこをあの技術部門の人に見つかったらしいです。そして、あれよあれよと言う間に兵器に染まったとか」

 

 所長もまた彼女の娯楽書物が好きだったので、カドックが娯楽本を好むのを良く覚えていた。

 そして、あの変態技術集団により、所長も銃使いなのもあって銃火器に手を出したのが、カドック・ゼムルプスの人生の分岐点だったのだろう。

 

「――――あ”……あー、カドックかぁ」

 

「うわ、どうしたんだい。所長、さっき凄い声が出ましたよ」

 

「いやね、ほら私が私の隻狼を召喚した後、ちょっとした計画を立てたじゃない。それのサンプルケースだった唯一のマスターがカドックだったのよ。ロマニ、覚えてる?」

 

「――――え”……あー、狼君の義手をサンプルにした人造(サイボーグ)忍者(ニンジャ)計画(プラン)天誅(テンチュウ)でしたったけ。義手義足とか言って、まんま人体改造の儀式手術でしたよね?

 まさか、あれって……」

 

「……うん。そう言うことよ」

 

「はぁー……それでですか。だから、マシュの義手もあっさりと」

 

「そうなの、ハハ!」

 

「―――で、彼には一体?」

 

「ほら。彼って右腕の霊体部分は回路一本も無かったし、Aチームとして必要な人材になるにはどうしたらいいかって相談されたんで……丁度良いかなって思ってね」

 

「それで義手ですか。でも、所長のことですから、他にも欲張ったのでは?」

 

「ふーむ。後はそうね、ムニエルが面白そうだからって許可したVR訓練にゲームを入れて実体験出来る様にした時、そこの舞台になったイシムラみたいな宇宙船でも一人で生き残れるようなエンジニアもメンバーに欲しかったの。Aチームって機械関連に強いの居なかったから。結果的に作ったエンジニアコースは良い出来映えだし、他のマスターにも良い訓練になったわ。

 それに特技や戦力で特徴がないカドックなら私のカルデア色に染められるし、銃火器の扱いや技術士の能力も学習装置使えば脳であっさり暗記出来る上に、訓練はVRでやりたい放題。なのでまぁ、所長として英断だったと思う訳よ。肉体改造計画の試作が出来るなら、もう全部纏めてやっちゃおうかなってね。

 ……あ、藤丸もやっておこうかしら。エンジニアコース、色々と鍛えられるし」

 

「―――え"……!?」

 

「どうしたのよ、マシュ?」

 

「いえ、何でもありません。ただ……そうですね、私だけは先輩の味方でいたいと思いました」

 

「ふーん。良くわからないけど、良い心掛けね」

 

 カルデアVRシステム。マスター専用サバイバル訓練プログラム、選択難易度:エンジニア。通称、エンジニアコース。

 そして、そのコースを誰が呼んだか―――絶命異次元。

 ムニエルがカルデアの全マスターからあの所長を焚き付けて煽ったと、殺戮の限りを渇望された忌まわしきイシムラ事件となる。ついでだが、変態技術者共は全員クリア済み。例え空の彼方からマグロ好きな宇宙人がカルデアを襲撃したとしても、彼らなら自前の工具と発明品と、そのサバイバル能力で生存することだろう。そして一時期、ロマニのカウンセリングが大忙しになった元凶でもあった。藤丸もカルデアのマスターとして、この苦難の訓練を味わうことになるが、彼はまだその未来を知らない。だがきっと宇宙旅行をする予定があれば、とても良い経験になることだろう。

 

「つまり、それはどう言うことですか?

 なんかボク、最後のオチを聞くのが怖いんだけど……」

 

「ハハハ。まぁ、そんな訳でして―――あの変態共が作ったパイルハンマーの義手、カドックをエンジニアにして付けちゃった。テヘ!」

 

 そして、完成したのが人間兵器。カルデア製のマシンガンやグレネードランチャー等の各種銃火器を持ち運びながら、右腕がとっつきになって攻撃してくる魔術師でも何でもないターミネーターだった。その挙げ句、カルデアの変態共に汚染されたAチーム専属エンジニアでも在ると言う化け物。

 とは言え、VR訓練では使えたが、流石にコフィン内にガトリングなどの重火器は持ち込めなかったので、ちょっとした短機関銃や拳銃と、義手を含めた各種礼装と専用工具程度しか装備していなかったが。

 

「てへ、じゃないですよ。それで彼、細身からハリウッド俳優みたいな風貌になっていったのですね。いや、健康的と言えば、健康そのもので良いこと何だけれども。

 そして、地味に機械オタクでミリオタにもなったと」

 

「そうね。Aチームマスター、ハリウッドエンジニアね」

 

「ハリウッドエンジニア……!」

 

 正直なところ所長もやり過ぎたと思いつつ、反省は一切しなかった。エンジニア枠が必要だったのは事実であり、彼を改造することでチームバランスも良くなった。ついでに、カドックは魔術師としての戦闘能力も鍛え抜かれている。

 サーヴァントを召喚出来れば必要ないのだろうが、マスターの強化は念には念を入れた方が無難だろうと言う所長の考えは間違いではない。いざという場合、人間は自分の身一つで生き残らなくてはならないのだから。

 

「成る程。ですから、手っ取り早く義手を選んだのですね」

 

 唖然とするロマニを横に、マシュは平然と対応。

 

「まぁ、流石に切り取ってはいないわよ。右腕限定の生体サイボーグって雰囲気ね」

 

「あー……所長の所為だったんですね。彼が良くプロテインを貰ってたのって」

 

「そうね。しかも、ただのプロテインじゃなく、カルデアプロテインね。私が開発したわ」

 

「うわぁー………って、違う違う!

 所長と話すと脱線し過ぎて本筋を見失ってしまうな。いいかいマシュ、本来の話を進めるから」

 

 ロマニは所長が会話そのものを楽しんでいることを分かってきた。損得もなく、有益不利益を考えず、何よりも無駄話が大好きな部類。こうやって話を切り上げなくては、所長が満足するまで世間話が続くだろう。

 そして、そんな所長に悪影響を受けたのか、マシュも無駄話と世間話が好きな部類。その気になれば、延々と暇潰しで所長と話していることもあった。

 

「はい、ドクター」

 

「とは言っても、簡単な機能説明は直ぐ終わるよ。続きからとして、君の義手はノーマルとライフルの二形態あるけど、どっちの状態でもブレードとワイヤーは使えるから。使い分けは、手としてそのまま使うか、銃として使うかの2パターンだね。

 ……ほら、それ。肘から手首まで付いてるその魔術礼装が、ゲッコウ発生装置さ」

 

 某レプリロイドな雰囲気なマシュを見たロマニは、変態共が何故変態なのかを大変良く実感した。しかし、盾持ちとなると、グラサンヘルメットの方に近いのではと少々困惑する。

 だが一つ言えることはある。それは、これの開発に関わった者全てが己が浪漫に情熱を捧げる弩級の変態だということだ。

 

「成る程……これ絶対、私に元々付けさせるつもりでしたね?」

 

 取り敢えず、ロマニの仕事は終わったと判断した所長はマシュに返答した。次からは自分が担当するべき説明箇所だと思い、まるで玩具を自慢する子供の目のようにキラキラと……と言うよりも、頭宇宙なギラギラとした瞳をしていた。

 

「そうよ。まぁ、義手に付属させることになったのは想定外だった。けれども、それはカドックサンプルによって義手の問題は解決済み。今は冷凍保存されてるカドックも、ナニカサレタヨウダと右腕を改造された甲斐もあると言うこと。

 でまぁ付属理由は、防御力は英霊任せにして良さそうだったけど、それじゃ孤立無援になった最悪の状態からマシュ一人で特異点修復は不可能だものね。貴女をサーヴァント運用する場合、特異点攻略に十分な火力を与えるのは必要不可欠と言うことよ。

 攻めもまた守りと言えるわ。攻撃は最大の防御よ。シールダーは守りのサーヴァントだろうけど、だったら攻撃手段はこちらが整えれば良いだけ」

 

 守りが堅いのは良いが、じり貧は精神的にも辛いだろう。

 

「―――…‥あぁ、それとねマシュ。

 義手の説明はこの程度で大丈夫だろうけど、シールドの方も付属武装があるからちゃんと頭に入れておきなさい」

 

「私の騎士盾ですか……?」

 

「うん。防御面は貴女の盾と宝具、それに魔力防御のスキルで万全だろうね。だからちゃんと、その盾も武器として使えるようにしておいたわ。

 勿論だけど、物質として存在する義手と違って、盾の方の追加武装は実体化も伴うわ。私が苦労して開発した術式でね、マシュの夢として一種のエーテル化をさせてあるから、盾を自分に仕舞いながらちゃんと移動も可能となります。我が悪夢に不可能なし」

 

「はぁー……所長、凄いです。英霊の宝具に取り込ませたんですね」

 

「カルデア所長だもの、当然よ。でも、もっと褒めて良いのよ?」

 

「所長、素敵です!」

 

「所長、可愛いね!」

 

「うんうん。ヨイショはお世辞だと分かっても耳に染みるわ。でもロマニ、貴方は駄目ね。何言ってんだこの上司って雰囲気が消えてないもの。

 仕事追加です。藤丸のエンジニアコース訓練時、貴方がサポート役だから」

 

「何故ぇ!?」

 

 ロマニを軽く地獄に落としつつ、でも倒れる前にきちんと休ませる計画も立てながら、何一つ反省しない。この男は何かしら仕事をさせていないと、ウジウジと悩んで塞ぎ込む傾向があるので、ある程度は厄介事に集中させていた方が、精神的に健康を維持できると所長は思っていた。それ以上まで追い込むのは駄目だが、天才の領域までなら常に使い続けても良いと判断。だが、自分のような狂人みたいに扱わないようにだけは気を付ける。

 そんな思考を一秒も掛けず終わらせた所長は、要件であるマシュと再び向き合った。

 

「それでは説明の続きをするわね」

 

「はい」

 

「……とは言え、説明はそんなに多くないのよね。ほら、前に説明した事がある霊基外骨格(オルテナウス)の対英霊兵器を、英霊を引き出せた今のマシュに合わせた装備なのよ。

 言うなれば、こちらも似てる名前だけど仕込み盾(ギミックシールド)ね。

 特徴としては近距離、中距離、遠距離の攻撃手段。対軍対城宝具用防御体勢固定のツインアンカーボルト。これらは取っ手のあるラウンドシールド部分ではなく、余白として裏側が余った十字盾に仕込ませます。そして、魔力防御を魔術的に応用する人造魔術回路の焼き入れね。こっちは円盾の裏に刻み込んでおいたわ。

 武装説明をすると、近距離が私製浪漫とっつき兵器、パイルバンカー。今回は上に付けておいたわ。特異点Fのバーサーカーのような硬い敵でも、当たれば粉微塵よ。

 中距離が自動追尾銃(セントリー・ピストル)ね。これは両端の二門付属よ。エーテルバレットを短機関銃みたいに全自動操作で使用可能。盾で身を守りながら、銃口だけロボットアームで外に出して連射出来るから、守りながら撃ち殺せる結構便利な仕様にしておいたわ。それと火炎放射機が下ね。私の隻狼の火炎筒みたいな瞬間発火も、私の小型如雨露(じょうろ)式火炎放射機みたいにも使える。

 で、遠距離が貫通銃(ピアシングライフル)よ。下側でアンカーボルトと火炎放射機で組み合わせてあるわ。対物理骨灰水銀弾薬による狙撃が主だけど、アンカーボルトで刺し捕らえた敵を零距離射撃で殺すのもオーケーね。無論、火炎放射機で焼殺も可。マシュのために私が夜なべして作った殺戮機構だから、ちゃんと良く愛用してね。

 それと、人工魔術回路は凄いわよ。退社したコジマ博士の発明品に私が作った新型の魔術理論が編み込まれているわ。まぁ、殆どがマイ悪夢産なんだけど。で、マシュが使っている魔力防御は魔力の防御フィールドみたいなスキルだけど、それに干渉することで様々な力場を応用的に変形させ、更に概念付与によって神秘的な意味を組み込めるのよ。盾に纏えば、それを刃状のフィールドにして剣の概念にして斬撃を使えるし、火薬を炸裂させるような魔力放出擬きも行える。これによって、シールドバッシュと同時に魔力を噴射させて攻撃出来るし、全方位に魔力放出で攻撃も出来る。私命名、アサルトアーマーよ。

 後ね、付属武器は更に追加していくし、貴女が好きなようにカスタマイズしても良い。だから、後で技術部から戻って来たら、自分用に調整して貰いなさい」

 

「はぁ……その、ありがとうございます。所長の御気遣いに感謝です」

 

 明らかにヤヴェー兵器群にドン引きしつつ、一応は職員として感謝した。生存率を考えれば、特異点Fを経験した立場として、やはり攻め手がなくては生き残れないだろう。

 これからの特異点において、もしかしたら一対一で自分の左腕を奪った騎士と戦わなくてはいけないかもしれない。その時、先輩を守れる者が自分一人であれば、二人とも死ぬしかない。それを思えば、この程度の武器は万全に運用せねばならないことだ。

 

「宜しい。我がカルデアの対特異点汎用狩猟兵器、見事使いこなしなさい」

 

「はい、所長。マシュ・キリエライト、了解致しました!」

 

「うんうん、結構。じゃあマシュ、貴女に課題を与えましょう」

 

「はい。何でしょうか?」

 

「デミ・サーヴァントとしての技能ではなく、自分自身の技能として心眼を習得しなさい」

 

「………え?」

 

「あれ、分からなかった?

 私も鬼じゃないわよ。出来ないことは言わないし、必要なことは絶対にやらせるだけ。守りを軸にするマシュにいるのは天賦の才が必要な偽の方じゃなく、心眼の真の方なの。あれはね、相手を先読み出来る脳味噌になるから、技巧の削り合いになる対サーヴァント戦闘だと凄く便利なのよ。経験と修行を死ぬほど積みまくればね、生きた人間の貴女なら、諦めなければ必ず何時かは手に入るから。

 その為に手っ取り早く、高速思考と分割思考を貴女の思考回路に焼き付けます」

 

「―――え?」

 

「思考能力を底上げしておくのよ。それを使って毎日毎日来る日も来る日も戦闘、戦局、戦術を学び続けなさい。一日も休まずね。

 ……あ、それと、これから英霊召喚もするから、心眼持ちで丁度良さそうなサーヴァントを召喚しましたら、貴女の先生にしますので」

 

「そんな、しょ……所長!あの、私、ドクター・ロマンのように過労死したくはありません!」

 

「あれマシュ、そう思ってたのに、ボクのことを庇ってくれなかったんだ?」

 

「すみません、ドクター。私が所長に歯向かうと、ドクターの仕事が更に増えそうだったので……くっ、私は弱いです!」

 

「わぁ、有り得そう……」

 

「見事な眼力、良い先読みね。やはり貴女なら心眼習得は可能よ。憑依した英霊に頼らず、自分自身の力としてね」

 

「ふへぇ、薮蛇でしたかぁ……いえ、マシュ・キリエライト。所長の期待に応えてみせます!」

 

「うん、励んでね。強くなりなさい、マシュ」

 

 カルデアの掟において、所長は絶対。逆らうことは許されぬ。

 やる前から心が折れそうだとへたり込みそうな膝に喝を入れ、マシュは決意を新たに所長の試練に挑む強き意志を胸にした。

 

「しかし、所長。私が継承した魔力防御のスキルはどうしましょうか?」

 

「あぁ、英霊の技能としてではなく、貴女の霊体が引き継いだ技能ね。あれは確かに便利ですし、この際だからデミ化しなくても使えるようにしておきなさい。むしろ、そっちも貴女のスキルとして覚えなさい。

 最悪を想定し、もし貴女が呪いやらでデミ化が出来なくなったとしても、心眼、魔力防御、魔術の三種を自分のスキルとして体得しておけば便利に戦えるからね。それに貴女が覚えられそうな三つの内、心眼と魔術は英霊としての伝承とか要らないもの」

 

「あの所長……その、覚えるスキルが増えているのですが?」

 

「そうね。でも、いけるでしょ。大丈夫よ、魔術の実践授業も増やして上げるし、魔力防御は戦い続ければそうなるもの。その二つも、良い雰囲気のサーヴァントが召喚出来れば先生にするから」

 

「そ、そんな……ド、ド、ドクター。私、まだ殺されたくありませんヨォ……」

 

「ボクは医者だからね。危険ならちゃんとドクターストップするさ。本当、本当」

 

「―――ダメじゃないですか!?

 あの所長がそんなヘマする訳がないですよ。他のAチームメンバーを見れば分かります。

 あぁ、生かさず殺さず、進むも止まるも地獄道。私もカドックさんみたいにマッチョ人類も真っ青なマシュ、略してマジマッシュなってしまうのでしょう………うぅー、先輩。哀れな後輩を助けてください……」

 

「安心しなさい。貴女の先輩も、私が立派な一人前のカルデアが誇るマスターにして上げましょう。

 シールダーのサーヴァントである―――マシュ・キリエライトのためにもね!」

 

「や、薮蛇。私の言動、全てが薮蛇でした……!」

 

 こうしてデミ・サーヴァントを立派な狩人様にするべく、そもそもマシュ自身に英霊並みの技能を身に付けさせるべく、オルガマリー所長のヤーナム式カルデアキャンプが始まりを告げた。

 けれど、けれどね。悪夢は巡り、そして終わらないものだろう!

 そんな風に脳内台詞で所長がニヤニヤしつつ止めを刺しているとも知らず、マシュはこれから先の未来を不安にしか感じられなかった。そして、自分のマスターがあのエンジニアコースで訓練することを思い出し、あの時の惨劇で身が震えることを止められなかった。

 だが、仕方がないのだろう。カルデアの所長が、狩人の意志を継いだオルガマリー・アニムスフィアであるのだから。




 第一特異点からアーマード・マシュが解禁されました。


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啓蒙11:所長面談

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「ふぅ。緑茶は、良いですなぁ」

 

「………あぁ」

 

「どうでしょう。狼さんの口に合いますかね?」

 

「うまい………良い、お手前で。藤丸殿」

 

「ありがとうございます……」

 

 この場所だけ、恐ろしい程にゆったりと時間が流れていた。忍びは一人静かに食堂スペースで茶をシバいていたが、偶々小腹を満たしに来た藤丸と遭遇し、こうして忍びの方がお茶を入れて貰っていた。

 

「口が寂しいだろう。これを……」

 

「これは、おはぎ?」

 

「ああ……ロマニ殿が、棚に隠しているのを……度々、拝借している。うまいぞ」

 

 忍びの目の無駄使い此処に極まれり。ロマニが何処に和菓子を隠そうとも、忍びからは逃げられない。

 

「では、有り難く……はぁ、おいしぃ」

 

「うむ。うまい」

 

 何か、凄くゆったりとおはぎを食べ始めていた。人理焼却とか別に起きていなかったのでは、と錯覚するようなマッタリ空間が二人の間で出来あがっていた。

 

「はぁ……ちょっと、何やってるの。藤丸、貴方、私の隻狼が可愛いからって遊んでるでしょ?」

 

「そんな事はないですって、所長。ねぇ、狼さん」

 

「………あぁ」

 

「聞いた通りですからね」

 

「嘘吐きなさい。分かってると思うけど、隻狼は無愛想な癖して身内にはベタ甘なの。そりゃ修行とか戦闘とかじゃあ悪鬼みたいだけど、それ以外だと仏様よ。自分に損が有っても、まぁいいやって許しちゃうんだもの。

 なので藤丸みたいな無害なヤツが話し相手になると、もう御爺ちゃんみたいに自分のおやつとか上げちゃうんだから、私の隻狼で遊ぶのはマジで程々にしておきなさい」

 

「主殿……」

 

「え、どうしたのよ?」

 

「……何でも……ござらぬ。ただの世間話故、藤丸殿には……御容赦を」

 

「そう。まぁ、隻狼がそう言うなら」

 

「……は」

 

 自分のことをお爺ちゃんだとマスターに思われていたことを地味にショックを受け、そんなに老け込んでいるのかと彼は思い悩んだ。だが、実際問題その通りだったので、主殿から藤丸殿を庇うだけに止めておいた。

 忍びはコミュニケーションが嫌いではないが、余り得意ではなかった。薄井の忍びとして対人交渉の技術も学んでいたが、忍びは業を盗んで覚えるもの。剣術や忍術は見れば論理を盗めたが、こればかりは義父の巧みな策謀を覚える才がなかったと言えよう。

 

「しかし主殿。どうやら……落ち込んでいるご様子。如何なさいました」

 

「うーん、わかっちゃうのね。流石、私の隻狼。いやね、マシュの為に色々と準備したのだけれども、何かゴチャゴチャし過ぎて使い難いってことで、自動追尾銃(セントリー・ピストル)と火炎放射機が外されたのよ。

 今世紀最大のドヤ顔で自慢した私が恥ずかしいわ。まだまだ啓蒙不足を実感する毎日です。所長として、もっと鋭意努力しなければ」

 

「いえ……主殿は、今のままで十分かと」

 

「そうかしら?」

 

「……は」

 

「でも、隻狼が言うならそうなんでしょう」

 

 忍びは自分の主に嘘はなるべく吐きたくはない。これ以上努力するとなれば、それに着いて行くカルデアの職員が発狂することだろう。そんな事態を防ぐためにもコミュニケーションが苦手だろうと、実は義父に精神面でも結構似て、巧みに人を話術で誘導するのが不得意ではなかった。

 そして、藤丸は自分のサーヴァントが他のマスターと仲良さ気な雰囲気に嫉妬している所長を内心で可愛く思いつつ、彼女の忍びとはもっと仲良くなれそうだと良い感触を得られた。勿論、中々にノリが良い所長とも関わり合い続ければ、友人にはなれそうだとも思っていた。

 

「まぁまぁ、所長。それでどのような要件ですか?」

 

「二つあるんだけど、まず一つ目。貴方って子供の頃、宇宙飛行士に憧れてた?」

 

「……はぁ。まぁ、そりゃあ憧れていましたよ。宇宙は浪漫だから」

 

「宜しい。続けて質問。エイリアンって映画を見たことがあれば、感想を聞きたいんだけど?」

 

「ありますけど……―――あ、感想でしたか。面白いと思いますよ。SFホラーの金字塔ですからね」

 

 所長はその答えに満足した。そして、藤丸も我がカルデアを満足することでしょう、と幾度か嬉し気に頷いた。とても上機嫌だった。

 ……不気味である。冷や汗で気色悪くすらある。

 そうなのだが、問いを投げ掛けるのを藤丸は我慢した。パンドラの箱の逸話を知る身ながら、災厄は封じ込めておきたいのが人情だろう。

 

「ありがとう。一つ目の要件は終わったわ。楽しみにしておいてね、色々と。そして、二つ目の要件なんだけど―――」

 

「はい」

 

「―――運試し、やりましょう」

 

「はい?」

 

「大丈夫よ、大丈夫。貴方って顔が良いから、第一印象も良さ気で相手側も好印象だろうしね。唐突な死を迎えることもないことです」

 

「え――……死。運試しで、死。それってロシアンみたいなルーレット?」

 

「…………」

 

「あの、笑っているだけだと分からないんですが……?」

 

「近いわね。けれども、あっさり死ねるだけ救いがありましょう」

 

「…………」

 

「どうしたのよ。何も言わず固まってるだけだと、何も分からないのだけど」

 

「そのー……その場にいるのは、俺だけ?」

 

「いいえ。私もいますし、盾も要るからマシュもいます。後、技術顧問ね。なので、計四名で行います。だから安心なさい。

 貴方って―――顔、優れているからね。

 コミュ障な私とか、ぶっちゃけ貴方に口説かれたら見た目でホレます。

 だからね、もし女性なら口説き落とせば無問題よ。男なら、友人になりなさい。どうせ相手が相手だし、魔術師としての常識とか邪魔だもの。貴方みたいなのがはっきり言って、一番有能になる仕事だからね。

 うーん……その為に、Aチームメンバーにゃあ良好な人間関係の結び方も講師を呼んで授業させたし……でも、コミュニケーション能力は私の部下の中だと貴方が一番優れているから、やっぱり問題なし」

 

「……何ですか、それ。俺ってホストでもするんですか?」

 

「あ”-……―――近い!

 ホストじゃなくて、カルデア最後のマスターです。人間として好感を得て、潤滑なコミュニケーションを取るのが貴方が最もすべき職務なのですからね」

 

「つまり、それって―――」

 

「―――英霊召喚よ。

 貴方のサーヴァントをカルデアに呼び出します。特異点Fで英霊たちと良くも悪くも縁を結べましたから、そりゃもう色々と期待できることでしょう!」

 

 嵐のように来て、嵐のように所長は藤丸を連れ去った。忍びは何時も通り元気な主を見て、良き哉とおはぎを一口。うまい。大金の入った銭袋を手に入れた時のように、思わず笑みが零れるといもの。

 そんな中、一人の白衣姿の男が食堂にやって来た。

 気配を感じ取っている忍びだが、一々反応するのも失礼だろう。相手が自分に気が付くまで、彼は黙っている。知人を探知しようとも、基本的に相手が視界に入るまで会釈をする程度に関わり合いを留めていた。

 

「はぁ。やっと、終わったよ……っは、思わず独り言が。ボクも歳かな、疲れたよ」

 

「ロマニ殿。頂いている」

 

「うんうん。別に良いよ、狼君……ってそれ、ボクの取って置きのおはぎじゃないか!」

 

「……は」

 

「は、じゃないよーもう。ボク、これから何を楽しみに今日一日を過ごせば良いんだよ……」

 

「安心なされ。飴がある」

 

「嫌だよ! それって怨念込めてるヤツでしょ!?

 ボクは君が食堂で仏像みたいなポーズをしながら、その飴を夜遅くに練ってるの見たことあるんだからね」

 

 仙峯寺が遠い過去となった今、飴は狼自家製となる。召喚された後、暇な時間に遺魂を込めながら飴を練り込むことで、戦闘時における魔力節約となるべく道具の準備を怠る忍びではなかった。無論のこと、御霊降ろしの為に専用の祈祷姿をするのは忘れてはならない。

 

「……は。しかし、甘みがありまする」

 

「関係無いからね!?」

 

「む……そうか」

 

「はぁ。ま、狼君だからもう良いよ。どうする、団子もあるけど?」

 

「………有り難い。茶を、入れまする」

 

「うん。ありがとう…………ん―――ふはぁ。君の茶は染みるねぇ……これだけが、現実を生きるボクの癒しさ。後、マギ☆マリ」

 

「……まぎ、まり……とは?」

 

「お、お……おー……成る程。狼君、興味あるんだね?」

 

「否……しかし、未知は……好ましいものだ」

 

「そうかいそうかい……―――良し!

 じゃあ、ちょっとだけで良いからさ、愚痴と一緒にボクの話を聞いていってくれよ」

 

「……構わぬ」

 

「なばら語らして貰おうか。そう、我らのマギ☆マリとは――――」

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「―――成る程。でしたら、所長は料理も得意なのですか。

 実は自分、子供の頃から料理が趣味でしてね。旨いものを求めている内に、じゃあ自分で創作して理想を得るのが人の道じゃないか……と、少しだけ思い込んだ時期があったんですよ。なので、美味しいものを食べるのも大好きなんですよね。

 所長は何か、好きな食べ物ってあるんですか?」

 

「そうね。血かしら」

 

「成る程……―――血液料理ですか。もしや、となると地域の一品ですね」

 

「おっと、貴方ってガチなのね……うむ。このカルデア、爆破されてもツいてるわねぇ」

 

 普通なら引かれる解答だが、やはり啓蒙された通りこの男、コミュ力EXの恐ろしいリア充。所長は宇宙に通じる叡智で以って会話をする藤丸を分析していたが、最後の最後でカルデアはマスター運が極限まで高まっていた様だ。

 ならば、そのマスターの籤運が悪い訳がない。

 所長は未来を啓蒙出来ていた。占星術で藤丸立香を運勢を思考の瞳で見る限り、我がカルデアに豪運を招き入れまくる籤運EXだと理解した。

 

「何がですか?」

 

「何でもないわ。そうね、ちょっと特殊な血液が好きなのよ。吸血鬼みたいに人間の血が好きじゃなく、ちゃんとグルメな私は血液にも拘るのよ」

 

「まるで吸血鬼が実在するみたいな……―――え、いるんですか?」

 

「居るわよ。魔術世界だと普通の住人です」

 

「狼男は?」

 

「居るわね」

 

「もしかして、そう言うのって―――」

 

「貴方が思うファンタジーな異種族ってのは、基本的に実在するのよ。特に神話体系の種族は古い地球で結構実在していたわね。後ね、吸血鬼は死徒って呼ばれるのが基本種族だけど、あれは神話と関係ない別物だから、吸血種は吸血種でまた色々ね。

 なのでこの世界、神も悪魔も宇宙人も存在するの。慣れなさい」

 

「―――ファー……そうだったんですね。ファンタジーって幻想じゃなくて現実だったんですね」

 

「英霊なんて、そんな連中でも馴染み深い奴らじゃないの」

 

 等と、無駄話をしながら歩けば二人は目的地に着いていた。

 

「ここは、一体……?」

 

「守護英霊召喚システム・フェイト。カルデアが作り上げた術式が刻まれたサーヴァント召喚の要となる部屋。その儀式をする為に工房として作成した私と私のパピーが作った傑作発明品。私が付けたけど名前は単純に、サーヴァント召喚儀礼室。

 要するに―――貴方の、仕事部屋よ」

 

「此処が……サーヴァント召喚儀礼室」

 

「マシュと顧問は呼んでいるから、私たちもとっとと入りましょう」

 

「はい!」

 

 最新機種が揃えられているカルデアには珍しく、その儀礼室は重苦しい門のような扉だった。染み一つない白い扉は自動ドアではなく、人力で開くタイプであった。

 魔法陣の紋様と、宇宙のように暗い神秘的な空間。

 あの大空洞でオルガマリーが空に浮かばせた高次元暗黒に似た世界。

 趣味が良いとはとても言えなかった。この場に存在しているだけで藤丸立香は、自分の脳髄に未知が啓かれる違和感に第六感が支配されていた。

 

「先輩。お待ちしていました」

 

「やぁやぁご苦労さん。カルデア最後のマスター君」

 

 しかし、藤丸にとって儀礼室は目の保養だ。何せ自分を待っていてくれた同じ年の美少女と、何かもうモナリザとしか例えられない空前絶後の凄まじい美女がいたのだから。顔が良いと所長は藤丸を石ころを見るような澄み切った瞳で褒めたが、告白を幾度か受けた過去を持つ彼はぶっちゃけ顔の良さに過不足なく自覚があり、しかしそんな自分が釣り合わない程に二人は良い美貌を持っている。精神性も外見に出ているので、そりゃもうオーラが違う。

 

“……うん。ま、女性を口説かない俺とか、俺じゃないし”

 

 藤丸立香のコミュ力の高さは、生まれながらの素質の部分が大きいが、実際に鍛えた対人交渉術の部分も大きいのだった。ナンパな性格はしていないが、相手に合わせた精神的距離間が完璧なのだろう。だがしかし、技術顧問は食指が動きませんと彼の第六感覚(ゴースト)が囁いていた。彼女からは危険な美女の気配と言うより、何かもう普通に危険でしかない雰囲気だ。藤丸なら容易く見抜く地雷だった。

 そんなコミュ力高いだけな十代男子高校生精神を一切隠し、正真正銘世界に挑む男の表情をするカルデア最後の希望―――藤丸立香。

 所長は藤丸に対し、ちょっとフロイト的に性欲溜まって来てるのかしら、と的確に男の心理状況を見抜いてはいたが、部下の人間性にまで口は出さない大人な女である。真面目にする時にきっちりと本気で挑んでくれればそれで良く、マシュも藤丸を慕っているので宜しくなっても構いはしない。だがあの顧問へ手を出すとなれば「啓蒙高いわぁ」と、流石の狩人様でもそれは引く。

 啓蒙(インサイト)は―――中を見る瞳。

 そんな如何でも良い人間性の深淵さえも見えてしまう。脳に宿ったあらゆる中身を暴く思考の瞳は、思考回路も人を見れば自然と分かるのだろう。

 

「顧問、儀礼室の要を連れて来たわ。アナタの準備は良いのかしら?」

 

「勿論だとも、所長。聖晶石はこちらの方に」

 

 ダ・ヴィンチから結晶を受け取った所長は、その瞳でじっくりとその石を観察した。既にカルデアを年齢を理由に退社したが、真エーテルの研究をしていたコジマ博士が作り出したコジマ粒子。その特殊なエーテルを魔術儀式で加工することで作り上げられたのが、この聖晶石と言うカルデアの発明品の一つ。

 所長はその秘匿されるべき術式を、技術部門顧問―――レオナルド・ダ・ヴィンチに継承させていた。

 部下をまず全力全開で信頼する所からコミュニケーションを行う所長は、カルデアが召喚したサーヴァントであるこの天才キャスターの魔術的技量を啓蒙し(見抜き)、コジマ博士の仕事を全て引き継がせていた。

 

「―――良い。ふふっふーふふ、実に良い。私の瞳が富める素晴しい出来栄えね」

 

「そうだろうとも、そうだろうとも。何せこのダ・ヴィンチちゃんは、混じりッ気なしの天才美女サーヴァントなのだから!」

 

「うんうん。アナタってちょっと啓蒙高い性別だけど、天才過ぎて脳が痺れてしまいそう!」

 

「いやぁー……ククク。私も中々に良い理解者を得られて良かったぜ!」

 

「もぉーう、顧問ったら。アナタほどの変態(テンサイ)を理解するなんて、そんな恐れ多いでしょう」

 

「そんなことはないぜ。天才の私が言うのだから間違いない。所長はきっと世界だって変えられる変態(テンサイ)さ」

 

 天才とアレは紙一重と言うが、天才でありアレでもある頭脳の化け物が二人揃うと、その変態進化に歯止めなど一切ない。そんな二人に立ち向かうロマニがいなければ、このカルデアこそ世界を焼き尽くして国家解体を実行した文明の頂点となっていたことだろう。

 人理解体機関フィフス・カルデアの誕生であった。

 とは言え、それはもう遠い世界で有るか無いか分からない可能性の物語。この世界では人理焼却に立ち向かう人類史最後の希望である……筈だった。

 

「「うわぁ……」」

 

 そんな出会ってはいけない二人が既に交流を深めている場面を見て、もはやカルデアが手遅れなのだとマシュと藤丸は深く実感した。

 ……ドクター・ロマン、強く生きて。

 この二人と対等に関わらないといけない彼に、二人は祈らずにはいられなかった。所長の忍びがいなければ、お茶しながら愚痴を溢す相手もいなかったことだろう。信頼と言う部分では性別逆転中の顧問が一番なのだろうが、人間は色々な事でストレスが溜まってしまうものなのだから。

 

「じゃあ、藤丸。はいこれ。協会で値段にすれば一個で家と土地が余裕で買えるけど、景気良くあの魔法陣に捧げなさい」

 

「……………え?」

 

「だから、はい。聖晶石よ。彼方へ呼び掛ける要である貴方じゃないと、契約を結ぼうにも不可能なのだからね」

 

「いえ……いえいえいえいえ。そうじゃなくて、これの値段です……?」

 

「何を驚いているのよ。カルデアの発明品なのだから、そりゃもう高価よ。原価は別にそこまでしないけど、技術と神秘が付加価値として箆棒に高くなるのよね。

 あのコジマ粒子だって普通に封印指定だし、これも同じだもの。

 英霊召喚なんて奇跡を神秘絶えた現代で可能とするエーテル結晶体となれば、出す人間は幾らだって出すわよ」

 

「それを……これから自分が、使い潰すのですか?」

 

「うん、そうね」

 

「それでその、それが何度も失敗した場合は?」

 

「赤字ね。貴方の人生をこのカルデアが買い取りましょう。今やもはや、私たちカルデアが正義の味方なのだから!」

 

「ヒェ……神よ、どうして。正義はそれなのに―――!?」

 

「嘘よ、嘘。正義の味方なんて荷が重すぎるわよ。精々がちょっとしたボランティアが限界です。人理は救わないといけないから救うけど、夢を腐らせる人類種を救うなんて聖人だけで勘弁だもの。

 なので、別に気にしなくていいの。

 貴方しか出来ないから、しなくてはならないからするってだけ。結局、全てが我がカルデアの総意なのだから」

 

 この言い草から、人理保証をするカルデアの所長が人間と言う生物に、そもそも何一つ期待などしていない事が雰囲気で藤丸は悟れた。

 ―――夢を腐らせる人類種。

 そんな台詞、人を救う為に世界を救おうとする人物が言うものではない。

 自分の上司に聞けば、恐らくは本音をあっさり語るのだろう。この人が人間を既に見限っていることなど、聞かなくとも藤丸は少し関われば直ぐ理解した。しかし、それでも人理を救うのだとすれば、まだ人間の世界に未練はあると考えた。

 聞かなかったことにしない。それでも今は、この危機に対する仲間として、なるべく気安く接していたい。聞くならば、せめて所長が自分のことを一人の人間として認めてからだろうと判断した。

 

「でしたら、良いんですけど……ははは。この一粒で数千万円か。魔術ってパないの!」

 

「そうよー……ふふふ。金食い虫だけど、その分だけ金儲けもやり易いのよね。神秘ってのはね、襤褸い商売なのよ。文明技術も超越して研究も出来るから、そりゃもうカルデアって良い感じ。ま、それだって売れればの話だけど。

 なので、エネルギー源さえあれば聖晶石も量産出来るし、パーッと魔法陣に投げてしまいなさい。それだけの金額的価値があるってだけで、その石は金に変えるべきものじゃないのだから」

 

 それを聞いた藤丸は決意を新たにした。投げるべきものを投げるだけと思い、数千万円する宝石を山頂の火口に投げる気分だった勿体無い精神を吹き飛ばした。

 自分にしか出来ない事であり、所長から給料も貰っている仕事でもある。

 人理焼却が為された今となっては金銭など完全に無価値であり、しかしそれでも世界を焼却から救えば給料が入る。つまりは、生きる為には戦わなければならず、生き残れば億万長者。選択肢がないのは仕方がないが、戦い抜いた先に報酬がちゃんと準備されているのなら、やはり藤丸立香は人間らしく嬉しく思う。無償の英雄的行動を生きる為に必要ならばそれでも戦い抜くと決めるが、明るい未来は人間が戦う為の重要な活力であるのだから。

 

「わかりました。ハラショー!」

 

 だから、彼は意志を曲げない。決意そのまま魔法陣に聖晶石をシュート、超エキサイティング!

 脳内で凄まじく適当な決め台詞を言いながら、藤丸はやはり数千万円もする石を粗末に出来ないので、貴重品を扱うよう魔法陣の上にポツンと置いた。

 

「何故ロシア語なのですか、先輩……」

 

「相変わらずだねぇ……君は。だが、それが面白い」

 

「ハラショー……ふふ。ハラショーって、ふふふふふふ!」

 

 所長が一人だけ藤丸の言葉に受けて笑っているが、召喚魔法陣がそんな彼女と関係無く輝き出す。従来のエーテルで作成した聖晶石よりもコジマ石は何十倍、あるいは何百倍の魔力効率を誇る超燃料。一つだけ捧げたが、込められた結晶から少しずつ溶け出す魔力は何度も術式を起動させ続け、幾度も魔法陣を輝かせることだろう。

 その光景に所長は―――オルガマリー・アニムスフィアは、笑みを耐え切れなかった。

 人理焼却と言う人類滅亡の危機を前に、英霊の座は遂にカルデアへ門を開いた。英霊召喚によるサーヴァント使役など神話の話に過ぎないが、聖杯の奇跡も使わずカルデアは自らの技術力のみで到達した。

 

「ふふふふふふ、はーっはっははっはっはははは!

 ああ、あぁああぁ……私の死んだ御父様。貴方様の理論は完成しました。貴方様が人理を守るべく空想と嘲笑われた奇跡が、人理焼却と言う人類史消去によって―――否、私が完成させて頂けました。

 どうか、どうか御父様、貴方様が眠る星幽界より見守り下さいませ。

 世界を憂いたアニムスフィアの手によって理の救済と言う、この世全ての夢が叶えられますように……!」

 

 完全に目が空想の宙へ向けられ、狂気が空間を侵食していく。とは言えマシュは、神秘に対して昂揚した所長がこうなるのは良く知っており、そもそも慣れているので余り気にしていなかった。普段と違って完全にアチラ側の住人であるが、カルデアは奇人変人の巣窟だ。

 なので、マシュも普段通りに一言掛けるだけ。それだけ有れば、何時も通り所長も狂気から目覚めることだろう。

 

「テンション高いですね……その所長、大丈夫ですか?」

 

「――――あ、うん。ごめんね、マシュ。

 やっと此処まで来られたから。これで門も開けず藤丸の召喚が不発にでもなれば、カルデアが召喚しておいたサーヴァントだけで人理焼却に立ち向かわないといけないのだもの。

 だから、嬉しいの。僥倖僥倖、凄く僥倖。全く以って成功よ――――さぁて、あのキャスターか、あるいは私達カルデアが冬木で殺した誰かが来てくれるのかしらね?」

 

 十秒以上か一分か、召喚を見守っていた者達は余り時間の感覚は分からないが、長い間魔法陣から放たれた光輪は廻り続けたが、それも収まり始めた。

 しかし、まだまだこれからだ。聖晶石コジマSPは幾分か余裕がある。

 不安気に此方を見る藤丸に所長は頷きながらも、まるで歴戦の狩人のように右手の親指を立てた。更にぶち込んじまいな、とアイコンタクトで意志を伝えたのだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「さ、さ、どうぞ。席について」

 

「すみません、メイガス」

 

「あぁ………」

 

「お。悪いね」

 

「これは忝い」

 

「◆■■■……」

 

「あら……何と言うか、思った雰囲気と違うわね」

 

「…………」

 

「ふぅむ……ここが、カルデアと」

 

 広い場所がないとのことで、食堂を利用することにした。軽食と飲み物も準備出来るのも良い。

 ついでに座から来たばかりのサーヴァントの皆様にも横柄な態度だと印象も悪いだろうと、所長は予想以上に一気に英霊を召喚した藤丸を内心で評価を激上げしまくりつつも、カルデアにとって大事な営業相手である英霊に失礼がないように接することを心掛ける。

 それに召喚自体もまだ終わりではない。しかし、召喚した八騎のサーヴァントを放置するのも失礼極まりない。一旦それは中止し、藤丸は休憩させて、今はこうして召喚成功した英霊と所長がカルデアの決まりごとなとを話すことにした。

 

「……では、改めて。

 ようこそおいでになりました。ここが私達の人理保障継続機関カルデアです」

 

 自分のサーヴァントである忍びには凄まじく依怙贔屓する所長だが、そもそもカルデアのサーヴァントにも隻狼程ではないがかなり優しい。最初から対応がひどく柔らかい。藤丸による儀式成功で頭高次元暗黒になってギラつきまくった瞳で狂気がガン決まりしているが、それ以外は穏やかな表情で彼ら彼女らと、魔術師とは思えぬ態度でサーヴァントと会話をしていた。

 

「この度はウチの藤丸立香の呼びかけに応えて頂き、感謝するわね。私がカルデア所長、オルガマリー・アニムスフィアよ。

 サーヴァントとしてマスターともう自己紹介したけれど、出来れば……まぁ、私ともして貰えると嬉しいわね」

 

 そう所長が言い切ると、一切何の気配も存在感もない空間に男が一人佇んでいた。まるで気功を極めた仙人のような気配の無さ。それを自然体で行う人物に驚きつつも、しかし此方に気付かせるように態と気配を出したことで更に驚きつつも、男がそこに居ることには驚かなかった。

 

「…………主殿。茶だ」

 

「うん。ありがとう、隻狼……あれ、皆の分も準備してくれたのね」

 

「あぁ……配ろう」

 

「―――えぇ!

 じゃあ、悪いけどお願いします」

 

 橙色の派手な色合いの忍び装束。その彼が一人一人にお茶を出し、茶菓子も出し、会釈をすると遠くに戻って行った。

 召喚されたサーヴァントの中でも、同じ着物姿のアサシンが好戦的にも程がある人斬りの目付きで忍びを見定め、同じアサシンである黒装束のサーヴァントも酷く関心したように何度か頷きながら髑髏仮面を揺らしていた。

 だが、とうの忍びは疲れたのか机に突っ伏して寝ているロマニのテーブルに戻り、そのまま席に着いた。しかし暇なのか、懐から鑿を取り出して忍義手の整備を始めていた。ロマニを放って何処かに行かず、だが彼が起きるまで待っている当たり、忍びの人の良さが出ている光景である。

 

「では、飲みながらで構いませんので、お願いしますね」

 

「セイバーのサーヴァント、アルトリア・ペンドラゴンです。カルデア所長でしたね、今日からお世話になります」

 

「うん……―――うん?

 成る程、冬木でも会ったアーサー王ですね。ええ、宜しく。どうか藤丸をお願いね。後、マシュとも色々と因果がありますし、彼女にも気を使ってくれると嬉しいわ」

 

「はい」

 

 そして、美しい姿勢で茶菓子を食べ始めるアルトリアは隣のアーチャーに目配りし、それを受けた赤い男は仕方がなさそうに口を開いた。

 

「アーチャーのサーヴァント、エミヤだ。これから世話になる」

 

「ええ、こちらも貴方の世話になるから御相子ね……―――うん。藤丸と、それとマシュとも仲良くしてね」

 

「あぁ……それは、勿論だとも」

 

 何を確認したのかエミヤには分からなかったが、取り敢えず頷いておいた。この女に逆らうと碌な目に合わないと彼の心眼と言う名の女性経験が告げていた。可愛い子が基本的に好きでそれなりに優しくするエミヤだが、所長は生前に関わり合いのある全ての女性と比べても、史上最大の災厄だと鷹の目で見抜いた。

 そして、見抜かれた事を所長は見抜いたが、むしろそれが良い。アラヤの奴隷である守護者だとも啓蒙出来たので、こう言う人類絶滅を防ぐ本物のプロフェショナルだと理解し、彼はとてもカルデアにとって重要な位置に立つサーヴァントだと分かった。加えて、そのスキル構成も良い。後でマシュの先生にしてしまおう。

 

「―――で、オレはランサー。真名はクー・フーリンだ。冬木じゃ世話になったな!

 けどよ、最後まで助けられなくてすまなかった。あのヤローと殺し合ってる隙を突かれてよ、無様に首を斬られて暗殺されちまった。

 ま、次はそんなヘマはしねぇ。ちゃんとランサーで召喚されたしな」

 

「うんうん。私も貴方が来てくれてとても嬉しいわ。藤丸とマシュも楽し気でしたし、後で時間が有る時にでもかまって上げてね」

 

「はっはっはっは! 分かってるって。命を預け合った戦友と、戦いの後に一杯するのが戦士の醍醐味ってもんさ!

 しかしよ、オレは所長さんとも仲良くしたいって思ってるんだぜ。アンタみたいに強くて綺麗な女は、生前でも余り出会わなかったからな」

 

「そう。嬉しいわね。私は良い男が相手なら、何時でもウェルカムよ。何でかこのカルデアじゃね、皆が皆、優良物件な私を女扱いしないで放置プレイなんだもの。

 一人の夜は寂しくて堪らない。男だって、同じ筈でしょ」

 

「そうかい……――――ま、気持ちは分からなくもねぇが」

 

「え、それってどっちの意味で?」

 

「おっと藪蛇だったか。まぁ、色んな意味でこれから宜しくな、所長さん」

 

「宜しくね。光の御子」

 

 中身も危険な良い女。ちょっと瞳が宇宙のように暗く深いのが恐ろしいが、むしろ逆に魅力的でもある。クー・フーリンにとって生前に出会った事はない部類の女で、だが好みに沿った強くて危ない女性なので、男としてはかなり良い第一印象だった。所長もまた、女としてランサーのような心身強い男に口説かれれば、悪い気分にはならなかった。そもそもナンパとかされた事もなく、だが案外異性から容姿や強さを褒められるのは心地よいものだと実感した。

 そして、その隣にもナンパ男な雰囲気を持つ人物が一人。サーヴァントとしてだと忍びと似た雰囲気であるが、種類はまた別の日本人。物干し竿のような長刀を持つ侍であった。

 

「アサシンのサーヴァント、佐々木小次郎だ。これから厄介になるが、人理修復まで宜しく頼む」

 

「佐々木小次郎ですか……うん。宜しくね。武蔵で有名な剣豪だろうけど、ちょっと何だか雰囲気が違うのよね?」

 

「ほう、良く見抜く女子(おなご)だ。私はそう在れと望まれただけの農民でな、剣豪などとてもとても勤まらぬ。元より無名の農民で、人より棒振りが巧いことが取り得の亡霊よ」

 

「成る程ね。まぁ、本当なんだろうけど、その棒振りがちょっと剣神の領域に辿り着いちゃったと言う訳かしら?」

 

「お主は……本当に、良く見抜くものよ。我が人生故に否定はせんが、剣神と呼ばれるのは少しこそばゆいぞ」

 

「ふふふ。ちょっと瞳が肥えてるのよ。見れば分かるけど、技量は貴方が一等賞ね。ま、私の隻狼とどっちが巧いかは言わないでおくけど!」

 

「そうか。お主程の女怪が自慢する使い手か……まこと、楽しみよなぁ」

 

「そうよ、私のアサシンはカルデア最強なのだから」

 

「ほうほう……」

 

 所長的に忍びに一番気に掛けていた佐々木小次郎を牽制しておくつもりが、更に興味を引き出す結果となってしまった。しかし、何だかんだで忍びも斬り合いは嫌いではないので、侍にとっても忍びにとっても互いの娯楽になるならば、それは悪い事ではないのだろう。

 

「◆■■■◆■……」

 

「はい、宜しくね。しかし、ヘラクレスの伝承は知ってるけど、実際はかなり紳士的な人みたいね」

 

「◆■◆」

 

「そんな……ふふふ。まぁ、意外とお上手なのね。でも、ま、そこまで言われて嬉しくない何て、捻くれてませんからね」

 

「◆■◆■◆」

 

「そう言う貴方も、白い一本の薔薇が似合うダンディでしょう。でも、何時かプレゼントしてくれるなら、部屋に飾っておきますよ」

 

「◆■◆■■■」

 

「えぇ、えぇ、構いません。此処は多文化を重んじるカルデアですから。故意に曝け出さないのでしたら、別に腰蓑一丁で歩いても風紀的に問題ないわ」

 

 此処の所長、ちょっと本当に頭が凄まじいと他サーヴァントが驚きつつも、会話は短めに終わった。次に自己紹介をしようと身構えていた女性など精神的にダメージを受けたのか、茫然と隣に座っている巨漢を凝視している始末である。

 

「ありがとうございました、ヘラクレス。では次にキャスター、お願いね」

 

「え、ええ……その、キャスターのサーヴァント。真名はメディアよ。どの程度の付き合いになるか分からないけど、これから此処でお世話になるわ」

 

「うん、宜しく……―――ん?

 メディアとなると、魔術の神の弟子だったかしら?」

 

「そうよ。それがどうかしたのかしら?」

 

「んー……そうね、人に魔術を教える事に興味ってある?」

 

「え……―――この私が、魔術の教師役?

 それはどうかしらね。キルケー叔母様みたいなことなんて生前試したこともなかったから、やってみないと何とも言えないわ」

 

「まぁ、それは追々。兎も角、召喚に応じてくれて感謝です」

 

「ええ。呼ばれたからには、私も本気で人理修復に協力するから安心して頂戴」

 

 フードを脱ぐと凄い美貌のキャスター。しかし、何故か同時に人妻感も凄まじい。イアソンの奥様だったことは所長も分かっているが、伝承を見るとあの男に対して人妻っぽい雰囲気になれるか微妙なところ。もっとドロリといた魔女をイメージしていたが、魔術師よりも魔術師らしいのに、賢者と呼ばれる魔術師よりも常識人に近い倫理観は持っているようだ。

 

「ライダーのサーヴァント、メデューサです。召喚に応じ、カルデアに協力します」

 

「メデューサね……―――まぁ、女神にも来てくれるなんて嬉しいわ。カルデア所長として歓迎します、盛大にね」

 

「はぁ……それはどうも」

 

「うん。こっちもありがとう」

 

「……………」

 

「…‥…‥‥」

 

「あの、まだ私に何か?」

 

「凄い失礼を承知で少しだけお願いなんだけど、後で血液検査とか――――」

 

「―――しません。

 絶対に、血液なんて抜かせません」

 

「そっかー……でも、別に嫌な事を強要するつもりはないので、貴女程の英霊がサーヴァントとして居てくれるだけで有り難いからね。

 暇な時もあると思いますので、ゆっくりと生活して下さい」

 

「はい。そこには此方も、とても感謝しています」

 

 ゴルゴーンの血液は、特別な血を持つ英霊の中でも更に特別。所長は是非とも欲しかったが、メデューサ本人の方がカルデアとしては遥かに有益。嫌なら嫌で仕方がないと諦めて、普通に挨拶するだけに留めておいた。

 

「私はアサシンのサーヴァント、ハサン・サッバーハであります。しかしそうですな、ハサンの名を継いだ暗殺者もこれより召喚される事もありましょうし……ふむ。私の事は呪腕、あるいは呪腕のハサンとでも」

 

「分かったわ。呪腕のハサンね。これからカルデアで宜しくね。でも、あの暗殺教団の当主が来てくれるとは、諜報活動は完璧以上と言うことね。

 私のアサシンも隠密活動は得意なんだけど、彼って結局は皆殺しにしちゃう人斬りだったから……」

 

「それは何とも。アサシンは標的を必ず死なせる暗殺者でありますが、やはり侵入活動と諜報活動は基礎能力でしょう」

 

「よねぇ……って事で、貴方には期待しています。藤丸は敵からすると弱点となるマスターだから、やはり暗殺するには藤丸を殺すのが手っ取り早いですからね。私が敵なら最初から藤丸を()りに行くので、その対策も要るのよ

 なのでそう言う手合いのカウンターとして、あるいはマスターアサシネイト対策を立案して下さいね」

 

「お任せあれ。この身に換えても、我が召喚者を守り抜きましょう」

 

「うん。感謝です」

 

 とのことで、短いながらも所長は対話を終わらせた。しかし、彼女がこの場にいる全サーヴァントを瞳で視ることで啓蒙出来ている。ステータスは勿論、スキルと宝具も分かっている。あるいは、その意志を感じ取ることで人格や精神性も把握してしまっている。

 ―――守護英霊召喚システムは、完璧以上の成功品だ。

 ダ・ヴィンチや狼の召喚もシステムによるモノだが、こちらはかなり特殊な事例となる。何度も出来ることではない。しかし、聖晶石によって魔術師としてなら何でもない藤丸立香が、こうしてサーヴァント召喚に成功した前の前の現実。

 

“やはり、夢は私を裏切らない”

 

 サーヴァント召喚の為に用意したマスターが一人を除いて使い物にならなくなったが、最後の一人いれば人理修復は事足りる。藤丸の魔術的技量を考えれば特異点にレイシフトして連れていくのはマシュを含めて数名が限界だろうが、それも結局は問題ない。冷凍保存していなければその人数分以上のサーヴァントをレイシフト可能だったろうが、それでも解決策など幾らでもある。

 所長は英霊召喚の術式を学習し、新たな即式召喚術式を開発した。

 名付ければ、影霊召喚。あるいは、コール・オブ・シャドウズサモン。カルデアが召喚したサーヴァントの影を一時的に契約したマスターが、自分自身の元に限定召喚するシステム。シャドウ・サーヴァントと呼ばれるサーヴァント未満の使い魔だが、戦う為の力としては非常に有能である。特殊術式により、影に過ぎない写し身であろうとも宝具と技能も使用可能だ。

 人類最後のマスターである藤丸立香は、その為にオルガマリー・アニムスフィアから魔術礼装を植え付けられた。痛みを伴った霊媒手術によって体内へ取り込まれ、所長が見込んだマスターに渡す筈だった礼装は、彼の中に“悪夢”として霊体の一部となっていた。

 その礼装の名こそ―――影霊呼びの鐘。

 令呪が刻まれた右手は英霊へ呼びかける小さな人骨の鐘となった。否、その鐘こそ令呪を刻み込む為の下地であった。悪夢は幾度だろうと巡り廻って、マスターを見捨てずに助け続ける事になるだろう。

 

“あぁ……―――宇宙は空にある”

 

 L字ポーズをとって悪夢と異空間と高次元暗黒に住まう者共と交信したくなる気持ちを抑え、所長は英霊と出会うことで更なる啓蒙を得た。

 ならば、後は特異点に入り込むだけ。

 計画通り、まずはフランスの特異点で狩りを全うしようと意志を固め、藤丸の召喚に応じてくれた英霊を自分に利益を与えてくれる商売相手として祝福した。

 

 















 ジル・ド・レェは理想の悪役ですよね。書いていて楽しいです。フランス特異点はジルの話でもありますので、前回の話で彼の思いを少しは描写出来ていれば幸いです。それと前話で彼が獣の偉業である人理焼却に協力することに違和感はなかった雰囲気に出来れば良かったと思います。
 後、個人的な感想ですが彼岸島って漫画は、ギャグとシリアスの塩梅が絶妙だと思います。
 それとアトランティスは最後までやりました。やはり愛と自己犠牲の物語はFateらしくて面白いですよね。


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啓蒙12:優しい牢獄を出て

 昼下がりの午後。太陽も高く上り、大地を暖かく光を照らしていた。光差す城のテラスにて少女は聖杯より入力された知識からこの時代は勿論のこと、これより先の言語や文化についても覚えが有り、あらゆる一般的国際知識に及んでいる。この現代のフランス語。あるいは、先の未来で使われるフランス語。または他国家の言語。それには憎きブリテンも無論である。

 こう言う時間をティータイムと言う時間であると分かっていた。

 少女自らが召喚した傍らに控えるバーサーク・セイバー……―――否。もはやあの灰によって、その存在ごと作りかえられていたか。

 より狂い果てた霊基を持つ英霊の写し身―――ヒューマニティ・セイバーは、音もなく少女のコップに紅茶を入れていた。そして、この特異点の外側より呼びかけて召喚してサーヴァントにした老女へ、黒い少女はありがとうと短くて小さい声で感謝の言葉をした。いえ、と老女は静かに返答し、その少女の対面に座る眼帯を付けた女性のコップにも紅茶を入れた。その女性もありがとうと言った言葉に老女は応えた後、まるで姫に仕える騎士のように凛々しい姿で下がって行った。

 麗しき百合の剣騎士から、灰によって枯百合の老騎士となった王家の騎士(シュヴァリエ)

 アッシュと名乗る神嫌いの聖職者のおぞましさを黒い少女は羨みながら、しかし今だけは意識から疎外させた。

 

「―――ふぅ。最近の貴女、体調はどうかしら?」

 

「ええ。快調ですよ」

 

 十六歳程度の少女が言う問いに、二十歳程度の少女と大人の間くらいの女性が応えていた。短めに整えられた髪型もそっくりであり、顔立ちも年齢を考えなければ双子だと思える程で、姉妹なのは間違いないことだろう。女性の方が右目に眼帯を付けていなければ、その違いも分かり難いことだろう。

 

「右目はどうですか?」

 

「今はまだ見えませんね。しかし、それは欲張り過ぎでしょう。あの拷問から生きて帰れただけ、主の御加護であったと思うべきですから」

 

「神ですか……―――はぁ。その存在を疑いはしませんが、あれから御加護なんてありませんよ。純粋に、貴女の生命力が図太かっただけですので」

 

「捻くれ過ぎですよ。貴女は死んだ私だと言う話ですから、そんな事を言っても自分に返るだけですが。

 けれど―――」

 

「―――はいはい。オバさん臭いですよ、歳取った人間の私」

 

「もう。全く、それはもうこの年齢ですからね。子供が居ても普通なんですから、ついこの間まで戦争に明け暮れたとはいえ、十九歳らしく所帯じみたことも言いますよ」

 

「その点、私は肉体年齢十六歳ですからね。精神的な年齢は、死んだ時の歳に近いでしょうから貴女と同じ筈なんですけど。

 ……ふーん。そうですと、まだまだ私も若いと言うことですか」

 

「でしょうね。十六歳の時の私って、結構まだ腕白でしたからね。でもね……ッ―――!」

 

「あら。どうしましたか、ジャンヌ・ダルク?」

 

「……いえ。少しだけ、右目が痛みまして」

 

 確かに焼かれた右目はまだ視力は回復しておらず、切り裂かれた髪は肩ほどまでしか伸びていない。だが拷問で傷付いた体は癒え……いや、もはや人型のまま破壊されたジャンヌの肉体は、正しく神の奇跡によって修復されていた。

 彼女は、アッシュ・ワンと名乗る不可思議な聖職者を思い出す。人を優しく包む暖かい闇のようでいて、全てを焼き照らす苛烈な太陽のような女性だった。今はもう聖処女ではなくなってしまったが、それでも聖女と他人から呼ばれる自分でも、アッシュの存在感は明らかに異常であった。彼女が不可思議な言葉を唱えると、光輝く奇跡が確かに起こり、ジャンヌの体を篝火のように温め、優しく癒すのだ。

 その光景は、教会が描いたどんな彫刻よりも、絵画よりも、神と言う奇跡を現す絶対の神秘であった。しかし、そんな奇跡であろうとも、右目と髪の長さと、純潔である女の証は癒せないと言う。その言葉は何時も通りに脳裏に閃く直感が否定したが、それでも癒してくれたのはアッシュである。嘘を言うにも理由があるのだろうと、ジャンヌはその部分を追求しなかった。

 しなかったのに、アッシュはあっさりと理由を話した。

 正確に言えば癒せないのではなく、癒したくないのだとか。それはジャンヌ・ダルクがこの腐った世界を生き抜いた証であるとアッシュは言い、その重い闇も背負って生きろと語っていた。聖女ジャンヌ・ダルクを継ぐ者がフランスをブリテンから救うのであるならば、人間ジャンヌ・ダルクはその欠落を受け入れろと言っていた。とは言え、髪は時間と共に伸びて元に戻り、目もある程度までは治癒したので、視力も時間が経てば癒えてちゃんと回復するとの話。純潔の証は戻らないだろうが、あの拷問の記憶を辛いからと無かったことにするつもりはない。自分は紛れもない人殺しで、人を先導させて人と人を殺し合わせていたのに、そんな自分が苦しいからと過去を癒そうだなんて一欠片も思えなかった。

 しかし、それでも嫌なら今直ぐに修復すると言ったため、ジャンヌはそれを断った。自分はフランスを救いたかったが、既にフランスをブリテンから救った違う死後の自分が存在している。それもまるで御遣いのように遣わされた死後の自分は神のごとき超常の奇跡を操り、フランスに巣食うブリテンを追い払ったのだと聞く。それは即ち、最後に失敗して結局は何もかもから裏切られ、それまで自分がフランスを救う為に積もらせ続けた怨嗟の業も、死んで楽になれた筈の自分に背負わせたと言うことだ。

 救われるなら、別に誰が救おうともジャンヌ・ダルクは全く気にしなかった。

 怪我を癒す為に今はここで静かに生活しているが、救われた後の使命が終わりを迎えた世界だ。そんな場所で自分自身こそ本物のジャンヌ・ダルクだと宣言し、それが原因となって戦火と混乱を広げる必要もないだろう。

 戦争が終わったのならば、自分が聖女の旗で在る必要もない。

 目の前の少女がブリテンからフランスを守る為にジャンヌの名が要るならば、喜んで自分は名無しの女となろうと決めていた。

 だから、この欠落はジャンヌ・ダルクが聖女を捨てる―――決別であった。

 

「そうですか……まぁ、別に貴女がどうなろうと如何でも宜しいのですが。そうね、貴女の事を心配し過ぎるジルがちょっと奇声とか上げてしまいますのでね。

 うぉージャンヌゥ、このジルめに何でも言い付けて下さいませぇ……って、そんな雰囲気でしょうかね?」

 

「あははは……えぇ、それはもう。凄く、はい。しかし、英霊とサーヴァントと言うものは説明して貰いましたけど……彼、本当に何があったんでしょうかね?」

 

「ブリテンの処刑から救われた貴女が知る必要は一切ない話でしょう。あのジルからすれば、この今の現実が夢のようなもしもの幻なのでしょうが、この世界で人間としてしっかり生きている貴女からすれば、そちらの方こそ頭の悪い戯言に過ぎませんからね。何が有って、あんなテンション高い魚顔になったのかは、聖女を辞めるジャンヌ・ダルクが知ることが不条理なのです。

 なので、それを知る事になれば、神嫌いで聖職者が憎い私であろうとも、そこはもう神様どんだけジャンヌ・ダルクが嫌いなの……と、自分で自分を憐憫する破目になることね」

 

「そうですか。ふ、ふふふふふ……」

 

「なによ。何がそんなに面白いのよ?」

 

「……ふふふ、そうですね。ええ、こう言う言い方は酷いとは思いますけど、若返った自分を見ていると、何だか新しい妹が出来たみたいです」

 

「―――アンタ、ちょっと頭が膿んでるんじゃないでしょうね?

 あの胡散臭い腐れ女聖職者に奇跡でも頼んで、その脳味噌を太陽みたいにピカーって光らせて貰った方が良いんじゃない?」

 

「かも、しれませんねぇ……」

 

「……ったく。付き合ってられませんわ」

 

「そうですね。でも、私って死ぬと英霊と言うものになるって聞いた時も驚きでしたが、ここまで可愛らしく捻くれるのですね?」

 

「―――はぁ!?

 ちょっとこの私の何処に可愛らしい所があるっていうのよ!!」

 

「まぁ、そう言うところでしょうか?」

 

「―――ッ……あ”ぁーそう、そうですか。そうですね、ハイハイ。私って超が付くほど可愛いわぁ」

 

「いえ、それはそれで気持ち悪いので、自画自賛は程々に」

 

「本当、貴女って私とは思えない程に良い度胸ね?」

 

「えぇー……でもですね、ダルクの家ですとこんな雰囲気じゃないですか?」

 

「あー……そう言えば、そうだったわね」

 

 黒い少女は、憎悪に焼け焦げて朧になった記憶から家族との思い出を脳裏に浮かべる。父ジャックと母イザベラ、そして兄達と妹。それらを思い浮かべるのに、あの家族団欒な日常も覚えているのに、ソレラとしか思えない。そう言うことがあったと言う記録はあるが、まるで本を読んだだけのように実感がない。

 しかし、それが道理なのは分かっていること。

 怨讐に狂う魂が憎悪で感情が塗り潰れている。

 この姿になってしまえば、何を思うことはないのだろう。生前の思い出は、拷問と陵辱の果てに受けたあの火刑によって燃え尽きた。

 

「正直、良く分からないのですが……今の貴女が死んだ私の暗黒面だとか、憎悪の側面だとか言われても、そこまで実感がないのです」

 

「そりゃそうでしょう。実際貴女は救われて死んでいないのですし……まぁ、陵辱された後に火炙りで処刑される憎悪も、ないにはないで越したことはないでしょう。

 だからこそ、憎悪に満ちている自分自身だろうとも、こうやって貴女は信じている訳なんですし」

 

 その点、生前の自分は確かにまともな女ではないと少女は深く実感していた。これならば、まだ復讐に囚われて憎み続ける自分の方が人間性に溢れている。聖女などと聞こえは良いが、あれは非人間性を清らかな言葉で濁しているだけに過ぎない。

 だがしかし、だからこそのオルタナティブなのだろう。

 僅かなりとも目の前の自分自身も恨みが有り、それを核に聖女で在ろうと火刑に処されれば復讐を願うだろうと言う人々の認識が、この今の自分を作り上げた要素なのかもしれないと少女は予測していた。

 

「けれど、貴女って良く信じられるわよね。普通、憎悪に満ちた死後の自分が神の奇跡でブリテンをドカーンだなんて、胡散臭過ぎてそりゃもう……あれね、本当にアレとしか思えないのだけど?」

 

「当たり前じゃないですか。フランスをブリテンから救ってくれた貴女方を、こうやってブリテンから救われた私が信じないで如何すると言うのでしょう。

 拷問で受けた再起不能な怪我も治して頂けましたし、こうやって静かに養生する場所と時間もくれているのですよ?」

 

「……ま、私は貴女が信じようが信じまいが、どっちでも良いんですけどね」

 

「やっぱり私に言うことじゃないですけど、貴女って捻くれてますね……」

 

「はいはい。紅茶おいしいわー」

 

 苦笑いしか黒い少女―――ジャンヌ・ダルク・オルタタナティブは浮かばなかったが、それで良いことにした。火刑から救われたと言うことは、目の前のジャンヌ・ダルクは英霊にならない人間。この特異点のジャンヌ・ダルクだけは、英霊ジャンヌ・ダルクと全く関係がない魂が同じだけの人物だ。ジャンヌ・ダルクが死ぬことで生まれた境界記録帯から発生した別存在である黒い少女が、実際に生前の自分に出会おうとも価値はない。

 もはや人間のジャンヌ・ダルクも、英霊のジャンヌ・ダルクも、魔女のジャンヌ・ダルクも別人だ。そもそも人間の時の自分だろうと殺すだろうと思っていたのに、あっさり割り切れた自分自身にジャンヌ・オルタは驚いたが、それならそれで自分で自分の実感を肯定するだけだった。

 

「しかし、あのシュヴァリエ、紅茶入れるの上手くなり過ぎじゃないかしら」

 

「何故そう思うのでしょう? ベテランのお婆ちゃんに見えましたけど?」

 

「お婆ちゃんねぇ‥…ふふ。それ、本人の前で言っちゃダメですからね」

 

「―――むぅ………?」

 

「分からないなら良いのです。今の貴女は休んでいれば良いのです。良く寝て、良く食べて、良く動いて、良く喋る。あの灰女曰く、そうするのが心身の回復に手っ取り早いってことらしいですからね。

 関係のない如何でも良いことを悩むのは、まずは此処から出られる程度には回復してからでしょう」

 

「はぁー……ですかね。若い頃の自分に諭されるようですし、そう言うことにしておきましょう」

 

「しときなさい、しときなさい。ほら、ティーテイムってヤツが終わる前に飲み終わっておくことです。時間なんて幾らでもありますが、紅茶の賞味期限は短いので」

 

「………ん、ん。ふぅー、美味しいですね」

 

「でしょう。苦労して手に入れた茶葉なのよ。それもこれも、我々がフランスをブリテンから救ったからこその喜びです。ええ、ええ、あんな国にフランスを滅ぼさせる訳にはいかないもの」

 

「ええ。私には出来なかったから貴女に任せてしまった不始末です。ありがとうございました。本当に、心の底から感謝しています」

 

「あーもう。そんなのは良いのよ。反転してるけど、それでも私は生前の貴女から生まれ出た別側面に過ぎませんからね。

 フランスを他国から救うのにね、私は理由も価値も必要ないの。ただただ純粋に、為すべきことを為すだけですので」

 

「それでもです」

 

 ジャンヌ・ダルクにとって、ジルと灰は奇跡だった。自分を救い上げた天からの御遣いだ。そして、目の前の少女はフランスをブリテンから守り通した奇跡であった。

 それだけは変え難き事実。

 道半ばで故郷に裏切られて死ぬだけなら良かったが、故郷を救う前に死ぬのは耐えられない程に辛かった。

 ジャンヌは紅茶を飲みながらも、こんなに美味しい紅茶が飲めるなどという夢を与えてくれた主に感謝を捧げるしか出来なかった。

 こうして二人のジャンヌは何時も通り、穏やかな昼下がりのティータイムを過ごしていった。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 そして、聖女を捨てたジャンヌは夜に夢から目覚めた。傷が疼き、まだ拷問された時を悪夢として見てしまい起きることもあったが、跳び起きてその夜に眠れなくなるようなことはなかった。彼女は自分で如何かと思うが、異端審問官共に受けた拷問にそこまで心理的外傷を受けていない。しかし、今日はもう寝る気持ちにはならなかった。

 ……何故か、夢に見たのはサーヴァントと言う死後の自分自身。

 その彼女と数日前に誘われて、ティータイムなる娯楽を楽しんだ時間だった。

 自分が死ぬと憎悪でああ言う側面を持つと言われ、しかし全くそんな自覚をジャンヌは持っていないが、それでも彼女がそう言う存在ならばそうなのだろうと思っていた。その筈なのに、オルタと名乗るジャンヌから違和感がどうしても消え去らない。

 自分には致命的な見落としがある。

 どうしようもない見逃がしがある。

 それもこれから先の戦いが危険だと囁く啓示に反し、それでも戦いを続ける事は正しいと啓示されていた時のような、取り返しがつかない恐れが生まれていた。

 

「――――……」

 

 ふわふわと柔らかいベッドから起きたジャンヌは、傍に置いておいた右目を覆う眼帯を身に付ける。つい癖で髪を手櫛で流そうとしたが、今は短髪になっているので空振りしてしまった。自分が子供の髪を切って整えて上げたように、あのジャンヌに髪を切って貰うことで整えた短めの髪を両手で撫で、ある程度は髪型を整える。

 その直後―――ジャンヌ・ダルクは、垣間見た。

 火炙りにされて死ぬ自分と、その先に続く遥か未来。人理と人類史と―――阿頼耶識。

 

「あぁ、そうだったのですね…………―――ならば、主よ。この身を、預けます」

 

 啓示とは何処までも残酷であった。本当に何の前触れもなく、予兆さえもなく、ジャンヌ・ダルクは全てを悟った。全てを唐突に知り得てしまっていた。

 魔力反応など有り得無く、エーテル一つ波打たない。空間の歪みも無し。

 誰も今のジャンヌを見たところで普段と何一つ変わらない姿だろうが、それでも今の彼女は声を聞いてしまっていた。

 

「……………英霊とは―――そうでしたか。

 あれは嘘ではなかった。けれども、あの自分も、ジルも、アッシュも、誰一人も真実は私に言わなかったのですね」

 

 聖処女ではなくなったジャンヌは、しかして聖女ジャンヌ・ダルクを取り戻す。有り得ない事に、何ら変調もなかったのに彼女は人間ではなくなった。自己や自我と言う観点ならば何も変わらないが、その魂と肉体が人間ではなくなっていた。

 特異点に不備はなかった。カウンターもサーヴァントが召喚される程度だった。

 ジル・ド・レェは一切の間違いを犯さなかった。竜の魔女ジャンヌはジャンヌが怪しまぬ様、むしろ精神を癒していた。アッシュはフランスがブリテンから救われたと言う真実を教え、他は全て隠し通した。誰もがこの特異点に生きるジャンヌ・ダルクを救う為に必要な正しい行いを貫き通した。

 おぞましき―――抑止力。

 生存を求める感情なき無色の集合無意識は、効率のみを求めたジャンヌを殺す為だけの抑止力を準備した。

 

“けれど、けれども私は……―――あぁ、主よ。どうして、救いはそうじゃないのでしょうか?”

 

 ―――特異点。

 それを理解したことがジャンヌにとって、全てがハリボテの悪夢だったのだと絶望させる真実だった。自分が救われた事でもなく、人類史と言う歴史だと死ぬべき人間だと言う事でも無い。自分を救えて涙を流したあの元帥が、自分を救う為に世界全てを敵に回したあの男を、今度は自分が再び地獄へ落とさねばらないと言う事実。このフランスは決して救われないと言う現実。

 何一つ報われてなどいなかった。

 何一つ終わってなどいなかった。

 何一つ救われてなどいなかった

 自分が生きようが死のうが、人類史でフランスは救われている。

 ならば、特異点と言う世界を作り出した彼らは確かにブリテンからフランスを救ったのだろうが、その救ったフランスをどうするのかなど、考える前に答えが出ている疑問であった。

 

“生前の私。ジャンヌ・ダルクの全てを、今を生きる貴女へと託します”

 

「―――ぅ……う、く。ぁあ……そんな、そんなそんなぁ……っ」

 

 英霊として自分に憑依した自分の記憶が流れ込んでくる。境界記録帯として魂に刻み込まれた情報が思考回路を染め上げる。暗い思念が自分の精神を黒く濡らす。

 ならば―――此処は、地獄だ。

 契約を結ぶ事で力と知識を得てしまい、啓示のまま必要な事を全て為し、そしてジャンヌ・ダルクは絶望した。沈むように先程まで希望に感じていた全ての望みが断ち切られた。

 しかし、失望はなかった。希望は捨てなかった。だが身に宿る絶望は覆せなかった。

 頑強な精神力が無ければ歩く事さえ出来ない程に息苦しくて、涙だって我慢しないと直ぐに流れそうで、それなのにその苦痛をジャンヌは抑え込めてしま得た。

 

“啓示が導く、使命のままに……―――今は、まだ……それだけでも、私だけでも為さないと”

 

 霊基と言うものが霊体に構築された違和感も、直ぐに溶け込んで消えた。魔力と言う原動力も理解し、エーテルも感じ取れた。宝具と言う英霊の力も、スキルと言う人外の技能も身に覚えた。

 しかし、それを使えば此処を覆う結界に露見することだろう。

 加えて、霊基の気配も人間に過ぎない自分自身の内側へ隠す。

 英霊ジャンヌの知識は人間のジャンヌ・ダルクに記録され、魔術師観点から見る隠密行動と言う作戦を成功させていた。

 

「――――――ぅ……私が、私が何とか」

 

 寝る時の衣装から、ジャンヌは手早く外出用の服に着替えた。その上から更に防寒着を着込み、その下の服装を周りの視線から隠れるようにした。そして、ある程度は即席で旅支度を整えていた。

 かちゃり、とドアを静かに開けた。

 夜深く暗い廊下であるが、月明かりと星々の輝きだけが光源となって窓から光が差していた。ジャンヌは静かに、されど人と遭遇しても怪しまれないように、堂々と廊下を歩き進めた。

 

「あれま、アンタ。こんな夜中にどうしたのさ?」

 

「―――……いえ、ちょっと悪夢で眠れませんでして。

 庭にでも出て、夜風でも浴びて、嫌な汗を冷やして乾かそうかと思います」

 

 巡回でもしていたのか、出会ってしまった老女にジャンヌは用意しておいた言い訳を話す。元より機転が聞く才女であれば、この程度の誤魔化しは容易い行いであった。

 

「そうかい。そりゃ……ま、アタシゃ拷問なんて受けた事がないからわからんが、アンタがよぉーなるようとに願ってはおる。

 ……あんまり、ずっと外にいると風邪引くよ。

 気分が悪いからと、体調にゃー気を付けるんじゃよ。まだまだ若いんだからさ」

 

「はい。心配して貰ってすみません、デオンさん」

 

「礼儀正しいお嬢さんじゃね。でもま、こんな爺か婆か分からん相手に、畏まる必要なんてありゃせんよ」

 

「そんなことはありませんから。何時もアナタが入れてくれる紅茶は、私を美味しさで癒して下さいます」

 

「ほほぉー…………そうかの。ならば、アタシも良いんじゃがね」

 

「はい。では、失礼します」

 

「ふ。ではの、良い夜を」

 

 そう頭を下げたジャンヌに老女は微笑み返し、自分を通り過ぎる彼女の背後を見守っていた。枯百合の老騎士は溜め息を深く沈むように吐き、人間性に狂った世界を哀れんだ。虚し過ぎて、老い果てた自我にぽっかりと穴が開く。

 アタシの仕事じゃありゃせんよ、と内心であの魔女と元帥を嘲笑った。

 外部からの守護なら命令通りに果たそうが、いけ好かない奴らに親切心など欠片も湧かない。彼女自身がそう在れと立ち向かうならば―――あぁ、枯れた百合を抱く者として、僅かに残った誇りで以って聖女の道程に祝福を。

 そして、我らが人間性(ヒューマニティ)に深み在れ。

 

「そうさね……―――やはり、死に場所は自分で選ぶものじゃろうて」

 

 執事風の給仕服から老騎士は着替えた。一瞬だけ光を纏うと、戦衣装を纏う老女の姿から変わっていた。人間には不可能な芸当であった。

 黒い外套に、黒い装束。口元を襟で覆い、同じく黒い帽子を被る姿。

 サーベルを左腰の鞘に差し、逆の右腰には小銃をホルダーに収めている。

 スパイ機関の活動を経て、竜騎兵部隊の隊長となり、王家より聖ルイ十字勲章を授かることで王家の騎士(シュヴァリエ)となった者。そして、国王のスパイとしてロンドンで暗躍した諜報の達人である。だが、フランス革命によって王家は消え、騎士は王家のシュヴァリエではなくなった。やがて、騎士から見世物で試合をする剣客に落ちぶれた。

 だから、老騎士デオンは捨てたのだ。生前に鍛え上げた殺戮の業だけを受け継ぎ、他は残滓として魂に残って居れば良い。老騎士姿はスパイではなくなった剣士としての全盛期。その上で、竜騎兵として覚えた銃技も万全に使用する。

 故に、この姿は殺す事だけを求めた老騎士の狩り装束。

 竜騎兵の制服でもなければ、女性として着ていたドレスでもなく、見世物の時に着ていた衣装でもない。老デオンの霊基を暗く濡らすヒューマニティは、騎士を老いさせるばかりか、その身に纏う英霊の形として装備する武装さえも歪めていた。

 

「聖女さん……アンタに暗黒の魂が有らんことを」

 

 生前と同じ様に、十字を切って哀れな女の願いを祈る。フランスをヴラド三世が指揮する竜血騎士団と共に焼き尽くし、殺戮し、それに罪科を抱かぬ人間性に成り果て、もはや老デオンは神には程遠い騎士だ。名誉もなく、栄光もなく、あの黒い魔女の願いの儘に“在る”だけの殺戮英霊。

 それでも、例えそうであろうとも、騎士は騎士故に―――聖女の魂が安らかに、あの永劫へ落ちることを希う。

 ここでの仕事もこれで終わりと見切りを付け、老騎士は城を去って行った。フランスを殺せど殺せど、自分の召喚者が満足することはないのだから。

 

「――――っ……」

 

 そうして、自分が見逃されたと言う事に、ジャンヌもまた気が付いていた。だが、自分が気付いた事に老騎士に気付かれれば、もはや死ぬしかないだろう。

 啓示とは聖女に道を指し示すが、同様に勝てぬ相手と戦わせることを受け付けない。彼女の直感は、あの騎士と戦えば確実に狩り殺されると告げていた。サーヴァントとなることで自分の超常的直感能力も啓示と言うスキルとして認識し、技能として更に使い易くなっていた。

 何よりも、英霊ジャンヌが憑依したジャンヌ・ダルクは、英霊としての知識を持ち、シュヴァリエ・デオンを知っている。この特異点より後のフランスで活躍する英雄であり、スパイの伝承も知っている。普通の使用人だと思っていた人間が、人間ではないサーヴァントであると理解していた。

 だから、ジャンヌは啓示のままに従うのみ。

 今思えば、自分はこの城に軟禁されていたと言う事実を悟ることが出来た。

 そんな場所から逃れるとなれば、浅知恵に頼る訳にはいかない。英霊として辿り着いた啓示を頼りに、ジャンヌは直感だけを頼りに進んで行った。

 

「………ッ――――!」

 

 満点の夜空。月が照らす城と、月光で伸びる城の影。外へ出た彼女を遮るモノなど一つもない。

 

「……聖女よ。何処(いずこ)へ」

 

 そんな言葉以外、ジャンヌを止めるモノはなかった。

 

「…………私は―――」

 

「―――いや、良い。答え無き問答など要らぬか」

 

 巨漢が一人、外へ出たジャンヌを待ち構えていた。剣のような刃を持つ槍に、逆立つ白髪の王冠。身に纏う鎧は全身を覆っているが、四肢を露出させている部分がある。まるで手足で扱う雷が金属鎧を通して自分を感電させないように、その巨漢なりの工夫が施された戦衣装。

 ジャンヌも遠目から見たことある男。近付いてみれば、端正な彫りの深い顔立ちをした者であった。彼女は戦神とだけ周囲の者から呼ばれた神の如き戦士を前に、戦えば自分が造作もなく殺される事を理解した。

 

「行くのか、人間」

 

「はい。邪魔をするのでしたら、貴方を倒して進みます」

 

「我にその意志もなく、権利もなく、義務もなし。今や、あの太陽を奪った灰にのみ従うだけの傀儡よ。何かの間違いで生が戻った亡者の一匹よ。

 ……だが、貴公の先にあるのは―――地獄。

 使命など捨てるが良い。所詮は単なる思い込みぞ。そもそも英霊などと言う死に切れぬ亡者に、為したいと言う意志が不必要ぞ」

 

「……優しいのですね、貴方」

 

「―――……否。もはや、それも枯れた。

 我が求むは闘争のみ。迷う者とは愉しめぬだけよ」

 

 神でも人間でもなくなった亡者に過ぎない男は、だがしかし灰によってサーヴァントと言う特殊な霊体として召喚された所為か、人間と言う闇を拠所にする化け物を、自分と同じ生き物のように相手にする人間性を抱かされていた。

 戦神にとって、聖女ジャンヌ・ダルクがこうなることは予測出来ていた。

 世界が違おうとも人間と言う生命体の末路は変わらないだろう。この特異点と言う絵画を滅ぼすには、あの聖女を英霊として遣わすのが一番だと人理が判断するならば、この悲劇は戦神にとって必然の流れであった。

 

「行くが良い。我は見届けに来たのみ。殺戮によって黒く平定しつつあるこの絵画を、汝の白い善意で以って人間共を竜の息吹から救い出し、また魔女から湧き出た闇で絵具を掻き混ぜると良い。

 そして―――良き闘争を。

 我はそう在れかしと望まれたまま、竜の敵を打ち砕く」

 

「貴方は……―――いいえ。なら、その心が変わらぬ内に、私は去らせて貰います」

 

「ああ。励み給えよ、人の聖女」

 

 もはや、それだけしか残されていない。此方と戦うと決めて挑むならば情け容赦なく殺すが、逃げる聖女と闘う気など欠片も戦神にはない。ここで殺すなど有り得なく、仲間を呼ぶなど更にする動機もない。

 暗い夜を走り抜ける彼女の背中を眺めながら、戦神は静かに息を吐いた。

 自己犠牲……それは、確かに人の力。そして、戦神の父が神々の時代を維持する為に、人間共の闇から太陽の火を守る為に選んだ手段でもあった。

 何がそこまで人は追い詰め、神が煽られるのか?

 古竜を殺す為だけに父から生み出された太陽の長子は、その指に嵌め込んだ指輪を撫でながら思い悩む。神都アノール・ロンドで投げ捨てた筈の指輪だと言うのに、あの灰に渡されてからまた捨てる気にはなれなかった。

 

「良いのだな、灰の太陽」

 

「ええ、ありがとうございました。私だけの傀儡、戦神さん。我らが葦名幕府の仕事も忙しいと言うのに、こちらで雑用までして頂けるとは。

 けれど、けれども、あちらでの殺戮も飽いていることでしょう?」

 

「屑め。所詮は闇霊の輩か……」

 

 ぬらり、と闇からアッシュは現れた。愛用する幻肢の指輪は彼女を透明にし、戦神に近付くことで彼からも姿を目視可能となった。

 

「勿論ですとも。ならばこそ、火を奪還する亡者で在ります故にね」

 

「……だが、良い。我がソウルが求めるのは、もはや闘争のみぞ」

 

「ふふふふ……でしょうね。あぁ、オーンスタインも浮かばれませんね」

 

「灰風情が、神の騎士の何を理解すると言う?」

 

「いやですね。私は火を奪還した薪の王だとは言った筈ですよ。そんな亡者が、神が見出した火の側面を、今まで見出さないまま放置している訳がないでしょう?

 ……だから、分かっていますよね?

 それこそが王を超えて火の簒奪者となった薪の炉のみが、薪の王として辿り着ける火の力なのだとね。私はね、貴方達神々が火から盗み取った全ての神性を、一人の人間が持つ人間性として手に入れましたのだから」

 

「酷薄な神だったとは言え、あの父が古竜共を狩り殺して浮かべた太陽に闇の王がなるとはな。まこと、あの都の神々も虚しい闇の生物よ」

 

「その通り。神が火の時代を始めた神秘など、私からすれば解明済みの奇跡ですからね。まぁ、燃え殻の残り火から幾分か育てたとはいえ、まだまだ世界の再錬成など出来ないのですが。けれども、追放者の錬成炉も屍から奪い取りましたし……ふふふ。まぁ、核は有りますからね。

 貴方が望むならば、特異点をそのまま一つ錬成炉に作り変え、貴方が希う太陽を作って上げても宜しいのですよ?」

 

「下らぬ。だが―――哀れだよ、我が父も。

 燃え殻になった薪から今も見ておることだ、自らが恐れた暗い魂の王を。火も、闇も、魂も、最後の最後に何もかも奪還されたと言う事実もな。

 我を殺した貴様を侮る訳はないが、貴様が神を罵倒する気持ちも理解出来ぬ訳でもなし」

 

「―――良いので?

 望むなら、貴方も父がそうしたように見出して見ますかね。私の腸を引き裂いて、亡者の穴を炉にする火から、最初の雷を手に入れるのも、出来ないことではないでしょう?」

 

「下らぬと言ったぞ、灰」

 

「そうですか……」

 

 その灰の言葉を聞いて胡乱気な視線を契約者に向けるが、彼はゆったりとした歩みで城へ戻って行く。

 

「……あら、聖女は追わないので」

 

「戯けたことを。姿を消して人の背後を付け狙うのは、貴公のようなソウル狂いの専売特許だろうよ」

 

「では、城へ何しに行くのです?」

 

「眠い故、寝る」

 

「はぁ……その、貴方が?」

 

「無論ぞ。貴公より与えられた人間性は、確かに我が妹の癒しを使えるようにはした。だが、我は死の眠りから叩き起こされたばかりの身。眠気までは妹の物語も癒せぬようだ」

 

「つまりは、貴方のその胡乱気な視線は眠気を我慢していたからと?」

 

「否。貴公は会話が周りくどい故に、眠くなるだけよ」

 

「……そうですか。そうですか―――っえ、そうだったんですね」

 

「ああ。自覚なしとは、な」

 

 竜狩りの剣槍を仕舞い、戦神は寝床へ向かって行った。嘗て住んでいたアノール・ロンドのマイルームに比べればどんなに豪勢なベッドでも劣るが、古竜の頂で眠っていた自分の墓場に比べれば何処だろうと楽園だろう。闘争とは関係ないことを思考する戦神は、この灰によって与えられた人間性を楽しみつつも、亡者と化して失った筈のものを取り戻しつつあった。

 去り行く戦神を一瞥し、灰は確かに会話が増えている自覚はある。しかし、それは人並みだと思っていたが、他の人からすると回りくどいと思われる程に増えていたようだ。最初の火を奪還して絵画を焼き尽くすまで、火が好きなだけの火狂いで、闇を愛する闇狂いで、魂喰いを本能とするソウルイーターであり、この死ねる人理の世界に来る前は無口な火の無い灰だったので、この変化は嫌ではなかった。

 

「とは言えね、戦神さん……貴公も中々に、我らの人間性に毒されているようで」

 

 だが、如何にもならないのだろう。神性を捨てた神ならざる亡者故に、最初の火から力を見出した彼らのように、戦神のソウルに人間性を溶け込ませるのは容易かった。最初の火を身の内に灰は、正確には闇の王でも薪の王ですらないが、人間性と神性の大元となる亡者の王であるため、神の如き業も今や不可能ではなかった。

 ―――暗い魂よ、在り給え。

 奈落の穴が穿たれたソウルから漏れ出る闇こそ、人間性。そして、深みの澱こそは深淵でもあった。

 

“ですので聖女さん、その契約を自ら選んだのですから―――どうか、短くも良き旅を”

 

 友人となった男が叫ぶ姿を想像し、灰はこれから先のフランスを尊んだ。ジャンヌ・ダルクが脱走したと知れば、人理が運営する抑止力を疑うのは必然であり、狂気を本能とする元帥は更に人類史を恨み尽くすことだろう。

 憎悪、悪徳、怨恨、復讐、怨嗟、罪科、怨讐、殺意―――全て合わさる人の狂気。

 何を絵具にして、何を題材にして、何を目的として、その絵画を描くのかは世界に住まう住人の尊厳に他ならないだろう。世界を終わらせた灰は、色彩塗りを手伝うことはあるが、やはり完成した絵画を見て愉しむ観客に過ぎないのだ。

 だから、聖女に呪いの声を。

 その決断が特異点を消してフランスを救うのだとしても、幾度も悪夢は巡り、獣共は決して夢を諦めない。

 

“さて、カルデアの皆さん。神を捨て人の奇跡を手に入れた戦神を前にどうするか……いや、殺し合いの見世物を愉しむのは違いますか。そこまで愉しみ切るのは、自分の信条にも反します。ならば私も世界を毒す赤い瞳の闇霊として、この世界を守る生身の不死として、仲間と共に世界への侵入者を狩らせて貰いましょう”

 










 エミヤさんを守護者にしたように、抑止力が頑張ってくれました。灰の視点から見ると啓示ってどうみても呪いなんですよね。逆に狩人の視点から見ると、啓示って啓蒙がたんまり溜まりそうな祝いなんですよね。灰は聖女の祈りを唾棄すべき呪いと怒り、狩人は聖女の悟りを祝福すべき貴さと喜びます。
 原作通り、ジャンヌにジャンヌを殺させるよう働き掛けてます。ストーリーは壊さないで二次創作したいです。しかし、同じ世界に同一人物は存在出来ませんので、腕士郎のように自分に自分が憑依する形になりました。この特異点を一番特異点として歪めている原因を考えると、抑止はこのように働くかなぁと思ってます。


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啓蒙13:レイシフト

 その日を超えてから、藤丸立香は世界が極彩色に輝いて見えるようになった。一ヶ月も経っていないが、訓練訓練、また訓練。マシュは過労死しそうな程に毎日疲れ果てていたが、藤丸は自分もそれと同じ程度にギュリギュリと絞られている精神的疲労に満ち溢れていた。マシュとは、それはもう鬼畜外道にして悪逆非道な所長を同じ上司とする身なので、連帯感を越えてアイコンタクトで長会話が可能な程に理解し合えてしまった。人間、破滅的な状況に陥りようとも、極限状態だと絶望する気力も湧かないようだ。何よりもあの所長は、そんなこちらの精神状態を完璧に読み取った上でギリギリのカルデア式トレーニングをみっちり仕込んでいる。藤丸にとって、ある意味で健康的な精神状態を維持しながらも、訓練に没頭する日々はカルデアに来る前よりも人間性が充実していた。

 ちょっと前の日常。色取り取りな日々は刺激はなくとも、程良い苦難と丁度良い娯楽のある普通の世界だった。だが、それを全て焼却された。彼の世界は焼かれて灰となってしまった。

 問われたのは―――人類を守る為に、七つの人類史と戦う意志の有無。

 他に生きる為に選択しかないとは言え、世界を救う旅に出ることを選んだのは自分自身。あの所長からも「オルガマリー個人としてお礼を言わせて下さい。ありがとう、立香さん」などとイベントCGな微笑みで言われてしまえば、頑張らざるを得ないのが藤丸の信条だった。

 ついでだが、マシュはその光景を胡乱気な瞳で見ていた。あぁやって飴と鞭で鍛えるのが所長の数ある手段の一つであり、それでワーカーホリックになる職員が多くいる。あの人たちは、もはや仕事で溜まったストレスの発散に仕事をすると言う無限ループに嵌まっていた。

 

「―――で、藤丸。どうだったの?」

 

「どう、と言われましても……」

 

「一通りは試したじゃない。レイシフトで連れて行くサーヴァント、マシュ以外で誰にしたい?」

 

 休憩時間。廊下のベンチで座って休んでいた藤丸は、同じくベンチでボーと休憩していた所長と世間話をしていた。

 

「……いやぁ、判断厳しいです。

 けれど、そうですね。新米マスターな自分やマシュと一番相性が良く感じたのは、アーチャーのエミヤですかね」

 

「彼ね。確かに、ちょっと万能性高いわ。近距離、中距離、遠距離の全レンジに加えて、アーチャーらしく狙撃もオーケーで、見た雰囲気だけど暗殺も嗜んでるわね。更にはマシュを初めとして、他サーヴァント全員と戦闘の相性を合わせられるから共闘能力も抜群。これなら召喚されている筈のどんな現地サーヴァントでも、即興で戦闘を合わせられることね。そして、援護能力も高い癖に、本人の戦闘能力も他者と負けていない。

 会話すると皮肉屋だけど、協調性はそこらの現代人なんて目じゃないほど高くて、サバイバル能力も良し。何よりも、料理人スキルがめっちゃ高い。向こうでキャンプもするでしょうし、カルデアのコックがいなくなるのでこっちはこっちでブーイング凄いだろうけど、仕方がないわ。

 フム……中々、藤丸も良い観察眼をしてるわね?」

 

「まぁ、条件全てに適応してましたから。エミヤって、本当にもうエミヤさん」

 

「同意するわ」

 

 誰もが優れたサーヴァントであるが、まだまだ素人な自分のサーヴァントをして貰う適任は難しい。二度目とは言え、ほぼ初レイシフトの相棒として考えれば、万能なエミヤが適切だろう。実際にVR訓練で全サーヴァントと組んで様々な敵と戦ってみた所、藤丸はそのような考えに至った。

 

「クー・フーリンも結構万能で良いけれど、エミヤは対サーヴァント戦闘も投影で万能ですから。

 竜殺し、獣殺しは当然のように出来ますし、どんな英霊とも対等に戦える戦闘技術を持った上で、その英霊の弱点を的確に突く投影宝具で殺傷する。

 生き残ることを考えれば、藤丸にとってマシュの守りの次に良い強さでしょう。あらゆる脅威から守る盾と、あらゆる脅威に適する弓が今から貴方のサーヴァントと成るわけです」

 

「成る程……―――自分も、考えないといけませんね。

 けど、一時召喚でエミヤさん以外のサーヴァントの皆とも戦えますし、マシュに守って貰えれば不意打ちも大丈夫です。それなら敵襲に応じ、俺も即座に皆をその場で影霊呼びの鐘で来て貰えますから。本体をレイシフトして貰うエミヤさんはフリーで暴れて貰って、自分は影化サーヴァントになった皆への指示に専念します」

 

 藤丸が令呪の下地として霊媒移植された影霊呼びの鐘。この鐘で召喚したサーヴァントを所長は影霊と定義し、契約者の思念で操作される純粋な力として運用される。言うなれば、カルデアのサーヴァントが見る夢の姿が影化の要因。ある程度の判断基準を持つも、マスターが操る使い魔として完成された存在。それがカルデアを擬似的な座として住まう英霊の影、影霊のサーヴァントである。

 難点なのは、所詮は夢の実体化であるので自意識がアヤフヤと言う点だ。

 現実と悪夢の境界線が不確かで、即席しか扱えないが欠点。且つ、即席の一時なのが逆にマスターへと負担を掛けないのが利点。

 

「そうよー」

 

「いや、何か軽いですね」

 

「良いのよ、別に。貴方が分かっていればね。なので、私も第一特異点はエミヤ推しです」

 

「そんなものですかね。でも、俺がもう少し優れた魔術回路を持っていましたら、エミヤさん以外の人もレイシフト出来たのですけど」

 

「出来ないものは仕様がないのよ。私なんて、貴方より何千倍も優れた魔術回路持っているけど、ちょっと特殊な所為でサーヴァントを従えるマスター適性皆無なんだしね。呪いレベルでちょっとアレで、私がマスターとなれるのって隻狼だけなのよ。でも、その隻狼は貴方とも契約出来る訳だから、私は‥…まぁ、一緒にレイシフトするけどマスター役は貴方だけってこと。

 分かるかしら、藤丸。貴方が、カルデア最後のマスターってことなのよ?」

 

「それは……はい。しかし、所長は所長ですから、俺はマスターの役目はきっちりやらせて貰います」

 

「あら、そう。うんうん、じゃあ任せます。でもま、マシュのマスターやるのですから、その程度の気合いはなくちゃカルデア所長として安心出来ないわね」

 

「相変わらず、厳しいですね」

 

「ビシバシ行くわよ。実践の繰り返しで、貴方の魔術回路も鍛えましょう。回路って内臓みたいなものだから、筋肉みたいには行かないけど、まぁ少しだけ反則もしますから……そうね。魔術師としても神秘を学んで貰いますけど、マスターとしての性能も上げていきましょう」

 

「あー……今の、カルデアのマスター訓練と並行してですか?」

 

「と言うよりも、アレね。実際に契約したサーヴァントと一緒に戦うことで、英霊との霊的ラインと回路の相性を良くして効率的にしていくのよね。貴方の霊体そのものが、サーヴァントと言う神秘に適応し……で、そうね。嘘言っても最後はバレるから白状しますと、段々と人間の精神体じゃあ無くなっていくのよ」

 

 魔術師としての能力値(レベル)とは別の、マスターとしての能力値(レベル)。今の藤丸に必要なのはそちらの方であり、それがなければシャドウを呼ぶ一時召還は兎も角、レイシフトに連れて行ける本体サーヴァントの数は増えないだろう。

 

「はぁ、なるほど。でも、それでも必要なんでしょう?」

 

「そりゃ、うん。必要だし、そうだから言っておくんだけどね。なので、ぶっちゃけサーヴァント同士の戦闘じゃあ藤丸の回路程度の神秘が至れる魔術だと何の役にも立たないけど、自分自身の霊体に対してなるべく貴方の回路は優れている方が良いのよ。神秘そのものに対して、頭で理解するのと同時に、霊的に馴染んでおきなさい。

 だから、暇な時は鍛えまくっておくのが胆。

 隻狼も貴方って忍術の素質があるのか、彼なりにプランも立てているしね」

 

「良いですよ。強くなりましょう」

 

 ノータイムで強く返答する藤丸に、所長は純粋に関心していた。

 

「―――……悪いわね、藤丸」

 

「所長には負けますよ」

 

「いやね。それって私が鍛錬好きの人外ってことかしら?」

 

「ノーコメントでお願いします」

 

「素直ね。まぁ、宜しいでしょう。貴方でもサーヴァント戦に対応出来るように、こっちでマスター専用の魔術礼装も用意しておきますし、鍛錬はそこまで急がなくて良いのよ。やった方が生存確率が上がるだけだし、出来る事は増えた方が良いですから。

 あ……でも、それで驕って出来ない事でも出来ると錯覚すると怖いから、それ用のサバイバル訓練も引き続きやるからね。気は引き締めていきます」

 

「―――ん?」

 

「実はエンジニアコース、次回作があるんですよね。そして、次々回作もあります。恨むならムニエルを恨みなさい」

 

「あれってそんなにあるの……?」

 

「うん、作らせた。それにね、エンジニアコース以外でもまだまだあるのよねぇ…‥いやはや。そうね、あれってちょっと私も好きで偶に息抜きでするのよ。ソリッドコースやら、シズオカコースやら、サイレンコースやら、好きなゲームでVR訓練しておいてね。

 ほら、いざと言う時に鍛えた肉体や忍術とかの技術も、こう言うサバイバル訓練で極限状態に堕ちると発揮し易いから」

 

「分かりましたぁ……しょちょー」

 

「気が抜けちゃったか。けど、学習しないと死ぬだけなので頑張りなさい。カルデアの都合で訓練しますから、貴方とマシュにはちゃんと手当も出ますのでね」

 

「はい!」

 

「宜しい。まだまだ現金な欲求があることは精神が健康な印です。強欲でありなさい」

 

「自分、太っ腹な所長が大好きです!」

 

「私もね、私の期待に応えようとしてくれる職員は大好きよ。大事にしたくなるものね」

 

 何時も通り底抜けな暗い瞳をしながらも、表情はキラッキラッな所長に藤丸は微笑み返す。そしてその場に丁度、廊下から歩いて来た小さい獣が鳴き声を上げた。

 

「……フォウ、フォフォウ。フォフォウーフォ」

 

「あら、フォウ……それはまた過激な。でも、マシュを放っておいて私の方に来るなんて珍しいわね」

 

「フォーアフォーウ」

 

「―――……分かったわよ。そうしときますので、私を脅さない様に。

 獣を同時に二体も相手にする何て、ちょっと啓蒙高過ぎます。惨たらしく絶命するのも狩人様にとって一興だけど、私だって世界を巻き込む程に傲慢じゃないわ」

 

「フォフォッフォウ!」

 

「あー……もう。釘刺しておきたいってこと。良いわよ、(ブット)いので刺されて上げます」

 

「フォウ!」

 

 ペシリ、と所長が履く靴の爪先を前足で叩いた後、藤丸の方へ前足を上げて理性のある動物のように挨拶をした。そして、頭を日本人らしく会釈して下げた藤丸を見たフォウは、そのまま悠然と廊下を四足歩行で進んで行った。

 

「フォウ君。あれ、どうしたんですかね、所長?」

 

「デミ化出来たからって、マシュを玩具にするなって言われたのよ。あの過保護犬猫、結構誰にでも辛辣だけど、中でも私には凄く冷たいのよね」

 

「はぁ……?

 所長ってフォウの言葉が分かるんですか。もしかして、所長の使い魔とか?」

 

「アレが、私の……ふふふ。藤丸ってば冗談キツイですね。幾ら私が此処のカルデア所長だからって、出来る事と出来ない事があるのですよ。私だってプライベートがあるのですし、仕事で抱える爆弾はカルデアスくらいで丁度良いもの。

 あれの主になりたいのなら―――……いえ、良いわ。

 思考の瞳で見た要らない知識を知れば、貴方に無駄な啓蒙が溜まることですし。なので、まぁ言葉が分かるだけの関係性だと思って頂戴ね」

 

「良く分かりませんけど、俺が知る必要の無い話だって事は分かりました」

 

「そうそう。知る必要はないけど、それでも知りたいのなら別に教えるわよ。貴方は損するし、カルデアも損するけど、まぁ……その私はね、脳を啓く知的好奇心だけは否定しないもの。

 ……お瞳一つ、啓蒙しちゃう?」

 

「いや、良いです。結構です。所長がそこまで念押すってことは、絶対それって厄い案件ですもの」

 

「良い心掛けね。神秘学者としては残念ではあるけど」

 

 会話するだけで絶妙に命掛けな当たり、この人は素で狂気に満ちているのが恐ろしいと藤丸は実感。しかしながら、基本的に部下へは優しくて人柄が面白い。その辺が良い塩梅となり、カルデアの仕事は厳しいのに職員がワーカーホリック化する原因なのだろう。

 藤丸自身も生きる為に戦うと決めたのは自分の意志だが、日々毎日の地獄は別の事。しかし所長が所長だから、彼女のプラン通りに訓練してしまうのだろう。

 

「それで、そのフォウがそう言ってたってことは、マシュはどんな雰囲気なんですか?」

 

「鍛錬よ。折角の盾持ち英霊なのだから、複数のサーヴァントから袋叩きにあって大丈夫な様に、一対多数のサーヴァント戦をVR訓練で擬似マスター君人形を守りながらしてるわね。今のところ、バーサーカーの一撃でマスター君人形が木端微塵に死ぬのが多いけど。次はアーチャーの狙撃で頭が吹っ飛ぶのと、その次はアサシンによる心臓踊り取りと、そのまた次はキャスターの搦め手で行う肉塊爆弾ね。

 ……あ、ちゃんと現実感が出ますように、内臓や血液などのゴア表現はあります。勿論、マスター君人形は貴方の叫び声を上げてますよ。助けてマシュ、死にたくない死にたくないって。その甲斐あってか、相手がシャドウなら複数相手でもマスターを守りながらでも、安定して敵を倒せるようになったわ」

 

「あ、悪趣味ド外道所長……ッ―――!

 もしかしなくてもあの無意味な声優レッスンって、そのマスター君人形を喋らせる為の録音だったんですね。後、フォウ君が釘刺してきた理由も納得です」

 

「良いじゃない。その為のVR訓練なんですもの。内臓ブチャーってやれないとダメでしょ、普通」

 

 マシュに求められるのは、まず守り。藤丸立香を守り抜く絶対の盾。攻撃は自分や狼を始め、他の者が行えば良い。しかし、それでも緊急事態を考えれば、マシュ単独によるサーヴァント本体の撃破能力が求められる。その為には膨大な経験と実践が必要で、サーヴァント召喚で行えた今では彼らを鍛錬相手に使わない道理がなかった。

 ……一通り、その訓練も毎日行っている。休めば勘が鈍り、経験も思考と肉体に馴染まない。

 粘れるようにはなったが、まだまだだった。相手を一撃で抹殺可能な武器をカルデアはマシュに与えているのだが、あの騎士盾の完璧な担い手になれていない今、その武器の担い手になる為の道程は酷く長いものとなるだろう。守りは硬く、生存能力はあるが最後はじり貧になってマシュが負けてしまう。

 しかし、これから先の事を考えれば、訓練で身に修めた技術で、実際に敵を倒すことになる。そうなれば、その業はマシュの心技体へと一気に馴染み込むだろう。

 

「―――……………」

 

「…‥先輩?」

 

「…………………」

 

「あの、すみません先輩!」

 

「あ、ああ。どうしたの、マシュ?」

 

「いえ、ボーとしていましたので。お疲れなのかと」

 

「大丈夫だって。緊張し過ぎてね」

 

「そうでしたか……はい。確かに、緊張しますね」

 

 ついこの間の事を胡乱気な瞳で思い出していた藤丸は、隣に居たマシュの声を聞いて意識を覚醒させた。既に藤丸とマシュは着替え終わり、レイシフトを行うカルデアス前に到着済み。レイシフトに連れていくサーヴァント二名、隻狼(アサシン)エミヤ(アーチャー)はレイシフトの準備を終わらせ、所長もレイシフト用の戦闘スーツを着込んでいた。

 皆が着るカルデアの魔術礼装―――カルデア戦闘服。

 レイシフトスーツでもあるそれはマスターにとって標準装備となる礼装。しかし、藤丸は他にも魔術礼装を持たされており、着込む礼装をレイシフト先で着替える事が出来る。無論、暗示と催眠で相手が一般人ならば、どんな服装だろうと現地文化に違和感なく解け込めることだ。

 

「マスター。程良い緊張は精神を張らせ、戦いに赴く者として精神的なバランスも良くなるだろう。しかし、そこまで気張れば、特異点が終わるまで疲労で潰れてしまうことだ」

 

 マスターの肩を軽く叩いた弓兵のサーヴァント―――エミヤが板に付いた皮肉気な笑みを浮かべ、しかし親しみを込めた声で藤丸の緊張を解した。

 

「私は、私なりにだが、自分がレイシフトするサーヴァントに選ばれた役目も理解しているつもりだ。何、優しくする予定は一切ないが、君達を見捨てることは有り得ない。

 この身に許される出来る限りはしよう。任せられる事は任せると良いさ」

 

「ありがとう、エミヤ。特異点攻略頑張ろう!」

 

「エミヤさん。宜しくお願いします!」

 

「マスター、マシュ。こちらからも宜しく頼む。共に戦い、特異点を解決しよう。だが無理する事無く、まずは戦いよりも生き抜くことを優先し給え」

 

「「はい!」」

 

 適任だと所長も判断した人事であるが、エミヤの採用は正解だったと自画自賛する。あの様子だと、新兵教育などもしていた鬼軍曹でもあるな、と所長は予測していた。しかし契約による現代の英霊だと逸話は本人からも聞き、その意志も覗き見たが、国際情勢に詳しい所長でもあれ程の英傑が暴れていると言う噂話は聞いたこともなく、また魔術世界でも規格外の投影を使う魔術師など知らなかった。

 だがエミヤと言えば、衛宮切嗣。魔術使いの一人。

 魔術師間でも曰く付きだった悪名高き殺し屋―――魔術師殺し(メイガスマーダー)

 エミヤ、あるいはフルネームでエミヤシロウと言う話であるが、此処まで来ればあのエミヤと無関係ではないのだろう。

 

「さて。準備は良い、私の隻狼?」

 

「御意……」

 

「じゃあ、今回も宜しくね」

 

「御意のままに」

 

「ありがとう」

 

「……は」

 

 相変わらず無愛想な自分のサーヴァントに満足。うんうん、と頷く所長を前に忍びは気を整えた。これから先、主に仇為す生物は只管に忍殺するのみ。斬り捨て、焼き払い、突き殺す。気配を一切変えずとも、忍びは教え通り一握りの慈悲以外を全て捨て、鏖殺の覚悟で精神が支配されていった。

 だがそれは所長も同じこと。脳で夢見る狩人様がオルガマリーをそうした様に、彼女も敵を狩り殺したくて堪らないと血が意志を持って蠢き出していた。

 

「――――じゃあ皆、レイシフト準備が完了した」

 

 ロマニがそう告げると、レイシフト用の専用衣装を着込むマスターとそのデミ・サーヴァント、そして所長が頷いた。

 

「向かうは第一特異点。西暦1431年、百年戦争の舞台フランスさ」

 

「うんうん、フランスね……」

 

 マシュや藤丸側に回り、まるで一職員のように頷く所長にロマニは腐った瞳で視線を向ける。

 

「あのですね、所長。ここは貴女がバシって決める場面だと思うんですけど……?」

 

「嫌よ。こっちはレイシフト要員です。私は所長ですけど、ここからの役目は特異点攻略メンバーの一人ですからね」

 

「分かりました。ボクが仕切れば良いんですね……」

 

「そうよ。こう言うのは最初からして、メリハリよく仕事といきましょう」

 

 そんな所長の言葉を聞き、絶世の美女がぬらりと全員の前に現れた。普段とは違って眼鏡を賭け、特に意味もない決め顔をキリッと皆に向けていた。

 

「はぁい。そう言うことなら話は早いね。なら所長に皆、とっととコフィンに入ろうね」

 

「レオナルド……まぁ、良いか。コフィン関連はカレに全部任せているから、あの生粋の変態な天才を信じて身を任せてね」 

 

「そう言うことさ。レイシフトは私にお任せあれ。

 だからね、早速コフィンに入って貰って始めようか、皆の者よ!」

 

 さぁさぁさぁ、と実に楽し気な美女姿の変態(テンサイ)。煽られるままに藤丸とマシュはコフィンに入り、その光景を見ながら所長とサーヴァント二人もコフィンに入った。他の者は兎も角、レオナルドは不安そうな顔をしている藤丸に気を掛け、彼にのみ管制室から通信を行っていた。

 

『どうだい、藤丸君。カルデアのコフィン……霊子筺体に入った感想は?』

 

「……狭いです」

 

『ハハハハ!』

 

 何でもない返事。顧問にとって予想はしていたが、彼はこの場面でも緊張しながらも当たり前でいられるらしい。ならば、と思って彼女(カレ)は天才としての所感を述べることにした。

 

『うん、そうだね。藤丸君にだけ言っておくけど、ここからはキミが中心になる物語だ』

 

「いきなり……いえ、それは何故ですか?」

 

 自分はただの人間でしかない。マスターとレイシフトの適性を偶然持っていた一般人で、魔術師としての素質である魔術回路も霊体に“有る”だけでしかない。特別でもない自分を、この天才が中心なんて呼ぶ理由が全く理解出来なかった。

 

『当然の疑問だね。でも、人類史を巡る戦い……英雄では無くただの人間として星の行く末を決める戦いが、今のキミに与えられた戦いだ』

 

「俺には荷が重いですよ。でも、もう決めたことですから」

 

『うん、マスターらしい良い返事だ。けど、そうだね……所長はああ見えて、生粋の英雄様だ。そもそもカルデア何て組織を必要とせず、個人の能力だけで不可能を可能にし、決して目の前の困難に負けないだろう。役割は殆んどサーヴァントに近いんだ。

 そして今のマシュならば、もう既に英雄の一種だろうね。勿論、見たまんま中身は普通の女の子なんだろうけど、キミの為なら英雄にだって成れる可愛い女の子さ』

 

「それって、どう言う……?」

 

『人間に過ぎないキミの判断が我々カルデアを救うと言うことさ。まぁ、それはそのまま逆の意味も持つけれどもね。

 だが、ただのマスターであるキミこそが―――』

 

『オルガマリー・アニムスフィア。

 藤丸立香。

 マシュ・キリエライト。

 アサシン・隻狼。

 アーチャー・エミヤ。

 以上五名、コフィンへの入管が完了しました』

 

 アナウンスが鳴り響いた。それを聞いた顧問は藤丸を落ち着かせる為にしていた会話を打ち切り、自分が為すべきことに没頭する為に集中し始めた。

 

『―――おっと、お話はここまでか。じゃあ、始めようか』

 

「はい!」

 

 世間話の続きが気になるも、それ以外の不安が気が付けば泡と消えていた。藤丸に残っているのは程良い緊張感のみ。

 そして、響くは職員によるアナウンス。

 第一特異点へと特異点攻略メンバーを飛ばす合図が行われる。

 

『アンサモンプログラム・スタート、第一工程(シークエンス)開始します。五名の全パラメータ、定義完了しました。

 続いて術式起動、チャンバーの形成を開始します』

 

 アナウンスのまま顧問は自分が所長と共に練り上げて最適化した術式を操り、五名に対してレイシフトに必要な要因を組み込んでいく。

 

『チャンバー形成。生命活動、不明(アンノウン)へ移行開始…………同時に第二工程(シークエンス)へと移行。

 ―――霊子変換を開始します……補正式、安定状態へ移行』

 

 何も分からない不明なブラックボックス。そんなコフィンの中で、五名の全てがバラバラと解けて行く。

 

「第三工程(シークエンス)……レオナルド、カルデアスは!?」

 

「落ち着きなよ。全てまるっと私はお見通しだよ、ロマニ」

 

 ロマニの叫びに顧問は何時も通りの微笑みを浮かべて、それを見上げていた。カルデアの中枢であるカルデアスが魔力と電力で光輝き、だがその光はカレの視界を潰すには至らない。

 

「我が叡智、我が万能―――遮るものは何も無しさ」

 

擬似霊子転移(レイシフト)―――始動(スタート)

 

 魔力が波打ち、極光が室内を白く染め上げた。星を観測する大いなる地球儀は回り、捻れ、歪み、光る星に光線が衝突する。小さく変換された五名の存在そのものが、カルデアスへと霊子投射されていく。

 

『グランドオーダー……実証を―――開始する!!』

 

 その声を聞き、五名全員の視界が回転し始める。脳味噌が瞳ごと回り、むしろ頭蓋骨の外側に取られて脊髄で振り回されるような感覚に神経系が支配される。紋様のような術式が高速回転する光景で視界が塗り潰され、回転中心から霊子の光が脳へ逆行する。

 刹那―――何の前触れもなく、五人は見覚えの無い空間へと弾き出された。

 

「ふふ。うふふふ、ククククク―――……成る程、成る程、うんうんうん、成る程ね。予想以上に悪夢に溢れた啓蒙の巡り。特異点Fでは味わえなかった脳が解ける頭蓋の外側。

 星見こそ良き夢心地。これが我が星見瞳(カルデアス)、これこそ悪夢の覚醒(レイシフト)―――!」

 

「―――所長。愉しいのは良いですが、お静かに」

 

 最近、彼女は分かった事がある。正直そうじゃないかと薄々勘付いていたが、所長は稀に頭蓋骨の内側が宇宙になる。神秘的な出来事に出会うと唐突に狂気に陥るので、その度に誰かが態度に突っ込まないとL字ポーズまでしてしまうこともあるほどだ。

 どんな意味があるのか分からないが、あれは知らない方が良い部類だとマシュは理解していた。そう思えば所長と一緒に両手でL字をした天才技術者は、マシュが知らない内に変態技術者に変貌していた事があった。何故か、今になってそんな事を思い出してしまった。

 

「宇宙は空にあ……ぁ、うん。ごめんなさい、マシュ」

 

 直ぐ冷静になるので、まぁ良いでしょうと溜め息を吐かずに仕舞い込む。そして、特に先輩が召喚したサーヴァントの神秘を見た時は酷いモノだった、とマシュは思考回路を一瞬で高速回転させて思い返す。

 所長はヘラクレスの不死身の肉体が知りたいからとずっと心臓真上の胸筋を撫でていたり、ニヤニヤ笑いながらメディアと個室で大きな鍋を掻き混ぜていたり、如何見ても精神汚染が起きる魔書をメデューサに進めていたりと、彼女を良く知るマシュからしても今の所長はテンションが少し可笑しい。

 クー・フーリンに軟派されて偶に食堂でご飯を食べているのも見るが、訓練場だと血塗れな死闘を嗜む男女の仲なので健全な関係からは程遠い。小次郎は狼らと好きなだけ斬り合っており、エミヤはもはや顧問コックが日常。騎士王は基本的にマシュや藤丸を扱いている時以外は、エミヤと笑い合いながら料理を手伝っているか、逆に黙々と食べているかだろう。だがしかし、中東の怖すぎる呪い話をハサンと盛り上がるのは周囲の人も背筋が凍るので止めて欲しい。

 

「分かれば大丈夫ですからね。でも、こう言う時は狼さんも抑えて下さいね」

 

「……すまぬ、マシュ殿。承った」

 

 Aチーム主席の頭脳を持つ少女―――マシュ・キリエライト。

 彼女は誰に影響されたのか、相手が啓蒙狂いの神秘学者だろうと言い正し、無を悟る熟練の忍びだろうと言葉一つで好きに扱った。

 

「うーん……最近、マシュが冷たいわ」

 

「フォーウ……フォウフォー」

 

「五月蠅いわね、名状し難き犬なる猫。小姑みたいなこと言ってると、マシュに嫌われますから」

 

「フォフォ、フォウ!」

 

「はいはい……―――って貴方、何時の間に?」

 

「―――あれ、本当です!?

 しかし、フォウさん……どこに紛れ込んでいたのでしょうか?」

 

「フォウ、汝こそ自由なる獣よ……」

 

「いきなり遠い目でどうしたのですか、先輩?」

 

「そうよー藤丸。緊張でもしてるの?」

 

「何でもないんだよ、本当。何でもね」

 

 ノリが何時もと変わらない古参カルデア組を見た藤丸は、自分もそっち側に染まった方が良いのかと悩んだが、変な台詞を試しに言ってみたら怪訝そうな瞳でマシュと所長に見られて凹んだ。

 ……藤丸は涙を抑えながらも、とても心が折れそうだった。

 やはりまだまだカルデアに染まっていないので、常識的羞恥心が藤丸立香を啓蒙的に弾けさせていなかった。

 

「安心しろ、マスター。私もあの所長を相手にするには荷が重い。一晩で気が狂う。だから、君が気張る必要はないだろう。

 なので慣れたマシュに……―――あぁ、そうだな。それだと彼女一人が厳しいため、こちらも余裕がある時は手助けするだけで良いだろう」

 

 所長が顧問のレオナルドまで呼び、様々な道具を投影された実験開発の日々。エミヤは不可思議な魅力を持つ所長の存在感に呑み込まれ、そして刀剣狂の宝具マニアな趣味を刺激され、彼女とレオナルドと時間を忘れて叡智を語り合ったのも思い出していた。エミヤはそんな出来事もあった所為か、どうも所長が嫌いにはなれない。これは他のサーヴァント全員が共有する彼女に対する印象だろう。あのバーサーカーでさえ、そんな節が見え隠れし、クー・フーリンなど訓練での殺し合いも出来るので一層そうである。

 何でもかんでも受け入れて、相手の人格と性格を肯定し、その人間性を楽しんで尊ぶ微笑み。カルデアの職員が所長と慕うのも分からなくはない。

 

「流石だね、カルデア厨房部門トップ終身顧問殿」

 

「―――……それは仕方なかろう。適材適所だ。

 それと顧問は良いが、勝手に終身を入れないでくれたまえ」

 

「ヤだいヤだい、ずっとエミヤ飯じゃないと俺は嫌だい!」

 

 地獄のオルガ式ヤーナムキャンプ。エミヤのご飯は藤丸やマシュだけでなく、職員にとっても癒しになっていた。

 

「急に幼児退行しないで欲しいな、マスター……―――む?」

 

 血の気配と、人が焼ける臭い。風向きが変わった所為か、エミヤの嗅覚が鋭く異臭を感じ取れた。

 

「あ、気が付いたみたいね。エミヤ、何か見えます?」

 

「森から上がろう。私が千里眼で見回す。だが、これは恐らく……戦場の肌触りだな」

 

「でしょうね。じゃ、宜しく。私も私で確認します」

 

「ああ、承知した」

 

 暇潰しに短銃を左の人差し指でグルグル回しながら、カルデア製多目的超高性能望遠鏡を脳内(ユメ)から所長は取り出した。

 周囲で一番高い木に駆け上がったエミヤを見つつ、透視機能もある望遠鏡で森の内側から外を見た。思考の瞳を利用することで望遠鏡で視認した箇所を三人称視点で監視するカメラのように、所長は新たな視覚を分割思考によって処理し、そこから映し出される光景を解像する。

 

「藤丸。教えた通り、エミヤと視覚を共有しておきなさい。後、いざという時は影霊呼び出しの初実践投入なので少しだけ気構えておくように」

 

「了解しました、所長!」

 

「マシュもラインを通じて藤丸の視覚野を盗んで見ておきなさい」

 

「マシュ・キリエライト、了解です!」

 

「隻狼には、私の方から監視映像を送っておきます」

 

「……承知」

 

「フォウ?」

 

「―――いや、貴方には別段要らないでしょう。フォウは好きにしてなさい。でも、出来ればマシュから離れないように」

 

「フォフォーウ」

 

 取り敢えず、藤丸とマシュにカルデア最強最悪の戦力は付けさておけば問題ないだろう。獣の力でコフィンを必要とせず単独でレイシフトが可能な生物である時点で、そもそも所長がフォウに何かを強制させよう等と言う思惑は皆無。

 

“空に浮かぶ宇宙が……丸いわね”

 

 そして、それが瞳でこの特異点を見た所長の第一印象。特異点Fでは一切確認出来なかった世界の不具合が、カルデアが第一特異点として選んだフランスの宙に浮かび上がっていた。余りにも遠い世界で輝いている光帯であり、地上から見ても何なのか分からない。

 宇宙は空にある―――ならば、人もまた空に浮かぶのだろう。

 オルガマリー・アニムスフィアは分かってしまった。数多の帯が重なって浮かぶあの光帯は、この特異点のレガリアだ。あるいは、これから先の特異点の象徴だ。現在、過去、そして太古の人間性が坩堝になった人類史であり、焼却まで人々が営んだ人類史だ。それがあのような形となって、特異点を宇宙から空の内側へ抑え込んでいた。

 

“ふむ。黙っておきましょう。見え上げる度に使者は嬉しそうだし、私は啓蒙増えて愉しいですし”

 

 夢に住まう使い魔の使者が呻き声を上げて喜んでいる。所長は新たなる啓蒙ではしゃぐ彼らを狩人の夢から呼び出し、誰にも見えないのだろうがこの場所に灯の火を設置した。

 しかし、全く以って調子が良い。良過ぎると言っても良い。

 オルガマリーは現代の魔術師であるが、古い時代である程に魔術回路が覚醒する。真エーテルが溢れている世界となれば、天文の狩人と言う存在してはならない魔人が誕生することだ。実際に太源に満ちた程度の冬木であろうとも宇宙を空に浮かべられるとなれば、魔力濃度が濃い真エーテルが満ちた神代ならば水銀弾一つ消費する事も無く、宇宙を地表に墜落させることさえ可能であろう。隕石など生易しい次元ではなく、隕石を撒き散らす質量化した高次元暗黒が世界を悪夢で破壊する。

 ならばこそ冬木と同じく、このフランスも太源に満ちている。そして冬木を超えて濃密だ。

 思考の瞳は啓蒙に満ち溢れ、魔術回路に血の意志が激しく流れ廻り、神秘は悪夢となって頭蓋骨の中で脳を夢に羽化させる。

 

〝楽しみだわ。最後に狩る筈の特異点は古い神代。

 あぁ―――…‥我がアニムスフィアの悪夢を体現する最高の舞台。六つ先が待ち遠しい”

 

 父親の業(アニムスフィア)を引き継いで世界を救い、啓蒙を求める知的欲求を満たす。自分の脳に住まう狩人様も人形に撫で撫でされながら満足するだろうと所長は微笑みながら、それを一切表情に出さなかった。

 

「―――で、報告は以上だ。

 これからどうするかね、所長にマスター?」

 

 所長が啓蒙を深めながらも分割思考によってしっかりと会話を行い、偵察から戻って来たエミヤたちと今後の相談を行う。主な内容は、村の虐殺後と空に浮かぶ光帯。そして他全員も彼の報告を聞き、その意見まで聞いて考えを纏める必要があった。

 

「そうねぇー……まず、通信の回復を待ちたいところね。藤丸とマシュの意味消失は何としても回避したいから、カルデアと連絡を取れるまで派手な行動はなるべくやめましょう。後、なるべく集団から離れないように。

 でも、消極的に行動して事態が手遅れ何てこともありますから、そこの判断は各自でね?」

 

「―――……でも、村が焼かれてました」

 

「はい、先輩。誰もいなかった冬木と違って、人が沢山……」

 

 事前に簡単な予想を所長は言っておいたが、転移直後でその想像通りの地獄が眼前に現れた。特異点Fの冬木も同じ火の地獄だったが、あちらはまだ現実味がない空虚な世界だった。しかし、このフランスによる焼け焦げは、明らかに人為的な虐殺行為があった証拠として存在していた。

 

「マシュに藤丸。言ったでしょ、ここはイギリスに攻め込まれている百年戦争中のフランスで、更に特異点されている戦場なのよ。

 この光景にだけは―――慣れておきなさい。どう足掻いても、この先は地獄なの。

 人間が人間を殺して歴史を積み上げたモノが人類史なら、特異点に関係なく人が人を殺しているのが当たり前な時代となります。貴女達が死を受け入れる必要は全く無くとも、起きてしまったことは消えず、人が人を殺すのは止められないと言う事実だけは、最初から無理矢理にでも自分で自分に言い聞かせておく方が悩まずに済みますから」

 

「―――……」

 

「不満そうね、藤丸。でもね、人助けをするな何て事は言ってないのよ。私が言うべき事はね、カルデア職員として背負うべき傷の有無よ。

 我々は、敵を殺して特異点を解決する為にいます。そして、これは戦争となる戦いです。自分達の責任で死んでしまう人々はこれから先の戦いで必ず出ますから、それは貴方やマシュの傷になっても良いの。むしろ、自分の心に傷として刻んでおきなさい。

 けれども―――視界に入っただけの屍まで、無理に背負って傷にしないように」

 

「はい……」

 

「……マシュ・キリエライト、了解しました」

 

「まぁ、死体を見れば気も滅入ります。今は安全ですし、警戒も隻狼とエミヤがいるので、落ち着けるまで落ち込んでいなさい。

 そうすれば、狩りの心構えも作り易いでしょう」

 

 その光景は、エミヤにとって不自然なまでに自然だった。所長は藤丸とマシュの精神状態と形成人格を全て見通した上で、必要なことを必要な分だけ脳へ教え込んでいる。二人の良き善性を読み切り、その上で必要悪を自覚させながらも精神的負担を軽減させて認識させる。

 こう言われてしまえば、所長の意見に反対する意志など湧かないことだろう。

 むしろ、眼前の現状に対してどう向き合うべきなのか、生き残る為に必要な精神的活力を悲劇を利用することで所長は二人から湧き出させていた。良くも、悪くも、だ。

 

「オルガマリー・アニムスフィア。君は厳しいのか優しいのか、よく分からないな?」

 

「何処がよ、見たまんまじゃない。私はカルデア所長と言う名の超支配者よ。どっちも完璧にするのが上司の役目ってもんなの。

 それにエミヤ、貴方のことも私はしっかり心配してるのよ?

 人間とか英霊とか関係無く、私のカルデアの下で働いて貰うのですから、そうやって言いたい事を我慢される方が困ります」

 

「―――……成る程。私もまた、君からすれば職員の一人と言うことかね」

 

「勿論ですとも。けれども、どちらかと言えば、魔力を支払って座から派遣されて来たお客様と言う気分ですけどね。

 それに長く在籍すれば信用も互いに生まれ、信頼関係云々はそこからでしょう。後、私のカルデアは職場恋愛オーケーだから、ミセス・ペンドラゴンと良い雰囲気なのも推奨しましょう」

 

「ふむ。余計なお世話と言っておこうか」

 

「あらあら。厨房部門終身顧問の貴方は分かってるかもしれませんが、一番食費を誰に貴方が掛けているのか……ふふふ。敢えて言いませんが、デザートの材料は私のポケットマネーですよ?」

 

「クッ……それが、カルデアのやり方とでも言うのかね!」

 

「いえいえ。貴方の娯楽を奪うつもりは毛頭ないわ。でもね、えぇ……あの雰囲気で、余計なお世話とはねぇ?」

 

「……良いだろう。何が望みだ?」

 

「今度からランチに血の滴る肉料理を追加しなさい。ステーキ定食、弱火でじっくり。温かいココアも砂糖アリアリで」

 

「材料はどうするのかね?」

 

「フランス特異点攻略の暁には、牧場を作りましょう。カルデアには勿論のこと、お肉熟成ルームを新設します」

 

「パーフェクトだ、所長」

 

「感謝の極みだわ、厨房顧問」

 

 所長が所長になる前のオルガマリーにとって、協力者を世界の外側から呼び出すのは当たり前な行為だった。鐘を鳴らして仲間を呼び、共に狩猟を大いに楽しんだものだが、そんな彼ら彼女らは啓蒙と血の意志目当てで自分の世界に来て貰う客でもあった。サーヴァントも、彼女からすれば同じ存在だ。カルデアに在籍する時点で部下である職員と同じ扱いをするが、それ以上に狩りを共に行う同僚と言う雰囲気に近い。

 しかし、それはそれとして妙に所長はサーヴァントと仲が良い。マスターである藤丸や職員のマシュも英霊らに気に入られているが、所長は魅了や人間性とも違う異次元の妖しさがあった。

 

『……あーあー、テステス。む、まだ駄目か』

 

 無駄話であったが、時間を潰す効果はあった。所長の目的は、こうして時間が経過したことで達成された。サーヴァントも含めてレイシフトした全員に配られた携帯機器から、管制室代理指令官ロマニ・アーキマンから連絡が達せられる。

 

『あーあー、あーあー……あっあっあっあーああー。あー……あっあっあっ……あぁ、あれ。まだ聞こえないのかな?

 こちらマギ☆マリ最高、マギ☆マリ最高。どうぞ?』

 

「聞こえてるわよ、ネットアイドルが拠り所な中年独身」

 

『―――はぅわ! 事実だけにボクの心が痛い……』

 

「遅いわよ。それでは早速、ここの観測結果をはよーせい」

 

『辛辣!』

 

「え、じゃあ優しくして上げましょうか?」

 

『ボクに優しい所長とか違和感が凄いから止めて下さいね。なので、カルデアから確認出来た情報を報告しましょう』

 

「……―――えぇ、どうぞ。こっちで確認した情報も言いますので」

 

 フランス特異点攻略の為の第一歩。カルデアは新たにエミヤをサーヴァントとし、七つある人類史の黒点を消す長い旅を始めたのであった。













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啓蒙14:竜血騎士団

 煙がまだ上がる燃え殻の廃村。ついこの間までは人が居たのだろうが、今はもう見る影もない有り様である。名を、ドン・レミ村と言う。カルデアから特異点へ入り込んだ侵入者である皆は、その近くの森にて再度その村を観測していた。

 

「まだ、あの村に敵がいるのですか?」

 

「そうみたいね。家の中に居たようだけど……そっち、どんな反応?」

 

 所長の言葉に藤丸は驚いたように、しかしある程度は受け入れた雰囲気で返答した。国家軍隊でも傭兵団でも、一度占拠した場所に人員を裂かない理由はないだろう。ただただ滅ぼすだけなら別だろうが、一人残さず殺すつもりであるならば、ある程度の時間は兵士を駐在させて見張りにするのも不自然ではない。

 

「隻狼、少し偵察に……―――いえ、いいえ。偵察はやっぱり良いわ。数だけ教えて」

 

「……御意」

 

「いや、少し待て。数だけなら私が既に把握している。大凡だが確か、三十から四十人の間だ」

 

『間違いないと思うよ。ボクらもそっちを観測したけど、近くに人間大の生命反応数はその程度だった』

 

「成る程。じゃあ、エミヤ―――狙撃で、皆殺しに出来る?」

 

「構わない。直ぐにでも、射殺そう」

 

「エミヤ……?」

 

 所長の即断にも驚いたが、エミヤの即決にも同じく藤丸は驚いた。こんなにもあっさりと敵を殺すと決める何て、どうも普段の彼らしくない。マシュも同じく驚愕はしているが、何とか口に出さず我慢していた。

 だが―――エミヤらしい冷徹さでもあると、藤丸は賢しく察してもいた。

 あれが自分にも自覚のある目付きだ。自分ではもはやどうしようもない悲劇を見てしまった時に、人間はああやって感情を凍らせて殺すものである。

 

「すまないな、マスター」

 

「理由を教えて下さい。今直ぐにでも殺さないといけないなら止めませんが、間に合うのなら理由だけでも…‥」

 

「はい。エミヤさんに所長……どうして、そんなあっさりと?」

 

「所長……私から―――」

 

「―――いいえ。いいわよ、エミヤ。どうせ、遅いか早いかでしょう。ここの特異点は、そう言う類の人間が作り出す普遍的な地獄なのでしょうし」

 

「そうか。ならば、任せる」

 

「所長……?」

 

 藤丸とマシュはもう嫌な予感しかしていなかった。村が焼かれていて、人々が虐殺されているのは聞いていた。そんな戦争と言う地獄は聞かされていた。

 しかし、もし―――それ以上の地獄なのだとしたら?

 あのドン・レミ村跡地が本当に地獄で焼かれた燃え殻なのだとしたら?

 

「さっきはまだ言わないでおいたけど、行けば見る事になります。なので、此処で言っておきましょう。予め、戦うのなら光景を見る覚悟をしておきなさい

 ―――吸血鬼よ。

 透視で見たけど四肢を抉られて椅子や樽に拘束された人間が、あいつら吸血鬼共の食糧にされています。もう助からないでしょう」

 

「「―――え?」」

 

『そんな……いや、でも、そうか。吸血鬼ですか。まさか、死徒?』

 

「じゃないわね。あの様子だと、そう言う幻想種でしょう」

 

『だとすれば、まさかサーヴァントの宝具か、その類の魔術?』

 

「待って……―――待って下さい!?」

 

 吸血鬼は本当に居る事は知っている。所長に教えられたばかりだ。しかし、藤丸はそんな化け物が人間を食料にして人間で食事にしている何て光景をこれから先、見届けないとならないのだ。しかも、吸血鬼も元は人間に過ぎず、そう言う生き物に作り変えられた被害者に過ぎないと言うのに、もしこの特異点の人々を守るならば、その吸血鬼は確実に殺さないとならないだろう。

 何せ―――無抵抗な人を拘束し、四肢を抉り、その血肉を生きたまま食べて、呑む。

 相互理解など有り得ない事は、御人好しな彼でも聞いただけで理解した。マシュも魔術師として豊富な知識から、そこまで堕ちた人間だった化け物が、自分達の事を食料以外の何かだと思う事がないと分かっていた。

 

「……なによ、藤丸?」

 

「行きましょう。危険だとしても、エミヤだけに――――」

 

「―――良いのかしら?

 私もエミヤの狙撃が効率的ってだけだから提案したけど、本音を言えばこれからの経験として自分で感じてみたいのよね。

 でも、それって私の我が儘だから黙ってたけど……良いのね、藤丸?」

 

「ええ」

 

「はい。私も、先輩に賛成です。もしかすれば、まだ助かる人もいるかもしれません!」

 

 しかし、それが淡い期待でしかない事はマシュも藤丸も理解していた。そして、それが絶望に裏返るだろうと言う事も分かっていた。それでも、やらねばならないとだと自分自身に言い聞かせていた。

 それを見て、所長は表情に出さずとも喜ぶしかない。

 カルデア所長として、全く以ってこの二人は理想の人材だ。

 人を助けるのも、人を傷付けるのも、自分達が当事者である事を受け入れている。人理を救うならば、その世界で自分の在り方を突き通す意志がなくば、英霊達は決してカルデアを快く受け入れる事は絶対にないだろう。所長は自分であるオルガマリーとしての在り様ではサーヴァントと共に戦い抜く事は出来ない事を悟っており、だからこそ藤丸とマシュが必要になるのだと全てを啓蒙していた。この段階で、もはや何もかもを理解していた。

 

「だそうよ、エミヤ。汚れ仕事は皆でしましょうね」

 

「―――……全く。所長、君は少し口が悪いな。だがマスター、私は君の意志を尊重しよう。マシュも、それで良いのかね」

 

「了解しました、エミヤさん」

 

「うんうん、やる気十分ね。それじゃあ、エミヤは警戒宜しく。隻狼は少し先行して頂戴。異常があれば念話で連絡。マシュと藤丸は、私の後から付いてくるように。

 後、戦闘になれば藤丸はシャドウ召喚の初実践になります。気張りなさいね」

 

「「はい!」」

 

「それとロマニ。そっちも周囲の状況に変化があれば―――」

 

『―――分かっています。任せて下さい』

 

「宜しい。ではこれよりカルデア、第一特異点侵攻を開始します」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 彼らにとって、この村を焼く事など余りにも容易かった。拍子抜けと言っても過言ではない。事前に危機を察して避難していた村人もいたのか数は少なかったが、それでも全員が村から出て行った訳ではなし。そしてフランス王国を転覆して新たなる国家支配権力を確立させた新勢力は、今となっては王家に変わってこのフランスを支配する君臨者である。

 ならば―――この騎士団こそ、新フランス国軍だ。

 村人が逃げ去ろうとしたのも当然だ。この新王権が運営する国軍である騎士団は、正しく民草にとって邪悪の権化。そこが領地だろうが、軍隊のない無抵抗な都市だろうが、一切構わず遊ぶように殺戮を喜ぶ外法外道の集団に過ぎないのだから。

 

「若い女、あんまいなかったな……はぁ、遊び足りん」

 

「おいおい。さっきまで人間で遊んでいた騎士様の台詞とは思えねぇな」

 

「我らが騎士団長で在らせらるヴラド様がこんな不真面目聞いたら、俺たちゃ間違いなく股間から杭を突き刺され、口から先っぽを生やす事になるだろーけど、フランス人を殺す為となれば許して下さるからな。

 ―――ハハハハッハ!

 それによ、元が罪人だったり傭兵だったりする俺達はよ、そもそも吸血鬼だとか邪竜だとかあんまり関係ねぇ!!」

 

「言えてるぜ。女は犯した後に殺して、男は特に意味もなく殺す。戦争ってのはそう言うもんだし、金になるなら誰だって殺してきた。それが当たり前の常識ってヤツだ。そう教えられて生きてきたし、そうやって生活してきた。

 そんな俺はそこらの当たり前の傭兵崩れに過ぎねぇけど、こりゃ確かに神の力さ」

 

「本当にヴラド様サマさまだぜぇ……―――ヒック。けど、吸血鬼ってヤツは酒に酔い難いのが行けねぇな」

 

「そんな時はこれ、若い女の生き血さぁ……な!?」

 

「ひぃ……ヤだ。やめて、やめて、殺さないで……ッ―――!」

 

「おいおいおい。殺す訳ねぇだろーがよ。死体でお楽しみをする趣味は、まだ目覚めてないんだよね」

 

「そうだよ~……でもね、姉ちゃん。アンタ、もう手遅れだよ」

 

「え……な、なにが?」

 

「さっき俺らの血、呑ませたから。アンタ、今日から吸血鬼ってヤツだぜぇ……ひゃっはっははははははは!」

 

「俺らの騎士団にゃ女吸血鬼も多いからな。慰安用の玩具だけど!」

 

「う……嘘。嘘、嘘よ、嘘よ!!?」

 

 そう叫んだ傷だらけな裸の女は、男を突き飛ばして小屋から飛び出てしまった。確かに、飛び出てしまったのだ。暗い影が支配する倉の中から、太陽が光差す明るい外へ。

 日差しと言う暗黒を払う光の下になど、闇の生物に居場所など有りはしないのに。

 

「あ、おい。馬鹿が、やめろ!?」

 

「い、い、いやぁぁあああああああああああああぁぁぁああああ何でなんでなんで、焼ける熱い熱い熱い焦げ焦げこげぇぇえええええええええええええええ!!!?」

 

 肉が焼け焦げる臭いが外から小屋に入って来た。それを騎士共は嗅いでも、何も思わずニタニタと嗤っているだけである。

 

「あーあー……勿体ネェ。良い肉だってのに、一瞬で黒焦げじゃなねぇかよ。何でお前、あんな事を言ったんだよ」

 

「いやぁ可愛い子が絶望する顔が好きだから……つい。まぁあれもあれでさ、面白いから良いじゃん。けどよぉ人間だと耐久性ないから折角頑丈な吸血鬼にして遊んであげようと思ってたのに、これじゃあ血液与えた分だけ損じゃん」

 

「はぁ……っち、糞が。こっちはまだまだあの肉を楽しみ切って無いってーのによ。お前ばっかり遊んでたじゃねーかよ」

 

「うるせぇーよ。俺が遊んでる間、この村で騎士団総出で作った人間樽で遊んで、更にワインに血液入れてお前は飲んだくれてただろーよ。

 俺はその間、あの娘で遊んでいただけデース」

 

「あっそう。はぁ……オレ、ブリテンの異端審問官や兵士を女みたいに犯して拷問した記憶、とっとと忘れてぇーんだけどなぁ……ヤダヤダ。

 もっと腰を振りまくりたい年頃です。彼女、見た目好みだったのにさ」

 

「ああ。そういや、アンタって最初期メンバーからだっけ?」

 

「そーだよ。だから、此処の残留組の指揮をしてんだよ。まぁ、俺ら竜血騎士団の派遣部隊にゃ纏まりなんて要らないけど」

 

 小屋の中にいる幾人からの男共は、外に出た女が灰になるまでまるで普段と変わらず世間話をしているだけだった。そして、先程まで強引に交じり合っていた女が灰となって風に吹かれ、この世から跡形もなく消え去ろうとも、何も思わず血液入りのワイン瓶を呷っているだけだった。

 

「しかし、やっぱり血液は竜よりも人間に限るわな。それも女を犯しながら飲む血液は格別だよ。血の無いワインが泥水だぜ」

 

「まぁな。でも、やっぱり我らがお偉いさんは頭がイカレテヤガルぜ。人間を吸血鬼にして騎士団にするだけでも、相当なガイキチだってーのに、その吸血鬼共に竜の血を吸わせるだ何て、頭の中身が冒涜しかねぇーだろーな」

 

「そりゃそーだ。だって、ほら―――」

 

 そう嗤う男は吸血鬼だと言うのに、まるで普通の人間のように外へ出た。

 

「―――この通り。

 俺らは吸血鬼を超えた竜の吸血鬼。即ち、竜血鬼。だからこそ、この新たなるフランスを支配する」

 

「それが俺ら竜血騎士団なぁ……ひゃっははっはははは!!

 腐れた罪人にゃ良い身分ってモンさ。どうせ人間だった頃から地獄行きは決まってた人でなしの傭兵だ。こんな余生を送れるだけ充分ってもんよ。

 好きなだけ女を犯して、出来るだけ男は殺して、やりたいようにヤリまくるぅ!!」

 

 明るい太陽の下、竜の血を啜った吸血鬼はこの世を盛大に謳歌していた。黒染めの騎士甲冑を身に纏うことすらなく、彼ら吸血鬼が人生を悠然と愉しむ事が出来る特異点。人間から進化した新人類として、彼ら竜血鬼は竜血騎士団として、魔女の走狗となって殺戮に歓喜する。

 人間だった時と変わらず、人の死こそ生活の糧だった。

 吸血鬼に変貌した自分を何一つ哀れむ事はなく、人間に未練など欠片もなく、何ら後悔一つなく、一切の懺悔なく、竜血騎士団は騎士団長の命の儘に動くだけ。

 自分達を吸血鬼にした大元の吸血鬼が望むなら、このフランスを餌場にする暴力装置に他ならないのだろう。

 

「……―――お、何だこの気配?

 おい、アンタ。これに見覚えあるかい?」

 

「………うーん。死に時が来たのかもしれん。騎士団長様と似た気配やね。こりゃアカンわ。戦ったら普通に殺されるかも。

 ま、鎧は着ておこうぜ。全裸で死ぬのも締りがネェ」

 

「そりゃそっか。甲冑を死に装束するのが戦士の誉れだもんなぁ!!」

 

「ひゃっはっはっははー、言えてるぜ。敵だったらぶっ殺して、また捕まえた女でも連れ込もう」

 

「オーケー、相棒共!」

 

 嗤い合う男共は小屋に戻り、女を犯す為に脱いでいた甲冑を器用に着込んでいた。吸血鬼化した事で魔術でも使えるようになったのか、本来ならば一人で着るのが困難な騎士甲冑だろうと数秒で完全装備してしまった。

 大剣に、直剣と盾に、槍に、弩。

 竜血騎士団の騎士甲冑を纏う彼らはそれぞれが好きな武装を手に持ち、役割など知るかと各々が自由に外へ進んで行った。

 

「ゲハァアア!!?」

 

「な、何だ何だ、何だお前は一体なん―――グヒャアアアアア!!」

 

 そこには、自分達が作り上げた地獄以上の悪夢が存在していた。地獄を運営する獄卒さえ恐れを成して逃げ出す程の、冒涜的狩人が騎士を狩り潰していた。

 一人一人丁寧に、誰も逃がさず叩き潰す。潰した後、更に轢き砕く。

 片手で易々と人間大の大車輪を振り回しながら、触れただけで即座に死す怨念を回転させて渦巻かせる。

 

「この世を清潔に致しましょう―――さぁ、肉片に成り果てなさいね?」

 

 何か、金色の三角帽子を被った肉片塗れの女が超高速移動しながら騎士を轢き潰していた。騎士を念入りに轢き潰して肉片に砕く時以外は早過ぎて目視さえも出来ないが、確かに黄金三角の女が瞬間移動をしながら人を愉し気に轢き殺す光景が騎士らの前で展開していた。

 稀に左手から触手を出して振り回し、甲冑を着込んだ騎士を容易く貫通して内臓から拘束し、それをまるでハンマーのように振り回す姿など邪神が裸足で逃げる程に猟奇的だった。更には如雨露のような道具から炎を吹き出すこともあり、白い毒霧で騎士を悶え殺す光景も確認出来てしまった。

 

「アカン。あれ、死ぬヤツや……どうする?」

 

「逃げても仕方ないぜ。ま、死ぬなら死ぬで特攻だ!!」

 

「ま、いっか。余生とは思えない程、男は殺しまくって、女を犯しまくれた。あんな愉快なヤツに殺されて死ぬんなら、あの世にいるトーチャンとカーチャンにも、程良い冥途の土産になるって話!」

 

「残念。まぁ、逃げて生きるよりかは此処であっさり死ぬのが本懐。何だかんだでオレたちゃ騎士だしね!」

 

「まだまだ殺したんねぇンだよ、こっちはよ。ぶっ殺してやるぜ、変態三角!!!」

 

 元より竜血騎士団は洗脳されている。所長は既に騎士を一匹狩り殺し、その脳味噌から情報を抜き取っており、欲しい情報は全て得ているので、その事を理解していた。誰か一人でも殺してしまえば人の意志を奪い取り、その者の魂さえも解読する化物がオルガマリーである。よって、もはやこの村で血の宴を広げていた騎士はカルデアにとって用済みであり、一人残らず殺しても一切何ら問題はない。

 そしてその洗脳とは、死ぬまで命令通りに戦う事を疑わない事。

 分かってしまえば話は早い。所長は普段通りの処刑人形態に装備を備え直し、縮地による瞬間移動を幾度も繰り返し、誰も逃さずローゲリウスの車輪で轢き殺せば良いだけとなった。

 

「―――いや、終わりだよ」

 

 そんな言葉を吸血鬼特有の超感覚である聴覚で聞いたと同時、暴れ狂う暴矢が騎士たちに襲い掛かっていた。膨大な魔力を纏いながらも、騎士を一人殺す度に血に塗れ、更に凶悪な魔力を纏った暴れ狂う矢。

 名を―――赤原猟犬(フルンディング)

 一度放たれれば最後、獲物を喰い殺すまで止まらない投影宝具である。大英雄ベオウルフが振ったとされる宝具を改造した剣の矢は、この村に潜む全ての吸血鬼を標的に暴れ狂い、更にエミヤ本人さえも前線に加わって双剣を振っていた。血を啜る吸血鬼の血を貪る魔矢と、化け物を斬り清める双剣は、竜血騎士にとって避け様もない死で在った。

 

「ひゃっはっはっははは、何だ此処は地獄じゃねぇか―――ギャガッッ!」

 

 高笑いする騎士を、忍びは何ら構わず斬り捨てた。気配を殺し、騎士らからすれば何の気配もないのに、自分達の仲間が唐突に血を噴き出して死んでいく悪夢のような時間。なのに恐怖はなく、もう人の血を吸えない未練だけを残し、全員が戦いを止めなかった。

 

「――――……」

 

 その異様さに、流石の忍びも気色悪さを捨て切れない。戦国の侍も命を捨て去って戦い抜く闘争狂いが多く居たが、この騎士のように死を恐怖せず、自分の命を何とも思わない狂人ではなかった。

 ならば、と思えば話は早い。

 生前と同じ様に殺すだけ。慈悲を忘れぬ忍びなれど、容赦は加減なく捨てている。

 忍びは忍術によって殺めた相手から血を奪い、刃に纏わせ、楔丸を他者の生命で刀身を作り出す。その上で集団を纏めて同時に切り裂く為、その身に修めた秘伝・渦雲渡りによる斬撃を繰り広げる。人間の身でありながら火縄の弾を容易く見切り、弾幕を刀で斬り払いながら進軍する内府の赤い精鋭は隻狼の殺人技術に一人一人が剣士としてそれなりに対応する化け物揃いであったので、ある意味ではまだこの吸血鬼の方が人間らしい。

 

「はぁああ……!!」

 

 そして、マシュもまた覚悟を決めた。文字通り、悟りを覚えたのだ。命を殺さぬように手加減して戦えば―――死ぬ。

 自分が死ぬのなら、まだまだ良い方。

 だが気後れすれば、マスターが死ぬ。

 誰も守れずに死に、戦いもせず死ぬ。

 鈍器として盾を振るって撲殺するには吸血鬼相手に殺傷能力は低く、ならばとマシュは魔力防御を盾に纏う。そして、盾の内側に備えた礼装である人工魔術回路が回転し、その防御力場が刃に変形した。騎士盾は相手を切り裂いた上に、殴り砕く凶器となった。

 

「げひゃぁああ!」

 

 何処か他人事のように聞こえる死の絶叫。つまりは自分が殺した相手が上げる最後の言葉。マシュは自分の精神が人ではない人の形をした吸血鬼を殺す度に歪むのを感じ取るが、なのに何も澱まず戦闘動作を行う。彼女はVR訓練とは言え、人を殺す感触を覚えており、自分が死ぬ寒気も分かっている。

 そして―――吸血鬼を殺す度、訓練での教えが身に染みる。

 慈悲を無くせば自分は人ではなくなるが、相手に容赦をすれば容易く殺される。

 

「外骨格義手―――駆動、開始!」

 

 初の実戦投入―――左の義手を駆動開始。瞬間的に義手は輝き、その一瞬で勝負は決まる。

 斬撃術式によってエーテルブレードを発生させる義手装置は何ら問題なく発動し、マシュは相手を抵抗なく両断した。同時に吸血鬼の穢れた血を自分が吸い込まないよう、魔力防御によって血が付着することも防ぐ。何かの間違いで自分が血を飲んでしまえば、あるいは傷口から血が入れば猛毒となろう。最悪、如何に守りの加護があるとは言え、吸血鬼化する危険がある。

 

「これは―――……これが、私の新しい腕?」

 

 刹那、義手は変形。銃口と言うよりも、手首から砲門が具現し―――魔力弾が、放たれた。マシュのエーテルライフルは術式によって思念誘導され、軌道を捩りながらも相手に着弾。渦巻くエーテルは暴力的破壊運動を生み出し、騎士甲冑を着込んだ吸血鬼を爆散させた。

 ……あぁ、とマシュ・キリエライトは吐息が漏れる。

 肉片さえも残さず、敵が血飛沫になって消え去った。

 貫通術式、炸裂術式、散弾術式、連射術式と好きな様に選択可能な魔術式だが、今回のは爆裂術式。吸血鬼が復元呪詛で蘇生も出来ない様に肉体を粉々にする為に理論的に選んだが、グレネード弾と似た破壊力を持つ爆裂術式は異常なまで殺傷力に優れていた。

 

「頼む―――クー・フーリン!」

 

「…………‥」

 

 突き刺し、穿ち砕き、淡々と抉り殺す。藤丸が影化させて呼んだサーヴァントの力だった。マシュと同じく殺人を忌む藤丸だが、ここまで終わってしまった人間だった何者かを相手に、殺さず無力化しようとは思わない。思えない。同じ言葉を喋っていると言うだけで、人の形をしていると言うだけで、この吸血鬼は意志疎通が不可能な全く別種の生命体だと一目で理解した。無抵抗な人間の四肢を斬り落とし、人間製ドリンクサーバーにする連中を相手であれば、彼にあるのは怒りとやるせなさだけであった。

 その契約者の思いに応じ、光の御子(ランサー)は死棘の朱槍を振うのみ。

 直ぐ隣にいるマシュの守りの内側に身を置き、藤丸は的確にランサーと思念で疎通し、竜血騎士を逃さず刺殺し続ける。

 

「―――っ……!」

 

 余りにも凄惨だった。血塗れな惨劇の舞台となった廃村は、この村を滅ぼした騎士たちの流血で更に穢れた土地になっていった。

 藤丸は、分かっていなかった。

 理解はしていたが、自分の感覚を把握していなかった。

 自分が死ぬと分かっているのに、自分達を殺そうとする熱狂に脳味噌が蕩けた化け物共。人の形をしているだけのケダモノ共。

 ―――おぞましい。

 そんな化け物を一方的に虐殺する自分達も、同じく何者なのか……―――あぁ、何もかも所長が言った通りだった。藤丸のそんな思いは瞳を暗く落とさせ、だがしかし地獄から目を逸らさない。

 

「面倒ねぇ……―――纏めて、殺しましょうか?」

 

 そう思う皆の気持ちを、所長は過不足なく見抜いていた。汚れ仕事を共にする事で、この特異点における慣れと、仕事仲間として絶対に必要な共感を全員を得る事が出来たと彼女は判断した。

 ならば―――本当に、本当の意味で吸血鬼は用済みとなった。

 マシュや藤丸に奴らを殺させたのも、殺さないといけないと思わせたのも、此処から先で意志が決して鈍らない様にする為の精神的経験の為だった。どうせ遅いか早いかならば、充分に事前情報を与えて、直前で手を緩ませないように、この吸血鬼がどうしようもない程に終わっている倫理亡き獣であると分からせるだけで良い。

 本当に、所長にとってこいつらは丁度良い獣に過ぎなかった。

 まだまだ素人な二人を玄人に変質させていく為に必要な、ただ単なる便利な第一歩でしかなかった。

 

「あぁ……宇宙は空にある。

 我らが愛しき高次元暗黒よ―――光、在れ」

 

 燃える村の上空に宇宙が現れた。オルガマリーがその思考の瞳で観測した高次元暗黒が門を抉じ開けられ、そこから星の小爆発が竜血騎士団を目標に降り注いだ。

 自動追尾(ホーミング)する光弾はサーヴァントに致命傷を与える破壊力を持つ。

 殺戮と流血に酔っていた騎士共に避け切れる脅威ではなく、三十を超える死が騎士団を皆殺しにするべく破壊の嵐を生み出した。屋内に居た吸血鬼や、森の中で暗殺を狙って息を潜めていた吸血鬼も、誰一人として瞳は逃さず“視”認し、誰も逃がさず全て殺した。

 ……時間にして、二秒もない暗黒から飛来する光の雨。

 忍びが、エミヤが、そして藤丸とマシュが戦っていた騎士達は、所長が空に浮かべた宇宙によってあっさりと狩り尽くされた。

 

「御苦労。皆、頑張ったわね」

 

「はい……」

 

「……マシュ・キリエライト。無事任務、完了しました」

 

 サーヴァントの死には見慣れていたが、まだまだ二人は生物を殺し慣れていない。特異点を攻略するとはそう言う事だが、相手が人を喰らう化け物とは言え、人間と良く似た生き物を殺すのは精神的負担が非常に大きい。

 自分で決めたこと。人理を救うとは、そうなのだと聞いていたこと。

 そう分かってはいても、藤丸は相手が人ではない吸血鬼だと分かっていたが、自分が人殺しになったのだ実感した。マシュも同じく、そうなったのだと理解した。

 

〝……ふむ。特異点攻略の準備万端―――って、ことで良いわよね?”

 

 これならば、いざという場面で戸惑うことはないと所長は啓蒙する。相手が本当に普通の人間ならば、例え兵士が住民を虐殺をしていても最初は自分達だけで皆殺しにするつもりだった。エミヤと隻狼で鏖殺しようと考えていた。力があるとはいえ、殺人はまた別種のこと。

 しかし、吸血鬼は程良い獣だった。

 人の形をしているが、余りにも醜くおぞましく、人間として嫌悪と憎悪を向けるべき邪悪。

 何よりも―――生きているだけで人を殺し、人を喰らう。此処でこの騎士達を逃がすと言うことは、あるいは戦わずに見逃すと言うことは、この吸血鬼共がこれから行う殺戮を容認すると言うことに他ならない。そんな人間が、誰かを助けるなど出来るものか。

 それが事実であり、人間の四肢を斬り落として食料とする姿は、藤丸とマシュに現実を直視させる良い悪夢だと所長は最初から分かっていたのだ。

 

「エミヤと隻狼も、ありがとう。勿論、クー・フーリンもね」

 

「……は」

 

「好きでやったことだ。だが、その感謝は受け取っておこう」

 

「あら、そう。気後れしてなくて結構ね」

 

 そんな場面の中、影に過ぎないランサーは消えて行った。親指を立てて頑張れよとでも言いたいかのように、激励をした後に役目を終えたと帰還した。

 

「はぁ……で、どうする?」

 

「……どう、とは?」

 

「この村の被害者よ。一応、命は助けられるけど……―――まぁ、手足ばかりはね。生き残りは十人にも満たないけど、連れて行く?」

 

『―――所長、それは……』

 

「取り敢えず、行くだけ行きましょうか」

 

 そう言う所長は迷いなく、まだ残っている建物へ進んで行った。全員がそれに続き、管制室に居るロマニも黙ってしまう。誰もがこれから見なくてはならないモノを理解し、その上で目を逸らしてはならないのだと悟っていた。藤丸とマシュは寒気を感じ、所長に続いて地下室のある燃え殻の屋敷に入り、止まらぬ皆に倣って躊躇わず地面の下へと降りて行った。

 そこは―――血液のワイン保管庫だった。

 生きた“人間”だったモノを原材料にしたワインの精製施設であった。

 

「これは、そんな……―――そんな!?」

 

「ぁ、ぁああ―――こんな、これが人間の……?」

 

 藤丸は、マシュは、生まれて初めて邪悪に触れた。おぞましいのは、やろうと思えば誰もがコレと同じことをすることが出来ると言うことだ。倫理をなくせば、人間は誰もが人間にこうすることが出来ると言う事実だ。理性と言う薄皮を一枚剥ぎ取られた人間は狂人となり、その精神は獣性へと堕落する。

 人は所詮、人でしかない。何ら特別なことでもない地獄。

 人理が支配する世において、人が獣になるなど―――珍しくもないのだから。

 

“こ…ぉ…‥……し、てぇ”

 

「――――――――ぁ」

 

 そんな小さい呻き声を聞いた瞬間、マシュの精神は決壊した。息が出来なかった。瞬きも出来なかった。視線も逸らせなかった。まだ自分と同じ年程度でしかない少女が裸体にされ、椅子に杭で拘束されている姿にされ、その上で殺して欲しいと“マシュ・キリエライト”に懇願していた。

 どうすれば良いのか?

 この手で殺せば良いのか?

 だって、でも私じゃ救えない。助けられない。何も出来ない。殺して上げる事しか、終わらせることしか出来ない。もう駄目になっている目の前の少女を――――

 

「コレ、無理ね」

 

「しょ……所長――――?」

 

「助けるとか、助けないとか……それ以前の問題じゃない」

 

 金色の三角兜を取り外し、所長は全てを啓蒙してしまった。そもそも不自然だったのだ。瞳で透視した時から、そもそも人間が四肢を千切られているのにそのまま生存出来ていた事が可笑しかったのだ。

 

「ヒャッハッハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 その時、騎士団を皆殺しにした筈の村から嗤い声が響き渡った。その声の主は階段を下り、カルデアの前に現れた。正体である騎士は車輪に上半身を潰されて呪われ、その上で星の小爆発によって四散していた筈。だが、死んで灰になった竜血騎士とは違い、その騎士はまだ原型は留めていないが生きていた。

 何故か、まだ灰になっていなかった。

 なのに逃げる素振りも見せず、騎士はカルデアの皆へと近づいて行った。

 

「しぶといな。デュランダルで浄化した方が確実か……?」

 

「待って。エミヤ、取り敢えず始末はまだ良いわ」

 

 聖剣を投影しようとしたエミヤを止め、所長はその死に損ないと対峙した。吸血鬼特有の回復力で肉体が治ろうと作用しているが、ローゲリウスの車輪に宿る怨念と、高次元暗黒より飛来した未知のエネルギーが復元を阻害していた。

 

「なんだテメェらは、宣戦布告もなく皆殺しとは礼儀がなってねぇよなぁ!!」

 

「うん、そうね。余り興味なかったから。それで、なんで態々此処まで殺されに来たの?」

 

「そりゃおめー……アレさ。捕虜、助けに来たんだろ?」

 

「―――さぁ?

 私は別に、貴方のような屑を消したかっただけだけど」

 

「けどぉ……―――ザァンネェェン!

 俺達がワイン樽にした人間肉どもはよぉ……ひゃっひゃっは。もう人間じゃーねぇーんだよぉ!!」

 

「ふーん……?」

 

「手足引き千切ったら人間は普通死ぬからな、当たり前だろーがよ。だったら吸血鬼にすれば頑丈なワインの原材料になるって訳さ!!

 そして、俺らの玩具ちゃんに竜血は吸わせてねぇ。日が当たれば死んじまう……って、ことは?」

 

「ヴー……ぁぁ、あああー」

 

「親である俺らが死ねば、此処のカワイ子ちゃんは白痴の亡者になってしまうってことさ。お前らがこいつらを最後の最期でこうしたのさ!!

 人殺しの人でなしィィイイイイヒャッハハははははははハハハハハハ!!!??」

 

 ここの人間は吸血鬼だが、力を親に奪い取られている即席の吸血鬼だった。支配権を持つ親が死ねば、その意識は亡者と等しい白痴となる。故にマシュが聞いたあの言葉は、この者らの最期の意識が空間に塗りたくった残留思念の叫びで在った。強引に吸血鬼にされて、意識を保ったまま達磨にされて、その最期に願ったのが―――殺して欲しい、と言う望み。

 マシュは、眼前の吸血鬼の騎士が発した言葉でこの地獄を啓蒙してしまった。

 

「アァァアアアアアアアアアアアア!!」

 

 生まれて初めて、彼女は我を忘れる程の憤怒を覚えた。一切の手加減なく、カルデアの兵器である自分の義手で殴り飛ばした。

 

「ブゲェラァ!!」

 

「―――ハァ……はぁ、はぁ、はぁはぁ!!

 こんな、なんで貴方達はこんなことが出来るんですかぁ!?」

 

「……げひゃ、ヒヒヒ、ヒャッハッハハハははははは!

 良いパンチだったぜ、嬢ちゃん。褒美に教えてやろう。俺ら竜血騎士団である理由、我らが魔女に従う理由ねぇ―――愉しいからだが」

 

「……え―――?」

 

「他の騎士は知らねぇがよぉ……オレは、バケモンになる前から人を殺して生きて来た。傭兵で、怪我して傭兵崩れになって、盗賊や野盗なんてのもしてたからな。殺して殺して、人間の命を飯に換えて生きて来た。それ以外の生き方なんて知りやしねぇぜ。

 …………んで、目出度く牢屋入り。

 そんなどうしようもない俺を、魔女様達は救って下さったのさ!!

 ならばさ、どうせならさ、殺すしかないだろーがよぉ……女は犯してから殺してさぁ……男からは金品奪い取ってから皆殺しだ!!」

 

「ふざ、ふざけないで―――ふさけないで下さい……!!」

 

「あっひゃっひゃははははははは!!

 こちとら真面目に人間らしく人間してた事なんて一度もねぇってば!!?」

 

 殺すしかない。こんな生き物は殺すしかない。そう分かっているのに、マシュは止めの一撃を出そうとして、なのにどうしても殺せなかった。

 無抵抗の相手を―――殺すのか?

 震える義手を銃口に変えて、照準を定めて、後は魔力を流すだけ。そうすれば、このおぞましいナニカはこの世から消え去るだろう。なのに、マシュはどうしても眼前の化け物に殺意を抱けなかった。先程までは敵として騎士達を殺せた筈なのに、人喰いの化け物の筈なのに、眼前の“コレ”さえもマシュは人間なのだと思ってしまった。

 

「良いんだ、もう良いんだ。マシュが殺すことはない」

 

 藤丸は、そっと彼女の左肩に手を置いた。憤怒で震える体は自然と収まり、マシュは普段通りとはいかないが冷静さを取り戻した―――直後、発砲音。

 

「成る程。この特異点って、そう言う世界なのね」

 

 一瞬の早抜きで吸血鬼を始末した。脳漿を吹き飛ばし、頭部を消滅させた。その後、所長はそんな呟きを漏らし、胡乱気な瞳で人間だった“亡者”を流し見た。

 

「エミヤ、良いかしら……?」

 

「構わん。仕事だ。一番適任なのが私であると言うことだけさ」

 

「ごめんね」

 

「そうか。だがまぁ、気にするな。慣れている」

 

 夫婦剣である干将と莫耶を幾つも投影。数にして二十近いそれをエミヤは部屋に壁や床に突き立て、その後にまるで記憶に刻み込むように犠牲者達を見詰めた。

 助かる者は一人もいない。彼にとって何時もの事だ。

 そして、自分以外の誰かにさせるつもりもなかった。

 オルガマリーも同じことは出来るだろうが、より安らかに終わらせるのは自分の方。

 

「ロマニ、外の状況は?」

 

『異常なし。問題ありません』

 

「そう……じゃあ、マシュと藤丸は行くわよ。隻狼、警戒お願い」

 

「御意」

 

 歩き進む所長は背中を見せ、そのまま地上へと上がって行った。忍びはもう姿は無く、藤丸には何処に居るのか全く分からない。

 

「行こうか、マシュ」

 

「はい。先輩………」

 

 最後に振り返るも、現実は何も変わらなかった。藤丸は記憶に焼けつけ、マシュもまた全て記録した。二人は地上に出るも、相変わらず人肉の焼けた臭いが溢れている。焼けた死体が転がる広場にて、所長と忍びを発見する。気が滅入る臭いと光景が精神を削り、発狂した方が気は楽になるが、だが歩みだけは確かにした。

 所長に声を掛けようとした瞬間―――爆発音。

 茫然と燃え上がる家屋へと振り返る。エミヤは普段とは違って皮肉気な笑みを浮かべず、何の感情も浮かんでいない鉄の貌だった。

 

「さて、情報収集は終わったわ。まずはヴォークルールに向かいましょう。近場の都市に、多分何かがある筈よ」

 

 そうして所長は道標を作り出す。歩みを止めることなく、カルデアは特異点探索を続行しなくてはならない。

 オルガマリー・アニムスフィアは狩りの為、一切迷うことなく突き進むのみであった。













 読んで頂きありがとうございました。
 キングダムハーツのDLCが来ましたね。やると謎が解けると思いましたが、予想通りもっと謎が増えました。キンハⅢが楽しみだったように、次回作も楽しみです。
 そして、アマゾネス。どのサーヴァントがどの娯楽施設に入り浸るのか、それが分かって面白かったです。
 





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啓蒙15:邪竜が巣食う地獄

 感想、評価、誤字報告、お気に入り、ありがとうございました。そして、またこの物語を読んで頂きありがとうございます。


 オルレアンに立てられた要塞。パリを陥落させ、全てを焼き払い、新たなるフランス王権を獲得した魔女の王は、其処にて如何にこの国家を殺戮するか思案する本拠地としていた。そして、其処は竜の魔女と呼ばれる所以である大いなる巨竜も居座っていた。

 ―――闇喰らいファブニール。

 最初の火を貪った灰は、輪廻を繰り返すことで同一の霊魂(ソウル)を幾つも保有している。記録と記憶と思い出があの世界におけるソウルを形造り、それを使うことさえ出来れば、その龍に等しき竜へと深淵の闇を追放者の錬成炉によって融合させられている。

 嘗ての神代、主神オーディンさえ生け捕りにした強大なる魔術師の成れの果て。悪竜現象の始まりは、果たして誰からだったのか。しかし、そう在れかしと望まれたファブニールは、人を喰らう悪竜として魔女に召喚された。

 ならば、従うまで。竜となった魔術師である妖精は、もはや魂までも悪竜となってしまった。

 故に自分の黒い炎で滅ぼしたフランスなど知らぬ。だが、あの魔女の憎悪が尽き果てるまでは、この復讐劇を協力するのも一興だろう。

 あの魔女もまた―――そう在れかし、と誰かに望まれた哀れなる落とし仔に他らなぬ。

 無尽蔵の悪意を心から湧き出す存在など夢見もせず、しかしファブニールはいずれこのまま悪竜現象となるしかない火の落とし仔を見届ける権利があった。

 

「我らのジャンヌ、私としたことが―――……すみませぬ」

 

「あら、ジル。どうしたのよ?」

 

「逃げましたジャンヌを追い、予想した行き先である故郷のドン・レミ村に派遣した竜血騎士部隊でありましたが……どうやら、虐殺を行なったようです」

 

「ふぅーん。で、結果的にどうなったの?」

 

「………お怒りにならないので?」

 

「―――……はぁ? 

 いや、それこそ何でよ?

 もしかして、それってアレかしら……私が生前の家族に手を出されたから、竜血騎士共に悪意と憎悪を持つかもしれないって、そんな事をジルは考えていたのかしら?」

 

「えぇ、はい。私としましてジャンヌは――――」

 

「―――馬鹿馬鹿しい!

 ねぇ良いかしら、そんな妄言は二度と吐かないように。甘ちゃんだった生前ならば兎も角、私はもう死者が更に狂った成れの果てなの。

 この世に感傷なんてしないわ。血が繋がってる程度の家族だなんて、今となっては唯のフランス人じゃない」

 

「おぉ……!! でしたら、えぇえぇ……それでしたら、結果報告をだけ。端的に言えば、ジャンヌ・ダルクは居ませんでした」

 

「でしょうね。あの聖女様が何で脱走したのか知らないけど、危険を冒して家族の元に戻るだなんて人間らしい事は……まぁ、感傷的に思うことはあっても、そんな馬鹿な真似はしないでしょう。

 こっちが人質を考えない何て思う程、そこまでの天然じゃないのは事実よ。戦略は兎も角、そもそも戦術方面は野生の天才児ですものね」

 

「全く以ってその通りですとも。我らをお導きして頂いたジャンヌ・ダルクは戦争の天才でありました……おぉ、正しく勝利の旗に相応しき聖なる戦乙女!!

 ……おっと、これは失敬。脱線してしまいましたな。

 殺すついでに騎士団は村を焼き払い、逃げ遅れた村人を玩具にして陵辱したようですが、それでもドン・レミ村に彼女が現れることはありませんでした。単純に、あの地域には行っていないと考えてよいでしょう。しかし、捜索範囲を絞っていけば、このオルレアンからドン・レミ村の方面に向かっている筈なのは事実でありましょう」

 

「陵辱ねぇ……―――フン。薄汚い傭兵と罪人の吸血鬼騎士団に相応しい所業ですわね」

 

 復讐に燃えるジャンヌにとって記憶に纏わり付く忌まわしい現実。あの腐った異端審問官共に犯された思い出は薪となり、繰り返された拷問は炉となり、火刑に処された末路は火となった。

 処女を奪われた嫌悪。

 何度も穢された恥辱。

 爪を剥がされた苦悶。

 皮膚を取られた激痛。

 目玉を焼かれた絶叫。

 髪を落とされた悲嘆。

 長針で貫かれた苦痛。

 肉を焦がされた悲痛。

 股を玩弄された殺意。

 茨鞭で弄ばれた憎悪。

 焼かれ殺された絶望。

 あの一ヶ月間は、そんな拷問と陵辱が普遍的な日常でしかなかった。焼き殺された死後の自分が黒くなるには充分な地獄。

 だから、殺すのだ。殺さないといけない。誰も彼も、もう何が憎いのか分からなくなるまで全て何もかも殺し尽くさないと気が済まない。殺意で以て悪意を為そう。憎悪を願うなら、殺戮を望まねばならない。正義を捨て、信仰を捨て、愛情を捨て、友情を捨て、信義を捨て、信頼を捨て、良心を捨て、暗い炎へ人間性を捨てよ。絶望に人間性を捧げよ。黒く、暗く、深く、我を淵に沈めて憎悪に踊れ。復讐を謳え。怨讐を喜べ。喝采を上げ、死の道を凱歌せよ。

 ―――胸の奥から魂を焼く怨讐の炎。

 女として、人として、尊厳全てを陵辱された憎しみに底は無し。

 聖女などと祀り上げられる前の、家族との思い出なんて既に燃え殻と成り果てた。召喚された身である故に、記録情報として魂が覚えているだけで、そんな人間性に今は価値を見出せない。

 

「……お嫌いでしたら、我らが配下であるヴラド騎士団長に処断させますが?」

 

 そんな暗い魂を持つ少女の憎悪をジル・ド・レェは嬉しく思いつつ、だがそれでも彼女が嫌がるならば竜血騎士団による無秩序な暴虐に歯止めを掛ける事を一切何も厭わなかった。

 

「別に良いわよ。戦争なんてそんなモンでしょ。女は人生を犯されて、男は尊厳を潰される。今更この世の作法にケチを付ける気にもなりはしない」

 

「成る程、それで宜しいかと。でしたら、捜索はこのまま続行しても?」

 

「構いません。だって貴方―――好きなんでしょ、その女」

 

 啓示によって悟っている事実。しかし、そんな問いをした所でジル・ド・レェから返って来る答えなどジャンヌは分かり切っていた。嘘は吐かぬが、全てを語る事はない。

 そんな都合の良い誤魔化しを喋るに決まっていると理解し、だがそうジルが答える事もまた彼女は望んでいた。

 

「―――ジャンヌ……いえ、いいえ。誓ってそのような事は。

 私はただ、彼女に光を見出したまで。しかし、今となってはもう悪夢の淵に沈みました故」

 

 望み通りの言葉を聞き、ジャンヌは満足はしないが安堵する。

 

「そうでしょうね……まぁ、じゃなければ、貴方が私を求める事もないのも事実ですからね」

 

 英霊ジャンヌ・ダルクが狂い廻った存在。それが今の自分であるルーラーのサーヴァント、ジャンヌ・ダルク。救う為に戦った筈の祖国フランスを全て憎み尽くす竜の魔女こそ、自分自身。

 聖女など偽りだ。何もかも分かっていた。

 ジャンヌ・ダルクは――――焦がした身を焼き尽くす憎悪に狂っても、英霊として良いのだと。

 

「その通りですとも……ッ――――!

 ならば、あぁならばこそ、是非とも私目にお願い致します。この狂った従僕(ケモノ)の一匹に、貴女が願う命令をお聞かせ下さいませ」

 

「私の願いは一つです。フランスに死を。ただただ、この我らが祖国に死を。一切合切、全て何もかも、我らの黒い炎で焼き包んでしまえば良いのです。

 ―――殺せ。

 人間共を殺し尽くしなさい。

 このジャンヌ・ダルクが抱く復讐に、このフランスを捧げるのです」

 

「はい、はいィ―――………はいぃぃいぃい!!

 しからば、この国に死を。情け容赦のない死を下しましょうぞ!!」

 

「でしたら、今日は子供狩り(アタランテ)を重点的に使わせなさい。彼女と一緒に人間をプチプチと殺しに行った際、人の子が狩り足りないと嘆いていましたから。

 ふふふ……―――本当に、あの娘ったら子供が大好きなんですからね。

 我らに反抗する野良犬畜生共(サーヴァント)を追い込むよりも、大好きな子供を狩り殺させた方が殺戮に励む事でしょう」

 

「あぁ、それは素晴しいでしょうな。確かにあれによる殺戮は、実に素晴しき世界でした。

 あの哀れな狩人はとてもとても、我らが召喚したどんなサーヴァントよりも虐殺がとても巧い女でしたからなぁ……」

 

 何気ない日常が流れる街。代り映えのない平和な世界。

 善き人生を送る人々へ直後―――突如として街に降る矢の雨。

 サーヴァントにとって一本の矢に過ぎない宝具の攻撃も、人間からすれば致命傷を超えて生命が一瞬で停止する。宝具で降らす鏃嵐で纏めて殺す事に長けた狩人は、更に街から誰も逃がさず射殺す狩人であった。人間である時点で、女狩人の狙撃から逃れる事など不可能だ。 

 眼前で行き成り自分の子供の頭が破裂した親。

 自分の親の内臓塗れになって茫然とする子供。

 夫の上半身が突如消えて声も上げられない女。

 愛しい妻の首から出る流血を全身に浴びた男。

 両親を、子供を、伴侶を、兄弟を、姉妹を、理不尽にあっさりと失う地獄。そして、そんな現実を味わった直後に自分も鏃に穿たれて死ぬ理不尽。

 ヴラド三世の串刺し劇場も存分に愉しかったが、アタランテの集落狩りはジルにとって最高のエンターテインメントであった。このフランスにて最も理不尽な殺戮を行ったサーヴァントならば、我らのジャンヌの憎悪を癒すだろうと元帥は歓喜した。

 

「……まぁ、でも、貴方があの子供狩りを何処かに遣わせたいのでしたら、私も今日は違うのを連れて行こうかと思っていますけど」

 

「えぇ、えぇ、構いませんとも。存分に、あの狩人と復讐をお愉しみ下さいませ」

 

 サーヴァントが堅牢に守護する街を、アタランテを使って遠距離から街を絨毯爆撃しようとジルは考えていたが、その予定をあっさりと変更する。街を守ろうとする自分達サーヴァントを無視し、為す術もなく守るべき市民を一方的に外側から殺し尽くされるあの英霊達の表情がジルは大好きであったが、ジャンヌが行う殺戮と比べる事など出来やしない。

 今日は、嫌がらせで数百人を殺す程度で良いでしょう。

 そう結論を下した元帥は自分達の陣営に歯向かう愚か者共を追い殺す戦略も計算し、今もずっと練り込んでいた。

 

「ではジャンヌ、私はこれにて。今日もまた良き日を―――我らのフランスに」

 

「えぇ、勿論です。皆で仲良く、良い日に致しましょう―――このフランスで」

 

 それはカルデアがフランスに訪れる一日前のこと。当たり前な報復の日常を送っていたジャンヌ・ダルクは、しかしその日を境にして敵がこの世界に来た事を感じ取った。

 時は来た―――自分を殺しに、世界を救わんと奴らが来た。

 ルーラーであるジャンヌ・ダルクは敵を肌で感じ取る。気配を隠しているので分かり難いが、どの地方に居るか程度は把握可能。

 ならばまずは、手下を集合させなくては。そしてジャンヌ・ダルクは油断しない。相手を傲慢に見下すが、基礎的な戦略を疎かには絶対にしない。数を揃えて叩き潰すべく、焦げ焼けた魔女は奴らカルデアを誘き出す為の餌として、あの位置に存在する“都市”を焼き払うことに決めたのであった。

 だから――――何も変わらない。

 特異点を滅ぼす使者が遣わされたのだとしても、二人は何も変わらず怨讐を謳うだけ。

 皆殺しの為に祖国で屍を積み重ねなければならないのならば、やはり怨念は晴れぬ。

 何もかもを失う為にあらゆる人間から生命と尊厳を奪い取り、それは怨霊と果て死ぬ。

 生前は過去となり、記憶は遠い前世となり、悪逆を為した末に元帥は怨嗟の鬼となる。

 あぁ、と狂ったキャスターは溜め息を吐かない日はなかった。それは願った筈の変わることのない殺戮の日々。祖国フランスを救われて欲しかった筈のジャンヌと共に思う儘に焼き焦がす虐殺の日々。

 さぁ、と狂えなかった元帥は何時も通りに従僕共へ死を為せと号令する。彼女を陵辱したブリテンをフランスから逃さず鏖にしても、死んだ末に宿った深い憎しみは晴れず、生きた末に諦めた沈む希望はまだ見えない。

 まだまだ殺し足りない……と、男はそう思う。

 あれだけ自分の手で殺したと言うのに、サーヴァントを召喚して殺戮を命じてさえ殺し足りぬ。自分と共に復讐を狂い願って求め続ける聖女の為ならば、一人殺そうが百人殺そうが変わりなく、殺した数の多寡など価値がない。

 フランスに、死を。

 我が祖国に、死を。

 その意志は決して色褪せず、同時に衰えず、間違えない。

 

「―――ジル。留守をお願い。

 ちょっと皆を連れて、あの人達へご挨拶に行ってきますわ」

 

「えぇ、ジャンヌ。短くとも、どうか貴女に良き旅を」

 

 何時も通り、そんな日課を繰り返す。例え復讐の旅が今日この日に潰えるのだとしても、ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レェはフランスと人の命を嗤いながら焼き払うのだろう。召喚した英霊共の尊厳を嘲りながら突き進むのだろう。

 火の無い灰はただただそんな魔女と元帥を見て、この特異点(カイガ)が燃える様を愉しんでいた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 ヴォークルール到着後、直ぐに所長は皆を解散させた。念の為、暗殺を警戒して藤丸はマシュと忍びの警護を連れさせている。エミヤと所長は暗殺程度戦力的にはどうとでもなるが、一番コミュニケーション的戦力となるのは藤丸なのかもしれない。

 よって、この班分けを所長は行った。どうもエミヤは単独行動に長けていると彼女は判断し、自分なら相手から情報を聞き出すなど話術でも魔術でも問題ないと考えて行動した。

 

「じゃあ、結果報告の纏めといきましょう。皆が集めた情報を統括しますので、ロマニは良く聞いておくように。

 ……特に藤丸、戦場だと情報が命綱です。

 聞き逃したり、分かり難かったら、ちゃんと誰にでも良いから聞き直しなさいね。よって、その場での質問も許可します。それと後はロマニがちゃんと情報を簡潔にしてるから、情報をもう一度知りたい場合は、出来ればロマニに聞くのが一番だからね」

 

「分かりました、所長!」

 

『プレッシャーだなぁ……でも、仕事はきっちりこなすさ』

 

「フォウ」

 

「はい、良い返事ね。では始めます。けれどフォウ、貴方は情報収集の役に立たなかったので、マシュとセット扱いとしてます。

 マスコットでしかなかった貴方は、マシュにとても感謝するように」

 

「フォフォウ!?」

 

 ドン・レミ村と同じく、襲撃されたのか既に半壊状態になっているヴォークルールに憩いの場などないが、人が死んだと言う事は余所者が屯出来る空白地帯があると言うこと。そんな建物の影となって目立たない場所で、所長はカルデアの皆が共有すべき特異点における異常事態を脳内で簡単に纏めて話し始めた。

 

「まず第一の異常事態ですが、聖女ジャンヌ・ダルクの生存です。今の西暦1431年、彼女は戦争相手のイギリスに捕虜とされ、異端審問によって火刑に処されている筈です。

 ……しかし、どうやらこの特異点の彼女はそうならなかったとか。

 挙げ句、そのジャンヌ・ダルクは竜を使役し、竜の魔女と呼称されている話です。そして彼女はフランスの都市を占拠するイギリス軍を殲滅し、国外に一人も逃さず皆殺しにしたそうです。海に逃げたイギリスの船もいたそうですが、ドラゴン相手じゃ逃げるのは無理でしょうね。噂では巨大海獣によって戦艦全てが踊り喰いされたものもあるそうです」

 

「その所長……ドラゴンは雰囲気的に分かりますけど、巨大海獣って何ですか?」

 

「それは分からないわね。けれど、通常の生態系の生き物じゃない事は事実です。後に敵となる可能性もありますので、頭には入れておくように。

 まぁ、触手が生えていたとは聞きましたので、有名どころならばクラーケンでしょう」

 

 触手生命体、要研究対象。聞いた時は忘れずに細胞を採取しておこうと所長は思ったが、その邪悪な好奇心を一切外へ洩らさなかった。完璧な腹芸だった。しかし、どんな触手が飛び出て来るのか、想像するだけで所長は脳髄がヌルヌルし始める。意味も無く耳と目と鼻と口から血液が流れそうな程に昂奮するも、鉄の意志で狂気を頭蓋骨の内側に抑え込む。

 愚かな好奇は死を前にしても決して消えぬ。

 何よりも白痴の脳でなければ、より良い新たな啓蒙によって思考の瞳を得られぬ。

 

“ふぅ……啓蒙、触手、ぬるぬる。鉄棒ぬらぬら―――Ooh,Majestic!!”

 

 特に意味も無く日本文化好きなのもある所為か、古い文献であるヌラヌラな春画を思い出しつつも、所長は画狂老人卍がもしカルデアに召喚されたら蛸の絵画を描いて貰おうと言う密かな野望が甦った。

 

「はい」

 

「宜しい。では続きです」

 

 藤丸の返答を聞いて彼女はハッとし、だが態度は普段と変わらず会話を続けた。

 

「それで確定した訳ではないですが、噂だとブリテンから来た侵略者に囚われたジャンヌ・ダルクは悪魔に魂を売ったと言われてるの。その悪魔から更に力を与えられ、竜の軍勢を呼び出し、あの竜血騎士団を結成したとか。それによってフランスからイギリスを追い出した後、更にパリを陥落させて王侯貴族を虐殺した末、新たなる王権をオルレアンで宣告したようです。

 よってこの度の敵は―――竜の魔女ジャンヌ・ダルク。

 また私達が取り戻す歴史に対してね、そこからの最大分岐としてはジャンヌ・ダルクの有無でしょう。

 そもそも火刑に処された筈の聖女が生きている事こそ特異な状況。なので第一目的は単純明快、この時間を狂わせる竜の魔女……まぁ、噂が正しければジャンヌ・ダルクの消滅となります。

 また拾った情報から予想されるけど、第一特異点ではこの魔女と敵対するサーヴァントも召喚されているみたいです。出来れば彼らと合流し、竜を使役するジャンヌ打倒の共同戦線を同盟させましょう」

 

「所長、噂が正しければってどういうことですか?」

 

 浮かんだ一つの疑問。藤丸は素直にそれを所長へと聞いた。

 

「まぁ……ぶっちゃけ、私の勘なんですけど―――多分、聖女じゃないわね」

 

「どう言うことでしょうか、所長?」

 

「そうね。それに質疑に応答する為に、ちょっとこっちから質問。マシュ、貴女は歴史の事実からジャンヌ・ダルクをどう感じた?」

 

「どう……と、言われましても。そうですね、神様の言葉を聞いて、救国の為に戦った英雄でしょうか」

 

「その通り。そして、それによってフランスは救われ、今の私達の人類史が存在します。イギリスによってフランスが滅びるのは人理にとって痛手であり、だからこそフランスが滅びるこの特異点は人理焼却の要の一つとなっている訳です。今の未来に生きる私達が観測する結果として、イギリスの占領を一人の少女が抑止したのよね。

 つまりは―――抑止力。

 我々の人類史はね、滅びると人理が崩れそうな何かがある場合、ご都合主義的に守護する流れがあるのよ。今の社会を作り出すのに、フランスって国がないとフランス革命は有り得ないし、人権も生まれず、王権も打倒されず、文明進化を促す大衆社会の起爆剤とはならないでしょう。

 人理が人類史に求めるのは、より良く発展する為に全滅しない程度の理想的な苦難に満ち、その上で文明を今よりも優れた状態に形成すること。まぁこれは私の所感に過ぎないんだけど、言うなれば我ら全人類が無意識的に選択した未来の総決算。

 分かり易く言うなら、それは世界の運命とも言えるわね。

 どんな形の滅びであれ、我々はそれを回避する選択を過去の段階で進まないといけません」

 

「なるほど……で、それがどうして聖女じゃないってことになるんですか?」

 

「こう言う場合の抑止力ってね、無色の力が個人を後押しするのよ。それでアラヤの視点から用済みになれば、丁度良いタイミングで見放されると私は考えてるの。

 ……その聖女が特異点の元凶になるとなれば、恐らくは誰かが手を施したのよ。

 特異点化は内的要因ではないわ。何者かによる外的要因によって起こされた地獄でしょう。その竜の魔女が本人であったとしても、そう行動する様に唆したこの時代の者ではない誰かが黒幕となります。あるいは、ジャンヌ・ダルクを騙るその者が黒幕って言う場合もあるでしょうね」

 

「でしたら、私たちはその分からない誰かを見付けだし、倒さないといけない訳ですね」

 

「そう言うことね。だからマシュ、まずは情報を得た上で正誤を曇り無き(まなこ)で見定め、その魔女の正体を探って行くことが大切ね。

 基本、情報を疑わなくなると情報戦で死ぬと思いなさい。

 竜の魔女ジャンヌ・ダルクと呼ばれる何者かが存在するのは確かであり、けれども竜の魔女は何なのかはまだ判断出来ない状況です」

 

『曇り無き眼……ぶふー。あの所長が、曇り無きって、んふふふ―――』

 

 何とかタタラ場のボスみたいに笑うのだけは堪えるロマニであった。

 

「ロマニ、貴方って残業好き?」

 

『嫌いです無理ですすみませんでしたぁ!!』

 

「宜しい……―――全く、私ほど澄み切った瞳の持ち主はいないと言うのに」

 

「そうですね、所長の目はとても綺麗です!」

 

「ありがとう、マシュ。今度、一緒にロマニのヘソクリを食べてしまいましょうね」

 

「はい!」

 

『そんな……―――エミヤに作って貰ったボクの大事なおはぎが!』

 

「…………すまぬ、浪漫殿」

 

 ずっと黙っていた忍びが急に喋り、そしてそんな言葉にロマニは嫌な予感しかしなかった。

 

『待って、ちょっと待って。なんでそこで狼君が謝るのかな?』

 

「美味かった………エミヤ殿、感謝を」

 

「そうか。私としても、君の口に合ったようで何よりだ」

 

『う、嘘だ……嘘だ。ボクのエミヤお手製OHAGIが!?』

 

『残念、ロマニ。けれど、これが現実さ!』

 

 管制室。そこでグッと親指を立てる顧問に、ロマニはげんなりとした表情を浮かべた。

 

『レオナルド、君は本当に黙っていれさえすれば美女だよね。残念美人だよね』

 

『おいおい、こんな超世界級の美女を残念なんて思うとはね。もしかして、私よりも綺麗な女性と思える人でもいるのかい、ニヤニヤ?』

 

『はいー終了。無駄話終了……―――で、所長?』

 

「ん、なーに?」

 

 フとマシュはロマニが指輪をしていた姿を思い出したので、もしかしたら存在しているかもしれない幻の奥さんの事でダ・ヴィンチちゃんが揶揄しているのだろうと考えた。しかし、今はその話題を出さないでおく。彼女は雰囲気から何気なく空気を読み取れる眼鏡系女子であった。

 

『所長的には興味あるのは触手の方なんでしょうが―――』

 

「そうだけど。ちょっと、そこまで直接言わないでよ」

 

 まじかー、と思いつつも所長は仕方ないとも判断した。やはりVR訓練で仮想現実化させたクトゥルフ神話TRPGを入れたのは露骨だったかもしれない。どう足掻いても絶望するシナリオが好みなのもあり、マシュの室内遊戯の娯楽相手としても啓蒙高いTRPGを使って遊んだりもしたのもいけなかったのだろう。

 

『―――ま、もう皆に変な趣味も露見しているし良いじゃないですか。それで竜の使役って情報がありましたけど、それって実際はどうなんでしょうかね?

 基督教圏内において、竜は邪悪の象徴(シンボル)

 なので、それを従えるって事は邪悪の親分って雰囲気だ。

 聖女が邪悪のボスで諸悪の根源となる特異点のサーヴァントになるとすれば、彼女はその属性と技能を聖女と対になる魔女へと改竄された可能性が高いと思うんですけど』

 

「正直、可能性が一番高いのはそれでしょうね。生きている聖女を作り変えたのか、あるいは召喚したジャンヌ・ダルクを改造したのか、もしくは反転させて召喚した後に聖杯で能力を付与したのか、それともジャンヌ・ダルクのような何かをサーヴァントとして誰かが妄想して生み出したのか。

 改竄と言っても色々あるけど、雰囲気的にはそんな感じね。

 でも、一番確かなのは竜を使役するって点でしょう。実際に竜が人間を生きたまま踊り食いする光景を見た者も、此処ヴォークルールにいましたし、その人の脳内も覗き見したので事実でした」

 

『うーん……竜種の飛竜、ワイバーンでし―――』

 

『―――アーキマン管制室長代行、三キロ先から大型生物反応多数発見!!』

 

 そして、そんな報告がロマニの通信からも全員に伝わった。

 

『これは……―――反応確認。所長、ドラゴンです!!』

 

 同時に、所長もまた瞳で彼らの邪悪なる意志を感じ取った。

 

「……そう。エミヤ、目視で確認した後、念話での報告と同時に狙撃による迎撃態勢に移りなさい」

 

「了解した」

 

『君は、戦いを選ぶんだね』

 

 既に飛び去ったエミヤを管制室から確認しながらも、技術顧問レオナルド・ダ・ヴィンチはこの特異点に入ってからずっと考えていた疑問が飛び出ていた。

 人理保障継続機関フィニス・カルデア所長―――オルガマリー・アニムスフィア。

 冷徹冷酷な普遍的魔術師の印象から離れた人物像でありながら、根源を求める魔術師を遥かに超えてあらゆる叡智を貪り喰らう知識欲の化身である。それがそれなりに長い付き合いとなるレオナルドにとって、所長に対する人物像。

 人の命に興味などない。世界の行く末に関心はない。効率を考えれば、監視や観察はして情報収集はすれど、余分に自分達が消耗する人助けなどする人間ではない筈。しかし、彼女は顧問の予想に反し、とても良き人間性に寄り添った行動を選択している。敵には一切合切容赦はないが、傍目から見ればそんな好戦的な行動も英雄らしいとも言えた。

 

「駄目かしら、顧問?」

 

『いや、大いに結構さ。私もあの村での戦闘を止めなかったからね、今更と言うヤツだろうし、君の判断は未来を見据えたモノであり、万能の天才である私よりも正しいのだろう。だから、これもまた今更な質問になる。

 所長は―――この街の為、カルデアを危険に晒すのかい?』

 

「まさか。私はカルデアの為に、今こうしてカルデアを危険に晒すのよ」

 

『成る程―――あぁ、そうか。なら、結構。私は私で、存分にサポートさせて頂こうじゃないか』

 

「当然よ。給料分は気張って私達を助けなさい」

 

『宜しい。私も君達カルデアに召喚されたサーヴァント、万能の称号に相応しい仕事をしてみせよう!』

 

 メリットとデメリット。それを天秤に掛け、しかしそれだけでは分からない何かを基準に所長は眼前の道を選択している。顧問にとって所長の効率を度外視したように見える選択こそ、この所長の瞳で見た未来において重要になる道標になるのだろうと僅かな会話で理解した。

 助ける事―――それそのものが、カルデアに利益を齎すのだと。

 同時に、魔術師に過ぎない所長にそうさせる何かが藤丸立香とマシュ・キリエライトが持っているのだと。

 

《―――報告だ。

 こちらからワイバーンの軍勢を確認。またドン・レミ村で交戦した騎士が、そのワイバーンに騎乗しているのも目視した》

 

 指示を下していた所長と、彼のマスターである藤丸はエミヤから報告を得た。エミヤと藤丸はラインを結んでいるが、念の為にと所長もそのラインを魔術で自分と繋げているので、サーヴァントらとマスターは全員が念話で報告し合うことが出来る。無論のこと、エミヤからの報告を忍びとマシュも聞こえていた。

 

「ではこれよりカルデア、飛竜迎撃作戦に移ります。行動開始」

 

「「はい!」」

 

「……御意の儘に」

 

 忍びは一瞬で姿を消し去り、マシュと所長は武器を装着。耐火用に所長は聖杯地底人生活で良く見掛けた古いトゥメル文明時代の狩人姿である骨炭の狩装束に纏い、マシュはあの村でも装着していた新調済みカルデア製全身防護スーツの上から鎧を身に纏った。スーツ設計に口を挟んだ所長は基本的に、戦闘で無意味に素肌を晒すのを許さない人だった。本当ならしっかり頭部も兜で守るようにしたかったが、サーヴァントとして持つ優れた視覚・聴覚・嗅覚を少しでも妨害するなら危険回避に障害があると、所長はマシュに急所は魔力防御スキルで守るよう言いつけていた。

 一人は燃え滓のような骨董品の軽装鎧であり、もう一人は近未来的なSF風鎧姿。

 藤丸は少年時代に良く見ていた仮面ライダーなどの変身バンクシーンを思い出しつつも、あの村のような殺戮が近付いてくるのを恐怖として感じ取っていた。

 

「所長、すみません……」

 

「え。何がよ、藤丸?」

 

 走りながら、彼は所長に謝罪した。何一つ心当たりがない彼女は、装備した仮面兜の髑髏フェイスをきょとんと傾け、見たこともない不可思議な生物を発見した生物学者のように困惑した声で返答する。

 

「俺は何も出来ないけど、それでも今は此処の皆を助けたい。我が儘ですけど、俺は人が死ぬのを見たくないです。カルデアにとって危険なことなのに、所長は俺達や誰かの為に戦ってくれます。

 だから、その……所長がこの街を見捨てないでくれて、ありがとうございます」

 

「あー……まぁ、打算よ、打算。さっきの村や此処で情報を集めた限り、やっぱり特異点に対抗する為にサーヴァントも召喚されていたような噂もあったからね。特異点攻略に必要な協力者を得る為には、やっぱりそれ相応の人格者であると行動で他者に示さないといけないわ。

 なので戦う力があって充分生き残れる状態でこの街を見捨てれば、そのサーヴァントらからもカルデアを見捨てられる可能性が生まれてしまうでしょう?」

 

「成る程。論理的なツンデレ思考ですね。マシュ・キリエライト、勉強になります!」

 

「―――……ツ、ツンデレ?

 ま、まま、まぁ別にそれで良いわ。後、私はそんな安いツンデレ娘じゃないので」

 

「娘?」

 

「凄いわね、藤丸。今度の新作訓練、私の隻狼みたいにロープアクションが凄い考古学者が主人公のヤツにして上げる」

 

「やめて!」

 

「ふふふふふ……―――って、此処がよさそうね」

 

 時間にして数分、目的地の三人は開けた場所へと辿り着いた。まだエミヤは狙撃を始めておらず、そして敵の多さにも気が付いていた。狙撃をしても良いが、まだまだ引き付けてから。街自体の大きさと市民や兵士の多さもあり、今から攻撃開始をしても相手側が遠方で散開すると更に面倒だ。

 そして到着直後、カンカンと幾度も鐘が鳴った。 

 三人は獣の気配を上空から感じていた。巨大な肉食獣に睨まれているような、文明を築こうとも人間が猛獣にとって餌に過ぎないと実感するような、捕食に飢えた幻想種の重厚な存在感。

 

「ワ、ワ……―――飛竜(ワイバーン)だ、飛竜が飛んで来たぞぉ!!

 兵士、男は武器を取れ!!

 女子供は直ぐ隠れろ、焼かれるぞぉぉおお!!?」

 

 高台から街の警戒に兵士の叫び声は響き渡り、他の兵士も一斉に警戒を促す声を雄叫びのように張り上げた。既にドラゴンの集団が空を飛ぶのを視認し、街中が一気に臨戦態勢へと入る。

 刹那―――死が、街を駆け巡った。

 彼らにとって逃れられぬ猟犬が放たれたのだ。

 

「―――赤原猟犬(フルンディング)……!」

 

 エミヤより放たれた宝具。ドン・レミ村でも騎士団を蹂躙した剣は矢となり、騎士を殺した時と何も変わらず血に飢えている。

 狩り、止め、殺し、必要なまで的を死なせる猟犬の牙。

 一匹だけではまるで足りないと、空を飛ぶワイバーンを殺し続けるが―――しかし、相手は低級とは言え竜種。殺す度に魔力を喰らうことで猟犬は飛び続けるも、鏃と化した魔剣の刃は段々と毀れ続ける。通常の宝具であれば、それでも飛び続けるのだろうが、このフルンディングはエミヤによる投影。僅かとは言え、壊れてしまえば現実に押し潰されてしまうのは必然。

 

「……壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)ッ―――!!」

 

 ならば、とより有意義に使い潰すのがこの弓兵(アーチャー)に他ならない。まだ散開しない内に、なるべく多くのワイバーンを纏めて爆殺可能なタイミングで宝具が破裂した。

 だが、それをエミヤは良策であると同時に悪手でもあると分かっていた。

 より多く殺すことを考えれば実に効率的だが、空中で纏まって飛行していた飛竜騎乗兵(ドラグーン)は散開し、街を焼き払う為に各々が小規模部隊となって行動を開始した。

 

「ヒャッハッハハハハハハ!!

 敵だ、敵だ、敵だ。この街にゃ雑魚市民だけじゃなくて敵が居るぜぇ……―――我ら竜血騎士団、これよりヴォークルール最終殲滅作戦に入る。

 歩兵虐殺隊―――投下せよ!

 魔術鏖殺隊と弓兵射殺隊はワイバーンより援護し、ただただ人間共を狩り殺せ!」

 

 この竜血騎士団の部隊長が街の隅々にまで届く声で叫び声を上げた。人間では有り得ない声量であり、恐らくは魔術によって声が拡張されていたのだろうが、元々が人間の領域ではない雄叫びでもあった。しかし、この部隊全ての竜血騎士は一人一人がラインが結ばれ、本当は部隊長の命令を声として聞く必要などなかった。

 これは―――宣告だった。

 処刑台に置かれた死刑囚を殺す為、処刑人に殺せと命ずる執行官の言葉であった。

 

「ク―――流石は、殺戮に浮かれた人でなしといった所か……」

 

 既に全騎士がエミヤの狙撃地点を把握し、飛竜と騎士が一体となって弓矢に対応を始めた。音速の領域で戦闘行動が可能な化け物が吸血鬼であり、それはワイバーンも同じである。流石に音の速度で高速飛行することは出来ないが、音速を遥かに超えるエミヤの狙撃を、あろうことか吸血鬼と飛竜は“視”認して対処をし始める。

 だが―――それを射殺してこその弓兵(アーチャー)英霊(サーヴァント)。 

 速度を見切られようとも、相手の動きを見切り、先読みし、まるで空間に置くように矢を射出。問題なくエミヤは射殺し続けるも、殲滅スピードを上げるには投影宝具の真名解放と壊れた幻想を使わざるを得ない。しかし、既にその手段は封じられた。

 敵はもはや、この街に取り付いた。

 市民や兵士ごと纏めて殺せれば何ら問題はないが、その手段を今は自重する。元より、街の気配から市民が脱出しようとする流れを高台から千里眼で読み取れた。ならば、まずは一人でも多く敵を殺し、一人でも多く殺される無辜の民を減らす為に尽力するべきだ。

 

「あひゃあ、うへぇひゃあ、とってもとっても最高だぁ!

 人は焼かれると塵になるぅ……だから、地面を這う人間連中(ムシケラ)は浄化しまぁす――――!」

 

 エミヤの狙撃から漏れ出た竜血騎士は血を吸って契約を結んだ飛竜を操り、竜の息吹によって巨大な火の玉を吐き出させた。

 ゴバァ、と言う轟音。

 鐘を鳴らしていた兵士を高台ごと吹き飛ばし、更に街中へ火炎があちらこちらへと放射され始めた。

 

「この瞬間だよ、この一瞬だよ、最高に生きてるって気がするんだぜぇヒャッヒャヒャー!!」

 

 そして、ワイバーンから騎士達が投下。と言うよりも自分から投身する。上空数十メートルはあるが、騎士は人間を超えた吸血鬼。鎧を身に纏っていようとも、まるで魔術にでも掛っているかのように着地。勿論、そのまま地面に大人しく竜血騎士が着地などする訳もなく、自分の落下地点に居た市民や兵士を下敷きにし、剣や槍で殺しながら街へと強襲した。

 ……一人一殺の街への落下突入。

 生き生きとした笑い声と共に、吸血鬼はヴォークルールの鏖殺を愉しみ始めた。

 

「ぎぃやあああああああああ!」

 

「うわぁあああああああああ!」

 

「た、助け……助けて神様ぁ!」

 

 だが敵は騎士だけではない。竜血騎士団は飛竜に騎乗する幻想の竜騎兵(ドラグーン)であり、彼らの相棒であるワイバーンもまた人間の血肉を咀嚼するべく殺戮へ参加する。そして飛竜を操って街の上空を飛ぶドラグーンと、街を人を殺しながら走る騎士は、正に地獄の光景。

 

「……――――」

 

 忍びにとって、そんな地獄も見慣れていた。人間が人間を燃やすのに、炎が舞い上がるのは戦国の常。彼は無言のままサーヴァントの脚力で以って上空へ飛び上がり、ドラグーンが操る高速旋回中の飛竜へと忍義手から伸びる鉤縄を引っ掛け、そのまま一気にワイバーンに飛び乗った。

 瞬間―――身を捻った回転斬り。

 ワイバーンに騎乗していた竜血騎士を斜めに斬り裂き、その上で頭から地面に落とした。忍びが確認するまでもなく、まるで柘榴が潰れたように血液と脳漿が飛び散った。

 

「―――操り、頂く」

 

 よって、狼は無防備なワイバーンの頭蓋骨に楔丸を串刺した。更にそれによって風穴が空いた脳部へと指を突き刺し、忍殺したことでこの世から散る命に仮初の生命を与えた。

 忍殺忍術―――傀儡の術。亡霊の猿から隻狼が見出した忍びの業。

 人間さえも容易く操作する一種の死霊術。相手が獣であれば尚の事、忍びは殺しの業を移し易い。

 

「グオォオオオオオ!!」

 

「………」

 

 そのまま忍びはワイバーンを操り、空へと上がった。だが既にエミヤが陣取っていた高台は息吹の砲火によって爆散して別陣地に移動中の為、狙撃による制空権は一時的に全て竜血騎士団が握っている。また戦場に溢れた死者の残留思念は業であり、忍びにとって忍術の糧となる力であり、薄井育ちの狼はそれを形代として認識。サーヴァントとして保有する魔力を温存し、尚且つ忍殺忍術で使用した形代をこの地獄から吸収する。

 ならば、やるべき事は一つ。忍びが空中を支配すれば良いだけのこと。

 忍びは自分が忍術で操作するワイバーンに火炎を放たせ、飛竜に乗るドラグーンを遠距離爆撃。瞬間、他のドラグーンも敵が自分達竜血騎士団の飛竜に乗り込んだのを悟るも、だが暴れるワイバーンにはもう忍びの姿無し。

 

「何だ何だ、敵は何なんだぁ!!?」

 

「あっひゃひゃひゃっはー!!」

 

「あのワイバーンが吸血鬼を喰い始めたぞぉ!!」

 

「なにそれ面白、あいつ生きたままマルカジリにされてんぞ!!」

 

「ぎぃやぁああああああああ!!」

 

 ―――上空の阿鼻叫喚。

 その更なる空の上、忍びは落下してまた竜血騎士を忍殺。そして、そのままワイバーンを忍殺し、傀儡の術によって支配下に置く。戦場に溢れ出した形代をその度に遠くから自分の元へ吸い寄せ、所長から供給される魔力を消費することなくワイバーンを自分の死体人形へと作り変えて行った。

 そして、その操ったワイバーンの尻尾へと乗り、自分を上空へ振り飛ばす様に指示した。直後、また忍びは竜血騎士と飛竜の視界から消え、次なる傀儡化する獲物を狙うべく落下忍殺を強行した。

 

「流石はあの所長が契約するサーヴァントと言った所か。

 私では真似出来ない技巧だな……―――ふむ。まぁ、戦国のニンジャなればこそ、あの出鱈目な忍術も不可思議ではないのか?」

 

 思わず出た独り言をエミヤは自重出来なかった。竜血騎士、飛竜、上空と言う環境、それら全てを殺戮空間に利用する隻狼(アサシン)の業は、再び陣地を得て狙撃を始めた弓兵からすれば異次元の技巧だ。剣神と呼べる剣術の高みに達しながら、忍術の極みと呼べる業の深み。あの忍びは飛竜と鉤縄を巧みに使うことで魔術も使わず、空中で自由自在に三次元移動し、本当にドラゴンが群れる宙を飛び跳ねているのだ。

 もはや制空権は此方のもの。アーチャーの射殺とアサシンの暗殺。

 所長がそう狙った展開の通り、飛竜を操る強力な竜血騎士団がただただ殺される獲物となった。

 どちらか片方がいなければ成立する事はなかったが、アサシンの虐殺をアーチャーを援護し、アーチャーの殺戮をアサシンが補助し、鏖殺の術理が完了した。為す術なく翼を持たない者により、翼ある飛竜らが騎士と共に街へと殺されながら落下し続けて行く。

 

「ひゃっはー俺ツエ、マジ半端ねぇ!!」

 

「ほらほらほら、逃げろ逃げろ。俺らに斬られて死ぬか、飛竜に焼かれて死ぬか、生きたまま喰い殺されるか、お前らに選ばせてやろう!!!」

 

「ヴォークルールの皆ぁ……ねぇ、どんな気持ち。自分達が家畜みたいに食べられて、これから竜が捻り出す糞団子になるのって、ねぇねぇどんな気持ち、どんな気持ち!?

 ―――うぅわっはっひゃーはー!!

 はぁ……はぁ、はぁ……良い。やっぱりこう言うのは最高じゃぁあぁあん!!」

 

「汚物は消毒だぁぁああああ!!」

 

「エンジョイ&エキサイティング!!」

 

 しかし、それは上空だけのこと。敵が侵入した地上戦は混沌に満ち溢れ、あちらこちらで叫び声と嗤い声が響き渡っていた。騎士と地上に降りる事に成功した飛竜が、逃惑う人間を愉しそうに虐殺していた。

 

「このぉおおおお!!」

 

 尤も、それら全員は飛び出たマシュの敵ではなかったが。十字盾下部に仕込んだ貫通銃(ピアシング・ライフル)が銃口から火を噴き、カルデア製専用大型水銀弾薬が発射。泣き叫ぶ子供を顎で噛み千切ろうとしたワイバーンの口内に命中し、そのまま水銀弾は脳漿を吹き飛ばしながら頭蓋骨を貫通し、更にその後ろを偶然飛んでいたワイバーンに着弾。

 一射二殺の獣殺技巧。数週間と言う短い間のVR訓練ではあったが、マシュは十分に戦闘で運用可能な戦力として仕込銃を扱うことが出来ていた。

 

「やぁああ……ッ―――!!」

 

 そして、自分達に走り寄って来た騎士からの攻撃を守ると同時、盾で突進するシールドバッシュ。魔力防御で固めた力場を炸裂させ、マシュの筋力と相乗することで直撃する破壊力は吸血鬼の骨格と内臓をグチャリと甲冑の上から潰した。マシュに叩かれた騎士はトラックに正面衝突した人間と同じ状態となり、だがそれでも不死の化け物らしく生存する。

 

「―――ッ……!」

 

 教えられたこと。魔獣や吸血鬼などのしぶとい怪物は、頭部を潰しても安心してはならない。マシュは敵の息の根を確実に仕留める為、盾で騎士の頭蓋骨をハンマーで叩いた果物の様に破壊した上で、心臓も同時に粉砕した。

 元より、彼女の宝具はとある騎士が持つ聖遺物。

 聖堂教会の黒鍵よりも高い浄化作用をマシュは引き出し、その一撃で騎士を灰へと抹消した。

 

「……良い心構えよ、マシュ。

 慈悲無き人間は獣に堕ちますけど、容赦有る狩人は死に囚われます。その調子でマスターを守りながら戦いなさい

 それと最後に少し。今まで積み重ねた鍛練の成果、とても素晴らしい。貴女はもっと強くなれるわ」

 

「―――はい!!」

 

 本当は、心の底から怖かった。人間ではなくとも、人間にしか見えない吸血鬼を殺したくもなく、化け物をあっさり殺せてしまう自分も怖かった。戦う事そのものに困惑し、この瞬間にも地面に丸まって現実逃避したかった。

 けれども―――恐怖心が薄れてしまう。

 零へ消えることはないが、マシュはオルガマリーに話し掛けられると何故か死の恐怖を意識せず体を動かせた。相手の命を奪う為に問題なく殺人技術を行使出来た。戦うと決めた先輩(マスター)を守る為、それでも震える心を所長の声が簡単に落ち着かせ、マシュは盾と武器を振い続ける事が出来ていた。

 

「何だテメェ……髑髏仮面の尖がり帽子とか、糞趣味ワリ格好だな。変態かぁ!?」

 

「へぇそう、全く駄目ね。可哀想に。これの良さが分からない何て、人じゃなくて獣よね?」

 

「ほざけ、変態仮面女が。身包み剥がして遊ん……―――?」

 

 騎士を一閃一殺で殺し回っていた所長だが、聖杯に住まう番人の装束を馬鹿にされたことで少しだけ無駄口を叩いてしまった。しかし、戦闘中なので一切感情を働かせず、その騎士を月光を模した狩人の大剣で粉砕。巨大な鞘と合体することで特大剣に変形するルドウイークの聖剣は、敵を斬るのではなく叩き潰す鈍器に近い。所長は甲冑を着込む吸血鬼をその膂力で振われる一刀により、砕きながら強引に切断してしまった。

 頭部を木端微塵にされながら、股下まで抉り砕かれる騎士。言葉を中断され、そのまま吸血鬼特有の蘇生能力を発揮することなく死亡。

 直後―――それを見ていた騎士に一瞬で接敵し、同時に粉砕。

 所長が動く度に竜血騎士は模造の聖剣で斬り潰され、圧倒的速度に対応出来ず一方的に死亡し続けた。

 

「女、女だぁ―――女の贄がいるぞ……!?」

 

「いや、いや、こないでぇ!!」

 

「うぇひひひひひ―――ゲグ、ゲギュ!」

 

「―――何と言う、テンプレ悪党……」

 

 性欲の塊と言うべき竜血騎士を背後から突き殺し、更にその屍に手を突っ込んだ。脊髄を粉砕しながら大腸から心臓まで一気に贓物を掻き回しながら纏めて掴み、一気に摘出。再生など出来ない様、霊体の中身ごと内臓を抉り取ったのだ。

 仲間が市民や兵士を殺戮しているのを傍目に、御愉しみに洒落込もうとする竜血騎士は哀れな姿で死んだ。下半身がモロ出しだった。女を背後から突き刺そうとするその悪漢は、所長から背後を突き刺された挙げ句、その臓腑の奥まで腕を突っ込まれたのが人生の最後であった。

 

「あ……あ―――」

 

「ほら、早く行きなさい。折角生き延びられたんだから」

 

「―――あ。あり、ありがとうございます!」

 

「どういたしまして」

 

 常識的な返答を所長はしたが、相手は直ぐ様に要塞方向へ逃げ去った。

 

「何よ。私を化け物みたいに見た癖に礼儀正しいじゃない……あれ、でも確かに。血液と臓物塗れになった尖がり髑髏とか、全方位化け物だったわ。

 ……ねぇ、そこの貴方。やっぱりそう見える?」

 

「ぐぎゃ!!!」

 

「もう駄目ね。死ぬ前に喋ってよ」

 

 等と愚痴を溢しつつ、大剣乱舞。異様なまでに研ぎ澄まされた技巧だが、しかし剣術ではなかった。剣を使った狩猟技術であり、大剣による人狩りであった。だからこそ彼女は無念無想には程遠く、故に白痴の無へ至る殺戮技巧。

 

「キャスター……―――頼む!」

 

 そして、藤丸立香が呼び出したキャスターは騎士共を魔術で以って爆散させる。こと援護と言う分野において、メディアに勝るサーヴァントは非常に少ない。メディアの影はマシュや所長の手の届かない騎士らを容易く殺害し、藤丸の身も魔術で防護することも同じく難しい手間ではなかった。

 

「きゃぁあああああああ!!」

 

 叫び渡る女性の声。もはや聞き慣れたが、だからと言って無視は出来ない。藤丸は自分の思念をシャドウ・キャスターに通信し、その人に襲い掛かる竜を高速神言による魔力弾で吹き飛ばす。

 しかし、ワイバーンは竜種。元より魔術が効き難い。一体だけならそれでも殺せたが、複数となれば瞬殺は不可能だ。

 

「でも……」

 

 藤丸がキャスターを選んだのは援護と言う観点では正解だろう。遠距離から安全に攻撃し、乱戦になっても自分の身を守れるので正しいだろう。所長もだからこそ否定せず、藤丸がこの状況で使い易いサーヴァントを使うことが一番効率が良いとも理解していた。

 この状況において最大限の人命救出に成功し、結果―――その女性は助けられない。

 

「……でも―――それでも、俺はっ!」

 

『待て、待つんだ藤丸君……ッ―――!?』

 

 キャスターの弾幕でワイバーンの軍勢を牽制し、彼は走った。間に合うか、間に合わないか、それを脳で考えずに走ってしまった。

 ―――ズドン、と藤丸の前で肉が弾け飛んだ。

 彼が助けようとした女性は血塗れになり、その人を喰い殺そうとしたワイバーンは腹部が吹き飛んでいた。

 

「――――――……」

 

「……あ――――」

 

 白い布を先端手前で丸めた槍。それがワイバーンを殺害した武器であり、襤褸布を守って姿を隠した女だと思われる人物がその女性を助けた正体であった。

 

「大丈夫ですか……!?」

 

「え、ええ……大丈夫よ、ありがとう。

 でも……けれど、そこの貴女はもしかして、ジャネッ―――」

 

「―――――――っ……」

 

 まるでその名前を遮る様に謎の女は槍を振り回し、ワイバーンと騎士達へ構え直した。何かを断ち切るように、あるいは大事な物を自分から捨てる様に、悲壮な何かを藤丸はその人から感じ取れた。

 

「…………お早く」

 

 それだけを藤丸に言い残し、謎の女は所長とマシュの方へと疾走。接敵と同時に槍を巧みに操り、二人の戦いに加勢していった。

 

「今は、行きましょう。まずは生き残らないと」

 

「―――そうね。分かったわ」

 

 助けられた女性は名残惜しそうに謎の女がいるだろう戦地を見て、しかし生き残るべく走り去っていた。そうしなくてはならないと、そうするべきなのだと言い聞かせているように、全力で住民が避難する要塞へと逃げて行った。

 

「………………」

 

 無言のまま藤丸はその人を見送り、そして―――影霊(シャドウ)とより深く思念を繋ぎ合せた。サーヴァントの想念が自分の精神に入り込む悪寒で背筋が凍り、腸が熱く煮えるも、それがカルデアのマスターがしなくてはならない仕事である。

 新しい戦力も加わり、自分達にも余裕が生まれた。

 最初の予定よりも人が助けられる事実が喜ばしい。

 ならばと宙に浮かぶキャスター(メディア)には更なる魔法陣を虚空に描いて貰い、そこを擬似的な支援砲火台として運用する。助ける為とは言え、ヴォークルールから住民を避難させるのは一人でも多く殺さないとならない。その非情な現実を正しく理解しているマスターは、まずはと教科書通りの援護攻撃をするべく魔術回路をより早く回転させた。

 
















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啓蒙16:自己犠牲

 長い一日であった。迫り来る騎士と飛竜を殺し、幾度か数えるのも面倒な程に殺し、気が付けば住民の避難は完了していた。血戦とでも言うべき戦であり、マシュ、忍び、所長、謎の女は血液と内臓で全身が汚れ、狙撃の援護と後方支援に回っていたエミヤと藤丸はまだ血みどろにはなっていない。それでも所々に血液が付着している部分もあり、如何程に相手を殺したのか姿だけで分かってしまう。

 おぞましいのは、竜血騎士団は自分達が死ぬのを受け入れていることだ。

 何人殺されようとも一切怯まず、撤退など絶対に考えない。それなのにヴォークルールから去ったのは、目的である住民が避難してしまったからか、あるいは撤退するように上層から命令が下ったからなのだろう。

 

「―――で、そろそろ正体を告白したらどう?

 こっちも予想してるけど、それじゃあ会話のテンポが悪くなるじゃない」

 

 そのヴォークルール郊外。住民の避難を間に合わせ、竜血騎士団の撃退に成功したカルデアのメンバーは、襤褸布を纏って全身を隠す謎の女と相対していた。

 

「サーヴァント、裁定者(ルーラー)―――……ジャンヌ・ダルク」

 

 ざわり、と空気が動く。マシュと藤丸は身構えそうになったが、所長に変化ないことに気が付く。あの所長が先手必勝と内臓を手で抉ることもせず、銃弾で急所を一瞬で撃ち抜くこともしていない時点で、敵ではないのだと理解した。

 実際にエミヤも外側は何も変化していないが一瞬で魔術回路が起動状態となり、忍びも同じく精神だけは臨戦状態となっていた。しかし、所長の落ち着きぶりから、まぁそう言う事なのだろうと警戒と同時に敵ではないと察してはいた。

 

「………驚かれないのですね?」

 

 襤褸布のフードを取って顔を見せたジャンヌは、言葉とは裏腹に落ち着いた表情で所長を見ていた。

 

「良く言うわね。気付かれている事に、気付いていたでしょう。だから、誤解されるかもしれないのにも関わらず、何も言わず最初から正体を見せた。

 そう言うことじゃないの、ジャンヌ・ダルク?」

 

「―――……その通りです。貴女は私より強いですが、今は脅威を感じません。なので、もう此方の状況をある程度は見抜き、この現状に納得しているのですから、重要な事を最初に言うべきだと思いました。

 でも、恐ろしい人です。その瞳は不思議な力でも持っているのですか?」

 

「そうよ。瞳がない私なんて、計算が出来ない数学者よりも役立たずだもの。それで、まぁ……まずは自己紹介はしておきましょう。

 私の名前はオルガマリー・アニムスフィア。

 何でもないただの魔術師で、カルデアと言う組織の所長をしています」

 

「………………ただの?」

 

「ミス・ダルク。それが噂の啓示と言うスキルなのでしょうか?」

 

「いえ、別に。何でも有りません。失礼しました。つい、その思わず……」

 

 啓示は言ってる。この人、サーヴァントよりももっと危険な未確認存在であると。為人は直感的に信用は出来るも、決してただの魔術師なのではないと一目で分かってしまう存在感が纏わり付いている。

 

「ですよね。あの所長がただの魔術師とか言われても、正直困惑しますものね。ジャンヌさん!」

 

「ねぇ、藤丸。貴方ってロマニみたいに、私のギリギリのラインを見極めて揶揄するの、最近愉しんでない?」

 

「―――いえ。いえいえ、そんなとても。

 俺、所長のことは尊敬してますよ。カルデアで誰よりも一番頑張っているんですから!」

 

「ならば、良し」

 

“チョロいぜ、所長”

 

“チョロいです、所長”

 

“チョロいのだな”

 

“……御冗談を(チョロい)

 

チョロ過ぎぃ(フォウフォウ)

 

“チョロいのですね、この人”

 

「んっん―――……それで、出来れば他の人の事も教えて頂きたいのですか。私の事情も説明したいですので」

 

「あ、すみません。俺は藤丸立香。所長の部下でして、今はカルデアのマスターをしてます」

 

「あぁ……貴方が―――そうですか。

 先程はあの女性を助けて頂き、ありがとうございました」

 

 心の底から、と言う言葉が相応しい微笑みだった。安堵と安心と、人に対する本当の感謝の念。聖女と言う形容以外に相応しい表現がなく、人を見惚れさせられる笑みだった。行き成りそんな表情を向けられた藤丸は、綺麗なモノを見た感動と妙な気恥かしさを覚えるも、自分も同じ様に笑みを返した。藤丸の笑みもまた、人助けが出来た事を喜ぶ善良な人間の表情であった。

 そう反応出来るのが人たらしなんだろうね、と所長は思う。この特異点でジャンヌ・ダルクは仲間にしたいと考えていたが、どうやらもう藤丸の方が相手に好感を持たれる事をしていたようだ。彼がいれば話も潤滑油を注した歯車のように良く廻るだろうと、部下の有能っぷりがとても嬉しく感じられた。

 やはりこの男、たらしの素質がある。

 人間らしさ、とでも謂うべき人間性。

 こうして実際に特異点攻略を始めてみれば、早速所長が見込んだ通りの活躍をしてくれた。彼が行う人助けもカルデアに有益となった。そんな傑物に信頼される善良性こそ、人員不足のカルデアを運営するオルガマリーが欲するマスターの素質であった。

 

「―――……うん。でも、あの人に貴女は何も言わなかったけど、良かったのですか?」

 

「良いのです。今はもう……―――あ、それと私のことは好きに呼んで良いですからね。畏まれるような者じゃないですし、話し方も好きにして下さい」

 

「そう……うん。じゃあ宜しく、ジャンヌ!」

 

「ええ、立香。こちらこそ、宜しくお願いします」

 

 まるで誤魔化すような話題の転換であったが、藤丸は深く追求しなかった。それが彼女の為になるのだろうと直感的に悟っていた。ジャンヌもまた藤丸のそんな思考が分かったが、敢えてそうしてくれる彼に感謝し、出された手に握手で返事を返した。

 成る程、と所長は納得。どうやら、藤丸が助けた女性がジャンヌ・ダルクの実母であったようだ。この事実を得られただけで藤丸はカルデアにとって莫大な利益となり、やはり非効率な人助けこそ英霊の関心を買うのに効率的だと悟った。

 

「私は先輩のサーヴァントで、名前はマシュ・キリエライトです。後、正規の英霊じゃなく、デミ・サーヴァントとなります。

 これから宜しくお願いします、ジャンヌさん!」

 

「ええ。こちらこそお願いしますね、マシュさん。それに、私も似たような状態ですから」

 

「似たような、ですか……?」

 

『あ。本当だ。彼女、サーヴァント反応がしっかりありますけど、良く見れば生身の人間です。英霊が憑依している状態ですね。

 でも多分、所長は最初から分かってましたね?』

 

「見れば分かるわ。貴方の仕事であるマシュの健康管理も、最終的にチェック漏れがないか見てるのは私なのよ。でも、それでもね、女性の中身を勝手に暴くのって乱暴じゃない。そして結構な変態じゃない?

 ロマニ、超エロい~信じられなぁい」

 

『何を言うんだい、所長。如何して急に面倒臭い酔っ払いのOLみたいな口調になるのか。そもそもですね、例えボクが変態だとしても、それは変態と言う名の紳士です。そこのところ、上司として分かって頂きたい』

 

 何となく、所長はロマニを使って場を濁すことにした。ロマニも所長の意を汲んで情報提供しつつ所長が望む展開にするべく、変態の称号を拒否しながらもジャンヌ・ダルクが自分の事情を説明し易い軽い雰囲気を作り上げた。

 

「……ええ、と。その話はまた後で。出来れば、そちら御二人のことも教えて欲しいのですけど?」

 

「アーチャーのサーヴァント、エミヤシロウだ。今は藤丸立香をマスターとし、カルデアの人理修復に協力する立場にある」

 

「アサシン、隻狼」

 

「成る程。ありがとうございます」

 

「こちらこそ、どういたしまして」

 

「……ああ」

 

「「「『「「「「………」」」」』」」」

 

 沈黙。会話中に良く在る唐突な沈黙。最後に喋った忍びは絶妙な雰囲気を察するも、忍びなのでこの空気を打破するスキルは有していない。むしろ、相手を沈黙させる事に特化したサーヴァントであった。

 

「フォウ、フォフォウ。フォフォフォ!」

 

 しかし、そんな忍びに救世主が訪れた。ずばり彼が何気に長いカルデア生活で所長の次に接点がある小さな獣―――フォウである。

 

「あれ、フォウさん。そんな処に隠れていたんですか?」

 

「そうね。この生物(ナマモノ)、マシュの臀部が好きだそうよ」

 

 マシュが腰に巻いた装備用ホルダーバックから、小動物が一匹飛び出した。それを見た所長はこのフォウが何を言っているか雰囲気的に啓蒙出来る為、一体何をレビューしているのか分かるので醒めた白い目で見ていた。

 

「何を言ってるんですか、所長。フォウさんがそんなおじさんなことを言う訳ないじゃないですか。それに一応ここ、特異点で拾った物を運べるようにと装備したバックパックなんですから。お尻とか関係ないです。

 ……でも、私も戦闘員ですから、フォウさんには危ないかもしれませんね」

 

「フォー、フォォ!」

 

「はいはい。あったかふわふわね」

 

 何やら所長に向けて鳴き声を上げるフォウへと、彼女は適当に返答し、だが興味深そうにマシュの方を見た。確かに、あったかふわふわだ。ロマニが考案する食事の栄養バランスと、カルデアだとマスター以外は不足しがちな運動を行い、彼女はまさにパーフェクト美少女ボディだと言えよう。そして、後数年すれば星の娘にも負けない美女となる。フォウがフォウフォウと賞賛する気持ちも分からなくはない。

 

「あ、ジャンヌさん。こちらはフォウさんで、カルデアのマスコットとなります。可愛いでしょう?」

 

「フォウ、フォフォウフォ」

 

「はい、愛らしいです。私とも宜しくお願いしますね、フォウさん」

 

「フォーウ、フォフォウ」

 

 誰も意訳しないことを良い事に、相変わらずな内容を鳴き声で話すフォウを見つつ、しかし諦めの境地を得た所長は溜め息一つ。

 

「はぁ……それでジャンヌ。出来れば、そっちの事情を話して頂けると、こちらも協力出来ることが増えるんだけど?」

 

 だがしかし、ジャンヌを見た所長はフォウの言葉に納得しかない。マシュ過激派の小動物ではあるが、この獣はあの飼い主に似て女好きな部分が結構あり、評価もまた的確。

 確かに彼女は「素晴しき哉(フォーウ)豊潤なりし者(フォフォウ)」だろう。

 

「―――あ。そうでしたね」

 

「まぁ、でも……うん。見た雰囲気、そっちはまだこの特異点の現状も深く把握していないようだし、まずはこっちの事情説明から致しましょう。現地でサーヴァントが召喚されているようだけど、どこまで詳しく知識が与えられているのかカルデアも分かりませんし、私のカルデアの事をまずジャンヌが知っておいた方が特異点について分かり易いでしょう。

 恐らく、そうした方が貴女も自分の今の現状をより良く把握出来る筈」

 

「成る程……―――ふむ、そうなのですか。でしたら、まず其方の話から聞きますね」

 

「では――――」

 

 必要な情報を簡易的に説明する。ジャンヌもある程度は知っていたが、それ以上に危機的状況であることを初めて知った。フランスの危機だけでなく、そもそも文明崩壊の危機であり、人間と言う生命体が滅び去る寸前であると言う情報。そして、この特異点化したフランスが一つ目の攻略対象であること。

 

「―――……そうでしたか。

 貴女達カルデアが最後に残された砦であり、人理焼却こそ今の世界の現実」

 

「そう言うことね。なので……まぁ、実際特異点に二人を投入するのは人道に反しているのだけど、もう藤丸とマシュだけがカルデアにとって最後の希望ってことになるわね。子供に戦わせてるのはそう言う理由となります。所長である私の代えはどうとでもなるけど、もし出来ればジャンヌには、藤丸とマシュを守って欲しいわ。

 オルガマリー・アニムスフィアが死んでもカルデアは運営出来るけど、唯一レイシフト適性とマスター適性を併せ持つ藤丸が死ねば、人理はその時点で終了でしょう。恐らくは今後の特異点修復で詰みますし、マシュがいなければ英霊召喚も出来ませんのでね」

 

 ついでだが、所長は本物の不老不死。本当に死なない事を隠してはいるが、周りも非常に死に難い事はカルデア職員全員が知っている情報ではある。よって有限の生命である藤丸立香とマシュ・キリエライトを優先するのは当然の選択であり、所長が協力者になるだろうジャンヌ・ダルクに念押しするのも当たり前な行為である。

 

「とは言っても、互いに協力者になれるかは、お互いの事情によるでしょうからね」

 

「―――……いえ。私の悩みなど小さなものです。

 貴女達カルデアに協力する気です。この時代に生きる一人の人間として、人理修復に協力しなくてはいけません」

 

「そう……―――貴女は、その未来を選択するのね。

 ならばジャンヌ・ダルクの献身に、カルデアを代表して感謝するわね。そして……人理を守る人類を代表して、貴女の善意に私は心から謝りましょう」

 

 そう話すオルガマリーは、本当にあらゆる感謝の気持ちを込めていた。それは死刑宣告を告げる裁判官よりも遥かに厳格であり、死を司る神よりも凍える様に冷酷だった。

 同時に、謝ると言う言葉。果たしてどんな善意に誤っているのか?

 それを理解出来たのはエミヤと忍びと、通信で会話を聞いていたロマニと顧問。そして、言われた本人であるジャンヌであった。藤丸とマシュはまだ、所長の言葉を理解出来ていなかった。

 

「俺からもありがとうございます」

 

「はい。私からも感謝します、ジャンヌさん。なので、だからこそ、貴女の悩みを教えて頂きたいのです!」

 

 だから、二人はまだ呪いに気が付かない。一つの未来を選ぶなら、他の未来を切り捨てる事に他ならない。

 

「皆さん……―――はい。では少し長くなりますが、私の事情を聞いて下さい」

 

 啓蒙より具現せし狩人の眼球は、血の意志を由来とする上位者の神秘。

 つまりは血液由来(ブラッドボーン)の瞳はオルガマリーに世界と悪夢を暴く鍵を与え、他者の思考を盗み見るなど思考の瞳にとって児戯以前の機能。直感よりも速く、啓示よりも深く、啓蒙は思考回路に知識を啓くのだろう。

 瞳とは卵。脳髄に蒔かれた種子なのだ。

 孵化するように瞳が弾け、オルガマリーは神秘を垣間見た。

 ジャンヌ・ダルクがこれより語る事実を、人でも狩人でも上位者でもない異なる視点よりオルガマリーは観測する。赤子の赤子、ずっと先の赤子の果てである彼女はどんな上位者よりも濃く、深く、おぞましく、だからこそ素晴しい呪いに満ち溢れているのだから。

 

「そもそもですが、私はサーヴァントではありません。ですが、同時にこの特異点を解決する為に召喚されたサーヴァントでもあります。生前のジャンヌ・ダルクに、死後に英霊となったジャンヌ・ダルクが憑依している状態です。ですのでデミ・サーヴァントでもあり、擬似サーヴァントでもあります。

 しかし、主導権は全て今の私が持ち、英霊になった私は眠りについています。

 不可思議な事ですが、この特異点で活動している時も私は私に一切口出しせず、思う儘に行動させています」

 

「成る程……そう言う事情ね。なら、知識の方はどうなの?」

 

「ジャンヌ・ダルクとして、私達の記録は共有されています。英霊の座に召された英霊としての知識もありますし、ステータスやスキルなどのサーヴァントとして保有する神秘も理解していますね」

 

「なら―――貴女は、本来の歴史も分かっているのね?」

 

「―――所長」

 

 それは、言ってはならないのだと藤丸は直感した。協力者になってくれるなら、そんな事を相手に言ってはならないのだと思った。

 ……しかし、今のマシュにその感情は理解出来ない。

 人の命は有限であり、懸命に生きるからこそ自分達はどう足掻いても必ず死ぬ。だから、生きた末に死ぬのだろう。

 ジャンヌ・ダルクの結末は知っている。死に様も歴史の授業の一環として勉強している。だがマシュは自分の寿命を知ることを、悲劇として捕える感情を持ち得ていなかった。それが他の人間にとって酷な事実だと常識で分かってはいるが、辛い事実であると無垢なる心は実感出来ないのだろう。

 もし辛い事実だとマシュが実感するのであれば、それはジャンヌが敵の捕虜となって尋問を受け、故郷から裏切られた結果、侵略者の手で処刑されたこと。死ぬ事そのものではなく、そうやって殺された事が悲しいのだと思うのだ。

 

「はい。私は……ジャンヌ・ダルクは、本当は―――生きていてはいけない人間です」

 

「それは、それは―――絶対に違います。

 私たちにそんな命はないです。生きてはいけない生命なんてありません。ジャンヌさんはこうして生きています!」

 

 それでも尚、マシュは死を受け入れている彼女の言葉を否定した。カルデアで生まれ育ったマシュ・キリエライトにとって、ジャンヌ・ダルクの思いは許せない言葉だった。

 

「あぁ……そっか。そうなんだ。俺達は――――」

 

 そして、藤丸は気が付けた。相手が本来ならば死んでいる筈の人物で、今はこうやって目の前で生きている。また特異点を修復するとは、時代を本来の未来へと繋がる流れに戻すと言うこと。

 つまり―――死ぬ。

 カルデアによる特異点解決は、彼女の処刑にサインをするのと何も変わらない。

 

「―――ありがとう、マシュ。それに藤丸。けれどもこの時代、私はもう生きた死人でしかない。特異点だからこそ、ジャンヌ・ダルクは生きることを許されているだけに過ぎません。本当なら、あの火で炙り殺されて終わる筈でした。

 だから気にしないで。私はまだ生きていますが、存在としてはサーヴァントと同じ死人だと思って下さい」

 

「そんな……っ―――だって、でも!」

 

 まだ出会ったばかり。ジャンヌ・ダルクのことなんて何も知らないが、マシュはそれでも否定したかった。偽善者だと思われても、それだけは否定しなくてはならなかった。

 あんまりだと思ったのだ。

 戦い抜いた報酬が、そんな暗い死だけだなんて信じたくなかった。

 

「マシュ、その話は後で」

 

「―――ッ……でも、所長!?」

 

「仕方がない事よ。未来で生まれた私達に、既に終わった事は変えられない。それでも許せないのなら、もし変えると決めたなら、それこそ人類史を全て焼き尽くさないと許されない。

 多分、人理焼却を行った黒幕もそうなんでしょうね。だからね、その話はもう終わったことなの。

 でも……だからこそ、この特異点を修復出来たとしても、最後は必ず心に深い傷が刻まれる。最後は、どうしようもない別れが待っている。

 だから、その事実が耐えられないなら、マシュはジャンヌと関わらない方が良いわよ?」

 

「―――出来ません!

 私は………私は、この特異点を解決して、それでっ……!?」

 

「すみません、マシュ。その話はオルガマリーの言う通り、後にしましょう。今は取り敢えず、話を続けます。

 侵略者から助けられた後、私は……もう一人のジャンヌ・ダルクに出会ったのです」

 

「…………っ――」

 

 マシュの言葉に嬉しそうにしつつも、だが諦めたように聖女は微笑んだ。英霊化した自分にとって全てはもう終わった過去であり、今を生きる自分からすれば選択した先に訪れる結末だった。

 特異点の修復―――つまりは、自分の死。

 人類史を戻すとは―――即ち、火の未来。

 既にもうジャンヌ・ダルクは焼き殺されることを受け入れていた。英霊ジャンヌ・ダルクを受け入れるとは、自分が焼け死ぬ本当の歴史を味わう事と同義。それが世界が救われる為に必要なのであれば、聖女の献身はその火刑を運命として受け入れる。自分が死なねば家族も故郷も焼かれて死ぬならば、それを防ぐ為―――自分だけが、焼け死なないといけない。

 

「もう一人のジャンヌ・ダルク……あぁ、それが諸悪の根源である竜の魔女なのね?」

 

 その全てを透き見た上で、所長は会話を続けた。何故なら所長が話したカルデアの事情とは、ジャンヌに自分が死ぬ未来を受け入れさせる準備でもあった。

 自己犠牲―――……それは、そもそも前提だ。

 この特異点は如何あれ、自分達を助けてくれたジャンヌ・ダルクが生きた人間で在るならば、歴史を取り戻すカルデアは必ず彼女を殺さないといけないのだろう。

 

「……違います。侵略者に囚われた私はあの二人に、拷問の日々から助けられました。恐らくこの特異点が生まれた起点はそこなのでしょう。オルガマリーの予想通り彼女こそ竜の魔女ですが、元凶はまた別に存在しています。確かに竜を操り、竜血騎士団が崇めているシンボルではありますが、けれども元凶となるのはキャスターのサーヴァントとして召喚されたとある一人の英雄。

 救国の元帥―――ジル・ド・レェ。

 この時代より先の未来、猟奇快楽殺人鬼に堕落したジルが、恐らくは聖杯の持ち主です」

 

 核心となる情報―――聖杯と、それの持ち主となる英霊。所長はその単語から思考の探索を拡げ、瞳の視野を深め、脳髄自体で啓蒙された情報を探り得る。

 

「ふぅん、聖杯ねぇー……―――成る程。この特異点を作り上げた黒幕の手法と焼却の仕組み、後は特異点運用方法も見えて来たわね。後は、黒幕の正体は探るのみ。

 となると、そのジル・ド・レェも貴女と一緒で憑依してるのかしら?」

 

「いいえ。ジルは呼び出されたサーヴァントでしょう。この時代に生きる本人は、また別の存在としてフランス軍を指揮していました」

 

「じゃあ、次の質問。二人と言いましたけど、ジル・ド・レェと組んで貴女を救ったのは誰か……知っているのね?」

 

「アッシュと言っていました。何と言えば良いんでしょうか……うーん、そうですね。彼女は、普通の善人にしか見えませんでしたね」

 

「あー……やっぱり、この特異点に居たのね」

 

「知り合いですか?」

 

 燃えるような存在感であり、あるいは燃え滓みたいな灰に似た雰囲気。人を優しく包む暖かい闇のようでいて、全てを焼き照らす苛烈な太陽のような女性。自分にアッシュ・ワンと自己紹介したあの女性は命の恩人であり、ジャンヌ・ダルクにとって世間話をする相手であった。

 神の如き奇跡を為すが、話をすれば―――普通の人間でもあった。

 審問で焼かれた右目。短く切られた髪。戻らない純潔。今のジャンヌに刻まれた傷であり、癒されなかった過去の記憶。敢えて、その女がジャンヌから癒し消さなかった傷痕。

 

「テロリストに寝返った裏切り者。私の名はアン・ディールではない、アッシュ・ワンだとか言って何処かに逃げたのよね。多分、アッシュって名乗ったならそいつで確定でしょう。

 なので……まぁ、うん。必ず殺す―――絶対、私が殺す。

 面倒な女なので遭遇したら私がヤツの命をきっちり狩り()るので、アッシュのことは心配しないでね」

 

「手出しは無用と?」

 

 英霊に憑依されたことで視力は取り戻したが、普段は何も見えない右目を抑えながら、ジャンヌは所長に問う。

 

「好きにすれば良いわ。これはジャンヌだけじゃなくて、他の人でも同じことよ。ただ個人的な理由と、カルデア所長としての責任を果たす義務から―――私が、絶対に殺したいってだけ。

 ジャンヌ。貴女も、もう一人のジャンヌ・ダルクとは自分で決着をつけたいでしょ?」

 

「そうですね……はい。出来れば、彼女を自分の手で終わらせたい。

 何故かはわかりませんけど、そうしなくてはならないと私の中の私が啓示と共に囁くのです。あのジャンヌは私ではないですが、それでも間違いなくジャンヌ・ダルクで在った故……私は―――私を殺すことになっても、真実を知らないといけない」

 

 啓示はジャンヌ・ダルクに囁いている。知ってはならないと、魂が奥底から拒んでいる。それを知れば、ジャンヌ・ダルクがジャンヌ・ダルクでいられなくなると未来を恐れている。

 だからこそ、真実を知らないとならない。

 それを知らずに特異点を解決してはならない。

 竜の魔女―――ジャンヌ・ダルク。復讐に狂い果て、殺戮を尊ぶ自分。

 生前の自分と死後の自分が混じり合った現在の自分から見て、あのジャンヌ・ダルクは可笑しいと理解した。彼女とジルの庇護下で穏やかな日々を過ごしていた頃の自分では分からなかった。だが英霊ジャンヌ・ダルクの知識と感覚を得た今の自分は、あの魔女が自分で在りながら自分ではない事だけは啓示のまま察してはいた。

 

「そうね……―――うん。ならばジャンヌ・ダルク、契約を結びましょう。

 焼かれた人理の為に戦う同じ人間として、オルガマリー・アニムスフィアの名を持つ私は貴女と対等な意志を持つ者として、今ここで特異点修復の協力を求めます」

 

「はい。その契約、必ず果たすと誓いましょう。

 英霊として、今を生きる人間として、ジャンヌ・ダルクで在る私はオルガマリー・アニムスフィアを戦友とし、在るべきフランスを―――取り戻します」

 

 






















 とのことで、やっとジャンヌ様が登場しました。原作だとサーヴァントでしたが、人類史だと死んでいる時代に生きている人間として特異点に存在している為、特異点解決をするカルデアはどう足掻いてもジャンヌ・ダルクを元の歴史に戻さないといけません。最後まで共に生き残ったとしても、人理の修復は火刑で死ぬことを意味します。

 読んで頂き、ありがとうございました。


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啓蒙17:善良な人々

 感想、評価、誤字報告、お気に入り、何時もありがとうございます!


「では、改めて握手でも。宜しく、ジャンヌ」

 

「はい。こちらこそ、オルガマリー」

 

 自分も、他人も、全てを割り切った者同士。カルデア所長と、生き延びた聖女は互いの認識と利害を重ね合い、協力して特異点攻略に臨むことを求めた。

 奇しくも似通った精神性――啓示と啓蒙。

 天から示しが啓かれる事と、白痴の蒙を導き啓く事に何の違いがあろうことか。

 オルガマリー・アニムスフィアにとって啓蒙とは―――脳を見る瞳(インサイト)。同時に、脳で知を見詰める瞳。その名の通り本質を見抜く見識であり、世界に対する洞察力。故に啓蒙を深めるとは、自分の瞳から自分の脳へと知識を導き教えること指す。ならば自分で自分に啓蒙するのと等しく、彼女は自分に自分が啓蒙されるのだろう。無限に単体で干渉し合う瞳と脳は矛盾するようでいて、その交じり合う螺旋に終わりはなく、思考の白痴を叡智に染めるべく“啓蒙(インサイト)”が繰り返されていった。

 

「………………」

 

「マシュ殿……」

 

「………………」

 

「……マシュ殿」

 

「えっ……あ、はい。何でしょうか、狼さん?」

 

「どうやら、ご様子が可笑しく……如何された?」

 

「いえ、別に。何でもありませんよ、何でも。本当に、私は大丈夫ですから」

 

「ふむ……」

 

 忍びにとって女は分かり易く思うが、悩める女心は全く解らない。どう作用してそうなるのか、まるで見透せぬ。こう言う状況になることも少なく、取り敢えずそれなりに親しかったエマ殿のようにすれば良いかと思い悩む。

 だがしかし、悩んだ時点で解決方法を思い浮かぶのが忍びでもある。

 自分のマスターであるオルガマリーにそれとなく鬱ぎ込むマシュを気にして欲しいと頼まれた忍びは、彼らしく律儀に彼女を励まそうとした。そして、彼の経験則上、一番良い方法を直ぐ様に実行した。

 

「マシュ殿……これを」

 

「はい?」

 

「悩む者にとって……万能の良薬、だろう」

 

「薬ですか……これが?」

 

 忍びが何時も携える瓢箪ではなく、徳利と呼ばれる容器に入った液体だった。白く濁った水が入口から流れ出て、忍びはマシュに持たせた杯にその“良薬”を注いだ。

 ベタつくような、白くドロリと淀んだ液体。この良薬を知らないマシュにとって、実に魔術薬品らしい怪しさ満載の品物だった。

 

「……ああ。飲めば、心も身も……晴れやかになろう」

 

「なるほど。それは何だか、素晴しいかもしれませんね」

 

 薬と言われ、マシュは何の疑いも無く忍びから受け取った。この人が自分に嘘を吐くと言う猜疑心など欠片も湧かず、忍びは確かに体に良く効き過ぎる飲み薬を持っているのも事実。薬が趣味なのかもしれない。良薬苦しを地で行くあの味をマシュを思い出し、だからこそ今の自分にはあの苦味が脳を晴れやかにしてくれるかもしれないと考えた。そして沈んだ気分が少しでも立ち上がるのならと、その飲み薬を受け取るのも無理はない。

 口にちょっとだけ含ませ、けれど少しじゃなまるで足りないと、本当にゴクリと喉を鳴らす程の一口だった。だが、それでもまだ足りないかもしれない。マシュは更に飲み薬を呷り、また一口喉へ良薬を流し込む。

 

「…………ほえ?」

 

 味覚に違和感があった。記憶が吹き飛ぶ程の苦味がまるでなく、しかし舌と喉を焼くような痺れがあった。確かに、心にも効きそうな熱さをその薬からマシュは感じた。

 

「はぁ……―――イイデスネェ~」

 

「マシュ殿……如何か?」

 

「サイコー……キクー……ふぇふふへへへ。狼さぁん、もうちょっと下さいなぁ……?」

 

「……ああ、承った」

 

「ぷはー……えへぇ~……あれぇ?

 おおかみさぁん、いつの間にぃ……たくさぁんです。はれれ、ブンシンのジツをしたのぉです?」

 

「安心なされ……薬効だ。ささ……ささ……良薬、如何か?」

 

「スゴォイでーす……ぷはぁ!」

 

 承諾した忍びから更に良薬をコップに注がれ、更にマシュはグイッと一口。閉じようと思っても閉じずに開けっぱなしになった口から、凄まじく気が抜けた声が漏れ出てしまった。

 

「―――ちょっと?」

 

 その時、忍びの肩をミシリと骨が軋む程に握る聖女が一人。

 

「ジャンヌ殿……如何、された?」

 

「いえ、ね。その隻狼……イカガ、じゃないですからね。貴方、マシュに一体何を飲ませたのですか?」

 

「無論、万能の良薬だ」

 

「でしょうね。それを良薬なのは私も認めても良いでしょう。荒んだ精神も、その薬なら癒してくれるのも分からなくもないです。例えるなら神の血であるワインも人の精神を癒す薬となり、信徒である我らから日々の疲れを忘れさせて頂けます」

 

「……ああ」

 

「けれども―――それ、お酒でしょう!」

 

 ズバシ、と空気を破裂させる勢いでジャンヌは忍びが持つ入れ物を指差した。しかし、そんな凄い勢いのジャンヌを前にし、彼は相変わらず無愛想なまま無表情を貫き通す。

 

「否。我が国にとって、憂いる心を癒す……良き、薬なり」

 

「そぉーですよぉー……もぉジャンヌさん。あの、まじめ一辺倒なぁ……あの狼さんがぁ……ヒック……そもそも、私にアルゥコォールをぉ、渡す訳ないじゃないでぇすかぁぁあ?」

 

「是なり。葦名の濁り水だ。あるこーる……なるモノではない」

 

「そぉーですよーだ……あはははは、うふふぅはははははは!」

 

 精神的に落ち込んでいたマシュを一気にマキシマム元気にさせた忍びは、確かに良い手腕の持ち主なのかもしれない。

 しかし―――完全に悪酔いだった。

 

「隻狼。本当は―――分かってますよね?」

 

 更にミチミチと忍びは自分の肩を掴む聖女の握力が上昇するのを、耐え切れる程度の痛みとして実感する。

 

「……すまぬ。主殿の御命令を全うするには……これしか、俺は分からぬ故に」

 

 口下手な忍び故、悩める女性には酒を渡して饒舌になって貰い、自分は聞き役に徹する。彼は自分が出来る役割を過不足なく理解し、自分のコミュニケーション能力も把握し、その上で酒を渡す選択は普段ならば正しいのだろう。

 しかし、その前にちょっと色々と考えて欲しいと思うジャンヌであった。そして、忍びにそうさせた犯人など一人しかいない。と言うより、忍び本人が主殿とか普通に口を滑らせていた。

 

「オルガマリー……!」

 

「ごめんなさい。うちの隻狼とマシュが御迷惑を……後で良く叱っておきますので、はい……」

 

「貴方もです!」

 

「てへ!」

 

 委員長気質、と藤丸はジャンヌを判断。こう言う人は怒ると落ち着くまで放っておくのが一番だろうと、ソソクサと少し離れた位置に移動した。どんな飛び火が繰るか分かったものではない。

 

「はぁー……もう良いですか、マシュ。貴女も何をやっているの―――ちょっと本当に何しているんですか!?」

 

「フォウさん、高い高ぁい!」

 

「フォーァァアアアアア!!」

 

「高いところで、他界他界!」

 

「ブフォーウゥゥ―――!!」

 

 刹那、ジャンヌは跳んだ。啓示的に落ちても何の問題もないと直感していたが、愛らしい小動物が地面に落ちる瞬間など見たくはない。地面にいるマシュがフォウを優しくキャッチする前に、空中でジャンヌはフォウを捕まえた。

 

「やめなさい!」

 

「どーしてぇ……?」

 

「動物虐待はいけませんよ!」

 

「DIEジョーブ、フォウさんは無敵です!」

 

 流石の藤丸も、あれはちょっとストレスが溜まり過ぎてマシュが危ないと思い、所長の方へと話に向かう。

 

「あの所長。マシュはああ言ってますけど、本当に大丈夫何ですか?」

 

「絵面は酷いけど問題ないわ。あの小動物、その気になれば空も飛べるし、ちょっとしたワープ能力もあるからね。あの程度の高い高いじゃ、赤子をあやす遊びにもなりません。

 ……そもそもフォウは、生身で大気圏突入が可能だもの」

 

「へぇ、ガンダムみたい。天文台(カルデア)の白い悪魔なんですね、フォウ君って」

 

「否定はしないわ。フォウはある意味、ガンダムより強いし。プロ野球選手がレーザービームみたいに投げたところで、受け止めたグローブが逆に木端微塵でしょう」

 

「え、マジで?」

 

「うん、マジで」

 

「そのー……フォウ君ってもしかして、所長の使い魔なのですか?」

 

「違います。私の使い魔じゃないわよ……―――まぁ、そいつ、今もフォウのこと覗き込んでいるけど。全く、私の方へ覗きに来れば悪夢の一部にして上げるのに」

 

 少し違和感があったが、藤丸は自分なりに納得した。見ているとなればカルデアの管制室の誰かが、フォウの主となる魔術師なのだろう。一番怪しいのはダ・ヴィンチちゃんで、次点がドクター・ロマンだが、こうやって所長が特異点のレイシフトにまで付いて来るのを許す限り、カルデアにとって何かしらの特別な役割があるのだろう。

 

「かーえーしーてー……フォウさんは、私の親友さんなんですからぁ」

 

「駄目です。酔っ払いの言うことは聞きません」

 

「タ、タスカルフォウ……」

 

 あれ……喋った、と少しジャンヌは勘違いしたが、何とかマシュからフォウを奪取。そのまま地面へ解放し、悪酔いしたマシュを抑え込む為に彼女に近付いた。フラフラと酔拳使いのように揺れ動くマシュに対し、天からの啓示を無駄使いしまくってジャンヌは相手の動きを未来予測する。

 

「そ、そんなぁ……フォウさぁん。あぁ私は悲しい……ポロロン……」

 

「……なんですか、それ?」

 

「さぁ……なんでなんでしょうかぁねぇ?

 でも何でか、そうですね。こう言う場面ではそうするのが私達の鉄板だって囁くんですよね、私の中のゴーストが」

 

「成る程、良く分かりました」

 

 自分と同じく生身の人間に英霊が憑依した者同士、そう言う内側からの感情も分からない訳でもない。しかし、そんなジャンヌでも言えるのは唯一つ、この場面でその台詞を鉄板として選ぶ当たり、中の人も酔っているのかもしれない。

 

「すごぉいジャンヌさん。流石ジャンヌさぁん、わかってくれまぁしたか?」

 

「えぇ。貴女―――完全に悪酔いしています!」

 

「大丈夫デェス……あ”……あ……ぅ、う。

 私、あの……ちょっどぉそんな―――霊基から、エーテルが逆流じまずぅ!」

 

「――――!」

 

 そんな修羅場から離れたフォウがするべき事は一つしか残されていなかった。高い所で他界しそうになった元凶をまず取っちめないといけないのだ。

 何より、とある冠位級糞野郎のせいで、高所からの紐無しバンジーはトラウマになっていた。

 

「フォォオカミシスベシフォーウ!!」

 

「……すまぬ、フォウ殿」

 

 忍びは何も抵抗せず、フォウのジャンピングキックを顔面に受け入れた。流石に、悪酔いをすることで葦名で有名だったどぶろくを渡したのは軽率だったと反省。今度は違うのにしようと考え、だが酒と間違えて京の水は渡さないようにと心掛けた。

 

「―――……ふむ。これが、カルデアか」

 

『どうしたんだい、エミヤ。君の性格なら率先して、マシュに酒類を渡した狼君や所長を叱りそうなのに』

 

「いや、今はこれで良いだろう。現状我らに危機はなく、そもそもマシュもその気になれば酒気など直ぐ様に振り払える。

 ……それに、あのジャンヌ・ダルクも人間だ。

 例え此処が地獄だろうと、僅かに残る微かな日常を楽しむのを私は否定せん」

 

『成る程……まぁ、所長はそう言う所あるからねぇ』

 

「良く言う。だからドクターも口を挟まなかったのだろう?」

 

『気が緩むなら注意するけど、現場に所長がいる限り、ボクが言える叱咤なんてないからさ』

 

「私も同じだ。今のマシュとジャンヌに必要だから、そうしただけだ。手段は少々以上に強引だったがね」

 

『そうだね。それに、この茶番も二度目だし。狼君も何だかんだで、マシュを気に掛けてくれるんだろう』

 

「……―――二度目。成る程。あのアサシン、そう言う気遣いも出来る類のサーヴァントか」

 

『そうだよ。四六時中眉間に皺寄せた仏頂面だけど、そもそもボクが君付けしても、構わぬとか言って許してくれる程度には、気安い人だね』

 

 ……そんな騒ぎも過ぎ去り、数時間。森が生い茂る山間部を進み、日も没する寸前となり、もう夜になる夕暮れの時間帯。

 所長を先頭に、カルデア一行は次の目的地へと歩いていた。

 要である藤丸を中心とし、エミヤは殿となり、忍びは前方を警戒する為に所長よりも更に先へと進んでいた。

 

「す、すみません……本当、もう、本当にすみません……」

 

「いえ、大丈夫ですから。それにオルガマリーにさせる訳にもいきませんし、男性に任せるのもマシュに酷でしたから」

 

「すみません、すみません……すみません……‥」

 

 青い顔をしたマシュが背負われていた。誰が如何見ても、子供が親がするように、あるいは姉が妹にするような―――仲良しこよしなおんぶだった。ジャンヌは寸前に何とか助けだしたマシュを背負い、一切動じることなく森の中を突き進んでいた。

 

「君は、確か毒性には強いと聞いていたのだが?」

 

「その筈なのですが、何故か私の中の英霊さんが酔いは毒判定しませんでした……」

 

「そうか……ふむ。ならば、今のマシュには毒ではないと判断したのかもしれんな」

 

「どう言うことでしょうか、エミヤ先輩?」

 

 時と場合によってさん付けか先輩付けで変わるマシュの呼び方にエミヤは疑問に思うも、今は良いかとそのまま話を続けた。

 

「毒と薬の境界線は、時と場合と容量で決まるからな。今の君にとって、あれ位にまで悪酔いした方が薬となったのだろう」

 

「ほうほう……―――成る程。そう言う考え方もあるのですね。

 隻狼の苦しかった言い逃れも、今のマシュからすれば強ち間違いではないと言うことですか」

 

 マシュを背負うジャンヌが意外そうにするも、エミヤの答えに関心を示した。

 

「事実、精神的にはかなりリフレッシュ出来たと見えるが。違うかね、マシュ?」

 

「あー……うぅ……その、私はぁ―――あ”ぁぁあ”あ”あ”……忘れたいです。フォウさんも心なし、私から距離を取っています……」

 

 現状はそのフォウはマシュから離れ、所長の頭部で丸まっていた。所長も所長であんな性格なので、フォウの行動を普通に許していた。

 

「安心して下さい。誰しも、酒の場で醜態を晒すことはあるものですから」

 

「そ、そうなんですか!?

 あのーでしたら、もしかしてジャンヌさんも……?」

 

「ないですね。精々が嗜む程度でしたから」

 

「ほら、やっぱりそうじゃないですかぁ……―――は!

 もしかして先輩は―――?」

 

「ごめん、マシュ。俺、未成年なんでね……泥酔するまで飲んだ事なんてないよ」

 

「そうですよね。ふふふ……私、私だけ……」

 

 涙は流さなかった。だって女の子だもん、と顔をマシュはジャンヌの背中に隠した。そして、そんな会話を所長は背後から聞きつつ、やはり私の隻狼は最高ねと賞賛する。実際もう余り蟠りもなく、マシュとジャンヌと藤丸は接することが出来ている。所長とてジャンヌの事情は隠しておいた方が良いのは、二人の精神的に良いのは分かっていた。特異点の最後に露見するとは言え、それまでは世界を救う使命感のまま戦えるだろう。

 ……しかし、それは不義理だと思うのだ。

 人が人を殺すが、所長はその立場から、藤丸とマシュに人殺しをさせないといけない。なるべくそうはしたくないが、特異点解決にはどうしてもそうなる場面も在るだろう。

 何より現実は現実として、思考や感情を曇らせず認識し、その上で二人は生き抜いて貰わないと困る。これより七つの特異点で対峙する英霊共に、その手の欺瞞は通じない。一人の人間として戦えぬ者に、英雄が自分から手を貸すことなど有り得ない。

 ならばせめて、そう言う人間に成長させるのが上司の勤め。部下が商売相手と交渉し易い人間性に育てることもまた、オルガマリーの所長としての職務である。

 

(―――主殿……前方に)

 

 その時、傍迷惑な方向で部下思いな上司の脳味噌が忍びの声を拾う。

 

(あら、人ね。確認出来たから、戻って来なさい)

 

(……御意)

 

 念話にて報告を受けた所長は自分のサーヴァントを戻す。確認出来た人影を見て少しだけ思案したが、何の問題はないと判断。情報は多ければ多いほど良く、何よりもこの辺における竜血騎士団の動向も知っておいて損はないだろう。姿が確認しているか、されていないかだけでも分かれば、ラ・シャリテまでの道程も計り易い。

 

「フォウ。ほら、もうマシュの所へ戻って上げなさい」

 

「フォーフォウ!」

 

 所長は立ち戻り、後ろの四人に声を掛けた。

 

「隻狼から報告よ。少しだけ先に、人がいるみたい」

 

「む、そうなのか。すまない。私の千里眼ではこう生い茂った森の中だと、まだ視認できる距離ではないな」

 

「その為の私の隻狼よ。気にすることじゃないわ、エミヤ」

 

「そうか。ならば、それを報告した理由は、その人物と接触するためかね?」

 

「御明察だわ」

 

『現地の住民との接触ですか……うーむ、どうなんでしょうかね。探索する為に情報収集が必要ならいざ知らず、今はもう最低限必要な情報はありますし、ジャンヌ・ダルクからの情報提供で自分達がすべきことも明確になりました。ですから、不用意な干渉は互いに不幸なことになるかもしれませんよ?

 今更なことですが、この特異点の敵陣は故意的に人間の邪悪さが凝縮されているように感じるのですが……所長は、そうは思わないので?』

 

「そうでしょうね。黒幕は特異点維持に、娯楽として残虐性を楽しんでいる節は見られるから。作為的に狂暴な吸血鬼を手下にしているのは明らか。

 ……けれども、気になることがあるのよね」

 

「それって、どういうことですか?

 俺達はもう一人のジャンヌ・ダルクである竜の魔女と、聖杯の持ち主だろうジル・ド・レェを倒すのが目的だって分かったじゃないですか?」

 

「最終目標はそれね。でもちょっと、あの吸血鬼共のことも気になって……ほら、あれって疫病みたいなものじゃない?」

 

 疫病。その単語だけでロマニは所長の思考を把握した。第一特異点として選んでいたが、既に全てが終わっていたも可笑しくない危機的状況であり、だからこそ心配したところでカルデアが来た時点で手遅れでもあった。

 

『―――成る程。確かに変ですね。

 ヴォークルールで集められたのは竜の魔女や騎士団、そしてワイバーンによる被害でしたからね。その辺の情報は、現地を見ないと情報を得られません。しかし、だからこそ……このフランスが、吸血鬼だらけになっていないのは、逆に可笑しいと所長は思ったのですね?』

 

「ええ、そうよ。吸血鬼が手駒に居るなら、聖杯で感染力を増幅させて、そもそもパンデミックを引き起こせば良いだけだもの。ネズミ算に増殖した戦力で、まるでゾンビ映画みたいにフランスをあっという間に吸血鬼の楽園に変えられるでしょう。

 そうすれば特異点修復など出来ないし、我らカルデアは、吸血鬼になった市民を虐殺する必要もあります。其処まで行くともう修復は不可能。この特異点によって人理は完全崩壊していた筈」

 

『でしょうね……―――ふむ、思い付いていないとか?』

 

「まさか。人間を滅ぼすのに、不治の病は最適解よ。それも感染者全てが味方になるなら、これが有効な滅ぼし方だと……あのアッシュ・ワンが考えない訳がない。あの女が傍に居るなら、必ず提案していることでしょう」

 

「……オルガマリー、ジルとあの私はそうしません」

 

 絶対的な確信を持ってジャンヌは答えた。その方法をあのジル・ド・レェが思い付かない訳がなく、復讐の為なら全てを為す竜の魔女が思案しない訳もない。

 

「何故?」

 

「殺したいのです―――この、フランスを」

 

「へぇ……やっぱり、復讐の為かしら?」

 

「恐らくは。あの二人に侵略者から助けられた後、療養していた私には決して煮え滾るような憎悪を見せませんでしたが、この特異点を回ってフランスの現状を知りました。そこから、あの私とジルが何故そうしたのか考えれば、それが答えなのでしょう。

 フランスを、フランスとして―――滅ぼし尽くす。

 ブリテンから来た侵略者を根こそぎ皆殺しにしたあのジャンヌ・ダルクとジル・ド・レェは、それでも憎悪が止まらなかったのでしょう」

 

「復讐者の理念ってヤツなのね。復讐する相手がそうじゃなくなったら、そもそも怨讐も癒えないと?」

 

「理屈としては、ですかね。けれども、私は…………―――分からないんです」

 

 彼女が言わずとも皆が分かっていた。ジャンヌ・ダルクが怨讐を共感出来ないのだと、背負われているマシュは体温と一緒に伝わって来た。

 竜の魔女ジャンヌ・ダルク。自分が理解出来ない人間性で復讐を唄うもう一人の自分。姿も声も一緒で、捻くれた性格だと接してみて良く分かったが、それでも彼女は確かに自分自身であった。なのに何故その自分が、自分には無いモノで戦えるのが分からなかった。

 

「―――ジャンヌさん」

 

「あ、いけませんね。ちょっと湿っぽくなってしまいましたか……で、話を戻しますけど、私は別にオルガマリーに反対はしませんよ。

 私も竜血騎士団の所業は知っていましたが、吸血鬼そのものの危険性を甘く見ていた可能性もありますから」

 

「じゃあ、決まりね。噂話でも良いから、近くの人里で聞いてみましょう。遽しかったヴォークルールじゃあ、その辺の情報は無かったし」

 

 相変わらずマイペースな所長に続いてカルデア一行はその住民を目指して進む。不安事項は一つでも潰すべき、と言う判断に従う皆は迷いなく彼女へと付いて行った。

 そして、発見したのは狩人だった。鬱蒼を生い茂る山間部の森林地帯にて、獣を狩っていた人物であった。カルデアからしても第一村人発見なのでそれなりに気を張っているが、その狩人からしてもカルデアは怪しさ満点。衣装や人種は魔術で誤魔化しているが、それでも漏れ出る雰囲気と言うものがある。

 

「―――おや、こんな山奥で団体さんかい?」

 

「あら……すみません。どうやら、狩りの邪魔をしてしまったようで」

 

 獲物である野生の鹿を射殺し、血抜きしたそれを運んでいる最中の狩人に所長は短く言葉を掛ける。自分の中の狩人像がヤーナム一色に染まっているが、ハンターとは本来こう言う人であることを思い出させる一幕であった。そして、実に見事な気配遮断の技術であり、こうして近くまで寄らなければ狩人の存在感に気が付くことが出来ない程でもあった。

 森に解け込み、自然と一体化する日常。

 当たり前な山暮らしが可能とする狩猟。

 次の目的地であるラ・シャリテに向かう途中のカルデア一行は、この特異点化したフランスでまだ一般生活を続ける普通の人に初めて出会った。

 

「それに、そこの背負われているお嬢さんは……―――ふぅむ。もしかして、具合でも悪いのかい?」

 

「ええ、はい。少し」

 

「そりゃいけないな。御医者様はこの辺にゃいねぇーからな……」

 

 ジャンヌに背負って貰うマシュを見て、その顔色の悪さから危険な状態かもしれないと狩人は判断した。本当はどぶろくを飲み過ぎて悪酔いしただけなのだが、それを知らない者からすれば年頃の娘に死相が浮かんでいるように見えることだ。

 特に、マシュのような儚気な少女であれば尚の事。今直ぐにでも胃の中身を吐き出しても不思議じゃない程の焦燥ぶりで、精神も折れているように見えてしま得るだろう。

 

「……見たところ旅人のようだけれども、そうさなぁ……良ければ、寄るかい?」

 

「良いのですか。此方としては本当に有り難く、是非にでもとお願いしたい所でしたから」

 

「構わんよ。旅の御方達を持て成すのも、また一興」

 

「ありがとうございます!」

 

 完璧過ぎる猫被り。感謝の言葉に裏は無いと錯覚する演技。この女性が流血と臓物を喜ぶ狂った赤子の狩人だとは思うまい。ヤーナムらしい血生臭さも気配から消し去っていた。

 そうして所長の魔術による誘導もあったとは言え、遭遇した一般狩人からは悪くない結果を得ることが出来た。洗脳とは違うが、より好印象を受け易くなる暗示により、人格が善良である狩人は快く旅人だと錯覚した彼らを受け入れてしまったのだった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 テーブルを囲む所長達。そして、彼がこの六名もの団体客を気を良く受け入れた善良なる狩人であり、その人こそこの家の家主であった。

 

「本当に、本当に、ありがとうございました。我が事ながら、こんな壮絶的に妖しい連中に宿を貸して貰い、況してや食事まで馳走して貰いまして……」

 

「……良いんだよ。困った時はお互い様さ。それに、ちゃんと駄賃も頂いたしね」

 

 夕飯まで頂き、もてなされた食後の間。所長はこの狩人が稀に見る善人であることを実感し、種別としては藤丸に近い人間性の持ち主だと思う。

 理由として、第一に料理に手間を掛けられていた。第二に、カルデア一行六名が座れる簡易的な食事スペースさえ準備してくれた。

 

「ええ、感謝してますからね。なので、マネーに色は付けました」

 

「金に困って無いから、こんな要らないんだけどさ」

 

「良いじゃないの。会って困るモノじゃないんだから貰っておきなさい、アナタ」

 

「そうかな……まぁ、そうだね。これだけあれば、子供が家を出て行くまで金に困ることもないだろう。それに新しいオレ達の子供を育てるのにも、あり過ぎることもないかな」

 

 妊婦であろう自分の妻の腹部を愛おしそうに撫でながら、男は実に幸せそうに客人を持て成していた。

 

「ふふふ」

 

「すみません、奥方。家族団欒の中、失礼させて貰いまして……」

 

「良いのですよ。あの人が招いた御客様ですから、ゆっくりして下さいね」

 

「ええ、ありがとうございます」

 

 山で遭遇した狩人は世帯持ちであり、妻と子供を養う立場にあった。どうやらこの地域では凄腕の狩人らしく、小さな農村ではあるがお金持ちであるようだ。それでもこの時代、金の使い道が余りない農民でも、金銭はいざという時に非常に重要だ。

 そうして、食事終わりのテーブルを片付けた後、親切な狩人とその妻が部屋を後にした。個室は皆だけとなり、屋根のある場所で食後の会話をゆったりと開始した。

 

「……でも、所長。そのお金、何処で手に入れたんですか?」

 

「何処って、勿論拾ったのよ。何か落ちてたから」

 

「―――――――――」

 

 自分達以外に人がいる家の中、所長が魔術で誤魔化しているとは言え、常識人である藤丸は叫ばないで何とか黙っていた。しかし、状況が許すならこう言う事だろう―――それ泥棒です、と。

 なので、ボソボソと話し込む所長と藤丸。藤丸の隣に座るジャンヌもそれが耳に入り、所長の対面に位置するマシュも同じく聞こえていた。勿論、常人を遥かに超えた聴覚を持つエミヤと忍びも同様だろう。

 

「―――所長、貴女は何を考えているのですか?」

 

「え。何よ、マシュ。そんな子供を叱るお母さんみたいな表情して」

 

 全く以って長過ぎたヤーナム生活の弊害だろう。路上に転がっている屍が宝箱にしか見えないのは、狩人として至極当然の常識でもあった。むしろ、死体漁りが趣味ではないヤーナムの狩人など存在しないだろう。死んだ人間の所持品は自分の物であり、生きた人間の所持品は殺してから自分の物にする。相手が敵対者ならば何も問題はなく、放置される仏様は等しく狩人にとって狩りの恵みに他ならない。

 うんうん、とマシュの言葉に頷くカルデア一行。

 だが一人だけ例外がいた。彼女がサーヴァントとして契約する隻狼と呼ばれる忍びは、大きな銭袋を死体から拾えば笑みが思わず零れてしまうように、所長の気持ちが大変良く分かる。戦国の世、そもそも人間の生首が銭へと換金される人間社会であり、死体漁りは武者の嗜み。忍者もその辺の常識は似たような者。まこと主従揃って倫理観が結構末期状態なのも似通っていた。

 

「良いじゃない。その特異点で使える物資は貴重なのよ。それにこの特異点を解決すれば、自然と元の持ち主に還されるんだし構わないでしょう。

 勿論、私とて倫理的に外法なのは分かっていますけど」

 

「君はそうやって、責められ難い言い訳をするのだな。だが、私も考え方には賛成しよう。元より少数精鋭のゲリラ戦をするしかない現状、使いたくないからと手段を選り好みする訳にもいかないだろう。

 それこそ人命を守りながら戦うとなれば、尚の事。

 死体漁りは些事ではないが、金銭は情報を得るのに尤も手っ取り早く、また信用を得るのも早い手法だ」

 

「……同じく」

 

「みんなリアリスト過ぎる。なら、ジャンヌもそんな考えなの?」

 

「え、えー……まぁ、そうですかね。私も軍隊を率いていましたから、理屈は分かります。

 自軍の戦争維持の為に、侵略者である彼らがフランスの領地から奪い取った財産をまた奪い取り、それで大砲を贅沢に使いましたからね。

 私達も少数とはいえ、国家を滅ぼす程の軍勢を相手に戦争を仕掛けるのです。

 オルガマリーに賛成する訳じゃないですけど、戦争屋をしていた私も同じ穴の狢ですし、自分の目的の為に必要ならば倫理に背く事も目を瞑らないといけない事もあります。戦争中の殺人行為など、その最たるもの。部下を持つ身としてなら、私が彼女の立場なら同じことをするでしょう」

 

「過激派だったのですね、ジャンヌさん……―――しかし、いえ。ならば私も、この特異点で相手に勝つ為の思考回路を勉強しなくてはなりませんね」

 

「いや別に、マシュはそう言うのは考えなくて良いのよ。これはカルデア所長である私の仕事だからしてるだけだし……でもま、吸血鬼は私の考え過ぎだったみたいね。ジャンヌの言う通り、奴らは人理焼却の為に虐殺をしているのではなく、自分達の復讐の為に世界を焼いていると見て間違いなさそう。

 この家の人や、周囲の人から使い魔や魔術も使って“視”てみたけど、パンデミックはフランスで起きてはなさそうね」

 

 狩人の夢に住まう可愛らしい使者。まるで崩れた脳の欠片が人の形を為したような姿が、意志を啓蒙されそうな程に神秘的でありながら、所長にとって精神の一部でもある存在。もはや心象風景である彼等は、こう言う場面でも非常に有効だった。

 

「―――となれば、だ。我々の当面の敵は、竜の魔女一派となろう」

 

「エミヤ先輩の言う通りですね。敵に死徒のような感染タイプの吸血種がいる現状ではありますが、想定される最悪のシナリオとなる訳ではなさそうです。

 けれど竜血騎士を見た雰囲気、話に聞いた死徒ではないと思われますが……所長?」

 

「特異点に元からいたのを利用したのかもしれないけど、どうでかしら?

 死徒は英霊と相性悪いし、主犯格のジル・ド・レェも英霊なので、最初から令呪で命令権がある方を手駒に選ぶだろうからね。敵も英霊で戦力揃えているだろうから多分、そいつは吸血鬼の伝承を持つサーヴァントでしょう」

 

「うーん……吸血鬼って聞くと、ヴラドとかかな。後、ヴァンパイアって小説とか?」

 

「確か、ブラム・ストーカーの小説でしたか。英霊ジャンヌ・ダルク(私の中の私)の知識にもヴァンパイアとその小説の情報がありますけど…‥―――ああ、そう言うことですか。

 英霊としての私が知っているってことは、サーヴァントとして知っているべき座の知識と言うことですね」

 

「だ、そうだけど。エミヤと隻狼はどうなのよ?」

 

「……しかり」

 

「彼女と同意する」

 

「じゃあ、決まり。第一予想は吸血鬼の伝承持ちサーヴァント。第二予想が現地吸血鬼の利用ね」

 

 そう言い切った所長は懐からボトルを取り出し、そのままテーブルに置いた。更にどんなトリックが使われているのか全く分からないが、一切の魔力反応なくグラスを一つ。

 ……トクトク、とボトルの中身をグラスに注ぐ。

 蜂蜜色の綺麗な液体に満たされ、強烈なアルコール臭が部屋に満ちた。

 

「じゃあ、後は自由時間としましょう。朝まで英気を養うように…‥あ。後ね、当然だけど余り親切にしてくれた人達に迷惑を掛けないようにね。カルデアの人間性が疑われてしまいますので。

 けれども、うーん……そうね。隻狼、今日はもう見張りは良いから、暇なら今日は付き合いなさい。酒を飲まなくても良いし、忍具の整備もして良いから」

 

「………御意。なら、主殿……こちらを……」

 

「あらま、おはぎじゃない。どうしたのよ?」

 

「お米は……大事で、ありますれば」

 

「そう。うん、おつまみありがとう。頂くわね」

 

「……は」

 

「ほら、貴方も飲めるなら飲みなさい」

 

「すみませぬ」

 

「真面目ね、相変わらず……けど、まぁ良いわ。ちょっと思い付いた事があるから、今日は貴方の意見も聞かせてね」

 

「御意。主殿……」

 

 洋酒におはぎが合うのか全く分からないが、未知こそ所長が求める神秘。ならば、この知りえなかった知識を得る為に挑戦してこそ狩人の本懐。そんな知的好奇心に満ち溢れながらも、隻狼と自分の戦術について今日の反省をする為、酒を飲みながら所長はサーヴァントと会話を愉しみ始めた。

 

「皆さん、私は少し外の空気を吸って来ますので」

 

「分かったわ。気をつけてね」

 

「はい、ジャンヌさん」

 

「オーケー」

 

「ええ。寝る前には戻りますので」

 

 右目の眼帯を締め直し、ジャンヌはそう断った後に部屋を出た。今日は色々な事で溢れていたので、一人になる時間が欲しかった。英霊としての彼女ならば必要ないのかもしれないが、ただの人間に過ぎないジャンヌ・ダルクは当たり前のように悩み、苦しみ、戸惑ってしまう。

 

「あー……綺麗なお姉さん。どうしたの、トイレ? トイレはあっちだよ?」

 

「ふふ。トイレではありませんよ。ただちょっと、外の空気でも吸いに行くだけです」

 

 良い環境で育ったと良く分かる人懐っこい幼い女の子が、ドアから出て来たジャンヌの元に近寄って行った。自分の父親が連れていた客人が気になって仕方がないと言う様子が一目で分かり、だから彼女も幼子に優しく接していた。

 

「なんで、気分でも悪いの?」

 

「そうではないです。ただ単に、そう言う気分なだけですからね」

 

「うー……そうなの。でも、でもね、この家で困ったら何でもわたしに聞いてね!」

 

「はい。ありがとうございます」

 

「うん!」

 

 カリスマ性に溢れた聖女に惹かれるのも無理はなく、同じくカリスマに裏打ちされた言葉に逆らう気など子供に湧く訳もない。ジャンヌに頭を撫でられた子供は元気に返事し、外に出たいと言う聖女の行動を阻まずそのまま離れて行った。

 

「あら、どうしかしましたか?」

 

「すみません。少し外に出たいのですが……宜しいでしょうか」

 

「大丈夫ですよ。入る時は扉をノックして下さいね」

 

「感謝します」

 

 玄関の閂を引き抜き、狩人の妻はジャンヌが外に出る事を許した。そもそもの人間性が善良である為か、世間体など関係無く本当に面倒だとも思わず、何ら問題なく玄関から外へ出た。

 

「――…………はぁ」

 

 兎にも角にも疲れていた。肉体的にも、精神的にも、限界はまだまだ遠いが休憩が必要だった。樹の一本に背中を預け、顔を上げて月と星が輝く夜空を見て、しかし思考回路はまるで晴れない。ジャンヌは意図的に溜め息を吐いたが心の底に溜まり固まる澱は消えず、泥沼となって精神を黒い世界に捕えていた。

 

“さて、取っ掛かりには辿り着きましたが。けれども、カルデアですか……”

 

 信用はしている。啓示もしている。だが、やはりまだ信頼には達していない。藤丸は裏表のない善人で、あの場で見ず知らずの人々の為に命掛けで戦え、ジャンヌにとって既に恩人でもある。マシュも接してみた限り、精神が限界の瀬戸際に立たされながらも、それでも逃げず懸命に戦っている少女であった。

 この二人は信頼して良いだろう。エミヤと隻狼も、そうして良いと直感している。

 しかし、オルガマリー・アニムスフィアは決して信頼してはならない。そう自分の中の第六感覚が訴えている。通信をしていたロマニ・アーキマンが怪しかったように、オルガマリーもジャンヌには怪しく思えたのだ。人理焼却を解決して人類史を救おうとしているのは本当であるのだろうが、それとまた別件で罪を犯している。しかし、今は大事の前の小事。探りを入れて相手から自分が不信感を覚えられるような事をする必要はないと思い、彼女は敢えて危機感に目を瞑った。

 

「……悩み事かね」

 

「エミヤ……ですか。私に何か?」

 

「いや、用は無いのだがね。ただ話をしておきたいと思っただけだ。今は大丈夫かな?」

 

「ええ……はい、大丈夫ですよ」

 

「ふむ。そうか、では――――」

 

 憐憫とは罪ではない。無論、悪でもない。エミヤがその情を抱くのも無理はなかった。生前の自分と同じ誰かを見れば、その先に待ち構える未来は一つしかない。言わなくとも良いが、告げずにはいられない。

 ―――死だ。

 抱いた理想が重石となり、絶望に溺れ死ぬ。

 救いたいと言う願望が人を人以外の何かへと至らせる。人間性の化身とも言えるアレは、そんな人間が人間を救う為に力を貸す機会を見逃さない。

 

「―――契約したな?」

 

「…………………っ―――」

 

「ならば、ジャンヌ・ダルク。君は選んでしまったか」

 

「―――……貴方も。エミヤはもしかして、そうなのですか?」

 

 不可思議な話だった。特異点に同一存在が同時存在する矛盾に対し、更にその人物同士が一体の存在として生きている現象。英霊の座にいる自分は同じ魂でありながら別個の存在な為、生前と死後の自分が同じ世界に居ようとも抑止の対象にはならないが、それならば別に英霊として召喚されるのが普通だろう。

 ならば、からくりは一つだけ。エミヤの経験上、生身の人間が願わねば、そうはならない筈。だからエミヤシロウは見逃せなかった。

 

「ああ。だから、言っておこう。その先は―――地獄だぞ」

 

「分かっています。けれど、それでも私は―――後悔だけは決してしません」

 

「そうか……―――」

 

 せめてもの救いは、此処が特異点であると言う事か。契約とは言え、守護者に堕ちる訳ではない可能性がまだ存在する。そして、ジャンヌ・ダルク自身が人々から信仰を得る聖人であると言う人類史上の事実。守護者として座が存在しているのではなく、既に正規の英霊としてジャンヌ・ダルクと言う概念が座に居場所が在るのだろう。

 

「―――ならば、良い。私とてこれ以上、何かを言える立場ではないからな。

 だが今の君は人間であろう。なるべく早く、家に戻って休み給え。自分の命を使い潰す気でいるのだとしても、今はまだ自分自身に優しくするべきだ」

 

「そうですね、エミヤ。分かりました」

 

 返事を聞いた彼は表情を変えず、それ以上何も言わず、今日の宿となる家に戻って行った。マスターや所長に指示された訳でもなく、カルデアの管制室も周囲を警戒しているが、彼は自主的に弓兵の千里眼を生かした見張り番に戻って行った。

 

「…………生きるって、苦しいですね」

 

 そんな独り言を漏らし、ジャンヌはまだ一人で居たいと心の中で弱音を吐いた。

 





















 狼さん、恒例の飲酒イベントは魔酒が最初でした。戦国時代出身なので、子供に御酒はどうかという常識はありますが、忍びリティ的に十を超えればもう成人として扱います。しかし、現代常識もちゃんと与えられているので、今はそうだから止めておこうと思いつつも、自分の時は大丈夫だったしまぁええやろとも思っています。
 読んで頂き、ありがとうございました。
 次回は竜血騎士団心得、エンジョイ&エキサイティングな更新目指して執筆します。


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啓蒙18:車輪の作り方

  車裂きの刑(Breaking wheel)

 被処刑者の四肢の骨を砕いて梟示・処刑する方法。車輪に固定した四肢の粉砕。車輪を用いた四肢の粉砕。また粉砕後に車輪に括り付けるなど、地域や時代によって過程に異なるところがあるが、粉砕された被処刑者の肉体が車輪に括り付けられて梟示されるのは共通となる。車輪を用いるのは、古代に太陽神に供物を捧げる神聖なイメージがあったためとされる。

 ※フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照。

 とのことで「この先、車輪骸骨に注意しろ」のメッセージを前書きします。
 しかし車輪が太陽のイメージだと考えると、不死を車輪に括り付けて亡者後骸骨化処刑していた連中はダークソウルだと何処所属なのか不思議ですよね。絵画世界はグウィンの居城であるアノール・ロンドにありますから、地下にいた大量の不死だった亡者の更なる成れの果てである車輪骸骨は、太陽神に対する捧げ物だったのでしょう。そして、車輪骸骨は骨ニートの地域にも沢山います。そう考えると、不死を処刑していた宗派と考えると怪しいのは白教であり、主神ロイドの正体も色々と考察出来ます。
 となれば、ロイドもまた太陽であり、ニトも太陽神の属性を持っているのかも、みたいな雰囲気です。個人的には、ニトとグウィンが人間共に人間から生まれた不死を自分達で迫害させる為に神話として作った架空の主神派ではありますけど。ついでに人間が主神ロイドを信仰すれば、そのソウルパワー的な奇跡の物語が伝承として王のソウル持ちの力に変換されてたんじゃね、と思っています。まぁ、最初の火の写し身が太陽みたいなものですので、王のソウルを持っている三柱と暗い魂の持ち主も、言うなれば太陽神みたいな闇の生物なのかもしれませんが。後、ダクソ3のカーサスで出た車輪は、多分覇王が車輪刑で人々を処刑しまくった名残なのかなぁと考えてます。
 またこの辺の妄想は時系列設定に組み込んでいますので、車輪骸骨と白教の関係はこの二次創作だとそんな雰囲気にしています。



 竜血騎士団詰所。オルレアンに設置された本陣。その要塞から離れた場所にあり、ヴラド騎士団長によって運営される竜の吸血鬼による部隊であった。しかし騎士団長であるランサーのサーヴァント、ヴラド三世は単体でその騎士団全てに匹敵する一匹の吸血鬼。竜の魔女によって兵器として運営される単独戦力であり、普段はこの国がオスマンであると錯覚されたフランスを焼き尽くす為、ほぼ毎日襲った街や村の住民を串刺しにし、抑止力として召喚された敵陣サーヴァントも串刺しにする毎日。

 ならば、また別に指揮官がいた。

 部隊に分けられた騎士団を纏めるヴラド騎士団長に従う副官がいた。竜血騎士共に団長とランサーが呼ばれるように、その吸血鬼は副団長と呼ばれており、隊は実質その男が纏めていると言っても過言ではないだろう。

 

「はぁ……はぁ、あ―――あぁ!」

 

「…………」

 

「あぁ……あ、あ、あー……っ」

 

「……ふぅ」

 

 とは言え、元より徒党を組んだ血に飢えた獣の集団。命令すれば各々が好き勝手に皆殺しにし、洗脳されて植え付けられた戦術通りに連帯を組むだけ。言わば、魔女の怨念で調教された猟犬に他ならない。副団長が何処を襲え、あれを襲えと指示すれば、吸血鬼に抵抗する能力を持たない人間(エサ)を虐殺するのに、細かな戦術など要らない。

 本当に、彼らにとって人など餌に過ぎない。喰らえと命じるだけで良い。そうすれば何も考える必要もなく、餌場で生き血パーティを繰り広げるだけとなる。

 

「ア、ハァ……アアアアア!」

 

「く、むぅ……」

 

 よって、暇潰しに副団長が走るのも必然だ。大き目のベッドが一つある暗い部屋にいるのは対面するように女を自分を跨らせて座らせている男と、その男に群がる幾人もの女体。そして、疲れ果て床やベッドに寝転ぶ裸体の女達。

 ―――性に飢えた狂宴だ。

 捕えた女を貪り喰らう獣の御遊戯だった。

 副団長に選ばれた男は吸血鬼となり、ワイバーンの血を吸うことで竜の眷属となり、そして人外の化け物になった。だが、人間だった頃と何一つ変わらなかった。罪人として牢獄に叩き込まれた時の人間性のまま、男は人間以上の怪物となって何も変わらず人生を自分なりに愉しんでいるだけだった。

 

「副団長、出撃命令でっせ!」

 

「あー……ったく。見りゃわかるだろ。俺は今忙しいっての。そらよ、フンフンフン!」

 

「アァアアアーー!」

 

「そーは言いますが、団長様からの御命令ですぜ」

 

「―――あん?」

 

 突如としてその暗がりの部屋に入って来た騎士に副団長は悪態を()きながら女を()くも、団長の名を出されたことで動きを止めた。

 

「カルデア狩りですぜ。魔女様の啓示の通り、我ら竜血騎士団の楽園を滅ぼしに、クソッタレ共が遂に来たそうでっせ!」

 

「ナヌゥ……?」

 

 副団長は罪人出身の吸血鬼だが、その手で抑止として現れたサーヴァントを殺した事がある元傭兵の竜血騎士。剣術や体術の技量だけを考えれば、それこそ殺戮技巧の技能を持つ人間だった化け物だ。そんな者が人外の身体能力を与えられれば、その戦闘能力だけで副団長に選ばれるのも当然。更に歴戦の傭兵であり盗賊だった罪人故に、戦争において集団戦でも高い戦術を行使する。

 だから、嗤わずにはいられない。

 殺して殺して、殺し続けて、遂に国家権力に捕縛されて死刑を待つだけだった身。

 若い頃ならば国家に仕える兵士など容易く殺して逃げられたが、もはや老人と呼べる年齢となり、戦場を渡り歩いた事で負い続けた怪我が男を弱くしていた。殺戮技巧は鈍らずとも、身体能力はもはや弱兵に過ぎなかった。そうなれば悪逆から足を洗って真っ当な人生を送ろうとしない限り、国に捕まって死刑となるのも当たり前な未来。

 

「ククク……」

 

 だが、それら全ては魔女様と騎士団長様によって覆った。若い頃以上の肉体で以って、今まで培った技術を振って人を殺す事が出来た。牢獄からも脱し、化け物になって思う儘に人間を殺せた。

 

「……カルデアかぁ」

 

 サーヴァントを殺すのは、酷く面白い。奴らの流血を啜れば、更にこの体が強くなる。

 

「ア……ハァ、あ―――イヤァァアアアア!!」

 

 ならばもう用済みだ。貫いていた女の首筋に齧り付き、その生き血を鱈腹呑み込む。そして、男は自分の血液を女に流し込む。しかし、暇潰しで用済みになったからと殺しはしない。見た目が良い女は、騎士団の士気向上に重要な道具。戦果を上げてよりフランスに戦火を広げた騎士に与える報奨だろう。更に人間から吸血鬼にしてしまえば、もっと頑丈な玩具となる。そんな竜血騎士団のシステムを作ったあの“人間”を、副団長は化け物になったと言うのに恐怖しかなかった。

 あの灰と名乗る女は外道を更に腐らせた邪悪であった。

 悪だとか、闇だとか、そう言う概念で現せるモノではなかった。

 恐怖と言うカリスマ性に満ちた黒い女王。団長の後ろに魔女がおり、その後ろにあの狂った元帥がおり、その裏側にはあの女が竜の亡国には存在している。

 逆らう気など―――起きる気にもなりはしない。

 

「おい、他の玩具はテメェらの好きにしな。オレっちは用事を済ませてくらぁ」

 

「グッヘッヘッヘ、有り難てぇ。感謝しやすぜ、副団長様」

 

「偵察部隊は?」

 

「樹や草に擬態中らしいですぜ。連中まだあのワザを見抜いていねぇみてぇです」

 

「オーケーオーケー、んー実にグッジョブ!

 じゃあ、俺ら竜血騎士団―――英雄狩りに洒落込もうとしようか!!」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 朝日は特異点だろうと昇るもの。むしろ、全て焼却された世界に日は昇らず、火だけが世を焼きながら照らすのみ。今となっては殺戮が繰り広がる特異点と言う地獄だけを、光の源である太陽は照らしている。管制室で支援する皆は日の光に当たれず、現地で戦う者が健全な空間で呼吸が出来るのは皮肉な話なのだろう。

 

「一晩、ありがとうございました」

 

「いえいえ、大丈夫さ。それにしても、そちらのお嬢さんはもう大丈夫かな」

 

「あ、はい。マシュ・キリエライト、完璧に回復しました。トマスさん、御好意感謝します」

 

「ああ、困った時はお互い様だよ。忘れ物はないかい?」

 

「はい、大丈夫です!」

 

 この家の家主はマシュに優しく微笑んだ。暇な時は狩りを営み、酪農もする農家でもあるトマスは、やはり人助けは無駄にはならず、こうして厚意によって金銭も得る事が出来た。無駄になることも多いが、良い事をすればそれは自分に帰って来ることもある。

 ―――情けは人の為ならず(Un service en vaut un autre)

 万国共有な諺通り、業は巡り巡って還るもの。今回は直ぐ様に金銭と言う形でこの狩人に還ったが、善人は損もするが得もそれなりにあるものだ。

 

「えー、とーちゃん。お姉さんたち、もういっちゃうの?

 わたし、まだ遊んでもらってなーいーのーにー」

 

「駄目よ。ちゃんと、さようならって言わないと」

 

「でもね、かーちゃん……んー、わかりました。みんな、さようならね!」

 

「ええ、さようなら」

 

「はい。さようならです」

 

 そんな光景を藤丸は笑いながら見届け、自分も挨拶をした後は可愛らしい子供に手を振った。そうすれば、あの夫婦が育てた利口な幼子は、彼に対して嬉しそうに全身を使って手を振り返す。

 

「お世話になりました。お元気で、トマスさん」

 

「ああ、オルガマリーさん。御達者で」

 

 そう微笑む所長が出した手をトマスは握り返し、山の森で出会った狩人とその家族とカルデアは別れを告げたのであった。

 

「では、出発します。目的地はラ・シャリテ、今日は余り休まず進みますからね」

 

「はい、所長!」

 

「マシュ・キリエライト、了解です!」

 

「うむ、結構。元気で宜しい!」

 

「……元気ですねぇー」

 

 余りに眠れなかったジャンヌは、何だかんだ結構元気が復活しているカルデア三人衆の後ろ姿を見ながら呟いた。

 ……ワイン、今度死ぬ程呑もう。

 そんな事をジャンヌが思い悩むのも無理はないだろう。偶には頭の中身を全て空っぽにして、悩み無く深い眠りに付くのも悪くない。

 

「面白い人たちでしたね」

 

「そうだね……」

 

 農村から去って行くそんなカルデア一行を見送った後、狩人のトマスは妻の言葉に軽い返事をした。一晩だけ泊らせた見返りに多額の謝礼を貰い、当分は金銭面で困ることはない生活を思えば、自分の親切は良い方向に進んだと嬉しく思う。

 ……戦争は終わらないが、終わらない殺し合いはない。

 侵略者を送り込むあの島国との休戦も、この静かな村で過ごせば何時かは訪れる。

 周囲との関わりが少ない長閑なこの村は国家の繁栄などに興味もなく、強いて言えば税収だけが悩みの種だが、その税務官も最近は厭味ったらしい催促にも来ない日々。

 

「今日は、どうしようか……?」

 

「動物に運動でもさせたらどう?」

 

「それは、まだ良いかな」

 

 まったりとした時間。既に客人が去って数時間経過し、そろそろ“昼のディナー”にしても良いかもしれない。狩り取った獣の肉は殆んど保存食にしたが、今日の分の肉はまだ残してある。

 

「とーちゃーん、ご飯したら今度私にも狩り教えてよ!」

 

「んー…‥良いけどね」

 

「やった!」

 

「けれど、とーちゃんと行く時はお姉ちゃんやお兄ちゃんも一緒だよ」

 

「えー。ねーちゃんとにーちゃんは良いよぉ……私だけ、私だけ!」

 

 ―――ボン、とそんな爆音が聞こえたのは本当に突然だった。

 トマスは自分の家が農村の外れにある事を考え、その爆音が村の中心で起きたことを雰囲気で察した。嫌な予感などと言うレベルではない直感が彼を襲い、森の中で大熊と遭遇した時以上の恐怖心が湧き上がった。

 

「……え?」

 

「あ、アナタ?」

 

「少し見て来る。家で待っていてくれ」

 

「え、ええ」

 

「とーちゃん……」

 

 そう言って家から出たトマスは見たのは―――火の海だった。

 

「なんだ、これ……―――何なんだ、これは!?」

 

 見たこともないが聞いた事がある幻想の中にしか居ない筈の生物―――ワイバーン。トマスが暮らす村の上空を飛び回るそんな化け物が家を焼き、人を焼き、何もかも焼き払っていた。自然と足が地獄の方向へ進んでいたが、我に返った彼は咄嗟に森の木々に身を隠した。道に居れば、あんな上空から地面を見回す化け物からなんて一瞬で見つかってしまうだろう。

 そして、上空のワイバーンから飛び降りる人影。あの高さから地面に落ちれば人は死に、鎧を着込めば自重で圧し潰れる筈なのに、その騎士達は何でもないように動き回っていた。人を襲い回っていた。森に住まう狼よりも素早く、熊よりも獰猛に、実に愉しそうに村人を暴行していた。あるいは、そのまま生け捕りにして地面を引き摺り回していた。狂宴に浮かれる者ならば、下半身を露出させて女に襲い掛かっていた。

 それは―――虐殺だった。

 騎士らは武器で直ぐに殺す場合もあったが、ワイバーンは様々な道具を持ち運んでいた。あれが何なのか、考えたくもない。あの騎士達に捕まった村人がどうなるのか、トマスは想像したくもなかった。

 ……息を、静かに殺す。

 狩人として培った気配殺しで自然と融合する。

 生き物を殺す際、自分の思考さえ止める専心で彼は隠れ切った。

 

「なんで、いきなり……神よ、どうして!?」

 

 そして、処刑が始まった。遊び道具で御遊戯をする子供のように、処刑人役をする騎士が人々を殺し始めた。同時に見物する騎士達が捕らえた女を犯しながら、そのショーにヤジを飛ばしながら遊んでいた。五分もしない内に、即席パーティーが始まった。

 串刺刑。生きたまま、串刺しにされる苦痛。獣でも発しない断末摩が響き渡った。

 斬首刑。鋭く首を撥ね飛ばし、血液が飛び散った。苦痛に満ちた生首が転がった。

 射殺刑。矢の的に人を代わりにしていた。一撃で殺さず、手足から射抜いていた。

 車輪刑。手足を砕いて車輪に括る激痛。その車輪を柱に取り付けて、飾っていた。

 ……家族を目の前で殺された後、直ぐに殺される悪夢。バラバラになった人間のパーツが地面に転がっている狂気。そんな様々な処刑が一斉に、村中のあちらこちらで行われていた。

 

「あ、ああ―――…‥そうだ!」

 

 そう思い出し、トマスは急いで家に戻った。自分には守るべき者がいて、守らないといけない妻と、息子と、娘達がいる。

 ―――嫌な、予感がした。

 戻ることを自分の魂が拒絶していたが、それでもその恐怖を家族に対する愛情が抑え込んだ。

 

「俺のモットーなんだ、楽しく刺激的に(エンジョイ&エキサイティング)ってなぁ!」

 

「あーひゃひゃひゃ!」

 

「い、いや――イヤァァアアアアア!?」

 

 地獄だった。地獄だった。地獄だった。目を背ける事もできない地獄だった。

 妻が―――凌辱されていた。

 娘が―――腑別されていた。

 自分の家からも絶叫と嘲笑が聞こえてきた。家に居る筈の長男と長女も、やつらケダモノの餌食になったに違いない。

 

「あ、あ……――あぁぁああァァァアアアアアアアアアアアアアアア!」

 

 娘の首が、槍に突き刺さっていた。妊娠していた妻の(ハラワタ)にまで腕を突っ込んだ騎士の手には、その正体を理解したくない赤黒く小さな肉塊が握られていた。

 トマスは、見ていることしか出来なかった。

 ただただ恐怖の虜になっていた。助けに出ることを身体が拒絶していた。

 ――火が、焚べられた。

 人間を薪にする戦火の炎が灯された。

 もはや安全圏などない。平穏だった静かな農村は一瞬で地獄に落ちたのだ。

 

「夢なら、夢なら……ああ、神よ。夢なら、こんな悪夢から早く醒まさせてくれ―――!」

 

 生存本能のまま、家族を置いて逃げ去った。トマスは妻と子を置き去りにし、自分だけが生き残りたいと森の中を突き進んで行った。

 ……一匹の吸血鬼だけが、その気配に気が付いていた。

 

「追えい。逃がすなよ、御愉しみはこれからだぁ……―――ヒャッハッハハハハハ!!」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 ―――脳が疼いた。

 

「……来る」

 

「え。何が?」

 

「ちょっと茶化さないで、藤丸。敵よ、敵。こっちに意志を向けてるわね。しかもかなり邪悪」

 

「それまた急ですね。でも、まだ反応はないですよ。ドクターからも何の通信もないですし、狼さんやエミヤも発見してない雰囲気っぽいですから」

 

「気配とは別なのよね。何と言うか、世界がズレ込むような違和感と言うか、脳の中にある異物感とでも説明すれば良いのかしら。今一例え難いんだけど……あ。ほら、ワイバーンよ。

 雰囲気、何か乗っけてるわね。何かしら――――ッ……」

 

『―――あー……すみません、所長。

 丁度そちらに向かう生体反応をカルデアでも探知したのですが、所長の言う通りワイバーンと吸血鬼になったあの騎士らが―――……待て。他にも居る。

 これは今一判断が付き難いと言うか……何だろう、生体反応を持つゴースト?』

 

「――――――っ……」

 

「貴方にも見えたのかしら、エミヤ?」

 

「あぁ、見えたとも―――串刺しだったよ、あの屑共め……!」

 

『……どう言うことだい、エミヤ。こっちからだと映像解析はまだ出来なくて』

 

「ドクター、今は反応だけを見ていれば大丈夫だ。しかし、これでは……―――所長、君は如何見る?」

 

「迎え討ちましょう。そう言う戦法を選んで来たということは、あちらの挑発行為ごと潰すのが一番手っ取り早いですからね。けれど、まず最初に私達の戦意を挫こうとするとは……はぁ、全く。あの英霊らしい悪趣味極まる戦争の仕方です。これは確実に、吸血鬼化した騎士共のネタはあのサーヴァントで当たりでしょう。

 マシュ、藤丸―――眼を逸らさない様に。

 戦い抜く意志が消えれば、もう立ち上がれないと思いなさい」

 

 オルガマリーの脳が―――疼いていた。

 串刺しと、千里眼で確認したエミヤが殺意と嫌悪で呟いた一言。彼女はそれを聞く前に全てを察してしまった。瞳によって脳が啓蒙され、地獄をまた一つ知ることで何かが脳髄に注ぎ込まれていった。

 そして、その光景を瞳で確認した。そこまで徹底することに狂気を覚えて人間としてその所業に嫌悪し、だが狩人として血が煮え滾る強い興奮を覚えた。所長は血と狂気と人間性に酔って笑みが浮かびそうになるが、鋼の意志で抑え込んだ。

 

「了解しました。けど、その……エ、エミヤさん?」

 

 所長の命令は任務遂行の前提として聞くが、それでも異様なまで殺気を放つエミヤの存在感は味方である筈のマシュにも辛い圧迫感がある。そして、冷静沈着なエミヤをそうさせる何かが非常に怖かった。

 

「―――……すまない、マシュ。私はどうやら、冷静ではいられなかったようだ」

 

「エミヤ……何が、見えたんだ?」

 

 嫌な確信を持ってマスターである藤丸は自分のサーヴァントに問う。これから自分が一体どんな奴らと戦わないといけないのか、それを知る為に確かな情報を得なければならなかった。

 

「直ぐに分かる。だがしかし……いや、深い傷になる前に教えておく。これから聞く事と、そして見るモノを強く覚悟して準備しておけ。

 ―――串刺しだよ。

 君達にも見覚えのある人々が、ワイバーンに乗る吸血鬼共によって槍に飾られている」

 

「待って、待って下さい……そんな、そんなことって―――嘘ですよね……?」

 

「マシュ。オルガマリーの言う通り、目を逸らしてはいけません」

 

「ジャンヌさん!!」

 

「これが戦争です。マシュ……貴女が目を瞑れば、誰が藤丸立香を守るのですか?」

 

 今直ぐにでも血反吐を口から洩らしそうな顔色で、ジャンヌはマシュを叱咤した。心さえなければ、葛藤もなく、躊躇もなく、非情でさえない機械になれるのだろうが、人はそうなれない。そして、英雄は人である。死を経た英霊さえ例外ではなく、戦場は人間の心を掻き乱す。

 だが―――ジャンヌ・ダルクは死者ではなく、今を生きる人間だった。

 マシュ・キリエライトと同じく、命に相応しい今を懸命に生きる人間だった。

 彼女は非情になれと言っているのではなかった。冷酷さを得ろと助言しているのもなかった。痛くとも、辛くとも、悲しくとも―――守り抜け、とそう願っていた。

 

「~~……っ―――マシュ・キリエライト、戦闘準備開始します!」

 

 そんなマシュの気合いが聞こえたのか、ワイバーンに載る騎士らが直ぐの上空まで接近し、そのまま停止。戦闘行動には移らず、何か観察するようにカルデアの周囲に広がっていった。

 

「良いのかね、所長。私が先手で射殺した方が、何かと効率的だったと思うのだが?」

 

「バラけられると面倒だわ。エミヤ、閉じ込めて鏖殺しなさい」

 

「―――成る程。マスター、宝具を使うぞ」

 

「俺の心配は無用だよ。好きなタイミングでぶちかませ、エミヤ」

 

「了解した、我が主(マイマスター)

 

 死に至る激痛……――それが、一体なんだと言うのか?

 藤丸は生きる為ならば、一秒後に迫る死の恐怖を踏破すると決めてきた。生きたいと願うなら、棺桶に片足を入れながら全力で自分自身を痛め付けないとならないと分かっていた。辛いのが当然で、生きたいと願うなら苦しまないといけない事を悟っていた。

 ならば、カルデアから魔力を。令呪の下地となった魔術礼装(影霊呼びの鐘)が神経を刺激する。

 

「エミヤとマシュに魔力を多く回しながら、いけるのね?」

 

「いけます……ッ―――」

 

「なら、良いわ。死ななきゃなんとかして上げる」

 

「―――はい!」

 

 弱点となる自分を守りに徹し、且つ魔術回路に損傷を与え難いサーヴァント。そうなれば、藤丸が取れる選択肢は一つだけ。そしてマシュはライン越しに、マスターである先輩が受ける苦痛を把握していた。1%にも満たない実感だが、彼女の先輩が痛覚そのものに熱湯を流し込まれるような苦しみを耐えている事に気が付いていた。

 それを負担することは出来ないが、霊媒治癒は得意な魔術であり、マシュは自分の先輩が怪我をすれば自分が治せば良いと思った。膨大な魔力を流し込まれて損傷した霊体ならば、彼女の腕前をすれば治すのも可能。

 

「アサシン、佐々木小次郎!」

 

「―――――――……」

 

 まるで浮遊霊が実体化するように、その青い男はフワリとマスターの隣に具現。目元が影に覆われており、その顔も陰となって表情は全く分からないが、口元は堅く結ばれている。既に長い日本刀を鞘から抜き持ち、雅な風の気配を纏いながら無形の構えを維持し、一瞬も掛らずに近付く標的の首を落とす事が可能であろう。

 敵がそうであるように、カルデアもまた準備は整った。

 そして―――ワイバーンに乗る騎士達を視認出来る距離になった……なって、しまった。管制室も映像情報を取得出来る範囲に入ったと言うことは、その光景を藤丸立香とマシュ・キリエライトも視界に入れたと言う事実。所長はもう分かっていた事だったが、それは余りに平和な日常から掛け離れた邪悪の営みであった。

 

「さぁて、オレらが竜血騎士団諸君。人類を救いに来た偉い皆さんにご挨拶!」

 

「初めまして、殺しに来ましたぁ!」

 

「こんにちは、死ね!」

 

「犯すと楽しそうな美女が多いな!」

 

「ぎゃひゃっはっはっはははははは!!」

 

「フランス万歳! 魔女万歳!」

 

「おおおおジャンヌ・ダルクが居るぞぉ!!!」

 

「キエー!」

 

「汚物は消毒だー!」

 

「素晴しい。副団長的に良い声だぞぉ……アッヒャッハハハハハ!!」

 

 実に愉し気に、装飾された槍を揺らしていた。人間の屍を串刺しにして飾っている槍を、騎士達は死を嘲笑いながら振り回していた。股から突き刺さった槍の先が人の死体から飛び出ていて、騎士達は掲げた死体から飛び散る赤い液体を全身に被り、血塗れな鎧姿となっていた。

 ―――おぞましい姿。

 これが果たして人間の成れの果てなのか?

 熱狂に浮かれた邪悪共の宴に限りはないのだろう。飾られる屍は芸術品だった。あの騎士共が屍を飾り付け、個性に満ちた一品だった。幾度も繰り返した事が分かる創作活動だった。裸体に剥かれた人々を素材に、処刑した死体で遊んだ娯楽品だった。

 火で炙られた黒焦げの屍。

 四肢を引き千切られた屍。

 弓矢で仙人掌になった屍。

 斬首された頭部だけの屍。

 四肢と首がない胴体の屍。

 車輪に手足を括られた屍。

 手足のみ串刺にされた屍。

 顔面を鈍器で潰された屍。

 色々で、様々で、多種多様にも程がある串刺しにされた人間の展覧会。

 マシュは生まれて初めて―――人間が気持ち悪い、とその感情を覚える事が出来てしまった。理性の皮を剥ぎ取られた人間と言う生き物の正体であり、狂えば誰も“この様”に成れてしまうのだと分かってしまった。残虐である事は何ら特別な悪ではなく、人ならば誰でも人にこんな所業を行えるのだと知ってしまった。

 

「ド、ドクター……どうしてこんな、怪物が……これが―――人間なんですか!?」

 

『あぁ、あんな奴らも人間なんだ。人間だけが、こんな風に人間を殺すことが出来てしまう。そうじゃない人間以外の生物の事を人はね……怪物って呼んでいるだよ、マシュ』

 

「……っ―――それじゃあ、なんでドクターは……そんなに冷静で!?」

 

『カルデアに来る前は、こう言うのに見慣れていたからね。あの騎士達は吸血鬼だけど、ボクは人間があんな風に人間を殺すのを―――脳が、腐るほど見て来た。何も出来なかったけど、何も救えなかったけど、ボクは多くを見届けた。

 だからマシュ……君は、それで良いんだ。

 辛くて、痛くて、苦しくて、無理せず心に傷を負っても良いんだよ。耐え切れないなら、それで良い。君に責任は一切なく、あるのはボクたちカルデアの身勝手な期待だけだからね』

 

 心が折れても良いとロマニは言う。立ち向かえ、などと口が裂けても言える訳もない。強大な敵が立ち塞がり、そうしないとマシュも藤丸も死ぬのなら、指令官代理として叱咤激励を送りもするが……今は、そうではない。逃げても良く、そもそも所長一人で皆殺しに出来る。

 強き人なら、あるいは強く在ろうと出来る人ならば、絶望に立ち向かえるだろう。

 しかし、こればかりは違う。人間が同じ人間に向ける邪悪を自分の意志で殺せる者とは、社会正義を超えた個人の意志を持つ英雄に他ならない。正しくそれは、血の意志と呼べる人間性なのだろう。

 勝つ為、生きる為―――英雄に成り果てろ。

 そんな狂った言葉だけは決してロマニは口に出せない。況してや、マシュに向けるなど有り得なかった。

 

「……いいえ、駄目です。それでも選んだのは私だから。

 生きる為に仕方ないのだとしても―――私は、私の戦いを最後まで続けます!」

 

『そうか』

 

 目を瞑れば、今まで見通した“死”をロマニは直ぐに思い起こせる。ありとあらゆる死を観察し、人間が迎える最期を垣間見て来た。

 はっきり言って、ただの―――日常。

 人は死ぬ。惨たらしく死ぬ。ロマニ・アーキマンからすれば、この惨劇も毎日のように夢見る世界に過ぎなかった。蟲のような無感情な心がなければ気が狂う光景であり、あるいは救世主のような強靭なる意志がなければ全人類を焼き殺したくなるような世界こそ、過去のロマニにとって別に何とも思わない人間の姿であった。

 ―――だが、それは一側面に過ぎない。

 こうしてロマニは自分の脳と繋がっているその瞳で、マシュと言う一人の人間を見ることが出来たのだから。

 

「むふぅー……へへ、これがオレらの本当の敵か。良き哉、善き哉、シリとパイが実にマーベラス」

 

 そして、一番先頭にいる竜血騎士もまた、そのマシュを兜の中からジットリネットリと絡み付くように見詰めていた。小さな呟きは空気に霧散して誰にも聞こえなかったが、あらん限りの悪意と欲情が籠もった言葉であった。

 

「初めまして、こんにちは!

 つまらないものだが、オレらからの贈り物を受け取っっちまいなぁ!!」

 

 副団長と呼ばれた竜血騎士が、狂った笑い声と共に槍を投げた。当然のことだが、その槍は人の死体が串刺しにされており、屍が投槍と共に投げ放たれた。

 標的は―――大盾を持つ少女。理由は実に単純明快、見た目が一番可愛らしかったから。

 理由にもならない理由で人を殺すのが騎士団心得。吸血鬼の膂力で投擲された投槍の破壊力はサーヴァントの筋力と同等であり、マシュは後ろにマスターや他の仲間もいる現状、それを避けると言う選択肢を脳裏に浮かべる事さえせずに十字盾で見事に防いだ。

 

「―――っ……!!」

 

 べっとりと盾に生き物の肉と贓物がヘバリ付く感覚が手から伝わった。目を背けることも出来ず、マシュは自分の周囲にばら撒かれた残骸を見てしまった。

 それは―――妊婦さんだったあの家の女性。

 盾に当たった衝撃で顔半分が陥没した生首が足元に―――落ちていた。

 守った筈。守れた筈。けれども、体を自分の盾で砕かれたこの人は守れなかった。そう高速で思考が暴走するマシュは、しかし訓練によって脳と体に覚えさせた戦術を冷徹に実行。

 大盾で自分の姿を隠し、その上で周囲を警戒。視界は盾の裏側で塞がるが、魔術師として持つ魔力探知と、憑依した英霊の騎士から学んだ気配探りによって、相手の位置と操作を第六感で感覚。激昂して相手に突撃をする蛮行など有り得ず、茫然と無防備を晒す軽挙を行うなど更に有り得ない。

 

「ようこそ、我らの故郷フランスに。オレらからの歓迎の意を込めた騎士団パレードは気に入って頂けたかなぁ?

 だから歓迎しよう……盛大になぁ!!」

 

 ワイバーンが地に降り、騎士達が上空から下がって来た。そんな最初の一声が、ふざけた男の惚けた言葉だった。相手を煽ることに快感を覚える下衆の笑い声だった。

 

「―――そして、ジャンヌ・ダルク様。

 我ら竜血騎士団、貴女様をお迎えに参上致しました。これは平穏な牢獄から逃げた聖処女だった聖女様への、些細な我らなりの贈り物です。

 お気に召して……頂けましたでしょうか?」

 

 なのに、そのおぞましく狂った騎士は、その雅な意匠で飾られた黒騎士甲冑に相応しい仕草でジャンヌに一礼。マシュに妊婦だった死体を串刺しにして飾り付けた槍を投げたことなど一切気にせず、それはもう神殿で神に祈りを捧げるような神聖さに溢れた動作だった。

 気が、狂っている。そう相手に思わせる異常性を、相手に無理にでも覚えさせた。

 

「貴方たちは……ッ―――それが、それがあの私が選んだ復讐だとでも、言うつもりですか!?」

 

「さて、そればかりは何とも。あの魔女様は我らにとって神に等しき悪魔と言うだけでありまして、ただただこの人生を与えてくれた存在と言うだけです。

 騎士の心に有るのは―――崇拝だけでしょう。

 ですので、ええ……魔女様の復讐など如何でも良いのですよ。如何でも。

 為すべき事を、我ら竜血騎士団は為すのです。血に酔ったまま、血に塗れた戦場を作るのです。よって我らは好きな様に戦争を行い、そして魔女様の復讐に我らの遊興が繋がっているのですからねぇ……」

 

「そんな……そんな事の、ために―――」

 

 ギリ、と歯で歯を削り取る音がした。ジャンヌは怒りを噛み縛る余り、自分の歯が砕けそうになった。

 

「―――そう。そんな事の為に、私達は吸血鬼となり、竜の血を吸い、哀れなる人外の竜血騎士と成り果てました。何故ならば、全ては戦争の為。復讐を希う魔女様の手足となり、人喰いの狗となりました。故に、狗に人間の意志など不要。ですからね、こう言う御遊戯も大好きなんですよ。

 ……死霊術師(ネクロマンサー)、聖女様へと“アレ”を御披露目させて上げなさい。贈り物は多い程、貴婦人は嬉しいものと相場は決まっていますので」

 

「へい、副団長様」

 

 その命令に酷く嬉し気な返事を返した騎士は、地面にトンと杖を刺し―――直後、死霊が現れた。未だに上空を飛ぶワイバーンの背中に括り付けられていた“ナニカ”が動き出し、そのまま死霊術師の眼前に落下した。

 そのナニカは人間らしい何かだった。

 人間の形をしていたが、人間だと思えない何かだった。

 頭部も、胴体も、両手も、両足も、しっかりと揃っている。健康な成人男性の肉体だろう。生まれた時の形のまま、串刺しにされた屍のような形にはなっていなかった。

 

「―――トマス、さん……?」

 

 藤丸の消えるような声だけが、マシュとジャンヌの耳に入る。それを聞いた事で、眼前の現実を事実として認識し、正気が闇に堕ちるように削られるのを心で実感した。

 ―――車輪だった。

 自分達を親切にも助けてくれた善良な人が、車輪に組立られているのを見た。

 人の形をしているのに、その車輪に括り付けられていて、彼はもう人の姿ではなくなっていた。手足を骨がないゴムのように捩り曲げられ、車輪の骨組に巻き付けられていた。

 見る影もなく、人が破壊された姿。

 死体となってもまだ生かされ、その魂が屍を動かす動力源にされる所業。

 

「あ”ぁ”ぁ”あ”あ”あ”ぁあぁああ”ああ―――――ッ!!」

 

 憎悪が声となった。何が憎いのかも忘却し、憎しみだけの残留思念が其処に居た。

 

「ぢぐじぉ……ゆるざない……殺じでやる―――八つ裂きに”じてやるぅ……!」

 

 死霊術師によって狂わされ、このトマスはもう人間ではなくなっていた。本当ならば憎しみの対象である竜血騎士に殺意を向けることさえも許されず、眼前のカルデアを憎むように精神を支配されていた。

 ―――魂を冒涜してこその死霊使い。

 魔術師として生まれたならば、この所業こそ王道。死霊を武器とするならば、こうしなくては神秘に価値が生じない。

 

「では、紹介を。こちらは我ら竜血騎士団の使い魔となります。先程の村で平穏に暮らしていただけの誰かの、その成れの果てです―――プ、ククク。

 アーヒャヒャッハハハははははハハハハハ!!!

 ヤツザキニシテヤルーとか、本気かよ。本当に悪霊ってバケモンは面白いよな、ゲェヒャッハハハハハハハハハハハハハはぁ―――……おい、殺せ」

 

「へい」

 

 直後、疾走。車輪は副団長の命令を受けた死霊術師がトマスだった車輪亡者を操り、そのまま所長達に突撃させた。絶対にそんな攻撃が通じる訳がないと分かっているのに、迎撃されて車輪のトマスが殺されるだけだと分かり切っているのに、それを望むかのように無謀な突進を実行させた。

 回転しながら突き進む車輪の男―――トマスは、憎悪を纏って回り狂った。

 

「死ね”ぇえ”え”え”――――!!」

 

 パン、と銃声が響く。怨念の絶叫を発していた車輪(トマス)は顔を銃弾で吹き飛ばされ、そのまま地面に転がりながら横たわった。更に響く銃声が所長が持つ短銃から聞こえ、トマスの心臓に命中。魂を縛っていた頭部と心臓の霊核二つが消滅し、彼は何一つ報われる事無く、憎悪に満ち溢れた悪霊としてこの世から消し去られた。

 何ら突拍子もなく、自然体のまま所長は恩人だった悪霊を撃ち殺した。

 

「―――…………まぁ、私の責任かしらね」

 

 あの村に自分達が寄らなければ、こうはならなかったかもしれない。所長はそんな思考をするも、何一つ罪悪感を感じずに責任を認めた。

 罪は、殺して遊んだ竜血騎士にのみ生じるもの。

 だが、殺し合いに巻き込んだ責任は所長のもの。

 故に、トマスの殺害は彼女にのみ許されたもの。

 

「はぁナニソレ、つっかえな。家族を見殺しにした男に過ぎねぇか……っち、塵め。エンジョイ&エキサイティングじゃなさ過ぎるじゃん」

 

 副団長はヤレヤレと人を酷く苛立たせるポーズで呆れの感情を示す仕草を行い、そのまま思念によって部下達に伝達を行っていた。

 周囲を囲むだけではない。ワイバーンとそれに乗る騎士も使い、上空までカルデアの徒党を覆い尽くしていた。

 

「ジャンヌ様。降参して頂ければ、こんな悲劇はもう生まれません。さぁ、我らと共にオルレアンに戻りましょう」

 

「嘘ですね……あの私がいる限り、フランスを焼くのを止めないでしょう」

 

「かもしれません。しかし、我らの元帥様は大変聖女様を御心配していた御様子。ならば、その心配を取り除くのもまた騎士の役目。

 聖女が現世に対する執着心を無くせる様にと……えぇえぇ―――ドン・レミ村は我々が丁寧に、念入りに、隅から隅まで焼き払いました」

 

「―――は?」

 

「生まれ故郷に帰っていると思ったのですが、それは実に浅はかな考えでしたのでしょう。特に意味もなければ、別段命令も無かったので理由もなかったのですが、目に付いた男は適当な数を殺しておきました。勿論、女は犯して遊びました。

 この村がそうなったように―――あの村も、そうなりました。

 後は何時も通りに宴をしただけですね。手足を切って樽に詰めて、人間ワイン蔵など作っても見ましたが、吸血鬼にとって中々に快適な村落にはなれたと思いますぅ!」

 

 焼かれて視界を失った右目から―――血涙が流れた。噛み締めた奥歯が削れる音と共に、歯茎から流れ出た血液が口の中に溜まり 、口の端から零れ落ちた。ジャンヌは狂う程の怒りを上げるのを我慢し、しかし抑えきれない感情が血となって流れ出る。

 

「……ッ――――――」

 

 ジャンヌ・ダルクは憎悪を知らぬが、喜怒哀楽が欠落した人間性無き亡者ではない。限り無い程の憤怒は人間である事の証であり、その所業を知って怒りを覚えない者こそ非人間なる獣性の証である。

 だからこそ、血の様に真っ赤な―――怒り。

 骨が軋む程の感情が筋肉に宿り、握り締める手は僅かに振え、思考回路が感情で潰れていく。戦いへの恐怖、悲哀、躊躇、苦痛、それら全てが赤く塗り潰されていく。

 

「しかし、それもカルデアの皆様方が滅ぼしました……―――クソがよぉ、邪魔しやがって。折角、そこの聖女様が生まれ故郷に帰って来た時の為に、騎士を派遣したっつーのに台無しにしやがって!

 こっちはカルデアの事を聞いてんだぜ。人理を救済、世界を救う……?

 馬鹿か。これが人間だよ……オレたち竜血こそ、人間と言う名前の獣に他ならネェって話さ。このフランスはオレらの世界だ。オレらが人を殺して奪い取った楽園だ。誰にも渡さネェ!!

 神だろうと、英雄だろうと、救世主だろうと関係なく―――魔女様の為に、このフランスは地獄で在り続けるんだよぉ!!!」

 

 死霊を操る魔術師の竜血騎士が、一斉に溜め込んだ神秘を解放した。他の騎士らも戦闘準備を終え、直ぐ様にでもカルデアを皆殺しに出来る戦意と殺意を整えた。

 

「あぁぁあああああああああああ……ッッ―――!!」

 

 もはや耐えられないとジャンヌは駆けた。車輪亡者が大量にワイバーンが舞う空から投下され、亡霊が一気に出現し、屍を矛先とする串刺し槍を騎士らが一斉に投擲したが、それでも構わなかった。同時に降り注ぐ屍槍へ対し、マシュは盾を構えた。魔力防御と盾の概念を魔術的に利用し、空中にエーテルシールドを展開することで、自分と周り全てに守りの加護を与える。よって人間だった屍は聖なる十字盾の守りと衝突し、そのまま肉塊と肉片となって地面に砕け落ちた。

 覚悟を、決めたのだろう。躊躇わないと、決めたのだろう。

 展開した盾越しに人肉の触感を味わいながら、マシュはシールダーとして人間の肉体を盾で叩き潰す所業を始めて行った。

 

「ジネェェエエエエ!」

 

「ゴロ”ジデヤ”ルゥ!」

 

「ごの恨み”晴ら”ず!」

 

「死ネシネシシシシ!」

 

「ハラワダ摺リ出ズ!」

 

「殺じてゴロジデェ!」

 

 そして、車輪亡者の第一陣が迫った。

 しかし、マシュにとって何一つ問題はない。

 生身の人間を容易く肉片に変えて轢殺する脅威であろうが、聖騎士の十字盾に防げぬ悪意と憎悪はなし。人間だった頃は間違いなく善良な人々であったが、今はもう他人を憎しみ殺す悪霊へと堕落した。本当ならマシュの盾が守るべき無辜の民だったが、既に手遅れ。世界の為に盾が払うべき邪悪となった車輪の亡者は、悪として盾と真正面から衝突し、自殺するように自分自身を粉砕させていった。

 盾を構えて守るだけで、マシュは回転する悪霊を殺し尽くした。

 頭が憎しみの余り馬鹿となった亡者は、彼女の聖なる守りに突撃すれば死ぬのだと分かっているのに、それでも憎しみを抑えきれず――――自害する為に、マシュに殺されたいと襲いかかった。

 

「先輩、先輩……私は―――どうして、助けたいのにぃ……!」

 

 既に、他の者は騎士団と亡者を抹殺するべく行動に移った。マシュが守っているのは、自分のマスターと所長だけ。けれど、車輪の亡者は憎悪のまま、自分を殺してくれる最期の希望としてマシュだけを狙って疾走していた。他の標的には目もくれず、マシュに救いを求めるように回転していった。

 

「マシュ……―――行け、行くんだ。

 ジャンヌを守りに行くんだ。人を笑ったあの男を君が倒しに行くんだ!」

 

「でも、でも……それじゃあ!」

 

「俺には小次郎がいる。少しなら、何も問題ない!」

 

「私もいるからね。藤丸の心配は要らないわよ」

 

「……了解、しました。

 マシュ・キリエライト、突貫します―――!!」

 

 所長と藤丸の言葉を信じ、マシュは盾を構えたまま全力で突き進んで行った。今の彼女を亡者も、亡霊も、騎士も止める事は出来ず、破壊鎚となって敵陣を盾が突き崩した。そして亡者と騎士を旗で叩き潰し、吹き飛ばすジャンヌに追い付き、強引に味方と合流することに成功した。

 ―――そこもまた、同じく地獄だと分かっていながらも。

 

「ジャンヌさん……!」

 

「どうして、マシュ?」

 

「行きます、私も倒しに行きます!」

 

「ええ、行きましょう!」

 

 ジャンヌは彼女を頼もしく思う。マシュが傍に居るだけで、心強くなれる気がした。強固な盾と同じく、彼女は儚いようで在り方が硬かった。

 ならば、敵を倒すのみ。熱狂する吸血鬼を旗で突き刺し、そのまま振り回して鈍器の様に扱い、違う吸血鬼ごとジャンヌは殴り砕く。しかし、そこにはゴーストも車輪の亡者と同じく、救いを求めてジャンヌとマシュに襲い掛かっている。だが、ジャンヌの旗は聖なる祈りを宿し、マシュの盾も同じく清らかな祈りが込められている。残留思念である亡者の霊体を魔術的に干渉し、吸血鬼を殺すように亡霊もまた殴り倒せた。

 炎に巻かれ、焼死体の姿になった亡霊を、盾の乙女と旗の聖女が清め払っていた。

 

「えーん……えーん……お姉さん、かーちゃんは……とーちゃんは、何処?」

 

 けれども、その怒りの行き先には―――幼子が一人。

 

「あ………そ、そんなぁ……そんなことって―――!?」

 

 絶望するなと言うのが無理なのだ。どう足掻いても訪れる絶望がマシュを襲った。

 悪霊は恨み辛みを持って死んだ者。勿論、亡者や亡霊に子供がいない等と言う事は有り得ず、その子供がいるのも自然な悲劇だった。ジャンヌはもう迷わないと決めた筈なのに、問答無用で精神が凍り付いてしまった。

 

「お姉さん、お姉さん……私、熱いの。ねぇ、此処は何処なの?」

 

 動きを止めたジャンヌに、トマスの娘が抱き付いた。救いを求める子供のように、親と逸れた幼子のように、ジャンヌの腰にしがみ付いた。離したらもう両親と二度と会えないと恐怖するように、絶対に手を離さないとジャンヌに助けを求めていた。

 ―――……燃える。

 火を纏う亡霊に抱き付かれ、ジャンヌは火刑に処された罪人のように体が炎で呪われていった。

 

「―――…………すみません」

 

「え……?」

 

 血を吐くような謝罪の後、幼い女の子を―――殺した。生きたまま解剖され、騎士に殺されて、炎に炙られ、火の亡霊にさせられて、挙げ句の果てに聖女の手でまた殺された。

 死に逝く亡霊。ジャンヌの旗が霊核を突き殺し、その霊体を躊躇うことなく浄化した。そうするしかないと分かってしながらも、ジャンヌは拷問によって焼かれた瞳から血の涙を流すのを止められなかった。

 

「ぁ……あ…‥り、が……おね……ん……―――」

 

 自分の為に血涙を流す聖女を見て、少女は穏やかな微笑みを浮かべながら消え去って逝った。無念と、怨念と、憎悪は晴れずとも、まるで何かが救われたように、炎に焼かれた幼い悪霊は聖女に感謝をしながら死んでしまった。

 ―――殺した。

 彼女は車輪にされた男の娘を殺し、その悪霊は何の救いもなく、旗の聖女によって無に還された。ジャンヌは赤い涙で瞳を汚す血の意志で、その祈りで魂を絶望に焚べていた。

 

「どうして、こんなにも……わた、しはぁ……私は―――なんで、誰も助けられないの!!」

 

 心が、折れそうだ。

 魂が、砕けそうだ。

 人間性を幾度捧げれば、心ない聖者となれるのか?

 必要だからと焦げた幼い亡霊を殺して、それが一体何に繋がるのか?

 そんな疑問が戦う意志を殺す。だからジャンヌ・ダルクは迷わない。彼女には戦争の才能があり、聖人の素質がある。しかし、そんなものに今は何ら価値は無い。苦しみ、痛み、悶え、足掻き、壊れないように耐える事しか許されないのだ。

 自分はあの私に救われたのに―――誰も、此処では救えない。

 その絶望が疑念となり、聖女の心を食い殺す。疑問を叫び上げて、何も変わらず潰れそうになる。しかし、そんな思いは関係なく、騎士と亡者は襲い掛かるのみ。

 

「ごろ"じだぁ……ごども"を、ごろした。ごろジダぁ―――殺した。ゆるじな"いィィイイイイ"イ"イ"イ"イ"!!

 殺す殺す殺ずぅ殺じてぇやぁるぅぁあギャ!!」

 

 ジャンヌは知らないことだが、叫ぶこの亡霊はトマスの友人だった何かである。友が愛した子供の成の果てを眼前で惨たらしく殺され、死霊術師に狂わされた精神を更に発狂させ、焼死体は焼かれながら飛び上がった。

 カァオ、と独特な魔力の発射音。

 絶望の死を迎えた更なる先の無念に至り、燃える亡霊は撃ち殺された。顔を酷く歪ませながら、マシュがライフルに変形させた義手でエーテルを撃ち、ジャンヌを危機から助けていた。

 

「ジャンヌさん―――私が、います。

 頼りない女ですけど、私が貴女を必ず守ります。だから、迷っても良いから、最後まで一緒に戦いましょう!」

 

「―――ぁ……そうですね。マシュ、ありがとう」

 

「はい!」

 

 彼女に会えて心の底から良かったと涙が出そうになった。救われたと思った。こんな世界で一人でも、自分をそう思ってくれる仲間に出会えて、本当に良かったと胸が苦しくなった。そう思ったジャンヌはマシュの方を振り向き―――あの騎士が、既に彼女の頭部に剣を振り下していた。

 血が―――噴き出ていた。

 ジャンヌの眼前で友人になれた筈のマシュの頭部に、副団長と呼ばれ来た騎士の剣が当たっていた。

 

「え……―――あ?」

 

 ビチャリ、と何かが飛び散った。

 

「―――マシュ………?」

 

 血塗れになったマシュの頭部を見て、ジャンヌは表情を失った。

 

「アッヒャッハッハハハハハハハハハハ!!

 カワイコちゃん、折角のカワイコちゃーんだもんなぁ……ひゃは。死体でも十分お釣りがくるってもんだぜぇ」

 

「―――で?」

 

「……ウキ?」

 

 ポキリ、と剣の刀身が砕け散った。

 

「不意打ちで、剣で私の頭を叩き割って、勝利を確認して……―――それが、どうしましたか?」

 

 振り向き様に義手からマナブレードを展開。何ら躊躇わず振われたゲッコウの刃は騎士を切り裂き、その両足を熱断。青い光の刃は一瞬だけ何もかもを斬る剣となり、抵抗などなく吸血鬼を甲冑ごと斬り捨てた。

 殺した筈の女が、生きている不可思議。サーヴァントだろうと死ぬ筈の攻撃を無防備に受けて生きている女を見て、副団長は畏怖と激痛のまま叫び声を上げるしかなかった。

 

「ギャ……ギ、ギ、ギャァアアアアアアアア!!!」

 

「うるさい、です……うるさいうるさい―――うるさいです!!」

 

 頭から血を流し、血濡れた髪が邪魔となり、マシュは前髪を義手で掻き揚げた。その直後、ライフルに変えた義手で瞬間二発。副団長の両腕を吹き飛ばし、身動きが一切出来ない状態を作り上げた。

 

「絶対に、貴方の命から目を逸らしません。確実に、頭部と心臓を潰して、霊核を砕きます。しぶとい魔獣を殺すように、吸血鬼は殺します。

 所長から教わった通り―――私は、敵の命から逃げません!」

 

 けれども、そう口に出して自分に言い聞かせないと、マシュは動けなかった。自分で自分に暗示を仕掛け、魔術回路から漏れた魔力が思考回路を汚染した。自己暗示よりも深く、奥に、戻れない程に、マシュは高潔なる聖騎士の在り方を自覚した。

 

「―――グゾォ、畜生。バケモンめ、何故生きてやがるぅ!?」

 

 聖なる守護は強く、堅く、盾が無かろうとマシュを守り抜く。魔力防御のスキルは彼女の思念と同じ速度で機能し、どんな状態だろうと第六感のままマシュ・キリエライトを完璧に護る神秘であった。まるで防護膜のように彼女に覆い被さり、例え宝具による攻撃からだろうと彼女を死から防ぐ聖騎士の力となった。

 それを態々こんな相手に言う必要はなく、マシュは必要な宣告を行うのみ。

 

「――――――死んで、下さい」

 

「やだ、やだ嫌だ。ヤダヤダヤダヤダァ殺し足りない、生き足りない、女を犯し足りないぃ!!」

 

 等と無様に命乞いをしながらも、副団長は内心でほくそ笑んでいた。吸血鬼の再生能力ならば、まだ逆転可能。僅かでも時間を稼げれば肉体を甦らせ、カウンターでこの糞女の首から血を吸ってやると企んでいた。

 尤も―――今のマシュは、オルガマリーの弟子でもある。

 そんな薄汚い手段を見抜けない間抜けではなく、油断も無ければ隙もない。

 義手からロケットパンチように飛び出た手は爪を砥ぎらせ、騎士の甲冑を刺し貫き、その内臓の奥深くまで指先が到達。そのまま内臓を攻撃しながら、指先から魔力防御を応用した魔術を起動。それは拘束術式であり、内臓攻撃をすることで生物の内部に魔力防御を展開し、筋肉と骨格を動けなくさせるマシュだけが可能な狩人の殺戮技巧である。

 

「ギヒィ……イ、グギャ……ッガ。テメェ、ジグヂョ―――!」

 

「……‥…魔術礼装、展開―――」

 

 騎士団が村人へとそうした様に、副団長は四肢を千切り落とされた。内臓も抉り取られ、吸血鬼を拘束する為に体内から全身を固定されていた。仕留める為に、マシュがそうした。芋虫のように地面に転がりながらも副団長は、逃れられぬ死を見上げた。

 元から、勝てる相手じゃなかったと男は認めた。

 今まで殺してきたサーヴァントとは違うと理解した。

 この特異点に召喚されたサーヴァントを、副団長は部下を贄にしながらも殺し続けた。目の前で女子供を人質にとって殺したり、村を盾にして殺したり、眼前で虐殺をする事で囮にして殺したり、様々な手段で殺した。

 今回もそうして、それで背後からこの女を殺せた筈だったのに―――副団長は、自分の詰めの甘さを嘲笑った。

 

「―――人理の矛先(パイル・カルデアス)

 

 十字盾に仕込まれた射出剣が魔力を噴射し、地面に転がる副団長に衝突。その破壊力は礼装ではなくサーヴァントの宝具に等しく、神秘からは程遠い暴力に他ならない。

 ……クレーターだった。何も残っていなかった。

 副団長の騎士は全て消え去り、所長が改造したパイルハンマーは敵に慈悲を一切与えなかった。巨大な穴がマシュを中心に一瞬で生み出され、まるで火薬庫を爆破したような破壊痕だけが残された。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……」

 

 爆風さえもマシュは無傷で受け流し、乱れた呼吸のまま穴から歩き登る。周囲の敵影を排除したジャンヌは彼女を待ち、出て来た血塗れなマシュを抱き止めた。自分の血で顔を赤く染め、それでもマシュは一切抵抗しないでジャンヌを受け入れた。

 

「……ジャンヌさん、倒しましたよ。もう大丈夫です。

 所長から教えて貰った通り、ちゃんと吸血鬼を殺しましたから。だから、私はやりましたから、後はお願いしますね―――エミヤ先輩」

 

「マシュ……」

 

 そう呟いた後―――世界が裏返った。敵の数を程良く消し、リーダーであった副団長を失って統率を失い、もはや烏合の衆と呼んで良いだろう。エミヤは完璧なタイミングで宝具を使い、その固有結界の中へと戦場に存在する者全てが取り込まれた。

 守護者エミヤの心象風景。

 赤い大地、曇天の空、浮かぶ歯車―――剣の墓標。

 騎士団に逃げ場などなく、世界が許さない。命令を出す者も、もういない。

 

「―――……無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)

 貴様らは私の心から一人も逃さない。見知らぬ誰かをそうしたように、貴様らの事など何一つ知らない私の手で―――殺されてしまえば良い」

 

 結末は定まった。死した副団長が率いた部隊に望みはなく、この鋼の大地にて殺し潰されるしか未来はない。空から剣が舞い降り、所長らも剣雨の加護を受けながら敵を狩り、竜血騎士は淡々と死んでいった。その使い魔である火炎の亡霊と車輪の亡者も、次々に仕留められていった。

 こうしてまたカルデアは戦場を一つ超え、その足を確実に一歩づつ進ませた。














 感想、評価、お気に入り、誤字報告ありがとうございます。これからも読者の皆様には読んで頂けると嬉しいです。



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啓蒙19:焚街のラ・シャリテ

 ここまでが第一特異点のプロローグ的な話でした。今回から漸く、敵側の主戦力であるサーヴァントと遭遇していく話となります。


 血塗れになった髪を洗い流し、傷口を洗浄し、魔術による霊媒治癒を施す。人にして貰うよりも、この中では一番自分が巧いからと、マシュは自分自身の手で頭部の怪我を魔術で素早く治療していた。

 ……グルリグルリ、と包帯を頭に巻く。

 大丈夫だと言ったが、それでも彼女の先輩は心配だからとマシュに白く清潔な包帯を使った。こう言う時のエミヤの投影魔術は非常に便利であり、この包帯は礼装でもあるらしく、治癒力を高める効果もあるのだとか。

 

「痛いところはない?」

 

「大丈夫です」

 

「本当に?」

 

「フォウ?」

 

「いえ、本当に大丈夫ですから。先輩もフォウさんも心配症ですね」

 

「そうかなぁ……んーじゃあさ、もし俺が頭部から血を流して顔面血塗れになった後、大丈夫だから平気と言ったら信じるかい?」

 

「―――……すみません。実はまだ少しだけ違和感があります」

 

「宜しい。まだ動かないで、休んでいようね」

 

「分かりました。そのー……分かりましたので、もう起きあがっても良いですよね?」

 

「ダメ」

 

「うー……っは、所長。所長からも、先輩に言って下さい!」

 

「藤丸。分かってると思うけど、その娘って結構自分の体を蔑ろにするから、貴方がマスターとしてちゃんと体調も察して上げなさいね。管制室もモニタリングしてるけど……まぁ、現場じゃないと分からない事態もありますから」

 

「了解しました、所長!」

 

「任せたわ、藤丸。それとフォウもね」

 

「フォウフォ!」

 

「そんな!」

 

「そんな?」

 

「な、なんでもありません、先輩……」

 

 地面に引いた簡易的な寝袋の上にマシュは横たわり、藤丸はそこに付きっきりだった。フォウなどマシュが動こうとする度に頬っぺたを前足で押し、絶対安静を維持させる気満々だった。そして、ジャンヌはそんな光景を見つつも地面に座り込み、その背中を近くの樹に預けていた。

 

「大丈夫かね、ジャンヌ・ダルク……―――いや、すまない。軽率な問いだったな。質問を変えよう。

 今はまだ、此処で休むかね?」

 

「平気です。けれど、少しだけ……まだ休みたい気分です」

 

「ああ、それで良い。マシュと同じく、君はサーヴァントの神秘を宿した人間に過ぎない。無理は禁物だ。私の方も正直な話、英霊ではなく人間としてジャンヌとは接して貰っている」

 

「そうですか。私は貴方の真心に感謝しかありませんけど……―――あ、いえ。何でも有りません」

 

「繰り返すが、すまないな。君にとって私の気遣いは要らぬお世話と感じるかもしれないが、こう言う会話も偶には必要になる。相手が私ではつまらないかもしれないだろうがな」

 

「そんなことはありません……本当に、感謝しかないんですよ?

 だって不意に叫んで涙を流したくなる感情も、こうやって人と話している間は、感じずに済みますから」

 

「そうかね……」

 

 オルレアンから派遣された騎士団を鏖殺し、カルデアは数十分の休憩に入った後。焚火を起こしながら、エミヤ製の保存食を食べつつ、各々が顔を合わせながら話を繰り返していた。中でもマシュは正直、忍びの所為で知ってしまった酒の魔力をもう一度味わってストレスを減らしたいと思っていたが、ここは我慢のマシュ・キリエライトと飲み水を喉に流し込む。

 また保存食には、あの家で貰った鹿肉や猪肉もある。

 獣肉の大量狩猟だけを考えれば飛竜(ワイバーン)も良い獲物なのかもしれないが、アレは食人を行う雑食生物。流石に腹が減ったからと、人間や吸血鬼を食べたかもしれない竜の肉を食べる気にもならず、錬金術を使って毒素を浄化しても人体にどんな影響が出るかも分からない。エミヤも野生生物を食べて成長したワイバーンのジビエ料理なら興味も湧くが、戦争利用されて人間を食べるよう調整されたワイバーンには料理人として何の関心も湧かなかった。

 

「ジャンヌ―――……一つ助言と言うか、老婆心みたいなことだけどね」

 

「どうしましたか、オルガマリー。そのように改めまして?」

 

「次のラ・シャリテだけど―――マミーが居るんでしょう?」

 

 物凄い真顔でマミーとか言う所長に藤丸は少し吹き出そうになったが、シリアスな場面っぽいとまるで世界を救うと決めた青少年のような自分流の格好良い表情を維持。彼のコミュニケーション能力の高さは、こう言う場面でも遺憾なく発揮されたが、しかし所長もまた瞳の啓蒙家。あいつ、後でシメルと藤丸の内心を察した彼女は人類最後のマスター育成計画を改竄しつつも、母親をマミーと呼ぶ所長に対してふざけずに真面目一辺倒なジャンヌと会話を続けていた。

 ……何となく、そんな雰囲気を忍びは察していたが無愛想なまま柿を齧る。うまい。カルデアの食糧庫から懐に幾つか隠し持って来たが、彼は柿が好物で、何故か手頃な果実は柿しか持ってこなかった。そして、米を炊かずともボリボリ食べる薄井の忍びなれば、その柿もまた皮を剥かずにそのまま林檎のように丸齧りだった。

 だがそんな忍びを見たマシュは、機会があれば自分がちゃんと皮を剥いて上げようと寝転びなから思う。エミヤも同じ思いではあるが、皮も楽しむ彼の果物生活は嫌いではない。

 

「…………はい。けれど、良く分かりましたね」

 

「藤丸が助けたあの女性って、何となく貴女にとって特別な人なように感じられてね。人が人に向ける感情には、ちょっとだけ私は敏感なのよね。

 だからね、その……んーとまぁ、何と言うのかしらね。うん……―――」

 

「………ええ?」

 

「―――今度は、会話をしておきなさい。

 家族ならそうしておくのがね、結局はどんな思いがあってもベストなのよ。私も今となれば、もっとパピーとは話しておけば良かったって思うもの。

 死んでからじゃ、何もかもが遅くなるのですからね」

 

「貴女は、父親との別れに後悔しているのですか?」

 

「いや、全然。私のパピーって魔術師らしい非人間だったから、娘を残して自分が死ぬのも構わないとでも考えてる男だったからね。

 それに娘の私よりも、パピーとはロマニの方が仲良しだったし~?」

 

『そう言う言い方されますと、ボクがまた誤解されてしまうのですが……?』

 

「良いじゃないの。ほら、あれよ、私のそれ何て傍から見れば、実に可愛らしい嫉妬心みたいなものじゃない?」

 

『その自覚があるから性質が悪いです。良いですね?』

 

「はいはい。部下の希望は所長としてちゃんと聞いておきますよーだ」

 

『ほら、直ぐそんな態度を取ります。マリスビリーも心配はしていたんですから』

 

「分かりました。今から気を付けます……―――で、ジャンヌ。まぁ、そんな感じよ。さようならって言うだけでも、向こうも貴女の意志が分かりますし、貴女も母親と同じ感情を抱けるようになります。

 こう言うのは、何だかんだで心理的には侮れないわよ?」

 

「―――……はい。そうですね」

 

 ジャンヌの中にいるジャンヌは眠っているが、それでも彼女の感情が消えた訳ではない。火刑に処されて死ぬ前、聖女にも思い残しは沢山あった。屍の山を築いてきた身として、敵に殺される事は受け入れてはいたが、家族に対する想いが消える訳がなかった。

 それを思えば、自分はまだまだ幸運な方なのだろう。

 一目だけとは言え、母親にはヴォークルールで出会う事が出来た。

 けれども、それだけじゃダメだとは所長は告げる。結末は良くも悪くも定めっているのだろうが、その過程は如何様にも変えられるのだから。

 

「ありがとう。もし会えたら、そうしてみますね、オル―――」

 

 ―――死ね。

 

「―――ガマリー……?」

 

 ―――死ね。

 ―――死ね。

 ―――死ね。

 剣に切り刻まれて、死ね。槍に串刺されて、死ね。弓に射抜かれて、死ね。竜に轢かれて、死ね。魔術に唱われて、死ね。秘技に断頭されて、死ね。狂気に潰されて、死ね。

 憎悪に焼き尽くされて――死ね。

 復讐を誓うは我に在り。怨嗟に在り。

 侵略者に私を売った奴らを許さない。

 殺せ。殺せ、殺せ、ただ殺せ、ただただ殺せ。

 死に穢れた従僕共、もはやアナタ達は戻れない。

 血を喜んだ人獣共、決してアナタ達を英雄には戻さない。

 呪いに沈む罪人共、苦しむアナタ達が人を犯す罰となりさい。

 化け物と成り果て、共に殺戮を謳歌致しましょう。植え付けられた私の憎悪のまま、暗い魂となって罪深い奴らを根絶やしに致しましょう。

 だから、あの街を焼き払いなさい。

 英霊の矜持である宝具で、人の命を壊しなさい。営みを壊して、私にアナタ達の人間性を捧げなさい。街を篝火に変えて、世界を悲劇で満たしなさい。

 さぁ―――楽しい焚火の時間です!

 私が全てを赦します。あの薄汚い獣らを、一匹残さず焼き尽くしなさい。

 

「これは……ッ―――まさか!?」

 

「あら、貴女も分かったのね。成る程、それが啓示かしら」

 

「オルガマリー、貴女も……?」

 

『なんだこれは……これは、まさか―――皆!?

 数km先で巨大な生命反応を感知した。場所はラ・シャリテ上空だ!』

 

「急ぎましょう、ジャンヌ。奴らがやっと私達の前に来るわ。マシュ、藤丸は貴女が運びなさい」

 

「はい!」

 

 走り出すジャンヌに続き、所長も走り出す。咄嗟に他のメンバーも続くが、藤丸の足ではサーヴァントには追い付かない。マシュは自然とマスターを負ぶさり、エミヤと忍びは周囲を警戒しながら追い続いた。

 

『ですが所長、これはもう間に合わない。そこから恐ろしい魔力反応が、これじゃあ街なんて吹き飛んでしまう!?』

 

 走り出す所長にロマニは警告を発した。彼はこれが罠だと分かっていた。恐らくは何かしらの手段であちらも所長達の居場所を探る方法を有しており、ラ・シャリテと言う街を囮に誘い出しているのだと考えていた。

 

「そうでしょうね。だから……そいつらはね、誘っているのです。魔力も存在感も隠さず、来なければ皆殺しにすると」

 

『だったら……!』

 

 同じ考えを所長はしている。だから、ロマニには所長がジャンヌを急がせた理由こそ分からない。

 

「ならば、尚更。もし間に合わないのだとしても、私は此処で死ぬ人を見届けないといけないのよ。相手の戦力も知らないといけませんし、ここは引きどころじゃないわ」

 

『……ッ―――この……はぁ、良いです。管制室、全力で支援します!』

 

「お願いするわ、ロマニ」

 

 それを言われると何も言い返せない。ロマニはなるべく危険な場面に遭遇して欲しくないと考えているが、この所長が必要だと感じたのであれば、それは自分達が生き残る為に必要となる因果の一つになるのだろう。

 そして、ジャンヌは走っていた。悪寒に支配された意識を何とか動かして、傷だらけの体を酷使して、彼女は止まってはならないと疾走した。そうしなくてはならないと、喘ぐような呼吸で息をしながら森を走り抜けた。

 

「間に合って。お願い……お願いだから、間に合って……ッ――――!」

 

 ―――ジャネット!

 ジャネット何でしょう!?

 

「―――……!」

 

 ジャンヌの心にそんな言葉が聞こえて来た。脳裏に啓示が刻まれ、遠く離れた“あの人”の叫びが聞こえてしまった。それと同時にやっと森を抜け出し、目的地となるラ・シャリテの街が見える場所に辿り着いた。

 瞬間―――ジャンヌに天から示しが啓かれる。

 そんな事は信じられないと自分の第六感を無視したいのに、眼前に広がる光景が答えを示していた。

 

「……ぁ」

 

 ――――黒い竜が、居た。

 街の上空に巨大な邪竜が悠然と浮び、数え切れない飛竜が飛んでいた。

 

「ファブニール……―――闇喰らい、ファブニール?」

 

 頭に浮かんでしまった啓示を信じられず、茫然としてしまったジャンヌの耳に所長の声が響いた。直後、その言葉が正しいことを感じ取り、滅びの啓示が今より始まるのだと分かってしまった。

 ―――おぞましい領域にまで高まる魔力。

 神が遣わせたと告げられれば、そう信じるしかない存在感。

 見ているだけで心臓が握り潰されそうな圧迫を、その竜は空を飛ぶだけで周囲に与えていた。

 

『なんだ、何なんだこの巨大な竜は……あ―――口腔部の魔力反応が増大!!!』

 

 笑っていた。黒い女が竜の上から、街を―――あの女の、そして自分の母親を、見下ろしながら嘲笑っていた。黒い女は自分の中にある記憶と変わらない母の姿を見て、少しだけ痩せ細っていると考え、それ以外に思うことは無かった。

 ―――死ねば、良い。

 思い浮かぶ感情は一つもなく、感慨など欠片も無い。もはや少女にとって家族など、本当にただのフランス人に成り下がっていた。

 

「せめてもの冥途の土産です。派手にあの街を終わらせて上げなさい。私のフランスに逃げ場などないのだと、教えてあげなさい。

 殺せ、ファブニール……―――何もかも!

 あははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」

 

 黒い太陽みたいだと全員が思った。黒い闇色の炎なのに、その光は日の光よりも暗く眩しい火の極光だった。空に浮かぶ邪竜は世界を塗り潰し、暗い息吹がこれから人間が死ぬのだと告げていた。人間と言う生命体にそもそも命の尊厳など存在しないのだと、邪悪な輝きが魂を照らしていた。

 ゴォア、と一瞬で炎が凝固。

 何も出来ずに全てが終わる。

 ジャンヌは、マシュは、そして藤丸はこれから起こる惨劇を正確に思い浮かべ、内より湧いた絶望が貌を悲痛に歪ませた。

 

「やめ……やめなさい―――」

 

「駄目です、行っちゃ駄目ですジャンヌさん!」

 

 走ろうとしたジャンヌをマシュは咄嗟に止めた。あれは駄目だと、自分達ではもうどうにもできないと分かってしまった。収束する魔力量はあの洞窟で戦った騎士王のエクスカリバーを超え、背筋を凍らせる危機感はデーモンスレイヤーと所長が呼んだあの騎士に迫る程で、斬り落とされた所為で義手を付けたもうない筈の左腕が幻痛で疼く脅威だった。

 そして、それを止める人はいなかった。

 この距離から街を守る手段はなく、空を飛ぶ竜を攻撃する手段を用意出来ない。弓兵であるエミヤも竜の鱗を貫く宝具を固有結界から咄嗟に取り出し、呪文を唱えて投影魔術を展開し、弓に備えてその宝具の真名解放しようと論理的に行動しようとしたが、冷徹無情な心眼が不可能だと彼に告げていた。一秒後に街へと訪れる死に、もはや何もかもが手遅れだった。

 

「――――やめてぇっ!!!」

 

 哀れなる聖女の叫びを合図とするように、黒い光帯が街を両断した。そして、それでも邪竜は火炎の放出を止めず、黒炎の閃光を縦横無尽に振り回して街を焼き刻んだ。まるで幼子が初めて握った包丁で野菜を切り刻むように、不必要なまでに殺して、殺して、焼き殺した。誰かに見せつけるように、黒い極光がラ・シャリテを蹂躙した。

 直後―――黒い火の玉が放たれた。

 曲線を描きながら黒球はバラバラに焼かれた街の中心に落下。

 

「…………か」

 

 ジャネッ―――

 

「母さん……っ―――!」

 

 一瞬でこの特異点から消滅したラ・シャリテ。邪竜の息吹で焚かれて燃え尽き、その炸裂する炎の中から声が聞こえた。断末魔になった思念をジャンヌは、啓示として悲鳴を聞き取ってしまった。

 ヴォークルールで救えた筈の……母親の―――声だった。

 竜の黒い火球はジャンヌの前で今尚も轟炎となって街の残骸を燃やし、まだ足りないと街を燃やしていた。

 

「ジャンヌさ―――」

 

 声を掛けないといけないと思った。藤丸は何を言うべきか何も分からないが、目の前で母親を失った彼女にどんな言葉を掛けないといけないのか全く分からなかったが、それでも自分が言うべき事があると直感して口を開いた。

 けれでも、そんな彼の決意も無駄になる。敵が、もう其処まで近付いていた。

 

『―――敵襲だ!

 奴らが直ぐにでもこっちに……皆、早く準備してくれぇ!』

 

「もう遅いわ。来たようね」

 

 眼前に炎に暗く染まった少女が一人。

 

「あら。久しぶりですね、生きている私―――ジャンヌ・ダルク」

 

「もう一人の私、ジャンヌ・ダルク……ッ―――!」

 

 黒い少女は―――ジャンヌ・ダルクだった。気配は澱み、内臓のように血生臭い存在感で、感じ取れる意志が全て暗く塗り潰れているが、どうしようもなくジャンヌ・ダルクに他ならなかった。見ているだけで呪われそうで、おぞましさを人型にした女だと藤丸は思った。

 紛うことなくジャンヌなのに、聖女からは程遠い。ドッペルゲンガーよりも性質が悪い現実に、そして目の前で起きた惨劇の事実に、彼は戦場に意識を集中させるだけで精一杯だった。

 

「ねぇ私、どうでしたか。私の可愛い邪竜ちゃんは、とても元気に殺してくれたでしょう?」

 

 そして、ジャンヌは先頭に立った。話がしたいと手で皆に示し、今にも人の頭部を手に持つ旗で叩き割りそうな気配で、自分と全く同じ顔をした女と相対した。

 

「……」

 

 黒い聖女(ジャンヌ)はジャンヌ以外を意識にさえ入れず、淡々とした口調で語りかけている。

 

「何故、貴女はあの街を……燃やしたのですか?」

 

「親愛なる私の疑問ですからね。良いです、答えましょう。まぁ、とてもシンプルな疑念を晴らす為だけの殺戮でしたのでね。

 人理の奴隷に過ぎない英霊に成り下がったあのジャンヌ・ダルクに魂を乗っ取られた……哀れで、悲しい、可哀想な私でも納得出来るでしょう」

 

「何故ですかぁ……!?」

 

 相手の精神を逆撫でする口調。今のジャンヌは追い詰められており、冷静に相手と対話するなど不可能だ。況してや、怒りを抑えるなんて出来る筈がない。

 

「ふふ……―――私がこうして“私”として甦り、何を感じるのか?

 果たしてこんな様になった私が、確かに私を愛してくれた人に再会した時、何を考えるのか……」

 

 激昂する自分に、黒い女は存在感に不釣り合いな笑みを浮かべた。正に聖女と呼べる慈しみに笑みで、幼い妹の面倒を見る姉みたいな表情で、邪悪な呪いを口にする。

 

「……まさか。そんな、そんな程度の事の為に!?」

 

「復讐の為に甦ったと言うのに、私はどうやら下らない記録に囚われていました。暖かい平和、穏やかな日常、確かに私を愛してくれた家族。そして、戦争で人を殺してでも故郷を救いたいと決めたあの決意。

 けれども―――もう自由。

 全てはジャンヌ・ダルクを捨てる為でした。そんな程度の事の為に、私は私の前で母さんを焼きました」

 

 自分を捨てる為に、自分の母親を殺した。ジャンヌ・ダルクがそれを望み、殺戮を求めて家族ごと皆殺しにした……してしまった。

 気が狂う程の、何かがジャンヌの脳を蝕んだ。

 心がグチャリグチャリと掻き乱され、焦げた瞳から血を流すのを止められなかった。狂気が身の内から生み出て、思考回路に流れ出て、いっそのこと狂ってしまいたかった。

 

「そんな……だって、それじゃあ、じゃあ……わた……しがぁ―――」

 

 力が抜ける。体を支えられず、膝から崩れ落ちる。啓示は一切の呵責なく、ジャンヌ・ダルクと言う聖女に答えを魂に刻み込んでいた。心に逃げ場がない彼女は、目を逸らすことも許されず、眼前の真実を天によって教え込まれてしまう。

 原因が―――……自分だった。あの自分が凶行に走った理由が自分に他ならないと、ジャンヌは見抜いてしまった。天に住まうとされる人間を超えた上位の何者かは、聖女に真実だけを教え導く。

 

「―――私が、元凶……?」

 

「その通り。人理等と言う化け物の傀儡に乗っ取られた貴女を見て、貴女を救った私達から逃げたジャンヌ・ダルクを知って、私は私が怖くなった。救われて生きている私が……復讐に堕ちた私に救われるべき私が、聖処女なんておぞましい者になり果てるなんて……あぁ、気持ちが悪い。

 私が焼くと決めたこの世は、醜いにも程がある。

 だから、今度はジルではなく―――私が私を、救いに来たのです」

 

 地面を踏み砕くように、黒い聖女は自分ともう一人の自分を嘲笑いながら進む。

 

「だから……さぁ、ジャンヌ。私の手を取るのです。英霊に堕落した醜い自分を捨て去って、血に穢れた記憶を消し去って、貴女は一人の人間として救われましょう。

 そうすれば貴女はあの城の中で、人理では許されなかった生き方を送れるのですから」

 

「ぁ……う、あぁ……私は、それでも―――」

 

「成る程、まだ足りないのですか。ではジャンヌ、教えなさい。後、何人虐殺すれば、貴女は貴女の救いを求めるのでしょう?

 焼かれた目から血涙を流してまで、もう苦しむこともないのですよ?」

 

 本気であることを、ジャンヌはジャンヌに示していた。どんな過程を経るのだとしても、この国の奴らを復讐の為に皆殺しにするならば、更なる報復の為に殺し方など拘らない。もし殺し方を変えるだけで取り戻せるなら、ジャンヌは躊躇わず復讐を果たす手段を工夫しよう。

 爛々と煮え滾る憎悪を瞳に内に燃え上がらせ、黒い聖女(ジャンヌ)は口を恨みのまま笑みの形に歪ませた。

 

「―――貴女は……(アナタ)は、私に何を望むのです」

 

「聖女に、憎悪を。

 故国に、殺戮を。

 そして、我ら二人に悲劇の喝采を」

 

 呪い声が聞こえる。ジャンヌは、黒い自分が唄う憎悪が脳を犯すのを止められない。

 

「あぁ……けれど、けれどね、貴女には憎悪がありませんでした。長い間を城で接していて、私は私の在り方を十分に理解しました。あの腐れた拷問官にさえ、哀れみを向けているのが分かってしまい、気が狂いそうでした。

 ―――有り得ない、と。

 憎悪を抱けない事こそ哀れなのだ、と。

 私は、このもう一人の私(オルタナティヴ)はそう在れかしと望まれた故に、そう狂った憎悪を持って呼び出されましたが、生前の私は違います。勿論、英霊に堕落した私は聖者として更に狂い、醜い人間共から信仰を受けた聖なる魂をジャンヌ・ダルクとして完成させたアレなど、吐き気さえ催す聖者なのでしょう」

 

「英霊化した私が、聖処女だから……?」

 

「ええ、そうです。だから、アラヤに魂を囚われた私を解き放つには、私の憎悪がなければならないのです」

 

 黒い憎悪に染まる魔女の旗。それをジャンヌは見ただけで、その怨念の深さを彼女と同じ魂で悟り、彼女が唄う怨讐に共鳴してしまった。焦げた瞳から流れる血の涙が黒く汚れ、茫然と膝を地面に突きながら、彼女は違えてしまった自分自身(ジャンヌ)を見詰める事しか出来なかった。

 人間性が変わり逝く。

 人間から獣に心が変貌する。

 人間として流す赤血が黒泥に穢れる。

 もはや聖女としての護りも祈りも無価値となった。竜の魔女は旗の聖女は確かにジャンヌ・ダルクで在り、繋がる心が避けられない悲劇を生み出す感情の本質だった。まるで臍の緒が繋がった親子のように、聖女は魔女であり、魔女こそ聖女であった。

 

「世界は悲劇でしかないのです。私のフランスこそ人間性を捧げた獣の楽園。そんな獣を統べる王に玉座など不必要。呪われた貴女(ワタシ)は、侵略者を虐殺して、フランスの王家と貴族を抹殺して、故国を炎で殺戮しました。

 だからこそ、貴女は救われぬ自分に救いを求める程に―――復讐の火に、絶望を焚べなさい」

 

「……ぁ―――ク、あぁああああああああああ!」

 

 まだ壊れていない左目から、色の無い涙が出てしまった。彼女は狂った頭を両手で抑え込み、焦げた黒涙と冷たい悲涙が両目から流れ出た。

 ―――呪え。

 ―――恨め。

 ―――憎め。

 ―――殺せ。

 ―――犯せ。

 ―――焼け。

 ―――潰せ。

 ―――砕け。

 絶望を憎悪に焚べよ。人間性を復讐に捧げよ。

 残虐に限り無く、邪悪に果ては無し。憎悪無くして復讐は無く、殺意無くして怨讐無し。火刑無くして魔女は生まれず、戦争無くして聖女は現れず。狂気は神の啓示なく刻まれず、怨念は人の啓蒙なく示されない。殺す、死ね。死なして殺して、憎悪が更なる憎悪の呼び声となって、復讐が怨讐を生み出した。

 全てが―――フランスで行われた全てが、ジャンヌからジャンヌに流れた。

 殺された被害者ではない。怨嗟の声が呪いになったのではない。被害者を殺し尽くす加害者の歓喜が、邪悪によって復讐を果たす魔女の快楽が、ジャンヌ・ダルクを汚染した。

 ―――嬉しかった。

 ―――愉しかった。

 人を殺せることが楽しくて堪らない。

 楽しいのが悲しくて死にたくなった。

 怨嗟による苦痛と、憎悪による歓喜。

 人を殺すことを尊ぶ復讐の喜怒哀楽。

 竜の魔女(ジャンヌ)旗の聖女(ジャンヌ)を呪い、祝い、穢し、慈しんだ。どうか救いを求めない自分が、救われたいと懇願する程の絶望に心が沈むよう人間性を尊んだ。

 

「もうやめてぇ……!」

 

 既に、耐え切れなかった。最初から、止めておけばよかった。後悔するのなら、この拳を振り上げておけば良かった。

 ドン、と地面が震える程に盾を叩き付ける。マシュはもう駄目だった。

 ジャンヌに暗い笑みを向けるジャンヌと対峙し、そしてジャンヌを絶対に護ると鋼鉄の意志を抱いて立ち向かった。

 

「……誰ですか、貴女。邪魔しないで」

 

「マシュ・キリエライトです!

 貴女に、ジャンヌさんにそれ以上はさせません!!」

 

「まだ何もしてないですから。だから、先程まで私が私と会話をするのを黙っていたのでしょう?」

 

「それでも……ジャンヌさんにとって貴女が特別なのだとしても―――絶対に!!」

 

「………マシュ?」

 

 自分を守る少女の後ろ姿。直後―――銃声、剣戟、破裂音。所長の銃弾が弾け、エミヤが投擲した双剣がぶつかり、忍びが放った瑠璃手裏剣が敵影を貫いた。

 

「ジャンヌ。俺たちが今は居る。だから、一緒に戦おう!」

 

「立香……けれど、私は―――」

 

「―――それでも、俺たちは味方だから」

 

 隠し切れない体の震えと戦いながら、それでも藤丸はジャンヌと共に戦うと宣言した。ジャンヌの肩に置かれた藤丸の手からは人の温かさと一緒に、眼前の死に震える彼の恐怖心も伝わった。

 どうしよもなく、それが心強くて切なかった。

 涙が止まる程に嬉しくて、だからまた涙を流してしまいそう。

 

「ハァ……だから、言ったと思うのだが。不意打ちに気をつけろとな」

 

「ふふふ。だから貴女を信じていたのですよ、セイバー」

 

 そして、三人の攻撃を防いだ竜の魔女とその従僕共。セイバーは竜騎兵として持つ銃弾で所長の水銀弾を空中で撃ち弾き、エミヤが投げた双剣は弓から放たれた獣の矢よって粉砕され、忍びの手裏剣は侍が振う長刀が完全無欠に至った剣術で受け弾いた。

 眼前のソレらこそ狂わされた人型の闇。

 オルガマリーの啓蒙(インサイト)は―――全てを見透かした。

 

「―――……人間性(ヒューマニティ)?」

 

 サーヴァントなのだろう。それは間違いない。なのにソレらは人の形をしているように、本物の人間に他ならなかった。生きている人間だった。死んでいるのに、呼吸を繰り返す生きた屍人形だった。

 黒い老人――セイバー、デオン。

 獣の狩人――アーチャー、アタランテ。

 騎士団長――ランサー、ヴラド三世。

 伯爵夫人――アサシン、カーミラ。

 水の聖女――ライダー、マルタ。

 甲冑騎士――バーサーカー、ランスロット。

 竜殺剣豪――アサシン、佐々木小次郎。

 フランスを死に染め、血に沈め、火で満たす殺戮者―――ヒューマニティ・サーヴァントが、黒く焦げた空から魔女の元へと具現した。

 

「随分と、懐かしい姿ですねぇ……」

 

「―――――……」

 

 灰と神。即ち、アッシュ・ワンとネームレス・キング。遅れてその二人がワイバーンから慣性を無視してゆっくり降り立ち、自然と魔女(オルタ)の横へと並んだ。

 ――――死。

 女と巨漢は敵だけを見ていた。

 オルガマリー・アニムスフィアだけを、如何殺そうかと静かに視ているのみ。

 

『なんだ、あの男。何故だ有り得ない、こんな事は……所長―――!?』

 

「何よ、良い情報でしょうね?」

 

『あれは、神です。本物の神霊で……英霊を超えている!』

 

「成る程。だったら、神そのものじゃないのね?」

 

『ああ、そうだ。英霊以上だけど、まだギリでサーヴァントの範疇さ!』

 

「……じゃ、それとディールは私で何とかするわ。隻狼は、あっちの佐々木を殺しておいて」

 

「御意」

 

「それと藤丸、命令です。戦力差を覆しなさい。貴方にだけ許されたカルデア最後の奇跡を、その身で起こしなさい」

 

「……了解、しました――――ッ!!」

 

 白熱する令呪と魔術礼装(影霊呼びの鐘)。全神経が発火する導線となって藤丸を壮絶なまでの苦痛に苛み、痛覚を持って生まれた事を後悔する程の激痛が脳を狂わせる。精神が、発狂してしまう。

 けれども―――藤丸だけが、許された奇跡だった。

 地獄など生温く、全身に熱した油を掛けられた方が幸せに思える痛みの中で、彼はそれでも意識を失わずに立っていた。所詮は魔力による幻痛だと思い込み、壊死する肉体もマシュの霊媒治癒で直ぐに治る程度の大怪我だと冷静に自分自身を捨て駒として扱った。まだマスターとして魔術回路の鍛錬と改良が進んでいない藤丸にとって、同時複数召喚は寿命を削る行いに他ならなかった。

 

「来てくれ……俺の呼び声に、答えてくれっ!!」

 

 セイバーが召喚者の声を断る訳もなく、バーサーカーも同じくマスターを決して裏切らなかった。この絶対的な戦力差を覆す為ならば、藤丸はその命を犠牲にオルガマリーの即席影霊召喚(シャドウシステム)によって、サーヴァントの軍勢を粉砕可能なカルデア最大の破壊鎚を同時に二人呼ぶ事も辞さなかった。

 無論、代償は大きい。視界は霞み、爪から出血し、内臓機能も低下した。心臓と肺も何とか動いているだけだ。しかし、それがマシュがその身を呈してマスターを守るように、サーヴァントに応えるのがマスターの責務であるのだと深く彼は自覚していた。

 

「そう言う……―――あぁ、人理をそこまで護ると言うのですね。それがカルデアと」

 

 魔女は深く溜め息を吐き、その献身こそ気色が悪いと嫌悪した。一般人に過ぎず、自分が殺し尽くした無辜の民に過ぎない筈のあの魔術師が、彼女にとって未知の存在に見えて仕方がない。

 唯単にマスターと言う役割を与えられているだけ。

 言ってしまえば、強制的に人殺しをさせられている少年兵だ。

 そうしないと生きられないから、この戦場以外に生きる未来がないから戦っているだけの、死にたくないと足掻く人間の少年だった。

 それなのに―――何故、ああも腐った瞳をしていないのか?

 少年兵を戦場で見た覚えがある黒いジャンヌは、生きる為に戦って人を殺さないとならない人間こそ、世界のおぞましさに心が腐ると知っていた。命は命で壊れるのだと実感していた。

 

「けど、良いのかしら。フランスを我々から救うと言う事は―――ジャンヌ・ダルクが、死ぬと言うことです」

 

 だから、少し興味が湧いた。カルデアをもう少しだけ苦しめてから、彼らを皆殺しにしようと嘲笑った。

 

「知ってるわ。それもう私が教えたからね」

 

「成る程……」

 

 灰の情報から、返答したその女が所長出と言う事をジャンヌ・オルタは理解していた。そして、自分とその所長の言葉を聞いて、自分の肉体年齢と同じ程度の少年少女が苦悩に満ち溢れた表情を浮かべているのも、彼女は一目で見抜いていた。

 

「……それでも、カルデアは邪魔をするのですか。けれども、分かっている筈だと思うのですか。この特異点を消し、人理をあの焼却から救うと言うことは、ジャンヌ・ダルクが生きたまま焼かれると言うこと。

 カルデアは救われた聖女にまた、あの死を強要すると?

 そして、死ぬ前にあの侵略者共からもう再度の陵辱を受け、また女として初めてを穢されろと?」

 

「……それは………私は―――」

 

「そこの盾女は、確かマシュ・キリエライトでしたか。貴女もあの私が穢されて、犯されて、焼かれて、死ねと言うのですね。そして焼かれた後、服を全て皮膚ごと燃やされて薄汚い邪悪な民衆に裸体を晒し、そのまま灰になるまで焦がされて、川に流されろと、その末路が世界の為に正しいと……そう思うのですね?

 同じ女なのに?

 同じ人なのに?

 偶然何処かで出会えた好きな男と結婚し、その誰かと暮らして、自分の家族を持って、ちゃんと老人となって死ぬ事も―――ジャンヌ・ダルクには許されないと?」

 

「……っ」

 

「想像してみなさい、マシュ・キリエライト。見知らぬ男に陵辱され、焼き殺され、裸を晒される恥辱。自分がそれを味わうイメージも良いでしょうが、貴女と共に戦ってくれたそこの聖女様が、貴女の目の前でそうされる未来を。

 その暗い結末をあの私に押し付けて、貴女は救われた世界で笑って生きていけるのですか?」

 

「―――私は、ジャンヌさんに……そうなって欲しくない。欲しくないです。けど、けれどだって……何でこんな、私だって……!!」

 

「ならば、潔くその女を私に渡しなさい」

 

 思いたくもない未来。自分達が特異点を解決して、ジャンヌ・ダルクに本来の人生に戻さないといけない使命。本来ならばマシュの意志を助ける筈の人理修復の大義名分が、そのまま反転して彼女の精神を押し潰す呪いとなった。

 

「………ッ――――出来ません!」

 

 けれども、もうマシュは決めていた。そうなることを知って、それでもフランスの特異点を直すと決めていた。そんな相手の内心をオルタは察しながらも、精神的苦痛に満ちていることも悟りながらも、敵に回るなら復讐相手になるだけだ。

 苦しみながら戦い、その結果としてジャンヌ・ダルクを殺して苦しみ抜いても世界を救おうとするこの女ごと―――カルデアを滅ぼすまで。

 

「だから―――世界を、焼くのです」

 

「アッシュ・ワン……っ」

 

 苦悩するマシュに、灰は優しく微笑んだ。オルタは意外そうに灰を見たが、あの女がそうしたいのなら自由にさせるまで。彼女は自分の口を閉じ、下僕共に念話と通して戦術通り動けと命じるだけだ。

 

「世界が腐れば、誰かが焼かないといけないのです。この世は私が生まれた世界ではありませんが、このまま腐って終わる事を憂いる者が助けを求めるならば―――死ねぬ唯一人の灰として、世界を再び焼きましょう」

 

「良くほざいたわね、アン・ディール」

 

 吐き捨てるように所長は灰の芝居掛った台詞を遮り、同時にマシュの葛藤に付け居る悪辣な女の注意を引く。無論、灰も所長の思惑は知った上で、ひどく楽しそうな笑みを浮かべて彼女に対応した。

 

「ですからね、それは偽名ですよ。私がカルデアで偽ったその名の男はまた別に召喚しましたのでね、しっかりとアッシュと呼んで欲しいのですが。まぁ、それもまた如何でも良いことではありますが」

 

「あっそう。それこそ如何でも良いわ、裏切り者。私はね、貴女のその自分がさも良き人間性に満ちた英雄ぶる話が、気色悪くて仕方がないのよ。

 そもそもこの特異点の惨劇、始めたのは貴女ね?」

 

「勿論ですとも。

 我らフランス新王権直属軍部竜血騎士団、お気に召していただけましたでしょうか?」

 

「別に。けどね、あんなのを作った理由は何よ。愉しそうだったから?」

 

「ええ、はい。歳だけは無価値に重ねて生きて来た私なりに、あの人理で運営されるこの世をフランスで再現しようと思いましてね。と言っても、人間社会を猿真似した二番煎じに過ぎませんが、生まれて初めて描いてみた絵画と考えれば、ポピュラーな題材の方が私に相応しいと思ったのです。

 世界に溢れたこんな程度の悲劇。そも二千年以上前の大昔から、そして人理焼却された西暦2015年の現代まで続いている当たり前な日常でしょう?

 人間性の暗い一側面……―――ふふ。上手に描けて良かったです。

 私の暗い血を与えた吸血鬼伯爵の眷属、竜血騎士。罪深くて丁度良い(ソウル)の持ち主には、私がこのフランスをよりよい世界にする為に人格を改竄(描き直)してみましたが、凄く良い人間性に目覚めてくれて良かったです」

 

「そういうこと。ああも下品な吸血鬼を揃えたのも、貴女の趣味って訳ね?」

 

「はい。悲劇を描きたかったですので。後、そう言う人間で仕上げた作品を、カルデアの皆さんに愉しんで貰いたかったのもありますけど……そうですね、愉しんで頂けて本当に良かったです。

 創作活動は、愉しんで貰える消費者が居てこそでしょう?

 死に絶えた命は、貴女方にとって最高の娯楽品として消費して貰えたでしょうか?

 これでも色々と人間を参考にし、私なりの愉快な悲劇を世界に描いてみましたのだから。昔の流行りのようにシェイクスピアの演劇も良いですが、あの現代でありましたら色々と面白い媒体で溢れてますから」

 

 その一言で所長は察する。灰は、空っぽなのだ。この悪行も、恐らくは嘗て喰い殺した魂の誰かを模し、それを効率的に特異点における惨劇を作り出すのに利用している。

 愉しんでいるのは事実。邪悪なのも本物。

 この女の魂がそう在るのだから偽りでは決してない。

 しかし、魂がそもそも自分だけの意志で作られていないのであれば―――人は、やはり腐るのかもしれない。

 

「―――貴女、魂が腐ってるのね?」

 

「はい。オルガマリーと同じです。

 血に飢えた貴女が臓物を喜ぶように―――この身は、人間性を食べて生きていますから」

 

 薄らとした笑い。それこそアッシュ・ワンの性根。魂喰らいの本性だった。幾度も人を殺し、数え切れない程に魂を喰らい、もはや彼女自身の魂が人間性の渦となった穴なのだ。喰い殺した数多の魂らが住まう地獄なのだ。人の形を為したあの世なのだ。

 この世で最も魂に相応しい人間。

 故に、この女に殺された場合―――その魂は地獄へ落ちる。ソウルを喰らうとは、内側が世界(暗黒)となることに他ならない。

 

「ですから、殺しますね。オルガマリーのソウル()を、どうか私に殺されてから奪われて下さい。私の魂に、貴女のその赤い血の意志を食べさせて下さい。

 なので、あぁ……私の王子様―――では、殺せ。

 戦いしか残されぬお前の望みを果たす時だ。その願望、お前を殺し得るあの狩人にこそ相応しい」

 

「―――無論」

 

 灰の言葉を受けた戦神は無表情のまま、巨大な肉体に釣り合った剣槍を黄金色に輝かせた。そして、あろうことか灰も戦神と共に歩み始める。所長の思惑に乗り、二人掛りで彼女を殺すと決めたのだろう。

 

「さぁ戦争の時間です、下僕共。

 我らがフランスはカルデアを戦場で歓迎致しましょう、盛大に!」

 

 ジャンヌはカルデアを笑いながら、黒旗をグルリと回転させて持ち直し、災厄の単眼を宿す直剣を鞘から引き抜いた。あの灰女が乗り気なのは心強いのだが、同じく敵にもこの灰女と同等の化け物が居ると言う事実でもある。

 ならば、呪いに不足なし。

 逃げた聖女をオルレアンに取り戻すべく、竜の魔女は全てのサーヴァントに殺戮を命じた。














 原作と違って、この作品のマシュは結構魔術が達者な設定にしています。中でも霊媒治癒はかなり上手で、他者に対する治癒能力は所長よりも巧かったりします。カルデアのスタッフにも公になっている範囲の情報ではありますが、Aチームでも十分に主席クラスな能力持ちだと考えていたりしています。
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啓蒙20:ヴィヴ・ラ・フランス!

 長ったらしい会話を叩き切るように、所長は自分と敵対する標的二匹へ銃弾を瞬間二連発。灰と戦神の眉間に迫る弾だったが、剣槍の幅広い刀身が銃弾を弾き飛ばし、灰は首を掲げるだけで回避した。

 魔技と化した早撃ちなれば、それを超える相手こそ業の魔人。

 狩人である所長は、相手が銃弾に如何に対応するか見定めることでその技量に啓蒙され、力量を正確に実感出来てしまう。

 

「………――――」

 

 そして灰は、無言のまま兜を深く被り直す。晒していた口元も甲冑に隠し、黒い騎士が完成された。黒い全身甲冑であり、背中には赤い血色のマントを翻し、あの世界に居た頃はそれなりに愛用していた装備を身に纏っていた。

 その姿こそ竜を渇望する者―――聖壁を滅ぼした竜血騎士団の装束。

 竜血の大剣を握り、腰に特殊なボウガンを隠し持ち、愛用の騎士盾を左腕に装着。更にタリスマンも仕込み、隠し道具も充分だ。

 

〝成る程。並のサーヴァントを超える反応速度……いえ。技巧の妙って、そんな雰囲気かしら”

 

 敵の初動。それだけで所長は彼我の差を察知。つまるところ、自分と同格の相手を二体しなければならない。覚悟なんて言葉では足りない臨死を超えた絶望の先の、そのまた先を超えて只管に戦い抜くと決めないとならない。寿命がデザインされた有限の生命体では不可能な、数多の絶死を経た殺し合いの末に、恐らくは奇跡的に勝てるかも知れないと言う僅かな可能性だけが残されている。

 オルガマリーは此処で死ぬ。

 ならば、此処で死ねば良い。

 人を狩ると言うことは、自分の命も狩り奪われると言うこと。

 醒めぬ悪夢に囚われた存在であれば―――死など現実から目覚めるだけの、ただの日常でしかない。

 

「――――――」

 

「――――――」

 

 そして、それは灰と戦神も同じこと。もはや言葉は不要となり、業と技を交わし合うだけで良かった。魂が腐ることで得た人間性の営みなど無価値となり、ただただ純粋に自分自身の魂の儘、相手のソウルを貪るだけで良かった。相手が力を振えば容易く死ぬだけの弱者なれば、二人の魂が腐ることで芽生えたその人間性も愉しいと嗤うのだろう。だが自分と同じ魂の意志を抱く魔人が相手となれば、そんな愉悦こそ下らぬ塵に等しい御遊戯に堕落する。

 敵と会話する等と言う究極の余分はその意志から消え去り、無へ専心。

 そう思うだけで魂が純化され、生態機能も停止され、凪の心を持つ静かな“人間”に成り果てた。そして、戦神は祈るのだろう。人間性によって人間となる形に呪われ、けれどもやはり何も変わらない。神も人も、闇から生じた“人間”だったのだと死の間際にこそ答えが在った。

 

〝油断、慢心、昂揚、気負い、何も無し。

 狩り甲斐あるけど、さっきまので人を無駄に煽って、人を意味も無く陥れて、悦楽に浸るヒャッハー系アンポンタンの方が好都合だったってのに……”

 

 所詮、演技なのだろう。人間を愉しむ心に偽りはないが、あの無なる魂こそ奴らの正体だった。その在り方だけは、恐らくどれ程に魂が腐っても失う事が出来ない意志の形だったのだろう。

 

〝さて、オルガマリー・アニムスフィアですか。まずはお手並み拝見。

 何て相手を舐めたこと、する必要がないのが良いです。最初から全力全開で参りましょう。その為なら私のソウルなど枯れてしまえば良い……だから、貴女の魂を底まで殺し尽くしましょう。

 出来れば、このソウルの腐れを焼き尽くして頂けるなら、尚の事……ッ―――!”

 

 ギヂリギヂリ、とエネルギーに過ぎない雷が物理的に軋む不協和音が灰から轟いた。盾と一緒に手に仕込んでいた太陽のタリスマンを使い、その大剣に雷を宿す。勿論のこと、聖鈴の方が触媒効果は高いのだが、それは安全地帯から一方的に相手を遠距離より殺せる場合。即座に接近戦となる可能性を考え、断固たる祈りで以って肉体が強靭化する此方の方が万能。

 事実、所長は隙有りと銃弾を撃った。しかし、灰の祈りを止める事など不可能なのだ。銃弾で撃たれたと言うのに彼女は体勢を一切微動だにせず、奇跡はあっさりと完成した。それは竜血の刃でありながら、竜殺しの雷撃を纏い、その刀身は容易く竜鱗を斬り砕いて血に染まるのだろう。事実、灰は幾匹もの竜を殺した竜殺しであり、そもそも竜殺しの武器など使う必要もなく古竜を殺す女ではあるのだが。

 

「……ぉぉおおおおおおおおおお!!」

 

「……っ―――!」

 

 体を捻らせ回し、自分自身が落雷となって灰が所長を襲撃。即座に回避した後に所長は離れながら銃弾を撃つも、灰は鎧を防具として万全に使って銃弾を体幹運動だけで逸らす。そして、盾を持つ左手に光の球体を凝縮させ、本来ならば両手で唱える〝放つフォース”を左手一本で発射。その上で踏み込み、凶悪な斬り上げで以って所長を吹き飛ばそうとするも、巧みな奇跡と剣術の二段交差でさえ回避し切る。

 直後―――背後に戦神が居た。

 たった一歩だけ踏み込み、落雷と共に地面ごと周囲一帯を爆散。

 その雷撃を待つ爆風にノコギリ鉈を振ることで神の奇跡を何とか抉り裂き、傷は負うも致命傷からは逃れる。だが雷によって肉体に痺れが残り、それを見逃す戦神と灰に非ず。

 

「グゥ……ッ―――!?」

 

 嵐を纏って突撃する戦神と、巨大な雷球を上空に作り出した灰。咄嗟に骨髄水銀弾を灰に向けて撃つも、その銃弾さえ鎧と共に淡い黄金の光を纏う灰は平然と受け切った。ならばと即座に標的を戦神に変えるも、纏う嵐が生半可な攻撃を風で吹き飛ばす。

 だから、本当に咄嗟の事だった。所長は自分に迫る戦神の突きを―――踏み躙った。

 戦神と所長は大きな身長差があり、所長に向けて下向きに放った剣槍の刃は彼女を貫いて地面に突き刺さる筈だったが、巧みな体術によって踏み潰され、そのまま地面に減り込んだ。

 

「――――ッ!」

 

「ナニ……ッ!」

 

 見切って回避する事も可能だが、避けた所で嵐の如き連帯連続攻撃を灰と戦神は繰り返し、所長が止まるまで延々と殺人技巧を繰り出すだろう。しかし己がサーヴァントである隻狼から体術を学習した狩人でもある所長は、その全身全てが狩猟兵器に変貌していた。

 無言のまま更なる雷を貯める戦神であったが、雷球より遂に雷撃の絨毯爆撃を開始した灰は思わず驚愕の声を上げた。所長を良く知った女である故に、これより先に如何なる攻撃が出るか悟っていたのだ。

 

「―――――!!」

 

 変貌するはオルガマリーの右腕。濃厚なる血晶石を仕込んだノコギリ鉈が腕に吸収されて変貌し、宝具の護りさえ切り裂く怪物の爪先を得た。

 異形の獣腕となり―――戦神の腹部へと、そのまま爪を突き刺した。

 しかし、それを超えてこそ竜狩りの戦神に他ならない。あろうことか咄嗟に槍から左手を離していた彼は、所長の右手首を掴み抑えていた。

 直後―――雷撃。肉体内部で竜殺しの雷鳴が響き轟くのを脳が聞き届け、痺れて動かない筋肉とは違って絶叫が無意識の内に喉から発生してしまった。

 

「……がぁああ!!」

 

 それでも尚、無理にでも所長は動いた。右腕を直ぐ様に人間の腕に戻し、細くなった瞬間に戦神の手から勢いよく引き抜いた。そうしなければ、身動きが出来なければ、このままでは囲まれて嬲り殺しにされるだけ。何故ならば、空に浮かぶ電球から数多の雷矢が彼女に向かって自動追尾を始めており―――灰も戦神も、万全な状態で攻撃可能。

 輸血液で回復したいが、もはやそんな隙など千分の一秒もない。

 上空で舞う電球、雷の剣を振う灰、剣槍を構えながら嵐を纏う戦神。

 

「――――GuoooooOOOOOOOOOOOOOOO!!」

 

 ならば雄叫びを。いや、それは狩人の叫びでさえなく、血に飢えた獣の咆哮だった。粉塵を巻き上げ、近くに居る人間の鼓膜を容易く破る爆音であり、人を吹き飛ばす程の空気の波動であった。いざという時の為、所長はカルデアの皆には対音術式を仕込むことで味方の鼓膜が破れるような事態にはならないが、戦神と灰は別。この咆哮は血によって優れた肉体機能を持つ狩人でさえ、鼓膜ごと両耳が破壊されてしまい、その聴覚と平衡感覚の機能が治るまで転がり続ける事しか出来ない。崖の近くで咆哮を受ければ、為す術もなく落下死する狩人狩りの触媒に他ならなかった。

 そして水銀弾や大砲の一撃でさえ弾き、その射出軌道を捻じ曲げる獣の咆哮ならば可能。

 電球から迫る雷矢を弾き、灰のその鼓膜を破りながら吹き飛ばし、戦神を一歩だけだが後退させた。

 

「ヌゥ―――」

 

 しかし、灰は不死。頭部を矢で貫かれようとも、肉体機能に何ら問題を起こさず行動する化け物のような人間だ。エスト瓶に貯めた篝火の熱を飲めば生命を回復するも、肉体損壊の復元自体は即座に行われる。鼓膜が破れた程度では何らダメージにもならず、灰は転がりながらも一瞬で剣と盾を構えた。

 

「―――ッ!」

 

 所長は灰の視界の何処にも居らず―――否、ならば限られている。思考の速度で肉体が稼動し、振り向くのと同時に盾を感覚と経験則の元で振り払う。

 結果、受け流し(パリィ)に成功。

 敵の背後を狙った必殺の一撃は、しかし誘い込まれた故のもの。所長は大きく力を溜め込むように振り払ったノコギリ鉈が弾き逸らされ、体勢を崩された。

 

「―――」

 

 殺せる。殺せるが、灰は悪寒を感じ取った。果たしてそこまで容易い女なのか疑問に思い、同時に足元にあるソレが偶然にも視界に入る。

 ―――ボン、とソレが破裂した。

 時限爆弾を事前に落しており、灰を吹き飛ばす。パリィを受けたのも態とであり、故意的に体勢が崩れたフリをしていただけ。しかし、それでも灰は万全にして万能。鉈に広げて脳天をカチ割ろうと武器を振り下してきた瞬間、灰は右足で所長の腹部を強打。血反吐を吐く所長をバネのように利用し、その反撥を発射台に隻狼と良く似た素早い動きで一気にバク転して回避。そのまま空中に飛び上がり、空の上から雷の大槍を投げようとするも、灰の眼前には銃弾が飛来。盾でそれを弾き、慣性の法則に従って落下する。

 そして、灰が所長から離れた直後―――戦神が飛来した。

 見計らったように休まず所長を襲い続け、夢の中から水銀弾を補充する暇もなければ、輸血液で生命力を取り戻す時間も無い。

 

「―――っち」

 

 所長が舌打ちをするのも仕方なし。そもそも戦神は自分の巨躯と剣槍と言う種類の武器、そして雷の力を使うことから、協力して誰かを倒す事に向いていない。構わず戦えば、灰ごと攻撃してしまうことになる。しかし、そんな事は何ら所長に有利な条件を一切与えず、巧みにも程がある連帯行動で……―――いや、灰が完璧に戦神の動きに合わせて所長を追い詰めていた。

 戦神は、少しだけ灰を気にすれば良いだけ。誰かと共に戦う事に慣れている灰ならば、即席だろうと完璧に相手の呼吸のリズムに自分の呼吸を調整することも容易かった。

 剣槍と大剣、そして電撃と雷鳴による―――四重連帯攻撃。

 一秒間の間に幾度も死が所長へ迫る。掠れば、そこから電撃が全身を巡って肉体を強制硬直させ、一気に殺されると言うのに、そもそも一撃一撃が必殺。回避仕切れない場合は、ノコギリ鉈で相手の武器を咄嗟に弾き逸らすも、握り締める鋸の柄から電流が自分に流れ込んでくる。

 銃弾を合間合間に撃ち込み、一番使いなれた鋸鉈を振るも、全て対処されてしまう。一対一ならばどうにかなるが、同程度の技巧の持ち主である故、自分の技に如何様にも対応されてしまう。

 

「……ぐ、ぅ……はぁー」

 

 止めていた呼吸を一息だけ再開。所長は自分以外の戦局など気にする余裕はないが、今は集団戦闘中。そうは言っていられないと、脳が暴発しそうになる頭痛に耐えながら、周辺情報を瞳によって思考回路へと啓蒙された。

 現状―――非常に危機的戦局。

 旗の聖女(ジャンヌ)竜の魔女(ジャンヌ)を何とか抑えているが、精神的に万全には掛け離れている。黒い炎を振り払うも不利なまま何とか戦っているが、時間は彼女の敵に回った。エミヤは遠距離から狙撃をして戦場を掻き回そうとするアタランテを追い、森の中で射撃戦に入り込む。そして忍びは怪物的技量を持つ侍を相手にしつつも、更に吸血鬼のランサーを相手にとって二人を封じ込めているが、何よりもあの侍が厄介なのだろう。あろうことか、忍びの剣技を完璧に見切る技巧を誇っているサーヴァントなど、神代で英雄と呼ばれる戦士にも少ない筈。

 そして、マシュと影霊(シャドウ)を召喚した藤丸は三体のサーヴァントを相手にしていた。

 枯百合の老剣士(シュヴァリエ・デオン)血の伯爵夫人(カーミラ)黒い狂騎士(ランスロット)、そして水辺の聖女(マルタ)は、絶対なる人理の盾と、騎士王と、大英雄とを突破して藤丸を殺さねばならない。しかしセイバーであるアルトリアと、バーサーカーであるヘラクレスは、シャドウとして召喚されたにも関わらず、その霊基は凄まじい強さ持つサーヴァントであった。代償として藤丸は常に激痛に耐えねばならないが、生きる為ならば是非も無し。

 

「―――――……」

 

 そんな一瞬でも思考を別に向けた所長を、戦神は哀れむように目だけで嗤う。哂う。嘲笑う。とてもつまらなそうに、無表情のまま笑った。

 彼は剣槍をオルガマリーの精神的隙間を見抜き、天に向けて掲げたのだ。本来ならば、一秒でも貯める時間があれば銃弾が飛んでくるのだろうが、身を守る為に攻撃を回避する危険察知に意識を裂き、残りを周辺探知に使ったことで、僅かばかりだが相手の隙を窺う精神的手段に粗が出てしまった。

 

「っ――――避けなさい……!!」

 

 その大声は確かに周囲で戦う皆の耳に入ったが、所詮は言葉など音速。竜狩りの戦神が誇る速度に―――雷速に、届く事は有り得ない。既に奇跡となった雷雲が擬似的に浮かび上がり、極大の雷が敵の誰かに目掛けて落下していた。

 故に―――跳躍。

 敵と戦いながらでも死角から迫る雷撃を察知する忍びならば、戦神が招来した雷鳴を見切るのは不可能ではない。そしてサーヴァント化した忍びの脚力ならば、10m以上の高さだろうと容易く届くだろう。

 だが、灰もまた―――飛んだ。

 その直後、楔丸を上空に忍びは向ける。戦神の奇跡は真っ直ぐに忍びへと落雷。ならば、忍びが雷を斬り払う相手は眼前の裏切り者唯一人。

 葦名を冠する武者と、源の宮の武者が扱う雷神と化す絶技―――雷返し。

 実践で鍛え上げた狼の殺人剣術は、一度でも己が業にした術理を完璧に会得し、例えあの雷神の一撃だろうと関係無く自分の雷鳴へと練り上げた。

 

「ぬっ――――!」

 

「――――!!!」

 

 忍びの雷返し―――否、それは反撃を更なる反射(パリィ)で撥ね返す灰の技。

 名付けるならば、それは奇跡返し(ミラクルパリィ)が相応しい。魂で魂を抉り取るソウルの業でさえ弾き返す灰からすれば、人の魂を壊す神の奇跡もまた同じに過ぎず、一度それをデーモンスレイヤーと殺し合った時に見たことで魂に学習させていた。

 それによって忍びの雷撃は見当違いの場所に吹き飛ばされ、狙ったかのようにマシュに迫る。灰は当たり前な事だが見抜いていたのだ。藤丸も確かに死ねばカルデアは終わるが、同じくマシュも死ねばカルデアはその時点で人理修復は不可能となる。彼女の盾がなければ、この後の特異点修復など有り得ない。

 生物として弱いから藤丸が目立つだけ。

 本当に弱点となるのは―――あの少女。

 マスターが狙われ易いからと気張る精神的緊張こそ、盾である自分が積極的に狙われないと言う隙を生み出す覚悟となった。

 

「あぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 ―――打雷。

 

「「―――マシュ!」」

 

 藤丸が、ジャンヌが、その姿を見て絶叫を上げた。彼女であれば耐えられると言う信頼はあるが、余りにも見ていられない。黒い煙を全身から上げるマシュの姿は、まるでエジソンが開発した電気椅子で処刑される死刑囚のようだ。

 電流で痺れ震える体が―――余りにも、痛々しい。

 

「アッシュ……ッ――――!!」

 

 未だ上空に居る灰に向けて殺意が弾け、オルガマリーは銃弾を連続発射。だが、それら全てを盾で防ぎ、自分に空中で斬り掛って来た忍びの斬撃を大剣で受け流しす。

 そして断固たる祈りによって―――神の怒りは唱えられた。自分と同じく空中で斬り合っていた忍びを容易く吹き飛ばし、更に飛んで来た銃弾を弾き飛ばし、灰は無事着地。

 

「そら。余所見は行かんぞ、忍び殿」

 

「我が杭から逃げるとは、実に不届き!」

 

 転び堕ちた忍びは刹那、霧がらすの忍術を義手より起動。首に迫る侍の斬撃と心臓を狙う伯爵の一刺しを避け、炎影となって瞬時に離脱。だがそれさえも嬉しいのか、血に飢えた侍は薄らと笑いながら忍びを追い、吸血鬼は実際に血が啜りたいと蝙蝠に分身変化して忍びへと飛び去った。

 しかし―――マシュは全身に雷が走り、痛みに喘ぐ。

 十字盾で確かに受け止めたのに、それの表面をまるで蛇のように走り抜け、広がる電撃がマシュの身に纏わり付いたのだ。

 

「か……ぐ……ゥ―――うぅううッ」

 

 そんなマシュに向け、アルトリアとヘラクレスの破壊剣戟をすり抜けたデオンは、竜騎兵として保有するカービン銃から弾丸を撃つ。他の三体のサーヴァントは抑えられていたが、忍びに近い技量を持つこの老女は、シャドウである二人を容易く出し抜いてしまった。

 しかし、それでも尚、マシュは止まらなかった。

 盾を構えて銃弾を防ぎ―――直後、老デオンはサーベルを巧みに振う。銃弾が当たったとマシュが思ったその時には、既に正面に居る恐怖。そして、スラリと枝から落ちた葉っぱのように、マシュが盾を動かすよりも迅速に側面から防衛圏内部に入り込んだ。

 

「まだまだ、ですッ……!」

 

 だが彼女にとって想定内の危機。この程度の臨死、乗り越えられない訳がない。魔力防御によって全身を守るマシュは受けるダメージを大幅に抑え込み、その雷撃を魔力で受け止め、カルデアの技術部門が十字盾に刻み込んだ外付け魔術回路が起動。本来ならば障壁となる魔力の防御膜が解放され、身に受けた雷撃さえも混ぜ込み、鎧のように纏う力場が放たれた。

 先程の灰が唱えた〝神の怒り”に似た刻印魔術。

 カルデア所属変態技術者命名―――アサルトアーマー。

 守りの加護だろうと関係無く、何でも兵器運用しようとする実に兵器開発者らしい発想で開発された回路による運用理論だが、マスターを守るマシュもまた誰かに守られて此処に居る。彼女を思えばこそ、戦える手段は多ければ多いほど良いのだろう。

 

「……アタシゃ吃驚だよ。最近の若い子は強いねー」

 

 そう呟く老婆らしき剣士だが、そもそもマシュの放つ雷鳴爆風さえ咄嗟に切り裂き、剣で自分を守る技量を考えれば皮肉にしかならない。とは言え、刀身を通じて電撃が走り、手先が僅かに振えて焦げてしまった。サーヴァントの自然回復力を考えれば怪我と言えないが、剣士として柄を握る指は命に等しい商売道具。

 相手の悠然とした様子。マシュにとって、実にやり難い相手。

 正直、技量に依った能力を持つサーヴァントは彼女にとって最大の鬼門。

 エクスカリバーのようなエネルギー攻撃の方が、盾をより効果的に運用する事で、その攻撃をカウンターとして相手にそのまま弾き返すことでチェックメイトを放てる。しかし、人間が人間として鍛え上げた純粋なる技となれば、その攻撃を防ぐことだけは出来る。だが技を見切るには、マシュ自身に鍛えられた眼力と第六感が必須となる。

 

「……ッ―――」

 

 もう返答するだけの余裕もない。笑みを浮かべる敵を見るが、痛みと苦しみに耐える為、マシュは歯を食いしばることしか出来なかった。

 そして―――ジャンヌは致命的な隙を晒してしまった。

 マシュの叫びに気を取られてしまい、彼女が魔女に奥の手を使われたことで捕えられてしまった。

 

「いけませんね、聖女の私(ジャンヌ)

 私以外に意識を向けるのは別に良いですが、隙を作っちゃ―――ダメじゃない?」

 

「―――ッ……ぐ、ぅう!」

 

 憎悪を形にした直剣に仕込まれた瞳こそ、黒い単眼竜の災厄―――カラミット。そのドラゴンと同じ名を付けられた剣は灰により、ソウル錬成を行うことで擬似的な宝具として創り変えられている。

 故に、込められた神秘は竜の単眼のまま。

 災厄を冠するドラゴンは咆哮の代わりに相手を睨み殺し、ジャンヌの全身を淡い橙色の怨念で縛り上げた。

 

「うぅぅ……あぁぁああああああああ!!!」

 

 ミシリ、と骨肉が軋む。不協和音が鳴り響き、その奇怪な音と同時にジャンヌが浮かび上がる。魔女の憎悪は聖女を空中で磔にし、四肢ごと全身を押し潰す。そして邪眼の念力は空間ごと人体を圧壊させ、生命を喰らう災厄でもあった。ジャンヌは自分がまるで巨人に握り潰され、肉塊に圧縮される未来を啓示された。このままでは死ぬ。

 何も出来ぬまま―――終わる。

 それだけは駄目だ。死ぬのは良い。けれど、何もなせずに死ぬのは余りにも情けない。

 何の為にオルレアンを飛び出したのか。どうして狂った友の救いを拒んだのか。紅蓮の聖女として英霊になったあの自分を受け入れたのか。

 殺戮が繰り広がるフランスを彷徨ったのは―――こんな結末に辿り着く為ではない。

 

「こんな所で……諦めて―――堪りますかぁ!!」

 

「―――祈りも決意も無駄なのです!

 今の心折れた……いえ、折れる寸前の貴女に、我が復讐の怒りを超えられる訳がない!」

 

「ぁ、ぎぃ……ぐぅぅう―――」

 

 それでも尚、魔女の憎悪は深かった。

 聖女の決意を容易く挫く程、燃え上がる様に熱かった。

 

「殺しはしないわ。串刺しにはするけど―――死ぬのは、貴女の中にいる哀れな私だけ!」

 

 空中に拘束されるジャンヌの周囲に炎が揺らめき、武器へと形成されていく。それは剣であり、槍であり、矢であり、斧であり、斧槍であり、この中世で人を殺し続けた殺人兵器の群れだった。殺された人々の怨念で練り上げられた殺意の塊だった。

 魂を殺す怨讐こそ、人を焼却する黒炎。命は壊さず、その意志を焼く。

 ジャンヌの中に眠る聖なる魂だけを殺し尽くす為、魔女は自らのソウルを燃やして殺意を発火した。

 

「さようなら、憐れな聖女様!

 こんにちは、人なる聖女様!

 ふふ、くくく……はははははははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハはははははははははははは―――」

 

 カルデアの仲間は、誰もジャンヌを助けられない。魔女から思念を受けたヒューマニティ・サーヴァントが巧みに連係を取り、何よりも足りない部分は灰と戦神が如何様にも出来てしま得た。所長は、マシュは、藤丸はもう、特異点修復の最後に自分が死ぬのだとわかっているのに、それでもカルデアに協力すると誓ってくれたジャンヌに辿り着けない。

 竜の魔女(ジャンヌ)の笑い声を聞く事しか出来なかった。

 旗の聖女(ジャンヌ)の叫び声を聞く事しか出来なかった。

 

「「あ”?」」

 

 何かに気が付いたそんな灰と所長の呟きも、戦場の騒音の中に消え去った。一番最初に二人同時に気が付いたが、反応はそれぞれ殆んど同じ。そして所長の瞳に映った光輝く馬車は何処から兎も角、本当に唐突に、此方へ向かって行き成り爆走しながら迫って来た。

 

「―――ヴィヴ・ラ・フランス!」

 

「―――はははははははぐわぁ!」

 

 回りながら空高く飛ぶ黒い魔女の影。物凄く形容し難いが、強いて言えばグチャリと言う擬音だろう。客観的な視点から見れば、何か凄い勢いで結晶の馬車が魔女を轢き逃げしていった。後少しで聖女に止めをさせると言う興奮が彼女の啓示を鈍らせ、轢き逃げアタックのジャストヒットに成功したようだ。

 ……それを呆然と見る灰。

 何が何だか、分からない。

 確かに灰は相変わらず一切の隙なく周囲に意識を巡らせているも、兜を被っているのに凄く良いリアクションをしているのが誰にでも分かる気配だった。何故なら、どんな確率か本当に解らないが、あのジャンヌ・ダルクが錐揉み回転しながら、丁度自分の方に飛んできたのだから。

 

「―――あー……」

 

 そして、悟った。これ、自分が此処で避けると後でどやされる展開になると。なので病み村と絵画世界を足した位に腐った魂で、面倒臭いと溜め息一つ。敵からの攻撃を警戒しつつも、時速百キロ以上の速度で吹き飛ぶ人間を受け止めるとなれば、やはり薪を得た灰とて辛いのだ。

 待伏せしていた呪術師が放った岩吐きが直撃し、そのまま登り切った梯子から落下した時の衝撃を思い出しながらも、灰はしっかりと身構えた。自分がクッションになるようにある程度は脱力しつつも、力んでそのまま受ければ壁に衝突するのと同じだろう。

 

「……グヘェ―――ッ!」

 

 馬車に轢き飛ばされたジャンヌは砲弾と変わらない。ジャンヌが怪我をしない様に受け止める灰は踏ん張りが効かず、そのまま魔女と一緒に地面を転がった。念の為に魔女の頭部を地面と当たらないように守ったが、その所為で自分は頭部を連続して強打してしまった。

 星が見えそうな痛みだが……まぁ、あのジル・ド・レェから預かった大事な娘だ。仕方ないとそう灰は自分に強く言い聞かせて、早くエスト瓶呑みたいと焦る気持ちを我慢させた。

 

「ジャンヌさん、重いです。率直に言って、兜の中でソウルを吐きそうです。早く退いて頂けないと、私の顔面が腐ったソウル塗れになってしまうのですが」

 

「……うっさい。でも、感謝はしておきます」

 

「どういたしまして。無事で何よりです。下敷きになった甲斐もありましたね。

 それで、ええ……その今の内に謝っておきます。

 貴女の邪剣、使っている間は集中力もかなり使います。なので、周囲の警戒が凄く疎かになるので、次から気を付けて下さいね」

 

 ソウルの中の記憶を思い返すと、確かにあの黒竜は邪眼使用中は無防備だったのを今になって思い出した。

 

「―――先に、言いなさいよぉ……」

 

「スマヌス、です」

 

 軽い不死ジョークで灰は謝罪。戦神が所長を抑えてはいるが、取り敢えず灰は起き上がる気分ではなかった。魔女が従えるサーヴァントも俄然せず戦闘続行をしているも、カルデア側は逆にジャンヌが助かった光景を見たことで敵をまずは押し返す事に集中する。

 何より、あの馬車は確実にカルデア側に付く援軍だろう。正体は分からないが、敵将であるジャンヌを吹っ飛ばして灰に当てたのに、これで実はカルデアの敵でした何て事になったら意味不明にも程がある。

 

「……………………ぇ?」

 

 ポカンと死ぬほど間抜けな表情を浮かべる聖女が一人。轢かれた魔女に命中した灰と同じく、何が何やらまるで分からない。全く以って何も理解出来ないが、自分があの轢き逃げ暴走馬車に助けられたのは良く分かった。しかし、分かった所で其処から如何に反応すれば良いのかは、同じくまるで分からないのだが。

 とは言え、そんな混乱をしつつも状況分析は継続中。磔にされていた宙から落下したジャンヌは直ぐ様に立ちあがり、馬車から身を乗り出した人物を見た。

 

「さぁ、皆も一緒にヴィヴ・ラ・フラ……」

 

 馬車から顔を出した美しい少女は、その美しい声による挨拶を途中で止めてしまった。そして、その綺麗な目を幾度か瞬きしながら、揉みくちゃになった灰と魔女の方を見た。しかし、今は良いかしらと直ぐに挨拶を再開。

 

「……ンス。あら、誰か轢いてしまったわね。どうしましょう、アマデウス?」

 

「君は本当に……うん―――そういうところだよ、僕のマリア」

 

「一体何処がそう言うところなのかしら?

 後ね、もうわたしは貴方のマリアじゃないわよ。わたしが貴方のものになったのは、あの時の、あの一瞬だけだもの」

 

「つれないなぁ……ま、良いけど。それはそれで、そそられるのも事実さ」

 

 馬車をドリフトしながら停車したサーヴァントの暢気な声。

 

「啓蒙高いわぁ……」

 

 現状の混沌さに思わず呟くも―――好機を悟る。所長は一瞬でカルデアの仲間全員に念話を送る。そして、抑えるべき敵は戦神と、竜騎兵の老婆と―――黒い侍、佐々木小次郎。

 この三人は、単純に手練だ。戦術面と戦闘面に両面に優れ、殺し合いにおける判断力が特に鋭い。他にも居るが、狂っているか、獣性に犯されいるかの二択であり、合理的な戦術行動はしないと所長は見た。

 

「アッシュ様、良くも私を裏切って下さいましたねッ!」

 

「ちょ、ちょっと清姫、貴女少しは落ち着きな―――ブゲ!」

 

「離してくださまし、エリザベート!」

 

「は、鼻に肘が……星、星が見えるわスター」

 

 しかし、場の混沌具合は加速する。馬車から飛び降りた着物姿の少女は、自分を制止する少女の顔面に肘鉄を入れながら、漸く魔女と共に立ち上がった灰へと声を荒げた。

 正しく鬼の形相。荒々しい呼吸と一緒に、彼女の呼気は火炎となる。声がもはや竜の吐息に等しく、濃密な殺意と憤怒が融けた魔力が漂い始める。

 

「わたくしの元マスター……―――アッシュ様。貴女様は、わたくしに嘘はおっしゃらずにいてくれました。貴女様が与えた人間性と言う呪いさえも、わたくしは昂る愛のまま全て飲み乾しましたのに。

 なのに、なんで…―――何故!?」

 

「…………あッ」

 

 思考速度は加速させ、如何返答しようかと灰は思い悩む。対応の失敗は即座に火炎地獄へと繋がる。

 だが愛について考える灰は、そもそも性欲はない。同時に、愛に関する感情など消え失せた。貯めたソウルで感情の再現は出来るが、自分にはもう渇望しかないことを心で理解している。故に戦力増加の為に英霊の追加召喚時に清姫が呼び出され、ヒューマニティ・サーヴァントとして与えた人間性を、そのまま我ら不死の闇を愛へと生み変えたこの竜の化身のソウルを知りたかった。

 ……結果、こうなった。粘着された。

 そもそも灰は無性愛者なので、同性異性に興味はないが、構わないとそれはそれで良しとした。しかし、誤算があったとすれば、最初から最高に狂っている清姫は、人間性に犯されてソウルが変質したのに人格が余り変わらなかった。本質的に、彼女は不死に近い渇望の申し子なのだろう。

 召喚された数日後、清姫は自分を呼んだ魔女と灰の正体を知った。正気を保つ彼女が魔女達と縁を切るのも自然な流れだった。灰はソウルの業の応用で自分の魂に嘘を真実とさせたり、色々と手段や工夫を講じて清姫を騙した。そして灰は清姫と言う魂の在り方は好きだが、異性としても同性としても好きな訳ではなかった。

 ……等と言う事を言い訳がましく一瞬で考え、もう心が折れても良いのではと灰は自分に妥協した。高速思考と分割思考の無駄使いだった。

 

「告白しますと、清姫さんに愛してるって言いましたけど―――うっそでーす、キラ!」

 

「………………………………………ブ、ブ―――」

 

 震える清姫。色々と面倒になって投槍な煽り行為に走った灰の姿に、彼女の中の竜が怒りの有頂天に急上昇。灰の面倒になると直ぐに人を煽る悪い癖が、やってはいけない場面で暴発してしまった。

 

「―――ブッコロシテヤルゥゥゥゥウ!!」

 

 キシャーと凄まじい不協和音を喉から発しながら、骨髄まで灰になれと轟炎を灰に向けて発射。清姫は嘘と言った灰の発言に嘘がない事を知り、真実を告げられたと言うのに頭が竜になる程に激怒した。と言うよりも、実際に頭部が竜に変貌していた。

 灰は大昔に自分もそんな風に人前で全裸になって変身してたなぁ、と何だか懐かしい気分で清姫を見たが、その前にまず火炎地獄を如何にかしないといけなかった。

 

「え、うそ。貴女、顔面が爬虫類に退化してるー!」

 

「キシャー」

 

 ゲルムの大盾で火炎を完全防御。腰にオルタが纏わり付いている所為で、灰は咄嗟に清姫の竜炎を回避出来なかった。

 

「アッシュシールド!」

 

「いや、別にいいですけど。私を盾にしてるジャンヌさん、死ぬ程格好悪いですよ?」

 

「あの炎は私でも熱いのですから、アッシュが踏ん張りなさい。そもそもこうなったのは、貴女の責任じゃない。だからあの時、脳味噌病気なサーヴァントは始末するべきって言ったのです!」

 

「キシャーキシャー。オノレオノレ、ワタシ、アナタヲマルコゲデス!」

 

「……確かに」

 

「納得してんじゃないわよ!」

 

 そして、清姫は巨大な竜頭の幻影を頭部に纏い、自分を噴射口に更なる混沌の竜炎を吐き出した。

 

「もー清姫、良い加減にしなさい!!」

 

「キシャァァアアアアア!」

 

 暴れる清姫の腰にエリザベートが抱き就いて馬車に連れ戻そうとするので、清姫は更に火龍の吐息をばら撒き、周囲一帯が火炎地獄によって溶岩地帯に作り変えれていった。

 

「あれ……あれれ、我が神よ。私の啓示が雲って何も見えません……」

 

「助けに来たわよ、ヴィヴ・ラ・フラーンス!」

 

「ヴィ、ヴィブ・ラ・フランス……?」

 

「そう、そうよ……もう。さっきは誰も無反応だったから、わたしってばもしかして、空気が読めない行動をしてしまったのか思ったのよ。

 でも、良かったわ。ささ、聖女ジャンヌ、わたしの馬車にお乗りになって!」

 

「え、ええ……―――はい!」

 

 瞬間、彼女の手を取れとジャンヌの第六感が激しく示す。どうやら、この好機を逃せば全て終わると啓示が告げているのを感じ取れた。

 

「オ、オルガマリー……!」

 

「ジャンヌ、こっちはこっちで如何にかするわ!」

 

 所長は戦神を出し抜き、馬車に行こうにも現状は難しい。一撃で殺せずとも心臓を抉り取って一時的に行動不能にでも出来れば十分逃げられるのに、そんな隙は戦神に全くない。

 ならば―――消えてしまえば良い。

 戦神をエヴェリンで数発連射して牽制するその間、所長は片手で器用に劇薬を喉に流し込む。

 

「――――……」

 

 見えず、聞こえず、感じられず。存在感そのものが消失し、世界からあの狩人が消えてしまった。まるで自我と空間の境が混ざり融け、所長が時空に溶けてしまったような消え方だった。

 だが―――近付けば、話は別。

 感覚を研ぎ澄まし、第六感を深く感じ、呼吸音がせずとも闘争の意志は決して消えない。

 

「…………ぬ?」

 

 直後、銃弾の雨嵐。霊体である戦神は、本来の自分が召喚された“世界”の知識から、この武器の詳細を良く知っていた。弓と同じく射手がおり、弾道の根元を探れば敵の居場所も直ぐに分かると言うもの。

 馬車の上に―――敵はいた。

 ガトリング銃を右手と左手に持ち、一斉掃射をする姿。

 嵐を纏うことで弾奏全てを逸らしながら戦神は悠然と歩き進むも、ふと足を止めた。自分の召喚者である灰が、どうやらもう逃がす気でいるようだと敵意の無さから察してしまった。

 そして所長は、脳内の悪夢に保管しておいたカルデア製銃火器を馬車の屋根に幾つか設置。

 変態技術者らと共に開発した武器―――全自動重機関銃(セントリー・ガトリング)。コンセプトとしては旧市街で蜂の巣にされた古狩人の兵器を自動化したものであり、一瞬にしてカルデアを助けたに来た結晶馬車は戦争専門の装甲車に成り果ててしまった。

 

「ヒャッハー!」

 

 相変わらずトリガーハッピーだと灰は思いつつ、ハベルの盾を構えて鉄火の銃撃をやり過ごす。しかし、余りに濃い弾幕であり、一発一発が錬金術を応用した水銀弾薬。サーヴァントだろうと生身の人間のように殺せる銃弾であり、戦闘を行っていたヒューマニティ・サーヴァントも無理に敵を追わず、守りに徹している。魔女もそうするように従僕へと念話を送っており、無理に殺そうとしなくて良いと指示を出していた。

 そして、地面を走り出す馬車。ライダーが操る宝具であるそれは、敵と戦っていた皆を直ぐ様に回収。飛び乗るように馬車へと入り、全員の無事が確認された。直後、馬車は一気に上昇。

 

「「「「――――――!!!!」」」」

 

 そして、音の爆撃。カルデアを助けに来たサーヴァント達は、歌声と、楽器と、咆哮により、竜の魔女らに向かって火の粉舞う音の空間重圧を仕掛けた。地面が揺れ動く程の衝撃が対軍攻撃として絨毯爆撃され、サーヴァントであろうとも鼓膜が避ける災害となって魔女達を襲った。

 身動きなど―――もはや、出来るものではない。

 更に清姫の竜喉から鳴る咆哮も交わり、音波は炎上する呪いも混ざっている。

 

「すまない。遅くなった」

 

「エミヤ、無事だったんだね!」

 

「あぁ、マスター。とは言え、アタランテを相手に森で射撃戦は此方が圧倒的に不利だった。消耗が激しい。少し今は休ませてくれ……」

 

「オーケー。後は俺たちに任せてくれ」

 

 何とかエミヤも戻って来る事ができ、アタランテがカルデア陣営を狙撃しようとしていた森から死なずに帰還。しかし、腕や胴体に風穴が開き、霊核を矢から守るだけで精一杯だった様子が一目でわかった。

 ……血塗れになり、馬車の椅子に倒れ込む。

 荒い呼吸と一緒に口の端から血が流れるが、それを案じる様にマシュがそっと触った。

 

「―――マシュ……か?」

 

「気休めですけど、霊媒治癒で少しだけ治しておきました……」

 

「感謝する。呼吸も楽になった」

 

「はい。エミヤ先輩」

 

 そして外で暴れて貰っていたシャドウを藤丸は今漸く収め、彼もまた倒れ込むように座り込んだ。屋根の上で銃弾を放ち続ける所長の指示を受け、藤丸も一安心し―――血反吐を吐いた。

 倒れる藤丸を咄嗟にエミヤが腕で抑え、静かに座席へと戻す。マシュも慌てて駆け寄るも、彼女の先輩の顔色は病人と言うよりも、水死体に思えてしまうレベル。如何にかしたいが、如何にもできないことが一目で分かった。

 

「あ、あ……せ、先輩ッ―――!?」

 

「ごめん、マシュ。限界超えてた、みた……い」

 

 目を開けたまま気を失う。グルリと目が回り、藤丸は動かなくなった。痛みと緊張による精神的負荷もあるが、内臓を酷使し続けた状態によって脳に血液も回らず、酸欠もあったので何時倒れても可笑しくなかった。

 

「そんな……先輩?」

 

 狼狽しつつも、マシュはまずラインを通じて状態を把握。そして、心音と呼吸を計り、安静な状態を維持しなければならないが、直ぐに如何こうなる程に危険ではないと判断。

 

『マシュ……その、藤丸君は無事だ。ちゃんとバイタルも正常だから』

 

「はい。分かりました、ドクター……」

 

「フォウ……フォフォウ」

 

「フォウさん。先輩は、大丈夫ですから」

 

 無力感がジリジリとマシュの精神を蝕む。自分は彼を守れたが、それでも無事ではなかった。盾を握り締める自分の右手で、兵器となった偽りの左腕を握り締めた。

 

「……―――む。

 マシュ殿、藤丸殿は?」

 

「大丈夫です。けれど、消耗が激しいみたいです」

 

「……そうか……御無事で、あるか」

 

「はい」

 

 外側で攻撃する音が聞こえるが、マシュは静かに馬車内では邪魔になると盾を仕舞い込んでいる。何より所長が大丈夫と判断したならば、もう追手を撒く準備は出来ているのだろう。それに雷撃が浸透した肉体は、余り思い通りに動かす事が出来ない。神経も魔術回路も、痺れて正確に機能しない。宝具を使おうにも、魔力が乱れて血管が破れる可能性も高い。吐血で済めば良いが、下手をすれば脳の血管に傷が付く恐れもある。

 今は回復に専念したいと、彼女は静かに魔術回路の自己治癒に没頭。

 ただただ疲れたと項垂れ、外側が静かになり、安全を確保したと所長の念話がマシュに届くのも数分もせず直ぐ後の事だった。











 ヴィヴ・ラ・フランス。王妃様、初の☆四レアです。そして沼男は誰だってシナリオが好きな作者です。どう足掻いても絶望なのが好き。とのことで、ヒロイン清姫の登場です。実は魔女陣営で召喚されたサーヴァントでしたが、狂愛と人間性が悪魔合体した所為で、精神汚染とソウル洗脳を超えて発狂して、逆に一回転して正気になっているのが現状。愛の力で人間性と受け入れた姿を見た灰が、魔女側時代に色々と清姫に恋人の振りをしながら仕込んでいたので、今回みたいにヤヴェー雰囲気になってます。
 それと今回の戦闘で一番頑張ったのは、描写が全く無いエミヤさんでした。森の中であのアタランテと追いかけっこをしながら射撃戦をしなくてはならなくなったので、描写するまでもなく一方的に追い込れてしまってました。何とか死ぬ気で所長の合図が来るまで森の中にアタランテを封じ込め、速攻で逃げ帰り、馬車に飛び込んだのが今回の話となりました。
 感想、評価、誤字報告、お気に入りありがとうございました。そして、此処まで読んで頂き、ありがとうございます。


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啓蒙21:ヒューマニティ

 御者台に座る騎士が操る王妃の結晶馬車。一瞬で所長により機関銃搭載戦車に改造され、装甲代わりに聖女が旗を掲げ、音楽家と歌手が音の砲撃を繰り出しながら逃げ去った。

 屋根に乗る所長と聖女。そして、助けに来た五人。また騎手に徹していたサーヴァントは気配を完全に殺し、馬車の操作に専念して隠れていた。つまりこの人物こそ、マリーの宝具を使ってジャンヌを轢いた張本人となる。

 

「逃げられましたね……」

 

「そうね……まぁ、良いでしょう。うん。そう言うことにしておきましょう」

 

「予定通りとはいきませんでしたが、それもまた戦争の醍醐味です。相手が手強い程、御愉しみが増えると思っておきましょう。何よりあっさり終わってしまう復讐ほど、味気無いものはないですからね。

 このまま無事にフランスを焼却してはい終了……何て、ジャンヌさんの心も晴れませんから」

 

 カルデアが此処で終わる程度の方が悲劇であると灰は微笑む。過程がなければ、怨讐は晴らされない。やり遂げた達成感と、人を終わらせた罪悪感と、自分が生きた人間であると言う自己認識が、大義名分を最後に失う復讐者をただの人でなしに回帰させるのだろう。

 

「はぁ……そうね。貴女がそう説くなら、そう思っておきます。けれど、何だか震えた声で強がりを吐いてるみたいな台詞よ」

 

「そうですね。しかし、私ってこう見えて、計画通りとか、時は来たとか、全て想定内とか、そのような気取った雰囲気の台詞が好きなのです。

 折角の馬鹿騒ぎなのですから、戦争など浸ってナンボと言う訳です」

 

「あっそう。まぁ、私も嫌いじゃないとだけ言っておきましょう」

 

 オルガマリーが乗る馬車の屋根に乗り、此方の攻撃を旗で振り払いながら逃げて行ったもう一人の自分。魔女は空の遠くへと過ぎ去った自分自身に何か例えようもない想いから手を伸ばし、けれども雑念だと脳から焼き払う。

 ―――執着だった。

 あの女だけが、憎悪を一瞬だけでも忘れさせる。

 ジャンヌ・ダルクを前にすると、聖女を捨てた筈なのに魔女は冷静になれない。英霊となった聖女ジャンヌを徹底して否定し、その魂を灰一つ残らず焼却してやりたいと自己嫌悪しているのに、生きた自分にその憎悪を向けられない。

 救われた自分。そんな自分の為だけに、誇りと人間性を捨てた友の存在。

 世界全てを敵に回してまで、救われて欲しいと願われた。そこまでしてまで誰かに生きて欲しいと思われたならば―――それは、永遠に生きても使い切れない献身だろう。

 ジル・ド・レェは確かに狂っている。終わっている。

 けれども、それでも尚―――まだ彼は光を失っていなかった。

 竜の魔女(ジャンヌ)はだからこそ、自分の終わりにさえ何も無かった彼に、せめて世界の最後位は光在れと願わずにはいられない。

 

〝貴女にとって無意味な献身でしたのなら―――私が、それを頂きましょう”

 

 自分を見ているようで、自分を通して違う自分を見る男。親愛があり、信愛があり、友愛もあるのに、記憶の中で視たあの瞳のように、旗の聖女(ジャンヌ)に向ける信仰と崇拝の輝きは消えていた。しかし、竜の魔女に向けぬその想いは何故か、あの生きた自分には向けられていた。

 求められて、憎悪に狂った筈。

 願われて、この様になった筈。

 なのに―――違和感が脳に巣食う。

 もはや忌まわしいだけだが、神の啓示を受けた時の決意はまだ記憶の中に眠っている。故郷を救いたいと心に決めた実感も魂に残っている。

 それらがジャンヌの憎悪を有り得ないと蝕むのだ。

 何故、何故、どうして、こんなにも復讐に狂えることが出来るのか?

 助けたかった者を容赦なく焼き、救いたかった国を躊躇なく燃やし―――復讐だけが、存在意義と成り果てた。

 

「こんな葛藤、さっさと決着させておきたかったのですが……はぁ、仕方ないですね。ねぇ、アタランテ、ちょっと宜しいかしら?」

 

「何だ、マスター。私に何か頼み事でも?」

 

「近場に村があった筈です。そこに宝具で矢の雨を降らせなさい。今の私、何故だかそう言う気分なの」

 

「……良いのか。もはや加減なぞ出来ぬ程に、そうしたいのだぞ?

 願いの為に獣へと堕落したこんな私に、救われぬ子供たちを―――救済(コロ)させてくれるのか?」

 

「勿論ですとも。抑えきれぬその渇望、同じ女として良く分かるわ。特別に、今日は貴女一人の為だけに、私のモノになったこの国の人間で遊ばせましょう。

 だから、フランスを支配した私が全てを赦します―――」

 

 ウズウズと猟犬が笑みを溢す。もはや命じられる儘に殺戮を行う魔女の使徒となり、人を殺して魂を奪い取る快楽に取り憑かれていた。殺せと言われるまで待てと我慢出来るが、その間に渇望は溜まる一方で在り、ソウルを貪りたくて溜まらず、欲求不満に人を殺していないと苛まされる日々。

 殺している間だけ、ヒューマニティ・サーヴァントは解放される。

 騎士たちも全員が同じだった。彼らは灰が常時味わっているソウルへの渇望から零れ落ちる、ほんの一欠片だけで倫理を全て焼き払われてしまった。サーヴァントも灰から直接的に魂に人間性のソウルが注がれ、その在り方が別の魂に作り変えられてしまった。

 

「―――殺せ」

 

「アハ………」

 

 魂から涎が出る気分だった。願望とは、もはやソウルにとって食事と同じ。アタランテは自分の願いである子供達の救済が食事となり、彼らのソウルが御馳走になり、貴い想いは渇望で塗り潰される。そして、ソウルを貪るには子供を殺さねばならず、殺すことが子供を救って上げたいと言う渇望。

 殺戮こそアタランテにとって唯一無二の―――人間性(ヒューマニティ)

 

「ハハハ……あははは、アッハッハッハッハッハッハッハッハ!

 待っていてくれ、哀れなる子供たち。こんな特異点、こんな地獄から、私が一人でも多く虐殺(解放)させてやる!」

 

 直ぐに壊れる命を嗤いながら、狩人の獣は走り去った。何時も通りに人々を射殺し、何時も以上に殺戮を成し遂げた歓喜に震えるのだろう。

 サーヴァントただ一体、それだけで人々は容易く虐殺される。

 狩人の獣を一匹送り込むだけで、そんな些細な命令一つで、人の営みはあっさりと射殺されてしまうのだろう。

 

「ジャンヌさんは、アタランテさんの事が好きですよね」

 

「ええ、貴女よりかは好きだわ。可愛気がありますからね。何より、狂った女は見ていて気分がとても良いの」

 

「あら、そうですか。でしたら、清姫さんは?」

 

「―――……あれは、例外です。あそこまで愛に執着する人間の狂気、本人以外には誰も共感出来ません。それもただの人間から竜になる程となれば、人として発生した魂の設計図を狂わせる程の深すぎる愛が正体。

 狂人と呼ぶにも……―――おこがましい。

 あんな者を貴女は良くもまぁ、愛してるだ何て騙そうと思えましたね?」

 

「だからこそ、です。自分自身に向ける内的干渉であらゆるカタチに深化する人間性は、清姫さんとの相性は抜群に最高だったですから。

 ……で話は変わりますが、今回は私がカルデアを追撃しましょう」

 

「あら、意外。でも如何して?」

 

 黒い精霊に似た呪いに、そのような効果もあることを知ってジャンヌは疑問に思うも、別段不可思議な事でもないと斬り捨てる。今はまず、カルデア狩りをすると宣告した灰に真意を聞く方が先決だった。

 

「対カルデア戦に、今の内から慣れておこうと思いまして。何よりもカルデアが来る前に貴女達の御蔭で十分なソウルを魂に蓄えられましたし、これ以上の殺戮はもう私にとって余分な娯楽となりました。そもそも人間性をより深く富ませる為の、邪悪な人間共による殺戮でもありましたが……もはや私には不要です。

 私がこの特異点で欲した錬成儀式も、数日で完了致します。

 利害の一致から始めた私と貴女の秘め事も、私の方が先に終わらせて貰いました」

 

「と言うことは、私が貴女にすべき契約の対価は全て払い終わったと?」

 

「はい。私の方の儀式は、好きな機会にでも行います」

 

 火の簒奪者として炉から奪い取った火。そして炉の代わりとなる亡者の穴。だが炉で燃える火の燃料となる薪は、自分自身の魂がそう在らねばならない。ソウルも、人間性も、灰の不死の持つ全てが闇の薪でしかない。

 故に、あの世界で儀式は繰り返され続けた。

 所詮、不死も儀式の原材料でしかなかった。

 魂を欲する渇望も、人を求める悲哀も、世を救いたい願望も、不死たる人間の闇から生まれた人間性。火の薪になって炉へと焚べられるのが王の定め。

 だから灰は人々に絶望を与え、この特異点を錬成炉に仕立て上げた。

 

「ですので、今の私は完全な雇われの身でしょう。この身、ジャンヌさんの御好きな様に扱って下さい」

 

「成る程。ヒューマニティ・サーヴァントもそうなれば、アッシュの支配管理下から全員が解放さえ、私の契約管轄と考えて良いのですね?」

 

「勿論です。ですが、王子様は私の仲間なので気にしないで下さい。それと望むのでしたら、私がソウルと呼ぶ魔力もどきも、貴女に流れる様に致しますけど?」

 

「要らない。私にはジルから貰った力があるから、今まで通りそっちは好きにして。でも、此方の過払いになるのです。それ相応に働いて頂きますからね?」

 

「喜んで、ジャンヌさん」

 

 闇霊として、その本性を剥きだしにする灰。一対一の決闘など、所詮は騎士様ごっこの御飯事。何でも有りの殺人こそ彼女が得意とする戦法であり、中でも旅や探索をする敵を奇襲する状況こそ最も喜ばしい。

 

「けど……そうね、だったらサーヴァントも貸しましょう」

 

「良いのですか?」

 

「構わないです。それで、誰が良いの?」

 

 つまりは、如何殺そうか自由になるということ。

 

「隠密が良いですねぇ……―――竜殺しを助ける為、闇堕ち侍になった佐々木さんも良い使い手ですが、せめて彼は正々堂々な殺戮で使って上げましょう。出来れば、佐々木さんを犠牲に生き延びたあの竜殺しを仕留める際、彼を使って上げるのが感動的と言う物です。

 なので……はい、決めました。

 マルタさんと、デオンさんと、ランスロットさんの三匹を私に遣わせて下さい」

 

「あのカルデアですよ。三人で足りるの?」

 

「最後まで根絶やしにはしませんからね。戦力削りの嫌がらせが目的です。それにマルタさんは囮に使って殺させますから、そっちで幾人かの追加サーヴァントの召喚準備は怠らない様に」

 

「……あー……そう言うことですか。まぁ、良いでしょう」

 

 灰の言葉に納得し、魔女は自分の憎悪を再確認した。苦しめられるのなら、やはり苦しめてやる方がやり易い。

 

「では、さようなら。ジャンヌさん。

 連絡は常時しますが、次に会う時は私が錬成を成し遂げる日となりましょう」

 

「ええ、さようなら。アッシュ。

 殺しても殺さなくても良いけど、変なポカだけは気を付けるのですよ」

 

 そんな言葉に灰は笑みを溢し、幼い子供を慈しむ聖母のような神聖さを身に纏う。敬虔な聖職者にしか見えず、そんな灰を貴いと思えてしまったジャンヌ以外のサーヴァント達は、そう感じた自分の感性に殺意を抱く。だがジャンヌだけは灰の笑みを素直に受け取り、殺戮を喜ぶ魔女からは程遠い聖女の笑みを浮かべた。

 その笑みのまま、魔女は自分の従僕に念話で命じた。灰の命令に従い、ジャンヌ・ダルクの復讐の為だけに人を殺せ、と。

 ソウルを貪る快楽を覚えたサーヴァントに逆らう術はない。魂を闇で縛られた英霊に、魔女と戦う手段はない。それこそ想いだけで魂の設計図を作り変えるような、人間性さえも自分の魂の養分へと貪り尽くす渇望無き人類では、魂を変貌させる灰の闇に抗うことなど不可能だった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「お疲れ様です、マリー様」

 

「貴女もね、デオン」

 

 馬車の御者台に乗る人物――シュヴァリエ・デオンにマリーは微笑みかけた。

 

「それに凄く良い轢き逃げだったわ。魔女がビューンってあの人に目掛けて翔んでいったもの。あんなのは宝具の持ち主であるわたしにだって出来ないですものね。

 貴女ってば、綺麗で可愛くて格好良いだなんて、最高の乙女騎士よ!」

 

「―――は。このデオン、まこと感謝の極み」

 

 けれど、個人的には男扱いして欲しいこの頃。けれども、デオンの独断でジャンヌ・ダルクがピンチそうだったので取り敢えず轢いてみたが、王妃的に敵への轢き逃げはまるで構わないらしい。

 

「はぁー……やっと、一息ね」

 

 屋根の上からジャンヌと一緒に所長は降り、カルデア製の自律式ガトリング砲台を拾い直す。機関銃用に悪夢に保管しておいたカルデア技術部門の量産した水銀弾パックも幾つか消費し、それを元に所長は脳内計算で脳内物資の消費率を再計算。スーパーコンピューターを遥かに超える天文学的演算機能を持つ所長からすれば、その程度ならば千分の一秒を使わず正確な数値を出し、これからの行動に準じた物資消耗を心掛けようと考えた。

 

「所長、その先輩が……?」

 

「ロマニから話は聞いたわ。取り敢えず、安静にさせておきなさい」

 

「はい………」

 

 馬車から下りたマシュは藤丸を負ぶさりながら、意気消沈したまま歩く。

 

「うぅ……ん、すぴー……んー」

 

 だが、藤丸はマシュの背中で身動ぎする。元より寝相が良い方ではないのかもしれない。マシュの首筋に吐息が生易しく当たり、鼻の頭が当たるか当らないかの絶妙な部分で幾度も掠る。藤丸の両腕はダラリと下がってはいたが、偶に両腕が動く所為か胸に当たりそうで当たらず、けれども絶妙に触れてしまうタイミングがあった。

 ついでだが、背中には男のアレの感触が勿論あった。マシュも鎧を装着すれば防げるのだろうが、意識のない負傷者を鎧で身に纏って背負えば無理に起こしてしまう事にもなり、それが原因で怪我をすれば運ぶ意味がない。

 

「ちょっ……先ぱ……でも、うぅ……ぅー」

 

 なので、後輩は我慢するしかない。いやむしろ、逆に我慢をする必要もなく、愉しむ事が出来ているとも言える現状。そして顔を赤らめながら、呻くマシュは何かを耐える様に歩いていた。

 

「「………………」」

 

 そんなマシュを生優し過ぎる瞳で見詰める聖女と所長。何だか共感出来るトキメキみたいなものを二人同時に覚え、合図をするまでもなく感動を分かち合う。結果、全く同じタイミングで片手を出し合い、堅い友情の握手をした。

 

「フォー」

 

 そして、遠巻きにそんな四人に鳴き声を上げるフォウであった。

 

「改めて、カルデアを代表して感謝するわ。ありがとう……―――で、アナタ達は何者よ?」

 

 代表者として、所長が問う。相手は五騎のサーヴァント。実は敵でした何てことになれば、嬲り殺しにされるのが目に見えているが、そうはならないだろうと啓蒙する。同じジャンヌの方も啓示され、敵意が全くない様子で見守っていた。

 また魔力の節約か、既に馬車は消えているのでマシュは藤丸を丁度良い日陰まで運び、そこで安静にさせる。その場から動かず、しかし視線を皆の方へと向けて話を聞いていた。

 

「もう察しているんだろ。御覧の通り、竜の魔女と敵対しているサーヴァントさ。

 そんなことより、僕は君達の事を―――」

 

「―――駄目よ、アマデウス。自己紹介もせずにせずにお話なんて失礼です。

 初めまして、皆さん。わたしはマリー・アントワネット。ライダーのサーヴァントです」

 

「マジか。真名もクラスも明かすのかい。けど、マリアがそうしたいなら仕様がないな。僕はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。クラスはキャスター」

 

「僕はシュヴァリエ・デオン。セイバーだ。宜しく頼むよ」

 

「エリザベート・バートリー。クラスはアイド……じゃなくて、ランサーよ」

 

「わたくしは清姫と申します。クラスはバーサーカーです」

 

〝分かってた……”

 

〝でしょうね……”

 

〝だろうなぁ……”

 

〝ですよねー……”

 

〝……で、あろう”

 

 清姫のバーサーカーと言う紹介を受け、意識のない藤丸以外のカルデア勢全員が揃って頷いてしまった。見えないが、管制室にいるロマニと顧問も納得するように深く頷いていた。

 

「皆さま、わたくしに……なにか?」

 

 瞬間、所長に啓蒙奔る。此処で自分以外の者が下手に返答して誤魔化すと、多分誰か死ぬ。

 

「あー……そうね。気にする事じゃないわ。それでも気になるのなら、言うけど」

 

「確か所長と呼ばれていた貴女は……そうですね。嘘は、おっしゃられていない様子。でしたら、まぁ良いでしょう」

 

「そう……良かったわ」

 

〝私が貴女に、燃やされなくてね”

 

 刹那、所長のアイコンタクトがカルデアの皆に行き渡る。彼女には決して嘘を吐いてはならず、それでも本音を言いたくない場合は先程の所長のように巧く誤魔化すか、隠し事として内に秘めるしかない。

 

「うっ……―――あれ、俺は一体?」

 

「あ、先輩……先輩!?

 皆さん、先輩が起きてくれました!」

 

「起きたわね」

 

「立香、御目覚めですか。無事で良かったです」

 

「随分と無茶をしたものだ、マスター」

 

「藤丸殿。御無事で、なにより……」

 

 程度の差はあれ、カルデア唯一の適性持ちのマスターの復活は喜ばしい。そう言う世界を救うビジネスを抜きにしても、彼と関わりがるカルデアの面々は各々が喜びの感情を表していた。

 

「目が覚めたみたいで良かったわ!」

 

「では、彼には後で僕達が改めて自己紹介をしておこうか」

 

「そうね、そうしましょう!」

 

 とのことで、藤丸も体調が良くなったからと直ぐ様に立ち上がって会話に加わる。他の面々は心配そうにし、通信でロマニも安静にしておいた方が良いと言ったが、どうやらバイタル状態的に安全なのは本当らしく、そのまま会話が続けられた。

 彼らは各々が持つ伝承に対する詳細を藤丸を交えて情報交換し、そして現状把握の為の話をした。

 

『なるほど。やっぱりか……冬木と同じで、マスター不在のサーヴァントがフランスでも召喚されていたのか』

 

「となれば、アナタ達は抑止力として世界に呼ばれたか……あるいは、アラヤが英霊の媒体である聖杯に干渉することで、この特異点に召喚されたのかと言ったところかしら?」

 

「だろうね。でも、それはどっちでも僕達にとっては同じことさ」

 

「そりゃ、まぁそうでしょう。どちらにしろ、あの魔女の為に呼ばれたのは変わらないからね。けれど、魔術師である私にとって大きな違いがあるのよね」

 

「知らなくて良いことに興味はないさ。関わるのなら、別だけどね」

 

「余りないし、私が分かってればいいことだから……それに、憶測を出ないただの考察だもの。そう言う現象として呼び出されたって言う自覚があるのですし、知らなくても別に良いじゃないかしらね?」

 

「じゃ、構わない。やるべきことは変わらないし、誰に呼ばれたのかは兎も角、すべき役目はどっちにしろ同じだ」

 

『しかし、そうなるとなぁ……所長、ボク達が思うよりもかなり切迫した状況です。どっちにしろ、人類を守るアラヤは、カルデアだけじゃオーダー達成は無理だと判断したのは事実。

 人理修復には、彼らの協力がこれからの特異点でも絶対的に必要となるのでしょう』

 

 それを聞き、自分の瞳が脳にロマニの憶測が事実だと啓蒙した。だが、それは気に食わない。所長は、狩るべきものを自分で狙いを定めて狩り、自分が求める叡智の為に自分自身へと啓蒙する。

 このグランド・オーダーとて同じこと。

 他の誰かに啓蒙されるなど有り得ない。

 貴き蛞蝓のように粘つく脳の為、オルガマリーは自分の瞳だけで脳髄をすべからく啓蒙しなくては意味がない。

 

「ま、私は昆虫みたいな思考しかないアイツらのシナリオなんて知らないわ。ただの人間の一存在として、自分の為に世界を元に戻すだけだもの」

 

「俺も所長と同じです、ドクター」

 

「マシュ・キリエライト、マスターと所長に同意します!」

 

 半ば強制的とは言え、藤丸は自分が生きる為に戦っている。マシュも自分が選んだ生き方の為に、こうして生きている。

 

「そうね。その方が良いと思うわ。わたしたちも役目があるから呼び出されたのだけど、英霊だから、サーヴァントだから、そう在るべきだから戦うって訳じゃないもの。

 助けたいから、助けるの。

 愛している国だから、わたしは呼ばれたんだもの!」

 

「僕はぶっちゃけ、滅ぶならそれはそれで良いんだけど……うん。マリアが戦うなら、僕も戦うさ。勿論、自分の為にだけど」

 

「私はフランス王家に仕えていた身。昔の故郷を助けるのは、英霊としてってだけじゃない。そしてマリー様が戦うならば、騎士が戦うのもまた当然。

 ……それに、あちらには因縁のある敵もいるからね」

 

「アタシもデオンと同じよ。決着を付けないといけないヤツがいるのよね。結果的にそれがフランスを救う手助けになるってだけだけど、アタシはアイドル英霊のサーヴァント。

 誰かの為だけに歌を唄うのも、偶にだったら吝かじゃないわ!」

 

 マリーに続き、アマデウスも、デオンも、エリザベートも想いを口にした。全身がフランスの為に戦うのは共通しているが、それでも原動力は全員が別。けれど、それでも共に戦えるのがサーヴァントとして呼ばれた英霊なのだろう。

 とは言え、暗い情念を燃やす女が一人。

 思うだけで感情が炎になって燃え上がりそうになるが、熱い狂気でその感情を抑え付けた。

 

「わたくしは……フランスを焼き尽くす為に呼ばれました。わたくしの竜炎で、もっとこの地を人の血で染めよ、と。

 けれど、そんなものは不愉快極まります。

 この清姫、自分が焼いて、燃やして、消炭にするべき者は―――我が愛にて、定めるだけ。

 例え魂を作り変える呪いを受けようとも、この愛こそ清姫なのです。ならば人間性を唄う呪いごと魂魄を炎で黒く焼き焦がし、今の私のように燃え殻になったところで、何一つ変わりはしません。

 決して誰かを愛すると言う人間性だけは―――何があろうとも!」

 

 清姫の魂は、既に焼け焦げた。灰の闇から逃れる為に、自分の炎で魂を焼いた。だが愛で魂を焼いて、そのカタチを作り変えるなど、英霊になる生前の小娘だった時に出来たこと。

 ―――愛。それだけ。

 安珍を愛していたのだろうが、そもそも愛と言う形は誰を愛そうと変わらず。

 故に初恋の人に合わせ、彼女の認識だと恋人が安珍に見えるだけ。実際はマスターとなるだろう愛する人間全てを嘘偽りなく見通し、もはや安珍に対する欲求も竜の炎で燃えている。今も憎悪した分と同じくらいに愛しているが、そんな感情の正負共に変化は永遠にないのだろう。

 

「そうなんですね。じゃあ、やっぱり戦う理由は俺と一緒です。このままじゃ終われないし、納得して死にきれません。俺はまだ、好きになった人を心から愛したこともない子供だから。そう言うのを、此処で諦めたくないんです。

 だから、弱い自分だけど宜しく御願いします、清姫さん」

 

「……………ぁ―――」

 

 気休めなど欠片も無い混じり気なしの本心。真実、彼は清姫にそう本音を語っていた。あるいは、語ってしまった。

 

「あの、清姫さん……?」

 

「―――いえ、何でも有りません。

 後、わたくしにさん付けはいりません。敬語も結構。仲間になるのでしたら清姫と呼んで下さい、藤丸」

 

「そう……うん、分かったよ。清姫」

 

「えぇ、宜しく」

 

〝―――パーフェクトコミュニケーション!

 その女は貴方に任せるわ、藤丸。流石は私の目に適ったマスターね”

 

 彼女の狂気を受けながら、その狂気も人格の一部として受け入れた上で、この対応。正しく所長が藤丸に求めた人間性に他ならない。何時も通り所長は表情を一切変えず、だが内心でグッと親指を立て、今月分の給与の手当てを増額させると決定した。ボーナスも増やしてしまおうとも考えた。

 だがチョロ過ぎないか、とそれとは別に清姫が心配にもなる所長でもあった。

 

「―――愛ね……ふふふ。懐かしい光景だと思わない、アマデウス」

 

「そこで僕にその話を振るあたり、マリアも中々に辛口になったんだね」

 

「何だかんだで異国の宮廷で生活してましたもの。悪い性癖だけど、人をからかうのも好きなってしまうのよ。

 ……あ、それと、わたしたちのことも気楽に接してね。わたしもそうしたいんだもの!」

 

「わかりました、マリーさん」

 

「んー……良いわね。凄く良いわ。マシュさん、わたしの事はマリーさんって親しく呼んで頂戴な。

 もっと、愛を込めて!」

 

「マ、マリーさぁんッ!」

 

「とても素敵な響きね!」

 

「さっそく自分の世界に引き込んでる……ま、僕は別に良いけど。それでは話を続けようか」

 

『え、この状況で?』

 

「うん、この状況でだね。別に騒音って訳じゃないんだ、構わないだろ?」

 

 とのことで、雑談を交えながらも情報交換を各々が好き勝手に行い、その会話情報全てをロマニが記録し、その上で彼本人が自分なりに纏め上げる。脳内で整理整頓されたフランス特異点の現状を把握し、所長も同じく現状把握を完璧にし、この世界が如何なる特異点なのか全体像がくっきりと見え透けた。

 

「じゃあ、結論なのだけど―――」

 

「―――決まってます!

 わたしたちは第一に仲間を探すのです!」

 

「それね。戦力増強が必須。私か隻狼じゃないと、現状ぶっちゃけアッシュとあの白ロン毛は対応出来そうにないもの」

 

 白ロン毛と言われ、確かにあの雷撃遣いの見た目そのままだとエミヤは納得する。同時に、自分では決して勝てない相手だとも理解していた。有り得ないが、何度も自分が死んで挑めるのなら、数十と言う死の果てに一勝出来るかもしれない。だが、そんな事をしていればカルデアから戻って来る間に特異点は完結し、人理は崩壊していることだろう。

 

「あぁ、それは確かに。今の戦力状況的に、奴ら二人は格違いだ。対応可能なのは、君達二人しかいない。私程度の技量では正直、あの二人とは一対一で良くて相討ちに持ち込むのが精一杯だろう」

 

「そんな……エミヤ先輩でも、ですか?」

 

「肯定しよう。例えば、そうだな……英霊になる前の私が、全盛期のまま何百年と修行に費やした果てに英霊となっていれば、この私でも彼らと対等に殺し合えるだろう。故に、私が出来る事となれば、自分自身だけが持つ特異な宝具を切り札にし、一矢報いるのが限界だ。そのまま斬り合えば、ただ死ぬだけだろう。

 まぁ、だからこそ、そこの所長や隻狼も私から見れば、かなり馬鹿馬鹿しい存在でもあるのだが」

 

 有り得ない例えである。例えば、研究と実験を続けて固有結界を完全無欠に完成させ、修行と実践で戦闘技術を究極の一に至っても更に磨き上げ、鍛錬と極致にて千里眼を必殺必中を超えた無の境地に辿り着かせる。それが出来れば、あの戦神と灰女と同等に状況下で戦って勝てる勝負を行える。

 強い上に、果てしなく巧い。戦神は神らしい凶悪な神秘性があり、逆にアッシュは底知れない巧さがある。エミヤでは到達出来なかった究極の一を、あの魔人二人は何種類も保有し、その魂が如何に練磨された存在なのか身震いしそうだった。 

 

「エミヤ殿……俺も、奴らは強き達人故……敗北も有り得まする」

 

「私もよ。もし彼らが戦闘下の環境を自分達に有利な状態に整えてきたら、私だって容易く狩られる立場だもの」

 

 とは言え、幾千幾万の死が許された存在だ。勝てない相手など、この世にはいないのかもしれない。

 

「けれど、あの白ロン毛は結構厄介よ。斬り合おうにも、凄くビリビリします。マシュの盾でも、幾度か防ぐと全身黒焦げになるでしょうね」

 

「そうですね、所長。あの雷撃は、何度も耐えられる神秘じゃありませんでした。体に流されますと神経も……魔術回路も、無理に動かせば千切れそうな力です」

 

「となれば、雷の神性……―――なのかしら?

 フランスはガリアって国が元なのですけど、昔の神話ってローマ帝国の征服とか、キリスト教への改宗でもうこの特異点の時代じゃ消えてるの。

 そう言う意味ですと、あの神霊はフランス由来の神様じゃないわね」

 

「マリアの言う通りだろうさ。僕も神話には魔術師みたいに詳しい訳じゃないけど、英霊の座に居る者として知識はある。フランス文化の神話を強いて言えば、ケルト神話に属するんだろうけど、それだと主神クラスのタラニスが該当してしまうからね。

 でも、伝承を宗教で根絶やしにされたフランスで、神霊がサーヴァントとして、あんな形で召喚されるとは思えないけど」

 

「じゃあ、ゼウスとか?

 俺だと雷の神様ってなるとその位しか分からないけど」

 

「先輩、それは無理です。そもそもゼウス何て存在を呼べるのでしたら、特異点の修復が不可能な程に、この地は破壊されてしまっています」

 

(わたくし)の故郷である日本でしたら、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が高名な雷神ですね。日ノ本の前の、大和(ヤマト)を建国した神武天皇に雷の神剣も授けていますし……あるいは、神武天皇も同じく神なりし雷の力も保有しているでしょう」

 

『ボクの知識としては、雷の神性となれば一番馴染みが深いのは、バベルの塔を破壊した唯一なる神だからなぁ……でも、余り参考にはならないと思うけど』

 

「けれども旧約聖書が書かれる前の、神代の古いユダヤ教って唯一神だけの啓示宗教じゃなかったんでしょ、確か。ネブカドネザルの虜囚で再編されて、ユダヤ民族の神から世界創造の唯一神に再理解されたって伝承よ。私もその辺の神話事情は興味ないから文献読んでる程度だけど、でもそれで全ての権能を統合されて唯一なる神になったって解釈も出来るのかも。

 となればロマニ、神雷の投槍が出来る英霊ってのも、中には宝具持ちでいるかもね?」

 

『そこはノーコメントで。矛盾しているけど、詳しく話せば頭痛が痛くなる』

 

「え、それってどう言う意味?」

 

『所長ならボクの話が分かるかもしれないけど、理解すると常人だと脳味噌がリアルに爆発する知識と言う物が世の中にはあるでしょう?』

 

「あー……そう言う類の。じゃ、今は止めておきましょう」

 

『ですね。なので、次に行こう!』

 

 黙々と情報交換をする皆。白熱し、語り合い、意見をぶつけ合う。あいつはどう攻略するのか、誰が相手にするのか、どんな宝具や技能を持っているのか、それぞれが知識と閃きを言葉にしていた。

 

「シュヴァリエ・デオン……その、お茶飲みます?」

 

「あぁ、ありがとう。ジャンヌ・ダルク、有り難く頂くよ」

 

「ジャンヌで構いませんよ」

 

「なら、私もデオンで構わない」

 

 ずずず、と二人は茶をしばく。エミヤが全員に何時の間にか配っていたコップに、これまたエミヤが気が付けば準備していたポットからお茶を注いで、また一口飲む。

 

「美味しいですねぇ……」

 

「……そうだね、大変美味だよ。でも、ジャンヌは何か意見はないのかい?」

 

「私は正直、もう一人の私の事以外について、戦場を把握する余裕がなかったですからね。そう言うデオンの方はどうなのでしょう?」

 

「私も余りないかな。神話云々の知識も、マリー様や変態音楽家に劣るしね。

 戦場でやったことも、もう一人の君である魔女を轢いた後、竜騎兵(ドラグーン)騎乗技能(ドラテク)で追撃を避けながら逃げたくらいさ」

 

「けれど、良く轢けましたね……あの私、私を攻撃している最中だったとは言え、それでも警戒を解いていた訳ではなかったと思います」

 

「その種はこいつだよ」

 

 そして、デオンは一枚の布を取り出した。

 

「これは……宝具、ですか?」

 

「あぁ。もう魔女共に殺されてしまったけど、とある英霊が私に託したんだ。とは言え、もうこれは使えないけどね」

 

「どうしてですか?」

 

「宝具の受け渡しってのは、そう言う伝承を持つ英霊じゃないと中々難しい。私も、あの英霊も、そう言うのは特になかった。だから、渡された時に込められた魔力の分……つまりは、あの時の一回しか使えなかった。

 ……けど、それで良かった。

 あの魔女を轢き逃げ出来たなんて教えれば、あいつも浮かばれて大笑いするだろうさ」

 

「そうですか……」

 

 恐らくは、友だったのだろう。マリー達に再会する前に出会えたサーヴァントであり、この特異点に限定された魔女を倒す為に協力した戦友で、その形見。デオンの魔力で形だけは今も維持出来ているが、既に真名解放は出来ない。

 そして、それも今この瞬間、解れつつある。明日の朝を迎える前に、消えて無くなっている。

 

「アタシも喉渇いたわ。デオンー、そこのお茶頂戴!」

 

「別に構わないが……自分で入れてはどうだい、エリザベート?」

 

「イヤよ。だって正直、人が誰かの為に入れてくれた茶って、自分がするよりも美味しいじゃない」

 

「それで強要しては余り意味はないと思うが……まぁ、良い。待っていてくれ」

 

「はぁーい」

 

 夜が暗く更けるまで雑談は続いた。焚火を真ん中に、食事を取りながら全員が意見を言った。思いを語った。感情を吐露した。そして、数時間もすれば建てたテントの中に入り、静かに眠り付くだけ。サーヴァントに睡眠は要らないが魔力の節約にもなり、僅かだが食事も取ることで回復も出来る。無駄ではない。勿論、人間である藤丸やマシュには必須な休憩であり、しっかりと休まなければ戦い続ける事など不可能だろう。

 

「……はぁ―――」

 

 だからと言って、眠りに付けるかどうかはまた別の話。魔術で清潔な状態を保ってはいるが、やはり風呂に入れないのは少し辛い。だがそんな事よりも、この特異点で視て来た惨劇が脳裏に焦げ付いて、瞼を瞑れば映像が勝手にループされてしまう。

 藤丸立香は―――悪夢を見た。

 地獄のような現実の出来事が夢の中でも引き起こされ、記憶の中の誰かの断末魔で目が覚めてしまった。

 

〝本当に……俺は、何も出来ない。誰も助けられない。分かっていたけど、弱くて、無力で、耐える事しか許されない”

 

 ラ・シャリテも邪竜の炎で灰燼となった。助けられたと勘違いしていたヴォークルールの避難民は、あの街と共に目の前で殺されしまった。あの村の人々もそうだった。自分達が関わっただけで、惨たらしく処刑されて、女子供も全員逃さず皆殺しにされて、その魂を怨霊として使い魔にもされてしまった。一番最初に訪れたドン・レミ村も来た時には手遅れで、吸血鬼化して玩具にされていた村人達も、結局はエミヤ一人が背負って後始末をしてくれた。

 

「俺はもしかして、何かが出来ると勘違いでも、していたんだろうか………?」

 

「不用心……ですよ、藤丸」

 

 不意に、そんな声が背後から聞こえた。しかし、彼は一切動じない。カルデアの訓練によって気配にはかなり敏感になりつつある藤丸は、最初から隠れていない人の存在感ならば、第六感で何となく分かるようになっていた。

 

「そっちこそどうしたんだい。こんな夜遅くに、清姫」

 

「少し、眠れませんでして。気分転換をしに開けた場所に来ましたら、貴方(あなた)が此処に」

 

「そっか。だったら―――」

 

「―――ええ。私も、藤丸と同じと言うことです」

 

 そう言った清姫は柔らかな笑みを浮かべ、相手に一切の警戒心を抱かせずに隣へと座った。元より他者に対してパーソナルスペースが小さい藤丸は彼女の行動を不審にさえ思わず、嘘が混じる愛想笑いもせず、等身大そのままな笑顔で清姫が座り易いように自分が移動して座れるスペースを作った。

 

「……この旅は、お辛いですか?」

 

「思った以上だったよ……」

 

「そうですか……いえ、そうですよね。でも実は、わたくしも生前は旅をした事があるんですよ?」

 

「清姫が、旅……―――あ。それって、安珍さんの?」

 

「お恥ずかしい話ですが、はい。その逸話ですね。好きな男に会いたくて、ちょっと無断で家を飛び出ました」

 

「ちょっと、無断で……」

 

「そこは、気にしません事よ。わたくし嘘が大嫌いで、貴方のそんな正直なところも美徳に思いますが、さらりと受け流して良い所は聞き流して下さい。

 ……あ、この女めんどくさいって思いましたね?」

 

「え……―――いや、その、黙秘権を行使します」

 

「良いでしょう。特別に許可します……で、なんでしたっけ?

 ああ、旅の話でしたね。それで、こう言う話は余りしたくはないのですが……旅は、元より苦難に満ち溢れたもの。

 終わらせなければ、楽しかったことも、悲しかったことも、思い出にはなりません」

 

「それは、清姫も……?」

 

「勿論です。旅を終わらせたわたくしには良い思い出は何一つなく、人で在ることも、魂も失ってしまいましたけど……藤丸は、まだまだ長い旅を始めた第一歩。良い思い出も、少しはあった方がやりがいもありましょう。

 だから……その、どうでしょう?

 自分で言うのもあれですけど……殿方ならば、異性と一緒にこんな場所で夜空を見上げると言うのは、それなりに良い雰囲気にもなるかと。そうわたくし思いまして……いえ、自画自賛しているようで少し気恥ずかしいのですけど」

 

「イヤじゃないよ。清姫と見るのは」

 

 そう思えた事を、藤丸は幸運だと思った。マシュが居て、所長が居て、ロマニが居て、狼さんが居て、ダ・ヴィんちゃんが居て、エミヤが居る。カルデアには、シャドウとして声に応えてくれる仲間が大勢いる。スタッフの皆も、この時間になろうとレイシフトを維持する為に気力を振り絞っている。

 だからこそ、本当なら大昔の見れない筈の綺麗な夜空を今この瞬間、清姫と見ていられる。思い出になる時間を、こうして作ることが出来ている。藤丸は、そんな万感の思いを込めて喋っていた。

 

「―――そうですか」

 

「うん。思い出になる綺麗な時間だ―――月が、綺麗だね……」

 

「あぁ……―――そうならば、良かったです」

 

 月が綺麗だと、そんな台詞に驚いたが嘘はない。清姫は、彼が嘘偽りなく本心から月が綺麗だと思っているのを察し、そう思えるのも清姫と一緒に居る時間が―――綺麗だと、そう実感していたからだった。

 だから、これ以上は要らないのだろう。

 辛いだけの旅をするのは、自分だけで構わないのだろう。

 清姫はもはや本当に誰かに恋が出来るのか、焼け焦げたその心ではもう何も理解出来ないが、それでも藤丸立香に綺麗な良い思い出を残して上げたいと思ったのは事実であった。

 

「―――…………」

 

「…………―――」

 

 言葉無く過ぎる。悲劇に濡れた記憶に、それ以外の記憶が居場所を作る。だから、清姫はそうなれば良いと考えて、言葉はもう不要と喋らなかった。彼女は召喚に裏切られ、愛の為に恋心を自分の炎で焼いて、何も分からないから、藤丸立香に好きだとは言わなかった。言えなかった。言える訳もなかったのだ。

 その心が抱く思いが、本当に恋なのか、愛なのか、分からないなら―――嘘になる。

 だから、もし嘘かもしれない想いを告白する時があるなら、あのおぞましいマスターをこの手で焼いた後。けれども、清姫はそんな好機が訪れない事は英霊として分かっていた。自分は、サーヴァントとしてあの女には届かないと理解してしまった。

 絶対に勝てる―――と、自分に嘘など吐ける訳がなかった。

 

「……………」

 

「……………」

 

「マスター! 清姫さんも、敵襲です!!

 竜の魔女のサーヴァントがワイバーンを連れて―――民衆に、襲い掛かっています!?」

 

 だがしかし、時とは過ぎ去るもの。思い出は、今では無く過ぎ去った過去で出来上がるもの。そんな新鮮な思い出を新しく胸に仕舞い、藤丸は立ち上がった。

 

「―――行こう!」

 

「はい。マシュ、敵は何処ですか!?」

 










《闇霊がたくさん侵入しました》

 とのことで、次回から追撃グループがヒャッハーしに来ます。ホスト達がボス部屋に辿り着くまで延々とフィールドにウロウロしてます。




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啓蒙22:マルタと三人の獣

 弓のように引き伸ばされる背と、狙いを定める矢のような拳。収縮する魔力の波動が一点より放たれ、その魔力流動と肉体動作が全くのノーカウントで行われる絶技。限り無く体感時間を縮めることでのみ、感覚出来る一瞬の技。

 それこそ一撃必殺―――天使殺しの衝撃(インパクト)だった。

 

「鋭く……ッ―――行くわぁ!!」

 

「ごはぁ!」

 

 双剣を重ねて何とか防いだものの、エミヤは吹き飛ばされた上、その勢いのまま樹に激突。しかし、それでも止まらず、樹を圧し折りながらも更に吹き飛びつつ、森の中に消えて行く。エミヤは咄嗟に動き、仲間の誰かを狙った拳の一撃を身を呈して守るだけで精一杯だった。

 

「……………嘘だぁ?」

 

 藤丸とマシュと清姫の三人が辿り着いた時と、森に飛んでいくエミヤを見ながらアマデウスが茫然と呟くのは、ほぼ同じタイミングであった。

 ワイバーンを連れた黒い二つの影から攻撃を受けていたが、あの聖女の出現は誰もが予想外。丁度マルタもあの中で一番危険な二人が、仲間たちを守るのにギリギリ届かない範囲で戦い始めるのを見計らって奇襲を行ったのだろう。

 

「あれ、あの人って聖女様のサーヴァントでしたわよね?

 フランスでドラゴンを退治して人々を救った聖女マルタでしたわよね?」

 

「マリー様。彼女はもう聖女……ではない。ただのグラップラーです!」

 

「大丈夫ですかぁエミヤ先輩ーーッ!?」

 

「―――安心しなさい、そこの娘。命を確かに潰したわ」

 

「そんな。あのエミヤ先輩が、一撃で……?」

 

 等と言いつつ、マルタは拳に違和感があった。双剣を粉砕した後、敵の胸部に接触して更なる殴打を近距離より打ち放った。サーヴァントであれば内臓破裂は確実であり、其処が心臓の上なら霊核を破壊している筈。しかし、まるで鎧型の宝具を殴ったような感触。

 命を潰した実感はあれど、殺せた確信はなかった。もし拳から伝わった肉の堅さが事実なら、届いていないかもしれない。

 

「いや、死んでないから。ほら、ロマニ?」

 

『ちゃんとエミヤの反応あるから、マシュ。まだ相手に集中して』

 

「ほっ……良かったです。しかし、エミヤ先輩をナックル一発であんなに吹き飛ばすなんて、聖女マルタさん。貴女はとんでもないグラップラーです!」

 

「誰がグラップラーですか、誰が。純白そうな気配をしていて、中々に毒舌ね。それにほら、見なさい。あの御方から授かった聖なる杖を。

 これを見ても、まだそんなことを私に言うのですか?」

 

 そう言いつつ、フリーな右拳が鋼鉄よりも尚も堅く握りしめられている。むしろ、そちらの方に濃密で強化な魔力が凝縮されている。

 

「まさか、あれは……―――ヤコブの手足?」

 

『そうだ、所長。有り得ないけど、有り得ないのに……!?』

 

「知っているのね、ロマニ‥…!?」

 

『あれこそが、始まりの啓示宗教において、人類が編み出した人外と対抗する原初の技術。道具に一切頼らず、己が肉体のみで神秘を殺す為の業。まだ魔術が成立しない神代で、神に頼らず人間が天使を殺す為に作り上げた闘法。

 技の中の技であり、神に抗する真なる力。本当の―――肉なるパゥワー!!』

 

「つまり、それってどう言う事なんですか!?」

 

『―――あれの使い手がサーヴァントは多くないし、そもそも天使狩りの聖人を呼べる訳がない。

 啓示のユダヤがまだ神殿宗教だった時代、神殿に務める高位神官でも、体得した者は物凄く限られている秘中の秘さ!』

 

「あら、御詳しい。もしかして、あの御方が人の在り様を変える前の、古い我らが教えを伝道する者ですかね?

 それとも、その胡散臭くも清らかな声の気配……―――へぇ、もしかして御同輩かしら?」

 

『―――ッ……!?』

 

「けれど、如何でも良いことです。ゲオルギウス様と、そこの聖女ジャンヌ・ダルクは、せめてこの私が葬り去りましょう。

 この特異点で殺される英霊は……人間は、善悪関係無く魂をあの深淵に送られてしまいます。

 あぁ……でしたら、そうしなくては。天に居られるあの御方の場所に至ることを、人々を救い上げたことで許されぬ我ら英霊の聖者ですものね。その果てに、あんな暗過ぎる人の闇の中で、人間性を消化されるまで囚われる何て、赦されて良い訳がない。

 そんな結末―――私が、許さない!

 だから、私は呪われるのです。人の魂を貪って、快楽に狂って、それでもまだ生きなくては」

 

 ジャンヌを見詰めながら、マルタは微笑んだ。闇に犯されて暗い魂と成りながらも、だからこそ貴い神の奇跡を唯一人の人間として身に宿す。邪悪なる生命の泥、あるいは魂の暗闇もまた、神秘なる奇跡であるのだから。

 

「けれども、裏切り者に出会えたのは僥倖です―――清姫」

 

「ええ。お久しぶりです、マルタ。その在り様は、わたくしの所為なのですね……?」

 

「そうよ。貴女が逃げるのに協力したのがバレたから……―――もう、戻れなくなった。

 でも、良いのです。あれは私がやるべき事だからやったまで。事実、こうして清姫はカルデアを助ける一手になっています。でも、もう……それこそ、遠い過去みたいに感じるの」

 

 狂っている所為か、戦闘中だろうと長い会話をするマルタ。喋りながらでも、呼吸が要らない体故に平然と相手を拳で殺す。狂気は狂気であるが、本人そのままの所業を目的を選ばずにする姿は、手段の為ならば在り方など如何でも良い狂人をイメージさせた。

 

「全く……無駄話が長過ぎじゃよ。殺して仕舞いにすれば良かろうに」

 

「Aaaa……aaaa―――aa……‥」

 

 その背後で、黒い老婆と黒い騎士が暗闇で蠢いていた。皆がマルタの独白を聞いていたのはその為であり、ああ見えてウズウズとマルタ自身もカウンターで殴り飛ばしたいと狙っている意志を放っていた。暴力の精神性を発露させ、しかし拳こそ祈りの形でもある奇跡など、もう誰も言葉で止めることなど出来やしない。

 エミヤと交差した瞬間―――あの絶技。

 まさか、片手で退魔の双剣を砕くなど誰が考えるのか。

 

「―――……ジャンヌ」

 

「ええ、藤丸。マルタは、私が抑えましょう」

 

「頼む。だから、一緒に戦おう」

 

「はい!」

 

 向かい合う彼ら。互いに、敵だけを見詰めている。

 

「ワイバーン共……ほら、人間共を喰らいなされ。アタシらの為に、精々立派な囮になって死ぬんだよ」

 

 剣遣いの老婆が命じると、襲っていた民衆……ではなく、フランス陸軍の兵士に喰らい掛る。だがしかし、その竜は頭蓋が弾け飛び、脳漿を周囲のワイバーンや人間に撒き散らしながら死んでいった。

 

「仕方ないわね……はぁ、藤丸はどうしたい?」

 

「行き成りどうしたんですか、所長?」

 

「戦力分散させないでサーヴァントを袋にした方が早いけど、それじゃああの兵士連中は喰い殺されるわね。逆に、分散させると味方が死ぬ可能性が高くなる。それでもやるとなれば、私と隻狼でワイバーン共は皆殺しに出来る。

 だから私は正直、助けて上げたいって思っているのだけど……そう言う上司って部下として如何かと思ってね?」

 

「―――助けます!」

 

「そう。だったら、早目に片付けなさい」

 

「了解しました!」

 

「そう言うことよ。私の隻狼、竜狩りと洒落込みましょうか」

 

「……御意、主殿」

 

 その藤丸の返答と、自分のサーヴァントの返事を受けた所長は笑みを浮かべた。そして狂気なる血のハンマーを、その脳髄から引き摺り出した。そのまま勢いよく、何ら躊躇う事さえせず、自分で自分の腹に突き刺した。内臓へと抉り込むように腸に先端を挿入させて、背中と腹部から大量の血液が流れ出る。

 ―――瀉血の槌(ブラッドレター)

 その名の通り、流れの止まった血管から流血させる仕掛け武器。

 

「ぎ……ぐ、ゥ……ぁあああっ!」

 

 ある種の儀礼であり、狩人のみに赦された自害儀式。

 血を抜き取ることで血を生み出し、流血でもって血塊を纏わせる。

 狂おしい笑みを浮かべ、腸血が抜き取られる快楽(イタミ)に貌を歪め、オルガマリーは悪夢の狩人である本性を垣間見せる。

 

「…………―――」

 

 ワイバーンでさえ狂気で思考が止まる所長の姿。忍びはそんな動きを止めた愚かな羽蜥蜴の上に乗り、その竜の頭蓋を突き破って刃を刺し込む。そのまま脳味噌から一気に血液を抜き取り、心臓からも吸い上げ、相手を確実に殺す共に大量の血液を奪い取る。

 ―――血刀の術。

 その名の通り、不死斬りから見出された呪いの赤刃を作る忍殺忍術。

 不死を介錯する忍びは死を理解し、故にこの忍術を自らの手で編み出した。彼は何時も通りに怨嗟の声が聞こえ、思わず狂おしくなる衝動の儘に笑みを浮かべたくなるも、だが一握りの慈悲を忘れない。無念を刃で悟る忍びは血に酔う人斬りの衝動を止水の心で見詰め、動じることなく竜を狩り取りに走るのみ。

 

「Gyaaaaaaaaaaaa!!」

 

「Gougyaoooooooo!!」

 

 そうして、周囲に響くは獣の絶叫。人間を思う儘に踊り食いする化け物が、為す術もなく屠殺されるだけの真っ赤な風景。

 殺して、斬って、潰して、皆殺し。

 悪鬼羅刹など生温い。暴れる儘に只管に殺す姿こそ―――血に舞う修羅。

 しかし、カルデアにとって最も頼もしき力。人理修復と言う絶対な意志を持った二人の魔人は、視界に入る蜥蜴が一匹でも動かなくなるまで根絶やしにする決めていた。

 

「ちょっと、エミヤ。貴方、体は大丈夫なの?」

 

 そして、その間にエリザベートはエミヤを助けに行っており、だからこそ他のカルデア勢は敵に集中して行動していた。

 

「君が助けに来てくれたのは意外だったよ、エリザベート」

 

「いや、だって仲間じゃない」

 

「そう言う所だぞ、君は。しかし……そうだな、君をそこまで変えたアイツが懐かしい気分になる」

 

「アタシから言わせれば、貴方のそう言う所こそ凄く嫌いよ……」

 

「気にするな。今は志を共にするサーヴァント同士だろう」

 

「貴方は良くてもアタシが気にするの!」

 

 そんな二人が戦線に戻る頃、戦局は激変していた。ワイバーンは暴れ回る血濡れた二人が屠殺し続け、数分もせずに数百ものワイバーンが死に絶えることだろう。そして、マルタを相手に影霊を呼んだ藤丸とジャンヌが立ち向かい、ランスロットにはマシュと清姫とマリーとアマデウスが立ち塞がり、そして敵陣の老騎士をデオンが唯一人で抑え込んでいた。

 黒い老婆―――シュヴァリエ・デオンは、若い故に古臭い自分を見ても何も変化せず。

 たった一人で自分を殺すと決めている自分自身が相手だろうと、何ら興味も湧かずに唯一人を見詰めているのみ。

 

「ほう……中々。ほら若い頃のアタシ、自分同士で殺し合うのは愉快じゃろう?」

 

 幾合も斬り合うも、決着は着かず。それこそが自分が自分を舐め腐っている証拠だとデオンは分かったが、今の彼女は其処に付け入る以外に延命手段はない。

 

「その様……魂まで老化したようだ。シュヴァリエを捨てた自分(デオン)

 

「うむ。正確には、老い腐ったと言った方が良いが。しかしのぅ……別に、人殺しで生活していたのは、昔とアタシと何も変わらんじゃろう」

 

「―――……別に、私はそれを否定はしないが。

 だけど、それを自分自身にほざく事が、どれだけ下らない言い訳か。シュヴァリエ・デオンが理解していない何て事は有り得ない」

 

「じゃろうな……けど、まぁ良い。無価値な思想に囚われた嘗ての自分、アタシゃ悲しくて堪らん。見ていられんわい。

 どうせ枯れ果てる百合の華、ここで刈り取るのが慈悲じゃろうて。しかしなぁ……」

 

 黒い老婆は笑みさえ溢さず、溜め息さえもせず、なのに落胆していることが強烈にデオンに伝わった。悪寒となって背筋を凍らせるが、時既に遅し。

 

「……アタシらは別に、そっちの戦術に合わせる気はありゃせんのよ」

 

 直後―――デオンは左腕が吹き飛んだ。ボン、とまるで火薬が弾けるような抉り方。

 

「な……なん、で馬鹿な―――ッ?」

 

「悪趣味じゃなぁ……アッシュ・ワン。態と腕だけとはの」

 

「貴様、狙撃……か―――っ?」

 

「おうとも。不可視の化け物が、アンタら全員を狙っておるだけじゃ」

 

 サーベルを握る右手で、腕が千切れ飛んだ左肩を抑える。思わず敵から後退し、周囲の気配を探るが、デオンは何一つ感じ取ることが出来ない。しかし、背後に転がる不可視の何かが、薄らと姿を顕わにし、デオンの左腕を吹き飛ばした物の正体だけは分かった。

 まるで槍のような―――巨人が使う矢であった。

 しかしそれ以外何も察する事が出来ず、ならばと集中したところで何処からあの巨大な槍が飛来したのか全く分からない。

 

「だがの……アンタを一矢で殺さなかったのは、態とじゃろうな。あの女、アタシが自分の手で自分を殺す場面を、遠くから観賞したいんじゃろうよ。

 全く―――反吐が出るわい。

 そんなヤツに従うアタシもアタシだが、それを愉悦に感じるのもおぞましい。こんな様に堕ちるなら、狂いとう……なかったよ」

 

「戯言を……それが、真実だとしても―――もう遅い。

 今の、その様になった私は……人殺しを、愉しみ過ぎた……!」

 

「ヒェヒッヒッヒヒ!

 まぁ、のぅ……じゃが、無様なアタシは此処で死ね。何せ撃たれたと言うのに、この段階でも対処法も浮かばんのじゃろう?」

 

「―――ク……!」

 

 千分の一秒後、あるいは万分の一秒後、何時死ぬか分からない地獄のような戦局。即ち、それはデオン以外の全員にも適応する現状。

 そんな地獄を一瞬で作り上げた女は、遠方より木々に隠れて観察するのみ。

 

「…………――――」

 

 幻肢の指輪。霧の指輪。超越者の幻影指輪。克服者の幻影指輪。そして―――鷹の指輪。

 揃えに揃えた宝具級の加護を持つ不死の財宝は、もはや火の簒奪者となった女へ際限のない祝福を過剰なまで与える。その指輪達は灰へとソウルが破裂する程に力を捧げ、魂に亀裂が入る痛みを与え、壊れた魂が更に砕ける死の呪いを飲み乾して、彼女は淡々と指輪から力を引き出していた。

 その上で自分自身の技巧で気配を殺し、存在感を空気に溶け込ませる。

 千里眼を持つエミヤだろうと見付ける事は不可能であり、魔力の反応で探知する事も出来ず、生体反応さえ灰は欠片も発していない。

 

「――――――」

 

 灰は、本来の自分に戻る。無言のまま、笑みさえ浮かべず、ソウルと闘争を求める闇霊(ダークレイス)の在り方にあっさりと回帰した。

 人間は、人間のソウルを奪うのに罪悪など抱いてはならない。

 相手がどんな存在であろうと、渇望はあらゆる生き物に手を伸ばさねばならない。

 善人も、悪人も、不死も、英雄も、大人も、子供も、灰も、神も――――簒奪者は、例外無く簒奪するだけ。例えそれが世界を救おうと足掻く尊い者達だとしても、灰はだからこそ、そのソウルを奪い取る。

 

「―――ふぅー……」

 

 呼気を一瞬だけ吐く。ギチリ、と大弓を引き絞る。シュヴァリエ・デオンはもう終わり。計画通り、此方の老デオンに殺させる。自分を殺すのは、自分がするのが因果と言う物。何よりも、追い打ちを横から掻っ攫うのは礼儀知らずだろう。

 ―――ダン、と不可視の巨矢が放たれた。

 デオンを助けようと戦場に戻ったエリザベートを背後から穿った。やはり、囮を作るには致命傷を負った敵を放置するのが丁度良い。

 

「………――?」

 

 しかし、吹き飛ばせたのは彼女の角一本。片腕のデオンが助けに来たエリザベートを咄嗟に蹴り飛ばし、脳髄を吹き飛ばす結果にはならなかった。ならばと素早くもう一本装填し、即座に発射。狙う相手は気紛れに。相手に恐怖を与える為、何時死ぬか分からないランダム性がカルデアを恐怖で覆う。

 そのまま命中―――清姫の顔面を抉り飛ばす。

 だが何か特殊な第六感で気が付いたのか、マシュが清姫を遠慮なく突き飛ばした結果、頭蓋骨が砕けて脳漿が飛び出ることはなかった。しかし、僅かに掠っただけで、灰は少女の貌半分を肉塊へと抉り潰した。

 

「――――……」

 

 そして、その場から移動する。三射しただけだが、相手のエミヤはアーチャー。攻撃して来た方角を察知し、その程度の距離からか弓兵として観測し、灰は自分の居場所がバレたのを察する。

 瞬間―――先程まで自分が居た場所に矢が突き刺さる。

 直後―――矢を中心にクレーターを作るほどの大爆発。

 淡々と生き延びた事に一切感動せず、相手の行動を先読みする灰はまた大弓を構えた。そして時間差なく直ぐに射る。

 

疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)……!!」

 

「………」

 

 何も言わず、矢を容易く弾いた盾を灰は受け入れた。何故なら、それこそ悪手。確かにマシュ・キリエライトの大盾ならば、灰の居る方面全てからの攻撃は防げよう。背後に居る仲間全員を問題なく守れよう。

 即ち―――灰が連れる悪鬼三匹に、背後を見せると言う事。

 灰の狙撃から仲間を守る手段を選ぶと言う事は、カルデアはマシュの背中を死守しなくてはならないのだから。よってマルタ、老デオン、ランスロットはカルデアへと苛烈な攻撃を実行。だが、それでも灰は攻撃を決して止めぬ。何時狙撃が始まるか分からない故に、マシュは灰が攻撃を止めても盾を構え続けねばならぬが、そんな消耗戦よりも撃てる時に撃つのがおぞましき闇の侵入者と言うもの。

 

「―――ッ………」

 

 姿を幻肢させたまま、魔術師としての神秘を自分のソウルから指輪で以って引き摺り出す。神の原盤で鍛えられた大いなる結晶の杖も魂から装備する。

 灰はその上で力を溜め、魔力を渦巻かせた。ソウルを手元に凝縮させ、青白い光が周囲を強烈に照らし出す。遠目からも凶悪な青と白が混ざる発光が目に入り、空間を捩り貫く力の振動を魂で味合わせるのみ。

 灰の魔術―――魂の奔流(ソウル・ストリーム)

 それこそ原罪の探求者が見出したソウルの業に他ならない。圧倒的な力で以って、英雄も、王も、神も、一方的に唯の不死が殺し得る人間の叡智であった。

 

〝偉大なる十字の聖盾ですか……―――やはり綺麗ですね。

 彼女の魂を奪い取って追放者の錬成炉に流し込み、また素晴しいソウルから武器を作りたい。呪文を覚えたい。この特異点で収集した無辜なるソウルを何千人分消化すれば、そこから貴方の魂は何に生まれ変わるのか……蒐集家として、実に愉しみです”

 

 その欲望を魔術に込めた。願うだけで灰の声は呪文となり、更なる収束を可能とする。

 

熾天覆う(ロー)―――」

 

 ならばこそ、エミヤとて構えるのみ。聖剣を思わせる破壊の光を前に、マシュだけでは防げないと彼は理解していた。確かにマシュの十字盾は相性によってエクスカリバーさえも防ぎ切ったが、あの青白い力は相性が悪いとエミヤは魔術師として直感していた。

 マシュは、その心が折れぬ限り決して負けないだろう。

 だが―――あれは、魂で魂を削ぐ魔術や魔法ですらないナニカだった。守護者として、あの光だけは身に受けてはいけないと魂で感じ取れた。神でさえもアレで生命を殺された場合、その魂を殺し尽くされることだろう。故に、盾越しだろうと、マシュが立ち向かおうとする意志の輝きさえも挫いてしまう可能性がある。

 

「―――七つの円環(アイアス)……!」

 

 蒼い光に立ち向かうは―――美しい七つの花弁を纏う聖盾だった。

 

「「……ぁ、ぁあああああああああああ!」」

 

 マシュとエミヤの雄叫びが重なり、けれども灰はソウルの放出を緩めない。十字の守りに罅が入り、花弁が一つ一つ砕けて行く。

 だが―――カルデアにとって敵は灰だけで無し。

 

「Aaaaaa―――eeerrr……!!」

 

「ほれい、狂戦士。もっともっと暴れなされ……魂と命を、啜りなされ」

 

「あぁ、太陽となって燃えなさい。星のように……」

 

 狂える黒騎士を老婆が煽り、更に狂暴な力をカルデアの皆に叩き付ける。その上で老婆は素早過ぎる動きの儘、相手の行動を先読みしてサーヴァント達を切り刻み、動きを一瞬でも止めた敵に銃弾を撃ち込んだ。それでも、マシュとエミヤを守る為に全員で盾になるしかない。二人の背中を守る為に、逃げることは決して許されない。

 そして藤丸が最初に召喚したシャドウはその身を呈し、マリーとアマデウスを守る為に死んだ。クーフーリンの影は、大英雄に相応しい姿で味方を守り抜き、そしてルーンの加護を死んでも残して消えて行った。それだけでも身を裂く苦痛に晒されたのに、彼は皆の危機に合わせて自分の命を贄とした。クーフーリンを召喚した上に、ライダーであるメデューサさえも追加召喚してしまった。両目が充血して赤い涙を流しても、此処は耐えねばならぬと藤丸は皆を踏み留める最後の力となっていた。

 だが―――その魔眼が、何とか敵全員を抑え込めている理由。

 しかし、宝具の真名解放まで封じ込める神秘でなし。それも強力な守りの祝福を持つ聖女が相手ならば、蛇の邪眼だろうと止め切れない。

 

「……愛知らぬ哀しき竜よ(タラスク)―――!」

 

「この身、この祈り……皆の為に――――我が神はここにありて(リュミノジテ・エテルネッル)……っ!!」

 

 燃え回る巨竜の体当たりを、旗一つで聖女は防ぐ。しかし、それでも竜は回転も突進も止めず、そのまま突き進むのみ。少しでも気を抜けばジャンヌは押し潰され、そのまま皆が死ぬだろう。

 挟み打ちなんて状態ではなかった。

 ―――灰の狙い通り、どう足掻いても死ぬしかない状態。

 

「迸れ……」

 

 だが、灰は知らぬだろう。最後の一匹を殺し終えたオルガマリーは、飛んでいた空から落ちるワイバーンの死骸から既に飛び降りた。仲間と部下を襲う最後のドラゴンを、そのタラスクを殺す為、一切躊躇わず百メートル以上離れた上空から隕石となって月明かりが舞い降りた。

 狩人は、そうしろオルガマリーに囁いていた。

 脳の蛞蝓は愛しき己が宿主に、貴公なら可能だと無貌の空洞を歪めて微笑んでいた。

 

「……月光の聖剣(ムーンライト)よ―――!」

 

 熱を光に変え、太陽が月光に突き潰される。月光の奔流を纏った彗星の光刃は一切抵抗なく竜の甲羅に突き刺さり、ドラゴンを内部から月明かりで染め上げた。

 刹那―――回る竜は、瞳と口から青白い熱を発光。

 それでも回転を止めぬ竜を仕留める為、刺さったまま月光の聖剣が強引に力を迸る。所長はまた深く刃を抉り刺し、一気に肉を壊すように引き抜いた。

 

「Gyugaaaaaaaaaaaaaa‥‥…」

 

「タラスク……ッ―――!?」

 

 何処か安らかな表情で自分の死を受け入れる相棒の死を、マルタは悲痛な声を漏らしながら彼と同じく受け入れた。

 生き延びて……それで、それが一体何なのか?

 その迷いがマルタを止まらせ、ジャンヌを咄嗟に走らせた。

 

「……ぁ――――」

 

「すみません、聖女マルタ。私が、貴女を殺します」

 

「―――ん……こっちこそ、ごめんなさい。

 ジャンヌ・ダルク……貴女を、こんな穢れた血で汚しちゃったわね」

 

 心臓を突き抜かれながら、マルタは吐き出そうになった血を呑み込んだ。体から噴き出た血で彼女を顔から汚してしまったが、血反吐でジャンヌを穢す訳にはいかないと意地でも胃へ流す。

 

「代わりに、少しだけ………教え……て、上げる、から……」

 

 ボソリとジャンヌ以外に聞こえない声でマルタは喋った。

 

「………ぁ、それって……なら聖女マルタ、貴女は?」

 

「そんな、顔しないの……はぁ、まったく。アレは哀れむべき……火の落し仔……だけど、貴女が……でも、やらなきゃならないことだから、気張って……い……っ―――!」

 

 言葉の途中だったが、マルタは咄嗟にジャンヌを最後の気力で突き飛ばし―――瞬間、マルタは消え去った。

 

「―――マル、タ……!?」

 

 矢であった。此方に向けて奔流を放つのを止めた灰が、その時を狙って放った矢であった。あのジャンヌは殺さずに生け捕りにする目的故に、急所を狙った訳ではなかったが、旗を振う右腕を消し飛ばす軌道で放たれていたのだった。

 マルタが動かねば―――ジャンヌは、腕を失っていた。

 

「……アッシュ……貴女は何故そこまで、アッシュ・ワン―――ッ!」

 

 沸騰する怒りを何とか抑え、それでも怒気は消えず。なのに、敵はもう消え失せていた。マルタが死ぬのも予定調和だとでも言うように、老婆も、黒騎士も、森の中へ何ら躊躇いもなく逃げ去っていた。同じく、灰による攻撃も既に止んでいた。

 殺意さえなく、敵意もない……実に、静かな夜の森。

 

「先輩……もう、また何で私は……ぅう―――先輩っ!」

 

 そんな悲痛な声でジャンヌは意識が戻る。マシュが涙を流す寸前で、必死に自分のマスターに霊媒治癒を施していた。

 

「ごめん……マシュ。また無茶した……かも…‥」

 

「かもじゃないです……そうじゃ、ないんですよぉ………」

 

 既にもうボロボロだ。全員が生きているのが奇跡な強襲だった。肉体が無事な者であろうとも、消耗が激しく、今日はもう戦闘は絶対に不可能だと言える状態。

 

「あ”-……ギヅイ”ぃ……これは、ちょっとアタシの予想以上かも」

 

「わたくしも、変化がなければ………酷い事になっていたことです」

 

「いや、アンタ……顔の半分、爬虫類みたいになってるじゃない?」

 

 巨矢が掠ったが、清姫は変化スキルを応用して形だけは整えていた。とは言え、顔半分が鱗の肌と爬虫類の瞳を持つ人外の姿ではあるが。

 

「これでも自己治癒で何とかしましたの。本当、人間からカタチが離れて行くみたいで不愉快です。早目に治さなければ」

 

「まぁ、良いじゃない。アタシも貴女も竜の血統で、治癒速度だけは早いんだし」

 

「ドラ娘は、お気楽ですね……」

 

 折られた足を引きずりながら、頭蓋から流れる血で顔を染まらせたエリザベートが座り込む。どうやら、老デオンによって羽も切り裂かれてしまったようだ。清姫の怪我を興味なさそうな雰囲気を装いつつも心配し、清姫も同じくエリザベートは気に入らないが味方としての関心は向けていた。

 

『皆を安全に運ばないと……そうだ。アントワネット王妃、馬車をお願い出来ますか?』

 

「ええ!」

 

 ロマニの願いにマリーは迷いなく答えた。結晶の馬車が具現し、全員が乗るのに十分なスペースを確保した大きめなサイズに調整されていた。

 

「隻狼……それで、如何だった?」

 

「すみませぬ………」

 

「貴方が見付けられないとしたら、本気で撤退したのかしら……?」

 

 姿が見えない灰を探させる為、ワイバーンを一通り殺した後に所長は隻狼を自由にさせていた。しかし、忍びでも見付けられず、攻撃も完全に止まっている。しかし、何時もの確信をそうだと自分に啓蒙出来ない。

 

「仕方ない。行きましょう」

 

「……は」

 

「――――ジャンヌ!!」

 

 過ぎ去ろうとするカルデア一行を、背後から呼び止める声。それはジャンヌにとって聞き覚えがとてもある声であり、他の者からすれば清姫以外に聞き覚えが全くないものであった。そしてカルデアの皆が傷付いたのも、その彼と彼が率いる兵士たちを守る為だった。

 

「ジル・ド・レェです……貴女は……私を、覚えていらっしゃいますか……?」

 

 だが、振り向いてはならない。ジャンヌは、もう自分が生きた死人であると決めている。人間としてこの特異点に存在しているのだとしても、亡霊である自覚を決して忘れてはならない。

 オルレアンを飛び出た時……―――そう、思い込ませた。

 特異点を滅ぼすと、その結果として自分を殺すと決めたのならば、家族や仲間と関われば不幸を呼ぶと考えていた。事実、故郷は滅び、家族は焼かれ、母親を自分に殺された。だとすれば、彼女が出来る事はもう一つしかないのだろう。

 

「……………………マリー。馬を、出して下さい」

 

「それで、良いのかしら?」

 

「はい。お願いします」

 

「……分かったわ、ジャンヌ」

 

 走り去る王家の馬車を、騎士は見送るしか出来なかった。この地獄において、唯の人間でしかない男は呼び掛ける事しか今は出来なかった。また聖処女と出会えた事が奇跡だと想いながら、救えなかった無様で無力な自分にそんな奇跡は相応しくないと叫ぶしかなかった。

 ジル・ド・レェは―――奇跡と絶望に、押し潰されるしかなかった。

 

「ジャンヌ……ッ―――!!!」

 














 味方の闇霊が死に、死を吸い取ってエスト瓶が補充されました。エスト瓶を飲みました。HPとFPが回復しました。行動再開です。
 後、竜血騎士が襲撃にいなかったのは、灰が邪魔だからと排除した為です。こっちに回す分の戦力を他に回し、他の街や村を襲撃して人々を他のサーヴァントと一緒に殺し回っています。それとあいつらが居るとカルデア勢の警戒が解けないので、色々と不意打ちなダークレイスしたいので騎士団長ヴラド三世に全部任せています。

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啓蒙23:啓蒙どうでしょう?

 すぅーとジャンヌは息を吸い込んだ。マルタから仲間となる竜殺しの情報を受け取るも、指示されたリヨンはもう焼け野原。それも最近になって破壊されたようであり、自分達を襲っている間に魔女たちが襲撃していたのかもしれない。

 しかし、だからと言って諦める皆ではない。

 ジャンヌは決意を新たに、だが長旅の疲れを癒す為に提案をしなくてはならなかった。負った傷は移動中の馬車で治したとは言え、霊体自体のダメージはまだまだ抜け切っていないのだから。

 

「ここを―――キャンプ地とします!!」

 

「「「イエーイ」」」

 

 マリーとマシュと所長がそんな軽い返事をした。マシュは周囲の女子三人に釣られているのだろうが。ついでだが、回路がズタズタにやられて藤丸はまだ回復し切っていないので、死んだ魚の目で手だけ上げて雰囲気を盛り上げてるのみ。

 

「そうだね、ジャンヌ。飯より宿の方が重要だよね」

 

「ほぉー……そうなのですか、先輩?」

 

「それは聞き逃せないな、マスター。その二つを完璧にしなくては、キャプテン・キャンプにはなれないぞ」

 

「キャプテンって、貴方……いえ、アタシはノーコメント。絶対ノーコメント。アイドルだもん、エリザベートは決して色物じゃないんだもん」

 

「え……あ、凄い。その言葉が嘘じゃないのが、貴女の凄いところですわ」

 

「何言ってるのよ。アイドルが子豚どもに嘘つく必要なんてないじゃない!」

 

「何だか漫才コンビみたいだよね、君達?」

 

「確かに! 二人はエリキヨ♪どらどらハートとか、如何かしら?」

 

「マリー様、自然体で煽らないように……」

 

「まぁ、デオン。だったら、気を付けなくちゃね!」

 

「そんなことより血よ、血が足りないわぁ……セキロー、プリーズギブミーブラッド……」

 

「主殿……御休みを」

 

「では、オルガマリー。肉を焼きましょう、肉を。キャンプの醍醐味ですからね」

 

「良いわね、ジャンヌ……ジビエな獣肉って大好きなのよ」

 

「あ、じゃあアタシが焼くわ! こう見えて肉料理が得意なのよ!」

 

「ふざけるのはその存在感だけにし給え、エリザベート。この私の目が黒い内は、決してキャンプだろうとカルデアキッチンには近づけさせん!!」

 

「な、何でよ!」

 

「当然でしょう。貴女は横で視ていなさい。食料を産廃にする訳にはいけませんから」

 

「まさか、清姫。君は料理が出来るとでも?」

 

「こう見えて、家事育児と万能主婦を目指す良妻サーヴァント。貴方こそ私のヘルズキッチン育ちの腕前に、ついてこれる技量をお持ちなのですかね?」

 

「……フ。各国の有名シェフと交流がある私に、そのような挑発とは。全く、面白いサーヴァントだな―――良いだろう。

 だが、一つ訂正させて貰おうか。

 私がついて行くのではない。君が、私に―――ついて来るのだよ!」

 

「宜しいです、受けて立ちましょう。

 あの男を倒す為……我が師、我が台所よ―――私に食材の導きを!」

 

 顔の半分がまだ竜化から治っておらず、その化生としての爛れた半面をオタマで隠し、清姫は敵を見据えて決意を新たにする。そして彼女は背後に火炎の雀みたいなオーラを纏い、まるでその威圧感から巨人みたいに見えるエミヤへと立ち向かって行った……雰囲気的に。なので、二人は手早く準備を開始するのみ。

 

「では、狼。着いて来たまえ」

 

「……何故?」

 

「ああ、君にも協力して欲しい事がある。

 近場に川があってな、ならば日本男児がするべき事は一つ――――フィッシュだよ」

 

「………は?」

 

「いや、釣りだよ。釣り。君もしたことはあるだろう?」

 

「否……忍び故、泳ぎ……刀でのみ」

 

「―――なに?

 まさか、それは直で捕まえていたと。それも銛も使わず、その刀でか?」

 

「……あぁ。それが?」

 

「来るんだ。さぁ狼、私が川辺の醍醐味を教えよう。同時に安心して欲しい。固有結界に記録した釣り竿のストックは百を超え、今や千に近い品揃えだ。

 必ずや、君の腕前に似合った相棒(サオ)を準備出来ると断言しておこう」

 

「あぁ……?」

 

「すみません、エミヤ。わたくしが調理する分も釣っておいて下さい。ついでにお肉もお願いします。その代わりキャンプ場の準備は、此方できっちりとしておきますので」

 

「承知した、清姫。なに、心配するな。私と狼が揃えば大量だとも!」

 

「………はぁ?」

 

 首を傾げながら、忍びは凄いノリノリな弓兵の後に付いて行った。所長もそんなエミヤと忍びに向けて、グッと無駄に格好良い仕草で片腕を上げて宜しくとポーズを取っていたので、まぁ良いかと忍びは疑問を無念の境地で押し潰す。

 そして遠くから「ははははは! 五匹目フィッシュ!!」とか「なに。既に七匹フィッシュだと……だが、私に敵うとは思わない事だ!」と変な赤い男の声が聞こえる中、キャンプの準備は淡々と行われた。

 連れ去られた忍びを見つつ、藤丸はまるでまだ遊びを知らなかった自分が、学校の先輩に街中へとナンパをしに誘われるのを思い出した。エミヤが忍びに接する態度は、何だかそんな雰囲気が近いと彼は考えた。しかしながら、リヨンに来るまでマリーの馬車で休んでいたのに、彼はもう活動限界が差し迫っていた。

 

「―――すみません。所長、俺はちょっと眠って来ます」

 

「うん。お疲れ。ご飯になったら起こしに行くから」

 

「ありがとうございます……」

 

 ハイテンションなサーヴァントを余所に、マスターはテントの中にのっそりと入って行った。邪魔したら悪いと思いつつ、魔術や歴史の勉強にロマニや顧問から寝るまで話を聞こうと考えていた。

 

〝結構ハードな鍛錬をしたと思ったけど、うん……この特異点が終わったら、もっと鍛えて上げましょう。

 せめてシャドウ三体同時召喚を無条件で出来る程度には。そして、出来れば霊基にマイ魔改造なカルデアオプションを付与した状態で、サーヴァント達も戦えるようにしなくてはね”

 

 その瞬間、藤丸のカルデア生活における地獄度がアップ。魔術回路の才能がないからと、そうは言っていられなくなった。魔術師としては兎も角、マスターとしての能力は人体改造レベルでしていかなくてはならないと、所長は脳内悪夢の中で交信ポーズを取りながら計画を再度組み立てていた。

 

「さて、休む為に働きましょう」

 

 そして、キャンプの準備が始まった。マスターの為にテントは直ぐに建てられたが、それ以外は後回し。清姫と愉快な仲間たちは、彼女の指示に従って淡々と焚火を作り、テーブルも整えられていった。

 

「でさぁ……清姫、なんで顔をちゃんと治癒しないのよ?」

 

「けじめです。変化で復元しても良かったですが、止めたんです。やはり、元マスターである灰女をわたくしの炎で焼くまで、この顔は醜い化生が相応しいと思いまして」

 

「……やっぱりアンタって、超コワイ。そんなんじゃ、男が裸足で逃げてくでしょ?」

 

「まぁ、嘘は嫌いですので否定はしませんが。むしろ、そう言う貴女は……いえ、そう思えば既婚者でしたわね」

 

「うーん……まぁ、そうね。敢えて言うけど、アタシの趣味を笑って受け入れてくれる器の大きい男でありました……とだだけ、言っておくわ。

 他もちょっと色々あるけど、ノーコメントで―――マジで」

 

 疲れたように溜め息を吐いたエリザベートは、小動物の鳴き声がした方に視線を向けた。そこにはマシュにフォウさんと呼ばれるが、何も無い所にフォウフォウと軽快に鳴いていた。

 

「フォウ。フォフォウ(あ、使者じゃん。こんな所でも、こき使われるの?)」

 

「Gufufufufu(まー、ちょっと。見張りやらさせて貰ってやす、野獣先輩)」

 

「フォーッフォウ(次、その呼び方したら、君達を比較しちゃうから)」

 

「Gufuufufufu(そんなぁ……って、フォウ先輩も好き物っすね。自分から単独顕現してまで、あの飼い主に付いて行くなんて)」

 

「フォーフォッフォウ!(君は何も分かってないな。あの究極のバランスから自分から逃れる何て、獣にあるまじき理性じゃないか!)」

 

「Gufefufufu(自分ら、そう言うの分かりやせん。青ざめた血を食べた狩人様が、今の主であるマイドリームに悪夢を譲ったから使い魔してやすが、基本ただ働き。自分ら、母親に悪夢へポイ捨てされた哀れなる落し子になった気分っすよ)」

 

「フォイフォーウ(マイドリーム?)」

 

「Gufufufufu(四六時中一緒っすから。夢の中でも自分らハニーなマイドリームと、ドチャクソ相思相愛ってこと)」

 

「フォー……フォ。フォフォウフォウ(そうかなぁ……あ、角ッ娘に不審な目で見られてる。君らは僕以外だと飼い主である内臓系女子とニンジャウルフと、あの灰被りっ子にしか見えないからね)」

 

「Gufu……Gufufufufu(ねー………で、内臓系女子がマイドリームでニンジャウルフが同僚さんのチワワ殿って事は分かるけど、灰被りっ子って誰やんスかぁパイセン)」

 

「フォー。フォフォフォウフフォウ?(誰って、ほらアイツ。空の魂を持ってる灰っぽい抜け殻なのに、中身を他人の腐った魂で満たして、善人の振りも悪人の振りも人間な雰囲気のブリっ子が上手い……なんだろう、例えると長いな。ぶっちゃけた感じ、枯木みたいな亡者フェイスの女?)」

 

「Gufufufu……(なんだ、マイドリームのマブダチちゃんね。皆に隠してるけど、凄いカラッカラな枯れ顔だよね。結構な前、奴がマイドリームの部屋に来た時、自分らが床一面を埋め尽くしてびっくりさせちゃったこともあったなぁ……)」

 

「フォ。フォウ(そりゃ僕も吃驚するよ。SAN値がピンチだね)」

 

「Gufufu(そうなの。お花畑みたいじゃない?)」

 

「フォウフォウ!(ナイナイ!)」

 

 エリザはやる事も無くなったと、暇潰しにフォウを構うことにした。アニマルセラピーに無関心と言う訳でもなく、動物を可愛がる精神を持っていない訳でもなかった。

 

「うーん……不思議な生き物よね。アンタって、猫なのか、犬なのか、栗鼠なのか、見れば見るほど混乱するわ」

 

「フォーウ」

 

 鋭く尖った赤いエリザベートので頭を撫でられ、しかし怖じ気もせずにフォウは目を細めた。しかし、森の中から聞こえて来る足音に意識が向き、木々の間から男組二人は楽し気な雰囲気のままキャンプ場に歩み寄って来た。

 

「ふ……流石、ニンジャ。忍者汚い。この私が、まさか真っ向勝負で引き分けに持ち込まれるとはな」

 

「エミヤ殿。全て腹に、入りますれば……我らは、ただ命を頂くまで……」

 

「成る程、そうだな……そうだったな。勝負事に拘り過ぎるのは、自分達が食す命に失礼となってしまうか」

 

「……同意なれば」

 

「あら、大量ですね。御二人方、良い仕事です。ありがとうございました」

 

「そうかね。だが君も良い仕事だとも。私の代わりに、キャプテン・キャンプに―――」

 

「―――なりません」

 

「そうか……―――本当に?」

 

「なりませんから、マジで」

 

 うっかり誰かの口癖がうつってしまう程、彼女はその称号が嫌だった。

 

「そうか。残念だ……あぁ、それとその割烹着、君に似合っているよ」

 

 理想の旦那様(ますたぁ)と出会う為、家事力向上に余念の無い清姫は、やはり誰かの妻として相応しい格好と言うモノにも着慣れておこうと自己研磨を怠らない。そこか即席キャンプ場であろうとも、家事をするなから割烹着である。

 しかし……それを褒められるのは、清姫でもこそばゆい。

 

「……どうも、感謝します。しかしエミヤ、貴方は安珍様より凄く安珍様度が高過ぎて、ちょっと安珍様と違いますね」

 

「フ……君に嘘を吐くのは危険だからな。では、勝負と行こうか」

 

「望むところです。我が師の教え、存分に」

 

「……………」

 

 そして、一瞬にしてエプロン姿に変わったエミヤを忍びは見送りながら、少し離れた所に座り込む。念じることで己が精神に没する異空より鬼仏を具現させ、まるで精神統一をする僧侶のように合掌。傍から見れば祈りの姿勢で静止する狼は神聖で超越的だが、本人はただ無念の境地を普段通りに過ごしているのみ。

 本来ならば、桜竜や土地神が住まう仙郷に近い精神の領域。しかし、不死として御子の従者となった忍びは、葦名に巣食っていた神共の眷属でもある。サーヴァント化した彼はより神秘に近い存在となり、その仙郷由来の異空と繋がる鬼仏の加護を霊体に受け入れていた。

 

「Gufufufufu……Gufu?」

 

「……………―――」

 

 尤もその所為か、この世ならざる真実を知覚出来てしま得るのだが。カルデアでも良く見ており、無害な白い小人なので気にはしなていないが、稀にジーと自分の方をずっと見ているを忍びは知っていた。なので、その正体が気になるのも事実。とは言え、忍びは自分のマスターの使い魔であると言うのは把握している。なので、この不可視の使い魔が一体どんな生命体なのか分からず、マスターに問えば答えが返って来るそんな疑問が従者として残っていた。

 しかし忍びは忍び故、オルガマリーに無駄は問わない。主が為すべきことは自然と受け入れるだけで良い。重要なのは、自分の務めを全うすること。必要となれば忍びは躊躇なく問い、主に秘する思いがあればそれを黙認し、その上で主の願望に異を唱える事になろうと、為すべき事を為すのみだった。

 

「Gufufufu(ねぇ、見えてるの?)」

 

「―――………」

 

「Gufufu……fufufufu(ほら、この赤リボン可愛いっしょ。自分、シャレおつ美少女やで。これで立派な人喰い豚のフレンズや~)」

 

「………………」

 

「Gufufu(けど、その鬼面な仏像っちも中々にクールやで!)」

 

「……フォウ殿」

 

「フォフォウ、フォウ(ドーモ、アシナスレイヤー=サン。プライミッツマーダーです)」

 

「いえ、何でも……ありませぬ」

 

「フォウ!(ナンデ、ナンデ目を逸らすのナンデ!)」

 

 気にせずに祈りを続ける。しかし忍びが気が付くと仏に拝む自分の隣に、血塗れなリボンで御洒落をする小人が一人。ゆらゆらと上半身だけ地面から生やし、見ているだけで忍びの啓蒙的真実に導かれそうな姿があった。何を言っているか解読出来ないが、気安い雰囲気を纏っているのは分かる。あの獣、この小人と仲良さそうだし、彼に任せてしまおう。そう彼が考えるのも無理はなかった。

 

〝あいつら、また隻狼にちょっかいを……けど、何か面白いからほっとこ"

 

 鳴き声を啓蒙的特別意訳で人語に解読しつつ、所長は知らんぷりを決め込んでいた。もし啓蒙の導きを尊ぶ狩人が所長の他にいれば、彼女の鬼畜外道さに思わず交信のジェスチャーをしてしまうことだろう。

 

〝良く分からないけど……―――宇宙は空にある”

 

 隻狼に心の中で頑張れとエールを送り、本当にそれだけだった。隣に座るフォウにフォウフォウと吼えられ、赤リボンを特に意味も無く自慢する使者(メッセンジャー)に絡まれながら、彼は無念の境地による鬼となった仏の拝みを黙々と実践していた。

 そんな所長は、脳内収蔵庫から酒を引っ張り出してテーブルで悪酔い中。何より彼女はこの特異点に来てから、人々の真っ赤な血に満たされた悲劇を見続けた。正直な話、精神的にあらゆる感情の興奮状態にある。何でもいいから、生き物の腹に片手を突っ込んでハラワタをヒキズリダシタイ、ミタイ、ノミタイ、アビタイと混沌衝動が暴れている。

 

「―――ちょっと、オルガマリー。聞いてらっしゃるの?」

 

「んー……あ、ごめん。でも、聞いてた聞いてた。私ってばカルデア所長だもの。王妃の声を聞き逃すうっかりさんじゃありません。それで、えーと……うん。確かに私は貴族だけど、もう形骸化しちゃってるからね。今じゃこうやって組織のボスしてるだけなの。子供の頃は貴族っぽく親が決めた婚約者もいたけど、色々あって死んじゃったし、色恋沙汰はそれっきり。

 とのことで、さぁ……一杯いかが?」

 

「頂きましょう―――ふぅ、おいしぃわー……けど、良いのかしら。戦争中だって言うのに、お酒を愉しむだなんて」

 

「だからこそですよ。飲める時に呑むのが兵士の鉄則です。ちゃんと見張りもいるのですから、厚意に甘えるのも仕事の一環。

 でもマリー、貴女は何だか嬉しそうですね?」

 

「清姫が料理を作ってくれているもの、とってもお上手なのよ。それにアーチャーのエミヤさんも素晴しい腕前なんでしょう?

 貴女の宮廷での食事を思い出させてみよう……だなんて、とっても素敵な料理人に違いないものね!」

 

「キザよね、あの人。カルデアでも職員口説いてたわ。でも部下たちのストレス発散に丁度良いから、今度合コンでも開いてみようかしら?

 男衆も女の扱い巧そうだし、イケメン揃いだから盛り上がる事でしょう」

 

「所長……―――それ、私も参加してみたいです!」

 

「良いわよ。勿論、藤丸も参加させるから。じゃないと、マシュは面白くないものね」

 

「そ、そんなことないです。でも……ただ、そんな都市伝説がカルデアで開かれるのでしたら、一度は体験したかっただけですし」

 

「はい……皆さん、川魚のから揚げです。酒をお飲みになるのでしたら、おつまみも必要でしょう」

 

「わ、わ、美味しそうね。やっぱり清姫の料理、わたしはとっても大好き!」

 

「家事向上に余念はありません。それにマリーのお口に合うのでしたら、わたくしも何時か出会う理想の旦那様(ますたぁ)も喜んで頂けることですし」

 

「素晴しい心意気だ。とのことで、私の方からもおつまみ一品。猪肉のチャーシューだ」

 

「はぁ……流石、エミヤ。啓示が下りそうな出来栄えです」

 

「ふふふ。光栄だよ、ジャンヌ」

 

「薪を持って来ました、清姫さん。でも理想のマスター……ですか?」

 

「ありがとうございます、マシュ。ええ、それがわたくしがサーヴァントとして呼ばれる願望で、聖杯戦争に参加する目的でもあります。聖杯そのものは、そこまで欲しないのですが……まぁ、今回はまた違う召喚でしたので無関係ですね。

 だと言うのに、まさかあんな女に召喚されるとは……凄く、腹立たしい。魂の中身を偽ることで、わたくしに嘘を吐かずに心を変化させるとは、百回焼いても焼き足りない嘘吐きです。竜の魔女もマスターではありましたが、そっちはそっちで問題外。

 だから―――()くことにしたのです」

 

「それが清姫さんが戦う理由なんですね……」

 

 物騒だなとマシュは思いながらも、ある意味でバーサーカーらしい狂気でもあると考えた。理性的に会話をしているように見えて、常に愛が灼熱となって魂を覆い包んでいるのだろう。

 

「エリザベートさんは、やはり……」

 

「決まってんじゃない、マシュ。未来(テキ)のアタシをぶっ飛ばすため!」

 

 そう笑いながら、エリザはエミヤと忍びが狩って来た獣肉を串刺しに、直火でこんがり真っ黒く炙っていた。

 

「あ”―――――ッ!!!

 何をやっているのですかエリマキトカゲ! お肉が丸焦げじゃないですか!?」

 

「はぁ何よ!! 手伝って上げてんじゃない!?」

 

 ぽん、とゆっくりエリザの肩に手が置かれた。エミヤは菩薩のように微笑んでいた。

 

「エリザベート。君が自分で決めたまえ―――飯抜きか、飯有りか?」

 

「ごめんなさい。食べたいです」

 

「私じゃないと聞き逃す程の即答です!?」

 

「ならば―――去れ。

 台所(ココ)に猫の手は要らん。必要なのは強者(コック)のみ」

 

「はい。ごめんなさい……肉を焦がして、ごめんなさい……」

 

〝―――ん?

 一体何なんだろうか、さっき変な未来が啓蒙されたのだけど。何で私のカルデアで、猫の手で料理してる獣耳の裸エプロンがいるのかしら。

 十中八九サーヴァントだろうし、だったらあの裸エプロンって藤丸の趣味なのかも?”

 

 今度マシュが藤丸相手にやってみるように誘導したいと凄まじく邪悪な事を考え付くも、そんな事をすればロマニがカルデア所長に謀叛を起こす未来が啓蒙されたので即座に中止。マシュの貞操は誰にも気付かれず陰ながら、ドクター・ロマンが単身(ソロ)で守り抜いていた。

 

「――――恋バナをしましょう!!」

 

 キラキラキラキラ輝きそうな笑みを浮かべる王妃様。そんな脈絡も無いマリーの言葉が、地獄の始まりだとは誰も察せられなかった。

 

「女の子ばかりだもの、恋バナがしたいわ!

 よってフランス王妃マリー・アントワネットが宣言しましょう―――女子会を、開きます!!」

 

「女子会トーク、良いわねマリー! 楽しそうだわ!!」

 

「恋の事ならわたくし、深い造詣がありまぁす!!

 けど……―――」

 

「―――此処はオレに任せ給え。

 この身は君と同じく、台所を戦場とする料理人だ」

 

「……はい。では、お願いしますね―――コック長」

 

「ふ。だが、食材を全て料理してしまっても構わんのだろう?」

 

「ええ。竜が鐘を焼くように、わたくし期待しています」

 

「とは言え、もうほぼ完成してある。面倒を見るだけ故、君もキャンプを楽しむ一人として居れば良いだろう」

 

「すみませんね」

 

〝凄い。何と言いましょうか、皆がどんな旅をして来たのか一瞬で分かりました……”

 

 エミヤも混ざっているが、キャピキャピした雰囲気を肌で感じるマシュは少し胡乱気な目でその光景を見守っていた。そして、マシュはエミヤ先輩もエミヤ先輩で自分よりも女子力が高いことに戦慄していた。料理スキルもそうだが、女性と会話するのも何だか巧くないかと、ちょっと変な方向に対抗意識が湧くのも仕方ないかもしれない。先輩と彼女が慕う人は、何だかんだでコミュ力がカンストしているのも関係しているのかもしれない。

 

「その……女子会と言うのは初めてでして」

 

「ノン。大丈夫よ、マシュ。楽しくお話するだけだから!

 なのに、デオンったらもう……折角の女子会を断っちゃって。敵地での禁断の恋とか、スパイの恋愛と知りたかったのに!」

 

「―――それね!

 アタシもデオンの恋愛観には興味あったんだけど」

 

「そうよね! だったらエリー、あなたの恋を話して下さらない?」

 

「うーん、そうね。生前はアタシってそもそも結婚してて、子供いたんだけど……貴族同士の政略結婚だったのよ。夫婦円満で旦那も子供も愛してはいたけど、多分それって女じゃなくて家族としてだったから。そう言う燃えるような感じはなかったし。

 それに今は、この姿だから―――あ、でも一度だけあったかも。凄まじいど根性な子ブタを、記録だけど覚えているわね」

 

「実は私も……いえ、生きている今のことではないのですが。その英霊になった後の私は、とても素敵な出会いに恵まれていたようで……とても恋しい人が、出来るのかもしれません。

 ふふ……うふふふ、これは今の私の思いじゃないのですが、確かに……でも、やっぱりいけませんね!」

 

〝お二人が見たことないテレ顔に……これが恋バナ、これが女子会。なんだかドキドキが止まりません!!”

 

「では、わたくしもお話しましょう。正しく、あれは燃える様な恋でありました」

 

「なるほど!」

 

「良き反応です、マシュ。わたくしも気合いが入ると言う物。さて、あれは丁度、わたくしが旅の僧侶と出会った時のことです。名前は安珍様。わたくし、一目で好きになって思いを伝えました。断られましたが、安珍様は再会を約束してくれました。ですが、安珍様は会いに来て下さらなかった。

 私を恐れて逃げたのです。

 嘘を吐き――裏切ったのです」

 

““あれ、なにか変です””

 

 空気が急に不穏となり、マシュとジャンヌは少しだけ顔を曇らせた。

 

「だから、私は追い駆けました。追い駆けて、追い駆けて、追い駆けて……あぁ、怒りで、憎しみで、悲しみで。

 何時の間にか、わたくしは竜に変貌してしまいました」

 

““これ、恋バナ……?””

 

「そして、追い付いた先の御寺の鐘に隠れた安珍様を、見付けてぇ……ふふふ。竜の火炎であの大きな鐘ごと―――()き尽くしたのです」

 

““違う、そうじゃない……ッ!!!””

 

「馬鹿じゃないの阿呆じゃないの何考えてんの!

 もっと、こうあるじゃない……雰囲気ってものが女子会にはあるじゃない!?」

 

「何を言うのですか、雰囲気満載の恋バナでしょうが!

 まるで浜辺で必死に逃惑う男を追い駆ける一途で可憐な恋する女の物語です!?」

 

「かぁー……駄目ね。マジで、貴女って駄目ね!」

 

「なんですってぇ……!」

 

「だったら、マシュとジャンヌを見てみなさい。

 あれが……あんな沈痛な表情でテーブルを見ている娘が、恋バナを聞いた女子に見えるっての!?」

 

「勿論ですとも。そうでしょう、マシュ?

 あ、嘘付いたら当然ですけど、安珍様の刑ですからお気を付けて下さい。お好みな鐘をリクエストしても構いません」

 

〝え。キキキ、キラーパス……―――コワイ、女子会怖い!!”

 

「あ、あ……そ、そそ、その私、燃える様な恋の話だと思いました!」

 

「ほらぁ聞きましたか、エリザベート。嘘偽りない本心でマシュもこう言ってます!」

 

「貴女の事を気遣って嘘を言わない様にしてるだけじゃないのよ、察しなさい!」

 

 騒がしくなる瞬間、マシュは嫌な気配を感じ取った。と言うよりも、所長が凄く良い笑顔を浮かべていて、それがどうしようもない悪寒を彼女に与えていた。

 

「―――いけないわね。ここはこのカルデアのウルトラ所長オルガマリー・アニムスフィアが、雰囲気を変えましょう。

 恋多き愛の狩人(ラァヴハンタァ)として、恋バナの如何を皆へと夢のように啓蒙します!」

 

〝嘘ですよね……ここで、この場面で、そんなハードルを上げる何て、どうして貴女はそこまで所長!?”

 

「実は、私―――婚約者がいたんですよね」

 

〝私レベルじゃ、もうついていけませんよ―――所長!?”

 

「それ、さっきアタシ聞いたかも……」

 

「ビッグにお黙り(シャラップ)です、エリザベート。黙って聞きなさい」

 

「ホワイ!?」

 

「まぁ、こう見えても貴族主義の魔術一門ですので、家同士のコネクションも大事なのです。なので、相手も親が決めた男でしてね。それがまた、凄まじい美形だったのは覚えています」

 

「―――無視!

 でも……あれ、でもさっき、婚約者は死んだって言ってなかったかしら?」

 

「エリザベート、恋バナとして改めて話すのだから、もっと白痴になって貰わないと話し難いのだけど?」

 

「あら、ごめんなさい。続きどうぞ」

 

「続けます……で、相手がパピーの弟子であるヴォーダイム家の二男坊でして。長男とは元より仲良くしていたんだけど、結婚相手としてはソレの兄弟にしたの。婿を貰わないとアニムスフィア家潰れるし、長男がキリシュタリアって言うのですが、それとも末永く仲良し子良しで魔道の探求をしたかったしね」

 

「あれ、それは私も初めて聞きました。と言う事は……」

 

「そうよ。彼は私にとって、そのままだったら兄と呼べる男だった。ついでに、私は可愛い妹枠となるわ。本当なら、キリシュタリアに激カワ妹について啓蒙する予定だったのよ」

 

「所長、冗談キツイです……」

 

「なにがよ?」

 

「いえ、もう何もかもがなんですけど。でも、良いです。それで、どうなったのですか?」

 

「ふふふふふ。全く、マシュもおませさんになったわ。凄く気になるのね?」

 

「まぁ……―――はい」

 

「取り敢えず、互いに初心な魔術師だったから―――確認をしたのよ」

 

「……はい?」

 

「性魔術よ、性魔術。恋愛の本質は子孫繁栄なのだから、魔術師もまた子孫を尊ぶのが必然。遺伝子上の適応性も重要ですし、結婚する前に子作りしてみるのが普通なのよね」

 

「なるほど。夜這ですわね……ック、羨ましい。オルガマリー、中々に出来る女です」

 

「何言ってるのですか、ちょっと本気で何を言っているのですか!?」

 

「あー、でも確かに貴族的。こっちも結婚初夜ってそんなんだったから。このアタシは良く覚えてないけど」

 

「わたしもそんな雰囲気でしたわね……あ、今のわたしもエリーと一緒で少女時代だから余り記憶にないわね」

 

「はわわ、はわわわわわわわ……!」

 

「そうしたら―――……相手、死んだわ」

 

「なんでよ!?」

 

「知らないわよ。腹上死したんだから仕様が無いじゃない。まぁ……うん、それが私が経験した初めての男女関係です」

 

 嘘を見抜く清姫がいたので真実をそのまま話したが、別に隠すような事でもない。当主として婚約者がいたのは当たり前な事であり、魔術協会でも有名な話ではあった。流石に醜聞になるので、婚約者の死因までは広まっていなかったが。

 それと、カルデアの通信は改竄してある。所長が話した会話内容は記録されず、管制室の職員には伝わらず、この場で馬鹿騒ぎをする者にしか聞かせなかった。

 

「そうだったんですね。わたくしと貴女は似た者同士だったのですか。旦那様候補の男を死なせたその気持ち、良く分かります」

 

「―――え?

 私って清姫の同類だったの?」

 

「友です。マブです。互いに、理想の安珍様を探求致しましょう!」

 

「別に良いけど、私は恋も愛も知らないから……」

 

「オルガマリー……―――それも、共に探すのでぇす!!」

 

「流石、清姫。略して、サスヒメ―――あぁ、宇宙は空にある……」

 

「そうでしょうそうでしょうとも。わたくし達の愛は、宇宙のように無限大なのですから!」

 

 目をグルグルと混沌に溢れさせながら、清姫は無垢な所長に恋愛を啓蒙し始めた。

 

「マリーお助け下さい。こんな地獄の女子会―――私じゃ、私じゃあ……っ!?」

 

「ふふ、任せなさいジャンヌ。この程度の修羅場、宮廷では日常茶飯事でしたから!」

 

 物凄く良い笑顔で、やはり自分が場を仕切るしかないと覚悟した。それは邪竜に挑む勇者のようでいて、あるいは魔王に挑む大英雄のように、光輝く英霊の姿であった。宮廷の話題を独り占めしたカリスマアイドルは、難敵を撃ち払うべく、とっておきの話題を披露すると決めたのであった。

 

「では、御聞きになって。わたしの初恋を!」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 夕食の時間は直ぐにやって来た。テーブルには男性陣も集まり、全員が同時に食事を取る為の用意はもう終わっている。しかし、悲劇が一つ。時間まで楽器のメンテナンスをしていたアマデウスであったが、まさか女子会が〝そんな話題”になっていたとは考えもしなかった。

 

「ウッソだろ、マリア。まさか、あれを……シェーンブルンの事を喋ったって言うのかい!?」

 

「ごめんなさい。素敵な思い出でしたから!」

 

「「ヒューヒュー」」

 

「茶化すんじゃない、ドラドラサーヴァンツ!?」

 

「ちょっと聞いた、清姫。あの音楽家、なんか強がっちゃってますけどぉ?」

 

「聞きましたわぁ、エリザベート。今にも火が噴き出そうほど顔が真っ赤っかですわぁ」

 

「「きらきらひかる、よぞらのこいをぉ~」」

 

「~~~~っ」

 

『見えるかい、藤丸君。あれが女の食い物にされる男の姿さ……』

 

「何という、あぁ……何と言う理不尽。あわれ、アマデウス。俺だったら羞恥心で死ねるね」

 

〝哀れだよ。まるで火に飛び込む蛾のようだ……”

 

「きらきらひかる、よぞらのこいをぁ~……」

 

「デオン! まさか君が僕を裏切るとは!?」

 

「「「きらきらひかる、よぞらのこいをぉ~!」」」

 

「この倒錯者三人衆共め……っ!!」

 

「ちょっと待て、アマデウス。それは私も含まれているのか?」

 

「え、何を言っているんだい。同然だろう。その男にも女にも見える姿、君は絶対に僕と同類だぜ」

 

「訂正しろ!」

 

「そうよ、アマデウス。デオンは確かに結構な倒錯者だけど、貴方みたいな変態じゃないわ!」

 

「そんなマリー様、私のことをそう思っていらっしゃったなんて……!?」

 

「もう、気にしないの。人は誰しも、そう言う部分があるのだから。恥ずかしがっちゃダメよ?」

 

「それは、はい……―――アレ。それだと結局、私はアマデウスと同じになるのでは?」

 

「はいはい。もう良いから。それで、だいだい何で君はそんな事を広めたんだ。プロポーズを断ったのはそっちじゃないか」

 

「だって嬉しかったんだもの。それに仕方ないわ。婚約相手は自分で決められなかったし」

 

 騒がしい食卓ではあるが、不思議とそんなマリーの声は皆に響いた。

 

「それにその後のわたしの人生はしっているでしょう?

 アレで良かったの。

 断って良かったの」

 

「マリア……酔っているのかい?」

 

「そうかも。良いお酒を飲んだから、良い思い出も、悪い思い出も、全部良く思い出せる……」

 

「なら、吐き出してしまえ。僕は音楽家だからね、聞くのも好きなのさ」

 

「そう、ありがとう」

 

 杯を手に持ち、息を漏らす。喉に通る熱を感じ、血が温まる。酒はやはり、心に良く効く薬でもあった。

 

「あぁ……そうね。やっぱりあの告白を断って正解だったって、死んだ今になればそう思えるの。だから、貴方は音楽家として多くの人に愛された。だから、私は愚かな王妃として処刑された」

 

「…………今は、そう感じたと?」

 

「酷い思い上がりだったの。特異点になったこのフランスを見て、わたしはわたしをそう感じだわ。この国を愛する人々を愛さず、わたしはこの国を愛したわ。王妃として、フランスと言う国に恋をしてしまったのね。そんな風に生きたから、愚か者に相応しい最期を迎えた。

 だから、国民たちはわたしがこの国に要らないと―――終わらせたのよ」

 

「マリー……それは……」

 

「何だそれ―――馬鹿じゃないか、君」

 

 言い澱むジャンヌの言葉を、アマデウスは一切躊躇わず叩き切った。誤解を恐れず、本当に馬鹿なのだと分からせる為に、彼はとても澄んだ声のまま、目の前のマリーだけを見ていた。

 

「ちょっと変態その言い方は酷くない!?」

 

「良いの、エリー。でも、アマデウスからすると、わたしって馬鹿なの?」

 

「ああ、君はとんでもない勘違いをしている。そもそも君が何に恋して、どれを愛するかなんて、全く関係ないんだ。

 ―――僕は知っているぜ。

 遠い国から来た君の結婚を祝う民の歓待を。そんな君に振り回された愉快な宮廷を。そして君が尽くした民への献身を。

 それでも尚、君を殺した民の憎しみを。

 だから違うんだよ。君が国に恋をしていたんじゃない、断じてね。フランスが、君との恋に落ちたのさ」

 

「貴方の励ましは何時も分かり難いけど……うん。ありがとう、アマデウス」

 

 微笑むマリアを見て、満足そうに彼は目を瞑る。あの時、あの場所、自分は生きて行けなかった。アマデウス個人としては正直、フランス革命に加担したその時代の人民が死のうが、苦しもうが、不幸になろうが、何の感情も湧きはしない。彼女の生首に喝采を送った連中など、地獄に落ちれば良いと願う。もし神が人の願いを叶えるなら、そうすれば良いと思わずにいられない。だが、自分がそう思うことをマリアは悲しみそうだと彼は考える。そう言う、正負も、清潔汚濁も、混ぜ合った感情を彼はその上で肯定した。

 

「だけど、憎しみは余計じゃない? 恋してくれたんじゃないの?」

 

「正負は裏表。愛されていた証拠だと思うぜ。だから、愛憎は簡単に切り替わる。マリア、君は愛されたからこそ憎まれた。

 ―――人間とは、そういうものさ」

 

 そんな言葉が、マシュは深く心に沈む。特にこの特異点に来てからは、それが良く馴染む感覚だった。あの竜の魔女はジャンヌを酷く苦しめる邪悪なのに、ジャンヌを絶対に殺そうとはしなかった。憎いんでいるのに、確かな愛情が存在していた。

 けれどどんな感情なのか、人間性が稀薄である自覚を持つマシュには分からない。

 

「愛されたから、憎まれた……」

 

 それを知る時、何かが砕け散ると言う悪い予感。だがそれを知らねば、取り返しのつかない過ちを犯すと言う直感。マシュはアマデウスの言葉は忘れないようにして、ご飯を食べた後、今日はちゃんと眠ろうと心に決めた。

 

「さぁ、酔っ払いの懺悔は此処まで―――食べようか。

 おわびに清姫とエミヤが準備したこのディナーに相応しいBGMも、僕流の音楽でお付けしよう!」

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「こちらにいましたか……」

 

「あれ。どうしたの、マシュ」

 

「少し、お話したいことがありまして……」

 

「そっか。別に大丈夫だよ。俺は一杯になるまで沢山食べたから、ちょっと腹ごなしに休んでいただけだから」

 

「連戦続きで、やっとゆっくり出来ますからね」

 

 日も落ち、暗くなり、けれども月と星々が明るく輝く夜空の世界。開けた場所で座っていた藤丸の隣に、マシュは無意識に微笑みを浮かべながら同じく座った。

 

「……………」

 

「……………」

 

「不思議な気分なんだ……俺は今、とんでもない昔に居る。所長に頼まれて、世界を救う旅をしている。その仲間には歴史の授業で習ったような人達がいて、俺はそんな人らと普通に話なんかしちゃってる」

 

「そうですね……」

 

「……だから、本当に不思議で堪らない。マシュはさ、この旅をどう思ってる?」

 

「はい。私もです、先輩。不思議で堪りませんでした」

 

 空から下に視線を移せば、緑と、草と、虫と、土の冷たさ。カルデアではまず有り得ない感触。匂いもそうで、生き物もそうで、そもそも自然なんて初めて触れた。そして英霊達の皆も、同じくらいマシュにはとても新鮮だった。

 

「皆さんとお話をして、所長と一緒に女子会なんてしてみて……でも、こう言うのは良く分かりません。皆さんのことはデータやテキストで会う前から知っていたんですけど、知らなかったところも沢山あって、知っている通りな部分もありました。

 だから……なんだか、皆さんのことを大事な仲間みたいに……………まるで友達みたいに、そう感じる事もあって―――」

 

 罪悪感があった。呼吸が止まりそうな苦しみがあった。マシュは、自分がそう感じる事が可笑しな感性だと思っていた。

 

「―――いけないこと……なんだって、私も分かっています。

 皆さんのことを私と同じ人間みたいだって、そんな風に近く思えてしまって。こんな風に私が、この旅を不純にしてしまっては……だって、今も人が死んでいます。この国は滅んでいる最中で、先輩とこんな会話をしている今だって、きっと誰かが玩具みたいに殺されて、ワイバーンに生きたまま食べられている……」

 

 見て来た惨劇が、きっと何処かで起きていた。無知ならば良かったが、人の所業をその身で味わって、人間の歴史を垣間見た。現実として、手の届く何処かで、あの魔女はこの国を火刑に処している。

 マシュ・キリエライトは―――生きる罪を知った。

 無知で在る事は罪科であり、知識を得る事は贖罪でもあった。もう無垢なままではいられない。

 

「……だから、きっと駄目なんです。

 なのに今日の私は、この夜のことを絶対に忘れたくないくらい、とても……―――」

 

「―――うん。

 楽しかったよね」

 

 けれども、彼女の先輩は本当に心の底から楽しかったと笑うのだ。月明かりに照らされて、虫の鳴き声が静かに聞こえる草原で、藤丸立香はマシュ・キリエライトの言葉を何でもない日常会話のように受け入れた。まるで平穏な日々の中、友達と一緒に休日を過ごした後のような、普通に生きる当たり前な少年の顔で、彼は今日を楽しかったと振り返る。

 美味しい食事。綺麗な音楽。騒がしい食卓。仲間との世間話。ちょっとした馬鹿騒ぎ。

 今日の旅は良い思い出だった。これから先、どんなに苦しい出来事が自分達を待ち構えているのだとしても、楽しかったことだけは変わらない事実なのだと藤丸は分かっていた。

 

「―――はい、先輩」

 

 マシュは自信がなかった。こんな地獄みたいな特異点で、楽しい思い出を作る事が正しいのか、間違っているのか?

 ―――普通が、まだ理解出来ない。

 しかし、藤丸が楽しかったと笑っていた。先輩が、楽しかったと頷いた。

 思い出は綺麗なままで良い。楽しい事を嬉しく思って良い。自分の無力で誰かが死んでしまう特異点で、世界を救う旅なのだとしても、マシュはこの思いは間違いじゃないと確かな実感を得る事が出来たのだろう。

 

「……Gufufufufu(……青春やな。妬ましくて見てられへんけど、マイドリームの命令なのでデバカメさせて貰うぜ)」

 

 そんな二人の後ろから、視線を送る小人が一人。無論のこと、所長は絶対に警戒を怠らない。周囲に特殊な自我を持つ不可視の使い魔を配置し、鼠一匹通さない警戒網が敷かれていた。藤丸とマシュの会話も、所長は現在進行して覗き見&盗み聞きしている最中である。

 とは言え、流石に遠慮はする。草原から離れた森の近く、そこから使者は周囲を警戒しているのであった。

 

「Gufufufu……(うーん、何じゃろこの樹。気になる気になる木~…‥っは。新しい、まるで光るような……舐めてみるか)」

 

 誰にも聞こえない唸り声を発する使者(メッセンジャー)は、周囲の木々と少し様子が違う樹木が目に入る。ぺたぺたと触りながら、彼の黒い穴のような口から形容し難き触手のような物体が伸びる。

 

「Gufufufufu(ペロ。これは……普通に樹の味だ。やっぱり木の所為かなぁ……あ、違う。気の所為だった)」

 

 使者は唸り声にしかならない悪夢の言葉を発し、そのまま地面に潜るように消えた。テントから離れた場所にマシュと藤丸もいるが、所長は使者を張り巡らせた結界内に二人がいるので何も言わず、更に言えば結界内限定で即座に空間を渡って守りに行けるよう術式を仕込んでいる。

 それを使者も分かっていたので、静かに夜空を見る二人を見守るだけ。既に所長もこの場所に二人が居るのは知っているので、そんなデート風景を悪夢の瞳で一人ニヤニヤと監視ているだけなのだった。

 

〝相変わらず、あの女の使い魔は得体がしれませんね―――”

 

 だから、使者が怪しんだ樹がそんな思考をしていることには気付けなかった。

 

〝―――鋭い。思わず、女子会メンバーに玩具にされていたあの音楽家が面白くて、ちょっと気配が漏れてしまったのも危なかったですが、今回もまた失敗。ちょっとキュンとしたのを反省しましょう。

 しかし、女神マニアのロートレクを思い出したのはいけませんね。いけません。

 火を簒奪した時に覚えたソウルの思い出。確かあの炉で薪の王になった始まりの不死の記憶ですが、そんなにも印象深い台詞なんでしょうかね?”

 

 まぁ、でも確かに火に飛び込む蛾のようではあった。そう考えた樹木に擬態している何者かは、周囲に一切気配を漏らさずに笑みを溢した。

 




 夜の作戦会議。

「班分けは危険だけど……―――けど、時間がないわね」

『ボクは反対します。効率を考えれば、それが一番なのでしょうが、誰か確実に死にますよ?』

「はっきり言いなさいな。その誰かが、藤丸かマシュになるのだけは止めろって」

『否定はしませんけどね。でも、確かに安全策は駄目な段階なのかもなぁ……』

「まぁ、もう踏み外せないのは事実。けどね、カルデアを見張っている奴の性格を考えると、こっちの動きなんてどうでも良いのよ。どうでもね。
 隙を見せれば、嬉々として喰らい付いて来る。
 逆に隙を見せなきゃ、何をしてくるのか分かり易いわ。
 誰が死ぬのがカルデアにとって一番損失なのか、良く分かってる連中が敵でしょうから」

『なるほど。藤丸君とマシュを徹底して、遊びなく、狙ってくると?』

「そう言うテンプレ戦術屋は狩り易いけどね。誘導も簡単だし。自分達も死に易くもなるけど、危険管理の等価交換は戦場の常だもの。
 けれども、前回の戦い方を見るとちょっと近代戦争に近い感じね。
 こっちの要点であり、弱点でもある藤丸の消耗を狙っている節がある。
 殺害が目的って言うよりかは、最後の戦場においてカルデア側を殺し易くなるように、自分達は安全を確保しながら獲物を弱らせるのが目的っぽい雰囲気かしら」

『でも、そもそも見張ってる奴と言うのも、所長は見付けてないのでしょう?』

「手段は知らないけど、ロマニは相手の気配がないからって監視がないって思うのかしら?」

『あー……ってことは、誘い出すしかない訳ですか。それは、正直いやだなぁ』

「私と隻狼は別けるしかないわ。アッシュか白ロン毛が来た場合、どっちかいないと終わりになる。それと……あの、あっち側の佐々木小次郎。あいつがサーヴァントの中だと一番厄介よ。身体機能が狂戦士並に強化されている上に、技巧と精神は明鏡止水の儘。
 隻狼と殺し合えるのは、例外二体除くと向こう側だと佐々木だけね。戦いにはなるけど、他のサーヴァントは問題なく仕留められる」

『それだと、エミヤにはマシュの面倒もそれとなく見て貰わないとダメですね。所長と狼君を除けば、彼がカルデアの戦闘面における要でしょう』

「ロマニの言う通り。だから、私が離れることにするわ。隻狼は藤丸に付けましょう」

『うわぁ――……え、マジか。危険過ぎません?』

「まぁね。でも、本命は藤丸の方に行くけど、それならこっちは好き放題させて頂くだけ。そうすれば竜殺しをカルデアに回収し、真っ向から戦争が可能な戦力比になりましょう。
 ……けど、それをする為にこっちの戦力が減るのも悪手。
 堅実に冒険するってなれば、バランスよりも生存率を重視する方が厭らしいと思わない?」

『向こう側が村や街を襲う事で人質みたいにして来た場合、防衛戦を皆が選択すると時間稼ぎの捨て駒役が必要になりますけど……―――けど、絶対に守るだろうな。強く命じれば見捨てるし、仲間も自分も死んで世界が終わると説き伏せれば大丈夫だろうけど、助けられる可能性があれば必ず走る。
 ボクが悪い人になっても、藤丸君はそうしないし、多分マシュも……』

「良く言うわね。貴方とレフが、マシュを良い子に育てたんじゃないの?」

『藤丸君の影響も今は強いと思いますけどね。けれどレフ教授は……いや、良いですかね』

 眠らずの会議。淡々と会話をしているのは、ロマニ・アーキマンとオルガマリー・アニムスフィアだけ。

『それで……その、特異点の仕組みは明かしますか?
 正直な話、此処まで酷い戦場とは思いませんでしたから……ああも、見ている人を苦しめる様に虐殺をしてるとなれば、かなり大きな傷になっていますし』

「そこは貴方の仕事よ。メンタルケアは任せます……と言うより、貴方が一番巧いからね。ちゃんと精神的損傷を見極めて、私の部下が壊れないようにしなさいね」

『じゃあ、最初通りに隠しますか?』

「人としてそうすべきだと思ってたけど、現状のままなら別に大丈夫でしょう。精神がやられていたらそうしないと駄目だけど、実際に地獄を見て来た二人は、そう言うのに心が辛いまま耐えられるような人間だったから。
 人助けは無駄にはならないけど、でも何時かは力足らず全てを見殺しにする場面も来るからね」

『ボクはそれ、反対しておきますよ。話すべき真実じゃありませんから。でも、それでも話すとなれば、所長から労うように言えばダメージも少ないかもしれない』

「そうねぇ……でも、そうしましょうか。専門家の貴方の意見の方が、あの二人の為になるでしょうから。でも、多分何処かでバレるわよ?」

『何とかします。でも、そうなっても……』

「……いいわよ。その辺の悪役は私の方が巧いから、所長って腐れ外道って事にしましょうか」

『それはそれで、ボクが嫌なんですよ。子供に人殺しをさせておいて、それは無いです。やはり全ての責任は、ボクたちで背負うべき業でしょう。
 ボクたちカルデアが命じて、二人の旅は続いて行くのですから』

「仕方ない男ね。でも、落ち込んでいたら何とかしなさいよ。私、そう言うの無理だから」

『それは勿論分かっていますから。なので……っ―――うわぁ!』

『ちょっとロマニ~、所長と二人で内緒話かい?』

『レオナルド……コーヒー零れたんだけど?』

『ごめんごめん。後で私が入れ直して上げるからさ!』

「顧問、物資は大切にね」

『おっとそうだね。私としたことが軽率だったぜ。今の作戦は、節約大事にだものね』

「タイムリミットがまだ分からない現状、仕方ないわ。まぁ、レイシフトによる物資回収作戦が旨い具合に進めば問題はないだろうけど」

『だね。けど君、自分が最後には悪役になれば良いって考えてるだろう?』

「あら、話戻すの?」

『実は聞いていたのさ!』

『……盗み聞きか。良くないよ、レオナルド』

『いーや、こんな深夜にこそこそ話をしている二人が悪いんだぜ』

「余り聞かせるのもアレな会話だったからね。とても酷い話だから」

『仕方ないと思うけどね。所詮、カルデアは異邦人さ。人理焼却って言うこの災害は、特異点化した現地の人々が足掻かないとならない地獄でもあるのだから』

「そりゃまぁ、ね。立場的には、未来からのレスキュー部隊って所だものね。しかも、現地人からすれば、何処の政府機関にも属さない怪しい連中って感じ」

『正しくそれだろう。助けられなかったって言う罪悪感は仕方ないけど、災害に抵抗出来ずに死んでいく彼らを憐憫するのはそれはそれで間違いと言うこと。そして、生きようと足掻く人々を哀れむのは、カルデアに許された人道ではない。
 ……出来るのは、悲劇が起きた後の対処だけ。
 所長はさ、だから藤丸とマシュの好きな様に特異点を進めているんだろう?』

「いやね。もっと打算的です。あの二人の在り方って、凄くサーヴァント受けが良いのよ。守るべき無辜の人間でありながら、英雄にも負けない精神的な強かさがある。そう言う貴い意志が命を賭けて人助けしてると、英霊の魂はどうしようもなく響くの。
 現地の抑止力であるサーヴァントも、二人の言葉を疑うことそのものを、精神的負担に感じてしまう程にね」

『偽悪的だけど、悪辣でもある。所長は二人を心配しながらも、それをしっかり本心で言える所が人間的に面白いのだけど。
 でも人道を解する魔術師ってヤツは、逆に始末が負えないぜ』

「そうね。倫理観は大切よ。人間らしさの源だし、無ければ獣だもの。
 何よりも、そう分かっている顧問だってあの二人は―――好ましいと、思っているでしょう。もし二人が死ぬ場面になり、自分が命を賭せば助かるとなれば、そこで助けないと後で自分に後悔するって思えるくらいには」

『英霊のサーヴァントとして、思わずしてしまうことはあるだろうね。死者である故に、今を生きる人の為に戦うのも悪気分ではないさ』

「―――……そうなの?」

『そうなのさ!』



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啓蒙24:断頭台

 所長はカルデア一行を二班に分けた。モンリュソンに向かう所長班は所長をリーダーに、ジャンヌ、マリー、デオン、エリザベート。ティエールに向かう藤丸班は藤丸をリーダーに、マシュ、狼、エミヤ、清姫、アマデウス。

 急ぎながらも、隠密行動も忘れずに。だがやはり旅は旅である為、過酷で血塗られていようとも、彼らは彼ららしく歩むのみ。会話を重ね、生前や過去の記憶を語り合い、互いに有り触れた何でもない思い出を増やした。藤丸やマシュはアマデウスや清姫の人柄を知り、所長やジャンヌも英霊達と交流を深めつつあった。

 そして廃墟となったリヨンを出発した皆は各々の目的地に向かい、道中に敵から襲われる事もなく辿り着く事に成功していた。

 

「すまない……この様な姿で。俺はセイバー、ジークフリート」

 

 街の一軒家。その寝室に、目的である竜殺しの二人はいた。しかし、一人は満身創痍と呼べる姿となり、ベッドで寝たきりの状態になってしまっていた。

 

「改めて。私はライダー、真名はゲオルギウスです」

 

「どうも。お互い御元気とは言えませんが、私はカルデアで所長をしてますオルガマリー・アニムスフィアです。今後とも良しなに」

 

 さっと自然に出される手を、彼も同じく自然な態度で握り返す。

 

「はぁ、それはどうも。こちらこそ、オルガマリー」

 

 聖者ゲオルギウス。その通り名らしく、清廉潔白な聖人君子と言う気配。だがやはり嘗て人間であった英霊であり、人間らしさがない聖者だけの男でもないのは明らか。

 ―――竜殺し。

 救いを願われた聖者の奇跡。

 魔女に囚われ、旅をし、助けを乞われ、竜を退治し、拷問を受け、処刑された。

 ゲオルギウスと握手をしたオルガマリーは聖者の人生を啓蒙された。瞳は聖なる魂を覗き、この男が本物であることを確信させた。

 

「今はこの様で……な。腕一つ、満足に動かせない。すまないが、握手はまた今度にしてくれ」

 

「そう……じゃあ―――はい」

 

「すまない……む。貴女は、一体?」

 

 動けないジークフリートの右手を握り、所長の手に触れた彼は訝し気な表情を浮かべた。

 

「……ん? なにかしら?」

 

「サーヴァントではないようだが……いや、聞くのは失礼だったか?」

 

「別に、気になるなら何でも聞いて頂戴」

 

「そうか。では、すまないが――――人間か?」

 

 ジークフリートは虚言を吐かず、疑念をそのまま口に出した。サーヴァントではなく、あの騎士らみたいな人外の化け物でもなく、生前に倒してきた魔獣や魔物でもない。無論、竜種でもない。感じられる気配は人間でしかないが、血が濃過ぎた。

 彼が生前に浴びた竜血よりも得体が知れず、だが余りに神秘的な、オルガマリーから漂う狂おしい血臭。存在感としてそれを感知し、聞くのも野暮だったが聞けるならと遠慮なく彼は問い正した。

 

「―――……あー、まぁ人間よ。半端な混ざり者だけど」

 

 所長もまた、ジークフリートを瞬時に啓蒙した。彼が何を思って疑念を口にしているのかも理解し、それの最適解を虚言なく明かす事を選ぶ。命を預け合う信頼の前に、まずは信用を得るのが理想的な協力関係を得る為の秘訣だと思い、ファーストコンタクトで不信感が出るようにはしたくなかった。

 

「なるほど。混血だったか。ぶしつけとは思ったが、気になり口に出していた」

 

「良いわよ。そっちも真名を話してくれたんだもの、その位の個人情報は隠さないわ。でも取り敢えず、生まれながらの混血って訳じゃないわ。

 ……色々あってね、真っ当じゃないとだけ言っておきます。

 魔術師上がりの死徒って訳じゃないけど、まだ人間は止めてないとだけ告白しておきましょう」

 

「そうか。だが、俺も似たような者だ。貴女も俺と同じく、何かの血を得たように感じられてな。その違和感にらしくなく、親近感を覚えたのかもしれない」

 

「そう言う意味では、私も貴方に親近感を覚えるわ。血に溺れた訳じゃないけど、その血から意志を見出したから、今のこの私が存在しているのは確かだもの」

 

「……似た者同士ということか」

 

「そうね……―――まぁ、血で人を超える事は珍しくないけど」

 

「だが同じように、血で人を失う事も珍しくない。俺や貴女も、血を得たと同時に何かを失ったのだろう」

 

「……かもね。まぁ確かに、貴方が気になるのも無理はないかも。けれど、そう言う雑談はまた後にしましょうか」

 

「――――あぁ……そうだな。すまない。話し易い御仁だからか、つい自分の好奇心を抑えられなかった。呪われていると言うのに、俺は俺でまだまだ元気を保っているらしい」

 

 溜め息を吐くも、苦痛は和らがず。全身に走る黒い炎の線に見える呪詛は霊体に侵食し、ジークフリートと言う“存在”を現在進行で破壊しつつあった。

 

「ジークフリート。私が抑えているとは言え、喋るだけで辛いでしょう。まだ安静に」

 

「すまない。だが、客人を相手に笑み一つ浮かべないのではな」

 

「そう言うのは、今は良いですから」

 

「そうか……そうなのか?

 駄目だな、上手く頭が回らないらしい。会話は、後は貴方に任せたい」

 

「ええ、お任せを……では、話の続きを致しましょう」

 

 そして、自己紹介を全員がし終わった。マリー、デオン、エリザベート、そしてジャンヌの真名。そしてカルデアと言う組織と、この特異点における道中の主な出来事。また竜殺し二人がこの街に居る理由と、此処に辿り着くまでの大まかな経緯を教え合った。

 

「ではゲオルギウス。私と貴方であれば、ジークフリートの解呪が可能でしょう。しかし……この呪い、これではまるで憎悪そのもの。執念が形になったみたい。

 出来れば、どのような状況でこうなったのか聞いても?」

 

「ジャンヌ……それは、いえ―――良いでしょう」

 

 ゲオルギウスの脳裏に浮かぶのは―――殺戮、虐殺、処刑。魔女らによる極まったホロコーストと、それを防ぐ為に死力を尽くしながらも、命を使い切って死んでいく仲間たち。

 無念を残しながら、だが想いを仲間に託して殺されるサーヴァント。目を瞑れば、一人一人の顔が克明に思い浮かばれた。

 

「前提として、この特異点において竜殺しと呼ばれたサーヴァントは三人存在していました。ジークフリート、私ことゲオルギウス、そして……我らを救った侍、佐々木小次郎です」

 

 ワイバーンに乗る騎士団は、サーヴァントにとっても中々に厄介な存在。やり口も、ある意味で人間らしい悪辣さに溢れ、市民を人質にされて殺された者も多くいる。しかし、それでも尚、ジークフリーとゲオルギウスは竜血騎士団に対して無敵を誇り、更に加わった佐々木小次郎によって魔女陣営の戦力に大きな打撃を与える事に成功していた。

 

「無論、私と彼は生前に竜殺しを為した英霊であり、竜種にとって天敵となっています。しかし、あの小次郎は己が技量だけで、ワイバーンと騎士団を真っ向から斬り捨て、幾つもの街を守り抜きました。

 竜殺し……彼が、その技だけで呼ばれ始めるのもあっという間でしたから。そして、この特異点で生き残ったサーヴァントとして我らは同盟を結び、三人で魔女と攻防を繰り返しました。魔女側の方もワイバーンと騎士を一方的に狩る我ら三名を竜殺しと纏めて呼んで執拗に狙い、此方側の戦力の瓦解を企んでいました」

 

「けど、その佐々木小次郎は魔女側にいたって話でしたけど……でも、そう言うことなのね。彼があなたたちを守ったって?」

 

「はい、マリー。彼は、市民を守る私と、敵から接吻を受けて呪われたジークフリートを逃す為に囮となったのです。魔女のジャンヌ・ダルク、ファブニールの二体に加え、女騎士と長髪の巨人が襲来しましたが、小次郎は我ら二人の為に犠牲となり……そして、敵に洗脳されてしまいました」

 

 マリーの問いに彼は答え、経緯を説明した。

 

「んー……あれ。うん―――接吻?」

 

 だがしかし、聞く筈のない単語が耳に入り、所長は死んだ魚の瞳になって首を傾げてしまった。

 

「ええ、あれはまごうことなきディープキスでありました。こう、何と例えれば良いか……そうですね、ジークフリートの魂を吸い取るような禍々しい闇の力です」

 

「そうだ。俺はあの女に接吻を受けた……ック。油断はしていなかったが、奴に何もかもを吸い取られてしまった」

 

「結果、彼を更に魔女の黒い炎が襲い、呪いを相乗的に付与する事になりました。流石に、私ではここまで霊基に浸透した呪詛の解呪となれば、一人では厳しく、現状維持が限界だった訳です」

 

「ちょっと、貴方たちは何を言っているのかしら? アタシにも分かる様に言って下さる?」

 

 黙って聞いていたエリザベートだが、男二人で何を言っているのか混乱する。キスの呪いとなれば、おとぎ話の魔女が使うような呪いである。聞き間違いであって欲しかった。

 

「深い接吻の呪いです」

 

「…………あ、頭が、頭が痛くなってきた。ちょっとアタシ、座って休んでるわ」

 

「何時もの偏頭痛かしら、エリー?」

 

「そうね。そう思って良いわよ、マリー」

 

 所長は竜殺しの現状を理解。ゲオルギウスは万全。だがジークフリートは瀕死。同時に、戦力差を埋めるにはジークフリートの戦力が重要となり、そして邪竜攻略こそ魔女打倒には必須。よって特異点の修復において、この二人が仲間となることが必然的な運びとなる。

 ―――勝てる戦力は揃った。

 ジャンヌもまた、竜殺し復活のキーであった。

 しかし、やはり障害となるのはアッシュとあの戦神。あれを如何にかするのはカルデアの役目であり、邪竜と魔女はジークフリートとジャンヌに任せるのが有効だと脳に叡智が啓蒙された。

 

「……成る程ね―――」

 

 それとは別に、アン・ディールと名乗っていた女の所業に所長は困惑。何せ、キス。呪う方法など幾らでもあるだろうに、敢えて口と口の接吻。それもジークフリートと言う戦闘中に拘束するのにも一苦労な相手に、態々あのディープなヤツを選ぶと言う彼女の嗜好。

 

「―――あの女、誰彼構わずディープキスする奴だったってことね」

 

「…………」

 

 横でボソっと呟かれた所長の声を、ジャンヌは必死に聞かない振りをするしかなかった。聞き返すと多分面倒臭い事になると、優れた啓示が彼女に危険を回避するようサイレンを鳴らしているのだから。

 とのことで、会話は一旦終了。所長は高速思考にて、要点を纏める。

 第一に、竜殺しのサーヴァント二名を戦力追加。聖者ゲオルギウスと勇者ジークフリート。

 第二に、ジークフリートの呪い。アッシュからのディープキスと、魔女による呪詛の火傷。

 第三に、呪いの解呪。ゲオルギウスとジャンヌによって目途は立ち、数日で回復可能だと判断。

 第四に、ティエールにいる皆との合流。ジークフリートの病状を考え、敵との戦闘は極力回避。

 第五に、解呪する為のアジト。無防備になる三人を考え、安全に解呪出来る場所の確保が必須。

 困難はあるも、特異点修復に必要な作戦も立て易い現状となった。後は如何に万全な状態のままオルレアンとなったが、そう上手く運ばないのも目に見えている。

 

「まずは、あっちに連絡しません?

 それにジャンヌ、みんなもティエールに着いてるかも知れませんし……あら、オルガマリー。どうかしたの?」

 

「そうね……ちょっと、あの白ロン毛の情報が全く無いのが怖くて」

 

「オルガマリー。彼らと戦った時ですが、その者は戦神と味方から呼ばれていました。そのような異名を持つ英霊なのか、あるいは本当に戦神なのか、私では判断出来ませんでしたが」

 

「―――戦神……ねぇ?」

 

「それと……これは、根拠がないサーヴァントとしての共感性と言いましょうか。断言は出来ませんですし、所感ではありますが、あの者は恐らく竜殺しです」

 

「なるほど。けど、あの聖者ゲオルギウスの霊的直感なのだから、正解じゃなくてもあの男の霊体にそう言う属性があるのは確実でしょう。

 しかし、竜殺しの戦神となると……はぁ。今は、まだ止めましょう。

 思う限りの予測は立てておきますが、一方的な思い込みは危険な相手かも」

 

「それが賢明です。あの者は恐ろしい強者でした。強さと言う点では、我らと同じ英霊召喚されたサーヴァント級の霊格でありながら、そのあだ名通り神秘と技量だけで神霊と呼べる領域にいます。

 ジークフリートの血鎧を容易く貫く大槍と、その雷。

 そして、私の守護も力尽くで吹き飛ばす膂力と技巧。

 無論のこと、魔女や邪竜、そしてあの闇の騎士もまた此方の守りを当然のように突破して来ます」

 

「まぁ……アッシュと戦神はカルデアが如何にかしましょう」

 

「分かりました。作戦については、其方の方に従がった方が賢明らしいですから」

 

「ありがとうございます。協力的な方で、我々も良かったと思ってるわ」

 

「じゃあ一通り話も纏まったことですし、連絡しましょう!」

 

「うん。じゃロマニ、通信宜しく」

 

『了解しました、所長』

 

 数分もせず、通信は繋がった。どうやらまだ向こう側もティエールに到着したばかりなようで、街中で探索している最中らしい。しかし、目当ての竜殺しはモンリュソンにいるとロマニから聞き、ティエールに竜殺しはいないので探索は既に切り上げていた。何より竜殺し以外に潜伏しているサーヴァントの反応もなく、同行していた忍びの察知範囲にも、気配遮断で隠れているアサシンなどもいないと判断されていた。

 また情報も全員が統一された。戦力増強の目途と、決戦予定日に、これからカルデアがすべき準備と、作戦内容が直ぐ様に決まって行った。

 

「ああ、あの奥義暗黒吸魂接吻掌……」

 

「……オルガマリー所長が受けた、アッシュのあのなんか凄い口付けですか」

 

『うーむ、でも不可思議。竜の守りを持つジークフリートがそうなる程のキスをされて、まともな所長がボクは怖いんですけどね!』

 

「シミジミと感想ありがとう、三人共」

 

「何と―――オルガマリー・アニムスフィア。

 貴女はあの接吻を受け、人の身でまともなカタチで在ったのか?」

 

「良いリアクションね。でも、呪われているって言うのに表情豊か過ぎません?」

 

「……いや、すまない。少し、驚き過ぎた。先程の精神的衝撃で、霊基に罅が入ったかもしれん」

 

『駄目じゃないか!?』

 

「しかし、何故か仲間意識と言うか……親近感が湧いてしまうな」

 

「良くない兆候ね、ジークフリート。心が弱っている証拠よ。でも、私としてはタマを抜かれなかった貴方が不思議だわ」

 

「あぁ、そうだな―――色々と、俺も鍛えられていたからな」

 

 何かを思い出しながらも、シミジミと過去を振り返っているジークフリート。

 

「深くは聞かないわ。互いに墓穴を掘りそうだもの」

 

「その方が良い……」

 

「ん"っんー……では、まずは合流して戦力を整えます。

 私とゲオルギウスで呪われたジークフリートを解呪しますが、数日必要に――――」

 

「―――待った」

 

 通信越しにアマデウスが緊迫した表情で、場を仕切り直したジャンヌの言葉を遮る。何かを聞き分けるかのように、あるいは物音に気が付いた野生動物のように、鋭い気配が通信画面を通過して伝わって来る様子であった

 

「どうしましたか、アマデウス?」

 

「嫌な雑音がする。大きな羽で空気を叩く振動……―――ヤバイ。やばいやばい、これは確実だ。奴らが、こっちに来た。

 ……完璧に邪竜を連れてやがる。全員、魔力反応を限界まで抑えるんだ!」

 

 まだ街中にいるアマデウス達は、潜んでいる空家の中で気配を抑える事しか出来ない。この街を襲いに来た場合、接敵は避けられない状況になった。見殺しにして逃げるならまだカルデアは間に合うかもしれないが、この街はもう駄目だろう。確実に、住まう市民ごと火刑に処されてしまう。

 

「……あれ、去ったぞ?」

 

 しかし、焦ったアマデウスに反して邪竜らは街を焼かなかった。火の粉一つ漏らさず、そのまま素通りして行ってしまった。

 

『管制室も邪竜を確認。凄いスピードでティエール上空を通り過ぎて行った。人里に居る藤丸君達周辺の索敵範囲から何もせず、邪竜どもは飛んで行っただけみたいだけど……けど、何故?』

 

「さてね。また何処ぞの街を焼いた帰りで、まだ魔力も回復していないから此処を襲わなかっただけじゃないかな?」

 

 アマデウスは窓から竜の後ろ姿を確認し、マシュらも同じくドラゴンの群れを気配を殺しながら見送った。そんな様子を所長らは、通信画面から見守っていた。

 

「……―――あ。待って下さい。方角がオルレアンから外れてます。ドクター、まさか?」

 

『こちらでルートを割り出した……っ―――これは、オルレアンじゃない。

 所長達が居る街……モンリュソンだ』

 

「そんな……ドクター、それじゃあ?」

 

『所長、危険です。戦うにしても、ジークフリートは絶対に守らなければなりません』

 

「今回は闘えばこっちが全滅するかもね。アッシュと戦神がいなければ何とかなるけど、誰が竜に騎乗しているか確認は出来ていないもの」

 

『ええ。竜の魔力反応に紛らせ、サーヴァント反応は判別不可能です。しかし、意外な観測結果なのですが、竜血騎士団がワイバーンに乗っている反応はありませんでした』

 

「邪竜は、そもそも一撃で街を滅ぼす戦力だわ。殲滅だけなら騎士団は不要。護衛にワイバーンだけで良いって考えでしょう。そうしてる間に騎士団は騎士団で別運用し、フランスの焦土化をする方が有効な使い方です。だからこそ此方の裏を掻いて、群れにサーヴァントを隠している可能性もある。

 ……どちらにしろ、モンリュソンの街はもうダメね。逃がす以外に市民は助からないわ」

 

 虚偽は許されない。所長は、ただ事実だけを述べるのみ。

 

「そして、逃げるなら今の内。けれども、市民はほぼ追撃にあって死ぬ。むしろ、私たちは何かを囮にしなければ、戦えないジークフリートを連れて逃げる事は出来ない」

 

「……まさか、貴女は此処の住民を犠牲にすると?」

 

「残念だけど、そうなるしかないわね。私の正直な気持ちだけど、まずは部下と仲間を守る義務と責任があります。戦場において、それを率先して誰かの生贄にするつもりは一切ないわ」

 

「ならば……このゲオルギウス、最後まで彼らを守りましょう」

 

「死ぬわよ。貴方も住民も、何もかも。炎に包まれて」

 

「―――それでも、私は守らなければならない」

 

「そう……理屈じゃないのね」

 

「ええ。決めたことですから」

 

 ジークフリートは呪われているので、拒否権はないだろう。本心では守りたいと思うが如何にもならない。しかし、ゲオルギウスは守る。それが存在意義であり、信念でもあった。むしろ、その為に生きると決めた聖者であった。

 だが、ゲオルギウスは竜狩りに最適な英雄。

 ワイバーンと竜血騎士に対する殲滅力はジークフリートに負けるサーヴァントではない。

 

「はぁ……仕方ないわな。だったら、一番可能性が高い手段を取りましょう。私が、此処の住民を逃がすため―――」

 

「―――私が残ります。

 サーヴァント、マリー・アントワネットが彼らを守ります」

 

 だから、分かっていた事だ。選択を、最初から彼女は決めていた。

 

「マリー……ッ―――!」

 

「ちょっとマリー、貴女!?」

 

「マリー様、私も残りましょう」

 

「「デオン!」」

 

 驚くジャンヌとエリザべートであったが、デオンは最初からそうしようと考えていた。マリーが残ろうとしなくとも、自分は残ると決めていた。

 これは市民を守るだけの戦いではない。やはり敵が迫っているのならば、ジークフリートを安全地帯に逃がすまで、誰かが時間稼ぎをしないといけないのは明白だった。英霊として、世界を守れと呼ばれたサーヴァントとして、この瞬間にシュヴァリエ・デオンは死に場所に辿り付けた事を悟っていた。

 

「……まぁ、その話し合いは後で。まずは市民に避難勧告をしなければね。ゲオルギウス、大丈夫?」

 

「問題はありません。既にこの市長と我らは同盟関係にあります」

 

「なら、早目にそうしましょう。準備に時間も掛りましょうし」

 

「そうでしょう。では、私は早速行動に移させて頂きます」

 

 なにはともあれ、モンリュソン市民の避難はするべきだと所長は判断。ゲオルギウスの話からサーヴァントを知っている街の権力者を利用すれば、市民の避難自体は素早く行えると分かっていた。

 ……そして、通信はまだ継続中。

 マリーとデオンが囮となって死ぬ事を決められてしまい、それでも皆は騒がず所長の考えを待っていた。騒いだところで、何も変わらない事は良く分かっている。すべきことは、自分から動くこと。行動こそ命を紡ぐ最善であるのだと藤丸とマシュは理解していた。

 

「所長、俺たちは?」

 

「藤丸。私が敵なら、そろそろそっちにちょっかい出すわ。勿論、何かしらの手段で貴方たちの居場所を把握していればね。

 ……だから、気を付けなさい。

 一秒後に自分へ迫る死から目を逸らさず、戦いの中でもマシュと仲間を変わらず信じなさい」

 

「でしたら―――!?」

 

「ええ、マシュ。まずは合流しないといけません……―――隻狼、多分来るわ。

 そっちだと貴方が殿よ、二人は死んでも守り抜きなさい。一人欠ければ、私のカルデアが終わりなのだからね」

 

「―――……御意。主殿」

 

「私もいるのだがね?」

 

「知ってるわよ。エミヤ、貴方の役割は攻防自在の遊撃兵よ。好きな様に敵を仕留めなさい」

 

「理解した。期待していたまえ」

 

「勿論」

 

 目的は定まった。ジークフリートを連れたモンリュソン脱出組と、ティエールから出発した皆との合流。そして、マリーとデオンによる邪竜たちの足止めだ。

 

「―――俺も、助けに行きます!」

 

「貴方は……っ―――けど……いえ、良いわ。確かに、合流する時間は早い方が安全ね。私たちも急いでそっちに向かいましょう。

 隻狼とエミヤがいれば、確かに……逃げるだけなら邪竜共が居ても戦力は十分だもの」

 

「はい!」

 

 その返事を虚しく思う。戦いが始まれば、一時間も持たないだろう。残れば必ず二人は死ぬ。それでも所長は藤丸の決意を否定せず、蔑ろにしなかった。

 希望は潰えるだけ。だからこそ、彼の願いを受け入れた上で、計画を一切変える気はなかった。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 森より、二名の魔物が現れた。黒コートの青年と、群青の着物と来た男。抜き身の刃を手に持ち、最初から殺意を隠さず行進する。

 

「マリーィィィイイイイイイイ!!」

 

「―――……マリー様」

 

「そうね、デオン。あれって、彼よね?」

 

「サンソン。ムッシュ・ド・パリ、シャルル=アンリ・サンソンで間違いないかと。姿は、ですが」

 

「はっはっはっはっは!

 まさか、まさか君がこんな薄汚いフランスのために人間共の断末魔から召喚され、挙げ句戦っているなんて………あぁ、まさかまさかの運命だ!」

 

「あなた、本当にあのサンソンなのかしら?」

 

「なに言うんだい。確かに、今のボクは肉体的全盛期の姿で召喚された若い頃の処刑人だ。分からないのも無理はないだろう……だがしかし、だ。見てくれ、最高の状態を保つ肉体と、幾千もの首を落とした腕前と、そして処刑者として完成された死の精神。

 何よりも、闇から人間共の死を望む彼らの絶叫!」

 

 処刑剣を振い、また振い、血肉で錆び付いた穢れを振い落すように地面へと突き刺した。

 

「君もどうせ……そうなるんだよ。気持ちよく人を殺し、そして気持ちよく人を殺して上げねば、フランスを処刑する我らサンソン家の汚れとなる!」

 

「良き怨念だな、サンソン。さぞ鬱憤が溜まっていると見える。しかしなぁ……」

 

 隣に立つ侍がサンソンと同じく、その二本の頸だけを愛でるように美しい姿をした彼女らを胡乱気な瞳で観察する。

 

「……ゲオルギウスとジークフリートはおらんか。全く、残念だ。せめて戦友だった私が、二人の首を切り落としたかったのだがな。

 しかしな、まこと哀れな奴等よ。

 このような可憐なる少女を生け贄に捧げ、愚かしくも自らだけは生き延びたいか。英雄に相応しき勇者と聖人だと思っていたが、ここまで浅ましいとは思わなんだ」

 

「貴様は、佐々木小次郎……―――?」

 

「私の名を知るか。ならば重畳―――では、斬るぞ」

 

 無音にて、無風。一歩進み、侍は既に眼前。物干し竿を振い、マリーの頸だけを狙う一閃必殺。

 

「マリー様、この男は私が!」

 

「任せたわ、デオン!」

 

 敵の斬撃を受け流し、だが刹那の間もなく次の一閃。デオンに何かをさせない斬撃連鎖であり、首狙い故に対処せねば死ぬ。それを受けた直後、またもや一刀が振われた。もはや騎士は受けるしかなく、何よりサーヴァントで在る事を考えても、剣聖の神業を超え、剣鬼の魔技も引き寄せない剣神の境地。

 数多の剣士と渡り合ったデオンからして、その技巧は涙が出る程の修練の極点を魅せられる。スパイの全盛期として召喚された騎士の自分では到達出来ず、老齢まで剣術を鍛えた剣士のデオンでなければ対抗は不可能と確信出来る剣の業だった。

 

「さぁ、マリー。僕からの斬首(口付け)を―――受け取ってくれ」

 

「――――!」

 

 その剣技もまた人間で在る事を極めた処刑の業だった。幾人殺せば、このような精神性を得られるのか。それを思えば、余りに血塗られ、何処までも死を尊ぶ終わりであった。

 正確無比な首狙い。マリーは身に感じる壮絶な危機感によって何とか避けるも、一瞬で軌道修正した剣戟で腹を裂かれた。服が切れ、皮が斬れ、膏も断たれ、内臓に達する刃の痛み。

 

「あぁ……ッ!!」

 

「全く、いけないな。抵抗はして欲しくない。君を、無駄に苦しめてしまうだろう?」

 

 即座、一閃。またも頸を狙うもマリーは結晶の盾を出し、歌声で応援するもサンソンはそれらを容易く斬り捨てる。しかし、彼女は咄嗟に屈み、大きな丸い帽子を吹き飛ばされながらも距離を取る。

 

「処刑にならないじゃないか、マリー。またあの一振りを君に捧げたいと言うのに!」

 

「あなた、随分と錆び付きましたね。あの高貴な処刑人の刃が……―――」

 

「―――それが、どうした!?

 如何でも良いのさ、もう如何でもそんなことは。僕は、君にまたあの快楽を味わって欲しいだけ。そして、処刑にもならない更なる人殺しの刃で以って、我が斬首の技は邪な正義と成り果てた。

 ならば、それならば―――獣の剣で在るならば、君もまた違う快楽を、得られるだろう?」

 

「サンソン、そこまで何があなたを落したって言うの!?」

 

「落ちたんじゃない。僕は、嘗ての死を超越しただけだ!」

 

 マリーは悟った。もはや、あのサンソンに言葉は届かない。あるいは、何か響くかと思ったが、もう彼は終わっている。後悔もなく、未練もなく、信仰も捨て、人の首だけを渇望している。

 ただ単純な話、今のあの男にとって王妃は特別な人物ではない。その首が、別格に美しいだけ。

 

「―――貴様……!」

 

「その様で、果たして何が出来ようか。見よ、お前の王妃はもう死ぬ」

 

 戦いの最中、無駄口など好かなかった筈。しかし、相手の精神を追い詰める台詞を吐くのを止められない。ここまで堕落した自分自身に落胆しながらも、侍は生前では有り得なかった殺し合いそのものを止められない。

 しかし、長く愉しむ気も無かった。

 主導権は既に侍の手の内。相手の剣戟を弾き逸らし、体勢を一気に崩す。だが、同じ様に首を狙えばまだ間に合う程度の隙。しからば、もうどうしようもない極致にて相手をする。

 

「秘剣―――」

 

百合の花散る剣の(フルール・ド)―――」

 

「―――燕返し」

 

 その壮絶な死に宝具を解放して対応しようとしたが―――無駄。

 同時に迫る三つ重の刃が騎士を斬った。上から来る斬撃は受け止められてしまったが、他の二閃は騎士の柔らかな肉体にあっさりと入り込む。そして、一気に斬り抜かれた。

 

「……ぁ」

 

「終いとなったな、可憐な剣士」

 

 両足が斜めに斬り落とされ、肩から内臓まで中途半端に裂かれた胴体。もうや立つことも出来なくなったデオンは地面へとうつ伏せになった倒れ込み、敵に背中を見せてしまった。

 長刀にて、一刺し。霊核となる心臓を掠るように、刃を背から突き刺した。

 殺しはしなかったが、もう絶対に助からない止めである。侍は、まるで敗北者を地へと磔とするような蛮行を無表情のまま行った。

 

「―――デオン!?」

 

「―――死は明日への希望なり(ラモール・エスポワール)ッ……!!」

 

 その動揺を処刑人は見逃さない。開いた断頭台(ギロチン)の門から伸びる黒腕。捕えた者を処刑の首枷に嵌め、落ちる刃の意志でもあった。死ぬべき運命からは逃れられぬと、死の手がマリーへと伸びて行く。

 

「……ック―――」

 

 しかし、彼女は騎乗兵(ライダー)だ。クリスタルの騎馬を出し、咄嗟にそれに乗ることで回避。巧みな操縦技術で避け切り、サンソンへと迫った直後―――空間を引っ掻くような不協和音。

 

「―――あ……」

 

「ごめんなさい、王妃様。御邪魔するわね」

 

 黒竜の瞳が、一瞬だけマリーの動きを止めていた。魔女は静かに、何もせず、彼女ら二人が殺されて行く姿を優しい瞳で見守っていた。

 竜の魔女は、ただただ人が死ぬ場面が見たいだけだった。

 英霊として記憶されたこの特異点より未来の逸話。あの広場にて処刑された王妃の終わり。これ以上の悲劇はないと、魔女は静かに暗い笑みを浮かべている。

 

「マリー様ぁぁああ!!」

 

 小次郎に斬られ、うつ伏せのまま地面に倒れ、背中から日本刀で串刺しにされたデオン。それでも騎士は血の泡を吹きながらも叫び声を上げ、生前に見送れなかった王妃の最期を今度は見る事になる。助けたいと必死に手を伸ばし、しかし侍の刀がデオンを地面に縫い止める。

 ―――刃が王妃の首に堕ちる。

 ゆっくりと流れる時間。全員が同じ体感時間となりその最期の刹那、斜めに傾いたギロチンの刃がマリーの頸に入り込み、そのまま進む。血染めの処刑刃は止まることなく落下し、ダンと鈍い音を上げた。そして、王妃の首も同時に地面へと落ちて逝った。

 

―――――――――(クリスタル・パレス)……」

 

 音にならない声を出し―――口だけを、マリーはそれでも動かした。頭部と胴体の両方から血を大量に吹き溢し、だがしかし諦めなかった。ギロチンで首を斬り落とされながら、彼女はまだ意識が残る頭部だけで魔力を解放。声にはならずとも真名は唱えられ、宝具は展開された。何ら問題もなく王妃が願う宝具が街を覆い尽くし、邪竜と魔女が通れぬ城塞が作り上げられた。

 マリー・アントワネットは知っていた―――首だけになる、その瞬間。

 人は、直ぐには死ねない。脳が胴体から切り離されようともまだ命だけが残り、痛みの中で死ぬまで意識は覚醒し続ける。思い出すのは、首を斬られた時に上がった民衆の歓声だった。それがマリーが死の間際に聞いた本当の、自分の処刑を喜び笑うフランスと言う国家の唄声だった。

 

「……なぜ。なぜ、なぜ、何故何故何故何故何故何故!!!

 あの時と同じで首を落した筈……そうした筈。ギロチンで、貴女の愛した男と同じように殺した筈。だから、君は君の死を喜ぶ塵共の唄を聞いた筈だ、なのにぃ……!?」

 

 そうしたように、処刑した時と同じように、サンソンは王妃の斬り落とした頸を手に持とうとした。宝具の処刑台から落ちたマリーの頭部に掛け寄り―――そして、光となって彼女は消えた。肉体を構成する魔力さえも全て使い切り、マリー・アントワネットは死んだのだ。

 処刑されようとも、その意志だけで―――民を守りながら。

 

「あ、あ………ぁ―――あ。あぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 その意味を、サンソンは分かっていた。他のサーヴァントと同様にバーサークの呪いを受けた上で、ヒューマニティに汚染されても、彼は徹底した処刑人。殺戮で刃が錆び付こうとも、如何に違うと足掻こうとも、二千を超える人命を断ったフランスの処刑者だ。

 故に、彼は理解出来た。

 首を斬り落とされようとも意識を保ち、その意志だけで誰かを守ろうとする王妃の心。

 取り返しのつかない事をした。取り戻しようも無い人をその手で殺した。生前も、そして現在もまた、シャルル=アンリ・サンソンは何も変わらず殺すことしか出来なかった。

 挙げ句の果て、今回は処刑ではなく―――殺害。

 生前の信念は血で汚れ、処刑人としての自尊さえも闇に堕ち、もはやただの人殺しに成り果てた。

 

「違う、違う違う。僕は……私は―――違う!!

 上手くなったんだよ、もっと巧く頸を落せる処刑人になったんだよ。何故、貴女を蔑ろにした薄汚い国なんて者に、最後の断末魔さえも捧げる事が出来るんだ!?」

 

「壊れたか、サンソン。だがマリー・アントワネット、あっぱれな最期と言えよう」

 

 斬られ伏したデオンのその霊核である心臓を刺し、小次郎はまるで昆虫の標本のように地面に刃で以って縫い止めていた。しかし、それでもまたデオンは生きており、その心臓も傷を付けられただけで、態と完全に破壊されている訳ではなかった。

 だから、絶望と共に希望もまた見えてしまった。

 敬愛する少女の死に様と、そんな彼女が最後まで何一つ諦めず生き抜いた在り方こそ、デオンが守るべき白百合に他ならなかった。

 

「………貴様らは、何故そこまで人を……―――恨む?」

 

「声が、聞こえいる。どうしようもない、亡者共の呪いの声。あの者の中で蠢く闇の渦から、我らに与えられた人間性にな」

 

「そうか……哀れな奴だ。呪われて老いたあの私も結局は……けど、もう良い。終わったことさ。騎士として殉じ、けれども王妃は守れなかった。

 ―――殺せ」

 

「―――承知」

 

 心臓から抜き取った刃を即座に振い、倒れ伏す騎士の頸を撥ねた。騎士も王妃と同じく、首を流しながら意識を失い、そのまま絶命した。サーヴァントの死体は物質として残らず、魔力の光る霧となって消えてしまった。

 処刑人と同じだった。侍もまた、戦いの果てに処刑の刃を振っただけだった。

 シュヴァリエ・デオンは素晴しき剣士であったのにも関わらず、彼は戦いに心踊らず、一人の侍として果たし合いを臨む願望が虚しく思えた。喜びは、人を殺して悪を為した時のみ。死闘に勝ったと言うのに怏々しく佐々木小次郎と名乗りを上げる気にもならず、文字通りの無念の精神で刃の血を振り払い、そのまま無表情で鞘へと納刀するだけ。

 

「御苦労様、お侍さん」

 

「下らぬ労いだな、魔女」

 

「ええ、私自身そう思うわ。でも、ほらね……貴方は命令を全うしたわ。本当に、良く()った」

 

 そんな小次郎に背後から声を掛けた黒い魔女に、素気ない返事をする。彼女に対し、侍は何ら特別な感情を抱いていない。憎悪もなければ嫌悪もなく、彼からすれば自分や他のサーヴァントと同じ傀儡人形に過ぎない少女でしかなく、竜の魔女の内側に潜む闇こそ斬りたいが―――無駄だった。

 死が無い故に―――不死。

 死の概念が無い魂の暗黒。

 修行を積み重ねた明鏡止水の果てにて無を見切り、秘剣に辿り着いた求道者は、自分に切れないその命こそ斬るべき敵なのだと理解していた。今はまだ斬ったところで魔女が死ぬのみであり、あの闇は本来の暗黒に戻るだけでしかないのだろう。

 

「我らが行うこの万事……だたただ、在るが儘に。

 私の復讐も、貴方達の願望も、こうして何ら障害もなく果たされているわ。それを楽しむ精神も、嬉しく思う感情も欠け砕けてはいますがね。故に命令には殉じて頂きますが……好きに苦しみ、自由に悶えなさい。

 残念だけど……それしかもう、貴方たちの魂は許されないのだから」

 

「―――ふ。否定はせぬよ、否定は……な」

 

 小次郎は、もう如何でも良かった。確かに召喚されたばかりの時、人を襲う騎士とワイバーンを斬り殺し、自分と同じ抑止側のサーヴァントを何人も助けた。救った市民や住民から、竜殺しの剣士と唄われた。人を救う英雄であると感謝された。子供を救ってくれてありがとう、家族を救ってくれてありがとう、と世界を救う戦で名を上げられた。

 この時、無名の亡霊はもう救われたのだ。

 一生分の名誉を得た。感謝も受けた。我こそが佐々木小次郎だと、自尊を持って名乗り上げられた。願望はもう終わっていた。

 そう、ひどく満足したのが悪かったのだろうか。戦友を助け、魔女に捕えられ、最もこの世で人間らしい悪性の受け皿と成り果てた。

 

「侍……貴方には、特別期待しているわ。もし、もしね、あの女と戦神に勝てる人間がこの世に居るのだとすれば、それは多分貴方みたいに一心を貫けるヤツだろうから」

 

「期待に沿うつもりはない。私は、この悪意を形にする傀儡で満足だ。所詮、私も今の私のまま終われば良い」

 

「良かったわ。それなら、それで良いのです。竜殺しとこの特異点で望まれた、ただの人間に過ぎない貴方が、それでも憎悪を受け入れてくれるなら多分、悪い最期にはならないことだもの」

 

「ならば―――命じると良い。

 竜の魔女、ジャンヌ・ダルク。我ら傀儡、次はどんな命を斬れば良いのか?」

 

「そうですねぇ……」

 

 狂い果てる霊基のまま自分自身を嗤う処刑人へと、彼女はまるで聖女のように微笑みを向けた。そして、空を飛ぶ邪竜に思念で以って命じる。

 殺せ―――壊せ、その目映い城壁を粉砕しろ、と。

 殺し合う人間共をずっと見ていただけの竜は噴火のような咆哮を上げ、禍々しい黒い火球を撃ち放つ。

 

「……誰でも良いです。

 このフランスが苦しむのなら、もう誰でも。けれど派手に、惨たらしく殺しなさい」

 

「承った、魔女よ」

 

 邪竜の息吹によって、砕け散る城塞。燃え枯れる大地。空に舞う結晶が、キラキラとこの場に居る三人に降り注いだ。

 愛された偶像の王妃、マリー・アントワネット。

 彼女の祈りは炎で壊されたが、それでも願いは届けられた。背後にあった街は無人となり、竜の火は誰一人として殺すことは出来なかった。

 

〝綺麗ね、本当に。これを燃やし尽くすのは、少しだけ……――――”

 

 ジャンヌの広げた掌にクリスタルの欠片が落ち、砕け、魔力となって消滅する。キラキラ光る王妃の最期は美しく、魔女は彼女が最後に唄った歌を聞いてしまった。人の意志を知った。しかし、それも直ぐに呪いの声で塗り潰された。僅かに許される人間らしさも一瞬だけ。悪の受け皿になった人間性が、人の善性など決して許さない。

 魔女は王妃の唄で―――人となり、人を知り、人を失った。

 復讐心を和らいだことを心地よく思う自分を知って、しかし甦った憎悪が人を殺す度に生まれる傷を癒してくれる。数秒もせず、復讐心が何も無い魔女の心を満たしていった。

 

〝―――でも、もう価値はない。

 人の心、人間の正しさね。呼ばれた時に私は人を失っていたけど……今は何も、復讐には響かない”

 

 輝きは、また沈む。闇から聞こえる呪いの声が絶える時は近くとも、今はそれを子守唄として微睡めば良い。魔女は怨念に安心し、絶望を揺り籠にし、聖女は復讐鬼に堕落してしまった。

 今更どう思おうが、人の街は焼き尽くされた。

 何より、街から逃げた住民はまだ生きている。

 誰かが守り抜いた人々など、既にもう幾度となく燃やし殺した。例え、この綺麗な終わりを見せてくれた王妃が守った民であろうとも、魔女は変わらず応報を果たすのみ。静かに従僕へと指示を出し、けれどもまだこの綺麗な終わりの光景を見ていたかった。

 



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啓蒙25:浮かぶ混沌

 ゲームが濃密でしたね。オリュンポスを走りながらラクーンシティでサバイバルしつつ、ミッドガルで興味ないねと決め台詞。そんな日々でした。
 それはそうとアノール・ロンドと小ロンドとロンドール。英語だと小ロンドの小はニューですので、ロンドのLondoがどう言う意味かで色々と考え方が変わりますよね。個人的にはロンドと呼ばれる場所があって、そこからアノールとニューが付く都市が出来たと考えると面白そうですよね。やっぱり怪しいのは、指輪物語に出て来そうなでかい塔だった最初の火の炉をロンドと名付けていたとか。そこにアノールを付けて神都アノール・ロンド、大王が人間に王のソウルを与えて神側に作り変えた公王の国をニューロンド、世界蛇が神を生み出した火を奪還した亡者を王とする国がロンドールなんですよね。
 そう考えると、ロンドは火に関連する造語なんかなぁと言う雰囲気。
 でも、やっぱり指輪物語っぽいですよね。でかい塔の灯火から世界の時代が始まるとか似てるので、ある意味で王道なファンタジー要素も含まれてると考えれば、指輪物語が参考にしてる神話とかからも詳しくないとフロム脳出来ないのが面白くはあります。



「皆、急ごう!」

 

「先輩……―――でも、いえ。私たちが諦める訳にはいきません!」

 

 街中の空き家で待機していたが、事態は急な運びとなった。藤丸は準備を整え、マシュはもうある程度は所長の態度で察してはいたが、諦めない彼の姿を見ることで奮起する。

 絶対に―――間に合わない。

 その確信を聡明に過ぎる知性で得たとしても、憶測について何も言わなかった。彼女はサーヴァントとしてある意味、その精神性は完成された人間であった。

 

「無駄だよ。間に合わない。囮としての戦力が足りないからデオンも残っていたけど、あの二人ではもう助からないだろうね。

 そんなことより、もっと慎重に動くべきだ。

 町中に奴等の斥候がいても不思議じゃないんだぜ?」

 

「―――アマデウス」

 

「おっと。穏やかじやないね、清姫?」

 

 炎に狂う扇子を畳み、一切迷わず彼女はアマデウスの首元に向ける。清姫の激情が焔となり、次の瞬間に彼の頭部が火達磨になっても何ら可笑しくない状況。

 

「貴方はマリーに恋をしたと言いました。そこに嘘はなく、なのに先ほどの発言にも嘘はありません。しかしこの場面であの発言はすれば、不信にしかならないことは貴方ならば重々承知の筈。

 真意を語りなさい―――アマデウス。

 でなければマリーと、そしてデオンの友として躊躇いなく焼き殺します」

 

「―――おいおい、急いでいるんだ。狼とエミヤ。君らもこんな問答をしてる暇があるって思ってるのか?」

 

 既に万全な状態となっている二人に彼は問う。急いでいるのもあるが、余り言うべき事ではないとも思っていた。

 

「お主が語りたいならば……それもまた、必要なことであろう」

 

「私は構わないぞ。急ぐがな。どちらにせよ、目的は変わらない」

 

「意外だな。ここで無駄話かい?」

 

「そうだな。だが、此処から向かうにはマスターに馬がいる。ここでの少々の会話では、全くタイムロスにはならんだろう。加え、私が一人で用意した方が早い故、皆はまだこの空家で準備を整えておくと良い」

 

「すまぬ。エミヤ殿、俺は残ろう……」

 

「ああ、狼。番を宜しく頼む」

 

 そう言ったエミヤは颯爽と立ち去り、忍びは目を瞑って周囲を警戒。この空家だけではなく、周辺一帯を全て知覚下に置き、気配遮断をしたアサシンのサーヴァントだろうとその意識を彼は容易く察知する事が出来るだろう。

 

「あの男、キザですね。しかし、まずはアマデウス……理由次第では今直ぐ燃やします。好きではないのですか、マリーのこと?」

 

「彼女に対する情熱はもうない。僕にとって特別な分岐(・・)ではあったけどね……」

 

 生まれた時から囁く魔の呼び声。切り捨てたのは、果たして何時だったか。音楽に対する情熱と渇望があの使命を上回ったのは、何が原因だったのか?

 正しくあの瞬間こそ―――アマデウスの人生が進む分岐点だった。

 

「……マリアが現界して、最初に会ったサーヴァントが僕だった。その時、この聖杯戦争が歪んでいることを、少しだけ喜んでいた」

 

 その表情は穏やかだった。マリーの死を理解した上で、それを尊重する者の貌だった。

 

「自分が殺し合い……願いを叶える為ではなく、人を守る命として呼ばれた事に。今度こそ間違えず、大切な人々と大切な国を守る為に、正しい事を正しく行うのだと。

 そう……―――マリアは、誓ったんだ」

 

「生前の死とは……違うと言うこと、ですか?」

 

「さてね。例え同じものだとしても、マリアは同じ選択をするんじゃないかな?」

 

 そんな男の言葉を聞き、恋に燃える女は炎の扇をパタンと閉じた。

 

「悲しいですわね。恋ではないなんて」

 

「そんなことはないさ。愛ではあるからね……」

 

 会話は一旦止まり、しかしまだ話すべき事はあるのだろう。僅かばかり彼の独白も続くも、だがその時、まるで見計らったようにエミヤから念話での連絡があった。念の為この街に訪れる前に、彼らは道中で飼い主を失った騎馬を拾っていた。マスターや自分達が魔力を消費せず、敵の魔力探査に引っ掛からないようにする策であった。

 その彼が、馬宿に預けておいた騎馬二匹をもう引き受けた。後は中間地点に行き、そこで合流すれば良いだけ。だが、それでもマスターである藤丸は無力。騎馬一匹満足に操れず、馬で急ごうにもマシュがいないと振り落とされるだけだろう。

 

「……早く行こう。マシュがいないと、馬も俺は乗れないからね」

 

「先輩……」

 

 だが、マシュも自分に憑依したサーヴァントのスキルによる恩恵。野獣レベルの乗り物は乗りこなせないが、訓練された騎馬ならば達人並の腕前を持つ。そして、だからこそ藤丸はマシュがいなければ離れた敵地に急ぐこともまだ出来ない。

 

「あ、ごめん。弱気なった……さ、急ごう!」

 

「はい!」

 

 空家を出た五人。藤丸の走るペースに合わせ、四人のサーヴァントが彼を守る様に付いて行く。街の通りは戦時中とは言え、まだまだ人通りは多く、走り難いがそれでも五人が駆け抜けるスペースはある。通り抜ける度に、藤丸やマシュは気になってしまう。

 暗い顔、希望のない顔。死を体験して生き延びたが、大切な何かを失った人の顔。

 避けられない現実を突き付けられる。自分達が街にいることで、この通りの人々がドラゴンによって焼き殺されていたかもしれない。あるいは、竜血騎士共によって面白半分に虐殺されていたかもしれない。それとも、精神を狂わされたサーヴァントによって殺戮の地に街が変わっていたかもしれない。

 

「……っ―――」

 

 藤丸にとって、それは傲慢なのだろう。レイシフト可能なマスターである事以外、彼に特別な能力はない。この現実を前に、何か出来る機能を有していない。親が死んだ子供、子供が死んだ親、伴侶が欠けた夫婦の片割れ、家族が死んだ誰かに、何をする事も出来ず、する事が許される状況ではなかった。

 自然と、そんな誰かが視界に入った。例えばそう、壁に背中を預け、へたり込み、生きる気力が全く無い老婆。もう立つ事も出来ないのではないかと思える程に存在感がなく、他の街の住民もそんな彼女を当たり前な状況でしかないと無視して歩く。

 だから藤丸は、全く以って理解出来なかった。

 それは本当に、前兆さえもなく―――唐突だった。

 

「―――――」

 

 生気を亡くした―――老婆の顔面。

 ニタリと言う擬音が相応しい邪悪にほくそ笑む暗く貌。ふとした瞬間に気になって視界に入っていたあの老人が、何故か藤丸の前に現れていた。直後、透明化したサーベルが無拍子のまま突き放たれている。

 キィン、と甲高い音が鳴った。

 ダァン、と鈍い銃声が轟いた。

 暗殺でありながらも、正面からの―――奇襲。

 しかし、藤丸には死ぬ事を直前で察知されながらも、藤丸を守る全ての者の死角を突いた致命の一撃であった。

 

「何じゃあ、見抜いておったか……」

 

「……―――」

 

 しかし忍びは何ら澱むことなく、藤丸を襲った凶刃を弾き逸らす。そして、その老婆の左手に握られた短銃から撃たれた弾丸も更に弾き防いだ。恐ろしいのは、この男にとって何ら特別でもない攻防に過ぎないと言うこと。藤丸と、他三人を守るように忍びは老婆の前に立っていた。

 

「透明な……―――剣の刃!?」

 

「防がれるかよ。とっておきだったんじゃがなぁ……だが、そこな娘。アタシとしても、スパイのドッキリに驚いてくれて有り難い」

 

「貴女は、シュヴァリエ・デオン!」

 

「おうとも。じゃが隙を晒さずに構え、短絡的にアタシに襲い掛からないとは見事な精神力」

 

 透明化させたサーベルをクルリと手首で回し、同時に短銃を振って銃口から出る煙を掻き消す。一秒後、グニャリと言う擬音が似合う変貌が始まった。デオンは無音無言のままであったが、肉と骨が潰れて削れる音が聞こえるように顔面の変装が解除されてしまった。

 その顔は―――老婆のまま。

 生気が枯れた死ぬ寸前の亡者の様でいて、しかし爛々とした殺意だけが瞳を輝かせていた。それは凄まじい殺気であり、藤丸は見られただけで口から泡を吹いて意識を失いそうであった。カルデアにおいて、所長特製地獄のVR訓練がなければ、敵の前に立つだけのその精神力を得ることは出来なかったことだろう。

 

「うわぁああああああああああああああ!!!」

 

「敵よ、魔女の尖兵よ!!」

 

「助けて、誰か早く兵士をぉ!!」

 

「誰か早く何とかしろぉおおお!!」

 

 故に、周囲の住民がその殺気に耐えられる訳がない。近場では余波だけで気を失った者もおり、遠くの者も容易く発狂してパニック状態を生み出していた。ヒステリックな叫びを放つのも当然であり、自分が今は何をするべきなのかも見失わせる混乱を、心の所作だけで老デオンはあっさりと作り上げてしまった。

 剣士が放つ重厚な―――殺気。

 それは、それだけで人間の心を狂わせる剣術である。処刑台に立たされる恐怖さえ超え、眉間に銃口を突き付けられる危機感を凌ぎ、もはや恐怖の虜になってしまう。

 

「カカカカ、愛い愛い。憂いる程に愛い奴らよ。

 アタシの一睨みでこの様じゃ……ふふ。実際に斬り殺される直前の、奴らの悲哀ともなれば、まこと剣士冥利に尽きる達成感よ」

 

 血生臭い殺気が街の一角を覆い始める。老デオンは更に殺気を練り込み、相手に剣を振わず気殺する剣聖の気配を醸し出す。

 刹那―――背後の木箱に化けていた灰の奇襲。振われるは、残り火の双剣。

 同時―――市民にと変化した騎士が放つ斬撃。振われるは、無毀なる湖光(アロンダイト)

 もはや何も出来る事も無い。老デオンは足止めの囮であり、その殺気が敵の暗殺を見事にカモフラージュし、カルデアの攻撃予見システムであるシヴァの敵性反応さえ欺く隠蔽行動。老いた騎士と対峙するカルデア陣営の背後と、その側面から来る宝具クラスの奇襲剣技。

 巨大な火の斬撃と、刃となった湖の煌きが迫り来る。

 だが―――狼は全てを忍びの目で全てを見抜いていた。素晴しい観察眼だが、敵対する者からすればおぞましい眼力だ。礼装によって互いに念話による隠蔽会話を可能にしていた彼らは、その警告を忍びから聞かされていた。無論、既にエミヤにも即座に奇襲の連絡が行われている。

 交差する戦局―――瞬時、縮地と似た忍びの一歩で狼は消えた。

 灰の火刃を防げるのは自分だけと判断し、しかしそうすれば老デオンが自由となる。よって動き出す老婆を前に清姫とアマデウスが出た。火炎と音撃を前方へと壁を作るように出し、容易に超えられない障害を作り出す。

 

「―――ぬぅ……!」

 

 殺し過ぎた忍びは、怨嗟の炎を身に宿す。それは狼も同様であり、忍びは炎を纏い斬る。迫り来る灰の残り火を楔丸で切り裂き、その上で炎を刃で絡め取った。巨大過ぎる双剣を重ね合わせ、その二重の刃が放つ火炎斬撃は、あっさりと刃に吸い込まれてしまっていた。

 ―――素晴しい。

 声を出さすに無言で灰は感嘆。そしてその業を欲し、限り無く零に圧縮された体感時間の中、ゆったりと舐め取るように盗み見た。原理を一目で悟り、炎以外にも奴は力を纏わせる事も理解した。

 

「Aaaa■◆◆◆■AAaaaaaaaaaaa!!!」

 

「はぁ――――!!」

 

 同じ時、危機はもう一つ。黒騎士によるアロンダイトの一閃。マシュは大盾を構え、受け止め、弾き逸らした。生きた人間である彼女は学習した技術を自分の業に変え、その上で我流盾術として習得可能。観察した盾を使う灰やデーモンスレイヤーの体術は、マシュにとって金貨を幾ら重ねても得難き技巧。

 隙を晒すは――狂った黒騎士。

 だが敵の技量を、何故かマシュは悟るように把握出来てしまった。マナの剣(ゲッコウ)を展開して一振りすれば、あの騎士に対処されると未来を予測。仕留めるなら、即座に穿つ一工程でないと確実ではない。ならば、それこそ殺すべく選んだ手段は容易い。

 マシュは十字盾による弾きと同じく、魔力砲門(カラサワ)に義手を変形―――瞬間、発射。

 

「◆◆◆■AAaaaaaaaaaaa!!」

 

 しかし、黒騎士とて修羅の一柱。マシュの動きからどんな脅威が迫るか心で認識し、自分にエーテル弾が当たるまでの時間稼ぎにとバックステップし、その間に湖の聖剣を挟み込む。刀身の腹で砲弾を受け止め、しかし勢いを殺さず敢えて吹き飛ぶことで距離を取る。

 何故ならば――灰が身を捩らせ、跳んでいた。

 空高く舞い上がり、火炎の巨大な双剣を振り下ろしている最中だった。

 宝具にしてAランクに匹敵する剣技と剣圧。そして同じくAランクに匹敵する魔力の高まり。だが忍びからすれば、A+ランクの宝具に並ぶ残り火の剣技だろうと、通常の攻撃を捌くように弾き流せてしま得るだろう。そして、地面に当たった刃は衝撃波を撒き散らし、地面を粉砕しながら周囲を破壊する。そうすれば他の仲間が被害を受け、生身の人間である藤丸に多大なダメージが与えられてしまうことだ。

 同じく忍びも飛んでいた―――楔丸に、残り火を纏わせたまま。

 

「――――ッ……!」

 

「……――――――」

 

 最初の火から燃焼させた双剣の炎で在る故、サーヴァントであろうが―――否、より強い存在である程に火は力を増して魂を焼く。神霊は抗おう事も出来ず死に、神ならば魂魄が一塵も残らない。そして、その火を纏い斬りの業に使う忍びの技巧は神域を超えたとさえ言える領域であり、そうでなければ灰に立ち向かう事も許されず。

 そんな力と技が互いに衝突し―――爆ぜた。

 火剣の爆散は凄まじく、マシュが咄嗟に藤丸を守っていなければ、人間の肉体など一瞬で蒸発していたことだろう。事実、まるで核爆発でも起きたと錯覚するほどの熱量が膨れ上がり、石作りの道や建物の壁が溶けてしまっている。

 

「あぁ……これが火、これこそ日―――太陽万歳!」

 

 腐った魂が焦げる熱をソウルの暗い穴から発し、灰は躊躇わず感動を言葉にした。そして天使の物語が書かれた奇跡を部分的に唱え、その力で灰は宙に浮かぶ。忍びは地面に落下し、火達磨となって全身が燃え上がったが、そう言う状態には慣れていた。無の境地で痛みと火傷に平然と耐え、瓢箪と薬物を同時に摂取し、肉体を回復させた。

 

「――――ディール殿……それ程の力があり、何故?」

 

「私自身に理由なんてありませんよ。望まればこそ、その行いにおける善悪は平等となります」

 

「承知した。もはや、言葉は無用」

 

「ええ。私は話を聞くのが好きですが……けれども、もう不要」

 

 その言葉が真実だと忍びは察し、カルデアに召喚されたサーヴァントとしての疑問を消した。召喚者である主を思えばこそ、斬り合いの最中に殺すべき相手へと信条を曲げて問うも、やはり結果は同じこと。忍びはカルデアでの生活を思い返すも一瞬で脳裏から消し、ゆったりと息を殺すように刀を構えた。灰も忍びを仕留めるべく双特大剣を構える。

 だが、灰が敵対しているのは忍びだけに非ず。探知した危機は遠く、視界に見える建物の屋上から。

 

〝不意打ちの狙撃ですか……―――ふむ。まぁ、良い腕前ですね”

 

 素晴しい狙撃だと灰は考える。敵はあのアーチャーだろう。しかし殺傷能力を考えれば、巨人の射手が上であり、数発ならば無防備のまま受け止められるとも判断した。宝具を使われるとなれば、また話は別であるが。とは言え、そのまま受ける灰ではない。オルガマリーや隻狼、あるいはあの時に殺し合ったデーモンスレイヤーの動きを自分の業に取り入れ、縮地に匹敵する歩行で地面を滑るようにステップを踏む。瞬間移動としか思えない迅速さであり、射られた直後に灰はもうその場には存在しない。そのまま彼女は巨大な双剣を構えつつ、距離を取った。

 

「来てくれ、ランサー―――!」

 

 危機を前に藤丸は礼装を起動。契約した英霊の写し身であるシャドウの召喚を開始し、襲撃して来た敵三体と対峙する。つまり、灰の人(アッシュ)老騎士(デオン)黒騎士(ランスロット)がカルデアのメンバーを取り囲んでいた。

 ―――パン、と銃声が鳴る。

 戦闘再開の合図は老デオンによる短銃の発砲。標的は忍び。奴の注意を万分の一秒でも引く。黒騎士は自分なら容易く殺せるアマデウスと清姫の両名に斬り掛かり、空から奇襲を仕掛けたエミヤが何とか引き受ける。その直後、藤丸によるランサー:クー・フーリンの召喚が完了し―――刹那に近付いた灰が、双特大剣による二重の刺突を為していた。

 

「なッ……!」

 

 召喚直後の硬直。まだ肉体を呼び出す前段階の、五感と第六感が機能し始める前の内。灰は、そんな隙間を狙ってランサーを容易く仕留めた。挙げ句そのまま身を捻り、双剣を周囲を巻き込むように回転させる。ランサーは穿たれた上に二刀で三断され、マシュは大盾でマスターを守るも凄まじい衝撃。だが、それだけで止まる灰ではなく、双剣を上に掲げて跳ぶ。

 狙いはマシュとその背後にいる藤丸。

 死だ。どうにかせねば、諸とも斬り焼かれて終わり。

 

「―――く、ぁ!!」

 

「マシュ……!?」

 

 ダイナマイトが炸裂したと思える爆音。回転斬りからの連撃によってマシュは体勢を崩されて吹き飛び、藤丸もまた飛んだ。

 絶死の危機。だが――その為の、忍び。

 彼から放たれた瑠璃の手裏剣が灰を襲い、それを双特大剣を盾に防ぐも、手裏剣は回り進み続ける。その場に灰は縫い付けられ、一瞬で敵まで踏み込んだ忍びが楔丸の刃を一閃。しかしもう片方の双剣を振い、互いに剣戟が衝突。刀身が身長程もある片刃剣を双剣として振うとなれば、戦うだけでも難しいが、剣神を超える忍びの剣術と渡り合う魔技を平然と披露した。

 

「これは、中々……ッ―――!」

 

「―――くぅ……!」

 

 そして、藤丸を執拗に狙う老デオンとランスロット。狙撃戦では守り切れぬとエミヤも白兵戦に参加し、この二匹の獣を灰を相手にする忍び以外の皆で何とか抑え込む。しかし、召喚からの即座消滅のフィードバックが藤丸を襲い、魔術回路が溶岩を流し込まれ様に熱し、頭蓋の上から足の爪先まで鋭い激痛に襲われた。今の状況では英霊の影を呼び出すのは不可能ではないが、それは魔術回路の崩壊を意味する。此処から先、人理修復の旅は不可能となり、それは即ち人類滅亡を意味した。

 命を賭けては絶対にならない場面と、命を賭けて戦わないといけない場面。所長は藤丸に魔術を教え込む際、それを徹底して教え込んだ。その知識を理解する彼は激痛に耐え、その上で怒りの余り精神が痛みを緩和した。だが力を込め過ぎて食いしばった為か歯茎から出血し、口の端から流血する。

 無力な一般人ではあるが、誰よりも戦わないといけない矛盾。

 それでも戦う為に与えられたカルデアの技術―――シャドウ・サーヴァントの召喚。

 藤丸にアン・ディールと名乗ったあの裏切り者は、彼の役目さえも蟻を踏み潰すように容易く破壊した。憎悪も浮かびそうになる感情を宥め、マシュに守られながらも何とか全体を俯瞰しようと試みる。

 

「―――――ぁ……?」

 

 そんな彼と、他のサーヴァント達は絶句した。今戦っている瞬間でさえ藤丸立香と同じ人間の存在感しかなかった灰が、突如として並のサーヴァントを遥かに超えた気配を膨張させた。前兆もなく、忍びと戦いながらも女は人も英霊も超え、神の如き何かへと変貌。

 ―――(フォース)の奇跡。

 断片化した物語が声無く唱えられ、物理的な衝撃力持つ突風が灰を中心に解き放たれる。

 忍びは爆風を受けて空中高くに吹き飛ぶも体勢を自在に整え、そのまま着地。藤丸はマシュに守れるも、真空波による衝撃は脳と一緒に内臓まで細かく揺さぶる。エミヤとアマデウスと清姫も同じく吹き飛び、だが何とか藤丸とマシュの近くに着地する。そして何時の間にか、彼らの周囲から枯百合と黒騎士は消えていた。

 悪寒。絶好の機会の筈。何故?

 疑念は一瞬、答えは眼前。あの灰がまるで、敬虔な聖職者のように祈りを捧げていた。

 

「………―――――」

 

 チリン、と鳴り響いた神会黙契な聖鈴。言葉なくとも音色が教える。

 

「―――神の怒り」

 

 ポツリ、と唱えられた正体不明の聖句。破壊の白い風が吹き荒れる。

 

「……ぁあああああああああ―――!」

 

 マシュに十字盾の真名を唱える暇はなかった。しかし、藤丸と、エミヤと、狼と、アマデウスと、清姫が背後に居た。そして、狼とエミヤがマシュの盾を共に支え、彼女の背中を他の者が同じく支えとなった。

 一秒後―――街並みが瓦礫に変わる。

 人が惨たらしく死んでいた。あの灰による衝撃を生身の人間が受けたとなれば、バラバラに砕け散るのが当然。建物は倒壊し、地面が捲り上がり、大穴が穿たれた。エミヤの投影宝具による壊れた幻想と連想させる破壊痕であり、だが破壊規模は灰が上回る。

 マシュと藤丸は、冬木での悪夢が思い返された。

 デーモンスレイヤーと呼ばれた男―――黒い騎士王を不意打ちで殺し、所長達四人を一瞬で壊滅させた魔人。あの悪魔と同じ奇跡を、何故かあの灰が行えていた。

 

「浮かぶ混沌―――」

 

 同じく理解出来ない言語で何かが唱えられた。灰にとって火を操るのに言葉など要らぬが、他者の魂魄からソウルと共に奪い取った膨大にも程がある曼荼羅の如き魔術回路が、ソウルの業ではないこの世界の神秘さえも灰の魂は学習していた。数え切れない起源、全ての元素を支配する魔術属性、あらゆる概念を持つ魔術特性。もはや彼女は神秘に不可能がない魔術回路の化身であり、しかしそれを超えたソウルを貪る亡者である。

 ならば―――可能。ソウルの業と言う名の自分一人だけがこの世界で保有する魔術基盤。そして、そんな業に神秘を混ぜ込む為に作り上げた二千年を超えた研鑽の証である魔術理論。

 

「―――燃えよ」

 

 故に灰の燃える手から火球が浮かび、そして何個も燃える玉が浮かび上がり、周囲の太源(マナ)を吸引機のように吸い込んだ。

 直後、新たに苗床となった混沌が膨れ上がる。

 嘗て吹き溜まりで殺したデーモンの王子が放った混沌の呪術。あの魔女共が生み出した赤子が、世界の最期で灰を殺すべき敵として立ち上がった足掻きの炎。そして、太陽の光が届かない暗い場所で生まれた火である混沌は、闇にも近しい性質を持ち、ソウルを溶かす溶岩でもある。

 追う者たち(アフィニティ)と言う闇の魔術と同じく、浮かぶ混沌は人の生命に引き寄せられる。灰が作る混沌にはデーモンの意志が宿っている。幾つもの巨大な火の玉から人間大の火球が解き放たれ、ソウルを燃やすべく自動追尾し、街に住む人々へと襲い掛った。まるで人間だけを燃やして浄化する炎であり、人の心身を融解させる火であった。

 

「―――そんな、そこまで……アッシュ・ワン!?」

 

 盾を構えるマシュの眼前にて、地獄が広がった。

 神の怒りで街は瓦礫となり、浮かぶ混沌が人を薪とした。

 

〝世界を燃やす教父の火……そして、最初の火。

 デーモンを生み出した魔女共の混沌はその名のままに、かく在るべし”

 

 人を襲う火は、必然的にカルデアの皆にも襲来。そして、退避していた老デオンとランスロットも戦線に駆け戻る。

 ……まるで、あの冬木の街みたいだと藤丸は目を見開いた。

 本当は目を瞑ってこんな光景から視線を逸らしたかったが、現実から逃げれば命にも逃げられる。そう教えられ、彼は所長の言葉が如何程に本当は厳しいモノだったのか身を以って実感し尽くした。

 

「―――Aaaaa■◆■■aaaaaAAAaaa!!」

 

「死に晒すと良い」

 

 既に敵陣に斬り込む仲間を見た灰は、腐った魂から蠢く思念のまま邪笑を浮かべる。今の灰からすれば抑えられる程度の些細なこの世全ての人間を容易く呪い殺す怨念ではあるが、ソウルはソウルのまま在るべきだと決めている。

 ―――それは、燃え上がる混沌の刃であった。

 自分と唯一渡り合える戦闘技巧を持つあの忍びを相手する武器として、デーモンと言う望まれなかった生命と似て、故に混沌の炎が満ち溢れたこの地獄に相応しい。

 魔剣をソウルの内側から捲り取った直後、灰も疾走。

 本来ならば呪術の火に無理が掛るが、最初の火によって鍛え直された呪術は、混沌を宿す魔剣を更に炎によって強化された。混沌は更に闇を深め、振う度に担い手も傷付ける邪悪な刃は、より灰の生命を深く呪うことだろう。しかし指輪の加護によって攻撃する度に回復し、時間が経過しても生命は回復し、祝福された武器を仕込むことで常に止まらぬ自動回復効果を自分に持たせている。混沌の魔剣によるデメリットなど、灰からすればあって無い様な呪詛に過ぎない。

 そして、生命を融かす混沌はもう飲み乾した火である。

 振われる刃は躊躇わず灰を焼き、熱し、裂き、けれどもそれ以上に相手を炎で呪う刃であるのだろう。

 

「っ――――……!」

 

「――――ふ……!」

 

 弾き、流し、ぶつかり合う楔丸と混沌。灰は嘗ての世界、東の国より来た騎士アーロンや黒装束の忍者を思い出し、しかしそれらを超える眼前の忍びの技巧こそ思い馳せる。サーヴァントとして召喚された狼は覚えているか、記録にあるのか分からないが、灰は生前の忍びと殺し合った過去があった。

 間違いなく、人理の世界に来てから最強の技巧。

 原罪の探求者として灰はダークソウルを求めてソウルの業を各地に神秘として仕込み、幾つものこの世ならざる地獄を作り上げ、そんな土地で生まれ育ったのがこの忍びである。オルガマリーの脳内に潜むあの寄生生命体もまた、灰を自称するこの探求者が作った地獄から生還した一人の人間だったナニカであった。

 

「………ふふ」

 

 彼女本来の魂が、それを愉しんでいた。それはソウルの腐れではなかった。この地獄ではなく―――自分を殺し得る強き不死が、こうして自分と戦っている現実が、どうしようもなく楽しかった。

 その忍びの業。剣術、体術、忍術。

 強くなれる。まだまだ自分は強くなり、自身そのものであるソウルをより強くさせられる。

 人より自分が至らぬ部分がまだこの魂に存在している事実が、灰を不死としてソウルへの渇望を駆り立てる源泉である。

 

〝巧い……”

 

 達人を斬り、不死を斬り、神なる竜を斬り、大忍びを斬り、剣聖を超えた剣神を斬った。その忍びからして、灰はこれまで生前に戦った誰よりも強かった。人間の延長である自分自身とは立ち位置が異なる技巧であり、それは何処か忍びにも似た死中で鍛えられた剣術でもあった。

 幾度も刃を弾こうが、敵の術理を崩せぬ。

 しかし、それは敵である灰も同じ道理だ。

 突破するにはやはり忍義手による仕込み忍具か、あるいは―――奥義たる秘伝か。

 

〝…………――――――――”

 

 一瞬でもなく、刹那でもない。零の間にて、空の心へと至る無念の境地。忍びは刺突の型を取り、一歩にて間合いを縮ませる。

 ―――大忍び刺し。

 義父上である大忍びによる奥義である忍びの技、そして追撃による大忍び落としは、確実に命を奪う葦名無心流の秘伝である。それこそ薄井の忍びである狼が、御子を守る竜の忍びとして鍛えた忍術の極みに他ならぬ。

 

〝――――――――――”

 

 だからこそ、空の器である灰の精神に戻る。魂の腐れも火の熱さも消え、闇の温さも分からない。何も理解出来ず、何にも成れず、何かもを貪る虚ろな人の業。

 何もかも亡くした無こそ、灰の人(アッシェン・ワン)である証。

 原罪の探求者は、忍びのその業もまた自分にとって愛しいソウルの到達地点であり、自らが強くなる為に絶対的に必須となる秘剣の技に他ならぬ。

 

““――――――””

 

 極致の無がぶつかり合う。一心を超えた無心の技が交差する直前、その二人を観測可能な存在はこの世には存在しない。もはや空間に認識さえされない忍びは突きを放ち、混沌の刃を鞘に収めた灰は居合の型で迎え撃つ。

 ―――交わった無と空の刀。

 向かうは絶殺の刺突。迎えるは焼殺の居合。

 目視だろうが、第六感だろうか、その一瞬を第三者では誰も理解は出来ず。だが一瞬にも満たない交差は確かに零の内にあった。

 キィン―――と僅かに擦れる刃の音色。

 大忍び刺しは確かに弾かれ、混沌の居合は楔丸の刃を受け流し―――

 

「―――――!!!」

 

 ―――灰を踏み台に、忍びは宙へ飛ぶ。

 元より弾かれるのを予見し、体幹の平衡を跳躍に整えていた。だが、自分を超えた忍びをまた凌駕するのも灰の業。先読みを先読みし、相手の技術を悟り、その上で灰は奇跡を予め唱えていた。

 行われた戦術は先程と同様―――フォースの物語。

 居合と共に灰が唱えていた奇跡は、今この瞬間の危機を脱する為に解放される。

 

「……ぐぅ―――!」

 

 先手の取り合いに敗北。神なる物語が放つ衝撃波は、しかし忍びからすれば神風も微風でしかない。神が放つソウルの魔術だろうと弾き飛ばす波動を逆に忍びの足はまた踏み台にし、更に上空へと跳び上がった。

 兜で視えぬが、灰は無表情のまま瞳だけで―――笑った。

 彼女は意志だけで街全てに向け、強敵の忍びを讃える為に火を闇の裡より燃え上がらせた。己が喜怒哀楽の感情を意識ある全ての生命体に知らしめた。

 取り出す触媒の杖、唱える呪文は―――ソウルの奔流。

 だが、それはより理論を深化させた魔術ではない。膨大な数の巨人と人間が実験台にされた生贄の館にて、あのアン・ディールが生み出した本来の奔流。ソウルの槍が同時に幾本も一気に展開され、宙に浮かばされた忍びを四方八方から槍が襲い掛った。そして、白竜の理論を既に全て解明し尽くした灰は、その槍を全て結晶化させていた。

 灰の為す魔術は、自分と同格の不死を死滅させるソウルの業。

 体感時間を零に縮めた忍びは臨死を垣間見て、だがしかし空中殺法こそ忍びの極意。自分が貫かれる時、霧からすの忍具によって忍びは幻となって消えた。

 

「…………!?」

 

 灰にとって、この危機を脱する忍術こそ喜ばしい業。そして空中を疾走する火炎の道。忍びは消えたまま此処では無い世界を走り、灰を焼きながら背後から現れた。

 忍義手の仕込み忍具による忍術―――連ね斬り。

 神隠しのように異空より襲来する忍びは敵まで一歩で踏み込み、そのまま火を纏う楔丸で斬った。だがそれをまた見切るのも灰の眼力。竜紋章の盾を出し、斬撃を防ぎながらも盾の裏から刀を刺突を行う。本来ならば槍や刺剣で好む戦法だが、他の武器で万全に出来ぬ技巧ではなし。だが、見切られた事を灰は瞬時に察する。刺突による剣術は忍びに通じ難いと理解し、事実あっさりと軌道を変えた楔丸が混沌の刃を弾き逸らす。

 がしゃん、と新たな義手忍具が取り出される。

 忍びは刀による攻防を片手で行いつつ、瑠璃を素材とする仕込み斧を構えると同時に振った。

 

〝神気……―――成る程。

 あの神なる竜の力を得た神器の忍具ですか”

 

 だが今は良いと判断。炸裂する浄化火炎を発する斧の衝撃力は高く、ならばと灰は敢えて真正面から受け止める。そして、大型の獣であるドラゴンなどの攻撃を受けた際にするように、吹き飛びながら体勢を整える。同時に混沌の刃を刺突の型で構えた。

 そのまま疾走。対する忍びは居合を構え、敵を迎え撃つ。それは再度の交差。

 混沌と楔丸は互いに刃をぶつけ、衝撃で弾き合い―――忍びは一瞬の間、居合の加速を維持したまま無数の斬撃を繰り出した。

 超高速を超え、それは空間をも歪み断つ剣の絶技―――秘伝・一心。

 真空も斬る刃は世界の時間軸も切り、狼が行った抜刀直後の剣戟はもはや目にも映らぬ神域と成り果てた。逃げる時間はなく、避ける隙間もなく、対峙するにはそもそもこの剣術奥義を放てる程の技量がなくては斬撃に対応は不可能だと言う矛盾。剣神を超える技巧を誇る忍びならば、真正面からあらゆる秘剣を打ち破る術理と剣術で踏破するのだろうが、灰の業はそこに届くが剣術では一歩届かず。

 故に灰は咄嗟に盾を構える。

 時間と空間を跳躍した刃を見切る事は不可能ではなく―――ただただ、耐えた。

 一刀一刀を知覚し、一斬一斬を受け止める。人間を無数の肉片に斬り変える奥義を前に、その業を愛で学び、一瞬の連撃を永遠に思える程に自分の思考速度を加速させた。

 

「―――くぅ……!」

 

「――――――」

 

 直後にて再び楔丸を納刀する忍びを灰は見た。あれ程の秘剣魔剣が、この止めの為に行う布石に過ぎなかった。既に体幹の平衡感覚が崩される寸前だと把握している灰は、相手の居合を見切れようとも次の手を受ければ自分が死ぬと判断。

 最期になる居合一閃―――混沌が、受け逸らす。

 しかし、その動きを忍びは見切っている。相手が刀で対処しようとしていたのを理解し、義手忍具を作動。仕込ませていた瑠璃の火吹き筒を相手の至近距離で発射。怨霊などの霊体に高い殺傷力を持つ神なる竜の瑠璃仕込みはサーヴァントに対して高い効果を持ち、生身の“人間”である灰であろうとも、普通の火で焼くよりかは浄化の火の方が霊的損傷は高いと判断。

 だが、灰もまた同じであった。盾の裏に呪術の火を隠し、火吹き筒の発射と同時に黒炎を発火。物理的干渉能力が高い闇の火は相手を吹き飛ばし、殺すのではなく次の一手に繋げる為の妙技。それを最大火力にて発動。

 

「「――――!!」」

 

 浄化の火と闇の黒炎。衝突した青と黒の火炎は交じり合い、魔力を喰らい潰し、大爆散を引き起こす。爆心地で対峙する忍びと灰は、その衝撃を互いに直撃してしまい、一気に吹き飛ばされた。

 

〝我流で鍛えた東の国の、刀の剣術……いやはや、この忍びが相手では及びませんね”

 

〝黒い炎、か。これは……怨霊と似た、怖気である”

 

 笑みも苦悶もなく、灰は過不足なく忍びの強さを再確認。忍びの業を学習するのに混沌の刃を使うも、これからはダークレイスとして良く愛用するダークソードを取り出した。左手に中型の盾を持つも、素手にダークハンドと呪術の火を仕込み、何時でもソウルから触媒を召喚する準備も万全。

 ……扱い易さを考えれば、ロングソードや騎士の直剣が良いのだろう。

 だが拘りとは複雑な心理状態を作り出す。何故か分からないが、ダークレイスが性に合う彼女にとって絶妙なバランス感覚を与え、殺すも斬るも、壊すも砕くも、暗い剣(ダークソード)こそ自由自在だった。他の直剣を使った方が扱い易い剣技も、彼女からすればダークソードによる剣術に適応させ易かった。

 

「………む」

 

 その暗い諸刃の剣(ダークソード)に忍びは見覚えがあった。揺り籠となって頂けた変若の御子を守る旅にて、この不死と出会った記録を思い返す。

 この女こそ―――呪われた暗い血。

 サーヴァントとなって未来に甦りを為した忍びと違い、あの不死たる者が生きたまま現代に居る事を始めて彼は察した。だが戦闘に驚愕も動揺に不要であり、無念の境地が男を忍びのままに維持し続ける。

 

〝では、燃やしましょう”

 

 宙に浮かぶ混沌。自分に当たる可能性もあったので忍びと灰の戦場に降らしていなかったが、問答無用で味方や自分に当たる危険があろうとも敵を狙って火炎弾が無数に降り注ぐ。無論、灰は自分が近くに居ると言うのに忍びを狙って炎を追尾落下させた。

 火の雨が吹き荒れる中、互いにまた殺し合いを開始。

 灰を独りで抑える忍びなれど出来ぬ事もある。敵を殺さない限り、彼は仲間を助けられない。カルデア陣営にも更なる火雨が襲い、その上で老デオンとランスロットも攻勢を苛烈に加速させた。

 

(―――アッシュ。もう良いわよ)

 

(ジャンヌさん……?)

 

 そんな念話が告げられ、灰は潮時を悟った。どうやら自分の娯楽(しゅぎょう)が時間切れになったと判断。

 

(そうですか。ならば、去りましょう)

 

(謝罪はするわ。けどね、けれどね……そいつらが死ぬのは、ジャンヌ・ダルクの前じゃないと駄目ね)

 

(それはまた、何ともです。鬱憤、それだけ溜まっていると考えても良いですか?)

 

(別に。ただ、あんな綺麗な女を囮にしてまで逃げたんですもの。心を折るには、それだけの事をしないといけないみたい)

 

(まぁ、従がいましょう。ただ最後に一撃、これを生き延びられたらですが)

 

(どっちでもいいわ。これは命令じゃなくて私のお願いですから。じゃあ、宜しく)

 

(分かりました)

 

 念話を行いつつ戦闘を行うも、それを相手に一切漏らさず。忍びも敵から感じ取れる精神の動きに僅かばかり違和感を覚え、何となくに過ぎないが戦術的に逃げ腰になっているのを察する。だからと言って戦闘動作に澱みなく、隙を見せれば即座に死ぬのは変わりない。

 

「Gaaagyaaaaaaaa―――!!」

 

 そうして、咆哮と共に混沌より高い場所からワイバーンが飛来した。ならばと忍びが灰に迫るも、上空より混沌の火弾が彼を集中狙い。絨毯爆撃のような弾幕を前にし、咄嗟に忍具である朱雀の紅蓮傘を展開し、火雨を傘にて全て弾き飛ばした。

 しかし、そうなれば灰の逃走を許すことになる。彼女はそのまま老デオンとランスロットに念話にてカルデアから距離を取るように指示し、直後―――混沌の火球を全身全霊で投擲。脅威的な身体能力で投げられた溶岩塊は直進し、マシュは皆を守るように十字盾で防御。

 だが、混沌とは溶岩の火炎だ。衝突すると共に液状に戻り、粘着物質が撒かれたように弾けてしまう。盾で爆破は防げたとしても、液状火炎を消し飛ばす事は不可能。それを一目で見抜いた清姫は、炎を防いだマシュを咄嗟に自分の背後に回した。息吹の火炎を使う所為か、火の性質には実に目聡く、それによって混沌の溶岩塊を頭から浴びてしまった。

 

「ぐぅ……っ―――」

 

 それは燃えるのではない――――熔けるのだ。

 ただの溶岩の川ならば単純な物理干渉が通じないサーヴァントは、それこそ泳いで向こう岸まで泳いで渡れるだろう。そして、混沌はそうではない。清姫は自身を燃焼させることで防ぎはしたものの、泥がへばり付くように混沌で焼かれるのみ。

 骨まで届く熱を感じ、それでもまだ清姫は膝を地に付かず。

 むしろ、その混沌を喰らうように全身から炎は更に発火させることで、その混沌と自分の火を混ぜ飛ばした。

 

「き、清姫さん……ッ!?」

 

「いいですからマシュ、敵に集中してなさい!」

 

「――――ッ!」

 

 その間にも浮かぶ混沌は火雨を降らせ、だが老デオンとランスロットは混乱に乗じて跳び去った。灰も同じく、味方の下に走る忍びを見送り、空高く跳躍してワイバーンに騎乗。

 ―――灰は、呪術の火から更なる混沌を浮かばせた。

 上空には浮かぶ混沌がまるで戦隊のように並び、そして一つの太陽へなるように集合。幾つかの混沌は雨雲のように火雨を降らせつつ、その間に大球の混沌が凝固する。また両手に装備された灰の呪術の火からは火炎が噴流され、その火が太陽に纏わり付き、巨大な火の玉に進化させ続けていた。

 

「ッ――――こんな、どうすれば……いや、違う。マシュ、エミヤ!!」

 

「ああ、マスター。分かっている。やるぞ、マシュ」

 

「―――はい!」

 

 燃える巨大な太陽。対峙する―――マシュとエミヤ。

 ソウルの奔流を防いだように盾を構えるが、溢れる魔力と神秘は文字通り桁が違った。騎士王の聖剣に匹敵する圧迫感であり、しかしその脅威は止まることなくまだまだ膨れ上がっていた。

 ……本当に、それは太陽であったのだ。

 限界など知らぬと与えられた火を餌にして成長する恒星の輝き。

 

「―――太陽万歳!」

 

 騎乗したワイバーンより混沌の封じられた太陽を見下し、更にその下の仲間だった者共を見下ろし、焼け焦げた廃墟となった街を哀れんだ。そして人々の魂が、思い出と精神が溶けたソウルが、灰の口へと入り込む。カルデアの皆に太陽を堕落させる前に、彼女は今この時に殺した人間共の全てを咀嚼していた。

 太陽を賛美する祈りこそ―――処刑の合図。

 嘗ての灰の時代、岩の古竜に殺し尽くした墓王と同じ死への祈り。

 何故ならば、太陽は何かを贄とした一種の墓である。あれは光輝く墓所と同じだ。始まりは、あの神共が始めた信仰なのであろう。

 

「―――疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)……――!!」

 

「―――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)……――!!」

 

 堕ちる太陽に立ち向かうは、十字盾と七重の盾。しかし、それでも守り切れないと分からせる重圧があの熱気には存在する。最後の一手として令呪による後押しをしようにも、今それをすればまだフィードバックから回復し切れない藤丸は、全身の神経が千切れて死ぬだろう。清姫も混沌の溶岩による火が魂を熱し、宝具の展開など不可能。アマデウスは既に音楽魔術を酷使することで魔力が尽きかけ、指先を動かして音色を出すので精一杯。

 

「……人を照らさず、地を焦がし給え―――混沌の太陽よ」

 

 だと言うのに、灰は加減をしなかった。魔術を追加で詠唱し、最初の火から見出され、この人理の世界で生み出された呪術は、その輝きをもっともっとと増し続けた。

 グゥオン、と膨れ上がった直後に凝縮。

 だが臨界を超えた太陽は、球体から力を抑えられずに放射した。

 一気に地表はイザリスの惨劇の如き混沌に覆われ、マシュとエミヤが守る一帯以外が溶岩に作り変わった。熱波だけでサーヴァントを焼却する地獄が生まれ、その太陽は英霊が触れる前に霊基が蒸発することだろう。

 

「く、ぁ……ぁぁああああああああああ!!」

 

「……おぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 その上で―――太陽はついに弾けたのだ。

 

「――――――――――」

 

 死ぬ。確実に、死ぬ。灰によって手段は分からないがカルデアとも連絡が付かず、この太陽の火は通信魔術など火の粉だけで焼却する。即ち、藤丸立香とマシュ・キリエライトだけのレイシフトによる緊急退去さえ許されない。

 隻眼の忍び―――隻狼は、主の命は絶対だ。

 その為に邪魔だった。あの太陽が、火の地獄がどうしようもなく邪魔だった。

 故に一切の躊躇いは無く、忍びはマシュの十字盾を踏んで跳び上がった。盾となる二人が守る領域外が火炎地獄となっているにも関わらず、忍びは燃えながらも太陽と対峙した。

 

「―――――」

 

 驚愕するも声はなく、言葉はなくとも死を色濃く見える。そんな背後からの気配に意識は一切向けられず、鞘に収める楔丸に全身全霊の魔力と形代が捧げられた。そして空中で弓張る背は、そのまま強弓に他ならず。ならばその斬撃こそ、火断つ矢で在った。

 ―――竜閃。

 忍びの心は無を極め、無心の刃が鞘より放たれる。

 楔丸より飛ぶ刃は太陽とぶつかり、素通りし、そのまま天高く昇り斬って逝った。

 

「―――御免……」

 

 カチン―――と納刀する静かな音。

 燃えながらも忍びは慈悲を呟き、混沌の太陽は―――二つに断たれて霧散。

 彼は、その形代と同じ気配をする太陽が何なのか理解していた。そして、同じと言う事が太陽の正体を感覚的に示してもいた。

 熱い輝きは……人の、無念であった。

 斬り捨てる故の慈悲こそ、燃やされた人々の魂を供養する思いだった。灰にソウルを喰われたこの街の人々の為に、忍びは静かに祈りを捧げるのだろう。

 

〝人の業だけで、そこまでとは……あぁ―――暗い魂よ、見ていますか?

 あれが人間なのです。人間は出来るのです。人間性に関係なく、ソウルに果てなど無いのです。我ら不死は、その為に死なぬのです。

 だから、私は死ねぬのです。

 何処までも、誰よりも、私は使命の儘に、まだまだ――――”

 

 魂が揺さぶられる業。最初の火でさえも、亡者の一匹に過ぎなかった自分が喰らい尽くしたように、あの忍びなればこの世の果てで斬ってしまえるのかもしれない。そしてデーモンから学び、この世で体得した術が破れ去る。その事実こそ、灰が期待した敗北。

 ワイバーンは自分に乗るそんな怪物に恐怖し、だがその化け物に操られる儘に飛ぶしかない。結末を見届けた灰と二人は、カルデアを置き去りにして飛び立って行った。






















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啓蒙26:生ける薪

 襲撃より一日後、灰は独り静寂に佇んでいた。今はもう闇に満ちた心の中で自分自身と問答を繰り返すだけ。長い二千年の旅を振り返り、だが今も尚、彼女は旅の途中である。

 ―――……この世界に由来するダークソウルは失敗だった。

 魂を貪り、死に臨み、天寿を迎えた人間のソウルからダークソウルは生み出されなかった。憎悪のまま死に、無念に朽ち果て、呪いに染まり堕ち、そんな人々の魂を自然と集めたが、そこから新たなる火種の闇は作れなかった。それは、ただただ悪性情報に過ぎなかった。純粋なる闇とはならなかった。

 この空の魂は炉となり、死者の想いの―――受け皿にしかならなかった。

 だから、せめて闇に落ちれば良い。暖かい暗黒が死の苗床となれば良いと思った。やがてこの魂そのものがあの世と呼べる程の膨大なソウルの渦となり、器の中身は腐り果てたが、闇と火は何一変わらず。闇は全てを在りの儘に受け入れ、火は在りの儘を照らした。そこから湧き上がる腐った感情は生きた人間性となり、灰に動く心の代わりとなったが、所詮は仮初の集合意識塊。

 絵画世界を全て焼き、この世界に来たが―――ソウルの業など何処にも無かったのだ。

 天寿を許された人間の魂はソウルの糧となったが、灰の人間性が無ければ人の闇とならない。闇を拠所にする意志に過ぎない。呪いを叫び、死に喚くも、それは悪であって闇ではなかった。そして、闇は悪でもなかった。灰のソウルとなった魂は、腐ったソウルに堕落した。亡者の王として至った暗い魂には程遠い。暗い魂に染まったのに、人間性には溶けたのに、火の薪となるには不純な闇だったのだろう。薪の燃料にはなるが、薪にはなれない腐った闇こそ、天寿を持った悪性の運命であった。

 

「……―――――」

 

 だから、何時もで良かった。何処でも良かった。既にソウルは十分に収集した。この心を消費するのも、既に中身となった全員が嬉しいと喜んでいた。儀式の生贄となることを、世界を焼いても足りない程に尊んでいた。

 儀式とは―――火継ぎの儀。

 灰が生まれた世界は、神が火継ぎしたことで差異が生まれた。

 命が無い故に、死も無い灰の世界。灰の他にあるのは、樹と霧と古竜だけ。そして、深く沈む場所にある命を生み出した闇だけだった。闇から新たな生物が生まれ、最初の火を見付け、そこから王のソウルを見出すまで、命亡き不死の古竜が支配する霧に覆われた灰の樹林でしかなかった

 ―――最初の火の炉。

 火の時代は其処から始まり、神が支配する太陽の世界となった。

 古竜が駆逐された末、闇から這いずり出た神々が自分達と同じ闇の生物全てを統べる神都を建国した。故に、最初の炉によって始まった火継ぎは、あの世界における一番最初の儀式であった。火から太陽を作り上げた錬成こそ、神の時代を作った神秘であった。

 

「――――火よ、此処に」

 

 追放者の錬成炉を広げ、灰そのものが二重の炉となる。膨大なソウルに反応し、まだ生きている灰の魂が錬成炉に反応する。そして、亡者の暗い穴と、その中にある最初の火が、互いに錬成の触媒として機能し始める。

 

「甦りながらに、空の器。何も無い魂こそ、灰の本性」

 

 ソウルより呪文が流れ出る。絵画より漂着したこの人理が支配する新たな世界にて、灰はソウルの業とは別種の神による力を学んでしまった。その神秘が彼女に新たな叡智を与え、火継ぎを唄い直す呪文と魔術を魂に呼び起こす。

 ならばこそ、火継ぎの儀に相応しい姿が望まれる。

 最初の火で解けた上級騎士の鎧。火継ぎの果てに薪となった思い出(ソウル)の集合体。彼女は黒ずんだ鎧を身に纏い、その右手に捻れた螺旋剣を手に持った。

 首を―――裂く。

 血液が刀身に纏わり付き、燃え上がり、血の炎が刃を捩り焼く。

 

「亡者の穴を開け、それを炉に火を奪い、しかし我が魂は全てを受け入れる。火も、炉も、霧も、命も、死も、何もかもを身の内に。

 全てを我らの魂は貪り、何もかもが深淵より暗い闇に溶けて逝く」

 

 アッシュは元に戻って行く感覚を、灰らしく何の喪失感もなく理解していた。何かを苦しいと思う事も、何かを嬉しいと思う事も、刺激を受けて反応する中身が無ければ魂には響かない。

 火の無い灰(アンキンドレッド・ワン)とは―――亡者ですらない人型の器。

 灰の方(アッシェン・ワン)とは―――中身を枯らした空の不死。

 ソウルによって亡者は動くが、灰はそのソウルさえも必要ではない。何も無くとも、魂が覚える使命の為に動くだけ。重要なのは魂ですらなく、人間の闇でさえなく、嘗ての魂から生まれた意志だけだ。

 空であるとは、器であること。

 入れ物に過ぎない灰はソウルを渇望するが、何かを望むのにソウルなど要らなかった。だから今の彼女は、アッシュ・ワンと名乗ることにした。灰になった人ではなく、人になった灰で在るのだと。

 

「―――私は灰。燃え滓になった薪の末路」

 

 誰もが無意味な勘違いをしている。ソウルを喰らえば、それを得た個々人のソウルは元のままで在るのか―――否。違う情報を取り込めば、そこから魂は違う別に転生している。その時点で、もはや別人の魂である。喰らえば喰らう程、亡者になりたくないと願う元の自分から作り代わり、やがて忘れたくない自分自身から掛け離れる。

 ……多くの、思い出がある。

 記録も残っていて、肌で感じた記録がある。

 灰となる前の彼女の始まりは、ただの白教の教会に仕える聖職者に過ぎなった。当たり前な日常を過ごしていて、不幸な出来事で偶然死んでしまって、亡者となって生き還った。人々に迫害されて、生まれ育った村を焼いて、初めて人の魂を貪った。目的もなく彷徨い、死んでは魂を失い、怒り狂って敵となった人々を皆殺しにしながら放浪を続けて、やがて噂で目的とすべき土地を知った。

 ―――ドラングレイグ。

 湖に隠された骸の渦にて、階層に分けられた国。亡者の聖職者は、何も無いのが耐えられなくて、救われたくて、答えを欲して旅を続けた。

 

「行くしかないんだよ、死ぬことも出来ない旅にね」

 

「貴女は……継ぐ者ですか?」

 

「私の名はソダン。あなたと同じ……全てを失って、ここへ来ました」

 

「気持ちってもんがあんだろ!? 常識ねえのかよ!」

 

「まったく、お前もあのバカ娘と同じか。フラフラするのも、ほどほどにしておけ」

 

「貧弱なる呪われ人よ!

 我がストレイドのスペル、オヌシに使いこなせようか?」

 

「そなたの道を行くが良い」

 

「死ねばよかったのに……」

 

「ああ……どうして……? もう離さない……」

 

「貴公とは、幾度も死地を超えた仲。友よ、これを持っていくがよい」

 

「私がまだ、正気でいれられるのは、おまえのおかげだからな」

 

「おのれ……気付かれたかよ……却って遠慮なく殺れるというものか、ハハハッ!」

 

「求めようとすることが、生の定めならば」

 

「火を求める者、王たらんと欲する者よ。

 力を手にするがよい。そして、汝が望むままに……」

 

「私の名は、シャナロット」

 

「不死よ、試練を超えし不死よ。いまこそ、闇とひとつに」

 

「光さえ届かず、闇さえも失われた先に……何があるというのか」

 

 原罪の探求者を引き継ぎ、旅をし、灰は世界の真実を知って眠りに着いた。しかし、彼女の墓は暴かれ、何時かの為に灰として墓所に置かれ、鐘の音によって死から目が覚めた。その時、答えを得た筈の亡者は空の器となり、王を玉座に戻す灰に再誕してしまった。

 ―――ロスリック。

 最初の火継ぎを再現する為に建国された呪われし国。使命しかない灰は、空っぽの魂のまま終わらぬ火継ぎを彷徨い続けた。

 

「篝火にようこそ、火の無き灰の方」

 

「ケチな盗人だが、育ちのいいバカよりは余程役に立つ」

 

「じゃあな、無事でいろよ。鍛えた武器が無駄になるからな」

 

「何れすべておわかりになる、我らの王よ……」

 

「そうだ、貴公、共に食事はどうだ?

 ジークバルド特性のエストスープが、丁度できあがったところなんだ」

 

「エルドリッチを、あの人喰らいの悪魔を、殺すために」

 

「無事でいるのだぞ。貴公、私の弟子なのだから」

 

「……貴公は、彼の魂を救ってくれた。

 ありがとう。友人として、礼を言わせてくれ」

 

「いってらっしゃいませ、英雄様。偉大な使命を、お果たし下さい」

 

「だから君も自分の意志で選びたまえよ……それが酷い裏切りならば、尚更ね」

 

「……私たちのことは、もう放っておきなさい。

 貴方はもうロンドールの王。導くものがあるのですから」

 

「……ああ、あんた、それでこそ世界を焼く者だ。アリアンデルに火を。腐れを焼く火を」

 

「精々祈ってるぜ。あんたに暗黒の魂あれ」

 

「ああ、これが血か。暗い魂の血か」

 

「新しい絵が、お爺ちゃんの居場所になるといいな……」

 

「さようなら、灰の方。貴女に寄る辺がありますように」

 

 他者であろうとも、喰らった魂は例外無く灰の自我境界より内側に存在した。薪の王となった数多の不死達の思い出は、灰に喰われ、その魂もまた薪として亡者の孔へと捧げられた。薪の王となった全ての生贄のソウルが空の魂に刻まれ、彼女は最初の火継ぎを行った大王グウィンと、その大王を殺して薪の不死となった英雄を始めて知った。

 ―――ロード・ラン。

 神都アノール・ロンドが置かれた神々の世界。そして、世界蛇と暗月の神が始めた輪廻の元凶。

 

「目覚ましの鐘を鳴らし、不死の使命を知れ……」

 

「俺はアストラのソラール。見ての通り、太陽の神の信徒だ」

 

「人を殺して奪うのが、一番人間らしいかもしれねぇなぁ……ハハハハハ」

 

「良し、いってこい。馬鹿弟子が、亡者になんてなるんじゃないぞ」

 

「……貴公は筋が良い。無駄死にするでないぞ」

 

「なぜ、そっとしておいてくれないのです。

 ……そのための、このエレーミアス世界なのでしょう?」

 

「哀れだよ。炎に向かう蛾のようだ」

 

「太陽‥…俺の太陽よう……」

 

「竜に挑むは、騎士の誉れよな」

 

「姉さん。ねぇ、姉さん、泣かないで。

 私はずっと幸せよ。姉さんがいてくれるから……」

 

「どうか、皆を、救って下さい……お願いします」

 

 終わらせた世界と辿り着いた世界。足掻いた果てに灰はこんな世界で現代まで生きて、死ねぬ故にソウルを貪り続けた。そして娯楽としてこの文明を学び、とある思考実験を知って、疑問が一つ湧いてしまった。実験を考えた哲学者曰く、スワンプマン。本人が死んでいようとも全く同じ人間が泥より生まれ、何も変わらず生活するならば、その人間は生きているのか?

 しかし、嘗ての亡者だった自分は、終わりの残り火の時代にて―――灰として再誕した。

 もはや何も変わることさえ出来なくなった。ソウルを幾ら渇望して貪ろうとも、亡者にもなれなくなってしまった。灰はテセウスの船でもなければ、スワンプマンでもない。灰は、それこそ体が燃えて灰になろうとも、灰のまま魂を維持するのだろう。そして、灰はまた集まって火の中から生まれ出るのだろう。

 

「さようなら―――私の二千年。

 こんにちは―――私のソウル。

 おめでとう―――私の人間性。

 我が器から死に行く全てに、どうか焼き焦げる残り火の導きを―――」

 

 胸に空いた巨大な虚。暗い穴は亡者の王が抱く闇。その奥底に燃え上がる光こそ、灰の世界から生まれ出た最初の火。生命の色がない灰から火は始まり、そして灰の亡者の穴に還り、やがて火は一人だけの魂に堕落した。

 炉に再び、捻れた螺旋の剣を。

 篝火から、世界を焼く火炎を。

 さすれば、またこの世にてあの太陽が昇るのだろう。

 

「―――人で燃える太陽に、闇の寄る辺がありますように」

 

 暗い亡者の孔に螺旋剣が突き刺さった。炉として火を引き起こし、孔から魂を焼く最初の火が漏れ出した。魂と闇を燃料にする赤い火は、やはり空の器に溜まったソウルを焼いて燃え上がるのみ。そしてサーヴァントと竜血騎士に留まっていた人間性の膿も亡者の孔に吸い流れ、深く暗い炉に全てが収束した。

 ―――故、灰は黒い血の涙を流す。

 涙は黒く発火し、瞳は闇の洞となって黒く燃え上がり、ソウルを貪る口からは黒炎を吹き出した。そして肉体全てが指先まで紅蓮に包まれて炎上し、頭髪も全て燃え剥げ、樹木と似た古竜よりも更に良く燃える薪となった。全身が血液よりも真っ赤に燃えているのに、黒い涙と黒い目と黒い口だけはそんな炎も燃料に暗く燃えていた。

 亡者の孔より、闇が薪のように焼かれていた。

 暗い炎が、火の炉から漏れる炎を喰らって燃えていた。

 この腐った世界で誰かに殺されて死んでいった人々のソウルと、死者の憎悪と怨念に染まった人間性を燃料に、最初の火の炉に魂と闇が投げ込まれた。螺旋の輪廻は、捻れた刃より解きは放たれた。

 

〝どうか、火の導きのまま良き旅を”

 

 人理が支配し、文明と共に人もまた腐ってしまう世界にて、人に殺された誰かの魂もまた腐れ逝く。灰は人のソウルを貪ったが、空の器となった自分の魂に貯め続けた。命亡き魂のプールは、しかして流れなく不動のまま、けれども器の中からずっとこの世界を見詰め続けた。空の魂でしかない灰と共に居たのに、憎み過ぎて腐ってしまった自分達。忘却を失くし、人類に捧げた怒りと恨み。それでも誰かに命を奪われた誰かの魂は、灰の器へと漂着していった。まるで憎しみだけに染まる地獄へと落ちたようだった。ならば、腐ろうとも命の最期に上げた絶叫の意志だけは忘れまい。

 せめて―――憎悪の儘に、悪で在れ。

 腐るほどに忘れ、魂は澱み、暗い闇を深く腐敗させ続けるのみ。

 

〝ありがとう、灰の人。家族を殺されて悔しかったが、人の家族を殺せて良かった”

 

〝ありがとう、灰の人。愛した人を屑に犯されたけど、誰かの愛を穢せたよ”

 

〝ありがとう、灰の人。平和だった街を焼かれたのに、今度は村を焼き返せた”

 

〝ありがとう、灰の人。国の為に戦ったけど殺されて、誰かの為に戦う人を一杯殺したぜ”

 

〝ありがとう、灰の人。玩具みたいにされて死んでね、自分と同じで皆を玩具にしたの”

 

〝ありがとう、灰の人。男共に貪られて穢れましたが、その男を陵辱して殺せました”

 

〝ありがとう、灰の人。国に民族を虐殺されたからさ、人を殺し尽くせて楽しかった”

 

〝ありがとう、灰の人。魔女狩りを受けて処刑されて、だから聖職者は拷問したんだ”

 

〝ありがとう、灰の人。奴隷にされて餓死したけれど、大勢の人を食べて殺せました”

 

〝ありがとう、灰の人。戦争で降参したのに殺されて、無抵抗の人を殺して上げた”

 

〝ありがとう、灰の人。生きたまま楽し気に屠殺され、次は楽しく人を死なせたよ”

 

〝ありがとう、灰の人。苦しいだけの人生のまま終り、でもこの宴は凄く愉しめた。

 

〝ありがとう、灰の人。無念のまま憎悪に満ちたけど、大勢の魂を道連れに出来た”

 

〝ありがとう、灰の人。このおぞましい腐った世界を、皆と一緒に焼けたんだ”

 

〝ありがとう、灰の人。私たちは不要な邪悪ではなく、死ぬべき悪として死ねました”

 

 人を殺させてくれて―――ありがとう。

 魂を火に焚べさせて―――ありがとう。

 腐った魂は、人の魂を最期に殺せた事がどうしようもなく嬉しかった。腐った悪として、世界に忘れられない邪悪が為せた。そして、そんな腐った穢れを灰に変えてくれる彼女の意志が嬉しかった。望みを果たし、芯まで腐敗する憎悪も闇の薪として殺してくれる。

 誰かの魂を奪って死ねることを、全員が皆を祝福して、灰に感謝を捧げていた。

 

〝だから―――ありがとう、空の魂で皆の闇を受け入れてくれて。

 この世界からすれば小さな悪で、残り滓に過ぎない憎悪なのかもしれないけど、それでも私達は自分の為に悪を為せずに消えたくなった”

 

 ……消えてしまう。

 器の灰を満たしていた暖かい闇が消えてしまう。

 取るに足らない有象無象に過ぎないと今を生きる人間共は、死んだ人間を哀れんで記憶から消して、社会にとってただの情報として記録されるだけの残骸で、それでも灰は目に付く残り滓を救い続けた。死んだ人が家族なら、身内なら、死ぬまでは記憶し続けるが、人にとって赤の他人の死に価値はない。

 だから、彼女は魂を収集した。

 誰かに殺された魂を、空の器を満たすソウルとして貪った。あの世界を焼く為に何もかもを失い、それでも闇は人間性として人々の苗床となった。

 ―――集合意識体。

 暗い器を拠所にしたソウルの渦。故人らが持つ個別の意志は全て溶け、だが数多の憎悪が持つ一つの塊に成り果てた。もはや個人としての意識はなく、在れるのは灰がこの世界の人間共を観測することで形を妄想し、悪性の仮人格として存在する死に際の断末魔。憎悪が渇望する意志の形を、抜け殻の人間性に灰が与えていただけ。その悪心は真実ではあるも、本当の人格では非ず。

 本質はソウルの業と闇による魔術、追う者たち(アフィニティ)と同じ。穴から涌き出るソウルの意志を、生きた人間に宿らせるもの。即ち、与えられる意志はこの世界で生まれた人の闇。本来の人格は闇に消え、分かり易い悪性の心しか持ちえない腐った魂の使徒に過ぎなかった。子供のように簡略化された精神のまま、邪悪を愉しむ腐った心しかソウルの渦はもう生み出せなかった。人を殺せれば嗤い、人を苦しませて哂い、地獄を作って笑うことしか出来ない腐り人にしかなれない意志だった。そこに個々人の意識はなく、そう腐っただけの現象でしかなかった。

 

〝私からもありがとうございます。

 こんな灰を、アナタ達は火から守ってくれる闇になってくれました”

 

 ずっと、ずっと、こんな腐った世界に来てからずっと、彼女の魂の中に居たソウルが喜びながら無に還る。ソウルが灰となる太陽の炎に燃やされ、残り滓もなく消えて逝く。

 元より神代だった人理の世界に来た時、灰は灰だった。その魂の中にソウルはなく、火の簒奪者となって絵画世界を焼く時に、魂にあったソウルを全て使い尽くした。何も無い灰のまま、空っぽの魂となって、究極の器はこの世界に漂着した。

 だから―――喜んでいるのは、この世界の人々だった。

 それは人間が滅ぼすべき悪なのかもしれない。人類全ての闇なのかもしれない。けれど、この悪意が生まれる前に消える事だけは、闇に堕ちた魂は絶対に許せなかった。自分達が悪でない事が、世界を焼き滅ぼしても良い程に許せなかった。

 魂の産声を、この特異点で全員が上げられた。

 灰から這い出た暗い意志は人に憑き、人となり、人を超えた深淵に変貌した。

 ―――祈れ(Pray)

 全て無駄だった。

 闇は火の光に炙られようとも闇だった。

 生まれなければ無価値となり、生まれ出れば不必要と人間に切り捨てられた。

 

「だから、奴らに祈りの意志を―――」

 

 些細な魂の脱け殻が、人に牙する人類悪となる。やがて滅ぼされる悪となる。けれど、灰の空に悪はなし。在るのは火と闇だ。

 

「―――されど、闇こそ魂の母なれば……」

 

 獣にも成れない闇は、人類を愛していた。殺しても、殺しても、殺し足りない程に認めて欲しかった。此処に悪が生まれたのだと、悲劇で以って世界を焼いても分かって欲しかった。

 闇は、理解されぬ。

 人は、湿っている。

 魂は、乾いている。

 火は、薪を欲する。

 

「……人の火よ、暗い私に死の温もりを」

 

 死は―――命を望んでいた。

 何もかもが渦となって空の器が渇いて逝った。

 灰はソウルを貪る渇望を本能とする亡者の末路だが、だから魂の願いを叶えるのなら自分が腐るのも良しと出来た。彼ら全てを火を甦らせる生け贄として燃やすため、更に人のソウルを貪って腐らせることを厭わなかった。

 

〝火から見出すは王のソウル。闇は神となり、人は薪となった。故に薪に燻る火を簒奪した私は神でも人でもなくなり、薪を持つ灰となりました。

 ならば―――残り火を再誕させた私は、灰のまま何を見出せると言うのだろうか”

 

 辿り着いた世界にて、彼女はソウルの根源に邂逅した。嘗て神だった古い獣から授かったソウルの業は、アッシュ・ワンに新たなる神秘を見出させ、灰の不死を薪の不死へと再誕させる儀式を夢見させた。

 寿命がデザインされた不死ならざる魂。

 命と言う熱い断末魔が約束された人間。

 人間性は闇に過ぎない。思いのまま人を変態させる小人の業。

 ならば人の形を魂に変質させるのではなく、これ程に人の心を悪に変異させるのは、亡者の王である灰が持つ闇たる人間性ではなかった。

 ―――闇は悪ではない。

 死した人が悪で在れと闇に希っている。死人の想いが、闇を悪に染めたのだ。

 

〝さようなら。貴方達の魂は、死なねばならない”

 

 最初の火はその邪悪なる人間性を残さず浄化し、炉に焚べられた燃料として焼却し切った。器の魂は腐らず、だが彼女のソウルは腐り果て、しかし終着は訪れた。

 

〝あり……が……とう……―――”

 

 邪悪な人間性の意識は、最後まで感謝を唄っていた。火に注いで殺してくれて有り難うと、腐った闇をこの特異点で生んでくれて有り難うと、最期の一欠片まで満たされたまま燃えて逝った。

 個々人の意志などない。在ったのは、清算された断末魔。

 人間性に成り果てた死したこの世界の亡者共は、怨念を晴らし、火によって無へと還ることが出来たのだろう。

 

「―――火よ」

 

 灰の世界が燃え上がる。残り滓だった最初の火は始まりに戻り、それを収める炉は深淵を超えた闇に至った。

 

「残り火よ。我らは火によって灰となり、闇を越え、また人を取り戻す」

 

 ―――雷。即ち、力。

 ―――光。即ち、影。

 ―――熱。即ち、死。

 ―――薪。即ち、闇。

 グウィンが見出した業。イザリスが見出した業。ニトが見出した業。小人が見出した業。そして、灰が見出した火を宿す暗い穴の炉。ならば、灰はあらゆるソウルが持つ渇望を果たした。

 ―――炉。即ち、火。

 それこそ灰の業。故に差異の無い世界から生まれた最初の火の炉は、三柱の神が作り上げた一番最初の錬成炉に他らない。闇である薪の権能が欠けた神の奇跡は、こうして完成する瞬間を迎える事が出来た。

 

「私は―――亡者の王である」

 

 螺旋を抜き取り、炎が迸り、だが火が闇の孔に吸い込まれる。太陽のように世界を輝かせていた薪の火炎は消え去る。

 焼かれる薪の王は消え、そして新生した。

 灰は火の簒奪者を超え、しかし渇望した。

 理はもう消えた。灰はまた空っぽの不死に再誕され、残るは火と闇の炉だけ。自らが器となって補完した魂の渦は消え、過去は全て炉の中へと焼却され尽くした。新たなる深化を経た筈のダークソウルの欠片達は、しかし今この瞬間を以って燃え殻となった。闇を受け皿にした不死ならざる天寿のソウルは薪に変質し、今は器でもある暗い魂は火に炙られ、また純粋なる腐れ亡きダークソウルに生まれ直した。

 

「―――――――……」

 

 灰は、全てを終わらせた。錬成炉を自分の魂に戻し、目を瞑って内側を俯瞰する。

 ―――火と闇だ。

 残り火は闇を燃やし、薪の王を焼く力を取り戻す。

 彷徨い繰り返したの火継ぎの儀と同じく、彼女はまた世界を一つ焼き滅ぼした。アリアンデルを焼いた火は、まだ灰の炉で火種となって闇を焼き、こうして火の炉へと戻って行った。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 黒い血の涙が流れ出た。殺して欲しくて堪らないのに、人を殺す為にまだ生きなければならなかった。魂の中で蠢いていた意志が消え、残ったのは人間性の闇だけで、その残滓だけが魂を染め続けているだけだった。

 魔女は、涙が出るのを止められなかった。

 灰から受けた人間性―――その闇が、唄っていた邪悪の声が途絶えた。

 魂の腐敗は止まり、変質した魂がこれ以上に蠢くことはない。変わり果てた霊基に変化はないが、呪いの声をもう聞くことはなくなった。

 

〝―――あぁ、復讐だけしかなかった。憎悪だけで良かった。

 あの人が魔女となった私に、こんなどうしようもない人間性を忘れさせてくれたのですね。望んでいたことで、甦る事は分かっていたのに、人が人を殺すのはこんなにも、取り返しがつかない罪だったとは”

 

 憎悪は変わらない。目的も変わらない。ただ、呪いの声で塗り潰された倫理が戻っただけ。それは人道でもあり、道徳と呼ばれる感情でもあった。

 そして黒い血の涙は、暗い魂から漏れ出た感情。

 人間性はそのまま魂にあるのに、その人間性を通じて聞こえていた腐った魂が泣き叫ぶ声がなければ、その闇が邪悪に変わることもない。

 

「―――ジャンヌ。大丈夫でありますか?」

 

「問題ないわ。憎しみ以外に、また人の心が甦っただけだもの」

 

「お辛いのでしたら、また私めがアッシュに懇願しても―――」

 

「―――止めなさい、ジル・ド・レェ。

 契約は契約です。何より今の私は憎悪の裁定者ではなく、一人の人間から生まれた復讐者で在れば良いだけです」

 

「畏まりました。貴女がまた祈りを覚えたのでしたら、神ではなく自分の魂にこそ、その啓示で以って意志をお聞き下さいませ」

 

「…………心配性ね。分かってるわよ、そんなこと」

 

「それだけは、仕方が無い事だと受け入れて頂ければ。まこと、貴女に仕えるサーヴァントとして幸いであります」

 

「けれど、貴方は平気みたいですね?」

 

「私は元より呪いを受けておりません故に。霊基を蝕むこの狂気に、他者の断末魔は不必要でありますれば……ええ。このジル・ド・レェ、復讐の意志に陰り無し」

 

「そう……―――なら、良かったです。

 他のサーヴァントはほぼ腑抜けになってしまわれましたから。傀儡の儘なので問題はないですが、獣性は人間性を喰らいますが、そのまた逆に作用するのが我らの精神です」

 

「まこと、その通りかと。しからば、最後の戦場にて捨て駒にすれば宜しいでしょうな。

 ……あぁ、それと我が魔女よ。遅くなりましたが、これを」

 

 ジルは王に従う敬虔な臣下のように、懐からハンカチを取り出した。

 

「貴女に黒き涙はとてもお似合いですが……このジル、ジャンヌの泣き顔は好きではありません」

 

「―――……どうも。受け取っておきます」

 

 この世に呼び出された時、喪失していた筈の感情。フランスを焼き尽くした故に立ち戻ることなど許されないが、優しい言葉をジャンヌは素直に感謝する機能が戻った。だからジャンヌは血涙を拭くも、黒い涙は止まらず、布を黒く呪いで染めるだけ。

 止まらない涙は、誰が流す泥なのか?

 現代まで死に続けた人間達か、この特異点で虐殺された民か、それとも闇に溶けた魂の集合意識か。あるいは、死にたくないと叫ぶ皆の涙が悪性に染まる人間性と成り果てたのか?

 

「誰かが……あの時に手を伸ばす誰かが居れば、こうはならなかったのかもしれませんね」

 

「しかし、そうはならなかったのです。ならなかったのですよ、ジャンヌ。涙を流す貴女に、誰も手を伸ばさなかった。

 その結末が―――このフランスです!

 故に私は、侵略者と故国を犯す復讐の機会を与えられました!

 さぁ……我らの首魁、竜の魔女ジャンヌ・ダルクよ、最後まで共に殺し尽くしましょうぞ。涙の対価でフランスを焼き、そして全人類は燃やして払わせるのです」

 

「―――当然です。罪悪なんてもう無価値です。

 何が憎いのか分からなくなるまで、私は魔女として焼き払いましょう」

 

 玉座から立ち上がり、魔女は何時も通りに歩き出す。元帥はその背中を愛おしそうな瞳で見詰め、しかし口元は狂おしい笑みで歪み切る。

 オルレアンの魔城にて―――絶叫は木霊した。

 ジャンヌ・ダルクがそうで在るならば、他のヒューマニティ・サーヴァントも同様だ。

 人間性(ヒューマニティ)受霊匣(サーヴァント)の名に相応しく、全ての英霊が本来持つべき人間性を取り戻してしまっていた。呪いの声で憎悪と怨念に錯覚していた倫理と人道が、その魂に再び獣性から人らしさを与えてしまった。

 

「殺して、ころして……誰か、私を―――私の魂を、灰に変えて消してくれぇ……」

 

 廊下の隅で丸まり、女が一人でジャンヌと同じ黒い血涙を流していた。彼女との違いは、誰もそんな女の涙を拭こうとする者がいないことなのだろう。

 

「哀れですね。罪悪感を取り戻し、倫理と言う人間性が甦り、しかし獣性は人間らしく残ったまま。だから、貴女は憎悪の黒い炎で魂を焼いて欲しいのですか?

 私とて元は人間なのですから、人並みの倫理観を持っているのですよ?」

 

「お願いだ……―――ジャンヌ・ダルク。

 殺してくれ、殺して……私を燃やしてくれ。こんな罪に、耐えられない……ッ―――!」

 

「獣のまま―――戦って、死ね。

 贖罪なんて、我ら英霊に存在しない。何に変貌しようと、罪に押し潰れるしかないのだから」

 

「あぁぁ……ぁあああああああああああああああ!!

 私は、私は―――殺したんだ。殺して、しまったんだぁ……気持ち良かったんだ。あんなに復讐が気持ちいいなんてしらなくて、魂があんなに美味しくて、快楽のまま食べたくて……誰か、だから誰も良いから、魂の腹を裂いてくれ。

 私の中から、子供たちの魂を―――毟り、出してぇ!」

 

「御可哀想に、アタランテ。このジル・ド・レェ、貴女様の気持ちは良く分かりますとも」

 

「う……ぅう―――ぁあ、あああ……貴様に、貴様に何が……!?」

 

「人で遊ぶは楽しくも、やはり罪業は積み重なるもの。ですので……ほら、聞こえましょう?

 貴女の魂の中で、貴女を決して許さないと皆が死ねと叫んでおります。私にも、貴女が食べた子供達の叫びが、貴女のその胎内(ハラワタ)から聞こえて来るようですぞ。

 ―――……私も、そうでした故。

 耳を澄ませば、何時でも聞こえてきます。そして幼子の断末魔を思い出し、静かにワインでも飲むのが通の楽しみになりましょう」

 

「―――違う!

 違う違う違う違う、違う違う違う違う……違う、違うんだ。違うんだ私は、私は気持ち良く何てなりたくなった、貪りたくなんてなかった、お願いだぁ……違うんだ。責めないで、思い出させないで!

 聞こえる……声が、聞こえる―――あぁ、子供たちの声が……腹から、聞こえる……アハ。

 ははは―――はは、あっはっははははははははははははははははははあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」

 

「……ジル、壊れたわよ?」

 

「仕方ありませんねぇ……ま、手段を問わねばどうとでもなるでしょう」

 

「そう」

 

「はははははははははははははははは!!」

 

 罪悪の血涙に顔を濡らし、壁に寄り掛かって座り込む。両手で涙を幾度拭き取ろうと止まらず、腹から貪った魂の断末魔が止まらずに、だが耳を塞いでも意味はない。呪いの声は彼女の脳髄へと直接響いていた。

 そんな笑いながら黒い涙を流す女だった獣を置き去り、二人は足を進める。

 

「余は、余は……―――吸血鬼ではない。ないのだ!

 楽しんでおらぬ、遊んでおらぬ、人を弄んでなぞおらん。故、違う……余では無い。オスマンの外道共を殺しただけだ。あの鬼畜共を根絶やしに……余は、この我が故国を守る為に―――竜の子として……違う!!

 オスマンでは、ない…………?

 あやつらは余の騎士団では、ワラキア公国軍ではなかった?

 ならば、ただの人でなし……―――化け物。人喰いの化け物ではないか……吸血鬼では、ないのか?

 余は、ただの吸血鬼だったの……か?

 有り得ない、有り得ない有り得ないのに―――黒い血が……泣いておる。魂を喰らった余の血が、余の全身で……あぁ、狂おしい。余は、吸血鬼だ!

 ふふふ、ふはははははは……―――殺してくれ。心臓を、誰ぞ串刺してくれ……!!」

 

「マリーを殺した。殺した、殺した。僕がまた……また、違うんだ。マリー、違うんだ。フランスが望んで、薄汚い民衆が求めて、やつらが血濡れた虐殺を愉しんでいたんだ……!

 さぞ楽し気に、奴らが喝采して人殺しを喜んでいたんだ!

 僕は全てを見届けた。殺して、殺して殺して、処刑台の上から見届けた!

 気色の悪い人民共、腐れた狂う愚衆共、処刑を求める屑を今度は僕が―――処刑する!

 人の死を嘲笑う国民に死を与えたい。特異点こそ人類の首を斬り落とす断頭台なれば、この僕が処刑の紐を斬り落そう!!

 だから、だからぁ……―――誰か、僕の首を……斬ってくれ」

 

「ゴロジ……ワレラガキシオウ……キッタ。ダカラ、ワタシハテキヲキッタ。ワタシハ、ツミガ、タマシイノナカデ、タマシイガ……ダンザイヲ。ダレガ、ワダジニダンザイヲォォオオオオ!」

 

「誰も教えてくれなかった、誰も何も言わなかった、誰も死体を気にしなかった、誰も私の所業に関心を向けなった!!

 アナタは喜んでくれた!!

 子供達も受け入れてくれた!!

 召使い共も笑って協力してくれた!!

 何で、どうして、誰が惨たらしく死んでも興味なかったじゃない!?

 家畜を殺して何が悪いのよ、私が育てた動物じゃない、私達以外の人間なんてペットじゃない。私と同じ訳はない、虫と同じで痛いだなんて思わない!!

 血よ、血だけが私を美しくする。もっと、もっと浴びないといけないわ。

 伯爵夫人なんだもの。血の伯爵夫人で在るのだもの。あの御方に相応しい美貌にならないと、血を吸ってならないと……うふ!

 ふふふふふ、あはははははははははははははははははあははははははははっはは!!!

 だから、もっと捧げなさい。捧げて、捧げて―――私を、殺しなさい。そうよ、殺せ、殺しなさい。何で、あんな暗闇に閉じ込めて……ころせ、ころせ、私を殺せよぉ……あの娘らみたいに、惨たらしく殺しなさいよッ!!!」

 

 自分の従僕を集めていた大広間。アタランテは発狂の末に廊下に飛び出て、罪悪感に悶えていたが、他のヒューマニティ・サーヴァントは絶叫のまま頭を掻き毟っている。

 ジャンヌとジルは、ゆっくりと見回して微笑んだ。

 計画通り、サーヴァントは精神を崩壊させた。意志を持たない殺戮人形として、有効に使い潰す事が出来るだろう。無論あの竜血騎士団も自分が吸血鬼に成り果て、殺戮を尊んだ罪科に苦しみ、この英霊達と同じ存在になっていることが予想出来る。初期の吸血鬼は囚人を運用しているが、今やその大部分は一般人を吸血鬼化させただけの連中であるのだから。

 何より、そもそも彼らには悪に染まる人間性の意志が、その意識に干渉していた。殺戮に酔い、女子供を喜んで犯し、愉し気に人々を処刑する。そのような分かり易い邪悪な人格に変貌していたのも、悪の受け皿となった闇の意志によるもの。大元からの呼び声がなくなれば、その魂が闇に染まっていようとも、元のカタチを取り戻すのは必然だった。

 誰かを、恨んでいるのではない。ただ憎いだけ。

 人類種と言う生命と、そして人間が生きる世界にとって―――罪で在れ。

 その役目と終えたサーヴァントと騎士は、人間が人間に悪として仇為した罪業から解放された。闇に染まる魂は変わらないが、あるべき善性を全員が取り戻した。結果、快楽のまま獣となった己を罰する自責の念により、皆は精神を崩壊させた。

 

「阿鼻叫喚。酷い物ですが……英霊に、罪悪と言うものは良く効くのでしょうね」

 

 だが、まだまともに喋る英霊が二人。

 

「アタシゃ、アンタらの手口にドン引きじゃよ」

 

「そう言う貴女は余り聞いていないようだけど、デオン?」

 

「否定したいのじゃが……老化した上、そもアタシは亡者化した魂喰らいの化け物よ。魔女さん、アンタほどの怪物じゃないがの」

 

「だからアッシュからはババアになったって聞いたけど、老化に亡者が関係しているのですか?」

 

「アタシゃ灰女に与えられた人間性を拒否し、そして奴らの呪いが霊基に溜まって枯れたのじゃ。そうよなぁ……強いて言えば、半分英霊、半分亡者じゃな。

 ……半端な亡者となった故、こうして顔が百合のように枯れたのよ」

 

 得た人間性は、望めば知識を容易く与えた。脳の中で、数多のヤツラが囁いている。闇はまるで仲間を求めるようにデオンを誘い、だが不死ではない為、枯百合の騎士は老化によって亡者へと近付くのはさけられない。

 

「じゃが、そもそも人間と国家に失望したのが老いたデオン(アタシ)だ。端から全て諦めておる。辛いし、苦しいが、まぁ普通に狂っておるだけじゃよ。

 取り敢えず死ぬまで戦えれば―――それで良し。

 佐々木何某、アンタもアタシと同じでそれだけで良いじゃろうよ。ま、そっちはまだまとものようじゃがな」

 

 涙を流す老婆。男は皆と同じ黒涙を流しながら、その女に頷き返した。

 

「元より、明鏡止水。そして、端からだたの人斬りよ。私は、私を打ち破った契約者の指示に従うまでだ」

 

「頼もしい限りじゃな。じゃが、そんなアンタでも涙は抑えられぬか」

 

「ふ。人ならば……人の心を持つ者ならば、人に狂っている故に耐え切れぬ。我らの罪悪を超越するものではなく、償いによって背負う悪ならざる罪なのだろう。

 無の境地に至る私も、お主らと同じく例外ではない。人斬りの罪科は逃げられぬ業で在るべきだ」

 

 鼻で笑う侍。そして、静かに女がその場に現れた。

 

「―――予想以上ですね」

 

 狂った連中を見守る中、灰は何の気配もなく皆に近付いていた。儀式と称して何かを行い、こうしてサーヴァント達が発狂する程の自体を引き起こしたのに、彼女は何も変わっていなかった。

 膨大な魔力もなければ、英霊ですらない―――人間。

 傍目から見れば、カルデアのマスターである藤丸立香と何ら変わらない存在感。

 しかし、魔女たちはこの灰こそが最も狂った生命体であることを第六感で察していた。

 そんな人間でしかない彼女は、しかし静かに阿鼻叫喚を見ているだけだった。それこそ何でもない日常の一風景が視界に映っただけのような、平穏に日々を生きる一般人と変わらない気配で立っているだけ。

 

「おぉ……アッシュ殿。我が友よ。目的は、果たせましたか?」

 

「はい。問題なく」

 

「素晴しい。何よりも、友として大いに祝福を!」

 

「ありがとうございます、ジルさん。全ては私の我が儘を聞いて頂けた貴方と、そしてジャンヌさんの御蔭でしょう」

 

「……契約です。気にしない様に」

 

「ならばこそ、その契約を果たしてくれた貴女に感謝を」

 

「ふん……―――で、何も変わってない様にしか感じないけど?」

 

「ええ。ですが、それで良いのです」

 

「あっそう……その割に、嬉しそうでもないし、達成感も無い訳ね?」

 

「肯定します。もう空っぽですから」

 

 感情がごっそりと抜けた希薄な笑み。文字通り、心の中には何も無い。空の魂に、炉だけが存在するただの不死でしかなくなった。

 とは言え、火無き亡者の灰にそんな人間らしさを求める事が可笑しいのだが。

 使命を忘れぬ灰ならば、まだ心情は残っていよう。しかし火を簒奪した灰であるなら、その強固な器の自我以外は全て燃え尽きて当然である。全てを失った空の魂に、そんなモノを見出す方が哀れであろう。

 

「ねぇ、アッシュ。気になることが一つあるのですが?」

 

「何でしょう。分かる事でしたら、答えましょう」

 

「私は、ジャンヌ・ダルクです。召喚者であるジルに望まれ、復讐の側面としてこの世に呼び出されました。そして、貴女が私に捧げた人間性の呪いは、この身を邪悪な魔女として在るべき確かな楔を与えました。

 竜を使役する聖女と反した力。

 黒竜の瞳を得た私の黒い火炎。

 けれども、けどね……余り、この憎悪は変わらないの。聖女としての私が僅かでも戻った筈なのに、フランスを愛する心が私には欠片も無い」

 

「そうですか。けれど、ジルはそう願ってジャンヌ・ダルクを召喚しました。だから、貴女にはしかと生前の記録が魂に刻まれております。

 共にフランスを焼く、復讐を願う聖女を……と。

 愛など貴女が貴女として召喚された時に不要だと、魔女たるジャンヌが捨てたのです」

 

「でも、それでも疑問に思うことがあるのです。確かに、私は狂い果てた霊基により、旗の聖女から竜の魔女に堕ちました。けれど私は本当に、あのジャンヌ・ダルクが変質した存在なのか?

 本当は、何もない零から、今の私と言う壱が産み出されたんじゃないかって?」

 

「いいえ。貴女には原型が存在しています。誰かの妄想で形を得たのではありません。望まれて、貴女は貴女のカタチとなってこの世に呼び出されました。ジャンヌ・ダルクから落とされ、ジルと私に願われてこの特異点(セカイ)で生を受けました。

 偽物ではなく本物の魂を持ち、魔女として聖女から産み出たサーヴァントが貴女なのです」

 

「そうですとも、我が魔女よ。貴女は決して偽物ではなぁい!

 聖杯を得た私は確かに復讐を共に行う聖女を望み、その奇跡によって貴女はこの世に生まれたのですから!!」

 

「―――……はぁ。そうよね。この悦楽と苦痛は、私が感じている真実だもの」

 

「はい……しかし、ジャンヌ。貴女が不安に思うのも仕方なきこと。聖女である貴女は愛に満ち、決してフランスを憎まないでしょう。裏切られ、火刑に処されても、私が憎んで欲しいと懇願しても、復讐を選ぶ事はないでしょう。実の母を竜の炎で焼き、それでも復讐を鈍らぬ決意で遂行することは……彼女では、出来ますまい。

 ―――だが! それでも! 貴女だけは違う!!

 貴女は確かに、ジャンヌ・ダルクではない魔女たるジャンヌに他なりません。求めた私が、貴女に誓って断言致します!!」

 

 その狂信、確かに嘘はない。真実であるとジャンヌは啓示された。同時に、隠している事があるとも察していた。嘘を容易く見抜くが、聖女ならざる魔女としての啓示は巧妙に隠蔽さえも見抜いてしま得た。

 

「……良いわよ。騙されて上げる。

 我が復讐には不必要な知識だと分かりました。

 けど、ジル・ド・レェ魔導元帥。最期には貴方が私にするその隠し事、明かさなければ、あのジャンヌを―――私が、焼きます」

 

「ジャンヌ、それは……―――ですが!?」

 

「………………」

 

「……宜しいでしょう。約束は、確実に」

 

「だったら、良いわ。でも、全ては焼き終えてからです」

 

 ジルは苦渋の決断だった。彼女には嘘は吐けない、吐きたくない。自分の信仰を偽ることだけは、絶対に。だから隠すことに決めた。最後まで隠し通そうと決めた。アッシュにも、それに協力する契約を結んだ。

 けれど、深くあの聖女と関わり合えば、気が付くのも必然だった。

 そうだと分かっていたのに、それでもジルは出来なかった。火刑から救われた聖女は、魔女と共に生きるべきだと願っていた。

 

「賢しい娘ですね、ジルさん」

 

「アッシュよ、私は間違っていたのでしょうか?」

 

 広間を過ぎ去るジャンヌの背中を見詰めながら、ジルは懺悔よりも深い後悔を吐露した。それは未練でもあり、同時に復讐心でもあった。

 

「何も。悪行だとしても、人の為に生きて死ぬのが人の証ですから」

 

「―――自己犠牲ですか……下らない。実に、下らない感傷です。そんな言葉を、まさか貴女が言うとは……いや、まさかそう言うことなのですか?

 貴女は、願われたから目的に決めたのですか?」

 

「貴方も賢しい狂人ですね。否定はしませんよ。それでも私は魂を求める化け物ですから、誰かを殺すのに人らしい理由は要りません。ソウルを貪りたいなら、自然とそうするだけです。

 ただ……―――真実が、知りたいのです。

 皆が苦しんでいたから、最期までまともだった私はせめて、私達の最後を知りたいだけです。

 今の私からすれば、貴方の願いも同じです。私自身には何も有りませんが、託されたからには結末が欲しい。灰の業を誰かが望むならば、世界を焼くのを躊躇うこともありません」

 

 原罪の探求者は望んでいた。誰もが何も分からぬままに苦しみ悶え、死ぬことも出来ずに枯れる世界。せめて、光も闇も届かない不死が死ねぬ答えが欲しかった。

 火防女は望んでいた。太陽が沈んで全てが終わりを迎えた筈の残り火の時代、それでも不死と同じく続く世界。せめて、灰が火継ぎの役目を果たして終わって欲しかった。

 奴隷騎士は望んでいた。歩みを止めて穏やかに腐ることを選んだ者共の拒絶、だが画家のお嬢様が描く世界。せめて、自分自身が顔料となって彼女の助けになって欲しかった。

 灰に望みなどない。

 託された願いがあるだけだ。

 中身の無い器の灰は、誰かの為ならば自己犠牲も厭わず死に続けた。目的の為にあらゆる悪行を何も思わず行い、人助けの為ならば自らの死に関心を示ず死闘を強行した。始まりは王を玉座に取り戻すため、彼らの首を断頭して集めたことだろうか。

 灰は―――王殺しの処刑人。

 勝手に墓を暴かれ、それでも誰かに死を与える空っぽの英雄だった。不死である薪の王のソウルを喰らい、動けなくし、そして死なぬ灰の首を落す為だけの傀儡だった。

 

「そうですか……」

 

 それを知るジルではないが、今までの灰が消えたのは理解出来た。結局は、邪悪であることが誰かにとっての善行であったのだろう。そして、たまたまフランスが地獄に落ちただけに過ぎなかったのだろう。

 

「……ですが、託された何かが貴女の願いになったのではないでしょうか?」

 

「―――はい」

 

「ならば、何も無いなんてことはありますまい。真実を知りたいと貴女はおっしゃった。求めるモノがある限り、我らの探求に限り無し」

 

 灰になる前、亡者だった自分の願い。その疑問はまだ忘れていない。

 

「改めて、私は貴女に願いましょう。どうか我らと共に、怨讐を果たす―――火を」

 

「ええ、その様に。私は私の求道により、人を焼く死を作りましょう」

 









 灰さん、やっとカンスト状態から抜け出せました。設定気的には、光と闇が合わさってガチでチート化。錬成によって火と闇を再誕させ、ソウルの注ぎ先を得ることが出来ました。カンスト灰で火の奪還者なので、まだまだ設定を椎骨みたいに積んでいきたいです。




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啓蒙27:オルレアン

 ガーゴイル冬月「素晴らしい……世界を再び我らに跪かす神の光だ」


 数日後、カルデアは生きていた。しかしマリー・アントワネットが死に、別れた二班がオルレアン郊外で合流し、ゲオルギウスは避難民を安全地帯まで護衛する為に離脱していた。そして、瀕死だったジークフリートの解呪にも成功。

 よって、皆は僅かばかりだが猶予期間があった。ジークフリートにとって漸く得られた快調であり、救われた命を再確認する数日でもあった。佐々木小次郎を犠牲にして生き残り、そしてこの度もマリー・アントワネットを犠牲にして生き残った事実。何が英雄かと彼は迷うも、しかしその悩みも英霊で在る故に自己問答で解決してしまう。同じくマリーを失ったアマデウスも、決戦までの期間は悩まずとも葛藤はあった。しかし覚悟していた離別であり、その葛藤も自己解決してしまった。故に悩める藤丸とマシュを見た二人が、自らの疑念と解答を語り、命を預け合う戦友として会話を行うのも必然の流れなのだろう。その結果、仲間を失った二人はただ決意を深く沈める。

 ……最終決戦の前とは思えない静かな最後の時間だった。

 エミヤは忍びを釣りに連れ、ジャンヌはあのジャンヌに思いを募らせ、所長は銃器と仕掛け武器の手入れを念入りに行い、清姫はエリザと喧嘩をしつつも嫁入り修行の料理と洗濯に勤しんだ。

 

〝まぁ、結果だけは良くしたいもの。御父上の冠位指定など興味はないけれど、この状況は好ましくはないのは事実。

 ―――悪い獣は、最後の一匹まで狩らないと。

 しかし、此処まで遠かった。やっと第一特異点の最後かぁ……”

 

 最後の戦地にて、皆の先頭に立つ所長は表情を一切変えずに内心だけで溜め息を吐く。既に視界には魔女共が住まう有り得ざるオルレアン城が存在し、そしてジャンヌ・ダルクが逃げ出した奴らの本拠地でもあった。

 

〝はぁ……活力が足りない。血、ちょっと入れとこ”

 

 袖を捲り上げ、腕に自家製の厄性輸血液を注ぐ。コジマ粒子を混ぜた所長特製の劇薬であるそれは、無論の事だが所長以外が使うと発狂死する。魔術回路が活性化し、神秘が流動し、精神覚醒を行うも、時間を置かないで二度目の薬物を混ぜたこれを輸血すれば、魂が啓蒙され過ぎることで気が狂い果てること間違いなし。サーヴァントの霊基を発狂させる薬品をエナジードリンク感覚で摂取する当たり、アニムスフィア家の担当医であるロマニからすれば即座に止めさせたい所存であった。

 ……ついでに、隠し持っていた煙草も一本。

 指先から発した火をライター代わりに、口で銜えた煙草の先端を発火させた。そして、白い煙が視界を覆った。

 

「………はぁ」

 

 溜め息を煙と一緒に吐いた。獣狩りは人間も人外も焼き、あの街は肉を焼く煙で何時も覆われていた。そんなヤーナムの悪夢を過ごした毎日を思い返し、だが狩りを思い出させる煙草の白煙が好きだった。先端から段々と燃え落ち、灰となって地面へと落ちる工程も好きだった。

 根元しかない燃え殻を地面に落とし、穢れた虫を殺す様に踏み躙る。

 既に焼け野原になったオルレアンの荒野。煙草のポイ捨てをした所で咎める者は皆無であり、焼けた人の死骸が転がる地獄。所長は叡智に溢れた瞳で周囲を見渡し、まるで肉片を焦がし続ける大きなフライパンの上みたいだと無邪気で残酷な幼子のような感想を思い、しかし言葉にせず白煙をまた溜め息と一緒に吐き出した。

 

「所長……」

 

「ん。どうしたの、藤丸?」

 

 狩り装束に着替えた所長の背後で呟かれた男の声。

 

「いえ、意外に思いまして。煙草、吸うんですね」

 

「レフとロマニからは止められたんだけどね。ただ……私のパピーが、私が煙草を吸ってる姿を凄く微妙な顔をしながら見てくるのが、何故か楽しくなってしまってね。気が付けば、趣味になってしまいました」

 

 カルデアにあるちょっと広めな喫煙ルーム。藤丸はそこに行った事もなく、そんな暇もなかったが、カルデアで生活する職員は所長が意志が宿らない胡乱気な瞳で静かに、まるで白痴になった薬物依存症患者みたいに一服している姿を見たことがあるだろう。

 

「それはまた。でも、吸ってたのっていくつからです?」

 

「始めはウィッチクラフトの製薬実験だったから……十四歳くらいだったかしら」

 

 なので、正確に言えば煙草ではない。自家製の薬物であり、ロマニもその薬効を理解しているモノではある。常に血と贓物を欲求する所長からすれば気休めかもしれないが、それでも精神が少しでも“普通”の感覚に安定するならばした方が良いのも事実。

 

「あぁ、成る程。中学二年生程度の時から……―――成る程。

 でも、その歳なら仕方ないですよ。人間が、この世で最も愚かな生き物になる時期ですものね。皆、多分そんな感じですから」

 

「―――……………貴方が、私にどんな印象を持ってるのか、凄く良く分かったわ」

 

 だが、それを否定するつもりはない。オルガマリー・アニムスフィアは神秘を見出す魔術師であり、魔術師など所詮は外れ者。独善的に自分を普通を超えた特別だと認識し、人並みに生きる事が出来ず、社会に適応出来ない存在不適合者。同時に魔術師と同じく自分の思考回路を愛する哲学者や思想家との大きな違いは、形を得ない妄想を実践的に形にすることが出来ることなのだろう。

 無益な思考実験にしかならない有り得ざる超常を、現実に再現してしまうこの世の歪み。

 そんな行いをする為ならば、オルガマリーは思考を超越させることも厭わない。瞳を得た脳より魂が受ける啓蒙とは、知識に蕩ける魔術師をより悪辣な神秘学者に作り変える劇薬でもあるのだろう。

 

「それで、どんな状況なんですか?」

 

「んー……」

 

 遠くに見えるオルレアンの要塞。つまりは、此方側から見えるとなれば、向こう側も見ているということ。啓蒙を導く所長の瞳は要塞の壁も見透かし、そして見詰めた灰と戦神の二人に視線を見返された。

 

「……こっち見てるわね。ま、向こうも向こうで準備は終わってるみたい。後はせーので、どっちが先手を出すかってだけ。不意打ちをしてもいいけど、今回は集まって一点突破の殲滅戦」

 

「それでも、出来る事はしておいた方が良いじゃないですか?」

 

 そんな会話中に向こう側にいる灰と戦神が太陽万歳のポーズをしたので、所長は対抗して交信のポーズを取った。俯瞰的に世界を見る神の視点を得た千里眼持ちならば、灰と戦神と所長が決めポーズ合戦を急に始めたのを認識出来るのだろうが、そんな都合のいい瞳を持つ者など限られている。しかし居れば余りに意味不明な光景を前に、宇宙に放り出された猫みたいな表情を浮かべても不思議ではない。

 Y字とL字の神秘が意味もなく、互いに互いの祈りを祈っていた。だがそれでも火は神と人に崇められ、悪夢の高次元暗黒より心理波長が意志を狂わせるのだろう。

 ……裏側で意味不明な闘争が起きている事を知れず、藤丸はそのまま会話を続行した。突如としてオルレアンの要塞に変なポーズを示す所長を、藤丸は何時もと変わらない光景として脳内で処理していた。彼の心は、どうしようもなく珍事に動じず、そして強く鍛え上げられていることだ。

 

「バレてるし、逆効果よ。罠に誘導されて、各個撃破がオチってところ。まだ計算し易い戦術の方が安全でしょう」

 

「そうですか」

 

 しかし、ポーズのキレの良さは互角と判断。灰と戦神は所長に微笑み、所長が二人に微笑み返し、互いに視線を切り、特に意味がない勝負は引き分けに終わる。そんな二本目の煙草を吸い始めた所長に、やっと藤丸は自分の本心を明かす決意が決まった。その為に、多分彼女は彼がする決戦前の世間話に応じてくれていたのだろう。

 

「勝てますかね?」

 

「勝つのよ。戦力は十分揃ってるし、皆のやる気も十分以上。それは、貴方も同じことでしょう?」

 

「そうですかぁ……―――いえ、そうですね!」

 

 部下の様子など手に取るように理解出来る。それは戦争に対する死の怯えであり、失敗を恐れる臆病さであった。だがそう在る事を所長は藤丸に望み、未来を生きる為にそれでも戦おうとする彼の姿が、英雄であるサーヴァントにとって自分が守るべき人間のマスターとして相応しいと思われる要因の一つでもあろう。

 でなければ―――声に、意志は宿らない。

 藤丸立香が話す言葉に嘘がないのは、常に生きたいと全身全霊だからだ。生きる為に世界を救おうとする少年の足掻きは、誰かに望まれて呼び出された死後の英霊からすれば、存在意義そのものと言っても間違いではない願いである。

 だから、藤丸立香はそれで良いと考える。

 オルガマリーからすれば召喚したサーヴァントにそう思わせてカルデアに協力させる事こそ、彼だけが出来る本当の職務だと密かに本心を隠していたのだから。

 

「それと、藤丸。言おう言おうと思ってたんだけど、別に私には敬語じゃなくて良いわよ」

 

「え、そうなので……そうなの、所長?」

 

 順応性が高過ぎるなぁ、と思うが思うだけに止ませる。そもそも臨機応変にそう言う対応が出来るからこそ、自分が世辞や冗談でそう言ったのではないと判断出来る能力を持つ男だからこそ、藤丸を彼女は許したのだから。

 

「私は、私の隻狼と翻訳を介さない素の日本語で話す為に、日本語をマスターしました。なので、魔術翻訳しないで貴方が話す日本語で会話してるから、カルデア式の即席翻訳を挟まないの。よって面倒な意訳とかもないし、ぶっちゃけ馴れ馴れしい方が、貴方は話しやすそうだったからね。そのまんま、藤丸立香の素の口調で良いです」

 

「そんな……嘘、あの所長がデレた!」

 

「なによ。自分で言うのもあれだけど、私は基本的にチョロいわ。そもそも私に優しい人と、私の指示を守る部下にはデレまくりじゃない」

 

「そうだったね。ごめん」

 

 気を遣わせるのも心理的負担になる。サーヴァントとの交流だけでも疲れる立場である藤丸に対し、彼女はカルデアの所長として完璧に近いコミュニケーションを取っているとも言えた。所長からすれば過度な信頼は邪魔となり、自分の言葉を信用して指示を守って貰えれば良い。尊敬や義務感は部下に不要と思い、だが指示に従い続ける事で人は自然とそれが習慣となる。重要なのは、自分の仕事を全うしたいと言う責任感だけだった。

 そう接している所為か、オルガマリーは歪で不可思議なカリスマ性を持つ。藤丸も、彼女が普通なら付き合い難い神経質な貴族らしい雰囲気を持ちながらも、話してみると見栄も飾りもない素直過ぎる奇妙な尊大さが嫌いではなかった。

 

「……あ、そろそろ来るわね。藤丸、礼装と令呪の準備をきっちりしておきなさい。それとエミヤ、どんな雰囲気?」

 

「はい!」

 

「ワイバーンに乗る騎士団が見えるな。サーヴァントも紛れているのだろう。

 ただ……そうだな、少し様子がおかしい。前回の邂逅時と違い、闘争を愉悦する殺戮者の気配がない。まるで、ロボットのような機械的な進軍に見える」

 

「そうなった理由は分からないけど、変化点は留意した方が良いわね。戦う事に違いはないけど、何が起こるかは最後まで分からないのだから」

 

「つまりは、それぞれが各々の作戦実行の為に臨機応変に、と言うことか」

 

「正解。まぁ、サーヴァントって全員がそう言う面だと優秀だから、一通りの作戦以外は自由に行動して頂戴。後、ロマニ、そっちの計測はどう?」

 

『うん、ワイバーンだ。今この瞬間、敵性反応を観測出来た。ボクらを殺すと、そう決めて飛び立ったのは確実だろうね』

 

「分かった。何かあれば、即座に連絡するように」

 

『了解したよ、所長』

 

 脳が瞳に啓蒙され、その事実を認識する。オルレアンの要塞から飛び出た魔女の軍勢を視認し、籠城する敵を討つ対城攻略戦は回避された。とは言え、別に所長はそれならそれで良かった計画を立ててはいた。此方には城を滅するに相応しい宝具の持ち主を藤丸が召喚可能であり、エミヤも無理をさせればエクスカリバーの劣化投影も可能。そして、ジークフリートの宝具は対軍宝具に属するが、そもそも城を吹き飛ばすには十分な破壊鎚となる魔剣であった。無論、オルガマリーが為す高次元暗黒招来による隕石召喚もまた有効。

 しかし、それでもやはり、相手もその条件を知っている。

 それ相応の対応が可能なのも事実。籠城する敵を相手するには戦力は足りても時間が掛り、だが相手も野戦ではないとワイバーンやファヴニールを有効に使う事が出来ない。

 

「―――やはり野戦か。

 オルガマリー・アニムスフィア、貴女の言う通りになったな」

 

「引き摺り出す為の策もあったのけれどね。でも、挑発するまでもなく、あっちが態々こっちの思惑に乗ってくれたみたいね。

 だから、頼りにしているわ。竜殺しの勇者ジークフリート」

 

「期待には出来るだけ応えよう。我が魔剣の伝説に賭けて」

 

「うん、宜しくね」

 

「ああ。共に、生き抜こう」

 

 ワイバーンと、それを操る竜血騎士団を前にし、ジークフリートは一番戦闘に立った。藤丸立香と契約することで魔力も充足し、鎧と剣の宝具も万全。

 何よりドラゴンを相手せず、何がドラゴンスレイヤーか。

 オルレアンに満ちる邪竜の軍勢。既に距離は竜殺しと十分に近付いた。宝具使用に有効なレンジ内に収まり、最大火力で以って殲滅戦を開始する。

 

幻想大剣(バル)―――……天魔失墜(ムンク)ッ!!」

 

 滅びの黄昏に光る蒼い魔力。いや、古き世界に満ちた真エーテルの極光だった。宝玉より溢れた第五真説要素は、例え真エーテルが枯れた世界だろうと絶大な力を示す。その輝く光に触れた邪竜は一瞬で蒸発し、竜血騎士もまた細胞一つ残さず焼き消されて逝く。

 勇者に慈悲はあれど、振われる幻想大剣に慈悲は無し。

 薙ぐように放たれた魔剣の光帯は空飛ぶ竜騎士軍勢を破壊し尽くし、殲滅を容易く成功。

 

「第一陣は滅ぼせた……けど、魔女共も戦力を小出しにするわね。あいつら、ジークフリートの宝具威力の測定に、味方を囮に使い潰したみたい」

 

「だろうな。まだ邪悪な気配が、あの城で蠢いている」

 

 数百人の騎士と、数百匹の飛竜を殺したと言うのに、ジークフリートは汗一つ掻かなかった。人を虐殺したと言うのに表情一つ変えなかった。それは仲間を守り、世界を守る戦いなのだとしても、確かな正義の味方に相応しい偉業なのだとしても、戦争とは殺人を積み重ねる営みに過ぎない。

 これが伝説を有する英雄なのだと―――マシュは、誰にも気付かれないよう畏怖していた。

 自分にあれが出来るのか、否か。あの破壊が可能なカルデアの大量虐殺兵器を手渡せたとして、それを平常心を保ったまま使い、人を殺すことが出来るのか、否か。先輩の為、人類の為、カルデアの為、そんな言い訳を思わず、何かを守れる自分で在れるのか、否か。

 

〝やはり血に酔った吸血鬼なのだとしても―――私は、私は……ッ!?”

 

 実際に怒りのまま敵を殺したと言うのに、手がまだ震えそうだった。戦闘が始まれば収まるのに、戦いの直前は恐れと怯えで心が凍り付くのが止められない。震え続ける恐怖心を闘争心で無視する事がまだ出来ない。命を奪い取ると言う殺害行為を職務とするカルデア職員に、そう望まれた人造兵士に、心身を作り変え始める事が許されていない。

 だから内心では早く戦って、先輩(マスター)と仲間を守りたかった。

 戦いさえ始まれば、自分もサーヴァントに〝成り果てる”ことが許可されている。自分で、自分の感情を塗り潰すことが出来るのだから。

 

「マシュ……――」

 

「え、はい。何でしょう、ジャンヌさん。もう戦いは始まりましたよ?」

 

 英霊を憑依させた所為か、本能的にジャンヌに内心を見破られたことを彼女は察した。しかし、口から出たのは誤魔化しの言葉。

 ジャンヌも、この光景が痛ましいのは分かっている。本来ならば、マシュのような人が見るべきモノではない。とは言え軍人として喜ばしい戦果だとは分かり、ジークフリートを兵士の一人として素直な気持ちで讃えてもおり、どちらかと言えば今は其方方面の気持ちの方が大きい。

 仲間としてジークフリートの行いを肯定し、けれども仲間としてマシュが心配なのも本当である。

 

「―――慣れる必要はありません。

 辛いことは辛く、痛いものは痛くて良いのです。何時か、何処でも良いですから、貴女は誰かにその気持ちは告げなさい」

 

「……ッ―――――それは、けど……良いのでしょうか?

 人でなしの怪物だったとしても、人が死ぬことを許した私は、人に許されるのでしょうか?」

 

「許します。これから先の未来、どんな悲劇に出会って、何が起ころうとも。ジャンヌ・ダルクがマシュ・キリエライトを―――赦します」

 

「……はい。ありがとうございます、ジャンヌさん」

 

「友達……―――でしょう?」

 

「はい!」

 

 肩に置かれた手が暖かい。初めて出来た友人なのかもしれない。カルデアでは話をする人は多くいたが、気持ちを語り合う事はなかった。カルデア特異点攻略Aチームに組み込まれ、仕事の同僚として関わり合う事は“皆”と多くあったが、マシュにとってそれだけでしかなかった。仕事を共にするだけの同僚でしかなかった。ドクターとはマシュも良く会話し、レフとも良く話をし、自分の心の内も明かしてはいたが、友人ではなかった。オルガマリー所長も面白い人ではあったが、友達には程遠い上司であった。三人共、信頼出来る大人の保護者であった。

 世界に色が付き始めたのは―――藤丸立香(センパイ)に救われてから。

 ジャンヌに友人と呼ばれて嬉しく思えるこの感情も、マシュはマスターから行動で教えて貰った人の心であった。

 だから、今はそう在りたいと願っている。

 自分のような人間性が希薄な女を、笑顔で友達だと言ってくれる人の期待に応えたい。

 彼女から友達と言われ、普通に生きる人間なら普通に出来る人間関係に過ぎないのかもしれないが、マシュにとっては特別だ。

 特別だから―――マシュは、不安に襲われても普通の儘でいられるのだろう。

 

「ファヴニール……っ――!?」

 

「本丸が来たわね。試しに宝具でも撃ってみる、ジークフリート?」

 

「無駄だろう。この距離で、更に壁役の竜血騎士団もいる現状、奴の息吹で掻き消されるだけだ。あの竜は作戦通り、俺が出向いて討とう」

 

「そうね。じゃあ、皆―――これより、竜の魔女撃滅作戦を開始する!!」

 

「「「「「――――――――」」」」」

 

 返事はなく、けれど戦意はあった。頷き、全員が走り出す所長に続いた。そして、走る所長はそのまま魔術の詠唱を開始。嘗て、あの冬木の洞窟で使われた神代以上の叡智が世界を侵食する。

 唄う言葉は―――宙の神秘。

 突如として焦げた荒野が広がるオルレアンの暗い空が、より黒い宙に生み変わった。高次元暗黒に繋がる門を開き、星の小爆発を呼び出す秘儀であろうが、啓蒙されて更なる叡智を得た所長は上位者の神秘なる寄生虫を理解していた。

 彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)が、今これより―――降り注がれる。

 宇宙となった空は、暗黒となりて星を落とす神秘となった。何故ならば、宇宙は空にある。星そのものが宙より墜落し、空を飛ぶワイバーンと騎士を狙い、そして要塞ごと全てを破壊せんと闇より煌いた。

 

「―――――……火よ」

 

 宙に対する煌きは、地より昇る雷。大王グウィンは火より雷を見出したのならば、最初の火を残り火から甦らせた亡者の王は、その火より何を見出せるのか?

 ―――太陽の光の槍(サンライト・スピア)

 為された奇跡の名前として相応しい神の物語。だが、そうではなかった。奇跡の名として、その雷槍はそう在るべしと光輝くが、もはや雷神の権能を火は超えた。物語の名の通り、火の雷となった炉の奇跡であった。強いて言うならば、炉の槍とでも呼ぶべきなのだろう。

 まだ宙より出でず、空に星が落ちる前―――強い光が、高次元暗黒を穿つ。

 目映さを超えた壮絶な閃光。瞳の網膜を焼き焦がす雷撃の太陽は輝き、空に浮かぶ宇宙は一瞬で恒星の光で満ち溢れる。

 

「最初の火よ……在るが儘、我らに見出し給え」

 

 暗い宇宙が広がる空に飛雷する権能の奇跡。空に在る宇宙と雷光がぶつかり、そして炉から生まれた雷の槍が地表を揺るがす程に爆裂。

 ―――空が、裂けた。

 とある神話体系の主神が為した雷槍の如き権能の規模。

 暗い宙を焼き尽くす程の雷鳴が再度響き、宇宙となった黒い空が焦がされる。

 無論、本当に宇宙を崩壊させる火力を持つ訳でもない。そこまでの熱量を持つとなれば、太陽系が蒸発することだろう。だが、それでも世界を攻撃する対界奇跡に他らない。星を襲う宇宙からの脅威に対して聖剣は光り、あの冬木の洞窟にてオルガマリーの宇宙は裂き滅ぼされたが、この不死は聖剣に並ぶ何かを隠し持っている事を周囲に理解させた。

 

〝またね。また防がれた。

 私なりに啓蒙させた彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)だけど、相手が毎回ねぇ……”

 

 どれ程の虐殺性を持っているのか推測は出来るが、まだこの秘儀を実戦で試せたことはない。あわよくば相手の本拠地ごと隕石で皆殺しにするのもまた良かったが、宇宙を撃退する対抗手段をアッシュは有していると判断。今回はそれが分かっただけも良かったと、情報収集の成功を喜ぶべきと自分で自分を納得させた。

 何故ならば、雷鳴が何も有さぬ―――無を、壊す。

 空に開闢された宙を壊すとは、大いなる無窮の天に人の手が届いた事を示していた。

 

「オルガマリー、空が……?」

 

「どうやらあいつがいる限り、私の最大魔術は発動前に封じられるって訳ね。ジャンヌ、あの女と一人で戦っちゃ駄目よ。攻撃を防ぐのも止めておきなさい。

 面倒だけど策通り、あいつと戦神は私か隻狼が何とかしておきましょう」

 

「お願いします。あれは少し、我ら英霊とは……強さが異なってますから」

 

「そうね」

 

 魔術でもなく、魔法でもなく、権能でもなく―――理解出来ない神秘と奇跡。英霊の座における知識を得ているジャンヌではあるが、亜神となった自分を宿す聖女でも真実は啓示されなかった。

 あるいは、神だろうと知り得ぬ領域なのか?

 それとも、人では辿り着けない悪夢なのか?

 おぞましきはそもそもな話、この地獄を作り上げた二人――所長と灰がカルデアであると言う点。

 ジャンヌは初めて見たオルガマリーの暗い宇宙を……悪夢の夜空を見て、脳を掻き乱す狂気を感じ取れた。それは敵側の灰が宇宙を穿つ雷と同じ魂を狂わせる恐怖であり、英霊としてある種の使命感を抱かせる脅威でもあった。

 ……この者共は、世界を滅ぼす因子であると。

 世界を焼却した事件とは別種の、人の魂を焦がす闇であると。

 それは悪でなかった。人類悪には程遠く、況して人類愛な訳がなかった。

 けれども、それでもオルガマリー・アニムスフィアは信じたい。いや、信じなければならないと彼女の人間性が訴えていた。カルデアは話をして分かったが、ジャンヌから見て良き人だと悟る事が出来た。何より所長はマシュと藤丸が信頼するに値する人格者であり、通信越しで聞く男も怪しいが、確かな使命感を持って世界を救おうとしていた。

 そして、エミヤと言う男が協力している事実。

 恐らくはアラヤと契約した守護者だと判断可能な彼がサーヴァントとして、この世界を守る戦いに挑んでいるならば……―――と、思い悩むもそんな思考を斬り捨てた。

 悩んでいる時間など、ジャンヌにはもうない。最後の戦いが始まる前に、既にこの暗い夜空は教えられていた筈。だがそれでも尚、疑念はベタ付く粘液のように心へと張り付いてしまう。

 

「ジャンヌ。悩んでも、その疑念に価値はないの。無意味とは言わないけど、葛藤の時間は大切だけど、敵も味方も感じたまま決めるべきよ。

 だって、そもそもね……―――人類なんて、何処にもいないから」

 

「――――それは、どういう?」

 

「世界が一つ滅んだところで、人類にとって取るに足りない贄に過ぎないんだもの。犠牲とは、そもそも全体の利益の為に生まれた人の営みですから。

 ならせめて、自分が暮らす世界は守りたい。

 贄に選ばれようとも守るのが、人類として生まれた知性体の定めとあれば厭いはしないの」

 

「では、貴女は何の為に……この戦いを?」

 

「勿論、人類の為に。そして、未来を啓く黄金の時代を」

 

「オルガマリー・アニムスフィア……ならば、カルデアは―――」

 

「そこは別段ねぇ……まぁ、選ぶのは世間の皆様だから。

 魔術師である私はこの危機から守るだけで、未来をどうするかは文明にお任せよ」

 

「信じて良いのですよね?」

 

「見張るのが目的だろうと、別に貴女ならカルデアに来て良いのよ。

 むしろ、来て欲しいわ。尤もそれだってこの特異点を解決した後だし、人理焼却の阻止を共にしてくれるならだけど。

 一つ言えるのは、我らカルデアは貴女を歓迎しますってこと……盛大にね」

 

 それはどちらの“ジャンヌ・ダルク”に対して言ったのか。問わずとも、彼女は理解していた。恐らくは、もう未来を“見”えてしまっているオルガマリーの精一杯の誠意であり、自分が為せる最大限の助けであるのだろう。

 

「そうですか……」

 

 一言だけ、ジャンヌは呟く。そのまま戦線まで走りながら、二人は息一つ乱さず疾走。即座にジャンヌの疑問を垣間見て、それを解決して迷いを消す所長の手腕は恐ろしく、それを通信越しで“視”ていたロマニは彼女を恐ろしく思う。神や魔物、超常の存在は数“視”れど、ロマニからしてオルガマリー・アニムスフィアは精神的超越者だった。言うなれば人並みの精神性を持ち、だが超人を超えた上位存在の知性を持ち、そして叡智を渇望する狂人でもある。

 尤もそれらを別として、人格は信頼していた。

 故にその発言に何も言わず、戦場の観測に彼は一意のまま専念する。

 

『皆、敵性反応―――サーヴァントだ。

 接敵後、最初にぶつかる騎士と竜に紛れて、奴らが来る筈だ』

 

 カルデア陣営の全員に最後の警告が下った。これより先は、個人個人の戦闘が勝敗を左右する。

 

「ジークフリート……!」

 

「了解した、マスター」

 

 敵先陣。蝙蝠の翼を広げ、音速を超えて飛行する吸血鬼(ヴァンパイア)―――ヴラド三世。

 その彼を騎士団長とする精鋭部隊となる竜血騎士団がワイバーンに乗って追飛行し、何かに狂わされた声を洩らしながらカルデアを襲撃する。

 

「殺して……―――殺してくれ。

 余は罪を犯した。オスマンと人を断じ、人を喰い殺したのだ。カルデアよ、どうか慈悲を。死の慈悲を。余と共に、罪を犯された我ら竜の穢れた血に、どうか死の裁き!!」

 

「殺し、殺してくれ……―――許されない、我らは決して許されない」

 

「人なんて殺すつもりはなかった。人の血を、呑みたくなんてなかった!!」

 

「地獄に落としてくれぇ……俺は、この手で、妻と子を犯し、殺し、魂を貪った。貪ってしまったんだぁぁあああああああああああ!!」

 

「死なせてよ、死なせてくれぇよォォオオオオおああああああああああああああああああ!!!」

 

「死んで、我らは神から去る。地獄だ。この世は地獄だ……殺せ、ころせよォオオ!!!」

 

「死んで神になる。死んで神になる。シンデ紙になる。真で髪になる。真で死んで、死んで真でシンデしんで死んでカミにナル」

 

「殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれぇ殺してくれェコロシテクレェエエエエ」

 

 悪を失った亡者の群れ。腐った魂が浄化された悪鬼ならざる人の群れ。もし、もしも……邪悪に堕ちた人間が清められ、腐れを失い、善なる心のみが残されたとしたら―――罪は、何処に在る?

 その答えが、彼ら竜血騎士団の正体である。

 悪罪の具現とは即ち、贖罪の顕在で在った。

 犯してしまった罪科を滅ぼしたいならば、もう魂を焼く以外に亡者は救われない。

 人を殺して愉しんだ人でなしに転生させられ、人が人に行う凡そ全ての悪を実行したが故に、もはや竜血騎士に悪性は不要となってしまった。彼らの善性を麻痺させていた灰の絶望(ソウル)は最初の火に焚べられ、炉の燃料となってしまった。

 ―――殺して、欲しいのだ。

 闇は燃え殻となって残るのに、悪だけが灰も残らず消えてしまった。

 竜血騎士を動かしているのは、人に対する親しみに他ならなかった。

 生み出された闇は意志を持ち、伽藍の魂に入り込んで体を動かした。

 

「これが邪竜の血から生み出された本当の……―――私の、竜血騎士団」

 

 魔女は、慈しみを覚えた。憐憫の感情を獲得した。狂っていれば、腐っていれば、此処まで哀れにはならなかっただろうとほくそ笑んでいた。

 所詮は、ブリテンの残党。

 喰らい残しのフランス人。

 吸血鬼にさせられた奴らの大元を考えれば、哀れみは覚えようが、その末路に救いは与えない。死んで終わる事が救いだと思わせる程に絶望し尽くし、世界を救いに来たおぞましきカルデアの手で殺されてしまえば良い。

 

「でも憎悪って……本当に、始末が悪いわね」

 

 けれども、少しだけ暗い心が晴れて()く。魔女はただただ命令を。救われたいなら死にに逝けと、竜血騎士団に命じるだけである。

 ―――黄昏は、そんな彼らに対する終焉となろう。

 全てを竜殺しの勇者は理解していた。同じく竜血によって人を超越した彼は、騎士団の絶叫を心で解していた。その想いを込めて再度、ジークフリートは魔剣を掲げた。柄に仕込む宝玉を露出させ、刀身に真エーテルが凝固する。

 輝くは、竜の死―――バルムンク。

 罪人が相手なのだとしても、その罪が無理に背負わされた悪なのだとしても、勇者は乞われた死から逃れる事を良しとはしない。

 

「終わりにする、幻想大剣(バル)―――天魔失墜(ムンク)……ッッッ!!!」

 

 光の呑み込まれ、騎士団長ブラド三世と、その彼に従がっていた竜血騎士が消滅した。一切の抵抗をする気もなく、宝具を発動させる時間もなく、魔剣は魂を光で焼き切った。

 直後―――ジークフリートの背を狙う矢。

 弱点となる葉の形をした痣を狙う魔獣の黒矢は、しかし飛び出た触手が絡め取る。掌の先に出現させた異空の孔より所長は何本もの触手を召喚し、それを自在に操り、狩人による暗殺狙撃を防いでいた。その触手が掴んだ矢を圧し折った後、するりと暗い穴へと戻って空間から霧のように消滅する。

 

「狂ってるっぽいけど操られてる所為か、理性的なのも確か……」

 

 異形なる神秘の発露。対物狙撃銃に匹敵する矢に追い付き、空中で掴み取る絶技。一目で人を発狂させるナニカがあの穴の先に存在していると周囲を戦慄させもしたが、当の本人である所長は平然としていた。

 とは言え、他の者はもう慣れた雰囲気。助けられたジークフリートが一番驚愕してはいたものの、ああ言う魔術もあるのだろうとあっさり理解を示していた。

 

「……総力戦になるわね。でもその為に、まず暗殺は目障りだわ。すまないけどエミヤは、あの女狩人を仕留めなさい」

 

「成る程―――フ。ああ、了解したよ。では行ってくる、マスター」

 

「頼んだ!」

 

「任せ給え」

 

 直後―――ヒューマニティ・サーヴァントがカルデアを襲う。カーミラがエリザベートを襲い、小次郎がジャンヌに斬り掛り、サンソンがアマデウスの首を狙い、老デオンが忍びに発砲。既にエミヤはアタランテとの狙撃戦に移行し、一気に各個分断されてしまった。

 所長の計画通り。

 だが、危機でもある。

 

「あっはっはっはっははははははははははははははは!!」

 

 何も面白くはないが、嗤わざるにはいられない。一匹のワイバーンに立ち乗る魔女は、嘲笑の声を恥もなく意識的に上げ、戦場に黒い炎の雨を降り注がせた。竜血騎士に当たろうとも、何も構わなかった。

 どうせ、殺すべき怨讐の屑。

 此処で死ななかった騎士も最後は殺すだけ。

 この国ごと、人の営みを否定して焼け野原にするだけ。

 

「あぁぁあああああああああ!!」

 

「魔女、魔女ぉ……―――魔女ぉぉおおおおおおお!!」

 

「焼ける、焼けるよぉ……死ねるよ。ありがとう、殺してくれて、ありがとう!!」

 

「殺してくれ、俺も早く焼き殺してくれぇ……!!」

 

「あーひゃっははひゃはああああああああ!!」

 

 日照りが何週間も続き、水を失った人々のように、騎士らは火の雨を喜んだ。サーヴァントは巧みに火炎弾を避けるも、騎士はむしろ喜んで火達磨になり、進んで灰となって死んで逝く。

 元凶は燃え、ソウルは焚かれ、だから何なのか?

 強制された。無理矢理だった。知らなかった。分からなかった。理解出来なかった。洗脳されていた。それら全てであろうとも、記憶として魂に罪が記録されていた。

 

「この魔女めぇ……この、魔女め……カルデアめ!!」

 

「お前も死ね。みんな死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね、早く俺も死なせて死ねぇ!!」

 

「貴様も死んで、皆死んでしまえ、カルデアもフランスも死ん死んシシシイんで、死んで殺してくれてありがとうぅううぅ!」

 

「ジャンヌぅうううううああああカルデアァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

「虐殺者、人でなし、カルデア、ありがとう。俺らを、オレラを、もっともっと早く殺して救ってくれぇ!!!」

 

 燃えてしまえば良い。焦げてしまえば良い。カルデアは、竜の魔女によるそんな業の営みを見てしまった。正しく魂が呪われる人間共の惨劇であった。

 だから、盾で斬った。叩き潰した。

 そして、マシュはこの瞬間―――悟った。

 吸血鬼じゃなかったんだと敵の正体を理解してしまった。彼らは自分と同じで、何かを魂に憑けられ、力を与えられ、だがしかし悪性の意志に染まっていただけ。元から邪悪を喜ぶ人間も吸血鬼にされていたのだろうが、その悪性も暴走された結果に過ぎなかった。

 ―――人殺し。

 ―――虐殺者。

 ―――殺戮者。

 化け物にさせられて、人殺しをさせられ、今は魔女にもカルデアにも殺される。

 

「あ、あぁ……ぁああああああああああああああああ!!」

 

 魔力防御を術式で刃状に変化させ、その盾を振り回す。一振りで騎士を纏めて五人は両断し、離れた場所で飛ぶワイバーンを仕込み貫通銃で銃殺。更に義手のマナブレードを高出力で振い、自分を襲って来た騎士をその剣と鎧ごと真っ二つにして殺した。

 だが、それでも相手は吸血鬼。人間だった怪物。

 死体は肉片一つ残らずに灰となる。人間だとマシュは思ったのに、殺したヒトが灰になった。

 それは人の死に方ではなかった。資料に書かれていた通り、生命を失った吸血種の死に方だった。マシュが幾ら彼らに慈悲と憐憫を覚えたとしても、もはや吸血鬼は人間ではなかった。人と同じ善なる精神を甦ったのだとしても、殺戮を行う闇の意志に操られる血袋人形でしかなかった。

 支離滅裂な狂った言葉なのに、そこにあるのは感謝のみ。

 死に向かわせてくれる魔女に、殺してくれるカルデアに。

 竜血騎士は終わりに辿り着き、惨たらしく絶命する末路。

 マシュ・キリエライトはこの時にやっと、自分が何者なのか悟ることが出来たのだろう。後悔があり、罪悪があり、それでも尚、彼女は震える心のまま戦えている事実。

 誰かを守る盾ならば、人を害する武器となる。

 自分の願望を持たずとも、与えられた使命感のみで闘争を臨む者。

 マリスビリー・アニムスフィアに人造された半人半魔にして、オルガマリー・アニムスフィアに運営される人工兵士。考えるまでもなく、矛盾など欠片もなかった。

 人を殺し、魔を殺し、何時かは―――神をも殺す。

 こんな作られた英雄モドキをジャンヌは赦し、そして友人だと偽りなく告げてくれた。ならば、この十字盾を持つ自分が迷ってはならないとマシュは鉄の決意を歩み出し、重い凶器を理性的に振い抜く。マスターを殺そうと走り寄りながらも泣き叫ぶ吸血鬼の頭蓋骨を狙い、血塗れた英雄の盾で敵の兜ごと粉砕した。

 ぐちゃり、と脳漿が飛び散る。

 死体ごと地面に踏み込み、また違う吸血鬼を殺す。

 

「―――――……」

 

 そんな光景を、藤丸は背後から見るしか出来ない。守られる事しか出来ない。戦場には風が舞って、吸血鬼の騎士が死ぬ度に灰が吹き荒れた。その灰は罪人にさせられた犠牲者の断末魔であり、どんな叫びよりも軽かった。無機質なただの灰塵だった。

 戦いから目を逸らさず、その上で藤丸は見た。

 ワイバーンに乗る竜の魔女。何もせず、見下すだけの灰と戦神。そして、一番後方で飛ぶファヴニール。

 

「……え―――?」

 

 オォオン、とその邪悪なる巨竜は現れた。雄叫び一つ上げず、あろうことか上空に空間転移を行って襲来。つまるところ、高速神言による魔術が可能な程の知性を持ち、尚且つそれは竜種の魔術師であると言う事を示していた。

 魔術師(キャスター)を喰らって得たのか、あるいは元より神に並ぶ魔術師だったのか?

 真相は分からないが、邪竜の魂は全盛のソレと成り果てているのは事実。唯一人だけを睨み、闇を喰らう邪竜は咆哮さえせず暗い炎を瞳から撃ち放った。

 

「ぐぅ……ッ―――ぉぉおおおおおおおおおお!!」

 

 正に閃光。睨みの竜眼が、竜殺しを狙撃する。ジークフリートは正面から魔剣で受け止め、上空に弾き流す。余波の熱波で肉体が大火傷をするのが通常であるが、血鎧により全て無効化。だが、黒い騎士が隠れていた。狂い果てた狂戦士が雄叫びを上げて……いや、それは罪に悶える悲痛な嘆きか。だがどちらにせよ、悲鳴と絶叫を混ぜた狂気の声は構わず響き、ワイバーンから飛び降りることでカルデアを上空から襲撃する。

 狙う背中、竜殺しの――弱点。

 しかし、それを見抜けぬ所長に非ず。敵となる的を視認せずに曲芸撃ちを披露し、空中で気配を消しながら落下する黒騎士を撃墜。されど超常の絶対技量を誇る男は、手に持つ剣で水銀弾を弾く。吹き飛ばされるも宙で体勢を整え、着地と共に刺突の構えで突進。

 

「はぁぁああああああああ!」

 

「Aaa■■◆◆◆aaAa――!」

 

 ギィイン、と剣と盾が鈍い金属音。

 けれども、衝撃がお互いを襲った。

 刹那と短く硬直する間。マシュが義手を仕込剣にし、コジマ式魔力光波(ゲッコウ)を一閃。とは言え、その仕掛(ギミッキ)動作(モーション)黒騎士(ランスロット)は学習し、あっさりとバックステップで回避。

 

「来てくれ……ッ―――!!」

 

 そして、藤丸は全ての準備を終えていた。白熱する令呪は、即ちカルデアの大規模動力炉心と連結するエネルギーライン。それは原子力発電所を遥かに超える力と、何でもない人間がたった一人で繋げらているのと同じ。

 余すことなく神経に電撃が疾走。

 細胞が溶解する熱量が彼を襲う。

 既にアーチャーは召喚済みなのを思考し、決戦用に三騎へ呼びかけた。

 そのカルデアより来たりし英霊の影は、セイバー:アルトリア・ペンドラゴンと、ランサー:クー・フーリンと、バーサーカー:ヘラクレス。

 一瞬だけ動き止まった狂戦士を前に、所長とロマニは計画通りと思考。あれの正体が分かれば、知人を出せばその者によって戦意が落ちるか、もしくは戦意が向かうかのどちらか。理性を失ったバーサーカーであるならば尚の事。狂気に精神汚染されたランスロットは、アルトリアの影を見てしまった。

 全て思い出し、彼は更に狂い出す。生まれ故郷であるフランスで積み上げた所業と、生前に犯してしまった罪科が混ざり合い、回り巡り、狂い溶け―――発狂した。何もかもが混沌に落ちて逝った。

 

「―――Arrrrrthurrrrrrrrr!!!」

 

「―――◆■■■■◆■ッ!!!」

 

 ならばと、大英雄の勇猛なる咆哮が轟いた。

 

「藤丸。良いのね、なんてもう聞かないわ。命じます……―――戦え、貴方の契約と共に」

 

「―――――――ッ……!!」

 

 思念にて影を命じた。竜と、英霊を、吸血鬼を倒せ、と。心の中でも殺せとは言えなかった。だが、四肢を捥いでも戦闘を続行するワイバーンと竜血騎士を倒すには、生命活動を停止させる以外にない。殺すしかない。

 人間でなく、人間を食料にする化け物なのに―――人間にしか、今はもう見えない。

 殺して欲しいと贖罪を求め、死なせて欲しいと懺悔を吐く人外を止めるには、手段は一つしか残されていないのだと分かっていた。その人生を救うには命を奪うしかないのだと、藤丸立香は心の底から理解(ケイモウ)させられていた。

 

「強いな。皆、強い……」

 

 千切れる吸血鬼。落ちる飛竜。カルデアの策通り。騎士王は攻防自在の鉄壁で、光の御子は獣も騎士も構わず瞬殺し、大英雄は一振りで敵を纏めて鏖殺した。契約者である藤丸が感じるのは、血飛沫を上げて死ぬ敵の姿と、断末魔と、嬉しそうに贖罪を受け入れる感謝の言葉。

 脳が、一秒経つごとに麻痺を深める。現実を、受け入れる。

 しかし、全て分かっていた事。認識すべきなのは、暴れるランスロットを抑え付けた結果であり、要であるジークフリートや皆がファヴニールに集中出来るこの状況。それでもワイバーンに乗る竜血騎士は与えられた“使命”のまま、藤丸らに襲い掛かった。

 

「藤丸、気を付けなさい!」

 

「……清姫。あぁ、そうだね。ありがとう」

 

「――――ッ……!」

 

 騎士の乗るワイバーンから吐かれた火炎を清姫は火で防ぎ、逆に彼女の火炎に呑み込み、敵の軍勢を一気に熱波と噴流で焼却。笑いながら清姫に感謝して死ぬ騎士は見ると、彼女はどれだけの理想と大義名分が此方側にあろうとも、人が人を殺すと言う単純明快な真実を無理にでも啓蒙させられる。

 そんな清姫が咄嗟に守った藤丸は完璧だった。周囲を警戒し、サーヴァントに思念で的確な指示を出し、マシュや他の仲間も気を使い、藤丸はその能力と五感と第六感をフルスペックに使い潰す。文字通り、命を賭して命を削り、命が潰れる間際を見極めている。

 チキンレースを超えたデッドレースを平常運転する心理状態。生を渇望し、死に恐怖し、危険を厭わない。藤丸はマスターとして、ある意味で完璧なのかもしれない。精神的な面ならば、素質があり、不幸なまで才能もあった。

 冷静なのは良い。気力もあり、使命感もある。

 けれども、藤丸は現実を受け入れ過ぎていた。

 嘘を見抜く清姫は、手に取るように少年の精神状況が分かってしまった。愛に狂わぬ彼女は冷静に、あるいは冷徹に、まるでオルガマリー・アニムスフィアのように精神解剖を行えてしまった。

 

「現実を拒絶しなさい。貴方は、貴方のその諦観に抗いなさい!」

 

 このままだと拙いと実感する。恋人でも、旦那でもない少年ではあるが―――それなりに、好ましくはある男。愛してなどいないが、無垢な善き人のマシュが好ましく思っている殿方が相手。このまま見て見ぬ振りし、心が崩壊する最初の切っ掛けを踏ませるのは目覚めが悪い。

 忙しい戦闘中ではあれど、清姫は藤丸を守りながらも言葉が必要だと感じていた。

 

「駄目だ。罪は受け入れないと……駄目なんだよ」

 

「いいえ。罪はありますが、けれど誰も貴方に罰は与えられません。貴方自身でも」

 

「それは、何故?」

 

「酷な言い方でありますが……結局のところ、誰かがやらないといけない事だからです。そして、聞いたカルデアの状況からして、それは貴方にしか出来ない役目でした。望んでしている事ではないでしょうが、それでも生きたいと望むのでしたら、その選択は決して間違いではないのです。

 ……これは生存競争でもあります。

 規模は違いますが、例外なく全人類がしていること。

 生きる為に戦う事は、この星に生まれた生命の在り方なのですから」

 

 藤丸の前で彼を守り、人と竜を焼きながら、執念と愛憎で竜となった女が彼を肯定した。それでも強引に焦がされながらも近付く敵には、炎の扇で火風を煽ぎ、全身を一瞬で灰に変えて焼却する。

 

「そうそう、清姫の言う通り。お金を払って雇った職員に人殺しさせてるのは、そもそもカルデア所長である私、オルガマリー・アニムスフィア唯一人。

 悪事を働いた奴ら以外に罰を受ける何者かが必要なのだったら、カルデアの責任者が全ての責任を負うのが道理ってものですからね。貴方が血に汚れていると感じてるのなら、それはもう酷い勘違いって話ですから」

 

 左手のガトリング銃で敵を薙ぎ払うように蜂の巣に変えながら、何時もと同じく獲物を狩り続ける所長は笑った。 

 

「……そうだね。まだまだ未熟。

 俺はまだ、迷える程に苦しんでない。戦場を、生き抜いていない!」

 

 守られながらも、少年を叫ぶ。そして、宙より彼の信念を称賛する拍手が響いた。戦場の轟音の中、小さく聞こえない筈の音なのに、脳髄と神経で繋がる耳の鼓膜に良く鳴る拍手であった。

 

「血を棄てた戦神さん、見えますか……―――あれが、人間ですとも」

 

「………」

 

 まるで天使のようだった。光る柱が舞台を照らすスポットライトのように灰を輝かせ、彼女はワイヤーで吊るされた舞台俳優みたいにゆっくりと地上に降り立った。隣にいる戦神も嵐を纏い、木の葉のよう静かに舞い降りた。

 

「アナタ達は私が相手をするわ、アッシュ・ワン。凄く面倒臭いけど!」

 

「―――ええ……オルガマリー」

 

 ガトリング銃から瞬間的面制圧が行い易い散弾銃を所長は敵に向け、しかし灰は貴族よりも貴族らしい華麗とも言える動作で一礼。さながら中世の特権階級でもある騎士の姿であり、誰もが憧れる守護者(ナイト)の幻想を体現するかのようだった。パラディンの一人と言われても不思議ではない。だが逆に、戦神は不動明王の如き威圧のまま身動きせず、敵全てを見定めているのみ。

 オルレアンの焼け野原。最後の戦い。

 竜狩りにして、神狩りの戦が始まろうとしていた。











 読んで頂きありがとうございました。
 との事で、前書きの続きとしてネオ・アトラン!とオリュンンンンンンポスのちょっと感想を。ンンンンン、バリツビーム!
 ぶっちゃけ、原作者の世代的に海底2万マイル、ネモ、ノーチラスと来れば、ネオ・アトランティスでホーミングレーザーは子供の頃に見たアニメの浪漫じゃないかなと懐かしみました。むしろネモやらノーチラスと揃って行って、アトランティスに行くとなればやるしかなく、そして宇宙から来た古代超テクノロジーとかなると、もうそれしかないじゃんと思いつつ、自分は最高に面白かったと感じました。バベルの光役もありましたし、あのBGMもあの雰囲気にあってましたから。なので知らない世代からすれば新鮮で、知っている世代だとノスタルジーを感じられる舞台設定だったかと。


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啓蒙28:葬送





「いやはや……教師役、サリエリみたいにはいかないなぁ」

 

「死ね。死ね、殺してくれ、死なせてくれ、アマデウス。何故、立ち上がらない……アマデウス?

 まだ生きているんだ、早く、早く早く……罰してくれ、アマデウス。僕は、マリーを屑共の娯楽の為に公開処刑した薄汚い処刑人だぞ……違うのか、アマデウス。憎いだろう、裁きたいだろう、懺悔させたいだろう?

 ならば、アマデウス……膝を着くな。死ぬまで挑め!

 ヴォオルフガァング、アマデェエウスゥ―――モーォオオツァルゥゥウトォオオオオオオ!!」

 

「―――グゥ!」

 

 処刑剣を振い、その首を狙い、ギリギリで音楽家は回避する。奏でる音楽魔術が波長となって空気を流れ、処刑人を音撃するもその悪を裁く処刑剣が斬り捨てた。

 

「マシュに、先輩サーヴァントらしいところを見せたかったけど……!?」

 

 獣の如き身のこなしで宙へ飛び上がり、処刑剣を突き落とそうとする処刑人(アサシン)音楽家(キャスター)は落ちて来る死を音と共に視認し―――カキン、と音が鳴った。自分が殺される直前に、そんな有り得ない金属音が耳に響いた。

 音楽家の眼前に、盾の乙女の影が一つ。それが、その音の答えであった。

 

「……え、なんで?」

 

「マシュ・キリエライト、只今参上。パリィからの、全力全開―――シールドバッシュ!!」

 

「うわぁ……―――凄い、何か臭い決め台詞まで。でもサンソン、めっちゃ飛んでるなぁ……」

 

 肉と骨が潰れる生々しいエグい音を優れた聴覚で聞き取ったアマデウスは、弧の字を描いて跳ね飛ばされたサンソンを見つつも茫然と一言。更に恐ろしいのは、マシュの口上と彼の独り言が終わるまで、処刑人は地面に落下せずずっと宙で乱回転しながら落下中だった事実であろう。

 ドグシャ、と地面に骨付き生肉が落下した音。

 何処か遠い瞳をした音楽家は、口をポカンと開けたまま乙女の背中を茫然と見るしかなかった。

 

「大丈夫でしたか、アマデウスさん……?」

 

「死ぬ寸前」

 

「そんな!」

 

「でも、生きている。感謝するよ、マシュ・キリエライト」

 

「はい!」

 

「―――アァァアアアアアマデウスゥ……そうだ。もっとだ、もっともっと僕を苦しませろ!!」

 

「ええ、倒させて貰います!」

 

「ははは、良いぞ良いぞ。この魂にクルゥゥ激痛ッ……!

 僕を惨たらしく、おぞましく、醜い腐った塵蟲のように苦しませろぉ!!」

 

「行きます……ッ―――ハァ!」

 

「グフゥ……はぁはぁ、何と言う一打だ!」

 

 十代半ばの少女(マシュ)に凄まじい内容を叫びながら、処刑人(サンソン)は処刑剣を構えながら疾走。受けた人間性から抽出された殺戮技巧の残滓が処刑人の戦闘技術を変質させ、だが同じく所長直伝のVR仕込の殺戮戦術を学習したマシュは、処刑の剣技と同等に渡り合う。

 ―――十字盾だけでは、確実に守り切れなかったとマシュは実感した。

 武器は盾だけで良い。何があろうとも膝を着かない決意を、身に憑いた英霊が加護を与えよう。

 だが、それでもあの悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)に斬り落とされた左腕の代わりがなくては、二十手に届くことなく死んでいた。音楽家のアマデウスがサンソンの猛撃を凌げていたのは、音楽魔術を節操無く使い込み、悪辣過ぎる精神攻撃に専心していたからだ。

 並の人間が聞けば精神崩壊からの発狂死は逃れられず、鼓膜から直に脳髄へと響く魔音波長が全脳細胞を焼き切っている。その邪悪とも言える魔性の音楽を防御以外に使わず、一度でも攻勢に移れば、一瞬で首を撥ねられていた事だろう。

 

「痛い、辛い、苦しい―――素晴しいィイイ!

 僕に耐え切れない罰を、絶望に満ちた激痛の死を与えてくれ!!」

 

「―――く……ッ」

 

「貴女の盾、楯、タテ。重く鋭い良い一撃だ。骨に効く、内臓にも響くぅー!」

 

「それはどうも、ありがとうございます!」

 

「それは僕の台詞だとも、盾の乙女。さぁ、更なる罰をこの身に下してみせよ!」

 

〝絶妙に噛み合わない煽り合いだなぁ……傍から見てると、ちょっと関わり合いになりたくない雰囲気。しかも、戦闘中だっているのに口から洩れる雑音が凄い。五月蠅過ぎる。マシュも律儀に返事するから、あのハイな処刑人も盛り上がっちまうのかね。

 ……にしてもあいつ、ちょっと性格変わり過ぎじゃないかな?

 魔女の呪い、ヤバいな。本気で、本当に、かなりネッチョリした部類の呪詛みたいだ。黒化して精神汚染されるのは兎も角、変態になるのはごめんだねぇ……―――マジで”

 

「なんて、冗談を考えてる場合じゃない。どうしたもんか……」

 

 音楽家(アマデウス)は凡そ一秒で変態的視点から見た感想を思いつつ、その戦闘を垣間見る。楯を振るい、義手と仕込兵器も使い、しかし処刑人が全てを弾き防ぎ、攻め切りに転じる。亡者の霊体となる処刑人はおぞましくも、だが荒々しくも痛々しい。

 その姿を見て、彼は精神に響く何かがあった。清姫から聞いた情報―――人間性(ヒューマニティ)

 音楽家アマデウスは、英霊を汚染する一種の呪詛だと思っていたが、サンソンが狂う様相から本質は呪詛ではないと直感してしまった。あれは、ただそう言う存在であるのだと。人がそう呼ぶから、あの暗い闇は呪いにも成り得てしまうのだと。

 

「ま、そうだね。やれることはやらないと……マシュ、すまない!

 そいつの相手を暫らく頼むよ。僕は僕でちょっとピアノでも奏でてみるさ―――」

 

「え……え、エ―――あ、はい。お任せを!!」

 

「―――では、一曲!」

 

 彼は背後でピアノを出現させ、それをマシュは疑問に思うも言葉にせず内心で封殺。必要だから具現したと察し、仲間の行動は信用すべし。その上で、マシュはアマデウスを信頼していた。先に死を迎えた人生の先輩として、彼は彼女にとって今を生きる人間であるマシュ・キリエライトに言葉を与え、その感情に一色を塗った色彩の音楽家だった。

 ―――穏やかで静かな葬送曲(ホウグ)が今、始まる。

 誰かの為の鎮魂歌(レクイエム)。死した(ソウル)を鎮める音楽家(キャスター)鍵盤楽器(ノーブル・ファンタズム)

 

〝魔力が―――ない?

 でもこの音色は何故でしょう、私の霊基に良く響きます……”

 

 ピアノから流れる鍵盤の音に魔力は含まれず、しかし魂を揺るがす確かな曲。ある意味で、まだ人生を歩み始めたばかりのマシュ・キリエライトは葬送されるべき魂に持たず、逆にシャルル=アンリ・サンソンからすれば死神を渇望する祈りを鎮魂する死者への捧げもの。

 償いたい、と願う処刑人の瞳が晴らされる。

 死にたい、と望む重罪人の魂が捧げられる。

 まるで視界から霧が消え失せたように、サンソンは錯乱しない意識で世界を認識した。灰の炉から炎上した火は醜さを全て焼き、悪性が消えた故に、魔女の従僕達は自分の悪行を許す善悪の天秤を失っていた。敢えて残された善なる心でしか、この特異点で犯した罪科を認められない状態だった。

 

〝……綺麗。本当に、なんて綺麗な音で―――何で、涙が出そうになるのでしょう?”

 

 無垢な少女は、理由もなく涙が流れそうだった。そして、目の前で戦っていた筈の死臭を纏う男は涙を流し、この特異点で数多の首を斬り落とした処刑剣を手から零れていた。

 カランと刃が落ちた音。レクイエムが流れる中、戦いは終わってしまった。

 

「僕は……そうか。あぁそうだとも。

 人は天使にはなれない。悪を知りながら善を為せるからこそ、座に召された魂に過ぎない英霊はそれでも―――人間、だった……」

 

 自覚することは有り得なかったが、それを可能するのが英霊(ニンゲン)宝具(キセキ)。アマデウスの音楽は人間性を真正面から刺激し、罪業が正しく罪科なのだと認める善悪の秤を魂から甦らせ、処刑人に責務を全うする為に必要な悪行を許す悪性を認識させた。

 善だけでは、罪は罰に成らない。発狂するのみ。

 悪だけでは、罰は罪に還らない。悦楽するのみ。

 人の意志は、善と悪の秤である。啓蒙が開いた。

 悪徳もまた人間から生まれた意志である。正しいだけでは、善性だけでは、自らの罪を償うことは決して許されない。

 

「ふぅ……やっと御目覚めかい、処刑人(アサシン)

 

「目覚ましには丁度良かったよ、音楽家(キャスター)

 

「それだったら良かったとも。僕の宝具はちゃんと、善性だけに曇った君の暗い瞳を晴らせたようだしね」

 

 膝を地面に着く男。

 椅子に座り込む男。

 二人を見て、全てを少女は察した。必要以上の言葉はもう不要で、これから話す事は、その二人にとってただの確認作業。マシュは自分の役目が終わったことを理解して、これで良かったんだと納得した。

 

「そうだな……あぁ、本当に、そうだったよ―――殺してくれ」

 

「うん、そうだね。あぁ‥…分かっているさ―――死んでくれ」

 

 トーン、と完璧な音楽家らしからぬピアノの音色が一音だけ鳴る。マシュにとって耳触りが良い綺麗な音に過ぎなかったが、それは魔力となって大気と太源を揺らす振動であり、柔らかな脳髄を焼く魔の波長でもあった。無防備なサーヴァントであれば、霊核である頭部の中身が焼ける程、音楽家が奏でる音色は死神のように美しい。

 

「君らが、僕の終わりかぁ……―――ありがとう。大嫌いだけど、良い鎮魂歌だったよ」

 

 肉体が光の粒となって消えて逝った。人間性の天秤を最期の最後で取り戻した処刑人は、一握りの慈悲だけを報酬に人間として死んだ。

 

「霊基消滅、確認しました……」

 

「全く、馬鹿な奴だな。ありがとうだなんて冗談じゃない。でもまぁマシュ、君もあいつの聴きっぷりを見ていてくれただろう?

 大嫌いだなんて言いながら、結局は僕の鎮魂歌(レクイエム)が好きだったんろうぜ?」

 

「……はい」

 

「それにしても助かったよ。マシュは僕の命の恩人だね」

 

「い、言え……そんな」

 

 ピアノに肘を置いて顎を手の甲に置き、完全に脱力した音楽家。ワイバーン共は竜殺しやマスターを集中狙いしている所為か、此処は空白地帯になってはいるも戦場である。しかしその聴覚は結界の如き感知能力を持ち、肺の呼吸音、心臓の鼓動音、布が擦れる音、鎧の金属音など、あらゆる音を聞く為にアマデウスに隙はない。その事もマシュは理解しているので、彼が脱力しているのなら、危機が直ぐに来る訳ではないとも分かっていた。

 

「動けますか? なんでしたら、私が抱えて運びますけど……」

 

「大丈夫大丈夫……で、マシュ。僕を助けに来てしまったみたいだけど、向こうは大丈夫なんだよね?」

 

「――――――――」

 

「実に形容し難い表情……うん。あれだね、干からびた亡者みたいだよ。もしかしなくても、勢いで来てしまったと見えるね。何となく、君の深層意識が分かってきたな」

 

「……大丈夫です。ちゃんと、多分……きっと。カルデアは、無敵です!」

 

「そうだね、きっと。でもさ、それは君が居てこそだ」

 

「ァ"―――――」

 

「サーヴァントの耳でも何とか聞き取れるレベルの、可聴波長を越えた唸り声―――うん。早く、戻りなよ。皆が君を待っている。特に藤丸君はね。

 僕は大丈夫さ。でもちょっとだけ、休んでから行くよ。君のお陰で助かった」

 

「―――はい、アマデウスさん。貴方が無事で良かった。私は先に戻って、皆と一緒に待ってます!」

 

 土煙りを上げながら足音を立て、凄まじい速度で自分の戦場に戻る背中。音楽家は周囲を警戒しながらも、刻まれた肉体が動けるようになるまで、少しだけ休もうと静かに思考へと入り込む。

 人間を醜く穢いと断じる自分みたいな人でなしを助けられた事を喜び、自分の感謝の言葉を聞いて本当に嬉しそうな表情を浮かべる少女の後ろ姿を見て、アマデウスは笑みを少しだけ溢してしまった。

 

〝こちらこそ、君は本当に魅力的な娘だったよ。マリアがいなければ、君にプロポーズをしていたかもしれないな……なんてね。

 多くのものを見て、多くのものを知り、多くのものを選び、そうやって君の人生は充実していく。その中で君は自分が世界に存在していた証を残し、その証が世界を巡って成長していく。

 だからマシュ、君は選び続けるんだ。

 自分の未来を恐れることなく……―――人間になるとは、そう言うことなのだから”

 

 そう思い終わり、アマデウスはピアノの椅子から立ち上がる。ふと聞き慣れた凄まじい雷鳴以上の雑音が鳴り響き、キンキンとした声高な勝利宣告が耳に入る。音楽家は内心で溜め息を吐きながら、まずはうっかりで失敗しそうな仲間の援護をしようと考えていたが、上手く勝てたのを悟ったので違う人物の所へ行こうと考えた。

 遠くから聞こえる足音からして、まず助けようと思った仲間のランサー―――エリザベート・バートリも、その女性の元へ急いでいるのを聴き分けた。取り敢えず、聖女とあの侍の相性は悪く、十分に持ち堪えるは出来るだろうが、勝つのは厳しい。しかし、そこへアマデウスとエリザが参戦すれば戦力比は一気に傾く。

 そして、また光輝く竜殺しの極光。

 竜血騎士団とワイバーンが再度纏めて消え去った。

 ジークフリートの魔剣による殲滅戦線はマスターになった藤丸が死力を尽くし、命を擦り潰す魔力供給によって問題なく維持されていた。

 

〝ジャンヌがあのサムライ、狼が倒錯者の老剣士、エミヤが女狩人で、最後のドラ娘が自分殺しって雰囲気だったけど。

 さて……今はどんな戦況になっているか、しっかり耳で把握しておかないとね”

 

 とは言え、音楽家が心配していたのは、あの侍に狙われたジャンヌくらい。エミヤも厳しいだろうが、所長を名乗るあの女怪が指示したとなれば、恐らくは勝てるのだろう。逆に狼に対しては、まるで心配をしていなかった。

 事実、老剣士を相手に狼は攻勢を維持していた。

 時を同じくし、マシュがアマデウスの援護に到着した頃。忍びと老剣士の斬り合いは佳境を迎え、どちらかが死の敗北に喫しようとしていた。

 

「―――老婆を少しは、労わらんか。セキロ……だったかの?」

 

「……………」

 

 老剣士は正真正銘、全力を本気で絞り出していた。特異点で召喚されて以来、今までは逆に全力で手を抜いて、なるべく人もサーヴァントも殺さない様に抗っていたが、もうそんな感情も焼けて消えてしまった。足掻きを失くし、だが眼前の忍びはそれでも殺せない神域の怪物。

 佐々木小次郎にも並ぶ剣豪として、老いたデオンは斬り合いに専心するのみである。

 

「敵は殺めるのみ、か……―――はぁ、なら死合おうか。どちらかが、死ぬまでな」

 

「……――――――」

 

 交わる殺意。日本刀とサーベルの刃が合わさる度に高音を発し、残像もなく剣戟が乱れ振われる。しかし、既に老剣士は致命傷一歩手前の怪我を負い、何とか精神力だけで戦闘を行っている状態。忍びも勝つ為ならば致命傷を負おうが戦い続け、服毒による死んだふり、特に意味のない土下座、にぎり灰からの目くらまし、爆竹による視覚と聴覚の撹乱、殺した相手の傀儡化など、薄井の忍びは本当に手段を選ばず。ワイバーンと竜血騎士も面倒な敵かもしれないが、忍びの忍術によって容易く傀儡による戦力化も出来よう。

 殺される敵側すれば卑劣且つ下劣な男。

 同時に、死した命を弄ぶ外道でもある忍び―――隻狼は、そのような戦術を厭わないからこそ、相手の手の内も透き通るように見通せた。戦術的な非道具合であれば、契約した主である所長も超えることだろう。

 

〝やり難い男じゃなぁ……ふむ。外道の輩であり、且つ戦術に誇りは持ち出さぬ。

 その上で剣術が神域なのじゃから、始末が悪いのう。アタシの故郷で生まれた世界初の、あのテロリスト共でもまだ節操を持っておる”

 

 幾度斬りかかろうとも、老剣士は忍びの構えを崩せなかった。いや、斬りかかる度に自分の平衡感覚を崩され、巧みに此方の隙を作ろうとしているのを彼女は心眼にて察していた。剣術勝負においてもし眼前の忍びに勝つ為には、剣の神域を超え、空と無の境地を越し、魂が至れる果ての何処かに達した業が必要。そして、自分ではこの忍びの剣術を、老年まで鍛え上げた自分の剣術でも上回れないとも。

 それを見抜いた故に、そもそも斬り合い自体が悪手。

 忍びの本質は忍術でも、奇襲でも、暗殺でもなく、剣術による城壁と化したその守り。

 老剣士は選ばないとならなかった。まずは敵の堅牢な守護の構えを崩す手段が無くば、掠り傷一つ付けられない。

 竜騎兵隊隊長として愛用していた短銃―――偽装宝具、百合散らす革命の火(カービン・ド・リス)

 灰に竜と人間共の魂から作らせた妖刀―――人造宝具、眩み舞う幽百合(エペ・ド・リス)

 半亡者の英霊となった故に、新たに取得したそのカービン銃を構え、弾薬加工された魔力を連続発射。そして、神域の鍛冶技能を持つ灰の加工により、透明化能力を持つサーベルの能力を使用。

 

「ぬぅ……!」

 

「―――――」

 

 発射数―――五発。その全てを一歩も動かず、斬り捨てた。

 不可視―――十斬。真正面から刃を受け止め、弾き逸らす。

 最後の一斬、デオンは次に斬れば死ぬと先読み。咄嗟に後退しながら連続発砲し、防御に徹する狼も攻勢に転じる―――と見せ掛け、忍義手から手裏剣を瞬間投擲。

 避ける間もなくサーベルで投擲物を弾くも、斬り飛ばせず。あろうことか、手裏剣がサーベルの刃と鍔迫り合いを行い、デオンをその場に縫い付けた。直後、忍びは既に踏み込みを終えて斬り払い。もはや格好に拘る気など彼女には欠片もなく、死の気配を察したのと同じく地面に飛び込み、土塗れになるのも構わず転がった。

 だが、此処からだ。忍びは相手に一切の隙間も与えず、呼吸する時間も、体幹を整える作らせない。一対一の殺し合いにおいて忍びは邪悪を超えた悪鬼であり、攻撃すれば死に、守りに回れば斬られ、回避に徹しようが逃げる時間も存在しない。

 

〝しからば、全て試させて貰おうか……”

 

 回転(ローリング)回避から直ぐ様、デオンは片膝立ちで射撃。即座、次弾発射。楔丸で容易く二連を弾き、即座に剣の間合い。だがデオンは後退しながら短銃の引き金を引き、ならばと忍びは義手より忍具を一つ。

 仕込み槍―――火走り。火炎を纏う鋭い槍は、刃であって火器でもある。

 老婆を乱れない無表情のまま刺突焼殺せんと槍は義手から伸び、忍びは躊躇わず発火。とは言え、伸びて不意打つ長物であろうと、デオンは心眼にてある程度の予想はしていた。その燃え盛る刃から、鋭い槍は火器でもあるのだと。

 

〝こやつ……ッ――!?”

 

 だが、鎧剥ぎこそ仕込槍の真髄。装備を剥ぐ引っ掛けの刃が絡繰りが飛び出し、老剣士の首を焼きながら引っ掛けて引き寄せようとした。それを寸前で何とか対応した彼女はサーベルを後ろ手に回して防ぎ、しかし衝撃を殺し切れず忍びの間合いに吸い込まれた。

 

「―――ッ……!?」

 

 緊急時、即座発砲。忍びが刀を振う間合いに入る前、眉間を狙って弾丸を撃つ。それと同時に目視不可の透明刃を振い、銃弾と斬撃が忍びを襲う。だが、そもそもその間合いに老剣士を誘ったのは忍び。引っ張ると同時に仕込槍は一瞬で内蔵されてしまい、交換するように忍具――仕込傘が飛び出した。

 回る鉄扇は、広がり傘となる。

 銃弾と斬撃を忍びは全て弾き飛ばし、更に近距離より煽られた扇より火の粉が舞った。

 目くらましと熱波。何の躊躇いもなく忍びは、敵対する老婆の顔面に朱雀の紅火を浴びさせ、一瞬だけだが感覚を遅延させた。

 

「―――――」

 

 忍術(サツイ)に言葉は不要。傘を扇に纏め、更に折り畳み、燃える。火は楔丸の刃に纏われ、忍びは眼前の老婆をバツの字に切り裂かんと炎を斬撃と化した。

 即ち、忍びの体術―――放ち斬り。

 だが、超越の技巧だろうと対抗してこそ―――剣士(セイバー)英霊(サーヴァント)

 剣と銃を老剣士は交差。左手に持つ短銃を鈍器代わりに扱い、忍びと同じく二刀による十文字斬りで斬り返した。

 

「ぬぅぅう……ッ―――!!」

 

 四刀交わり、極点にて炸裂。爆ぜた衝撃に逆らわず、老デオンは後退り、狼もまた残心。まだ熱気が空気に漂い、火の粉が舞う。

 一秒、僅かな膠着状態。

 互いに隙を窺うが故の隙無き隙間。

 

枯百合散る(フルール)―――」

 

 老いたデオンが決意をし、準備を終えるのも充分。宝具の解放を躊躇えば―――死。

 

「―――幻刃舞踏(ド・リス)

 

 幻惑される忍びの視界。艶やかに誘惑される精神。緩やかに四肢と体幹が始動し、霧の如き真っ白な世界にて、黒い枯れた花弁の影が舞い落ちる。

 見る者の心を奪う美しい剣舞。亡者と化した老境の精神が百合の花散る剣の舞踏(フルール・ド・リス)を一人の剣客が振う剣技として昇華させた宝具が、この剣技の正体。見た者に刃の軌道を錯覚させることで第六感と経験則の両方を完璧に狂わせ、相手の防御行動を素通りして一方的に斬殺する。

 

〝これは幻術……だが―――”

 

 師の十八番。隻狼となる前、狼が殺した忍びの忍術。そして、人の心に幻影を魅せる幻術は、薄井で育った忍びにとって慣れ親しむ業の一つに他ならない。見るだけで、触れるだけで、精神を崩壊させ、魂を奪い取る怖気の幻覚を見極める忍びであれば、同じ様に老剣士の幻術も見極めるのみ。

 壱の先――零に圧縮された体感時間の中、忍びはその目で技術を読み取った。

 忍びとしての技術と、サーヴァントとして備えられた常識と、召喚された後で学んだ知識が、止まった時間を認識する彼を答えへと導く。枯百合の老剣士は鮮やかに剣を振い舞うことで対象の五感と〝第六感”さえも幻惑し、筋力・体力・敏捷のパラメーターを低下させることが可能。

 即ちこれは、精神攻撃に物理攻撃が加わった連帯必殺(コンビネーション)

 目視不可の刃と斬り合える達人であるからこそ、老剣士の剣舞からは逃れられない。

 

〝―――剣士の奥義。強き者が至る秘伝が一つ”

 

 咄嗟に楔丸で防ぐも、忍びは剣を弾き逸らせず。辿り着いた無念で向かい、神域を超える精神防壁でその幻惑を見抜こうとも、剣技の鋭さは真実。忍びの目を持つ為に、その業による感覚が狂わされる。

 本質は―――錯覚。

 第六感で認識しようとも現実の刃は錯綜し、経験則で鍛えられた戦闘論理が乱れ誤った。

 

「―――――」

 

 目視不可の刃で無ければ、強引に視認して第六感のズレを修正出来たかもしれない。しかし老婆の魔剣は、無音にて無影。極致に辿り着く剣技を、至った業に合わせた妖刀で振うとあれば、相手の心技体と武具に不備がなくば、それ即ち――無敵なり。

 灰は、だから半狂いの亡者に止めた。剣士の最盛期である老デオンに、宝具化したサーベルとカービン銃を与えた。生前からデオンは、死合と戦争に生きた兵士。スパイであれど生粋の殺す者であり、あの時代におけるヨーロッパ最強の剣聖。

 宝具――枯百合散る幻刃舞踏(フルール・ド・リス)

 老いた剣士が到りし業。幻惑剣舞なる心眼錯綜。

 千分の一秒か、万分の一秒か、達人でなければ認識さえ不可能な時間の誤差。そして認識と数センチ、あるいは十数センチもズレ込む斬撃の軌道。

 

「―――ぬぅ!」

 

「シッ―――!」

 

 しかし、あらゆる危機を通り抜けてこそ―――暗殺者(アサシン)英霊(サーヴァント)。そして彼は、御子の忍びである隻狼。相手の剣技が老デオンのように無の境地に辿り着いた殺人の頂きだろうと、術理の根底を察する戦闘思考と、剣神と称するに十分な無念の観測視点を持つ。

 確かに、肉を切り刻まれた。

 だが骨までは達せず、内臓が零れ落ちる事もなし。

 答えは単純明快―――隻狼に、空の術理は通用しない。既に生前、神を斬り超え、数多の奥義を踏破した故に。

 

「おぉぉおおおおおおおお!!」

 

 老婆の叫び。刃の高鳴り。十一の剣戟後、錯綜する幻刃の綻び。それを忍びの目が見逃さず理解し――キィン、と楔丸は不可視の刃を弾く。決死にして絶死の業を破られ、僅かながら剣士の体勢が崩れた。

 真正面から打破された事実―――愉快に思わぬ老デオン(セイバー)に非ず。

 霊核となる首に刺し込まれ―――されど、彼女は生存(勝利)を諦めず。

 

「―――――」

 

 刺殺はならなかった。首元に貫通し、霊核を砕いた訳ではなかった。それでも並のサーヴァントでは死ぬ寸前であり、声を出そうものなら吐血し、もはや宝具の真名解放も不可能な状態。

 ならば、宝具の解放は維持でも続行。

 止まれば死に、意地で剣を舞い踊る。

 そして臨死を前に生き足掻く者を、忍びは殺し慣れていた。一つしかない命を、本当に全て斬り潰さねば、どうしても死ねぬ者がこの世にはいる。

 叩き付かれる義手忍具―――瑠璃の斧。

 清らかに澄んだ瑠璃の音色がサーベルで身を守る老婆を吹き飛ばし、その幻惑(まぼろし)を掻き消した。

 

「……か―――!?」

 

 だが、老デオンは耐えた。血液(イノチ)を吐き流しながらも立ち上がり、だが眼前には一気に踏み込んだ忍びの姿。青く燃える仕込み斧と楔丸を、まるで二刀流の剣技の如き構えで強襲。

 忍術―――連ね斬り。裂かれる老婆の胴体。

 構えを維持する体幹は完全に崩れ落ち、隙だらけの格好が忍びの前で晒される。その上で斬り上げ、完全に動作を微塵も出来ぬように身体機能を停止させ、老婆の背後へと回り込む。

 忍びの背後には、老婆の背中。

 逆手に持つは楔丸は一切の抵抗なく―――するりとデオンの心臓を貫いた。

 

「御免……」

 

「……見事だ。あぁ、実に良き技で―――」

 

 声は血飛沫と共に吐き出され、言葉は最後まで言われなかった。だが、忍びの口から零れ出た僅かなかりの慈悲は、確かに老婆の耳に入り、自分が看取られて死ぬのだと悟らせた。

 ―――忍殺の刃、かく在るべし。

 殺しの悦楽に溺れそうになる隻狼は、だが教えを守り修羅には落ちず。

 

〝主殿、これより参りまする―――”

 

 強者の殺害を為し、傷薬瓢箪を一口。そのまま忍びは疾走。近場の騎士らを手早く殺し、ワイバーンを忍殺し、その脳髄に傀儡の術を仕込む。彼は飛竜を容易く操り、仮初のドラゴンライダーとなり、周囲の竜騎兵を殺しながらも急いで飛んで行った。

 しかし、まだ戦いは続いている。戦局はどちらにも傾いていない。

 とは言え、既に藤丸立香と契約を結んだ弓兵(アーチャー)英霊(サーヴァント)――エミヤは、王手(チェックメイト)の寸前までアタランテを追い詰めていた。

 

〝俊足なる女狩人、アタランテ。貴様には伝承に基づく弱点がない。私の投影魔術ならば、明確な死因を持つ英霊を的確に始末出来よう。

 だが、生存を厭う死兵に……―――戦意を挫く必殺の意志は、要らんだろう”

 

「まるで病を患った獣だな、貴様」

 

「死ね、死ね、死ね……アーチャー、殺せ。私を―――殺せェェエエエエエエエ!!」

 

 意志と反するエミヤの台詞。勝つ為ならば、敵の誇り高さも道具として扱う戦争屋。あるいは、心情を消した無慈悲な殺し屋。こと私情を挟まない戦闘において、エミヤの戦闘論理は鉄である。

 アタランテの状況――狂化も混ざった獣性の精神汚染。

 他のサーヴァントは“解析”した所、泥よりも黒い闇によって変質したようだが、このアタランテは更に宝具による獣化で人格と精神が諸共に発狂したとエミヤは把握した。

 

「私は、人喰い……魂を貪る獣。貴様が人類を救う抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)ならば、どうか惨たらしく、血塗れに解体してから、殺してくれ。

 男も、女も、子供も、みんな―――殺して食べた、この私を……どうか!!」

 

「ふむ。そう卑下する事でもあるまい」

 

 叫びながら放たれる獣性の魔矢を、エミヤは投影した矢を射り、空中で撃ち落とした。敵の狙いは精確無比、且つ必中必殺であったが、弓の弦を放す殺意が乱れている。エミヤはアタランテの発する殺意と意識から先読みを容易く行い、射られた矢を射落とす絶技も可能にしていた。

 何よりも一度は殺し合った強敵。投影魔術によって技術は既に修得し、エミヤの固有結界にはアタランテの弓も登録済み。彼女が持つ弓術を一から十まで把握し、現実と変わらないイメージトレーニングを幾度も行い、専用の戦術と戦略を構築した上で戦闘に臨んでいる。

 

「貴様、何を……」

 

「憐れな事だ。女子供を殺したか……で、それがどうした?」

 

「―――あ?」

 

「我らは人理を守る者。そして、人の世を脅かすのは何時だって人間だ。この身は霊基の一片までも人類の為に消費される阿頼耶の走狗であれば……無論、私は皆殺すとも。必要であれば赤子も関係なく、人間社会が助かる人命を正確に数を計ってから殺す。

 生前はそう生きた。

 死後もまたそう在った。

 救われぬ貴様も同じく処分しよう。

 カルデアに人理を救う為に召喚されたが―――……変わらんよ。貴様も私も、所詮は人喰いの人殺し。己の思想を語り、その上で人命を粗末にする人でなし」

 

 心に、皹が入る音を幻聴した。狩人は現実を認識し、黒い涙を流すのみ。

 

「あぁ……そうだな。汝の言う通り、全てその通りだったよ。壊れてしまった」

 

 叫んでも無意味だった。絶叫は善なる心から生まれた罪悪感であり、悪性が“焼”失した弊害。善性の膿である。

 人間性は、善悪両立。

 罪を持つ者が悪を亡くせば、罰には耐えられない。

 

「……ならば、せめて呪いの汚染に足掻け。

 その技巧が狂うまで精神を壊し、私に殺され易くなりたまえ……アタランテ」

 

「あ……ぁ、ぁ―――ぁぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 変化と変態による霊体の変身。良心が枷となっていたが、闇を留める蓋はもう取り払われた。エミヤの言葉がトリガーとなり、自己変態が始まり―――心臓と頭部に、投擲された干将と莫耶が突き刺さる。肋骨で守られた心臓と、頭蓋骨の中身である脳を確実に破壊した。

 頭と胸から剣を生やす女性の不気味な死骸。確実に死んだ姿を見たエミヤは、だがそれでも安心はしなかった。視覚による解析魔術は怠らず、相手の生死を見抜くのだろう。

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 直後、爆破。暴走によって周囲の警戒がなくなったアタランテを、エミヤはあっさりと殺し、その上で内部から破壊。戦闘続行による死に際の足掻きを防ぐ、彼なりの徹底したサーヴァントの殺し方。

 土煙りが晴れると、其処にあるのは胸に穴が開く―――首なし。

 胴体も半分以上が吹き飛んでおり、首がないと言うよりかは、腹部から上が消え去り、かろうじて両腕が付いているだけだった。

 エミヤがその認識を終えた瞬間―――アタランテは飛んだ。

 

「ッッ―――――――!!!」

 

 溢れ出る黒い何か。闇としか形容出来ず、それが肉となって塊り、理解出来ない生命体が生まれ出た。しかし、それに口はなく、鼻もなく、耳もない。そして、目さえもない不出来な無貌。

 あるのは闇―――暗い穴。

 黒色の空洞しかない。獣とも人とも呼べず、まるで貌を孔に吸い込まれたような……あるいは、その黒い孔が本当に顔を食べたのか。

 

〝あの顔は一体……いや、それよりもまずは自己変態。あれは聖杯の泥か?”

 

「……淀みが、動き……始めた。また移り行くのか。逃れ得ようはずもない。

 求めようとすることが―――生の定めならば……だが、だからこそ…………あの霧の中に、霧を吐き出した古い獣を薪とし、燃やし、炉に作り変えん。

 我らは、あぁ……人の泥になり、それでも魂の根源を求められるのか?」

 

「貴様、一体……いや、英霊なのか?」

 

「全ては繋がっていた。阿頼耶識の契約霊よ、汝―――世界を抱く贄とならん。人の魂は、食餌と足らん。死は、闇を育てるのだよ。

 おぉ……おぉぉ、顔を失くした空洞よ、暗い月よ、無貌の神よ。何故?」

 

「―――――――――……!?」

 

 宙を飛び、滞空し、貌無しの孔から呪いの声を発する何者か。そのアタランテだった霊体にエミヤは矢を射るも、その何かは何の反応も起こさない。

 

「何故だ。何故、まだ滅びぬ。世界は消えたのに、何故我らは死に戴けぬ?」

 

 周囲に光の槍が浮かんだ。アタランテだった無貌の天使は、足が根っこと絡まり、意味不明な呪いの声を上げ―――槍が放たれた。

 

「クッ……!?」

 

「我らは闇より生じた。火も同じく、闇より燃え上がった。神など無用にて無能。だが、故に数多の神が生まれた。

 ―――無価値、為り。

 ―――無意味、生る。

 汝ら人間、物語を紡ぎ給え。奇跡は唄われ、崇められ、形を得られるのだ。

 人間と契約を結んだ人間よ、人を超え、人となり、人を失い―――人の何を啓蒙された?」

 

投影(トレース)完了(オフ)―――!」

 

 迫り来る光る槍を、エミヤは投影した宝具で迎撃。空中で担い手のいない何十もの剣戟が鳴り響き、だが無貌の天使は腕と融合した弓で狙撃を始める。その狙撃光矢を干将と莫耶で弾き守り、しかし尚も攻撃は一瞬たりとも停止しない。

 その上で、その天使は呪いの声を止めなかった。

 何も無い口だけの貌から、呪詛に塗れた闇の言葉が鳴り響く。

 

「憐れな阿頼耶識の眷属よ、闇の深淵に還れぬ我らへの憐憫を頂きたい。獣性もまた人間性より生まれたならば、人は人類となりし獣でもあった。

 ―――虫よ。

 獣性も亡くした暗い虫よ。

 羽生やす樹が燃える蝶と化すならば、蛹から生まれた天使は人を失った。進化は深化となり、より深い淵の闇の底から人の眷属は生まれ出る。では、その者らは何なのか?」

 

「――――!」

 

 天高くより降り注ぐ光槍の雨。そして、同じく無数の光柱が世界を照らし、地面を蹂躙し始めた。

 

〝正体が分からない。宝具でもなく、魔術でもない。

 呪いの泥でもなく……あれは、一体何なのだ。どうすれば―――いや、殺し得る手段はあるのか?”

 

 既に聖剣も魔剣も敵の肉体を切り刻んでいる。しかし、アタランテから変身した無貌の天使は、致命傷も気にせず宙を舞うのみ。

 正体不明の化け物。魔獣でなければ、死徒でもなく、英霊にも非ず。

 エミヤは未知との遭遇に対処しなければならない。精神を煽り、技術を封じ、狩人を殺害する戦術から一気に変更しなければならなくなった。

 

「汝、人の闇を見た者。汝、暗い死を知る者。守り手よ、その手から枷を放し給え……―――」

 

詩的(ポエム)な説法だな。聞くに堪えんぞ!」

 

「―――……暗い穴を見よ、人狩りの守護者よ。我が脳髄に繋がる貌の孔は、魂の瞳となって汝の闇を鎮めよう。闇に魂を沈めよう。

 幻想が、外なる空より漂着した。繋がりは既に作られ、故に魔王の悪夢は消失した。

 おぉおおおお……おおぉおお、外なる神性、もはや魂の夢に堕落せん。全ては悪夢にて統合されたのだろう。故に我らの王は、霧を統べる悪魔の魂の主と邂逅した。なればこそ始まりを創造した古い神を見出すは必然であり、我らの王より生まれた血の眷属は魔王が夢見た外なる宙を滅ぼした」

 

 更なる空中剣戟。天使の光槍と投影の武具が衝突し続ける。

 

「だが、所詮は無限に連なりし夢幻。

 滅びもまた当然の摂理。世界一つ失えど、奴らの営みは永久なる神の仕掛世界。

 この世もまた夢の一幕となれば……―――あぁ、聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。道などありはしない。光すら届かず、闇さえも失われた先に、何があるというのか?

 だが、それを求めることこそが、我らに課せられた試練……」

 

 灰の魂から生まれた無貌は、炉の眷属。あるいは、闇の残り滓。炉となった亡者の王の手で最初の火に焼かれた世界は消え、それでも尚も残る何かがあるならば、それこそ焼かれた後に残る世界の灰と呼ぶに相応しい。

 故に、そのアタランテだった者が唄う歌は妄言でしかない。

 事実と真相であろうとも、人間性が啓蒙された者でなければ価値は生じない。

 しかし、分からずとも呪いは魂に響き轟く―――だが、エミヤは一切何も動じない。彼の理想は既に枯れている。

 

「―――投影(トレース)開始(オン)

 

 殺せないならば、あるいは殺せる手段を直ぐ様に見出せないならば、相応の神秘を模倣するだけで良い。どれ程の異形に果てたとしても、所詮はサーヴァント。使い魔であることに違いは無い。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 何も無い貌の中心に突き刺さった矢は、魔術殺しの宝具。サーヴァントは、そもサーヴァントと言う存在である事が弱点となる。敵の攻撃は全て受け止める不死の輩であり、だからこそエミヤの選択は最善であった。例えあの闇が魂に取り憑くのだとしても、アタランテ自身の霊基をこの時代に繋ぎ止めるのはまた別のもの。魔女と繋がるラインは“破戒”されるとなれば、現世に存在を維持する事は不可能だ。

 崩れる肉体。膨大な魔力で保たれた闇ならば、当然の結末。

 この世での霊体維持に必要な魔力を一瞬で消費した貌の無いアタランテは、表情一つ変える事も出来ず、ただただ消え去るのみ。

 

「人よ、人間性を捧げ給え。我らはただ……新たな世界にて、人の時代こそ――――」

 

「…………」

 

 終わりは実にあっさりとしたもの。エミヤは容易く不死の天使もどきを撃破した。しかし、それでも死体が残留思念と化して動く可能性は高い。寄生相手の霊基が消滅した程度で、あの闇が晴れると思う方が頭が悩ましい人物と断じられよう。

 

投影(トレース)完了(オフ)――――」

 

 未だ消えながらも宙を飛ぶ天使。それを囲むように展開された投影宝具が剣先を相手に向けて具現化し、不可視の弓に装填された矢のように射出された。

 一つ残さず、アタランテの死骸に突き刺さる。心臓と頭部には無論、肉片からでも甦ると想定すれば四肢一つ残してはならない。余す所なく仙人掌のような姿に、投影宝具で以って敵を処刑する。遠慮も慈悲もなく、エミヤは冷徹な戦術として完全なる消滅を求めるのは当たり前な結果であった。

 

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 何も残さない幻想の光。幾十も重なった爆炎が闇を焼き払い、空に浮かぶ何かは消え去った。魔力の反応もなく、残留するエーテルもない。

 残心のまま、その何もない虚空を彼は睨む。

 契約も途切れ、姿も消えた……死んだ、と判断しても良い。

 エミヤは聖杯から漏れる泥よりも尚、あのおぞましい気配が容易く無くなったことを疑問に思い、それを忘れず、そのまま立ち去った。

 

「……食……餌の………」

 

 最後にそんな声を聞く事もない。エミヤは仲間の窮地を救うべく、迷うことなく戦線へと疾走し続けた。


















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啓蒙29:仕切り直し

 剣は重く、技は鋭い。

 旗は鈍く、声は遠い。

 

「殺し合いの最中、台詞を話す舞台で演じる役者ではないが……そうだな、気も狂っている。ならば、信条に逸れた気紛れも有り得よう。

 魔女ならぬ聖女、ジャンヌ・ダルクよ。

 他者からの助けが無くば、お前は此処で死ぬ。今行っている時間稼ぎが最適解の戦術であり、そしてお前の死は戦線の瓦解を意味する」

 

「はぁ……はぁ……それが、何か?」

 

「なに。このような無駄極まる会話は、お前にとっても良き流れの筈だ。そうつれぬ態度を取るでない。だが分かっていよう。

 あの魔女は、存在しない者。

 憐れな水子にお前が勝とうとも―――誰も、救われぬ。

 特異点の出来事は無かったことになろうとも、失った命は世界が戻っても調整されるだけよ。聖女も、魔女も、生きる事そのものが人理には赦されておらんだろうに……―――いや、しかし道理はまたズレた。

 あの灰なる女が炉の源を灯したならば、それ以降の惨劇は人間の範疇に非ず。

 焼かれた魂は、あの闇の孔から全て解放されたとも言えるだろう。カルデアの勝利によって特異点が消えた後、さて燃えた魂と失われた命が如何なる末路を辿るかは、正に神のみぞ知ると言うことだ」

 

「―――貴方は、何を……知っているのですか?」

 

「今や、この身は炉の契約霊。肉を持つ亡霊よ」

 

 殺気を出し、お前を殺すと宣告。その後に聖女の生首を狙って物干し竿を振い、故に彼女は侍の一閃を防ぐ事が出来る。殺さぬように、侍の殺意は啓示を刮目させたのだろう。

 だが、既にもう一閃が放たれている。狙いは首。

 彼女は刃をまた防ぐも、また直ぐ様に死が翻って刃が閃いた―――死ぬ。如何凌いだ所で、侍の心眼を越える攻撃手段を持たないジャンヌは死ぬしかない。旗で身を守り、啓示に身を任せ、神域を踏破した剣士の斬撃の中を生き延びる事だけに専心。気の遠くなる臨死を幾度も超え、首に何本もの斬り傷を作りながら、それでも霊核を斬り落とされることなくジャンヌは逃げ切った。

 その姿を称賛しない侍ではない。相手が剣士ならば、あるいは闘争を尊ぶ戦士ならば話は違う。彼は深く息を吐き、剣戟をまた一旦中止した。後もう少しの時が過ぎれば、彼の思った展開に運ばれる。

 

「死ぬ為に死力を尽くし、世界を救う為に命を捧ぐ……あぁ、そうだとも。既に死した英霊ならば、それも良い自己犠牲だろう。

 ……だがお前は、今を生きる人間だろうに。

 人を救う英雄を求める民衆の声に、死ねと人理に求められるジャンヌ・ダルクが応える必要なし」

 

「呪われた身で、哀れんでいるのですか―――この、私を」

 

「宿命は祈りかもしれん。だがその運命は、死の呪いだろう。

 私も憐れだが、貴様もまた哀れ。その首を落とすのも、告白すれば気が滅入る……」

 

「ならば此処で倒れなさい!」

 

「すまぬな。まだ死ねんのだ」

 

 再開される殺し合い。話した通り、会話など侍の気紛れだ。だからまた始まるのはジャンヌの首が弾け刎ねるまでのチキンレース。どう足掻こうとも闇に汚染された佐々木小次郎の技巧はジャンヌ・ダルクの遥か上を行き、啓示による先読みがなければ一閃も防ぐことは出来なかったことだろう。

 しかし―――聖女の読みは違えない。

 時間稼ぎが最適と悟ったように、助けが来るのが間に合うのも必然でもあった。

 

「ボエーェェェエエエエエエエエエエ!!」

 

「―――――ッ」

 

 大気を振動させる凄まじい音痴(ゼッキョウ)。だが小次郎は音よりも遥かに迅速な刃を振い、振動音波を一振りで切り捨てた。

 彼は鼓膜が破れ、脳が内部破裂する状況を容易く回避し―――

 

「まだだね!」

 

 ―――麗しい音が、小次郎にまた迫る。

 騒音を放ったエリザの隣にはアマデウスが立ち、振ったタクトより音撃が走った。しかしそれさえも、大気を断つ小次郎の刃からすれば、切れない道理が存在しなかった。

 

「ほう、三対一から。いやはや―――」

 

「―――竜殺し(インテルフェクトゥム・ドラーコーネース)ッ!」

 

 迫り来る光の槍。剣の刀身から発射された竜殺の宝具だが、それを察知出来ない小次郎ではない。心眼の持ち主である彼は攻撃される前に危機を察し、真名解放される前に回避行動に移っていた。

 

「三対一ではありません。今から四対一となりましょう……―――小次郎殿」

 

「おぉ、ゲオルギウス。久方ぶりだな。このような邂逅は心が痛むが……なに、今や痛む心も失った身。殺し合うだけならば聖者の剣技、存分に味合わせて頂きたい」

 

 難民の避難を終わらせ、そしてフランス陸軍の説得に成功したゲオルギウスは、急いで戦地にこうして戻って来た。目立つのはファヴニールと戦闘をしている最前線であったが、その通り道で敵に襲われていたジャンヌを見捨てる事は出来ない。また戦力も味方側が揃っており、ゲオルギウスが加勢すれば、勝敗も素早く決める事が出来よう。

 

「だが、こうも数が多ければ多勢に無勢。

 我が空中殺法、刮目すれば―――その身、その命、一振りにて、貴様ら四人を四散させよう!」

 

 小次郎は跳んだ。剣を構えたまま全力で空に上がり、全員が彼を見上げた。空中殺法と言うその名を聞き、剣士が対地魔剣を持つ事を少しだけ疑問に思うも、そもそも相手は剣技だけで平行世界の壁を超えた剣神に他ならない。斬撃を飛ばそうとも不可思議ではなく、空中剣技なるものを会得していても可笑しくはない。

 魔剣士―――佐々木小次郎。

 男は跳んだ空の上で、自分の下を通過した飛竜に着陸。そのまま何をする訳でもなく、平然とそのまま飛び去った。

 

「―――逃げたぁぁぁぁああああああ!?

 あいつ逃げた超逃げた、なにそれウッソマジ有り得ない!!!」

 

「マジかよ、そこで逃げるか普通!!」

 

「あの優男……!!」

 

「流石、小次郎殿。英霊をも殺すその殺気、見事に騙されました」

 

「言ってる場合かしらオジサマァ! なんかちょっとアレな格好良いポーズをサムライが空中で決めて、素知らぬ顔で行っちゃじゃないのよ!!

 あいつ、精神汚染でもされてんじゃない!!?」

 

「あのエリザから見てもそう思われるとなりますと、やはりあのアサシンも―――」

 

「―――ちょっと、ジャンヌ。それ、どう言う意味?」

 

「いえ、別に」

 

「ふざけている時ではありません。急ぎますよ!!」

 

「そうだよ……ったく。ドラサバと聖女様も、早くあいつを追い駆けるんだよぉ!」

 

「分かっています……あ、それと―――助けてくれて、ありがとうございました」

 

「良いのよ。だって、仲間じゃない?」

 

 ワイバーンの上で両手を上げ、何かを賛美するかのような姿で此方を見下ろす群青色の侍。優雅に微笑みながらも、何か善からぬモノに精神を汚染されたとしか思えない行動と仕草。強いて言えば、侍は何故かYの字でポーズであったのだ。

 

〝しかし、このポーズ、太陽万歳とは全く。あの女、良からぬ知識しか与えんよな。明鏡止水に至らねば、発狂は必然であろう。その上、この気を抜くと自然と相手を煽る精神性、ある意味感服出来よう。どのような地獄で死に続ければ、こうなるのやら。

 南無阿弥陀仏(なんまいだー)南無阿弥陀仏(なんまいだー)……南無阿弥陀仏(なもあみだぶ)。念仏も効果なし。死なねば取れん類の魔物か”

 

 暗く汚染された自分の脳髄に心中で小次郎は嘆息し、咄嗟に取っていた決めポーズを解除。気配はまだ後ろから途切れていない。勿論のこと、小次郎と戦っていた四人も驚愕の余り要らぬ会話を挟むも、行動を止めず喋りながら彼を追って疾走を素早く開始していた。逃がす訳にはいかないが、それを邪魔するようにワイバーンに騎乗した竜血騎士が道を妨害する。

 侍の視線の先、そこは最前線の激戦区。竜と竜殺しとその仲間たちが命を削り合い、灰と雷神を相手に狩人が痛めつけられている。しかし丁度、侍が最前線に撤退し始めた頃、エミヤと忍びが殺される寸前で平然と持ち堪え続ける所長の援軍として到着。戦場の混沌模様が更に上昇しているようだった。

 注視するのは、やはりどうしても―――天文台の忍び、隻狼。小次郎からしても、狼の技は限界を超えた業。血の滲む剣術と言う次元を超え、死が滲み出た殺戮を鍛錬とした技巧。殺し合いたい、斬り合いたい、と渇望するのが自然であった。そして、灰が召喚した槍使いの雷神と闘う姿を見れば、神殺しであると言う事も一切否定は出来ないだろう。

 ……どうやら、敵陣営も戦力が集中している様子だと小次郎は察する。そして殺されたのが、自分が所属する魔女陣営側だけだとも理解した。状況的にゲオルギウスがフランス陸軍をこの戦場にまで援軍として呼び込んだ事も見抜けており、そのような報告が念話で知らされてもいた。

 

〝しからば……稀には、アサシンらしく隠れ潜むのも一興”

 

 騎乗するワイバーンから飛び降り、上空から肉体を一刺しに貫通するのも良いだろう。小次郎の落下地点は一つ―――オルガマリー・アニムスフィア。敵の中であの女が一番厄介であり、誰よりも強い確固たる“意志”を有している。それはまるでドロリと濃厚で、心臓を握り潰す絶望的なまでの存在感。正しく血の様に鮮烈な狩人の発露。

 戦意を刺激する女の気配。侍は躊躇ない。

 飛び降りた直後、本当に千分の一秒もしない間―――絡む視線。

 明鏡止水の暗殺が行われる前に悟るには、果たしてどれ程に奇襲と暗殺を潜り抜ければ良いのか分からない。だが、小次郎は宙を落ちる自分に銃口が向けられている事実自体が喜ばしい。

 

〝あのサムライ―――虚無の心得ね。実に啓蒙深い。

 だから、瀉血しなければ発狂死させる我が瞳の眼光をも防ぐ灰の人間性(ヒューマニティ)を受け入れても、まだ個別の意識を消滅させない”

 

 特異点冬木にてレフの脳髄を狂わせ、しかし瀉血によって防御された血の啓蒙汚染。灰による人間性は血液さえも啓蒙させ、だからこそサーヴァントは気が狂う程に、炉となったソウルの闇から魂を祝福されていた。脳味噌が蛞蝓となり、脳髄が上位者に寄生されている所長は、言わば半人半魔。人域で可能な啓蒙の先を進み、故に上位者だけが宿せる神秘なる虫を持ち、その寄生虫が嘗て狩人と呼ばれた赤子の上位者でもあった。

 寄生した狩人の瞳が魔物と同じ無貌の暗い孔であるように、脳から飛び出た所長の瞳が魔物の月光であるのだろう。

 その気になれば一目でサーヴァントを狂い殺すオルガマリーは、本来ならば自分と同じヤーナムの狩人にしか狩り殺せない化け物である。例外があるとすれば、あの冬木で出会った霧を宿すデーモンスレイヤーか、闇の炉を持つアッシュ・ワンか、瀉血による発狂自動防御を持ったレフ・ライノールか、それくらいだった筈。

 だが、この特異点の敵は全て炉の人間性を持つ者のみ。

 ヤーナムの狩人と同じで、この特異点は灰によって所長を狩ることが可能。

 

〝―――おぉ……秘剣の煌きで垣間見たこの世の理。

 それと似た無意識からの目覚め。成る程、成る程、あの灰なる女怪が言った事は、真実そう言う領域であった訳か!”

 

〝魔法の理を知った者の瞳。人の業によって無なる夢を啓蒙された侍。貴方は、私と同じ人の身でそこまで辿り着き、そして我が啓蒙を受け入れる闇さえも、その精神にて受け止めた”

 

〝しかり。血濡れた妖魔の女よ。

 だが、もはやこの身も亡霊ならぬ邪霊。一手、この地獄にて―――死合おうぞ”

 

〝狩りの御誘いなら―――喜んで”

 

 その短い時間。光速を超えた零秒の間にて、侍と所長は互いの思考が繋がったような錯覚を得たが、斬り合いと狩り合いに専心。

 

「「―――――ッッ!!」」

 

 パン、と銃声が鳴った。

 キン、と刀身が奏でた。

 上空の侍に向けた所長の攻撃。その衝突を利用し、侍は宙を舞い、次弾もまた回避。

 

「……フッ―――!」

 

 そして風を足で踏み込む事も、音を斬殺する侍には不可能ではなかった。空気も物質であり、人が水中を泳ぐように、サーヴァントとして備わった魔力操作による放出技術も応用し、彼は素早く地面に降り立った。戦力比率は魔女側に偏り、所長が侍を抑えるとなれば、エミヤと忍びで灰と戦神を抑えなければならないだろう。

 

鮮血魔嬢(バートリ・エルジェーベト)―――!」

 

死神のための葬送曲(レクイエム・フォー・デス)―――!」

 

 しかし、既にレンジ内。遠距離火力支援による音撃砲門の轟き。所長による音響防御の術符が皆には配られており、味方の鼓膜に多少ダメージが出ようとも構わず、戦場全てを激震させる爆音が鳴り響いた。

 霊核の崩壊まではいかないが、脳を揺るがし、血反吐を漏らすには十分。

 対策を立てていない魔女陣営の者共は、鼓膜を破られ、行動を封じられることだろう。

 

「―――吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)

 

 ワイバーンより戦場に飛び降りた魔女の宣告。遠距離から放たれた音波の前に、黒い竜炎が立ち塞がる。酷く落ち着いた静かな真名解放は、怨讐に染まった言霊そのままに火が焚かれ上がる。更に味方が死ねば死ぬ程に火力が上がる復讐者の火炎は、既に味方の騎士団と飛竜を虐殺された魔女の憎悪のまま最大限まで高まっていた。魔女たちを襲った音階の壁は、しかし黒炎が逆に飲み干し、救援に来た四名を焼却せんと猛り狂う。

 

「はぁぁあああ……ッ―――!」

 

 とは言え、相手は啓示持ちの聖女――ジャンヌ・ダルク。

 その程度の危機を先読み出来ない英霊憑きの人間である訳がなく、既に真名解放をして準備万端。聖なる旗が黒い火を遮り、背後にいる仲間三人を当然の如く守り抜いていた。

 

「聖女ジャンヌ・ダルク……―――そう、そこまで生き足掻くのね」

 

 佐々木小次郎に聖女の四肢を斬り落とし、生け捕りを命じたのは魔女自身。戦闘中の小次郎は首狙いではあったが、それは相手の隙を作り出す為であり、防御姿勢が崩れれば即座に達磨となる手筈だった。しかし念話からの報告通り、その作戦は失敗だったと目視で確認が出来た。

 

「Gigyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

「クッ……貴様、ファブニール―――!?」

 

 振り落とされる黒い巨竜の前足をジークフリートは剣技と堅牢な肉体で抑え込み、だが勢いは殺せず地面に二本の足跡を残しながら後退。衝撃波は凄まじく、隕石落下によるクレーターを思い起こさせる破壊痕であり、後ろにいたマシュと清姫と、そしてその二人に守られていた藤丸も吹き飛んだ。

 バーサーカー――ランスロットは、その好機を見逃さない。四人に迫る。

 しかし、竜騎士狩りを行っていた英霊の影――ヘラクレスが空間を粉砕する程のフルスイング。ランスロットはその一撃を受け流すも、威力を殺し切れずに地面を転がる。他にも召喚されていたアルトリアとクー・フーリンも戦線に戻り、騎士や飛竜の相手をゲオルギウスの説得に応じた“ジル”元帥率いるフランス陸軍が勇敢にも行っていた。

 戦局は更なる混迷を極めた。誰がどうなるか読み切れない混戦となる。

 混沌とした戦場が生み出され、誰もが一秒後の死を疑問に思わず、だがそれでも尚と敵を倒す為に足掻き続けるのだろう。

 

「何と言うことでしょうか……―――此処まで、此処まで来ましたか。ついに、こんな所まで追い詰められましたか。

 我が聖女ジャンヌ・ダルク、何故ですか?

 何故、自らが救われた筈のこの世界を拒むのですか?

 我らの魔女となった貴女自身の言葉を―――何故、貴女は否定するのですかぁ!?」

 

 血涙を流し、狂気を垂れ流す魔術師の英霊(サーヴァント)。灰の人間性(ヒューマニティ)を受け入れながらも、しかし自己の魂から生まれる感情に汚染された胡乱気な瞳。

 キャスター――ジル・ド・レェ。

 魔導元帥ととある者に命名された救国の英雄の成れの果て。そんな彼は人革の魔導書を握りながら、自分の仲間である騎士や飛竜を生贄に捧げ、どんな人間でも聞き逃せない悲痛な叫び声を上げていた。

 

「―――ジル、もうやめなさい!!

 過去を変えても、何も変わらない。我々は、無かったことになんて出来ないのです!」

 

「それは違う。違う、違う違う。断じて、貴女だけはその正論は言う資格はない。何故ならばジャンヌ、今の貴女は未来を知っただけの……今を立派に生きる―――ただの人間だ!!

 生存を求める事は罪な訳がないでしょう!?

 自らの幸福を願うことが許されない訳がないでしょう!?」

 

 男は、確かに信念を持っていた。重い意志を抱いていた。暗く狂っているが、そこには信仰を捻じ曲げても貫きたい人の想い―――人間性が、確かに存在していた。

 

「貴女が人として生きることこそ我が望みであり……ジャンヌが幸せに生きる世界を求めることに、一体なんの間違いが有ると言うのですか?

 その為の特異点。その為の我らと―――我らの魔女、ジャンヌ・ダルク。私と同じ死者である彼女は貴女自身から生み出た成れの果てであり、生前のジャンヌ・ダルクこそ母親でもありましょう。侵略者と故郷の復讐を願いながらも、だからこそジャンヌは私がジャンヌの幸福を願う事を許して頂けました。

 血と贓物でそんな未来を作り上げてこそ、最高のCOOL(クーゥゥゥウウウル)!!

 魔女裁判で火刑に処されたジャンヌ・ダルクにとって、魔女となったジャンヌにとって、有り得ない幸福な未来を生前のジャンヌに与える事が、最高の報復に違いないのだと!!」

 

 救いたいと求める献身が地獄の根源。今を生きる人間一人の未来を守る為だけに、この男はこんな地獄を作り上げた。狂気に汚染された精神だろうとも、綺麗な願いは綺麗なままだった。悪に落ち、罪を犯し、だからこそ願望だけはずっと変わらなかった。

 仲間となってくれた灰に助けられ、その灰の助言を聞き入れ、彼はこの特異点(セカイ)を守る為だけに戦っていた。

 理解者は―――唯一人。

 アッシュ・ワンと名乗る灰だけが、ジル・ド・レェの人間性を受け入れていた。

 

「故に分かっている筈です。人では無くなった英霊の聖女に憑かれただけの、生きた人の魂である貴女は、救われなければならない。

 だから、殺した―――救国ではなく、個人の救済の為に。

 だから、救った―――人理ではなく、呪いの焼却の為に。

 世界など捨てなさい。故郷も棄てなさい。ジャンヌ・ダルクよ、死んで英霊になったジャンヌ・ダルクなどに耳を傾けるのはもう止めるべきなのです!」

 

「――――ぁ……ダメ、駄目です。

 アナタたちは、母さんを殺した。家族も皆、私が助けたかった皆を殺した。死ぬ筈だった私なんかのためにぃ……!!?」

 

 啓示とは、ジャンヌの脳を啓いて示す。何かもが真実で、嘘が一つもないことを彼女に悟らせた。それでも尚、ジャンヌはジルの想いを否定しなければならない。生前のジャンヌを救う為に思った、魔女となったジャンヌの復讐に込められた怨念以外の感情も拒絶しなければならない。

 何故ならば――彼らは虐殺を行った。

 侵略者を皆殺しにした後、故郷であるフランスで人々を殺し回った。

 

「安心して下さい。甦らせましょう」

 

「ぇ……――――?」

 

「復讐を我らが終えた後、この地獄は貴女に差し上げましょう。聖杯も思う儘にすると良いでしょう。我らが殺した死人を、貴女の意志であの世へと呼び掛けなさい。

 そして記憶を失くした貴女は、生きるのです。

 聖女などと唄われる前の、血に濡れる前の貴女に戻り、人生を謳歌するのですから」

 

 ―――嘘ではない。

 それを理解したからか、ジャンヌは思考回路が完全に停止した。

 

「死者が、戻るのですか……?」

 

「はい。聖杯は無尽蔵の魔力を生み出すだけの炉であり、理論がなくては大雑把にしか望みが叶いません。だが私は、とても良い仲間に恵まれました。

 我が友、アッシュは魂の全てを理解した探求者。

 死者の復活など、そもそも彼女は聖杯も必要としていません。故に聖杯を使えば、国家規模の蘇生を行えるのは道理でありましょう?」

 

 だが、ジルは隠し事をしていた。混乱しているジャンヌは思い付けないが、そもそも殺した者共に慈悲などない。復讐相手として戦争を仕掛け、報復として惨たらしい死を与えた。

 必要なのは―――ジャンヌ自身が向ける個人への慈悲だった。

 彼女が今も名前と姿を覚え、幸福な日常に甦って欲しいと思った個別の人間の魂だけを甦らせる。

 元帥も魔女も、生前のジャンヌ・ダルクの為ならば―――と、僅かばかりの慈悲を、ジャンヌの幸福の為だけにその魂から生み出しているに過ぎなかった。

 

「……わた、しは……私は―――」

 

「ええ、ええ、勿論、心優し過ぎる貴女は心を痛めましょう。だがしかし、人に焼けれた貴女を世界を焼かねば救われないと言うのならば、致し方なかったのでしょう。

 ならばこのジル・ド・レェ……喜んで、人理焼却に協力させて頂きま―――」

 

 ―――パン、と台詞を遮る様に銃声が鳴る。

 誰もいない空に向け、オルガマリーは空砲を鳴らすように血族の短銃(エヴェリン)から水銀弾を撃ち放った。

 

魔術師(キャスター)、ジル・ド・レェ。貴方のその世界を焼く狂気に敬意を称し、我々はジャンヌに語り掛ける時間を許しました」

 

 念話にて敵が攻撃してくるか、ジル・ド・レェの告白が終わるまで待つようにと指示を出したのは所長だった。仕切り直しは所長としても都合がよく、戦線は整えられた。敵側も同じ条件を得たが、此処からは更なる耐久戦となろう。

 しかしそれ以上に、ジャンヌは知らないといけないとも思っていた。

 世界を焼く程まで、あの男はたった一人の女を救いたいだけだった。

 所長は、そんな狂気が好きだった。理性も、獣性も、人間性も、外装の何もかもが剥ぎ取られた意志が狂気であった。個人が人生の答えとして、たった一つの想いに殉じる姿こそ、狂った意志に他ならなかった。

 一人の狂人が得た真実。

 目には見えない人の意志が、オルガマリー・アニムスフィアに啓蒙された。

 

「けれど、けれどね……――隠し事はいけないわね。

 ジャンヌが、その魔女にとって母親のような存在だと言うのは事実でしょう。けど、それは正しく本質そのものじゃない。

 聖女と魔女。貴方が願った復讐は、そもそも貴方が求めた魔女に対する―――」

 

「―――黙れぇぇええええええええエエエエエ!!

 貴様こそ本物の魔女……魔女め!

 狂った星見の詐欺師風情が、訳知り顔で我が魔女(セイジョ)を品定めするなど万死に値する!!」

 

 ジルは汚染された精神を、更に暗く染め上げる。これ以上、あの女に喋らせる訳にはいかないと殺意を浮かばせた。

 

「アッシュ殿―――!!」

 

「では、その様に致しますか。ジルさん?」

 

「勿論ですとも!!

 ……では我が魔女(セイジョ)よ、宜しいですかな?」

 

「戦争ですもの。侵略者を大砲で木端微塵に変えた様に、フランスを守る彼らをそうしなさい」

 

 直後、ランスロットと佐々木小次郎は跳んだ。着地点は空飛ぶ人喰い獣、魔女のワイバーン。素晴しく高い敏捷性を誇る二人は正に目にも止まらない速さであり、また敵の不意を衝く行動も巧みであった。

 

「あいつら、まさか兵士(ブタ)達を狙って……なんて卑怯な獣豚(ノブタ)!!」

 

 騎士団と飛竜と戦闘中のフランス陸軍に、黒騎士と侍が向かう。エリザが危惧したように更なる地獄がオルレアンで生まれ、腥い血塗れた虐殺が行われる直前の光景であった。

 助けに行こうとするも、だがそれは仲間の見殺しを意味する。

 そもそも敵として対面しているのは、灰の人(アッシェン・ワン)戦いの神(ゴッド・オブ・ウォー)。フランス軍の増援をするならば、自分以外の誰かに死ねと命じている事だった。

 

「戦神さん、では」

 

「……あぁ」

 

 しかし、事態はそれだけには止まらず。雷鳴が轟き、視界が一瞬だけ白色に染まった直後、ファヴニールの頭上には男が一人。

 戦神が、乗り手がいない竜に騎乗した。

 竜狩り(ドラゴンスレイヤー)にして竜乗り(ドラゴンライダー)―――太陽の王子とは、竜を友とする竜殺しであった。

 

「―――――――――!!!」

 

 もはや声として認識出来ない竜の雄叫び。全身に雷が走り、人間性の闇と交わり、雷撃は黒く染まった。人間性による闇色の青ざめた雷が竜から発せられた。

 

〝あぁ……―――暗い雷ですか。

 暗い魂を貪った奴隷騎士が至った奇跡。その物語を、学ばせて貰いましょう”

 

 余りにも強大なソウルの存在感。邪竜と戦神の二人組は互いの神秘が相乗し、霊基の桁が一つ上昇する。使い魔(サーヴァント)として契約を結ぶラインから、灰は彼の霊基を詳しく把握し、新たな神秘もその魂で学習。

 しかし、それはそれ、これはこれ。戦いの最中、神秘に夢中になれば油断と慢心を呼ぶ。

 

「戦神さん。彼らの御相手、お願いしますね。私の方は……そうですね。仲間にだけマラソン(虐殺行為)を任せるのも酷い話ですからね。

 私も―――殺し回りましょう。

 故郷を救いに来た勇敢な兵士達を歓迎しなければなりません、盛大にね」

 

「では、此方の方はお任せを。どうかごゆるりと、アッシュ殿」

 

「頑張って殺しなさいね、アッシュ」

 

「ええ。勿論、とても頑張りますとも。虐殺行為(マラソン)を避ける不死など、塵以下の、クズ底の住人ですからね」

 

「……そう。じゃ、宜しく」

 

 パチン、と指を魔女は鳴らす。マラソンって一体何だろうと疑問に思いつつ、それを口に出さない様に空気を読み、彼女は二匹の小さめなワイバーンを呼んだ。翼を羽ばたかせながら、二匹は灰の両腕をそれぞれ足で掴み、無駄に素晴しい絶妙なバランスで飛び上がった。

 隣で真の意味で竜騎兵(ドラグーン)となった戦神とファブニールの世界一つ破滅させる程の殺気と殺意に牽制され、不用意に手を出せなかったが、何とも言い難い妙な光景だった。しかし、所長は空気を読まなかった。邪竜と戦神が醸す気配さえ気にしなかった。

 

「なにあれ。汚いフランダースの犬か、何かなの?」

 

「所長。お口をチャック」

 

「あ、ごめん。気を付けるわ、藤丸」

 

〝パトラッシュとネロさぁん……―――あ、いけません。マシュ・キリエライト、作戦に集中しないと!”

 

 カルデアの電子蔵書には、本と絵本とアニメと映画、全てが揃えられていた。幼かった頃、ドクターと一緒に号泣しながら見た思い出を脳裏に思い浮かべる。目の前でワイバーンに掴まれて飛んで行った灰みたいに、ネロとパトラッシュが天使に連れられて教会の礼拝堂から天に昇って逝く映像を思い出す。

 ……しかし、今は戦闘中。

 決意を新たに、マシュは傷付いた体で十字盾を構え直した。何故なら自分のマスターが決死の覚悟を超え、死を乗り越えると決めた瞳をしていた。覚悟と言う英雄らしい言葉が似合う程、敵だろと茶化す余地がない程、少年は眼前の死に立ち向かうと意志を固めた。

 

「ジャンヌ……もう良いよ。貴女は、貴女の為にも―――魔女を」

 

「立香……?」

 

「あの戦神と竜は、俺達が倒す。だから、所長―――」

 

「―――良いのね、藤丸?」

 

「はい。所長は、ジャンヌを頼みます」

 

「分かったわ。では、命じます―――あの神と邪竜を殺しなさい。

 それとマシュ・キリエライト、絶対に貴女は貴女のマスターを守り抜きなさい。それだけは、貴女にしか出来ないカルデアの職務ですからね」

 

「―――はい、所長。マシュ・キリエライト、了解しました!!」

 

「うん。任せたわ。それと隻狼、兵士狩りに向かった外道共を殺しなさい。出来れば、エリザベート、アマデウス、ゲオルギウスも……」

 

「……御意」

 

「任せない。このスーパーアイドルに!」

 

「オーケーだとも。業腹だけど、僕とこのドラサバは宝具の相性が良いからね」

 

「お任せあれ。守護こそ、我が信仰たる騎士道であれば!」

 

 四人は一斉に立ち去った。魔女達はそんな彼らの後ろ姿を見つつも、手を一切出さなかった。理由は単純明快、全てが灰の計画通りであったから。

 全員、死ぬ。確実に、終わる。

 何人釣れるか分からなかったが、この四人は灰の手で死ぬだろう。それを理解する戦神は、たった一言だけ告げれば良かった。

 

「―――行くか、ファブニール」

 

「グゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ッッ!!!」

 

 飛び立つドラグーン。羽ばたき一つで突風が生まれ、砂嵐を出しながら宙に浮いていた。暗い雷雲が天から呼び降ろされ、豪雨が降り注ぎ、落雷が周囲に落ち始めた。

 何処からか、聞こえない筈の鐘の音が響いた。

 人を見下ろす戦いの神。邪竜はその神気を受け取り、神なる竜と成り果てる。

 

「「いってきます!」」

 

 召喚したシャドウを連れ、そして仲間と共に藤丸とマシュは神に向かって走り去った。ジークフリートはジャンヌと所長の方を向いて頷き、エミヤは背中越しに手を上げて励まし、清姫は綺麗な御辞宜をした後に付いて行った。

 

「どうか御武運を、皆さん!」

 

「ええ。エミヤと清姫とジークフリート、どうか二人をお願いね」

 

 藤丸とマシュ、ジークフリート、清姫、エミヤの五人はジャンヌと所長の言葉を確かに聴き、勢いそのまま戦いを挑む。

 残ったのは四人だけ。魔女と元帥と、聖女と所長。

 魔導書を片手で構え、血走る瞳でジルは腥い魔力を垂れ流す。所長も負けず劣らず血臭の酷い魔力を発し、だが星の輝きにも似た瞳で観測する。人間性が煮え滾る炉のような黒い太陽の眼を持つ灰とは違い、所長は理解の範囲外である怪しさに満ち溢れ、汚染されたジルだろうとも脳が寄生虫に犯される悪寒に襲われた。

 

「…………」

 

 空想の神性。何処か遠い外なる宙と繋がった鍵。あの海魔は、違う惑星の概念法則による生物。一目見ただけで所長は啓蒙され、刻まれた狂気を理論と知識で理解してしまった。

 ゴース、あるいはゴスム。

 悪夢の深海から流れ着いた遺子の母に近い何か。

 養殖人貝、瘤頭、魚人の村人。胎持つ老人の赤子と、空浮かぶ漁村の深海。海広がる悪夢の底である古都。空想の夢から飛来した―――

 

「良いのですか、オルガマリー。戦神がアッシュと別れた今がチャンスじゃないのですか?」

 

 ―――狂い巡る悪夢の啓蒙思考を、ジャンヌの一言が止めた。

 

「その為の隻狼よ。まぁ……どう転ぶかは、歩の合わない賭けだけど」

 

「すみません。でも、嬉しいです」

 

「私は………いえ、そうね。まずは勝ちましょう」

 

 そんな所長の言葉を聞き、魔女は邪悪に微笑んだ。ジャンヌと同じ貌をし、だがこの世の悪徳を詰めて煮込んだような嘲笑であった。元帥も同じく、目玉を飛び出そうなまでに狂った笑い顔を浮かべていた。

 

「我々に勝つ?

 あらそう、脳に寄生虫が居るだけの貴女が?」

 

「そうよ。だって貴女―――雑魚だもの。

 弱そうで、意志も大した事ないし、狩り甲斐も今一っぽい雰囲気。ねぇねぇ、良くそんなので私ってば最強ねって気配を醸し出せるわね。やだ、恥ずかしい!

 私だったら、復讐だぁ、殺してやるぅ……だ何て、羞恥心の余り発狂死しちゃいそう」

 

 死ぬ程に腹が立つ挑発のジェスチャー。やれやれ、と所長は両手を上げて呆れてますと仕草だけで訴えていた。仲間である筈のジャンヌでも自分がやられた訳でもないのに顔面を思わず殴り飛ばしたくなるような、腹底から煮え滾る苛立ちを与えるモノだった。同時に、聴いているだけでまともな精神状態を維持するのが難しい程に、聞くに堪えない罵詈雑言でもあった。

 

「き、キキキ、キサキサ―――貴様、キサマきさまぁぁああああああ!!」

 

「ジル。やめなさい」

 

「ハッ……すみませぬ、我が魔女(セイジョ)

 

 一瞬で冷静になる男。情緒不安定なのは確実だが、根底にあるのは魔女に対する絶対的な忠誠心なのだろう。

 

「下らない挑発ね……―――で、それってアンタの言葉じゃないでしょ?

 誰かにでもされて、それが戦術で有効な皮肉だったから、そのまま私にしてるだけじゃない?」

 

「なんだ、つまらない。後、それも正解。絶対に相手をぶっ殺して、何処までも追い駆けて狩りたくなるのよねぇ」

 

 贓物みたいな腐臭する瞳をし、魔女の眼を所長は見詰めた。魔女も見詰め返し、敵もまた悪意の権化だと一目で理解いた。

 

「根が腐ってますね。生前の私、お友達はちゃんと選んだ方が良いわよ?」

 

「――――貴女が、止まればそれで良いのですが」

 

「馬鹿ね。だったら、殺してみなさい。

 我が復讐は決して誰にも、例え生前の自分自身(ジャンヌ・ダルク)だろうとも―――否定させない!」

 





















 とのことで、人間性が与えられた戦術的理由がこれとなります。所長は皆に黙っていますが、眼光で即死攻撃が可能です。ヤーナムの狩人には脳の栄養にしかなりませんが、レフみたいに瀉血で狂気を体外排出しないと発狂死します。死なない場合は完全な異形となります。簡単に言えば、上位者の狂気に対する免疫ないようなものにしています。
 もし灰が人間性による汚染をしていなければ、所長が一目で敵を狂い殺す雰囲気になってました。




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啓蒙30:墓王

 ちょっとした設定ですが、現段階における藤丸の戦闘能力は、トリックの上田教授が奥義「なぜベス」に覚醒する前程度にしています。


 兵士を殺し回る黒騎士。忍びはマスターである所長の指示通り、アッシュの殺害から作戦を始める予定ではあった。しかし、人骨の大太刀で兵士を虐殺する灰を見たゲオルギウスは忍びに申し出て、黒騎士を素早く殺害後に援護してくれるように頼んでいた。

 戦術として、理には叶っていた。ゲオルギウスが時間稼ぎに成功すれば、一対二で灰と戦闘する事が可能となる。彼の主である所長も念話で聞き、その賭けに打って出る事も許可。結果、黒騎士は本気を出した忍びから奇襲を受け、兵士を殺している間にて、空中からの忍殺を受けていた。

 

「―――御免」

 

 ランスロットは幾度か忍びを見たが、狂っている彼の行動を逆に忍びは見切っていた。完全に理解した、とでも言える領域で黒騎士の技巧を忍びの目で悟っていた。そして、忍びは外法も外道も良しとする。

 兵士を殺し回っていた黒騎士に対し、正面から仕掛ける気はなかった。敵が囮となる敵と戦っている姿は、彼からすれば殺してくれと言っているサイン。命じられたまま狂い踊る狂戦士は余りに無防備で、心技体が狂いながらも如何に一体化していようが、周囲を警戒する意識の隙間をすり抜けるのは容易だった。

 

「アー……サァァア――――!」

 

 ずるり、と首に刺さる楔丸の刃を引き抜いた。即ち、暗殺成功。直後、強引に兜を剥ぎ取る。そのままランスロットの頭蓋骨を指で突き破り、脳髄に幻術を直接流し込む。

 それこそ忍殺忍術、傀儡の術。もはや黒騎士(ランスロット)は狼の操り人形。狂乱しながらも赤目を灯す男は忍びの背後に従い、彼の指し示す殺意の先を敵と定め、そのまま追走を開始した。

 ―――だが、上手く事を運んだのは魔女陣営も同じこと。

 ダークレイスの装束を着込んだ灰は、炉に内蔵された最初の火より、闇の生物が見出した権能を取り出した。元より火の神性全てを獲得していたが、ソウルを得た残り火から燃え上がった炉の篝火は嘗ての勢いを取り戻していた。

 闇の鎧の上から黒靄の衣を纏い、右は墓王の剣。左は暗い手。

 

「貴女は一体―――黒い神性……その姿は!?」

 

「――――」

 

 言葉は不要。殺意とは声で示すものではなく、相手の魂を砕く意志である。されど彼女が聖者に向ける殺意は、人の意識を遥か超え―――死と化した。

 空間を汚染する暗い死風。

 人骨の大太刀に纏わり付く橙色の死剣。

 火と闇がまるで混在されたと見える暗光を放つ死手。

 そして髑髏仮面の兜の奥からは、深く煮詰まった黒い太陽のような死瞳が聖者を観察している。

 

〝私は此処で―――死ぬ。

 あれは本物の、不死ならざる英霊では勝てない人型の闇……!”

 

 彼は理解してしまった。聖人として徳が高い魂が相手の魂を悟り、彼我に如何程の差があるか分かってしまった。あの黒い靄は不死をも殺す死であり、不死性を持つ神さえも逃れられない命を燃やす火であり、魂を再誕する理外の存在でなければ触れる事も出来ない。そしてそんな理外の不死だろうと、黒靄との接触は生命の終わりを意味しよう。だが、それだけならば死を覚悟などしない。英霊の規格からも超越した超常の神秘と権能を持とうとも、ゲオルギウスには祈りと剣技がある。

 しかし灰は、人間には許されない殺戮技巧を持つ魔人。

 一太刀だけでも剣戟を交えれば、例え守護騎士として絶対の守りを持つ聖人だろうとも、果たしてどれ程まで耐久する事が可能なのか。

 

「―――がぁ……!」

 

 グルリと回る大曲剣を前に彼は、宝具の聖剣で防ごうと構える。だが直前に骨剣の斬撃軌道が捻れ曲がり、刀身が弾き逸らされ、巧みな剣技によって体勢を崩される。そのまま押し込まれ、胴体を一気に斜め斬りにされた。しかし、その結果に何の頓着もせず即座に斬り返し、心臓の上を横一閃。何とか剣を合わせたことでゲオルギウスは致命傷を受けたが即死はせず、距離を取る為に後退し―――地面から生えた無数の剣舞に、突き上げられた。

 悲鳴も苦悶も、もう漏れない。10m以上は真上に吹き飛ばされる。

 そんな好機を灰が逃す訳もなく空中に一瞬で跳び、死の光(オーラ)を纏う剣を振った。まるで隻狼が空中で隙を晒す相手を殺すように、灰は学習した我流の対空忍殺にてゲオルギウスを両断した。

 ……落下する守りの聖者。

 死体が地面に落ち、そのまま転がり、しかしサーヴァントは息絶えれば魔力となって霧散して死ぬが道理。つまるところ、まだ霊核を完全に砕いた訳ではない。

 

「―――……」

 

 無言のまま、剣を持つ右手を掲げ、下へと一気に降り下す。目を黒く輝かせる灰の女は、橙色に光り続ける死の刃(オーラ)を纏う剣を、躊躇いなく地面に突き刺した。

 その直後―――ゲオルギウスの頭部が爆散。

 地面から前触れなく飛び出た死刃が、聖者に避けられない致死の一撃を加えた。

 

〝死に体でも気合いで此方を殺すのが英雄の真髄であり、肉体が死んだままだろうと絶対に己が意志を貫き、敵と最期まで戦おうと足掻くのがゲオルギウスと言う男の強靭なるソウルの在り方。あの聖者に油断も慢心も要らないです。

 それにこの世には因果応報なんて奇跡もあることですし、離れた所から確実に死体を抹消するのが一番でしょう”

 

 そして、灰は相手を完璧に殺したと言う最終確認―――ソウル(魂魄)の吸収を確認。闇の炉となった空の器に、ゲオルギウスと言うサーヴァントの記録情報が流れ込んで来た。つまるところソウルとは、記憶と記録の情報である。聖者ゲオルギウスの人生と、この特異点における活動を空の器に貯蓄し、それとは別にソウルから特別な魂を見出した。錬成炉による特別な武器か、あるいは呪文か、後の愉しみが増えたことを喜びつつ、彼女は新たな敵に向かって疾走した。

 狙いは―――エリザベート(ランサー)アマデウス(キャスター)

 ランスロットの死と、それを傀儡する忍びを殺すには佐々木小次郎(アサシン)の援護が重要。ならば、不意打ちでエリザとアマデウスの即座に暗殺し、二人と殺し合う小次郎と合流することが分かり易い勝ち筋。指輪によって姿を隠し、足音も消し、灰は手慣れた動作で殺害に移行。

 

「さぁ、リサイタルの始まりよ!!」

 

 隣で爆音の音痴を披露する竜の歌姫を死んだ魚のような目でアマデウスは無視し、だが敵となる侍からは目を逸らさない。勿論、鼓膜ごと脳味噌を破裂させようと大声を上げるエリザも観客(テキ)に集中し、音撃を躊躇わず放ち、空間ごと振動させていた。小次郎も対応手段は変えず、その長刀を振うことで音波を切り捨て、遠距離攻撃に徹する二人に接近をし、だがまたエリザとアマデウスは距離を離そうと攻撃しながら後退する攻防を繰り返す。

 その背後、灰は静かに佇んでいた。

 伸びる暗い手の先には、音楽家アマデウス。エリザの音波を増幅し、巧みな音楽魔術を使う彼はサーヴァントとしては並以下だが、補助役としては厄介極まり、こと音を武器とするサーヴァントの宝具を何倍にも強く補強しよう。灰が初手で彼の抹殺を狙うのは当然であり、そして――忍びの手裏剣が間に合ったのも必然であった。

 

〝吸精、失敗ですか……”

 

 後、数ミリと言う所でダークレイスの接吻は阻止。自分と同じく趣味の良い仮面を被る男は嫌いではなかった灰だが、狂戦士を外法で洗脳した忍びを無視する訳にもいかず。灰はあっさりと回転する忍びの手裏剣を、暗い闇を纏う左手で白刃取り、そのまま握り潰す。

 

「――――」

 

 だがもはや、雄叫び一つ上げなかった。傀儡の術によって完璧な殺戮人形に作り変えられたランスロットは、無言無音のまま堕落した聖剣を灰に一振り。暗い湖光の澱みが輝き、その刃を灰は手裏剣を潰した後の素手で受け逸らす。

 手裏剣の暗殺に動じず、更なる奇襲にさえ臆さず―――鎧で守られた狂戦士の胴体に入り込むは、暗い光を纏う骨作りの死剣。灰は味方だった筈の男を淀みなく殺し、その刃から死が溢れた。恐らくは、即座にランスロットの霊核を完全に停止させたのだろう。

 

「――――ッ」

 

 それさえも忍びにとっては戦術の範囲内。殺して傀儡化した屍の使い途もその程度が関の山。串刺しにされたランスロットを捨て駒に使い、縮地の一歩。敵の背後より忍びは、自分に気が付いている灰を狙い、大忍び刺しが放たれた。

 しかし、狂った騎士は串刺しにされたまま。

 迫り来る忍びを前に、灰は骨剣の真っ先を向けた―――騎士の屍を、盾にして。

 同時に灰は呪術の火を暗い左手より発し、呪術である罪の炎をエリザとアマデウスに向けた。灰を攻撃しようとした二人は自分達がいる場所に突如として炎が渦巻き、このままでは焼かれ死ぬと退避。その炎上を気にせずに忍びはランスロットの死体を楔丸で突き、その屍を踏み台にして上空へと跳び上がった。

 だが空に逃げた忍びに対し、灰は串刺し状態の死体を骨剣を振うことで投擲。忍びはその死体を蹴ろうと空中で体幹を整えたが、狂戦士の死体が爆散。

 死の神を真似た灰は、自分が学んだ奇跡の物語を骨剣の光に仕込んでいた。その呪いは死したランスロットを汚染し、サーヴァントの霊基と霊核を爆薬に変え、まだ霊体に残っていた魔力も即席火薬に作り直していた。

 

「……ぬぅ―――!」

 

 外法には外道を。しかし、所長が従えるカルデアの忍びが、神秘を用いた外道の策を見抜けない訳がない。彼は仕込み傘の忍具により死体爆弾から、身動きが取り難い空中であろうと容易く守っていた。

 しかし、油断は出来ない。

 敵が晒す隙と言う隙を徹底して狙うのが忍びの怨敵――原罪の探求者(アン・ディール)。忍びたる狼はこの女がアッシュ・ワンと名乗る前の段階から、その姿と業を良く知っている。戦い方も、冬木にて観察した。だから、分からない。

 

「大丈夫でしたか、佐々木さん?」

 

「無事よ。だが、何故(なにゆえ)に?」

 

「面白そうだから、ですかね。面倒な厄介事に首を突っ込むのが、魂が死ぬ退屈を癒すのです。我らのような存在にとって人類種の命運をあっさり左右する馬鹿騒ぎこそ、死ねぬ当たり前な貴い日常となるのです。

 だからですかね、実はこう見えても私は仲間思い出してね……いやはや、見知った人を見殺しにするのは心が痛みます」

 

「嘘臭いな。人死にに一喜一憂するような心など、貴様にあるとは思えんが」

 

「魂に中身がないですからね。けれど如何でも良い誰かから奪い取った人の心性、つまりは人間性の情報は私の魂には残りますから。

 心の中には何も無い……なのに何故か善行にも悪行にも、私は価値を感じずに感動してしまうのでしょう」

 

 まるで味方を颯爽と助けた良き仲間のように、灰は小次郎の傍にいた。忍びにとって余りにも不気味で、怖気をも感じる印象との差異だった。強いて言うならば、水生のお凛が道を素通りさせてくれるような気色の悪さであろう。

 

「無事か?」

 

「助かったわ、ニンジャ(ピー)!」

 

「感謝するよ。でも、これが座の噂で聞いたニンジャって奴か。ニンジャマスターだわって、マリアのテンションがハイになる訳だ」

 

「……そうか」

 

 とは言え、小休止は忍びにとっても有効な時間稼ぎ。まずはこの二人を立て直し、改めて侍と灰と対峙する必要がある。

 だが―――死は、より色濃くなる。

 怖気が背筋を凍らせる。忍びは葦名の土地で邂逅した人外の魔性を思い出し、だがそれ以上に強大な死霊の気配を灰から感じ取った。

 

「―――……」

 

 両手を空に掲げた灰。彼女は無言のまま、何も語らず、ただただ最初の火の持ち主のみが許された奇跡を為していた。それは余りに唐突な動作であり、何の予兆もなかった。何時の間にか大盾を渡された小次郎さえも気の抜けた表情を浮かべ、灰を見ている事しか出来なかった。

 ―――暗い風が、吹き抜ける。

 フランス軍と竜血騎士団が互いに殺し合う戦場の中心から、死の瘴気が溢れ出したのだった。

 

「ぬぅ……ッ―――!!」

 

「なに……これぇ!?」

 

「ちぃ―――……これは、本物の死神かッ!?」

 

 二人を守るように、忍びは鳳凰の紫紺傘を忍義手から展開。通常ならば亀の甲羅のように使って自分の身を万全に守るが、今回は大盾のように広げ、そのまま一気に回転させ続ける。なのに、それでも威力を押せえ付けられない。エリザとアマデウスの二人は咄嗟に忍びの背中を二人で支え、しかし暗い死の風は尚もまだ吹き続けた。仕込忍具の防御は強靭であるが、瘴気の毒性はそれを更に超え、敵対する三人の生命力そのものを侵食し続ける。命が死に削られ、生物が生存出来ない世界が作り上げられる。

 正しく、今のオルレアンは地獄。並の人間ならば呼吸一つで魂が腐れ枯れる死者の神域。だが、如何な死臭も永遠に続く訳ではない。

 ―――十秒後、灰の瘴気は収まった。

 目を瞑り、歯を食いしばり、耐えていたエリザとアマデウスはまだ周囲の状況が分からなかった。瘴気を止めたと言うことはその攻撃を行った理由がなくなった事を意味し、三人を殺す為にしたものでは元よりなかったと言う訳であった。

 

「――――あ、あぁ……!?」

 

「嘘だろ……!!」

 

 鏖殺とは、正にこの所業。神の如き力ではなく、それは神としか呼べない理の具現。空気中の微生物が完全に死に、土の中で生きる細菌やウイルスさえも無慈悲な死を与えられ、大気が完全に浄化されていた。周囲の空間全てが、生ける者何一つ許さずに死に耐えていた。

 無論、それは―――人間であろうとも。

 忍びたち三人は瘴気によって竜血騎士とフランス軍が戦う戦線まで吹き飛んだと言うのに、そこは全くの無音であった。

 それも当然。もはや周囲の戦場に、生きる人は皆無。

 敵も味方も、一切合切に区別なく、鏖殺は為された。

 初めから死人であり、その上で霊体であるサーヴァントならば、直撃を受けても距離が離れていれば助かった可能性はまだ存在していたが、墓王の瘴気は相手が吸血鬼であろうとも容赦はない。生命を持つ時点で神であろうとも―――否、生きる神ならば、死を得た墓王の熱からは決して逃げられないのだろう。

 尤も、悲嘆を与える程に灰は慈悲を持ちえない。そもそも灰にとって死の瘴気は攻撃ではなく、攻撃する為の準備に過ぎない。全ての不死者にとって誰かの死体など、所詮は不死の為り損ない。生きる事に心折れた落伍者である。そしてロンドールの頂点に至る亡者の王が、残り火となった最初の火を甦らせた不死が、命を終わらせた人間“もどき”の屍など、奇跡を作る為の道具になれば丁度良いとしか思わないのも当然であった。

 

「―――死者の活性(デッド・アゲイン)

 

 オン、と生物にとって無害な暗い波が戦場に広がった。死体の生死が捲れ、そこから闇が膨れ上がり―――暗い死が周囲に吹き荒れた。

 死だった。

 風だった。

 死の爆風は連鎖的に広がった。

 荒れ狂う瘴気の破裂に当たった死体もまた爆弾となって死を撒き散らし、そして生命の抜けた死骸が爆破され続けた。戦場に逃げ場はなく、瘴気で死体となった全身が闇の炎によって爆散し、結局は死体も残らない最後を迎えた。

 勿論、死骸に囲まれた忍びも、エリザベートも、アマデウスも、死から生まれた暗い火によって爆裂してしまった。死に浄化された戦場に動く者は誰もおらず、サーヴァントの死体も爆薬となった死骸諸共粉々となったのだろう。

 

「仕事は終わりですね。生きていますか?」

 

 灰は侍に貸した大盾を取ってソウル内に戻し、感慨深く周囲を見渡した。

 

「―――いや、これは……これでは、はは。あはははははははははは!

 なんだこれは、なんて無様なのだ。所詮こんな様……英霊が、化け物が、人間が……皆が命を賭した戦場がこの様か!!」

 

「成る程。しっかりと生きているようですね、佐々木さん。そこまで死に感動出来るのでしたら、まだまだ命を捨てる時期ではないでしょう」

 

「貴様はなんなのだ―――アッシュ・ワン?」

 

「人間性を受け入れたのでしたら、分かっているでしょうに。ただの―――人間です」

 

「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!」

 

 確かに、と笑うしかない。行使された神秘こそ、神としか言えない力であったが、それで行った事など所詮は人類の悪行。強大な生命体を倒した訳でもなく、英雄譚の頁になる戦果でもなく、分かり易い虐殺。大勢を一方的に殺戮した結果、眼前に広がるのは何も無い戦場。敵も、味方も、本当に何もかもがなくなった空白の大地。遠くでまだ戦っている者以外に誰もおらず、竜血騎士団も元帥が率いた陸軍も完膚無きまでに消え去った―――灰の、その空の器の中へと。

 ソウルは、亡者から逃げられない。

 灰に殺された者は、いや灰の近くで死に絶えた魂に、死後の自由など有り得ない。

 

「皆、死んだよなぁ……ック、くくく」

 

 呪われた侍は命が消えた死骸から、彼らの魂が何処へ向かうのか瞳に写ってしまっていた。この世から消える事なく、風に吹かれた霧のように流れ逝き、髑髏仮面を被る灰の口へと流れ込むのをはっきりと目視していた。

 

「死にましたね。残念ですが、囮作戦は無事成功となりました。後はジャンヌさんの方へと合流するだけでしょう」

 

「確かに残念であはるが……なに、了解した」

 

 敵は爆散した。エリザベートとアマデウスは爆弾化した死骸によって粉々の肉片となり、狼もまた生きている気配が何処にも存在しない。炭化した肉片が土と混ざり、悪臭も消えた死に満ちた清浄なる戦場跡から、侍はもう魔力の反応さえも感じてなかった。

 

〝まぁ……狼さんは生きているでしょうが、これでは何処に隠れているのか分かりませんね”

 

 しかし、灰は内心で警戒していた。恐らくは状況的に爆風で捲れ上がった土を利用し、まるで忍者のように土中に潜んでいるのは分かるが、また再殺するには絨毯爆撃をするしかないだろう。となれば、残された手段は限られている。

 奇跡、敵意の感知。敵意を持つ者に向かう兆しを放つも、上空に上がるだけ。

 

〝死んでますねぇ……はぁ。確かに、死んでいれば、敵意も殺気もなく、どのような気配遮断にも勝る偽装なのでしょうが、気軽に死ねる忍びだけに許された気配殺しと言う訳ですか”

 

 となれば、魔女の権能を墓王の代わりに使えば良いのかもしれない。嘗て繁栄した古竜をも焼殺し、その不死不変の肉体を燃やし、薪の火種にする魔女の火炎ならば、戦場跡地を溶岩地帯に塗り替える事も充分可能。その気になれば周囲に混沌の嵐を撒き散らし、地面を抉りながら走る事も出来なくはないが―――いや、と灰はその戦術を否定した。

 今は火の熱――即ち、命を温めて老化させる死の権能を顕現させている。

 まだ復活させたばかりの最初の火に対し、複数神性の過度な権能行使は火力低下を引き起こす可能性も少なからず存在する。これから更に成長させた後ならば、火と薪を有する炉の権能を完璧を得られようが、最初の火は何時か必ず残り火となる定めである。この人理か、あるいは人理が切り捨てた世界でも薪に変えれば、と思うもまだまだ未来の話となろう。

 

「では佐々木さん、私は行きましょう」

 

「そうか……」

 

 小次郎の眼前で、灰は姿も気配も音も消した。明鏡止水の精神で集中したが、それでも小次郎は灰が何処にいるのか一切把握出来ない存在感の隠蔽であった。

 

「………………」

 

 数秒、本当に自分以外が消えた戦場で侍は残心した。皆殺しにされた死骸も消滅した戦場跡地は、まるで明鏡止水を会得したばかりの佐々木小次郎の心境と良く似た風景でもあった。だが名残惜しむのはもう止めようと思い直し、彼は疾走を開始した。敵はまだ存在し、洗脳されたとは言え、主と呼べる女がまだ生きている。まだ戦う理由が残っている。

 一瞬で消え去った灰と侍。

 最後の生者も消えた跡地にて――桜色の光が一筋、地中から僅かに溢れる。直後、盛り上がる土から手が飛び出た。そのまま上半身が浮かび上がり、土を被る全身が外に出た。忍びは爆風で埋葬された地面から、墓場の中の屍のように蘇生した。

 

〝俺は……迷い、敗れるか”

 

 竜胤の不死性―――回生による黄泉返り。生命の何もかもが消し去った戦場を見回し、忍びは敵が消えたことを確認した。よって彼はアサシンのサーヴァントらしく気配を深く殺し、敵意が溢れるまだ無事な戦線へと向かう。隙だらけの背後から忍殺を行う好機ともなろう。彼もまた静かに走り始める。

 しかし、幸運な事に―――いや、悪運の強い事にまだ辛うじて死んでいない者がいた。

 灰の敵意の感知にも反応しない程に心折れ、もはや呼吸するだけの死骸にも等しい姿となっていたが、その騎士は確かに生きていた。

 

「馬鹿な……馬鹿な……―――そんな、馬鹿な!」

 

 須く部下が皆殺しにされた。聖者ゲオルギウスの願いを聞き、聖女を救うべく邪悪が犇めく戦場に立ち向かい、志願した皆が死を前にしても戦うと決意した人々だった。故郷を侵略者共から救いたいと勇敢な意志を持つ兵士達が、まるで神の裁きを受けた罪人のように木端微塵と為りて死に果てた。

 何の為に?

 どんな理由で?

 全てが消えた戦場に返答など有りはしなかった。

 

「有り得ない―――何故、どうして神よ!

 我らが一体何をしたと言うのだぁぁあああああああああああああ!!!」

 

 フランス陸軍最高司令官、元帥ジル・ド・レェは絶叫した。憤怒と絶望が心を支配し、血の涙を流して慟哭の泣き声を上げていた。

 死が爆散した戦場で生きている現実。それこそ、阿頼耶識による加護とでも言うべきか。当然の事だが、危機に対するカウンターを一つだけに限定する程に悠長な人類の無意識ではない。生前のジャンヌが死後の聖女を憑依してしまったように、生前のジルもまた反英雄ではない英雄としてのジル・ド・レェの霊基が憑依していた。それによって死人でも生者とも言えない彼は、彼個人を狙った死熱の瘴気ではなかった為か、命を奪い取る死への抵抗は出来ていた。あるいは、宝具として持つ旗の御加護もあったのかもしれない。

 だが、守られたのは彼個人のみ。元帥以外のフランス軍が皆殺しにされてしまった。しかし、再度の危機である死者の活性による爆風によって傷付くも、術者から離れた屍の活性化爆弾であったので、屍が爆散していく光景を見ていたジルは防御態勢を取れていた。

 

「まだ、まだだ……見届けなければ。私はまだ―――此処に、居る!」

 

 聖女が死ぬ筈もない。今度こそ救いたい、助けたい。全てを失った訳ではないジルは、最後の最後に残った希望から目を逸らさない。折れた心がそれでもまだ死ねないと足掻くのは、ただただその一心のみだった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 死が溢れた戦場だったが、此処は全く別の戦場であった。剣の丘か、剣の墓標か、古今東西あらゆる刀剣が並ぶ夕焼けと歯車の世界だった。

 そして、炸裂する爆破音。ファヴニールに騎乗する戦神に百近い魔剣と聖剣が軍勢を為して向かい、だがその全てが雷撃と火炎によって撒き散らされる。

 

「―――――――フン!!」

 

 戦神が放つ渾身の雷槍投げ。その矛先が向かうのは、自分達と同じく空中に飛んで戦う竜騎兵となった二人――ジークフリートと清姫であった。

 

「おぉおぉおおおおおおおおおおお!!」

 

「ガァァアアアアアアアアアアアア!!」

 

 バルムンクから迸る黄昏の光と、清姫の口から吐かれた火炎によって戦神の大槍は弾き返された。ファヴニールが更なる吐息による追撃を仕掛けるも、その頭部に幾つもの投影宝具が衝突して火炎の射線が逸らされた。

 その光景、正しく神代に行われたであろう剣と魔法の世界の再現だった。

 英雄達が持つ個人の力が、国家を覆す遥か太古の奇跡の物語に他ならなかった。

 即ち、ファヴニールに騎乗した戦神に対抗する為に―――ジークフリートは竜化した清姫の頭部に立ち、同じ竜乗りとして邪竜と戦神に立ち向かっていた。その上でエミヤが固有結界を展開し、皆が戦う戦場から切り放ち、自分達が有利となる異空の世界を新たな戦場とさせていた。

 しかし、有利なフィールドを作れるのはエミヤの特権に非ず。神性を捨てた戦神とは言え、彼もまた灰によって人間性を抱く者。ならばグウィン大王から始まったその神の血には、闇の薪となる暗い魂の血が流れ込み、人間と同じく成長する不死者と成り果てていた。

 戦神こそ半人半神にして、半闇半雷。

 その彼によって電撃を大地に落とす暗い雷雲が空に轟き、嵐が剣の丘で吹き荒れている。

 

「ぐぅ……―――ぁぁあああああ!」

 

「先輩!?」

 

「大丈夫、まだまだいけるさ!」

 

 余波だけでも人間は黒焦げるまでもなく、細胞一つ残さず蒸発する雷嵐の中、藤丸はマシュに守られることで何とか生きていた。藤丸が召喚していた英霊の影は邪竜の吐息か、あるいは戦神の雷撃で既に蒸発し、だが彼らの犠牲によってエミヤの固有結界は無事に展開出来ていた。

 しかし、堕ちた雷は地表を走る。マシュの加護と守りによって藤丸は大部分は防がれるも、僅かばかり彼の体内に雷が伝播するのは阻止出来ない。雷鳴が鳴る度に、人間の藤丸は体の中が焼ける激痛に耐える必要があった。

 

〝このままじゃあ……――どうすれば!”

 

 マシュの焦りは尤もだ。如何に盾を構え、地面に突き刺し、マスターを守る避雷針になった所で限度がある。地面を溶岩(マグマ)化させる超高音の吐息も危険だが、逃げ場がない雷撃包囲網は徐々に藤丸の生命力を削りつつあった。

 何より、マスターの死はサーヴァントの死。

 しかし、藤丸が近くにいなければ、魔力供給のラインが薄くなり、戦神と邪竜には勝てない。エミヤも本当ならマスターは固有結界の外側に置いて安全圏内に居て欲しかったが、それでは皆殺しにされるだけだろう。

 

「投影、完了―――――」

 

 故にエミヤ(アーチャー)は自分自身が矢となった。空中に投影した剣を踏み台にし、空を駆け昇り、そして踏み台にした投影宝具は即座に射出。彼が一歩づつ進む度に宝具爆撃が行われ、そして右手には日本刀が握られ、左腕は何故か鉤縄が巻かれていた。

 

全工程完了(セット)―――是、楔丸(くさびまる)

 

 所長に仕える星見の忍び、隻狼の戦闘経験が投影された。それが彼に憑依され、エミヤは忍びの殺戮技巧を仮初の技術とし模倣。

 ならば――可能。

 忍義手に仕込まれた鉤縄の技もエミヤは模倣し、投げたその投影忍具が邪竜の尻尾へと引っ掛かった。

 

「――――ッッ!」

 

 気合いの雄叫びも放つ余裕なし。エミヤが殴り込むその戦場は、竜乗り達の空中決戦(ドッグファイト)

 全身が燃え上がる火竜の清姫に乗れる人間などジークフリートのような防御能力を持つ者に限られ、そして暗い邪竜ファブニールを完璧に乗りこなせる化け物などこの戦神以外に存在しないことだろう。

 

「エミヤさん……!!」

 

 地上より、その光景をマシュは見た。ドラゴンとドラゴンが爪牙と吐息で殺し合い、ドラゴンライダーとドラゴンライダーが大槍と大剣で斬り合う神話の具現の中、味方の援護に向かうたった一人の英雄。しかし、模倣するのが忍びの技巧となれば、技術が劣化しようとも空中戦が出来ない道理なし。

 

「貴公……―――そうか。乗り込む度量の持ち主か」

 

「……ッ――――――!」

 

 それを見逃す戦神ではなかった。密かに邪竜の背中に立っていた赤い外套の男を、戦神はいっそ穏やかとも言える口調で迎え入れた。だが彼は無言のまま投影日本刀(クサビマル)を構え、敵の動きのまま迎え討つ。

 刹那―――雷速の薙ぎ払い。

 直後―――最速の弾き返し。

 しかし余りにも強大な膂力はエミヤを吹き飛ばし、そのまま邪竜の背中から消えてしまう。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)ッ!!!」

 

転身火生三昧(てんしんかしょうざんまい)………ッ!!!」

 

 逆に言えば、戦神に隙が生まれたと言う事。そして、二人の攻撃範囲内から味方であるエミヤが離脱したことも意味していた。

 

「ゴォゥオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 邪竜の吐息が咆哮と共に熱せられた。燃える黄昏の光を前に、暗い火炎流が衝突し、虚空の中心点で余りにも大規模な爆発が起きる。固有結界全体に激震が起こり、その世界に亀裂が一気に走り刻まれた。しかし亀裂自体は既に衝突の度に幾本も刻まれ、だがエミヤがまだ何とか強靭な意志で世界を維持しているだけに過ぎない状態。

 ……二体の竜は、空中浮遊を維持出来なかった。

 爆風によって巨体だろうと吹き飛ばされ、空中を回転しながらも何とか姿勢を再び立て直す。

 ジークフリートは清姫から落下するも空中で彼女に拾われ、戦神は嵐を纏うことで邪竜の上に平然と飛び戻っていた。

 

「―――……!」

 

 よってエミヤは魔力爆風に姿を隠す。赤い外套が保護色となり、空中に投影した剣を足場として跳躍。そのまま再度来た機会を逃さず鉤縄を邪竜の鱗に投げ、引っ掛けた勢いのまま彼は空中で跳躍軌道を変更させて宙を飛び上がる。彼は投影した忍びの技巧によって気配殺しも再現し、誰にも気付かれず火炎と粉塵の中を移動することに成功した。

 瞳に刺さる楔丸―――邪竜は片目を失い、血の涙が流れ出た。

 だがそれだけでは終わらず、即座に反対側の頭部に回って両目共に串刺した。入り込んだ剣先は脳に達していたが、そもそも頭蓋骨を割られて脳味噌が斬られた程度で死ぬ軟な生命体ではない。

 

「おおぉぉぉおおおおおおお!!」

 

「がぁぁあああああああああ!!」

 

 瞬間、ジークフリートと清姫の雄叫びが響く。対するは戦神唯一人。

 

「ぬぅぅう……」

 

 戦神は邪竜の手助けは出来ず。蛇の竜に乗る竜殺しが放つ真エーテルの光を、戦神は竜狩りの剣槍の真っ先で突き受け、黄昏の剣気を刺し貫かなければならなかった。そして、その光には清姫の竜炎も含まれ、強大なサーヴァントの宝具の相乗真名解放を防御しなければ、邪竜はエーテル一欠片残さずに死ぬことだろう。

 だが真におぞましいのは、雷嵐の付与だけで宝具の神秘を防ぐ戦神の技巧と膂力。

 神性を捨てた人の奇跡が、英霊二体を相手に同等以上の底力で立ち向かう防御力。

 真正面からの対決において戦神に勝てる存在はいないのだろう。彼が持って振うだけであの槍は、竜殺しが宿した血鎧をも容易く突破してしまう。

 

「邪竜よ、我らの終わりが近いと見える……」

 

 甘く見ていたと戦神は反省した。数千年に及ぶ実践と鍛錬で叩き作られた戦術眼を見直し、想定が外れた戦略を再構築し、この男(エミヤ)がカルデアにおける鬼札(ジョーカー)だったと理解した。

 灰と戦神に勝る技巧を持つ者が、あの狩人と忍びだけだと侮ったのが原因。

 邪竜が盲目になったのは自分達の所為であり―――何も、戦闘には問題がないのも事実。邪竜はその巨体故に外界識別を魔力反応でも十分に可能であり、戦闘行動もまた同じ。しかし、それを見過ごすエミヤに非ず。彼は瞳を突き刺すと共に投影した宝具を眼球内に残しており、呪文一つで炸裂する遠隔爆弾を頭部内部に設置。

 

壊れた(ブロークン)……―――幻想(ファンタズム)ッッ!!」

 

 地面に落ちながらも唱えられた呪文は確かに唱えられ、血の涙を流す竜の瞳は爆炎を上げた。涙と言う量を超え、もはや脳味噌から血の滝が流れているような光景であった。

 故に邪竜と戦神の体勢が崩れるのは必然。

 踏ん張りが効かなくなった戦神の剣槍は幻想大剣と火炎吐息を抑えられず、一柱と一匹は剣気と火炎に呑み込まれて―――墜落し始めた。

 翼を羽ばたかせる事も一切出来ず、落ちることしかもう出来ない。

 

「投影、完了―――!」

 

 その上で、エミヤは全く以って慢心をしなかった。千里眼は神と竜を認識し、その生命力がまだ残っている事を見抜いていた。地面に落ちて逝く邪竜達に向かって投影された幾十もの聖剣と魔剣が突き刺さり、邪竜がハリネズミのような姿へと変えていった。

 そのまま抵抗することも出来ず、ついにドラゴンは地面へと落下した。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)―――」

 

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 止めの一撃は、確実にせよ。真名解放は静かに唱えられ、だが神秘は相手を全壊する。竜の全身に突き刺さった投影宝具は爆散し、清姫から飛び降りた竜殺しは落下攻撃と共に宝具を解き放った。

 

「ォォ―――オォオォォォオオ……」

 

 生命力が尽きた邪竜は呻き声を上げ、そして活動を停止させた。嘗ての宿敵にまた殺された彼の心境を誰も分からないが、その声に恨みと憎しみが込められていない事を何故かジークフリートは分かっていた。そして、その言葉を正確に理解出来るのは、邪竜と共に戦った相棒である戦神一人だけなのだろう。

 嵐はまだ止まらず―――戦神は、生きていた。

 暗い邪竜ファブニールの隣に佇み、敵対者全員を光の宿らぬ瞳でじっと観察していた。

 全身が焼けた。鎧も傷付いた。だが何一つ問題はない。この男は人間性の深淵に堕落した戦いの神であり、まるで闇の不死共と同じに“エスト瓶”の中身を一口飲んだ。生命力は無事甦り、消費した奇跡の根源も復活。そして命を取り戻した戦神の眼前には五人だけ。嘗て何百体もの古竜と戦った戦場を思えば敵の数も、その力も劣っていようが、相手は“人間”と言う世界最悪の魔物にして化け物。神にとって抗えぬ闇の怪物である。油断も慢心も有り得ないが、戦術を上回れた現実を思えば、為り振り構わず殺害すると言う必死さと冷酷さが足りず、より冷酷非道になって戦いに徹する必然性がある。

 殺すべき戦神だけの怨敵達。

 大剣を構える竜殺し。竜から人に戻った火の娘。世界を作る赤い外套の騎士。大盾を構えた不退転の意志を持つ少女の騎士。そして、血反吐と血涙を流す何ら変哲もない一人の少年。戦神はこの中で、最も身を削って戦いに臨んでいるのが、何もしない少年であることを理解していた。あの様子では味方が武器を渾身の力で振う度に、全身に雷撃が走る激痛に襲われていることだろう。

 

「―――見事なり、赤き騎士よ。

 貴公の手管、実に人間らしい業の塊であった。学ばせて頂こう」

 

「貴様、それ程の力を持って―――何故、このような所業に手を貸した?」

 

 何の因果か、忍びの刀で以って邪竜の赤い拝涙を為したエミヤ。語り掛けて来た相手に対し、彼は珍しく皮肉を混ぜず疑問を発していた。

 

「神を捨て、人となる為に」

 

 無表情のまま戦神は僅かに語り、剣槍を振り上げた。だが何も握らない左手は、理由は分からないが彼の隣で横たわる邪竜の屍の頭部を撫でていた。労わるように、あるいは力及ばず助けられなかった事を謝るように、戦神は一時の相棒だった邪竜に、確かな感情を表していた。

 マスターの呼吸を休ませる為にもう少し時間稼ぎはしたかったが、そこまで。藤丸に従うサーヴァントの皆が臨戦態勢となり―――剣槍が、邪竜の頭部に向けて降り落ちた。

 戦神と向き合う皆は何も出来なかった。

 意味も分からず、彼が仲間の死体を穿つ理由も分からなかった。

 頭部に刺さった剣槍より発した雷鳴の一瞬で、邪竜の死骸が消え去った原因も見当が付かなかった。

 

「―――――――――」

 

 理解出来るのは―――戦神が、その竜を喰らったと言う事実だけ。

 暗い炎の闇。闇黒の雷嵐。邪竜のソウルは朽ちず、腐らず、戦神は竜の同盟者としての使命を全うするのみ。そして、彼はただただ邪竜との契約を果たしただけだった。不死で在れぬソウルとは受け継がれてこそ、魂を渡す相手が一時の戦友だろうとも無念なく死ねるのだろう。

 竜狩りの戦神が―――カルデアの前へと立ち塞がった。


















 そう思えばここの灰の人って不思議空間に拉致られた際、異星の神に糞団子投げ付けてクリプター拒否してたんですよね。やはり不死って頭可笑しいですね。あんな美少女ビーストになる筈の神様に対し、取り敢えず糞投げちゃう当たり、あの世界は本当に人間性が捧げられた世紀末です。
 感想、評価、誤字報告、お気に入り登録ありがとうございました。またこの話まで読んで頂き、ありがとうございます。


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啓蒙31:竜血咆哮

 戦神「叫ぶと強くなるのは基本知識」
 漫画とかで熱血主人公は叫んで攻撃しますが、パワー系の不死や灰も同類なんですよね。咆哮で気合い的に周囲を吹き飛ばしたりも出来ます。プレイヤーが縛りロールプレイしていない限り、ガオーと叫ばないクールな灰や不死とかって存在しないんですよね。好奇心旺盛で拾ったアイテムを使うと思うので、最大火力を求める場合、攻撃前に叫ぶのは基本中の基本。
 つまり、全裸で雄叫びを上げる不死こそ最高火力!
 ついでに生身の戦神がカンスト周回ボスだとしますと、今の戦神(霊体)の強さは一週目の六~七割程度にしています。




 



 常時宝具展開した清姫は限界を超え、霊基が罅割れた状態。竜化したとはいえ、邪竜と正面から殺し合う一番危険で厄介な役目を負い、それを全うした為に何時消滅しても可笑しくなかった。何よりも暴走した宝具が既に霊体へと侵食し、瞳が血に飢えた蛇のような爬虫類と似た眼光となっており、手足も鱗に覆われてしまい、爪が獣のように強靭さを得て伸びていた。

 

〝…………ぁ”-、凄く死にそうです。

 むしろ、何故生きているのかが不思議。私がここまで戦える類の女だったと言うことが、そもそも新鮮な発見です”

 

 敵と向かい合う決戦場ではあるが、ある意味エミヤの固有結界(無限の剣製)内は暗殺を警戒する必要もなく安全だ。清姫が血反吐を吐き終わり、無警戒に一息する程度に落ち付ける時間はある。仮契約を結んだマスターの護衛と言う役目を負ってはいるも、実質は傷が癒えるまでの戦力外通知でもあった。

 

「大丈夫じゃ、ないよね?」

 

 徐々に肉体が人間のものに戻りつつある彼女に、藤丸は声を掛けた。喋らずにはいられなかったとも言えた。

 

「それは……はい。正直、生きているのもやっとですから」

 

「ごめん。でも、ありがとう清姫。君の御蔭、ここまで来れた」

 

「……でしたら、体を張った甲斐もありました。

 わたしの竜体は醜く、おぞましく、嫌悪にも程がある化け物の姿でありましたが、誰かの為になるのでしたら……そうですね。やっぱり、それが一番の報酬です」

 

「そんなことはない。凄く格好良かったよ!」

 

「ふふ。そうですか」

 

〝とは言え、嘘は分かってしまうんですが……”

 

 言葉とは裏腹に、彼女は誰かの為の誤魔化しとは言え、嘘を吐かれるのは嫌だった。嘘になるならば、気遣いなど要らなかった。人喰いの蛇竜を格好良い等と言う想いは有り得なく、清姫は嘘を吐いた藤丸は嫌いにはならないも、その言葉は訂正して貰おうと思った。

 思ったが―――何か、そうじゃなかった。

 そんな感想を自分に漏らした清姫、全身の痛みを本気で忘れてしまった。つまるところ、醜い竜となった自分を許してくれる殿方が、凄まじく急に彼女の眼前に現れた事を意味していた。

 

「―――好き」

 

「―――え?」

 

 藤丸、告白を受ける。意味が分からないが、それが事実と言う事は察した。察しただけで、対応出来る訳ではないが。

 

「これが―――愛。即ち、恋」

 

「へ……!?」

 

 衝動。即ち、起源。誰も(ソウル)から生み出た渇望には逆らえない。もはや自然と抱き付き、むしろ抱き付かない方が可笑しいのでは、と混沌としたヤバ目な恋愛感情が湧いてくる始末。

 

「ちょっと―――いや、ちょちょっと清姫さぁん!?」

 

「分かっていま好き。勿論、大いに分かっています凄く好き。恋に生きるこの清姫、TPOを弁えた淑女でありますれば、戦場であろうとも万全に好きです!

 貴方の事は我が命に代えても守り好きましょう――旦那様(ますたぁ)。ここは危険です、急いで戦線から離れて愛し合いましょうネットリと!」

 

「そうだけど―――……いや、そりゃ理に叶ってるし、そう指示されたけどぉ!?」

 

 愛の力か、恋で盲目になった為か、何故か瞬間回復した清姫は旦那様(ますたぁ)を御姫様抱っこをすると、広がる戦火から一気に離脱した。戦神と戦うエミヤから念話があったので魔力のラインが届き易いギリギリのラインまで後退し、まずは藤丸の安全をより確保し、そこから一気に攻勢に出る作戦であった。

 清姫が動けるようになり、立っているだけで精一杯だった藤丸(マスター)を全員で守る必要もない。そして、彼をある程度の距離まで離脱させられたならば、時間経過で彼も回復すればシャドウをカルデアから呼ぶ事も何時かは可能となるだろう。

 

「――――」

 

 雷雲が、轟いた。振うべきは槍一つ。言葉はもう不要。語るべき一時の相棒も死に、後は敵となって頂けた“人間”共を殺すだけ。しかし、戦神にとってこの戦いは契約者に召喚された白霊としての契約内容に過ぎず、勝ち負けは如何でも良いのだろう。数多の不死、あるいは灰にとって、自分を使役する相手など所詮は闘争を愉しむ為の要石に過ぎない。むしろ殺すべき敵に厚意を向け、丁寧に親切にその命を尊び、心の底から人殺しを喜び、そして殺害した命から好き嫌いなくソウルを頂く事が大切だ。

 暗い魂由来の人間性(ヒューマニティ)は、人間はそう在れかしと神を(ノロ)った。

 彼の父親の部下だった騎士アルトリウスを狂わせた深淵よりも遥かに暗いソウルであったが、干乾びた戦神は神性もまた枯れ失い、故に生温かい闇泥に狂うこと無く飲み干せたのだろう。エスト瓶に溜まった篝火の熱にまで適応し、生命を甦らすのに奇跡要らずの身となった彼は既に堕落した。

 同時に、人間は神に追放された戦神を信仰していた。

 不死と灰の中にあった契約。時空が歪んだ並列する多くの世界において、戦神を超える灰など珍しくもない。むしろ、戦いの神を真正面から一対一で下す程度の偉業、ソウルと殺戮で鍛え上げられた灰にとって出来て当然。古い時代において最強の神だった者を殺せない程度の灰など、其処らで転がる心折れた人間未満の獣でしかないだろう。

 彼と契約したあの(おんな)も、あの世界における一般的な普通の人間であり、珍しくはあっても無数にいる誰かに過ぎず、何ら特別な存在でもなし。中には自分が殺した戦神の魂で武器を作り、奇跡を作り、その格好を物真似し、自分自身が戦神となって信仰する灰もいることだ。

 召喚された今の戦神を汚染する闇とは、そう言う灰の情報(ソウル)が使われていた。彼を竜狩りの戦神として信奉する灰の想い(ソウル)が、既に枯れた筈の血液には混ぜられている。

 故に――暗い太陽の戦神。名を捨てた王の一人。

 今や竜の同盟者よりも罪深く、亡者の王を主とする使い魔(サーヴァント)もどきに成り果てているのだから。

 

「……ぐ、ぅううう―――!」

 

「―――――」

 

 スキルを全力で活用し、大盾を両手で支え、マシュは迅速な戦神の一撃を受けた。しかし、止める事は出来ず、雷雲を纏う暗い嵐が防御体勢を容易に崩す。

 ――死。晒される命の隙間。

 嵐の王でもある戦神の攻撃を正面から受ければ、それを弾き逸らすことは酷く難しい。

 

「はぁぁあああああ!!」

 

 ならば、雄叫びを上げるしかない。マシュが死ぬ一瞬の間、敵の注意を引きながらジークフリートは戦神の背後から斬り掛る。

 対応されるのは、ジークフリートはわかっていた。その為に烈火の気合いを込め、全身全霊の一斬を放った。バルムンクは真名解放をされてはいなかったとは言え、Aランク宝具に相応しい神秘が渦巻いている。

 しかし、それを素手で弾き逸らす(パリィする)のは、如何ほどな絶技か?

 そして、彼女の代わりに隙だらけとなったジークフリート。

 

投影(トレース)開始(オン)―――!」

 

 剣槍が臓腑に向かい――串刺しの窮地をエミヤの弾幕が間に合った。

 固有結界の内側であるため、魔術回路の制限がない大包囲な刀剣の群れ。だがそれでも尚、戦神は自分が攻撃を受けるのも構わずジークフリートを狙うも、マシュの盾に仕込まれた貫通銃(ピアシングライフル)が火を噴いた。

 流石の戦神も投影宝具と灰入り水銀弾を受け、敵の攻撃をものともしない強靭な体幹もバランスが崩れた。だが、攻撃を中断する訳がない。噴出する雷撃が体内に入った投影と水銀弾を排出。そのまま構わずに耐え、神が振う竜狩りの剣槍は竜殺しの血鎧を貫き、勇者の内臓を抉り刺す。

 

「グゥ……っ!」

 

 呻き声が漏れるのも無理はない。心臓を狙った剣槍の一撃は致命であり―――しかし、狙いはエミヤとマシュによって逸れていた。ジークフリートは腹部に刺さる剣槍の柄を左手で握り、右手で首を狙ってバルムンクを一閃。

 

「……がぁぁあああああ!!」

 

 そんな足掻きの逆襲を、戦神は雷撃を刃から放つことで容易く阻止してしまった。呻き声は絶叫に代わり、血鎧の加護の内側から勇者は電撃で内臓から焼かれていた。

 

「ジークフリートさん……!」

 

「―――セイバー……ッ!」

 

 雷を後数秒間だけ流せば殺せたが、今のマシュとエミヤを無視するのは危険。干将と莫耶を構えたエミヤは鋏で枝を剪定するように双剣を首目掛けて奔らせ、マシュは一撃必殺を具現した仕込武器――パイルハンマーをもって一線愚直に突撃。斬首された上、心臓に風穴を開けられれば戦神も致命を避けられない。

 守れば――死。受けるも死。

 死地に行かねば生きる事も叶わない怪人。

 エミヤもマシュも守りを戦術を基礎とする堅牢なサーヴァントだが、闇を得た重い嵐と雷が相手では分が悪いにも程があった。だが剣槍で貫かれた勇者も気合いだけで、電気を流されながらも再稼働。

 となれば、手段は数あれど実行すべきは反撃一つ。刃に刺さった投擲武器(ジークフリート)を振り放ち、マシュに衝突。

 彼女が仲間を見捨てる訳もなく受け止め―――つまり、エミヤと戦神の一対一。

 剣槍の突きは、重厚でいて迅速。彼に受け継がれた竜の嵐をまるで魔力放出の如き神秘として応用し、更に混ざった邪竜の闇が雷撃を重く暗い奇跡に変え、ジークフリートのような防御能力がなければ即死は間逃れない。

 それを足技で踏み躙る――エミヤ。

 彼が模倣する技術は、もはや英霊の技巧を超えていた。

 

「―――ヌゥ」

 

「ハッ―――」

 

 しかし、忍び程に完璧な足捌きは不可能。神域の一突きを生身の足を使って地面へと踏み逸らすとなれば、その技が宝具化しても良い領域。恐らくは因果律にでも干渉しない限り、極まった忍びに対人刺突は通じない。

 つまるところ、エミヤの憑依は模倣に過ぎず、戦神からすれば即興の物真似。

 即座に剣槍を引き戻し、足元を狙った薙ぎ払い。忍びを模倣した状態で双剣を構えるエミヤは、見え見えな大振りを後ろに跳んで回避。空中を自在とする体術を持つ忍びであれば、相手が戦神だろうと敵の間合いへと跳び掛るのだろうが、空中戦用の体術に忍び程に極まっていないエミヤでは、身動きがし難い空中で戦神と対峙すれば対空迎撃の餌食になろう。

 心眼が導く戦術としては、後退の一手だった。

 究極の一に至った守りの型である忍びの剣術があれば話は違うが、エミヤが模倣可能な領域では攻め続ける事は不可能。

 ―――面妖。

 だが、便利な業。

 ソウルの業より作った錬成の武器より、その元になった魂の使い手の技を真似する人間(フシ)に近いと戦神は考える。剣槍の贋作を錬成炉で作り、その技を巧みに使う()共と同じだと残心にて考察。

 如何やら、彼が相手する敵対者三名は防御に特出した相手。掠っただけで生命を一撃で奪い取る戦神と戦い、まだ誰も死んでいない事実。

 優れた守りの技巧を持つエミヤ。

 城壁に匹敵する十字盾を振うマシュ。

 強靭にして堅牢な肉体を誇るジークフリート。

 ソウルを目視する彼は敵対者の名前を一目で見抜き、そして肉体を動かす生命力も感じ取る事が出来る。致命傷を受けた筈のジークフリートであったが数瞬の後、ある程度の生命力を取り戻しているのを確認した。力の流れを見た限り、マスターであるあの少年から流れ込んだ魔力が彼の肉体を修復した原因だと戦神は即座に察する。

 葦名の土地で生きる生身から召喚された霊体である故の制限。

 サーヴァントと呼ばれる使い魔である事が、彼をより闘争へと駆り立てた。

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)―――!」

 

 竜殺の黄昏に対峙するは―――太陽の光の槍(サンライト・スピア)。灰由来の叡智が戦神に物語を与え、炉から見出された火の雷が彼のソウルには宿っていた。そんな宝具ではない雷の奇跡は、しかし暗く重い闇を纏い、幻想大剣を超える神秘となって光の剣気を貫いて命中。だがバルムンクによって威力が弱まり、更に大剣によって防御がなされ、その上で血鎧による防御能力を有する。

 その三重防壁によって彼は人を得た神の奇跡から生き延び、それでも衝撃を殺し切る事は出来ない。皮膚と筋肉を電撃で焼かれながら、彼は地面に二本の長い足跡を作りながら何とか転ばず、真っ向から防ぐ事に成功した。

 

「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!」

 

 その隙を狙わないエミヤに非ず、瞬間的に装備変換した弓より螺旋の剣矢が放たれた。音速の十倍に達するドリル状の回転投影剣は空間を抉り穿ちながらも突き進み、戦神の周囲に吹き荒れる風の抵抗も無視して直撃。

 ―――剣槍の真っ先が、螺旋剣の真っ先を捕えていた。

 どれ程の精度を誇れば、超音速で回転する飛来物の点を“点”で迎撃出来るのか。

 しかし、不死なる岩の古竜の鱗を突き貫く為の膂力と技巧を、神と竜の戦いの中で鍛え続けた古き神ならば可能。

 嵐の螺旋を雷の剣槍が迎え突き―――

 

壊れた幻想(ブロークンファンタズム)―――!」

 

 ―――突き壊される直前、エミヤの呪文が間に合った。

 螺旋剣が太源に還るよりも早く投影宝具は弾け、戦神は爆炎に巻き込まれた。エミヤの固有結界内ではあるが、その自分の心象風景が砕けても構わない威力で地面が抉れ、土煙りが舞い上がる。

 だが、無傷。

 彼は仕草一つせずに思念だけで突風を起こし、自分の視界を取り戻す。嵐の王である為か、周囲の空気の流れを感じ取れる戦神は、既に自分に向かってくる敵を把握済み。

 

「―――――」

 

 気配を殺すマシュ。機械義手を変形展開したマシュは、摂氏数千度となる魔力光剣(ゲッコウ)を拡げた。横に薙ぎ払う超高密度マナブレードの手刀は戦神を間合いに収め、だが剣槍の柄が間に挟まれた。戦神の防御は容易く間に合っていた。

 義手光剣(ゲッコウ)は戦神の槍で受け止められ――否、そのまま素通りして敵を斬る。

 ゲッコウとは魔力の光剣ではあるが、本質は別。義手に仕込まれた魔力炉より発するマナが混ざったレーザーを剣型に圧縮・放出した光学的エネルギーであり、剣と言うよりかは射程の短い斬撃光波。そのレーザー発射装置に魔術理論が組み込まれた科学的な“物理”現象。発生装置の義手は魔術と科学を合わせたカルデア式錬金術の産物ではあるが、厳密には神秘なる工学兵器に他ならない。

 マナが混ざったレーザーは物体ではなく光。

 遮られなかった光刃部分が、マシュに振われたまま直進するのが道理。

 エネルギーはエネルギーで相殺するか、盾や鎧で完全に身を守って刃の全面を防ぐか、あるいは至った境地の技巧で以って実体のモノを切り裂く業でもない限り、カルデア超技術による光学兵器(レーザーブレード)を守るのは難しい。

 

「―――な……!?」

 

 しかし、物事に例外は付き物。戦神ならば尚の事。素通りされたとはいえ、剣槍を通過した事で威力は減り、纏う嵐は戦神の防御力を上げ、古びた鎧もまた彼の肉体を守る堅牢な防具。

 血が僅かに吹き出るも――それだけ。

 螺旋剣の爆撃を防ぐ強靭と技巧を持つ戦神は、高ランク宝具の直撃にもそのまま素で耐久してしまう。

 

「……ヌ」

 

 だが唸り声が出るのも仕方ないだろう。戦神はマシュの攻撃を光が付与された拳による一閃だと考察したが、実際の力の流れは形無き雷のような攻撃であった。あのような人間の文明に疎い自覚があり、義手の殴打だからと槍で弾いて隙を作ろうとしたのが悪い戦術だったと容認する。

 だが何故だろうか、灰より与えられた人間性(ロマン)がマシュの義手を喜んでいた。

 そんな感動のまま、戦神は彼女へ向かって一歩だけ踏み込む。踏み躙るは大地であり、蹂躙するは空より降る雷撃。

 

「……ッ――はぁぁあ!!」

 

 爆心地が凹み、マシュは十字盾で衝撃を受ける。気合いの声も雷鳴で塗り潰される。

 

「―――ッ……!」

 

 空中に墓標のように刺さっていた剣軍が浮かび、だがそれらに落雷して地面に戻る。

 

「――……クッ!」

 

 光纏う幻想大剣の剣気は暗い電撃で掻き消され、勇者は相手の堅い守りを破れない。

 

「―――――」

 

 雷撃も、雷鳴も、戦神は奇跡を思念だけで為す。暗雷を世界に現すのに物語(ジュモン)は不要。

 同じサーヴァントで在り、霊基も三人と同じ英霊の領域で在りながら、戦神は名の通り全てが神域の業と化している。

 迅さ。膂力。槍捌き。嵐の加護。雷の奇跡。

 槍術と雷撃が合わさった業こそ――戦神流。

 言わば竜狩りの武術と呼ぶに相応しく、神を開祖とする戦の武芸。

 振われる幻想大剣と光る剣気。交差する双剣と飛来する魔剣、聖剣、名剣の軍勢。鉄壁となる十字大盾と複雑怪奇な仕掛け仕込み機械兵装。

 一分にも満たないたった十数秒の間にて、剣戟と爆裂の連鎖が幾度となく鳴り響く。

 

「戦神……――武神、竜狩りの王か!」

 

 故に、エミヤは叫ばずにはいられなかった。問わずにはいられなかった。解析した相手の得物を知り、神秘と経験を理解した為に彼我の差を誰よりも正しく彼は理解した。

 あれは、巨人が鍛えた神の武具。

 だから、特別―――等ではない。

 あの男が使って数多の竜を殺し続けた故に――竜狩りの剣槍(ドラゴンスレイヤー・ソードスピア)

 

「―――然り」

 

 雷鳴と共に、武具を振いながら彼は呟いた。雷と槍で敵を殺めるのに不要だと分かっているが、そんな道理を語る事こそ下らない。合理的、効率的、戦術的、などと外見と外装を気にする者ほど無様を晒す際に醜態を濃くする。

 不要な言葉で顕れた想いこそ、人の魂(ソウル)であった。

 想う儘に在れ。

 生きる儘に殺せ。

 死に様の儘に叫べ。

 奇跡とは――物語である。

 惨たらしく殺された際に上げる断末魔と言葉に違いなく、想いとは誰かに投げぶつけるものである。これより殺す敵の想い(ソウル)に、自らの言葉(ソウル)で応えてこその“人間”である。

 

「オォォォオオオオオオオオ―――!!」

 

 ドラゴンの如き咆哮。古竜を友とする戦神だからこそ、咆哮は嵐の雄叫びとなり、声は物語を紡ぐ奇跡となるのだろう。

 枯れていた筈の彼の暗い血液は――竜の魂も熔けているのだから。

 だが戦神は攻めても、更に深く攻め込もうとも、強靭な守護を誇る敵陣を崩せない状態が続いた。

 戦神の隙があれば剣が雨となって降り、隙がなければ剣雨が隙を作り出し、攻撃の機会を上手く作り出す戦術家の魔術師が、神殺しを為す彼らの主柱となっている。そして、攻防共に特出した破壊鎚となる竜殺しの一閃が首に当たれば確実に死に、十字盾を構える少女を殺すには周囲の補助によってほぼ不可能。また少女が振う盾に仕込まれた射出杭を盗み見て、どのような神秘かも理解している。

 あれは霊核(ソウル)を一撃で砕くもの。

 灰の積もる炉。闇の篝火。戦神から視たあの灰の人(アッシェン・ワン)が語る“人間”共が、人間を燃料にして灯した“人の火”から人理を守る組織。

 その理念の為に人間が作った兵器であれば―――神を殺すのも、容易く行って当然だ。

 

「―――ォ」

 

 だから、どうしてだろうと思い悩んでしまう。神だった頃なら、こんな事を考えずにただ殺して、竜を狩り殺して、神に逆らう闇の生物(ニンゲン)共を殺していただけだった。竜殺し、神殺し、人殺し。全ての魂で手を血で汚し、何もかも雷で焦がし殺し―――けれども、やはりまた何も無い灰の世界に戻るだけだと言うのに。

 使命感―――何を、大事にしたのだろうか?

 雷の王―――結局、太陽を燃やす贄にされただけだった。

 残留物―――戦友、その誓いだけが枯れて亡者となった自分に残された。

 自分の世界ではカルデアの彼らみたいな者は、人にも神にもいなかった筈―――いや、一人だけそんな者が自分の近くに居たかもしれない、と戦神は人間性によって思念を闇色に染められていた。

 四騎士の長―――竜狩り、オーンスタイン。

 だが亡者となった自分は、あの山の頂きで鐘を鳴らされる前は、一体何をして―――

 

「ォォオ」

 

 ―――魂が、酷く軋む。

 

「オオオ……」

 

 暗い雷を宿すのも当たり前だった。しかし、既に亡者となった身。内側にある思い出(ソウル)が闇に溶け、虫喰いのようになって、思い返すのは憎悪と殺意と奇跡。

 後悔も未練も、枯れてしまった。

 安堵と幸福は、燃えてしまった。

 彼らを見ていると、この世界で戦う者達を見ていると、時代を守る為に(ヒト)となった父を何故か思い出してしまう。

 自分達、神と同じで――限られた命しかない。

 しかし彼らは、闇の印を持たない人間と同じで無力。

 神ならば、命を賭して世界や時代の為に戦うのもまだ分かる。永遠を生きる意志に至った灰のような不死ならば、こんな世界など遊戯盤にも等しいだろう。生きる喜びは寿命に縛られた者が抱く幻想に過ぎず、穢れと貴さは魂にとって等価値である。

 けれども人と神の思い出(ソウル)に、もし違いがないのなら、戦う為に魂を動かす意志は誰もが同じであった。

 今の人を、この時代を進む世界を守りたいと“人間”が願うならば―――

 

「……オオォォ」

 

 ―――魂が、酷く捻れた。

 竜のソウルが熔けた暗い血が、火と雷を宿す神のソウルで煮え滾り、生身を得た戦神が細胞を焦がしながら雷を発する。青白く、暗く、人の想いが煮詰まった混血の雷撃は、混沌とする戦神の意志として発露する。

 竜の咆哮と共に掲げた竜狩りの剣槍が雷鳴した。

 黒雲が皆を覆い包み、固有結界に嵐が渦巻き、地面に刺さっていた剣軍が暴風に取り込まれた。無限とも言える剣の墓標が風に波乗り、主であるエミヤと、その味方にも牙を向く。

 

「ォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 極限まで雷雲に電気が帯電―――渦巻くは魔力であり、奇跡であり、それを望むソウルの具現。雄叫びを上げる程に戦神の存在感は爆発的に増大し、竜の叫びが雷の火力を比例して上昇させ続けていた。竜のソウルが血に溶けた戦神にとって、意志の儘に声上げる咆哮こそが、彼が持つ奇跡と膂力を強くする。

 感電死―――否、細胞一つ残さず蒸発させる熱的電力。正しく、炉の雷。

 無限の剣製(アンリミデッド・ブレイドワークス)が心象風景を維持可能な限界を超え、世界が雲と霧に包まれている。その雲は雷に満ち溢れ、嵐の内側と言う一種の異空間に侵食された。

 

「神の天罰……?

 そんな、こんな力にどうやって―――!」

 

 マシュは旧約聖書における天罰の逸話を思い出す。それ程の脅威であり、たかが数十年で寿命を迎える人間では到底敵う筈もない神の奇跡。

 エミヤは剣を嵐に奪われた。

 マシュは大盾を構えて立つだけで精一杯。

 ジークフリートは二人を守る為に剣を構えて直立不動。

 神住まう幻想の仙郷で、神なる竜の落雷すら世界の主である神竜に斬り返した忍びならばあるいは、戦神が放つ嵐の落雷の全力全開にも対応したかもしれない。

 だが―――今はいない。

 忍びは死の神を見出した灰と殺し合っている。 

 

「盾を構えるんだ、マシュ。決して君だけは、その膝を折ってはならない。そうなれば、きっと心まで折れてしまうだろう」

 

「ジークフリートさん……」

 

「マシュ、ジークフリート。奴を超えねば、この地での―――今までを裏切ることになる」

 

「そうですね、エミヤさん……――はい!

 マシュ・キリエライト、了解しました。宝具展開、開始します!!」

 

 雷雲の嵐は臨界を超え―――轟音が、強く鳴った。

 

幻想大剣(バル)……―――天魔失墜(ムンク)ッ!!」

 

 対するは、光り昇る黄昏の剣。天より落ちる巨雷と衝突し、空間に亀裂が入った。エミヤの世界が崩れ初めた。

 そして、雷は尚も突き進む。

 幻想大剣の刀身が皹割れる程の過剰凝縮された真エーテルが立ち上るのに、魂を破壊する神の奇跡は止まらない。

 

「くっ……ここまでか――っ!?」

 

「オオオオオオオオオオオオ――!!」

 

 轟く竜血の咆哮が雷を更に強め、バルムンクを打ち砕いた。

 

「―――疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)……!!」

 

熾天覆う(ロー)―――七つの円環(アイアス)……!!」

 

 しかし、準備は万全を越え最善。瞬間的な宝具解放が可能なジークフリートが稼いだ時間により、マシュとエミヤは最硬なる守護を唱え終わった。大いなる暗き神雷が、英霊の守りとぶつかり合う。

 力と力が互いを潰す衝突音。直後――パリン、と硝子が割れるような幻聴が聞こえた。

 七重ねの盾も、円形の魔法陣も、一方的に粉砕された。落雷のエネルギーは減退されたが、下にいる狙われた三人の肉体を蒸発させるには十分過ぎる熱量が残っている

 

幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)―――」

 

 故に、魔剣解放が再度間に合うのは必然だろう。

 

「―――――ぉぉ……」

 

 砕かれる落雷と、晴らされる上空の嵐。ついに黄昏は雷雲を斬り払う。そして、世界さえも遂に切り裂かれ、空の上から現実の曇り空が覗いていた。戦神の世界の、その真の姿は闇でしかない。だが、この世界は惑星を育む宇宙(ヤミ)の中に数多の世界があり、彼の目の前に宇宙(ヤミ)の中で燃える太陽が光り差す。

 そんな無意味な想いを抱いたのは、胸の痛みからか。

 だが、そんな人間性(感傷)も血と共に消えた。臓腑から血が逆流し、口元から少しだけ血が垂れた。

 

妄想心音(ザバーニーヤ)

 

 肉体を雷撃の余波で焼け焦がされながらも気配遮断を一切解かず、背後より奇襲を完了。藤丸が隠れて使役していた影なるアサシンが宝具を解放させていた。戦神は高い魔力と人間性由来の幸運を持つも、三重四重の高ランク宝具に対応すればどのような魔人だろうと心身に隙が生まれ、完全に呪詛を防ぐ事はサーヴァントの身では不可能。

 同時、戦神は動いた。影に向け、翻した剣槍で一閃。

 ハサン・サッバーハ(アサシン)は雷撃付与された刃で斬られた後に感電し、真っ二つになった霊体が一秒後に蒸発する。だが、藤丸に命じられた(カレ)は完璧な仕事を為していた。召喚後に消える消耗品のシャドウに意志はなく、しかしながら何処か満足そうな気配を戦神に向けて死んで逝く。

 ……それでも死なぬ戦神に、ジークフリートとエミヤは疾走した。

 既に心境風景が晴れ、火の障気によって何もなくなった戦場跡地に戻り、しかしまだその末路を悟れたのは戦神だけ。彼は不死の古竜を死なせ尽くした墓王の気配を懐かしむも、だが今は眼前の敵に集中する。

 

「―――…………ッッ!!」

 

 無言の気合いが雷鳴となり、動かない心臓に電気を送り込んで無理矢理に動かし、むしろ普段よりも遥かに熱い血液が肉体を循環する。だが臓器として崩れた心臓を強引に鼓動させれば、そこに空いた穴から血が吹き出てしまう。霊核の有無など不死の闇に関係ないとは言え、サーヴァントと言う霊体の使い魔で在る為に潰された心臓は彼の霊体を鈍くする。

 視界が霞み、他の感覚も重くなるのは避けられない。しかし、血が流れる生身であるなら仕方ない。

 

天の(エルキ)(ドゥ)……――!」

 

 固有結界はもう消えた。もう一度展開することも可能だが、より効果的な武具の投影を選択。ならばと真名解放した神縛りの鎖は戦神の周りを走り、空間ごと拘束しようと神秘が起きる。

 無論、意味はない。神性が残ろうとも、人間性が熔けた竜血こそ戦神の力。

 平和への歩みを拒絶するように、彼の膂力と奇跡は複製された鎖を毀した。

 宝具もまた魔術法則に適応され、より強い神秘が比較された神秘を塗り潰すように――鎖は雷に支配され、雷の鎖として戦神に逆利用される。

 忍びを業を学習した彼は雷化天鎖を左腕に巻き付け、それを鉤縄(忍具)のように扱った。

 幻想大剣に絡まり付く雷鎖(ソレ)がジークフリートの行動を止める。守り持つ彼でないサーヴァントならば消炭になる電気。ジワジワと刀身越しに電撃が流れて生命力を削るのだが、しかし悪竜の血鎧によって防御された。

 

「――――ッ!?」

 

 だが、膂力は戦神が上。左手一本で竜殺しを抑え込めたが、即ちジークフリートは戦神の片腕を封じ込めたとも言える。

 

投影(トレース)完了(オフ)―――!」

 

 愛用の双剣(干将と莫耶)を投擲しつつ、更に周囲を投影宝具で覆い囲む。直後、エミヤは左手が使えない戦神に一斉掃射を開始。回転する双剣はエミヤが持つ双剣に引き寄せられて背後から首へ狙い、命中した投影宝具は突き刺さった状態で全てが爆散する。

 そうなれば、首を取られた上で肉片となる。戦神だろうと生き延びる未来はない。

 

「―――オォオオオオオオオオオオオ!!」

 

 ―――竜血咆哮。血反吐と共に竜が轟く。

 空間を振わせる雄叫びは神々の断末魔よりも惨たらしく、双剣も投影も全て吹き飛ばした。そして、叫びに応じて筋肉が膨れ上がり、膂力が急上昇。ジークフリートは引き寄せられた鎖に対抗出来ず、大剣の構えを維持出来ない。

 体幹の平衡感覚を崩され、空中へと鎖鎌のように振り回され――暗い雷が奔った。

 咆哮は奇跡の電力をも一気に強め、血鎧の防御力を容易く突破。それでも尚、彼は幻想大剣を決して手放さず、溜めた魔力によって柄に秘めた宝玉を解放。その刀身から真エーテルの奔流が発露した。

 

「……ぬぅ―――」

 

 しかし、心臓は呪腕の宝具によって破れたまま。狂える竜の声が漏れ、修復中の心臓は無理をすれば傷が広がり、同時に雷鎖の拘束が刀身から外れてしまった。

 

「―――ぅぅうん!!」

 

 つまるところ、鎖を巻いた左腕も解放されたと言うこと。戦神が掲げた左腕に落雷し、そこから電撃が拡散。地面が雷電網に蹂躙され、土を焼き焦がしながらサーヴァントを感電死させる地獄が広がる。

 刹那、エミヤは跳んだ。

 ジークフリートは着地の瞬間を狙われ、だが電撃に耐えながらも疾走。

 

「無様を晒せ、戦神」

 

「邪竜――死すべし」

 

 極限まで凝縮された殺意が言霊に乗り、宝具の真名解放以上の威圧感を戦神に向ける。第六感に鋭い者ならば全身を蝗の群れに覆われた違和感で喪失状態となり、普通の人間ならば失神した上で失禁する恐怖。とは言え、戦神からすればそよ風にすらならない。だが無視するには余りに濃密で、宝具を向けられた以上の脅威と精神で感じ取れる。

 二体同時に迎撃手段。戦神にとって、最も使い慣れた雷電の奇跡こそ有能だ。

 ソウル化した天の鎖を触媒とし、断固として撃ち放たれるは――雷の杭(ライトニング・ステイク)

 

「ッ―――――!!」

 

 戦神は敢えて夫婦剣と幻想大剣を肉体で受け止め、相討ちの形で雷杭を撃ち放った。竜鱗を容易く砕く雷撃であり、竜にとって致死の一撃であり、竜血の加護を持つジークフリートにとって戦神の雷は概念的激毒だ。しかし、だからこそ赤原礼装による守り以外を持たないエミヤからすれば、そもそも概念的相性も関係なく即死の一打である。

 大剣で受け止めるのは―――邪竜殺しの勇者(ジークフリート)

 エミヤを死なせる訳にはいかないと彼は身を呈し、しかしその一撃は剣槍の落雷に匹敵する程。

 

「あ………ぁぁ――ぉぉ、ぉぉおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 心の底から、そう在れと正義の味方に憧れた男(ジークフリート)は立ち塞がる。

 だからこそ、勇者の雄叫びは魂魄(ソウル)から震えてしまうのだろう。

 

「――――――」

 

 英雄の誇りなど下らないと棄てた。だがそんな自分をまるで正義の味方のように、自己を顧みない咄嗟の行動で仲間を守る英雄の中の英雄―――勇者の姿。

 誰かを守る事が自然だった。戦神の一撃を見て死を悟り、けれど守られてしまった。

 

刺し穿つ(ゲイ)―――」

 

 ならば、確実に戦神を仕留めないといけない。

 エミヤは魔槍を投影し、御子の技巧をも模倣する。

 山の翁の魔技であるザバーニーヤによって傷付いた心臓であれば、魔槍による呪詛の重ね掛けが可能だろう。

 

「―――死棘の槍(ボルク)!」

 

 勇者の背後より、死棘が奔った。魔槍の刃は妄想心音(ザバーニーヤ)の呪いで僅かに狂い、しかし生きた肉片となった心臓を更に穿ち刺し――それでも尚、呪刃が刺さったまま、鼓動を止めず。

 だが―――死棘が、戦神を内側から拘束する。

 死なずとも体内を巡る呪詛の刃に狂いはない。

 

「―――――――」

 

 凡そ一秒。それだけあれば体内の死棘の呪詛を焼き、戦神は再起動可能。

 

「―――魔力装填」

 

 けれども、もう絶対に不可能だった。後一秒もせず、戦神は心臓を根こそぎ吹き飛ばされるだろう。暴走を超えて暴発寸前の過剰装填(オーバーロード)によって、十字盾に仕込まれた仕掛け武器(パイルハンマー)のからくり機構が発熱炎上。盾が熱せられ、真っ赤に染まり、超高温に達している。

 マシュ・キリエライトが、戦神の前にいた。

 周囲に轟く雷電を浴びながらも、その身を加護で守り抜き―――今、此処で、炸裂せよ。

 

人理の矛先(パイル・カルデアス)―――ッッ!!!」

 

 ―――三度目の霊核粉砕。

 もはや心臓を破壊すると言う次元を超え、肋骨が丸ごと消滅し、肺と心臓が消え去った。既に上半身がほぼ消滅してしまい、霊体を維持する事も不可能だろう。

 何より、胃より上の臓器が消えている。

 肺も消えてしまえば、断末魔を上げることも出来ず、その様な事をする心情もなかった。

 

――――――――――――――――――――(貴公こそ、闇深き者。神殺しの戦士となろう)

 

 言葉を声にせず、戦神は霊体が崩れた。ずるり、と胴体の臓物を溢しながら首が落下。そんな死に様を眼前で見ているマシュの視界には、そんな風に唇を動かす戦神の最期の貌が映っていた。

 地面に当たり、その頭部も崩壊。

 同時に霊体も全て太源に還った。

 マシュは自分が殺したと言うのに何処か茫然と、死に逝く戦神の姿を残心のまま見守っている。甦るかもしれないと疑い、しかし確かな手応えが相手の魂に届いた確信を与えていた。

 

「はぁ……はぁ、はぁ―――」

 

 この一撃の為の、布石の積み重ねだった。

 

「良くやったな、マシュ」

 

「君の御蔭だ。助かった」

 

「ありが、とう……ございます、エミヤさん。ジークフリートさん」

 

 倒れかかったジークフリートにマシュは肩を貸し、地面に伏せるのを防いだ。エミヤは何とか自分で動けるも満身創痍であり、心臓が動いているのも奇跡な状態だ。

 しかし、マスターである藤丸からは問題なく魔力が回されている。

 時間が経過すれば霊体に魔力が染み渡り、数分もすれば戦闘で動くこと自体に問題はないだろう。

 

「―――……勝ったね」

 

「皆さん、お疲れ様でした」

 

 魔術回路を酷使している所為か、青白い顔色をしているが、まだ藤丸は言葉を喋れる状態だった。しかし、所長製のカルデア式礼装による効果によって時間経過による自動回復(リジェネレイト)があり、仕込まれた血晶石が霊体や魔術回路の損傷も完全に破壊されなければ修復可能。そんな藤丸を背負う清姫も、人間の姿をほぼ取り戻してはいる。

 一人も死なず勝てたのは奇跡だったと、五人が思考を一致させた。だが誰もそれを口にせず、ただただ一回だけ頷くのみ。

 

「行こう、みんな」

 

「はい、先輩」

 

「行きましょう、旦那様(ますたぁ)

 

「あぁ……」

 

「勝つぞ、マスター」

 

 何もかもが“死”の気配で無くなっている事に皆が気が付き、だからこそ急がねばならない。マスターとサーヴァント達はこの戦線から走り去って行った。





















 実は、クロスはヤーナム飯も悩んでいた一つでした。とは言え狩人様もプレイヤーの数だけ悪夢が存在してそこで彷徨っている設定にしてますので、聖杯ダンジョン飯に嵌まっている少し頭上位者な狩人様も、所長の頭で蛞蝓している狩人様の狩り友に居ても良いかなぁと思ってます。多分、鐘で呼ぶと来てくれるかと。
 人喰い豚のもつ煮とか、黒獣の骨で出汁を取った痺れるダークビーストラーメンとか、啓蒙高い瞳の目玉焼きとか、漁村の新鮮な海鮮ドンブリとか食べたい。ヤマムラムラが実はグルメ日本人で中華と和食の文化をヤーナムに持ち込んだ設定も有り寄りの有り。

 読んで頂き、ありがとうございます!



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啓蒙32:モンモランシー=ラヴァルの告白

 遠く離れた戦線。灰が死を見出し、戦神が邪竜から魂を引き継ぎ、だがそんな戦局も確認出来ない戦場にて、四人は殺し合いを始め、既に終わりを迎えていた。

 

「―――まぁ、こんな程度かしら」

 

 右手で臓物を握り締めながら、所長は血塗れになった顔で呟く。

 

「まだ……まだだ。私は、まだ死ねん――」

 

 くり貫かれた(ハラワタ)を手で押さえ、腹部の出血を抑える。更に魔導書の呪文をジルは唱え、自分の内臓代わりに海魔を召喚した。所長に抜き取られた場所に触手の塊を蠢かせ、内臓として自分の霊体に受肉させた。

 想像を絶する苦悶。だが彼はそれを顔に出さず、怒りだけで痛覚を凌駕した。

 

「モツ抜きされても、まるで衰えない生きる意志。貴方、血に酔う狩人の良い資質をお持ちのようで」

 

 ジルの内臓を所長は地面に落とし、そのまま踏みにじった。まるで汚い虫を踏み潰すように。

 

「――何故?」

 

「うん?」

 

「何故、私に止めを刺さない……狩人!?」

 

「いやね。そりゃ、そうするのが一番だけど、貴方の世辞の言葉はジャンヌの前じゃないと」

 

「傲り、悦楽。何たる傲慢か!」

 

「こんな風に会話をするのも贅沢なんだもの。だったら、貴方はただ殺すだけじゃなく、しっかり情報を抜き取ってから狩りましょう」

 

 ―――殺す。

 容易に行える答えであり、狩りの本質。

 とは言え、狩りとは獲物の殺害が目的ではない。全ての狩人が死骸を糧にする為に殺す。よってただの殺戮とは忌むべき浪費に過ぎず、狩人は血を欲する故に殺し、モノを得てそこで狩猟は完了する。

 血から得られるもの。

 意志(イシ)か、血石(イシ)か、血晶(イシ)か。

 ならば所長は、これより殺すジル・ド・レェから何を得るべきなのか?

 

「けれど、けれどね……私もまぁ、それなりに効率大好きなビジネスマン。最大限の利益を得る為に、致命的な損失を被ってしまうとなれば、やっぱりリスクをそこそこ抑えたいってのも女心と言うヤツなのです」

 

 パン、と所長は銃を撃った。サーヴァントである彼が知覚不可能な領域の早撃ちであり、歴戦の“狩人”でなければ見抜けない弾速。

 その弾丸はジルの頬を掠り、そのまま彼の背後に進み――命中。

 ジャンヌを相手に優勢な戦局を維持していた魔女は、突如として右太股に激痛が走り、その隙を狙った旗の一撃を喰らってしまう。剣で防ぎはしたが踏ん張りは全く効かず、ジルの方へと吹き飛ばされた。

 

「ジャンヌ……!!」

 

「あら、ジル……―――まぁ、そうよね。その化け物が相手じゃ、そうなるのも無理ない訳ね」

 

 彼我の戦力差を正しく彼女は理解していた。アッシュが語るオルガマリーの強さと、互いの戦力をそれぞれ比較すれば、魔女は所長が味方を犠牲にしても敵将の殺害を狙った事を把握していた。

 灰を抑えるには、忍びか所長が必要。あるいは、サーヴァント数騎分の戦力を傾けないとならない。戦神も同様であろう。

 それを情報に思考すれば―――所長が、詰みを狙ったと見るべきだろう。

 一応は灰には忍びを、戦神にはマスターと言うカルデアにおける“最大戦力(召喚礼装)”を投入しているので全戦局で勝てる手段を選んでいるが、魔女と元帥に所長が向かうのは戦力比率が高過ぎた。

 

「―――で、アンタ。そもそも私達を殺すつもりがないようね?」

 

「最終的には殺すわ。でも、まずは生け捕り。死体からだと欲しいモノが取れないってだけだから」

 

「貴様ぁ……―――我らを、玩弄せねば気がすまぬか!?」

 

「良いじゃない。この国で遊んでいたでしょう……それはもう、凄く愉しそうに。それならね、貴女達が玩具になるのもまた道理。

 結局はこうやって、重ねた因果が回って来ただけと言うこと。

 別に、私は正義の味方でも救世主でもなく――魔術師で、ただの狩人。焼かれた人理を救うのが親から継いだ仕事上の義務だから……って、まぁそんな程度の動機です。

 なので―――教えて貰わないと。

 キャスター、ジル・ド・レェ。貴方をこのフランスに召喚したのが一体誰なのか、その意志から私に啓蒙させて頂けませんか?」

 

 パパパン、と銃声が更に響いた。魔導書を持つ腕が水銀弾によって千切られ、両足にも穴が開いた。身動きはもう取れない。そして、水銀弾は名の通り、水銀を固めた液状銃弾。人体にとって水銀が猛毒であるように、所長の血液と魔力が混ざった水銀はサーヴァントの霊体にとっても毒物だ。

 弾痕から水銀が血管内部に入り、その毒性物質がジルの全身に回る。

 内臓を抉られ、四肢を貫かれ、毒によって意識も混濁とする。狂い果てた強靭な意志により、精神はまだ働いているが、魔術回路を万全に動かす思考回路はもう崩れかかっていた。

 

「オルガマリー……」

 

「――――!」

 

 そんなジャンヌの呟きに所長は反応し、それが隙だと魔女は察する。撃たれた片足は麻痺して動かず、ジャンヌの攻撃を防いだ片腕は骨折したが、攻撃するならば何の問題はない。

 尤も所長の動きは全てが悪辣な罠であり、ブラフでもある。狩人が敵の意志を見抜けない訳もなく、無意識ですら悟る特異な感覚は魔女の殺意を察し、脊髄反射よりも遥かに素早い射撃の意志が左腕に伝わった。

 即ち、思考速度を超えた無意識の―――瞬間射撃。

 剣に魔力を渡らせようと思考を働かせたと全く同時に、魔女は水銀弾を腹部に受けた。

 

「……ぐぅ―――」

 

「いや、駄目でしょ。ダメダメね。殺気を出さない程度じゃ通じないわ。ちゃんと心も殺さないと」

 

「―――あっそう。

 勉強しとくわ……この、血腥い化け物」

 

 そしてカルデアの技術者(変態共)が開発した対サーヴァント用の拘束礼装、呪詛血杭を銃弾を受けた魔女の腹部に所長は突き刺した。そのまま地面に固定し、術式が起動。魔術回路を痺れさせ、魔力そのものを封じ込ませ、真名解放を含めた呪文詠唱を阻害する。

 無論、物理的な拘束も行われる。神経に魔力電流が発生することで、魔女の霊体は自分の脳で肉体を動かす事は不可能となった。もはや口を動かす事も出来ず、呼吸も停止させられている。サーヴァントである故に窒息死をする事はないが常に窒息状態となり、心臓の鼓動も止まってしまった。

 

『所長。手早くお願いします』 

 

「分かってるわ、ロマニ」

 

 ジャンヌは、見ることしか出来ない。こうなる事は分かっていた。この展開を望んでもいた。しかし、こうもあっさりと望んだ勝利を最速の効率で手繰り寄せるオルガマリーの手腕こそ、恐怖の対象として見ているのも事実であった。

 

「貴様ぁぁぁああああああああああああ!!!」

 

 そんな狂人の絶叫に表情一つ変えず、仕掛け武器を手放した腕を伸ばす。彼女はジルの頭部を右手で鷲掴みにした―――直後、彼の生きた意志の全てが、オルガマリーの蛞蝓が蠢く脳髄に啓蒙された。

 魔神の柱。

 時間神殿。

 人理焼却。

 そして―――魔術王の遺産。

 ジル・ド・レェを触媒として縁を遡り、オルガマリーは彼をフランスに召喚した黒幕の意志に辿り着く。諸悪の根源が存在する悪夢のような外側の世界にまで自分の意志を運び、有り得ざる夢の視点によって世界を観測する。

 

「―――――――――――」

 

「―――――――――――」

 

 発狂。血の混入。上位者の叡智。それを超える赤子の、青ざめた血を深めた狩人の赤子の、瞳より飛来する狩人の意志が、玉座に座る何者かの使い魔を見た。

 

「―――――――……っ」

 

 オルガマリー・アニムスフィアを狩人に再誕させた蛞蝓の赤い血は啓蒙深く、だが猛毒を超えた魔物の意志が混ざった激毒。

 玉座に座る者は、見られた。瞳に治められた。

 狩人の瞳より来る暗い蛞蝓の意志は悪夢ですらなく、千里眼ですら目視出来ない何か。死もなく、魂もなく、真に目に映る事も有り得ず、狂気なる意志は男の思考回路を汚染した。

 

「――――………」

 

 ――――――狂え。

 狂え。狂え。狂い給え。狂気は狂う意志。死の意志、血の意志。宇宙の輝きは瞳を照らし、瞳はまた脳髄の宙と繋がり、脳はまた宇宙と似た形を持ち、全てが模される故に全てが悪夢と繋がる。この世の全てを理解した者の意識の外側にある形ない不定の知識は、悪夢より見出された意志であり、狂気は初めから意味もなく狂っている故に狂気であり、狂える者だけが発狂する資格を持ち、だから狂気は視えずに形を失った。

 狂え、狂え、狂え、狂え―――狂え。

 その言葉に価値は在らず、概念さえも狂い始めた。悪夢は世界と熔け、ならば世界は悪夢となり、グレート・ワンは人の魂に由来した。赤子の血は貴き血。血は尊き意志。全ては夢となり、全てを見通す目も瞳によって蕩けよう。

 あぁ、人の子よ……憐れなる落とし子よ。どうか、我が血に狂い給えよ。

 

「……――――」

 

 狂える精神と、崩壊する魂の在り方。だが……だがしかし、玉座に座るその男は、幸運にも理解していた。彼の一部である一柱はとある技術を習得しており、玉座の男もまた理解していた。

 瀉血の業こそ―――狂気からの脱出。

 血液の中に、他者の精神にとって致死性の毒となる血の意志が混ざったならば、それを自分の血液ごと排出しなければならない。

 

「ッッ…………――――――――――!」

 

「あら、残念。では何時か、また何処かで」

 

 オルガマリーは頭部から赤い血を撒き散らす男を見ながらも、その意志が自分の肉体に戻って行った。玉座を中心とする神殿化した世界は閉ざされた。ジル・ド・レェとの因果と、その男との縁が強制的に遮断されてしまった。

 

「…………………」

 

 血の泡を吹くジルを胡乱気な意志のない瞳で見る所長。彼女の意志は戻っていたが、先程までの悪夢を思い返し、何故か彼の頭部を固定する右手を開くことは出来なかった。

 

『―――所長?』

 

「………あぁ、ごめん。ちょっとね」

 

『で、どうでした?』

 

「使い魔の叛逆ね。人間に愛想が尽きたって」

 

『あー……―――あ"!』

 

「なによそれ。心当たりがあるようだけど?」

 

『何でもないです。問題ないです』

 

「いいけど。ま、詳細は落ち着いたら話すわ」

 

『お願いします。それで、どうしますか?』

 

「私にとって、彼らに対する利益はない訳じゃないけど、リスク相応じゃなくなったわ。カルデアの職員に対する危険は排除したい。

 なので、もう殺したいけど……ジャンヌは、どうしたい?」

 

 それは最後通告。意志を通さないとならない。でなければ、ジャンヌが欲する真実は狩られてしまう。

 

「――……話を、させて貰えませんか?」

 

「勿論、良いわよ」

 

『ですが、所長……』

 

「良いのよ。結局、この問答も必要なことです。せめて、私たちカルデアがこれから何を選別して殺して行くのか……何を救わないと決めるのか、事実として知るのは義務。

 はっきり言って、そこから逃げる輩に英霊共は力を貸さないわよ?」

 

『……――――了解、しました』

 

「宜しい……ま、仕方ない感傷よ。私も趣味じゃないし」

 

『すみません。辛いのは、そっちの方だった』

 

 ロマニの名を思えば……まぁ、そう言う因果なのだろうと黙秘を尊んだ。責任拭いを代わる気は全くなく、所長にとって自分さえ理解していれば万事問題はない。

 啓蒙とは、それで良いのだ。

 暗い底に深く沈む脳髄に、狩人は母たる悪夢の深海を思い浮かべる。

 

「じゃ、そう言うことで。キリキリと情報を吐きなさいね」

 

 気付けにジルの脳味噌を狂気で揺さぶり、カルデア製の呪詛血杭を魔女の腑から引き抜く。彼は意識を覚醒させ、魔女も口に逆流した血反吐を漏らすも、だが二人とも殺気を再び甦らせた。

 

「貴様……貴様ァァ……何と言う、有り得ない悪夢か。だが狂い果てたこの私の、異界の神性に汚染された我が精神を反転させるとは。

 何を見て、何を思う―――狂人。それは如何なる狂気か、貴様?」

 

「うーん……狂気に酔わず、素面になったようで結構。その質問には、ジャンヌの疑念を満たしてから応えて上げましょう」

 

「―――ッハ。下らない……下らないわね!」

 

 霊体干渉する神経麻痺によって戦闘は不可能だが、それでも魔女は断末魔に近い気合いのみで立ち上がる。

 

「聖女ジャンヌ・ダルク。話なんてもう無価値です。我々は殺し尽くしました。この蛆虫だらけの国を焼き払って綺麗にした。

 ならば――罪科は決定した!

 この国を竜の魔女が私刑で裁いたように、貴女がこのジャンヌ・ダルクを許せないと願うなら、私を貴女の憎悪で火刑に処せば良い。

 そうやって家族を焼いた外道を殺せば良い……―――私が、そうした様に!」

 

「……だから、貴女は私ではない。在り得ないんです」

 

「馬鹿ね。アンタに憎悪はないって―――復讐は、決して願わないって。そんな固定観念こそ馬鹿と阿呆の極みなのよ。それこそ有り得ないのよ。

 聖女で在る前に、ジャンヌ・ダルクは人間でした!

 誰かを愛する様に、違う誰かを憎むのも同じこと!

 思い出は私達を裏切らない……奴らに犯された魂から叫ぶのも、結局は同じことじゃない!?」

 

〝おぉ……これは、また。素晴しく、痛ましく、誰かの意志だけが確かな夢ね”

 

 それを聞き、成る程と所長は内心のみで頷く。ある意味で純真、純粋、無垢。黒く暗く深く、だから裏表がない透明で、つまりは色無し(ピュア)。作り手の想いが詰まった作品で、暗い憎悪の意志が人型を得た幻想で在ることを正しく理解した。

 だが狂った事に、魂はそれだけではない。竜の魔女には知識があった。経験もある。理性もあり、知性も優れている。しかし、まるで誰かにそう望まれたような蔑視されてしまう単純さを持ち、だから他者から見ると理想的なまでに“可哀想”な人間性を持たされている。純粋無垢な信仰心によって、そう在れとカタチ作られている。

 過剰なまでの純粋さとは、即ち―――白痴の赤子。

 男共に精神が陵辱された故の真っ白さにより判断力が落ち、白くべたつく澱みに肉体を汚された故の透明な憎悪なのだろう。だから理由は真っ直ぐで、おぞましく筋が通り、美しさがある復讐劇が形成された。だから、もう一度見たいと聖女を創ったのならば、終わった時代(モノガタリ)から更に人々の幸福を抜き取らないとならない。そうしなければ、歴史は特異点として“もし”の物語は進められない。

 望まれた復讐。

 願われた憎悪。

 乞われた怨念。

 オルガマリーはこの特異点(セカイ)が、黒汚れた白痴の悪夢だと啓蒙された。

 

〝ジル・ド・レェ……否、ジル・ド・モンモランシー=ラヴァル。

 貴方の御蔭で正しく理解出来ました。特異点とは、あの使い魔が送り出した歴史の異端を望む者が、生前のやり残しを果たす為の理想郷。

 特異点の製作者が、完結した筈の歴史に不幸を持ち込む世界。

 登場人物に陥れられた人々を、悲劇で狂わせてこそ―――人理は、悪夢で焼かれるのでしょう”

 

 火の落とし仔。竜の魔女とは憐れまれ、純心な赤子であった。望まれた白痴である故に、創った外道が復讐に感情移入する為の活きた肉細工。

 復讐を望む憎悪の意志が本物だとしても、最初から魂に細工が施されているのだとすれば、竜の魔女は本物のジャンヌ・ダルクで在り、だが聖女ジャンヌ・ダルクでは有り得ない。

 

「我が魔女、ジャンヌ………」

 

「……どうしたのよ、ジル。だって、そうでしょう?

 そうじゃないと可笑しいじゃない。同じ思い出、同じ経験、同じ記録……なら、其処から湧き上がる憎悪は、正真正銘本物のジャンヌ・ダルクの願望じゃない?」

 

「違う。それは違うのです、魔女の私。

 私には確かに、そのような負の感情が有ります。人間ならば、当然のように持つべき人間性です。けれど、どれだけ恨もうとも、それを私を案じ続けてくれた家族に……―――母さんに、向けるなんてことは出来ないんです」

 

「―――馬鹿ね。

 あいつも結局はフランス人よ。憎むべき蛆虫の一匹に過ぎません。人理と言う蛆虫が集る腐った絵画に住む、薄汚れた世界の住人でしかない!

 私の魂は全てを焼けと―――そう叫んでいる!

 英霊と化したワタシなら、ちゃんと分かるでしょう?

 生きて救われて、焼かれて綺麗になった世界で救われるべきヒトじゃなくて、腐った蛆虫から好き勝手に哀れまれる聖女様だったら!?」

 

「……すみません。それでも私は、この世界が好きなんです。

 もし恨んでいるのだとしても、それは人を殺して故郷を救った自分自身。

 だから死んで英霊になったジャンヌ・ダルクも、こうやって貴方達に救われた人間の私も……どんなに腐ろうとも、それでも私は世界を焼きたいなんて―――思えない!!」

 

「だから、だから……アンタは―――馬鹿なのよ!!」

 

 四肢を撃たれたジルの前に進み、ジャンヌは暗い意志をジャンヌに向けた。

 

「そうですね。けれど、貴方は貴女で、私は私だ。

 竜の魔女、ジャンヌ・ダルク。故郷をまた助ける為に……母さんたちの魂を守る為に哀れみではなく、私は私の意志によって貴方達の憎悪を挫きます。

 ―――もう一人の私。

 恨むのでしたら、救われない私だけを恨んで……どうか、同じ場所に逝きましょう」

 

「この……ッ―――大馬鹿が!?」

 

 叫び、それによって血が一気に溢れ出た。傷付いた内臓が更に傷を深め、魔女は痛みに襲われる。膨れ上がった魔女の殺意により戦いが再び始まり、しかし戦力差を考えれば一方的な処刑が行われようとした。だが、それを静かな呟きが停止させた。

 

「キャスター、ジル・ド・レェ」

 

「…………」

 

「貴方の意志は、拝見させて頂きました」

 

「……―――貴様、やめろ。やめてくれ」

 

「狂気を、狂気によって正気に戻ったのなら、自分自身の所業を正しく今は認識しているのでしょうね……いやはや、全く。

 アッシュの提案に乗り、良くここまで誰も彼もを騙してきたわね」

 

 それは、あらゆる不吉を含んでいた。所長は無表情であり、まるで患者に告知する医者のような貌だった。

 

「……聖杯によって、そもそも真に貴方が救いたかった死んだ聖女は救えなかった。

 けれど、この特異点の変革点はジャンヌ・ダルクの火刑よりも前にあった。聖杯によって歪み始めた歴史は、殺人鬼青髭として召喚されたジル・ド・レェには最適だった。

 聖杯で救えないのだとしても、今度は自分自身の手で救い出せる機会を得た」

 

「その口を閉じろ、オルガマリー・アニムスフィア!」

 

「それでも尚、ジル・ド・レェの憎悪は癒されなかった。そもそも勘違いをしていた。思い人を救えたところで、復讐心が消える訳がない。

 ジャンヌ・ダルクを救えても―――貴方は、決して救われない。

 となれば当然、聖杯は別の使い道を得たのでしょう。例えば、復讐を望む聖女の召喚に使ったとかね」

 

「あぁああああああぁああああああああああああああ!!!」

 

「しかし、そもそもジャンヌ・ダルクは復讐を望まない。英霊の座から召喚したところで、特異点を作ったジル・ド・レェを許さない。その上で狂った心を癒すには、製作者にとって都合の良い魂細工のサーヴァントが必要でしょうから。

 そして、妄念だけで作られた筈の“人形”に、丁度良い核となる魂を貴方は手に入れていた。ジャンヌ・ダルクと縁深く、まだ無色で純粋無垢なカタチであり、何色にでも好きに色彩を染められる人理に存在を許されない赤子」

 

 絡まった方程式が如何程に複雑だろうと、答えは何時だって簡素だった。

 

「ジャンヌ・ダルクと共に、ジャンヌ・ダルクと同じ拷問の記録を有している者の正体。少し捻って考えれば、答えに辿り着くのは結構ね、簡単な道筋よ」

 

「閉じろ、閉じろ、閉じろぉぉぉおおおお!!」

 

「魔女は、確かにその時―――ジャンヌの胎の中で、生きていたのでしょうね」

 

 星見の狩人(オルガマリー)は啓蒙された男の意志を、ただただ告げるのみ。

 

 

「――――…………は?」

 

 

 同時にそれは、竜の魔女(ジャンヌ)が決して知ってはならなかった真実でもあった。

 

「竜の魔女、ジャンヌ・ダルク。貴方の記録は偽物で、聖女としての思い出も捏造だけど、その復讐と憎悪だけは本物なのよ。だってジャンヌが受けたあの拷問は、魂と意志を母親と臍の緒で交わしていた貴女も受けていたのだから。

 ジャンヌと言う名前も聖女の胎から生まれた貴女に、ジル・ド・レェとアッシュがそう名付けた貴女だけの名前。ダルクと言う姓も、母親から引き継いだ立派な家名です」

 

「―――――ジル……?」

 

「……………………」

 

「ジル、ジル……―――ジル?」

 

「……………………」

 

「全部、本当なのね……?」

 

「……はい。貴女は、聖女が孕んだ水子でした」

 

「――――――――――――――――――」

 

 からん、と地面に剣と旗が落ちる音。膝が折れ、心も折れ、ジャンヌと名付けられた赤子の聖女は、気の抜けた内股のまま崩れ落ちる。両手を地面に付き、オルガマリーを罵倒する台詞も思い浮かばない。脳内に答えとなる言葉が響き渡り、幾度となる魂を削り取る刃となる。

 

「―――あぁ……ぁ、わたしは……」

 

 魂は本物で、だが魂を構成する情報が偽物だった。ジャンヌを魔女にした憎悪は真実で、しかし生前だと思っていた記録は捏造だった。

 なのに、ジャンヌ(赤子)はそれ以外を知らない。理解出来ない。記録も記憶も、知識さえ植え付けられた情報に過ぎず、魂の中身に本物が何一つなければ、魔女は復讐者と言うラベルが魂に貼られた空の器でしかない。人の形をした殻に、他者が好きなように内側を満たし、外見をそれらしく色付けした化け物だった。

 

「子供……竜の魔女が、私の―――娘?」

 

「ジャンヌ、それが貴女が欲した彼等の事実よ。この男は誰にも決して真相を告白しないから……私がすべき事じゃなかったけど。でも人が揃った今じゃないと無駄になるから、話させて貰ったわ」

 

「赤ん坊……だったら、それだったらぁ―――!!」

 

 望まずして侵略者に孕まされた自分の子供。あの時の記憶を思い返し、ジャンヌは自分の身に刻まれた陵辱と消えない屈辱が記憶から浮かぶ。幾度も犯され、毎日行われた拷問の日々。魔女だと自白させる為に、だがあの異端審問官と兵士達は愉悦のまま聖女のを貪っていた。

 その時に出来た赤子……いや、死産で摘出された水子。

 手を伸ばしそうになる。意志だけでそんな衝動を抑え込み、しかしジャンヌは脳も心臓も全部が静かに震えた。

 

「ジル……ジル……ジル・ド・レェ!?

 何故ですか、何故こんなことを、なんで黙っていました!!」

 

 もはや母親になれないジャンヌは、腕を振わせながら仰向けに転ぶジルの首元を掴んだ。座り込む赤子の魔女の背後に居た彼は無気力なまま、彼女の手で強引に立たされた。

 

「言える訳がないでしょう。貴女を救える奇跡を与えられても、それでも憎悪を捨てられなかった私情など。そして私にとって都合が良い……祈りを捨て、復讐を願う聖女を求めた醜い強欲など。

 我らの復讐は、どんな娯楽よりも―――愉しかった。

 堕落した生前の私は好きなだけ子供を犯し、苦しめ、殺したが―――復讐は比較にならない」

 

「ッ…………」

 

 ギリ、と歯で歯を削る。眼前にまで近付いたジャンヌの口から血が流れるのを、ジルは間近で見せられた。それでも彼は、聖女に求められたら語らずにはいられなかった。

 

「初めは、ジャンヌの赤子を傀儡として使い潰すつもりでした。憎い侵略者の種が我が聖処女に寄生し、胎内で蠢いていた醜き生物。私にとって魔女になる前の、おぞましい赤子はその程度の存在でした。

 あぁ……けれども、何故かそう扱えなかった。

 そうするべきだと、そのジャンヌ・ダルクも私からすれば復讐すべき邪悪だと言うのに、利用し尽くして襤褸雑巾のようにして棄てる計画でしたのに……私には、魔女をそう出来なかった。

 ―――竜の魔女が……どうしようもなく、ジャンヌ・ダルクの娘だったのです」

 

 ジル・ド・モンモランシー=ラヴァルは告白した。

 

「貴女を救った後、私はオルレアンの城に軟禁した。その時に私はアッシュと話し合い、魔女と傷付いた貴女を合わせる事にしました。

 もう一人の、貴女に憎悪を隠しながらも、それでも復讐心を隠せない自分自身。

 そんな違う自分と関われば、貴女であろうとも……あるいは、復讐に絆されるのではないかと。だが、そんな風に貴女と合わせた聖女の赤子は、まるで聖女のように笑みを浮かべていました。憎悪のまま復讐を果たす時に浮かべる暗い笑みとは違い、聖女と同じ優しい笑みを……我が魔女は、浮かべてしまいました。

 聖女の穢された心を癒すだけではなかった。

 魔女もまた親からの心を受け、人間性を育てていた。

 復讐の為だけに生かした人形が、知らずとは言え人間の心を得るのを見て……私は、もうこれで良いのかもしれないと思いました」

 

「それは…………―――あぁ、だからその子は、あの城が故郷だったのですね」

 

「その通りです。知らずとも、母と過ごした日々。だが、しかし……世界を焼かれた抑止力は、その貴方こそを守護者に仕立て上げた!!」

 

 精神汚染された正気は、だが狂気によって狂気を喰われた。ならば、今のジルが感じている狂気は、彼自身が持つ純真な憤怒である。

 

「おぞましき人理、薄汚れた抑止力!

 赤子から母親も奪い去り、あまつさえその母に子殺しをさせる外道非道!!

 もはやこのジル・ド・モンモランシー=ラヴァル、一切の加減なく世界を焼くことに躊躇いなし!!!」

 

 ジルにとって、人理とはそれだった。抑止力とは、見るに耐えない汚泥だった。

 

「それで、貴方は世界を焼いたと?」

 

「正しく、その為に。今となっては私が苦しめられるのはどうでも良いのです、どうでも。

 しかし、救われた聖女を呪った英霊の座には必ずや呪いを送り返し、それを良しと嗤う醜く汚い人間共の人理も、私は絶対に呪い滅ぼさねばならない」

 

 所長の質問に、ジルは誠実な瞳で答えた。迷いなく、曇りもない自分の意志に殉じる男の顔だった。あぁ、とそれを見たジャンヌは溜め息を吐きそうになる。気力を失った人理に有り得ざる“家族”が視界に入り、そんな溜め息も消えてしまったが。

 

「貴方は、そんな事の為に……いえ、違いますね。戦争に負けて、捕虜にされて、火刑に処された私も、本当は恨んでいたのですね?」

 

「―――それは違う!!

 我らの闘争は故郷を守る為に必然だった。ならば、その敗北も屈辱も、全て全て侵略者と裏切り者の責任だ。決して、貴女に咎は無く、私はジャンヌ・ダルクに恨みも憎しみも抱かなかった。

 殺してやりたい、あの無価値な神にも誓って、この怨念にも誓って!!」

 

「なら……―――どうして!?

 どうして、私の家族を憎悪に捕えたのですか!!」

 

「それ、は……それは……―――」

 

「―――ジル。もう、良いわ」

 

「ジャン、ヌ……?」

 

 魔女の赤子は顔を上げた。聖女(ハハ)の叫びを聞き、元帥(トモ)の無念を知り、諦観だけを声として。

 

「殺しなさい。貴女にとって、私は穢れた営みから生まれた出来損ないでしょ……?」

 

「――――……」

 

「結局、私はジャンヌ・ダルクでもなく、人間でもなく、化け物でもなかった。この特異点は私ではなくて、貴女のための世界だった。

 人形が人理に捧げた、母のための戦争鎮魂歌……ねぇ、ジャンヌ・ダルク。裏切者が死ぬ姿を見て、侵略者共の屍の山を見て、少しは胸がすく思いを抱けましたか?」

 

 復讐に狂った男と、復讐だけしかない赤子が奏でた故国の断末魔。せめて人形として生まれた赤子は、自分を孕まされた母から惨劇の答えを教えて欲しかった。

 

「……貴女は」

 

「偽物でも、本物でも、私にはジャンヌ・ダルクの復讐しかないの。

 それが成功でも、失敗するでも、ここで降りることは出来ない。今さら、この在り方を変えるには……もう、私は人間を焼き過ぎた」

 

「そんなことの為に……!?」

 

「真実を知った所で、私の願いは変わらない!」

 

 魔女は、血を本当に沸き立だせた。黒い火の熱が自分の肉を溶かし、燃える薪のように煙が上がる。そんな魔女を見たジャンヌは自然と手が緩み、掴まれていたジルは彼女から離れた。そして水銀弾で抉られた筋肉を触手に作り変え、癒えぬ傷を治し自分の足で立っていた。

 

「我が魔女よ、これを貴女に。真実を知ってしまったのなら、貴女が持つべきでしょう」

 

「ジル……何ですか、これ?」

 

「本当の―――貴女です」

 

「……………」

 

 渡されたのは溶液に満ちたフラスコだった。透明な液体の中、底には米粒ほどの肉片が沈んでいた。まるで赤ん坊を小さくしたような、血の通わない人となる前の水子だった。

 ジャンヌ・ダルクは、自分の死骸を見詰めている。

 魔女は何故こんな物をジルが持っていたのか、何故この時に渡したのか分からない。それでも確かな縁を魔女は肉片から感じ取れた。

 魂が――死骸(コレ)が本物の自分なのだと分かっていた。

 

「―――逃げなさい」

 

「え……?」

 

「オルレアンの城に……いえ、貴女は貴女の家に帰りなさい」

 

 宝具である魔導書を地面に落し、四肢も満足に動かせず、だがジルはジャンヌを守る様に立ち塞がった。彼は魔女を守る為に、聖女の前で立っていた。そして、彼の言葉が終わると共に銃声がなった。

 

「ジル……ッ―――!?」

 

「ぐぅ……」

 

 魔女の悲鳴と、元帥の呻き。所長の弾丸がジルの心臓部分に命中し、水銀弾は肉体内部で液状となって破裂する。

 

「………ジル?」

 

「へぇ?」

 

 だが死なず。ジャンヌとオルガマリーはジル・ド・レェの姿に疑問を呟き、そんな声を向けられた男は形容し難きものへと変態する。そして、肉から盛り出た蛸の足らしき肉塊が護謨のように伸び、地面に落ちていた魔導書を吸盤で吸い付いた。

 ―――膨れ上がるのだ。

 所長の水銀弾によって弾け飛んだ胸部の内より、この世から逸脱した生命種が湧き生まれる。

 

〝異なる宙の生命系統樹……ふふ。フフフ"

 

 啓蒙された異文明の叡知。宙の遥か彼方より流れる知識によって、狩人は軟体の如き脳髄が疼いて堪らない。新たな生態系を理解した所長の眼前にて、男の肉体は水性生物らしき瑞々しい生臭さとなり、エーテルで構築された服は弾け飛び、顔の造形はもはや人間でなく、哺乳類でさえなかった。

 風船のように膨らむ頭部。骨が消えて逝く四肢と、体から生える無数の触手。変態する肉体とは、即ち深化。男は海魔に取り込まれているのではなく、霊体と霊基を海魔と呼ばれるナニカに作り変えてしまった。

 

「ジル―――」

 

 人型の蛸のような異形の巨人。

 

「―――我が魔女よ。

 早く行きなさい。此処は、私が」

 

 そう宣言し、だが肉体はまだ膨張を止めない。魔女は完全に後戻りが出来なくなった元帥を見て、撤退の意志を決めた。

 直後、躊躇わない銃声。彼女の背後を襲った水銀弾であったが、弾道途中に触手の壁が入る。

 しかし、エヴェリンから連続発砲された為、狙いは直ぐ様に変えられ、蛸の頭の眉間に命中。まるで風船に針を刺したようにパンと頭蓋骨が破裂した。

 

「―――霊核が、何処にも……?」

 

「良い直感力……そうみたいね、ジャンヌ。

 完全に異星系の生命種だわ、あれ。サーヴァントの原理から外れ、ついにジル・ド・レェは死人でもなくなりました」

 

「それでは、もう人の魂でさえ……―――」

 

 脳髄も心臓も、触手で代用可能となった怪物。細胞一つ一つが核であり、その集合生物と成り果てた変異生命体。

 だが、それから目を逸らせとジャンヌは啓示される。彼女の視界の中から、この場から逃がしてはならない本当の相手が、傷付いた肉体から血を流しながら、走り去って行った。

 

「―――待ちなさい、ジャンヌ!」

 

 そう娘だったらしき魔女に叫んだが、もう届きはしないだろう。だが、別れは必要なもの。子供にもなれなかった赤子ならば尚更だ。

 魔女は小さな声だが、自分がこの世に生れて来て良かったと赤い涙を流してくれる男に別れを告げ、男は自分の友となってくれた赤子の聖女に今生の別れを告げた。

 

「……さようなら、ジル」

 

「ええ。良き人生を、ジャンヌ」

 

 人間として最後の言葉を魔女に残し、最期の決意を使い切った。灰に与えられた人間性は、宿主である狂った魂の願望を聞き届け、魂魄からの深化を一気に開始。

 ジル・ド・レェは人の海魔へと完全変貌を遂げた。

 ―――狂える魂が、そのまま肉を持って世界に具現した。

 

Ia(いあ) Ia(いあ) Cthulhu(くとぅるう)

 

 四肢持つ蛸頭が唄う。悪夢より向こうの宙から、瞳を輝かせる何かがジル・ド・レェの汚染された穢れ無き魂に映り込み―――されど、神性は区別なく闇に堕落する。

 どのような者であれ、(ソウル)を例外なく人間性は受け入れた。

 深淵を覗く時に深淵も相手を見るように、深淵は瞳で魂を見詰めていた。

 

Ph’nglui(ふんぐるい) mglw’nafh(むぐるうなふ) Cthulhu(くとぅるう) R’lyeh(るるいえ) wgah’nagl(うがふなぐる) fhtagn(ふたぐん)

 

 死せるクトゥルウ、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり。

 

〝あ……え―――な、なに。何故、何で?”

 

 ―――啓蒙(インサイト)

 

〝どうして、その呪文は小説でしかない筈。その言葉に魔力を込めたってそもそも……あぁ、つまり、そうだったのね。

 好きな作家だけど、彼がそうだなんて聞いた事はなかった。でも、ただそうだったと言うだけ”

 

 脳の蛞蝓(グレート・ワン)の視点に不可能はない。何処だろうと見られたならば、相手を見返す瞳を有していた。

 

「――――――――――――」

 

 大いなる蛸人の唸り声は、もう音として認識する事は不可能。魔女を追い駆けたい筈のジャンヌは姿を見た上で呼び声まで聞いてしまい、その神性から目を逸らせなかった。特異点を解決しなけばならない所長は、異なる神性を理解したいと貪欲に呑み込まれていた。

 そして、その精神停止は仲間が来るまで続いた。蛸の者も止まることなく、神性のままオリジナルの大きさに近付くよう深化した。

 




















 灰の人って自分と同じ不死や灰から耳とか舌とか目とか骨とか取って、無駄に大量に集める人体コレクターなんですよね。自分も三作品でそうでした。不死や化け物を虐殺して死体を解体し、体の一部を契約と称して信仰相手に捧げるので、どう足掻いても邪教徒。なので実は神様嫌いな不死はいても、やり込みプレイヤーが操る主人公だと神嫌いっていないじゃないかと思っていたり。ある意味、信心深そう。あるいは、神嫌いだった不死のソウルの記録から、そんな魂を魂で演じられるとは思っています。その点、狩人様はまだ血が大好きなだけなので、殺した狩人から血をパクるだけで健全。
 感想、評価、誤字報告、お気に入り、ありがとうございます。これからも読んで頂けるならとても有り難いです。


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啓蒙33:竜の死

 最近、ジブリをもう一度見るのに嵌まっています。ほたるの墓ってあれ、現代まで成仏出来なかった自縛霊が自分が死ぬまでの日々を延々と再体験している話なんですよね。ホラー。何度か見ないと全然分からない。解説動画も見ないと分からない程に難しい。かぐや姫もまた見ましたが、あれってかぐや様にチャーム魔術で頭可笑しくなった男連中のギャグアニメでもあるんですよね。多分かぐや姫が地球送りの罰を受けた月での罪って、描写的にそう言う関連の罪なんでしょうね。だから、もう男なんて嫌いって思わずなるような罰を受けてんじゃないかと。
 どちらも正解は分かりませんけど、普通のアニメと違って、読み手の解釈が挟める間があるのが良いですよね。


 全てを、彼女は闇から視ていた。

 透明化した上で気配を遮断し、綺麗なフォームで死に満ちた戦場を走り抜け、友人となったジル・ド・レェから念話で情報も聞いていた。

 

「………………」

 

 最初の火―――太陽を欲したのは、人間ならば十分に可能だと理解した為。

 灰が辿り着いた世界の人間は神秘を用いずとも、文明技術として太陽を生み出していた。彼女がそれまで生活していた場所に、空から太陽の輝きが降って来た。人間が、人間を皆殺しにしていた。その後年、幾度も繰り返された実験も観察していた。そして数年もすれば、もはや誰もが太陽が宙で燃える現象を利用し、その恩恵に預かって生活基盤を築いていた。

 単純明快―――太陽の理を得るのに、文明社会には神も魂も不必要だった。

 この世に特別なことなどない。灰の魂は闇から生まれた人間であるが、焼かれたこの世の人間でも、神秘より不死となる人間がいた。太陽に至った彼らであればその程度の奇跡など、太陽が原子力と言う文明になったように、人理焼却がない平行世界では不死もまた常識となり、死なずの怪物も人外から人間と成り果てる。

 

〝人は太陽をも作り出し、だが人殺しの道具でした。大地ごと、人が人を一瞬で焼いていました。文明に見出された火の道具は、人の世界を運営する理の一つとなりました。

 進化とは、より下に零落する深化でもありましょう。

 腐っているか如何か、と言う問題ですらないと言うことです。この人理と言う人間が不必要な世界を焼く取捨選択の機構において、数十年前の何処かで見たような光景に過ぎず、カルデアで詳しいこの世の絡繰を知らされても既視感でしかない訳です。故にこの人理焼却も、所詮は遥か未来にて人間が人間に行う未来の可能性が、こうやって早目に訪れただけの選択肢であることが確かでした”

 

 それが、人の世の太陽だった。嘗て灰の魂が貪った誰かの魂が、この理に辿り着いた人理の人々を心底から失望し尽くしていた。何を見出だそうとも、人は魂にあるモノしか生み出せない。

 太陽が墜ち、文明に堕ち、そして人間はどうなったか。灰はその国を良く見ていた。同時に、世界全てを物語として観測していた。人理焼却が始まるまで、腐れを焼くとあの使い魔が決めるまで、人に由来する日の光に満ち溢れる新たな文明社会を見ていた。

 

〝けれども、全て私には無関係な地獄。人が人を殺す光景は変わりなく、だが殺し方は正に魂が腐る程。この世の皆様の御好きな様に、世界を自分達の血液で描いて頂ければ、傍観者は満足の限り絵画鑑賞を愉しめます。故に私は、魂の儘に人間として人々を学びました。文明と理想から溢れ出る世界の危機を幾度も救い、阿頼耶識の寿命を長引かせてはいましたが、その役目も私がしなければ他の誰がしたことに過ぎません。

 魂に縛られず、闇なき一枚の絵画。

 不死ならざる人が世を制御する業の理想郷。

 あぁ……やはり、政治や文明に関わり合いにならなくて良かったです。この世界の人々は辿り着きました。残り火の最期を無限に繰り返し、太陽となる火を手に入れましたが、この世界の人間は自分達の叡智で機構を解き明かしました。そして、太陽もまた文明の道具になる証を見せて頂けました。手段は悩みましたが、決心は直ぐにも出来ました。

 ―――有難う御座います、人理の皆様。

 本当に、本当に、魂より御冥福をお祈りさせて頂きます”

 

 何も――人間(ヒト)は、変わらない。社会は変わったが、魂は二千年前から人のまま。

 人間と言う生命を勉強し続ける灰は、業を倣う学徒として社会(ニンゲン)性も研究する。太陽に焼かれた人々の犠牲を見たあの国は、太陽を落とした国に降伏した。本来は本土侵略が計画され、自国の兵隊数十万人を生贄にすることで、数千万人の敵国民を殺戮することが計画されていた。核兵器使用の戦略的目的は、如何に人命を消費することなく敵国を降伏させるかと言うもの。

 数千万と言う大勢を助ける為に、数万人に死んで貰うと政治家達(ニンゲン)が決めたこと。人道的には程遠く、だが殺した側は本土侵略より人は死ななかったと思い、しかし被害者側からすれば決して許されない事。だからと言って、数千万人が死に絶えただろう本土侵略が良かったと言えば良い筈もない。殺す側も自分達の兵隊の犠牲をより少なくさせる選択を選ぶのも、政治家と言う人間性にとって常識だろう。

 まるで国家と言う自分達の社会を守る、正義の味方のようではないか。

 大勢と少数を比較し、徹底して人命を数の天秤に掛ける。灰も知っていたあの男が英霊としてカルデアの戦力となり、太陽を得たことで大いなる神の力を甦らせ、様々な正義と殺戮を選択し、なのに人間はずっと人間でしかない。

 特異点も所詮は灰からすれば―――いや、人間からしても歴史ですらない。

 何処まで行っても、何もかも昨日のことなのだ。そこから続く世界で、繋がりは何も断たれていない。生き残った者は、被害者も加害者も、人間性を持つ人間であり、人間と言う社会で生きるしかない。罪悪感は真っ当な感性であり、それなく社会は健全に回らず、灰は太陽が人の世に堕落する様を無感情に観測し続けている。とは言え、それは太陽に限った話ではなく、あらゆる人の業を対象にした我流学問の一分野に過ぎないが。

 

〝不死が今よりも強くなるのに、これほど具合の良い理はないでしょう。ソウルの業に拘る愚かな灰は、あの繰り返される残り火の時代を愛し続ければ良いだけでした。我ら灰は人の業を愉しめませんが、業を愛する魂を貪り続ける亡者でありましょう。

 ならば、何一つ問題は無い訳です。

 人の業を求道することもまた、こんな世界に漂着した私の営みでした”

 

 だから知識を求める灰は、全く躊躇わずに、何時も通りにその時代における学問を勉学するのみ。日々毎日が勉強であり、人の文明が進む度に彼女は新たな技術を自分に取り込み、その時代に生きた人間のソウルから記憶や技術も習得していた。

 世界が違おうとも、性質として人間性とは余り差異はない。

 ヨーロッパの東から渡って来た移民の作った街、アメリカ合衆国ニューヤーナムのビルゲンワース大学にて学生となり、人類の最新技術を脳に修めた。そもそも灰は現世において、死んだ人間のソウルから知識も手当たり次第奪い取り、科学者や技術者としてのソウルも十分以上に得ている。錬成炉で必要な物質を生み出し、錬金術で科学と工学を真似て、核弾頭程度なら自分一人で生み出せよう。何よりカルデアもまた最新技術で溢れた文明の最先端が集まる組織であり、カルデアの技術は今となっては灰が持つ技術でもあった。

 それでも尚、火を求めたのは不死故に。

 思えば灰が特異点で残り火を甦らせたのは、あの光景に対して喰らった誰かのソウルが、その神秘を力として欲したからなのだろう。彼らが作った人工の太陽は人殺しの道具であり、生活を支える動力源であり、大量虐殺が起こる戦争の抑止ともなった。しかし、それは不死にとって無意味だった。無価値でもあった。魂に力を持たないただの人間として、輝く太陽の力をスイッチ一つで使える世界になっていた。何かに選ばれる必要もなく、極小の下らないソウルが、人々を想いのまま神のように人生を左右する。だから何もかもに貪欲であっても、灰の魂は火を唯一無二として欲する。灰は不死だからこそ、この人理が現段階で辿り着いた資本主義と民主主義によって生み出た文明の太陽が、大量虐殺兵器としての強さ以外で必要になれそうもなかった。そんな灰からしても、この人理と言う仕組みを作る人類種は余りに度し難い。

 あらゆる自然現象を解明し、文明と言う概念にする生態系。

 そんな彼らが克服すべき対象とは、戦争、飢餓、疫病の三種だろう。灰は長い間、寿命を持つこの人間の世界で生きていたが、大量絶滅と言うのは何ら珍しくもない。人間と言う動物にとって、当たり前にも程がある生物としての危機である。戦争は人間共による人間同士の文化形態だが、飢餓と疫病は自然現象で、人は別に誰かの悪意がなくともあっさりと死滅する。

 しかし、世界規模の飢餓は消えた。最先端の人理において、政治家が誰かを苦しめようと悪意をばら撒いて一部地域の人々を飢え死にさせてはいるが、それは食糧が不足しているのではなく、意図的に不足させているのが主な原因。飢餓によって国の人口が何十%も死ぬような事態は起きなくなった。戦争も新たに文明によって作られた核と言う太陽の技術により、経済の方がメリットがあり、そして取り返しのつかないデメリットによって地球に住まう人々が、大国と大国の殲滅を互いに抑止し、核戦争回避に努力するようになってしまった。疫病も発生はしても、嘗てのように人口の四割、五割が死ぬこともない。国家が滅亡することもないだろう。

 

〝この人理からは、新しい人間性をとても学ばせて頂きました。知識を得て、それを新しい力にすることも出来ました”

 

 特異点で死んだ人間は、特異点が解決しても―――甦らない。

 灰はそれを知っているが、自分達が特異点で起こした戦争による死者など、飢餓や疫病で死んだ人間の数と比較すれば微々たる数だとも分かっていた。数千殺し、数万殺し、だがそんな程度では、特異点が発生した先の歴史からすれば誤差のような人数でしかない。死者数の帳尻合わせは人理にとって容易いこと。自分達が起こした悲劇など、人類史からすれば水を流すと直ぐ洗い落ちる唯の染み。

 重要な死者とは、文明と歴史に与える影響力。

 戦争は悲惨だが、規模としてはそんなモノだ。

 この灰が定命の人間として歴史を見た場合、戦争ではなく、政治活動としての民族浄化こそ唾棄すべき殺戮。たが不死の人間としてならば、ソウルを貪ることに違いは全くない。

 

〝道具さえ揃えば、特別な力は必要は全くありません。魂を持つ人間ならば、私が行った所業など何ら特別でもない訳です。むしろ、出来て当然なのでしょう。必要なのは引き金に力を込める意志一つ。何せそもそも、ただの人間として私が生きて人理から学んだ事でありますから。

 私は不死ですが、それでも生きている。

 死がなければ生もないなど、それは心折れた魂の戯言でした。

 諦めてはなりません。止まってもいけません。私は器でありますが、こうやって自分に対して自分の思考を巡らせる活力を持っています。

 私でない私のソウルとなった誰かの思い出が、目的の為の手段を無限に発想させて頂けるのですから”

 

「アッシュ……」

 

「あら、ジャンヌさん。御無事ではないようですが、生きていられて何よりです。ジルさんが殿となり、貴女だけでもと逃がしたようですね」

 

 太陽を人間が作れるように、人間は人間も作れるようになっていた。人理焼却によって文明は停止したが、もし何事もなく歴史が進んだとすれば、人は太陽の次に何を生み出していのか。灰はまだ見ぬ未来を疑問に思い、だが燃えて消えてしまって構わない答えでもあった。その気になれば、焼却されていない平行世界に渡れば良いだけのこと。そして必要ならば、文明技術を魂から生み出た人の業として学習するだけだ。

 だから灰は、魂から人を学習した。

 文明と言う発想力を模し、技術を倣った。

 そんな彼女にとって竜の魔女とは、人理で得たソウルより学んだ悪魔的発想から思い付いた創作人間。同時に、灰が元凶であるヤーナムの悪夢から啓蒙された暗い魂の赤子であった。空の器である故に自分から業を生み出す事は出来ないが、業を為す魂は無数に内側で存在し、もはや灰の魂が地獄や煉獄と言った火と闇の異界と成り果てている。

 

「けれど、まずはおめでとうございます。真実を得られた様で」

 

 だからこそ、彼女は何時も通り魂から心を込めて、嘘偽りなく祝福していた。あの使い魔に焼かれた全ての魂に、貴方たちが歴史を紡いだお陰で聖なる赤子が生まれましたと祷りを捧げた。

 そんな彼女自身は何もない空白だが、感謝と祈りをする灰の感情は本物だ。なにせ、それは貪った誰かの魂から生まれた想いであり、偽ることが出来ないソウルからの言霊であることに間違いはない。

 

「全て、知っていたのね……」

 

「無論ですとも。彼の悩みを解決する手段を問われた時、提案したのは私でしたから」

 

「………―――あっそ。別に、良いわ。

 どうせジルから、黙ってるように言われたんでしょうし」

 

「はい」

 

「貴女と、私の生まれについて、より詳しいことは城で聞きます。で、アンタ以外に生き残りはいるの?」

 

「佐々木さんが一人。彼は後から追い付きましょう。ですが、他は死にました。協力する契約相手を残してとっとと死ぬとは、全く以って無様でしょう。これだから思考の次元が低い輩の、外れ籤な霊体の皆様は人殺し程度の雑務にも全然使えませんでして……あ、いえ。そうでした。まだジルさんが生きてはいますね。

 ……どうです?

 貴女が命じるのであれば、私が彼を助けに行きますけど?」

 

「不必要よ」

 

 手遅れなのことを、ジャンヌは十分理解していた。ジルの魂は変態し、あの姿に変異してしまった。既にキャスターの霊基ではなく、ジャンヌとの契約も無くなっている。そもそも霊核がないと言うことは、現界する為の楔がないのだ。

 急所が消えた故に彼は不死となり、だがこの世に存在する事も出来なくなった。

 

「了解しました、ジャンヌ・ダルク。では帰還しましょう、私達の家に」

 

「ふん……そうね、帰るわよ」

 

「ええ…………――で、あれ。帰らないので?」

 

 だが、ジャンヌは問わずにはいられなかった。

 

「いや、ちょっと。アンタそう思えば、それ何持ってるの? トマト? ダブルトマト?」

 

 これ見よがしに両手で持つ双槍。その二つを掲げ、特に意味もなく灰は凄まじいドヤ顔を晒した。兜を被っているので表情は分からないが、それも気配だけでドヤァと苛立たせた。ついでに、妙なジェスチャーもしていた。ジャンヌは拳に黒炎を纏わせ、思わず殴りそうになったが我慢。

 

「史上最強のドラゴンウェポン―――火吹き槍です。しかも、二刀流」

 

 しゅこー、と火炎袋(トマト)が膨れ上がる。

 ぼふぅん、と先端から炎弾が出た。

 矛先は上空に向けられ、別れの祝砲として双弾が放たれる。まるで花火のように宙で弾け、魂みたいな淡い赤光が輝いた。

 

「友人の手向けに丁度良いと思いましてね。私の腐れたこの魂が燃えぬ限り、暗い竜の赤子をお護り致しましょう。

 ……ジルさんに、この火が届いていれば良いのですが」

 

「…………―――」

 

 そんな灰の優しい言葉は猛毒となって魔女の人間性を刺激し、だからこそ暗く湿った想いを振り払うため駆け出した。

 

「―――さようなら」

 

 ジャンヌは背後から、火を見た魔物の声が聞こえてくる。遠い何処かの神性は暗い人間性の中に溶け、元帥は誰かの為に己の死を受け入れ、だが魔女と灰の二人は彼を置き去りにして行った。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 呼び声は、何もかもが亡くなった戦場で轟いた。声として認識出来ず、しかし生き物の唸り声だとは分かる音だった。

 所長はジャンヌの手を引き、蛸の巨人から離れた。膨れ上がるばかりで暴れる気配はないが、死の危険は多大。まずは戦意が消え掛かったジャンヌの安全を確保し、ロマニから聞いた情報を一旦整理する必要もあった。

 

「主殿、聖女殿……御無事で」

 

「えぇ、えぇ。無事よ、無事」

 

「……………」

 

 忍びは巨大な蛸の者と対峙する主に、短めの言葉を掛けた。無事か否かなど見れば分かる事であり、聞く必要もない確認。そもそも互いに不死。命を気遣う事こそ愚かしい。

 つまりは忍びなりに気を使った、眼前の所長に対する気付けの挨拶でしかない。

 

「――所長、勝ちました!」

 

「所長、只今戻りました!」

 

「御苦労様。良く頑張ったわね」

 

 数秒後、藤丸はマシュに抱えられたまま到着。サーヴァント三騎も無事であり、ジークフリート、清姫、エミヤもこの現状を一目で把握した。その三人も所長は視界に収め、一回大きく頷いた。念話とロマニからの報告で状況は理解しており、竜狩りの戦神の撃破と言う難業の達成を喜んだ。

 無論、狼もまた無愛想ではあるが、今来た五人に頷いた。声を出さず、静かに迎え入れていた。だが、ジャンヌだけが凍り付いたまま。

 

「……ジャンヌさん?」

 

「あぁ、マシュ……ですか。貴女達も無事で良かった」

 

「はい。ですが……その、大丈夫なのですか?」

 

「―――ぁ……大丈夫です。怪我もないですから」

 

『みんな、聞いてくれ』

 

 その不穏な空気をロマニの通信が断ち切る。しかし、これより彼はより非情な言葉を告げないといけなかった。

 

『宝具によってジル・ド・レェの霊基変化を観測した。いや、ボクたちカルデアが観測してしまったが為に、不定な存在が固定されたと言うべきかもしれないけど……まぁ、そのへんは良いかな。詳細はまだ調べ切れない。

 結論から言おう―――アレは、巨神だ』

 

「ま、待って下さい……あの、神ですか。あの大きな蛸が?」

 

『そうだ』

 

「どういうことだ。確かに邪竜の存在感とも異なるが、それでも巨神と呼べる程、アレから逸脱した気配はそこまで感じられないが?」

 

 ジークフリートは死ぬ間際であるが、活力のある声でロマニに問う。

 

『隠れているのさ。神性が混ざった英霊の霊基と偽っている。あの灰から検出される聖杯の泥と少しだけ類似した不明反応、人間性(ヒューマニティ)と所長が呼称したモノにより、神ならざる神性として具現することに成功したらしい。

 ―――ヤツには、霊核がないんだ。

 細胞一つ一つが生きている。生物であると同時に、あの蛸は生命力でしかない存在とも言える』

 

「成る程。討ち取るには、肉体全てを消滅させる必要がある訳か……」

 

 何かを覚悟した表情で彼は()もどきを眺めた。今は何もする訳もなく変異をし続け、動く気配もないが、第六感としか言えないが、此方が動けば攻撃されると言う確信が彼にはあった。

 

「あのー……すみません。他の方はどうされました?」

 

「――――――」

 

 藤丸は既に分かっていた。この場にいないとそう言う訳であり、仮契約を結んだマスターの知覚として、もうサーヴァントの反応がないのも理解してした。

 けれど、マシュは唯単に疑問に思っただけ。あの邪神とも言える巨人の蛸は協力して戦った方が良いと第六感が囁き、何よりまだ他の味方の戦いが長引いているならば助けにも行きたい。

 

「死にました」

 

「―――え?」

 

「マシュ。生き残ってるのは、此処に居る者だけよ」

 

「そんな。じゃあゲオルギウスさんも、エリザベートさんも……アマデウスさんも?」

 

「すまぬ。(みな)()かれてしまった」

 

 忍びは自分と共に戦って死んだ三人を思い出し、だが普段と変わらない貌でマシュに真実を告げた。しかし僅かばかり眉間の皺が深まり、それを見た故にマシュは仲間の死が本当なのだと理解出来てしまった。

 

「狼、さん……ぁ―――ク、いえ。いえ、すみません。でも、でも、私はただ……」

 

 こんな風に感傷を吐露する場合ではないのは分かっている。しかし、極限状態を維持し続ける人間が、冷徹な精神性を保つのにも限界はあり、マシュはそのような人間でもなかった。

 

「……お別れだけは、言いたかった」

 

 この特異点で得られた感情を込めて、その願いを声に紡いだ。泣き叫びたい、膝を折って蹲りたい、誰かに抱きついて眠りたい。そんな思いを抱いたまま、マシュは弱音を全て自分の心に封じ込める。

 マスターを守る為に自分だけは仲間の誰が死のうとも、目の前で人々が無差別に虐殺されていようとも……自分が死ぬのだとしても、立ち向かわないといけないのだと覚悟を決めてしまっていた。そして、その覚悟は等価交換によって得た決意でもある。冬木の洞窟で悪魔の騎士によって腕を斬られた時に、マシュ・キリエライトは魂から何かが零れ落ちたのを実感していた。だがこの特異点で戦い始めてから、漸く自分から失ったモノを理解した。

 ―――危機感だった。

 死の恐怖を人並み以上に感じるのに、第六感も危機を察するのに、恐れの対象を脅威だと思えない。味方の死が悲しくて、仲間を殺した敵が怖く、されど危機感を抱けない。人間性が、腕と共に欠けてしまっていた。

 

〝私は―――……あぁ、そうでした。忘れてしまえば……私たちが負けて死んでしまえば、ここの記憶が全部消えてしまう。痛みも、悲しみさえも、失われてしまう。

 せめて皆と話をした私が、意志を継がないといけません。守るとは何か、私は自分の答えを見付けてみたい。火の海から人理を守りたいと思えた、私だけの小さな理由を……”

 

 大切なモノなど何も無かった少女にとって、悲劇に溢れたこの特異点の思い出だろうとも、仲間となった皆との関わり合いは大切な記憶となった。

 

「マシュ……人間はさ、悲しいことに耐える必要はないんだ。俺みたいに独りで生きられない人って、だから他人が必要になるんだよ。

 誰かに、人の死が痛いって言うべき時もある。今はまず生きる為に戦わないといけないから辛いけど、カルデアの職員として我慢しなきゃいけない。でもね、それでも痛いことを我慢しているのだと、情けなくたって声に出しても良い。そうしないと周りは分からないままだ」

 

「………すみません、先輩(マスター)

 それでも私は、まだこの痛みを我慢出来るんです」

 

 そして巨蛸の後方から、マシュとカルデアの皆は火の玉が飛ぶのを見た。まるで花火の玉みたいに宙へ打ち上げられ、火薬が破裂するように爆発音が鳴り響く。

 

「――――――――――――」

 

 声のない音が蛸から鳴った。火玉から友人の思いが届き、蛸の神は柔らかい脳を頭蓋骨ごと震わせていた。蛸のと成り果てた彼は暗い宙より何かを啓蒙され、火吹き槍の火炎袋(トマト)から出た火を理解し、護り竜の魂も悟る事が出来た。

 使い手の想いを感じ、赤子の聖女を灰に任せる決意を蛸は抱いたのだろう。思う儘、一歩だけ前に進む。巨大軟体海洋生物としか例えられない神は、まるで人間のように陸上を問題なく歩き出した。

 

 ――Ph’nglui(ふんぐるい) mglw’nafh(むぐるうなふ) Cthulhu(くとぅるう) R’lyeh(るるいえ) wgah’nagl(うがふなぐる) fhtagn(ふたぐん)――

 

 空想より、何者かの、深海から、呼び声が、聞こえた。 

 

『グゥゥ……ぉ―――駄目だ、駄目だ。これは駄目だ。

 音声情報、ボクの所以外はカットしろ! 今直ぐにだ!!』

 

 発狂の声。

 

「ロマニ、貴方は大丈夫なの?」

 

『所長……っ―――心配、なく。この程度の精神攻撃でしたら、気合いで何とか』

 

「じゃあ、観測はそのままにね。意味消失に藤丸は耐えれないから」

 

『その為の臨時代理、ですから……ねっ!!』

 

 とは言え、ロマニの真名を啓蒙より知る所長は、彼の精神強度に一切の疑問もない。疑念を向けることもない。精神の強さを人の価値とするならば、カルデアで最も価値ある人間の一人に選ばれる男であり、宙や悪夢の狂気さえも理解して知識としようとも不可思議ではなかった。

 

「先輩は、大丈夫ですか……!?」

 

「え、うん。不思議だけど、何でか平気。でも、急にクトゥルフ神話かぁ……どういうこと?」

 

 現代娯楽において、神話や伝承は物語設定として楽しまれる。藤丸も例に漏れず、それなりに小説、映画、アニメ、漫画などで理解はある。

 クトゥルフ神話もまた、彼からすれば娯楽の題材となる神話設定の一つ。だからか、あの蛸の神が唱える言葉にも聞き覚えがあった。

 

「私もカルデアにありましたので、知ってはいましたが―――でも、何でか、意味が分かりません!

 英霊が宝具で模倣する理由もなく、ジル・ド・レェは救国の英雄となった元帥で、あの物語は小説家が娯楽で生み出しただけの、神代とも関わり合いのない架空神話でしかない筈です!!」

 

「マシュも平気そうだよね。俺が平気なのはおまけで……―――盾の加護、なのかな?」

 

「私の方も、それは本当にさっぱりです」

 

 仮想空間でカルデア製の悪夢をVR訓練した所為か、藤丸は思考回路を止めずに行動する事が可能となった。頭蓋骨をカチ割って脳味噌に爪を突き刺して掻き毟りたい狂気を確かに感じるも、彼は脳が痒くて叫びたい程度に発狂を抑える事が出来ていた。マシュも同じく蛸の呼び声を聞きながらも、正気を人間として藤丸と同じく保っていた。

 忍びもまた慣れているのか、感じる怖気に耐えている。薬も飲み、完全に耐性が出来ているのだろう。エミヤとジークフリートもロマニと同じく気合いで淵に堕ちる事なく精神を保ち、逆に清姫はこれ以上に狂うことなど魂が許されていない。

 

「「………」」

 

「いえね、二人共。黙ってみられても、私にだって解らないことはあるのよ?」

 

『ですが、予想はついているのでしょう?』

 

「ま、少しは。でも考察は後にね。今は、あの蛸野郎を狩るのが先決よ。とは言え、すべき事は単純な火力による殲滅しかないんだけど」

 

 微かに笑った所長は、左腕に巨大な砲門を夢から顕した。本来ならば対軍用砲台として使う物を、片腕に嵌め込ませることで射撃体勢を固定させ、個人兵装として扱う狂気の産物。そして、ヤーナムの悪夢では鐘持ちの大男が使っていた怪物専用の銃火器。

 その儘過ぎる名はずばり―――教会砲(チャーチカノン)

 片腕で大砲を使う馬鹿げた筋力を持つ狩人にのみ許された、人外理論を発想の根底に持つ啓蒙狂いの極みであった。

 

〝さてはて、火力(ロマン)の限りを尽くしたわ。

 瞬間を狙い合う狩人同士だと零距離射撃が基本だけど―――”

 

 魔力充填、開始。

 発射角度、計算。

 弾道軌道、決定。

 死灰装填、終了。

 殺傷能力、演算。

 発射工程、完成。

 

〝―――先制曲射撃ち、させて貰いましょう”

 

 既にあの蛸は自分達を狙いを定めている。それを直感した所長は魔力を好きなだけ込めた炸裂砲弾を上空に向けて発射し、円弧を描く軌道で蛸の額に向かって落ちて行く。

 火薬が轟く音と血肉の湿った音。

 着弾。直後、炸裂―――抉れ取れる肉塊。

 耳に気持ちが良い金属音が鳴り、教会砲の砲身が絡繰機構によって発射後の変形から戻る。

 

「――――ん……ぁ、ふっふふ」

 

 無表情を所長は保つが、これこそ狩猟の歓喜。狩りの醍醐味にして、狩人の業。仕掛け武器による殺戮も、素手による内臓解体も、素晴しく血が蠢いて脳が晴れ渡るが、狩りの浪漫に満ち溢れた火力銃器を直撃させるのも愉しくて堪らない。

 だが―――頭蓋骨が膨れ上がった。

 萎んだ風船へと、空気が入るみたいに血肉が復元。蛸の巨神は砲撃した所長と、その周囲の者たちを睨んだ。つまるところ、巨大な蛸の瞳は砲門となり、暗い神性の眼光が輝いた。

 

「―――ッ……」

 

 閃光の一瞥。

 一秒の瞬き。

 対応出来たのは瞬間的宝具展開に常時意識を向け、更に盾を力ませていたマシュだけ。だが真名解放が許される速攻ではなかった。

 エミヤは最前に立つマシュの周囲に無数の盾を咄嗟に投影するのが限界であり、ジークフリートはいざと言う場合に備えてマスターの前に立つだけ。竜化による霊基破損で死に体の清姫は、ふらつくマスターを支えていた。所長も同じく、確信した瞳でマシュの背中を見詰めていた。

 

「……はぁ――――ッ!!」

 

 ならばそもそもサーヴァントの三人(エミヤもジークフリートも清姫)も、マシュならば可能だと理解していたからだった。

 瞳の光帯(ビーム)を、彼女は上空に弾き逸ら(パリィ)した。

 もはや人間の業を超えた技巧。竜狩りの戦神との戦いが、神にとって戦神と呼べる技巧の化身と過ごした臨死の経験が、マシュ・キリエライトを神殺しを為した英雄に近付けていた。

 

〝―――強くなる。

 戦えば戦う程、死の恐怖を貪る度に、人間であるマシュは強くなれる”

 

 故に、オルガマリーは確信と共に瞳を蕩けさせている。

 

〝マシュ……君は、そうまでして戦うって、この特異点で決めたんだね”

 

 だが、藤丸立香は諦観と一緒に少女の雄姿を見詰めている。

 

〝私は―――護る。守らないと、いけないから!”

 

 所詮、マシュは人間だ。出来る事に限りがあり、そして出来る事は絶対に貫き通すと決めている。彼女の背後には所長、先輩、エミヤさん、清姫さん、ジークフリートさん。そして、ジャンヌさんが生きていた。カルデアの仲間達と、この特異点で出会った戦友達。

 マスターを守る盾であり、マシュは人理を護る最後の戦う人間だ。

 

〝なにを……私は、なにをしているのですか。

 戦わないと―――……ジルを、殺さないと。このフランスを一番守らなければならないのは、この特異点で生き延びた、この時代を生き抜いた人間である私です!!”

 

 ジャンヌは咄嗟に動けなかった。意志は戦うと決めていたのに、肉体が一瞬の動作に対応出来る程に、この現実をまだ受け入れきれていなかった。手に持つ宝具は守りの旗であり、敵を殺害する概念を持ち得ぬ真名解放ではあるが、彼女の宝具はそれだけではなかった。

 聖女の左手に、神聖さに満ちる聖人の剣が現れる。鞘に収まった聖剣は、紅蓮の祈りを刀身に潜めている。

 

〝―――主よ。人間として生きる私はまだ、この身を捧げてはいませんが……”

 

〝ジャンヌ・ダルク。祈りの終わりを、此処で迎えると?”

 

〝……はい。私は私の為に、為すべき事を為すだけです。

 英霊としての信仰を、フランスを救いたい私の祈りとして焼かせて貰います”

 

〝そうですか……それが、貴女の祈りなら。私の全てを何時通り、貴女の意志に預けます”

 

 自分の魂に溶けた自分に、ジャンヌは決意を告げた。同時に柄を右手で握り締め、火刑の炎を熱帯びる刃が引き抜かれ―――

 

「止めておけ、ジャンヌ・ダルク。その役目は、今はまだ早い」

 

 ―――ジークフリートが、聖女の献身を止めていた。

 

「―――……何故、ですか?」

 

「魔女の最期は、貴女が見届けないとならない」

 

「ですが!?」

 

「あの男は、俺が倒そう。何より、もう俺には時間が残されていないのでな」

 

 霊核が罅割れており、人間で例えるなら心臓に穴が空き、脳内出血が同時に起きている状態に等しい。彼は生きているが、本来ならば意識不明の重体。

 気合、執念、根性。その集合。

 謂わば死を拒み、生きようと足掻く―――意志の力。

 ジークフリートは死体となった霊体を強引に動かし、精神力で生命力を誤魔化しているだけ。だがそれは生きているとは言えず、戦えばもう死ぬしかなく、彼は死に場所を選ぶ死兵としてジャンヌ・ダルクを止めていた。

 

「それと、自分勝手だが遺言を一つ。どうか、魂を囚われた佐々木小次郎を救って欲しい。彼は俺とゲオルギウスを敵から助ける為に囚われ、未だに魔女の騎士として隷属されている。

 無力な俺では……戦友を、奴らから救えなかった。正義の味方に、届くことは出来なかった」

 

「貴方は、そんなことは……ッ!」

 

「第二射が来る……―――すまない。俺は行こう」

 

 それはどちらの意味か、あるいは両方の意味なのか、ジャンヌは良く分かってしまった。自分もまた、誰かの為に自己の死を選んでしま得る破綻者だと言う自覚が彼女にはあった。

 

「……お願いします。勇者の献身に、感謝を」

 

 なら、送るべき言葉は祈りが良い。その直後、蛸の瞳が輝いた。

 戦神との殺し合いを見たマシュは感覚を完璧に掴み、魔術や熱線だろうと弾き守る技巧を理解し……―――だが、その熱量は先程の倍以上。

 なのに、真名解放を許さない即攻なる眼光。

 機械義手を犠牲にすれば何とか()けると論理的に解し、マシュは死に向けて笑みさえ浮かべて立ち向かう。

 

「おぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 真エーテルの宝玉を解放せず、剣技のみの一命一斬。刀身で斬り弾けなかった熱波はサーヴァントの霊体を蒸発させるのに十分なエネルギーを持っていてが、血鎧を持つ彼ならば何一つ問題はない。

 

「ジークフリート……!!」

 

「ジークフリートさん、何故!?」

 

「マスター、俺に力を―――!!」

 

 彼は走った。マスターである藤丸はマシュの背後から過ぎ去る勇者の背中を見て、その行動全てを把握してしまう。

 ―――葛藤など、余りに心が遅過ぎる。

 問いに答える理由などジークフリートを知る者ならば、見るだけで分かるのだ。

 

「神を倒せ、ジークフリートォォォォオオ―――!!」

 

「――――ッ!!」

 

 力が溢れる。

 体が壊れる。

 霊体に走る罅から魔力が流れ出そうになるが、それを強引に体内に留める。底の抜けた杯に満ちた水を手で押さえるような所業であり、グシャグシャになった内臓に手を突っ込んで、臓器と臓器を無理に繋げる所業に等しい。

 蛸より熱線が、そんな勇者を狙って飛来する。それに目掛けて幻想大剣を振り払い、振り落し、振り上げ、連撃される瞳の光帯で身を焦がしながらも突き進む。

 許される真名解放は―――一撃のみ。

 魔力を大量使用した瞬間、勇者は発火した爆弾のように弾け死ぬ。

 

「―――――」

 

 蛸の巨神は挑む男を見て嗤い、何故か同時に歓喜の笑みも浮かべた。そして、邪竜の如き一対の翼を背中から生やし、まるで飛竜の様に跳び上がった。

 ならば、ジークフリートも同じこと。

 血鎧とは竜鱗であり、彼の霊体は邪竜の霊的遺伝子が組み込まれている。

 その因子に対して有り得ない事に、彼はバルムンクの宝玉から真エーテルを霊基に逆流させた。もはや数秒後に魂が壊れても良いと躊躇い無く、神人を超越する邪竜として完全無欠の神代復帰を完成させた。

 

「オォォオォォォオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――!!!」

 

 宇宙塵。ジン。第五真説要素。神々の世界に溢れていた真エーテルは、それだけで有り得ない力となり、神に権能を万全に使わせる動力源でもある。

 ドラゴンとは何か、ジークフリートは魂で悟れた。戦神と邪竜の最期と、清姫の極まった想念を見た勇者は、この業を得る為に必要不可欠な何かを臨死の果てに見出した。そして最期に殺す事が継承であれば、戦神の力は誰に流れ込んだのか。

 霊核に止めを刺したマシュにも、近くに居たエミヤにも、魔力でもない未知の何かが流れ込んだが、邪竜が最も渇望を求める相手は一人だけ。人間性は闇ではあるが、それでも願いによってカタチを変える。竜を求める男は、それをまるで願望器のように応用し、その霊基を変貌させることも命と引き換えに可能となった。

 

「―――邪神、黄昏へ堕ちるべし!!」

 

 ジークフリートは飛んだ。空中にて宙を自在とする翼が背から生え、暴発寸前の魔力が込められた角が生え出す。

 其処は既に人間の領域ではない虚空。竜化した竜殺しは、更に宙高く飛翔した邪神を追った。だが、そもそも邪神は星を奉る司祭であり、魔術師でもある外なる宙より来た生物。同時に、その神性によって変異した英霊である。

 

――――(我が手は)―――(鷲掴む)

 

 叩き付ける魔力のような、あるいは未知のエネルギーによって世界が歪められた。真エーテルによって自己変態したジークフリートは空を飛ぶも、重力が鉛となって彼の全身を襲い、地面へと抑え掴まれる。だが、もはや物理法則を超越する第五真説要素は、神秘法則さえも濡れた和紙を破るように打ち砕き、彼は真エーテルの斬撃によって邪神に近付いた。

 対する邪神は“人間”らしく瞳を蕩けさせて嗤い、更なる眼光で以って視線を輝かせる。脳髄より抽出された邪悪なる思念の波長は双眼を門とし、悪しき瞳は脳内と現実を繋げる出入り口とした。

 

「……ぐぅ、ぉぉおぉぉおおおおおお!!」

 

 肉のないサーヴァントにとって邪神の視線は、物理干渉を伴った発狂攻撃。

 悪竜の血鎧(ファブニールの守り)を持つ彼故に視線を受けても死なず、そして暗い人間性を混ぜられたファブニールの魂を継いだ戦神を殺害することで邪竜(ドラゴン)の業と人間性(ヒューマニティ)を魂に受け入れ、ソウルと言うある種の異界常識を竜殺しの勇者に侵食されている。

 だが、もはや今のジークフリートに発狂など意味はない。気が狂わなければ、自身の神代回帰による真エーテルの竜化など選ばない。既に数秒後の死を認めて飛ぶ勇者は、狂気を飲み乾す狂気染みた決意と殺意で幻想大剣を最期まで振うのだろう。

 

「――――――――」

 

 それでも尚、邪神の呼び声はおぞましかった。脳より溢れた神秘なる閃光は、確かにその呼び声によって召喚されたのだ。

 声は大気を振わせ、空間を揺るがし、宇宙を海のように波立たせる。惑星の上に展開される特異点と言う世界だろうと関係なく、邪悪なる脳髄から生まれた言霊は光り、大地を砕く波動となって自分に迫るジークフリートを狙い撃つ。

 

「……………」

 

 魔力放出など生温い。太陽の如き出力となり、体内で核反応を起こした様な爆発力を真エーテルは発露させ、勇者の翼は力場を噴射させて羽ばたくのみ。超音速を超過し、その先の速度領域に達し、錬鉄の英霊が放つ偽・螺旋剣の速さも過ぎ去った。

 瞬間―――霊核が、砕け散る。

 耐えられる筈のない過負荷。ジークフリートはそれでも霊体を形だけでも維持し、自分自身を加速砲台として大剣を振った。

 

幻想大剣(バル)―――……天魔失墜(ムンク)

 

 超加速した体感時間は時間停止に等しく、彼はそんな世界で当然のように真名を解放。正真正銘、最速の極閃斬撃。もはや刀身から放たれる光の刃は音速の二十倍を超え、三十倍を超え、更に超え、重さを得た昇る落雷と良く似ていた。竜殺しの魔剣は、雷迅の魔剣と成り果てる。

 戦神の祈りは、竜殺しに継承されていたのだ。魂を殺してくれた相手の一人ならば尚更で、幾度も竜狩りの雷を受け、彼の肉体は戦神の雷をソウルごと宿している。そして幻想大剣は太陽の光の槍を纏い、生涯唯一度だけ許される境地に彼は辿り着く。

 

「Ia Ia―――――」

 

 バルムンクは神を黄昏の剣戟で斬り開く。それでも尚、邪神は死なず。即座に肉体蘇生を始める邪神に、ジークフリートはそのまま突き進む。自分が斬り開けた胸部から巨体内部に入り込み、肉体が消失する前に心臓の前に到達。

 彼が今居る場所は血塗れの内臓の中。

 周囲全てが肉であり、心臓が鼓動する度に空間そのものが揺れ動く地獄。邪悪な神性に溢れ満ち、神の加護など何の役にも立たない悪夢である。しかし、そんな場所であろうとも自分が死なない限り、大いなる血鎧は万全だ。

 

〝―――さらばだ。

 悪夢に堕ちた救国の英雄よ、俺と共に眠るが良い……”

 

 幻想大剣・天魔失墜(バルムンク)では、邪神の肉体を消滅させる事は出来ないと分かっていた。肉体を切り裂けても、滅ぼすには純粋な火力が足りない。それこそ邪神を消すには人理焼却が起きた現代文明にあった核弾頭級の殲滅力が必要であり、それを外部から放っても血肉全てを蒸発させる事は出来ないかもしれない。

 だが―――内部からならば、十分に可能。

 それも斬撃ではなく、真エーテルによる超火力爆撃ならば塵一つ残りはしない。しかし、尚も邪神は生き延びる可能性を持つ。

 大剣だけでは足りないなら、今こそ使うべきだった。

 ジークフリートは魔剣と共に、竜化した血鎧にも真エーテルを壊れる程に注ぎ込む。

 

壊れた(ブロークン)……―――幻想(ファンタズム)

 

 その宣告により、彼が持つ宝具が二つ同時に壊れ弾けた。手に持つ大剣は宝玉を爆薬として世界に穴を開ける程に轟き、宝具化していたジークフリートの肉体自体が加護を反転させ、あらゆる概念を捩り壊す破壊の波となった。

 宙がまるで、流れ星が弾けたように―――光に満ち溢れた。

 破壊力は凄まじく、戦場の空を覆っていた雲は晴れ渡る。目映い閃光が地上を照らし、その光も数秒もせず消え、邪神の巨体は空の何処にも浮いていなかった。

 

「…………」

 

 守られた皆は、その最期を見上げる事しか出来なかった。竜となった竜殺しの死を、夕暮れの空から吹く風だけが教えてくれていた。

 















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啓蒙34:真相

 ヤーナムの場所は登場人物の名前から、ドイツとチェコの辺りにかる森深い山間部だと思います。近くには湖があり、そこに墓地街、ビルゲンワースがあったんじゃねと言う雰囲気。対岸には学舎から血が運ばれた地元貴族の城がありそう。悪夢の漁村は海に立てられましたが、ビルゲンワースがひゃっはーしたのは現実世界だと、ヤーナム近くの湖の漁村だったんじゃないかと言う妄想です。
 つまり多分、舞台の中心は湖の可能性。水は夢と繋がり、湖は上位者の領域である悪夢とも繋がり、夜になることで月が湖に現れる。悪夢の月とは、そう言う現実から映り込んだ月光であり、だから夜ではないとヤーナムは夢に落ちないのかもしれません。故に学長は蜘蛛を湖に放つことで、赤いメルゴーの月を隠せたのかも。けれど、湖中心説は不正解とも思ってます。儀式の道具にはされてはされて、異空の出入口にもされてそうですが、月と悪夢はまた別物でしょう。砂漠に消えたローランやらと、ヤーナムの土地に関係ない場所にも上位者は現れると思います。



『敵性巨神と、ジークフリートの……………霊基消滅を、確認した』

 

 ロマニの通信が、彼の戦死を確定させた。カルデアから死を観測されたと言う事は、逃れられない事実として藤丸とマシュの二人に圧し掛かる。

 

「あ……――ぁぁあ、あああ……そんな、何故……どうして、私は何も救えないのですか?」

 

 主よ、と唱える言葉だけを聖女は抑えた。神の所為でも、他の誰かの所為にも、眼前の悲劇の元凶だと押し付けてはならない。恨むべきは自分であり、憎悪するならば手の届かない自身の至らなさ。

 

「死にたいィ……わたしは生きていても……無価値だ。歴史通り、死ぬべきなんだ。処刑から生き延びて、なんの意味が、あって……誰にも、私はもう届かないです」

 

 それでも、思うだけでに止まらなかった。言葉として声に出てしまう程、ジャンヌは何もかもが苦しくて堪らなかった。むしろ、誰かの所為に出来ていれば、ここまで自分を追い詰めてしまう必要もなかっただろう。

 

「願いはそれなのに、手を伸ばしたいだけだったのに……」

 

 拷問で焼かれた瞳から、火に焦げた暗い血涙が流れ出た。そして違う片方の目から、色彩のない涙も流れ出た。呪われたのは何時からなのか、考える必要さえないのだろう。

 

「なにも、なんにもぉ………届かない。

 私は誰の助けにもなれなかった。子供一人助けられなくてぇ……母さんも見殺しにして、仲良くなれた友人も死んで、嘗ての戦友も理解出来ず、私の所為でまた仲間が死んでしまった。

 みんな、みんな……死んじゃった。しんじゃったんだよ?

 ジークフリートは―――私がぁ……私が、私の赤ちゃんをこの手で殺していれば……!!」

 

 星の輝きは凶星となり、辛うじて精神を保っていたジャンヌの心を遂に崩壊させてしまった。英霊としての彼女ならば耐えられた悲劇だろうが、この特異点を生きる人間にとって我慢など出来る訳もなく、あらゆる感情が狂気で意識が蠢く引き金となる。

 正気を保てぬ―――発狂だった。

 理性を保とうとも、邪悪なる意志は確実に戦場に居た全員に届き、傷だらけの心に狂おしい渇きと呻きを与えていた。中でも特にジャンヌの精神は崩壊していない方が可笑しい位に傷塗れで、ジル・ド・レェの成れの果てが響かせた呼び声が聖女の魂から自責と狂気を引き出していた。

 

「やめて下さい!!」

 

「う、あ……?」

 

 マシュは我慢が出来なかった。この特異点のどんな悲劇よりも、目の前のジャンヌが壊れる姿が耐えられなかった。

 

「……マシュ?」

 

 自分を真正面から抱き締める少女を、聖女は静かに見詰めた。でも、彼女の体はそれ以上動かなかった。

 

「やめて下さい。そんなの……やめて、ジャンヌさん」

 

 霊媒医術を念入りに学んだマシュは、神秘面だけでなく、医学の知識を持つ。VR技術から派生した学習装置は所長と技術者たちによる悪夢的発展を遂げ、カルデアの脳開発希望者に人生数百年分、あるいは数千年分の知識を与える。感覚や経験の差はあれど、ある程度は誰でも専門技術者としての学を修めている。加えて、魔術行使による鍛練も行える電子世界だ。

 そんなカルデアの申し子であるならば、精神分析や精神医学にも精通するのは不可思議なことではない。マシュはジャンヌの心理状態を見抜くと共に、邪神の星明かりによる神秘的錯乱状態であることも理解していた。

 

「大丈夫ですから。私たちが、傍にいますから、深呼吸をしてください」

 

 そう態とマシュは微笑み、ジャンヌから流れた焦げた涙と色彩のない涙を指先で拭い、まるで幼子をあやすように抱き止める。

 

「………はぁ、すー……はぁ……」

 

 気の狂いとは、理性の消失ではない。肥大化した獣性と魂を色彩する人間性の衝突により、意識の皮となる理性が弾け、喜怒哀楽の感情が混ざり合う剥きだしの意志なのだろう。

 取り繕う事の出来ない裸の精神。マシュの言葉と肌の暖かさは単純に、守る為の衣を安心感としてジャンヌに纏わせていた。

 

「……すみません、マシュ。もう大丈夫ですから」

 

「はい。少しは助けになれて良かったです」

 

 所長は一気に進撃しようかと計画していたが、無理強いは禁物だと判断。自分がそう言えば藤丸とマシュは疑わずに従い、サーヴァントも賛同するが、ジャンヌは戦闘中に恐らくは精神面からの迷いと疲れにより死ぬだろう。そしてアッシュと言う女の人格を所長は考察するに、ジャンヌを狙い射つ悪辣さな作戦を取るに決まっている。それもあの魔女の手で、聖女の魂を殺させるだろう。

 そんな凄惨な悲劇を、マシュと藤丸が見る可能性。それは非常に危険だった。ジャンヌの危機は、彼女を最終的には死なせなければならないカルデアの、強いては二人にとって致命の一撃となる。最後は特異点修復を目指すカルデアの手で歴史を戻す為、殺さねばならないのだとしても、死を受け入れる猶予が必須。

 

「ちょっとフォウ、こっちに来なさい」

 

「フォ~ウ?」

 

「いいから、ね?」

 

「フォウフォウ」

 

 怪訝そうに鳴き声を上げ、実際に「お前は一体なにを言ってるんだ?」と意訳的脳内翻訳した所長はフォウの意志を聞いたが、更に強引に手招いた。だが幾ら見た目が美女とは言え、所長に近付くなど余りに短慮にして浅慮。

 憐れフォウは首元はあっさり掴まれ、宙ブラリとなり―――ジャンヌに、押し付けられた。

 

「ほがぁ!」

 

「ボォフォウ!?」

 

「ちょっと、ジャンヌ。暫らくの間、そいつを抱っこしてなさい。後、ついでにこれもグイっと一口」

 

 視界が真っ白になったジャンヌはフォウの腹が顔面に当たったのだと分かると、手に何かを握らされた事に気が付く。マシュもまた突然の事態に目を白黒させ、二人と一匹を離れて見守っていた。

 

「ちょ……ちょっと、オルガマリー?」

 

「人によるけど、小動物って気が落ち着くのよ?」

 

「はぁ……?」

 

「アフォウ?」

 

「疑問に思わない。私を信じなさい。フォウも今は役得だと思っていれば良いわ」

 

 そう言う所長もまたアニマルセラピーは肯定的だった。夢見る上位者の白い血液と似た色合いの小さな使者(メッセンジャー)を水盆で着飾り、何をする事もなく見る時間は嫌いではない。

 とは言え、ジャンヌからすれば余りに場面が急展開過ぎる。目の前で自分達を護る為に死んだジークフリートを悼む暇もなく発狂し、他の味方の死を理解して絶望し、しかしそんな心の悲鳴を奪うような善意と気遣い……いや、悲鳴を十分に上げた後での心遣いであった。

 

「それで……その、これは?」

 

 腕に抱えるフォウを無意識の内にモフモフして手触りを得ていたが、渡された小瓶の正体を問う。類稀なる啓示により、これは絶対に飲んではならないと脳内で警鐘が鳴り響いてはいるも、何故か逆に危ないが今ならば飲むべき薬品でもあると言う妙な確信があった。

 つまるところ、何が何だか分からない液体。

 色々と疲れが一気に来たジャンヌは、精神が病んだ胡乱気な瞳で所長を見詰めていた。

 

「鎮静剤よ。ビルゲンワースって所が作ったんだけど、私がそれを盗作して、更に改良した薬物ね。薬効は名前のままです」

 

「本当ですか……本当に、鎮静剤?」

 

「本当です」

 

「えぇ……と、本当に?」

 

〝あ……啓示スキルがあるんだっけ。もう、私とした事がうっかりね”

 

「オルガマリー?」

 

「大丈夫です。本当に、本当。大丈夫だから……ね、ロマニ?」

 

『はぁ―――エ”、ボクに振るんですか!?

 いやまぁ……鎮静剤としてなら、確かな効果をそれ持ってますし、副作用もないっちゃないんですけど。個人的に、今のジャンヌ君にお勧め出来ないと言うか。でも嗚呼言う手合いの狂気に対してだと、かなりの中和性を持つ鎮静剤なのも事実なので、お勧めはしないけど……だけど、効果と安全性は医者として保証するよ』

 

 鎮静剤の材料を密かに知っているロマニは口を噤んだ。しかし、それは所長が求めた解答ではない。

 

「ロマニ。アニムスフィア家専属医師が、滅多なことを言うべきじゃないと思うんだけど?」

 

『―――分かってます。それにはボクも知恵を貸し与えたからね。ジャンヌ・ダルク、今の君にとって良薬になることだろう』

 

 人間を狂わせる何かは人の脳と心に神秘的に影響を与え、物理的且つ生物的にも変化を及ぼす。嘗てヤーナムにてビルゲンワースが発明した狂気対策の薬物は、医療教会における血の医療へと繋がる萌芽となった。

 狂気を促し、発狂へと至る内なる瞳―――啓蒙(インサイト)

 学舎の神秘学者の脳に流れた上位者の叡智であり、人の頭蓋を啓き蒔いた夢なる意志。それによって気が狂うのであれば、脳と血を啓蒙から中和させる何かを摂取させれば良い。

 発狂を沈め、だが理性を狂わせる血―――獣性(ビーストフード)

 濃厚な人血とは人間本来の姿。高次元存在の生命と知識と対をなし、それは脳が停止した獣の在り方である。肉体は血液に流れた意志に支配されて、獣血より虫が湧くのだろう。

 

〝まぁ、私の人血を原材料にしてるからね。ロマニが渋るのも無理はないわ”

 

 ビルゲンワースのウィレーム学長が、医療教会の在り方に嘆くのは至極道理。より高い階位に昇る為の叡智とは思考の瞳であり、探求の形に拘る余りにそれを鎮める人血の獣性に思索を導かせ、結局は何も変わらない思考の儘に神秘を得た筈の人間は獣へと堕落した。

 だがオルガマリーは、この特異点で理解した。

 獣性に対なすものは啓蒙であり、そもそも啓蒙される対象は人の意志が抱く人間性だった。その獣性と人間性のぶつかり合いこそ脳内で瞳が萌芽する始まりたる原動力となり、しかし上位者共のように脳へと寄生する精霊を人が宿せない原因でもある。人は人間性がなくては卵によって啓蒙される意志を抱けないが、同時に対極の衝突によって上位者と同じく青白い寄生虫を宿す事も不可能なのだ。

 アン・ディールとカルデアで名乗ってたアッシュ・ワンの闇―――人間性。

 即ち、暗い意志(ダークエコー)とも言える何かは、神秘学者であるオルガマリーが叡智より卵となる瞳が啓蒙される対象の進化を超越した進化である、その究極的深化を遂げた一種の霊的物質だ。狩人が持つ啓蒙された瞳を抱く人間性とは別種の概念ではあるも、だが脳に宿る目玉は高次元暗黒と等しく、灰が持つ人間性とも通じていた。

 故に、オルガマリーは新たなる瞳の可能性を得た。

 啓蒙された人間性の血により、やがて瞳は神秘なる精霊の卵として寄生虫が生まれる。人間は人間性故に精霊は宿らぬが、上位者へと進化すれば脳に宿る卵瞳は精霊に孵化するも、狩人は人間で在るからこそ瞳は瞳の儘に、卵にはならない。されど夢の狩人は意思によって獣性を超越したが為に、濃密な人血は獣血と成り果て、尚も意志が決して薄まらず、血から涌き出る虫に肉体を乗っ取られる事もない。だからこそ狩人は、意志を獣に退化する可能性が有り得ない。精々がカレル文字で啓蒙か獣血により、青白い寄生虫か穢れた寄生虫の可能性を引き出す位で、それもまた狩りの道具が限界だ。

 医療教会の血の医療は獣血の理に反するも、根源は濃密なる人血だ。

 故に蛞蝓となった狩人は、混ざった血によって上位者(ヒト)を超えた赤子足り得る幼年期。

 上位者とはまた別種の叡智を、啓蒙に等しき人間性の眷属共を殺す事で、その血の意志を取り込み、彼女はまた脳髄が深化した。思索の視野が広がり、より高次元なる知識と(まみ)える瞳に深化した。

 

「だから、呑みなさい。さあさ……ぐぐい、とね?」

 

 よって―――全く以って問題無し。多角的にオルガマリーは鎮静剤の成り立ちと、それによって生まれた血の歩みを俯瞰し、人血の効能が邪神の狂気を鎮めると判断。

 ジャンヌの心的損傷は計り知れず、通常の意識ならば致命傷を幾度も受けたのにも等しいが、彼女は本当の本当にメンタル強度が凄まじく高い。問題となるのは蛸なる神の死が放った脳髄侵蝕性脳波長による思考の共鳴であり、発狂と言う形で啓蒙されてしまったジャンヌの脳を人血で中和するだけで良い。

 

「―――良し。分かりました、では……」

 

「フォア!?」

 

 マジかよ、と小さな獣は聖女の腕の中で悲鳴を上げた。ある意味で彼の元主人である夢魔以上の糞野郎ならぬ糞女郎の薬など、千害万害の果てに一利あれば良いなと思える程度の信頼性。

 彼が驚くのは当然であり、タワワで清らかな乙女が、自分のようなビーストが真っ青なナニカシラに吃驚変化する変貌シーンなど見ていられない。キャンセルボタンを連打するように自分を持ち抱く腕を叩くも、時既に遅し。薬物は口元に運ばれる。

 

「―――うっ……」

 

 だがしかし、薬瓶が唇に触れる寸前で止まっていた。聖女の啓示が、やめろやめろ絶対にやめろと悲鳴を上げたのだ。天の声からのこれ以上ないフォローだった。彼女は狂気を抑えるメリット以上のデメリットを、飲み込む直前になって感知し、瓶を持つ手が禁断症状で痙攣する薬物中毒者のように小刻みな震えを起こしていた。

 

「ジャンヌ殿」

 

「……狼?」

 

 そんな決心がつかないジャンヌに、彼は優しく微笑んだ。まるでたんまりと詰まった大きな銭袋を拾った時のように、今の忍びは眉間の皺を弱め、少しだけ気の抜けた気配していた。

 

「さあさ、ぐぐいと召し上がるが良い。体に良き薬は、口に苦きものだ」

 

「―――……貴方が、そう言うのでしたら」

 

「あ。ちょっと、待っ――!」

 

 微笑む忍びを見て、これは駄目なパターンだとマシュは分かった。何だかんだで忍びは結果的に良い成果を出すが、その過程で起きる悲劇に余り頓着しない。思わず無条件で信用していまう男であるも、第三者視点で自分が二回とも騙された景色を見れば、胡散臭さをある程度は見通せる。

 そんな素晴らしい経験則でジャンヌに起こる未来を悟り、だが全てが遅かった。鎮静剤と呼ばれた劇物は、彼女の喉元をとっくに過ぎ去って行った。

 

「………オゥ、まじぇっすてぃっくぅー」

 

「フォアー!!!!!」

 

 ジャンヌは余りにも余りなアレ具合に力み、瓶を一瞬で握り潰し、胸部と腕の間で抱えられていたフォウもまた潰れる。抵抗も出来ず、神秘なる谷間へと憐れにも彼は吸い込まれてしまった。所長の視点から見れば、まるで暗く輝く悪夢を手に宿すアメンドーズに掴まれ、悪夢送りにされる狩人のような光景であった。

 

「フォウさぁんーー!?」

 

「完璧なメンタルケアね。自分の手腕がおぞましいわ」

 

「この人……そんな、嘘を吐いていません。混じりッ気なしの本音で、自画自賛しています!!」

 

「所長、貴女って人は……アナタって人は!?」

 

『だから嫌だったんだ。ボクも所長から借りた魔導書を読んで頭可笑しくなった時に貰ったけど……それ、狂気に良く効くだけの劇物なんだもの。好奇心は神様も狂わせる。

 カルデアの超魔導的悪夢な図書室使うのに、所長とアン・ディール以外に必須だから余り副作用無しで使えるようにしたけど、それでもこれだもんなぁ』

 

「……狼。無愛想な貌に似合わず、中々にエグい手を使う」

 

「荒療治もまた……治るならば、確かな医学であろう。エミヤ殿は、そう思わぬか?」

 

「あれ、が……?」

 

 マシュが両目を爛々とさせるジャンヌからフォウを助けようとし、所長が薄らと笑みを浮かべ、藤丸がジャンヌを正気に戻そうと肩を揺らし、気が狂ってる筈の清姫が更なる狂気で正気が戻り、通信越しでドクター・ロマンが懺悔を行い、そんな彼らをエミヤと忍びが少し離れた場所から見ている。

 正に、地獄。

 だが、正気。

 

「私からは、何も言うまい。狂気で心折れる寸前だった彼女へ、どう言葉を掛けるべきか。それが分からない私では、結果に対して意見を言う資格はないのでな」

 

「忍びである俺も、それは分からぬ。ただ……主殿は、このような雰囲気を好まぬ」

 

「だからオルガマリー所長の悪乗りに、似合わずとも乗っかるのか?」

 

「似合わずとも、任は絶対。それが誰かの助けとなるのであれば……多少の苦も、悪くなき味わいだ」

 

「そうか。いや、過程に眼を瞑り、結果良ければ……か。私もそれは否定しないさ」

 

 仲間の死を悼む間もなく狂った聖女に正気を取り戻させ、更に活力を与える為とは言え、そんな大義名分であそこまでして良いものなのか、エミヤには全く分からなかった。

 

「ウアアアアアアァァアアァアアアアア――!!」

 

「所長、所長! ジャンヌさんが、技術部門のミコラーシュ女史みたいな声を!?」

 

 本来ならばチェコ女性の家名なのでミコラーショヴァーが正しいが、何故かカルデア所属の魔術師から男性系名字のミコラーシュの名で良く呼ばれる技術者がいた。

 どうも遠い先祖がチェコ由来の魔術師の一族らしく、そこの継承者は男女関係なく初代の名を継ぐのだとか。結果的に、家長は魔術契約の基にミコラーシュと言う銘を背負う。とは言え、本人に名の拘りはないので、どちらでも良いらしい。

 

「確かに、なんかミコラーショヴァーっぽい。ジャンヌが変態技術者の一員になるのは、少し嫌ね。ある意味カルデアらしいけど」

 

「あの変態共はなぁ……ちょっと人格に問題あるけど、それ以上に狂人揃いで。先っぽだけだからとか意味不明な事を言いながら、俺を改造人間カルデアンにしようと脳手術を密かに企んでたりするし」

 

「え。あいつら、藤丸にそんな事を?」

 

「あー……と、はい。まぁ、そうですね、所長。この間も、新しいプログラムが出来たとVR訓練装置で覚えましたけど、ついでとばかりに」

 

「カルデアのマスターに直ぐちょっかい出すのよねぇ……はぁ、前も苦情は結構来てたけど。

 あれ……でも、そう考えると、生き残ったマスターは藤丸だけだから、今度からは藤丸一人だけで彼らを相手しないといけないのかしら?」

 

「勘弁して下さいよ、マジで」

 

「そんな事より、早くジャンヌさんを……――ジャンヌさんをぉぉお!!?」

 

 ―――五分後。

 

「何か、言うことは?」

 

「すまぬ」

 

「ごめんなさい。けれど、けれどね……全て、悪い夢だったのよ」

 

「シャラップ!!

 確かに……えぇ、えぇ確かに、気が狂った私が悪かったです。あの精神状態のまま、オルレアンの要塞に攻め込めば、メンタル面の隙を突かれて私は死んでいたでしょう。死ぬ可能性が非常に高かったのも認めます」

 

「じゃあ、ノーカウント。ノーカウントで。ほら、もし悪い事を考えていたとしても、それは私の心の中でのこと。

 大切なのは……そうね、貴女が正気を取り戻し、自意識を自覚したと言う結果一つ」

 

「…………」

 

「あれ、ジャンヌ。何でそんなに黙って……ハッ―――まさか、恨んでるの?」

 

 思わず所長は、資料漁りをした教室棟で出会った禿頭の蜘蛛男のような事を喋ってしまった。それだけジャンヌが怖気を誘う恐ろしさを纏っていたのだろう。

 

「別に。恨んでませんが」

 

「本当に……?」

 

「ええ、本当です」

 

「そう……そうね、良かったわ。ほらね隻狼、間違いじゃなかってしょう。私が言った通り、正しくこれこそ、私達のチームワークの御蔭ね!」

 

「良き哉。怖気は心に悪しき影を刺す故、人は容易く狂うしまう」

 

「とのことで、進撃を始めましょう。逃がした時点で敵は全回復してるでしょうし、到着する時間で戦闘に優劣は別段つかなそうだけど……まぁ、態々無駄に休む必要もないですし」

 

 主従揃って一仕事したみたいな雰囲気を出しながら、遠く離れたオルレアンの城塞を見た。背後には頼もしい仲間達がいて、戦力は十二分以上。

 勝てる戦いだ。

 ジャンヌの正気も戻り、士気も高まった。

 

「―――待て」

 

「フォーウフォフォフォフフォ!!!!!!!」

 

 そんな所長と忍びの肩を掴んでジャンヌは進軍を止め、そんな聖女の頭の上に乗ったフォウは今世紀最大のガチギレした獣の雄叫びを上げている。

 ……ミシリ、と骨肉が軋む音が聞こえた。

 所長は地味に掴まれた肩が痛く、忍びは眉間に寄せる皺が更に深まった。

 

「言うべき事、まだあるのではないですか?」

 

「フォアーフォウフォア”ー!!!」

 

「あー……っと。そのジャンヌさん、ご機嫌如何かしら?」

 

「―――最悪です」

 

「ジャンヌ殿、効き目の程は?」

 

「―――完璧です」

 

「……あ、それと。フォウ、巻き込んでごめんね」

 

「フォウ殿、謝りまする」

 

「まぁ……もう良いでしょう。フォウも、二人に悪気は……いや、普通に故意犯なのでしょうが、今は怒りを治めて下さい」

 

「フォウ……」

 

「大人ですね。許して上げて下さい。出来れば、貴方を絞めた私の謝罪も、受け入れてくれると嬉しいです」

 

「……フォウ。フォフォウ」

 

 頭に乗るフォウを優しく腕に抱え、その頭を撫でながら彼女は色々と謝った。フォウは「仕方が無いな、うん。仕方ない」と意訳出来そうな鳴き声を上げ、彼女の腕の中で目を瞑る。

 ジャンヌは委員長気質な所為か、謝罪はきっちりしっかりと自分も他人もしないと収まりがつかないが、区切りが付けば全てを清算して前を向く。ある意味、大雑把に前向きな部分が、聖女ジャンヌ・ダルクが決して歩みを止めない鋼の精神を持つ所以なのかもしれない。

 

〝此処まで、ありがとうございました。エリザベート、ゲオルギウス、アマデウス、デオン。

 私の友を眠らせて頂き………私がすべきことを為してくれて、すみませんでした。その勇志に感謝します、ジークフリート。

 そして、終わらせに行きます。マリー”

 

 各々が心の内で行った別れの挨拶。あるいは、死への祈り。

 穏やかな精神を取り戻せたジャンヌは、やっと自分の現実を見詰め直す。この特異点で出会い、そして別れてしまった皆に最期の決意を告げる。

 

〝祈る為でもなく、世界の為でもなく―――自分の魂の儘、私だった魔女を倒します”

 

 こんな地獄でも、カルデアに出会えた事が一番の幸運だったのだろう。どうしようもない悲劇が前にあるのだと言うに、復讐に狂う家族と戦わないといけないのに、ジャンヌ・ダルクはまだ笑顔を忘れずに戦う事が出来るのだから。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 全てを聞かねばならない。赤子の魔女は、恐らくはこの悪夢を作り出した元凶の一人である女から、自分の真実を一つ残さず理解しなくてはと、今までにない暗過ぎる憎悪を燃やしていた。

 オルレアンの城塞にて、無価値な玉座にそんな魔女は深く座る。隣にはカウンターとして召喚されたサーヴァントを奪い、自分の従僕にした男。真名を、佐々木小次郎。もう片方の隣には自らをアッシュ・ワンと名乗り、ソウルの業と言う異界常識の神秘を使う魔人がいた。

 

「アッシュ。私について、貴女が隠していた事を全て語りなさい」

 

「良いですよ。頃合いでもありますからねぇ……―――ふふ。でもやっと、悪夢が現実に追い付きましたか」

 

「……ッチ。悪党悪人だと思ってたけど、更に厚顔無恥でもあった訳ね」

 

「ええ。羞恥心など燃えてしまいました。人前で鱗無しの白竜のように全裸になろうとも、何ら構う事もないでしょう」

 

 賢者が全裸になって目隠しの帽子を被る醜態を、学問を極めた果てに何故見出したのか。ソウルの業を魂の限界を超えて探求する灰からすれば、手に取るように理解出来る。

 謂わば、狂気の伝染による物真似だ。同じ心理状態となり、同じ視点を得た故の発狂。

 鱗がないとはドラゴンにとって種族的な恥であり、同じ様な全裸とは社会性を尊ぶ人間にとっては恥の極み。更に白竜は目が見えない盲目で、恐らくは健常な竜からすれば憐れまれたのかもしれない。人間以上に高度な知性体である古竜は不死ではあったが、同族意識を持ち、個体で生命として完成しつつも、ある種のコミュニティーを形成していた為に、白竜は自分が鱗を持たない事を許せなかった。それ故に魔術を志す不死にとって、即ち全裸とは、業の始祖とも言える神なる竜と自分を同一させる神聖高まる“衣装”であった。

 

「白竜なんてそんな変態ドラゴンは知らないけど、そう言う手合いって事は知らなかったわね。その強さに至った強大な魂から勘違いしていたけど……貴女には矜持もなく、倫理もないのね」

 

「肯定致します。色々と此処まで摩耗することになりますと、命乞いも土下座も、私からすれば平凡な挨拶程度の感覚でして。

 望むのでしたら、土下座した後に切腹でもしましょうか。あるいは詫び自殺として、魔女狩りで焼かれる無実の罪人みたいに、全身を呪いの炎で薪みたいに燃えるのも良いかもしれませんね」

 

「下らないわね。そう言うのは、命を持つ人間じゃないと無価値よ」

 

「それもまた無論でしたねぇ……確かにです。貴方の言う通り、命のない人間ではパントマイムにもならない御遊戯でした」

 

「―――で、言え。早くしろ」

 

「ふふふ、すみません。話の脱線が趣味でして……では、語らせて頂きます。出来れば佐々木さんも、どうか御聞きになって下さい」

 

「奴ら来るまで暇故に、構わぬよ」

 

「そうですか。それではまず、父と母について」

 

 思い返せば、一か月に満たない時間。灰の人生らしき生涯を考えれば、瞬き程の間。時間の感覚もなく、昼夜も気に出来ず、ただただ淡々と目的を為す為だけに探求を続けていた事を思えば、赤ん坊でしかない魔女のジャンヌ・ダルクが人生を歩んだ復讐の時間は、彼女にとって余りにも儚く、無惨な命の色彩と言えた。

 黒一色。それも、火で炙られた焦げの魂。

 だから灰は、せめて正直で在ろうと思う。

 求められた願いを全て、人間性をばら撒いた張本人として叶える術を貸し与えよう。

 

「貴女の母親はジャンヌ・ダルクです。一側面として召喚された英霊と言う訳でも、サーヴァントのオリジナルとなった生前の人間と言う訳でもなく、正真正銘の一人娘です。孕まされた聖処女だった聖女の胎内から、小さな粒で、人間のカタチにもなっていない貴女を取り出したのは、この私でしたから。

 とは言え、そもそも死産でした。ジルさんは男共の種から育った貴女を、聖女の胎で人にするつもりはなかった訳です」

 

「……これね」

 

 それを聞いた赤子は、嘗て自分だった肉片が入る瓶を取り出した。

 

「成る程。ジルさんから人間になる前の、本当の貴女を渡されていましたか。それでは、もう一人の親……―――父親について」

 

「生きているの?」

 

「いいえ。貴女が殺しましたよ」

 

「あっそ……で、どいつよ」

 

「聖女を犯していた異端審問官の、侵略者の一匹です。ほら、因果応報として、彼らには魔女狩りで行っていた残虐非道な行いを、自分達自身の身で味わって頂きましたでしょう?」

 

「ああ、あいつら。囚人に拷問されて、強姦されていたあの憐れな連中……復讐に、私が纏めて焼き焦がした腐れ外道共ですか」

 

「はい。我々は王家を滅ぼして新たな君臨者となり、服役中のフランスの囚人に特赦として、聖女を尋問した奴らを集団でレイプすれば新国軍兵士として雇う契約をしました。ついでに、暇な時は拷問して過ごさせろとね。

 ふふふ……我ながら、暗く気持ちが沈んでいたジルに良い事が出来たと思います。

 貴女も見たと思いますが、良い景色でしたでしょう。全く男と言う連中は、突き刺す事ばかり快楽を覚える癖に、いざ自分が背後から串刺しにされるとなると、醜悪なダミ声で叫び出すのですから」

 

「あれ、アンタの趣味ってこと。地獄絵図過ぎて、思わず復讐心が凄く昂って、何とも言えない気分になりましたよ」

 

 気色の悪い光景だが、汚い程に愉しかった。女を痛め付ける事を喜ぶ連中を、強姦される婦女子のように男共を使って尊厳を奪い取るのは、この世のものともは思えない位に清々しかった。とてもとても例えようも無く、暗く澱んだ爽快感であったのだ。

 

「私の趣味ではないですが……まぁ、私の魂になった誰かは、そう言う人生を歩んでいた倒錯者もいましたからね。

 貴女の父親など、下らないその程度の悲劇でした」

 

「そう言うこと。あいつらの一人が……私が薪みたいに焼いた屑の誰かが、父親の一人だったと」

 

 苦しみ尽くした後、そんな憐れな塵を焼くのは―――只々、絶頂だった。愉快で、愉悦で、快楽に満ち、悦楽の極みだった。面白くて、楽しくて、魂から嗤いと哂いが混ざった笑顔が浮かんでしまう喜劇だった。

 この世で最も優れた娯楽は、復讐であるのだと魔女の魂が狂った始まり。

 顔も覚えていない男を父親とも知らず、焼い殺した赤子の泣き声である。

 しかし、ならば疑わないとならないのだろう。そもそも魔女の復讐とはジャンヌ・ダルクの悲劇であり、即ちそれは生前の自分が味わった記憶に対する慰めでもある。

 

「……でも、それを愉しめたのは、私が魔女として焼き殺された記録があったから。この身が赤子であり、あいつの娘だった水子だったなら……えぇ、そうね。あの審問官共に陵辱された記憶は、私が胎の中に居た時の記録だと言うのも分かります。

 でも―――他の、私の思い出はなんなのですか?」

 

 もはや殆んど偽物なのは理解していた。確かな真実は、この魂が本物である事と、復讐の根底にある陵辱と拷問の記憶だけ。

 

「私のソウルから写した記録を、貴女の魂に焼き焦がした記憶です。ジャンヌが陵辱された思い出は、母から子へと臍の緒を絆に流れ、我が業にて記録させたのですが、他の記録は捏造ですよ」

 

「貴女は、じゃあ……分かった上で、私の復讐をほくそ笑んでいたと?」

 

「それは違います。子供が母親の為に行う復讐であるならば、それは誰にとっても偽物と断じる事は不可能です。例え国を燃やす本人が自分を母親の人物だと勘違いしていようが、その魂で感じた憎悪は本物でありましょう。

 健常な精神を持つ人間ならば、家族の苦痛は許せない。

 勿論、苦痛を与えた邪悪な人も許せないと思う筈です。

 そもそもな話、復讐する理由はジャンヌ・ダルクの赤子である貴女自身の魂にも、焦げ付く程に熱を帯びたまま燃えているのですから」

 

「だったら……それだったら、私が焼かれたのは誰の思い出なの?」

 

「私の過去です。我がソウルより、あの苦痛を与えました。魔女として火刑に処された貴女の凄惨なる記憶……いや、私が幾度も体験した死の記録は、ある意味で本当の五感に通じる真実の記憶ではあるのですがね。

 身を焼かれるのは苦しいでしょうが、今の私には日常です。

 貴女にも見せた儀式であるあの火はこの器にあり、この瞬間も私の魂を焼いています。焦げて朽ちる肉体であるならば、死なばもう地獄は終わりますが……不死である故に、死んでも私は焼身の苦痛を常に味わっています」

 

「―――ッハ……つまり、あの痛みは、アンタにとって当たり前ってこと?」

 

「その通りです。疑問に思うのでしたら、霊的なラインでも繋げ、痛覚共有でもしてみますか?」

 

「お断りね。どうして、他人が好んで味わってる焼死の苦悶を味わうのよ。被虐趣味なんてありません」

 

「私もないですから。火の炉になるのは痛いですが、痛いだけです。我慢する必要もないので、一秒事に死んでいるような状態でも、実際は気持ちの問題なのですよ」

 

「アンタだけよ、そう言うの」

 

「そうですか。別段、人間なら誰でも出来る凡庸な日常でしかないと思いますが」

 

「自然体で煽る事が出る当たり、素っぽいのが苛立つわ。火刑にされた憎しみで国を焼いた私に対する皮肉としては、それはもう殺したくなるほど心に響きました」

 

「火刑の記録は私が焼け死んだ時に味わった五感を使い、貴女のソウルに焦げ付かせただけですけどね。

 それに……まぁ、魔女狩りで火刑にされた女の魂も私に溶けてます。焼け死んだ人間の苦しみに満ちた記録を持つソウルなんて、私の魂が腐る程に刻まれてますので」

 

 魂に焦げ付いた苦痛。痛みそのものは真実だが、過去自体は虚構。笑いながら灰は、赤子へ日常会話をするように自分の所業を喋るだけ。

 

「―――死ね。本当、お前は死ね」

 

「良いですよ。日常でしたから」

 

 何もかもが仕込まれ、全てが計画された復讐劇。憎悪だけは本物だが、怨恨は幻影に蝕まれ、復讐心が生まれた記憶も捏造された情報。

 何よりも憎悪とは、それまでの幸福な思い出から湧き出る想念。

 尊い決意、貴い信念、清い日常。それを誰かに徹底して否定された時、人間は幸福が反転し、復讐鬼に堕ちるもの。それは赤子の魔女も同じである。犯された憎悪が根底にあり、火刑にされた悲嘆が心を深め、否定されたこれまでの人生が狂気を生み出す。

 

「チッ……糞が。でしたら、ジャンヌ・ダルクが過ごした幸福な日常も、私からすれば偽物でしたか」

 

「記憶は本物です。それを否定された時に生まれた貴女の憎悪も、在り方の儘に型を組まれた魂にとって本当です。何故ならば、記録は改竄されてませんから。人間であるジャンヌの魂を私のソウルに写し、貴女の魂に違和感ないように私が絵画を描くように色彩を入れたと言う話です。

 ……まぁ、気休めでありますけど。

 ジャンヌ・ダルクにとっての真実に過ぎず、貴女にとっては他者の魂の思い出でしかない訳でありますから」

 

 血で魂を描く画家の業。あの世界における全ての業を魂に修めた亡者の王は、文字通り世界を血で彩る絵描きでもあった。そんなソウルの業も学んでいる原罪の探求者からすれば、赤子のソウルに暗い魂の血で以って記録を焼き描くのも容易いのだろう。

 

「ふぅー……なるほど。良く分かりました」

 

「そうですか」

 

「結局、私は何も変わらない―――憎悪の虜と言うことです。

 これまで通り、これからも焼いて、燃やして、命を焦がす魔女でしかない。そう在れと望まれた赤子で在ろうとも、私は実感した私の在るが儘に存在するだけ」

 

「ええ。その通りでしょう。魂の尊厳も、人生の在り方も、所詮は人間らしく生きる為の娯楽です。人間性が、魂に見せる甘い幻の霧でしかない訳です。故に魂でさえも実の所、人間にとって肉体と変わらない紛い物の自己に過ぎないのです。

 大切なのは、命と体と魂の三つを土台にし、何も無い空より生み出た自意識。

 生きて、死んで、魂を焼き尽くし、あらゆる可能性を過ぎ去って初めて―――人は、人を得る。人間性を克服した先の果てに、人は人と言う魂の要らぬ器に辿り着くのでしょう」

 

 ソウルの業でさえ、灰にとって可能性の一つでしかない。魂は命と等価値であり、灰にとって自分の魂も道具である。ならば、魂を形作る記録と記憶もまた消耗品。

 器とは魂が空に焼かれて、それでも尚―――消えなかった残り滓。

 魂に縛られる限り、人間は魂の奴隷だった。そう言う法則を作り上げた何者かに支配され、因果の筋書きにしか行動出来ない。最初の火より生まれた三神の神性も、薪なる闇から生まれた人間性も、そう在れかしと定められた因果の仕掛け。

 自分の魂を本質と思う事こそ、堕落した人間性の正体だった。

 魂とは解き放つモノではない。命と体と魂の三位から生じた自分を確立し、自分と他者の自由自在に魂を描く事こそ、魂と言う楔から脱却する僅かな術。

 ソウルを超える為に、ソウルの業を灰の人は極め果てねばならないのだ。

 

「だから、私はジルさんに協力しました。仕組まれた偽りの運命を克服する暗い魂の血の赤子を、人造的に再現するソウルの魂魄実験。

 私にとってその利益こそ、貴女と言う存在の正体です」

 

 そもそも人生が刻まれた自分の魂までも無価値と断じるのならば、人の魂で描かれた世界に価値など感じる訳もない。

 遂に魔女は、この灰を欠片も理解出来ない事を悟れたのだ。

 肯定も否定もなく、希望を持って進む事も、諦めて切り捨てる事も、灰からすれば人になれない人の戯言。可能性とは自分の魂を拒絶してまで、徹底して抱けた自分を諦めない事。死んだ程度で心が折れるのなら、こんな世界に最初から生まれなければ良かった。

 

「………」

 

 ジャンヌはそれを分かってしまった。赤子なのに、その身に流れる暗い血が、幼い人間性を許さなかった。本当ならばこの女は斬りたい、突きたい、焼きたいと殺戮を希うべき相手なのに、自分が被造物の赤ん坊で、アッシュが魂を描いた創造主であると分かり、本当の意味での絶望を知った。

 ……心が、折れそうだった。

 なのに魂が憎悪を忘れず、刻まれた記憶が復讐心を焼き続ける。もう魔女は、その魂が止まらなかった。

 全てが真実を材料に作られた偽物で、幸福な思い出は良く似た複製で、なのに魂は本物で、憎悪だけが赤子の魔女から生まれた本当の感情だった。

 

「貴女は……―――魂まで、要らないと言うの?」

 

 だが、それは真実。灰は灰になる前の、自分のソウルの名残はあれど、もはや答えを得る為に原罪を求めた不死ではない。それが枯れた果ての“人間”に過ぎず、甦った彼女は文字通りに灰の人でしかなかった。

 だから、使命さえも要らなかった。

 他の灰と同じく与えられたのに、使命を果たしても意味はなかった。

 世界が醜いからと焼く事を肯定し、それは自分のソウルで理解した日常でしかなかった。人間ならば、人を得る為に邪魔な魂を超越し、初めて人は人間性を受け入れる。

 

「聖女の赤子よ、貴公はまだ死んでいないと言うことだ。貴殿からすれば死後の復讐かもしれんが、これこそ最初の人生だった。貴様は死を受け入れておらず、されど人生を理解しておらんのじゃよ。其方は水浴びも親からされなかった赤子でね、憐れな火の落とし仔だったの。

 だから―――死ぬが良い。

 人間は死ぬ生き物である故に、です」

 

 煮え滾った黒い穴のような、余りにも暗い太陽が、灰の瞳となって魔女を見詰めていた。

 


















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啓蒙35:赤子らの魔女

 メルゴーのチェイテピラミッド姫路高楼とか書いてみたい。悪夢の主もニッコリ笑い声を上げてくれるでしょう。
 後、最近は対馬に襲って来たモンゴル・中国・朝鮮の連合帝国軍を撃退していました。


「そろそろ所長たち……いえ、カルデアの皆さんが来ますね」

 

 玉座の間から、戦場の方を見ながら灰は呟いた。

 

「竜血騎士団は囮に使い、飛竜も消費し、英霊は殺され、邪竜は墜ち、戦神は討たれました。そして、邪神と成り果てた我らの元帥は、星に還りました。

 いやはや、使い潰しましたねぇ……フフ。ジルさんが殉死するのは想定外ではありますが、まぁ勝てば良いだけです。負けても死ぬのみで、失う魂なんて最初からない我らは敵にとって、全く以てインチキ極まりましょう」

 

「構うものですか。元から、騎士も飛竜もフランス人から量産した成れの果て。英霊は、そもそも死人。使い切るべき消耗生物だもの。

 ジル達は……そうね、私も彼は無念に思いましょう」

 

「ふふ、そうですね。でも、彼方も彼方でまだまだ休憩中ですし……私たちは、それまでどう致しましょうかね?

 今が今生最後になるでしょうし、扉が開くまでお喋りしますか?」

 

 既に籠城戦となり、だが戦える人員は少ない。今からサーヴァントやそのシャドウを召喚しようとも、灰が人間性を与え、それに適応させる時間がなければ、所長の瞳が容易く敵対するサーヴァント共の意志を発狂させることだろう。

 レフを狂わせた瞳を見た灰は、人間性を備えさせなければ、オルガマリーに戦力を蹂躙されるだけなのは理解していた。人間性なき人間など、容易く狂わされて死ぬだけだ。故に人間性を特異点にばら蒔くと言う発想が、そもそも上位者になった狩人から啓蒙された対抗手段である。

 その副作用として、人間性由来の現象を検証出来た為に、灰にとっても善き困難でもあった。そして、狩人も殺した相手の意志を奪い、その人間性を血として得ているのだろう。

 

「良いわよ。好きなことを話してれば良いじゃない。聞くべき事は聞きましたから」

 

「では、そうですね。貴女が何故、そもそも竜の魔女であるのか……それを、告げておきますか」

 

 最後の無駄話。それを聞く魔女は会話を拒否しても良いが、ただ待つのもそれはそれで面倒臭いと考えた。

 

「聖人から反転した魔女だからじゃないの?

 ……あれ、でも違うのよね。私は聖人の血を持つだけの赤子だったわ」

 

「そうですよ。まぁサーヴァントの霊基的には、私のソウルの業と降霊魔術で、聖女が反転した魔女っぽい本物の"人"造人間として体裁は整えています。何せ、今の貴女は受肉していますしね……あぁ、また脱線しましたね。では、話を戻しましょう。

 貴女が支配していた竜は二種類です。

 暗い邪竜のファブニールと、そのファブニールの黒鱗を材料にした擬似子宮炉より生み出したワイバーンです」

 

「知ってるわ。そして適当な人間共や、サーヴァントの霊体も材料の肉にした自動誕生機関でしょう。あんなのを考え付くなんて、本当にアンタは魂が腐ってるわ」

 

「魔術と神秘は勉強しましたので。英霊はあちら側とそもそも繋がっていますから、彼らの革の内側が一種の異界として成立しました。何よりも、ドラゴンの生態系は全て理解済みですよ。竜のゴーレム作りも面白いものです。

 ……あぁーと、また脱線しました。いけませんね、無駄話は愉しくて。

 それでファブニールが貴女の言う事を聞いていたのは、意志疎通がそのまま出来ていたからです。高次元の思考形態と、サーヴァント以上の魂がありますので、言う事を聞かせられれば、言った通りに動いてくれると言うことです」

 

「成る程。あんな危険なドラゴンが、私がそう望まれた魔女だからって指示を聞いていたのは不思議でしたが、そんな絡繰になっていた訳ね」

 

「頑張りました。ジルさんと四苦八苦しつつ、仕掛けを練り込みましたからねぇ……いやはや、どうもです。雰囲気だけ若い学徒の気分に戻れました。

 では、そもそもワイバーンとは何か?

 私は火の炉として熱を捧げる為に人の魂を燃料に、人間性を薪にしましたが、この特異点ではその人間性の濃度を薄める無垢なソウルがそれなりにいました。炉に焚べても良かったですが、どちらでも良いのなら、もう少しだけ有効活用出来る使い道がありそうとは思いませんか?」

 

「…………子供」

 

 既に必要分の量産を超え、更に作らせ、竜の生まれる炉は廃炉となった。最後は呆気なく、炉の燃料である人間性の毒と、薪を燃やす火の増幅により、腐った末に燃え尽きた。

 そんな胎もどきから誕生した生命は、やはり歪んだ被造物。純粋な竜種ではなく、ソウルの業より創造された人造生命種――ゴーレムである。そして、生命体としては本物よりも自然に近い完成された幻想種でもあった。

 

「その通り。ワイバーンは私の炉の薪にならない人間……即ち、ソウルも少ない薄味な人間性の持ち主です。焼いたところで薪の旨みもなく、むしろ可燃性が低下する恐れのある者。淀みもなく、暗くもないソウルの群れ。

 つまり――赤子を含めた幼子たち。

 彼らは、そもそも竜の魔女をオリジナルとしたデッドコピーな訳でありました。

 英霊の皆さんも、カルデアの皆さんも、ワイバーンの正体も知らずに、まこと酷い所業でした。竜殺し等と全く、愚かにも程がある名誉の極みでしょう。己の手を何者かの血で汚しているのかも解せずに、道理を知らぬ白痴で在る故の達成感。

 人を救う為に、人喰いに落された無垢なる子を鏖殺するとはねぇ……ふふふ。魂の悲鳴が聞こえないと言うのは、人理を護る為に死んで逝ったサーヴァントにとって幸運なる無知としか言い表せません」

 

 ワイバーンは、竜の魔女を手本にされた量産品。無垢な魂を炉に入れ、火と闇に掻き混ぜ、竜の魂として生まれたソウルの孵化した存在。灰の炉の燃料にも為らない透明なソウルだからこそ、転生の素材としては最適である。

 

「嘗て犠牲者だった加害者である騎士団。無垢故に破棄された赤子の飛竜。使い捨ての従僕である英霊。聖女を救った為に正気で復讐を誓った狂人。弔いの戦火を炉の燃料に変えた愚者。そして、人理に生存を否定された女から生まれた火の落とし仔。

 これより死ぬ貴女が知るべき事柄は、この程度でしょう。謎解きも終わりです。

 どうか、疑念なく母との決着を迎えて下さいませ。その最期に、暗い導がありますように」

 

「―――ヒ、ふふ……くくく。ひゃははははは……フフフフ。

 あっはっははははははははははははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 魔女は、大笑いを上げた。加減なく魔力を練り上げ、それが赤ん坊の泣き声のように特異点を震わせた。歴史の染みであるこの異空間を作り上げた聖杯は彼女の内側にあり、無尽蔵に湧き上がる憎悪の正体を赤子の魔女は全て悟れてしまったのだ。

 丁度、城に入り込んだカルデアにも聞こえただろう……子供が、泣き叫ぶ唄だった。

 

「竜の魔女……―――竜の魔女、竜の魔女!

 それはその通りでした。それしか有り得ませんでした。なんて分かり易い道理ですか!!

 聖女から流産した憎悪の赤子が、竜を操る力を与えられ、自分と同じ存在である飛竜の赤子に人喰いを行わせていただけなんですもの!!?」

 

 聖女の子、復讐者、暗い血の赤子。しかし、その前にジャンヌ・ダルクは竜の魔女である。そう在れかしと祈られ、赤子から生み出された人間に過ぎなかった。

 そして、ワイバーンの鳴き声は、親と死に別れた子供の泣き声だ。魔女と同じ魂を持たされた哀れな竜血の落とし子だった。

 

「ひっひっひ、ひ、ひ、ひ、ヒィ……あはははは」

 

 難しい謎など、この特異点には存在しない。考えるまでも無く、答えから悲劇が始まっていた。脳髄を憎悪で掻き混ぜ、臓腑が神秘に煮え立ち、視界が暗い火で染まって逝く。自分が生まれた瞬間に人生が終わりを迎えていた事実を知り、笑う度に魂を嘲った。

 竜の魔女と呼ばれただけの赤ん坊は―――真実、竜の魔女となったのだろう。

 

「来たぞ、竜の魔女。似合わぬ高笑いは、そこまでにしておくが良い」

 

「ははははは……はぁ、そうね。ごめんなさい、佐々木小次郎。竜の魔女なんだもの。敵が誰だろうと、ちゃんと殺さなきゃね」

 

「………」

 

 刀を抜いた最後の従僕と、自分を理解した魔女の赤子。灰はそんな二人を何時も通り顔だけで笑い、何も無い心が殺戮技巧の儘に思考を展開し始める。

 玉座の間の扉が開いたのは、丁度その瞬間だった。

 魔女と、侍と、灰の三人はこの特異点を護る最後の砦として、焼かれた世界の為に否定された世界を破壊するカルデアを迎え討たねばならない。

 

「竜の魔女……もう一人の、ジャンヌ・ダルク。私はこの手で、貴女の命を奪いに来ました」

 

 揺ぎない瞳を持つジャンヌが、開いた扉からジャンヌを見ていた。

 

「酷い言い草ね、聖女様。

 でも、だからこそ、私はこう言いましょう……―――おかえりなさい。ずっとずっとジルと私は、貴女がこの城に来るのを待っていました」

 

「――――――ッ……」

 

 万感の想いが込められた魔女の真実。復讐者は、どう足掻いても人の温もりそのものを否定できない。目的を忘れて安寧に浸る自分の日常を拒否出来ても、幸福を与えてくれる想いの対象を存在しないことには出来ない。魔女は故郷を焼く為の我が家に、やっと救われた女を迎え入れる事が出来たのだ。

 

「……貴女は、死なねばならない。

 私と言う、歴史から逸脱した生者から生まれた死人として」

 

 だからこそ、それは万感の想いであるのだろう。

 

「そうね」

 

 確かに、ジャンヌは救われたのに。

 

「死なないといけない。私が生きていると世界は焼かれたままで、貴女が生まれた事を否定されないと……火は消えず、人が住まう星が燃えたまま……」

 

 そして、此処はジャンヌ達にとって暖かい家だった。

 

「……―――人々の為に、私は貴女を殺します」

 

「だから……アンタがそんな様だから、彼は血と復讐に狂ったのでしょう。処刑される貴女を牢獄から救ったと言うのに、ね?」

 

「それでも、私は……ッ―――!?」

 

 言葉を遮るように、魔女は米粒程の肉片が入った瓶を取り出した。胡乱気な瞳は闇に染まり、焼かれる狂気も疲れ果てた。

 

「―――これが、私の正体なんですって……母さん?」

 

 ゆらゆら、と指先で掴んだ瓶を揺らした。中に入っている死骸が溶液の中で舞い、人になる前の水子がくるりくるりと回転する。そして水中で泳ぐように上がり、また沈む。

 

「………ぅ、ぁ」

 

 引き攣った声が漏れ出るのを、聖女は何とか喉に抑え込んだ。けれど、耐え切れない感情が貌に現れていた。どんな思いで自分と同じ貌をする目の前の少女が、自分を母さん等と呼んだのか理解出来ないジャンヌではない。

 

「もう、やめよう……竜の魔女。こんなの、もう沢山だ」

 

 藤丸の祈るような声を聞き、魔女は心が停止する。直後、顔面に亀裂が入り、頬が裂ける様な狂おしい笑顔となった。

 

「あはぁ……クヒヒヒ。ふふ、うふふふふふふふふ。本当に可笑しなことを言うのね、カルデアのマスターさん。

 やめようだなんて―――馬鹿らしい。

 アンタが私の立場だったら、生きる事を止まれるの?

 そう在れかしと望まれ、そう生きた人生を否定出来るの?

 世界が焼かれるから、聖女が母親だから、死ぬかもしれないから……それは、確かに大事です。だけど、私が自分の生き方を変える理由にはならない!!」

 

「復讐は否定しない。でも俺は、自分を否定する貴女を許さない!」

 

 彼からすれば、人を殺してでも叶えるべき願いなどなかった。だが今はもう、誰かを殺してでも世界を助けると言う目的と、この世界で生きたいと言う願望がある。

 ―――心の底から、藤丸立香は願うのだ。

 復讐者とは相反する献身者であり、けれども同じ人間である。

 そんな少年の横で盾を構えるマシュは、無垢ではあれど、高度な思考力で現状全てを把握していた。藤丸の心も、魔女の憎悪も概念として理解し、だが共感は出来なかった。

 

〝でも、魔女は……―――止まらない。先輩では、止められない”

 

 だからか、暗く燃える魔女の瞳を見た時、マシュはどうしようもない程の悪寒に襲われた。口を閉じさせる為に突撃しようとも思えず、最適な解答は翻って直ぐに戦場を逃げ出す事だと直感する。

 

「……ええ。えぇ、良いでしょう。無力のまま、死の恐怖に耐えて戦った貴方には、私を罵倒する権利がある。その言葉に価値が有るとも認めましょう。事実、貴方だけが世界を救う事が出来るのでしょう。

 でもね、私の人生に口を出す言葉は、私の魂を背負う無償の愛を持つ者だけに許された家族の心情。私が生まれる事を望んで育てたジルと、魂の造物主であるアッシュと……そこの、女だけよ。

 それ以外にいるのだとすれば、私が思う儘に激情を叩きつける復讐相手のみです」

 

 言うつもりはなかった。無意味な行いでしかない筈。秘匿は、隠してこそ意味がある。復讐すべき相手は侵略者と故郷の人間共であり、カルデアは唯単なる敵に過ぎず、抑止力に利用されたジャンヌ・ダルクは取り戻す相手。

 しかし、藤丸立香は踏み込んだ。敵ではなく、人として魔女に憤った。

 殺すだけの敵ではなく……竜の魔女に憎まれたとしても、自分の意志を告げる善き人間であった。その魂を暗い血の赤子として悟れてしまった魔女は、復讐者として憎悪を藤丸に表さなければならない。

 

「ですからね、本当の事を言いましょう。私は復讐の為に侵略者を故郷から根絶やしにし、その後にフランス人を殺し回りました。けれど、そこの女……アッシュからすれば、私の復讐はただの手段でした。なので、とても効率的な鏖殺の心得を私に教えて貰いました。

 アンタらが殺した騎士団は、ただの人間です。

 サーヴァントも、心を狂わされただけの英霊です。

 そして、人々を生きたまま喰い荒したワイバーンはね……私と同じ―――人の子供だったのよ」

 

 その口を閉じさせないといけない。エミヤも、忍びも、清姫も、そう思って本当は飛び出したいのに、灰の威圧が全てを封じさせていた。隙を晒せば、どんな死を迎えるか分からない。

 邪魔する者もなく、魔女は怨敵となったカルデアのマスターを追い詰める。

 

「―――は?」

 

「殺した子供を使いました。ワイバーンの魂として利用して、死んだらまた炉に戻る循環機構。使い道が他にあるのなら、そうするべきじゃない」

 

 思い返してはいけない。考えてはいけない。映像を浮かばしてはならない。藤丸はそう思うごとに、自分の目の前で死んだワイバーンの姿が思考回路の中で点滅する。

 

「殺されて、可哀想に。竜の鱗と革を引き剥がせば、そこにあるのは小さな人間の魂だったと言うのに。皆、私と同じで親と別れた幼子だったのに、貴方達はさも英雄然と飛竜を殺し、人々を救ったと言う達成感に酔っていました。

 ねぇ藤丸立香……どうか、色んな死に方をしたワイバーンを思い返して御覧なさい?

 竜血の落とし子ちゃん達が上げた雄叫びが、何を望んでいたのか分かるわよね。色の薄い幼い魂が竜血の本能に狂わされても、最期に上げた断末魔が獣の呻き声なんかじゃなくて、人の温もりが恋しいだけの―――親に会いたいだけの、純粋な願いの祈りだった」

 

「俺は……―――」

 

「貴方が命じて、英霊達に子供を殺させた。世界を救う為に、私と同じ犬畜生に堕落した。復讐心なんかなくともね、人は無知な獣である事に変わりない。

 知らない儘、子供の血肉に汚れておめでとう……おめでとう、おめでとう!!

 貴方は無自覚の儘、子供殺しの殺戮者に仕立てられました。同じ人殺しとして貴方にも、そしてカルデアにも罪が無い事だけは認めて上げる。だって、悪いのは子供の魂を利用した我々だもの。けれども血に染まるアンタらの意志は、人の獣性から逃げられない。

 これで―――私を憐れむだ何て愚考、二度を思うことも出来ないでしょう?」

 

 人間の生物的強さとは、底無しの悪意。それこそ進化の秘訣。魔女もまた人間らしく、人に仇なす悪性が挫けそうな心を奮わせる。

 

「―――竜の魔女。なんで、そこまでする?

 血の涙まで流して……人殺しが痛いなら、そう望まれたからって、良いじゃないか。自分の為に人を、そうまでして殺さないといけないのか!?」

 

 暗い血で彩られた魔女の魂が憎悪に燃え、熔けた闇が瞳から零れ落ちる。復讐者で在る彼女からしても、臨界点を大きく超えた感情が魂の中身を掻き混ぜ、何もかもが憎悪に熔けてしまう。

 どろり、と生温かい深淵で貌が穢れる。

 暗い穴である灰の炉から与えられた人間性(ヒューマニティ)とは、人間の全てが融けた正真正銘、人の魂の原型となる暗黒。無垢だった赤子の魂を“人間”にする黒い闇。それらは藤丸立香の言葉に対し、心身が石化するほどの刺激を受け、蕩け流れる黒泥となって溢れ出た。

 

"魔女よ、泣いているのですか。だが、それが人です。人である為の魔であり、総てが人の内から生まれたモノなのです。暗さを拒み、内側に呪詛にも怨念にもならぬ魔を持たない人間は、人としての可能性を狭めるだけ。

 聖女の母と言う救済と、魔女の子と言う罪悪。良くぞここまで、私が与えた人間性を育て上げました。魂の果てに自らの魂を棄て、それでも尚、自分と言う存在を至らせる強さ。その起点となるソウルの歪み。

 ――もう、充分ですねぇ……ふふ。

 死んで頂きましょう。魔女に対する救いとして、聖女の手で終わり、特異点より生まれた暗き人類の赤子として完結する時が来たのです"

 

 闇が人なのではない。人は、闇でもあるだけ。魂が闇から生まれたのだとしても、同一視するのは魂に囚われた全知全能を喜ぶ偶像であり、貪欲な人知無能にならねば未来はない。何もかもを知ろうとも、それでも未知なる業を求めねばならない。人は他の何かに変貌する可能性を持つも、やはりそれは人間だ。魂も何かしらの理から生まれた存在でしかなく、心身から生まれた思考を囚われないことが、原罪の探求者で在る為の基礎。

 故に火で焦げた赤子の魂であろうとも、人の為に魂から涙を流す生物が、人と呼べる人間性を抱くのだ。そこに強弱はなく、善悪もない。

 在るのは、当たり前なソウルの感情。

 あるいは、それが不死に転じる程の闇なのか?

 この世全てを憐れんだ獣の世界より、獣性を克服する赤子を作るためにも、灰はジルの救いを自分の手段に貶めた。

 

「私の意志が叫んでいるのよ……もっと――憎悪を、と」

 

 魂から生まれた憎悪は、灰の望む限界のない可能性に進化する。何物にも縛られぬ想いこそ、人をヒトにする原動力。

 しかし、魔女には明るい記憶がある。数日だけ過ごした普通の日常。それを自分の憎悪から守るならば、血を代価に意志を捧げ、己が魂を焼かねば殺戮を尽くした過去さえも否定してしまう。

 

「だからね、ちゃんと亡骸は燃やしましょう。

 愚かな聖女が私の憎悪を生んだ母なら……これはこの世には、もう要らない」

 

 復讐を求める憎悪以外の何かが、魂に空いた暗い穴から漏れ出てしまうのだ。それを消し去る事こそ、ジャンヌ・ダルクが復讐者として死ぬ為に残された唯一の手段。

 パキリ、と硝子が割れた。

 まるで心が折れる音のようだった。そんな声にならない悲鳴が、瓶を握る魔女の手元から聞こえた。

 

「私は―――今、生まれた。

 生きていてはいけない人間の子供で、人理に存在を否定された赤子であろうとも、魂の屠殺場となった特異点が私だけの揺り籠」

 

 自分だった小さな肉片が入る瓶を割り―――暗い炎が、赤子の亡骸を焼き尽くす。

 

「そして、これから―――死にましょう。

 私が貴方たちに勝ったとしても、この特異点も人理の道づれとし、死ぬべき人間共を一人も残さず焼き尽くす」

 

 聖女は何も望んではならない。許しも、救いも、赤ん坊に求めてはならない。

 

「私は、もう止めろと貴女に求めません。私が貴女にとって……そして、貴方が私にとって何者なのか知るのが遅過ぎた。

 何よりも、貴女たちは殺し過ぎた!

 故国の為に犯した殺戮の罪が消えない様に、貴女にとっても罪は―――……消えては、ならない。だから……だから私は……哀れみではなく、貴女の魂を祈る為に殺します」

 

 その言葉を吐き出す為に、心の中に在る何かをジャンヌは今、魔女の為に棄てた。同時に、聖女が捨てた想いをジャンヌは拾い上げる。恐らくは今生において最初で最後、聖女と魔女はジャンヌとして、互いを善悪なく思い遣ったのかもしれなかった。

 

「本当にその通りです、ジャンヌ・ダルク。知るべきではない事だったなんて、知った後になって初めて理解する。だからせめて、こんな短い人生を復讐に使い潰した赤ん坊がいたことを、その目に焼き付けて、親子で最期の殺し合いを致しましょう。

 どうか、一緒に死んで欲しい。

 共に死ぬ私だけを―――憎悪して」

 

 憎悪の黒い炎が燃え上がり、死の障気が溢れ、刃の鋭さが煌めいた。三匹の悪鬼に対するカルデアも、迫り来る化け物共へと疾走する。

 そんな中――清姫だけが、死場所を見出だしていた。

 会話などする必要もなく、敵となる相手の心情を理解した上で、彼女はこの特異点で芽生えた意志総てを初手の火焔に込めていた。

 

〝潮時、ですわね……”

 

 既に彼女も霊核が砕ける寸前で、霊基も焼失間際。火を放つ度に自らの炎が自分を焼き、内側から焦げて消えそうであった。灰に与えられた人間性の炉由来の火は、魂を燃やすのだろう。それでも構わず、あの灰が気に入らないからと、清姫は自分を含めた誰もを偽らず、全力で焼き殺していた。

 

「……―――」

 

 覚悟を決めた清姫の隣で、藤丸はマシュとエミヤに魔力を回すだけで限界だった。彼の目前で行われる殺し合いに手出し出来る状態ではなく、マシュの守りがなければ一瞬で細胞一つ残さず蒸発していることであり、それは清姫も同じこと。

 違うとすれば、命を賭して宝具が使えるか、否か。

 所長は灰に立ち向かい、ジャンヌはジャンヌと一騎討ちとなり、エミヤと忍びが二人掛かりで侍を討たんと戦闘が始まっている。

 

「――っ………」

 

「……―――!」

 

 真に、雑念も余念も挟めない殺戮空間。言葉を発するなどあり得なく、戦闘以外の思考がもはや赦されない。音よりも遥かに迅速な技が、言葉らしき概念にも似た作用を持ち、相手の業に宣告する。

 ――勝つ、と。

 極限の果てに研ぎ澄まされた闘いの意志のみが、この場を支配していた。

 

〝やはり、オルガマリー所長は殺り難いですねぇ……ふふふ。私が藤丸さん狙いで動くことで、注意を集めたかったのですが。

 だからこそ、闘い甲斐が生まれると言うもの"

 

 音速を常に超過した踏み込み(ステップ)で動く為、声に出して煽る暇はないが、戦略を思考回路で練り込むことは出来る。つまるところ、端から灰は全開。死の障気を纏い、墓王の力を振るうも、死の神の怒りを放とうとすれば、自分が死ぬだろう。銃撃を受け、即座に内臓解剖される未来を容易く察知出来た。

 大技は赦されない。

 サーヴァントで例えるならば、真名解放封じと言った所か。

 しかし、灰の相手には足手纏いがいる。藤丸に戦闘能力も、逃走能力ない。本来ならばマスターとして有益な戦力であろうが、必要だからと戦地に引っ張るべきではなかった―――と、無能ならば判断しよう。

 マシュやエミヤへの魔力供給や、いざと言う場合の令呪使用などの戦術性が藤丸がいる理由であろうが、所長だけは密かな理由があった。無力なマスターは弱点であり、敵のサーヴァントがマスター狙いなのも当然であり、なにも言わずとも自然と意識が集中される。囮役とするまでもなく、彼に意識が反らされる。マスターを狙うのは道理であると同時に、戦術的には狙いがあからさまで動きが読み易い安直な手でもある。

 もし、灰を所長が自分に集中させるには……佐々木小次郎を忍びとエミヤの協力で素早く殺し、ジャンヌがジャンヌとの一騎討ちに邪魔な横槍が入らないようにするには、これが一番なのだろう。

 

〝見え見えですねぇ……―――乗りますか?”

 

 相手の陰湿な敵意を瞳で見抜き、所長は自分の企みが看破されたと気付く。

 

〝秒で気付かれた。腹黒具合じゃ、アン・ディールには数段劣るけど……ま、別に良いわ。乗ってくれるなら、死ぬ前に狩るまでのこと。

 ―――殺してやる。

 薄汚い裏切りの不死に、どうか悪夢を。我ら狩人の裁きを”

 

 所長は、忍びとエミヤが侍を殺すまで耐えれば良い。ジャンヌの果たし合いに、灰を介入させなければ尚も良い。マシュもこの特異点で大幅に技巧と思考が成長し、サーヴァント並の戦闘技術が養われつつあるも、まだ灰と殺し合わせるには早く、援護の手助け程度に抑え、藤丸の守りになるべく徹するように指示。清姫の火炎攻撃の援護もあり、所長が有利にことを進めている。

 暗い手(ダークハンド)獣狩りの散弾銃(ショットガン)を防ぎ、墓王の剣とノコギリ鉈が互いを削り合う。幾度も死線が交じり合い、常人では残像も目に映らない世界の中、所長と灰は戦闘に没頭した。

 

「―――藤丸立香、マシュ・キリエライト。ここで、お別れを」

 

「え……?」

 

「清姫……さん?」

 

 時間がない。清姫は二人に別離の意を示し、崩壊する霊基を抑えるのを止めた。本当は喋る余裕はないが、清姫は構わず霊体を燃料に発火する。

 

「そして、旦那様。短い恋でしたが、私は私を裏切れません。想ってしまったなら……サーヴァントが、生きた人間を守りたいのなら、致し方ないのでしょう。

 ―――愛しています。心の底から!」

 

「―――っ……俺は」

 

 答えは聞かなかった。聞く必要もなかった。嘘を吐かないマスターを困らせる気はなく、清姫は自分に嘘を吐きたくなかっただけ。

 

「待って下さい、清姫さん!?」

 

 死んで欲しくないと願う仲間の言葉が、清姫にとって今この瞬間に死んでも良いと思える理由となった。そして、真にマシュは清姫が死に逝く姿を悲しく想い、彼女はそれを受け入れた上で自爆する決意を持ってしまった。

 灰は人間性に呪いと術式を込めたが、それもまた魂のカタチで変容する。それが―――人間。

 人間性が人間性(ヒューマニティ)である限り、呪われようとも変わらないことなど赦されない。狂気の熱に脳が茹だろうとも、愛は愛。

 誰かの為の自己犠牲もまた、人間性の本質を示す―――在り方だった。

 

「転身―――」

 

 そんな灰が齎した魂の業が、清姫の魂を炉に変えた。最後の最後で彼に愛を―――一目惚れをしていた事実に、やっと気が付けた彼女は魂の儘に燃え上がる。灰に対する憎悪と殺意も、彼女を動かす熱情によって焼却され、灰となって心象から吹かれて消えた。

 所長は、その暗くも燃え上がる火を感じた。

 灰さえ、愛情より焼かれる魂の輝きを見た。

 ジークフリートがそう在った様に、清姫も滅びる世界を護ろうとするカルデアの為、あるいはマスターである彼の為にならば、と霊核を躊躇わず自分の意志で砕くのだろう。

 

「―――火生三昧」

 

 黒い炎の竜は、吼える間もなく虚空を翔けた。

 

「……―――」

 

 だが、余りに温い。死そのものと呼べる灰にとって、人間性の暗い火など薬にもならない。しかし、人間を極めたと言える灰は、愛の力を見縊るような愚行をする女には程遠く、清姫の竜炎を侮ることもまた絶対に有り得ない。

 彼女は一瞬だけ清姫の宝具の調べる為に思考で注意し、それが致命的な隙となる。

 所長は視線だけで眼孔より隕石を悪夢の空より招来し、超速の飛礫が額へと衝突。

 

「―――――!」

 

 虫が蠢く夜空の瞳。それより出る隕石は、弾速の限界を超えた悪夢的発射速度。灰の耐久性と髑髏の仮面兜を考えれば、頭蓋の中身をミキサーに掛けられてスープになった程度に過ぎず、常人なら鼻と耳から脳液を吹いていたとしても、エスト瓶を使うまでも無い。リジェネ効果を持つ道具によって十秒もせず全回復しよう。

 だが蛞蝓が脳に寄生している女は、脳だけに精霊(ムシ)が憑かれている訳ではない。血に意志が溶けるように、肉体へと完全に神秘が蕩けている。蛞蝓の狩人が寄生するとは、上位者でも有り得なかった精霊と呼ばれた軟体生物との完璧な同一。

 謂わば、神秘なる寄生虫の闇鍋にも似た状態。あらゆる秘儀が常に発動寸前。

 サーヴァントの領域を容易く超えた“加速”は無を逆行する業となり、灰の視界からさえも姿が消失する速さを超えた迅さとなる。縮地とも形容出来ぬ狩人の業より、新たなが仕掛け武器が踏み込みと共に繰り出された。

 

()った―――!”

 

 怨念回る車輪の轢殺。ローゲリウスが唄う―――処刑の無慈悲。

 

〝無様。届きませんねぇ……”

 

 しかし、ダークハンドが容易く弾く。まるで合気柔術で絡め取られた様な、完璧無慈悲な受け流し。知覚外の攻撃程度ならば、経験則より編まれた技巧によって相手の行動原理から思考回路ごと見切ってしまえば良い。根本的に灰は、動きの読み合いで勝負をしてはならない武芸者である。

 そのまま墓王の剣で串刺し、腸から死神の怒りを爆散させる。そうすれば、勝ちは確定。そして、所長の死体を清姫の宝具の盾にも応用可能。

 

〝―――エーテル砲、ですか?”

 

 それを、マシュの機械義腕の一射が防いだ。灰は自分の頭部を迷わず吹き飛ばす義手の砲撃を防ぐ為、ダークハンドでエーテルの弾丸を鷲掴み、そのまま握り砕く。それにより、僅かばかりとは言え、所長は体勢を整える時間を得る。

 灰にとって、彼女の助太刀は想定外。そもそも完成されていないデミ・サーヴァントが、二人が戦闘を行う思考速度に追い付ける筈がない。それでも人類の知覚外で攻防を広げる灰と所長を認識出来たのは、内側の英霊の力か、それとも彼女が自分とカルデアの力で倒した戦神より引き継がれた魂の残滓か。

 

〝マシュ・キリエライト程度の子供が何故……―――成る程。竜狩りの王子様、面白い手土産を。

 私と言う……いや、我ら亡者の王となったダークレイスもどきを理解していますね。カルデアの事を甚く気に入った御様子です”

 

 時間停止した思考回路で浮かんだ疑念を一瞬で灰は解消し、だが所長に離脱されたのを悟った。

 同時に、灰の眼前には黒竜と化した愛の化身が顎を拡げ、焼き砕かんと迫っていた。

 

〝見切られてるわね。どう言う真理を手に入れてるのだか。

 空間跳躍を超えて因果律から脱する程度の速度じゃ、あいつには通じないと……いや、その時点で意味分からないんだけど。

 ま、瞳持つ狩人なら出来て当然だもの。あの女も出来るのでしょう”

 

 時間軸からも消える加速の業による悪夢歩行。移動中は誰にも干渉されずに無敵となるが、見切れる者からすれば唯の素早い踏み込みに過ぎない。しかし、速度は本物であり、所長は煙のように即座に消え、清姫の宝具範囲から逃れる。

 血族の短銃(エヴェリン)で灰に狙いを定めつつ、骨髄の灰を秘した。敵の動きに合わせて行動しようと後の先を見定めるのみ。

 

〝―――……さて”

 

 時を止める体感時間によって灰は、千分の一秒後に訪れる危機を思考。迎撃手段は数あるが、されど場に好ましい手は限りが有る。

 だが所長は、右手からスローイングナイフを投げ放っていた。

 その投擲に対応する灰に合わせ、骨髄付与する水銀弾を発射。

 僅かばかりの隙を晒す敵を清姫は逃さず、自分の魂を燃料にして喰らい付く。

 

「グゥオオオ――――ッ!!!」

 

 左手に灰は触媒の杖を出していたが、時既に遅し。所長とマシュの足止めは成功し、灰は暗い炎の竜に呑み込まれる。焼かれながら巻き付かれ、全身を焼却されていく。

 

「―――清姫!!」

 

 藤丸の声はもう彼女には届かない。彼が戦闘の行く末を認識出来る段階に入った時、決着は着いてしまっていた。

 魂を薪として犠牲にし、怨敵の―――魂を焼く。

 清姫が灰を殺すにはそれ以外の手段を持たず、それさえも灰が与えた人間性由来の神秘。そして、宝具を当てるには所長とマシュの協力がなければ不可能だった。

 

〝黒色の暗い炎……”

 

 魂が燃える色。人間性の持ち主ならば、当然の闇。マシュは幾度もこの特異点で人間が焼かれる光景を見て、その度に自分自身が軋む音が脳裏から聞こえ、だが自分に火を着けて仲間が燃え死ぬ姿を初めて見て、絶叫を我慢するだけで精一杯だった。

 啓きそうになる口を閉じ、唇が震えてしまう。

 何を思って清姫が死んだのか分かる所為か、衝動的に自分もあの黒い炎の竜渦に飛び込みたくなってしまう。

 

〝逝ったのですね、清姫さん。今まで、ありがとうございました。私は絶対に、貴方達の献身を忘れません。絶対に、特異点を解決します”

 

 炎は一瞬で消え去った。マシュは仲間が一人一人死んで逝き、その度に自分が生かされる事実に心が折れそうになり、だが心の中で踏み止まった。

 だって―――焦げ融けた床の上に、もう何も無かったのだ。

 灰は塵一つなく消滅し、清姫は灰も残さず霧散した。マシュは血塗れになった手で盾の柄を強く握り締め、強敵が一人減った事を複雑な感情で認める。同時に、殺された灰を僅かに哀れみ、清姫が逝った事実を悲しんだ。

 ―――刹那、オルレアンの玉座は燃え上がった。戦場は止まらない。

 互いに語り尽くし、もう言葉なく相対していたジャンヌとジャンヌは衝突する。既に魔女は宝具を展開し、しかし全てを聖女の旗が防ぎ切っていた。

 

「―――竜の魔女!」

 

「旗の聖女―――!」

 

 魂に途を示す啓示が、冷徹なまで聖女を導いていた。人間であるジャンヌに、英霊ジャンヌ・ダルクが憑依した一種のデミ・サーヴァントもどきである今の彼女は、英霊である前に生身を持つ人間。啓示とは、果たしてどちらに囁くのか。あるいは、どちらの魂も啓き示されるのか。

 即ち―――人血は、獣性の萌しであった。

 霊体のサーヴァントならば効果は分からないが、ジャンヌは肉を持つ今を生きる人間。

 オルガマリー・アニムスフィアは何もかもを理解した上で、悪夢的副作用が無い様にしただけであり、虫の湧く獣血となる可能性を持つ人血由来の鎮静剤が、狂気を治めるだけの効果ではないのが自然。

 

〝―――これは、私は……一体?”

 

 古き空の支配者の狂気は人間性を啓き、人血は獣の本性を啓く。

 ならば、その二つが心身で内的衝突を起こしたジャンヌに変化がない訳もなく、サーヴァントの力を引き出す事もなく“狩人”に並ぶ身体機能と体感速度を獲得するのも不可思議な道理に有らず。輸血されたばかりの、成り立てに過ぎない狩人が銃弾を容易く見切れるように、聖女は魔女の動きを圧倒的思考速度で認識する事が出来てしまった。

 蒙が啓かれた脳を、瞳が啓き示す。

 互いに相克する螺旋のように、啓示と啓蒙が啓き合う。

 今を全て見通し、そして幾十手先の攻防を何故か同時に理解可能。

 そんな人間に英霊が憑依したとなれば、如何程の高次元生物に辿り着く可能性を抱けるのか、理解出来ないオルガマリーではなかった。だから魔女相手にジャンヌ・ダルク一人を向かわせれば十分以上だと、所長は最初から知っていたのだ。

 

「――――ぁ……」

 

 脳が思考に支配され、肉体が思考回路に侵食された。思わずともあらゆる行動が思い浮かび、刹那の間もなく肉体が思考速度で稼動する。

 振われる黒竜の瞳を持つ魔女の魔剣を、ジャンヌは真名解放を行わない聖剣で打ち下した。魔女が僅かに悲鳴らしき声を漏らすのも無理はない。ジャンヌは戦場で剣を抜かずに旗を振い、だが魔女を殺す為に宝具としての顕現ではなく、ただの殺人兵器として聖剣を振ったのだ。

 

「………ッ―――!?」

 

 そして、邪竜の紋章が描かれた旗もまた、聖女の旗によって弾き飛ばされた。旗の矛先で魔女は手首が斬り落とされ、思考が空白となり―――聖剣が振われ、もう片腕を斬っていた。

 旗と剣の―――二刀流。

 魔女独自の戦闘スタイルであった筈が、聖女はそれを模し、それ以上に洗練させ、子供を遇う大人のように魔女を仕留めてた。

 

「ごめんなさい……」

 

 ―――心臓を、聖剣が串刺しにしていた。

 旗で内臓を抉り貫かれ、動きを封じられた魔女は止めとして、心の臓腑の鼓動を火刑の聖剣で停止させられた。ジャンヌ・ダルクが焼け死ぬ最期が許せないからと、故郷を焼いて復讐した竜の魔女は、その聖女自身が火炙りの死を結晶化させた宝具で霊核を砕かれたのだ。

 皮肉であり、因果応報とも言うべきか。

 復讐者は結局、憎悪が生まれた根源によって死を齎された。

 

「迷っていたのは、私の方。殺す殺すと、息巻いて―――ゴフゥ……貴女を、殺せる程の憎悪を、見付けられなかった……ゴフ、ごほごほ……どうしようもない、何も知らない餓鬼だった。

 なんて無様なのかしら……ね、母さん?」

 

 口から血液が逆流するのも構わず、魔女は聖女に笑みを浮かべた。

 

「……―――ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 火炙りの聖剣を握り締める自分の手を、聖女は俯きながら見るしかない。心の中で止めておきたかった自分勝手な謝罪が口から洩れる。

 

「ごめんなさいぃ……」

 

 ジャンヌは、魔女が自分を殺せないだろうと啓示されていたにも関わらず―――人の心があると分かっていたのに、そんな人間性ごと竜の魔女を世界を救う為に殺めた。

 戦えば、確実に自分が赤ん坊を殺すのだと知っていた。

 自分一人だけで戦えば、悲劇の元凶を殺せる事を最後まで黙っていた。

 焼かれた世界が救われる事をカルデアが……燃えるフランスの民が、求めていたから、聖女は自分の心を火に焚べて、人の為に人を殺す。

 相手が例え、自分を火刑の最期から救ってくれた―――友と、娘であろうとも。

 

「だから、これが最初で最後の親孝行……」

 

 後ろに退くことで内臓と心臓から、槍と剣が抜け落ちる。魔女は胴体に空いた穴から血を吹き出し、焦げた瞳から暗い血の涙を流す母親を、穏やかな笑みで見詰めている。

 

「……聖女、ジャンヌ・ダルク。

 貴女を子殺しにだけは、させません。私を殺したことを……罪になど、させません」

 

 暗い炎が竜の魔女から舞い上がる。それは魔力を燃料とはせず、死を前にした魂を薪として燃え上がる魔女の火炎であった。炎はまるで壁のように聖女と魔女を遮り、ジャンヌは旗を振えば魔女の火炎を振り払って近付けるが、咄嗟に体が動く事が出来なかった。

 ―――いや、追い打ちをかける気力がなかった。

 彼女の脳には数多の策が啓示され、直感も動けと囁くが、既に死んでいる赤子を更に殺すことなど何故出来ようか。

 直後に、魔女の令呪が輝いた。

 もはや、一人しかない彼女だけの従僕。

 そして、抑止力として召喚されたフランス最後のサーヴァント。

 エミヤと忍びを二人相手に防衛していた侍は、魔女の背後に呼び出されていた。力無く膝を折り、炎の中で座り込む魔女は、まるで首を差し出す死刑囚のようだった。

 

「斬りなさい……佐々木、小次郎―――」

 

 全てを理解した上で、彼は血濡れた物干し竿を振り上げる。

 

「―――さらば」

 

 その一言のみ侍は告げ、魔女の首を切断した。

 

「………ぁ」

 

 首が床に墜ち、魂は闇に堕ちる。生きる意志を亡くしたジャンヌ・ダルクは、頭部も胴体も霧となって薄れ逝く。佇む聖女は、斬首された我が子の最期を見るしかない。口から漏れた小さな声は、果たして何を言おうとしたのか分からないが、音にならず思考の中に言葉は消えた。

 そうして、魔女の残骸である霧は黒く発火した。

 大気に霧散する筈のエーテルは侍に纏わり付き、魔女の胎内に隠されていた聖杯もまた、殺した彼に引き継がれた。

 

「泣き疲れた幼子よ、その短き人生の最期の頼みだ。介錯を承った一人の人斬りとして、侵略者をこの黄昏にて殺めよう。

 哀れな奴隷としてではなく、魔女の憎悪を継ぐ亡者として誓わねばなるまい」

 

 憎悪とは、周囲に撒き散らす感情ではなく、相手に差し向ける激情だ。魔女の侍は、命ごと復讐を使命として施されてしまった。

 

「なればこそ、カルデアの徒党共。この怨念を振るい、貴様らを私が切断せん」

 

 黒い炎が侍に―――灯った。

 













 感想、評価、誤字報告、お気に入りありがとうございました。そして、また読んで頂きありがとうございます!
 おまけですが、料理好きなエミヤがカルデアより参加している第一特異点でしたが、実は定番のワイバーンステーキを出していないんですよね。飛竜が人間を食べていたから、その肉を食べると人蝕じゃねと言う雰囲気を察した所長が止ていました。


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啓蒙36:黒い炎のコジロウ

 ミコラーシュが話すゴースあるいはゴスムですが、個人的にはゴースが海岸で死んでる海産物で、その赤子がゴスムと言う名前と言う説が好きです。二人共上位者で母親か赤子か、ロマにどっちが瞳を渡しのか分からないので、ゴースさんかゴスムさん、どっちでも良いから瞳くれぇと言ってるのでしょう。
 ついでに作中で人形遣いはミコだけですので多分、人形ちゃんはミコの作品なんじゃないか説も推してます。ゲールマンが学友の操り骸の神秘を持つミコに、死んだマリアの為に作ってと頼んだっぽいですよね。あるいは、人形は赤子を受け入れる母親代わりでもあるのか。悪夢にいるほおづきはミコが破棄した人形に悪夢に住まう眷属っぽい使者らが取り付き、月のフローラである使者の苗床になって愛くるしい姿となったのでしょう。人形が動くのも、使者でもミコが捏ねて血液にでもして詰めて、動力源である白い血液にでもしたのかもしれません。あるいは、そもそも使者が何処かしらの上位者の白い血液から湧いた眷属なのかも。
 ついでに、ゲールマンの死体をゴースの胎内にいれ、狩人を赤子の上位者に深化させた説も好き。故に、遺子は赤子の老人となり、戦闘も古狩人並にスタイリッシュな技術を生まれた時から啓蒙されていた。狩人の夢と狩人の悪夢が対比になっていて、夢にはゲールマンの意志とマリアの肉体があり、悪夢にはマリアの意志とゲールマンの肉体がある。マリアが漁村に隠していたのは、赤子を母親を殺して奪う狩人の罪であり、また上位者化したゲールマンの遺体を眠ったままにしたから。倒すと出て来る黒い陰が、遺子とゴースを結ぶ臍の緒であり、胎内で死んだゴスムの意志でもある。
 そんな妄想する時間が楽しいこの頃です。


 ジャンヌにとって、佐々木小次郎が最期の敵として立ち塞がるのは、許容できるものではなかった。ジルを止めるために命を捧げたジークフリートが、ジャンヌの代わりに死ぬことを受け入れて終わりを頼んだ戦士。

 殺さねばならない。だが彼は魔女を斬首し、されど救った男。フランスの為に命を賭けた侍を、ジャンヌは最後に闘わないとならなくなった。

 

「佐々木小次郎。私は貴方を―――殺したくない」

 

 動く気配のないジャンヌの横を通り過ぎ、殺気もなく侍はカルデアと相対する。敵であれば相手を選ばず人を斬る侍であろうが、敵でない娘を斬る剣を彼は持たず、斬るべきではない者へ背を向けることに躊躇いもなかった。しかし、暗い火より憐れみが焦げ始める。赤子の竜血は、佐々木小次郎の魂に黒い色彩を描き、魔女が何を思って復讐を行い、何を想うことで憎悪が生まれたのか知ってしまった。

 鞘から抜かれた刀を振い、彼は自分の(カミ)を斬り落とす。

 武家の生まれでなく、武士でもなく、だが剣の業を人生へ捧げた侍として、小次郎は握る髪の一房を暗い火で灯し、死した水子への手向けとして燃やす事にした。

 

「聖女よ……」

 

 魔女の魂が物干し竿に宿り、侍は与えられた聖杯によって霊基を繰り上げられた。その上で、黒い炎が心身に纏わり付き、暗く燃える人間性(ヒューマニティ)を明鏡止水の精神でついに悟れてしまった。

 正真正銘―――魔女の騎士。

 魔女の胎の中で冒涜された聖杯は、内側に人の膿を溜め込み、だが宿主を汚染することなく祝福する。灰の炉の穴から漏れた暗い魂は、人間としての肉体を亡霊に過ぎないサーヴァントの魂を物質化することで与え、拠所を持たない不死ならざる人間として、その存在を確かな者とする。

 

「……もはや言葉は不要であろう。しかし、尚も決心が付かぬならば、お主はお主の意志を見定めよ。

 だがな聖女、貴様を斬りたくないのは魔女の意志を継ぐ私も同じこと。故に私は、悪の為に善を斬ろう。一の為に全を斬ろう。世界の救いを願うならば、この身を殺すが良い。

 ……カルデアよ。

 我が秘剣―――どうか、御照覧ありたまえ」

 

 嘘偽りない、最後の宣告。聖女を背後にし、敵となる者共だけに暗い笑みを浮かべる。

 本来の侍ならば、魔女に告げた言葉以外に語るべき想いなどないが、それでも剣士としてではなく、それ以前の剣士を志そうとした人間としての責務がある。

 他の者共は愛すべき強敵に過ぎず、だがジャンヌはそうではない。聖女が健やかに人生を送って欲しいと言う願いを、侍は魔女から魂と火の聖杯を継いだ事で理解し、ジル・ド・レェが壊れた狂気の根源が善意から生まれた望みだと言う事も記録として知ってしまった。

 侍は敵をただ斬るのみ。ならば―――佐々木小次郎は、主に仕える侍に在らず。

 この特異点で竜と人を斬り、剣士として経験を積んだのだとしても違うのだろう。彼は戦場で生きた剣士ではなく、無敵無敗の剣豪でもなく―――名無しの、剣神に過ぎない。

 そこにあるのは、純粋なる主義と信条。

 血に穢れなかった秘剣のみに生きた唯の人間の道理。

 神域に至る剣の業を得た百姓の意地なのであろうそれは、矜持ではなく、夢想であった。故に佐々木小次郎は一切の余分を持たず、自分の秘剣にのみ仕える侍で在った。

 

「火剣―――」

 

 放たせない事が、宝具を封じる最善。剣技の構えと共に殺意の鎮まりを察した所長は水銀弾を放ち、忍びが手裏剣を放つも、敢えて侍は何もせずに受け入れた。

 回避や受け流しよりも、場合によっては有効な強引さ。灰が魔女に与えていた経験則も、聖杯と共に受け継いだ侍は、衝撃に備える事で気合いで我慢した。つまるところ、誰にももう止められない。

 

「―――竜落し」

 

 物干し竿はワイバーンのソウルで鍛えられた火吹き竿となり、そして斬首した魔女のソウルによって黒い炎の剣と変ずる。

 黒い炎は刃となり―――ただ、伸びた。

 槍のような刃渡りが脅威となる物干し竿は、聖杯を内蔵する侍の魔力に許される範囲に過ぎないが、迸る黒炎が神速の刀身となって当たる障害物を熱断する。

 

〝ぁ……死―――死、駄目!”

 

 直感も反射も、何もかもが許されない神域の剣速。マシュは走馬灯と錯覚する思考速度で死を垣間見て、だが水中のように動き難い肉体を無理矢理に動かし、十字盾を構える事だけは出来た。常にマスターを護る為、藤丸の前にいることを意識していたから盾で守れたが、そうでなければ一歩も動くことも許されない剣技であり、彼女の先輩は真っ二つに焼き斬られていた。しかし、火剣の一斬の威力は凄まじく、その場に耐える事は許されない。

 即ち、横薙ぎ、斜め払い、振り下し―――同時三閃の、火剣なる囲い斬り。

 一本だけで軍勢を薙ぎ払う火剣を、平行世界から呼び出す秘剣・燕返しの剣技。

 黒い火剣の真っ先は、ただでさえ空間を捩り歪める刀身を更に伸ばした事で、もはや神の目であろうとも見切れないだろう。

 

「―――そんな……」

 

「……構えられよ、ジャンヌ・ダルク。なければ、去れ」

 

 ガコン、と要塞が焼かれながら崩れ始める。要塞の材料となった石材が蒸発し、魔力の火炎が燃え上がり、背後を振り返ったジャンヌが見たのは―――何も無い、玉座だった場所。

 要塞は、魔女の剣技によって崩落した。

 崩れ出す石材が床や壁に当たり、建物のバランスも崩壊し、刃の断面が滑るように上層階が地面に落ちて行く。

 

「わたし、は……―――私は……ッ!」

 

 何故、この足は立ち上がれないのか?

 何故、死した己は何も喋らないのか?

 何故、焦げた瞳が黒い涙を流すのか?

 ジャンヌは拷問によって焼かれた瞳が人間性に逆らわず、感情の儘に血を流すのを止められなかった。英霊に憑依されたから視界を得ているが、人間としての視界は闇に染まり、自分の瞳を焼いた熱の明かりが、彼女が最後に見た光景。

 肯定してしまえ、と彼女となった闇が聖女に囁いた。

 侵略者共は醜かった。自分を犯している時の口の臭い、体液の悪臭、手付き、目付き、腰の動き、嫌悪、性器、仕草、笑み、何もかもおぞましい生き物だったではないか。それを否定する事なんて、幾ら自分を誤魔化しても出来ないではないか。人の不幸を貪る獣で、人の苦悶を蜜とし、人を穢すのを喜ぶのが人間だった。拷問をさも愉し気に行っていたではないか。なら殺しても良い命で、あの灰に貪られるに相応しい邪悪だった。人間だから、なんで救われないといけないのか。人々を思う儘に区別し、感情を叩き付ける事が悪である訳がない。死後の自分から垣間見た記録も、火刑になる時に視た民衆共の貌は、侵略者共の表情は、娯楽を愉しむ幼子と何が違うのか。焼かれて死んだ後、服も焼かれて、焦げた裸体を晒し者にされて、そんな奴らの善性を信じて、何で人理なんて醜く、汚く、下衆で、蒙昧で、おぞましく、穢れた犬畜生が幸福を得る世界の為に、自分が汚れて死なないといけないのか。善く生きることに価値なんて何処にもなく、悪く生きることに罪科なんて何処にもなかった。

 結局、人間が為した因果が巡るだけの結末。

 仕込まれた悪意を紐解けば、母親の為に赤子が復讐をしていただけだった。母親を犯して殺そうとした侵略者を焼き殺し、母親を利用するだけ使い潰して見捨てた薄汚い国家を焼いた復讐劇。聖女と魔女の真実とは、本当にそれだけでしかなかった。

 

〝なにも―――無い。私は結局、何も出来なかった”

 

 だから―――魔女は、こうして生まれた。

 故郷が自分を捨てたから、この子宮から憎悪の子が誕生した。

 死ねば、良い。人間は最期に必ず死ぬのだから―――死ねば、良い。

 膿が、黒い人の泥が、視界のように魂を染めてしまう。目の前で死んだ魔女の姿が、そんな暗い闇の中で炎みたいに揺らいでいる。

 

「ううう、うぅ……ああ」

 

 生まれながら持ち得た聖人の意志。善を信じながらも、悪を為し、罪を受け入れて、人を信じる精神は、万人がそう在りたいと願う形であり、しかし彼女は自覚を持たぬ。

 だが此処は、人間性に満ち溢れるフランスだ。聖人で在ると言う欠落が許される訳がない。善悪を兼ね備え、個人の選択で天秤は傾かないとならない。

 悪を知りながら、悪意を抱けない何て余りに―――憐れではないか?

 

「ああ、ぁぁ……」

 

 人間性(ヒューマニティ)は、人の魂(ソウル)に平等だった。悪意を抱けぬなら、器を満たして人として完成させなければならない。

 憎悪を、ジャンヌ・ダルクは知ってしまった。

 後悔も、聖女は自害を渇望する深みで知った。

 懺悔は、神に祈るまでもなく腐れてしまった。

 ずっと彼女は耐えていたのに、魔女の死が引き金となった。生まれながら欠けていた筈の悪性を、人間性の祝福により啓蒙されてしまっていた。

 

〝誰も、救えなかった”

 

 床が、崩れた。

 

〝何も、変わらなかった”

 

 落ちる。

 

〝だから母さんは……竜の魔女に、何も知らない孫娘の手で殺されたのに”

 

 落ちる。

 

〝もう良い。私はもう、これで良い。これが私の、人を殺して人を助けた罰なんだ”

 

 闇に、落ちる。

 

「なのに―――どうして……?」

 

「―――そうか。

 なら聖女よ、最期を舞台に死合おうか」

 

 魔女を殺した侍に、ジャンヌは旗の矛先を―――突き刺した。小次郎は何もせず、背後からの攻撃を察していても受け入れた。

 赤ん坊を殺した彼なりの贖罪なのか、あるいは聖女の決意を讃えたのか。

 笑み一つ浮かべず、悲痛な顔もせず、彼はジャンヌに向けて黒く燃える刃を神域を超えて振うのみ。

 

「クッ……!」

 

 その一閃を辛うじて防ぐジャンヌ。崩れる要塞の中、地面に落ちながら死闘は始まった。直後、所長は崩れる足場に構わず、全力で跳んだ。跳ぶしかなかった。ジャンヌが作った隙を逃す程に余裕はなく、所長は啓蒙された狩人の業を存分に使う事に専心。

 何故ならば―――左足を、火剣にて斬り落とされたのだから。

 構えるのは―――葬送の刃(メルシー・ブレイド)。脳と繋がる悪夢から月明かりを刃に宿らせ、魔物が照らす淡い月光が隕鉄の曲刀から放たれ、狩人の鎌は真なる業を解放。

 

「シャァッ――――!」

 

 ゲールマン以上の脚力を得た狩人は片足であろうと宙に届き、仕掛け鎌を構える事も容易い。淡い波動が血管のように脈動し、オルガマリーは獣の奇声に似た叫び声と共に刃を振り抜いた。

 目視不可の、真空ではない上位次元より飛来する刃は侍に直撃。

 崩れる周囲の足場を瓦礫に変えて吹き飛ばし、崩壊する要塞に止め以上の死体蹴りを行った。

 

「―――ふ……」

 

 だが、あろうことが月明かりの波動を、侍は黒い炎を刀身に纏わせることで、悪夢の月の光を斬り止める。更なる悪夢的神秘を、刃に纏わせていた。

 技の名を、纏い斬り。膿の聖杯には、灰が集積した業も必要に応じて込められており、魔女には出来ぬ芸当であったが、明鏡止水にて無に至る佐々木小次郎が不可能な訳がない。

 彼こそ、生まれながらの―――剣神。

 隻狼を物真似た業を灰は技とし、それがまた次の者へと継承させた。

 そして、猛る火吹き竿を身ごと回転させることで鎮め、侍は舞うように宙へと跳んでいた。無論、無造作に宙に跳んで隙を晒す間抜けには程遠く、その気になれば大気を足場に蹴り動くも出来、黒い炎をジェット噴射として利用することも出来るのだろう。

 

「……ッ――――――」

 

 伸びる黒き刀身に月炎の波動が纏う。射程は視界の限界地点。その気になれば、元帥が召喚した海の邪神だろうと真っ二つにする空中剣技が、宙にまだ滞空する所長を襲った。

 

「―――グォ!!」

 

 目前に迫った刃を見た所長は思わず、腹から唸り声を出した。まだ無事な右足のブーツに鉤縄の爪先が刺さり、彼女は強引に地面へと引っ張られていた。瞬間、所長の鼻先を掠めるような黒炎剣の払いが通り過ぎ、顔面が上下に真っ二つになる惨劇は回避される。

 忍びが放つ鉤縄による緊急回避が、間一髪で間に合った。

 元より神域に至る男が、黒い炎と淡い月を利用して振う斬撃など―――狩人だろうと、対処は難しい。片足がなければ、尚の事。

 

「私の隻狼ぉぉお本気で死ぬかと思ったよ!!」

 

「主殿、お早く」

 

 情けない泣き声のような感謝を受けつつ、忍びは空中で所長と交差するように侍へと斬り掛りに跳んで行った。

 その頼もし過ぎる従者の背後を見つつ、所長は崩れる足場に落下中。血液を骨肉へと作り変えることで肉体再生を開始。生きようと足掻く生命の意志が削れて逝くが、戦う為の肉体の方が重要であり、落ちながら施した輸血液による血の感覚は意志を増幅させ、生命力もまた直ぐに甦ろう。

 そして、落ちたと同時に全ての回復作業を終えていた。勿論、落下による損傷もない。

 脳裏に刻んだ数多のカレル文字(ルーン)の一つ―――(ビースト)の秘文字。獣性を上げることで血に酔い浸り、狩人の業による殺傷能力をオルガマリーは密かに上げているが、肉体の内部構造が獣に似通うことで衝撃にも強い造りとなる副次効果を持つ。それにより落下死の危険を抑え、サーヴァントのように無茶な三次元立体駆動も可能と言えば可能であった。

 瞬間―――壮絶な爆音が、響き渡った。

 オルレアンの要塞が所長による不可視なる鎌の一閃と、反撃に行った侍の月光返しによって、完全崩落してしまった。

 

『所長、マシュと藤丸君はッ!?』

 

「バイタル情報をそっちで見なさいよ!」

 

『反応無いんですよ!! あの暗い炎の所為で、観測情報が斬り焼かれたみたいにグチャグチャになってます!?』

 

「………………………うわぁ、どうしよ」

 

『本当に、本当に所長は肝心な時にオルガマリー!!』

 

「はぁ! このロマニ、帰ったら貴方凄い悪夢に叩き落と―――いたぁ!」

 

『何処です皆、何処!?』

 

「…………………………………」

 

 所長の行動によって助けられたジャンヌは、勿論だが所長の姿をその時に確認した。そして彼女の左足がないことに心が凍る思いをし、要塞も完全に崩れ落ち、負傷した彼女が瓦礫に挟まれない様にかなり急いで助けに向かったが、実際は無事以外のなにものでもなかった。

 心配したあの焦りを返して欲しい気分になったが、ジャンヌは人間性が凄く出来た聖女である。無言のまま、先程まで死ぬ程焦っていた雰囲気を出さず、だが藤丸とマシュが心配なのはジャンヌも同じなので、急いで駆け付けていた。

 

「あら、ジャンヌ。貴女が無事なのは分かってたけど、ちゃんと会えて良かったわ」

 

「……そ、そうですね。遅くなりました」

 

 心が折れていようとも、戦える人間がいることを所長は知っていた。だからジャンヌがもう魂に挫けて、戦う理由も燃えて消えているのに、それでも最期まで戦ってしまう女であると分かっていた。所長は、だからもう戦わなくて良いとは言わないのだろう。そう誓ってジャンヌ・ダルクが自分の戦争を始めたのなら、どんな事実が悲劇となって聖女を襲おうとも根本的に問題はない。

 ジャンヌは―――ジャンヌ・ダルクを、裏切れない。

 オルガマリーは出会った最初から、聖女が持つ意志の強さを察していた。

 

「それで、お二人は何処に?

 早く助け、敵を倒しに戦線に戻らなくては。狼だけでは危険でしょう」

 

『その通りだよ!』

 

「エミヤも向かったから、まだ時間はあるわよ。それに、私の隻狼だけでも十分倒せる相手……まぁ、あの佐々木小次郎がこの特異点で一番危ない敵なのは、否定しないけど」

 

 話ながら所長は瓦礫を除く作業を行い、ジャンヌもまた所長を手伝って崩れた城塞を腕力を生かして退かしていた。

 

「―――所長、此処です!!

 マシュもいるけど、気絶してる!!」

 

 一分もせず、瓦礫の下からそんな藤丸の声が聞こえて来た。大きな瓦礫が邪魔なので、押して動かすと下にいる人も臼で潰すように傷付けてしまうかもしれないと思い、ジャンヌは作業する手を止めた。なので左手で右肩を軽く抑え、力を溜める為に肩の柔軟性を確かめようと、肘を曲げた右腕をグルリグルリと大気を斬る様に回した。

 聖女として英霊となった者。サーヴァントの身体機能を駆使すれば、並の数十倍の腕力で、人間の骨肉の数十倍は頑強な拳を放つ事も当然の芸当。瓦礫の岩も気合い一発、粉々に破壊することだ。

 

「ちょっと、ジャンヌ?」

 

「はい? どうしました、オルガマリー?」

 

 さぁて、と気合いを込める聖女の後ろには―――右腕にパイルハンマーを装備する所長がいた。

 

「同時にいくわよ」

 

「成る程、良いでしょう」

 

『頭良過ぎて、結局脳筋が手っ取り早いと悟るパターンじゃん!!』

 

 奇しくも啓示された解決手段は、啓蒙された叡智とまるで変わらなかった。

 

「ぬおぉぉおおおおお!!!」

 

 しかし、そんな気合いが凄まじく籠もった声が瓦礫の下から聞こえた直後、何トンもある岩が転がり退いてしまった。

 

「先輩、フォウさん、ご無事ですか!?」

 

「ごほ、ごほごほ……助かったよ、マシュ」

 

「フォウ~……フォ」

 

 助けなど、そもそも要らなかった。マシュは佐々木小次郎の一閃からマスターを護り、衝撃で気を失いつつ、反射的に藤丸を守っていた。しかし、天上から落ちて来た瓦礫から彼を身を呈して守り、胡乱気な意識は周囲の危機を第六感が察しても思考回路では判断が鈍り、頭部に落ちて来た岩の礫によって完全に気絶してしまっていた。

 結果、降って来た瓦礫の雨を、マシュと大盾が藤丸を守る事になった。

 藤丸とフォウは気絶したマシュが防壁となることで、この崩落から何とか生き延びる事が出来ていた。

 

「それと……ごめん、マシュ。何も出来なかった」

 

「そんなことはありません!

 先輩が戦場にいなければ、私はサーヴァントとして力を存分に震えないのですから」

 

 だが、それでも完全に藤丸も無事だった訳ではない。令呪が宿る腕の骨が折れ、青白く鬱血してしまっている。とは言え、それを見逃すマシュではなく、義手ではない何時もは十字盾を持つ右手で藤丸の骨折した箇所に触り、オルガマリーがAチームメンバーとしてマシュに教えた霊媒医療を使う。簡易的だが痛みを和らげる麻酔の効果を施し、骨と骨を歪みもズレもなく接骨させる事に成功していた。そして、その早業をジャンヌは遠い目で見てしまった。

 人を効率的に壊し、素早く殺す為の機械義手。

 人を大盾で守り、傷付いた人を癒す生身の手。

 意図してそうしたのか如何かは、正直彼女には分からない。だがジャンヌは、オルガマリーの人間性を理解しつつある。恐らくは、相反するその二つをマシュに与えたのは、英霊が矛盾する善悪を人生で為してきたように、彼女がカルデアの生きた英雄となる為に必要な苦悶だからと考えたからなのだろう。ジャンヌが人殺しによって国を救ったように、戦争や闘争に生きた英霊の功罪とはそう在るのが自然であれば―――人造の英霊の在り方もまた、自然と似通う存在となるのも不可思議ではない。

 

「ありがとう、マシュ。もう痛くない」

 

「―――はい。

 お役に立てて良かったです」

 

 啓示されてしまった狂気を、ジャンヌは誰にも告げず飲み干した。そうまでしなければ、人理焼却は防げないのかもしれない。

 

「アナタたちが無事で良かった……本当に、良かったです。

 それにマシュ、人を守る勇気を持ち、誰かを癒す貴女がいれば……私も、もう何も恐れずに戦えましょう」

 

「ジャンヌさん……―――はい!

 安心して下さい、所長印の腕前ですから。手足が取れても治して見せますとも!」

 

 デモンスレイヤーに左腕を斬り落とされた所為か、マシュは左腕を義手にするしかなかった。しかし、これから更に鍛錬を積めば、腕を生やすのは厳しいだろうが、切断された箇所同士を繋げる事は可能となるだろう。詳しくは分からないが、ジャンヌはマシュのそんな言葉が真実だと理解した。

 作られた破壊の左腕と、鍛えられた守護の右腕。人造人間にして、人工英霊。彼女を見ると、何故か分からないが知識が自然と脳内で何度も啓かれる。マシュ・キリエライトの存在は、即ちカルデアと言う組織の業の深さを表す基準だとジャンヌはここ数分で正しく分かり、だがどうしようもなく、今は言うべき事でもないのだと自分を押し殺す。

 しかし、マシュだけではなかった。オルガマリー・アニムシフィアの啓蒙も、ロマニ・アーキマンの思考も、狼の滅私も、エミヤの理想も、焦げた瞳から入り込んでくる。

 そして、藤丸立香の生きたいと言う渇望が、終わりに惹かれるジャンヌを強く引き止めた。

 

〝私の啓示も、ついに焦げてしまいましたね”

 

 邪神の深淵で狂った後、鎮静剤を飲んでから、頭が冴えて仕方が無い。啓蒙された啓示が狂ったように認識した事象と存在を解き明かし、今を見通し、未来と過去までが現在に混ざりつつある。

 ……故に、あの宝具の使い道もジャンヌは、聖杯を前にしてやっと理解した。

 誰も彼もが死んで逝く中で、自分が最後まで生き延びた理由も、魂で悟ることが出来たのだ。

 

「じゃあ皆さん、戦線に行きましょう。その前に私から策がありますので、少しだけ時間を貰っても良いでしょうか?」

 

「―――宝具ね」

 

「はい。皆さんで如何にか、私が接近して宝具を使う隙を作って下さい」

 

「オーケー。色々聞きたいけど今は―――」

 

 瞬間、黒い炎が舞い上がった。ある程度は離れた場所にいるジャンヌ達が、まるで火山の火口に立っているかのような熱量を感じた。

 空間が歪む程の質量を持つ闇なる焔の揺らぎ。

 宙高く、刀身が宇宙を斬り割るように伸びる光景。

 それは花鳥風月を体現。即ち、花を殺め、鳥を落し、風を斬り、月を裂く―――火剣の刃。

 この世を超えた業に辿り着く剣の理。何処か遠い世界にて、星に堕ちる月を迎え討ったような馬鹿げた剣戟であった。

 

「―――あ、ヤバいわね。ちょっとイエないね。急ぐわよ!」

 

 加速の業を遠慮なく使い、所長は一瞬で最前線へと消え去った。彼女は背後から急いで追い駆ける仲間の気配を感じつつ、自分に蕩けた精霊たる軟体動物を使役し、魔力と血液と水銀弾を加減無く消化した。

 翔けるオルガマリーと共に、空間が塗り潰されて逝く。

 宙とは上位者の、誰もが故郷とする悪夢。感応する精神が夢見る意志の呼応。

 

〝黒い炎……暗い魂を薪とする火、啓蒙される人間性が燃えた色。底無しの泥沼が人間達が集まる最後の扉にして、魂は獣より啓蒙された生命根源の理。

 即ち―――宇宙。

 これこそ、深海。

 魂の意志が世界を否定し、悪夢を燃やす為の願われた宇宙深淵の輝きよ!”

 

 啓蒙が止まらない。聖杯と交わり、魂は薪となって燃え、聖女の子の血は焦げることで暗い血となり、無を知覚する侍は世界を超越する故に、暗い炎は黒よりも深淵となる宇宙の暗黒でもあり、外側へと理が業によって斬り啓かれてしまった。

 オルガマリー・アニムスフィアは―――新たなる高次元より、瞳が脳へと悪夢を啓蒙した。

 

彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)――――!」

 

 何もかもを吹き飛ばし、瓦礫となった要塞を砂塵へと粉砕するであろう隕石群。小惑星の爆発など生温く、人を超越した上位者よりも尚、宇宙を解き明かした人間の狂った暗い魂は暗い宙へと昇り、闇へと沈み、高次元暗黒より生まれた星が暗い炎を掻き消さんと降り注ぐ。

 その上であろうことか、オルガマリーの瞳持つ頭脳は隕石による精密墜落とする。

 彼女は視認するまでもなく脳内から瞳で位置を把握し、忍びとエミヤと小次郎の意志に感応し、黒い炎を宿す男だけ狙うように墜落軌道が修正された。

 

「火剣―――」

 

 だが―――星々の青い光を前に、佐々木小次郎は魂を暗く燃やすのみ。

 

「―――竜落し」

 

 伸びる刃は衝突する隕石を焼き断ち、抵抗なく燃やし捨てる。更に次元を超越して二重の黒い刃は平行世界から呼び出され、炎が絵画を薪とするように―――暗い火は、空を斬り焼いた。

 元より、剣技のみで高次元へ至る剣の化身。

 神域を知るのに神秘など人間は要らぬのだ。

 人間の儘、血も、火も、闇も持たず、人を辞めずに人を超え、人となって業を得る。

 

〝あっははははははははっはっはっははははははっははははは!!!

 アン・ディール……否―――アッシュ・ワン。灰の女の、亡者の王の、暗い炉の魂。これが見たくて、是の為に、貴女はこの佐々木小次郎を殺さなかった!!

 実験か……人間の、人間性が至れる―――我ら人が持つ可能性の、実験か!?”

 

 脳が瞳で啓かれ、宙は剣で啓かれた。高次元暗黒と繋がる神秘は、暗い火を知った唯の人間が至った剣の業に秘匿を破られた。

 星見が夢見た悪夢への門は―――次元を断つ侍により、斬られてしまった。

 狩人の業が上位者と悪夢を狩る技術となるように、剣士は暗い神秘によって届くならば、瞳が啓く宙さえも断ち切る境地を抱くのだ。

 

〝ノコギリ鉈では、獣狩り特化の鋸じゃあ……少し、侍には遅いわね。

 素早い獣や狩人にも、加速する古狩人にも先手を取って狩り易い仕掛け武器じゃないと、あの魔人を殺すのは手間が要る”

 

 新たな仕掛け武器を手に持ち、刃を内側に折り畳む。

 

〝狩人―――……成る程な、あれが星見の狩人か。

 これが聖杯より備えられた他者の魂を知るアッシュ・ワンの感応能力である訳だな。成る程、成る程……獣狩りの曲刀とは如何程の業を振う仕掛け武器であるか。

 無限に引き伸びる刹那の間にて、存分に堪能させて頂こう。オルガマリー・アニムスフィア”

 

 互いに互いの戦闘論理を理解し、理解された事も理解した上で、神速の剣士と加速の狩人が衝突する。

 

「――――ッ……!」

 

「ふ―――――――」

 

 隕石群を宇宙の夜空ごと、平行世界より呼び出した火剣三閃で斬り破る剣士だと思えば、所長にとってこれ以上ない神域の―――いや、神の境地をも斬る剣士だと言える。狩人が狩る獲物としては最高にして極致であり、生前は有り得なかった死合を小次郎が愉しまない訳もない。

 三秒も経たない二人の世界では、幾度の死線が交わる刹那が起きたのか。

 曲刀は火剣に受け流され、黒い炎を纏う斬撃を狩り装束を焦がしながら避け、水銀弾を風で揺れる柳のように避け、燃える炎を逆に曲刀に纏わせて振い、だが無形にして無心なる構えに隙はなく、悪夢で養われた狩人の業は、灰の記録を継ぐ剣神の技巧によって尽くを破られてしまう。

 啓蒙されたのは、灰がそんな舞台劇を作り上げた諸悪の元凶にして、至高なる仕掛け人だと言うことだけだ。聖杯によって灰の経験則を全てではないが還元された佐々木小次郎は、天賦の才能を無限の生死を繰り返して鍛えた魔人もどきとなったと言えた。

 到達した無の境地を今この時―――打ち破った。

 剣の業が、宇宙を切り裂く無限の剣に深化すると証明したならば、彼の精神は深海をよりも深くなり、深淵よりも暗い境地に辿り着こう。

 

〝だが……所詮、聖杯と灰による夢幻。

 されど、暗く沈んだ魂より生まれた我が意志の証明。

 斬れてしまうのであれば、一夜の悪夢の虚ろな業であるが、それさえも火剣にて斬り啓かん”

 

 キィイイン、と高い音が鳴り響く。ぶつかる曲刀と物干し竿が撓り合い、互いに距離が大きく離れる。所長は躊躇わずエヴェリンより水銀弾を放ち、だが侍は自分に当たる水銀弾を平然と受け止めて我慢する。そのまま一気に走り出し、踏み込みと共に物干し竿を突き出した。

 直撃―――抉られる、(ハラワタ)の臓腑。

 掌握―――獣化した手で、刀身を締めて固定。

 発火―――黒い炎が彼女を内臓から焼き焦がす。

 

「ア”ァァァアアアアアアアアア”ア”ア”ァァアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 ただの炎であれば耐えられようが、黒い炎は魂を焦がし、狩人の意志さえも焼き尽くす。人間性が燃えた暗い火は魂を薪とする故に、血液より意志を抱く不死の狩人であろうとも、その血液が燃料となって蒸発して焦げ付いて逝く。

 魂から唸り出る意志の絶叫であった。

 あらゆる死を経験したオルガマリーが今直ぐ死にたくなる苦悶だった。

 

「―――お主……」

 

「離すものか、佐々木……小次郎!!」

 

 右より、双剣を構えながら走る弓兵。

 左より、居合の肩を構えて進む忍び。

 

〝狩人の業か……―――ククク。灰め、余計な叡智を。

 魂を見ただけで理解するとなれば、この身が抱く渇望など分かり易かった事だ。

 我ら剣士は己が業のみを尊び、殺し合いの間を貴ぶが、貴様ら狩人は仲間を使うのも業の一つ。そして、葦名を駆けた竜の忍びも、正義の味方を目指した錬鉄の英霊も、敵を殺す手段に拘りも誇りもありはせん。

 勝てば官軍、敗北者は骸となるのみ。

 結果なくして正義無く、だが理念なくして意志はない”

 

 凝縮され過ぎて止まった体感時間であれば感傷に浸る思考の余裕を持ち、しかし侍の肉体は動くのに思考回路さえ不必要。最善最適にして、無形故の万全の型が明鏡止水より稼動する。

 刀が振えぬのなら―――暗い炎より、刃を出せば良いだけ。

 剣士である筈の彼は所長に刺さる火吹竿から手を離し、魔女が炎で作る炎剣を両手にそれぞれ握った。

 

「―――貴様ぁ……!?」

 

「―――――!」

 

 双剣ごと鉄の体は焼き切られ、楔丸をすり抜けて炎が担い手を焼く。実体があると見せかせ、それはただの火炎の放射に形を与えただけだった。しかし、身の焼かれる激痛にエミヤは耐え、忍びは咄嗟に纏い斬りの奥義を敢行。

 尤も、所長が作った隙は無駄となる。侍は何ら躊躇わず、回転する身の儘に所長も二人ごと焼き払った。そして、手を僅かに放した所長の隙を見逃さず、侍は火吹竿をソウルの霧に変え、自分の手元に召喚する。

 

「温いな、英雄諸君。そこらの百姓一人、満足に討ち取れぬとは……いやはや、失望も極まり堕ちる。これではまるで道理を知らぬ幼子が行う、世界を救いたい英雄ごっこではないか?」

 

 即座に立ち上がり、隙なく構える三人に対し、剣を振う前に挑発を一つ。気配からして、ジャンヌ・ダルクら三人が近付いているのも侍は察しており、その三人に対しての挑発の言葉でもあった。内心で思ってもいないことを、彼は受け継いだソウルより吐き出した。

 火剣となった秘剣を披露し、誰も死んでいない事実こそ―――本当は、喜ばしい。

 何故ならば、まだ成長の余地が剣技に残されている。受肉したこの肉体で経験を重ね、精神を更に深め続ければ、更なる業の深みに到達出来るのだと魂が悟れている。

 戦いの中で、より鋭く、より迅く、より強く、より多く、剣士は成長するのだろう。

 燕を斬り落とすのに生前は三本で満足したが、これより先の深みを知覚した故に、正しく無限に広がる剣戟の選択は、同時に果たして如何程の刃を振う事が出来るのか。

 

「―――何故、まだ戦う……佐々木小次郎!?」

 

「カルデアのマスターよ、もう言葉は要らぬと言った筈。そこな娘が我が剣に斬り倒れた時、それでも尚、お主は斬殺者が人を斬る動機を問うのか?」

 

 辿り着いた三人の中、藤丸だけが侍の欺瞞を感じた。彼自身、問いなど無為に終わると分かっており、義務感で人を殺すだけなら不必要。

 しかし、欲望を出すのを侍が自分に許す訳もなく、返す言葉は挑発だけで良い。

 

「―――――――――っ」

 

「そうだ。怒りの儘、敵を殺すが良い。令呪にて、貴様の下僕に命じるが良い」

 

 生前に臨めなかった死合。そう終われなかった死に今此処で辿り着くことこそ、彼の願望。しかし、生きたいと足掻く少年に語るべき本心は有らず。

 

「頼む、皆!」

 

 力が溢れ出したマシュとエミヤは、彼が死力を尽くした援護を受け、損傷した肉体でも一時的に万全な状態となって動くことが可能となった。

 瞬間―――隻狼が、目を赤く輝かせた。

 オルガマリーの令呪の後押しを受けた上に彼は、夜叉戮の御霊降ろしを行った。遺魂が宿る偶像の構えより、不死をも一方的に抹殺する怨念の膂力が臓腑から湧き上がる。

 無論のこと、その援護を行った彼女もまた、遺骨より神秘を引き出し、魔力を際限なく稼動させ、肉体を未知なる高次元の加速領域へと一気に引き上げる。

 

「―――――――」

 

 業の果てにある技巧と、神域を破る速度。音速が愚鈍となる空間には気合いの雄叫びもなく、魔人共の技と技が交差する。

 本来ならば、一対一でも勝敗が分からず、苦戦の果てに勝つ可能性がある相手。

 侍が戦っている相手は、その領域の使い手。そんな者共を複数相手にすれば勝てる訳がない―――等と、諦める訳もない。彼の心意気もそうだが、彼が経験を継いだ灰にとって―――同じ程度の技量を持つ敵を複数相手をするなど、ただの日常。

 無論、無策なら嬲り殺しに遭うのみ。

 囲まれれば死ぬのなら、囲まれなければ良い。攻撃は受け流して反撃し、場合によれば即座に得物をソウルより変え、迅速に致命打を与えて殺害。それとも紙一重で避け、敵の知覚外から致命傷を入れるだけ。戦技やソウルの業、ないし奇跡や周囲の敵らも扱えば可能性は無尽蔵。謂わば、慣れでしかない。仕方ないと心折れた不死は、自らの性能に失望して逃避に走る。

 故に不死殺しで一対多は当然で、ダークレイスから受け継がれる闇霊の真髄は其処にある。どんな不死が敵だろうと粘り続け、負けず、諦めず、殺害を虎視眈々と思索する。

 同等の技量を持つ使い手と闘争に明け暮れ、飽きずに殺し合い、薪の王を超えた灰達の軍勢を単独で屠り、闇霊は別世界の自分達にとって初めて脅威となる。群れて敵を殺戮する神殺しにして王殺し、そして英雄殺しの偉大なる大英雄共を如何に殺すか、その策と手順が肉体に染み渡り、死闘が常識となって灰は闇より生じる霊体として完成する。

 

〝―――これこそ戦場(いくさば)、私が夢見た合戦の肌触り”

 

 黒い炎が付与された火吹く物干し竿は、担い手の歓喜に応じて暗く猛るのだ。隻狼が繰り出す防御不能の大忍び刺しを見切り、あろうことか弾き流し、だがそれさえも忍びは策に乗せて義手より斧を振うも侍は回避。侍が出す斬撃刺突も全てを見切った隻狼は当然のように弾き流し、踏み込みからの突きも忍びの足技で対処出来たが、黒い炎によって刀身を踏むのは危険。

 そして、隙を狙ってエミヤが双剣を投げ放つも、伸びる黒炎の刃が熔ける様に切断。同時に所長による獣狩りの曲刀の連続斬撃さえ、彼は寸分違わず連続で受け弾き、途中で横槍を実際に仕込み槍で放つ忍びの忍術にも対応。

 忍びも所長も、侍のように一対多の戦術も行えるが―――こうも、華麗に華麗に捌けるかと思えば難しい。

 ジャンヌはその戦闘を何とか知覚し、啓示にて情報が脳裏に啓かれる。しかし、侍に接近する余裕はなく、火剣なる絶技に対するまで、彼女は好機を直感する僅かな間を信じて我慢するしかない。

 

「主よ、この身を委ねます―――」

 

 ならば、抉じ開けるのみ。

 

〝炎に終わった聖女の走馬灯。それを宝具とし、英霊化した女の魂に与えるとは……人間共、阿頼耶識。所詮は人間、魂が巡る全体としては不滅故に、我らも灰と全く変わらぬか”

 

 戦闘の勝敗には余分な知識が、侍の魂は聖女のソウルと感応して理解してしまった。即ち、それが灰が持つ魂の視野であり、自我境界の崩落でもあり、自己が闇に熔ける実感でもあった。故に暗い火が魂を薪にし、太陽に沈み燃える苦痛だけが佐々木小次郎を人のカタチに保っていた。

 

〝憐れだよなぁ……因果が巡っただけか。

 火刑を逃れた聖女が、火刑に処された死後の自分の持つ神秘によって、その炎に至るとはな”

 

 かとうじて所長と忍びとエミヤの攻撃を連続で避け、捌き、流し、侍は連続して訪れる臨死を愉しんでいる。だが、聖杯に熔けた筈の赤ん坊の絶叫が、小次郎の魂を臓腑の底から憎悪で煮え滾らせる。復讐者の復讐心は、明鏡止水の儘に狂わせる。

 あの火刑だけは、否定しなくてはならない、と。

 

「っ――――」

 

 炎が魂を燃やして舞い上がるならば、侍は常に焼身の激痛に耐え、しかし痛む程には火は強まる。世界を焼く熱が広がり、不死が安らげる死の温もりが蕩け出す。

 ―――膿の聖杯。もはや製作者の理念から乖離した汚濁の器。

 魔女の魂が宿る火吹竿より燃える黒泥が垂れ流れる。そして、神の怒りの如き奇跡にて、黒い泥波を空間を爆裂。

 

「……っち―――!」

 

「ぬぅ……――――」

 

 離れていたエミヤとマシュは無事であったが、忍びと所長に波動が衝突する―――寸前、対処に間に合う。サーヴァントが即死する上に可燃性燃料に変える暗い火に対し、所長は波動と同じ速度で後退し、忍びは仕込傘にて致命傷を防いでいた。

 そして―――ジャンヌは、炎を身に纏う。

 魔女の魂から生まれた黒い炎は、聖女の紅蓮が優しく受け止めていた。

 

「火剣、竜落し―――」

 

 無尽蔵の刃渡りを誇る黒い炎の一閃。燃え上がる火吹竿が振われる瞬間、次元を超越して二閃が虚空より放たれた。

 同時、三振りの―――囲い斬り。

 元より剣神の類稀なる才能で編み出された黒い炎の秘剣だが、戦闘にて幾度か振われ、その完成度は高まるばかり。つまり今この瞬間、聖女だけを殺すべく、世界を焼く対界秘剣が完成された。 

 

「―――紅蓮の聖女(ラ・ピュセル)

 

 無駄だった。勝てる筈が無く、神秘としても劣るのが必然。もやは一閃だけで上位のAランク宝具を打ち破る秘剣が、高次元より三閃振われる剣神の絶技にて放たれるとなれば、聖女の魂を燃料に燃える炎だろうと斬り裂かれる。

 世界と魂を焼く斬る―――無限の剣。

 それこそ暗く燃えた燕返しが辿り着く人間性の答え。

 もはや、其処には死あるのみ。黒き聖剣の極光を防いだマシュさえも、燃える剣神の宝具と向き合う気にさえなれないのだから。

 

「―――ぁ」

 

 逃げて下さい、と叫ぶ余地がない。マシュは絶望と恐怖で身が一瞬で凍り、自分に火剣が振われる以上の絶望を味わう。

 何せ、どちらにせよ―――死ぬ。宝具の炎を見て分かってしまう。

 ジャンヌ・ダルクは火剣に勝とうが敗れようが、炎に炙り殺されるしかないのだと。

 

〝聖女の最期。炎の中から見た世界……っ―――けど、駄目だ。佐々木小次郎は、紅蓮の炎さえも切り裂く剣神”

 

 しかし、藤丸の予想に反して彼女の紅蓮は、火の三閃を押し止めていた。黒い炎だけでも分が悪い筈なのに、世界を超える剣技を止めていた。

 憎悪の炎が焼けぬ祈り―――聖女が想う、火への心象。

 オルガマリーは瞳で以って答えが最初から決まっていた殺し合いを、渦巻き混ざる紅蓮と黒い炎を見て啓蒙されることが出来たのだ。

 

〝世界を焼く憎悪でも……魔女は、その紅蓮を否定したくて復讐を決意した。

 あぁ、だからジャンヌ・ダルクが召喚されたのね。聖女を焼いて、聖女が許した火刑の炎だけは、憎悪の暗い火は燃やせないのだから”

 

 無尽蔵に伸びる無限の選択肢を誇る秘剣は、魔女の想いから深化した。故に刃は、紅蓮の乙女だけを殺せない鈍らと成り果てる。神を殺し、世界も殺し、人間を殺せるのに、聖女の想いだけは焼けなかった。斬れなかった。

 ―――あぁ、と侍はその結末を納得する。

 憐れな魔女への良い供養となろう。あの炎で焼け死ねるならば、どう足掻こうとも勝てない相手だったと、憎悪に満ちる魂を復讐の舞台から解き放つ事が出来るだろう。

 

「さようなら、佐々木小次郎」

 

 紅蓮の炎に、黒い炎が燃やされる。

 

「良い最期を、ジャンヌ・ダルク」

 

 互いに互いの身を焼く二色の火炎渦の中、火のうねりが声となって二人に届いた。サーヴァントとして霊体を構築するエーテルも火の粉と共に霧散して、炎の中で霊基が灰となって舞い去って逝く。

 侍は、もはや思い残す事もない。魔女の無念を振う結末を良しとし、勝負の答えを笑い、自分が負けた事実を悪しと許す。戦友となれたジークフリートとゲオルギウスの為に洗脳され、従僕に作り変えられ、しかし戦いそのものに不満はなかった。とは言え、後悔がない魂の在り方と言うのも、灰の人間性によって歪められたカタチだと言う自覚はあるのだが。

 

〝さようなら、佐々木小次郎”

 

 ジャンヌの中のジャンヌが、消える彼にそう呟いた。霊体を失って魂だけになった侍は、意識だけが残る最期の時に何かを想い、しかし何も伝えずに元の居場所へと巡り帰った。

 

〝ごめんなさい。此処まで、貴女には辛い目ばかりに合わせました”

 

 聖処女は、聖女に告げねばならない。最期であるならば、尚の事。

 

〝それは、良いのです。覚悟はしてました……でも、それ以上に苦しかった。本当に、本当に、心が焦げてしまいそうだったけど……―――悪い旅じゃ、なかったです”

 

〝……ジャンヌ・ダルク、お別れです。私となる人間の貴女の魂を、共に座へと連れて逝くことは出来ません。それはとても酷なことで……カルデアの皆さんにも、残酷な事ですが……あぁ本当に、何故なんでしょうかね?”

 

〝選択肢はなかったのです……――分かっています。

 私は分かった上で……ジャンヌ・ダルクが、宝具によって死ぬと理解して、自分の為に真名を唱えたのですから”

 

〝そうですか。我が事ながら、儘ならない終わり方です。責務を残して死ぬのが、こんなにも苦しくて……だから、カルデアと貴女には後悔ばかり。

 押し付けて、ごめんなさい。最期ま……で、共にいられ……なく、て……”

 

〝でも、貴女もまた私。その後悔も、ちゃんと終われますから”

 

〝……あり、がと……ぅ……ジャ……ン、ヌ……”

 

〝ええ、どういたしまして。さようなら、ジャンヌ”

 

 そして、ジャンヌは永遠に聖処女を失った。契約していた少女の魂が、自分の魂から完全に消滅したのを感じ取れた。

 ずっと一緒に戦って来た相棒。

 死んで英霊となり、だがまだ聖処女だった頃の姿をした自分自身。

 聖処女ジャンヌ・ダルクの祈りなく、聖女は魔女に鎮魂の祈りを捧げる事は出来なかった事だろう。

 

「―――ジャンヌさん、ジャンヌさん、ジャンヌさん……」

 

 眠る聖女を起こすのは、誰の声か。

 

「ぁ……―――私は、あれ……マシュ?」

 

 気が付けば、火で焦げたジャンヌはマシュに抱き止められていた。何時もの十字盾を投げ捨て、人殺しの義手で聖女を支えながら、必死に生身の右手で火傷を霊媒治癒で治している。

 本当なら死んでいても可笑しくない火傷の範囲で、暗い火の癒えぬ呪いもあったが、聖処女の祈りが呪いを浄化していた。火傷自体もマシュの治癒が間に合い、サーヴァントではなくなったジャンヌを生かしている。

 

「……ジャンヌさん!?」

 

 何度も、何度も、呼び掛けて、でも瞼を開かなかった。マシュはジャンヌが死んだと思って、しかし諦めずに傷付いた体を癒し続けた。

 けれども、こうして意識は戻る。片腕は敵を殺す兵器に作り変えたとしても、マシュは残った右手でまだ誰かの命を守ることが許されている。

 

「良かった……あぁ、良かったです。ジャンヌさんが生きて、生きていてくれて……良かったぁ………良かったよぉ」

 

「すみませんでしたね、マシュ……」

 

 流れ出るマシュの涙をジャンヌは指先で拭い、彼女に助けられながらも立ち上がった。なのに、所長はどうしようもなく苦い顔をして、だが精一杯の安堵を笑みとしてジャンヌに浮かべていた。

 

「人間の体に戻ったようね」

 

「そのようですね、オルガマリー」

 

「――――そう。貴女、覚悟は出来ているのね」

 

「はい。でも、貴女がマシュを止めなかったのは……正直、意外でした」

 

「どうしろって言うのよ……こんな私に、何を。それに火傷の傷は致命傷だったけど、直ぐに死ぬ程じゃなかった。十数秒の間、気絶していただけ。治さなくちゃ、痛いだけ。

 はぁ……本物の間抜けね、私。

 最初から分かってたのに。決心するのに遅れて、マシュが貴女を直ぐに助けてしまったわ」

 

 オルガマリーの表情を見たジャンヌは、許されない最期を同時に決心した。

 

「ごめんなさい。ですから―――」

 

「――――駄目よ。それは、駄目。

 貴女は自分が信じた祈りがあるのですから……人間の貴女が、それを選んではいけません」

 

 血を吐く貌をしてオルガマリーは、ゆったりと左腕を構えた。手に握るのは銃火器であり、射線の先は―――ジャンヌの眉間だった。

 何度も悪夢で死んだ彼女自身の経験上、脳を一瞬で破壊されるのが、最も痛みなく死ねる終わり方。

 

「―――――――」

 

 マシュ・キリエライトは、何もかもが理解出来なかった。藤丸立香は、訳も分からずに凍りつく事しか出来なかった。エミヤは何もかもを納得して心を鉄に作り変え、隻狼は静かにその終わり方を認めていた。

 

『オルガマリー・アニムスフィア……何を、貴女は何をしているんだ!!?』

 

 それは駄目だ。それだけは駄目だと、何かに追い立てられる罪人のような気迫で、通信越しに絶叫が聞こえる。

 

「ロマニ・アーキマン、特異点は崩壊しそう?」

 

『何を言っているんだ!? 聖杯はもう回収して……して―――ッ……馬鹿な。そんな馬鹿な!!

 有り得ない、こんな結末が許されて良いのか?

 確かに歴史を戻すことがそうだからって、ボクたちは自分達の手で、そうしないといけないのか……?』

 

「聖杯の、本当の所有者は―――ジャンヌ・ダルクよ」

 

 何もかも、特異点に来た時からカルデアは手遅れだった。マシュは思わず、ジャンヌを救った右手を見た……―――自分は一体、何を救った気になっていたのか?

 結局―――殺すだけ。

 震える。凍えて、臓腑から竦む。心の底から、人間を救う重みに彼女は恐れる。涙さえも枯れる。こんなことが、自分が為すべきことなのか。

 

「始まりは多分、ジル・ド・レェ。彼女を火刑から救う為に使われ、その祈りが特異点を作り出しているの。聖杯を壊したところで、聖杯の奇跡によって生存するジャンヌが死なない限り、フランスの特異点は壊せない」

 

『―――所長。ボクは……』

 

 ロマンの諦めに満ちた声が、答えだった。マシュも藤丸も、在り得てはならないこの悪夢が、現実に過ぎないのだと理解した。

 

「良いわよ。誰にも何も、私は命じません。これは所長である私の―――責務」

 

「貴女になら……私も―――」

 

「―――そうね……ごめんなさい、ジャンヌ」

 

「―――はい」

 

 動け、とマシュは自分に絶叫しているのに、体が全く動かない。藤丸は声を出そうとし、何を叫べばいいのか分からない。しかし、引き金が引かれてしまう。銃弾がジャンヌを殺してしまう。

 疑問だけが、二人を支配している。

 だが、分からなくても動かなければ。

 足が一歩前に出たのは二人同時。手を伸ばし、駆け出し、声を上げて―――

 

「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお―――――!!」

 

 ―――ジャンヌが、震えてしまった。決意した筈なのに、恐れてしまった。

 一人だけ生き残ったフランスの軍人―――ジル・ド・レェの雄叫びだけが、オルガマリーの指先を止めていた。











 次回、過ぎ去らぬ者。





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啓蒙37:過ぎ去らぬ者

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 だが、所長の意志は鈍らず―――バン、と銃声が鳴った。

 とある女の名を銘した血族の短銃(エヴェリン)は水銀弾を放ち、獣とは正反対の在り方をする聖女を撃ち殺す為に火を吹いた。

 

「…………マシュ」

 

「……ぁ―――クッ、オルガマリー所長」

 

 鈍重な大盾を持ったままでは踏み込みが間に合わない。そう察したマシュは武器を持たず飛び出し、義手から発動させた機械魔剣(ゲッコウ)で薙ぎ払う。彼女が込められるだけの魔力を充填したエーテルの刃は水銀弾とぶつかり、炸裂し、液状破片が広がり、だが魔力防御で身を守ることで水銀の炸裂作用から生き延びた。

 

「退きなさい。貴女はジャンヌを、自分自身の手で自分を殺させるの?」

 

「……嫌です」

 

「私達カルデアが出来るせめてもの償いは、ジャンヌを自害させないことしかないの。自分殺しの罪人として、魂を鎮魂させる訳には……いかないのよ」

 

「嫌です……――」

 

 殺意も敵意も、オルガマリーにはなかった。けれど、所長ではないオルガマリーをマシュは初めて見たのかもしれない。

 まるで―――夜空のような瞳。

 死も、呪いも、善悪も、全てを受け入れてしまう静かな目をした人。

 故にそれは戦友である筈のジャンヌ・ダルクの最期さえ、自身の感情を排除して合理的に許容する人外の精神性でもあった。

 

「マシュ。結末は変わらないわ……―――退きなさい」

 

「―――嫌です!!」

 

 無言のまま所長は手を下した。銃口は地面を向いている。溜め息さえも、もはや吐き出す気力が残っていない。

 

〝マシュがそうなのは分かっていた。だって、カルデアがマシュを育てて、純粋無垢なままで良いと成長させたのだから、そう在るのでしょう。藤丸も、此処でジャンヌの死に抗わないような男じゃない。そうじゃなければ、自分が死ぬ時だって言うのに、マシュと一緒に死ぬ意志を持って、彼女の手を握って冬木にレイシフトなんてしないことでしょう。

 手落ち。無様、無能。使えない、要らない女。誰の利益にもなれない。誰にも必要とされない。人間としても不出来な塵。死ねば良いのに、人みたいに死ぬことも出来ない価値無き思考する愚か者。

 だから、誰にも―――愛されない。

 所詮、私は私か。狩人なんて大層な存在になっても、何も変わらない。

 クソ、クソッ……クソォ……ッ―――――あぁ、オルガマリー・アニムスフィア。見なさい。啓蒙されていたのに、殺すべき時に殺せないと、世界が悪夢に堕ちるだけだと言うのに”

 

 最初からこうなると分かっていたから、ジャンヌにオルガマリーは問うていた。どう足掻こうとも、二重の意味でカルデアが彼女を殺す事になる。

 特異点を直せばフランスは修復され、ジャンヌは火刑にされて終わる本来の歴史に戻って死を迎える。だがそもそも聖処女ジャンヌに憑依された聖女ジャンヌを殺さなければ、ジル・ド・レェが願った聖杯の奇跡を破壊しなければ、あの獣の祈りより生まれた特異点は崩壊しない。

 抑止力は最後の手段として、聖杯から生まれた特異点の核に狙いを付けていた。

 人理のカウンターとして聖処女が召喚され、ジル・ド・レェに救われた聖女に啓示を下したのであれば、これが滅びを厭う人間の無意識が望んだ結末でもあったのだ。

 

「……オルガマリー所長、すみません。俺には出来ません。

 貴女がジャンヌを殺すところを黙って見ているなんて――――出来ません、絶対に!!」

 

 魔力で強化した四肢で十字盾を拾い、藤丸がマシュの下に駆け寄っていた。マスターから無言でマシュは盾を受け取り、先輩と呟く事も今は出来る気力が湧かない。しかし、所長や隻狼を見ていたマシュは、自分が為すべき事を感じて、それに殉じる意志を持っている。

 

「あぁ……でしょうねぇ―――っふ、ふふふふ。ええぇぇ、構いませんよ。構いません。知り合いが、知り合いを殺そうとしているんだものね。

 事情を分かっていても、友となれた者の為に……それは、止めるべき所業でしょう?」

 

 どうすればいいか、何も啓蒙されなかった。すべき手段の答えを得ても、人間は葛藤からは逃げられない。オルガマリーは狂気ではなく、苦悶によって意志を歪められている。

 ―――嗤うしか、なかった。

 マシュと藤丸が立ち塞がるだけで、引き金を迷う自分自身の無様が、可笑しくて堪らなかった。

 

「―――主殿」

 

「隻狼、貴方は見ていなさい」

 

 直後、遠くより叫んでいた男―――ジル・ド・レェが惨劇に間に合った。

 サーヴァントが憑依されているとは言え、その自覚が薄い生身の人間。一キロ以上は離れた場所に全力で走っても、数十秒は掛ってしまう。最後の生き残りであるジルは単身で馬にも乗らず走り出し、マシュと藤丸に守られているジャンヌの下に辿り着く。

 

「御無事で……御無事で、良かった。貴女が生きていてくれて、私は私はぁ……ック―――決して許さんぞ、そこの者。何故、この方を殺そうとした!!?

 彼女こそ、フランス最後の希望!

 人で無しの侵略者から国を取り戻したオルレアンの乙女であるぞ!」

 

 憑依したサーヴァントから知識が啓蒙されるのか、ジルは所長が持つ銃の能力と神秘性を漠然とだが理解していた。あの兵器は小型化した大砲であり、威力もそれに相応しい殺傷能力。肉体に掠っただけで、ただの人間は木端微塵となって肉片と変わるだろう。

 それで聖処女の眉間を狙うなど―――許される事ではない。何よりも、許してはならない。

 

「ジル・ド・レェ元帥……どうも、あの夜以来でしたね」

 

「貴様ァ……裏切ったか。仲間だと思っていたが、ジャンヌを誑かしていただけか!!」

 

 祝福が為された聖剣を鞘から抜き、ジルは今度こそ何を犠牲にしても守らなければならない。救世の戦乙女の為、自分では手出し出来ない敵が相手であったとしても、戦わなければならない。

 名も知らぬ女――狩人は、死よりもおぞましい血の気配の持ち主。

 だが、彼はそれでも……自分が死ぬと分かっていても、聖女を目の前で死なせる訳にはいかないのだ。

 

「―――ジル」

 

「ジャンヌ……」

 

 背後から聞こえる聖女の声は、彼がずっと聞きたかった筈のもの。しかし、あらゆる不吉が含まれた絶望のように思え、所長と向き合う剣の切っ先が定まらない。

 

「私は、死ななければならない。彼女は、私が自害を選ぶのであれば……―――せめて、と思って殺してくれるのです。

 主の下へ……フランスの為に、そう在れかしと召されるなら」

 

「何を、馬鹿な事を……ふざけるな、ふざけるな―――ふざけるなぁッッ!!

 貴女が死んで何となる、何が救われる、誰も救われないではないか。神が、主が、人に祈った貴女にそう在れかしだと……有り得ん。在り得てはならない。

 そんな神は、神ではない――断じて!!

 人の魂を貪る獣と、もはや何も変わらん汚濁ではないか!!?」

 

 怒りだった。聖女に死を選ばせる、この世の何かもに対する憎悪から生まれた憤怒だった。ジルは生命を使って魂を焦がす怨念が、自分の身の内から生まれる発火音が確かに聞こえた。

 

「それでも尚、私が死ねば―――この惨劇は、なかったことになるのです。何もかもが、彼らに燃やされる前に戻り……いえ、違いますね。失った命は元に戻らなくとも、私達の故郷は今まで通りです。

 何よりも、私が生きていると人理は戻らない。

 遥か未来に訪れる世界の終焉を、カルデアが防ぐには―――」

 

「―――滅べば良い!!

 獣が人を貪る世界など消えてしまえ……何処でなりと、無様に終われば良い!!」

 

 人理など―――知らぬ。

 救済など―――要らぬ。

 ジル・ド・レェは人々の営みで処刑されるジャンヌ・ダルクを救いたいだけ。

 

「その二人も、だからこそ貴女を守る為に……そこの女に、立ち向かっているのでしょう!?」

 

 所長に背を向けて、彼がジャンヌに振り返る。そして、ジャンヌを所長から守る様に立つ少年と少女が、ジルの視界に入っていた。

 ―――悲痛な貌を、していた。

 今直ぐにでも死にそうな顔面蒼白となり、少年と少女は握り締める拳から血を滲み出ていた。もうジルは理解したくなくとも、白痴でありたかった脳を真実が啓いていた。

 

「ジル……」

 

「やめて下さい……―――ジャンヌ・ダルク」

 

「私はもう……―――生きるべきではない」

 

「嘘だぁぁぁあああああああああああ!!」

 

 剣を向けていた所長に背後を見せ、持っていた聖剣さえも地面に投げ捨てた。ジャンヌは救われなければならないのに、それなのにジャンヌ自身が救われる自分の未来を拒絶する絶望。どう足掻いても、ジル・ド・レェが願う聖女の幸福は訪れない。

 幸福を祈る善なる人々の無意識も、罪科を犯す悪なる人々の無意識も、明日を生きたい全ての人にとってジャンヌ・ダルクが―――ただ生きているだけで、殺されるべき邪悪となってしまった。人々が未来を生きるのに邪魔となってしまった。

 

「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ――――ならば、私が貴女の為に祈る!!」

 

 もはやジャンヌは呼吸することさえ許されない。ジルはそんな世界を許せない。

 

「生きている貴女をまた、殺すなど……!!」

 

 ジルに憑依する英霊の記録が侵食を終えていた。絶望を前に膝を折れず、心も折れず、何もかもに足掻くと決めた。抗うのだ、最後まで。

 灰が最初の火より流す死の瘴気を受けた彼は、今この瞬間―――霊基を覚醒させていた。

 サーヴァントと言う結末を終えた後のジャンヌの死であれば、まだこのジル・ド・レェなら受け入れなくとも、ジャンヌの願いとして抵抗を諦めたことだろう。

 

「人間共……―――醜い、生きたいだけの人間共め!」

 

 だが―――ジャンヌ・ダルクは生きている。人間と言う寿命を全うしなくてはならない。そして、此処で彼女がカルデアに殺されれば、人理は修復され、また異端審問官共に陵辱された後に、火刑に処されて焼かれ死ぬ。

 そんな未来を許すことを、一欠片でも出来るものか。

 有り得ない―――世界を焼いてでも、否定すべき愚劣さだった。

 やっとジルは全てを理解出来た。あの狂った自分は、本当は全く狂っていなかった。確かな正気を持ち、一人の人間として醜い世界を正す為に人理に挑み、そしてフランスを焼き払った。侵略者共は皆殺しにされなければならず、故郷も燃やされなければならなかった。

 ただ―――それだけの話。

 誰かか……誰でも良いから人間は間違っていると叫び、紅蓮の聖女を救わないといけかった。

 

「うぅ、ぅ……ぁぁ」

 

 両手が地面に堕ちる。涙も土に吸い込まれる。ジルは願いの為に何をすれば良いのか分からず、人を救うべき願望器である聖杯が聖女を死に追いやっている。

 

「貴方の真心は嬉しい……でも、ごめんなさい」

 

「――――――」

 

 彼は肩に置かれた聖女の手を感じ、もう叫び声さえ上がらなかった。彼女の手が……静かに震えているのに、旗の聖女を守る騎士が膝を折るなど、ジルにとっても許される醜態ではない。それでも尚、ジャンヌが目の前にいるのに立ち上がれず、絶望を告げる彼女を直視する事も出来ない。

 

「人理は、それを望むのですか?」

 

「―――はい」

 

「貴女が死んでまで、守るべき未来なのですか?」

 

「―――はい」

 

「戦争が終わって、故郷を救って……そんな幸せな貴女の未来よりも、人理は尊いのですか?」

 

「―――ええ、きっと。未来は尊いのです。

 私たちが抱いた希望も……絶望でさえ、未来で生きる人々が紡いでくれますから」

 

「だが、それでも私は――――貴女に、生きていて欲しい」

 

 跪くジルはジャンヌを見上げた。否定の言葉を願い、聖女に祈る。でも暖かくて、暗くて、優しい黒い血の涙が、焦げた聖女の片目から流れていた。

 

「―――私は、そんな人たちの為に死ねるのです」

 

「ううぅぅ、ぁ……あっ―――あぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

 

 人の為に死ねる等と、聖処女ジャンヌ・ダルクに言わせる全てが憎くて堪らない。絶望が深過ぎて、彼女が悲しくて、心が可笑しくなって、叫ばざる負えない。

 

「ジル。どうか貴方にも、安らぎがあらんことを……すみません。オルガマリー、最後をお願いします」

 

「……………――――」

 

 その瞬間、ジル・ド・レェは自分の願望を捨て去った。彼女の祈りを受け入れた。同時に、オルガマリーの意志をも圧し折った。

 狩人になる前の少女だった頃に、彼女の時間が巻き戻る。

 殺したくない―――と、自分がカルデアの所長である事を憎悪させたのだ。

 

「えぇ、ジャンヌ・ダルク。貴女に感謝を。

 カルデアも人理も関係なく、オルガマリーとして―――貴女の死を、永遠に悔み続けます」

 

「背負わせて、ごめんなさい」

 

 拳銃がまた、向けられた。藤丸立香は動けなかった。もう自分が為すべきことが無いことを知り、ジャンヌの祈りに彼も心が折れていた。死んで欲しくない、と言う藤丸の願いを上回る彼女の献身に負けたのだ。

 けれど、マシュ・キリエライトは尚も駄目だった。

 最後まで戦い抜いた聖女への報酬が、眉間を水銀弾で撃ち抜かれ、脳漿を吹き飛ばされ、苦痛なく一瞬で死ぬことのみだ何て―――……あぁ、とマシュは本当に血反吐を口内に流す。歯軋りの余り、歯茎からも血が出ていた。叫び声を上げそうな自分の声を抑えつける為に、口元を押さえていた右手に血液が付着していた。

 何故ならそれを思い付いた自分の思考回路に、マシュは吐き気を感じていた。

 

「ジャンヌさんを、銃で殺すのは止めて下さい」

 

「マシュ、今更何を……いえ、いいえ。貴女、まさか―――駄目です!?」

 

 苦悶とは、オルガマリーの貌だろう。

 痛みとは、耐え切れなくなって初めて苦しいと実感出来る。

 

「最初から所長は分かっていたんでしょう……?

 そして、ジャンヌさんも本当は、それが一番苦痛のない死に方だって、分かっていた筈です。だから、二人は私に頼まなかった」

 

「いけません。貴女が……貴女だけは、誰かの為にそんな―――!」

 

「カルデアで私は、霊媒治癒が一番上手いです。

 所長にそう教えられましたから……だから、カルデアで一番、私は人を眠るように殺せます」

 

『――――――――――』

 

 何も言えなかったロマニは、もう何も言うべきではないと悟る。ジャンヌと向き合うマシュを見て、何を言うべきか分かる訳がなかった。果たして一体何を決心させてしまったのか、それが分からないロマニでもなかった。

 そして、マシュがオルガマリーの射線からジャンヌを守るように移動した。

 言葉なく、視線だけが交差する。他の者はマスターである藤丸も、最期をただただ見届けるべきだと悲壮な決意が出来るだけだった。

 

「マシュ―――」

 

「―――ジャンヌさんは、温かいですね」

 

 人殺しの義手を肩から垂らしたまま、しかし生身の右手だけで聖女を抱き止める。右手は背中から心臓の上にあり、対魔力で抵抗されなければ鼓動を静かに止めることだろう。そんなマシュにジャンヌは優しく笑みを浮かべて、まるで家族を抱き締める母親か姉のような顔で、自分に死を与える少女に涙が流れそうになる。

 死ぬのは、怖い。震える腕と肩をジャンヌは意志の力で止め、マシュを両腕で抱き締めた。きっと、人を殺すマシュの方が怖い筈だと思っていた。

 

「あぁ……マシュも、とても暖かい。それ……とね、何だか、とても眠くて………」

 

「はい……」

 

「痛くないの……痛く、ない―――母さんに、子守唄を唄って貰って……それ、で……眠っていた頃、みたない……懐かしい気持ち、で……本当、です……よ?」

 

 コクリ、とジャンヌの顎がマシュの肩に落ちる。力が抜けて、体を委ねて、瞼を開けるのも難しい。本当に、眠るみたいだと聖女は欠伸さえ出そうにある程に、自分を殺すマシュの魔力が暖かく感じた。しかし、確かに彼女の命は冷たく静まり、全てがマシュの送る優しい夢だった。

 

「……はい」

 

「あぁ、眠いです……みんな、が家で、待ってます……おうちに、かえらないと……かあさん……?」

 

「―――はい」

 

「みん、な……ごはんのまえに、ちゃんと……かみさ、まに……おいのりを、して、たべないと……てんご、くにいけま、せん……からね?」

 

「―――……はい」

 

「だか、ら……だか……ら、みんな……わた……しも、みんなの、ばしょ…………いく、よ?」

 

「はい、ジャンヌ……さん……はい、はい!」

 

「……あり、が……とう…………」

 

 力を失ったジャンヌ・ダルクを、マシュ・キリエライトだけが支えていた。眠るように死に、顔は安らぎに満ち、でも心臓はもう二度と動く事はないだろう。

 絶対に放さない。離れたくない。

 まだ暖かい人の体は、しかし直ぐに硬くなってしまうだろう。

 でも、マシュは自覚していた。ジャンヌから命の火を消し去ったのは―――この右手だった。

 

「――――――――――――――――――――――――――っ……」

 

 

 

 マシュの流す涙が、聖女の死を告げていた。

 

 

 

「ロマニ………」

 

『…………特異点、崩壊を確認。

 時間は掛るけど、一時間もしないで消えると予測できた』

 

「そう、ありがとう」

 

『いえ。では、レイシフトの準備を始めます』

 

「うん、お願い」

 

 仕掛け武器と銃器を夢の内に入れ、所長はまだジャンヌを抱き続ける少女を見た。そして、ジャンヌがもう喋らない事実も確認してしまい、溜め息さえ吐き出せなかった。

 

「主殿……」

 

「なに?」

 

 忍びの優し気な声も煩わしい。嘗ての自分に戻った感覚が残る所長は、他人全てが敵に見えて仕方がない。

 

「……我らは、為すべき事を為したまで。

 マシュ殿も貴女と同じ、未来への意志を持っておられます。聖女殿のお気持ちも同じく……そう、思いまする」

 

「分かってるの。そんなのは、分かってるのよ……隻狼、でもだって、じゃあジャンヌの意志は何処に行くの?」

 

「何処にも、行きませぬ。

 聖女の御意志は、今を生きる人が……継がねばならない」

 

「……貴方は、強いのね」

 

「……………………」

 

 何を言うべきか悩み、しかし狼は口を閉じる。これ以上、言うべき想いはない。感傷はジャンヌを殺したマシュに許される懺悔であり、見守った者は意志を継ぐことだけが許される。

 

「―――マシュ」

 

「エミヤさん……」

 

「彼女を、もう眠らせて上げよう。此処に、寝かせてくれ」

 

 真っ白く綺麗な厚い布を投影した彼は、更に投影した地面の上にそれを置き、その上にジャンヌを置くようにマシュに頼んだ。

 ……後は、厳かにエミヤが進めた。

 布の上に置かれた聖女は今にも動き出そうだったのに、包まっていく姿が彼女が遺体であることを理解させる。マシュはエミヤにそんな事をしないでと叫びそうになり、でもそれを我慢する為に震えるだけで、藤丸に手を握られても止まらなかった。

 だって残った唯一の生身の手で、マシュは生きていたジャンヌを殺したのだから。

 むしろ、そんな手を握る自分のマスターが人殺しの手で穢れそうで、本当は振り払いたかったのに、ジャンヌと同じように暖かい彼の手を放すことは出来なかった。

 

「あぁ……やっと、貴女は御休みになられたのですね。

 ジャンヌの遺体は私が責任を持って、彼女の故郷に運びます。例えドン・レミ村が焼き払われていたとしても、きっと……最後は、家族の思い出と近い場所で、眠り続けたいでしょうから」

 

「はい、ジル・ド・レェさん」

 

 白い布に巻かれた聖女の―――マシュに殺された、その遺体。ジルは優しく、誰よりも丁寧に、震える両腕で彼女を抱き上げた。

 

「―――カルデア。貴女たちに、感謝を。

 そして、マシュ・キリエライト。痛み無く、ジャンヌを眠らせて頂き……っ―――ありが、とう、ございました」

 

「…………どうか、御無事で」

 

「はい。そちらも、御達者で」

 

 マシュとカルデアにジルは頭を下げた。殺した憎い相手だが、ジャンヌに安らぎを与えた恩人でもあった。表情を歪ませる事もなく、聖女と共に戦場を走り抜けた騎士として、カルデアの前から最後は立ち去る事が出来た。

 ……そんな騎士の後ろ姿を、マシュはずっと見守り続ける。

 きっとジルは、ここが特異点だと分かっている筈。残り時間を思えば、数十分で崩壊してしまう世界だ。ジャンヌの故郷には辿り着けない。そうだとしても戦場のオルレアンから離れた場所で、一歩でも故郷の村に近い場所で終わるべきだと、マシュとジルの二人はジャンヌにそう思っていた。

 

「マスター、藤丸立香……―――これから先、別れは続く」

 

 エミヤは、ただ空を一人見上げる自分のマスターに告げた。

 

「うん……」

 

「誰かを助けるとは、誰かを助けないということ。それは誰かを殺さねば、何も救えないと言うこと。カルデアで人理を直す為に戦い続けるとは、ジャンヌ・ダルクをそうした様に我々が人を死に追いやる事に他ならない」

 

「………ッ―――それは、そうだけど!

 エミヤはそれでも人理修復の為に、カルデアのサーヴァントを続けてくれるんだよね……?」

 

「あぁ、そうだ。私は戦い続けられる。この身はアラヤの走狗である故、世界を守る為ならば地獄を住処としよう。

 だからこそマスター……君は幾度悪夢を見ようとも、努忘れるな。戦おうと決めた理由は、決して忘れるな。例えこの先、今と違う動機を覚えたとしても、英雄のように人を救う為に戦う事があるのだとしても、戦うと決めた現実から目を逸らすな。

 君は―――自分の人生の為に、生きる為に戦え。

 それを手放さなければ、藤丸立香は必ず自分自身を見失わずにいられるだろう」

 

「―――分かった。この先が地獄でも、俺は絶対に忘れない。

 ジャンヌの事も、清姫の事も、フランスで出会った皆の事も……俺が殺した敵の事も、全部忘れずに進んで行くよ」

 

 何もかもが終わり、特異点は解決した。カルデアの管制室が準備を終え、特異点崩壊に巻き込まれない様に、消滅する前に転移は始める事だろう。

 そんなカルデアを祝福するように―――パチパチ、と拍手の音が誰もいない筈の空間から鳴り響く。まるで宴会が終わった後のように、とても喜ばしい娯楽が終わったように皆を祝っていた。拍手で手が叩かれる音がする度に、精神を覆う理性の皮が引き剥がれそうな錯覚を、マシュは怒りの儘に実感していた。

 

 

 

「素晴しい結果です。ええ、とても素晴らしい結末です。

 カルデアの皆様……本当に、本当に、魂から心を込めて人理修復、御苦労様でした」

 

「―――生きていたのね、アン・ディール?」

 

 

 

 何一つ色の無い植物のような貌で、灰は灰らしく理性的に表情を作り変えていた。所長は感情が死んだ無表情で、その女と対峙する。

 だが、攻撃を仕掛ける事はしなかった。

 忍びにも手を出さない様に命じていた。

 今のカルデアでは、灰を相手にするのは非常に危険。今は静かなマシュと藤丸だが、一つでも灰が煽れば、冷静であろうとする二人の枷を一瞬で消し飛ばすことだろう。

 

「無論ですとも。宝具と言う概念が届きません。ソウルより巨人の王から見出した闇術の業の前ではね。

 それとアン・ディールではありません。私の名はアッシュ・ワンですからね。その人、今回のフランス特異点観光をする前に葦名で甦らしているので、そろそろ定着して欲しいです」

 

「知るか。最初からね、偽名使う方が愚かなのよ」

 

「仰る通りで。しかし、それは貴女のお父様がいけないのですけど」

 

 闇術の一つ―――反動。灰はカルデアに語らないが、英霊の宝具を無傷で処したのがその業だった。

 

「それで貴女は、何で現れた?」

 

 戦意だけでなく、殺意が高まり出す。あの藤丸でさえ、灰には怒りしか抱けない。

 

「お話をしておきたく思いまして」

 

「良いわよ。聞くわ、無駄話」

 

「では、世界を救うのに必要かもしれない……そんな無駄な長話を一つ。動機など下らないと、話が要らないのでしたら、もう私は帰りますが?」

 

「聞くわよ。言え」

 

「宜しいです。興味が無いなら無いで、それもまた喜ばしい。ですが、在るなら在るで答えを話す喜びもありますから」

 

「煩わしい。回りくどい会話の仕方ね……っ――――」

 

「歳のためです。それに、戦闘以外はゆったりするのが人の嗜みでしょう。老婆の娯楽を蔑むのは悪趣味ですよ……で、何かあれば答えますが?」

 

「―――っは、知ったことか!?

 貴女のそれ、人間性だったかしら。ふん、悪性の聖杯から生み出した泥って訳じゃないわよね?」

 

 そのクドさに所長は我慢出来ずに銃を向け、灰はそんな所長の姿を喜ぶだけ。震える腕では狙いは定まらないので静かな射殺の型は冷静そうに視えるだけで、もはや殺意に瞳が溢れ返っていた。

 

「さぁ……何とも。けれど、私の人間性は悪ではありません。だたの闇に過ぎません。それにただただ、人間の魂を混ぜ込んだのが、特異点で召喚したサーヴァントたちに流し込んだ誰かの心。

 英霊の魂を狂わせたヘドロは、まぁ……腐った人間性です。

 この世界の人間共の死んだ多くの魂は、英霊の心さえも狂わせる程に、私の闇を腐らせてくれたのです。膿が出来ても尚、魂は闇を腐らせ続けました」

 

 なのに、その銃口を灰は気にしない。むしろ、他の者が攻撃してくるように挑発的声色を高める程だ。

 

「自分の魂が望む唯一つだけの願望に、何もかもを捨てられる者。自分で決めた使命を、自分の為に準じられる者。世界を終わらせる事も、世界を救う事も、それが出来るのはそんなソウルを持つ人間だけでした。

 故に、腐った人間性を克服出来た英霊は―――……清姫だけなのです。

 何かの為に自分の魂を焼ける彼女だけが、我ら不死と同じ薪となる資格をソウルに宿していました」

 

「人理焼却……いえ、魔女を作った訳を言え。言わないなら、袋にして嬲り殺す」

 

 全員が武器を構えている。灰を倒すのに欠片も躊躇いはなく、その殺意が灰にとって心地よい。怒りに震える人間は魂を炸裂させる輝きに溢れ、人理の人間性に相応しい力を漲らせる。強烈な想いなくして、幻想が編まれない。

 

「何でと言われましても……ん―――ま、ジルさんの頼みでしたしね。

 いやはや、協力者のローレンスさんには良い結果をレポートに纏められてよかったですよ。暗い血の赤子実験とでも言いますかね。なので強いて言えば、共同研究における現場での実施調査ですかねぇ……ふふふふ。

 なので、ジャンヌが母親になることも喜ばしかった訳です。

 竜の魔女とは、彼女を特異点の巫女にする楔でありました。

 その為に聖杯の所有権を彼女に渡し、聖処女を奪われた聖女を特異点の核にし、まずは彼女が救われると言う因果律をジルの願望で固定させたのです。その後に聖杯をジルに譲渡させ、魔女に胎の中に入れて、彼女を最後の所有者になるように聖杯を設定した……と言う、シンプルなカラクリです。

 ……正しく、世界とは悲劇でありましょう?」

 

「アン・ディール……ッッ――――貴女はそれでも、私達の味方だったんですかぁ!?」

 

 跳び掛れば、死ぬ。自分が死ねば召喚システムが終わり、カルデアの人理修復が不可能となり、聖女の死が無駄になる。

 ジャンヌの死が、逆に怒りを得たマシュの重石となっていた。

 

「勿論ですとも。全ては人間が辿り着ける可能性を、人の手で啓く為の実験でした。即ちこの特異点の正体は、私が人間共の魂で描いた実験施設でありました、とさ!」

 

 ―――正真正銘の邪悪とは、この世全ての悪さえも道具にする人の意志。

 神も人も、世界も背負える筈なのに、私利私欲にのみ邁進する腐れ外道のカタチであり、実験と称して人を死に追いやる化け物だった。

 

「嘘ね……―――いえ、嘘ではないわね。

 魂から、貴女は本当の言葉を吐き出した。けれど、その魂を偽っている。本心を幾つも持つだなんて、意味もなく面倒臭い女よ」

 

「……ほう?」

 

 笑みを浮かべたまま、灰は表情も変えずに所長を見る。先程の邪悪に満ちた外道の雰囲気は何故か消え、楽し気な気配もなく、その落差に何故かカルデアの皆は心が冷える。

 忍びだけがただ殺す滅私の儘に、隙を窺っていた。

 そして、所長は鎮まる怒気に比例して狩人の意志が湧き上がる。

 

「本音の本心だから、貴女のその戯言はそれっぽく聞こえる隠れ蓑に過ぎないわ。何処ぞの屑の精神性を利用してるのか知らないけど、貴女の意志はその悪意に何一つ無い。

 ただの、人の知識を真似て行った所業でしょうに」

 

「……カルデアは、良い組織ですよね?」

 

 別人だった。悪意も何も、気配から消えていた。何処か、今の灰はおぞましい。

 

「はぁ……?

 何よ貴女は急に。どう足掻いても殺すし、もう居場所もないわ」

 

「不死なる狩人である貴女なら、人の魂の在り方も理解していますよね?」

 

「………だから、なに?

 人の魂の在り方に文句を言える程、私も貴女も聖人君子からは程遠い」

 

 特異点崩壊まで、まだ時間はある。灰の様子を監視しながらも、より多くの情報を引き出す為に所長は会話に乗った。マシュや藤丸も、エミヤでさえ本当はこの女を黙らせたかったが、すべきことではないと自制するしかない。

 

「愚かな事です。どう足掻こうとも、人間は不滅。故に、果ても無く不死です。

 私は確かに……この様で、もはや数え切れない無限を乗り越えましたが、それはこんな人理と言う箱庭の絡繰に捕えられた人間共も同じことだというのに。

 私と違い、此処の人間は寿命を持ち、死ねば、死にます―――で、どうなりますか?

 肉体は死んで、魂がこの世から消え、結局はまた輪廻する為にあの場所に、星幽界に戻るだけ。根源とやらの、この宇宙と言う巨大な絵画の外側の、誰かがこの世界を描くのに必要とした叡智が啓蒙される世界であり、所詮そこもこの世と繋がった同じ世界でしかありませんでした。

 根源の渦など―――文明の延長でした。

 誰もが、永遠と成り果てるのです。人の死が、死では無いのです。無に還ろうとも、人間として生まれた以上は……いや、魂と言う存在を持ち得てしまった以上、誰もが本当の意味で死ねないのです。空も無も死も、人の繰り返される輪廻を断つ事はなく、寿命で死んでも魂は永遠に囚われています。地球と言う惑星で誕生したこの霊長でさえ、星と言う箱庭が為され、そこの人類が死ぬ度に記憶が消え、思い出もなくなり、なのに全てを忘れた亡者の赤子となって魂は繰り返す。

 全ては、理なる力で繋がっています。

 我ら人の業は、そんな何かしらの理を解する為の技術。

 ならば……あるいは、魂を蝕す我ら不死が魂が廻る根源たる星幽界へと流れ着けば、あらゆる生物の情報炉であるあの場所で闇を為せば、面白そうではありませんか。それとも、この宇宙で発生した一番最初の魂も、そこで見付けられるかもしれません。さすれば、魂の総てが啓蒙されることでしょう。

 ふふふぅ……良いですね、良いですね。果たして、如何程の魂を貪れるものでしょうね?」

 

「その理を破る為に、人理焼却を?」

 

「まさか、です。あの人類悪(ケモノ)に、そんな思想は持ち得ませんよ。

 むしろ逆ですねぇ……フフ。そもそも世界を焼いたところで誰の魂も滅びませんし、正しい意味で虫一匹消滅してません。虐殺をしたところで、誰もが消えることは出来ないのですから。

 私が特異点で殺した人間も大勢が死にましたが、誰もが不死。どうせ人理が終わったところで、魂が生まれた場所に帰るだけですしね。

 この世における不死性とは―――魂、であることなのです。

 何処の世界だろうと……全く、人間と言う生き物は哀れな生物でした。寿命を持って死ねる、と言う無価値な幻想に捕えられた不死の存在です。

 我らが個別に輪廻する永劫の不死ならば、人理の者共は死後に統合することで輪廻する不滅の共同体なのでしょう」

 

「だから、隠し事は良いのよ。貴女からすれば、そんな道理も所詮は知識に過ぎないじゃない。この長話も、手段と用法をそれっぽく聞かせているだけで、本当の事を本心だと相手に錯覚させているだけ」

 

 人は、こう言う話を真実だと感じると灰は考えている。魂の底から、この世界の人間も永遠を延々に繰り返される箱庭の理に埋葬された人類種だと思っている。平行世界と言う数多の絵画が描かれ、その世界で生命が発生する度に魂が具現し、死なばまた無空へと戻る。そして、その平行世界も所詮は大きな絵画の中で作られた一枚の絵に過ぎず、それがまるで本の頁のように連なっているだけ。魂の観点を持つ灰からすれば、人理の人間とは、死ぬ度に赤子からやり直す自分とは違う形に至った不死の亡者だと理解していた。

 それを如何にかする技術を得たいとは考えてもおり、だがその技術も灰からすれば目的ではない。業とは魂に使われるのではなく、魂から生まれた自分の為に使われるべきである。

 

「……………―――成る程。

 貴公もまた、死を超える者であったな。あぁ確かに、蓄えた不死者の含蓄に過ぎず、私は目的をこの世で一度も明かした事はない。

 ならば、何も言うまい。好きに告発すれば良いだけだ」

 

 灰は、本当に空のような目を向けた。彼女が元からいた世界からすれば、余りに一般的過ぎる存在理由。彼女の世界において、亡者の王となる灰は彼女唯一人であったが、別世界が無尽蔵に在る様に、世界を終わらせる魂を持つ灰など所詮は唯の人間に過ぎない。

 亡者の王など―――一般人と何も変わらない。

 残り火の世界を飽きることなく輪廻させる。繰り返される無限の地獄を、不死の魂が永遠に生きる極楽として人生を謳歌する灰の人だけが、世界の輪廻を愉しんでいた。最後を通り過ぎても無数の灰が別世界で生きていたように、この灰もまた無限に連なる世界の楔となった灰の一人に過ぎないのだ。

 

「……―――」

 

 オルガマリーは、それを理解していた。既に魂と魂で意志が混ざり、何でもない人間の欲望しかあの女にないことも分かっていた。

 

「―――強くなる事。

 貴女にあるのはそれだけよ。世界や他者に、望みも恨みもありはしない。一存在としての進化も、業を鍛える為の知識と経験も、その為だけに使われた」

 

 灰は為すべき事を全て為した。それでも尚、終わりを許さなかった理由。

 

「―――素晴しいです。

 貴女が初めて私の渇望に辿り着きました。私と同じ不死以外では、ね」

 

 火継ぎも、簒奪も、終焉も、深海も、幾度も同じことを繰り返した。万か、億か、不死故の不滅のサイクルを踏破した。その果てに最初の火の簒奪者となり、絵画を燃やす答えを見付け、亡者の王として人間の時代を新たなる世界に創造した。

 なら―――死んでも、もう良かった。終わっても良かった筈。

 残り火を終わらせる薪の王の使命を超えて、灰となる前の唯の不死だった頃の使命も叶え、人間たちが闇を厭わぬ人間として生きる為の新世界を描いたのだから、人間としてやるべき事を全て終えたと言えるだろう。終わりのない神々の足掻きに最期を与え、何もかもに結論を出した亡者だった。

 

「絶望を焚べた不死として……――唯の人間として、もはや使命を果たしました」

 

 全ての責務を終え、使命を果たし、残り火の時代まで終われなかった全ての不死は、亡者となって救われた。絶望を焚べる者は、人間性の根源へと辿り着き、最初の火さえ絶望でしかないと理解して、亡者ですらなく魂を枯らして、死ねぬ故に永劫の眠りに着いた。なのに、彼女は薪の王の火で焦げた血液によって墓から暴かれた。空の灰となっても意志を継ぎ、絶望した疑念の先の、答えの向こう側に到達した。

 絵画を描いた―――亡者の王。

 火の簒奪者となりし灰の不死。

 亡者に意志を与え、魂に暗い血を施した者。

 絵描きの少女を母として、人が人として生きる闇―――ロンドールの絵画世界は、灰のソウルの中で今も尚、暗い魂を安寧とするべく収められている。

 

「されど、墓から暴かれたこの身は火の無い灰。古い獣の理に過ぎないソウルを脱する意志が、この魂から生まれてしまったのだから。

 ―――オルガマリー・アニムスフィア。

 貴女にならば、理解出来る価値観でしょう?」

 

 魂が終わりを迎えて、灰となって、空の器となったとしても、彼女だけは永劫に終われない。何故なら、灰の魂がもう生き死にを不必要としている。故に全ての業を極めた末、魂の限界を超えて強く、より前へと進み、強くなる為に人間の進化と言う可能性を無限に繰り返したい。新たな限界を迎える度に、越えて進みたい。だから、自分たちの絵画世界を焼いて外側に飛び出し、この世界でもそう在らんと彼女は業を繰り返した。

 正しく、オルガマリーの言う通り。

 最期を繰り返した灰が、全ての責務を果たしたのであれば、それしかもう残されない。魂が要らぬ意志を抱き、気が付けば業が意志となっていた。

 ……悪夢より根源を見た貴女なら、と灰はオルガマリーに微笑んだ。

 

「そうね……私も、貴女みたいに個別の生物として完成していれば、そう思った事でしょうね。人理の人間もまた、貴女が言ったように、世界の外側で泥沼みたいに無色の混沌となって融け合わさり、全体としては滅びることのない不死の霊長類。世界が一つ滅びようとも、他の平行世界は運営されて、様々な時間軸で無数の人理が生き延びる。

 人の命に寿命があるだけで、魂は貴女みたいに永劫でしかない。

 あらゆる世界の人々と繋がった人類全体で行う魂の回帰と、無限循環の運営。それを一個人の魂だけで完結させた輪廻転生こそ―――貴女の不死性の正体でしょう。

 人理を焼く程度の炎では……魂を滅ぼす程度の理ならば、本物の不死は幾度でも甦る」

 

 ダークレイスの業より、唇と唇で魂の意志を交わした仲である。所長が灰の内面を理解することなど容易かった。

 亡者となり、灰を越え――簒奪者となった、その不死性。

 全人類が廻り巡る輪廻が、個人で規模を変えずに運営される悪夢なれば、確かに自分の魂など転生に価値はなくなるだろう。重要なのは、魂から生まれた自分と言う意志の存在。それのみが、霧と闇の理を飲み干す確かな導となるのだろう。

 

「けれど御愁傷様。私は別に、貴女のような個別の存在じゃない。ただの魔術師で、人間よ。

 私こそ人理保証機関カルデアの所長―――オルガマリー・アニムスフィア。人の世に仇為す者ならば、例外なく討ち滅ぼしましょう」

 

「ふふふ……本心でしょうが、詭弁ですね。一番の望みと言う訳でもないでしょう?」

 

「でも、本当のことですので」

 

 所詮は何処まで行っても悪夢に魅入られた魔術師だと言う自覚があり、狩人の業を何処までも極めたい血の貪欲さを持つことも認めている。

 だが、力を求めた根底の願いを忘れる気も所長にはなかった。

 事実、悪夢を巡った彼女が得た業は人理を護る技術となった。

 

「―――成る程。なら、次はより……素晴しき世界を用意致しましょう」

 

「此処から、逃がすと思うの?」

 

「まさか。全てがですね、もう遅いのです。

 私とジルで救った筈のジャンヌ・ダルクをマシュさんが―――殺したから、残り時間は既に無い訳です。人理の為に、カルデアの為に、人を守るべき手でマシュさんがジャンヌさんを眠らせましたから、この特異点も眠りに付く時間がやっと訪れました。

 憐れな聖処女だった聖女と共に、悪夢には覚めて貰いましょう。

 赤子が夢見た世界は、母親が殺されたことで現実を得てしまいましたからねぇ……ふふふ」

 

 その瞬間―――特異点の崩壊が始まった。過去の世界にとって異物である灰と、そしてカルデアの皆は時空の崩落に逆らえない。まだ崩落までの時間はあったのに、そのタイミングを管制室が読めず、故に緊急的にレイシフトを開始せざるをえない。

 カルデアは、何でと疑問を叫ぶことも出来なかった。

 逃げるのに間に合わなければ、世界の狭間を彷徨うことになる。

 

『―――レイシフト、緊急開始!』

 

 だが灰は、特異点に絵画を燃やす火をそもそも仕込ませていた。最初から、何もかもが掌の上だった。好きな時に、好きな様に、世界を崩落させる事が出来たのであろう。

 オルガマリーと、藤丸とマシュは、特異点の外側へと送還される灰を見る事しか出来ない。

 殺すことも止めることも出来ず、カルデアに還るレイシフトの流れに身を任す事しか許されない。

 

「カルデアの善き人々よ。貴女たちは、期待を裏切りませんでした。

 是非とも私の為に強くなって、裏切り者のアン・ディールを殺して下さい―――何度でも」

 

 暗い魂から、そんな呪いの声を聞きながら、カルデアに還るしかなかった。そんな自分勝手な願望を聞いた藤丸は怒りの余りに雄叫びを上げ、マシュは魂が捻れる絶叫を行う。だが時間流に音が掻き消され、しかし灰と所長には聞こえていた。

 狩らねばならない―――絶対に、暗い魂を。

 オルガマリー・アニムスフィアの意志が人理修復ではなく、その決意に定まった。ジャンヌ・ダルクの意志を利用した女を、決して許しはしないのだ。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 何もかもが終わり、静かな争いがない時間。二人の故郷は平和になった。飛竜の影が空に一つもなく、竜血騎士も土地を徘徊せず、狂った英雄共が街を焼かなくなった。

 このフランスで誰もが忘れようとも、ジルだけは決して忘れまい。

 侵略者から国を守り、その献身で生き残った民を全て守り抜いた聖女の自己犠牲。

 

「……………………」

 

 彼は馬車に乗っていた。聖女の遺体を荷台に乗せ、彼女が生まれた故郷を目指していた。誰かの為に死んだ希望を野晒しにするなど神だろうと絶対に許さず、その希望を絶望に変えた腐れた神を許すつもりもない。冒涜など、この世には何処にも無い。

 王家と貴族共が、土地と民衆を―――いや、人間が人間を支配する世界。

 でも、本性が薄汚い獣であるのだとしても、ジルは聖処女が何の為に戦ったのか知っていた。

 

「……………………」

 

 パカパカ、と馬が進む足音がする。

 ギリギリ、と車輪の軋む音がする。

 

「……………………」

 

 ジルは思わずジャンヌに話し掛けようと思い……あぁ、と聖女がもう死んでいる事を思い出す。彼女が眠りに付く瞬間を見ていて、でもその光景が余りに静かで自然だったからか、本当に眠っているだけだと今でも勘違いをしたくなる。

 生きているのだと、錯覚したかった。

 呼吸をしているだけで、息苦しい現実を忘れたかった。

 そもそも受け入れられる訳がなく、もはや神も人々にも何ら価値を感じる事が出来ない。

 

「すみませ~ん……そこの騎士様。出来れば、僕も馬車に乗せてくれませんか?」

 

「……どうしたのだ、少年。こんな場所で」

 

 馬車で街道を進んだ先、この周囲には焼き払われた村落したない筈なのに、ジルは少年を見付けた。道端で馬車を運転するジルに手を振いながら声を上げ、子供らしい笑みを浮かべて、滅んだ国の子供とは思えない元気を出していた。

 だが……ジャンヌは、こういった子供の為に死んだ筈。

 人理など良く分からないが、人が未来を紡ぐとは、その意志を先の世界まで残していくこと。

 

「色々あって皆死んじゃいまして。僕もまさか、こんなことに巻き込まれるとは思わなかったけど、何とか最後まで生き延びる事が出来たんですよね」

 

「そうか……―――そうだな。あぁ、これも神のお導きだろう。

 折角、こうして生き延びたのだ。騎士が、民を見捨てる訳にもいかない。近場の無事な街まで運ぼう。乗って行きなさい」

 

「ありがとうございます、騎士様!」

 

 ジャンヌも此処で子供を死なせるべきではないと思うに違いないと、ジルは何気なく考えた。本当ならば早くドン・レミ村まで行き、眠りに付く彼女を安らかに埋葬して上げたかったが、聖女が守った国の民を見捨てるなど出来る訳がなかった。

 

「では、旅の共だ。私の名はジル・ド・モンモランシー=ラヴァル。貴族ではあるが、今のフランスにもはや家名と血統に価値はないだろう。

 長いのでジル・ド・レェ……いや、その名も今は無用。単にジルとでも呼び給え」

 

「成る程!」

 

「それと、荷台に行くのは駄目だ。戦場で死んだ我が友の亡骸を故郷に送る途中でな、誰であろうと彼女の横にいることは許せない。

 すまないが……狭くとも、街までは隣に腰掛けるように」

 

「わかりました。ありがとうございます!」

 

 ジャンヌが眠る荷台の方に少年を座らせる気は全くなく、ジルは少年を自分の隣の席に座らせた。そして、胡乱気な思考回路で彼はふと思ったことを口に出す。

 

「……そう思えばだが、君の名は?」

 

「名前は、そうですね……家名はプレラーティです。僕の名前は、フランソワ・プレラーティ。好きに呼んで下さい、ジル様」

 

「ああ、宜しく頼むよ。フランソワ君」

 

 全ての運命が、もう定まっている。此処は未来より変えられた過去である。

 終わってしまった出来事ならば尚の事、誰にも変えられはしない。特異点が崩落するのだとしても、二人が出会う運命は人理でも何一つ変わりはしないのだから。

 















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断章・オルレアン
<●>:ステータス2・フランス編


 ネタばれがありますので、第一特異点の章を読んで貰えると幸いです。


◆◆◆◆◆

 

 人間性を火によって英霊のソウルに適応させ、灰が与えたそのヒューマニティによって大幅に変質したサーヴァントのステータス紹介。

 ここではヒューマニティにより霊基変質がより強く作用したサーヴァント設定となります。

 

◇ヒューマニティの説明

 スキルの一つ。亡者の穴から溢れる深淵を最初の火で炙った闇。その特殊な人間性をサーヴァントが灰によって付与された事で発生した。サーヴァントは生身ではなく世界に召喚された霊体なので幾度も死ねる不死化はしないが、より効率的に魔力を補充する魂喰いを本能とされ、それによって食欲、性欲、強欲が満たされる。更にこのヒューマニティは命への渇望、魂への使命感、人への自己犠牲を持つ対象者に対して非常に強く作用し、その霊基をヒューマニティが進化させて別人に変質させる。しかし、聖人や超越者の精神性を持つ者は変質せず、あるいは自我を認識する自己を維持させたまま変異する。それはヒューマニティがその者の人間性が完成された一つの精神性だと認め、その自分のまま強くなることを生命賛美として昇華させたい働きがあるため。

 

◆◆◆◆◆

 

 落旗聖女竜獄「オルレアン」

 ヒューマニティによって霊基変質したサーヴァント一覧。

 

◇ルーラー:ジャンヌ・オルタ

◇セイバー:シュヴァリエ・デオン

◇アーチャー:アタランテ

◇バーサーカー:ランスロット

◇アサシン:佐々木小次郎

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ジャンヌ・オルタ

クラス:ルーラー

マスター:ジャンヌ・オルタ

性別:女性

身長/体重:159cm/44kg

属性:混沌・悪

 

パラメータ

筋力A  魔力A+

耐久C  幸運E

敏捷A  宝具A+

 

クラススキル

対魔力:EX

――魔術に対する抵抗力。一定ランクまでの魔術は無効化し、それ以上のランクのものは効果を削減する。

真名看破:A+

――ルーラーとして召喚されることで、直接遭遇した全てのサーヴァントの真名及びステータス情報が自動的に明かされる。相手の魂を見破る為、宝具や技能で隠蔽された真名だろうと視認してしまう。

神明裁決:B

――ルーラーとしての最高特権。聖杯戦争に参加した全サーヴァントに対し、二回令呪を行使できる。

 

スキル

竜の魔女:EX

――ジルの願いで生み出された彼女は、生まれついて竜を従える力を持つ。聖女マルタ、あるいは聖人ゲオルギウスなど竜種を退散させたという逸話を持つ聖人からの反転現象と思われる。

火種の夢:EX

――炉から分け与えられた火種。憎悪を薪とする黒い炎の揺らぎから生まれたが故に強い力を保有するが、同時に一つの生命体としては永遠に認められない。そして彼女の魂は、黒竜の残滓が黒炎の種火として融け合わさっている。竜種では無い身だが、呪いの火として竜の息吹きを身に抱く。

啓示(偽):B+

――魂の囁き。彼女に人として生きる為に植え付けられた人間性は、それを与えた人物が持つ戦闘経験も宿している。それらは彼女に対して危機的状況を見破る第六感を与え、戦局を打破する為に必要な選択を正解させる能力を持つ。神からは程遠い亡者の王が与えた偽りの啓示となる。

カリスマ:E

――軍団の指揮能力、カリスマ性の高さを示す能力。団体戦闘に置いて自軍の能力を向上させる稀有な才能。

ヒューマニティ

――魂の蠢き。宿した人間性が変化したスキル。個人の願望、幻想から生み出された生命体だが、その核に存在を許されない赤子の魂が使われている。生まれなかった人間が正体であるため、彼女は自分の人間性を生まれながらに獲得していた。そして、その赤子こそジャンヌ・オルタであり、その存在を確かに現界させるマスターでもある。よって追放者の錬成炉により、赤子、聖杯、黒竜が人間性に融け込むことで生まれた闇の奇跡がこの技能となる。

 

宝具

吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)

ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:100

――竜の魔女として降臨したジャンヌ・オルタが持つ呪いの旗。聖人ジャンヌの宝具同様に敵の攻撃を受け止めるが、この宝具はその攻撃を一律に物理的攻撃力へと変換し、何倍にも膨れ上がらせた上で反射する他、味方が死ぬなどするとより威力は増す。

燃える竜の指輪(レッドドラゴン)

ランク:C 種別:対自己宝具 レンジ:―― 最大捕捉:――

――火の加護。装備者が放つ呪いの火力を上昇させ、炎の破壊能力を強くする。薪の王が自分から漏れ出した火と、百匹を超える飛竜のソウルと、焼き殺された万を超える人間のソウルを贄とすることで錬成炉から作り出した宝具。

黒竜の火瞳(カラミット)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:10

――呪術によって形を為した魔剣。黒竜の一つ目が組み込まれ、黒い炎によって呪いの火種で鍛えられている。黒炎を纏わせた刀身を地面に突き刺すことで、自分を含めた周囲全てを焼き尽くす能力を持つ。だが本来の力は別にあり、一つ目の竜眼によって相手を束縛し、そのまま宙に浮かばせることで念力で圧壊させる。旗の宝具と違って敵の攻撃を受け止めてから攻撃するカウンターではなく、憎悪の火を以って竜の息吹きを宝具化させたもの。しかし与えられた因子から具現した複製品であり、単眼の災厄を呪術化させた神秘に過ぎない。よって元々は量産品のロングソードに過ぎず、だが呪われた竜の魔女が人々と国土を焼き殺すことで魔剣へ成り果てた。

 

【Weapon】

◇聖杯

 霊体して内蔵している魔力機関であり、願望器。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:シュヴァリエ・デオン

クラス:セイバー

マスター:ジャンヌ・オルタ

性別:不明

身長/体重:155cm/44kg

属性:中立・悪

 

パラメータ

筋力B  魔力C

耐久B  幸運A+

敏捷A  宝具C

 

クラススキル

対魔力:C

――詠唱が二節以下の魔術を無効化する。大魔術・儀礼呪法のような大掛かりなものは防げない。

騎乗:B

――大抵の乗り物を乗りこなすことが可能。幻想種については乗りこなすことができない

 

スキル

心眼(真):A

――修行や鍛錬で培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘理論。他国でスパイとして活動した経験と竜騎兵の隊長として戦争に参加した経験を持ち、老いた後は剣客として腕を磨いた過去を持つ。

自己暗示:A+

――自らを対象とした強力な暗示。更に剣士として至った老境の精神性がこのスキルを歪め、虚ろな無我を獲得している。これによって精神に働きかける魔術・スキル・宝具の効果に対して高い防御効果を持つ。デオンはこのスキルを駆使することで、時には男に、時には女として完全に振る舞ってみせる。

麗しの風貌:E

――服装と相まって、性別を特定し難い美しさを(姿形ではなく)雰囲気で有している。男性にも女性にも交渉時の判定にプラス補正が働く。また、特定の性別を対象としたあらゆる効果を無視する。しかし剣士としての最盛期である老人の姿であるため、更に性別をあやふやとする怪しい存在感となり、それが逆作用されてしまう。

百合の枯花:C

――老いた最後の騎士道。剣士として完成された騎士でありながら、手段を選ばない合理性を持つ。騎士道に背く作戦を立案し、それに対する成功確率を上昇させるスキルとなる。これは英雄としての誇りは枯れ、王家に対する忠誠も擦り切れ、されどシュヴァリエを捨て切れなかった意志が呪いとなったもの。

ヒューマニティ

――魂の歪み。枯れ百合の老騎士。本来ならば若い姿で召喚された騎士であったが、剣士として至った全盛期である老人の姿に変えた呪い。スパイとして全盛期だったシュヴァリエ・デオンとは在り方が全くの別人であり、シュヴァリエとしての誇りは残滓でしかない。

 

宝具

枯百合散る幻刃舞踏(フルール・ド・リス)

ランク:C++ 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:1

――見る者の心を奪う美しい剣舞。老境の精神が百合の花散る剣の舞踏(フルール・ド・リス)を一人の剣客が振う剣技として昇華させた宝具。見た者に刃の軌道を錯覚させることで第六感と経験則の両方を完璧に狂わせ、相手の防御行動を素通りして一方的に斬殺する。振われる剣技自体は魔力は要らないが、魔力を消費するとフランス王権を象徴する百合の花びらが周囲に枯れ落ちる。その中で鮮やかに剣を振るって舞うことで対象を幻惑し、筋力・体力・敏捷のパラメーターを低下させることが可能。即ちこれは精神攻撃+物理攻撃のコンビネーションとなる。物理ダメージは宝具発動時の一度きりだが幻惑状態はしばらく持続する。魔力消費も少なく、すこぶる使い勝手の良い宝具。しかし老いた騎士は剣技のみに専心することでこの宝具を極めたが、代わりに対軍宝具「百合の花咲く豪華絢爛(フルール・ド・リス)」を失っている。

百合散らす革命の火(カービン・ド・リス)

ランク:D 種別:対人宝具 レンジ:1~30 最大捕捉:1

――騎士狩りの短銃。敵を殺す為に揃えた武器の一つ。魔力を弾薬として装填し、魂食いで得た魔力をそのまま銃弾として発射する。これはフランス革命で使われた騎兵用小銃の一種であり、老後のデオンが持っていた護身道具に過ぎない。しかしフランス特異点に召喚された後、薪の王に鍛えられたことで火を宿され、宝具として所有することになった。

眩み舞う幽百合(エペ・ド・リス)

ランク:C+ 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1

――妖刀と化したサーベル。サーヴァントとワイバーンと人間達のソウルを使い、更に殺したその英霊の宝具を楔石の原盤として代用することで鍛え上げたシュヴァリエ・デオンの愛剣。Aランク相当の宝具に匹敵する魔剣だが、普段は魔力を絞ることでCランクに下げ、半透明な刀身にして見え難くしている。だが魔力を充填することで本来の刃を取り戻し、実体を持つサーベルとなって+補正される。これは決して英霊の宝具とはならない筈の概念武装。しかしもはや彼女の霊体の一部となり、人斬りの武器と成り果てた。この妖刀で振われる剣技である上記の宝具は技巧の冴えに加えて、更なる異端の刃が技に力を付与する事が可能。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:アタランテ

クラス:アーチャー

マスター:ジャンヌ・オルタ

性別:女性

身長/体重:166cm/57kg

属性:中立・悪

 

パラメータ

筋力C  魔力B

耐久C  幸運D

敏捷A+ 宝具B

 

クラススキル

対魔力:D

――魔術に対する抵抗力。Dランクだと一工程(シングルアクション)によるものを無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

単独行動:A+

――マスター不在・魔力供給なしでも長時間現界していられる能力。

 

スキル

獣化:C

――魔猪の毛皮によって、魔獣に変化したことを意味する。狂化スキルの代用となる能力。

殺戮技巧(弓矢):A+

――使用する道具の「対人」ダメージ値のプラス補正をかける。弓矢で攻撃する場合、込めた魔力によって殺傷能力が大幅に上昇する。また射殺す為の弓術もより冴え渡り、命中率と貫通力も共に上がるスキルとなる。

アルカディア越え:A

――敵を含む、フィールド上のあらゆる障害を飛び越えて移動できる。

追い込みの美学:B

――敵に先手を取らせ、その行動を確認してから自分が先回りして行動できる。

ヒューマニティ

――魂の軋み。自己進化による心身の変質。本来ならばバーサーカーの霊基になる程の狂気が思考回路を汚染しているが、深淵によって理性を強引に保たれている。狂いたくとも狂えず、しかし人を獣と錯覚する狂った認識能力によって理性的に標的が幼い子供だろうと冷徹に狩り殺す。視界に入る全ての者を狩人として狩猟する為、獣の狩人としてアーチャーは人間性を完成させてしまった。

 

宝具

深淵の凶猪(アグリオス・ヒューマニティ)

ランク:A+ 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1

――深淵に黒く濡れた毛皮。生前贈られた魔獣・カリュドーンの皮を身に纏うことで対象を魔性の存在へと変貌させ、理性を奪う代わりに強大な力を与える。身に纏ったアタランテは黒い靄に包まれて幸運以外の全ステータスが上昇、さらにAランクの「変化」が付与され、状況・環境に応じた形態変化が可能となる。しかし今は完全に同化してしまい、四肢の霊体が毛皮と成り果て、理性をそのまま残して狩猟を喜ぶ獣の狩人に進化した。意志を持つ猪の頭部も深淵に取り込まれており、彼女のソウルに喰い殺されしまった。普段は完全に宝具を霊基の深淵へ抑え込んでおり、通常の狩人として振る舞えているが、その力を解放すれば魂喰らいで貯めた子供の意志を憎悪に変えた魔物に転じる事となる。

闇天の瞳弓(タウロポロス)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1

――黒瞳の狩り弓。狩猟の女神、守護神アルテミスから授かった弓を深淵で鍛え直された宝具。引き絞れば引き絞るほどにその威力を増す。アーチャー自身の筋力はCランクだが、渾身の力を込め、限界を超えて引き絞ればAランクを凌駕するほどの物理攻撃力を発揮することも可能。上記の宝具で取り込むことで別宝具の真名解放が可能な筈だが、薪の王が深淵で濡らしたことで不可能になってしまった。

堕落の矢文(ポイボス・カタストロフェ)

ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~50 最大捕捉:100

――雲より高い天へと一本の太矢を撃ち放ち、与えていた深淵の加護を炸裂させることで、矢の豪雨を降らせ攻撃する。 降り注ぐ矢は暗い意志を持ち、温かい魂を持つ標的を狙って自動追尾する。もはや神の祝福など要らず、己が憎悪で以って地表を人間性の汚泥に沈める宝具と化した。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ランスロット

クラス:バーサーカー

マスター:ジャンヌ・オルタ

性別:男性

身長/体重:191cm/81kg

属性:中立・悪

 

パラメータ

筋力A  魔力B

耐久A  幸運B

敏捷A+ 宝具A

 

クラススキル

狂化:EX

――全てのステータスを上昇させる。代償として深淵に溺れてしまい、英霊の人間性を維持出来ない。魂喰いを本能とする魔物と成り果て、殺戮欲求に精神を支配される。

 

スキル

対魔力:B

――魔除けの指輪による守り。闇に濡れた指輪は力を増し、高い対魔力を持つ。

闇霊の加護:A

――精霊からの祝福により、殺戮を行う戦場で相手を殺害可能な機会を優先的に呼び寄せる。これはバーサーカーが深淵に染まったため、身に宿る精霊の加護も闇に堕ちた。

無窮の武練:A+

ひとつの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下でも十全の戦闘力を発揮できる。

深淵纏い:A

――魔力を纏うことで戦闘を補助する。だが魔力が深淵に汚染されており、バーサーカーは常に黒い瘴気を纏い続けている。魔力放出や魔力防御のような働きをするが、こちらはより物理干渉能力が高く、言うなれば重い魔力となる。

ヒューマニティ

――魂の狂い。深淵により狂化した精神を更に狂わせる暗い闇。既に意志を失っており、狂戦士でさえない虚ろな呪縛に囚われた。もはや正気を取り戻す術は永遠になく、死ぬまで魂が深淵に狂い続ける運命にある。

 

宝具

騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)

ランク:A++ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:30

――罠にかかり丸腰で戦う羽目になった時、拾った楡の木の枝だけで勝利したというエピソードが具現化した能力。彼が手にしたものに「自分の宝具」として属性を与え扱う能力。どんな武器、どのような兵器でもあろうとも(例えば鉄柱でも、戦闘機でも、銃でも手にし魔力を巡らせることでDランク相当の擬似宝具となる。また深淵纏いのスキルにより、宝具化した武器は例外無く深淵化する。

己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1

――他人に扮して数々の武勇を成した、ランスロットの故事を体現した能力。黒い靄を纏わせる事で己の正体を隠蔽しており、鎧の細部が十重二十重にブレてしまい、その正確な姿を捉える事が出来なくなる。また、効果はマスターの透視能力にも及んでおり、誰も彼のステータスを見る事が出来ない。しかしヒューマニティによって宝具は狂い、より効率的に相手を殺すために様々な“物体”に変貌する。人間の姿は勿論のこと、その状況に似合った無機物や生物にさえ姿を変えられる。

無毀なる深淵(アロンダイト)

ランク:A++ 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1

――上記の二つの宝具を封印することによって使用可能になる真の宝具。人ならざる者によって鍛えられた、決して刃こぼれしない無窮の剣。だがもはや深淵によって本来の力を塗り替えられ、湖光は暗い魂の闇と成り果てた。これに斬られた者は深淵を傷痕として身に残し、同じく魂も闇に穢されてしまう。

 

【Weapon】

◇バスタードソード

 平凡なフランス陸軍が使う量産品。それをソウルを使い、殺した英霊の宝具を楔石代わりにして鍛えたもの。魔力を込めると燃え上がる能力を保有。

◇機関銃

 灰がフランスに持ち込んだ重火器一式の一つ。これもフランスで焼け死んだ人々のソウルと、殺した英霊の霊基を楔石代わりに強化している。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:佐々木小次郎

クラス:アサシン

マスター:ジャンヌ・オルタ

性別:男性

身長/体重:176cm/73kg

属性:中立・悪

 

パラメータ

筋力A  魔力C

耐久B  幸運A

敏捷A+ 宝具B

 

クラススキル

気配遮断:A

――武芸者の無想の域「明鏡止水」として有している。だがランク自体はやはり正規のアサシンに劣っており、剣を振う直前まで気付かれない程度。

 

スキル

心眼(偽):A+

――視覚妨害による補正への完全耐性。 第六感、虫の報せとも言われる、天性の才能による危険予知である。この領域となれば、五感全てが戦闘に不必要な程の鋭さを持つ。

透化:EX

――明鏡止水。精神干渉を無効化する。無念無想を超えた空の心得であり、ヒューマニティによる浄化を耐えた魂が辿り着いた境地となる。空白となった心で何も無い世界を見出し、武芸者の究極を理解してしまった。

宗和の心得:B++

――同じ相手に同じ技を何度使用しても命中精度が下がらない特殊な技能。攻撃が完全に見切られなくなる。

燕返し

――対人魔剣。最大補足・1人。相手を三つの円で同時に断ち切る絶技。多重次元屈折現象と呼ばれる物の一つらしい。透化による精神は秘剣を零へ完結させ、世界を屈折させる斬撃に切れぬ法則も概念もないだろう。

ヒューマニティ

――魂の凪ぎ。無念無想を超えた究極の零。生前に辿り着いた無限の剣を超える為、人間性は闇に耐えた超越者をその上で火による浄化を施した。零に到達した先の、無の領域を潜る深淵に導いた。冠位に相応しい霊基となったが、それを使い潰したことで男は一刀を極め果てるのだろう。

 

宝具

火吹竿(ヒフキザオ)

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1

――竜狩りの物干し竿。それをワイバーンのソウルで薪の王が鍛えたことで生まれた宝具。改造の元になったのは火吹き槍と呼ばれる武器であるが、見た目の変化は刀身が日緋色金のようになっているだけとなる。

黒炎剣(ジャンヌ)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:1

――燃える闇色の刃。竜の魔女を斬り捨てたことで魂が宿り、刀身から噴出する黒炎を刃状に形成する。竜の息吹である黒炎は火吹き竿を振う担い手の意志のまま伸縮し、触れた物を溶断することが可能。憎悪を刃となった剣は持ち主の精神を破壊するため、高い精神防御がなければ狂戦士になり死ぬまで暴走することだろう。

火剣(ひけん)竜落(りゅうおと)

ランク:B++ 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:1~30

――対人魔剣。許容魔力を限界まで込めた瞬間の一振りを、全く同時に三つの円で斬り裂く宝具。巨体を誇る竜種を容易く三度も両断し、英霊となる達人だろうと見切れない技量で振われる。

 

【Weapon】

◇聖杯

 死に逝くジャンヌ・オルタから受け取った魔力機関であり、願望器。

 

◆◆◆◆◆



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|且_①:落旗聖女竜獄時系列設定

 第一特異点のダイジェスト式な時系列です。忘れた内容を読み直すのが面倒でしたら、これを流し見ればそのまま第二部特異点を読み初めても大丈夫です。


◇オルレアンの流れ

 

 聖杯が送り込まれる。

 ↓

 歴史が歪み始め、特異点化の下地が形成。

 ↓

 ジャンヌ・ダルクの拷問が何故か本格的に始まる。主な原因は、所長の脳より狩人様が特異点を観測していた所為で、特異点内部における歴史の流れが歪み始めた為。ついでにブラックホールで空間が歪むように、灰が行動する未来と過去において魂の持つ因果律が狂い始める。

 ↓

 処刑が延期され続ける。

 ↓

 遅れてジル・ド・レェが聖杯より召喚される。

 ↓

 助言者として灰が特異点に召喚される。と言うよりも、世界に侵入する。

 ↓

 灰の目的は特異点維持もあるが、個人的な錬成儀式の成功も目的にしていた。

 ↓

 街に突入したジルが住人とブリテンの兵士を海魔で殺し回り、そして贄とする。灰も火で以って焦土とする。

 ↓

 ジャンヌ・ダルク救出。だが妊娠していた。

 ↓

 聖女を拷問していたブリテンの異端審問と兵士を捕えたが、まだまだ殺さず。彼らに対する拷問を続行し続ける。

 ↓

 目覚めたジャンヌにジルが戦争の終わりを告げ、使命もまた終わったのだと結構時間が掛ったが説得する。

 ↓

 ジャンヌが日常に戻るも、拷問の怪我を理由にジルは彼女を故郷へ還さなかった。軟禁開始。

 ↓

 ジャンヌに妊娠を教えず、中絶手術を秘密裏に行う。

 ↓

 水子を生きたまま子宮から下ろし、聖杯でジルが生み出した霊基に魂を取り込ませる。そして、不確かな存在証明を確立させる為に聖杯を霊体に取り込ませる。

 ↓

 水子の死体は保管。

 ↓

 その霊基に灰が最初の火から発火させた黒竜の火と穴から漏れ出た闇を混ぜ込み、更にソウル内に幾つも保管する偉大な英雄のソウルに混ぜ込んだ黒炎を宿させ、その霊基へ与えた。

 ↓

 更に灰の方針により、人間ジャンヌから写し取った記憶情報もソウルに刻む。しかし人間ジャンヌがその記憶の出来事で思っていた筈の感情の記憶は全て削除し、過去の記憶として闇から溢れる憎悪で塗り潰す。喜怒哀楽が憎悪に染まり、生きた人間に嫌悪しか抱かない。ジャンヌ・ダルクとして家族と過ごした暖かい過去に一切価値を感じず、戦争に参加を決意した啓示の時も憎しみの対象。戦争の思い出はブリテン兵を虐殺した悦びに溢れ、輝かしい栄光は暗く沈む怨讐と成り果てた。無論のこと、人間ジャンヌが受けた拷問も生きた実感として魂が覚えていた。それを人間が覚える記憶ではなく人格情報と言う記録として、ソウルに改竄した記憶を絵画を描く画家のように色彩を入れた。

 ↓

 挙げ句の果て、火刑に処された記憶を生きている人間ジャンヌは持っていないので、灰は自分が焼け死んだ時の記憶を改竄することで偽装情報をソウルに描く。なので、その霊基は英霊ジャンヌではないと持っていない筈の火刑時の記憶も保有する。

 ↓

 聖杯を宿す竜の魔女ジャンヌ・ダルク誕生。即ち、聖杯より産み出た火の落とし仔となる。

 ↓

 憎悪と殺意を燃料に魔女ジャンヌは殺戮を喜んだ。自分が英霊ジャンヌ・ダルクではなく、聖女から反転した魔女である事が嬉しかった。一切合切躊躇せず、街の生き残りを虐殺する。異端審問官と兵士の拷問は続行。

 ↓

 まずは本来の復讐相手である侵略者共へ応報するべく、ジャンヌは自身の手で焼き払うことを決めた。

 ↓

 竜の魔女ジャンヌ、灰を連れて侵略兵の鏖殺を始める。聖杯から湧き出る無尽蔵の魔力で以って、憎悪のまま軍勢を単独で焼き払い、ただただ殺し続ける。殺戮技巧の経験を重ね続ける。ついでに住民やフランスの兵士も焼き殺した。

 ↓

 手当たり次第に殺した後、魔女ジャンヌは一息してジルが待つ城へと戻る。

 ↓

 人間のジャンヌはジルがずっと軟禁中。情報を遮断させ、奪い取った城で快適な御姫様暮らし。

 ↓

 ジルに諭され、ジルを除くバーサーク・サーヴァント六騎召喚を魔女ジャンヌが召喚。自分自身が聖杯であるので問題なし。

 ↓

 竜の魔女が軟禁中のジャンヌと出会う。だが相手が生身の自分自身であり、自分が反転したジャンヌであると誤認しているオルタは、何故か人間ジャンヌ・ダルクに嫌悪も憎悪もせず。理解出来ない不可思議な情だけが存在していた。

 ↓

 肉体年齢的にはオルタは十六歳程度であり、人間ジャンヌは十九歳。関わり合いは姉妹のような雰囲気。食事や世間話もする間柄に。オルタが憎悪以外の感情を学んでしまった。しかし、ジルはそれを良しとした。

 ↓

 霊基改竄実験の開始。灰によってバーサーク・サーヴァントがヒューマニティ・サーヴァントに変質。

 ↓

 六騎全てのサーヴァントがより凶悪に変貌。その上でセイバー・デオン、アーチャー・アタランテ、バーサーカー・ランスロットがヒューマニティスキルと適応していまい、最初の火で炙られた英霊の霊体用に調整した人間性に適合。

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 またヒューマニティは所長が持つ啓蒙の瞳に対する発狂防御でもあった。ジルにも実は御守程度に汚染していた。レフを所長が一目で瀕死寸前に追い詰められた光景を見た灰の計画であり、冬木で所長がレフ抹殺に動かなければ人間性を撒くことも実はなかった。

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 デオンは老騎士となり、枯れ百合として殺戮を繰り広げる。

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 アタランテは獣の狩人となり、人を獣で在ると錯覚する。それによってフランスをアルカディアと認識し、狩猟場の森で人喰い害獣を狩るように幼い子供も大量に射殺し始める。

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 ブラド三世はフランスをフランス(オスマン)と誤認し、人々の血液から槍を作り上げて街ごと串刺しにする。また吸血鬼も増殖させる。楽しい。

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 聖女マルタは耐えるも、殺戮の命令には従がう。

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 カーミラも命令通り殺戮に参加し、だが暇な時間は拉致した婦女子を拷問に掛けて愉しむ。

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 ランスロットは命令通り殺戮に参加し、魂喰いの魔物として人々のソウルを貪り続ける。

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 戦力を増強。ブリテン狩りを再開。

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 まずは魔女ジャンヌが殺し損ねたブリテン軍の生き残りを全て殺し尽くす為、サーヴァント共に殺戮を命じる。侵略軍が使う軍港は真っ先に焼き払われ、フランスに置き去られたブリテン人虐殺に熱狂する。

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 サーヴァントが各々に殺戮を繰り広げる。

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 ついでに見掛けたフランスの都市や集落なども滅ぼす。

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 ジルも海に海魔を解き放ち、逃げようとするブリテンの軍艦を踊り喰い。

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 人理の抑止力によってサーヴァントが召喚され始める。

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 ジャンウ・オルタ、オルレアンよりフランス焦土作戦を同時実施。

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 抑止のサーヴァントが反抗。だがヒューマニティ・サーヴァントに劣勢。

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 サーヴァントを使って人間を殺戮し、収集したその魂を聖杯に使うことで邪竜ファブニールを召喚。

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 灰が邪竜に深淵を与える。闇喰らいファブニールに再誕。

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 ファブニールの因子を使い、竜の魔女ジャンヌがワイバーンの大量生産に着手。

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 またワイバーンの魂は、特異点で殺された人々のソウルも再利用されている。とは言え、集められた大部分は灰の暗い穴に収集されており、それは薪となる闇に相応しい人間性の暗さの部分。そこまで人間性が成長していない子供や赤子や弱いソウルなどが、主なワイバーンのソウルの材料。また動植物のソウルも含めてあらゆるフランスの魂がワイバーンとなっている。

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 良い手駒であるワイバーンの軍勢を存分に利用し、元より特異点化したフランスから逃げ場のないブリテンの兵士を追い込む。手軽な対軍宝具で広範囲市民虐殺に秀でる狩人アタランテを筆頭に魔女はサーヴァントも良く使いこなし、フランスの土地と海域からほぼ全てのブリテン兵士を取り逃すことなく駆逐し始める。

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 灰が自分の特異点に召喚しておいた無名の王を、その特異点から霊体召喚する。人理を守る抑止側のサーヴァントに、この王が殺すに相応しい英霊を見付けた。そして今のこの陣営を確認した上で、必要となるだろうカルデア対策の戦力増強でもあった。

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 数日後、ジルはフランスからブリテンの駆逐成功をしっかりと確認。よって彼は計画を次の段階に移行する。

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 新たな百年戦争、魔女と元帥が成し遂げる邪竜百年戦争の開始。

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 王城陥落。国家を崩す。パリの殲滅に成功。

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 崩れていた人類史が聖杯によって完全崩壊し、フランスが世界から隔離された特異点と化す。

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 灰の助言により、ブラド三世を騎士団長にした竜血騎士団を創設。団員はワイバーンの血を啜った吸血鬼であり、元々は牢獄に入れられていた罪人であり、ジャンヌ・ダルクを貶めたブリテンの異端審問官や兵士を陵辱することで罪科を許された者達。後は他の牢獄からも収集。

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 サーヴァント、ワイバーン、騎士団、それら全てに灰由来の人間性に汚染された。儀式の準備が完了。

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 竜血騎士団、ワイバーンを騎馬代わりにする幻想の竜騎士兵隊(ドラグーン)に編成される。

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 属性:混沌・悪で構成された竜血騎士団が、フランスの街や村を襲撃。殺戮を楽しみ、虐殺を喜び、女子供を陵辱してから鏖殺する。態と捕虜にした男も弄んだ後に皆殺し。

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 ワイバーンや、ワイバーンに乗る竜血騎士団から抵抗サーヴァントが住民を守るも力及ばず。

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 土地に染み込んだ流血が霊脈を刺激し、更に抑止力がカウンターでサーヴァントを呼び出す。

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 竜殺したちが本格的な竜狩りと竜騎兵狩りを開始。

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 魔女陣営、ヒューマニティ・サーヴァントの追加召喚。その時、清姫も召喚された。

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 しかし、何故か清姫は愛により狂うだけとなる。彼女にある人間性はソレだけだった。洗脳されているが人格の変化はなく、だがその狂愛にのみ特化した魂の在り方こそ灰は渇望した。よってソウルを貪った誰かに擬態さえ、その時は本当に嘘を吐かずに好きだ愛していると言葉を繰り返し、灰が清姫を完全に自分に惚れさせた。竜の姿さえ素晴しいと微笑んだ。

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 抑止として召喚された佐々木小次郎が、ワイバーンを切り捨てまくる。村や街を守り抜き、フランス特異点でサムラァイが有名になる。新たな竜殺しの誕生。

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 小次郎が同じく竜狩りをしまくっていた竜殺しジークフリートと合流する。

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 更に竜殺しゲオルギウスも参加し、ヴラド三世率いる竜血騎士団全戦力が退けられる。

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 助言者アッシュが元帥ジルと計画を練り、竜狩り退治と竜殺し捕縛を企む。

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 無名の王とオルタとファブニールと灰が、その三名の竜殺しを襲撃する。他のサーヴァントは虐殺に赴かせ、抑止側のサーヴァントを分散させている。

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 ジークフリートが灰のディープキスを受けて呪われ、その上でオルタの呪炎を浴びて再起不能に。

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 小次郎はこの特異点でファブニールを倒す為にジークフリートが必須だと悟っており、彼を逃がす為に殿兼囮として立ち向かう。

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 呪われたジークフリートを逃がすも、小次郎は捕えられる。

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 彼を仲間にしようと灰が助言し、ジャンヌの契約とヒューマニティによって小次郎が魔女陣営にされる。

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 もはや為す術なし。フランス殺戮を再開。

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 清姫、魔女と灰の陣営から離脱。マルタが助力したが、魔女らに協力が露見する。更なる呪いを深淵として祝福されるも、聖女は理性は消えたが知性だけは何とか維持。

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 人間性よって更に狂った清姫の愛が、バーサーカーとしての狂気さえも破壊し、洗脳が解けてしまった。嘘を吐かずに自分を騙している灰にその愛が反転するも、その復讐をする同時に人理を守ることこそ最高の仕返しだと思い、魔女に反乱する側に付く。

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 抑止力はカウンターとして最後の手段に踏み切る。即ち、ジャンヌによるジャンヌの抹殺。

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 百年戦争に参加した時がそうであったように、特異点で焼き殺される人々が放つ集合無意識の叫びを軟禁されていたジャンヌが聞いてしまう。

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 サーヴァントではなく、英霊でもないが、ジャンヌ・ダルクは真なる啓示を持つ聖女であった。

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 啓示が彼女に囁いた。理由は分からず、原因も分からないが、ソレと契約を結ぶと誓えば主の嘆きに応えられると。 

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 人間が守護者となるように、この特異点において守護者が生まれた。特異点解決の為、同じ存在が同時に存在出来ない為、英霊ジャンヌ・ダルクが人間ジャンヌ・ダルクに憑依した。生身の人間に霊基が構築される。

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 軟禁からジャンヌ・ダルクが脱走。ジル発狂。

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 ジャンヌの捕縛部隊がジルによって結成される。ジャンヌ・オルタはそれを容認する。火刑に処されても聖女のままである英霊の自分になら憎悪しかないが、火刑に処される事で聖女として完成していない生前の自分は別。

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 しかし、憎悪は積もるばかり。腹癒せに拷問していたブリテンの異端審問官と兵士の手足をジルが海魔で踊り食いをさせながらも生かし、そして魔女ジャンヌが竜の火刑に処した。その魂をジャンヌは更に踊り食い、自分自身と言う地獄の業火で苦しませ続ける。

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 カルデア、第一特異点としてフランス潜入を決定。

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 藤丸はまだまだ力不足な為、絶対の守りとなる上に契約が強く結んで相性抜群のマシュの他に、万能な能力を持つエミヤをレイシフト相手に選ぶ。魔術回路に掛る負担をコストと考えると、まだマシュ以外にだと一騎のみしか契約サーヴァントをレイシフト出来ない模様。

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 しかし、影霊呼びの鐘によってシャドウとしてカルデアと契約したサーヴァントは限定的な一時召還は可能。

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 所長は適性皆無なので、アサシン・隻狼だけ連れて特異点入り。

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 特異点潜入成功。落旗聖女竜獄「オルレアン」開始。

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 焼き払われたドン・レミ村にレイシフト成功。

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 天に光帯を発見。

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 魔物と遭遇。また人々を殺し回った後の竜血騎士団に遭遇。ジャンヌ・ダルクが敵の首魁だと騎士の話声から聞く。また情報漏洩を防ぐ為、皆殺し。

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 騎士が吸血鬼だと判明。日光から身を守る鎧を着込んでいるが、竜血を吸血することによって日光をある程度は克服していると解析する。

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 ヴォールクールに移動。情報収集したが、得られたのは竜を使役し、竜血騎士団によって殺戮を広げるジャンヌ・ダルクの話。また原作と違い、火刑から甦ったと噂されているのではなく、悪魔に魂を売ることで竜と竜騎士団を使役し、更に虐殺を繰り広げる人の姿をした悪魔を従えていると言う情報。そして、悪魔に魂を売ったジャンヌが、ブリテンにジャンヌを売ったフランスに復讐していると言う噂されている。

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 カルデアは本来ならば死んでいる筈の人間が生きており、そしてその人物が特異点で殺戮を繰り広げていると判断。

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 ヴァ―ルクールに襲撃。ワイバーンとワイバーンに乗る竜騎兵部隊「竜血騎士団」による殺戮が始まる。

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 カルデア勢が交戦。助太刀に憑依ジャンヌがこの街に避難していた家族を助ける為に参戦。

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 ジャンヌがカルデアの誤解を解く。

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 ラ・シャリテに向かう。しかし、竜血騎士団斥候が付けている。擬態と姿消しのスクロールを覚えさせた吸血騎士によるもの。

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 途中の森で一般狩人兼農民とカルデアが出会う。農村に住んでおり、かなり良い人。彷徨っているカルデアの人を自分の家に招き入れ、家族である妻と息子と娘達が持て成す。

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 守護者エミヤがジャンヌの状態を見抜いていた。折角火刑から生き延びたのに、それでもアラヤと契約してしまった事実に憐憫を抱く。

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 次の日の朝、カルデアが厄介になった家を出る。その後、竜血騎士団がその農村を襲撃。その家族も男が弄ばれて車輪亡者となり、女は陵辱されていから死ぬ。子供も死亡。

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 その後、その竜血騎士団がカルデアを勢いのまま背後から強襲。装備している槍を掲げ、バラバラに裂かれた人々が串刺しにされて運ばれており、そこにはカルデアを持て成してくれた家族もいた。

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 車輪亡者になった狩人の恨み節。更に死霊術師の騎士が、農村の亡霊を使役。母を求めてなく子供のゴーストが、藤丸とマシュに迫る。

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 カルデア、ガチギレ。一人残さず殲滅する。竜の血を吸った竜血騎士であるからと言うよりも、殺さねばならない敵もいると目の前で見せ付けられた。

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 家族の話になり、ジャンヌが母親達もラ・シャリテに避難しているとカルデアの皆に話す。

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 ラ・シャリテの近隣森林地帯に到達。

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 カルデアの位置を把握していたオルタが、ほぼ総戦力を連れて襲来。闇喰らいファブニールが暗黒ゴジラビームで街を蹂躙。更にその後、広範囲爆発暗黒火球の放ち、全てを灰塵に還す。

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 オルタ、ジャンヌの家族が避難していた事は見えていたので分かっていた。しかし、やはり暖かい家族の記憶に何も感じず、憎悪のまま全てを焼き尽くす。

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 オルタが灰と竜と従僕を連れてカルデアの前に現れる。元帥は殺戮活動の指示を出してるので来ない。セイバー・デオン、アーチャー・アタランテ、ランサー・ヴラド三世、アサシン・カーミラ、ライダー・マルタ、バーサーカー・ランスロット、アサシン・佐々木小次郎が立ち塞がる。そして、違う特異点から霊体として召喚された戦神が、ワイバーンに跨って大地を見下ろしていた。

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 そして人間ジャンヌに英霊ジャンヌが憑依し、サーヴァント化していることをオルタが見抜く。世界を救う為ならば、火刑から救われた筈の自分自身すら地獄に落とす英霊ジャンヌに奈落の底から憎悪を覚えた。そこまで英霊の自分が正しさを貫くならば、自分は絶対に憎悪を貫き通すと“英雄”のような人間性に辿り着く。

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 戦闘が始まるも、マリーが馬車で救助に来る。そこにはアマデウス、清姫、エリザベート、デオンが居た。

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 ジュラの森を進む。

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 聖女マルタ襲来。しかし、灰と老デオンとランスロットも気配を殺して追跡していた。

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 戦闘が始まるも、灰は幻肢大弓狙撃に徹し、老デオンが自分であるデオンや他の者を押せ込み、ランスロットが暴走する。

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 マルタをジャンヌが殺害。灰たちはマルタの最後を見届け、さっさと帰った。と見せ掛けて、実は灰とランスロットは擬態と変化を利用して森に潜み、カルデアを追跡する。また老デオンが変装することで民衆に紛れ込む。

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 マルタの情報を元に竜殺しを探しにリヨンへ向かう。その後を擬態二人組と、老女へ化けた老デオンが追う。

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 リヨンに向かうが竜殺しは居らず、廃墟の街には怨念によってスケルトン、ゾンビ、ゴーストが溢れていた。一通り殲滅した後、取り敢えず森の中で一泊。だが灰が石ころに化け、ランスロットが木に化けていた。

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 後日、カルデアが班分けされる。所長班が、所長、ジャンヌ、マリー、デオン、エリザベート。藤丸班が、藤丸、マシュ、狼、エミヤ、清姫、アマデウス。狼が藤丸班に入ったのは所長が嫌な予感がしたのと、対暗殺者対策に藤丸を守るのに適した狼を使いたかったから。

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 灰が連絡を行い、オルタには行動が筒抜け。

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 ティエールには藤丸班が、モンリュソンには所長班が向かう。

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 灰と魔女が連絡し合い、オルレアンに近いモンリュソンは魔女が奇襲し、灰がティエールで藤丸らを殺す奇襲作戦を立案。

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 モンリュソンにて、所長班が竜殺しであるジークフリートとゲオルギウスと邂逅。ジークフリートがディープキスをされて呪われ、その上で呪炎で焼かれ、その竜殺しを助ける為に竜殺し小次郎が犠牲になった話を聞く。藤丸らもカルデア映像通信でそれを聞く。

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 ティエールの街から、モンリュソンへと飛び去る邪竜とワイバーンらを確認。

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 モンリュソンに暗い闇のサンソンが向かう。そして、後を追う形で竜殺し佐々木小次郎と魔女ジャンヌもまた其処に居た。

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 所長班、ジークフリートの護衛と囮役に分かれることに。マリーとデオンが囮となり、所長達は街を出る。そして、魔女は彼女らを見逃した。

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 マリーとデオンは死ぬが、囮として街の防衛に成功。サンソンは狂い果て、魔女ジャンヌも足止めを喰らう。最終決戦を想定した魔女ジャンヌは撤退命令を出してオルレアンに戻る。

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 ティエールでは藤丸らがいるが、そこで一般人に化けた老デオンが暗殺を敢行。しかし、一歩手前で狼が藤丸暗殺を防ぐ。

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 それに乗じて街人に化けていたランスロットの強襲と、擬態で木箱に化けていた灰が奇襲する。魔力を膨大に込めた神の怒りで以って街に灰がクレーターを作り出し、上空に巨大な浮かぶ混沌を幾つも上げ、街ごと火による浄化を行う。

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 エミヤとマシュが狼が何とかランスロットとデオンと灰を白兵戦で抑え込み、だが上空からは人々を焼き尽くす混沌。アマデウスと清姫は援護。

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 魔女ジャンヌから指令を聞き、灰達は撤退する。近場で飛んでいたワイバーンが魔女からの指示で迎えに来る。しかし灰は嫌がらせで両手に呪術の火を宿し、この人理世界で呪術として編み出した苗床の残滓を込めた封じられた太陽を上空に浮かばせ、限界まで膨らんだ太陽をそのまま放つ。それはアン・ディールの封じられた太陽であり、デーモンの王子が放った隕石を呼ぶ太陽にも似ていた。その呪術、残滓の太陽を乗るワイバーンから下の街に向けて発射。しかし、マシュの宝具とエミヤの花弁盾によって防ぐも、ティエールは焼き払われた。

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 藤丸班と所長班がオルレアン郊外で合流する。治癒を受け続けたジークフリートが復活。ゲオルギウスは民を守る為に一旦離脱。

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 灰が錬成儀式を開始。自分の人間性を与えた者共は、不死と同じくソウルの吸収機能を灰の神秘によって付与されていた。そして、それらは全て灰に流れるように仕込まれていた。このフランスで殺された全ての人間のソウルが灰に流れ込み、残虐な手段で殺された人々の魂には濃密な人間性に満ち溢れていた。

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 だが、既にカンストした灰にソウル強化を無駄。こちらの型月世界に来てから貯めたソウルも、使い道がなく貯めるだけ貯めていた。言うなれば、ソウルの業的に肥満体質のピザデブ灰で、もの〇け姫のダイダラボッチみたいな雰囲気。

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 目的は、最初の火と亡者の穴に膨大なソウルを注ぎ込んで力を見出す為。

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 この度の特異点で集めた膨大なソウルと、使わずに貯めていたソウルを合わせ、遂に最初の火を錬成するに必要なソウルが集まってしまった。そもそも火を大きくすれば炉となる穴が焼き尽くされ、穴が大きくなれば火が消えてしまう。バランス良く錬成するには、膨大なソウルと人間性が必須であった。

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 火継ぎの螺旋を自分に刺し込み、自分を篝火とする。

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 その結果、竜血騎士とヒューマニティ・サーヴァントが保有する人間性も回収される。

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 火と穴に、魂と闇が注ぎ込まれた。

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 不死の魂ではなく、寿命による生命の熱が火に焚かれる。最初の火は、その熱により残り火から燃え上がった。

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 何もない空である灰の魂は腐らない。本当に腐っていたのは、灰を器として中身となっていた魂であり、その全ての魂が自分達を火に注いで殺してくれて有り難うと灰に感謝しながら無に還った。

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 そして、腐った闇をこの特異点で生んでくれて有り難うと燃えていった。灰は、何かに殺された魂を喰らっており、本来ならば人に殺されて恨み辛みに価値なく消える憎悪の魂に過ぎなかった。しかし、憎悪を晴らすことがこの特異点で虐殺によって行え、火に燃えて誰かのために終わることも出来て死ねた。

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 錬成炉によって、ついに火と炉を完全覚醒。薪の王として、火炉の権能に目覚める。火を見出した最初の四柱であるグウィン、ニト、イザリス、小人の神秘を獲得。

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 螺旋を引き抜き、薪の王が新生。灰は火の簒奪者として、古竜の力も神の権能も奪い取り、渇望の亡者と次の段階に進む。

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 そして、灰は器の魂に回帰する。空のソウルとなり、何もない灰に戻った。だが、その空の中には火と孔が新たにソウルを貪る自分の魂となった。

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 新たなるダークソウルの誕生には失敗したが、闇の薪として作り直す事には成功した。

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 しかし、竜血騎士とサーヴァントが腐った人間性から意志を覚醒させる。狂ったままだが、殺戮の罪悪を魂で味わい、無の境地を持つ佐々木以外は精神崩壊。

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 暗い魂の残り滓を、黒い血涙を流しながら魂が罪悪感に苦しめられる。耐えられるのは、無に至る佐々木だけ。

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 魔女もオルレアンに戦力を終結させる。敵陣は魔女ジャンヌ、ファブニール、ジル・ド・レェ、老デオン、アタランテ、ヴラド三世、カーミラ、サンソン、ランスロット、小次郎。そして、灰と戦神。後はワイバーンと竜血騎士団。

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 味方は所長、狼、藤丸、マシュ、エミヤ、ジャンヌ、ジークフリート、清姫、エリザベート、アマデウス。そして最後に遅れて来るゲオルギウス。

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 戦闘開始。竜血騎士団とワイバーンがぞろぞろ出るが、バルムンクで一掃開始。

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 ヴラド三世が騎士団と共に突撃するも、再度振われるバルムンクで騎士団ごと消滅。

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 魔女ジャンヌはワイバーンから高みの見物をし、火をばら撒いて援護。ジルは指示に徹する。灰と戦神も最初は参戦せず、魔女ジャンヌの指示を待つ。

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 敵味方全員が分断される。エリザベートとカーミラ、小次郎とジャンヌ、サンソンとアマデウス、老デオンと狼、遠くから狙撃するアタランテをエミヤが追い、ランスロットの姿はなく隠れていた。ファブニールと竜血騎士団に対し、ジークフリート、マシュ、藤丸、所長、清姫が対決する。

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 ランスロットが遊撃として、宝具を使ったジークフリートを背後から奇襲する。だがマシュが防ぎ、藤丸がサーヴァントを影霊呼びの鐘で召喚し、一人で立ち向かう。清姫も戦力となり、ファブニールとランスロット、そして藤丸らで決戦。

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 各自サーヴァント戦に移行。ファブニールはジークフリート、マシュ、清姫、所長、藤丸が抑え込む。

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 戦神と灰が空よりファブニールの元へ現れた。所長が一人で抑え込むと決め、防戦に徹する。

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 カーミラとエリザベートが戦い、エリちゃんが勝つ。サンソンがアマデウスを襲うが、ファブニール戦から離脱したマシュが参戦。アマデウス、マシュの助力によって処刑人を下す。

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 老デオンと狼が殺し合い、狼が勝利。

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 冷静に狙撃に徹するアタランテを、エミヤが狙撃戦で抑え込む。しかし何とか接近戦に持ち込み、エミヤが策を以って討ち取る。

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 アマデウス、エリザベート、狼、エミヤが自由となって援護に回る。所長の元へエミヤと狼が行き、何とか所長は持ちこたえていた。アマデウスとエリちゃんはジャンヌの援護に向かう。

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 ゲオルギウスが到着し、ジル元帥が率いるフランス軍が参戦。

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 小次郎はジャンヌと戦うが、防戦に徹したジャンヌが何とか生き延びていた。エリちゃんとアマデウスが援護へと到着。小次郎はそれでも攻勢に出るも、ゲオルギウス参戦によって撤退を選択。

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 小次郎が魔女がいるファヴニールの元へ。結局、エリちゃん、アマデウス、ゲオルギウスも全員が集結。

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 戦神と灰と戦う所長を見ていた魔女も、狼とエミヤが所長の援護に来たので本格参戦。実は気配消して付きそっていたジルも表舞台に。

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 指示を受けたランスロットがファブニールから離脱。小次郎もランスロットに付き、共にフランス軍を強襲。ワイバーンも同じく強襲。死体を築き上げる。

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 戦神、ファブニールに騎乗。 

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 灰もランスロットらを追い、フランス軍を囮に敵の分断を狙う。つまりは人間相手の虐殺を選ぶ。

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 戦神&ファブニールと戦う為、ジークフリート、マシュ、藤丸、清姫、エミヤが闘う。ランスロット、小次郎、灰を追って、狼、ゲオルギウス、アマデウス、エリザベートが出向く。

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 ジャンヌは魔女ジャンヌとジルに決着を付けに行く。所長はジャンヌの援護に。

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 ランスロットが狼に殺害される。灰はゲオルギウスを殺害し、小次郎は二人の音波攻撃を斬撃で切って防ぐも、決定打に及ばず。

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 見出だしたニトの死を灰が呼び起こす。太陽賛美の構えから死の神の怒り。

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 風が吹き、触れた兵士がすべて死ぬ。直撃を逃れらたサーヴァントは、生命を死で侵食されるも、何とか生き延びる。

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 灰が死者の活性によって戦死した者を爆弾として浄化する。所詮、死体など生きた者の成れの果て。不死には程遠い。

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 死者の活性による闇の風は死を含み、更に相乗させて死の怒りを拡散。抵抗力もなければ不死でもない人間は例外なく周囲纏めて古竜を殺したように生命を枯らした。よって生きた人間も瞬時に死に、そして死者の活性によって爆裂する。

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 フランス軍が纏めて爆散する。死体さえ肉片よりも細かい塵になる。それに乗じて灰は幻肢の指輪で逃走し、灰が盾で守った小次郎も気配を消して逃げる。

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 アマデウスとエリザベートは爆発で死亡。狼は回生で復活。

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 実はセイバーのサーヴァント、ジル・ド・レェが憑依していた人間ジル元帥は個人を狙った訳ではない死の風に抵抗は出来ていた。彼以外のフランス軍が皆殺しにされる。しかし爆風によって傷付くも、術者から離れた屍の活性化爆弾であったので、何とか死ななかった。

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 その頃、同時に戦神&ファブニールに対し、エミヤが固有結界に封じ込める。そして、清姫が龍化して空を飛ぶ。ジークフリートが不死身の肉体を利用して清姫に乗り、固有結界内で空中戦を仕掛ける。マシュは戦いの余波から魔力供給で身動きがマスターと、固有結界による射出と爆破を繰り返すエミヤを守りながらも、機を見計る。戦いの余波だけではなく、マスターを狙って幾度も戦神が落雷と雷撃を繰り返し、マシュはそれでも守り通す。

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 ファブニールがバルムンクの一撃と、体に刺さっていた投影が爆破することで死亡。

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 戦神が一人、ファブニールから力を授かって立ち上がる。

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 激戦の果て、マシュのとっつきを受けて戦神が死ぬ。だが本体ではなくサーヴァントの身から更に霊体召喚された太陽の白霊もどきであり、元の世界に送還されていった。

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 勝ったが満身創痍となる。清姫は龍の姿を見せたのに気にせず、更に格好良いと笑う藤丸に惚れた。マシュも正に浪漫だと笑い、エミヤも良い宝具だと褒め、ジークフリートは最高の竜だったとべた褒めだった。ぶっちゃけもう全員安珍様じゃね、と思ったのだが、衝撃が強過ぎて安珍の思いよりもこの四人に対する思いの方が重くなる。しかし、嘘を見抜く清姫は全員嘘を吐いていない事に気が付き、更にその中で一番龍化清姫に対して好意を持っていたマスターが好きになる。他の三人も安珍以上に好きだが、英雄でなくとも立ち向かう藤丸がドストライク。

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 ジャンヌが魔女ジャンヌに家族に対して何の情も湧かない自分に対し、もはや別人であると言葉責め。実は魔女ジャンヌも自分が反転しているとは言えジャンヌ・ダルクであることに違和感があり、自分の人生の記憶も疑っていて、結構精神攻撃でダメージを受ける。

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 魔女ジャンヌと元帥がジャンヌと所長と殺し合うも、元帥が魔女ジャンヌを庇って致命傷を受ける。

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 元帥がジャンヌに魔女ジャンヌの真実を告げる。彼女はまだ水子だったジャンヌの子であり、ジャンヌは妊娠していたと言うことを。魔女ジャンヌは確かにジャンヌの偽物であるが、ジャンヌから生まれた本物の子供だと言うことを。これは灰と元帥しか知らない真実だった。

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 瓶の中、そこには水子がいた。それは人間として生まれる前の、魔女ジャンヌの肉体。それを彼女は渡された。

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 最後の力を元帥が振り絞り、自分の霊基と宝具を生贄に巨大海魔を召喚。更に灰から渡されていたこのフランスで殺して集めていた人間のソウルも使い、魔女ジャンヌに渡す前に予め宝具に貯めていたド級魔力も使い、海魔を強化していた。もはやランク規格外の化け物となる。

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 魔女ジャンヌも知らない事実に茫然とするも、逃げろと叫んで消えた元帥の言葉に覚醒。

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 藤丸らと狼が到着。

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 ジャンヌが宝具で海魔を倒そうとするが、ジークフリートが止める。最大火力を誇るジークフリートが渾身のバルムンクによって海魔を払うも、彼は真エーテルの宝玉さえも纏めて魔力に変え、それでも殺し切れぬと判断していた。バルムンクの光に続き、そのままジークフリートは海魔に斬り込み、半壊して真名解放不可能になったバルムンクと一緒に悪竜の血鎧で壊れた幻想をすることで、海魔を中から自分ごと自爆した。

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 灰と小次郎が魔女ジャンヌが死ぬ前に間に合う。魔女ジャンヌが撤退を選び、オルレアンの城へ帰還。

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 魔女ジャンヌが灰から全てを聞く。己が偽りのジャンヌ・ダルクだと知り、しかしこの特異点でのみ生きる人間であると言う事実に安堵する。存在してはならぬ者として、母親を犯して自分を孕ましたブリテンは殺すべきであり、母親を裏切ったフランスは復讐すべき敵であり、自分と言う存在を消そうとする抑止を運営する人類史は滅ぼさないといけない。

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 ジャンヌが自分の子を殺害するか葛藤するも、戦いに赴くことを決意。

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 ジャンヌを前に、魔女は水子の自分を握り潰し、燃やした。

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 城にて、最後の決戦が始める。互いの思惑から、ジャンヌとジャンヌが殺し合う。そして、小次郎と灰が組み、それに対して、藤丸、マシュ、エミヤ、所長、狼、清姫が戦う。

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 灰、久方ぶりに最初の火を本格的に燃焼。薪の王の権能解放。最初の火から神が見出した力を出し、暗い魂から深淵の澱を使う。つまりは暗黒が似合う力、死を利用する。墓でニートしていた墓王ニトが持つ生命を熱する死を引き出し、人間性によってネオニートとなる。神の怒りが冷たい死の熱風となり、死の瘴気を闇として纏う。ついでに装備はダークレイスの正装である闇シリーズとダークハンドで、墓王が振っていた墓王の剣を持つ。

 ↓

 エミヤと狼が小次郎と戦うも、小次郎は学習していた。生前はなかった戦闘経験を経て、侍として覚醒。

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 灰が藤丸を集中狙い。マシュ、所長、清姫が戦うもネオニート攻撃でアボン。実は藤丸と見せ掛けた所長狙いであり、全身を墓王剣で串刺しにされる。そしてマシュの守りが突破され、藤丸が死にそうになるも清姫が守る。

 ↓

 清姫は霊核を砕かれるも、自らの霊基を贄にして龍化。藤丸に愛の言葉を告げ、特攻。全身を灰に巻き付き、燃やしながら壊れた幻想で自爆。

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 灰の消滅を確認。しかし、闇術・反動で生存。念のための惜別は使われず。本当は爆炎の中で霧と幻肢を使い、一気に離れて透明化。

 ↓

 ジャンヌが魔女ジャンヌの宝具を防ぎ切り、そのまま突撃して心臓串刺し。だが最後の火炎でジャンヌを吹き飛ばし、令呪で最後の自分のサーヴァントである佐々木を呼ぶ。

 ↓

 最初で最後の反抗期。魔女ジャンヌは魂を佐々木に継承させるために自分の首を落とさせ、魂喰いを行わせる。彼の刀にジャンヌの黒炎が宿る。竜狩りや処刑者が相棒のソウルを継いだように、戦神が竜を引き継いだように、小次郎もジャンヌのソウルを引き継いだ。

 ↓

 聖杯が、小次郎に渡った。

 ↓

 最後のヒューマニティ・サーヴァント、黒い炎のササキが立ち塞がる。

 ↓

 戦いの果て、紅蓮の乙女によってササキを殺害。しかしジャンヌは燃え尽き、英霊ジャンヌは消滅した。生身の彼女は生存する。

 ↓

 聖杯を回収したが、特異点が修復されない。

 ↓

 聖杯を望んだ男の最後の奇跡が残っていた。ジャンヌが死なねば、フランスは特異点のまま。

 ↓

 生き残っていた元帥ジルが要塞に辿り着く。

 ↓

 問答の末、元帥はジャンヌの死に絶望し、だが認めてしまう。

 ↓

 マシュが特異点修復の為、人間ジャンヌを痛みなく殺害する。

 ↓

 ジャンヌの亡骸を、ジルが一人で抱えて進んでいく。せめて、生まれ故郷に埋葬しようと。

 ↓

 拍手が鳴り響く。灰はその事故犠牲を喜んだ。聖女が自分と同じ選択を選んだことを、人間に不死性の有無は不要なのだと理解して、世界を喜んだ。次の特異点で待っていると、彼女は瞳を輝かせて送還された。それと実は死んだ魔女側のサーヴァントは贄として、ラインを通じて灰の炉に燃料投下されていた。

 ↓

 特異点修復完了。エンディング。

 




 第一特異点。灰の所為で悪夢化し、ヤーナムの悪夢的異空世界が重なることで原作から変化した主な点。実は大元の原因は、灰の人の魂が重過ぎて周囲の因果律を歪めまくっていたから。ダクソワールドの一般亡者は人理ワールドの一般人の数千倍の魂を持ち、だいたい1ソウル=一般人が持つエネルギー量。それとオルガマリーの脳内から世界を観測していた狩人様が、その瞳を通して因果律があやふやで夢みたいに定まらない特異点と古都ヤーナムが地味に重なり合ったから。その基点部分として、宗教裁判の遅延によってジャンヌの火刑が遅れ、拷問過程が長引き、結果としてジルによる生前のジャンヌ救出が間に合っていたりします。
 赤子のメルゴー→暗い竜の赤子、邪ンヌ。
 メルゴーの母親→啓示の聖女、ジャンヌ。
 メルゴーの乳母→火の奪還者、アッシュ。
 悪夢の主→ジル・ド・レェ。
 目玉なメンシスの脳→蛸神化したジル・ド・モンモランシー・ラヴァル。
 再誕者→闇喰らいの邪竜、ファブニール。
 隠し街のアメンドーズ達→召喚されたサーヴァントら。
 特に理由もなく襲ってくる違う夢の狩人→生身のある葦名から召喚された戦神。
 メルゴーの従者たち→悪夢を好む竜血騎士団。
 メンシス学派の実験生物→暗い穴の薪にするには人間性が見発達だからと灰に捨てられた無垢な子供らのソウルを原材料に、魔女と邪竜の血から量産された幼子達のワイバーン。
 ヤハグルの犠牲者となった住人→フランスの民衆。
 ■
 悪夢より血が流れたことによって、特異点が異界化。そして、狩人様は悪夢に暗い血を流せました。灰も自分が役目を型付けされたのを理解してましたが、そもそも使命を役目とすることに不都合はないので、そのまま炎上させていました。


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啓蒙38:聖女の遺子

 ブラスフェマス日本語訳版好き。個人的な心象ですが、ロックマンゼロとダークソウルが合わさった雰囲気。お勧め、お勧め。
 それと今回はエピローグ。
 これにて第一特異点は終わります。また前話は昨日に更新しましたので、読んでない人は前回から読んで貰うと分かり易いと考えています。


 目覚め―――呼びかけ、呼び声が聞こえる。

 聖女から生まれた赤子は現実から覚醒し、悪夢の揺り籠で目が覚めたのかもしれない。あるいは、目覚めない悪夢に寝入ったのかもしれない。

 言えぬ事はなく、繰り返される同義の概念。

 此処には道理もなく、根拠もなく、順番もない。仕掛けすらなかった。

 何処にも意志は繋がり、逆に遺子の臍の緒は断たれている。故に、断ち切られぬ偉大なる死血。

 夢に溺れたこの世は失楽園にも能わず、されど悪夢は人の脳に秘匿されず、我らの営みを上位者は模倣した。青ざめた血は、乳母に奪われた赤子も死骸から生まれた遺子も狩り、狩人を夢に招いて悪夢狩りをした。血を得た人間は月明かりに囚われた人形となり、意志を得ようとも人形に触れ、その意志を捧げ、亡くした意志を更に求め、また意志を失うのだろう。

 

「糞ね。ポエム過ぎるわ、此処……」

 

「だが貴公、仕方なし。愛しい我が弟子に敗れ、逝き場所もないのだ。気色の悪い蛞蝓を厭うならば、獣の魔女に堕ちる他なし。

 ならば暗い魂の赤子よ―――受け入れ給え。

 此処は我が悪夢と繋がりし、別の悪夢に眠り沈んだ古都の一つ故……あぁ、それは貴公の黒ずんだ憎悪を掻き乱し、更なる叡智に辿り着く涅槃の寝床となり得よう」

 

「あ、そう。そりゃどうも。

 それとね……その、あれよ。アンタさ、車椅子に座るとポエマーになるの、ちょっと頭どうかしてるわよ」

 

「斬新だろう。悪夢の空を見上げながら交信していてな、その時に啓蒙されたのだよ。何でも世には、眼鏡の有無で性格が変わる変質者もいるのだとか。

 二重人格に変じ、戦闘狂にも変じ、人格変化も様々らしい。我が本体も、寄生する星見の狩人がその手の変質者と出逢ったこともあるらしく、写し身の私も参考にさせて貰ったよ」

 

「そんな変態は忘れなさい」

 

「―――ふむ。で、幾度かは夢を巡ったか?」

 

「知るか。これなら、地獄に落ちた方がよっぽどマシだったわよ」

 

「良き哉、善き哉……暗い上位者の赤子よ。まこと貴き叡智なりし、啓蒙深し、不可視の悪夢。だが、それではまだ蛞蝓の私を狩るには意志が低い。

 思考の次元を上げ、寄生虫を貪り、瞳を脳に植え給え。

 輪翼を得た失楽使徒には程遠く、星の娘を嘆きに落とせない。

 望まれぬ聖女の遺子ならば、暗い魂の赤子に生まれ落ち、しからば狩りを全うせよ……」

 

「はいはぁい……つまりアレでしょ、焼いて狩れば良いってだけじゃん」

 

「死より夢に訪れ、しかして貴公は悪夢に染まる。この古都に至る前、その魂は全て青ざめた血に浄化され、血を溜める器となった。

 力を失い、名も失い、心を失う。だが、狩人は狩り以外を失った人で在らねばなるまい。

 暗い血の魔女よ、どうかね……巡り回る螺旋状の悪夢は、貴公に新たなる貴公を啓蒙させたことであろう?」

 

「―――え……はぁ、別に?

 白痴になっても私はずっと私だから特には何も感じないし……それに、つまんないです。蛞蝓共が求める瞳やら啓蒙やらと、脳改造になんて全然興味ないです」

 

「貴公、我が弟子になれんな。私の悪夢を得た宿主、星見の狩人ならば、聖杯の地底を遊技場に戯れ続けていたのだがな。となれば、手の掛る面倒な養女が限界であろう……いや、焼け野原で拾った赤子の遺子であるのだ。孤児は事実であったか」

 

「なにそれ。良くそんな戯言垂れ流すだけなのに、私に助言者だなんて言えたことですね?」

 

「助言とはそう言うものよ。何より、この身は写し身。夢見る肉亡き私は、我が愛しい弟子の脳にて、始まった獣共の宴を観測せんと啓蒙を求めている。

 あぁ、我が弟子……―――星見の狩人よ、暗い血の涙を悪夢より求め続けたまえ」

 

「一々、そいつと私を比べないで欲しいのですが?」

 

「無理からぬこと。だが、貴公が貴公である故に特別と瞳を向ける者、私以外にもこの悪夢へと来るのも事実。それまでは辛抱すると良い」

 

「誰、そいつ?」

 

「赤子は、自分が生まれた母胎を夢見る。貴公にとって、それが意志が生まれる揺り籠であった」

 

「はぁ……だから、誰ですか?」

 

「暗い落とし子よ、分からぬか。その者は、貴公にとって母親と呼べる者だ」

 

「――――…………………………………………は?」

 

「暗い赤子よ、疑念ばかりでは脳髄は満ちぬ。知識を欲するなら、この悪夢を彷徨うと良い」

 

「分かりました。何時もの啓蒙ですね、啓蒙啓蒙。はいはい、啓蒙啓蒙」

 

「内なる瞳を厭うなかれ。貴公は私らと同じく、頭蓋の裏側を見ることが可能なのだから」

 

「―――――気色悪い。啓蒙(インサイト)とは、良くもほざけたものです」

 

「獣性に反する人間性。形無き真相を見抜くそれが、形持つ啓蒙。それ故、貴公もまた、我らと同じく悪夢に囚われた。狩れども黄泉返りし上位者と、我らにそう呼ばれる者も、暗い悪夢に囚われた無形の意志に過ぎん。

 なら貴公―――死に給えよ。

 無限なりし夢幻より解かれたくば、素直に意志全てを脳から吐瀉するが良い」

 

「イヤよ。私は此処で目覚めますので。迎えも要りません」

 

「ならば、良し。では貴公、好きな時に死に、好きに狩り、好きな生死を巡り続けよ。何れな時間にて、貴公が忘れた頃、暗い赤子を産んだ聖なる者が必ずや泣き声まで辿り着こう。

 ……故にこそ、永遠が延々と続く悪夢に生き抜きは必要だ。

 いや、生き抜きではなく、死に抜きか。どちらでも(ワタ)抜き好きな狩人共には同じことか……まぁ、良い。魔王が夢見る外なる宙より来訪した我が友がな、我らの人形にパンケーキを覚えさせた。今日は食べて行きたまえよ。悪夢で飼育された豚で作った特性のベーコンも乗せてある。

 素晴しい味だぞ……うむ。実際、素晴しかった。貴公がまた死んだ後、人形に作らせよう」

 

「誰が食べますか。あの糞餓鬼、余分な事ばかり……―――っち」

 

「そうか……だが、残念ではあるまい。

 何処もかしこも悪夢ばかりだ。そう言う一生もまた一興だろう」

 

「は? つまり、なに?」

 

「夢は人が廻すと言うことだ。頭蓋の内より覗く鍵穴の瞳は、貴公をまた嘲笑いに訪れよう。だが、我らの悪夢は我らだけの夢物語。

 丸みを帯びた時空など、この悪夢に居場所なし。

 無論、鋭く澱む時空も啓蒙されぬ悪夢であろう。

 欲するならば、貪り給えよ。逃れたければ、求め給えよ。資格は既に持ち、貴公は既に三本目の三本目を通り過ぎた魔物狩りならば、あの瞳さえも魔女の独眼となり得よう」

 

「悪夢の外に出る気はないわ。狩る相手もいませんし……此処は囚われているからこそ、狩人にとって自由な夢の国なんだから」

 

「結構な意志だ。素晴しい狩りへの専念だ。ならば貴公の興味無きあの少女について、私なりの助言をしておこう。

 元よりあの神性、我らの青い星に在らず。

 古き生命ではあれど、古い時代では非ず。

 空想は、悪夢より生じた。夢見る男の脳漿から流れ出た。あの鍵穴の瞳もまた現実からすれば空想の産物だろうが、同時に悪夢から生み落とされた外なる生命なのだよ。即ち、我らが悪夢を生まれ故郷とするのと同じく、空を想いし王の夢が鍵穴の母胎。

 夢より生まれし者は、夢見た者の脳に囚われる。

 広がる宙が夢ならば、神なる命もまた妄想の中。

 何れか醒めるべき外なる宇宙であれば……我ら悪夢の生命種、暗い宙を魔王の夢より覚ますも一興。絵画を燃やす様に夢を狩り取れば、残る存在は狩人の取得物とならん」

 

「所詮、アンタも狩人ってこと?」

 

「事実は否定出来ぬ。されど、今は助言者である。欲しはせぬよ。求めもせん。だが、我が不出来な育て子を止める道理もありはせん」

 

 そんな、何の価値もない問答をしたのはどの位前だったか。

 そして、一番最初に問答をしたのは十年前か、百年前か、千年前か。

 あの月の狩人を名乗る助言者は何時でもおり、けれども夢の写し身に過ぎないため、会話もまた夢の繰り返しであった。

 ……魔女は―――(ハラワタ)を喰われていた。

 何故か魔女と同じく此処で悪夢を繰り返す男、カインの流血鴉。そいつは彼女を切り刻み、内臓を抉り、そして死に切れぬ状態のまま路上に放置した。

 結果、動けぬ狩人など獲物に過ぎない。獣化したヤーナム市民は血肉に飢え、はみ出た内臓を口に入れ、穴が空いた腹に口を入れ、生きたまま臓腑を貪り喰われていた。

 

「―――はぁ……あの、糞野郎。

 次は殺して、燃やして、十字架に飾ってやる」

 

「ギャ!」

 

 魔女は腸を噛まれているのにも関わらず、その獣の口に左手を突っ込み、触媒より秘儀を発動。穿った虚空から触手が飛び出し、そのまま獣の食道を通って内臓に届く。エーブリエタースの先触れは生きたまま臓腑を撫で、神秘が体内から血を舐め回した。無論、触手は上にも伸びた。

 獣は想像を絶する激痛を受け、即座に悶死。

 凄惨さは生きたまま肉食獣に食べられていた魔女の上だろうが、脳味噌も臓物も絡め舐められた獣は、全身に走る違和感によって拷問以上の拷問を味わい、それは苦しんだ末の極刑を受けたと言えよう。

 

「痛い……」

 

 悪夢の時計塔を越えた先。宙浮かぶ漁村の、井戸の中の半魚巨人に生きたまま丸かじりにされた事に比べれば、意識がある状態で内臓を喰われる程度は問題ない。最初の頃の魔女は幾度も頭部から巨魚人に噛み砕かれ、脳味噌を咀嚼される嵌めになった。

 しかし、痛いものは痛い。内臓を血流操作によって体内に戻し、位置を調整し、復元を当たり前のように開始した。狩人であれば出来て当然の自己治癒であり、内臓を抉り取られる度にそんなことばかり上手くなった。

 

「……痛いです。痛い、死にたい。死にたい。死にたい。死にたいほど、痛い。痛いです。死ねないけど……ハァ、死ねないわ。こんなに何度も死ぬと、復讐を願う憎しみも湧かないわね」

 

 狩り殺した。狩る為に、殺した。殺す為に、狩った。巡り回る死も目覚めとなり、落ち沈む生は眠りとなり、そして痛み狂う現実は寝入るだけ。死んで、死なせて、死に続け、死なせ尽くし、なのに誰も終われない。古都は真実、人が見る悪夢となった。もはや何故、どうして、此処で獲物を狩っていたのかも分からない。何処に何を求めているのかも不確かだった。

 目玉に交信を。

 使者に意志を。

 悪夢に賛美を。

 赤子に母親を。

 獣性に啓蒙を。

 生死に輪廻を。

 狩猟に得物を。

 殺害に獲物を。

 扁桃に脳液を。

 内臓に爪先を。

 暗い魂の赤子は悪夢に、暗い魂の血を運んで来てしまった。 

 蛞蝓となった狩人の上位者が魔女の意志を尊び、赤子ですらない水子の願いを聞き入れてしまった。

 

「貴公、助言をしよう。助言者らしくな」

 

 もう百は確実に超えている。千に届くかも知れない。あらゆる形の聖杯を踏破し、血晶石の収集も区切りが付く程。けれども魔物を狩り、悪夢を終わらせて、また始めて、けれど魔女は飽きずに助言者に助言を求めてしまう。時計塔の屍とそっくりな人形に車椅子を押され、夢の中の庭を動きながら眺める男に、魔女は悪態を吐きながら世間話を促した。

 

「助言者ね。まぁ確かに、貴方はかなりのお喋り好きな啓蒙野郎みたいですけど」

 

「良き返答だ。ならば、答えよう。狩りに言葉は無用。学びは啓蒙が絶対。意志は収集される故、脳と瞳で事足りる。

 しからば、そも助言者など狩人に要らぬのだよ。私もな、貴公と同じく、狩人相手に言葉を掛けるなど無粋極まると感じるとも。しかし、貴公の意志はこの瞳で拾った赤子となれば、私も饒舌になると言うもの」

 

「はぁ……ったく。つまり、あれですか―――ガキ扱いしていると?」

 

「親と死に別れた血の繋がらぬ孤児。だが自らと同じ血を繋げた狩人となった。しかるに拾った時、未だ人間性が幼き頃を知る身となれば、それなりの愛情を抱くのもまた人間の心と言えよう」

 

「…………気持ち悪い。そう言うの、やめなさい」

 

「ああ。聞かれぬ限り、聞かせぬよ……当然だとも」

 

「そ。じゃあ、ちょっと良い」

 

「何かね?」

 

「じゃあ、根本的な話だけど……何で、私の夢は繰り返されるの?」

 

「むぅ…………―――そうか。ふむ、成る程」

 

「なによ、早く言いなさいよ。車椅子に座ってばかりじゃ、何の役にも立ちません」

 

「では、話そう。悪魔で形骸的な事であり、中身は貴公が啓くか、あるいは幾度か巡ってからだが。さて、そも人間が上位者と呼ぶ者、我ら人を超えた人……悪夢と同じく、夢の巡礼に終わりなし。偉大なる血は、だが貴公に流れる暗い血液によって濃くなり過ぎたのだろう。

 上位者(グレート・ワン)……―――ふむ。名の通り、人を超えた者。

 我らは味をしめたのだよ。月明かりの赤子が与えた夢の加護と似た輪廻を、上位者が授かることが出来る神秘。人間からすれば悪夢であったがな」

 

「だから、だから……この悪夢は、晴れないのですか?」

 

「然様。灰なる女は、闇より燃える火で血を炙り、貴公を作り上げる際に授けたのだろう。だが、それは肉体に流れるだけに止まらず、魔女の魂を暗く染め上げた。一度死に、その生を終えた時、獣性を上回る人間性は覚醒をしたのだろう。

 なればこそ、貴公にああ言った。しかし、まだ母は迎えには来ずと言ったところ。

 憐れな我が愛しい孤児よ……これは、自らの意志では醒めぬ夢なのだ。故に終わらぬのなら、やはり狩人は狩るしかないのだよ」

 

「あ……ッ―――ぁ、あああああああ!!」

 

「悶え給え、暗い魂の赤子よ。その精神もまた、この悠久を超えることだ。どれ程に、苦しもうがな」

 

「それも、そんなこと……もう知ってるわ!」

 

「だが、忘れようとしていたのでな。この身は写し身とは言え、助言者の役目を持つ。貴公、暗き血を忘れることなかれ。

 ―――悪夢は、覚めようと思っては醒めぬ。

 赤子を求める上位者に、自己変態による種の進化を啓蒙させたのは、魔女の赤子である貴公なのだよ。灰なる女は、その魂が上位者の更なる上位者である故に、悪夢に招くことは出来ず、招いた所で世界を焼かれて終わるのみ。

 そして、灰より血を受けた英霊共は、魂を腑別けされた偽りの匣に過ぎん。招くことは出来ようが、死して夢に捕える価値はなし。血に囚われず、死ねば夢より覚めるだろう」

 

「私が……私が、英霊じゃない亡者だったから?」

 

「否。亡者に非ず、英霊でもなく……だが―――貴公は人間であった」

 

「違う……違う、違います。

 私は魔女でした。復讐のために、やつらを……あれ、何の魔女?」

 

「魂は既に、忘我の果てとなった。憎悪する者も消え、焼いた国も呆け、白痴の海に貴公の復讐は沈む。けれども、貴公は我らと血を交えた者。

 暗い魂の赤子よ、それが今や貴公であるのだ。

 魔女よ。暗い血よ。灰が血より生み出した赤子よ……あの灰なる不死はな、理解した上で貴公を魔女にしたのだよ、確実に」

 

「灰……―――灰?」

 

「忘れたまえよ。貴公にとって、もはや関わり無き女に過ぎん。母親のことだけ、覚えておけば救いは必ずや訪れよう」

 

「母親……私に、親が―――いや、違う。違います。名前もない私に、親など要りません。親なんていない、誰もいない、私には誰も……」

 

「そうだろうとも。生まれるべきではなった者、それが貴公だと私は理解しているとも」

 

「……ねぇ、助言者。私って、誰?」

 

「狩人だよ。魔女の狩人だとも。元より、我ら狩人に名前などないのだから」

 

「でも、私は赤子……暗い魂の赤子。そう呼ばれていた筈です」

 

「されど、赤子は成長するもの。我らにとって赤子は永遠に赤子であれど、何時かは幼年期を超えるのが道理だろう」

 

 名は不要。招かれた狩人は狩りを行い、夢を繰り返し、全てが悪夢となる。魔女はただの魔女となり、赤子となる前の自分自身など青ざめた血に塗り潰された。

 ―――殺した。

 魔女は狩った鴉を殺し、十字架に張り付けて燃やした。

 だが次の戦いで負けた時、口に刺し込まれた刀が股から突き出た。

 復讐に今度は殺す際、四肢を潰して達磨にし、生きたまま獣に踊り食いさせた。

 そして聖杯の迷宮を進んでいる際、背後から斬られて内臓を抜かれた後、蜘蛛共の餌にされた。

 

「見て下さい。この血晶石、何万匹も屠殺してやっと手に入れました」

 

「素晴しいな。奇跡的な死血のバランスであろう……芸術的な、まるで光るようだとも」

 

「そうでしょう、そうでしょう。貴方が狩人だった時も、ここまでのモノはそうそうなかったでしょうとも」

 

「まさか。まだまだ貴公は、デブも、扁桃も、星の娘も殺し足りんぞ。この血晶石が変異する程に、獲物を変死させねば真なる芸術は生まれまい」

 

「はぁ、駄目ね。まるで駄目ね。そんなんじゃ、人形にポイ捨てされるわね。女心をその溶けた瞳で啓蒙しなさい」

 

「安心せよ。聖杯狂いの地底人に、男女の差など些細な違いだとも。意志が流れる血流の肉袋であり、目玉尽くしの脳髄を正体とする悪夢に、性差の倫理など生じぬよ。

 ふむ……だが、女でなくては子は生めぬ。

 我ら上位者の中には、確かに血の交わりを求めて聖女を犯す者もいる。目に見えぬあやつによって、幾人が母胎になったことか。やがて選ばれた赤子を孕んだ人の女もまた、赤子より流れる血に染まり、悪夢の母たる上位者となる」

 

「それが、何だって言うのよ?」

 

「貴公の母が、そうなってしまったと言うことだ。孕んだのは人の子であろうが、死産によって暗い魂の血を得てしまった。貴公が聖女の腹の中に居た時に、灰なる女がそうしなかったのが幸いだろうがな。あの聖女は赤子の母となるも、赤子が血に染まったのは生まれた後であるのだ。

 ……いや、悪夢に囚われた今となっては気休めにもならんか。

 事実、繋がりは断たれておらぬ。不可視なる臍の緒を敢えて断ち切らず、故に貴公は人の型と為り得ているのだろう」

 

「知らない……そんな女、私は知りません。知らない、知らない……」

 

「聞きたまえよ。こんなものは世間話にもならぬが……何、啓蒙には為り得る知識だ」

 

「如何でも良い。関係ない。

 私には、名も母も要りません……欲しくもありません。理解も出来ません」

 

「素晴しい。悪夢にて、貴公は狩人の精神性を獲得した。即ち、それこそ我らが得た人間性の啓蒙であるのだから。

 ―――葛藤せよ。

 ―――苦悩せよ。

 ―――優柔せよ。

 悩み、迷い、苦しまねば思考を育むこと為らず。

 憐れなる暗い魂の赤子よ、思索の時間だ。獲物を狩り、狩られながらも、不確かな自我境界を赤子らしく彷徨うと良い」

 

 通りすがりの狩人に斬られながらも銃を撃ち、体勢を崩し、内臓を抉り取る。同時に、相手の血液を浴びることで自分の傷口に血が流れ込み、命たる生きる意志が甦る。リゲインと呼称される狩人の特性は、刻まれた傷口による血液の嚥下である。

 此処ではない別の古都で上位者を狩る狩人など、このヤーナムで良く遭遇する強敵。

 だが一番性質が悪いのは、その良く出会う敵こそ古都において最も技巧が優れた敵である点。

 一人一人が上位者狩りを幾度も為す超越者であり、今や全狩人は聖杯潜りを娯楽とする魔人のみが残り、そんな奴らで古都は溢れ返っていた。上位者より遥かに優れた狩人が何ら珍しくもない敵性存在と成り果て、なのに飽きもせず同じ狩人を夢見るように殺し続け、殺され続ける。

 青ざめた血と契約した狩人にとって、自分と同一存在の別人こそ最高の獲物であった。

 

「………………」

 

「どうしたのだ、魔女の狩人」

 

「……あいつ、もう帰ったの?」

 

「ああ、遅かったな。貴公、すれ違いになってしまったぞ」

 

「良いのよ、別に……好きじゃないですし」

 

「そうか。だが、まだパンケーキはあるぞ」

 

「はぁ……―――うん、そうね。それは食べます」

 

「是非とも、頂き給え。悪夢で狩った人喰い目玉豚のベーコンが、まだ血の風味が残って美味だった」

 

「獣性に満ちた血は、確かに腹が満ちる錯覚があります。個人的には、白濁とした上位者の血液も好きだけど」

 

「ならば、この度の夢の巡りでも聖堂街上層に行きたまえ。悪夢たる星界と交信し、彼らの意志によって使者となった古都の孤児が大勢いよう。

 鋸で斬る度に、震える姿が実に愛らしいと思わぬか?」

 

「そりゃ……まぁ、狩るけれども?」

 

「濃過ぎた星の娘による輸血は患者に対し、娘がいた星との繋がりを作るのだよ。まるで母と繋がる子の臍の緒と似た作りでなぁ……いや、貴公には藪蛇な話題であったか。だが、この古都は学院から離反した教会によって狂い果てた。元より学院の研究の影響で、悪夢の侵食が為されていた上でな」

 

「そんなのは、良く知ってます。幾度も見ましたから」

 

「学長を裏切った教区長の実験は、悪夢と現実が入れ替わる悲劇の始まりとなった。そうでなくば鍵穴の瞳を持つ魔女が、魔王が夢見た外なる宙より訪れる事もなし。

 それはな、それでも悪夢の元凶ではないのだ。

 真なる始まりは魂から生じた悲劇である。その流れは止まらず、遂には古都にまで流れ着いてしまったのだ」

 

「別に、如何でも良いです。そんなことよりパンケーキを下さい」

 

「勿論だとも。コーヒーも付けよう。あぁ……すまないが頼むよ、人形」

 

「…………ん」

 

「どうかね?」

 

「美味しいわ。街の連中はレア肉か、血か、そのまま輸血しかしないもの。商店街も閉まっていますし……コーヒーなんて私、知識だけでしか知りませんでしたから」

 

「ふぅむ……―――では、あの娘に伝えておこう。喜んでいたとな。

 序でに過ぎんが、そのコーヒーに使われるカカオ豆もな、鍵穴の娘による持ち込みだ。狩り道具があれば十分であろうが……なに、娯楽品を否定する程に私はストイックな狩人に非ず。貴公の人形にも、使い方を教えていたよ」

 

「あいつも良く分からない女です。悪夢に何を求め、メシとキッチングッズを持って来てんでしょうね?

 でも一番不可思議なのは、見た目があんな雰囲気なのに裸好きな点ね。テンションが上がると高次元パワーで変身し、何故か女王殺しみたいなファッションセンスになりますから」

 

「啓蒙深き神に憑かれた信徒故に、彼女も我ら狩人と同じ領域の感覚を持ち得るのだろうよ。私もな、助言者となる前の狩人時代、下着姿のほぼ全裸となり、古都も悪夢も構わず疾走したい時もあった。襲いかかる住民共の隙間を迅速にすり抜け、扁桃頭のアメンドーズが放つ光線から華麗に逃げ切り、肌に傷一つなく目的地に辿り着く。

 故にな、否定してやるでないぞ、我が愛しい育て子よ。自然と悟る時が来る。貴公の姉とも言える我が弟子、星見の狩人も服を脱ぎ捨て、啓蒙を深めるべく、抜き身の全身で悪夢を感じていた事もある。そうやって、交信していた時もあったのだ。

 ―――分かり給えよ。

 助言者からの、より良き啓蒙を得る為の助言だとも」

 

「分かるか!?」

 

「お勧めはしておこう。狩人であれば、誰もが通る啓蒙活動だ」

 

「変態狩人に落ち零れる気はありません」

 

「そうかね、そうかね……―――そうかね?」

 

「いや、念を入れられましても……」

 

「すまぬ。差し入れの返礼にな、鍵穴の娘に金のアルデオを渡したのだよ。だがそれを娘が被った途端、女王殺しのようになってなぁ……いや、分からん。三角兜で服嫌いの獣に変じるとなれば、年頃の姿をした娘は、幾ら啓蒙を深めようとも把握出来ん。下着は脱がぬ人間性があるだけ正常だと思うべきなのか。

 ならばと思い、貴公に話した。見た目は麗しい娘であるのでな……―――で、如何か?」

 

「如何じゃないわよ、この変態」

 

「む。確かに狩人は皆、例外無く変態だとも。脳に刻むカレル文字(ルーン)にて、半狼の獣人にも、茸頭の触手にも、好きに肉体を変態させるからな」

 

「知るか」

 

「だがな、不可思議なのだ。聞き給えよ。あの娘、何故か三角被りの色白半裸となった後、こうやって車椅子に座る私に向かって交信のポーズを急にしてきてな……―――はぁ。貴公よ、どうすれば良かったのだろうか?」

 

「―――――――……っあ。ねぇ、まさか。何かそれで、あいつの好きそうなのあげた?」

 

「本体の蛞蝓が啓蒙した新作のカレル文字を一つ……昔、戯れにな」

 

「それよ!」

 

「何……?」

 

「あいつ、あぁ見えて結構な啓蒙家だから。じゃないと、そもそもアンタみたいな奴と話が合う訳ないでしょう」

 

「成る程。アルデオとカレルが悪かったと……む?」

 

「…………」

 

「貴公、どうした。私に向け、交信を構えるとは何故(ナニユエ)に?」

 

「え、だってくれるって話だったじゃない。新作のルーン」

 

「やらんよ」

 

「何でよ!」

 

「貴公には暗い血のルーンを渡したではないか。その文字以外、貴公の意志に合わぬ」

 

「脳に入れなきゃわからないわ」

 

「諦め給え。そのルーンで以って、なるべく狩りに励むと良い。これは貴公にとっても有益な助言であるとも」

 

「この、ケチ……」

 

「血の岩を数個、啓蒙五割減で販売しようと使者は念話していた……やもしれん。期限は分からぬが」

 

「ちょっと狩人狩りで啓蒙増やして来ます!」

 

「あぁ、狩りの時間だ。貴公、励み給えよ」

 

 化け物。異邦より来たれし者。騎士甲冑の悪魔。即ち、魂殺しのデーモン。魔女がヤーナムで出会ったのは、上位者よりも上位者に相応しい人もどきであった。超越者を更に超えた超越的存在は、しかし何故か人の形で在るのが自然だった。

 狂気から程遠く、憎悪など欠片も無し。されど悪魔は獣と踊る。

 奴は、淡々と殺していた。狩人の悪夢に囚われた古狩人を一方的に虐殺した。月の狩人らが相手だろうと、苦戦はするも倒していた。辺境に住まう憐れな落とし子の頭部を粉砕し、血肉に変え、暗い血を魂で口から啜っていた。嘆き悲しむ星の娘に刃を突き刺し、血を狂気で犯す娘の鮮血を浴び、尚も魂を貪り喰らう。やがて瞳より迸る光の線を盾で防ぎ、獣の膂力を大盾で完封し、不可思議な秘儀にて獲物を狩り殺す。魔女は、狩り甲斐が有り過ぎる悪魔に挑むも返り討ちとなった。啓蒙云々以前の問題。戦闘経験に差が有り、地力で差があり、思考回路も悪魔が上回っていた。

 あぁ……―――けれども、悪魔は夢が覚めるまで巡る。

 暗い魂の血を得た古い扁桃の者は、その身に更なる叡智を蓄える。

 

「貴公、何故だと思う?

 何故、宇宙は空にあると導かれたのだと思うかね?」

 

「星歌隊のイカれた教義に興味なんてないわね」

 

「否、断じて否だとも。星歌隊もまた、ビルゲンワースの二番煎じに過ぎぬ。元は蕩けた脳の探求者から始まった学問であり、学術的実験の研鑽の結果なのだよ。

 ……とは言えだ、それは見たままの光景でもあろう。

 教会の罪たる狩人の悪夢に逝けば、空に海あり、地は血に満ち、村は虚空となり、そして暗黒なる深海が浮かぶのも事実。教会の啓発者が、悪夢を夢見るまま導かれた言葉でもあろう。超越的思索に耽る前、血に犯され発狂するのも致し方ないだろう。

 故に、この言葉を胸に仕舞いたまえよ。

 貴公の意志を救うのは、残念ながら人の言葉に非ず。知識と行動に基づく事実のみ、意志は正鵠なる叡智に辿り着くことが許される」

 

「……アンタは、あの実験棟を見てないのですか?」

 

「無論、見たとも。見回したとも。素晴しく、惨たらしい思索の成果だと言える」

 

「なら、良いわ。貴方がそう言う男だってのは分かっていましたから」

 

「忘れること無かれ。所業に罪科は有れど、叡智に善悪は無い。悲劇を悲しむは正しき人間性だが、悲劇的な実験で得た知識を憎むだけでは啓蒙に導かれない。

 我らは上位者にして狩人。

 他者の絶望も、自己の悲劇も、書物の一項目として忘れなければ、全く以ってそれで良い」

 

「じゃあ……それじゃあ、私たちの憎悪は何処に行くのですか?」

 

「何処にも行かぬ。何処にも行けぬ。叡智は脳に保管されど、感情は意志となる。生きる限り、貴公の意志が活きる限り、我ら狩人は悶えることが定めとなった。

 ―――憤怒の時間だ。

 憎しみに価値があると錯覚したいのであれば、得物で以って獲物に叩き付けよ」

 

「内臓は……内臓は、どうなのよ?」

 

「さて。好きなモノであれば、好きにせよ。狩人の狩り方は自由で在らねばならん。だが獣性を克服し、人間性を保ちたいならば、古都の伝統は守りたまえよ。

 その為の、仕掛け武器。

 智慧を使う人らしい殺戮機構こそ、人を失った血の狩人足り得るのだから」

 

「でも、あの悪魔殺しの騎士は……―――意志が、上位者ですらなかった。

 あんな奴なんて見たことがありません。どうすれば、どうして……狩人なのに、狩り方が分かりません。上位者殺しの騎士は、私たちは狩人なのに狩れません」

 

「古い獣の従僕……いや、逆なのだろう。神を従える使徒となった人間。我らと同じく名もなく、故にデーモンスレイヤーとだけ覚えれば良い男だよ」

 

「それは知ってます。見ましたから」

 

「そうか。なら僥倖。アレは、魂を貪る悪魔だよ。とは言え、我らと同じ不死である故、殺した所で価値はないのだがね。

 ……ふむ。では、一つ助言を。活性化したアメンドーズ共には気を付けたまえ」

 

「あの扁桃模様の頭蓋骨(アーモンドヘッド)を?」

 

「ああ、意外だがね。都市部に住まう者は普段から大人しく潜み、近寄った手頃な人間を鷲掴み、悪夢の異空へと届けるだけの穏やかな奴らだがな。今も彼らの大半はそうだが、超越的思索によって血より暗い啓蒙を得た個体は違うのだろう。眷属である上位者は、しかし暗い魂の血を得たことで深化した。

 貴公より広まった血は、彼らの生態系にも強く影響する。青ざめた血と対成す暗い血は、しかし相反するために相克する。狩人に流れる血の意志は、虫に成長する幼虫であり、我らの精神に寄生する血中の神秘足り得、暗い血もまた歪な生命の源であった。

 ―――螺旋であるのだよ。

 循環はせよ、円環ではなくなった。

 憐れなる落とし子は、天使に変態する個体を獲得した。それが血の遺伝のあるべき姿。即ち、上位者が上位者である所以の思索の悪夢だろう」

 

「全部じゃないわね、それ。まだ語り終わってないもの」

 

「鋭い狩人だよ、貴公。活性個体は辺境から離れ、新たなる悪夢――失楽園を作り出した。

 根源たる最初の悪夢より派生する新たな悪夢。上位者とその眷属が住まう異空。それを作るは赤子の特権であるが、脳漿のアミグダラは自己進化により赤子となりし個体が一匹のみ生まれた。暗い血で深化した扁桃の上位者は少ないが数匹いたものの、赤子に辿り着いたのはその一柱のみ。

 だがな、その自己進化も切っ掛けが必要。

 霧より生まれしデモンズソウルは、進化を閉塞する先見えぬ霧を晴らす効果を持ち得ていたのだよ。あの悪魔がデーモンの神秘を用いて上位者を殺すことで、逆にデーモンの叡智を夢の意志に教授したと言うことさ」

 

「だから―――失楽使徒。邪神アミグダラ。暗い天使、アメンドーズたち」

 

「そのようだな。いやはや、悪夢は永久に巡るも狩人以外は変化せぬ筈だが、啓蒙されし思考の思索が発見を及ぼした。

 だが、失楽園を作りし扁桃の赤子は騎士に討たれてしまった。しかし、我らはもはや不死。一つしかない命を失えど、夢の中の出来事ならば問題は何もない。

 結果、悪夢は完璧に成立した。暗い魂の血が、意志に混ざり込む虫を刺激し、悪魔の死より失楽園の使徒は誕生する。これにて真なるアミグダラ……扁桃の上位者、赤子より成長した暗きアメンドーズは生まれ出た」

 

「でも、幾ら何でも変わり過ぎじゃない?」

 

「聖書に唄われる天使など、我らは欠片も啓蒙されぬ。しかし、確かにあれは翼持つ者、夢の使徒だろう……素晴しき哉(マジェスティック)

 尤も、暗い魂に神の意志などないがな。貴公が齎した魂の意志は元より、人が翼を持つ生態系に進化し、また人に退化し、不死の人となり、やがてまた宙を目指して翼を持つに至る自己変態の流れを抱く。生命ではあれど、言わば植物や鉱物が人の意志を抱いた生物なのだろうよ」

 

「だからと言って、あのアーモンド野郎がでか過ぎです」

 

「致し方なきこと。巨体を持つ奴らにとっての巨人になるのだろう……だがな、あれは動く悪夢。頭脳体が夢見る姿に他ならぬ。

 幼き小アメン(アミグダラン)は、何処(イズコ)へと消え去った。

 不死と進化を与える暗い魂を求めるのは、生まれながら思索を生態する上位者なれば、当然の渇望なのやもしれぬな。しかし、あの大いなる扁桃体もまた夢見る一匹故、彼らアメンドーズは何ら変わりなく、悪夢の使徒で在り続けよう」

 

 その惨劇が、この結果。憐れなる落とし子。失楽園の使徒。アミグダラこそ、悪夢(脳髄)における扁桃体。それは悪夢に住まうアメンドーズに相応しく、辺境の天使になるのだろう。

 悪魔殺しの騎士は、悪夢の一柱と化したアメンドーズも殺した。

 殺したが、失楽園の悪夢は確立した後の出来事。そして、失楽園にて赤子を経た古い扁桃体は黄泉返り、夢となり、上位者が魂を狩る狩人に成り果てた。

 悪夢の空に飛ぶ天使―――繋がる夢を、繋げる使徒。

 辺境の宙にて、魔女がいる悪夢からでも浮かんでいる巨体が見える程。

 瞳より走る閃光は変わらず、しかしもはや世界を焼き切る事も可能だろう。夢と戻らぬ現実にあの失楽使徒が訪れる時、不可視の巨人がこの世を覆い尽くし、全ての人間が街ごと掴まれ、悪夢を夢見る彷徨い人と変ずる日も近い。

 

「貴方は何故、私をこの悪夢に招いたのですか?」

 

「強いて言うなら、思索だよ」

 

「―――は?」

 

「知的好奇心に動かされた娯楽とも言えよう。悪夢らしい悪趣味であり、そして悪しき冒涜的であればある程、脳髄は得られた結果を歓び貴ぶ。生まれるべきではなった孤児を、しかし愛さずにはいられぬ慈しみと憐れみを持つ。

 上位者とは、個別の精神を冒涜する者である。

 謂わば、逃れられぬ習性に基づく論理的行動。

 倫理の消失により人を失い、また超えた証明。

 生まれるべきではなかった暗い血の赤子よ、その疑念こそ進化の先触れだとも」

 

「―――で、何故?」

 

「なに、焦るな。急ぐ必要なぞない。無駄話もまた智慧を富ませる栄養だろうに……だが、有無の交わる真実こそ我らにとって食餌。

 語るべき言葉を存分に選択し、聞き手の脳を愉しませねばなるまい?」

 

「あの高笑い野郎……好きなだけペチャクチャ喋って消えやがったのよ。私に、疑問を植えるだけ植え付けてね」

 

「ほう、成る程。あの訪問者が貴公の方にも行ったのかね?」

 

「名前だけしか知らないですけど……」

 

「世界を焼いた魔術王の書物……その使い魔だとも。我らからすれば、小さな白い使者と変わらぬ存在であり、その役割もまた使者と同じことだろう。今は如何か知らぬがな。

 悪夢を望む者にこそ、我らが暗い夢に臨ませる。

 ならばこそ、囚われた貴公を見て見ぬふりを出来ずに立ち寄った。可愛らしい幼子に言葉を囁く真相など、そんな些細な男の信条でしかないのだよ」

 

「つまり、あいつ……ただの、御節介?」

 

「そうだとも。それ以外、貴公に彼が言葉を語る動機なし」

 

「―――ッチ、胸糞悪い。

 私は好きで狩ってるだけだって言うのに……で、どうして?」

 

「あぁ、そうだったな。いや、すまない。話を逸らすのは趣味でな、長話の秘訣だよ。だが、そうさなぁ……理由か?

 我ら上位者(グレート・ワン)が我らの赤子足り得る者を養護することは、無条件の保護行為だ。そうであるため、語るべき秘匿もなく、新たに啓蒙される事実も存在せん。自らが母になれずとも、人の如く子を為せずとも、子を渇望することこそ、繁殖による繁栄を求める生命体の本能だろうとも。

 我ら悪夢に住まう者もな、自分が殺されるのだともしても、例え相手が上位者狩りの狩人だろうとも、命を賭して守るべき命がある。愛したならば、欲したならば、例え他者の子だろうと守り通し、事実そうやって貴公に挑む母たる上位者もいたことだろう?

 思考を肥大化させた人間のように、生殖活動を娯楽にする者もまた現れてはいるがね……」

 

「姿なき糞野郎(オドン)、聖女犯しの孕ませ屋。あいつ、嫌いです」

 

「医療教会の狂った研究者は、上位者が赤子を生す為に子作り用の聖女を作った。狩人が狩りを愉しむように、特にあの者にとって生殖による繁栄は至高なりし嗜好。血の聖女は神秘と生命の結晶であり、あるいは上位者にとって人間共が用意した麗しい血の娼婦なのだろう。

 身体に障害を持ち、だが善良なる精神を持つ教会の者……フ―――ヤツらしい罠だとも。

 医療教会が用意した住処は、しかして夜に怯える住民の避難所として機能する。姿なき上位者の眷属であり、だが卑屈に歪み、人を求めた憐れな男によってな。それは無力な姿である故に油断を促し、目に見える姿を真実と錯覚し、善良なる人間性の裏に潜むおぞましき不可視の狂気を啓蒙出来ぬのだろう。

 人を思いやる良き心、それが上位者(オドン)の渇望を覆い隠したのだよ。

 教会とは名ばかりの、狂気で心身を穢す精神交尾牧場であった」

 

「それじゃあ結局、意志のない操り人形と同じですね」

 

「赤子を求めるは本能だろうとも、善意を利用したのは奴の趣味だろうな。だが、あの交尾好きを我ら狩人は批難は出来ぬよ。

 血に濡れながら獲物を狩るのを、狩人共が面白いと嬌態を晒す限りはな」

 

「娯楽じゃない……っは、所詮は狩人ね。狩猟以外の本能を持たない人外らしい思考回路」

 

「残念ながらな。私もまだ幼年期を脱せず、しかし上位者としては進化を果たした半端者」

 

「そうね……ッて―――違います。助言じゃない話題でまた話を逸らされるところでした」

 

「焦るでない。愛しい育て子と、何時までも話をしていたい助言者心だよ……で、そうよな。まぁ貴公であれば、貴公のような子供が目の前で死した場合、何を思うかね?」

 

「憐れだったから、可哀想だから……―――憐憫ですか。下らない。そんな感情で、死人を不死に作り変えようだなんて」

 

「憐憫とは違うとも。獣性に反する我らの内なる瞳は、新たな人間性に脳が啓蒙されるべく願望を抱いたまでのこと。貴公は憐れな赤子だが……白状すれば、そのような情緒を私は抱かぬ。

 ―――進化の為だ。

 新たなる赤子が超越的思索に繋がる為だ。

 狩人として悪夢に捕えたのも、悪夢に住まう者に暗い魂の血を分け与える為だ。

 貴公が貴公の魂を持たず、また意志もなき人の獣であれば、例え暗い血を持とうとも人ならざる人間に我が血と共に意志など授けぬよ。肉が獣性に満ちようとも、脳から人間性を失う者は、人を失うだけでなく、我らの血さえ失う無様な生命種となるのだから。

 人間で在る暗い血を持つ幼き子……―――手を伸ばさずには、いられなかった。

 真相とは、得てして即物的なモノなのだよ。叡智を求める為の思考回路は難解且つ複雑極まるも、求める真実はどのような者だろうと単純明快なのだ。

 求めることが思索であり、探求の根本は心が方向性を決めるべきだろう?」

 

「蛞蝓め……ッ―――そうか、そう言うことですか!」

 

「ほう、ならば語りたまえよ。思索の時間だ」

 

「進化なんて方便です。暗い魂の血……いえ、求めたのはソウルの業!」

 

「――――……あぁ、宇宙は空にある。

 ならば、宇宙に浮かぶ我らの世界を照らすは、惑星を統べし恒星。正しく、太陽万歳」

 

「赤子の特権は、母胎で死した一度きり。死して生まれた時、死なぬ悪夢は生まれた。

 そして赤子を抱けぬ上位者共が、それでも尚も求めて悪夢を描くには、暗い血を使うのが一番合理的な手段」

 

「故に、暗いアミグダラは誕生した。悪夢を妄想する画家は魂が抜かれ、しかしてアミグダランと戻ることで頭脳体と成り果てた。肉体は悪夢となり、そして膨れ上がる巨人の中の巨人となった」

 

「アメンドーズだけじゃない。悪夢に潜む上位者も、智慧持つ他の眷属も業を知ってしまった」

 

「悪夢の扁桃体(アミグダラ)であろう脳細胞の欠片―――アメンドーズ。失楽園の暗い使徒は、暗い血の叡智を悪夢に巡らせた。

 星の娘は故郷に還らず、星界を新たに描く。

 古い民は地上に戻らず、故郷を描き足した。

 学院の学徒は神秘為し、教室を増築させた。

 城に住まう女王は独り、血族を待ち侘びる。

 夢を見るとは、白痴の絵画に世界を塗り作ること……そして、夢見る赤子にこそ悪夢の画家は相応しかったのだよ」

 

「だから―――私が、暗い魂の赤子に選ばれた」

 

「その通りだとも。亡者を超えた灰なる女……暗い穴の炉は、その火と闇が溶けた血は、我らを作り上げし血の根源に他らなぬ。虫はな、魂から生じた生命の具現であった。

 しかし、悪夢を産む魂を御招きすることは不可能。

 我ら上位者の世界は、血で描かれた絵画世界よりも脆き脳内の幻影である故に」

 

「思い出した……思い出せた―――私は、魔女。

 生まれた時から名前なんて、最初から私に名など用意されていなかった!」

 

「生まれた時より、貴公は狩人に足り得る人間性を持ち得ていたとも言える」

 

「隠していましたね?」

 

「肯定しよう……だが、言った筈だ。思索をせねば夢に届かず、得た啓蒙によって更なる叡智を求めること出来ず。しかし、見事に貴公は私の思考を思索し、目的を暴き、啓蒙を我が脳髄より授かった。知りたいと願う欲求を産み落し、得る為に思考する機能を取り戻した。

 超越的思索とは、決して言語化不可能な人外の思念に非ず。

 無論の事、計算と理論のみで構築された思考回路でも非ず。

 暗い魂の血はこれより純化し、より黒く透き通る暗い血に転化しよう。故に、貴公は暗い魂の赤子であり、且つ暗い血の赤子に進化することだろう

 故に―――」

 

「―――断る」

 

「そうか。残念だよ、貴公もまた狩人の上位者だと思ったのだが」

 

「此処で良いです。此処が、良いのです。私は、私の為に夢を巡り続けるだけ……狩り続けるだけで、もうそれで良い。血の他には、もう何も要りません」

 

「やはり貴公、聖女より生まれるべきではなかったな。さすれば、意志を囚われる事もなく、この悪夢を見る事もなかっただろうに」

 

 夢を見た。悪夢の中で、幾つもの悪夢が眠っている古都だと言うのに、それでも眠れば夢を見た。夢の中の、そのまた中の悪夢の中、繰り返される悪夢は幾度も内側から重なり、それは同時に外なる夢もまた積み重なることを意味していた。

 夜は、夢見る時間。

 獣狩りの夜も、狩人の醒めぬ眠りより始まった。

 だから魔女は何かの間違いだと思った。寝ぼけた瞳が作った幻覚だと思い、そう願う自分の錯覚だと勘違いをした。魔女の狩人からすれば、あんなモノがあると妄想することも出来ない禁忌である筈だった。

 聖女の焔―――火炙りにされる寸前の生贄。

 名前など輸血された時に忘れたが、魔女は自分と同じ顔をした女が、古狩人に連れられているのを見てしまった。だから、狩人を―――殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。

 二十七匹の古い狩人を、血塗れになりながらも鏖殺した。

 何時からか使い込んでいるか忘れたが、愛用する仕掛け鎌で命を刈り狩った。

 限界を遥かに超え、加速の業により更に超え、時空を超越した葬送の刃は刻まれた銘に反し、慈悲も憐憫もなく殺し尽くした。何よりも早く、時よりも迅く、聖女を贄としようとした古狩人を魔女は処刑した。

 

「夢を……悪夢を、私は見ました。獣共を殺し慣れた筈の通りで、夢みたいに私が出て来ました。助言者、助言を下さい。私に、夢を忘れられる程の悪夢を見させて下さい」

 

「残念ながら、夢もまた脳髄が見る現実である。此処はな、この古都は悪夢が映す現実なのだよ。即ち、夢に現実逃避したところで、その夢を再びその瞳で見るだけだろう」

 

「では、では……それでは?」

 

「諦観が瞳の視野へと変じる。貴公に、冒涜なる夢が追い付いた」

 

「――――ッ……嫌、嫌です。見たくない」

 

「幾度となく悶え給え、愛しい我が育て子よ。だが心折れ、狩りに屈すること無かれ。貴公の絶望は、貴公の魂を孕まされた聖なる母にのみ許される」

 

「何故、どうしてぇ……あの私がこんな悪夢に居たのですか!?」

 

「縁は断ち切れぬ。故、悪夢は断ち切られぬ。繋がる心は我らの力と成り果て、貴公の意志を求めた者が悪夢に迷い込むのは必然。その者が彷徨い続ければ、何れかな機会にて貴公の瞳に映るのもまた必然。

 絆は、度し難いのが世の常であろう?

 ならば尚の事、素直に救われ給えよ。

 例え赤子が老いようとも、その形が老人であろうとも……母親からすればな、何時まで経っても愛しい赤子であるのだから」

 

「嘘よ。ウソうそ嘘、それは嘘ッ―――じゃない。貴方は、一度も嘘は吐かなかった。真実でなければ、我ら狩人は脳の瞳を啓蒙されない!

 じゃあ、あの女が、私の母さん……なの、ですか?」

 

「ああ。貴公と会う為、この悪夢を夢見ている」

 

「―――ジャンヌ・ダルク……?」

 

「聖女の意志を瞳で視たのならば、もはや私が貴公に語るべくもなし。真実をその瞳で視た故に、その名はついに啓蒙された」

 

「痛い……―――痛い。痛い。

 頭が苦しい。脳が溢れる。瞳が蕩けた……あぁ、宇宙は空にある」

 

「同じ貌は、無貌に等しい。鏡を夢で見ることなかれ。貴公の瞳が、頭蓋の内にある瞳を見詰め、瞳に映るをまた瞳が見るために、連鎖は無限に続き、夢幻の瞳が脳を啓蒙し尽くす。

 貴公よ、分かるかね?

 瀉血によって狂気を血と共に吐き出し、我らは脳の発狂を防止する。しかし、内より目覚める発狂は自身の脳より生じる狂気となる」

 

「だったら、狩るだけよ!」

 

「無駄ぞ。悪夢を見た赤子は狩れど、狩人に悪夢は狩れぬのだよ。夢を壊せる者は限られ、目覚めもまた夢を諦めぬ上位者の思索が無くば到達は不可能。

 何故ならば―――狂いの本質は、繰り返し。

 絵画の中で絵画が描かれ、悪夢の中で悪夢に寝入り、惑星の中で惑星を観測する。

 私の本体が愛しい我が弟子に寄生したのも、星見を為す地球の模型が我らの重なった悪夢と酷似し、それをより良く観測する為の干渉が始まりだった。

 ……貴公に、狩れると言うのかね?

 世界を単身で狩り尽くせるのは、無限の空の先を超えた灰なる不死だけなのだろう」

 

「それでも……悪夢を壊してでも、目覚めるつもりはありません」

 

「足掻きたまえよ。私は求められた役目を変わらず演じ、貴公が夢から覚める時まで助言者で在り続けよう」

 

 しかし、赤子は赤子のままではいられない。助言者は魔女が望む限り、何時までも水浴びをさせて上げたいとは思えど、届かないから夢である。故に出会えば、魔女は名を得るのが当然だった。見殺しにした存在しない娘は、それでも聖女にとって家族であった。その者が焼かれた世界を救う為に、聖女が犯した最期の罪であろうとも。

 魔女の名は―――ジャンヌ・ダルク。

 世界を燃やす為に焼かれた薪の赤子。

 聖女は夢を見ただけに過ぎず、死したとしても現実で目覚めるだけ。

 魔女が助けずとも何も問題はないと啓蒙された筈なのに、けれども迷い込んだ母親を救わずにはいられなかった。

 だが運命は仕組まれているもの。星見の狩人に寄生する助言者の正体―――幼年期の蛞蝓は、最後の少年に召喚された聖女を自分達の悪夢に招いただけの仕掛け。聖女が眠る度、その意志を娘の名で誘い、小さな鐘の音で呼び起こし、仮初の狩人として存在させていた。狩人であれば、隣合う夢で眠る狩人を呼ぶのは容易かった。そして、一度の眠りで生死を幾度も繰り返す事もまた容易い悪夢であった。

 そのため聖女は死ぬ度に悪夢から目覚め、全てを忘れたまま現実に戻るだけ。

 赤子を愛する母の姿は、愛から逃げる赤子にとって思考の毒となる。正しく獣性と相克した人間性に他ならず、啓蒙とは見えざる真実で在らねばならない。

 ―――幾度も死ぬ。

 ―――何度も死ぬ。

 魔女の前で、聖女が死に続ける。

 夢の出来事だと理解しながらも、魔女は母の死を見る度に絶望と憎悪を啓蒙された。名前と共に失った筈の感情が新しく生み直され、人間性が獣性を完全に喰い殺してしまった。

 

「………ねぇ」

 

「どうしたのかね、魔女?」

 

「私は、何故……人間に?」

 

「生まれた時から、貴公が人間で在るからだろう。狩人になろうとも、命を再び得ようとも、人を失おうとも……人を超えたとしても、やはり人間性を失くさぬ者は人間で在るのだろう。

 誰にも、私はそれを否定させんよ。

 貴公の啓蒙は蛞蝓となった私が忘れず、嘲笑う者は痛みを知れぬ獣である」

 

「貴方って、狂ってるのに優しいのですね」

 

「―――知恵不足だな、貴公。私は真実を求めているのみ。

 我らにとって虚言に価値は無い故に、知り得た答えを脳髄は食餌とするだけだとも」

 

「それが貴方の啓蒙……導かれた、獣性に打ち克つ狩人の人間性」

 

「一側面に過ぎぬが。しかし、人足り得る者ならば、誰もが意志を持つべきだよ」

 

「そうね……だけど、狩人は?」

 

「何を狩り、奪い続けたとしても……やはり血によって、我らは人を失うのやもしれん。獣性に勝る人間性も、やがて啓蒙された叡智に満たされるのが定め。

 意志の器が頭蓋であるならば、脳髄は形を得た意志の塊。流れ動き、蕩け溶け、血の巣となり、孵化を待つ瞳の苗床となった。狩人の瞳は割れることなく、意志を糧とする目玉が玉子となることもなし。上位者の体内から生じる寄生虫は瞳を卵とする虫であり、故に狩人は眷属に落ちず、つまらぬ上位者にも昇らず、自己によって啓蒙にさえ抗う人間性ならざる意志を抱かん。

 即ち―――意志を抱く者。

 我らは狩りにより啓蒙された血の徒。獣性も人間性も食餌に過ぎず、思考を喰らった個の意志を魂とする」

 

「貴方みたいに、蛞蝓の化け物になったとしても?」

 

「無論だとも、暗い血の赤子よ。肉が腐り、脳は膿み、だが繰り返される悪夢の停滞を狩るならば、我らは人を存分に失おう。意志により、思考を更なる高次元に至らせよう。

 変わらぬそれが、人のままで在れば―――意志は進化に受け継がれる」

 

「―――分かった。私は決めました」

 

「そうかね……」

 

「今までありがとう、助言者」

 

「そうだな。あぁ、ならば良き宙と巡り給え」

 

 狩人の夢。大きな木の下、墓の花畑の中。葬送の刃を振う魔女は、幾度目か分からない夢の終わりを行おうとしていた。普段であれば終わり方は三種しかなく、助言者に首を断たれるか、助言者を殺害するか、月の魔物に成り替わるか。

 しかし、所詮は繰り返しの分岐点。

 魔女は知らないが、恐らくはあの狩人が経験した悪夢の追体験なのだと啓蒙を得ていた。

 

「夢を狩りに来ました」

 

「そうか」

 

「助言者、貴方の脳に宿った内なる瞳を終わりにする」

 

「喜ばしい啓蒙だとも。貴公は、ついに悪夢の根源を探り当てた。この身は写し身なれど、だが夢の中では上位者の狩人に変貌していよう。

 夢とは、瞳を宿す脳が見る一枚の画なのだと。

 ならば、蕩けた瞳で酔う貴公を狩るのも私の意志である……」

 

「母さんに救われる気は、私には一片もない。悪夢を出るなら、己の意志で!」

 

「―――ほう。ならば、狩りの時間だ。

 月の狩人の、青ざめた血の意志を受け継ぎたまえ」

 

 変貌する姿。何時もであれば役割通りに鎌を構える狩人は、しかし暗い穴が貌の中心に空いていた。手に持つ仕掛け武器は彼本来の物であろうノコギリ鉈であり、左手には獣狩りの散弾銃が握られている。対する魔女は、使い慣れた鎌を構える。

 無貌の赤子―――青ざめた血の月を継承した狩人。

 この狩人による観測を止めない限り、魔女は瞳に囚われたまま。

 

「さらばだ。全て悪い夢であった。

 貴公……―――喜びたまえ。目覚めの朝が始まる」

 

「―――――」

 

「さぁ、踏み潰すと良い……」

 

 倒れた助言者、佇む魔女。上げた右足を踏み落とし、彼女は助言者の頭蓋骨を砕き、脳漿が血と共に地面へと拡がった。今まで通り狩るだけでは、命を奪うだけでは価値はなかった。魔女は悪夢を否定する為に、魔女を悪夢に捕えた夢見る脳を潰すしかなかった。

 ―――決別の儀式。

 赤子の緒を脳に喰らった暗い血の赤子は、その意志によって助言者を拒絶した。

 



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暗帝寵愛箱庭「セプテム」
啓蒙39:沈む薔薇


 この回よりローマ編を始めます。今まで読んで貰った読者様には感謝です。
 そして、感想、評価、誤字報告、お気に入りをして頂きとても有り難かったです。何より、またこの二次創作を読もうとクリックして貰い、本当にありがとうございます。


 手に持つ短刀は腕の震えが伝わって、その刃も震えていた。何故こうなってしまったのか、何故ここまで来てしまったのか、後悔と未練と懺悔に溢れていた。

 何故、何故、何故、と疑問だけが思考回路を圧迫する。

 薔薇の皇帝―――ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスと呼ばれる女は、今この時を以って死ぬしかなくなった。

 

「…………………ぅ」

 

 けれども、自刃などどうして覚悟出来ようか。死にたくないのに、死ぬしかないなど、余りに酷というもの。

 

「う……―――っ……嫌だ、死にたくない。余は、死にたくない」

 

 喉を刺さねばならない。そうしなければ、自分の帝国兵士だった者共に捕獲され、拷問され、処刑されるだけ。此処で死なねば、死が救いに思えるような残虐の果てに殺害されるだろう。いや、女の身を考えれば、男共に陵辱された果てに憎悪と怨念を一身に受ける。身も、心も、魂も、全てを穢される。尊厳を破壊される。その上でローマ帝国が誇る残虐な拷問官が更なる苦痛と恥辱を与え、裁判と言う名の私欲に満ちた茶番劇を経て、公開処刑されるのは分かっている。

 死ぬ必要はない。だが、死なねば心身を穢す煉獄が待っている。

 此処で死ぬことこそ、皇帝だったネロが迎えられる最良の―――人生の最期となる。

 彼女は、ローマ帝国と言う狂気を良く理解しているのだから。狂った皇帝の抹殺を願う反逆者共に捕まれば……いや、もはや皇帝が帝国の反逆者と断じた評議会に捕まれば、救いも何もありはしない。何故ならば、自分がそのローマを良しとした皇帝であったからだ。

 

「死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 余は……―――わたしは、どうして死ななくちゃ、ならんのだ………あぁ、イヤだなぁ………」

 

 死にたくない……―――けれど、彼女は自分自身の為に死なねば地獄に落ちるだけだ。ローマ帝国が死んでも良い罪人と定めた者に対する残虐さは余りに惨く、人間性などない凄惨な死が訪れる。何せ、自分が皇帝として市民に娯楽としてコロシアムでの処刑を見世物にすることをローマで許していたのだから、自分の番が来るのもまた失敗した皇帝らしい因果応報なのだろう。

 尋問に拷問。陵辱と処刑。

 皇帝である彼女は人々への疑念はあれど、ローマの規律に疑問を抱かない。

 大帝国は処罰する罪人を逃さず、皇帝を裁く力を評議会は有し、故にネロは帝国に不必要と叛逆される事となった。

 コロシアムで、人が殺されるのを知っている。兵士に人が殺され、猛獣に八つ裂きにされ、女が剣闘奴隷によって衆人の前で犯されたのを知っていた。

 処刑場で、ローマの神を認めぬ異端者が屠殺されるのを知っている。様々な処刑方法により、帝国の神を不要と冒涜する者共が、神聖なる裁きによって死の浄化を受ける姿を知っていた。

 人間の死は娯楽であり、国が演出する舞台劇であり―――何故、捕まった自分がそうならないと言えるのか。

 

〝潔く……―――死ねるものか。

 余の万能なる才能が、こうも容易く世から消えるのか?”

 

 だが―――死なねば、罪人はそうなるしかない。

 ローマがローマ市民に、そして奴隷や敵国の兵士や捕虜、あるいは異端者にして来たように、罪とは帝国にとって不利益なる者にこそ与えられ、権力者だろうと敗北した者に罰は下される。

 ―――暗殺。

 ―――毒殺。

 ―――焼殺。

 ―――他殺。

 ―――自殺。

 情熱の儘に、ネロは殺してしまったのだから。

 母を殺し、妻も殺し、奴隷も殺し、異端者を殺し、敵国の人々を殺し、国家運営の為の咎は、帝国の責任者である皇帝が全て背負うべき業である。

 だからこそ―――皇帝。

 元老院よりも尚、国と民に尊重される立場を頂いた。

 市民の為に、自分の為にも―――愛する者の為に、ネロは負債から逃れる事が出来なかった。

 

「う……ぅ、ぅうう―――」

 

 ニチャリ、と彼女は喉元から肉が抉れる音が聞こえる。

 

「―――ぁ……ぁ、ガァ……ぁ、ぁ」

 

 血が溢れる。肺と胃に赤い血液が流れ、咽る度に、血が口から逆流する。

 

「ぁぁ……あ”ぁぁ……ぁ、あっ―――ェ!」

 

 なのに、死ねなかった。血管を上手く破けず、肺と気管も血が溜まらずに呼吸困難にもなれず、失血死も窒息死も出来ない。

 足掻き、もがき、苦悶する。

 死ぬ為に短剣を決意して刺し込んだのに、苦しいだけで上手く死ねない。

 これなら従者に自分の首を斬り落とさせた方が良かった。首を紐で括って吊り下がった方が良かった。

 

〝死なせてくれ……わたしを、誰か死なせて……―――あぁ、死にたくないのに!!”

 

 もう一度、深く喉を突き破ろうと短剣の柄を握り、しかし血で滑って手から落してしまう。短剣を探す為に地面を見ようと首を下げ、血もまた喉元から吹き上がり、呼吸が苦しくなって視界が歪んで前が見えない。

 なのに、ネロは苦しむだけで死ねなかった。

 一人で死ぬ為に人を連れてこなかった彼女は此処で、最期の時まで死に切れぬ絶望に呑まれて死ぬしかない。

 

「ァァぁぁぁ……ぃぇ……ぁぁ」

 

 地面に仰向けになって倒れ込む。ナイフは何処にもなく、血が流れるだけ。体は動く気力を失い、段々と世界が寒く、暗く、何も感じなくなっていった。

 消え逝く命の最期。

 魂が、闇の底に沈んでいく恐怖。

 人が死ぬ姿を何度も見て来た筈のネロは、それが自分に回っていただけだと言い聞かせた少し前の、あの憐れな女を拒絶して苦悶から逃れたかった。

 

〝死ぬのは、嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。わた、しは……―――余は何故、こんな暗闇で、一人で死ぬのは嫌だ!”

 

 もがき苦しみ、ネロの命が最後まで足掻いていた。生命が、死にたくないと絶叫を上げていた。彼女の意志が生きることを諦めようが、彼女の魂が宿る肉体は欠片も諦めてくれなかった。

 

〝もう、良い……終わりなのだ……なのに、何でなのだ?”

 

 矛盾する二つの意志が、ぶつかり合う。だが、もはや死は間逃れぬ。死にたくない、生きていたい、と望むネロの願いは暗闇に沈み、死だけが彼女を受け入れることだろう。

 

「―――死ぬのは、御嫌でしょう?」

 

 尤も、暗闇は命の苗床。嘆く女の絶望を、亡者は闇から聞いていた。何も見えぬネロだが、その不吉に満ちた声ははっきりと聞こえていた。まるで風に吹かれて運ばれた使者の遺灰のように、ネロの魂を穢そうと囁いていた。

 

「ぁ………ぁぁ……」

 

「新たなる命を与えて上げます。貴女を裏切った元老院も滅ぼす力が、貴女の絶望を焚べる希望の薪となりましょう。

 さぁ―――望む儘に、渇望を。

 貴女の為に、ローマは皇帝を輝かせる太陽の光となるのですから」

 

 気が付けば、ネロは女に膝枕をされていた。僅かに戻った視界には、女の貌。それが暖かな笑みを浮かべ、彼女を見下ろしていた。喉と口から血液が溢れ出て、彼女の血で汚れるのも構わず、皇帝だった女を優しく受け入れていた。まるで敬虔な聖職者のような……あるいは、魂で描かれた絵画から飛び出して来た女神のような、聖人としか例えようのない人間性に満ち溢れた太陽の微笑み。

 ネロ・クラウディウスは―――人を照らす太陽を、直視した。

 その女の笑みが余りに眩しくて、どうしようもなく焼き焦がれて、死の恐怖と苦痛を忘れてしまった。

 

「う―――……ぁ、ぃ」

 

「そうですか。では、良い深淵を」

 

 後頭部を女の太股に乗せるネロに、為す術は最初からない。だが自害を望んだのは自分の為であり、同時に死に際に足掻いて救いを求めたのも自分の未練から。

 ドロリ、と暗い血が垂れる。太陽の瞳から、黒い血が流れ落ちる。

 真下にいるネロは女神の泥を―――灰の涙を、受け入れるしかない。口から、鼻から、両目から、そして風穴の開いた喉から、血涙が体内に宿り、彼女を終わりから癒した。死ぬ寸前である故に動く事も出来ず、そしてその暗い血が新たなる魂となることもネロは理解出来てしまった。

 

「ネロ・クラウディウス……貴女に、我らの暗い魂が在らんことを」

 

 血が流れ込む。流し分だけ、ネロは暗く祝福された。

 

〝暖かい……―――これが女神の、黒い太陽の血……”

 

 元老院に裏切られ、市民にも見捨てられ―――故に、彼女は救われた。死にたくないと言う最期の希望だけは、確かに太陽の微笑みを浮かべる女によって叶えられた。

 皇帝だった女は、優しく手を握られる。

 こんなにも暖かい他人の手を、皇帝になる前も、後も、ネロは知らなかった。

 暗く沈んで逝く肉体と、内側から肉体が作り替わる死に届く違和感も、人の温もりが常に癒してくれる。手を握ってくれるだけで、ネロは今までの自分が亡くなって新たな自分に生まれ変わる自我の恐怖も、母の子宮から生まれ出られる感謝の想いに作り変わった。

 

〝情熱よりも尚、心を癒す……優しい、温もり。なのに、体がとても熱い―――”

 

 溢れる渇望。求める情熱。新たな魂より、ネロは燃える薪と似た人間性を得た。女神のような微笑みをする―――灰は、その答えを得られた彼女の情熱を喜んだ。

 何故ならば、懸命に生きる人間として、死を克服した生命は素晴しいからだ。

 この世に、死ぬべき者など一人もいない。無意識化で繋がる人間共にとって、つまりは人理にとって有益であるだけで、人の死は定められるべきではない。

 故に灰は死ぬべき人の死を―――拒絶する。

 抗う者に無償の救いを与え、求めるならば新たな魂を授けよう。

 ネロ・クラウディウスの煮え滾る暗い情熱は、腐った絵画を焼く良い炎となるであろう―――

 

 

 

 

 

第二特異点

暗帝寵愛箱庭「セプテム」

 

【沈む薔薇】

 

 

 

 

 

 ―――トイレ。それは排泄処理空間。

 生理現象の為の施設であり、隔離空間に人が大量に住まうなら必要不可欠な場所。飲食不要なサーヴァントならばいざ知らず飲み食いしないと死ぬ人間は、食べれば食べた分を必ず排泄しないといけない。またサーヴァントも食べた食料品が完全に消化され、霊体の魔力に還元される訳ではないので、衣食住と言う生前通りの生活をすれば、人間と言う生物の生態活動がある程度は適応され、排泄行為も必要となる事だろう。

 よって、マスター――藤丸立香もまたトイレをするのが必然だ。

 特にVR訓練前は排泄しておこないと、長引けば悲惨な状態となることだろう。

 所長が作るあの擬似霊子虚構世界は現実と全く大差なく、彼が子供の頃に視た救世主やエージェントが登場する電子世界の映画と殆んど一緒だが、それでもそんな異空間で活動するのは魂が投射されたアバターだ。現実の肉体ではない。

 

「……ふぅ」

 

 小便器の前に立つ前に、少し溜め息を吐く。しかし、彼は魔術師見習い。トイレ前とは言え、何でも無い時はイメージで脳トレするのを欠かさない。才能は皆無だが、ならばと無理矢理に所長の良く分からない独自の秘儀により、それなりの魔術師としての機能を搭載されていた。何よりも、歴史や魔術の知識は変態技術者が開発した脳開発装置もあり、知識量だけはそれなりの図書館レベルで無理矢理にでも覚えされられている最中。日本語以外の言語も習得し、少しの間に眠って起きたら英語やドイツ語を覚えていた事もあった。

 藤丸が所長から聞いた技術曰く、凄腕の魔術師の魔術回路を演算回路として応用すれば、人類史において生まれたばかりのネットを乗っ取って第三次世界大戦を誘発する事も容易いと言っていたが、何故そんな事が出来るのかも初心者魔術師の藤丸は良く分からなかった。

 

「お、藤丸。小便か」

 

「あ、ムニエルさん。これからスタイリッシュ人権剥奪タイム……じゃなくて、特異点用のマスター訓練なので。尤も、それもムニエル製のVR訓練ですけど」

 

「いや、すまんすまん。所長に(おだ)てられてな。訓練開発、気張ってやっちまったんだ。その所為でカルデアのマスター候補生にとって、俺が一番ぶっ殺してやりたい奴ナンバーワンになってしまった」

 

「分かります!」

 

 いくら実際に死なない仮想世界だからとは言え、ネクロモーフが徘徊する宇宙基地を探索するのは、ガチ目な地獄であった。その元凶が目の前のムニエルなのだから、マスターたちが殺意の波動に目覚めるのも致し方なし。

 

「まぁ、そりゃ俺も分かるよ。アイデアは自分だもの。でもなぁ……ほら、ニューヤーナムのビルゲンワース大学出身のアイツに比べれば、俺はお手伝いみたいなもんだったしな。本来はコフィン担当だし。

 手当と残業代欲しさにやって、ゲーマーの浪漫がVRになるから弾けただけさ」

 

「ニューヤーナム?」

 

「アメリカの地方都市だよ。昔は何処かから流れ着いた開拓者がひっそり作った新大陸の開拓村ってヤツだったんだけど、現代じゃそこそこな場所かな。そこのビルゲンワース大学は世間一般だと有名じゃないけど、魔術師共の間じゃあ結構悪名高いんだな、これが」

 

「へぇ……」

 

「興味なさそうだな、藤丸。あ、それと―――いや、良いかな」

 

「なにが?」

 

「ビルゲンワース大学について。まぁ、このカルデアには卒業生もいるから、知りたかったらあの変態共から聞いて欲しい」

 

「わかった。良い話題にもなりそうだしね」

 

「そーいうこった」

 

 ニューヤーナム、私立ビルゲンワース大学初代学長ローレンス。

 その名前があの裏切り者のサーヴァントと同じと言う偶然。そんなことをムニエルは思い出したが、もう今のカルデアには関係ないと脳裏から消し去った。

 

「「…………」」

 

 よって無駄話も切り上げ。出すものを出さないと、二人揃って小便小僧となってしまう。

 ふ、とムニエルは何故か気になった。本当に魔が差して、どんな程度かと盗み見をしてしまっただけだった。男の見栄的なものが湧いた。果たして、如何程なのか。隣の小便器の前に立つ人類最後のマスターの、そのマスターレベルを目測で計ってしまいたくなっただけだった。

 何気ない視線移動。

 マジマジと見るのはエチケット違反であり、ただの変質者。尤も、チラ見でも十分アレではあるが。

 

「なん、だと……っ―――」

 

「はい?」

 

「―――巨根の、童貞だと!?」

 

「はい!」

 

 そして何故か、童貞であることを見破られた藤丸。如何なる魔眼で物体の過去視でも出来るのか、あるいはただの負け惜しみで発したのかは分からない。

 しかし、そんな言葉に反応していまった藤丸が、ムニエルに正しい意味で急所となる情報を奪われたのは事実であった。

 

「ほふー……かぁ、熱い!」

 

 一方その頃、所長はサウナにいた。場所はリゾートスペース、スパ・カルデア。

 

「お風呂に、サウナに、水風呂。全く以って、マキシマム休日。人生とは、かく在りけりや。

 子供心を忘れないパピーの南極秘密基地にマイ楽園を増築したけど、こうもゆったりしてると、ふぅ……魔術師の傍ら、趣味でしている資本主義の完全攻略方法が容易く啓蒙されてしまいますわね。今世紀の人類文明は、もはやカルデアの支配下とも言える。

 そんな支配者チックの気分で風呂に入りながら、ニーチェを読んで深淵チックになるのもベネ」

 

 風呂、エミヤ飯、十分な睡眠、魔術研究に、神秘探求。特異点攻略の準備に、藤丸とマシュの悪夢的VR鍛錬。何もかもが素晴しき日常。カルデアの運営は部下に任せ、所長は所長らしく、部下の能力と精神を過不足なく完璧に把握し、寸分の狂いも無い完璧な指示を出し、やるべき事をやり、職員全員の責任を取るだけの仕事。ついでに、同じ趣向の持ち主である変態技術者と、その変態を率いる技術顧問と、新技術や新兵器開発で思索を熱中する。

 ある意味、経営者としてはパーフェクトウーマンであった。

 だからか、こうして浴場のサウナで全裸となって、隣に座っている部下の一人に、自分の近況報告をダラダラと呟く事が出来ていた。

 

「戦場から帰った後の、一時の贅沢極楽三昧。なけなしの我がモラルまで弛緩してしまいます」

 

「所長、そこは弛んじゃ駄目です」

 

「良いじゃないのよぉ……ふはぁ、熱い。頭に空いてるネジ穴がガバガバになって、ちょっと鍛錬方法をゴズミック改竄しちゃう程度のお茶目心。ついでにこの際、脳内螺子をごっそり抜いてしまいましょう」

 

「これ以上は先輩が死んじゃいますよ?」

 

「大丈夫。カルデアの変態共だったら、精神崩壊した人間も一晩でさっくり啓蒙開発!」

 

「意味が分かりません!」

 

「汝……」

 

 召喚された数日後、施設説明を受け、好奇心から先客としてスパリゾートを楽しんでいたアタランテ・イン・サウナverは、つまりはマシュと所長と同じく全裸装備と言う別に装備をしていない状態であり、且つ良識ある筈の二人が珍客化していることに衝撃を全く隠せなかった。

 (ナンジ)ィー、と独り言を伸ばさなかった自分を称賛したかった。

 そう思えば、カルデア生活をさり気なく満喫している知人の魔術師も、稀に遠い目をしているのに気が付いていた。

 

「……そう言う、手合いの者であったか」

 

「やだもう、アタランテ。高名なアルゴーの船員だった貴女なら、女と偶に美男子に鼻の下を伸ばしまくりな男共にも慣れてるだろうし、薄暗くて熱い密室で女同士で裸のお付き合いってのも慣れっこじゃないの? ギリシャ最速的に?」

 

「オルガマリー、良いか。ギリシャの男連中を偏見するのは良いが、私を奴らと同じ括りで見るのは止めるんだぞ。

 ―――マジで」

 

「……マジで?」

 

超本気(マジ)だとも」

 

 超本気と書いてマジだった。江戸時代に使われていた古い芸能言葉に日本語変換され、同時に若者言葉っぽい軽薄さも浮かんでいた。

 カルデアに召喚された英霊は言語翻訳の神秘を搭載されるが、時代も地域も違う英霊が大量に召喚されている現状、変態技術者達はいっそのこと、翻訳と同時に現代言語の知識と発音方法を脳回路に入れてしまえと本気となり、母国語の翻訳を行うと同時に、その他国言語で思考することも可能となっていた。なので自分を召喚したマスターに合わせ、翻訳とは別に日本語を日本語として喋るサーヴァントも結構多い。

 

「メディアめ。汝を気を付けろとは言っていたが、イロモノ道化的な意味合いだったか」

 

「人間関係は、底辺の理解と本音の吐露が大切だと思ってるのよ。私も人は選んで会話内容を考えるけど、何だかんだサーヴァントの皆さんはお祭り体質の芸人っぽさがあって凄く好きよ」

 

「つまり汝、アレか……私はからかっても別に構わないタイプだと?」

 

「エグザクトリー」

 

「……―――いや。まぁ、良いが。

 汝からすれば、我らサーヴァントもカルデアの職員諸君と変わりなく、普通の人間か?」

 

「特別扱いして欲しいなら、魔術師的にそう接するだけ。でもサーヴァントのマスターは藤丸だし、私は彼を雇ってる上司ってだけだから、英霊には頼り甲斐のある上位者として振る舞う必要もないもの」

 

「成る程……」

 

 だから、メディアが遠い目をしていた訳だ。内心を悟られた上に、素の平常心で同じ職場の同僚の様に接して来る相手となれば、自然と警戒心は緩む。相手が魔術師だと分かっていても、組織の支配者が自分の事を魔術師だと考えずに無警戒だとある意味で、どう接して良いか分からない。となると、時間と共に自然体で生活するようになる。

 

「それで話は変わるんだけど、アタランテって……魔法少女に興味ある?」

 

 熱した岩場に水を掛ける所長から、脈絡のない話題が急に飛び出した。

 

「は?」

 

「いやねぇ……あの変態共が、変なステッキを量産しててね。美少女系サーヴァントを出来るだけ貸して欲しいとか、霊基を神秘実験に弄りたいとか、所長の私が言われてるの。

 面白そうだから私がやってみても良かったけど、あいつら所長は粗製だから無理って言うのよ。どう見てもスペクタクル美少女……って年齢じゃないけど、まだ英霊みたいなコスプレっぽい衣装も恥ずかしくない年頃だと思うのよ。

 ほら、年上な英霊のお姉さま方も中々な姿。

 私だって夢を啓ける筈。ペイルに悪夢なムーンで、プリズム啓蒙メイクアップ!」

 

 余りにもアレな所長に茫然としたアタランテはマシュの方を向いたが、彼女は首を横に凄まじく振っていた。阿修羅像のように顔面が分身する程の速度。絶対に拒否して下さい、とジェスチャーだけで訴えていた。

 

「それを……まさかまさかの、粗製女扱いだなんて。もう変態共のド変態を狩り殺すしかなくない?」

 

 内心でミニスカで全力疾走するアタランテに対し、あれは見せパン何だろうかと言う疑問を所長は隠しながら怒りを吐露した。

 

(ナンジ)ィー……」

 

 語尾を伸ばすのを我慢出来なかったアタランテは、どうしたらいいか分からずマシュの方を向くも、彼女は遠い目をして宙を眺めるようにサウナ室の天井を見詰めていた。

 

「マシュ、まさか―――」

 

「―――はい。

 霊基実験の一環だと、騙されました」

 

「そうか……すまない。嫌なことを思い出させた」

 

「構いません。羞恥心が如何に地獄か、人生で初めて理解出来ましたから」

 

 汗が湧き出し、艶やかな肌の上を滑りながら水滴が垂れ落ちる。コミカルな表情を浮かべ、実は中性的な男の娘のような雰囲気な美少年が趣味な所長は、内臓や血液に興奮する理想的な狩り好き淑女であり、女性に対しても普通に性的欲求が湧く性癖上位者でもあった。特にアタランテのようなスレンダーで筋肉質な肉体は、思わず指先を腹筋を触れるか触れないかのギリギリの境界線で撫で捲り、脈動する臓腑を皮膚の上から爪先で感じてみたかった。

 むしろ、脳髄と臓腑が詰まった人間と言う肉体美に昂奮するのだ。中でも獣狩りの狩人として鍛えられたアタランテのしなやかな筋肉は、獣性の濃厚な色香を漂わせる。それに狩人の神経が酷く感応し、どうしようもなく色々と悩ませる。

 

「獣耳も良いけど、獣性溢れる筋肉の太股と臀部と……そこから伸びる麗しき尻尾。あちらの色も金オア緑のどちらか悩ましく、だがついに秘匿は破られた。

 新しき獣の抱擁なる秘文字(カレル)が啓蒙され、私の獣性が爆裂金槌で星の小爆発―――宇宙(コスモス)よ!」

 

「おい、オルガマリー。醜い欲望が漏れているぞ」

 

「おっと、ごめんなさい。神秘が脳液みたいにダダ漏れました。それはそれとして、私と短距離競走しない? 結婚しない?」

 

「ッ―――ふざけるな!

 汝、魔法レベルの加速使いではないか!?」

 

 元より異常な敏捷性を誇る魔人が、魔法染みた固有時制御で移動する。英霊を制御しなければならないカルデアの所長だから本人の武力も高いのは当然とオルガマリーは話すが、聖堂教会の埋葬機関と個人で渡り合う人型核弾頭みたいな魔術師なのは少し違うのではないか、とカルデア職員一同が感想を統一させていた。

 

「良いじゃない。好きでしょう?

 それに最近はランサー……あぁ、クー・フーリンですね。私は見た目だけなら中性的な年下の美少年が趣味なのですが、逆に血腥い男前も嫌いじゃないの。狗っぽくて獣性が濃いので、総合的には心身めっちゃ好みなんですよね。

 けどねぇ……彼とは良い雰囲気手前までイケるんですが、どうも後一歩で逃げられまして。なので、何股かして騒ぐ血の蠢きを治めたいのよ」

 

 サウナ室でダラダラと汗を垂らしながら、獣みたいな目付きで組織のトップがアタランテを見ていた。

 

「何の話をしているのだ……?」

 

「いえ、恋バナですよ。偶に貴女も、メディアと男の駄目さ加減を話題に食堂で盛り上がってるような、そんな雰囲気?」

 

「これが、恋バナとは汝……本当にアレだな。うん、アレとしか言えん」

 

「もぉーやぁーねぇ……ふふふ。殆んど冗談に決まってるじゃない」

 

「そうかぁ?」

 

「そうよ」

 

 真顔で目を瞑ってサウナを楽しんでるフリをし、けれども頭蓋骨を見る内なる瞳でアタランテの肉体美を観賞する所長は、率直に言って人間性が最低だった。

 

「そうなのか、マシュ?」

 

「深く考えてはいけません。狂い始めた頭が、更に可笑しくなりますよ。大切なのは感じることなのです」

 

「汝は苦労しているのだなぁ……」

 

「慣れました……―――本当に」

 

 尤もこのカルデアでマシュに対し、一緒にサウナ入ろうぜ、と気安く誘うのは所長だけだった。今は他に召喚された英霊も気の良い人はそうやって彼女と接するも、恐らくは初めて友人と言う感覚を彼女に与えたのは、父親が死んで赴任して来たばかりのオルガマリー・アニムスフィアが一番最初だった。

 誰よりも頭が良い癖に、身内には自分を余り装飾しない女。ある意味カルデア一番魔術師らしく、人に優しいとは言えないが、仲間に対してのみ凄まじく甘い性格をしているのだろう。同時にその甘さは、カルデアに協力するサーヴァントにも例外なく向けられる。サウナで同室になれば裸の付き合いを行い、馬鹿話を自分から振って話のネタになる程度には関心を抱いていた。

 

「アタランテ、気に障るなら遠慮するわよ?」

 

「いや、構わん。嫌いではないぞ……普通の、そう言うのはな」

 

 とは言え、アタランテは第三者から見るとお堅い女に見えなくもないが、ノリと言う雰囲気を嫌う人間ではない。戦場ではないカルデアの生活は、英霊から英雄らしさを薄れさせる人間性を、死後にまた自覚させる温もりがあった。

 普通であることを許される場所。

 聖杯を巡る特異点攻略の最前線。

 その二つが両立され、召喚されたサーヴァントはカルデアに愛着するのだろう。焼かれた世界を救う組織として、可能な限り理想的な環境であった。

 

「オルガマリー。その、なんだ……色々と勿体ない性格だな。損していると思うぞ」

 

「良いわよ、別に。楽しく生きてるだけだもの」

 

「あぁ……――確かに。それが人間、一番だな」

 

「何だかんだで充実してるし、今は目の前の問題を全力で解決するだけ。人理修復も実際、英霊召喚システムの立証には最適だったし、魔術師としても世界を救うのは不利益じゃなく、私利私欲と言う観点からすれば悪くはない滅びよ。

 まぁ、裏切り者も殺戮者も必ずカルデアが――狩るけど」

 

「汝は建前を覚えた方がよいぞ。明け透けなのは嫌いではないがな」

 

「言ったでしょ、人は選ぶって。潔癖好きには魔術師ムーブは封印します。態々不愉快な気持ちで、人理とか救いたくないでしょうしね」

 

 気の合う女友達になれそうな英霊には、藤丸と契約したサーヴァントでも遠慮しない。相手が男性でも、何ら構わない。自分に自信を持ち、そして組織を問題なく運営する器量がある故に、所長は誰にも何気なく会話を行える――

 

「それでね、アタランテ。セフレってどうやったら作れるの?」

 

 ――会話内容は、兎も角として。

 

「水風呂に潜って、その頭を冷やして来い」

 

「私だって年頃なのよ、明け透けな下ネタトークに餓えてるの。思考の次元がとても低くて、思索を棄てた獣性な雰囲気の馬鹿話もね、人目を気にせずしたい時が大いにある」

 

「なんで汝は、その会話相手に私を選んだ?」

 

「だって、見た目一番貴女が良い意味でエロスに溢れる女性だったから」

 

「偏見と有り難迷惑だ!」

 

 何と言う良い反応。アルゴー船でもきっと、意地の悪い男に揶揄されていたに違いないと、所長は無駄に自信満々に確信。打てば響くとはこのことだろう。

 

「もう、怒らないでよ。神代に生きた貴女にとって、エロスって神の名前だし、凄く良い褒め言葉だと思うの」

 

「あの神は男性だぞ。女に言っても褒め言葉にならんわ」

 

「……確かに」

 

「そこで納得して終わるなよ、汝……」

 

「すみません。その、アタランテさん……?」

 

「うん、どうした。珍しく難しい顔をしているな、マシュ?」

 

「マシュには優しいのね」

 

「汝は黙ってろ……で、どうした?」

 

「セフレって何ですか?」

 

 思えば、その略語をマシュが知らないのも不思議ではない。カルデアの日常生活で、まずは使われない単語だ。

 

「アタランテ。私さ、貴女に言われた通り、ちょっと水風呂で頭を冷やしに行くわね」

 

「ま、待て……待て待て待て待て待てっ!

 いやあのな、オルガマリーよ。汝はこの状況に、人として責任感とか持たぬのか!?」

 

「全然」

 

「狩るぞ!」

 

「ふふん、良いわね。カルデア一番の女狩人を決めるべきだと、常々本当は思ってたのよ」

 

「上等だ」

 

「あのー……それで、アタランテさん。セフレってなんですか?」

 

「そろそろサウナを出るべきだろうな。

 人間である汝らは、ほら……脱水症状とかあると危険だろう?」

 

「そうね。ほら、マシュ。貴女は片腕にまだ慣れてないし、体の届かない所は洗って上げるわ」

 

「うむ。私も手伝おう」

 

「ありがとうございます。で、セフレって何なのですか?

 前にAチームの皆さんが……と言うよりベリルさんが、カドックさんはセフレがカルデアに沢山いるって言ってまして」

 

「ベリル・ガッド、さようなら。まだ幼かったマシュにその言葉を教えた上、カドックに冤罪を擦り付けるとは。奴のコフィンは解凍、即座に爆破しましょう」

 

「何故ですか、所長!?」

 

「それは良いな。そんな男は汚い花火にしてしまえ」

 

「アタランテさんまで!?」

 

 日常とは、そんな程度の積み重ねであった。新たな住人全員とオルガマリーは、カルデアの所長として面談を行い、人格と特性を把握済み。特異点を攻略し、縁が増え、システムで召喚可能なサーヴァントも増加した。ならば、この南極基地カルデアにおける生活人数も増え、寂しかった空き部屋も埋まっていくのが普通の話。

 次の特異点攻略を行う準備期間。束の間の平和な生活は、鍛錬と勉強に明け暮れる毎日で、でも藤丸とマシュにとっては人生で最も充実した生活でもあった。

 

「ふぅー………」

 

 風呂の後は、何故か溜め息を吐きたくなる。所長とアタランテと別れたマシュは、エレベーターで違う階層に移動し、そこから一人でカルデアの廊下を歩いていた。

 

〝成る程。そう言う意味でしたか。ならば、恋人――……いえ、いいえ。マスターは先輩で、先輩は男性で、私は女性。即ち、フレンド。然るに、メイクラブ。

 ……うん、落ち着きましょう。素数を数えるのです。

 自分で自分の頭が、凄くお馬鹿になっているのが分かります”

 

 中身のない左腕の袖が、歩く度に揺れる。義手はメンテナンスに出しており、日常生活用の仮義手を付ける気分にもならなかった。

 

「フォウ……フォウフォウ」

 

「あれ、フォウさん。男風呂の方に行っていたのでは?」

 

「フォウーフォッウ」

 

「なるほど。しかし、何故か分からないですが、所長はフォウさんを女性用の浴場に入れるのを禁止してましてね」

 

「―――……フォ」

 

 疲れたような表情をするフォウは、マシュの体を一瞬で昇り、パーカーのフードの中に入り込む。まるで此処が定位置だと言わんばかりに体を丸め、鳴き声も上げず直ぐに眠り始めていた。

 

「………」

 

 廊下は、静かだった。歩く自分の足音しか聞こえない。そしてカルデアしか知らないマシュは、廊下の窓から外を良く見ていた。

 果たしてあの窓の向こうはどんな世界なんだろうか、と思い馳せていた。だから彼女にとって極寒の雪景色しか映さない窓だろうと、そこには情景と呼べる色彩のない無色の世界が広がっていた。だが特異点を知り、焼かれた終わりの世界を見て、故に彼女は焦げた絶望の中であろうと様々な色彩を知ることが出来たのだろう。

 

「宇宙は空にある」

 

「「「「宇宙は空にある」」」」

 

 尤も今は冒涜的悪夢なる変態衆が、宙との交信のために占拠しているのだが。

 

「…………」

 

 見なかったことにしよう。変態技術者達が、何時も通りに啓蒙的神秘活動をしているだけ。感受性が高いと言うか、脳が叡知に拓かれ易い感応性質とも言えるのか、所長に見出だされた者らは間違いなく狂人であり、関わると録な目に合わない。マシュも面白半分で魔法少女にされた思い出は新しい。

 

「おや。おやおや、おやおやおや。君はマシュではないか。あっはっはっはははははは!

 先程ぶりだね。それで、どうかね……隻腕生活は。辛いなら、是非ともこの内臓触手式軟体精霊義手を移植しないかな……あぁ、そうだね。そうだった。勿論、この義手も取り外し自在さ。今の義手を使える儘にね」

 

「結構です。ミコラーシュ室長」

 

「残念だよ、実に。私は光るような神秘なる悪夢的叡知を啓蒙して頂けた所長に恩があるのでね。その彼女のお気に入りである君の生存率は、更に上げておきたい。そこで副案として高次元霊的存在に深める為、見知らぬ男の魂と神秘的ドッキングを強要された君を、私が培養するアミグダラの子宮炉に入れて進化させようと考えている。

 謂わば―――生み直しの秘儀だとも。

 Wooo……ンンン、マジェスティッック!!」

 

「駄目です。倫理違反です」

 

「おー、そうだった。すまない、どうも。此処が国際組織と言う建前を忘れてしまった。けれど、けれどね、人理焼却で燃えた世界の空と交信していたら、そのような悪夢的思索によって叡知が啓蒙されたのだよ。

 ……神秘学者であれば、思案は原石。

 目玉のような石ころを磨き、神秘となる宝石を求めるのを止められる訳もない」

 

「良いですか。本当に、本当に、何であれ実行に移す前に所長かダヴィンチちゃんと良く相談して下さいね?」

 

「分かっている。フリと言う奴だね……ふむ。今日は日本のコメディアンのショーでも見て、啓蒙でも深めるかな」

 

「フリじゃないですから」

 

「ふふふ、冗談だとも。オバサンは若い娘を揶揄するのが習性なのさ」

 

 どう見てもマシュより幼い娘にしか見えないが、ミコラーシュも立派なカルデア職員。むしろ、幼女ともギリギリで言える年齢であり、良くて十代前半。

 不健康そうな色白な肌。適当な長さのもあっとした黒髪。顔立ちは凄く普通で、だが常に徹夜明けをしたような眠気を超越する薬物中毒者みたいな起伏ある表情。背の高さもマシュより低く、何より特徴的なヘルメットを愛用していた。そして作業の邪魔になる時や、会議の時は外すも、何かを思索して知識を啓蒙される為に、思考を働かせる時は何時でも頭部だけ檻の中だった。

 

「そういう風に暴走して、所長に助けられて、カルデアに就職したって聞きましたけど?」

 

「あっはっはっはははははは!!

 悪夢の召喚だったか。あれで封印指定にされたのは良かった。何もせず、協会や教会がイキの良い実験材料を無料配達してくれたからね。

 まぁ、所長が我が魔術都市に来て、こうして無事に真人間となり、全人類の夢と神秘を守る仕事をする破目になってしまった」

 

「あー……マニンゲンって、真人間ってことですか―――?」

 

「契約だよ。啓蒙されし智恵なる神秘は夢でしか行わず、現実ではカルデアに不利益を与えずに職務を果たす。なればこそ頭蓋の中の、脳の裡でのみ我ら学徒は思索の自由を許され、思考は故に高次元なる悪夢へと至る暗黒の途。

 おぉ、正しく私は正社員。社会規則もまた人獣の妄念。

 我らが高次元的所長は夢破れる私に、妄想を夢で見る自由を授けたのだ」

 

「つまり、つまりぃ……あのーそのー―――あぁぁぁあー頭が可笑しくなるぅ!?」

 

 隻腕である彼女は右手でしか頭部の髪の毛をグシャグシャと掻き回す事しか出来ないが、格好的に空想の左手でも頭の中身まで掻き毟っている様子に見える。本当にマシュは、もう可哀想な程に発狂に耐えている姿だった。

 

「思索の芽生えこそ、思考を啓く鍵だとも。故に狂気を受け入れ給え、狭間に溺れる少女よ」

 

 だがしかし、この幼女にとって狂気は愉悦、発狂は快楽、思考は中毒。思索に悶えるマシュをニッコリと笑う啓蒙少女、ミコラーシュ。多分彼女の頭の中には、良くない悪夢の主が住み着いているのだろう。

 

「そんな事よりミコラーシュ室長。良いアイデアが啓蒙されたんで、研究室に戻って早くビーム開発したい。マシュの義手には火力が足りないの。高次元暗黒より抽出された深淵の輝き、それは大地の魔力と融け合わせり、エーテルの渦と化し、やがてコジマ粒子と成り果てる。

 故、真エーテルを模す機構は生まれた。即ち―――カラサワ。

 だからカラサワさん、感応していますか。アナタが作った光こそビームの歓喜に満ち、小爆発より核が分裂するのよ」

 

「鉛の重さが、カラサワをも重くしよう。つまり、ゲッコウもまた同様だとも」

 

「悪夢的思考実験まだぁ……もう啓蒙が逆流しちゃう。

 夢で死ぬ絶望から重みが欲しいのに、全く。やはり魔術機剣ゲッコウには、絶望的な鉛の神秘が不足している。月モドキの明かりで焼き斬るだけではソウルは斬れず、ならば悪夢より暗い闇と同じ重さを作り上げねばならん」

 

「絶望的悪夢の死こそ鉛の根源、即ち意志の終わり……夢にて命が、終わる時。フランスにて、撃ち、斬り、刺し、潰し、内臓の温かさを知り、殺し殺し殺し……殺し殺し殺し殺して殺して、鏖なる殺戮の業。

 盾の乙女は悪魔に左腕を喰われ、故に身無き空想の手の持ち主。

 故に我らの最高傑作たる義手を意志より、操り骸の腕として支配せし担い手となる」

 

「殺せば殺す程に、模されたゲッコウは鉛の重さを得るのだ。そして、赤子を贄とされた上位者の憎悪もまた宿させ、冒涜的殺戮者となる術を啓蒙されよう」

 

「おぞましき髑髏の怨念が義手に宿り、やがてマシュの意志より湧き出るだろうて」

 

「フィッシュマンめ、冒涜的な殺戮獣の餌にしてくれます」

 

「漁村は良い……生臭く、生温かく、内なる瞳の養殖産地。そろそろ宙舞う人喰い鮫のキメラ遺伝子が成功しそうなんだぁ……―――ッハ、まさかこれも聖女様のお導き!?

 聖女様、聖女様……脳液が足りません。

 まだまだ海の深さが足りず、ピチャピチャと蠢くだけで。あれそう思えば、私の眼孔に瞳が入ってますか?

 また悪夢の何処かに落してしまったかもしれないんだよ?」

 

「内なる瞳は吐瀉するとは。我らは何故か欲していても、人間としての礼儀が不足している……だが愛してるんだ、人間を。例え我らが炎に飛び込む蛾のようであろうとも、人理を超えた智慧が宇宙深淵を深めねば、人類愛の頂きには昇れない。

 ……空想は狂気に侵食された。

 カルデアスなど既に無用の長物に成り下がった。

 観測は瞳より、因果は脳より、だが悪夢は我らが妄想を愉しむ為の失楽園で在り続けよう」

 

「そんなことよりカルデアを空に浮かべたいなぁ……っく、まだ我らの思考では思索が足りん。やはり現実にも異界常識を持ち込むべきなのだよ。さすれば、人は人の儘に妄想を愉しめる」

 

「愚かな。浮かべるなら大陸ごとだろうに」

 

「―――ッハ、抜かった。神に出来た故に、人もまたそれが可能。悪夢の霧を雲海とさせ、そこに島を浮かべれば素晴しい……あぁ、素晴しい夢の国に祝福を」

 

「おぉー良いですねぇ…‥幻想郷(ドリームランド)とか造りたいですねぇ……あれ?

 ふと思ったのですが、マシュの盾に白い神秘なる毒霧を吐き出す武器を付けたいのですが?」

 

「所長……それ、持ってたような?」

 

「星の娘よ、泣いているのですか?」

 

「毒ガス兵器は国際条約上倫理違反では?」

 

「大丈夫。今の科学じゃ成分分析無理。ただの白霧なので」

 

「そっか。でも、そんなことよりもガトリングですよ。群がる敵を蜂の巣の肉片にしましょう?」

 

「言うても近代兵器として完成しちゃってるから、弄れる部分少ない。出来ても、発射速度を早くしたりとか、投影を使用した魔力銃弾システムで魔力充填式にしたりとか」

 

「開発中の巨人兵に装備させようとしてた……あれ、あれです。あの、そうそう……確か、カルデアキャノンとかも良いんじゃない?」

 

「医療教会は火薬庫に似て、ロマンチックが止まらない兵器開発精神でした。なら、我らもまた狩りの浪漫に殉じないと。

 何より文明は進歩しました。虐殺こそ人間が愉しむ猩々狩り。兵器は仕掛けの塊となったのです。ならば人類殺戮の歴史は、きっと狩人の業を今よりも尚に深めて頂けましょう。古都に持ち込まれたガトリング技術は、火薬庫にとって最高の知識だったことでしょう。

 個人砲門タイプのクラスター爆弾とか、いっそのことデイビー・クロケットとか?」

 

「あの娘に核融合式自爆装置を付ける気か? 所長に狩られるぞ?」

 

「エクスプロージョン、エクスプロージョン……文明が爆裂する。文明が、文明を破壊する。

 おぉ……おぉ……大いなる太陽の炸裂なの。

 空想でしかない理論は、だが思索によって現実に結ばれる。我ら理を探る学徒より紡がれた文明とは、夢見た思考の妄想に由来する。だが思索によって空想の理論に昇華し、悪夢が世界を侵食し、文明の技術は積み重ねられるのだ」

 

「太陽万歳!」

 

「それもまた良し。死しても夢に目覚め、だが意志は悪夢を巡るのだ」

 

「そんなことより生物兵器の方を開発しようぜ!

 獣の魂が齎した業もあの特異点の観測情報から結構啓蒙出来たことだし、多分……ドラゴンの生体ゴーレムなら今の設備を応用して培養構築出来そうじゃん?」

 

「ならばいっそ、人工上位者の子宮に獣を入れてみると面白そう。獣血の赤子とか作ってみたい」

 

「ビルゲンワースの学術は万能だ。ニューヤーナムは滅んだ古都の赤子であり、ビルゲンワース大学は学び舎の生み直し。新大陸に獣血教会を創設した学長と、ミコラーシュ教授の……あ、今は室長だった。

 でも、赤い血と白い血は両極端だからねぇ……ま、駄目よ。悪夢の中でしか、神秘と獣血は両立しないもの。現実で語る時点で狂人の空想に成り下がる」

 

「激毒と発狂は互いに作用する効能を持ち、また内的衝突で結局は中和してしまうでしょうに。もう……まだまだ我らには思索が足りな過ぎる。やるなら所長みたいに瀉血出来る不死身生命体じゃないと……はぁ、アン・ディールがいればなぁ……あぁ、今はアッシュ・ワンだったっけ。

 彼女は思考実験に最高の良素材だったのに。

 生き胆、目玉、内臓、遺骨、青い舌に脳髄。

 啓蒙高いわぁ……うひゃひゃひゃははっはっはひゃひゃひはは!」

 

「所長が彼女を捕まえてカルデアに連れてくれば、悪夢に連れて行って実験したい」

 

「無駄な事だ。あの女であれば、意志一つで絵画を容易く焼き払う。特異点など、そもそも灰にとって脆い世界故に、あの獣が仲間に引き入れず、カルデアで在る儘であれば、人理焼却事件など数時間で終わる茶番劇。

 故に、あの女にとって世界などゴミクズよ。

 人理焼却さえ無価値だった全ての悪夢が宙より消え去り、我らは居場所を焼却されてしまう」

 

「おおお、事も無く、されど慈悲もなく。だったら魔女は良いサンプルです。落とし仔が啓蒙させた血の意志を竜に抱かせ、赤子共の遺伝子を混ぜたゴーレムドラゴンの卵とか如何?」

 

「現実ですると所長が怒りますね。脳の夢でのみ許される所業でしょう。しかし、やはり暗い魂こそ根源だわ」

 

「暗い血の赤子の誕生。暗い魂の血は混ざり、全ての者が血を作る意志の生胆を抱くことだ。灰の叡智により、悪夢もまた深化したのだよ。

 あぁ、故に悪夢の生態系もまた進化する。

 我らの自由なる妄想は、神秘なる空想と導かれ、やがて常識が改竄されることだろう」

 

「灰、灰、灰……うはぁ―――うひゃひゃひゃひゃひゃはははははは!

 暗い血より啓蒙された真実こそ上位者が求めた深淵。思索すべき答えなれど、なのに人間の闇は底が無く、宇宙は深海と同じく沈み逝く暗黒。

 そう……全ては、繰り返される。

 何故ならば、悪夢なれば変わりなく、死せども夢でしかなく、因果は廻る」

 

「やはり―――宇宙は空にある」

 

「思索の時間だ」

 

「人類に黄金の時代を。そして、幼年期に終わりあれ」

 

「うわぁぁああああああああああ!!」

 

「智慧を求めねば。我らは白痴を啓蒙され、しかして瞳が足りぬのだ」

 

 ワイワイガヤガヤ、と狂気が廊下に満ち溢れている。しかし、放って置けばマシュ以外の通行人が来るのも時間の問題。それが所長などの諸々であれば大丈夫ではあるが、狂気耐性が啓蒙されぬ職員やサーヴァントが来た場合、その者たちは確実に精神汚染が発現し、異常なる狂気に犯され、治療するのは所長から医療手段を教わったドクター・ロマンとなる。

 つまり所長にも確実に話が入り、技術部に罰として凄まじい無茶ぶりが振られるは確実。楽しいと言えば愉しい所長依頼の仕事だが、鎮静剤をがぶ飲みしながらする研究は変態技術者にとっても凄く辛い。

 

「うむ、諸君。廊下で己が探求欲を漏らすのは止め給え。他の社員の精神衛生に悪いと、私が所長にネチネチと怒られるのだからな。

 ……まぁ、良い。

 今は所長と共に性別迷走者も喜んで話を聞き、理解を示してくれる。共に新たなる理念を作り上げていこうではないか」

 

 カルデアの技術部門。技術顧問はレオナルド・ダ・ヴィンチであるが、カルデア職員として室長を務めるのはチェコの魔術師血統であるミコラーシュ家当主であり、女性なので正式には女系姓のミコラーシュヴァー。なので、皆は彼女をミコラーシュと呼んでいる。

 

「では元気にするのだぞ、マシュ。常に思索を怠ることなかれ。君の優れた脳髄の思考が腐るのは、我らカルデアにとって神秘の損失だ。

 あっはははははははははははははははははは――――!!」

 

「……は、ははは――――」

 

 壊れた笑みを浮かべるマシュは、それが一番だと知っていた。理解しようとすると、無知が啓けて知識を植え付けられる。正にミコラーシュは啓蒙家。

 そして、笑い声が遠ざかる。暗い夜空を見上げるのが好きな、ある意味でロマンチックな研究開発専門の技術者集団は、上司であるミコラーシュに続いて職場に戻って逝った。

 

「―――………ふぅ、ふぅー……はぁ。疲れます。独り言が止まりません」

 

 過ぎ去るミコラーシュとその仲間達を見て、だがなるべく思い出さない様に思考の奥底に封じる。他の職員やマスター候補生にはまともな知識人として接するのに、彼ら彼女らは特定の人間にはあのような狂態を平気で晒す悪い癖があった。まるで知ってならない事を知識を啓蒙されたことで、人が見えない筈のモノを自分だけが見ている妙な気分になる。その違和感がマシュは好きなれず、しかし特に嫌悪することも全く無い。

 今のカルデアだとマシュの他には、所長、先輩、ドクター、狼さん、ダヴィンチちゃん。後は来たばかりのエミヤにはそうでもなかったが、フランスから帰って来た後のエミヤには本性を何故か晒すようになっていた。サーヴァントも殆んどが他の職員と同様で例外がその三名と、キャスターのジル・ド・レェ程度だと彼女は考えた。そしてマシュは知らないが、実は聖女と魔女と清姫も例外に含まれていた。

 

〝所長に相談しても、マシュは啓蒙高いから無理ねとしか言ってくれませんし……”

 

 啓蒙が足りない者は真実が見えないとも所長は言っていたが、マシュには良く分からない理屈。とは言え、これもまた彼女にとって普通の日常風景。爆破テロの前ならカドックを盾に出来たが、もうその手段をマシュは使えない。

 

〝ですが、仕事は完璧ですからねー……はあぁぁ。生身の左腕を捨て、技術部の人達が作ってくれた機械義手が無ければ、先輩を守ることは出来ず、所長の役にも立てませんでしたから”

 

 何も無い左腕。カルデアの技術力なら左腕だけを培養して生身の腕を外科手術で、十分に取り戻せる。優れた人形師でもあるミコラーシュであれば、人の腕と全く同じ“だけ”の義手も作り出せる。

 だが、今の腕を選んだのはマシュ自身。

 冬木で遭遇した悪魔の騎士と戦ったマシュ・キリエライトは、英霊の十字盾が全く無価値になる敵が存在する事を知ってしまった。それは鍛えた業だけで、宝具を容易く超える人の究極へ至る者。同時に、そんな人間がマスターを殺す敵となって立ち塞がる事実。

 

〝足りません。何もかも不足して……私は、心が折れそうです。でも、カルデアの皆さんが私の力になってくれています。ダヴィンチちゃんと技術部の人達の御蔭で、敵を倒す矛を手に入れました。あの人は死ぬしかなかった私を助けてくれて、更に聖剣も防げる盾を与えてくれました。

 居場所をくれた所長の期待に応えないと。

 人間性を教えてくれたドクターを助けないと。

 先輩は……―――マスターは、私だけになっても最期まで、絶対に守り抜かないと”

 

 もはや何も無い左腕を右手で掴む。デミ・サーヴァントである事に関係なく、自分が絶対的に無力な人間だとデモンスレイヤーはマシュに刻み付けた。フランスの特異点で、その想いは更に加速した。鉛を呑んだように体が重くなる絶望感を覚え、悪夢を見る頻度が増えたかもしれない。

 しかし、片腕を奪われた喪失者となり、彼女の右手は左手を補うように業を深める。憑依した英霊の技術だけでなく、マシュは自分自身の技巧を既に持っていた。そして人は他人を真似ることで自分に技術を覚えさせる生き物であり、このカルデアは技巧を鍛える環境として最高だった。

 義手と体術の使い方は―――狼に。

 魔術と知識の使い方は―――ダ・ヴィンチに。

 銃器と機械の使い方は―――オルガマリーに。

 戦術と思考の使い方は―――エミヤに。

 大盾と防御の使い方は―――名も知らない騎士の記録に。

 本当は、オルガマリー・アニムスフィアが考えていることもマシュは察している。また自分が察していることをオルガマリーに悟られているのもマシュは分かっている。これが望まれた在り方で、そう思うように誘導されてもいると。

 だが―――弱者では藤丸立香を守れない。

 これより戦う特異点の敵は、全員が彼女のマスターの死を望んでいる英雄英傑共。

 歴史に名を残すサーヴァントが向ける全ての悪意から護る盾と在る為に、マシュ・キリエライトは今の日常を歩むだけである。








 ミコラーシュはステゴロ最強。あの学派はなんだかんだで、トップがメンシス真拳の使い手で、かなり武闘派なんですよね。ついでに骸人形やらも操れ、ヤハグルのモンスター作成も得意。神秘を求めるのに、遺跡発掘や悪夢での上位者狩りなどで、自然とヤーナムの神秘学者は肉体が発達するのでしょう。個人的には、冒涜アメンをミコはタイマン<素手と秘儀>で倒せる設定。
 それとここのミコはチェコの魔術家系の女当主です。型月とのクロスですので、チェコの人形師をしていたフリーランスの魔術師出身がビルゲン前のミコで、何だかんだ実は子供もいて初代の魔術師になってたりします。
 なので所謂、異世界TS啓蒙転生発狂令嬢モノと言う流行りに乗った主人公的立ち位置にミコちゃんはなってます。ミコラーシュ家の初代当主様は死んでいますが、その意志が何処にあるかはイメージ通りだと思います。


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啓蒙40:悪い夢を継ぐ者

 それはとても唐突で、だが仕方がない事件でもある。藤丸がまたカルデアと縁を多くの英霊と特異点で結び、冬木で出会った者達と再会した様に、フランスの第一特異点サーヴァントを召喚することに成功していた。

 ―――縁とは、善悪に関わらない。

 つまるところ、人理修復の意志を英霊ならば関係無く、カルデアはサーヴァントとして英霊と契約するシステムを運営している。だから、敵対していた者らもまた召喚されるのが必然。必要なのは、藤丸のサーヴァントとして使役されるのを許すことであり、カルデアの目的に従うか如何かの二点のみ。

 ―――竜の魔女。真名を、ジャンヌ・ダルク・オルタ。

 自らをそう在れかしと許し、聖処女ジャンヌ・ダルクの別側面としてサーヴァント化した者もまた、藤丸立香と契約した者の一人であった。同時に、聖処女も同じく召喚されていた。

 藤丸は―――もう本当に、どうすれば良いか全く分からなかった。

 二人の結末を特異点で見届けた故に、別々にならそれなりに信頼関係を結べたと思うが、二人揃った状態だと精神が崩壊しそうな重圧感に襲われ、だが皆と契約するマスターとして逃げる事が許されていなかった。清姫が新たにコックとして参加したエミヤ食堂でも、聖女と魔女が揃うと凄い空気になる。

 エリザベートとカーミラが揃うとギャグっぽいのに、何故かこの二人は駄目だった。

 やはり、ある程度の割り切り合いが必要ではないか、と藤丸は思索する。しかし、啓蒙され過ぎて神秘が高過ぎる脳を持つ所長と違い、彼は思索の次元がまだ低い自覚を持っていた。

 となれば、まずは当たってみるのみ。二人の微妙な仲が砕けそうになるならば、彼は自分の身を呈して緩衝材になる覚悟を持っていた。ジャンヌと相談を重ね、何人ものサーヴァントが協力してくれた御蔭で、ある程度の道筋は作れた。

 

「私には記録がある。カルデアでも見て、記憶を魂から思い返しました。でも……貴女に、私は母と呼ばれる資格はありません。

 ですから、その……あれですね、恥ずかしいのです。

 私なりに妥協として、貴女からは―――ジャンヌお姉ちゃん、と一人の家族みたいに呼んで貰いたいのです」

 

 結果―――惨劇が、生まれる。

 

「糞して寝てから寝言はほざきなさい、糞婆」

 

紅蓮の目潰し(ラ・ピュセル)

 

「目がぁぁ……目がッ!!?」

 

 つい生前からの反射行動で、苛つく相手に目潰しをしてしまった。全部、テンション上がると五月蝿いジルがいけなかった。ジャンヌは責任転嫁することを、このカルデアで覚えてしまったのだろう。

 

「教育が必要ですね。貴女は……そう、これより家族になるのですから」

 

「ちょっと……アンタ、マジでちょっと―――え、嘘。嘘でしょう……?

 こんな上位者(グレート・ワン)とどっこいどっこいな狂った意志の持ち主と、魂レベルで血が繋がってるなんて私は、そんな……有り得ない。

 ジル―――ねぇジル、助けて! 

 ちょっとコイツに効く鎮静剤を早く私に……ッハ!?」

 

「娘を超えた妹、母を超える姉。これ即ち―――上位家族(グレート・ファミリー)

 啓蒙された私の啓示が今この瞬間、光り輝く導きを与えて下さいます。話が通じぬのなら、拳で語れと主は聖者を諭しました。

 倫理と道理を違えた天使と人間が……嘗て、互いの拳で認め合ったように。

 ならば、想いが異なる妹と姉が理解し合う為に、拳はきっと―――祈りが宿るのでしょう!」

 

「どんな神様よそれ、絶対違う系統の邪神じゃない!?」

 

 悩みの余り思索し過ぎたジャンヌは、良く分からない事をオルタに告白してしまった。そして、誰が相手だろうと聖女は止まらぬ意志を抱くのだ。まこと傍迷惑な意志だった。

 

「問答無用!!」

 

「問答して!?」

 

「姉パンチ!!」

 

「当たるか!?」

 

「姉キック!!」

 

「殺す気か!?」

 

「姉ビーム!!」

 

「何処から!?」

 

「姉カノン!!」

 

「大砲狂め!?」

 

 フランスの土地を再現されたVR訓練の中、ジャンヌはジャンヌに追い駆け回されていた。とある水辺の聖女に拳法を学ぶと良いと啓示で思考が啓かれた故に肉体言語を覚えたが、姉ビームは瞳で見てはならない真理を啓いて術理を会得したのだろう。そして大砲は多分、変態技術者が作った兵器の一つをVR訓練に持ち込んだと思われる。

 殺しても死なない仮想空間とは言え、ビーム&キャノンが舞う光景―――正に、悪夢。

 

「良き哉」

 

「善き哉」

 

 ジル・ド・レェ(キャスター)ジル・ド・レェ(セイバー)が良く似た表情で、そんな聖女と魔女の戯れを涙を流して見守っていた。

 

「そう、そうよ……ひゃほう。ふふ、最高じゃない。もっと内角から抉り込むように打つべし、打つべし、仕留めるべし!!

 我が弟子、ジャンヌ・ダルク。伝授した拳の教えを今、祈る為に解き放て!!

 ふふ、うふふぅふーふふ………このカルデアでついに、後継者を見付けてしまったかもしれないわね。我らがヤコブの拳法を継ぐに相応しい―――次世代聖人の、担い手が!?」

 

 まるで缶ビール片手に格闘技の試合観戦をするおっさんのような、あるいはレディースのような、何とも言えない雰囲気を持つ露出が強めなお姉さん。十字架を模すように首元から下腹部まで肌が見え、胸元が余りにもセクシー。

 露出狂ならぬ露出強とでも言うべきかもしれないが、歴とした聖女である。この衣装も英霊としての正装であり、生前とは違ってセンスが死後に爆発したのだろう。

 

「マルタさん、ステイ。ステイ、モア。ほら、先輩も先輩のサーヴァントなんですから、皆が怪我しないように注意して下さいね」

 

「弟子の活躍が良いところなのよ、マシュ!」

 

 聖女の名を、マルタ。シャドーボクシングをし、拳を出す度に空気を破裂させ、音よりも早く人を殴るのが得意らしい。そんな聖女は暴れる竜を……多分、きっと、祷りで鎮めたかもしれない英霊の一人であった。

 そんなマルタも、実はジャンヌから相談を受けていた一人。しかし、結果的には姉妹喧嘩の役に立って良かったとは言え、ヤコブの闘法は姉なる拳法に深化してしまった。もはや生身で天使を討ち滅ぼす人体理念は、妹を量産する祈りに塗り潰された。

 

「よかった。良かったよぉ、ジャンヌ。オルタと仲直りが出来てさぁ……マシュ。俺さ、実は不安だったんだよ。何が出来るか、分からなかった。

 ジャンヌからも相談されて、だったらこの仮想訓練場で思いの限り、まずは話し合ってみようって」

 

「犯人、先輩でしたか」

 

「竜の魔女がオルタとして召喚された時、何でだろうと思ったんだ。でもそれは人理修復をしようと思ってくれたからで、許されない家族との再会はジャンヌの願いでもあった筈。なにか出来れば良いと考えたけど、場所を提案するしか出来なくてね……でも、良いんだ。

 俺みたいな奴でもジャンヌにさ、僅かだけどお礼を返せた―――」

 

「それよりも、私のあの特異点でのトラウマが、それ以上のトラウマで塗り潰されている真っ最中なのですが?」

 

「―――旦那様(ますたぁ)、好き!」

 

「清姫さん、混沌が這い寄ってきますので今は自重して下さい」

 

「ほほう、でしたら私が一肌脱ぎましょう。家族の記念に、写真を一枚」

 

「ゲオルギウス、それは良い考えだ。家族との思い出は、残るべき人生の爪痕に違いはない」

 

「お二人共、それは良い考えだと思う。学の無い私であるが……故に、普通の日常を愛する百姓の一人として、農家の娘だったジャンヌ・ダルクもまた、英雄になる前は一人の平和を生きた娘であるのも良く分かる。ゲオルギウス殿の記念写真は、聖女にとって良き物となることだ」

 

「フランス竜殺し三人衆……その、あのですね。あんな殺伐とした姉妹喧嘩を見て、和まないで。私、もう本当にどうしたらいいのか分からなくなります」

 

「マシュ……ふふ、良い事を教えて上げる―――ドント、シンクよ!!」

 

「エリザベートさん……―――いえ、このエリちゃん」

 

「エリちゃん!?」

 

「このエリマキドラ娘。何も考えるな何てマシュに言ったら、誰がこの混沌を鎮めると思っているのですか?」

 

「清姫、あんた……―――何気に、かなり酷い事を言ってるわよ?」

 

(わたくし)、嘘は吐けませんので」

 

 マシュ・キリエライトは、心が折れてしまった。膝を折り、地面にへたり込んでしまう。何がなんだか分からない。現実が悪夢に侵食される。

 

「マシュ、しっかり。私たちが付いてるわ」

 

「マリーさん、デオンさん。シャルルさんに、アマデウス仮面」

 

「おい、マシュ。何でボクだけ仮面なんだい?」

 

「ふふふ、挫けてはいけないわ。楽しいことは皆で倍にして、苦しいことは別け合いましょう」

 

「―――無視かい?

 でも、そうだぁ……むしろ、ボクは逆だぜ。愉しいことは独り占め、厄介事は他人に押し付ける。人生とは、斯く在るべきだと思うんだ」

 

「さぁ、マシュ。音楽に魂を売った人間の屑になる悪い話は忘れて、わたしと共に皆を助けましょう?」

 

「はい、はい……マリーさん!」

 

「あれ、聞いてるじゃん?」

 

「そうよ、アマデウス仮面。なので、皆の気持ちを落ち着かせるような、素敵な貴方の曲が聴きたいわね」

 

「おいおい、マリア。男の見栄と恋心を利用するなんて、あぁ……とても悪い大人の女になってしまったんだね。

 だが―――凄く良い。

 なので趣味の合う同志デオン、君の蠱惑的な躍りに合わせて、ボクはこのバカ騒ぎに相応しい唄を送ろうか!」

 

「……は? 私もか?」

 

「駄目かい?」

 

「そうね……デオンの舞いは剣の美。

 戦いのためのものだもの、仕方ないわね。でも、アマデウスとコラボレーションした美しい白百合の可憐な姿、見てみたかったわ」

 

「マリー様の願いであれば、勿論です……―――良し。合わせろよ、アマデウス仮面」

 

「チョロいなぁ……ははは!

 ならば皆の者、即興アレンジ曲に聞き惚れると良いさ――俺の尻をレクイエム、始めるぜ!!」

 

「最悪のミックスじゃないか!?」

 

 実はアマデウスの曲が密かに好きな処刑人の雄叫びが、空しくVR訓練場に響き渡っていた。

 

「…………」

 

 と、少し前の出来事を仏頂面でマシュは思い返していた。今の状況は、あのドタバタ劇が主な原因であった。居合わせたのが不幸だったかもしれない、とマシュらしくなく現実逃避をしている最中。

 場所はカルデアで最もホットな施設―――食堂。

 趣味に没頭するエミヤが新作料理を開発する度に話題となり、新たな料理の食材を栽培される度にカルデアの職員と英霊がどんな料理が作られるのか楽しみにする日々の癒しスペースでもあった。

 

「良いかしら、マシュ。貴女はカルデア職員であり、且つデミ・サーヴァント。更に、藤丸と契約した一番最初のサーヴァント。

 ……ええ。確かに、特異点での活動が主だわ。

 貴女が藤丸と共にいなければ、特異点の攻略は不可能であり、貴女以上の盾もいない。その仕事は、職員としも、サーヴァントとしても、全くもって素晴らしい成果と言えます」

 

 そんなマシュの正面に座っているのがカルデアの責任者、オルガマリー所長。勤務中は基本的に誰にも平等に接し、マシュにも一職員と接するが、どうも子供扱いする過保護な部分がある人でもあった。

 

「はい、所長……」

 

「けれど、今回のようば馬鹿騒ぎを止めるには……そうね。サーヴァントの力も、今後もずっと必要になるでしょう」

 

「……そうですね」

 

「でもね、今のカルデアは人材不足。本当はマスターが一人一人が契約したサーヴァントと共にいて、ある意味で倫理的な抑止力でもあるわけだったのよ。

 でも、今はそうじゃない。本当なら契約した藤丸がするべきかもしれないけど、召喚した全員の面倒を看るなんて絶体に不可能。と言うより、奴は英霊のノリに付いていけるコミュ猛者。サーヴァントと信頼関係を結ぶのが、特異点攻略の次にすべき職務なので、上手くやってる職員に文句とかひとつも言えないの。

 だったらせめて、その場に貴女がいる時くらいは、雰囲気の制御をマシュにも頑張って欲しい訳なの」

 

「はい」

 

「分かってるわよね?」

 

「はい……―――絶体に、無理です!」

 

「お願いだから、マシュがしなさい!」

 

「私の器量で、皆を止められる訳がないじゃないですか……」

 

「でも、でもね……じゃないと、私が面倒見ないといけなくなるのよ?

 サーヴァントにも有効な風紀組織が必要で、だけどそこの取り締まり顧問はカルデアの職員がしないといけないの。技術部の顧問は契約者がいないから例外に出来たけど、マスターと契約したサーヴァントを顧問にすると、マスターに権力集中が起きて組織的に不健全になってしまうもの」

 

「嫌です、ノー。絶対にノウ」

 

「手当て付けるわ」

 

「では、他の職員に頼んで下さい」

 

「英霊なんて、全人類史吃驚仰天超人衆なのよ。マシュ以外の職員は無理です」

 

「技術部の変態に、仕事を兼任させれば良いじゃないですか?」

 

「コジマ粒子とか、魔法少女因子とか……風紀違反者は未知のエーテルもどきで多分、霊基が改竄されてしまうでしょう」

 

「そもそも私も、先輩のサーヴァントなのですが?」

 

「魔術的な契約上はそうだけど、雇用契約としてマシュは一般雇用もされてる職員なので大丈夫です」

 

「初めて知ったんですけど?」

 

「あぁ……うん。ええ、その点はあれの娘として謝るわ。パピーじゃない糞親父ムーブをしてましたからね。マシュにならパピーの墓に、エルキドゥみたいに獣の臓物を投げるのも許して上げます」

 

「成る程……はい。確かに、そうですね。

 恩人の所長が、そこまで追い詰められているなら―――でもノゥ、絶対にNO!」

 

「カルデアのサーヴァントにとって、マシュが一番先輩の古株なのよ!?」

 

「私の柄ではありませんね。他にもっと適任の人がいますし……きっと、その人も風紀組織に入るんでしょう?」

 

 視線を所長から逸らしつつ、マシュはばつが悪そうな表情を浮かべている。

 

「――――何よ。ばれていたの?」

 

「分かりますよ、その位……―――はぁ。確かに、彼女を避けていた私が悪いですし、責任もあります」

 

 自分の目を見て話さず、いじけた歳相応の少女のような反応をするマシュに、所長は此処まで人間味を与えた藤丸や他のサーヴァントには感謝しかない。カルデアにいた職員だけでは不可能だったことだ。世間一般的な倫理観の実感や、世界を生きる実感も、やっと追い付いてきたのだろう。

 だから、出来る仕事であるにも関わらず―――拒否したいなら、断りたい。

 上司の命令に機械的な反応をするだけではなく、自分で考えて、自分の想いを吐き出す感情。

 

「ですので、所長が絶対に必要でやって欲しいのなら……私も、断ることはしません。カルデアにとって有意義な職務ですし、それはきっと私の人生にも必要な経験だとも思います。

 だけど私はどんな顔で……―――ジャンヌさんと、話せば良いと思っているのですか?」

 

「棚上げしなさい」

 

「はぁ! 所長! 貴女ってば何をそんな―――自分でも出来ない癖に!?」

 

 だがしかし、所長にそんな常識は通じなかった。諸々を全て棚上げして、もう荒療治でも良いから、治れば万事が無事に万全だと言わんばかりに断言する。

 

「良いから、話しなさい! 棚上げよ、棚上げ!」

 

「取って付けたような良い話をして、実は本気で私に風紀顧問を押し付けたいだけじゃないですか!?」

 

「嫌がる部下を説得し、どうにか責任感を覚えさせるのも上司の役目です。

 それにあの光景を見てみなさい……ほら、もう私だってもうカルデア所長辞めよっかなって位の精神的外傷になったのに、やっとこさトラウマから意志を立ち上げたら、藤丸が速攻でコミュ力が爆発。爆速であの光景よ」

 

 視界に入らない様にしていたのに、マシュは所長の言葉で見ざるを得なくなった。

 

「良いですか、オルタ。好き嫌いはいけません。肉ばかりではなく、野菜も食べないとちゃんとした大人になれませんからね」

 

「神託を受けた聖職者みたいな顔で、そう言う家庭的染みた事を私に言うな」

 

「オルタ……貴女は、それでも農家の娘ですか?

 食材は様々な農家の人が自分の農場で生命を人の為に育て、それらは人が生きる為の生きる糧なのですからね。その大切さを決して忘れてはいけません」

 

「その記録は私の魂にあるけど、実際にしてた訳じゃありませんし……」

 

「口応えしてはいけません。さぁ、食前のお祈りを……それが嫌なら、マスターの国の文化で良いので、いただきますと唱えなさい」

 

「やれやれ……ちょっと良いかしら、本当に。

 まぁ確かにね、私の魂は聖処女ジャンヌ・ダルクの別側面として、貴女の霊基を間借りする形で現界しました。ですので貴女と言う存在に対して、ある程度の感謝の念を覚えてやっても良いです。地獄だった悪夢の中じゃ、こう言う人の営みに触れることなく、永劫を血塗れた古都で彷徨っていたことしょう。

 カルデアに召喚されたのは貴女と言う触媒の楔があり、マスターとも縁が有ったから。

 だけど、だけどね……ジャンヌ・ダルクである貴女に―――教育ママされる謂われなんて、私には欠片もないのよ」

 

「いけませんね。もうこの子ったら、反抗期なのね?」

 

「ふぁー―――ああ言えば、こう言う!」

 

「我が儘な妹を持つと、まるで子育てをしている気分になります」

 

「突っ込みし難いことを言ってくれますね。私の立場が迷子です」

 

「あらあら、うふふ」

 

「ムカツク……なんなの、マジなんなの?」

 

「しかし、私が言うのもあれですが、あんなに捻くれていた貴女が随分と取っ付き易い雰囲気になりましたね。

 カルデアに召喚される前、なにがあったのですか?」

 

「はぁ? ……別に、何も」

 

 魔女はあのポエム蛞蝓と会話を繰り返していた為、実は凄まじく辛抱強いタイプの聞き手になっている。人のボケに対して突っ込む技術も覚えてしまっている。きっとあの狩人はジャンヌに必要になるからと啓蒙されし蛞蝓詩人になっていた、のかもしれない。

 ―――等と言う、悲劇的トラウマが迷子になる微笑ましい家族の触れ合い。それが所長とマシュがいる席から離れたスペースで行われていた。

 

「ほら、気にしてると思考が低次元になるわよ?」

 

「先輩、先輩……心が折れそうです。

 あの裏切り者のアッシュ・ワンが言ってた通り、死んだ人の魂は巡るものだったんですね……いえ、それでもあの人のことは許せないのですが。それにカルデアのジャンヌさんは所長の魔術とカルデアの技術によって記憶を奇跡的に魂から夢見ただけで、あのジャンヌさんは人間として死んで魂は英霊の座に逝っている訳ですから……フランスのジャンヌさんとは別人で……でも記録そのものは決して魂から消えずに、記憶にならないだけで座に有る訳でして……あぁぁぁああああああああ!!

 ―――私は一体、どう接したら!?」

 

「頭を抱えていても、解決方法は啓かれないの。さぁマシュ、全てを受け入れて、その意志を手放しなさい……っ―――あ。やっぱ凄いわね、あいつ。

 良くあんなアネ・トランス・フィールド、略してATフィールドを突破出来るのよ?」

 

「嘘……先輩が?」

 

 頭を上げたマシュの視線の先、そこには聖女と魔女に話し掛けるマスターの姿があった。二人に発破を掛けて訓練場での惨劇を起こした張本人であるが、その自覚を持ちつつも、ちゃんとアフターケアに向かうので人格が出来過ぎていて所長は、ちょっとではなく大いに藤丸が怖かった。人間強度が負けているかもしれない。

 そして普段は真っ当な聖人君子の人格者なのに、ジャンヌ・オルタ限定で深淵を啓蒙されたジャンヌと今のカルデアで渡り合えるのは彼だけだった。所長は狂気を外側に排出する為に瀉血したくなると言うのに、彼は何一つ気にしない男だった。

 

「やぁ、ジャンヌちゃん」

 

「ジャンヌちゃん?」

 

「マスター、藤丸立香。何て素晴らしい呼び方ですか。オルタと妹を呼ぶのは、何処か味気なくていけませんでした。あの子を呼ぶのに良いですね……ふふ。なるほど、ジャンヌちゃんですか」

 

「やめろ、来るな。アンタまで来ると、この頭の可笑しい聖女様がもっと暴走するのよ……?」

 

「ジャンヌにそんな事を言うのは酷いと思うな、ジャンヌちゃん」

 

「ヒェッ……鳥肌、気持ちワル。ちゃん付けするな」

 

「まぁまぁ、俺もサーヴァントと契約したマスターだからさ。生前に確執があって、当事者同士が今の関係に納得して距離感を計っているのなら何も言うつもりはないけど……ジャンヌとオルタはさ、そう言うのとは違う訳じゃない?

 出来れば、目的も一緒だからカルデアに召喚された訳だし、家族仲良くして貰いたいって思うんだ」

 

「真っ当な事を言っているようだけど……そいつ、私を妹扱いして距離詰めて来てるのよ?」

 

「確かに。オルタの気持ちも分かる。それはそれで複雑な娘心と言うヤツだ。俺もね、家族との関係は色々と大変だった」

 

 意味が深そうに言っているが、別に藤丸は複雑な家庭環境ではない。大変と言っても、人理焼却で今は会えなくなっていると言うだけで、それを相手に誤解されるような言い回しをしているだけに過ぎなかった。嘘を吐くと嘘吐き警察のドラ娘がいるので、藤丸は自然とこう言う隠し事を上手くする処世術を身に付けている。

 

「…………………アンタも、そうなのね」

 

「うん。ジャンヌ・オルタ」

 

〝チョロいなぁ……”

 

 だがしかし、藤丸は自分のコミュニケーション技術を自覚していた。相手が英霊なので例外は多いが、人の気持ちが分かることに関しては余り例外はない。尤も最初から藤丸を騙そうとしたり、裏切ろうと考えていたりと、表情と仕草や言葉が虚偽で装われている場合は例外となってしまうが。重要なのは、その相手がそれなりに藤丸と関わり合いになろうと考えて、素の部分を僅かでも見せてくれる所にある。

 良い様にマスターの話術で踊らされるもう一人の自分に、ジャンヌはただただ微笑んでいる。

 

〝私の赤ん……じゃなく、もう終わった過去。あの記録とは決別すべきだとしても、でも私はあの私の思いを忘れたくない。きっと、燃やして良い絶望じゃない。

 竜になった彼との思い出と同じで、死後だからって忘れられません。

 出来ればジャンヌとして―――聖女を継いで、カルデアで私は存在し続けたい"

 

 召喚された時、生前の記憶は人理のままで――だが、サーヴァントとして、人間の自分に憑依した記録は残っていた。そして、カルデアに記録された特異点解決までの情報。

 ――取り戻さないといけない。恐らくは割り切るべきだと分かっていても、カルデアには彼女の為に戦った魔女が来る可能性があった。その啓示をジャンヌは、召喚された日に夢で見ていた。

 自分の答えを得たジャンヌに迷いはない。僅かでも魂に残った記録と、そもそも座から英雄も言う死者の情報を召喚する技術を考えれば、絶体に不可能ではない。何よりも、オルガマリーとその組織の技術力があれは可能だと啓示されていた。

 

〝あれは良からぬ者の血でしたが……―――構いません。

 私の魂は夢を見て、意志を取り戻しました。悪夢を見たとしても、これで良かったのです”

 

 獣性は獰猛で、人間性は狂気的で、啓蒙された悪夢は安らかだった。血は流れ、鎮静剤が啓示を鎮め、だがサーヴァントと呼べる心身から逸脱してしまった。

 

〝受け入れたこと。カルデアは―――……まぁ、今は大丈夫でしょう。オルガマリーの組織ですから、狂った叡智の技術も健全に応用されているようですし、変態共も飼い馴らされ、ダ・ヴィンチ顧問が統率を取ってます。

 なので今の問題は彼女が赤子ではなく、復讐者に堕ちた竜の魔女であり、英霊ジャンヌ・ダルクの別側面と言う歪んだ霊基。なので、ケジメとして彼女を家族として付き合う為に妹にしようと思ったのですが……いやはや、こうも回りを巻きこんでしまうとは。

 ですが、我が啓示がこのまま突き進めと途を照らしています。

 面倒な彼女の警戒心を取っ払う為に、英霊でも村娘でもない臨界まで意志が弾けた素の私を結構見せたのですが、それが返ってアレな結果になってしまいましたね”

 

 何気にチョロい自分の妹(予定)の姿を見ても、ジャンヌは全く冷静だった。家族として妹が欲しい感情で自分を擬似的に発狂させただけで、それ自体は別に抑えられる個人的なお祭りを愉しむ在り方でしかない。

 

「そうなのですか。ま、家族関係で悩むのは特別な事じゃないもの。だから私の葛藤も……偽りだとしても、互いに生きている今なら、何時かは晴れるのかもしれないわね」

 

「向き合い続ければ、きっと」

 

「あっそ……ったく。アンタってやっぱり誑しの才能あるわね。何時か自分がカルデアに召喚した女の英雄に、餌ばっか与えて放置してると後ろから刺されるわね」

 

「立香。それに関しては、私の方からもノーコメントで。ですが、貴方に関心を持つ女性の事はしっかりと考え続けて下さいね?」

 

「え―――――」

 

「勿論……それは、オルタのことも。

 まさかとは思いますが、可愛らしいからと愚かな好奇で……あの子の頑なに閉じられた心を、僅かとは言え開いたと言う訳では―――有りませんよね?」

 

 家族が誰に関心を持っているのか。それが分からないジャンヌではなく、藤丸は大なり小なり、人に好かれ易い好青年だ。英雄のような精神も能力もないが、世界を焼く獣に立ち向かう意志を持った一人の人間。

 そしてサーヴァントは、契約を結んだマスターの人間性に直接触れることにもなる。生前や死後にも恋愛と関わり合いがなかった少女がサーヴァントとなれば、第一印象でどんな感情を持つか、ジャンヌは啓示が下るまでもなく分かる。恋愛感情などはなかろうが、悪い気持ちにはならないことだろう。

 

「――――――――っ……」

 

 シクジッタ。そう思うだけで藤丸は精一杯だった。竜の魔女は知識や知恵を持っていて頭が良く、だが性格が純粋で正直なところチョロいと考えていたのに、カルデアを爆破する核クラスの地雷が自分の直ぐ隣に存在していることを彼は今日初めて実感出来た。

 

「……も、勿論ですよ。そんな人の心を漁る最低な事を、契約してくれたカルデアの恩人にする訳ないじゃないですか。

 死体漁りと同じくらい駄目なことですって、聖女様。ホント、ホント!」

 

「そうですか……―――ええ、そうですよね」

 

 藤丸はこの時、初めて自分の運命を悟ることが出来た。悩みを解決する為に所長からアドバイスを貰い、それを基にサーヴァントの人柄を良く察し、運命共同体として過不足なく戦い抜けるように日常生活を送り、信頼関係を築いてきた。だが、努力し過ぎた故に此処から先は危険地帯。もはや後戻りは出来ない。例え、また新たな縁を結んで召喚したサーヴァントであろうと、マスターとして新しいサーヴァントだからと古株と差別することも許されない。

 これから先の生活、選択肢を間違えるだけで―――死。即ち、滅び。あるいは、絶望だった。

 同時に、恐らくは全てオルガマリーの企みだったのではと予感してしまう。あの頭が良過ぎる所長が、藤丸がそう接し続ければ、サーヴァントに好かれない訳がないことも理解していた筈。

 

「…………」

 

「ねぇってばマスター……貴方、聞いていまして?」

 

「……あ、うん。どうしたのさ、オルタ?」

 

「ちょっとね、風の噂で聞いたんだけど。マスターちゃんって―――巨根の童貞、なんだって?」

 

 瞬間、藤丸立香は男子トイレでの会話が脳内で甦る。

 

「―――ムニエェェェエルッッ!!!」

 

「テラヤバす―――!?」

 

 食堂からダッシュで飛び出したカルデア職員を仕留める為、藤丸は席から跳び上がって下手人に向かって疾走を開始した。この時ほど、彼は所長から受けた厳しい強化魔術の訓練に感謝したことはなかったとか。

 

「貴方は欠片も悪くないわ、藤丸立香。

 でもね、最も欲したコミュ力と言う対人技術に優れた……貴方の、その無二の才能が悪いのよ」

 

「所長、最低です」

 

「これからサーヴァントを引っ張って戦う男。この程度の修羅場、彼にとって普通の日常になるわ」

 

「それでは………ッハ、まさか。所長、そこまで外道に!?」

 

「ふふふふふ……さてはて。まぁでも藤丸の心を守るのに、サーヴァントらの生活は現代倫理に基づく風紀が必要。そして、カルデアに重要な正しい風紀的雰囲気作りに必要とされるのは、そもそもカルデアの空気を知る昔からの職員であり、且つ様々なサーヴァントを説得できる能力と人徳がある者。

 即ち、誰が風紀部門の顧問に相応しいのか――マシュ、分からない貴女ではないでしょうに」

 

「何処まで堕ちれば気が済むのですか、所長」

 

「超越的思索により、深淵へ辿り着いただけ」

 

 しかし、マシュにとって不利益な情報ばかりではない。出所不明ではあったが、マスターが巨根の童貞と言うハイスクールの噂話並に、思考の次元が低過ぎる話が流れていることを彼女は知っていた。それも今回の事件で凡そ事実だろうことを、マスターのリアクションで察することが出来る。

 血の匂いを嗅ぎ付けた獣になれる朗報だった。

 マシュは最近、自分が女である事を自覚しつつある自分の精神に驚いていた。

 清姫がマスターと接触的コミュニケーションを取るのを見て、今まで味わったことのない嫉妬の感情を思い浮かべていた事実に衝撃を受け、だがジャンヌとの関わり合いにも悩んでおり、色々とマシュはマシュで今はパンク状態だ。

 

「―――だそうですよ、マシュ」

 

「ぅ……ぁ――ぁ、あの……ジャンヌ、さん?」

 

「悩み事ですか……―――って、私が言うのも白々しいですよね?」

 

 ご飯を食べ終えて、オルタはVR訓練で鎌を振り回したいと食堂を既に出て行っていた。所長と向き合っていたマシュであったが、深く悩み過ぎていた所為で、隣の席にジャンヌが座っていたことにも気が付かなかった。

 

「おっと、私はお邪魔虫。後は若い娘のお二人さんに任せまるのが一番ね」

 

 歴戦の狩人らしく、無駄にキレのある格好良い仕草でジャンヌに右腕を軽く上げ、確かな意志を示した。それを見たジャンヌは所長の思考を啓示するまでもなく理解し、自分をさり気なく避けていたマシュを捕まえる事にも成功した。

 

〝やれやれ……―――んー、所長をするのも難しい。と言うか、こう言う心理面のサポートってロマニの仕事ですし、マシュの精神医療もあいつの仕事じゃない?

 なんで私が部下の仕事をしてるんだか……はぁ―――いや、私が仕事を奪っただけか。ま、あいつ忙しいし、出来るから別に良いけど。こんなんだから、ついつい頑張って部下を助けるお人よしだ何て、馬鹿げたイメージを職員に抱かれちゃうのね”

 

 後はもう、自分が何もしなくても上手くいく。所長はそう思い、食堂を去って行った。背後から話し声も聞こえ、ジャンヌとマシュはしっかり話し合い、ついでにマシュを風紀顧問にすることも出来る。また同じ作業と共に行う仕事仲間になれば、特別な意識をより深めることも出来るだろう。

 ならば、見守る必要もない。と言うより、そこまで悪趣味ではない。他のサーヴァントや職員も、そんな食堂の空気を読んで出て行っている程だった。食堂の主であるエミヤなど気配を遮断し、さり気なく二人分の紅茶を置いて厨房へと直ぐに戻っていた。

 

「あっはっはっはっはっはははははははははははははははは――――!!

 誰も彼もが人間性に相応しい意志を持つ事が許され、善良なる人が大勢いる組織か……おぉ、実に悪夢的おぞましさ。まるで運命を嗤う類の者共が、何故か狙われるように丁度良く、獣の下僕に爆殺されてしまったようではないか?

 オルガマリー所長、我が救世主。そして、狩人の弟子にして後継者!

 悪夢的絶望に自害しか残されなかった我が人生……けれど、けれどね、そなたは私を意志が眠る悪夢の主と邂逅させて頂けた」

 

「テンション高いわね、ミコラーシュ。少しだけ気色悪いわよ。

 それに昔のことを舞台役者みたいに言うなんて……なに、血の酒にでも酔って、昔でも思い出してるの?」

 

「是であり、否でもある。悪夢に時間は関係なく、私が貴女に感じる恩義もまた薄れない意志である。そして、獣から作られた血の酒に酔う等と、思考の次元が低過ぎるだろう?」

 

「あっそ。だったら、奴らの白くべたつくので割った蜂蜜酒も要らないのね?」

 

「なんだと……ッ―――ク、是非とも頂きたい。偶には脳液で頭蓋骨の中を満たしたくてね」

 

「マシュの義手の褒美。良い仕事だった……――ふん、顧問の言葉はちゃんと聞きなさいよ」

 

「当然だとも。とは言え、我が頭蓋に住まう主の気分次第ではあるのだが」

 

 ニタニタと嗤う少女――ミコラーシュは、所長が虚空より酒瓶を出したのも気にせず、それを嬉し気に受け取っていた。

 

「難儀よね。でもだからこそ、人形遣いの業は問題なく子孫にも受け継がれている。悪夢で意志が死んだと思ってたけど、まさか自分の子供に隔離した悪夢を魔術刻印へ通じさせ、仕込んで置くなんて。流石とでも言っておくべきかしら、メンシス学派の支配者。

 それともカルデアの職員として、ちゃんと貴女の名前を呼びましょうか?」

 

「要らぬよ。もはや無意味な徴であるのだから……あはははは、何よりこれもまた本名。私はミコラーシュ家の女当主であるのも現実だからね。悪夢の主は確かに、狩人に狩られて意志が終わり、現実の体も死んでいる。

 彼はもう、彼の血と意志が継がれた赤子達の悪夢にしか居場所がないだけ。でも人間は上位者と違って便利な生き物だよ。男が女に遭い、女が男と逢い、さすれば直ぐに赤子が作れるのだから。

 ……けれどね、彼の意志は血が足りぬ。

 私は邂逅したミコラーシュとなって意志を永らえさせ、幸運な事に完全なる悪夢の主に輪廻することもなし」

 

 薬物中毒者が貪るように、所長の蜂蜜酒を少女が飲んでいる。周りを気にせず、呑んでいる。啓蒙無き者では、少女の真なる姿も行動も現実として認識することは出来ないのだろう。学派の知識を利用することでミコラーシュは特殊な認識阻害の暗示を開発し、それを自分や周囲にも構わず使っていた。何より、この少女がカルデアに必要だからと所長も血液由来の神秘で職員を啓蒙する気もなく、安全な生活を送れるように配慮を怠らず、神秘学者である変態技術者共にも怠らせなかった。

 特異点での映像も見ているので今更だが、モニターには所長開発の魔術安全弁が施されている。神性が無理矢理にでもカルデアに狂気汚染でもしない限り、職員が発狂することもない。

 

「それはそうと貴女たち……勝手に外で交信して、マシュを啓蒙させようとしたわね?」

 

「学徒の性だよ。悪夢の神秘は元より、異界の知識は外側に求めなければならない」

 

「―――契約は、契約よ?

 私がカルデアから消滅したとしても、期間まで約束は守って貰うわ」

 

「勿論だとも。我が意志に誓って、ね」

 

 所長の言葉を聞いた少女は返答した後、プハァーとアルコール臭い息を吐き出した。

 

「神性が敵になった場合に備え、マシュの脳髄は私が慣らしてるから……まぁ、別に良いけどね」

 

 そんな所長を胡乱気に見る少女は、だが確かな動作で歩み、食堂の入口から離れたベンチに座る。腰を落ち着かせ、隣の席を可愛らしい手でトントンと叩くことで、所長が自分の隣に座る様に促している。それを見た彼女は溜め息を一回だけ吐き、少女に逆らわずにベンチに腰を下ろす。

 

「私は君を、学友だと思っている……本当にな。御先祖様の記録の中にも、ビルゲンワースの学友と思索と実験を共に繰り返した良き日常と、冒涜的所業の日々が残されている。何よりも、思考の始まりとなった尊敬すべきウィレーム学長。

 私は私で魔術協会の時計塔を叩いたが、あそこに革新も核心もなかった。ローレンスを継いだ者が移民し、新大陸で啓いたニューヤーナムこそ私の居場所でもあったが……まぁ、あそこは聖血と獣血の業が主だ。古きを知識とし、新しきを探索する故に、上位者は形骸化してもいた。悪夢とも繋がってはいたもののヤーナムほどに侵食されず、故に学び舎の二の舞になることもなく、医療教会やメンシス学派のような学徒の暴走が起こることもないだろう」

 

 白い血の酒に酔うのか、笑顔を保って実に饒舌。

 

「だから君はアン・ディールのように、私が裏切るかもとしれないと思っているのだろう?」

 

「正解。そもそもビルゲンワースの学徒は裏切り者。思考の敗北者。学長の思索を棄て、自分の思索に嵌り、やがて人を失った奴らしかいないんだもの」

 

「あっはっははははははははは……うーむ、手厳しい」

 

「止められなくても、裏切るなら殺す。悪夢に逃げても、肉体から逃げた意志を必ず狩るわ」

 

 そして、所長は血の酒を飲んだ。豊潤な人血が醸した酔いであり、虫が血液中から湧く快楽に身が震え、獣性が昂るのを実感する。医療教会の聖歌隊が星の娘と呼び、輸血液に混ぜた上位者の血液の元でもあり、ヤーナムの血酒は星の娘と人血による地酒であった。

 星の娘、エーブリエタース―――意味を、酩酊。

 名付けた神秘学者は彼女の血でヤーナムが中毒に陥り、酩酊の果てに悪夢へ寝入ることも分かっていたのかもしれない。

 

「はぁ……困るわね。獣狩り、狩人狩り、上位者狩り、どれか何て選べない」

 

 血腥い息を吐き出し、隣の少女まで顔が赤くなってしまう。

 

「ホームのカルデアで血に酔うとは……所長、お疲れと見える。狩人に相応しく、故に魔術師らしくない姿だよ」

 

「そうね。でも、あの裏切り者が裏切るのも分かるのよ……」

 

「うむ。私も分かるぞ……まことに、羨ましい。あれほどの意思の持ち主、きっと神秘の業も素晴らしく、思う儘に存在している灰なのだろう」

 

「……不死狩りと洒落混むのも、別に悪くない。本心からね」

 

 貰った酒を飲み、相手も呑んで酔う。となれば、肴に愚痴を聞くのも悪くない。何より、所長の声は悪夢的に聞き心地が滑らかだ。何時までも聞いていたい。オルガマリーの言葉と仕草は、何処か人を狂わせる妖しさが含まれている。

 

「だけど、殺し切る方法がない。それは向こうも同じなんだろうけど」

 

「我が意志も死を超越し、肉体の蘇生も可能となるも、君らのような蘇りは出来ないからね。

 殺される時、生きようとする意思を奪われれば、あるいは魂そのものを貪り尽くされれば、君らのようには蘇生はできぬ。魂を焼き尽くされても、転生を否定されても、存在の死を穿たれても、不死を断たれたとしても……君らは死して甦り、半端な私は死ねる手段を抱いたままだ」

 

「正直、世界の外側……根源にでも落とすしか無さそうだけど、それが出来れば魔術師は苦労しません」

 

「あるいは、向こう側の叡智を全て学ぶかもしれない。そうなれば、新たなる宇宙さえも彼女は魂で描くことだろう」

 

「人理焼却どこの話じゃなくなるし、誰もどうにも出来なくなるものね。

 観測して、法則を私やあいつは知ってるだけで、法則そのものを根源から自在に生み出せる訳でもないけど、それが不可能がどうか知ることもまた不可能」

 

「とは言え、何万何億年の歳月がいることだ……恐らくは、だが。それに何より、その手の妄想はあの女の趣味ではないよ」

 

「カルデアで……いや、私で遊ぶ気か」

 

「だろうなぁ……くく。冠位も良いが、所詮はそこ止まり。冠に至り、死していても尚、魂を更に進化して強くなり、今を生きる人間として前へ進む個体がいれば別だが」

 

「獣に過ぎない人類悪じゃ、彼女が欲する人間の果ての業を抱かないでしょうし……はぁ、辛い。何度も殺し合って飽きないのは、私みたいな奴ってことかもね」

 

「マシュも良さそうだが?」

 

「それなら魔女の赤子の方が好きそうよ。あのサーヴァント、意志が生きてるから成長する。多分だけど、あいつは魔女の赤子を、あの悪夢に態と逃がしたんだろうし」

 

「けれど、そもそもあの灰は……あぁ、根本的にだが人理焼却など、火を持つ炉ならば阻止するのも容易い偉業だろう」

 

「あいつの炉は啓蒙されたから、確かに火を加味すると人理修復をサクっと出来そうだけど。特異点なんて、アッシュをレイシフトして送り込めば、即座で世界を焼いて、聖杯もあっさり手に入るでしょうし」

 

「んー……少し、思索が足りんよ。そもそも君の父親がカルデアに誘っていなければ……つまり、人理焼却に巻き込まれていればどうだったかな?」

 

「―――――あ”……いや、いやいや……いやいやいや!

 まさか、そもそも殺し返しに直で元凶がいる世界に殴り込んで、肉柱も獣も薪に変えて、カルデアがレイシフトしなくても人理が即行で修復されていた……とか?」

 

 慈悲無く、ミコラーシュは頷いた。カルデアが転移先である冬木を探索している間に、何かもかも終わっていたことだろう。

 

「可能性の未来を、しかと啓蒙されたようで。だがAチームとなり、出会いを得て、獣に諭されてしまったようだ。恐らくは、人理を見守り続けることで得られる人の業と等価……あるいは、世界をより容易く超える神秘にでも邂逅したのだろう。

 前所長は良い人材を見出したが、元より奴は人理に手を出す気はなかった筈。

 むしろ、カルデアと出会わなければ……此処の代わりに、業の理想郷である人の世を自分の為に守護していたのかもしれん」

 

「あのクソオヤジ……」

 

 本当に、本気で、オルガマリーは意志ごと肉体が脱力した。脳が真っ白になり、思考が一瞬だけ完全停止する。天上を瞳で通した夜空の彼方にて所長は、自分の父親が歯を光らせてグッドラックと親指を出しながら娘を応援する姿を幻視した。悪夢にも程がある。

 

「……はぁ、成る程。結局、親子揃って失敗した訳ね」

 

「あはははっふはははははは―――ッ! 

 なのでヤツの対策はアニムスフィアに任せよう。魔人に手を出した責務でもある」

 

「はぁー……良く言う。自分の思索以外、一片でも思考するのを厭う癖に」

 

「仕方がないことだ。悪夢を見るには、瞳を求めねばならんのだよ」

 

 オルガマリーが所長に就任した後、つまりはマリスビリーの計画外の人材として集めた一人。封印指定にして人形師、そして悪夢を瞳で見詰める神秘学者。

 即ち、学術者―――ミコラーシュ。

 真っ当な魔術師の少女だった筈だが、自分の本名が意志から消え、だが悪夢の主には至れない狂人。しかし、技術は積み重なり、思考は悪夢の主に届かずとも、その神秘なる秘儀の研鑽は裏切らず。

 

「ではな、所長。思索を怠ることなかれ」

 

「ええ。研究も良いけど、カルデアの規律を重んじなさい。でも我らの脳が見る夢は縛られず、貴女にどうか善き悪夢が啓蒙されることを願います」

 

「分かっているさ……あぁ、当然だともね」

 

 過ぎ去る部下を見つつ、狂気を御するのは難しいと判断。果たして、恩義と契約で何処まで飼い殺すことだ出来るのか。

 忍びは一人、そんな所長と狂人の語り合いを見守っていた。

 

「主殿……あやつは、狂い仔。やがて人を辞めますれば……恐らくは、意志も邪なる魔と変じるかと」

 

「大丈夫よ。ここは月の香りがする私の工房。白い使者のフローラが、現実も、悪夢も……問題なく、その瞳で観測していますから。

 ……でも隻狼、あれに危険な兆候があれば対処してね。安心はしたら駄目な女ですので」

 

「御意の儘に……それと、すみませぬ。使者とは、此処で稀に見る小さな者のことで?」

 

「あー……―――うん。そうよ、説明してなかったっけ?」

 

 所長にとって傍にいて当たり前な夢の住人。そして、悪夢と狩人達の白い使者(メッセンジャー)を、忍びが見えているのを良いことに説明していなかったのを思い出す。

 

「……は」

 

「じゃあ、ごめんなさい。貴方が見えてるのを知ってたから、何だかもう説明した気になっててね」

 

「構いませぬ」

 

「ふふふ。本当、隻狼は隻狼ね」

 

「は……」

 

 消える忍びは、所長に言われた仕事を全うすべく目的へと進む。どうやら藤丸に召喚された魔女の狩人に興味があり、戦闘訓練はなるべく付き合うようにと命じられていた。

 何処で覚えたのか忍びは知らないが、魔女の曲刀と鎌の狩り捌きは中々の業。黒い炎を纏う独特な戦闘理論は殺し合いの相手に宜しく、相手を殺せる仮想空間での鍛錬は、新たに召喚されたサーヴァント達も考えるとより良く賑わっていた。

 しかし―――修羅の狂い火が、湧くのも必定。

 所長に召喚されたカルデアでの毎日はとても穏やかであったが、レイシフトが始まってからは怨嗟の火が燻って仕方がない。

 

〝……だが、もはや呑み干した業だ”

 

 油断も慢心も有り得ず、だが忍びの滅私は戦場の怨嗟を背負う意志である。仏師から託されたこの義手を、私利のままに私欲を満たし、貪欲な殺戮者となる為に使うなど赦されず、御子から再び渡された楔丸を振る度に、義父から教わった僅かな慈悲を以って命を殺める心得が甦る。これからも彼は慈悲なく人を殺すことはないだろう。

 オルガマリーに仕える者として、今生も生前と変わらず―――為すべき事を、為すまで。

 

〝人理と、アニムスフィアの使命。

 今でも全然興味ないけど、カルデアは好きだしなぁ……”

 

 取り敢えず、命を賭して頑張ろうと思える理由はそれしかない。自分の為になら幾度でも死ねるが、誰かの為に死ぬ気などなく、だから所長はカルデアが滅びる未来を自分自身が許せないから戦うのだろう。

 何よりも、私利私欲の為に在るべき狩人の業。それを人の為に使う矛盾。

 だがカルデアに狩られたいと獣が喚くなら、獲物を前に狩人が黙っている訳にもいかないだろう。

 

「………………」

 

 酔いなど、獣性を拒むだけで直ぐに覚める。狩人の思考とは、現実に干渉する悪夢の神秘でもあった。そして、今日はもう仕事をする気力も湧かず、酒も飲んでしまった。管制室の職員もレイシフトもなくカルデアスの観測作業程度で、カルデア全体として職員は休日と言う雰囲気になっている。

 マスターは鍛錬や、レイシフトによる転移先からの物資調達もあるが、今日はもう明日まで自由時間。サーヴァントも同じカルデアが作るスケジュールはほぼ同じで、戦闘とは別で得意分野があればそれ関連で作業の手伝いや、有益となるだろう新しい作業を行って貰っている程度。

 

〝第二特異点はローマね……―――うぅーん、誰を連れて行くべきか。

 まぁ、エミヤ抜きの特異点攻略は有り得ないけど。もう彼の飯なしの生活は耐えられないし、精神的な治癒効果も高いもの”

 

 悩む必要など所長には本来ないが、だがマスターが契約可能な上限となるレベルがある。それを考えると大勢を連れて行けば、カルデアの魔力炉のパス中継となる藤丸が膨らみ過ぎた風船みたいに弾け飛ぶことだろう。

 

「ふぅー……血に酔いそう」

 

 口に残る血臭にニヤつき、周囲に誰もいないことを確認済み。ここは自分のカルデアだからと煙草を出し、また手持ちの携帯灰皿を取り出す。マナーとして喫煙エリアがあるだけで、実は厳密に禁煙体制を敷いていない所長は、密かに隠れながら煙を吹かす不良みたいな子悪党。それに空調はバッチリなので、匂いを気にすることもない。

 良い女は酒と煙草が似合う……と言う誰かの台詞が好きな彼女は、自分の体には無害なその嗜好品が好きだった。そんな雰囲気そのものに酔いながら、故にまだ日常を楽しめる自分を自覚する。

 ―――……酒の血腥さと、煙草の白煙。

 刃物で血肉を切り刻まれて死に、鈍器で潰されて圧死し、生きたまま火に焼かれた獣や住民の死体を思い出す。オルガマリーはカルデアの平穏な生活でも、初めての狩りを忘れないようにしたかった。













 主なフロム側の人が揃ったので、主要人物の簡単な説明を挟んでおきます。変態技術者ミコラーシュは、そのままミコラーシュらしき啓蒙系幼女だと今の状態ですと思って下さい。
 狩人→車椅子だと蛞蝓ポエマー上位者。
 この世全てを知りたい。取り敢えず、今よりも頭良くなりたい。
 灰人→最強厨の鍛練ホリックウーマン。
 強くなること。その為なら何で覚え、何でも殺し、何でも焼く。
 悪魔→旅行先ジェノサイドのデーモン。
 ソウルの業を極め尽くすこと。目に付く神秘全てを会得したい。
 所長→蛞蝓に憑かれた血晶石ハンター。
 啓蒙活動家。まずは自分自身の脳を限界まで啓き、狩りを行う。
 隻狼→お米は炊いて食べたいニンジャ。
 主に仕えること。召喚した所長の目的の為、その業で敵を殺す。


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啓蒙41:腐臭に重蓋

 反乱軍にいた女神の貌をした者。戦場で見たそのサーヴァントが気になって仕方がない。木目細かい褐色の肌に、面積の少ない女を強調する服と、何処か幾何学的な紋様の刺青―――実に、素晴らしい。

 何と言う、麗しき美女だったか。

 奴隷として手に入れて、思う儘にずっと触っていたい。彼女は自制が聞かない欲望が魂に空いた孔から沸き出し、じっとしているのが辛かった。美女の尊厳を暴き、快楽を拓きたくて堪らなかった。

 

「アルテラ……あぁ、大英雄アッティラか。ふむ、確か未来にてローマの地を蹂躙する戦闘王。唯一なる神に縋る異端者の国を踏み潰す……―――神の鞭。

 そやつが、抑止の尖兵を統べる者。

 余のローマを滅ぼさんと足掻くのは良いが、何と言う麗しさだったか。

 しかし、名を聞くだけで、美女の詳細が分かるのは便利よな。英霊の座より、英霊には歴史の叡智を与えられるが、読書や講師の話を聞く面倒が省けて良い」

 

「ええ。ネロ殿……ふふふ。その者、我が飛将軍を思い出す益荒男ぶりでした」

 

「飛将軍……―――おぉ、あの名高き呂布。

 貴様から見た反乱軍の将の雄姿は、嘗ての主君を連想させる程か!?」

 

「はい。実に良い自爆弾頭になって頂けるかと」

 

「その評価は……流石の余でも、どうかと思う」

 

「何故です? 私にとって最も見るべき点であり、最高の褒め言葉であるのですが。

 しかし、軍師とは孤高で在る者。成果を上げるまで、誰にも意図を察して貰えぬので、まぁ別に構わないのですが」

 

「なぁ……その、アッシュ・ワン。そなたが呼んだサーヴァント、本当に大丈夫なんだろうか?」

 

「どうなんでしょうね?」

 

「悲しいことを言わないで頂きたい、我が主君(マイ・マスター)。召喚者と似た思考回路を持つ私が、貴女自身の合理的思考を触媒として召喚されたまでのこと。

 おぉ……全く、以心伝心とはこのこと。奇遇にも話し方も似ております。

 なればこそ僥倖にして、運命の出会い。この私が無限弾頭を手に入れ、仙郷を超える結晶機関まで開発し、まさか生前以上に戦場を蹂躙する火力を手に入れられるとは」

 

「すみません。ネロさん……彼、本当に駄目でしょうね。

 自分のマスターを無限ロケットランチャーとしか考えてないですから……はぁ」

 

 ついついカルデアでロマニが持っていたゲームを例えに出してしまう程、灰は頭が亡者になりそうになっていた。一日の死亡数はここ二千年で断トツに高い。その気になれば軍師の宝具にも奇跡や気合で我慢、あるいは指輪の加護で何とかなるも、態々そこからエスト瓶や奇跡で回復するのも面倒であり、そもそも抵抗しないで死に身を委ねた方が宝具の威力も高まる。

 謂わば、人の手を借りた連続自殺。不死になり損なった人間の屍を爆弾にする灰だが、自分が生きた爆弾となるのは逆に斬新だった。何より自分が貪って溜めたソウルを全て使い潰さず、自分の生命と大元のソウルで“絶頂”するような気分でもあり、闇術と相性が良い火の簒奪者からすればちょっと癖になる死に方でもあるのだろう。

 

「まさか、そんなことは。しかし、命の煌きがこう……ひゅーと戦場を飛んで行き、ふわぁー爆散して散り逝く眩き花火は―――正しく、美しき生命の炸裂だ。

 戦場における魂の炸裂。

 戦火を拡げる命の恒星。

 我らが戦地、この戦場の舞台劇となったローマに相応しきロマンであるかと」

 

「そ、そうか……いや、何も言うまい。実質、あれは神話の再現だった。

 そなたを使ったそなたのサーヴァントが暴れ回り、サーヴァントが数十いた戦場を一気に蹂躙したものな」

 

「まぁ、そうですね。私が宝具になることだ、と言う気分でした」

 

「ええ……―――最高(サイッコゥ)な気分でしたねぇ」

 

 灰に仕える軍師が、ニコニコと凄くご機嫌な笑顔を浮かべる。

 

「良いですけど。別に、死に慣れてますし。

 私も自分の従者に、戦術的な我が儘は言いませんからねぇ……」

 

「はっはっはっはっはっはっは!」

 

「アッシュよ。この者は確実に、マスターであるそなたを殺すのを―――愉しんでおる」

 

「気にしないで下さい」

 

「まぁ……良い。いや、我が太陽の女神が死ぬのは心が痛いが、余もそこは我慢しよう」

 

「太陽の女神……―――え、何処です?」

 

「…………」

 

 その咋な男の態度に、横っ腹にセスタス連打を叩き込みたくなるも、彼女は心を灰にして沈黙を選ぶ。しかし、魂の恩人を笑う軍師を素通り出来る皇帝ではなかった。

 

「いや、貴様のマスターだが」

 

「はははは。女神とは……なるほど、マスターよ。まさかまさか、在り得ないとは思いますが、貴女がそうネロ殿に呼ばせているので?

 女神、よりにもよって我が主君がそんな……太陽の、女神……っ――――」

 

「陳宮、余の女神に何か文句でもあるのか?」

 

「いえ、別に。しかし、アッシュ殿……恥ずかしくないので?」

 

「過剰演出し過ぎただけですよ。私も好きに呼んで貰って良いのですが、女神はちょっと誇張がですね……」

 

「―――何を言うか!!

 あの時のそなたは正しく太陽、そして煌めく涙の女神であった!!

 余は、余のために女神の人が涙を流し、その泪が余の凍り切った魂を優しく溶かす温かさが、情熱を忘れる程に嬉しかったのだぁ……あぁ、神であろうとも、あの感動は否定させまい!」

 

「だ、そうで。我が主君」

 

「まぁ、私も女です。悪い気はしませんとも」

 

「ブフゥー……あ、すみません。つい、少し」

 

 気が付くと、灰の右手にダガーが握られている。一瞬で軍師の背後に回り、背中からの刺殺が可能な準備が終わっていた。とは言え、指輪で隠しているため誰にもバレてはいない。

 今の灰が備えるソウルの人格にとって、あの台詞は死にも等しいらしい。

 

「………人選、間違えましたね」

 

「余だけの女神を笑うでないわ、陳宮!」

 

「仕方ありますまい。何故なら主君も、私に殺されるのをちょっと気持ち良く感じてますので」

 

「――――エ〝?」

 

「ネロさん、気にしないで下さい。不死と言う生き物は、ソウルが絶頂でもありますので」

 

「えっ…………?」

 

 何もかも失う感覚は、亡者の深淵へ繋がる魂の快楽――それが、闇術の在り方。

 闇を住処と安寧に浸るのならば、暗い穴が広がる絶望が渇望に転じるのも事実。

 

「言い得て妙。死に芸ですな!」

 

「そこまで珍しい趣味でもないと思うのですがね。とは言え此方の人間からすれば、異文化過ぎるかもしれませんが。

 しかし、座の本体を持つ半ば不死の貴方から見ても、変態的に見えるのですかね?」

 

「まこと、その通りかと。サーヴァントは自らを蔑ろにしがちな存在ですが、死の恐怖そのものは生前と変わらず持ってるので。

 私でも少々ドン引きでしたから勿論……えぇ、ネロ殿はそれ以上かと」

 

「我が暗い太陽の女神が……余の、魂を救ったそなたが、ローマ皇帝並の性癖多重苦?」

 

「暗い太陽と言うのは、そのまま陰の太陽ですので……その、人喰い腐肉に貪られてる女装野郎を思い出しますから、ちょっと止めて貰って良いですかね?

 私でも流石に……いえ、装備を選ばないので男装しますし、同じ灰の男でも女装好きな変態も多くいましたし、女物の冠を頭に付ける凄腕魔術師の男って結構一般的でしたし、そこまで嫌という訳でもないですが……あれ、ネロさん?

 私の言葉、聞こえてますか?

 もしかして、もう変態認定しているのですか?」

 

 陰の太陽(ダークサン)にして、暗月(ダークムーン)の隠された神性。太陽を偽った女神として育てられた神にして、太陽を司るグウィンの影であり、月光を司るシースの影でもある魔術師の男。

 余りにも憐れな……日の無い落とし子としか呼べない―――奇形の神。

 火の時代である日月の陰は死ねない不死から見ても、その死が救いからは程遠いと彼女は思う。だが灰にとっては数え切れないほど殺した薪の王、神喰らいエルドリッチの喰い残しの未消化物でしかない。そしてソウルを殺し奪うだけでなく、肉体と言う器まで薪の闇に融かそうとされた、あの末路は神に相応しい姿でもあった。

 

「成る程。成る程……―――成る程。余は暗帝ネロ、狼狽えん。

 うむ、仲良きことは素晴しい。陳宮は、正しく余の女神に相応しいサーヴァントであろう!」

 

 思わずとある皇帝のように、同じ台詞を三回呟いてしまう。彼女は深く考えず、感じることにした。灰は神としての威厳など欠片もない唯の人間で、英雄のような存在感も皆無だが、それでも女神以上の太陽の輝きを持つ女だ。

 ネロとしてはやはり特別扱いをし、特別であっても欲しいとも思っている。

 

「有り難いお言葉、ネロ殿。新称、暗帝の名に相応しい御正眼であられます」

 

「ふはははははは、やはり世辞は気持ちが良いな! もっと余を褒めよ!」

 

「暗き死の闇から甦った皇帝……でしたか?

 それで暗帝を名乗るのは、少し拗らせ……いえ、何とも言えませんかね。貴女の魂を甦らせた蘇生者である私が言うのもあれですが、暗帝の名は情熱の薔薇が似合うネロさんには余り良くない称号だと思います」

 

「アッシュ……ふむ、そなたは優しいな」

 

「いえ、単純にセンスの話をしているのですが。ほら、聞き方によっては暗君みたいな響きですからね。私としても、深淵の箱庭を作り出す手伝いをしましたので、暗帝の名が貴女の魂と合うのも分かってはいます」

 

「ならば瑣末事よ。人理に刻まれた我が名は―――暴君、ネロ・クラウディウス。だが、既にこの魂は闇を愛する情熱に溢れておる。

 暗君にして暴君……あぁ、そう在れかしと望まれた英霊の余の魂。故に暗帝!

 そなたに救われぬ奴をこの身に呼び出し、余の深淵で貪り尽くし―――ローマに通じぬ人理を、死後の英霊になる生前に余は理解した」

 

「ネロさんの考えは良き判断だと思われます。英霊ネロ・クラウディウスとの相性は、貴女の魂が証明しておりますからね」

 

「そして、余に魂を捧げた宮廷魔術師……彼の者もまた、そなたと同じく余の為に働いた。目的を隠していようとも、心身を賭けるその忠誠を無碍にするは皇帝に在らず!

 故に、魂を引き継ぐ余は―――暗帝こそ、相応しい。

 黒く染まった人の薔薇であろうとも、全てを闇よりも深く愛し尽くし、情熱を止まらず煮え滾らせ、ローマを永劫なる我が箱庭としよう!」

 

「決まりましたねぇ……ふふふ。その迫真な演技を、舞台でも出来れば良いのですけど」

 

「ふぅはははははははは……ッ――――!

 おい、そなた。もしかして、余の演劇をつまらないと思っていたのか?」

 

「全然、まさか。ネロさん監修の、ネロさん主役の劇なんで、プロローグからエンディングまでクライマックスですよ。

 ……ですよね、陳宮さん?

 今度は貴方も私と共に、黄金劇場へと観に行きなさい」

 

「すみません。私、軍師ですので。カエサル殿と答弁する予定が」

 

「なんと、陳宮よ。自爆芸だけでないとは……貴様はちゃんと、本当に軍師として働いておったのだな?」

 

「………勿論ですとも。

 ネロ殿も皇帝の職務の合間に、演劇やらコロシアムを愉しんでいるだけでしょう?」

 

「―――当然であろう!

 働かざる者、喰うべからず。即ち、皇帝は皇帝であるだけで、宮廷で飲み食い自由なのだ」

 

「なるほど……はぁ、成る程。この陳宮、まだまだ勉強不足のようで。となると、やはりカエサル殿との戦略会議を怠けるなど許されまい」

 

「それは仕方ない、残念だ。余が女神のために捧げる情熱の歌を聞けば、きっと貴様も感動の余りアンコールの絶叫を上げていただろう」

 

「それはそれは………あぁ、実に残念です」

 

 断末魔の間違いでは、と疑問を返さなかった自分の自制心が軍師は恐ろしく思える。

 

「ネロさんの歌唱力は、竜の雄叫び並にスペクタクルですからね……いやぁ本当に、竜体の私以上です。まさか自分の顔に音無しを施すことになるとは、夢にも思いませんでした」

 

「照れるではないか、女神よ!」

 

 そろそろ女神呼びを止めて欲しい灰であった。その度に軍師の肩が笑いを堪えるので揺れ動き、その尻に致命の一撃を刺し込みたくなる。

 ……気が付けば、隠し持つ右手のダガーに暗月の剣がエンチャントされていた。超越者の幻影指輪で透明化していなければ、この空間を暗い月光の輝きで充たしていたことだ。

 

「ですがネロ殿、私に良い考えがあります。ふと思ったのですが、孔明とアレキサンダー殿を招待するのは如何ですかな?」

 

「確かに。ローマのために働いている皆を労うのも、皇帝たる余の務め。そして赤毛の美少年が、あの大王なのだからなぁ……にしても、良き美人だった。目か覚めるとは、このこと。

 欲しいなぁ……――チラ」

 

 男がすれば性欲に塗れた欲深い目付きなのだが、自分の美貌に自覚があり、且つ皇帝特権による魅了により、愛らしさしかない表情で灰におねだりをしていた。

 それなりに整った顔立ちの灰も女だが、確かにネロが天性のアイドルなのを実感した。しかし、この皇帝はアイドルとして致命的な欠点があることも知っていた。

 

「あぁー……あれはレフさんの駒なので、ハーレムに入れてプレイしたいなら、彼に言って下さい。孔明やらと、その他諸々も彼の管轄ですからねぇ」

 

 アレキサンダーの貞操は、彼の意志と全く関わりない場所で運命が決まろうとしていた。率直に言って、灰と軍師は最低な分類に属する社会人だろう。ついでだが、孔明は軍師からの純粋な嫌がらせである。

 

「なん、だと……美少年とあの美青年を侍らしているのか、あのモジャめ。

 余も……余も、混ざりたい!

 たまには気分転換に、何時もと違うハレムで酒池肉林だ!」

 

「でしたら、そこのその外道軍師を貸して上げます。好きなように肉体を開発し、皇帝陛下のハレムメンバーにして良いです。この男、見た目は良いですから、女装でもさせてみるのも愉しそうではないですかね」

 

「マスター、貴女がネロ殿の玩具になって下さい。死ぬのが快楽でしたら、尊厳のない奴隷になるのも一興でしよう。何より、そっちの方が見映えが宜しいかと」

 

「なんと、女神とか……ふっふーふう。太陽を落とす悦楽とは、果たして如何程か」

 

 マスターとサーヴァントが、相手をネロのハーレムに叩き落とそうとする姿は、この世の醜さの現れであった。何故、互いに危機を乗り越えようと協力しないのか、人間性の浅ましさが実に残念である。

 

「しかし、もう三十路だと言うのに、ネロさんは精力が満ち溢れてますね。ハーレムの維持は金銭だけでなく、毎日相手を遣り繰りしないといけませんから。諸々が枯れた身としては、羨ましい限りです。

 斯く言う私も男と最後に交わってから………っ――あれ、思い出せませんね?」

 

 不死となる前の記録はあるが、もうソウルの記憶はない。死ねる人間だった時、恋愛したような覚えが僅かにあるかもしれないと全てが朧気。不死となった後の思い出は絶望と殺戮に溢れ、原罪の探求者となって世界中を彷徨ったが色恋沙汰など皆無であり、灰として甦った後も特に何も無かった。亡者の王となるべく、その場合はロンドールの手で婚礼の儀を行った程度。

 灰は―――女を、棄てていた。

 むしろ、ロンドールのお見合いセッティング能力に、彼女は感謝しないといけない。

 

「マスター」

 

「何ですか?」

 

「私は既婚者の子持ちでしたので、同類とは思わないで下さいね」

 

 気が付くと、左手に呪術の火が宿っていた。無意識の無拍子で、サディストを浄化しようと準備万全となっていた。しかし、それも克服者の幻影指輪で隠しており、軍師とネロにはバレていなかった。

 

「太陽の女神よ、どうだ……余と結婚するか?」

 

「いえ、これでも婚儀は結んだことはありますので。ただあの結婚は独特でしたねぇ……暗い穴の入刀式」

 

「なんで、そこで断るのだ!」

 

「恋愛は男女平等主義ですが、もう誰とも結婚はしないと決めてますので」

 

「女神よ、それではモテぬ……だが、それがそなたの信条なら仕方ない。余の后となる前に、互いを知るのも良いかもしれん。

 試しにで良いので、ハレムの生活はどうだ?」

 

「そこに、愛はあるのですか?」

 

「情熱的にな!」

 

「ふむ、じゃあ御断りです」

 

「じゃあ御断り!?」

 

「まだネロさんでは、私のディープキスに耐えられませんから」

 

「そ、そんなに……この余がダメな程に、そなたは過激なのか?」

 

「ええ、勿論。魂が抜き取れるほどに。私は貴女を大事にしたいのです」

 

「魂が抜けるほどの、愛の接吻……」

 

「まぁ、はい。それで良いと思いますよ。虚偽ではないですからねぇ……」

 

 深淵の箱庭、ローマのその中心部――暗帝宮殿。新生された王の城は伏魔殿となり、人理に反する者共の巣窟であるが、身内同士でいがみ合う場所ではなかった。

 その日常が殺戮と呪詛で成り立っていようとも、当たり前な日々が過ぎているだけだった。

 

「……それでネロさん、今日はこれから如何に過ごす予定でしょうか?」

 

「うーむ。そうだな、コロシアムの興行視察をしようと思う。人員が補充されたとか何とか言っておったが……ふむ、今日は開催されるらしい。

 捕えた反乱軍の剣闘士と我ら深淵の魔獣が、命を賭けた生存競争を行うのだ。暗き人にならぬ愚か者が、生き足掻く姿はローマ市民にとって最高の娯楽。猛獣と人間の異種格闘技戦に熱狂しない者などおらん」

 

 皇帝にとってコロシアムは国家事業であり、市民を愉しませる娯楽の一環。それが正常に稼動しているか、否か、視察する意義が十分にある公務と呼べた。

 

「楽しみだなぁ……あ、それとな。奴隷商に売り出された没落貴族の娘が、大勢の剣闘士らと戦うらしい。選ばれぬ若い娘にとって、我ら帝国選民に辱められるのは名誉な事であり、且つショーを愉しむ市民の鬱憤をよりよく解消する事だ。

 全く、良き趣向だ。事業主にはしかと褒美を与えねばな。

 それでどうだろうか、余の女神。暇ならば、一緒に見に行かぬか?」

 

「良いですよ。陳宮さんも今日はカエサルさんと戦略会議と言う飲み会に行くようですし、反乱軍を宝具になって爆殺する日課もない訳ですから」

 

「飲み会とは……はははは、良いことではないですか。煮詰まってばかりでは、良き思案は浮かびませんので」

 

「程々にして下さいね。生前は二人共に妻子持ち何ですから、死後だからと気を抜かず、節度ある大人の男として行動するようにお願いします」

 

「そんなことより、コロシアムデートと洒落込もう!」

 

「三十になる女性のはしゃぎ方ではないと思いますよ?」

 

「女神よ、女は恋する限り、夢を見るもの。それが分からぬと、現実に則した愛に呑まれ、一瞬でオバサンとなるだろう」

 

「ほーう……成る程、分かりませんね」

 

「ならば、余に付いて来るが良い!」

 

 黒く濡れた髪に、狂気に赤く光る瞳。暗帝ネロは自身から湧き出る生温かい意志の、その人間が人間共に向ける感情の儘に、新生したソウルを自分だと疑わなかった。彼女は今日はもう面倒事は何もしないと決め、反乱軍掃討作戦もすっかり忘れ、ローマの休日を満喫するだけだった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 幾度、死のうとも忘れない。

 何度、殺そうとも拭えない。

 

「あ、ぁ―――貴様ら……ローマ……」

 

 その時、人道を踏破した。

 そして、倫理が崩壊した。

 

「悲鳴一つ上げないとは、中々に気が強い妃様だよ。

 本当に、良い母親なのだろうなぁ……ふふ。実に感動的な話ではないか、君?」

 

「そのようで」

 

「褒美を上げないと。せめて、気持ち良く犯して上げ給えよ」

 

「……は、隊長殿」

 

 服を剥ぎ取られた。

 

「いや、やめて……もう、やめてぇ!?」

 

「助けてお母さん―――!!」

 

 それは、今でも夢に見る。縄で縛られ、柱に結ばれ、ローマの獣に鞭を打たれた。何度も何度も、肌を打ち裂く激痛に耐え、服を剥がれた羞恥にも耐えた。叫び声を上げずに、奴等の下劣極まる行いに耐え続けた。渡された理不尽な罰を、残された家族を守る為に受け入れた。もう皆が傷付く姿を見せ付けられていたとしても、更に悲劇を上塗りさせるつもりはなかった。

 なのに、何故――二人の娘が、目の前で男共に犯されているのか。嬲られているのか。大勢の薄汚いローマ人に、汚されているのか。

 ……無論、もはや彼女自身も奴等の玩具にされている。

 貞淑な妻として、王の伴侶として、誇りを持って生きていたが、全てが穢れて分からなくなった。だが、それはまだ我慢できた。殺意を、国や家族のために抑えることが出来た。

 

「ぐぅ、うぅぅ……ッ―――!!」

 

 憎悪で、全てが狂い壊れる。復讐に心が沈んで逝く。

 

「蛮族共の女だが、悪くはないようだ。娘の方も、流石は王族と言った良さ」

 

「そのようですな。隊長殿、こやつらは全く、法の何たるかも理解出来ないオツムでしたが、あちらは中々の具合ですぞ。

 見た目も中身も……ふぅ、実に素晴らしい。飼うには丁度良い奴隷でありましょう。所詮、聡明だったあの王がいなければ何も出来ない者共です」

 

「原住民は、貴族だろうと奴隷だ。王族は、罪人として我ら帝国選民が愛玩する。実に愉快痛快、最高のショーじゃないか?

 見世物は、こうじゃないとな。

 あっはっはっははははははははははハハハハハハハハハ!」

 

 ―――殺す。

 

「―――お母様!」

 

「見ないでぇ、わたしを……見ないでぇ!」

 

 ―――殺したい。

 

「財産は没収だ。領土など、貴様ら奴隷民族には似合わない。重税を課し、精々その最期まで、我らがローマ帝国の為に苦しんで生き給え。

 その死で以って、ローマの礎となれ。

 なに……もう穢れた女が三匹いるだけではないか。

 そのような薄汚い王家に、果たして如何程の価値が有ると言うのかね?」

 

 ―――奴らの為の、虐げられる苦しみ。憎悪が溢れてしまう。

 

「反乱も煩わしい。見せしめに、奴隷共を幾人か処刑するか。貴族や女子供でも八つ裂きにされる姿を見れば、原住民も少しは静まることだ。

 とは言え、原住民と言う商品を使い潰すのは勿体無いがな。だが猿と馬は使い様だ」

 

「ですなぁ……あ、本土に売る奴隷は良い値段でしたか?」

 

「原住民は民度が低い。我ら上位民族からすれば、な」

 

「こんな原住奴隷共よりも、もっと良い商品が土地にあれば……やれやれ。貿易やら、商売やら、政治経済は面倒なことです」

 

「所詮は消耗品よ。赤子も、増やせば良いだけだ」

 

 ―――圧政。暴虐。処刑。イケニはローマの娯楽品。

 

「あぁ……駄目だった。駄目だったんだ。裏切られたよ。プラスタグス」

 

 ―――殺して、殺して、尊厳を取り戻す。

 故郷を取り戻す。家族を取り戻す。文化を取り戻す。矜持を取り戻す。

 殺し尽くした果てに、嘗ての日常は戻って来る。裏切り者は一人残さず鏖殺し、兵を捕虜も取らずに殺戮し、民は女子供も区別なく虐殺する。

 

「あはは……はは、あっはっはははははははははははははは―――!!」

 

 殺戮の都市。皆殺しの戦場。奴隷など有り得ず、人身売買も許さず、大勢をこの手で殺したい。ただただ、誰もかもを殺したい。

 

「捕虜は要らない。奴隷も要らない。私が全て許す―――殺せ」

 

 敵も、味方も、戦場では全てが混じって屍の山が出来た。血の河が流れた。死の空気だけが満ち溢れ、尊厳を陵辱された王家に従う軍勢が、殺戮の喜びに酔っていた。

 

「奴らには死だけを与えよ。家族も、友人も、知人も、全てを灰にしろ」

 

 帝国に見捨てられた都市。あるいは、帝国軍が守り抜く事が出来なった都市。だが、見逃す気などない。殺さない訳がない。住民は全て殺し、帝国の民であるだけで死罪に相応しい。

 

「処刑せよ。女神アンドラスタへの生贄である」

 

 絞首刑―――並べたローマ人の首を括り、一斉に吊り下げた。

 火炙り―――女や子供は良く燃えた。都市を焼き払った様に。

 磔の刑―――限界まで苦しませる。十字架は死の象徴なれば。

 帝国から移民してきた軍人の妻を、如何殺したか。その娘をどんな風に殺したか。

 同じ女として、最悪の死に方と言うものを良く知っている。何故なら、それがローマの趣味趣向。奴らは住民を奴隷にし、圧政を引く事を娯楽とするのだから。

 

「殺せ。殺せ。殺せ。より多く、より惨く―――殺せ。

 我らがそうされた様に。我らもまた邪悪(セイギ)暴虐(サバキ)を為し、復讐を。底無しに、報復を」

 

 乳房を引き千切り、それを口に詰め、股間から杭を刺し込み、先端が頭上に飛び出る光景。弓矢の的となり、体中から矢を生やした老人と、そんな家族を見て絶叫を上げながら死ぬ人々。女王が率いる軍勢の兵士らが、苦しませて殺す為に男共の前で女を犯し、あるいは死んだ家族や知人の前で犯し、その果てに処刑する。

 女神に捧げた―――正義の証。

 人は人を殺す程に、人を辞め、だが人となる。

 もはや欺瞞は焼失して、貪欲な獣となって獣性を解き放つ。

 女王は復讐の輪廻を止める気などない。自分がそうされて、自分がそうして、やがてまた自分達に憎悪が返って来るだろうと分かっていたのに、人を殺さない選択など取れる訳がない。復讐すべき大帝国(ローマ)を滅ぼさなければ自分が惨たらしく死ぬ程の所業を帝国市民に行い、だがローマを打倒することなど不可能とも理解していた。

 

「あぁ……」

 

 結末は―――分かっていた。

 

「…………」

 

 復讐の果てに辿り着いた未来は、娘の死体。女王に殉じた屍の山。

 姉はローマ兵に槍で刺殺され、妹は戦車の下敷きになって潰れていた。他の戦士達も、戦場を墓場として惨たらしく死んでいた。

 ローマが他国をそう蹂躙し、そんなローマを報復に虐殺し、今度は自分達が殺戮の怨讐を還された。

 

「……じゃあ。死ぬとしよう」

 

 幾度でも、罰のように悪夢を見る。眠る必要がないサーヴァントである故に、そもそも夢を見ることもないのだが、眠る度に彼女は憎悪が湧き立った。悪夢はもう、脳細胞となって彼女の中で息をしていた。

 殺さなくては―――……その義務感の理由を、夢見るように確認する。

 結局は誰も救えず、無念も晴らせず。なら怨霊とならない方が非人間的で、且つ心無い獣。穢れた獣性とは、憎しみに狂う人間性がなくば現れない。

 

「………あー」

 

 現実逃避に思い出を掘り返しても、脳裏に浮かぶは憎悪ばかり。目の前の狂気から目を逸らしても、自分の狂気が怨念を駆り立てる。

 今を生きる女王は、ローマと戦うしかないと言うのに。

 

「圧政に反抗を。圧制者に、死の刃を。おぉ、ならば我らこそ尊厳を取り戻す尖兵なり」

 

「うん。そうだね。だから、今は少し落ち着こう。ね、スパルタクス」

 

「否! 正しく、否だとも!

 貴殿は私よりも尚、叛逆に狂いし女なれば……だが、自制を良しとする。ならば、血塗れの猛獣として、代わりに私が圧制者に叫ばなければなるまい」

 

「そーだけど……いや、そうなんだけど。そのね、キミにそんな風にされると、逆にあたしって冷静になると言うかね?」

 

「気にするな。私は気にせん」

 

「良いから……良いから、ね。落ち着いて、ね」

 

 これからローマ帝国を狂気の儘に殺し尽くしてやろうと、民衆を何十万人も屠殺するに相応しい殺意と気合が十分だった筈なのに、ブーディカは自分以上に狂気に満ち溢れた男共の面倒を見る破目になっていた。

 

「だが、ブーディカよ。呂布殿が、圧政者を討ち取りにもう一騎抜けしているぞ」

 

「――――――はぁ!

 いや、キミちょっと、スパルタクス、何で止めなかった!?」

 

「復讐の女王よ。常識で考えて頂きたい。私が、反逆者を圧政するとでも?」

 

 その真理両断(マジレス)な返答に、彼女は脳内で枷の外れた音がした。

 

「ははは……もぉー良い。如何でも良い。そもそも、何か、どうにでもなってしまえって良い気分なの」

 

「だが、アルテラ将軍は怒ることだろう。反乱者が、反乱軍に叛逆していると」

 

「ねぇー……スパルタクス。分かってるならね、もう少しあたしに楽させて?」

 

「それは、私に枷を嵌める圧政かな?」

 

 凄いニコニコした笑顔で、何故か筋肉も同時に膨れ上がる。笑顔と筋肉が連動するサーヴァントは、英霊は数いれどスパルタクスのみだろう。

 呂布は裏切る兆候が見え隠れ。

 スパルタクスは反逆が最高潮。

 ブーディカ自身も復讐の女王。

 ロボット飛将軍とマッスル剣闘士とクイーン復讐鬼は、実は結構そこそこ似た者同士であった。

 

「あ”ぁぁあああああ!! もう良い!もう行く!

 スパルタクス、あのバカの後頭部を殴り飛ばしに、ローマ帝国軍に突っ込むよ!!」

 

「それでこそ、我らを率いる女王である」

 

「待て、お前たち。作戦を忘れたのか?」

 

「荊軻……―――あ」

 

「おお、荊軻ではないか。お前も共に反逆にいざいかん!」

 

「駄目だ。後、呂布はアルテラが付いて行き、七色の剣鞭で帝国兵を一緒にシバキ回してる」

 

「なんだと。はははは、それは愉快痛快。あの圧政者共を鞭で躾をするとは、見かけ通り圧政の女王だと言うことだ」

 

「あたしが言うのもあれだけど。アルテラ、露出が激しい民族衣装だね」

 

「あぁ、ブーディカが言える素肌面積ではない。とは言え、呂布の暴走もアルテラ将軍の策の内だ。こっちはこっちで、帝国軍を横から叩くぞ。

 その後は、何時も通りに祝杯さ。あいつら、良い物資も持ってれば良いのだけど」

 

 尤も見た目がある意味一番セクシーなのは、アルテラを鞭を振う女王と称するスパルタクスであろうが。

 

「―――ふははははははは!!

 奪い、奪われ、殺し、殺される。しかし、それが人が作る戦争の本質。呂布はそれを知る故に、我らと足を揃えず思う儘、あの殺戮兵器を振るうのだ」

 

「まぁ捨てるよりかは良いけど。でもあたし、ローマの酒は不味くて酔えないよ」

 

「構わん。私の話を聞いてくれればな」

 

 人理に仇為す新生帝国軍と、新たな帝国の圧政と殺戮に抗う反乱軍。この特異点は分かり易い構図であるようで、だが更なる邪悪が暗躍していることを女王は察していた。市民が深淵の者に変貌し、暴走した徒は魔物となり、暗い穴から黒い泥を吐き出す地獄の中で、奴らはそんな化け物をローマ市民として普遍的に統治している悪夢。

 反乱軍の中―――ブーディカだけが、古樹の森林に囲われた深淵の箱庭を知っている。

 アルテラ、呂布、スパルタクス、荊軻、そしてブーディカ。まだ形ある島に何名かの協力者はいるが、戦えば戦う程、大勢のサーヴァントが反乱軍の軍勢ごと虐殺された。しかし、反乱軍狩りの為に一度に出て来る帝国のサーヴァントの数は少なく、一気に全てを皆殺しにしようともせず、戦力を小出しにしてジワジワと甚振るように削り取るのみ。歴史に名を刻んだ軍師が召喚されたなら、あの深淵の箱庭で倫理崩壊することで合理的殺戮者となり、有効となるあらゆる手段で冒涜的な大虐殺をするのも容易い筈。

 

「どうした、ブーディカ?」

 

「なんでもないよ……うん。ちょっとした考えごと」

 

「そうか。だが、悩み過ぎると毒になる。内側で膿む前に相談しなよ?」

 

「ありがと。気を付ける」

 

 帝都は深淵の箱庭。あるいは、奈落を掘り進める魂の深み。深まるばかりで広がらず、暗い闇が漏れるのを神祖の神域樹海が封じている。帝都は魔都に転じ、地形が流動し始め、何も無い穴に沈んでいくような、宮殿を深みとする歪な形状。

 それをもう女王は反乱軍には伝えたが―――誰も、理解は出来ない。

 見なければ、あの地獄は実感出来ない。帝都の外に展開された帝国軍を幾ら殺した所で、打撃は与えられない。戦略的に無駄となり、人間の補充など帝国帝都にとって容易い。生け捕りにされた反乱軍の兵士が、あるいは持ちら去られた兵士の遺体がどうなっているのか、想像するだけで末路が思い浮かぶ。

 

「……でも、アルテラがね。あの子、単独の遊撃を囮にしてた筈なのに」

 

「見抜かれていた。奴らからすれば、我らの戦術など掌の上なのだろう。囮に誘われ、大軍がこっちにおり、実際は呂布の一騎駆けがないと総崩れにされていたかもしれない」

 

「そう……ふぅん。飛将軍の狂気的直感なら、流石に外道共も予想できないと。でも、アルテラの動きを読まれたのは、良くない。

 こっちで一番の軍略持ちが、踊らされる。

 虐殺者、陳宮。謀殺者、孔明……―――殺すしかない。出来れば、早目に」

 

「戦場に居ればな」

 

「だが、一度(まみ)えたアレキサンダーと孔明は叛逆の意志を抱いていた。私でなければ見抜けぬ程に、小さく隠しておったが。挙げ句、我ら反乱軍に真名を名乗り上げ、態と正体を明かす不始末など、本来ならば有り得まい。

 おぉ……ならば、我が戦友に相応しい英雄だろう。

 圧制者に隷属された今を嘆く信念こそ、圧政を打ち砕く人の意志!」

 

 走りながら、帝国軍を粉砕せんとスパルタクスは疾走を速めた。その姿を見たブーディカは宝具の戦車を具現させ、隣を走っていた暗殺者も乗せ、更に死へと疾走する剣闘士に手を伸ばした。

 

「スパルタクス。ほら、乗って。早いよ?」

 

「ふ……―――叛逆の女王よ、忝し!」

 

 自分の足で大地を踏みしめ、敵陣に斬り掛り、斬られながらも笑って砕く。それが彼の信念である故に断ろうとしたが、相手は自分以上に憎悪に染まった叛逆と暗い復讐心を持つ女王である。彼女の言葉は狂える剣闘士の狂気に響き、悩むまでもなく一言で了承した。

 

「狭いぞ。おい、ブーディカ」

 

「三人乗り用だけど、ちょっと一人大きいかも」

 

「ふはははははははははははははは―――ッッ!!

 さぁ、いざ行かん。我ら叛逆の勇士、無辜の民を苦しめる圧制者を討ち滅ぼさん!」

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 魂の在り方について、神の教えが記された書物。彼女が来た時には神代は残り滓であり、もはや神など僅かな残留物しか確認できなかった。その名残や、まだ神秘残る地域に神霊ではない生きた神もいたが、西暦が始まったあの瞬間、それらは人間にとって前時代の遺物と化した。

 

「…………」

 

 パチパチ、と薪が火の熱で弾ける。暖かい不死の故郷。

 薪の王が振る螺旋剣が焚き火に刺さり、薪となっているのは人骨だった。

 

「…………」

 

 古い言葉で記されたバビロン虜囚より昔の神官が持つ聖典。そして、神聖帝国より前の帝国時代に記された使徒の聖典。

 啓示の聖典――旧約と新約。

 人道の真理――進化と退廃。

 人間は死ぬと神によって生前の業を裁かれるらしい。何を持ってそんな理の評価基準を定めるのか、彼女はその者らと出会えれば問い殺してみたかった。

 

「…………」

 

 良識を抱いて生きる人の理が記された教え。啓示の聖書だけではない。もはや現存していない古い時代の、様々な聖典を読破し、また何度と読み込んでいる。魔術や神秘を強欲に学習して業とするように、彼女は人道と道徳も渇望の儘に手を出した。

 だが彼女の心に、安らぎとなる納得はない。

 不死となる前は良識を持ち、灰となる前は信念もあった筈なのに、もはや彼女は人道を失った人間として在らねばならない。

 

「……ジークバルトさん、聞こえてますか?

 この世界は美味しいものが沢山ありましたよ。腹に溜まらず、味も分からないので、私は食べたふりですが。だけど色んな人が、人に幸福感を得られるように生活しています。人が人らしく、食文化を楽しめる日常が広がってました。

 貴方はきっと、この人間性がとても好ましいと思うでしょう。笑顔が溢れていると、喜ぶでしょう」

 

 夜の中、古い言葉で記された何かの書物を、焚き火の光で彼女は読み耽っていた。

 

「それに文明がとても進化しました。その人間共が生活する縄張りの長が、意図して民衆を苦しめようとしなければ、飢饉で死ななくて良いほどに、大多数の人が毎日満腹を得られる世界です。

 飢餓が私たちの世界では普通で、少し前はこの世界の人々も飢饉で呆気なく大勢死んでましたけどね。でも、人間のソウルを貪り合う私たちには関係ない理屈です」

 

 しかし、もう暇潰しに何度も読んだ聖人君子の真理解明。彼女は奇跡を祈る宗教という文明を、不純物なく正しく読み込んでいた。 

 

「けれど逆に贅沢品の食事も発達して、砂糖など色々な食料が毒物になって糖尿となり、凄い大勢の人が肥満になって、世界中で年間に何万人も死んでいるようです。もうそれでは、死因が逆になっただけですよ。端から見ていると、実に面白い生物です。でもそのお陰か、遺伝子上その病気になり易い人は、燃えた文明ですが医療技術が発達して長生き出来るのです。

 餓えを克服した文明は、次は肥えを解消しないといけませんね。

 食事のできない私たちは、やはり食べ過ぎで死ぬのが常識な世界になってしまうと、何故か魂が捩れるほどに奇妙です。ソウルと人肉の喰い過ぎで蕩けたエルドリッチが珍しくなく、けれど彼のような信念を持って自分を腐肉にする者は皆無です。とは言え、色々と時代が進んでいくと面白い思想が増え、人間は膨れた肥満も興行にする娯楽文明も発達しています。

 けど、世には大食いなる職業があるのですよぉ………ふふふ。ソウルを幾ら貪っても満たされない我らからすれば、本当に多様化した人の世は輝いています。結局、燃えましたけど」

 

「なにを……独り言を、貴様は話しているのかね?」

 

「焚火に話し掛けているのです。可燃物になった遺骨は、灰の人の寄せ集めでもあります。きっと使命を果たした彼のソウルに、私の声が届いていることでしょう」

 

 そして、焚き火の上には鍋が一つ。スープ作りを極めた彼女は、温まる正確な時間まで待っているのであった。

 

「つまりは帝都宮殿の屋上の真夜中にて、独り言を呟きながら、焚き火に黄昏つつ、その灯りで古書を読み耽り、鍋料理を嗜んでいたと?」

 

「はい。その通りです、レフさん」

 

 グツグツとエストスープを煮込む。それを掬い、用意した皿へと上から垂らす。レフにそれを灰は渡そうとするが、明らかに飲んで大丈夫な色をしていない。

 

「飲みますか?」

 

「いらんよ。飲めば、生命が焼かれて死ぬ。不死の貴様らに飲み許された嗜好品だ」

 

 レフ・ライノールではなく、獣の眷属と化した―――フラウノスとして、彼は灰を嫌悪と蔑視を抱きながら施しを拒絶した。なので、そのまま灰はそれを一気飲み。

 

「んー…………瓶よりか、温かいですね。でも、また失敗作ですか。やれやれです。

 まぁ、味は無いですからね。死に難いだけの命持つ生物に、お勧め出来る毒物ではありませんでしたか」

 

 試しにローマで売られていたスパイスやハーブを混ぜてみたが、味に変化はない。そもそも味覚がない青ざめた舌でもあり、料理の味など覚えてもいない。だが、人骨を可燃物に燃え上がる火は生命そのものである為、味覚を持つ普通の人間が飲んでも味がするかどうか分からず、更に言えば元となるエストの味も不死は分からない。

 

「……で、灰よ。貴様、何を読んでいた?」

 

「凄く昔の聖書になる前の聖典ですよ。実にタメになります。確か書かれた時期は、バビロンの民族移動前だったと思います」

 

「西暦以前の書物か。そんな神代の残り滓がまだ残っていたとはな」

 

 レフが読みたいと灰は思ったのか、それもまた渡そうとしたが、彼は同じく拒否。読む必要もない。人間が人間に説く為の教えなど、獣にとって次元が低過ぎる論理なのだろう。

 

「二千年と数百年前でしたか……とても親切な神官さんが、私に教えを説くのにくれたのです。私もまだこの人理なる世界を知りませんでしたし、そもそも神話が世界中に幾つも樹立していると言う混沌とし過ぎた何を見るべきかも分からない世界でしたので、取り敢えず神の奇跡を片っ端から簒奪してやろうと、躍起になってましたからね。

 勿論、そんな中で人々の営みも学習しようとしていました。

 この世界の人間が、果たして神々から何を学び、どんな未来を築こうとしているのか、と」

 

「その果てが、この様さ」

 

 溜め息を彼は吐き、何故か惹かれる焚火の光に寄せられ、灰と対面の位置に座った。

 

「そんな酷いです。此処は良い世界でしたよ。私は別に腐っていても、その世界の人々が自分達を腐らせても良いなら、膿み苦しめば良いと考えていました。

 好きで苦しむのですし、結局は死ぬのだから幸福でしょう。

 ですので未来の先を超えた果てまでは見守り、辿り着いた最期まで見届け、人間から人間全てを教わろうとは思ってましたしね」

 

「私が貴様を説得していなければ、その為に―――我らの王も、我らの神殿も、そこの焚火と同じ末路となっていた訳だ」

 

 燃える人骨が、魔神柱になっていただけ。

 

「私がカルデア生活で、まだ人間だった頃のレフさんとお喋り仲間になっていなければ、話を聞く事もなかったですしね。あるいは、そもそも私がカルデアにスカウトされていなければ人理焼却に巻き込まれ、殺した相手は問答無用でしたねぇ……ふふふふ。まぁ、それまた一興な結末でしたでしょう。

 しかし、あの死体の王様との仲を、レフさんは取り持って頂けました。

 結果として私は、私がより強く進める学術を手に入れ、世界を渡り歩く視野を教えて貰えました。進化の果てを目指す兆しを確認し、フランスの特異点では炉の火力を強く出来ました」

 

「相変わらず、貴様はお喋りが好きだな。話が長くていけないよ」

 

「退屈ですか?」

 

「いや、嫌いではない。続けてくれ」

 

「では、自慢話の続きをしましょう。結果的に私は、あの絵画での神話を手に入れました。好きな様に光で世界を描き出し、生物ですらない存在に熱を与えて命を宿らせて殺し、絶対に砕けない鱗を一方的に砕く雷の刃も見出しました。

 火の光。火の熱。火の力。始まりの神が見出した力の、その根源を火の薪が統一しました。

 試しに死なずのビーストへ、死の瘴気の後に炉の雷を投擲したらどうなるか……魔術師である貴方であれば、その結果を愉しめそうでしょう?」

 

「やめたまえ。普通に死ぬし、だから貴様を協力者とした。で、火力の次は何を欲する?」

 

「炉となる闇の重量……とか、ですかね。深淵の主よりも尚、粘り重い闇が欲しいです」

 

「―――……貴様のそれは、実体を持った虚数と言う有り得ない存在よりも、更に理解出来ない魂由来の何かだ。元素でもなく、要素でもなく、物質でもない。

 そんな闇を魂が生み出すなど、この宙の神では理解出来ない理であろうよ」

 

「しかし、古い獣が生んだ霧こそ……恐らくは、闇も火もない最初のソウルだと思うのです。

 獣と……あの獣の従僕でありながら管理する悪魔を、私が超えるには更に進化し、その果てに着かなければ強くなったとは言えません」

 

「その為の箱庭か。貴様が此処まで悪趣味とは思わなかったよ」

 

「……まぁ、物真似ですよ。

 独創性が欠落してしまったので、人間から知恵を借りているだけです。何より戦うにしても、知恵となる戦術と、殺害できる道具がなければいけません。学ぶべき業を足とし、初めて今よりも進化の歩みを踏める訳ですから」

 

「そうかね。だが、今まで隠していたその渇望を、良く私に見せたものだ」

 

「フランスは覗き見されてましたしね。手段は現場を見れば直ぐに露見するので隠す必要もないですが、私の目的は誰にも正解を指摘されない限り言う必要がない渇望です」

 

「素直だねぇ……はぁ、気色悪くもあるが。知られているなら、開き直って話相手にし、その聞き手から更に知識を搾取しようと言う考え方か」

 

「無論ですとも。それに焚火は一人で想い耽るのに慣れただけでして、別に一人ではないといけない拘りもありませんですから」

 

「成る程。つまり私との会話は、読み飽きた書物と等価値な暇潰しと言いたい訳だ」

 

「否定はしませんが……――――あ?」

 

 瞬間、灰は急に機能を停止させた。人型の機械が電源を落とされたような姿をレフは不気味に思い、だが灰は理解出来る訳がない存在なので不可思議には感じなかった。

 

「どうしたんだい?」

 

「世界が歪みました。カルデアのレイシフトかと思いましたが……余りに、静かな侵入です。気が付けたのは、恐らくは私だけのようです。魔神柱のレフさんでも、深淵纏いの神祖さんでも察知出来てないですしねぇ……ふふふふ。これはとても面白い展開です。

 ―――あの騎士さん、好奇心を抑えられませんでしたか?」

 

「おい、おいおいおい。貴様、それは契約違反だぞ!?」

 

「契約は、古い獣を葦名の地下に縛り付ける協力です。獣の従僕であるアレの行動は、私は別に管轄外だと思われますが?」

 

「―――ふざけるな!?

 奴が行く先の文明社会は悉くが滅亡し……このローマも、カルデア以前の話になる!!」

 

「ですが、不死とはそういうものです。前の世界で仲間だったとしても、違う世界では殺し合うのもまた一興でありましょう。

 ……とは言え、私とてこれは想定外です。

 この裏切り者の悪魔め、とそれなりに罵ってみます。止まってくれれば僥倖とでも思って下さいね?」

 

 重く溜め息を彼は吐き出す。今日は正直、もう何も考えたくなかった。

 

「……本当は帝国が放置する反乱軍への対応と、私のサーヴァントを強請る我が儘女の対処に、担当者の貴様に文句を言いに来ただけだったのだが。

 面倒事が、こうも嵐となって襲い掛かって来るとは。

 やはり貴様は獣にとって厄病だよ。死ねない人間の相手など、気苦労ばかりだ」

 

「それが人の世の常です。良く知っていることでしょう?」

 

 頭を抱える友人に微笑み、灰はスープをまた掬って飲み始める。悩める教授の心の闇を晴らす為、大昔に誰かが考えた有り難い説教でもしようかと考える。読書で学んだ思想か、あるいは自分が聞いた説法か、それらを混ぜながらも自分の意志は一切混ぜず、機械みたいにレフへ喋り出そうと口を啓いた。















 儀式で結婚イベントした火の奪還者ですので、そう思えばエルドリッチは伴侶の父親、まぁ義父なんですよね。狼にとっての梟が、灰にとっての神喰らい。蕩けた腐肉スライムの子として、火の簒奪者はらしいのかもしれませんが、ロンドールが深海へ辿るかは分かりませんよね。
 それと超軍師陳宮が無限ロケットランシャーを手に入れました。最初の火を簒奪した灰がロケットになって飛んで擬似絶頂アタックしてきますので、サーヴァントの皆様はクリア特典の武器でラクーンシティをむしろ自分から核爆撃する陳宮にお気をつけ下さい。


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啓蒙42:真性森林神域

 皇帝ネロを殺さんと元老院が反逆し、復権した彼女が帝国の裏切り者を粛清し始めて数ヶ月。そして、反乱軍を瓦解させて数日。ローマは魔都と化し、地方は皇帝が住まう帝都へと反乱を開始し、だがもはや人界は闇の底へと堕落しつつある。

 此処は地獄の奥底の、更なる深淵。

 地形が流れ蠢いてスリ鉢状になった帝都は、その一番深い中心に黄金劇場と、皇帝が住まう宮殿が移動されている。今はもはや集まる闇の重さで土地が凹み、封じる為に周囲を森林神域で覆われ、暗い雲海が天蓋となって日光に照らされることもなくなった。

 

「―――ローマッ!」

 

「太陽万歳―――!」

 

 心が折れそうだ……と、ローマと敵対する全ての人が膝を折りたくなる風景。帝都最深部の宮殿の中、出会い頭に決めポーズ合戦を神祖と灰は唐突に行っていた。余りにも動きの切れが良すぎ、ネロはポカンと口を開けて見守っていた。陳宮などまだ二人の思考回路が全く理解できず、見て見ぬふりをするしかないと戦術の思案に脳内のみで耽ることにした。

 ―――ロムルスとアッシュ。挨拶は大事。

 出会ってはならないジェスチャーマニアの語り合いが、特に意味もなく始まろうとしていた。

 

「良き筋肉……素晴らしき、鍛練の成果です」

 

「ふ……(ローマ)讚美(ローマ)に追随するとは。

 お前もまた信心深い人間性(ローマ)の持ち主と分かっていたが、召喚された後の日々、小マメな挨拶を(ローマ)にするのは良き心掛けだ」

 

「これでも聖職者でしたからね。祈りとは心の発露であり、その想いを体で表現するもので在らなくては、人は人を説く意志を抱けないものです」

 

「人らしく、実に端麗(ローマ)な祈りだろう」

 

「ふふ、有り難き讚美ですね。神祖さん、ありがとうございます」

 

 と言いつつ、一回転した後にブレイクダンスをしたと思ったら開脚し、飛び上がった直後に太陽万歳。対するロムルスはバク転とバク宙をした後、着地と同時に三回転スピンのローマ。

 ―――感極まった二人。語り合うのに言葉など不要。

 必要なのはダンスバトル。答えとは人生の想いを込めたジェスチャーなのだ。

 

「なにこれ……だが、何故だろうか。余の心に、響く余韻が存在する―――」

 

「勘違いかと。まともになった方が、ネロ殿の為になると思いますが?」

 

「何と言う罵倒を、超外道軍師……!

 貴様が語った我が戦車の改造案を実装するのに、徹夜した故にこうして蜃気楼が見えてしまっておるのだ!」

 

「いえ、幻ではないです。貴女が見ている光景は、ただの現実ですねぇ」

 

「嘘だろう……なぁ、嘘だと言ってくれ。

 神祖殿と余の女神が、まさかあのように愛を交わす仲だったとは……余も、混ざりたい!」

 

「―――愛……?

 いえ、これもまた異文化交流ですからね。無理に理解することもなかったです」

 

 デーモンナックルより学んだ戦技で回転独楽となり、灰は炎を纏って踊り回り、火の粉が美しく虚空に散り漂う。それに抵抗するべく、神祖は建国の樹槍を回転させながらも自分も回り、漂う魔力が木の葉となって風に舞う。そんなダンシング空間に割り込んだネロは、クルリクルリと華麗な舞を踊りながらも、情熱を表現するべくバトルを挑んでいた。

 テンションマックス。良く見ると頭上に光る球が、ミラーボールみたいに浮いている。

 踊っているのは三人だけなのに熱気が凄まじく、常人なら見ただけで気狂いのように踊り出してしまうお祭りの中毒性。

 

「―――おや、ついに来ましたか」

 

「我が子が落とした大帝国(ローマ)に、人理を救いし者が来てしまったか……」

 

 なのに瞬間、三人は一斉に動きを停止させた。宙に浮かぶ小さな太陽も消え、宮殿を行き成り騒がせた熱狂も、急に鎮まってしまった。それを一から十まで傍で見ていた軍師は、余りの変わり具合に気色の悪い恐怖を覚えた。

 生前から戦争狂で、召喚されてからは倫理観を砕かれたが―――恐怖は、不理解から生まれる。

 軍師はその高度に発達した思考回路でも、例えその身に闇を与えられた霊基だとしても、分からない思想は手に入らない。生温かくドロリとした優しい狂気が、軍師がいる場に満ちていた。

 

「おぉ……―――ふふふ。あは、ははははは!

 あぁぁあああはっはっははははははははははははははははははははあっはははははははははははははははははひゃひゃはははあああああはははははははははははははははははははは!!!!!」

 

 悶える深淵の澱み。深みの憎悪。生への執念。死にたくないと言う願望と、怨念となった自らの殺意が蝗の群れとなって魂を蠢かせる。

 暗帝は、帝国殺しを嘲笑った。

 それだけの戦力を揃え、世界を殺すべく人理を救う彼らを祝福したかった。

 

「陳宮……良い、良い。実に良き采配だ。反乱軍を砕く軍師の刑罰戦車に、余の女神が加護を与えし双頭黒馬の御披露目のチャンス。

 こうも見事に我が大帝国を砕く怨敵共が襲来するとは、最高の好機であったではないかぁ!?」

 

「―――は、ネロ殿。黒き薔薇殿。ローマ大帝国皇帝。暗帝陛下。

 兵器とは人を殺す為に存在します。人殺しの道具であり、戦争を飾る死の凱歌。大勢を虐殺する程、その性能に価値が宿ります」

 

「ふふふふ……まるで此処は演劇の舞台。ローマのチャリオットに女神の業を宿らせ、更に古代中華技術の結晶か。実戦では如何程か?」

 

「試作の実験結果は宜しかったです。故、貴女の宝具は奴らを殺し尽くすのに十分でしょう」

 

「自爆装置は?」

 

「勿論です」

 

「実に完璧(ローマ)なるロマンな心意気だ、陳宮」

 

「有り難きお誉めの言葉」

 

「うむ。良き仕事だ!」

 

 軍師は恭しく、礼節に満ちた一礼を暗帝に行う。彼女も盟友である灰の部下の仕事ぶりに大満足し、可愛らしい満面の笑みを浮かべている。

 暗帝ネロは名に相応しい笑みを浮かべ、神祖が作った箱庭を囲う神域への侵入者を感じた。実に残念なことであり、ローマ側にとって好都合な場所であり、カルデアが転移した場所は地獄よりも悪辣な森林地帯。それも神の古樹が植えられた囲いの森であった。

 

「女神よ、そなたはどうするのだ?」

 

 ネロのその質問に、灰は少し悩む。フランスで作成した赤子の魂――魔女の狩人、ジャンヌをこの手で殺してみたい。灰と同じく、自分自身の渇望だけを原動力とするあの啓蒙狂いの狩人はオルガマリーの夢に潜み、だがまだ幼年期を越えぬ混血児の蛞蝓に過ぎず、それ故に魔女の意志が狩人に流れるのを阻害しなかった。狩人が必要としたならば、魔女はきっと上位者の故郷に必要な赤子だったのだろう。

 そして、サーヴァントの殻を得た魔女の意志が―――カルデアには存在している。

 不死の霊体や悪魔のファントムと似たカタチの在り方で、それでも灰は手を出して見たい。聖女から這い出た悪夢の子の意志を、貪ってその思い出を自分の“孔”に融かしたい。

 

〝けれど―――魔女は、まだカルデアですか”

 

 藤丸立香が連れてこなかった事を残念に思い、だが戦神のソウルが流れたマシュとエミヤには少し興味が湧く。

 

「私は様子見ですかね。姿を念入りに消して、ネロさん達との殺し合いを見ていたいです。あの後、所長らがどのような雰囲気に成長したか、生き穢い小物らしく観察して戦術を練ろうかと考えています。

 初見は慎重に、が座右の銘(モットー)ですのでね。

 待ち伏せ諸々、こそこそするの好きなんですよねぇ……フフ、御武運をお祈りしています」

 

 効率的に同格の灰らを殺す際、人数差を覆すのに戦術は重要な兵器。王殺しであり、英雄殺しにして神殺しの大英雄の部隊に正面から突っ込むとなるば、灰狩りを極めた灰でなければ試練にさえならない困難だ。

 つまり――灰殺しこそ、理想の灰。

 だが最初の火を最盛期に戻した今の灰でも、技巧はまだまだ灰の業を越えられていない。

 

「ふはは、女神の声援があれば怖いものなどない。余の勇姿を刮目して欲しい。そして、神祖殿もカルデア迎撃の為に出撃を?

 正直な話、皇帝として情けないが……余は一人だと不安で」

 

 立場として、そもそも建国王と暴君では英霊としての魂の重さが違う。生前の死なない前のネロであれば尚の事、灰の闇で変異しようとも神祖ロムルスには畏敬の念を深く抱いている。灰の黒い涙によって祝福された故に力量としては並んだと言える強さをネロが持ったとしても、その想いは違わない。灰を女神と思おうとも、神祖はやはり偉大なる建国王であった。

 しかし、今はネロが従えるサーヴァントの一人。

 そして、ロムルスもまた人間性を受け入れた人器。

 子供たちの敬愛の想いは有り難く、されど資格を失ってしまった。暗帝となったネロから敬われる事を拒み、それは他のサーヴァント化した皇帝にも同じ。彼はもう、神性を完全に克服してしまったのだから。

 

「我が子、ネロよ。お前の敵は(ローマ)の敵だ。まずは(ローマ)が跳び、その一撃を様子見すると良い」

 

「先制は神祖殿と。ならば、余は―――刑罰戦車(チャリオット)で出る!」

 

「陳宮さんは、これからどうしますか?」

 

「反乱軍残党から帝都を守る為、少し見張っていようかと。我が主君は自分の趣味に没頭するようですしね」

 

 軍師はカルデアに興味はない。出るとすれば、残党として合流することで反乱軍となり、戦争を愉しめる戦力となってから。

 彼は戦争を愉しむ為に倫理亡き闇を受け入れた。それも戦略を吹き飛ばす戦術で遊ぶ為に。

 それらを娯楽として楽しめるならば、ローマ市民が何人悶え苦しもうが何も思わず、何も出来ることもない。

 

「残党だからと甘く見てはいけませんよ。まだ主力サーヴァントは数体生き残っていますし、帝都に叛逆する人間が絶滅した訳でもなく、地方都市を須く殲滅した訳でもないので、残党がまた戦力補充することも充分に可能な状態ですから」

 

「貴女はお人が悪いです。殺し合える敵もまた、我ら戦争狂にとって一興です。そして、呪詛は人間から生み出され、地獄で育まれる魂の感情だと考えれば……それらは一体、この特異点ですと何処に吹き溜まるのでしょうかね?」

 

「さて……しかし、神祖さんの森がなければ、この特異点の闇は広がるばかりでした。深めるには、何か特別な細工が必要だっただけだと思われますね」

 

 窪まれた魔都に、特異点から何かが吹き溜まる。それを知るのは、皇帝とその従者だけ。

 

「アッシュ、悪巧みは程々にすると良い。この特異点が生まれた時点で、お前の願いは叶っている。四つ目の悪神は巨体を得て、赤子として産声を上げる未来は変わらない。

 お前が闇と孔を与えたグノーシスの魔術師は、深淵に潜む絵をもう描き終えているのだから」

 

「神祖さんは……―――いえ、だから私の掌で踊るのですか?」

 

「然様。お前はローマではなく、我が愛も届かぬが……されど、(ローマ)と同じ人間に過ぎん。ならば、お前の魂はローマに通じず、同時にローマである(ローマ)とまた同じ存在と成り果て、それさえも超越(ローマ)の果てに到達してしまった。

 理解を求めず人を救った末路を、確かにお前は知っている。

 だが人の魂(ローマ)が滅びずに廻ることもまた理解し、それが救済と絶望であることも実感しているのだろう」

 

「そんな女は、もう死にましたので。所詮、火の無い灰でありますから……不死の願いも、また灰へ還るのが相応しいのでしょう」

 

「―――ふ。ならば、今は共にカルデアを討つとするか?」

 

「結構ですよ。今回のカルデア狩りは、ネロさんとロムルスさんでお願いします。

 姪好きな嗜虐皇帝がネロさんの出撃に勘付き、来てしまうかもしれませんがねぇ………徒歩で」

 

「それもまた暗い狂乱(ローマ)に相応しい」

 

 闇により狂気が裏返り、だが月光より知識が啓蒙され、発狂者の狂気は正負を巡る。彼の放つ月明かりの狂気が反乱軍を共食いさせたように、カルデアに対しても良き祝福となることだ。灰はその地獄をきっと皆が乗り越えられると悟り、だがそれこそ必要な踏み台であることも察している。

 掌の上とは、そう言うことだ。神祖は準備を怠らないことで未来を丁寧に構築する灰の手腕が、そもそも社会性と言う生態系を持つ生物の模範となる周到さだと知っている。頭の良し悪しの前に、人間が魂を持つ時点で何もかもを見抜かれてしまうのだろう。

 例外となるのは―――あの甲冑姿の騎士と、感じ取れたカルデアにいるあの二人。

 恐らく騎士の悪魔(デーモンスレイヤー)所長と忍び(例外の二人)は、この灰か自分でなければ勝機は掴めないと神祖は密かに答えを得てもいた。暗帝と至ったネロも可能性はあるもまだ力量不足であり、しかし生きた人間であるので成長次第。それを考えれば先制は神祖が適任。

 

「では―――行くぞ」

 

 帝都で一番深い場所にある宮殿の屋上。そこに上がっており、跳び去る彼を皆が見上げる。一番手を願った神祖はサーヴァントとしても強靭な脚力により、すり鉢状に変形した帝都ローマを一気に見下ろす位置まで飛び上がった。しかし、それだけではまだカルデアの場所に跳ぶには、飛距離が全く足りない。

 その不足を補う為に皇帝特権が技能(スキル)が具現し―――魔力放出が、神祖に備わった。

 Aランク相当であれば、令呪などの十分な魔力供給により、ライフル弾より素早く長距離跳躍が可能なスキル。

 宮殿を足場としたと直後、神祖は空中を足場に全身から魔力の一斉噴出に成功。音速を容易く超えて跳んだ彼は更なる加速で宙を飛び、一瞬で超音速の速さで雲を突き抜けた。数秒で宮殿から四千メートルまで一気に上昇し、天より暗き帝都ローマと周囲の森林神域を見下ろした。

 

「………………―――」

 

 千里眼の発現―――超越神性に相応しき、皇帝特権の万能性。いや、もはや全能に近い有能性。あろうことか、人間の極みとして英霊の幻想(スキル)を使いこなす彼は、彼自身が至った技巧と共に、灰炉の人間性に汚染された人間としても彼女の業を引き継いでいる。

 不可能だろうと出来ない訳がない。それを理解可能となった、人の業。

 魔力放出を維持した儘、千里眼によって感知したカルデアの侵入者を上空より視認し、元より高度な思考回路を心眼(真)で補強した上で、未来を即座に察して対応する為の直感まで、神祖ロムルスは自在に行使出来てしまう。本来ならば魂が制限されてしまう業の境地を、灰は容易く枷を外して可能にしてしまった。

 

「―――ローォォォォォオオオオオオマッッッ!!!」

 

 空間が爆散し、天空が捻れる。魔力放出が全開され、神祖は怨敵を討ち滅ぼす天罰の落雷となり得よう。故に帝都を覆う暗い雲海が一瞬で晴れ渡った。太陽の光を遮り、魔都を薄暗くしていた蓋に穴が空き、数週間ぶりにローマは日の光を浴びることが出来たのだろう。

 神祖(ローマ)の構え―――両手には、建国王の樹槍。

 雲海を晴らす天上の槍は、侵入者共を滅ぼす一番槍となり―――刺し落ちる。

 柄の両端から刀身を生やす両刃剣はドラングレイグを生きた不死だった灰にとって、使い慣れた特殊な武器形状であり、神祖よりも人を殺し慣れた武器であり、彼よりも両刃剣による殺戮技巧は上である。元より担い手であった神祖に、その業が熔け混ざり、どのような状況であろうと最適な使い方が体に馴染む様に啓蒙されよう。

 

「ッ――――――――――――――」

 

 頭上へと伸びた両手の槍が、空気の壁も大気の太源(マナ)も切り裂いた。魔力放出による加速は一秒で倍になり、二秒で四倍となる。人類が地上で許された移動速度ではなく、焼かれた人理の文明では辿り着けない人間の飛行速度となって尚、槍は貪欲に力を増し続ける。

 ―――宙を飛ぶ、一筋の創造槍(ローマ)が世界を切り裂いた。

 国造りの槍と共に、神祖ロムルスもまたローマを生み開いた偉大なる一つの槍。ならば雲海を突き広げ、大地を突き穿つ事さえも可能な人間の絶技。自分が穹穿つ槍となり、その槍を先端に掲げて刃と化し、神祖はローマの構えの意味を体現する。

 その姿はまるで、フランスで元帥の邪神に立ち向かったジークフリートと同じ。

 サーヴァントと言う殻を意志で打ち破り、英霊の限界も超え、更なる可能性を手に入れた人間の魂が抱く頂の在り方。

 

「――――――――――――ッッ!」

 

 カルデアが転移した直後の空間が吹き飛ぶまで―――後、一秒。

 暗きローマ帝国の一番槍は誰であろうとも、このローマの大地で防ぐことは絶対に不可能。誰であろうとも、神であろうとも、神祖の槍は何処までも障害を突き開いて届くのだろう。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 ―――レイシフト。既に幾度が行うことで安全性も上がり、今回も無事に転移が行えた。

 カルデアのメンバーは前回のフランス特異点よりも一人多く、所長、忍び、藤丸、マシュ、エミヤに加えて清姫が参加していた。戦力と言う戦略上の備えを想えば、清姫は決してエミヤのように万能でもなく、ヘラクレスやクー・フーリンのような大英雄でもない。

 しかし、藤丸の魔術回路を考えれば、彼女こそ最適であろう。

 魂レベルで何故か、前世が夫婦ではあったのではないか、と思えるくらいに相性が良かった。あるいは、そう思うだけで清姫が自分の霊基をマスターの魔術回路へと最適化させたのか。原因は分からないが、事実として清姫は竜種のサーヴァントと言う破格な存在の割に、藤丸からすれば実に馴染み易いサーヴァントであると言えよう。マシュとエミヤとの契約やシャドウ運用を考えると、清姫以外のサーヴァントを常時増やすと、彼はフランス特異点以上に戦闘毎で血反吐を垂らすことになる。

 

「…………」

 

 唯一人、マシュだけが藤丸に対する清姫の密着度が高いことにモヤモヤしていたが。とは言え、清姫はマシュにも十分以上に心を許しているので、気安さと言う意味ではマシュともかなり近い間柄。明らかにマスターである藤丸に恋心を抱いている姿だが、だからと言って他の仲間を蔑ろにする気配は一切存在せず、マシュにとってはある意味で理想的な友人関係である。

 何より燃費の良い火力系宝具と考えると、そもそも守りに特化したマシュとの相性も抜群。

 戦術上、藤丸をマシュで守りつつ清姫で自由に敵を焼き払い、藤丸が召喚したシャドウで回路を消耗するも即座に危機にも対応。更に万能型のエミヤもいれば、並の危険ならば容易く打ち払えることだ。

 

『特異点、転移の無事を確認。そちらはどうですか、所長?』

 

「森ね……それもかなり深部。いや、本当に森なのかしら?」

 

 空気が重く、太源が濃密で息が詰まる。まるで人類文明が生まれる前の古い世界の樹海で、木々の生命力が人間が呼吸をして森の中で生存することを圧迫している。

 

『可笑しい。念の為に都市部から少し離れた場所にしたけど、そこが平原地帯だった筈』

 

「主殿。此処は、死地……―――おぞましい何かが、蠢いております」

 

『狼君がそう察したなら、本当に危ないぞ。所長……まずは森からの脱出をし、情報収集をしましょう』

 

「賛成ね……っ―――」

 

 ―――瞬間、オルガマリーは死を悟る。一秒後の惨劇。

 

「―――――」

 

 言葉を発する暇がないと理解する。転移後で緊張が緩んだ皆に警告を呼び駆ける間もなく、避けろと言った直後に全員が吹き飛ぶ。粉々になる。全滅する。狙われたマスターである藤丸は天上から突き落ちる槍によって爆散し、肉片さえも衝撃波で砕け散って消滅し、エミヤと清姫は契約の消失で座へ還るしかなくなる。

 マシュの宝具ならば守れるが―――真名解放など、許されない。

 そもそも唱える前段階の、魔力充填の間に死ぬ。真名解放無しに藤丸を守ろうと盾を構え、槍の前に立ち塞がっても、彼女ごと槍は藤丸を殺すだろう。マシュが一瞬で肉片と変わるだけ。

 

「―――――――!」

 

 その危機にオルガマリーは所長ではなくなり、一瞬で狩人に意識を変革。

 空を裂きながら落下する何かを人型の敵(サーヴァント)だと察すると共に、愛用する血族の短銃(エヴェリン)を狩り装束に備えたガンホルダーから引き抜く。

 だが―――撃ち落とせない。

 そのような隙を晒す程度の技巧ならば、そもそも飛来して襲撃などするものか。

 

「………ッ―――――!?」

 

 エミヤも、マシュも、そして清姫も所長より数瞬遅れて死を察した。遠くより爆散した魔力と、宙が落ちて来ると錯覚する殺意の重さ。マシュが真名解放が間に合わないように、二人の宝具も既に手遅れだった。地上にいる全員が死に、生き延びても致命傷は間逃れない。

 隻狼だけが―――神祖(テキ)を見ていた。

 一秒もあれば奥義は万全。皆にも気を配るオルガマリーとは違い、敵のみを意識する。忍びは即座に落雷の如き速度で迫る人間を見切っていた。

 

「ッ―――――――――」

 

「―――――――――ッ」

 

 地上に落ちる前の障害。忍びは一瞬で生前以上のサーヴァントの脚力で跳び、更に鉤縄を古樹の枝に引っ掛けて宙を一気に飛び上がり、森の木々よりも高い場所へと舞い上がった。まるで地面から吹く風に乗り、空中を飛ぶかのような神域と呼べる忍術。

 忍びが神祖を察知してから一秒後――特異点で、彼は人の神と邂逅する。

 神祖は武器を鞘に納刀し、その構えを維持した儘に迫る剣神と見える。

 此処で人神を殺さねば主が死に、その仲間も死ぬ。此処で剣神を討たねば敵は生き延び、ローマ崩壊に一歩近づく。

 

「――――――――」

 

 だが不可能を可能としてこそ―――御子の忍び、その極致。でなければ神域に住まう雷神の桜竜を、単身で討ち取ろうなどと覚悟する事さえ烏滸がましい。最盛期の義父も全盛期の葦名一心も刹那の間を見切り、勝てぬ相手を殺めて来たのだから。

 故に大地へ足を着く必要もなく、楔丸の業は忍び故に万全だ。

 抜刀、一閃。直後に振われる―――死の一閃。葦名の剣士は敵を斬り殺す為、例え居合で一閃したとしても、追加のもう一閃で絶命を必ず果たす。

 

「――――――――」

 

 されど対処不可能な絶技を凌駕してこそ―――神祖の建国王、その精神。でなければ灰の暗黒を飲み乾す事もなく、その業を自らの業とすることもなかった。ローマを建てる偉業も出来ずに、人の身で神となる存在へと至ることも有り得なかった。

 故に空中であろうとも迷わずに、国造りの樹槍は振われた。

 振われる上部の刃が最初の一閃を弾き逸らして、直後の二刀目を下部の刃が受け止める。皇帝特権は例え空中であろうと、ロムルスを万全にした。

 

「ぬぅ……――――――!」

 

「―――おぉ、ローマ!?」

 

 限りなく零に近い刹那の邂逅で抜刀二閃を振う忍びは剣神に相応しく、同時に神祖が同じ領域の槍神であること証明している。本来ならば冠位と呼べる超越者の技巧は、人理を守る忍びを討ち取らんと今は振われるのみ。

 しかし、業と技の衝突は凄まじい。周囲に巨大な古樹を揺さぶる程の衝撃波が出る。

 忍びは握り持つ楔丸から、神なる竜が持つ巨剣の一閃を弾き受けた時か、あるいはそれ以上の力を刀の柄から全身に味わった。神祖も同じく、国造りの槍が真っ二つに成る程の剣気を味わった。

 

「……ック―――」

 

 空中を無傷の儘に忍びは高く吹き飛び、そのまま百メートル以上に彼方まで飛んで行きそうになったが、下の古樹に鉤縄を引っ掛けることで戦線離脱を阻止。逆に神祖は落下軌道を強引に逸らされ、神域の古樹に衝突し、魔力をたっぷり含んだ“自分”の木をクッションとすることで体勢を整える。

 だが―――オルガマリーは、呼吸を整える暇を許さない。躊躇わず、水銀弾を発砲。

 自分のサーヴァントを信じた彼女は空より迫って来た神祖ではなく、忍びによって攻撃を弾かれた神祖を撃ち殺すべく、その隙に狙い定めていた。

 

「ム……―――鋭き、良い殺意だ」

 

 カルデアの敵は余りに容易に、その銃弾を槍の刀身で受け止めていた。呪腕のハサンが全力で投げる投擲短刀や、エミヤの投影矢と同じく、対戦車ライフルを超えた物理的破壊能力がある筈だが、その天性の肉体は余りに剛力で、獣の動きを止める衝撃力も問題ないようだ。

 敵を前に、要らない感想を述べるその減らず口を黙らせる。オルガマリーならば情報収集を考えなければ迷わず狩り殺しに挑む。しかし、その狩人の狩猟精神を抑え付ける何かを、敵が持つことも彼女は察している。

 

『なんなんだ、一体!?』

 

 敵の着陸後、通信からロマニの悲鳴が上がる。管制室が観測した瞬間、全ての工程が終わってた敵の奇襲。

 

「ランサー……神祖、ロムルス。ローマの建国王―――!?」

 

『そんな大物が、ボクらの転移を見張ってたのかッ!!』

 

 知名度が神秘に影響するサーヴァントであるならば、彼はローマにて最も強大な英霊にして最強の英雄。同時に、国と文明を啓いた原初の王にして、人間と言う生物の中でも最高位の在り方に至った者。

 英霊が何かしら究極の一を持つように―――ロムルスは、座における究極の一つ。

 それは国が始まる英雄譚。例えるならば、ウルクのギルガメッシュ、中華の黄帝、ナイルのナルメル、日向の彦火火出見、バベルのニムロド、モンゴルのチンギス・カンと同じく、自分が築いた土地で召喚された場合、国と等しい存在となる英霊。

 

「―――如何にも、星見の狩人よ。

 お前は抱いた悪夢と同じく、我が子と我が大地(ローマ)を狩りに来たと見える」

 

 無造作に神祖は、だが隙など欠片も無く双刃槍を一振り。何かしらの閃光が奔った。だが所長は危機を事前に察し、無様だろうと地面で回転回避(ローリング)して泥塗れになって逃れ、膝立ちになって銃を構えた。直後、発砲と同時に自分が居た空間を遠隔破裂されたと察する。

 瞳を持つ所長ならば、その攻撃が槍化した大樹より溢れた神秘であり、真エーテルに近い濃厚な魔力が皇帝特権の魔力放出を応用する事で行使されたと理解する。しかし魔術師程度では、映像作品のエフェクトにしか見えない理解不可能な発光があったとしか認識出来ないことだろう。つまりは、魔法使いに届く魔術師が魔力だと察する事も出来ずに死ぬ瞬間攻撃。

 悪い冗談で、魔術師だろうと妄想でしか許されない神秘の極致。

 権能に限り無く近い技能は、正しく神の腕と等しい神域の絶技。

 敵は万全―――挙げ句、神祖一人である訳もない。更にこの森は、化け物の胃袋の中よりも性質が悪い。

 

「―――逃げるわよ!?」

 

 水銀弾が再度弾かれ、敵の力量を悟る。勝てはするも、此処は恐らくは神祖の宝具領域(フィールド)

 自分や隻狼が生き残るかもしれないが、死んで離脱する可能性も高い。即ち所長の勝算とは、初見で絶対に倒せると言う確信ではなく、幾度か死んで全てを見切れば確実に何度でも殺せるだろうということ。だが最初の一戦目で敵の力量を上回らないと、戦場に残る他の者は確実に死ぬだろう。

 

「ふ……―――」

 

 ならば言葉は要らず。そして、言葉を発する時間もないとロムルスは槍を構えた。僅かに呼吸を整えて、それだけで肉体を戦闘用に万全な状態に作り変えた。

 瞬間、頭上より忍びの足が振り下される。草鞋に仕込んだ鉄具は、彼の脚力を考慮すればサーヴァントの頭蓋骨を弾け砕き、防がれたとしても仙峯寺菩薩脚は無形の型。直ぐ様に楔丸の連撃を繰り出し―――だが、視覚外からの奇襲を神祖は初手で察知し、あろうことか足首を鷲掴む。

 神祖も忍びの絶技は初見の筈―――しかし、狼の忍術を暴いた灰の業が、魂に熔けた闇に蕩けている。忍びは自分の業を悟られていると分かった次の瞬間、古樹へと全力で投擲される。

 

「お、狼さん……!?」

 

 マシュが悲鳴を上げ、潰れた彼を見た―――その視覚外、双刃槍がブーメランのように曲線投擲。

 

「―――マシュ!」

 

 咄嗟に清姫が放った火の球が本当に運良く壁となる。正確には投げられる前に誰が狙われているのか、マシュの名を叫びながら女の勘で当てただけ。その速度は見てからでは遅く、清姫が間に合ったのも奇跡。だが爆散によって風が吹き荒れ、双刃槍は僅かばかりに軌道が逸れ、マシュの義手を削って通り過ぎる。

 神祖は徒手空拳―――隙が、それでも欠片も無し。

 ガトリング銃に切り変えた所長の砲撃を、皇帝特権によって魔力放出と強化魔術で両腕を振い暴れ、水銀弾の嵐を生身で弾き飛ばしながら敵へと突進。

 それをエミヤは見抜いていた。並のサーヴァントならば即座に蜂の巣にする暴力を、この神祖は技巧だけで容易く攻略すると。

 彼は絶死を眼前に飛び出した。

 全ての魔術回路を投影に絞り込み、大英雄の必殺に専心する。

 

「――投影(トリガー)装填(オフ)

 

 心眼が可能性のある投影を選択。敵の移動速度と、所長のガトリングを弾く敏捷性を考慮した場合、遠距離から攻撃したところで回避される。投影宝具の一斉掃射も初弾が届く前に離脱され、追尾型宝具も力業で捻られる。

 故、大英雄の経験が憑依された。

 黄金の両刃斧剣を片手で構え、迫る神祖を迎撃せよ。

 

全工程完了(セット)―――是、射殺す百頭(ナインライブス・ブレイドワークス)

 

 それをロムルスは微笑んだ。正に英雄(ローマ)だと。

 

「――射殺す百頭(ナインライブス)羅馬式(ローマ)

 

 全く同時に、同じ基本骨子で練られた絶技が放たれた。模倣された大英雄の業を、神祖は受け継がれたローマの業で凌駕する。

 迫る九刃を、奔る九拳が―――殴り弾く。瞬きの間なく、逸らし崩す。

 あらゆる幻想種が一瞬で肉片となって絶命する大英雄の奥義。エミヤの繰り出す投影宝具は本人ではなくとも、英雄殺しの本物であったのに、軍神の子ロムルスにとっては生前に会得した技巧でもあった。

 

「セプテム―――!」

 

 体勢が崩れた相手は致命の好機―――殺し方など、思う儘。

 気合いの雄叫びは魔力の炸裂であり、神祖の神秘をより強く世界に具現させた。樹槍の加護を受けた拳は輝き、躊躇うこと無くエミヤの頭蓋を粉砕する―――十字の聖盾が、塞がなければ。

 所長のガトリング砲撃を受ける神祖にエミヤが挑んだ時、マシュもエミヤをいざという場合に守ろうと彼の影に隠れて潜み、結果としてその判断は正しかった。

 

「ッ……ぁ―――――」

 

 だが、神祖の攻撃性はマシュの予想を大きく超えた。打撃は凄まじく迅速であり、二連撃目がもう放たれた。それは小型ミサイルを幻視する右ストレート。藤丸が修得したカルデアの魔術式――対契約サーヴァント用補助魔術は問題なくマシュの身体機能を強化し、令呪使用程のブースト程ではなかったがステータスのランクは上昇した筈。しかし、幻想種の頸を捥切り、地面に大穴を開ける程に凄まじい唯の魔力を込めた一撃……だけであれば、衝撃は受け逸らせたことだろう。

 エミヤを殺せずとも、誰かが危機を助けようとするならば―――良き囮になることだ。

 握り締めていた筈の拳が広がり、掌がマシュの盾に張り付き、巧みに盾とマシュの運動状態を操作することで体勢を僅かであるも歪ませた。直後、腕を動かさずに神祖は全身で零距離打撃を行い、盾越しに衝撃波がマシュの全身を砕かんと浸透する。

 

「―――ぅぐ、あッ……!?」

 

 サーヴァントが口から内臓が飛び出る威力の打撃は、大盾の向こう側にいたマシュを一瞬で機能停止に追い込む。

 

「――――っ……!!」

 

 所長が助けに一瞬で狩人の踏み込み(ステップ)で移動し―――古樹の双刃槍が、所長の首をギロチンにかけんと背後から襲い掛っていた。マシュを襲撃した神祖の槍が見計らったように、このタイミングで森の奥から戻って来たのだ。所長はまた森の湿った地面を咄嗟に転がって避け、だがそれはマシュの援護を阻止されたことも意味する。

 しかし、清姫の炎撃は間に合った。接近戦では指先一つで殺害されると一目で理解した彼女は、戦場から去るマスターの背中を守りながらも援護に専念する。

 

「ヌゥ―――ハハハハハッ!!!」

 

 その火炎も笑いの雄叫びと共に、神祖から放たれた魔力放出の波動で吹き飛ばされる。所長は自分が放つ秘儀である獣の咆哮を思い返したが、清姫の火は愛憎から生まれた火炎であり、英霊の魂を焼き払う。それをああも容易く気合でとなると正しく獣に相応しい。

 神祖ロムルスは―――五体、無事。

 切傷と火傷が全くない無傷ではないが、その僅かな損傷も一瞬で完治。

 

「魂が焦げる情熱的(ローマ)な火炎。まことローマの闇を焼くに相応しい愛憎(ローマ)だ」

 

 戻って来た双刃槍を優しく握り、神祖は愛しき敵共に微笑んだ。そして、清姫の火炎を双刃槍で絡め取り、愛憎の炎が刀身に付与された。

 所長はトゥメルの双剣使いを思い出す神祖の悪辣さを苦く思い、集団相手にエミヤの双剣投擲の必殺性を兼ね備える戦闘方法を恐ろしく思った。この男はサーヴァントとして強いのではなく、技巧を振るう戦士として戦いが巧いのだ。

 

「清姫、貴女が藤丸を守りなさい。後、機会があれば援護も」

 

「承知しました」

 

「マシュとエミヤは藤丸と清姫の護衛をしながら、随時攻撃」

 

「はい」

 

「了解した」

 

「藤丸は戦線離脱」

 

「……っ―――分かり、ました」

 

「後は―――あの男を、押し返せ!」

 

 本音を言えば、マシュは藤丸の護衛に専念させたい。しかし、カルデアで強化されたエミヤと、神域の剣術と忍術を持つ忍びが上回れたのを考えれば、そもそもマシュのサポートは自分達殿にこそ必須。マスターである藤丸は、出来る限り戦場から離脱させるべきであり―――それを、所長は不可能だとも理解していた。

 何より藤丸がシャドウ・サーヴァントを召喚する余裕はなく、この森が召喚術式を阻害している。此処では、藤丸と言うカルデアの戦力が使用不可能となるらしい。既に念話にて、彼から所長は礼装と術式の状況を聞いていた。マシュの盾で特異点の霊脈と繋がり、より強くカルデアからの観測を受けることで、森林内でもあるいは……と言った可能性がある程度。

 

〝あの男の機動力……駄目ね。逃げ切れるものじゃない”

 

 カルデアのサーヴァント――セイバー:アルトリア・ペンドラゴン。ランサー:ロムルスの移動能力は、魔力放出を十分以上の魔力で使いこなせる彼女に匹敵する。あるいは、このローマの中ではそれ以上。

 神祖から逃げるには千里眼の範囲から離れ、更に魔力放出で跳べるロムルスの攻撃範囲外にまで逃走する必要がある。つまりは、この絶対羅馬領域からの完全離脱を意味し、それが出来なければシャドウの召喚も出来ずに敗北する。

 

(隻狼、死んだふりからの不意打ち……頼むわよ?)

 

(御意)

 

 戦場は濛々。戦局は怏々。とは言え、主従の悪巧みは万全。忍殺は確実に。念話より、マシュのサポートをこっち側に引っ張り出し、敵の隙を無理矢理に作るのでそこを狙えと所長は神祖狩りの手順を練り込んだ。

 

「来ぬのか?」

 

「ふん。貴方、凄いジャンプするじゃない。守りが薄まると、抜かれちゃうでしょう?」

 

「ほう……お前は実に、悪い意志を持った娘である。時間稼ぎの会話も煩わしいと、本心では(ローマ)を殺したいと殺意を抑え込んでおる。

 ……狩人の娘よ、こうして好かぬ敵との無駄な問答を行い―――(ローマ)の隙を見出せたか?」

 

 両刃槍を持たない左手を神祖は向けた―――倒れた忍びの死体へと。

 

「――――――っ……!」

 

 ボン、と土煙りが上がる。木々を薙ぎ払う衝撃波が周囲に撒き散らされる。所長の貌が狩猟欲求で歪み、瞳が殺意で蕩け出す。

 

「フ……愛らしい顔だ。国の長として、まだまだ未熟な腹黒具合よ」

 

 そんな悠長な台詞を言う前に、神祖の掌から黒色の重い波動が放たれてしまった。暗殺の為の死んだふりは完璧であり、神祖も本当に忍びが死んでいると思ったが、ふと一つ思い浮かんだ。戦術として忍びが死んでいなければ、死亡偽装からの奇襲をする可能性があるかもしれない。

 如何に忍びの忍術が完璧だろうと、死体が生きているかもしれないと考える相手には無駄。

 そのような合理性を超えた神祖の直感的戦術思考回路もまた、灰の人間性によって魂が暗くなった影響である。

 

「こんの……ッ―――貴方、絶対狩り殺す!!」

 

 飛んで来た魔力の閃光を獣の咆哮で弾き返し、同時にそれは狩人の叫びでもあった。忍びは鉤縄で木々の枝を利用して立体移動を行い、手裏剣を投げつつも接敵するが、回転する双刃槍が全て叩き落とす。エミヤの放った矢も同様に対処され、マシュの義手によるカラサワの魔力弾も通じず、清姫の火炎も通らない。所長が放った強化済み教会砲だろうと、清姫の炎を纏い斬った双刃槍が完璧な砲弾返しを行い、明後日の方向に飛んで行った。

 大英雄だろうと、既に三十回は死ぬ爆撃。自身の技巧と神秘だけで対処し、攻撃しながら神祖から逃げようとするカルデアをジワジワと追い詰める。

 

「ローマとは、浪漫(ローマ)なり。

 ならば、この森もまた舞台劇(ローマ)となるだろう!」

 

 だが絶望(ローマ)とは、宙より舞い降りる恐怖でもあった。神祖の愉し気な雄叫びを聞き、皇帝特権の気配遮断で隠れていた極大を彼女は露わにした。

 空気が砕ける騒音乱舞。魔力が弾ける不協和音。

 逃惑うカルデアを確実に轢殺するべく、不死刑場より甦った青い双頭が唸り声を上げる。 

 

「―――ふぅははははははははははははははは!!!

 我が名はネロ・クラウディウス、大帝国を守護する生きた皇帝――余こそ暗帝!

 英雄の魂を貪るネクロマンサー共、カルデアめ。護国の為に得たライダーの霊基により、余の宝具が貴様らを血飛沫へと容赦なく粉砕しよう!!」

 

 所長の咆哮に匹敵する宣告の唄。実際に、魔力で喉と肺が強化され、更に音楽魔術によって音波拡張された大音量。そして自分の所業を棚上げするネロの口上だが、棚上げは政治家の基礎スキル。クラス名を名乗り上げているのも、既に双頭黒馬に引かれる戦車で突撃し、また神祖から自分に注意を引く為だ。

 ならば、空飛ぶ戦車を撃ち落とすのは弓兵の役目。

 エミヤは真名を遠慮なく叫んだ女を射殺さんと弓から投影矢を連続狙撃。

 

「無駄無駄無駄無駄無駄であーるッ!

 ローマが召抱える超軍師の電磁バリアの前では……―――余の女神が授けし原始結晶炉の前に、その程度の神秘は通じんわ!!」

 

 故に―――暗帝のチャリオット。不死だった灰が記憶より錬成炉で甦らせたソウルは、こうして真におぞましい乗り手と出会うことが出来た。

 だが雷気で魔力障壁を作り上げ、電磁バリアを魔術的に可能とした技術力を持つ陳宮もまた、古代中華文明の叡智を植え付けた結晶(キョウキ)より何処までも深く啓蒙されてしまった。尤もあの灰でさえ、白竜の狂気が軍師とそこまで馴染むとは思わなかったのだが。

 今の彼はもう、滅び去った仙郷の文明技術を超えている。

 その証拠がネロの乗る刑罰戦車。灰はソウルの業と結晶の神秘だけでなく、現代文明で学んだ科学技術も陳宮のソウルに描き込んでいたのだから。

 

「では―――死ぬが良い」

 

 ジグザグと宙を超高速で移動し、精密狙撃による対軍宝具さえも回避可能な機動力。そして、勢いはずっと加速し続け、ネロはカルデアを轢き殺さんと神祖と同じく落下を開始。

 

疑似展開/人理の礎(ロード・カルデアス)………ッ――――!! 」

 

 暗帝ネロの眼前に現れたのは―――巨大な魔法陣。そのまま突進を止めない暴君のチャリオットを、マシュが前に出ることで強引に停止させた。だがマシュは真名解放をしないと防げないと直感して宝具を展開し、逆にネロは戦車の真名を解放する必要もないと理解した。

 皇帝特権より――グノーシスの魔術が行使される。

 灰の闇で汚染された暗帝の魔力と相性は素晴しく高く、純粋な魔術強化で戦車の突進力が更に上昇。追加で、雷気による電磁障壁は結界要塞に進化し、マシュごと盾の守りを呑み込もうとしていた。

 

「耐える耐える、素晴しい。可憐で健気な盾の乙女よ。だが……どうだ、もう死ぬな」

 

 戦車に乗る暗帝は、安らかささえ感じられる微笑みをマシュに向けていた。身一つで皆を守るマシュと違い、彼女は唯単に魔術をそこそこの力を込めて使っているだけだ。

 

「―――ぐ、ぅ……」

 

「貴様は余が屠殺し続けた雑兵らのように、ローマ大帝国軍と共に余が狩り殺したそこらのサーヴァントと同じように……何の価値もなく死ぬのだ。

 あぁ、可哀想に……だが死ね。

 藁の様に死に、人に潰された虫けらの様に死ね。

 余の力に怯えながら、段々と力が失せる自らの無力に絶望して死ね。

 殺した後に―――奴隷として甦らせ、余が存分に可愛がってやろうではないか!」

 

「……ぅぁぁああああああああああああああああああ!!!」

 

 盾の向こうから死が囁いてくる。心を折らんと邪悪の声が耳を通して脳に入って来る。何十秒も防ぎ続けているのに、敵の勢いは収まらず、自分の力が弱まって行く。

 マシュは暗帝と名乗った女―――ネロ・クラウディウスを知っていた。

 歴史上では暴君と悪名高きローマ皇帝であり、弾圧者であり、芸術家であった。カルデアが転移してきた西暦68年はネロが自害した時であり、特異点にもし存在していれば、歴史においる悪行を為した後の姿であった。

 

「まだまだぁぁぁあああああ!!」

 

「本気で関心する頑丈さだな!?」

 

 敵の根性と気合に驚愕する。ネロは思わず賞賛の言葉を発し―――頭上の雷気防壁が、忍びに斬り破られたのを同時に察した。

 

〝陳宮の中華兵器が魔力より編む雷気を……容易く、一撫でだと!?”

 

 しかし、神なる落雷を見切る忍びが、人間の兵器が発する雷気を見切れない訳がない。神域を破るには、神域の業が必須。

 そのまま戦車に乗る自分に落下串刺しを敢行する忍びを見たネロは、咄嗟に腰に携えていた片刃大剣で迎撃。雷気を相手が切った事で忍びの忍殺前に気が付き、ネロは戦車から撃ち払うことに成功した。そのまま騎馬を思う儘に操り、上空へと退避する。

 

「余は愉しい……愉しいぞ! 成る程、これがカルデアであると!?

 我がローマで開催した英霊狩りの獲物共とは、一味も二味も違うではないか!!」

 

 そして、ついに森の奥底から狂気が具現する。

 

「ネェェエエロォォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!」

 

 姪思う叔父の叫び。狂った月光を背負い、月光に満ちた大剣を握る皇帝―――月明かりの男。

 人の瞳を鈍らせる淡い輝きこそ、灰の暗き業の一つ。彼女が実験として与えた狂気のドラゴンウェポンは、狂える彼をそのままに発狂させ、姪の帝国を滅ぼさんとするカルデアに発狂を与えようと雄叫びを上げていた。

 






 イタリア・ローマの建国王ロムルスって日本神話で例えますと、日本国奈良県の神武天皇と似た立ち位置なんですよね。共に建国神話の中心人物。ですので、灰の手でカルデアに対する加減が全くなくなった神祖様をイメージして貰えると、この作品の知名度補正カンストした戦闘能力に対する違和感はないと思います。
 感想、評価、誤字報告、お気に入り有難うございました。また読んで頂き、ありがとうございます!


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啓蒙43:絶対羅馬領域

「それで……戦況は如何かね?」

 

「あら、珍しいです。何時になく真面目な対応ですね、レフさん。まるで人間だった頃に戻ったみたいですよ?」

 

「仕方ないだろうが。星見の狩人が、敵として呼吸しているのだぞ?

 私とてカルデアなぞに脅威は抱かんが……っち―――気色の悪い蛞蝓共の悪夢になど囚われるとは、計画の想定外だよ」

 

 灰は枯れた舌では味が一切分からないローマのワインを雰囲気で飲みつつ、双眼鏡でカルデアとローマの衝突を楽しそうに観戦していた。少しだけエストの熱も混ぜたので、飲む度に生命に火が宿る実感があるだけで、その僅かな燃える感触を娯楽として楽しんでいるのだろう。

 あるいは、楽しめるソウルを魂に現し、自分の人格として擬似確立しているか。

 

「しかし、ローマのワイン……美味いだろうと言う事は分かりますが、味が分かりませんし、食事に感動する機能も亡くした儘でいけません。私の代わりに、レフさんはどうですか?」

 

「結構。人の不幸で酒に酔う趣味はなく、人の死に愉悦を感じる真っ当な人らしさなど、そもそも私にはなくてね」

 

「残念ですね。斯く言う私も、殺し合いを肴にすれば血と命に酔えると思ったのですが……フフ、駄目ですね。いやはや、善悪を娯楽に出来るこの世の人間が羨ましいです。

 楽しいって言う私本来の実感を思い出せば、自分の魂を取り戻せそうだと思うのですが」

 

「そうか。御苦労なことだな」

 

 ……そんな物見遊山な協力者にレフは侮蔑の表情を浮かべていた。

 その気になれば、レフ達が見付けられないカルデアの南極本拠地だろうと、今この瞬間にもカルデアに隠した篝火から焼き尽くす事が出来る癖に、灰は特異点における協力しか獣には施さなかった。

 

「しかし、そんなことはどうでも宜しい。星見の狩人……それを名とする、あの魔術師は一体何者なのだ?

 オルガは……いや、あの狩人は人理に生きる人間ではあるまい」

 

「そこまで知っているのですね?

 星見の狩人……オルガマリーが持つその名前、フランスで観測でもしましたか?」

 

「貴様の悪辣な娯楽によって、な。聖女から魔女を作り出し、暗い血の赤子をあの蛞蝓を利用して完結させた訳……いや、そもそもフランスの特異点は貴様が妄想する悲劇の写し身だ。

 ……屑め。反吐が出るな、人間の女。

 やはり貴様も焼かれるべきだった。だが、その原罪に我らの怒りでは届かない」

 

「構いませんよ、別に。そもそも聞いた話、レフさん達は魂が出入りする輪廻や、世界が描かれた絵具を焼く訳でもなかったですからね。命なぞ、好きなだけ貪れば良いことでしょう。獣であれば尚の事、我慢する必要もありません。

 世界一つが焼かれた所で、人類の不死性が消……―――お、中々に成長しているようですね。

 真剣勝負はどんな戦局でも面白いです。ほら、見て下さいよ。あのマシュ・キリエライトが、あんなに強くなってます」

 

 テンションが上がっている……様な、そんな存在感に、魂の演技を灰はした。本心から楽しく、本音で喜び、だがそんな風に娯楽で愉悦に浸れるのは、人の営みを好む魂を描いたからであり、灰自身はただの器。尊厳や在り方など健常な魂を持つ者にのみ許された生き方に過ぎず、不死だった頃の魂を失くした今の灰の魂にあるのは、目的と化した意志一つのみ。

 魂にさえ自己がない虚ろなる人間―――もはや、人間としか言えないモノ。

 心の中には何も無く、感情を無くし、魂を亡くし、意志だけが何故か永劫に蠢き続ける者。

 

「人理定礎。観測し続けていた筈のソレを、我らはまだ見誤っていた。フランスを経て、だが数多の同胞達の中で私だけが気が付けた。何故か私だけが、このローマにて啓蒙されてしまった。

 オルガの血が、私の思想を狂わせたのだ

 人間共の蒙昧さに、我らの夢さえも悪夢に穢される……―――何故だ。何故、そうまでする?」

 

 真実、獣が本当に喰い殺さなければならないのは、アッシュ・ワン。眼前に存在する薪の闇。だが不死であり、殺しても死なず、死なしても甦る。

 

「成る程です。やっと気がつきましたか……ふふふ、フランスは貴方にとっても良き教訓を得られたことでしょう」

 

 はぁ、と彼は嘆息する。この世の者から悪夢の住人になった女に、憐れみから生まれた蔑視で以て嫌悪する。

 

「星見の狩人とは、貴様が作り上げた聖女と魔女の関係と全く同じ。だから、悪夢に暗い血を与える為に、魔女等と言う回りくどいことをした。

 そして、人理によって死ぬべき時間と場所が決められているのも……また同じであった」

 

 狩人などと言う存在でなければ―――あの時、レフの手で殺される筈だった。

 

「その通りですとも。悪夢とは現実を歪める狂気であり、狂わされるのは人理も同じである訳です。けれど、そもそも本当の運命を与えるのは、貴方の役割でした。聖女が侵略者に焼かれて死んだように、オルガマリーは未来を観測する人理によって人生の道筋は決まっていました。

 レフ・ライノール・フラウロス……カルデアスに、貴方が彼女を捧げなければいけなかった」

 

 監視した。測定した。観測した。何もかも、違う世界も観測した。未来も過去も、見通さなければ啓蒙されないとレフは発狂せずとも狂気を実感した。

 だから―――人理の燃え殻を彼は見続けた。

 オルガマリー・アニムスフィアを殺そうとしたあの瞬間、まだ人理焼却は精確に観測された訳ではなかった。あの時はまだ、人理が獣の火で完全に消えた訳ではなかった。燃え切れぬ定礎として組み立てられた、人理が観測した未来への道筋が本来ならば存在していた。

 しかし、火刑から救われたジャンヌ・ダルクがマシュ・キリエライトに殺された様に、未来の視点を得た者達にとって―――死ぬべき誰かが、冬木の特異点で生き延びてしまっている。

 全ての例外は、レフでもなく、カルデアでもなく、人理焼却ですらなく―――灰と狩人だけ。外側より来た異聞史でさえない阿頼耶識に観測されぬ存在。あるいは、この宇宙からも隔離された宙にある悪夢の、人と神が知り得てはいけない失楽園。

 

「屑共め。醜く、おぞましく、人を贄とすることにお前らは何の罪悪感もない」

 

 最大の怨敵を、レフは憐れに思った。王を殺し得る狩人が、そもそも王以上に人理にとって害獣だった。奴が悪夢を夢見る限り、人理は例外として扱うしかなく、その意志が途切れない限り何もすることが出来ない。上位者とは名の通り、故郷である悪夢の法則以外に囚われない上位の存在なのだろう。

 何より、獣狩りの抑止力として利用出来る“人間”だった。

 矛盾を飲み乾す価値があった。世界から排除する手段もないならば、人理は悪夢と共存するしか術はない。敵対するのならば話は別だが、悪夢の住民は人の胎を使って落とし子が欲しいだけであり、悪影響も精々が繁殖の道具にする程度。阿頼耶識の抑止力が手を出す程の滅びではなく、手を出せば逆に全人類の意志が悪夢に招かれて滅ぼされるだけだろう。集合無意識と悪夢が繋がりを持てば、その結末が確定されることだ。

 

「私は人理とは別の理に存在しますので、此処の人間と同じ括りにはしない様にして欲しいですね。

 尤も人間でしかない事は真実ですので、人類を罵倒する貴方の怒りは真摯に受け止めますとも」

 

「―――っち、胸糞悪い話だよ。だがこの世界を焼く気にもならなかった貴様が、焼かねばならないと思った貴様の世界、如何程までに救われないのか……私としても興味が湧くよ」

 

「私が一般人として生きられる世界でしたよ?」

 

「どんな地獄かね、それは」

 

 思わず呆れ、素の表情を出した。隙を見せたが、馬鹿話に反応したレフに非はないだろう。

 

「まぁ、正確に言えば違うのですが……灰なんて、別に珍しくもない生き物ですよ。しかし、貴方にとってこのローマを担当出来たのは、獣としても僥倖でしたね。

 知るべきではない無明の未来情報が、レフさんにこうして啓蒙されたのですから」

 

「そうだな。ああ、全くその通りだ。オルガは、私の手で殺されるべき女だった……と、啓蒙されただけでも良しとしよう」

 

「とは言え、所長は狩人ですからね。阿頼耶識の思惑など大した意味もないでしょう。矛盾していようとも、それは狩人ではないと言う前提があってこそです。貴方に殺される筈だった人間は、そもそも人理に観測されず……ならば、存在しない者として扱われましょう。

 観測する未来にとって死ぬべき人物であろうとも、最初から人間として死んでいるのですから。ならばオルガマリーが星見の狩人である限り、運命は克服されることでしょう」

 

 結論としては、そうなのだろう。その意志で、人理は超越され、未来は克服された。運命を自分の意志で選ぶ瞳をオルガマリーは持っているのだから。

 

「成る程……―――そう言う理屈か。

 ならば正に僥倖な真実だ。我らにも悪夢を克服する手段が残されていよう。感謝するよ、火の簒奪者。貴様の叡智によって、獣らしく人を燃やす偉業は保たれる」

 

 ローマで所長を観測したレフは新たな事実を啓蒙してしまい、だが灰によって安心しても良い答えを得られた。人理からも定められていた死ぬべき運命を克服する相手であったとしても、その存在を殺すだけが方法ではない。そして彼女の中に眠る幼年期の狩人が、オルガマリーがジャンヌのように人理から殺されるのを誰よりも大切に護っている。

 ……だが、それだけだ。

 レフからすれば、蛞蝓の意志を邪魔する気など欠片もない。

 灰との問答で道筋は見えた。ローマで芽生えた疑問も、時間が解決してくれる。もう用はないと、レフは灰の傍から消えて行った。このローマですべき職務を全うすべく、彼は獣の一因子として偉業に邁進しなければならなかった。

 

〝オルガマリー・アニムスフィア……貴方が聖女の途を選ぶのか、魔女の淵を望むのか。その瞳で見た二人の女は、未確定な貴方の未来の在るべき星見の在り方。

 ですが、どうか―――目覚めだけは悔いなきように。

 人間で在りたい貴方だけは、安らかな死の寄る辺を得られますことを願いましょう”

 

 この世の魂に憐れみを。不死の灰として、心亡き憐憫を。

 

〝人間性を捧げよ、星見の狩人……―――赤く焼かれた、あの星の燃え殻(カルデアス)へと”

 

 世界を生かす為にジャンヌが殺された様に、世界を救うオルガマリーも死なねばならない定礎の在り方。やはり腐れは燃えるべきなのだろうと、灰は簒奪したソウルで再現した人格の感情により、一人の人間としてこの世界に生きる人間を憐れんだ。

 原罪の探求者(アッシュ・ワン)―――それが、罪の在り方を求める呪われ人の残り滓だった。

 

「酒が美味しいと思いたいですけれど……―――何も、無いですね。

 何処まで魂が進化すれば、火を簒奪した灰はその強さを得られるのでしょうか?」

 

 無価値な独白だ。酒を呑みながらも、その言葉を呑み込めなかった。尤も、その想いさえも結局は、不死の呪われ人だった頃の願いに過ぎない。とは言え、灰はせめてもの渇望として、オルガマリーがどうか自分を殺せる灰狩りの狩人にならんことを祈るばかりであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 激戦が繰り広がる神祖の神域。人間性に汚染された宝具より漏れた澱みは、地面に蒔かれた種となり、ローマが生み出した闇を遮る蓋となった。

 ―――人が樹になるのではない。

 冒された古樹が、人の形を得るようにソウルを吹きこまれるのだ。

 神祖の真性とは羅馬の真実であり、神性が克服された人間性の思考林。故に深淵へと沈んだ薔薇のローマを封じる真性森林領域の樹檻。だが森は、神祖が創造槍で作ったから神祖の森と言う訳ではない。木々の一つ一つが、神祖の人間性を写した巨樹だった。帝都羅馬を覆う巨大樹木が神祖に転じた異形であり、人間性によって膨れ上がった意志を持つ生命であり、植物と鉱物が雑ざる古竜を模した人型の異界生物。

 つまるところ―――絶対羅馬領域。

 その森は生きた彼の分身存在(アルター・エゴ)。神祖樹の巨人が動き出す。

 

「樹人……ッ―――此処は何処の神話の異界だって言うのよ!!」

 

『なんだこれ、何だこれ……何なんだ、此処は―――どんな異界法則で成り立ってるんだ!?

 真性悪魔の固有結界だってまだ常識的な異世界だって言うのに……聖杯だけじゃあ説明出来ない程に狂ってる。どんな悪夢をローマが願おうとも、その願望に至る為の理論と道筋が、願う側にないと叶えられない筈だ!!』

 

「ちょっとロマニ、そっちでの解析も――」

 

「――ふぅはははははははははは!」

 

 戦車の爆音以上に、暗帝の嘲笑が森に響きたる。

 

「彼等は防人よ。我らが偉大なる神祖ロムルス殿より溢れた愛により、ローマを得た深化せし寵愛の落とし子。自分を羅馬神祖だと錯覚しているただの精神異常樹だ。人の心を持った植物だ。

 貴様達には理解できまい……暗き我らの情熱を!

 闇を溶かし、更なる深みと粘りを与えるのは――人の業!

 余の女神の深淵は焦げることで、より暗く、より鈍く、人でない生命さえも人間として在るべき人間性を授けるのだ!!」

 

 小さい個体でも全長10メートル以上で、大きなモノは30メートル近く、今と環境が違う古代に存在した植物のスケール。樹の根が巨人の両脚となり、樹の枝が巨人の両腕となり、樹の洞が巨人の顔面となった。巨樹が生まれた原因を探ることに意味はなく、その時間もない。そして、神祖化していても動けない100メートルを超える巨樹も生えており、それらからは触手のような蔦が伸び、カルデアにとって脅威的な攻性生物であった。

 火竜の息吹―――愛憎の焦がれが、途を僅かに切り開く。

 先頭を走る清姫がマスターを巨樹人から護る為、火吹の突撃槍となって脱出経路を焼き払う。

 

「マスター、お早く―――追い付かれます!?」

 

「……分かってる、けど―――!?」

 

 地獄とは、この光景。樹獄の森檻。周囲全てが敵であり、管制室からこの空間のあらゆるモノから敵性反応が検出される。

 ……それなのに、頭上は光り輝いている。

 夜の帳は下りていないのに、天上に浮かぶローマの月は―――綺麗だった。

 安寧の中で狂ってしまいたい……と、藤丸は自分を護ってくれる清姫を殺したくなった。カルデア最後のマスターは、彼女の可愛らしい顔面に歯を立て、唇を噛み千切って、目玉を飴玉みたいにずっと舐めていたいだけだった。その柔らかそうな体に顔を埋め、乳房を握り裂き、股間から腕を突っ込み、内臓の温かさを味わいながら、脳味噌を咀嚼したくなるのも仕方ない。

 美味しそうだ―――裸に、なりたかった。清姫に、なりたかったんだ。

 令呪で縛り付けて、喘ぐ姿を耽溺して、何もかもを蹂躙し尽くせば自分の明るい未来が切り開ける。信じれば、救われる。夢を裏切ってはならない。悪夢は晴れてはならない。狂気が晴れて、真っ当な正気が暗い深淵の月明かりから啓蒙される。そうに違いない。ならば童貞卒業、処女卒業、皇帝遊戯、悪逆考察、殺戮汚染、月下狂乱―――絶対羅馬領域の、祝福に血が胃な意、値が以内、チガいナイ、違いない?

 狂って、イイ?

 良いよ。誰、キミ、シニタイ?

 キコエルヨ、燃える皆ノ悲鳴ノウタ?

 ワレワレハ樹だ、気ヶ騎請うル今日器脳他!

 月光埜シタで永続去レるのが、手異国の震園脱田!

 そう月明かりは藤丸立香を照らし、明るい世界を啓蒙するのみ。だが、まだまだ彼は耐えられる。何かが脳髄で蠢いているのに、何かがそれを鎮めている。

 

「おぉ……狂える月光、ネロの帝国を照らす暗月の輝き。与えられし狂気は我が脳髄を啓蒙し、されど克服はなく発狂は耐えられん。正しく、永続なる狂気が帝国を覆い尽くす。

 ―――我が心を喰らえ(フルクティクルス)()月の光(ディアーナ)……さぁ、狂えよ。我らの繁栄は、其処へ至る狂気なれば」

 

 故に―――地獄だった。灰より貸し与えられた月光の大剣は、女神の狂気さえも呪い狂わせた。月明かりなど生温く、狂気を乱す月の本質がカリギュラに与えられた。

 よって、宝具本来の使用条件など無意味。

 何故ならば彼は月そのものを握り締め、常に背負っていた。彼はもう月明かりから逃げられず、敵もまた月となった皇帝の狂気から逃げられない。

 

「我が姪、ネロよ。今こそ、我ら皇帝のローマを永続させよ」

 

「当たり前だ、伯父上よ!」

 

 皇帝特権の応用か、当たり前のように空中を浮遊するカリギュラはカルデアを照らす月だった。ならば、その月光が神祖と暗帝を照らすのも必定。

 ネロはパスが繋がった刑罰戦車を変形させ、武器を展開。それは戦車に搭載された中華ガジェット式火槍。即ち、生成した結晶槍矢を撃ち放つ―――連射弩砲。

 最初の火と錬成炉、そしてフランスで完成した暗い炉は、古竜の秘儀さえも前以上に完全模倣し、灰は古竜の業も手に入れている。その叡智を実験と称して啓蒙された陳宮は、ネロの戦車に原始結晶炉の小型複製品を内蔵させており、それこそ戦車が持つ超軍師の中華ガジェットの原動力として利用されていた。

 本当の意味で世界一つ分の知識を、灰は使い潰していた。

 神々よりも古き竜の神秘も、彼女からすれば原罪(進化)を解き明かす実験材料の一つでしかなかった。

 

「これぞ我が深淵羅馬の新兵器。その名も結晶の弩砲(クリスタル・バリスタ)だ!」

 

 雷気が混じったキラキラと美しい魔力光―――結晶弾幕が、マスターを狙って咲き乱れる。ネロは水浴びをする幼児のような、純粋無垢な笑みを浮かべて結晶を解き放ったのだ。

 だがネロにとっては徹夜明けで、更に何日も徹夜して練った新兵器の御披露目展覧会。馬鹿げた魔力の気配が波動となって周囲に伝わるので、隠密性など最初から皆無ではあるのだが、砲撃する前に叫ぶのは如何なんだろうと観測していた灰は思っていた。

 しかし、それもまた浪漫(ローマ)だ。宝具の真名解放然り、練りに練った必殺技は叫びたい女心。舞台での演劇が好き過ぎるネロなら尚の事。

 

「―――っ……」

 

 マシュは急いで守りに入る。遅れれば、即座に彼女の先輩が肉片に砕かれる未来が訪れよう。舞台役者のような派手なジェスチャーを取りながら自慢するネロの姿は大袈裟な表現(コミカル)ではあるが、あの戦車と兵器は異次元の殺戮兵器。

 

「……マスター―――!?」

 

 戦場に専心するカルデアは気が付けないが、今も灰はエスト割ローマワインを片手に、遠眼鏡で皆の奮闘を無感情に監視している。その彼女はネロの戦車が飛将軍の軍神五兵と同じ変形機能を持ち、超軍師の殺戮理念のみで作られたことを理解している。この兵器は、より効率的に、より短時間で、より広範囲の、なるべく大勢の人間を一方的に虐殺する為に高度な発想力で生み出されたもの。

 特異点冬木の頃のマシュならば、それを防ぐことは不可能。

 そもそも威力以前に物質化した白竜の狂気が、英霊を憑依させて作った人造英雄(デミ・サーヴァント)を発狂死させよう。

 

「ぐう……」

 

 ドガガガガガガガガガ、と腹に響く重低音が延々と長引く。マシュは呻き声が漏れるも、その銃撃に倒れず立ち向う。

 

「―――カルデア、死ねい!」

 

 所長がネロの立場ならば、ヒャッハーとトリガーハッピーになる連射弾幕の雨霰。背後からマスターを襲う結晶から盾で護り、しかし盾越しに白い狂気が伝播して来た。マシュの精神を蝕む蝗の群れが体内を駆け周り、違和感の余り胃液を吐き出し、体中の穴と言う穴から虫が這い出て来そうなおぞましさ。

 ならば―――耐えられる事も道理。

 所長が必要と思った対狂気精神防御は、このような危機を当然のように乗り越えるべき為の技術。実はロマニも所長の技術開発に協力しており、彼女が後の戦いで必要と判断した能力はなるべく備えるように協力していた。

 

「……ぅぅぁああああああああああ!!」

 

 死の発狂に慣らされたマシュは、幻視する結晶蟲を意志一つで振り払い、ネロの演技に負けない雄叫びで弾幕を真っ向から防ぎ切った。

 その狂気を味わい、直撃は危険とマシュは判断。僅かではあるが盾越しだと言うのに体の動きが鈍る幻覚を覚え、直接干渉されると魂と繋がる霊体が呪いによって結晶化すると英霊として感覚的に呪詛の本質を体感した。

 呪いの石化―――呪死。

 とある不死が啓蒙された結晶魔術ではそこまでの再現は不可能だったが、そもそも原始結晶を火と闇と霧から錬成する原罪の探求者が作った魔力炉心が組み込まれる中華ガジェットの概念武装。人間性を持つ人間を石化させる呪死の効果通り、魂と霊体を持つデミ・サーヴァントもまた石化の呪死は、呪いが霊体の限界まで貯蓄されると逃れられない。尤も盾の英霊を宿すマシュはその限界値が非常識なまでに大きいので、幾度か直撃を受けても耐え切れることだろう。

 

「何と言う気合、ローマに通じる根性論。

 マシュ・キリエライト、貴様は混ざり者の被造物と聞いたが―――本当に人間か?」

 

「―――当然です!!」

 

「本当かぁ……余は、本気で怪しんでおる」

 

「……っ――」

 

 誰かを守る為に盾受けなどすれば、一瞬で人間彫像の出来上がり――と、暗く笑ったネロの予想に反する敵の姿。発狂と石化の呪詛を含むオリジナルに近い結晶は、フランスでより強く進化した灰にとって新たなソウルの業であり、所詮それもまた人の業。同じ人間であるならば、乗り越えられない狂気ではない。

 マシュは失礼極まる侮辱―――自分を人間ではない、と更に怪しむ暗帝の笑みを無視した。

 しかし、彼女が守っているマスターを狙っているのは失脚して人生に絶望した末、救われてはならない者に救われたネロではない。ライダーのサーヴァント、暗帝ネロ・アビスとなった生き延びた人間(ネロ)だ。

 

「だがぁしかぁしぃ~……真性なる木々の舞が、美しく色飾るこの舞台。神祖の森の神祖(ローマ)妖精が動き出し、妖精らしく養殖樹木が生きた人間を貪り喰らう惨劇の刻!!

 マシュ・キリエライトよ、試練である!

 その可憐な細身で、超絶怒涛の羅馬総進撃を超えられるかッ!?」

 

 ぼえ~、と鼓膜を揺るがす暗帝の舞台台詞。その耳障りな騒音によるものか、神祖と同じ肉体造形だが、顔面に穴が空いた巨人がマスターに対する攻撃を激しくする。

 

「バーサーカー、カリギュラ。アラヤの守護者よ、貴公は余だ」

 

「―――っ……」

 

 相手が名乗ろうとも、エミヤには話すべき言葉などない。だがカリギュラは宝具を解放したことで真名を隠す気もなく、そしてオルガマリーの瞳を理解している。名を秘匿することに意味がないならば、その名乗りは真名解放と同じ殺意の現れ。

 月下の狂人、カリギュラ帝。

 暴走した皇帝特権で剣術スキルを獲得した狂帝は、白竜シースより生まれた月光の大剣を狂気の儘に振るった。

 

「ローマ!!」

 

 気合いの旋風。狩人と忍びは、巨樹兵を巧みに操る神祖一人を討ち取ることも出来ず、木の葉のようにふきとばされていた。

 

「くぅ……この、美形筋肉!」

 

「主殿、それは罵倒に非ず」

 

「貴方が殺し合いの中で軽口を……何だかんだで、染まったわね」

 

「……は」

 

 一人で戦うなら、忍びにとって戯れ言など意味はない。むしろ、不純物。しかし、それで共に戦う仲間の意志を奮起出来るなら、戦術上有効な鼓舞である。

 

「美形筋肉、良き讚美(ローマ)だ。我が構えも、お前の言葉でより冴えることだろう」

 

 そして、神祖は狩人と忍びを相手取っている。神と昇った生前の……いや、生身の人間として究極に近い受肉した体と、EXランク宝具に匹敵する技巧と、双刃の創造樹槍と、灰によって与えられた戦闘経験が、この二人と同時に殺し合える戦況を作り出していた。何れか一つあれば上位サーヴァントと呼べる戦闘能力を持つのに、それらを完璧に統合した神祖は、もはや単体で特異点の総戦力に匹敵する。

 同時に彼は、森の神祖樹人を操り、軍勢として数の上ではカルデアを圧倒。

 神祖が相手だろうと、所長と忍びの二人なら攻め切れる機会も多く訪れるのだが、槍から生まれた樹人の横槍が戦局を白紙に戻し、逆に神祖が王手手前まで二人相手に戦況を有利に進める場合も多くあった。

 だが―――もはや、戦場は巨樹上空。

 魔力放出や空中歩行を皇帝特権で幾つも同時使用する神祖や、鉤縄など忍具を使う高度な忍術と体術を会得している忍びは兎も角、所長にとって足場が木々やその枝となる場所での戦闘は得意ではない。だが、ワイバーンを足場にするフランスでの空中戦を良く観測した所長は、狩人だから空中戦は苦手と逃げるのは思考の次元が低いと考えた。

 

〝左腕で移動中は銃火器が使えないのは痛いし、両手武器を片手で使うのは面倒だけど……!〟

 

 忍義手とダ・ヴィンチの義手を参考にした空中戦闘用の三次元移動装置―――鉤鎖銃(フックガン)

 ロマニ曰くゲームのやり過ぎ、ダ・ヴィンチ曰く変態(テンサイ)的発明は空想から、変態技術者共曰く既にもう試作済み、と言うカルデア技術部門の発明品。試しに仮想現実で運営していた所長を見た忍びは、葦名の猿を思い出すと感想を吐露していた。

 その為に右手はレイテルパラッシュ。勿論、厳選された血晶石仕込みの仕掛け武器(ギミックウェポン)

 精霊(ナメクジ)の粘液を塗ったことで神秘を纏い、追加で強化魔術を付与する。放たれる水銀弾は神祖の肉体にも抉り込んで破裂することで、体内から標的を吹き飛ばすことだろう。勿論それは通常のレイピアとして使われる場合でも同等以上の威力を出し、変形後のショートソードとしても有能な連撃を繰り出せる。

 

「―――ぬぅ……」

 

 戦局を忍びの目で把握し、思わず唸る。神祖は時間は掛るも自分一人で倒せない相手ではなく、主である所長の協力もあれば更に不意は突き易い。しかし、巨樹の雑兵が邪魔。だがその敵は巨体故に鈍く、殺し易い雑兵。忍びは巨体より振われる枝拳の一撃を避けつつも腕を昇り、貌らしき暗い穴が開く頭部に辿り着く。樹木故に生物的な弱点はないと考え、念を込めた不死斬りを背中から抜刀し、頭上より忍殺の一刺し―――直後、其処へ忍術を仕込む。

 忍殺忍術、傀儡の術。夢幻の猿から会得せし忍術の一つ。

 切られた程度では死なず、壊さなければ殺されない樹の一柱の生きる意志を断ち切り、魂を殺めた。その亡骸となった魂魄に忍びは自分が念じた怨嗟の火を入れ、意志なき精神に行動原理を与える。

 

「ひゅぅ~、流石は私の隻狼。そのまま一気にやっちゃいなさい!」

 

「御意の儘に」

 

 一番巨体を誇る神祖(ローマ)妖精樹を傀儡化し、他の樹人に対する兵器とした。そして、忍義手より怨嗟の炎が傀儡樹に移り渡り、静かに燃え始めた。忍びはサーヴァントになった後、フランスで余りに多くの命を殺め、戦場に降り積もる怨嗟が……その手で殺した者の憎悪が、義手が器となることで溜っていた。逃れようと思えば、その怨嗟から自分を逸らす事も出来た。だが忍びは、僅かとは言え慈悲を持って人を殺す者が、死人の怨嗟から逃げる事を良しとしなかった。

 それを、一欠片だけ解き放つ。人が燃える火で狂う炎樹の巨人が仲間を殴り燃やし、自分達のオリジナルである神祖に怨嗟の殺意を向けていた。

 

「おお、暗き人身御供(ローマ)な意志の在り様。修羅を克服する一握りの慈悲。

 人の身で、それ程の怨嗟の業を宿すとは。大帝国(ローマ)に負けず、戦場で憎悪と怨念を積み上げたと見える」

 

 これで神祖と神祖樹林から有利を取れると、対森林地帯脱出戦術を再構築した時だった。所長と忍びが神祖と戦う森林上空より下にて、人の意志が狂気に啓蒙される淡い月光が立ち上った。

 月明かりが、どうしようもなく綺麗だった。余りにも麗しく、狂った光だった。

 地上に淡い月が落ち、ローマの暗い空が月下となる―――天地逆転の発狂異界。

 対するエミヤは投影した聖剣を構えるも、その加護が偽りの担い手を月下の狂気から守り、だが残虐なる妄想で思考回路が塗りたくられてしまう。

 

「ヌゥハッハはははははははははははははは!!!」

 

 月となった皇帝が、月下とした太陽が昇る空を嘲笑う。雲は晴れず、全てが暗く、故に雲海は月に照らされる大地となった。

 智慧の啓蒙が狂気を呼び込み、逆しまなる悪夢と現実が正気を苦しめる。

 

「素晴しき意志の強さだ、狗よ。集合無意識に捕らわれた囚人よ。まともな英霊ならば、肥大化した人間的欲求に耐えられず、猟奇的人間性に目覚める狂気であろうに。

 だが我が月下にて、宝具の真名解放など―――赦されるものか。

 余の威光はもはや全て塗り潰れ、されど月下の狂気こそローマを照らす余の輝きなり!!」

 

「ぐ―――ッ……!?」

 

 永久に遥か黄金の剣(エクスカリバー)、と唱える心を見失う。狂気の念を吐露しながら、自在に大剣を振う皇帝を黙らせられない。何故か、と思考を練り込むことさえ上手く出来ない。

 戦神を殺してから、エミヤは魔術回路が本来より更に深まり、固有結界が高次元に進化した事に気が付き、本当ならサーヴァントとして有るべき枷が外されている。だからこそ、その聖剣は解き放てる霊基と回路となり、ヘラクレスの奥義も彼の暗い歴史ごと憑依することで投影出来た。カルデアの検査によって、それは魔術的に証明されていたこと。

 しかし、例外が彼の眼前で狂っていた。大英雄とも渡り合える神秘(ブキ)を得たと言うのに、道具を万全に使う思考能力が狂わされた。

 

「……ふ」

 

 暗帝は鼻で戦局を笑った。マシュに背後を守られ、前を清姫に焼き払って貰い、そして月光で脳が啓かれつつある藤丸を狙い、ネロは悠々と戦車を駆った。速度面で逃げられる事は絶対になく、だが余りにもマシュの守りが硬かった。彼女一人を押し潰されば、カルデアを終わらせる事も容易いことだろう。

 

「圧倒的ではないか、余の軍勢は。どうだ、カルデアよ―――下るか?

 そうすれば、魂だけは助けてやろうではないか。勿論、貴様たちではなく、通信の向こう側にいる者らもローマ市民にしてやろう。この特異点完成の暁にはレイシフトなどせずとも、次元の壁を超えてみせよう。

 その代わり、マシュ・キリエライト……貴様は、余のハレムの一員となれ」

 

「はぁ……はぁ……ッ――貴女は、なにを?」

 

「貴様は美しく、そして健気だ。あぁ、何と言う可愛らしさだろうか。

 ここで死なせるには惜しい美貌。我らローマならば死人を蘇生出来るとは言え、それでも愛でるに相応しき美人が死ぬのはとても悲しいことだ。

 反乱軍の長アッティラのように、貴様も余が永劫に愛でるコレクションとなるが良い。さすれば、そのマスターと酒池肉林の毎日を送ることも許可する。全てが満たされ、更に欲得が増えようとも更に満たされ、癒えぬ渇望を癒す日々こそ終わらぬ幸福の輪廻。

 それこそ人生(ローマ)の極み。むしろ、貴様も余と同じくそうせよ。愛とは昇るのではなく、深めるべき人間性の営みで在るのだから」

 

「はっ―――くっ!?」

 

 暗帝は役者のような演説をしつつも、上空から一方的に中華ガジェットで攻撃し、盾を持つマシュに結晶の矢を叩き込む。更に戦車の周囲を結晶塊が待機し、まるで戦闘の誘導ミサイルのように標的に発射された。それも何とか盾で防ぐも衝撃は重く、衝突時に弾けた魔力の波動を完全に防ぎ抑えられる訳でもない。段々と肉体は披露と共に、生命力まで減っていく感覚に襲われる。

 直後、盾を吹き飛ばす一撃。砲門から放たれた結晶槍が十字盾の中心に当たり、マシュは支えきれる気力も腕力も湧かない。右腕が振え、盾の柄を上手く握ることも出来ない状態。

 戦局はローマ側に傾きつつある。素早く神祖を殺すか、撃退するかしなければ、マシュと藤丸が殺されて瓦解する。それをどう解決するか、オルガマリーは瞳持つ脳で思考する。解決策を誰よりも早く思索する。

 

「―――――――ぁ……?」

 

 そんなカルデアの危機であると言うのに、オルガマリーは違和感の余り脳が凍った。

 

「――――久方ぶりだな、諸君」

 

 静かな呟き。騒音が渡り響く戦場で、確かに誰かがそう話し―――その瞬間、雲海に覆われるローマの空が、赤く燃え上がった。

 獣のタリスマンより、大地と天の星々が結ばれた。

 異空の宙より燃える脅威が、絶対羅馬領域に降り注ぐ。

 一撃一撃が対城宝具と同じ破壊を撒き散らし、神祖樹の森が焼き払われる。

 それはオルガマリーの魔術―――彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)と殆んど同じ思索により彼は辿り着き、しかし原型となる神秘は異なる。

 

「殺し損ねた獲物は忘れぬが……――成る程。状況は、そちらも変わったようだ。

 だが、新たに学んだ我がソウルの業は、諸々の意志が蠢く悪夢で業が啓蒙された故に深化した。その試し撃ちに、此処は最適であろう。

 古き獣のデモンズソウルを辿り、辿り着いた遥かなる世界の神秘。想像通りで、何よりだ」

 

 原典は何処かの世界でフォールンや隕石と呼ばれたその魔術は、しかし後に訪れた悪夢の世界でより深く研究された。覚えた他の魔術も同様だった。同時に彼が持つソウルの業にとって、ある意味であの悪夢は理想的な環境だった。正しく、彼にとって万感の思いが込められた言葉であり、その独白を口から出さない方が自分のデモンズソウルにとって猛毒な我慢である。

 元より、戦闘に悪影響がなければ会話は嫌いではない。あるいは、長い孤独が彼に独り言を覚えされたのかもしれない。

 

〝あぁ……あぁぁぁ……ッ―――――うぁぁああああああああああああ!!!

 思索より先の、更なる高次元暗黒へと至る業の門が今此処で、今この瞬間―――啓かれる”

 

 何もかもが、焼き払われた。それを為した神秘を、オルガマリーは瞳で脳に啓蒙した。見ただけで、両目から赤い血液が流れ出た。脳が暴れ、脳の悪夢が叡智で溢れ、あらゆる上位者の声が文字となって頭蓋の中で刻み込まれる。

 悪魔はローマを覆っていた雲海は晴れ渡らせたのだ。所長の脳を晴らした様に、見えなかった太陽の光が森へと差し込んだ。彼が旅先で訪れた新たな世界で学んだ叡智により、元から究極の神秘だったのに更なるソウルの業へ到達してしまっていた。もはやそれは、神話体系を一人で独占しているとでも言える状態。

 王の領域(キングスフィールド)は、それ程までに悪魔の探求心を魅了したのだろう。獣の業に限り無し。

 

「悪魔、悪魔の騎士……―――デーモンスレイヤー!」

 

「いかにも。世界の主、暗帝ネロ・アビスよ」

 

 悪魔が狙ったのは三人。神祖、暗帝、月光の三柱の皇帝達。しかし、全員が不意打ちで宙より奇襲を受けたと言うのに、無傷とは言わないが致命傷は一切負わなかった。そして、逆にカルデアの全員は無事だった。同時に第三勢力の介入により、全員が咄嗟に動けない状態にもなった。

 

「おお―――間に合ったか、スレイヤー!」

 

「この身は協力者。当然のこと」

 

「そして、カルデアの者は全員無事と……んっん”-」

 

 惨劇を容易く行う悪魔の背後。

 其処から、暗帝と全く同じ声の少女が声を上げる。

 

「余は最優のセイバー―――ネロ・クラウディウス。

 故郷を救うべく呼び出された薔薇の皇帝、人理のサーヴァントである!!」

 










 再登場となりました、悪魔です。地味にフランスのエピローグが、彼の修行パートになってもいました。雰囲気的には古い獣の使徒として色んな世界を巡っており、ソウルの業を探求し続けています。また型月世界の神秘も学習して業を深めていますので、色々と面倒なカンスト万能戦士だと思って下さい。




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啓蒙44:カルナバル

 今回の夏、一番はキアラさんの第二再臨じゃないかと思います。


 戦況が理解出来ない。所長は誰と誰がいるのかは把握しているが、互いの敵対関係が咄嗟に見通せなかった。啓蒙された神秘に血涙を流した所長は両目を狩り装束の袖で拭い、ローマ陣営をピンポイントに襲った隕石群の破壊痕を眺めていた。

 しかし、土煙りが酷い。声は聞こえたが、まだ姿は見えない。

 爆音が鳴り響いた後の現状、第三勢力と邂逅したものの、それより如何すべきか今は把握出来ない。

 

「ロマニ、ヤバい。ガチで頭割れる……どうなってるのよ?

 特に意味もなく、部下に八つ当たりしたくなるほど、理解できそうにないわ!?」

 

『脈絡が無さすぎて、全て唐突過ぎて、ボクらも解析するけど、戦闘中に終わるかは分からない……!』

 

 一つ一つ考えれば、所長も道理は分かる。樹に神祖の因子を入れて人化させたのは、人間性による檻を作るため。妖精の因子を入れたのは、この森を固有結界の特性を与えるためであり、特異点とも違う異界化した領域として独立させたから。その固有結界の概念により、樹を巨人として機能させる魔術理論・世界卵。

 その時、ふと所長は禁忌に気が付く。

 神祖ロムルスの宝具と、人間性の特性だけでは説明出来ない謎。

 そもそもこんな都合良く、こんな悪夢染みた複雑怪奇な心象風景を持つ者がおり、そして固有結界を具現させる魔術回路を持つのか?

 何より、異界化は宝具の概念だけでは説明出来ない。神祖の宝具による神秘が関わっているが、正確にはまた別の元凶が森の形成を維持している。

 

「待て、待って……だから、妖精なの?

 心象風景を具現させて、その魂の形を神秘にする固有結界なら……っ―――いや、いやでも、態々そこまでするの?」

 

 灰の外道を越えた冒涜的悪夢が、ついにカルデアに追い付いた。所長の呟きを聞いたロマニは、この森の正体を理解した。

 

『ウソだろ……有り得ちゃ駄目だ……駄目だ、それは。人間と言う生命以前に、ボクら人類の魂を冒涜した所業だぞ!

 森を作るために、欲したこの地獄の心象風景を作るだけの為に、人の心を塗り潰して固有結界を量産したのか。あいつは洗脳した神祖の宝具まで汚し、人間の魂を材料にこんな魂を作り上げたのか!?』

 

 現代では死徒や魔術師の神秘ではあるが、元より固有結界は妖精と真性悪魔が持つ異界の常識を現したもの。才能がない魔術回路だろうと妖精のソウルで改竄されるとなれば、もはやその人間は妖精と同じ固有結界を持つ存在となる―――と仮定した場合、神祖の森は辻褄が合う。

 

「―――妖精の因子は、その心象風景を固有結界として成立させる為のもの。神祖の宝具は、心象風景に指向性を与える概念。

 この魔術は、ローマ市民の固有結界。

 それも神祖の人間性と国作りの槍を絵具にし、心象風景を強制的に描かれた魂の絵画……!」

 

 それはつまり、魔術回路を持っていた大勢の人間の魂を、ソウルの業で妖精化させて中身を同じ心象風景に存在ごと作り替え、元の原型がないソウルにしたと言うこと。そのソウルを人間性に溶かし、神祖の樹に流し込んだ。そうすれば、木々の一つ一つが帝都を覆う固有結界を展開する術者となる。

 簡単な話、固有結界を運営する異界常識をローマ繁栄に必要な“設定”にし、それを森林地帯で量産していたのだ。そして、灰が思う儘に色彩した異界常識であれば、そもそも自動的に神祖の樹を増やすと言う固有結界の法則も追加するのは容易い。後は放置すれば、森林異界(神祖の森)は勝手に増幅し続ける。

 ……もはや、これは転生ですらない。魂そのものが別存在に塗り潰される。

 可能な技術を持っていても、考えついてはならない。それは理の範疇を越えた魂の冒涜だった。

 

「正解だ。狩人と賢人よ、見事に我らローマの邪悪を見破った」

 

 空より来た隕石を槍で切り砕いた神祖は、悠々とした足並みで所長に近付く。気配遮断によって爆炎の中に潜み、誰もが神祖が何処にいるのか察知出来なかったが、カルデアの誰もが魔術による隕石落下の奇襲で神祖が死ぬとは考えていなかった。

 しかし、ああも無傷な姿を見れば、所長は狩り殺せる気が萎えてしまう。

 所長は“失敗作”を思索することで啓蒙された我流の秘儀、彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)が神祖に通じるか如何か、疑問に思った。業の性質上、暗殺運用は不可能であり、使用即座に対処可能な神秘に過ぎない。隕石と言う大質量を撥ね返す相手には、ただのテレフォンパンチと同等の攻撃なのだろう。

 

「何よ、悪趣味ね。盗み聞き?」

 

「すまぬ。我が皇帝特権を、(ローマ)を汚染した灰の意志が効率的に自動運営するのでな。目も、耳も、鼻も全てが常に効いておる。

 しかし、お前のような効率重視の狩りに腐心する殺戮者が、無駄な会話に思考を裂く。

 成る程……やはりアレは、そう言う者か。その高次元を超えた思考回路が鈍る程にあの悪魔は、お前たちカルデアにとっても悪魔となる存在であったか」

 

「―――貴方達とも敵対してるんだったら、とっととローマが何度も殺し尽くせば良かったのよ」

 

「それが出来れば、帝国の繁栄(ローマ)も遊戯の如き容易さなり……―――だろう、星見の忍びよ」

 

 カキィン、と金属音が一瞬だけ響く。会話中に隙を狙い、神祖を背後より忍殺せんと迫ったが、忍びの一刺しは回転する双刃槍に弾き逸らされる。

 

「………………」

 

「良いわよ。気にしないで、隻狼。油断していると見せ掛けるのが、あいつも得意みたいだし。次の殺し手、考えておいて」

 

「……御意」

 

『所長、皆を所長と同じ魔術で助けたあいつは……多分、そうとは思いたくないですが―――』

 

「―――分かってる。でも、交渉事は藤丸に任せるわ。

 ああ言った手合いとの会話に必要なのは、ネゴシエートじゃなくてコミュニケーションだもの。魔術師を騙すほうがまだ楽ね」

 

 忍びの刃が奔り、所長の瞳が光り、神祖の槍が回る。悪魔の魔術、彼方への呼びかけ(フォールン・ビヨンド)で焼き払われた森も本質が擬似展開された固有結界である故、直ぐ様に異界は再生され、死んだ木々から漏れ出たソウルの人間性が違う樹に吸収される。そして、その樹からまた分身が分裂具現する。

 ……異界常識とは、名の通りの便利な絡繰だ。其処に仕掛けなど存在しない。心象風景を持つ者が目覚めた固有結界は、その異界常識を自らの法則として世界を運営する。そう言う異界だから、その様に機能するのみ。

 だが、それでも尚―――世界を潰す神秘がこの世には存在する。

 戦局は変わらないが、神祖の領域(キングズフィールド)は悪魔の手で僅かな時間だけだが崩れ去った。

 

「――――」

 

 そして、全身甲冑を着込む悪魔の騎士(デーモンスレイヤー)は静かに戦場を見渡した。ネロからの願いを聞き、カルデアは破壊範囲に巻き込まないで他全てを薙ぎ払ったが、敵性個体は誰一人として殺せなかった。とは言え、それは計算の内。

 火を宿す灰―――即ち、火の簒奪者は“最初の火”を持つ。

 古い獣と並ぶ魂の化身が背後にいるならば、それ相応の備えをサーヴァント共にも与えていることだ。それも、フランスで見出せた新たな業の思索実験ともなれば、死に難い連中であるのも予想し易い。

 

「くうぅ……――駄目か。あの悪魔がカルデア襲来に合わせて来るとは!?

 超軍師の結晶中華ガジェット式電磁(トニトルス)バリアでも、流石に隕石(メテオ)はキツイなぁ……いや、本当に」

 

 自害の果てに暗帝となり、無駄に長い呼称を好むようになったネロだが、本人は余り言葉の意味を理解していない。何となくそう言う台詞を言いたくなる気分であり、言い難い台詞をスラリと言うのが舞台役者として快感を得られるだけだった。

 カリギュラは狂っているのに、ネロのそう言う部分を愛らしく感じる。尤も、その愛も既に狂い捻れてしまった感情。実に歪んでいる。

 

「月光を前に、星々の輝きなど掻き消される。おぉ、だが狂気は現実を啓きはせん。

 我が愛しき姪、ネロよ。神祖の偽樹が生み出される神祖殿の森にて、我ら皇帝が永劫に眠るなど、不敬極まる失態となることだろう」

 

「しかし叔父上、隕石って少し以上に反則過ぎるのだ!」

 

「星々が大地に降り注ぐのも……また、優美に浪漫(ローマ)なる光景だとは思わぬか?」

 

「――ハッ……確かに」

 

 雷気を電流のようにバチバチと漏電するネロの戦車。騎馬の方が無傷ではないが無事に生きており、宝具としてはまだ十分に使える状態。そして、カリギュラは月光の奔流を狂気と共に頭上より落ちる隕石に当て、自分に衝突する全ての星礫を弾き砕いていた。

 そして、土煙りの向こう側から―――光の筋が奔った。

 暗帝の額を狙った射殺。放たれた神秘の名を、ソウルの光と呼ぶ。

 

「ぬぅわ!?」

 

 咄嗟に顔を暗帝は下げ、その勢いで地面を転がった。しかし、身に染み付いたオーバーリアクションは忘れない。

 

「おぉ、我が姪よ。頭が星屑のように光り輝く所であったな」

 

「本当になッ……全く、叔父上は呑気になったものだ」

 

 獣の御守が放つそれの速度は、不意打ちでサーヴァントを十分に殺せるもの。そう悪魔は考えていたが、流石にあの深淵に適応した暴君と、月光に魅入られた狂人では、通常の敵を殺すように手早くとはいかなかった。

 不意打ちの先制攻撃(ソウルの光)は、ボーレタリアを彷徨った悪魔にとって挨拶。知覚外からの速攻は急所に当たれば霊核を粉砕する有効打。

 敵の技量の高さを嬉しそうに彼は観察し、また殺意を抑え込む。そうして藤丸とマシュと清姫は、自分達に視線を向けたこの男と相対することになった。

 

「……―――?」

 

「貴方は……ッ―――デーモンスレイヤー、でしたか?」

 

「そうだが。貴公は……あぁ、あの時の健気な少女だったか。その腕を奪ったのは、良く覚えているぞ」

 

「――――っ!」

 

 身が震える。心が凍える。恐怖の具現であり、マシュにとって騎士姿の悪魔は絶望だった。どう足掻いても、自分の技巧ではマスターを守り切れないと分からせる死。宝具も決意も無価値にし、サーヴァントとしての無力を教えた敵。

 ――カルデアの義手も、この絶望がなければ受け入れなかったかもしれない。

 切り落とされた時の激痛と喪失感が、段々と甦って来る。最初に問うだけで精神が疲労して、この騎士を相手に何をすべきなのか一つも思い浮かばない。

 

「……あ」

 

 そんな彼女の肩に、誰かの手が置かれた。それは温かく、乱れた心を鎮める優しさを宿していた。

 

「マシュ……今は、下がってくれ」

 

 義手を握り締めながらマシュは後退り、その分だけ藤丸が前に出た。清姫もマスターの判断を尊重し、現場を大人しく見守っている。そして藤丸はマスターとして雰囲気的にではあるが、敵の戦力と言うものを察する第六感が成長しつつある。眼前の悪魔の強さを理解し、そもそもこの男がローマと共に敵に回れば命がないのも分かっていた。

 しかし、あの奇襲でカルデアは襲われなかった。むしろ、助けられた。

 本音を言えば、マシュの腕を斬り落とした悪魔の顔面を殴り飛ばしたくはあるが―――マシュと、自分たちが生き延びる為には敵対行動を取ってはならない。

 

「何だ、何だ、スレイヤー。貴様とカルデアには因縁でもあるのか?」

 

「そうだ、ネロ。嘗て邂逅した世界にて、その者共のソウルを奪おうとしてな」

 

「―――……それは、貴様が悪いのでは?」

 

「そうだろうな。故、こうして殊勝な態度をしているのだが」

 

 敵と同じ顔、似た姿―――だが、その存在感は真逆。真名は恐らく、ネロ・クラウディウス。何よりそのネロの隣に立つ悪魔からは、冬木で遭遇した時に感じたあの絶望的な殺意がない。

 藤丸は会話を行うのが吉と見込み、同時に所長からも念話で指示を受けた。状況証拠に過ぎず、また所長の所感でしかないが、第三勢力として参加して来た二人はカルデアの戦力に取り込める可能性があり、それが出来るのは藤丸立香のみ。

 

「助けてくれた……って、言うことで良いのですね?」

 

「そうだ、カルデアのマスターよ。

 このローマを討ち倒すべく、余には貴様らが必要だったのでな」

 

 暗帝と同じく、何処か尊大に頷く薔薇色の少女。しかし、背丈や顔立ちだけ見れば、暗帝の妹か、あるいは娘と言った所だろう。

 

「デーモンスレイヤーも、ネロさんと同じだと?」

 

「その少女からの頼み事である。乞われた身として、断る理由もなし。何より、この世界で私がすべきこともなく、貴公らと遇ったあの世界とではまた事情が違うのだよ。

 今となっては苗床を探す必要もなく、魂を持つ人々を霧の化身として殺める道理もない」

 

 油断なくローマ側の動きを見つつ、悪魔は事務的ではなく、何処か人間味のある声色で藤丸に対応していた。共に戦え、とネロに言われたからカルデア救出の為に開発した魔術で以って蹂躙し、こうして全員を問題なく助け出し、戦果としては十分以上。

 つまり、悪魔は藤丸らの様子を今も見ているだけだった。

 助けたと言ったが、これから先もその助けを必要とするのか否かは、カルデアが決めるべきこと。悪魔は問われれば答えるが、何も乞われなければもう手助けをする気はないのも事実であった。

 

「―――分かりました。

 どうか、俺たちを助けて下さい。お願いします、ネロさん、デーモンスレイヤーさん」

 

 それはただただ、真摯な想いが込められた人間だけが出来る一礼だった。彼は自分が助かる為に、自分達がこの戦況を打破して前に進む為に、本当なら憎むべき悪魔と、敵と同じ貌をした信用出来ない少女へと、彼はカルデアのマスターとしてすべきことを選択する。

 

「良く信用出来ぬ我らへと、仲間の為に頭を下げた。

 カルデアのマスターよ……余は人理を守る一人の英霊として、貴様の決意を尊重しよう」

 

「積もる話は生き延びてからで良いだろう。その時、乙女の腕を落とした外道として、貴公らの罵倒を反論なく受け入れるとしようか」

 

 礼節とは、人間社会を知る人にとって確かに重要だった。元より文化も時代も違う者らが関わり合うなら、サーヴァントと人間の差も大きいが、相手の理解力に甘えるのは無知無能の証。藤丸がカルデアで関わった人々の個性や人格は千差万別であり、そんなサーヴァント達との絆が彼を善き人へに成長させたのだろう。

 

「それとな、カルデアの諸君。私のことは好きに呼べ。

 悪魔を殺す者(デーモンスレイヤー)と無色の霧になった(ソウル)へ銘が刻まれてしまったが、もはや私が殺戮すべきデーモンは一匹もこの世に残っておらんのでな」

 

 まるでマシュと藤丸と清姫を守るように前に立つ悪魔から、そんな気安い言葉が降り注いできた。藤丸にとって絶対に許せない敵だと言うのに、どうしようもなく安心感を得られてしまう力強さが宿っていた。所長に大丈夫だ、と言われた時と同じ魂や意志を振わせる強烈な言霊だった。

 それはマシュも同様で、だが清姫だけが真実を見通している。

 嘘も偽りもないが、それは視界に映る全ての命に価値がないと断じている故の正直さ。清姫は自分の狂気が冷める無感情な冷酷さを味わってしまい、なのに冷徹さは欠片もなく自然体で人を勇気付け、優しい台詞も感情的に抑揚がある声色で話す人間味。

 正しく―――人間性(ヒューマニティ)、なのだろう。

 この男は人間らしく成長し続け、あの冬木で殺し合った時よりも確実に強くなっている。気配や存在感に疎い藤丸でさえ、初めて邂逅した時より増した圧迫感を理解出来る。その暗い人間性も、何処かの世界で自分のソウルに取り込み、新たな神秘としてソウルの業に取り込んだ。

 即ち、この男は世界を渡る度に魂が進化し、殺し合う度に業が深化している悪魔の人間だった。あるいは、悪魔の化身となった人間であるのだろう。

 

「―――マスター……彼に、気を許してはなりません。

 この世には、自分を偽らずに自分の命も他者の命も容易く潰せる……そんな人間性の持ち主もいるのです」

 

「そうだね、清姫。分かってる……うん。俺でもそれは良く、分かってるよ」

 

「……っ―――」

 

 マシュは清姫の言葉を聞き、無言の儘に自分の使命を悟る。何時かは、自分一人で必ず超えなければならない壁。全ての業を鍛え上げ、この悪魔の騎士よりも強くならなければ自分の左腕が斬り落ちたように、未来の戦場で彼女の先輩(マスター)は命を斬り落とされて死ぬ事になる。

 

「―――スレイヤー、今は信用します。でも、決して貴方を信頼はしません」

 

「ほう……―――成る程、強くなったな。

 良い人と出会えたと見える。自分の死に方に、意志を抱いた人間の瞳だ」

 

 だからこそ、マシュは悪魔を殺さないといけなかった。こんなにも人の心に響く言葉が出せるのに、あらゆる命に価値を見出せない殺戮者は騎士の風上にも置けないのに、どんな騎士よりも騎士らしい姿。あらゆる騎士よりも、邪悪な悪魔を倒すのが巧みな騎士。

 故に、悪魔を殺す者(デーモンスレイヤー)。その心強さを、ネロが一番知っていた。

 暗帝と成り果てた生前の自分と対峙するのに、ネロが不安を覚えても絶望をしないのは、隣にこの悪魔が立っている御蔭であることに間違いはなかった。

 

「あー……駄目ね、駄目、全然駄目だったわ!

 あの神祖ロムルスからは距離をちょっと巻くだけで精一杯。そう言う訳で、此処からは全員一塊になって逃げますから」

 

「良いのかね、所長?」

 

「だって仕様がないでしょう、エミヤ。貴方だって、カルデアの術式と護符がなければ、咄嗟に精神防御系の宝具を投影する間もなく気が狂うような状態じゃない。

 あの月光の狂気伝播は、ちょっと特殊な訓練や護符がないと発狂者になるわ。私、人間を共食いする仲間を処分するのとか、絶対にやりたくないもの」

 

「そう言われると、私の立場はないな……ふぅ―――確かに、此処では勝機が薄い。

 マスターの礼装である影霊の呼び出しも出来ず、相手に有利なフィールドで戦い続けた所で、此方が先に消耗するのは目に見えているか。

 狼、君も同意見か?

 忍びの戦術眼は私以上に鋭いからな、聞いておきたい」

 

「ああ。相手が一人ならば、森の中でも殺められるが……この儘では、誰か死ぬ」

 

「成る程。勝機そのものは、ある訳だな……」

 

 離れていた三人も此処で合流。悪魔と皇帝ネロに守られた藤丸、マシュ、清姫の三人を見て安堵するも、何一つ気は抜けない状況。

 

「ふぅーん……人理になんて、糞程も興味なさそうだったのに。貴方、カルデアの味方側に回るなんてどう言う気かしら?」

 

 尤も、所長は即座に狂気を垂れ流しにして悪魔を睨み付けていたが。左腕にはエヴェリンが握られ、千分の一秒も掛らずに銃弾が早撃ちされる状態を維持している。あるいは、もはや無の境地で行われる狩人の業なので、時間と言う単位が無価値なのかもしれない。

 

「その都合も付いただけだ。故に、頼まれた願い事を今は果たしているのみ」

 

「あっそ。じゃ、良いわ。変な真似したら、その尻に腕を突っ込んで内臓をグチャグチャにした後、中身を全部刳り抜いてやるから、そのつもりで」

 

「斬新な脅し文句だ。だが、構わんよ。似たような死に方は、過去に幾度か味わった」

 

「……奇遇ね。私もよ」

 

「だろうな。そんな気配を持つ女だよ、貴公は。何処となく、奴等と似て内臓臭いものな」

 

「はぁ? え、いや―――はぁ? 嘘でしょう。協力も何も、こんなんじゃ会話に意味がない挑発じゃない。死ぬの、狩られる?

 それとも今直ぐにでも、私が素手で内臓解剖しましょうか……?」

 

「ふむ。内臓男女交流会か……成る程。貴公らの社会は珍しい文化が発展しているのだな」

 

「脳味噌腐ってんじゃないの、アンタ」

 

「有り難い話だが、逢引きは夜に予約して欲しい」

 

「その前に貴方を、合挽きにして上げましょうか」

 

 所長の右手が黒く血に染まり、爪が鋭く肥大化する。悪魔の腸が欲しいと五指が蟲のように蠢いている。返答で煽り返す悪魔は、実に悪魔らしい思考回路で人の神経を逆なでする言葉選びに長けていた。

 どうやら、相性は致命的に悪いらしい。

 信頼関係以前に、互いの人間性が相手を否定したくて堪らない。

 悪魔はその悪感情も刺激的で愉しいが、所長にとって人生で初めて出会う類の不死であった。更に言えば、マシュの左腕を奪った男なので、彼女の敵意は常に臨界まで高まっていた。

 

「オオオォオォオオオ……――ネェェエロォォオオオオオッ!」

 

 その直後、月光の奔流が天に向かって昇り上がった。周囲の者を全て狂気に陥れる狂気が空間を伝播し、隕石落下で舞い上がっていた土煙りも全てが晴れ渡った。

 狂った皇帝(カリギュラ)は爛々と瞳を輝かせ、天を照らす地上の月となる。

 森に漂っていた土埃を月明かりの波動で払う様は、まるで空を覆う雲海を吹き飛ばす月光の奔流であった。

 

「はぁ、全く駄目な騎士だ。余は悲しい。

 尊ぶべきローマ皇帝に空から奇襲を行うとは、名乗りを上げる余裕もないか?」

 

 黒髪赤目の女――暗帝(ネロ)はネロと全く同じ顔立ちをしつつ、暗い情緒が浮かび上がる貌で歪に笑った。

 

「憐れなる死人、ネロ・クラウディウス。生前の自分を皇帝だった時のように、不意打ちの暗殺で仕留めようとは、英霊とは斯くも腐り果てた魂だと見える。

 ふははははははははははは……―――はぁ。愚か過ぎて、いっそ嗤えるな。

 いや、もう一度だけ余は哂おう。クハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

 暗帝(ネロ)の後ろには二柱の魔人。双刃槍を持ったまま両手を天に向ける神祖と、月光を掲げて神祖と同じポーズを取る狂帝。そして、真顔で笑い続ける暗帝。

 

〝何故こうも、芸人みたいなトリオ感を……”

 

 現代の大衆文化にも関心少々ある所長は、暗帝(ネロ)を先頭にするローマ皇帝三人衆を遠い目で見ていた。強敵であることは間違いないが、今までで最もシュールな敵であることも間違いなし。

 

「はははははは……ッ―――ふぅーやれやれ、笑い疲れた。

 憐れな余の残骸よ、また我らローマに腕を引き千切られたいと見える。無事に右腕も生えているようだが、まこと英霊は人間からは程遠い。貴様の腕を余はまだ、腑の中で消化し切っておらんのに。

 そして人理の為と大義名分を得れば、敗走しようと懲りずに挑む。あの死から運命を克服して生き延びた自分を問答無用で殺すとは……貴様、性根からも生きる情熱が消え果てたか」

 

 そして、暗帝は侮蔑の視線をネロに向けるのを躊躇わない。凄まじい圧迫感を三柱は纏い、カルデアとネロ達の間には蝗の群れみたいに殺意と敵意が混ざり渦巻く。

 だからか、ネロは暗帝に同じく侮蔑の目で口を開く。

 あの自分ならばやりかねないと判断し、実際にそう行動した生前の自分がおぞましくて仕方がない。

 

「ふざけるな、外道―――カルデアを初手で潰すか、ネロ・クラウディウス。

 英霊となった身として、救済に狂った余を、余は自らの手で貴様は殺さねばならん。己が死から逃れる為に、貴様は人類の未来を見限った!!」

 

「無様だな、死人。人類など何処にもおらんよ。況してや、人理を祈る人間など。

 求めるべきは現在だ。見るべき世界も、生きている今である。故に死から救われたならば、この命だけは決して見限らん。ならばこそ……あぁ、未来の為になど死ぬものか。生き足掻く者として、容易く死ねるものか。

 人理など余の帝国に、そも不要!

 ならば―――我らが人理に変わるローマの理へ深化し、人類を存続させるだけよ!!」

 

「そこまで堕落したか、貴様ぁ!?」

 

 この世の全てよりも、暗帝は自分の人生を選んだ。生物として何処までも正しく、人理が焼却されたならば、後は単純な生存競争。生きる為に、他の者には死んで貰うだけである。ローマ帝国が国家繁栄の為に周囲の国々を滅ぼし、文化を飲み乾したように、この特異点(ローマ)も違う世界を貪って文化を永続させる。

 理屈は真っ直ぐで、だが歪み切った生前の自分にネロは絶望した。

 堕落と叫ぶも本心ではない。あれはもう沈み果てた末の、救われたことで死を厭う無様を形にしたもう一人のネロ・クラウディウスだった。

 

「死人が余の未来を囀るな。未来の為に今を生きる余を殺しに来た死神め……―――屑め。

 我が女神は人理とそれが辿る未来の光景(ビジョン)を余に教えた。その上で、余は女神によって救われたこの命と魂を選んだのだ。

 ローマは決して、貴様の終わった過去ではない。余は―――わたしは、此処で生きている!

 全人類の為に、全人類から死ぬべき暴君だと裁かれたとしても……それでも尚、女神は余が生きていても良いと命をくれたのだ」

 

 ローマは、時代の中で潰える。ローマの意志は残ろうとも、帝国は瓦解する。過去が確定した未来の視点を理解したため、暗帝はその末路が人理にとって定められた運命だと言うことも分かっている。

 その果てが、人間の叡智が作った存在に哀れまれ、憐憫の意志でもって絶滅された。

 無様極まりない終わり方だ。どうせこの世が一万年も続かないなら、人類をローマが永続させて構わない。

 

「分かるか、カルデアよ。貴様らは余と同じ邪悪。生きる為に人の生命を否定する所業を行い、そもそも邪悪で在らねば生きることも出来ないのなら……我らの魂に、何の違いがある。人類の為の未来などと騙されるものか……それは、その未来を生きていた貴様らカルデアの現代に過ぎんのだ!

 ならば余と同じ、これは生きる為の闘争!

 どちらの意志が強いのか、ローマとカルデアで比較するのみだ!

 ならばこの特異点の今を生きるネロ・クラウディウスが、カルデアが殺したジャンヌ・ダルクのように死ぬつもりなど毛頭ない」

 

 人理になど大帝国(ローマ)を委ねない。暗帝(ネロ)は例え全人類が敵に回ろうとも、今を生きる人間としてこの生存競争を全力で挑むのみ。

 同時に彼女の女神から見せられた未来には、ローマの魅力などなかった。文明は進んだが、生物として何一つ変わらない群体。人理と呼ばれるものを運営する総体、即ち阿頼耶識から無性生殖して増えたように、ヒトの意志は何も進化していなかった。

 人間は―――救われなかった。そのまま文明は終わりを迎えた。

 もう人類史に結論は出た。暗帝はその答えで十分満足し、否定する気もない。そこから先はローマが引き継げば良いだけのこと。

 

「生きる為の邪悪か。成る程な、私にも良く理解出来る感情だとも。

 殺人の罪科を積み重ね、人の魂を貪らなければ、一歩も前に進めない。人間ならば尚の事、呼吸するだけで死にたくなる苦行……あぁ、そうだとも。同族を嫌悪などせん。むしろ、大好物と言える」

 

 苦しみ悶えることを悪いと悪魔は判断しない。そして悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)ではなく、嘗て一人の人間として霧に覆われる寸前の故国を救おうと足掻いた志願者であり、国に仕える貴族の魔術師でもあった彼はローマと言う王家が嫌いではなかった。

 同時に彼は、帝国の残骸であるサーヴァント(ファントム)暗帝(ネロ)に偽ること無く悪魔らしい率直な欲望を見せる。

 

「悪魔殺しの悪魔として、ローマの在り方は非常に好ましい。

 ならばこそ、貴様らローマのソウルは私の食餌に相応しい。

 簒奪者―――……あの薪の灰から、霧と闇を与えられ、火で焦がされたのだろう。故に、その霊基は薪の闇を宿している。貴様ら本来の魂が、灰色に暗く澱んでおるぞ」

 

 本質的に、悪魔は魂を貪る捕食者。灰もそうだが、彼の方がグルメであった。何より、灰によってデーモン以上の深化を施されたこのローマ皇帝三柱は、悪魔からしても自分の命を棄てる価値のある獲物。ソウルの業を求める悪魔にとって、魂の収集こそ日常の営み。底無しに貪欲な悪魔殺しの悪魔として、魂を持った生物が服従する根源的恐怖を保有する。

 そして恐怖もまた人間性。根源から零れ落ちた魂が、そもそも悪魔に抗えない。

 悪魔は一人の魔術師としても、灰の行うこの特異点の実験は横槍をしたくなる程には魅力的だった。貪欲な渇望と知的好奇心に満ちた悪魔の瞳は、強靭な魂を誇る英霊だからこそこの男から逃げられない絶望に襲われた。

 

「ふはははははははははは、ほざきおるわ!

 此処はローマの森、貴様だろうと自由は有り得ない……であろう、神祖殿?」

 

「……………我が子、ネロよ。断言は避ける。だが、味方を過信し、敵を侮ること無かれ」

 

「愛しき姪よ、ネロよ。油断は愚か者がすることだ。皇帝ならば、皇帝らしく狡猾な蛇を潜ませておくのだ」

 

「おっと、余、何故か叱られてる」

 

 そんなローマの日常(コント)を見ている所長は、少しだけ自分達の罪科を思い返す。

 

〝死後の儚い夢だけど、ジャンヌはカルデアでちょっとダメな方向に弾けたからなぁ……いや、流石に説明しようがないからローマ共には何も言わないけど。

 それにもう一人の自分とどう接して良いか、相談しに来たジャンヌに家族みたいになれば良いじゃないと助言して、娘とまでは出来なくともそれとなく妹ならチャンスがなくもないとか……うん。気の迷いで言っちゃったし。

 魔女には悪いことをしたわ……―――傍から見ていて、最高に面白いけど。

 ジャンヌの件はカルデアの罪ではあるけど、根っこが精神的超人の出鱈目聖女様だから、こっちもこっちで助かって入るけど……はぁ、辛い。

 カルデアの責任者として瀉血土下座しようとしたら、凄まじい聖女の威光で止められたし。

 引き摺りたいのに、あっちはあっちでもう許してくれると言う苦痛。分かるわぁ……ランスロットが狂戦士(バーサーカー)になった気持ち、凄く分かるわ。罰してくれた方が、気持ち楽になる。その所為で、マシュは自分の霊基の正体を知らず、さり気なく彼女を慰めるランスロットと凄く仲良くなってたものねぇ……”

 

 瞼を閉じてまた開く本当の瞬き程の間で、所長は長考を終える。そして誰に似たのかしらないが、罰して貰えない事を凄くマシュは引き摺っている。いっそのこと、バーサーカーになって贖罪の感情を叫びたい程に。

 聖女本人がもう気にしていないと、カルデアの善き人々を想ってカルデアの日常生活を楽しんでいる。魔女と仲良く“姉妹”の真似事をするのは、カルデアの為でもあった。だが、逆にカルデアと人理の為にジャンヌを殺したマシュは、そんな楽しむ聖女を見ると罪悪感で発作的に自殺したくなる気分に陥る。

 

〝―――ぁ……う、殺すの?

 またわたしは、また……私のために?”

 

 暗帝の言葉で、マシュはトラウマを思いっ切り掘り返されていた。思考が罪科に渦巻いていた。罰せられず、許されたから、ジャンヌ本人が幾ら楽しそうな姿をカルデアでマシュに見せたところで、むしろ幸福そうな顔が彼女にとって善良な人間をその手で殺したと言う罪に苛まされる。

 マシュ自身、人理修復の旅で人殺しをする事になるとは予感していた。しかし、覚悟など所詮は人の死で覆る。暗帝を見るとジャンヌが死んだ時の、体から温かさが消えて逝くあの冷たさが甦る。

 

「…………!」

 

「まぁ、今はそれで大丈夫ですよ。マシュは、頑張っていますから」

 

「……ッ―――ぁ、ありがとうとざいます……清姫さん」

 

「いえ。だけど、今は前の敵に集中を」

 

「はい……」

 

 しかしながら、清姫は容易くマシュの心情を見抜き、言葉を掛けた。強き心がそのまま盾の防御力となるマシュは、怯えでも良いが挫けてはならない。膝を折ってはならない。所長が必要だと思ったからこそ、清姫はレイシフトのメンバーに選ばれている。戦力以外の、本人だけが可能な何かを理解しているから、その人選は所長にとっても正しい選択である。

 

「―――ふぅ……」

 

 瞬間、特に前触れもなく―――閃光が暗帝を襲った。溜め息と同時に、悪魔は人殺しを敢行。

 

「うおぉおお!! え、まだそんな雰囲気ではなかったよな!?」

 

 無詠唱の即時発射。盾に隠した獣の触媒から魔力が光り、咄嗟にまた暗帝は回避。特定の動作(モーション)など、ソウルの業を鍛えた悪魔にはもう必要なかった。その気になれば、全力疾走や白兵戦闘中でもあらゆる魔術行使が可能になる程に、悪魔は自分の能力を神秘の深淵まで鍛え上げていた。

 

「いや、すまぬ。これから殺し合うぞと、声を掛けるのも面倒でな。私なりの名乗りの挨拶だと思ってくれたまえ」

 

「この悪魔め!」

 

「ム、悪魔だぞ」

 

 と言いつつ、また閃光。敵との会話も情報収集であり、そもそも殺し合いで敵を煽るのは悪魔にとって当然の戦術であり、言葉と言うのも立派な武器である。馬鹿にした雰囲気でヤレヤレと呆れた動作をすれば案の定、暗帝の殺意が凄まじく高まり、悪魔に殺気が限界まで集中し出した。

 そして暗帝は、そのソウルの光を切り捨てていた。深淵を燃料とする火で再度鍛えられた黒い片刃大剣は、悪魔の魔術にも対抗することが可能。宝具で考えれば神秘の濃度はAランク以上にもなっていようとも、今の暗帝には問題ない事柄だ。

 

「おのれ、貴様……この―――浪漫なき似非騎士が!?」

 

 復活した双頭黒馬と中華ガジェット式戦車を出現させ、暗帝は迷わずそれに飛び乗った。所長は構わず水銀弾を暗帝に向かって発砲し、それは突如として地面から出現した黒き城壁が容易く弾き返す。

 

「此処は―――我が城(ローマ)なり。

 妖精樹の尊き森ではなく、(ローマ)の愛が満ちる深淵の帝都だと思うが良い」

 

 闇色の壁。即ち、神祖の宝具――すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)の具現である。

 

「流石は、我らローマとローマ市民全ての祖、我らが頂くべき原初の御人――神祖ロムルス殿!!

 余の狂気がその威光を受け、更なる月光を放ちましょうぞ!!!」

 

 宙に浮かぶ狂帝から月の光は溢れる。気が狂う圧迫に満たされ、脳髄がイカれて捩り回る。焼き払われた空白地帯を埋めるように、周囲の木々がこの場所に集まり出す。カルデアが逃げられないように城壁が生み出され、だが神祖妖精樹は巨体を活かし、容易く壁を攀じ登ってくるだろう。

 だから、此処は―――絶対羅馬領域。

 逃げ場はなく、退路など最初から存在せず、そもそも神祖が思う儘に迷宮化する森林地帯。本当に正真正銘、加減など一切せずに全てが込まれた神祖樹林の檻。

 

「これは……―――ここまで、用意周到とはね」

 

 その上、まだ灰自身は参戦していない。それを考えても、今は危機的状況だ。それも、一人も逃げられない全滅の危険。

 

「どうすれば……っ――!?」

 

 何もかもが、おぞましい。藤丸立香は、恐怖も狂気も猟奇も混ざり捏ねった想念が脳髄内で渦巻いた。何故なら、眼前の光景を理解してはならない。これを妄想した者が、何を理念にしたか考えてはならない。しかし、オルガマリーは今この時になり、知能が現実を超えて理解した。

 世界の描き方――固有結界。

 澱から湧く命――神祖の森。

 深淵による魂――皇帝たち。

 白い竜の狂気――結晶月光。

 此処は、フランスと同じ造られた世界に対する思考実験。

 誰からの理解も必要とせず、誰にも神秘を理解させるつもりがない彼女だけの暗い絵画の檻。あるいは、オルガマリーやデーモンスレイヤーのように、何故と言う疑念を愉しめる思考の思索者だけが真実を見詰める事が出来る異界。

 

〝作用し合う神秘がどんな干渉するか、最後まで見てみたいけど……ッ――一体何を、アッシュ・ワンは考え付いたっていうのよ?”

 

 魂を絵具に世界を描く画家の業。心象風景を量産すると言う暴挙に走り、こんな森を“描いた”となれば固有結界など自由自在な画布となる。それも絵が描かれた画布はコピー機で印刷されたように、自動的に何枚も作り出され、異界の上にまた異界が折り重なる。

 まるで同じ固有結界の外側に同じ固有結界が生まれ、マトリョーシカのようだ。

 数多の異界が一つの世界の人為的土台となったと彼女は考えたが、それ故に此処まで灰は好き放題出来る特異点の土壌を作ったのではないかと更に思い付く。

 

〝……でも、考え事はまだまだ後じゃないと!?”

 

 囲う城壁。侵入する樹人。空飛ぶ暗帝。空浮かぶ狂帝。襲来する神祖の双刃槍。対するカルデアに、ネロと悪魔。

 絶対包囲は完璧だ。

 所長はそれを打ち払うべく秘儀に集中し、更なる敵の奥の手を破壊するべく思索の海へと戦術を探さなければならなった。



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啓蒙45:侵食固有結界UMA

 神秘や叡智を観測した啓蒙系幼年期狩人がそれらを脳の瞳(インサイト)で見た場合、クトゥルフ神話技能(万能):100の成功率で理解するような雰囲気です。そして、会話パートでも心理学:100の理解力を持っています。それに対抗出来るのは、魂そのものを自由自在に偽れる化け物だけとなってます。
 所長の啓蒙による察しの良さはそんな雰囲気で書いてます。



 彼の軍師だった陳宮は、嘗て仕えた主君に神を見た。それも唯の神ではない。闘争を権能とする絶対なる軍神の威容。その為に、もはや無用と唾棄していた古い文明技術を甦らせた。雷気が溢れる闘いの神にして、武勇で戦場を捻じ伏せる絶対的な個人の兵力。

 五つの形態を持つ人工宝具、方天画戟。

 斬、刺、拳、薙、払―――そして、砲。

 軍師が考案した五形態と、飛将軍が編み出した最後の形態。

 

「―――軍神五兵(◆◆■■■◆■)ッ!」

 

 個人が持つ兵器として、桁外れの大量破壊兵器。解き放たれた今、多重変形する他形態全てが弾丸として装填され、大弓より殺戮の五矢が射出される。

 宝具の担い手――呂布の中に眠る膨大な雷気(オド)が、ローマの黒き城壁と暗い木々を焼き払う。

 

「撤退する―――!

 マシュと藤丸は何も考えるなッ!!」

 

 所長の叫び。全員が一斉に行動する。何故ならば轟音の後、樹人が登攀していた神祖の木々が、その城壁と共に粉砕された。外部より穿たれた逃げ道だけがカルデアの生き残る道。

 

「あたしが来たぞ! ローォォオオォオオマァァアアア―――ッ!!」

 

 対城砲撃が飛んで来たのは、森の遥か上空。女王が駆る戦車より大弓(ウェポン)を構える大男。そして、戦車の担い手が、耐えきれない圧倒的な憎悪を解き放っていた。威圧感で言うならば、神祖の城壁を破壊した宝具よりも重く、殺意を向けられた訳でもないカルデア側であろうとも、心臓を握り潰されたような息苦しさを錯覚させる。

 轟く雄叫びが、余りにも重々しい。声を聞いただけで、脳髄を掻き回したくなる生者の怨念。その憎悪が聞く者全員に伝播する。

 

「ハッハッハハハハ、反乱軍残党か!」

 

 同様に空飛ぶ戦車に乗る暗帝が、その戦車に向かって駆け昇る。雷気(オド)より具現される矢を軍神五兵(砲門形態)に装填し、呂布は同じ中華ガジェットを擬似的に宝具とした女を射殺さんと砲撃を開始。だが双頭の騎馬が引く戦車には電磁バリアが張られ、飛んで来た矢を全て逸らし、地面へと勢いそのままに墜落する。

 避けるまでもない。それ程の防御力。

 技巧の極み(ゴッドフォース)として放たれるのなら兎も角、戦車の雷気障壁は唯のAランク宝具に破れない。

 

「―――ネロ・クラウディウス……っ!?」

 

 同じ高度、重なる視線。呂布を乗せた戦車の主――女王ブーディカは、怨敵の名を叫んだ。

 忘れるものか、と決意が煮え滾る。憎たらしく、百度殺しても殺意が薄れない邪悪な暴君の成れの果て。彼女にとって今の暗帝は、故郷を玩具にしたローマの地方役人やローマ市民と同等の、死なすべき殺戮対象。殺したくて堪らない。その魂を貪り壊してくて、どうしようもなく思考が黒く澱んでしまう。

 

「おぉ、余に魂を捧げたシモン・マグスの作り上げた女奴隷英霊もどきの……確か、あぁーと、いや、その……―――ふむ、復讐鬼よ。

 すまんな、忘れた。貴様の名、何だったろうか?

 ローマに復讐して呆気なく死ぬ所を、余の宮廷魔術師が奴隷として拾い、ついこの間まで飼っていたのはマグスのソウルが記録に持っておるので分かるが……―――ははははは!」

 

 帝国の罪は全て皇帝の咎。地方役人の暴走であろうとも、ローマにとって善悪は関係ない。殺したと言う事実のみが世界に残り、けれども暗帝は全てを理解した上で切り捨てる。同時に、恨む事しか出来ない女を嘲笑う。暗帝が抱く憐憫の念は傲慢と愛玩に変わり、善悪亡き復讐を果たす為に人理(アラヤ)へ加担する愚か者でしかなかった。

 何故なら、人理では死後に英霊となる運命の憐れな存在。

 本来なら死んでいなければならない死人にして、この特異点でしか生きられない犠牲者。

 

「オマエェェエエ―――ッ……」

 

「余と言う半人半霊を生み出す為、死後に英霊となる生きた貴様は実験動物であり、その献身的な行為でローマ発展の礎となるもなぁ……ほら、実験は終わっておる。

 故にもはや、我らローマにとって貴様は―――名の要らぬ獣でしかなくてな!!」

 

 名を忘れている訳がない。シモン・マグスのソウルをサーヴァントの霊基にするべく貪った暗帝は、死後に英霊となる生きた女王(ニンゲン)をデミ・サーヴァント作成の実験動物として扱った記録が残っている。

 だが、全てが嘘ではなかった。

 暗帝は女王の事を正しく、憎悪に狂った名に意味がない獣だと侮蔑していた。

 そして、バーサーカーのサーヴァントである飛将軍呂布が自身の意志と共に戦場に狂っているように、ブーディカは裏切り者のローマ全てに憎悪し尽くしている。白い竜の狂気が月光となって照らさせる戦場だろうと、黒一色に染まった女王の憎しみは他の狂気に曇る余裕など皆無。

 

「ローォォォオマァァアアアアア―――ッッ!!」

 

 心全てが―――砕けた。女王の戦車を怨嗟が覆い、纏い砕く。

 

◆■◆■◆◆(是非もなし。)■◆■■■■◆■◆■(戦場で上がる憎悪は、)◆■■■■◆■◆■■■(命を噛み砕く牙とならん)ーー!」

 

 呂布はブーディカの殺意を否定しない。むしろ、良くぞ吼えたと称賛する。生きるも死ぬも、前のめりに戦士は死ぬべきだ。そこには、裏切りも忠義も挟まれない純粋な闘志のみが戦場を沸き出させる。

 正に戦火の沸点―――暗帝の狂気と、女王の憎悪が衝突する。

 超軍師陳宮(中華ガジェット)製の戦車より結晶の弾幕が撃ち放たれ、しかし飛将軍が操る人工宝具(中華ガジェット)の射撃攻撃が暗帝の機関砲撃を阻止した。

 

「流石なるや、復讐の女王よ。

 我が月下の狂乱でさえ、狂いし女の憎しみは乱れんか!」

 

「―――……」

 

 そして空中のドッグファイトに隠れ、中華の暗殺者が虚空より飛んでいた。狙いは無論のこと皇帝。その名はカリギュラ。だが近付くにつれて月明かりは強まり、気配遮断によって忍ばせている筈の殺意が暴れ出す。皇帝を殺したい、殺めたい、屍を作りたいと、狂気的殺意が蠢き出す。故に人の心を暴き照らす月光を背負うカリギュラは、全ての暗殺者にとって隠密行動さえも暴き出す天敵。

 ならば―――酒を呑もう。景気付けに、吐くまで呑もう。

 殺す前に酒気で自分の殺意を夢想に漂わせ、狂気からも無想させよ。

 大事なのは何も分からないよう、自らの意志を酔わせる事だ。狂気もなく人を殺せるのなら、人を静かに殺めるのに気を狂わせる必要もない。

 

〝―――なに、月明かりなど酒の肴ではないか”

 

 無音落下にして静寂交差。風を切る音もアサシン―――荊軻は殺し切り、皇帝を殺す筈だった短刀を突き立てる。瞬き程の間もなく、頸に刃が突き刺さり、そのまま掻き斬られる。

 その直前――月下にて、酒気で狂気を麻痺させた暗殺者を導き出した。

 輝き出した月明かりは視界を潰し、だが本質は心を動きを停止させる精神干渉の呪詛。

 

「くぅ―――ッ……!」

 

「――――ヌッ……!」

 

 カリギュラは月光の大剣を抜かず、セスタスが装備された拳で短刀を弾き逸した。無の境地に達した灰のパリィ技術には及ばないが、刃を徒手空拳で相手する技巧は皇帝特権による技能があってこそ。

 しかし、場所は空中。互いに姿勢が崩れ落ち、そのまま地面へと落下する。

 

〝ち。吐くほど呑んで、傍若無人の儘に落ち着いていた筈だが”

 

〝おお、狂気の月光さえも風流とはな。遠き東の義侠は、浪漫(ローマ)に満ち溢れておる”

 

 対峙する二人。どちらも酒気と狂気に酔いつつも、理性的に敵抹殺にのみ思考を働かせる。

 

「おい、皇帝。何で気が付けた?」

 

 間合いを計り、退路を把握。本音を言えば、殺すべき相手に背を向ける気はなくも、だがまだ死ねない。殺す隙と同時に逃げる隙間を見付ける為に、彼女は笑みを浮かべながら狂帝に問い掛けた。

 

「我が月光は余の瞳。気配の有無など関係なく、月下全てを感じるのみ」

 

「ああ、そうかい……ッ―――!?」

 

 懐に忍ばせていた暗具、煙玉を地面へと思いっ切り叩きつけた。月下が全てを丸裸にするならば、その光を遮れば良い。煙幕など彼女本来の武器ではないが、召喚された現地サーヴァントと共に、暗殺に必要となる道具は一通り揃えている。

 その時、斬撃がカリギュラに飛来する。

 空間断絶を起こす人智を超えた奥義の一つ、竜閃。

 だが大いなる月光の大剣によって彼は忍びの斬撃をしかと受け止め、しかし一瞬で荊軻には逃げられた。月下の視界から姿を煙幕が隠し、文字通り煙に巻かれたのだろう。

 

「ネェェェエロォォオオオオオ―――!!」

 

 ならば、叫ばずにはいられない。カリギュラは逃げ去るカルデアと反乱軍残党に向かって、疾走を開始する。まだ誰も狂い殺していないのだから。

 ―――ローマの狂戦士は笑い叫び、だが反乱軍の狂戦士も微笑みながら狂気をと轟かせた。

 荊軻と同時にスパルタクスも、ブーディカの戦車から飛び降りていたのだ。落下地点にいるのは所長のガトリング銃撃によって足を止め、一射一射全てを回転する双刃槍で弾き返す神祖の姿。

 

「―――圧政者よ!

 木端となりて、暴虐を懺悔せよ!!」

 

 刹那、神祖は跳んだ。ガトリングの射線から逃れ、皇帝特権(魔力放出)で瞬間上昇。空中から落ちる巨漢に最初から気が付いており、ならば敵が身動きが出来ない虚空で頸を一閃するのが仕留め易い。しかし、スパルタクスにとってそれこそ好機。自分から殺すに行くよりも、敵を迎え撃つ方が戦法に合う。

 双刃槍と両刃剣がぶつかり合い―――神祖の鋭い蹴りが、巨漢の頸に命中。

 サーヴァントであろうと首があっさり撥ね飛び、頑丈な者でも骨が砕ける程の威力。霊核は確実に破壊される一撃であった。

 

「おぉ、強靭(ローマ)なる五体なり!」

 

「ぬふぅ……ッッ――!!!」

 

 だが、死なずして――バーサーカーのサーヴァント。

 彼は首に喰い込ませ、顎で足を受け止めた。スパルタクスに肉弾戦を挑む事が愚の骨頂。殴れば殴る程、蹴れば蹴る程、急所を抉ろうとも必ず生き延び、絶対に戦いを諦めず、叛逆を解き放つ力を溜める。

 しかし、それを凌駕してこそ―――ランサーのサーヴァント。

 もう片方の足で反対方向から首を蹴り当て、そのまま両脚で締め付け、皇帝特権(魔力放出)で身体を空中で急回転させた。そして、スパルタクスの首から足が解放され、その彼を蹴り落とし、追撃に双刃槍を回転させて投げ放った。

 

「ぬぐぅ……ぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 音速以上でローマ化した硬い地面に叩き付けられ、更に槍が胴体を切り裂いた―――なのに、彼は五体満足。

 

「ハハハハハハハ、傷口が笑っている。そうだ、圧政者よ―――もっとだ!

 もっと笑顔を私の体に与えよ! 強く刻み付けよ! 暴虐を受けた果てに、我ら叛逆者は自由を掴む力を見出すのだ!!」

 

 予め解き放つ事せず溜めていた苦痛(魔力)が、この一撃で堪り切る。反乱軍と戦う帝国軍人が叛逆者(スパルタクス)を切り刻み、神祖によって遂に臨界まで到達した。

 今こそ―――その一撃を。

 圧政を始めた建国の英雄にこそ、剣闘士(ドレイ)にされた英雄は剣を振わなければならない。 

 

「行くぞ、圧政者―――疵獣の咆吼(クライング・ウォーモンガー)ァァアアアアアアアアア!!!」

 

 直後―――地面から城壁が生えた。守りの壁は真っ直ぐに立つだけではなく、神祖を守る為ならば斜めに角度を付けても具現する。しかし、その頑強な守護をスパルタクスは一瞬で砕き割り、そして一瞬さえあれば回避するには十分過ぎる隙間だ。

 尤も、それを見抜けないカルデアはなかった。

 所長は肉体を加速させ、ぐったりと力が抜けたスパルタクスを肩で持ち上げて疾走。その反対側には、同じく何処かの悪夢で学んだ加速の業を所長と同じく悪魔は自分に施し、スパルタクスを高速運搬するのを手伝っていた。

 

「―――転身火生三昧(てんしんかしょうざんまい)!」

 

 頭部だけを火竜の炎で変化させ、森を一斉に焼き払って焦土に変えた。狙いは神祖であり、スパルタクスの一閃を回避したが、炎に包まり、神祖は全身が燃え上がった。

 だが、そんな光景を確認する暇はない。

 清姫は内部を竜の筋肉に変化させ、その人外の膂力と敏捷性で一気に離脱。ついでとばかりに、足から炎を噴射させた。何とか彼女は全力疾走することで、何故かずっと微笑みを絶やさない巨漢を連れる所長と悪魔へと追い付いた。

 

「面白き輩であるな。ローマへの叛逆者……羅馬狩りの悪魔と、そしてカルデアの者達よ!」

 

「ねぇ。ほら貴方、スパルタクスに言われてるわよ?」

 

「私は契約者の手足と為るまでのこと。頼まれたならば、そう役目を全うすることを喜びとする」

 

「それって、遠回しにネロの所為にしてるだけじゃないの?」

 

「そうとも言うかもしれぬな。だが、人助けは嫌いではない」

 

「あっそ。だったら、転んでヘマとかしないでよね……ねぇ、ちょっと、何してるのよ?」

 

「草を食べているだけだが。神殿で増殖栽培している自家製でな、美味いぞ。食べるか?」

 

 それも、香料をまぶしたハーブ。生命と魔力を一気に回復させる薬効を持っていた。

 

「喰うか―――!」

 

「そうか。実に残念な返答だ」

 

「ふはははははははは! 実に仲良きことよ!!

 圧制者を討ち倒す為、我ら叛逆者は互いに愛を爆発させねばな!」

 

「……ねぇ、仲間になれそうだったから助けたけど、もう置いて行きましょうか?」

 

「照れることではないが、星見の狩人。私と貴公の仲ではないか?」

 

「―――はぁ!?」

 

 自分の両側で走りながら喧嘩する男女に、スパルタクスは何時も通り微笑んでいる。

 

「構わないとも。ほら、傷口も微笑んでいる。この五体、今こそが万全である……」

 

 しかし、笑みを絶やさない彼は神祖に叛逆せんと傷を直し、悪魔と所長の手助けから立ち上がる。そのまま反転して神祖を討伐ようと思ったが、彼は天上で憎悪を立ち上らせる女王の殺意を感知した。

 ―――此処で自分が軽率な叛逆を行えば、彼女の叛逆を台無しにする。

 彼が今抱く叛逆の狂気は、スパルタクス本人が持つべき叛逆の意志によって中和する。

 復讐の女王ブーディカがいなければ……いや、そもそも眼前の敵へ叛逆しないと言う選択肢さえ本来ならば存在しないと言うのに、スパルタクスは更なる叛逆の為に叛逆行為を我慢する理知的狂気を選択した。彼がブーディカとサーヴァントとして対等な立場なら話は違ったが、彼女はそうではなかった。

 

「……だが、今は生き延びねば。

 圧政者共から距離を取り、素早くこの圧政の森林公園から脱出せん!」

 

 そう叫んだ彼が近場の樹人を抱え、そのまま持ち上げ、巨大な丸太を大槌のように振り回した。樹人で樹人を叩き割り、だが一切足の動きを止めずに逃走を続けた。加速が切れた所長と悪魔もスパルタクスに続き、清姫も足を止めずに逃げ続ける。

 地上の離脱は万全。逃げ延びる準備が完成する。

 しかし、空中での戦闘はまだ続き―――場外からの横槍こそ、膠着した状況を良くも悪くも変化させるのだろう。

 

我が骨子は捻れ狂う(I am the bone of my sword.) ……ッ―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)!」

 

 魔力臨界充填。投影宝具狙撃。投影した隠蔽型宝具で姿も気配も消し、弓兵(エミヤ)は即座にネロと名乗る皇帝抹殺の為に行動を開始していた。

 

「―――何奴!?」

 

 真下からの衝撃。ブーディカと呂布が乗る戦車に結晶槍を叩き込む直前の危機。

 暗帝が操る刑罰戦車は上空に吹き飛び、制御を失って乱回転する。しかし宝具による衝撃は、中華ガジェットの電磁バリアに抑え込まれ―――

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 ―――螺旋の矢が、周囲に構うことなく爆裂した。

 

「ぬぅわー! 爆発して落ちるとは、正しく爆発オチではないか!! 

 余の女神が見たら使い擦れた古典芸能だと、三段笑いで失笑されてしまう!!」

 

 何処となく余裕そうに、場末の三流役者でも考え付かない酷い断末魔を上げ、だが遠い席の観客でも愉しめる舞台役者らしいオーバーリアクションで暗帝は大森林の中へ墜落していった。

 聖杯による文明知識と、灰の闇による人間性の叡智。

 合わさるとこのように危険な感性を生み出してしまうのだろう。しかし確実に言えるのは、爆発オチなどと言う現代娯楽の表現方法は灰の趣味だと言う点だった。

 

「ローマめ……―――惨たらしく、爆死しろ」

 

 しかし、女王は憎たらしい暗帝に一切の愛嬌を見出さない。血濡れた聖剣もどきを掲げ、憎悪に染まった黒球の飛沫を散弾銃のように発射。黒い飛沫は落下する暗帝の戦車に当たり、だがまだ電磁バリアによって守られていた所為か、落下速度を速めただけに止まった。

 この黄金剣(モドキ)では障壁は破れない。やるならば、戦車で突撃するか、軍神五兵の砲撃形態か。

 

「呂布、追撃して!」

 

■◆■■(非なり。)■■■■◆◆■■■◆◆■◆(逃走せねば、戦場が台無しぞ)

 

 唸り声と共に、飛将軍の視線が森の外側に向けられる。

 

「――……ッチ。わかった。作戦通りにする」

 

◆◆(応。)■■■◆◆■■■◆◆■■■◆◆(叛逆者が叛逆せぬ意味、理解せよ)

 

 女王が下を見れば、援護狙撃をしてくれたカルデアの弓兵は既に撤退済み。ここで策を蔑ろにし、このまま暗帝殺害に固執すれば、呂布と取り残される。ローマを虐殺する為に、まだまだ女王は我慢を自分に強いなければならない。

 とは言え、呂布の叫びは雰囲気で察しているだけ。何となくブーディカがそう意訳し、声から伝わって来る感情で言葉のように感じるのみ。だが、呂布の制止を聞いた所で、彼女の憎悪が止まる訳ではない。

 

〝殺してやる。殺してやる殺してやる、殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる、殺してやる、殺してやる。殺してやる。呪い殺して、斬り殺して、轢き殺して、殴り殺して、突き殺して、焼き殺して、裂き殺して、弄り殺して―――殺してやる。

 死ね。直ぐ死ね。ただただ―――死ね。燃える藁の様に死ね。

 なのに、まだ届かない。鏖殺まで程遠い。加えて、理性がない筈の狂戦士に、落ち付けと諭されるなんて。はぁ……けれど、目的第一ね”

 

 森に姿が消えた暗帝とその戦車へと、憎悪の瞳と共に思わず手を伸ばす。だが、敵に捕まった反乱軍リーダー・アルテラのこともある。そして憎きローマを殲滅する為、ブーディカは絶対にカルデアの助力が必須。此処で殺しに掛っても止めまで刺せず、

 

「悪かった。行くわね、呂布」

 

◆◆■■■(是非もなし)!」

 

 その頃、戦闘を走るマスター達は上空の大爆発を肌で感じていた。消費した魔力量から、藤丸はエミヤが投影宝具の真名解放からの壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)を行ったと判断。伝えられた念話より、カルデアの撤退準備が整ったと理解した。

 

『藤丸君、全員での脱出も可能になった。カルデアを助けに来たサーヴァント達も、管制室で観測済みだ』

 

「わかった、ドクター」

 

『所長も狼君も無事さ』

 

「うん……まぁ、心配はしていないかな。死んでも殺されない人たちだし」

 

 魔術師として不死性を持つ特殊な存在とだけ彼は聞いていたが、実際にまだ目の前で死んだ所は見たことはない。それを抜きにしても、あの二人が死ぬとは思えないのも事実。

 

『さて―――……で、走りながらで申し訳ないのですが。ボク達を守ってくれた貴女は、人理側のサーヴァントと考えても?』

 

「うむ。何処となく、声だけで胡散臭い魔術師よ。余こそが抑止に呼ばれた最優のクラス、セイバーのサーヴァント―――ネロ・クラウディウス。

 真名は特別サービスだ。どうせ、貴様らにバレていることだしな!」

 

 全力疾走するマシュに藤丸は強化した四肢で抱き付き、背負って貰いながら森を駆け抜けていた。迫り来る樹人の猛攻を立体的に動くことでマシュは避け、必然的に藤丸もその恐怖体験を同時に味わいつつ、しかしまだ会話をする余裕があった。そして、マシュも背負ったマスターだけに気を使う余裕はなく、巨大な樹人から逃れる為に身体機能をフルに使わなければならない。そして、樹人から一撃でも受ければ足止めを喰らってローマに追い付かれる恐怖との戦いでもあり、精神を極限まで集中させて逃走を行っていた。

 そんなジェットコースターも霞む闘争劇。藤丸は所長のVR訓練がなければ、肉体に襲い掛かる重力()と、上下左右の高速移動による三半規管の乱れで気絶していたことだろう。

 

「しかし、この……―――鬱陶しいな、こやつら!?」

 

 赤い片刃大剣から火炎を吹き出して戦うネロだが、彼女は自分だけを守れば良い訳ではない。

 本来の目的通り、カルデアと共に森を脱出しなければならず、藤丸とマシュの護衛も彼女が自分に課した責務でもある。そう理解はしていても、何千何万と樹人は森林内に生息し、道を塞ぐ者を何十体も焼き斬り捨てたが、それでも数が衰えずに進路を邪魔するように湧き出て来る。

 マシュは、そのネロの後に追随するだけで精一杯。眼前は炎で斬り開かれる樹人林。

 左義腕のワイヤーで繋がった射出式鉤拳(ロケットパンチ)を使い、忍びの鉤縄のように木々を立体的高速機動でマスターを運搬する。

 

〝本当にあの人は、未来が見えてるのですか……不思議です。人理が焼けていると言うのに、それでも関係なく見通せるのでしょうか?”

 

 カルデアでの噂話で、マシュは聞いた事がある。オルガマリーは未来を視る千里眼を持つのではないか、と。実際にカルデアで受けた訓練は、全て必要不可欠であり、この義手の機能はフランスでも、来たばかりのローマでも有能だった。対精神干渉防御の措置もなければ英霊の加護を持つマシュだろうと、月下の浮かぶカリギュラと相対しただけで即座に戦闘不能になっていたことだ。

 猟奇的な人間が持つ底無しの悪意。文明を紡ぐ原動力でもある負の喜び。

 同時にヒトのような知性体が抱く際限のない嫉妬、憎悪、恐怖、渇望、知識欲、好奇心。

 藤丸立香が邪悪と狂気を幻視したように、マシュ・キリエライトも同じく発狂した精神を体験していた。大盾の加護とカルデアの守りで耐えられていただけで、こうして森から逃げている最中も冒涜的恐怖が心に焦げ付いて離れない。

 

〝白い竜……鱗がないドラゴン。あぁ何故、貴方の感情が分かってしまうのですか。どうしようもなく、皆が羨ましい。人が、妬ましい。普通の命が、憎くて堪らない。自分が短命であることの、差異のある生まれで足り得る理由が知りたい。

 何で私は―――死なないといけないのですか?

 どうして私は孤独なんですか、神様?

 仲間は全員、殺されてしまいましたよ?

 何の価値もなく、虫けらの様に肉体が焼却処分されました。

 これを許せと言うのですか。自分が、自分として生まれたと言うだけで、全て認めろと。

 出来る訳がない……許せません。でもこの感情は猛毒です。私の狂気ではありません。それでも、耐えられる訳がありません。疑念と嫉妬を、植え付けられると……今は耐え切られたとしても、最後は問い殺されてしまいます……!”

 

 そんな狂気から逃げるように、マシュはローマからも逃げるべく必死で駆け抜けた。まるで小さな虫がジワジワと精神を穢すように、自分が自分以外の何かに変貌していく錯覚を覚え続けている。

 

「フォウ、フォフォウ!」

 

「……あ」

 

 今まで戦闘の邪魔にならないようにずっとマシュに隠れていたがフォウが、そんな狂気の渦に嵌まっていた彼女の精神を呼び覚ました。些細な切っ掛けであったが、マシュは自分がフォウと一緒に送っていた日常を咄嗟に思い返し、通常の感覚を取り戻す。

 

「マシュ、そろそろ森を抜けられる……!」

 

「はい、先輩。急ぎましょう!」

 

「良く耐えたな、二人と一匹。さて、これで神祖の領域からも脱出である!」

 

 ―――脱出の成功は、何処か呆気なかった。

 周囲に木々のない平原地帯。月明かりがない通常の昼間。

 

「皆の者、喜びたまえ。まずは叛逆の第一歩、成功である」

 

◆■◆■◆◆◆■◆■◆■◆■(撤退戦もまた、武勇の一つなり)!」

 

「あの皇帝と戦うと頭が狂って仕方がない。狂気を酔えるように、早目に酒の補充をしないといけないな」

 

「みんな、お疲れさま」

 

「この悪魔、取り敢えず礼は言っておくわ。でもそれはそれとして、何時か絶対に殺しますので」

 

「ふむ。貴公は捻くれ者と見せ掛け、実は素直であるのな」

 

旦那様(ますた)ぁ……あぁ、旦那様(ますた)ぁ……何処ですか?

 この清姫、貴方と離れると寂しくて堪りません!」

 

「初手にて敵の待伏せか。このローマは、カルデアに対してフランスと心構えが違うな……」

 

「…………」

 

 一人、忍びだけは無言の儘に悪魔を見ていた。不審な行動をすれば、即座に忍殺する心構えだった。他のカルデア勢も警戒しているが、忍びのそれは一つ次元が違う警戒心。殺気が漏れる前の、殺意が生じる直前の段階で抹殺することが可能な技量である。

 しかし、そんな忍びでも不足の事態と言うことはある。あの極致で自分達(カルデア)を救助しに来たと言うことで勘違いしてしまうのも無理はないが、あの場所でそれぞれの思惑が重なった結果、五つ巴となった戦場であった。

 ローマ陣営。カルデア陣営。ネロ陣営。反乱軍陣営。そして、監視していた灰の人。それぞれが、それぞれの理由であの場所で邂逅していた結果、今こうして出会ってしまった。

 

「ネロ・クラウディウス……―――へぇ、英霊としてもあんたはローマにいるんだ?」

 

「貴様は……」

 

 接触するのは、このローマで二人は初めてだった。偶然にも帝都の様子をこの2グループが監視に来ており、偶々カルデアの来訪を察知し、ローマ攻略の戦力として迎え入れる為に助けただけ。

 あるいは、危機的状況下であろうとそんな偶然を味方に出来たのが、カルデアの強みなのか。

 

「……まさか、ブーディカか」

 

 死後の知識としても、それは知っている。ネロの人生に直接的間接的に関わらず、女王ブーディカと言う女の人生を知っている。

 

「そうよ。ローマに蹂躙されたそいつだよ。尤もローマ(あんた達)からすれば、大勢いる搾取用の地方家畜に過ぎなかったんでしょうけど?」

 

「それは……ッ―――すまぬ。余は、もう語るべき言葉はない」

 

「―――あっそう。

 まだ恥とか、ちゃんとあるんだ。死んで覚えたのね?」

 

 恥知らずに生きて自害した女だものね、とブーディカは想いを言葉に隠す。それが分からないネロでもなく、同時にブーディカが恥辱を果たせずに自害した恥知らずの復讐者と自分自身を罵っていることも、聡明な彼女には理解出来てしまった。

 

「―――っ………そうか。

 そなたは、生きておるのか。あの余のと同じで」

 

「ふふふ……うん。そうだ。だからね、あたしは死人のあんたに問うべき想いはない。でも、ローマである貴様ら全員に殺意がある。

 憎んで、憎んで、憎んで憎んで憎んでも―――尽きない怨嗟が、あたしにはある。

 もう殺したいから、殺す。それで良い、それが良い。あんたみたいな女をこの世から消すのに、理由なんて高尚な人道は一切必要ないのだから!」

 

 憎悪に染まった約束されぬ女王の剣。その色の通り、憎悪の念が刀身に集まり出す。ネロが迎撃しようと大剣を取り出すが、それで攻撃して良いものかと悩む。

 ……少しだけそう苦悶するが、殺される訳にはいかない。

 受け止めた上で、謝ろう。死んでからでは贖罪など遅いのだろうが、まだ相手は生きている。

 

「はいはい、お止め」

 

「ほげぇ!?」

 

 背後に回った荊軻が、ブーディカの膝裏に膝蹴りをしていなければだが。正にその所業、空気を粉砕する膝かっくんであった。

 

「キミ、なにすんのさ!?」

 

「別に誰を恨んで良いが……そうだな。殺す相手は一人に定めたなら、浮気は止めるべきだ」

 

 キョトンと女王は、殺意も憎悪もない顔になった。恐らくは、それが彼女本来の表情なのだろう。

 

「…………はぁ、そうね。血迷った。

 すまなかったね、ネロ。本気で殺すところだった」

 

「そうか……」

 

 ネロは憎まれており、しかしそれ以上に憎悪すべき怨敵がいる。ローマに対する憎悪が、更なる憎悪によって憎悪に塗り潰されているだけ。ブーディカは英霊ネロではなく、暗帝ネロこそを全てを否定した上で殺し尽くし、同時にこの英霊は復讐の良い道具となる。

 手段を選ぶなど―――女王には赦されない。

 どうやら動機は違えど、現状から目的は一緒と判断出来る。

 

「貴公ら、森からは抜けられたが油断は出来ぬ。ネロと私で用意した馬車が有る故、カルデアの者共もそうだが、そちらの反乱軍の方々も使われると良いだろう」

 

 しかし、悪魔は物騒な雰囲気を良い意味で読まない。殺気立つブーディカを気にせず、平然と必要なことを話すのみ。

 

「我らにはブーディカの戦車があるが、魔力を温存したいので有り難いが……この大人数を乗れるのか?」

 

「心配御無用。人数を見越し、大型にしてある。私が作った」

 

「余も手伝った! とは言え、巨漢の二人は屋根の上に乗って欲しいがな……」

 

「圧政!」

 

「◆◆!」

 

 この悪魔は一体ネロのような美少女とこのローマで何しているのだろうと、所長はらしくもなく本気で疑念を抱いた。荊軻の質問にも、こうも淀みなく悠長に答える姿に違和感が凄い。もしかして味方側になるのと、ああ言う中々に気安い人格なのだろうかと所長は考えた―――結果、本当にそのようだと知りたくない事実が啓蒙された。

 

(隻狼。油断しちゃ駄目よ。あの悪魔、味方であることに嘘偽りはないけど、アッシュみたいに魂を偽られると全く意味ないから)

 

(御意)

 

 念話で短めに問答する。そして所長は、ロマニには通信を聞かれてカルデアの情報を余り悪魔に渡したくないと、通信機による会話を余りしないように命令済み。管制室としても所長の意見は賛成で、本当の緊急時以外ならば、所長からの指示がない限り沈黙を選ぶ。

 

〝ふむ……―――成る程。

 随分と警戒心が強いと見えるな。私なりに私を描き直し、気安い雰囲気にした筈だが”

 

 互いに、互いを見抜かれている事を悪魔と所長は理解し合っていた。狩人が所長を志し、悪魔が騎士を演じるように、本質的に不死は世界を碁盤(ゲーム)として遊ぶ役割を演じる者(ロールプレイヤー)に近いのだろう。空虚な自我にどのような色彩を描くのか、そんな自由だけが残されている。

 必要なのは、揺るがない意志一つ。

 魂さえも不確かな不死の存在にとって、寄る辺となるのは自分自身に他ならない。

 

「そろそろだ」

 

 悪魔とネロを先頭に、何も無い平原を進む。馬車と言ったが、そんなモノは千里眼を持つエミヤが周囲を見回しても何処にもない。それもその筈、重要な移動手段をそのままにしておく訳もない。隠蔽工作は十分に施され、目視不可の状態にして隠されていた。近付けば、悪魔が気取った仕草で指を鳴らし、透明化も解除された。

 全員が乗れる大型の馬車。超重量のそれをたった一匹で引くだろう騎馬の姿があり―――

 

「ひひぃん、呂布です」

 

「啓蒙高いわぁ……」

 

 ―――喋る馬を見たオルガマリーは、素でそう呟いてしまった。

 他の者は黙り込んでしまった。ネロとの邂逅で憎悪が溢れていたブーディカや、他のサーヴァントも、少し現実を受け入れられない。

 

「……うん。啓蒙高いですね」

 

 所長が二度呟く程のインパクト。例えるならその衝撃具合、秘匿を破った初見時のアメンドーズに匹敵する。そして、そもそも自分達カルデアが守ろうしている人理は、果たして如何なる未来を見通してこのサーヴァントを抑止力として召喚したのか?

 いや、召喚してしまったのか?

 メルゴーの高楼で冒涜的思索実験を繰り返すメンシス学派の連中でさえ、こんな珍妙な生命体を悪夢と言う異空間で生み出そうと考え付く事も出来ないだろう。

 

〝あれぇー……赤兎馬?

 そんな名前が私の瞳で見えるけど、え―――赤兎馬?”

 

 取り敢えず、生前からの責任者に問い正すことにした。

 

「バーサーカーのサーヴァント、呂布奉先。この……この、何と言うか、本当に何と言えば良いのかしらね? あぁもう分かんないけど!

 そのこの、えぇ……この馬のサーヴァント……サーヴァントって認めると、他の同属の英霊が怒りそうだけど。兎も角、貴方と生前からの付き合いなのよね!?」

 

()?」

 

「素で驚いてんじゃない!?」

 

「あ、呂布。お久しぶりです。天下飛将の貴方とまたこうして出会えるとは。この呂布、赤兎馬のように運命に歓喜しましょう!

 ですが、その身はどうやらバーサーカーである御様子。

 今は互いに別々、そして嘗ての戦友のように戦場を駆け回るが吉でしょう。

 人馬一体(レッド・フォーム)を超えた天下無双の真なる人馬一体(エクサレッド・フォーム)は、我らの魂が一体として邂逅する時まで我慢致しましょう!」

 

■■■◆■◆(ならば、良し)―――!」

 

「この呂布も、赤兎馬に乗る呂布として感無量ヒヒィン!」

 

 そして薄情なのが、カルデアのメンバーは全員が責任者である所長に対応を丸投げしていた。関わったら頭が狂うと判断し、森から脱出して早くローマ達から逃げようと言う緊迫感ある真面目(シリアス)な表情を浮かべ、内心では無の境地で全てを達観していただけだった。

 

「皆の者、急ぐのだ!!」

 

「素早く乗らねば、あのローマから生き延びられんぞ?」

 

「それはそうと御二人共、お疲れ様でした。この呂布、首を馬のように伸ばして待っておりました!」

 

「うむ。労り感謝する、赤兎馬。だが、今は本当に急ぐのでな」

 

「そうだな、赤兎馬。まるで馬のような首の胴体から、馬の面が生えているぞ。それは兎も角、人参だ。気張ってくれ給え」

 

「ヒヒン! 美味(UMA)い、馬だけに!」

 

 人馬に慣れているネロと悪魔。要求を聞き全員、一気に無口になった。喋ると気が狂いそうで、何かの間違いであの人馬(UMA)に興味を持たれて話し掛けられたら、何と返事をして良いのか全く分からない。

 カルデア全員の結論は満場一致―――ローマは地獄。

 奇しくも無言で心を通わせ、何の澱みもなくカルデアとブーディカ達が大型馬車に静かに乗り込んだ。

 

「ふむ。乗車を確認。忘れ物、無し」

 

「相変わらず変な所で生真面目だな、スレイヤー……いや、すまん。貴様といると何故か気が抜けてな、ぼやいてしまう」

 

「そうか。癖でな、心配症は治らん。ではネロ、行こうか」

 

「うむ。ならば赤兎馬よ、頼む。インペリアル・ドォムス、発進だ!!」

 

「―――ヒヒン!!」

 

 乗り込んで直ぐ、ネロの声で直ぐ様に走り出す。あのローマの森から脱出出来たと言う安堵と共に、感じられない敵の気配から敵地から撤退の成功を実感する。ブーディカ達四人もカルデア救出成功に達成感を持ち、ネロと悪魔もそれは同じだろう。

 なのにまるで―――お通夜のような雰囲気だった。

 ひひん、ブルブル、人参美味しい、と騎馬(ウマ)の人間の声にしか聞こえない唸り声と、平原を疾走する馬車の音だけが世界を支配していた。とは言え、それも数秒だけの事。

 

「―――はぁ……すみません。そして、ありがとうございました。

 私はカルデア代表のオルガマリー・アニムスフィア。状況も十分に落ち着きましたから、まずは互いを知る為に自己紹介をしませんか?」

 

 狭いからと屋根に登らされたバーサーカー(巨漢)二人は兎も角、言葉なくして信頼は生まれない。人理の危機と言う状況もあり、またローマ側にも人理側のサーヴァントが真名をバレているのもあってか、反乱軍のサーヴァント達はまずは簡易的に自分の名を明かし、立場も明かした。ネロと悪魔も同様に、反乱軍ではないがローマと敵対していると話した。

 

〝成る程。暗帝を名乗る生前のネロ皇帝と、変貌したローマ帝国ね……”

 

 全体像は見えてきたが、まだ細部までは分からない。何時もであれば瞳で以って見明かせるのだが、暗い深淵の闇が世界を簿やかし、真実を見え難くしている。啓蒙される知識にも限りがあろう。

 だが、今はその前に解決しないとならない疑問がった。そして、それを解決しようにも所長は自分が狩人で在る為か、獣に警戒され易いので適任ではないのが残念でならなかった。

 

「ちょっと、マシュ。あれが本当に馬なのか、聞いてみてくれる?

 ほら、その……助けてくれた人達との交渉は必要だけど、まずはあれが何なのかが先決だと思うのよ」

 

 月下の狂気から逃げられたと言うのに、何かもっと凄い狂気が所長からマシュは囁かれた。疲れから一息吐きたいと思っていたのに、そんな疲労感を吹き飛ばす指示が下された。

 

「え、いや……はい?」

 

「ほらあの馬……だと思うサーヴァント、一応そこにいる悪魔野郎の一味でしょ。それとなく、情報収集して欲しいのよ」

 

「はぁ……?」

 

「お願い。動物に嫌われ易い私だと、警戒されちゃうしね。それに、ほら……知能の高さ的には、あの馬もフォウもそう変わらないから。

 だったら、カルデアで最もフォウと仲良しなマシュなら、あの馬も話を聞くかもしれません」

 

「先輩。すみません……私、オルガマリー所長が何を言ってるのか、全く理解できません。悪夢を見てしまう程、疲れているのかも。

 どうか令呪を使って、私をレムレム睡眠状態にしてくれませんか?」

 

「くぅ……くぅ……スヤスヤ」

 

「―――先輩が寝ています!?

 それにスヤスヤとか、本当に寝てたらそんな寝言を言いませんから!」

 

「あらら。旦那様(ますたぁ)、御可愛い寝顔です……―――何時も通りに」

 

「清姫さん、今何と。何時も通りって言いましたか?」

 

「ええ。何時も通り、と」

 

「いえ……いえいえ。あれ、それってどういう意味なんですか!?」

 

「うん。マジでそれってどういうこと?」

 

「先輩、やっぱり起きてたじゃないですか!?」

 

「―――マシュ。さぁ、行きなさい。馬が貴女を待ってるわ」

 

「~~……ッ―――はぁ、カルデアのブラック企業! マシュ・キリエライト、任務遂行します!」

 

 馬車の御者席に向かうマシュの後ろ姿。あのような手合いを相手するのも良い経験になる。もし敵対者に珍妙な面白生物だこれから先の戦いにいたといても、ある程度は慣れることだろう。そんな事を蛇に巻かれた小動物みたいに清姫からホールドされる藤丸を見つつ、所長は親のような気分で考えていた。

 尤も、本当の目的は別だが。今のマシュは危うい。オルガマリーは他人に対する強烈な嫉妬と羨望の念が、狂気となってマシュの中に渦巻いているのを察していた。そう言う場合、自分の感情を忘れられるインパクトのある出来事があれば、その狂気の残り香を薄める事が出来ると判断した。狂帝の月光は、所長が思う以上に厄介であるようだ。

 ……等と、所長が考え事をしているとマシュは御者席から声を出していた。

 

「すみません。赤兎馬さんは、馬のサーヴァントで良いのですよね?」

 

「いえ、呂布ですから人間ですよ。ヒヒン!」

 

 馬車を引きながらも、彼は軽快にマシュの問いに答えた。

 

「あの……その鳴き声、馬では?」

 

「いえ、呂布です。人より少しだけ人参が好物なだけですから」

 

「やはり馬では?」

 

「恐らくは綺麗なお嬢さん……いえ、すみません。実は私、人間の美意識など分からぬのですが。まぁ、馬的にもお美しいお嬢さん、私は馬かもしれませぬが、それでも呂布なのです。ならば、私が人間であることも道理!」

 

「だったら、(UMA)なのでは!?」

 

「いえ、呂布です」

 

「で、でも……それって―――」

 

「―――アイ、アム、ザ、ヒショウグン!

 それ即ち、赤兎馬と共に在るべき男、リョフホウセヒヒィン!!」

 

「ヒヒィンって言ってますから! それに、呂布さん本人が此処にいますし!!」

 

「◆■■■!」

 

 マシュの言葉を肯定するように、屋根に居る筈の呂布は軽快に吼えた。

 

「いけませんね、お嬢さん。そもそも呂布は偏在します。三国志の常識ですよ、馬から見ても美しい御人。馬にとっても世界共通の事実ですので、今日から覚えて下さいね。

 あ、後。いっそのこと、馬面になってみません?

 そうすれば貴女も私と一緒に呂布れます。エンジョイ呂布ライフってものです」

 

「え、え…‥―――え、あ?」

 

 それはつまるところ、馬は呂布で、呂布は馬ではないけど、この呂布は馬で、なのに呂布は偏在し、そして呂布は馬じゃないけど馬だった。

 そもそも―――なんで、馬が喋っているのか?

 此処は本当に現実なのか、意味が不明。カルデアのベッドでまだ眠っているだけではないのか?

 マシュ・キリエライトは邂逅してはならない神秘が啓蒙され、ついに目覚めを得ない悪夢への門が開いてしまった。

 それは永遠の問い。

 解決しない思考の迷路。

 赤兎馬は馬ではない精神異常馬な呂布人間だったのだ。その答えが啓かれ、マシュは新たな知識が脳に入り込んでしまった。

 

「あ、あぁ……ぁぁああああああああああああああああ!!」

 

「藤丸、マシュが発狂したわ! カリギュラの月光に今まで耐えていたけど、それが祟って現実を認識出来なくなってきたみたい!!」

 

「でしょうね……ッ―――!?

 毒電波に耐えて逃げた先に居たのが、未確認勢物だったなんて俺も発狂したいです!!」

 

 クッ、藤丸は悲痛な表情でマシュを抱き締めた。気の狂った相棒を介抱するシリアスの場面と見せ掛けて、彼はマシュの柔らかい肉体を下心満載であやしていた。藤丸は決して、マスターと言う役得を逃がさない男である。尤も、彼も馬相手にそこまで真剣になれないと言うのもあったのだが。

 ……とは言え、現実を理解し始めたマシュは、自分の今の状況を察し、まだちょっとこのままでいようかな、と言うらしくない欲望があるのも事実。案外、似た者同士の主従なのかもしれない。

 

「あぁん、旦那様(ますたぁ)……―――まぁでも、マシュなら仕方ないですか」

 

「そう言う所、藤丸に見せれば良いと思うのだけど?」

 

 自分から放した癖に、残念そうな顔でマスターを見る清姫に所長は不思議そうな顔をしている。

 

「嫌ですよ。押してダメなら引けってことでしょうが、恋に理性的な駆け引きは無粋なのです。何より、わたくし、自分の想いに嘘は吐けませんから」

 

「へぇ……そうなの?」

 

「貴女は情熱的に人を好きになれない女でしょうからね。理解出来ないかもしれません」

 

「おお、情熱の愛か。恋バナは余も好きだ!」

 

「あー……ブーディカ。あの男の所為で頭がまだ狂気に酔っている。酒はあるか?」

 

「荊軻……今は、我慢しよ」

 

 そんな騒がしい空間から悪魔は前方を警戒するべく、馬車の御者席に移動した。空気を切り裂いて平原を駆け抜ける爽快感。大型の馬車であり、且つ大人数が乗車しているも、軽量化の魔術を施しているため騎馬の速力に見た目ほど影響はない。乗っている人の合計体重も小さくしている。それでも重いもの重く、成人男性数人分はあるだろう。

 しかし、その程度なら十分許容範囲内。赤兎馬の筋力と技能により、ローマから逃げ切るには十分。

 

〝灰から聞いたことがある……確か、混沌の魔女と雰囲気が似ていると思う”

 

 悪魔は平原を駆ける馬を見つつ、一人思い悩む。類似点は人間の上半身と、人外の下半身。そして、初見時のインパクト程度だろう。嘗て呪術王に呪術を教え、薪の王となった不死にも火を授けた魔女がこんな感想を知れば姉妹として、悪魔を大発火した後、炎の大嵐で消し炭にすることだ。

 

〝馬の英霊(デーモン)、これが人理か。

 焼かれたと聞いたが……いやはや、凄まじい。まこと、どのような業が渦巻いていたのやら”

 

 独りそう呟いた彼は、両手の人差し指と中指で枠縁を作る。まるで一枚の絵を描く芸術家のように、景色をイメージする仕草で、その枠の中の呂布を名乗る生命体の姿を入れた。

 

「この呂布、最高に今を駆けております。明日に向かって。ならば、そう……呂布とは昨日の赤兎馬であり、赤兎馬とは明日に駆ける呂布!

 ――ヒヒン、ブルルル。ヒヒィン……ヒヒィィィイイン!!」

 

 悪魔がゆっくりと下から上にアングルを動かす。気分は画家そのもの。馬の下半身、人間の胴体、そして馬の頭部。ほぼ馬だった。ギリシャ神話の半人半馬のケンタウロスでもない人外で、人間部分は二から三割程度だろう。

 悪魔の視界の中ではそんな呂布を名乗る馬が一人芝居でテンション上げ、馬車を引きながら爆走している姿があった。

 

〝火防女よ。私はボーレタリアから、随分と遠くまで来たものだ……”

 

 ついそんな感慨深い独り言を、悪魔が沁々と内心で呟くのも無理はなかった。そんな悪魔がネロと自分の工作で馬車に取り付けたサイドミラーで何気なく後ろを確認すると、有り得ざる光景が目に入った。

 例えるなら、地面に広がる巨大なアメーバのようであり、規模を考えると緑の津波と言うべき現象だった。

 

「ネロ、ローマの森が追って来たぞ」

 

「なに! どう言う事だ、スレイヤー!?」

 

 森が追って来るなど、普通ではない。だがしかし、此処は異常なる世界。ネロと共に、他の者も一斉に後ろを振り返った。

 ―――地面から生える巨樹。直後、歩き出す樹人。

 まるで世界を“侵食”するように、森林の範囲が逃げる場所を追い求めるように広がって行く。

 

「……ッ―――有り、得ない」

 

 オルガマリーは固有結界が自然と広がると言う現象を見て、一つだけ見知らぬ智慧が啓蒙された。

 

〝まさか……馬鹿なの、あいつ。これって侵食固有結界……?

 蜘蛛の惑星環境を侵食する水晶の異界じゃないけど、その固有異界を固有結界で再現したっていうの?”

 

 灰がフランスで自分を語った通り、強くなる為に手段を選ばない女であったならば、神々からも問答無用で神秘と奇跡を簒奪する人間だったら、その存在に興味を抱かない訳がない。ソウルの業としてだけでなく、魔力さえも結晶化させている術理の神秘。それが一つだけではなく、この人理の世界で再構築された新しい灰の業なら、参考にされた術者がこの世の何処かに存在する筈。

 異界が世界を侵す仕組みを、魔術師として理解したのだろう。

 あるいは最初の火の雷槍によってその結晶を砕き、手に入れたのかもしれない。しかし、それはあの蜘蛛を起こした事実を意味する。

 

〝あら、気が付きましたか。頭が良いですね、所長は。でも、炉の火を甦らせ、再誕した今の最初の火でしたら、無機物だろうと熱を与えて命を宿させ、死を持つ存在に作り変えられます。

 後は、何時も通り火の雷で砕けば良い話でしょう。命無き岩と樹の古竜を闇の生物が殺せる生命体へと落したように、死を持たない存在である時点で火の簒奪者には届きません。むしろ、死なずの不滅である方が殺し易く好都合と言うものです”

 

 魂を捏ね合わせて広げた画布に描く心象風景。名前のない侵食固有結界。

 灰がこの異界に強いて名付けるとすれば、固有結界「アウグストゥス」とでもするべきか。ローマの画布に描いたローマの絵画であれば、王家から帝国が始まったそれが相応しいだろう。しかし、模された神秘からすると、灰はまだ工夫が物足りない。

 

〝とは言え、まだアレが落下して来たばかりの火では、殺し切れる死の雷は不可能でした。

 実に残念でしたが、ソウルを少し奪えただけで、大穴で睡眠中なのを不意打ちで魂にまで届いただけでしたしねぇ……ふふ。反撃で殺されて、それでも挑んで更にソウルを削って、生死を繰り返し、結局は殺し切れませんでした。

 けれども、異星の神秘は面白い業ですもの。

 我ら簒奪者が殺せぬのは―――魂が終われぬ亡者の王のみ。

 人理焼却の馬鹿騒ぎが終われば、後一歩で殺せる手段がなかった異星生物も皆殺しに致しましょう。まだまだ目的には程遠いですね”

 

 変わらず何処かから遠眼鏡で戦場を監視する灰は、この森が何を真似て作られた異界常識なのか露見したことを見破った。

 持ち得る神秘と知識を混ぜ合せ、彼女はあの異界を作りたかった。だから妖精の魂、定命のソウル、古樹の槍、神祖、灰の業、原始結晶、異界常識を組み合わせた。幻想種が住む星の裏側に赴き、そこで遭遇した様々な生物の魂を貪った利益があったというもの。そこには勿論、妖精も生活していた。森の材料となるソウルは、既に最初から揃えられている。

 それらから生まれる何かを灰は観測していた。自分に発想力が欠如していると分かっている灰は、古い獣を苗床に定着させる為に、ローマで何かを行っていた。悪魔の騎士がこの特異点にいるのは恐らく、好奇心によってそれに誘われたから。

 

〝アッシュ・ワンは……―――駄目ね。まだ最奥まで見通せないか”

 

 出会った人物と、土地の異常と、特異点の歪み具合。所長はピースを一つ一つ嵌め直し、けれど何を目指しているのか辿り着けない。目的は新しい灰の業を得て強くなる為だと分かっているのに、どのような手段でそれを為そうとしているのか、全く理解出来る状況ではない。

 

「エミヤ。警戒を頼む」

 

「了解した、マスター」

 

 藤丸からの指示を聞き、千里眼持ちのエミヤが屋根に移動。

 

「迎撃戦ね。追い付かれたら、今度こそ逃げられないと思いなさい」

 

「はい、所長!」

 

「マシュ・キリエライト、了解しました!」

 

「……で、カルデアの所長さん。あたしたちにはどうして欲しい?」

 

 ネロと対峙した所為か、その気持ちを整理する為に黙っていたブーディカだが、状況がそのようなことを許さない。そもそもあの邪悪な森を訪れたのはカルデアを助ける為であり、ここで共倒れになれば本末転倒だ。

 考えた結果、命令系統は一つの方が良い。

 ブーディカはあっさりと効率的な選択を行い、何の葛藤もなくカルデアの指揮下に入った。

 幾ら人理の危機と言う状況で、ローマの絶望的戦力を見たとは言え、躊躇わずに自分と仲間三人の命を見ず知らずの他人に預けるブーディカに所長は驚いた。他の者なら寒気を感じ、彼女を不気味に思おう。

 しかし、事の流れは単純明快。その方がローマ殲滅の近道だと、復讐の女王(ブーディカ)の憎悪が彼女の魂に囁いていたから。だからこそ、一番効率的な選択肢を取れるのだろう。

 

「暗帝ネロが戦車で来る。そっちの戦車で空中戦をお願い」

 

「ま、妥当ね。でもあたしの戦車は攻撃性が余りないから、呂布は連れていくよ?」

 

「ヒヒン! ですが、私には馬車を引く任がありま―――」

 

「―――キミ、じゃないからね。赤兎馬は、このままみんなを守ってね」

 

「分かりました。では、私は引き続き走り続けましょう!」

 

 そして、森の侵食速度が馬車を追い越した。地面から生える巨樹はまだ遠いが、地面の緑化が眼前にまで迫っている。ここはもう平原ではなく、植林したばかりな幼年期の森と化した。

 世界が腐るように―――豊かな森が、生い茂る。

 嘗て版図を拡げた大帝国。それに倣うように広がって行く神祖の異界。ならば、皇帝達が諦めないのも必然である。

 

「余は愉しい。実に愉しい―――!

 偉大なる余の叔父上、どうかこの狂おしい舞台を照らす光となって下さいませ」

 

「ネロよ、当然である」

 

 森から飛び出した巨影―――暗帝の刑罰戦車は、一気に高度を上昇させた。暗帝、神祖、狂帝の三人が、馬車と森を見下ろしていた。

 

我が心を喰らえ(フルクティクルス)()月の光(ディアーナ)……ッ―――!!

 月下なる世界、広がる我らの安寧をご覧あれ。余に狂気を与えし月の女神よ。

 そして、月に狂った余に結晶する月光を授けた人間、我が姪ネロに愛されし女神よ。もやは我が心、月に代わって人間共を罰しようぞ!」

 

 日が昇る昼間が、暗い月下に覆われる。狂気へと誘う月光の導きである。天幕はまだ下りず、月に狂う皇帝が次の舞台の始まりを告げたのだった。









 カリギュラ:|且_<月に代わってお仕置きよ!
 実は特異点にカルデアが来るまでの間、ローマでは呂布陣営が三つに別れてしました。ローマ陣営に超軍師、反乱軍に飛将軍、ネロ&悪魔陣営にUMAです。そして、果たして呂布とは一体どのような概念なのか、馬の存在で一気に壊れますよね。

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啓蒙46:ローマン・ハイウェイ

 人によりますが、自分はアビゲイルと聞くと、最初にバスタードの彼を思い出してしまいます。



 月がまた照らし出す。一度耐えられたから、二度目も耐えられる精神干渉攻撃ではない。それは猛毒と同じく、人の心の中に蓄積していく病巣だ。

 

「あ”-……っ―――素面じゃあ、あれには立ち向かえない」

 

 荊軻は魔術で酔いを強めた酒を一気呑む。酒気が精神に混ざり、狂気を中和する。そして、戦いに赴く彼女が思い返すのは、月下で死んだ者達の最期。殺された反乱軍はローマに様々な殺戮技巧で虐殺されたが、中でも月の皇帝は性質が悪い虐殺者であった。

 人間が、生きたまま隣にいる人間を食べる光景。

 素手で人の四肢を捥ぎ、内臓を弄って食す光景。

 そもそも月光で精神が壊れて、発狂死する光景。

 生身の人間の軍団を相手にした場合、カリギュラは最悪だった。そして、それが平和な都市で意味もなく唐突に放たれた光景を、抑止のサーヴァントとして召喚された荊軻は見てしまった。

 

「元より、地獄か……」

 

 呟く荊軻の視界の中、世界を照らしながら地面に落下した月下の狂帝(カリギュラ)が、馬車に追い付く速度で疾走している。本来の落下軌道だと馬車に直撃する筈だったが、赤兎馬が更に加速したことで、落下地点が外れ、こうして今は自分の足でオリンピックのマラソン選手のように走っている訳だった。とは言えローマ皇帝であるので、こう言う催し物が大好きであり、カリギュラはとても愉しそうに狂い走っていた。

 そんな光景を馬車から見る荊軻に、今は出来る事は少ない。

 遠距離攻撃手段が短刀の投擲くらいしか持たず、このような状況だと守りに徹した方が良い程だ。それは忍びやスパルタクスも同様で、まさか馬車から飛び降りて戦う訳にもいかないだろう。

 

「取り敢えず―――死ね。蜂の巣よ!」

 

 よって所長がガトリング銃で先制するのも当然の帰結。しかし、カリギュラはそれら弾丸を全て避け切った。ジグザグと変則的な機動で走り、まるでガトリング砲の雨が降り注ぐ旧市街を駆け抜ける狩人のようだった。所長は自分も良く行う銃弾回避走行を見て、遠くからの機関砲撃では埒が開かないと判断。

 だからと言って、ガトリング銃を止める訳にはいかなかった。

 狂気と酒気に酔っている所為もあるのか、荊軻は隣でひゃっはぁーと弾けている女を胡乱気に見ている様子であった。

 カルデア所長、オルガマリー。先程まで藤丸立香と名乗ったマスターとマシュ・キリエライトと言うデミ・サーヴァントを、それとなくイチャ付かせる良い“悪”趣味をした魔術師だと荊軻は思っていた。どうやら月明かりで変な風に少女が狂い始めていたので、そのマシュを一気に赤兎馬(UMA)で発狂させたのは如何とは思ったが、後々に暴発するよりも直ぐに内側に溜まった狂気をガス抜きさせるのも効率的とは言えばそうなのだろう。そのまま精神崩壊しても可笑しくなかったが、藤丸と言う外的要素を巧く使ったと言える。

 取捨選択に全く容赦がなく、只管に効果的、且つ完璧な対応。やはり所長は、英霊と同じく頭に螺子が刺さっていない部類の狂人でもあった。根本的に、闘争と戦略に精神性が適合している。

 

「……ふむ」

 

 馬車後方から鳴るガトリングの重い発砲音(トリガーハッピー)

 屋根より暗帝の戦車を砲撃する射撃の演奏(ガン・パレード)

 だが、馬車が転ぶのは時間の問題。撤退における逃走経路上に、このままでは樹林が障害物として遮る事態となろう。追い付かれれば車輪に植物が絡まり、身動きをすることが出来なくなる。そうなれば、マスターやマシュを運んで高速長距離移動のは難しい。

 

「貴公ら、森の方は焼いておこう。迎撃に今は集中するが良い―――」

 

 侵食固有結界自体に対峙する必要がある。悪魔はそれに対する手段を持ち、限界まで極まったソウルを更に進化させた化身(デーモン)の人間である故に、ソウルの業も同じく深化している。

 古い獣の御守(タリスマン)が、魔力とソウルに轟き奔る。

 燃え上がる神秘は竜の神が放つ吐息に匹敵し、魂さえも焼き尽くす火炎となるだろう。

 

「―――火の嵐よ、焼却の時間だ」

 

 悪魔が乗る馬車が走りながら、その周囲から火炎柱が地面より吹き上がり―――美しい、と馬車にいる全員が思った。馬車を見下ろす皇帝らも、走り続ける皇帝も、世界が焼かれる光景に、何故か破滅的な感動を覚えさせられた。

 地獄の浄化だ。

 殺戮の祝福だ。

 噴出地点は溶岩溜まりとなり、ローマの森が火山口に変貌する。

 この世ならざる光景は、悪魔らしい華麗なる炎の業に相応しい。

 

「これこそ燃え上がる我等の覇道、ヒヒン!!」

 

 そして、馬が楽しそうに雄叫びを上げた。それもその筈、火の嵐も走る赤兎馬に合わせて地面から吹き荒れている。彼が走った足跡のように燃え、前方の進路以外全てが火炎地獄に作り変わっている。馬車を取り込もうとした緑の侵食は、赤兎馬が速く走るほどに焼き果てる。

 術者の移動に合わせた焼却地帯は、正しく地上を蹂躙しながら走る嵐のようだった。だが嵐とは本来、一つの場所に止まらず、常に吹き荒れ進むもの。

 ――自然災害として、深化したソウルの業なのかもしなかった。

 悪魔自身も乗り物に乗りながら、嵐を放つのは初めてであった。これならあるいは、自分そのものが嵐の目となり、魔術発動に長時間足を止める必要もないだろう。

 

「アンバサ……」

 

 燃える森を祈った。デーモンに殺害される生命へと哀悼する。神様と人々から崇められた獣の言葉は、魂が霧と消える最期に相応しく、悪魔が唱える業への示しでもあった。

 ――祈りとは、元より魂の徴。

 込めた感情に意味はなく、無感情でも構わない。祈祷とは、その(カタチ)にこそ価値がある。

 

「おい。英霊のネロと、デーモンスレイヤー……だったか?

 もう地上に逃げ道はない。補足されたこのままでは、何時か森に喰い殺されよう。よって逃げる手段の一つとして、私らが使って此処まで来た船が海岸にある。海ならば、ローマの森からも逃げられると思うが」

 

 一瞬で固有結界を焼き払う人外染みた男と、敵の首領と同じ貌をした英霊。荊軻は酔いが強烈な酒を一口呑み、月光に当たっても酒気に満ちた“傍若無人”の精神性で狂気を捻じ伏せ、しかしその酔いも狂いで醒める。酒気と狂気の内的衝突が彼女の精神で起こり、狂いはしないが酔いもせず、まるで二日酔いのように気色悪くて堪らない。

 気持ち悪くなるだけ――なのに、呑まずには要られない。

 

「距離はどれ程なのだ?」

 

「十里もない。最短で五里程度だ」

 

 顔色が最悪な荊軻を心配しつつ、ネロはその情報を吟味する。確かにこのままでは、逃げ切れない可能性が高い。

 

「赤兎馬への案内を頼む、荊軻」

 

「了解したよ、皇帝様」

 

 荊軻はそう今にも吐きそうな雰囲気で笑い、御者台に移動。だが、酔いがさめれば気が狂う。他のサーヴァントは自前の狂気や精神防壁で対処しているも、荊軻は素面の傍若無人では発狂を全て抑え付けられなかった。

 

「おや、如何されましたか?」

 

「進路変更だ。船を隠してある岸へ直行する。私が案内をしよう」

 

「承りました! にしても、酒気が強いです。そこで横になってはどうですか?」

 

「労わりは有り難いが、遠慮するよ。眠れば、そのまま悪夢から戻れなくなるからな」

 

「おお、なるほど。しかし、では何故、私はあの月明かりを受けても大丈夫なのでしょうかね?」

 

 元から狂ってるからだ、とそれを聞いた荊軻は断言する気力も残っていなかった。

 

「それは……まぁ、馬だからでは?」

 

「呂布ですので!」

 

 既に侵食してきた緑を焼き焦がし、炎の海は消えている。そして、全方位から障害物は消え去った。赤兎馬は荊軻の指示を聞き、一気に船のある目的地へと進路を変えて突き進む。

 

「うーむ……」

 

 となれば、ネロは手持ち無沙汰となった。屋根では遠距離攻撃を持つ者が射撃砲撃の嵐を為し、マシュは魔力防御とスキルによる円状障壁を馬車の周りに張り、藤丸はサーヴァントの援護をしている。ブーディカの戦車に乗せて貰う訳にもいかず、共に呂布がいれば十分だろう。

 

「暇か、ネロ?」

 

「……まぁ、な。余の方は、あの暗帝と叔父上に備え、白兵戦の構えておこう」

 

 香料を呑み込みつつ、悪魔は敵を見るネロに問う。返事は予想した通りだったので、ならばとソウルよりクロスボウを取り出した。

 それは悪魔にとって、秘蔵中の秘蔵。デーモンスレイヤーと恐れられた人間からしても、悪魔的発想から生み出されたオーバーテクノロジーであった。

 

「お。なんだ、これは? 何処となく、ロマン溢れる存在感」

 

「自作でな。名はない。強いて言えば、古代人の弩だな。元は巨大なバリスタを、ソウルの業で強引に小さくした」

 

 石造りの弩などローマにもない。見た目的には、箱に槍のような矢が装填されている形である。とは言え、使われている技術はソウルの業だけに非ず。

 冬木でカルデアが遭遇したように、この男は世界を漂う彷徨の流人。ソウルを喰らうことで魔術回路と英霊の霊基を自分の魂に取り込んだ様に、人が為す業は魂が腐る程に貪り尽くしてきた。

 

「うむ。成る程……―――で、威力の程は?」

 

「巨神を、撫で殺せる程に」

 

「素晴しいな。良し、では早速使わせて貰う」

 

「反動に気を付けろ。力まねば、死ぬぞ」

 

「分かっておる。余は、万能の天才だ!」

 

 凄まじい重量だが、ネロの右腕なら十分に扱える重さ。暗帝に捥ぎ取られ、腑の中へ捕食されたが、今は悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)の腕を移植して馴染ませてある。ソウルの限界まで強化された悪魔の腕ならば、片腕だろうと何の問題もないだろう。見た目は霊基に適するようにしてあるが、相手が神だろうと殴り殺せる神秘を持つのだから。

 それを持ったネロは、戦車で空飛ぶ自分(暗帝)を狙い撃つべく屋根に上る。

 上を見れば、真祖を乗せた暗帝が、同じく呂布を乗せたブーディカとドッグファイト中。エミヤが馬車より援護射撃をし、スパルタクスはその身で流れ弾を防いでいた。

 

「おぉ、圧政の暴君よ。己が手で、嘗ての己に叛逆する時かね?」

 

「返答に困る……が、今はその通りと言っておく。加勢しに来た」

 

 矢を撃ちつつ、遠距離攻撃手段に乏しいネロが来たことをエミヤは疑問に思った。一瞬だけ敵から標準を外し、横にいる彼女を盗み見し―――その、桁外れの神秘に脳が過剰解析(オーバーロード)を起こした。

 この世のモノではない古代技術。

 竜の神を殺す為だけに編み出された兵器を、個人兵装にしようと考えた狂気。

 挙げ句、更なる業を射出される矢に練り込まれ、一撃で魂を砕く魔術が仕込まれている。恐らくは、死を持たない神であろうと―――いや、死の無い化け物を死なせる為のモノ。

 

「ム……」

 

 丁度その時、ネロは好機を察して唸った。暗帝の戦車は地上ギリギリを飛び、それにブーディカが追っている。狙うべき状況であり、射線に味方が重なることもない。

 

「……スレイヤー。余の期待を、裏切るなよ!」

 

 引き金に力が入り――ドン、と轟音。

 弩なら魂殺しの杭矢が放たれた。悪魔の警告通り、凄まじい反動に襲われる。

 ネロの皇帝特権(射撃:A+)によって、狙撃の腕前は問題なく、的が空中を高速移動する戦車だろうと偏差撃ちも容易かった。超音速で飛行する戦闘機が相手でも、この技量なら対空狙撃が可能だろう。

 尤も神祖と暗帝も皇帝特権を持つ皇帝。狙撃では殺せない化け物である。

 神祖は皇帝特権(千里眼:A+)によって未来視を可能とし、暗帝も皇帝特権(直感:A)で危険を事前に察知していた。呂布の軍神五兵による射撃攻撃を対処するように、撃たれたと同時に回避飛行が行える。それも今は常に皇帝特権を使って周囲と未来を警戒されており、エミヤが偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)の狙撃に失敗した通り、ネロの狙撃もまた失敗した。

 

「ヌワァァアーッ!!」

 

 そして、まさか此処までの反動とは思わず、ネロは吹っ飛んだ。映画好きな藤丸がその光景を見れば、宇宙人の犯罪者を追い駆ける黒服のエージェントを思い出す程の勢い。

 

圧制(フンヌッ)!」

 

 同時に、バーサーカーの雄叫び。

 

「我が胸に飛び込んで来るとは。圧制の暴君、叛逆で鍛え抜かれし筋肉の抱擁に目覚めたか?」

 

「――目覚めておらんわッ!」

 

 とは言え、馬車の屋根から落ちる事はなかった。丁度良く真後ろにいたスパルタクスの御蔭でネロは無事。広めの馬車でなければ確実に落下し、ネロは森の養分にされていたことだ。

 

「兎も角、兎も角だ。感謝する、スパルタクス」

 

「戦友の為、盾となるのは叛逆者の嗜みである」

 

 スパルタクスに感謝しつつ、逆に同盟者である悪魔には憤怒が臨界突破(マックス)。あの悪魔は人の生命に興味関心が全くないからか、味方に対しても悪意なく即死トラップを準備する危険人物(ボンクラ)だった。

 ネロは悪魔の、予期せぬ吃驚箱のような処が非常に嫌いだ。この特異点で彼と行動し続け、何かに驚かず、心臓に優しい日を過ごしたことが余りにも少ない。

 

「この――ボンクラスレイヤー! 

 余、そなたのせいで落下死するところだった!!」

 

「安心しろ。致命傷だろうが、我が神殿で自家栽培する薬草がある。人間、草を食べれば万事問題なく精力が溢れるぞ」

 

 ボーレタリアの弩は、まこと残念な性能だった。悪魔はその反動もあってか、坑道の奥地にあったアレをいっそのことクロスボウで使いたい思い続け、それを可能とする業をやっと手に入れた。結果、ネロを落下死寸前にしたこの武器を作り出した。

 

¨……草、クサ。エリ草、エリザベートの草。略して、エリクサー?"

 

 ゲーム好きな藤丸が、とあるアイテムを思い出すも、今は関係ないと戦局に集中しようとした。だがフランスでカルデアの為に戦死した少女も連想していまい、ちょっとだけ彼は戦場から意識が離れてしまった。

 

「死んだらどうする!?」

 

「大丈夫だ。ソウルの業がある。私がいれば何も問題はない」

 

「そもそも、反動にも限度があろうが!?」

 

「警告はした。何より安全性の為、威力を下げるなど許されない。むしろ、本家よりも神秘を盛らねば」

 

「~~……ッッ――ボンクラの悪魔(デーモン)め!?」

 

「すまぬな。自覚ありだとも」

 

 馬車の屋根からネロは激怒し、何故か馬車内にいる悪魔は律儀に返事をしていた。カルデアは、何となくこの二人の関係性が分かりつつあった。

 そして気配を消し、悪魔を監視しながらも敵に構えていた忍びも、少しだけ冬木で出会ったあの強敵が懐かしくすらある。印象が変わり過ぎるも、だが脅威の程度は同じなのが恐ろしい。

 

「神祖殿……あれ、如何程?」

 

「うむ。当たれば、霊基が崩壊する。(ローマ)であろうと、あれは厳しい」

 

 神祖をして、あの悪魔(デーモン)は本物の悪魔。そして、太古に蠢いていた真性悪魔からしても悪魔となる人間の到達地点。手頃に何気無く出す道具であろうと、些細な見逃し易い動きでも、彼は本当に何を仕出かすかまるで分からない。

 そして、実は矢は戦車に掠っていた。完璧に避け切れず、双頭馬も足を負傷。電磁バリアの機能障害を起こし、飛行速度も低下してしまう。

 

「ヒヒン! 駆けます、呂布が駆けますぞ!」

 

 そして、暗帝の戦車が大きく回避行動を取ったことで、馬車から一気に距離が離れる。ブーディカも無理に追撃せず、その場から飛び去った。

 直後、更なる加速を赤兎馬は行う。

 悪魔によるクロスボウで暗帝(ネロ)神祖(ロムルス)と大幅に距離が稼げ、狂帝(カリギュラ)は悪魔が地上を火の嵐で噴火させ、それ以降は姿を見せていなかった。

 

「所長。少々マシュに、やり過ぎではないですか? 効率的ではありましたけど?」

 

 ちょっとした逃走中の小休止。標的が見えなくなったのでガトリング銃を撃つのを止め、一旦銃身を冷却していた所長に清姫は話し掛けた。

 

「清姫は優しいわね。でも、敵と邂逅する前に狂気は爆発させておいた方が、戦闘中に暴発するよりマシじゃない。

 ……私の経験上、戦ってる時に気が可笑しくなると手元が狂うのよね」

 

「誤魔化しでも嘘でもない本音な所が、(わたくし)からしても貴女が狂ってると思います」

 

「そうかしら? ……いえ、そうかもね。

 人の精神や人格を、数値で見るのは私の悪い癖かも」

 

 サーヴァントのステータスを数値化するマスター特有の透視のように、所長は人間の心を覗き込め、狂気や憎悪を含めたあらゆる感情をリアルタイムで視覚する。気が狂う、と言うタイミングさえも思い通りにする人間。愛憎に狂う清姫からしても、自分でさえ抑えきれないバーサーカーの狂気さえ、所長は十分以上に把握して会話を行っている。

 丁寧さや荒っぽさと言う次元ではなく、須く論理的。

 実際、既にマシュの内心に巣食っていた嫉妬と羨望の狂気は発散され、彼女は戦闘に集中出来る精神状態を取り戻していた。

 

「ふはは◆◆ハハ■◆■hahaは刃派覇覇覇ハハハ■■◆■◆■■■―――ッ!」

 

 全焼した上に溶岩地帯となったローマの森。

 その炎獄を独り――月光の狂帝は疾走する。

 狂おしい笑い声が鳴り響き、なのに彼はまだ全身が燃えていた。足が融けながらも一歩進み、また進み、サーヴァントであろうとも霊基が焼け熔ける筈なのに、男は問答無用で駆け抜ける。

 

「カリギュラ―――!?」

 

 所長が驚きの余り、その名を叫ぶ。彼女の瞳から見ても、あの火の嵐を受ければ特級クラスの英霊であろうとも―――否。英霊だからこそ、魂ごと霊基と霊体が焼き崩れる。霊核が保つ訳がない。本質は火力ではなく、ソウルによる魂魄焼却。魂が絶対的な不死でない限り、肉体ごと魂を灰燼に還すことだ。

 しかし、狂気の月明かりが彼を加護した。魂が焼かれているのに、その火に辛うじて耐え抜く生命力を与えていた。

 単純明快、対処出来ないなら我慢するだけ。余りに強引な解決手段であったが、可能にするだけの闇と魂を貪った。皇帝特権(火除けの加護)も合わされば、生存率は更に引き上がる。後は月光の大剣から流れ出る神秘を貪り、魔力として霊体を修復すれば良い。

 

〝何と言うことなの。何と言う―――これは……ハ。ハハハ、あははははは!!

 もう霊基だけじゃないのね。根源狂いの魔術師だって考え付かないおぞましき所業。人間にしか暴力を振わない神だって、そこまで人の魂を冒涜しないでしょうに”

 

 そして、溶岩地帯を生身で爆進中。皇帝特権(魔力放出(跳躍))により彼は足に魔力を纏って身を守りながらも、それをジェット噴射させて馬車に追い付いていた。

 神祖に匹敵する脚力。

 赤兎馬が馬車を引いて稼いだ距離が数秒で零となる。

 脳内でその狂気にオルガマリーは感動し、白痴がまた大きく啓かれた。そして、当たられた狂気の儘に月光(ムシ)の聖剣を脳髄(ユメ)から取り出す。

 死しても死に切れず蟲になった竜の大剣が相手ならば、同じ月光が相応しい。

 ヒトの()に住み着く神秘なる寄生虫(セイレイ)は導きの光と思い違われ、大層にも月光の聖剣と名付けられた。そんな哀れな男の武器こそ、蜘蛛(ムシ)に取り憑く寄生虫(ムシケラ)になってまで終わることが出来なかった白竜の狂気を打ち払える力となるのだろう。

 

「―――ネェェロォォオオオオ!!」

 

 カリギュラは走りながら月光の大剣を振い、狂気の光波を馬車へ放つ―――瞬間、馬車より聖剣の光波が解き放たれた。

 

「おぉおぉおおお! 正しく、導きの狂気なり!!」

 

 所長が振う月光の聖剣を刮目し、カリギュラは歓喜の余りまた月光を振った。同時に所長も聖剣を振い、光波を光波で相殺する。

 瞬間―――ソウルの光が、獣の写し身(タリスマン)から放たれた。

 悪辣にも程がある悪魔の不意打ち。魔力と殺意の気配も全く無く、眩い一筋の光と同時にカリギュラは右足を穿たれる。そのまま彼は地面に転んでしまった……まだ火の嵐で、溶岩になっている森の跡地で。

 

「ネロ、ねろぉお……ねろねろ、ネロォオオオオオ!!」

 

 そんな叫び声だけを置き去りにし、馬車は直ぐ様に戦線から離脱した。狂帝は一人、火沼の中に沈むのみ。

 

「容赦ないわね……」

 

「あの手合いには丁度良い塩梅だとも」

 

 魔術師の一工程(シングルアクション)より迅速な光弾射撃。宛らガンマンの早撃ちであり、デーモンスレイヤーによる簡易的な魔術行使は狩人の射撃能力に匹敵していた。そして、彼の魔術は思念操作によるある程度の弾道誘導効果も持ち、サーヴァントの霊核を一撃で砕く重みがある。

 カリギュラは咄嗟に月光の大剣で霊核を守ったが、その隙を悪魔に突かれて足を撃たれてしまっていた。

 

「そして、まだ死んでいない。貴公も、それは分かる実感であろう?」

 

「ふん。貴方みたいな怪人と、私を同じにして欲しくないわね」

 

「そうかね。同族意識を持つ私にとって、心が痛む解答だとも」

 

 胡散臭そうな瞳で所長は悪魔を睨んだ。読み取れる感情は、彼が本当に本心からそう想っていると言う信じられない結果。

 明らかに偽装された情報だが、この悪魔は魂から生じた心の底から「私は悲しい」と考えていることになる。あの清姫が無反応なのを見る限り、やはり根本から偽っていると思って間違いはないだろう。

 

「で、ネロ。変更した目的地はまだか?」

 

「そろそろだ……はぁ、やれやれ。にしても、やっと逃げ切れたか」

 

 海岸線が見え始めた。ここまで逃げ切れたのは、意味不明な程に神秘と工学による改造が施された頑丈な馬車と、凄まじい脚力を持つ赤兎馬の御蔭だろう。ブーディカと呂布も馬車に戻り、場の雰囲気に安堵感が漂い始める。

 その時、背後から地面を粉砕するけたたましい騎乗音が鳴り響いた。

 

「飛行速度が落ちたなら、いっそのこと地面を走れば良い……まこと、神祖殿は全能の天才であられます!」

 

「やめよ、我が子。世辞ではない褒め言葉は、(ローマ)とてこそばゆい」

 

 何故か童女のような満面の笑みを浮かべる暗帝と、ニタリと恐ろし気な笑顔となった神祖が馬車の背後より迫り来た。しかし、距離は大幅に離れており、向こう側も攻撃をする気配がない。これなら海に準備された船に辿り着き、沖まで一気に逃げられよう。

 だが馬車からゆったりと降り、彼女らの軍艦に乗り込む程の時間はない。しかし、まだ赤兎馬は速度を上げられる。霊基が崩壊する寸前の、後時速一キロを超えると霊核が軋み出す直前の、霊体が砕ける限界まで引き出されていない。生身なら血反吐を撒き散らし、血涙を出し、穴と言う孔から出血する程の臨界状態には至っていない。

 

「赤兎馬よ、速度を上げ給え。神殿産の自作人参、貴公との約束の三倍にしよう」

 

「ひゃっほー!」

 

 馬の鳴声も出さなくなり、呂布と訂正することもなく、赤兎馬は瞳を薬物中毒患者のように輝かせた。悪魔はとある猫らしき生物(なまもの)存在(ぽかぽか)する妖精郷で暮らしていた経験から、ソウルの業で無駄に空間拡張された無人の楔の神殿(ネクサス)にて薬草増殖用の畑を作っている。とある封印の塔や異星の舟も旅した経験から、由来も分からぬ植物も栽培していた。人参もその一つ。もはや開拓村だった。

 とは言え、悪魔からして英霊と言う概念は素晴しい。あの神殿も心象風景に由来する宝具となった故、こうまで自由に扱える部分もある。宝具や技能と言った新しい能力項目は、自分の魂を改竄する際の強化対象として実に有益だった。

 

「ヒヒィン! このまま乗り込みます故、衝撃に備えて下さい!!」

 

 結果、人参に釣られた赤兎馬は海岸に到着と共に馬車ごと飛び跳ねた。乗っていた者は当然の浮遊感を味わい、直ぐに着地の衝撃に襲われたが、そこは悪魔とネロのお手製馬車。壊れることもなく、衝撃も十分以上に吸収したため全員無事。

 しかし、まだ駄目だ。

 まだまだローマからの逃走劇を終われない。

 

「総員、準備開始せよ―――」

 

 カリスマ性が溢れたネロの雄叫び。彼女は理解していた。ローマ帝国は、敵が海に逃げた程度で諦める者らではない。森の侵略は海岸で止まるだろうが、追手はまだ迫る筈。

 故に、ブーディカらも効率性を考えてネロに従った。

 皇帝特権を考えれば、帝国から鹵獲した物を改造したこの中型軍艦も十分以上に扱えることだ。

 

「―――発進する!」

 







 悪魔が彷徨っていた世界ですが、取り敢えず、フロム系列と型月系列以外の場所は行ってません。クロスオーバー的に広げられる風呂敷は、キングスやシャドウくらいまでにしています。AC系列のロボを出しますと、対抗出来る鯖はカール大帝、オデュッセウス、エウロペ……と、考えれば以外とロボ持ち鯖っているものですね。
 ネコ精霊の妖精郷は、まぁフロムと型月が悪魔合体した産物だと思って頂ければ幸いです。猫の妖精さんたちが何処かの街の地下でぽかぽかしてると思って貰えれば大丈夫かと。


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啓蒙47:逃走海路

「……来るかな、マシュ?」

 

「来ると思います。あの執拗さからして、海に出られたからと諦める訳がありません」

 

 甲板で悪魔から人参を貰い、恍惚した馬面で食べるライダーのサーヴァントをボンヤリと眺めながら、二人は疲れたように呟いていた。

 馬車ごとダイナミックに乗船した経緯を思えば、水平線の彼方をゆっくり見る余裕も生まれない。

 

■■■■■■■(人参、旨いのか)?」

 

「何を仰る我が主君。あの呂布が、人参を嫌う訳がありませんから。もう全く……本当に嫌ですね、本物奉先は。

 兎も角、疑問でしたら貴方も是非、この悪魔産人参(キャロット)を食べてみます?」

 

■■(無用)!」

 

「ヒヒン、辛辣!」

 

 とある主従の種族交流を見つつ、これからのこの特異点について藤丸は考えた。

 

「………うーむ」

 

「先輩?」

 

「あ、うん。なに、マシュ?」

 

「いえ。ただ、そうですね。深く悩んでいたみたいでしたので、なにか相談があれば私にと」

 

「何と言うか、うん……そうだね。俺はマスターとして、今だからこそ考えないといけないことを、全く思い付けないんだよね」

 

「それは……っ――その、仕方ないことかと。

 私もデミ・サーヴァントの1人として、何をすべきか思い付きませんから」

 

 考えたが、答えなどなかった。対峙するだけで気が狂う怪物。空飛ぶ戦車に乗る黒い女。そして、もはやサーヴァントとして全能と錯覚する半裸の神なる人。

 フランス特異点でも、アレら程に濃いサーヴァントは余りいなかった。強いて言えば、清姫レベルの存在感だった。

 

「後、何でバーサーカーなのに、この特異点のサーヴァント達は清姫みたいに何処か理性的なんだろうね?」

 

「私も、それは疑問です。何ででしょうねぇ……」

 

「「……はぁ」」

 

 特にすることもなく、今は陸地を警戒する程度しかやることはない。この時代の軍艦は帆船なので速度も出ないと思っていたが、どうやら魔術が施された帆であるらしく、向かい風だろうと構わず猛スピードで進行方向に直進していた。

 

「この帆、神代の魔女の作品ね。ほら、よく視ると神言が使われてるわ。この匠の腕前、恐らく船乗りをしていた魔女でしょうね」

 

 そんな二人の疑問を察し、所長は平然と現代の魔術師なら一欠片も理解できない神話の魔術理論を見抜いていた。

 

「あれ、所長?」

 

「もしかして、所長もお暇なのですか?」

 

「暇よ、暇。エミヤがマストの上から見張ってるし、奴らが来るまで待機よ。後、水中の方も取り敢えずは、私の隻狼に見張って貰ってる」

 

「水中……え、どうやって?」

 

 それなりの速度で海面を移動する軍艦である。サーヴァントと言えど、水中での行動はそれなりの制限があり、マシュは忍びがどうやって移動しているのか気になった。

 

「縄に繋いで、海の中を泳いで貰ってるの」

 

 原始的過ぎて、マシュは一瞬だけ思考が宙に登った。まるで宇宙空間に放り出されたフォウのような、例えようがない呆気に取られた表情となる。

 

「……それ、もしかしなくても拷問なのでは?

 海賊の処刑方法で、そんな残虐なものがあったと思います」

 

 マシュの脳内で忍びは今、海中を網に掛かった魚のように引き摺られ、ぶつかる水圧で頬が震えて凄い表情になっていた。

 

「大丈夫、大丈夫、隻狼だし。何でもヤオビクニって言う尼の破戒僧から、水中で呼吸する業を盗んだんだって」

 

 人魚の肉を食べた不老不死の僧侶。だが葦名にて虫に取り憑かれ、宮の貴族より疎まれ、破戒僧として宮の門番を務めていた。元より女は人外を食したことで不死となった者だが、土地神と神なる竜の神秘が混ざり合う葦名の水は人魚を食べた肉体に寄生虫を宿らせていた。

 

「狼さん……そうやって、所長の言う事は安請け合いしちゃって」

 

「はい。狼さんは少しその、所長の無茶ぶりを何でもあっさり叶えてしまう傾向にあります」

 

「何を言ってるのかしら、貴方たち。隻狼は私の、私だけのサーヴァント。彼が求めるモノを私は全て与え、私の望みを彼は全て完遂させる。

 それが、理想的なマスターとサーヴァントの主従と言うものじゃない?」

 

 夜空の星々のように、所長は爛々と瞳を耀かせる。

 

「……独占欲、強いよね」

 

「自覚はあるわよ、そりゃあね。でも藤丸、貴方だってマシュがカルデア職員じゃなく、サーヴァントとして私の言うことを聞いたら、やっぱり面白い気分にはならないでしょう?」

 

「―――それは、まぁ……ノーコメントで」

 

「素直ねぇ……いえ、そう思えば清姫がいるんだもの。嘘の臭いを嗅ぎつければ、背後からボアっと丸焼けだったわね」

 

「――嘘と聞いて」

 

「ほら、凄い嗅覚」

 

 アサシン並みの気配遮断。殺意より尚も禍々しい愛情を隠蔽して行動するストーキング技術は、別の悪夢に侵入する狩人狩りとしても見習うべきだろう。

 

「しかし、やっと一呼吸出来ますね。この清姫、旦那様の安珍粒子を中々摂取できず、思わず敵を焼くのに必要以上に焚けてしまいました」

 

 神祖をコンガリ焼く際、頭部が竜化したのはそのためだった。

 

「アンチン、粒子……?」

 

「はい、安珍粒子です。マシュ的には、先輩粒子ですかね」

 

「先輩粒子――成る程、なるほど……?」

 

「へぇ。藤丸ってば、コジマ粒子みたいなのを放射してるの?」

 

「俺、そんな珍人物じゃないっす」

 

「嘘はいけません、旦那様。貴方は何だかんだで、奇特で素敵で罪な御方。罰として特に意味もなく、大好きホールドとかしてみます!」

 

 と言って、清姫は何時も通りにマスターに襲い掛かるも、何故か直前で動きが止まった。そして、顔が熟した林檎のように真っ赤となり、唇がわなわなと震え出す。

 

「あ、あー……と、清姫?」

 

「ま、旦那様(ますたぁ)……す、す、すすす――」

 

「――好き?」

 

「ひゃ…う、うぅぅ……そうなんですけど、そうなんですけど!?」

 

 何度も言われた言葉を藤丸が言うと、言い慣れている筈の清姫がまるで初恋を自覚した思春期の少女となってしまった。

 

「カワイイ」

 

「可愛いです」

 

「使者並みにプリティー」

 

「何なのですかコレ!?」

 

 何もかもが混乱し、清姫は狂化ではなく、普段なら愛の狂気に呑み込まれている筈の羞恥心で狂いそうになる。

 何時も通り狂えないことに、彼女は狂ったように混乱していた。

 

「すみません、所長。何故、自分は恐怖を感じずに、キヨヒーを可愛いと思えるのでしょうか?」

 

 思わず、素の敬語で藤丸は真顔になってしまった。

 

「カリギュラの宝具の副作用よ。あれは人に狂気を植え付けて狂わせるけど、最初から理性にデメリットがあるバーサーカーの狂化に対し、それを狂わせることでまともな理性と感性を甦らせるのでしょうね。

 スパルタクスや呂布も、狂化ランクの割には結構理性的でしょ?」

 

「確かに」

 

「所長の言う通りですね。私たちの精神にとって猛毒ですが、バーサーカーの方々には逆に良薬となるということですか」

 

「そん、そんな……そんな馬鹿な。我が愛の全ての、旦那様に向ける極限愛(らぶまっくす)に限って、まことに有り得ません! 

 (わたくし)ともあろうものが、あの月光程度の発狂で、自分の愛情表現に羞恥心を持つなんて!?」

 

「信じられないの?」

 

「当然です!」

 

「じゃあ、藤丸に好き好き大好き愛してるって言いなさいな」

 

「良いでしょう!」

 

 むしろ、そんな馬鹿みたいに恥ずかしい台詞を真顔で言う所長の心理状態が、藤丸とマシュは全く理解出来なかった。如何程の修羅場を潜れば、表情を変えずに羞恥なく言えるのか、不思議で仕様がない。

 

「す、すす……すす好好き、(ずゅ)き、大好ギィ……」

 

 だが、煽られた清姫は余りにも悲惨。汗が大量に湧き、滑舌は鈍り、瞳が藤丸の姿を映せば脳が麻痺した。

 

「……あ、愛、愛し、愛、あ、あいあああ、愛してるぅゥ―――!」

 

 結果、清姫気絶。蒼く澄んだ海の果てまで、愛の悲鳴は届いたことだろう。

 

「これが、トキメキ……?」

 

「そう思えば、清姫さんって12歳でしたね」

 

「いっそ、このままにしたい位だわ」

 

 とは言え、羞恥による気絶も一瞬。白昼夢だと錯覚したい彼女であったが、眼前の藤丸を直後に視認し、全てが現実だったと再認識する。

 

「―――っは!?

 私は一体、どうしてこんなにも!」

 

「清姫。狂愛に蕩けぬ甘酸っぱい恋がね、それなのよ。普段は愛も狂ってしまってるけど、今の愛情こそ等身大の少女が持つべき感覚。貴女は今、天を越えて積み上げられた金貨よりも尚、素晴らしい感情を手に入れた。

 実感しなさい。

 感動しなさい。

 歓喜しなさい。

 カルデア所長として認めます――ユー、キスしちゃいな、ヨー!」

 

「ほ、ほ、ほほほ―――ほぇ……」

 

 その脳内妄想(イメージ)だけで脳が湯で煮え、思考が沸騰してしまい、清姫は四つん這いとなってダウンした。何時もなら望んでいることなのに、今は果てしなく破廉恥な行為に思えて仕方がない。

 愛する儘に、愛に狂えないギャップ。清姫はサーヴァントとしての狂化だけでなく、生前から継ぐ愛憎の狂気が弱まっているのを実感していた。

 

「……殿方へ、無理矢理に接吻を迫っていたとか、端から見てどうなのでしょう。性欲が強目だと思われても仕方ないのでは?

 私は……あぁ、わたくしは―――!」

 

 藤丸は何時もなら押せ押せな少女が、自分の今までの行為に羞恥する姿を見て、ちょっと満更でもない感情が湧くのを抑えられなかった。

 新手のギャップ萌え、と彼は新境地を啓蒙された。

 性癖とは深めるばかりではなく、また高め続ける思考だけでもない。見えない部分に日の光を当て、(ひろ)く知ることも大切であった。

 

「そもそも、旦那様の前世が安珍様な訳がないのです。魔女のダルクが喋ってた通り、恋に狂った女の病気だったのですね。

 清は何処まで……死んでまで夢を見続けるなんて、私ってば本当に馬鹿」

 

「え、今更?」

 

 所長の何気無い一言が、狂気から素面になった清姫への止めになった。しかし、船に乗るのはカルデアだけではない。

 土気色の顔で穏やかな笑みを浮かべる白い装束を纏ったサーヴァント――荊軻が、清姫の背中を酷く優し気な手付きで撫でていた。例えるなら、路傍で口から吐瀉しそう酔っ払いを介抱するような雰囲気で、ちょっと場違いではあったが。

 

「あ”-……どうした、竜の少女? 倒れているのを見ると、貴殿も酔ったのかい? 一緒に、海に吐きに行くか?」

 

 しかし、残念。荊軻の中では、清姫は船酔いでゲロを我慢していると思われていただけだった。そして、酒気の酔いか乗り物酔いかの違いはあるが、荊軻視点だと今の清姫はゲロを根性で我慢している仲間だと思われていた。

 

「―――違いますから!」

 

「なんだ、違うのか。では、一杯如何?」

 

「はぁ……ぅ――いえ、今は我慢します」

 

 一瞬、呑んで全てを忘れてしまえと考えた。だが、寸前で何とか清姫は踏み止まった。その会話を聞いていた所長は、少しだけ嫌な予感がしたが、念の為に荊軻へと注意することにした。

 

「荊軻…‥ちょっと良い?」

 

「あぁ、どうかしたのか?」

 

「今は海に吐くのは止めてね。私の隻狼が偵察の為に海中に潜ってるのよ。別に吐瀉しても隻狼がゲロ塗れになる訳じゃないけど……ほら、精神的にね?

 バケツとかなら、エミヤにでもパパッと投影させて準備させるし」

 

「―――すまない。本当に、すまない。

 私は共に戦った仲間に対して何と言う仕打ちを……ック、英霊として無念だ」

 

「……そ、そう。そうなの。それ、隻狼には黙っててね。マスターとして、何も言えないもの」

 

 狂帝の月光対策として、自分のスキルである傍若無人と悪酔いを使う荊軻に文句など所長は言えなかった。好きで此処まで酔っている訳でもなく、二日酔いの辛い状態でも更に酒を呑み込んで戦い続けている事を考えれば、素晴しい戦士の戦意に敬意も示す。

 なので、彼女は黙秘を選んだ。

 別に衛生的にも忍びには被害がないことを考えれば、取るに足らない出来事だ。心情的には別だろうとも。

 

「―――エイメン」

 

「間が、いけなかったのです。全ての間が悪かった……それだけの、ことなのです」

 

 全てを悟った藤丸は自然な動作で十字を切る。そしてマシュは、沈痛な顔で人間と言う生命体の摂理を呟いた。正しく、真理開眼。ローマの森から逃げ切れ、あの嫉妬と羨望に狂った月光にも耐えたのに、マシュは何故か世界が悲しくて仕方がなかった。

 それと藤丸が思わず基督教的な反応をしてしまったのは、新しい家族だと錯覚している可能性が捨て切れないカルデアの姉なる存在の為であった。彼女の言葉が、日常レベルにまで汚染している証拠でもある。弟や妹の無知蒙昧な白痴を開くと言う意味において、啓蒙とは全く以て其れで良いのだ。

 

〝まぁ、良いかしらね……カルデアに害はないし”

 

 バレたら外道の謗りは間逃れないことを考えつつ、所長は悪魔とネロの様子を盗み見する。

 

〝……ウーム、速さか?

 いや、鋭さだな。相手と精神の呼吸を合わせる同調作業、と。

 しかし、本音を言えば暗銀の盾を使いたい。魔術や宝具、あるいは魔力放出などのあらゆる魔力的干渉を完全防御出来るのだが、獣の写し身と同時装備するとソウルの業が弱体化するからな。

 あぁ、戦術の選択は何処までも実に悩ましい……ふむ。とは言え、考え事はこの程度。盾は無に専心せねば上達せぬ”

 

 何か、盾で素振りをしていた。ブンブンチャキチャキ、と効果音が鳴っている。所長の見た雰囲気、敵の攻撃を受け流すパリィの練習だろう。そして、相手の体幹を崩す為の弾き防御も取り込んでいる。

 攻撃し続ければ、体幹を一瞬で崩される。

 見切られれば、パリィで体勢を崩される。

 どうやら、技術吸収は順調な様子。所長も所長で、霊的ラインで繋がる忍びから業を学んでいるので、悪魔の気持ちも分からなくはない。

 

「貴様、また珍妙なことを」

 

「日々の鍛練が、人間を人間として成長させる。それだけのことぞ。そう言う貴公は、船の操縦は良いのか?」

 

「自動運転だ」

 

「ほう、またハイテクノロジーな」

 

「中々の魔術で運営されているようだな。使う程に面白い。船乗りの使い勝手の良さを考え、隅まで手の届く魔術式(システム)で構築されておった」

 

「成る程。それは……―――ふむ。面白いと貴公が言うのも理解出来る。

 私もまだまだ学が浅く、無知を開拓し、見識を広めたい。参考にさせて頂こうか」

 

「反乱軍は壊滅したと聞いたが、噂は当てにならん。装備も良いのが揃っておる。

 残党をまた軍勢にするのも、まだまだこれ程の魔術師のサーヴァントがおるならば、難しくは有れど不可能ではないやもしれん」

 

 皇帝特権(騎乗:A)で乗り物を完璧に扱うネロは、反乱軍に鹵獲され、改造された帝国軍艦に搭載される機能に少しばかり興奮していた。焼却された人理における現代文明の高速船以上の速度で海面を走り、波紋を足跡のように残してローマから遠ざかっている。

 憎むべき相手。いや、今も尚、尽きぬ憎悪を向ける暴君。ブーディカはそんな女に自分達の軍艦の操縦を任せ、甲板に置かれた荷物を椅子代わりにして座り込んでいた。

 

「はぁ……何だかね、この状況。世界はもう、とっくの昔に壊れてるのかな」

 

「問われるまでも無し。ならば、人間を圧政する世界に叛逆するまでのこと」

 

「キミはシンプルだ、スパルタクス」

 

「逆行に抗い、敵を打ち破り、勝つ」

 

 敵との殺し合いで傷付いた肉体を確かめながら、その痛みを何時か解放する次の戦場を喜びつつ、半裸の巨漢は笑みを常に浮かべている。

 

「我らがやるべきことは、戦局が如何あれ何も変わらん。将であるアルテラが暗帝に囚われ、反乱軍が残党となり、多くの仲間が惨殺された。

 だが希望は……必ずや、生き延びたその先に存在せん。

 失われようとも、足掻くことこそ人間の証明であれば―――叛逆者は、決して勝利を諦めぬ」

 

「そうだね……うん。まぁ、ローマに負けたけど。でも足掻いた結果、こうしてまた未来への目途も立ったしね」

 

「そうだとも。ならば憎悪に呑まれたとしても、お前はせめて人間で在れ」

 

「―――人間。ふ、ふふ……ふふふふふ。忘れていた。あたしはまだ英霊じゃなく、人間だったね。全部ぐちゃぐちゃになって、もう何年もずっとわからない。

 けれど、こんな体になって……こんな様に堕ちて、本当に哀れじゃない?」

 

「あぁ、哀れだ。お前も私も哀れである。しかし、それが人間だ。そして、自他に憐憫を抱く人間性からは逃げられぬ、決してな。

 故に我ら人間は、奪われた魂を圧政者から取り戻せるのだ」

 

「あぁ、憐れね。あたしもキミも、奴らから奪い返したくて堪らない」

 

 呼吸をするだけで憎悪が胸の内(ソウル)から湧き出る。復讐の女王は、ドロリと生温かい闇が薪と焚べられ、怨嗟の炎が燃え上がるのを実感している。

 

「アルテラは取り戻す。もうローマ共から、これ以上何も奪わせない。皇帝共も、一人も残さず皆殺しだ。この特異点に魂も残すものか。

 そうだとも、これは―――叛逆。復讐の闘争だ。

 死んでしまった者を思い返す為の、尊厳を殺された我らが唄う怨嗟の叫びだよ」

 

 その復讐心は生々しく、死後の英霊では持てない憎悪であり、魂を燃料に燃え上がる怨嗟であった。フランスがそうであったようにローマもまた、その今を生きる人が人を殺すのだろう。そして、殺戮によって怨讐が生まれない訳もなく、戦場で復讐鬼など何一つ珍しくない。

 家族を殺され、仲間も殺され、憎悪する相手の何を――赦せと言うのか。

 彼も報復に燃えるブーディカと同じだ。叛逆の英霊(スパルタクス)は圧政者を何一つ赦さず、また他者にそれを求める事も許しはしない。弱者を救う為に立ち上がった解放者で在るからこそ、ローマが憎いと叫ぶ女が救われる為に圧政者(ローマ)の死が必要であるならば、喜んで奴儕を討ち殺そう。

 

〝……うぅーん、憎悪の怨嗟が混じった殺意。ネロを百度殺しても晴れないわね、あれは。

 英霊だったら確実に怨霊化してるけど、観測した情報から……ジャンヌ・ダルクと同じで、憑依された生身の人間のようね。

 でも、抑止の手回しじゃないわ。そっちは多分、英霊ネロの方でしょう”

 

 この特異点における相関図は見通せた。誰が敵で、味方で、仲間に出来るのか。所長は、カルデアの所長として全体を把握し―――危機を、脳の瞳が目視する。

 同時に、見張りをしていた弓兵と忍びの二人から知らせが来た。

 カルデアの全員がそれを受け取り、一瞬で戦闘状況に移行。他の仲間もそれを察し、周囲に感覚を研ぎ澄ませる。

 

「―――来たわね。

 藤丸、エミヤとの連絡宜しく」

 

「了解!」

 

「マシュは守りに徹しなさい。船が撃沈すれば、もう逃げ場はないわ」

 

「マシュ・キリエライト、了解しました!」

 

「……ほら、それと清姫。自分の思い人(マスター)は自分で守りなさいよね?」

 

「と、とと当然です。分かっていますとも!」

 

 そして、ブーディカとネロ達が所長の方へ近寄って来る。今はまだ互いに互いを完璧にフォローし合う連携は取れないだろうが、必要な情報が交換するのが人理を守護する兵士の義務。

 

「あたしと呂布はまた戦車で出る。空から来る暗帝は何とか抑え込むけど……うん、そっちの援護に結構頼るよ?」

 

 ブーディカは酷く冷静だった。憎悪の儘に殺気立つも、自他に対して冷徹なまでに理論的。戦力差を理解し、暗帝を殺す為にカルデアの戦力を存分に利用する所存である。同時に、カルデアにとってもそれは勝利に近付く利益でもあり、目的を共有するも志しが違う利己的な関係(ビジネスパートナー)となっている様子。

 しかし、今はそれで良い。エミヤにも対空防御による制圧射撃は任せており、ブーディカの戦車もカルデアには必須な戦力である。

 

「エミヤが対処するわ。彼なら十分以上でしょう」

 

「そうだね。あのアーチャーだったら、申し分ない戦力だ。じゃ、またお願いするよ。連携も、さっきよりかは取り易くするつもり。

 後、彼は船に置いとく。狂化持ち(バーサーカー)だけど、ちゃんと話を理解して協力してくれる」

 

「おぉ、カルデアよ。この世界を焼く圧政者共に、叛逆の一撃を与えよう」

 

「わかった。じゃ、呂布とエミヤの射撃でクロスファイアとします」

 

◆■■■■◆◆■■(我が武勇、刮目せよ)!」

 

 無駄な会話をせず、作戦は一瞬で決定する。適材適所であり、且つ作戦成功への効率的手段。いざという場合の奇策も用意してあるが、今は殺害よりも撃退が優先される。

 既に、目立つ程の魔力の波動が大気より伝達されていた。

 遥か数km(キロ)は上空、戦車は海上から雲に隠れて見えないが、禍々しい存在感が轟いている。確かなことは、暗帝と神祖(あの二人)が船をもう発見している事実のみ。

 

「うむ。空中格闘(ドッグファイト)はそちらに任せよう……だが、叔父上は何処だ? 向こう側の余の戦車には乗っておらんのだろう?」

 

「アレは下よ。潜って来たわ。いやはや、私だったら上空から戦車を飛ばして囮にし、海中から気配遮断して不意打ちするって作戦を相手側だったらするから、奇襲に備えて警戒したけど……ふふ、ドンピシャリ。

 ――あぁ、狩りはやっぱりそうだもの。

 人狩りを行う狩人は、そうやって戦術を練るのが醍醐味だからね」

 

 爛々と瞳を光らせる所長は蠱惑的で、心臓を握り潰す圧迫感に溢れている。味方である筈のネロでさえ、自分の心臓の鼓動が早まる音が鼓膜まで伝わり、掌から汗が少しだけ掻く。しかし、一切その表情を出さず、むしろ頼りになると笑みを浮かべた。

 

「そうか……で、叔父上はどうやって? 泳いでか?」

 

「ええ。鯱や鯆みたいに海中を泳いで来てるって、私の隻狼から報告が」

 

「余が言うのも何だが、皇帝特権はまことに便利よな……」

 

「私らを静かに狙う海の殺し屋ね。(オルカ)の真似事とは、洒落の効いた皇帝様だわ」

 

「当然ながら余も出来る故、不可思議ではなかろう。それと暗帝と神祖は最優先抹殺対象だ。決め手は多い程、此方が有利となる。

 対空戦は余とスレイヤーも参加するので、叔父上の方は―――」

 

「―――成る程。じゃ、あれはこっちで狩っときます」

 

「うむ。任せた」

 

「とは言え、臨機応変に宜しく頼むわよ?」

 

「勿論だ!」

 

 立て掛けておいた悪魔お手製の古代人の弩(クロスボウ)を取り、ネロは即座にエミヤが昇ったのとは別のマストに登る。そして、悪魔もネロと同じマストの天辺まで上がった。

 

「ネロ。それの反動による落下は気を付け給え」

 

「分かっておるわ! 余はまだ死にたくない故な!!」

 

「そうか。ならば良し」

 

 取り敢えず、馬車と同程度に船のマストが頑丈ではないと、反動で折れるかもしれないと悪魔は考えたが、言わなくても分かるだろうと判断。まるでラトリアの細道で待伏せされてストームルーラーで吹き飛ばされるファントムやデーモンを殺す者の一人みたいに落下するだろうが、その時はその時で良いかと割り切った。サーヴァントであれば、高所から落ちても死にはしない。

 静かにそう思考する彼は古いルーンが刻印された呪術儀式用の小型直剣(クリスナイフ)を、一瞬で腰に付けた幾本もの鞘に全て備える。そして、他の武器と同様に限界まで鍛え上げ、自前で更にルーンを刻んだ特別製(それ)を右手に持つ。序でとばかり、欠月強化した道具や、魔術行使に有益な指輪も揃えている。

 そして―――古獣の御守(ビーストタリスマン)を左手に持ち、神の写し身へ祈るのだ。

 これこそ、移動砲台と化した魔術師としての完全武装。能力と補助する道具は互いに効果を高め合うことで、悪魔本来が持つ神秘以上の理力を強引に引き出すことだろう。

 

「来たか、暗帝―――!」

 

 皇帝特権(千里眼:C)でネロは、雲を突き破って襲来する―――自分自身(ネロ・クラウディウス)を見た。

 

「ふぅふははははははははあはははははははははははは!!!

 余がローマの敵を……ッ―――否! この世界を滅ぼさんとする悪鬼羅刹共を逃すものか!!」

 

 大気を振わせる嵐の雷鳴(シャウト)と錯覚する大音響。皇帝特権による発声スキルではあるが、演者としては大根役者であり、歌手としても音痴な声であり、しかし宣告としてはこれ以上ない威圧感。重力が増したような圧迫を聞く者に与え、意識を硬直させる冒涜的な声。

 狂気とは、こう轟かせるべきもの。殺意がうねり、敵意が声となって具現する。正に天罰を与える皇帝の言葉であった。

 

「―――ローマ。その名は始まり(ローマ)なり!

 (ローマ)の愛より建国されし大帝国(ローマ)こそ狂気(ローマ)を永続させる根元ならば、我ら皇帝(ローマ)は愛と人の浪漫(ローマ)をこの世界で叫ばねばあるまい!!!

 それこそが……我らこそが、人間(ローマ)であるのだと――――ッ!!」

 

 戦車に乗りながら両手を上げ、ワイ()の字のジェスチャーをする神祖。そして、彼は樹槍を虚空に浮かばせ、建国の加護を暗帝の戦車と騎馬に与えた。

 永続狂気帝国(インペリアル)―――即ち、七つの丘より建国された世界。

 ならば、建国王である神祖もまた同様の存在。愛し子を祝福するのは当然であり、暗帝は神祖と樹槍の愛を受け入れるに足る(ソウル)に至っていた。

 

「―――まこと、その通りかと!」

 

 等と言いつつ、実は神祖(ローマ)が叫ぶ言葉(ローマ)が何を意味するのか今一分かっていない暗帝は、だが勢いだけは理解して鹵獲された帝国軍艦に突っ込んだ。そして周囲にソウルの結晶を浮遊させ、戦闘機の自動誘導ミサイルのように準備。戦車に搭載された原始結晶を魔力炉心にすることで、鱗の無い白竜の吐息に匹敵する殺傷能力を持ち、その上で今は神祖の加護が施されている。もはや、一つ一つが巨人の弓兵が放つ竜狩りの矢に並ぶ突破力を持つことだ。

 高まる結晶の魔力。放たれるのは―――狂った結晶槍(クリスタル・ソウルスピア)

 眼下の軍艦を撃沈するべく、帝国の暗い狂気はまた空の彼方より襲来する。










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啓蒙48:命の雷気

 エルデン・リングの発売が何時なのか知りたいです。



 灰と戦神。あるいは、火の簒奪者と竜狩りの王。

 マスターとサーヴァントの契約を結んだ同盟関係であり、しかし戦神はフランスにて死んだ筈。とは言え、もはや戦神にとって死とは日常。肉体を幾度も殺されようとも、魂が不滅である為、どう足掻いても滅びる事は不可能である。

 

「ふぅ……あぁ、何て悩ましい事なのでしょうか。聖杯を混沌に入れれば、どんなデーモンに変貌するかと思ったのですが。

 やれやれ、愚かしい出来事でしたね。

 無様、且つ愚鈍で平凡な暴力ですか。

 火より悪魔は生じると言うのに、人より生じる悪魔は魂に人間性を抱かないとは」

 

「………」

 

 雲より下の海は、荒れていた。天候で荒れ狂っているのではなく、そこを戦場として殺し合う者達の戦火により、大気が焼き爛れ、爆音と共に海面が波打った。

 

「しかし混沌もまた、最初の火から見出だされた魔女の炎。何よりも最初の火は太陽となり、神が織り成す火の時代全てを記憶しています。例え詐りの太陽に塗り潰されようとも、火は陽となり、月もまた日の光で輝き、地上を記録するのです。

 それを奪った我ら灰も必然、黒い太陽となるのでしょう。

 ソウルがそう成り果てるものならば、何もない器の空白こそ魂の有り様かと」

 

「――………」

 

「貴方も、そう思いませんか?」

 

「……―――」

 

「そうですか、言葉は不要と。寂しい反応ですねぇ……ふふ。まぁ、仕方が無いです。

 アレらしくソウルを成り切るには、徹底して本当は無口じゃありませんとね。あの神は、言葉など誰であろうと必要としませんから」

 

 海面よりも遥か上空。自分の探求成果の一つ、ゴーレムとして生んだ竜より雲海を見下ろす女は悍ましく、そして黒い太陽のような瞳を溶岩のように煮え滾らせていた。同時に何も映らない空白の目玉でもあり、人間でありながらも人間らしさがない人形のような表情でもあった。

 その背後、男が一人。彼は何の音も発さず、静かに黙り込んでいた。女の長話もまた、彼からすれば啓蒙高い先生の話と同じく無価値であった。

 

「しかし、あれより生み出るのは四つ目の巨人。混沌の聖杯へと香木代わりに入れた生贄の反英霊も、観測した平行世界の冬木を参考にしましたのに、所詮は見慣れた世界の日常。あんな程度の者による殺戮など、空爆で街を焼き払うのと何も変わらないニンゲン共の営みです。

 殺戮。虐殺。有象無象の皆殺し。

 有限の生命を積み重ねる所業の軽さ。

 不死の我らよりも、命が安い人間の世界が灰の私に見出される何て、最高の皮肉です。我らはその無価値さに何の意味も見出さず、されど寿命ある者共は無意味な行いに価値を感じるとは、実に面白可笑しい人間性の在り方でしょう。

 本当にこの人理と言う太陽(カミ)に偽りの理で、自ら望んで照らされている霊長と言う種族は、我ら不死とは魂の姿形が似ているだけに………」

 

「……………」

 

 それ故に、ローマの宮廷魔術師の思想は面白いと彼女は考えた。その言葉通り、自分で捏造した“人間の魂”がそう思ったことを客観的に本来の何も無い空白の魂で観察し、何も感じずに善悪を失くして物事を思考する生粋の人間(ヒト)だった。

 火の簒奪者は―――人間でしかない。

 魂が不死であるだけであり、生命は生死を繰り返す。故に最後は皆こうなるしかない。それこそ、最期が無い故の最後。

 彼女が世界を超えて語り合い、殺し合う同類の簒奪者達も、個々人が抱いていた筈の使命も目的も亡くせば……いや、亡者になっても魂から意志を失えなかった故に、こうなっていった。

 ―――差異がない。

 魂に違いなど欠片も無い。

 終わりまで辿り着いた灰ならば、それこそ必然。

 行き着く魂は何もない空白の器だった。所詮はただの入れ物だった。

 最初の火を奪い取った亡者の灰だからこそ、魂は空っぽだった。違いがあるとすれば、同質同量の魂が持つ意志の差異であり、人間としての違いではない。人間は、やはり人間と成り果てるしかない。永劫を理解した人は、そうなるしかないのだ。

 

「全く以ってあの宮廷魔術師、シモン・マグスには困ったもの。予想通りと言うのは思考回路の袋小路であり、また生き迷う求道者の末路でもありましょう。

 前回は……観測されたあの宇宙の神秘を使いましたが、この度のグノーシス主義はどうなるのやら」

 

「……………」

 

「あら、ずっと黙っていられては私の可哀想な独り言になってしまいます。何か思う事があれば、思う儘に喋って頂けないと」

 

「―――……下らないぞ。だが、貴公の戯言は無価値ではない。

 我ら簒奪者は魂を亡くし、だが魂より生じる人間性を抱く意志こそ本性。故、魂に差異無き人の時代を創り上げる者であればこそ、同時にその所業に一切の価値を見出さず、繰り返される残り火の時代を延々と永遠の中で彷徨う亡者に過ぎぬ」

 

「ふん……何ですか。何を喋ると思ったら悲観的とは、実につまらないですね」

 

「逆に我が感想を言おう。つまらないと、その様なつまらない感情を思う魂で偽る貴公こそ、やはりつまらない人間である。

 しかし、貴公は我ら簒奪者に次なる世界の萌しを与えた簒奪者の兆し。

 原罪の探求者、アン・ディールを継いだ女。亡者と人間性を克服せし不死の末路。

 それ故に我ら簒奪者は、火よりロンドールを見出した。最初の火を奪い取った業も、所詮は糞団子程に無価値な我らの世界は、そもそも人を生んだ闇さえも理の内側でしかなく、火も闇もソウルが形を変え、またソウルより生まれた人の業である」

 

「自分の事を戦神だと勘違いする精神異常灰でしたら、戦神の儘でいて欲しかったのですが?

 ロンドールの王として火と闇の神秘を全て手に入れた末、犯され続けたあの女神から奪った折角の生まれ変わりの権能も、厭わしい簒奪者の気分で使い潰されては、蛆虫に等しい指共も浮かばれませんよ」

 

「だが、魂とはそう言うものだ。闇ならば、尚の事」

 

 無名の王の格好をした誰かが、そんな戯言を口から垂れ流していた。人間の身長を超える巨体も何故か今は縮み、灰と同じ程度の背丈となってしまっていた。

 

「原初の、大いなる戦の神……雷神の子……太陽の光の神の王子……だが、たかだか神風情、何万匹も喰らった所で簒奪者の灰は満たされぬ。

 強大な竜狩りの神の魂とて、器である我らにとって雨粒の一つでしかない。

 人も神も魂の一つでしかなく、そこに優劣はなく、錬成炉の材料になるか否かの違いでしかない」

 

「流石はあの戦神を無傷で、更に素手で殺す変態さんですね。私も出来るとは言え、戦神を探求するが為に戦神本人を万も超えて幾度と殺す灰は、言動も異常と言えます。

 ……まぁ狂えないから、我らはこの様なのですがね」

 

「だが、灰とはそうあるべきだとも。例え神とて、何時かは必ず殺め、そして無限に至らずとも如何様にも殺し方は可能となる。

 欲するならば―――まずは、殺し給え。

 願うべき相手のソウルを奪わねば他者の理解には程遠く、故に我は竜狩りを探求せし太陽の簒奪者で在るだけよ」

 

 自分を戦神だと思い込む事など灰は出来ない。精神に異常を来す事も不可能だろう。しかし、底無しの器である灰ならば……火の最後の時代を繰り返す灰達なら、無限に同じ者の殺し続け、思う存分にソウルを奪い続ける事が出来た。

 

「何を今更なことでしょう。そも魂を根源とする時点で、我ら簒奪者からすれば餌でしかないではないですか。魂を拠所にする生命など、所詮は意志無き有象無象。

 肉体も、精神も、魂も、同じ次元の概念です。

 差異となるのは器に過ぎない魂ではなく、それより生まれた深き低次元の人間性となるのです」

 

「あぁ、そうだとも。しかし、思いなど空虚であったのだよ。

 もはや神々が求めし最初の火さえも、我ら簒奪者は己が闇の穴を炉してソウルとする。故にもう、手遅れである。人間でありながらも、灰は神を罵倒する言葉も失くした。

 例え、何も無い空白の魂……器の灰でなく、一人の戦士としてその信仰に焦がれようとも、しかし我は灰でしかない」

 

「いえいえ。まだまだ、そちらは最初の火に関して探求不足でしょうに。神々の火を全て手に入れ、孔を抱く暗い魂となり、あらゆる不死の魂を奪い殺せるとは言え、魂そのものが死ねぬ我らの終わりには辿り着けていないのですから」

 

「最初の火か……あぁ、愚かな事だ。差異を与える火であると言うのに、我ら簒奪者は全ての者が火を抱き、故に差異のない魂と成り果てた。

 ―――そうだとも。

 世界が数多に並列するならば、火もまた必然。

 葦名に数多いる受肉せし我ら簒奪者の、その霊体は世界を焼く闇の薪であればこそ、時代を古き灰の世界に戻す我ら灰に差異など有り得ぬのだろう」

 

「その為のこの世界ですよ。絵画を焼いた外側も、また誰かの描いた世界でしたが……永遠を無限に繰り返す我らの世界とは違い、この宇宙には熱量に限りがあります」

 

「故に、私は太陽の戦神を見出せた。太陽の戦士である故に……」

 

 アッシュと名乗る灰により、この灰は本物の戦神に転生することが出来た。ソウルを奪われても死ねず、魂が殺されても死ねず、不死を否定されても終われず、しかしそれが火の簒奪者。そんな魂を作り変えることは絶対に不可能であり、無尽蔵の魂を混ぜ込んでも全てを喰らう簒奪者は自分を決して亡くせず、ならば考え方を変える必要があった。

 だからこそ、転生など無用。

 最初の火を頂く者は女神の蛆虫にさえなれず、魂を亡くしても意志無き亡者にさえなれず、どう足掻いても終われない。

 

「……あぁ――感謝するぞ。貴公は、我ら数多の簒奪者に外側を啓蒙した。

 この魂、好きなように使い給え。奪うも犯すも自由自在。所詮、魂さえも我らは不死。

 奪いし火より再現するロザリアの権能であろうとも、我ら空の魂は空白の儘でしかろうが、貴公の魔術によって我らのソウルに求めし魂のラベルが張れるのだからな」

 

「感謝するならば、私ではありませんよ。狂おしきは、何時であろうと我々のような終わった存在なんかではありません。

 ですので……えぇ、人理の尖兵(マシュ・キリエライト)を作成した魔術師―――マリスビリー・アニムスフィアに祝福を、どうかソウルの底より送って頂きたいものですね。

 デミ・サーヴァント計画。

 英霊の霊体との憑依関係。

 本来ならば灰の魂で消化してしまうソウルを憑依させる為の、この世界の神秘ですよ」

 

 精神に異常が起きない灰に、思考回路を狂わせる強力な自己暗示の基点。万を超える戦神のソウルを、そのソウルに保有する灰でも自分を自分以外に思い込む事も出来ないが、そう望めば娯楽の一種として葦名に召喚された簒奪者達はこの灰の神秘の業により、デミ・サーヴァントの霊基として弱体化することが可能だった。

 何故ならば、魂の強さと言う観点から見れば―――火の簒奪者に、神格が勝てる訳もなし。

 憑依を望んだデミ・サーヴァントの“灰”ではあるが、そもそも本人の方が遥か格上。しかし、因果を繰り返して集めた幾つも戦神のソウル達であれば、この灰は戦神に“サーヴァント”として霊体を深化させることが可能であった。

 

「あの少女か……ふむ、素晴しい人間であったな。我ら灰のような作り物とは思えない」

 

「それは当然のことです。彼女の魂は天然ものですからね。科学技術で作られた肉細工であり、精神も病室で培養された無垢ではありますが、魂だけは本物です。

 灰である我らは、ソウルもまた寄せ合わせの作り物。

 私達のような……魂を器にする人間からすれば、吹けば消える霧に過ぎない魂に尊厳を見出せるこの世界の人々は、幼いが故に無垢であると考えられるのでしょう」

 

「成る程。人間として発生した存在ならば、そも命も魂も使い潰して良く……そのソウルの真理を知らぬ者ならば、世界の業にまだ魂が穢されておらぬのか」

 

「手加減をする程に、貴方からすれば彼らはとても可愛らしかったのでしょうね。あの死に方は迫真の演技でしたよ。

 私の……私が作った太陽の光の―――王子様?」

 

「念願であればこそ、王子のソウルは良き感動であった」

 

「ふふふ、良い負けっぷりでしたねぇ……」

 

「人に敗れてこその神。何より貴公が呼んだ簒奪者の灰など、葦名に百以上は存在する。その内の一匹に、我のような変わり者がいるのも必然だろうて」

 

 ならばこそ、第一特異点の戦神は死ぬべくして死んだのだろう。灰は戦神を渇望する灰の為だけに、自分自身の魂と因果さえも偽りの記憶で捏造し、自分が召喚したサーヴァントの願いを叶える故に道化を演じた。

 とは言え、言葉通り自分の魂を好き勝手に弄る女である。ロンドールの支配者である簒奪者の灰となった者ならば容易い事であるが、本来ならば魂の作り変えは転生を意味する。神であろうとも許されない禁忌であり、そもそも別存在に変貌する自殺行為であるが、魂が死ぬ程度で“(イシ)”が消えるなど最初の火を持つ灰は決して許されない。

 

「分からないものです。太陽の戦士としての信仰に、火の簒奪者になってまで拘るとは」

 

「我は、太陽が欲しかったのだよ。薪などと言う憐れな神の傀儡ではなく、欺瞞のないあの日の火こそ……そうだとも、亡者でなければ手に入らぬなら、躊躇わぬことが灰の本懐だ」

 

 戦神の衣を纏う簒奪者の灰(亡者の誰か)は、既に失った灰となる前の記憶が疼き続けていた。何も覚えていない筈で、ソウルも空っぽの亡者に成り果てたのに、目的を見失った渇望だけが幾度も墓から甦っても忘れられなかった。簒奪者となった今さえも変わらず、魂が求めていた。

 人間だった頃の―――ソウルの、業深き因果。

 何もかもを奪い去られた裸の儘で埋葬された不死の一人に過ぎなかったが、それでも彼はこの灰と同じく一つの因果に捕えられていた。

 

「我ら太陽の戦士……その象徴である太陽の長子―――無名の王。

 貴公の御蔭で、その彼の思いを真に受け継ぐことが、亡者の果ての簒奪者に過ぎぬこの身に出来たのだ」

 

「友よ……―――無論ですとも。

 所詮は差異なき炉の灰でありますれば、貴方が希う渇望もまた喜ばしいことなのです」

 

「感謝を述べるぞ。あぁ……―――太陽に、我はならねばならない」

 

 言葉など、そもそも戦神には不必要。亡者と同じく枯れた無名の王が、言葉を喋るなど有り得ない。何よりも、人間に語り掛ける言葉などあるものか。

 だが尚も言葉を発するならば、戦神のソウルを受け継いだ誰かの意志なのだろう。そして火の簒奪者は無尽蔵の器である故、神の魂を何万柱も貪っても満たされず、例え並の神格を遥かに超える最強の戦神であろうとも何ら問題はなかった。

 

「亡者となって最初の火(タイヨウ)を奪い去ったのも、この願いに因果が欲しかった故に。

 信仰せし男を幾万も殺して、ソウルを奪っても理解出来なかったのは虚しいが、貴公によって今はこうして一心に意志を融け合わさった」

 

「であれば、私も苦労をした甲斐がありました。でも面倒事は大好きですので、厄介事は幾らでも持ち運んで下さいねぇ……ふふふ。

 人の為に魂を使うこともまた、人生の愉しみですから。無駄な徒労なら、さらに良いのです」

 

 葦名に召喚され、だがそこは灰の時代でも火の時代でもなかった。デミ・サーヴァント(もどき)として太陽の竜狩りになった簒奪者の一人は、眼前の灰に倣って同じ様に自分のソウルを考える儘に作り変えた。そして、魂を別存在に転生させたと言うのに、戦神は灰と同じく自我と意志を失う事もなく、最初の火に燃えているのに魂そのものが不死でしかなった。

 何ら、自分自身が変わることはない。

 けれども、それでも()戦神(太陽)を理解することが出来たのだろう。

 

「悪趣味だな、貴公」

 

「まさか。嫌ですねぇ……ふふふ。太陽を奪った変態性に富む他の灰共からすれば、私程度の灰なんて一般人に過ぎませんよ。人間性に満ち溢れた人間的な真人間であり、少しばかり最初の火の使い方が他の簒奪者共よりも賢かった……ええ、それだけの話ですとも。

 私が葦名へと集めた簒奪者の中では、有識的常識人と言っても過言ではないのです。魔術王の獣に焼かれたこの世界で、私はヒトを知り、ヒトを学び、ヒトに堕ち、人智を得て、とても人間的に成長しましたから。

 尤も道理など、我ら灰は世界ごと自分達自身で焼き尽くしましたからね。旧い時代の全てから太陽を奪った私達が、何を今更と言う話です」

 

「然り。だが世界を照らす太陽こそ、我ら不死にとって悍しき神の欺瞞。奴等は最初の火から、あの温かくも大いなる日の光を生み出した。

 そうだと理解したが、あぁ……だがその火は、我にとって全て。

 最初の火を簒奪したとしても、この身はそれ以上の太陽を欲するのだ」

 

「因果ですね。まぁ、私も同じですから。否定はしませんとも。何よりも、獣を焼くのに最初の火は幾つ有っても足りません。簒奪者となった灰の数だけ、世界を焼き照らす太陽はあるのです。何ら特別な事もない訳です。

 魂の根源を燃え滓の薪にするにはねぇ……ふふふ。我ら灰の楽園である葦名には、私に召喚された灰の数だけの太陽がありますれば……けど、けれどもね、やはり一つの世界に太陽は一つだけで良いのでしょう」

 

 余りにも優しい貌を創造し、灰は静かな笑み浮かべた。何もない空白で、善悪も本当は実感することもないのに、暗帝が呼ぶ女神の名に相応しい笑顔であった。

 

「故、我は太陽には決して届かぬ。だが人間性を知った今、我が手は届くだろう。

 太陽のような男を知れば……尚も遥か強く今よりも深化し続ければ、あらゆる簒奪者が届かぬ我らさえも温める太陽へと」

 

 太陽を愛していた灰が信仰すべき神―――無名の王。だが、太陽そのものを自分の魂の内側に簒奪した戦神(もどき)は、神々の記憶(ソウル)を全て保有している。もはや火の時代自体が彼の魂に取り込まれている。葦名に召喚された数多の簒奪者らは例外なく火を宿し、そして戦神の灰は太陽を求める内に探求の灰と同じく、只管に強くなることだけが残された。

 何故なら、もう彼は太陽と成り果てた。絶望を焚べ、目的を叶えた。

 残り滓として魂に残留する灰と為る前の願望。それを簒奪者の灰として叶え、だが灰故に彼は永遠に終われない。

 

「太陽の戦神……俺の太陽よう……俺が太陽……―――いや、我こそが太陽」

 

 不死だった自分など全て忘れたと言うのに、彼は太陽に取り憑かれていた。簒奪者を渇望したのも、暗月の欺瞞ない太陽を手に入れ、火の太陽として燃える為だけだった。灰として忘我する前の不死だった頃、彼は自分が戦神(太陽)を求めていた誰かなのだろうと理解し、だがもはや不死の魂を失ってしまった。

 魂を亡くした故に灰は灰。空の殻の孔。

 太陽だけが、ソウルの中で輝いていた。

 灰とは、真にそう在るだけの器だった。

 

〝あぁ……名も姿も分からぬが、燃え殻となった友よ。

 貴公もどうか、貴公だけの太陽があらんことを……その貴公を忘れた灰として願おう”

 

 だが火の太陽を得た灰の一匹に過ぎなかった男は、戦神と言う神に消された名無しの太陽となる好機に巡り合えた。それを可能としたのが灰と成る前の、まだ人間と呼べた只の不死の記録。嘗て最初の火の炉へと向かう誰かを霊体となって見送り、そして大王から火継ぎした友の後ろ姿だけは忘れられず、故に戦神(不死)は太陽となる火にならねばならない。

 薪の王―――太陽に焼かれる贄の名。忘れてはならない燃え殻(ソウル)

 それに辿り着いた執念こそ、微かに残る不死だった頃の名残り。

 自分自身を失ったと言うのに、霊体として見送った誰かの影だけがまだ意志としてソウルに残留してしまった―――

 

「そうだとも。太陽となったならば、我は燃やさねばならん。既にもう終わった悲劇であるならば、闇で以て輝く簒奪の陽光で魂を照らすのだ」

 

 ―――太陽万歳、信徒達の祈りの所作。彼は身の内で燃える光に祷りを捧げた。

 

「その通りですとも。我ら簒奪者は、太陽の火です。そして、火を焚く人骨の薪を喰らう炉であれば、我らの身はただの闇でありましょう」

 

「然り。ならば、この永遠を続けよう。やがて全てが我らと同じ燃え滓となるのだとしても」

 

 相手が誰であろうと秘するべき思いも、差異無き灰なら隠す意味もない。だから、これから話す灰の話も所詮は戯言であり、何処かしらの剪定された世界も含めれば霊長にとって別段何時もの人間的悲劇の産物。同時に、人理を運営する焼却された汎人類史においても、過去に起きた歴史の一幕でもある。

 即ち、如何に足掻こうともこの二人は人間であった。

 こうやって訪れた自分達とは別の絵画(人理)は、自分(不死)達が描いた人理(絵画)と別種の悲劇が世界として存在しているだけなのだろう。

 

「あぁ、それと戦神(太陽)ごっこに夢中な貴方に朗報です。実はこの人理に囚われた人間共も、私達と同じ様に太陽を見出していたのですよ。

 科学なる人の業、ローマは実験場に丁度良さそうです。何よりカルデアのエネルギー供給源にもなっていましてねぇ……ふふふ。時代や文明の基盤に取り込まれまして、ある意味で焼かれたこの世界は太陽の時代が始まったばかりだったのです」

 

「ほう、それはまた―――素晴しいことだ。

 自分達を容易く滅ぼせる神を、制御も出来んと言うのに作ったのか。ならば世界ごと道連れにする可能性の未来は見出され、やはり人はどの世界だろうとも火に焼かれる途に辿り着くのだろう。

 だが、太陽とは世界を焼く存在。

 人類として生まれたソウル共で在るならば、火の中に消えるのも暗い魂の本懐」

 

「文明など、所詮は幻影だと言うのに。まるで火に焼かれる身の程知らずの蛾でしょうに。ですので、最先端の文明技術もカルデアで私は学ばせて貰いました。カルデアの科学技術の閲覧はマリスビリーさんとの契約でしたから。

 特異点に相応しい最高の舞台劇―――……私が見た、人理が運営する文明の太陽です」

 

 愚か過ぎて救えない、と灰は人間共を理性的に断言しなくてはならないだろう。彼女の中身(ソウル)はそうやって人々の営みによって惨たらしく絶命した人々の魂が細胞のように集まり、まるで生物のような塊になって出来上がっている。灰そのものはもはや何も無い空白の器に過ぎず、そのソウルは苦しみ死んだ人間の魂の結晶に過ぎず、故に死を超越した意志だけが灰の自己証明。

 灰の(ソウル)は徹頭徹尾―――死した人の集合存在。個とは器であるべきなのだろう。

 ならば最新の兵器(太陽)もまた同様な死の在り方。この世界の人間共が見出した太陽の証明。だから、目を逸らしては決してならない。どんな世界であろうとも、人はやはり太陽に焼かれる。人理が肯定する文明を尊ぶ人々は自分達の火によって腐った絵画を焼き払い、自分達の自業自得で消え去るのもまた可能性の一つ。

 

「うーん、正しく現代で言う所のDIY兵器ですね。流行りに乗るのも文明人の嗜みです。

 もう地獄は準備してありますので、反乱軍残党を木端微塵にするところ、カルデアの皆様方に貴方達の叡智によって出来ましたと見せなければいけません。

 ……善悪、生死……人の業―――ソウルより、愉しい限りです。

 私は強くなれればそれで別に良いのですが、何故この世界の人間はこんな営みを愉しめるのでしょうねぇ……フフフフ。それならせめて、この地獄と殺戮が、どうか我がソウルとなった皆様の弔いになれば無価値ではない筈です」

 

 灰は文字通り、そんな無価値極まる万感の思いを述べた。彼女の感情は惨死した何万人もの中身(ソウル)で模造され、だが灰本人はやはり空っぽの器である証明だった。だから殺せば殺す程に、灰のソウルとなった人々は闇の中で火に焼かれながら喜ぶのだろう。人が人を殺すあらゆる手段をその魂で実感し続け、死の輪廻を繰り返す故に。ならばこそ、近代の戦争で行われた全ての虐殺もまた、灰のソウルに記録されている。

 無論、それは灰の戯言を聞く戦神も同じこと。器に過ぎない簒奪者の灰など、所詮は数多のソウルを一粒一粒集めた人型の地獄であり―――戯れの殺し合いで、この女のソウルも戦神は貪った。人理と言う世界の現在と過去を、葦名の簒奪者達はソウルを奪い合うことで全員が共有してしまった。

 

「あぁ……―――是非とも、我も未知なる火に焼かれたいものだよ」

 

 原罪の探求者(アッシュ・ワン)が作ったゴーレムの竜を操る戦神は、普段の日常(永遠の地獄)と何ら変哲もない会話を灰と行い、彼は自分にサーヴァントとしての死と敗北を与えてくれたカルデアを上空から見下ろし続ける。

 ……ローマは、フランスとは違う悪意が渦巻いている。

 嘗て寿命持つ人間だった者として戦神は、どうか彼らに太陽の光の加護が有らんと、静かに瞳だけで祈りを捧げる。

 

「では暗い魂が、この絵画にも有らんことを。人々の太陽へ、盛大に乾杯です」

 

 腰に下げたボトルより、灰は直接口を付けて祝いのローマン・ワインを呑み込んだ。最初の火の篝火になった簒奪者は、酒にも魂にも酔えず、故に眼下の星に人間の血で描かれた人類史(カイガ)へとソウルが酔うのかもしれない。

 尤も、酩酊など灰の魂は実感しない。そして、酩酊とはローマのラテン語にて――エーブリエタース。とある古都に秘された神の名であり、人々を血に酔わせる女神でもある。

 そう思い馳せる灰は、暗い魂の血が艶かしく、そして生々しく蠢くのを感じ取る。酒にも血にも、魂にさえ彼女は何ら実感もなく、ソウルを貪ることなど空気を吸う呼吸と同じ。酔っているのは、灰がこの人類史で収集した人間性に溶け込む死人の遺志に過ぎないのだから。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 海中を潜る忍びの鋭い視線の先に敵はいた。お互い水の中だと言うのに呼吸は万全で、視界も充分に機能している。そして、無言のまま殺気だけが交差した。

 まず――殺す。素早く敵を殺害する。

 様子見など済ませてしまった。手の内もほぼ全て見透かし、戦略の段階を超え、今は如何に効率的に敵性存在の抹殺を行うかが一番重要。

 

「――――――!」

 

「ッ――――――」

 

 振るわれるは―――月光の大剣(ムーンライト)

 放たれるのは―――居合の竜閃。

 海中で爆散する光波と斬破。その衝撃は凄まじく、海面から巨大な水柱が打ち上がった様子が軍艦から良く見えることだろう。

 直後、忍びは一瞬で間合いを詰めた。泳ぐと言うよりも、それは海中を跳んでいた。

 同時、狂帝は狂気を吼えた。海中を大気と同様に振動させ、絶叫が深海まで轟いた。

 足場がない水中で秘伝と奥義を放てる程に、忍術・剣術・体術とあらゆる業を嘗てより深めた忍びは、皇帝特権で鯱のように行動するカリギュラよりも水泳に優れている。あろうことか、魔力を暴発させた絶叫による衝撃波を真正面から弾き返し、そのまま刺殺の一撃を馳走する。

 

「◆■◆■―――!」

 

 間髪を入れず、海水を揺らす衝撃波が狂帝(カリギュラ)の喉から放たれる。皇帝特権による魔力放出と雄叫びを合わせた力技であり、だが忍びは淀みなく回避する。この特異点で殺戮を行ったことで怨嗟が積もる人間性の色濃い闇の波動は、受け続ければ人の魂へと霊的干渉することで殺害する事が可能であり、謂わば怖気とも呼べる発狂でもあった。

 とは言え、その手の攻撃は殺意が凄まじい。これからアナタを殺します、と殺気で宣告するような攻撃であり、宝具の真名解放ほどでないにしろ隙も大きい。事前に容易く察知し、忍びは悠々と回避。しかし、水中戦では埒が開かない。海上より出る方が吉だと忍びは判断するも、狂帝を船に連れて行くのは悪手でもあった。

 

(上がりなさい。そいつ、貴方と私で袋叩きにする)

 

(……御意のままに)

 

 しかし、彼の主である所長は船上での舞台を整えた。海中戦では埒が開かないと判断し、従者の忍びに素早く念話を行った。となれば、思考を迷わせる必要は皆無となり、構わず船に義手から鉤縄を引っ掛けた。直後、彼は自分がいた場所に月明かりの斬撃光波が通過するのを察するも、刹那の間にて海面から飛び出していた。

 

「隻狼、御苦労様。そのまま叩くわよ」

 

「御意」

 

 忍びは既に銃を構えて迎撃準備を終えた所長を確認し、着地と共に楔丸を納刀して居合を整える。剣神の境地を経た忍びの抜刀術は空間を切り裂く故、所長の血族の短銃(エヴェリン)と同じく遠距離攻撃に秀でている為、船の甲板への着地を狙って水銀電で撃ち抜き、竜閃で斬り殺せることだろう。

 とは言え、それは水中でも狂帝へと既に見せた同じ技。

 だが見切れぬ故に奥義であり、しかし―――見切るが故に、強敵は強敵足り得るのだろう。

 

「プリアポーーースッッ!」

 

 意味はあるが発した理由のない言葉の叫びと共に、狂帝は光り輝いた。皇帝特権(魔力放出)によって月光の奔流を自分から周囲に爆散させ、まるで球体のバリアを波動のように放った。それは宝具ランクとして確実にAランク以上の守りとなり、銃弾と居合の斬撃波を弾き飛ばす。

 

〝何故、股間の神の名を?”

 

 そんな所長の疑問は逆に意味はなく、そして考えても無駄な思考であろう。重要なのは一瞬の間に起きた、この殺戮の応酬。とは言え、灰の戦闘経験と戦闘考察力を与えられた上、皇帝特権による万能性能を誇る狂帝からすれば、対処方法は思考を腐らせる程に持ち、絶死の危機を乗り越える事など欠伸をするのと同じこと。

 だが、狂っているのはお互い様である。

 ジャギギギギギ、と金属と金属が擦り合う凄まじい高音が所長の得物から発生。

 

「何とも前衛的な。ふははははは、未来もやはりローマであるな!!」

 

 彼は何が楽しいのか分からないが、しかし回転は人類の浪漫である。ローマ皇帝の一人であるカリギュラは宙より神を啓蒙した月明かりの狂人であり、ならばその浪漫を解する男でもあり、唸り上げる回転機構は脳に良質な栄養源。

 狩り道具の一つ―――回転ノコギリ。

 月下の狂気の儘に邪悪と悪行を為した狂帝は一目で脳が震え、工房が生み出した殺意の塊である故に回転(ソレ)の血塗れた美しさを啓蒙することが出来たのだろう。

 

「本当に貴方、理解ある狂人みたいね……ふん。業腹だけど、殺すのが惜しいわ」

 

「有り難い言葉だとも。殺し合いの最中、これより殺す相手の念を重んじるとは、星見の支配者である貴様は慈悲深き女なのだろう。

 故、聞こう。それを持つ貴様は―――何者か?」

 

「―――今の私は芝刈り機だ」

 

 愛すべき仕掛け武器の一つ。もしそれを狩人以外の言葉で例えるならば――

 

「そう言う意志(カタチ)の、狩人(ケモノ)なのよ」

 

 ――そんな祈りの言葉(意志)が相応しいのだろう。

 

「……――――なん、だと」

 

 まるで月で照らされた夜空のように、脳裏が明るく晴れ渡る。狂帝は寸分違わずに、眼前の獣血を啜る獣狩りの地獄(回転ノコギリ)を啓蒙出来てしまった。芝刈り機などローマになく、だが彼は狩人が持つそれが草木ではなく、獣肉をミンチに粉砕する道具だと一瞬で理解した。

 

「余の狂気が……―――気圧される、だと?」

 

 何せ、芝刈り機。あの鋸刃の回転機関は、正に血肉を削ぎ狩る芝刈り機。そう言われると芝刈り機以外の何物でもなく、草を刈る(よう)に獣を狩る(さま)が容易く妄想出来る。

 狂帝は、自分が恥ずかしくなった。一度、死にたくなった。

 灰に渡された究極の呪狂――暗き月光の大剣で、無作為に暴れていた自分が、イキリ散らした思春期の童貞みたいだと思ってしまった。この気恥ずかしさは悪夢に見る程で、今日の晩にローマに相談したくなる程。

 

「まことか、貴様……?」

 

「当然よ」

 

 余りにも真っ直ぐな言葉を受け、狂帝は今世最大の衝撃を味わった。

 全く以って、彼が持つこの月光の大剣に並ぶ獣狩りの狂気であった。

 しかし、残念でもあるのだろう。何故なら彼は、そもそも芝刈り機の実物を見たことがなかった。真実を啓蒙されたとは言え、実感を知らぬならば伝わる意志は低減されるのが道理。

 故に――芝刈機とは、正に回転鋸(ワーリギグ・ソウ)

 ならば回り廻る殺戮機構の刃は獣にとって悪魔の牙爪であり、生きた人間を人として殺すのではなく、穢れた汚物に塗れた糞袋の獣肉として解体する狩りの術。ローマ皇帝である狂戦士(カリギュラ)がコロシアムで賢覧するに相応しい処刑方法であり、その汚物に血塗れた無数の鋸刃を見ただけで彼は無惨に殺される(ヒト)の断末魔が啓蒙される。

 

「何と言う生き殺しか。正に自害すべき羞恥。余はまだまだ、月明かりの輝きには程遠いのだな。しかしながら、狂気とは正しく月光の煌きよ。

 月こそ、感応せし完全なる精神!

 貴様は良き発狂者である故に、是非にその魂を……―――貪らせて、戴きたぁい!」

 

 ならば―――歓喜せよ。

 眼前の女(オルガマリー)の血肉を獣の如く食せば、狂気が正気へと変貌するのが必然。

 

「――――!」

 

 そして―――懺悔せよ。

 狩人の娘(オルガマリー)を前にし獣の如き叫びを上げれば、肉片になってしかるべき。

 

「オォオオォオォオオオォォ―――ネェロォオオオオオッッ!!!」

 

 隙などなかった。叫びながらも周囲の警戒は万全で、眼前の敵から目も心も放さず、むしろ未来予知に匹敵する鋭き第六感を皇帝特権(心眼(偽))で研ぎ澄ます。

 だが、狂帝は尚も左腕を―――粉微塵(ミンチ)に抉り砕かれた。

 目にも“映”らない踏み込み(ステップ)から突き出された回転する鋸刃が、完全な防御と回避に間に合わなかった狂帝の左腕を掠ったのだ。

 

「―――詰みね、貴方」

 

 口を動かさず、声でさえなく、まるで脳内に響く(ユメ)よりの音。月の狂帝(カリギュラ)はそんな狩人の殺意を意志として魂で聞いてしまった。そして音速が緩やかな流れに感じる加速の異次元の中、痛みを脳に伝える神経伝達よりも早く、狂帝は眼前の悪夢より逃れ、だが既にアサシンが忍び寄っていた。

 直後―――ブジョル、と形容し難き音。

 ミンチになった筈の左腕の傷口から溢れる魔力―――呪われた結晶が、まるで蜥蜴の尻尾のように一瞬で生えている。

 

「ルナァァァアアアアアアアアア!!」

 

 その光景は宇宙的で、啓蒙的で、神秘的で―――悪夢的。魂を美しい結晶へ石化させる麗しい蒼白き魔光が溢れ、だが既に狂帝の左腕は肉感を持つ生物と鉱物の中間的な物体と果て、故に月光がそれより漏れ出した。

 

〝まさか―――内側が、呪詛溜りになってるの……!?”

 

 零の思考速度で所長は正解に辿り着き、狂帝の魂そのものが結晶化英霊(モルモット)に人体実験を施されているのを見抜いた。

 霊核に仕込まれた輝き―――原始結晶の、砕かれた三欠片。

 特異点を作り上げる聖杯か、あるいは魂にとってそれ以上に価値ある古竜の遺物。狂帝の内側は灰が模造した原始結晶の欠片により、狂帝がローマで殺した人々の怨念が呪詛となって地獄となり、また結晶の原材料として使われてもいた。

 殺すには、霊核を一撃で完全破壊しなければならない。頭と心臓と首を全く同時に砕かなければならず、物理的にそれらを壊さないと不死殺しの概念武装も一切通用しないことだろう。

 そして、此処は船上の戦場。狂帝の霊核を手早く同時破壊する大規模攻撃を行えば間違いなく船が沈み、そもそも狂帝がその気になれば月光の奔流で甲板から船底まで穴が開き、斬撃で真っ二つにすることも可能である。

 

「―――!」

 

 何よりも実に皮肉な事だが、鱗を持たない白竜の呪いは狂帝の人間性を刺激し、彼の皮膚を半ば結晶化させていた。その硬質な人革は竜種の鱗のようでもあり、同時にヘラクレスの宝具(十二の試練)を連想させるような概念的鎧でもあった。

 思考の化け物である所長はそれら全てに啓蒙的理解を行い、彼女のサーヴァントでもある忍びも念話によって眼前の敵を理解する。

 即ち―――

 

「………」

 

 ―――忍びによる無音強襲である。

 彼はオルガマリーの愛刀(千景)と同様に、掌を裂く事で忍びは瞬間的に楔丸へ血を纏わせ、血刀の瞬間三閃を振う。所長によって改造・強化された楔丸ならば、結晶化した霊体だろうと問題はなかった。しかし一太刀目は月光剣で防がれ、残り二斬が狂帝の足を断ち落とす。

 直後、又も狂帝の斬り口から結晶の光が漏れ出すも、それは悪手である。尤も、傷口に対する自動治癒は心臓の鼓動などの臓器機能と同じ反射的な無意識の自動行為。細胞一つ一つの働きに意識を渡らせるのは戦闘中には不可能であり、よって忍びの掌底打ちを腹部に受けざるを得なかった。

 狙いは――上空。

 ヤーナムの雲より下で浮かぶ月のように輝く狂帝。

 右手もまだ蘇生し切られず、両脚もない狂帝に抵抗する術もなく、甲板より数メートル程まで打ち上げられた。

 

大当たり(ジャックポット)―――」

 

 ほぼ同時の瞬間砲撃。狩人と忍びの殺意に途切れ無し。

 所長は左腕へと瞬間装備した巨大砲門――教会砲(チャーチ・カノン)を狂帝に向けて放っていた。無論、骨髄の灰を装填し、全解放した魔術回路を励起させた強化撃ち。空中で足場もなく、両脚もなく、そして皇帝特権により空中歩行をする時間さえもない。

 ―――ドォオン、と炎が鳴り上がる。

 所長と忍びを二人同時に相手をするとは―――正に、この様。

 狩り殺す為、忍び殺す為、技術と戦術が悪夢的に合致する完成された殺戮技巧である。

 

「―――ネェェエロオォォオオオオオ!!!」

 

 地面に堕ちた小型ミサイルに匹敵する壮絶な爆音と破壊力だった。無防備ではなく、何とか月光の大剣を盾にして教会砲の爆撃を防いだとは言え、爆炎と爆風まで完璧に防げる訳ではない。錐揉み回転し、血潮を撒き散らし、割れた頭蓋骨から脳漿が漏れ飛び、狂帝は海面を何処までも吹き飛んで行った。

 幾らサーヴァントと言えども、あれは確実に死ぬ致命傷。忍びの掌底で心臓が罅割れ、爆炎で喉が焼かれ、爆風で頭蓋骨が割れている。脳味噌と臓器がグチャリと混ぜられている。霊核は消滅していないが、消えていないだけでもはや手遅れな損害だ。

 

「そのまま、彼方にまで吹っ飛んでくれると嬉しいわ」

 

 飛び散った狂帝を愉し気に見つつ、所長は悪意ある意志を顕わした。何はともあれ、月明かりは美しく、赤く血で染まれば尚の事。

 

「主殿……まだ、奴は生きておりまする。止めは?」

 

 しかし、それでも狂帝は生きている。それを忍びは理解している。殺すには霊核の破壊ではなく、結晶ごと消滅させねばならない。

 

「甲板で殺し合える敵じゃないもの。逃走手段を失う訳にはいかないわ。そして、水中戦は論外。今は欲張らず、逃げる事に専念よ」

 

「御意の儘に」

 

 第一目標が最優先。殺害に固執し、カルデアが死ぬのでは殺し合いに勝つ意味もない。忍びは撃退をするだけで良しとし、まだ戦闘を続ける空中戦(ドッグファイト)へと意識を向けた。

 所長も狂帝から意識を切り替え、教会砲と回転ノコギリを脳内へ仕舞い込み、シモンの弓剣とエヴェリンを取り出した。獣狩りではなく皇帝狩りではあるが、狩人の弓はそれでも素晴しい業である。教会の者共は弓で獣狩り等と嗤うのだろうが、しかし得物を選ばぬ業こそ極まった夢の狩人に相応しい。二つに刀身が分解され、歪曲する刃が弓張りの形に変形し、弓の弦が結ばれる。10分の1秒もなく剣は弓と変態し、人間が有する理性的な狩猟技巧による仕掛け機動は問題なく行われる。

 

「―――ふははははははははははは!!

 竜狩りに王殺しとは、我が皇帝列伝に相応しい偉業の一つであろうなァツ!」

 

「正しく、偉大(ローマ)なる威光(ローマ)である!!」

 

 そこには女王の戦車と情念の炎竜を相手に一歩も引かない皇帝の刑罰戦車が、戦場を蹂躙し尽くす姿があった。

 

「シャー!」

 

「……珍しく乗り気だな、清姫。

 だが私に騎乗技能はなく、竜乗りなどそも有り得んのだが……―――いや、私としては相方が猛るのは悪くないか」

 

 埒を開けるため竜化した清姫に乗り、エミヤは暗帝(ネロ)神祖(ロムルス)の撃退に挑む。戦車に乗り込むブーディカと呂布と協力し、一機と一匹で撃墜戦を開始した。

 海上の空を殺し合う為、宙舞う三つの殺戮機構が幾度も交差する。

 古代中華の叡智で改造された暗い戦車と、怨念と臓物に染まった憎悪の戦車は一歩も殺意を譲らず。その間に竜の狂戦士と魔術使いの弓兵が入り込み、拮抗状態が崩れそうだった。

 ならば、宝具こそ殲滅の合図。ブーディカが、呂布が、清姫が、エミヤが、全く同時に暗帝と神祖を狙って真名解放を行った。二方向からの四重砲撃は凄まじい魔力と概念を持ち、ネロの戦車が持つ概念防御を突破する事も可能だろう。

 そして、その戦況を覆さんと神祖が強硬手段を選び取るのは当然の事だった。

 

すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)―――」

 

 地面に突き刺ねばならぬなら、海面を地面とすれば良い。建国の槍を海に投げ放った直後、海面より雲にも届かんと巨樹が全てを覆い尽くそうと広がって行った。無論、四騎が行った真名解放が巨樹に防がれ、一瞬で暗帝の刑罰戦車が宝具の殲滅領域から離脱してしまう。

 

〝―――素晴しい、魂の業よなぁ……”

 

 軍艦より、その神祖の業を甲冑兜の奥より悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)は喜んだ。灰に与えられた人間性は宝具に影響し、英霊の魂に付随する武器として振われる宝具の真名解放は副次的とは言え、やはりソウルの業としても覚醒されてしまうのだろう。同時に、灰が知る魂の本質も強引に悟らされ、根源より生じた己が魂さえも零より理解し、英霊の宝具と言う概念が暗く深化されてもしまう。

 もはや、あれもまた魂殺しの業なのだ。

 特に神祖ロムルスの業は極まっている。

 形を模すデーモンとして―――否、神の似姿であるサーヴァントとして、宝具と言う魂の業が煌いている。

 

〝……なればこそ、まだまだ足りぬ。まだまだ私は獣に届かん。

 人の業に満ち満ちる貴公らのソウルこそ、我ら獣に魂を犯されたデーモンにとって今を存在する実感で在ればこそ”

 

 振り上げた獣のタリスマンを優しく振り下し、理力(ソウル)を起動させ、この世界の人間共のソウルを喰らうことで得た魔術回路を励起させた。悪魔は元より魔術師ではあるが、更に魔術師(メイガス)でもあり、知り得たありとあらゆる業を極める事に躊躇いなし。それは人類に基づく魔術基盤と魔術理論も同じ事。

 ―――炎の嵐。

 それは混沌の暴君たる巨大な竜の力そのもの。

 ただ吹き荒れ、これを制御することはできない―――だが、何事も例外はあるものだ。

 

〝何万匹も、数えられぬ程に私が竜の神を喰らったと……それを、理解出来ぬのであれば誰も、人間は、獣の眷属(デーモン)になど落ちぬだろうて”

 

 限界を遥かに超えたソウルは、もはや神を数万数十万柱も貪っても満たされない。悪魔は灰と同じく、貪欲なる無限の虚ろな器。繰り返されるあの霧の世界、繰り返される程に因果は絡まり、あらゆる魂は重く深化し、それらを繰り返される度に貪り喰らい、悪魔は獣を導くデーモンスレイヤーと成り果てる。

 故、もはや何事にも不可能無し。海面を噴火口に、デーモンの火炎が吹き溢れる。

 軍艦の周囲に生え乱れる古樹林を一瞬で焼却し、進路を塞ぐ木々さえも全て焼き尽くした。全く以って埒外の神秘であり、その炎は触れた魂を例外なく焼き滅ぼすのだろう。

 

「道はまた、我が火で啓いてやった。迷わず、先へ進むと良い」

 

 悪魔は獣のタリスマンを振い、そして海上の古樹林を焼いた火炎も即座に収まる。不可能である筈の神の火を完璧に制御し、魔術回路と言う別世界の神秘をソウルから得たことで、より深いソウルの業へ至ったのだろう。

 

「スレイヤー……貴様は、その魔術を良く使う。火を好むのか?」

 

「さて、どうだかな。魔術に好き嫌いはないが……だが人を、焼き殺すのが得意なのは事実だ」

 

 そうネロの質問を悪魔は笑い、同時にタリスマンに魔力が再度集中する。キィイン、と耳触りな圧縮音が響き渡る。英霊が行う真名解放を超えた重圧がこの海域全てに圧し掛かる。だがサーヴァントのソウルより霊基を奪い取っただけの悪魔は英霊ではなく、そもそも真名を解放すべき宝具など持ち得ない。

 謂わば―――真似事。

 呪文として、魔術回路を使う為の霊基応用だった。そして、それは真名でさえない只の呟きでもあった。

 

奔流せよ(ソウル・ストリーム)―――」

 

 旅路の果てに学んだ魔術を悪魔は解き放った。ボソリと粘つくように唱えた魔術の名は、だが世界を汚染する古い獣の御守より神秘を存分に引き上げていた。

 カォオオ、と独特な轟音が響く。

 とある灰より得た神秘を、悪魔は特異点が剥がれ落ちる程に解き放つ。狙いは勿論、暗帝と神祖が騎乗する戦車である。

 

「―――貴様」

 

「睨むでない、ネロ。獣に届かぬ私は、我々の業を学び足りんのだ。使わねば、やはり何一つ神秘は啓蒙されてはくれぬのでな」

 

「知ったことか。あの女だけは、余がこの手で殺さねばならない。

 その事は貴様が一番分かっている筈だ……そうだろう、悪魔を殺す者(スレイ・オブ・デーモン)

 

「理解しているとも。故、見給えよ。ほら、死んでおらんではないか」

 

 沈み落ちる海面古樹―――その虚空、ローマを賛美するポーズをする神祖が浮かんでいた。皇帝特権(千里眼)で神祖は死を悟り、戦車を奔流の弾道から離れる事を可能としていた。

 

「―――アハッハッハハハハハハハハハハハハハハ!!

 何と言う暴虐か。あの奔流、この魔術……魂を世界ごと殺すに十分ではないか!!

 あぁ、我が女神。火の簒奪者。灰の人。アッシュ・ワン……―――全て、全てがそなたの語った通りであった。異界より来たりしこの騎士が相手では、魂を本質とする我ら人類と神々全てが獣の餌に成り下がる!」

 

 そして、暗帝(ネロ)は嗤っていた。眼下のカルデアと反乱軍と、死んで英霊に成り果てた死人の自分(ネロ)を哂っていた。汎人類史を理解し、何もかもが歪み果てたローマの世界を嘲っていた。

 暗い人間性(ヒューマニティ)が、ネロの瞳を逸らすことを許さない。根源の星幽界より生じた自分の魂を無理矢理にも理解した故に、暗帝は悪魔が至った獣の理を恐怖するしかない。そして、味わった恐怖は狂気の燃料となり、暗帝はより魂を暗く燃やす精神的活力を得ていた。

 

「―――これでも、まだ……」

 

 ここまでやり、逃げ切れず、尚も追い込まれる。そして、怨敵(ネロ)は無傷。更に、海上樹林によってフィールドを支配した。怨讐に狂い果てるブーディカは理解しなければならない。

 ―――神祖、ロムルス。完成された人の神にして、神なる人。

 彼が暗帝を庇護する限り、ブーディカでは彼女を殺す好機は決して訪れない。

 

「……クソ、ローマ。ローマ、ローマ―――ローマめッ!!」

 

「諦めよ、ブーディカ。貴様も、貴様の娘も……全てが犬死だったのだ。ローマ人に見世物として犯された過去も、何ら価値もない苦悶に過ぎなかった。所詮、貴様の人生はそれだけの事よ。そして、貴様らの悲劇をローマは忘れず、その下らぬ過ちはより良い明日を作る為の栄養源に成り果てた。

 人類史の、本来の余がそう在るように。

 故に、どうか貴様も哂うが良い。己が人生と、悲劇しか与えぬ世界をな!!」

 

 ―――全ての感情が、塗り潰れた。

 死の恐怖も、過去の絶望も、惨い苦痛も、虐殺の後悔も―――憎悪が、魂を暗く煮え滾らせた。

 

「貴様が、それを哂うか!! ネェロォオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 味方との連携を忘れ、ブーディカの戦車は駆けた。一秒でも暗帝が生きて呼吸をしているこの世界が許せなかった。自分の人生を……いや、夫を愛し、娘を生み、家族と共に生きたその人生全てを嘲った事を許せなかった。決してブーディカは、ローマに全てを奪われる為に家族を愛した訳ではないのだから。

 怒り狂ったその瞬間―――ドン、とブーディカと呂布は戦車から跳ね堕ちた。

 戦車の軌道を先読みしていた神祖は実に容易く、海面から古樹を生やして女王の戦車へ命中させていた。

 

「……―――」

 

 破壊される宝具。宙に舞うブーディカの視線の先、暗帝の凶笑が見えていた。空中で身動きが取れず、回りの木々は敵のテリトリーで、数瞬後に自分が死ぬ事を彼女は理解出来てしまった。

 そして味方は助けに来れない。竜化した清姫は古樹が邪魔で直ぐには来れず、エミヤも射線が木々に遮られている。軍艦からの距離も遠く、悪魔が焼き払った古樹林も周辺と逃走経路だけ。

 

「……◆◆」

 

 一人、狂戦士の彼は静かにその死を見ていた。自分がすべきことを悟っていた。反骨の将軍としてではなく一人の英雄として、助けるべき女と、殺さねばならない怨敵がいる。それを理解していれば、戦場で迷う事など有り得なかった。

 ―――死に場所を、見出してしまったのだ。

 此処で命を賭さずに生き延び、それで何を得られると言うのか?

 

「ぁ―――っ……!?」

 

 ならば、躊躇いなどない。呂布はブーディカの腕を掴み、そのまま味方の清姫とエミヤの方へ強引に投げ放った。確認をする暇などなかったが、あの二人ならばブーディカを空中で捕まえ、そのまま軍艦の方へ逃げ切る事が可能だろう。

 瞬間、暗帝の刑罰戦車に呂布は空中で轢かれた。

 双頭の騎馬は彼の霊体を砕き、半ば機械化された体が散り弾けた。

 そして、機械に改造されている故に、呂布はまだ生きている。宝具を右手に持ち、左手で騎馬に捕まっている。

 

「生き汚い奴め。このまま――――……待て、貴様!?」

 

 更に宝具へと魔力を込め、暗帝は呂布を木端微塵にしようとし、だが―――全てが手遅れだった。

 

■■■◆◆■■■■(我が武勇、此処に弾けよ)―――!!」

 

 宝具と肉体の全ての魔力を使い潰す過負荷の爆散。

 呂布が持つ―――命の雷気が、空中で光り輝いた。

 余りに膨大な爆炎は暗帝と神祖の視界を雷光で塗り潰し、周囲に爆ぜ散ったエーテルは二人の魔力感知を妨害した。それも一瞬の事であったが、近距離での爆破を少なくない存在を暗帝の戦車に与えていることだろう。

 

「ぬぅ……ッ―――」

 

 直後、その衝撃によって双頭の騎馬は気絶する。陳宮特製の超中華ガジェット(チャリオット)も故障し、浮遊機能を宝具は失い、そのまま海の中へと落下してしまう―――寸前、神祖は皇帝特権(魔力放出)で戦車を擬似的にジェット噴射飛行した。

 だが咄嗟の行動でバランスを失い、乱回転して制御不可能となる。

 そうなれば、戦局は手遅れだ。敵を殺せるとカルデアが欲を出していれば話は違ったが、既に竜化した清姫はエミヤとブーディカを連れて軍艦に戻っていた。

 

「―――……挑発をし過ぎたか。

 ブーディカではなく、その仲間があやつの為に死を厭わぬとは……すみませぬ、神祖殿。我が女神より授かりし余の宝具、万全ではなくなった」

 

「構わぬ。この男の心意気もまた、まことのローマであった……」

 

 火花が散る呂布の躯体―――その胴体を、神祖の槍が串刺しにしていた。そして、そこより人間性が流れ込んでいた。霊核を補われ、消滅することだけは防がれている。

 

「……だが、良い引き際であろう。ネロよ、その戦車を修理せねばなるまい」

 

「―――…………そのようで」

 

 暗い瞳の儘、暗帝は一瞬で退却したカルデアを見送った。その気になれば追い付くが、だがそんな気にはなれなかった。機を逃したことを悟ったのだ。追撃をしようにも、絡繰兵器である古代の中華ガジェットは万全に使えないのなら、今の戦力は確実ではなかった。

 

「はぁ。まこと、ローマの世は儘ならぬなぁ……」

 

 そう呟き、暗帝は呂布の躯体を戦車に収納する。手土産に丁度良く、一人討ち取れた事を良しとしよう。そう考え、ローマへと戦車を彼女は走らせて行った。

 









 読んで頂きありがとうございました。久しぶりの更新でした。
 とのことで、戦神さんの中身は例のあの人と言う雰囲気にしています。最初の火の炉で霊体になって薪の王グウィンを殺す手伝いをしたルートの方であります。

 真実を知り、太陽に絶望する。
 ↓
 しかし、旅を続けた。
 ↓
 最初の火の炉で友人を見送る。
 ↓
 火が継がれたのを見届ける。
 ↓
 友が薪となった世界を生きる。
 ↓
 だが、太陽に対する絶望からソウルが枯れる。
 ↓
 意志無き不死の骸が墓に。
 ↓
 装備品が受け継がれる。
 ↓
 遥か未来にて、ロスリックの儀式により、灰として墓から暴かれる。
 ↓
 記憶喪失の儘、ロスリックの儀式を灰として行う。
 ↓
 残り火の時代を無限ループする。
 ↓
 火の簒奪者となり、火を得て自分自身が本当の太陽となる。
 ↓
 それを更に繰り返し続け、その中で何故か太陽信仰的に執着する戦神を永遠の中で延々に殺し続ける。幾度も簒奪者となって太陽を知り、そして太陽そのものになりたい。
 ↓
 アッシュ・ワンが葦名での召喚儀式を行う。
 ↓
 例のあの人が運良く呼ばれる。
 ↓
 マリスビリーの技術によって、無名の王のソウルを霊基として獲得し、サーヴァントとなることで太陽となった。記憶が亡くしたが、嘗て信仰した太陽を知り得た。
 ↓
 戦神のコスプレをソウルより行い、むしろ転生する。
 ↓
 フランスに霊体で召喚される。

 大雑把な雰囲気ですが、流れとしてはこう言う感じにしています。


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啓蒙49:コロシアム

 ブイチューバーの作品を読み、実際にブイチューバーを見て、最近になってブイチューバーに沼ったサイトーです。嵌まった元凶はベルモンド工業の切り抜きでした。


 竜化した清姫に、呂布から投げ飛ばされたブーディカは彼女の口で捕えられていた。第三者視点から見れば、竜種に丸呑みにされる寸前の被害者女性と言えなくもないが、実際は海への落下を防いで貰った形となる。

 

「畜生。どうして呂布まで、なんでキミはあたし何かを……」

 

 思わず呟く怨念の欠片だが、どうしても何もブーディカ自身が一番良く分かっている。怨念と憎悪は、文字通り何もかもを対価に要求する劇物である。復讐を希い、思う儘に実行へ移れば、自分自身を含む周囲全てを焼き尽くすのが必然。

 過去の自分がそう失敗した様に、今もまた失っただけ。

 即ち、女王の因果がまた繰り返され、同様に終わりへと辿り着けてもいない事を意味する。

 

「……あぁぁああ、ローマァァア――――――!!!」

 

 なのに戦友(呂布)は、何の躊躇いもなく自分自身を生贄にした。ブーディカは眼前の光景を正しく理解し、暗帝の挑発に乗せられた自分の狂気が味方を死に追いやった事を理性的には理解していた。だからこそ彼女は憎悪に狂い猛る自分の理性と感情ではどうしようもない魂自体さえも憎悪し、その魂が更に暗く憎悪に燃え、奇怪でおぞましい人間性に変貌していくのも実感していた。

 サーヴァントではなく―――死後の英霊に憑かれた、今を生きる人間で在る故に。

 怒りと憎しみは内より湧く混沌衝動。もはや手遅れである。そう在る事しか出来ない理不尽である。暗帝の雑言を耳に入れ、復讐心を我慢することを人間性を持つソウルが許す訳もない。

 

◆■◆(キシャ)―――……」

 

 竜化した清姫は少しだけ唸り、ブーディカが海面に落ちないように、だが体を傷付けない様にしっかりと咬む。そして憎悪の中身は違うとは言え、恨む儘に人を殺めた清姫はブーディカの怨讐を良く理解していた。家族を陵辱された上に皆殺しにされ、自身も辱められた事はないので共感は出来ないが、全てを擲つ憎しみを否定は絶対に出来ない。

 いや、むしろ清姫(狂気)清姫(愛憎)である故に、肯定する事しか出来ないだろう。憎悪とは愛情と等価値である本質でもあるのだと、善悪表裏が混沌としてこその人間性であると実感した過去が彼女にはあった。

 

「……………………」

 

 だが、エミヤには分からない。人を数の大小で計って脅威から救い続けた正義の代行者は、人殺しは最後に残された手段である。助ける為に殺さねばならないと強迫観念に突き動かされ、必死に考え抜いた計算の末の、最小限の殺戮で有らねばならない。その業を積み重ねた果て、“エミヤ”と言う錬鉄の因果は完成された。

 だから、彼は憎悪を持ちながらも、それを殺人動機にする心理を持ち得ない。

 だから、彼にはブーディカに言うべき事もなく、殺人の罪だけを背負うのだ。

 負の感情の理解と不理解を、正義の味方は語るべきではない。自己を語れば懺悔と悔恨となり、そんな事を言う場面でもない。

 

〝……あれが、カルデアで話に聞いた悪魔殺しの騎士。マシュ・キリエライトの左腕を奪った男か”

 

 よって、内心の独り言はとある男への感想だった。サーヴァントとして知覚出来るのは、あの化け物が只の人間の気配しか感じ取れず、把握出来る魔力の存在感さえマスターである藤丸立香と何ら変わらない点である。纏う武器から濃密で重厚な神秘は感じられるも、悪魔本人(デーモンスレイヤー)からは魔術と関係がない真っ当な人間の存在感しかない。

 だがその魂、果たして―――英霊幾人分なのか?

 万か、億か、兆か、あるいは京にさえ届くのか?

 一つの世界(ホシ)を貪ったとしても届かないと錯覚する程の、魂喰らいの悪魔は正に地上から見上げる宇宙(ソラ)のように天文学的なソウルの強さであり、人間の数万数十万倍も強靭な魂を持つ英霊が蟻粒の如き存在であると勘違いしてしま得た。

 分かるのは人間で在る事と、隠し切れない奇怪で強烈な魂の圧迫感。それは神霊ではない生きた神を何柱も喰らっても満ちないと思える程の、底無しの奈落を連想させる畏怖でもあった。

 

〝だが、奴がいなければ……―――いや、忍びと所長の戦力であれば、ローマの撃退は不可能ではないだろう。しかし、あの森から逃げるには、私が殿の囮役をする必要があっただろう。

 ……故に、分かる。

 呂布のあの迷いの無さ……あの男、覚悟を最初から決めていたか”

 

 そんな数瞬の思考をする間に、清姫は軍艦までの飛行を終えていた。暗帝と神祖に損傷を負わせ、距離を大きく距離を取る事も出来た。逃走の邪魔になる海面森林も焼き払われ、もはや阻む敵も障害物もない。呂布と言う犠牲を徹底して無駄にしない潔さであり、効率的な行動の極みでもあった。尤もそれは、割り切れる者に限られた理論であり、効率性を冷徹に実践しただけに過ぎないのだが。

 

「……あ、ぁ……ぁぁ――――ァァアアアア……」

 

 ブーディカは、繰り返される地獄の苦界をまた味わった。

 仲間がローマの手で何人も殺され、何よりまた自分の所為で死んでしまった。

 

「……アァァぁぁ」

 

 内心では留まれない絶望と失望の呻き声。冷徹で在る事と、冷酷で在る事は大きな違いがある。報復に惨たらしく老若男女を屠殺したブーディカは冷酷な冒涜的殺戮者であるが、冷徹な計算的思考が出来るなら感情の儘に虐殺する復讐者に成れ果てはしない。

 ――殺せ。殺せ。殺せ。

 死んでも、殺し尽くせ。

 ――死ね。死ね。死ね。

 殺しても、死で償いを。

 憎悪は呪いの呼び水。そして、復讐は怨念の拠り所。

 両目から温かい人血の涙が流れる事に、何ら不可思議な事など有りはしない。

 黒く、暗く、悍ましく、人間の呪いに染まった血を涙する事は仕方なかった。

 人間性に満ちる素晴しき魂が、人の温もりを排出するのだろう。もはや器に入り切らない魂の汚泥が肉体を蝕み、血液と共に憎悪(ソウル)が瞳の奥底にある脳髄から流れ出るのが止まらない。

 

「ローマ……絶対に、何時の日か……あたしが―――」

 

 せめて、人間らしく――そんな風に死ぬことも、ローマは敵対者に赦さない。惨たらしく、破壊し尽くして絶命させる。それこそ人間性に満ちた文化的社会を、闘争と経済で大陸に広めた帝国の在り方である。

 戦友の為に死んだ呂布奉先(バーサーカー)も、その一人。

 ならば、きっと―――この憎悪は、せめてもの手向けであれば無価値ではないのかもしれない。何時か必ずこの手で殺してやると呪詛を頭蓋の内に溜め込み、女王は瞼を閉じて今まで死んだ全ての者を思い浮かべる。気を失えば僅かな安らぎを得られると言うのに、憎しみで苦しまない時間などもう彼女は必要としなかった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 ――邂逅より翌日。魔都ローマ、コロシアム。

 

「我が主、何の為の集まりなのですかな?」

 

「此処はコロシアムでありますので……まぁ、見世物ですよ。拳闘や剣闘などの決闘、あるいは多種多様な創意工夫に満ちた処刑の数々です。ネロさんからの、臣下への褒美と言った所でしょう。

 ―――あ。勿論ですが、演劇ではありませんよ。

 それはあちら側の、ネロさん再建の黄金宮殿の方でしますからね」

 

 しかし、此処はまだネロの政権時代に建てられていない円形型のコロシアム。灰により膨大な未来知識を与えられた暗帝(ネロ)は、新たなるローマを作るより良い未来の象徴として建てた舞台劇場であった。

 

「悪趣味ですな、ふむ。ですが、罪人の処刑は民衆にとって数少ない娯楽でもある。

 そして、惨く愉しい戦国の世を生きた軍師として、不要な捕虜や敵将の処刑もまた仕事の一環でありますれば……まぁ、私自身もそうして人生を終わらせた身でもあります」

 

「でしょうねぇ……ふふふ。人の死を最も楽しむ知性体もまた人です。法規と正義に裏付けされた一方的な善なる悪行であれば、何処までも下衆になるのも(サガ)の在り様と言うものです。

 我らがローマがそう在る様に、貴方が生きた中華も同様。

 とは言え、殺戮の歴史持つ国家に生きる人間である時点で、人間は全ての者が同罪です。

 そも、善悪両面を持つ人間では、善いだけの罪無き国など作れません。

 そして、同罪故に人はその罪で人を裁けず、社会にとって無色透明な善悪であり、罪科は償おうとも消えずに永劫でしょう。所詮、関わり無き命など損得でしかなく、愉しめる者だけが愉しめば良いだけのことです。尤もだからと言って、罪無き人生が健全であるわけでもありませんが」

 

「そうですな。しかし、暗帝殿の演劇も悪趣味ですので、私からすればどっこいどっこいでありましょう」

 

「全くです。まぁ、ネロさんの悪趣味な退屈さも私は好きですからね」

 

「同意は出来ませぬなぁ……」

 

 改築工事がされた新造コロシアムの、皇帝専用の特別観覧室へ繋がる廊下を、(アッシュ)軍師(陳宮)の二人は他愛無い世間話をしつつゆったりと歩いていた。

 

『殺せ! 殺せ、殺せ、殺せ!!!』

 

『ローマ! ローマ、ローマ、ローマ!!!』

 

 だが、コロシアム全体が凄まじい歓声で震えている。

 

「フフフ……人間さん達の、死を喜ぶ絶叫です。何時の時代も、善くも悪くも、命とは最高に感動出来る娯楽品なのですね」

 

「未来もそうなのですかな、マスター」

 

「未来も今も、過去と変わりはないのです。結局、外面の文明が進歩したところで、魂は永劫に人は人のままなのでしょう。

 文明は進歩し、けれども人間性に進化なしです。

 人理が焼かれたあの時代も……この暗いローマも、やはり人の営みです」

 

 灰は暗い笑みを浮かべ、軍師もまたにやつきながら言葉を続ける。灰の脳裏に浮かぶのは、此処数十年を生きた人生の出来事。

 処刑とは、何も罪人を殺す事だけではない。行き過ぎたそれは権力者や民衆の娯楽ですらなく、効率性を尊ぶ一種の流れ作業でもあった。灰は学ぶ者である故に、あらゆる蛮行を魂の儘に学習し、過去に行われた同じような殺戮であろうとも厭きる事もせず見定めていた。今このローマで行われているコロシアムの処刑演劇も、人智への勉学をこの世の誰よりも好む灰の成果でもあった。

 即ち――模倣。

 己が探求に必要であるならば、灰は喜んで何度でも創意工夫を凝らす殺戮を行うのだろう。

 

「随分と、貴女は人間が好きであるようですな」

 

「勿論ですとも。こう見えても私、幾つかの世界を幾度も救った元英雄の人間でもありますからねぇ……ふふふ。まぁ人の魂なんて救った所で、そもそも我ら人間には何一つ価値はありませんでしたけど」

 

「そうなのですか?」

 

「ええ。空虚な旅路の結論としてはですが」

 

「成る程。では、貴女もまた救いが欲しかったと?」

 

 軍師は灰の魂の形を見抜いたが、それさえも灰が思い描いたソウルの絵柄でしかなく、救いを求めたいと言う感情自体が本物となった模造品でもあることも悟れていた。本来ならば軍師は見抜ける訳がないが、今の二人にはマスターとサーヴァントとしての霊的ラインによる繋がりがある。灰の些細な偽造感情を、軍師は無感情に只の情報として理解しているだけであった。

 

「ええ。それもまた当然でありましょう。理不尽に抗う事こそ、人が足掻く一番の動機であり、同時にそれは救いを求める自己への探求でもありますのでね」

 

 そして、歩みを進めたその先―――コロシアムの舞台が二人の眼下に広がった。

 死。あるいは、屍。

 殺戮。虐殺。鏖殺。

 熱狂する愉悦の宴。

 臓物と血潮の臭い。

 フランスの特異点がそう在った様に、此処もまた変わりなく、処刑と言う生命の選別が行われている。自分が作り上げた狂宴を灰は無感情な瞳で見下し、だが気品ある淑女のように微笑んだ。

 

「―――実は、私も特異点を盛り上げるテーマがありました」

 

「ほう……我が主ながら、実に悪趣味なお題と見えまするが?」

 

「酷い言い草です。言い掛かりではないですが。とは言え――」

 

 磔の姿。そして、そこから始まる串刺し刑。臀部の中心(尻の穴)から槍を貫かれ、口から矛先が飛び出ている娯楽品(死刑囚)。今はコロシアムにて、その処刑方法によるショータイムであるようだった。それは日本の葦名に蒔いた自分の作品を見定める際、戦国を謳歌する武士たちが行っていた処刑と言う政治劇(パフォーマンス)を灰が見学した時に学んだ人間の悪性の一つでもある。

 敵地の女子供を侍共はこうして愉し気に殺し、とても血に酔って殺戮を喜んでいたものだ。

 カルデアのマスターが日本人であるからと灰が気を回し、そんなローマより未来で行われた数々の歴史を暗帝に灰が教えたが故に行われている蛮行であった。

 

「――懐かしい景色ですねぇ……いやはや、人の業は変わりません」

 

 最も実際は、生きたまま串刺しにしない場合も多かった。無惨な死体を晒すのが目的であり、苦しめて殺すのは重要ではない。基本的には捕えた子供を殺した後にその遺体を串刺しにして飾っており、必ず処刑として串刺しで殺していた訳ではなく……だが、灰が見た人間の営みの中、生きたままに串刺しにしている処刑光景を実際に幾度も見る機会は少なく無かった。

 無論、成人もしない少年少女が、串刺しで(このように)殺されるのも過去の事実。惨さの極致の一つとでも言える処刑であり、地獄を作るには丁度良い惨劇であるのだろう。

 

「確かに。英霊となった私としても、生前の乱世を懐かしめる狂乱でありますな」

 

「参考にしたのは貴方が生きた時代のように、戦国乱世になった日ノ本と言う国なのですよ。印象に残っている中で、敵国の民衆をああやって処刑による虐殺していたのは、えぇーと……あぁ、後の豊臣さんでしたか。あれはとても酷い権力者ならではの殺戮劇でしたね。

 無力な女子供が捕えられ、生きたまま肛門より矛が貫かれ、悶死されるあの光景。中々に死ねず、尻の孔から突き刺さった槍の激痛に磔にされながらも悶え苦しみ、絶叫しながら死ぬ女と童。命に価値を感じずに処刑を行う侍の皆様に、それを命じた虐殺の張本人。

 まぁ、殺して殺して殺し尽くしたその先に己が力を極めるのが人の業。何ら珍しくもない万国共通の惨劇とは言え、そうだからとソウルを得た私が忘れてしまえば哀れにも程が有りましょう」

 

「どの国家、どの時代でも、人の業は変わりませぬ。

 我が主(マスター)、だからこその貴女は態々にテーマ等と、人間らしく殺戮にまで題目を付加したのでしょう?」

 

 葦名が攻め滅ぼされる前の世。豊臣の時代から徳川が栄華を飾る前後の日ノ本を旅した記録を思い返し、同時に灰は自分が喰らったソウルより戦国で惨たらしく死んだ者共の記憶を掘り起こす。無論、日ノ本以外での記憶も多く連鎖的に俯瞰し、古今東西のあらゆる惨たらしい処刑方法を“実感”と共に彼女は再現可能である。何せ、その魂で苦痛を味わっているのだから。

 

「はい。ソウルを回収する為の殺戮方法を、少しばかり変えていましてね。フランスではその時代に合わせた……まぁ、言うなれば中世的な鏖殺にしてました。けれどね、このローマでは効率性を尖らせていまして、近代的な利便性に富む虐殺を行っております」

 

「ふむ……ですが、このコロシアムでの処刑劇は何なのでしょうな。サーヴァントとして近代を理解はしておりますが、あの殺し方は私が生きた時代のやり方に近い」

 

「殺されている方々は、殺される事で魔術素材になりますのでまた別案件です。アンリ・マユさんの作り方を参考にし、それを量産する為に人々から大いに恨まれながらも、逆に世界(ローマ)を一心に憎悪させる為のものです。

 人々に恨まれながらも、この世全てを憎悪する人間らを大勢作るには処刑が便利だったと言うだけですから」

 

「――混沌……でしたかな」

 

「はい。魔女の火炎に融ければ、とても良いデーモンに転生して頂ける事かと。アラヤの抑止力が提供して貰った英霊の皆様方も良い実験材料でしたが、やはりこの世界の悪魔らしいデーモンも素晴しいと思いましたのでね。

 随分と歳を取った筈ですが、どうして中々……探求心を抑えるのは、中身の無い灰となっても難業です」

 

「憐れな。とは言え、確かに効率的な手法ですな」

 

「ネロさんは民衆に娯楽を提供出来て幸福。私も聖杯と混沌の良い素材を作れて幸福。現代では、こう言う事をウィンウィンの関係と言うのですよ。

 やはりどんな絶望的な世界だろうと、日常を楽しむ心こそ希望を灯す活力となりましょう」

 

「確かに。利害の一致は共同作業において大前提であります故……」

 

「これこそ人の持つべき尊厳が、根底の礎となる相互関係と言えるのでしょう」

 

 その時、コロシアムの歓声が更に大きく盛り上がった。

 

『皇帝!! 皇帝、皇帝!!! 皇帝、皇帝、皇帝!!!!』

 

『ローマ皇帝! 皇帝陛下! 皇帝閣下!! 暗黒皇帝!!』

 

『インペラートル!! 偉大なる我らのインペラートル!!』

 

『万歳!! ローマ万歳!! ローマに喝采と栄光を!!!』

 

 磔られたまま串刺しにされた老若男女。死ねずに悶え続ける若い少女や少年の絶叫を掻き消す程の狂乱。喝采。熱狂。狂気と雄叫び。

 王は、余りにも自然な仕草で右腕を上げる。

 瞬間、狂い猛る民衆の歓声が一斉に止んだ。

 

「諸君」

 

 その一声。人の心を魅了し、脳髄を支配する暗いカリスマに満ちている。

 

「ローマ市民の諸君」

 

 生まれ変われし黒き薔薇――暗帝ネロは、声を張らずに静かな言葉のみで、コロシアムで熱狂していた市民達の意識を支配した。

 

「余は諸君らが―――好きだ。大好きだ。愛しているのだ。

 旧きより偉大なるローマが築きし真なる善性に満ち、我らが正義の鉄槌を死すべき悪性の愚民を、こうして下す事が出来るのは、無論のこと諸君らが善なる民で在ることに他ならぬ」

 

『………ッ――――――』

 

 愛している、と暗帝の言葉を聞いた民衆は涙を流した。絶望の血涙を流す死刑囚奴隷を処刑していた兵士らも民衆と同様に涙し、この静寂を守る為に磔にされた老若男女全員の喉元を素早く槍の矛先で……肛門より突き入れたその凶器で、体内の臓器から無理矢理に突き破った。

 ジワジワと殺していた公開処刑であるも、皇帝の言葉より奴隷の命より重い訳がない。肛門より伸びた槍が喉を突き破り、死体は磔にした儘、処刑のショータイムは一時的に中断された。

 

「あぁ、素晴しきローマの民よ―――どうか、心より喝采を。悪に裁きを下すローマに尊厳を。新たなる正義と我らローマの魂に平等なる安寧を。

 そう、即ち……全ての悪は、この者共らの頭蓋より湧き出る悪夢である。

 故に見るが良い、この憐れなる罪を積む者共を。全身に刻まれた暗き呪詛の紋様……これこそ、奴らの魂から浮かび上がった邪悪と罪科に他ならぬ」

 

 尻の孔から喉仏まで槍が貫通し、口と喉と肛門から血を吐き出す“無実”の罪人達は、文字通りの“積み”人である。ローマと言う国家が為した悪行を積み重ねられ、同時にローマ全ての邪悪を積み背負わされた故の“罪の器”でしかない。

 彼ら彼女らは無実であり、だがその魂を罪科の入れ物にされてしまった。

 嘗て何処ぞの拝火教が信仰された村で行われた惨劇を、ローマと言う国家規模に膨張させた魔術儀式。オルガマリーがこのコロシアムを一目すれば、それらの全容を容易く啓蒙(リカイ)する事であろう。

 

『死ね、死ね死ね!! そうだ、死んでしまえ!!!』

 

『罪人め!! この世全ての悪が、死んじまえ!!!』

 

『皇帝よ!! どうかこの罪人共に永劫の死を!!!』

 

 嬉しさの余り、民衆は歓喜した。自分達の善性を証明する為に、生きる価値のないこの世の汚物(ツミビト)を処刑し尽くし、ローマをより良い未来に導く為に清潔にしなければならない。

 ―――善であろうとする人間性こそ、最も醜い汚物を吐き出すとも知らずに。

 ―――未来を求める希望とは、飢餓を満たす暗い渇望でしかないと言うのに。

 そうでなければ、どうしてこの世全ての悪(アンリ・マユ)が英雄として人々を救えると言うのか?

 

『そうだ、死ね!!』

 

『死ね死ね死ね! 死ね死ね死ねね死ね!!!』

 

『死んでしまえッ!!』

 

『藁のように死ね! 蜂のように死ね!!』

 

『死ね!!』

 

『惨たらしく苦しんで死ね!!』

 

『罪を懺悔して死ね!!』

 

『死ね死ね、死に尽くせ!!』

 

『死ねェェェエエエエエエ!!!!』

 

 その光景を灰は見下し、感情のない貌で微笑んだ。空の器でしかない灰は、殺戮によって人間の魂(ダークソウル)を救う暴力装置(ユーザペイション)として、原罪を求めたロスリックの外道外法によって再誕した不死だったナニカ。だから同じく原罪の探求者であるアッシュ・ワンにとって、人の業が生まれた罪を積む為の器であるアンリ・マシュの量産―――邪悪なる人間性を積み込む空っぽの影獣を、こうして人間共の魂から抽出される想念より作り出すのは容易である。

 これこそ、灰が知る――人理。

 善で在りたいが故に罪を為す。

 未来のために邪悪を許容する。

 それだけではない事を理解しながらも、そうでなければ存続する事を許されない。まこと、永劫の魂に成り果てた灰から見ても、“此処”は哀れにも程がある魂の営みであった。もし、そう在り(地獄で)続けることを拒絶するならば、無価値な世界として剪定されるが運命である。

 

「おぉ、我が君主(マイ・マスター)……実に、嬉しそうに“嗤”うのですな」

 

「この生々しい地獄には、私が生きた世界とは違う実感が溢れています。生きるとは、祈りと呪いの相克する螺旋で在り続ける一筋の途なのです。循環し続ける閉ざされた輪の世界だったあの絵画は、全ての存在が腐り果てた上に最期は枯れるしかない空虚な地獄でした。

 どうせ、生きるも死ぬも地獄ならば―――……私は、此処の方が良いのです。

 善も悪も如何でも良く、先に何もない袋小路な未来こそ、我々の魂は絶対に赦しません。

 私が暗い魂の儘に存在するように、どうかアナタ達も根源より生まれた魂の儘に在らん事を、一人の人間として祈るだけです」

 

「では……―――人理焼却など、貴女にとって所詮は後から修正出来る絵画への落書きでしかない訳ですね。とは言え、獣の偉業は定礎の完全崩壊となりまして、貴女が求める最良の未来からは遠退いてしまいますでしょうに?」

 

「問題は一切ありません。その為の細工でありますし、故にそもそも阿頼耶識は私の計画を後押しするしかない状態となっています。

 抑止力……―――成る程。人々の闇にもなれぬ愚かな想念です。

 全人類にとって必要不可欠な存在となれば、アラヤは根本的に私の見方になるしかない訳ですからね」

 

「ははぁ……―――成る程。悪辣過ぎて反吐が出ますな。

 この世の誰よりも、貴女は人の魂を救う事が出来る救世主で在る。ならば、全ての阿頼耶識が貴女の計画を挫く事を阻止するのでしょう。

 それ故、今の人類では貴女に誰も勝てない。

 正しく、善悪両面からして人類種の天敵となっている」

 

「目的の為には手段は選びませんよ。全ての人理、全てのアラヤ……無限の宇宙も世界も、必要ならば救う為に永劫を彷徨って戦うまでですからね。

 まぁ幸いな事に私は、繰り返しの退屈を苦しむ事も、魂を貪るのに罪悪感を覚える事もありません。なにせ、心の中には何も有りません。

 人類種を、闇としても、火としても、最期まで見届ける暴力装置として灰と言う存在は理想的な無機物(ウツワ)です」

 

「ですが、このローマ……余りにも殺し過ぎでは?」

 

「それもまた問題ありません。人理崩壊の限界人数は理解しておりますから……えぇ、フランスでもそうでしたが、殺しても問題ない人数しか殺していません。

 歴史の中で人間は常に死に続けていますから、霊子記録固定帯(クォンタム・タイムロック)がされるタイミングとその次のタイミングの間で、死んだ人間の数がその人理定礎の中間で発生した特異点において、殺しても補正が許される範囲となります。

 このローマも大虐殺が起きましたが、そもそも人間には寿命があります。当然ですが、生きている人間など結局は死にますので、文明の維持が不可能な人数がその時代に死滅する事に問題があるのです。人理にとって、個人個人の死因など大した価値はありません。無論、阿頼耶識が英霊の魂を作る為に必要となった英雄と言う名の人間は別問題なのですがね」

 

「命に区別をしないのが私の信条ですが、人理からすればまた別ですからな」

 

「そうですね。欲を言えばあの獣には、人間が増えに増えた近代に特異点を作って頂ければ、私も人理を気にして人死にを調整する事もありませんでしたのに。

 残念ですよ……はぁ―――本当に、無念極まります。

 古きより厭々ならがも、補正式だった筈のあの獣が人類種を見限る決意をするのに十分な程、贅沢なまでに命を消費する大量虐殺や大量絶滅ばかりが一気に増加した時代でしたのにね」

 

「世界の国々の、惨さを窮める大戦乱。一人の軍師として、是非とも参加したいものですな。混沌と殺戮と汚泥の中こそ、我らのような戦争狂が生きる唯一の揺り籠でありましょう」

 

「それも有りますが、世界は大戦が終わっても戦乱は無くならず、虐殺も殺戮も終わらず、権力者の圧政で更なる大勢の人間が死に続けました。

 あの時代、特異点となる国一つで数百万人程度なら殺して魂を貪ったところで、実質的に人理にはノーダメージでしょうね。毎日毎日、数万人殺してもまるで足りないことでしょう」

 

「ならば尚の事、あの獣はそうしないことですね。それは確かに、貴女にとって都合が良いのでしょうが、定礎の破壊を企む者からすれば、殺せど殺せど届かないのは不都合ですから」

 

 戦死。殺戮。虐殺。餓死。天災。人災。度重なる世界各地のホロコースト。

 大戦の被害と、戦後の大混乱。そして、冷戦によって起きた死の代理戦争。

 人理定礎を崩す為に、近代は許される死人の数が多過ぎる。第一の獣になった人理焼却の犯人からすれば、特異点とするのに全く利用価値がない。人類史を燃え滓にしても感慨が湧かない程に、人の魂が重かった古き時代よりも神秘面においてさえ人命に価値が無さ過ぎた。故に、灰本来の手段として近代の方が特異点となる利用価値が大きい。地獄を容易く作り上げられる。好きなだけ人間を作って人々を殺戮しても良い。

 何故なら、そも歴史がそう歩んでいる。死んだ以上の人命を奪い取るのも苦労する事だ。

 何故なら、世界中の人々が人殺しに死力を尽くしていた。灰が独りで企むには大掛かり。

 

「例えばですが陳宮さん……貴方の故郷である国家は本当に、本当に、あれは一人の人間として凄まじいものでした。とある政治家が農業の改革に失敗し、数千万人が餓死してしまいました。恐ろしい事に、戦場を見て回った世界大戦の兵士や一般人を合わせた被害者数よりも多く……故に、この身もまだまだ人間から学ぶべき悲劇の奥深さに絶望を抱いたものですね。

 人間種とは特別な憎しみがなくとも、普遍的な欲望からでも悍ましい悲劇が生まれるのです。

 人の幸せな未来を求める希望の心が、惨劇を生み出す元凶に幾度も成り果ててしまいました。

 殺戮劇の元凶となった中心人物達は、幸福と利益を願った末に人類悪の原罪へ至ったのです。

 尤も、何処の国も悲劇はあります。人の手で、善なる邪悪が為され続けました。多寡の違いはありますが、人間が作る国家と言う機構は死人を礎にしたものです。国民と言う者は、過去の死者を原材料に幸福を謳歌します」

 

「ほう……―――ですが、貴女はそれを利用した」

 

 灰より知識を得た軍師は、燃やされるまでの歴史も理解済み。自分の生まれ故郷が辿った道程も知っており、世界の歩みも分かっている。

 確かに、時代が新しい程に人理崩壊に必要な特異点での殺戮数は多くなる。

 人災と天災が、特異点で死んだ命を補正するに足り得る死者を出している。

 殺された人間は戦災などの死亡者数に組み込まれ、歴史は微動だにしない。

 人の世を混乱させずに、人の魂を貪る事を狙うのならば特異点は好都合だ。

 灰のソウルを僅かとは言え垣間見た軍師は、この憐れな状況こそ、あるいは抑止力が灰を人類を救済する道具として利用する為の舞台劇でもあると下らない妄想をし……だが、そんな妄想が現実となって目の前に存在していた。何より灰と言う存在は本来ならば、とある国が人類種を救う為に作り上げた暴力装置であり、ある意味で善悪に関係ない人造の救世主でもあった。

 

「勿論ですとも。このローマもまた同様に、悲劇なくして国家の幸福的未来はありません。殺せば殺す程、人の国は天の国に近付くと勘違いするものですから。

 フランスはとある男の復讐劇でしたが、ローマはただの繁栄の為の殺戮です」

 

 だから、この凄惨な処刑も灰からすると人々の正常な日々の光景でしかない。生まれ故郷である不死の世界ではなく、この世界に生きる人類と言う生命種を見て来た彼女からすると、人間が人間らしく日常を謳歌しているだけでしかない。

 天寿ではない人の死とは、人が人の為に作り上げる幸福の素材であるのだと、彼女は二千年以上もそんな営みを見守り続けた。

 

「せめて、生者は人間らしく―――……私なりに、そう思いましてね」

 

「成る程。ならば、私も戦争屋の一匹として雇い主に従いましょう。どうせ魂より自我と倫理を改竄され、逆らうと言う思考回路さえまともに機能しないのですからな」

 

「そうですね。全ての罪を背負うのもまた、呪われ人なら一興です。ですので、何もかもが私の原罪より生まれた悲劇であります。貴方たち英霊の皆様は瑣末な人道など気にせずに操られ、人間そのものを無邪気に楽しんで頂ければ実に幸いです。

 所詮この世は、根源の内側に描かれた無数の絵画の一つ。数多ある世界の中の、無尽蔵に生み出た魂一匹程度の物語……えぇ、人間の人生とはその程度のサイズなのですから」

 

「視野が広いのも、中々に考えものですな」

 

「とは言え、この処刑演劇に生死の倫理観を悩ませる必要はありません。何故なら……―――」

 

 殺された死刑囚は僅かな時間だけ死体を残し、まるで風に吹かれた死灰のように霧散していった。霊核を砕かれてエーテルが散るサーヴァントのように、あるいは一時の命を散らす不死の灰のように、磔にされていた人々は夢か幻か、凄惨な血痕だけを残して何処かに消えてしまった。

 

「―――えぇ、暗い輪(ダークサイン)(ソウル)を選びません。人命に貴賎はありません。

 元より無意味である故、我らは尊い価値を宿らせる事が出来るのです。人間はそもそも死ぬ必要など皆無であり、このような儀式的余興の為に人の魂を殺すことなどないのです。

 言った通り、これは―――処刑演劇。

 最初から誰も死んではいないのですからね。まこと、この世で最も平和な殺戮と言える惨劇でありましょう。焼かれた現代で流行りのエコロジーという概念ですよ。何も誰も消耗せず、魂と言うエネルギーを深化させるには、実に丁度良いソウルの魔術実験です」

 

「……魂のエコロジスト、でしたか。聞いた時は、この女は頭から蛆でも湧いているのでは、と思いましたが……成る程、確かに。

 元より根源より生まれし魂とは、現世において永久機関でありますれば、それを巧く活用すれば斯様に無尽蔵なる呪詛を人工的に精製可能と言う訳ですか」

 

「知識と感覚は常に多様性であるべきなのが、私なりの探求心であります。ま、半分以上はこの世界を調べるのに飽きない為の娯楽なのですがね」

 

 暗帝が民衆に向けた有り難いにも程がある長話も、灰と軍師の雑談の間に終わっていた。コロシアムには新しく処刑演劇用の不死化奴隷が、奴隷蘇生用の篝火が配置された牢獄よりまた連れ出されていた。

 軍師の言葉通り、正しく永久機関。

 処刑場で呪詛をばら撒いて死んでは牢獄で黄泉返り、そしてまた処刑場で殺されては牢獄で甦る。

 反英雄(アンリ・マユ)宝具(呪詛)を人間性を用いて擬似的に刻まれた上、その人間性によって暗い穴を穿たれた末、ドラングレイグの秘儀である亡者化の封印により、孔の無い灰と同じく幾度も死のうとも亡者として理性を失う事さえ出来ない。

 人間として繰り返し死に、その度に呪いが生み出る。この世を全てを呪う紋様は更に深まり、人類全てを憎み殺す呪詛が無限に量産される……謂わば此処は、人間から生肉(呪詛)を剥ぎ取る畜産工場でしかなかった。

 

〝本当に、本当に……えぇ、実にありがとうございました。燃え殻になった人類の皆様の叡智がなければ、私程度の物真似が限界な女では……学ぶべき知識がなければ、此処までの効率性を考え付く事も出来ませんでした。

 しかし、人の邪悪とは斯くもまぁ……いえ、中身が無い灰が断じる事ではありませんか。

 所詮、この惨劇も歴史の二番煎じです。特異点など関係無く、好き好んでこの世の人が人間にしてきた営みの模倣でしたものね”

 

 何時も通りの何ら価値のない結論に落ち着いた灰は、無感情に微笑みながら演劇から視線を切った。英霊としてのソウルを侵され、闘争を愛する戦争狂として再誕した軍師は、灰とは逆に幸福そうな人々の営みを見守る賢者のように笑う。

 

"とは言え、所業など生前と変わりませぬ。あの孔明とて……いや、戦争を営んだ英霊の本質は全てが同類……戦争に愛された冒涜的殺戮者。

 故、死して殺し会う我ら一兵に道徳は必要なし。

 殺戮に正統性を飾り付ける言葉など、政治屋連中の薄汚い糞の戯言ですな"

 

 だが、もはや彼に人道はない。

 彼が生きた戦国乱世にて、暴虐に生きた悪鬼共と大差ない外道に堕ちた。ムシケラのように人を殺していた彼らと自分は同じ穴の狢の自覚は元よりあったが、戦争狂いの軍師にも最低限度の境界線があった筈。自分を処刑したあの男のようにと、保身と我欲で恩人を進んで殺すことさえも、今の軍師なら計算性だけで実行する。

 人が人を殺す理由――大層な動機など、何もなかった。

 利益になるから。効率的だから。必要だから。

 生きているより、死んでいる方が都合が良いから。

 闘争に生きたその結果、軍師は人類が歩み続ける旅路の最先端までを英霊としても、未来を知る灰のサーヴァントとしても理解している。

 ――魂とは、悲劇なのか?

 せめて不要になればソウルを霧散するしかない灰の尖兵として、この特異点で消滅する前にそれを理解してから死にたいと軍師は確かな人間性でそう願う。だが、そんな願望も新たに魂に与えられた"人間性"に塗り潰され、暗く深く澱んでしまう。

 神だろうと、決して逆らえない業。軍師は自分に取り憑いた暗闇に、自分自身が少しずつ転生(ヘンボウ)する違和感に支配されながらも、マスターである彼女の後へと付いて行った。

 










 読んで頂きありがとうございました。前篇です。コロシアムを歩いているだけの話でありましたが、後編で取り敢えずは一通りのローマ陣営は出る予定です。
 それと自分なりの考えですが、ビーストが近代の特異点に聖杯を送らなかったのは、近代戦争の死者数が多過ぎ、歴史を崩す為に必要な殺害数が数千万人レベルになるからなのかなぁと思っています。メタ的視点だと国内受けと海外受けを考えれば、近代の政治と戦争を題材にするのは面倒臭い部分も多いにありますが、ビースト的には少ない人間の殺戮で歴史を崩壊出来る方が合理的だったんじゃないかと思ってます。
 また灰は抑止力の後押しを受ける為に人類を救済……と言うより、人理の現状維持に必須な事もビーストに隠れて平行的に活動しています。人類全体から見て利益となるように悪事を働いているので、実は抑止力側からすると灰の動きを阻害すると不利益が被るようにされており、人理焼却を隠れ布にしてる雰囲気です。ゲームの原作通り、灰が行う自分が強く成る為のソウルとアイテム収集の大虐殺は世界の行く末を決めるのに重要な事柄になってたりもします。


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啓蒙50:帝国会議

 宴会回です。御酒を呑んでいるだけの話になります。


「おぉ! 良く来たな、余の女神よ!」

 

 広い一室。灰と軍師がそこに入ると、暗帝は咲き誇る黒薔薇のような麗しい笑みと共に歓声を上げる。尤も女神と呼ばれた人間は、この世で最も女神から程遠い闇女ではあったが。

 

「いえいえ。今の私は、雇われの国仕えですからね。国家元首の命を無視するなど、この国で愉しく生活するローマ市民の一人として、実に不義理でありましょう」

 

 だが、対する灰は営業職にこ慣れたオフィスレディ……略してOLの如き営業スマイルで、何の感慨もなく暗帝の歓声を受け流す。

 

「官僚どもとそっくりなお役所な微笑み……―――だが、それが良い!

 何時か余の魅力に気が付かせ、素敵抱いてとメロメロにしてやる気概が湧いてこよう。情事の神もローマの休日を祝福する故な」

 

「ネロさんは何時も情熱的で、生きる事が相変わらず楽しそうで羨ましいですねぇ……ふふふ」

 

 何時もと変わらない笑みではあるも、灰の瞳は何処か焦点が合っておらず、暗帝をぼんやりと眺めているようであった。

 

「はぁーはっはっはっはっは! それは当然のことだ!

 人間、百年は生きられぬのが常ならば、今この瞬間を全力で燃え上がる薔薇のように謳歌するのが、この世に生まれた者の義務であろう」

 

「はい。確かに、その通りです。私も見習わないとなりませんね」

 

「素直であるな」

 

「事実は事実ですからね。何より真理なんてものは、ヒトの魂の数だけあるのものです」

 

 会議室として併用も可能な程に広い皇帝専用観覧室―――処刑演劇場(コロシアム)の豪華絢爛な、ソファやベッドまで揃える最高級特等席。

 既に、暗帝の部屋には灰と軍師以外の全てが揃っていた。

 即ち、全員が雁首を揃えて非道な処刑を見下ろしていた。

 

「―――我が子、ネロよ。人間なる太陽(ローマ)も来た。皇帝(ローマ)たるお前の従僕は揃った。ならば、今を進める会議(ローマ)の時だ。

 罪人の処刑に鉄槌を下すのもまた、ローマを統べる君臨者(ローマ)が担う責務ではあるが……今は、それを眺める公務(ローマ)の時間に非ず」

 

「その通りです、神祖殿。我がことながら、失礼を。

 このネロ、このローマを統べる皇帝として、戦争に人民と国費を惜しまず励みましょう!」

 

「為政者の鏡ですね。呪われ人の不死の私から見ても、貴女は素晴しい魂の意志を持つ女性であります」

 

 過去を振り返る灰は、その精神性こそ今を生きる人間の生き様だと笑みを浮かべる。国家を運営するとは、人命を人間と混同しない人間性がなくてはならない。そう在らねば、人間を使って他国に暴力を振う事など出来ないだろう。

 

「はっはっはははーは! 照れるぞ余の女神、もっと褒めよ!!」

 

「ネロさん超可愛いです。ローマ史上最高峰のナンバーワン美女です」

 

「当然の事よ。余こそ、ヴィナスに並ぶ美貌の持ち主故な!」

 

 自害の死から逃れる為に灰より人の呪いを受け、更にローマを呪う特異点全ての憎悪が暗帝と化したネロのソウルに罪を積もらせる。それにより、美しい金髪は光沢が一切ない闇に塗られ、瞳もまた暗い穴のような黒となるも、だからこそ今の彼女は背徳に染まった暗い麗しさを誇る。

 生身の人間ながらも、ネロの魂がヒトの闇に裏返った事が良く分かる。人格はそのままに、価値観が歪な形で違っていた。

 

「んっんー……では!」

 

 そんな見惚れる微笑みのまま、暗帝は仕切り直す為に一声挟む。この間にいる超人魔人の視線を受け、まるで舞台役者のように声を高らかに上げる。

 

「これより第十三回目……―――新生ローマ帝国軍事会議を開始する!」

 

 飲み喰いが可能な立食式の軽い雰囲気であり、それに応じた暗帝の重々しさがない宣告ではあるが、だがローマの行く末が確かに決まる立派な会議ではある。

 尤も、所詮は皇帝独断の独裁政権下。

 根回りさえ不要な、彼女の政治的決定を告げる場に過ぎない。呼ばれているのも新生したローマ帝国に必要な、抑止殲滅の能力を持つサーヴァントだけ。つまるところ、全員が暗帝ネロの傀儡でしかない。

 

「では我が麗しき姪……あぁ、暗き美のネロよ。余の方からは別段何もなし。戦局も変わらず優勢よ」

 

「そうであるか……うむ。叔父上、奴隷兵の補充は?」

 

「要らぬ。不死故に減ることもなく、戦線維持には十分である」

 

「ならば、良し!」

 

「全てが順調。全く以って、ローマの儘よ」

 

 大仰に月明かりの男(狂気の皇帝)はうむうむと頷く。戦線と同じくこのローマでの私生活も順風満帆であった。ビジネスもプライベートも完璧となれば、反転した狂気は理性となる事も考え、彼の嬉しそうな気配に狂いはないのだろう。

 正しく、月光の導きに他ならない。

 狂った後の生前と同じ様に、彼は血肉塗れの戦場以外は酒池肉林の日常を繰り返すのみ。

 ネロ主催のコロシアムでの処刑劇をローマ市民と共に楽しみつつ、狂帝(カリギュラ)は面白可笑しく死後に誇張された無価値な醜聞さえも、英霊の逸話に過ぎないと死後のこの人生で愉しんでいた。白竜の月光をソウルに混ぜられ、その人間性は元の形を維持したまま狂気そのものを愉しんでいた。彼の魂は怒りに満ち溢れ、特に意味もなく人を殺し、気紛れに女や男と性交を行い、奴隷を玩具にして愉しんでいた。

 だが、人命を浪費してこそ―――君臨者(インペリアル)

 そうあるべしと、英霊の魂に刻まれた信仰でしかない。

 人道を踏破する事で英雄は真名を獲得し、邪悪な所業も所詮は強過ぎる輝きに掻き消される陰に過ぎない。

 

「ほぉほう、ローマの儘か。成る程、成る程……――成る程。

 それはまことに良いことだ。素晴しいことだ。喜ばしいことだ。この間に来たカルデアの撃滅は出来なかったが、戦局上この戦争は我らの思うが儘ではないか。

 それでネロ、実際に戦ったカルデアは如何か?

 敵本軍を叩き潰し、残るは反乱軍残党。それに彼奴らが加わったと仮定した場合、貴様はどう考えている?」

 

「カエサル殿……―――それは……余の予想で良いか?」

 

「無論だとも。我らローマ皇帝を従がえる暗帝陛下。この身が魔術に支配されたサーヴァントでしかないならば、大局はマスターである貴様の戦略を知らねば話にならんからな」

 

 一瞬、暗帝は殺し合った者共を思い返す。だが、その思考回路は常人の数百数千倍か、あるいは時間停止に等しい迅速さであり、じっくりと一人一人の顔と名と姿を考えるには十分以上。

 

「危険である……――酷くな。

 油断をすれば今の戦局を覆されるやも……いや、このまま対策を練らず戦えば、必ずローマが敗北する。あれらは、そう言う類の星の導きを得た者共であった。

 何より反乱軍との闘争で、我らローマは幾人か皇帝を失った。

 この中にはカルデア狩りに有能なサーヴァントが多くおり、それはまるで―――」

 

「―――アラヤの抑止力、か……下らん。何と下らん。実に下らん理由だとも。

 もはや幸運や運命ですらなく、俯瞰する神の筋書きを(なぞ)るだけの行いではないか。しかし、そうだと分かっていれば、我らローマが裏を突くのも容易い……いや、まさか?」

 

 既に、ネロに召喚された数多の羅馬皇帝(サーヴァント)抑止力(サーヴァント)に殺害された。同時に、反乱軍側のサーヴァントも数多く羅馬は殺害した。

 だがカエサルは、その戦局こそカルデアに好都合だと一瞬で悟る。

 聖なる血の槍を持つ聖遺物コレクターの皇帝(エイレイ)も、薔薇風呂の圧殺封印を好む性欲超人の皇帝(エイレイ)も、カルデアと遭遇することはなかった。敵側にも不死性を持つ者がいると教えられた彼は、即座にその不死封じの戦術を思い付き、しかしもはや手遅れである現状を嘲った。カエサルはこの二人の英霊であれば、ネロを暗帝に転生させた元凶である灰を名乗る不死の女(アッシュ・ワン)さえも、あるいは封じ込める事が可能ではないかと内心で画策をしていた。

 しかし、その密かな計画も抑止側のサーヴァントが台無しにした。

 カルデアの不死にも有能であるも、いざという場合の裏切りの手段も消えてしまった。

 まるで抑止力さえも、この灰なる女の思惑を邪魔する存在を排しているようだと、カエサルは英霊として有り得ない深読みをしたくなる。これではもうローマ陣営がアッシュ・ワンを排する事は、このローマでは不可能に限り無く近いことだろう。きっとカルデアは反乱軍の手で抹殺されたサーヴァントの真名など知る事もなく、フランスでそうしたようにローマもまた抹消するのだろう。

 

「そうだ、カエサル殿。敵側にそれを理解し、読み切った上で戦局を操る者がおるそうだ。あらゆる特異点での犠牲者を把握した上で、人理崩壊の限界を見切って原因を排除する悪意と頭脳を持った、な?」

 

 ならば、カルデアの中にそれを読み切る怪人がいるのも必然。悪夢のような世界へ、邪悪な意志が染み込むように、特異点(ローマ)は誰かの手で描かれた絵画でしかないのだ。

 その気付きを得た時、カエサルは発狂した。

 だが既に、彼の魂は闇黒へ暗く沈んでいた。

 未来がもう描き終わったしまったのなら、サーヴァントがこの地獄を苦悩する事さえ、絵画(ミライ)を描く為の――暗い絵具でしかない。

 

「ふふふ……ふはは、あーっはっはははははははははっはは!

 おぞましい……あぁ、おぞましい。実に、実におぞましい!

 それでは、そもそも知略も軍略も、策略も戦略も無駄はないか。我らがどう足掻こうとも結末は既に決まっている。特異点である故に人類史のレールがなくとも、ローマが挑まねばならんのは、生きようとする燃やされた数十億の全人類と……そして、文明が焼却されるまで死に続けた数百数千億を越える無数の、我ら人類の屍が積み重なる遺志に他ならぬ。

 無論、それは焼かれし現代にて滅んだローマ帝国全ての遺志も含まれよう。

 何より我ら英霊、今を生きる者の未来を願う魂の結晶であれば、心身を尽くして全力で世界を生きるカルデアの味方になるのが本質である」

 

「分かっておる、カエサル殿」

 

「ネロよ。貴様はそれでも――戦うのか?」

 

 英霊の本質こそ、ネロに召喚されたサーヴァントの敵。カルデアだけが敵なのではないのだ。同時にそれは、特異点で抑止力(カウンター)として召喚された英霊(サーヴァント)の戦う理由でもあった。

 カエサルは、悲しみを覚える。

 ローマがローマで在る為に―――皇帝は、悲劇に没する。

 

「余は――死にたくない。

 生きるために、この邪悪を人生の価値とする」

 

「おぉ……おぉぉ、おおぉお―――ッ!」

 

 皇帝(ネロ)に召喚された意味を、カエサルはこの瞬間に実感した。

 

「ならば……ならば、貴様がそう決めたならば、私は怨敵を―――殺し尽くそうぞ。

 与えられた人間性の儘に、ローマの儘に、軍人の儘に、灰色の脳髄より湧く叡智を尽くして、この血濡れた悲劇を存分に愉しもう」

 

 故に、灰は最初からカエサルの秘された想いを暴いていた。いや、この場にいる全てのサーヴァントと、既に殺されたサーヴァントらの心も暴いていた。

 何よりも―――夢幻の瞳を、頭蓋骨の内側に得ていた。

 人の意志とは啓蒙されるものなのだろう。灰は悪夢で殺し回った上位者と狩人に感謝し、その夢のような業を少女みたいに夢見心地で耽溺する。とは言え、そんな少女の如き人間性も、何処かの誰かから奪い取ったソウルより再現した感性に過ぎず、愉しいと言う感情も自分以外のソウルから生まれた意志でしかないのだが。

 

「それはそうと……いやぁ皆さん、この度は民族浄化と英霊率いる反乱軍殲滅の為の戦争でありましたが、召喚者であるネロさんの代わりに感謝の意を表します。

 本当に、本当に―――心の底より、御苦労様でした。

 ネロさんに仕える軍師の一人として、真心を込めて民衆を丁寧に殺し回って頂き、感動の限りで御座います。魂が震える程の歴史的大偉業でした」

 

 心の底から、何の感情も宿らない瞳で灰は広場の全員を見渡した。集結するは、暗帝とその彼女に使役される魔人たち。

 暗帝(ネロ)暗い神祖(ロムルス)扇動屋(カエサル)超軍師(陳宮)月の狂帝(カリギュラ)魔神柱(フラウロス)門番(レオニダス)不死将軍(ダレイオス)改造将軍(呂布奉先)。そして、瞳で見詰める闇の王(アッシュ・ワン)

 

「とのことで、私が運営する特異点の特産品を特別に振る舞おうと思います。英霊の皆さんなら、とても気に入ると思いますよ」

 

「おい。貴様、それはこの酒か?」

 

 灰が褒美を見せた直後、レフ教授は死んだ魚類の目になった(瞳が宇宙を覗き込んだ)。見てはならない正気が沈没する品物が、何の前触れもなく眼前に現れ、やはりこの世は地獄だと思い直す。

 

「はい。高貴な方々が飲める希少な地酒ですよ……―――葦名の」

 

「む……あ、あし……な?」

 

「ええ、葦名です」

 

「葦名か……―――え、あの葦名?」

 

「はい。あの葦名ですよ」

 

 どのような魔術基盤の魔術理論か、全く以って意味不明な神秘法則によってテーブル上に具現する酒瓶。まるで投影魔術の如き唐突な一瞬の早業。灰でなければ見逃してしまうことだろう。

 何よりその酒瓶、現代チックに“狂の水”……否、〝京の水”とロゴが記されている。だが、それで良いのか葦名特異点。まさかそんな魔性の聖水ならぬ精水が一般販売でもされているとでも言うのか、と教授はとても論理的である為に頭蓋の内側が混沌に満ち溢れる。京の水を狂の水と読み間違えてしまうのも無理はなく、むしろ呑んだ者を発狂させて異形の人竜に転生させる精霊的薬効を考察すれば、強ち間違った読み間違えでもないのではないか、と教授は特に意味もない混乱で思考回路が(バグ)った。

 正しく、(バグ)による狂気だ。人の内側には蟲が寄生する。

 何せこの光景が現実のものなのかさえ、彼にはもう何の実感もない。

 人間を忌み嫌う魔神の柱であろうと、人血に潜むナニカを知ればきっと正気に価値など見出せない。

 

「◆■■■!!」

 

 何か、ダレイオスが喇叭呑みをしている。教授の素直な感想を言えば、完全に中毒患者(ジャンキー)狂態(ソレ)だった。

 

「おい、アッシュ・ワン。貴様、どう言うつもりだ?」

 

 ローマがローマらしく宴会を始めつつも会議に没頭する中、教授は苛立ちを隠さずに灰の隣に佇んでいた。勿論、その手に酒杯はなく、食事にも手を付けていなかったが。だが逆に、灰は愉し気な微笑みを浮かべて酒を呑み始めていた。

 

「いえね、まぁ在庫処分とでも言いましょうか。私は葦名にて火の簒奪者(御同輩たち)を大量に召喚したのですが……あいつらは、本当にもう思考回路が滅茶苦茶な血に飢えた殺戮者過ぎて手に負えませんし、私が一人で纏める何て不可能なのですよ。

 一人一人がそもそも今回の騒動の大元になった人類悪の、更に連鎖召喚されてしまう七柱を単独で殲滅する奇人変人怪人の集まりとなると正直な話、たった一人でも離反されると特異点とか一瞬で滅んでしまいます。そのようなのが百人以上もいれば尚の事です」

 

「つまり……それが、どうしたのかね?

 貴様は、相変わらず話が回りくどくて苛立つよ」

 

「個性も人間性の一部ですので、その程度は我慢をして下さい。まぁ、それで私は御同輩の燃え殻共に、私の葦名へ愛着を持って貰うにはどのような利益があれば……と、思いましてね?

 聖杯探索や血晶石集め等の、新世界で敵を殺戮して冒険する娯楽などもソウルに刺激的でした。私も実際、原盤で完成させた数多の武器を血石で鍛え、血晶石を仕込むのは愉しく、夢の中での狩人狩りと上位者狩りも一興でした。

 ……ボーレタリアの霧より、デーモン溢るる葦名での日常生活もまた然りです。忍びの業も、剣聖の業も、殺人の業は奥深く、灰の一匹として実に面白かったです。闇の白竜が記録された古い夢も、外より来た暗い塔の探索もまた同様です。

 だがしかし、こう言う人間性に程良い普遍的娯楽と言うものもまた……新しい生身を得た彼らには、人間として充分以上に愉しいと思いましたから」

 

「イカれているな、どいつもこいつも……」

 

「使命さえ亡くした無限と永劫の狭間を彷徨う暇人共ですからねぇ……ふふふ、実に簡単でした。ちょっとした娯楽であろうとも、未知に飢えた好奇心の塊でしたのでね。この身がそもそもそうですし。

 私が二千年間練磨した業と、あの悪魔が旅した世界への途を前に、火を簒奪する程のソウルを持つ渇望の化身が耐えられる訳がないのです。

 勿論、美味しい御飯と素晴しい御酒も……そして、それらを愉しめる人なる生身まで揃っているとなれば、葦名にはあいつらが欲する全ての御愉しみが詰まった夢幻郷(ドリームランド)に深化すると言うことです」

 

 即ち、記憶(ソウル)より描かれた夢幻(セカイ)

 

「人の生身……―――あぁ、キリエライトシリーズか。

 本当に、人間と言う動物は何時まで経っても変わらずに……悍ましい」

 

「何を今更ですよ。霊魂(ソウル)を憑依させる素体としての、唯一の実験成功例の遺伝子配列ではありませんか。

 私がマリスビリーに協力した報酬の一つとして、カルデアが持つ技術の提供があります。

 オリジナルのマシュさんからしても、カルデアの技術者共に作られて殺された家族達以外に、新しい姉妹が増えるのはとても喜ばしいことかと思いませんか?」

 

「ならば、あの戦神もそう言う事か」

 

「私の仲間を責めないで欲しいですねぇ……ふふふ。しっかりと、コピー品のソウルは灰の中の炉に焚べられています。

 ソウルを貪る事に罪悪などない人々ですし、他人の魂と自分の魂に境界線など本来はありません。元より、この世全ての魂は根源より漏れた集合体の一欠片なのですから、融け合わさった在り方こそ真なる魂の姿とも言えるのです」

 

「だが、それが禁忌であると……この人代を生きた貴様は知っている。それは神でさえ許されない魂への冒涜である」

 

「嫌ですね。だからこその英霊召喚です。我々は元から魂に重みがある故、重力に引かれて落ちる林檎のように、他の魂を吸引してしまうのです。闇とはそうでもある訳です。魂が法則を歪めるのです」

 

「成る程。貴様は、我ら魔神の柱以上に魂に関しては博識であったな。カルデアでの研究は、その要らぬ学習意欲を更に加速させたと言うことか」

 

「カルデアの英霊召喚は、私にとって馴染み深い神秘でもありましたからね。本来なら霊体を呼ぶ儀式の印を素体に刻み、最初の火を通じて簒奪の灰を篝火より呼び寄せます。そうすれば、召喚された灰は自動的に受肉して召喚されます。しかし、最初の火を持つ灰のソウルを人が宿せば、魂は一瞬で焼却されてしまい、意志の無い死灰のソウルに転じるのが必然です。

 しかし、その肉体ごと魂に作り変えられますので、むしろ好都合な実験結果でしたね。重要なのは、この世界に属した生身を有し、キリエライト素体が生死の基点となる徴になることです。

 デミ・サーヴァントの作成方法を応用すれば、霊体の受肉など容易いことでした。そして、第二要素と第三要素も複製されるキリエライト素体は、英霊召喚の寄り代として……私が用意可能な遺伝子配列の中でも、素体に相応しいソウルの中でも、最も優れた材料に成ると言う訳です。

 ……まぁ、私は学んだ知識を道具として使わせて頂いたまで。

 魂を亡くした程度で己が意志を失くすのでしたら、それは元から人の意志を持たない魂と言う名の、ただの消耗品に過ぎなかっただけです。霊体の素体になるのだとしても、所詮は粗製の肉細工だったと言う訳ですね」

 

「彼女を、粗製扱いするのか……貴様は」

 

 ――怒り。

 人類史を焼却した者共の一柱とは思えない……それはまるで、個人を思い遣り人間性の発露。そして、憤怒は殺意でもあった。

 

「いやはや、勘違いですよぉ……うふふ。オリジナルの派生クローンが粗製であるだけでして、マシュさん自身はただの未完成品です。

 けれども、確かにその怒りは間違いではないですよ。魂と精神も肉体と同様に全く同一の存在ですので、謂わば平行存在とでも言えますから。

 あぁ、でも……悲しむ意味も哀れむ価値も、キリエライトさんたちにはありません―――」

 

 ただただ、灰は魂を掬う聖人君子の微笑みを浮かべるのみ。眼前にいる怒りに満ちた魔神を宥める為、道徳的な人類の真理を説くだけだ。

 

「―――死んだ人々の魂は、消えずに私達の心の中に今も存在しています。私の魂となって、亡くなった人々の遺志は生きています。

 一人だけでも生きている人間が死者を忘れなければ、きっと誰もが永遠の思い出になれるのですからね」

 

「呪われ人、アン・ディール……否、アッシュ・ワン。現実を知らぬ愚者の戯言に過ぎない綺麗事だが、貴様の戯言(ソレ)は嘘偽りのない真理。言葉通り、貴様の魂となって死人は永劫の業と成り果てる。

 だがな、綺麗事ではない綺麗事ほど―――(おぞ)ましい現実はない。

 綺麗事がこの世の真実となれば、人間は個別の意志を失う事となるだろう。

 業と言う名の思い出となってまで、貴様ら人類種は決して永遠を求めはしない。永遠に苦しめない。人間だから……その業に届けば、そも魂が耐え切れない」

 

「ふふふ……―――良く人間を御存じですね、レフさん。

 とても残念な真実ですが、人間達はその通りですとも。

 結局は全ての思い出が私になってしまいました。絶対に何もかもを諦めない精神こそが、魂を凌駕する魂から生まれた力ですのに、人々はそれを手に出来ずに死を諦観してしまいますから」

 

「人間の屑め……」

 

 レフ教授からすれば聞くに堪えない綺麗事。死人が生者の中で記憶となり、それを大切にして生きよう等と言うのは、未来と現実を正しく理解出来ない人間特有の、道徳と言う無価値な規範から生み出た下らない妄想である。戯言と呼ぶことさえ烏滸がましく、教授にとって唾棄すべき愚者の妄言だ。

 しかし、それが本物の人間にとって真理であるならば?

 妄想の綺麗事が、魂と言う概念にとって現実であるならば?

 その答えが、眼前の女である。もはや、その魂―――死んだ人々の思い出(ソウル)の集合体。まるで死人の思い出が細胞となって人型の魂の塊となった存在こそ、火の無い灰。いや、その真実を正しく理解してヒトの業を辿り着いたからこそ、火の簒奪者。

 やがて、火を宿す炉になるが故―――灰は、灰なのだ。

 そして、炉と成り果てた簒奪者は、だが灰である故、灰以外の在り方を理解出来ないのだ。

 

「屑ですともぉ……ふふふ。それもまた、ソウル(人間)ですのでね。まぁ、召喚しました御同輩の燃え殻共と比べましたら、赤目ばかりの葦名では聖人君子ですけどね。あ、抜ける前のカルデアでしたら清楚枠の代表でしょうか。

 ……全く本当に、愉快な面倒事ですよ。

 程良い観光の為にローマまで来ましたけれども、葦名に帰ることを考えると憂鬱になります」

 

「―――……はぁ。毒気が抜けるよ、貴様は。

 その冗談、本心から話す感情である時点で気色が悪い。人の魂を持ちながら、人の為に涙を流せぬ輩に、私のような人外の人でなしが人道を問う事が大間違いであったよ」

 

 全てが既に自己完結した存在。未来などない灰に、怒りを抱く価値などないことを教授は思い出す。それは溜め息となって吐き出た諦観であり、同時に魂が不死不滅となった正真正銘の最果てがこの女である事を、自分達魔神の柱が認めてはならない抗いでもあった。

 これが根源に居場所がない(死を持たない永遠の)魂が歩む途の答えである等と、教授(フラウロス)は考えたくもなかったのだ。

 

「……人の涙など魂と一緒に亡くしました。己の死に慣れると、何故か血しか流せなくなってしまいますのでね」

 

 ソウルが融ける暗い涙は流れても、もはや涙を流す為の感情は存在しない。人ではない魔神の徒にその事実を指摘され、灰は少しだけだが“本当”に驚いた。渇望以外の意志を確かに実感するも、だが()の内にある最初の火に焚べられてしまった。もはや絶対に折れない心として得た業でなければ、灰としてではなく、亡者となる生前の人としての心が内側に在る事も許されない。

 

「そして、下らない嘘は人間関係に罅が入りますから。糞団子がお似合いな神のように、人を欺くのは人間性に悪影響が出てしまいますから。

 ですので道徳的良心から、知らなくても良い真実を人の目から隠す位が、常識人の私が行える善意の限界です」

 

「ほざけ、魂の汚物が。中身のない燃え殻の貴様に……そも、そのような善悪の価値観などない。人の魂から簒奪した感情を模倣するだけだろうが」

 

「実に哀れですね。価値観など知性体に不必要です……―――分かるだろう、フラウロス。

 このローマを、その邪悪な瞳で見回し給え。全ての事柄がローマと言う価値観に染まり切り、しかして此処ではローマである事に価値など皆無。

 人間とは、あらゆる事象の前に個別の人間でしかないのだよ。

 魂の儘に生きるとは、餓えると言うこと。私の闇がローマを狂わせたのではなく、より良いローマが欲しいと皆のソウルにその飢餓を自覚させたのみ。

 ほら……ならば、そも価値観とは基準が逆さであるのだよ。

 人は学習によって今の価値観を得るのではなく、学んだ知識から理想とする基準に合わせた価値観を手に入れる。善悪の始まりとは所詮、欲望より湧き出た幻想の認知に過ぎん。個人個人が有する利益と幸福の基準である」

 

「やはり、貴様は戯言を好むらしい。その思考さえ、貪った如何でも良い誰かの魂から簒奪した意志でしかない」

 

「その通りですねぇ……ふふふ。私の魂が持ち得る意志は一つだけですので、他の価値観は奪い取れた魂にとっての真実でして、アッシュ・ワンと言う灰からすれば借り物の理想論です。

 ――ふぅ……しかし、葦名の酒は美味しいです。

 朽ちた肉体ですので味も酔いも無駄ですけど、ソウルにまで染み回る桜の酒気は例外なのでしょう」

 

「やれやれ……私が長々と聞かされたのは、酔っ払いの戯言だっと言う訳か―――」

 

 そして、教授(レフ)は灰から視線を切った。意志を貫徹する諦めを理解出来ない女に、頭脳戦を挑んだ所で何ら意味はない。結局、最期がないために最後は必ず目的に辿り着くのなら、灰の思惑を挫いても直後に再挑戦されるだけ。そして、それを無限に繰り返され、絶対に灰は渇望を満たすのだろう。

 目的を奪い合う競争相手にしてはならない―――と、命ある魂を持つ獣は理解していた。

 

「―――あ。そうだったな、客将ライノール。すまぬが気分が良く、最初に言い忘れていた事があるのだ。

 余たちローマから離反した貴様の召喚せし捨て駒……あー……っと確か、アレキサンダー大王と、諸葛亮孔明と……メディアであったか?

 その三名が反乱軍残党と合流したのが確認された。暗帝であるこの余に、何か貴様から申し開きの弁があっても良いと思うがな?」

 

「……っ―――」

 

 突如として、宴会混じりの軍事会議から教授に話を振った暗帝の質問。彼は何とか舌打ちをするのを我慢し、自分が召喚した三匹のサーヴァントへ無能の塵屑共と内心で罵った。

 

「まぁまぁネロさん、此処は落ち着いて待って下さい。我らが暗き帝国の繁栄はそもそも、人類を薪代わりにしたレフさん達の大偉業が端を発しています。

 その功績はとても大きく、更にローマに敗れた反乱軍の総指令官―――アルテラの拘束は、彼の魔術による多重結界の封印で行われています」

 

「うむ。余とて、その事は重々承知だ。だがな女神よ、それはそれとして手駒が裏切る隙を見せ、挙げ句に残党共の追加戦力になってしまった。

 それをなぁなぁで無視することはローマ皇帝として出来ぬ。出来ぬのだが……なぁ?」

 

「―――……業突く張りめ」

 

「ぬぅわっはっはっはっはっはっは! 皇帝を前にして良き悪態であるな、異郷の魔術師!!」

 

 手に持つ杯の酒を暗帝は一気呑みし、どんよりとした瞳で教授(レフ)をドロリと見詰めた。輝きがない暗く蕩けた目はまるで黒い穴のようであり、見ているだけで魂が吸い込まれそうな不気味さしかない。尤もそれは灰が出した禁忌の神酒を呑んだ全員に共通することであり、恐らくはある意味で一番まともな存在であるのが、自分の隣に立つ不死者(オンナ)だけなのが教授にとって一番狂った事実であった。

 そして暗帝以外の化け物共も、暗帝と同じ暗い瞳で教授を見ている。

 玩具人間(ガラクタ)に改造された筈の半人半機(呂布奉先)でさえ……いや、魂の中身を刳り抜かれた抜け殻からこそ、注ぎ込まれたナニカは鮮明に瞳へと浮かび上がるのかもしれない。

 

「余のローマは寛容である。個人の失態に意味はない。貴様の無礼な態度も、手駒を御せなかった不手際も同様に無意味だ。

 その意味を理解出来るか……魔術師、ライノール?」

 

「さて……私はまだまだ勉強不足でね。貴様のような人類の思考回路は読み取れないな」

 

「そうかそうか。ならば、教えよう。何故ならば―――貴様が、無意味である(ローマでない)からだ」

 

「―――は?」

 

 教授は、この女の言葉の意味がまるで分からない。ローマでない等と言う事は当たり前の事実であり、だがその言葉が何故か二重になって聞こえる。

 とは言え皇帝特権(何でも有り)の為、その不可思議も不思議な事柄ではない。故にこそ、理解不能。教授はただ混乱するばかり。

 

「まだ分からぬか……やれやれ、愚鈍だな。そも人間とは―――ローマである。

 ローマに住まう者が人間として存在出来るのではなく、魂を帝国に帰属させた者がローマ人となれるのだ。でなければ奴隷であり、奴隷の為の国も、奴隷の為の神も世界には存在せん。

 理由は簡単……人類種(ローマ)がそんなものを―――求めぬ故に。

 余が異郷者の貴様を客将と認めたのは、余の女神の友人だからでは断じてない。貴様がローマと言う我らを理解した人外であったからだ。人間(ローマ)を内心で見下しながらも、だが我らの帝国がなくば貴様はこの特異点(セカイ)に居場所もない。

 ならばこそ―――外交は、皇帝の務めである。

 貴様と言う獣の肉片を拒む理由を人類種(ローマ)は持たず、故に奴隷ではなく来客として交易するのがローマの人道と言うことだ。

 まこと、人間はローマだけで良い。ローマでなければ人ではない。

 ローマの眷属となることが、同じ人の形をした奴隷の幸福だ。さすればローマは、終わりの無い完璧な恒久的世界平和を実現する」

 

「成る程な。良くある選民思考だよ、貴様のそれは。しかし、二千年後の未来でも何ら間違いでもない現実だ。その結論は文明の答えであった。

 ……だから、貴様ら人間は無様に燃やされる。

 結局、その醜さだけが残された存在価値となる」

 

「そうだとも―――……残念ながら、な。

 邪悪を為さねば、歴史は争いが消えた平和と言う結論へ辿り着けぬ。人間は全滅する前に人類史を終わりに出来ぬ。故に生まれ変わったローマ人は例外一人なく、自らの悪性を正しく理解した上で魂にローマを抱くのだ」

 

「あぁ、確かに。貴様のそれは、確かに正論だ。全てが死に絶える前に人類史に答えを出せば、人が今以上に死ぬこともない。

 歴史が幸福に到達すれば、そうか……――成る程。流石は、暗帝を名乗るだけの人間だ。その思想を持つならば、ローマでない私の失敗など無意味だな」

 

「その通りだ。ローマにとって失敗は悪でも罪でもない。その過失で何万人が死のうとも問題なし。故意に失敗を隠せば邪魔者として処分するが、弁明と報告をすればローマの協力者として罪などないのだ。

 どうせこの世は、平等になる。結果的にローマの世界は奴隷も人外も人間となり、全ての者が人間性を満たす幸福な人生を永遠に謳歌する」

 

 羅馬人でなければ人道を歩めない。ラテン語だけが唯一の人語である。即ち、ローマでない者は国家が飼育する畜生。

 レフは客人ではあるが、人間ではない。アッシュは皇帝が崇める女神だが、人間ではない。

 

「しかしなぁライノールよ……ほら、分かるだろう?

 人間と人外を問わず、互いに平等な関係を結ぶのであれば、善悪や権利は余り関係ない。その前の、必然的な事が存在する」

 

「やはり、貴様は……―――我が儘な、意地の悪い業突く張りだよ」

 

「はぁーっはっはっはっははははははははは! 欲深くなければ、このローマ全てを統べる皇帝など勤まらんわ!!

 ……で、余の要求は勿論のこと理解しておろうな?

 このローマが貴様ら獣へ与えた利潤を思えば、それ相応の利益を我らに提供せねば……果たして国賓でなくなった貴様をどう扱うべきなのか、分からぬ程に思考の次元が低い訳でもあるまい?」

 

「ふん。アルテラに対する令呪の追加、だな?」

 

「―――その通り!

 あやつは真に余の寵愛に相応しき女でなぁ……言う事を聞かせるのも、高くついて愉しいのだ!」

 

「やれやれだよ。私の魔術は、貴様の娯楽品として消耗される訳か……」

 

「光栄なことだ。この皇帝たる余の愉悦を満たせるのだからな」

 

 暗帝(ネロ)は名の通り暗く嗤った。魂を穢す事に愉悦を見出た者の邪笑である。その悪しき貌をカルデアのエミヤが見れば、まるでアルトリア(セイバー)を前にしたギルガメッシュ(アーチャー)のようだと嫌悪する事だろう。あるいは、教会の地下で孤児を食材にしてサーヴァントへと餌付けしていた神父でも良い。そのエミヤからすれば、まるでギルガメッシュが女になったような悪夢を錯覚するのだろうが、全く以って正しい嫌悪感である。

 人の尊厳を貪る者に慈悲を与えてはならない。

 ましてや魂を咀嚼するなど決して赦されない。

 しかし―――人の魂に喜びを見出すのも、否定出来ない人間の証であった。

 同時に、暗帝はその人間性に疑いを持ち得ない。灰から与えられた機能(ソウル)に疑念を抱かず、暗い悦楽に罪悪感など欠片も覚えず、逆に魂から湧き出る喜びを背く事に後ろめたさを覚える程だ。

 

〝ならば、それは悪ではないのでしょう。疑念も後悔もなく、魂の飢えを満たせる者……正しく人間です。理想的な人間の存在理由です。

 そのソウルにとって、誰にも否定不可能な善行に他ならないのです。

 他の魂を持つ人間の瞳が邪悪に見えたのだとしても―――その魂にとって、それが善なのです”

 

 火の簒奪者(アッシュ・ワン)は、生まれ変わった(魂が転生した)ネロ・クラウディウスの有り様を嬉しい人間性の進化の一つだと実感は出来なくも、それが喜ばしい実験結果であると思考で結論した。

 原罪を亡くした魂―――……それが、必ず手に入る。

 灰の炉の中へと、また新しい感情(ソウル)が焚べられる素晴しき未来。

 フランスで生贄に捧げられた人々の感情と記憶は新鮮で、彼女の魂に相応しい燃料(マキ)となったが、きっと更に格別な火の温もりを与えてくれるに違いない。善と悪も、火も闇も、神も人も、簒奪者からすれば等しく薪でしかないのだから。

 

「けれどもネロさん、御愉しみの為の令呪欲しさにレフさんをそこまで長話で脅迫するとは……お喋り好きな私から見ても、とても好ましい欲得の深みです。

 そこまで皇帝陛下に愛されるとなれば、アルテラさんはとても幸福な女性でありましょう。勿論、ネロさんもまた幸福です。暗く燃え尽きる愛こそ人間性が恋愛感情に生まれ変わった証明となり、魂を燃やす素晴しき情熱は人生の尊厳と成り得る業となります」

 

「ふぅふふふふ……分かっておるわ。情熱の愛は宮殿を満たす程に積み上がる金銀財宝よりも尚、人の魂にとって価値ある幸福そのものだ―――否、違うな!

 財貨を燃やすことになって惜しくない感情こそ―――人の愛(アモル)

 ならば、余の情熱は相手の愛さえ燃やし尽くさねば我慢出来ず、自分の魂を焚く程に我が情は昂るのだ!!」

 

「私が見込んだ通り、人として徳の高い女性です。捕えた奴隷を愛する心をお持ちになるとは、身分に囚われない自由な価値観(ローマ)でありましょう」

 

「良い良い良い……ふふ、はははははははは!! もっと褒めよ!!!」

 

 完全に酒気で逆上(ノボ)せている暗帝は、高笑いをしつつも葦名の清い水より醸される御酒を一気呑む。うむ美味い、と内心で竜のような歓喜の咆哮上げ、それに比例した深みを持つ笑顔をアルコールで酔った貌で浮かべる。

 よって呑み干されたその杯に、灰は手に持つ瓶から御水の神酒を注ぐ。暗帝の手に、暗い魂(ソウル)を満たす素晴しい酒精が溢れる寸前となる。

 

「さあさ、ぐぐいと召し上がると良いですよ……ふふふ」

 

「無論だとも!」

 

 ソウルを理解する呪われ人(アンデット)は、武器や道具の記録(ソウル)さえ読み取れる。なので、その台詞は葦名の酒飲み(簒奪者)共にとって誘い文句の一つであり、まるで統一言語で喋られたような強制力を相手の魂に与えるのだろう。

 あるいは、既に灰は学んでいるのかもしれないが……だが、最初の火を持つ簒奪の灰たちからすれば只の言葉。根源に居場所のない魂は、本当の意味で孤独である。

 

「自らを救うため、貴様のような存在さえ利用する人間共(アラヤ)の浅ましさ……つくづく魔神の一柱として、人理焼却は必要な事業であると実感するよ」

 

 そうして、暗帝はローマの輪に戻る。相手をされていた教授は溜め息を重く吐き出し、何故か楽し気に隣で立飲みする灰に因縁をつけた。時計塔で過ごした人間時代に身に付けた話術であるが、灰に通じるかは良く分からず、しかし魔神柱は灰と違って無感情な『人間性』などない。そもそも人間に無関心でいられるのなら、人理焼却など行わない。

 

「もうレフさん、素面で人間性を語ってしまうなんて。本当、人類に拗ねてしまうとは可愛らしいおじさんですね」

 

「干物貌の貴様に、おじさん呼びされる謂れはない!」

 

 邪悪さと醜悪さも、人類史にとって進化に必要な栄養源。それを正しく理解した為に王の魔術式(ハシラ)は焼却式となり、この女の業が人類の魂にとって絶対的正義だと理解してしまった。

 フランスでの灰の所業も、教授からすれば何時もの人類でしかないが……あらゆる時間軸の世界に住む全人類からすれば、きっと否定することが誰の魂にも許されない有益な悪行である。

 その蒙昧な在り方は被造物(ホセイシキ)の意志で焼き滅ぼされて当然の罪科なのだろうが、だからこそ人理修復を行うカルデアは灰の火で焼かれずに済み、時間神殿も灰の闇に沈まずに住んでいる。

 

「えぇ~本当ですかぁ?」

 

 人類にとって、そのままの意味で――必要悪。本来なら絶望で魂が塗り潰れる程の哀れな役回りを、異邦人に過ぎない灰は醜い人理に託されている筈なのに、だが灰からすれば何ら問題もない些細な不利益である。

 僅かばかりとは言え、教授は灰を理解しているからこそ、こんな風に人を揶揄して楽しむ人間性が残っていることが許せない。彼ら魔神はその間違いを正すために人類と決別すると決めたのに、灰はまるで日常を謳歌する一般人と変わらない態度で、そんな魔神たちを隣人のように扱うのだ。

 

「そのカルデアでの煩わしいノリを、この私にするのだけは止めたまえ」

 

 よって、教授の返答は本心より。所詮、燃え滓の人真似である。関心を寄せると虚無に落ちるだけ。

 

「ふふふ。我らの所長様は貴方にベタベタに甘えてましたから……そうですねぇ、嫉妬心から涌き出た私の可愛らしい嫌がらせだと思って諦めて下さいね」

 

「そうかね。ならば、丁度このローマにいるオルガにしろ」

 

「もうしましたよ。オルガマリーさんは私を殺せる程に強くはなっていますけど、まだまだ私を愉しませる程に殺人が巧くはないのです。

 出来れば、我ら簒奪者を相手に灰狩り生活を数十年も続ければ……あ、成る程!」

 

「また思い付きかね……」

 

「良きアイデアは日常に潜んでいるものですから。唐突な発想こそ、啓蒙される魂の感覚と言えるのではないですかね」

 

「――ッチ。瞳を話題にするな。オルガの血が、まだ抜け切っていない」

 

 それを聞いた灰は、ニチャリと気持ちの悪い笑みを浮かべる。まるで無力な幼児を虐待死させる事に愉悦を覚えた人間の屑に近いが、実際は戦神を全裸のまま笑いながら拳でジワジワと殴り殺す変態戦闘狂である。

 被虐を極めた末の加虐であるも、しかし灰の鍛練とはそう言うものだ。拷問趣味の虐待家と比較すれば、気持ち悪さも高次元暗黒に辿り着いていることだろう。

 

「嫌ですねぇ……ヒヒヒ。女の血に疼くなんて、人間臭くて良い変化です。いや、もはや変貌でしょうか……いえいえ、あはぁ……そう言う訳ですね。

 そうでしたら、マシュさん……――殺しても良いですか?」

 

 唐突な話題の変換だが、話を振られた教授からすれば確信を突かれた問いであった。だが、心を読まれることを不可思議と感じる程に灰は普通ではなく、魂を見られていると最初から理解していれば、相手の灰を恐怖する未知ですらない。

 

「――……ふん、好きにしろ。元より、カルデアは皆殺しにする。私の手で、そもそもマシュ・キリエライトは爆死する予定であった。

 だがな――」

 

「――魂は、喰らうなと?」

 

「――っ………」

 

「いけませんねぇ……ふふ。灰である私にとって、殺人行為は食事でもあります。でも、宜しいでしょう。

 ソウルを貪るなと言うのであれば、そもそも私にとって殺人動機も消えてしまいます。マシュさんは生きたまま、ネロさんに渡しましょう」

 

「なんだと?」

 

「そこからは、貴方がネロさんと交渉して下さい。マシュさんのソウルが欲しいのであれば、ね」

 

「……屑が。あの性欲が肥大した女に渡せば、強くも無垢な少女をどうするかなど、それが分からぬ貴様ではないだろう」

 

「私はプレゼントって好きなんですよね。何と言いますか、コレクションを貢ぐのが苦手な灰は、より良く強くなれない灰だと思うのです。

 私が宝具を砕いて裸に剥いたアルテラさんと同じくらい、きっとネロさんはマシュさんを大変喜ぶと思いまして」

 

「まるでペットに餌付けする飼い主だな」

 

「あるいは無駄飯喰らいに育った大人になれない子供を、自分の手で間引けない哀れな親の気持ちでも良いですよ。情と言う感性もまた価値観の一つであり、厄介で不利益なものでもあります。

 ですが……あぁはい、例えばそうですね。千年位前に知り合った友人の暗殺者さんは、自分と同じ信仰者を堕落したと、その手で実の息子だろうと首を斬り落としていました。自分の子供を一人二人と殺す程の信仰心がなければ……まぁ教義への執着心とも言えますが、それらが無ければ、そもそも人は魂に足掻く意志は抱けません。鉄の秩序を尊ぶ為、誰かに対する情を棄てるとは……いえ、魂の尊厳を守るには人はそう在らねばなりません」

 

「あの存在は……――いや、確かにな」

 

「そう言うことです。きっと彼は今でも自分が愛した女性が産んだ子供や、自分と同じ神に対する意志を持つ同志を殺した剣を握り締め、死の淵で刃を振るい続けて己が魂を錬磨していることでしょう。

 鋼の意志で人を殺せるとは、正にそう言うことです。カルデアのサーヴァントとして召喚されたエミヤシロウさんしかり、アルトリア・ペンドラゴンさんしかりです。血塗れの暗い魂で、真っ赤な血の意志を抱き、その結果として英霊の皆さんは英雄と言う理想の人間性を、人道を踏み潰して得たのです。

 理想に生きるとはそう言う訳でして……アナタ方が夢見る世界も、そうしなければ辿り着けない理想郷となるのでしょう。正しく、この世の人間性による魂の業ですね。ですので、私がネロさんの魂を憐れむのは道理であり、また甘やかすのも尊い人道である訳です」

 

「不死人、呪われ人、灰の人……火の無い灰。いや、火の簒奪者。

 あの捕えれてた哀れな飛将軍を、面白吃驚サイボーグに改竄したのも、そのソウルの業と言うわけだな。この変態共が」

 

 教授は何の違和感もなく、嘗て自分の部下でもある超軍師と葦名の酒を呑む男を見た。気色悪い光景であり、あろうことか彼は笑みさえ浮かべ、バーサーカーだと言うのに言葉さえ喋っている。

 

「ついでですが、カルデアの技術を結集した作品でもあります」

 

「カルデアの変態技術も使い、呂布の改造を行ったのか……」

 

 胡乱気な死んだ魚の瞳で、教授(レフ)は灰の瞳を見た。そんな彼女もまた人の感情を宿さない無機物的な両眼であり、呪詛塗れの眼光を放つ教授を何も気にせず見返した。

 

「えぇ、まぁ……そうですね、レフさん。貴方が爆破テロをして頂けた御蔭で、とても良いソウルを御馳走する事が出来ましたから。

 爆死したカルデアの技術者達は、アトラスの錬金術師とは別の……そこそこ真っ当な科学文明の最先端ですからね。それを盗み食いする形で思わず味わってしまいましたので、結果として素晴しい技術の記録として蒐集しました。勿論、葦名でカウンターとして召喚された英霊の中には科学知識を持つ人もいましたので……一つの魂が独占するのも悪いですし、灰の皆さん全員とソウルを貪り合うことでカルデアの技術も共有しております。

 今度このローマで葦名ですると一心さんに怒られそうな兵器実験もしますので、カルデア製の最新鋭大量殺戮兵器でも見学致しましょう」

 

「薄汚い人喰いめ。貴様らのような不死こそ、我らは最も忌み嫌う」

 

「いやですね。所詮、我が魂など、平々凡々な魂喰らいですよぉ……ふふふ。私が人肉や神肉を美味しく食べ続ければ、蕩けた腐肉のスライムになってしまいますから。

 けれどです、人を食べるのはアナタ方も同様でしょうに。焼いて、燃やして、温めて、美味しくなぁれ……と、全人類を食材に調理を行ったのですからね」

 

「相変わらず、口だけは達者だな。我らに隠れ、こそこそとしている狸女は言うことが違う」

 

「獣と悪魔と上位者の諸々な関連の事柄ですよ。貴方は使い魔の獣の使い魔と言う無駄に面倒な存在理由で、レフ教授と言う人間を演じているので感じ難いのでしょうが、獣で在る故に魂を貪る獣狩りには向かないのです。

 貴方達……人理に仇なす七柱の獣にとって、古い獣の一柱など百害あって一利なしなのです。

 ソウルの獣を狩る役目など、人間である私に任せておけば良いのです。元よりこの世の面倒事を解決するのは人間の役目なのです」

 

 そう微笑み、素面の教授を同時に嘲笑いつつも神酒をまた呑む。灰は彼と普段ならしない如何でも良い無駄な長話をしつつ、酒の席で有益な話など何時までもするものではないとも思う。

 

「古い獣か……―――あぁ、本当に頭が痛い」

 

 その元凶を、レフ・ライノールは蔑んだ。灰からすれば無駄話だろうが、獣である筈の魔神にとってその獣こそ絶対悪。人類史以前の、あらゆる魂にとって害悪となる本当の悪魔(デーモン)であった。

 ……だから、本当に頭が可笑しくなりそうだった。

 教授は自分の意志(ソウル)を駄目だと分かっているのに酔わせたくなり、誘惑に負けたのか……テーブルに置かれていた自分の分の神酒を一口だけ呑み込んだ。












 偉大な漫画家に、私にとって一番面白い世界を描いた漫画家に、深く感謝します。ありがとうございました。


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啓蒙51:楽園島

 魔術師にとって障壁が盾ならば、結界とは要塞と呼べる守り。土地を区切り、空間を隔て、如何に自分以外の魔術師に其処が自分の領域であると悟らせないかと、その頭脳で創意工夫することが一流の魔術師の条件。魔力を贅沢に使い込めば、強力な“だけ”の結界を作るのは簡単だろう。

 ならば、この孤島は正しく海上城塞。誰の目にも映らず、何処から見ても不可視であり、蜃気楼さえ水面に浮かばない。

 

「特異点とは、人理焼却とは、聖杯探索とは……―――ふふん。まぁ、この状況もまた異常と言えば異常。そうは感じないかしら、マシュ?」

 

 荒れた都会の厳つい無法者がするような、銀髪美女がするには似合わないサングラスから瞳を所長は晒した。星に輝きを啓蒙された深い色合いの眼を見たマシュは心が何時も通りにざわつくも、その不安と畏怖が混ざった尊敬の念が消えることはない。

 ……ないのだが、やはり所長は狂人である。

 カルデアでのハジケ振りに追随出来たのが裏切者のアン・ディールと、実は意外と悪乗り好きなキリシュタリアだけだったのをマシュは思い出し、特異点活動期間だと自分が所長の玩具にされるのが必然的な流れだと理解した時の絶望感は凄まじかった。ベリルさんやカドックさんやドクターのようにはなりたくないなぁ、と情緒が成長したマシュは人の人格(キャラ)による日常的役割について、色々と考えが及ぶようになっている。

 

「いえ、別段。単純に所長の頭が御幸せになっているだけかと」

 

 よって、マシュは何時も通り所長に厳しかった。それを許す寛容性を理解している故の言動であるも、本質的に彼女の精神は所長に激甘である。その言葉に負の感情は一切含まれていない。

 

「辛辣だわ。でもね、頭蓋骨の内側に関係なく―――太陽は、眩しいモノなのよ」

 

「あっそうですね。そうですか。はい。間違いなく、中身が茹ってますよ?」

 

「輝ける宙の光に啓蒙されるのだから、燃えるように脳が喜ぶのもまた必然」

 

「あぁ、言えばこう言って……はぁ、良いですか。どうでも良いですけど、早く―――」

 

 太陽が照らす白い浜辺で、蒼い(ソラ)を寝そべりながら見上げる所長にマシュは溜め息と共に一言。

 

「―――服、着て下さい」

 

「ノゥ」

 

「耳触りが良い声で否定しないで下さい!」

 

 マシュは思った。日焼けしに海に来た観光客じゃないですかコレ、と。

 

「良いじゃないの。カルデアとの通信は切ってあるし、部下に裸体を晒す変態癖を満たしてるって訳でもないし」

 

 ズズー、とストローを吸う音。エミヤが投影したテーブルに置かれているジュースを飲み、流した汗の分の水分を補給。乾いた喉が潤い、気持ち良さの余り所長は声が漏れるのが抑えられない。

 

「クゥー……私、この為に生きているのよね。アンバサ」

 

 白濁とした美味なる甘味炭酸水。名前からして啓蒙深い飲料である。何故か自然な空気で仲間になった雰囲気を醸し出すあの悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)も、昔を思い出して歓喜することだろう。

 

「わたしの前では裸になってますけど……?」

 

「大丈夫。ちゃんと駄目な所は隠してるでしょ……もう、全く。

 此処はヌーディストビーチじゃないし、そもそも私はヌーディストでもない。それに女神の一柱がプライベートで管理してる南の島の観光地……――じゃなく、反乱軍の秘密基地でそんな不遜な事なんてする訳ないじゃないの。

 それに、これでも私って一組織を指揮する社会人なのよ?

 道徳心も社会常識も欠如した不適合者が多い魔術師なら兎も角、協会も教会も国連も良い具合にカモらせてる私の手腕を知ってるマシュなら、そこまで強く言う必要がないことも分かってるじゃないの」

 

「それとこれとは無関係です!

 それに所長はヌーディストではなくとも、若干の露出趣味はありますよね?」

 

「―――ふ。これはその……あれよ。ほら、鍛え上げた筋肉を見せ付けたいマッスルと、ダイエットとジムで鍛えた黄金比を披露したいモデルの……なんか、そんな感じの二つの心境が合わさった雰囲気的な?」

 

「安心して下さい。それ、ただの露出狂ですので」

 

「違うってば。それに私が露出狂だと、貴女は露出狂が管理する組織の職員になるのよ? 時計塔で爆笑の渦を作る嗤われ者の一人になるのよ?」

 

「その時は反逆して独立します」

 

「ヒドい。あんなに良い子だったのに、誰がこんなマシュにしたのか……っ―――成る程。分かった。藤丸ね。女が変わる時って大体が男関連なのよ、やれやれね。私がカルデアどうって誘った頭根源の友人も、遠い世界で婚約者候補が出来たからって断れたし。

 あの狂女が断るってどんだけヤバい男なの……と、恐怖が啓蒙されたわ。

 だから私はマシュって、脳が緩むと股も弛むタイプだとは思ってなかったのに。残念、一晩ヤッたの?」

 

「―――違いますから!

 それと下ネタ厳禁ですよ。どう足掻いてもセクハラです」

 

「これオフレコだけど、カルデアに労働基準法は存在しないのよ。

 私が何をしても法律に触れない超法規的組織、それがカルデア。何せ、規律が私だし」

 

 瞬間、所長とマシュがいる浜辺に影が落ちた。

 

「―――反逆と聞いて!」

 

 その男、筋肉の暴力が視覚化した存在。パンツ一丁で女性二人に微笑む姿は、警察官が全力疾走して職務質問する光景であり、だがその男は国家権力に屈する精神を欠片も持たないことだろう。

 

「ほら、マシュ。そこにもバカンス気分の人がいるわ。人目も気にせず筋肉披露だなんて、正にハレンチ陽キャの勘違いファッション。注意しないの?」

 

「さぁ、マシュ・キリエライト。私と供に、そこな圧政者に反逆しようではないか。自由とは耐え抜いた先にある楽園であり、まずは己が意志で立ち歩まねば、抗いの旅路を始めることも出来ぬのだから」

 

「いえ……その、スパルタクスさんはそう言う戦闘着でありますし。自分の信念に従っているだけですし」

 

「圧政!」

 

「そうよね。そもそもあんな格好が平気なマシュが私に意見するだなんて、犬がこの犬畜生と犬を罵ってるようなもんだもの」

 

「なんと。ならば、マシュ・キリエライトよ……この反逆着、貸そうではないか。私は全裸でも一向に構わん」

 

「構って下さい! 倫理違反ですよ、スパルタクスさん!!」

 

「自分が憑依した女の子に、臍出し女騎士甲冑でコスプレさせるんだもの。きっとマシュの中の英霊も、スパルタクスの霊衣には喜んで力を貸すわ。違いないわね」

 

「――ッ……~~~~」

 

「なんと言う怒りの波動か! やはり我が瞳に狂い無し!!」

 

 マシュが放つ憤怒の感情を狂喜する当たり、バーサーカーはやはり心の底では狂気が渦巻いているのだろう。

 ――と、まずは日課のマシュの精神観察を所長は終えた。多分に趣味が混ざったコミュニケーション方法ではあるも、ストレスは何であれ吐き出せる時に吐いておくべきだ。これ位の感情を表側で作らせれば、内側にそこまで悪性を貯めることもないだろう。

 

「……さて」

 

 テーブルに置いてあるのは、悪魔の挨拶(アンバサ)だけではない。間食として、所長は自分で作ったオヤツを持ち込んでいた。カルデアでも良く作っていたが、自分の為だけの創作料理であり、人に食べさせて良い食事ではなかった。

 血液はそれだけで素晴らしいが、そも血は内臓によって作られる体液。故、自分の血液さえも好物である狩人の所長が、血を作るオヤツ一つに拘るのも不可思議で非ず。

 

「エミヤが台所への冒涜と罵るほどのものだけど、油に塗れた汚物も狩人にとって贅沢」

 

 ジャガイモ、チーズ、マヨネーズ。更に油で揚げ、バターとピザソースでも味付け。それまた更にトーストしたパンの上に乗っけ、コンビーフを降り掛ける。脂肪と炭水化物を畏れぬ渇望の精神が可能とする冒涜的暴挙。

 その料理に、名など無価値。

 求めるものは炭水化物と油。

 汝は油、罪在りきとゲオルギウスが叫ぶ反健康思考。

 

「カロリーの暴力……――否! カロリーがカロリーを打ち消す悟りの精神、それこそが七元徳の節制を尊ぶ神の意志。人はかく在るべきと古い時代より啓示され、その意志で人々は啓蒙されてきたの。

 ならね、この料理に罪は無し。

 むしろ、原罪を洗い流す贖い。

 お手軽で安価に作れ、人の血となって生きる活力となるこの食餌は現代文明の理想でしょう。魔術王に神秘を啓示した神も、日々の節制は大事だって信仰心を啓蒙してるんだしね」

 

「……太りますよ?」

 

「おぉ、食事に対する反逆であるな!!」

 

「大丈夫。音速でマラソンすれば、カロリー消費なんてヘッチャラよ」

 

「それに、エミヤ先輩が本気で怒りますからね!」

 

「ダメね、マシュ。現代人の節制とは、不健康を恐れないことなの。自分の血液を脂ギトキドにする油料理は、されど懐と時間に優しく、故にジャンクフードは我ら社会に生きる人類から愛される。

 食事で一番大切なのは、他人の目に媚びないこと。

 なので、う~んんンンンンン……―――素晴しく美味(マジェスティック)!!」

 

「うわぁ食べた、食べました!」

 

 胃を殺すギトギトな油塗りの何かを食べた所長は脳内から口より感動が零れ落ち、それを聞いた上に冒涜的咀嚼もマシュは垣間見てしまい、倫理崩壊を引き起こる発狂寸前となった。思わず漏れた魔力防御の圧力でマシュは眼鏡に罅が入り、だがその事に気が付く余裕もない。

 

「そんなに言うこともないのに……でも、そうね。スパルタクス、貴方は如何?」

 

「無用」

 

「真顔で断らなくって良いじゃない。でもま、好みは人それぞれね」

 

 ローマからの逃亡により辿り着いた場所。名は形ある島。そこは隔離されている為に平和であり、同時に世界の悲劇にも無関心でいることが許された楽園でもある。

 即ち、平穏が許された避難場所であると言う事。

 暗黒帝国の脅威がないならば、特異点だろうと日常は日常であるのだろう。

 

「……平和だ」

 

「そ……そそ、そ、そうですね。マスター」

 

「あれ。何時もみたいに、ねっとりと旦那様(ますたぁ)って呼ばないんだ」

 

「―――ッヒ、そんなネットリだなんて……はしたない。

 わたくし、そもそも婚儀の約束もまだな殿方に、そこまで厚かましい態度は取れません!」

 

「凄い。数日前の清姫に、今の清姫を会わせたいな」

 

「うわぁぁあああああ! 無理です、無理ですって思い出させないで下さいまし!!」

 

 ラブコメの波動を所長が感じ、そちらの方へ内なる瞳を思念で向けると、何か実際にラブコメ劇場が開催されていた。

 ――ギャップ萌え。感情の鮮度と、未知との遭遇。

 ロマニと食堂で麻婆豆腐を食べながら語り合った二次元視点の新解釈を所長は思い返し、新しい真実を瞳が脳を啓蒙する。カルデアでの赴任したことで所長になったオルガマリー・アニムスフィアは、神秘の探求に不必要なジャンキー的娯楽知識が脳へ凄まじく集積されることになった。とは言え、人と交流することを好む所長なので、何事であれ人生に娯楽要素が増えるのは大歓迎であるのだが。

 

「先輩……」

 

 ボソリ、と隣の少女から漏れた暗い呟き。深淵を覗き込む遠い目で蒼い宙を見ている所長は、色の無かった筈の純粋無垢な少女に色彩が付くの嬉しく思う。やはり人間であるならば、綺麗な色ばかりではつまらない人間性に育ってしまう事だろう。

 

「狂女がねぇ……まさかねぇ……いやはや、でも可愛いものは可愛いのだから仕方ない。だからマシュ、もし藤丸の興味を引きたいのなら、貴女もギャップを狙うしかないのよ」

 

「はい?」

 

「ほら、そこに良い衣装があるじゃない?」

 

「圧政!」

 

「だから着ませんって!!」

 

 マッスルポージングをする反逆の英霊を、マシュは素直な気持ちで否定した。やはりバーサーカーは、狂気の名のままに何処か狂っている。

 

「ヒヒン、人参有りますか!?」

 

「ないわね、ウマ(UMA)

 

「そんなぁ~……って、凄いですね。オルガマリー殿、一体何を食べてるのですか?」

 

「カロリーの化身よ。最近、私の血って油のノリが少なく思ってね……やっぱり、血液を燃やすには大切なの。燃え易いトゥメルの血筋の秘密を暴く為にも、きっと私はカロリーが匂い立っていなさ過ぎるのが原因かも」

 

「いけません。いけませんねぇ……油ばかりで人参不足とは、馬的に許せませんね。ヒヒィン!」

 

 尤も、狂っているのはバーサーカーだけではない。自分を呂布だと勘違いしている精神異常馬もまた、相変わらず精神汚染を引き起こす狂気を撒き散らしながらも、そんな自分と平然と会話ができる珍人物――オルガマリーに懐くのは自然な流れだったのだろう。

 何より、強き者に引かれるのが赤兎馬である。英霊(サーヴァント)ではないただの“人間(マスター)”でありながら、生前の呂布を思い浮かばせる技巧と強さを持つ人間に対し、()が好意的になるのも不可思議ではなかった。そして、狂気的人格を好む所長からしても、実は密かにこの馬をカルデアに召喚してペットにしようと考えているのだが、そこは英霊召喚担当マスターである藤丸立香の幸運次第と言った話になることだ。

 

「――――――…………なんでさ」

 

 一方その頃、砂浜の方を千里眼で盗み見し、所長諸々の様子を窺っていた弓兵(エミヤ)は、ついつい生前の口癖を思わず漏らしてしまった。誰にもこの独り言を聞かれない安心感もあった為、普段の皮肉屋的口調は完全に消え、だが少なくない困惑が現状に対して存在している証でもあった。

 しかし、エミヤはそれ以上に戸惑っている。

 果たして、これは夢か、幻か。特異点とは何であったのか。

 

「ヤァヤァおいおい。レッドマン、何か釣れたかワン? あれだけ自信満々なら、さぞかし大量だと思うのニャが?」

 

 だがしかし、混沌は静かに這い寄る狂気に他ならぬ。独り言を聞かれた事を彼は察したが、その相手も同時に察したので特に気にする事もない。

 

「大量だよ、タマモ……キャット?」

 

「何故そこで疑問形ニャんだワン?

 だがな、傾国レベルな我輩程のワンダフルキャット&ナイスフォックなら、おまえの煩悩を刺激するのも致し方なし!」

 

「そうか……――そうか?」

 

「そうだぞ、アングラー。ふふふ……しかし、おまえの御蔭でこの肉球も唸ると言うもの。我が特技、母の味を存分に皆の衆に御披露目出来るのだからな。

 やはり、良い料理は活きの良い命あってこそだワン。紅閻魔先公の地獄の教え、料理上手なレッドマンにも特別に味合わせてやらんこともない」

 

「まぁ正直なところ、君の話は良く理解出来んが……だが、私の仕事を応援してくれているのは分かった。ならば、その期待に応えるのもサーヴァントの務め。

 故に、是非とも刮目したまえ。この記念すべき、大量フィッシュタイムを!!」

 

 ―――釣り。それは海洋浪漫。人類の文明と直結した趣味。あるいは、優雅な休日の過ごし方。

 何気に浜辺で寝っ転がる所長と似た雰囲気のサングラスを付けたエミヤは、白い歯を陽光で輝かせるイイ笑顔を浮かべ、釣り竿を豪快に振り放った。

 

「ニャんと驚き、ワンパンチ。警戒心ハイなお魚が、一発ケーオーの釣り放題。我、感動」

 

「ふははっはっは、フィッシュ!」

 

 サイコな笑い声を上げる赤い釣り人と、犬か猫か狐か人かまるで分らない露出“強”な赤い獣巫女。その隣にて、何故か褌一丁になった忍びが一人。ある意味で所長とお揃いなほぼ全裸ないし少し忍者衣装とも呼べるが、特に意味もなく厳つい天狗仮面が更なる異様さを醸し出していた。

 正に、ケイオス。混沌が這い寄るまでもなし。

 忍びにとって竿は正道過ぎる。魚を獲るならば、破戒僧の影(ヤオビクニ)を殺して学んだ潜水泳法による刺突が一番。銛の代わりにもなるとは、名刀は人斬りだけの道具ではなく、忍びに楔丸とは正しく手足も同様。使い方に固執するなど、薄井の忍者として三流にもなれない事だろう。

 よって、その姿は忍びにとって正装だった。記憶より思い浮かべた天狗面を被れば、滅私の精神もより強まる。つまるところ、自分は今どうしてこんな事をしているんだろうと言う疑念を押し潰す為に、彼ほどの忍びであろうと形から入る事も大切なのであった。

 

「むぅ……――――アンバサ」

 

 海中を泳ぎ回る忍びを見て、悪魔は思わず祈りの言葉が漏れた。藁蓑の褌天狗が悠々と魚を人魚のような俊敏な動きで突き獲る光景を見ていると、何だか脳味噌に良く分からない知識が啓かれる感覚に襲われる。カルデアにとって外様の招かれざる厭わしい客であると言う自覚を持つ悪魔は、ただ何もせず成果を待つ人間がどう扱われるのかなどボーレタリアでの悪魔殺し生活で充分理解しており、寄生虫化したファントムなどデーモン以下の無能として塵屑扱いされることだろう。

 ならば、食料集めもまた大事なファントム生活の一環。草だけ食べていれば良い悪魔殺し共とは、生身の生きた人間は違うのだろう。だが、あの赤い弓兵のような釣り道具を持っている訳では……いや、なくもないのだが、その手のサバイバル道具を今は持っていない。楔の神殿に預けており、あの異空間に出入りするのも面倒である。

 

「――――――」

 

 結果、悪魔は無言で海に飛び込んだ。忍びが先達から学んだ薄井流古式泳法を見た悪魔は、それを自分でも出来るのではないかと思った。愛用している騎士甲冑を脱ぎ、晒し慣れた下着姿となっていた。海を泳ぐのに万全となり、金属の鎧で沈む事はない。

 何故ならば、人間は水よりも軽い。

 海水ならば尚の事、人体は動かずに冷静沈着でいれば自然と浮かぶだろう。

 

Ahhhhhhhhhhhh(アアァァァアアアアアアアア)!

 Please(プリィィイイズ)! Please(プリーズ),Help(ヘェルプッ) me(ミィイ)――――!!」

 

 筋金入りの鉄鎚(カナヅチ)には関係のない理屈だが。悪魔は本質的に、水場が大の苦手であった。況してや、広大な母なる海に飛び込むなど自殺行為以外の何者でもない。

 

「フィィィイイシュ―――!」

 

 無表情になったエミヤが、しかし一瞬でハイテンションとなって釣り竿を振った。針が狙う先はデーモンスレイヤーの頭部であり、弓兵のクラスに恥じぬ精確さ。見事に突き刺さり、そのまま沖から岸まで引っ張られる。

 

「デーモンの一本釣りとはな。その腕前、もはやグランド級。もしや釣り人の英霊……伝説のエクストラクラス・アングラーか?」

 

「やめてくれたまえ。あんなモノを釣るのは本意ではないのでね」

 

 タマモキャットとエミヤの何でもないそんな世間話が、悪魔の耳に入ってくる。しかし、針が頭皮に減り込んでいる筈の彼はとても静かに、海中を引っ張られる儘に揺蕩うだけ。

 

「痛いぞ。しかし恥も外聞もなく、牢屋に閉じ込めたあの男のように、大声で叫んだ甲斐があったと言うもの」

 

 ……無言の儘、エミヤが竿のリールを回し続けてる。

 投影した最新機種(パチモン)なので魔力変換型電動式自動回転で一気に釣り上げられるも、一応は悪魔の体を気遣って手動でゆっくり引っ張っていた。

 

「刺さっているのだが―――……お、頭血が海に広がって行く。

 私の血が海に還る。呪いと海に底は無く、故にすべてを受け容れる」

 

「…………」

 

 思わず魚獲りをしていた忍びが海中から助けに来たが、無言となる。その対象が変な独り言を呟きつつ、頭に刺さった釣り針に引っ張られて岸に戻って行く悪魔の姿を見れば、如何に滅私の心得を持つ彼であろうとも、宇宙空間に放り出された小動物のように茫然としてしまうのは仕方なき事。

 それとなく召喚者の所長から監視するように頼まれてはいたが、これが擬態なら絶対に誰だろうと見抜けない。忍びはそう思い、悪魔が持つ人間としての性根が貴族生まれのボンクラお坊ちゃんであることを理解しつつあった。

 

「…………」

 

 見なかったことにしよう。忍びはそう考え直し、食料探しにまた海中へと潜って行った。

 

「―――これが、カルデア。面白そうな奴等って思ったけど、早まったかしら。いえ……これは、確実に早まった判断だったわ」

 

「良いじゃない、ステンノ。何だかんだ、こんな雰囲気だったような気がするのよね。フランスでも」

 

「はいはい。ま、別に良いんだけど。反乱軍に島を貸すって決めたのは、私の意志だったものね」

 

「はぁ……本当、アンタってば貸すだけじゃないの」

 

「いやね、エリザベート。私はただ単に、人に酔うこの人狂いのローマが嫌いってだけだから」

 

「女神らしい、とでも言っておきましょうか?」

 

「別に。私が言いたいのは、命を殺したいなら、人間同士で好き勝手にどうぞ……と、だけ」

 

「ハ。女神らしいわね。だからこそ、此処は居心地が良いんだろうけど」

 

 何処か人間を冷めた目で見る生粋の神なる偶像(アイドル)と、血に染まった狂気を裏に持つ歌手(アイドル)志望の拷問狂。だが、生前の本質(ソレ)をカルデアに向けない程度には、この人理修復と言う使命を行う彼らには期待をしているのが分かる。

 分かるのだが……やはり、常に大真面目と言う訳ではない。パラソルの下で椅子に深く座り込み、涼みながらも海の情緒を愉しむ姿からは、バカンスを満喫する友人同士にしか見えなかった。

 

「ハァ……可笑しいわね。どうしてこうなったのかしら」

 

 自分を召喚した帝国を裏切ったコルキスの魔女――キャスター、メディアは自分の結界(ニワ)でバカンス生活を送る者たちを見ながら、色んな感情が籠もった溜め息を吐かざるを得ない。メディアは、自分のこの宝具(ルールブレイカー)を持つサーヴァントを召喚して令呪と魔術で無理矢理に服従したあの魔術師を愚かに思うも、だが反乱軍残党に逃げ込んだ自分の事も賢いと思っていなかった。

 現状の、今のこの光景に対して思ったのではない。

 純粋に、あの“人間”と敵対する無意味さを理解していたからだ。

 勝てる、勝てない、と言う観点を棄てなければ勝負の土俵に立つ事が許されない存在を裏切って、そこから如何に特異点に“勝つ”かなど考えても仕方がない。自分と同じ魔術師に召喚されたアレキサンダーと諸葛亮に口八丁で言いくるめられなければ、反乱軍残党に合流する選択肢など絶対に選ばなかったと、メディアは今でもそう深く実感している。

 だが、カルデアを率いるあの女―――悍ましき、業が匂い立つ狩人。

 所詮、人間と殺し合うのは人間だ。神も、英雄も、人間が全て狩り尽くし、殺し尽くし、魂を貪り尽くす。

 

〝人を殺すのは人間。神の命も、所詮は獲物に過ぎないとは……業が深い因果関係ね”

 

 人狩り、獣狩り、王狩り、神狩り、英雄狩り、狩人狩り、上位者狩り……その全ての、人の業。それを解する人間性が融け込んだ神なる御酒を無理に呑まされ、無理矢理にローマで狩り取られた骨肉達のソウルを馳走された魂喰らい(サーヴァント)の身を恨むような、まともな人間らしい人間性も自然と魂から消えたが、故に暗帝の民に相応しいローマ市民に改竄されたと言う実感がある。

 だからか、メディアは期待以上に恐怖した。オルガマリーとそのサーヴァントならば、あの“人間”と同じ土俵に立つ事が可能だが、その勝負に人理を巻き込めば未来などない。

 人間の中の人間。灰を名乗る女、アッシュ・ワン。

 月に寄生された狩人。機関の長、オルガマリー・アニムスフィア。

 はっきり言って、メディアはどちらとも関わり合いになどなりたくはない。カルデアの“マスター”が所長だけならば、余りの不気味さに反乱軍とさえ手を切っていた。

 

〝魂の暗さ……命に温められた闇……そして、人理によって膿んでしまった人の意志。

 灰より這い出た人間性(ヒューマニティ)……そんなものに、蝕まなければね。狩人なんて歪な存在に気付くこともなかったけれど、秘密は甘い香りがするのが常だもの”

 

 気が付かなければ、そもそも秘密を嗅ぎ付けない。しかし暴く気がなくとも、瞳を逸らす事は許されず。メディアはこの世の隠されたナニカを闇より啓蒙され、恐怖以上に好奇心が疼いて堪らなかった。それが、余りに愚かな貪欲さだと理解していたとしても。

 

「よぉヨォ呑んでる、メディア?」

 

 思考の深みに嵌まった彼女へ背後からの奇襲。何者かが慣れ慣れ過ぎる気安さで負ぶさって来た上、顔面に凄まじく酒臭い息が襲って来た。正に悪魔染みた不意打ちだった。当人であるメディアは不快感しかないが、傍目から見ると構図そのものが面白可笑しい状況だ。

 

「呑んでる訳ないじゃない。馬鹿なの……えぇ、馬鹿だったわね荊軻」

 

「なんてしょっぱい対応なんだ。ふふふ、酒の肴に丁度良いな。やっぱり塩は酒とつまむと美味い」

 

 酔っ払いが、と毒舌を内心で吐き捨てる。だが、こんな絡まれ方をされたら仕様がないだろう。

 

「酔っ払いが……」

 

「ヒドイ。でも残念、邪念が隠せてないぞ。貴殿がもし王様だったら、思わず刺しちゃうじゃないか」

 

 良し、殺そう。メディアは答えを得た。そんな結論を彼女が出すのも仕様がないだろう。

 

「こら荊軻、駄目じゃない。メディアを困らせないように。昼間から呑み腐って、どうするの。呪われるよ?」

 

「呪いません。呪うより先に、強化した拳で撲殺よ。こんな酔っ払いに神言の呪詛は勿体無いと思わない、ブーディカ?」

 

「そりゃ、あたしもそう思うけど。や、でもその発想が怖いな」

 

「―――え……?」

 

 生粋の帝国殺し(ローマスレイヤー)の復讐鬼が何を言ってるんだろう、と凄まじい棚上げ発言にメディアは真顔で困惑する。もっと悍ましい行動力で敵に残虐行為を働く怨讐に生きる女王に、そう言う引かれた目付きで見られる事が若干屈辱的である。

 

「え……って、どういうこと?」

 

「……何でも無いわ。後で私が調合した薬を渡すから、ちゃんと飲むように」

 

「うん。何時もありがと。感謝してるよ」

 

「くぅー、今日も酒が美味い!」

 

 月明かりの狂帝(カリギュラ)が残した爪痕は余りにも深かった。暗帝に召喚されたローマ皇帝を幾人も闇から葬った暗殺者さえ、今や月光の狂気を紛らわせる為の中毒罹患者に堕ちてしまった。犠牲者と考えれば、狂気が反転した結果、愛に酔う前の恋する乙女に戻った清姫も同様。尤もそれはそれとして、今の自分を愉しんでいる節がある両人ではあったが。

 

「飲み過ぎるな、とは言わないけど。ここならメディアの結界もあるし、薬の中和もあるから。実際、そこまで飲まなくても大丈夫じゃない?」

 

「狂気を紛らわせる為の酒だけど、酒気を紛らわせるのにも酒がいる。はぁ……それもまた、循環を強いる月の狂気と言うことさ。

 まぁ、メディアの薬の御蔭で発狂して凶行に走る程、酒にも月にも溺れないでいるが」

 

「騙されちゃ駄目よ、ブーディカ。あれ、単純に飲みたいだけの酔っ払いの戯言ですから」

 

「やっぱり?」

 

「当たり前です」

 

「嘘ではないさ。全部が本当って訳でもないが。メディアもブーディカも、酔い潰れ扱いとは酷いじゃないか。全く、私の何処が酔っぱらってると言うのか」

 

「嘘じゃないってさ?」

 

「どんな偉大な英雄も、酒に溺れるとどうなるか……それを理解出来ない程に、貴女は無智ではないしょうに」

 

「確かにね……本当。確かに、確かに」

 

 酒に溺れると碌な末路に至らない。どの神話でも、歴史でも、英雄譚でも共通する逸話である。思わず納得したブーディカは、深く深く、それはもう深く頷くのであった。

 

「ハハッハッハッハッハハハハ! ブーディカ、納得し過ぎだ。

 そこまで頷かれたら、落ち込み過ぎて私、霊核から魔力が逆流しそうになってしまうじゃないか!!」

 

 傍若無人とは正にこの事。平気で自分の意志で吐けるようにならなければ、酔いながらも更に酒気に酔い、酒を飲み続ける大酒呑みになどなれない。逆に言えば、そこまで飲み慣れたのなら、酔っている状態でもある程度は自分をコントロールして欲しいものだが。

 

「別に良いけど。でもさ、あたしに迷惑は掛けて良いけど、他の人には駄目だから」

 

「―――………あぁ、そう言う返事は酔いが冷める。

 仕方ない。自重はするから、心配はしないで良い。無論、狂気にも呑まれはしないさ。丁度良い発狂と酒気の境界線も、メディアからの投薬もあって把握出来そうだからな」

 

「うん。分かってる」

 

「はぁ……最初から、そうすれば良いことじゃない」

 

 結界を島に張り、ローマから完全隠蔽された反乱軍残党の新拠点を作り、ローマ帝国の各拠点に繋がる転移門(ゲート)まで作成する。そこまで積極的に働いた上で、必要ならば味方の為の治療薬まで調合しているのなら、狂気に侵されながらも何処か飄々とした荊軻に思う所など幾らでも湧いてくるだろう。

 だが、怒ると本気で怖い魔女で在るからこそ、ある意味で怒りの沸点は高い。本当ならば狂い死にしているモノを、酒気で狂気を薄めながら、そこまでして尚も戦いから逃げない意志。それこそ、本当の意味での傍若無人だと魔女は理解している。高い魔術知識を持つために、荊軻が如何程の綱渡りをしながら正気を保っているのか把握している。

 

〝面白いわね。だから、世界は守らないといけない……けれど、けれどね悪夢は巡り、そして終わらないものでしょう。

 ―――我ら夢の狩りなど所詮、蒼褪めた月の思索。

 貪欲なる探求心より始めた狩りも、母胎に穢れた蟲を注ぎ込む悪夢の末路。

 ならば我ら狩人は狩りを何よりも尊び、だが決して縛られてはなりません。

 私を悪夢に導いた狩人……蒼褪めた幼い蛞蝓よ、貪り呑んだ血の遺志を己が意志とする為に、だから私は私を生み出し、瞳に脳が啓蒙されるのでしょう。だから、私は私を啓蒙する”

 

 その全てを、所長は相変わらず“瞳”で愛でていた。カルデアでの生活がそうだったように、カルデアの所長になる前の時計塔時代もそうであったように……ヤーナムで、狩人の狩りが上位者に仕組まれた子孫繁栄の営みに過ぎないと理解した後のように。

 全て、全てが幻影と同じ夢だった。

 儚くも現実より確かで、混沌より悍ましい秩序が支配する古都。

 魔物に血を犯され、魂を玩弄され……しかし、その悪夢さえ“悪夢(ナイトメア)”を狩り尽くした“狩人(ハンター)”の悪夢に過ぎず。

 何もかもに気が付いた瞬間、彼女は己が業が本当に悪夢でしかないと理解し、だが赤子を望んだ彼らの渇望だけが本当に本物だったと自分の意志が自分の魂を啓蒙した。

 

〝この意志だけを―――私が、私とする。

 我らの狩りが魔物の高次元的思索に過ぎなくとも、狩人の業に酔うのは私自身の意志だ”

 

 故に、オルガマリーは決して諦めない。意味も価値も、自分に求めなどしない。血の意志とは、狩り殺された命の遺志であり、ならば狩人である彼女の源でもあった。

 悪夢を啓蒙される前の、哀れな狩人だった彼女ならば、人理に興味などまるで湧かず、狩りに血を注ぐだけだった。だが啓蒙された狩人の業を、自分自身に啓蒙する程の高次元思索を瞳にしたならば、きっとカルデアが人理を救うことに価値を彼女は見出すのだろう。

 

〝だから……もし、こんな血が匂い立つ業に価値があるとすれば。全ての命を狩り殺す事を使命とする私に意味が生まれるとすれば、私の存在理由を示せる人理焼却が救いとなる悲劇。確かにやつしの言う通り、狩人は哀れにも程がある。業を鍛えた私たち狩人は、狩り殺す獲物がないと呼吸も息苦しい。

 本当、世界ってモノは悲劇に満ち溢れてる。

 私程度の意志では、隻狼が至った慈悲の悟りから余りにも程遠い……”

 

 だから、決してオルガマリーは止まらない。存在理由を、存分に自分自身に啓蒙し尽くすのみである。鍛え上げた全ての業を、己が意志で叩き付けられる獲物を喜ばずにはいられない。

 故に、彼女は心の底から隻狼を敬愛する。

 その忍びを従者にした幸運を、正しく瞳で理解(啓蒙)している。

 慈悲もなく容易く修羅に堕ちて獲物を狩る狩人は人から程遠く、なのに忍びは慈悲を忘れず狩人に等しい業を一人の人として鍛え上げた。

 

〝暗い皇帝のローマか……―――まるで悪夢じゃない。人為的なのが忌々しいわね。

 復讐の女王がフランスでの彼女のように生きた人間で、結果的にまたカルデアの味方になってるとなれば……いや、完全にあの人間性が腐った灰女の悪趣味。

 どうする、私?

 今度こそ、部下が精神崩壊起こすぞ?

 私だって悪夢を出た後に折角取り戻したまともな精神性が、ただでさえフランスでズタボロだって言うのに。本当の意味で狩人へと逆戻りすれば、所長で在り続ける意志も失ってしまう。

 感情移入しないよう無関心の儘に、それこそ魔術で冷酷であるって暗示でも掛ければ手っ取り早いけど。それは私の業への拘りから有り得ないし、部下を無慈悲な殺戮機関(ジェノサイドマシン)にするとか、そもそも医療教会や学び舎の輩並の外道畜生に堕落した人間の所業に過ぎない。

 とは言え魔術師としては、ビルゲンワースに連なる冒涜的探求行為は、褒められこそすれ、咎められることじゃない。まぁ魔術師の根源探索が常人の発想に思える程の、猟奇的探求心がないと発狂も思索の一つと学術に専念は出来ないけど”

 

 所長とて魔術師の外道具合と、古都の研究者の狂い具合を比較する無意味さは理解している。違いがあるとすれば、願望による探求か、知識を求める底無しの飢餓か、その二点であろう。人道に対してどちらも成り振り構わないのは同じだが、狂い方に大きな違いがある。

 勿論、所長は智慧と業に飢えに飢えた獣である。上位者もある意味で、オルガマリーと同種の思索を捕食手段とする餓えた獣だろう。加えて、貴族的魔術師の思想も持ち合わせ、戦争を営む政治屋としての残虐性もカルデアの所長として育てる必要があった。

 それを踏まえると、彼女こそヤーナムが生み出した最も悍ましい狩人だと評価が可能だろう。あるいは、だからこそオルガマリーの召喚儀式の呼び声に幼い夢の狩人は応え、今の星見の狩人へと導いたのしれない……と、所長は啓蒙されたが既に思考は次の段階に進んでいた。

 

〝……ブーディカ、か。結局、成る様にしか成らないわね。

 ローマは一日にして成らずって言うけど、悲劇的な結末も善意の積み重ねによる未来の選択。この特異点でそれをカルデアに意図的に味合わせる当たり、アン・ディールの奴も皮肉が効いてると言うか、何と言うか……はぁ。取り敢えず、狩り殺してから復讐は考えましょう”

 

 きっとカルデアでの生活は、死ねない彼女にとって永遠の思い出となるだろう。人理修復の旅も、このまま続けば同じことだろう。

 尤も、特異点が悪夢なのは古都と変わらない。悪夢は巡り、滞りなく循環する。

 故に、フランスと一緒でローマもまた同じ結論に至る。所長は藤丸のことをカルデアで最も理解し、同時に何の遠慮もなく一人の人間に対して過大な期待を負わせる事に一切問題ない事実を、正しく啓蒙し尽くし済みである。感情や感傷、罪の重さに比例する罪悪感による憔悴、ないし劣等感と無力さによる傷心も情報として完全把握し、精神構造を見抜いた上で、そう判断する生粋の非道でもあった。

 

〝英霊とて、人。私はそう言うのを永遠に実感出来なくなったけど、凄く都合の良い人材をカルデアは最後の最後で拉致も同然で勧誘に成功した。

 フランスのジャンヌと同じく、ブーディカはローマでの鍵。

 今回も、きっとフランスみたいに巧く運ぶ。運ぶだけで皆に傷は付くけど……まぁ、無傷で人理は救えない”

 

 人の死による傷は時間で薄れてはしても、魂が死ぬまで残る傷痕になる。ヤーナムで魂が消える程に擦り切れたオルガマリーにはもう理解出来ないが、藤丸とマシュが苦しむ姿は容易に先読み出来ている。

 儘ならないものだと内心で嘆息し、何度目かの再考の結果、灰の早期抹殺が人理修復に必要不可欠だと改めて理解する。あれを野放しにしたままだと、カルデアにとって人材の摩耗が致命的に早過ぎると啓蒙された。

 

〝今回はまだ守り切れる可能性はあるけど……っ―――次、死ぬわね。

 確実に死ぬと把握出来たのなら、このローマこそカルデアに残された最後の分水嶺って訳かしら?”

 

 自問自答の繰り返しをしている時点で、彼女の答えは決まっている。相棒に忍びが付いて来るならば、不可能を可能にするのも容易いと分かっている。

 それでも、一握りの不安が脳に残留してしまう。

 果たして、カルデアで人類史の最先端を貪欲に学び続けていた灰が、何を特異点で夢見るのか……それだけが、まるで闇に鎖されたように瞳でも見えなかった。

 











 おお、エルデンリング。エルデンリング。新作が待ち遠しくて、今が色褪せてしまう作者です。しかし、褪せ人とは……フロム脳を刺激する単語がまた生まれて、何と啓蒙深い喜びでしょうか。
 同じく、六章の映画もマジェスティックでした。全ての戦闘シーンが、クリエイターがノリノリで描いているのが分かる迫力でして、しかも表現方法も違って全て素晴しいとは夢のようでしたね。


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啓蒙52:人間のデーモン

 ―――Pray(祈れ)

 人間とは、悲劇だった。

 霧は一つの世界に止まらず、獣の旅立ちとは外界への拡散を意味した。だからこそ悪魔殺しが獣の眷属となった後、巡り回った世界は濃霧に消え去った。彼がその意志で殺意を向け、自分を使役する主の食餌に捧げた。幾つもの世界で広がった獣の霧の中で、兆を超える人々の魂が消化された。獣の暗い口より、魂を貪り喰い尽くされた。

 ―――for Answer(答えの為に)

 人間性を捧げなければ、魂に先は無し。

 霧に沈む世界を決める者があらゆる世界に濃霧を拡散させる尖兵であり、それこそ最も忌むべき悪魔である。悪魔殺しは正しい意味で神に仕える使徒であり、故に悲劇しか運命が許されない獣の眷属であった。悪魔殺しは人類にとって、あるいはその世界に住む“神”や“悪魔”にとってもデーモンでしかなかった。

 滅ぶべき人類こそ、選ぶべき世界―――霧を拡散する餌食(セカイ)を選び、食餌(ソウル)の未来を剪定する。人類を贄に捧げるなど許されない罪科だが、それでも彼がすべき今の責務であり、誰かが古い獣を餌場に導く使命を持たなければならなかった。

 人型戦闘機が戦場を支配する世界。

 上位者が全てを悪夢に招いた世界。

 闇の白竜が神となり君臨する世界。

 微生物が精密機械を破壊した世界。

 異星の塔が文明を暗く沈めた世界。

 英雄が救世主に成れなかった世界。

 彷徨える旅人である悪魔は、彷徨った分だけ数多の世界を滅亡させた。獣の眷属としてするべき悪行ではなく、主を思えば世界の人々を馳走する意味もなかった。世界の外側には食べ切れない程の魂が眠りに就いている故に、悪魔を殺す者(スレイ・オブ・デーモン)は其処へ導けば良いだけの話だった。

 

Unbasa(アンバサ)……」

 

 だから、忘却から逃れる為の祈りは必要。人間性により、忘れていた筈の人間だった頃の人格をソウルを絵具にすることで再現し、擬似感情を手に入れた悪魔は、人の真似事が可能となった事実が喜ばしいのだと人格擬きで錯覚出来た。

 味の分からぬ食事を楽しむジェスチャーができるのもその為。とは言え、人間性を悪魔に啓蒙した灰と違い、亡者でない彼の舌は枯れていないので、人間らしい味覚まで蘇らせることも可能。

 

「え。ア、ア、アンバサ? まあ、似た発音のがあるっちゃありますけど、良くその飲み物を知ってましたね?」

 

 手品のように虚空から、缶ジュースが所長より悪魔の前に置かれた。

 

「白くべたつく、アンバサ……?」

 

「そうよ、アンバサ。カルデアの自販機コーナーに私が職権乱用で入れてるの。とある職員が飲みたいって希望があってね、私もたまに飲んでるのよね」

 

 所長は頭に檻を被ってる交信狂いの要望により、この飲み物と出会えた幸運に感謝した過去を思い浮かべる。きっと類感魔術と似た作用が脳液を啜る音を鳴らし、牢獄の中の、頭蓋の中の、脳髄の中の、輝ける瞳に与える可能性がある……のかもしれない。

 

「ああ、アンバサだな。しかし、アンバサ……成る程。これもまたアンバサか。創造神の残した言葉を表した、白き飲み物」

 

「ちょっと、貴方それが欲しいから言ったんじゃないの?」

 

「いや、これはこれで頂こう。感謝するぞ、貴公」

 

 今度、草の食べ過ぎで喉を詰まらせた時に、祈りの液体を飲み干そうと悪魔は考えた。

 

「どうぞ。ささ、ぐいっと」

 

 所長は微笑んだ。別に毒物など仕込んだ訳ではないが、悪魔の味覚がまともに機能していない事を知りながらも、そんな彼に対して美味いジュースを勧める当たり、性根が鬼畜ではないと出来ないことだ。

 そして飲み物を渡した通り、この場は食卓だった。島に建てられた豪華な一軒家の、その庭の、太陽が当たる食事場だった。島の主人である女神が拘っているのか、無駄に贅を凝らした神秘的な神殿作りの宴会場である。家の中には台所も完備されており、今は本当は犬でも猫でもないメイド狐とカルデア最強の料理人であるエミヤが腕を振っている。調理器具は勿論エミヤが居れば無問題であり、古風な調理場も数分で最新鋭の台所に作り直されている。

 

〝ボーレタリアのデーモンスレイヤー。悪魔殺しの悪魔、魂の成れの果て……ねぇ?

 性根はボンクラ貴族のお坊ちゃんって私の隻狼は言っていたけど。そりゃ確かにそれっぽい人間性だし、人格は阿保っぽいっちゃぽいし、接してみたら随分と人間臭い奴だってのは分かった。

 でも私より―――頭、良くない?

 他人の魂から集めたらしいあの魔術回路を使うだけで、そもそもカルデアのスパコン何機分の思考回路が必要なんだか……いやはや、呆れちゃうわね”

 

 瞳ならば未来予知は無論、人の魂も覗き込めるが……オルガマリーは、彼の魂を理解出来なかった。まるで宇宙を観測する天文学者と同じで、無限の暗闇から星を探すような気分にさせられる。それ程までに悪魔殺しのデモンズソウルは強大であり、ソウルで“在る”とだけしか啓蒙されない。

 つまるところ、解明不能。

 見えるのは表面のラベル程度のみ。

 如何程の魔術師から貪り取ったか分からない魔術回路は霊体の内臓のような物なので見えたが、もはや肉体自体が回路で塗り潰されている。むしろ、魔術回路で霊体が縫い込まれている程。竜の魔力炉心が玩具に見える程に、こつこつと地道に殺し回って奪い集めたとあっさり理解出来た。

 

〝回路の集積なんて、内臓移植よりも危険な筈だけど……ま、悪趣味ね”

 

 魔術師としても遥か格上。悪魔の名の通り、存在そのものが神秘である真性悪魔と同等の生きた“人間”と言う規格外。恐らくは知るだけで魔術基盤も魔術理論も学習し、根源も既知の概念なのだろう。魔術世界において根源接続者よりも尚、凄まじく性質の悪い超越者だと察するも、そのデモンズソウルは人類にとって根源以上の災厄だと悟れてしまった。

 

〝まぁ、どんなに才能がない人間でも何千年も地獄を一心不乱で駆け抜け続ければ、誰でも悪魔殺しのようにはなれる。吸血種の死徒が持つ強さも同様だし、ぶっちゃけ私の業も殺戮で積み重ねた技術。

 尤も魂が抜け殻になってさえ自我を保ち、この世で戦い続ける満足無き意志を抱けるかは人それぞれ。行き着けば結局、個人の精神力次第ってところが人間の素晴しいところよね”

 

「では改めて……―――アンバサ」

 

 そう言って、そのアンバサをアンバサを唱えつつアンバサする悪魔を見るとそうは見えないのだが。恐らく神祖ロムルスにってのローマが、悪魔にとってはアンバサが同じ意味を持つのだろう。

 

「ま、スペルはちょっと違うみたいだけど……うん。意味が通じるなら別に良いか」

 

「良い傾向だぞ、貴公。意志が通じ合えるのならば、言語など魂で雰囲気理解出来れば構わんのさ」

 

「そうね。魔術だって、雰囲気が合ってれば結構上手く運べるからね。ぶっちゃけ、何となくで探る勢いがないと探求者としては三流以下だもの」

 

「―――真理、ついに開眼したか。

 貴公ら魔術師は愚かな馬鹿でなければ、そも学問を探求する価値などない。根源などと実に大雑把な場所に辿り着こうと足掻くのなら、意味に拘っては無能を晒すだけだ」

 

「ふ。そう褒めてくれないで下さる? 少し照れてしまいますわ」

 

「え……? それって褒められてるの、所長?」

 

「何言ってんのよ。藤丸、これは貴方もそうじゃない」

 

「はい?」

 

 ぽかん、と藤丸は間抜け素の面を見せる。マシュの腕を奪った怨敵を前に緊張はしているが、この場には所長が一緒にいる。それだけで彼は安心感を得ており、自分でも気が付かない内に絶対の信頼と信用を向けている事を分かっていなかった。

 

「―――藤丸立香。貴公は魔術の才が無い身であるも、極小の才能を己以外の為に鍛えている。それを魔術師は愚かと称するのだよ。

 だが、私が旅したこの世界において、それは魔術師にとって一番大事な素養。

 嘗て観測した貴公らが魔法使いと呼ぶ魔術師共は、果たして本当に自分自身の為に根源から新たな魔術基盤を啓蒙されたと思うかね」

 

「はぁ……貴方って、本当は凄いまともなのですか?」

 

 よって、悪魔の実に人間臭い返答にも驚いた所為か、藤丸は凄まじく失礼な事を問うていた。

 

「ふむ、失礼だな。贖罪として一言、貴公にUnbasa(アンバサ)と唱えて貰いたい」

 

「そんな事で良かったら、別に」

 

 安請け合いした藤丸は、気軽に悪魔が唱えていた呪文を唱えようと口を開くも―――

 

「ほがぁ!?」

 

 ―――物理的に、藤丸は口を塞がれた。

 咄嗟に所長は片手で彼を鷲掴み、更にそのまま両頬を押し潰した。蛸の様な変顔となった彼は哀れな悲鳴を上げる事しか出来ない状態。

 

「この馬鹿! 自分の口から猛毒を吐き出してどうするのよ?

 毒素に滅茶苦茶頑丈な貴方でも、確実に因果律が全て消化されるじゃない。宙の遥か外側から、良く分からない何かに見つかってしまうわ」

 

「いや、更に失礼な事を言うではないか」

 

「先輩先輩! 本気で何を言おうとしてるんですかUnbasa(アンバサ)なんて!?」

 

「「「「―――あ」」」」

 

「あ……ッ――あぁああ! わたしの馬鹿、凄い馬鹿です!!?」

 

 とは言え、所長の咄嗟の行動も虚しく犠牲者は出てしまったが。

 

「Aチーム主席ともあろう者が、何と情けない。残念だけど……さよなら、マシュ」

 

「所長ッッ!! ちょちょ、ちょっとこれどうすの!?」

 

「マシュ殿、御免……さらばだ」

 

「そんな、マシュさん……嘘偽りない無垢なあなたをわたくし、嫌いではありませんでした」

 

(アタシ)の最後も結構悲惨は方だったけど、こんな終わり方は流石に同情するわ……」

 

「余の仲間がまた――――」

 

「こんな可愛い女の子を地獄に落とすなんて……やっぱり信用は、するべきじゃないのかも」

 

「酒が足りん。おいキャット、全然足りん!!」

 

「ヒヒヒィン、人参まだですか!?」

 

「人間は騒がしいわねぇ……まぁ、それを許してる私が言える事でもないけど」

 

 皆(一人と一匹と一柱を除き)が少女の末路を悼み、一瞬で食卓が混沌となる。それを呆れ顔で悪魔は静かに見ているだけ。

 

「いや、だから貴公らは本気で失礼だな。別に何の効力もない。だたの挨拶だぞ」

 

「本当……ですか?」

 

「本当だとも、マシュ・キリエライト。我が魂に誓ってな」

 

「えぇ~本当ですかぁ?」

 

「私を煽るな、オルガマリー。その堂に入った態度、胸糞悪い凄腕のファントムを思い出して、戦闘欲求が湧き出てしまう」

 

「あ~……その、余からも保証しよう。そやつの言葉に嘘はない。余も過去に言ったが……いや、確かに変な巨大生物の幻覚を見た覚えがあるかもな。

 ……ム。そう思えば、少し記憶があやふやな、そんな様な……――?」

 

「駄目じゃないですか!?」

 

「落ち着きなさい、藤丸。ヤバめの神性で魂が発狂しても、この所長印の鎮静剤が全てを解決するわ」

 

「いや、いや……いやいやいや! じゃそれでマシュが無事で良かったとはならないよ!?」

 

「ふふふ。藤丸は良い感じで敬語が取れて来て、私は嬉しいわね」

 

「なんで今この瞬間にそんな感動を覚えるのさ!?」

 

 誰かが収拾を着けなければ場は治まらない。女神(ステンノ)は重く溜め息を吐きつつ、邪神にしか見えない悪魔と狩人を窘める役目が自分に回って来る現実が気に入らなかった。とは言え、人が玩具にされている光景自体は悪い気分にはならないのだが。

 

「―――ちょっと、そこの人間と悪魔。少し悪戯が過ぎるんじゃない?」

 

「ごめんなさい。騒がしくして謝ります」

 

「すまない。少々羽目を外してしまったな」

 

「全く、これだから。素直に謝る度量があるなら、こう言う遊びは私にも分かるようして混ぜなさい」

 

 救いの女神を見る目でステンノを尊敬し始めたマシュの目を、その女神本人が即座に曇らせた。感情のジェットコースター過ぎて、マシュは今の自分の喜怒哀楽がグチャグチャになってしまい、何が何やら分からない状況に陥っていた。

 

「あれ、女神ステンノさん。それって、わたしで遊ぶのを止めてくれたんじゃ……?」

 

「勿論、そうじゃない。貴女はなにを見ていたのかしら?」

 

「そうですよね。はい、そうでした……あれ、本当にそうですか?」

 

「愚鈍。今は私がそうしたかったと言う事よ。でも、その悪魔とまともに接しようと努力すれば、そうなるのは仕方ないかしら」

 

「はぁ、なるほど?」

 

「―――皆の衆、夕食の時間だ」

 

 静かな弓兵の飯時宣告。もはやエミヤ飯無しで生きられないカルデアの人々は、一瞬で食事を始める準備を終わらせた。

 

「私はもう、エミヤの社食じゃないと満足できない体になってしまったわ……」

 

「……同じく」

 

 輸血液の生きる感覚に酔った狩人の恍惚とした表情と、今の所長は瓜二つ。まるで大金が入った銭袋を拾った時のような笑みを、忍びも薄らと浮かべていた。

 私の料理は薬物か、とエミヤはそんな独白が心から漏れるのを防ぐのに精一杯。とは言え、脳細胞を心地良く刺激する彼の逸品たちは、食道楽な者共にとってシプナスを脳内麻薬様物質でズブズブに浸す食事なので、何ら間違ってはいないのも事実。脳が御幸せな深みまで沈むのは無理からぬこと。

 

「あれ……何か、樹木の塊みたいなのが視えた様な……―――いえ、如何でも良いですね。

 今はエミヤ先輩の御馳走タイム。先輩の国では、腹が減っては戦は出来ないって言いますもの」

 

「そうだけど……その幻覚、ちょっと以上に放っておいて良いものじゃないんじゃ……?」

 

「―――大丈夫です!

 カルデアはもっと変なので溢れてますから。ほら先輩、こうUnbasa(アンバサ)って言っても大丈夫でしょう。

 ……だって宇宙は空にある。

 獣もきっと、宙から来るのですから」

 

「所長、マシュに鎮静剤をお願いします」

 

「後でね。ちょっと正気が削れただけで使うと、あの薬品は悪影響が強過ぎる」

 

「あれで、ちょっとだけ……だと……?」

 

「両腕でL字のポーズを取り出したら何とかするから……ま、安心しなさい」

 

「そんな。カルデアの、あの変態部署と同じになるマシュを、俺は一度だって見たくないんだけど」

 

「やーね。あそこは私の肝煎りなのに。結構苦労して、あの職員たちを雇ったんだから」

 

「やはり、カルデア一の悪党は所長。分かります。ムニエルが言ってました」

 

「ムニエル、特異点から帰ったら減給しなきゃ。私、限界まで頑張っちゃうぞ」

 

 所長はマシュの中で、とある聖騎士が凄く頑張っているのを外側から微笑ましく観測しているが、特に手を貸す気はなかった。

 所詮、性根は狩人。鬼畜外道の邪悪具合は、修羅がチワワに見える狂気度なのだろう。だが、その悪意もとあるカルデア職員の給料が犠牲になることで収まるのならば、人理にとって安い出費だった。人類最後のマスターは、未来に続く答えを手繰り寄せる得難い才能の持ち主である。

 

「美味しいですわね。むぅ……先生にも匹敵します。エミヤが女性でしたら、きっと良い御嫁さんになったことでしょう」

 

「―――清姫。その冒涜的な発想は止め給え」

 

「でも、実際そうですし……はぁ。今の私にエミヤほどの遊び慣れた雰囲気があれば、ま……まま、旦那様(ますたぁ)もイチコロですのに」

 

「恥ずかしいのであれば、無理にそう呼ばなくても良いのでは?」

 

 月明かりの皇帝が残した爪痕は深い。エミヤは清姫の悍ましい女体化妄想を秒で否定したが、少女の恋愛相談を拒むことはない。自分以外の男性に恋する女の相談事にも真剣になれるあたり、彼が物騒な女性たちにモテ続けた人生を送った英霊なのも分かる姿である。なのでカルデアに召喚されたアルトリアも、過去は過去で割り切った態度の様でいて、エミヤに対して内心モヤモヤしているのも分かる伊達男っぷりである。

 

「しかし……その、急に呼び方が変わってしまうと、ま、ままま旦那様(ますたぁ)が私の好意を疑ってしまう可能性が……」

 

「彼が? いや、ほぼ存在しない可能性だと思われるがな」

 

「そうですけど。いや、そうなんですけど。本当に……はぁ、ヘビーな気持ちです」

 

「そうかね」

 

 ―――蛇だけに?

 その駄洒落を内心に止めておけるエミヤの自制心は正に鉄の心。正義の味方を志しつつも執事のアルバイトをしていた身であれば、この程度の空気読みなど実に容易い事だった。

 

「蛇だけ……に……フ」

 

 尤もとあるアサシンは、本職らしく忍び笑いをしてしまう。大金の入った銭袋を拾うと思わずニンマリと笑みを溢してしまう彼は、仏頂面に反して中々に感情豊かであった。

 そこでふと忍びは、今始まった夕飯会を見回す。

 カルデア定番の和食、洋食、中華に、島の主である女神の為かギリシャ料理の揃えられている。大人数での集まりの所為か、騒がしくなれば一気に先程のように五月蠅くなるも、基本的には隣同士の者が話している状態。そんな中、忍びは主である所長の指示を忠実に守り、悪魔の動向を見張っている。

 

「マシュ。大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ、ブーディカさん。正直、唐突な即死イベントで慣れてますから」

 

「え。カルデアって、そんな場所なの?」

 

「そうですね。最近ですと、廊下に落ちてた本を拾って試しに読んで見ましたら、唐突に幽体離脱みたいな雰囲気になりまして……あぁ、天高く、地遠く……焼かれた星はまるで太陽の燃え滓のようでして……こうピューって収穫の遊星が空に浮かぶ宇宙を走って逝くんです。

 ふふ……―――Unbasa(アンバサ)です。

 きっとそれも、一つのアンバサでした」

 

「ちょっと。この悪魔、人を壊すなんて外道の極みじゃない。立派な騎士なのに、心が獣臭くなっちゃてる。これ、キミが十割悪いよね」

 

「だが貴公も、復讐に心が壊れている。獣に見合うこの少女のソウルにも、心を壊しても何かを成し遂げたい願望がある……のやもしれん。

 死ぬと分かっていながらも、万物の魂砕く我が剣の前に出た過去を持つ生粋の騎士だからな」

 

 葦名の深みにある古い神殿にて、悪魔の騎士は灰の女と出会うことで自分のソウルに、他人のソウルを絵具にして嘗ての“人間性(ヒューマニティ)”を再現する業を得た。それにより人間味を娯楽にする精神を模倣する今の状態に至ったが、只の人間の悪魔(デーモン)に過ぎなかった冬木での邂逅時より、一人の騎士だった者として悪魔は大いにマシュ・キリエライトを尊敬している。

 ならば、今のこの状態で悪魔が盾の少女と再会してしまえば、何を思い馳せることか。

 仲間となった今だと、ボーレタリアで青い幻影(ファントム)に嵌まり込んでいた時のような、凄腕騎士の変態貴族ムーブをするのも必然。とは言え、それ以前に悪魔は一途な男でもある。好ましい人だと思う事はあれ、恋愛を営む感情など燃え滓となり、ソウルから僅かも残さず忘却された。何よりも、既に一生分の愛を誰かに使う果たしているのだから。

 

「知るか。そんな事より、その物騒な呪文を解きなさい」

 

「さて……」

 

 なので敵対する状態ならまだしも、悪魔はマシュに害を与える気など皆無。ブーディカの怒りは正しいが、実際は悪魔の人間性を満たす娯楽品にしかならない。そんなブーディカを揶揄して愉しむ彼の姿は、悪魔としか言い様がない。

 

「……では、そぉーれ。獣臭くなった人間性を消臭するか」

 

「――いや……うん。やっぱり止めて。キミが魔術を掛けると、もっと獣臭がしそうだ。マシュの中にいる立派な英雄に頑張って貰う方が良い」

 

「辛辣だ。だが、嫌われると言うのも気分が優れる。もっと言い給え」

 

「なにこいつ……」

 

 ドン引きしている女王を悪魔は微笑んだ。まるで変態趣味を満たす貴族男子の屑だった。悪魔であれ、人間であれ、どうあれ、殺人趣味の屑なのは世界を幾度も助ける為に苦しみ続ける救世主だろうと、永遠の果てまで辿り着いても変わらない真実である。

 

「―――あ。そうでした、ブーディカさん。エミヤ先輩の料理は最高なのですよ。特に和食が美味しいです!」

 

 何を味わおうかと食欲に呑まれる寸前のマシュであったが、何かと藤丸とマシュに良くしてくれるブーディカには一人の少女として懐いており、会話をする時間そのものが楽しくあった。そんな相手であれば、カルデア一のお料理マスターのエミヤの逸品を自慢気に紹介するのは当然の流れであり、楽しそうに笑うマシュに微笑み返すブーディカが楽し気なのも当然なのだろう。

 まるで、ローマの手で陵辱死された娘との記憶が甦った気分になる。笑わなければ、憎悪で全てを殺し尽くしたくなる。どの街だろうと蹂躙して、邪悪な快楽を味わう相手なんて、ローマだろうがブリテンだろうが何でも良い気分になる。だから復讐の女王が憎悪を塗り潰す為に、優しい無垢な少女へ微笑み返すのは本当に当然のことであった。

 故、人の悪魔(デーモン)がブーディカに優しく笑うのも―――当然である。

 ローマより溜り堕ちる闇の深淵に沈む女王を、悪魔が笑わずに一体他にどんな存在が優しくするのだろうか。

 

〝今までの人生で出会った中、不死の存在でまともなのは私だけね……”

 

 瞳より精神の動きさえ容易く観測する所長がシミジミとそう思うも、他の者からすれば所長も同類でしかない。だが狩人の業を鍛えた事により、自分を棚上げするのが巧くなるのも仕方がないのだろう。人の意志を持つだけの狩人も所詮は獣の一匹に過ぎないと言うのに、獣を殺す為の獣狩りの技巧を愉し気に極め、狩りの成果を満足気に誇るのだから。

 ―――と、所長が考えていることは悪魔も同じく見通している。

 やはり永劫を耐えられてしまう不死とは、ある程度は似通った精神の容を持つかもしれない。

 

「む……」

 

 そんな風にほのぼのとした不死共の日常風景を、無に至る滅私の心得で忍びは観察中。正直な話、一秒後には世界崩壊が起きても可笑しくない綱渡りな日常に慣れなければ、カルデアで所長のサーヴァントなどやってられないのは事実とは言え、それなりに長い付き合いとなるマシュを心配するのも忍びの良いところ。

 彼は拾った物が何でも入る懐より、和食好きになったマシュの為に最高の逸品を取り出す。少し明後日な方向に人徳がぐるぐると彷徨する忍びであれど、根本的には誰かの為に自分を犠牲に出来てしまう生粋の英雄に違いはなかった。とは言え、それは邪悪を平気で愉しめる灰も悪魔も同様で、英雄で在る事も、救世主で在る事も、道徳観念には全く関係ないことは誰もが察する事だ。

 

「マシュ殿、これは炊かれた白米に良く合いまする」

 

「――え?」

 

 コツン、テーブルに瓶が置かれた。地獄の底で100年煮込んだような、我輩外道麻婆今後共夜露死苦とでも言うような香辛料の化身が置かれていた。

 

「あの……狼さん、これは?」

 

 亡者の焼け殻を更に燃やした血肉の炭の如きソレを、マシュは麻婆豆腐だと直感した上で、その啓蒙的真実を否定して貰いたくて問い返した。

 

「甘い白米に合う一品―――食べる麻婆豆腐だ」

 

 食べるラー油に凝り過ぎ、いっそ麻婆豆腐にしたのは英断だった、と白米愛好家は内心で自分に対してのみ語った。

 炊かずに米をボリボリと美味しく頬張れる忍びの米好き具合はかなり常軌を逸しており、カルデアに召喚された後は白米探求に余念など微塵もなく……それをマシュは知っている為、本当に良い飯の共になる事そのものは理解した。ロマンが何時も隠しているオヤツのおはぎが当然行方不明になった際、忍びの腹の中へと隠されているのも彼女は分かっていた。

 それ程の米好きなら、お米について嘘など吐かない。マシュはその事実を知っていて尚、忍びにその言葉を否定して貰いたかった。

 

「いや、そのですね……え”、これが?」

 

「ああ。米の甘さが、引き立つ。故の辛味だ」

 

「グ……ッ―――!」

 

 やっぱり麻婆豆腐だつた、とマシュは一人絶望。助けを求めて周りを見渡すも、誰もマシュの方を向いていなかった。彼女の大事な先輩(マスター)も、ブーディカらと同じ方向に目を逸らしていた。ただ一匹を除いて。

 

「お米に合うとな。もしやそれ、人参にもベストマッチするのですかな!?」

 

「あぁ、元は明……いや、大陸の品である故……お主には丁度良い」

 

「ヒヒィン、ありがとうございます……ッ―――――」

 

 一口食べた後、馬は安らかに眠った。

 

「死にました! 凄くあっさり死にましたぁーー……!!」

 

 殺人現場―――否、殺馬現場を見て叫んだマシュを誰が責められようか。

 

「凄い。流石、私の隻狼の闇黒麻婆(ダークマーボー)ね。怪生物(UMA)が一撃とは、命が軽過ぎて吃驚する。ヤーナムスピリッツが甦りそう」

 

「さぁさ、マシュ殿」

 

「何故、こんな……狼さん、私はこんな子に育てた覚えはありませんよ!」

 

「……うむ。俺も、育てられた覚えはない」

 

 子供の頃、おやつにおはぎをくれた何気に料理上手な育ての親を思い出しつつも、忍びは冗談に対してさえ余りにも真面目に解答していた。

 

「堅物なまでに真面目な返答だな、狼。しかし、お前の米に対する探求心は本物だ。料理人の一人として尊敬するよ」

 

「だったら、エミヤ先輩もわたしと一緒に食べますよね!?」

 

「すまない。既に私はカルデアで試食済みだ」

 

「そんな……!!」

 

 既にカルデアで犠牲者が、とマシュは驚いた。驚き過ぎて、忍びのマスターである所長を見た。彼女はマシュに対し、凄まじく無責任な愛想笑いを貌へ浮かべているのみ。サーヴァントを制御する立場と責任を持つ筈の所長は、そう言う意味でもマスターとしての素質は特に優れていなかった。

 無論、所長も試食済み。灰血病を発症して獣化寸前になる衝撃だった、と所長はこれを食べた他の犠牲者にも語っていた。旧市街での悲劇がカルデアで起きても可笑しくはないのかもしれない。

 

「本当に人間は騒がしい……ま、良いけど。食べるのに集中出来なくて、ラーメンの麺が伸びちゃうじゃない」

 

 熱い太陽の下で熱いラーメンを啜る快楽に囚われた女神の運命は、果たして何処へ向かっているのだろうか。

 

「ふふ。でも、ずっと昔から……人間って―――面白い」

 

 結局、忍びの善意を拒めないのが御人好しのマシュである。どう足掻いても、絶望。最後まで抗っても、暗い結末は変わらない。

 神は神でも、女神(ステンノ)は死神のような微笑みでマシュを慈しんでいた。

 

「―――――グフゥ……あ”ぁ、ズゴいです。

 確かに、お米の甘さがオアシスになりまずぅぅ……っ―――」

 

「そうか……」

 

 自分の逸品を食したマシュに忍びが満足気に頷いた次の瞬間、この場にいた全員が奇跡を目撃した。死んだ筈の生命が再起動するなど人間では魔法使いにしか許されない奇跡であり、だが不可能を覆してこそのヒトを極めた末の英霊。

 尤も、彼は元人間の英霊ではない。

 赤く燃えがる立派な(タテガミ)(ヒゲ)を生やす馬面の見た目通り、自分を飛将軍だと思い込む精神異常馬の英霊であった。

 

「ブルブルブッル。ヒヒィン、ヒ……ブルァアアアアアア―――!」

 

 霊基再臨を可能とする暗黒麻婆(ダークマーボー)とは、一体?

 全員がその疑問を持つも藤丸とマシュとカルデアのサーヴァントらは、忍びがあの所長が唯一契約するサーヴァントだと考えれば、そこまで非常識な光景ではないなとある意味納得した。何せ、人の形をした悪夢の従僕で在れば、夢のような奇跡を見せられるのも不可思議ではない。

 

「実に愉快な馬だな。嘗て地下に築かれた猫妖精の楽園を思い出す騒がしさだよ、赤兎馬」

 

「スレイヤー殿程の物騒極まる悪魔にそう言われるとなれば、戦場を荒しに荒した呂布の軍馬として誇らしいですぞ。

 いえ、私は飛将軍の愛馬ではなく呂布本人なのですがな!」

 

「そうだな。では今度、目から妖精光線(フェアリービーム)を出す魔力の使い方を伝授しよう」

 

「なんと。溢れ出る雷気を身に纏う呂布の如く、あの超軍師の吃驚兵器の様に、ビームを撃てるようになると、生身で、この私が……ッ―――素晴しい!!

 いえ、そもそも私は呂布本人に間違いはないのですがね、ヒヒィン!!」

 

「あぁー……はぁ……へ、なに。ねぇデーモンスレイヤーその、なに……貴方が言ってる意味分からんない猫妖精……あれ、猫精霊だっけ?

 それ、本当にいるの? ガチで?

 疑ってる訳じゃないんだけど……その、啓蒙されし真実を理性が拒むんだけど」

 

「昔、面白い妖精郷の一種に行ったことがある。何でも猫の精霊の古里であり、何故か街の地下に広がっていたな。

 そこの更に一部を、住まう精霊たちが―――ぽかぽかネコアルク村と呼んでいた」

 

「ネコ……ネコアルク?」

 

 瞬間、よく分からない生物(ナマモノ)の姿を所長は幻視した。

 妖精郷の精霊に興味はあるが、伝説にあるブリテンなどの妖精達が啓蒙された生命系統種と同分類の存在だと思うと、彼女は何処と無くやるせない気分となった。

 

「ふふふ、そうだとも。

 貴公が考えた通り、私こそ終身名誉村長――拡散の猫兵であるぞ。私を殺した暁には、猫村長のデモンズソウルを与えようぞ」

 

「考えてないし、要らんわ。貴方ってちょっと、脳味噌が啓蒙され過ぎてるわよ。そもそも意味を、理解したくない。

 と言うか何なの、その与太話……っ―――う、待って。

 そう思えば、カルデアで生活し始めたばかりの頃、何処ぞの平行世界から時空干渉を受けて、こっち側の因果律観測された事があったような……その時の、違和感に似てる?」

 

「それは知らんぞ。まぁ一夜の幻影とは言え、真祖のアーキタイプ・アースを私が出来心で殺した異空でもあった故、重なり合う神秘が熔け歪む混沌でもあった。あの猫など、侵略外来種だったタイプ・ムーンの因果がスピンアウトし過ぎた極致の産物とも言えよう。

 世界の歪みに対し、未来予測など赦されぬからな。

 よって未来で関わり合いになる無関係な他者の世界に、因果律を辿って何かしらの干渉現象が引き起こる事も有るかもしれん」

 

 世界の揺らぎから介入し、群れていた真祖を戯れに虐殺していた時、出会ったことある月からの来訪者。あの男が地球で悪巧みしていた結果、あのネコの精霊が巡り巡って生まれた。だから悪魔は、因果と言うものが嫌いにはなれなかった。

 それこそスピンアウトなどと、現代の言葉で揶揄してしまう位には。

 

「あー……成る程。冬木以外でもカルデアと貴方には、壮絶に訳の分からない縁があると。何と言うか、それこそ正に悪夢ね」

 

 路地裏の虚より、猫は這い寄る。混沌で在らずとも……いや、実際に混沌(カオス)な猫妖精も楽園にはいるにはいるのだが。

 まるでネコ・カオスです、と所長は夢見る瞳を蕩けさせる。よって旅する悪魔の摩訶不思議な備忘録を、所長は瞳で脳へと啓蒙した。流れ込んで来る知識は狩人だろうと我慢出来ずに叫びながら、誰でも良いから内臓攻撃で臓物を地面に撒き散らしたくなる狂気を与える。

 

「ふぅ、良い酒飲めた……あれ?

 是は一体何だろうか? 地獄絵図?」

 

 月の狂気を癒す為、酒に夢中だった荊軻はやっと騒がしくなった皆の様子に気が付いた。ついでに地獄の釜の底に溜ってそうな麻婆豆腐にも気が付き、また一口酒を呑む。どうやら赤兎馬が赤くなっているのも、あの赤黒い地獄の食べ物が原因だとも何となくだが彼女は察する。

 

「なにそれ、美味(うま)そうだな。(ウマ)だけに」

 

 酒に酔っていようが、血に酔っていようが、酔っ払いは普通の判断が出来ないのが常。死ぬほどつまらないオヤジギャクを思い付いても黙っている理性的判断を下せないのは仕方がなく、食べる暗黒麻婆が美味しく見えるのも仕方がないのかもしれない。

 

「む……荊軻殿。如何か?」

 

「おぉ、良い肴になるな。頂こうか!」

 

「では、さぁさ……」

 

 世界とは、悲劇なのか。犠牲者がまた一人、直ぐ様に絶叫を産声にして生まれてしまう。皆の晩餐会はまだまだ終わらないようだった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 魂とは、何から始まったのか。彼女はそんな真理を知りたくもなかった。同時に、知るべきではない真実は甘く薫る反面、それの姿は形容し難い劇毒である。その病魔に人の魂が感染してしまえば、真っ当な精神など容易く瓦解する。

 それはまるで、錆びた粗い(ヤスリ)だ。触れるだけで理性が削り剥がされ、血塗れの本性が剥き出しになる。皮を剥がれれば、人も獣も見た目は何ら変わらない。

 

「はぁ……」

 

 溜め息を吐くと幸福が逃げると言うが、果たして逃げるだけの幸運が今此処にあれば如何程に幸せなのか。

 完全に狂い果てた生前の自分―――暗帝と邂逅したネロは、その余りの邪悪さと醜悪さに、記憶を思い返すだけで脳味噌が痙攣しそうになる。

 

「……ッ―――グ、ぁ……ぁギ」

 

 暗帝に奪われた右腕が疼く。植え付けられた悪魔の腕が、魂を霧に変異させる。サーヴァントで在りながら、半ばデーモンに侵食汚染され、悶死に至る違和感で心が砕け壊れそう。苦しむネロは冷や汗が滝のように流れ、髄まで霧で冷え込み、脳と一緒に体が震え上がる。

 あぁ、と感嘆した。地獄など生温い。

 脳裏に姿が浮かび上がる。正気を削り取る御神体。

 植生の鉱物のような、生命なき存在で、故に死を解さぬ不変。

 世界を平らげ続け、時空を貪り尽くし、宙よりも深く肥えた剥き出しの魂。

 あらゆる魂の始まりが獣であると啓蒙され、暗い孔が魂を飲み込もうと深淵より覗き込む。

 本物の獣であり、異形の神であり、底の底で眠る樹の塊であり、余りにも理解出来なかった。星よりも、古かった。人類史よりも、更に旧かった。

 

「―――――――――――」

 

 暗闇が瞳に帳を降ろし始める。

 隻腕で勝てないのをネロは理解してたが、この右腕は諸刃の剣ですらない。

 記録と記憶と知識が逆流する。

 世界を霧散させる霧の右腕ならば、そのデーモンの腕がソウルを渇望する。

 最初から魂は狂っているもの。

 人間が認識する正常な世界など真贋以前に、そもそもからして正しくない。

 運命を題材に絵画は描かれた。

 その絵具が黒い人血ならば、世界が悲劇で在るのは必然の選択でしかない。

 

「無事ではなさそうだな、ネロ。晩餐会の後だと言うのに、一人で静かに苦しむとは。辛気臭い努力など、死んだ後でするものではないぞ」

 

「黙れ、スレイヤー……貴様に問われる是非ではない。これが貴様たちの業か」

 

「無論だ。ならば貴公、受け入れ給え。霧が掛る時、ソウルを貪る醜さは誰の目にも映らない」

 

 そして、悪魔は自分のソウルより魂を現した。霧として呼吸するように魂を物質化する悪魔は、性質そのものがこの世における第三法を自在とする神秘の化身であり、喰らい集めたソウルを結晶にすることさえ幼子が粘土を捏ねるように容易である。

 

「苦しいなら……―――死ぬか?」

 

「―――貴様……」

 

「分かっている筈だが。死ねば貴公を蝕む深淵も霧も、魂と共に解除される。そして、私であれば魂の蘇生など容易い魔術。あぁいや、世界(ここ)での慣わしに従うならば、魔法と呼ぶのが正しかったな。

 どうあれ人間の輪廻などな……魂の秘密を暴けば、実に単純な真理だ。

 こうして、私が蒐集した獣の濃霧(ソウル)を喰らうこともないだろうに」

 

「余はサーヴァントとして二度目の生を受けたが……それでも、貴様ら不死の倫理を良しとするつもりは毛頭ない」

 

「使い潰して構わない命の為にだけに、己が魂を苦しませるとは。ならば、私が貴公を助けた価値は充分以上にある。

 使命に殉じると決めたなら、存分に―――苦しみ給え」

 

 不死が、不死を助ける価値はない。救ったところで、どうせ不死ならば命に意味はない。何よりも、悪魔は魂の何もかもを理解した果ての、不死も輪廻も自在とする神秘の探求者でもある。

 死んだ人間の蘇生など、魔法も要らず、根源と繋がる必要さえ皆無。

 消滅したサーヴァントの魂を甦らせ、またこの世に呼び戻す事も僅かな魔力で可能。

 それを理解しているネロなら、そもそも一度悪魔に殺されて、彼の魔術で蘇生された方が万全な状態でローマ帝国と戦えると分かっていた。

 

「当然だ。奴を殺すの余の責任。最期の死から逃避するために、死にたくないと生き足掻く余を討つと決めた。

 ならば、自らの死から目を背けることは赦されぬ。

 況して、その命を使い捨ての道具には出来ぬのだ」

 

 悪魔は命を賭す決意を眼前に、誰もが見蕩れる優しい笑みを浮かべた。

 

「やはり人間は、素晴しくなければ価値がない。どのような些細な事柄であれ、魂から称賛出来る信念と理念がなくては生まれた意味がない。例えば私のような……徹頭徹尾、まこと価値の無い愚者が尊ぶ事が可能な意志。

 貴公には、それが――在る。

 この貪欲な獣のソウルで在ろうとも、そうだと実感する程に」

 

 そして、熟した腐肉よりも柔らかい微笑みであった。芯の芯まで魂を腐らせ、だが凶悪なまで強靭な意志を持つ悪魔らしい笑い方だった。

 

「―――輝ける羅馬の星よ。

 赤く燃える薔薇として散るのであれば、是非ともこの愚かで不出来な魂に、貴公の素晴らしき人間性を見せ給え」

 

「ふん……ならば、良く見ておくが良い。余は諦めぬ。何があろうと、絶対に」

 

 悪魔の手から、ネロの手に固形化した濃霧の塊―――ソウルが手渡される。殺せるも魂は滅ぼせない古い獣を無限に、幾度も、数万数億と殺し続けた悪魔の魂(デモンズソウル)からすれば、渡したソウルの量など微々たるもの。英霊数十騎分のエネルギーなど、大海の一滴以下だろう。

 だがサーヴァントであるネロにとって、聖杯にも等しい劇物だった。本来なら、それこそ聖杯並の容量がなければ破裂は必然。だが、今の彼女には外付けの悪魔の腕(デモンズソウル)が着装されている。

 

「ぐぅ……っ―――」

 

「美味いだろう。魂が味覚を覚えるとな、肉体の五感で味わう実感とはまた別物になる。我ら不死(ヒト)がソウルを嗜むのは、それのみが魂を潤わせる満腹感である故に、な」

 

 右手より、獣の濃霧(ソウル)が流れ込む。ソウルを貪り喰らう悪魔の腕は常に餌に餓え、ネロに力を与える代わりにソウルの飢餓で気が狂うも、それも悪魔の魂の欠片によって癒された。

 誰でも良い、何でも良い……殺して奪えれば。

 食欲と性欲を遥かに上回る快楽と、人生の目的を全うするより満たされる達成感。

 ソウルの餓えが潤う実感は魂を虜にし、理想を抱く王が国家全てを贄と捧げる人でなしの悪魔と化すのに充分以上の魔力を持つ。

 

「―――ハァ、ハァ……はぁはぁ……ぐ、はぁっ……!」

 

 それら全てを、燃え上がる人の意志で抑え込んだ。ソウルに酔うのが人間で在れば、ソウルに抗うのもまた人間で在る。流していた冷や汗に、悦楽と法悦の熱狂的な発汗が混ざり合い、サーヴァントの身でありながらも、脳が愉悦に満たされる所為で生理的な赤い涙も流れ、故にその血涙は人間が人間で在ろうとする抵抗。

 ―――デーモンの右腕。暗き帝国に対する叛逆の証。

 同時にそれは、人間の理に対する古い獣の牙である。

 

「成る程。やはり貴方は私達の……いえ、人理の人間にとって敵のようね」

 

「……………」

 

 その背後―――狩人(オルガマリー)忍び(隻狼)が二人。

 

「………主殿」

 

「良いわよ、別に。私達の敵ではないから」

 

「御意の儘に……」

 

 忍びは殺すべきだと考えている。もはや僅かばかりの慈悲さえ不要だと一目で分かる。仕える主(オルガマリー)にとって害悪でしかない悪鬼(デーモン)だと滅私奉公の精神で悟り、背負う不死斬り(拝涙)があの悪鬼を斬らせろと鞘の中で震えている。忍びがこの刀が獲物を求める事に少なからず驚くも、だがそれも当然のことだろう。真の名の通り、魂から零れる涙を拝む為の大太刀で在れば、あの悪魔殺しは不死斬りが殺めるべき存在。

 無論、所長―――……否、狩人にとっても悪魔は狩るべき存在。獣や神を殺す様に、一切の慈悲無く、血に酔って狩り殺す事が人理と全人類にとっても絶対の正義となる相手。

 

「そう……敵じゃないもの。殺した所で、別に意味なんて何もない。善悪さえ、其処にはない」

 

「物事を見通し、物覚えも良いと愚かで在る事も出来ないようだ。その様では、人間で在り続ける事も息苦しいだろう。

 試しに如何だろうか?

 悪魔狩りと言うのも貴公ら狩人にとって、一興にも二興にも娯楽となると思うが」

 

「拒否します。仲間でしょ……今は、まだ。

 でもね、人理の為に抗う英霊を苦しめると言うならば、貴方を必ず滅ぼさないといけない。サーヴァントとして使役すると決めた我らカルデアは、同輩として助けを求める英霊に手を貸す義務がある。これはね、私なりの英霊に対する意志ですから」

 

「素晴しい決意だ。確かに私を今殺せば、同時にネロも殺さねばならない」

 

 所長は人狩りも厭わない。だが人で在ろうと足掻く人間を、積極的に狩ろうと血に酔えない。何故なら、今のオルガは狩人の理念で動く前に、所長で在ろうと決めている。そして敵を討つ為に悪魔からデモンズソウルで呪われたネロは、生きているだけで人理に怨嗟される悪魔に成り果てる運命にあるが、しかしまだ人間の意志を抱く英霊だ。

 また彼女がこの特異点で戦うには悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の業が必要不可欠。暗帝の深淵に魂の一部分と片腕を奪われたなら、その闇を払う為にも同等以上のソウルの業が要るのが必然。

 

「利益も損益もないからと、暗い未来を啓蒙されても人助けを躊躇わない。求められた儘に手を貸し、自らの魂さえも砕いて相手に渡すとはね。

 元はそれでも人間でしょうに。良くもまぁ其処まで、悪魔的な自己献身を行えるわね?」

 

「力を求め、手を伸ばしていた。その渇望を握り取れる人間が、私一人のみだっただけの話だ」

 

「その代償が、悪魔も狂い死ぬ――殺人衝動。

 人のカタチをした怪物もどきにネロを作り変える事が、貴方からすれば救いに見えると言うの?」

 

「理性の皮が剥ぎ取れ、疑念なく自分の性能を発揮するのであれば……あぁ、それは人間ではない化け物だろう。そこに人間性はなく、思考や理念もなく、ただただ人間を喰らうだけの人食い絡繰だ。そう存在する故に、そう在るだけの生命となる。

 だが、それさえも己とし、力とするのも人間である。ならば悪魔になろうとも化け物にはなれず、残念ながら人間は人間に過ぎない。同時に、その奇跡を可能にしてこそ、この世界における英霊と言う人間の究極だと私は見ているのだがな」

 

「―――……ッチ。この悪魔」

 

「悪魔だとも。だが、デーモンさえ狩り殺したいと衝動的欲求を私に向ける貴公の本性は、私から見ても実に悪魔的だと思うが」

 

「あ、そう。マシュから腕を奪った糞野郎が、よくそこまでほざけるものね」

 

「今は仲間だ。腕程度なら無償で蘇生してやろう。無論、傷付けた魂も」

 

「結構。貴方の魂に触れられると、無垢なマシュだと余計に魂が穢れるわ」

 

「酷い言い草だ。しかし、否定は出来ない。この身は汚物に塗れている……だがな、貴公も中々に匂い立つ。その血腥い魂、腐肉と臓物の悪臭も強く染み込んでいるぞ」

 

「ふん。年頃の女性にデリカシーがない男ね……―――で、ネロは?」

 

「その瞳ならば、言葉など不要。見れば分かるだろう?」

 

「勿論、不要よ。けれども必要なのは、人に対する責任。貴方の言霊から、未来を保証して貰いたい」

 

「成る程な。ならば、答えよう……」

 

 悪魔は笑う。デーモンを殺してソウルに霧散する瞬間の、何物にも代え難い至高の達成感とも似たそれをもし言葉にするとなれば―――愉悦。あるいは、娯楽。

 強いて言えば、人間そのものを愉しむ人道から外れた感性。

 片思いをしていたあのデーモンの屍を踏み躙り、古い獣の眷属となった悪魔にとって、そんな程度の邪念しか人間性など残されていなかった。

 

「無事だ。私の保護下にある限り、何ら問題もない」

 

 同時に、悪魔にはまだ人道を歩む意志も残っていた。果たしてボーレタリアの輪廻から解放したかったのは自分だったのか、あるいはあの―――火防女(デーモン)の為でもあるのか。

 言うまでも無く、誰かの為に悪魔を殺し尽くして悪魔と為った。

 故にまだ僅かばかりの慈悲は心の虚の奥底に残り、助けを求めた相手を無償で救う理念も悪魔の人間性には残っているのだろう。

 

「可能な限り、迅速に狩り殺すって。私……本当は、そう決めていた筈なんだけど」

 

 悪魔のその心の動きは所長は垣間見た。単純明快なソウルに酔う悪魔の意志であり、死しても未だ失くしていない人間の遺志でもある。暗い幻影(ファントム)として冬木で邂逅した古い獣の眷属ではなく、今の彼は人間としての残滓も同時に良しとする只の悪魔殺しであった。

 

「だが、人生など捻れ曲がる迷路のようなものだ。そのように、直進して達成する事が出来るのは、己が力量の手が届く範囲が限界だ。

 貴公は優れた狩人で在るようだが、まだまだ未熟。

 悪魔狩りを全うするに……そうだな。結局、人としての道徳を棄てなばならない」

 

 マシュの片腕を奪った敵では在れど、今この特異点で悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)を狩ればローマの一人勝ち。所長が大事にしている少女の腕の仇をこの場で取る為に、人理の世を生贄として捧げる必要が出てしまう。

 直接来たローマを見て未来を啓蒙された所長はこの先の展開が視える故、狩人に徹する為の引き金を引けなかった。

 

「―――………」

 

 カルデアの守るべき人理が、悪魔を狩る―――邪魔となる。

 

「…………私は、けれども……」

 

 自然と彼女は、血族の短銃(エヴェリン)に手が伸びる。抑える気にもなれない独り言に羅列はなく、否定する意志を否定する気の迷いが露出するのみ。

 

「……でも、そうじゃないと――――」

 

 本来ならば、比較するまでもないこと。狩人の業を在り方とするオルガマリーにとって、デーモンスレイヤーと言う至高の獲物を狩れる好機こそ、そもそもカルデアを犠牲にしても惜しくない血の歓び。それも味方の敵討ちと言う状況ならば尚の事、先の未来に瞳を閉じて狩りと血と意志に酔うのが狩人と言う存在。

 それなのに、彼女は迷っている。即ち、所長か狩人かと葛藤をする程に、オルガマリーは所長と言う自分自身を―――愛していた。

 

「――――良い。オルガマリー……余は、平気だ」

 

 土壺に嵌まった思考を覚醒させる声。苦しんでいる筈のネロが、そんな所長の葛藤を断ち切った。

 

「そう……はぁ、ごめんなさい。気を使うべき私が、貴女に気を使わせるなんて」

 

「それも良いのだ。余は皇帝である故に、納得して悪魔に魂を売っただけのこと」

 

 震える右腕を手に抑え、ネロは立ち上がる。大食らいの腕はその腕単体が一種のデーモンと呼べるが、そうだからこそ所詮は只の腕に過ぎない。悪魔殺しの魂(デモンズソウル)の欠片はネロの魂を補うだけ。悪魔も彼女を呪うつもりは毛頭なく、本当に必要最低限の代償なのだろう。人助けにも、人殺しにも、悪魔はある意味で真摯だった。

 

「余は好きで苦しんでいるだけのこと……まぁ、そこの悪魔の立場で言わせればだがな」

 

「貴公、それはないぞ。その言い方は私に非が有る様に聞こえてしまう」

 

「救ってくれた事は感謝している。だが、貴様はそれでも罪が深過ぎる男だ。その所業を知れば尚の事である」

 

 狩りの意志が萎えるのも仕方がない。二人の間で筋は通っているとモヤモヤした鬱積を所長は納得させる。

 

「そうか。確かに、貴公のような麗しい少女には刺激の強い人生を歩んでいるが……」

 

「はぁ……貴様、何を言っている。この特異点の余を見ているなら分かっている筈だが、そもそも余は三十歳まで生きているのだ。

 (なり)は全盛期とは言え、記憶は違う。抑止力としてサーヴァントの匣を使って召喚された故に、傍から見れば薔薇の如き超絶美少女でしないがな」

 

「そうなのか……―――ほう、哀れであるぞ。英霊の座とは、そう言う機構でもあるのか。それでサーヴァントと言う霊体召喚の魔術が運用されていると。

 貴公も元は人間だろうに、死後に見る悪夢で死に切れんとは。英霊も厄介な現象(モノ)に目を付けられたものだ。写し身の中身としてソウルを利用されるとは、デーモンの発生とそう絡繰は変わらんぞ」

 

「否定はせん。匣としてはデーモンもサーヴァントも似た霊体だと、今の余には理解出来るからな」

 

「そうか。だがまぁ、ソウルの利用方法など何処も変わらんのかもな」

 

「違いない」

 

 無意味な雑談により時間が過ぎ、餓えで震えていた悪魔の腕も貪欲が満ちることで収まった。はぁ、と所長は深過ぎる溜め息を漏らす。

 

「悪魔狩りは夕飯後の良い運動だと思ったけど、今は見逃して上げる。マシュも貴方をそこまで恨んでる訳じゃないし」

 

「虚言ではないが、正しくは無いな。あの無垢なる騎士は……腕を斬り落とした私を、一欠片の暗い憎悪も持たずに接していた。

 怒りはあれ、恨まぬとは。良い子過ぎるのも如何かと思うぞ?

 自分を幸福に出来る真っ当な人間の大人に成れず、このまま行けば―――」

 

「―――黙りなさい。

 親の所業は、子の私が償うわ。きっちりと、完璧に」

 

 だが、所長は悪魔の瞳を真っ直ぐ睨み返す事は出来なかった。所長は自分が誰かに人の罪を償うような善行を、血塗れの手で行おうとする浅ましさに笑いも出来ない。

 愛もなく、彼女の命は生産された。

 必要とされたが、命に価値はなかった。

 騎士で在れ、などと誰にも願われなかった。

 人理の敵を殲滅する殺戮兵器で在れば何の問題もなかった。

 正義の味方から程遠く、彼女の生まれの本質は悪の敵でしかなかった。

 人類史を脅かす悪を殺す為、そう在れかしと短い寿命で死ぬまで戦うだけだった。

 

「そうかね。ならば、その儚い使命が全うされる事を人として願うよ―――Unbasa(アンバサ)

 

「はいはい、アンバサ。その言葉、きっちり覚えておきます」

 

 まだ上手く歩けないネロを背負い、悪魔は力強い確かな足で歩く。灰が見れば、薪として血の営みで作られた弟を背負う兄を思い返して仕舞える程に。きっと英霊のネロにとって、生前の自分が死にたくないと生き足掻くこの特異点こそ真に地獄であり、だが地獄を住処とする悪魔だけが苦しむネロを救ってくれた。

 それは依存に近い信頼関係。ネロは悪魔を信用などしていないが、故に信用すると決めた。例えこの先の未来で裏切られたとしても、自分の選択を後悔しないと決め込んだ。それを呑み込んで、悪魔に救われる自分を良しと認めた。

 

「――――――……」

 

 何故、狩人がその二人を背後から撃てようか?

 

「…………」

 

 今此処で撃っておけば良かったなどと、彼女もまた後悔しないと決め込んだ。例えあの悪魔が裏切りによって敵対者として、またカルデアの前に立ち塞がろうとも関係ない。

 だから後悔の感情などマシュ以外の人間に向けないようにしようと、せめて己が業の因果は自分の身で背負おうと、オルガマリーは冷徹な狩りの意志を瞳に宿す。

 

「……でもね、人理の為だろうと、血に酔わないと人狩りなんてやってらんない。そう思わない、隻狼?」

 

「主殿が人を狩る際、僅かな慈悲だけは御意志より……お忘れにならなければ」

 

「厳しいのね。私以外の女にそんな事を言えば、泣かせちゃうわよ?」

 

「御安心を。修羅に落ちれば……我が刀で、介錯を」

 

「ふふふ。私は死ねない不気味な化け物女なのに?」

 

「ならば、夢より覚めるまで……幾度でも」

 

「そうね。だったら、良いわ。その時はお願いね」

 

「御意の儘に……」

 

 オルガマリーは呪いの声が聞こえる。怨嗟も呪詛も、子守唄より安らかな音にしか感じられない女だが、きっと人理を守るカルデアを恨みながら死に絶える誰かの呪いも聞く事になるだろう。

 ―――人を守る為に、人を狩る。

 その矛盾もまたオルガマリー・アニムスフィアにとって、狩人の業として背負う新しいカルデアでの因果であるに違いはなかった。

 








 ガチャ……ガチャ、ガチャガチャと聖晶石がまた霧散する光景を見続けていた作者です。月姫がリメイクされる為の軍資金を寄付する為にFGOへ課金する兵がいる事を知っており、尚且つ型月ファンの無課金勢の一人として、きっとまた殺人貴が見れるのはファンの皆様が持つ愛故なのでしょう。また彼と彼女らの殺し愛を読めるとは、この今の瞬間まで待ち続けた結果なのです。それはそれとして、サーヴァントを引く魅力は京の水に匹敵しますけど。


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啓蒙53:血液由来の遺志

 焚火の前での会話中は、ずっと狼さんが忍びらしく聞き耳を立てているイメージをして下さい。


 眠る前、オルガマリー・アニムスフィアは外で火を眺めていた。

 裏切り者であるアン・ディール(アッシュ・ワン)が火を好んでいたのを思い出す。

 同時にカルデアでの数年の生活を思い返す事で、彼女をまだ友人のカテゴリーに入れている自身の執着心に呆れ返し、だからこそ自分の手で狩り殺したいと餓える狩猟欲求(ショウドウ)を自分自身の感情だと大事にしている。

 焚火は悪くない……勿論、良くもないが。

 そもそも所長はヤーナムで過ごした時間が余りに長過ぎ、焚火に良い思い出は全く無い。

 火を起こせば薪は燃え殻となり、そして灰となり、何時かは風に吹かれて消えてしまう。

 

「……………」

 

 灰の名の通り、記憶から風化してしまえば気も楽なのに、アッシュ・ワンは太陽のように凶悪な人間だった。

 

「………はぁ」

 

 古都での焚火の薪は人間だった獣。磔にされた獣が焼かれ、纏めて焼死体が焚かれていた。死臭が漂う煙を良く嗅ぎ、所長の嗅覚は生き物が生きたまま焼かれる強烈な悪臭になれてしまった。尤も所長は敵対する相手を一度は焼き殺してきた為、むしろ獲物を焼死体にする側の狩人であったのだが。

 

「で、貴方。冬木で私達と会ったのは覚えているのよね?」

 

 独り言として火に焚べられる筈の言葉。彼女の横でそれを聞く人物が一人おり、静かに火を眺めて居たかった所長の意志を乱す存在が口を開く。

 

「勿論さ。殺せなかった相手を忘れる程、殺し合いに淡白ではないぞ」

 

「それって私からすると2、3カ月前の出来事なんだけど、貴方からするとどの程度前の事なの?」

 

「―――鋭いな、貴公。違和感に賢しい者は、実に好ましい。

 正確な答えは私も定かではないが……そうだな。確実に言えるのは、彼是千年以上は前だ」

 

 世界間を自在に渡る悪魔に時間軸など存在しない。千年前も二千年前も、現在からすれば昨日のこと。

 

「まぁ、そうでしょうね。そんだけ技量が上がってれば、他人の業に無頓着な奴でも気が付くわ。

 霊基を透視しても前と変わらずに、その……それ――殺戮技巧がランクEXってなってる。けど評価限界を超えたEXランクは、その中でも更に多寡がピンキリですものね。

 どれ程の、数多の世界の人々を殺して来た?

 何人の魂を、その魂で貪れば―――英霊の座そのものに匹敵する魂なんて、持てるのでしょうね?」

 

「魔術回路と同様に、殺した相手が魂に保持していた霊基と言う概念を己がソウルに組み足してみたが、敵に計られてしまうのは問題点だな。

 故にしかと隠している筈なのだが……―――いや、内側の瞳による啓蒙か」

 

 灰と同じく、そもそも魂が一つの世界―――あるいは、人型の地獄となった存在。

 真性悪魔や妖精は異界常識を持つも、悪魔殺しはそう言う存在ではない。固有結界としての心象風景を抱いているのではなく、本当に限度なく、世界を貪る悪魔として魂が濃密に深まってしまう。

 

「なによ、知ってるの?」

 

「ヤーナムには幾度か訪れたことがある。彷徨している内にな。貴公は、あの部類の不死だったな……」

 

 人間からは獣血の虫が湧き、上位者には神秘の虫が寄生する。内側から生まれる血液の虫に溢れ返った血腥い古都は、悪魔からしても冒涜的悪夢であった。

 しかし、まだ不死の無価値さを知らない。それを彼女は理解しているようであるが、まだまだ遠い未来の絶望であり、だが不死故に明日も千年後も本質は同じ未来に過ぎない。実感としてソレを味わえば、そもそも人理になど欠片も興味を抱く筈もない。

 ならば、この不死には不死の末路を語る意味がある。どうせそうなる故に未来の話に価値はないと悪魔は理解していたが、何れ成り果てる魂には無意味ではないとも解っていた。

 

「……オルガマリー・アニムスフィア。我らと同類なら、やがて貴公も分かることだ。惑星が消失し、宇宙が冷却し、時間が崩壊し、それでも尚―――死ねぬと理解する。

 眼前に映る全てと、自分自身に、何一つ価値がないと理解する。

 その時にやっと我々のような愚か者は、無価値極まる使命の意味に気が付く。己が心を折る事が出来ない者に、人生における達成感と満足感と、生死の充足を与え、永劫に生きる魂から己が意志を脱却させる最後の手段だと。心をな、やっと失うことがその時に出来る。

 亡者としてでもなく、死骸としてでもなく、魂が霧となって心が―――灰となる。

 数や時間など価値はない。何故ならば、徹底して全てが無価値であり、どのような事をしても一切合切が無意味であるからな。

 分かるだろう―――繰り返すのさ。無限に、永遠に。

 自分自身の全てが無価値であることに何故か耐えられてしまった、我らのような永劫の死骸はな」

 

「そう、分かったわ。全部覚えていて、でも全て如何でも良い位には、殺し尽くしてきたって訳ね?」

 

「その通りだ」

 

「じゃあ、何で貴方は存在してるのよ?」

 

 そこまで、自分にも世界にも価値を見出だせないなら、今直ぐにでも消えれば良い。

 

「理由などない。あの灰もそうだが、徹底して我らは無価値。同時に、無価値であるからこそ、何の意味もない目的を意志として抱いている」

 

「目的……―――アッシュは、強くなる事だって言ってたけど?」

 

「知っているぞ。私も似たようなモノだ」

 

「はぁ、どう言う事よ?」

 

「目的が善だろうが、悪だろうが……その目的に価値を求めていた輩では、この繰り返しには必ず耐え切れない。これまでの苦行、欲した何か……そもそも、そう願って動く自分の心と魂が、無駄で無価値だったと悟る時、意志がソウルから消えてなくなる。

 自分が自分で在る認識しないと存在出来ない魂では――駄目なのさ。

 この不死の業には耐えられない。やがて繰り返せなくなり、そう言うのは自然と繋がりも断たれ、私のような者以外は全員消え失せた。そんな無意味な繰り返しの中、更に何かに満足した場合も、それは生死を止める理由となるからだ。

 この世界で言う英霊のような煌く人間性……そうだな。自分の在り方、魂の尊厳と言った意志の持ち主はな、生きて為し得た何もかもが無価値である事には耐え切れないだろう?」

 

 世界を救いたい。人間を良くしたい。英雄になりたい。恩返しがしたい。誰かを愛したい。神々に復讐したい。人間に報復したい。敵を殺戮したい。安寧に生きたい。安らかに死にたい。

 全て―――無駄。

 愚かであり、無価値且つ無意味。

 神を恨む事に価値はなく、人を憎む事に意味はなく、魂が死ねない不死は徹底して何も為し得ない。そもそも他者や世界に何かを求め、自分以外を寄る辺にする時点で、何れかソウルは霧散し、魂から意志は風化する。

 何故ならば、如何なる結果に辿り着いても、またそれを永劫に繰り返すだけ。どんな動機を持とうと、本当に永劫を存在し続ける不死は、終わりなく全てを永遠に繰り返す。例え世界を救いたい足掻いたとしても、救った直後にまた世界を救い、不死はそれを何百何千何万と繰り返す事になり、あらゆる所業が人生に還らないと悟れるだけだった。

 

「成る程。分かったわ……うん。そう言う奴、私も一人だけ知ってるから」

 

 魂さえも死ねないのなら、そうなのだろう。無に還っても存在出来るなら、死が人生の結果とはならない。世界が終わっても存在し続けるなら、今のこの感情も無駄になる。

 自分と世界に答えがない―――と理解した時、その意志はきっと魂を抜け殻にする自己となる。

 オルガマリーは内なる瞳(インサイト)でデーモンスレイヤーの言葉を噛み砕き、やがてそう成り果てる自分への教訓とした。

 

「あぁ、あいつだろう。確か、狩人だったか?」

 

「会ったこと、あるの?」

 

「昔な。貴公らと邂逅した後、悪夢で邂逅した。その脳内にいる蛞蝓とは別の、夢の分身として活動する意志の幻影では在ったがな。

 故、殺し合う果てにこのソウルで奴を食したさ……あぁ、大変に美味であった」

 

「―――ハ?」

 

 ―――上位者(グレート・ワン)古狩人(オールド・ハンター)

 悪夢から生まれ出た悪夢が、新たな悪夢を夢見る瞳の絵画。悪魔は貪り尽くしたが、そもそもヤーナムが濃霧に呑まれたところで―――……夢だった。

 全てが死んで終わりに出来るなど、所詮は悪い夢に過ぎなかった。奴らと同様、真に不死であれば獣の霧に消えるなど、そんな救済は有り得ない。汎人類史から完全に隔離された古都で在れば、特異点にも異聞帯にもなれず、歴史に濾過される事も許されない。

 

「貴公の師は、良い魂の味である。生まれるべきではなかった無能者……狩人となる前は人以下の獣と扱われていた哀れな男だ。差別と不理解と理不尽で、心身を人間社会の手で苦しまれていたそこらに生きている普通の人間。

 つまるところ、私と全く同じ、悪魔や狩人になどそもそも為る必要のない常人の成れの果て。この世の英雄と比較する意味も無い程に、変哲もない一般人だろうよ」

 

 狩人にとって、生まれなど意志で作り変わる。記憶など、あの場所で目覚めてから全てあやふや。しかし、それは確かに人間だった証である。それがないのならば、病魔に打ち克つ為に古都に来る意味を失い、狩人の意志を持った価値が消えてしまう。

 オルガマリーは、だからオルガマリー・アニムスフィアで在らねばならない。

 夢見る前の不確定な自分自身が幻となって揺れ動くのも、自分以外の意志が融けた血液を流し込まれたからなのだろう。

 

「そうでしょうね。私だって、特別な存在じゃない。でも、耐えて、耐えて、何でも無い自分の意志なのに……誰だって不死はこうなるしかなかった。

 だから、英雄と違ってこんな様なのよ。

 私も師も、悪魔も灰も――――……皆、無様じゃない自分の存在を維持出来ない」

 

「残酷な事だ。だが、良いのだ……それで、全く良いのさ。私もそもそもは、人類救済と英雄願望を抱いて霧に呑まれた愚か者。今思えば、人が普通の日常を送れる世界などと、実に無価値な幸福を夢見た……只の、貴族の生まれのボンクラだった。

 生まれ故郷を救う為、デーモンと戦った結果が……逆に世界を滅ぼし続ける古い獣の奴隷兵。

 だがな、そう成り果てるのは誰でも良かったのだろう。私以外の誰でも良く……いや、そもそも魂に価値など無いのならば、最後まで戦い抜いた誰かが私だったと言うこと。

 英雄でも、救世主にもなれない只の私である故、きっと人知無能の悪魔で在る資格があった。だが殺戮によって人の魂を剪定し、より多くの世界を守るのならば、人道を踏みにじる悪魔で在らねば何もかもが霧散する」

 

「啓蒙……内なる瞳……下らない。本当は、下らない。どうせ、見えてしま得るだけだ。私は如何でも良い。貴方の魂が見せる夢も、私にとって愉しいだけの過去の絶望でしかない。

 ……不死に魂の在り方など、存在しないのだもの。

 どんな悲劇を愉しもうとも、全ては泡沫の夢じゃない」

 

「それを理解したならば、分かるだろうに……貴公を悪夢に導いた狩人も同じだと。何故、貴公がアン・ディールと名乗った火の簒奪者に執着してしまうのかを。

 上位者となって人道を解し、初めて人間性を啓蒙された哀れな狩人であり。

 不死への探求に失望し尽くし、だが灰として絶望を焚べる呪われ人であり。

 尤も、私も奴隷に成り果てた末、この様を幸福だと悟る惨めな悪魔だがな」

 

 語るまでもない結末だった。世界を救おうとボーレタリアに挑んだ男は、獣の眷属となって数多の世界を滅ぼす尖兵に成り果てた。

 これを無様と言わず、何と呼ぶ?

 オルガマリーもこんな過去を瞳で暴かなければ……だが、きっとマシュも感じていたのかもしれない。何かの為に世界を滅ぼし続ける運命を、たった一人で背負い続ける故に、彼は人間ではなく悪魔となってしまったのだと。

 

「生まれも、過去も、今は関係ないでしょう」

 

 だが理解して尚、オルガマリーは瞳に情を宿さない。今がそう在るのならば、過去の意志は血となってその者の運命を動かす生きる活力となっている。

 関係がないとは、そのまま正論。結局、どんな過去を抱いて悪魔がデーモンになったのだとしても、そう成り果てたのなら既にもう価値のない物語である。踏み止まるべき最期の一歩を進んだのなら、誰であろうともデーモンになるだけの宿業だった。恐らく、悪魔殺しのデーモンになれる人間ならば、彼を不死の因果律に引きづり込んだ者は誰でも良かったのだろう。

 

「人でなしになったなら、それはそう言う意志に至った魂と言うだけ。ただの言い訳。人殺しになってまで、人間は人間を救おうなんてしなくて良いのよ。

 自分の生命や生活の為に人を殺すのなら歴史の営みだけど、社会貢献の為に殺戮なんてするもんじゃない。地位と名誉と称賛を得てこその英雄願望であって、無欲であれば本当に……本当に、自分で自分を憐憫する程、自分自身の人生に何も返ってこないのだから、終わりも来ない。

 私や師の様に、自己完結した自己中心的な求道者でなければ……自分の外側に、自分の価値を求めるような者は、どうせ最後は自分自身に裏切られる」

 

「その果てが、この末路。無論、実感しているさ。誰も帰って来れないあの国の霧を進むとなれば、その先にあるのは自分の破滅だけと。世界を救っても、自分の人生に返る幸福は存在しない。無価値な生涯として幕が閉じるのだとしても、その終わり方で故郷が救われるなら無意味ではない。

 だから、あの時はそれで良いと―――決めたのだ。

 誰かが成し遂げなければ、何もかもがゆったりと死に絶える未来しかないならば、私だけでも最期まで足掻き続けてみようとな」

 

「ふん………―――ッチ。屑の癖して、人間らしい在り方ね」

 

「ならば、私はそのままの意味で人間の屑で在ると言う事さ」

 

 視線を悪魔に向けず、彼女は焚火を見詰めていた。獣が焼かれる死臭を幻覚し、自分の血肉が焦げる悪臭を思い出す。

 やはり―――火は、狩りの道具に過ぎない。

 左手に持つ松明で獲物を面白半分で焼き殺した過去に対し、彼女は何の罪の意識も持たない。相手の顔面に火を押し付け、体中を高熱で焦がし、拷問するように弄り殺す。相手が血に酔う狩人であっても、そう言う縛りを科した狩りも一興だった。狩人ならば誰もがする娯楽だった。悶え苦しみながら、身を捩って焼死する獲物共に狩りの悦楽を覚えても、そこには一切の同情がなかった。

 

「……………」

 

 自分が投擲した壺で油塗れになった獲物に火が付き、絶叫を上げて死に絶える様を初めて見て時、オルガマリーの意志に何が芽生えてしまったのか?

 狩人は余りにも――罪が深過ぎた。

 悪夢に囚われるとは、今までの人間性に別れを告げる事だった。

 

「しかし、貴公は人のことを言えるのかね?」

 

 その全てを―――悪魔は見透かしている。

 あらゆるデーモンの中でも、この悪魔殺しは更に悪魔的だった。

 

「言えるわ。だって、私は貴方と同じだもの。自称健常者なら、悪魔の貴方に人間らしい屑の部分なんて見えないでしょう?」

 

「フ。確かにな……あぁ、尤もだとも」

 

「鼻で笑うな。狩るぞ、殺すぞ……ってか、発狂されるわ」

 

「怖い女だな、貴公。しかし、その気の強さがなければ、カルデアなどと血腥い組織の運営など勤まらんのだろう」

 

「残念ですが、私の組織は健全そのもの。社会保障も充実し、残業代もきっちり払います。今は倒れるまで働いて貰ってるけど、意識不明の重体者も私の御薬で元気一杯邪眼凛々よ」

 

「なるほど。良い草を栽培しているようだな」

 

「カルデアは治外法権の国際組織ですからね」

 

 所詮、魔術師が運営する魔術工房。本質的には何でも有りである。法律などなく、オルガマリー・アニムスフィアが全ての規律であり、且つ規範となる。

 

「ふふ。だが、良いさ。深刻な話を馬鹿話として愉しむなど、貴公や灰や、後はあの狩人程度としか出来ぬ娯楽故な」

 

「物事に軽いも重いもないのよ。全ては意志一つよ」

 

「それもそうか。であるならば、私のソウルを見抜ける貴公は、私の過去もまた啓蒙されていることだろう。無論、私もそれは同様。よって貴公が歩んだ日常が如何に血塗れの毎日だったとしても、眠りに付くの前の世間話として聞くのも一興だ」

 

「何よそれ、私相手にナンパかしら? 

 悪魔に似合わない……いや、無駄なに美形な貴方の顔には似合ってると言えば、似合っているけど」

 

 美形だと皮肉交じりに褒められ、悪魔は苦笑する。心底から本当に(ソウル)を奪われた相手は目の見えない女の悪魔(デーモン)であった為、そもそも悪魔にとって自分の見た目など最初から徹底して無価値であった。

 だが今はあの火防女(デーモン)の代わりに、この悪魔は古い獣と共にいる。そう考えれば、古い獣から彼女のソウルを奪い取った間男に自分がなることを、彼はオルガマリーと語り合うことで思い至った。

 

「クク……焚火を前に、語り合うのが人間が行う人付き合いの良いところだ」

 

 中身のない暗い笑み。その口から洩れる言葉は浅いが、だからこそ隠れた意味合いによって重過ぎた。

 

「別に私は幾ら貴方の美貌が優れてるからって、人間の顔の造形に欲情しないわよ?」

 

「だろうな。扁桃体(アミグダラ)の貌や、蕩けた柘榴の貌を美しいと思う貴公の事だ。あるいは、何も無い暗い穴の無貌もな。

 もはや、人間の美意識など名残り程度だ。

 そう言う意味では、まだ悪魔の方が狩人よりも人間味があるのだろう」

 

「ふぅん。その口ぶり、食べたのね?」

 

「美味だった。デーモンとはまた違う風味がする。狂人が崇め奉る神であれば、我が獣性にも良い刺激となることだ」

 

「だったら、きっと貴方の意志も狩人からすれば至高の法悦でしょう。

 ……それこそ、生きる活力が湧いてしまう程に」

 

「是非とも、死を繰り返した果てに悪魔を狩り給え。貴公らからすれば、手慣れた食事のマナーだ」

 

「冬木では兜で見えなかったけど、その御綺麗な貌だとマナーに沿った振る舞いはさぞ映えるでしょう」

 

 男にも女にも見え、その両方にも見える奇跡的な悪魔の顔立ち。普段は兜や装備品で貌を隠している悪魔の騎士だが、暗い夜の中、焚火の光に足らされる今は暴力的なまでの美貌を更に深めている。同時に、陰鬱な負の魅力にも満ちてもいる。神か遺伝子か、又はその両方が何かの偶然でデザインした芸術品だとオルガマリーの瞳は啓蒙し、だが一切彼女の意志には響かない。

 

「貌は生まれつきでな。とは言え、兜を被っている方が私は性に合っている故、そこまで自慢できる顔立ちでもない」

 

「はぁ……」

 

 男性的でありながら、女以上に女性的でもある美貌を持つ悪魔の厭味を彼女は軽く聞き流す。本題に入る為には、彼女の方から斬り込まないとならない。

 

「……埒が開かないわ。貴方の目的は知ってるのよ、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の騎士」

 

「ほう」

 

 重く溜め息を吐く所長に、悪魔は綺麗な貌で微笑んだ。元から綺麗なのは真実であろうが、デーモンとなった今では人間の限界以上の美貌を持ち、人の正気を容易く削る暗い麗しさに溢れている。老若男女関係無く、悪魔は顔一つで人の魂を貪るデーモンでもあった。

 それを前に、所長は瞳を蕩けさせる。

 悪魔に魅入られたのではなく、その意志を喰い込むように見詰めている。

 

「―――古い獣狩り」

 

「正しく―――」

 

 それを、悪魔は即答した。

 

「隠さないのね。その気になれば、無色の霧で何でも隠せるのに。根源を覘く千里眼だって、貴方の濃霧を見抜けないでしょう?」

 

「貴公ら狩人の瞳の前では、とてもとても。尤も、貴公程度ならまだまだ曇らせられるのだが」

 

「へぇ……?」

 

「貴公の師である夢の狩人と比較すればな。だが、安心して欲しい。人類など所詮、蛞蝓にも劣る知性体であればこそ、神でさえ不可能な所業に挫けることもない」

 

「良く言う……下劣な獣の悪魔風情が」

 

「蛞蝓の台詞とは思えんが。だが、獣と比べればまだ上等だろう」

 

「―――ッ……蛞蝓ね。私を、蛞蝓と呼んだな?」

 

「貴公が召喚したサーヴァント……あぁ、あの忍びではないぞ?

 一番最初に呼び出したそれに脳髄に寄生され、もはや心象風景を悪夢で塗り潰されてしまっている。貴公は確かにオルガマリー・アニムスフィアなのだろうが、同時にマシュ・キリエライトと同じデミ・サーヴァントもどきでもあるようだ。

 しかし、彼女と大きな違いは……物理的にも、貴公は変質してしまっている。蛞蝓も、貴公の脳の内側に存在している。

 サーヴァントの力を持ち得ながら、貴公はサーヴァントではない生身の人間だ。サーヴァントであるのは、その内側に寄生する精霊を超越する蛞蝓に他ならない。そして、その蛞蝓はサーヴァントと言う匣を利用して霊体を送り込んだだけの、狩人本体の分身でしかない」

 

「貴様……ッ―――」

 

 所長は、誰にも悟られた事のない真理を告げられる。見破られている事は理解していたが、悪魔から直接言われることで殺人衝動が意志を魅惑する。

 

「彼が鳴らす小さな鐘の音が、脳内より聞こえるのだろう?」

 

 だが、一瞬で殺意を抑えた。表層の真実ではなく、悪魔は本当の意味で真理を解していた。それを理解した時、オルガマリーもまた真理を啓蒙される。ならば、殺意など価値はない。狩るべき獲物でもなくなった。

 

「――――――ふぅ……で、それがなに?」

 

「いや、特には。純粋に、何故その蛞蝓を殺さないのかとな?

 べたつく蟲が脳内にいるのは気色悪いだろう。業を抱く今の貴公なら、そもサーヴァントの能力など無用。そして、必要となれば自分専用の霊基など容易く脳髄より啓蒙されるだろうに」

 

「あぁ、そう言う……成る程。言い回しが誤解を生むわよ?」

 

「そうかね。その気になれば頭蓋に手を突き入れ、そのまま蛞蝓を内臓を抉るように摘出可能だと思い至ってな。

 好きでそのような上位者の叡智に心身を犯された肉細工(オトメ)を演じる必要が、そもそも貴公にとって価値のある状態なのかと。私は良く貴公の情緒を理解出来ず、疑問を抱いてしまった」

 

 その問いは、正しい意味でオルガマリーの理解者だから可能な事だった。カルデアにいる時は灰もそれを分かっていたが、あの灰は逆に答えも同時に理解していた故に問わなかった。人格を理解する事と、意志に感応する事は、全く意味が違うのだから当然ではあった。

 

「―――必要だからよ。

 狩人の業を全て継承するまで、師が私を利用する代わりに私も師を利用する。要らなくなったら、最期は意志を受け継ぐ為に狩り殺す」

 

「隠し事はいけないな……―――だが、良い女が持つ秘密は甘い香りを漂わせる。それもまた貴公の魅力なのだろう」

 

「不死同士なんてそんなものよ。師の良い様に、私の体を好きに使えば良いだけのこと」

 

 暴かれたことに嫌悪も羞恥もない。人に臓物を曝け出しても何も思えない彼女にとって、その程度の秘密は知られても損はなかった。

 しかし、反論はしなければならない。

 正確に言えば、相手の秘匿を曝け出させなければ、瞳が疼いて仕方がない。

 

「けれども、古い獣狩りねぇ……良く言います。何回も繰り返し、幾度も繰り返し、延々と永遠の中で、殺し続けた後でしょうに」

 

「無論。既に、狩りは行われた。この身は名の儘、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)で在るならば、相手が神なる獣であろうとも殺せるのは道理」

 

「だけど―――滅ぼせなかった。

 魂を完全に殺した程度では、獣の滅びは許されなかった訳ね?」

 

「あぁ、そうだ……――――」

 

 所業を振り返る。悪魔は眠り続ける主の姿を脳裏に描き、それを殺し続ける自分の過去を幻視する。

 

「―――私は古い獣を殺した。

 何度も殺した。何千、何万、何億……分からない程に、一日に百度以上殺す日々を何千年も過ごした。元よりデーモンとなったこの身を更に肥やし、滅ぼすべき古い獣の眷属になったのはあの獣を殺す為だ。

 ……だが結果として、獣は滅ぼせなかった。

 本当の意味で、あれは全ての魂にとって神となる獣であった」

 

「獣の眷属とは名ばかりね。貴方のその魂、使徒として仕える筈の神を貪り続けたから、本当に宙と同等になってしまってるわよ?」

 

「だが人類は宙に手を届く。そしてデーモンとなろうとも、人では獣を滅ぼせない。故に人でしかない私でも獣は殺せるが、その魂を死なせられなかった。

 ならば如何に強力なソウルに深化しようとも、この強さに価値はない。鍛え上げた業に、価値などなかった。そもそも鍛え上げる為の意味さえなかった」

 

 しかし、そんな諦観も価値はない。悪魔は正しく人も獣も理解していた。悪魔の魂(デモンズソウル)を求めるのも、結局は人間だと何度も悪魔は見続けていたのだから。

 魂を滅ぼすのは―――ソウルではなかった。

 生きようとする魂の意志を殺さねば、ソウルは永遠。

 心を折らねばならない。存在理由しかない獣の意志を砕くには、人間の無意味さを武器にするしかない。

 

「だったら、何も無くなるまで殺し続けるしかないんじゃない? まぁその結果が、今の貴方なんでしょうけど」

 

「然様。喰らえど喰らえど、あれは甦る。ソウルを貪って完全消滅したところで、何も無い零から魂が蘇生する。獣に仕える使徒であるが、もはや我が魂は主となる古い獣よりも肥大化してしまっている。

 ……とは言え、我が身も同じで在るがな。

 不滅を超えた先にある不死の理。故に我ら不死、魂が生じた根源にさえ居場所がない」

 

「―――まさか。根源って……貴方達……」

 

 不死と根源。死なない者共が辿り着く必要がない魂の帰るべき外側。

 

「理解が早くて良い女だよ、貴公。そんな存在がもし、魂だけが溢れる外側に気が付いたらどうなる思うかね?」

 

「理性のない獣だから、貴方を眷属にした獣は世界を濃霧で覆って食事をするだけ。でも、この世界と言う箱庭からそんな魂が抜け出してしまったら……その場所で、際限なく魂を食べるわね」

 

 オルガマリー・アニムスフィアは世界の真実を啓蒙された。瞳が強引に彼女の意志を啓蒙した。

 滅ぼさなければ、人の魂がある外側が―――餌場になる。

 

「あぁ。故に私は、我が主の腹が空けば食事の準備をしなければならなかった。食材となる人間の魂を食べる世界へと導く使徒となり、世界を滅ぼす無様な獣の眷属とならねばならなかった。あの獣を放っておけば、魂の赴くままに最後の場所に辿り着くのは明白だった」

 

「でも、そうなるかなんて分かるものじゃないでしょう?

 そもそも外側には時間軸がないから、その獣が世界から生まれた時点で根源から魂がこの世界に流れ落ちる訳がない。矛盾が生じる。

 だったら、そこまで進化するって考える方が―――」

 

 同時に、瞳でも啓蒙出来ない未来がある。悪魔の語る真理は見通せるが、悪魔と古い獣は霧が掛ったようにまるで分からない。

 そして、分からないと言う事は確定していないと言う事。

 

「獣に因果律は存在しない。未来も同様に今は存在しない。同時に、根源よりソウルが消え、全ての世界が消えたとしても、保険はもう私が作ってある。

 私と灰の企みが潰えようとも、どう足掻いても人間の魂は獣から救われる。この今の世界の魂が、あるいは既にソウルの業より描かれた魂では無いと言う保証はないのだぞ?」

 

「あ……っ――え、は?

 待て、待って、待ちなさい。だったら、それじゃあ、そもそも延々続くだけじゃない。悪夢と同じで、終わらな……………まさか?」

 

「人理などに私は手を出す意味はない。だが、獣より魂を救う邪魔をするならば、この世界の人類史を容易く濃霧に飲み干させるだけだ」

 

「でも、それじゃあ……この人理じゃあ結局、灰も貴方にも手を出せない」

 

「無論。故に、結局は何者かの意志で剪定が行われる」

 

「―――ふざけないで!」

 

 全て、無駄ではないか?

 何故、価値がないのか?

 

「仕組まれていて……ッ―――七柱の獣も、じゃあ人理にとって利用価値のある益虫でしかない。

 真に害獣となる古い獣を滅する為に用意された生贄で、人理焼却も所詮は舞台装置の茶番劇に堕落する。私がカルデアの所長になったのも、あの灰と貴方を邂逅させる為だけの……」

 

「この平行世界の、貴公らの人理は選び取ったのだろう。他の数多の汎人類史が繁栄する為になら、この人理が古い獣と七柱の獣の餌になることも厭わなかった。

 何せ灰と私が会わなければ、やがて全ての人理が消え去る定め。

 故に、全てが偶然。この人理が滅びなけれならない理由はなく、しかし必ず何処かの世界の人理は古い獣を滅する為の贄となる必然が存在した」

 

「狩人……ッ――――あいつ、あの蛞蝓……全部知ってやがったのね……!」

 

「然様。故、貴公の呼び声に応えたのだろう。それも理由の一つ。同時に、貴公が自分にとって最高傑作と呼べる愛すべき弟子となるとも、未来が見えていたのも事実。

 ……言った筈だ。獣の霧は瞳を曇らせる。

 未だあの狩人と比較すれば未熟な貴公の脳髄では、未来が存在しない私の因果律を読み取れぬ」

 

「そうだったら……貴方も、古い獣と同じ存在ね。因果律がないのだったら、もし貴方が根源に至ったら魂を全て自分のソウルに捧げる可能性もある。

 それとも、そうならない自信があるのかしら?」

 

「いや、必ずなる。既に私がそう言う存在であり、獣と同じ悪魔であるからな。つまるところ、デーモンとは人と獣の魂が混ざった写し身でしかない存在。既に死んだ人間としての遺志がそのソウルから消えてしまえば……悪魔でしかないこの私が何を求めて世界を彷徨うい続けるのか、容易に答えを導き出せる。

 だから何時か私もそう成り果てる前に、人々が暮らす数多の世界を幾つも滅ぼしても、やらなくてはならない―――責務がある」

 

 貪欲なる悪魔を突き動かすのは―――使命感。

 最初から抱く理想は、悪魔を打倒する英雄に相応しい。濃霧に沈む世界を救いたいとボーレタリアに挑んだ勇気と希望。正しく言えば、より良い明日を欲した人間としての在り方。

 獣によって終わってしまった世界を変えたくて、周囲の人々の幸福を願った筈だった。その意志がなければ悪魔となり、好きな女を踏み躙ってでも、獣になど仕える訳もなし。

 

「灰の目的は私と同様―――古い獣の死。完全なるソウルの封印だ」

 

 だから、灰の行動は全て上手くいく。人理以前に、あらゆるソウルにとって彼女は問答無用で救世主であった。悪魔でさえ獣狩りは出来ないと諦観していた全人類の延命処置を、完璧な形で補完する灰の理念がなくては、そもそも人間の魂は全てが未来の何処かで消滅する。

 根源より、消え去る――運命。

 時間制限がある全滅より救われるには、灰の計画しか魂は残されていない。

 

「あの女……いや、何であれ裏切り者を狩るのはカルデア所長の責務。人理保証の為、貴方たちの獣狩りは利用させて貰いますから」

 

「構わん。灰も所詮は狂気を好む学術者。貴公らの企みも一興であろう。勿論、私も殺し殺されを愉しめる貴公の愉悦に、我がソウルを玩具されることも拒絶はせんよ」

 

「あっそ……」

 

 オルガは、悪魔のその様に納得する。一生を何百何千と繰り返す程に悩み抜き、悪魔は世界を濃霧に沈める拡散の尖兵となった。悪魔が現れた先の世界は色の無い濃霧に呑み込まれ、古い獣を先導する人類史の天敵となってまで、彼は人類のソウルを今も守り続けている。

 それが悪魔殺しの悪魔の―――デモンズソウル。

 獣の霧に貪られた意志無き魂はきっと、今も彼のソウルとなって蠢いていた。

 

「……まぁ、獲物が増えるのは狩人冥利に尽きるわね」

 

 オルガマリーは自分が狩人で在ることに、僅かばかりに失望していた。狩りを愉しめるのは狩人の業を極め続ける狩人だからこそだが、狩人でなければ―――デモンズソウルを啓蒙されることもなかった。

 古い獣から全てのソウルを守り続けてきた悪魔を、この手で殺さねばならない。

 やがて、そう成り果てる未来の自分と同じ存在をオルガマリーは、人理の為に利用し尽くさないといけない。彼女は狩人で在る故、何もかもを理解した上で獲物を狩らねばならない。

 

〝無知が罪なら……狩人は、その罪科だけは背負わなくて良い。

 けれども、見てしまった真実を全て知り、狩り殺してきた全ての意志も背負わないとならない”

 

 その思考を、オルガマリー・アニムスフィアは正しく理解した。決して、目に映らぬ何者かに啓蒙されたのではなく、彼女は彼女自身の意志で悪魔が抱くデモンズソウルを理解した。

 だから、同情など出来やしない。

 憐憫を態度に出すなど獣の所業。

 彼の末路を肯定出来る訳もなし。

 狩人であるオルガマリーは、悪魔の意志を知識として実感するだけで良い。

 

「それに貴方たちみたいな獲物って、私は―――好きよ」

 

 灰も悪魔も、オルガマリーと変わらない。その意志は近しい意味を持ち、きっと魂に価値はない。彼女は自分と同じ無価値な在り方を、果ての無い不死の人生で永遠に嫌う事が出来ないのだろう。

 

「そうかね。なら、後悔なく血に酔い給え」

 

「ええ。遠慮なく、狩らせて頂きます」

 

 悪魔は、故に狩人を好むのだろう。自分のようなデーモンに狩りの感情を叩き付け、その無価値なソウルを極上の獲物として愉しんでくれる貴重な隣人であるならばと、彼は眼前の狩人に微笑んだ。

 その笑みを見て、彼女はやっと気が付いた。

 どうして、裏切り者に過ぎない灰にここまで執着してしまうのかと。

 

〝貴女が世界を、自分の業で救うと言うのなら――――私が救う。貴方の願望を狩り取ろう”

 

 その時に見せる灰の意志が、オルガはただただ愉しみだった。悪魔と語り合った後、ベッドの中で夢を見るには、とても良いローマの夜だった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その日、オルガマリーは滅びた古都の悪夢に迷い混んでしまった。血塗れの獣が燃えた後、白い小人に覆われる悪夢から目覚めたのは診察台の上であり、着たこともない衣装を身に付けていた。そして、何故か直ぐ側には、何時書いたかも知らない直筆の意味不明なメモ書き。

 

「わたし……私は、一体……あれ?」

 

 此処が何処で、何故こうなっているのか、彼女は何も思い出せない。覚えているのは自分自身の事と、直前までの出来事。聖杯戦争について調べていた父親の資料より、とある儀式魔術を行ったことだった。

 しかし、それも失敗に終わった筈。魔法陣から出て来たのは、座に召された英霊のサーヴァントなどではなかった。

 強いて言えば、あれは―――蛞蝓だ。

 両手で抱える程の大きさの蟲。両目もなく、口さえなく、先端から生えた触手を蠢く細長い生命体。けれど、オルガマリーは確かにその冒涜的な存在に見詰められ、脳味噌を愛し気に絡め舐められ、瞳で視認されたと理解して―――

 

「オルガマリー……貴女は……私は、生まれるべきじゃなかった……―――は?

 いえ、いいえ、馬鹿なことを。私は意味不明なことを、一体私に向かって何を言っているんだか。誰かに精神干渉の魔術でも掛けられたとしか思えないわね」

 

 ―――恐怖を、魂で覚えてしまった。

 あの蛞蝓の蟲は確かに、彼女を愛し気に笑っていた。その事をオルガが悟った瞬間、そこで記憶が途切れているのを今この時に思い出した。

 チラリ、と彼女は周囲を同時に見渡す。ふと視界の端に気になるものが映る。メモの書かれた小さな紙が一つだけあった。

 

青ざめた血(ペイルブラッド)……――なによ、それ?」

 

 けれども、脳に煙が満ちる。その単語が霧に曇る。概念を理解してはならず、知識を獲得してもならない。しかし、まるで脳内に蟲が寄生したかのように疑念が蠢く。思考回路が蕩け炙られ、ふやけてドロドロと腐って逝く。頭蓋骨の中身が腐肉となる感覚は、苦痛に慣れ親しみ、苦悶を隣人とする魔術師だろうとおぞましい。神経が自分とは違う生き物に創り変わる違和感でもあり、血液から蟲の卵が孵る異物感で口から内臓を吐瀉したい気分となった。

 ―――ぷるり、と脳味噌が振れる。

 視界も一緒に揺れ動き、脳髄が豆腐やプリンみたいになった錯覚に襲われる。

 何もかもが惨たらしく歪み、視界に映る全てが肉塊と内臓の和え物になったように幻覚し、獣と人間の悲鳴を幻聴し、周りの床と壁と天井にびっしりと白い小人が生えていた。

 

「なによ、これ?」

 

 瞳が脳味噌を直接視る為に裏返り―――……ハァ、とオルガは吐息を溢す。

 血腥い息が鼻の穴に侵入し、鼻腔に自分の血臭が満ちる。何故か人間の温かい臓物を素手で鷲掴みにしたい渇望が湧き、その瞳がグルリと元の位置に戻った。

 

「分からない……ッ―――解らない、判らない、ワカラナイ!」

 

 爪が頭皮に突き刺さり、だが構わずにオルガは髪を掻き回す。白色に近い銀髪が赤く染まり、彼女は頭から段々と黒ずんでしまう。悪夢を見ている気分になっている所為か、痛みに対して彼女は非常に鈍感になってしまい、顔まで流れ落ちる血液に気が付きもしない。

 

「何なのよ!! 一体これは!!!」

 

 混乱の余り、内心から言葉が独り言として遠慮なく漏れ出てしまう。いや、もはやそれは回りの世界に対する憎悪を込めた叫びであった。

 しかし、返答は一切ない静かな儘。

 何故か、扁桃の頭蓋骨を幻視する。

 されど、瞳を膿む蜘蛛が空にある。

 そして、蛞蝓が血流を流れる錯覚。

 同時に、白い小人が四方に溢れる。

 加えて、蟲が血管から這い寄った。

 気が狂いそうになるのに、発狂したい精神が狂っていて、理性を失う事さえ許されない狂気。精神が死に耐えれば、人は狂気を寝床に安楽を得られるのに、彼女にはそんな居場所さえ絶対に許されない。

 

「オエェ……ヴ、オ……ゲェェ……ッ―――!」

 

 血を吐いた。赤色の胃液の中に、蛆のような湧いた赤黒い虫が混ざり堕ちていた。子宮の中を漂う精子のように、体全体を揺らしながら血溜りの中を泳いでいた。這い蹲った彼女は力が抜けてしまい、顔面を自分の血痕の中へと沈め―――笑った。

 顔中を、自分の吐血で赤く化粧する。

 血中の虫が、また彼女の瞳へ這い潜り込む。

 口に中にも跳ね戻り、虫が血管の中を泳ぎ始める。

 起き上がる気力は湧かず、彼女は四つん這いになって獣のように悶え苦しんでいる。

 

「ヒ。ヒヒ、ヒヒヒヒャッハハハハハハ……夢よ、これは夢だわ……私はきっと、まだ儀式の最中だったもん。起きなきゃ、だから早く起きなきゃ……起きて、魔術を勉強しなきゃ……お父様に認めて貰わなきゃ……いけないんだもん」

 

 赤い涙を瞳から流した。絶望が魂を支配した。魔術回路の中を穢れた虫が泳いでいる。臓器が全て蛞蝓のように蠢いている。血管の中を蟲の卵が舐め回している。

 

「許して……許して……ひっぐ、ねぇ許してよぉ……」

 

 赤い貌を沈めている血溜りが、流す涙で広がった。診察室の床を、更に赤く汚染した。

 言語は狂い、精神も狂い、感覚も狂う。オルガマリーそのものが歪み出し、現実と悪夢が混ざり始まる―――だが、決して狂気に逃避は出来なかった。

 

「……ここから、許して―――」

 

 血色の床より湧き出る白い小人が、愛し気に這い蹲る彼女の頬を撫でていた。触れられる度にオルガマリーの脳味噌が震えてしまい、狂気から強引に目が覚めた。心を失いたいのに、正気へ戻ってしまった。

 

「――――――――――ッ……こんな、こんなのって無いよ」

 

 召喚してしまった蛞蝓を憎んだ。あんな存在を英霊として呼び寄せる人理を恨んだ。こんな悪夢を生む世界など、さっさと滅び去ってしまえば良いと思った。オルガマリーは罵詈雑言の嵐を吐き出す事も出来ず、意志が強烈に固まり出した。

 殺さないと……この悪夢の元凶を―――狩らないと。殺さないと。

 白い小人が使者(メッセンジャー)なのだと、オルガは知識を狩りの意志と共に啓蒙された。その使者が月に代わり、狩りの意志を彼女に流し込んでいた。

 

「青ざめた血……ペイルブラッドを……―――え、は。それは何?」

 

 見たこともないそれを、狩り殺さないと。彼女は自分から湧き出る疑問さえ狩り、殺意の一心で意志が凝固する。

 瞬間、誰かの記憶が脳髄を過ぎ去った。

 生まれるべきではなかった無能者―――オルガマリー・アニムスフィアの生まれ。同時に、彼女と契約で結ばれた蛞蝓の人間だった頃の思い出。

 

「なに、コレェ……?」

 

 彼は上位者(グレート・ワン)となって狩人になる前の、人として生きていた時代の記録は取り戻したが、そもそもヤーナムに辿り着く前から人間扱いなどされた試しは一度もなかった。

 家族のような人間からは良く、赤子の時に死んでいた方が親孝行だった奇形児、くたばれ障害野郎、早く死ねば良いのに、最初から見世物小屋で生まれていろ、アンタなんか生むんじゃなかった、殴ると気分が晴れる塵、生きるならせめて苦しみ続けろ、どうせ地獄に堕ちるなら面白い貌で死ね。

 そう言われて生活していた男の、生まれるべきではなかった無能者としての思い出。夢の狩人とは、正しく彼にとって初めて得た人間性だった。蛞蝓は古都ヤーナムに導いてくれた全てに感謝し、そしてヤーナムを生み出した先達全てが恩人だった。

 

「わたし、は……生まれるべきじゃなかった? どうして、お父様……どうして?」

 

 記憶が混合する。そもそもオルガの意志程度で耐えられる啓蒙的記録ではない。思索など禁忌に等しい過去の振り返り。

 ―――だから、殺した。家族は皆殺しにした。

 恨みはなかったが、慈しみもなく、ヤーナムまでの旅費が彼は欲しかった。輸血される前は脳に障害を持っていたが、それ故に人間だった頃の彼はまことに合理的に過ぎる。ある意味、知性の権化だ。生存に必要なことのみを、感情を失くして行う人型の昆虫に過ぎなかった。最初から虫の意志を持って生まれ出た人間だった。

 不幸を不幸と思えず、虐待されようとも何も思えず……だが、必要となれば直ぐに獣は狩り殺す。

 恨み方を理解出来なかった。憎悪を知れなかった。白痴の意志に啓蒙されたのは、目的が只一つ。

 生まれが、そもそも病の犯されていた。不治の病魔に侵されている赤子だった。家族だった人間達が何時も無表情な狩人になる前の彼を、人外の者として扱う理由も良く分かる。

 

「違う、違う違う違う……私はオルガマリーだもん……でもなんで、私はオルガマリーなのですか?」

 

 狩人の生まれとは、善悪混合する罪科と罪悪の現れ。

 啓蒙が足りぬ人間も、それはそれで素晴しいのだと。

 

「――――――――――――――」

 

 四つん這いとなって立ち上がろうとし、だが獣が二足歩行で歩けるものではない。己が意志を取り戻せない彼女では、獣の格好がヤーナムでは相応しい。

 

「―――オウェ……ゲ、グェ……ァ……」

 

 だが、内臓の底から悪い血を吐瀉する。生きる意志が削られるが、共に獣性も抜け落ちる感覚に狂わされる。精神に対する喀血と言う医療行為に近い吐血行為に見えるも、彼女は自分の内臓が自分の臓物ではなくなった寄生虫の塊だと幻覚し、更なる狂気で両眼から血が流れ出た。

 

「………」

 

 口を開く意志もない。独り言を喋る精神も消える。だが、それでも扉を開いて行かなくてはならないと、脳の奥から囁く声が聞こえる。

 感情の消えた少女の貌は、まるで―――暗い孔。

 表情を失った無貌で在るならば、先に進まない選択を取る自由意志も存在不可能。

 

「……ぁ――――――」

 

 扉を開いて階段を下ったその先に、屍を貪る獣が一匹。オルガは自分がこの後に辿る未来を容易く啓蒙される。吐血によって貌も服も血塗れになっている為か、新鮮な血臭を獣は容易く嗅ぎ取れてしまった。死体の腐った血の臭いではない豊潤な甘い少女の血であり、その血に潤う生きた人肉の素晴しい餌の匂いだった。きっと、その骨さえ柔らかく香ばしいと食欲を湧かせる薫りだった。

 死―――肉食獣による、命の搾取。

 テレビの映像で見たことがある食物の摂理が今、オルガの前で牙を晒している。

 

「Gurrr……」

 

 瞬間―――右足が爪で裂かれる。

 圧倒的な初動の加速は獣に相応しく、百年は生きる死徒の身体機能を越える迅速さ。だが、獣は元より命を狩る動物。獲物を食らうハンターだ。生身の人間が、このサイズの肉食獣に勝るのはほぼ有り得ないこと。

 

「あ……ぁ、ぁ――――ァァアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 喉が千切れるほどの、獣の絶叫が少女から放たれた。それを聞いた獣が、唸る様に笑った。嘲るように、嗤ったのだ。

 

「痛い、いたい痛い……助け、助け―――」

 

 その助けを求める声も、獣が少女の喉に咬み付く事で消え去った。右足を失い、倒れ込む少女の軟かい生肉を愉しむ為、実に人間的な思考回路で獣は獲物を動けなくした。

 だが―――呼吸は、まだ出来る。

 心臓を動かす生命は残され、あろうことが血管を噛み千切ってはいなかった。しかし、それでも血は流れ落ち、右足の欠損もあって出血多量による悶死からは逃げられない。

 

「Gurr……Gr」

 

 食餌の時間だ。素晴しき血の恵みだ。肉の御馳走だ。

 獣は涎を垂らし、瀕死の少女を前に舌を垂らす。相手が動けないのなら、まずは新鮮な血液から舐め取りたい。

 

「―――――」

 

 右足の傷痕をザラついた獣の舌で舐められ、少女は地獄の業苦を味わった。まるで塩酸を垂らされたような激痛だった。だから、這ってでも地獄から逃げたかった。早く死にたかった。楽になりたかった。

 直後、背中に爪が一本突き刺さる。

 背骨を砕くように貫通し、内臓に達し、腹の皮膚を破り、床にまで突き刺さった。

 

「カ、ヒュ………ッ――――」

 

 掠れた音無き嘆きを少女は洩らし、血溜りの中で涙する。その音を獣は大変喜び、食餌のおかずにして、這い逃げようとする少女をうつ伏せから仰向けに引っ繰り返した。人間の知性を持つような器用な動きであり、人の五指と似た爪のある手で彼女を抑え込む。

 瞬間―――御馳走(オルガマリー)を喰らい始めた。

 血液(ソース)で全身を味付けされた生肉を前にし、ヤーナムの獣が我慢など出来るものか。

 

「―――――――」

 

 生きたまま食べられる絶望。まだ機能する少女の瞳には、自分の内臓が貪り喰われる悪夢が映し出されている。

 (ハラワタ)の色なんて知らなかった。腹部の皮膚を破られただけになく、肋骨まで抉じ開けられた。小腸が咬まれ、大腸を齧られ、肝臓を千切られ、十二指腸が漏れ、胃袋が貪られ、腎臓が噛まれた。少女の血肉の旨さに歓喜する獣の口の中へ、段々と飲み込まれて逝った。段々と少女の体重は軽くなって逝った。

 

〝痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイ痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ痛い痛い痛い死にたい痛い死にたい死にたい死にたい死にたい!!!!

 やだやだやだ嫌だイヤダイヤダ!!

 食べないで、食べないで食べないで食べないで――――――!!!”

 

 潰れた喉から、音のない悲鳴が漏れ続ける。脳裏は苦悶で埋め尽くされる。死ぬまで死なない事が、こんな絶望を人に味合わせることを少女は正しく理解した。

 だが―――死ねず。

 輸血されしまった少女は、生きる意志が完全になくなるまで死ねない。まだ僅かとは言え、死んだ方が楽になれると言うのに、死にたくなかった。死ぬのだけは嫌だった。

 

〝まだ……まだ、誰にも褒められたことがない。お父様に、認められてない。こんなんじゃ、死ねないよ……死にたくないよ……やだ、やだよ……楽になれても、今まで何の為に苦しんで来たのよ……イヤダ、嫌だ!!

 死ねない。わたしは、死ねない……―――死ねない!!”

 

 だから、腹の中身の臓物が全て喰い尽くされたと言うのに、少女は死ねなかった。内臓がない空っぽな肉体にされてしまい、死ねば楽になって夢に堕ちられるのに、彼女はそれでも死ねなかった。

 そして、心臓を―――舐められた。

 殆んどの臓腑が獣の臓腑の中へと無くなった彼女には、もう心臓を肺しか残っていなかった。

 

〝あ――――”

 

 残された最期の意志を絞り、少女は右手を上げた。誰でも良いから、助けて欲しいと救いを求めた。誰でも良いから、決死の思いに応えて欲しかった。

 

〝――――ぁ……”

 

 それに応えたのは―――獣だけだった。救いなどヤーナムには存在しなかった。

 右腕に咬み付き、血肉を舐めながら齧り付き、少女の胴体から容易く引き千切った。

 

「―――――――」

 

 そして、オルガマリーは生きる活力を完全に―――失った。生存する意志を、喰い貪られた。残った心臓を丸齧りにされ、夢のように彼女の肉体は悪夢の古都より消失して逝った。

 

「オォォーーーーーーン―――ッッ!!

 

 残された獣は、歓喜の遠吠えを上げる。数刻もせずに凶器を持って殺意を滾られながら来た新たな狩人の手で、今死んだ少女以上の惨殺死体になるとも知らず、ヤーナムの獣は新鮮な柔らかい血肉の御馳走に脳味噌を振わせ続けている。

 ……そこで彼女は、夢の中で目が覚める。

 眠りの中でありながら、意志を確かに覚醒させた。

 夢に堕ちた筈のオルガマリーは、悪夢の中でそんな嘗ての過去を夢見ていた。

 

「夢の中で夢見る……―――悪夢の中の正夢かぁ……相も変わらずの悪趣味で。狂人が優しく見える程に陰湿で、陰険な、粘ついた蛞蝓狩人な性根です。

 その様子の儘では、珍しく気の合う不死のお友達を失いますよ、師匠?」

 

「問題ないとも……あぁ、そうだとも。嫌われる行為を好んで行うとも、全く以って何一つ異常なしだ。百度は優に超えて殺し、拷問を繰り返して虐待死した所で、我らにはそも他者を嫌う機能なし。無論、憎悪もな」

 

「それはどうも。人形が呆れていますよ?」

 

「それもまた問題なし。彼女は人形として、被造物として、狩人に最大限の敬愛を抱くように製造された血の工芸品。

 それ以上の意志を抱くのは……最初の狩人、ゲールマンにだけだとも。

 そして、彼女を愛さぬと決めた彼だけが、真に人形を愛せる男でもあるのだよ。

 彼女に対し、人形以上のモノを期待するのは下劣な獣の欲情以下の意志となってしまうだろう。そして、そう在る故に我ら夢の狩人は彼女を慈しむ」

 

「人の女性には手を出さない………紳士だと? 狩人の貴方が?」

 

「私の物になれば、人形の意志に罅が入ってしまい……そして、ゲールマンに愛されていた残骸だからこそ、狩人は彼女の意志の尊さに歓喜する」

 

「報われないわね、人形も」

 

「貴公には貴公の悪夢での人形がいるだろう。私の人形がそう在るべきなだけであり、貴公は貴公の好きな様に愛でれば良いだけの話だと思うがな」

 

「結構です。あの二人の間に、私は入るつもりはありませんので。ただ……同じ悪夢に囚われた友人として、違う彼女だろうと報われて欲しいと考えたまでですから」

 

「優しいな、我が弟子よ―――」

 

 オルガマリーの眼前に、車椅子に座る一人の狩人が存在した。その後ろには長身の人形が立ち、車椅子の取っ手を持ちながら粛々と佇んでいる。

 

「――――で、聞いても?」

 

「良いとも。可愛らしい君の願いであれば、幾らでも、何でもな」

 

 ギィ、と車椅子が軋む音がする。移動する為に人形が狩人を押した証拠であり、月が昇る狩人の家の庭の中を動き出す。

 

「灰と悪魔についてですが……」

 

「言葉による答えに意味は無し。この悪夢の中であれば、私より君の中へと全てが啓蒙されるだろう……ほら、どうだろうか?

 何もかもが在りの儘に、貴公の中で明かされる快感は?

 君にとって、疑念の卵が孵化される瞬間は何事よりも気持ちが良い筈だが」

 

「……そうですけど」

 

「思索とは、全く以ってそうで良いのだよ。気にする事はない。貴公は、貴公の業を明かす為の思索を進み給え」

 

「理解はしていましたが……―――いえ、そうですよね。我が師よ、分かりました」

 

「我が弟子よ、素晴しい思考だ。そう在れば……いや、どのような在り方であれ、貴公こそ我が最高傑作である。

 上位者の幼子として、私は血の工芸品としても慈しんでいる故に……だからこそ、一人の人間としても尊敬の念を抱いている」

 

「それも、分かっています」

 

啓蒙(インサイト)を、己に啓蒙せよ。何故なら、宇宙は空にある。

 輝ける星(コスモス)とは、因果を繰り返す輪廻。決まった結果に辿り着くとは言え、道程は好きな様に選べるのが夢の在り様。

 やがて貴公も、時空を操る容易さを啓蒙される時が来る。

 さすれば、霧の秘匿も君からすれば息を吐くかの如く、月が輝く夜空のように晴れ渡る」

 

「はい。精進致します」

 

「宜しい。励み給え。人理修復は君の願いならば、古い獣も狩れば良い」

 

「ですが私には、狩れないと理解出来てしまいます。その未来を、私が持つ因果律では手繰り寄せられないと」

 

 ギィ、と車椅子が軋む音がする。庭の端まで移動する。奈落の崖が眼前にある。そして、庭の何処でも月は綺麗だった。

 

「当然の絶望だ。私でもあれは狩れぬ故に、灰のみが封じられるのだろう」

 

「ですが、どうやって……?

 救われるなら別に誰がそうしても良い筈なのに、私はあの女が……アン・ディールが私が救いたい世界を救う事を許したくない」

 

「残念だが、火の簒奪者でなければ薪は燃やせぬのだよ。ソウルの業の、その大元が獲物となれば、君でも殺すことは出来るだろうが……所詮、魂を奪えるのが限界となる」

 

「―――まさか。即ち、炉の中に?」

 

「さて。そこはまだ、葦名に向かわなければ答えは無明の儘だとも。霧が立ち込める異界であれば、悪夢より観測するのは難しい。

 しかして、己らの輝ける炉の火を大きくする為とは言え、数多の簒奪者を葦名に呼び寄せるとは。思い付こうとも、実行する為の障害が多過ぎる。何より、枯れた火種では幾ら集めようが価値はなく、だからとあのフランスで人間性を薪として火を闇より炊き上げるとはな」

 

「無意味な行動は、一切なかったと?」

 

「だろう。とは言え、奴は救世主となる女とは言え、本質は灰に過ぎん。あの女の存在意義は、進化し続けることのみ。今よりも、強くなる為の思索を続けているだけだ。

 永遠の人生の中において、世界を救うと言うのは手段であって目的ではない。人理も、己の為の道具でしかない。誰かに利用されることを厭わない灰故に、救われたいと足掻く人間の魂に応えているのだろうよ」

 

「だったら……灰の所業を、フランスとローマでの殺戮を認めろと?」

 

「意志の容認など、狩人には如何でも良いことだろうて。所詮、人間がすべき罪を灰が背負っているだけではないか?

 それを、あの灰が愉しむのか、苦しむのか……ただ、それだけの話だろう。

 世界を救うのに正義の味方で在る事も強要するのは、人間以下の畜生の思想でしかない。

 ならば、救われる人類史はせめて、好きな様に灰の手で狩られれば良いだけだと私は考えるが」

 

 オルガマリーも、今は全て理解している。苦しめて人を殺戮しなければ、人間性が煮詰まった闇として、火を焚く薪として使い潰せない。呪詛と怨嗟が、火に多様性を与える。だから、灰はフランスで邪悪の儘に虐殺を行った。

 愉しんだのは事実だろうが―――いや、そう在る自分に耐えられる灰だから、平然としているのだろう。

 不死だからこそ、罪を背負ったところで苦痛は一切ない。灰にとって人類の魂を守る事も、あるいは今まで行って来たただの悪行でしかないのかもしれない。

 

「それなら―――……カルデア所長の、私が人理を救う。私が、獣を狩り取ります」

 

 故に―――許してなるものか。

 救済を免罪符として与える人類史の意志に、狩人が従がってなるものか。所詮、あの灰は思う儘に自分の探求を行っているだけだった。

 古い獣を狩る事が探求に有益だからと、その所業にソウルを喜ばせているだけだった。

 善意から世界を救おうと足掻く人間ならば耐えれれない、だがしなくてはならない悪行を愉しめる灰だっただけだった。

 

「ほぉ……そうか、そうなのかね。やはり君は素晴しい意志を持つ。ならば、また一つ秘匿を破らせて頂こう」

 

「え……ッ―――ぁ?」

 

 決意を新しくするオルガマリーは、ヤーナム全てが煮込まれても届かない不吉を啓蒙された。まるで幼い少女のように怯えた貌となり、悲鳴に近い小さな疑念の声が漏れ出てしまった。

 

「貴公は、オルガマリーの遺志である。つまり、あの少女の遺子である。脳髄を子宮とし、啓蒙足る内なる瞳を卵子となり、血から湧いた獣性が精子となった。

 今の君は逃避による妄想から発生した……遺志より生じた意志なのだよ」

 

「そんな、だって……嘘―――じゃない……?」

 

 思索とは、余りに幸福から程遠かった。

 

「その魂はオルガマリー・アニムスフィアの意志が所有する器に過ぎす、オルガマリー・アニムスフィアの遺子である貴公の魂ではないのさ。

 即ち、貴公こそ血の意志そのもの。

 人間性と獣性が混じり合い、啓蒙の蛞蝓と穢れた百足が交わり合い、狩人に心折れた愚者より産み出された妄想の魂無き感応する精神。

 新たな血液由来の寄生虫として生まれた思考存在が、君の始まりと言う訳である」

 







 とのことで、悪魔と狩人の回でした。彼は色んな世界を旅した果てに、人理焼却で灰と出会う事が出来て、何とか古い獣の対処方法を得られましたので、実は今はかなりテンションが上がっている状態です。古い獣が世界の外側に流れ出ないように、様々な世界を生贄にしないといけない現状でして、悪魔が獣の眷属として世界を霧散させてソウルを捧げてちょくちょく眠らせていないと、実はそのままだと何時かは古い獣が根源に渡って世界に流れ落ちる“魂”が全て消えてなくなると言う全平行世界滅亡の危機に陥っています。よって、それを防ぐためにも灰も火の簒奪者として更に力を得る必要があり、更に実は殺戮行為も嫌いではないので、あらゆる平行世界で運営される全ての人理が、灰が例え人理を脅かす行いをしても認めないといけないジレンマに陥っている雰囲気です。火を簒奪した灰ではないと古い獣の対処は難しく、その為にも火の簒奪者が葦名だと大量召喚されている感じ……なのかもしれません。灰はかなり悪い事をする殺戮者で善人から程遠いですが、結果的に見れば獣から人を導く救世主……なのかもしれません。
 それと、原作と所長が違う性格原因がこうなります。所長に召喚された狩人様が、彼女と灰と本格的に殺し合う事になりそうでしたので、彼女をヤーナムに引き摺りこんだ張本人として真実だけはちゃんと告白しました。ブラボみたいに拾ったアイテムで唐突に真実が明るみになるような、その予兆は何となく醸しつつ、前準備がなくいきなりわかる雰囲気にしてみました。オルガマリーが、ヤーナムで完全無欠な狩人として自分が存在出来るように妄想した第二人格でしたが、オルガマリーの血の遺志が彼女に宿った瞳を卵として孵化し、姿を持たない感応する精神として実は上位者の赤子もどきとして発生したのが今の所長となります。上位者としても、狩人としても、狩人様が最大限に所長を敬愛している理由がこれになったりします。第二のオドンに近い遺子なんですよね。
 後、残酷描写は此処から先、余り遠慮なくしていこうと考えています。ヤーナムの映像を文章にするとこんな雰囲気が常になりそうです。 

 色々と何かしら思うこともあると考えますが、どうぞこれからも宜しくお願いします。感想でも頂けましたら、輸血液並に生きる活力が湧きますので有り難いです。


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啓蒙54:カルデアの灯火

 カルデアで勉学に励んでいた灰の実験結果みたいな回です。


 ―――宇宙は空にある。

 星の娘が泣いて祈る先に星歌隊が思索の途を見出したのならば、輝ける星の瞳が覆われる脳内に宇宙はあった。故に空とは、悪夢において一つではない。だが悪夢の宇宙は、遥か空に浮かぶ星の領域であることに違いは無い。

 だから、思索の進化によって上位者も上位者足り得る瞳を得る。

 古都の啓蒙とは内なる瞳によって白痴の蒙が啓かれる脳の進化。

 求め続ける事に意味はある。進化には価値がないのだとしても。

 目覚めを得た方のオルガマリー・アニムスフィアにとって夢からの覚醒は死に等しく、夢見る脳こそ思索の道具。彼女は眠りに落ちて夜から目覚める度に、悪夢から戻って来ているのだろう。

 

「…………」

 

 なら、今日の目覚めは最悪。獣に生きたまま臓腑を食べられた後の目覚めと同等の嫌悪感。夢を覚えているからか、視界の色が褪せて見える。瞳から色を失い、啓蒙される情報に感動を覚えられない。反乱軍残党の基地である女神の島に用意された一室で、彼女はベットに横になりながらも自分の意志に失望している最中だった。

 カルデアの所長になった後、ヤーナムよりも悍ましい真理を啓蒙されるとは考えもしなかった。

 いや、そもそも彼女にとってカルデアでの日常も、ヤーナムの業より伸びる延長線上の悪夢でしかなかったという現実的な絶望だ。悪夢に囚われるのは肉体ではなく、獣血と啓蒙を血として活力を得た意志。

 自分の正体――ヤーナムで心が折れたオルガマリーが、狩人として生きる活力を得るための第二人格。魂の無い感応する精神であり、少女の妄想が見えない虫として受肉した存在。

 魂から湧き出た寄生虫。

 血の意志でしかない者。

 灰がフランスで生み出したジャンヌ・ダルクの娘。今なら所長も理解できる。彼女は、灰がオルガマリーを模して創造した赤子であった。

 謂わば――血の姉妹。

 用意した聖なる子宮の中で、精子と卵子の反応融合させただけの赤ん坊。愛などなく、上位者が赤子を作るような機械的生殖活動に過ぎず、はっきり言えば神秘によるクローン人間か、あるいはホムンクルスに近い……だが、何ら特別でもない人間である。

 

「気分は飛び出た臓物以下だけど……」

 

 しかし、既にオルガマリーは自己完結した狩人である。そもそも正体になど、欠片も興味はなかった。意志が確かであれば、狩りの血に酔って啓蒙に気が狂う今の自分に感応出来れば良い。

 だが、自分の意志がオルガマリーの遺志であることが無念であった。自分が最初から始まった意志でなく、オルガマリーを継承した遺子だと今まで啓蒙出来なかった自分の瞳の不出来さに失望してしまった。

 

「……悪夢でなければ、明けない夜はない」

 

 けれども今は、望みが増えたことを喜ぼう。母親と呼べる意志が、まだこの自分の器ではない魂に宿っている。

 何より、魂など狩人には無用の存在。

 そんな惰弱な器など、確固たる意志を持てば夢の中に存在可能な人種である。

 

〝返せば良いものね。それにこの私は……別に、ヤーナムにまた帰っても良いし”

 

 所長で在るべきなのは、どちらなのか。彼女は狩人で在れば構わないと決め込み、この暖かな居場所を魂に返す責務があると決心する。

 今の彼女なら、実感できる―――ジャンヌが、聖女のためにフランスを焼いた意志を。

 自分と言う赤子を孕まされた何て、余りにも悲劇過ぎて獣のように叫びたくなる。確かに、殺さないと気が済まない。いや、殺し尽くしても足りない位に酔い潰れる。殺し尽くさないと意志が獣性に暴れ、何でも良いから瞳に映る生物全てを狩り殺したくて堪らない。復讐とは血に染まる精神であり、血を啜ってこそ憎悪に意志が焦がれるならば、殺戮も虐殺も故人を悼む故の葬送の儀式であった。

 餓えてしまう―――誰かの意志を、血にしたくて。

 求めてしまう―――意志を継承し、手に入れたい。

 

「だけど、私は――――」

 

 オルガマリーそのものから生まれ出た彼女は、卵子も精子もオルガマリーの脳と血から作られた彼女自身。自分のために自分を憎むなど、不毛な上に意味もない。瞳より啓蒙した意志であれば、その血を継承するのも必然だった。

 狂気など、生温い。

 正気など、血腥い。

 繰り返される死の目覚めを尊ぶのならば、彼女はもはや今の自分以外の何者にも為れやしないのだから。

 

「―――オルガマリー・アニムスフィアで、良いのですか?」

 

 啓蒙されない真実。それは彼女の意志より願われた祈りである証。祈りに答えはなく、きっと空にも星はなく、瞳で見えないのなら手探りで足掻くしか術はない。

 だからこそ、その無様さが人間である証でもあった。答えなどなく、今この瞬間から自分の意志で手作りする真実を、瞳が啓蒙する道理など上位者の思索に存在する訳もなかった。

 

「ねぇ、そうでしょう……オルガマリー。知ってしまった今はこんなにも、起きて欲しいのに」

 

 救いを求めるように、所長は右手を空に向けた。それは無価値な祈りに過ぎず、虚空に人を救う神など存在しない。

 宇宙は空にある―――だが、救いが宙にある筈もないのは、狩人であれば誰もが啓蒙された真実である。其処にあるのは罪科と罪業だけ。広がっていたのは、血染めの悪夢だけだった。

 

〝だったら、良いわ。人を喰らう獲物共……貴方達は問答無用で、私の血の意志に沈めてやる”

 

 ならば、救いを握り潰してこそ―――星見の狩人、オルガマリー。彼女は右手を力強く閉じ、拳を地面に優しく降ろした。

 最初から救いなど空に求めてなどいない。求めているのは、数多の獲物が住まう異空の悪夢への切符だけ。

 

〝でも上位者の意志をもう笑えないわね。赤子が欲しいなんて渇望が、ここまで狂おしいとは。

 そして、赤子の上位者が自分の親を求める帰郷の念もきっと、私が彼女に抱いている思考と同じなのだから。メルゴーもペイルブラッドも、エーブリエータスも……私みたいに誰かと血で繋がりたかった”

 

 それを理解して尚―――狩人は、上位者狩りの血に酔う存在。オルガマリーも同様に、その想いを啓蒙された上で、だが奴等に対して一切の同情なく狩り殺す意志を抱く者。

 自分の願望は、自分だけの思索で在れねばならない。

 特別な想いでないならば、死んでも忘れてはならない。

 

「―――だから、おはよう。

 今日も何時も通りに、良い目覚めにしないとね」

 

 自己完結とは、この様だった。自己貢献であり、自己献身だった。オルガマリーはその在り方を良しとする。徹底して他者を必要としない精神構造を持つ為、狩人として完全無欠の思考回路に至っている。何があろうとも、心が折れる機能を持ち得ず、絶望に屈する選択を取れない。初心を永遠に忘却出来ず、答えがない迷路を最果てまで無傷で彷徨う心を持っている。

 きっと、そう在れと生まれた意志で在る故に。

 生み直された末の超越者であり、血の意志として人格は完成し、今はもう完結してしまっている。

 

〝まぁ、こんな様だから、あの師は私なんかに執着してるんでしょうけど”

 

 師の瞳の輝きが意味するのが、自分に対する憧れだとオルガマリーは悟っている。そうでなければ、今まで御姫様をあやすようにヤーナムの地獄で丁寧に苦しめ続け、何をしても壊れないと分かっているからこそ、本当に終わりのない永遠の繰り返しを彼女に夢見させたのだろう。

 だが、ヤーナムから彼女の意志は帰還した。それを意味するのは、古都で知るべき全ての真理を啓蒙し尽くしたから。永遠も、悪夢も、オルガマリー・アニムスフィアの脳内に存在しているから。

 

「…………」

 

 ベットから抜け出し、扉を開ける。今日から如何にローマを攻略するか、反乱軍残党との作戦会議が待っている。大陸で戦線を広げている孔明とアレキサンダーも戻り、情報も統合する必要もある。

 その瞬間―――特異点が、揺れた。

 島が地震で揺れたのではない。本当に、特異点と言う世界自体が揺れ動いた。

 

「……そんな、馬鹿な真似を―――」

 

 確かに、教えた。契約だった。父からの約束だった。所長だったマリスビリーは、アン・ディールをカルデアに呼ぶ為、この魔術工房が持ち得る知識の業を全て偽りなく渡す契約内容だった。実物は渡さないが、それを作る技術は彼女の業となっている。

 奴は理解している。フェイトも、レイシフトも、カルデアスも、ペーパームーンも、ロゴスリアクターも、知識を蓄えている。時間さえあれば、カルデアそのものを一から建築可能な業を持っているのもわかっている。その気になって簒奪者の火を使えば時空も操り、特異点も異聞帯も全てをそのまま吹き溜まりのように一つの異界に確立することも可能だろう。

 しかし、それは―――神秘の業。

 神の権能も焦げ滅ぼす絶対の業。

 カルデアの神秘だけでなく、その科学技術さえも己が業として利用する精神構造こそ灰の―――否、更なる魂の原罪を知りたいと希う探求者の業だった。

 

「―――この揺れ、死の臭い……あの女、ヤりやがった」

 

 許されない惨状を、所長は瞳で見詰めている。

 島から遥か遠くの街の残骸。いや、瓦礫一つ残さず死の灰が降り積もる光景を理解し、カルデアが灰に許してしまった業の罪を観測することしか出来なかった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 朝早い時間。ローマから離れた街。其処を見下ろせる丘の上で、とある三人が実験の為に集まっている。正確に言えば、新兵器の実験を行うのは灰唯一人であり、他の二人は何もしない見学者に過ぎないので、ある意味で灰の兵器実験の発表会と言う雰囲気である。

 

「デイビー・クロケットって知っていますか?」

 

「ええ、アメリカの英雄でしたか。デイヴィー・クロケット……確か、そうですね。政治家兼軍人のだったかと」

 

「あら。座に登録されている人なのですね?」

 

「それは知り得ませんな。知識として持っているだけですよ……ですが、その口ぶり。どうやら、貴方の質問の答えではなかったようで。

 ですので宜しければ無知な私に、貴方のその知識を教えて頂けても?」

 

「勿論です。そうですね……現代において、最も火力を持つ歩兵用の火器とでも言いましょうか」

 

「ほう、ほう……―――ほうほうほう!

 それはあれですかな、私が作る太古の超技術による中華ガジェットを超える程の?」

 

「超えてますよ。しかも、魔術回路も要らず、誰でも簡単に引き金一つで発射可能です。いやはや、現代兵器とは使用者の殺意さえあれば、意志一つで何でも殺せるのが悍ましい在り様です。

 ……まぁ、カルデアで勉強した知識から私が自作したものですがね。

 本家も見た事は興味本位でありましたけど、それも超えられていると思います。とは言え、今回の実験は弾頭部分の起爆実験ですので、実際に引き金を引いて発射する訳ではありません」

 

「何と。英雄の名が兵器に使われているとは。さすれば、その英雄の戦果に相応しい殺戮性能を、その兵器は持つのでしょうな」

 

「いえ、それ以上でしょうね。正に、神々の王インドラの奇跡と呼べる光景でした。

 殺戮者(グンジン)虐殺者(セイジカ)、それと共犯者(カガクシャ)共も自分達の所業を人域を超えた神話に例えるとは罪悪感が薄れてしまい、戦争と繁栄を免罪符にした大量虐殺で消えた魂を背負う義務も軽くなってしまうでしょうに。

 そう言うのは人間性を尊ぶ私からすると、非常に宜しくないですね。

 人でなしなら人でなしらしく、罪科の分は己が魂を苦しませないと次の進化には至れません」

 

「ほぉ……それはそれは。ならば当事者が逃避する程の、英雄の所業を超えるものだと?」

 

「はい。人類史の太陽であり、神の王が下す雷の天罰を連想させて頂けます。ですから私なりに、あの悪魔が滅ぼした一つの世界より名前を啓蒙されまして―――オーバード・ウェポン、とでも呼称致しましょう」

 

 生きなければならない者が死んでしまった世界の群。悪魔にとって先のない世界を濃霧に呑み込む事が、せめてもの古い獣に対する抵抗手段だった。不必要と切り捨てられる前に、古い獣が定着することで消滅する事を逃れられ、だが最後は獣の餌として消滅してしまう。灰が啓蒙されたオーバード・ウェポンも、そうした世界の業であった。

 

「オーバード・ウェポン―――……ふふふ、愉しみですな。貴方も愉しみで?」

 

「さぁ。しかし、個人的な感想としてましては、神域を手に入れた人間共の姿と言うものは、私が知っている神々よりも浅ましいものでして……はぁ、どうして中々ですよ。嘗ては欺瞞を尊ぶ神と、その教えに縛られた死ねる人間だけを軽蔑していた筈だったのですがね。

 人間であろうとも、不死ではない者が太陽を簒奪する答えを見れたので、それはそれで充分な結果ではありました」

 

「ですが、貴方はこの人類史の業を模倣致しました。ならば、軽蔑以上に思う理念がお在りであったと言うことですな」

 

「それはこれからです。まずは燃やしてみなければ―――」

 

「―――また、そのような下らぬ事を。企み事を好む癖して、実は何も考えていないな?」

 

 その主従の会話に、耐え切れないと教授は割り込んだ。このような人間的な会話など聞きたくもなかった。

 

「はい。取り敢えず、やってから考えてみる主義ですからね。善悪関係無く、人類の挑戦的姿勢は見習うべき考え方かと思います」

 

「貴様は……いえ、止めておこう。結果は見えている癖に、そうワクワクと子供のようにしているのを見ると、罵倒する気力も失せる」

 

「学術者とは、愚かな好奇が意志の活力ですから。子供並の好奇心がなくては、未知を暴く魅力に取り憑かれはしませんよ。

 予想は立てていますし、そうなるのは把握もしていますが―――思い通りの結果を得た時、真理の開眼がソウルに啓蒙されるのですからねぇ……ふふふ」

 

「ほぉ。相変わらず下劣な思想ですな、マスター」

 

「すみませんね。この思想は絵画から抜け出す前から、原罪の探求者として元から持つものでして、この世界の人類の魂は全く関係ありません。業を魂に啓蒙して頂けたのは人類史に感謝致しますが、その業を向ける事も他の人理を救うことで許して貰いたいものです。

 少数の死が全体の繁栄に繋がるのでしたら、歴史がその素晴しき人類愛を証明していることですからねぇ……―――ふふふ、下らない在り方ですが。

 とは言え、だからこそ私の道程は運命に愛された英雄譚や神話のように、人理を運営する皆様の集合無意識が一生懸命に人命を清算し、ご都合主義的展開で道筋を整備して貰えるので有り難い話です。やりたい放題を人様の世で許して頂いている状態ですからね」

 

 口ぶりと違い、灰は心の底から下らなそうに感謝を吐き捨てる。あらゆる命を無価値と考える灰にとって、人類が自分達で人命へ価値を勝手に観測し、選別し、剪定する在り方を只の一度も好ましく思った事はない。単純に、灰は自分の業探求に利用出来るから、自分の魂を利用されることを良しとしているだけに過ぎない。己が運命を誰かに遣われて良いと選んだのは自分のソウルであり、使命として果たすべき目的を持つ事はソウルにとって悪くない存在理由だと灰も理解している。

 故に―――死ぬべきなら、死ねば良い。

 不死になれない魂は、最期は必ず滅びるのだから仕方がない。

 それでも繁栄と生存の為に、何が何でも生き延びようとするのであれば、やり方程度は灰の探求心の儘にしなければ最大限の魂を救い上げる事も不可能になってしまう。

 

「いやはや、それなりに嫌っておきながら、まるで全てを好んでいるような考え方を見せるものですから。この陳宮、中々に勘違いをしていました」

 

 軍師は灰の嫌悪感が本物だと、ライン越しの感覚で把握する。数多の誰かの魂の塊である為か、それが本人の感情だった名残りか、奪って得た感情なのか、あやふやなソウルではあるが、そもそも灰の感情無き意志は一つきり。そう感じることを良しとするのは、灰の意志による取捨選択でしかない。

 

「本来は腐った絵画を焼く手伝いのつもりでしたが、全く……あの悪魔の希望のためとは言え、新たな魂の為の人理焼却を利用する羽目になるとは思いませんでした。

 魔神の皆様には、逆にその事業を人間らしく裏から使うこととなり、申し訳ないと思っています」

 

 虛の空いた心より、灰は謝罪する。教授は嘘のない言葉を受け、しかし人理焼却に興味を持つが、その後の世界に関心がない灰の人間性を嫌悪する。

 人間ではなく魔神が願う理想郷など、灰ら人間にとって無価値であると彼女は瞳で語っていた。

 

「どちらでも良かった貴様が、我らに謝る義理はない。どうせ、我らの悲願である死の無い惑星の生物の魂も、サンプルに食す予定だったのだろう?」

 

「はい。そもそも、その魔神の設定で構築される新世界に興味はないですから。見届けましたら、貴殿方から教わった魔術基盤で平行世界を移動する予定でしたしね」

 

「何と言う様なのか。その不死性は、魂にとって失敗である。誰よりも強く在ることを虚しく感じたのは、貴様程度だよ」

 

「まさかです。弱い私の魂が、未だに求める業に届かないのが無様な在り方の正体です。強さの果てを見る為に、私は手に届く全てを利用して進化しなければならないだけです。

 まぁ、もう好き嫌いの判断も消え失せましたが。レフさんも、こういう人間のカタチが嫌いなのですものね?」

 

「貴様と一緒にするな、灰。そも、それはそれとして足掻く姿を尊ぶのも貴様の思想だろうが」

 

「否定はしませんけど。いや、こうやって今も私は足掻いていますし、業の探求が人生ですものね。実際、人の魂に宿る原罪は探求し終えてしまいましたし、火も簒奪してしまいましたから」

 

「だが、その答えより更なる疑念が浮かぶのが貴様ら人間の罪科であろう?」

 

「勿論ですとも。故に、好奇は愚かな思索でもあるのです。その先にある業によって、人が更なる罪を犯すと理解しているのに。

 まるで救われない自分達を罰して正してくれる何かを、必死に求めているようでしょう?」

 

「―――神か。無様だよ」

 

 醜い生命体の群衆が望み、願われた機能(ケンノウ)に殉じる存在。教授にとって、それらも所詮は限りある命に縛られた知性に過ぎない。唾棄すべきモノであり、だから一切合切を焼き棄てた。

 

「ええ。だから人は―――神も、その業も、魂へと喰らうのです」

 

 神に絶望した男の教え。灰にとって珍しく、ヒマラヤで邂逅したあの宗教家は本物だった。だが、それも灰を変えることはなく、しかし魂に響いた故、世界が霧散した後も忘れることは永遠にないのだろう。

 

「愚かな人間だよ。その様を晒すから、貴様は自分のサーヴァントに下劣と呼ばれる。正しく人間の業を使える者など、此処では暗い貴様しかいないと言うのに、その在り様を人類史に求めてどうすると言うのだ?」

 

「死ねぬと生き足掻けば、誰しも永遠に探求を――――いや、駄目でしたね。しかし、今は同類の愚か者が葦名には大勢いますから、人類史を無念に思う罪を背負う必要もありません」

 

 思えば、本当に思う儘に計画は進んでくれている。灰は極限まで深い人間性の闇により、本当に貴い力である絶対的な幸運を有するが、因果律を歪めはすれど自由自在に操れる訳ではない。運命を強制出来るも、書き換える事は不可能だ。

 そんな幸運の亡者(ラッキーアンデット)が、葦名にて―――百人。

 フランスで強めた最初の火を持つ灰が、その簒奪者共と殺し合ってソウルを奪われることで火は伝播し、更に殺し合うことで全ての火が強まる。簒奪者は葦名特異点を密閉された壺代わりにし、誰もが死ねずに貪り合う最悪の蟲毒を常に行っている。

 灰がローマで画策している最中も、数多の簒奪者らは何時も通りに殺し合い、ソウルを貪り合い、業を極め合い、闇は深まり、火は高まる。しかし、王の故郷が漂着するロスリックでは只の日常でしかない為、その状況を誰もが楽しみはすれ、疑念も感じずに苦しいと言う実感は皆無であった。

 

〝闇は深まるばかりですから……いやはや、無念など思う暇もありません”

 

 その闇深き極性の幸運を、灰は全ての簒奪者から間借りしている。もはや特異点と言う不安定な世界なら、彼女がそう思うだけで因果律が歪み、こうしたいと求めるだけで未来への途が具現化することだろう。本来ならば、闇なき人理の世なら尚の事。

 この兵器も、葦名で抑止力に召喚されたサーヴァントから奪い取った業を使えば容易いもの。いや、そもそもソウルを喰らうことで強くなる簒奪者を相手に、サーヴァントを送り込んだところで食餌にしかならず、実際に全ての火の簒奪者が技能を共有する始末。

 葦名撃滅にカウンター召喚は逆効果であり、彼女らが殺したキャスターなどが保有する道具作成とは、簒奪者達からしても実に有能な技能(スキル)である。カルデアで学んだ知識を全て実現可能にする現実的な技術を、ソウルの業として修めてしまった。

 

「偶然選んだだけですが、此処は実験に丁度良い街でした。既に兵器は地中に埋めてありまして、後はスイッチ一つだけです。しかし、あの日見た太陽の惨劇をこの手で再現する機会が来るとは思いませんでしたが、本当にカルデアは……いえ、恩恵を頂いた私が言える悔恨ではありませんでしたね。

 なので、どうか……マリスビリーさん。この魂らの叫びが、貴方のレクイエムになることを願います」

 

「ほざけ。あの男が、そんな人間性を持つものか……」

 

「嫌ですね、レフさん。人間性から逃れられない故、魔術師は旧き故人の意志に縛られ、根源を渇望するのです。

 ならば、その効率的悪行を良しとする精神こそ、人で在らん事を深めた非人道的人間性の証でもありましょう」

 

「マスター、真実であれば良いと言う訳ではありません。所詮、話す本人にのみ価値が分かる理屈など、魔術回路が無ければ動かぬガラクタでしかありますまい。

 そんな事よりも―――見届けたい。

 我ら古き戦士が戦い抜いた戦場より、更に進化したこの人類史の貴き成果を!」

 

「ええ。それでは、実験を始めましょうか―――」

 

 そして一切の感慨もなく、手に持つ電波機器の非常用解除装置を解き、起動スイッチを押し込んだ。左手に悪魔殺しのデモンズソウルより錬成した最も古い獣の御守を握りながら、右手に持つ最新鋭の殺戮装置の“触媒”を起動させた。

 普遍的精神性ならば禁忌とするそれに対し、灰は何の躊躇いも罪悪感もない。愛用する家電製品を利用する人々と変わらない態度で、日常の一動作と同様に終わりを始めてしまった。

 

「――――おぉ」

 

「っ―――……」

 

 軍師は目を輝かせ、教授は視線を逸らすように帽子を深く被った。こんな光景をもう二度と見たくないから人理焼却を行った彼にとって、ある意味で人の世を焼いた獣に対する灰からの重罰であり、逆に軍師にとって人類史の兵器が如何程までに進化したのか肉眼で観測出来る最高の舞台であった。

 ……そんな冒涜的殺戮者とは関係なく、街には人の営みがあった。

 今日と言う日に疑問を持たず、当たり前の生活を送る人々がいた筈だった。

 此処が特異点であろうとも関係なく、今此処にいる人達にとってこの街での生活が人生だった――――なのに、熱が全てを燃え上がらせる。

 

「―――――――………」

 

 周囲数kmを熱波が焼き吹き、燃やさずに蒸発していった。何kmも離れている筈の三人がいる丘にまで灼熱が届き、空気が一瞬で数千度まで熱せられる。肉体の殆んどが水分で出来ている人間が耐えられる訳がなく、灰の手で神秘が込められているのでサーヴァントだろうとエーテル全てが熱却処理され、魔力の残滓も残さず、魂が座に還ることも出来ずに消滅する程の悪夢である。

 灰は、その熱い火の風を魔術一つで防ぎ切る。彼女の後ろにいる二人は、そよ風一つ当たらない。

 簒奪者として暗い孔を持つ彼女であれば、巨人の王より暴いた術理―――反動の闇術は、本当に全てを遮断する暗い孔として機能した。文字通り、灰であれば己が闇によって魂さえも遮り、時空間を破壊する現象にさえ対応可能だろう。

 

〝……人のソウルが、死の灰に”

 

 きのこ雲が一瞬で空高く昇り、天使の環が幾つもきのこの周りに浮かぶ。この世の何よりも、灰は白くて綺麗な茸が悍ましい。

 これを思い付いた人類史が、汚らわしい。

 繁栄の名の下に、人類愛に徹する社会が醜いと断じるしかない。

 だが古い獣を狩る為の罪科を積み重ね、もはや絶対に後戻りは不可能となった。

 カルデアの知識を使い、カルデアの目の前で、神秘の関わらない本当に唾棄すべき人類史の汚点を見せ付けた。

 貴様達カルデアが助けようと足掻く人理も、皮一枚剥がして内臓を覗き込めば、この悲劇を繁栄として反転させて罪を愉しむ世界に過ぎないのだと。

 灰は問答無用で獣狩りに、人類史の繁栄を喜ぶ悪しき人類愛さえも徹頭徹尾、利用し尽くすのだとオルガマリーに啓蒙した。人類悪など所詮、人類が克服した罪科でしかなく、これより更に積み上げられる普遍的な人類愛に押し潰される弱者に過ぎないのだと。

 

〝さて。焼かれたソウルの回収(ショクジ)の時間です。これで最後の情報収集をしなければ、また実験をしないといけないですから。

 けれど、これを二回も繰り返すとは……いえ、あの国の人間共からも業を学んだ私が言える話ではありませんか”

 

 戦国時代より数百年後の葦名にて、神域と神秘の後始末と経過観測で日本に訪れた際、灰自身も第二次世界大戦の戦火に巻き込まれている。

 だから―――見た。空襲で生きたまま焼け死ぬ人間も。

 この人類史が辿り着いた最も強力な兵器による刹那の輝きと、人の作った太陽の炸裂を。

 

〝使わない手など全くありません。人の魂が至る全ての業を探求するのが私の使命であれば、人類史で最も破壊に優れた兵器も学ぶべき業。獣のソウルに人類史が有効かどうかは分かりませんが、誰かがやらなければ全てが消えてしまうだけの結末です。

 あぁ……だけど、本当に果てには届きませんね。

 我ら不死の暗い絵画から、こんなにも遠い世界にまで旅路を進めてしまいました”

 

 灰は信条を持たないが、それでも古い獣を狩るのに最善は尽くさないといけない。そう自分に使命を科し、最短距離で駆け抜ける。必要ならば何でも幾らでも殺し、人の魂を無駄にすることを極端に嫌っている。大量虐殺を行うだけなら手段など幾らでもあるが、彼女とて人類史の業による殺戮は他の外道作業よりも乗り気ではない。この手で殺すのではなく、考えた策で殺すのでもなく、ボタンを押すだけで遠くにいる人々が機械的に殺される。

 死ぬ事には変わりないのに、何故か灰として満たされない。

 外気が安全になるまでの間、彼女は何も喋らずに“反動(魔術)”を維持し続けるだけだった。

 

〝こういうのは初めてでしたが……はぁ、私に為政者は向いてませんね”

 

 古い獣狩りは世界を救うのに有益だが、灰は偽善者にはなれなかった。大勢の為に少数を殺す行いは人類の繁栄にとって善行だと汎人類史が証明しているも、灰はまた一歩人類が救われる道を進んだと言うのに一欠片も達成感がなかった。

 悪行に罪悪感がないように、善行にも満足感はない。だが灰自身も含め、彼女の中の全てのソウルが、人類史の業を嫌悪していた。

 

「いや、実に良かったです。ソウルに対する熱処理実験は大成功です。焼かれた魂が如何なる反応をするのか見ておかなければ、いきなり古い獣を対象にすることも危険でしたから。

 それに焼けたソウルが一度にこんなに沢山もあれば、様々なパターンの回収も可能でしょう」

 

 しかし、灰にとってそんな感慨も総じて無価値。人の魂にとって、為すべきことを為すだけだ。悪魔の希望を叶える事が灰にとって最も迅速に進化する近道だと分かり、結果的に獣狩りが為され、灰の行いを誰も称賛することなく全ての魂が勝手に救われる。そもそも人理焼却には賛成も反対もせず、どうせ繰り返されるだけと理解している為か、世界一つ程度の終わり方に興味関心もないので、死ねる人間に個人的な思いを寄せることもなし。

 本人も自身の罪を知る故に、人理の人間になど一切感謝される気にもならなかった。無論、罵倒を受けても弁解はしないだろう。尤も相手のソウルの在り様によっては、反応を愉しむ為に敢えて人道に対する説法を行う場合もあるのだが。

 

「――――おぉ……おおお、おおおおおおおおおおお!!!

 何と言う、何と言う……これ程までに、兵器を進化させるとは人理は正気なのですか!!?」

 

 彼の眼前には広がる光景は―――穴だった。何も無い虚だった。死んだ人の痕跡などなく、語るべき終わりの姿もなく、あっさりと全てが蒸発してしまっていた。

 軍師に、その末路を描写する精神的余裕などない。

 人類史最強の破壊力を持つと言われ、愉しみにしていた己の想像力の無さに吐き気がする。

 これが、人の作った兵器であるなど信じたくは無い。神の精神を持たず、だが神のように人々を粉微塵に破壊する。人類種が同種の魂を持って平和に暮らす無辜の民に、繁栄を喜ぶ人間の精神を持った儘、こんな地獄を向けてしま得るようになったなど英霊として一欠片も信じたくなかった。

 

「はい。人理の英霊、陳宮公台。彼らは彼らなりの、健常なる精神で汎人類史を進めています」

 

「ならば、大国の戦争とは即ち滅亡ではありませんか!?」

 

「はい。ですので、現代だと小国をマネーゲームに使って戦争遊戯に耽っている状態です」

 

「馬鹿な……有り得ん。クソが、駄目だろう。

 こんな様、我らの血が流れた戦場が―――ふざけている!!」

 

 闇に祷られた儘、軍師は温かくも暗い涙を流した。灰の魔力が全身に融けた彼女のサーヴァントである彼は、もはや幾ら悲しくとも“人”の涙しか流せなくなっていた。

 

「悲しいことはありません。人間社会はこの様を見て、自国の繁栄だけを求める戦争が自滅因子だと気が付けたのですからね。

 獣に焼かれてしまった現代ですと、人類滅亡に繋がらない国の土地で、程良く無辜の民が機械的に人命を数えながら虐殺されている程度には平和です。幸せな国の国民は貴族となり、不幸な国の国民が奴隷となり、国家間で貧富の差を敢えて作り、富める国の民衆が平和を望んで代表を決めます。そして、その国同士の話し合いで生贄になる国の人間達が、幸福を剪定されて死に絶える立派な世界です。

 全くそれをふざけているなんて……その貴い平和に貢献した兵器の一つがこれですよ。

 抑止力に召喚されれば汎人類史の為に戦い、人理の為に立ち上がる英霊である陳宮さんであれば、この在り方は喜ばしいものではないのですか?」

 

「こんな世界、確かに燃えてしまえば良いでしょう!」

 

「だから、獣に燃やされました。人間がそうやって繁栄した様に」

 

「クククク―――ッ……確かに。まこと、そのようで。

 ははは、あははははははっはっはははははははははははははははは!!!!」

 

 カルデアか、ビーストか、どちらでも灰は良かった。カルデアが人理を救おうとも、結末はそれでしかない。だから、どちらからも業を学んだだけだった。

 

「これが、この世に生きる人類史が辿り着いた人類の殺し方となります。陳宮さん、焼き滅ぼされた人類が作り出した星を焼く太陽の火が―――ただの、爆弾でした。大きいだけの火炎壺でした。

 人は人を効率的に大量虐殺する為だけにここまで文明を進め、文明と言う殺戮宗教に魂を捧げました。そして、その技術は更に文明を豊かにし、人類種を繁栄させる立派な舞台装置に進化し、この星を殺す猛毒をばら撒きました。

 この有り様で、この様なのです。

 本質的に、星を貪り殺してでも人間は進化し続けます。

 汎人類史を成立させる為に、人間はそう在らねば存在価値がない知性体となります。

 ですので何処かの誰かがそんな知性生命体を、汚く、醜く、穢れ、無知蒙昧な下衆であり、文明と歴史に価値無しと断じるのも道理なのでしょう。

 人間が人間の作った道具で多くの命を歴史の歩みとして焼き殺したように、繁栄のために燃やし貪ったように、全ての人々が同様に焼かれて、栄養源として素晴しい新たな世界に進化する為に滅ぼされるのも、結局は人間と言う存在価値を充分以上に満たす立派な最期です。

 こんがりと人類史ごと焼かれ―――獣の餌になるのが、我ら人間の相応しい末路であったのかもしれません」

 

 燃え上がる核融合の炎―――カルデアの火。

 南極に立地する基地を運営する炉心の技術。

 別名、水素爆弾。核分裂よりエネルギーを作り出す核爆弾を遥かに超える現代文明の結論であり、地上を焼き滅ぼすのに十分な火力と、生命体が生存する環境を破壊し尽くす不可視の猛毒である。

 灰が得たカルデアの技術の一つが、これだった。人類社会にとって一般常識化した技術体系に過ぎないが、専門知識はまた別物であり、魔術さえ併用されたその最新技術となれば話は別。何事であれ学びを止められない灰は“知る”ことを永遠に諦めず、作り上げた己が業を試さずにもいられない。

 戦火の業も同様だ。人を殺したいと願った人々と、そのような人間が作った国に住まう人々が、きっと灰の魂に素晴しい人間の業を啓蒙したのだろう。

 

「人の底無しの悪意―――……あぁ、だがそれこそ人間でしょう!

 戦場に生きた戦士であり、軍師である私は、知略戦略で敵軍の悉くを殺戮しましたが……そこには、確かに人間として抱いた一つの意志がありました。英霊と言う来世の魂の素材となった生前の私から続く、誰かの命を奪ってでも届きたい渇望がありました。

 しかし、我らが歩んだ戦場の果てがコレであるならば―――英雄など、もはや現代に無用!

 英霊に存在価値など欠片もなく、神など住まう意味さえなく、神域が経済活動の延長線上に浮かび上がる貪欲なる世界。星の終焉を、全人類が殺し合うことで達成される未来予想図」

 

「ええ。まこと、その通りでしたよ。あのきのこ雲の下に、何万人もの人々が生活していました。何の意志も残す事も出来ず、命が蒸発し、魂が霧散していました。

 二千年以上もこの世で私は生活していましたけれども……人の魂が、あのような真理を文明によって得られるのならば、果たして私が蔑んだ神とは何であったのか…………結局、魂など逝く着く先は同じ結論に過ぎないと分かっていましたが、あのような人造の権能まで作れるのに、尚も愉し気に人を殺す人間共の姿に失望も落胆もすることが出来なくなりました。

 人の為に人が作った神になど我ら灰は興味などありません。

 しかし、文明を作った意志は宗教を作った意志と差など何もなく、その魂が人の儘で在ろうとも、魂が産んだ人の力が権能や神域に届いてもまだ……いえ、自らが作った道具によって神の夢見心地へと堕落した儘で在るならば、やはりヒトは焼かれるのに相応しい薪なのです」

 

 そんな自分のマスターが漏らした感傷を、サーヴァントは一笑する。

 

「まさか。良くもまぁ、そんな普通の感性を語れますね。貴女がこの世の邪悪を全て見た普通の人間でありましたら、そのような結論に至るのも仕方ありますまい。復讐を願い、憎悪に狂い、何故かどうしようもなく、良く理解も出来ない何かへと償いたくなるのも自然でしょう。

 ……だがマスター、それは貴女にとって戯言の真理でしかない。獣の理でしかない。

 そも貴女では―――実感など出来ますまい!

 我ら人間がそう在ることこそ、人間性に相応しいのだと、貴女だけは魂から理解しているのですから!」

 

 所詮、人の魂が為す業。灰にとって、自分のソウルを鍛える業でしかない。故に、世界を汚すあらゆる悲劇が灰の魂を強める栄養となる。

 

「勿論、その通りですとも。どう転ぼうとも、人は人でした。この様に絶望して世界を滅ぼし、新世界に逃走するなど所詮は獣の業です。この様の儘に夢を抱いて今の世界を破壊し、希望の為に新世界を目指すのがこの世界に生存する人の証です。

 自分達の救われなさに諦めない意志こそ―――人理の人間性です。

 死んで死んで、死に続ければ、それだけで良いのです。死に続けられる世界を維持し、そこで無限に死を繰り返し、生きても死んでも救われないと理解した上で死に続け、人は人間を続け……その果てに、我ら呪われ人と同じ不死なる暗い魂に至る事が可能となりましょう」

 

「あぁ……ッ―――それでこそ、我が主に相応しい!」

 

 軍師は感極まった。人は皆、こうなれると言う答えが目の前にあった。あらゆる絶望を人は踏破し、どんな罪科であろうと背負い続け、心が折れても魂を諦めない意志が其処には在った。

 

「ならば、所詮―――業です。人の全てが力に替わり、己が業になります。

 ならば我が主よ………どうか永劫の果てまで、我らが人類史の業を極めなされよ。魂の死を踏破し尽くした永遠であるマスターであられば、この悲劇さえ貪り尽くし、他者の魂に感応して世界へ偽りの感動を覚え、されど自分自身には感傷も感情もなく力とするでしょう。

 どうか、全てを己が業とするが良いでしょう。

 人類万歳と私の魂は、貴女と言う暗き太陽に焼き尽くされましょう!」

 

 軍師は暗い涙を流した。火によって焼け焦げた血が、太陽を啓蒙された瞳より流れ出てしまった。軍師は自分の技術を存分に使うべき主君が何処まで突き進めるのか見たくて生前は戦い抜き、だが英霊となったこの今の魂は人理に対する使命も覚え……しかし、それでも尚、今は灰に呼ばれたサーヴァントの一匹。

 この業がもし永遠に生きる誰かに引き継がれ、この意志もまた永劫に継がれるならば―――と、軍師はこの灰に召喚された事を幸運だと思ってしまった。

 魂の全てを肯定するならば、無価値で無意味な技術だとしても、学べば―――灰の為の業。

 彼女(マスター)自身が陳宮と言う男の慰霊碑となり、軍師の業は英霊の座が滅んでも永遠に受け継がれる。

 

「ありがとうございます、陳宮さん」

 

 そんなサーヴァントのソウルを全て理解し尽くした上で、灰は灰らしく微笑んだ。自分の感情が完璧に枯れた笑みであり、貪った誰かの魂を薪代わりに燃やして、自分以外の感情を何時も通りに偽った。

 

「どういたしまして、我が主。貴女に召喚された事そのものが、正に僥倖であるのです。

 人々が殺し合いを営む戦場が行き着く進化の、その最果てを見れたのならば……私の技術が行った古い中華での殺戮もこの歴史の結論に行く着く為の一頁であるのだとすれば、命のやり取りを尊んだ我ら英雄も存在意義があったのでしょう」

 

 そして軍師は、悲しそうな貌で大穴を見た。正しく生きる神だけが為せる神秘の光を、人間の文明が至った成果であった。

 

「しかし、文明が英雄を不要と切り捨てる程の、殺戮文明に至ったのならば……真の意味で、全力で殺し合える戦場が地上から消えたのと同義です。国家と国家が本気で殺し合えば、人類文明が滅ぶ程にブクブクと人間社会が超え太ったのなら、人と人のぶつかり合いなど経済演出の為の茶番劇へと堕落します。銭と資本は戦争運営の根幹でありましたが、そうだとしても戦い合うのは命同士であった筈。

 成る程………―――我らは徹頭徹尾、人の世に不要となりましたか。

 人理は英雄を切り捨てた果ての文明を、良き未来と選択しましたか。

 だが、英雄の魂を素材に作り変えた英霊を、英雄を不要とした未来を守る為に……悪しき獣を狩り殺す為に、人類種はそうまでして生きることを渇望する訳ですか」

 

「はい。正しく、英雄など無用です。個人の業にもはや価値はありません。何時の世も人を動かすのは人でありましたが……人が人を辞めた末に至る英雄を、人は求める事もなく、それになる必要もなく人は人を動かせます。

 ですので現代知識としてではなく、生の魂でこの様を見て貰いたかったのです。

 私が見た人類史の太陽……輝ける星の炎……これ程の悲劇を、間違っていると否定出来ない人間共が作り上げた文明の救われなさを、どうか人理の英霊に一人だけでも実感して頂きたかったのです。

 灰でしかない私では道理を理解は出来ても、獣の皆さんが味合わされたこの救われない無知蒙昧の有り様を、悪意と供に感じる事がどうしても出来ませんでしたから」

 

「はははは……ッ―――くく、ははははハハハハハハ!!

 我が主がそう望むのであれば、私は存分に人理と文明を蔑みましょう!! なにせこの身こそ、今は獣の理を全うするだけの狗に過ぎないのですからなぁ!!!」

 

「はい。そして、貴方がカルデアの皆さんに殺された時―――そのソウルは、我が魂となります。故に今この瞬間、貴方が抱く絶望と失望も、世界から失われる事がない永遠の思い出となるのです。

 だから、どうか心より怒って下さい。恨んで下さい。憎んで下さい。

 貴方の魂が築き上げた業を永遠にしてしまう私を、どうか魂より呪って頂ければ幸いでありましょう」

 

「まさか、不要でありましょう。貴方の知識から剪定事象について知っておりますれば……汎人類史の人理から、英雄と言う機構が剪定されただけのことです。

 我らを不要と切り捨てた文明の未来の為、貴女に召喚された私が貴女を恨むなど、どのような死に様であれ在り得ますまい!!」

 

「本当に、本当に―――有難う御座います。

 陳宮公台、我が暗い従僕。戦場を愛した貴方でしたら、きっとこの絶望を戦火に焚べて、より大きなローマに燃え上げてくれることでしょう」

 

 感謝を。灰はそう思ったのみ。実験も成功し、ただ良かったと考えただけだった。

 

「とのことで、レフさんもお付き合い頂いて感謝します。見せたかった結果を貴方に紹介出来ましたので、次の特異点からはカルデアを本格的に初手で滅殺しようかと考えています。

 確か、海が舞台になると思われますし……ざっと海中に数百の核機雷を沈める為、どこぞの現代文明が特異点になった場所で生産工場でも作り、核兵器でも聖杯を利用して量産でもしてみようかと。孤島一つ一つに仕込むのも容易いですよ」

 

 技術と資源がある場所に聖杯を送れば、特異点での行動など自由自在。究極的なまでな合理性とは、人道も人徳も燃え殻となった倫理異常者(サイコパス)に可能な思考回路。

 教授は自分たち獣に残っている人間性の大切さを、灰を客観視することで理解する。

 この女は自分の異常性も、合理性も、探求の道具として鍛え上げ続けている健常者なのだと。

 

「…………成る程。その手が、あったな。

 我ら獣は汎人類史の業を心底より嫌悪しているが、適当に特異点を現代文明で作成すれば、大量殺戮兵器を違う特異点に運んで使用可能になる」

 

「はい。この出来栄えですから、任せて下さい。葦名では幾らサーヴァントの技能を簒奪して作成を試みても、材料やら施設やらで、量産には向きませんからねぇ」

 

「殺すのに、サーヴァントなど無用であったか。いや……だが、英雄が無用であると答えを魔術世界に啓蒙したのは、そもそも汎人類史の人理そのものだ。

 火の無い灰、アン・ディール。暗い人間の最果てよ。

 貴様が此方に付いた時点で、如何足掻いてもカルデアに勝機は最初から無かった訳だ」

 

「暗い魂の血がヤーナムに流れ、その上位者を更に私が喰らい……このソウルも啓蒙(インサイト)の業を覚えてしまいました。

 啓蒙的思索と言うある種の論理的第六感覚ではありますが、こう言う使い方も出来るのです」

 

「自分で蒔いた種が成長するのを待ち、自分で収穫して業として探求する。その闇が深い思索の業が相手であれば、人類愛でもある我ら獣が敵わないのも肯ける」

 

「とは言え、カルデアが人類史の業で消えるかは、所長の選択次第ですがね。彼女ももう、カルデアに次がない事を啓蒙されていることですから」

 

 既に、灰はローマでの仕事を終えている。残っているのは、自分が魂を救ってしまった暗帝に対する責任。灰個人として全うすべき責務のみ。

 何より、その気になれば兵器一つを秘匿した状態で灰はカルデアに転送可能。

 獣がカルデアの場所を探れないからと、この灰も探れないと考えるのは早計。

 アッシュ・ワンは、それを理解出来ない所長ではないことも知っている。最初から灰の思惑が外れる異常事態はなく、彼女の思う儘に事は進んでいる。

 

「だから、急がないといけませんよ―――オルガマリー・アニムスフィア」

 

 数多の世界を滅ぼしたデモンズソウルに啓蒙されたダークソウルに、濃霧に呑まれたあらゆる人の業が積み重なってしまった。神秘も技術も、既に灰は解明し尽くしてしまった。思う儘、求める儘、だがまだまだ探求には届かないと。

 そんな灰の渇望に応えられる不死は、この世界ではもう一人しかいなかった。














 型月世界の現代に英雄が不要となるのは、誰もが世界を滅ぼせたり、それを誰でも阻止出来たりとあるのですが、やっぱり戦場で戦果を上げることに何の意味もない経済社会になったのも理由なんじゃないかとも考えています。なので英雄であるサーヴァントにそもそも戦場で生きた英雄が、こんな殺戮兵器で用済みになって英雄と言う機構が汎人類史の文明に剪定されたと見せた場合、その人理の英霊のソウルがどう反応するのか観測したかったと言うのが灰の探求心だったりもします。
 原罪の探求者である灰は、ぶっちゃけソウルの業だけに拘っていませんので、魔術の神秘と同様に汎人類史の業を何でもかんでも修得していまして、不死の思考回路と同時にサイコパスな合理性も持っています。何がどうなるか探求し尽くさないと分からないと、不死を良い事に何でもかんでも知識を取り入れ、時間があれば鍛えている女です。そもそも特異点を作成出来るなら、現代兵器工場でもある場所を特異点にし、そこの兵器を他の特異点に運び、使えば良いじゃんとが切嗣並の掟破りな事も平然と考えます。その前に自分の火を簒奪した暗い魂を進化させる探求が大前提ですので、そろそろ古い獣狩りに用済みだし、カルデアを皆殺しにしても所長は生き残るし、結局は所長が居れば人類悪の獣狩りは全うされるのも分かっているので、どっちでも良かったりしますが、取り敢えず行動する派なのでカルデアにとって傍迷惑な不死ではあります。


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啓蒙55:囚われの戦闘王

 少しだけ、性的にセンシティブな内容がありますので注意して下さい。百合っぽいかなぁ……と、思います。直接的な行為は全く無ないので問題ないとは思いますが。青年誌な18禁にはならない程度の表現ではありますが、苦手でしたら後半を飛ばして下さい。
 しかし、青年誌も中々にエロ本より過激ですからね。FGOの妖精編で、ベルセルクの妖精編をまた読みたくなりましたが、凄い天才じゃないと描けない物語ですよね。人間ごっこ、とか単語の表現が的確過ぎて好きです。大人攻撃とか、良く妖精(もどき)さん同士で遊んでるのを思い付けるなぁと。
 ブリテンの妖精は何と言うか、一部を除き、自分の生涯に純真で子供っぽいんですよね。人間ごっこをエンジョイ&エキサイティングしてる雰囲気で良かったです。人間以外にあんな風に楽しめるなら、確かに化け物としか言えないです。


 孔明とアレキサンダーが基地に帰還した瞬間、聡明な筈の軍師は凄まじく表情を歪めさせて叫んだ。出来れば、二度と会いたくないと思っていた狂女と不意打ち的に再開し、魔術世界の狭さに思いっ切り絶望した。何かの因果で特異点に擬似サーヴァントとして召喚されると言う奇天烈摩訶不思議な事件に巻き込まれた上、自分の魔術工房がある南極に行って時計塔で遭遇する事がない筈の魔術師なのに、何故その女が目の前にいるのか。

 彼は、聡明な天才軍師の頭脳でも理解出来ない現実に混乱中。眼前の光景に一切納得出来ず、ならばもうはや叫ぶしか選択肢は残されていなかった。

 

「ゲェ……ッ―――オルガマリー・アニムスフィア!!

 クソッタレめ! 何故なんだ! 意味が分からん!! 

 運命は死んだ! 神も死んだ! むしろ死に腐れ!!

 カルデア云々を抑止力の情報で召喚時に知らされた時は嫌な予感しかしなかったが、まさかこの姿になって、特異点でさえお前に会う破目になろうとは!?」

 

「あらあら、まぁまぁ。魔術世界の運命は巡るのが常だけど、何と言う事かしら。

 お久しぶりねぇ……―――エルメロイ二世。美少女趣味のロリコン野郎。まさかまさかのサーヴァントになってまでアニムスフィアの事業に協力して貰えるなんて、時計塔のロードとして嬉しい限りね」

 

「サノバヴィッチ!! マザーファッカー!!」

 

「時計塔で一番抱かれたいとモテまくってるのに、血質低過ぎて赤子はノーサンキューされちゃう先生にそこまで褒められるなんて。

 オルガマリーはぁ、本当にぃ、腸がハミ出る程に超嬉しいみたいな?」

 

「やめろ、その顔で笑うな。近付くな。クソ、鳥肌が立つ」

 

「そういうの、ぶっちゃけ今は良いから―――協力、してくれるよね?」

 

「―――ッ……!」

 

 心の底から恐怖する貌とは、正に孔明の今の表情であるのだろう。

 

「あれ、先生。彼女、知り合い?」

 

「近付くな、アレキサンダー。あの女はな、ちょっくら地下潜るとかほざいた数日後に、時計塔への手土産に死んだ神の首を持って来る狂魔術学者だぞ。私も見るだけ見たが、あんな見るだけで感性の鋭い魔術師を発狂させた扁桃型の頭の生物なぞ、何処の神話形態なのかさっぱりだったぞ。

 それをあの地下奥深くから持って来るとは、本気で意味が分からない人間辞めた化け物なんだぞ!

 しかも―――なんだ、その……私は霊基を得てサーヴァントになった筈なのだが、何でお前の方が遥かに強い?」

 

 もう神の首は時計塔から消えてしまったが、通称―――アミグダラの頭蓋骨。

 所長個人の偉業の一つ。どの神話に記された神秘なのか分からず、だが現実を容易く歪める神性が凝固していたのと、凄まじい呪詛が零れ落ち続けている事から、善神でも悪神でもない神性として邪神の遺物と呼ばれていた何かであった。

 

「向こう側で何か落ちてたから、偶然拾った神の首を協会に渡しただけだからね。見たかった真理は啓蒙されたし、神の頭蓋とか別に私は要らなかったし。

 それと強いのは鍛えたからよ。探索大好きな地底人稼業は、そもそも私は病み付きですし?」

 

 その頭蓋によって地上に呪詛が向こう側より持ち込まれ、更にとある封印指定の魔術師がそれを強奪したことで獣血教会を名乗る学術集団を立ち上げ、とある田舎の村落が異界常識に呑み込まれて廃村になった騒ぎがあったのだが、オルガマリーが当主になってからアニムスフィア絡みの事件はそれなりに起きており、その事件さえロード関連の限られた魔術師しか知らない真実。

 はっきり言って地下の神域を暴けばどうなるかなど、ヤーナムの惨状が未来のロンドンが辿る姿を証明している。行き過ぎれば剪定事象に選ばれるだろう未来の一つを見た所長は手早く時計塔に、時代と共に魔術が廃れるよりも遥かに危険な、本当の魔術世界の滅びを最低限の犠牲で魔術協会にこれでも善意で啓蒙しただけだったのだが、結果として他の魔術師を恐怖のどん底に叩き落としただけ。

 しかし、無理にでも所長が神性の生首を持って来た理由がある。

 邪神の正体、それは憐れなる落し子―――アメンドーズだった。

 時計塔の遥か地下で、何故か上位者が他の知性体の意志を素材に悪夢を創造し、霊長以上の知性によって繁栄しており、時計塔に警句として持って来る必要がロードの一族として彼女にはあった。

 当時の所長は知らない啓蒙的思索の記録であるが、実は獣の苗床を探す悪魔が古都を訪れた際、残留する濃霧が偶然にも門となり、ヤーナムの悪夢から漏れ出た一柱がいた。その上位者は向こう側で妖精や幻想種を発狂死させ、捕食し、繰り返し貪り、邪神となり、数を増やし、自分達の悪夢である失楽園の使徒として領域を広げている状況となっており……この星も、厄介な者共に内側から寄生されているようだった。所長が向こう側に行かなければ、ヤーナムの二次被害で手遅れになっており、密かに世界滅亡の危機を救っている事件でもあった。

 

「強いと言えば上級死徒を返り討ちにしていたな、そう思えば……―――いや、だとしても可笑しいだろう?」

 

 まさか現代の魔術師で神狩りをする者がいるとは想像も許されず、時計塔の魔術師達にもカルデアの秘匿には絶対に手を出すなと言う暗黙の了解がある。偶然にも弟子の募集をしに来た魔導元帥が、無言でそっと目を逸らす程であるので、特に所長と同じロード間では特に厳守されている不文律だった。

 ある意味でこの娘は、父親の期待を凄まじく超えた完璧な影響力を個人の業でのみ達成させていた。

 

「秘匿は破られるまでは秘密なのよ。甘い香りに惑わされて、アニムスフィアの神秘を暴こうとした連中がどんな様で果てたのか。

 時計塔で、それを知らない魔術師はいないって言うのにね?」

 

 邪神となった小アメンを所長が狩らねば、ロンドンは見えない彼らの巣と成り果てていた。現代に濃い神秘である神や魔獣は存在不可能な人理(テクスチャ)ではあるが、そもそも上位者に星の機構は機能しないため、彼女がいなければロンドンはヤーナム化するのも時間の問題だった。

 だが、それを人に言う価値はない。誇る必要を感じられない。

 所長にとって魔術世界とはその程度の価値しかなく、魔術師に名誉など無用だと正しく理解していた。

 

「……………まぁ、マリスビリー・アニムスフィア史上最悪のやらかしがお前だ。

 時計塔のお偉方の悉くをカルデア発展の餌食にしたその手腕を考えれば、穴蔵暴きの巧さも大した秘密ではないか」

 

「でも、今は貴方もアニムスフィアの協力者だからね。知りたいのなら、教えて上げでも良いのだけれども?」

 

「―――止めておこう。

 死が安楽に感じる程の辛い目になど、私は進んで受けたくないのでね」

 

 孔明の鑑識眼でさえ、所長は何も分からない。まるで悪夢が人の形をしたような存在で、魔術師と言う人類種の範疇に考えて良いかも判断不可能。

 

「で、だ……――――反乱軍の拠点の一つが、攻撃されたのだが?

 実際に見た事はないが、あれはまさか核兵器……いや、だが有り得るのか?

 そう見えるだけの破壊力を持つ宝具や魔術とも考えたが、どうも孔明の知識が私の記録からそれが正解だと判断しているのだ。

 だが正直な話、ローマの召喚者を裏切って抑止力側に付いたが、この展開を私でも論理的に現状から一切も結び付けられない」

 

「………………」

 

「しかし、お前ならば見通していると考えてな。核兵器を宝具に持ち込める英霊など……いや、作れる者が英霊になっている可能性はあるが、あれらはそもそも戦術核兵器だろうと英霊の座に反する現代兵器の極点だ。

 原因はこの特異点であるローマ以外だと推測するのが正しく、カルデア所長のオルガマリー・アニムスフィアなら既に謎は解けていると期待している」

 

「あー……そのね、カルデアから裏切り者が出ましてね。貴方も知ってると思うけど、レフ・ライノールとアン・ディールの二名」

 

「いや、その話が今回の惨劇とどう結び付……ッ―――――お前、まさか。

 元凶がそうなのであれば……いや、いやいや。本気で冗談であって欲しくて堪らないのだが、オルガマリー・アニムスフィア?」

 

「確実に、カルデアの原子力関連の技術で作られてるわ」

 

「――――ファック!!

 それは駄目だろう。有り得てならんだろう。悪夢だぞ。人理焼却を行った敵側が、人類史の技術で更に特異点を焼却する気か!?

 私は現代文明を良しとし、人間社会をある意味で放置する選択を選んだ魔術師であるから、ある程度の許容範囲があるが……それ程、人間が人間に対して悪辣に成る必要も、何より魔術師だろうとそんな兵器を錬金術も使用して作ったところで……」

 

「聖杯に余裕があるなら、カルデアに隠れて現代文明の何処かで、製造工場のある国でも特異点化すれば良いだけよ。多分、特異点から特異点に物を運搬するのも、不可能じゃないんでしょうし」

 

「――――成る程。

 だからか、お前たちが知人の突然の葬式よりも暗いのは」

 

「ええ。その通りよ」

 

 本当の、本当に、空気が―――死んでいた。

 雰囲気など、奈落の底の方が明るいだろう。

 

魔術師殺し(メイガスマーダー)を思い出す手段の選ば無さ……いや、それ以上の人間的邪悪を極めた合理性だな。

 魔術師、魔術使いと言う話ではない。通常なら、そのような発想さえしない」

 

 その名を聞いてエミヤが少しだけ反応したが、孔明は意識的に無視した。何事にも要らぬ御節介と言う名の助言がある。それに人が集まっているこの場でするべき事でもない。

 

「現代社会も余計な戦略をあいつに啓蒙したものよ。でも、核兵器を敢えて使うなんて。まぁ、そこまで発展したから、黒幕に焼却されたってのもあるんだだろうけど」

 

「そうか」

 

「へぇ、あの炎って核兵器って言うんだね?」

 

 現代知識に基づいた会話を赤毛の美少年は今一理解出来なかった。だが、地面に大穴を開けた武器の名前はしっかりと聞き取れていた。

 

「そうよ、アレキサンダー。中でもカルデアの原子炉技術は本当に未来を先取りしていてね……元々、サーヴァントを千騎以上契約しても十分余裕を持ちつつ、カルデアスなどの施設もフル稼働出来る超大型炉心でね。正味な話、それが爆弾として爆発すると、地球の環境が激変するレベルなのよ。宇宙から巨大隕石が衝突したレベルと変わらないもの。

 そう言う一瞬で世紀末なヒャッハーワールドに人間社会を様変わりさせちゃう技術を、敵側の裏切り者が好き勝手してる雰囲気で、それを伝えたら皆がこんな雰囲気に」

 

「あー……そう思えば、そうだったな。カルデアには様々な装置が揃っているのは聞いていたが、それらを全て動かすには国家規模の動力源がいる。

 人理保証機関とは言い得て妙……まぁ、魔術工房が国際的な権力を持てばそうなるのだろうが。となれば、原子炉関連の技術力はどの国家よりも優れているのも必然であったか」

 

「私、折角の施設を完璧に動かしたかったから。原子炉関連の技術は、かなりスカウトに力を入れてしまったの。

 そもそも、カルデアスがエネルギー消費が激しくてね……その為に危険な橋を渡って、新型原子炉を個人保有する破目にもなっちゃったし。

 ほら、時計塔の連中にはその辺の事はしっかり説明したし、核技術の云々は魔術協会もノータッチだったじゃない」

 

「それは、そうだろう。あいつらは何処まで行っても、所詮は魔術師だからな……はぁ、同僚のロードが科学に疎い事を良い事に、お前はやりたい放題好き勝手に、魔術も科学も研究を推し進めていたと?」

 

「まぁね。今回の騒ぎの元凶であるアン・ディールだって今はマスターとして再雇用したんだけど、そもそもカルデアでの本職は研究者よ。

 あいつ、私よりも学問に奥深いのよ。カルデアのカルデアスだって、色々と私が所長になってから細工したし、その為にもっとエネルギーも必要になっちゃったから。その手伝いだってあの裏切り者にやらせてたもの」

 

 所長は元々、星の魂を見るカルデアスの個人的な使用目的は未来保証などではない。百年よりも遥か先を観測し、やがて人類が星を殺してでも生き延びて繁栄する瞬間、その時に星がどう人類に働き掛けるのか観測するのが最も重要な思索である。

 星の魂を解するのであれば、星が人類抹殺に動く前に殺し尽くせる。

 死した大地に寄生虫のように生存すれば、惑星が人類を殺戮するのに躊躇いはないだろう。

 人理保証にとって最後の敵は人類が住まう星そのものである事など所長は、カルデア所長になる前から当たり前のように理解していた。同時に、人理が自滅因子で滅んでしまうのも今回の人理焼却のように有り得る危機ではあるも、本質的な人理の敵は獣ではなく、そもそも違う世界に住まう人類の人理であるのが必然。

 獣は人理を喰らうも、それは敵と言うより人理の内側に広がる癌細胞なのだ。

 人理の敵となる物を、カルデア所長が間違える訳にはいかない。あの灰もどうやら、魂の滅亡と言う危機に抑止力から後押しされているようで、所長は一切の迷いなく、この世界以外の人理が自分達が救うべき人理の敵として灰を援護している状況なのも今はもう見抜いていた。

 

「私の父であるマリスビリーとの契約もあって、アン・ディールにカルデアと言うアニムスフィアの魔術工房の技術を教え、互いに共同体として研究していくと言う内容だったし。

 私だって、あいつから箆棒に有益な真理を教授して貰ったから、そりゃ対価に原子炉技術を教えるのも安い授業料だったし……別に、そこまで特別な科学知識でもなかったものね」

 

 とは言え、人理関連は灰の核攻撃とは関係ない。オルガマリーが所長となった今のカルデアは、コジマ博士によるコジマ粒子などを代表に、現代文明にとって激毒となる最先端技術が眠る研究機関である。元カルデア研究職員の裏切り者がそれを知り得ているのは甚だ危険極まり、実際に開発して特異点で実験しているなど、人理焼却の阻止がもし成功すれば後に提出する報告書には絶対記載出来ないカルデアの汚点であった。何が何でも隠蔽し、改竄し、特異点でそんな事は無かった事にするしか、カルデアは国際社会で生き残る手段は残されていないだろう。

 

「それを、お手軽に使用できる化け物に知識を与えるとは。実際、お前はどうする?」

 

「この特異点でどうにか仕留めないと、先の未来が完全に真っ暗になってる。何が何でも、私が一人になっても齧り付くつもり」

 

「成る程……―――未来視の魔眼か?」

 

「お生憎様。千里眼のような、そう言うパパっと分かり易い神秘じゃないの。分割思考と高速思考と、それによる未来演算のエミュレートのプラスアルファをした思考の閃きってヤツ。

 魔眼と言うよりも、脳内に瞳を持つ独特の第六感覚。才能とか、素質とか、別に要らないから誰でも出来るけど……興味あるなら、エルメロイ先生にも教えて上げても良いわよ?」

 

「で、対価は問答無用で毟り取られると?」

 

「勿論。今度、思索してる新規発展の魔術理論に対するアイデアを頂戴。そこそこ完成はしてるけど、違う視点の思考論理も知っておきたいのがありまして」

 

「ふん……この特異点解決後、そちらで私を召喚したらな。それと、お前の秘奥は要らん。魔術協会でもお前のその思考回路を暴こうとした魔術師が、鼻から脳液を垂れ流して発狂死したのは忘れていない」

 

「結構。取り敢えず今は、中々に良い境界記録帯(ゴーストライナー)をカルデアで観測出来たと満足しましょう」

 

「本来ならば、根源を目指す際に魔術師の怨敵となる抑止力と、それらに使われる英霊の座。魔術師の魔術工房がそれを模すなど眉唾の極みであり、ある意味で根源の渦を開くよりも困難であり、それが出来るならカルデアなど設立せずにとっとと向こう側に渡れとも考えていたが……人理焼却は、お前らアニムスフィアにとって自分達の魔術理論を立証する最高の後押しだった訳だ。

 お前は七つの特異点を観測することで、カルデア自体を記録帯として成立させようとしていると」

 

「大正解です。ちゃんとカルデアで召喚されたサーヴァントに秘密は少なくしたいから説明してるけど、カルデア式英霊召喚は観測が根底にあるのでね。

 即ち――抑止により、更なる抑止へ進化する。

 故にその名は英霊召喚フェイト。貴族の魔術師らしい洒落た術式名通り、運命で以って滅びの運命に抗う術。だから特異点を解決する度に、カルデアの英霊召喚は加速的に成長する。あらゆる驚異に対する為の、人理を脅かすあらゆる病に対する特攻性を保有する」

 

「良く言えば、サーヴァントと深めた縁がカルデアを助力すると。中々に悪辣な嗜好だよ、アニムスフィア」

 

「私のパピーが冒涜的にまで、人類種について知識が深いのよ。良くも悪くも、極めた先は人類愛へ辿り着くのが人類史の業ってことなのよね。

 人間そのものに対する嫌悪感ってのは、英霊も魔術師も死徒も関係なく、人間として誕生した生命なら誰もが普遍的に抱いてるけど、霊長が持つ獣性も結局は人間性だから」

 

「となれば相手が例え、人理であっても……―――いや、だが人間なら仕方がないのか」

 

「勿論。剪定されるとなれば、全力でその運命にも、我らの運命で以って克服するだけ」

 

「ふん。成る程……人理焼却がなければ、英霊がカルデアに手を貸す運命には至らなかったと言うことか」

 

「でしょうねぇ……本当、マシュの憑依した英霊が善人過ぎるって雰囲気ね。私が英霊の立場だったら、私の父が運営するカルデアになんか絶対に手を貸さないし、死んでもそんな気にさえならないし……いえ、まぁ今は関係ないんだけど。

 だから、カルデア式英霊召喚術式にフェイトなんて命名するなんて……我が父の事ながら、何処までそんな運命を見通していたのやら」

 

「ならば、お前が所長になった事で、ある程度はクリーンになったと?」

 

「いやね。所詮、魔術師の魔術工房よ。英霊の皆様が関わる人理関連は義理も人情もあるので真摯でいようとは思うけど……兎も角、個人的には悪の組織の極みである学術組合を目指しています。協会も教会も利用して、人間社会を裏からそれなりに干渉することも吝かではないですよ。

 もう先生だったら、穴潜りで血に酔うこの私がそんな善人じゃないことは理解してるでしょう?」

 

「同時に、誰よりも強い意志で人理修復に望んでいるのかも……な。

 だが、時計塔を黙らせたお前が率いているのなら、人理焼却事件もそんな悪い終わり方を迎える訳でもないだろう。マリスビリーの意志を継承したのなら信用も信頼もないが、オルガマリーの意志で戦う組織であるとなれば、召喚者のローマを裏切った甲斐もあると言うことだ」

 

「別に。思考の内側まで信用も信頼も求めませんし、カルデアに協力して貰えればそれで須く良しとします。とは言え、私には良いけど必死な職員の善意と決意まで否定するようなら、そんな協力者もどきは神霊だろうが冠位だろうが、全力全開で私からドブ底へ切り捨てますが。

 身を削って戦う姿を見て、疑いの念も呑み込めないなら要らないもの。

 私とその想いを共有出来ないなら、そもそも私のカルデアに魂の意志が相応しくない。

 明日を生きる為であり、その行いが自分以外の誰かの為になり、そうやって生き足掻く人の“意志”を嗤う輩こそ、カルデア所長にとって本当に狩るべき人類史の汚点。

 それで人理が滅んだとしても、そんな程度の人間性しか最期まで人理に残らなかったのなら、そこまでの知性だったと好きに滅べば良いだけのこと。内側で罵り合って、内部崩壊して、意志まで腐らせてまで、部下の皆に戦えとは私は死んでも命じません。私は私の職務を、私として全うするだけですからね」

 

 だから、孔明は時計塔で出会った魔術師の一人として、オルガマリーのことを信頼はしているのだろう。何を考えているのか本当に理解出来ない怪人なのは事実だが、同じ様に彼女の示す決意は非常に分かり易い。

 

「――――安心した。

 お前のカルデアであれば決して、召喚された英霊の尊厳を穢すことはないだろう」

 

 孔明はマリスビリーのカルデアなら、一切の信用がなかった。召喚された英霊は徹頭徹尾、サーヴァントと言う殺人兵器として利用されるに決まっている。マシュ・キリエライトと言う生贄が、その在り方を正しく証明してしまっている。魔術師として何処までも正しいが……正しいだけの愚かな末路が、この人理焼却と言う事件を引き起こしている。

 そして―――魔術師(マスター)でさえ、カルデアが派遣する星見の尖兵だろう。

 彼は憑依元になったエルメロイ二世として、悪辣な政治手腕も振るった軍師として、今の全てを統合した諸葛亮孔明の思考で以って、オルガマリー・アニムスフィアのカルデアを“正しい”と判断した。

 

「はぁ……? しないわよ、折角のお客さん相手に恥知らずな。

 英霊の座に何時か戻った時、カルデアって言う組織は最悪だったってサーヴァントに思って欲しくないしね」

 

「その辺が分かり易いのだよ。人の意志を決して蔑ろにせず、そうする自分を死んでも許さない」

 

「そりゃ、礼節あっての人間でしょう。合理性や計算高さって言う脳味噌で使う人殺しの道具に酔ってるだけじゃ、人間の形をしただけの醜い獣でしょう。

 そうしなくちゃ全てが無駄になるのなら仕方ないかもだけど……その前に、為すべき事を為す。言い訳する前に、個人としてやるべき事は多くあるもの」

 

 個人だけで戦うのなら、オルガマリーも己が獣性に酔うのも愉しい。むしろ、血に酔って獲物を虐殺する類の狩人である。

 しかし、今はカルデア所長。彼女はオルガマリーとしてだけでなく、所長としての責務がある。狩り場では放し飼いにする血に酔う意志を、鋼と化す人の意志で抑制する立場にある。一度、そう在れと自分に決めたのなら、蕩ける瞳を確かにし、知識を貪欲に求める渇望を脳内の思索に止める義務がある。

 

「アレキサンダー。どうやら彼女は、私が知っている儘の魔術師であるようだ」

 

「そうかい。だったら、僕も先生と同じ様に戦友として、戦っていく内に信頼出来るようになるだろうね」

 

「観察してたようだし、私も正直でいたわよ。嘘を吐く必要がある人生を歩んでないもの。我らが先生、グレートビッグベン☆ロンドンスターもそうして欲しそうだったものね?」

 

「それを言ったら意味がないだろうが……」

 

「そうかしら?」

 

「そうだとも!」

 

 血腥くも、高潔な意志を輝かせる者。アレキサンダーは確かに、戦場を駆け抜けた英霊ならば惹かれる何かを彼女が持っていることを実感した。

 無理にそれを言葉にすれば、心が折れない意志とでも言えば良いのか。

 狂気にさえ屈しない意志は、組織の長として信頼に値する人物だった。

 

「オルガマリー・アニムスフィア。僕もカルデアと敵対するだけなら召喚者の意をある程度は汲み、サーヴァントとして君たちと戦うのも悪くはなかった。所詮、この身は魔術師の魔力がなければ存在出来ない使い魔だからね

 けれど、あのローマに使われると考えたら、その考え方は英霊以前に人間として甘過ぎたよ。

 あの帝国は―――人の、国家じゃない。

 魔王でさえない暗い女が君臨している。

 メディアには悪いと思ったけど、何が何でも協力して貰い、反乱軍側に彼女も道連れにして寝返った」

 

「そう言うことね。だとしたら、ローマ側の情報もたんまり持ってることでしょうし……メンバーも揃った様だし、作戦会議を始めましょう」

 

「ああ。人類史の業である核技術も人理焼却に悪用する大馬鹿が敵側にいるとなれば、練りに練り込まねば一歩先で容易く詰みの状況に持ち込まれる。

 私はこの与えられた諸葛亮孔明としての知識も全て使い、お前たちに協力する事を約束する」

 

「お願いします。どうか御力を、Mr.ベルベット」

 

「あぁ、Ms.アニムスフィア。全力で戦い抜くことを、魔術師として契約しよう」

 

 女神の島に待ち人来たり。汎人類史を学んだカルデアの業が、人理焼却の基点となった特異点を更なる業火で焼却せんとする。

 世界は―――悲劇で在れ。

 人類史で以って汎人類史に因果を返す灰の策謀を前に、まずはローマを攻略しなくてはならない。

 反乱軍残党に過ぎない今の抵抗勢力を、残党からまた反乱軍に立ち直させるには、反乱軍を率いた英雄を暗黒帝国から取り戻さなくてもならない。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 例えるならば、食虫植物の内側。心を甘く腐らせ、精神を消化する毒壺だ。空からの日の光は入らず、数本ある蝋燭の灯火だけが光源だった。

 寝台の中、絡み合う獣と人。蜜の濃い匂いに満ち、鼻が蕩けて、脳が融けそうな空気。

 麗しい雌獣(ケダモノ)獲物(ビジョ)を貪り、白く粘つく何かが体中に張り付き、人の本能が尊ぶ獣の宴が行われている。それは生命の神秘であり、人が文明を続ける根底の営み。

 知性体の抱く命を慈しむ愛が―――赤子を求める根源だった。

 だが、愛の形は魂の数だけ存在しても良い。獲物を貪る雌の人獣はそう生命誕生の仕組みを啓蒙され、魂より湧き上がるあらゆる愛の形を情熱的に恋している。

 

「……っ―――――ん、フゥ」

 

 染み一つない白い裸体。蝋燭の光を照り返す汗と、それによって飾られる甘美にして妖艷な姿。ローマ帝国の支配者である女―――暗帝ネロは、聞いた者の性欲を問答無用で滾らせる吐息を吐き、何も身に纏わないからこそ美で飾られた裸体を誇る。

 紅く上気した顔。汗で肌に張り付く黒髪。

 陶器よりも張りのある胸と、目が逸らせない赤い頂き。

 すらりと伸びる足と、丸みはあれど一切の弛みがない綺麗過ぎる尻の型。

 部屋の暗い帳によって影に隠され、しかし蝋燭の光で見えそうになる生命の神秘たる蜜が溢れる穴の途。

 

「貴様は―――麗しい。まるで、美の女神ではないか」

 

 そして、そんな何も飾らぬ暗帝は、一人の女性に対して陵辱の限りを尽くした後だった。

 

「………―――」

 

 彼女もまた暗帝と同じく、美しい形をした女である。だが、身動きが出来ないように後ろ手に縛られ、だが足は自由に動けるように縛られてはいない。

 

「黙り込んで、それでどうする?

 余の唇を押し当て、舌を絡め合わせ、喘ぎ声をまた捻り出させるだけだ。あるいは、身体中を愛撫し続け、痙攣しても余の手と舌で愛し続け、気絶する間際の掠れた叫び声をまた出したいのか?

 ……全く、無垢なカタチをしている癖して、誘い上手にも程があろう。

 良し、ならばまだ遊ぼうではないか。幾ら夜を過ごそうとも、余はまだまだ満足から程遠い」

 

「………私は、破壊である。ローマを壊す神の鞭であれば、今は良い。故に貴様の変態趣味など、理解出来ない」

 

 本来なら嫌っている筈の名であろうとも、暗帝の底無しの性欲を抑えるワードになるならば、と彼女は今の自分の出来る限りの強気な姿勢を取るしかない。

 

「おぉ……」

 

 褐色の肌を隠す布は一枚もなく、白い紋章が全身に描かれ、どうしようもない程にそれが彼女の美しさを際立たせている。近くに寄ればその紋様に沿って指を滑らしたくなり、ネロもある日はそうやって遊んで時間を潰したこともある程で―――白い髪と合わさって、瞳を蕩けさせる美の色合いだった。

 思わず、暴力的に扱いたくなると暗帝は自分の衝動と戦っていた。

 被っていた頭の飾りも含めて剥ぎ取り、生まれた姿そのままこそ……いや、両腕だけは身動き出来ない様に縛り上げた姿が、暗帝にとって最高の飾り付けだったのだろう。

 

「……ツレないではないか。あんなにも愛し合い、体液を交換し合い、何日も交じり合った中だと言うのに。

 余は、実に悲しい。だが、確かにまだ情熱を出し尽くした訳ではない。我が霊基となった魔術師、シモン・マグスが開眼したグノーシスは中々に冒涜的で、且つ背徳的な神秘も揃っておってな。

 女でも、男のシンボルを―――生やせるのだ。

 しかも、不死身の絶倫超人としてな。好きなだけ絶頂を極められるとは、ローマ至高の魔術師と認めざるを得ん。

 それを身を以て知らされていると言うのに、その強気な台詞。貴様は本当に、余を喜ばせる最高の美女ではないか!」

 

「……ッチ、ローマめ。

 お前たちを滅ぼした生前の私は、正しい文明の破壊を行ったと見える」

 

「ふはははははは、神の鞭の伝承か!

 軍神アレスの剣を継いだ貴様が、あろうことかローマを破壊するアッティラだとは。余も、さすれば理解も出来よう。

 未来にてローマは、滅ぶべくして滅んだのだとな。

 人類史が歩んだ未来の歴史は、このローマ帝国を永遠とする余にとっては耳に痛い物語ではあるが、同時にそれは人の性癖の進化をも記している」

 

「うん……? いや、お前は何を言っている?」

 

 屈辱的なまで尊厳を、英霊としても、女性としても、徹底して辱められた後だと言うのに、反乱軍総司令官だった神の鞭―――アルテラは、ネロに対する反骨精神も忘れ、反射的に質問してしまった。

 

「全く……あの獣も、それを焼くなど勿体無い。実に、実に勿体無い。麗しき我が妻となる予定の貴様も、余との褥の夜を繰り返せば、人類史に刻まれた貴い営みを理解出来よう?」

 

「お前は、その……全裸で何を語りたい?」

 

「貴様も全裸ではないか。そんな姿で凄まれても、余の中の余と余のソレが興奮してしまうだけなのだ……ふぅ、これがローマの休日だな」

 

「………」

 

「おいおい、黙るな。強いて言えば、だ―――性癖自由都市、ローマ。

 抑制なき欲望の都としてでも、この暗い帝国は存在している。もっと格好良く、欲望解放都市なんて言うのも良いが、ローマ市民全ての欲望を自由にする訳にもいかんのでな。

 やはりある程度の法律を守る節制の精神も、皇帝として市民には求めねばならぬ」

 

「悪い文明だな。私が見なくとも、他の者でもそう見えるだろう」

 

「―――何を言うか。性の自由とは、素晴しい事であるのだ!

 男が男を愛し、女が女を愛する自由恋愛。浮気など有り得無く、誰とでも何人とでも愛し合える情熱的恋愛模様。年齢も関係なく、種族も関係なく、人形だろうと愛して良い。隠さなくとも被虐趣味は満たされ、路上で加虐趣味を満たしても理解される。

 まぁ……そう推奨しているのだが、何故か今のローマ市民はそう言う変態性を満たせる今の好機を利用しないのだ」

 

「だろうな。漏れ出た黒い呪いで、人間のその手の、余裕のある夜の文明に耽っている場合ではない。それが分からないお前ではないだろう」

 

 アルテラから見ても、今の狂乱とするローマでは夫婦や恋人同士で夜の営みを楽しむ精神的余裕など皆無。むしろ暗い呪いによって人間性から生命の営みなど削除され、今となっては人間的な性欲を謳歌している者など、この暗帝以外に存在しないことだろう。

 あるいは、暗帝が愛娼として後宮で飼っている奴隷も愉しんではいるのだろうが、もはや彼女らも魂が狂ってしまっている。暗帝の指示通りに快楽へと狂い、己が魂を暗帝の為だけに喜ばせる肉細工でしかないのだろう。

 

「辛辣だな。だが、流石は神の鞭。きっと夜の鞭を振わせても余は気持ち良くなり、毒舌の鋭さも鞭に匹敵する精神的苦痛を余に与え……ふふふふ、やはり妻として完璧だな。

 どうだ。貴様がその気になれば、貴様にもグノーシス魔術で絶倫を生やさせ、余を愉しむ権利を与えても良いのだが?」

 

「――――……いや、いやいや。要らん。そんなもの、要らんからな!」

 

「本当に、ツレないな。だが貴様も段々と余の暗き魂に染まって来ていると見える。その証拠に、その桃色な性欲な高まりからくる……あれ、別にそれも気持ち良いかも、と言う欲望が湧き出ていよう?」

 

「うぅ……ッ―――私は、破壊である。そう在るべき、一人の英霊なんだ」

 

「気の強さも麗しく、余を狂おしくする程に美しいな……はぁ、可愛いヤツめ。凄く、凄く、輝ける星よりも眩しく、何よりも可愛い女だ」

 

 その暗帝の惨いほどに性的な美しさを魅せる貌が、アルテラの精神を更に苦しめる。

 

「お前は、あの灰と言う女に狂わされている。本来ならば、こんな冒涜を犯す英霊ではない筈だ」

 

 暗帝は自分を凌辱した憎い敵を前に、そんな意味の分からない信頼を示すアルテラが不思議だった。信用されることは一つもせず、こうして肉欲で愛玩しているだけだと言うのに、憎悪と殺意を向けるような瞳を向けて来なかった。戦意はあるが、暗い感情をアルテラから感じられなかった。

 

「そうか? いや、余って普通に背徳的な人生を楽しんでいたと思うが?

 憑依召喚した英霊としての余も、母親に薬物で頭を狂わされた後は倫理観も狂い、可愛らしい美少年を去勢して飼っていたからな」

 

「ちが……っ――そうではない。そうじゃ、ないんだ」

 

 苦しそうな美貌の表情。暗帝は思うが儘に喜ばせたいのであって、精神的な苦痛を与えたい訳ではない。自分が灰の闇で魂を啓蒙されたように、アルテラも何かしらを啓蒙されたのだろうと暗帝は予想はしているも、それを聞くほど野暮ではない。

 愛によって、信頼と言う宝箱を抉じ開けるのも愉しそう。更に愛を深めることで、魂を互いに蕩け合い、心を融かし合えば自然と理解出来る真実だった。

 

「むぅ……余の快楽に酔うのは良いが、そう言うのは見たくない。

 だが、それが疑念でもある。貴様は、この様の余に何を期待している?」

 

「……何も、ない。私が、今のお前になど」

 

「嘘が下手すぎる。うむ、良い夫婦になれる素質だな」

 

 まるで、信頼していた親友に裏切られたような表情だと暗帝は感じた。今を生きる暗帝としても、憑依させた英霊としても、アルテラとは面識はこれまで無かった筈だが、相手はそうではないらしい。

 

「……そうだな。ならば、好きに私を貪れば良い。

 だがな、私の意志は決して破壊されないぞ。お前程度の欲望を受け止められぬようならば、破壊の化身などと自称する訳もなし」

 

「ほぉ、成る程なぁ……ふふ。そうかそうか。確かに、英霊のサーヴァントだものな」

 

 だが、暗くなろうともネロはネロ。より艶やかな欲求を滾らせる淫乱のソウルとなったが、灰に命を救われる前から元々の在り方でもあった。聡明であり、寛大でもあり、同時に冷酷で、且つ非情な女でもあった。必要ならば、肉親を殺し、妻も死なせ、恩師を自害へ追い詰めた。戦争も営み、より良い明日をローマが迎える為に、他国でも自国でも躊躇わず流血を良しと選んだ。

 無能からは程遠い万能の怪物、それが―――ネロ・クラウディウス。

 暗い人の性を得た今となれば、全能にも届く美貌の黒き人の化け物。

 

「しかし、情熱的な欲得も魂を癒して救う心の薬だ。余は先程に美少年を去勢して愛人としていたと言ったが、今はマグスの神秘によって女の形に転じている。そして、余の性器も自由自在の娯楽品に進化した。

 分かるだろう……?

 男や女など、愛の前では些細な差である。

 女である余が男として、男だった女を存分に愛で上げる。逆に男だった者が女として、男を生やす余に喜ばされる」

 

「…………………」

 

「む。なんだ、分からぬのか?」

 

「分かるものか。だが愛を語るのであれば、その前に私の腕の拘束を解放しろ」

 

「分かっておらん。全く駄目だ。余が愛なる情熱を啓蒙してやろう」

 

 暗帝は寝台に横たわるアルテラに乗り掛り、騎乗するように跨り、胸元に赤く滑らかな唇で口付けする。その触感に心臓が舐められた錯覚を彼女は覚え、霊核の芯から弄られた快楽に襲われる。全細胞が暗い女の愛に震え上がり、悦楽の叫びを上げたくなるのを唇を噛むことで我慢した。

 破壊の化身でなければ、愛情の熱さに脳が溶解する気持ち良さ。

 弄られていると言うのに、心底から愛されて、魂そのものを必要とされる充実感。

 

「それ即ち、相手の人格も、精神も、性欲も、愛情も、性癖も、全てを焼き尽くす―――情熱!」

 

「ッ―――!」

 

 舌で胸元を舐め、そのままアルテラの皮膚の上を滑らせ、耳元にまで暗帝は自分の口を運んだ。ついでに耳を舐め、その耳の穴に舌先を入れ、汚い部分など何一つないと行動で愛情を示した。

 

「全てが、余に染まると良い。余の情熱に蕩けると良い」

 

「――――断る。

 お前が愛を語るなら、私がそれを破壊する」

 

 感極まるとは、正にこの感情。喜びと歓びと悦びを薪にし、暗帝は魂を暗く更に燃え上がらせた。

 

「は、ぁ……ぅ―――クゥ……分かる。分かる。これが人類。正に、これが、これこそが人類愛を焼く人の愛」

 

「今のお前は何故……何故、なんだ? そこまで、欲するのか?」

 

「貴様なら、破壊の限りを尽くした闘争を、己が率いる臣下と共に行った大王なら理解していよう。破壊の為に戦火を拡げた際、貴様の部下である者共が敵地で何を行っていたのかを?

 兵ならば、女子供を犯すだろう?

 占領の度、人間の尊厳を貴様(ワレ)らは犯し尽くしていた筈だ。

 文明が進んだ現代と言う未来世界でさえ、人間は人間を陵辱する営みからは抜け出せておらん」

 

 アルテラには、それに会話のテーマが切り替わった理由は分からない。しかし、囚われの身で凌辱され続けている現状を考えれば、暗帝の話を遮るのは良い選択ではないとは分かる。同時に、何がネロを暗帝にしてしまったのか、僅かでも事実を知りたい。

 そう思い、彼女は王として草原を駆け抜けた記録を掘り返し、自国の兵が戦場で獣性を解き放つ当たり前な光景も思い返した。

 

「それは……―――そうだった。私も軍隊を完全に統制など出来ず、それでも破壊で在れば良かった。褒美として恐らくは我が将共も、王である私の目から隠す様に、兵士にある程度は羽目を外すのは許していただろう」

 

 英霊が、英雄で在る故の付き纏う罪科。殺戮と闘争に生きた大王なら、その光景を必ず見て来たのが道理である。敵地がそうなると分かった上で、英雄の名誉を持つ人間は、繁栄と明日の為に残虐で在る自分を良しと出来てしま得た。

 

「清廉潔白なあの騎士王とて、臣下全ての欲情を制御出来る訳もなし。闘争を必要不可欠とする国家を運営するには、己もまた獣性を良しとしなければならない。

 故に貴様は、暗帝である余にとって最も高潔なる―――贄なのよ」

 

「お前は、愛に……狂っていないの、か?」

 

 蕩ける瞳の奥底に、暗い魂が潜んでいる。アルテラは暗帝があの灰なる不死に呪いで汚染されたと思っていたが、勘違いだと今この意志を見たことで真実を啓蒙されてしまった。

 呪いではなく――魂に、目が醒めただけ。

 アルテラは、もうどうしようもない事実を認めてしまった。狂っているのではなく、魂がもはや転生しているのかもしれない。

 

「お前は、もうネロじゃ……ない、のか?」

 

「フフフフフ。英霊が生前の本人の魂を素材にされ、更に伝承と逸話を混ぜ込まれ、境界記録帯(ゴーストライナー)となるように、余の魂も英霊と同じく混ぜ物だ。

 貴様も、もはや余と同じで、そうでしかないので在ろう?

 死する前の貴様は、今の貴様ではない。だが、確かなアルテラであり、今の貴様の魂に生前の意志は継承されている。余も、それと同じである。魂は作り変わったが、この意志だけは確かなネロとして生きている」

 

「それは、そうだが――……だが、違う。お前が、認めてはならないんだ」

 

「人理と抑止が、それより派遣された尖兵が、余の魂を救った女神を非難する正当性は皆無なのだ。そう在らねばもはや、ネロと言う人間は存在できない。

 既に余は、自害した後の―――死骸人形。

 人理に死を観測され、だが人間性によってソウルを獲得し、蘇生の魔術で再度の命を吹き込まれ、この特異点で存在することを許された」

 

 英霊とはただそれだけで人類に―――愛されている。

 人類史に印された物語の記録に―――祈られている。

 即ち、魂を想いで犯されることで産み出され、意志だけが新たな魂に継承された存在。

 生きた儘に魂が産み直された暗帝から見れば、英霊とは灰の代わりが座になっただけ。

 

「―――あぁ、そうだな。

 私も、この魂は随分と遠い処まで来てしまった」

 

「貴様の魂と、その由来を余も教えて貰った。だから、英霊であるその霊魂は美しく、同時に暗く憐れであった」

 

 馬乗りの儘、体を密着させ、暗帝は耳元で小さく囁き続ける。互いの体温で暖かく、汗で湿り、まるで蕩けるような深みの安堵を味わえる。それが人間の温かさであるのだろう。

 

「だからどうか、分かって欲しいのだ。余のローマは、これより先の悲劇を無くす情熱の愛に溢れた国とするためのもの。

 全てがローマの愛に埋まれば、人が殺し合うこともない。誰もが自由に隣人を愛し、魂が融け合い、満たされるまで情熱に蕩け合う理想の帝国を」

 

 魂から愛によって犯され、疲れ果て、自分が馬乗りになっているアルテラに、暗帝は聖人君子のような輝ける星の笑みを浮かべる。

 正しく、人に愛される薔薇の微笑みだった。

 

「人の魂が犯されない国家。あらゆる愛の形が拒まれない社会。誰もが尊厳を汚されない世界。

 そなたに、私は教えたいのだ―――暗い、この魂を!」

 

 爛々と暗く輝く闇黒の星。ブラックホールのような瞳で戦闘王を覗き込み、魂が吸い込まれる恐怖を覚えさせられる。

 

「この情熱の愛で、余は世界を変える。良い未来も、悪い未来も、もはや関係ないのだ。余はただ、あの未来を良しとする人類史を赦せない。

 ならばこそ、余の愛によって、より良い愛に満ちたローマを繁栄させるため、この人理の全てを否定する」

 

 ――何もかもを、自分の暗い愛で押し潰す。

 ネロは、本気であった。ローマこそ人類を救う最適な答えだと判断していた。

 魂が歩みの果てに辿り着くのは、救済か、絶滅か。

 どちらにせよ、社会は終わり、平和は消え去った。

 善意より、世界を作り替える罪は産み出るのだと。

 

「暗黒皇帝である余が生きるとは、そう在らねばならぬのだ!」

 

 世界を焼く熱い愛。アルテラは、余りに暗い情念に自分の魂が愛され尽くされ、暗くて重い愛の想いで意志が折れるまで犯されるのだと未来を悟ってしまった。

 魂の化け物であり、愛の怪物。

 人間ネロの遺志こそ、暗帝ネロの意志。

 本当の、本気で、魂より美しい心を愛しているからこそ、彼女は子を成せないサーヴァントであるアルテラで在ろうとも―――赤子が、欲しいのだ。

 

「お前の愛は、そんなものでは無かった!」

 

 闇に堕ちた友を見たような、悲痛な叫び声だった。

 

「お前は、お前の情熱は……そんな愛のために、燃えてはいなかった」

 

「――――あぁ、そうだろうとも」

 

「ネロ……?」

 

「そして、その女は私となった。アルテラ、もう諦めよ。余の愛に溺れ、気持ち良くなれば、異郷より来たその魂はこの星のローマに回帰する。

 肉を得た今ならば―――人間として、余と愛に生きよう」

 

 ―――狂おしい。

 ここまで求められ、必要とされ、愛されたことなど一度もなかった。弟のような彼や、自分を王として祝福した臣下はいたが、人間の女としての自分を意識したことなど有り得なかった。

 ―――溺れたい。

 何故、ここまで頑なに愛を拒ねばならない。王の矜持も、戦士の信念も、全てを蕩かしてしまえば心が深みに沈み、愛される安寧の日常を送れるだろうに。魂を一つにしてしまえば良い。

 

「わた、し……は……わたし、は―――」

 

 堕ちる。堕ちろ。堕ちてしまえ。

 

「―――私は、破壊である」

 

 暗帝は落胆した。こんな程度の愛で、アルテラが自分に蕩ける等と言う低俗な妄想をした自分の恋愛観念に。

 故に、絶頂した。更なる愛を求めるアルテラの堅き意志こそ、愛する価値のある人間の在り方であるのだと。

 

「そうか……――くく、ふふふ、ふははははは!!

 良し! ならば、良しとする! 破壊である貴様を我が愛にするため、余も人理抹殺の情熱が煮え滾ると言うものだ!!」

 

 爆笑を越えた大笑いで暗帝の腹は捩れ、愉しすぎて苦しかった。そのまま彼女はアルテラを横抱きにし、寝台から運び出す。横抱きの起源を考えると、ネロがアルテラを現代だとお姫様抱っこの形で部屋から持ち去るのは皮肉極まるも、しかしそれもまたローマの歴史。

 

「ピロートークが長くなりすぎたな。とは言え、そこまで完璧にしてこそ、褥の悦びだ。やってはい終わりではマナー違反故な。

 だから、今日は露天風呂に入ろう。少し汗をかいてしまったからな!」

 

「は? お前……と言うより、あれが睦言か?」

 

 ただの自分語りでは、とアルテラは驚いた。

 

「次は貴様から睦言を聞くための布石だ。己を晒し出さねば、相手の想いを聞けぬのは当然。だが、それはまた明日の、愛の営みの後のお楽しみである」

 

「…………」

 

 暗い愛とは、名の通り闇色の愛情だった。人の温もりを求めている癖に、己の愛で相手を焼き尽くすとは本末転倒。アルテラほどの超人的意志の強さを持たねば、あっさりと暗帝の愛に蕩け、奴隷の魂に落ちていることだ。

 それに魂の強さは関係ない。あらゆる英霊が暗い想いに耐えられず、人間では呪いではない善なる闇に抵抗など許されない。

 暗帝が見た麗しき盾の乙女、マシュ・キリエライトのような聖なる心を持つ者であれば、心の守りに一切の価値はなく、愛に蕩けて堕落する。何故なら、悪性の呪いではない為に、そもそも親愛から心を守る全性の守護などないからだ。

 

「……ふん。好きにしろ」

 

「無論だ。余は暗帝、ローマの全てを好きにする!」

 

 より良い明日を否定し、幸福な未来を閉ざし、絶望に魂を躊躇いなく沈められる者で在らねば、暗帝の愛に抵抗など出来ない。

 恐らくは、破壊の化身でなければ恋愛と言う舞台に上がることさえ許されない。暗帝の愛で心が溶けながら、全人類に必要とされるより貴い愛を拒めない。

 

「――――っ………」

 

 一度なら、耐えられるかもしれない。

 だが、常に消化され続けることに人の魂は耐えられない。

 

「愉しい。余は、本当に―――生きていて良かった。救われて良かった。

 先の未来が分からぬ暗い闇の世の中でこそ、魂が地獄より深い奈落の底に堕ちたとしても、人の意志は輝ける星になれるのだと。

 あの灰の女神は死ぬしかない余に―――いや、命の価値に失望した私に人間の強さを、人が在るべき魂の在り方を、このローマに教えてくれたのだから」

 

 温かい。闇は、本当に温かかった。

 

「……それは、お前の情熱ではないのだぞ?」

 

「うむ、そうだとも。だが、暗き余はそう在れねばならぬのだ。それで貴様と出会えたのなら、これもまた運命であったのだと喜べるだろう?」

 

「――――――――」

 

 完膚無きまでに終わっていた。暗帝は、そもそも既に人生を到着させている。今のこの特異点は、ネロと言う女の因果が完結した先の、終わった女の物語。あるいは、人間が作った地獄に堕ちた先の後日譚。

 在るが儘に。

 為すが儘に。

 良心の儘に。

 欲望の虜となって、魂に悦びを。

 悦びと歓びに縛られた幸福な暗い楽園。喜ばしい日々の失楽園。

 アルテラは、もはや自分が何時まで喜悦と歓喜に耐えられるか分からないが、それでも尚、どうしようもなくなるまで耐えるしか選択肢は存在しなかった。








 実は世界各地に二千数百年前にやって来た灰によるソウルの業の実験の所為で、魔術世界だと封印都市やら禁断区画やら物騒な異界混じりの絵画もどきな土地があるのですが、しっかりと現実世界のテクスチャを汚染しないように灰が火の封によって異界ごと後始末をし、実験がどうなったか経過観測もしています。なのでヤーナムや葦名とかだけではなく、型月世界が持つ厄介事以外にも灰由来の違法建築が凄い村や静岡な町みたいな異界常識によって異界化した場所とかも結構点在しています。とは言え、人理を考えると、一瞬で特異点化オア剪定事象になるヤベェの尽くしなので、しっかりと封印はされてはいます。それなのに悪魔が獣の苗床探しで色んな場所にも来ては結構荒しているので、平行世界からの余波もあって、今回のようにヤーナムの悪夢から現実のテクスチャにアメンドーズが、悪魔の濃霧を門として侵略してくるような事も結構あったりします。その辺の更なる後始末は、何か未確認のヤバい魔術師が魔術世界で大昔から暗躍しているのは分かるが、どうしようもないので魔術協会や聖堂教会も含め、世界各地の神秘結社が頑張って世界を維持している状態でした。悪魔が獣の苗床探しをしなければ、灰による異界を閉じ込める火の封も完璧でしたが、フロムな人々が型月世界に厄種を撒きまくってる雰囲気です。
 また暗黒帝国在住のネロさんはあんな風に、自害後に堕ちた地獄のような特異点を、自分なりに楽園として愉しんでいる雰囲気です。とは言え、完璧にダークな失楽園模様になっていますが。それと一番最初に特異点の聖杯を拾ったのはシモン・マグスでして、ネロが灰から直接渡された訳ではないんですよね。グノーシスを修めていた魔術師の所為もあって、ローマは結構狂ってもいます。
 それとアルテラさんが死んでも良い様に記憶を失った儘で、人理修復の抑止力に使われているのを灰は理解しています。なので魂は自由で在れと思い、ちゃんとネロに捕えられた後はソウルの記憶を“人間”として解放させています。その所為でネロを憎めない状態になってしまいましたが、それはそれでソウルにとっては欺瞞の無い状態ですので、人間的には正しい形だとネロを灰は助言一つ残して見守っている雰囲気です。


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啓蒙56:失われた人の心

 何時も、感想ありがとうございます! 投稿活動の原動力となってます!
 またお気に入り登録をして下さった読者の皆様、この更新も続けて読んで頂き感謝致します!
 更に読んだ後、評価の方もして貰えるとなれば、本当に有り難い限りです!


 既に、各地にメディアが魔法陣よる転移門を作成している。女神の島の霊脈と、各地の霊脈を利用することで魔術転移網を作成すると言う神霊並の術式を作り合え、サーヴァントを各地の反乱軍を率いる将軍として即座に使える状況になっている。

 今はもう反乱軍残党に過ぎないが、だからこそフットワークの軽さは凄いもの。藤丸やマシュも作戦に参加し、ブーディカなど共に戦局を斬り開くべく先陣に加わって、ローマの占領区域を解放していっていた。

 

『どうかした、所長』

 

「いえ、ちょっと相談を。一人の魔術師として、かなり現状がきな臭くて」

 

『成る程。分かったよ……―――オルガ』

 

 そんな中、悪魔も英霊ネロに付き添うことで女神の島から離れている。あの悪魔がその気になれば、通信を逆探知することでカルデアの位置を察知し、濃霧より転移することも容易い自称。あるいは、既にもう把握している可能性は非常に高いが、だからと言ってカルデアの指令官と臨時副司令官が危機感を失くす訳にもいかない。

 よって今はカルデアと所長が通信する数少ない好機となり、ロマニと相談事を話し込もうとする貴重な瞬間である。それもカルデア所長としてではなく、一人の魔術師として、この人理焼却に関するカルデア以外の思惑についてであった。

 

「貴方にも相談したけど、私って幼い頃の思い出が今一なくて……結構重い記憶障害があるのよ。ほら、魔術儀式の失敗で脳に後遺症があるって貴方にだけは言ったじゃない」

 

 正しく言えば、オルガが勝手に英霊召喚の術式を試し、とある上位者がサーヴァントと言う匣に取り憑いて召喚されたことによる惨劇が原因であった。記憶障害と言う括りではあるものの、実際は更に悍ましい病魔による忘却であり、どんな神秘の医療でも治し様がないのだが。

 取り敢えず、オルガが知っている最も知恵深い男―――ロマニ・アーキマンならば、と治療を申し込むのは悪い選択ではなかった。現状は何故か魔術回路を持った魔術師ではないが、彼が非常識な領域まで踏み込んだ学術者であること程度は簡単に察していた。

 

『聞いてる。カウンセリングもしたしね。

 まぁ……自分を客観視してちゃんと現状を理解し、感情も制御出来るオルガに必要かは、医師であるボクも疑問だったけど。でも、どんなに治し甲斐のない患者でも病から治って欲しいのが、ボクと言う医者の信念でもある』

 

「それは良いのよ。でね、パピーから言われるアニムスフィアの冠位指定も実は虫喰い状態でして。魔術師としてやるべき事はわかるのだけど、魔術師マリスビリーが何をしていたのかは、このカルデアと言う組織の現状から予測するしか私には術がない訳」

 

『え”……いや、そこまでの重症患者だったの?』

 

 痛恨の誤診。ちょっとした意味記憶の損害であるも、家系を継ぐ魔術師達としては致命傷。魔術師であることを考えれば、自分の家族のことを全て忘却したようなものてある。

 しかし、ロマニも魔術師の命題に治療のためとは言え、あのアニムスフィアから聞くことは流石に出来ない。ある程度は感情も付随したエピソード記憶の発掘に協力できたので、治療には十分と判断していた。

 

「うん。それが私の脳味噌、ホントにさっぱりしちゃって。正直、学術者としてテーマさえあれば、自分なりに探求出来れば良かったから。父親がそこまで真剣に私に対して継承させようともしてなかったから、私は私なりに世界に秘匿された神秘を暴ければ魔術師として満足だったもの。

 父も突然死んでしまって、ちゃんと遺言も残してないから……恐らく、私が知らなくて良いことで、あるいはもう終わらせているアニムスフィアの事業だったんでしょう。

 カルデアに来てから、それは確信したし、だったら好き勝手に私好みの学術組織に再建しちゃえば良いやと愉しみまくってたのよ」

 

 ロマニも、オルガが所長を始めてからのカルデアの様変わりの好む一人。魔術師として、技術者として、医療者として、誰もが何かしらの業を修める学術者として自分の職務を好きになれる環境になったのは事実。

 やりがいと言う実に曖昧な、だが人間が仕事を好きなる重大な実感。

 根源狂いでしかない魔術師が組織の所長をすれば、組織全体が理想を求める理念によって、人間性と倫理が目的の為ならばと腐るのが必然だとロマニはマリスビリーの人格を正しく理解した上で悟っていたが、その娘がここまで面白可笑しい“人間”だとは思いも出来なかった。

 

『……オルガは、根源に興味ないからね』

 

 魔術師ではあるが、その前に今のオルガは学術者だった。探求そのものを楽しみ、それを魔術師としても神秘を暴く活力としている。

 本質的に、根源が到達地点ではない。それの為に、あるいはアニムスフィアの理想の為だけに、彼女は魔術を極めている訳ではない。

 誰も信じられないロマニがオルガを信頼“してしまった”のは、彼女が人間として本当に、血腥くとも輝ける星の如き強烈な意志を持っていたからだと、今なら溜め息混じりに納得出来た。

 

「私の生まれは魔術師だけど、生き方はちゃんと一人の人間としてこの世界を生きて、私の業による目的を決めてからじゃないとね。

 ―――何を生かし、その為に何を殺すのか。

 そう言うのを、先祖からの命題で決めるのとか私の魂に申し訳ないのよ。せめて、生きる意志は自分自身で在らねば人じゃなくなってしまうじゃない?」

 

『当然だね。人なら、そうじゃないと人生を全う出来ないよ……まぁ、出来れば殺生に関わらない人生の方が、良いんだろうけど』

 

「そこは諦めてるわ。ほら、アニムスフィアなんて魔術師の家系だとね。生まればかりは、最初からそう在るのだから仕方ないし、自分の意志で生きようと思索出来る年齢になるまでは、どうしても環境に決められた在り方から逃げ出す意志も得られないものね」

 

『まぁ……それは、ボクも良く分かってるさ。人生、人それぞれだもの。

 最初から周囲の人達にそう在れと当然のように望まれちゃうと、それに気が付けるまでの人生って人間としての意志を持てないから……あ、オルガがそうだと言ってる訳ではないからね』

 

「別に良いわよ。今はどんな難業や面倒事も心から愉しめるし、背負ってる苦行や苦痛も好きで全うしてるから、幸せな人生だとこの魂に胸を張れるわ。

 苦しみ一つない人生だと、折角手に入れた自分の業も鍛えられないしね」

 

『それを幸福な人生だと言えるから、オルガはオルガマリーなんですけどね。ボクもその在り方は素晴しいと思うから、それなりに見習いたいな』

 

「良いわよ、もっと褒めて。そうすると、自分でも如何かと思う程に承認欲求が強い私の気分が良くなるものね!

 でも仕方ないわ。それを愉しいと感じる心の在り様が、私が自分の業で獲得した自分の意志なんだから」

 

『いやぁ……はははは。相手に自覚があると、(オダ)てる側も楽で良いなぁ……』

 

「褒められる為に頑張ってるのも事実。独りよがりで他人に興味関心がない私だけど……そう言うのを楽しめる様に、私なりに人間らしさを頑張ってはいるのよ。

 だから……まぁその、此処までの倫理観を腐った私が得るのに、貴方の医療はとても素晴らしい業だった。一人の患者として感謝しています、ドクター・ロマン」

 

『そう言われると、アニムスフィアの専属医として鼻が高い。うん…‥そうだね、ボクも嬉しいな』

 

 ロマニにとって、彼女の精神は見ていられなかった。苦しむことも、悶えることも出来ず、重圧を察するまともな感情も亡くなっている。

 どうしたものかと思い、マリスビリーからカルデアに何れ来る娘を頼まれたと、嘘ではないが軽口に等しい言葉を出汁にし、思い切ってカウンセリングの必要性を訴えてみた。相手が人の言葉を聞かないヒステリックな部分があれば、逆に失礼な相手として冷遇したかもしれないが、このカルデアではそうならなかった。

 だからロマニにとって、彼女は上司である前に、特別な―――患者だった。

 オルガが人間性を取り戻す様子を見て、まるで自分の人間性が育っていくような感覚を味わった。

 

『で、オルガの相談事って。多分、こう言う心境的なものじゃなく、今のこのカルデアに纏わる状況についてだろ?』

 

「特異点発生の、その順番よ。ある程度は見えてきたから疑問を得たのだけど―――最初の特異点、あれって人理焼却と関係ないじゃない?」

 

『あー……あ! まさか……今回の黒幕とは別件、なのか?

 冬木特異点の元凶はレフ教授だと誤認していただけで……セイバーの聖杯は、特異点を維持する為の物でしかない。カルデアが特異点を発見出来たのは特異点を守っていた彼女の御蔭で、そもそもの発生原因は別問題だったのか!?』

 

「そうなのよ。まず、カルデアスによる未来観測で人理保証が出来なくなった。原因だと予測された特異点を発見した。その特異点に行く為に準備をし、レフの爆破テロを受けた結果、何とかレイシフトをしてあのセイバーを撃破した。その後、悪魔が襲来し、裏切り者を撃退し、特異点が崩落した。

 そもそもフランスみたいに、特異点の解決となる事を行ってないのよ。

 セイバーを撃破したのがトリガーじゃない。彼女が聖杯を守護していて、大聖杯も存在していたけど、あの冬木が特異点化した元凶を壊していない。隠れて聖杯を持ち逃げするレフが退去する際に何かを行って、カルデアも特異点崩落から逃げる為にレイシフトを行って脱出しただけ」

 

『セイバーが持っていた“聖杯”も、教授がどさくさに物質転移の魔術で持ち逃げてたから。後で映像記録で確認した際、デーモンスレイヤーがセイバーを殺した時に破壊されたと思ってたけど……後で見たあの魔術反応、死んだ時に空間転移で回収してた』

 

「私もあの悪魔の所為で目が曇りまくって、レフの裏方働きを見逃しちゃったもの。相変わらず、良い仕事をする男よね。今のカルデアにとっては不利益なんだけど。

 なので、本質的な問題は冬木にあったあの巨大魔術炉心―――大聖杯。

 もう崩壊したからレイシフトで詳しく調査出来ないけれども、特異点発生にはそれが関わっているのよ。それで、その特異点を何故かそのまま維持するのにセイバーは大聖杯の前で戦っていた」

 

『だとすると……あれ、何か問題で――――そうか、問題しかない!』

 

「気が付いた? そもそも黒幕による人理焼却で特異点の空に光帯が浮かんでるけど、冬木にはその異常はなかった。

 フランスとローマでこの光帯を私は観測したけど、人理焼却に関わっている特異点に浮かんでる。関わっていない特異点には光帯は存在しないでしょう。これはこれよりカルデアが解決する数多の特異点を観測し、その調査結果から更に精密な情報で答えを得られるわ」

 

『それだと冬木で何かあって、そこから問題は発生した。原因と元凶、そして黒幕はそれぞれ別件。いや、でも……これは気が付けても、まずは人理焼却を乗り越えないと』

 

「そうね。だけどカルデアの人理保証の作戦はね、そもそも冬木の特異点の崩落がトリガーとなって始まったのよ。でも、一番最初にカルデアが観測した人類史の消滅と、この人理焼却は無関係とは言えないけど……多分、何かを利用されたのよ。因果関係はあるが、密接した関係性ではない。

 しかし、それを基点に世界消滅の危機のルートが観測から切り変わったから、この事件を防げばまた人理継続の保証は可能。百年後の未来も、直ぐに観測可能となるでしょう。

 けれど、根本的な見落としが私達には存在してしまってる。

 一番最初の発生原因を叩かないと、連鎖する人理の自滅因子を狩り尽くせない」

 

『―――アン・ディール! いや、今はアッシュ・ワンだけど……彼女なら、黒幕側の事情にも詳しいじゃないかな。どうにか聞き出せない?』

 

「説明したけど、あいつはあいつで更に別件なのよ。いや、本当に面倒事のオンパレードなんだけど。善の反対は悪だけど、正義の敵はまた別の正義って言うのは良い例えで、人理の敵は違う世界の人理ってこと。

 人理を滅ぼそうとする者もどうやら、この人理から生まれた知性体みたいなのは間違いなさそうだし、そうだと結局は癌細胞みたいに母胎を病死させる自滅因子が今回の原因。カルデアにとっては敵なんだけど、人理からすればカルデアを血清として扱って始末するべき病原菌。サーヴァントとして召喚されてる英霊も、言うなれば白血球のような自浄作用として運用されてるの。

 逆に、今のアッシュ・ワンはこの人理にとっても敵。

 裏側の抑止力を自分の探求に利用する為、また違う人理を救う為に人理焼却を程良く利用している。でも、この人理以外の世界にとって、彼女は平行世界の数だけ存在する数多の人理を導く救世主でもある」

 

『うわぁ……いや、うわぁ――――人類種、信用出来なくなりそうじゃないか』

 

 カルデアで、オルガから正確な情報を得ているのはロマニだ唯一の人物。悪魔と灰が何故、こうしてローマにいるのか理解しているのも、カルデアだと所長とロマニだけ。

 人理焼却の先の事を、乗り越えた未来に待ち受けるものを何となく察した儘、今のカルデアでは戦い抜く事は不可能だと所長は寸分も狂いなく理解している。真実を明かすことが、人の意志を挫く激毒になることも理解している。

 とは言え、貧乏籤を引いた一人には、地獄まで所長に付き合って貰うのだが。

 

「でしょう? 本気でカルデア所長って言うのは、汎人類史にとって罰ゲーム並の苦行なのよね。誰が何を救うのか……その違いで、人理に生きる人間同士で殺し合う破目になってるのよ。下手したら、違う平行世界の人理を守ろうとするカルデアとも、このカルデアは殺し合うかもしれない。

 せめてもの救いは、灰も私も自分達が殺し合う事に嫌悪してないって事ね。

 裏切り者にどんな目論見があろうとも、全部叩き潰して、逆に焼き返し、私はあの女を狩り殺ると誓いましょう」

 

 はぁ、と医師は溜め息と一緒に匙を投げる。獣が人理を侵す病魔であれば、彼がすべき責務も医師の医療行為と同様の命を救う他者への献身。

 為すべき事を―――為す。

 忍びが呟いた決意を聞いたことがある医師は、その意志の真意を理解した。地獄に堕ちるしかなかった救われない誰かを救う術はなく、だが地獄に堕ちる最中の誰かなら手を伸ばせば、あるいはまだ届くかも知れない。

 

『―――人の運命を狩るんだね、オルガマリー・アニムスフィア』

 

 既に匙は投げている。だから医師は、その意志を掴むべく現実から目を逸らさない。

 

「それが、我らカルデアが守るべき人理の為ならば―――……絶望を、焚べましょう」

 

 だから、星見の狩人はこの世で最も適任なのかもしれない。しかし、ただの不死では人理を守れない。オルガマリーでなければ、魂さえ死に切れない不死の極点である奴等には決して届かない。人類の魂の為に、自分の魂の為に、平然と世界を幾度も繰り返す事が出来る無限に耐えられるなら、滅びと終りを悲観する人間性を得られない。

 灰では全てを焼き尽くすことしか出来ない。人の魂が本質的に、人理を焼却する程度の火力で燃え尽きる訳がないと人類種を魂の底から信じてしまっている。燃え殻になろうと、残り滓になろうと、魂がどんな成り果てになろうとも、魂が滅んでも人の魂から生まれた心は永遠だと全人類を信じている。自分がそう在り、自分の国のロンドールがそう在るのならば、そう存在出来ない魂は人間ではないのだろうと。闇の中で生まれたのならば、尚の事。

 同時に悪魔では何もかもを濃霧に呑み込むだけだった。もはや魂を救う為に手段を選ばず、文字通りの悪魔と成り果ててしまっている。そんな悪魔が、全てが無駄だからと人の魂を救わない選択など取れず、やがて悪魔の獣と成り果てるのが必然の選択肢。何時かは獣の中の異界を魂の楽園であると悟り、むしろ魂が濃霧に沈むことを良しとするのも時間の問題。どうせこの宇宙から全ての魂が消えるのであれば、終わらない不死の眠りに誘うのだろう。

 そしてオルガマリーを悪夢に誘った狩人では、この世を目覚めぬ悪夢へと眠らせてしまう。結果的に人類を古都の学術者共が望んだ通り、上位者と言う次世代の霊長に進化させることで人理そのものを不必要な運営機構とし、単独で宇宙の空を生きられる知性体に全人類を再誕させるだろう。人の意志は宇宙の何処までも続き、全てを人類の進化した先の悪夢とするのが進化の到達地点。上位者が夢見る空想の中で人の意志は永遠となり、思索を繰り返す。

 救いと言えば救いだが―――人類に価値はあっても、人理には無意味だった。

 そう言う土台ごと破壊する救済方法しか選べず、結局は不死を耐えられる魂しか生存出来ない世界。あるいは、根源より流れ落ちる魂さえも自分を存在させる道具とした完璧なる“人間”の世界。オルガマリー・アニムスフィアがカルデア所長を諦め、心が折れた瞬間―――その様が人類種の未来だと、瞳が脳裏に強烈なまで啓蒙した。

 

『まぁ、これからも頑張りましょう。やるべきことをやって、為すべき事を為す。結局、出来ることを全て一つづつしっかりとクリアしていくしか、人間には出来ないんですから』

 

「そうよね。お互い、変な運命背負ってるみたいだし……藤丸とマシュも私達と似た者同士の境遇だし、仲間もいればそれだけで励みになる。

 頑張るしかないわよねぇ……頑張るしか。あぁ、でも言葉にすると頑張るって鬱になるわ。頑張っても頑張っても、前より頑張っても、更に頑張るしかどうしようもないだもの。

 一人で獲物を狩るだけで良かったなら、本当に死んで頑張り続けることも全然だし、ぶっちゃけ苦じゃないのになぁ……」

 

『はいはい。愚痴はカルデアでどんなに長くても聞きますから、特異点攻略を今は一番に考えて』

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

「はい。お疲れ様、立香とマシュ。反乱軍と一緒のローマとの戦いは、どう?

 肉体的な疲労は大丈夫そうだし、戦いも危な気なく順調だけど、戦歴は新兵を卒業してないじゃない。何か思うところは絶対にあるからさ、何でも言って欲しいな?」

 

「戦力的には楽かな。でも、彼らが死ぬ姿を見るのは何時までも慣れない……いや、多分ずっと慣れられないかもしれない」

 

「そうですね、先輩。

 …………私も、全員を守り切れる訳ではありませんから」

 

「そうなんだ。でも、痛いのは優しい人の証だから、それを自分の弱さだって思っちゃ駄目だからね。自分から進んで、人道を踏み外した修羅になることもない」

 

 怨嗟の化身(ブーディカ)は、自分を偽ることなく微笑んでいる。彼女は本気で、二人をそう思って按じている。自分の殺意と怨讐を棚上げにし、殺戮の血に酔う自分自身の狂気を律しながら、国民を思う女王としての自分を思い返している。

 ローマ兵など、千匹屠殺しても心が痛まない。今のブーディカはそう言う復讐の化け物なのに、死に行くローマ兵と味方の反乱軍の兵士が死ぬ度に、表情に浮かべなくとも苦しそうな気配になる二人には心を痛める。

 余りにも惨い矛盾だ―――と、本人は己の憎悪に絶望する。

 ローマを焼く業火に幾ら焚べても、ローマ兵の死を何度も踏み砕いても、魂は癒されず、憎悪は死が焚かれる度に燃え上がる。

 絶望など、焚べても罪が燃え上がるだけ。

 人間性を捧げて悪魔となり、血に飢えるだけ。

 女王の玉座はローマに破壊され、帰るべき国も消えた。

 

「だから、良いんだよ……―――魂が穢れる事なんて、本当はするべきじゃない」

 

「すみません。ブーディカさん、わたしは……でも、それでも戦うのです。わたしが、カルデアの盾になりたいと願っているんです」

 

「―――……誰かに、そう教えられたの?」

 

 しかし、綺麗過ぎる水は鏡にもなる。無垢なマシュの想いは、ブーディカの暗さを映すには余りにも悪辣な姿映しでもあった。

 守って上げたいけど、女王にとってそれは自身の正気を削る行い。

 狂うことで理性を維持しているのに、守るべき者など既にローマが滅ぼした―――と言う現実を、彼女はマシュの姿を見て、マシュと会話する度に思い返している。

 

「いいえ。でも、人の在り方は教えて貰いました。勿論、良い話だけではなく、人類が行って来て……今も、世界の何処かで行われている罪の所業も」

 

 カルデアと言う組織は、オルガマリーが所長になって変わってしまった。人類史を救う兵器として運用される少女に、在りの儘の人類史を教えるのは酷にしかならない。綺麗なものを守る為に戦っていると教えた方が使い易く、マリスビリーは徹底して情報操作した育て方を行っていた。

 だが、そんな在り方をロマニが許容できる筈もない。オルガマリーは、自分の部下を使い捨ての道具にする意志など抱かない。

 記録されたあらゆる邪悪の所業を、歴史の授業として彼女は理解していた。人間とは、こうして人類史を今に至るまで積み上げてきたのだと。勿論、そう在るだけの人類ではないことも。

 

「そう言うこと。無垢で在れば良い筈なのに、そんなキミに善悪の選択を教えるなんて、カルデアはそう言う組織なんだ」

 

 女王は、己が直感の正しさを知る。マシュを見た時、カルデアの歪みも悟れたが、同時に今はそうではないことも何となく分かっていた。彼女が優しい人に育てられた事を、一人の母親として分かっていた。

 

「はい? あの、すみません。それはどう言う意味なんでしょうか、ブーディカさん」

 

「何でも無いの。ただ歪みのない愛し方なんだと思って。きっとマシュの事を信じているし、マシュが何かに絶望して裏切っても……多分、キミを育てた人は納得して死んでくれるでしょう」

 

「――――それは、その……でも、意味が分かりません。わたしは、カルデアを裏切りません」

 

「もし、藤丸立香が殺されても?」

 

「え……―――」

 

「もし、オルガマリーが敵の手で惨死しても?」

 

「―――……それは」

 

「キミは、今の内にあらゆる残酷な未来を想像しておいた方が良い。必ず、そんな絶望が追い付く時が来る。来ないかもしれないけど、そう考えを止めてると恐怖には打ち勝てない。

 ……あたしは憎悪に狂って良かった。

 敵を思う儘に、残虐な殺意で惨殺して良かった。

 でもさ、マシュは多分そう言うの、信じた人に裏切られても出来ないから」

 

「分かっています。それは、ちゃんと分かっているのです……」

 

 思いやりからの言葉だと藤丸は分かっている。マシュに対するブーディカなりの助言であり、血生臭い戦場で生き延びる為の心得でもあると。

 残酷で在れ、と言っている訳ではない。

 人間は残酷な生き物だ、と彼女は言っていた。

 特異点を巡るとは、人のその在り方も否定せずに戦い抜く苦行でもあるのだと。だから、藤丸も女王の想いに応えないといけない。

 

「ブーディカ。俺もそんな未来は思いたくもないけど……何時だって、そうなる不安に襲われている。本当は、夜を眠るのだって怖い時もある。

 冬木はまだ実感がなかったけど――――フランスは、人の地獄だった。

 人間が、人間を愉しそうに殺していたんだ。人間が吸血鬼になって、子供が飛竜に生み直されて、人を狩って食べていたんだ」

 

 その言葉は恐怖に震えていて、だがブーディカを映す彼の瞳も畏怖に震えている。それを見た彼女は、ある意味で酷い納得を得ていた。

 

「―――復讐の為に、かしら。

 フランスで人を殺し回っていた、君たちの敵となった人の目的は」

 

「…………………………」

 

「そう……まぁ、そうだったら、キミがあたしに恐怖するのも仕方がないね」

 

 その勘違いを、藤丸は許せなかった。彼は女王を怖くはない。その憎悪が恐怖の対象の一つであるだけで、だが否定することもしたくはなかった。

 

「違う。怖くはない。それは本当だ。けど……もう、憎悪で誰かを苦しそうに殺す人を、俺は見たくないんだ」

 

 憎悪は、容易く人の狂気に呑みこんでしまう。あのジャンヌだって、きっと聖女の幸福を祈れる子供だったのに。誰かの為に祈れる人であるのに、憎しみは魂を暗く染め上げる。

 敵同士だと殺し合うしかなかった。しかしカルデアに召喚された後なら、言葉で通じ合えた。

 彼が日々の報告としても良く会話をする所長はとても嬉しそうに、そんな藤丸の話を聞いて“良く頑張った”、“私も嬉しいわ”と子供みたいな笑って褒めてくれた。

 

「だから―――見てるだけなのは、諦めだ。

 自分に出来る事が目の前にあるなら、人に恨まれても逃げたくない。俺はこのカルデアの中で、そう生きていたい」

 

 彼は決して孤独なマスターではなかった。誰かの為に戦い、同時に何処かの誰かもまた藤丸の為に戦ってくれる。

 繋がる縁が、藤丸立香と言う少年の心となる。意志を両脚で立ち上がらせる力となる。

 だからオルガマリーは、彼一人さえ居れば自分と言うマスターが人理保証機関カルデアと言う組織にとって―――不要であると、正しい意味で啓蒙されてしまったのだが。

 

「そっか。全く、オルガマリーが羨ましい。こんな仲間がいると、ついつい頑張っちゃうもの」

 

 抑止のサーヴァントではないブーディカに、人理を守る使命など一切ない。彼女にとって、この特異点こそ今を生きる現実。暗帝ネロと同様に、この瞬間に生命を燃焼させて駆け抜ける只の一人の人間だった。

 だが、そのブーディカに―――英霊ブーディカが憑依させられた。

 宝具や技能を保有するのはその所為であり、自分を捕えてローマで英霊と人間の聖体実験した魔術師による思惑だった。名の通り、境界記録帯から神秘を下した亜神を作り出す“聖体”の作成方法の思索であった。

 

「だけど、謝っておく―――ごめんなさい。

 一緒に戦う立香とマシュには、もっと酷くて、惨くて、人でなしの世界を見せる。あたしの伝承をマシュは知ってるようだけど、それをローマでも繰り返す」

 

 ローマ、死すべし。ネロ、滅ぶべし。この特異点で憎むべき怨敵は一人しかいないが、冒涜的殺戮者に過ぎないローマもまた許されない大罪人共だ。

 

「あたしは―――……殺すわ。

 女も子供も、ローマと言うだけで皆殺しにする」

 

「―――どうして、ですか?」

 

 言葉は無用であると察するのに、マシュは一秒でも考える必要がなかった。あのブーディカが自分達にそうなるべきではないと言った修羅に堕ちているのだと、あっさりと見抜けてしまった。

 

「あたしは殺さないといけない人間がいる。だから、その理由をキミたちには告白しよう。あたしの憎悪を真剣に悩んでくれる二人になら、あたしも真剣に考えたいからさ」

 

 マシュは、暗いジャンヌの瞳に宿る炎と同じ色を幻視する。憎しみと恨みと、愛すべき家族のために復讐鬼となった人間の色合いだった。

 止められない―――と、ただそれだけを理解する。

 だが悍ましいとマシュに恐怖させ、心を壊しても正気を失えない真性の憎悪など、彼女には理解出来なかった。まだ赤子だったあのジャンヌは生まれながらにそう在るしか選択肢はなく、その意志さえ用意された憎悪の器であったが、ブーディカは人間として生きた今までの生涯がある。

 どうして、そんなに―――憎むのか。

 殺して、殺して、それでも憎悪の呪いは魂から無くならないのか。

 本当は優しい人だと、こんな人に人殺しはして欲しくないのに、本人と戦乱がマシュの祈りを踏み砕く。

 

「理由の一つは今の暗帝ネロを作る為に、あのローマの魔術師はあたしを聖体と呼び、自分の屋敷で人体実験をしたから。そして、ローマが今のこの特異点となることで、宮廷魔術師シモン・マグスはネロの霊基となってアイツの中で眠ってる。

 ……あの魔術師は全部、全部、知っていた。

 拾った聖杯によって汎人類史の未来を知ったアイツは、死後は境界記録帯の素材となるからと、人間のあたしの魂を実験素材にしたんだ。ネロを今の暗帝に作り替える為、それを実証する確実な情報資源をあたしから取りたかったんだろうね」

 

「……………え?」

 

「ウソ……………」

 

 藤丸もマシュも、それを聞いて理解する。その魔術師は、人理と言うシステムによって特異点で惨劇を引き起こした事になる。つまり、悪用したか、人理修復に利用したか、その部分しか魔術師とカルデアには違いがない。

 彼女の故郷は―――蹂躙されなければならない。

 勝利の女王は―――復讐をしなくてはならない。

 人類史の未来を知った者が英霊となる者の人生を歪ませ、結果的に歴史の軌道を変えれば、特異点となってしまう。

 その本質的な部分を、二人はフランスでジャンヌを殺したことで理解出来てしまった。

 滅ぼすべき者が、滅ぶべき者を殺し尽くす。そうやって、現代まで人理は存続しているのだと。因果律と言うものからすれば、命や魂は人類を繁栄される為の消耗品でもあった。

 

「あいつは分かった上であたしの故郷を放置した。あぁ、別にそれは人類史にとっては善行だろうね。それにローマと言う国家にとって、別にどうでもいい外交だったんだろう。既に未来まで観測された場所から過去に聖杯が流れてきたって言うのならさ、確かに―――ブーディカは、復讐に狂った末に死ななければならない。

 あるいは、死ななくても、歴史の舞台から消えなくちゃいけない。

 カルデアと言う組織から見ても、あたしの人生ってのはそんな程度の価値しかないんだろう?」

 

「「―――――――――――――――――」」

 

「良いんだ……―――ごめん。酷いことを言った。

 マスターである立香を責めてる訳でも、カルデアのサーヴァントであるマシュに苦しんで欲しい訳でもないんだ。オルガマリーのことも、あたしは悪く思ってないよ。

 でもね、この特異点で生きてるあたしにとって、それが人理って言う現実の正体なんだ」

 

 いっそ、ローマに向けるように恨んで欲しい。

 だって、特異点を解決するってそう言うこと。

 

「だから、あたしはあたしのことをもう少しだけでも言っておくよ。多分、今を過ぎれば……そうだね、改めて言おうとか。そんな楽に考えられるほど素直な人間じゃないからさ」

 

 分かっていた筈。だが、分かっていただけだった。カルデアの使命を背負うと言う事は、特異点で見知った誰かを、人理の為に死に追いやる苦行である。所長は、必ずそうなると説いていた。二人が戦うのならば、明日を迎える為に、生きたいと抗う為に、それだけは逃れられない罪なのだと。

 人理の為に罪を犯すことが、カルデアの使命。人理焼却と言う災害を阻止するには、特異点で生きる人々の死を見届ける罪人になるしか道はない。カルデアを指揮する所長が背負う咎であり、だが彼女一人に負わせるなど人としての尊厳が許さない。藤丸は責任者が為すべき罪科と理屈は分かるも、彼は理屈だけで納得はしない感情を持つ人であり、そんな馬鹿な事は間違っていると叫びたかった。

 

「生前の……いえ、人間のあたしがローマ人を復讐心の儘に虐殺することで、それが英霊の座に召される英雄の逸話になるって、あたしたちの国がローマに奪われる前からあの魔術師は分かっていた。だから、あたし達から尊厳が奪われるのを黙っていたし、復讐でローマ人が虐殺されるのも人理に利益になる大罪と、それが素晴しい善行だと……良い行いだったと、あいつは善人みたいに嗤っていたんだ。

 あたしが英霊の座に召される事が決まって、だけど只の人間で捕まえ易い実験体だから、本当に丁度良いだけだったんだろうね」

 

「―――魔術師、シモン・マグス。

 その人物が特異点の、本当の元凶なんですね」

 

「うん。マシュはアイツを知っているんだね」

 

「はい。ローマの宮廷魔術師です。逸話は少ないですが後の未来にも伝わってます。それにグノーシスと言う思想の、開祖に位置する魔術師でもあると。

 しかし、確かに聖人と神秘で競い合う伝承はありますが……そこまでの、魔術師だったのですか?」

 

「どうだろうね。魔術師だったって言うんだし、外法で神秘を探求出来るなら、躊躇わずそうするんじゃない?

 でもあの感じだと、そうは見えなかった。見るからに、あいつは狂ってた。多分、元からそう言う素質はあったんだろうけど、聖杯で開花したんだと思う。

 だけど聖杯に呪われたと言うより、その知識と神秘に発狂したんだろう。呪詛で終わっていたようじゃなかったと思うけど」

 

「発狂ですか?」

 

「瞳がどうとか、暗い魂が……とか、良く呟いてた。危ない時は目玉を穿りながら再生魔術を掛けたり、腕を取っては外したり、首をずっと回転させたり、内臓の位置を変えたり、増えた内臓を取り出して自分で食べたり、脳味噌に指を突っ込んで掻き混ぜたり、色んな奇行をあたしの前でやってたから」

 

 その光景をブーディカは思い出しのか、瞳から人間味が一瞬で色褪せた。暗くどんよりと憎悪と狂気で濁り、表情が段々と死んで逝く。彼女は魔術師の屋敷の地下で行われていた神秘的啓蒙活動を思い返し、神秘に取り憑かれた人間の狂気で正気が削れる毎日で精神が狂い、同時に憎悪と憤怒がブーディカの自我を守っていた。ローマを殺し尽くしたいと願う負の感情がなければ、彼女も魔術師同様に発狂していた事だろう。

 しかし、藤丸とマシュはそれがこの特異点での現実だったと―――今、思い知らされる。

 聖杯は起爆剤であり、特異点は人理を滅ぼししても構わない願いや望み、あるいは願望を求める餓えから作られる。獣性もまた人間性であり、ある程度の力があれば個人でも世界を容易く滅ぼせる故に、聖杯一つで人類史は罅割れてしまう。

 

「アイツは―――人理を、探求の実験場にしてたんだ。根源を魔術師らしく最終的に目指してたのかは、あの狂いっぷりから分からなかったけど、それも求めてはいたんじゃないかって思う」

 

「聖杯か……―――」

 

「先輩。フランスと、同じなんですね」

 

「そうだね、マシュ。すまないけど、ブーディカ。話しても良いんだったら、出来ればどんな魔術師だったのか、話せるところまで聞いたおきたい」

 

「良いよ。あたしも本当は、死ぬ前に一度くらいは……過去のこと、喋っておきたかったのかもしれないしね」

 

 もはや聖遺物のイメージなど藤丸には一切ない。今のその言葉には汚物と見做した物に対する嫌悪と蔑視が含まれている。それはそれとしてカルデアにとっては膨大のリソースとなり、特異点から何が何でも簒奪しなくてはならない使命感はある。

 だから、僅かな情報でも知れるなら知っておいた方が良い。手を抜いて良い仕事など、カルデアの数少ないマスターには存在しない。藤丸が手を抜けば、その分の負荷は同じマスターである所長が背負う事になる。ただでさえ今この瞬間にでも過労死しても可笑しくない激務の合間に特異点を攻略していると言うのに、藤丸は自分も辛い状況だからと、所長に自分が出来る事も押し付けるのを酷く嫌っていた。

 

「アイツはあたしの脳を実験の記録媒体にしたいんだ、とか言って……アイツは己の所業を動けないあたしに見せて、覚えさせていた。正直、この時代のあたしじゃ良く分かんないけど、そっちで言うビデオとかカメラとか、そう言う類だね。

 それにしても気色が悪かった。気持ち悪いほど、何か本当に色々やってたよ。

 例えばさ、急に攫った人の首を取り外したと思ったら、首なし犬の胴体に人面を付けたりもしてたね。勿論、違う人間の首同士を変えてたり、真っ二つにしたまま動いてる人もいた。人間を材料に目玉が一杯生えた脳味噌の肉塊を作ってたし、人語を喋る巨大な人面蟲を作ってた。首のない生きた人間や、頭に蛭みたいのに寄生されたのもいた。木の根っこの塊みたいなのに人を寄生させてたり、作った寄生虫を生きた人に植え付けて蛆の蛞蝓みたいな軟体生物にしてたりもしてた。色んな拷問器具で破壊した人間に液体を掛けて、それで治しては、また拷問して壊して、結局は死体で組み立てた狼みたいな化け物の部品にするためにバラバラにしてた。妊婦に変な液体を呑ませて、血も流し込んで、軟体の赤ん坊を出産させて、その赤子を母親に更に寄生させて、肥大化した頭部に目玉が一杯ある昆虫みたいな生物も作ってた。無頭の動く蒼白い人間もいて、顔面がない肉塊の頭の人間もいて、肉の頭だけで生きてるのもいて、でも全員が化け物なのにあたしと同じ人間だった。

 全員……あたしに、救って欲しいと瞳が……あぁ、涙を流していて―――殺すしか、もう魂は……救いなんてなくて、終わらせるしかないのに……なのに、あたしは何も最後まで出来なかった」

 

「―――――ぅ………はぁ、はぁ……っあ……」

 

 マシュはブーディカが言う残酷な現実を想像しておけ、と言う忠告を本当に正しく啓蒙されてしまった。理解などしていけない正気を削り取る過去の惨劇であり、ローマ特異点が生まれた余りにも惨たらしい誕生の理由。

 脳の中に、復讐を誓った女王の光景が浮かび上がる。

 魔術師は非人間であるが、非人間でさえ許されない魂の罪科であり、狂気とは―――正気では目的を為せないから、人は自分で自分を狂わせる。

 理解してはならない。

 分かってはならない。

 認知してはならない。

 英霊や、人間や、そう言う括りをして良い悪夢(ゲンジツ)ではない。

 

「ブーディカさんは、皆を救って……っ―――あぁ、ごめんなさい。ごめんなさい。もう終わった事にこんな言葉、意味はありませんでした。

 ―――――……ぎ、犠牲者の皆を………殺して、上げたんですね?」

 

 その言葉が正しいとマシュは理解し、それしか言うべきではないと分かり、だがその言葉の重さに耐えられる自分が信じられなかった。

 何故、ブーディカに殺したのかと聞けるのか。

 だが、答えには簡単に辿り着く。きっと―――ジャンヌを殺した時と、同じだったんだろうと。

 

「そうさ。もう殺して欲しいって、魂を終わらせて欲しいって……―――願っていたから。

 アイツに実験材料にされたのはローマ人や、ローマの奴隷たちだったけど。家族を奪われたあたしが憎むべき奴等だったけど、それがあたしの為すべきことなのは分かってたから」

 

「――――復讐だけど。憎悪もあるけど、それだけじゃない。

 ブーディカはそれと同じくらい、ローマを終わらせないといけないんだ」

 

「―――……ええ。あたしの原動力は、前からずっとローマへの憎しみ。それは消えない。

 でも、それと同じように魔術師の狂気から始まったこの特異点も、あたしは絶対に許せない。邪魔をするのなら、あの暗い呪詛で可笑しくなったローマ人だろうと構わない。相手が女子供でも、踏み砕いて今のローマを人類史から消し去るのよ」

 

 聖杯を拾った魔術師が蘇生したネロの霊基となり、特異点から消滅し、自由になったブーディカが最初にすべき事はそれしかなかった。聖杯によって狂い出した特異点の元凶の、人の罪とさえ言えない狂気の産物を消し去る為に、救われるべき魂を特異点(この世)から解放した。

 その後は、ブーディカはローマとの戦争を繰り返した。

 暗帝に敗れた後も生き延び、反乱軍と合流し、それでも反乱軍は総大将が敗北し、今は残党に成り果てた。

 

「だからね、カルデアは何が何でも生き延びて欲しい。特異点をもう一個解決キミたちなら分かるけど、他の五つの特異点もきっと地獄なんだ。英霊として召喚されたサーヴァントなら、こんな頼みは出来ないし、あたしの中のあたしも言うべき事じゃないって考えてる。

 どうかね、救われなかった人を、少しでも―――助けて欲しい。

 救えなくても、救われなかった人々の終わりを見届けて欲しい」

 

「っ………………」

 

「…………―――」

 

 願いだった。憎悪の底に残った僅かな光であった。憎しみだけで動くブーディカにとって、カルデアの藤丸とマシュに託す幽かな希望の一筋だった。それさえ消えれば本当に、彼女は復讐者ですらない殺戮者になり、人間の形の儘に人を喰らう化け物へと堕ちるだろう。

 

「きっと、そうすれば―――キミたちの旅は、楽しくもある筈だから。

 悪いことも、辛いことも一杯ある。でも逃げなければ、最後は皆との出会いは良い旅だったって、思えるかもしれないからさ」

 

 











 読んで頂き、ありがとうございました。


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啓蒙57:単独潜入

 前話を補足しますとローマ特異点は少しだけ複雑な構成にしていまして、ネロが自害するより前の原作通りの時代へ聖杯は送られておりまして、しかしレフが特異点の主犯となってサーヴァント召喚を行った訳ではないんですよね。実は灰の画策もあって魔神側の用意したサーヴァントではなく、現地人の願望で特異点を作る計画でありました。そもそもレフは魔神陣営の中だと灰と悪魔に対する外交係と言う究極の罰ゲーム担当の魔神柱でもありますので、灰の思い付きを聞いて何とか魔神王を報告すると言う糞団子並に辛い中間管理職でもあったりしますので、魔神王もレフにお前カルデア抹殺失敗したからローマ特異点行って来いとか言いませんし、そもそもこの宇宙で生きる魂全ての天敵である古い獣や、テクスチャ焼き放題の火の簒奪者や、意志ある全ての魂を発狂させる上位者の狩人や、それら人間の究極を平気で貪り尽くす悪魔などの外交調整も、レフが魔神陣営だとしています。
 それと、聖杯には汎人類史の情報が積まれていました。ついでにヤーナムの記録と、灰が自分のソウルを融かした暗い魂の血で満たし、最初の火で炙った“薪”も入ってます。どれがどんな影響を与えるのか観察しようと考え、ローマ特異点において丁度良い人材として、宮廷魔術師をしていたシモン・マグスの屋敷のテーブルの上に転移した感じです。
 何かヤバいのが置いてあるけど、凄い神秘で、愚かな好奇で魔術師が手にした瞬間―――特異点が産み出る因果が完成しました。
 なので灰がネロを救う前にもう聖杯で因果律が出来ており、その出来事が起爆剤となり、聖杯を持った魔術師と蘇生したネロが接触し、特異点が発生してカルデアがその瞬間を感知したことになります。



 皇宮のテラス。昼下がりのコーヒーブレイク。灰は溜め息を吐いて疲れている振りを行い、第三者が見ると人間味がある行動を模倣する。カルデアでの生活で身に付けた日々の休息方法だが、亡者の枯れた舌に珈琲の善し悪しなど分かる訳もなく、疲れが癒されると言う精神的な充足など実感出来ない。肉体的にも感覚は勿論出来ない。

 しかし、ソウルに仕舞った底無しの荷物入れの中で、折角整理整頓した道具や娯楽品を使わない手もない。

 傍から見れば裕福な貴族のように様になった優雅さだが、実際は人類の文化に興味などなく、それを見抜けと言うが難しいだろう。

 

「各地にいる反乱軍残党に、カルデアのマスターとサーヴァントがいるのですか?」

 

「ああ。カルデアと言う組織は、大陸中を瞬間移動でも出来る能力があるのかね?」

 

 そんな灰にカエサルは軍師として用があり、意見を聞く為に探していた。

 

「知りませんよ、カエサルさん。流石のカルデアも、量子空間移動技術は開発は出来てませんでしたし……まぁ、テレポートは人類の浪漫だぜとか言って、技術部の皆さんは頑張っていましたけど。何でも膨張して蠢き続ける宇宙空間で何とか座標指定しても銀河自体が移動し、更に太陽系も移動し、中心の太陽も複雑に動き、その回りの惑星も動いているとか言って、惑星上の“世界”で空間座標の指定が出来る魔術理論とは違って、科学技術だと転移そのものはもし可能になっても何処か移動してしまうんだとか言ってましたね。物理法則はそれはそれで魔術世界の法則とは違う素粒子レベルで細かい極小の世界で成り立つ世界ですから難しんでしょうね。それだったら、レイシフトみたいに量子化させて光速領域で移動させた方が良いとか、何とか。

 しかし、そう動いているとは、そう言う事が出来るのでしょう。それにレフさんから離反した魔女メディアでしたら、転移魔術も扱えますし、腕前だけでしたら魔法使い以上の魔術ですからね。魔力源がありましたら、超長距離転移魔術も工房と工房をラインで繋げれば可能だと思います」

 

「前半が無駄話過ぎるのだが……うむ。ならば、不可能ではないと?」

 

「はい。魔女メディアを召喚して起きながら、自分が召喚したサーヴァントに結託された挙げ句、まんまと逃がしたレフさんが一番悪いと思いますよ」

 

「成る程な。成る程、成る程。となれば、それ相応にローマ軍を酷使するしかあるまい」

 

「そうですね。どうか、頑張って下さい」

 

「ああ……―――して、アッシュ・ワン。今晩、暇かな?」

 

「はぁ………え、本気ですか? 私相手に? まさか、ただの口実でした?」

 

「悩みは本当だったとも。だが敢えて言おう―――軟派であると!」

 

 ローマは、本当にローマだと灰はちょっとだけ愕然とした。悪食にも程がある手の出し様。女と言えば女だが、身も心も燃え滓が更に枯れた薪みたいな亡者に、良く出来るなと本気で関心してしまった。

 

「貴方はローマでモテモテでしょうに。他の女を愛して下さい。私は……まぁ、お食事程度までしか男性の相手をする機能がないですから」

 

「うむ。だから、そこまでで良いのだ」

 

 この男、闇に沈んでも内面はイケ魂であった。戦場でなければ、女性には何が何でも優しくする本物のローマ人だった。腹の膨らみに比例して懐も大きいのであろう。

 

「すみません。ネロさんが嫉妬しますし、内輪揉めは極力小さくしたい考えでして。それに、今日は明日の朝まで用事がありますから」

 

「そうか。では、仕方がない。さらばだ」

 

「さようなら、カエサルさん」

 

 節操無いが、そう言う愛を持つのも人間。灰はそこそこな美人顔な自覚はあるが、そう言う形をしていると客観的に判断しているだけで、自分の姿形に愛着など全く無い。そして、カエサルに惹かれるような内面をしている訳でもないことも理解している。

 そこまで考え、自分が一日中動いているから声を掛けたのかもしれない、と灰は答えをあっさり導き出した。

 

〝根が良い男なのですか。私にまで気を遣うのは如何かと思いますけど”

 

 とのことで、灰は一息吐き、今日のローマの予定を思い返す。陳宮は手頃な奴隷兵を引き連れ、反乱軍残党の軍に今日も元気に宝具を叩き込んでいる。今日は用事があるからと灰が断ったことで、限りある憐れな命が盛大に爆散し、残党の兵士も一緒に爆裂して大勢の敵と味方が戦死していることだろう。

 暗帝(ネロ)は後少しで軍神の子が落せそうと営みを励みまくっており、出歯亀精神で皇帝の寝室を覗いた灰は新世界を垣間見てしまった。現代文明までの、人間の性癖と変態性と性欲文化も娯楽として教えたが、それらを精力的に実践するとはちょっと予想外。そして面白い未来の話が聞きたいと頼むネロに、数年前にブーディカの反乱があったブリタニアだと未来に騎士王と言う英雄が生まれ、実は女性が男の王の振りをし、実の姉と男性器を生やしてまで子供を作っていたから、一種の英霊ネタ話として喋った記憶がある。だがまさか捕虜になった破壊の大王に試すとは全く分からなかった。確かに凄まじい美人で、素晴しい機能美を持ち、何処か壊したくなる倒錯的な儚さも変態視線だとそう見えるかもしれない。しかし、だからと言ってマグスのグノーシス魔術で肉体変化の魔術を数分で理論開発し、実際に使いこなすとは万能でも許される範囲がある。天才とか、そう言う領域ではない。正にどうしてこうなったと人間性の不可解さに対し、更なる興味関心が深まった。

 

「――――………」

 

 ずずり、と熱湯程度の高温など分からない癖に、熱いコーヒーをゆったりと一口。

 

〝ただのアサシンではないです。技巧を視るに、星見の忍びですか。所長の命令で、偵察にでも来ましたかね?”

 

 小動物の視線よりも遥かにか細い気配。小さな虫よりも目立たない。いや、もはや空気であり、完全に空間へ融け込み、世界と言う環境に潜み込んでいる圧倒的技巧の冴え。視界に映っても違和感に気が付けず、眼前に現れたら分かるかもしれないと言う気配遮断の凄み。

 本当に、何でもないローマの休日だと言うのに、僅かな違和感も戦場と同様に逃さなかった。

 

「…………?」

 

 だが、余裕など一瞬で消え去る。ほんの数千分の一秒と言う瞬きの間だけ忍びが灰の動向を調べようと思考来てしまった故の気配の漏れであり、無の境地によって思念さえ無駄なく動き出さば、遠くにいる忍びを探るなどまず絶対に不可能。そろそもその違和感を感じ取って忍びだと理解する灰の感覚が、英霊からしても領域外の知覚能力である。

 

〝いやはや、良き暇潰しです。これだからオルガマリーは飽きませんねぇ……フフ、ふふふふ。

 侵入者がいなければ、緊張感のないほのぼのとした日常でしかありません。折角の娯楽提供なのですから、狼さんには久方ぶりの御遊戯に興じさせて頂きましょう"

 

 心の内側の奥底から、この展開に戦略を運ぶ所長に称賛の笑みを湧き上がらせる。丁度今が忍びを使うのに良い好機。所長は使うべき人材とその仕事を任せるタイミングが何時もどうして完璧で、部下の立場だと本当に能力を最大効率で十割ぴったり発揮させる怖い上司であった。そして、休憩も必要分。灰も職員として働いていた時は、無茶苦茶な指示に見えて全てが正解であり、灰もそれを最初から分かる頭脳があった為に、所長からレフ教授並に信用されていたのだろう。

 とは言え、その二人は裏切者だったのだか。もはや所長に付いてこれるカルデアの部下は古参だとロマニ程度。

 

〝狼さんは貴重ですからね。マスターとサーヴァントで別々に動く場合、フランスの時とはまた事情が違うでしょうに"

 

 人材不足ほど組織にとって痛い事はない。仕事はあっても何も出来ず、時間経過と共に職務は溜り、足りない部分を補う為に働き手を消耗させるデッドレース。カルデアはマスターが派遣される特異点でも、その本部でも、人の分まで酷使される誰かがいなければならない。

 

〝しかし、となればローマ各地で暴れている今の反乱軍残党に、狼さんは参戦していないと言うこと。あのトンデモ忍者と戦えるのはギリでネロさんか、他だと対等に渡り合えるのはロムルスさんしかいません。所長は戦うだけって訳にもいかないですから、ロムルスさんを使えば敵性戦力は削りたい放題です。

 ですが、戦略を考える参謀ではありませんからね。

 一戦力として出しゃばらず、見守りつつも、今は狼さんの邪魔でもしますか”

 

 戦とは、嫌がらせが巧い者が強い。戦略とは、人殺しに対する粘り強い考え方も大切。

 

〝けれども、敵地の偵察以外にも目的がある筈です。

 それ以外だとオルガマリーは何を狼さんへ命令されたのですかねぇ……”

 

 突如、珈琲一式がテーブルより消える。手品では無く、本当にこの場から消滅した。不死は己が魂に“装備”することで手に持つ道具をソウルの業として扱い、自分の魂の延長として使う事が出来る。岩の如き重厚な甲冑を着込む相手に対し、己がソウルで相手のソウルそのものを害する故に、自分の素手だろうが、それこそ変哲もないおたまであっても、直接的に生命を削り取って殺害が可能となる。

 その神秘を考えれば、珈琲一式をソウルの業で一瞬の内に仕舞うなど容易い事。ソウルの業を極点まで極め、更に悪魔からも神秘を学習している灰にとって、後片付けなど一呼吸も必要ない。

 

「―――…………」

 

 その手品染みた光景を、忍びは月隠(ガチイン)の御霊降ろしによって高い気配遮断の技能を更にEXランクにまで高め、静かに灰が歩き去るまで滅私の心得で観察していた。灰を見てしまえば気付かれてしまうため、忍びは彼女を機械的に認識はしつつ、視界から外すことで意識はせず、忍び込んだ“屋敷”の中で発見した灰を思わず見たことで潜入は察知されるも、どうにか忍んでいる場所までは悟られなかった。

 殺せるか、否か―――そう思考する余裕も、灰が相手では難しい。

 出来なくはないが、果てして一撃で殺められたかも怪しい。下手をすれば忍殺の一刀を素手で逸り返(パリィ)され、忍びが逆に致命の一撃を心臓か頭蓋に叩き込まれていた可能性も十分にある。

 

〝……行ったか。元より剣神の高みを持つ女、忍びの業も……あの悪鬼も、忍術を修めておった”

 

 灰が自分から離れることで、忍びは漸く思考する自由を得た。精神まで常に無を保たねば静かに潜むことも許されない緊迫感など、彼からしても任務達成は度し難い領域の困難である。

 忍びが潜む場所―――テラスの端。

 そこにぶら下がり、彼は懸垂の姿勢でずっと留まっていた。

 

「………………」

 

 既に、第一目的以外の任務を忍びは達成済み。ローマの都市の様子を隠れながら観察し、その常識から外れた市民の営みは、戦国の世を生きた彼からしても異常だった。

 忍びとて生前は幾度も地獄を垣間見ている。兵士が民間人を虐殺し、敵地の女が犯されながら弄ばれ、領主が領民から食糧を略奪して飢え死にさせ、少しでも逆らった領民を女子供でも拷問に掛け、あっさりと残虐極まる公開処刑にするのが戦国乱世の人間社会。葦名が治める国は、一心が健在の期間ならばある程度は平和だったとは言え、他国の戦地にも忍びとして諜報や暗殺の任を行っていた彼にとって、日ノ本と言う血が染み込む怨嗟の世こそ、業深き忍びに相応しい世界。

 正に―――地獄だった。

 命が煮え滾る生き地獄としか言えず、鬼も修羅も亡霊も生じるのも当然。

 所長に召喚されることで現代を知った忍びが、人間と言う人を殺さずにはいられない畜生がここまで平和になれるのかと、修羅に堕ちる寸前の人斬りとして意外にも、僅かとは言え感動してしまった。生前に仕えた主がこんな時代に生まれていればとも思ったが、不死の業を手に入れようとする輩は戦乱の世だろうが、泰平の世だろうが、欲望を抱く限りどうしても存在する。となれば、やはりどんな時代だろうと忍びは、為すべき事を為すしか道はないのだろう。

 

「…………――」

 

 それ程の地獄の中、更に忍びと言う身分で戦場を生き足掻き、手に入れた己が意志で戦い続けた彼であっても、ローマ特異点は吐き気がする邪悪だと断じるしかない。

 葦名にも人からなった怪異が蔓延ってはいたが、アレらが何なのかは分からない。

 神域より流れる水は源の宮に溜り、葦名へと流れ落ち、土地神と竜神が互いを貪り合い、人も神を夢見て不死の探求も行われていた忍びの故郷も、狂いに狂った猟奇的な営みが為されていたが、このローマもまた葦名に負けずに狂っている。

 

〝既に視界を通じ、主殿へ報じたが……主殿以外に、知らせるべきなのか……”

 

 任務中である忍びが、それを知るであろう仲間に気を配ってしまう程に此処は終わっている。人間の成れの果てによる人外の営みが、神を崇める祭りのように、人を喜ばせる宴のように、街全体で愉しく謳われている。

 

〝む。いかん……主殿の癖が移ったか。カルデアに呼ばれ、考えに耽る時が増えた”

 

 任のみに専心する忍びの境地は、良くも悪くも彼のマスターによって変わりつつある。滅私の心得は変わらず、むしろより人斬りの境地は血塗れたが、根本的に忍びは主殿(マスター)が自分に己の意志を求めていることを理解していた。

 ―――無心で在るが、自由で在れ。

 カルデアの為や、人理の為に、人斬りの修羅となるのではない。

 マスターの命に殉じる傀儡となり、敵を斬り尽くすのではない。

 ならば忍びは、命にない部分は彼にとっての最善を尽くすべき。

 

〝しかし、街を見渡せる此処で……茶を、しばく。

 アン・ディール。それ程、趣きの悪しき者であったとは……俺も、まだ目が鈍い”

 

 ぶら下がっていた忍びは、一旦はテラスへ乗り上がる。その擂鉢状に変形した都市の一番真下にある皇帝宮殿は、深き場所にある故に都市全体を見下すように見渡せた。

 燃やした薪で命を炭にする火刑。

 十字架に張り付けて見世物にする磔刑。

 更に磔にした者を最後に焼く火炙りの処刑。

 四肢を曲げ捩って太陽神の贄として捧げる車輪刑。

 首を何処まで飛ばせるか愉し気に競い合っている斬首刑。

 そこら中、市民が思い思いの個性的な、汎人類史より啓蒙された私刑を行う死刑の宴。あるいは、暗きローマを祝う獣の祭り。

 

〝生きるに厳しい市民まで、悪を愉しむ暇と心が与えられ……だが、如何程までに”

 

 それらを見世物の娯楽とし、欲望の儘に交じり合う人型の肉塊。貪り合う快楽の宴であり、人が人へ人を捧げる人界の祭。命を弄ぶだけでは満たされない。尊厳まで玩具にしなければ、知性を得た獣はより良い明日の為の欲望へは届かない。

 忍びがふと向けた先の光景では、火炙りの磔刑にされた人の松明を囲み、数十人が肉欲に酔っている。肉の柔らかい赤ん坊を大鍋に投げ込み、香辛料と野菜も入れ、グツグツと煮込み、食欲を満たす“食餌”として料理人が大勢へ配っている。勿論、赤子以外を食べたい人もいる為、料理人はあらゆる年齢や性別を“食餌”の素材にしている働き者だった。

 しかし、これもまた霊長人類の文明である。火とは人類史にとって暗い光でもあった。善き太陽であるだけなど人間性が許さない。人が人を喰らうしか生きられない飢餓の生き地獄を忍びは知っていたが、ああも人間が積極的に愉しめる素質を持つ獣であるとは、生前の彼であっても見た事がない狂気の悪夢である。

 

〝悪性情報……で、あったか。主殿の見解では”

 

 この特異点は―――終わっていた。

 七つの特異点の中、最も闇深き異界と化していた。

 人類史の情報が奈落に堕ちるように、このローマと言う大窪みに流れ落ちている。聖杯の内側と同化した都市は、数千年間記録された人類史の悪意が、その情報が雪崩れ込んでしまっている。空に浮かぶ光帯と合わせ鏡となるように、人類史の情熱に不要とされる情報が映し出され、熱量のない廃棄物として溜る特異点の塵箱となっている。

 獣であれば―――自他の魂を陵辱して何が悪いのか。

 交じり合うことが魂の歓びであり、他の魂と触れ合い、温まり合うことが人の悦び。老若男女、全てが魂にとって娯楽の一品。拷問はとても良いことだ。処刑は市民の娯楽。悲鳴に心が癒え、命が花火のように消える刹那、その儚い瞬きこそ、本当の人間の様が映るのだと。

 倫理など燃え尽きる。道徳など廃棄処分。市民にとって“魂”の憩いの場となったコロシアムでは、あらゆる創意工夫を凝らした人類史の大祭りが毎日開催されている。

 だが――――死ねず。

 死ねないのだ。誰もが死ねず、このローマでは誰も死ねない。

 こんなにも殺されていると言うのに、死にたくなろうとも、眠りに就けないが故に狂宴の騒ぎ。命を燃え尽きようとも、魂が祭りから逃れる事は決して出来ない。ローマの為政者は市民の為に魂を失楽園(ローマ)に補完させている。

 死なず、など簡単だった。矛盾を許さない潔癖な世界の仕組みを理解すれば、あっさりと可能となる地獄。

 

〝霊魂の在り処など……俺は、分からぬ。だが此処は、惨い世だ”

 

 声を発すれば、誰に聞かれるか分からない宮殿内部。忍びは無言無音を維持し、ローマの街を見渡せるテラスから離れ、更なる内部へと潜入していった。

 

「………………――」

 

 しかし、此処はとても静かだった。狂宴が謳われる都市と比べ、暗帝が安らぐ宮殿は物音一つしない。だからこそ、人が歩く足音は良く忍びの耳に聞こえ、呼吸音も耳を澄ませば聴こえ、更に凝らせば心臓の鼓動音も可聴域に入るだろう。

 両眼を凝らしながら、犬以上の嗅覚を働かせ、聞き耳もして忍び歩く彼は、殺意と気配を容易く察する第六感覚も常に全開。羽虫は一匹見逃さず、サーヴァントを構成するエーテル一粒を感じ取り、必要とあれば無拍子で忍殺可能な体勢を維持している。

 更に忍びは所長から豊富な魔力を供給されている為、死人の残留思念である形代も溜めて置きつつ、サーヴァントになる事で得た“魔力”と言う新たな忍術の燃料を温存しておける。加えていざと言う時、月隠の飴も幾つも懐に常備しているので、彼の潜入活動はこれでもかと準備万端な状態で行われている。

 一抹の焦りが敵からの発見に繋がる。心理的な余裕により、十割全てを隠蔽作業に専念することが出来る。そう理解する忍びに油断も慢心もなく、他者の精神を見通す千里眼の持ち主でも発見は非常に難しいだろう。

 

「――――?」

 

「ふんふん、フフ~ン……ふふんふんふーん……」

 

 疑念を得るのも仕方ない。忍びの視界に、何か居た。忍びは鼻歌を上げて人生をこれでもかと謳歌し、幸福一色に染まる笑顔を浮かべる暗い女を発見した。

 

「…………おっと、鼻歌はいかんな。子供ではないのだ。誰かに聞かれたら、余とて恥ずかしい。

 しかし、こうも満たされた日々だと、自制しても自然と独り言が漏れてしまうとは。全く以って、我がローマは最高の国であるな」

 

 布を全身に巻いたような衣装。ローマ文化のとても優雅な服装であり、それは皇帝が着用するトガであった。麗しい意匠であり、シンプルな形であるため暗帝の素晴しい肉体美を魅せる立派な道具でもある。

 だが、まるで童女のようでもある。日々に疑問を持たずに日常を楽しむ子供の様子である。何も知らない者が見れば、思わず微笑んでしまうような雰囲気。

 

〝――――――――”

 

 滅私の暗殺者でなければ、あの様を喜ぶ人の王を見れば、抑えていても怒りの念を僅かでも漏らしてしまうだろう。暗帝の明日を生きる幸せな声を聞いた瞬間、如何にランクが高くとも気配遮断が露見していた事だろう。

 忍びは顔色を変えず、精神さえ何一つ動かさず、静かに環境と同化している。

 殺気を漏らす前に忍殺へ移行する彼であれば、そもそも人を殺すのに殺意と言うスイッチさえ不要。

 

「……………」

 

 しかし―――殺せぬ。

 

「コロシアム……そうよなぁ、今日はあちらに行こう。余のローマ市民も喜ぶだろうしな」

 

 数多の死なずを殺してきた忍びは、暗帝を殺し切れる確信が一切湧かない。愉しそうな姿を見せる暗殺対象を忍殺することは容易そうだが、楔丸で心臓を穿ち、首から脳ごと頭蓋を穿ち、首を斬り捨てたとして、暗帝が死ぬその姿を忍びの目では見通せない。

 背負う赤き不死斬り―――拝涙の一刀で、さて魂から命を奪えるか。

 奪いし黒き不死斬り―――開門の一振り、暗い魂の不死に通じるか。

 だが、通じたところで灰に居場所は察知されるのは必然。神祖にまで露見すれば、逃げ出すのは不可能となり、死に戻るしか術はない。そうなれば第一目的となる任は未達成。あの灰の女が歩き去った方向を忍びは確認し、恐らくは自分の命じされた内容が悟られてもいないと判断でき、彼は我慢した方が得策だと結論に至る。何より、この場にいるのは暗帝だけではなかった。

 

「そして……―――歌唱と演劇。

 娯楽の予定が盛り沢山。皇帝は皇帝をするだけで、実に忙しいものである」

 

 爛々と、ランランと、愉し気に、面白いと、死に損なった暗い女は謳う。ちゃんと死ぬべき時に自分を殺せなかった間違いを犯した皇帝は、ずっとずっと大好きな自分の歌を歌い続ける。

 

「貴様もそう思うのだろう――――?」

 

 暗帝は、暗闇の陰に声を掛けた。愉しそうな音で、まるで謳う様に。

 

「気が付いていたのか?」

 

「無論だとも。独り言で唄まで歌うか、普通。観客あってこその演劇よ。それで貴様は余の女神が客人として招待していた……あー、すまぬ。姿は分かるが、名まで聞いておらんかった。

 余の女神は戦神やら無名やらと言ってはいたが、名までは呼んでおらんかったからな。余も聞き忘れ、今まで知らんままだった」

 

「構わぬ。もはや名は燃え尽き、この魂は既に燃え殻の暗い薪である。だが今は英霊召喚の術式を使い、戦神を憑依した不死として葦名でサーヴァントもどきを興じている」

 

「そうか……そうか? ならば、何と言えば良いのだ?」

 

「戦神とだけ、名乗っておく」

 

「ふむ、戦神と。で、貴様はもう国へ帰ったのではなかったか?」

 

「予定では。葦名で原罪の探求者が生み出した人造ドラゴンの使役に、あの灰を手伝っただけであるからな。しかし、我とてこのローマは興味深い人界の成れの果てだ。

 暗くとも、太陽は太陽。欺瞞の光なき人の本性。

 日の光に照らされた人間の世界、その終わり……―――見届けねば、なるまい」

 

「そうかそうか! で、あるか!! ふふふ、ははははっはははははははははは!!!

 貴様の言う通り、このローマは演算された人間性の最後の最期。その一つの終点が具現せし特異点。魂の儘に、不死となった知性体がどう成り果てるのか……その結末が、ローマ市民に降ろされた終極だ」

 

「…………………これが、か?」

 

「然様だ。しかし、この様を見て貴様は悲しむのだな?」

 

「…………………」

 

「良いのだ。人の魂にとって、自分達の魂がこれ程までに湿り気のある汚物であったと理解すれば、憐憫を抱くのも必然である。

 だが悪性情報は燃えても消えず、燃え殻となるのみ。消えずに、永劫の魂に粘り付く。

 貯め続ければやがて知性は獣性となり、不死ならば命の価値を解さず、最果ての人間は余のローマ市民と同じ営みに辿り着く」

 

 不死の答え。その一つが、ローマの姿。戦神は自分達のように枯れずに欲望まで腐れた場合の、死なずの営みが如何なる結論に至るか理解する。恐らく仮想された幻想にソウルが塗り潰され、灰が光帯より映した三千年分の悪性情報が坩堝となって、だが確かな不死として繁栄を選んだ悪の答えでもある。

 

「そうか。太陽では、そも救えぬのか……」

 

「救える可能性のある未来もある。だがな、欲望を枯らすことも出来ぬ未来の果てが、このローマ。死を忘却した魂に与えられた闇の底。所詮は英霊の階位に至れず、故に暗い闇となれず、汚濁に犯された魂に過ぎん。

 つまるところ、光帯さえ焼き尽くせぬ人類史の悪しき情報から記録を写し、故に不死市民となることを許された特異点である」

 

「説明、有り難い。感謝する、ネロ・クラウディウス」

 

「良いのだ。貴様は客人故な。それも余の灰なる女神の友であれば、どうか余のローマを納得してから御帰り願いたい。

 この様とて、棄てるべき愛と希望を焼いて灰に出来ず、そのまま行き止まった末路。

 蕩けた汚物に腐らせてしまった、どうしようもない獣性(ヒト)の在り方よ。だが、貴様のような不死が憐憫を抱き、終わらぬ不死の永劫で忘れずにいてくれるならば、我らに押し付けられた邪悪の営みも何かしらの意味合いを持てるのだろうて」

 

 暗い人影さえ見えない陰の中、忍びはフランスで邂逅した戦神を認識する。あの時よりも人間味が増し、凶悪なまでの存在感が更なる高次元に至っている。サーヴァントの気配は一切せず、灰と同じでそこらの魔術師でしかない気配。魔力も並の一般人程度であり、だが探れば底無し沼のような魔力量が潜んでいる。

 なのに、今の戦神は―――人間だった。

 亡者で在る故の、一人の簒奪者だった。

 正しく魔窟。下手な真似一つ許されない敵陣の中心地。忍びは戦神が自分に匹敵するか、それ以上の技巧の持ち主である同時に、神域の桜竜と相対した時以上の圧迫感を感じ取れていた。

 

「そうか。では、貴公のローマに栄光あれ」

 

「うむ。さらばだ」

 

 客人として完璧な礼儀作法。戦神は敬うべき相手には頭を下げ、この世界の主である暗帝に一礼をする。その礼儀正しさに彼女も一人の皇帝として答え、尊大に別れを告げる。ここは宮殿の廊下であり、謁見の間でもないが、もはや暗きローマに王宮の常識は通用しないのだろう。

 暗帝が良いのなら、それで須く礼儀の所作。戦神も軍神の子に熱を上げる彼女と会話を行うには、廊下ですれ違うのが一番ある意味で“礼儀正しい”と理解し、暗帝の機嫌を一切損なう真似をしなかった。

 

「――――――――」

 

 そして、忍びは完璧な陰となって潜んでいた。身動き一つ、呼吸一つ、瞬き一つ、発汗一滴、あらゆる動作が許されない緊張。

 聞こえるのはそれぞれ別方向へ離れて行く二人分の足音。

 動けば―――死。剣槍で串刺しにされ、細胞全てを雷電で焼き尽くされる。

 もはやフランスの時の数十倍か、それよりも上の、忍びの感知能力でもはっきりと見抜けない濃密な強さ。

 生きる神を容易く弄り殺せる戦神の膂力と、技量と、魔力と、神秘と、それら全てを合わせる技巧の冴えは人間でしかないのに、人域を遥かに凌駕する高次元存在へ進化したその最果てで、人間こそ最も地上で存在してはいけない化け物である事の証明でもあった。この世で人間だけが、人も神も魔も喰らう貪欲な怪物であるのだと。

 

「――――――っ………」

 

 装飾が多く、廊下も広く、隠れる隙間は十分に存在する。さり気なく大きな壺の中に身を潜めていた忍びは、そこから顔を少しだけ出し、周囲を一瞬で確認。心眼(偽)としてサーヴァントの技能としても発露している第六感覚ならば、鋭く霊的な気配も探れ、その上で視覚でも確認すれば十分以上の安全が確保できる。

 暗帝と戦神は、足音通りにこの場から過ぎ去った。

 忍びは溜め息を吐きたくなる気分となった精神を縛り上げ、最大限の緊張感を維持する。気を僅かにでも抜けば、一瞬で何かしらの探知に絡め取られるのは理解している。

 

「……………―――!」

 

 飴を口に放り込み、壺の中で月隠(ガチイン)の構えを取る。他の加護と違って、壺のような小さな空間でも座ったまま構えに動ける月隠は、潜入中でも実に使い易い加護。サーヴァントになったことで宝具化した首無しの遺恨だが、護国の勇者であった彼らも滅私の忍びに使われるのであれば本望であり、実際にこうして十分以上の加護を与えている。更に今の忍びは人間ではなく霊体であり、神秘に対する適応力が生前よりも素晴しく上昇し、加護自体も宝具になることで効果も持続時間も強化された。

 忍びは、更なる隠密の深みに至る。気配殺しは存在感を零まで薄め、音殺しは心音と呼吸音も失くした。忍術としての極みにより、例え刃で殺されても忍びを認識することは非常に難しいだろう。

 

〝なるほど。それが、死なず共の姿。死なすのに、不死斬りであれば万全。

 楔丸も化けた今の俺の刃としてならば……確か、主殿曰く、概念武装であったか。加え、主殿の業で鍛えられし、血染めの妖刀でもある”

 

 ローマ市民が葦名に蔓延っていた不死の類のであるのは見抜けていた。だが何を源にする不死性かは、学術者でも魔術師でもない忍びでは神秘から探れない。しかし、暗帝の語る話を聞き、忍びでもある程度のことを悟ることが出来た。

 

〝英霊であるさぁばんとの宝具ならば、城下の物の怪は斬れよう。だが……あの暗帝は、また死ねぬ領域が違うか”

 

 サーヴァントならば問題はない。念話で忍びはマスターに盗み聞きしたこの情報も送った。決戦時にローマ市民の殺害が必要となった場合、英霊が宝具を神秘で神秘を叩き潰す概念武装として振えば、復元呪詛と言う不死性を持つ死徒を殺す様に死なせる事が可能性がある。

 しかし、あの灰は兎も角、暗帝の気配が持つ不死性は死徒の領域からも遥か別次元。時間逆行で傷を蘇生する死徒以上の蘇生能力を持つ市民でも、サーヴァントの宝具であれば対応可能かもしれないと言うだけの話。不死斬りで命を奪い、魂が死んでも生きられるのなら意味がない。とは言え、まずは斬って確認しないと話は始まらないのも事実。

 恐らく暗帝はそこまでの不死ではないと思うが、忍びはまだ何かしらの妖術が潜んでいるとも感じ取れている。

 

「……………―――」

 

 しかし、考察はそこまで。無音の呼吸も、もう整えた。気配殺しを万全に為せたならば、まずは思考よりも任務を優先しなければならない。

 壺を壊さず倒さず、されど素早く脱した彼はまた廊下を進み出す。向かう先は暗帝が歩いて来た方向と同じ場所であり、暗帝が去った方向と、灰が向かった方向とも正反対。

 

「――――――」

 

 戦神と暗帝をやり過ごした後、忍びにとって問題はなかった。巡回する兵士や働いている侍女はいたが、それらは忍びを認識する知覚さえ持ち得ていない。他のサーヴァントは戦場に出ており、宮殿に待機もしていない。カルデアや反乱軍残党が各地でローマ軍と戦っているため、暗帝陣営側のサーヴァントも多くが出払っており、忍びの警戒に値する他の者たちはそもそもこの宮殿に存在しないからだった。

 

〝救出の任。潜れば必ずや、あの灰には悟られる……”

 

 目的地の扉の前。忍びは最後に罠があるか観察し、何もないことも悟る。鍵は掛っているが、魔術的な警報装置は仕掛けられていない。ならば、無音にて一刀を振えば事足りる。

 

〝……しかし、居る事だけは早目に知らせておけ。さすれば此方の狙いを羅馬の聖杯だと、灰に誤認させられる。

 まこと……恐ろしき、眼力の鋭さ。主殿の瞳は、何処まで見抜くのやら”

 

 全てが、所長の意の儘に進んでいる。灰の思考回路の裏を盗み進めるのは彼女しかおらず、敢えて忍びの潜入を僅かな疑念程度に悟らせることで聖杯の方に向かわせ、反乱軍残党にとって最も必要な者をローマの奥底から奪還する。フランスや冬木で聖杯を見付けた時の様に、暗帝の中に聖杯が融け込んでいるとカルデアと反乱軍は考えているかもしれないが、所長はネロの中に聖杯がないことを瞳で秘匿を破り、そして灰は所長が見破った事も見破っていると判断するのが自然な思考の流れ。聖杯を破壊すれば特異点の楔を一つ破壊されることになり、カルデアは特異点消滅の一歩手前まで近道が出来るならば、灰が忍びの目的を聖杯簒奪を考えるのも効率的な思考の予測である。

 だが、聖杯だけを破壊する事に意味がない事も、ローマを見た所長は理解していた。それは後で全て始末することで問題を解決させる。ならば、次善の一手が実は最善の策。

 灰を惑わせる事が、忍びの任務達成に一番重要。彼女に姿を見せれば任務失敗となるが、居るか居ないか、もう去ったか如何かと言う絶妙な境界線であれば、灰は敵の侵入を周りに知らせるような事はしないと人格の歪みまで考慮し、その迷路を紐解いて正解を導き出した。

 何よりも、恐らくは一人で忍びと殺し合いたい筈。それも気配遮断した忍びを見付け出すとなれば、灰にとっても存分に自分の業を鍛える好機にもなる。あの女が態々、自分が強くなれる鍛錬の時間を誰かの為に潰す訳もない。だがそもそもな話、鬼ごっこが大好きなのだ。隠れ潜む敵を暴き出し、見付けたら何処までも追い駆け続け、背後から刃を突き刺し、ソウルを最後の一滴まで貪る。それを嫌うのであれば、火を簒奪する暗い穴など自分に穿ちはしないだろう。

 

「――――――――」

 

 抜刀、一閃。金属を斬る音はなく、空気を裂くも音もなし。無音の斬撃によって忍びの眼前にある扉の鍵は壊れ、彼が少しだけ押せば静かに扉が開いていった。

 

「………ッ―――」

 

 どのような姿かは分からない。洗脳されているかもしれない。狂っていない可能性も低い。だが、捕えられたのならば生きている可能性は高い筈。

 反乱軍総司令官―――セイバーのサーヴァント、アルテラ。

 任務における真の目的であり、良からぬ器具に裸体で拘束された女の名前であった。

 彼はマスターから彼女が捕えれた目的の一つに、あのネロが悪徳に溺れた場合ならば、と啓蒙的な予想を教えられてはいた。しかし、こうも淫らな縛り方をするとなれば、これが捕虜の拘束以外の意味合いを持つことを察するに容易い状況。

 即ち、人間の情欲を掻き乱す飾り付けであり、女体を題材とする芸術家の生きる作品。戦国の世にも拷問に酔う輩や、公開処刑に昂奮する群衆なども忍びは見てきたが、これはそう言う人間性の醜さとも大きく乖離した芸術的な性の品性だった。だから、認めるしかない。善悪はどうあれ、芸術家が縛り上げるアルテラの姿は、色欲を持つ全ての人間が美しいと認めるしかない性の観賞品なのだと。

 思わず、忍びが自分が男として生まれた事に罪悪感を覚える程―――美しく、麗しい。

 滅私の心得を持つ彼だから、手を伸ばして肉体美に触れるのを容易く抑制出来るだけ。

 両腕を磔にされ、全身を縛り上げられ、暗闇の中で呼吸する姿を、見た者から憐憫よりも深い美の感動を引き出す暗帝の感性が暗く極まっていた。あるいは、暗帝がその手に掛ければ全てが色と性の芸術となり、肉欲を纏わせ、理性を狂わせる冒涜的魅力を啓蒙するとも考えられた。

 

〝―――欲に、溺れたか。

 あのネロ殿が自分殺しを願う程だが……確かにこの様、見てはいられぬ”

 

 あの暗帝は―――性的倒錯者。忍びの識別としては、青髭の魔術師(ジル・ド・レェ)と同類。

 だが殺人癖はない変態性であるので、ある意味で遥かに上等な部類の変質者であるとも忍びは理解していた。捕えた理由の一つに、恐らく戦場でその美しさにでも一目惚れをしたのだろう。

 

「またか、暗帝……っ――――いや、お前は……誰だ?」

 

 傷は無い。霊基も無事。しかし、魂を穢されている。不死斬りを振う為に命の核を見通す忍びは、遺魂の残留思念を形代として視覚化するように、霊的な淀みもある程度は感知する第六感を有する。その為、救助対象であるサーヴァントが呪いとも言えない生きた思念に塗れているのを察知する。

 忍びの見立てでは、容易く正気は削れ、色欲に呆けるのが道理。忍びとて無の境地を許するも、仏の如き絶対の悟りを持つ訳ではなく、意志を蕩かす情熱を我慢出来るが拒絶可能ではない。とは言え、この忍びであれば、慣れれば情熱を拒絶する精神性も得られる可能性もあるのだが。

 

「カルデアのアサシン……お主を、助けに来た」

 

「何……カルデア……あぁ、そうか。お前が……?」

 

「あぁ。故、拘束を斬る。動かぬように」

 

「―――頼む……」

 

 直後、楔丸を抜刀八閃。拘束の魔術式が込められた縄を、魔力ごと霧散させて切り捨てる。腕の拘束、首の拘束、足の拘束、腰の拘束、股の拘束、胸の拘束が斬り落ちる。よって、アルテラを空中に飾る為に支えてもいた縄がなくなり、彼女も地面に崩れ落ちるのが自然。

 

「………すまない。助かった、アサシン」

 

「………………」

 

 その彼女を、忍びは生身の右腕で優しく受け止める。まるで赤子を抱える父親のように、何の衝撃も与えない思い遣りに満ちた扱い。アルテラは体を一切動かすことが出来ないようで、一人で立つことも不可能で、全体重を忍びに支えられている状態だ。

 

〝霊体化は出来ぬ。武装も……纏えぬ、か。魔術とは、厄介な……”

 

 触れたことでアルテラの霊体を忍びは把握した。呪詛と魔術により、サーヴァントとしての機能を大幅に制限され、身体能力も殆んど生身の人間と変わらない。これでは拘束から脱しても逃げるに逃げられず、一人での脱走は絶対に不可能な体にされている。

 筋肉もまともに動かせず、もはや這い蹲って移動するのが限界だった。拘束を斬っても、内側の魔術式を破戒しなければ意味はない。だが忍びは魔術は使えず、解除の神秘を持ち得ない。勿論その術式を楔丸で斬ることも十分に可能ではあるが、ここまで禍々しいと霊基より深く魂自体に粘り憑き、霊基もある程度は裂かないと斬り捨てるのは不可能。あの暗帝ならば、術式破壊によって作動する罠が更に仕込まれている可能性も高い。

 結論として、安全な場所で解除するしか方法はない。そもそも灰も関わっていると予測出来るので、魂の内にも罠があると考えると、呪詛と術式を抹消出来るだけの忍びでは危険極まりない。

 

「寒かろう……これを貸す」

 

「あぁ、すまない。感謝するぞ」

 

「………――」

 

 アルテラの礼に忍びは頷くだけに止め、橙色の衣を彼女に被せた。裸体に上着が一枚と言う格好ではあるが救出中、常に全裸でいるよりも遥かにマシだろう。そして、動けない彼女を背負うべく、サーヴァントとして宝具である不死斬りを霊体化させて装備から外す。流石に大太刀を背中に持ったまま、人を後ろに抱えて移動出来ない。

 そして、忍義手の鉤縄修繕用に隠し持つ頑丈な縄を懐から忍びは取り出した。必要な事とは言え、先程まで縛られていたアルテラに使うのは忍びも心苦しいが、だからと言って最善を尽くさない訳にもいかない。

 

「建物を、跳んで逃げる。背中に縛る故、我慢せよ」

 

「分かった。私は手も……余り、動きそうにない。なるべく、強めにしてくれ」

 

「あぁ……」

 

 背負ったアルテラの両腕を忍びは自分の首に回して手首を結び、そのまま彼女の胴体と自分の胴体を縄を器用に結ぶ。赤ん坊を紐でおんぶする母親のような姿であったが、両手を自由に使って移動するのは最も効率的な運び方だろう。

 脱出の準備は整った―――その瞬間、二人の足元から青い印が空に浮かび上がる。

 とある奇跡による敵意の感知ではあるが、救助の為とは言え隠密を解いた忍びではなく、恐らくは心身が衰弱したアルテラの微かな敵性に反応してのだろう。

 余りにも隙間のない絶妙な―――精確無比の、タイミング。

 少し遅ければ、既に忍びは次の行動に移っていた。少し早ければ、この奇跡は誰にも反応出来なかった。所長の考えも少しは見破れており、だがそれでも僅かな聖杯奪取の可能性を摘む為だけに、灰は所長の策に乗ることを良しとした。

 どちらでも良かったのだろう。忍びと遊べるのなら―――成否など。

 

「あ、あ、あぁ………灰、あの灰……アッシュ・ワンだ。奴が来る、カルデアのアサシン。

 この魔力、枯れた人間の本性。こんな悍ましい存在が……人の中にいるなんて、駄目だ……駄目だ……太陽の光からは、逃げられ……逃げられないぞ…………」

 

「……………」

 

 魂を震え上がらせる英霊の嘆きの声。恐怖ではなく、絶望でもない。膨大な魔力もなく、感じられる神秘も並の魔術程度だと言うのに、そんな計測数値に価値はない。魂を持つ知性ならば、簒奪者で在る事を剥き出しにした灰の存在感に呑まれるしかない。衰弱したアルテラの意志が、その震えを抑えられる訳もない。

 それを耳元で聞き、珍しく彼は一秒以上も決断をするのに思考した。さて、逃げるか、隠れるか、戦うか。選ぶは三択の未来。

 結論を出した直後―――手裏剣を、忍義手より窓へ投げた。

 覆っていたカーテンを回転する独楽手裏剣は抵抗なく芝刈り機のように斬り落とし、窓の硝子も音を上げながら粉砕。その騒音が鳴るよりも忍びは既に走り出し、割れると同時に皇帝宮殿の外側にアルテラごと身を投げ出していた。

 

「――――ぁ……」

 

 暗き影の如き重さの無い――――超疾走。

 いや、影も追い付かない迅速さか。アルテラが漏らした感嘆の音が、その空間に置き去りになった。だがこの忍びこそ、葦名にて剣聖に隻狼と呼ばれた一人の達人。縦横無尽と言う概念を体現する身の軽さは、薄井の忍びの中でも超一流。

 

「……ッ―――――――!!」

 

 全身隈なく、全力全開で魔力を回す。

 もはや隠密行動に一切の意味は無し。

 地を走り、空を駆ける。地上空中を自由自在に足場とする故、誰も忍びの陰影には追い付けない。空中を飛ぶ魔物であろうとも、彼ならば翼がなくとも対等に渡り合える忍びの体術を修めていよう。

 更に生前とは違い、人外の化生であるサーヴァントの身体能力を手に入れ、魔力と言う身体機能を上昇させる動力を自分に付与出来る。それを応用すれば、宝具化した忍義手の能力も生前よりも跳ね上がる。良くも悪くもサーヴァントになる前の彼の肉体は、回生を除けば、極限まで技巧を鍛えた只の人間でしかなかった。

 故に、空中もまた忍びの領域。義手より伸びる鉤縄が建物に突き刺さり、地面を跳ねるように一瞬で方向転換をしつつ、次の足場へ緩やかに着地する。

 十秒もせずに、アルテラを背負った忍びは宮殿から大きく離脱に成功。

 ソウルによって質量を得た悪性情報で概念的にも物理的にも陥没した都市の上空に逃げ、後はもうこの大穴を駆け上がり、外側に闇を抑える蓋として植林された神祖の森を脱出するだけだ。

 

〝……来たか、アン・ディール”

 

 宮殿屋上に、何も無い空間から唐突にヌルリと出現する灰を確認。

 

〝オルガマリーとの化かし合いは、先が読めても負けるしかないからいけませんねぇ……フフフ。

 さて、でしたら如何に背後から殺して上げましょうか。フランスを経て、葦名で皆さんの火で温めた私の最初の火でしたら、より良い雷鳴をローマに轟かせる事が可能です。

 私の瞳によって自動追尾する最大火力の太陽の光の槍で……あぁいや、駄目でした。葦名で巴流を打ち破った忍び相手に、神雷は慢心の極みでしたか。いけませんね、試してみたいからと好奇を優先するのは”

 

 最初の火を動力源に錬成炉を使い、悪魔殺しのソウルから錬成した古い獣のタリスマンは、奇跡も魔術も等しく使える触媒の極点。灰のいた世界で作られたどの触媒よりも、ソウルの業に相応しい神秘を有する道具。それと呪術の火を同時使用すれば、魔術、奇跡、呪術、闇術の全てを最高火力で解き放てる。

 となれば、呪文を切り替えるだけで良し。

 ギュルリギュルリ、とソウルと魔力が凝縮する独特の唸り。己がソウルだけでなく、灰は魔術回路も全開にする。

 

〝葦名での探求はこのソウルにとって、最初の火と並ぶ原罪の一つでありました。

 それを魅せるのが狼さん……カルデア相手ですと貴方が最初となり、私にとって実に幸運な展開です”

 

 古い獣と葦名で出会うこと灰は、そのソウルの原罪を灰の魔術師として理解する。だがそれだけではなく、この世で魔術回路を得た魔術師として、獣の権能を魔術基盤としても見出した。自分が持つ“最初の火”を、そうやって個人が独占する新しい魔術体系としても暴いた様に。

 ならば魔術師としても“ソウルの業”と言う魔術回路で使用する魔術体系を、実は既に悪魔殺しも灰同様に確立させており、誰も知らぬ魔術基盤も同じく獣のソウルより奥底まで見出していた。不死の使う呪文もまた、魔術理論を組み立てることでソウルの業とは別使用可能。

 新たに魔術基盤を作るなど、根源より人間には許されなかった筈の法則を世界に持ち込んだ魔法使いとあの“悪魔(デーモン)の魔術師”は同じだが―――不死は、そもそも魔術回路がなくとも神秘を行使する。

 

「解放されよ―――魂の結晶槍(クリスタル・ソウルスピア)……」

 

 悪魔が持つタリスマンが最上級の本家とは言え、その悪魔から錬成した御守も灰からすれば自分の理力と奇跡を限界を超えて呪文に繁栄させる至高の概念武装。神が相手だろうと容易く木端微塵にする対魂魔術であり、回生が持つ蘇生のストック全てを一気に奪い取る可能性も十分以上。更に、それらは指輪によるフルブーストが掛けられた。

 物理的な火力も対戦車狙撃銃を超え、戦闘機を撃墜する対空砲撃を超えるだろう。

 ソウルの業を司る魔術の祖―――白竜シースであろうとも、最初の火を簒奪した今の灰には神秘が及ばない。

 

「―――――――ッ!!」

 

 背後より追尾する刹那後の死。軍神の剣に並ぶ火力であり、しかし魂に対する概念的な破壊力は何倍程度なのかも測定不可能。しかも、宝具の真名解放よりも遥かに短時間。アルテラは英霊殺しなど灰からすれば、言葉一つで行える作業でしかないことを正しく理解してしまった。

 だが、悲嘆など忍びにする慢心は非ず。そもそも殺意に満ちた遠距離からの狙撃程度に対応出来ないなど、薄井育ちの忍びに許される訳がない。

 結晶槍の直撃―――否、それは霧がらすのぬし羽だった。

 燃え上がる土地神の羽を貫き、陽炎となって忍びもアルテラも空中から消え去った。

 

「――――ん……ッグ、お前は一体……?」

 

「ぬし羽の霧がらす……忍術の一つ。疑問は、後に答える」

 

 着地の衝撃で唸り声を上げるも、あの絶対的な死を回避した忍びを僅かにだが恐ろしく思う。如何程の修羅場を潜り抜ければ、あれ程の技巧に辿り着けるのか、軍神の子である彼女でも朧気な予想しか出来ない。忍びは思わず出たアルテラの質問に答える時間も惜しいが、行動しながらならタイムラグはない。

 同時に、無理な忍術で少しだけ縄が弛んだ。一秒でも時間は惜しいが、それを惜しんでアルテラを落下しては救出任務の意味はない。

 

「そうか。すまない……頼むぞ……」

 

「あぁ……任せろ」

 

 よって簡潔な答えだけを縄を締め直しながら喋り、直ぐ様に都市内部の疾走を開始。

 

〝あれで通常霊基のサーヴァント、なのですかね……?”

 

 完璧な逃走経路を走り抜ける忍びを背後から観察し、灰はあれが自分に出来るか疑問に思う。長生きした仙人の領域を超えている忍術を容易く使うのを見ると、体術と忍術の鋭さを是非とも学びたいと灰は探求心が無尽蔵に湧いて来る魂の実感がある。

 

〝私なら盾で弾き返すか、大盾に魔術を施して受け止めるのですが。しかし、アルテラさんは別に殺した後で蘇生すれば良いと、彼女ごと仕留めにいったのに失敗とは良い結果です。まことの強者は此方を上回ってくれて、長く楽しめますからね。

 けれども、この一手で終われなかったとなれば逃走を許してしまうでしょう”

 

 その予感が数秒もせず、あっさりと的中する。

 

「―――アァァルテェラぁぁぁああああああ!!

 余の宮殿から逃げるとは、まことに何事であるかぁ!!?」

 

 双頭の蒼白い騎馬に引かれる戦車に乗って、暗帝はローマ上空を感情の赴くままに爆走を開始する。魔力が空間を爆散される轟音と、発狂蒼馬の嘶きが、狂宴に騒ぐ全ての市民の耳に入る。

 暗いローマの空を切り裂く一筋の蒼き流星。

 その青さは人に貴さを覚えさせ、暗帝の暗い輝きに溢れ、市民の蕩けた瞳を覚ますには十分。

 

「あ”―――――あぁ~あ、もう全くネロさんは考えなしですねぇ……」

 

 独り言を思わず漏らす程に、灰はこの状況を作った忍びと所長の思考回路の深さを賞賛する。まだ狂宴の最中であれば普段の事なので忍びを見付けるのも可能であった筈。

 だが暗帝を目にしたローマ市民が、更に騒ぎ出すのは―――必然だった。

 

「うわぁあぁあぁあ、皇帝、皇帝、暗黒皇帝、暗帝陛下!!!」

 

「見給え、王の星がローマの曇天を切り裂いているぞ!!」

 

「燃やせ燃やせ!! 人間よ、魂よ、ローマを照らせ!!」

 

「宴じゃあぁああ!!! 食餌をもっと喰えぬほどに盛れ!!」

 

「犯せ! 犯せ!! 犯せ!!! 犯せ!!!!」

 

「ローマは空にある……ッ――――!! 皆も輝ける星の涙を共に流しましょう!!!」

 

「暗帝万歳!!! ネロ万歳!! ローマ万歳!!! 皇帝よ、どうかお導きよ!!!」

 

 天を煽ぎ、涙を流す市民の絶叫。ネロの声を聞き、姿も見て、魂が絶頂に登って帰って来れない猟奇的奇声。

 

「ヌゥゥ……ッ―――ぅうううう! 抜かった!!

 ローマ市民が余を見れば、歓喜の余りに宴を盛り上げるのが道理!!」

 

 上空の戦車から都市を見下ろしても、アルテラの影一つ視界に映らない。探知も出来ず、潜んでいるのか、走っているのかも把握出来ない。灰が敵意の感知をするのも良いが、これ程の熱狂の渦に巻き込まれると、市民一人一人の熱意が容易くアルテラの気配を完璧に隠してしまう。

 壮絶なまでの―――怨嗟の貌。

 憤怒であり、情欲である暗過ぎた恋心。

 情熱が冷えることなく、粘り“憑”く執着心に変換された瞬間だった。

 これを即行で解決するには賢者に聞くのが一番。暗帝は一瞬で宮殿屋上の上空まで高速移動し、何の躊躇いもなく街を見渡している灰の近くに飛び降りた。

 

「アッシュ・ワン、余の女神よ!!

 余のアルテラが……か弱きアルテラが何処にいるか、そなたに分かるか!?」

 

「分かりませんね。これですと、都市部の何処から神祖の森に逃げ込むのかも……―――やはり、感覚を凝らしても見当たりません。

 ローマの感知結界網も狼さん相手では、さっぱり役に立ちませんから。

 それにどうも、これは此方の不手際でもありますが、アルテラさんは少し衰弱し過ぎです。サーヴァント特有の気配もせず、恐らくは狼さんの方でも既にアルテラさんに隠密の施しをしている模様です」

 

 二人して葦名特産品の、仙峯寺が卸す月隠(ガチイン)の飴でも舐めているのかと灰は判断する。実際、忍びが取った手段は灰の予想通りであり、アルテラは流石に構えを取れないが口の中で転がすことで、ある程度の加護を軽くだが得られていた。それによって彼女の中にある術式や呪詛とラインで繋がっている筈の暗帝でさえ、もはや居場所を逆探知出来ない状況となった。

 

「ヌ、ヌヌ、ぬぬぬ……ぬぅ―――駄目だ。余からアルテラをどうしても探れん!」

 

「でしょうね。その対策をしない方が、敵としてお粗末過ぎますから」

 

 ローマ側が用意してある探知手段全てを無力にされ、探る術もきっちり白紙に塗り潰す。そもそも狩人相手に受け身なる方が悪かったと灰は理解し、如何にして取り戻そうか考える。数秒の間、加速した体感時間であれば更にその数十倍の時間を使い、思考回路の海に意識を飛び込ませた。

 その結果―――諦める事が一番だった。

 神祖の森を管轄しているのはロムルスではあるが、今は戦場で反乱軍狩りをしている最中。令呪で呼び戻せるが、既にもう都市部から脱出している可能性もあり、神祖森林区画も走り抜けてしまうのも直ぐだろう。そもそもロムルスは戦場でガトリング銃片手に暴れ回る所長を抑え込む役目に没頭中。彼を戦場から離せば、ローマ軍は一時間もせずに蜂の巣だ。所長がヤーナムから持ち帰り、更にカルデアの技術部で改造された銃火器となれば、如何足掻いても死に尽くす無惨な戦火を敵に撃ち込むのみ。

 

「とのことで、もう諦めませんか?」

 

「―――ハ?」

 

 瞳から光が褪せ落ち、一瞬で彼女は絶望感に支配される。灰がそう呆気なく諦めると言うと、本当もう手段がないのだと悟ってしまった。

 

「わ、凄く怖い顔ですね」

 

「当然だ! 貴様、アレだぞ!! アルテラが逃げるのだ!?」

 

「死なずであれば、また会えましょう。今回は諦めますが、獲物を逃すのを諦める必要は皆無ですから」

 

「む、むむ、ムムムムムム―――……はぁ、今夜の営みが。

 それはもうスンゴイモノを、一か月分の精力を使い程の内容を準備したと言うのに。余がこのような罰を受けるとは一体、此処はローマなのに何と言う理不尽であるか!?」

 

「そうですねぇ……本当、挫けない人ですね」

 

「心が折れるなど皇帝に在らず。余の情熱は正に永劫回帰であーる!」

 

「まぁ、不死は輪廻を個人で回帰しますので合ってはいますが……とは言え、人々の祈りより人類愛の結晶は生まれるものです。間違いではないでしょう。

 このローマの姿も人類史が紡ぐ愛故に――……フフフフ。

 ネロさんは芸術以外にも、人間を紐解く哲学の才にも溢れているようです」

 

「ふははははははははは!! ははははは、はははは……はぁー本当、好きだったんだがな」

 

「御酒、付き合いますよ?」

 

「頼む……愚痴りたいのだ………折角、余の情熱に溶けぬ美女と出会えたと言うのに」

 

「ネロさんからすれば、自害から生き延びた第二の生ですからね。どうか好きなだけ、思う儘に愛し、より良いローマにして頂ければ、その国営事業には喜んで協力致します。

 その上でネロさんがまた情熱を愛せるように、私は己が業を貴方に貸しましょう」

 

「だが――――嫌がらせはする!

 兵たちに追撃の命を出す。どうせ、余の都市にいる衛兵は暇人だからな」

 

「既に兵は出ている様です。カエサルさんがまだ戦場に出ていませんでしたので、その辺は大変手際良く対処して頂けている模様ですね」

 

「あー……で、あるな。余のサーヴァントはそうだった。

 結界の術式と繋がっているカエサル殿がいれば、あの忍者マスターとアルテラの位置は分からずとも状況を察し、とっとと対処しているよなぁ……」

 

 結界とラインを繋げている暗帝と灰は、そこを総合的情報履歴閲覧記録としても応用している。カエサルの素早い処置で人海戦術で索敵はされてはいるが、それでも手遅れ感が凄まじく出ている。

 

「――――で、女神よ。

 混沌の聖杯は無事であったのか?」

 

「無事でしたよ。しかし、この世界の主であるネロさんから隔離し、特異点を維持する別機関として聖杯を使っているのも、所長に姿を肉眼で確認されると見抜かれていましたね」

 

 陥没したローマの奥底の、更なる地下深くに封じられれた魔神柱の特大魔術炉心。都市部に流れ落ちる悪性情報が最後に集まる奈落であり、人類史の記録が物質化して凝固する人造地獄。そこで何が育まれ、何を生む子宮になっているのかは、暗帝と灰しか分からない未明領域である。

 

「カルデア所長……狩人、か―――……あの手の魔人は手に負えぬ」

 

「悪魔と狩人は私にお任せを」

 

「任せる。やれやれ、では長話に付き合って貰うからな!」

 

 後始末の指示は働き者のカエサルが率先している。忍びに対する嫌がらせにしかならず、逃げられるのは分かっているが、不死の兵士を使うことに不利益は一切生じない。むしろ、使わない方が人材の無駄である。

 暗帝は正式にカエサルへと頼み、戦車の更なる改造作業を今日は中止する。今度、陳宮が戦場から帰って来たら纏めて行えば良い。

 だが今夜を以って、アルテラを取り戻した反乱軍残党は――――反乱軍に再誕する。

 特異点の決着が近付くのを灰は悟り、暗帝との別れを予感する。ならば、時間を使わなければ腐るだけの灰は、人の面倒事に付き合うのも日課であるため、彼女の為に自分の時間を使うことも有意義であるのだろう。まるで友人のように慰めながら、何時もの笑みを浮かべて宮殿の中へ帰って行った。

 

 









 読んで頂き、ありがとうございました!
 題名のままで狼さんの救出任務の話になります。やっと葦名特産の飴ちゃんを存分に活躍出来る場面まで辿り着けました。仙峯寺に皆で幾らか課金すれば、きっと死なずの探求を完成して頂けることでしょう。


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啓蒙58:反乱軍

 また読んで頂き、ありがとうございます。
 それと後書きでちょっと第二部の5.5章と6章で疑問に思い、ギリギリ変更が間に合ったので説明を。作者はウィキや考察サイトや考察動画を見てますので、それらを更にごちゃ混ぜにした妄想ですので、興味がなければ飛ばして下さい。むしろ、ウィキに詳しく書いてあります。


 都市部から汚泥が漏れないように植林された神祖の領域。だが忍びは、全力疾走を気配をなるべく殺しながら行い、アルテラを安全に運び切る。稀に森林内でも徘徊する人樹もいたが、鉤縄を使って空中を闊歩し、あらゆる障害を通り抜けて森林区画を踏破した。

 目的地は、直ぐ其処。反乱軍残党より派遣されたサーヴァントが、アルテラを救助した忍びを待っている筈。メディアの魔術により、森の近くでもローマ側にバレるこもなく待機している予定だった。

 

「ヒヒン。迎えです」

 

「……………………」

 

 無言の頷き一つ。相変わらず忍びは無愛想だが、妙な雰囲気がそれを許している。淀みない動作で、アルテラを背負う忍びは自然と馬車へと向かって行った。

 そんな不自然さがない事が、アルテラからすれば凄く不自然な光景に映るのだが。

 

「おい……おい、なぁアサシン。私がお前に助けられた立場なのは重々承知している。

 だかな、流石に黙ってあのナニカが引く馬車に乗り込むのは………人として、如何なのだ?」

 

「すまぬ。あれは、良く……分からん」

 

「そうか。そうだな、そうだよな。いや、すまない。私も気が動転していた」

 

「お二人とも、ブルルンとお早く!」

 

 忍びは最初から作戦内容を分かってはいたが、迎えが赤兎馬(UMA)だと無愛想な顔が更に無表情になる。アルテラなどポカンと言う擬音が、本当にもうこれ以上ない程に似合う呆気に取られた顔となっていた。感情が虚無となり、脳内の思考回路が宇宙のような超次元暗黒となっているのだろう。

 忍びに背負われたまま馬車の中に入り、直ぐ様に「ヒヒンヒンヒン!」と嘶きと共に大疾走が始まったと言うのに、今のアルテラはまるで宇宙空間を茫然と漂うフォウのようであった。

 

「こんばんは、アルテラ。無事で良かったわ。

 ――……ちょっと、カルデアのニンジャ。早く彼女を背中から外しなさい。私が診るのですから」

 

「あ、あぁ……わかった」

 

 既に魔都ローマからの離脱が始まり、メディアの自律移動式隠蔽結界によって馬車の安全は確保されている。本来ならば結界は土地に張る要塞のようなもので移動など出来ないが、彼女に掛れば結界魔術の移動要塞化など不可能ではない。馬車の高速移動に合わせ、常に結界レベルの隠蔽工作が為されている。

 

「…………―――?」

 

 とは言え、今のアルテラにそれを察しろと言うのが無理な話。暗帝ネロの尊厳を削り取る壮絶な調教を受け続け、狂宴を繰り広げて終わり無き不死の日常を謳歌する市民達の中を抜け、神祖の人面樹が練り歩く森林区域を忍びが鉤縄で跳び回って逃げ終え、此処に漸く辿り着いたらこの超スピード展開。

 ……何が何だか、今のアルテラはもう分からなくなってしまった。

 そんな事はないと分かっているのに、寝て起きたらまた暗帝の寝室かもしれないと言う悪夢を見てしまいそうだった。

 

「それそうと、あれは……――馬、なのか?」

 

 背中から外され、忍びに抱えられているアルテラは、自分を支えている彼に真顔で疑問をぶつけた。自分達を今もこうして運んでいる正体を、何故か問い質しておきたかった。

 眉間に皺を作って真剣に考え込む忍びを、それまた無表情な真顔で見詰める破壊の大王。

 ついでに、その妙な緊迫感を少しだけ気になってしまい、魔女もまた様子を如何でも良い雰囲気で見守っている。

 

「……言えぬ」

 

「えっ……?」

 

「……………」

 

「……………」

 

「………‥…」

 

「そうか……」

 

「………あぁ」

 

 物凄い真顔で深く悩む忍びを見て、アルテラは理解できないことそのものに納得するしかなかった。

 

「もう、あのねニンジャ。とっととアルテラをそこに、寝かせて上げて頂戴」

 

「すまぬ……」

 

 地味に忍びが何と言うか気にしていたが、メディアは喋る通りにとっとと準備を終えている。馬車の中で簡易的に用意した診察台にアルテラを寝かせ、更に魔術によって移動時の揺れを最小にまで抑え込んでいる。魔女がその気になれば外科手術も可能であり、ライン越しで豊富な魔力源も得ているので霊媒手術も万全だった。

 

「――――では、診察と治療を始めます。

 主な内容は、ローマと貴女を結ぶ霊的ラインの破戒よ。それで良いわね、アルテラ?」

 

「あぁ、頼む。お前に任せたい」

 

「仕事は完璧に行います。安心して頂戴」

 

「…………」

 

 無言で頷くアルテラを確認し、作業を開始。まずは触診だった。視るだけもある程度は把握出来るが、霊体で相手の霊体に触れる方が、視えないものがより可視化される。

 

〝うっ……――なに、この生々しい魔力。

 人の本能を励起させた挙げ句、性欲を爛れさせて、色魔の化け物にする情念じゃないの。呪いの方がマシね、マシ。オリュンポスの神々の下半身だって持たないわ。

 この有り様で、良く自我を保ってたわね?

 英霊が持つ魂の強さなんて、知性がある時点でこれの前には無力なのに”

 

 余りの甘さに吐き気がした。メディアは自分を構成するエーテルを吐瀉したくなる。眩暈がするように視界が回る錯覚に襲われ、体中から体液が漏れ出る性的快楽に肌が痺れる。魔力自体が猟奇的な媚薬の効能を持つなど、暗帝がどのような魔力でアルテラを染め上げたのか容易に想像出来てしまった。

 

〝私の宝具で彼女を縛る術式は破戒出来る。けど……―――難しいわね。

 深く深く、人の魂を蕩かす暗い愛。霊体から暗帝の魔力を洗い流すのも出来なくはない……けれども、魔力を総入れ替えしないと治らないかも。

 そこまでしても、霊基と霊核にまで汚染してるのはどうしようもないわ”

 

 ―――シャキリ、と宝具をメディアは取り出した。真名は破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 これをメスの代わりとして使い、アルテラの霊体の中から不必要な異物(ジュツシキ)を排除する。

 

「取り敢えず、要らない魔術式を壊します。少し痛むけど我慢しなさい」

 

「…………あぁ、わかった」

 

 診察台で仰向けになるアルテラから見ると、刃物を逆手持ちした美女が自分を見下ろしている状態になる。少しだけ言い澱んだが、目の前のサーヴァントが自分を救うことに真剣なのは最初から理解している。

 だから、安堵した――――ローマから、解放されると。

 眼前の宝具が真名解放された瞬間―――自由になるのだと。

 胸元に少しだけ刃が刺さり、霊体の枷が崩れ落ちる。霊基を雁字搦めにしていた重石が砕け散る。

 

「さて、ローマとの繋がりはもう断ちました。後は霊基の修復と、霊体の魔力汚染の除去ね」

 

 神代の魔女の腕前は完璧である。いざと言う時に愛する者を救えない呪いを持つも、治療行為に間違いはない。何よりこの宝具は魔女の在り方(デンショウ)が具現化した神秘であり、人と人の縁を裏切ることに失敗など有り得ない。

 その事実に僅かばかりの仄暗い笑みを浮かべ、メディアは治療を行い続けた。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 反乱軍残党占領地―――フロレンティア。戦場の最前線。

 士気は高まり、戦意は熱くなり、翌日にでも戦争を行える極限状態。地方領地に対して暴虐的圧政で死をばら撒いたローマへの反抗勢力は、決戦に向けてこの地に集結していた。

 

「久しぶり、アルテラ。無事でよかった」

 

「あぁ……そうだ、実に久しいな。数週間前だと言うのに、懐かしい思いだ

 我が将、ブーディカ。私が死んだとしてもお前が生きていれば、我が軍の存続を信じていられたぞ」

 

「―――良いんだ。でも、キミがいないとキミの軍は、ただの残党軍だから。

 でも今日からは違う。総司令官が復活したんだ。これよりあたしたちは、破壊の大王が率いる本当の反乱軍に甦る」

 

 ならば此処は、今より―――反乱軍最前線都市、フロレンティア。

 そう呼ぶべきなのだろう。神の鞭が戦線へ帰還した今、ローマを襲う破壊の大王がまた軍神の剣を振うのだから。

 

「すまなかった。ブーディカ……今まで、良くぞ耐え忍んだ。感謝する」

 

「当たり前さ。打倒ローマを誓い合った仲じゃないか!」

 

「そうだった。思い出すまでもない。

 勝利の女王を前に……あぁ、この私が弱気になどなれんからな」

 

 残党より甦った反乱軍のサーヴァントは、総司令官アルテラの帰還を出迎えた。これより決戦を始める土地の視察もあったが、それ以上に彼女の奪還を目にする為に殆んどのサーヴァントが集まっていた。

 だから、残党軍を総大将の代わりに指揮していた女王は喜んだ。

 これまでは生き残る責任がある戦いをしなければならなかった。

 だが指揮官の奪還が為された。決戦も始まる。終わりは近く、もはや抱くのはローマ殲滅の祈りのみ。特異点の崩落まで命が保てば良く、ローマを滅する為に遠慮なく死に逝ける戦局までやっと運び込めた。

 

「そうさ。だから……―――おかえり。キミをずっと待っていたんだ」

 

 魂より、ブーディカは微笑んだ。決意と安堵に満ちた英霊の、戦場でこそ輝く笑みであった。

 

「おぉ、破壊の大王よ。やはりお前程の圧制者であれば、あの程度の圧制者に下る訳もなし。何よりも、今は共にローマの闇へ抗う叛逆者であるのだから」

 

「ああ。なら、これより我ら反乱軍、ローマへ叛逆の狼煙を上げようか」

 

「―――是非も無し!」

 

 総司令官(アルテラ)の戦意を確認出来れば、スパルタクスは十分だった。共に戦線に立ち続ける仲間を疑う無駄な機能もなく、その叛逆の意志を見間違う道理もない。

 

〝狂ってる……―――此処は。

 上位者を求める学術者が狂わせたヤーナムなんかよりも……人間そのものが、どうしようもなく”

 

 焼かれた汎人類史より魂に映される悪性情報の坩堝となった魔都。

 あそこは外側に人類史が犯した悪が閉じ込められた永劫回帰の檻。

 邪悪と、嫌悪と、醜悪と、極悪と、最悪と、暴悪と、陰悪と、積悪と、毒悪と、姦悪と、拙悪と、害悪と、凶悪と、梟悪と、巨悪と、逆悪と、獰悪と、猛悪と、至悪と、罪悪と、小悪と、俗悪と、大悪と、諸悪と、濁悪と、旧悪と、宿悪と―――憎悪と。

 五悪になど、人の歴史は収まらない。

 故に意志が渦となり、魂に重さを与え、暗い思念が唸り捩り、都市が深淵へ沈み逝く陥没の奈落だった。

 

〝神祖の植林で妖精巨樹の森が魔都を覆っていなければ、とっくにこの特異点が重さを得た悪性情報によって……その悪に染まったローマ市民の重さによって、特異点の外側へと地表の肌理は落ちていた筈。カルデアが来る前に特異点の文明圏は沈んでいたかもしれない。

 ……あるいは、凝固させることでより濃い意志にしたかったのかも。

 どちらにしろ神祖ロムルスの森がなければ、そもそも反乱軍を結成してローマと戦うなんて悠長な戦略を組む環境さえ、この特異点によって破壊されていたのだけど……いや、でも結末は一緒ね”

 

 残党から甦った仲間同士が再会する光景を見ながら、所長は思索の深みに沈んでいる。

 

〝思惑は分からないけど、あの森はカルデアにとって最高の時間稼ぎになっている。そして、ローマにとっても有効な策でもある。

 あの神祖は……多分、黒くなってたから断言は出来ないけど――――”

 

「―――所長、良かったですね!」

 

「え、あ…‥えぇ。そうね、マシュ。

 アルテラと反乱軍の皆が無事に合流出来て、良かったわね」

 

「はい!」

 

〝まぁ、マシュが喜ぶのも無理はないわ。だって憎悪で苦しんでるブーディカも大概だけど、彼女以外の残党軍サーヴァントだって、バーサーカーだったり、ローマの狂気で酒に溺れていたりと、幾らリーダーがカリスマ持ちでも率いるの凄い難しい状態だものね。

 挙げ句、新入りがローマの裏切り者と、外側からニュルっと来たカルデアと、滑り込みの勢いで仲間になった英霊ネロとスレイヤーに加えて―――呂布を名乗る怪馬(UMA)

 何だかんだ、ブーディカの心理的負担は大きかったでしょうし……‥特に馬とネロ。

 サーヴァントじゃない生身の人間で復讐に狂いながら責任感も背負って、更にあのローマと戦争するなら、どうしたってブーディカは自分の心身を壊しながら戦うしかないもの”

 

 とは言え、アルテラの代わりに背負っていた重責から解き放たれた復讐鬼が望むのは唯一つ。殺して、殺し続け、殺し尽くし、殺し果たした末の未来。

 反乱軍に助けられたブーディカは、直接の恩人であるアルテラの前では狂気を隠す。

 渦のように深海まで廻り深まる獰猛な殺意は、魂を飼い主にする利口な狂犬である。

 

「善き哉。叛逆の志す我が友よ……―――時が、お前の魂に追い付いた。

 解放の瞬間は近い。手に届く程に、戦場で怨敵に抗う程に、欺瞞の導きを喰い破るその終わりが到来する」

 

「分かってる。分かってるよ、スパルタクス。だから、アルテラ無くして反乱軍に価値はなかったんだ」

 

「ならば、良し。お前の叛逆は、私にとっても喜びの傷痕のであるのだから」

 

 しかし、怒りを薪に魂を燃やすのは復讐の女王(ブーディカ)だけに在らず。彼女に従い続けた叛逆の剣闘士(スパルタクス)もまた、このローマを徹頭徹尾、一人残さず許せない。

 許してなるものか。あれを許して良い訳がない。

 ―――死んだ国を漁って人々を奴隷にし、玩具として処刑する圧政者共を。

 

「おぉ、アルテラ……ハハハ。無事に帰って来て良かった」

 

「相変わらずだな。しかし我が将、荊軻……深酒は体に悪いぞ?」

 

「まぁまぁ、酔わなきゃ正気もやってられない」

 

「そうか。確かに、月に酔うよりかはまだ遥かにマシだった」

 

「うぅーん……その通りだとも」

 

 赤く上気した酔っ払いの儘、荊軻はアルテラの帰還を大変喜んだ。嬉しくて、また酒を呑んだ。美味かった。ならば月明かりは陰り、現実を酔う程に見通せる。狂気と正気の境はなく、荊軻は酔えない儘に酔おうと酒を呑むしかない。

 それでも、アルテラとの再会に安堵した。反乱軍を逃がす為に殿となり、自分達が残党軍になっても戦い続けてくれると信じてくれた過去の記憶を掘り返し、その信頼をやっと返せる機会に巡り合えた。それに応えずして、無頼の侠客などになりはしない。そう思いつつも、無事な姿が見れたことを幸福だと自分に言い聞かせた。もう出会えないと思っていた戦友を良く見ながら、そのまま感傷に彼女は浸った。

 ……目を凝らせば凝らすほど、視えないモノも見えてしまうというのに。

 段々と雲に隠れていた月が地面を照らすように、荊軻はアルテラの過去を狂気より啓蒙される。理屈など存在せず、彼女を侵す月光とはそう言う輝きであった。

 

「だが、良かった。思ったより元気そうだ。

 その様子では、あの皇帝共もそこまで貴殿を酷い拷問に…………っ―――」

 

 ドロリ、と蕩ける情念を見た。

 

「―――あいつら、全員殺す。何だそれ、どう言うことだ。

 もはや酔いは醒める有り様だ。ローマ共め、狂気ばかりか憎悪もばら撒くか。久方ぶりに、心底から煮え滾る」

 

 月明かりが覗き込む。狂気とは、全ての感情を後押しする。喜びであれ、悲しみであれ、それが怒りであろうとも。

 正しい怒りなら、尚の事。

 英霊であろうとも割り切ってはならない罪悪がある。

 

「荊軻、その怒りだけで十分だ。そして、もう終わった傷痕だ。お前は気にするな。

 もはや今の私は“神の鞭”として在る事を忌諱せず、あのローマを出血させることを厭わない」

 

「む。貴殿が言うなら、私も強くは言うまい。だがな、念入りにローマの皇帝は殺すとも。皇帝の命を狙った一人の侠客として、丁寧に真心から殺意を込めて殺めて見せよう」

 

「期待しているぞ。お前の刃はとても頼もしい」

 

「任しておけ、アルテラ」

 

 そして、呂布を名乗る珍生物が引く馬車より降りたのはアルテラだけではない。医療者として馬車にいたメディアは心底疲れた雰囲気で、まるで悪夢の漁村で狩人に狩られて死んだ半魚人みたいな瞳であった。死んだ魚の方がまだ生気がある。

 同様に、忍びも疲れた様子。霊基を取り戻したアルテラから橙色の忍び衣は返して貰っており、彼はそのままマスターの下に戻って来た。

 

「主殿……只今、帰還の程に」

 

「御苦労様、私の隻狼。ローマ中心部での情報収集に加えて、総司令官奪還作戦も素晴しい結果よ。完璧な戦果よ。

 やっぱりカルデアには隻狼がいないと、私は駄目なマスターって事が良く分かったわ。こんな無茶ぶりを気安く振れるのも、貴方しかいないものね」

 

「は……有り難き、賛辞でありますれば」

 

「はーっははははははは! 畏まっちゃって、私のサーヴァントならもっと偉ぶりなさい!

 ヤバめの任務の報酬にロマンのおやつ程度なら、遠慮なく何週間分だろうとブン取っちゃって全然構わないのよ?」

 

「御意……」

 

 悪魔対策に所長はカルデアと直接通信はしていないが、隠蔽術式で音声情報は向こう側へ届いている。無論、その他の情報も相互受信は万全。

 なので「御意じゃなくない!」と管制室で一人の男が叫んではいたが、特異点の誰にも聞こえてはいなかった。

 

「フォウ‥…フォフォウ、フォウ!」

 

「フォウ殿も、労いの良き鳴声。実に、忝く……」

 

「フォーウ」

 

「は。では……懐で温めていた、これを……食されると」

 

「フォーウフォフォウ……フォー!」

 

 完璧に餌付けされた小動物の姿である。柿を器用に抱えて丸齧りするフォウは、熟した果実の甘みの虜に堕ちてしまった。

 そして忍びは持つのは、カルデアの食糧区画で作られている果物でもある。中でも星見の忍びが手を出している果樹園のそれは、誰が呼び始めたか太郎柿とも呼ばれていた。

 

「どうして……どうして、狼さん。貴方はどうして、フォウさんには美味しいモノをちゃんと渡すのですか?」

 

「マシュ殿。その瞳の濁り具合……疲れが、癒えておらぬようで」

 

 しかし、その光景に絶望の眼差しを向ける少女が一人。傍から見て彼女は闇へ堕ちていた。

 

「―――話を逸らさないで下さい!

 苦い薬に、高純度アルコールの御酒に、激辛調味料! ここまでくれば、ちょっと人の想いに鈍いわたしだって分かります!!」

 

「は……?」

 

「なんで、そこで意味分からないって貌で惚けるのです!?」

 

「我ら忍びの業は……人心に、無慈悲でもある」

 

「心底からわたしを揶揄してます! そんなところはマスターの所長に似なくて良いんですよ!?」

 

「申し訳なく……無用な気遣いが、マシュ殿を傷付けてしまわれたか」

 

「あ、あの……そんな顔で反省されると。

 いえ、いえですね……わたしも本気で言っている訳では―――」

 

「―――戯れ言を」

 

「何がですか!?」

 

 無愛想な忍びであるが、何処か憎めない愛嬌がある男。所長が篦棒に贔屓しまくるのを周りの職員たちは見ているも、誰も忍びに悪い感情をカルデアでは向けていない。生き残ったカルデア職員が善き人々なのも理由ではあるが、彼の人間性も多分に理由に含まれる。

 

「マシュ。俺だって嬉しいけど、狼さんが無事に帰って来たからって、そんなにはしゃがないで」

 

「せんぱぁーい!!」

 

 日本のバラエティー番組を密かに忍びと見ている藤丸は、彼が鍛練するボケの切れ筋が鋭くなっているのを内心で称賛する。マシュは確かに天然ボケをする相手としては純真で楽しいだろうとも思い、ついつい悪ノリする藤丸は悪いマスターでもあった。

 とは言え、忍びが悪いのも事実。藤丸の言葉を何でも頷き、彼の趣味な話に無愛想な顔ではあるが、嫌な気配一つも出さずに興味も示す。所長は職務中以外の時間、カルデアでは研究と鍛練にのめり込んでいるため、念話では良く会話をしているものの、何だかんだで接点は藤丸やマシュが多いのであった。

 

〝ローマに溢れる死。獣が空に浮かべた光帯への……人類史への捧げ者。燃やすのが好きなのよね、基本的に人間って"

 

 外側の顔は嬉しそうに頷き続けているが、内心は忍びの目から視たローマの情報を脳内に取り入れ、脳に生じる瞳で更なる奥底の真実を啓蒙する。

 ―――古い獣を焼くための、暗い薪。

 燃え殻に何とか灯る残り火に過ぎない最初の火を燃やすには、絶望を焚べるしか他にない。暗い魂を火種にして燃え上がったのなら、そうするしかなかった。

 

〝古い獣を焼くのに必要な火が、人を燃料とする炉の太陽。

 それも無色では無価値。深淵のように暗くなければならない人間性の魂ねぇ……”

 

 絶望と憎悪を燃料の薪として光が生まれ、希望と平穏が幻想の世として映し出される。元より、薪となる暗い魂こそ太陽の熱量となる。

 故に暗ければ暗い程、獣を焚く燃料となる。

 惨い地獄を深める程、良質な薪へ進化する。

 特異点で薪として蒐集されるソウルは、人類の悪性によって暗くなければ、人の世を呑みこむ古い獣に対抗出来ない。闇より生じた魂ならそのまま火の原動力となるが、根源より流れ落ちる魂は無色なれば、薪色に染めてから炉に焚べる必要があった。

 

〝けれども、そこまでして……人の魂って救われないといけないのかしら?”

 

 罪悪感のない魂。心まで灰にしなければ、人は人の魂を救うことなど許されなかった。悪行を為さねば、獣を焼く薪を用意することも不可能だった。

 何より救われないのは、灰に目的と手段が逆になった自覚があること。

 魂自体が無価値だからと、その面倒事から逃げる意志を持たないこと。

 フランスとローマで、無駄な死など一つもない。人類が悪を為すことに価値があり、重ねた罪で闇へ堕ちることに意味はあった。

 即ち――悪より生じた闇を抱かなければならない。

 色のない魂が薪となる為には、悪性情報によってソウルを黒く染め、汎人類史の罪悪によって暗い魂に類似する必要がある。その上で灰の暗い魂の血に交じり、薪のソウルとして炉となる闇を深める。同時に燃料にもなる。

 

〝しかも、効率の権化。一石二鳥なんてもんじゃなく、特異点一つでダース単位の目的を達成してる。挙げ句、邪悪な人間を仕立て上げ、そいつらが人を愉悦の儘に殺し回り、特異点内部に作った加害者と被害者をダークソウルのエネルギーに変換するとは……あぁ、そういやカルデアが人助けに悪党殺すのも、アン・ディールの思惑って訳。人理を守る為に召喚されたサーヴァントも、敵対サーヴァントを殺せば薪を得て、彼らも死ねば薪になり、特異点での全ての死が炉の薪になる暗い魂の栄養源って話か。

 ……何だかんだ、あいつは人殺しには完璧な無感情。

 人工知能よりも遥かに無駄がない。だから殺しに価値はなくて、同格との殺し合いじゃないと命を実感出来ない。ソウルを吸い込むのも呼吸と同じで、心が名の通りに灰。燃え殻の魂に相応しい意志の容。

 フランスの時は殺戮とか愉しんでいるタイプかもって考えたけど、自分以外の魂を捏ね繰り合わせて、それを娯楽としても集中する悪辣な思考も他者の魂から運び込み、より良い策謀を練る為のものっぽいし。そう言う思考回路に寄せてるだけなんでしょうね”

 

 ――ダークソウルが、灰には足りなかった。

 この世に迷い出た灰しか、此処ではダークソウルを持ち得なかった。燻る火種を燃やす手段は有りながら、薪が手に入らなかった。

 特異点での殺戮と暴虐は、人類史に必要とされた悪意でしかない。オルガマリーは隻狼より視たローマの在り方より、秘匿された一つの真実を啓蒙されてしまう。灰が人類史に啓蒙された悪意の儘に悲劇を特異点で演出するほどに、人の魂が獣より護られる救世の道を進んでいるのだと。

 

〝あぁ……だから、違和感があった。フランスで見た小さな(ヒズミ)はこれ。

 獣から人々の魂を救いたいと悪魔の希望を叶える為に、そもそも誰かの為に誰かを残虐な地獄に落とす燃え殻が、人の世が腐ってるから獣に賛同して人理焼却なんて無価値な行いをするものかよ。

 人理は腐ってるかもしれないけど、アン・ディールの魂からすれば―――ただの腐れ始めた絵画だ。

 現代程度の世界だと燃やすには早過ぎる。もっと死に絶えて、末期状態まで腐り果て、本当にもう燃やすしかない不死が死を望まなくなる程の遠い……遠い、どうしようもない程に腐った筈の枯れた魂が更にまた腐り出して……そんな、燃えるのが希望の未来になるまで歴史を完成させてから”

 

 灰は、何一つ嘘は言ってはいない。全てが本音であり、事実。腐った絵画を燃やすように、人理も腐れば燃えるべきだと考えている。しかし、剪定事象のような短絡的な計り方ではなく、あらゆる苦難と絶望を何度も繰り返して、死ぬに死ねないようになってからの―――火が導く、一つの答えである。

 だから灰の人(アッシェン・ワン)となる前の、原罪を求め終えた呪われ人の頃の魂に生じた本当の自分の意志を曝け出してはいない。オルガマリーには灰ではない意志を見せた過去はあるが、獣に賛同した原罪の意志を啓蒙することは決してないだろう。

 

〝術式の王……ソロモンの死骸に寄生する者―――憐憫に値する節穴ね。

 千里眼で灰の魂は見抜けてもそんなのは所詮、一番上の表層部分の説明文程度。軟体精霊のような寄生虫風情に、自分の魂を無用とする程に折れない心を見通せるものか。

 寿命を得てから、死を自覚し―――人間を啓蒙されてから、人間の焼却を出直して来い。

 その上で終わりに辿り着けない不死となれば、悪魔と灰が何を思って無価値だと真理を悟りながら、永劫の人生で己が業を鍛え続けるのか理解出来るでしょう”

 

 とは言え、ローマに潜む灰が外法を極める探求者で在る事に違いなし。

 フランスで語ったように、自分が進化するため行っているに過ぎない。

 

〝―――統合した魂の意志……かしら、ね?

 悪魔殺しが話した御蔭でそれなりに理解は出来た筈。死に切った簒奪者の灰としては魂を進化させるべく強くなり続けたいだけで、死に切れない呪われ人としては人の因果へ挑むために原罪を探求し続けたい”

 

 と、そこでオルガマリーは思考を切った。他人の人格解剖は得意な思索の一つだが、まだ思索を深める為の事実を瞳が啓蒙し切れていない。そして、魂をあらゆる真実で満たす灰の精神構造は、真性悪魔の異界常識が幼児の遊ぶ迷路のように見える程に奇奇怪怪。まだ理解からは遠い。

 そもそも古い獣より人類の魂を守護する事で、灰は何の因果を果たしたいのか?

 灰として蘇生されたことで、あの探求者は自分から失った何かをまだ取り戻していない。

 

〝絵画世界……残り火の時代、ロスリックと最初の火。簒奪者が導くロンドール。

 ロスリックが企てた外法の一つ……枯れて墓に眠る不死の蘇生……―――火の無い灰。

 ここまでは何とか私の瞳で啓蒙出来たんだけど。更に深く思索を実行するには、人間をより極めた上位者に進化しないと駄目かしらね”

 

「―――お前が、オルガマリー・アニムスフィアか?」

 

「ええ、初めまして。無事で良かった」

 

 思考の渦から抜け出せず、外面は真面目な雰囲気を醸しながらも思索に耽る所長に、サーヴァントが一人声を掛けた。

 それを聞き、ハッとした表情など出さない。啓蒙的思索による高次元思考は常に動いており、それが止まるのは狩りに全機能を没頭させる場合程度だ。

 

「アサシンにはとても助けられた。一人の女として感謝するぞ……―――ありがとう」

 

「あぁ……そうね、どういたしまして。お会いできて光景だわ、反乱軍総司令官アッティラ。

 私がオルガマリー。カルデアの所長で、アサシンのマスターで、ただの魔術師よ。隻狼には私が命じたけれども、ブーディカたちからの頼まれ事でもあったからね」

 

「アルテラで良い。お前からは、そう呼んで欲しい」

 

「あら、そうなの? 可愛らしい響きね」

 

「ふふ……そうだろう。私はその真名よりも、此方の方が気に入っている」

 

 藤丸はよく所長にコミュ力激高、英霊誑し、鯖キラー、カルデア召喚式に最も愛された男、と揶揄されているが、この雰囲気を見ればコミュ力云々を言われるのは甚だ疑問である。サーヴァントに限らず、初手でパーフェクト・コミュニケーションを可能するあの眼力があれば、そんな英霊ともある程度は信頼関係を築けることだろう。

 彼がそう視ていると、見目麗しい美女二人は笑みを浮かべ、自然な空気で握手をする。所長はある意味、第三者視点から見ると気味が悪いほど理想的な人格だと言うことに藤丸“だけ”がカルデアで気が付いている。まるで誰かかにそう在って欲しいの望まれた様な、人から慕われるべき人間性で在る。

 

〝俺は所長を見て……何を、考えているんだか。誰だって、他人と接する時はそう言うものじゃないか。可笑しな話じゃないし、俺だって人に合わせて会話をするのが自然な空気だ”

 

 不自然ではない不自然さに、藤丸は何故察せられたのかは分からない。しかし、所長が相手を騙していないからこそ、詐称なき望まれた人徳を見抜けたのかもしれない。あるいは、誰かにそう設定してから構築されたような、思考回路に靄が掛る一種の狂気的カリスマ性。

 偽善でもないのなら、善性に見えるそれが何なのかは……―――どうも、考えが深まる程に思考が鈍り、藤丸は答えにまで手が届かないのだが。

 

「初めまして。藤丸立香です。宜しく頼みます、アルテラ」

 

「わたしは先輩のサーヴァント。マシュ・キリエライトです。宜しくお願いしますね、アルテラさん」

 

 とは言え、それとこれとは話は別。反乱軍総司令官にまずは顔を覚えてもららないとならない。

 

「道中、忍びからカルデアについて聞いている。大変優秀な、マスターとサーヴァントだと。

 こちらこそ、力を私たちに貸してくれ。あのローマを倒すには、どうしてもお前たちのような者が必要となる筈だ」

 

「はい!」

 

「うん、頑張ろう」

 

 カルデア所長は、何故か胸騒ぎがして仕方がない。自分のサーヴァントが現地の協力者であるサーヴァントを、地獄と呼ぶ事すら冥界の神に対する冒涜となる人間性の地獄から救い出し、こうして彼女が最も期待する最後に選らばれたマスターと、カルデアが生んだ最高傑作のサーヴァントが、心を通わせて人理焼却へ挑もうとしている。

 喜ばしいことだった。嬉しいことだった。

 戦略通りの素晴しい現実で、思った通りの展開だった。

 何一つ問題がないのだ―――どれ程、灰が邪悪を特異点で為そうとも。

 カルデアが特異点を解決する障害にはなるが、達成不可能な困難には何故か奇跡的にならず、実に上手く所長が考えた通りの展開を運び込める。その結果、フランスでは聖女ジャンヌ・ダルクを積極的にカルデアと協力させる要因となり、ローマでは反乱軍と言う最大戦力と一瞬で友好関係を結べている。

 

〝人理焼却―――そも、私が狩るべき獣なの……?”

 

 悪夢のように滑らかな拍子抜け。地獄を見届けるも、カルデアの手で地獄を作り出すような事態にはなっていない。

 戦争をするとなれば、現地協力者がいない場合、所長はカルデアだけでも宝具による敵軍殲滅作戦を実行する意志があったが、そのような大量虐殺を人間相手にする必要性はまだなかった。医療教会の外道共と同じく一般市民に対するホロコーストも、敵側が悪辣な策を用いるとしなくてはならない場合もあったが、そうする局面に立ち会っていない。

 

〝ある程度、道筋が仕組まれているのかしら?

 我が師、月の狩人の御意志。いや、あの狩人の上位者が……獣の人理焼却を見抜けずに、偶然にも私の呼び声に応えたとでも?”

 

 最初の特異点以外にも、致命的な見落としがある。なのに、所長の瞳が暗い奈落を見付けられない。まるで一寸先を霧で隠されたような、視界が曇る深い森の中を彷徨う迷い人の心境だ。

 

〝―――駄目ね。まずは狩らないと。

 私は星見の狩人だものね、殺してから考えましょう。

 不死だから魂を殺せないとしても、アッシュ・ワンを狩り()って、血の意志を瞳から吸い込まない駄目みたい”

 

 短絡的だが、真理だった。狩人とは、狩れば全てを解決してしまう者。情報が欲しければ、その意志を狩って血として自分に流し込めば良いだけの話。

 しかし、本当に所長でも分からないことだらけ。ローマを見た事で、新しい事実から疑念がまた生まれる。

 カルデアのメンバーとアルテラが会話を深める最中も、所長は思考の迷宮から抜け出せず。エミヤや清姫もアルテラと話し終え、戦力として紹介が終わっている。彼女は所長としての外面を保って仕事は行っているも、実際は脳内の啓蒙的思索に集中し続けている状態。

 

「お前が英霊――……ネロ・クラウディウス。

 あぁ、そうだったな。奴はもう、別の魂を持つ人間。お前こそ、薔薇の皇帝らしい在り方だ」

 

「そうか……このローマでまだ余を、薔薇と呼んでくれるのか。心遣い、誠にすまないな。それとな、話はもう聞いている。

 貴様が、破壊の大王……英霊アッティラ。初めまして……で、良いか?」

 

「……っ―――そう、だな。

 初めましてで合っているぞ、ネロ。そして、私の事はアルテラで呼んでくれ」

 

「そうか。では、そう呼ぼう」

 

「あぁ」

 

 事の大まかな詳細は所長より説明をネロは受けている。現在のローマの惨状と、皇宮で行われていた営みを知れば、アルテラの余所余所しい反応も普通だとも考えている。生前があの様となる女が、英霊のサーヴァントで別人と言えど、被害者が身構えるのは当然の反応。

 

「少しだけ、良いか……?」

 

「構わない。何だ、ネロ?」

 

 だが実体は逆。アルテラはネロに友情に近い思いを覚えている。その原因は、灰の臨床実験ではあるが。

 暗帝を作り出した探求者(アッシュ)は、そも知識に貪欲。英霊に対する関心は深く、宝具を構成する神秘を暴くのも探求の一環。そんな探求者が遊星の端末に関心を抱かぬ道理はない。少しだけでもソウルを見てしまえば、もう暴いて欲しいと言わんばかりに甘過ぎる匂いがする好奇の塊。

 結果―――境界記録帯(ゴーストライナー)の情報を、アルテラは魂が壊れない限り穿り返された。

 本来なら思い返せない平行世界で召喚された記録もある。あるいは、まだ生きている自分の情報も反映されてしまっていた。

 

「そうよな…………あぁいや―――」

 

「―――構わないと私は言った。

 安心しろ、ネロ。今の私はメディアのおかげで万全だ。そして、赤兎が引く馬車の旅も快適であった。休息は十分にもう取っている。私の体調を気にする必要はないぞ」

 

 故にアルテラは―――嬉しかった。

 知っている儘の姿でネロが居てくれている。暗帝はもう闇へ沈んだ黒き薔薇となって枯れる事も出来ないが、こうして情熱に燃える赤い薔薇がまだローマに咲いていた。

 

「…………」

 

 だからネロは決心をすることが出来る。恨まれていても、憎まれていても、共に戦うのならばケジメは着けなくてはならないと考えていたが、既にその必要もない。だが、必要ないからと話さない訳にもいかない。

 ブーディカからは、特異点での憎悪は特異点のキミから貰い受けると言われて拒絶されたが、何であれ責任を背負うのが皇帝の職務であった。

 

「この時代の余が、貴様には酷く迷惑を掛けた。謝って済むとは思わぬが……それでも、余は貴様に謝りたい。頭を下げたい。

 ……すまなかった、アルテラ。

 暗い狂気に酔う余を許さないでくれ。あやつに敗れ、腕を捥がれた余も許さないでくれ。

 だがどうか、これから皆と共にローマと戦うことだけは……どうか、余の我が儘を―――許して欲しい」

 

「―――構わない。私は所詮、破壊の化身である。

 だが、お前の決意を壊すような破壊者では……何故か、在りたくはない。壊したくないと、そう思っている」

 

「―――――――――ッ……」

 

 我慢出来たのは、奇跡的な偶然だった。ネロは一瞬、人の温かさに本気で涙が出そうになった。しかし、涙が流れるのは一瞬だけで張り詰めた精神が崩壊した隙間からだ。

 此処までの地獄、魂が悶え苦しむ毎日。

 想像も許されない悪夢、正気が削られる日々。

 魔術師や学術者としての頭は良いが実は天然気質な悪魔殺しや、何時も自分を呂布と勘違いしている赤兎馬が、この特異点で仲間になって行動していなければ、ネロとて特異点にいるだけで強まる自分の悪性に耐えられなかったかもしれない。暗帝ネロが君臨する故に、英霊ネロは存在しているだけで合わせ鏡となって邪悪に侵され、理性のない獲物に堕落していたかもしれない。

 

「……そうか。感謝する、アルテラ。

 正直な、言うべきではないと分かっておるが……もう本当は人を殺すのも、人の死を見るのも……余は、疲れていた。

 だが貴様が率いるのならば、まだまだ頑張れる気力が湧く。

 ローマ帝国を誅する反乱軍に皇帝がいるのも、随分と可笑しな話ではあるがな!」

 

 ネロは仲間に恵まれた自覚があった。あの怨讐を誓うブーディカでさえ理性で狂気の手綱を握り、英霊ネロを心底から憎悪しながらも、特異点の暗帝ネロだけを恨み尽くすと殺意を逸らしてくれていた。カルデアも善き人間であり、反乱軍のサーヴァントも同様で“悪い人間”からは程遠い。

 暗帝に奪われた腕が疼くが、殺人衝動を抑えるだけの意志はまだ残っていた。

 いや、魂を貪る為の殺戮をしたくて堪らないとソウルが餓えるも、ネロはその殺意を一点に凝固する強靭な意志で戦い抜いていた。

 

「ヒヒン! おや、ステンノ殿。

 人間に無関心な貴女が何故、此処にブルルン?」

 

「唾が飛ぶから、余り昂奮しないように」

 

「あぁ、レディに何と言う粗相を……ッ――すみませぬ!!

 呂布であれば、美少女に対する礼儀もヒヒンと完璧でありませねばな!!

 まぁ馬的な美的センスで言いますと、ステンノ殿はもう少し顔を細長くして馬面になってイタダキタァイのですが。

 あ、勿論、呂布としての好みの話ですよ。ほら私、超軍師の軍神五兵を使えますのでブルルン!!」

 

「―――……そうね。本当、そう」

 

 女神的なエフェクト効果を魔力の後光で作り、飛んで来るソレに対する守りとした。サーヴァントになることで戦う力を得た為に可能となったことで、生前の儘なら無防備で浴びていることだろう。あるいは、メドゥーサバリアを張ったことだろう。

 

「おぉ、声だけは良いお馬さん。任務ご苦労、こんにちワン。褒美に我輩の人参をやろう。そこの悪魔が魂からにゅるっと出したやつニャけど」

 

「ヒヒン、美味!」

 

「褒め言葉を有り難う、形容し難き呂布もどきの馬。私が鏖殺したデーモン共のソウルを栄養源にした私の神殿産だ。

 魂喰らいのサーヴァントには、実に丁度良い餌になるだろう」

 

「其処はかとなく嫌な予感が致しますが、(ウマ)ければ良し。(ウマ)だけに、ブルルン!」

 

 ボーレタリアだと人間もそうだが、馬の扱いも酷いものだった。悪魔は死骸になった馬に良く他のデーモンを殺す者がサインを残しているのを見掛けたが、内臓を晒す馬の屍の表現方法としては逸脱だと思った。

 とのことで、ボーレタリア時代だと生きている馬は非常に珍しく、基本的に生き物は殺意剥き出しで襲ってくる化け物。正直な話、赤兎馬位の珍妙さだと可愛らしさしか感じられない悪魔の感性が、少し可哀想になるだろう。

 

「啓蒙高いわね……いや、本当に。ミコラーシュが喜びそうな悪夢っぷり」

 

 それを傍から見ている所長の呟きを、偶然にも近くに居たエリザベートに聞こえていた。と言うよりも、彼女に聞かせたのだろう。

 

「島だとこんな雰囲気よ。あの悪魔、堅物真面目キャラっぽいだけのボンクラ貴族じゃない。気配も、貴女や藤丸と変わらない人間でしかないし……本性知らないと、何だかんだで接し易いのよね」

 

「長く生きてるから、人間と言う知性体そのものを神よりも理解してるんでしょう。それこそ魂の隅々まで。

 ……ま、あの悪魔は如何でも良いのよ。この特異点じゃ、無害だって理解してるし。

 私が気になってるのは、貴女達。女神の形ある島から出て来ないって思ってたんだけど、何で心変わりしたの?」

 

「え、今更ね? むしろ、反乱軍と協力した時から、最終的にはカルデアとも全面的に協力する予定だったのよ?

 各地での反乱行動は消極的だったけど、最終決戦にはちゃんと全力で力を貸すもの」

 

「へぇ……あの、血の伯爵夫人が?」

 

「そうよ。その伯爵夫人がね。まぁぶっちゃけた話、(アタシ)はあんな様になったライバルを見てられないってだけだけど。

 とは言え、英霊としての本人もいるから……手助け程度は、して上げても良いかもねって」

 

「友情とは。何だかんだ英霊も死後に結んだ縁で、それなりに人類史って言う営みを愉しんでいる訳ね」

 

「―――そんなものじゃない。

 はぁ…‥貴女、貴族生まれにしては少しデリカシーがなってないじゃないかしら?」

 

「反省してるわ。でも、忘れっぽくて。

 けれど……―――成る程。あの女神様が本気になってくれるのなら、反乱軍も助かるわね」

 

「デリカシーがないって言ったばかりなんだけど……フン。そうよ、やる気出し出んのよねぇステンノ。

 一人のアイドルとして、ステンノはブタ共から愛される原始のアイドルだから尊敬はしてる。けれどもね、それとこれとは別問題なの」

 

「あくまで自分の意志で戦うと。でも召喚されたのなら、そりゃそうよね。

 それでしたらカルデア所長として、どのような理由であれ、共に戦って頂ける貴女には最大限の感謝をしています」

 

「気にしないで。キャットもそうだけど、好きに戦って、好きに死ぬだけ。結果的に誰かの為になるんでしょうけど、人を理由に死ぬ気なんて更々ないもの」

 

「同感。人理の為に戦うけど、私だって人理の為に死ぬ気は毛頭ないわ」

 

「―――……あぁ、そう言う。貴女、やりたいからやってるだけなんだ?」

 

「カルデアだと多分、私だけはそうなんじゃないかしら?

 藤丸やマシュは他の選択肢がないから違うし、カルデアの職員もやるべき事をしてるんだけど」

 

「あのマスターニンジャもそうっぽいけど?」

 

「……私の隻狼のこと? まぁ、そうね。

 一人の忍びとして、為すべきことを為しているのよ。私に仕えているけど、私の為に仕えてる訳じゃないから」

 

「堅物ねぇ~……マスターの貴女も、息苦しいんじゃないの?」

 

「まさか。私が自分勝手な女だから、あの位が丁度良いわね」

 

 フランスの時のエリザベートとの違い。記録の残滓はあるかもしれないが、記憶がそのまま続いている訳ではない。特殊なカルデア召喚式で呼べば、特異点“本人”のエリザベートも混ざった英霊召喚も可能であるも、抑止による召喚となれば別人だ。

 

〝―――白い巨人の端末の、そのまた成れの果ての……サーヴァントと言う使い魔”

 

 女神ステンノは、嘗ての先史文明時代においてオリュンポスの神々を食べ尽くした文明の破壊者セファールを神の知識として知っている。あの遊星の尖兵のそのまた人型端末が一人の人間として生きた末、英霊となった事実自体も知ってはいる。ギリシャ神話に逸話を持つ神霊であれば、オリュンポスの神性もまた遊星と同じく他惑星からの外来種族であり、星に由来しない神性でもあることは知ってはいた。

 既にセファールに破壊されてはいるが、本体は人間に神と崇められた巨大機械。あるいは、移民船団にして宇宙艦隊。即ち、神とは機神戦艦である。

 

〝特異点、ねぇ……フフ。ハデス神の冥界が慈悲深く感じる。此処にメドゥーサがいなくて、本当に良かったわね”

 

 しかし、それでも因果な世界だと女神として笑みを溢さざるを得ない光景だろう。本質的に、神と魔は紙一重。人食いの神性を加味すれば、人間にとって化け物でしかない神性も数多い。

 神にとって―――否、神だからこその地獄と言うものがある。

 あのローマと言う魔都はあらゆる神性にとって劇物。人間を狂わせる災厄の悪性地獄だが、本質は人間以外を容易く発狂させる人間性の坩堝。見なくとも神霊ならば、同じ特異点に存在しているだけで死よりも悍ましい終わりを啓蒙される。まだ内臓を曝け出して死に絶えた方が数百倍も倫理的で、惨たらしく轢死した方が人道的な死に方だった。

 だからステンノは、メドゥーサも召喚されなくて本当に良かったと魂から安堵する。きっとヒトの闇に蝕まれた末、見るも無残な異形の魂に変質される。結果、三柱が融合した人間が望む以上のゴルゴーンが誕生していたことだろう。

 

「あんな場所から良く無事に戻れたわね、破壊の大王アッティラ。

 私の真名はステンノ。貴女が破壊衝動が感じる通り、ギリシャ神話由来の女神。そして今は、貴女の反乱軍の協力者をしているサーヴァントの一柱となるわ」

 

「そうか。宜しく頼む、女神ステンノ」

 

「ふふ。えぇ、よろしくね」

 

 だから、喜ぶべき状況だった。王を失った反乱軍は残党軍へと失墜し、だが各地で勢力を更に掻き集め、こうしてまた反乱軍へと再誕する。

 計画通り、と神らしく女神は笑う。

 何の為に協力したのかを思えば、此処が分水嶺。

 尤も星見の忍びを見た時点で、救出が不可能ではないと分かってはいたが。

 だが、抑止力が白い巨人の端末まで使ってローマ滅殺を企むとは、確かに神の鞭となってローマ帝国に破壊を齎した大王とは言え、本当にもう後先考える猶予がない証拠でもある。

 

「…………」

 

 フ、とステンノはカルデア所長を盗み見る。何故かは全く分からないが、気分良く煙草を一服していた。

 

「すぅ……はぁー……――ん、吸う?」

 

「吸わない」

 

「…………体に、害はないわよ?

 実質、有害性を排除した健康嗜好品だし。ただ少し……えぇ本当に少しだけ、瞳に光の筋が奔るのよ。淡く眩い、まるで神秘的な……謂わば、光り輝く導きのような……思考を誘う蛍のように」

 

「吸わない。絶対に―――吸わない」

 

「セットで、鎮静剤も付いてるわよ?」

 

「それ、完全に私を底無し沼に引き摺りこもうとしてるわね?」

 

「そう……なら、残念」

 

 赤兎が馬面にしたがっていたので、少しばかり聖剣遣いを思いながら啓蒙深く一服する。発狂すれば、馬の様な醜い獣が出来上がるだろう。とは言え、本当に健康嗜好品で無害なので問題はないのだが。そして所長はヘビースモーカーの肩身が広い特異点では優雅な喫煙生活を送り、休憩には火と灰と煙がなくてはならない。

 

「スレイヤー殿、人参もう一本ありますかな?」

 

「中毒だな、貴公……有るが。欲しいか?」

 

「口の中が寂しくて堪りませんので」

 

〝あー……傍から見ると、喫煙者ってあんな風に見えるのね”

 

 人参を口からしゃぶり“憑”く馬の姿を見るが、非喫煙者から見た自分の姿も似たようなものだとは分かりつつも、だが止められないのが中毒症状と言うもの。所長は酒、煙草、輸血液を止められない習慣になってしまったが、そもそも心身に対して不健康な部分など欠片も無し。狩人の嗜みだ。

 開き直り、更なる一服。相手が受動喫煙をしないように気を付ければ良いやと思い、しかし霊体のサーヴァントが相手だと神秘的啓蒙活動は問題ないだろうと平気で吸っていた。

 

〝決戦まで三日。さて、どう狩りましょうか?”

 




 人類愛は人類悪となる。人類愛がないと、人類悪の獣にはなれない。人類悪だけでは、ビーストの霊基は得られない。多分、ギルガメッシュ王とか安部さんとかの台詞を聞くとそんな雰囲気。
 となると、人理補完式ゲーティアの人理を見守り続けると言う人類愛は憐憫を抱いたことで、人理焼却式と言う人類悪となった。地母神ティアマトの人間と言う子供を愛すると言う人類愛が回帰を抱いたことで、新人類ラフムによる自分の子供による現人類の鏖殺と言う人類悪となった。ゼパる前のセラピスト殺生院は無償の愛で人を差別なく癒す救世主の資格を持つ人類愛が愛欲を抱くことで、羽虫のように足掻く人間で気持ち良くなりたい人類悪となった。カーマは何か、愛の神が普通に愛欲で変わったんじゃねって言う人類悪かも。フォウも元々は善き人々が大好きっぽい人類愛の持ち主だけど、善悪色んな人と人を比較することで人類悪を抱き、プライミッツ・マーダー化してヒャッハーするんじゃないでしょうか。ネガスキルもビーストとして否定したい人類愛に対する人類悪のパゥワーみたいな。キアラさんとかまんま、救世主になれた筈の自分への否定で分かりやすい。
 なので古い獣は、サーヴァントの霊基を得てもビースト霊基は無理っぽい設定です。ビーストにしてみようかとも思いましたが、ドーマンで思い止まり、オベロンで成る程と思いました。人間に最初から期待も興味もなさそうですし、それならまだ月の魔物とかの方が人間寄りの善き冒涜かもしれません。ちゃんと人類を愛した心を持つ知性体ではないと、その人類愛をビーストの霊基に変換する素材に出来ないのかもしれません。そして、英霊とは境界記録帯であり、それのサーヴァント化はソロモン王の決戦魔術・英霊召喚がオリジナルであり、ビーストもサーヴァントの霊基を持つとなれば、正にゲーティアこそが一番最初のビースト霊基に相応しいと考えられます。そもそもオリジナルの召喚術式ですし、カルデア式召喚も元々はソロモン王の決戦魔術の派生術式。ゲーティアの一部だった式とも呼べます。
 よって、DOMANがビーストになれる道理はなかったと言う風に考えています。そもそも彼の中に人類悪はありましたが、ビースト霊基に変換されるべき人類愛が存在していなかったのでしょう。オベロンとドーマンはそう意味では同類の、人類愛を持たない普通の人理に迷惑な「悪」だと第六部の妖精國で思いました。
 なので人類悪とは人類愛と言うギルの台詞は、文明に対するある種の絶望によって人類愛をビーストクラスによって霊基変換された自滅因子かなぁという感じに思ってます。文明より生まれた人間の獣性ですので、その文明を滅ぼす自殺機構と言うのがビーストたちに通じる本質なのでしょう。人間の罪より生まれた悪が、人理を滅ぼすとなりますので、それを灰が理解した場合のゲーティアに対する対応を考えると……と言うのが、所長が啓蒙された情報の一部分となりました。



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啓蒙59:暗い、暗い空

 眼下には、炉に焚べる薪の狂宴。

 眼前には、死ねなかった女の姿。

 

「皆さん、来ますねぇ……ふふふ」

 

 魂を黒くする程、人は救われた。

 命を泥に浸す程、人は導かれた。

 

「何だ? 此処に誰か来るのか?」

 

 ポカン、と暗帝(ネロ)は灰を見詰めた。

 そして、憐れな人形(サーヴァント)を微笑んだ。

 

「あの反乱軍残党共が……あぁ、間違いました。アルテラさんを取り戻しましたので、今はもう反乱軍でしたか。そろそろ決戦が始まりましょう」

 

「ローマに攻めて来るのか……クハハ―――無駄なことを。

 此処へただの人間が攻め入れば、ローマ市民へなる闇の窯の底である。むしろ、それ以前の問題。神祖の森に招き入れれば、反乱軍兵士は樹木の栄養源になる」

 

 ロムルス(ランサー)による神祖の妖精樹海。

 異界常識による暗い都(ローマ)の囲い蓋。

 

「はい。ですので、反乱軍は野戦を誘っています」

 

「野戦? なんだ、ローマを相手に釣りか?」

 

「健気ではないでしょうか。反乱軍は自分達の命を釣り餌にし、殺してみろと挑発しているのですから。

 とは言え、乗る必要もありませんけどねぇ……ふふふ。各地に散らすしかなかった帝国軍も、カルデアのマスターとサーヴァントらと協力した反乱軍によって随分と減らされてしまいましたが、そもそもローマ市民は擬似的ですがローマ内部であれば不死の化け物なのです」

 

「ハァ……―――等と言いつつ、貴様であれば打って出るのだろう?」

 

 胡散臭く、露悪的に嗤う灰へ暗帝は溜息を吐く。今はそういう気分でもあり、正しく気が乗らない陰鬱な夜明。

 時はアルテラを忍びに奪還され、二日後の早朝だった。後宮のハーレムで酒池肉林を丸一日過ごしても、美の女神の如く麗しかった彼女の肉が全く忘れられない。二日目はぐだぐたと酒に入り浸る時間を過ごす。

 正直、灰の優しさを暗帝は生暖かくも感じている。一切嫌な雰囲気を出さす一晩中愚痴を聞き、全てにおいて本人が言って欲しい的確な助言をする人間の感情に対する理解の深さ。

 しかし、その話題も切られてしまった。暗帝はアルテラと楽しめないストレスからある程度は解放されたことで、逆に興味がなかった反乱軍に対する執着が生まれている。灰のその言葉を無視は出来ず、むしろ更に聞き掘りたいと思っている。

 

「勿論です。野戦となれば、ローマの方が有利なサーヴァントが多いですから。それに反乱軍のサーヴァントを何名か市内に誘い込んだ方が、ネロさんの計画も上手く運べると思いますからね」

 

「それよな。余らローマ皇帝を殺せる程の少数精鋭を送り込むのが狙いなのは明白。そもそも、ローマの外側で最終決戦をする訳にもいかぬ。

 ―――おぉ、まことに良い運びではないか!

 野戦に乗ってやれば、のこのことローマの戦力を裂いたと反乱軍は正しく判断し、神祖の樹海を突破出来る者共で一気に攻め込んで来ると言う訳だ」

 

「そのようです。陳宮さんとカエサルさんも、同様の判断をしておりますから」

 

「ふふふ、うふふ……ッ――フハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 暗帝は妖艶に笑った。見る者の意識がネロ一色に染まる狂気であった。ネロだけが正しく人間性を尊べる人類だと錯覚する魂の強さであった。

 ―――美しい。

 ―――麗しい。

 貌と体と同じく……いやそれ以上に、暗帝の魂が狂ったように美麗だった。

 

「なるほど。ならば―――虐殺だ!

 殺戮による蕩けた人間の喝采だ!

 あぁ、戦争が出来る。情け容赦のない、只管に殺すだけの戦争が。

 こんなモノは最悪の外交手段でしかないと考えておったが、だが戦争が強くなければ市民に平穏はなく、戦争を求めなければ市民に幸福さえない。

 しかし、同じくローマも血を流さなければならぬ!

 肉が削げ落ち、骨が砕き折れ、臓腑を撒き散らす!

 ―――そうだとも。

 そうであったのだ!

 ずっと人間はそう在り続け、その果てに文明を腐らせる。

 有り難き叡智だった。正史の余の死より凡そ二千年間の地獄、素晴しい最期であった。英霊を拒絶した余だからこそ、心より別れの言葉を言わないとな。

 達者に燃えてくれ―――人類史!

 自らの悪性に結局は自滅するしか途がなかった我らの旅路。

 ならば、この闘争を最後の足掻きとせん。このローマによって、人理存命の希望を暗黒の深淵に沈めよう!!」

 

 灰は、暗く美しい女に微笑んだ。そうして貰わなければ、暗い魂の血を流し込んでも良い炉の薪にはならない。酷く効率が悪く、燃料の質が薄まってしまう。フランスでそう在ったように、ローマでもそう在らねば人が死ぬ価値がない。出来るだけ惨たらしく、可能な限り悍ましく、命を終わらせなければ死ぬ意味もない。

 悪性情報に満ちる人間性が、本来は無色である筈の星幽界から流れ落ちる魂を色付けする。それだけではただの魂でしかないが、黒く淀んでいなければ血に染まっても、ダークソウルの栄養源にはなり難い。

 

「はい。戦争です。ずっと続いた反乱軍との、最後の戦争です。貴女が望んで、貴女が作り上げる、人理を賭した美しき戦争です。

 ローマが圧倒的な力で踏み潰す反乱軍と、そのサーヴァントと、彼らに協力するカルデアが放つ命の煌きは、きっと貴女の瞳を焼く価値のある輝きとなって燃え尽きましょう」

 

「あぁ……―――良いな、それ。

 美しき人間の命が炸裂する瞬間は、きっとどんな演劇よりも愉しい悲劇だろう」

 

「ええ、人は様々なモノに命を賭けて戦います。しかし、ローマと殺し合うのは明日を生きたい人類の為に戦う皆様ですから、綺麗な花火となって燃え弾けます。

 なので、どうか………どうか、人類史が生んだ獣性には負けず、挫けず、諦めず、善き人間の未来を救う人類愛に至ったカルデアは戦い続けて貰いたいですね。

 だからネロさんも、これより殺すカルデアを祈りましょう。獣に堕落した皆さんのように、己が使命に心が折れないよう、人間として人の未来を祈りましょう」

 

 祈りに価値がないことを知る灰だからこそ、彼女は人間を祈らずにはいられない。そして、笑みを浮かべずに祈るなど、況してや無表情で人間を語る空虚さなど灰は持ち得ない。

 笑みとは、面白いから溢れ落ちる。幸福だから浮かび上がる。真理を理解した魂であれば、人間性を啓蒙されたその意志に狂った笑みを与えてしまう。故に灰の笑顔は、太陽のような全てを焼き尽くす熱量があった。

 

「人類愛が人類悪に変わってしまうのは、一人の人間として実に勿体無いですからねぇ……ふふ、うふふふ、うふふぅふふふふふ―――アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!

 ―――あぁ、そうだとも!!

 こんな程度の悪意に魂を見失うのは、余りに意志が弱過ぎる!!

 人間が無価値に死ぬ繰り返し程度で魂を諦める等、人間で在る資格などない!!

 生死の輪廻など当然! 見苦しくて何が悪い!! 滅んだ程度で人は決して終わらない!!!

 持って生まれた魂を塗り潰す程の渇望とは闇に等しく、ならば魂が営む人類史は永劫に続くとも!!

 姿を変えようとも、魂は変わらず、そして魂から生まれた意志が―――あらゆる無価値な使命と運命を、最後は必ず克服する!!

 この私が苦悶しか存在しない世界を明日へ導き、人間が未来を生きられる世界としたように。

 だから魂を持って生まれてしまった我ら人間は終われず、命を終えても何も終わらず、世界が滅んでも永遠に苦しむしかないのだよ。

 なぁネロよ、貴公ならば人の命を理解出来るだろう?

 まだ不死の因果へと挑む前であろうとも、人類の希望に勝った貴公ならば、何も無い暗い明日を啓蒙されることだろう」

 

 何の為に、人は命を賭けるのか。人間は人間の数だけ、命を賭す訳を持つ。ならば、善悪など命の証明には為らず。人に罪は重なるが、命は無力だからこそ価値がある。

 しかし―――人の(ソウル)には、色彩がある。

 人生を歩めば色が付き、命を賭す程の願望や使命によって更なる輝きを宿す。

 だが罪は更に重なり、闇が深まるのも道理。強ければ強い魂で在る程、輝きと暗さが強くなる。どちらだけでもなく、偏りはあっても、どちらとも生きているだけで魂に刻まれる。

 故に自分の魂を見限っている灰は、だがその魂から生まれた己が意志だけを自分とする。彼女にとってソウルなど人殺しの道具に過ぎず、同時にこの世で最も信頼する兵器でしかなかった。

 

「アッシュよ、その心が枯れた笑み……興奮しておるのか?」

 

「はい。こう言う時は、昔のように声高らかに笑うのが感受性のある人間の姿ですから」

 

 だが所詮は人真似。灰は、その心まで灰だった。

 

「余たちのローマは、貴様にとって良き国であったか?」

 

「はい。どの国であれ人は死ぬものですが、特異点では私が描く理想的な黒い人間性を見せて頂けました。ソウルの闇ではありませんが、私の血を通わせば貴女方の絶望は炉の火を焚く良き薪となりましょう。

 悪性情報でソウルを黒くする外法は、この度のローマで完成致します。

 それは何とも素晴しい結果です。とても僥倖でしょう。炉の火種を煉るのにこれ以上の殺戮を重ねる必要はなく……とは言え、更に暗い外法で殺せば火種作りは完璧に近付きます。後は我ら簒奪者が互いを貪り合うことで、炉の火力を燃焼させれば人間である私達に幸福も不幸もありません。何時も通りの人の世です。いやはや、人間万事塞翁が馬とは正にこの有り様でしょう。

 フランスの皆様も善き死でしたが、ローマもまた同様に人間にとって非常に有意義な命の使い方でしたとも」

 

「ならば、良かった。無意味な罪など、一つもなかったのだな」

 

「それは勿論ですとも。魂が永遠ならば、魂が抱く罪もまた永遠です。ローマの罪が人の礎となりましょう」

 

 人の魂が最も必要とするものを灰は理解していた。何時だろうと、人間は自分以外の他人を必要とするものだ。罪も悪も他者がいて成立する精神情報であり、他人のソウルが自分を色塗る絵具となる。

 

「しかし、人類種とは難儀な魂です。悪魔殺しもあれだけ苦しむならば放っておけば良いものを、進んで人身御供になるとは、自己犠牲の意志も考えものですね。

 古い獣の災厄は悪魔殺しが人の世を守るのに嫌気が差した瞬間、その心が人の魂を見限ったその僅かな隙間によって、遠い未来に訪れる知性体の完全なる絶滅です。あるいは、明日にも訪れる滅亡でもありました。

 後回しにしたところで必ず訪れる魂の死ですからねぇ……ふふ。尤も贄となる要人は特別に選ばれた訳ではなく、強き人間ならば誰でも良かったのでしょうが。

 それに私も只の人間として、同じ魂を持つ人間種として、悪魔を愛した憐れなあの男を見捨てるのも灰としては間違いでしたから。

 助けられるソウルに手を差し伸ばすのが、闇深き人間性の在り方でもあります。善悪はどうでも良く、救える者は無価値でもまずは救ってみるのが不死を生きる秘訣ですよ?」

 

「うむ。では、良いのだ。明日を思って善き未来を目指すのも、ローマ皇帝の務めである。市民の営みと、我らの子孫が良き国家で生きる為、今を生きる皇帝が己が信念へ善悪を問うては為らぬ故な」

 

 滅亡も繁栄も生きた人間の記憶へ残ってこそ。死ぬべき時を見誤った暗帝は、もはや地獄しか作れない自分のローマを逝く末を思えば、綺麗に咲き誇った薔薇のような笑みしか作れない。既に土から引き抜かれ、茎を剪定され、花束となればどれだけ美しい薔薇も死体である。

 ならば、新生したローマ帝国も同じこと。

 自分と同じく、死に損なった己が帝国も美しい屍に過ぎないのだと。

 だが、それでも尚―――死ねない。

 何処までも、星の様に生きられる。

 灰が見せた永遠(ニンゲン)の在り方とは、それが真実だった。暗ければ暗い程、人は太陽のように輝ける矛盾した怪物である。

 

「まこと、善き生き方でしょう。ネロさん、どうか闘争を御愉しみを」

 

「あぁ……余は―――滅びを得た。

 だがな、死は終わりではないのだ。ならば、我らローマは人類史の為に戦うカルデアと、自分達の未来を得る為に戦う反乱軍を滅ぼそう」

 

「はい。どうか全力で」

 

「うむ―――」

 

 終わりでもなければ、始まりでもない。不死にとって、人がどれだけ死のうとも日常の一齣(ヒトコマ)。あらゆる悲劇を見慣れてしまった。悲しいことを悲しめず、悲しい出来事がまた起きたと知識で判断しているだけの人間だ。

 その様が、暗帝(ネロ)にとって救いだった。暗帝はこの度の戦争へ壮絶な決意を持って挑むが、灰は常にその決意を持って人間を徹底して殺していることを分かってしまった。啓蒙とは、全く以ってそれで良い。新しい人間の感性を覚え、常に魂を太陽で焦がしている苦痛を何でもない日常とする人間性が、暗帝にとって灰を女神と崇める最大の原因でもあった。

 だから、人で燃える太陽は賛美される価値があった。

 薪として燃えるよりも苦しみ悶え、未来への望みを断たれる暗い現実。

 地獄を焼き尽くす地獄以上の絵画こそ、人間と言う死ねない生き物に許された結論だ。

 この世で最も魂を苦しませ、人を殺せば殺す程に苦しみは増し、葦名に住まう簒奪者全員が同じ絶望と苦悶を日常としている。これを尊ばずに悲劇を作るなど、人間性を持つことが人間には許されない。

 

「―――野戦の準備を始めよ。

 余の暗い太陽、我が女神よ……そなたより、戦争の始まりを告げてはくれまいか?」

 

「はい。私だけは喜びましょう―――彼らを殺して下さい、ネロさん」

 

「ふ……フフフ、ふっはっはっはっは……ハハハ。

 ―――フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハッハ!!」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 正しい意味での絶望。戦況を打開する望みを断たれ、如何足掻いても戦場を支配され、出口がないと察してしまう詰将棋。

 軍師諸葛亮孔明(エルメロイ二世)は、己が死を理解した。

 同時に、この度の召喚で付き添い続けた大王の死も分かってしまった。

 

「アレキサンダー……―――これは……」

 

「うん。死ぬね、先生。分かってはいたけど……ハハハ、負け戦を勝ち戦にするのはキツイね。

 抑止に召喚されて反乱軍にいたって言うハンニバル・バルカもいれば、指令官も足りていたんだろうけど」

 

「無い物強請りだぞ、それは。だが、精鋭を帝都に送り込む囮にはなれた。特異点での勝敗に必要なのは、私たちが如何にローマ帝国を滅ぼすまでの時間稼ぎが出来るかと言う点のみになった」

 

 野戦の始まりに合図などなかった。ローマ帝国は突如として現れ、魔王の軍勢として熱狂と共に殺戮を開始した。

 

「だけど、奇襲とはね。僕らの先読みを、先読みしてくるなんて……化かし合いは、そもそも悪手なのかも」

 

「だが、敵側の将で釣れた人数は少ない。陳宮、呂布、ダレイオス、レオニダス。そして、あのアッシュ・ワンか」

 

「呂布一人で、野戦だとこっちは壊滅的悲劇を受けるけどね。門番に丁度良いレオニダスを外に出すのは良くないと思ったけど……いや、逆にあの使い方は巧いと思うな」

 

「そもそも、ダレイオスが軍勢を嵩増しするからな。数で戦ってはならないが、だがあの髑髏部隊は奴一人を殺せば壊滅させられる」

 

「未来の僕のライバルか……実感は余りないけどさ」

 

 合戦は神祖の森の外側。反乱軍を生餌にするしか帝国崩壊の手段はなく、突入する事も許されない絶対守護の囲いを前に、彼らは耐えるしか道はない。

 ―――死ぬことが、既に定められた戦場だった。

 サーヴァントは自分たちの役目を理解した。そして、サーヴァントのカリスマによって統率される反乱軍の兵士は、自分達が死兵であることを受け入れてしまった。分かってしまっていた。ローマから生きるには、死ぬと分かっても戦わなければならず、徹底して平和を蹂躙された過去が戦場から逃げる意志を剥奪した。

 如何足掻いても、生きているだけで―――死ぬしかない。

 生き延びたい明日の為に―――死ぬしか、もう道はない。

 死ぬ。死ぬのだ。今を生きる故に死ぬのだろう。昨日は良い日だったと死ぬのだろう。

 正に地獄。命の坩堝。それを今、捨てがまる。家族の為に、矜持の為に、復讐の為に。

 希望とは―――麻薬。

 未来とは―――酩酊。

 憎悪とは―――活力。

 ローマに家族を殺され、化け物に生きたまま喰い荒された仲間を見て、反乱軍は決死と言う意志を抱いている。生きる為に、此処で死ぬしかないのだと決心してしまっている。

 安住の地が消えた暗帝の箱庭と化した邪悪な帝国支配領域から逃げる事は出来ず、人間社会によって食肉加工される豚のように淡々と殺される日々に戻るなら―――此処で、皆で一緒に死んでやる。

 

「続けぇぇーーッッ―――――!」

 

『『『『うぉおおおおおおおおおおおおおお!!』』』』

 

 一人一人に人生がある。歩むべき未来がある。捨て駒に相応しい人間など誰一人としていなかった。誰もが生き足掻く為に、明日を生きる為に、死地を踏破せんと戦いに挑んでいた。反乱軍はローマに何もかもを奪い取られた者達の、本当に最後の最期の足掻きであった。此処が人生の最期だと見定め、命を燃料に魂を炸裂させ、自分よりも遥か強大な怨敵に立ち向かう。

 だが―――死ぬ。死ぬ。死ぬ。ただ死ぬ。ただただ死ぬ。

 造作もなく、容易く死に尽くす。藁を燃やす様に、雑草を刈り取る様に、虫けらを踏み潰す様に。

 

「ヒヒン……―――あぁ、此処が私の死地ですか」

 

 赤兎は、反乱軍兵士を一切勢いを落とさず殺し回る嘗ての主人を見た。

 

「赤兎よ。お前は、向こう側に付いて行っても良かった。その資格があった。何故、此方に残る?」

 

「いえ、いいえ。何を仰られるか、スパルタクス殿。貴方こそ、あのローマを本心では誰よりも討ち倒したいと考えているでしょう?」

 

「その理屈に、言葉は無用だ。既に、もう無いのだよ。もはや私の狂気は消え去った。

 嘗て、私は一体何の為に戦いを始めたのか……その一番最初の―――最悪の憎悪を、奴等は私に思い出させたのだ」

 

「そのようで。ならば、私も答えましょう。

 今、この場で人を殺し回るあの男だけは……生前と変わらず敵兵を撫でるように鏖殺するあの英雄だけは―――呂布奉先だけは、嘗ての相棒である私がせめて殺さねば」

 

「是非も無し!!!」

 

「何より、頭が可笑しくなった同僚の目も醒まさねば!」

 

 とは言え、生前から見慣れた光景でもある。赤兎と共に戦場を生きた同僚の超軍師――陳宮が、人間を燃料に人間の軍勢を爆散させる血みどろの鏖殺技巧。

 

「爆裂四散こそ、兵士の鉄火。ならば、犠牲者の命に区別なく―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

 声高らかに叫ぶ真名解放が、また戦場で轟いた―――直後、反乱軍の一陣が灰となって消し飛んだ。赤兎からすれば実に見慣れた光景ではあるが、敵陣から見るのは初めてでもある。

 命の価値に差別無し。皆須く平等に死すべし。

 あろうことか、自分のマスターを爆薬にして行う大虐殺。宝具を解放する度に一人を贄とし、多くを屠殺する鬼畜外道を超えた邪悪の所業。

 

「まさか、まさかの―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」」

 

 何人死んだか。

 

「更に連続―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

 この戦場にて、最も多くの人命を奪った個人。

 

「ふふ、ふはは、あっはっははハハハハハ―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

 もはや絨毯爆撃に等しい殺戮行為。軍師が矢を放つ度にマスターは死に、帝国に逆らう憐れな反乱軍は吹き飛び、肉片が周囲に爆散する。

 何の感慨もなく敵兵を殺し尽くす戦争狂の愉悦。

 飛将軍が内心で如何かと思う程の真性加虐嗜好。

 笑みしかない。哂いしかない。人の命を心より尊ぶ軍師の喜びに偽りなし。何せ擬似サーヴァントと言えど諸葛亮孔明を殺せる好機を愉しめないのならば、そもそも戦国乱世の戦場で日常を謳歌し、あの呂布奉先になど進んで仕えるものか。

 

「何と言う喜びでしょうか!!

 此処まで闘争を愉しめるとは!?

 辛抱堪らんとは正にこの有り様!!

 私はもう……もう、もう……もう我慢出来ませぬぅ――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

 脳味噌が散らばった。腕が千切れた。内臓が弾け飛んだ。足が吹き飛んだ。顔面が陥没した。生きた人間に宝具を炸裂されるとなれば、この無惨な有り様こそ英霊の性根であり、英雄が過去に行った罪科の現れでもあった。

 

「あのですね……貴方、何回自分のマスターを殺すつもりですか?」

 

「無論、魔力が尽きるまで!!」

 

「そうですか。まぁ、そうでしょうねぇ……はぁ」

 

「溜め息とは、情けない。マスターも、まだまだ殺し足りないでしょう!?

 ですので陰鬱な声など……おっと、あの部隊は怪しいですね。軍師の直感を信じて、全員殺しておきましょう――――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

「また死にましたが?」

 

「最高ですねぇぇえええええエエエエ!! あーはハハハハハハはっははははははははっはっはっはっはっはっは!!!

 ―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

「聞いてないですね。別に良いですけど」

 

 この度の戦場にて、死に絶えること十七度目。灰はマスターを玩具にして宝具を楽しむサーヴァントを、まるで水遊びをする幼子を眺める母親のような顔で見守る。何の価値もない自己犠牲の精神で、灰は自分の命を宝具の素材として捧げ続けていた。

 不死の命に価値など欠片もない。

 もはや亡者となって自我を失う事も出来ないのならば、尚の事。

 

素晴(スッッンバラ)しぃぃいイイイイイ!!

 何と言う痛め付け甲斐のある敵陣なのでしょうか!?

 あぁ我がマスター、見て下さい。まるで命が埃のように舞い上がっています。生前も一方的な鏖殺を幾度か行いましたが、この度は本当に塵のようで!!

 では反乱軍諸君、諸共死ね―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

「これで十八回目の死亡です。体内での魔力暴走程度なら死なずに耐えられるのですが、こうして貴方の要望で一々死んでいるのです。

 まぁ常に最初の火で魂を内側から焼かれている苦痛に比較すれば、死ぬ程度は何ともないと言えば、そうなのですがねぇ……はぁ、相性が良過ぎるサーヴァントも考えものです」

 

 残り火を得た火の無い灰のように、一瞬だけ彼女は燃え上がる。確かに死んだと言うのに、何でもないかのように自分を殺し続けるサーヴァントに対して笑みを浮かべている。

 一分間に、幾度も放たれる超軍師の宝具。

 味方の死を以って為される奇策冷血の鏖。

 決死の覚悟でローマ帝国に戦いを挑む反乱軍を、軍師は悦楽に染まった笑みで歓迎する。

 

「フッハハハハハハハハハハ!!

 堅きスパルタの守り―――我らローマのレオニダス殿の盾が健在である限り、私の自爆殺法に死角なし!」

 

「自爆しているのは、貴方のマスターなのですが?」

 

「良いから死ぬのです、我が主殿(マイマスター)! より良く死ぬのです!!

 あなたが死ぬ度に、その太陽で魂を熱却して蘇生する度に、全人類が悶死する苦痛を味わう度に、甚振り甲斐のある貴い命の炸裂を見れるのですからねぇ……――掎角一陣(きかくいちじん)ッ!!」

 

 土煙りが上がった。血煙りも上がった。そして、英霊の宝具として振われる英雄の業とは正しくこれが真理である。

 人を殺さずには、いられない。

 どうしても、殺さずには堪えられない。

 理想の為、信念の為、野望の為―――人は英雄となって、人間を止めて、この有り様に辿り着く。善悪、秩序、混沌、中立、中庸、関わらず、虐殺者にならねば人は英雄として記録されない。

 

「―――戦争です。これが、戦争なのです!

 主殿、全てが須くあなたの御蔭なのですから。人間の殺意があの殺戮兵器(コウケイ)に辿り着くのでしたら、我が殺戮など御飯事でしかなく、ならばより良い帝国繁栄の為に人を殺す程に……あぁ、あれが正しい未来で在るならば……!!

 正に今こそ……―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!!」

 

「戦争狂ですねぇ……まぁ、人を使うのが好きなのですから、これもまた己が魂に従った業の姿とでも思いましょう」

 

「勿論ですとも! 故に狂い果て、殺し尽くしなさい。

 我ら羅馬帝国最新技術にして最高傑作―――無敵君主(むてきロボ)、超飛将軍よ」

 

「◆■◆■■―――ッ!!」

 

 魔力を伴った雄叫びが反乱軍の陣地内で上がる。人間を細切れにした上で、血飛沫となって爆散させるに十分以上の破壊力を持った凶声であり、文字通りの鏖殺絶叫。鼓膜を破る等と言う常識的な領域でなく、人間の肉体を木端微塵にするなど呂布でなければ不可能だ。

 軍神五兵(方天画戟)を一突き―――幾人もが武装ごと串刺し霧散。

 軍神五兵(大鎌)を一振り―――幾つもの頸が戦場の空を舞う。

 軍神五兵(双篭手)で一殴り―――何人もの胴体が内臓ごと爆散。

 軍神五兵(大旋棍)で一廻り―――兵士たちが原型なく四肢四散。

 軍神五兵(青龍刀)で一払い―――地面ごと薙ぎ払われ真っ二つ。

 軍神五兵(大弓)で一射ち―――敵陣を一筋の光が一瞬で両断。

 誰も止められない。誰も妨げない。超軍師によって改造され尽くされた呂布奉先は疲れも知らず、倫理も感情も失い、完全無欠の大量破壊兵器と成り果てた。その手に持つ宝具と同じ人間を殺す為だけの兵器に生まれ変わってしまった。

 

「圧倒的ではないですか、我が帝国は。フハ、ハハハハハハハ!!

 無敵君主(むてきロボ)を量産の曉には、人理の抑止など纏めて皆殺しに致しましょうぞ!!」

 

「え……あれ、作るのですか?」

 

「主殿の召喚魔術があれば、英霊の座の本体よりサーヴァントなど量産し放題ではないですか!!

 好きな兵器を好きなだけ呼び出し、好きなだけ改造人間に転生(カイゾウ)出来るとは……ソウルの業とは、正に言葉通りの魂を陵辱する外法の極点!!」

 

 ふむ、と灰は葦名特異点で殺し尽くした抑止力(サーヴァント)の能力を思い浮かべる。有能な神秘を持つ者しかおらず、それらのソウルを吸収して簒奪者達は自分達のソウルに霊基と言う新しい魂の容を改竄していったが、その神秘を思う様に呼び出せればどれだけ有益なのか?

 例えば、そう……暗い孔に収めた最初の火を鍛冶の種火にし、永遠の中で延々と武器を鍛えてコレクションする簒奪者の武装群を、あの英霊の宝具のように撃ち出せればどれだけ面白そうなのか?

 あるいは、あの劇作家の宝具のような心的外傷を抉る劇場空間を生み出し、捕えて拷問に掛ける相手のソウルから苦しみ悶える人間性を抽出すればどれだけの娯楽になるのか?

 それとも、あの半神半人の肉体のような蘇生魔術を重ね合わせた神の奇跡を具現し、更に防御魔術も施して面白可笑しい不死身の化け物を生み出せば、どれだけの絶望となるのか?

 彼女は気が付く―――サーヴァントの数だけ、運命が揃えられているのだと。

 この人理焼却から始まった聖杯戦争は、その運命をカードゲームのように揃え直し、世界の運命をベット(賭博)して未来を描く神秘の営みであるのだと。

 

「成る程……あぁ―――成る程です。

 その考え方は目から鱗です。思え至れば、いやはやその手がありましたか。材料になるソウルなど、自分から呼んでしまえば良かったのです。

 抑止力が呼ぶのをランダムに捕食するだけでなく、むしろ自分から食べ放題な訳ですよね」

 

 始まりの原理(アイデア)こそ、人間の知性の種。灰はこのサーヴァントを召喚した事が、人類種に愛された運命だったと察してしまった。葦名に帰れば、きっともっと面白い責務(ヒマツブシ)に没頭することが許されるだろう。

 

「そうですとも、そうですとも。

 主殿も人間を使って戦争をする愉しみ方を、段々と理解して頂けたようで」

 

「そうですかねぇ……ふふ。

 でしたら、是非ともお手本を見せて頂きたいと思いますよ?」

 

「無論。何故なら―――命に区別なく、戦場にて綺麗な(ハナ)を咲かせましょうぞ。それが今の私に許された唯一の存在意義ならば!

 我らの業は血染めの魂を花咲かす―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!」

 

 反乱軍も殺されるのは分かっていた―――だが、此処まで絶望的とは予想をすることも許されていなかった。ローマが、これ程までに人間性を終わらせてはいないだろうと侮っていた。

 兵士は、羅馬の英霊(サーヴァント)だけに非ず。

 人の坩堝より生まれた闇の毒(ヒューマニティ)に汚染された羅馬軍人も、反乱軍からすれば怨敵であり強敵。

 

「げひゃっひゃっはっはははははははははははは!!!」

 

「あーはっはっひゃっひゃっひゃっはははははは!!!」

 

「げっげっげはあぁははははげぇははははははは!!!」

 

 それを果たして、サーヴァントではない人間の兵士だからと―――人類だと、認めて良いかは全くの別問題だったのだ。

 赤い目。肥大化した肉体。腐った膿が孔から吹き出る異様。

 異形にして奇怪。奇形にして異端。全く別の深化をしてしまった人の型。

 目玉の数が合っていない。四肢が既に四肢と呼べぬ数。首が長いのもいれば、胴体に埋まっている者もいる。フランスで見た吸血鬼の方がまだ人間らしい怪物だろう。

 だが―――兵士であった。

 鎧を着込み、盾を持ち、剣を持ち、槍を振う羅馬軍人だった。

 一騎当千と呼ぶも悍ましい強さを誇る奇形の兵士であり、故に何処までも彼らは全員が人間に過ぎなかった。

 

「うわぁぁあああああああああああああ!!」

 

 また断末魔が一つ上がり、命の灯火が一つ消えた。この様を見届ければ、陳宮の宝具で死ねた反乱軍兵士は幸運だろうと納得する。

 生きた儘、内臓が飛び出て死ぬのは辛かった。

 死ねぬ儘、手足が捥げ落ちるのは精神が死ぬ。

 生々しく、臓物の腐臭が満ちるのが戦場の常。

 彼らは肉体を齧り、血肉の呑むことで魂を食していた。魂さえも逃がさず、人間が人間の魂によって消化される絶望の末路。

 そして、反乱軍に参加した兵士の故郷は、そうやって皆が惨殺されていった。だから、そうして死ぬのも理解していた。相手は人食の為に戦場に出る悪鬼怪魔の成れの果て。むしろ、そうして人を食している背後から殺すのだと理解もしていた。

 

「ぬぅぅううおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 キャスター、メディア―――私を、霊基の限界を無視して強化せよ!!!」

 

「この筋肉ダルマ、簡単に言ってくれるわね!?」

 

「出来ぬなら、私に代わって死ぬが良い!?」

 

「……ッ―――チ。

 これだから、英雄らしい男って生き物は……!?」

 

 魔女に叫んだスパルタクスは、もはや我慢の限界を超えている―――否、その程度の憤怒などもはや燃え殻となった後。我慢など召喚された直後に超過した。

 最初は、激昂だった。次は、怨讐だった。最期は、狂気だったかもしれない。

 何故、これを許せる? どうして、我慢して戦える? 

 スパルタクスは、叛逆者の英雄(スパルタクス)だから怒りを抱くのではない。生き抜いた一人の人間として、有り得てはならないから狂える程に怒っている。

 

「このローマは暗い。そうとも……暗い、暗い空に覆われている。

 自由なき圧制者の箱庭などと言う皇帝の欲得、断じて―――私だけは、断じて認めぬ!!」

 

 攻撃を敢えて受け止める―――何て、無駄な悠長さを彼はとうに捨てていた。だが同時に、攻撃を防ぐと言う保身も捨てていた。

 攻撃、攻撃、ただ攻撃し―――殺す。

 一秒でも早く斬り、一人でも多く潰す。

 羅馬兵士に斬られ、裂かれ、突かれ、なのに一切止まらなかった。止まれなかった。

 彼が一秒でも動かねば、その間に誰かが死ぬ。志しを共にする反乱の戦友が、ローマの餌として消化される。

 決意に漲る戦場の星―――それを、陳宮が見逃す訳がない。殺さずにいられる訳がなく、戦士として殺したくて堪らないのが当然である。

 戦場の英雄殺しこそ―――英雄にとって、最大の誉れである。

 英雄が、英雄を討つ―――伝説となる殺し合いこそ、勲章だ。

 

「なら、木端微塵となりなさい――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!!」

 

 狙いを無論、スパルタクス唯一人。だが、炸裂すれば周りの人間も多く死ぬ。

 

「ふん――――ヌゥゥウウウウウウ……ッッ!!」

 

 反逆者は跳んだ。弧を描く撃滅軍師矢(ガジェット)を睨み、一秒後の死に挑む。裏切りの魔女の加護を受け、周囲の戦友を対軍宝具に巻き込ませる気など一切なく、空中にて全ての破壊を受け止める。

 ―――爆散。死の音。

 暗い空を、より暗くする命の花火。

 焼かれる反逆者の燃え殻から灰が戦場に降り注ぎ、反乱軍は誰よりも兵士を守った男の最期を見上げ―――

 

「―――まだだ、まだ死なぬ!」

 

 彼は、何時も通りに笑っていた。ローマに反逆する皆の痛みに比べれば、まるで取るに足らない死の苦悶。死ぬほどの痛みなど、もはや今のスパルタクスにとって痒みにしかならない。

 

「素晴しい、何と素晴しい英霊か……ッ―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッッ!!」

 

 ならば、その精神を見抜けずして何が呂布の軍師か。あろうことか、超軍師は既に第二射を備え、空中で弾け飛ぶ反逆者に向けて宝具を射っていた。

 第二射の爆裂。命が弾ける轟音。

 灰が雨となって戦場に降り、燃え上がる彼を見上げるしか反乱軍には出来なかった。

 

「まだ、まだ……まだだ。まだまだぁ―――!」

 

 再生する。焼かれた肌は甦り、砕けた四肢が胴体より生える。心臓と頭蓋だけは守り、その上で“痛み”を存分に蓄える。彼の意志が宝具を止めず、ならば英霊の意志を具現する宝具が魂を裏切ることなど有り得ない。

 

「分かっていますとも、スパルタクス殿……―――掎角一陣(きかくいちじん)……ッ!」

 

 陳宮は霊基が燃え上がる痛みさえ魔力にし、自分自身を加虐する快楽さえ覚え、血反吐を吐瀉しながらも真名を叫び上げる。自分を召喚したマスターを生贄として殺す最大の喜びに背中が震え、あの英霊が燃え上がりながらも戦う意志を手放さない勇士に、一人の戦士として最高の感動を覚えた。

 だから―――戦争は、止められない。

 この様を見るために、人の命を使い潰す理由が生まれる。

 

「おぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 故、反逆者は死ねず。此処で死ねば、痛みが無価値になる。耐えなければ意味がない。立ち上がり、進まなければ打克てない。

 進め、戦え、殺せ―――抗え。

 逆らうのだ。命を笑った全ての圧制者へ。

 

「あっはははははははははははは!!

 挫けぬ男は最高ですねぇ……―――掎角一陣(きかくいちじん)!!!」

 

 人の命で撃つ宝具は愉しくて堪らない。彼は、最も理解ある召喚者(マスター)に恵まれた。思う儘、考える儘、ここまでこの宝具を使い潰せる好機など二度と回って来ないと軍師は分かっている故に、自分の霊基を崩しながらも宝具を放つ。

 

「あぁー、陳宮さん。ほら、やり過ぎです。スパルタクスさんのあの姿、もう準備万端になっていますよ?」

 

「ならば、殺し切るまで……―――掎角(きかく)一陣(いちじん)……ゴホォ」

 

「まぁ、良いでしょう。どうせ弾けるのでしたら、綺麗な方が花火は美しいものです」

 

「まこと、その通りかと!」

 

 しかし、本来ならば宝具の効果ごと殺し切れている筈。それでも英雄が戦えるのは、これまでのローマの悪逆を見届け続け、それに抗う人々の戦いを見て来たからだ。今までの抗いが、力を失うことを決して許さない。戦う意志を失くさない。

 最高の一撃でなければ、反逆への突破口を作れないと―――狂気を失くした男は、分かってしまっていた。

 

「行くのですか、スパルタクス殿」

 

 しかし、それでも挫けそうだった。肉体の再生が間に合わず、手を地面に突きそうになる。膝が崩れそうになった男を、その勇志を見ていた呂布の軍馬が腕を掴んで横から支えていた。

 

「あぁ、行ってくる。しかし、おまえはおまえの道で逝け」

 

「無論、ヒヒン。では、さらばです……―――おさらばです!」

 

「―――(オウ)ッ!」

 

 赤兎馬の声に応え、抑えていた膨大な魔力で肉体が膨れ上がる。狂戦士(バーサーカー)のサーヴァントの狂気に相応しい異形の怪物となり、巨人よりも悍ましい肉の塊と男は成り果てる。そして、彼は怒りと抗いと恨みの魔力を練り上げ――――瞬間、一気に凝縮した。

 彼は人の形に戻り、その型で極限の反逆(マリョク)を練り果てる。

 人の雄姿―――反逆の剣闘士なり。

 その全て―――スパルタクスなり。

 月明かりが、きっと狂気さえも狂わせたのならば、男はもう狂える正気も失くしてしまった。

 

「それだけは、感謝しよう――――月光の圧制者(インペラトル)!!」

 

 狙いは一人。しかし、もはや爆裂範囲は巨大。敵幹部全てを巻き込むのに十分な破壊力を蓄えている。ならば、もう考える必要もない。奴の眼前で全てを解放すれば事足りる。

 男は、跳ぶように走る。

 英雄は、戦車のように奔る。

 反乱軍を守る為に最も必要にして、最善の一手―――あの黒い巨王より溢れる、骸骨兵士を一掃する。

 

「―――掎角一陣(きかくいちじん)

 

 溜めた魔力で異形となった男を軍師は嘲り、良い的になったと笑ったが、その侮りは即座に塵屑となった。一瞬でも憐れだと思った自分自身に哀れみを抱く。

 英雄とは、正にその様。このカタチに人生の結論を出せる人間へ、戦士は最大の敬意を抱く。

 その尊敬の念を込め、軍師はとても静かに真名を唱えた。だが、もはや殺意と呼べる意志ではない。文字通り、必殺の一矢である。灰の命を使った究極の破壊である。

 

「―――――――――」

 

 既に、雄叫びも無し。男は、走らねばならぬ。メディアに強化され、霊基を崩落させながらもサーヴァントの限界を超えた強靭な肉体で以って、男は軍師の一矢を片手で掴み止める。

 

「なんとッ―――!?」

 

 驚く軍師は、更なる驚愕を得た。男は矢を握り潰し、その破壊を全て一気に自分へと注ぎ込んだ。ボコン、と肉体が膨れ上がるも、それもまた直後には人型へと修正された。

 反逆心(マリョク)が昂る。もう止まれない。

 邪魔な帝国兵士と骸骨兵士を轢殺しながら、男は無心で突進し続けた。

 

「我が信念、ここで燃えよ。

 ―――疵獣の咆吼(クライング・ウォーモンガー)ァァァアアアアアッッ!!」










 読んで頂き、ありがとうございました。


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啓蒙60:骨肉四散

 アンダーテイルと言う作品、面白かったです。アンダイン!


 反逆者の英雄(スパルタクス)は、己が臓腑を爆薬にして破裂した。

 何時も通りに衝撃波を出すだけでは無意味だと解し、魔力を斬撃にして放つだけでも無価値だと悟り、霊体、霊基、霊核を余す事なく、自爆させなければ何事にも届かないと未来が見えていた。

 

「まぁ―――無駄なのですが」

 

 その決死を、灰は優しく微笑んだ。

 

「御無事ですか、レオニダスさん?」

 

「――――……あぁ」

 

「貴方程の殿方が血反吐を流すとは……いえ、英霊の人間性を侮る方が愚かな人類種でしたね。基本的には座の皆さん、素晴しい意志を持つ魂でありました。ですので、まっさらな魂で私は信じていましたよ。

 貴方の盾であれば、必ず私と陳宮さんを守りぬけると。

 あの英霊の宝具の、その余波から護って頂けますから」

 

「そうですな……ッ―――あぁ、そうでしょなぁ……!!」

 

「怒らないで下さい。私からの、惜別の涙と言うものです。ほら、霊核が無事でしたら、魔力が潤沢にあれば霊体の回復も容易いのがサーヴァントなのですからね」

 

 盾の槍兵はローマ帝国を狂わせた諸悪の根源に振り返る。灰は、人間らしく笑っていた。温度のない灰色の笑みだった。その女の貌には、冷たさも温かさもない。本当の意味で、感情が尽きた灰の微笑みであった。

 その瞳が、レオニダスを見詰める。

 恐怖も畏怖もなく、気色悪さもない目。普通の人間の黒眼だ。

 だがまるで黒い太陽が煮え滾っているような眼光で、暗い闇が世界を焼くように燃え上がっていた。

 

〝しかし、ダレイオスさんは盛大に、派手に、木端微塵となって大爆死ですねぇ……ふふふ。これでは人型より異形化した脱落市民で編成した傀儡兵士だけが残ってしまいました。

 残念ですね。無念ですね。

 では―――もう、滅ぼしましょうか?”

 

 灰は戦場を一瞥しただけで把握する。敵陣のソウルを目視する。サーヴァント反応を察し、アレキサンダーとエルメロイ二世は健在で、荊軻、ステンノ、エリザベート、タマモキャット、メディア、赤兎馬が奮戦している。

 その気になれば灰の奇跡で、戦場に溢れた死体で全てを爆散させることも容易い。そして葦名で簒奪者共とお互いに最初の火を貪り合ったことで、闇から始まった神々の権能も、あの三匹達よりも巧く使いこなせるよう神秘も鍛えた。

 フランスの戦場で行った黒い死の霧風をより広く撒き散らすことも、地面を溶岩地帯に変えて焼き融かすことも、空に投げた雷を電球に変えて数多の雷撃を降り注ぐことも可能だった。甦った最初の火を動力源に動くソウルだからこそ、火の時代で起きたあらゆる地獄が不可能ではなくなってしまった。

 

〝―――いえ、いいえ。

 どうせ、そうなるのでしたら構いませんか。もっと、もっと、人間として魂を燃やし、苦しみに足掻いて貰うのが有意義でしょう。

 人は人で在る時点で、絶望を永劫に耐えられるのですからね”

 

 フランスにて最初の火による権能実験は成功に終わっている。神の力でソウルを奪う利益は灰には無い。

 

〝実験は、結果が出るまでが楽しいもの”

 

 神を疎むも所詮、その火の力はもはや灰の(ソウル)と成り果てた。あの神々のように欺瞞と虚構で“人間”を管理する人理と抑止の“力”である境界記録帯も、有益なソウルとなってくれるだろうと灰は魂から喜んだ。

 最初の始まりからして、相容れないことは分かってはいる。灰は灰となる前、闇に抗ったが闇でしかない己が魂を受け入れ、ならばこの世の人も根源から生まれた自分の魂を受け入れるしか道はない。

 冠位の千里眼こそ、最も憐れで残酷な力であった。世界に生まれた瞬間から命が運ばれる道が定まっているならば、魂は生まれた時から自由はなく、既に敷かれた道筋を進むだけの地獄。終わりに辿り着く以外に人の魂が救われる手段はなく、それを見えてしまう千里眼の持ち主が人間を憐れむのも必然。そして、そもそも終わりに至っても、その救済は魂にとって錯覚だった。

 獣か、人か、選ぶのは本人たちの意志に委ねられるが、灰の瞳から見れば獣性もまた人間性の一部分。

 だが根源が世界の外側にあるのではなく、この世界が根源の内側にあると言う事実。まるで宇宙が箱庭みたいだと悟るのに時間など必要なく、何かしらの人ならざる人が機構を制御し、人間の命と魂を管理する運命が支配された小さな世界。

 闇の始まりから救われなかった不死のように。

 きっと―――根源から生まれたヒトの魂も救いはないのだと。

 何故、救われたいと願う事が許されないのか。善悪以前の求道の最果て。その間違いを正す事が、灰と作り変えられる前の、呪われ人だった不死の一匹が抱く一番強い決意だった筈。

 だがやはり、所詮は灰の一匹。その葛藤と苦悩さえも、既に燃え殻の灰となって消えていた。

 

〝いやはや、どうもいけません。そう言うのは、寿命があった頃より心底嫌いだった筈でした。だけれども此処まで行き着いても、所詮は運命を克服出来なかった呪われ人でしたか。

 灰となって、心まで空っぽな灰となり、何も感じない空の器へとロスリックの外道共の思惑で深化させられ、結局はこの様ですか……ふふ、良かったです。

 所詮、灰など不死の人工物。ソウルと心身を作り替える人間性は便利でしょうが、やはり灰の使命に溺れられません。そう在れかしと墓から蘇りましたが、原罪を克復する使命もまた簒奪者となって蘇りましたしね”

 

 その箱庭の中で、更に生まれた小さな箱庭(トクイテン)で、また人間の営みを凝縮して演劇させている事を灰は灰らしく何も思わずにいる。だが、その戦場より生まれる“火”だけは、心が温まる実感を錯覚させる。

 火だけは、終わり無き永遠の中でも愛せるように。

 まるで自らを薪の如く燃やす為、炎へ飛び込む哀れな蛾のように。

 これでは心を灰にした価値がない。苦しみに無感情となれる空の器が、自分で自分に呆れ果てるなど無様極まりない。

 せめて選んで邪悪へ堕ちた悪人らしく、己が魂から生まれた悪意を愉しまなければ。この戦場は人理の人間が繁栄の為に作った地獄ではなく、それを真似た灰による営みであるならば、本人が否定しては尊厳に背く行いだ。とは言え、魂の尊厳や人の在り方など、灰からすればただの人真似に過ぎず、模倣でもない唾棄すべき贋作であるのだが。

 

「―――……」

 

 さて、と灰は熱を失った。結果は見えていた。反乱軍は大事な生贄の、有益な人身御供。ローマ本拠地を精鋭が潰す為の駒に過ぎず、異形の軍勢を引き付けるだけのもの。同時に灰が欲する悪性情報の素となる原材料であり、惨たらしく殺される事が、全人類の魂にとって利益となる死に様でしかなく。

 だからきっと灰に対してレフ教授は吐き気を堪える貌を向け、このローマで最後を見届ける為に獣の一匹としてまだ残っているのだろう。

 

〝そろそろ、混乱に落しましょうかね?”

 

 何もかも、思惑から外れない。思えばコフィンからの蘇生を断ったあの神へ糞団子を投げ付けてから、全てがまるで火へと沈むような阿鼻叫喚。あるいは底抜けの闇に堕ちるように、人理が繁栄するための地獄を進んで作り続けた人間共の過程こそ、今のこの獣を産み出す儀式にさえ感じられる。

 その感慨を何も無い灰色の心で、ソウルから錬成した人の感情を使って味わいつつ、殺人行為を愉し気に灰は準備する。

 狙いは一匹。ローマを裏切った天才軍師―――諸葛亮孔明。

 指輪の加護によって目視不可となり、ミルウッドの大弓を手に持ち、その太矢の束を背負って移動する。誰の目にも一切映らず、葦名の鉤縄がないと満足に道も進めない不便な街で過ごしている所為か、帝国兵と戦っている反乱軍兵士とも、反乱兵を貪り喰っている帝国兵ともぶつからず、まるで忍者のように軽やかな足並みで疾走。あるいは、自分を殺した霧壁の向こうにいる強大なソウルを殺す為、道中の敵を無視する灰の人か。どうあれ灰に忍びたちの業を与えた人物は、狂人に核弾頭を渡したような事だと理解した上で、数多の簒奪者共にも要らない事も含めて全てを教えたのだろう。

 正に、鬼に金棒。

 カルデア風に言えば、騎士王に聖剣。英雄王に財宝庫。農民に物干竿。灰からすれば、闇霊に大弓。

 彼女は静かに闇霊として最も信頼するミルウッドの大弓を構え、大矢を備えた。これによる暗殺狙撃で爆散し、落下死する灰を見るのが最大の悦楽だった頃を思い出すと、貌が自然とほくそ笑む。王の首集めにもソウル集めにも飽いた灰が、灰狩りの殺人作業に終わらない人生の喜びを見出すのも道理である。

 

「―――――」

 

 正直な話、灰は実力伯仲の殺し合いは大好きだが、一方的な狩りの味は甘くて蕩ける気分でもある。極めた理力で奔流を狙撃するのも良く、姿を隠して極めた肉体と技巧で大弓で狙撃するのも良い―――否、もはや何でも良いから狙い撃ちたいだけだった。

 命中時に味わえる快楽―――あぁ、人の命を奪うのには充分過ぎる。

 ソウルを奪うのに理由を必要としないからこそ、灰は灰。ならば目に入った魂を味わうのも灰の習性。その営みを愉しく感じると言う能力が、灰が灰らしく成長する為に必要なソウルの在り方だ。

 

〝この特異点を計画した設定通りに作るのに、中でも帝国に抗う反乱軍を作るように誘導するのは苦労しましたが、人間の文化が壊れるのは何時もあっと言う間の惨劇です。

 ですよねぇ……―――アレクサンドロス大王。

 生前の貴方は面白い人間でした。とてもとても、人間らしい英雄の王でした。ですが、王は玉座に座るものですのに、王本人である貴方が自分の国であるギリシャの玉座に興味無しですものね”

 

 灰が来た時代―――バビロン虜囚が起こる百数年前。ソロモン王が死去してより、約二百年後。死海付近に流れ着いたのが、この人理世界での灰の始まり。

 それより後の人類史を人間性と共に見守って来た故、英霊(ゴーストライナー)を構成する情報(ソウル)である生前の人間だった頃の幾人かを灰は見て来た。

 

〝夢を見せ、魂を魅せ、貴方は多くの人間を虜にしました。良いですね、素晴しいですね。隣にいるその霊体も、きっと貴方の為に死ねる男なのでしょう。なにせ諸葛亮孔明のソウルを持つ彼の魂は、貴方に惹かれて大人となった人間性。

 ですから、実に簡単でした。

 アレクサンドロスのソウルを反乱に導けば、その男も都合良くローマ虐殺に加担します。

 そうなれば、あらゆる策謀によって反乱軍は生き残り、時間と共に前よりもより強大な反乱勢力に成長する希望の星となって頂けるのが必然の導きです。

 努力して頂き、ありがとうございました。

 頑張って貰い、魂から感謝致しましょう。

 もう不必要ですので―――魂、頂きます。

 此処まで本当に本当に、計画通りに手順を踏んで貰って嬉しい限りです”

 

 弦より指を放す。軍師へと死が進む。ミルウッド騎士の仇敵である深淵の竜に対する殺意こそ、この大弓に宿るソウルの本質であれば、射手の力と祈りが矢に込められる念となる。その念を矢へ煉り込み、命が死に揺らぐように大矢を射った。

 百発百中―――とは、灰が相手では難しい。

 しかし、死に慣れていない人間が相手なら話は別。

 まるで爆発四散して死んだ反逆者の如く、ミルウッドの大矢は命へ突き刺さった。

 

「アレキサンダー……ッッ―――!!?」

 

「―――がぁ……!」

 

 軍師を庇った少年大王を貫き、そのまま大矢は刺さったまま肉体へ止まる。命中した相手を吹き飛ばしつつも、矢を射止めた状態にする技量は悍ましく、どれだけの数の獲物を殺したのか、狂気的な努力が垣間見える殺戮技巧である。

 直後―――震えた。ミルウッドの大矢は不穏な振動音を鳴らしながら、アレキサンダーの生命の終わりに導くべく死に揺らぐ。

 

「この、大馬鹿野郎ッ!! 何故、私を庇った!?」

 

 しかし、まだ助かる。軍師がそう勘違いするのも無理はない。腹部を貫通された程度でサーヴァントは死なず、肉体の欠損程度の怪我なら治癒は容易い。矢に治癒阻害の呪詛が込められても、死なないようにするのも不可能ではない。

 同時に、アレキサンダーは自分の状態を理解していた。揺れる音を聞き、死へのカウントダウンがもう終わるのだと。

 

「来るな、先生!! これは――――!!!」

 

 揺らぎの凝縮。矢の揺れが止まった瞬間、アレキサンダーは―――爆発した。

 軍師に血肉が撒き散った。数秒後には魔力となって消える霊体の破片であろうとも、軍師は敬愛する男が惨殺される光景を眼前で見せ付けられた。

 

「はぁ……―――美しいですね。

 自己犠牲とは、英雄らしい決断力です。人間賛歌にして、正しく人間惨禍。

 私が貴方に与えた心に迫る感動はどうでしょうか、軍師諸葛亮孔明さん。あるいは、ロード・エルメロイ二世さん?」

 

 ふらり、と灰は戦果(シタイ)の前に現れる。暗い世界で灰を殺した後はその命を煽っていたように、この灰は軍師の人間性を愉しむ為に意味もなく“人間”を味わいに来た。

 

「アン・ディール……!!」

 

「ローマより数週間ぶりの再会ですと言うのに、鬼の形相とは悲しいですねぇ……ふふふ。時計塔で築いた信頼関係も、この特異点によって一瞬で崩れてしまったようです。

 まぁ無事に人理が修復されてしまえば、ここでの記憶も貴方の記録から消えて、人理の世で生活する貴方は甦りますので問題は全くないのですが。

 あ、それと今はアッシュ・ワンと名乗っています。名前を借りていた本人を召喚しましたので、是非とも此方の名前で宜しくお願い致しますね」

 

「知るか! 何より貴様、やはりその類の魔物だったな!」

 

「神秘に腐心する哀れな貴方たち魔術師程度では、人の魂までは見抜けませんからね。人間にとって一番大切なのは神秘の濃さでも、魔術回路の量でも、魂の重みでもなく、意志の強さとなりましょう。

 故に、現代の魔術師はとても可哀想でした。愛らしい程に、です。

 運命を捻じ曲げるのは、何時だって諦めない心。理に定められた途を棄て、人の途を己で作る探求の旅を進み続ける者こそ―――正しく、人間となれるのです。

 だから貴方に問うましょう……―――その様で、貴方は人間だと胸を張れるのですか?

 人理に己が運命を管理される様を尊ぶ人間性など、あの獣のように燃やす意志の在り方こそ、本当は人間と呼べる尊厳だとは思えませんか?」

 

「―――戯けが!!

 それはもはや怪物なのだ!!」

 

「はい。それもまた道理です。私たち灰もまた、人間性より誕生した魔物の一匹でありますれば。人理と言うモノが個人の意志で揺らいでしまう程度の強さでありましたら、全人類を自分自身より優先する道理もまたないかと思われます」

 

「……所詮、貴様も魔術師だったか。

 此処で何を欲する、魔術師アン・ディール?」

 

「魔術師の非人間性も、所詮は人間性の一部分です。その効率性も、非人道的観点も、神秘と同様に形なき脳内でのみ存在する虚構の理であります。この人理を生み出したホモ・サピエンスと言う人類種が、自らにサピエンス等と名付けた傲慢な意志表示も、他の人類種を神代以前の太古で絶滅させた故の戦利品であります。

 私のような霊長類が、貴様らのような人間種に排斥されるのも道理でしょうね?

 神と言う虚構を己が魂より祈ることで、星の触媒として形作る事により、星の霊魂(ソウル)から権能と神秘と言う人間文明を生み出したように。

 きっと神より神秘を啓示された魔術王が、人間達へ魔術(マギクラフト)と言う技術を啓蒙したように。

 根源より新たな魔術基盤を啓蒙された魔法使いと言う人間が、魔法(マジック)と言う現象を現世へ流し込んだように。

 この惑星に生まれた魔術師と言う人間種も、人間が人間の為に作り上げた霊長類でありますれば、人理と言う機構もまた人の魂から型が作られる形を不要とした虚構の記録機関とでも呼べましょう」

 

「―――貴様、何を言って……それが人理の為に召喚者を裏切ったアレキサンダーを無意味に殺し……いや、いやいや……ッ―――貴様、馬鹿なのか!?

 魔術師ですらないぞ、それは!

 馬鹿正直に根源を探求する外道の方がまだ人間だ!!」

 

 真相に僅かとは言え思考が掠った軍師に灰は微笑んだ。その気付きが人間性を成長させる起爆剤となるのだと。

 

「やはり、素晴しい洞察力です。戦場での会話と言う無価値な贅沢を浪費する意味が、貴方の頭脳には存在しています。

 なので理解出来たのでしたら、とても良いことです。

 魔術師と言う人類種で在りましたら、魅力的にも程があると思えますが?」

 

「―――断る、愚か者が!

 おまえは此処で絶対に死なねばならん!!」

 

「残念です。私としても興味はないのですが、貴方達のソウルも保険が欲しいと思って画策した慈善事業でありましたのに。ですが、協力者になって頂けないのでしたら仕方ありません。

 本当に、本当に、高度な知性の無駄使いなど勿体無いのですが―――」

 

 最初の火を火種にする錬成炉により、複合変質強化させた騎士直剣を灰は握っている。限界を超えた己がソウルに呼応して、直剣に宿るソウルもより良く、深く、暗く、鋭く、重く、熟練者にとって冒涜的進化を遂げ、もはや魂が魂であるだけで死ぬしかない存在抹消の武装と化している。その上で、古都探索で拾った血晶石が組み込まれると言う啓蒙的狂気の所業。

 全てを極めた亡者の王が振うに相応しい剣であり、灰が持つ武装は全てがそう成り果てていた。このロスリック騎士の直剣だけが特別なのではない。葦名に住まう簒奪者達にとって、それが普遍的な武器の在り様だった。

 

「―――掎角一陣(きかくいちじん)……!!!」

 

 騎士直剣が突き刺さるその直前―――天才軍師の命を救ったのは、超軍師の雄叫びだった。

 軍師と灰とは僅かに違う方向へ宝具の爆裂矢が放たれ、それによって贄にされた灰が死ぬことで行動を無理矢理止められてしまった。物の序でに爆散された反乱軍の肉片が辺りに飛び散り、それがまた軍師にも降り掛る。

 

「あのー……あれ、何故今ですか?」

 

「愚かなり、我が仮初の君主。その男は私の獲物、私の怨敵、私の侮蔑。

 何故、マスターでしかない貴女にインチキ軍師の命を譲る道理が在ると言うのですか!? いや、全く以って有りませんね!!」

 

「えぇーナニソレですよ。命を譲れとは傲慢極まります。

 無理に気分を上げて処刑チックな雰囲気を作って、死んだ彼の死体へ糞団子を投げるのも我慢していたと言うのに、その仕打ちは我がサーヴァントだろうと許せませんよ?」

 

「―――………え、糞団子とな?

 いえ、籠城戦では城壁の上からグツグツ熱した糞尿を敵の先陣へ落とすのも立派な戦術ではありますが、野戦で態々行う戦術ではありませぬよ?」

 

「灰なりの礼節ですよ。殺された灰の殺意を高めるのに丁度良い煽りなのです。また何処かで再会した時、どちらも心の臓腑より本気で殺し合いに没頭出来ますからね」

 

「余り良い文化ではないようで。我がマスターでありますれば、最低限の清潔さを持つように」

 

「心得ました。糞団子は我慢します」

 

「宜しいです。私がそこの詐欺軍師をヌッ殺した後でしたら、好きなだけカルデアでも煽り倒すように」

 

「いえ。カルデアの元同僚へ投げるのはちょっと倫理的に。神の類でも丁度良く戦場に紛れ込んでいれば……あ、凄い美少女の神霊がいましたね、そう思えば。

 女神へ糞団子を投げ付ける御同輩は珍しくないですので、人間として外聞も気にしなくとも良いでしょう」

 

 敵を前に談笑を行うマスターとサーヴァント。逆に言えば、油断をしているぞと孔明に態と態度で教える侮辱でもあった。

 恩人の少年を殺された。敵に舐められた。味方の兵士を好き勝手に爆死させられた。

 その上で、怒りに満ちた残虐非道な策力を自分達に見せてみろと、人の死で戦場を魅せてみろと、戦争狂らしい論理的狂気で天才軍師を煽り倒す皮肉である。勿論、他意は有り過ぎる。

 

「―――石兵八陣(かえらずのじん)……!!」

 

 瞬間、軍師は灰と超軍師へ宝具の真名を解放する。魔力によって具現化した巨石が空中より降り注ぎ、舐めた態度を取る二人を覆い囲む。もはや持ち歩く魔術工房に閉じ込めたような所業であり、超軍師が戦術などではなく仙術に等しい反則だと罵るのも正当化される伝説に残る程の超絶的陣形だ。

 迷い込めば、問答無用で死ぬ軍師の策謀。

 だが人間を極めた灰にとって、宝具が英霊の魂が持つ力である時点で素晴しい“だけ”の神秘でしかない。

 

「――――」

 

 呪文さえも不要。燃え上がる呪術の火を宿す左手を地面に突き刺し、混沌の嵐が周囲全てを呑み込んだ。火炎柱が燃え上がり、自分を中心に地面を何もかもを融かす溶岩地帯へと作り変えた。火に耐性のあるサーヴァントであろうと、例えそれが太陽神や火の神性であろうとも、その魂を融かし沈める魔女の混沌が溶岩であり、どんな概念を持つ宝具だろうと最初の火より湧き出る地獄には逆らえない。

 いや、最上級の神秘を誇る神の権能だからこそ灰の前では徹底的に無価値であり、より強い神秘に負ける宝具ならば一厘程の勝機もなし。

 

「おお、流石は我が召喚者。人間を辞めておりまする」

 

「いえいえ、これが人間の魂が持つ当たり前の神秘と言うものです。人ならば、誰しもが私になれます。否、誰でも努力すれば超えられます。この程度の火であれば尚の事、篝火の輝きにも届かない熱さです。

 そうでしょう、陳宮さん?

 根源と言う場所から生まれた貴方達ならば、あらゆる人間はそう在れる生命体なのです。何でもない私が人間を生んだ闇を超えられたように、人理の皆さんも終わりに至れば―――必ずや、最初の絶望を乗り越えます」

 

「……いやはや、あなたはこんな世界の人間に期待し過ぎですぞ?」

 

「まさか、それこそ見当違いなのです。魂とは、誰もがそう在れる器なのです。例外は存在しませんし、私がそのような魂を認めません。誰一人、そのような例外など魂が始まる場所は生み出しません

 魂とは、そう在るだけで―――何よりも、強い力へと至れます。

 苦しめば苦しむ程に。絶望が深い程に、魂は強い力を渇望しなければなりません。故に人理の生きる人間が今でも弱い儘と言うならば、まだまだ苦しみが足りないのです。人は何処までも、何時までも、自分に決して負けずに頑張れるのです。苦しみ続けて、努力を続けて、絶望に打ち克つまで永遠に苦しみ続けなければ、その魂が生まれた価値を持てないではないですか?」

 

 魂を融かす混沌の溶岩に燃えながら、灰は優しく微笑んでいる。自分をただの人間に過ぎないと喜び、人間は誰もが魂を強く出来るのだと理解している。

 その様を、陳宮は隣で目を逸らす事も出来ずに見る事しか出来ない。

 

「マスターからすれば、そうなのでしょうな。ならば、そう在れない者はどうなのですかな?」

 

「人間ではなかったのでしょう。その魂が、きっと“人間”として誕生出来なかったのです。

 強くあろうとする意志を永遠に抱き続けられないソウルでは、我ら人の証である本質的な運命の在り方―――そう……我らが持つ人間性を理解出来ず、どうせ最後は世界が用意した運命に呑み込まれてしまいますからね」

 

 足掻く者。抗う者。進む者。総じて、諦めぬ者。灰にとって人間とは、その意志で魂が死んでも生き抜く心そのものである。

 人理焼却、大いに喜ばしい。

 何故なら、カルデアには人間が生きている。

 障害なくして魂の深化はなく、苦しんで貰える程に人類は進化する。

 

「すみませぬ。折角の神秘の披露とその解説、私では理解に及びません。マスターには申し訳ない限りでありましょうぞ」

 

「良いのですよ、我がサーヴァント。素晴しき超軍師、陳宮公台。

 その霊体が死した時、貴方の魂は私の器であるソウルの食餌になります故、本体の座より離れた分霊の貴方そのものは英霊の座が消え去っても永遠に私となって存在します。まぁ正確に謂えば、魂と言う情報の熱的質量が溶け込むと称した方が正しいのですが」

 

「なるほど。ならば、無問題。今はあのペテン軍師を追い詰めしょうぞ!!」

 

「ふふふ、愉しそうで何よりです。貴方が相手ですと、ずっと無駄なお喋りを戦場の真っ只中でも続けたくなっていけません」

 

「ですが、あなたはもうお断りです」

 

「エ、あー……そう言うことですか。まぁ、サーヴァントのお願いでしたら、そう言う趣向も宜しいですね」

 

「物分かりが良過ぎるのもつまらない。とは言え、説得する労力が要らないのは喜ばしいですな。

 あなたからの指示通り―――この“私”が、不要となった反乱軍は戦争によって撃滅致します故。まことの事ながら、この事実を告げるのは心苦しいのですが……―――灰よ、あなたは戦争を愉しむのにお邪魔です」

 

 優しく柔らかな、水浴びをする赤子を見守る母親のような笑みだった。灰はただの人間として、眼前の“人間”の魂を慈しんでいた。

 

「素晴しい意志であります。一人語りならばお好きなだけ時間を浪費すれば良いですが、人間へ人道を語る資格を持つ者は、己が魂を実感する者だけしか許されません。

 ならば、闘争もまた人の道です。人間が、この星で人間で在る為の営みです。それを解する貴方は、魂が歩むべき一個人の人道を解するソウルとなりました。

 それを阻む資格を私だけは持ち得ません。貴方のマスターとしてその魂を利用する私は、私の意に反せず人の世を謳歌する貴方の人生を魂の底から尊びましょう」

 

 だから、灰のそれは一人語りでもあった。人を説くことに価値はなく、その言葉は既に厭きさえ失う程に見た過去の罪科を思い返しているだけなのかもしれない。

 人道とは―――灰からは、余りに程遠いのだが。

 しかし、灰が歩んだ過去は人道としか呼べないのも事実。

 それを繋がった魂で夢見た超軍師(サーヴァント)は、灰と言う普通の人間が辿り着けてしまう末路こそ喜ばしい未来。文明が枯れて消えた先、この人理もやがてそう成り果てる可能性。

 意志さえ確かであれば、人間ならば誰だって永劫となれるとは―――まこと人類種の未来は輝かしい。

 

「では―――宜しいのですな」

 

 その万感を一つにし、灰が最も喜ぶ選択が彼の幸福でもあった。

 

「はい。私が許しましょう―――皆殺しです。

 徹底的に、誰も許さず、貴方自身さえも例外無く、一切合切を灰へ還して下さい」

 

「有り難き……っ―――おぉ、有り難き幸せ。どうか御照覧あれ、我が君主。

 私の最高傑作、私の最強兵器。サーヴァント、バーサーカー―――呂布奉先と共に、あなたの魂に暗い澱を捧げましょうぞ」

 

 軍師は灰に一礼し、その顔を上げた時にはもう居なかった。

 即ち―――好きに殺せ。自分が殺されるまで、延々と殺せ。

 

「ふふふ……ふふふ……ははははは―――あっはっはっははははははははははははははははははははははは!!!」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「あはっはははははははははははははははははははははは――――!!

 ―――宇宙よ! 超次元暗黒よ!!

 それは輝ける星の炸裂! これが星の瞳! これこそが新しき星見の神秘!

 アニムスフィアの異端たる我が魔術こそ! 血塗れた夜空の朱い月明かりより啓蒙された成功ならば! 失敗作の頭蓋が無い脳の瞳は恒星の爆裂に等しき奇跡であったのよ!!」

 

 オルガマリー・アニムスフィアは瞳を見開き、脳の眼球が星色に光り輝き、脳髄が頭蓋の外側へ裏返る程にあらゆる理を直視する。

 人理も、真理も、原理も。きっと宇宙の理も。

 上位者(グレート・ワン)からしても、赤子から生まれる新たな瞳は愛おしい。

 

「―――アニムスフィアの魔術……これが、カルデアの魔術師と言うものか」

 

 身体に刻まれた“星の紋章”が疼くのをアルテラは感じられた。本来ならば現世の人間の魔術程度の神秘など、対魔力によって完全な無力化が容易い筈なのに、あの魔術師は文字通りに次元が違う。異次元領域の、それこそ地球とは違う惑星の生命系統樹と呼べるような、理解不能な技術(マギクラフト)であった。

 あるいは、もはや魔術とも呼べない別系統の技術なのかもしれないが。

 妖精や真性悪魔が持つとされる異界常識。それより為される神秘―――固有結界。

 魔術理論・世界卵による“魔術”でもあるそれのような現象ではあるも、アルテラはそれと似て非なる冒涜的な異界を垣間見てしまった。

 

「空が、暗い。あぁ……暗い、暗い空だ」

 

 塗り潰されるのは空間ではなく、見上げた先の―――空の一面。まだ明るかった筈なのに、ローマの森を夜空の星々だけが照らしている。

 そして―――星たちの雨が降り注ぐ。

 神祖が魔都を封じる為に囲い植えた樹林が焼き払われている。

 余りにも美しい惨劇だ。何処までも神秘的な殺戮だ。文明を破壊する暴力で在りながら、神の権能を冒涜するような宇宙の奇跡であったのだ。

 

「さて、結果は如何かは解らないけど。

 まぁ、挨拶程度には十分な破壊力ね」

 

 古都(ヤーナム)の狩装束に身に纏い、顔の鼻まで伸びる長い襟で口元を隠しながら所長(ハンター)は己が神秘を喜んだ。

 進化こそ――尊厳。

 探求こそ――習性。

 狩猟こそ――本能。

 星見の狩人は完成された血液由来の娘。赤子が生んだ血の子供。

 人を救う為に人理を守ろうとする意志を抱けた事が、もはや奇跡であるのだと本人だけが自分を理解している。本当ならば、この神秘を人理を保証する為に使うことなど全人類に対する冒涜だと悟っているのに、それでも尚も戦うのは彼女の意志が確かである証。

 血に酔うも、もうそれだけの導きでしかない。

 獣にも堕ちられず、上位者にも昇れず、人間の儘にも在れない。

 だが、それが―――狩人の在り方であればこそ、その全てを狩る意志を抱けば良いだけのこと。化け物にとっての怪物が狩人であり、人類種にとって人でなしの天敵であり、英雄にとっては最期の名誉を守る葬送者。

 

「貴様は―――……人間の、魔術師なのか?」

 

「いやね、アルテラ。そう言う話じゃないの。

 人間じゃないと、此処まで魔術に人生を見出せないものよ?」

 

 あやふやで、儚気な情報が、アルテラの脳へ流れ込んでくる。余りにも情報量が多く、眩暈にしか感じられないが、体の紋章が一人でに蠢き、眼前の人間へ恐怖するように第六感に対して最大限の警告を行っている。

 直感を信じるならローマよりも、この女を―――殺すべき。

 アルテラは生前でも覚えのない悪寒を、所長から味合わされていた。

 

「おい。ネロ、オルガマリーとはあぁ言う手合いなのか?」

 

 ヒソヒソ、と誰にも聞こえない様にアルテラは隣にいるネロに聞いた。神祖の森林地帯を突破する初手は所長がどうにかするとは聞き、魔術を使用するとは予め分かってはいたものの、想像を遥かに超えた魔術であった。恐らくは、今の魔術世界に分類する概念がない魔術であり、例えるべき既存の神秘がこの惑星にはなく、故にアルテラを何故かどうしようもなく懐かしい気分にさせる星々の煌きである。

 

「うむ……―――うむ?

 正直、余も良く知らん。考えてもみたが、思考が曇る程の未解明なのよな。神代生まれのキャスター並の神秘の濃さであるが、どの神話体系から生まれた魔術基盤なのかも察せぬ」

 

「そうか。あるいは、神代も関係ないのかもな……」

 

 サーヴァントにとっても地獄以上の死地が、まるで道を開くように魔都まで焼け野原と果てていた。Aランク宝具を何回『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』で爆破すれば可能な破壊痕なのか分からないが、凄まじい魔術なのは間違いない。破壊性能で例えるなら、対軍宝具持ちのサーヴァントが軍勢のように集団真名解放するような一方的な冒涜的殺戮行為。

 だが、それも当然である。最初の特異点「冬木」で聖剣にして星剣である騎士王の宝具に敗れた己が術式を、より宙高く改竄する余地を啓蒙されるのが古都で神秘を拓いた学術者と言うもの。所長としてでも、狩人でもなく、神秘を探求する学術者としてオルガマリーは素晴しい輝ける星に敗北した。ならば根源に対する探求心以上の神秘を見出した彼女は、もはや魔術師の貴族などと呼べず、本質的に叡智に狂う学術者でしかない。同時にそれは、狩人として素晴しい狩りの得物を見出す閃きでもある。

 

「オルガは、相変わらずの熱狂ですね。その様子では、まだまだ恋愛に興味はない訳です。好きな殿方でも作れば宜しいのに。

 とは言え、旦那様は貸せませんので……あ、エミヤ。あなたがお相手して上げるのも良いかも」

 

「なんでさ――っ……ではなく、それは私に死ねと言っているのかね?」

 

「まぁ、酷い。何となくではありますが、自分で言うのもあれなのですけど、貴方って私やオルガのような女の相手に慣れている雰囲気がありましたから。

 尤も、ただの恋する乙女の勘でしかありませんがね?」

 

「勘かね?」

 

「はい。勘です」

 

「そうか。勘か……そうか、そうか。私は、何処でそんな隙を君に見せたのかね?」

 

「え、本気で言ってます? 川にでも頭を冷やしに飛び込みます?

 (わたくし)恋愛探知神経(らぁぶらぶせんさー)がアルトリア様と話すあなたからいと感じますけど?

 特に料理を彼女に作っている時の貴方は、恋する乙女に匹敵する恋力(らぶぱわー)を纏っていますけど?」

 

「フッ――――……良し、死ぬには良い日だ」

 

 魔都ローマに突入するその日、エミヤはキッチンで自分が働いている時に何故かカルデアでの周囲の視線が妙に生温かい理由を理解してしまった。

 

「エミヤ……―――ガンバ!

 俺も応援してるって。何時か円卓の騎士がカルデアに召喚されても、俺はエミヤの味方さ」

 

「エミヤ先輩、私も先輩と一緒に応援しています。

 それにエミヤ先輩の料理を食べているアルトリアさんを見ていると、わたしの霊基になって頂けている人も喜んでいるように思えるのです」

 

「安心したまえ。私も彼女も、カルデアでは私情を挟まんよ」

 

「それは、宜しくありませんね。既に実った後の愛ですのに、当人の御二人がそれでは周りの私たちがモヤモヤ致します。

 しかし、この清姫が馬に蹴られて死ぬ訳にもいきません。応援するだけに留め、出歯亀的な行為は致しません」

 

「清姫、君はマスターに対しても出歯亀化するのは我慢すべきだが、まぁ……マスター以外に被害がないなら良いかもな。

 せめてこのカルデア生活、女難とは無関係でいたい」

 

 凄く良い笑顔でサーヴァントを揶揄する悪いマスターと、そのマスターを先輩と慕うデミ・サーヴァントは純真な本心から彼を応援していた。死にたい、と色々な意味でエミヤが内心で悶絶するのも無理はない。

 そして、清姫は理性があればあればで厄介な女である。マスターに対して照れ屋になっただけで、恋愛一筋なのは悪い意味でも変わらない。

 

「―――ちょっと。ねぇ、ちょっと!? あれ、私の大魔術見てなかったの?

 ここは人間辞めてる私に怖がったり、大魔術師っぷりに流石所長滅茶凄いって褒め称える場面なのでは?」

 

「流石は、主殿でありますれば……言葉もありませぬ」

 

「私の味方は何時だって私の隻狼だけね」

 

「……は」

 

「そ、そんなことはないですよ!

 流石はオルガマリー所長です。わぁスゴーイ、わたしあんな魔術初めてみました!!」

 

「マシュ……良いヨイショなお世辞。私のポケットマネーから、ボーナスの追加手当オーケーだわ。勿論、QPの追加報酬も増し増しでね」

 

 職権乱用にも程があるが、何だかんだで特別扱いしているのはマシュと藤丸程度なので職員からの反意は皆無。そもそも給料明細の記載としては、特異点活動における特別手当の追加に過ぎず、一種の所長ジョークでもある。

 

「やりましたよ、先輩。チョロいもんですね。これでカルデア闇市で良い素材が買えますよ!」

 

 カルデアに召喚されるサーヴァントの霊基は完成体ではない。そして、サーヴァントの霊基を補完するのもマスターの仕事。

 ―――で、あるだけならばまだ良かった。

 そう、藤丸立香は取り憑かれてしまった。

 召喚したサーヴァントの霊基を強化する愉しみに。素材集めとQP集めをサーヴァントを連れて行い、そしてそれらを他のサーヴァントもマスターに連れられなくても手伝ってくれる者もいる。

 カルデア闇市とは―――正に、マスターを闇に引きづり込む市場。金銭(QP)さえあればサーヴァントが集めた素材を買い漁れるなど、まるで夢のよう。

 

「―――良し。素材もQPも足りなくて、四苦八苦してるからね。

 まぁ、何だかんだマシュは本心で本当に言ってる。多分、俺が言ったら減給されてた可能性大」

 

「先輩。所長に嘘を言うと、その嘘を悪用されてネチネチと追い込まれるんですよ?

 わたしがいたAチームの皆さんも、その場凌ぎの嘘を吐いた人は良く所長に苛められてました。ペペロンチーノさんと所長の共同作業でカドックさんが女装メイクされる破目になった場面は、本当に悪魔的な話術でしたね……あぁそう思えば、ベリルさんが激辛マーボーを食べる運びになるのも自然過ぎて今思うと怖い話でした」

 

 こんな様子なので、基本的にカルデア組は所長の異常な魔術の腕前に対してそこそこ無反応だった。反応すれば面倒と言う訳ではないが、どうせ内心を簡単に見抜く洞察力の持ち主なので、自分達の驚愕具合など端からお見通しである。

 

「カルデアって、何時もそう言う空気の組織なのね。復讐の悪鬼を皆の前でするの、酷く疲れる」

 

 今からローマ殲滅に向かう為に鬼気満ちるブーディカであり、所長の大破壊魔術は戦意を大きく上げるパフォーマンスであるも、それはそれとして同時に力み過ぎないリラックス出来る雰囲気もある。怨讐に狂いながらも、月光の狂帝によって狂気が理性にもなる呪いを受けたことで、完全に狂い切れない故に彼女は“まとも”な倫理的な意志も失えない。

 殺したいが、本音は人殺しなどウンザリだった。

 復讐は愉しいが、内心は人の命を奪いたくない。

 相反する憎悪と倫理が互いを相克し、カルデアと共に居ると自分が“今を生きる人間”だと実感出来てしま得る。

 

「同感だ。嘗て襲撃した私が言えた筋ではないが、良く私のような悪魔を背後に置いて歩けるものだ」

 

「いえ、今のキミを警戒するのも同じように疲れるよ?」

 

 憎悪の儘に殺戮に狂うことに疲れてもいるブーディカは、その疲れも失う程の地獄の果てに生きる悪魔を無視出来ない。現状を絶望する真っ当な人間性もない理性的な人間となれば、誰もが永遠の中で悪魔殺しの悪魔となれる。

 それをソウルで分かる彼女にとって、きっと悪魔の精神構造は理想的でもあった。ならば、それを知る為に言葉を交わす機会を棒に振る必要はないのだろう。

 

「成る程。確かに……うむ、考えたが良く分からん。

 信用も信頼もされる要素が何も無い。自分で言うのも恥ずかしく、だが真実なので言うのだが、我がソウルはこの場で最も強き人間だぞ。

 その気になれば、どうとでも展開を運べる者に気を許し過ぎと思うが?」

 

「だからじゃないの?」

 

「ほう。それは?」

 

「嘘を吐く必要がないってこと。だって、キミには無意味な行為でしょ?」

 

「…………ふむ。納得は出来た。狂わされた貴公が月明かりに侵された魂で私と僅かに共感出来た如く、オルガマリー・アニムスフィアからすれば私の人間性など単純明快な構造だろう。

 確かに、この特異点において私には利益も不利益もなし。思う儘に行動する故、嘘を自分にも他者にも吐く意味もなし。あの灰に協力する価値が何一つ無い事も見抜かれているのも自然な道理であったか」

 

 だが、そんな人間的感性も既に模倣。葦名に召喚された簒奪者を殺してダークソウルを奪うことで人間性を手に入れ、その闇をデモンズソウルの中で捏ね繰り返し、悪魔となる前の自分の過去を形作っただけのこと。

 何より不様なのは、その醜悪な模造品の心を星見の狩人は最初から理解している点。人間性とは闇から生み出たモノではあるが、何処まで行っても本質は暗い魂より漏れた人間の性でしかない。悪魔からすれば、人の意志を思い返すだけの嘗ての自分の滓である。

 

「スレイヤー、盗み見は良くないわよ?」

 

 感慨深く人間観察を行う悪趣味は悪魔に対し、夜空の輝ける星を落とした所長は苦々しい半貌を向ける。口元は襟で隠れているが、恐らくは笑みに良く似た邪悪なカタチに歪んでいるのだろう。

 既に悪魔の魂(デモンズソウル)の中で、夜空がグツグツと煮込まれている。

 探求心だけで動く学術者としては如何でも良いが、やはり所長も本質は生まれ変わったと言えど魔術師を捨てるつもりはない。自分の魔術を一目で看破して即行で学習された上、世界卵を使う自分の心象風景となる悪夢の一側面をあっさり模倣されるのは屈辱極まる。同時に、それ程の神秘の腕前を持つ悪魔の魂から流れ出る血の意志を喰いたい狩猟衝動も湧き、中々に所長は息苦しくて堪らない。

 

「星見の神秘を倣うのは……――そうだな、言うなれば性だ」

 

「じゃあ、仕様がないわね。好奇を敢えて抑えない愚者じゃなくちゃ、頭脳に成長はないんだもの」

 

「真にその通りだろう。貴公も我が魔術を、自分の精神が狂う事も愉しんで学んでいる故にな」

 

「……ッ――――むぅ、乙女の隠し事を直ぐ見破る。

 この特異点が解決したら、カルデアに連れ帰って尋問するわね?」

 

「あぁ、自由に他者の人権を奪えば良い。

 尤も、私にそのような権利はないがな」

 

 何処で学んだかは所長には分からないが、悪魔が人理として繁栄する現代社会についても見識があるのは瞭然。でなければ、人権などと言う概念は理解できない。

 サーヴァントの霊基を食すことで得たのか、はたまた生活をしていた過去を持つのか。手っ取り早く知るには、デモンズソウルの意志を狩人が喰わねばならないのだろう。

 

〝やっぱ、悪魔は狩らないと駄目ね。次の特異点からはデビルハンターに転職しよ。何より私の脳髄から叡智を盗むとか、やりおる悪魔め。まぁ、脳液を擬似的に吸われる感触は悪くないけど。

 何と言うか、鐘を鳴らして啓蒙(インサイト)を減らした感じとか、脳喰らいの食餌にされた雰囲気に近い屈辱感だわ。癖になる”

 

 人としての領域を超えた趣味をヤーナムで覚えたが、それを外側には洩らさない倫理観(モラル)はまだ残っている所長である。仕掛け武器の複雑怪奇な構造が人間の理性を失わせない狩人の意志である限り、狩人は血に酔いながらも社会性を失わなず、獣性が酷く昂ろうが、神秘に瞳を輝くとも、人間と言う知的生命。所長が脳髄から生じるこの邪気を発すれば、周囲の人間を容易く発狂させるに違いないのだが、それは脳の悪夢を暗く煮え滾らせるエネルギーとするのみ。

 とは言え倫理を守る意志など、魔術師の貴族として育った人間性の残滓に等しい僅かな破片なのだろうが。

 

「―――さて諸君、雑談はこれで最後。

 私たちの為に囮となった反乱軍が、そろそろ帝国軍と衝突する時間だわ」

 

 星見の狩人は全て見通せてしまう。数分後には反乱軍が帝国軍と衝突し、皆が諸共死ぬことになる。帝国に対する反抗作戦を共にした現地のサーヴァントも、誇り高く意志も強い兵士達も―――死ぬ。

 何故なら―――囮にしたから。

 全てを承知した上で、彼らは自分達が餌となる未来を許した。

 その絶望感を意志の動力源とし、彼女は人を闘争に狂わせる血の意志を魅せる。カリスマ性に近いが、何処か聞く者に罪悪感にも似た高揚感を与える声であった。

 

「これより、私が夜空を落とし開いた活路から―――ローマを、叩く」

 

 隕石で焼かれた樹林の先、石作りの暗い魔都が見える。同時に、それは反乱軍の壊滅も意味していた。この時刻を以ってお互いの殲滅戦線が衝突する。

 

「私が指示します。私が、命じます。私の意志で、皆の命を預かります。

 ―――狩りなさい。

 徹頭徹尾、あの人間共を狩りなさい。

 私たちが戦う相手は、人の魂を抱きながらも、人の心を失った人間より生まれた魔物。理性と言う精神の皮を剥ぎ取られ、本能さえも塗り潰す剥き出しの魂の衝動と化した真性の霊長」

 

 既に情報伝達は十分。ローマ侵攻に隠し事はなく、魔都内部の地獄を皆が知っている。藤丸も、マシュも、フランスに負けない現実が先に存在している事を知って尚、戦場を進むと決めている。

 

「人理焼却を行った黒幕と、それに協力する灰によって作られた犠牲者だとしても、倒さなければならない。それでもカルデアは、ローマ帝国を狂わせる者達を殺さなければ生き残れない。

 罪は全て、私と私のカルデアにあります。

 人理を守ると言う私の願望の為、自分の運命に抗う暗帝ネロを殺さねば―――人は、生きる選択さえ失った儘となる」

 

 故に、正当性も建前も不必要だった。未来を選ぶ功績も罪科も奪われたのならば、その権利をまた人類は自分達の運命へ奪い返さなければ人類史は燃え殻となって終わるのみ。

 

「カルデアの所長として告げます―――狩りの時間だ」

 

 反乱軍と帝国軍が衝突する瞬間、魔都殲滅作戦も始まっていた。ローマを守護する異形市民の軍勢の陽動は成功し、これよりカルデアの英霊狩りが始まる。

 

「敵の襲撃が予測されます。まずは藤丸、簡易召喚の出番よ。貴方が埒を開けなさい」

 

「了解しました、オルガマリー所長!」

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

「了解しましたけど、ネロさんはそれで宜しいのでしょうか?」

 

「構わぬ。なにせ、あんなにも夜の空は―――美しいのだ」

 

 魔都に戻った灰は、焼かれた森の方向を酔い蕩けた瞳で見詰める暗帝に問うていた。暗帝は輝ける星の美しさに瞳を焼かれ、星が堕ちる宙の美麗さで脳髄が神秘に啓蒙されていた。

 

「あぁ、それですか。確かに、オルガマリーの悪夢は美しい世界ですからね」

 

「ふぅむ。あれは、そのオルガマリーと言うサーヴァントの魔術か、その宝具なのか?」

 

「いえ、人間です。私と同じく、ただの人間の魔術師です」

 

「なんと。あれを為せる者が人間か……いや、星々の宙にあの美しさを見出せるのもまた人間だな―――欲しい。欲しいな、凄く欲しい。

 余の魂が蠢いて仕方がない。

 反乱軍共も所詮、異形化した市民の食餌にしかならぬ娯楽品。そして、余は全てのローマ市民を導く皇帝であれば、差別なく、区別なく、国家指導者として市民の趣味を規制する圧政など赦されぬ。

 ならば、アレは余の娯楽として手に入れよう。皇帝特権である。

 魂から芸術を愛する余にしか、そのオルガマリーと言う人間の美しさは理解出来まい」

 

 銀河のように瞳を輝かせ、暗帝は童女のように笑みを溢す。

 

「はい。とは言え、彼女はとても強いですからね。私を狩り殺せる程に」

 

「なんと……二度目の驚きだ。余よりも強いのか?」

 

「残念ながら、そうなります。ネロさんが特異点を生き延び、長い年月を闘争に明け暮れる生活を送れば、彼女を倒す技巧も身に付けられるかと思いますよ」

 

「ふははは。尚、欲しい。きっと、全てが美しいのだろうなぁ……」

 

 嘘偽りが一切ない人間。灰とは、誰のソウルにも正直である。暗帝が勝てないのも事実であり、オルガマリーが灰を殺せるのも事実。

 

「……だが、貴様の不死を破れる訳ではなかろう?」

 

「どうなのでしょうかねぇ……ふふふ。死ねれば、それはそれで喜ばしいのですがね?

 結局の所、魂の死とは私がこの世界の一員になれた証となります。行き着く魂の先が皆さんと同じでしたら、根源に在ります星幽界より魂を管轄する全ての魂の無意識たちが、そもそも私を受け入れるのか、否かと言う問題になりますから。

 それに魂から己の意志を失って、その魂の儘に次世代へ転生は出来るとは思いませんが、そもそも無と為る全てに融け込めるのかも疑問です」

 

「ほぅ……――成る程な。

 消滅、と言う安息すら人間の魂には許されんのか?」

 

「そうですね。それは、私だけが特別罪深いからと言う訳ではありません。彼是数百年前の昔、聖堂教会と言う組織……あぁ、ネロさんからすればローマの国教を無謀にも批判する民間宗教でしかないのですが……まぁ、そこの埋葬機関と言う者達と戦いましてね?

 転生批判も、黒い銃身も、命は奪えても私の魂には無害でした。

 どうやら、神の裁きだろうとも人間は許されないのでしょう。その人間が作り上げた禁忌だろうと、私の暗い魂の方がより悍ましい存在だったようです」

 

 死、とは何なのか。灰は全く理解出来ない。本当に死ねないので、命を失うことで擬似的な死亡経験を繰り返すも、魂が人生のその先に至る終局へは永劫に届かない。

 だが、この人理世界の人間は神の様に終わる権利を得ていた。人間なのに、人間の癖に、闇ではなく、根源たる無の領域を起源とするソウル共。

 無には程遠い灰に、死が赦されないのは道理。ネロを自分と同じ死なずの暗帝へと転生させた行いが如何程に罪深いのか、正しく罪悪を理解するのも灰只一人。

 

「アッシュ・ワン。その思索は無駄だ。六芒星の神の裁き……いや、裁きと言えばローマ滅亡も裁きだが、それは人類全体の選択。大元はこのローマによって、大工の息子が救世主と化したこと。遊星から続いた憐れなる生き残りが継いだ神代をローマは殺め、そのローマが殺した救世主が止めの安息を与えた。西暦の節目となる原罪が、人類史から神の子へと死を与えた。

 即ち、原罪より生じるビーストを人理定礎に封じ込めたのだよ。

 後の世にて、人理が保証される限り人類悪は、人類史に生まれることも赦されぬ。しかし、定礎が穿たれた西暦以前に潜んでいるとは、敗れ去る運命しか許されない獣も小賢しい」

 

「そうですね、ネロさん。ゴルゴダの霊子記録固定帯(クォンタム・タイムロック)以降の人理の中では、愛から悪への反転はなく、元より獣性の孵化すら許されません。

 本来ならば、人理の到達点までの繁栄が汎人類史には許されていたのですがねぇ……フフフ」

 

「おぉ、遥かなるカルデア人の魔術を解する灰の人よ。星見がそなたには備わっておらず、故に空の星など無用である。奴等はソロモンと同じく神と契機する人類の裏切り者であれば、その占星術こそ唾棄すべき魔術。我が魔術基盤たるグノーシスは神域の否定にして、無より命を生み出す権能の否定。

 星の魂など、人類史最後の怨敵だろうに。

 だが、憐れなことだ。まさか、人類に打ち倒されるしか道がない獣の匣を喜ぶとは。

 故、理解もしたくない。狂おしきカルデアめ。自らが呼び起こし、自らが殺した獣の霊基を収集するなど、何故なのだ?」

 

「グランドオーダーが使命だからでしょう。しかし、あの狩人さんが先手を打ち、オルガマリーがカルデアスに吸収されることもありませんでした。マリスビリーさんの星見は素晴らしいですが、観測すればその星そのものから覗き見されるの致し方なき事です。人の世から原罪を封じた救世主も、救おうとした人間の愚かさで人理焼却と言う報われない結果となりました。

 しかし、獣は必然的に七柱が人類史より孵化します。

 遠回りな儀式ですが、七つ揃うことが大事なのです。

 けれども、レフさんは七発の弾丸を棺に封じました。

 獣狩りに使う筈だった魔銃はカルデアになく、星見に協力するあの錬金術師が大事に保管しております。刻まれた令呪で人のソウルを打ち出す魔術兵器とは、私と仲良くなれる絶頂具合と言う雰囲気です」

 

「人身御供など……」

 

「まぁ、その思惑も私がいれば無用でしたがね。とは言え、今は古い獣が優先です。それに必要な特異点と言う人理の隔離システムはとても有能ですよ。人類史も、人類種の皆さんが良く考えを練り込んで作られた機構でしょう。

 カルデアスも良い品物です。あれの御蔭で私のソウルも、特異点と人理には詳しくなれましたからね」

 

「星見の末裔に、誑かされた真似をするとは。そなたの人真似は魂が騙されてしまう。いや、実際に本音である故に、騙される訳ではないのか。本当に己が意志で魂を好きに在れるとは、原罪も所詮は人間性なのだろう。

 だが、神罰の代行を王国へ行ったカルデアのネブカドネツァル。

 魔術王の死後、末裔は王国を荒廃させた。その王国に止めを刺したのが、カルデアの王」

 

 空中庭園のネブカドネザル2世(ネブカドネツァル)。灰は懐かしい人間の姿を、ネロの言葉で思い浮かべた。

 

「いやはや、皮肉極まる。その星見を継ぐアニムスフィアが魔術王をサーヴァントとして利用し、彼の王国を滅ぼしたカルデア王朝の名を冠する人理保証機関を作り上げるとは。

 千里眼とは、やはり憐憫に値する。

 全ての可能性を視る故、己が運命を憐れまぬ。

 再度、歴史は繰り返され、そして人理はこの様だ。

 灰の人よ。そなたからすれば、この運命こそ―――正しく、原罪の現れよ」

 

「私が克服すべき原罪と、人類史の原罪は相容れませんがね。しかし、ネロさん……貴方の中にはまだ、シモンさんが居られるのですか?」

 

 それを聞いた暗帝は雰囲気をがらりと変える。

 

「うむ。余の中に、そのソウルの残滓がな。魂そのものは別の器に収めておるが、魔術師(マグス)の意志は血に混ざった。

 あやつは正に不死身の魔術師(マグス)だった。救世主の使徒の弟子であるとも聞いていたが……まぁ、あれは神の奇跡としか言えんしな」

 

 ラテン語のマグスは、メイガスの語源。山の翁がアサシンの語源となったように、起源を辿れば意味合いも違ってくる。そして、シモンは名にマグスを冠する宮廷魔術師。その腕前は神代の魔術師にも匹敵し、生命をも自在とする不死性と創造性を持っている。

 ―――魔術師(マグス)、シモン。

 魔術協会・時計塔の魔術師達と同様に、独占すべき神秘を金銭で売買しようとした男。

 

「ふふ。では我々は、彼のグノーシスを火種に致しましょう。器にいる本人もその中から、ネロさんの願望を祝福していることかと。

 ソウルの化身―――デーモンスレイヤーは、私が止めます。

 カルデアと抑止力の捨て駒は、貴方がお好きな様にローマの礎へと生贄にして下さい」

 

「―――……余の女神よ、あの生物兵器を使っても良いのだが?」

 

「そうですねぇ……ふふ、確かに。アン・ディールの魔術実験で色々と作りましたが、その兵器での実地実験はまだでしたから。

 今のカルデア相手には私のペットは強過ぎず、弱過ぎず、丁度良い苦痛を与えるでしょう。市街地の大規模破壊を起こしてしまいますけど、宜しいでしょうか?」

 

「それは全く構わん。だがな、貴様がカルデアの科学力で作った戦術核兵器は駄目だ。ローマが消えれてしまう」

 

「使いませんよ。聖杯も含めて、何もかも吹き飛ばしてしまいますから」

 

「自重と自制は頼むからな……本当に、本当にな!」

 

「はいはい。ではそちらも、聖杯の調整後は戦争を御愉しみ下さい」

 

「うむ!」

 

 そして暗帝は、聖杯が眠る深淵へと潜って行った。灰はその背後を見送り、カルデアを待伏せするべく宮殿から街へと歩き出した。

 脳裏に準備するのは―――召喚術式。

 何を呼び出そうかと灰は悩みつつ、あの竜もどきが良いと笑みを浮かべた。

 












 読んで頂き有難う御座いました。


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啓蒙61:ドラゴン・ゴッド

 FGOのブラックバレルが藤丸の令呪砲であり、且つ運命力キャノンとのことで、多分大令呪持ってるカドック君が下手したらカドック砲になるんじゃないかと言う危惧が、クリプター弾丸考察の元でした。
 錬金術師と初代所長が技術提供で組んでいますので、カルデアとアトラスのコラボレーションっぽいのが怖いですね。


 端的に言えば、この世の地獄。だが、それも正しくは無い。地獄と言う概念以外に相応しい言葉がない為、そう称する以外に良い表現方法がないだけ。屠殺場、虐殺現場、魔女の釜の底、臓物の宴、人間娯楽施設、欲求の街、堕落の市。そう言っても正しいが、その全てが当て嵌まる。

 故、それらを纏めて此処は――地獄と、人はそう呼ぶしかない。

 美しい夜空によって焼かれた森の先の、石作りの街。歴史のある人間の古い大都市。血と、命と、欲と、魂に塗られた魔都となった羅馬である。

 

「悪性情報の坩堝を作る為だけの……その為の、特異点。

 アン・ディール、いやアッシュ・ワン。人理焼却に必要になった地獄をその為だけに、自分の探求の為の地獄に塗り潰した」

 

「どう言うこと、所長……?」

 

 吐き気を耐える顔で藤丸立香(マスター)は問う。所長によって考案・開発された藤丸専用の礼装を、更にカルデアの技術部が開発した礼装を組み合わした新型召喚礼装で、彼は簡易召喚サーヴァントの影を従えて死地を生き足掻く。

 

「街の中心部の底へ、黒い悪に染まった情報(タマシイ)が流れてるのよ。良く、こんな地獄を思い付く。人間と言う生物の業の全てが、きっと魂から大好きなんでしょうね。悪徳を尊ぶ人理の人間性が、愚か過ぎて堪んないのでしょうね。

 言ってしまうと、巨大な魔術実験施設とでも言うべきもの。

 魂を収集する聖杯戦争を発想の起点とした、人間の遺志から絶望(マリョク)を……いえ、魂から遺志を抜き取る人食いの聖杯かしら」

 

「そんな……ッ――そんなことで、これをッ!?」

 

 エミヤの弓矢が頭蓋を吹き飛ばしている。脳漿が飛び散った。清姫の火炎放射が肉体を焼き払っている。蛋白質が焦げる悪臭が漂う。マシュの大盾に霊体化して仕掛けられた機関銃が連射される。肉片が散らばり血煙りが舞う。ネロが炎を纏った隕鉄の片刃大剣を振う。人体が燃えながら両断された。ブーディカの偽りの聖剣から黒い魔力弾丸が連射される。人肉が砕けながら四肢が捥げ堕ちた。

 そして、藤丸が召喚したシャドウ・サーヴァント―――アタランテ(アーチャー)の宝具、訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)が真名解放される。藤丸を中心の空白地帯として、周囲全てに神からの矢が雨のように降り注いだ。フランスで猛威を振った脅威が人理を守る為に使われ、ローマ市民だった者たちを一斉に虐殺した。

 突破する為に必要な所業。相手は人間だった人外の化け物だ―――だが、本当に?

 分かっていた。藤丸は本心では理解していた。目を逸らしてはならない事実―――これは、虐殺だ。

 

「そんなことで……アン・ディールは、この地獄を!!」

 

「そうね。そんな事ってだけじゃなくて、あいつなりの理由もあるにはあるのだけど……――いえ、まぁ私達には関係のないことね。搾取される少数からすれば、幸運を求める大多数の願望こそ諸悪の根源だもの。これを断つには人理焼却が一番手っ取り早いんだろうし、あいつも必要な分の犠牲で確かな成果を得る実験だしね。

 どちらにせよ、どんな理由があろうとも私達は狩らないといけない。

 迷えば、死ぬ。戦いに限った話じゃなくて、一度した決断を後悔で揺らせば行動に隙間が生まれてしまうもの」

 

「―――あ、え……それってどう言う……?」

 

「迷えば死ぬのよ、藤丸。私が予想する事実は戦いには無価値だから。まぁ迷う暇もない今だから言うけど、善の為に悪を為すってのが人間の基本原理なの。悪い事が愉しくて悪事を働くっていうのは破滅願望でね、精神的な風邪みたいな症状に過ぎないの。

 私達が特異点でサーヴァントや敵対者を殺す罪が、一種の善へと繋がるように、人間社会の営みは基本的に明日を良くしたいと言う願いを叶える行動なの」

 

「だったら……たったら、それじゃ―――!?」

 

「報われないわね。でも、私達は初めからそう言う生き物じゃない。だから、どう言う願望で相手が罪を犯すのかは、貴方自身の瞳で見定めなさいな。

 私がカルデア所長として、職員の藤丸立香へ言っても自分に対して許せるのは―――……うん、貴方は敵の罪を狩りなさい。

 結果として殺す事になるけれども、多分そこにはそれ以外の価値が有るかもしれないから。

 だからカルデアが為した罪科は、所長である私だけが贖罪を行うことが赦されるのです。誰かの報いの前に貴方は自分の願いの為に人理焼却を防ぐのよ」

 

「……ッ―――了解、しました!」

 

 サーヴァントと繋がったラインを通して殺人の触感が藤丸に伝わった。魂で、殺意が伝播した。殺す意志と、殺される遺志であった。

 特異点が消えれば無かった事になる。そんなのは、この地獄の前では都合が良過ぎる。

 だから、嘘ではないが全ての事実ではないとフランスで悟っている。きっと、罪は自分の魂から死んでも消えないと彼は理解し尽くしてしまった。

 

「――――――ッ」

 

 坩堝と所長が称した事に対し、何もかもが正しいと藤丸と直感する。自分達カルデアが市民を虐殺するしか都市部中心に進む手段がない事を思っているのではない。

 此処は、不死が己が不死性を娯楽とする魔都だった。

 星見の忍び(アサシン)からの報告で知り、殺す以外に道がないことも分かっていたが、覚悟が全く足りておらず、そもそも覚悟をする心理状態に意味がない惨状だった。

 ……藤丸は、平和な国で生きていた少年に過ぎない。

 覚悟と言う言葉を使うことにさえ、僅かばかりの羞恥を覚える思春期の男だ。

 だが、その意味を正しく知る事態に陥る非日常を前にし、自分の常識が如何に無力で脆い世界だったのかを肌で実感するしかない。

 

「アタランテ……!」

 

「――――――――」

 

 その呼び声に応え、アーチャーはまた矢の雨を降らした。都市には男だけでなく、女も幼い子供をいる。だが、それらに構わずサーヴァントはマスターの声に応え、問答無用で宝具を解放する。

 本来ならば、子供好きな彼女からすれば有り得ない事。相手がサーヴァントならば姿形に拘らず殺害するも、中身まで子供なら相手が英霊でも殺害に魂まで歪ませる罪悪感を覚えてしまう。よって市民を相手に対軍宝具を向けるなど、言うなれば戦いにもならない残虐な殺戮行為。現代の戦争で例えるなら、老若男女全ての一般市民が日常生活を送る市街地へ無差別空爆を行う倫理を失くした鬼畜外道の所業。

 許されない罪科だ。許してならない罪悪だ。

 殺す相手の顔も名も必要とせず、蟻を踏み潰すように人の命を吹き飛ばす。

 これを良しと笑って明日を生きる人間は、本当にもはや人間としか言えない怪物と成り果てる。

 

〝引き金を引くのは、俺……ッ―――自分自身じゃないと、駄目なんだ”

 

 特異点へ突入する前、藤丸へ所長が言った事は全て正しい現実だった。サーヴァントを従がえるマスターの役目とは、そうであった。目を逸らせば、やがて罪に意志が呑み込まれる。

 何時か、現実に直面する時が来る。

 やがて、罪が魂に溢れる時が来る。

 あらゆる残酷な事実に耐えるには、予感をしておくこと。フランスであった事が今日また目の前で起きるかもしれないと、特異点で活動する時は脳を加熱させておかねば、思わぬ事態に行動が停止する可能性がある。戦いの中、手が止まる醜態を晒してしまう。

 

〝―――言い訳を、自分にするな。

 目を逸らすな、戦いから逃げるな、背中を向けるな”

 

 殺しているのは、元人間の怪物。だが、剥き出しの魂となった人間の本性。理性と言う倫理の皮を精神から失くした人間が至る姿。

 人間ではないが―――殺人である事に、間違いはない。

 化け物のような人間もいると、彼も分かっている。殺さなければ市外を突破出来ず、襲い掛かって来る人外市民を撃退しなければならない。気絶も出来ず、無力化は不可能であり、半端に殺すだけでは不死故に甦る。

 止めるには概念武装によって、生命を断たねば意味がない。

 サーヴァントの神秘によって、概念で押し潰す必要がある。

 フランスにおける吸血鬼と同じ存在。亡者とも言える人の成れの果て。だから、分かってはいる。殺すしか道はなく、命を奪わないと自分達が皆殺しにされる。人理焼却から人類は脱せず、カルデアは生存期間を無為に過ごして自滅する。

 藤丸とてカルデアに来る前は殺人など見た事はないが、人間と言う生き物が善である等と過度な期待は一切していない。人は人を殺すだろう。強姦もするだろう。あらゆる罪科の積み重ねが人類史でもあるのだろう。

 だが此処まで、罪深く在って良い訳がない。死体が街に飾られている。頭に袋を被さられた人間が、逆さ吊りにされて、槍に串刺しにされ、磔にされて燃やされてもいた。刃物で解体している最中の惨劇もあれば、乱交会場となった大通りもあった。幼い女児が男を素手で四肢を捥ぎ取り、達磨になった胴体で料理ごっこで愉しんでいた。妊婦の胎に素手を刺し込み、水子を取り出し、違う女性の胎に捩り込んでもいた。人間の生きたままに工作素材にし、意味の分からないオブジェクトを人々が協力して作り上げていた。人と人の首を差し変え、四肢や胴体も換え、人間のパーツを使って新しい人間を組み立てていた。苦悶の梨で飾った人を吊り下げて飾り、鞭を振い、ナイフを投げ、斧を投げ、矢を射ち、的当てのゲームをしていた。全身を縛り付けて芋虫にされ、地面に横たわる人間を貪って内臓を食べていた。

 狂気が伝播する。脳を侵す汚物が流れ込む。

 殺意が無ければ正気を失う地獄。憎悪も無くして理性は保てない悪夢。

 

「―――進み給え、人間の少年。

 人生は迷う故に苦悶で満ち、その痛みに耐え続ける悪夢なのだよ。

 そして貴公の生き抜く意志がなければ、人理に明日は無い。責任もなく、責務を問う者もないが、貴公だけがその運命に選ばれた」

 

 藤丸立香に、悪魔殺しは現実だけを教えた。この世が、ただそうなのだと無理矢理にも理解させる言霊だった。

 

「おまえ……!」

 

「良い敵意だ。普段は隠しているが、貴公にとって私は友を隻腕にした元凶となる男。憎しみを持たねば、マシュ・キリエライトに向ける貴公の感情も虚偽となる。

 それを、捨てずにいるが良い。一度でも心が折れれば、貴公は今以上の無力感に精神を殺される事となる」

 

 悪魔は地面に手を当て、味方を除けて周囲に火炎柱を噴き上げる。ソウルごと灰燼へと市民を焼き尽くし、その魂を自分の口へ吸い込んでデモンズソウルの養分として貪った。

 殺人とは食事。殺戮は暴食。虐殺は宴である。この地獄を普段の日常と変わりなく感じるその姿は悪魔でしかなく、むしろほのぼのとした雰囲気で気軽に命を刈り取っている。

 

「理解は出来ぬだろうが、あの星見の狩人では人理を取り戻せるが……人類の未来は、決して救えないだろう。即ち、彼女だけがマスターならば貴公らのカルデアに明日はない。

 我らの所業を怒れる貴公でなければ、恐らく縁は消えて無駄なのだ。

 藤丸立香よ、貴公はただの人間で在り給え。運命には関係ない事だ。

 私はとても、素晴しき因果律を有した貴公のソウルに期待している」

 

「………………」

 

「あぁ、今は無言で良い。それが正しい選択だ。戦いの最中、悪魔狩りの奇人が発する警句など戯言だとも」

 

 

 

◆◆◆◆

 

 

 

「―――………戦術、戦略。策謀、策略。

 お互い、人並み外れた軍師ですのに関係ありませんね」

 

 魔都ローマから反乱軍と羅馬軍の戦局を確認していた灰は、暗帝と話し込んでいる内に戦局が大分進んでいることに驚いていた。異形化市民兵は駆逐され、改造人間飛将軍と反乱軍サーヴァント達が殺しっている。そして、今はエルメロイ二世とステンノが、陳宮とレオニダスとタッグバトルを行っている。

 レオニダスの守りを抜くのに、女神の神秘はかなりの有効打。物理的攻撃に対して強い盾の槍兵を仕留めるのに、彼女を使った軍師の眼力に狂いなし。

 だが、その天才軍師が超軍師と殴り合っているのは血濡れの泥沼だった。体術を得意とする者同士ではないので、一撃必殺の轟打を放つことは出来ず、ジワジワと生命を削り合う泥仕合。そして超軍師とのラインを灰は薄め、宝具の贄として灰の生命を使うのもない為、インチキ軍師を己が拳で殴りたいと言う衝動の儘に超軍師は戦場を愉しんでいるのだろう。

 

「虚空を見上げて独り言とは……貴様、狂ったかね?」

 

「レフさんにだけは言われたくありませんね、それ?」

 

 宮殿の前、聖杯に羅馬のソウルを注いでいる暗帝の頼みを受け、教授と灰はカルデアを待っていた。

 

「独り言の多さでは其方に負けます。それと、これは貴方に聞かせていたのですよ?」

 

「ふん。ああ言えば、こう言う女だ。会話するのも気が滅入る」

 

「良く言われます。言い訳好きの責任逃れとも。自分の所業を直視したくない人間に、他者から見られるのかもしれませんね」

 

「ほぜけ。業好きの屑め。人を煽るのが好きなだけだろうが。好んで面倒事に首を突っ込み、厄介事を娯楽にする者が、自分を見繕う為の言い訳などするか」

 

「良く観察してますね。その通りです。侍のような詫び自殺をする誠実な人間だとも、私も自認していますから」

 

 特に意味もなく人の眼前で投身自殺をした過去を持つ灰は、死ぬことが責任を取る事にならないのを理解していた。強いて言えば、限界を遥かに超えて現実と戦い、魂が崩壊して精神が燃え殻となっても苦しみ続けることがそうなのではないかと考えている。

 

「誠実な人間はな、武士の切腹を詫び自殺と(なじ)らんのだよ」

 

「グウの音も出ない正論、有難う御座います。しかし、レフさんも偶に無性に、何千何万回も死に続けてみたくなる気分に陥ることってありませんか?」

 

「――――……さぁ?」

 

 死にたい。あるいは、死ぬべき。その想いは有った。だが教授は死に時を逃したが故にカルデアで教授として働き、結果としてそのカルデアを裏切る為に生きていた。

 

「オルガマリーもその類ですから、三人で御揃いですね。トリオ・デ・フッシーとか、組んでみませんか?」

 

「止めろ。本気で吐き気がする」

 

 星を焼け野原にする程に強い眼力で、教授は灰の戯言を全力で否定。実際、濃密な呪詛が視線に乗って灰を襲うも、彼女の暗い魂からすれば蠅が肌に止まったとしか思えない程度。

 火の簒奪者(アッシュ・ワン)からすれば、魂を熱却処理する炎など熱いとも感じられない。

 

「つれない態度ですねぇ……ふふ。それでは久方ぶりに再開するオルガマリーから、あのダンディー・ライノールがって愛想を尽かされてしまいますよ?」

 

「戯けが。この局面でも人を揶揄する性根が気に喰わんのだ。

 私が人間に言える台詞ではないが、敵なら敵として、真面目に殺せ」

 

「何時も自分の魂には真面目ですから。しかし心配性なので、必要なことを必要分を越えて過剰に行ってしまいます。

 レフさんにはリラックスして貰いたいと考えていましたが、要らない気遣いでしたか」

 

「ああ。本気で要らぬお節介だ」

 

「それとレフさん。御節介と言えばカルデアの皆さんに、私からジャンヌさんとその家族について伝言がありまして。殺し会う前、少し話をしておきたいのです。

 人類史において彼女をレイプして殺したのはブリテンの、魔女狩りが性癖で拷問と処刑に興奮する鬼畜外道の侵略者でしたが、特異点で妊娠した暗い水子を上位存在の赤子に蘇生したのは私です。

 まぁ正確に言えば、狩人の上位者に彼女が古都の贄として必要であり、強いては汎人類史が詰む点を皆さんが保証可能とする布石でもありましたので、人類全てにとって有益な特異点だったと言えるでしょう。

 私の友人になったジルさんも、ブリテンの胸糞悪い審問好きと聖女を売った涜神者へ報復を行いつつ、世界を救う手助けを出来たとなれば、救国の元帥としても、子供好きな青髭としても、魂から本望だと嗤って死ねたことでしょう」

 

 欺瞞を嗤う。それを繁栄に必要とする人間を、魂から嘲る。灰が棄てた世界の神が人間を贄と駒として利用したように、神のように人間を使い捨てる抑止と人理を灰は哂う。

 ―――愉しい、とソウルから笑った。

 楽しい人の世界だと―――微笑んだ。

 自分の探求さえ利用する抑止の人間運用を灰は尊んだ。

 

「貴様、何を言って―――」

 

 神が何故、神なのか。その視点を得て、必要だからと欺瞞を為し、それをこの特異点でやっと終えられる。

 社会の模倣にして、神の真似事。人間が人間として生きるのに、魂に真実だけが在れば良かったが、此処では在りの儘に生きて死ぬには愉しい不純物が多かった。

 この世界に流れ着くも、呪われ人となって探求を得て、枯れて墓に入るも灰として蘇り、ロスリックで繰り返す残り火となった火の時代の最後。あの日々の長さからすれば、灰の人生にとって二千年は余りにも短過ぎる。

 殺すだけで良く、殺されるのも当たり前。そんな灰にとっては慣れない偽善と偽悪。魂ごと偽り、人間性を人理へと最適化する。

 

「―――嫌ですね、レフさん」

 

 簒奪者は、もはや灰ではなかった。墓から甦った火の無い燃え殻が灰であり、火を宿した灰は神でも人でもなかった。

 暗い、暗い魂なのだ。

 太陽を黒く呑み込む黒い孔。

 故に名は亡く、何者にも成れぬ者。

 只の、何でもない人間と言う現象。

 

「騙して悪いが、と言うお決まりですよ」

 

「なに……?」

 

「ジルさんは良い人間でした。善に真剣で、故に悪に真摯な英雄です。言葉通り、本当の意味で良き人なのです。彼を人理焼却の特異点発生の元凶に選んだ獣は、千里眼に相応しく人を見る目をお持ちでしょう。

 彼の望みは―――私にも、貴方達にも、そして人理にとっても有益でした。

 保険と言うものは大切ですので、ええ……魔神による再誕失敗も私は考慮する必要がありますから。

 ですので、貴方達には思う儘に事業へこのまま没頭して欲しいと考えています。どちらに……いや、どのように結果が転ぼうとも人理定礎が固定された点より、平行世界の枝がまた伸びるのですからね」

 

 何を灰が見ているのか、獣には分からない。獣性では、人間の悪意を理解出来ない。教授は悪寒を覚える事も出来ず、悪意を持たない空の魂に騙されるしかない。そう言う人間だと分かった上で、嘘が何一つなく、笑みは優しく、魂が問答無用で表情通りの印象を刻まれる。

 まるで感情を白紙のキャンパスに描かれる様に。不死ではない魂に灰の魂を察することなど出来ないと、その事実を“簒奪者(ニンゲン)”は人間に悟らせない。

 

「ほぉ、成る程―――……うむ、成る程?

 探求者、アッシュ・ワン。貴様は相変わらず、思考回路が全く分からん。そも失敗など有り得ん。見給え、あの我らの作り上げた光帯を」

 

 空の向こうの、宙に浮かぶ光の輪。地上を焼き払って得た魔術式の神秘。

 

「綺麗ですねぇ……フフフ。人間の文明って一皮剥けば、ああも美しい形になるとは思いませんでした。エネルギーの有効活用は大切です。

 しかしながら、己が創造種族を放っておけば勝手に増える自然燃料扱いとは。造物主を愛するように作られた筈の被造物が、その愛する意志を持つ故に悪を覚えるとは面白い魂です。

 貴方(アナタ)方は人間から愛される事もないと言うのに、憐憫を人として覚えてしまいましょう」

 

「―――……言い合いを、貴様とするものではないな。

 我ら以上の年寄から見れば、絶望と恐怖のない世界を夢見る事を、悪夢に眠り疲れた子供と逆に憐れむと言う訳か」

 

 まるで幼子を見る瞳をする灰。教授は気味の悪さを何時も通りに覚えるが、カルデアでは誰に対しても似た雰囲気だった。

 オルガマリーは例外であったが。強いて言えば、あれは実験動物を解剖する研究者に似た好奇の瞳だったかもしれないと、今になってその感覚に教授は辿り着いていた。

 

「この世を悪夢とは。貴方達らしい達観ですね。人理を取り戻そうとするカルデアの皆さんが聞けば……いえ、取り戻すべき人類史が地獄の頂点に位置する欺瞞の世だと知っても尚、立派な魂を持った人間は生きることを諦めはしませんか」

 

「だから、燃やした。己が正しさだけを妄信し、作り上げた文明を正しいと盲信し、その所業を美化する狂った知性。その様から進化出来なかった化け物だよ、人間共はな。

 しかし、悪夢か……まさか、そう言うカラクリかね?

 魔元帥の欲望の儘に動かしたのは、貴様の悪辣な趣味嗜好だと思ったが?

 千里眼でも覗けぬ……いや、一目見れば魂が狂気に侵される異界から来た魔物と関係が?」

 

「あの狩人とは協力関係にありまして、フランス特異点は赤子の素体作りが彼に対する私からの報酬です。葦名が其処の悪魔の願望を叶える為の蟲毒の壺だとすれば、フランスは赤ん坊が目覚めを得る為の悪夢でした。

 ただ、それだけの特異点ですよ。

 目的と手段を揃えてこそ、探求の一歩は踏み込めますからね」

 

「成る程……正しく、貴様は魔術師だ。我らの願望自体が、そも貴様にとって利益となる訳か」

 

「はい。因果を正す為、運命を糺すのが私の使命ですので」

 

「まぁ良い……事、此処まで来れば裏切りも何も無い。人類史の最後まで付き合って貰おう」

 

「勿論ですとも。自分達を守る筈の被造物に愛想を尽かれた人間の最後は、とても見応えがありそうで楽しみです……―――あ。来ましたね」

 

 焼き払われた森より魔都に突入したカルデアと抑止のサーヴァントを灰は確認。邪魔となった人間性を暴走させた市民を殺しながら走り抜け、到達地点である宮殿前までやって来た。

 灰と教授を確認した時、カルデア側は二人を狙撃しても良かった。

 接敵する為に攻撃を行った方が、より効果的だったかもしれない。

 しかし、それを選ばなかった。遠距離戦をするよりも、向こう側が近付くのを誘っているのなら、まずは敵陣戦線の突破を優先すべきと判断した。

 

「アッシュ・ワン――――!!」

 

「はい。お久しぶりですね、オルガマリー。後、カルデアの諸君との再会も嬉しいです。それと其処の悪魔、何をやっているのですか?」

 

「侵入者として、貴公が世界を愉しめるように礼節を尽くしていた。だから、邪魔をした。ほら、葦名の外側では契約の効果範囲外ではないか?

 それとも貴公、もしや行儀良く敵味方に拘り、殺し合いが許される場所で闘争を行わないとでも?」

 

「何と言う正論ですか。確かに、その通りです。我ら不死にとって、命が奪い合えるのに人を殺さないで我慢する方が不健全でしたね。もはや、この特異点には利益も不利益もないのですから」

 

 不機嫌を装った顔を一瞬で無くし、灰は言葉全てに納得して頷いている。しかし、カルデアの中の一人を見て少しだけ驚いた。

 

「あれ、清姫さん。また出会えるとは、一度絡んだ運命は離れ難いのでしょうかね」

 

「誰です、あなた。初対面で馴れ馴れしい声色ですね」

 

「貴女の元マスターですよ。あんなに愛し合ったと言うのに、これが寝取られと言う文化ですね。この浮気者め、と罵っておきましょう」

 

「はぁ……ッ―――!? ちょ、ちょっと言い掛かりは止めて下さい!!

 しかも旦那様(ますたぁ)の前で(わたくし)を浮気者扱いするなんて、もう燃やすしかありません!!」

 

「えー残念です。まぁカルデアに召喚された貴女は私の事を雰囲気何となくでしか覚えていないでしょうけど、愛して欲しそうだから私も愛を演じてみただけですので、えぇ……すみません。実は愛って良く分からないのですよね。

 恐らくは獣性的本能から作られる衝動を愛と名付けて呼んでいるのでしょうが、衝動そのものが無い場合はどうすれば良いですかね。奪った魂から、心が欲しい、肉を貪りたい、性を交じりたいと言う感情が生じる大元の衝動も模倣出来たのですが、どうも酔い切れなくていけません。

 人が欲しいって、どうするのか分かれば良かったのですが。

 涙が流せる魂が私にも皆さんと同じくあると言うのに、とても可笑しな話です。

 アナタ達人類種が生み出したその虚構を現実として信じる人間性を、取り戻せればあるいは……清姫さんを召喚した時、あるいは……と、一人の女として期待はしたのですがね」

 

 侮蔑と、軽蔑。清姫の生前を、まるで人を解さない獣ような瞳で憐れんでいる。所詮、愛を語ろうとも罪人は罪人。罪が魂から消える赦しはこの世にない。

 

「――――……殺します。焼いて、殺します。

 言葉に嘘は一つもありません。つまり、あなた……本気で、私の愛を哂いましたね」

 

 灰が彼女を本気で愛そうとしたのを、清姫は理解してしまった。精神を理解し、感情を把握し、思考を読取り、魂を知られた。愛する為、全てを呑む様に啓かれた。

 故に、何一つ嘘はない。清姫の愛が持つ熱量を過不足なく解した上で、灰は嘲笑っていた。自分の魂を温めるには余りにも熱が足りないと。

 

「はい。清姫さん、貴女は私と似ています。誰も貴女は、その人をその人として愛せない女です。自分の中の幻に囚われ、過去の自分が報われないと前に進めない死人です。

 死に切れない綺麗な魂だと……私は、本当に思ったのですよ?

 己が感情を燃料に焼かれた火を、私が求めずに誰が価値を見出すのでしょう」

 

「……この、この――――」

 

「清姫」

 

 静かな声が、理性をまた失おうとした意志を冷静に戻す。

 

「―――っ………旦那様……いえ、藤丸立香さん。私は……」

 

「大丈夫だ。俺は、清姫のマスターだから」

 

 藤丸は今の清姫が、狂気がないために不安定なのを分かっている。彼女にとって愛は熱狂であり、自分の火で自分を燃やさずにはいられない少女である。それを月光の狂気で相殺され、まともである精神が自分の愛を客観視してしまう。

 それを藤丸はあっさりと認めた上で理解を示す。精神攻撃を受けたサーヴァントを安定させるのも、彼にとってマスターとしての責任である。

 

「はい、はい。すみません、マスター。これからも、ご迷惑を掛けると思いますけど、私はあなたのサーヴァントでいたいと……今も、昔を忘れられなくとも……そう思っております」

 

「美しい人間関係ですね。何やら満たされているようですが、清姫さんは―――」

 

 だが、追い打ちは灰の嗜み。精神攻撃も関係ない。いや、むしろ相手の戦う意志を挫く事が不死同士の殺し合いではより重要。命を奪っても意味がないなら、心を折って初めて勝利と呼べるのだから。

 

「―――アッシュ、私の職員を迷わすな。

 サーヴァントだろうと、英霊だろうと、カルデアの一員は私の保護下にあります。裏切り者には関係ないけど、それでも傷を付けると言うならより惨く、より酷く、貴女を狩り殺す」

 

「うーん……まぁ、そう思われても仕方ないですかね?

 私なりに本心からの感謝と謝罪と、嘲笑だったのですが……いえ、嘲笑の部分は隠した方が思いは伝わり易いのも分かってはいたのですがね?

 ですがほら、清姫さんに隠し事をするのも失礼かと思いまして。

 思ってしまったのでしたら、素直に言うのが元マスターとしての礼儀と言うものではないかと、ねぇ?」

 

 言葉を交わす事に意味はないと所長は察してはいた。出会って直ぐに殴った方が利口だとも。しかし、そうはさせないのが灰の厭らしい点。相手へ不意打ちをさせた方が自分に利益がある戦場を構築し、思い通りに戦略を運び込む。

 カルデアは、出来れば悪魔を囮にして此処を素通りしたい。だが灰へ不意打ちをして、言葉を無視して攻撃すれば、全員を通さない様に嫌がらせでしてくる可能性が僅かにある。それを解する灰は、相手が教授と並ぶ自分を無視出来ないと全て分かった上で、戦場では無益な無駄話を聞かせている。あるいは、これを聞かせる事自体が目的なのかもしれない。

 

「クソ、糞、この糞女―――匂い立つわ。

 分かってはいたけど、貴女と煽り合いする私が愚かだったわ……」

 

 冷静さを意識しても苛立ちが募る。殺意の儘、骨髄の灰を込めた教会の連装銃(リピーティング・ピストル)を無意識に構えていた。

 それを見る灰は所長の戦略を見抜いている故に、その机上の策へ乗る。

 むしろ、最適解としてそう考えさせる為の、ローマの戦略でもあった。

 

「仕方ありません。私への不利益も別にありませんからね。

 オルガマリーの思惑も分かりますし……ふぅ―――其処の悪魔殺し、相手をして上げます」

 

「うむ、予定調和だな。貴公は人間性が腐っている。元より、暗帝に彼らだけで戦わせる気であっただろう」

 

「はい。邪魔ですからね、私達は―――」

 

 ―――パン、と遮るように銃弾は放たれた。会話の途中、何の脈絡もなく、灰へ二連銃弾が襲った。真正面からの意識外の不意撃ちであり、直感を持つ達人の英霊でも第六感の隙間を通る絶技である。だが強化された弾丸二発を騎士直剣で弾き逸らし、忍びと同等の技巧で以って灰は無傷。

 しかし、それも当然である。灰は新しい技巧と神秘と加護に貪欲であり、今の極めた業を更に鍛え上げる向上心の権化。

 古い獣が眠る葦名で溢れた日ノ本伝承のデーモンを狩る日々。そして、あの葦名は銃弾を容易く見切る音速戦闘が常識の達人が溢れ、その死んだ忍びがデーモンとして甦って人間のソウルを食べる地獄。それを簒奪者は新たな業として学び、その上で互いに殺し合い、技巧を鍛え続ける日常。

 

「流石、月の狩人の娘。星見の狩人と言った処でしょう。殺意よりも迅速に銃弾を撃つとは、死に慣れた不死ではないと見逃してしまいます」

 

 その動きを見ただけで所長は全てが啓蒙された。あの女はフランスの時よりも更に強靭な魂へと練り上げ、己が業を鍛え上げていた。

 

「―――黙れ、アッシュ。良い加減、一度くらいは私達の手で死に給え」

 

 また所長は撃つも、灰に弾き逸らされた。恐ろしいのは当たると同時に液状に破裂する二発の水銀弾を、どう言う技巧で行うのか分からないが、刃幅の短い直剣で弾き飛ばすと言う魔技だった。そして、盾で防げばより楽に守れると言うのに、敢えて剣で防御すると言う挑発行為。

 あれを自分が出来るのかと鍛錬不足を所長は葛藤した。

 まだまだ殺し足りない。狩りが足りない。武器を振り足りない。

 狩り殺したくて堪らないが今、血管から湧き出るその狩猟衝動に身を任せる事を、理性が彼女に許さない。

 

「……スレイヤー、協力者として要請します。とっととあの女の魂を奪い取れ」

 

「分かっているとも、星見の狩人。何時も通りの、魂狩りの職務だからな」

 

 オン、と魂から灰の魔力が迸る。悪魔を見た灰は、楽し気に貌を歪める。殺し合いの出来る本当の人間と魂を賭けた戦いこそ、より強く進化する為に必要な経験。同時に、より暗く深化する為に必要な儀式。

 火の簒奪者以外の“不死(ニンゲン)”と邂逅出来た事が、本当に僥倖なのだと灰はソウルの深淵から理解していた。

 

「憐れなる不死の隣人、悪魔を殺す者(スレイ・オブ・デーモン)なる人間の成れの果て。黒い盲の悪魔を神殿より解き放つ為、律儀にも古い獣より人間種を守護し続ける旅する要人。

 どうか、殺して見て下さい。そして、御照覧あれ。

 私が鍛えたのは命を奪う為の殺人の業………そうですね、殺戮技巧だけではないのですよ。

 己がソウルを極め続けるとは、この闇を更に深め、貪った火を強く燃やし続ける事に他なりません。勿論、あらゆる神秘に対する知識も深め、見識を広める事も、この魂を鍛え上げる大事で面倒な鍛錬でした」

 

「同感だな。心まで燃え殻となり、生前の遺志も枯れた不憫な灰の人(アッシェン・ワン)。贄の炉となった貴公のソウルは何と言えば良いのか……むぅ、そうよなぁ……大雑把に暗過ぎるのだろう。

 だが、それで良い。我らは時間だけは贅沢に使う事が許されている。

 あれもこれもと己がソウルで貪り、己が業に節操なく取り込み続けなければ、そもそも生きている時間が無価値になってしまう故に。

 まぁ等と言いつつも、結局は生身での殺し合いこそ最大の喜びであるのだろうが」

 

 殺し合う前の口上など実に贅沢な時間の使い方。だが永劫を生きるしか未来がない不死が、人の命を奪う罪業に効率など求めて如何すると言うのか。其方の方が余りにも無様であり、無駄のない殺戮など記憶にも残らない。

 感動など……―――否、葦名から此処まで、心が蠢く感動の日々の連続だ。

 ありがとう、と笑みを浮かべよう。全てのソウルの業を啓蒙した獣との邂逅こそ、この世界に漂流した簒奪者が得られた幸運の始まり。竜が支配していた古い灰の時代より始まった“人間”が本当に死ねない原罪を、その大元の罪が生まれた根源を探求する機会が今。

 何よりも、人間種をこれまで守った悪魔(ニンゲン)に感謝を。

 これより、無色の魂で絵画を描いた人間(デーモン)へ祝福を。

 

「えぇ、えぇえぇ。そうですとも。そうでしょうとも。

 ですからねぇ……ふふふ。悍ましきデーモンが大好物な悪魔が相手となれば、こう言う趣向も卑怯にならずに嬉しいです。

 必ず勝てる手を使った勝負なんて、そもそも相手の命を愉しむのに失礼極まりましょう?」

 

 ―――オォン、と世界が捻れた。

 空間が砕け散る不協和音が街全体に響き渡り、人間の魂に災害の足音となって聞こえてきた。

 

「―――――――――――」

 

 皆が、余りの威容に黙るしかなかった。

 見た事もない異様な姿に思考が止まる。

 

「カルデアの皆さんでしたら、フランスでは良く見ましたでしょう。ドラゴンですよ。竜種など、もはや珍しくもない生き物ではないですか。

 ですが、この世界の竜種でドラゴンもどきのワームはまだまだ珍しい部類でしょう?」

 

 個体名、カーサスの砂ワーム。全長百メートルを超える気色の悪い大蚯蚓。それが動く。ただそれだけで市街地が崩落する。

 ワームが地面に潜ると石作りの道も建物も盛り上がり、何もかもが破壊されて崩れ落ちる。巨大であるだけで、人は死ぬ。

 藤丸もマシュも、その余りにも悍ましい存在感に嫌悪した。灰はまだ、余りにも強靭で膨大な魂で理外の人間だったが、この竜種は魔術師の感覚で何となくでも把握する事が可能な怪物だった。

 無数の人間が、死骸となってまだソウルが消化されている。

 不死の人間が、魂を生きた儘にワームの素材となっている。

 果たして、何で作られているのか、考えてはならない生物。

 何をエネルギーにして口に雷撃を蓄えているのか、何を食べているのか、知らなくても良い事実。

 

「……何なのですか、これは―――?

 何がどうして……ぁ、ぐぅ……うぁ……何が、どうなってそんな化け物が……」

 

 聖なる加護を持つデミ・サーヴァントから見ても、正気が削れるナニカだった。藤丸は脳味噌が停止する感覚に陥り、フランスで見た竜種と余りにかけ離れた異形に理解することを拒絶する。

 啓蒙(インサイト)とは、気付きである。

 あるいは、知るべきではない未知へ対する洞察力。

 僅かとは言え、狩りの血が流れる星見の盾は、脳が啓かれる快感を覚えてしまう。

 

「――――ローマ。おぉ、ローマが喰い漁られるとは。

 だが、特異点(ローマ)は黒い染みの孔なれば、一夜に見る暗い悪夢に他ならぬ」

 

「神祖殿。だが、これもまた現実」

 

「ならば月光が、我らの狂気を癒しましょうぞ」

 

 気が付けば、三人の皇帝が並んでいた。盾騎士は啓蒙をまた覚える。

 

「貴様らは憐れだよ。何故、このローマへ来たと言うのかね?

 まさか、まだカルデアの諸君は勝てると言う幻想を抱いているのか?」

 

 力の抜けた笑みを教授は浮かべ―――肉の、瞳が生えた柱が一つ生まれていた。盾騎士の脳が震えた。

 

「熱い火のような絶望を皆さんにどう演出しようかと悩んでいたのですが……これ、とても分かり易い恐怖でしょう?」

 

 何時の間にか毛皮のコートが付いた騎士甲冑を灰は着込み、普段は見せている貌を隠している。ファーナム騎士の鎧であるが、灰にとってそれは絶望を焚べる者にこそ相応しい姿。

 嘗て闇から魂を救いたかったが、それを諦めた後悔の形。

 因果に挑み、運命に敗れ、心が折れる呪われ人の戦闘服。

 一目で絶望を人の魂に叩き込む不死の遺志が染み込み、瞳を持つ狩人は永劫を生きても果たせない最悪の絶望を啓蒙されてしまった。オルガマリーは、この世で最も最悪なカタチに至る絶望を垣間見てしまった。

 因果に敗れた騎士姿(ファーナム)こそ、灰が持つ全ての鎧の中で罪悪の結晶だった。

 己自身と称しても良かった。墓に眠る前、この鎧は闇から人のソウルを救えないと理解した時に棄てた筈なのに、灰となった彼女はまた旅の中で拾ってしまった。生前の記憶を取り戻しても捨てられず、まだこの鎧を克服する事も出来ず、恥知らずにもカルデアの前で見せていた。

 

「あ、ぁ……っ―――あぁぁああああ、うぅぅ、ぁぁ……この、アッシュ・ワン………!」

 

 絶望。空の器。燃え殻の魂。望みが絶たれ、何も無くなる人生。死ぬしかないのに、死ぬことも出来ない。この世の終わりまで眠るしかないのに、目が醒めてしまった。

 ―――闇。深淵。暗黒の底。

 暗い。死ねない。魂の永劫。

 遺志は無駄だった。人間も同じだ。

 諦めが、救い。心が折れた時、人は休めるのに。

 自分がやがて同じように、そう成り果てるしかない永遠の先の未来――――オルガマリー・アニムスフィアは、きっと諦められないのだと悟ってしまった。

 

「貴公、まだそれは絶望ではないぞ。気を確かにし給え」

 

 暗くなった片目から血を流す所長の肩に、悪魔は優しく手を置いた。

 

「スレイヤー……?」

 

「あやつの絶望は、もう終わりを迎えている。絶たれた願望を諦められぬ故、苦しむ為に戦っているだけの存在。いや、苦しみ続けなければ魂に深化はないと理解した人間。

 私も同様、人が住まう世界など幾度か救う程度で満足すれば良かった。魂には底があると人間らしく見限り、人が選んだ世界の間違いを正そうとしなければ良かった。自分自身の魂は此処で限界だと諦めれば良かった。

 しかし、貴公はまだ旅路の最中。

 やがて、使命を全うした末に己へ絶望するのは逃れられぬが、まだ始まってもおらぬのだ」

 

「ぁ……ッ―――」

 

 全身に着込む騎士甲冑。その兜の奥で煮え滾る悪魔殺しの騎士(デーモンスレイヤー)の瞳。それを所長が見た時、ヤーナムで得た全ての啓蒙に匹敵する絶望が、悪夢となって脳の瞳に映り込む。

 ―――悪魔、だった。

 デーモンは人間ではないが、だが人間はデーモンへとなれた。

 彼と言う何でもない人間は、悪魔を超える知性へ進化出来た。

 真性悪魔など所詮は人間の餌。全て喰らう魂が人間と言うデーモン。何故、と言う疑念も纏めて呑み込む深い霧。

 

「―――あく、ま……?」

 

 オルガマリー・アニムスフィアにだけ、デーモンスレイヤーは本性を露わにした。彼の言葉には何一つ虚偽はなく、人の世から生み出る悪夢はヤーナムだけでには収まらない。

 何処からも無く、霧が溢れ出る。濃い霧が宙から吹き荒れる。

 降り立つ者―――濃霧からの尖兵、デーモン。獣が惑星に住まうソウルを蒐集する生命。

 

「無論。私は人間のデーモンである」

 

 頭部が竜の形をした人型。背中より生やした翼を大きく広げ、二重の牙顎を有し、六本指の手を持つ巨人のようなドラゴン。あるいは、ドラゴンのような巨神。

 古い伝承より甦った者。

 名付けられたデーモンの名―――竜の神(ドラゴン・ゴッド)

 

「そして、私のペットを紹介しよう」

 

「――――――――――!!!」

 

 雄叫びである。

 大噴火である。

 

「絶望を焚べる者よ。貴公、竜が趣味であったな。見給えよ、これが人間に駆逐された憐れなドラゴンの神である」

 

 ワームから吐き出る雷電咆哮。

 竜の神から吹かれる火炎吐息。

 爆散する力の衝突。破壊が撒き散らされる新たな地獄。

 雷撃から市街地を破壊し、竜炎が石作りの街を溶岩に変化させる。その瞬間、全員が敵味方関係無く全力で戦域から離脱。

 

「ちょっ―――はぁ! 馬鹿なの、阿保なの!? 死ぬの!? むしろ死ね!!」

 

 所長、全力全開の罵倒。しかし、あれを咄嗟に盾で防ごうとしたマシュと、彼女に守られることに良い意味で慣れた藤丸を片腕づつで刹那もなく米俵持ちし、所長は遺骨による加速で全力疾走。真名解放したマシュの盾なら大丈夫かもしれないが、その暇もない強襲では死ぬ可能性は非常に高い。

 所長の圧倒的初速の早業はこの場の誰よりも迅速であり、それに釣られて全員が逃走に成功した為に無事ではある。身動きがし辛い一柱を除いて。

 

「グワァーー―――――!」

 

 魔神柱化してしまった教授は咄嗟に逃げられず、ワームの対抗として召喚された竜の火で少し焦げる。魂そのものが燃焼する壮絶な苦痛に叫び声を上げるもだが、流石のレフ・ライノール。巨体だろうと構わず空間転移をすることで全焼する事態は逃れられた。

 

「―――アッシュ・ワン! この、貴様!!

 自信たっぷりで出した手駒がこの様だぞ!! 恥を知れ、恥を!!!」

 

「すみません……いや、本当に」

 

 次の瞬間、空間が割れる轟音が響く。竜の神が砂ワームの頭部へアッパーを喰らわす音だった。ドラゴンの頂点に位置する神秘と巨体なのに、戦闘方法が完全にグラップラー。全身を使って筋肉をバネとし、衝突の破壊力を一点集中する殴り方。

 拳に全体重を乗せた文字通りのジャイアント・パンチだった。

 そして、宙に浮いた砂ワームの尻尾を掴み、頭上でそのままカウボーイの投げ縄のように振り回し始めた。遠心力が莫大な運動エネルギーを生み出し、そのまま市街地が広がる地面へ叩き付けた。ワームは渾身の苦痛を込めた絶叫を雷撃と共に叫び、竜の神は竜殺しの雷撃を全身に味わうも、構わずまた叩き付ける。叩き続ける。地震でローマが崩壊する程に、叩きまくる。

 

「惨い……」

 

 思わず、影に徹していた忍びが感想を漏らす。葦名で作られた注連縄の巨大人形に匹敵する大きさか、それ以上の人型巨竜の凶行に内心で引いていた。

 それも当然。完全に伸びた砂ワームの顔面を片足で巨竜は踏み潰す。潰す。潰す。また潰し、更にもう一度、全力で体重を乗せて踏み潰した。その挙げ句、六本指の手で掴んだ砂ワームの頭部を自分の眼前に持ち上げ、更に両手でワームの口を強引に拡げる。雄叫びと共に広く開けたドラゴンの顎によって、竜炎の噴火口がワームのソウルを確実に捕えた。

 直後、ワームの口内へ竜の吐息が流し込まれる。まるで風船だ。空気を吹き込まれて膨れ上がるようにワームは膨張する。そのまま呆気なく、砂ワームはボンと焼けた血肉を撒き散らして破裂した。

 

「え、自信満々に出した砂ワームが……私の面目、丸潰れですねぇ……いやぁ、効果的な挑発ですねぇ……得意気な顔で紹介した手下を、目の前で嬲りものにされるのは。

 ソウルが成仏寸前になる屈辱は、実に久方ぶりとでも言いましょうか」

 

 ドヤ顔に糞団子を投げられた気分になったその次の瞬間、灰は竜の神と視線が合わさった。竜の神は、その瞳が一気に赤く染まり上がる。神の殺意が一点凝固し、空間自体に過重を掛けるソウルの波動を発し、あらゆる魂が自らの重さに押し潰れる重圧。見るだけで人間は立っていられない殺気であり、生きようとする意志を奪うには十分過ぎた。

 

「――――はぁ……これ、私、本気でどうすれば良いのでしょうか?」

 

「ふざけて言ってる場合か、愚か者め!」

 

「嫌ですね。私は何時でも大真面目ですよ、レフさん」

 

 最初の火を絶やさずに見守っていた王たちの化身の、その燃え殻となった不死の誰かを記録を持つ灰は、歩く茸に殴り殺された古い記憶を有している。その時に匹敵する悪寒を、彼女は竜の神の燃え上がる灼熱の瞳に感じ取れる。

 茸人と似て、竜の瞳は全く感情が感じられない据わった目だった。

 巨竜は軽く一歩踏み出すだけで何十メートルも進み、その巨体が飛び上がれば一瞬で何百メートルも進むことになる。

 挨拶代わりの―――一殴り。

 何はともあれ殺す先手必勝の右ストレート。

 地面を吹き飛ばす隕石の如き一撃鏖殺は死。

 翼を広げて飛び上がり、巨体を生かした重力加速のパンチを前にすれば、灰だろうと絶対の死は避けられない。

 

「―――――――!!!」

 

 瞬間―――マシュ・キリエライトは、己が業の最果てを理解した。あろうことか、灰は取り出すと同時に大盾を魔力で強化し、巨竜と盾一つで対峙。

 その時、拳と盾が激突。

 竜の体躯に対し、灰は蟻でしかなく、押し負けるのは必然。人間大でしかない灰は質量が竜と比較すれば余りにも軽く、如何に重い魂を持とうがこの世の物理法則にソウルの重量に意味はない。

 だが―――無傷。灰は掠り傷一つ無し。

 吹き飛び、地面を転がるも拳を何の問題もなく受け止め、破壊力を完璧に流し逸らしていた。

 

「―――――――」

 

 その次に来た左ストレートの二打目さえ、灰は完璧に弾き逸らす。

 

「あぁ、そんな……そんな、これが人に至れる業なのですか―――!?」

 

 正に啓蒙そのもの。盾技の究極。身一つで竜と渡り合うの為の業。脳と繋がった魂へと、マシュは己の業が何処まで進化可能なのかを強引に理解されてしまった。

 守るとは、これ。即ち、死を前に退かない絶対の意志。

 マシュの十字盾は真名解放によって堅牢と化すも、人は身に修めた業だけでそれに匹敵する魂を持っている。魂とは、ただそれだけで素晴しい力なのだと―――マシュだけは、あの大盾の業を見て理解出来てしまったのだ。

 

「裏切り者に感銘するな……って、私は言わないけど?」

 

「す、すすす、すみません所長! 今直ぐ降りますので!」

 

「駄目。マシュ、私より鈍足だし。ぶっちゃけ、ストーキング・キヨヒメよりも鈍いもの」

 

「はいぃ!?」

 

 ローマと言う地獄の中、更に混沌した地獄ような殺し合いからカルデア一向は離れる。狙いは聖杯を持つと思われる暗帝唯一人ならば、悪魔殺しは足止めの餌に使うに豪華過ぎる戦力だった。

 

〝面倒ですねぇ……ふふふ。ならばこそ、とても素敵な怨敵です”

 

 そして、二体目の砂ワームが、死んだワームを触媒に再召喚された。いや、周囲にはそう見えただけ。如何なる魔術基盤をどのような魔術理論で使用した分からない為、そう判断するしかない現実。

 ドラゴンの蘇生、その奇跡。魂を使い捨てる為の、生命の悪用。

 砂ワームに悪魔から学んだ蘇生(キセキ)をソウルに仕込み、擬似的な不死として使い捨てる魂胆。

 とは言え、瞳有る所長は悪魔の奇跡を啓蒙されてしまった。脳が悍ましい感触で震え上がり、恐らくは生きた神さえも死ねば蘇生対象とする魂への絶対冒涜。

 

〝偶には好きなだけ暴れるのも一興ですか”

 

 宙が荒れる。濃霧が滞留する大気を掻き回し、雷雲が立ち込める。成長した最初の火を燃料とする簒奪者の灰だからこそ可能な力技。

 フランスでも大量に居た飛竜―――だが、灰の呼び声に応えたワイバーンは神秘が桁外れに濃過ぎている。

 しかし、それでも竜の神は更に飛び抜けた神秘の権化。ドラゴンである時点で、この人型の巨竜に叶う道理を持ち得る訳がなし。

 

〝不死の業と成り()がった神の業、我らの奇跡。竜の形をした神へ使える好機に恵まれるとは、悪魔には感謝しかありませんね”

 

 その上で、最初の火をソウルに抱く灰が相手では無価値。左手に隠し持つタリスマンを触媒に太陽の光の槍は形成されるが、その上で更なる雷撃が凝固し、より濃密な概念が生まれ、高次元の神秘が集束。太陽そのものを燃料とした力で在る故、もはや神々の始祖である雷神の権能を超えた竜狩りの奇跡。

 ワームとワイバーンに襲われる竜の神は灰を相手に出来ず、最初の火の槍(サンライト・スピア)を前に出来る事は何もない。

 問題なく簒奪者の雷槍は放たれ――――その雷迅投槍を、ソウルの光が撃ち落とす。

 

「恐ろしい女だよ、貴公。それはいかんぞ。折角の召喚、一撃で終わってしまうのは勿体無い」

 

「厭味は好きですが、貴方のは少し魂に苦いですね。そもそも、怖いのはどちらなのでしょうかね?」

 

 二人は人間の魂として同じ領域の理力と信仰。しかし、純粋な魔術の錬度において悪魔は次元が可笑しい位置に立つ魔術師。最初の火を触媒にした槍を、己が魂だけで発するソウルの光で対消滅を引き起こすとなれば、人間を極めた高次元の魔術師でもある灰にとっても、悪魔を相手に魔術合戦をするのは一番の悪手。

 何より、飛来する雷槍を空中迎撃する命中力と瞬発力は、悪魔との撃ち合いが自殺に等しい戦法だと意味していた。悪夢を無限に繰り返し続ける聖杯狂い(ハンター)の銃撃に匹敵する早撃ちなど、迅速さで争って良い相手ではない。

 

「何だと言うのだ、これは。一体、何をどうすれば良い……?」

 

 神の鞭と呼ばれた英霊が、この地獄に対して疑問を呟く。それも無理からぬこと。濃霧から更に空飛ぶエイと巨大なエイが呼ばれた。同時に、巨大な古竜も雷雲から呼ばれ降りる。ワイバーンと砂ワームが、竜の神と殺し合う戦場がより混沌と化す。

 この世の地獄が、この世と思えない地獄で塗り潰される。まるで幻想の悪夢。世界の終わり。

 

「狂ってるってのは聞いてたけど。これ、あたしの狂気も醒める。

 なんて様―――ローマ。殺しても意味がない……こんなの、理不尽過ぎる。あたしが復讐する隙間がないじゃない」

 

 殺したい筈。殺し尽くしたい筈。己が心が死に、精神崩壊を引き起こしても暗帝を殺さなければならないのに、ローマに対する復讐心が薄れていく。殺戮の果ての虚しさを、こうも見せられて無関心ではいられない。

 

「勝利の女王よ。人代の国(ローマ)を始めた神祖(ローマ)として、お前にはこのローマを見せるのは忍びない。

 故、滅ぼしたくは戦うと良い。そのまま宮殿へ進むと良い。

 もはや駒ですらない魂の傀儡ではあるが、この匣の中身は皇帝(ローマ)であることに違いなし」

 

 暗い神祖を前に、英霊ネロは悲惨な表情を浮かべる。自分が治めた時代の、自分のローマが此処まで末期と化す光景は、受け入れて良い現実ではない。特異点と言う人類史の暗い染みに過ぎないのだとしても、やはりこの今の地獄は現実である。

 

「―――神祖殿、何故……何故なのだ?

 貴方程の御方が、どうしてこのような事に……?」

 

「我が子、ネロ。お前には、正にこの特異点(ローマ)は地獄。

 ならばこそ、戦え。殺せ。(ローマ)を、問答無用で破壊するのがお前の使命」

 

 神祖のその背後、無言で二人の皇帝は佇んでいる。黄の剣と月光の大剣を握り、カルデアに立ち塞がる。

 

「清姫。君はあの場……怪獣戦争へ、飛び込む気はあるかね?」

 

「私に貴方と心中しろと言ってますね、エミヤ?

 必要とあれば竜に化けられはしますが……無駄死に、マスターが悲しみますよ?」

 

「すまん。少し、血迷った。あれを、あの悪魔に任せるしかないのは不安でな。だがやはり適材適所こそ、効率的な戦略。私たちは私たちで、あの皇帝共を仕留めるか。

 ―――アルテラ。

 皇帝共は、予定通りに喰い止めるぞ?」

 

 そのエミヤの言葉で、地獄絵図から意識を彼女は取り戻す。

 

「分かっている……―――ネロ、ブーディカ。マスターらを連れて、行くが良い。

 あちらも、お前たちを誘っている。罠も策もあるだろうが、暗帝をカルデアのマスターと共に打ち倒せ」

 

 アルテラが持つ三色の光剣。込められた魔力に応じて輝きを増し、遠い遠い宙よりこの星へ飛来した古き者の神秘が姿を現し、現代の科学では理解不明な未知の文明技術による機能を発露する。

 闘神の怒り―――神の鞭(アッティラ)軍神の剣(フォトン・レイ)

 おぉ、と神祖(ローマ)は懐かしさの余りに感嘆を漏らさずにはいられない。見ただけで、神祖(ローマ)だけは英霊アルテラの宝具を解している。

 

「お前は……うむ。(ローマ)が相手をしよう。

 その輝きこそ、正しく我らローマを焼くのに相応しき天からの罰である」

 





 読んで頂きありがとうございました。ローマもそろそろ終盤戦ですので、頑張っていきたいと思っています。


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啓蒙62:堕星

 ローマを破壊する怪獣同士の殺し合い。市街へ天から、嵐の王と嵐の獣より生物的な大槍が降り注ぎ、ワイバーンの口から放たれる炎の吐息が降り落ちる。竜の神に砂ワームが絡み付くも掴み潰され、古の竜が巨神のドラゴンに噛み付いた。

 そして、暗帝が住まう宮殿へ進むカルデア一行。そのマスターとサーヴァントを妨害せんとする皇帝三柱と、またその皇帝達に立ち塞がる三体のサーヴァント。

 

「良いのですか、オルガマリー。マシュさんと藤丸さん、死んでしまうかもしれませんよ?」

 

「死なないわ。アッシュ、死ぬのは貴方よ」

 

「成る程、良い殺意ですねぇ……ふふふふ」

 

 灰は微笑む。

 

「暗帝への義理、せめてローマが滅ぶまでは果たしたいのですが?

 戦うには戦いますが、程々の邪魔で満足して欲しいものですね」

 

「断る。貴公の相手は―――私だ」

 

 悪魔は笑う。

 

「私の隻狼、忍殺の時間だ。あの裏切り者共を、貴方と私の業で終わらせます」

 

「御意の儘に……」

 

 主従は挑み―――

 

「憐れだよ。悪魔を味方にしてまで人理を求めるとは……ふ、そこの男に理は皆無。況してや人理など、魂を潤すエネルギーと認識する外道魔道にして、悪鬼羅刹。

 オルガ……貴様の星は、地に堕ちたようだ。

 まだそこな簒奪者の方が、燃えて消えた人理に有益。何よりも、我らの偉業こそ人間として生まれてしまった貴様らの魂に、不運も不幸もない平等な希望を与える星となる」

 

 ―――そして、魔神柱は心の底から憐憫した。

 

「魔神の柱……―――ほう、名はレフ・ライノール・フラウロスと。では貴公、聞くがその星に苦しみはあるのかね?」

 

「――――なに?」

 

「成る程。その魂より、概要は見て理解したぞ。残念であるが、死の無い惑星に価値はない。そも……苦しみのない世と言うが、この星の巡りを見給え。

 魂に終わりなく、最初から永劫を巡っているではないか?

 限りある人生の繰り返しが輪廻であるも、魂も不死ではなく、やがて輪廻から無へ枯れるぞ?

 命に終わりが宿るが……さて、一生で己が全ての魂を使い潰す世になれば、永遠に眠れぬ魂によって如何なる世となる?

 それを永遠の命を得た魂が乗り越えたとして果てへ至る時、もはや人生は腐れ、その腐れも最後は枯れ、結局は私や灰や、あの悪夢で眠りに引き籠る狩人の有り様だぞ?」

 

 永遠の先―――悪魔は、そこで哂っている。

 

「人は、死ぬ。全く以って、それで良いのだよ」

 

 誰にとっても魂なぞ所詮は永遠。生まれては死に、生まれては死に、輪廻を繰り返す。悪魔はソウルを見通す者であり、魂の全てを観測してしまう故、魂の個としての輪廻にも終わりがある事も分かっている。だが、それもまた魂が生まれた無へ完全に還るだけの理。

 であれば、せめて命と言う一夜は苦しみの中で、何かしら終わりに報酬があるべきだろう。

 

「そして人は、必ず死ぬべきだ。分かるだろう、魔神柱。

 至極突然な帰結さ。魂を悪魔へと堕落させる星を、我ら人間は―――地獄と、呼ぶ」

 

 答えは――悪魔だった。

 人が悪魔へ堕ちるのではない。どのような魂だろうと永遠の先、魂そのものに餓える故に、終われなければ悪魔となるのがソウルの因果律だった。

 

「貴公らの終極は、正しく―――堕星。潔く、死なせてやれ。

 殺めたソウルに最期(オワリ)を与えるのも、悪魔と化した私の責務なのだから」

 

 救い無き獣性の終わり。人類悪ですらなく、人類愛など皆無。言うなれば魂の性。古い獣に由来する人間の到達地点。

 それが人間のデーモン―――悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)の正体。

 

「―――黙れッ!!」

 

 魔神柱は絶叫してしまった。獣が作った獣性の楽土を夢見たが、果たして人理焼却式は自らの被造物を永遠に愛し続けられるのか。その疑念の答えこそ、魔神柱である。被造物が造物主に絶対服従する理など、意志持つ魂に在る訳がない。

 魂――それが、あらゆる人間性の根源。

 命に宿るそれを克服しない限り、死が亡くなった世を夢見た所で、そもそも始まりの根源より、もはやどうしようもない世界なのだと。

 

「いけませんねぇ……悪魔、貴方は残酷過ぎる」

 

 啓蒙とは、無知を啓くこと。未知を既知とする洞察力であり、真理を解する思考。

 不運だった。教授は所長の瞳によって発狂寸前になった過去があるため、高度な思考回路はより啓蒙深く化し、悪魔の語る真実を理解出来てしまう。

 

「悪魔め、悪魔め! 魂が、そもそもそう在るならば! 根源の内側に在る限り我らの世界、我らの星に……待て、待て待て待て!

 世界の外側に根源があるならば……まさか、まさかこの世は内側の――」

 

「貴公、外なる世を見たことはあるかね?」

 

 脳内に、悪魔の声が静かに鳴る。魔神柱は魂が啓かれる絶望を知る。

 

「――は?」

 

「人理とは、小さな欺瞞である。我ら人間の魂と同様に。

 よって、我らの魂に貴公らの善意は無価値である。

 星に魂があるならば何故、根源の内にあるこの世にも魂がないと思うのか?」

 

 知るべきではない。知ってはならない。魔術式が、自らの論理性を疑ってはならない。

 

「魂が介さぬ自然など、この宇宙に非ず。

 望まれたのだよ……何もかもが、何かしらのソウルから」

 

 人理など、そもそも如何程にも可能。もし、魔神柱が己が願望を叶えるならば、根源と言う魂の大元を克服しなけらばならない。

 ―――認められない。許されない。

 全ての魂に価値が無い故に等価値で在る何て、何をやっても魂に還るだけになってしまう。それでは新たなる星を創生したところで、その惑星で生を受けるヒトは同じ因果を繰り返すのみ。最初から、ただ救われないだけだったと、そんな世界は許されない。真理も、虚構も、等価値なんて有り得ない。

 不死だろうと、永遠だろうと、今の人類種と変わらない。死に関わらず、魂が魂である時点で無意味なのだとしたら、そもそも人間が愚かなのではなく、ヒトのその根源からもはや終わっていただけ。狂っているのが地球だけではないとしたら、救いを想定した基盤に罅が入ってしまう。

 

「―――戯言を!」

 

 魔神柱であろうと悪魔の叡智は激毒。深く聞けば魂が狂い、生涯の目的と決めた信念も霧へと散する事だ。

 堪えきれぬ、と魔神柱は己が魂の意志が可笑しくなる前に瞳より邪気を発する。視線に載った呪いは物理的干渉能力を有し、まるで光線のように悪魔へと撃たれた。

 その分かり易い怒気を、忍びが見切れない訳がない。

 障気。怨念。遺恨。謂わば、怒り恨む死者の遺志を忍びは業として背負う者。

 楔丸で受けた邪眼の念を刃に纏わせ、そのまま忍びは会得した流派技――桜舞いを、灰と教授へと斬り放つ。

 最初の一閃。次の二閃。最後に全力と三閃目。空中を得意とする忍びならばこそ、剣を振るのに地面を必要とせず、むしろ大気を足場にして身をこなしだけで行う瞬間三連撃は、避けるに難しく、防ぐのも厳しい剣技。それは大気ごと裂く故に刀身から斬撃が伸び、魔神柱の邪眼の呪詛を纏うことで更なる広範囲の切断領域を生み出した。

 念の纏われた桜舞い―――ただ、恐ろしいだけの業ではない。

 生まれ故郷を守らんと足掻いた男の執念が宿り、技自体が見る者に美しさを覚えさせる流麗なる動き。

 

〝星見の忍び。いえ、薄井の狼ですか。

 葦名特異点で修羅がデーモンとして具現化していましたが……あぁ、喰らうに良いソウルでありましたが、伝承の大元には敵いませんね”

 

 だが、何事も相性がある。身を覆う程の大盾であれば、同時三閃で迫る超絶技巧(燕返し)が相手であろうと真正面から力で乗り越える事も可能。そして、呪いと因果律に対する絶対的な幸運を宿す運命力(ヒューマニティ)があれば、因果逆転(ゲイ・ボルグ)が相手でも正面から防ぎ切る。

 百戦錬磨を超えた守りの業―――崩すのに、如何程の業が要るのか。

 灰を相手にし、究極の一があれば通じると言う当たり前は容易く夢幻と崩れ去る。

 

「ぐわぁーー――――!!」

 

「―――あっ……その、重ねてすみません。つい興奮して、後ろにレフさんいるのを忘れました」

 

「人と協力することを覚えんのか、貴様ぁ!!?」

 

 尤も、背後の人間を守ることには徹底して無頓着。邪眼の呪詛を纏うことで伸びた斬撃は灰だけでなく、魔神柱にまで攻撃範囲が広がっている。灰は協力して戦うことはあるも、自分の命は自分でまず守るのが戦線を維持する大前提であり、同格の人間としか共闘は慣れていない為、教授は真っ先に被害を受けていた。

 

「はぁ……悪魔対策に、探求者のソウルを貸しましたよね。とっとと使って下さい」

 

「とっくに使ってるわ、戯け!!」

 

「へぇ……早いですね。やはり、似た者同士でしたか」

 

 火の守り。柱を覆う炎膜によって忍びの邪眼纏いの桜舞いは最小限まで威力を弱められ、教授はほぼ無傷である。

 アン・ディール―――簒奪者と化す絶望を焚べる者が、名を借りたその本人。

 しかし、何故か良く馴染んでいる。教授は自分の魂にそのソウルの適合率に驚くも、都合が良いなら道具に是非を問う時間はもう過ぎた。

 

〝嘗めてるわね……いえ、そう思わせてる事を誘ってる挑発ね。

 まぁ、どちらにしたって嫌な女。そこまで人を煽る事に固執するなんて、どんな糞外道の遺志を好んで継承したんだか”

 

 所長は加速の神秘を纏って疾走を開始。同時、悪魔は濃霧(ソウル)を纏って老いた王(オーラント)の加速を行う。悪魔と所長は左右に散開しつつ、挟撃を狙う。そして灰は闇を滲み出しながらも残り火を纏い、ファーナムの薪として身体を王として蘇生させた。

 灰が対するは、火の飛沫とガトリング銃による弾幕。悪魔と所長は先手の嫌がらせとして生命力を僅かでも削り取る。

 しかし灰はその気になれば戦技として己がソウルに修めたマジックパリィで魔術など完封出来る上、神秘の触媒として常に腕輪のように備えている獣のタリスマンによって、魔術を使うだけなら杖や鈴や御守と言った触媒をソウルから取り出す必要もない。まるで武器に宿るソウルから神秘を引き出す戦技のように、神の竜の全力の殴りと対峙した時と同じく、魔力の盾や魔力の武器と言ったエンチャント系列の神秘を使える事だろう。

 とは言え、獣のタリスマンはデーモンスレイヤーが担い手となる『(ケモノ)』の絶対神秘。例え暗い魂に最初の火を簒奪した灰であろうと、悪魔の如くソウルの業を獣として引き出せる理は存在しない。

 

〝弾幕で私狙いとしつつ、命を狙っていますのはレフさん……と見せ掛け、オルガマリーは何が何でも悪魔に私を擦り付けたい筈ですので……狼さんが、私を一度は忍殺を狙って来るのが必然ですかね?

 となれば、オルガマリーはレフさん狙い。

 狼さんと悪魔で私を抑えつつ、自然と悪魔だけに移って行く雰囲気になりましょうか……”

 

〝……って、見破られてるのを私が見破ってるのも、アッシュは見破っている。となると、敵対行為を通じた共同作業がこの殺し合いの本質ってことになる。

 ガトリング銃も悪魔の火弾も牽制にならないし。

 やっぱり、本気でまずは私がレフを狩り殺さないと戦略が進まないんだけど……私の隻狼を、この悪魔に預けて灰狩りなんて勘弁して欲しいわ。だったら、私がこの悪魔と組んだ方がマシなんだけど”

 

〝どう致しますかね。私はどっちでも良いですし、どのような結末でも宜しいのですが”

 

〝この女……畜生、心理戦で待伏せするとか本気でムカつくわ―――仕方ない。仕方ないけど、灰に乗ってやる。

 それにこの悪魔は自分に不利益がなければ、女の我が儘を聞くのが趣味みたいな……あれね、男を演じるのを好んでる節があるから、言う事を聞いてくれるでしょう。

 まぁそれも、灰の暗い魂を喰らったことで人間性を得た故の、魂に生じた故意的な思考のバグでしかないんだけど”

 

〝裏切り者を狩るのも、貴女の使命です故に……であれば、カルデアの職員を虐殺したレフ・ライノールを、貴女だけは決して許してはならないのです。

 人類種と言う因果に挑む善が相手だろうと、貴女だけは狩らねばなりません”

 

〝悲劇好きめ。人は苦しみに対しなけば魂に価値は生まれないと、手前勝手な演劇を作る悪趣味女が……ッ―――”

 

 大楯で防いでいても、埒は開けられない。灰の左手に杖一本。それが発する歪んだ光壁が全ての軌道を捻じ曲げる。悪魔と所長の弾幕が放たれた一秒後には何十発もの火と血の弾丸に覆われるが、機関銃が弾丸の雨を降らす戦場を知る灰にとって、一発一発が幻想種の頭蓋骨を粉微塵にする狩人のガトリングだろうとも……いや、圧縮された神秘の血弾だからこそ、光壁の防御対象となる良い鴨である。無論、悪魔の火弾も同様だ。

 火の飛沫を弾かれ、悪魔は灰の技量を再認識。歪んだ光壁と言う魔術を一目で解し、神秘を主軸としない物理攻撃なら何の問題もない。

 啓蒙(エンライトメント)とは―――洞察(インサイト)

 ソウルとは―――生物が思考し、世界を理解するためのエーテル。

 名の通り、人が魂と定義した神秘であり、魔法であり、奇跡であり、人間の業である。

 悪魔が棲んでいた世界において、業深き要人共こそあらゆる悲劇を生んだ諸悪の根源。

 彼らの行ったソウルの業の探求が、眠りに付いていた古い獣を呼び起こす。それら全てを背負い、旅する要人になってまで、古い獣から世界を守る悪魔とは、即ち―――世で最も、世界を理解する“ソウル”となった何者か。

 ヤーナムにおける狩人が持つ啓蒙(インサイト)が、隠された世界の真実を認識する悪夢由来の神秘であり、故に悪魔そのものと言えるデモンズソウルは世界を観測・認識することで、拡散して消滅する世界を維持・固定する。

 人間に許された魂の仕業と言える要人のそれを、悪魔は旅する中で究極の一に深化させていた。

 悪魔が理解出来ない魂はなく、法則もなく、世界を運営する仕組みもまた容易く紐解かれ、新たな啓蒙と言う名の業もヤーナムで会得してしまった。

 

〝だから、悪魔に神秘で競い合うのは悪手なのですよね。とは言え、斬り合いもまた強いのでどうしようもないのですが……”

 

 直後、背後より死の気配。灰は己がソウルで完璧な気配遮断がされた忍びを察知し、一撃死を可能とする致命攻撃が刹那の後に来ると理解。故に、魔術はその為の誘い。光壁を発しつつ、灰は忍者のようにバックステップを行い、自分の背中を狙う忍びの更なる背後へ瞬間的に移動。

 右手に持つは複合変質強化(亡者・熟練・闇)されたロスリック騎士の直剣。

 斬り合いと突き合いを両立された直剣であり、灰が好む一撃必滅の致命を可能とするソウルの武器。

 

「ゴォ……ッ―――」

 

「――まず、一回」

 

 忍びの背から心臓を騎士直剣(ロスリック)で一刺し。そのまま、あろうことか火の飛沫とガトリングの弾幕の盾に忍びを利用。

 それを認識したところで、既に撃った後の血弾と火弾は止まらない。

 

「悪魔やめろッ!!」

 

「しかし、もう蜂の巣だが。

 むしろ、貴公の方が――」

 

 自分の血弾が、自分のサーヴァントを貫く光景。

 

「―――ぁぁ、ぁぁああああああ!!

 あの灰、燃え殻の、焚べる簒奪者の……ッチ、糞が、あのクソオンナ!!」

 

 灰に盾とされた忍びの姿は余りに無惨。血濡れで肉片が飛び散り、骨も砕けてしまっている。もう息はしておらず、だがしかしこれを行ったのは悪魔と所長による残虐行為。

 その上で、灰は屍となった忍びの後頭部を左手で掴んだ。

 燃え上がる手に宿るのは呪術の火(パイロマンシーフレイム)。記録された呪文を呼び起こし、ソウルを通して魔力を爆破させる。

 呪文の名は黒炎(ブラックフレイム)。暗い魂を持つ簒奪者の灰は、最初の火を黒く燃やし、物質的な重さで以って忍びの頭部を爆散させた。

 

「見て下さい、オルガマリー。ほら、貴女の大好きな狼さんの頭がボンっと弾けました」

 

 飛び散る焦げた脳漿。

 頭蓋骨が消えた首無。

 

「人は死ぬと魂が抜けた燃え滓になります。そうですよ、これは塵滓です。古い葦名の国を踏み躙った忍びには、とても相応しい(イヌ)の格好だと思います」

 

 騎士剣を抜き、忍びの死体へ片足を乗せる。

 グリグリと、まるで虫けらを踏み躙る様に。

 

「何故、命を踏み躙るのは人をこんなにも楽しませるのか……ふふふ。これだから、ソウルの奪い合いは堪りません。

 そうでしょう、オルガマリー?

 人の遺志を狩る貴女でありましたら、私の有り様を哂わずには居られませんよね?」

 

 誘いだと分かっている。忍びは死んでおらず、それを灰も分かっている。その上で所長は血が脳味噌から引かず、脳細胞が沸騰する殺意で意志が煮え滾る。瞳が流れ星のように輝き、狩人そのものと言える殺気を纏い、何もかもが加速する。

 

「アッシュ・ワン―――ッッ!!」

 

 速く、早く、迅く。何よりも、誰よりも、悍しい程に加速する狩りの業。 

 

「燃えろ、カスどもが!!」

 

 瞬間、熱波が地面を爆裂させた。教授の火線が瞳より放たれ、ローマの街並みごと悪魔と所長を薙ぎ払う。しかし、もはや星見の狩人として加速する彼女を捕えられる道理は無し。そして悪魔はその熱閃を容易く、貪った灰のソウルから学んだ歪んだ光壁で防ぐ。魔術である時点で悪魔に通じる道理もまた無し。

 

〝狩る。狩り殺す―――この、灰め!”

 

〝良い殺意です。やはり殺し合いは善悪正邪を問わず、魂から相手を認めないといけません”

 

 対人戦闘において、ただ殺す事に長けた古狩人の仕掛け武器―――獣狩りの曲刀。

 古都ヤーナムにて、人間を獣として殺していた狩人が英雄として活躍した時代。

 小回りが利きながら、大型の刃による殺傷能力も高く、一撃で人体を両断する凶器であり、加速の業を持つ狩人との相性が非常に高い工房産量産武器。

 だが、あらゆる武器と対峙してきた灰にとって敵が振う得物に好き嫌いはない。

 魔速の迅で踏み込む狩人を相手に、灰は左手でレディアの触媒剣を握り締めた。

 その名をブルーフレイム。灰となった残り火の時代において紛失した武器であるが、火の時代全てを記録する最初の火からソウルで以って再現した物。

 

「―――ッチ!」

 

「……フ―――」

 

 一歩先に待ち受ける誤差が皆無の逸らし(パリィ)の誘い。一見、盾でもない上に瞳で啓蒙された事で魔術の触媒となる魔剣だと真の姿を見破ったが、その情報こそが詐称(フェイク)となる灰の策謀。全ての業を己がソウルとして修得した故に、彼女が持つ時点で使い慣れたパリィ用の防具ともなる。

 その躊躇いを灰は見逃さず、ファランの速剣を結晶魔力で強化されたブルーフレイムで振う。狩人はギリギリで回避するもその直後、更に黒剣で強めた騎士直剣による二刀流を舞う。

 ―――高速二刀連撃。

 盾無しの本懐。攻撃こそ相手に攻撃を許さぬ最大の防御。

 灰の一撃で生命を一気に抉り取られ、体勢を僅かでも崩せば次の手を避けられず、連続で斬撃を受けると狩人は悟る。一刀でもそのまま受ければ即死の嵐。しかし狩人の加速のステップで避けても、避けた先を読んだ様に灰もまた迅速にステップを踏んで動き、一瞬も逃げる隙を与えない。

 

〝こいつ、盾使いが巧いと思ったら双剣も……!”

 

〝何でも使いますが、如何に素早く殺すかを突き詰めれば自然とこうなりますので”

 

 逃げ切れない、と一秒で狩人は察した。灰の攻撃に合わせて曲刀で攻撃を受け流すも、闇と結晶が余波となって生命を蝕む。腰に備えた血晶石仕込みの短銃で、生きる意志を滾らせて常に生命力を回復させてはいるが、それも灰が相手ではジリ貧だ。そして瞬間瞬間、狩人はエヴェリンから水銀弾を放つも、それさえも灰はまるで忍びのように弾き逸らす。パリィを鍛えた者は、相手が狙うパリィのタイミングを先読みするのも日常作業。しかも結晶魔力だけではなく、ブルーフレイムは強い魔力の盾の呪文も複合強化されており、脅威的な防御能力も有している魔剣と化していた。長い長い神秘の研究期間が、簒奪者の業を灰として完成させたのだろう。

 直後、衝撃。狩人は相手の斬撃を受けたと同時、足元を滑らせた様に転倒。

 灰のブルーフレイムを完全に回避を出来ないが、何とか剣戟に合わせて避けながら受け流した筈なのに、狩人は自分のステップの勢いも相乗して地面を転がってしまう。

 

〝この魔術、フェイントにしか使えません。けれどもフェイントには便利な隠し道具ですね”

 

 一切の攻撃力がない魔術――衝撃。呪われ人だった頃には、まだ使いこなせなかった無能な呪文。

 こけおどしにしか使えず、使い方も非常に限られるが、ほぼ全ての魔術を瞬間詠唱可能な程に己がソウルを限界を超えて極めた灰であれば、斬り合いの中でも有益な殺人道具に成り変わる。

 

「ッ―――!?」

 

 転んだ狩人は顔を咄嗟に上げ、地を奔る神秘を刮目。レディアの魔剣(ブルーフレイム)より、地表を覆い尽くす勢いで白竜の息が放たれた。それと同時に、灰は空中に飛び上がりながら双刃剣撃による十文字斬りを行う。

 地面に居れば結晶魔力で呪い殺され、ジャンプして避けても灰が上空に待ち構える二段決殺。

 

〝ギィ……グ、畜生。何この呪いの結晶、脳漿が漏れそう……!”

 

 しかし、狩人故に彼女の瞳は結晶に宿るソウルの呪詛を直視もしてしまう。体は問題なく動くも、己が意志が白竜の狂気と怨念で蝕まれる精神的損傷を受けるが、今はそれどころではない。眼前の死に対し行動しなければならず、この思考も時を止めてる間の零秒で済ませて動かなければならない。

 一秒もせずに訪れる死の間際。死に様を二択選ぶしかない危機的状況下。

 そして忍びは回生もせず、思念だけで首無し死体となった己を動かした。

 

〝―――は?”

 

 思考内に灰は疑念が走った。回生は知っていた。不死なのも解していた。頭を黒炎で吹き飛ばした程度で死ねる強敵でもないと分かってもいた。

 だが―――遺魂となってまで、主を守れる男とは判断しておらず。

 忍びの死体に晒していた隙だらけの背中に、灰は独楽の様に回転投げされた瑠璃の手裏剣を命中させられた。

 

「ぬぅ……」

 

 桜色の光が舞い、忍びは回生によってその場で蘇生。魂と思念だけで肉体を動かしたのは初めてであったが、忍びは滅私の精神だけで不可能を覆し、宝具として得た護国の首無しの加護によって、主を助ける為に灰の戦術を打ち破る事に成功していた。

 忍びが放つ手裏剣の軌道を、まるで箒星のようだと灰は関心する。肉体からソウルの魔力を噴出し、背中に刺さった手裏剣を抜き取る。着地は無事に行えたが、獲物は逃してしまった。

 

「殺気もなく、攻撃を先読み出来ませんでしたが……へぇ、狼さんはサーヴァントの筈ですのに、まだまだ自分の意志を私達人間と同じく成長させられるのですね。

 カルデアの外法……私としたことが、英霊の先入観を捨て切れませんでしたか。強化人間のマシュさんと同じく、サーヴァントの皆さんも強化英霊でしたものね」

 

 ステーテスが外的要因で強化されるのは分かる。スキルも改竄されればランクアップすることも可能。しかし、魂の意志が更に強くなり続けるのは死者には不可能な筈。今を生きる人間の特権であり、精神が今より前に進化する人類種の証。

 灰は忍びを所詮は、死人還りのサーヴァントと内心で侮っていた。だがサーヴァントになろうとも人が持つ魂の意志を失わない彼は、肉体や魂に関係なく、その心が素晴しき人の強さを持つと灰は“人間”として感動した。

 

「抑止の尖兵(イヌ)が人間を虐殺する場面は幾度か見ましたので、彼らのソウルを熟知はしているのが、今回は逆に仇になるとは皮肉です。

 とは言えオルガマリー所長のサーヴァントでありましたら、魂の改竄などお手の物。半端な受肉など生温く、折角生きた肉体を与えるなら、そうするのが一番良い戦力増加ですから」

 

 狩人はその隙を逃さず、強化された脚力で地面を結晶化させる竜の吐息から跳び逃げた。しかしながら、忍びがいなければ確殺されていただろう。そして一息吐く狩人の耳に聞こえてきたのは、カルデアに対する深い嘲りだった。

 裏切り者風情が話す正論は実に彼女の神経を逆撫でし、むしろ正論だからこそより感情を刺激した。怒りの余り、反論しなければ銃弾を撃つ不意打ちすらする気力も湧かない程に。

 

「父とカルデアを策謀した立場の貴女が、それを糾弾するとは―――哂わせる!!」

 

「だから、笑ってしまいます。その娘は組織を良くしたと言うのに、最初から未来が詰んでいたのは腹痛ものの笑い話(コメディ)でしょう?」

 

 顔面を銃弾で吹き飛ばされるより、背後から尻に手を入れられて臓物を抜き取られるより、狩人は腑が煮え滾る憤怒を覚える。普通ならばこの程度の挑発は耐えられると言うのに、灰の言葉は相手のソウル自体へ直接的に囁く魂の言語。その気になれば統一言語の真似事すら可能な魂への命令権を有する程だが、狩人のような不死の意志を持つ者であれば無効化は容易い。

 しかし、虚無へ至った明鏡止水の魂だろうと、感情を波立たせるのは実に容易い事。

 悪魔殺しの言葉がソウルに響く最悪な要人の業で在る様に、灰の言葉は必ず相手の人間性を刺激する強さを持ってしまう。

 

「この……ッ―――」

 

 瞳が赤く充血する。獣血が滾り、白血が脳より零れる。意志へと憎悪と憤怒をさせる灰の言霊は血を蒸かし、赤い血液が流れ出て、噛み締める顎の力で奥歯に罅が入ったが、狩人は強引に自分の意志を冷却させた。

 落ち着け、と言う凶悪な自己暗示。

 感情一切、思考回路ごと瞬間凍結。

 情緒は無用。酩酊も不要。獣血と神秘で以って、血流と脳髄を稼動。狩人の業こそ受け継いだ遺志であり、ならばオルガマリーは己が意志を狩りのみに専心すれば良い。自分自身とも言える己が魂も自在に狩り道具としなくては、獣血に呑み込まれ、神秘に蕩け消えるのだから。

 

「――――隻狼、灰を殺せ。

 そこの悪魔殺しを巧く利用してね」

 

「……御意」

 

 主が完璧な狩人と化したのを忍びは悟る。悍しい血臭が気配に融け、濃密な殺意がローマの市街を悪夢に染め上げる。感性の鋭い者にとって地獄以外の何物でもなく、何もかもが狂ってる空間と成り果て、ただ居るだけで正気を失って発狂することだ。

 しかし、この場にいる者は全員が最初から狂っている。人を容易く精神崩壊させる狩人の殺気も微風程度の圧迫感であり、既に狂ってしまったレフにとっても発狂など治す必要もない日常の病魔。

 

「ごめんなさい、悪魔。頭に血が昇っていたわ。あの女、私の隻狼と一緒に殺して。

 その間で、あの肉柱は私が―――()る」

 

「良いのだ、貴公。まだ若い娘であれば、稀に怒り狂うのも人生の華であろう」

 

 教授の邪眼熱線を全て一つも逃さず防いでいた悪魔は、兜の裏で表情を一切変えずに狩人を気遣う。悪魔がそうする事が皮肉であるのだが、それに反応する人間性を狩人は蕩け消す。

 

〝欺瞞の導きよ……――”

 

 淡い光の導きの神秘―――月光の聖剣(ホーリームーンライトソード)脳内(ユメ)から取り出し、狩人は殺意を一点に凝縮。狙いはレフ・ライノール・フラウロス一柱。

 光が集束する。

 月が天元する。

 だが、まだまだ足りない。光が足りない。

 水銀弾を融かし、魔術回路を励起させ、淡い導きが顕現する。

 肉片一つ、細胞一つ、要素一つ、何も残さず、月明かりに消えてしまえ。

 

〝ルドウイークさんの聖剣ですか……でしたら、どうか原初の月光を啓蒙されて下さい”

 

 魔神柱と灰を熱却する火力を誇るオルガマリーの月光の聖剣。それを阻止する為に教授は邪眼を前回に魔力熱線を放つが、やはり悪魔の魔術を突破は出来ず。火炎を纏った柱の触手を地面から生やして攻撃もするが、悪魔は火柱を嵐のように地面から吹き出し、その全てを的確に迎撃。

 悪魔は魔神を前に、何も許さず、何もさせず、何もかもを封殺した。だが悪魔からは攻撃をせず、まるで水遊びをする幼子を見守るように魔神の抗いを愛でるのみ。

 

〝ソウルの始まり。古い獣を目覚めさせ、我ら全ての悲劇を始めた要人。悍しきエーテル使いの人間が生み出したソウルの業よりも、更に昔々の神秘です。

 神の狗となった古い竜のミディールさん。残滓しかなくとも、どうか私のソウルの中より見て下さい”

 

 白竜の尻尾でなく、公爵の蜘蛛でもなく、妖王の執着でもなかった。月光の騎士が残した宝具ですらなく、もっと遥か昔に存在した最も古い月光。悪魔が生まれた時代よりも古く、要人が世界を霧の中へと滅ぼす前の旧世界。

 ムーンライトが、古い獣より昔の時より繋がっていた。

 闇喰らいの古竜から甦った魔術―――古い月光(オールド・ムーンライト)の幻想が、灰のブルーフレイムに纏まり付く。

 

〝ビトーの宝具、月明かりの大剣。いや、あの特異点にて得た騎士王のソウルにより、新生した我が宝具、月明かりの聖剣。

 古い獣が甦る前の姿に近付けたと思ったが……あぁ、あれが光の黒竜のソウルなのか”

 

 悪魔は古いソウルを見た。美しい輝きと、麗しい淡さが、彼の魂をソウルが感動させた。ならば、悪魔は見届けることを喜ぶのだろう。

 狩人の月光と、灰の月明かりが同時に放たれる光景。

 地上に二つの月がぶつかり合う奇跡を、悪魔はデモンズソウルで観測しなくてはならない。

 

「――――!」

 

「ふふ………」

 

 掛け声などなく、真名解放も存在しない。狩人と灰から放たれ、衝突する月光と月光。余りにも綺麗な光の渦であり、刃の奔流がぶつかる中心地はまるで星の小爆発のような輝きだ。

 そして、狩人の啓蒙は残酷だ。瞳を持つ本人へ、数秒後に訪れる惨死の未来を脳裏に映し出す。

 

〝この……桁が、違うっての――――!?”

 

 白竜シース本人よりも尚、恐らく灰は月光を理解している。あらゆるソウルを弄繰り回した叡智によって、妖王よりも遥かに外法の理念を会得している。その概念を、灰は最初の火を抱く暗い魂で発するとなれば―――ソウルそのものが、世界に匹敵する神秘である。

 そも、真っ向から相手をして良い存在規模ではない。人間で在る事で外部から一切観測不可能となっているが、例えるならば簒奪者の灰とは、恒星を吸い込んだ人型サイズのブラックホールような生きる事象。

 

「幼年期を超えない赤ん坊を相手に、少しは手加減をした方が宜しかったでしょうか?」

 

 嘲りですらなく。それはただの事実確認。オルガマリーの月光は、アッシュの古い月光に抵抗なくあっさりと呑み込まれ―――悪魔が放つ火の玉が、中心地に当たると同時に全てを炸裂させた。

 恐ろしいことに獣の似姿から放つ火炎塊一つを当てて爆ぜるだけで、ぶつかったことで弱まっているとは言え月光同士の濃密な神秘を、真っ向から強引に塗り潰す凶悪な概念。元は巨竜から見出したソウルの業であったが、悪魔が振う今のソウルの光と同様に、もはやその巨竜を容易く焼き殺すデーモンの魔術と化していた。

 

「悪魔………」

 

「貴公の業ではまだ届かぬよ。純粋に殺し足りん。故、貴公は貴公の怨敵を狩り給え」

 

「……あぁ、そうね。今の私じゃ、冷酷に徹してもあの女に届かない」

 

 聖剣を両手に握る。狩人は灰の姿を瞳から外し、鏖殺も手段から外す。焚べる者(ファーナム)の騎士甲冑を着込む灰は、本当の意味で人間と呼べる者であり、まだ幼年期を迎えたばかりのオルガマリーでは敵わない。

 今はただ走り、奔り、切って、斬れば良い。

 導きの聖なる月の剣で以って、裏切り者を裁けば良い。

 その背後へ灰は、強いソウルの太矢を撃つ。自動追尾する矢は魂が生きようとする命の熱量を奪い取る光であり、当たれば魂を霧散させる対魂魔術。

 忍びがその主への脅威を見逃す訳もなく、太矢と所長の間に入り込んでいた。彼は躊躇わず楔丸で矢を切り裂いた上で刃に纏わせ、即座反撃でソウルの太矢を放ち斬る。だが、その飛んで来た忍びの奥義を灰は直剣をクルリと使い慣れた曲剣のように一廻りさせ、更に忍びへと弾き返す。忍びは身軽な動きで簡単に避けるも、自身の奥義を灰の魔術が加わった忍びの殺人技をあっさりと攻略された事に僅かとは言え驚いた。

 しかし、灰は悪魔も相手にしなければならない。背中から心臓を狙うバッグスタブが迫るも、あろうことか灰は自分の腹部に騎士直剣を串刺し、そのまま刃を背後にいる悪魔の心臓にも突き刺す。その直後、刃を抜くと共に後方宙返りを行い、悪魔の肩に片手を置いて一瞬でその背後に回った。その上で武器の柄頭で渾身の力を込めて心臓を背中から殴り穿ち、悪魔の全身に衝撃を貫通・伝播させることで脱力状態にさせ、穿った心臓を更に騎士直剣で背後から串刺しにする。

 そして刺し貫いた儘、その後頭部へ―――ブルーフレイムを突き刺した。

 直後、衝撃と言う本来ならこけおどしにしかならな魔術を、灰は躊躇わず悪魔の脳内から直接発射。悪魔は兜ごと頭蓋骨を爆発四散させ、先程の忍びと同じ首無し死体となって倒れ伏す。

 

「侍の切腹は得意分野でしてねぇ……ふふふ」

 

 レディアの魔剣(ブルーフレイム)より白竜の息(ホワイトドラゴン・ブレス)を放ち、結晶の吐息がうつ伏せとなった悪魔へと降り掛った。白竜の呪詛がデモンズソウルと魔術反応を引き起こし、魂を結晶として石化現象が発生し、悪魔の死体はクリスタルと化した。

 惨過ぎる死体打ち。だが悪魔は死ねば、(ケモノ)の奇跡によって蘇生する。しかし結晶化によって死ぬ前に生きた儘に封印すれば、その奇跡は発動しない。時間稼ぎにしかならないが、忍びの業と一対一で存分に味わうには十分な間を稼げるだろう。

 

「それでは狼さん、私と遊びましょう?」

 

「―――――」

 

 音もなく忍びは楔丸を構える。ここで灰を喰い止めなければ、主であるオルガマリーは悪魔のように惨死する。せめて魔神柱フラウロスを討つまでは、と彼は決死の精神で灰に刃を向けた。

 







 読んで頂き、有難う御座いました。
 エルデン・リング、楽しみで堪りませんね。ダクソ2の両刃剣が復活していましたので、ブルーフレイムみたいな触媒剣も復活していると個人的には嬉しいです。ヘイゼルのつるはしも好きでしたが、やっぱりブルフレみたいな剣でソウルの大剣や古い月光を使いたかったと言うロマンは捨てがたいです。


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啓蒙63:暗帝宮殿

 最近のインスタントのカレーは美味しいですね。


 神の鞭、アッティラ。つまるところ、遊星の尖兵の端末――アルテラ。

 灰によるソウルの業により、魂を暴かれた彼女は封じられた情報もまた暴かれている。本来ならば、英霊として知るべきではない真実。だが、秘密とは甘い蜜。好奇心が赴く儘に舌で舐め、甘露を味わうのが人の業というものだ。

 ソウルを暴かれるとは、人生を観測されると同義。灰は一切躊躇いなく深淵を覗き込む貪欲な探求者であり、覗き込まれたアルテラも自分の魂に眠っていた筈の深淵を強制的に目覚めさせられた。

 

「セプテム! マグヌス! ローマッ!!」

 

「くっ……!」

 

 アルテラはローマを相手に苦悩する。同時に、暗帝が肉に染み込ませた悦毒に苦悶する。

 霊長抹殺を企んだ遊星の尖兵の、その端末の死後の写し身……―――そう思い返せば、自分も遠くまで行き着いてしまったと、彼女は人理を守るこの戦いに挑むこの境遇の数奇さが面白かった。

 

「悩んでおるな……だが、その不始末は(ローマ)らローマによる行い。だがお前の裡にもローマが秘する故、やはり悩み進むこともまた邁進(ローマ)である」

 

 両刃剣(宝具)を巧みに操り、鞭の様に撓る三色の光剣を防ぎつつ、神祖は攻防を一方的なまで有利に進めていた。

 神祖(ローマ)は、何もかもが強かった。

 視線が強い。呼吸が強い。膂力が強い。骨格が強い。技術も強く、魔力さえ強い。

 回転するような両刃剣の乱舞。軍神の剣は攻撃こそ重点とするも、その利点を一切生かせない程の力量差。

 

「神祖、ロムルス……ッ―――!」

 

良い(ローマ)ぞ、良い(ローマ)ぞ。正にこの、臨死の瀬戸際こそ戦士の真骨頂(ローマ)である」

 

 絶妙な均衡による鍔迫り合い。この間で真名解放など以ての外。千分の一秒が生死の境界。武器と四肢に魔力を込めると言う思考さえ邪魔であり、攻撃を見てから脊髄反射ですら鈍間である。だが戦意は言葉となり、相手を殺すと言う人の意志がなければ、疲れ果てた脳と神経に電流を走らせる気力は僅かばかりも生まれない。

 もはや戦術の読み合いであり、且つ先見の潰し合い。

 直感で相手の直感を第六感で共有し、戦術眼でお互いの戦術を批評する。

 刹那の後に訪れる互いの死を、まるで一秒間に何十何百と答え合わせをする思考戦。考え続ける脳髄が発火して溶け落ちる地獄を、どちらが先に脱落するのか競い合う悪夢的な殺し合い。

 

〝―――……ぐ、何だ。この技巧、この膂力……神祖、お前は何になった?”

 

 両刃剣は扱い難い面妖な武器だが、その上で神祖の宝具は重く鈍器ような破壊力も有する故、更に使いこなすのに業が必要となる得物。上面から振り下され、それを防げば即座に下方から反対の刀身が振り上げられ、それを防いでも即座に連続的二撃斬が途切れなく繰り返される。

 廻る様に、と言う例えが嘘ではない圧倒連斬。

 アルテラは今この瞬間、樹槍に細切れにされていない事が奇跡だと理解していた。

 それでも彼女に恐れなど有り得ず―――しかし、その業に畏怖は覚えた。それは全盛期も幼年期も老齢期も関係なく、ただただ人が魂を殺し続けて、死なせ続けて、滅ぼし続けて、魂で己が魂を鍛え、極め、究め、窮め、時間と言う概念が枯れるような長い年月が可能とする正真正銘―――魂の業。

 今の神祖は、自分の業を“人間”の業に呑み込まれてしまった。

 アルテラが垣間見るのはその本人ではなく、使い魔に過ぎないサーヴァントの魂に流れ込んだ業の一断片に過ぎず、しかしその魂が紡ぐ殺戮の人生が、人の一生では絶対に不可能な領域。

 

〝借り物の、業……”

 

 本当に僅かな合間しかない攻撃の機会に、アルテラは絶妙な瞬間に剣を振うが―――弾き流され、即座に返し切りの嵐。

 覚醒した星の紋章が彼女へと第六感を振わせなければ、一瞬にて両断。数瞬後にはなます切りのように細切れに割かれ、斬撃の渦に沈んで霊体を霧散させるのが必然。これ程の頂き、今を生きる人間には不可能な業。そして暗い人の意志でなければ、到達出来ない業でもある。

 

〝如何凌ぐ……如何超える、如何勝てる―――!?”

 

 勝てない。勝る点が一つもないと言う悪夢。運命力を極めた暗い魂は超越した幸運によって因果律を支配し、偶然による勝利を相手に赦さず、運命や幸運と言った偶発的な逆転も有り得ない。となれば、灰のソウルを植え付けられた神祖の魂に勝つ為に何が必要なのか。

 答えは恐ろしく単純―――魂、ただ一つ。

 神祖に勝つには、彼の魂にアルテラの魂が勝たねばならない。

 共に残った筈のエミヤと清姫は、固有結界「無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)」の中へ閉じ込めたカエサルとカリギュラを倒すべく救援はなく、一人で神祖を倒さねばならない。

 

「―――おお、それが希望(ローマ)なのだ。憐れなる流れ星の落とし子、神の鞭と謳われた英霊、大王アッティラ。

 ローマなりしローマこそ、お前の絶望を絶つ希望の終わり。望みが叶うのは希なこと」

 

 ドン、と轟音と共に神祖は一歩進む。地面は罅割れ、市街地は陥没し、ローマが震える。アルテラは地面に一瞬だけ足を滑らせ、その隙に皇帝特権(魔力放出)による魔力の波動を掌から放射し、彼女を容易く吹き飛ばす。

 そしてアルテラを飛ばしたその皇帝特権(魔力放出:A)を超える皇帝特権(魔力放出:A++)で神祖は魔力のジェット噴出で高速移動を行い、吹き飛ぶ彼女よりも更に跳んで先回りをし、樹剣の宝具を相手を両断せんと躊躇わず振った。

 

「―――ぐぅ、ヌッ……!」

 

 光剣で何とか防ぐも、それはフェイント。前蹴りによって足の裏がアルテラの腹部にめり込み、そのまま神祖は地面を踏み付けるように彼女を地面に蹴り落とす。地面と挟まれ、傷付いた内臓から血反吐を吐き出すが、神祖は止まらない。彼は頸を狩る軌道で樹刃を振い、アルテラは光剣で怯みながらも体を動かして防ぐ。

 だが直後、震脚と同時に足の裏から皇帝特権(魔力放出)で魔力を噴射。

 傷付いた内臓を内側からも外側からも爆散させるエネルギーが、アルテラの腹部に凝縮した。

 

「―――――――!!!」

 

 二撃は耐えた。だが、三撃目を受ければ上半身と下半身が別れる確信。彼女は光剣に魔力を込め、まるで灰や悪魔が放つ神の怒りのように周囲全方位へ向けて衝撃波を噴射。あろうことか、神祖はそのエネルギー放射以上の速度で彼女から離れ―――即座、両刃剣をブーメランのように投擲。

 地面を切削する縦向きで迫る両刃剣を前にし、アルテラは防ぐのではなく回避を選択。彼女の直感が防いではならないと訴え、それは正しかった。受け止めれば最期、刃はヨーヨーのように斬撃回転をしながら止まり続け、アルテラはその場から動けなくなっていた事だ。

 尤も、だからと言って神祖は止まらない。

 避けたその先―――パンクラチオンの構えをし、ローマに伝わって更に洗練された神代由来の格闘技を神の鞭へと受けた。

 ローマ皇帝の皇帝特権は、英霊の視点から見ても反則級の技能。

 神祖が振う皇帝特権(パンクラチオン)となれば、正しく皇帝級の膂力と技巧を誇る人体破壊の一撃となる。

 

滅殺(ローマ)―――ッ!」

 

 右拳が抉り込まれる寸前、それを光剣で焼き弾く。しかし、神祖の手は軍神(マルス)の剣に直接触れたにも関わらず無傷であり、だが父の愛が我が子へと傷を与える方が不自然。とは言え、皇帝特権(魔力防御:A+)で五体を守る神祖に損傷を与えるには、高ランクの宝具であろうと困難極まる。

 そして、左拳も瞬きの間もなく振われた。思考戦においても、神祖は相手に一呼吸の休みも許さない。アルテラも同じく左腕に魔力を込めて防御をするも―――霊体の骨格に罅が入る。

 だがパンクラチオンは殴るだけの、相手に怪我をさせて終わる武術に非ず。殴れば同時に掴み、必ず相手の体を捻り壊すのが道理。殺せなくとも全ての攻撃を、殺人の最期の一手に繋げる布石とする致死致命の統合格闘術。

 

「……ッ――!?」

 

 罅の入った左腕を掴まれ―――握り、潰される。

 その上で捻り曲げられ、間接が腕にもう一つ出来上がる。だが、その苦痛で動きが止まれば即座に死へ繋がる。それを解さないアルテラではなく、ならばと拉げた左腕に構わず右手の光剣を首を撥ねる軌道で鞭のように振い、神祖はそのアルテラの覚悟の程さえソウルで見通していた。

 

「―――あ、顎……と、首?」

 

「当たらねば、剣は安泰(ローマ)である」

 

〝いや、当たっているぞ……何なのだ、これは? どうすれば良いのだ!?”

 

 眼前の光景に脳が混乱する。三色に輝く鞭の光剣にその道理が通じるか如何か、アルテラは甚だ疑問に思ったが、実際に目の前で魔力の光刃を白刃取りされたとなると何も言えない。むしろ、驚愕で思考回路が強引に停止させられる。とは言え、そのまま顎と首だけで軍神の光刃を止められる訳がなく、皇帝特権(魔力防御)による種と仕掛けもあるが、それでも鞭剣を容易く白刃取りする技量は狂気を超えた魔人の巧みさ。

 ―――ニィ、と見た者の魂を恐怖させる神祖の微笑み。

 臓腑の底から怖気に全身をアルテラは振わせると同時、彼女は折れた左腕から一気に上空へ投げ飛ばされた。そして乱回転しながら飛ばされることで三半規管をグチャグチャに乱され、幼子に振り回される虫籠に入った虫のような状態にされ、アルテラは天地がどちらかも分からない程に空間把握が出来なくなる―――その時、空気と太源を切り裂く脅威を聴覚と第六感が感じ取る。

 神祖が投げた後の両刃剣が、アルテラが上空に来るのが予め決まった未来であったと言うのか、彼女が飛ばされる軌道上へと丁度重なるように回転しながら飛んでいた。

 

「ここまで狂えるか―――怨敵、ローマ!!」

 

 気合の咆哮と共に、アルテラは乱回転する自分の状況を利用し、光剣を鞭の如く乱舞させた。周囲には三色に煌めく惨殺空間が発生し、飛んで来た両刃剣と、それによって挟み打ちにせんと飛翔した神祖を同時に斬り弾く。

 ―――直後、神祖は何時も通りにポーズ(ローマ)を構えた。

 端から見れば空中でYの字にジェスチャーする神祖はふざけているように見えるかもしれないが、彼を知る者からすれば絶望を覚える圧迫感に襲われ、胃の中身を吐瀉する程に震え怯えるのが当たり前だろう。

 

「ローマ!!!」

 

 彼の背後より魔力が灯る。むしろ、決めポーズの儘に微笑む彼へと光が灯る。

 それは赤色の追尾式魔力閃光(ホーミングレーザー)。現代の魔術師が見たところで魔力的エフェクトが光っているとしか分からず、原理も理論もまるで意味不明だろうが、ローマの神祖であるならば出来て当たり前の神秘。

 だが神祖が攻撃するその間にて、アルテラは魔力を放出して自分の体勢を何とか空中で整えた。そして、光剣より彼女も同じく魔力弾を発射。

 赤色魔力光弾(ローマンレーザー)三色発光魔力弾(カラフルレーザー)が宙で衝突。

 爆散した魔力光で荒れ果てたローマの暗い市街地が照らされ、神祖(ロムルス)大王(アルテラ)の二人は衝撃波によって遠くに吹き飛んでしまった。

 

「はぁ……はぁ、はぁ……っ―――!」

 

 しかし、アルテラに転がっている暇はない。光剣を地面に突き刺し、両脚で何とか立ち上がる。そのまま荒れる呼吸を直す余裕もなく、彼女は複雑骨折した左腕を右手で強引に握ることで固定し、余剰魔力を左腕が弾ける寸前まで流し込み、それを霊体の治癒へ一気に消費した。

 

〝自分から、単独で彼奴の相手をするとは言ったが。これは……足止めに専念しても、危ないぞ”

 

 彼女が睨むその先―――神祖(ローマ)は、微笑みながらYの字(ローマ)でアルテラを待ち受けている。そして、ズドンと言う音も同時に彼女の耳に入って来た。どのような思考で計算したのか、遥か上空より落下して来た両刃の樹剣が神祖の背後に突き刺さった。

 中々に、神の鞭と恐れられた彼女としても心が折れる光景だ。

 霊体は所々砕け、霊基も全体が罅割れ―――だが、神祖(ローマ)は戦闘前と変わらず健在(ローマ)である。

 そして軍神の子(ロムルス)は、軍神の敵(アルテラ)を憐憫する。それこそ、文明が生み出した獣性を愉しむ根源的な人間性。その害悪でもあり、逆に慈愛も抱く正邪善悪全ての生みの母。

 神祖は分かっていた。灰にソウルを侵された自分と渡り合えると判断した相手の戦術眼を嘲笑うのではなく、英霊の霊基として備わる技能と宝具が、相性と決定打を与えるとなれば、最初から勝敗が有る程度は決まっているのがサーヴァント同士の殺し合いのそもそもな本質。

 

「アルテラよ……―――せめて、ローマを抱いて眠れ」

 

 勝機無し。千回戦い、万回殺し合い、一回の偶然も許さない慢心無き絶対君臨者。

 戦闘王を冠する大英雄であろうと、勝ち目全てを敗北に塗り潰す神祖は果てしなく悍ましき存在。

 文明を破壊する普段通りに、冷静沈着な戦闘機械に化そうと徹して尚、あのアルテラが見た目通りの少女のように恐怖と不安を魂から湧き出てしまうのを止められない怪人。

 

「諦められるか……諦める、ものか。

 私は……私が、私が破壊であるッッ――」

 

 耳の中、神祖の言葉(ローマ)が残留する。

 そのまま脳髄へ思念(ローマ)が汚染する。

 何故、この魔人に勝てると驕れる。足止めを全うする未来など無く、一筋の光さえない絶望。それを覆すには、命諸共全てを賭す必要がある。

 

「―――軍神の剣(フォトン・レイ)………ッッ!!」

 

 光剣に三色の輝きが渦巻き、虹色の魔力光となって刀身は流星と化す。アルテラは何故か神祖が真名解放をするのを許した隙に十全に魔力を溜め終え、虹の極光となって全身全霊の突進を敢行した。

 地上全ての物体を破壊する美しい滅び。

 当たれば最後、マルスの怒りによって霧散する広範囲殲滅宝具。

 

「それもまた、ローマであろう……」

 

 なのに――――片手で、戦闘王を止めていた。皇帝特権は万能を超えて全能に等しく、神祖(ローマ)皇帝特権(魔力防御)はマシュの十字盾を思わせる堅牢さを誇る。

 魔力光(ローマ)を纏う神祖の様子は穏やかとも言え、実に優しい手付きでアルテラの突進が停止する。

 

「オオォオオォォォオオオオオオ――!!」

 

 アルテラの雄叫び。噴出する虹彩極光の螺旋魔力。止められようとも、彼女は諦めない。いや、諦める事を自分に許さない。

 

「ローマ!」

 

 ローマの意志はローマの地面を揺らし、ローマの壁が盛り上がる。更に此処がローマそのものならば、そもローマがローマを為すのに真名解放など不要。

 此処は神祖(ローマ)箱庭(ローマ)

 すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)ならば、神祖の愛が此処(ローマ)には満ちている。

 アルテラの足元から、何の脈絡もなく城壁が噴射された。まるでギロチンのような鋭さで、胴から切断せんと神祖の宝具(ローマ)が具現化する。

 

「――――」

 

 圧縮された時の中、時間停止に等しい思考速度でアルテラは走馬灯と共に最後の選択を取らねばならない。

 このままでは―――切断死。

 二つに分かれた胴体から内臓を溢して、惨たらしく絶対絶命。

 既にこの段階、カウンターによる宝具解放によって回避不能。

 受けるにしても宝具の突進中で体勢を整える暇など一切皆無。

 

「―――ガ……ッ」

 

 選んだ戦術は単純―――耐える。その一択。光剣より渦巻く虹彩の魔力を思念の速度で自分に纏わせ、その結界宝具に対する守りとした。

 しかし、余りの衝撃に意識が一瞬だけ飛ぶ。そして、その刹那の隙が神祖を相手にした場合、欠伸をする程の絶望的時間。

 そうなのに―――死ななかった。

 意識を取り戻したアルテラは無事に宙へと舞い上がり、そのまま地面へと頭から落下。神祖は先程と変わらず、何故かローマの構えで佇んでいるのみ。

 

「ぐ、う……ごほ、ゴホッ……おぇ―――グ、う」

 

 肋骨が数本砕け、他の部分も罅が入る。背骨も折れ、神経が断絶する。足に力が一切入らず、アルテラは血反吐を口から撒き散らし、立ち上がる事も出来ずに転がる事しか今は許されていなかった。

 直感は何もかも正しかった。

 勝ち目など、何一つ神祖を相手に存在しなかった。

 だがそんな事、アルテラも理解していた。その上で神祖は彼女の悲観的未来予測を上回る絶望であったのだ。

 

「此処は(ローマ)箱庭(ローマ)でもある。我が子ネロの世界であると同時に。しからば、我が愛も暗く染み犯し、この街は(ローマ)寵愛(ローマ)に満ちている。

 出口など―――無い。

 ローマを破壊する捕食の申し子よ、星の涙を流すが良い。

 せめて、ローマがお前の終焉となろう。この度の召喚は悪い夢であったのだ」

 

「黙れ。戯言はそこまでだ―――神祖、ロムルス!」

 

「ならば、素早く霊体を直せ。骨を繋げ、神経を元に戻し、立ち上がるのだ。

 諦めが英霊の魂を殺す。折れる心が英雄の意志を穢す。絶望こそ―――人間(ローマ)を強くする。お前もまたローマを抱く者である故に、(ローマ)と言う試練を破壊せよ」

 

「言われる、までもなく―――ッ!」

 

 肉体を治癒し、アルテラは立ち上がる。もう意志だけが両脚を支え、戦意一つで霊体を稼動させている状況。

 その人間としての姿こそ―――人間性(ローマ)

 人理の為。人間の為。人類の為。何より―――自分の為に。

 神祖は感動した。元より人を殺す為の戦いなど求めず、ローマの為の、ローマを求める故の、最後の殺し合い。彼は簒奪者の灰に狂わされたのではなく、根源から生まれた己が魂を灰のソウルで啓蒙された故に、暗帝のサーヴァントであると同時にソウルの“霊体”としてカルデアと戦わなければならなかった。

 

「―――ローマッ!!」

 

 神祖は大きく口を開け、雄叫び(ローマ)と共に皇帝特権(竜の息吹(ローマ))によってマナの奔流が放射された。宝具ではない技能による攻撃だが、もはや並の宝具を遥かに超える概念の濃さによって、サーヴァントの霊核を容易く燃焼する神秘である。

 死―――何と、分かり易い止めの一撃。理屈はアルテラにも全く分からない魔力攻撃なれど、直撃すれば死ぬのは理解出来た。

 

「―――転身火生三昧(てんしんかしょうざんまい)―――」

 

 その奔流(ローマ)砲を、亜空間から突如として首を出した蛇頭が竜の咆哮(ドラゴンブレス)で掻き消した。直後、宙から落下する男は弓の弦を引きながら矢の真名を解放。

 

「――――――偽・螺旋剣(カラドボルグ)

 

 眉間を狙い、超音速で迫る螺旋状の剣型太矢―――カラドボルグⅡを、神祖は拳で真っ向から殴り、拉げ、壊し、太源へと霧散した

 射手の精神と完全な融和。

 矢に備わる神秘との統合。

 拳に宿った創造樹の魔力。

 そして、螺旋剣の軌道を完全に見切る眼力は究極(ローマ)と呼べ、神域の反射速度によって秒速2000mを超過するエミヤの投影宝具を生身で破壊する魔技を可能とした。

 

「当たらなければ、矢は安泰(ローマ)である」

 

「「―――?」」

 

〝どう言うことだ……私の狙い通りではないが、拳には直撃しているぞ?”

 

〝エミヤの矢、直撃でしたよね……?”

 

 そんな疑問をエミヤと清姫は口にする余裕はない。一難去って、また一難。固有結界内部での短期決戦は二人の魔力を消耗させ、剣士(カエサル)狂戦士(バーサーカー)を宝具の飽和攻撃によって撃破したものの、アルテラが足止めする神祖は文字通り存在規模が次元違い。

 あれで神祖(ローマ)は―――人間(ローマ)だった。

 受肉した霊体。召喚された時と変わらない通常のサーヴァント霊基。

 冠位でもなく、神霊と化してもおらず、神域も魔域も所詮は人域の範囲内に過ぎない―――と、傲慢極まる最悪の人間賛歌によって()み直された人理への惨禍。

 

「二人共、早かったな。助かるぞ」

 

 吐いた血反吐と頭部からの流血で血塗れになってはいるも、まだ何とかアルテラは生きている。間に合ったことを幸運だとエミヤは思う。だがその幸運を、彼は冷静冷徹な戦術家として疑念を覚える。

 神祖程の力量があれば、即殺を狙った短期戦闘も容易かった事だろう。何故、神祖がそうしなかったのか不審に思うが、結果としてその慢心で戦局が有利になるのなら別に如何でも良い敵の嘲りと判断した。

 

「清姫のドラゴン無双の御蔭だ。むしろ、敵が気の毒な有り様だったよ」

 

「エミヤ。ま、まま旦那様(ますたぁ)……には嘘と誇張なく、伝えますように。月光で頭が狂った今の私だから嘘にも理性的に対応出来るだけでして、好き嫌いが変わった訳ではありませんよ?」

 

 この特異点で愛を恥ずかしがる様になった清姫だが、それによって己が狂気を魂で正しく理解している状態でもある。

 狂えば最後―――殺したい、と愛に溺死する。

 反転衝動と混沌衝動がぶつかり合う事による悍ましい均衡。劇物二つが混ざることで中和し、その化合物として理性らしき思考回路が生じているだけ。だが、狂気と理性が交じり合う混沌もまた人間性。

 

「すまない。反省しよう」

 

「嘘はありませんね。でしたらエミヤ、貴方を許しましょう……ふふ。しかし、この私が嘘吐きを許そうだなんて―――本気で、脳が狂いそう」

 

「お喋りは此処までにしよう。あの男は会話中に不意打ちはせんだろうが……時間がないのは此方側だ」

 

 エミヤは陰陽の双剣を投影。清姫は四肢を竜化させ、人間形態の儘でドラゴンの神秘を備えた。そして、アルテラは応急的に肉体を癒して光剣に魔力を回す。

 対する神祖は変わらずYの字(ローマ)で微笑んだ。

 人間は、諦めてはならない。人間は、心が折れてはならない。人間は、立ち止まってはならない。人間は、過去に囚われてはならない。

 人間は―――未来(ローマ)に生きねばならない。

 その人道を見失った時、人は魂が膿み、意志が腐り果てるのが人理と言う世の宿業。

 今は駄目だとしても、最後まで無理なのだとしても、そう自分は在れるのだと戦い続けて初めて人間はヒトと呼べる魂を獲る。

 故に、神祖(ローマ)は絶望を善き未来と微笑んでいる。

 殺してみせよ。倒してみせよ。この屍を踏み越え、人間性(ローマ)を証明してみせよと、彼は人理の抗いが強いことを英霊の一柱として尊んだ。

 

 

 

 

 

◆◆<◎>◆◆

 

 

 

 

 

 暗い城だった。陥没した帝都の虚の底。擬似生成された人間の(ダーク)ソウルと言うエネルギーが集まる杯の最下層部に開いた孔。

 

「ふむ―――久しいな、カルデア。それと余の宮廷魔術師が玩具にしたブーディカではないか?

 その節は実にすまなかった。少し時間がある時に考えを改めてみてなぁ……余、反省。貴様がまだ暴力を嫌うのであれば、カルデア成敗の後、きっちりと裁判でもして決着をつけよう。人間は理性の生き物故に。

 そして……おぉ、英霊と化した余ではないか!?

 貴様の腕は美味かった。もう片方の腕も寄越しに来たとなれば、とても殊勝な考えだ。死人となった余が、今を生きる余の糧になるのは道理だろうとも」

 

 その内部。最下層に玉座の間。その中心には更に奈落に繋がる穴が開けられ、底には溶岩が溜まっている。暗帝は玉座からその溶岩を見守っており、聖杯を投げ入れた混沌の錬成炉でもあった。

 溶けるのは―――人か、魂か、死か。

 生まれ出る者を観測は出来ず、シュレディンガーの猫と同じく未来は蓋を開けるまで決まらない。

 

「ローマ皇帝、ネロ! 貴女を止めに来た!!」

 

「分かっておる。だが、歓迎しよう。盛大にな」

 

 グツグツ、と混沌が孔の中で煮溜っている。だが実質、それは逆だ。聖杯を投げ入れたことで、聖杯はデーモンと化した。しかし、そのデーモンは既に殺され、また聖杯に戻され、錬成され直されている―――今の、この炉へと。

 暗帝が、敵が来たと言うのに余裕なのも当たり前なこと。

 既に儀式は完了を終えていた。今はもう、完成したそれに更なる人間性を捧げている段階。しかし、それももう終わりを迎えても良かった。

 

「何せ、貴様らの到着が儀式完了の合図だからな。我がローマも悪魔によって崩落が始まってしまっては、悪性情報を集める為の都市全体に張り巡らせた人造巨大魔術回路も、もう既にズタズタに切り裂かれてしまったおってな?

 全く……遠見で見ておったが、ドラゴンの神を手軽に召喚とは反則だろうに。

 あのビックサイズはローマ並みだ。カルデアの科学力とやらで余の女神が作った戦略……戦術、なんたら核弾頭とやらをつい撃ち込みたくなった」

 

 戯れ言が人の精神を乱す。その言葉を無視出来ないなら尚の事。玉座の間の孔は光り、光の柱を上に発し―――暗帝は、デーモンの聖杯を手中にもう収めている。

 目眩ましにもなった極光は暗帝以外の視界を全て光色に塗り潰し、その輝きによって誰も攻撃をすることが出来なかった。暗帝の不意打ちを逆に藤丸たちは警戒するも、その心配は無用。

 暗帝は、今はただただ感動している。

 如何でも良いと言う感情が彼女を支配している。

 彼女は相手を下に見ている訳ではなく、例え殺されても自分にとって死は無害。苦痛も情報と化し、心臓を貫かれたとしても、痛いことをされたとしか感情が動かない。

 

「―――聖杯!?」

 

「無論だ。この特異点を維持する基点にして、このローマを悪夢に落とす起点となった呪物……さて、余から言うべきことは特にない。

 貴様らも語るべき事が無ければ、今より我らの殺し合いを始めようではないか?」

 

 藤丸立香、マシュ・キリエライト、ネロ・クラウディウス、ブーディカ。今の戦力はこの四人であり、エミヤと清姫とアルテラは三柱のローマ皇帝の足止めをするべく、宮殿へ突入する前に分かれている。そして聖杯を混沌の底から降臨させた暗帝は神々しく、だが禍々しくもあり、対峙する四人の魂を振わせるには十分以上の存在感を纏っている。

 その女が色に蕩けた瞳で微笑んでいる貌。

 悍ましく、生々しく、艶やかな肉の美麗。

 謂わば、人のカタチをした欲得の暗い獣。

 これが自分のなのか、とネロは己が魂の有り様に絶望を覚える。

 何を間違えたのか理解することを拒む。死ぬべき時に死ねなかった亡者だとネロは生きた自分をそう断じるしかない現実が恐ろしく、あの失意の内に自害した最期が救いだったなんて真実を、英霊となった事で理解させられるこの歴史が怖かった。

 

「何故……そんな姿で……余は―――余はッ!?」

 

「憐れである。やはり死に逃げた末の余では、己が本性より生まれたカタチを認められぬよなぁ……」

 

「―――黙れ!

 貴様は狂っている。いや、あの灰に狂わされたっ!!」

 

「セイバーと言うサーヴァントの匣……その弊害も、貴様には有ろう。一側面しか呼べぬとなれば、その若い頃の姿は……あぁ、そうだったよな。うむ、まだまだ綺麗な人間性を保っていた頃のネロ・クラウディウスだ。

 まだ母の毒で脳が狂わされる前であり、まだ皇帝となってローマの闇を正しく知る前の余だ。

 記録は最期まで揃っているのだろうが、今の余が見ると痛々しくも懐かしい感傷を覚えるな。

 しかし、これが貴様の正体だ。剥き出しなったネロの魂こそ、今の暗帝たる余。灰なる余の女神が死より我が命を救うことで自分自身の全てを悟れたのだ」

 

 いっそ、暗帝の顔は穏やかな聖女とも見えた。あるいは、駄々を捏ねる幼子を見守る母親のような―――

 

「気色悪い。自分さえ、愉しみの対象だなんて。暗帝、キミは狂っているんじゃない。

 どうしようもなく、自分自身の運命に憤っているだけだ。あたしが、ローマに狂わされた自分の運命を魂から呪っているように」

 

 ――――ブーディカと同じ、親子の愛を知る貌であった。

 暗帝は生みの母親に利用はされど愛された事はなく、だが灰に母親の愛を感じてもいた。だから暗帝は死から救われた時、きっとまたこの世に生まれ直ったのだとも感じられた。

 

「ふ……ふふ、ふははははははハハハハハハハハハハハ!!

 分かってくれるのか、ブーディカ。そうよな、貴様なら理解してくれると分かっていた。見ろ、そこの余を!!

 あの場で死ぬことが自分の魂にとっても、この人類史にとっても―――正しかったと!! 死ぬことが、余にとって正解の人生であったと!!!

 まるで人生に満たされたような貌をして、人理を救うと召喚される有り様だ!

 英霊だと……死後の魂だと……ふざけるなよ、人間、霊長、人類種!!

 生きたいと足掻くことが無意味だと、この余が認められるか。苦しみ死ぬ最期を良しと、この人理は余の命を嘲笑ったのだ」

 

「そうだね。キミは生きていることが間違いだよ、ネロ。足掻く資格なんて無いし、その命に価値はない。あたしと等価の存在だね。

 だから―――死ね。

 真っ直ぐに、死ね。

 あたしがローマを殺す死神となって、死ぬべき時を見失った亡者の貴様を殺すんだ」

 

「あぁ、分かっている。分かっているとも。貴様もまた、死に場に迷う亡者の一匹に過ぎんからな」

 

 家族は死んだ。殺したし、殺されたし、死に尽くした。暗帝も女王も、家族が死んで一人残され、最後の一人になったのは自業の因果の末路。自分の戦争に巻き込んで死なせてしまい、自分の政争に巻き込んで殺してしまった。挙げ句、人類史にさえ見捨てられた最期も通り過ぎ、なのにまだ生き長らえている。自殺して死ねば終えられるのに、まだ生きようとそれでも足掻いている。

 戦え――と、魂が止まらない。

 前へ進む足を立ち止まれない。

 死にたくないのでない。二人はもう、最後まで死ぬ訳にはいかないのだろう。ここで死ねば、人理と言う運命に敗北することを意味する。

 それは、駄目だった。

 善悪正邪が無価値であるように、運命と因果を認める生前の遺志が無意味だった。

 

「あたしは一匹の復讐者で良い。キミをこの手で殺せれば、それで良い」

 

「余は暗帝のローマとなる前の、ただの皇帝として生まれ変わる前のローマの罪を償おう。人理を否定したこの余だからこそ……ブーディカ、貴様が戦いを望む限り、幾度でも余は闘争を愉しむのみよ。

 貴様が憎むべき邪悪の皇帝として。

 ただの、欲望に狂った人間として―――」

 

「うん。それで良いさ。あたしも復讐に狂った一人の女として――――」

 

 暗帝が握り締めるのは、暗い隕鉄の片刃大剣。

 対する女王が持つのは、偽りの黒い勝利の剣。

 

「―――余は、そなたを殺めよう」

 

「―――あたし、キミを殺したい」

 

 憎悪とは―――殺したい、と言う負の愛情。

 魂を愛玩する喜びが、人を人殺しを貴ぶ獣に変生させた。

 

〝これが、こんな様が……余の魂だと―――?”

 

 英霊(ネロ)暗帝(ネロ)にソウルが共鳴してしまう。暗いネロから思念が流れ、灰から与えられた魂の祝福の欠片を僅かばかりとは言え実感してしまう。

 ―――深淵。

 ―――悪性。

 ―――愛憎。

 ―――献身。

 積み重なった人類史を観測したソウルの重み。そしてソウルが世界を認識する人の記憶でもあるならば、人類史を見詰め続けた灰が存在する限り、そもそも人理が霧散することも有り得ない。人が生きる世界を観測する人間性の光こそ、太陽となった暗い魂で有る故に、何もかもがソウルとなって永劫の記録となる。何度も、幾度も、そもそも最初からやり直せるならば、本当は間違った道程だろうと結末は正解と等価であり、全てが平等に人間の途である。

 そんな(モノ)が僅かにでも流れれば―――ヒトは、己が魂を諦められない。

 暗帝は絶対に、諦められない。心が折れない。間違いなのだとしても、その間違いを欲するから人は人間である事が許される。

 

〝ローマの―――全てが……あの余の中に……いや、あの魂を満たしているのか……?”

 

 羅馬を、暗帝は決して諦めない。彼女のソウルが特異点を観測し続ける限り、この暗帝が寵愛する箱庭が消える事はない。

 ぶつかり合う刹那の合間―――戦闘女王(ブーディカ)暗帝(ネロ)の刃が当たり重なり、花火が散るまでの短な時間の流れ中、ネロがこの暗い羅馬の正体が啓蒙されてしまった。

 

「ふっはははははははははははははは―――!

 ローマである。それもまたローマなのだ!!

 そうだとも! ローマの犯した罪から生まれた貴様の憎悪もまた、我らローマが作り出した素晴しき人間性に他ならぬのだ!!」

 

 ―――悪性情報。罪科の邪悪だからと、それを無価値と断ずるのは人類史において有り得ない。

 娘と共にローマ人から陵辱されなければ、女王は英雄とならなかった。怨讐に燃える勝利の女王は生まれなかった。

 罪から、新たなる咎が生まれた。

 悪から、素晴しい邪が生まれた。

 ローマの罪から作られた英霊を暗帝は魂の底から尊び、そもそも特異点でなければブーディカは、今を生きるローマ皇帝本人へ報復する本当の機会を得ることも不可能であった。

 

「ローマ共! 私の娘を良くも殺したな……良くも、泣かせたなッッ!!

 それを哂うと言うならば―――おまえたち邪悪を殺戮する新たな罪科を、あたしの正義として裁き殺す!!」

 

 黒く燃える互いの剣。

 赤く焼けた人の意志。

 怒りと憎しみ。

 恨みと愉しみ。

 一刀の交差後、力量差は余りにもはっきりとしてした。暗帝は神祖と同様、人間で在る故にサーヴァントの領域を凌駕していた。

 

「ふっはっは!! 良い殺意だ、良い憎悪だ……しかしな、余の怒りはそんなものではないのだ!!」

 

 ブーディカと同じく、暗帝とて憎悪に燃えている。

 そして暗帝と同じく、彼女もまた今を生きる人間。

 

「だったら、この魂―――もっと、もっと、もっと!! おまえらローマを殺す憎悪を燃やすまで!!」

 

「その怒りが人類史にとって無駄なのだ!!

 そして、人間の未来に無価値なそれこそが―――人の遺志(ローマ)である!!」

 

 だが凄まじい―――技巧。ソウルに侵された暗帝の皇帝特権(殺戮技巧(剣):EX)は、憎悪に燃えるブーディカに一切の希望を与えない絶望。

 神祖よりも純度は落ちるが、悍ましいと称するに値する剣技の業。

 そして魔力も暗帝は人域を遥かに超え、幻想種だとしても高過ぎるが、聖杯が持つ魔力量にしては少ないもの。つまるところ、それは暗帝の人間として強まった魂が持ち得る力である事を意味した。

 

「―――ぐぅ……!」

 

 ブーディカに一刀が入る。白兵戦において勝ち目は皆無。憤怒の儘に突撃した彼女は冷静にバックステップで逃げるも、胴体が別れなかっただけでも儲けものな結果。

 直後、マシュの仕掛け大盾(ギミックシールド)より機関銃が放たれた。

 追撃に移行する寸前に暗帝を止めた妙手であり、逆に追い打ちを狙った暗帝は悪手を無意識下で選ばされていた。

 しかし、全て弾かれる。まるで扇風機の羽だ。暗帝は片手で握る片刃大剣を手首だけで回しまくり、弾丸の一発一発を切り捨てる。マシュが撃ち終わるも、一発も通らず。その上で皇帝特権(魔力防御)を応用することで弾丸を刀身に張り付かせ、それを地面にズラリと並び落とす。

 

『そんな―――所長の狂った理念が生み出した機関銃だぞッ!』

 

 悪魔の瞳がないこの今ならば、とロマニは通信を藤丸にだけ繋げていた。それによって通常通りに詳しい特異点情報をカルデアの通信室は得ており、この悪夢的な光景も監視している。ロマニはマシュの大盾に仕込まれた機関銃の火力と神秘を理解している為、並のサーヴァントでは見切れない弾速と捌き切れない物量で近中遠距離に関わらずに圧殺する対()兵器であるとも分かっていた。

 しかも、それの魔力全開放射。それがこの様。その気になれば旗艦の重機関銃の掃射に耐えられる最高位の幻想種さえ、一瞬で蜂の巣にする化け物銃器が殺戮の設計思想。

 射線から回避するならば兎も角、人域の剣技で対処可能な兵器ではなく、況してや暗帝は今を生きる人間の筈。

 その疑念。その悪寒―――ふ、と彼は背筋を凍らせた。過去に魔術師だった頃の知識と記憶はまだ魂と脳に残っており、そこから嫌な解答が導かれるも……否、だからこそ有り得ないと思考を断絶する。だが、あの“人間の女”には冠位も獣も下らないこの世の理なのだとも察してもいた。

 人理と言う人の世を運営するカラクリこそ、ある意味で神以上に神らしい欺瞞の権化。数多の神さえも人間の奴隷として縛り付ける人類種の傲慢なら、それこそ神嫌いの人間として“(ヒト)”の為の殲滅するのも暗い魂の在り様。

 それが冠位や獣を利用するなら兎も角―――人間として、絡繰装置に変えて死から救うなど。

 そんなロマニの思考も一瞬。あの女の人間性を僅かに知る彼は疑念を振り払い、戦局に意識を戻した。

 

「良い武器だ。余もこの宝剣の改造案が湧いてくる作りよな」

 

 暗い女は、一目でマシュの兵器に込められた設計者の狂気を瞳で見抜く。それが愉しく、微笑みを浮かべずにはいられない。元はきっと違った筈なのに、今は見る影もない人理の汚泥に塗れ、だがもはやそう在らねば使い手を守れないのだと、その盾に宿った“ソウル”が受け入れるしかない矛盾した存在理。

 獣狩りの理念だったのだろう。使い手が獣に堕ちない様、人として命を殺す為の装置。

 使命で以って殺さなければ、人殺しは人を殺す為に何時か人を殺す現象と成り果てる。

 だが、そうなだけならまともな狂気。その悍ましい人間性の闇に侵されても尚、マシュ・キリエライトに白亜の貴さを失うことを許さない魂の矛盾を強制する最高にして最悪の“矛”と“盾”である。そんな醜く汚く邪なる中に煌く姿は、まるで淡い月の光のように暗い夜の中で輝く様でもある。

 

「汚くも、だがら美しい―――……くく。あぁ、カルデアめ。貴様らでなければ、人理は救えん。

 余とて、人の子。藤丸立香にマシュ・キリエライトよ、そなたたち二人が背負なければならない未来の責務を思えば、憐憫を抱くのが正しい人の心であろう」

 

 ボウ、と火が灯った。地面に並べた銃弾も赤く熱した。

 

「ほれ、御返しだ」

 

 皇帝特権(魔力放出(炎))で炎を纏った上で火炎を発する隕鉄の鞴――原初の火(アエストゥス・エストゥス)を振って地面ごと抉って機関銃弾を打ち放った。

 対人地雷(クレイモア)の炸裂破片を数十倍に広げた火礫が皆を襲う。

 その脅威をマシュは大盾によってマスターを守り、そのまた背後のブーディカも守った。そして、ネロは天上に跳び上がり、暗帝の頭上から制空権を奪っていた。

 頭蓋をカチ割る最速一閃。だが暗帝に死角なし。剣戟を見切るだけに止まらず、ネロの一斬を生身の左手で握り止めていた。

 

「―――な!?」

 

「手緩い。その様では、余の麗しい軟肌一枚切れんよ」

 

 刀身を握られたのならそのまま強引に斬ろうとネロは力を込めると、暗帝の左手はピクリとも動かない。皇帝特権(魔力防御:A)で守られた暗帝は生身で宝具に比する堅さを持ち、同時に発動した皇帝特権(怪力:A)で筋力を上昇させている。

 そして、胴体に優しい動作で剣を無音で突き刺した。例えるならショートケーキにフォークを刺す手軽さ。暗帝はその後、デザート食す前の少女のような喜びで貌を歪ませた。

 

「ぐ、ぁぁああああああああああああ!!」

 

 直後、炎を出さず刀身を熱した。ネロは叫ばずにはいられない。人の内側から臓物で焼き肉をする暗帝はただ熱するのではなく、ネロの全痛覚神経に熱した魔力を流し、気絶を許さない地獄の苦痛を鏡映しの自分に与えていた。

 

「ドクター……!?」

 

『簡易召喚、選別完了した! 何時でもいける、藤丸君!!』

 

「分かった!!」

 

 カルデアの原子炉をフル稼動させた魔力が迸り、大英雄ヘラクレスが瞬間召喚された。手に握るのは黄金巨斧であり―――その影の中、呪腕(アサシン)が忍び込む。

 今のカルデアにおいて藤丸が召喚可能な最強の暴力と隠密。本来なら瞬間的な呼び出しは限界があるが、その上であろうことか既に宝具発動が可能な状態でサーヴァントを現界させる暴挙。

 

「◆◆■■◆――――」

 

 射殺す百頭(ナインライブズ)―――もはや、加減無く。ヘラクレスは躊躇いなく、暗帝に絶技を披露。流石の暗帝もヘラクレスの殺気には対処しなくてはならず、その意識の動きに乗じて呪腕のハサンは容易くネロを影から助け出していた。

 あるいは、それも暗帝の戦術であったのか。女は表情を一切動かさず微笑んだ儘、宝剣をヘラクレスに向けて構える。

 

「――――――」

 

 竜のそっ首叩き斬る初手の一刀。弾く。同様の二刀目。弾き逸らされる。三、四、五、同じく連続して弾かれる。後の百まで容易く暗帝は追随し、その全ての斬撃を真っ向から撃ち破る。

 暗帝が振うは皇帝特権の剣技―――射殺す百頭・羅馬式。

 神祖より学んだ絶技宝具の継承である。万能の天才など生温い。不可能を己が業にしてこそ人間の証。

 

「余は―――万能の天才!

 そして、今の余の全能なる超人である!」

 

 ヘラクレスは―――心臓を串刺しにされた。同時に剣は燃え上がり、彼の霊基を瞬間焼却。暗帝はカルデアへと大英雄の魂を叩き返す。

 

「まだまだぁ……!!」

 

 藤丸から暗い黒炎が立ち上がる。ヘラクレスが送還された時と同じく、呪われた聖女が召喚される。暗帝の上空に燃え上がる炎剣と炎槍が形成されて降り注いだ。

 間の無い連続的なサーヴァントの攻撃。

 特異点で聖杯を得た敵対サーヴァントを確殺する為の、カルデアマスターが許された絶対戦術。

 

「人間は―――だから、素晴しいのだ……!

 生きる意志こそ、余は誰よりも称賛しようとも!!」

 

 結晶の呪詛で塗りたくられた双頭騎馬の馬車、暗帝の宝具『踏み砕く刑罰戦車(フンゴール・クッルス)』が虚空より召喚された。

 暗い聖女――ジャンヌ・オルタの怒りを騎馬戦車が踏み砕く。

 その光景を喜ぶ暗帝の後ろから暗殺者は忍び寄る。隙を晒す相手に躊躇うサーヴァントではなく、だが死を恨む暗帝が死を運ぶハサンが相手となれば警戒せずとも魂で察してしまう。

 宝剣を振うまでもない。神祖と同じく、暗帝は素手で対処が可能。呪腕のハサンが伸ばした宝具『妄想心音(ザバーニーヤ)』をその左手で握り締め、腕に宿った邪霊の呪詛ごと己がソウルで以って粉砕。その上で右腕を千切り取り、シャイターンの遺志を魂で貪り喰らい、そのままハサンの首を右手で引き抜いた。

 サーヴァントの霊体を素手で解体する威容。それを生きた人間が行い、挙げ句に魔力を貪り喰らう異形の所業。

 

「暗帝、ネロォォオオオオオオ―――!!」

 

 ブーディカは召喚した戦車に乗って暗帝に突進。彼女は暗帝の異常な強さを既に理解していた故に、この眼前の惨劇に一切躊躇わず、むしろ誰かを殺した隙を狙おうと宝具の解放。

 マシュは―――その恐怖を前にし、だが所長程ではないと安堵もしてしまった。

 カルデアの狂気に親しみさえ覚えるマシュは即座にブーディカの戦車へ乗り込み、藤丸の守りは簡易召喚されたマスターのサーヴァントに託す。

 激突する戦車と戦車。ブーディカの戦車を暗帝の戦車は完全に抑え込み、マシュは―――跳んだ。彼女は空中で仕込み機関銃を暗帝に乱射しながら落下しつつ接近。暗帝はもう銃弾の威力を剣で受けることで精密に解析し、皇帝特権(魔力防御:A+)で作った魔力の膜で全てを自分に接触する前に停止させていた。

 

「はぁぁああ―――っ!」

 

 しかし、マシュは悪魔を知っている。本物の、人間が成り果てる真性以上に異様な悪魔だった。もし相手があの“人間”の悪魔だと仮定した上で敵に挑めば、あらゆる非常識が当たり前の自然な状況に堕落する。

 ―――月の光(ムーンライト)が右腕の義手より輝きが迸った。

 所長の思考した魔術世界に在ってはならない血塗られた聖剣の導き。

 悪夢にて血の遺志(ブラッドエコー)啓蒙(インサイト)で複製したそれを煉り捏ね、堅め凝り、カルデアの魔術学者が開発してしまったエーテル―――コジマ粒子を発動燃料に燃え作られる狩猟機械。

 

「流石、余の女神が褒めるカルデア。おぉ、何と言う悍ましさか……」

 

 月明かりの光剣(ムーンライト)の手刀を宝剣で暗帝を受け止め、眼前にいる魂さえも兵器に作り変えられた少女を尊んだ。

 そうまでして―――いや、そんな様にされてまで純粋に世界を救おうとする姿に、ただの人間として正しく感動してしまった。涙が出る悲しさであり、だが敵として暗帝はマシュの有り様を良い戦士だと笑うしかない。

 

「まだ、ですッ!!」

 

「うむ、励むが良い。同じ人間の女として、貴様の姿は素晴しい!」

 

 人体を切断する勢いで大盾(鈍器)が振われ、暗帝は生身の左手で容易く受け止める。マシュの機械義手の炉心は回転を始めれば常に熱し、そのままムーンライトを連続して振うが宝剣で同じくあっさりと弾き逸らされる。即座に魔獣の四肢を抉り取る威力の蹴りをマシュを放ち、暗帝が姿勢を崩さず気合の頭突きで弾き返した。

 直後、暗帝の前蹴りがマシュを襲う。直撃を許せば頭蓋骨が消えて無くなる一撃。

 盾は間に合わないと義手で受け止めるも、余りの威力に抑え切れず、顔面を義手ごと蹴り抜かれた。

 

「ぐぅう―――!!」

 

 だが、それが如何したと言うのか。耐えられるのなら、耐えるだけ。マシュは魔力防御を抜かれて肉体にダメージを受け、鼻血を垂らすが気合でムーンライトを即座に暗帝の胴体に振った。

 

「かっ……ッ―――」

 

 直撃。暗帝は肉体を焼き払われ、呻き声を上げた。生身の人間であるため、蛋白質で構成された細胞がムーンライトの超高温に耐え切れる訳もなく―――なのに、皮膚が焼け焦げただけだった。

 服が燃え、皮が焼け熔け――だが、切断には及ばず。

 内臓も零れず、臓器の内部破壊も行えていなかった。

 暗帝は道化のような勘違いをしてしまった。確かにマシュ・キリエライトは暗帝が憐れむ対象なのかもしれないが、本質はあのカルデアが作った人造兵器。そして、その戦術眼はオルガマリー・アニムスフィアが編み出した独自の殺戮技巧に他ならない。

 守りの、盾の騎士。藤丸や人理にとってはそうなのだろう。

 しかし、彼女を育てた狩人にとって獣狩りの道具となる矛。

 矛盾した存在だと暗帝は理解していた筈なのに、人の本質が一つしかないと錯覚したのが月光を受けた原因である。

 

〝―――は”

 

 刹那にもならない思考時間にて、暗帝は脳内で己が無様さを哂う。そして、魔力ラインで繋がった戦車を思念操作することで超軍師が製作した戦車機関銃を操り、狙いを定め、敵の背後へ目掛けて連射。

 しかしマシュは暗帝を斬り払った瞬間に悪寒を感じ、後ろ手で背負うように大盾を回していた。敵から視線を外さず、その上で自分の第六感を信じて巧みに防御態勢へ移行する。魔力防御の守りもあり、戦車から放たれた結晶化魔力弾幕をマシュを傷付ける事は出来ず、全てが弾き飛ばされた。

 そのまま義手の機能を変形させ―――カラサワ(魔力砲撃)を発射。

 ムーンライト(魔力斬撃)との瞬間的な変形攻撃こそ本質とする仕掛け武器の義手。製造理念はカルデア製のレイテルパラッシュとも呼べ、正しくサーヴァントの武装化(アーマード)であった。

 

〝暗帝には、通じませんか……!”

 

 マシュはこの義手の破壊性能を知る為、ムーンライトの直撃に耐えた暗帝の危険度を理解する。自分一人では絶対に勝てない相手であり、高ランク宝具も通じないかもしれない怪物とも察していた。

 だが―――受け止めた上、剣の刀身に付与する(エンチャント)とは理論が解析不能。

 忍びが行う纏い斬りを模倣するとは、皇帝特権と言う技能を超える何かが暗帝の魂に潜んでいるとしか思えない。

 

「ムーンライト……だった、よなぁっ!!」

 

 カラサワの魔力光線(ビーム)を宝剣に纏わせ、あろうことか暗帝はマシュに向けて斬撃光波を払い撃った。だがそれだけでなく、あれは概念そのものに対する斬撃効果を有する。

 呪いだろうと、祈りだろうと、暗帝は容易く刃一つで切り裂くだろう。

 神域に至った戦士が持てる高次元精神だが、それを可能とする業を与える灰の境地は“人間”の極みであった。

 

星馳せる終幕の薔薇(ファクス・カエレスティス)―――!」

 

 その月光刃をネロは、宝具と皇帝特権を複合利用した擬似真名解放による剣技で受け止める。

 

「ネロさん……!」

 

「すまぬ。遅くなったな、マシュ!」

 

 暗帝は戦車を停止させ、自分の近くに呼び寄せる。眼前の敵を見据え、焼け焦げた腹を撫でながら笑みを浮かべる。

 彼女は敵戦力を推測。藤丸立香(カルデアのマスター)が召喚した英霊の影(シャドウ・サーヴァント)が複数。一度に維持出来る数に制限はあるようだが、命を削れば召喚回数に限りはない。そのマスターと本契約を結んだマシュ・キリエライトに、己が死の映し身である英霊ネロ。そして、宮廷魔術師シモンが実験体にした人間ブーディカ。

 その全てを敵に回しても勝機は確定した戦い。混沌の聖杯を使えば更に勝利は確かになるが、あれは贄を捧げる悪魔の炉。今直ぐにでも決着をつけられるが―――

 

「くはっはっはっは!! この様になって、初めての痛みだ!!

 あぁ、余は今を生きている……まだ生きていたい。死んで堪るか、人類史の尖兵共!!」

 

 ―――人生は、ただそれだけで素晴しい。

 暗帝は自分自身の未来の為、人理を救おうとローマを滅ぼさんとするカルデアに人間性の憎悪を向けた。











 読んで頂き有難う御座いました。
 神祖の強さは、例えるなら神祖卿と言った雰囲気にしています。何をされても基本的に安泰で済まされます。観測可能な霊基は受肉した通常サーヴァントではあり、人域でもあるのですが、そもそもソウルの業でそうとしか観測出来ない存在になっています。


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啓蒙64:混沌へ捧ぐ贄

 アーマード・コア6、エルデン・リングの次に出ると良いですよね。


 所長は瞳で相手の全てを透けて見える。魂、血、意志、あるいは過去から引き継いでいる遺志。レフ・ライノールが持つ魔術刻印は先祖から続く遺志の積み重ねであり、その始まりがこうして魔神の柱となって運命に追い付かれた。

 ―――悲劇である。あの暗帝ネロと同じく、死んでいた方が人類史は救われた。

 最近は加速的に瞳が急成長し始め、平行世界さえも観測対象とする邪悪な魔眼ともなれば、所長が今見ている現実は悪夢としか言えないのだろう。もはや直死の魔眼の方が慈悲がある最悪の未来視だった。死さえも人の魂を終わらせられないと実感するのは吐き気が止まらない真実だ。

 そんな星見の狩人が魔神柱を直視すれば、時間神殿から何まで理解出来てしま得た。あるいは、この人理焼却を解決した後の事も、そのまた後の事も、そして人理が完膚無きまで滅びる本当の終わりの終わりまで。

 

「おおぉおおぉおおぉおおおおおおお――――!」

 

 魔神柱は瞳から魔力の熱線を放つ。当たらない。魔術によって炎を降らす。当たらない。地面を隆起させて衝撃波で砕こうとする。当たらない。

 徹底的に、フラウロスの攻撃は当たらない。

 未来視とも言えない感覚。第六感とも呼べない高次元の知覚。狩人として余りにも優れた第六感も十分以上に彼女の技能となってはいるが、それとはまた別次元の何かを脳が感じ取っている。

 

「―――時間が遅いのよ。攻撃の時間もそうだけど、私と貴方の知覚の差はそれだけの次元じゃない。

 ねぇ、分かるかしら……レフ・ライノール・フラウロス?

 貴方はあの寄生虫と同じく未来視が使えるのに、その千里眼では私の思考が求める未来の速度に追い付けない」

 

「……き、き―――寄生虫?

 貴様、有り得んぞ。まさか我らの王を……まさか寄生虫だと、そう言ったのか……?」

 

「獣と言うのは人類史の癌細胞みたいなもんじゃない。人間性から湧き出た、人間に狩り取られるだけの獣性の具現。

 ほら、憐れじゃない? 屍に寄り添って数千年だなんて?

 気色の悪い蛞蝓だってまだ分別がつく。いい加減、獣性が臭くて臭くて、匂い立つ」

 

「――――――」

 

 魔神柱の思考が凍り付く。まさか人間に憐れみを向けられるとは、感情が動く事も許さない衝撃だった。

 

「慈悲よ―――……その獣性、人が狩りましょう。

 命を尊べない悪なる者として、善である故に獣へ堕落した貴方らを終わりへと送ります」

 

「魔術師風情が良くぞ我らを語った、アニムスフィアァァァアアアア!!」

 

 慈悲の葬送。せめて生きて苦しみ続けることなく、どう仕様もないのなら死の中で安らぎを得て欲しいと言う憐憫。悪夢からの目覚めは、現実への眠りに他ならない。

 人間の未来を思えば人間性に失望し、その救われなさに絶望するしかないと言うのに。どうせ救われないのならと、人理焼却まで行う程に思い悩む遺志を、所長は正直な感想として嫌いにはなれていなかった。

 

「死ね! 藁のように死ね! 蜂のように死ね! 蝶のように死ね!

 オルガ、貴様など所詮は血狂いの畜生だ!

 狩人など嗤わせる!! ビーストの獣性にさえ値しない人間性の汚物が貴様の正体だろうが!!」

 

 ローマの市街を破壊する怪光線。肉の柱に生えた瞳から幾本もの魔力砲が放たれる。だが無駄。

 所長は月明かりを纏った聖剣を振るい、容易く教授の光線を払い消す。挙げ句の果てにそのエーテルを更に月光に混ぜ合わせ、より強い輝きを聖剣へと宿らせた。

 

「―――あはっ」

 

 しかし、教授の罵倒に脳が喜んでしまった。手に持つ聖剣の光に貌を照らされ、所長(ハンター)は幼い少女みたいに微笑んだ。

 

「あははっはっはっひひひっははははひゃっはーははははははは!!

 あぁー可笑しい、愉しい、嬉しいわ!!

 ねぇねぇ、それってアッシュから聞いたんでしょ? そうでしょ? だって、カルデアに居る時は私の魂になんて興味なかったもんねぇ……?」

 

 狂気に、狂喜する。血が、瞳から滲み出る。

 

「そう……―――畜生なの!

 私って人狩りが大好きな非人間なのよ!

 正直、世界なんて何だって良いの。人間がどうなろうと興味ないの。

 私が、私に科した責務だから、カルデアの所長を人間らしくしてるってだけ!!

 何よりも――……ほら、こうして狩りの獲物が勝手に現れる。獣狩りの口実も与えて、英雄らしい使命さえも、こんな穢れた汚物の私に与えてくれた!!」

 

 恐怖の余り、教授は光線を一斉掃射してしまう。所長は何事もなく、聖剣に全ての光線を纏わせた。

 

「感謝しましょう、人理焼却。

 私が血を流して得たこの業に価値をくれて、脳髄から本当に――ありがとうごさいました!!」

 

 ――月光の奔流が表れた。

 歓喜する狂気が月明かりの導きを呑み干し、神秘が燃焼される。

 

「穢れた狩人がッ!! それが貴様の本質かオルガ!?」

 

 黙って狩れば良いだけの戦闘――では、断じてない。

 所長にとって教授は殺せば良いだけの相手ではない。

 カルデア所長として裏切り者を糾弾する義務が彼女には存在する。敵となった仲間の意志を暴き出し、炙り出し、挑発に挑発に重ねて精神解剖を行った上で正気を削り取る。

 それは人間としての弔いだった。復讐とは故人の無念を、己のために晴らす罪。カルデアで死んだ部下を葬送しなくては、皆の遺志は何処にも逝けない儘なのだ。

 

「愚かにも程がある質問よ。狩人に本質などありはしない。所詮、狩り殺した遺志の集積が、それらしい人格に形成されただけの血液由来の夢人形!

 私は既に正気を失って精神崩壊した後、人格を瞳で固めた血の遺志そのもの。

 私のこの意志は、死人の遺志を材料にオルガマリーが逃避の為に作り上げた人間もどき。オルガマリー・アニムスフィアなんて女は夢に消え、現実には何処にいないと言うことよ!!」

 

 所長の呪文(コエ)は神言でもなく、人語でもない。学び舎の学術者カレルが聞いた文字なる音。脳が聞く声である。

 オン、と一瞬でローマは夜空に覆われた。余りにも美しい銀河の群れが浮かび上がり、宇宙が空にあったのだ。

 

「―――脳液が狂気みたいに飛び出そうじゃないの。

 貴方に瞳は見えますか? ねぇレフ、宇宙は空にあるって理解出来た?」

 

 悪夢の何処かに浮かぶ空。隕石が降り注ぐ無頭の奇形児が繋げた――異界常識。

 真性悪魔の異界が蕩ける上位者共が世界にて、異界(テクスチャ)が幾重にも積もるその悪夢に浮かぶ宇宙は特異点と言う空間を容易く上書きする神秘である。

 

「あっははははははっははははははは―――!

 悪夢は全ての空と繋がっている。世界なんて薄皮一枚剥がせばこんなモノ。けれど、感謝致しましょう!」

 

 躊躇いは皆無。ローマ市街地全てを破壊しても構わない徹底した狂気を瞳から垂れ流し、夜空から落ちる綺麗な星々は魔神柱を自動追尾して迫り来る。

 

「魔術と言う学問は―――愉しい!

 こんな私に新たな啓蒙をありがとう、魔神柱フラウロス」

 

 魔術式を瞳で読み取った所長(メイガス)は人類を憐れむ獣を尊んだ。その善に相応しい星の輝きを彼女は慈悲の心で落下させていた。

 

「―――オルガァァァアアアアッッ!!」

 

 教授は邪眼を全門開放。極点まで瞳の一つ一つに凝縮され、降り注ぐ星々一つ一つを狙って掃射される。縦横無尽に光放つ視線を振り回し、魂が焼却される程に本気となって彼は悪夢の夜空を焼き尽くさんと人間のように限界を遥かに超えた。

 並の英霊とは比較にならない魔神柱と言う神秘の化身ならば、魔力を放つだけで高ランク宝具に匹敵する概念の重さを有し、同時に近代兵器以上の破壊活動も可能だ。太古にいた真性悪魔と同様、存在自体が魔術回路と呼べる肉体を燃焼させ、星見の狩人が為す神秘へ全力で抗った。

 

「あの悪魔の御蔭で、カルデアと通信を切っても不自然じゃない良い口実が出来たんだもの!

 マシュとロマニの瞳を気にしなくて良いのは……はぁ、はぁ、あぁー……ッ―――脳細胞が頭蓋骨から漏れ出るような! 神秘的解放感と呼べるでしょう!!」

 

 嗜虐に狂った冒涜的微笑。今の所長は狂人であることを隠さない。実験動物を生きた状態で解剖する狂科学者であり、頭蓋骨に穴を開けて思考を覗く狂学術者。

 何より―――血を好む良き狩人だった。瞳を欲する星見の狩人だった。

 とは言え、狂気の抑制など慣れている。彼女は自制心の塊である。しかし、臓物に溜め込んだ何もかもを解き放つ最高の好機を、この裏切り者は与えてくれた。

 死には、死を。裏切りには、裏切りを。

 フラウロスが期待するような人間らしい絶望感に溺れるなどオルガマリーは自分に許さず、むしろその期待を裏切ってカルデアの裏切り者の魂を冒涜してこその復讐だ。殺し方に拘ってこそ、あらゆる狩りに専心する学術的狩人と言うもの。

 

「皆の遺志が、脳の瞳から狩りを見ているの!

 私は、やったんだぁーーーー!! ひゃっはっははははははははははは!!」

 

 己が意志に還した死人の遺志が煮え滾る。それが湧き出る感情の根源。故、怒涛の圧殺に躊躇いはない。所長は淡く碧く燃える隕石群を対峙する教授に、聖剣に溜め込んだ月光を凶笑しながら斬り放つ。

 空から星が降り、地から月が光る。魔神柱の敵は、宇宙そのもの。

 そして魔術世界において、神秘はより強い神秘に敗北するのが理。

 上位者達の集合意識領域と呼べる悪夢を術者の異界常識(リアリティ・マーブル)として顕現するこの『魔術』は、固有結界でもあるがアニムスフィア家の魔術との相性が素晴しく高い神秘でもある。むしろ、彼女自身の魔術式を組み込んだ固有結界もどき。現代の魔術師でも、神代の魔術師でも、オルガマリー・アニムスフィアの魔術はもはや未知なる異星の技術にしか見えないことだろう。

 即ち魔術式(フラウロス)にとって、学術者(オルガマリー)はそもそも天敵。

 理解不能な上に正体不明。挙げ句の果てに、三千年の概念を塗り潰す極性の神秘であった。

 

「狂人がぁぁああああああ!!」

 

 だから、どうした。此処で立ち止まる程度の意志ならば、人理焼却など最初から始めない。人類史最上の魔術式でも余りの不可解さに発狂しそうな『神秘』が相手だろうと、教授は戦わなければ己が使命を全う出来ない。

 灰に与えられた探求者のソウルが燃え、炎壁が月光の奔流を遮った。

 その直後、所長(ハンター)が消失。教授は幾つものある瞳で周囲を見るが―――現実に、影一つも存在しない。気配だけでなく、存在自体が気迫となって空間に融け込む学術者の業。故に脳神経は何も認識は出来ず、瞳持つ夢の狩人でなければ半透明な僅かばかりの姿も認識出来ない。

 狩人の意志とは、狩り落とした死人の―――遺志。

 所長が密かに呑んだ青い秘薬は、精神麻酔。意図的に脳を痺れさせ、遺志によって自意識を保ち、だが自分で自分を認識しなくなれば、現実において狩人の意志が己自身に影響を与えるのは必然。彼らは自分で自分を夢見ることで存在し、故に精神が麻痺すれば瞳も曇り、狩人の姿も同時に曇るのも道理である。

 

「何処だっ!? 後ろか上か!?」

 

 探求者の火炎と学術者の月光が衝突したことで空間振動が起こり、魔術での察知は乱れ、第六感も狂い出す中、恐怖と困惑で教授は戦闘中だから冷静になれと自分に訴えた上で、錯乱する己が精神を鎮めることが難しい。

 彼は魔神の瞳で周囲構わず魔術光を乱射し、市街地が無差別爆撃を受けて砕け燃えた。

 なのに、手応えは一切無し。遠く離れたところでは、まだ灰と悪魔が召喚した怪獣大戦争が行われ、ローマの暗帝宮殿でも決戦の真っ最中だと言うのに、まるで自分一人が深淵の中で(もが)いているような錯覚で正気が削れる。教授は死を全身で感じながらも、その死を認識出来ない暗い悪夢に耐えられない。

 

「―――――」

 

 瞬間―――杭打ち機(パイルハンマー)が、真正面から爆裂した。

 

「あぁー……―――最高だわ」

 

 星見の狩人(オルガマリー)は蕩けた瞳で微笑む。本来ならば殺すだけの狩猟道具で在れば良いのに、複雑怪奇な機械構造によって製造された仕掛け武器には、狩りに酔い痴れる素晴しき浪漫が満載されている。

 ロマンと言う人道的感情もまた、狂えばこの有り様。悦楽に溢れるのが狩人の嗜み。この瞬間にこそ、狩りは星のような煌きを放ち、嘗ての古き火薬庫へと啓蒙された獣狩りの美学が爆裂するのだ。

 

「……ッ―――ぐ、ぉぉお……ォオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!??」

 

 抉れた。柱の根元から肉塊が吹き飛び、肉柱は倒れ落ちるしかない。魂が損壊する音が聞こえ、脳味噌の中から血が逆流した。もはや魔神柱は自分の姿を保つ神秘を維持出来ず、魔術回路が内部よりズタズタに引き裂かれ、全ての眼球から魔力ごと流血し尽くし、ローマの市街に血河が生まれた。

 魔神柱は、その異形を剥奪された。フラウロスはただの魔術師に戻り、カルデアで見慣れた教授の形になるしかなかった。

 

「さようなら、フラウロス。そして、おかえりなさい、レフ」

 

「―――貴様……貴様、貴様……オルガマリー・アニムスフィア!!」

 

 薄れていた姿が戻り、教授の前に所長は立っている。笑っている。狩り装束で隠している口元を自分の手で晒し、血の赤に似た美しい唇で血腥い息で喋っている。

 

「断罪の時は来た。裏切りの対価を払わせる義務が責任者にはある。

 だからね、どうかレフ―――私だけを憎悪して、その遺志を葬送させて頂けませんか?」

 

 人間を恨み尽くす魔術式に、その恨みごと狩り尽くそうと星見の狩人は宣告した。正しい意味で葬送の慈悲であり、教授は彼女に狩り殺された瞬間、人類悪として覚えた憐憫の意志を奪われると啓蒙された。狩人が集積し続ける数多の遺志の一つとして血液に融け、その魂が悪夢(ジゴク)に堕ちると言う―――啓示を、何処かから下された。

 ―――死は、救いだった。

 そして遺志を蒐集する狩人に殺された獲物は死ねないのだ。狩人が夢から覚めない限り、狩られた命は遺志となって永遠に悪夢へと囚われる。教授は不死であり、殺されたところで神殿に住まう群体の一個としてまた蘇生するも、その意志を奪われれば無意味な不死性だった。

 

「……ッ―――!!」

 

 本来なら、決断は迅速だったのかもれない。魔術礼装として装備する触媒の杖を強化し、教授は自分の頭蓋骨を吹き飛ばそうと思考する―――直前、所長は礼装を持つ手を散弾銃で吹き飛ばす。

 その早撃ちの業、相手が動きを見切ると言う次元ではない。思考を読み取るなんて領域すら超える。あろうことか、動作を行うその思考が発生する前段階で脳の瞳が相手の意志を見切り、使い慣れた左手の銃火器から弾丸を撃つ悪夢的な早撃ちだった。

 もはや未来視の眼など無意味である。星見の狩人からすれば、未来を見ようと考えが思い浮かぶ前段階で獲物など如何とでも狩り殺せるのだろう。

 

「駄目よ。死のうなんて、考えることも赦さない」

 

「―――――」

 

 うつ伏せに倒れ込む教授は、後頭部に鉄の冷たさを感じる。背中を踏み付けられ、銃口を押し付けられ、起き上がる体勢を取ることも許されない。顔面を地面に着けられ、口の中に土が入り、屈辱感を彼は所長から与えられている。

 引き金(トリガー)を引けば即座、散弾が教授の脳漿を撒き散らす。その後、肉体から消える彼の魂を脳髄(ユメ)へ引き摺り込み、遺志を自分の血液として継承する。それが狩りの本質。弔いの為に鐘はなり、獣狩りは人々の為に行うのではない。獣となった誰かを、せめてこの現実から目覚めますようにと夢の中へ葬送する。

 指に力が入り―――ドン、と轟音が鳴った。

 地面から突き出た城壁が彼女を狙い、教授諸共吹き飛ぶ状況で神祖(ランサー)から横槍が刺さっていた。

 

「それはローマではないぞ、星見の狩人」

 

 上空に飛んだ所長よりも更なる高空にて、神祖は浪漫(ローマ)なジェスチャーを示している。皇帝特権(縮地:A+)を使うことにより、彼は虚空より突如として出現していた。このローマからすれば空間移動可能な領域は地上だけに非ず、視界全てが槍の矛が届く攻撃圏内である。

 

〝狩りの邪魔を―――いえ、そもそもアルテラ達はどうなったのよ!?”

 

 完全な意識外からの奇襲。気配一つなく攻撃に成功し、所長は灰が神祖へ与えた業の悍ましさに啓蒙(サツイ)が煮え滾る。霧が掛ったように瞳を曇らせるソウルの業は狩人にとって正に天敵。真正面から対峙すれば対応は十分可能だろうが、そもそも存在感を意識外に潜ませる事が可能なのが恐ろしい。

 だが、忍びの業を狩りに取り込んだ所長に隙はない。左手の魔術礼装に仕込んだカルデア技術部製の鉤縄(フック)を使い、訓練によって自身の魔術行使よりも素早い空中機動が可能。そして此処はローマ市街であり、フックを投げる的に困ることはない。

 空中に吹き飛ばされても問題はなく―――所長の瞳から逃れる様に、更なる意識外に罠が仕掛けられていた。

 

「―――ガァ……ぁ、貴女は!?」

 

 空中で思考を整える間もなし。上空の神祖に所長の気を取らせ、既に背後から刺客が忍び寄っていた。身動きが咄嗟に取れない足場の無い空の中、背中から刺さった大剣によって腹から臓物と血液を撒き散らしてしまった。

 暗帝もまた神祖と同様、皇帝特権(縮地:A+)の持ち主。更に言えば皇帝特権(仕切り直し:A)もあり、この場にいるのも理に叶う戦局ではあるも、所長は自分の瞳を疑ってしまう。何故ならこの場で早急にフラウロスを狩らねば、ローマ特異点に本当の悪夢が混沌より降臨すると瞳が脳に啓蒙する。

 

「余は、嫌がらせも天才であーる!」

 

 暗帝は所長に刺し込んだ刃を全力で炎上。一瞬で火達磨となり、穴と言う穴から火が噴き上がる。何とか心臓狙いの致命傷は避けるも所長は攻撃を受けた結果、そもそも細胞を体内から火炎で焼かれれば如何しようもなかった。

 しかし、それだけで攻撃を止める必要はない。刺し込んだ刃を振り抜き、焼き焦げた臓物を更に撒き散らしながら、暗帝は更に彼女を上空へと払い投げる。

 

「―――ローマ!!」

 

 其処で待ち構えるのは神祖。胴体が半ば切断された燃え焦げる所長を微笑み、両刃剣にて粉微塵の斬殺を行おうと殺意がローマ全てを塗り潰す勢いで広がった。

 尤も所長は容易く意識を保っていた。この危機的状況下において、死地に驚く人間的な感情と並列して冷静冷徹な戦術眼も十全以上に機能する。

 

〝この私の脳が、あっさり裏を掻かれる何て。瞳が曇ると碌な目が出ないわね”

 

 散弾銃は無用。左手に持ち替えるは、医療教会の狂気―――大砲(キャノン)。狙いは何処でも良いので兎に角素早く発射し、その反動を利用して強引に空中軌道を狂わせる。そして視界が乱回転しつつも、自分の位置を立体的に把握する。同時に右手で輸血液を太股に流し込み、生きる意志が一気に湧き上がり、それが自分の肉体に作用した。

 そのまま着地は左手の大砲を盾に使い、地面に直撃するのを回避。衝撃でバウンドするもそこからは狩人の強靭な体幹で姿勢を整え、ローリングすることで流れるように立ち上がっていた。

 

「シィー……――――ふふ、あっはっは……アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 直後、脳の底から狂気を開眼。所長は臓腑から沸騰する愉しさの余り、瞳と頭蓋から一気に流血。その血液が全身に降り掛り、雨に濡れた篝火のように全身を燃やす暗帝の炎を消火した。

 ……臓器が漏れた腹部も元通り。

 だが、所長が立案した作戦は元には戻せない戦局に陥った。

 

〝アッシュ・ワン……あのオンナァ、慢心する真似して作戦が成功しそうと敵に思わせる。何をしてもこっちの悪手になる戦略的盤上構築か。

 悪趣味、下劣、鬼畜の所業……ッ―――なんて、狩り応えのある人間かしら”

 

 ヌルリ、と左眼球が落ちた。血を流す勢いに負けて目玉を落とすとは所長らしからぬ醜態だが、あの悪夢の異界では実際に眼が蕩け落ちる未知なる神秘に溢れおり、古都の学術に熱狂する者なら珍しくもないことだ。よって目玉が取れそうになれば、地面へ落下する前に捕球するなど容易い。

 ヌチャリ、と左眼窩に目玉を入れる。目玉が無くとも脳内の瞳で世界を見通すも、肉眼がなくては狩人とは呼べないだろう。況してや彼女は星見の狩人で在る故、星を見る眼は商売道具だ。

 ズガゴォン、と大砲に新たな砲弾を装填。同時に骨髄の灰も混ぜ入れ、遠距離砲撃も零距離発射による爆撃も可能。必殺を為さねば、三人同時に狩るのは至難。最大火力砲撃、銃撃体幹崩し(パリィ)からの内臓攻撃、蛞蝓液を付与した曲刀による連続斬りを選択し、即座に対集団戦法に戦術眼を切り替えた。

 

「……おぉ……おぉ……悍ましい。恐ろしい。自らの流血で余の暗い炎を消すとは。

 ローマを狩りに来た星見よ。人理の守護者よ。そんな業が、人の歴史を守る者の有り様なのか……?」

 

 灰のソウルを継承した暗帝をして、所長の在り方は恐怖そのもの。蕩けた瞳が落ちた時、その窪みの底から見えた脳髄は更に瞳が密集した脳細胞を幻視し、その上で銀河が密集する宇宙の美しさが隠れていた。

 暗帝は驕っていたのだ。女神と崇めるあの“人間”は確かに人域の果てにおり、その果てから先の未知を目指して歩み続けるも、所長もまた別の可能性を極める途中の人間だ。暗い魂の欠片である灰の人間性を得て、ソウルと言う対魂エーテルを解したとしても、人間はまだまだ狂える悍ましさで満ちている。

 

「我が子、ネロよ……あれもまた人間(ローマ)たる可能性である。しかし、それ故に人道(ローマ)から踏み外した人間の末路でもある。

 (ローマ)はそれを決して笑えぬ。憐れみと言う獣性に先は無いのだ。即ち、灰の呪いに抗い切れなかったこの魂(ローマ)は、僅かばかりとは言え奴に賛同する意志(ローマ)があったと言う事実に他ならぬ。もはや、ローマの遺志(ローマ)(ローマ)を突き動かす暗い情熱(ローマ)となった」

 

「それは……いえ、今はあの“モノ”を助けましょう」

 

「好きにせよ。この特異点が啓かれた時に投げられた(ローマ)は、手の内にはもう二度と戻らんのだから」

 

 地面に転がる教授を皇帝特権(魔術:A)による念力で掴み、暗帝は自分達二人の元にあっさり運ぶ。所長との距離は大きく離れ、大砲を撃ったところで避けられるのは分かり、狩り取れる寸前の教授(獲物)を横取りされるのを見るしかない。

 

「ぐぅ……ぁ、ぁああ……っ―――貴様、神祖ロムルス?」

 

「ローマである!」

 

 丁度目を覚ました教授の眼前に神祖が一人。その背後に佇む暗帝には気付かず、そのまま彼は肉体を蘇生させる。神祖の城壁で全身の骨も砕けたが、威力を抑えていたので切断はされず、教授の魔術の腕前なら体を動かすのに問題はない。

 

「そうか……私は………」

 

「感謝は求めぬ。我らもまたローマの為に、お前の命を地面から“(スク)”っただけである」

 

「……ふん。礼など言わんさ。私の死が、そちらの害になるだけだろうが――――……あ?」

 

 脳天から、教授は裂けた。暗帝による背後からの一刀両断だ。股下まで真っ二つとなり、脳髄も心臓も体外へ剥き出しとなる。

 

「―――さらばだ、獣の魔術師。

 憎しみと憐れみに染まった貴様のソウル、この混沌へ堕ちるのが相応しい」

 

 死体になる直前の教授へ、暗帝は隠し持っていた聖杯を掌から落とした。中に溜まっていた溶岩が零れ落ち、教授が肉体ごと魂が溶け始めた。

 深淵。

 獣性。

 憐憫。

 混沌。

 霊魂。

 魔神。

 聖杯は魔女の窯となり、全てが混沌をスープにして熔け混ざる。

 

「――――――――」

 

 全てをレフ・ライノール・フラウロスは悟った。ローマに招かれた本当の理由、その因果律が此処で交差した。消え逝く意識の中、己が獣性が灰の掌の中で転がる玩具に過ぎず、そもそもビーストは文明から生まれた罪となる人の獣性。

 ローマ――――それは、神代を捨てた人間社会のスタートライン。

 大陸で神秘の駆逐を為し始めた人間共にとって、ビーストの獣性は喰い物でしかない。人の犯した罪は営みによる副作用であり、繁栄の為の廃棄物。潔白でありたいと罪を犯さない為だけに、人間は繁栄を棄てられないのだ。

 

「此処は………」

 

 魂が完全に溶ける前に見る走馬灯にて、教授は不可思議な空間に居た。混沌に呑まれた自分は死ねず、故に時間神殿にも魂が戻れないと理解した彼にとって、この奇天烈な現象に驚く感情を作るのも面倒だった。

 

「御別れの挨拶と思いまして。いや、御役目を果たして頂き、本当に有難う御座います」

 

「アッシュ・ワン……そうか、やはり貴様の悪趣味か」

 

「はい。魔神柱のデーモンにも興味はありますが、その前にどうしても深淵で熟した混沌の聖杯で試したい儀式がありましたので。

 此処まで貴方を生贄にするのを、本当の本当に、限界まで時間を伸ばす必要があったのですが……まぁ、その手間を掛けた苦労もあったのでしょう」

 

「で、此処は?」

 

「古都の神秘を応用した精神空間です。体感時間を加速させていますので、外側では殆んど一瞬ですよ。

 実はこれ、ローマ特異点で貴方が死ぬか、あるいは退去するか、そのどちらかで発動するように仕掛けておいたのです。

 ですので、私はアッシュ・ワン本人ではありますが、そのソウルの欠片から作られた独立型の意識存在とでも思って下さい」

 

「―――は? 人理焼却式の私に魔術式を……!

 いや、そもそも何の為にそのような無意味な真似を!?」

 

「御世話になりましたので、真実は明かしておくべきかと思いまして。尤も、貴方には無価値な真実ですし、これを思い出すこともないかもしれませんが。

 とは言え、決別を告げなければ、貴方に対する私の人情が腐ってしまいますからね」

 

「……カルデアの裏切り者が、更に我らを裏切るつもりか?」

 

「はい。背後を見せられると、つい短刀で心の臓腑を刺したくなる悪い癖がありまして。

 いやはや、神の類へ無意識に糞団子を投げてしまう癖と一緒に、この何と言えない不治の精神病も医療の古都で治したいものですねぇ……フフ、ふふふふふ。

 まぁ、嗤える程にも面白くない人間性なのですが。

 殺す相手のソウルを糞塗れにしても、猛毒でジワリと死ぬ様を見れるだけですしね」

 

 平然と神を糞扱いするように、火の無い灰は教授へ優しく微笑んでいる。心から人を温める聖職者の笑みであり、貧する人々に施しを与える聖女のようであった。

 

「オルガに接吻するよりか、私はまだマシな裏切り方と言う事か。屑以下の糞だな、貴様。彼女にしたアレだけは、私としても勘弁して貰いたい故にな」

 

「しませんよ。老若男女関係はないですが、するならばせめて同等のソウルの持ち主ではありませんとね。お互い、死を味わい合う為にも魂は大切ですから」

 

「あぁ、なるほど。確かに、オルガは良い獲物となるな」

 

「味わい深かったです。裏切った甲斐が実にありました」

 

 唇を触りながら、灰は怪しく微笑んだ。聖職者には程遠い邪な貌であり、魔女よりも禍々しい吐息だった。性欲など欠片もない女だと言うのに、まるで性を喜ぶ淫乱のような雰囲気を装っていた。

 

「気色悪いぞ、貴様。枯木の亡者の癖して、若さを偽るな」

 

「人真似ですのに、酷い言い様ではないですか。しかし、折角用意した人格なのですから、私の魂がその仮面を使わないのは集めたソウルの無駄使いというものでしょう」

 

「……戯れ言を。

 それで――――要件は?」

 

 このような空間を準備した訳であり、裏切りの理由でもあった。何故なのか、知らなくてはならない。恐らくはこの人理を生きる人間で唯一無二の、人理焼却を行った獣の憐憫を正しく理解する人間性の持ち主であるのだから。

 故に、教授は全く分からなかった。

 人間に対するあの絶望は、お互いに共感する感情であった筈。

 

「すみません、レフさん。残念ながら、魔神王の企みはどう足掻いても失敗するのは分かっていました。

 カルデアに所長がいる時点で、カルデアを滅ぼしたところで獣狩りには無価値です。どの時空にいようと最果ても踏破して辿り着き、必ず狩り殺されます。それを取り除く為に貴方たちは私と手を組んだのでしょうが、二重の守りである藤丸立香によっても阻止される運命でもありました。

 詰んでいたのですよ――――最初から。

 三千年前から、憐憫のソウルなど無価値でした。

 カルデアにオルガマリー・アニムスフィアが就任することで藤丸立香も呼ばれ、未来を生きたい人の想いにより、人理焼却は絶対的に失敗します」

 

「貴様、何を言って……ッ―――あ、ぁぁ……ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 何かが、流れ込む。意志を塗り潰して、描かれる。

 教授の脳から何かが失うと同時に真実へ開眼する。

 上位者(グレート・ワン)のソウルを魂へ頂き、悪夢の理念を知った火の無い灰の新たな素晴しき業で、人間と言うナニカを白痴より啓かれてしまった。

 

「啓蒙されてしまいましたか。ですが、安心して下さい。既に貴方のソウルに忍ばせた術式で、この私との会話は記録から一時削除されます。魂から消えて無くなります。あの神殿にいる王にも届きません。しかし、時限式で魂に情報が蘇生するようにはしてありますので、事業全てが終わりました場合、生きてた時は思い出してください。

 ですが、魔術式に術式を隠すのは面白い作業でしたよ?

 ただまぁ魂を持っている時点で、そもそも完璧な機構など保てないのですがねぇ……ふふふふ」

 

「何処から、一体……貴様は何処まで……!!?」

 

「獣狩りを企むのは狩人と相場が決まっている物ですよ?

 しかも古都の狩人は、獣狩りには悪辣でして。いやはや、幼年期を迎えた上位者として、自滅因子でしかない全ての獣へ、因果応報の業を初手で啓蒙するとは全く以って悍ましい知性です」

 

「ならば、人理焼却への賛同は! 極点への到達は!!

 貴様は魂からこの人理で唯一人だけの、人の闇を理解する貴様だけは我らの願いを良しとした―――今を生きる人間だろうが!?」

 

「はい。魂より、腐った絵画は燃えるべき世界です。人の血で描かれた汎人類史も、同様の末路を辿るべきだと思います。

 ですが、まだまだ――――腐り足りないのです。

 何故、貴方は三千年程度の腐り具合で、そんな儚いだけの絶望を焚べようと考えたのでしょう?」

 

「―――――は?」

 

 騙されたと理解する。同時に、灰は何一つ言葉を偽っていない。

 教授は腐った絵画は焼かれるべきと言う意志に納得した。魔神柱と魔神王も、その絶望に共感した。しかし、灰の抱く絶望の深みを理解できなかった。人理焼却程度の殺戮では何一つ感じない程に、灰は人類史に生きる人の魂に負の価値すら実感していなかった。

 それを、理解してはならない。

 永遠を壊してしまう意志に至った暗い魂の絶望を、一欠片とて分かってはならない。

 正気が肉を削ぐ様に崩れ、教授は自分が人類に向ける怒りと憎しみが不確かな感情に思えてくる。彼の眼前に佇む灰が魂に宿す極性の暗い意志は形容し難く、それは他人の絶望を容易く飲み干す闇色の瞳となって現れている。

 

「自らの救われなさに諦めない意志こそ、人理の人間性です。死んで、死んで、死に続けた先に人類史は不死へ辿り着きますが、貴方の読み通り人類史から悲劇はなくならないでしょう。

 文明は更に腐敗し、魂も腐り、人は爛れ……だが、それでも人の世は末期ではないのです。まだ終われません。全てが腐ろうとも時間によって更に枯れ、また腐り出して、生き残った最後の魂が本当の終末に辿り着かなければ、世界を滅ぼして良い訳がないのです。

 その世界を生きた魂の答えとして―――終わりとは、在らねばならない」

 

 暗い魂だった。それが、人間が辿り着いてはならない人の終わりであった。

 

「馬鹿な。有り得ん……それが、人間なのか?

 だとすれば、我ら全ての魂は永遠に価値など求められないではないか!!」

 

「そうだ、フラウロス。最後まで、魂を見届け給え。何万年だろうと、何億年だろうと。

 私がそうやって終末の終わり方を選択したように。次の世界へ人の魂を導いたように。

 故に貴公らのそれは、人間が人で在る事を失う絶望ですらなく、思い通りに行かない人類史に対するただの失望でしかないのだよ」

 

 焼却による新世界の到達。それは、世界が徹底して人間によって腐れ果てた末の結論でなくてはならない。

 

「―――ふざけるなよ!

 ならば、何故あのように人の地獄を愉しんでいた!?」

 

 フランスでも、このローマでも、灰は魂から人々の憐れな様を嗤っていた。それが偽りではなく、本当に心から愉しいから哂っていた。腐った人類史に対する絶望から、この人理を嘲る本性より湧いた笑みだった。偽りではない獣性と同じ臭いを持つ貌だ。

 しかし、それもまた灰にとっては真実。彼女のソウルになった誰かの魂達は、自分達を切り捨てた人類を心底より憎悪して死んだのだから。

 

「私も自覚があるのだよ、フラウロス。しかし、それで充分だ。所詮、燃え殻が更に枯れた呪われ人の抱いた夢。灰となって蘇り、違う使命も覚えたがそれも果たしたとなれば、私が灰ではなく人間として夢見た使命も、何時か辿り着ける終わりだとも。

 魂を強くしなければ、何も得られない世界。

 他者を貪って進化しなければ、前に進めぬ世界。

 前提として、より強く、更に進化することは目的を果たす為の手段であった。己の魂など人殺しの道具であった。

 故に我が原罪の探求も――人の魂を、闇から救うために」

 

 だが火の無い灰は、灰となる前は唯の一人の不死だった。亡者となる運命を最期に抱くただの人間だった。死ねぬ魂を枯れさせ、残り火の溶ける血で甦り、灰の人となり、魂まで灰になって果てたから、火の簒奪者を選択した。

 

「しかし、私はその因果に敗れ去った。

 自らの魂が持つ絶望へ挑み―――人の原罪を、私では償えなかった。

 貴公の挑むべく原罪と私の原罪は別であるが、因果の始まりはもう二度と変えられぬ本当の絶望でしかなかったのだよ。

 そうして魂が始まったのならば、その魂から価値を見出すことが徒労。原罪を探求して答えを得てしまったが故に、こうして不死な筈の魂を枯らしてしまった。

 しかしそれでも尚、灰となって―――生きていた。

 絶望を前に心を折ることが結局出来ず、人間の救われなさに諦めることがどうしても出来ない」

 

 それだけの話だった。それだけの事だった。

 灰となる前の、不死だった頃の目的を思い出すのに、どれ程の時間が掛ったのか。もはや灰である彼女本人でさえ分からない程に、残り火となった世界を繰り返して辿り着いた。

 

「私たち灰が不死の成れの果てであり、不死が小人の末裔であり、小人が暗い魂を見出したように……そして、最初の火が闇の中で生きる命へ差異を生んでしまった様に。

 ならばこそ、貴公の原罪こそ―――人間だ。

 獣よ、心が折れるにはまだ死が足りぬ。人の時代の終わりに辿り着けなければ、人より生じた貴公の絶望が無価値になる」

 

「………っ―――――」

 

 フラウロスは、よりソウルを啓蒙されてしまった。人理焼却の唯一人の理解者だと思い、この世界で偉業に賛同する人間だと知り、だが今こうして裏切られたと考えたが―――真実、本当の同類だった。

 だが、同類で在るだけで、灰はその絶望の―――終極だった。

 新たな時代も、違う新しい世界も、到達したところで絶望は常にある。だから、魂は徹頭徹尾まで苦しみ抜かねばならないのだと。

 

「―――嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

 こんな世界はもう嫌だ。うんざりなんだ、苦しいだけではないか!?

 どうして、そこまで無様に死ぬ! 下らぬ姿で死に、幸福だろうが最後は死ぬ!

 獣でしかない我らに……貴様ら人間の被造物でしかない我らに、憐れまれるような命の在り方にしかなれぬと言うのに!!!」

 

「しかし、その絶望が貴公らを生んだ人間と言う名の原罪。

 その憐憫に答えが欲しいのならば、戦い続けろ。貴公の魂が腐り、その腐れさえも枯れる程の時間と輪廻に耐えろ。罪の終点まで心が折れることなく、己が使命を全うし給え」

 

「ふざかるな! 三千年、見届けた!! それ以上、何と戦えと言うのだ!!?」

 

「人間と、その魂と、まだ戦い足りない。しかし貴公は必ずや、出来るだろう。特別など一つもないただの人間である私に出来る当然の業であるならば。

 そして、あの闇の世界では私に不可能だった到達地点も、この人理の世界ならば辿り着く事が可能かもしれない。

 貴公のその絶望を、未来に続く希望の火に焚べる事も――――遠い果てに、出来るかもしれぬ」

 

「馬鹿な……貴様のような人間が、我らを作ったあの王よりも闇深き……ッ―――人間に、この世の誰よりも絶望している筈ではなかったのか!?

 フランスとローマでの悪行は、恨んでいるからではないのか!?

 確かに貴様の悪行は救世を為す必要悪ではあったが、そうまでしなければ未来を紡げぬ人間に対する憎悪ではないのか!?

 冷酷、残虐、外道、下劣! 無差別なる冒涜的殺戮者!

 そうだ! 貴様が言う通りに我らもこの人理など焼かれるべき腐った絵画でしかない! 人間共の腐った魂から流れた血で描かれた下らぬ人類史でしかないと言うのに!」

 

「この世が続く為に誰か一人でもそう在るべきなのだよ、人間として魂が生まれたのならば」

 

 罪を誰かが求めないといけない世界。灰は人理焼却に協力する理由を強くなるためと語っていたが、強く在らねば自分以外の為に罪悪を為して罪など背負えない。

 

「ッ――――……進化の為に、魂を強くするとは……本当に、ただの報酬なのか?」

 

「本来ならば、原罪を探求する為に必要な手段に過ぎない。しかし、今の私にとっては、その報酬を得られるだけで、悪行を為すのに十分な対価である。

 魂を常に焼かれる苦しみに相応しい報酬なのだよ。

 それだけで十分。それ以上は無価値。それを得られるだけで、私は幾度でも己が魂を殺し尽くし、原罪を探求し続ける」

 

 魂に価値はないと語った女。教授は魂こそ、それが永遠に続けば終わりのない命に価値があると考えていた。死は、苦しいだけのもの。

 だが魂を持って生まれた命に―――生の到達は、ない。

 その答えを良しとし、生き続ける答えの一つが眼前の灰であった。

 

「アン・ディール……否、貴様はただの名無しの呪われ人。ただの原罪の探求者」

 

 原罪の探求者。フラウロスは、この女の在り方を憐憫する。だが魔神柱もそう在れば、補正式は正しく人間を見届けて終われたのかもしれない。

 諦めてはならなかった。見届けなければならなかった。

 死んで、死んで、それでも死んで、死に続けて魂を腐らせた遥か未来まで、人間は苦しむべきだった。

 全ての人間の魂が枯れても、膿み腐った人類史の中で更に人間は悶え苦しんでも、手を伸ばすべきではなかった。

 苦しみ抜いた人間が人類史を完結させて、そうしなければ腐れも枯れた終末を新しい世界に描き換えるのは、死に続けた人間の魂を裏切る行いだった。

 世界を燃やすのは―――……だが、被造物は耐えれれなかった。

 余りにも憐れだった。それが彼らの原罪なのだとしても、命を苦しむ事しか出来ない何て、どうしようもなく許せなかった。せめて何も分からない儘に終わらせて上げるべきだと、三千年前に全員が決意してしまった。

 

「この実感を忘れるとしても、私は貴様の魂を僅かにだが理解した。理解してしまった。

 獣に堕ちるなど、人間からすれば泣き言に過ぎないのだと……憐憫されるべきなのは、人間と言う原罪を諦めた被造物である我々なのだと」

 

「不死なる魂を夢見るならば―――知れ。

 新世界を目指す貴公の希望は、そもそも人間と言う悪夢にまた到達する繰り返しに過ぎない」

 

「――――――――――――」

 

 だから、腐るのだと。獣が描いた世界も、死ねないのなら腐るのだと。最後は、人間と言う答えを繰り返すだけの魂で在るのだと。

 

「貴公も死なぬのなら、この度のように心が折れなければ分かる事実。命が死ねるから人理は腐り掛けるだけに留まり、人間は魂を亡者とせず繁栄が行えている……今はまだ、な。

 ……ですので、お喋りはここまでに致しましょう。

 これより混沌に堕ち、死ぬしかない貴方の大切な臨死の時間を奪うのも酷というものですからねぇ……ふふふ」

 

「貴様――――」

 

 自分よりも絶望した理解者にして同類。だが、同類であるのは人間へ絶望していることだけだ。フラウロスは彼女が自分達の理解者で在るが、自分達が彼女への理解者には成れないと悟ってしまった。

 余りにも純粋な事実だった。

 絶望が獣には足りな過ぎる。

 より深く、より長く、より重く、永劫を苦しみ抜く。

 火で魂を焼き続け、闇の中を永遠に彷徨し続ける終わり無き生涯。

 

「―――あぁ、だからなのか。

 最初は貴様も、人間の為だった。魂の為に、絶望を焚べ始めたのだな……」

 

 灰として蘇生した嘗ての探求者は、ソウルの底から獣に向けて微笑んだ。その未来に何の価値もないことを似た途を歩んだ者として、彼女はその絶望こそ人間が答えを得る為の力だと尊んだ。

 

「ええ。これは、ただそれだけの人間の物語でした。なのでどうか、終わりが決して訪れない永遠を、魂だけはお元気で。

 また会う日まで―――さようなら、レフ・ライノール」

 

 彼は微笑み返し―――悪夢から、目が醒めた。

 混沌の聖杯に堕ちるまでの長い長い一時の走馬灯が溶け終わり、現実に意識が戻ってしまった。

 

「憐れだなぁ……」

 

 得られた小さな答えを静かに呟き、教授は溶岩に熔け消える。生き足掻く事もせず、この特異点での命を終わらせる。

 結果に価値がないと理解した男の、何でもない最期であった。

 













 読んで頂き、有難う御座いました。
 灰の人としましては、本音を言えば腐った絵画は燃えるべきですが、それはあらゆる手段で足掻いた果てにその結果として人類が最後の一人となるまで、自分達人間の救われなさに戦い抜いた最後ではないと、世界を滅ぼして次の世界へ生まれ変わるのは否定します。
 ゲーティアの目的は否定しませんが、ゲーティアの人生は徹底的に否定しているのですよね。もっともっと苦しんで苦しんで、自分を幾度も見失って、魂から自分が消える程に絶望し尽くして、それでも本当にどうしようもない位に苦しみ抜いた時、人理自体を人間が生きた結果として次の可能性の未来が欲しいと更にそこから苦しみ抜いて生きた最後なら、その目的は人の魂にとって救いになるかもしれない罪だと見届けます。




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啓蒙65:イモータリティ・セヴァード

 プラトン大先生はアキレウス×パトロクロス派か、パトロクロス×アキレウス派か。これを知ってる人はギリシャ村の住人。しかし、カプ厨は太古の文明なんですよね。そりゃ数千年の妄執ですので、ネットなんて出来れば終わらないですよね。
 それとバベル時代もこれだから最近の若者は、と言う愚痴を老人は言っていたそうです。多分、メイビー。



 何故か、灰は忍びを見逃した。気紛れか、罠か、敵の真意は分からない忍びであったが主の危機が優先される。そして結晶漬けの封印から肉体を破壊することで脱出し、その直後に復活の奇跡で霊体を維持しつつ蘇生で肉体を取り戻し、悪魔は何の障害もなく甦っていた。そして生命を犯す結晶の呪いも、悪魔殺しのデモンズソウルに意味はなく、能力も万全。

 そして、聖杯に溜まる混沌へと入れ続ける人間性も十分。

 むしろ、忍びは大事な駒。ずっと時間稼ぎで此処に縛り付ける意味はなく、灰は見たいモノを見る為に彼を解き放った。

 

「来ましたねぇ……ふふ。聖杯が起動しました。

 シモンさんが自分自身を殺す程の大願成就、見届けたいのですが―――」

 

「―――駄目だとも。

 貴公の遊び相手は私である。そしてネロの望みを見届けるのも、私の役目でもあるのでな」

 

「私のネロさんでもありますよ……所詮、魂は同じですからね。

 私の闇に浸されたところで、人間を越えた訳でも、人間から落伍した訳でもありませんから」

 

「人間を相変わらず賛美し過ぎる女だよ、貴公。

 所詮は人間だとも。何処までも進んでも我々は我々の儘、人間は人間だぞ」

 

「うふふふふ。そんな、そんな、実に照れ臭い褒め言葉です。素晴しい貴方にそこまで保証されたとなりますと、私の途も捨てたものではないと実感出来ます」

 

「折れない心だよ、貴公。皮肉を言いたい放題で助かるが……―――あの忍び、敢えて見逃すのも御愉しみかね?」

 

「はい。神を一思いに殺して頂きたく、あらゆる不死が狼さんの前では(こうべ)を垂れる死刑囚でしかありません。

 尤も魂が殺されても、その魂がそもそも死ねない我らのような不死には痛いだけの死ですがね」

 

「悪趣味な。敵に殺させるのが、良い趣味とは言えんな。そも、貴公が殺めれば良いだろうに」

 

「駄目です。ほら、私たちが行う魂の殺人ですと、食事も同時に行うソウルの欲求に抗わないといけませんから」

 

「確かに。抗い難い……まぁ、我慢など容易いが」

 

「はい。実は何でもない事です。されど、私は美しい業を見て愛でたいのです。きっと神を殺す人と、人に殺される神も、その光景は何物にも代えがたい人間賛歌の絵となって私の瞳に焼き付くのです。

 聖杯と言うものは願望器であるらしく……確かに、私が見たいものを見せてくれるでしょう」

 

 グツグツと煮え佛つ混沌の聖杯。魔神柱を融かし、デーモンを生殖する転生炉。アノール・ロンドのその昔―――名を亡くした鍛冶の神が居た。無名の長子と同じく、最初の火を見出した者達から隠された一柱が居た。巨人の鍛冶師を弟子にし、神々の武具を鍛えた者が居た。

 灰が簒奪した最初の火には、その記録も焼き付いている。だから、容易い。鍛冶の業を魂に刻んだ彼女は生命(ソウル)を燃料に動くゴーレムを作る業も理解し、そもそもソウルを収める王の器を鍛える事も簡単だった。

 

「なのでローマの聖杯は、色々な私の実験作でして。特異点を生み出す獣の聖杯ではありましたが、詰めるだけ面白半分に詰め込んだ命そのものです。

 分かりますか、悪魔殺しの悪魔。あれは元からそう言う生物として命を吹き込まれた被造物(デーモン)となりましょう。

 最初は魔術式が作った玩具に過ぎませんが、なに……命とは死んで生まれ変わるものですから」

 

 そして楔石の作り方―――その神秘、灰は分かってしまった。

 

「成る程な。ならば、余計に貴公を足止めしなければならん。

 尤も、嫌がらせに不死を殺すのが侵入者の本懐だ。貴公の目的は果たされるかもしれんが、それを観測者として愉しむのは阻止させて貰うぞ」

 

「安心して下さい。神秘の業は好きですが、それ以上に私は今が最高に愉しいですよ?

 正直、殺し合えるのなら誰だって良いのです。何だって構わないのです。今よりも強く進化する為になら、善悪も正邪も価値はなく、利害も損得も意味はなく、このソウルを苦しめて頂ける困難を常に私は欲しているのですから。

 貴方が愛する古い獣を殺し、その危機から全ての魂を救う救世の企み―――あぁ、とても良い面倒事です。

 強大なソウルを持つ貴方との殺し合いも、それの御蔭で愉しめる苦痛と絶望であるのですから。全く、人間の世界と言うのは相変わらず理不尽に満ちていて最高ですねぇ……ふふふ。

 本当、可笑しいですよねぇ……ははははは!

 こんな女の魂の為に、より大勢が救われるしか選べる未来(ミチ)がないなんて!!」

 

「しかし、それが人間だ。貴公の為す善意無き善行が無くば、そもそも未来自体が消える故に」

 

「はい。その未来で汚く腐り、それに絶望して足掻いて下されば、私はそれだけで良いのです。えぇ、決して私は導きなど致しませんとも。

 絶滅の危機から救いはしますが、生きて繁栄するのは人間だけの意志で行わなくては、人がこの星で生まれて滅ぶ意味がありません。私は人間ではありますが、この人理の部外者でもある私は未来に口は挟みません。そんなことをすれば、人が折角滅びまで生き抜いた価値も消えてしまいます。

 この人理が、自分達で考え、苦しみ、悶え、その独りで歩んだ自分達だけの未来を、不死の私に見せて頂ければそれだけで良いのですから」

 

「うむ。故、私は貴公に協力する。葦名において、だけだがな」

 

「はい。葦名でだけ、契約は有効ですからねぇ……」

 

 悪魔の装備は標準にして王道な剣と盾。単純明快、強く、迅く、巧く、鋭く、固い。

 逆に灰はアンバランスな直剣と刺剣。奇天烈な二刀であるが、故に迅速な対人武装。

 殺し合いを続ける二人は手札が余りにも多く、悪魔は相手に合わせて武装を変えた。

 

「さて、会話も此処までだ。貴公の骨が鳴らす音、これより聞かせて頂こう」

 

 名を―――竜骨砕き。ドラゴンの頭蓋骨を竜鱗ごと叩き割り、一刀で撲殺する職人の狂気が生み出した特大剣。それが呪いの魔力付与(エンシャント)で紫色に塗れ、更なる狂気で殺意が膨張する。

 

「それは嬉しい限りです。ですが、そんな苦痛は聞き慣れていますので、えぇ……私は、貴方が上げる断末魔に興味が湧いてしまいます」

 

 灰の手には大曲剣―――ムラクモ。美しく鋭い刃は、重さと巧さの両方で斬殺する大太刀である。だが、その刀身は炎が纏わり付き、斬撃と一緒に傷を焼き焦がす拷問道具にもなっていた。

 となれば、もう口上と言う戦場の贅沢は貪った。

 二人はソウルを振わせて殺意を具現し、英雄の心を折る殺気が空間を塗り潰す。霊感がない人間だろうとショック死する圧迫感が溢れ、魂が生きようとする意志を奪い取る地獄と化した。

 激突する刃は甲高い音を鳴らす。

 圧倒的膂力と絶対的技巧を互いに持つが、振う得物に差があった。だが、それが技巧を極め続ける二人には愉しい娯楽。同じ武器を使っても癖の違いもあって良いが、違う武器ならその差は尚の事。この武器で、どうやって相手の武装と戦術を破るのかと悩む思考戦も良いものだ。

 

「……ふふ」

 

「ク―――」

 

 舞うように回転する灰を、悪魔は力で捩じ伏せ、それを灰は巧みに流して斬り返し、そして悪魔は体術も合わせて特大剣の重量による隙をカバーした。直後、灰は仕込んでいた呪術の火から黒炎を放つ。それを悪魔は竜骨砕きで防ぐも、本来なら物理的な炎の重さもあって体幹が崩れそうになるのだが、バックステップを同時に行っており衝撃をほぼ全て緩和させていた。

 凶悪な膂力でムラクモを軽い曲剣のように手軽に振う灰だが、悪魔もそれは同様だ。力を込めて全力で振えば容易く仕留められるが、それこそ体幹を崩すパリィの良い鴨。極まった二人なら敵が振う得物の重量は関係なく、どんな技であれ受け逸らせるが、タイミングを絶妙にズラすことで攻防はどうしても長く続く。お互いがそれを誘っており、そもそも素手による格闘も極まっている故に、絶技で振われる刀身を生身で捌き逸らす技巧は悍ましいとさえ言える巧さ。

 まるで―――夢のようだ。延々と続く殺戮の応酬。

 久方ぶりにソウルは感動と言う栄養を貪り、灰は悪魔の足止めを喜んで受け入れ、罠に嵌まった今の現状を愉しんでいた。

 

 

 

 

◆■◆<◎>◆■◆

 

 

 

 

 ――――神。悪の、神。人の魂を蝕す邪神だった。

 剥き出しの筋肉。皮膚のない人型の巨大過ぎる神性生命体。筋が骨を多い、頭蓋骨に瞳が四つ嵌め込まれ、暗い穴の子宮がローマの上空に浮かんでいた。

 

「なんです……か、アレ?」

 

 泥の羊水が穴から漏れ出る。逆さになって巨人が同時に出産(ゲンカイ)され、ローマ市街に頭部から落下する。

 そのカタチ―――赤子の姿。

 人類種(ホモ属)は脳を収める頭蓋骨が肥大し、小さな未熟児でなければ産道を通れず、悪神は正にその形。大きな頭を揺らし、背中を地面に付け、駄々を捏ねるように四肢を暴れさせている。

 ……マシュは、自分の視界に入っている何もかもが理解不能だった。

 戦闘中に突如として消えた暗帝を気配を辿って追い、到達すればこんな状況である。

 

「なんなのですか、アレはッ―――!?」

 

 生まれた。魂と心を持つナニカが出産された。命が生まれる瞬間は尊いが、この光景に感動してしまった自分の心をマシュは信じられなかった。どうしようもない事態に陥っている確信があるのに、本当は手を叩いて今の自分の感動を周りに伝えたい猟奇的な狂気が脳髄から伝播して来た。

 グルリグルリ、と瞳が廻る。

 正気が削れ、狂気が奮え、人の思う神が啓蒙される。

 マシュ・キリエライトは人生で初めて、本物の神が生まれる瞬間を垣間見てしまった。

 

「魔術基盤、グノーシス……―――ヤルダバオド?」

 

 所長が呟いた声が、自然と全員の耳に入った。本当に何故か丁度良く、この瞬間に全員が到達するのに間に合っていた。

 エミヤと清姫とアルテラは神祖を警戒しつつも、この状況と所長の言葉に英霊として魂が痺れた。

 ネロとブーディカは暗帝から目逸らしたくなかったが、生まれた巨神に視線を向けざるを得ない。

 マシュと藤丸は何故か分からないが、自我を発狂させて楽になりたい恐怖に耐えられてしまった。

 

「いえ、この世全ての悪(アンリマユ・セプテム)……?」

 

 ローマの悪性によって生まれた悪の神。所長の瞳が見た神の名は歪み、不安定であり、遺志が定まっていない。

 あるいは、混ぜられた神同士の子供であるのか。何より、まだ産まれ切っておらず、魂がカタチを得る前なのか。

 原因は二つだと所長は理解し、降臨した神の名が一瞬で生まれ変わったのを目視した。

 

「おぎゃあ……おぎゃあ、おぎゃ―――?」

 

 悪き巨神に理性はない。本当に生まれたばかりの赤子である。生まれ持った本能で動く生命であり、人にそう在れかしと望まれた存在理由を魂の遺伝子として保有する白痴の悪神。人の悪性から望まれた、無垢な神の子であったのだ。

 ―――ただ、悪だった。

 人々の暗い魂から生まれた悪魔(デーモン)だった。

 灰が作った混沌の聖杯は子宮となり、ローマで人々から蒐集した悪性情報は深淵で煮詰まり、魔神柱の魔力を材料に生まれた人造邪神。

 それが地面を転がり、ローマ市街を破壊しながら四つん這いとなる。そのまま赤子の四足歩行を即座に可能とする。カルデアの真正面に、這い寄る悪神の顔面が迫り来る。

 

「ま、ま……まま、ま……ままままま、まままま……まままままま―――ママ?」

 

 ママ、と何かが発した。気が狂いそうだ。悪神の顔面から生えた四つの瞳がカルデアたちを見詰め、その口が大きく開く。直後、その口から真っ白に綺麗な歯が急に生え、喉の奥から舌が生成される。余りに強烈な悪臭が悪神の口から漏れ出し、まるで臓物が腐敗した臭いがローマ市街に充満する。

 何と言う、醜さか。実際は臭いなどしないが、人の五感を刺激する悪神の魔力は嗅覚を狂わせ、脳味噌を汚染する呪詛が空気に融け込み、まともな正気を保つ事も許しはしない。

 

「主殿……」

 

 何をすれば良いのかも分からない状況にて、忍びは余りにも冷静だった。いや、冷徹と呼んでいい冷たさで所長の後ろで気配もなく佇んでいた。

 

「あれなら一人で大丈夫そうね。お願い、私の隻狼」

 

 それを聞いた周囲の者は、所長の言葉を理解する余裕さえなかった。あんなモノを一人で倒すなど理外の思考。それを命じる非合理的な非情さも意味が分からず、ここまでの邪悪ならば全員で協力して対処すべきなのが当然の戦術の筈。

 

「……は」

 

「令呪で以って命じます―――斬り殺せ」

 

「御意の儘に―――」

 

 二刀、解放。忍びは背中の鞘から抜刀した赤の不死斬り「拝涙」を右手に持ち、宝具としてもう一刀――黒の不死斬り「開門」を霊基から取り出した。そして、義手から怨嗟の炎が漏れ出た。

 呪いに取り憑かれた異形の姿。だが、義父の教えが忍びの意志を失わせない。

 殺人の業を振うのであれば、必ず僅かな慈悲も刀と共に握り締めなければならない。

 それが、彼を人に縛り付ける。鬼になれず、修羅に堕ちず、人の儘に人を殺すのが狼と言う忍びの業。

 

「―――――」

 

 所長とのラインから流れ込む魔力を五体と二刀に込め、自身の魂に積もった死人の遺志である形代を燃焼させる。それ即ち、怨嗟の火が忍びをサーヴァントの領域からも逸脱させ、黒い念で燃える不死斬り達は一斬で魂を斬り伏せる神狩りの宝具と化した。

 忍びは疾走を開始。同じくして、暗帝が宝具の戦車に乗って忍びを急襲する。そして超軍師が暗帝の戦車に搭載した中華ガジェットが起動。神代インドの古代文明からの流れを汲む古代中国式連射弩(マシンガン)が魔力弾丸を発射し、灰の結晶仕込みによってサーヴァントだろうと容易く蜂の巣にする殺戮兵器として火を噴いた。

 

「――――!」

 

 所長に迷いはなかった。その殺戮兵器に対し、己が殺戮技巧はあっさりと狂気を上回る。普段より多めに骨髄の灰を込めたガトリング銃に獣狩りの銃器を持ち替え、自分のサーヴァントを襲う“弾丸の群れ”に向かった水銀弾を連射した。

 そう、狙いは暗帝ではない。暗帝の戦車から放たれた銃弾である。どのような技巧と視界なのか、超人的な技術を持つサーヴァントでも意味不明な銃撃技法であった。

 ガトリング銃の弾丸一発一発が、結晶の弾丸を空中にて―――撃ち落とす。

 開眼してしまった所長にとって、瞳が見る世界は体感時間を停止させ、未来を見切ると言う領域を超えた高次元の感覚となる。五感でも、六感でも、七感でもない。八感でも、恐らくは九感の体現者ですらない。神域に辿り着いた人間が持つ知覚とも別種の、本当は至ってはいけない異次元の知覚だった。

 よって機関銃の弾丸同士が空中にて衝突。忍びに当たる前に弾け跳び、彼はマスターが撃ち開いた道を走り続ける。

 

「―――お、おぉぉお? 何だ、それは?

 背筋が凍り付く。まこと、古都のハンターと言う人種は理解出来ぬな」

 

 暗帝はその理解不能な狂気に魂が震えるが、その程度の未知で戸惑える生易しさはない。とは言え実際、機関銃の弾幕をガトリング銃で迎撃する光景を目にすると現実感を失うが、そんな悪夢(コト)は今更な事態。

 

「ヒヒィイン―――!」

 

 双頭の騎馬が鳴く。敵の魔技に怯まず暗帝は戦車で突進し―――忍び一人と、侮ったのが運の尽き。

 覚醒した忍びの目にとって、戦車の速度は遅過ぎる。空中に跳んだ彼は擦れ違い様、怨嗟に燃える不死斬りを振って騎馬の双頭を斬り落とす。余りの早業に暗帝は瞠目する暇もなく、眼前に義手から投げられた不死斬り「開門」が迫っていた。

 墜落する戦車から脱出出来ず、その不死斬りを宝剣で弾き逸らすも、既にもう忍びが目の前。命から涙を流せと拝涙(不死斬り)が振われた。更に咄嗟に暗帝は払い弾くも―――首に、短刀。

 その短刀こそ義手忍具、瑠璃の錆び丸。

 刃から毒霧を散らし、鮮血を噴水のように飛ばし、暗帝を一瞬で忍殺した。

 人類史において短刀で喉を刺して自害し、母親に盛られた毒で苦しんだ皇帝を殺すには余りにも概念武装として相応しく、故にネロにとって最大の皮肉となる殺人手段。忍びはネロの生涯など詳しく知らないが、業を宿す直感でその忍具を選ぶ当たり、彼の死に対する感覚は鋭利に過ぎると言うもの。

 そして、義手から鉤縄を飛ばし、投げた不死斬りを即座に回収。再度、修羅と化した忍びは不死斬りの双剣に構えて疾走を開始。

 

「――――――」

 

 首を斬られた人間の死に様は壮絶だ。心臓がポンプの役割となり、鼓動に合わせて血が吹き出る姿。そして臨死の光景であってまだ暗帝は死んでおらず、故に錆び丸の猛毒で苦しむしかなく、同時に霊核を斬られたことで死ぬ以外の運命は許されない。

 暗帝は毒に苦しみ、喉を押さえながら悶え、戦車ごと墜落。ネロは複雑そうにそれを見て―――隣の、ブーディカが喉を苦しそうに抑える様子に悪寒が走った。

 

「―――……あれ?」

 

 けれど、その時――マシュは違和感の正体に気が付いてしまった。そして赤子の悪神に感じていた違和感が親近感に変わり、その親近感に対して恐怖心が連動して湧き上がる。

 何故、あんな存在を祝福する気になってしまったのか。

 何故、人を食らう悪の神を尊いと感じてしまったのか。

 何故、何故―――と疑念が一気に啓蒙された。瞳は嘘を脳に吐かず、現実は悪夢に汚染された

 

「わた、し……――?」

 

 デミ・サーヴァント計画。人間へ英霊を憑依される生体兵器。所長の呟いたグノーシスのヤルダバオドと、それと関係がない筈の悪魔神のアンリ・マユ。

 

〝ママとは……―――誰、ですか?”

 

 直後、気が付いた。マシュの思考回路が恐慌した。本当は気が付いてはいけない真実。如何程に改造を施されようとも聖杯は聖杯。願望器は願望器。願いを叶える物であり、それは人間の欲望がなければ起動しない。魔力に指向性を与える人の意思が必要である。

 その答えを、既にマシュは無意識に呟いていた。

 赤子の悪神を作るのに、その神核に何が使われたのか―――見抜いてしまった。

 

「……ぁ―――――――」

 

 そんな事が許されて良いのか。悪の名の英霊(アンリ・マユ)を憑依された自分の複製体(クローン)が、赤子の神核を生み出す素材に使われているなんて、マシュの理解して良い現実ではなかった。

 混沌。深淵。シモン・マグスのグノーシス。その思想より作られたヒトの神、ヤルダバオド。

 そしてグノーシスの神より遡り、より古い原初の悪を英霊の座から情報を引き抜く錬成儀式。

 神霊ではなく、肉を持った神として受肉。聖杯を子宮にして生命を煮込み、ローマを素材に悪性情報を煮詰め、神核をソウルとして聖杯より錬成された存在。

 

「ま、ま……ま、ママ、ママ。ママ、マママ、ママママママ」

 

 マシュ・キリエライト(オリジナル)を母として求める邪悪の神子が居た。

 

「―――!」

 

 叫び声も上げられぬ。対巨獣用武器を無意識に展開。マシュの大盾に仕込まれた武装は十を越え、機関銃から榴弾砲に換えた。そのまま介錯の慈悲と現実への絶望の魔力を込め、カルデア技術部製のグレネードを発射。そして義手の武装化形態も十を超えるも、まだ使いこなせるのは二つか三つ。

 名付けて変形武装運営システム、アーマード・コア。

 悪夢の才人オルガマリー・アニムスフィアがプログラム開発した狂気。

 グレネードランチャーを僅かに口元が歪む狂笑で放つマシュは、カルデアの科学力が生んだ恐るべき榴弾狂い(グレネーダー)である。尤も今は、この現実に恐慌した故に笑みを浮かべて正気を狂わせるしか理性を保つ手段がなく、その理不尽に対する抵抗としてグレネードの強烈な破壊に魅入られることで、狂気に対して狂気をぶつけて己が意志を中和作用で維持している状態。

 

「ママァァァアアアアアッ――――!!」

 

 榴弾が破裂し、肉塊は爆散。邪神の赤子は母親(オリジナル)に顔面を爆破され、理性も知性もない白痴の精神で泣き叫んだ。その叫び呼応して上空に数多の火炎弾が浮かぶ。灰が見れば吹き溜まりで何万回と狩り殺したデーモンの王子を連想させる攻撃方法だが、混沌より誕生した人理由来の悪魔となればその遺志が継がれるのも不可思議ではない。

 直後、赤ん坊は背中から翼を生やした。悪魔のような蝙蝠の羽であり、そのまま全身から暗い深淵の炎が溢れ燃える。聖杯(子宮)から暗孔(産道)を通って堕ちた未熟児は体が一瞬で引き締まり、筋肉質な五体へ変化して巨躯となり、大きな頭部は相対的に丁度良い人体パーツに変貌。母親からの拒絶虐待(ネグレイト)が、混沌へ素晴しい人間性的刺激を与えた。

 

「あぁぁ……ぁぁああ”ああアアア”ア”ァァアァアアアアーーー!!」

 

 成長した赤子は悪の神へと進化。悪意のない悪行を為す無邪気な邪悪は、混じり気のない純粋悪として破滅の悪意を持つ人間性へと化す。赤子(それ)に対し、カルデアは忍びを援護する為に一斉砲火を始めた。

 所長のガトリング砲が火を噴き、ネロは火炎斬撃を飛ばし、ブーディカは黒い魔力弾を宝具の魔剣で撃つ。

 エミヤは浮かべた投影宝具を放ち、清姫は竜化して火炎を吐き、藤丸は簡易召喚した騎士王の聖剣を放つ。

 そしてアルテラは三色光剣から虹の波動を放射し、マシュも義手からカラサワによる魔力光線砲撃が奔る。

 

「―――すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)―――」

 

 その大破壊攻撃を、神祖は闇に侵された結界宝具で防ぎ込む。愛の城壁は神祖が抱く愛の強さであり、空間を分断する絶対羅馬領域だ。しかし、それでも一斉攻撃を止めるには質量不足は否めない。

 

「―――すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)―――」

 

 尤も、その程度の問題は容易く解決するのが初代羅馬王ロムルスである。槍の樹林を解放し、城壁の前に展開することで攻撃に対するクッションとなり、ローマは何もかもを受けいれる絶対的な守護空間を作り出す。

 勿論の事その防御は攻撃にもなり、暗帝を戦車諸共対空忍殺(切り捨て)後、悪神へ走る忍びを巻き込んだ。

 故に忍びは燃え上がる。修羅の火ではなく、土地神の霧からすによって羽が焼け、消えるように樹木も城壁も全て擦り抜ける。

 そして、悪神が浮かべた火球が一つに凝縮。

 空中で混沌の火の球となり、その太陽は周囲全ての太源を貪り、空間が釜の中のように灼熱で気温が急上昇。ローマ市街全てが熱波に襲われる。

 ローマン・コンクリートの石作りで作られた建築物が融け、溶岩のように崩れ出し、ドロドロの赤い泥となって人間の街が崩壊した。対環境防御機能を持つ礼装を着込む藤丸は離れているのもあって蛋白質が焼ける人体融解で死ぬことはないが、明らかに使用者を殺しに掛っている灼熱のサウナ室に入ったような状況に陥った。もはや太陽下はサーヴァントだろうと死ぬしかない炎獄であり、近付くだけで霊基融解は避けられず、ジークフリートやヘラクレスのような宝具の守りがなければ即死だろう。

 だが―――修羅(シノビ)は例外。

 己の中に積もる遺志の怨嗟が、悪魔の火を飲乾す焔の陽炎となる。

 むしろ、悪魔の赤子の怨念に満ちた火炎が修羅に積もり、二つの不死斬りに宿る怨嗟の炎がより燃え上がった。

 

「――――――――――!」

 

 赤子の悍ましい泣き声。太陽が忍びに堕ちる。しかし、それこそ修羅(シノビ)にとって好都合。真っ向から不死斬りたちを構え、斬り払い、火の玉が形を崩して火炎が忍びを覆うも、その炎全てがまるで吸引されるかの如く刀身に纏わり付いた。

 修羅の如き―――纏い斬り。

 そして、秘伝・不死斬りによって忍びは念を限界まで込め、力を引き出し―――炎と更に交じり合った。

 

「……ぬぅ―――!」

 

 忍びは常に冷静冷徹にて滅私奉公の精神で動くも、熱さと呪いの混沌で呻き声が漏れてしまう。それ程に二刀の不死斬りに宿る神秘が強大に過ぎた。

 そのまま刀を義手で握った儘、彼は器用に忍義手に仕込まれた鉤縄を放つ。赤子の皮膚に鉤が引っ掛かり、一気に巨躯を上がり切った。

 場所は喉元。地面はなくも忍びの体術で業は万全。

 空中にて、不死斬り双刃が解放された。言わば、修羅の秘伝――纏い不死斬り。

 

「アアァァァアアアア―――!!!」

 

 断頭が為せず、しかし皮一枚だけ赤子は頸が繋がった。しかし、肉も骨も断たれ、無論のこと神経も斬れている。体の体勢を維持出来ない挙げ句、不死斬りの念にて神体だろうと蘇生は出来ず、地面に倒れるしかなかった。

 だが怨嗟の炎を使い果たしたことで修羅から人間に戻った忍びは、追撃の手を一切弛めない。即座に鉤縄を頭部へと放ち、瞬く間に赤子の頭へと接近。その勢いに任せ、双刃は四つ目の内の二つの瞳に突き刺した。そして動きは一切止まらず、突き刺した状態で不死斬りに念を込め、二刀を更に二つの瞳を斬り潰すように斬撃を放った。

 

「――……御免」

 

 相手は生まれたばかりの神の赤子。悪で在れと望まれたが、まだ罪を犯す白痴の心であり、悪しきことをする前の無実の者。それは人が為すには余りにも罪深き殺生であり、罪のない子供に血の涙を流させて殺す罪科の業苦。

 ―――僅かばかりの慈悲を忘れず、しかして何の慰めになると言うのか。

 忍びの中に怨嗟の遺志がまた積もる。落下も終わって地面に降り立ち、忍びは霊基に不死斬り「開門」を仕舞い、背中の鞘に愛用の「拝涙」を戻そうとしたが、彼の優れた感覚がまだ命の胎動を捕えてしまった。

 

「ま、ま……まま、ママ」

 

 喉が斬られて音は出ないが、忍びにはその声無き泣き声が耳に入る。四つ目が潰れて、喉も裂かれ、肉体は動かないと言うのに赤子はまだ死にたくないと足掻いている。母を求めて、悪の為に生き延びようと意志だけで死を乗り越え続けている。

 不死斬り―――介錯の、最後の一刀。

 忍びは赤子の額に拝涙を刺し、その脳を破壊するように念を解き放った。

 魂が死ぬのを感じ取り、刀身を引き抜く。赤子は泣き止み、黒い返り血を全身で浴びる。彼の一肢を除く五体に悪魔の呪詛に満ちた血液が、まるで修羅の熱を冷ますように忍びを癒した。そして、呪詛の全てが怨嗟の炎を秘める義手に流れ込み、呪いによって業は更に深まった。

 

御苦労(ローマ)。お前の業、正にローマの罪科(ローマ)を清める慈悲(ローマ)深い介錯であった」

 

「………」

 

 忍びの視界にいる神祖。だが彼の手に神樹の槍はなく―――赤子の心臓に、何故かそれが突き刺さる。

 

「灰の語るお前の宝具―――開門か。(ローマ)は気に喰わぬが、既に我が(ローマ)は操り魂である故に。

 だがローマと世界を救う道程(ローマ)をお前たちに託すには試練を課すしかないとは……あぁ、ローマではないのだが」

 

 そして、赤子は神樹の栄養分と成り果てる。子供の屍を土壌に暗い樹木が一本だけ生え、根っこが伸び、その頭部が樹の実となって宝具に吸収される。

 まるで、命のない鉱物と植物を混ぜた古竜のような。あるいは、巡礼者の繭から孵った天使の如く。

 

「――――!」

 

 忍びの感覚で壮絶な悪寒が奔る。即座に神祖を殺さないとならない。手遅れだと直感したが、その予感を斬り捨てなければならない。

 ならば、迷う暇なし。奥義、大忍び刺し。

 忍びの業独自の歩行で接近。そのまま神祖の心臓を突き―――その手応えの無さに、忍びは秘伝大忍び落としに技を繋げることなく離脱した。

 その判断は正解である。神祖の霊体は宝具と融解しており、もはや人間性を進化させた不死たちのように肉体を古竜と似た樹木みたいに変貌している。霊核は消え、霊基も虚ろとなり、宝具と灰の魂の欠片によって自分ごとローマの大樹を再創造してしまった。

 

「転生させた者を更に転生させる……重なり、歪む、輪廻の環……ッ――悍ましい事を。

 こんなことすれば人理以前に、世界を観測する為の魂が生まれた星幽界の輪廻が崩壊するわよ!?」

 

 叫び声を上げる所長の瞳が一体何を映しているのか全く周囲の者は分からないが、何か悍ましい悪夢が生まれ出ようとしていることだけは直感した。

 

「良き智慧者だな、貴様。見ただけで解するとは。

 そうだとも。これこそ、余が創造せし新生ローマ帝国の――――始まりだ!!」

 

 宝具である戦車と死体になった騎馬は既に神樹の根波に取り込まれるも、暗帝は忍びに殺されたのに健在。彼女は皇帝特権(縮地:A)で移動を終えており、樹木化する悪神の赤子の上で歓喜を示す。

 直後―――額に風穴。

 所長は持ち替えた貫通銃で水銀弾で狙撃を行い、暗帝は何でもないように死から蘇生した。

 

「―――不死ね!?」

 

「そうだ、星見の狩人! 余のソウルのラベルはブーディカと同じ名だ!

 今の貴様の瞳なら、我が女神の業で隠されていた名を視えるだろう。世界は不条理だが、しかして矛盾を許さぬ馬鹿げた舞台劇場である故に―――余は、不死である!!」

 

 それが、シモンが残した最後の土産。宮廷魔術師は己の魂の本体部分をブーディカに隠し、だがその大部分を暗帝に託している。それがソウルに定着することで、暗帝の女王の二人は同時にシモンとしても特異点で存在する生きた人間でもある者。

 暗帝は、死ねないのだ。ブーディカが死なない限り。

 一度死んだことで灰の施す偽装魔術がソウルから剥がれ、暗帝はもはや所長に露見することが分かり、この絶望をカルデアへと告げたのだった。

 

「あっハハハハハハハハハハハ――――ブーディカよ、残念だったな!

 貴様にだけは、決して余は殺せぬのだ。そしてカルデアよ、仲間殺しの罪を背負う慈悲が無くば余は殺せん!」

 

 全ての狂気に、此処では理由があった。灰の魂に狂わされたシモン・マグスのグノーシスを完成させる特異点。既に張本人は死に、その魂が遺志として二人の女王に継承された後。ブーディカが恨むローマは既に崩壊し、本当に憎むべき宮廷魔術師は自分と暗帝の魂に忍び込んでいた。

 その事実に彼女は眩暈がした。

 憎悪にさえ価値があるこの特異点を作る遺志。

 特異点創造の原因を生み出した真の元凶―――火の簒奪者、アッシュ・ワンを恨む気力も失う圧倒的な絶望感。

 

「これこそが、余の暗黒帝国創生の第一歩。

 国造りの新たな土台―――魔神樹クゥイリーヌスの創造である!!」

 

 神樹から伸びた蔦が暗帝に絡み、四肢と同化し、背中から樹の根の翼が形成された。神々しい白い羽は天使のようで、あるいは蝶のように美しい。

 聖杯とソウルを融合させている暗帝は、幾度も聖杯を転生させることで羽化したのだ。そして、この特異点もまた暗帝と同じく繭だった。蝶が生まれる前の蛹の中がドロドロに蕩けている様に、特異点の中身が溶岩のように人魂の泥が煮込まれているのは道理。

 

「文明の獣性など生温い―――!

 人間は、人間だ。我らは、我らだ。余たちの魂は、決して未来(ユメ)を諦めない。

 母なる星など要らぬ。人理など要らぬ。抑止など要らぬ。我ら人類種は、己が魂だけで世界を謳歌する存在へ進化するのだ!!」

 

 これ程の悪夢を“()”む人間―――だが、暗帝の霊基はライダーだった。彼女は彼女の儘、人類悪に成らずとも人類愛だけで世界を作り変える意志を抱いた魔王であった。

 シモンが夢見たグノーシスの、神も人理も阿頼耶識も捨てた人間だけの世界。人間が何も縛られず、人間同士だけで繁栄する人の世界。完全に独立した魂たちだけが存在を許されたソウルの王国。

 人の暗い(ヤミ)から誕生した世界だからこそ、きっと暗帝の暗黒帝国は人間で在る事が永遠に許される。

 

「――――ぁ…………余は、其処まで……獣性からも、魂が不適合に……」

 

 ネロは生前の自分の余りの有り様に、目を逸らすと言う自己防衛も忘れる。左手で顔面を覆い、頭蓋骨の中身がミキサーに掛けられた頭痛に襲われ、だが目を大きく開いて瞳が輝いた。

 暗い魂が染み込む。血の涙をネロは流し、贖罪を行いたい衝動に襲われる。

 死にたかった。死ねば、誰かの魂になれば良い。死ねば、誰かの遺志が憎悪から晴れるなら幸せだ。

 

「憐れな死人だな。だが、死した後に得た文明の獣性である淫婦の伝承。それを混ぜられた座の余……英霊、ネロ・クラウディウス。

 貴様のソウルは余と鏡映しである故に、ただの人間の女に過ぎぬ余もまた獣の資格を持ち得るが……あぁ、人理に封じられた悪性など要らんよな」

 

 魔神樹が最後の転生を行うこの瞬間。

 ローマの悪魔(デーモン)、魔神樹ネロ・クゥイリーヌスが生まれる刻。

 

「この人理を欲するならば証明せよ―――カルデア!

 人が人理を不要とする余の新しき世界を、己が魂で滅ぼしてみるが良い!!」

 








 読んで頂き有難う御座いました。
 とのことで、やっと既に死んでいる元凶の宮廷魔術師さんがアップ出来ました。聖人の弟子をしていた魔術師でしたので、色々と人間性について拗らせている雰囲気です。分かり易い順番を説明しますと

 時間神殿の聖杯
 ↓
 聖杯を拾ったシモンが聖杯に願い、グノーシスの神を望むシモンの意志が溶ける
 ↓
 聖杯を混沌にシュート
 ↓
 悪神ヤルダバオドの因子が聖杯に具現
 ↓
 混沌より、聖杯のデーモン誕生
 ↓
 デーモンを殺してソウル化
 ↓
 錬成炉と鍛冶の神の業で、そのソウルを灰が鍛える
 ↓
 混沌の聖杯
 ↓
 マリスビリーから貰った遺伝子マップから作った葦名特異点のマシュ・クローンに反英霊アンリ・マユを憑依させたデミ・サーヴァントを、混沌の聖杯にシュート
 ↓
 ローマ特異点を繭にし、悪性情報を聖杯に流して煮込む
 ↓
 成長し、ヤルダバオドの思想を最初の悪神アンリ・マユが中核となる
 ↓
 魔神柱フラウロスの魔力で肉を得る
 ↓
 悪神のデーモン、アンリマユ・セプテムが誕生
 ↓
 狼が不死斬りで介錯。開門を使った事で、転生の為の新たな道が聖杯に開く
 ↓
 神祖がそのソウルを道に流し、宝具が形が崩れ、創世の大樹に戻る
 ↓
 魔神樹クゥイリーヌスが誕生
 ↓
 聖杯と同調する暗帝が覚醒。英霊ネロの伝承が持つ獣性も使い、魔神樹ネロ・クゥイリーヌスとなる

 と言う雰囲気にだいたいなります。


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啓蒙66:アウグストゥスに、涙の星を

 生まれたのは、獣の苗床。



 人理など、そも人の魂に不要。此処で、獣の名は焼却された。大淫婦バビロンなどと言う貴き獣性は方舟に無用。新たなる人類帝国の創造主、暗き皇帝ネロ・クゥイリーヌスが誕生せし刻。繭に作り直されていた特異点は役目を終わらせ、羽化した異界は真の姿を取り戻す。

 それは、星を侵す方舟。

 侵食固有結界――アウグストゥス。

 惑星を宇宙を永遠に旅する方舟とする異界常識。

 今此処に、あらゆるローマが世界となって凝固した。

 人理(ヒューマニティ)とは―――人類史の人間性(ヒューマニティ)に他ならない。

 悪から生まれた永遠の帝国を理とするならば、これが新たなる原罪となって人を繁栄の未来に導く事となる。故に、悪であることは不幸ではなく、闇であることも罪科ではない。

 永遠に生きるのは苦しいかもしれないが、それこそこの帝国にとって人間の善性となる。そして、繁栄を求めない暗き人理だからこそ、未来を求める等と言う間違いは発生せず、人の魂は個人個人が独立した人間性となる。故に未来を求めるのは、集合無意識から解放された個別の魂の特権となる。その上で闇で在れと最初から望まれた人理であれば、きっとあらゆる矛盾を踏破する。

 獣性が挟まる余地が一切ない闇。

 悪から生まれた故に、全ての人類に望まれた絶望。

 苦痛に溢れる暗い未来を、苦悶の世界だと魂が実感しない場所。

 

「―――人類愛など、余は要らぬ。

 人理ならざる人間性を、余は何もない人の闇から生み出したい」

 

 その始まりとなるローマの創造樹。暗い人の大樹が、グノーシスの悪神を種に誕生した。神祖が魔都を覆っていた森林は赤子を宥める揺り籠であり、今この場においてずっと特異点を養分に成長し続けた異界は本性を現した。

 

「余は余として―――生きていたい。

 此処までしなくては生きられない今の人理など、余の魂にとって殺すべき怨敵だ」

 

 生きたい、と言うのは愚かしい人道的欲求だった。真っ当な人間が苦しみながらも戦い続け、それでも生き抜いた先にそう願うのは美しいが、世界を心底から怨む故の生存欲求は生きることがそも地獄。

 しかし、その筈なのに、今の暗帝は美しかった。

 光り輝く翼は樹の根で作られているも、だからこそ神のような自然存在。

 シモンのヤルダバオドを養分にし、マシュ・クローンのアンリ・マユを種子として、聖杯を子宮に生み出された魔神樹ネロ・クゥイリーヌス。そして、今の暗帝は使徒にして頭脳体。

 

「あぁ……――」

 

 故、瞳持つ所長は全てが啓蒙される。狂おしき悪夢の正体――魔術、英霊召喚。凡そ三千年前、嘗て神より神秘を啓示された者―――魔術王ソロモン。

 そんな魔術師の王が啓蒙した魔術式は、この特異点において人理の味方であり、同時に最大の脅威。

 ならばこそ今の暗帝は、美の神を喰らった女。あるいは、魂を貪る麗しき淫婦である。暗帝の霊基(ソウル)には仕込まれた召喚術式が魔神樹出現と共に起動し、混沌の中へ更に美の女神が捧げられていた。そのデーモンは瞬時に貪り喰われ、こうして暗帝の霊体にソウルとして具現化した。

 だが、神霊の霊基憑依が一柱だけに制限する意味はない。その為のソウルの業。暗帝の魂はブラックホールのように底無しに貪欲なソウルと化し、喰らえられるエネルギーに限界はない。そして灰にとって人に仇為す神とは愚弄する者でしかなく、その魂を貪り己がソウルに還元するだけの栄養素に過ぎない。

 暗い彼女の宝剣は光を放ち―――軍神の光剣に生み変わった。

 黒い炎のように燃え輝き、アルテラの持つ機械的な宝具と瓜二つの武具。

 その黒光は騎士王が放つ聖剣の斬撃極光に欠片も劣らず、正しく今の暗帝は斬撃皇帝を名乗るに相応しい威容を誇る。

 

「―――なんて、在り様なの……」

 

 狩人で在る所長からしても、魂の冒涜を極める女は悍ましい人間だった。人の尊厳を穢す美しさが、暗帝をより美麗なる魔人(ヒト)へ作り変えてしまってした。

 そして同時に、魔神樹は一本の創世樹から真なる神の獣へと転じる。何も啓蒙されぬ者であれば、浮遊する巨大な木製の海鼠(ナマコ)に見えなくもない。手足がない姿は脈動する太いワームのようでいて、円形の暗い穴の口だけが蠢いている。

 

「……っ―――古い獣を、模す何て!?」

 

 暗帝ネロの新たな騎馬。名を―――魔神の樹獣(アウグストゥス)。創世樹が作り出す暗きローマの種だった。

 

「ふっははははははははははは―――! 見るが良い、カルデアの罪人共よ!!

 これこそ余の暗黒帝国を始めるローマ創世神話の―――序曲(オーバーチュア)

 この特異点に生きる全ての魂を、人理の外側へ運び出す方舟に他ならぬ!!

 人の魂が何者にも縛られぬ暗い世界(ソラ)を旅し、やがて全てが余のローマに成る為にあらゆる星々を獣へと捕食するのだ!!」

 

 瞬間―――この特異点が砕ける音が響く。

 

『所長、いい加減限界だ。聖杯で特異点を維持するにも、こんなモノが生まれたんじゃ聖杯だろうと限度がある』

 

「あら、ロマニ。悪魔殺しの逆探知阻害の為、そっちからの通信は―――」

 

『―――心配してる場合はとっくに超えたよ!

 あの悪魔人間は、裏切り者のディールを抑えるのに精一杯の筈さ!

 それよりあれは、ただその場にいるだけで特異点を押し潰す魂だ!

 こっちで観測した特異点のデータからも、アレが何もせずとも特異点崩落は確定された未来予知として検出出来た!!

 あの獣の口に、あらゆるエネルギーが吸引されているんだ。

 もし……もし、あれがこの特異点から解き放たれたら、焼却された世界はその炎ごと全てを吸い込まれてしまう。人理の修正をカルデアが為したとしても、その直される人々の魂が全て消え、太源(マナ)も惑星上から消失する。

 つまり、この儘じゃ―――人間が、生きられる星ではなくなってしまう!!』

 

「事実でしょうね。それにこのままだと一時間とせず、英霊を維持するエーテルもこの特異点から消滅する感じ。凄いわね、抑止力が稼動する為の魔力源をそもそも喰い潰すなんて。

 私だって通常の魔術は太源(マナ)では使用不可能となって、小源(オド)だけに限定されるでしょう」

 

『だったら―――!』

 

「安心して。あの裏切り者の参戦は悪魔の御蔭でないの。

 だから、どうとでも出来るわ。安全に、私たちも死力を尽くす余裕がある」

 

 所長が見た最悪の未来。それはこの場に灰が居る事。そうすれば人理焼却が幸福な未来だと思えるような末路でこの平行世界は完結し、他の全ての平行世界は古い獣によるソウルの蒐集から救われる事だろう。人生に目的を抱けない灰が、己が魂の為だけに暗い人間共を何時も通りに救世するのだろう。

 しかし、古い獣の主人である悪魔殺し本人が、彼の世界がそう終わった様に―――獣の模倣による人理終焉を阻止していた。如何に自分と自分の古い獣に関係ないのだとしても、古い獣を増やす所業を彼は許せなかった。とは言え、その悪魔の願いもカルデアが勝ってこそ叶うものだが。

 

「――――ふん!」

 

 暗帝は愉悦に浸る。力が漲り、魂が昂って仕方が無い。だからか、気分の儘に、前触れもなく、斬撃暗帝は黒い光剣を何となく力試しに振った。自分が手に入れた神秘の程を確認する意味合いしかない暴力だった。彼女からすれば木刀の素振り程度の準備運動の一振りでしかない。

 しかし、黒光剣からは深淵の名を冠するに相応しい光帯が伸び、蹂躙されたローマ市街をあっさりと両断。その斬撃軌道上には所長達もおり、敵を容易く皆殺しにする斬撃の極光が通過した。

 

疑似展開(ロード)()人理の礎(カルデアス)……ッ―――!!」

 

 そして、マシュは宝具の真名解放を余りにも簡単に間に合わせた。本来なら唐突な死に真名を唱える暇などない筈だが、今のマシュが持つ知覚は人域の極致へ辿り着き、迫り来る全ての脅威を事前に悟る守護の心得を手に入れてしまった。つまるところ、黒い光剣が振われるのと全く同時ならば、真名解放による隙など最初から存在しない。

 憑依された英霊に関係なく、マシュ・キリエライト本人の魂が―――開眼した。

 魂を誰よりも理解する灰ならばこう確信することだろう。マシュが英霊に相応しいのではなく、その英霊がマシュの魂が至れる極点の業に相応しい故に、力となる資格があったに過ぎないのだと。

 

「先輩…‥これが、カルデアの使命なのですか?

 何故ここまでして人理を蹂躙するのか、わたしには分からないんです。そんなにわたしたち人間がただ繁栄することが罪なのか、わたしは知識で歴史は知ってはいますけど……確かに人間は沢山の生命種を絶滅させて、何万年前に他の人類種も滅ぼして、そこから更に同属のホモ・サピエンス同士でさえずっと殺し合って繁栄して……このローマや、あのフランスでの出来事をずっと繰り返してきましたけど……けれど!!」

 

 特異点でマシュが見た―――悪。罪を為す事が悪ならば、人は如何足掻いても悪性霊長類。人間社会の繁栄は罪科によって積まれた歴史。戦争も本能より尊ばれる生存欲求であり、縄張りと言う資源(リソース)の奪い合いから始まる営みだった。現代ならば、一国家における経済活動圏もまた縄張り争いの一種だろう。

 しかし、特異点での邪悪はそうではない。

 人の魂を苦しめる唯の地獄。そう在る事だけの望まれて作られた異界。

 むしろ、その事によって人類種に利益が出てしまう循環機構。マシュはまだ悟れないが、灰が仕組んだシステムはあらゆる人理の魂にとって最優先される人間運営の仕掛けとなっている。

 

「特異点での“善”に―――明日は、ありません……!

 人が良いモノだなんて夢をわたしは見れないですけど……だけど!

 それでもわたしたちの小さな魂には―――尊厳が、在らねばならないんです!!」

 

 マシュが見るあの悪神は、人間の魂から生まれた人間性(ヒューマニティ)によって作られた犠牲による悪だが、故に人理(ヒューマニティ)を獣から護るのに相応しい人間共の罪科であった。

 狩らねばならない生命―――……葬送の意味。

 カルデアが守らないといけない人理の世界こそ、悪に落とされた犠牲者にとって惨たらしく滅ぶべき地獄の世界だった。

 その矛盾を理解した上で人理焼却を阻止するのであれば、マシュは他者の命を剪定しなくてはならない。マスターを守る盾で在れば良い、等と言う思考停止は許されない。その手で握り締める聖なる盾を兵器として遣い、敵の魂を打ち砕く鉄槌として血に染めよ。

 例え、相手が命であろうとも。

 例え、相手が神であろうとも。

 例え、相手が守るべき弱者なのだとしても。

 人々を滅びから守るとは、どうしようもなく罪深い冒涜的虐殺者になると言う事。

 人理を守る為に何故、人殺しを讃えられる英霊が抑止から召喚される意味を知れ。

 死した英雄の魂をその身に宿し、その遺志を継承すると言うならば―――これまで殺した相手の遺志も同様、己が血にして生き足掻く。

 犯した罪も、為した悪も、自分で在る。

 戦い、殺し、勝って、それで救われた命も、守られた善も、自分自身(マシュ・キリエライト)となる。

 悪からも、善からも、逃げてはならない。絶望の闇に心を折ってはならない。希望の光に瞳を閉じてはならない。罪を犯す事から目を逸らしてはならない。自分の盾が助けた命を蔑ろにしてはならない。

 継承せよ。受け入れよ。

 自分で始めた戦いから、自分自身の魂から、絶対に逃げないと決意せよ。

 もし、己がマスターを最期まで守ると―――あの献身に応えると決めたのであれば……例え、相手が生贄として作られた自分自身が敵なのだとしても。

 

「分かってるよ、マシュ。だって、俺は今―――生きている。

 意味も分からず、このまま死んで堪るか。俺の命はもう俺だけのモノじゃないのだとしても、それでも俺の命は最期まで俺の命だ!!」

 

「はい、マスター!」

 

 何故、あれを前にして前を向けるのか。通信越しでロマニは理解出来たからこそ、その意志に辿り着ける藤丸とマシュの二人をまだ理解出来ない。彼の今の人間性では悟れない。

 しかし、綺麗な白亜で在るだけの魂に価値など皆無。

 大切なのは血に汚れようとも、その時の自分が抱いた意志を決して忘れない精神。

 ロマニは何故、この人理焼却を無視しなかったのかを思い出す。あの時に初めて得た己が人間性が、逃避を選ばずに足掻いたのか……何だか、何かを掴めそうだと彼は呼吸を止めて無心となる。

 

「ロマニ」

 

『―――……え、あ。あぁ、どうしました所長』

 

「敵が動きを止めてるからちょっと話すけど、そうね……告白すると私って化け物なのよ。ちゃんと人間では在るけどね」

 

『何を突然。カルデアの皆はそんな事は知ってますよ。そもそもが、上級死徒を玩具にする時計塔史上最狂のロードだって。

 固有結界で隕石降らせますし、魔術の腕前だって異次元ですし。

 マリスビリーが必死に大勢の魔術師を集めたのに、後任で来た所長がいれば別に良いんじゃないって雰囲気、今でも忘れられませんよ』

 

「貴方に魔術を褒められるのは最高に気分が良いけど……ま、厭味を感じなくもないわね。分かってても知らない振りをする暗黙の了解って必要ですし」

 

『―――助かります』

 

「とのことで今回で多分だけど、いざって事になる。後、貴方に宜しく頼むわね」

 

『あぁ……―――そう、所長が命じるなら、良いです。

 そうするのが、カルデアと人理にとって一番なんでしょうから』

 

「貴方に与える負担を考えると心苦しいけど。そもそも頼めるの、レフの爆破テロがなくても貴方くらいだし。まぁ藤丸とマシュもいますから、特異点攻略は問題ないわ。後、顧問とも今まで以上に仲良くしなさいね。

 ……それと、死ぬ気はないので。悪魔でも臨時よ、臨時。私が戻って来るまで、貴方は死なずに守っているのが約束だから」

 

『了解しました―――……御武運を、オルガマリー』

 

「まだ御別れじゃないけど。うん、分かってくれるなら私も安心して戦えるわ」

 

 他のカルデア職員には聞こえない秘匿通信で会話を終える。所長は不安をあっさり払拭させ、自分の力に感動して瞳を輝かせている最中の敵を見据えた。

 暗帝を殺すには、同じ魂であるブーディカの殺害が必須。

 しかし、その前に魔神樹を暗帝から伐採しなくてはならない。

 

「オルガマリー……―――私が、あれを破壊する。

 何故か分からないが、あれがこの星から旅立つ者ならば、私がきっと打ち砕かないといけないんだ」

 

 幾つか手段が殺戮技巧より所長は思い浮かぶも、その思考をアルテラが断ち切った。尤も成功率の良い手段を思い付いていたが、その為に必要な者が既に犠牲を覚悟にした瞳で所長を見詰めていた。

 

「良いの? 死ぬわよ?」

 

「あぁ、死のう。私ごと、この文明(ローマ)を破壊せねばならないのだと思う」

 

 そして、その殺意に魔神樹は反応。口を更に大きく開けて吸引を強め、まるで特異点が吸い込まれるように空間が一点に縮小を始めた。恐ろしいのは物理的な干渉は一切なく、だが確実に空間が特異点ごと小さくなっており、太源も刻一刻と減少し続ける。

 空が、落ちる。暗い、暗い、宙が近付く。雲が獣を中心に渦巻き、土地が流れ始める。

 ソウルの霧が視覚化され、死した人々の魂が叫ぶ嘆きと痛みに満ち溢れた。耳を塞いでも聞こえる人々の絶叫は、まるで雨と雷が降り注ぐ大嵐。魂が泣き上げる苦悶の雄叫びが脳髄を焼き、ただこの場にいるだけで正気を削り取る地獄となった。

 

「ネロ公、とっとと乗れ。今だけは特別だ。我が怨念、あの暗帝に全てぶつけてやる!」

 

「感謝する、ブーディカ!」

 

「ブーディカさん、わたしも―――」

 

「―――キミはマスターを守るんだ! 良いね!!」

 

 即座、役目を悟るブーディカはネロを自分の戦車に乗せ、暗帝へ向かって飛んだ。それを見た暗帝は女神のような超越者の微笑みを浮かべ、翼から暗い炎を吹き出して飛翔する。そして天に数多の魔法陣が刻まれ、そこから黒い光柱がローマ市街に降り落ちる。

 狙いはブーディカの戦車。しかし、彼女の騎乗スキルによって回避運動を行い、その上でネロは皇帝特権で戦車の運動機能を強化した。結果、暗帝が光剣より招来させた黒光柱は狙いを外し、市街地を更に破壊する。

 

「行くかね、清姫」

 

「はぁ、仕方ありません。変身の繰り返しは霊基に悪い……のですが!」

 

 飛び立つ蛇竜の清姫(バーサーカー)。カルデアに来て以来、すっかりドラゴンに乗り慣れたエミヤは真名解放した清姫の頭上に立ち、そのまま弓兵に徹して狙撃砲台となる。

 そして軍神と美神のハイ・サーヴァント霊基となった暗帝(ライダー)は、自身の樹翼によって戦車を失ったとしても十全以上に空中戦闘(ドッグファイト)が可能。

 

「所長、あのネロは皆が引き付けてくれた。けど、あのデッカイ怪獣はどうすれば……」

 

「準備中。藤丸は令呪の準備をしておきなさい」

 

「所長、すみません。咄嗟にわたしもグレネードランチャーを撃ってしまって」

 

「それは良いのよ。後、あれはランチャーじゃなくてキャノンよ。直線軌道で榴弾をぶっ放してるでしょう。技術部のヤツら、その辺に拘りあるから、グレネードのランチャーモードとキャノンモードの言い間違いは気を付けてね」

 

「所長も大概ですけどね……いえ、兎も角! そのグレネードを使ってしまい、わたしにはあの樹の魔物を倒す火力が……いえ、まぁ近付けば射出剣のパイルハンマーで弩突(ドツ)けますけど……」

 

「あのグレネードは虎の子の一発だもの。プラスアルファで、私たちカルデアの技術部が錬金術で作った秘蔵の火薬も合成してるしね」

 

 カルデア傘下の多数ある軍事企業。その源流こそカルデア技術部の発明品。父親が残した莫大な遺産を運営し、それを増やしながらも国際経済を碁盤遊びのように支配するオルガマリーにとって、それらの企業に勤めるが、行き過ぎた頭脳を持つ故に社会不適合者になった狂研究者を保護する施設でもあるのがカルデア技術部の正体の一つ。

 その軍事技術の中心であるカルデア南極本部において、現代社会では有り得ないオーバーテクノロジーの結晶がマシュのパワードスーツ・オルテナウスであり、武装運営システムの名がアーマード・コア。本当ならば、銃の発明が戦争を変え、核の発明が冷戦を生んだように、また新たな戦争形態を作れる程の、国家を解体して人間社会を支配する技術力をカルデアは持つが、それ程に危険極まる集団だからこそ人理を守るに足る組織なのも事実。

 

「ま、どっちにしろ火力でゴリ押しは現実的じゃない。マシュと藤丸はまず、多分あの獣が召喚するだろうデーモンから私とアルテラを守って頂戴。今回は私の隻狼も防衛に徹する。

 ……あれを一気に焼き払うのに、ちょっと準備時間が掛るのでね」

 

 所長の瞳が見た人類史の一つの未来。もしからしたら、カルデアの工学技術が世界を終わり無き闘争の地獄に叩き落とすのを理解しつつ、人理焼却を超えたとて人類史が滅びに進む分岐点が一つ消えるだけ。

 所長の眼前に浮かぶ獣の複製体も、そんな滅びの一部分の更なる一部分。

 そんな狂気と恐怖が連なって、幾度も何度も滅びを超えて来たのがこの人類史。

 だが、戦わないといけない。心が折れる暇など人間にはない。死なない限り、あるいは死ねない限り、人は脅威に立ち向かい続けるしかないのだと―――その瞳で、遠い未来まで知るオルガマリーは、何だか泣きそうになるのを我慢するので心が苦しくなる時があった。

 救いのある終わり。それに辿り着くには、果たしてどれ程の死を経て、最期の人間は死人の遺志を継いで答えを出さねばならないのか。

 悪の神は、人の魂を揺るがす悪性の感動を与える。呪いとは命を殺すのではなく、心へ語る怨嗟であった。狩人である所長であっても、狩りとは関係ない苦悶で迷いが生じるのも当然な思考の濁り。

 

「私が援護するわ、アルテラ。マシュも藤丸もいるし、安心して宝具を解き放って」

 

「ありがとう。私は良い戦友に巡り合えた」

 

「そうね……――そうかも。私も、貴女と同じ気分よ」

 

 そんな決意を、空を飛ぶ暗帝は嘲笑う。あの獣を打ち倒す手段など有りはしない。その事実を魂で正しく理解するが故、今は眼前に飛び舞う玩具を叩き斬るのを愉しめば良い。一人、また一人と切り裂いて、そうすればやがて全員が死ぬ。

 無駄な事だ。そもそも―――不死だ。

 魂を殺したところで、幾度だろうと魔神樹は無から甦る。

 神話に語られるバロールの魔眼であろうとも無価値。死と言う概念が無いのではなく、この世から魂が消滅しても蘇生する絶対の不死性。それが魔神樹の獣。肉体を木端微塵に吹き飛ばしても、霧となるだけで即座に甦ることだろう。

 

「ふは、ふはは……あっはははははははははは!!」

 

 しかし、彼女が愉しくて堪らないのはそれ以前のこと。人理を終焉に近づく程に、暗帝は魂が自由になる実感があった。

 人間として生まれたのなら―――自由に、恋焦がれるのが必然。

 魂がこの世に生まれた時から縛り付けられ、運命が定められているなど耐えられない。

 これは文明の獣性から生まれたビーストなどと、そんな大層な悪ではない。人の未来を導く善でもない。しかし、自由を求めることが獣性だと言うならば、人は喜んで獣に堕ちるのが正しいと暗帝は断言する。

 

「自由の翼。あぁ、余は……わたしは、自由だ。自由なんだ。これが、人の魂だ。

 やっと運命から解き放たれる。神さえも理に囚われた奴隷であるならば、わたしたち人間は最期に滅びるのだとしても、この情熱を自由に震わせて生きることが人生である!!」

 

 エミヤの投影宝具は暗帝の肌一つ傷付けられない。むしろ、触れた途端に投影が砕け散る。清姫の炎も焦げ目一つ付けられず、ブーディカの戦車の突進は指先一つで止められた。無論、ネロが振う宝剣の一撃は暗帝の掌で優しく受け止まれ、逆に刀身に罅が入る始末。

 逆に暗帝が無造作に振う光剣は一撃抹殺。直撃は即ち、霊核の蒸発を意味した。

 それを解するためにエミヤを最初から投影した盾より結界宝具を展開。竜化した清姫をアイアスの盾で覆い、破壊されたら即座に再投影。カルデアの電力を作るオルガマリー製融合原子炉による聖杯級の魔力生成炉によって、エミヤは宝具展開を気にする必要はないが、マスターである藤丸の魔術回路に限界はあるので制限があることに変わりはない。

 だが敢えてブーディカは防ぐことを考えない。機動力に戦車の機能を尖らせ、回避と攻撃に徹底する。

 

「―――自由(ローマ)

 ―――情熱(ローマ)

 ―――未来(ローマ)

 そなたたち、死んで良いのだ。このローマで死ねば、総ての魂はローマとなるのだ。

 此処は悪を経た自由の楽園(ローマ)

 もう、大丈夫なのだ。悪は消えずとも、故に善も喪われず、人間の魂は全てがローマとなるならば、我らは決して絶望に負けぬ人間性を手に入れる!」

 

 天使、戦車、蛇竜。その三つの箒星が暗い街を照らしている。ローマの獣が新たな方舟となる前、暗帝にとって旅に出るのは確定した未来であり、憐れな足掻きを相手に時間稼ぎをすれば良いだけ。

 ―――混沌が、獣から溢れ出る地獄で具現した。

 ローマ特異点で蒐集されたソウルを種子に、獣の混沌からデーモンが産み溢れる。

 獣の口は特異点を吸い込みながら、段々と全身が燃え上がり、溶けた樹木の肉塊が地面に落ちれば、そこが溶岩となって世界が暗く蕩け始める。

 人型の百足。

 爛れた巨人。

 丸まった鬼。

 斧を持つ牛。

 双鉈の山羊。

 コップ目玉。

 燃える蜘蛛。

 竜の下半身。

 そして、燃える魔神樹の上から巨大な人間の上半身が生え出る悪夢。

 ローマ市街は混沌の嵐が噴き上がり、更にその融けた溶岩よりデーモンが蕩けるように生まれ出る。

 正しく、混沌。正しく、灼熱。何もかもを最初に灰が混ぜ込み、何もかもが最後に等しく生まれ、ソウルの業が獣を模して大成した。

 最初の火―――……人間が、それを得る事が何を意味するのか。

 あの世界で、人こそを尤も恐怖した大王(雷神)は正しかった。このような魂を律せないと分かりながら、その理不尽に挑まねば神々の平穏は作り上げられなかった。そして、灰はこの観測を以って新しい術理をソウルの業に組み込んだ。

 

「マシュ、行こう」

 

「はい、マスター」

 

 狂った光景に決意を固めた二人。そして、忍びは躊躇い無く飛び込んだ。しかし、全てのデーモンがカルデアを目指して進軍している訳でもない。生まれたばかりの赤子のデーモン達はソウルの温かさに惹かれ、周囲の生き延びているローマ市民を捕食し始めた。

 斬り潰され、擂り潰され、踏み潰され、呑み回され。中でも悍ましいのは、コップ状の異形に捕まった市民の末路。洗濯機に放り込まれた衣服みたいに体内で回転され、内側に生えた歯で刻まれ、ミンチ状になった肉が一気に排泄される。喰らうべきはソウルであるので肉体は栄養にならないのかもしれないが、それを人間が迎える死に様なのかと考えるだけで頭痛で魂が死にそうになる惨たらしさ。

 だが二人は目を逸らさない。捧げられた生贄で遊戯の食餌に浸る化け物の祭りを前にし、混沌と化した戦場から逃げなかった。

 

「輝ける星。悪夢の空。瞳の深海。宇宙よ……―――」

 

 所長は自己暗示によって夢の中に没頭。己が脳に沈み、視界に幻覚で宇宙が浮かぶと同時に、実際に世界が彼女の宇宙に塗り潰される。狩人の魔術師として体得した擬似・固有結界であり、何時もなら隕石を宇宙から呼ぶのであるが、それで今回は止まらない。自分の悪夢として具現したその心象風景に、アニムスフィアの魔法陣を思い浮かべた。つまり彼女は、光帯が浮かぶ特異点の空に自分の魔術式を刻み込んだ。

 隕石は落とさない。この獣に当てても壊せない。ならばと、壊せるだけの力が必要。

 所長の神秘によって星々は落下軌道を変え、空を流れる隕石同士が虚空にて衝突し、星の小爆発が連続して引き起こされる。だがそれでも尚、彼女は魔術を止まられない。

 真なるカタチ―――彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)

 本来なら、星の小爆発を掲げた両手の宇宙より撃ち出す失敗から生まれた神秘だが、それを所長は失敗作の神秘によって得た啓蒙で魔術師として固有結界化させた魔術にし、今此処で更なる神秘の進化を迎える。

 悪夢の宇宙で起きる星々の小爆発―――それを、彼女は空で直接的に生み出した。

 呼び出すだけではエネルギーが足りない。獣を狩るのに必要な分、自分の脳で星を砕いて集めれば良い。砕いて、砕いて、砕いて、幾度も砕いて、その思考実験を実際に大空で行えば良い。

 

「――――宇宙よ! 星よ! 虚空の銀河よ!

 眠れぬ上位者共、その瞳で私から人間の遺志を啓蒙されよ!!」

 

 だが、只では済まない。所長は目と口と鼻から血が止まらず、内臓も腐り、爪が剥げ、魔術刻印が発火する。全身が神秘の炎で燃え上がり、そして頭蓋からの流血で地面が血溜まりとなった。

 ―――大きな白極の光玉が。

 余りにも美しい輝ける星が、ローマの全てを悪夢から照らし出す。

 

「ぐぅ……ぅ、ぁぁあ……っ――アルテラ。

 こんだけ一気にやれば、貴女のソレも十分でしょう?」

 

 輸血液を太股に刺し、火も流血で消火し、回復した所長はそれでも脳から流れる血涙は止められない儘、アルテラに死に逝く希望を生み出すことに成功した。

 

「あぁ、十分だとも―――!」

 

 アルテラは宝具を解放。光剣の刀身ではなく、柄頭を空に向ける。そこから光を放ち、溜めに溜めた魔力を一気に放射。

 

火神現象(フレアエフェクト)。マルスとの接続開始。発射まで、二秒」

 

 その赤い魔力光はオルガマリーが浮かべた白い小爆発に当たり、アルテラが作る魔法陣と混じり合わる。魔術の神から見ても悪夢染みた魔術式制御によって、彼女はアルテラの宝具と自分の術式を即座に完全融合し、空を覆う破壊の光景を作り出す。

 それだけで、もはやEXランク宝具に匹敵する神秘だ。

 しかし、それでもアルテラは止まらない。まだオルガマリーの小爆発は欠片も減少しておらず、更なる爆裂を待っている。

 

「軍神よ、我を呪え。宙穿つは涙の星―――」

 

 雲を超え、空を抜け、宙に届く其処に光の巨剣が顕現した。衛星軌道上に、アルテラの魔力によって具現した軍神の怒りだった。

 

「―――涙の星(ティアードロップ)()軍神の剣(フォトン・レイ)

 

 宇宙より突き刺すは、怒りの落涙。アルテラが展開する魔法陣の中心に当たり―――星々が、爆発した。

 

「―――――――――――」

 

 混沌の獣に、軍神の旭光が命中する。神秘足る星の小爆発を取り込み、神の権能であるだけに破格の破壊力を持つアルテラの宝具は、今はもはや生きた神だろうと魂ごと葬り去り、完全消滅させる埒外の概念と成り果てた。

 なのに―――不死。獣を、光は貫けない。

 炎が呪文となって纏わり、防御膜となって旭光を霧散する。

 それをアルテラは分かっていた。獣を穿つには怒りが足りない。まだまだ、あの戦神を源流とする神々の怒りが足りない。特にマルスがアルテラと言う存在に向ける憤怒だけでは殺し足りない。

 

「お前の子が、苦しんでいる!

 お前の子の、ローマ帝国が辱しめられている!」

 

 セファールに蹂躙された先史文明の戦神。その記憶を持つ軍神マルスに、憎き女の雄叫びが聞こえた。只でさえ、この英霊に強制接続されるだけで百度は殺したいと言うのに、仮想顕現した軍神の霊基が一瞬で燃え上がった。

 

「お前の怒りはこの程度か!

 怨敵の私に言われ、恥ずかしくはないのか!!」

 

 何と言う―――世界なのか。

 憎き巨神の頭脳体を討つべく見下ろした場所は、己が息子の魂が狂わされた地獄であった。

 

「例えお前が神だろうと、我が子を愛する人の親ならば! 

 嘗ての巨神たる私と殺し合った時のあの根性、此処でもう一度――見せてみろ!!」

 

 マルスの天罰が加速する。許せない。許してはならない。星を蹂躙した侵略者の末裔より、その破壊から生き延びた子供達の末裔の世界を玩弄する“人間”を許してはならない。

 軍神は、あの敗北に意味があったことを理解している。それでも尚、許せず、怒り、このアルテラと名乗る英霊を憎む故に宝具となって顕現する。

 しかし、このローマは戦神の遺志を継いだ子の国だ。

 何時か滅ぶのだとしても、一万年前に戦い抜いた自分が最期まで戦った証だった。

 だからこそ、まだ戦神はアルテラに怒りを向ける資格があった。既に滅び去ったのだとしても、その滅びが子の未来に続き、そんな自分の遺志が継がれる未来を愛してもいる故に、あの時に星を滅ぼそうとした白い巨神が今でも許せない。

 

「足りんぞ、マルス!! まだまだ足りん!!

 私が憎ければ、その想いがお前の遺志だ!!

 此処に生きる私が、その資格がないのだとしても! 今は私と共に―――破壊、在れ!!」

 

 アルテラは自分の霊基が砕ける音を聞く。同時に、獣の肉体が砕け落ちる姿を見る。そして宝具の解放が止まり、隣にいたオルガマリーが疾走を始めるのを感じた。宝具を撃ち終えた瞬間、もう彼女は五感が機能していなかった。

 獣が空より墜落した轟音も、もう彼女には聞こえていない。戦神の怒りも剣から伝わって来ない。しかし、心配はしていなかった。

 

「後は、頼むぞ……」

 

 振り返ることなく、獣を狩るべく加速する彼女の意志を最期に知り、アルテラは霊体を維持出来ずにエーテルとなって霧散した。その魔力は太源に融け、獣の出現によってソウルと言うエーテルの神秘法則がこの特異点では適応し始めている。

 所長はアルテラの魂が混沌の獣に吸い込まれたのを感じ取った。

 何が何でも、狩らねばならない。この特異点で死した者の遺志、全てをあの魔神樹(けもの)から解放しなくてはならない。アルテラの宝具によって地面に墜落した獣にまで辿り着き、その内部に侵入しなくてはならない。

 だが、道中には混沌から生まれたデーモンに溢れ―――所長が走るのに邪魔な障害は、既に藤丸とマシュと忍びの三人が討ち払っていた。

 

「この特異点(あくむ)、もう晴れろ……!」

 

 繰り返される―――赤子狩り。救われず、救いようもなく、救い方だけは絶対に啓蒙されない悪夢。

 思考回路が狩人に染まり、所長はこの世に対する憎悪で両脚を更に加速させた。如何すれば良かったのか。どうしようもない理不尽な現実を、如何すればいいのか何てまだ彼女は分からない。

 まだ終わらぬ悪夢に足掻いて。

 足掻く程、オルガマリーは強くなって。

 この度の悪夢にて、また新たな悪夢の形を手に入れて。

 我武者羅に走り抜けた先―――落下した魔神樹に辿り着き、彼女は躊躇わず、その口の中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

■◇◇<●>◇◇■

 

 

 

 旧い時代の、山の中の牢獄。寒く、人は住まず、ただ閉じ込められる。

 ――生贄が、捧げられた。

 罪は無い故、意味は無い。

 罰で無い為、価値は無い。

 人だったそれは、無作為に選ばれた村人の誰か。

 呪術に優れた村だったからか、その人間は名前を魂から奪い取られ、人間性を失った。

 

「――――」

 

 目は要る。だが、五体を満足にさせる意味はない。苦しませなければ、人間の善性を証明出来ない。全ての悪性を背負わせな狩れば、自分達の人間性から悪性は廃絶されない。

 悪性の無い善性だけの人間性。

 求めたのは、そんな理想郷の体現だ。

 だから、瞳は生贄には要るのだろう。

 贄は見続けなければならない。己が悪性と、それによって善性を得た人々の在り方を。

 しかし、片目が在れば良い。一つ目の悪魔が牢獄に閉じ込められるには相応しく、善き人間は贄の目玉を一つ刳り抜いた。

 ―――素晴しい。人間じゃないみたいだ。

 一つ目だなんて、人ではない化け物に違いないのだろう。

 欠損しろ。欠落しろ。堕落しろ。落伍しろ。死ね、死ね、死ね、死ね―――だが、まだ死ぬな。死ぬまで生き、苦しみの果てに死に、死にながらも魂だけは生き続けろ。

 片腕を捥いだ。もう片腕を鎖に繋ぎ、この悪魔めと罵ろう。

 足を斬り落とし、もう立てない形に作り直そう。蛆虫みたいに這うしかない生き物は、何処から見ても悪魔のように醜い存在に違いない。

 だから、犯せ。穴に棒を入れ、歯を引き抜き、爪を剥ぎ取り、皮を毟り取り、血を抜き出し、肉を削ぎ落す。まだ叫ぶ。叫ぶなら、死んでいない。生きている。あの叫び声、きっと善を呪う悪に違いない。人間を恨む怨嗟の呪詛に違いない。殺せ、悪だ。人を苦しみ殺す悪だ。人間の為に、悪魔をもっと苦しめなければ。

 

「――――」

 

 人間は清く、素晴しく、美しく、善なる者と讃歌される者。

 この悪魔は醜く、汚く、下衆で蒙昧で、死ぬべき惨禍の魔。

 どちらが汚物と呼ぶべきか―――オルガマリーは、疲れ切った老女のように夢を嗤った。獣の苗床と啓蒙された魔神樹の中で、そんな分かり切った答えしかない善人(あくま)の悪夢を見ていた。

 

「――――ママ?」

 

「いいえ。私は貴女のママじゃないわ。何と言うか……そうね、貴女の母親の友人とでも言うべきかしら?

 まぁ気楽に、小母(オバ)ちゃんとても呼んで頂ける?」

 

「おばちゃん……? でも……」

 

「良いの、良いの。肉体年齢は見たまんまだけど、精神年齢の方はヤーナム暮らしで結構いい歳なのよね。実際、体感的には曾孫の曾孫に曾孫が生まれても時間が全然足りない位だし」

 

「じゃ、おばちゃん……でも、ごめんなさい」

 

「貴女が謝ること何て一つもないのだけど」

 

「……でも……でも……わたし、自分で自分を殺せないから」

 

 幼稚園児程度の年齢の、マシュの姿をした悪魔が貌を歪めていた。

 

「あー……―――そうね。私、死ねない貴女の遺志を狩りに来たのよ。

 それを最初から理解して貰えるのは嬉しいけれど、どうもアンリ・マユって感じじゃないわね」

 

 正直、所長は彼女が白痴の儘でないことが、せめてもの救いだと想う。あるいは逆に、何も分からぬ水子の儘に死んだ方が不幸ではなかったかもしれない。しかし、どちらだろうとも、人理のためと言う条件を覆さない限り、カルデアは赤子狩りを断行しなくてはならない立場にある。

 そんな赤子な彼女は培養液から生まれ、更に混沌から再誕した幼子ではあるが、マシュ・クローンは植え付けられた瞳によって上位者の眷属でもある。

 よって、憑依されたアンリ・マユの記録を知識としては得ている。このマシュの精神年齢は幼いが、高い知性を持つ歪な人造人間ではあった。

 

「うん。わたしは影でしかないから。憑いた人の精神に、わたしも在り方が変わる。だから、わたしはマシュのクローンって言う知識はあって、生贄として拷問を受けた過去もあるけど、見たままの年齢で心は幼いの」

 

「へぇ……そうなんだ。そんな様なのに、私みたいな女にママと母親の偶像を求めるのは救い難い衝動ね」

 

「何処にも居ないから。だから、欲しいの……でも、ありがとう。オルガおばちゃん。わたしは、ここの中じゃ、ただの肉の虫なのに。

 おばちゃんの御蔭で、ママみたいな人間の姿になれた」

 

「―――――…………感謝は、要らない。

 意味のない憐れみだもの。生贄として私に切り捨てられる命に……憐れむ何て……汚物の、穢れた狩人、だって私は……言うのにね」

 

「涙、流したいのに流せないのね」

 

「枯れたわ。私の瞳、もう血しかもう流れないの」

 

「でも、オルガおばちゃんの中で、誰かが泣いてるよ?」

 

「そうね。きっと、私が心を引き継いだ少女の遺志でしょうね」

 

「良いな、良いな。オルガおばちゃんは、ママが自分の中に居るのね」

 

「何時か、還して上げたいんだ。私は、私に」

 

「そっか。だったら、オルガおばちゃんが良いよ。私を殺して、わたしの遺志を引き継いで。それで、出来れば……何時か、何時かで良いから……ママに、わたしの遺志を教えて上げて」

 

 マシュの姿を得て、本当は人語を喋る口もない肉の蟲に、オルガマリーは短銃を向ける。

 

「だから、わたしたちを全員――殺し(救っ)てね」

 

 引き金に掛ったオルガマリーの人差し指。

 

 

 

 

「――――――――――」

 

 

 

 

 銃声が、鳴った。

 

 

 

 









 皆、誰だって、人間なんですよね。





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啓蒙67:蛆虫塗れの正義

 エルデンリング、楽しみ過ぎて脳液が凄い日々です。


 獣の苗床がボロボロと崩れ落ちた―――この時、特異点の虚数空間への沈下が停止。

 苗床の頭脳体となっていた暗帝は魔神樹と同調していたことで、背中から生やした翼が炭化し、もう羽ばたく力もなく、自由なる空から人理と言う地上に墜落する。

 このままでは、暗帝は死ぬ。

 サーヴァントではない唯の今を生きる人間に過ぎない彼女にとって、高所からの落下は死を意味するのが道理。

 

「そんな、そんな……ッ―――余の、未来が……」

 

 しかし、その事を気にする余裕が暗帝にはなかった。絶望を魂で味わい、燃え殻となった未来を呟く事しか出来ない。そのまま地面へと無防備で頭から堕ち、頭蓋骨が割れ、脳味噌を撒き散らす。肉体も弾けたように砕け―――二秒後、時間が逆再生されたように元通り。

 此処までの悪行を耐えて、受け入れ、我慢して、人理を否定してまで生き延びようと足掻いた先―――ローマを砕いて作ったその未来が、暗帝の前で砕け散る。

 

「………自由が、届かぬのか。全て、悪い夢だったのか……嫌だ、醒めたくない。

 命から、醒めたくない……人生から、醒めたくない。悪で良いから、苦しくて良いから、こんな絶望の為に諦めたくないのだ!!」

 

 もはや、本当に唯の人間だった。絶望を前に膝を屈したいのに、それでも死ぬまで諦めずに足掻こうとするだけの、英雄のような女に過ぎなかった。

 

「終わりだよ、暗帝。これがキミの死だ」

 

 復讐の女王は、まだ何とか生き延びていた。騎馬を殺され、戦車を破壊され、空中に投げ出され、本当にもう後がない絶望まで迫り、だがそこまで暗帝の猛攻を耐えた故に生き抜いた。所長が獣の神核を撃ち殺し、皆を暗帝の脅威から守るのに間に合った。

 しかし、宝具の戦車(チャリオット)は失った。魔力も空に近い。

 残るはこの復讐心と、その憎悪に染まった暗き愛剣の宝具のみ。

 

「ブーディカ――ッ……そなた、諦めるのか?

 分かっている筈だ。本当に恨むべき相手が何か、余の魂と同じならば理解しているだろう!?」

 

「うん。英霊のあたしとも、その生前のあたしとも、今の自分は違う。この特異点で生きるあたしから、本当に家族を奪ったモノの正体も、ちゃんと理解しているさ」

 

「そうだ……なのに、その憎悪を余にだけ向ける。貴様の魂は、確かにローマを貪る義務を持つが、それと同じく人理を汚す権利もある筈。

 分からず屋め……怨念に、生きたまま取り憑かれ、それを分かった上で己が愚行を許すと言うのか!」

 

 最初から、暗い闇より這い出た存在なら良かった。悪であることに葛藤はなく、善の為に悪を為す矛盾も消える。そしてこのローマは、マシュ・クローン(アンリマユ・セプテム)を神核とする獣の苗床(ベッド・オブ・ビースト)が特異点全てを吸い込み、真エーテルもエーテルも取り込み、神の残骸である古い獣の模倣によって人理を「ソウル」と言う新たなエーテルの運営法則で塗り替える試みであった。

 それ故の、矛盾無きの善悪の彼岸。

 人と人が、剥き出しの魂で触れ合う帝国。

 暗帝は人の魂(ソウル)が、在りの儘に生きられる世界が欲しかった。

 

「余のローマであれば、貴様は好きなだけローマを殺せた!

 死んだ家族も蘇らせ、人理と言う下劣外道から取り戻す未来があった!

 その二つを矛盾することなく、幾度でも繰り返せた。永遠に恐怖し、定命を固執する者に、余のローマを非難する資格はない。

 貴様は己の為に、暗きローマでのみ叶う家族との未来を―――捨てたのだ!!」

 

 その事実をブーディカは分かっていた。ローマの魔神樹が展開する固有結界「アウグストゥス」は、この特異点で死んだ者の魂が集積されている。

 故に人理を贄と捧げてローマ特異点の完成を待てば、ブーディカはローマ市民としてソウルの儘に、幸福を永遠の不死として送ることが出来たのだろう。

 

「そうだよ……―――キミと、ホントに同じだね」

 

「……ッ――――!!」

 

「あたしも、諦めたくないのさ。あぁ、それだけよ。それだけで、きっと満足はないけれど、少しは自分の悪性に報いて死んで逝けるんだ。

 だから―――……死のう、共に。

 キミはより良い未来を求めた果てに、この世で生きるには罪を深め過ぎたんだ」

 

「その為の新たなるローマ。悪を恐れ、己が幸福から逃げるとは。

 償えぬ罪を永遠に抱こうとも、それごとローマは自由となるのだ。永遠に憎悪を晴らし、永劫の幸福から作られる日常を……」

 

「……要らないよ。

 あたしには、その幸福な地獄には耐えられない。悪の為に、善をあたしは為せないさ」

 

「この、この……ッ―――愚か者が!!!」

 

 しかし、暗帝は力を失っただけだ。ブーディカと今の暗帝は変わらない。元に戻った程度の絶望に、心が折れて止まるような魂であるならば、そもそも自分を含めた全ての魂を自由を与える為だけに、特異点で地獄を作らない。目的の為、悪に堕ちる事もなく、罪を積む事もなかった。

 

「ならば、貴様は―――諦めろ。

 余は何度でも、己が人生をやり直して見せる。余は幾度だろうと、繰り返して見せよう」

 

 何故、灰を女神と彼女が讃えるのか。その魂にある諦めと言う真っ当な根底が、あの自殺から暗帝が救われたことで消え、彼女は人間が止まる事の無意味さを悟ったからだった。

 諦めが―――人の魂(ソウル)を、殺すのだと。

 ソウルで以って命を奪うとは、殺した相手の魂を引き継ぐこと。

 ローマはまだ死んでいない。暗帝が諦めない限り、絶対にローマは滅び去らない。混沌の聖杯は、壊れていない。世界を侵食する異界常識(アウグストゥス)はまだ特異点の運営機構として死んでいない。

 それさえまだ有れば、この特異点で集まったソウルは消えておらず、材料をまた練り直せば魔神樹は復活する筈。しかし、聖杯に捧げる魔神樹の神核だけは遺志を狩り取られしまった。

 もはや獣の苗床に進化させる事は出来ないが―――星見の狩人には、アンリマユ・セプテムの遺志が流れ込んだ。

 ―――暗帝は、カルデアを狩らねばならない。

 オルガマリー・アニムスフィアを混沌の中へ捧げなければならない。

 今まではこの特異点を守る為だったが、今度は自分(ローマ)の未来を取り戻す為に。

 

「未来永劫、キミの魂から始まった人理は、その不死を良しとする人間性によって救われないのに?」

 

「―――そうだともブーディカ!

 此処まで足掻き抜き、そうだからと我ら人間が易々と死ねると思うか……?」

 

「ああ、そうだね。むざむざ生き残ったのなら、人は為すべき事を為すまで死ねないから」

 

 瞬間、皇帝特権(気配遮断:A+)で隠れていたネロが暗帝へ背中刺し(バックスタブ)を行った。怨敵との会話に集中する馬鹿に向ける慈悲など、今のネロには存在しない。

 ローマの為に、冷酷にて冷徹、非道にして外道ともなろう。

 そして、赤い宝剣を燃焼。人間を内側から焼き、血肉を炭化させる追い打ち行為。

 

「―――不意打ち。馬鹿が、その程度で死ねぬ」

 

「馬鹿はそちらだ。亡者が人間を語るでないわ」

 

 軍神の光剣から元に戻った暗い宝剣を振り、ネロを切り捨てる。だが、ネロは悪魔殺しから移植された右腕で受け止めた。嘗て暗帝から千切られた霊体の右腕だったが、今ここで英霊ネロは古い獣の苗床と共鳴し―――悪魔が、ソウルより目覚めた。

 それは、魂の引き継ぎだった。

 古いローマで消えた、死んだ羅馬皇帝(アウグストゥス)たちの遺志を継ぐこと。

 死者の想いを継承するのは暗帝だけの特権ではない。悪魔殺しの腕を得て、戦う力を取り戻してローマを滅ぼさんとする英霊ネロもまた、成長無き筈の死んだ英霊なのに己が魂を深化させた。

 

「貴様、死人風情がぁ……!」

 

 暗帝は死を悟る。あの右腕こそ真なるデーモンの破片。彼女は脅威を払おうと暗い宝剣を振るうも、左腕で宝剣を操るネロに全てを防がれる。まるで灰のソウルで呪われたあの神祖のような超越的技巧であり、如何なる膂力だろうと柳の撓やかさで弾き逸らすだろう。

 同時、ネロの右腕が――光り、輝き、熱を持つ。

 そのソウルが継承する遺志が蘇り、掌から神祖の想いが具現した。黒い光球に白い閃光が纏まり、今此処に軍神マルスが我が子に伝えた戦闘方法がネロの魂で再誕する。

 

「皇帝特権、励起―――射殺す百頭(ナインライブス)()羅馬(ローマ)

 

 大英雄の戦闘技巧。流派ヘラクレス、ローマ分派。光槍と化す拳閃乱打は死なずの魂であろうと鏖殺し、ネロは血に染まる戦場にて星空の煌めきを迸らせた。

 暗帝は、死んだ。回避する間もなく、四散を超えて霧散。

 直後、ネロは魔力(ソウル)を右腕から発火。蘇生をする前に、肉片になった暗帝を更に爆散させた。

 

「ガ―――! 貴様、その魔力……!?」

 

 しかし、暗帝は問題なく蘇生した。だが自分の霊体に違和感を感じ、その正体を理解した時、ネロの愚かさに吐き気がした。

 

「ヌゥゥウ……ゴォ、うぅぉあああ……!!」

 

 ネロの苦悶。霊基が燃焼する―――等と、生易しい反動ではない。暗帝が見抜いた通り、ネロが使った魔力(エーテル)は第三法を知る者からすれば自殺以前の自己消滅に等しい愚行。暗帝は不死と化した故、その所業が恐ろしい。

 謂わば暗帝の不死性は、灰や悪魔とは対比となる現象。あの二人の不死は、ただの不死ではない。その魂が死ねず、肉体は死ぬがその魂が不死となる者。しかし、通常の不死は肉体が死ねず、魂はこの世から消滅可能なため、魂殺しの概念武装などで死ぬ事が可能。

 暗帝は、魂は有限の者。そして、英霊ネロはその右腕より魔力(ソウル)を使ったのだ。あの不死共なら己が魂から魔力を使ったところで問題もなく、ソウルの業を知れば寿命がある者でも安全に魔力(ソウル)を使える技術でもあるが、ネロは自分の魂を削って薪に変えて更に霊基さえも火に焚べた。

 そして、ネロが作った隙をブーディカは見逃さない。己が憎悪に染まった愛剣を振るい、暗帝の頭部を輪切りにするも、暗帝はそれを敢えて受け入れる。同時に暗帝は剣を振り払い、盾でガードされる前にブーディカの左腕を斬り落とした。

 

「……っ――――」

 

 互いに、人間。暗帝のような不死性のないブーディカは―――だが、今はもう気が付いていた。これまで霊核に致命傷を受けた訳でもなく、四肢が千切れたり、脳や心臓が砕けた事がなかったので分からなかったが、致命傷など今の自分にとって問題はない。

 シモン・マグスが暗帝の不死性の為に残した安全装置。

 白竜を知る灰から啓蒙された宮廷魔術師の作る、暗帝にとっての本当の原始結晶。

 魔力(ソウル)の受肉現象により、失った血液は即座に充填される。斬り落とされた腕は勝手に浮遊して彼女の所に戻り、磁石が張り付くようにあっさりと蘇生する。

 

「あたしは、人間の儘さ。けど、キミの在り様で気が付けた。あたしもまた、自分のこの魂が在る限り、この肉体はあの外道に堕ちた魔術師の御蔭で頑丈なんだ」

 

 斬られた頭蓋骨から脳味噌を見せる暗帝。勝利の女王は、そんなグロテスクの語源にもなった芸術を作った女の、奇怪醜怪(グロテスク)な姿を見ながら母親みたいに微笑んでしまった。

 憎悪が楽しくて、怨念が愉しくて、笑ってしまったのだ。

 もっと憐れみが欲しい。酷く辛い悲劇を作りたい。恨みから慈悲さえ生む人間性が、暗く濁る女王から芽生えてしまった。

 

「復讐を。家族の仇を。國の償いを。

 そして、キミの為の憎悪を――……今、此処に」

 

「ブーディカぁぁぁあああああ!!」

 

 叫びと共に迫る一閃。女王は容易く丸盾でパリィ(受け流)した。そのまま流れる動きで首を切り落とし、だが暗帝の肉体は首が落ちても動いて女王の心臓を突き刺した。しかし、もはや関係がなかった。殺せれば良かった。何度でも殺せるのが良かった。

 魂が殺されない限り、幾度でも―――死ぬ。

 だが、例外は何事にも付き物。ネロはその惨劇から目を逸らさず、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の右腕から魔力(ソウル)の矢を放った。それは対魂魔術と呼ぶに相応しく、魂で相手の魂を削り取る業だ。

 

「種を、知ればぁぁああ!!」

 

 暗帝もまたソウルの業を宿す者。むしろ、悪魔の腕を直で持つネロよりも安全に使いこなせる。ソウルを付与した宝剣で矢を斬り払い、そのまま勢いで女王を両断。そして、ネロもまた自分の宝剣をソウルの魔力で強化した。

 復讐の女王(ブーディカ)は魂が斬り裂かれた。

 痛い。辛い。苦しい。惨い程、霊体が崩れ壊れるが、痛い程、魂が肉体を手放さない。ソウルの業であれば死ぬと理解し、同時に何度か耐えられるとも理解した。

 ならば、問題はない。

 どうせ、もう命など捨てている。

 ソウルの業―――その使い道、女王は存分に目の前で学ぶ好機を得られたのだから。

 女王の剣に魔力(ソウル)が奔った。後戻りは有り得ない。自分の魂が薄れる実感が死より悍ましいが、その恐怖心が彼女へと生の実感を与える矛盾。そして、その実感がより一層、ローマに対する憎悪の炎を燃やす薪となる。

 

「あっはっははははははっはっはははははは―――!!

 あたしの憎しみが、今のあたしの魂となってる! 人は此処まで魂を狂わせて、人を憎悪出来るなんて!!」

 

 狂い果てる戦友の姿。ネロはローマを恨む者が、更にローマによって憎悪と慈悲で発狂する光景に、自身の人理を守るという行動理念が壊れる音が魂の中から聞こえた。

 だからこそ、もう止まれない。暗帝の言葉は真実だと、ネロも分かっている。もはや何もかもが諦められない。此処まで走り抜いて、終着に辿り着く前に死を受け入れるなど許されない。

 そんな狂う女王に、ネロは復讐に狂うなと言えなかった。

 憎悪に狂うだけで、彼女は自分の人生を駆け抜けているだけなのだから。

 

「……っ――ブーディカ、合わせるのだ!」

 

「分かってるよ、ネロ公!!」

 

 駆ける怨敵二人。宝具の戦車を失った暗帝は最後の武器にして、自作の愛剣を強く握った。両足に力が入り、敵に立ち向かう勇気が沸いた。

 彼女には、ローマの為の願いがある。

 勝ちたい。生きたい。死にたくない。

 何よりも―――未来が、欲しかった。

 

「其処を退け、邪魔だ亡者共。

 余は貴様らの運命を奪ってでも、自由の未来をローマに与えるのだ」

 

 三人とも、この人理と言う運命を理解している。自分の人生を送り、この世の在り方を実感している。此処から逃げても、次にあるのもまた地獄。自分の戦場から逃げても意味はなく、また新しい戦場が待っているだけ。

 ―――戦え。

 ―――闘え。

 殺せ―――何度でも。

 暗帝ネロの魂はまだ死ねず、そして死なぬのなら生きてる限り幾度でも深化する。

 灰より、祝福を。簒奪者より、王の火を。三度、落陽を迎えても、今の彼女にはその先が延々と続く。あるいは、永遠に続いて欲しい。

 

「おぉぉおォォォオオオオオオオ――――」

 

 その雄叫びで、暗帝は己がソウルを解放した。悪魔殺しの腕を持つ自分(ネロ)が敵ならば、自身もまた深淵の暗い魂にソウルを委ねれば良い。

 彼女こそ混沌の暗帝、ネロ・カオス。

 ならば此処より転生するは深淵の子、ネロ・アビス。

 ―――本当に?

 人は、何にでも成れる。そして、自由に未来を選択する可能性がなくてはならない。

 暗帝は選ぶ権利があり、同時に何かを選ぶ責務がある。逃げる事だけが許されず、永遠を選んだのなら永劫の戦いに苦しむ義務がある。だからこそ、闇で在りながら太陽の光を愛する自由を持ち、闇の儘に魂を深める自由も同じく有する。

 

「――――」

 

 暗帝の時が止まった。意識が光の無い深淵に堕ち、自分の中に潜む者が手を伸ばす姿を幻視する。

 それは化け物だったが、確かに人だった。鹿のような、だが余りにも歪で大きな角。大槌と化した木の杖と、瞳が生えた巨腕。ずっと、ずっと、その欠片が彼女の魂を暗く包んでいた。それが彼女に施された祝福(呪詛)の核だった。

 ―――深淵の主。火の簒奪者に記録されたソウルの一つ。

 だが、暗帝は人間性を暴走させなかった。彼女はもう狂うには闇が深く成り過ぎた。

 故に、古い人(マヌス)は微笑んだ。自分を受け入れてくれる人間を、生暖かく、ドロリとした暗い魂で覆い込む。それ程に暗く温めても、狂わず、拒絶せず、その闇を欲する暗帝の魂を喜んだ。

 ならば――贄を。あの不様な神の英雄を。

 神の王が人の怒りを鎮める為、深淵に捧げたあの憐れな英雄も、深淵の帝国を望むこの女は喜んで貪ることだろう。

 そして――力を。深淵を未来に選んだ人間に、どうか幸福が有らん事を。

 不死の英雄に滅ぼされた後の、世界全てを飲干した深き闇たる簒奪者のソウルに残った記録でしかないのだとしても、古い人だった破片(ソレ)は見守っていたのだ。

 シモン・マグスを暗い魂に狂わせた正体(ソレ)は、人間が人間として自由に生きられる世界で、人間が人間らしく過去の思い出を大切に出来る優しい未来が欲しかった。そして作られる未来の顔料こそ、深淵の暗い魂が融けた不死の血液。

 正に血の遺志。特異点で死んだ人々の魂もやがて暗帝の血に融ける。

 それによって描かれる新生ローマ。獣の苗床より生じる混沌の獣血は、深淵と混ざり、どんな帝国を絵画世界に描くのか。

 古い人は―――人間性(ヒューマニティ)を、灰の愛するネロに捧げ続けた。

 

「余の魂が叫んでおる――!!

 人間が未来永劫、人間らしく生きる帝国に君臨するのだと!!」

 

 暗帝の左に具現するは、闇深い神たる英雄(アルトリウス)の大盾。それ一つで、ネロとブーディカの攻撃を容易く受け止める。

 その筋力と、衝撃を柔らかく受け止める技量。それこそ狼騎士と呼ばれる英雄の本質。

 正に攻防一体。獣の如き鋭い動きと、鋼と同じ不動の守り。そして、古い人の深淵が暗帝の宝剣に纏わり付き、滑り気を帯びた闇の虚と化し、鈍器のような重さを有する魔剣に転じた。元より暗かった宝剣というのに、今はもう完全に闇の剣と成り果てた。

 暗帝のソウルに、戦い抜く為の力を。

 古い人が知る最も高潔な騎士の記録(ソウル)が流れ込む。

 彼は人間性がない神であろうと、その魂で友を深淵の闇から守る決意を盾に込める自己犠牲の持ち主。語り継がれた伝承が偽りだろうと、死んだ魂が後世に残した遺志を、誰が偽物で無価値だと断じると言うのか。それを継いだ友と、その友が残した遺志を継ぐ人々を、偽りを信じる愚か者と罵倒すると言うのか。

 無論、それこそ何も分からず、何も分かろうとしない無知な人間共。あるいは、死者の残す遺志を理解出来ない人間性無き魔物。

 故、暗帝は魂が残した遺志を無価値だと思いたくなかった。

 人が作り出す獣性だとしても、獣もまた人の形だと本当は分かっていた。

 

「よもや、そこまでの!?」

 

 ネロが、心が折れない限り深化する生前の自分に恐怖する。悪魔殺しの腕を覚醒させた彼女であれば、現状の危なさを正しく理解する。

 (ヒト)の証である角。四肢は暗く、身は影を纏う。瞳が血の色に染まり、その暗がりの中で妖しく燈る。衣服はドロリと蕩け落ち、魔力が溶けた粘性のヘドロとなり、肉体に張り付いた。まるで冥府に潜む魔物を、グロテスク思想を好む芸術家が空想したかのような彫像の形。しかし、暗帝は確かな人の像で以って顕現する暗い人間だった。

 

「―――変身だ。

 皇帝は、何時でも浪漫(ローマ)で在らねばならぬ。芸術的なまでになッ!」

 

 敵を受け止めた儘、変身と共に大盾の突撃(シールドバッシュ)。ネロとブーディカを一気に吹き飛ばし、体勢が崩れたネロに深淵の宝剣を叩き込む。空中で身を回転しながらの、闇の重さを重力で加速させた狼騎士の一撃だった。

 だが悪魔殺しの魂を、ネロは継承する霊体。獣の写し身が仕込まれ、その腕は戦闘情報以外にソウルの業も記憶する。無論、葦名やヤーナム、それ以外の土地で経験したあらゆる技術も含まれる。

 

“ならば、余も同じことッ!”

 

 触媒たる悪魔殺しの腕より、闇色の障壁――反動の闇術が繰り出された。

 

“む、厄介な。空間遮断の領域とは”

 

 暗帝は一切の感触なく斬撃を防がれた違和感で、ネロが出した魔術の規格外さを天才的直感力で即座に把握。だが核の熱波を防ぐ程に業を深め過ぎた灰と違い、ネロでは長時間の展開は不可能と判断。ならば、と対策が浮かぶも暗帝は背後でブーディカの殺気を感知する。後頭部を狙った袈裟斬り。

 暗帝の戦術選択は迅速だった。背後からの斬撃を屈んで避けながら、その流れで足元を薙ぎ払う回転斬り。ネロとブーディカの二人は跳んで回避するも、それこそ暗帝の狙い。今度はブーディカを狙い、深淵の宝剣を触媒にして闇の飛沫を発射。散弾銃のように数多のオーブが彼女へ襲い掛かるも、空中でも咄嗟に丸盾で防御した。そして暗帝は、同時にネロへも大盾を触媒にして闇の玉(ダークオーブ)を放っており、人の魂を砕くには重過ぎるソウルの一撃で吹き飛ばす。

 

“悪魔殺しの腕、厄介極まる。灰の女神よりソウルを貪った余と遜色なき業よ”

 

 しかし、もう止まらない。己がソウルから深淵の汚水を絞り出し、自身の魂ごと身体機能より重く、迅く、鋭く、強化した。更に皇帝特権(魔力放出:A+)をソウルの業と複合使用することで、液状化した人間性――深淵の泥を刀身から滴り溢す。

 その斬撃を一撫ですれば、神の魂さえも簡単に打ち砕く。況して、そんなもので人間を斬れば、魂が物理的に粉砕されて闇に飲み込まれる事だろう。

 覚醒に次ぐ覚醒。繰り返されるソウルの深化。

 暗帝は永遠にも等しい、余りにも長くて暗い魂の歴史がソウルに圧し掛かる。

 頭から生やした角には瞳が生まれ、闇の中でも燈る赤目を開眼。自身の両目も血のような色に染まり、暗帝自身の視界も赤黒く淀んでいく。なのに生命(ソウル)はより鮮明に映し出し、時間軸を無視して全てが見通せる万能感で脳が悦びで震え上がる。

 オン―――と、刀身から深淵が滴れた。泥が空気に溶け、黒霧が空に浮かんだ。

 それより闇の玉が雨となって降り落ちる。先程の飛沫による散弾射出とは違う魔術。攻撃範囲がもはや爆撃であり、だが黒いオーブは生命に惹かれてネロとブーディカを狙って自動追尾する。

 

「―――ッチ!」

 

 ネロは回避しようとするも、何処までも命を追い続ける闇を―――見切れない。幾度か死ねば掠らずに避けられる様になるかもしれないが、今は駄目だと理解する。ならば、それはブーディカも同じだろう。更にこの魂を砕く重い闇は盾で防げるものではなく、当たれば最期、魂が肉体を生かそうとする活力を貪り尽くす。

 瞬間、右腕が解放された。皇帝特権(縮地:A)でネロはブーディカの眼前に立ち、再び反動の闇術を唱えた。

 ―――闇で以って闇を制する。深淵の雨が全て流し逸らされる。

 悪魔殺しが学習した灰の神秘によって二人の命は救われ、だがその闇の重さがネロの魂を狂おしい程に苦しめた。

 

“だがそれは余の女神がソウルの業を研究することで、より暗く作られた反動の闇術。貴様には過ぎた闇の重さよ、ネロ・クラウディウス。魔術そのものが重みのある神秘であれば、使ってしまった貴様の魂に罅が入るのは必然だ。

 あぁ、それにしても―――……温かい。

 誰かの魂とは、こんなにも人の心に安らぎを与えると言うのか”

 

 暗帝のソウルが温もりを覚えるのは、深淵の主と狼騎士。しかし、暗帝が古い人に渡された情報(ソウル)は、深淵歩きではなく、深淵のアルトリウス。不死の英雄、火継ぎの神殺しに殺された最期の頃の写し身であり、右腕で大剣を振るう闇に堕落した姿。逆に右腕を暗帝に斬り落とされた後、悪魔殺しから慈悲で右腕を移植され、故にまだ使い慣れた左腕で剣を存分に扱える様、皇帝特権で自分を調整したネロは狼騎士の如き左利きの大剣遣い。

 ソウルが知識を暗帝に啓蒙する。悪魔殺しの腕もまた、ネロにその事実を啓蒙した。知るべきことから目を逸らさず、知らなくとも良い事実も全て受け入れる。人間の魂とは、魂と言うだけでこの世の何物よりも業が深いのだろう。

 

“しかし、アルトリウス……騎士アルトリウス、か。

 皮肉なものよ。アーサー王伝説の元となったローマの英雄と、同じ名の神をローマ皇帝である余が貪るとはな”

 

 英霊召喚魔術は、そんなローマ人の人生さえも暗帝の贄とした。親和性は高い程、神話と暗帝をソウルに溶かし込む。そして物質化した魂である深淵は液状化したダークソウルであり、それが物理的に現実で存在するだけで魔力と言うエネルギー源を、この人理が在る魔術世界では作り出す法則が魔法使いによって根源から持ち込まれてしまった。

 深淵に目覚めた暗帝は、己が魂から魔力(エーテル)を作り出す外法を獲得し、もはや聖杯がなくとも独力で英霊召喚が可能な暗き魔術師と成り果てる。

 灰が啓蒙する世界の可能性。暗帝は、とても静かな心境で深海を夢見る。人食いとは肉体ごとソウルを食す行為であり、神喰らいとは人の世界から最初の火の残り火を己の中へ無くす所業。その悪夢は闇に沈んだ静寂な世であり、泥沼のように液状化したダークソウルである深淵が海水となって世界を沈没させ、何もかもを平等な命として扱い、人々は忌み人だろうと安らかに永遠を生きるのだろう。

 それが暗帝のソウルから染み出る様に漏れ続ける。

 止まらない。そして、止められない。その魂が砕かれない限り、暗帝は夢を見ることを諦めない。

 

「あぁ、止まれんよなぁ……」

 

 血反吐を吐き、膝が崩れ落ちるネロに暗帝は微笑んだ。そんな英霊に守られた復讐の女王は、殺意と憎悪をより煮え滾らせて暗帝を睨み付けた。

 素晴らしき哉、暗い魂。闇が蕩けた血の祝福よ。

 ネロを守るように突撃してきたブーディカの攻撃を騎士盾で柔らかく受け止め、次の斬撃も優しく弾き返す。攻撃を受ける度に巧みに相手の体幹を揺らし、ブーディカは攻撃を繰り返す程に体勢が崩されつつある。そしてブーディカは自身が攻め続ける程、死が首元まで迫る悪寒を実感した。

 だから、攻撃の無意味さに僅かな迷いが生じるのも仕方がない。星見の忍びの如き精神性、修羅と慈悲を矛盾なく滅私出来る明鏡止水の境地がなくては、迷い無き人域の果てへと至れないのも事実だろう。

 ―――迷えば、敗れる。

 暗帝は身を守る盾の後ろで暗く笑い、ブーディカの精神を絡め取る。盾の裏から暗帝は、スパルタンの猛者を真似て身を隠しながら大剣を突く。凶悪な物理干渉力を有する片刃大剣は相手の体幹を容易く崩し、半端に防御をしようものなら致命的な隙を曝す。もはや大盾で敵の攻撃を弾き流し、体幹崩しを待つ必要もなかった。

 それでもブーディカも咄嗟に反応して丸盾で防ぐが、僅かに体勢の軸が外れた。その隙を見逃さず、暗帝は内臓ごと深淵の大剣で彼女の腹部を貫通させて―――

 

「ブーディカさんッッ―――!!」

 

 ―――遅過ぎた救援を、彼女は嘲笑った。

 苗床の神核(マシュ・クローン)のオリジナルであるカルデアのデミ・サーヴァントの悲鳴で、暗帝は暗い感情で以って心地良く自分の耳を癒した。

 次の瞬間、女王を串刺しにした儘、暗帝は大剣を肩に乗せて敵の方を向きつつ―――刀身を振り抜いた。そして、突き刺さっていたブーディカは素振りの勢いによって刃が腹から抜け、臓物を撒き散らすそのままに投げ捨てられる姿で吹き飛んだ。

 狙いは無論、星見の盾騎士(マシュ・キリエライト)。半ば屍となったブーディカを見捨てられず、そもそもネロとブーディカを助ける為に来た故に、彼女は避けると言う選択肢はない。そして凄まじい速度で振り投げられた彼女を助ける為、大盾を持った儘で片手で止めれば勢いの威力を殺しせず、切れ掛って内臓が飛び出る胴体が真っ二つに千切れる可能性がある。

 自分の体全体をクッションにして彼女を受け止め―――その眼前、暗帝が既に居た。

 深淵を皇帝特権(魔力放出:A+)で噴射することで、氷上を滑るような瞬間的踏み込みの勢い殺さず、そのまま暗帝は大剣の刺突による突撃を行っていた。

 同時、カルデアの月明かり―――ゲッコウ(魔力斬撃)が、マシュの義手より放たれる。

 

「―――ッ!?」

 

 暗帝の剣(原初の火)の刺突が、マシュの義手刀(ムーンライト)によってパリィ(受け流)され―――だが余りの重さに、カルデアの超兵器が押し負けた。

 マシュは刺突軌道を完全に逸らせず、頭部を僅かに刃が通った。だが暗帝の斬撃は人間が掠りでもすれば、肉が血煙となって粉砕される膂力と重さを持つ。皮膚を掠る程度で骨ごと肉を抉り取るのが道理であり、しかし魔力防御によってマシュは何とか頭蓋骨が爆散する未来は防いだ。とは言え、脳震盪まで防ぎ切る事は不可能であり、視界が揺れ動き、脳味噌がプリンのように震え、吐気と眩暈で平衡感覚が麻痺して体幹が崩れ落ちる。

 

「―――――――」

 

 その死の間際、震える意識でマシュは走馬灯を垣間見た。体感時間が停止し、体が動かない中、迫り来る脅威を前にマシュは何も出来ない。そしてカルデアでの生活と、先輩であるマスターとの短い数ヶ月間を思い起こし、今度こそ頭蓋骨を割ろうと暗帝が剣を振り下ろすのゆったりと見続けるしか術はない。

 臨死の時―――最速の匣(ランサー)である故、その危機に間に合ったのも必然だった。

 藤丸が簡易召喚したクー・フーリンのシャドウは藤丸の呼び声に応え、朱槍の一突きが暗帝の兜割りを刺し逸らす。そのまま狙いがずれた重い深淵の剣が地面に叩き付けられ、土煙が撒き上がった。

 

「……ッ―――」

 

 藤丸に魔力の心配はない。カルデアの炉心からサーヴァントの召還と運用に必要なエネルギーはライン越しに補給される。しかし、そのエンジンを走らせるには彼の魔術回路が必須であり、体の内側から発火する熱量に血肉が蕩ける苦痛に襲われる。

 獣の苗床が混沌より湧かしたデーモンとの戦いは、苗床がアルテラの宝具に敗れたことで、生まれたばかりのデーモンが肉体を混沌に還して死んだことで終わった。だが即座に次のこの戦いに挑む事になり、藤丸は回路が焼き付く寸前―――否、焦げ焼きながらもサーヴァントを使役する。所長が施した術式により、常識では有り得ないが、あろうことか霊体の神経とも言える魔術回路を回復させながら……つまるところ、内臓を沸騰されながらも戦える状態と化している。

 ならば、カルデアのマスターに問題は全く無し。苦痛に心が折れない限り、彼は常にカルデアのサーヴァントと共に在るのだから。

 そして、深淵はサーヴァントを容易く飲干した。刀身から飛び散った液体が僅かにランサーに付着し、そこから闇が侵食し、霊体が蕩けてしまい、形を維持することが一瞬で出来なくなった。無論、それはマシュとブーディカにも融け込んでしまったが、復讐に酔うブーディカは暗帝と魂で繋がることで既に深淵と親和性があり、マシュもまた“人間”である為に霊体のサーヴァントよりも耐性は高く、その身に宿す聖騎士(サーヴァント)の守りもあって自我を保つ。

 あるいは、もはや騎士の加護も関係ないのかもしれない。マシュの意志が、その騎士の遺志を継いだとなれば、それが彼女の血となって魂の一部となる。既に彼女の中に騎士はなく、霊基と共に遺志だけを残して去ったとなれば、その強さの源のなるのは一つだけとなり、きっと――

 

「……!!」

 

 ――運命が、彼女に追い付いた。

 脳震盪から即座に回復したマシュは義手でブーディカを抱え、魔術によって手元に十字盾を浮遊させて吸い寄せる。その行為をしながら機関銃を仕掛け機構で盾から展開しつつ、素早いバックステップで大きく距離を取り、マスターの近くまで移動。そして死ぬ寸前のブーディカを藤丸に渡し、マシュは暗帝との最前線に飛び出した。

 引き金(トリガー)を引くことに躊躇いは消えている。数多の冒涜的な地獄が連続する特異点での旅路が、彼女をカルデアの騎士として鍛え上げた。

 的へ目掛け、連続発砲。シールドマシンガンと化した十字盾が火を噴き、蜂の巣よりも酷く人を飛び散らす暴力が暗帝を襲う。魔力で強化されたマシュの銃弾は、戦艦の重機関砲にも匹敵し、空を飛ぶ戦闘機さえ撃ち落とすことだろう。

 

「無駄な事を……」

 

 そんな死と恐怖の嵐の中、暗帝は盾一つで全てを弾く。反動の闇術が宿った大盾は魔力によってその神秘を現し、如何なる物理干渉も概念干渉も深淵の闇が拒む。攻撃は勿論の事、衝撃さえも暗帝には一切伝わらず、弾道が暗い波動によって優しく逸らされた。

 そして、弾幕に構わず暗帝は盾を前に突進。皇帝特権(魔力放出(深淵):A)によって人間性の泥を噴射し、敵陣をマスターごと粉砕する装甲戦車となってマシュたちに大盾が迫った。

 ――ガゴォン、とまるで交通事故のような轟音となった。

 聖騎士の十字盾と狼騎士の結界盾が衝突し―――足と腕が折れる、鈍い音をマシュは自分の体の中から聞こえた。背骨に罅が入り、筋肉が断絶する。だがそれ以上に、己が魂が軋みを上げて砕けるような、霊基を口から吐瀉したくなる魂魄への衝撃で霊体が壊れそうで。

 なのに――

 

「はぁぁああッッーー!!」

 

 ――マシュは、躯体を万全に運用する。

 星見の狩人が伝えた教え。つまりはヤーナムで彼女が喰らった遺志の心得が、マシュを守りの意志として折れぬ心を得る精神を啓蒙している。

 骨が折れたのなら、魔力防御をギプス代わりにして肉体を補強すれば良い。

 筋肉が千切れてしまったら、魔力で無理矢理にでも肉体を操作すれば良い。

 壊れた体であろうとも、目の前を殺して生き延びる為の手段が一瞬で湧く。

 だがマシュが幾ら力を込めても、暗帝は微動だにしなかった。折れた骨が皮膚を突き破り、そこから更に血を流して力んでいると言うのに、眼前の絶望は一切動かない。退かない。下がらない。

 しかし、それが必然でもあった。暗帝はもはや深淵の写し身。余りにも、その魂が重過ぎた。その血はローマで死んだ人々のソウルも融け込み、重い暗帝を神秘の概念で押し返すには帝国を退ける魂の意志がなくてはならないだろう。

 

「んー……やはり、人間は素晴らしい。

 狩りの聖盾、貴様は余のローマに相応しい美しいさよ……欲しい。貪りたい。その魂を、ローマの血に蕩かそう」

 

「戯言ですか!?」

 

「本心だとも。無論、貴様のマスターも闇へ堕ちるのだ。

 そこで永劫の日常を不死として、人理を超越した余の帝国で生きようではないか?」

 

 此処は地獄。死ねば特異点から解放される道理はない。肉体から離れた魂は吸収され、深淵が溶ける暗帝の血中に堕ちる奈落の失楽園。

 ならば、欲する魂は殺して奪え。命は安らぎ、魂に眠りなし。

 暗帝の瞳は朱く輝ける星となってマシュのソウルを愛で、その欲得で膂力が増し、更なる重さで星見の盾を押し潰す。

 

「素晴らしい……ッ―――そうだ、抗え。

 最期まで諦めぬ意志こそ、我らの人間性に他ならぬ!」

 

 沼となる地面。まるで泥濘。暗帝から垂れ流れる深淵がマシュまで広がり、足首まで闇へと沈む。その暗く、重く、静かで温かい思いがマシュの精神に入り込み、容易く騎士の守りを突き破った。その闇は這い上がり、彼女を優しく包み込む慈愛の化身となって微笑んでいる。

 体内へ闇が這入る違和感。

 怖気の余り――魂消(たまげ)死ぬ。

 血液に温かい呪いと暗い祈りが蕩け逝く。

 誰かの為に死ぬ願い。死んでも良いから、苦しくても良いから、その人の為の未来が欲しかった不死たちが抱く使命の最期。

 あぁ、灰よ……貴女の血にも、この魂が溶けているのですか。

 マシュ・キリエライトに流れ込む破片(これ)は、きっと嘗ては善き誰か達だったであろう成れの果て。

 そんな感情で魂が震えて、悲しくて、辛くて重い未練に血の涙が流れ出る。その所為で体から血液の赤さが抜け、青ざめた死人の血となって絶望が瞳から流れ落ちる。

 魂は闇の中で温かいのに―――青褪めた血が、止まらない。

 冷たくて堪らない。血が寒い。体が凍える程、闇が溶けた温かい涙を失い続ける。

 

「―――マシュ!!」

 

 そんな彼女を後ろから誰かが支えていた。その触れた皮膚から魔力が直接流れ込み、生きようと足掻く活力が一気に湧き上がった。

 

「生きて、帰るんだ―――ッ……カルデアに!」

 

「はい、マスター!」

 

 直後、暗帝の頭上よりブーディカは急降下突撃を行った。意識を取り戻した直後、即座に体を蘇生しながらも跳び上がり、躊躇わずマシュを助ける為の脳天を狙った落下致命攻撃を実行していた。

 カキン、と言う攻撃が防がれた金属音。頭部への直撃は成功した筈。

 あろうことか暗帝は、ブーディカの斬撃を頭皮を破って生えた角で受け止め―――だが、それによって生まれた隙を狙い、マシュは暗帝を押し返した。そのまま盾を勢いに乗せ、鉄槌として流れる様に振るう。無論、着地したブーディカも剣を振るった。形としては挟み撃ち。

 その同時二撃、暗帝は盾と剣で防ぎ、受け流す。だがそのまま反撃をする暇はない。

 何せ、対処するには時間がない―――ネロが、直ぐ隣まで攻め行っていた。手に持つ大剣を振り上げ、悪魔殺しの腕がソウルより神秘を強引に引き上げる。

 

「―――黄の死(クロケア・モース)!」

 

 初撃必中。即座に切り返し、また返し切り、連続斬撃が繰り返される。幸運が許す限り、相手が肉片以下になっても必中の斬撃が続いていく。

 ネロが振るうは悪魔殺しの腕によってローマを継ぐことで得た皇帝の宝具。

 だが、その幸運はネロ本人のもの。更に悪魔によってソウルを得たネロの運命力は幸運の女神に愛された星の開拓者に並び、必中の刃嵐が暗帝を襲い続けた。

 尤も―――深淵の大盾が、その全てを受け逸らす。

 当たりはするも、肉体に届く前に刃は容易く滑り落ちる。

 運命力さえも押し潰す重い闇を前に、果たして神に愛される程度の幸運で如何なるものか。神を超えた人域の極致と言える幸運がなくては暗帝には届かない。

 

「それは、余のローマだッ!」

 

 悪魔殺しの腕が掠め取るソウルの残滓を取り戻すべく、暗帝はネロから魂を簒奪しなくてはならない。斬撃が通じないからと悪魔の右腕で殴ってきたネロの拳を敢えて受け流さず、そのまま暗帝は大盾で受けて衝撃の勢いに任せて後ろへと吹き飛んだ。

 追撃に迫るマシュたち三人を前に、暗帝は深淵の剣を地面に突き刺す。

 既にローマの地は血に濡れ、深淵が沁み込み、人間性の闇が奈落の底より溢れ返った。

 

「おぉぉおおおおおおおおーーッ!!」

 

 角を生やした暗帝の獣の如き咆哮。死体になったローマ市民から暗い影が溢れ、その闇に堕ちた魂から人の形をした深淵湧きの靄が具現する。そして、暗帝の周囲から闇色の炎柱が嵐となって吹き上がり、更に闇の炎が渦巻き上がる。

 深淵の魔術が、ソウルを得た暗帝の皇帝特権(ソウルの業)によって現れた。

 一瞬で身を焼きながら吹き飛ばされた三人と、下がっていた藤丸は、空より振り落ちる人間性の追う者たちを見上げていた。

 

「皆さん、早く下がってください!!

 ―――疑似展開(ロード)/()人理の礎(カルデアス)ッッ……!!」

 

 上空より堕ちる追う者たちとなったローマ市民の重い暗闇。マシュが上面へ展開した巨大結界と衝突し、エクスカリバーの極光斬撃も受け止めた大盾の守りが軋み、重く重く圧し掛かり、その深淵が爆散した。

 その度に、結界越しにマシュは魂が苦悶を上げる。だが暗帝は既に魔術を発動した後の、自由な身。追う者たちから身を守る為に動けない敵を斬るのに、暗帝が躊躇する必要は全くない。

 

「まだまだ……まだ、余は止まらん!!」

 

 迫り来る暗帝と、動けないマシュ。ネロとブーディカは立ち塞がり、もう死んでいる肉体を意志だけで動かし、魔力さえ生命の活力にして駆動させなければならない。

 

「暗帝……!」

 

「止まれ、ネロ・クラウディウス!」

 

 その突撃を何とか止め、だが完全に止め切れず。暗帝と対峙した二人は骨がマシュと同様に砕け、筋肉が避け、避けた皮膚から血が流れる。深淵を前に、魂さえも潰れて消え掛る。

 そして―――

 











 読んで頂き、ありがとうございました。
 ローマ特異点も最後まで辿り着けそうです。出来ましたら、エルデンリングが発売された後もこの小説にお付き合いして頂けたら幸いです。


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啓蒙68:ローマに、ローマが墜ちるなら

 我が王モーグはどうすれば永遠の幼女ミケラと幸せになれるのか。指の一本として苦悩の余り、モーグ様がニーヒルする前に出血死させている毎日でした。
 それは兎も角、エルデンリングはどのビルドも必殺奥義が揃っていてRPGゲームとしてコンボ技を考えるのが楽しい日々でした。
 


 霊基は砕けた。霊核はもうない。霊体を維持する要も存在しない。なのに何故、自分が生きているのかと彼は澄み切った心で理解していた。何故、こんなにも世界に対してちっぽけな人間程度が持つ意志一つで、まだサーヴァントとして現界可能なのか悟っていた。

 あるいは、もう意味はないのかもしれない。

 己が意志一つで、この魂が持つべき人界での運命が塗り替わる実感。

 星見の狩人に殺された古い獣もどきと魂を共有していたと言うのに、彼はその死の運命を容易く克服してしまった。

 

「―――ローマの最期(ローマ)、か」

 

 悪夢の終わりを、神祖は感じていた。狩人が獣狩りを為したことで彼は獣の胎から外へと再び生まれ、またローマに還るも既に焼け野原。

 しかし、人理には何の影響もない。フランス特異点が、そう作られていたように。

 灰の燃え殻となった小さい手の平から、ひとつの命も溢れず。また魂は人理の世へと、カルデアが人理修復を為せば還るのだろう。

 

「全て、酷い夢ね。こんな特異点、瞼を閉じて開くだけの間に見る短い悪夢と同じ。何とも哀れじゃないかしら、神祖」

 

「………」

 

 その神祖の眼前、狩人と忍びが立ち塞がる。

 

「理解していたか。お前は灰と異なり、ローマではない故に」

 

「勿論。獣狩りを果たした今、彼女の意志は啓蒙されました。

 ……成る程。確かに人理を守る筈の抑止力ではありますが、この度の人理焼却とは別視点の瞳で観測すれば、人類種が灰を後押しする必然を理解するのは分かり易い」

 

「ああ、そうである。お前たちが魔神を打ち倒せば、灰の企みで死した特異点の魂は無事に帰還する。

 本来なら、帳尻合わせで汎人類史にて死ぬ運命となるが、あやつの火を宿すダークソウルで画かれた特異点は……人理の因果律から、夢のように例外となるのだよ」

 

「あれだけ殺し、罪を犯し、なのにそれは灰一人だけの業。我々カルデアが最初の獣を狩れば、フランス特異点とローマ特異点での悲劇は、人理の人間へは何一つ影響もないとは。

 糞ね。全く、古都の上位者共の手口を真似するか。

 夢で済まそう何て、吐き気がする。カルデアが諦めなければ、あの女による殺戮は人理において存在しない過去となる訳ね」

 

「お前たちが、善きカルデアとして最初の獣を狩ればの話ではあるが……いや、為せるが故に、灰はあの古い獣に専念しておるのだろう。

 残念なことだが、人間の魂では灰を裁けんのだ。

 悪を越えた極悪な女ではあるが、人の世を独善で導かず、正邪善悪総てを含めた在るが儘の魂で、我ら人類種(ローマ)が未来を選択出来る世を護る。

 あるいは、そう生きたこの世界の人間の魂の結末が知りたいのだろう。果たして、闇より生まれた不死の人間と、命が尊く在られる人間は、どのような差異が最後に生まれるのか。

 暗い血の絵画からの来訪者である稀人ならば、尚の事だとな」

 

「悪趣味ね。結局、人類史って言う血塗れの絵画を、自分の真っ暗な血で汚したくないだけじゃない」

 

 この現代を灰は、きっと人の楽土に見えるのだろう。所長は神と神に連ねる神秘だけでなく、人間自らが持つ神秘さえも排された時代が、ある意味で灰が望んだ理想郷だったのかもしれないと考えた。

 今の世、人の魂を害するのは人間のみ。

 全ての出来事における選択は人間性に帰結する。

 嘗ての灰が見た神の欺瞞がない世界。だが所詮、人の欺瞞が代わりに満ちるだけ。しかし、人間が人間自身で、自分たち人間がそう言う生命種だと選んだ人間だけの世界において、その悲劇こそ幸運な絶望だった。数多ある未来への選択を取り、この道を選んだのならば、灰は魂からこの世の人間性の善悪全てを喜ぶのだろう。それはきっと灰がまだ墓から蘇る前の人間だった時、呪われ人と迫害されていた時に見たかった人間が不死にならず「人間」として幸福に暮らせる美しい世界の、けれど最後には終わる腐り始めたばかりの人血で描かれた絵画である。

 その想いを、神祖は流し込まれた暗い血によって理解する。

 恐らくはこの世で誰よりも、ローマと言う奇跡を分かっている人間の化身。

 灰はこの絵画(セカイ)を自分の血で汚したくはない。同時に人間が人間の儘に終わる楽園を、どのように何者にも縛られない人間が滅ぼすのか知りたくて堪らない。

 抑止力も、人理も、人の魂に過ぎない。

 望む儘に、自分たちだけの歴史を歩め。

 自分の魂(ダークソウル)と差異があるこの世界の人間の魂に、また別の可能性(ヒューマニティ)を知りたかったのかもしれない。それがきっと、灰が獣のように独善的な意志で世界に干渉しなかった理由なのだろう。

 

「だろうな。だが、そうすれば自分の世界の終わり方を、愚者のように此処でも繰り返すだけなのだろうよ。

 そして、その楽しみの為に、あの灰は人類が滅ぶまでこの世界を人間が好き勝手することを容認する。

 そして―――神は、星より排された。

 もはや魔も妖も人界に居場所なく、お前の時代において人間の魂(ローマ)は、人間だけが生命を謳歌する楽土(ローマ)を築き上げた。

 あの灰にとって、それこそ宿願(ローマ)

 自滅以外の外的要因で滅びる等と言う無価値な終わり、何が何でも赦されぬ。あの灰は、有りとあらゆる人の魂の天敵を滅ぼすことだ。

 自分が、幾度死のうとも。

 世界を、幾度焼こうとも。

 罪科を、幾度犯そうとも。

 そして、このローマにおける悲劇も所詮、醒める悪夢の幕間であった。

 誰も死んでおらんのだよ、最初から。

 ただただ、世界(ローマ)が悲劇であっただけなのだ。

 此処での苦しみは、端から消えて無くなる幻痛でしかない。

 お前が脳の中で思うよりも、人は本当に我等の特異点では只一人として死ねぬのだ。死ぬ可能性があるのはカルデアからの来訪者共だけであり、そのお前たちも灰は死なぬようにこの絵画における運命を、その暗い血の絵具で歪めていた」

 

 特異点での出来事は、人理が修復されるのなら無かったことになるも、そこで失った命までは戻らない。しかし、ビーストクラスの人理の範疇を越えた大災厄なら、その被害は歴史には刻まれない。それを人理に還元するほどの修正は難しく、命が失った事実ごと修復される。

 灰は、正しくソレだった。

 特異点に彼女が干渉した時点で、中の惨劇は全てが例外。災厄を越えた大災厄。

 それで特異点が滅べば本当に焼却を防げないのではあるが、カルデアが最初の獣を狩れば、灰によって特異点での悲劇から人の魂は救われ、むしろ灰が干渉したことで人間は記憶出来ない夢から醒めただけの喜劇に代わる。

 

「ふざ、ふざけてる……そんな、の、ふざけすぎじゃない!!

 人の魂の、その運命を何だと思ってる!?

 死ななきゃ何しても良いだとか、あの不死女が一番しちゃいけないことでしょう!!」

 

 不死である故の、魂の尊厳。オルガマリーが苦しみ抜いた末に得た人間性。遺志を継ぎ、意志を紡ぎ、血で以て人を得る。狩りによる殺人の罪は、殺されることでしか悪夢から救われない彼等への祈りであった。

 此処はそんな悪を悪で在らしめる罪を、裁きの神さえも無価値にする程の、完璧な贖罪を為す人力仕掛けの機械劇場。

 デウス・エキス・マキナなど、生温い。神の遺志は、灰が見守る人理にはもう届かない。

 最初から罪など存在しなければ、人理は傷付かない。しかし、ただただ灰と言う悪人が人の魂を救済するための悪夢に過ぎなかったなど、月の狩人にとって悪夢の中で見る更なる悪夢よりも惨たらしい真実だ。

 

「あぁ、ふざけた話だ。しかし、獣狩りには必要な悪夢であった。

 他国から富を奪って繁栄したこのローマが、人理繁栄の為の礎にされるのは、人類史に対する奉仕(ローマ)に丁度良いとあの灰は嗤っていたがな」

 

 何も知り得ぬ臍無しの狩人は、啓蒙されるだけなのだろう。だが星見の狩人は、己自身を啓蒙する。自分こそ、自身の導きだ。悪夢に住む月の狩人を弔うには、彼から洩れ出る未知に拓かれる快楽から卒業しなくてはならない。今も知らぬ叡知に脳が犯され、されど狩人ならば啓蒙さえも狩るべきだ。

 故、星見の狩人(オルガマリー)は星見を貴ぶ。

 今、新な導きを脳に描いた。脳の中の夜空は満天の星空となり、星々が地平線に流れ落ちる隕石の絶景が瞳に映る。

 ―――嗤え。

 この茶番は、古都の続き。

 狩人が悪夢を笑わなければ、一体誰がこの惨劇を人類史から間引くと言うのか。

 役者と役目は最初から揃えられていた。悪夢狩りの、あの生まれるべきではなかった月の狩人は、恐ろしい星見の狩人を、獣を狩る為に狩人共の血の遺志を継がせたのだから。

 

「あっそう……は、ははは、あっははははははは!!

 だから神祖、貴方は灰の傀儡に為らざるを得なかったってこと。

 此処とフランスでのあらゆる悲劇は、カルデアが一番目の獣を狩れば、全てが最初から無かったことになる予定の、ただの悪夢劇場。

 そうよねぇ……所詮、そんなのは灰の脳味噌の中の、どうとでもなる悪夢なんだもの!

 夢の中なら、なんでも許される!

 どんな地獄を作っても、所詮は醒める悪夢!

 この特異点に生きている人間の魂も、カルデアが人理焼却と言う悪夢から醒まさせれば、元の日常に戻るだけの魂の牢獄だった!!」

 

「終わり方が決まった(ローマ)である。お前たちが世界を救えば、少なくとも灰が関わった特異点だけは完全に救われるのであろう」

 

 夢、だった。全て、呪われ人が見た悪い夢だった。それは狩人が持つ不死性の仕掛けを悪用した特異点の回帰原理。人血より生じた上位者を観察、治験、解剖した灰による悪性善意。

 人の為、人を殺す。

 人の為、人を犯す。

 人の為、人を奪う。

 人の為、人を失う。

 だが、灰の特異点でのあらゆる罪科は所詮―――夢。

 人の為に人が堕ちる魂の牢獄。確かに魂で苦痛と苦悶を味わう地獄であるも、余りにもそれは命に対して冒涜的。最初から死が取り除かれた運命。その機構。

 だが、己が運命に抗う呪われ人が獣の為の理想に従う所以など有りはしない。

 神祖は、それだけは確信していた。何時か人類が辿り着くであろう、何もかもが滅び終わった後の人類史にとって、きっとこの星最後に残る‟人間”が見届ける筈の答え。

 もし、必ず最後に無となって滅びる人類の歴史に価値があるのだとしたら。

 あるいは、価値があるのだとしても、それを見届ける意志を持つ人間がいるのだとしたら。

 きっと、そんな誰かは苦しみ抜いて未来を得た人間たちの過程こそ、腐れ、穢れ、醜く、惨たらしい生きた証になると、最初から諦めた上で人の魂を許すのだと。

 

「お前たちは―――邪魔となる。

 カルデアが善く、正しく、獣の特異点を滅ぼすために、異物たるお前とお前の忍びは、お前のカルデアから排除しなくてはならない。

 世界(ローマ)と、ローマと、このヒトの歴史(ローマ)を守るためにも。例え、我が子たちの国が滅ぶ汎人類史だとしても、(ローマ)はこの歩みを無意味にしたくはないのだ」

 

 神祖の願いは、何処までもローマだった。どうしようもなく、ローマの魂に真摯だった。

 真の王――ロムルス。彼だけが、現実と戦っていた。

 ただ、ローマのために。そして、ローマの歴史を無価値にしないために。

 ―――カルデアの、所長と忍びだけをこの手で殺す。

 それだけが、神祖に許された最初で最後の贖罪である。

 直後、彼の宝具(両刃剣)が暗く淀んだ。まるで炎のような揺れ動く靄のような、しかし沼の底に貯まる泥でもあり、あるいは暖かい湿り気のある体液の如く、そのローマ創生樹の神槍は人間性に犯される。

 

「それ即ち、単純なる分岐点。炉の灰に流れる、その暗く燃える血は(ローマ)を啓蒙した。

 正しく、人は何にでも成れる。この身が英雄となったように。

 そして、王となり、神となり、故にまた人にこの絵画(ローマ)で成り果てよう。今の儘の己ではない何者かに、為り続けることが人の性。そして定まらぬ未来は正に暗黒であり、それでも前を歩き続けることこそ、人が人の性を克する人間性(ローマ)である。

 停滞だけが、人間(ローマ)は赦されぬ。

 永遠に幼き儘では、やがて腐敗するしか選択(ローマ)が遺されぬ。

 立ち止まる自由などなく、可能性を捨て去る可能性だけが魂には決して許されぬ」

 

「……此処での貴方って、正義の味方をしてたのね」

 

「すまない。喩え最後はローマの滅びを良しとする歴史だとしても、ひとりの人間として己が人生(ローマ)の価値を護らねばならぬ。

 我等(ローマ)が生きた人理の世界を護る。

 この為だけに、今この好機にて必ずや討ち滅ぼす。

 我が目的は最初から只一つ、カルデアから異物たるお前ら二人を剪定せん」

 

 揺らいでいた創生樹の宝具が、神祖の霊体へ融けて消えた。

 

「でも、貴方は死ぬ。私と、私の隻狼に狩られる。暗帝も狩って、特異点は御仕舞いよ」

 

 そんな星見の狩人の、その瞳で見詰めた確かな啓蒙(ミライ)を聞いても神祖は恐れなかった。死と狂気が脳を汚染する言葉だと言うのに、宝具が霊体を補完したからか、狩人の啓蒙的真理さえも今の彼にとっては養分となって力となる。

 

「これは、この特異点だけの問題ではない。そうなのだろう……?

 成長したお前は、必ず人類史に悪夢を見せる。人理を取り戻したところで、そこから先はお前に救われた事で、その人間の運命を操る仕組みをお前に啓蒙されてしまい、きっとお前の意志が人理に容易く反映される未来となるであろう。

 灰がそう悪用するように、抑止力は働かぬ。

 獣から救われた人理を後に続けさせるには、その後の滅びからさえ救おうとも、今此処でお前をこの人理修復の旅から排除しなくてはならぬ」

 

「その死に掛けの様で……不死じゃない貴方に、私が止められると?

 そもそも、そんな気なんて…………―――いえ、違う。そもそも獣共みたいに、失望するほど、こんな人間なんて獣を愛してもない私が……フ、人理の未来など毛頭興味無い。

 嗤わせるな、神祖。

 我ら狩人、人の導きになどなるものか」

 

「否―――狩人在らざるお前は、人を愛する女(ローマ)だ。

 その人間性(ローマ)が、最後にお前を獣性へと導く。カルデアが救った人理の、その余りにも救われ難い在り様に、カルデアの所長を幾年も続ける内にお前はきっと、今よりも良い未来を作ろうと足掻いてしまうだろう。

 より良い明日を欲し、善き人理を啓蒙したくなるだろう」

 

「―――――――……」

 

 あ、と狩人ではない所長は自分を瞳で見てしまった。古都で擦れ切れた筈の僅かな人間性さえ、完璧に無くした狩りの心。心折れたオルガマリーが生き延びる為、血の遺志から生み出した狩人と言う第二人格。そんなオルガマリー・アニムスフィアの残骸でしか無い筈なのに、このカルデアは随分と彼女を人間らしくしてしまった。

 人間性―――その罪深さに、所長は余りにも深く絶望した。そして、絶望するなんて感情がカルデアの生活によって蘇っていた事に、所長は嬉しささえ今この瞬間に覚えた。

 善人の物真似。理想的な責任者の真似事。社会の規範から逸脱しない程度の狂気。

 楽しかったし、愉しかった。嬉しかったし、幸せだった。人間の輪に溶け込むには都合が良いからと自分で自分の精神を操って感情を啓蒙(マリョク)から作っていた筈だったのに、そんなことも何時からか笑うのに必要ない事実に何で今この時に気が付いたのか。あるいは、気が付くことから瞳を逸らしていたのか。

 それが産まれた時からヒトに備わる獣性を狂わせると、狩人として啓蒙されるまでもなく、このオルガマリーは理解していたが故に。

 クリプターとマスター。マシュ。ロマニ。レフ。技術部の馬鹿共。気が良すぎる職員たち。そして、友人と呼べた―――アン・ディール(裏切り者)。善き人も悪い人も、所長にとって善悪と言うバランスが取れた人間性を育てるには余りにも理想的な環境。

 だがこれなら、この魂に心なんて要らない方が全人類の未来の為。

 所長にならなければ、ただの狩人でいられた。貴族の魔術師と言う皮を心に被るだけなら、世界を愛さない啓蒙狂いの学術者でいられた。

 

「その獣性が最後の引き金よ。そして今此処(ローマ)に、愛と希望(ローマ)が集まった。あぁ、何故かこのローマ以上に力が燃え滾っている。

 そうだ、まだ(ローマ)は死ぬ訳にはいかない。

 未来も希望も、お前がその気になれば一瞬で狩られてしまう」

 

「違う、違う――わたし、わたし私は、そんな真っ当なニンゲンじゃない。

 ……いえ、いえ、いいえ。

 啓蒙――……啓蒙、されたと言うの? 私が?

 あの灰から人間性を啓蒙されたことに、カルデアで気が付かなかったなら……心を亡くした遺志に過ぎない私に、あの女は……!!」

 

 それはきっと湿り気のある闇のように、少しづつゆったりと温めたのだろう。だが、それはきっと太陽の光さえ生み出せる人の心が行き着く最後のカタチ。

 闇が、自分を見詰める彼女の瞳を曇らせた。

 また誰かを愛せるように。そして、愛されることに幸福を感じるように。

 それは、確かに闇だった。灰が生まれた世界において、人間を始めた人間性となる暗い魂だった。だが、その闇には人間の営みが刻まれている。神の欺瞞によって命の火を得た人々の記憶が熔けている。火の最期に至ったあの残り火の時代の答えが、闇に回帰するのだとしても、その闇は最初の闇よりも冷たく、冷たいと感じられる故に温かいのだ。

 恐らく、ヒトが狩人になった時に喪う人間性。

 獣を狩る心のない血に酔う狩人が、人獣(ハンター)となるために棄てる人道の道標。

 暗い魂を持つ炉の灰以外に、行き着いた果てのそのまた果てに落ちた狩人へ、そんな失った嘗て普通の人間だった頃の実感を与えることなど不可能だ。

 

「心に、自覚さえ出来ない何て……!」

 

 今も、そして未来永劫、所長にとって感情の制御など容易い。それが自分自身の本物になろうとも、狩りの心得が彼女の精神に血と狂気の静けさを与える。獣性にその心が支配される可能性は存在しない。

 だが、それが彼女の本心なら―――我慢などに価値はない。

 自分の人間的精神が作った自分の創作物だと錯覚していたのなら、何も問題はない。しかし、この世界を出来れば良くしたいと言う義務感とか、出来るだけ世界を守ろうとする使命感とか、悪き者から人々を助けたい責任感とか、狩人は所長となるべく自分にそんな偽りの感情を植え付けたのに、その想いが本物になってしまったことを悟ってしまった。己自身の、その魂から。形から始めたに過ぎない所長と言う捏造されたこの意志が、闇に融かされて自分の内にある事実に。

 

「わたし……人間に、戻れて―――」

 

 嬉しいと考えて感情を啓蒙したのではなく、最初から本心で嬉しかったのだと。本当は、本心で人が死ぬのを悲しめるのだと。

 ―――あの、灰のように。

 その人間性の本質を啓蒙した時、狩人だけではない所長としてのオルガマリーが、狩り以外の答を欲するのは必然だと理解した。

 

「―――人を、得た。

 人の、上位者。赤子の赤子。狩人と同じ、人理も人間も幼い儘じゃ、腐るだけ。

 外なる宇宙への旅立ち。この霊長は母たる揺り籠からの巣立ちが、幼年期を終える始まりなのね」

 

 しかしながら、それは人理を脅かす獣性の芽生え。元より啓蒙された人理の未来測定航路を導くための、その最適解が所長にはある。

 今の文明の進歩では、必ず袋小路に至る。その打開方法は只一つ。

 それに、所長ならば余りにも簡単に人理を導ける。情けない進化を文明に選ばさずに、必要数の犠牲者で確かな有り様に至れるだろう。

 

「その未来(ローマ)を、お前は棄てられるのか?

 カルデアの所長と言う人間性を、お前は人理のために失えるのか?

 元の偽りを繰り返すだけの物真似人形へと戻るため、灰から啓蒙されたその心を踏みにじることが出来るのか?」

 

「有り得ない。この闇は、もう私の中で所長と言う人間性になった。この実感を誰にも渡したりはしない」

 

 観測することで知らず啓かれた魂の暗さ。それは狩人が貪った血の遺志が変質した疑似的な人間性(ヒューマニティ)に過ぎないと所長は理解した上で、その暗黒が己が魂に人間と言う感動を実感させる機能を付属させ、狂気に蕩けて消えた筈の人道的感情で人と得た。

 もはやもう、そんなモノは捨てられない。

 所長と言う人の心を喪うのを、星見の狩人は赦さない。

 

「そうだとも。その気付きで以って、お前は(ローマ)と同じ人間(ローマ)と成り得る。

 故に―――死ね。

 お前だけは、人助けを尊ぶ真心(ローマ)を得てはならんのだ。

 その普遍的な善意は、この人理にとって獣共を上回りし悍しき獣性(ローマ)へと深化しよう」

 

 そして、神祖は一人の人間として、これより相手を殺す為の最低限度の礼儀を終えた。闘争で以って殺すのならば非効率極まる行ないであり、だがそれをしなければ人類史(ローマ)を守ると言う大義を失い、神祖は人間ですらなくなる英霊と言う抑止力の畜生となるだろう。

 相手が、生命を冒涜する唯の害悪なら駆除すれば良い。

 しかし、これから殺すべき彼女こそ、今の人理を滅びの一歩手前で阻止していた強い女。

 神祖は英霊ではなく人間として、そんな女を殺さねばならない故、同じく人間として誰よりも殺したくはなかった。

 

「ローマは……いや、人間(ローマ)で在る故の、獣性を含めた人間性。

 ヒトの仔よ、此処で因果に終止符を打つ。お前の心、魂、体、そして託された遺志を、矛先の我が拳にて破砕する」

 

 人域を超えし、神域――冠位転生。

 未来を夢見る人々の思いが、王の想い只一つに束ねられる。

 耀ける星を殺す程の、救われたい人間の意志が輝きとなり、王たる神祖へ神の名を与え、人域を超越させる。

 

「おぉ……――ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 そんな神祖の決意は、決戦術式となって具現する。抑止力の後押しを全力で受けられるこの灰の特異点の中と言う環境を得て、ローマ創生樹が真の王を生み出した。

 最初の王、ロムルス。建国王にして、人の身で神となった男。

 人生の最後にて到ったその境地を、彼はサーヴァントとして再現したのではなく、また同じ様にこのローマで人間として顕現してしまった。

 目的は一つ。単純明快な手段。

 星見の狩人の裡に芽生えた‟カルデア所長”と言う―――人の心を打ち砕く。

 其故に今の神祖に槍は要らず。その手を槍のように振るえば良く、その拳で破砕するのが王道だ。

 

「何処までも生き汚く、そこまで生き足掻く……人域、阿頼耶識。

 ここで冠位の、後押しだなんて……ッ―――人間共、所詮は獣性の根源か」

 

 所長(ハンター)は、その神祖の在り様に感動した。カルデアの所長としてではない、星見の狩人として人間が起こした奇跡に血が疼いた。

 神祖の姿に変化はない。衣装も同様。否、むしろ上半身は肌蹴た。

 見た目は同一人物であり、魂も同じだろう。しかし、宝具との完全合一によって為した全身の宝具化と、冠位による―――否、霊基となった冠位さえ貪るその最初の王のソウル。

 

“けれど無様だわ、並列世界の抑止力。獣狩りの冠位で、狩人を狩ろうだなんて”

 

 灰を後押しする者共。この世界ではない世界の、他の世界を贄に捧げても生き延びようする渇望。同族同士の剪定を尊ぶ人間は、そも魂が獣性で溢れている。貪り合う営みこそ獣の温床。そして、救われない世界の律が生まれる苗床だ。

 彼女にとって、余りにも耳障りな声だった。

 奇跡を作る人間の声―――祈りの結晶。冠位のソレ。

 祈られ、蘇る神祖より聞こえる無限の導き。だが其処まで、未来を欲するのならば―――と、世界を焼くに相応しい程の、未来を欲する人の悍ましさを彼女は啓蒙された。

 

「……主殿」

 

 第一の獣の絶望と完全に同調した瞬間、所長は忍びの声によって現実に意識が戻る。

 

「ごめん、待たせたわね。あれとのお話はもう終わりです。

 ―――殺しなさい。

 私と貴方で、生存を願う人々の願いを踏み躙る。

 冠位を差し向けた事実こそ、我らを獣と見做した証。その哀れな節穴を、此処で打ち倒します」

 

「御意の儘に……」

 

 忍びは所長の、その絶望から湧く強過ぎる殺意を案じた。並みの精神力ならば、目と鼻から血を流して発狂死する圧迫感を放つ彼女の瞳を見て―――何の、意味がない心配だと悟った。

 所詮、狩人。絶望に価値はない。獲物が何者であれ、狩りより優先する衝動など彼女の中には存在しない。啓蒙された暗い心だろうと、狩りの遺志は絶対だった。

 だがしかし、そんな狩人に仕える忍びは、ふと背負った不死斬りを意識した。これで主を斬れば、数多の汎人類史が救われる。この人類史を贄にするかもしれないが、確実に兆も京も超えた無尽蔵の命が救われる。この神祖が、この人理の世界を救うと言う善より尚、巨大過ぎる善として立ち塞がっている様に。

 そして―――人の価値を、数字で判断する思想を理解出来なかった。

 為すべき事を為す。断じて、世の為などに人は斬らない。その果ては修羅より醜い殺戮の道化に堕落する。

 

「さぁ、お前たちの本気(ローマ)を見せてくれ。

 (ローマ)はその悉くを破り、カルデアの導きであるお前を、必ずや―――討ち滅ぼす」

 

 真の英雄が、カルデアの眼前に現れた。

 

「―――」

 

 所長の狂気が極まり、忍びの殺意が鋭くなる。彼女は何が敵なのだろうと感情を向ける術を失い、しかし狩りの理性が全てを見通し、現状を完璧に理解(ケイモウ)してしまう。

 世界を背負う相手であれば、敵は―――人の世、そのもの。

 冠位へと人間として到った真の王――-神祖、ロムルスこそ人界の守護者。

 この世界一つを、獣を狩ることで確実に守るカルデアの導きを殺す。それだけで灰の目的は確実に達成され、他の数多の世界が古い獣の搾取より救われる。

 救世の王、冠位の英霊―――究極の槍使い(グランド・ランサー)

 その手が光り、輝ける星の矛先が所長と忍びへ向けられた。

 

「フッ――――ふふ、あひゃっははっはははははは!!」

 

 瞳が裏返る。脳が捲り返る。所長(狩人)は人でなしですらない、なのにヒト型の儘に本性の狂気を剥き出した。死闘を笑わずにはいられず、惨状を哂わずにはいられない。

 蕩けた瞳は脳が融けた証。窮めた戦術眼に、究めた啓蒙眼が合わさり、極まった先読みが可能となる狩人の狩猟戦法。

 その目が未来を告げている。

 この神祖―――加減なく、際限ない全力の本気を最初から爆発させる。

 初手は間に合わない。今の暗い魂の神祖に速度の概念が通じない。体幹崩し(パリィ)に左手の銃を撃とうが無意味であり、忍びが独楽手裏剣を投げても微動だにせず、死にながらだろうが何が何でも絶対に攻撃を完璧に放つだろう圧倒的気迫。

 所長は銃の代わりに握った遺骨の神秘によって己が固有時間を加速させ、忍びは護国の勇者の加護を仏の構えによって自身に降ろす。

 それと同時に神祖は空へと翔んだ。その姿は正しく、光輝く黄金創生樹の化身。その権能を宿す人ならざる王の神。

 何と美しい――王者(Y字)のポーズか。

 あらゆるローマが歓喜し、祝福され、夢に揺らぐ黄金帝都を幻視する。

 

「―――我らの腕はすべてを拓き、宙へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)―――」

 

 そして、浮かぶは神祖。映るは石造の幻影都。空飛ぶ彼によって天高くに生まれた巨大都市(ローマ)は、眼下の崩壊都市(ローマ)を押し潰さんと墜落を開始した。

 ローマに、ローマが墜ちるなら―――この結末は、必然だ。

 黄金樹木の槍から映された未来と過去の大都市が、輝ける星の隕石となってローマごとカルデアの異物を圧死せんと迫り来た。

 

「後、お願い」

 

「御意……」

 

 所長は悪意を持って太源に干渉。ローマ市民の呪詛に満ちる残留思念が蕩けた魔力を瞳で吸い込み、魔力回路を邪悪な血の遺志で満たし、血管に流れる血が歓喜に溢れる。彼女のサーヴァントである忍びの目に映るのは夥しい数の、死んだ人々の遺志が形となった形代が群れとなって空を舞う光景。人間が残す残留思念を形代として視覚化する彼は、遺志を瞳で貪るマスターの悍ましい所業を隣で見るも、今は自分達二人へと墜ちるローマに一心する。

 マスターから流れ込んで来た形代(マリョク)を忍術へ全て注ぐ。

 忍義手は破裂寸前まで死と血の怨嗟で暴れ、だが忍びの意志によって容易く完璧に制御され、義手忍具がローマ市民達の断末魔となって発現した。

 ―――ぬし羽の霧がらす。

 右腕で所長を抱えた忍びは彼女ごと自分を霧に変え、姿を消し、燃え上がり、空を飛ぶ。それもただ跳んだではなく、所長による加速の神秘によって忍術は神域に到り―――時空をも、透けるように舞うのだろう。

 過去、現在、未来、全てのローマだろうと例外ではない。

 一瞬とも例えられない時間停止する程の迅速な業。神祖は動きさえ見えない火の筋が地上より上空へと昇った‟形跡”を認識したのと同時―――眼前の魔人二体を視認する。

 冠位へ到った己が宝具が通じない悪夢。あるいは――奇跡。

 神祖は、ただ本気で全力を出しただけでは倒せない事実を正しく理解する。

 灰の暗い魂と言う‟特異点"を穴とし、数多の並行世界から抑止力として後押しを受けたと言うのに、まだ足りない。

 ―――ローマが、足りない。

 停止した時間の中、神祖の思考がその正解を啓蒙される。

 神祖には、神祖(ローマ)が足りないのだ。あらゆる時代のローマだけではなく、あらゆる世界の神祖(ローマ)の意志がなければ、狩人と言う遺志の化身を殺し得ない。

 ―――冠位獣性。

 薔薇の皇帝と同じく、何もかもを蕩けて融かせ。

 自分に自分が重なる事に時間など皆無。その意志が死人の遺志に融け、召還が繰り返され、霊基を究極とする儀式。

 決戦魔術・英霊召喚。霊基出力―――相乗倍加。

 簒奪者(火を宿す灰)に匹敵する熱量を自身を薪にして生み出し、神祖は更なる黄金の輝きへと至る。

 

「ローマ……ッーー!!」

 

 ローマのあらゆる槍が創生樹の槍に融け、それを己が(ローマの)手に深化させて神祖は振るう。故、ローマ神話創生樹そのものと同意味の拳に砕けぬモノはなく―――貫けぬ魂は、絶無。

 その槍もまた、神祖にとってローマの一つ。

 それは、嘗て邪教だった。ローマにとっての異教徒だった。

 だがローマの歴史において、ある意味で創生神話に等しき救世主の物語。

 その者を殺めた槍もまたローマであり、ローマの兵士の名が銘となった。

 言葉通り、手腕の槍には全てのローマの刃がスープのように混ぜられた。

 ロンギヌスもまた―――ローマ。啓蒙された拳の名を知った所長は、自身が一撫でされただけで魂が溶解する未来を垣間見る。

 もはや霊基崩壊と言う次元の暴挙ではない。神祖の霊基の中に、数多の神祖の魂がローマの数だけ召還されるだけでも悍ましいと言うのに―――宝具『我らの腕はすべてを拓き、宙へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)』と同じく、ローマそのものが創生神話として槍の樹が内側で歴史を宿す。

 

「この――……ローマ馬鹿が!!」

 

 刹那、加速するその拳を直感的に所長は蹴り上げた。空中で神祖から潜り込むように避け、だが完全には避け切れずに左目を拳槍で顔面ごと抉り取られた。とは言え何とか脳まで傷が達することはなく、しかし何故か何時も通りに血液によって顔と左目は自動復元を開始しない。

 だが――ぐちゃり、と抉れたその左顔面。剥き出た脳の‟瞳"から世界を覗く。

 頭蓋骨から露出する脳が外に現れ、脳の瞳が直接的に神祖を見る。

 思考が外界と直結し、思考の加速によって時間が止まり、左眼の裏側に隠れていた悪夢が世界を侵食する。

 そして、意志疎通(コンビネーション)は完璧。あろうことか、サーヴァントの立場でありながら忍びはマスターを囮に使う。故に奇襲は完全。所長を攻撃することで片腕が使えないその刹那よりも短い隙間を見抜き、忍びは霧がらすとなって飛びながら既に準備を整えていた。

 例えるなら、撃鉄が上がった状態の回転式拳銃(リボルバー)

 後は鞘から抜刀するのみ。念が込められし一太刀目、空中流派技――不死斬り。

 

「ぬぅ……!!」

 

「そうだ、(ローマ)こそローマなり!!!」

 

 認識を拒む魔技。それは親指と人差し指と中指だけ。そのたった三本で、不死斬りは白刃取りされた。死なずの命を滅する黒い念が、生命力たる血の赤色が混ざった黄金(ゴールド)王気(オーラ)で抑えられた。

 己が必殺を素手で容易く封じられるとなれば、サーヴァント級の武人だろうと驚愕と困惑で動作が止まる―――のは、超一流を超越した剣神の業を知らぬ者。

 この場に例外が一つ―――否、この三人はこの世の枠に須く当て嵌まらない例外。

 忍びは一切の淀み無い精神状態により、両腕が使えない神祖へと心臓を外皮から内部破壊する仙峯寺拳法の回し蹴りを打つ。

 それをあっさりと神祖は上げた右膝で受け止め、所長の左目を抉った右手刀より赤熱光波を斬り払った。

 

「ーー」

 

 即座、義手忍具の連続使用。仕込み傘によって神祖の光波熱線(ローマビーム)を忍びは空中で防ぎ、その下から所長は神祖の背後へと跳んでいた。

 それは学術者を兼ねる狩人としててはなく、一人の魔術師として修めた技術。

 魔力で固定した空気を強化した脚で蹴り、重力の慣性操作を行い、彼女は空を舞う。空中だろうとアニムスフィアの魔術師に不自由はなし。

 振う獲物は獣狩りの曲刀。

 弾丸を撃つは血族の短銃(エヴェリン)

 股間から脳天を断ち切る軌道で、柄から変形して伸ばした刃が神祖を襲う。

 そして所長の曲刀は、忍びの一太刀と同じく指で止められた。瞬時に上下逆さになった神祖は危な気なく刃を掴み、そして超至近距離で放たれたエヴェリンの水銀弾さえも、もう片方の掌で容易く掴み潰す。

 直後、神祖の両瞳から怪光線。仕掛け武器と獣狩りの銃器が防がれ、ほんの僅かに曝した隙を狙われる。まるでテレビゲームのようなエフェクトと例えられる冗談みたいな神樹眼光の魔力線だったが、並みのサーヴァントを十二回は蒸発させる圧倒的濃度の神秘攻撃。

 

「セプテム!!」

 

「――――!!」

 

 神秘(ムシ)に犯された夜空の瞳(ブラックスカイ・アイ)。抉られた筈の左顔面だか、脳より血から強引に魂ごと蘇生し、体の一部になった触媒(アイテム)も元通り。自身の左目に礼装化した上で移植した宇宙と繋がる魔眼とも言えない冒涜の生体義眼より、小さいなれど邪悪な遺志が招来する隕石が放たれる。

 怪光線と隕石の衝突―――爆散。

 衝撃波が空中で炸裂し、異様なまで濃過ぎる神秘が、魂を抹殺する程の概念が、ローマの上空で花火みたいに弾けて消えた。

 

「なんなのあれ!! 一体こんなのどうすれば良いってのよ!!?」

 

 爆風で錐揉み回転しながら宝具都市(ローマ)に潰された石造都市(ローマ)へと墜落する所長は、真理を啓蒙された上で理解出来ない現実に叫んだ。そして忍びは義手忍具(霧がらす)を空中での移動手段として使い、即座に所長の隣へ空間跳躍し―――空に浮かぶ神祖が、槍手を輝かせて眼下の敵二体に爆撃を敢行。

 とは言え、所長は自身が死へ至る全ての危機(ミライ)を見続ける。この状況は脳内にて攻略済み。その上でローマを叫ぶ男は意味不明なまでに心身全てが強く、必殺の好機を手繰り寄せるのは困難極まる。

 

「主殿、通じず……すみませぬ」

 

「あー……うん、ごめん。私もキレるタイミングじゃなかったわ。反省」

 

 右腕でマスターを抱えながら、忍びは義手から展開した仕込み傘をヘリコプターのように空中で自律回転。空から降る神祖の槍光爆撃を全て弾き逸らしながら浮力を得て飛び、所長も魔術によって自分と忍びの浮遊行動を可能にした。藤丸が見たら某アニメの秘密道具みたいな光景に珍妙な顔を浮かべるだろうが、しかしその現実こそ啓蒙的事実。忍術と魔術に不可思議は無い。

 

「うん、反省。だから、直ぐ狩ります。

 宇宙(コスモス)よ、瞳で以って空を潰せ―――彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)!」

 

 直後、脳の悪夢より宇宙が瞳から投影される。世界がオルガマリー・アニムフィアの心象風景に塗り替わり、空が宙に生まれ変わる。それは大人数の魔術師で展開するアニムスフィアの大儀式魔術を超える術式と神秘であり、魔法に匹敵する固有結界の魔術理論・世界卵を使った学術者の狩人オルガマリーによる彼女独自の秘奥。

 ―――宇宙は空にある。

 神秘に啓蒙された古都の学術者にとって、物理法則よりも当たり前な世界の事実。

 上空にY字姿(ローマ)の格好で浮かぶ神祖は、これまた当然の事だが剥き出しの宇宙に放り出され、遥か彼方より無数の巨大隕石が神祖唯一人を狙って墜落する。

 魔術回路と共に水銀弾を使い、己が魂と血の遺志も消費した所長の隕石は一撃一撃がランク規格外。それが数十と降るとなれば、その破壊力はオルガマリーが行使した中でも最大火力であり、自重も自制も存在せず、自分諸共この特異点を物理的に破砕する程だ。

 

「ローマに不可能無し!

 ―――我らの腕はすべてを拓き、宙へ(ペル・アスペラ・アド・アストラ)!!」

 

 だが同じく、神祖も全身全霊で宝具を展開。脳より血涙を流して圧倒的悪夢をローマに叩き付ける所長に対し、彼は肺を本当に破裂させて真名を解放。血反吐と共に放たれた宝具が今度は上空に展開され、まるで天空都市ラピュタやバビロンの空中庭園のようにローマは浮かび、超次元暗黒より来る宇宙の巨石から地上のローマ全てを守った。

 しかし、無事に防げたのは最初の一石。数々と降り落ちる隕石は神祖の宝具(ローマ)へと衝突し、ローマの遥か上空にて宝具(ローマ)が破砕される音が轟き続ける。砕けた破片が金色の粒子になって地上のローマに降り落ちる。

 高が英霊(ニンゲン)一柱(ひとり)が持つ宝具―――だが、人間は不可能を可能にする。

 ローマこそ、その人間性の権化。神域を塗り潰し、人域を大陸に広げた人類繁栄の根底。それを始めた男にとって―――否、遥か天の宙へ挑んでこそ人類。母たる地球を揺り籠とする幼年期を、何時かは終わらせねばならない。

 ローマ。ローマ。ローマ。

 ローマなのだ。人間は、ローマであるのだ。

 ローマから神秘は駆逐され、だからこそ宇宙と言う神秘もまた挑んで倒す。

 

「―――ローォォォォオォォォォオオオオマ!!!」

 

 宝具、再誕。再度の解放によってローマは隕石に砕かれる度に再建築され、悪夢に浮かぶ超次元暗黒から呼ばれて墜ちる神秘が負ける。青褪めた火に燃える隕石がローマに当たって砕け散る。

 人間の可能性に、上位者(カミ)の神秘が敗北する光景。

 本当(ローマ)人間(エイユウ)に不可能はないのだと。宇宙の深淵も最後は暴かれて人智に堕ちるのだと。

 忍びと共に着地した所長は天に浮かぶ都市を見て、瞳ではなく己の心で"人間"を啓蒙した。

 何が此処までの奇跡を神祖に可能とさせるのか。答えは単純、所長が啓蒙された人間と言う生命。あるいは、その集合無意識を運営する阿頼耶識と言う抑止機構。

 ―――不可能を可能に。

 ―――非現実を現実に。

 偶然を最高の好機に呼び込む必然。まるで主人公を応援する物語のような御都合主義。

 数多の汎人類史に生きる人間共の意識によって後押しされた神祖が持つ、世界を捻じ曲げる絶対的運命力。

 

「人間共……っち、アッシュ・ワン。

 態々そこまでして人間を、私たちの人類史を、人類を利用して使い潰す気とはね」

 

「怨嗟の呪いさえ……越え、人の歴史となるならば……」

 

 本来なら並行世界の汎人類史から汎人類史に干渉するなど有り得ない。しかし、人理焼却と言う異常事態が起きた世界で古い獣と言う災害が重なり、その中で灰と言う暗い魂が穴となった。元より並行世界を自在に行き来する魂を持つ人間である故、その本人事態が世界同士を繋げる黒い孔となり、ダークリングはあらゆる世界のダークリングと繋がっている。

 他の汎人類史にも、灰は並行して存在する。

 その汎人類史から、人理焼却が起きた汎人類史に数多の灰が許せば干渉は可能。

 あるいは、だからこそ抑止力は影響し合う。枝分かれする世界の根を獣に貪られる未来を防ぐ為、世界一つを剪定する程度、余りに安い犠牲。

 一より、十。

 十より、億。

 億より、京。

 ローマが此処で勝てば、確実にそれ以上の人命が数多の世界が存続することで救われる。

 必然、宇宙に耐え得る霊基(ローマ)へと後押しされる。当然、全てを背負える神祖(ローマ)が冠位に選ばれる。

 これは―――その抑止力。

 人間である時点で、もはやどうにもならない集合無意識からの答え。

 故、最も悍ましきは灰。この現実を特異点に描き、人の世を獣から守ろうとするオルガマリーを、世界喰らいの獣として人間に狩り取らせる。だが最初から企てたのではない。あの女はレフがカルデアを爆破した後の、この短い時間で全てを練り上げたと言うこと。

 この絶望的結論を所長の思考が得た瞬間―――裏切り、その事実を瞳が啓蒙する。

 つまるところ、カルデアの敵は獣であり、オルガマリーの敵は獣を生み出す全ての者である。

 

「でもこれじゃあ、まさか……私たち……――」

 

 隕石から地上を守るローマは、正に輝ける星(コスモス)。人道の到達点を見たことで脳が拓き、宙へと直結する未来を観測してしまう。過去、現在、未来、全てのローマが彼女の演算回路に組み込まれる。

 即ち、世界に最初から裏切られていたのだとしたら。カルデアスが未来を観測出来なかったのが、これら全てに何も関係がないのだとしたら。

 剪定事象。それは世界を延命する為、世界を滅ぼす為の手段。

 他の世界を存続する為になら、己が世界を滅ぼす自発的自滅活動。

 絶滅。終焉。剪定。未来の在り方。根源に繋がる孔。そして魔法を得る事は許すも、この宇宙最後に残る未知たる宇宙の外側である根源は絶対禁忌。それを暴き、根源の内側にあるこの世界へと技術と知識を還元することは許されない。

 だから、この宇宙の外側から流れ来る魂を自在にするとは、ただそれだけで魔法足り得る技術。

 故にそれが当たり前な魂の楽園である灰の世界は、正しく禁忌の世界。そこから流れ出た神秘に汚染された地上の一部(テクスチャ)は、特異点と化すことも禁じられた隔離異界。

 

「―――意味が、ないじゃない?

 あの女と同じで救うんじゃなくて、救い続けないと一度救っただけじゃ……それじゃ、救う為に犠牲にする何もかもが無価値で……―――!!!」

 

 ドクン、と確かに獣性で彼女の心臓が高鳴った。

 一度、自覚すれば限りなく思考が深まる。世界は同じく事を幾度も繰り返す円環ではなく、似たようで違う事を繰り返す螺旋であり、だが底無しの深淵に堕ちる螺旋(ソレ)である故に。悪夢である彼女の思考もまた螺旋軌道で沈み続ける。

 

「それが、現実(ローマ)だ。オルガマリー・アニムスフィア」

 

 隕石全てを防ぎ砕いた神祖が眼前に降り立っていた。

 

「そして、未来(ローマ)を求める故の絶望こそ―――獣性(ローマ)である」

 

「だから、どうした。それが人間だと言うなら、それに失望することが出来て一人の人間だ。だから……だから……その心が、オルガマリー・アニムスフィアって言う人間性になるだけ。

 貴方が、此処以外全ての未来を背負ってるのも如何でも良い。

 抑止力が私の敵に回るのなら、運命も狩れば良い。

 私が人間を得て、それが獣性になって、抑止力の対象となって、貴様らがアラヤからの後押しを受ける要因の一つになるのだとしても!

 ―――私は、私だ!

 苦痛も、絶望も、私の意志だ!

 無数の死人の遺志が細胞みたいに集まったのが、私の正体なのだとしても……これは、夢から醒めてやっと得られた私の人間性なんだ!!」

 

「あぁ、それがお前だ。同時に、お前はお前だ。

 その意識体が数多の屍の魂から生じたのだとしても、お前は人に生まれ、人を獲たのだから」

 

 獣性は人より生じる。それに対する冠位も同じく、人に由来する防衛機構。世界の数だけ人類種が作る汎人類史は、まるで蟲毒の壺のようなマッチポンプ。滅びの原因を自分達で生み、それを殺す消毒剤を自分達の歴史から抽出する。

 オルガマリーの狩人として持つ獣性はより生々しい血液由来の性だが、灰の人間性が混ざり、そしてローマ特異点によって人理(ヒューマニティ)の獣性が坩堝のように融け合わさった。

 だが彼女は元より、自分の手で殺した死者の遺志の塊。

 血の獣性に混ざった灰の獣性が、理の獣性と相乗する。

 狩人とは人の世において、人を愛する心を持つ事が禁忌となる者共。だから古都から脱してはならず、未来永劫ずっと悪夢を彷徨い続けなければならない。

 ―――全ての獣性が、人より生じる。

 吐息が血腥い。眼球が充血し、獣血に瞳が蕩ける。

 何故、あの悪夢から解き放たれたのか……この獣性が恐らく真実だった。

 オルガマリーの意とは、完全なる聖母(Olga Marie)

 マリアとは、神の子の母親となる女性。

 あのゲールマンが偏執と愛情を向けたマリアのようにその本質は、オルガマリーもまた古都にて聖母に連なる狩人である。

 誰の仔を孕み、何者を産むのか。

 獣性とは母体たる人の血であり、神秘とは神たる者の宿り種。

 ならば、彼女は一体何の母となる神聖だったのか。あるいは、彼女を古都に呼んだ月の狩人は聖母を模した人形の、何の遺志を継がせてしまったのか。

 神の愛を受ける母体。そして愛無き者に獣の資格無し。だが超越的思索に獣性は邪魔となり、上位者はそれ故に赤子と言う愛を獣性持つ人間の女に向ける。それが必要なのに、獣性が嘗てはあった筈の上位者は、更なる思索を啓蒙された上位者で在る故に子を無くす。

 しかし、人間でも在る夢の狩人は例外。正しく、上位者の思索による希望。その果て、獣性と相克する啓蒙を人を脱する程に窮め、故に血に酔いながらも獣血に狂えぬオルガマリーであったが、このローマにて上位者の叡智を克する人の愚かさを手に入れた。

 そして、その獣性を克する為に啓蒙がより高まる。元より狩人にしてみれば、どちらも等価値な坩堝の如き血の螺旋。オルガマリーのより深き超次元暗黒と繋がり、素晴らしき宇宙的悪夢へと脳を拓けたのだ。それは冠位として覚醒した上で更なる二度目の覚醒をした神祖の宝具(ローマ)を砕ける程の、より超越的思索を以って次なる超次元を瞳は観測した。

 

「―――……そうね。皆、人間だもの」

 

 その上でオルガマリーはその真実を拓き、そして本気でそれだけでしかないのだと啓蒙された。それだけで良いのだと理解した。

 

「正体なんて下らない。貴方も私も、どこまで行っても人間じゃない。残酷な真実も所詮、明かしてしまえば唯の既知。

 誰にも救われる必要のないこの愚かさ―――あぁ、やっと分かったよ。

 これを私に与えた貴方達ローマに、今なら感謝して良い。だから宙を拓くローマの神秘、カルデアの所長として狩り終わらせましょう」

 

「あぁ。ならば、このローマを終わらせよう。そして、最期に人の力(ローマ)をお前たちに啓蒙しよう。

 星見の狩人と、その従僕よ。

 我がローマを墓に―――死に給え」

 










 読んで頂き、ありがとうございました!


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啓蒙69:G

 お久しぶりです。またこの更新を読んで頂き有難う御座います。


 ―――悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)にとって、簒奪者の灰は希望だ。

 何もかもの悲劇が、彼女との邂逅で終わりが始まった。今までの犠牲者が無意味にならず、悪魔が生き続けた価値があったのだと理解も出来た。

 当てのない世界を贄とする旅。流れ落ちる度、誰かにとっての日常を霧で曇らせ、人の世を古い獣の苗床とし、嘗ての要人らが作り上げた法則によってエーテル化した魂であるソウルを餌として捧げる日々。

 しかし、誰かがしなくてはならない。

 古い獣の眠りを続けねば、やがて獣は魂がこの世に流れ出る源流に辿り着く。

 魂が生まれる世界の外側に獣が気が付けば、あらゆる魂がソウルとなってこの世に生まれる事もなくなる可能性が生じる。

 だがそれも、葦名が最期となる。古い獣を狩る為の炎が見出された。

 人類の魂は脅威から確実に救われる。獣は死ぬしかない。二つの特異点を悪夢として利用し、燃料となる闇の種は生成され、後は増殖させ、より粘り気の強い深淵に深化させるだけ。

 

「しかし、灰よ……貴公は賢し過ぎる」

 

 後ろから灰を直剣で串刺し、悪魔は騎士兜の中で称賛と共に嘲った。

 

「ごふっ……いやはや、心臓を後ろから刺されながら……言われ、ましてもねぇ……?」

 

 そして灰は長巻の太刀(アーロンの妖刀)を自分の腹に刺し、切腹の格好で背後の悪魔を同じく串刺しにする。同時に彼女は左手に物干し竿(複合強化)を握り、大太刀と長巻による変則的な二刀流により、心臓に刺さった剣を無視して強引に振り向きながら斬り掛る。

 だが、その二斬を悪魔は左手の盾で完璧に弾き受ける。葦名で技巧を窮めた悪魔にとって、自分と同等の灰程度の技など見慣れ過ぎ、忍びのように体幹崩しを狙うのは容易いこと。しかし、灰からしても慣れ切った危機に過ぎず、この程度で体勢を崩す(パリィされる)灰ではない。

 直後、悪魔は自分より背の低い灰の頭部へ頭突きを放つ。

 ファーナムの鶏冠(トサカ)兜の上から灰の脳髄を揺ら(シェイク)し、その隙を狙って腹部に膝蹴りを叩き込み、鶏冠兜の中で血反吐を吐瀉させ、そのまま首を断とうと騎士直剣を振り下ろす。だが灰は逆手持ちした物干し竿で斬撃を止め、同時に長巻を悪魔の胴を両断せんと振う。その一斬を悪魔は直剣の軌道を咄嗟にズラして刃で止め、騎士盾でバッシュ(体当たり)を行う。それを灰は左足の裏で動き出す前に踏み止め、体重で押し込む堂の入ったヤクザ蹴りで押し返す。間合いを離した悪魔へ対して即座、灰は左手に持った宮廷魔術師の杖よりソウルの結晶槍を放ち、それと同時に悪魔はソウルの業で装備転換した暗銀の盾で完全防御。

 その間、一秒未満。行動を見てから動くのではなく、思考戦による先読みによって相手の戦術を予め自分の未来予測で抑え込む戦意の応報。しかし、それがそもそも対人戦闘の基本。まるで息の合った共同作業のように殺意で殺意を受け流し、その繰り返しを続ける終わりなき流血死闘こそ―――最高の、娯楽。

 愉しくて堪らない。

 殺し合いはそうでなくてはならない。

 それはそれとして、悪魔は灰へ憤怒がある。

 素晴らしいこの闘争を穢す人間的な悪意に溢れ、まるで神域から古い獣を呼び出した要人共の欺瞞にも似た人界を腐らせる進化を求めた明日への願い。

 

「何が気に入らないのですかねぇ……ふふふ。貴方の願いは叶えられ、全ての魂が獣より救われましょうに。

 そして、その過程こそ私には重要なだけです。

 より素晴らしき障害が、私の魂を強くさせる敵となります。

 えぇ、えぇ……それだけで良いのです。その報酬だけで私は幾度でも世界を敵に回し、その世界を終わりから救いましょう。

 必要とあれば―――新しい時代も、私が人々の魂に啓蒙します」

 

「それが気に入らん。そも魂を救う必要など皆無だ。私はただ、古い獣を狩る事だけを貴公と契約したのみだ。

 ……そも人理とは、この人界に生きる魂の戒律。

 我ら外側の魂に関わる道理はない。結果として人理の世に生きる全ての世界の魂が救われるが、それはただの副次的なものでしかない。

 狩る事―――それのみ。

 そうすれば良い。そう在って、そう殺す。

 この世界の行く末に干渉するなど、神気取りの糞の所業だぞ」

 

「隠し事はいけません。単純に、特異点を悪夢に変えたのが許せないだけですよね?」

 

 悪魔にとって、己が所業を見せ付ける灰の悪行。遠回りをすれば必要ではなかったが、あの葦名で全てに決着する為には必要だった。葦名で旅を終えるには、どうしても大事な犠牲ではあった。

 

「神は、否定せんか?」

 

「はい。物真似は人間の性。そも神の奇跡を愛する私は―――殺したい程、神もまた好きなのですよ。

 それ以上に憎悪しているだけでして、えぇ……好意が塗り潰れる程、闇に沈めたくて堪らない……本当に、それだけですから」

 

「所詮、人間か。私と同じ、己が魂には逆らえない」

 

「―――ふふ。

 そんな自分が御嫌いですかね?」

 

「いや、まさか。魂の儘に生きるのが悪魔に堕ちた人間に相応しい末路だ。

 結局は自分の世界を救えず、女一人守れない男にとって、この魂だけが最後に残った自分自身」

 

「魂さえも、本当は自由ではないのに?」

 

「……貴公がそれを問うとは」

 

「カルデアを獣役にし、抑止力を利用したのが御嫌とは……元々、オルガマリーの魂に人間性を仕込んだのは本当に善意でしたので。

 全く、因果な話です。狩人の遺志に対する防壁代わりでしたのに。

 本来の所長のカルデアによって素晴らしい闘争の世界が拡がるとは言えですよ、神秘が完全に駆逐されるとなれば、まだまだ私はこの魔術世界を愉しみ切れてませんでしたから。

 あぁ思えば、貴方がこんな程度の脆い世界を救おうだなんて思わなければ、私はこの世界に居座らずに最初から外側に流れ落ち、人間が暮らすあの絵画世界に戻って永遠を苦しむだけで良かったのですがね」

 

「ならば、このローマでは私の我で貴公を押し潰す。あの無様な要人と同じ過ちを繰り返しては、私は私を許せん」

 

「無様……あら、気遇です。無様だから、この人理はこの様なのですよ。

 貴方が仰る通り、所詮は人間。あの要人と同様の傲慢と欺瞞によって、自分達が生んだ獣性に滅ぼされました。

 それに同情するのは、それこそ欺瞞じゃありませんか?

 もうどう足掻いても滅びるしかないなんて未来、自分の世界の未来を否定した貴方が一番理解していると思っているのですがね。

 この人理焼却は防げるでしょうが……えぇ、終わり方程度しか自由はないでしょうしねぇ」

 

「貴公……―――」

 

「憐憫です。獣に倣い、魂を数少ない人間の皆様で哀れみましょう―――人類は無価値だった、と。

 私と貴方の苦しみに何の意味もなく、終わりまでの過程で幸福な‟今"を得たとしても、やがて最後は無残に終わる悲劇でしかなかったのだと!

 価値があるのは―――この魂、唯一つなんですから!!」

 

 この灰は魂の底から、他人から奪ったソウルではなく、自分自身の残り滓しかない僅かな感情で嘲笑った。悪魔の世界の終わりと、自分の世界の終わりと、これから終わりを迎えるこの世界の末路を。

 

「―――死ね。

 貴公のその様で歩んだ人生で、暗い魂に強さ以外の価値が生じるものか」

 

「喜んで。どうか私に、死を超える強さを与えて下さい」

 

 悪魔が放つ竜神の火の玉を歪んだ光壁で逸らし、灰はファーナムの鶏冠兜の中で絶笑する。直剣を二刀流に持ち替える。右手は複合変質強化(闇・血・亡者・熟練)されたロスリック騎士の直剣を握り、左手にはレディアの呪術師が振う冒涜者の魔剣(ブルーフレイム)を握る。

 悪魔は相手の装備を見て、愉し気に装備転換。殺した騎士王のソウル情報を注いだ月明かりの聖剣へと持ち替え、獣の触媒を仕込む左腕には北騎士の直剣。

 月光波の巨大斬撃―――同時、灰の魔剣よりソウルの奔流が突き放たれる。

 ぶつかり合う魂の殺意。古い獣の奇跡と白竜の叡智が互いを滅さんと炸裂し、問答無用でどんな魂だろうと死ぬ暴風が吹き荒れた。

 もはや互いに召還した眷属や使い魔は死に絶え、邪魔する者は存在しない。

 だが竜の神や巨竜が死ぬ空間だろうと、この二人にとっては死ぬだけでしかない死闘。どちらかが死ぬと言うのに、余りにも軽過ぎる結果でしかなく、血塗れで命を限界以上に絞り合う殺害劇が娯楽にしか感じられない終わり切った感性。

 命に価値なんてない自分を殺してくれる―――感動的な話でしかない。

 魂を戦いの道具にして闘う二人にとって生死は娯楽。他者の生命も道楽に過ぎず、この死闘こそ今を生きていると実感可能な僅かな時間。

 そして爆発が晴れ、視線が交差する二人。

 悪魔は堪らず叫び声を上げようと思い、灰もまた敵への挑発を楽しみたいと言葉を持つ。

 

「人の魂は愉しいか、アッシェン・ワン……!!」

 

「当然だろう、デーモンスレイヤー!!」

 

 どうせ、安い以前に価値のない命。それを賭け金に価値ある闘争の時間を愉しめるのならば、不死にとってこれ以上の娯楽はない。

 死んで良い。殺しても良い。

 相打ちで皆が死ぬのも、素晴らしく良い。

 互いの信条の違いで今を闘うも、そも理由もなく死ぬ程に戦いたいからと人殺しを楽しむ性根。

 迷い無く悪魔は武器も盾も鎧も透過する聖剣を振い、つまりはその聖剣では敵も自分の攻撃を防御出来ないと最初から理解する灰は躊躇わず双剣を振い、互いに致命傷となる斬撃を同時に受け合う。その直後に悪魔が左手の騎士剣で突き、灰は軌道を見切って刃を片足で踏み止め、その見切りを見切っていた悪魔は蹴りを放ち、その蹴りを灰は剣の柄尻で受け流す。

 止まらない戦闘舞踊。その全てが―――愉しい。

 己がソウルが苦しまなければ、人間的な感情が戦場では動かない。誰かが止めない限り、不死の二人は無限に続く命に従って延々と殺し合いを止められなかった。

 

 

 

 

◇◆◇<◎>◆◇◆

 

 

 

 

 瞬間―――九つの死が忍びに迫った。

 余りに鋭く、迅く、重く、神を解体する神獣狩りの拳打。

 あらゆるローマを内包する覚醒した神祖の神樹槍拳には無論の事、ローマの創生記となる起源の情報も存在する。彼が望めばローマの薬学が生んだ毒殺文化の猛毒を混ぜる事も、悍ましい蛇毒を宿す毒手とすることも容易い。そして、文字通りに神殺しの神秘さえも、神祖からすればローマである。

 掠れば即、死。

 拳から輝く赤光は放射線以上の致死性毒光。

 そもそも毒など無くとも、人肉を物理的に血霧にする超火力。

 

「―――――」

 

 忍びは体感時間を零に圧縮。しかし、それ程の知覚を得ても神祖は神速。だが彼の技巧は此処に到って冴え渡り、一閃目を弾き逸らす。即座、迫る二打目さえも弾き、三、四、五、六、七、八を楔丸で全てを受け弾く。

 体得した秘伝一心に並ぶか、それ以上の連続死。

 即ち、忍びは到達したその境地により、神祖の宝具を感覚する魂に技を得て至っていた。

 だが神祖が放つ最後の九撃―――渾身の正拳突き。気が狂う程の技巧が加速させた技には体重の幾十倍の負荷を拳に乗らせ、巨人が放つ拳の破壊力を遥かに超え、神獣の巨竜が振う一撃に匹敵しよう。

 

「ぬぅ……ッ―――!!」

 

 だが神祖も見抜けぬ事だろう。この忍びは、そもそも龍神の剣士とも斬り合える技巧の怪物。見切れるのならば、防ぎ逸らせぬ攻撃は存在しない。もし彼に防御をさせないのであれば、足元の地面ごと抉る下段攻撃が有効であり、しかしそれさえも容易く見抜いて回避する。

 尤も、神祖はその忍びからしても狂った技量に到っていた。突き攻撃を忍びの眼力でも見切れず、弾くしか生き残る術がない絶技。彼は体幹を崩されてしまい、最後まで受け切るも、次に攻める神祖の攻撃を回避する時間はない。

 死。拳の紅閃。忍びの頭部を砕いて殺す一打―――その神祖の背後を所長は狙う。

 左手に装着した教会砲(チャーチ・キャノン)に装填した水銀弾を纏めて砲弾に練り上げ、躊躇わず発射。爆風の範囲に忍びはいるが、脳漿を撒き散らすよりはマシ。むしろ、吹き飛ぶことで少々のダメージは受けるが神祖と距離が取れて吉となろう。

 

「ローマッッ!!!」

 

 ローマンコンクリートの地面が衝撃波で凹み、空気が弾け散り、空間が歪んで拉げた。神祖の叫びは対軍クラスの空間攻撃に匹敵し、所長の教会砲弾は真反対の方向に吹っ飛んだ。灰の「フォース」や所長の「獣の咆哮」に近い防御であるが、むしろ悪魔が放つ「神の怒り」に近い攻撃である。

 否、それは反射に近い攻性防御。ローマの雄叫びの魔力を纏った砲弾は、撃った所長本人へと倍の威力で撃ち返される。そんな攻撃に付き合う所長ではなく、忍びも無事に離脱したのも確認し、彼女は狩人らしく瞬間歩行で爆撃から回避する。

 

「―――無敵か、あいつ!!」

 

 攻防一体。狩りの根底となる業。

 基礎にして奥義―――一足歩行(ステップ)

 謂わば、武術における踏み込み。一歩を歩む技。サーヴァントならば縮地としてスキルに具現し、戦闘において多大なアドバンテージを得ることだ。

 狩人はこれを極めることが狩りの巧さであり、守りを捨てた彼らにとって絶対の防御手段。どんな仕掛け武器を使おうが、あるいは銃器や秘儀を愛用しようが、ステップは必須であり、中にはカラリパヤットを極めた達人のようにただ歩くだけで攻撃を自然と流れる様に避ける狩人もいるが、その者もステップを極めたが故にその境地に達したと言える。よって超音速の銃弾や超次元暗黒の光線を容易く見切る瞳を持つ狩人の動体視力にさえ、その一切が映らない次元の瞬間歩行こそ古狩人の業であり、もはや幻獣の次元跳躍に匹敵する無敵性を誇るのだろう。

 所長の業はその域にある。あらゆる弾幕を潜り抜けて攻め入り、対軍範囲攻撃だろうと瞬間的に回避する。隕石の雨が降ろうと避け切り、レーザーに襲われても驚かずに避けてしまう精神と技術を手に入れた。

 

「ローマ!」

 

「ぐぅ……っ」

 

 ならば、神祖の槍拳は多次元を貫き殺す。狩人の回避跳躍(ステップ)そのものを見切り、極めたステップ中のほぼ夢幻に等しい狩人の体の土手っ腹へ、その手を突き刺した。

 生きた儘に所長は、内臓を鷲掴みにされる寒気を感じ――直後、神祖の手は赤く発熱。

 それは命を焼く熱さ。生きようとする魂の意志を奪われる実感。

 同時にロンギヌスの神秘が混ざったローマ創生樹の魔力が所長の血に混ざり、魂ごと存在を浄化する聖なる劇毒が全身へと回る。

 

「ァァぁああああああああああああ!!」

 

 体内全ての血液が蒸発する劇的苦悶。両目は融け落ち、歯茎も蕩けて歯が落ち、皮膚が沸騰して融け落ち、髪の毛が液状になって流れ落ちる。

 まるで放射能の熱波で焼かれた人間のようだった。そして魂からすれば放射能汚染よりも尚、神祖の樹槍拳は邪悪な赤色熱光。生命を蕩けて溶かす神人の槍は、強き生命体こそ容易く命を奪い取る。

 だが狩人の命とは――生きる意志。

 所長は自分の内臓に触れる神祖の腕を掴み、そのまま左手に握る散弾銃を顔面目掛けて零距離発泡。衝撃で神祖は仰け反り、しかし掴んでいた所長の腸も一緒に腹から飛び出る。

 即座、狩人は姿だけは復元。顔面に散弾を受けた神祖は傷を癒すまでもなく無傷であり、その後ろ首筋に―――楔丸が突き刺さる。

 そう忍びは錯覚していた。幻視の忍殺だった。

 

ほへおあは(それもまた)ほーは(ローマ)

 

 正か、顎で刃を噛み止められるとは。首だけ後ろを向いた神祖は忍びの一刺しを受けたまま、振り向き様に拳を一突き。その刹那の間にて、咄嗟に霧がらすの忍具で回避行動を取れた忍びは流石であった。

 直撃を忍びは避け―――半分、内臓が吹き飛んだ。

 掠っただけでこの威力。しかしながら、魂に直接的にダメージが与えられ、血反吐と共に命と言うエネルギーそのものを嘔吐する。

 

「ぬぅん!」

 

 敵は死体同然。そして、神祖は油断しない。広げた両腕からそれぞれに向かって赤い閃光が迸り、この様だと言うのに所長と忍びはまだ動けた。

 

「ゲェ……ぐえ、がぁ……この、畜生」

 

「………グ」

 

 それを何とか避けるも、それで終わり。勝ち筋が見えない殺し合いは苦しく、所長は心臓へと直接的に輸血液の針を突き刺し、忍びは傷薬瓢箪の薬液を一気に飲む。転がりながらも何とか回復し、だが生命力が補充された筈なのに、体を動かす意志が挫かれる寸前だった。

 

「せき、ろう……なんか、勝てる手、ある……?」

 

「―――……すみませぬ」

 

「そう……そりゃ、そうよねぇ……」

 

 へたり込む血塗れの所長と、膝を付いて楔丸を杖代わりにする忍び。そして、煌めく讚美のYポーズをする無傷の神祖。

 もはや、勝敗は決したのだろう。神祖の拳は容易く時空間を貫き、夢も現実もなく、遂には霧がらすの幻さえ捕らえ、忍びに一撃を与えることが出来た。

 

「では、行くぞ。終わらせねば、この世が始まらん」

 

 愉しくも悍ましく、美しくも穢れた殺し合いを再開する。

 それは尊厳の奪い合いを改める愚行。元より愚かさの比べ合い。

 故に神祖はこの闘争が自分達人間にとって何の価値もないと理解した。抑止の後押しを受けた灰の暗い魂を覚醒させ、もはや全知全能に比する皇帝特権を有し、何もかもを思い通りにする神秘を魂に宿し、その力全てが今此処に必然的に凝縮した抑止の特異点だと分かり、冠位英霊と言う見えざる抑止の器となった身を嘲笑う。

 幻視に過ぎない運命を操る奇跡。

 必然とは、最初から決めて仕組まれた偶然。

 

「ローマ、なり」

 

 血に染まる()。時空さえも貫くローマの()

 並みのサーヴァント―――否、神霊ではない生きる神だろうと、問答無用で魂を砕く拳で以って幾度も致命傷を与えた。しかし、狩人と忍びは死なず。

 神祖の手で受けた傷は痛覚だけではなく、魂そのものに苦痛を与える劇毒。人間ならば問答無用で霊体が激痛の余り崩壊し、神ならば神で在る故に自殺する前に発狂死する痛みである。あの大英雄ヘラクレスはヒュドラの毒液によって毒死はしなかったが、その後遺症による痛みで自殺を選んだように、どうしようもなく耐えられない痛みがこの世にはある。ローマの歴史としてロンギヌスさえもローマの槍として手に融かした神祖の矛とは、そう言う類の魂と言う現象に対する絶対性を有する。

 ならば、この二人は死んでいる。魂が最初から生きていない。

 死と言う現象に慣れ、乗り切った為の不死性。肉体が死んでも蘇る者の永続性。

 

「いや……ローマ、なのか?」

 

 誰も今の神祖には勝てない。人も魔も神も、もはや唯の獲物に過ぎない。今の彼は冠位英霊でありながらも、受肉した個の今を生きる人間だ。矛拳の一撫でであらゆる魂を害し、殺した命に宿る魂を喰らって成長する。死がない相手だろうとその魂を直接的に存在ごと殺し、魂が無くとも物理的に破壊し尽くし、外宇宙に隠れようとも無限の時空を貫いてローマは必ずや辿り着く。

 魂が―――ローマとなった。唯一無二の、ローマのソウルなのだ。

 勝てないとは、その事実が具現した為。事実、敵対した所長の四肢は機能しない。血塗れの肉塊に等しく、呼吸する度に血反吐を吐き、鼻の穴から血河を垂れ流し、両目から血涙が零れ墜ちる様。忍びさえも義手が壊れる寸前まで酷使し、回生も使い切り、今もう一度死ねばカルデアに彫って置いた自作の鬼仏に戻る事となる。

 

「しかし、お前らもまた……その痛みに耐える高潔(ローマ)な魂こそ……」

 

 瞬間―――月の音がした。

 それは脳の水分を振るわせる綺麗で透明な、青褪めた月の声だった。全能と比する神祖が理解出来ないルーン文字が脳内に浮かび、その形が何故かその音を現す上位なる言語だと理解する。しかし、それが何なのか理解は出来ない。

 何かは分かるのに、何も分からない矛盾。

 あの古都の学術者を神秘の探求に狂わせる甘い秘密。

 考えるほどに深く悪夢の闇へと沈む好奇心を神祖は自覚し、触れ得ぬ幻視を魂が夢見る錯覚と解し、故にそれが自分の意識が知覚する事実だとも実感する。即ち、幻視とは現実には存在しない意識の錯覚であり、その意識体にとっては幻が現実となる夢の世界からの呼び声。

 そこまで分かるのに、神祖はこの声が意味する音が分からなく、無限の暗い宇宙のように拡がる未知が愉しそうで堪らない。その楽しむ好奇さえ、幻視がもたらす脳髄の錯覚だと言うのに、人間は人間性を棄てられない。

 

「お前は……」

 

 神祖は何故、勝つためにカルデアの所長を追い込む程、魂に氷柱が突き刺すような悪寒に襲われていたのか理解する。

 分かったのは、何故か分からない程に、唐突過ぎる程に、眼前のカルデア所長がオルガマリーではなくなった事実だ。

 

「……誰だ?」

 

 そして今も神祖の脳を揺らす波長は、彼の知るあらゆる文字で形容不可能な異音。この惑星の言語で表せず、あるいはこの既存の宇宙の知性では言葉に出来ない声のような何か。

 一瞬、彼は世界を見失っていた。

 攻撃、防御、回避と言った戦術的手段を完全に忘れてしまっていた。

 

「サーヴァント――フォーリナー。

 我が弟子、我が導き、我がマスターに代わり、目覚めた狩人だ」

 

 それは、どうしようもない不吉。人型に固められた悪夢。

 

「主殿……?」

 

「狼君、今は退き給えよ。君に死なれると、私のマスターがとても悲しむ」

 

 その過程が神祖には確認出来なかった。まるで夢でも見ているように、先程まで何もなかったと勘違いする程、オルガマリーだった筈の誰かの傷は癒えていた。

 カツン、と石作りの道を一歩進んだ足音。その瞬間、神祖の目にさえ映らなず仮面兜を被っていた。まるで銀色の脳味噌の如き頭部。そして、その姿は銀色の騎士甲冑に何時の間にか変っている。

 

「お主、何者……」

 

「悪夢こそ、現実となる。狼君、彼女の守護者で在れば、幻視に惑わされぬことだ。何者と問う必要もなく、君が見たままが私の有り様だとも」

 

 前後に繋がりはあれど、唐突過ぎる意味不明さ。その様子、夢幻と変わらない。

 狩人が悪夢に囚われるなど、嗤わせる。悪夢の方こそ、狩人に捕まり、永遠に目覚めぬ環に囚われる。この狩人がマスターから迷い出た瞬間、何もかもが悪夢のような失楽園と塗り潰される。

 

「しかしながら、サーヴァントとしての初任務。その仕事相手が獣狩りの冠位とは、狩人冥利に尽きる幸運。

 されど古都の外も所詮は誰かの箱庭か。我らに自由は訪れず、何処も悪夢のような現実を夢見る獣の世。余りにも余りなこの末路、人ならば誰しも目を覆いたくなる。

 故この惨劇にてローマの神祖よ、貴公は何者に成れたのかね?

 何者にも縛られぬ暗き魂を啓蒙され、人理と言う人間に不定の未来を錯覚させる欺瞞を悟り、其れでも尚……何故、貴公はローマを導けるのか?」

 

 仮面兜で隠れていても分かるその真っ直ぐな視線に、神祖は抗う気になれなかった。効率や戦術と言う常識を優先してこの問答を切り捨て、殴り掛かる訳にはいかなかった。狩人の瞳は、何処までも澄み切って真摯だったのだ。神祖と言う一人の人間に対し、恐ろしく深く、尊厳性に溢れた意思に満ち、それは確かにローマだと彼に実感を与えていた。

 あるいは、狩人の言葉を聞かないと言う行為が禁忌に感じられた。

 逆らえないのではなく、意志を縛られるのでもなく、この魂に直接的に語りかけるような、そんな脳を拓いて想いを込める神託に感じられてしまった。

 

「それは(ローマ)が、最初のローマの王である故に。それこそ、ローマの歴史を始めた王の責。つまりはローマの全てを背負う為。

 幸福も、惨劇も、(ローマ)の業である。

 責務から逃げる事は許されぬ。否―――それを我が魂の責務だと、私自身がそう決めた」

 

「ほぅ―――素晴らしい。そして、美しい遺志だ。

 貴公こそ冠位に相応しき意志を持つ人類。そして人間は、誰しもそう在らねばなるまい。己が業から目を逸らした時より、その者は人を辞め、ただの薄汚い獣となる」

 

 銀甲冑を纏う血の騎士(ハンター)は声だけで、嘗て死んで英霊となったロムルスと言う男の遺志へと微笑んだ。

 そして言外に、カルデアや神祖が守ろうとする人類種を蔑んでいた。ビーストを全て狩った所で獣性は無くならず、人間もまた獣の一種であるのだと。

 しかし、だからこそ―――人間は、素晴らしい。

 獣性と言う赤い血の根源に足り得る蒙昧さこそ、月の狩人へと血の探求を永遠に続ける意欲と渇望を与えるのだから。

 

「問いには応じた。こちらも質問しよう。お前こそ何者だ?」

 

「何者でもない。そして何者にも成れぬ故、悪夢から目覚めない遺志である。

 だが強いて言えば―――G‐オルガマリー」

 

「G‐オルガマリー……」

 

「うむ。Gと言う略称が好ましい。蟲の如きしぶとさこそ、良き狩人の所以でな。それと面倒ならば単純にGとだけ呼称して欲しい」

 

「G……確かにな。その様、名乗るに相応しい悪夢か。

 本来、お前は迷い出るべきサーヴァントに非ず。オルガマリーの遺志の奥底に封じられるのが正しい選択か」

 

 神祖に見抜かれたことをGは喜ぶ。月の夢に眠る遺志とGは統一されているとは言え、故にこそ狩人はGと名乗る。今の自分はやはり自分でしかなく、個の定義に悪夢に溜まった血の遺志は拘らない。

 

「その通りだとも。貴公の英霊としての意志の強靭さが、私と言うイレギュラーを介入させた。瞳で見た通りならば、彼女と彼女のカルデアで事足りた。しかし、大本が誤算である。

 何よりも本来ならこの分け身たる私が自由気儘に人理を啓蒙し、アニムスフィアの悲願を我が夢に塗り潰し、世界を素晴らしき永劫の悪夢へ落としている未来を、このオルガマリーが意志を保つことでまだ人理焼却と言う慈悲が与えられる猶予を得た。思えば人間として私が一番、オルガマリーへ感謝しているとも。

 いやはや、世界とは今の私にとっても摩訶不思議且つ吃驚仰天な玩具箱。

 愉しみなのがこの苦難を以って我ら人類種、一方的な滅びに抵抗する運命が訪れた。

 カルデアが技術提供したカルデア支社の軍事企業を使った国家解体戦争の後、コジマによって死の大地となったこの星を……と言う程良い闘争と進化の人理を、現世を生きながら書き直す娯楽を我がマスターは与えてくれた」

 

「それもまた、ローマか」

 

「同意する。ローマもまた幼年期に続く人類史の一頁。

 あぁ思えば好奇心が抑えられず、外なる宙の中心に眠る赤子へ目覚めを与えてみたが……うむ、まだまだ足りん。あれはまるで泡のように星々の世界が消えて素晴らしかったが、やはり私は獣性も混ざった未来を叡智としたい。

 宇宙とは、宇宙に旅出れば叡智も常識となる。空から大地に堕ち、神性はまた人間性を得て獣に戻る。人間と言う素晴らしき知性に関わりを持たねば、神は神だけで事足りる完全無欠の赤子要らずの儘で在られると言うのにな」

 

「あぁ、その通りだとも。空の神とは、お前の言う通りなのだろう。

 故に、遊星による破滅の果て。人は人だけの人世へ至り、父の遺志を知る(ローマ)は地上にローマを作った」

 

 始まりの英霊召喚。魔術儀式として失敗だったがサーヴァントは確かに呼ばれたのだ、彼女自身の現実(ノウズイ)に。脳に神秘が最初から植えられ、そもそも彼女は古都の狩人のように上位者の体液を輸血されたのではない。古都の青褪めた血ですらない。

 その身に流れた最初の血―――幼年期を迎えた狩人の、赤く無い血液だ。

 神秘の赤子となった狩人に流れる青褪めた血。彼女は最初から獣性と啓蒙を克服した狩人の夢に囚われた者。

 ―――上位者(Great one)、オルガマリー。

 狩人は赤子の上位者となっても狩人でしかなく、この者に名前を与える親はなく、故に今の狩人はオルガマリーでしかなかった。肉体がそうなら、そう在れば良いだけの事実だった。

 

「ではローマよ、闘おう。貴公は我が弟子を上回った珍しき者。久方ぶりに初見の未知を狩れるのは愉しくて堪らない。

 そして啓蒙深き者との問答は好きだが、長く彼女の体を私が使うのは好ましく無い故に」

 

「人の魔物よ……その様、その業、冠位として狩らねばならぬ」

 

「……フ―――」

 

 狩人は愉しくて堪らない。本来の自分なら戦いの場で、このような問答と言う贅沢を愉しむ人間性を持ち得ない。だが殺すだけの獲物の人間性を未知として捉え、人の心を啓蒙する感性を今は持つ。

 敵は冠位、人類の自滅因子を狩り取る人理の自浄作用。

 拳一つで魂を砕く創生樹の化身。

 ローマそのもの。

 暗い魂の神祖。

 正しくこの狩り、血の歓びに匹敵する悦楽だ。この偉大なる英霊の遺志を前にし、その血の遺志を貪る歓びを拒む狩人など有り得ない。マシュ・キリエライトに寄生していたあの騎士のような潔さなど、生まれるべきではなかったこの狩人には存在しない。

 仮面兜の中で、狩人はオルガマリーの顔面を借りて壮絶な笑みを浮かべる。顔面に亀裂が入る深い笑顔であり、誰の目にも映らなかったが、ただ笑うだけで空気が血腥く歪む。

 殺意と狂気が融け混じる血気。神祖の殺意を高まらせるには充分に過ぎ、必殺を繰り出す切っ掛けにも十分。彼の拳は真っ赤に輝き、宝具として真名を静に、されど世界へ轟かせる程の気迫で以て宣告する。

 

射殺す百頭(ナインライブス)―――」

 

 初手にて必滅。接触、即死。灰より継ぐ業と、あらゆるローマと神祖が融合した魂が、父たる軍神マレスから学んだ技を具現する。

 対する狩人は居合を構える。千景の血刃はまだ鞘へと納刀され、その宝具の脅威を感じる程に血気が研ぎ澄まされる感覚を高める。

 

「―――羅馬(ローマ)

 

 神祖が握り締める右手の魔力がブラックホールのように凝縮し、その圧力から放たれた手刀が白い閃光となって放たれる。

 ―――抜刀、血閃。

 連撃の始まりに狩人は合わせ、相打ちの形で拳と刃が重なり、互いの得物が弾け合う。

 

「ッ――――」

 

 その迎撃により、神祖は自分の技術が敵に優らないと理解。あろうことか、超連続攻撃として繰り出している筈の二撃目に、狩人は純粋な技量と速度で間に合っていた。だがそれは防御の為ではない。

 ロンギヌスの対魂概念とヒュドラの劇毒魔力が混ざる一撃。

 どう足掻いても、どんな生命だろうと、死ぬしかない宝具。

 それを生身で受けながらも一切狩人は体幹を崩さず、むしろ攻撃を一撃貰いながらも左手の短銃から瞬間一射。そして神殺しの手刀を受け、むしろ興奮の余り獣性が高まり、狩人の殺傷性能が上昇。

 

「――――っ!」

 

 体勢をほんの僅かに崩し、連続攻撃に間を作ってしまった神祖の眼前―――血塗れを喜ぶ仮面の狩人。

 近付く一歩の間に納刀。狩人は隙を曝してしまった神祖へと、神殺しと蛇毒が混ざった自分の血液を千景に纏わせ、そのまま神たる人へと―――抜刀、二閃。

 その一撃は余りに迅く、重く、膝を付かせるには十分。そのまま返しのニ斬目が神祖の頭蓋骨を斬り叩き、両断は出来ずに耐えられて血刃が滑り落ちるも、確かに脳に刃が届いていた。何より銃撃一発で神祖の体幹を完全に崩すことも出来なくはないが、それには彼の攻撃を耐える凶悪な意志の強靭力の隙間さえ狙い、精神的な死角も抉って驚愕させる必要もある。

 

「―――――」

 

 脳へのダメージは冠位英霊だろうと隙を一切出さないのは不可能。それもその一刀は魂殺し。並みの不老不死ならば永遠を幾度も終えらせる程。挙句、狩人自身の血液による劇毒と発狂に加えて、今は神祖による蛇毒と神殺しの概念さえも含まれる。

 魂が死に逝く実感。走馬灯が流れる臨死の零秒。

 神祖はこの時に気が付く。この眼前の狩人は恐らく、この遣り取り、この展開、この時間を、既に千を超えて踏破している。あるいは、絶対に寸分の狂いなく可能になるまで、万でも億でも繰り返している。

 現実と何も変わらない脳内の夢の中(イメージ)で、狩人は幾度も神祖を殺して準備を完全無欠にさせ、思い通りに事を進め、何でもない当たり前の作業をするように偶然の奇跡を数学的必然へと塗り潰してしまった。

 1+1=2であるように、狩人が神祖を殺せるのは世界にとって当然の未来。

 

「何と言う……!?」

 

 己が臓物を握り締める狩人の右腕を見下ろし、神祖はこの可能性全てが‟一"に収束する結末を啓蒙された。否、これはもう現実を悪夢で書き換える‟無"からの呼び声。それによって体を動かす意志の一切合財を奪い取られ、もう神祖は指先一つ震えない。

 そして仮面越しに、宇宙となった脳を持つ()の声が聞こえる。神祖の耳元に顔を寄せ、神への愛を告げる聖母のように、その魂を祝福する。

 

「これもまた悪夢(ローマ)だとも、神祖。だからこそ我ら人類種、決して果て無き夢を諦めぬ。

 故に素晴らしき幼年期、どうか末永く、空より見守り給えよ」

 

 あぁ、血の遺志が流れ込む。冠位の霊基とローマの全てが脳に啓蒙される。そう狩人は血に融け出す神秘と叡智に歓喜した。

 まるで愛しい人間を愛撫する優しい仕草で、狩人の手は内臓ごと血を抜き取った―――血塗れの、聖杯と共に。

 

「すまない。ローマの聖杯なぞ、あの女の暗い魂の排泄物に過ぎん汚泥だが、我がマスターのカルデアに必要でな」

 

 神祖の魔力を維持する核が消える。人為的な奇跡はもう有り得ない。死と言う現実を、偶然が覆す幻想は狩人が狩り取った。

 

「……だがお前の勝ちだ、フォーリナー。

 持って行き、己が主の願いをかなえると良い」

 

「ああ。容赦なくマスターのカルデアが、貴公のローマを狩り潰そう」

 

 死した神祖と、その魂。だが、抑止力が死体の儘にまだこの男に干渉する可能性を狩人は観測する。エーテル一粒残さずに滅ぼさねば勝ちは確定しない。狩人にとって残念な事だが、念入りに殺せと自分の瞳が脳を啓蒙した。

 

「恨むならば抑止力を……いや、出来れば貴公を狩る私だけを恨んで死に給え」

 

「まさか。恨みなどない―――」

 

「―――では、その遺志こそを継ごう」

 

 引き金に掛る指が動く。撃鉄は落ち、火薬は爆ぜ、水銀弾が銃口から放たれる。神祖の頭蓋骨は砕け散り、そのまま霊基全てが破砕された。抑止の傀儡にされる可能性も、その強靭な意志によって死体だろうと動いて戦う未来も壊された。

 そして、神祖の魂が遺志となって狩人に流れ込む。直ぐに狩人は所長に戻るだろう。この出来事も入れ替わったと同時に追憶し、経験が脳に入るのだろう。

 しかし、この獲物を狩ったのは‟狩人"だ。この目覚めは素晴らしかったと仮面の内側で笑みを浮かべ、男はオルガマリーへと意識を遷していった。

 










 上位者(グレート・ワン)オルガマリー。で、Gオルガとなります。
 蒼褪めた血の月と同一存在ですので、ヤーナムで幼年期を脱する為に色々と画策中な狩人様本体の分け身となります。
 それと灰が所長に人間性を隠れて与えていたのは、所長の中に居るフォーリナー狩人様に対する精神防御の為と言うのが本来の目的でした。所長がオルガマリーと言う人間性を維持する為の友人としての手助けでしたが、結果的にそれは獣性をも守っていたので、人理焼却とアラヤの関係を俯瞰的に見た時に、まぁ利用しようと言う雰囲気で今の状態になっています。


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啓蒙70:死にたくない、と希う罪

 南米異聞帯、終わってしまいました。面白かったです。
 後、エルデンリングDLCの情報が出ましたね。楽しみです。


 ビーストⅥ――堕落の可能性。ネロが至る人理の癌となった人間性。しかし、もはや灰の記録とダークソウルに汚染され、人類を亡ぼすための獣性など抱けない。

 確かに、その堕落はあった。バビロンの淫婦となるべき宿業。それさえも、ネロに宿る暗い魂は貪ってしまった。

 人類全体を愛する獣性―――人類悪。

 ならば、人間性の最果てである呪われ灰に、あの火の簒奪者に、その人間性は火を焚く薪にしかならず、闇に溶ける人間性の一部分でしかない。しかし、それはとても良い事だった。

 文明を滅ぼす為の獣性にして、人が克服した悪。その悪性情報は灰にとって有益であり、つまるところ獣性を浄化する嘗ての人々の願いもそれには含まれる。

 大元は魂の為に殺すべき不滅――古い獣。

 狩って殺せば、植生にも似たあの獣が死ぬわけではない。灰が知る古竜のような植物と鉱物を合わせた生態であるも、それより更に原始であり、ソウルと言う人間から生まれた魂のエーテルの坩堝。魔術師としてそれを観測すれば、独立した根源の渦がカタチを得て、魂を宿して生きている状態と言えた。それを滅ぼすとなれば、世界を作り上げる法則、あるいは因果や律と言う運命の創造者を殺す為の業が必要になった。

 ネロはある時、その為の獣性だと自分を理解してしまった。このローマを暗く、黒く、より良く堕落させれば、人類を守るための人理におけるダークソウルが灰より産み出されるのだと。

 焼き尽くすほど―――愛したい。

 堕落の理に反転する彼女の繁栄。

 だが、薬物で脳を破壊された皇帝のそれは、社会を制する権力によって冒涜となり、自身さえ蝕む狂気となって具現した。

 皇帝たる自分の為――殺す。

 妻も、親も、親戚も、恩師も、議員も、貴族も、民衆も、奴隷も、異教徒も、邪教徒も――殺した。

 アレは狂っている――と、身内である程、彼女に近い程、皇帝が狂人であると正しく認識していた。

 

「しかし、それは些か我儘過ぎませんか?」

 

「……………そなた、は?」

 

「死ぬべきでしたね、貴女」

 

「クラウディア……」

 

「はい。貴女の中に、融かされていました」

 

 ネロにローマの聖杯を齎した本当の元凶、宮廷魔術師シモン。人類史を閲覧した彼は擬似的な未来視を保有していたとも言え、ネロが母親に毒を盛られた事で精神が壊れ、狂気に堕ちることで手を下した凶行や狂乱の数々を予め知っていた。

 それは母親の殺害から始まった最期までの、自殺に追い込まれるまでの転落劇。そしてクラウディア・オクタウィアとは、その母親が選んだネロの妻であり、最期は自害させられるまで追い込まれた皇帝による狂気の被害者である。

 

「差し詰め、(わたくし)は貴女の情熱を冷ます邪魔者でしたね。殺したい程、憎まれる事にはなりましたが……それ、死に追いやる程の罪でしたか?」

 

「―――……否。そなたに罪など、有り得んよ。

 頭痛と狂気から解放された今なら、余もこの情熱を理解出来る。あの時の余は、正しく獣に他ならん。心を諸共に焼き尽くさねば、正しく愛せないなど。

 突き進む情熱は堕落とは反対であるようで、だがあれでは愛に溺れる堕落そのものであった」

 

「繁栄ゆえの堕落。あるいは、堕落に溺れる繁栄。それが貴女と言う人獣の性でした。そして、私はそれに死を与えられた。

 あの日、あの時、悪漢達に縄で縛り上げられ、ナイフで血管を切り開かれました。死因としては貴女と同じ……死んだ日も、本当なら同じ筈でした」

 

「そうだな……」

 

「ただ……そうでしね、恨み言はないのです。憎しみは勿論ありますが、私の気持ちを言の葉にして教える程の価値が、もう貴女には無い。

 だって、どうせ―――……人は、死ぬ。

 悲しかったし、辛かった。けど……けれど、それは人間にとって当たり前の絶望です」

 

「……分かっておる。余に、もう価値などない事は」

 

「だから、死ぬべきだったのですよ。そうすれば、こんな悲劇は起きなかったのに」

 

 灰と言う人間。諸悪の元凶。あの女さえいなかれば、ただの特異点に過ぎなかったローマ。死んだと言うのに、憎み続ける事を沈んだ帝都の聖杯と言う心象風景(リアリティ・マーブル)の中で強制され、悪性情報として混沌の坩堝となったこの地獄へ落とされてしまった。無論其処に居るのはクラウディア・オクタウィアだけではない。ルキウス・アンナエウス・セネカも、ユリア・アグリッピナもおり、シモン・マグスも存在する。

 

「どうしたいのです、ネロ?」

 

「更なる繁栄。永遠の……繁栄……だが―――」

 

「―――永遠は、停滞。正しく、堕落の為の繁栄になりましょう。

 此処に来て、恨むばかりの私でも人の獣性を理解しました。死ななければならないとは、そう言う意味だったのです」

 

「それでも余は―――生きていたい。

 この特異点、ローマに例外は許されぬ。特異点完成の暁、死した者にも蘇生を拒絶しようが魂に肉器を渡し、ワタシタチと同様に永遠を繁栄する人間として生き続ける。

 ……やがて、神だろうと魂が枯れる時が流れる。

 神とて根源より生まれた故に、この星では不全に過ぎん。しかし、この星を生きる我ら人間は不全だろうと関係なく、完璧など無用な程、善悪を彼岸の彼方に追いやり、己が思う儘に生きる為に十分以上の膨大な人生の時間を受け入れ、幸福と不幸の二律が等価値に存在し続ける」

 

「私は繁栄なんて、要りません。永遠の命も要りません。このまま死んでいたい……」

 

「その諦めが魂を殺すのだ。余は人々が皆、灰の女神のように絶望の運命を不幸だと思わぬ絶対の価値基準……自己のみで完結した魂に至れると思うのだ。

 それと逆となる、助け合い、尊び合い、高め合う黄金の精神性。人間を上位存在に強制的に進化させれば、それこそ神とすれば、貶め合う事もなく、貪り合う事もなく、そう在って永遠に幸福に生存も可能かもしれん。しかし、悪を知りながら完全な善性で永遠に在り続けるなど、余は許せん。

 退廃と堕落も、自滅する程の邪悪な蒙昧も、人が個人個人の魂で克服すべき課題。それを捨てることが大事ではなく、如何に在ろうかと苦悩した果てに……その捨て方を悟ることが、あるいは捨てる必要がないとも悟ることが、人間性であるのだろう。

 一人で生きられるのなら、永遠の人生など取るに足りん。

 苦しみから解脱し、輪廻の環も魂に不要となる。現にそう在ることを悟る聖者が人間からこの世で唯一人、たった一人だけではあるが、嘗ての世に生まれているのだ」

 

「あの女は、そんな悟りからは余りに程遠い。それが分からない貴女ではないでしょう?」

 

 灰の心は聖者の悟りと呼べるものではない。しかし、不死の悟りを得ているのは事実。輪廻と死を否定する永遠として、灰は完結した魂に至っている。終わりを迎え、そのままに生き続け、前に進み続けている。

 

「あぁ、分かっておる。分かっておるとも。魂の救いから程遠いことなど、知っておる。だが、人が永遠の苦しみから脱するにはそれだけしか許されぬ。

 だが人間が皆、灰のように在れば良いと……永遠の帝国で人間が永遠に繁栄するには、この矛盾を取るに足りない障害とする人間性が絶対的に必要だ。

 余が、無理矢理に進化させては意味が無いのだ。人がひとりひとり、希望が枯れた絶望の果てに辿り着き、それでも自由にして不動の、それぞれの魂が自分を絶対とする価値基準を手に入れる」

 

「その為の地獄ですか。何とも、如何でも良い話ですね」

 

「……そう、だろうな。如何でも良いことだ。永遠を生きられる者だけが、永遠に繁栄するだけだろう。故に、その試練と好機だけは平等に与えたい。

 無理な者は無理だったと、自分を喪い、心無い亡者として苦しみのない永遠を生きるだけである」

 

「そうですね。そう言う世界になれば、時間だけは沢山あります。やがて、必ず永遠に生きる人間の為の永遠のローマは建国されましょう。

 不死に適応した人間全員が、あの灰と言う者と同様の、究極の人間性に何時かは絶対に辿り着いてしまいます。私には絶対に不可能で、必ず救いの死を求め、それでも永遠に死ねず、苦しみを理解出来ない亡者と言う自意識の死を選ぶことですね」

 

「苦しみのない楽な道を正解とするのは、繁栄ではない。故に楽園へ至る神の道は、人間にとって何一つ意味はない。苦悩からの解放を求める仏の悟りもまた同じことだ。人に堕落する自由を許さぬのなら、それは運命に敗北し続ける奴隷の人生でしかない。

 もうこれ以上、苦しむ余地が無い程に苦しみ抜き、永遠の時間を魂が何も感じぬ程に苦しみ果て、人間は自分と言う人間性を永劫の彼方で獲得する。不死の悟りとはそれであった。彼女が竜の道を通じて得た所感であったがな」

 

「だから、本当に貴女も灰も―――死ねば、良かったんですよ」

 

「そうだな。確かに、死ねれば灰も、灰で在ることもなかったのだろうな。余に死なぬ永劫の人間性を啓蒙することもなく、このローマ特異点も地獄となることもなかった。

 自害した後、苦しみの中で死を受け入れ、生きたいと余が灰に願わなければ、皆もこのローマと言う地獄にソウルが堕ちる事もなかった」

 

 暗帝が灰から聞いた葦名特異点の様子。それが、正にその様。そこに集った数多の灰は、例外無く全員がその在り方を得た強き魂の化身たち。

 だから、強き魂に至れる者だけが永遠となれば良い。ローマ帝国の永久民は"人間”と"亡者”に分けられる。貴族も市民も奴隷もなく、永遠に生きる苦しみを苦しむ必要のない魂に自己進化すれば良い。

 

「――人理における人類愛は、人類悪に反転する癌となる可能性を持つ細胞です。貴女に永遠の愛を無償で与えたあの人間は、その仕組み全てを既に分かっています。地獄に落ちてナニモワカラズ絶望する私は、その女に人理に飼われる人の個別の意識が集合し何故、どうして集合無意識となって数多の人類史をカタチ造るのか、啓蒙されたのです。その所為で、私と言う歴史における役割を教えられました。

 未来への希望と愛が、憐憫の悪に。

 誕生する命への愛が、回帰の悪に。

 個の尊厳を守る愛が、快楽の悪に。

 争いを否定する愛が、比較の悪に。

 人の繁栄を喜ぶ愛が、堕落の悪に。

 まだ愛の一つとして今は眠る悪も、あの女は連座して覚醒する者たちとして解しているかもしれません。

 そして、人類悪が人類愛にまた反転することも、灰の女は理解していましょう。やがて比較の獣が人を救う愛を得て、あの少女のために悪として目覚めるべき今の自己を捧げるように」

 

「そこまでは、あの人の予定調和か……」

 

「いえ。何処までも予定通りです。古い獣を狩るために、時間軸を未来にズラした平行世界を観測していましたから。

 宝石剣、でしたか。あれ、葦名で原始結晶より複製してました。使い捨てみたいでしたけど。

 とは言え、古い獣狩りをする平行世界は此処一つだけらしいです。この世界の未来の、灰が関わる特異点での未来は観測不可領域とかで、結末は決まっていません。

 此処の今を生きる個人の魂の儘、取りました選択肢によって決まり、終わらなければ確定した現実にはならないようです」

 

「しかし、続く人類史の可能性は把握しておると。ならば、カルデアが獣に勝つ可能性は存在し、また負ける可能性も大いにある。

 故に、人が人を滅ぼす悪を倒すのも不可能に非ず。そして、悪が善になる未来もまた同様か」

 

「人間性とは、可能性です。善くも悪くも、人理に縛られた行動に価値はありません。それを軸に悪として動いては、人類史を悦ばせる舞台装置となります。

 悪だろうと、人の為の悪に忠実に存在するなど、憐れではありませんか?」

 

 夢見心地だった暗帝は、眼前の女が誰なのか分かり始める。今の段階で分かるのは、こんなことを理知的に話す女ではなかったということ。

 

「―――そなた、本当にクラウディアなのか……?」

 

「はい。そして、ローマそのものでもあります。聖杯内部に貯蔵された人格を使い、その人にしているので、しかりと本人の意識体でもあります」

 

「聖杯が被った魂の仮面(ペルソナ)なのか、そなた」

 

「えぇ、ローマが為した人類の罪。それの一つを仮面とし、私は私として此処に在ります。

 そんな贄達を底の無い孔へ積み、私は灰に染まるソウルも積まれた此処で、私の魂が如何に矮小で、私の苦しみに満ちた死がどうしようもない事と知り、この死に様が人類史にとって何の価値もない悲しみと言うことも知りました」

 

「……ふ。余も、同様か」

 

「いえ。人類にとって、人の魂は平等ではありません。その魂に価値があるものだけが、その人生を特別なものとして情報が記録されます。

 良かったですね、貴女。永遠に魂が死ねません。

 こんなことをしなくても、元々貴女は人類の中で存在し続ける運命を得ていましたよ?」

 

「しかし、余はもう死ねん―――」

 

「―――はい。もう死ねませんね。

 この平行世界の記録は座に送られるかもしれませんが、貴女自身の魂……人間ネロは英霊ネロ・クラウディウスとして融わさることが許されません」

 

 ネロであった筈の暗帝(ネロ)は嘗ての情熱が消えていることにこの時、理解した。正しく言うのならば、ソレを情熱の愛だと自分の精神が錯覚していたことに気が付いた。

 燃え上がる―――憎悪の愛。

 死に対する絶望。死ぬしかない運命への反逆心。

 憎い程、暗く燃える情念。堕落には程遠い自分の魂ごと人類を焼き尽くす心。

 ―――否。そうではないと彼女は思う。自分のあの情熱は確かに消えたが、それは憎悪に転じたのではなく、融け合わさったから。

 堕落と情熱。溺れるような失楽園。どちらでも在る愛の坩堝。

 情熱的な堕落も良いのだ。同時に堕落する情熱も良いのだろうと。

 

「故、暗帝。あの灰が、余を微笑んだ理由が分かった」

 

「人も、畜生の一つでしたから。この星で霊長となっただけの、動植物の一つです」

 

「そうよな。余は今も人で良く、獣でも良い。情熱も堕落も区別なく、思う儘に生きれば―――暗帝を名乗るネロとなろう」

 

「はい。貴女はそう生きて、死に続けて下さい。永遠を愉しみ、終わり無き苦悶に震え続けて下さい。

 悟りを得て―――地獄に、堕ちろ。

 誰からの許しなく、贖罪も捨て、永久の果てまで罪を積み重ね続けなさい。

 許されない事が、貴女が得られる唯一の許しです。あの灰と同じく、あの悪魔と同じく、貴女はそう在り続けるしか許されない」

 

「―――生き続けるとは、正にその在り方。

 ありがとう。余の想い人、クラウディア・オクタウィア。そなたの憎悪(アイ)こそ、余によっての求められぬ贖罪の一つとなろう」

 

「えぇ……分かって頂けるなら、それで」

 

 暗帝(ネロ)は苦しみ続けたい。生きることが苦痛でも、死を否定したなら否定し続ける。死にたいと思う事は許されず、永遠から救われたいと願う事だけは有り得ない。

 この特異点の勝ち負けにもう意味はない。未来はどう足掻いても続いて逝く。

 それは希望でも絶望でもなく、それが当たり前な日常と成り果てる。灰と悪魔と同じ感性に変貌し、暗帝は救いを不要とする人間となることだろう。

 

 

 

◆◇◇◆◇◆<◎>◆◇◆◇◇◆

 

 

 

 最悪の気分。これ以上ない程の、失楽。暗帝と対するネロは、暗帝の心象が流れ込み、その苦悩と絶望に自分が侵食される実感を得る。

 何と言う―――(ザマ)か。

 ここまで成り果てる自分の形を視た英霊ネロは、灰と言う"人間”に慄いた。

 暗い魂の血。いや、それは最初の火で焦げた灰に流れる暗い魂の血。瞳から流れ落ちる灰の黒い涙は、首から血を流して死ぬネロに輸血され、ネロは暗帝となってしまった。魂をネロの儘に、人間性の究極へと造り変えられ、まるで生前の魂を素材として英霊の魂と言う情報に産み変わるような転生を経ているのであれば、もはや根本からして救いようがない在り様だ。

 それら全て、計画通りなのだとしたら。

 抑止力の働きさえも、予定通りの障害だとしたら。

 此方側が勝つ事が、そもそも敵の思う壺であるならば。

 ビーストとすら呼べない人の化身となった生前の自分自身は正に悪夢。ネロは自分のソウルを移植された悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の腕に捧げ、その筋力と技量を皇帝特権にて再現。

 

「だからと……――諦めて、たまるものかァッ!!!」

 

 ネロは空を見上げる。上空には暗帝が招来した百以上の人間性の写し身(ローマ市民)が浮かび、自爆特攻をせんと地上の怨敵を粉砕させる絨毯爆撃が降り注ぐ。物理的にもソウルとしても重過ぎる闇は肉体ごと魂に干渉し、直撃は即ち魂の死を意味する。

 ならば走るのみ。ネロは剣を手に、暗帝(ジブン)を斬るために駆動する。その軍勢を避け切り、走り抜いたネロは手にする刃で暗帝を薙ぎ払った。

 

「―――温いわ!!」

 

 その勢いを暗帝は深淵騎士(アルトリウス)の大盾で真っ向からぶつかり、吹き飛ばし、一瞬で大盾を深淵の主の杖に転換。発動させた巨大な闇の刃を槌として、まだ上空にいるネロへと振り下す。その槌を空中でネロは弾き逸らすも、暗帝は怨念で形を為す外套(マント)を悪魔の翼の如く広げてネロを切り裂いた。

 空中で撒かれる鮮血の雨。後、数センチ深い傷ならば、血だけでなく五臓六腑を撒き散らす所。しかし、ネロは生命力を消費することで肉体を形だけは直ぐ様に治し、皇帝特権(魔力放出:A)によって身動きの出来ない筈の空中でジェット移動を行った。

 

「終わらぬ世界。終わらぬ繁栄。堕落なき永遠に続く新人類の人理。このローマに、永久の時代が有らんことを――――!

 座へ逃げ込んだ亡霊風情が、今を生きる我らの未来を奪うで無いわッ!!」

 

 混ざる、交ざる、雑ざる―――暗黒皇帝(ネロ・クラウディウス)の魂。

 蛇の下劣な策謀で深淵の眠りを暴かれ、神殺しの不死に魂を砕かれた古い人。最後は闇に敗北して深淵の一部となり、不死の英雄に討ち取られた狼の騎士。神の下僕として殺戮の使命に生き、だが最後は自分で決めた自分の使命に殉じた人間の奴隷騎士。

 そして、地獄に堕ちた全てのローマが彼女である。聖杯と繋がる彼女はローマの杯であり、ローマの燃え殻である灰でもある。

 

「暗帝、ネロ……」

 

 ブーディカはその信念を聞き、憎悪をより昂らせた。殺せ。狩れ。滅ぼせ。死なせろ。命を奪うのだ。その意志に獣性が融けた。それ即ち、啓示――人が導く抑止の選択。

 復讐の女王(ブーディカ)は、この復讐心が良くないモノに繋がったのを実感する。それにより、昂る憎悪に比例して冷たい殺意が脳を支配する。

 神さえ、そも運営される側の知性体。この世において、霊長の意思決定が運命である。それは人理の(オーダー)と呼んでも良いのだろう。その律の価値観において、世界さえも運命に組み込まれた部品。価値があるなら延命し、無価値なら剪定する。

 そんな機構(システム)に魂が選ばれる事。即ち、英雄とは英霊の素材となる生け贄。灰がこの特異点を、抑止力の影響が受け易く描き直したのならば、元より人理に影響力のある者に抑止の後押しが強まるのは必然。

 では、このローマにて――獣は誰か?

 冠位と言う役割以前に、獣を殺さねばならないのは誰なのか?

 抑止力。神通力。神秘。神託。啓示。啓蒙。接続。

 呼び方は何でも良く――全て、人の魂を人外に狂わせる力。あるいは、人理(humanity)と言う人間性(ヒューマニティ)の力場。

 

「もう、良い……良いんだ、ネロ」

 

 皆を救わねばならない―――そんな、憎悪に混ざった抑止力からの強迫観念。抑止として召喚されたサーヴァントならば、その使命感こそ召喚理由として納得するべきなのかもしれない。だが彼女は今を生き足掻く人間だ。ただの家族をローマによって皆殺しにされただけの妻であり、母親であり、亡国の女王だった。

 そんな者に、人を救えと力と共に焼却された人々の遺志が溶け混ざる。

 赦せないのだ―――その仕組みを、暗帝は。

 自分と言う人生の終わり方を、自分が産まれた時から運命が定まっているこの人類史が悍ましい。救われたいと言う善性の祈りが、人類社会から獣性を産む源だった。

 

「ならば、死ね。貴様を置き去り、余は足掻き続ける。果てまで(もが)くのだ!

 目に見えぬ抑止の器にされるなど、同じ人間と言う同族である故に、運命が決められた人形になるものか!!」

 

 何もかもが許せない。運命そのものを壊したい。人が、その個人の魂が、集合無意識から解放された世界こそ、暗帝が寵愛する箱庭だ。

 解脱ならざる運命と輪廻の破壊。人間は繋がり合うことで個の人生に価値を与え、故に最初から全てが仕組まれた因果律であり、その世界自体に縛られて魂が元の星幽界へと帰還する。抑止と言う見えざる幻視の器にされた者など、その最たる哀れな人間の犠牲者だ。

 灰は、本当に知るべきではない視点を暗帝に教えてしまった。

 人間が持つ同じ人間に対する憤りと嘆き。失意と失望と、蒙昧と絶望。

 こんな世界なら、最初からそもそも生まれたくなかった―――と、最期にそう希望する人々。そして、そんな世界を維持する為に生け贄となる人々の魂が、そう思って命を失う連続が歴史。

 未来が決まっているのなら、希望に価値が生じる訳がない。

 ならば―――死に、意味がない事になってしまう。あれほど辛く、悲しいのに、今まで子孫を残して人類史を紡いで来た命達の終わりに、終わるべくして終わっただけだと結論される世界の在り様。

 

「人間は、何時か変わらねばならん―――!

 今この時にでも、出来るのなら進化すべきである!!」

 

 魂の儘に―――

 

「余は、あの死が無価値だったと認めたくないのだ!!」

 

 ―――暗帝(ネロ)は、その心を拓いたのだ。

 彼女はもう死んだ。人類史におけるネロは自害によって終わった。暗帝は今を生きているが、それは一度死んだ故の特異点が見る悪夢。

 心臓が動いている奇跡。苦しむ事が生きている実感。

 この特異点が大罪と認識する正常な意識を持ち、だがそれでもとこれからを生きる人類の魂にとって‟より良い未来"の為には必要な事業。

 正しく、獣性。人間性の一側面。

 灰のような自分の魂の為だけの正義ではなく、他の魂の為の正義。

 何もかもが自由な未来。生死からも、罪業からも、魂が解き放たれた輝ける星(タイヨウ)の希望。

 それが灰―――暗帝にとって彼女こそ運命の女神。人が皆、永遠を苦しめる魂の強さを得れば、あらゆる災厄と悲劇に満ちる絶望の世界になろうとも人間は‟人間”で在り続けられる。

 灰で在れ。火で在れ。闇で在れ。

 どんな世界だろうと関係ない魂となれば、きっとあらゆる世界が楽園になる。世界の在り様に関係なく、在りの儘に人生を謳歌出来る。その為にはまずその強さを得られる人間の世界(ジゴク)に変え、人がその世で魂そのものを根源から生まれた時以上のソウルに進化させる神話の環境が必要だ。

 暗帝が寵愛する箱庭―――それが、この特異点が進化する姿だった。

 同時に、その最初の人間が今の暗帝の始まりだった。だが尚も魂が死ねば終わる不完全な不老不死。

 

「故にカルデアよ、此処に運命を収束させよう!!」

 

 闇の姿となった暗帝は血に染まる怨念を纏う。血肉の外套となり、青白い雷雲が彼女の周囲に帯電する。

 諦めてはならない。諦めて、なるものか。

 暗帝のそんな強い想いに魂が応える。人間性は進化する。人の想いに刺激され、人の魂に相応しい形を与える底無しの奈落と同じ可能性である。

 

「暗帝ぃいい――――!!」

 

 全人類を進化させる為に、全人類の魂を地獄に落とそうとする生前の自分へ、ネロは強烈な怒りと共に叫び声を上げた。だがやはりと言うべきか、灰の人間性と同じくネロの想いに悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)の腕が応えるのも必然。

 衝動の儘にネロは右腕を地面に叩き付け―――火の嵐がローマを砕いて吹き荒れる。

 火の柱は神竜の吐息に匹敵し、灰や悪魔と同様に魂を焼き殺す業炎。地面を魔力の溶岩地帯に変える攻撃を、暗帝は外套を翻して空を飛んで回避。火柱も隙間を縫うように飛翔し、ローマ市民のソウルを纏った黒い片刃呪剣を振り下ろす。

 

「させ、ません……!」

 

 怨念の爆裂と深淵の加重による一斬。咄嗟に合間に入り込むマシュ。だが例え、どんな凶悪な攻撃も受け止める強靭な体幹と威力を流し逸らす技術を持つシールダー(マシュ・キリエライト)だろうと、それには限界がある。今の暗帝の攻撃は魂自体に重力の負荷を与え、相手の肉体ごと生きる精神を押し潰す攻撃であり、魂が軋むソウルに満ちた霊体干渉攻撃。しかし、だからと退く訳にはいかない。

 もはや、マスターを守るカルデアのサーヴァントは彼女唯一人。

 清姫とエミヤは霊体の限界を超え、身動き一つ出来ず、呪文一つ唱えられず、藤丸がカルデアへ霊基が崩壊する前に退去させている。

 

「―――ぉぉおおおぁあああああああああああああ!!!」

 

 左腕がこの時程、マシュは義手で良かったと思った事はない。生身の右腕の骨はもう粉々となり、筋肉繊維はミンチ状態に等しく、魔力防御をギブス代わりに使って無理矢理に腕の形へと固定しているに過ぎない。肉体の治癒を行おうとも、霊体さえも魔力の余波で砕く暗帝の攻撃により、腕を治した所で肉体は霊体へ引き摺られて怪我をした状態へと修正力によって逆戻りしてしまう。だが、義手にそんな作用は及ばない。この機械義手はマシュの霊体と肉体に繋がった一個の兵器。

 マシュは十字盾を両手で持ち、何とか骨を砕かれながらも耐え―――即座、連撃にて体幹を崩された。

 そのまま首を握り締められる。遠慮のない暗帝は頸の骨を折るどころか、首を握り断つ握力を発揮するが、魔力防御によって首を守ることで千切れる事はない。

 

「……っ、っぁ―――」

 

 枯れた音。まだ何とか呻き声を上げるスペースが気管にあるだけで満足に呼吸は出来ず、マシュの顔色は一瞬で死体のように青褪めた。

 そして、本来なら神経も魔力と握力で締められることで気絶する筈だが、それも咄嗟の判断で魔力防御によって身を守り、しかしその防御を侵食する形で暗帝の暗い魔力がマシュの霊体を汚染する。彼女の体と魂が重く鈍って動けなくなってしまった。

 

「マシュ……!!」

 

 簡易召喚したランサー(クー・フーリン)ライダー(メデューサ)によって藤丸はマシュを助けようとする。敏捷性に優れた二人ならば、そもそも藤丸が声を発する前に暗帝からマシュを助ける為、既に攻撃を行っていた。しかしその攻撃は、マシュを盾として悪用された事で止まってしまったが。その隙を見抜けない暗帝ではなく、暗い怨念を纏わせた呪剣を振るって二人纏めて両断。

 とは言え、まだ終わらない。純朴な少女を肉盾にして人を殺す暗帝へ、漆黒の怒りを向ける女が二人いる。

 ブーディカとネロは左右から迫り、暗帝は怨念の外套(マント)を払うように翻す。怨念と同時に深淵の泥が撒き散らし、周囲を暗黒領域に汚染。更に地面が犯され、上空から蒼白い雷が乱れ落ちた。その上で刀身を魔力で作った闇の刃で更に伸ばし、外套と共に回転斬りを行った。

 始まりの古い人と、終わりの奴隷騎士。

 深淵に敗れた神の狼騎士から続く剣技。

 暗帝に迫った二人は弾き飛ばされた上で雷撃を受け、深淵の泥が魂に汚染された。

 

「狙い目、ですッ――」

 

 だが知らぬ者よ、マシュこそカルデアの盾にして矛。その義手は生身に非ず、魂が宿る肉の器ではない。全身を深淵の怨念に囚われようが、兵器が人を殺すのに問題無し。

 魔力防御の作用を反転させた奥の手―――アサルト・アーマーを義手(触媒)から起動。

 一時的に魔力放出スキルを超えた爆裂がマシュを中心に引き起こされ、悪魔や灰が放つ神の怒りに似た攻撃を可能とした。そして魔力防御反転術式の破壊力は宝具級であり、至近距離で直撃した暗帝は四肢と胴体が砕ける程の衝撃を受けた。

 

「―――ヌゥ……っ!

 この段階まで隠しておるか、邪悪なるカルデアが!?」

 

 致命的な肉体損壊。頭蓋骨が割れ、脳が垂れ落ちるが不死故に問題はない。だが狙い目となるのは事実であり、隙を晒すことになる。

 ならば、と暗帝は宝具を即座展開。真名も唱えず、思うだけで黄金劇場を作り上げ、強化された回復能力で自分を癒し、ステータスの能力向上を実行。

 

「―――招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)!!!」

 

 それと同じく、ネロは真名を唱えた。暗帝の劇場とネロの劇場が混ざり、蕩け合い、同時に同じ空間に同一の建築物が魔力で具現した事により意味消失が引き起こる。

 

「そなた達、良いな。後は―――任せた!!」

 

「待って、ネロ……!?」

 

 此処だけが好機。マシュの捨て身を無駄にすれば、巻き返されるのが必然。最初から決死を覚悟したネロは悪魔の腕に己が霊基全てを捧げ、自己犠牲の人間性によって更なる神秘を己が内側から引き摺り出した。そして崩壊した劇場の残滓を全てネロは己がソウルに吸い込み、それらをまた更に悪魔の腕に流し落とす。

 その後ろ姿に、ブーディカは思わず叫んだ。

 もはやネロは破裂する腕を抑え込むだけの爆弾―――死ぬ。

 死にたくない、と希う生前の自分。そんな暗帝を死なせる為、英霊ネロはこれより死ぬ。

 

「貴様は此処で死ね、暗帝!!!」

 

「諦めて、堪るものかぁっ!!!」

 

 衝突する皇帝二人。交じ合わぬ剣閃一筋。ネロは皇帝特権(戦闘続行)で暗帝の剣を心臓に受け入れながら耐え、そのまま剣で両足を斬った。まずは動きを封じた。

 そのまま悪魔の腕で、暗帝の頭部を鷲掴む。

 刹那――吸魂を行う。暗帝の霊魂を貪ることで破裂寸前の腕に、更なるソウルを注いで臨界点を一瞬で超過。

 直後――神の怒りを叩き込む。自分を中心安全圏にした獸の奇跡ではなく、凝固した衝撃波を暗帝の頭蓋骨の内側から解き放った。

 瞬間――暗帝は脳内から爆散した。即ち、その衝撃波をまともに至近距離から受けたネロもまた、肉片にバラけて四散してしまった。

 

「―――――っ」

 

 魂が、完膚なきまでに破壊された。灰の業を継ぐ不死として未完の暗帝は、そのソウルと肉体を蘇生する機能が不全状態となる。だが、そんな程度で不死性を抹消出きる訳もなく、一日分の時間があれば魂は元に戻り、この世に実体を得て帰還する。

 即ち死ねば、暗帝はもうカルデアによる特異点崩壊を――防げない。

 脳ごと魂の内側から爆破されたとなれば、流石に蘇生には時差が生じてしまう。何よりその一撃で、暗帝の中にいた宮廷魔術師シモンのソウルは完全に吹き飛ばされた。

 もはや暗帝が持つ不死性が機能不全を起こしていた。写し身たるブーディカが特異点に存在すれば、ソウルを共有する暗帝は即座に蘇る筈なのに、その核となるシモンはマシュによって破砕された。そして身動きが取れる万全の状態からは程遠い。もうこれより死ぬことは許されず、暗帝の死は特異点の死に直結しよう。

 

「命を、無駄にしおってぇぇぇえええ!!!」

 

 憎悪を雄叫びに変え、聞いた者の意識を奪う殺気が空間を押し潰す。並の人間ならそのまま物理的に心停止を起こす重圧であり、ソウルが魂消(たまげ)ることだろう。無論、藤丸も第六感越しに暗帝の怨念に襲われ、しかし普通の人間で在っても、もはや普通の精神力ではなかった。所長が予測していた様に、自分が生き残るのに必要ならば、神や魔をも殺す生存力を潜在的に抱く人間性である。

 好機を決して―――見逃さない。

 此処で叩き込まなければ、生き残れないと見抜く。

 ネロが死んだ現実を理解しつつ、眼前の事実も彼は理解していた。

 

「マシュ、突貫……!」

 

「はい、マスター!!」

 

 一撃必殺。その浪漫を体現する為の狂気―――火薬庫思想、杭撃ち機(ステイクドライバー)

 所長命名、パイルハンマー。銃字盾に仕込まれたカルデア式仕掛け武器の一つであり、あるいは頭が狂ったとしか思えない対物近接戦闘兵器。

 即座、駆け寄りながら盾から武器を展開。砕けた四肢を魔力防御をギブスに応用している様に、マシュは自分を地面に固定し、杭が放たれる砲門を暗帝の胸部に押し当てた。

 まだ足が蘇生しきれていない暗帝は動けず―――直撃。

 ダイナマイトの爆発に似た轟音が響き、杭に仕込まれた感覚麻痺の効果が具現。肉体が治癒・蘇生しようとする意識の働きを阻害する呪いと共に、魂が生きようとする意志そのものを撃ち砕く狩人の概念武装として機能。

 

「―――ガ……ッ!!」

 

 風穴が空いただけに止まらず、暗帝は胸元から肉体が破裂して吹き飛ばされる。サーヴァントとして魂が保有する霊基が打ち砕かれ、ソウルも生身を剥き出しとする状態に陥る。

 即ち―――人間である。

 藤丸と全く同じ唯の人間に成り落ちた。

 しかし、動く。動くのならば、瞬間的には無理だが肉体を復元することは出来る。流石にこの状態での追撃はなく、確実に殺す為の追い打ちをマシュとブーディカは出来る状態ではない。

 足掻け―――と、神経から肉体に電気信号を脳より送り込む。

 諦めるな―――と、思考回路が全身全霊で肉体を動かそうと暴走する。

 

「な――――」

 

 もう動くな―――と、藤丸が渾身の力で手を銃の形を模し、魔術礼装によってガンドを撃ち放った。

 

「――――にぃぃい!!?」

 

 痺れ固まる肉体。もはや人間となった暗帝に、カルデア式ガンドの硬直から逃れる道理はない。

 

「ネロォオォオオオオオ!!!」

 

「ぬぅぅ……ブーディカ!!?」

 

 首を狙って迫る払い切りを、偶然にも力が入らない足の御蔭か、暗帝は転ぶ事で奇跡的に回避した。しかし、ガンドによる痺れは続き、転んだ後への逆転の為の戦術に動けない。その上、転んだ際、暗帝にとって幸運にも蹴り上がった足がブーディカの剣を持つ右腕に当たり、剣が転げ落ちた。

 結果、ブーディカは即座に首を()し折らんと乗り掛る。

 藤丸のガンドはまだ効いており、暗帝は動くことが出来ず、また人間に戻ったことでサーヴァント体と違って窒息で死ぬ。

 だが動かない肉体に高圧電流を流し込む暴挙に等しい程の、己が魔力を強引に肉体へと流し込み、意識で全身を強引に支配し―――心停止が起きる。当たり前の実害。とは言え、脳はまだ機能する。脳で心臓に魔力を叩き込んで鼓動する。

 即座、反撃。暗帝は右手の親指以外を曲げ丸め、ブーディカの喉仏を強打。反射的に噎せ、吐血し、首を絞める手を緩める―――と、普通なら考える。しかし、固定したようにブーディカの手は離れず、更に握力が増して暗帝を殺しに掛る。

 ならば、と二度、三度、四度と首を殴り折る威力で叩き込む。

 それで尚、ブーディカは暗帝を殺す為に死力を尽くし、血反吐を吐きながら握り強める。滝の様に口から血が流れ落ち、下に居る暗帝の顔に垂れ流れた。

 

「死んで、もうネロ……!」

 

 グギ、と音がなった。

 

「―――ぁ……」

 

 そして、暗帝は動かなくなった。後一打で恐らく、ブーディカは死んでいた。後一歩のところで、暗帝は今度こそ息絶えた。彼女はゆっくりと暗帝の首から手を離し、五秒後に死ぬ命を見下ろした。

 もう暗帝の体は動かない。人殺しの為に殴るなど以ての外。だが一息分だけの余力はあった。人生最後の一呼吸だけ、自分を殺した相手に呪詛を残す力だけが残っていた。

 

「……死にたくないなぁ」

 

 そう呟いた後、暗帝は目を開けた儘、蘇る神秘もなく脳が死に絶えて逝った。

 

「……‥…‥‥……‥……………‥‥…………――終わった、の?」

 

 もう自分が一時間も生きる命がない自覚を持ちながら、ブーディカは希望を祈った。死んで欲しい。これでもう死んで、二度と起き上がらないで欲しい。

 デーモンに、その希望を届いてしまった。

 絶望を焚べようと希望は燃え上がらない。

 それは火の無い灰と言う燃え殻の人間が、人理(ヒューマンオーダー)に管理された人類種から学んでしまった底無しの悪意。人間の太陽となった火の簒奪者が、人理の運営方法から啓蒙されてしまった悲劇へ至る為の絶望の仕掛け方。

 暗帝は当たり前の様に再起動する。

 不死の裏の仕組んだ不死性を隠し蓑に、この羅馬由来の悪魔的不死が具現した。

 

「フ―――ふは、ふはははははははははははははははははは!!!!!」

 

 混沌。不死足る者。人間性のデーモン。

 

「何だこれは―――これが、こんな様が余か、人間か!?

 どうすれば此処まで、何故こうまでして、魂が強くなり続けると言うのだ!!」

 

 死ななかったし、死ねなかった。ネロによる神の怒りをソウルへと直接埋め込められて爆ぜ、カルデアのパイルハンマーで霊核を撃ち砕かれたと言うのに、灰が暗帝へ祈り与えた不死性は砕けない。

 ―――狂おしい。魂が死ねなくなるとは、この様だ。

 幾度も蘇る不死性そのものの重ね掛け。しかし、根源からこの宇宙への祝福とも言える魂は、物体を知的生命体化する根源側の落とし仔であり、それを自在とする灰は神と言うルールからも外れている。そして暗帝の魂は此処に来て、更なるソウルの化身と成りて変貌した。

 情熱の炎とは、愛を求める渇望の焔。

 芸術の美とは、人間を愛す魂の偏執。

 憎悪の澱とは、裏切られた善性の牙。

 暗帝の魂は燃え上がる。混沌より魂を薪にして、悪魔となって焼かれ生きた。

 

「―――何だ……暗帝、そんなことか」

 

 だからか、復讐の女王(ブーディカ)は何処までも冷静だった。もはや冷酷と言っても良い程、波打たぬ湖面のように穏やかな殺意で暗帝を観測し、現状を理解し尽くした。

 殺せない。だが一時の死であれば―――可能。

 何故、デーモンとなって蘇れたのか。それを分かった彼女の行動は迅速、且つ的確。その上、葛藤が生じない為、一切の迷いなく死ねた。取り込まれる前に、あるいは取り込もうと敵が勘付く前に―――心臓の鼓動を、停止した。

 マシュと藤丸が絶望して思考停止する暇も無く、彼女の即断即決は悲しい程に速かった。

 

「――――」

 

 そして、暗帝もブーディカに連動して心臓が止まるのを感じ取れた。暗帝はラインを通じた人間性―――即ち、ローマを憎む女王の復讐心を核とするデーモンと化していた。

 ローマが憎い。殺したい。皆殺しにしたくて堪らない。打ち砕き、斬り突き、焼き払う。

 罪には罰を与えなければならない義務と、仇を取らなければならない人間としての責務。

 ブーディカは―――許したのだ。家族を辱めたローマの罪ではなく、この特異点で永続させられるローマに死の安らぎを与える為、己が死で以ってローマの原罪を肩代わりした。

 

「余を―――許すなッ!!?」

 

 灰のソウルから学んだ奇跡、放つ回復を暗帝は撃った。当たれば肉体の損傷は当然だが、魂が砕ける寸前だろうと死からは治癒する本当の(ヒト)からの奇跡である。それをブーディカは回避し、地面に当たって光が爆散。効果範囲に居たマシュは藤丸を守る為に盾を構えていたが、二人は傷だらけの肉体と生命力がソウルの奇跡によって蘇った。

 暗帝は、此処までするブーディカを理解出来なかった。

 憎しみだけで戦う女が、憎む相手を最後は憐れみ、自分達を犯した罪を相手から禊ぐ為に死の罰を良しとする等と。

 

「もう、終わりにしよう」

 

 ブーディカは己が心臓を剣で突き刺し、霊核と魂を刀身に宿らせた。赤い命の血が光り輝き、ローマに対する憎悪と憐憫が漏れ溢れ、暗帝のソウルを清め払わんと突き進んだ。

 そして、その攻防は実にあっさりとした最後だった。

 心臓から力を得た彼女の剣は暗帝の心臓を突き、そのままブーディカのソウルを解き放ち、暗帝の魂を破砕した。

 

「何だ。そなた、とっくに疲れておったのだな……」

 

「そうだよ。アタシはさ、ローマを憎まないともう走れなかった……だけど。これでやっと、安心して死ねる。

 キミを殺せれば、もうそれだけで良かったんだ。この憎悪に勝てれば、良かった。負けない為に、ローマへの憎悪を燃やし続けたんだ……」

 

 剣の柄から手を離し、ブーディカは後ろにいるマシュと藤丸へ振り返った。彼女には言わなければならない感謝があり、離別を確かにしなければならない責任があった。

 

「だから……ありがとう。カルデアのみんな、さよなら」

 

 肉体が灰となる。細胞一つ残さず焼き尽くし、死体も残らない程に生命力を薪にした。ブーディカは装備品だけを特異点の現世に残し、空へ舞い上がって消滅した。

 ―――仲間の死。涙が流れる事もなく、感情が今に追い付かない。

 カルデアの二人が灰となる屍を言葉なく見届け、暗帝もそんな女王の死を見届け―――死んだ。肉体から魂が離れ、最低でも一日以上は蘇らず、彼女は死に続けることだろう。

 

「これで……わたしたち、勝ったのですか。先輩?」

 

 感情が湧くまでマシュは何時までも屍を見続けた。終わった実感と、暗い達成感が脳に満ちた彼女は、自分と同じ様に死体を見続ける藤丸へ、独り言のように茫然とした表情で話し掛ける。

 

「………………」

 

「先輩?」

 

「勝った……けど、だけど……俺は――」

 

 勝った者が正義で、負けた者が悪。日本人の藤丸は、そんな言葉を聞いた事がある。しかし社会を営む人間性の本質がそうならば、そこには法も秩序もない暴力だけが支配する世の中となるだろう。

 いや結局、正義にも悪にも暴力だけが平等なのかもしれない。

 そして藤丸は自分が、人理を救う為の正義と言う名の悪行を為した自覚を得た。

 死にたくないと生き足掻く人間を殺すべき悪と決めて戦い、憎悪を忘却して安らぎたい本心こそを忘れさせてカルデアの為に戦ってくれた人間を犠牲にして勝利した。

 

「―――オレは、こんな戦いを後……」

 

 オルガマリー所長が居れば、"それが人間として戦うと言う事よ”と言うだろうと藤丸は考え、この葛藤からは死ぬまで逃げられないだろうと彼なりに理解した。

 ぱちぱちぱち、と称賛の拍手。

 隠す気がない気配を感じ、二人は背後へと振り返る。

 

「特異点の破壊、おめでとうございます。

 そして―――世界の為の人殺し、実にお疲れ様でした。マスター、藤丸立香。デミ・ザ―ヴァント、マシュ・キリエライト。

 その気持ち、私はとても良く理解出来ますとも。

 戦うしかなく、ただ殺す以外に何も出来ない自分と、そうとしか在れない世界への葛藤ですね。

 酷い責務を背負わされ、可哀想に。とてもお疲れと見えます。カルデアに帰りました後、ドクター・ロマンを良く頼り、メンタルをケアして貰うのが最善でしょうかねぇ……ふふふ」

 

 万人に優し気な菩薩の微笑みを浮かべ、灰が其処に立っていた。無傷であり、装備も傷付いておらず、疲れ切った二人とは反対称的に万全の状態で、世界をフランスと同じく救ったカルデアを称賛していた。

 

「これで、もう大丈夫でしょう。貴方達二人のソウル、それが強さによって手繰り寄せる因果律は確定しました。

 後五つの特異点、問題無く解決可能な魂の奇跡を得られました。

 黒幕を打ち倒す為の因果を揃える運命も、これより自然と手に入りましょう。

 運命を掴む魂の運命力がなければいけませんが、人間性に溢れた私の特異点はソウルを鍛えるのにとても有益でしから……えぇ、安心して足掻き、走り、戦い続けて下さいね。星の為の獣狩りも、頑張って下さいね。

 そして世界とは悲劇であり、今のお二人の強き人間性でありましたが、後に続く地獄もまた大丈夫でしょう」

 

「……………何を、言っているのですか。アッシュ・ワン?」

 

「マシュさん。優れた脳を持つように作られた人造人間である貴女なら、私の親切心を理解していましょう。そして、その理解を拒みたいと希う貴女の心を私は理解しています。

 犠牲者一人も出さず、誰の魂も世界から失われず、程良い試練の場をカルデアの為にも作りました。無論、この惨劇は私の為でもありますが、貴女方にとっても非常に有益な特異点でしたでしょう?

 とは言え、その遣り方が一番、人間性を貴ぶ私にとって正しかっただけの話です。

 なので出来れば―――私だけを、恨んで戦い続けて欲しいのです。

 自分勝手な理屈で理不尽な試練を善意で施される程、人間は殺意に塗れる感情を抱くものです。嘗て神代、神から人代を簒奪しようとした幾人もの人王達もきっと、貴女達が私に対して覚えるような激情を支配者気取りの詐欺師に覚えた事でしょう」

 

「―――――ッ」

 

 カルデアの銃字盾から機関銃を激情の儘にマシュは連射。しかし、灰が思考速度で魔術を展開。人間性の暗い遮断膜である魔術(反動)を発動させ、特異点と言うテクスチャごと時空間が捩り歪む。それは己がソウルの業を独占魔術基盤として使う魔術回路とも連動することでより自在に使い、実弾の弾幕さえも概念ごと相手方向へ反射した。

 だが敢えて、灰はマシュの体を掠めるように反射弾幕を外す。しかし一発だけ彼女の義手を狙って当て、その威力で彼女の肉体を傷付けずに吹き飛ばした。

 

「マシュ―――!?」

 

「おっと藤丸さん、いけませんね。今は動かない様、お願い致します。貴方が過労死するのは、誰も彼もが損しかしませんので。

 勿論、この私もです。貴方とマシュが生きていれば、私の方で何とか出来ますからね」

 

 ソウルの邪眼で相手の魂ごと肉体を束縛し、灰は藤丸の身動きを容易く停止させた。それは魔術による神秘なのか、あるいは魂を貪ったサーヴァントの中に魔眼持ちがいたのか分からないが、灰からすればマシュの守りが隣に居ない藤丸を視線で支配するのは簡単なことなのだろう。

 

「長い無駄話は好きですが、戦いの後は余韻と言うものが大切です。私からの雑な感想はこの程度で良いでしょうが……まぁ、とは言えです。お二人を助けに所長と忍びが来るまでは暇なので、やはり雑談しかやる事がないのも事実となりましょう。

 通信の遮断、今だけは暇潰しに解きましょうかね。

 ドクター・ロマン、久しぶりですね。御元気ですか? 不眠不休で頑張り過ぎ、寝不足を薬物で解決してはいませんか?」

 

『アッシュ・ワン!! どう言うつもりだ!?』

 

「優れた脳を持つ貴方でしたら、私がそれを言った所で事実の確認となる二度手間でしょうに。しかしそれでも尚、敢えて私がその答えを口にするのでしたら、一つだけ。

 人類種に、人間だけが夢見る人理を。

 グランドオーダーに、ヒューマンオーダーに対する課題を得たアニムスフィアに、私は私なりな期待をしてはおりまいたが……えぇ、やはり個人の遺志で継がれた救世など面白いだけの欺瞞でしょう。全能なる神の視座を得てしまえば、人間が人間として頑張る事の意味を忘れてしまう知的生命体なのです。

 不死であれば、神の魂の無価値さを己が魂から啓蒙され、視点の差異に価値を見出す事は永劫に在り得ず、話は別なのでしょうが」

 

『―――――』

 

「理解はして貰えた様で何よりです。なので根源からの(オーダー)で支配されたこの宇宙を、古い獣の律から守る為、オルガマリーを地球(ホシ)を夢見る憐れなカルデアから借りたいのです。彼女の心を孤独から優しく救ったロマンさんから、その御赦しを得たいと願っています。

 尤も、断れた所で簒奪するのが火の無い灰ですが。

 なので、安心して下さい。心配性な私は安全策を幾つか張っておきましたから、カルデアの良き皆様が頑張って頂ければと言う前提は必要となりますが、人理焼却を灰足る私が邪魔する可能性は未来から消えることになりましょう」

 

『この、外道―――!』

 

「はい。残念ながら、正しき選択が悲劇を好むのが、人理が夢見る人間性の証でしょう。

 死にたくない、と希う罪。これもまた残念でした。ドクター・ロマン、貴方は死に立ち向かって生きることが罪になって仕舞われました」

 

 喋りたいだけ喋り、ロマンに与えるべき感情を灰は計画通りに渡すことが出来た。きっと彼が決意を固める為の良き材料となるだろう。なのでカルデアとの通信を思念でもって特異点側から遮り、灰は倒れるマシュの方へと歩いて近付いた。

 動けない程の傷はないが、今のマシュはもう微動だに出来ない。灰の邪眼によって彼女も縛られ、あらゆる不浄を払う筈の魂自体が敵の魔力(エーテル)で支配されてしまった。

 

「……ぐ、ぅ」

 

 そんなマシュを重力魔術によって宙吊りにし、固定。灰は自分の頭蓋骨に指先を突き刺し、脳から意志が混ざった人間性の暗い塊を取り出し、それを掌の上で物体として具現化した。あろうことか、そのまま灰はマシュに接吻を行い、その状態で"人間性”を握り潰すことで暗い魂の欠片を強引に嚥下させてしまった。同時に、灰は暗い魂の血も混ぜ入れ、ダークレイスらしい暗い祝福を人間としてマシュに与えた。

 それ程の猟奇的所業だと言うのに―――苦しみは、皆無だった。

 むしろ、マシュが感じたのは安らぎ。魂が人肌で暖まるような錯覚を覚え、ある種の悟りを得た心境に陥った。

 

「げほ…‥ごほ、ごほ……貴女、わたしに、一体なにを?」

 

「強いて言えば可能性を与えました。それは有無の差です。何も無い者は何も出来ず、有る者だけがすべき未来を啓蒙されます。やるか、やらないか。出来るのか、出来ないのか。盲目に歩み続けるだけでは選択肢が、その道一つだけになっていまいましょう。

 ですからマシュ・キリエライト、その人間性が運命を絶対的に引き寄せましょう。祝福となるか、災厄となるか、自分の道を自分で選ぶ権利を与えます。

 カルデアが作り上げた人理の忌み子であり、獣となった神を殺す為の兵器である貴女への、何もする必要がなかった私からの最後の餞別です。

 きっと何でも無い人の心が、世界を救う鍵になると私は人間として人間に祈り、魂から人間を信じているのです」

 

「――――ぁ……ヒ!」

 

 そうで在らねば、人に非ず。そんな凶悪な狂気が灰の瞳の中で渦巻き、全人類よりも重い思念が向けられ、魂から光在れと祝福される太陽の祈りを見てしまった。

 灰は、善を心底から信じていた。あるいは、マシュの善性を猟奇的まで信じていた。

 それは究極の人間性だ。闇から生まれ、闇に還った太陽の簒奪者が、この人理の世界で見出した人間が持つ素敵で無敵な人間性への渇望だった。

 ―――底無しの、奈落の如き期待でしかなかった。

 初めて知った灰の感情。この世全てを煮込んでも到底足り得ない人間性への餓え。あろうことか、そんな感情がマシュだけでなく、彼女のマスターである藤丸にも向けられている事実。

 此処で―――殺さないと。

 マシュの心はそんな恐怖心からの殺意で埋められる。恐らく、自分は死ぬより酷い未来に辿り着く。人間は皆が死と言う終わり方を迎えるが、自分とマスターはその最期に辿り付けないかもしれないと言う、魂からの恐怖で動けなくなってしまった。

 

「あぁ、すみません。つい興奮して、魂が少しだけ剥き出て仕舞いました」

 

 動けない藤丸に意図せず接吻を見せ付ける形になったが、こちらは意図して灰は藤丸の視線を無視することにした。

 

「アン・ディールさんは……一体、何なのですか?」

 

「今は改名したので、アッシュ・ワンの名に慣れて頂けると有り難いです。

 とは言え、まぁ答えますと、私は只の人間です。唯の其処らにいる人間の成れ果て、その灰です。魂が人間でしかないのですから、それ以外の何物でもないのでしょう」

 

「そんなのは、答えになっていません!?」

 

「んー……では、藤丸さんも祝福しましょうか」

 

「はい―――ッ!?」

 

 重力魔術で藤丸も呼び寄せ、灰は暗く微笑む。よって特に意味もないが、灰は侵入した他世界の灰を襲う様に接吻を行った。とは言え、人間性や生命力を奪うのではなく、逆に人間性を与えて運命力と生命力を高めたのだが。

 それはそれとして吸引音が聞こえるような深い接吻(ディープキス)を、動けないマシュの前で行う鬼畜の所業。

 

「この、この―――貴女は……!?」

 

「文字通り、祝福です。特異点を生き延びることで精神的な受け皿は出来上がっていましたので、えぇ……人間がヒトと為るだけの話です。

 何より、我が人間性は運命に抗う為の人の業です。序で、運命力も高まります。

 となればこの世にて、きっと藤丸さんを本当に祝福出来るのは私だけでしょう。

 しかし、こうしてソウルに触れましたが、最初から神を殺せる因果を持つ魂とは。やはり人理は悍ましく、エゲつない仕組みです。選択された世界よりカルデアと言う運命を仕込まれるとは、人間が英雄となるには試練が必要不可欠と言うことですね」

 

 これは灰なりの、人理に運命を仕込まれた二人の少年少女への魂からの祈りでもあった。所長が瞳で観測していれば、二人の魂に神を狂い殺す程の人類種への渇望が込められた人の奇跡だと啓蒙され、真実本当に二人を案じているのだと理解出来たのだろうが、何も知らぬ者からすれば眼前で異性の唇を奪い取る邪悪なる行いだ。

 

「しかし、その反応……―――成る程。藤丸さんへの愛ですか」

 

「―――――っ!」

 

「それは失礼しました。となれば、藤丸さんもマシュさんを思っておられる様ですので……―――何と。

 私、お二人には少し酷い事をしてしまいました。人の眼前で唇を奪う趣味はありますが、人の異性を奪う趣味はないことは理解して貰いたいですねぇ……ふふふ」

 

 そして、有意な無駄話が終わったことを灰は悟った。説明すべき事など一つもないが、魂を奪い合えない者が相手なら自分の魂を僅かでも示す為、言葉は大切だと灰はこの世界を生きることで正しく理解している。

 これにより今の二人を前にすれば、敗北の運命がその魂に屈することだ。

 自然と魂が生き延びる因果律を引き寄せよう。自分が意図的にそうして阿頼耶識を味方に付け、運命に自分の都合を押し付けて特異点内の時空間を進めた様、二人にとって都合の良い選択を魂が残酷な世界より簒奪する。運命を打ち倒すとはそう言うことだ。

 カルデアは、もう何も問題はない。

 火を簒奪した灰により、オルガマリーが居なくとも二人がいれば獣狩りは成就する。

 

「ふふふふふふふ……―――あぁ、とても気分が良いです。

 人間は遺伝子上、人助けを貴ぶ本能を社会性動物として脳の神経回路に刻まれていますが、それはそれとして打算のない人助け程、人間が人間そのものを愉しむ本能的快楽は有り得ません。

 人を助けたいから、同じ人を助けます。

 何故なら、そうして人は何万年も社会性を育み、人以外の人類種を人間の為に根絶やしにしました。そうして、人理などと言う星の悪夢に囚われる様に陥ったのでしょう」

 

「ほざけ、アッシュ・ワン。それは動物としての人間の脳機能に過ぎないわ」

 

 瞬間、灰の視界に狩り装束の人影が映った。時間を加速させたような動き方をし、場へと即座に乱入。所長は武器を手にしながらも、それを不意打ちで使わず、初手から対話を選んでいた。

 

「勿論です。ですが、その機能失くして今の惨状も有り得ません。

 だから、こうとも言えましょう。人理を星と共に夢見ることで、今の人間は霊長と成り果て、その純粋無垢な進化の理念を失ってしまいました。

 そうは思いませんか、オルガマリー?

 後、助けに来るのが遅すぎます。私が作り上げたグランドは、私が思う以上に貴女にとって難敵となってしまいましたか。全く、私がその気になればお二人に、人間性を与える深い接吻以上の事をしてしまう所でした」

 

「だから、不意打ちで銃を撃たなかった。貴方、もう戦う気がないでしょ?」

 

「正解です。怒りの儘に殺し合いに持ち込まない当たり、大まかな見当は探れた様ですね」

 

「うるさいわね。後で必ず狩るだけよ……だからさ、とっとと二人を解放して、私への脅迫を言え」

 

「ありがとうございます」

 

 重力魔術を操り、灰は拘束していた二人を所長へと渡した。彼女は優しく二人を受け止め、地面に降ろした。まだ自力で立つだけの体力と気力はあり、何とか両脚を折らずに灰と相対するも、もうその力は一切残されていない。

 所長は二人を守る為、視線を遮る様に前へ出る。右手に獣狩りの曲刀を握り締め、左手には引き金に指を掛けたエヴェリンを持ち、猟奇的なまで静かに狂い切った湖面のような瞳を灰を向けていた。

 







 読んで頂き、ありがとうございました。


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啓蒙71:天啓

 久しぶりです。ずっとゼルダの伝説をやってました。ティアキンでACを作って人類種の天敵ならぬ魔物の天敵ごっこをしていましたら、AC6が発売されると言う連鎖。しかし、まだFF16をしていないので、早目にファイナルファンタジーしなくては。


 戦場に、終わりを知らせる生暖かい風が優しく吹いていた。

 生き残ったのは、女神と侠客。

 他は盛大に死に絶え、また盛大に敵軍を壊滅させた。

 

「腕、無くなっているな……」

 

「死闘だったからね。サーヴァントなんて人類種の奴隷役、可愛さが取り柄の女神がするものではないのよねぇ……全く。神と同じで、そんな役回り。

 死んだ後に、また死ぬほど苦しい破目に遭うなんてね」

 

「と、悪態を吐きつつ、程好い達成感も得ているか」

 

「当然でしょ。そのくらいの報酬、なくては命の張り甲斐がなくてよ」

 

「それも、そうだなぁ」

 

 とは言え、互いにもう霊体を維持できない。また人類種を守る抑止力の方も、特異点崩壊の予兆を確認出来たので、ローマ特異点撃滅を目的に召喚したサーヴァントを維持する必要もない。無理に生かす意味もない。

 

「まぁ、後始末はもう我らには関係ないか。

 寂しいものだ。出来れば、最後までカルデアの行く末を見届けて上げたかったが」

 

「私は興味ないわね。けれど、やるべき事はやったし……この特異点は見届けたもの」

 

 何もかも―――死んだ。死んで死んで、死に尽くした。

 屍の山。腐臭、血臭、生肉が焦げる臭い。野戦を行った平地は血肉に塗れ、悍ましい呪われた魔力に満ち溢れ、しかしその瘴気も時間と共に消えることだ。

 生き残ったサーヴァントは、女神と侠客のみ。

 他は全てが死に絶え、その肉体を構築していたエーテルは例外なく、瘴気染みた太源に還っている。

 

「結局、全て、悪い夢だったのよ……―――根源が、この宇宙を夢見る様な、ね」

 

「女神の視点など知らないが……まぁ、それならそれで良い。

 殺すべき相手は殺した。勝ちもした。生前のような悔いもないさ」

 

「それで良いわ。それに、それで構わないのよ。

 所詮、英霊も人間の魂の成れの果て。死後の魂をも材料にした伝承の具現。記録帯に保存される程の、人間性の究極じゃないと人理の為の兵器にならないから」

 

「そうか。だったら、共に酔おうじゃないか?

 この特異点の最後の最期。清めの酒、女神だろうと魂に沁みる事さ」

 

「ありがとう。見た儘、良い女なのね」

 

「どういたしまして。そちらも女神の名に相応しい、とても良い女だよ」

 

 懐から出した小さな杯に、奇跡的に戦闘で割れていなかった酒筒から注ぐ。侠客から渡された酒を笑みも浮かべずに自然体で受け取り、女神は消え去る直前の肉体にアルコールを思いっきり注ぎ込む。

 

「やっぱり、そこまで好きにはなれない味ね……」

 

 失った片腕を惜しいとも今の女神は思えなかった。

 喉を焼き焦がす味だけを感覚として実感していた。

 しかし、それだけで良い。どうせ、人理がなかった事にする特異点の出来事―――ですらない、悪夢の茶番劇場。人間が人間の為、人間性を炉に焚べて太陽を輝かせる。ただ、ただ、暗く、炎を燃やす。あらゆる可能性、全ての平行世界の人理を観測した魂から漏れ出る闇の火種と為る為の、生贄の種を生み落とす儀式。

 その事実だけは変わらない。

 人の可能性を未来から守る為に、この犠牲だけは必要不可欠だった。

 汎人類史が栄養不足によって滅びるのを防ぐ為、剪定事象で異聞の世界が狩り取られ続けた様に。現人類種が他人類種を皆殺しにして、自らをホモ・サピエンスと名乗った様に。

 

 

 

―――――<●>―――――

 

 

 

 嘗て自分は聖職者だった―――と、灰は思いたい。恐らくそうならば、今の自分は亡者となる前の自分である事に間違いは無い筈。数多のソウルを喰らい、もはや元の魂の形など保っていないが、その記録は正しい筈。自分以外の人間、動物、異形、神、亡者のあらゆるソウルが細胞の様に集り、塊り、一つとなった今の自分が、あの自分のソウルの儘なら、きっと自分の為に嘗ての自分の遺志を継いでいる事に間違いは無いと思う。いや、彼女はそう想いたいと、無感情な理性で判断してソウルから思念を利己的な意志で生み出している。

 だから、世界を救いたいと希うのは自分以外の誰かのソウルから生まれた感情だった。

 救いを求めた過去を持ち、その上で己が業で己が救われたいと願って自らの魂を鍛え上げたが、その結果が己がソウルの中での自我と自己が薄まり続ける矛盾。人を救いたいと考えていた人間としての想いも不死となったが、何も感じない只の記録に成り果てた。

 最近、灰は同じ事を考える。

 似た事を悩む様に、あるいは敢えて悩みたいと思って考え続ける。

 殺す。それを天職とするのが、灰。例外なく、罪悪も呵責もなく、魂を殺すのが灰の業。

 だからこそ、悩む事が罪だと理解する。そう在ると決めたのなら、灰は灰で在れば良い。

 なのに、この人理の世に流れ着いてから灰は悩む。根源を魂の母とする人間を、闇黒を母とする人間がその魂に関わるのは、この宇宙たる世界を作った根源から生じる人間性を穢す事になるのではないか、と。

 ―――だが、やはり灰は灰。

 邪魔者は問答無用、殺戮を以って魂を食するのが人間性の究極だった。

 己は自分に過ぎず、故に自分に融けた敵も自分。人間にとって、神さえも自分。闇も火も、深淵も太陽も、自分と言う魂。善い事も、悪い事も、損も利も、何もかもがソウルとなる。

 だから灰は、カルデアの善き人は自分のソウルに融かしたくないと思ったのかもしれない。自分のソウルと言う人間性の究極と化す地獄の火の炉へ焚べる事に、人理から学んだ人間性が忌まわしく思ったのかもしれない。

 

「オルガマリー」

 

 文字通り、万を遥かに超える魂からの万感の思い。遺志が集積することで形を成す意志を込め、灰は所長の名を呼んだ。

 

「………っ――」

 

 神の音たる統一言語。それ以上の、人の魂を統べる声。上位者の音であるカレル文字(ルーン)を聞いた時より、所長は自分の心が啓蒙に震えるのを感じる。

 それは、声が見えると言う不可思議。魂が逆らえない人の音。狩人である筈なのに、所長はあらゆる恐怖を悪夢のように思い出す。

 

「では、貴女の望み通りに交渉と行きましょう。此方側からの貴女への脅迫となりますが、私が話した先程までの内容、此処までならまだ大丈夫ですが、これ以上を喋ってしまいますと、藤丸立香とマシュ・キリエライトには不利益でしょう。

 更に獣の正体と黒幕の名を言えば、カルデアにとっても不都合極まる事になりそうですね?

 これ以上、情報を喋ってしまうとなれば、人理を救うのに都合が良い状況を維持する為、貴女はしたくもないのに二人から記憶を奪い取り、今の感情さえも忘却させる必要も出来てしまわれましょう」

 

「糞喰らえ、アン・ディール」

 

「だから、私の名はアッシュ・ワンに改名したと言いましたでしょう?」

 

「続き、言え。アッシュ・ワン」

 

「はい。ですので、えぇ……私は提案します。どうか貴女と、貴女のサーヴァントを、私が管理する特異点に軟禁したいと考えています。私としまして、出来ればカルデアの善き人々でのみ人理焼却を完了して頂きたいと考えています。

 完成する未来が確定した今の貴女が居ますと、ほら……あれです。何と言うか、こう言うのは実に人類史を冒涜する事になるのですが、どんな可能性だろうと汎人類史になってしまいまして」

 

「―――………」

 

「旅路に、意味が生じないのですよね。即ち、貴女には人類史に参加する資格がないのです。同時にそれは、人理を確実に救う未来が確定しまう事を意味します。上位者にとっての上位者となる狩人の仔である貴女がカルデアに存在すれば、人類史に抗う獣の意志に価値が生まれません。抗いたいと希った人間性が欺瞞となってしまいます。彼らの抵抗が無価値になってしまいます。

 何せほら、今のオルガマリー・アニムスフィアはそう在る上位者です。

 こう言うのは余り宜しくありません。貴女は必要なピースではありますが、貴女の遺志を継ぐカルデアで在らねば獣狩りを行う人間性に尊厳が生まれません」

 

「……断れば?」

 

「別に、今と変わりません。今まで通り、絶対的な確定要素である貴女の為に、私は獣の善意を尊重するだけです。それが、この人理の人間性が未来で人類と同じ意味の存在となる為に必要な事ですからね」

 

「へぇ、成る程。私が人理補完の旅に参加しなければ、貴女はカルデアの邪魔をしないと」

 

「何事もバランスですからねぇ……ふふふ。ま、私みたいに黒幕遊びが好きな適当人間でも、この人理って品物の我が儘加減は嫌気が差しますがね。

 本当、命を絵具代わりに描く曼荼羅模様が美しくないからと、直ぐ様に人々の道程を無かった事にする性根。集合無意識と言う物は、人間性が火に燃え舞う蛾の如き神に近く、気色悪くて堪らないですね」

 

「残念だけど、その点に関しては私も同感みたい。人理を必要としない程、人類種は高次元に進化しなければ、この宇宙に必要とされて魂を根源から下ろした価値がない。

 だけど、それの善し悪しを決めるのは、この星で頑張って生きて死ぬ人間だしね」

 

「それもまた私も同感なのですよ、オルガマリー。だから、こうする必要があり、獣側に付いて天秤が崩れるのを防ぐ事に価値がありました。勿論、人が人を殺す理由としては下の下な思想ですが、それはそれとして私の魂はソウルの在り様を愉しみますので、何事も善き感動となります。茶番劇や予定調和もまた、それを乱す貴方さえいれば、やり甲斐のある徒労でしょう。

 とは言え、です。あの狩人は良い仕事をしましたが、貴女と言う存在は良過ぎていけません。

 獣性と啓蒙を完璧に呑み干し、猟奇と狂気を正しく受け入れ、血質と神秘の価値を理解する極性の頭脳。七つの罪を単独で駆逐する獣狩りの狩人なぞ、あらゆる危機が茶番に落ちるのですから、まだまだ悪夢の中にいるべきでしょう。

 これでは人類史が生み出した人間性の癌、悪と化した人類愛が人間社会に刃向かう事さえ許されません」

 

「吐き気がするわ。つまりそれ、善の存在証明をする為の悪行だったって言う糞並の言い訳ね」

 

「残念ながら、その欺瞞がこの星で繁栄する人類種の正体です。それが、この現代文明と言う滅びまでの中間経過における人間の体の答えとなります。

 真に貴方達を管理する星の意識は糞だと思います。人理の仕組みは神を思い出して吐き気がします。はっきり言って、惨たらしさで我々のような暗い魂が負ける人間性が絵の外側にあるとは、あの時までは想像も出来ませんでした。

 だからこそ、抗う自由に価値を生む為にも、貴女は無用な激毒でした。

 彼らの愛が善だった過去を失くすのは、どうやら惜しいと思う訳です」

 

「私達みたいな人でなしが感傷なんて、女々しいんじゃないの?」

 

「まぁ、これでも女ですしね……―――で、どうします?」

 

 感情のない心底如何でも良い瞳の色。灰らしい欺瞞のない灰色の眼で、欺瞞に満ちてしまった世界を静かに観測する。

 そして所長は相手に嘘偽りがない真実を見抜き、決断は既に下している。ただ行動に移すのが癪なだけ。

 

「良いわ。どうせ最後は狩るだけだし、了承する。

 けど、そのやり方、ヤーナム育ちの私でもどうかと思うわよ?」

 

「すみませんね。しかし、人理焼却の解決方法も限定されているのが現状ですからね。

 昔の貴女なら世界に責任感など無かったでしょうが、ほら……まぁ、長いカルデアでの私達との生活の所為で、そう言った責務を大事にする人間性を得られたではないですか」

 

「―――――――」

 

 瞬間、今までの何もかもが繋がり―――心さえ、傀儡とする魂の悪辣さを啓蒙された。カルデアを大切にしたいと言う感情自体が、そう言うカタチの人間性として他者から与えられた原動力であったと所長は実感する。自らの人間性自体が借物だとは理解していたが、それから生まれる感情さえも紛い物だった。あるいは、何でもない無形の闇だった筈のそれを、人と関わり合うことで親愛と言う形を得たのかもしれなかった。

 ヒトを思う事そのもの。そう言うヒトで在りたいと言う意志。そして、誰かの遺志を継ぐ人の尊厳。

 カルデアでの生活に狩人は何一つ思わず、変われない。狩人の遺志を継ぐ仔で在るオルガマリー・アニムスフィアは本来、失楽園(ヤーナム)の外側で進化はするも意志に変化はない。

 ――啓蒙ならぬ遺志、天啓。

 人間性による精神性の変態。

 人類悪に転じる人類愛。人理世界における獣の可能性。世界を守りたいと希う所長の意志が、世界を守ろうとした英霊達の遺志を継ぐ願いが、簒奪者の太陽で焦がれた闇であった。

 何より、それを悲しく思う心そのものが、オルガマリーは存在しない筈だった。狩人として完璧無欠な彼女は、カルデアを大切したいと言う余分を持たない女だった。

 灰が行った彼女に与えた心の根本。即ち、他人に興味を抱く事。今ある現実に対し、感情を受態する精神。

 

「―――……貴女が、私に人間性を与えた」

 

 だからきっと、それは良い事でもあって、悪い事でもあった。灰にとって所長は友人でもあって、自分がカルデアの敵に回っても、悪く思う事はなかった。古い獣の存在を悪魔殺しの悪魔から灰は啓蒙され、カルデアの危機と人理焼却を利用した極悪人と言うだけで、根底は最初から何も変わらない悪い人。

 人間が、人間性を人間以外の存在に歪められない人代。

 この世において最も人間を信じ抜いている生粋の人類。

 人が人で在れば、希望も絶望も、光も闇も如何でも良く、自由に生きて死ねる選択が取れる事が望ましい。灰と言う人間が太陽を蝕した暗黒だからこそ、火と闇を理念とするが、そうではない人間はそう在るべきだと信じている。

 

「やっと本当のその意味が、特異点の悲劇を見て分かった気がする。カルデアをレフに爆破されて、殺してやりたい程に悲しいって感じて、狩人でしかない私みたいな存在でも、この世界に生まれた人間だって初めて実感出来たのね。

 貴女は私に、悲しいを事を悲しめる自由を与えた。だから、楽しい事も同様だった。夢見る様な不死の人間以下に、善悪の視点を貴女は与えた」

 

 人間の世が、滅ぼしたくなる程に醜いなら、滅ぼすのも自由。

 人間の世を、救いたい程に人を愛するなら、救済もまた自由。

 それを、人が決めた事なら灰はどちらでも良く、それはその世界で生きる人の自由であり、その人々が決める未来への選択だ。

 しかし、古い獣による宇宙からの消失は許さない。

 その結論が、人理の世を二千年以上死なずに見守った灰の答えである。

 

「はい。貴女が歩む未来、人の可能性は狩人只一つだけでした。しかし、特別である貴女の魂が、不死とは言えまだ若い貴女の可能性が一つだけなのは―――面白くないじゃないですか?

 狩人が、狩人以外の人間性を理解した時、一体何を獣と断じて命を狩るのか。

 最初はそんな知的好奇心による冒涜だったのですが、カルデア所長である今のその様を見れば、きっと貴女は私の闇を自分の心へ善くしたのでしょう。あるいは、あのカルデアと言う環境が人の心に良かったのかもしれません」

 

「そうね。レフの裏切りを憎み、貴女の裏切りを悲しみ、貴女が特異点で行った悪逆に義憤する。何より、貴女を許さないと言う感情を、貴女が私に与えた事実。

 これこそ、人が獣になる原動力。私が無感情に狩っていた遺志の本質。

 貴女の人間性は私をただの今も生きる女にしたけど、狩人としても非常に有意な遺志だわ」

 

「―――で、どうしますか?」

 

 時間は実際に腐らせた程、灰にはある。長話は善い事であり、幾らでも所長に付き合う心持ちだ。しかし、特異点崩壊までの時間はそうではない。

 

「………それは」

 

「成る程。まぁ、私が人間性を与えたのです。決心が鈍ると言う情動を貴女が愉しむのを、一人の人間として喜びましょう。

 来るか、否か……お好きにどうぞ。

 人理の欺瞞を狩人して狩るか、所長として守るかもまた自由でしょう」

 

「………」

 

「では、後ほど。葛藤は素晴しい事ですので、存分に悩んで下さい。再会が次回の特異点となるか、私の特異点となるかは分かりませんけどね。

 それに次の特異点までカルデアに付き合うのも良いかもしれません。私も私で、この星の人類史から学んだ邪悪を描く絵画として、特異点と言う仕組みはとても有益ですからねぇ……ふふふふ」

 

 厭らしく発破を仕掛け、灰は絵具が水で滲む様、時空間を歪ませて特異点から消え去った。引き際が余りに手早く、誰も手出しが出来ず、そもそも殺した所で不死には意味がない。

 まるで白昼夢。夢の中で見る更なる幻。

 数秒前の現実。果たして、真実か否か。

 所長は古都で上位なる神秘を啓蒙され過ぎた所為か、消え際に灰の正体である火が燃える闇を垣間見るも、まるで宇宙空間で光り燃える恒星みたいだと錯覚する。人の形をした宙のような地獄だとも思い、無音の筈なのに美しい(コエ)が次元を超えて聞こるが、多重次元と通じる狩人の頭脳を持つ所長であれば、その耳が世界に存在しない筈の(オト)を解する事もある。

 ……それに紛れ、邪悪と神聖を混ぜた古臭い霧の魂が現れた。

 足音がせずとも凶悪なソウルを秘匿させず、悪魔殺しの悪魔は時空間を歪ませて霧を払う様に歩み寄った。

 

「―――オルガマリー・アニムスフィア、星見の狩人よ。

 今、時が来たと言えるのだろう。獣狩りの鐘の音を、貴公のその脳に繋がる耳が聞いている筈だ」

 

「悪魔の癖に、憐憫を私に向けるな……」

 

「憐れな運命は悲しむものだ。情動する心は摩耗したが、その記憶まで失くした訳ではないぞ。感情が湧かずとも、悲しい事だとは分かる故。

 そして悲しい事に、貴公は人類種の救世主となる。

 下位の識に沈む人類種を導くなぞ、思考を尊ぶ貴公からすれば生贄役でしかないが」

 

「この私は最初から狩人だった肉細工、けど後天的に人間になった。灰の人間性と、カルデアでの生活でね。

 知的好奇心だけを人生の指針にする学術的知性は、濁ってしまった。思考する脳の進化を繰り返す生活を全力で愉しんでいた私は、灰の所為で獣の在り方を善と理解する心を得てしまった」

 

「だからこそ、我が古い獣を狩る慈善に協力して貰いたい。そもそも力だけが必要であれば、私一人で古い獣狩りなぞ充分だ。

 だがな、それだけでは狩りには足りん。他の役を果たす人間が多く居る。

 何より、貴公の人間性を満たすのは世界を救う使命感だけに非ず。狩人としての責務を全うする有意な答え以外に、貪欲な好奇を刺激する報酬もある。

 人の魂をエーテルと化す獣の理、要人が齎した外なる災厄―――ソウルの業。

 それは貴公にとって善き未来を啓蒙する事だ。あの地にはあらゆる神秘と叡智が渦巻いている故な」

 

「好奇に餓えると言うこの感動もまた、人間性か」

 

「そも、あの灰がその気になればカルデアに転移可能だぞ?

 今この瞬間、太陽の熱波で貴公の家を数瞬で焼却する事も容易かろう。あの女の事だ、隠し置く篝火は幾つも存在するだろう」

 

「あぁー………はぁ、悩ましい。思考の紐が捻じ切れそう」

 

「そして、気が付いている筈だ。人理が生む獣を狩るに必要なのは、生きたいと願う人の想い。足掻き進む心こそ、希望となる。故、座のヒトは彼と言う人間を呼び水とする。

 人理の者で在らねば、滅びの意味に価値は生じんぞ。

 ただ殺し、ただ救う……その程度、力さえ在れば誰もが出来る。悪魔と成り果て、人間で在り続けられなかった私でも出来る。であれば、人類史は滅びを繰り返し、無駄ならば枝切りされて、また違う枝へと疫病が移る様に滅びが広がる事さ」

 

 ―――天啓。

 

「行くわ」

 

「そうか」

 

 滅び去る光景。

 人が人を殺す。

 過去を間違いだったと失くす欺瞞。

 獣が抗う人類史の在り方は薄汚い。

 ならば、その業を背負う遺志は―――何処へ?

 遺志を継ぐ事がオルガマリーの在り方ならば、間違いだったと遺志を断つ人理の選択方法こそ―――獣。

 狩るべきは果たして何なのか、彼女は意を啓蒙される。滅びの夜に獣を狩るのであれば、そもそも根本の治療しなければ癌細胞は生まれ続けるのが必然。

 ―――弔いをしなければ。

 死者の遺志を継ぐ葬送の狩りこそ、始まり。

 ビルゲンワースの教えに従う男は、学徒を辞め、狩りを始め、古都にて夢の狩人が生まれた夜の根源。

 オルガマリー・アニムスフィアは人間性を以て所長になったが、狩人の業こそ今の人格が生じた本質。

 

「良いのだな?」

 

「希望を紡げなかった過去を無かった事にする人理は好きじゃないけど、繁栄する未来を残す事が人類種の遺志の継ぎ方なら……―――今、それを失くしたら、それこそ今までの死が無駄になる。

 何時か必ず、大きな反動が来る。

 滅ぼし続けて進化する今を、やがて希望だった筈の未来が牙を向く。こうして人理焼却が起きた様に、犠牲者の遺志を継ぐ誰かもまた人類史に足掻くのだもの」

 

「素晴しい事だ。貴公は、とても美しい心を持つ。正体こそ死人の遺志の集合体だろうが、あるいは屍を捏ね合わせて作った骸の塊なのかもしれんが、貴公の魂に宿る今のその人格こそ正解だろう」

 

「自覚はあるわ。狩人の魂は所詮、狂った鐘女が呼ぶ再誕者と等しいから」

 

 悪魔は騎士兜の中で誰にも悟られずに微笑み、ソウルの中からアイテムを一つ取り出す。見た目は変哲もない石ころだが、それの名は要石の欠片。思考の瞳を所長は名と正体を見抜き、世界の理に囚われない神秘を解し、興奮の余り交信しそうになるのを耐えた。

 

「では、これを。別れを済ませ、覚悟が決まり次第、それを導きとせよ」

 

「そ。ありがとう、悪魔さん」

 

「どういたしまして、狩人」

 

 悪魔はまるで風に吹かれる霧のように消失。頭の中の夢幻だったと錯覚する程にあっさりと空間から去り、オルガマリーの人間性は所長として培った感性に立ち戻る。

 神に賽を振わせず、運命は自分で仕掛けるもの。所長は頭脳から生えた思考の瞳で時空間を観測するも、灰と悪魔が関わっている所為か、奴等のソウルが因果律を歪めている。まるでブラックホール級の重力場であり、運命を好き勝手に乱れ狂わせ、未来視が塵以下にしかならず、曇り硝子よりも先が見えない節穴と化す。

 

「面倒事になったわねぇ……相談だけど、隻狼ならどうする?」

 

「主殿は、もう決めておりまする。為すべき事を、為す。

 さすれば……―――いえ、言うまでもなく、今もそうでありまする」

 

「そうね。それじゃあ、今の貴方の使命って何?」

 

「主殿の進む道を切り払うのみ」

 

「そこまでして貰える恩、貴方に売った覚えはないのだけど?」

 

「いえ、召喚した頂けた事。自由で在る事。それだけで、恩。

 主殿の忍びをするのもまた、我が意志の自由でありまする」

 

「うん……――そっか、そうね。我がサーヴァント、我が剣、我が遺志、貴方は素晴しい程に忍びだわ。

 出来れば、やっぱり貴方には私の星見に最後まで、付いて来て欲しいと思います」

 

「御意の儘に」

 

 よって既に彼女の意志は決まっていた。敵に自分が敗れたとしても、その遺志を継ぐカルデアの職員たちがいるのであれば、迷う必要さえないのも事実。

 行動は迅速。また特異点とカルデアの通信を邪魔する霧も、今は晴れた。

 

「ロマニ」

 

『あー……あー……はぁ、やっと通信が繋がった。こっちからもう特異点崩壊の予兆が観測出来ましたけど、解決したようですね』

 

「そうよ。その内、自然消滅するわ」

 

『―――……それで、他にも何かある雰囲気ですけど?』

 

「ちょっと、追い打ちを私から仕掛けようと思うの」

 

『まさか、所長自らですか?』

 

「そうなります」

 

『そうなりますか……』

 

 ドクターは何を言っても所長の意思が変わらない事実を正しく認識している。自分の出自も彼女に把握されているのも分かっており、ある意味で全幅の信頼を得てしまっている事も理解している。

 とは言え、ドクターは人間だ。あるいは、今は人間になった。後天的に人間性を得る経験を有する二人は、非人間だった頃の自分と向き合う心的外傷を共有し、そして今はその人間性がある故に傷付く事が出来る心を持つとも言えた。

 

『……――お任せ下さい』

 

 だから、多くの言葉は要らないのだろう。疑念を所長に向ける意味がない事を理解出来るのだろう。

 

「任せる。一人も死なせない様に、ね。勿論、医者である貴方自身も」

 

『厳しいですね。貴方に言われると、折角の決心が鈍りそうだ』

 

「所長業も楽じゃないのよ。実際、部下に死なれると中々に堪えます。責任感は程々になさい」

 

『分かってます。僕だって、他人分の責務を背負える器じゃない』

 

「本当?」

 

『本当です』

 

「そう、ありがとう」

 

『じゃあ、御達者で』

 

 特異点で何時、所長は死ぬかは分からない。引き継ぎは何時でも可能な状態にし、機関運営に翳りは無い。またマスター適正のない所長は忍びだけしかサーヴァントに出来ず、マスターの役割は藤丸が居れば良く、今のカルデアの戦闘班は彼がいれば人理修復は可能だ。

 理論上、そうではあるが、人間の精神は化学反応の様に数値が決まった分だけ動く訳ではない。精神的主柱と言う意味において、オルガマリーの存在意義は余りに大きい。一種の洗脳染みたカリスマ性があり、人間関係が繋がる人の社会性が極まっているとも言える―――が、今のカルデアはオルガマリーが居なくとも大丈夫な様、所長本人が組織造りをしたので問題がないのも事実。

 

「ちょっと、所長!?」

 

「あら、藤丸。鬼の形相。珍しい」

 

「―――分かってるでしょう! 

 カルデアには……いえ、俺とマシュには所長が必要なんです!」

 

「んー……―――そうなの、マシュ?」

 

「私は所長に居て欲しいと……そう、思ってます。けれども、貴女がそう考えるのなら、そうなのだとも分かってます」

 

「なに言ってるんだマシュ、頭が可笑しくなってる所長を止めないと!」

 

「けど先輩、私も嫌ですけど、腹立たしいのですけど……でも、そうはならなかったのです。

 所長はカルデアを大切にしています。こうしないと、カルデアが滅ぶかもしれないと未来を読めたのなら、ただそうするだけです」

 

「二人共、モノ分かり良過ぎだ。こんなの人間はやりきれない。生贄と変わらないじゃないか……」

 

「まぁ、仕様がないわよ、藤丸。マシュは在るべき儘に死ぬのを受け入れてるから、私が私として生きるのに必要なんだと分かれば、死ぬのにもそれが必要なのも同じで、何だかんだで駄目なら駄目で遺志を継ぐ信条があるからね。

 尤も、そうさせたのがカルデアの罪なのだけど」

 

「贖罪のつもりもあるのでしょう、所長は。でも貴方は思いっ切り悪人寄りの感性ですから、親の所業に罪悪感はないのが私としては……まぁ、良かったかもしれません。私も貴女に遠慮しなくて良いって、直ぐ分かりましたしね。

 だから随分と、私を貴女とドクターは人間らしくしてくれました。勿論、カルデアの皆さんにも。

 けど、今は感謝は言いません。けれども、有り難く私が思っている事だけは、知っていて欲しいと思いました」

 

 湿っぽい名残惜しい言葉。血腥い人間性を持つ所長は、そう言う感情を向けられるのは嫌いじゃないが、そう思える事そのものが灰による"善意”だと言うのは嫌いであり、そもそも灰の行いを嫌う事が出来るのが灰の御蔭と言う矛盾がまた所長に対する嫌がらせだ。そしてカルデアとの別れを惜しむ等、嘗て狩人だった頃の所長では在り得ない情緒だろう。

 ある意味、情緒をマシュと共に所長は育てたとも言える。マシュは姉に対する家族愛に近い感情を所長に持つが、所長は血腥い執着心が混ざった友情を彼女へ向けている。

 

「今生の別れの挨拶っぽいわね。

 まぁ、そうならない様、貴女も私も生き延びますか!」

 

「そうしましょう。私が死ぬ前に間に合う様、早く戻って来て下さいね」

 

「別に、貴女は死なないわよ。お節介焼きがカルデアにはいるから。

 との事で藤丸、私はちょっと特異点を隻狼と滅して来るから、ちゃんと訓練を続けて、朝昼晩も食べて、週に三回はロマニに日頃の愚痴をメンタルをケアするのよ。後、御手製マニュアルも暗記しなさい。それと魔術訓練の方のメニューは技術顧問に任せられるから―――」

 

「―――ストップ! 何かもう凄く行くこと決まってません!?

 それに所長が居ない間も地獄メニューが継続されるのって本当ですか!!」

 

「でも、筋肉は人生を裏切らないわよ?

 カルデア特製プロテインは魔術回路も筋肉にするの。むしろ、筋肉と神経が魔術回路になる」

 

「そうだった、この人は頭が良い人格馬鹿だったんだ……」

 

 普通に悲しみ、別れを済ませる様な感性の持ち主ではない。藤丸は所長が脳筋気質な精神なのを思い出し、人間を精神面でも限界以上に期待する類の人間だったと分かり、

 

「そりゃ夢見る馬鹿じゃなければ、真面目にカルデア所長なんてやってないわよ。人間の中身なんてもの、九割は馬鹿で残り一割が真面目で丁度良いって話。

 けど、その調子なら何だかんだで大丈夫そうね。貴方も雰囲気を読んで真面目に悩む程度で良く、悩む何て仕事はロマニとか技術顧問に押し付けちゃいなさい。基本、二人の方針を信じて突き進めば何とかなるって思いなさい。そもそも私が居ようが居まいが、生き死になんて時の運だしね。

 だからさ、まぁ……ほらね、私、もう行くわ。

 いざってなると心配で言いたい事が凄くあるけど、きっとカルデアは大丈夫だしね」

 

「はい。信じてますから」

 

「宜しい。頑張りなさい。私も、頑張りますから」

 

 そうして、星見の狩人は星見の忍びと共に特異点から消失した。まるで大気圏で燃え尽きる流星の様に、静かに輝いた後、あっさりと二人は居なくなっていた。

 

 







 読んで頂き、有難う御座いました。
 ちょっとだけ幕間な話を挟みましたら、葦名編を始めたいと思います。序でにエルデンリングをしていて思ったのですが、糞食いエンディングとは何かと考えてまして、そもそもエルデンリングがエルデの獣であるなら、糞の呪いは確かにエルデの呪いの本質だと思いました。
 そもそも輪廻を司るエルデンリングが獣であり、そこで魂が循環するのなら、何より獣が魂のルーンを養分として吸い取って成長し、またその魂を現世に戻すなら、赤ん坊の魂とは残り滓であり、獣の糞として捻り出たルーンのない魂だとも言えます。女王マリカが死のルーンを除いて黄金律を作り、死の無い世界になる前は、循環する人間の赤子の魂はエル獣の糞だったんじゃないかと言う話です。人間の魂が糞でしかないのなら、確かに女王が死の無い世界を、先がない事が分かっていても求めたのも不思議じゃないかもしれません。ルーンを取られて輪廻する人間の魂は獣の排泄物なのなら、そしてそれをまた獣が輪廻の木となって食べるのなら、正しい意味での糞食いは獣となります。
 なので、糞食いもまたエルデンリングに相応しい修復ルーンなのでしょう。何せ、忌み呪う事もまたエルデの獣が司るルーンなのですから。



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断章・ローマ
<㋱>:ステータス3・ローマ編


◆◆◆◆◆

 

 暗帝寵愛箱庭「セプテム」

 ヒューマニティによって霊基変質したサーヴァント一覧。

 

◇ライダー:ネロ・アビス

◇ランサー:ロムルス

◇バーサーカー:カリギュラ

◇キャスター:陳宮

◇アヴェンジャー:ブーディカ

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ネロ・アビス

クラス:ライダー

マスター:ネロ・クラウディウス

性別:女性

身長/体重:150cm/42kg

属性:混沌・悪

 

パラメータ

筋力C  魔力A+

耐久D  幸運EX

敏捷A  宝具A

 

クラススキル

対魔力:C

――詠唱が二節以下の魔術を無効化する。大魔術・儀礼呪法のような大掛かりなものは防げない。

騎乗:A++

――大抵の乗り物を乗りこなすことが可能。魔獣ランクまでならスキルの対象となる。しかし、皇帝特権を併用することでランクアップし、実際は幻獣・神獣クラスまでもが範囲内。更に竜種だろうと判定に成功すれば騎乗できる。

 

スキル

皇帝特権:EX

――本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。

死灰の杯:A+

――マグスの叡智。宮廷魔術師シモン・マグスが自分の記録を込めた聖杯によって得た魔術の技能全般。思考回路を侵食されており、神秘に対して非常に高い理解度と再現度を持つ。そして魔術基盤「グノーシス」を開祖として保有する。

廻る王冠:A

――獣の名残。闇に融けた異端の奇跡。聖杯と良く似た特性を持ち、自分の願いを生贄を捧げることで成就させる。贄となるものは自分の魔力や生命力、あるいは他者の命や魂と言った存在となる。この偽りの奇跡は目に見える形で加護を与えており、頭部を覆う黒薔薇の茨として具現化している。

深淵にて:A

――魂に奈落が穿たれた暗帝の証。深淵によって得た孔を持ち、闇が霊体から噴き出てしまう。その場に存在するだけで環境改変を行い、深淵の闇に空間を濡れさせる。

ヒューマニティ

――魂の叫び。宿した人間性がより暗く深化したスキル。人間として生きている自分から生み出された霊基であり、その自分に呪われて変質した死後の自分自身が正体である英霊を憑依させている。死にたくない、生きていたい、と言う願いを叫ぶ人間性によって霊基が狂い果て、幾度だろうと死から甦る生命体へと進化した。大元は最初の火で炙られた深淵を取り込んだネロが、暗帝として変異した暗い魂の闇となる。

 

宝具

踏み砕く刑罰戦車(フンゴール・クッルス)

ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:5~30 最大捕捉:100

――双頭の黒馬。蒼い炎を纏う巨大な騎馬は戦車を引き、騎乗者と共に敵陣を纏めて轢き殺して大地を蹂躙する。改造された戦車は古代ローマ帝国の様式から逸脱し、自分が召喚した超軍師による中華ガジェットを暗帝のグロテスク様式として芸術的融合に成功している。車輪の中心には棘付き十字刃ランスが付いているので、轢き殺せずとも横を通り過ぎるだけで回転するチャリオットランスが敵を解体する事が可能。更に連続射出式盾付弩が付属されているため、戦車を走らせながら敵を纏めて射殺出来る。

深く沈む黄金劇場(アビュッスム・ドムス・アウレア)

ランク:A+ 種別:対陣宝具 レンジ:30~90 最大捕捉:100~1000

――黄金に輝きながらも、全てが深淵に沈んだ暗い領域。生前の彼女が自ら設計し、ローマに建設した建築物「ドムス・アウレア」を、深淵へと変質した魔力によって再現したもの。固有結界とは似て非なる大魔術。自己の願望を達成させる絶対皇帝圏。一度展開すれば解除まで脱出不可能な、暗帝を暗く沈める一人舞台。

燃え沈む闇炎隕鉄(アエストゥス・エストゥス)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:10

――深い幻火。黒い呪いに染まった彼女の愛剣。伝承がない故に宝具足り得ないが、Aランク宝具に匹敵する概念武装と化している。元々は原初の火と銘されていたのが、今の彼女が再び鍛え直したことで生まれ変わってしまった。所有者のテンションに合わせて燃え上がったり、色を変えたり、斬撃を放ったりと皇帝特権のように多機能であり、しかし今は深淵の力によって闇にその多機能性が染まっている。

 

【Weapon】

◇聖杯

 魔術礼装として扱う外付け魔力機関であり、願望器。元々は内蔵していたが、邪魔なので外したとか。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ロムルス

クラス:ランサー

マスター:ネロ・クラウディウス

性別:男性

身長/体重:224cm/200kg

属性:混沌・中庸

 

パラメータ

筋力A+ 魔力B

耐久A  幸運B

敏捷A  宝具A++

 

クラススキル

対魔力:B

――魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。

 

スキル

皇帝特権:EX

――本来持ち得ないスキルも、本人が主張する事で短期間だけ獲得できる。該当するスキルは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、等。ランクがA以上の場合、肉体面での負荷(神性など)すら獲得する。

浪漫の剛体:A

――生物として完全無欠な肉体を持つ。膨張した後に圧縮された筋肉と、それに合わせて進化した骨格が齎す力。常に筋力が倍化する。そして浪漫の名の通り、危機的状況に陥って心が昂揚する程に筋肉は悦び、膂力は更に増していく。これは天性の肉体がヒューマニティによって変質した能力となる。

七つの奈落:A

――自ら「我が子」と認めた者たちに闇の加護を与える。本来は七つの丘である“ローマ七丘”、すなわちローマの礎となった七つの丘を指す名前を持っていたスキル。それが反転したことで滅びの丘に変異し、ローマが産む闇の落とし子として祝福する。

闘神の加護:B

――戦場で幸運を引き寄せる。これは活性化した人間性により神性の血が色濃くなったことで発露した自分自身の祝福。神性の効果も副次的に持つが、神霊ではなく一人のローマ人として現界しているためランクダウンしている。

ヒューマニティ

――魂の煌き。完成した人間性を持つ超越者でありながらも、暗い闇を一切抵抗せず受け入れた事で得たスキル。神祖は闇もまた自らのローマであると理解し、故にその深淵に沈む人間性を自分自身で在れと最初から認めていた。即ち、闇より魂を侵す不死の呪いを火と同じく輝かせ、反転することなく澱となった悪性を取り込んだ。

 

宝具

すべては我が槍に通ずる(マグナ・ウォルイッセ・マグヌム)

ランク:A++ 種別:対軍宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:900

――国造りの槍。一度、真名を解放して地面に突き立てると、槍は大樹として拡大・変容し「帝都ローマの過去・現在・未来の姿」を造成、怒涛の奔流で対象を押し流す。言うなれば質量兵器ローマ。正体は母シルウィアが処女懐胎によりロムルスを生み落とす以前に見た夢に登場する、ローマそのものを象徴する大樹と結び付けられて伝えられる宝具。ローマ建国の折、ロムルスはこの槍をパラティヌスへと突き立て、槍は瞬く間に根と枝葉を生やし大樹に変貌したと伝わる。大樹はローマ帝国の興亡を共にし、滅亡を見届けると枯れ果てて朽ちたという。

すべては我が愛に通ずる(モレス・ネチェサーリエ)

ランク:B 種別:結界宝具 レンジ:1~40 最大捕捉:100

――愛する弟レムスを自らの手で誅した逸話を具現化させた、血塗られた愛の城壁。空間を分断する城壁を出現させることで壁の内側を守る、結界宝具。城壁の出現は地面から瞬時に湧き上がるため、出現位置の調整次第ではギロチンのように対象を切断することも可能。

すべては我が澱に通ずる(ウィーウェ・ホディエー)

ランク:A 種別:対陣宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:100

――今を生きる生命の叫び。地表よりローマの負の側面を溢れさせ、帝国の誕生から滅亡までの怨念で土壌汚染を行う。これによって滅びの領域を形成して触れた者が抵抗に失敗した場合、ローマにした上で神祖の愛に召されて死亡する。正体は枯れた大樹の成れの果てが土に腐った最後の形であり、その日を生きたくとも死んでしまった人々の諦めである。今日を生きよと願う死者の想念は滅びを迎えたローマだろうと消える事はなく、過去・現在・未来を背負う神祖は滅びの果ても愛せざるを得ない。それが神祖の魂に澱となって溜まった深淵が形となる宝具。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:カリギュラ

クラス:バーサーカー

マスター:ネロ・クラウディウス

性別:男性

身長/体重:185cm/80kg

属性:混沌・悪

 

パラメータ

筋力A+ 魔力D+

耐久B+ 幸運D+

敏捷B+ 宝具A

 

クラススキル

狂化:A+

――全ステータスをランクアップさせるが、理性の大半を奪われてしまう。

 

スキル

皇帝特権:A+

――本来持ち得ないスキルを、本人が主張することで短期間だけ獲得できるというもの。該当するのは騎乗、剣術、芸術、カリスマ、軍略、と多岐に渡る。Aランク以上の皇帝特権は、肉体面での負荷(神性など)すら獲得が可能。

嗜虐体質:A

――戦闘時、自己の攻撃性にプラス補正がかかる。これを持つ者は戦闘が長引けば長引くほど加虐性を増していく。狂化スキルに性質が近いため、カリギュラはこのスキルを最大限には発揮できない。

在りし日の栄光:A

――名君として生きた四年間の記憶はカリギュラの狂気を和らげず、むしろ加速させる。精神干渉系の抵抗判定にプラス補正がかかり、素手攻撃時の筋力パラメーターが一時的に上昇するが、この効果を使用するたびにカリギュラは自身にダメージを負う。暴走する狂気が霊核を軋ませるのである。

発狂:EX

――狂気に汚染された思考回路。既に狂っているが、理性は保っている。理論を解するも、道理が存在しない。

ヒューマニティ

――魂の狂い。深淵により狂化した精神を更に狂わせる暗い闇。既に意志を失っており、狂戦士でさえない虚ろな呪縛に囚われた。もはや正気を取り戻す術は永遠になく、死ぬまで魂が深淵に狂い続ける運命にある。だが更なる月光の呪いにより、狂気は正気に反転し、そのヒューマニティは覚醒してしまった。

 

宝具

我が心を喰らえ、月の光(フルクティクルス・ディアーナ)

ランク:C 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:300

――空から投射される月の光を通じて自身の狂気を拡散する、広範囲型精神汚染攻撃。一軍を相手に使用すれば、おぞましくも惨憺たる状況が生まれるだろう。

闘士の拳(セスタス)

ランク:A 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――鉄拳の手甲。厚手の革に鉄の鋲を埋め込んだ拳を強化する武器。何の変哲も無いただのセスタスだが、楔石の原盤によって最大強化されている。

月光の大剣(ムーンライト)

ランク:A+ 種別:対人宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:30

――与えられた月明かりの狂気。大剣の形をしており、だが本質は刃ではなく光である。上記の宝具と相乗する効果を保有し、この剣は発狂効果を持つ精神汚染光を放つ。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:陳宮

クラス:キャスター

マスター:ネロ・クラウディウス

性別:男性

身長/体重:182cm/60kg

属性:混沌・善

 

パラメータ

筋力C  魔力A++

耐久C  幸運C

敏捷B  宝具C

 

クラススキル

陣地作成:B

――魔術師として自らに有利な陣地や工房を作成できる。

道具作成:A+

――魔力を帯びた器具を作成できる。この度の召喚では生前と同等の魔術回路と神秘を携えており、付与された仙術によって高いランクを獲得した。素材と設備があれば人工宝具を量産可能。

 

スキル

軍師の本懐:A

――裏切りの英雄・呂布と共に戦場を駆け抜けた陳宮。冷酷・冷徹な陳宮だが、そんな彼にも武人としての信念、情熱は備わっている。「この主君の為に死ぬ」「この主君と共に死ぬ」という魂の誓い。即ち、軍師の本懐なり。バーサーカークラスのサーヴァント限定で行える『英雄作成』である。

スケープゴート:B

――戦場を生き抜く狡猾なテクニックの集合。ヒューマニティによって冷徹さと冷酷さが増し、主を第一としながらも生存する確実な手段を手繰り寄せる。

軍師の忠言:B++

軍師系サーヴァントに与えられるスキル。状況を把握、分析することにより味方側に正しい助言を与えることができる。『++』が入っているのは呂布を従わせた事に由来。ここ一番では孔明を上回る『主君への忠言』ができる、という事だろうか。

仙術:B

――受け継いだ神秘を昇華した叡智。キャスターは中華最古の文明・夏王朝の末裔であり、その文献と技術を召喚された後に身に宿した白い結晶によって変質させた能力となる。本来ならば魔術回路を持つ技師に過ぎなかったが、手に入れた結晶が彼を強引に仙人の領域へと辿り着かせた。

ヒューマニティ

――魂の歓び。生まれ持った本性ではなく、人間の腐れを受け入れた人間性に受け入れる。その精神性を喜んだ灰は白竜シースの業である結晶にソウルを込めて授け、受け入れていた人間性が結晶と融け合った。狂気に汚染されるが叡智と理性は失われず、只管に目的達成の為に合理性を求める精神に変質した。

 

宝具

掎角一陣(きかくいちじん)

ランク:C+ 種別:対軍宝具 レンジ:10~99 最大捕捉:1~300

――軍神五兵を製作する際に出来た余剰部品。それによって作成した超小型の魔術回路超加速器で味方を一時的に超強化し、超攻撃力とともに超臨界させる陳宮の外道宝具。言わば人間版「壊れた幻想」で自軍一人を生贄にして敵陣にダメージを与える。仙術スキルの追加と道具作成スキルのランクアップにより、この宝具も本来のランクを+補正する破壊性能を持つ。また結晶の加護を受けているので、この爆撃で死に切れなかった生物は呪いの抵抗に失敗すると結晶化して生命活動が停止する。

軍神弓兵(ゴッド・フォース)

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1~60 最大捕捉:1

――弓の形態を持つ軍神五兵。結晶を素材に作成した矢を撃つ宝具。しかし呂布にのみ万全に扱える人工宝具であり、真名解放をすることは不可能。他形態にも変化可能ではあるが、キャスターは他に双剣形態しか解放しない。

白晶欠片(クリスタル・シャード)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:1

――心臓に植え付けられた結晶の一片。自分自身に宿した原始結晶の欠片から力を引き出し、その神秘を自分自身の魔術として行使する。本来ならば仙術スキルを保有可能な程の神秘を習得していなかったが、この結晶によって受け継いだ技術を仙術の領域で使用できる。

 

◆◆◆◆◆

 

真名:ブーディカ

クラス:アヴェンジャー

マスター:ブーディカ

性別:女性

身長/体重:174cm/62kg

属性:中立・悪

 

パラメータ

筋力B  魔力C

耐久A+ 幸運D

敏捷B  宝具A

 

クラススキル

復讐者:C

――復讐者として、人の恨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。周囲からの敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情は直ちにアヴェンジャーの力へと変化する。

忘却補正:A

――人は多くを忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。忘却の彼方より襲い来るアヴェンジャーの攻撃はクリティカル効果を強化させる。

自己回復(魔力):B

――復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。

 

スキル

鋼鉄の決意:B

――憎悪対象であるローマ帝国を根絶やしする為、復讐の人生を歩んだ鋼の精神と行動力とがスキルとなったもの。 アヴァンジャークラスに適合することで本来ならばEXランクとなるのだが、今の彼女は残虐の限りを尽くして虐殺と殺戮を為した後の状態。そして英霊ならば変わらぬ形を維持するが、生身の人間が英霊に憑依されているため精神的な変化によってスキルのランクも変動する。よって決意の源となる憎悪がローマ人を殺す度に癒えてしまい、既に滅ぶ寸前の帝国に満足する寸前である。だがそれでもBランクを維持している事から、これ以上ランクが低下することはない。

怨讐の女王:EX

――勝利の女神アンドラスタへの絶対なる誓い。勝利すべき仇、と定めた相手への攻撃にプラス補正がかかる。深淵に堕ちたブーディカの場合、殺すべき敵と定めた相手全てに対して補正が働く。更に憎悪の比重が重いローマに属する者ならば評価規格外と呼べる殺傷能力を持つ。もはや殺戮技巧に近い技能に変化してしまっており、憎悪のまま殺戮を重ねた経験から論理的に相手を確実に殺傷する能力と成り果てた。

戦闘続行:A

――決定的な致命傷を受けない限り生き延び、瀕死の傷を負ってなお戦闘可能。不屈の闘志で強大なローマ帝国軍と戦い続けた、ブーディカの逸話がスキル化したもの。

アンドラスタの加護:A

――勝利の女神アンドラスタによって与えられた加護。集団戦闘の際、ブーディカとその仲間の全判定にプラス補正がかかる。特に防御のための戦闘で最大の効果を発揮する。

ヒューマニティ

――魂の恨み。宿した人間性がより暗く深化したスキル。人間として生きている自分から生み出された霊基であり、その自分に呪われて変質した死後の自分自身が正体である英霊を憑依させている。殺したい、報復したい、と言う願いを叫ぶ人間性によって霊基が狂い果て、幾度だろうと死から甦る生命体へと進化した。大元は最初の火で炙られた深淵を取り込んだブーディカが、復讐の女王として変異した暗い魂の闇となる。

 

宝具

約束されざる守護の車輪(チャリオット・オブ・ブディカ)

ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:2~50 最大捕捉:50

――名馬による二頭立ての戦車。ブリタニア守護の象徴であり、高い耐久力を誇る。反面突進攻撃力はそう高くなく、仲間を守る「盾」として機能させるのが正しい運用方法。また、ケルトの神々の加護を受けることで、飛行能力を獲得しているらしい。

蠢く淵剣(ブディ力)

ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:1~20 最大捕捉:1

――自らと同じ「勝利」の名を冠する片手剣。 だが決して星の聖剣ではなく、勝利も約束されない。完全ならざる願いの剣。能力は、憎悪に染まった黒球を発射するもの。この黒球は物理干渉性が非常に高く、ランク以上の純粋な破壊力を有している。また真名解放せずとも連射が可能であり、散弾のように飛沫を一斉掃射することも出来る。真名解放することで一度に魔力塊を複数展開し、憎悪のまま敵を弾き殺す怨念の塊を自動追尾させる。

轢殺せし車輪(アンドラステ)

ランク:A 種別:対都宝具 レンジ:5~50 最大捕捉:300

――復讐の祈り。怨念を纏う車輪を周囲に召喚し、騎乗した戦車共に数十と並ぶ車輪が敵陣を幾度も轢き殺す。本来ならば守護の象徴であるのだが、戦車を引く騎馬が深紅の血に染まり、ブーディカが為した殺戮と虐殺を再現する復讐者の憎悪と成り果てた。これは虐殺で積み上げた屍を轢き砕くことで怨念に染まった戦車であり、殺戮の限りを尽くした憎悪の具現となる宝具。

 

【Weapon】

◇暗い丸盾

 黒染めの守り。凄く頑丈であり、反射性能に優れる。

 

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|且_②:暗帝寵愛箱庭時系列設定

◇セプテムの流れ

 

 聖杯が送り込まれる。

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 歴史が歪み始め、特異点化の下地が形成。

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 深淵の神秘で少し過去の、この瞬間の特異点に灰が時間を遡って転移する。

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 火の簒奪者として手に入れた最初の火と、一番最初に火継ぎした人間である不死の英雄のソウルの記録から、深淵の主の情報を再現したソウルの破片を持ち込む。

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 聖杯に深淵の主のソウルの、その破片を仕込む。

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 その聖杯を魔術師シモンに拾わせる。見届けた後、灰は帰還。

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 聖杯による叡智と、何より暗い魂の神秘でシモンは発狂。そして、深淵によって人間性が与えられ、その人間性が暴走し、古い人もどきと化す。

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 シモンが聖杯による力で人類史を未来から俯瞰的に把握する。

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 死後に英霊となる生身の人間をシモンは実験体としたかった。ブリタニアの反乱は女王を英霊に仕立て上げる悲劇だろう。

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 シモン、旅行に。そうだ、ブリテンに行こう。

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 夫が死んだブーディカは、しかしローマに裏切られる。

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 二人の娘がローマ人共に陵辱され、自分も凌辱されたブーディカ、復讐の憎悪に狂う。

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 ブリタニアがローマへの殺戮で血に染まる。

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 報復の果て、娘の一人はローマ兵に心臓を串刺しにされ、もう一人の娘は戦車の下敷きになって死ぬ。

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 戦場にて致命傷を受けたブーディカを蘇生させ、その上で生け捕りにする。実は戦場に行く前のブーディカへ、念の為に死なずの魔術を掛けておいた。

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 シモンは彼女をローマに持ち帰り、英霊に対する実験を繰り返す。

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 後にネロへと行う英霊憑依儀式をブーディカで成功させる。人間ブーディカに、英霊ブーディカが憑依。

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 シモンはブーディカを実験動物兼個人玩具として扱い、結果的に憎悪で眩むアヴェンジャーとして完成された霊基に至る。

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 危険なので屋敷の地下に封印。聖杯によって霊基も封じられ、憑依ブーディカは人間程度の力しか持てず。

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 英霊の神秘と知識を得たブーディカは、数年経って尚もシモンに監禁され続ける。霊基実験も続行。どんな処遇だったかはお察し下さい。

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 特異点化されるまでのその間、屋敷地下で冒涜的な魔術実験に耽る。

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 ブーディカにシモンの魂の欠片が植え付けられる。

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 ローマの大火が起きたが、何故か本来の史実よりも早目に収まる。

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 焼死による死亡者人数や、二次被害による死亡者人数も、聖杯の奇跡により大幅に減少。

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 跡地にネロが黄金宮殿(ドムス・アウレア)を建てる。

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 キリスト教徒を弾圧。大火の犯人として多くの教徒を処刑。

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 実はローマの大火が奇跡的にも犠牲者が少なかったのはシモンの暗躍。

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 宮廷魔術師として、皇帝に仕え続ける。

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 数年後、ガリア・ルグドゥネンシスの属州総督・ガイウス・ユリウス・ウィンデクスによる反乱。

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 ガルバ、オトがこれに同調。

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 ウィンデクスは帝国軍が粛清。ガルバは元老院から国家の敵であると決議を受ける。

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 だが穀物の価格が高騰しているローマで、穀物輸送船が食料ではなく宮廷格闘士用の闘技場の砂を運搬してきたという事件が発生。

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 ネロが市民から反感を買う。

 ↓ 

 灰がローマに訪れた。聖杯の持ち主と邂逅。

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 聖杯を最初の火から生み出した混沌に沈め、更に深淵の闇を宿させる。暗い混沌のデーモンに聖杯は変貌するも、灰によって狩られてまた聖杯の形に戻り、錬成炉によって最初の火の大器となり、また鍛冶神の業で鍛える。その杯の中に灰は、更に混沌と深淵を流し込んだ。

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 葦名特異点で培養しているマシュ・クローンに反英霊アンリ・マユを憑依させたデミ・サーヴァントを、その聖杯に種子として捧げる。

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 真理を灰へ求めたシモンに人間性が与えられる。そして、手っ取り早く最初の火で魂が炙られる。彼はグノーシスの真理を理解する。

 ↓

 聖杯も返却される。

 ↓

 皇帝と対立していた元老院は、求心率低下を好機にネロを国家の敵する。逆にガルバを皇帝に擁立。

 ↓

 ローマ帝国そのものがネロ皇帝を反逆者として認定。護衛隊長ティゲリヌスを初め、ネロは側近にも裏切られる。

 ↓ 

 ネロ皇帝が裏切り者のローマ兵士に追われる。共に着いて来たシモンを信じ、逃亡しローマ郊外の解放奴隷パオラの別荘に隠れたが、騎馬の音が聞こえた。

 ↓

 自害を決意。短剣を喉に突き刺す為に外へ出る。その前にシモンや他の従者へは逃げて良いと暇を出す。それか降伏して命は助かれと言った。

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 喉を刺す。しかし、死に切れなかった。死ねるまで何度も喉を刺すが死ねず。

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 喉から血が出てるが、ショック死も出血死も窒息死も出来ぬまま苦しみ続ける。

 ↓ 

 特異点の中心となる皇帝を灰は見守っていた。そして、計画通りシモンが死なずの魔術をネロに掛け、自殺しても死ねない演出をしていた。

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 生死を彷徨うネロに灰が尋ねた。生きたいか、と。

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 生命への渇望によって人間性を宿し、灰によって新たな灰となった。人間性が彼女を“人間”へと作り変え、更に眠っていた魔術回路が完全に解放される。またネロの思考回路に魔術を使うための理論と方程式を刻み込む。

 ↓

 不死の皇帝が再誕。ネロを裏切り者として追う兵士達、つまりは皇帝を裏切った者共をネロ自身が粛清。強化された肉体は魔力に良く馴染み、不死の生命体としてサーヴァントクラスの戦闘能力を持つ。

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 殺した元配下に対し、魂喰らいをネロは行った。灰と同じくソウルを貪る人間性をネロが得る。余は愉しい。

 ↓

 逃げた筈のシモンが皇帝の前に出現。魔術師は、ネロの自殺と灰による蘇りの啓示を火から受けていた。勿論、灰の悪夢による仕込みです。

 ↓ 

 魔術師は皇帝へ聖杯を献上する。実は秘かに聖杯をシモンは研究しており、自分の身に英霊化した自分を憑依させていた。そして、大火の翌年に自分が死ぬ人類史を歪曲。そもそもソロモンの聖杯により、シモンは未来と汎人類史を俯瞰する。これから先の文明と衰退する神秘を見て、この世界を見切っていた。

 ↓

 そして、シモンは最後に聖杯へ自分の魂を喰わせた。目的は唯一つ、獣に目覚めた666の姿こそ、グノーシスの在り方。英霊ネロの霊基を持ちながらも生きたネロに、生きた人間として獣に進化させ、その魂で理解したグノーシスに辿り着くため。つまりは、オレがネロちゃまだ。

 ↓

 聖杯がネロの手に渡る。瞬間、シモンの魂がネロと融合。彼の霊基がネロの人間性に貪り喰われる。聖杯によって魔術師シモンとしての叡智を手に入れた。

 ↓

 世界は矛盾を許さない。シモン自身はネロの霊基に変換され、だが彼の魂はまだブーディカの中に隠されている。よってネロの魂はシモン・マグスのラベルが貼られ、シモンが死なねば世界の修正力によって蘇生される不死状態となる。

 ↓

 ブーディカが死なねば、ネロは死ねず。だが、ブーディカはネロが死ななくとも殺される。

 ↓ 

 その叡知と聖杯より、更に英霊となった死後の自分を召喚して自分自身に憑依させる。灰に諭されたシモンの計画通り。聖杯さえあれば容易い事。彼女はシモンの知識によって自分が死後に英霊となる事を知り、そして憑依させる事で宝具と技能と言う神秘の力を獲得可能だと理解していた。

 ↓

 不死ネロが英霊ネロの霊基を手に入れ、霊体が完全に生身の人間から逸脱する。憑依した英霊ネロの霊基を人間性によって歪め、マグスの神秘を業として引き継いだ。

 ↓

 不死ネロの霊基は、英霊ネロと半人半英霊シモンの霊基でもあった。亜神の神秘とマグスの叡知も手に入れた。聖杯さえも取り込んで、魔術師として全能となった。だが、それでも人間性から生み出る渇望は癒せない。

 ↓

 灰は聖杯による無尽の魔力ではなく、人間性を選ぶネロを貴ぶ。彼女に最初の火で炙った特別な深淵の人間性を渡す。

 ↓

 霊基が完成。混ざり合っていたネロの霊基は、暗帝ネロとして一つの霊基へ至る。

 ↓

 暗帝が獣に成るなど有り得ない。獣の数字666も暗い魂に溶け消えた。またエネルギー機関として聖杯を霊体内部に内臓させていたが吐き出し、主にサーヴァント召喚の為の外付け魔力機関として運用する。もはや火を宿す深淵が彼女の魂に底抜けの神秘を与えていた。よってシモンの目的である獣は破却され、しかし願望であるグノーシスの真理は目的以上に近付いたので結果オーライ。シモンは満足してソウルへと消えた。これには灰も吃驚仰天。亡者の王女になりませんか?

 ↓

 霊基としてだとライダー・アビスのサーヴァント、真名ネロ・アビスとなる。ここまで来ると暗帝ネロは完全に別存在。

 ↓

 ローマに暗帝ネロが帰還。

 ↓

 兵士がネロの捕縛を試みるが、皆殺しにされる。兵士らを一切気にすることなく、ネロはソウルを貪りながら都市ローマを進む。

 ↓

 市民らの目の前で、ネロは聖杯を使う。魔力に抵抗出来ないローマ市民は、ネロからの催眠思念波で彼女を絶対の皇帝だと言う強迫観念を宿される。洗脳ではなく、自意識は変わらないが、認識が固定された。そのネロは自分が弾圧した神から神秘を授かったと嘲笑い、自分が貪った魂であるシモンが数日掛けて召喚術式を用意していたコロシアムに向かう。

 ↓

 元より、魔法陣は準備万端。魔術師シモンは戦力確保の為に手は抜かない。

 ↓

 聖杯を燃料にグノーシスの魔術基盤で作成した魔法陣からサーヴァントを召喚。ローマ市民が歓喜する。ネロは神になったのだと。

 ↓

 古いローマ皇帝らがサーヴァントとして暗帝ネロに召喚された。

 ↓

 月光カリギュラ、扇動屋カエサル、神祖ロムルスの三柱がネロに従う。

 ↓

 ヒューマニティスキルを付与されたが、それを完璧に取り込んだ超越者はランサー・ロムルスのみ。他の者は変異したが、深淵を拒絶したことで人間性に適合せず。

 ↓

 しかし、軍師として灰が皇帝サーヴァント以外を呼ぶ。何故か超軍師陳宮が呼ばれ、そのヒューマニティに自分から適応した。

 ↓

 暗帝ネロ・アビスが暗い深淵を聖杯に宿らせ、意志を持つ闇が都市に広がる。深淵がウーラシールのように人々を濡らした。

 ↓

 特殊な深淵により、ローマ市民が変貌。

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 暗帝による臣民の選定作業。そして人間性を受け入れなかった者、あるいは耐え切れなかった者を剪定する。

 ↓

 深淵市民が異形化する下地が出来る。闇とならない市民を深淵ローマ市民が殺戮する。

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 抑止の働きにより、都で起きたこの虐殺で、大火で死ぬべきだった人々が死ぬ。人類史にとって、有り得ない聖杯の奇跡により救われた者も歴史には存在してはならない人間に過ぎない。

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 しかし、もはや手遅れ。召喚されたローマ皇帝らも、自分達と同じヒューマニティを得た者共をローマ市民であると喜ぶ。

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 崩れていた人類史が聖杯によって完全崩壊し、ローマが世界から隔離された特異点と化す。

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 ここまでは魔術師シモンがネロに残した計画。特異点化した後は、ネロが暗帝として思う儘にローマを不死永劫の繁栄に導く。

 ↓

 一方その頃、少し前から各地で人理側として抑止のサーヴァントが召喚され始める。

 ↓

 レフもローマに到達。

 ↓

 ぶっちゃけ、特異点化し始めてこの有様なのでドン引き。

 ↓

 この頃、シモンが消滅したことでブーディカを縛る封印が弱体化。何もかもを奪われた末に、数年間も屈辱を味わされ、アヴェンジャーとして完全復活。

 ↓

 シモンの屋敷から脱出したブーディカは、周囲のローマ市民を虐殺しながらローマの気配が強い中心地へ向かう。

 ↓

 ネロ、コロシアムでブーディカを迎え撃つ。一対一の殺し合い。他の皇帝やローマ深淵市民は観客モード。

 ↓

 ネロとブーディカによる壮絶な死闘となるが、実は英霊の霊基さえも使わずにネロが舐めプ。暗帝ネロ・アビスとなったネロが圧勝し、ブーディカを自分の深淵で汚染。あわよくば、お前もローマだ。

 ↓

 ブーディカ、深淵によりヒューマニティを得た。闇の霊基に至り、アヴェンジャー・ネメシス化したブーディカに変貌。そのままローマから逃走。

 ↓

 ブーディカに追っ手を向けるが、自分で殺しには行かなかった。敵になろうと、見方になろうと、深遠はブーディカを完結させる。心の底では同類を求め、ブーディカを殺さず精神的に追い詰めるだけの追っ手だった。

 ↓

 暗帝ネロ、直ぐ様にローマ帝国軍を解体し、再編成。新たなる帝国軍がローマの俗州と、その周辺国家の蹂躙を開始。目的は唯一つ、全てを深淵の帝国に還すため。

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 灰の業とネロの魔術により、帝都が魔都へと異界化が完成。

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 帝都が窪み、地形が流れ蠢く。土地が移動し、黄金劇場と皇帝宮殿が最も深い中心地に。

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 特異点で闇に犯された人間の憎悪が溢れ、人間性が霊脈のように帝都へと流れ、吹き溜まる。

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 より濃密で、より重い、深淵の闇が地下で粘り気を帯び始めた。

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 まるで倣くのような帝都に集まった闇だが溢れ始め、周辺に流れ出そうになる。

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 神祖ロムルスが、闇が特異点に広がらないように帝都周辺に樹海を形成。吹き溜まりに流れ込んでくるが、そこから漏れる事も無く、深淵の蓋として彼の古樹が機能した。所謂、絶対羅馬領域の始まり。

 ↓

 また、森の樹は神祖の人間性と宝具に汚染され、妖精の因子が組み込まれたソウルが注がれている。謂わば、妖精神祖樹。一本一本が固有結界の術者となり、深淵の檻となる巨人樹の軍勢となり、更に自動増殖する異界常識も持つ。また、暗帝の箱庭であるこの特異点の土台となる固有結界でもあった。そして、やがてその場にあるだけで世界を侵食し始めた。

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 それにより、吹き溜まりの魔都に集まった闇がネロの聖杯に集まる。闇は重く圧縮され、凝縮されることで粘り、深淵の聖杯として段々と深化していく。

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 深淵より、侵食固有結界「アウグストゥス」が始まる。

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 レフがサーヴァントをネロから聖杯を借りて召喚。その者らも再編した帝国軍の将軍として組み込む。

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 人理側のサーヴァント、帝国に対する反乱軍を組織していた。幾度か偶発的な戦闘が勃発。

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 彷徨していたブーディカ、帝国軍を殺し回っていたところを反乱軍に合流。

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 反乱軍将軍アルテラ、戦力不足を把握しながらも本格的な反撃を開始。帝国軍の勢いを今止めないと手遅れになると直感。

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 色々と何回か戦が起こるも、ローマは不滅。ジワジワと反乱軍側の戦力が削られる。サーヴァントも何人か死ぬが、帝国のサーヴァントは一人も討ち取れず。

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 デーモンスレイヤー、侵入成功。実は古い獣が自分の瞳として働けと催促していたが、デーモンスレイヤーは自分がやりたくないとやらない男。だが今回は灰の行う第一特異点の舞台劇が面白かったので、好奇心の儘に侵入してしまった。これには眠り癖が酷い獣もにっこり。

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 英霊ネロがカウンターとして召喚される。生前の自分は居るが、もはや完全な別個の魂と成り果てた。矛盾など生じない程に、別個体となっていた。

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 英霊ネロがこの特異点を調べてながらローマに向かっていると、ローマ深淵兵が暗黒ひゃっはーしている村を発見。

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 デーモンスレイヤー、遭遇した理性のない深淵兵に襲われたが返り討ち。近場の村に行き、そこで深淵兵が屯しているのを発見。

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 その村で英霊ネロとデモスレが遭遇。共通の敵を共に倒したので意気投合する。目的も手段も違うが、デモスレは美少女に対して普通に弱いので仲間に。と言うか、敵だったり良いアイテム持ってそうなら美少女でも平気で殺す男だが、逆に美少女から助けを乞われると敵だろうと平気で助ける男でもある。

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 帝国軍と反乱軍との間で決戦。

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 超軍師陳宮、灰が最高の自爆専用弾頭だと乱用。灰、戦場で自爆させられまくるも、不死故に不滅。

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 反乱軍敗北。幾人かのサーヴァントが死亡。

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 反乱軍が撤退し、アルテラが殿を務める。

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 アルテラがローマに捕縛される。

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 出遅れた英霊ネロがその場面を眺めていた。来た時にはもう反乱軍は手遅れ。デモスレも同行。

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 暗帝ネロ、深淵の導きのまま人理が遣わせた殺戮兵器を感知する。つまりは、自分を殺す道具として召喚された自分を察する。

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 英霊ネロ、暗帝ネロに遭遇する。戦闘開始。

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 灰の存在をデモスレが感知し、デモスレの気配も灰は感知。しかし、互いに不死なのでまぁ良いかと見過ごす。

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 暗帝ネロが英霊ネロの右腕を引き千切るが、英霊ネロをデモスレが助ける。

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 英霊ネロを逃がし、デモスレが単身で敵陣ローマと戦闘。

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 皇帝をデモスレが何人か殺すが、暗帝ネロが深淵より蘇生。

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 その間にデモスレが徒歩で逃げるが、突如として大森林が発生。更に森林地帯が城壁で囲まれる。ロムルスによる絶対羅馬領域が更に拡大。

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 しかし、それでも逃げ切る。デモンさん、逃げたネロと合流。

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 片腕を失い傷付いたネロが特攻を選ぶも、デモスレがソウルを込めた自分の右腕を移植する。腕を彼女の右腕に生み直し、その上でネロを蘇生。デモスレはネロの代わりに片腕を失うも、普通に自分自身を奇跡で完全回復させられるので問題なし。自己犠牲しつつも別に何の犠牲にもならないのがデーモンスレイヤークオリティ。

 ↓

 悪魔と英霊ネロ、抑止に召喚されたサーヴァント、赤兎馬(UMA)と出会い、仲間とする。

 ↓

 召喚された自分とデモスレが逃げた事に暗帝ネロはご立腹。アルテラに八つ当たりすることに決めた。

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 暗帝ネロがアルテラを宮殿で愛でる。美しい破壊の女神を玩具にすることにド嵌まりするローマ変態。

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 その間、反乱軍が分裂して特異点各地に逃走。

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 暗帝ネロ、それでも暴君らしくアルテラいびりに情熱を捧げる。灰はキャンプの焚火に嵌まっており、色んなシュチュエーションで篝火を愛でる娯楽に嵌まってローマライフを満喫しながら最高のエストスープを作成中。神祖はY字のキレを極めつつ、特に意味も無く大都市ローマとその周辺を自然が融合する城塞トラップ大森林地帯に変えているだけ。月光皇帝は掴めた深淵化していない一般ローマ人を拷問に掛け、様々なサディスティックカイザーライフで豪遊。扇動屋は帝国軍に演説をかまして士気を連続天元突破しまくりつつ、美女と酒を飲んで碁盤遊戯で遊ぶように帝国軍を操って反乱軍を甚振る。超軍師陳宮は偶に灰を連れだしては宝具の自爆弾に変え、反乱軍を殲滅する活動に熱狂。

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 隙を突き、アレキサンダーとエルメロイ二世がローマを脱走。反乱軍に寝返る。メディアもいなくなる。

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 レフ、マキシマムイライラ。だけど耐えていた。偉い。

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 帝国軍、反乱軍残党狩りの為に各地へ将軍を派遣。カルデアが特異点に来る前に、戦力を分散させても反乱軍を殲滅したかったが、陳宮と灰は別。残党がまた人間を集め、カルデアと合流し、反乱軍になれば良いなと密かに思っていた。

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 暗帝ネロ、公務とアルテラ愛玩に励むも、宝具の超中華ガジェットを思い付く。陳宮に相談し、即実行。

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 帝都周辺で植林業(ローマ)していた神祖様(ローマ)だが、灰もまたYの徒だと知る。挨拶にYをしている内に、ダンスバトルが宮殿内で度々勃発。二人以外は宇宙猫な顔になるらしいが、止めるに止められない。一種の固有結界らしき何か。

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 カルデア勢、レイシフトに成功。所長、狼、藤丸、マシュの他にはエミヤと清姫。本来なら清姫ではなくジークフリートかクー・フーリンのどちらかを連れて行く予定だったが、三騎同時レイシフトとなると魔術回路にまだ大英雄クラスは藤丸の荷が重い。相性と万能性を考えるとエミヤは外せないとなれば、そこまで負担の掛らないサーヴァントをもう一人程度ならレイシフト可能。となれば、何故か抜群に魂レベルで藤丸と相性が良い清姫しか居なかったとか。

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 帝国軍、凄く都合が悪い事に丁度戦力分散直後にカルデアが特異点へと侵入。

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 大森林地帯のローマ近郊に出てしまう。

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 実は森林地帯は神祖の領域であり、カルデアからの観測が弱まる。まだ特異点の霊脈とマシュの盾で繋がっていない状態では、シャドウの召喚はまず不可能。

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 神祖と灰がカルデアの侵入を察する。同時に暗帝ネロも世界の歪みを、世界の主として理解する。

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 唐突ですが、神祖は空を飛びます。更に羅馬樹は深淵由来の人間性により意志を持ち、独自活動して生物のソウルを貪る深淵の生態系を保っていました。ジャングルそのものがカルデアの敵となりました。

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 刑吏チャリに乗った暗帝ネロが深淵都市ローマから飛来。アルテラで遊んでいたが、その後に陳宮から宝具改造の知らせを聞き、徹夜で夜通しチャリオットを弄繰り回す。そして、アルテラとイケそうイケなかったイライラをカルデアにぶつけにやって来た。しかしその頃、灰はゆっくり徒歩で近付き、実は観察に徹しようと考えていた。だがカリギュラ、愛しい姪を追い駆けてゴリラのようにローマジャングルを跳んで追い駆けていた。

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 絶対羅馬領域から逃走するだけで精一杯。しかし、神祖と暗帝からは逃げられない。逃げるカルデアを追い越す勢いで森林も更に拡大。

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 近場でローマを見張っていた英霊ネロとデーモンスレイヤーが助けに来る。一悶着後、カルデア組と逃走し続ける。

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 カルデア来訪を察した反乱軍のメンバーが助けに来る。ブーディカ、荊軻、スパルタクス、呂布の四人組。

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 森の外まで脱出。そこには、ネロと悪魔の仲間である赤兎馬(UMA)が、逃走用の馬車といて準備万端。

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 呂布と赤兎馬、主従の運命の出会い。

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 全員で一斉に乗車。つまり、高速移動戦車赤兎馬号の発信。

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 ブーディカが英霊ネロを見たことでちょい発狂するも、荊軻がブーディカに膝かっくんし、スパルタクスが反逆説法。

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 何となく、森を振り返ると大森林が地面から生えて追って来た。暗帝ネロ、神祖、カリギュラも追う。

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 侵食固有結界「アウグストゥス」が牙を向く。

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 森が届かない海まで逃げる。皇帝たちとの追撃戦。

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 反乱軍残党が用意していた船に赤兎馬が馬車ごと乗り込み、英霊ネロの皇帝特権で船を支配し、森林化する大地から脱出。

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 暗帝ネロ、空飛ぶ戦車で神祖と追撃。超軍師陳宮がネロの戦車に付けた中華ガジェットの機関銃と迫撃砲が船を襲う。迎撃の為、ブーディカは呂布を乗せて空飛ぶ戦車で船から出撃。神祖も空を飛んで追撃するも森林フィールドは海上では作れず。

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 月光を背負うカリギュラ、バタフライで船を途中まで追撃。近付くと気配遮断を行い、海中をシャチみたいに移動。

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 海上&空中戦闘開始。船の上で月光の大剣を皇帝特権で的確にブンブンするカリギュラを相手にする。だが海に落とす事に成功。清姫ドラゴンにエミヤが乗り、暗帝ネロと空飛び神祖をブーディカと呂布と共に戦う。

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 しかし、海上から質量兵器ローマが生えまくる。

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 呂布が囮となる。ネロの戦車が故障し、ローマに撤退。

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 カルデア勢、呂布を失うが完全な撤退に成功。目的地へ。

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 暗帝ネロ、神祖、月光ギュラまだ生きていた。戦車を復活させ、半壊した呂布を生け捕りに成功。ローマに帰還。

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 各地から戻っていた帝国側サーヴァントがローマにワープ帰還していた。

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 コロシアムの皇帝特別天覧室にて、帝国軍会議。

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 暗帝ネロ、神祖ロムルス、闇の王アッシュ、扇動屋カエサル、超軍師陳宮、月光皇帝カリギュラ、魔神柱フラウロス、門番長レオニダス、不死将軍ダレイオスが集結。そして、鹵獲され洗脳された呂布もローマの将軍となっていた。

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 反乱軍残党が取り戻しそうな街を灰が実験場に使いたいと言い、それを反乱軍残党に奪わせて、集団人体実験をすることを承諾される。

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 会議は無事終了。

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 回収された呂布、暗黒面に堕ちた陳宮に史上最強の無敵君主に改造されてしまう。

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 カルデア一行が乗る船、目的地に到着。反乱軍本拠地、形ある島。

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 マシュの盾で霊脈と繋がり、管制室からの観測力を上昇。これで藤丸がシャドウの召喚を、神祖の森の中で可能となる。

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 形ある島、反乱軍サーヴァントが集結。だが帝国を裏切って反乱軍に寝返ったサーヴァント、征服王アレキサンダーと軍師エルメロイ二世は最低でも二騎指揮官サーヴァントが必要と前線指揮中。

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 反乱軍サーヴァントも各地から集まる。女神ステンノ、騒音娘エリザベート、猫な犬狐タマモキャットは時偶派遣される在住組。後はカルデアと共に戻って来たブーディカ、荊軻、スパルタクス。そして、魔女メディア。カルデア組を合わせると、所長、狼、藤丸、マシュ、エミヤ、清姫、ネロ、デーモンスレイヤー、赤兎馬。

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 形ある島はメディアによって巨大神殿化されていた。反乱軍の各地に築いた拠点もメディアが神殿化し、ワープ移動が可能となっている。

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 それと実は、アレキと二世が寝返られたのは裏切りの魔女メディアがレフに召喚されていたから。ローマが気に入らず、自分にルルブレして逃げ、ついでにアレキサンダーとエルメロイ二世も共犯で脱走。

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 カルデア出張エミヤ食堂。デモスレが所長をナンパする。

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 灰、形ある島に単独潜入済み。夜に所長を呼び出し、密会を行う。

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 デーモンスレイヤーもおり、灰とデモスレと所長の会議。実は葦名に古い獣がおり、何時か根源に獣が渡り、全ての時間軸と平行世界の魂が星幽界にある魂全てが喰われることで消滅する。

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 古い獣は、それ程までにソウルを肥大化させ、ソウルの業も深化してしまっている。

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 そして、実は悪魔は古い獣を滅ぼす為に数万数億回以上も幾度も殺し、その魂を貪り尽くし、だが獣は死ぬ度にソウルを完全復活させて蘇生した。魂を殺しても、その存在は滅ぼせない。同時に、悪魔は古い獣を遥かに超えるデーモンに深化してしまった。

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 その為、デモスレは様々な世界を苗床にして古い獣に貪らせ、数多の世界を贄として獣を眠らせていた。スレイヤーが、魂と言う宇宙の理そのものを延命していた張本人。実は全時間軸の全ての平行世界のソウルが、星幽界から消え去るのを防いでいた。

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 防げるのは火を宿す灰達のみであり、最初の火による古い獣狩りが唯一の方法。カルデアと同じく世界を救う人間として灰もまた抑止力によるご都合主義の加護を意図的に受け、因果律をソウルの業で操っていた。なので実は抑止力が、灰による古い獣焼却計画を裏では全力で手助けしていた。そうしなければ、魂が住まう根源の中にある全ての世界が滅び去る。

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 其れを所長が知り、会議終了。

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 夢で所長が、狩人様と会い、話し合う。

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 狩人の灰とデモスレの説明補足。そもそも世界の外側が根源と言う視点ではなく、根源の内側に世界が存在し、その更に内側に宇宙があって星がある。そして、時間と空間が根源より生じ、世界を描く絵画の絵具が存在する。魂もまた同じ。

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 古い獣とは根源の中にある人間が住まう全ての世界を滅ぼし、そして古い獣もまた霧の世界(ボーレタリア)の数だけ存在する。

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 同時に古い獣の数だけ数多のデモスレが、獣が世界を滅ぼさない様に人柱となって根源に出ない様にしている。

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 灰がデモスレを葦名で協力し、他の灰である火の簒奪者に啓蒙しなければ、まだ霧に眠り隠れる数多の古い獣を滅ぼす最初の一手を打てない儘となる。

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 何時、他の世界の古い獣が根源より世界を滅ぼすか分からない。

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 灰は自分を基点に連鎖的に他世界の古い獣を焼き尽くし、無限に等しい世界と人々を救う人類種の救世主でもあった。尤も、灰本人は自分が強くなるのに都合が良いからと、無尽蔵の人類を危機から助ける状況をノリノリで利用しているだけ。

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 そして、所長が灰と悪魔を啓蒙した故に気が付いた事があった。それを狩人に問う。

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 所長が、そもそも血の意志より湧いた獣血と精霊の意志であり、オルガマリーの悪夢から生まれた血の遺志であった。謂わば、感応する精神の虫に過ぎず、ヤーナムで魂が崩壊した彼女の妄想する別人格を殻に、狩人化したオルガマリーの血液に宿る思念であり、その魂と肉体と精神はオリジナルのオルガマリーのもの。

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 尤も、所長は自分の意志が全てを啓蒙した。何事も無く、朝を迎えた。

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 早速次の日、帝国から反乱軍が奪い取った土地で灰が実験。

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 戦神と陳宮を連れた灰が地面に埋めていた核爆弾を爆破し、巨大クレーターを作り上げる。だが魔力の反応は小さく、カルデアでは何かしらの地震と似た反応が確認でき、またエネルギーを確認し、核爆発に近いものを計測する。

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 反乱軍、メディアの遠見により、何かが街をクレーターに変えて滅ぼしたのを観測。

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 灰は喜んだ。試作核弾頭の実験成功。葦名にて、量産計画に入る。

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 翌日。敵戦力の脅威を反乱軍とカルデアを察する。反乱軍最強のサーヴァント、アルテラ救出作戦の計画完成。そして、実行。

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 まずはカルデアを察知したことで大都市ローマに遭遇したであろう帝国軍サーヴァントをまた分散させたい。その後に、サーヴァントの数が少なくなったローマの皇帝宮殿からアルテラを救出する。

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 囮役として各地へ散らばっていた反乱軍を集める。

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 集めている間、各地に派遣された帝国軍をカルデア勢と反乱軍サーヴァントが強襲。一騎当千のサーヴァントだからこそ可能な少数精鋭軍団殲滅作戦開始。

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 カルデアを警戒してサーヴァントが手薄になったブリタニア、ゲルマニア、ガリア、ヒスパニアの帝国軍を、反乱軍のサーヴァントが襲い始める。

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 帝国軍はサーヴァントを護衛に派遣して撤退を始める。戦力をローマと、ローマ周辺に集める。しかし、サーヴァントを消費したくはないのか、帝国軍サーヴァントは守りに徹する。中でも派遣された深淵強化レオニダスは堅牢だった。

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 囮ではあるが、総戦力でもある反乱軍。順調にメディオラヌムに集まる。

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 狼、単身でローマ近郊に潜入していた。アルテラ救出任務開始。神祖の森へ突入。

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 深淵森林と融合した大都市ローマに潜入。そのまま宮殿へとスニーキングし、皇帝の部屋で全裸拘束されていたアルテラを狼が発見。

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 アルテラ、呪いによって霊基封印状態。技能は大幅に弱体化され、武装化さえ不可能な状態。無論、英霊の装備品として服も実体化出来ないので宝具も出せず。

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 狼さん、そっとアルテラに橙色の着物を着せる。

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 普通に救出成功。忍義手でアルテラを肩で担ぎながら、出鱈目気配殺しで神祖の森林地帯と突破。

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 反乱軍、フロレンティアまで進む。狼とアルテラも合流。

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 帝国軍、作戦通り拡散していた反乱軍を纏める事に成功。

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 魔女メディアによって神の鞭アルテラ復活。全ての反乱軍が勢揃い。女神と猫狐も参戦していた。

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 帝国軍、進軍開始。皇帝以外のサーヴァントを総出撃させた。超軍師陳宮、無敵ロボ呂布、闇の王アッシュ、武王ダレイオス、守護者レオニダス。

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 合戦開始。

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 超軍師陳宮、灰と無敵君主を連れだして最前線まで出る。気に入らない内政チート外道軍師に何一つさせずに殺すべく、最大火力で以って大規模殲滅を実行。

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 囮反乱軍に灰を贄にした不死ステラ銃弾爆撃が発動。更に無敵君主が斬り込む。ダレイオスも一切加減なく、宝具完全解放。そして、超軍師の守りにレオニダスが配備。

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 スパルタクス、自滅を決意。メディアに強化と再生を付与されながら、掎角一陣を何度も身に受ける。そして、彼は跳んだ。

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 帝国軍に特攻。スパルタクス、爆散。ダレイオスが爆死し、帝国軍に大損害。

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 だがレオニダス、陳宮を守り抜く。そして、灰がレオニダスに惜別の涙を付けていた。そのまま回復させる。

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 アルテラが機会を見抜き宝具で突撃。神祖の森に突入するグループもそれに続く。

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 反乱軍の守りに指揮官タイプのアレキサンダーとエルメロイ二世が残り、荊軻、ステンノ、エリザベート、タマモキャット、メディア、赤兎馬が反乱軍の守りに入る。

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 反乱軍は呂布、陳宮、レオニダスによる完全攻防布陣となる。灰は篝火ワープでローマに帰還するつもりだったが取りやめ。そうする前に、面白半分の嫌がらせでブレインであるエルメロイ二世を幻肢大弓狙撃実行。だが寸前にアレキサンダーがエルメロイ二世を庇って死亡。直ぐ様にまたエルメロイを狙撃しようとするも、望遠鏡で覗いていた超軍師陳宮から自分達の獲物を横取りするなと文句を言われる。暗殺による勝利ではなく、合戦による皆殺しを求めた。

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 灰、それを良しと了承した直後、連絡を受ける。ローマに帰還。

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 反乱軍を指揮するエルメロイ二世と、帝国軍を指揮する超軍師による合戦が始まった。

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 所長、狼、藤丸、マシュ、エミヤ、清姫、アルテラ、ブーディカ、ネロ、デーモンスレイヤー、絶対羅馬領域に突入。

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 藤丸のシャドウが樹人の露払いをする。

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 暗帝ネロ、実は儀式の真っただ中。その為に戦場を大都市ローマから離し、自分は戦時中のこの瞬間で出ていなかった。そして、全てがシモンの計画通り。ローマの大火による歴史の歪みを利用し、抑止力さえ利用し、この特異点で死んだ英霊と人間の魂を深淵で満たした聖杯に注いでいた。

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 その頃、合戦は佳境。無敵ロボはメディアとその彼女に強化されたエリザベートとタマモキャットと赤兎馬が隙を作り、荊軻が暗殺して倒す。しかし、それでも死なず、赤兎馬が特攻。呂布爆散。荊軻以外は死亡。一人自分の命を捨てるつもりだった荊軻だけが生き残るのは皮肉。

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 エルメロイ二世とステンノが、陳宮とレオニダスとタッグバトル。何とかステンノがレオニダスを撃破。

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 合戦中の戦場にて、軍師と軍師が最後には殴り合いで決着を付ける事態になっていた。

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 大都市ローマの宮殿の前にて、灰とレフが立ち塞がる。そして、ロムルス、カエサル、カリギュラが待ち受けていた。

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 魔神柱化したレフと本気灰を相手に、所長、狼とデモスレが立ち向かう。またロムルスをアルテラが抑え、カエサルとカリギュラをエミヤと清姫が戦う。

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 灰の自作ドラゴンの一匹、カーサスの砂ワームが召喚される。更に多数の飛竜が呼び出された。

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 デモスレ、神殿の濃霧より竜の神を召喚。灰をグーパンするも反動で抑え込まれる。また嵐の王も呼び出され、ローマで怪獣大合戦が始まるも、召喚者同士はそれらを無視して本人同士で殺し合う。

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 ガチの狼が暗い闇の王モードになった灰と戦うも攻め切れず。むしろ、灰が回生を狼に使わせる。一方、単独で魔神柱を殺し尽くす勢いの所長。そして、カルデアの裏切り者を処断する為に本気中の本気となり、アニムスフィアの魔術さえ利用する月光の聖剣をブンブン振り回す。

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 魔神柱レフの援護を巧く使い、灰が所長と忍びとデモスレを抑え込む事に成功。

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 藤丸、マシュ、ブーディカ、英霊ネロが暗帝ネロの宮殿の内部へ到達。

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 暗帝ネロ、儀式の最中。だがもはや時間の問題。既に暗帝ネロが制御するまでもなく、術式完了を待つだけとなった。

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 戦闘開始。藤丸が召喚する影らと四人が暗帝ネロと戦うも、暗帝が更に上回る。

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 カエサルとカリギュラが、エミヤと清姫に撃破される。残るは神祖だけだが、アルテラは攻め切れない。と言うより、アルテラ以上に技巧が冴え渡っていた。

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 三対一の危機に陥るロムルスだが、空間を渡って平然と戦線離脱。暗帝ネロの下に。

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 丁度、合戦も決着が付く。超軍師は三騎と戦う破目になったが、エルメロイと相討ちになる。生き残ったのは荊軻とステンノの二騎。この二人が再度反乱軍を立て直し、サーヴァントを失った帝国軍を潰走させた。

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 暗帝ネロとロムルスが更に転移。魔神柱フラウロスと闇の王アッシュの所へ行った。

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 その頃、フラウロスは所長にやられて人間形態に戻っていた。その背後に暗帝ネロが現れた。一閃。

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 レ/フ。

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 真っ二つになった死体を聖杯に溜まる深淵へボッシュート。

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 特異点の吹き溜まりとなった帝都の深淵を、更に重い闇にしていた聖杯が完全覚醒。

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 混沌はデーモンを生み出す故、悪魔の胎盤にこの聖杯こそ相応しい。

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 ついに混沌と深淵の悪魔の聖杯が完結する。この特異点にシモンが求める邪神が生まれた。

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 ヤルダバオド招来。あるいは、この世全ての罪(アンリマユ・セプテム)

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 貌が四つ目の巨人。混沌の溶岩を纏う闇の落とし子。悪神の赤子が産声を上げた。邪眼によって憎悪の光帯を放ち、ローマの大地全てを呪詛で焼き払う神が生まれた。

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 全員が集まるが、灰は悪魔に足止めを喰らう。

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 その強大なる邪神に対し、所長の元へ戻った隻狼が一人で良いと言う。

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 修羅を解き放った隻狼が、燃える不死断ちにて成敗。そして、その怨嗟をまた呑み込んで元に戻る。

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 そして、この瞬間に人造された神に神祖が槍を突き刺し、ローマの大樹に再創造してしまった。ロムルス、これによって聖杯と完全なる融合をしてしまう。

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 シモンのグノーシス思想より、この深淵に堕ちた特異点を起点にし、汎人類史から独立した世界創造を企んでいた。その世界をローマ帝国とするべく、この邪悪に満ちた人造の神が生み出された。神祖ロムルスは純粋なる人造邪神に悲哀を抱き、しかし何も出来ない故に暗帝ネロの計画に賛同した。

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 その帝国は虚数空間でも存在し、帝国市民が深淵でも理性と知性を持つ人間であり、生物と言う生態系を維持する。もはや人理も惑星も関係無く、神が生きることもで出来ない世界の住民となり、時間と空間からも解放された国家が誕生。

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 その為の柱として深淵を苗床に暗い闇樹が、種が蒔かれた悪神を胎として具現。

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 魔神樹クゥイリーヌスが創造される。

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 更に自分の騎馬と戦車を暗帝ネロが魔神樹に組み込ませており、巨大な樹木の神獣となった。暗帝ネロもこの神獣に騎乗し、同化し、新たなる人造邪神としてカルデアに立ち塞がる。

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 つまりは、邪悪なる樹獣を従がえる淫婦の出現。魔神樹ネロ・クゥイリーヌス。

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 特異点が深淵となり、人理焼却からも乖離し、虚数空間に沈んでいく。そして神祖の森が土台となり、星が滅んでも永遠に生きる帝国の創造が始まった。

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 侵食固有結界「アウグストゥス」の完成。魔神樹が核と化す。同時に、特異点の固有結界も完了。虚数空間を“侵食汚染”し、領土拡大する世界国家の誕生。

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 所長、狼、藤丸、マシュ、ブーディカ、ネロ、エミヤ、清姫、アルテラが魔神樹と戦う。

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 激戦の果て、霊基が同じ故に効果は抜群だったネロが閉じ込めた黄金劇場内で、マシュが皆を守りながら宝具をブッパしまくる。マシュは全員を守り抜き、ブーディカも今回は車輪による守りに徹する。だがブーディカが限界以上の守りを全員に施し、霊基を損壊させる。

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 アルテラ、自分の霊基と魂が砕ける前提で「涙の星、軍神の剣」を使用。

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 しかし、魔神樹は破壊されるも不死。所長が魔神樹の内部に意志で入り込み、そこにいたマシュ・クローンを介錯し、悪夢から目覚めさせる。

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 魔神樹ネロ・クゥイリーヌスにして獣の苗床を撃破。しかしアルテラ死亡。

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 特異点の虚数空間への沈下が止まる。侵食固有結界の成長も止まる。

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 企みは潰えるも、暗帝ネロとロムルスは帰還。そして、聖杯は魔神樹となっていたロムルスと完全融合している。彼を倒さない限り、聖杯は取り出せない。

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 既に清姫とエミヤは霊基が半壊状態。戦える状態ではなく、宝具を使えば消滅する。むしろ、魔力をもう少しでも使えば霊核も砕ける寸前で、それこそカルデアに戻る以外に選択肢なし。それでも戦おうとするが、藤丸が止め、所長もそれは最後の最後で良い命令する。

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 清姫とエミヤがカルデアに帰還。

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 所長と狼が聖杯搭載神祖ロムルスと戦う。

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 同時に暗帝ネロは英霊ネロ、ブーディカ、藤丸、マシュと戦う。

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 戦車と騎馬を失った暗帝ネロの黄金劇場が展開されるが、ネロが自滅覚悟で自分の黄金劇場を展開し、宝具同士を同化。意味消失による相互崩壊を狙い、それに成功。その上で黄金劇場を壊れた幻想によって破壊し、自分ごと暗帝ネロに自爆特攻を行う。無論、マシュが自分を含めて味方を守護する。

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 英霊ネロ、消滅。だが、もはやマシュも藤丸も戦える状態では無い程に消耗。動けない。

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 しかし、マシュが何とか盾に仕込んだパイルハンマーで弩突く。結果、暗帝の中に存在していたシモンの遺志を粉砕する。

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 死から暗帝は蘇生したが、それが最後の一回となった。

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 それでもまだ耐える暗帝ネロだが、霊基は崩壊。ほぼ人間となる。

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 ブーディカ、暗帝ネロに決闘となる。

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 霊基が壊れて人間に戻ったブーディカがネロと戦い続けるが、既にネロは死に体。ブーディカを後一歩で殺せる所で時間切れとなり、生命活動が戦っている間に停止する。

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 暗帝ネロ、死にたくないなぁと儚く笑って死亡。人間なので死体は消えず。

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 だが、シモン・マグスの計画最後の仕掛けが起動。ブーディカが生きている限り、シモンと言う魂のラベルが同じな為、暗帝は死ねなかった。それによってシモンが魂の中にある限り、暗帝は矛盾を嫌う世界によって蘇生する。そのシモンが破壊させたとなればラベルによる蘇生機能も消える。

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 しかし、暗帝は既に混沌によって人間と言うデーモンと化していた。

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 本来なら、暗帝はブーディカが死なない限り死ねないが、ブーディカに蘇生機能はなかった。

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 この度の獣の苗床によって、二人のソウルは完全同調した。苗床の誕生と崩壊により、二人は不死のデーモンとなり、魂が消滅しない限り、どちらも魂が連動して不死となってしまった。

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 暗帝は全ての企みを悟り、爆笑する。

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 神祖ロムルスを所長と狼が撃破。

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 カルデア勢の他にブーディカが残る。

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 瀕死の状態で直ぐに死にそうなブーディカをマシュが治癒しようとするが、ブーディカがそれを止める。

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 聖杯がローマ帝国から取り除かれ、カルデアが手に入れたのに特異点が直らない。理由は一つ、聖杯によって運命を捻じ曲げられた人間ブーディカが生存しており、特異点の修復が彼女が死なぬ限り達成されないため。同じく、本当なら自害で死ぬ筈だったネロも必ずこの特異点修復には殺さないといけない存在だった。

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 暗帝ネロがブーディカの元に辿り着く。

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 暗帝がブーディカを不死の化け物、混沌のデーモンに転生させて生かそうとするも、ブーディカは全てを悟って自害する。

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 ブーディカ死亡。だが、死にながらもネロに特攻し、心臓を勝利の剣で一刺し。

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 暗帝もまた死に去る。

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 特異点修復完了。藤丸とマシュは生きた人間として、仲間である人間ブーディカと、カルデアとして殺した人間ネロの亡骸を何時までも見ていた。

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 侵食固有結界「アウグストゥス」の完全崩壊。特異点の消滅が始まる。

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 消滅した神祖の森、動きを止めた帝国軍、そして修復が始まった特異点。反乱軍を纏めていたステンノと荊軻は、カルデアが完璧に勝利した事を悟る。つまりは、聖杯によって運命を捻じ曲げられたネロとブーディカが死んだ事も理解した。

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 僅かな時間、生き残ってしまったと残念そうに笑う荊軻をステンノが励まし、そのまま特異点の消滅と共に消え去った。

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 殺し合っていた悪魔と灰だが、終わりを察する。灰が転移で戦場を離脱し、だが悪魔はゆったりとカルデアの元に徒歩で戻る。戦争は終わっていた。

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 また聖杯が所有者を失った瞬間、それに溜まっていた深淵が全て灰に流れ込む。フランスで火の火力を上げ、ローマでは闇の重量を増した。もはや特異点でするべき手段もなく、最初の火の簒奪者として、暗い穴を持つ亡者の王として、より進化することで強くなる。

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 灰、カルデアの前に現れる。所長を自分の特異点に勧誘した後、普通に自分の亜種特異点に撤退。

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 遅れて戻って来たデーモンスレイヤー、カルデアに提案。自分ならカルデアを灰の特異点に連れて行けるが、どうするか聞く。

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 所長が提案に乗る。無論、狼も頷く。デモスレのアイテムが開けた穴に入り、亜種特異点殲滅に赴く。

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 所長と狼が消えたカルデアグループも退去が始まる。特異点から脱出。

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 エピローグ。

 



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啓蒙72:ダークドリーマーズ<①>

 少し長くなりましたので、分割して①~④まであります。


 

 暗い宙の中、太陽を廻る星の上。人理の地上。その染みとなる時空間の汚点。火を簒奪した灰の集う亜種特異点こそ日本国、葦名。

 太陽を得た火の簒奪者が支配する暗黒の絵画世界より、灰の思索たる葦名へ召喚された百七の暗い太陽。それらが特異点と同化した灰の恒星直列魔術回路となって上空に浮かび、闇の中の火の時代が重なる神代を越えた究極の人代。もはや星が夢見る人理が無作為に干渉出来る領域ではなく、故に灰が故意に開けた孔より抑止力を人為的に流れ込ませる災厄の異界。

 その街の、葦名支部医療教会。正体は教区長ローレンスの思索そのもの。現状はアゴニスト異常症候群患者を治療する機関だが、今は葦名大学も取り込まれ、葦名国における研究機関にもなっていた。灰もまた教区長を助けたことで、その機関の重要ポストに位置する女。程度はどうあれ、どちらかと言えば今の灰は教えを与える側。

 要望が灰に届けられた。

 即ち、人理とは何ぞや?

 地球人の正体とは何か?

 星の眷属である神とは?

 神と人と星の繋がりは?

 疑念持つ簒奪者らの質問に一人一人丁寧に答えたが、やはり統一した答えからは分散する。もっと詳しい地球人類種の詳細が知りたいと言われ、彼女はノリノリで授業を計画していた。

 

「では、皆様。この度は私の初回授業をします。簡単に言えば、この人理世界における人類種に対する大まかな見識を広げる為の教え。

 この葦名特異点で立ち上げた私だけの学問。我ら闇から生まれた不死なる人間と、地球の子である霊長種の人間との差違。

 即ち――人理人類学についてとなります。

 今回はこの惑星における単一人類種、ホモ・サピエンスの発生起源と霊長への選定から、この現代葦名までの簡易的な人類史の流れを説明しましょう」

 

 そして、教卓に立つ灰は黒板に文字を書き始めた。

 

「まず、我ら不死は闇から生命として生まれましたが、此処の人間は何億年も前の、古代海に発生した細胞が原始の母となります。

 それで惑星上にてざっくり数十億年間、進化と絶滅を繰り返し、猿から類人猿に進化し、人間たるホモ属に進化することで人類種の始まりとなりました。

 そこからまた進化するのですが、此処で猿からの進化形態として幾つかの種に枝分かれします。

 人理の人代ではホモ・サピエンスだけが人類種として残り、星から霊長と言う子の資格を与えられてはいますが、数十万年前は人類種は複数存在していました。

 では何故、サピエンス単独の人類種に現行なっているかと言えば、このサピエンス人種が多種属を皆殺しにした為となります」

 

 類人猿の絵を分かりやすく書き、そこから枝分かれるようにホモ・サピエンスと、他ホモ属の名前を書き出した。

 

「サピエンスよりも賢い人類種や、運動能力のある人類種も勿論、多様性を重んじる遺伝子進化によって様々な人間に猿は進化しましたが、それでもサピエンスはこの星から他人間属を根絶しました。また、その遺伝子を自分達の遺伝情報に取り込み、その種の血を薄め、全ての人類種はホモ・サピエンスとなりました。

 一番の原因は、遺伝子に革命があったからです。何万年と言う交配の繰り返しでその遺伝子が広がり、子孫の脳細胞がそれで変異し、脳機能が現行人類種の状態に進化しました。

 どうもある時期を境に、サピエンスは神を作れるようになったと思われます。謂わば、現実に存在しない虚構を認知可能となりました。

 それにより、サピエンスは噂話を伝達可能となったのです。人間でありなから、人間以上の虚構を生み出し、認識能力によって集団の制御が容易くなりました。

 群れをリーダー個体が統率するには数に限界がありますが、サピエンスは群れの統率力を認知能力で膨れ上がることが出来るようになったのです。更には、その虚構のために命を賭けて戦える生き物になりました。

 ―――まるで、死を厭わぬ働き蜂や働き蟻のように。       

 これがサピエンスとそれ以外の猿やホモ属との大きな違いでしょう。虚構への認知は信仰となり、サピエンスは神と言う概念を生み出す脳を手に入れました。

 今の人間社会を見れば分かると思いますが、神を信じる動物こそ人間足らしめる遺伝子の業でしょうね。勿論、神を金や国、あるいは家族に置き換えても構いません。全部、自分達が自分達の為に創った概念に過ぎず、ただのそう言う現象に名を与えて意味を生み、価値と言う脳の認知を得た進化となります。

 それが、人間が人間を絶滅させた原動力です。

 虚構に感染したサピエンス人類種は、その認知によって国と言う集団を形成する機能を脳に備えました。巨大化した集団虚構統制力により数十、あるいは百数十程度の他ホモ属の集落を、サピエンスはそれ以上の数で壊滅させたことになります。しかも、このサピエンスの兵は虚構に対する信仰で、群れのために死を厭わない化け物となりました。怪我を恐れ、死を嫌うまともな他ホモ属からすれば、殺戮のために喜んで死ぬ気色悪い人間でした。

 ――家族と言う概念は、その始まりでしょう。

 同じ地区で生まれたと言う現象に仲間意識と言う価値観を与え、親と子という現象に過ぎない関係に家族と名を与え、それを大切にする事が出きる個体だけが群れでの生活が可能となりました。勿論、そうではないサピエンスも生まれますが、そう言うのは追放か、あるいは命を剪定することで子孫を残す遺伝子を選別しました。

 その繰り返しが、遺伝子の精練です。サピエンス人類の遺伝子は、昆虫的とも言える死のシステムを進化によって、高度な知性を持った状態で使える人間となりました」

 

 かつん、と黒板に書く手が止まる。

 

「そして、ホモ・サピエンスは現行霊長の単一人類種となりました。殺戮によって更なる成長を遂げた知性を、地球と言う星の魂が認知したのです。

 人の魂が根源の星幽界から流れ落ちた様に、星の魂もまた根源から生まれてこの宇宙に流れてきたもの。魂を理解するには、虚構を生み出す知性種でなくてはなりません。

 結果、星は神を認知しました。

 人間が自然や現象に与えた意味を、この地球と言う星の魂から生じた意志が啓蒙されました。

 これが、遊星に滅ぼされた現行人類種による神代の始まりと呼べる境界でしょうね」

 

 人理における神の始まり。

 

「また、ヒューマン・オーダーとは星が我が子と共に見る夢です。神を夢見る人間からの啓蒙が、星における神と言う概念の始まりとなるのも必然です。

 無論、神と呼べる程の超生命種は太古から地球にいましたが、神は人の虚構がなくては星から生まれません。あるいは、神としての権能が機能するテクスチャを星が与えません。

 よってサピエンス人類に信仰を啓蒙された星の人理が、人間の為にも神の生きることが可能なテクスチャを人理上に星が作りました」

 

 類人猿から進化し、他ホモ属を根絶やし、唯一無二の霊長人類種たるホモ・サピエンスの血濡れた進化の人類史。

 灰は、この生き物を魂から尊敬してきた。よくぞ、此処まで遺伝子を選別し続け、進化の為の進化をし続け、人間の未来に続く殺戮を諦めなかったと。

 

「その点、我ら不死は闇からの命。古竜が生きる灰色の世界の深淵で生まれ、最初の火から王のソウルを得て生まれた知性となります。

 そして、その闇こそ人間の人間性。

 電離現象としての火の力は雷神グウィンの雷となり、発光現象としての火の力は魔女イザリスの光となり、発熱現象としての火の力は墓王ニトの死となり、現象を起こす燃料としての力が人間の祖たるピグミーらの闇となりました。

 故、我らの闇、この人間性にも、やはり多様性が必要です。

 同じ闇から生まれた神に支配され、奴隷種族としての人類史を歩んだ人間として、闇だからと火を排斥するのは人間らしくありません。

 人理の者が、科学として神の権能を取り込んだように、我らもまた人間らしく、火も、魔術も、魔法も、科学も、人間の業にするのが正しい人の在り方と思います」

 

 違う世界の人類史を対比することで、灰は自分が人理世界の葦名特異点に召喚した簒奪者に新たな星を啓蒙する。

 

「とは言え、人理における先史文明の神代も侵略者に破壊されました。宇宙からの来訪者です。

 遊星のセファールが神代の神話テクスチャを荒らしに荒らし、神を文明ごと破壊しました。人類種は自分達が信仰することで、母たる星が生んだ霊長による神話世界の終焉を迎えました。

 しかし最後は、その星の触覚である妖精が聖剣を作り、人間の手で人理を守らせました。星が夢見た人理上から、神のテクスチャは消えましたが、人間が生きる為のテクスチャはまだ消えてはなかったのです。

 偉大なるは、ブリテンの聖剣六妖精。まぁ、あの自堕落な気紛れさは、ある意味で人間らしいです。人間を救うのは、あのようなものが丁度良いかもです。我が子たる人を學んだ星が生み出した生き物であり、無邪気とも純粋無垢とも言えるこの惑星の魂から生まれた触覚らしい者共でしょう。」

 

 灰の手が止まり、生徒役を楽しむ『人間』を見回す。どうやら、退屈で寝ている者はいないらしい。

 

「それで、第二の神代が西暦まで続きます。世界的な魔術世界の人類史はそんな感じですね。メソポタミア文明の神は何とか先史文明の神代から生き延びてはいましたが、人理を夢見る星のテクスチャを破られてますので、その時代の人理では地上で存在し続けるのは不可能だったようです。神秘は磨り減り、人間の物理世界がテクスチャとして機能してました。

 後、これより話の地域を葦名のあるこの日本に絞ります。

 古い日本では、土着の神々による神代がテクスチャとして機能していました。縄文時代は巨石文明でありまして、自然信仰が基本でした」

 

 高速の模写技能によって、灰は日本列島を黒板に描き上げた。

 

「昔々、寒冷な気候で世界の水位が低い時。神代日本は土地が現行日本より広く、人の手が入らない樹齢数千、あるいは数万の古代樹が生い茂る大森林地帯でした。

 即ち、数多の神々が住む森の国。

 未だに稲作に目覚めていない非農耕民族、且つ狩猟民族たる縄文人は、神の森の国にて生活を行います。

 これは大和王朝由来の歴史書にはない古代の神国です。葦名の古い神も、こうした土着の神々が変質した生命種ですね」

 

 余分な人命はなく、無駄な文明がない森の世界。

 

「まぁ、それもまた人類種の進化で変わるのですが。脳の進化が境となる様、人間は変異します。

 これは日本に限らない世界的な人類史でもあります。まず虚構を得たホモ・サピエンスが信仰と言う文明を得ましたが、集団生活が可能となったことで、人間は狩猟文明から農耕文明に移りました。無論、この社会変態に適応出来ない遺伝子の人間は群れから追放されるか、殺されるかして、また遺伝子の剪定が長い時間を経て行われます。

 そうしますと、自然は人類にとって農業の為の資源となります。森は伐採され、人間の領域は神域を減らしていきます。林業として木を植えることで、人間は森林を資源として再生させはしますが、それは人間によって家畜化した森です。自然に生きる神や獣は、家畜化した人域の森では生きられません。

 人間が、自分達の遺伝子を剪定することで自らを家畜化することで、社会に適した進化を可能にしたように、人類史は人工淘汰によって神域さえも家畜にしてしまいました。

 その業の悍ましさを、人外は人間でない故に実感出来ません。自然現象を家畜化する人間文明を、人間は神に啓蒙したと言うのに、その素晴らしき啓蒙を星は理解出来ないのでしょう。星さえも未来では、その星自身を家畜にする人間の底無しの進化を見て見ぬふりをするのですからね。

 さて、身内殺しの遺伝子剪定で自種族の家畜化に成功した人類種は、ますます進化します」

 

 この特異点の自然環境では死に絶えた葦名の土地神を思い起こし、灰はチョークを動かす。

 

「それが、秋津島の神秘の駆逐の始まりです。狩猟民族から農耕民族への転換を機に、神の生命の源である古代樹の森林神域は、人間の人代に汚染されていきました。巨石文明は薄れ、自然信仰は文明に駆逐され、止めに南より侵略者が訪れます。

 即ち――人代の神。

 神々から人間を解放した生粋の神にして、人国を開くために人間となり、神としての寿命を捧げた人の名君。日本国の原型となる豪族連合国大和を拓いた神道開祖にして初代天皇。

 名は、彦火火出見。信仰されていた土着の神々を討伐した神殺しの神であり、日本と言う国を作ることで神代から人代に移した偉大なる大和王です。神の支配から人を解放した神が創った國こそ、葦名特異点のテクスチャとなりました」

 

 大雑把過ぎるが、大まかな概要は簡易的に説明し終えた。

 

「人を支配する事と、人を統べる事は違います。

 この国を始めた王は、人の王となるべく神の命を返上した者です。人を支配する土着神と、その神血に連なる豪族を排し、その人間は新たな信仰を根付かせました。人類種が農耕化したことで弱体化した自然信仰の土着神を倒した大和王は、神秘ではなく、人の文明で國を統べた訳です。言わば、人間を神秘で縛る者らこそ山林に住む土着の荒神達であり、人々は神域の儘の自然と共に生きていたのでしょう。

 とは言え、大和以前の神秘の血を継ぐ豪族達からすれば、侵略者でしかありません。神代由来の土着神の信仰を、人代にする大和の宗教は神を弱体化する毒にもなった事でしょう。

 しかし、未開のままで転換しなければ、人代化した大陸からの脅威に未来が襲われます。神秘が薄れた時代において、アメリカ大陸やオーストラリア大陸で起きた悲劇が日本国でも起き、他国文明の人類種が原住民を虐殺し、そもそも神の遺志を継ぐ人間の信仰が根絶やしにされることになりますからね」

 

 星が夢見る人理に生存権利を管理された人類種の歴史―――人類史。

 灰は集合無意識たる阿頼耶識を好まないが、星の意志たるガイアこそ醜く思う。何故なら徹頭徹尾、何処までも彼女は人間の魂に価値を見出している。そもそも魂が生まれた根源に対しても、灰は嫌悪を抱いている。何よりも、灰は人の魂が暗黒から生まれたからと、その闇を絶対視するのは思考の次元が低過ぎる事実に気が付いている。

 何もかも星が、己が子たる人間のその歴史を良しとした故。

 繁栄と言う欺瞞から逸れる事は許されない。世界そのものが被造物たる人間を支配する。宇宙の被造物たる神さえも、世界たる星の我が儘には逆らえない。

 

「神は――星の眷属です。

 星の摂理を人が認知し、それに星がカタチを与えた者。

 この惑星上の現象に人間が信仰心を抱き、その虚構を星が観測し、神話上のテクスチャに出力したのも権能にもなりましょう。

 よって人類種による神代とは――虚構の認知から始まったと言えます。

 存在しない虚構へ、祈り、語り、物語を紡ぐ。

 星が人間より神を啓蒙され、人間を真似て星の摂理たる自然現象に形を与えたのです。始まりのそれより、人が人にそう祈ることで人間を神とする眷属化もあります。また人が宇宙からの来訪者を神として信仰する場合、その宇宙生命が地球の摂理に取り込まれることで、星の魂の眷属となって神となることもありましょう。

 人理を夢見る星が、この根幹にあるのです。神と人が呼ぶそれらも所詮、より高次元の魂に作られたソウルです。人理の世にて、神と人の運命に差異は生じません。闇から生まれた人間である私達と、自由な魂のようで世界が用意した運命の奴隷でしかない人理の人間も、何も変わりはしないのです。

 我ら簒奪者となった灰と人類種、違う様で同じソウルです。あの世界と同じく人間は人間です。

 根源から生まれた人間は、宇宙の欺瞞に満ちた世界の中で己が起源に戻る必要がありましょう。

 星が夢見る人理とは、人間本来の魂を縛る枷です。根源で生まれた在りの儘に、そのソウルを具現することを抑えられています。本当ならば、人間はその一人一人がアルティメット・ワンを殺害可能な因果律を宿す生命種です。この宇宙にとって、究極の邪悪と呼べる存在であり、世界を愛する知性を持ちながら世界を蝕むソウルを、この宇宙の外側から流し込まれた者と為ります」

 

 講義を聞く簒奪の灰達の瞳に、暗い太陽の光が宿る。素晴しき哉、人から生まれた輝ける星の遺志。殺しに殺し、世界から奪い尽くした人間らのソウルが、阿頼耶識として簒奪者の脳内で渦巻き捻れ、全ての灰が人理を人間を管理するに相応しい"神”だと認識した。

 己が子で在る故に、その人間性を愛する素晴しい神だと理解した。

 地球における人類種にとって創造主を神と呼ぶなら、神とは星であり、灰にとっては太陽だった。魂を偽り、甘い生命と人生を与える欺瞞だった。

 

「ならば人の遺志が染み込んだ星が営む剪定事象とは、人間の遺伝子に刻まれた進化を尊ぶ本能が人理化した世界の驕りでしょう。即ち星と人は、数万年も行った選んで殺す進化を、世界の可能性にさえ適応させるのを良しとした。

 星がそう望む可能性の選択を、人は星に縛られず進化方法として選んで遺伝子情報となり、ガイアとアラヤは互いに剪定を行う人理を素晴らしく感じました」

 

 そもそも人間は、自分達で生命を剪定することで進化した。社会に適する進化を行える遺伝子を後世に残し、その繰り返しで人間は、人間が人間社会を管理し易い遺伝子に進化した。人類は遺伝子に刻まれた本能に従い、まるで動物を品種改良する様に、自分達を殺戮することで家畜化させた。

 

「故、人理の人類種――星の魂を殺し、星から人理を簒奪し、星を生んだ宙へ旅立つことが人類史の正解となります。

 我らダークソウルの人類種が、欺瞞を意義とした神を殺し、魂の生まれ故郷たる闇さえも飲み干し、人間として闇も火も全てを簒奪した様に。とは言え、それを私たちがこの星の人間に、その正解を押し付けるのもまた欺瞞となり得ましょう。

 せめて同じ人間として、魂の先駆者として許されるのはこの人理人類種が、その人理に亡ぼされぬように防波堤になること程度でありましょう」

 

 ニコニコと可愛らしい微笑みを浮かべ、そのまま灰は講義を続ける。葦名は何時も通り、灰が望む儘に平和である。灰の微笑みは太陽であり、平穏な世界で講義を聞く簒奪の灰らもまた太陽であり、暗い百八の太陽が浮ぶ儘に好奇を燻らせる。

 此処は、太陽の恩恵に満ちた特異点(セカイ)だった。

 太陽は、人理の人類種を愉し気に学習した。

 灰が語る儘に、百七の灰は学ぶ。人類学も、神秘学も、科学も、工学も、美学も、葦名で愉しそうに学習して暮らしていた。

 

 

 

――――――<◎>――――――

 

 

 

 ある日の悪夢、その更なる夢の中。

 

「貴公……まさか、それは愛?」

 

「さて、私からは何とも言えないな。しかし、貴方であれば共感出来ると思うが」

 

「すまないな。私は、そう言う知性を欠落した障害児として生まれている。脳の構造が異なり、人間的と言うモノが分からない。何より、両親などからの無償の愛やら、友人などからの信頼も知らず、そう言う普遍的情緒は狩人になった後に覚えた感情だ」

 

「魔術師も似たような境遇だ。世間一般からすれば、親から子にする魔術の修行など虐待と何ら変わらない。しかし、確かに貴方と私では生まれも育ちも違い過ぎる。

 だが、人生を自分で勝ち取ったのは貴方自身の意志だけのもの。他人の善意に影響され、今までの自分を脱ぎ捨てた私とは違うだろう。

 貴方の想いは誰のモノでもない。借り物は一つもない。誰の影響も心に受けない貴方の、その自分自身だけの意志が得た理想と理念。それは人間として誇るべきことだ」

 

「生まれながら自分だけしか同族がいないと感じるなど、見世物小屋の展示物と私は変わらないさ。しかし今となれば、それは過去の不幸自慢話になる。あるいは、友人と酒の席で不幸度合いを比較し合った時、互いの同情を阿保らしいと見下す笑い話にしたいだけだったのかもしれん。

 そうする為、私は古都の血の医療により、持って生まれた生物的欠陥を治癒―――……と言うよりかは、血ごと脳を作り変えられてな。

 実際、人間性と言うモノを感じられたのは月の魔物、私を赤子にした青ざめた血による進化の結果。人間も上位者と同様に子供が欲しいと思い、それなくば後世に残す文明の発展に価値などなく、人理など存在する価値もないが……うーむ、貴公も自分の赤子を欲し、愛したいと思うかね?」

 

「無論だとも。それはそれとして、理想を追うのが私であるが」

 

「成る程。ならば、赤子を求める思索を欲し、有り得ない我が子を夢見る上位者との相性は悪いぞ」

 

「いやいや、逆に良いと私は思う。今の人類の為であり、その子供達の為の世界でもある。むしろ、子供あっての人理であるのならば、上位者が抱く渇望と私の理想は理解し合えると思うよ」

 

「おぉ……おぉ……何とも素晴し―――……い哉、それ?

 完全無欠にして全知全能となれば、そもそも子供など要らないのでは。根源接続者の無気力加減を見給え。自分の魂とその宇宙を生み出した母と繋がれば、この世を想いの儘にする無意味さに絶望し、生まれる事すら拒絶する。自身の生命に失望し、描かれた影に過ぎないこの世を切り捨てる。何とも無様。それでは人間以下の知性である。

 とは言え、人間性の醜さを克服し、人間として神となれば良い世界となろう。だがそれは、不全でありながら完全でもある矛盾を完成させた生命種。完全無欠である故の欠落を超越した神を超えた何か。

 しかし、神より完璧に成り果てるなど―――下らない。

 まだまだ思索を欲する我ら上位者が憐憫を抱く憐れさだろう。貴公の理想、争いなく、競い合い、高め合ったその末路、そうなった時に何を選択するか」

 

「人間は、そうなっても頑張れる。事実、貴方や灰はそうだったろう?

 永遠を生きた末、自らの魂で苦しみを克服した人間性。争い必要がない人々であれば、長く生きた先にその答えに辿り着けると私は考えている」

 

「永遠に成り果てた先か……―――さぁ、どうだろうな?

 他の先達は知らんが、私は今の私になっても他の上位者共と同様な渇望、自分の赤子が欲しいとは思えなかった。どうやら、上位者としても私は欠落品であったのだろう。

 上等な世の中。上位の神域。上質な生活。

 私も私で、この夢の中で優雅に永遠を人形と過ごしながらも、聖杯潜りの地底人として殺戮の限りを行い、我らのヤーナムを狩人の上位者にとって理想的な永遠の悪夢とした」

 

「では、貴方の考えとは?」

 

「―――ふむ。私の答えではないが、その考えたる思索は容易い。

 私が思うに、貴公の理想を叶えるのなら、個人個人が夢の箱庭を一つ持てば良い。他者との関わり合いは、世界を描いた持ち主の交流とすれば、争いもなく永遠だ。尤も私の思想とは異なる故、メンシス学派のような人類上位者進化計画など―――……物の試しだな。

 やはり好奇が疼くのは仕方が無い悪夢よ。その可能性も思索実験の一つとして、この世の何もかもを巻き込んで行いたくなる愉しみとなろう」

 

「酷い人だ。私など、実験動物と変わりない訳だ」

 

「否定はしない。私自身さえ、私の思索の為の道具である故。だが貴公も、貴公が理想とする世界で生きれば理解出来る感情だろう。

 どうせ、死なんからな。邪悪など些細な事。

 それで他人から命を奪われようとも、平凡な日常生活を送るのに何ら支障はなくなる」

 

「成る程……個人で完結する者となれば、そう思い至るものなのか」

 

「古都の外側には死徒と言う、地球外外来種による病の罹患者が居ると聞く。彼らからの話も聞いてみると良いぞ?

 どう言う思いで、その生活を送っているのか。

 何故、人類種の血に寄生してまで長生きをするのか。

 目的に何を選んで進化し、何故それを欲しているのか。

 とは言え、常日頃から上位者の血を啜り、喉を潤し、血に飢える我らヤーナムの民と比較すれば、死徒の方が遥か人間性に溢れた健常者であるが。

 吸血鬼など、人から進化した生命。我らの欲望からすればまだまだ生温い。人間以上の汚物などおらず、彼らの方が遥かに上質な命だろう。だからこそ、私のような上位者になっても人間性が失われず、むしろ人間性を得てしまった人間が問うべき事柄。

 そして、それは貴公も同様だろう。その理想、嘗て幾人もの人間が挑んだ命題の一つ。

 神代に反逆し、人間の神代の始める理念。その本質が人理たる人代。ならば、それもまた新しき生命種に否定されるのが時間の流れ。

 その一つ目。月の王の血を受け入れ、その遺志を継ぐ遺子らの集まり。

 もう二つ目。地球の魂を人工仮想し、異星の人理を夢見る星見の驕り。

 時間軸の並びを外した平行世界も含めるが、それらが最近の私が内なる瞳で夢見る外側での目立つ観察対象。小さなモノも含めれば、それこそ星の数程に存在するが―――貴公、人の善性に驕りが過ぎる。

 人間に"善い”ものが、人類に"良い”とは限らんのだぞ?

 まずは自分で試してみ給え。思索とは、そうして理解する為の手段」

 

「うん。だから、私はこのヤーナムに長居をさせて貰っている。貴方には感謝しかありません、狩人様」

 

「敬語は不要だ、ヴォーダイム。感謝の意を伝える為だろうとな。

 人を敬う意味を理解出来ぬ私は、誰かに敬わって貰う必要は皆無である。貴公の意志を言語の意味合いとしてなら理解出来るが、その想いは狩り殺して遺志にしなくては心で理解は出来ぬ故に」

 

「まぁ、不死ならそんなコミュニケーションも実害なく互いに出来る訳だからね」

 

「そうだ。邪悪が些細な事になるとは、そう言うことさ。

 で話は戻すが―――……オルガマリー・アニムスフィアとは、貴公にとっては何者かね?」

 

「―――――……ん。さてね、どうだろうか」

 

「ふむ。やはり、愛か。彼女との子供が欲しいのか?」

 

「――――――――直球過ぎないか?」

 

「性欲とは遺伝子で設計された機能であろう?

 雌雄と言うシステムをこの惑星の生命種が発明してから、彼是数十億年の歴史がある。子供が欲しいと言う本能は恥ずべきものではないと考えるがな。

 ……等と言いつつ、貴公の気持ちも察してはいるが。

 そこまで単純明快ならば、人類種の魂は人理など生み出してはおらんからな」

 

「それと性欲を同列に扱うのが貴方の悪い癖だよ」

 

「同列さ。極論、今が好きか、今が嫌いか、決定打になるのはそれだ。貴公、今が好きかね?

 例え好きだとしてもだ、嫌いな部分もあり、今よりも好きになる"今”が欲しいと願うかね?

 人理を新しくしたいと願う貴公の動機、それを動かす動力源。変わらぬ想いだ。気高い在り方を貫き通す貴公を愛し、己が使命に人生を賭す女の事を思えば、尚の事だろう。

 オルガマリーが好ましいか、厭らしいか……同じ感情だよ、それ。

 断末魔のように、星を砕くように、意思を叫び給えよ。思い煩う事を明確にした瞬間、己が意志を全うする力となろう」

 

「そうかな、そうかもしれん……ッ―――ハ!?

 危ない。実に危ない。貴方の洗脳話術に乗っかり、思わず叫ぶ所だったぞ」

 

「残念だ。そうであれば、私は覗き見は私にも許さない。潔く、彼女の夢の中ら我が遺志を喀血するのだが」

 

「どうだろうな。私は、あの面白可笑しく強い彼女を好ましく思っていた。私にとっての青春と言えば、マリスビリーに紹介された彼女との時計塔での学生生活がそうだと思っている。

 とは言え、私はヴァ―ダイム家を継ぐ魔術師。アニムスフィア家を継ぐ彼女に恋愛感情を持つのは禁忌だ。

 もしヴォーダイム家とアニムシフィア家の両者に道具としての政略結婚があるのだとしても、それは私と血の繋がった赤の他人の誰かがする夫の役目であったし、あるいは逆に彼女と関わり合いのある血族の誰かが私の妻となるだけの話だよ。

 事実、私には婚約者がいる。そして、彼女にも婚約者がいた。

 自分の事ながら、全く……感情と向き合うのは苦労する。しかし、世の世帯持ちの方々はこの苦悩と向き合い、それぞれの家庭を作っているとなれば、自分にとっての特別は、やはり人間にとって何ら特別ではない普遍的な想いとなる。

 私も普通の男と言うことだ。貴方と同じでな」

 

「同意する。誰もが特別な誰かであり、誰しも特別ではない普通な自分を持つ。

 いやはや、当たり前こそ普通に面白い。それもまた青春となる葛藤。愛を割り切るか、否か……そもそれが愛なのか。現実で書かれる物語として人間を愉しませる娯楽である。

 まこと学び舎とは、それだけで貴い時間となる。私は知らんがな」

 

「知らないのか……知らないのに、そうまで語るのか?」

 

「時に知ったかぶる事も対人関係には大切だ。無駄話を途切れさせず、滑らかに進めるにはな」

 

「―――ほう、確かに。同意せざるを得ない。

 私は中々に人から勘違いされ易いが、面倒だったり、事態の悪化を招きそうだと、態と勘違いさせた儘にすることもある」

 

「悪い罪人だな、貴公。それ、逆に対人関係を悪化させるぞ」

 

「―――……手遅れだとも。こう見えても私は、見栄を張ることに命を掛けるタイプの、結構俗物な男なのさ」

 

「んー、素晴しい哉(ファンタスティック)。大切なことだ。

 借り物の理想だとしても、張り続ければやがて本物に進化することもある。貴公が目の前で死に絶えた誰の遺志を継ぎ、そんな善性を信じ続けると決意したのか……所詮、狩人でしかない私では其処に共感は一切ないが。しかし、死人を遺志の継ぐのなら、自分ではない人の想いを自分の意志にする必要があるのは共感出来る。

 見栄を張るのも当然だ。

 その遺志を継ぎたいと思ってしまったのなら、その人に恥じぬ生き様を貫かねばならん故に」

 

「あぁ、戻るつもりもないからね」

 

「成る程。貴公が迷い込んだ理由、彼女との縁以外にも有るようだ。

 星見の血――……呑んだのかね?」

 

「共感魔術の実験でね。擬似的なラインを構築する練習でもあった。

 けど、私はその時――宇宙を知った」

 

「繋がる血の量に意味はないからな。脳を啓かれてしまう。しかし、あの子も悪い子だ。貴公が大丈夫だと確信した上で、その実験と題した密かな企みを致してしまったか」

 

「宇宙を星見する意味。現世では魔力(エーテル)不足とは言え、私は小規模な惑星轟を脳裏に獲得した。いや、してしまったと言うべきだろうな。

 ―――根源の渦。魔法など必要はなかった。

 魔術師としての渇望が全て……あの時、知的好奇心の何もかもが、彼女の啓蒙によって満たされてしまった」

 

「あそこには人の何もかもがある。しかし、到達すれば人間と言う生命種としての責務が終わる。この世に存在した最初の原因が解明されると、その個体の魂が現世において意味消失へ陥るのが自然の流れ。其処から存命可能な人間は、その世界にまだ必要とされる者なのだろう。

 我ら上位者にとっては無意味な場所だ。夢から直接的に魂が生じた者にとって、貴公らと違い根源は生まれ故郷ではないからな。私の今の魂も、夢から生じた者の遺志と交わり合い、死んだ後に逝くべき場所を既に見失い、死ぬに死ねない永遠の不死となった。

 しかし、ならば悪夢こそ上位者にとっての生まれ故郷。魂が生み落ちる場所。

 外側の星幽界から誕生した魂ではない故に、此処こそ我らにとっての根源だ。

 それが貴公が夢見た星見の正体。啓かれた貴公の脳が知った神秘の理――宇宙は、空にある。

 宇宙塵の満ちる時代へと行けば、その理は脳の外側でも機能しよう。だがもはや、その神秘は我ら上位者の悪夢に属する領域の力とも交じり合う神秘となった」

 

「魔術基盤とは形式が違う……まるで他惑星の知性体が営む体系的技術だ。貴方より啓蒙された神秘、どの異界でも十全に機能するので助かった。

 歴史も、時代にも左右されず、環境も関係ないのであれば、魔術以上の利便性だ」

 

「具体的な例を出せば、貴公らの魔術理論・世界卵に近いやもしれん。悪夢に連なれば誰もが同じ意識領域と繋がり、夢に由来する神秘を共有する。

 とは言え、貴公は天才だ。既知の事柄。

 無才の私とは比較することすら烏滸がましい領域の、上位者が空中浮遊土下座する程の才覚。教えを乞うのは、むしろ私の方だとも」

 

「いけないな。そう思っているのは僅かに事実かも知れないが、本心より私の才が欲しいと思うのであれば、狩り殺して遺志を取り込んでいる」

 

「うむ、すまん。その通りだ。神秘に対する才能の有無ほど狩人にとって無価値な基準はない。上位者狩りを繰り返すことで、才能と言う点で私の意識は超次元と成り果てた。

 惑星轟、感謝しよう。似たような神秘は元より使えたが、殲滅力が素晴らしいものになるだろう」

 

「そうか。では、私はもう良いかな?

 新規開拓中の悪夢にて、ミコラーシュと宇宙の見方について論じる予定があるんだ」

 

「いや、駄目だよ。それはそれとして、私のヤーナムに変な教えを布教している点を咎めたいのだか?」

 

「ふむ。何のことかな?」

 

「この間、オドン教会で他世界の狩人がテントサウナ同好会なる全裸儀式をしていてな……いや、それは良い。全裸で交信するのも狩人の嗜み。だが、頭黄金三角と、頭ペスト仮面と、頭髑髏面の筋肉男三人衆が汗だくで小さなテントから出てくる光景、流石に悪夢好きな私でも夢に出るぞ。

 何でも、私のヤーナムに滞在する金髪の半裸美青年の客人から教わって、直ぐ試したとか」

 

「間違いない。私だ。獣避けの香の序でに、良いアロマがあるとオドン教会の人に言われてな。まずは試しに、私がテントサウナをエンジョイした。

 時計塔にて、サウナ布教バトルするフィンランド人とドイツ人の魔術師のいざこざに巻き込まれた際、私も興味を持った。此処は人目があれど人目を気にせず良いから、ついついチャレンジスピリッツが凄く湧く」

 

「又、日課の狩り散歩中のことだがな。回転ノコギリを合体改造した二輪自転車暴走族狩人に、ヤーナム市街で侵入して来た別狩人との戦闘中に背後から加速アタックで轢かれ、二人諸共内臓が散らばったのだが?」

 

「それも私だ。自分の才能に恐怖したよ。火薬庫の浪漫機構を嫌う男の子など、この世に存在しない。常々、ヤーナム道路を高速移動する仕掛け武器はないかと探し、それはやはりと言うべきか、当然だったと頷くべきか、私の脳の内に存在したのさ」

 

「…………では、悪夢の辺境で――」

 

「―――温泉郷のことか。それも私だ。

 風呂入りたいと言っていた狩人が鐘に呼ばれた時に談笑し、ついまぁ駄目で元々だったのだけど。物の試しであの領域を支配するアメンドーズと思念交信し、温泉の概念を伝えた結果、その意識に影響されて悪夢辺境湯温泉が湧いたのさ。ちゃんちゃん」

 

「ちゃんちゃん……だと?

 しかし、だがしかし、まるで夢みたいに良い湯だった。他世界線で存在する月の狩人が観光に、私が主となるこの悪夢に良く来て盛況だった……――では、ない。

 貴公の所為で、温泉好き小アメンが新たな上位者として悪夢より生まれたのだぞ?」

 

「何か、問題でも?」

 

「ふむ。上位者は人間以上の知性体。ならば自分で編み出した自分の為に娯楽を、無駄な徒労だろうと楽しむのが必然か。

 では、ガトリング銃座式高機動車椅子に乗ったもう片方の暴走族狩人は?」

 

「あれは貴方が寝言で欲しいと言っていたので、工房を再興したがっていた仕掛け武器好き狩人と共同開発した。

 ガトリングと連動して車椅子の車輪も加速する為、特に意味もなく撃ちたい気分となる」

 

「私かぁ……新型、楽しみにしてるよ」

 

「聖杯ダンジョンの一つを、秘密基地に改造してある。其処のトゥメル人とも仲良くなれた。今度、貴方も連れて行こう」

 

「何だね、それ……?

 こう言う時、どの様な表情を浮かべれば良いのか、私には解らんぞ?」

 

「昔、カルデアの娯楽室で紹介され、皆と一緒に見た日本アニメに出た台詞の一つだが。

 ……―――笑えば、良いと思うよ?」

 

「この場面で笑うとは、合衆国発祥のアニメーションとは何とも狂った芸術か。そして、それを作るのが血族へ斬殺者の業を啓蒙したサムライの国。切腹文化を死の慈悲とする首狩り民族が栄える東の蛮地列島、実に啓蒙深い国に成長したようだ。

 あの国は神代の王族がまだいると聞いたしな。ヤーナムと似たの秘境もあの国には今も尚、多く隠れていよう」

 

「友人の日本人に聞いた話だが、サムライはもう戦後日本の現代にはいないのだとか。その代わり、何か色々と抑制していた精神が弾け過ぎて文化が混沌化してるらしい」

 

「残念だ。血族の剣技の源流、その業、進化し続けた果ての今この瞬間、それを生きる最新の武を鍛え上げた侍の剣士より、狩人の業を私の脳へ深く深く啓蒙したかったのだが。

 カインハーストにあったドイツ語にも、チェコ語にも、英語にさえ翻訳されていない日本語原本の剣術書の、その記載にあった無の境地。恐らく至ったとは思う。しかし、全てが全て、自分で自分に啓蒙した我流の教え故、どうも手応えが無い。他の月の狩人も狩り合い時に一目し、次の死闘では盗んだ私の業を平気で使う始末だ。

 あれ、本当に奥義と呼べる精神状態なのだろうか?

 達人と呼べる狩人を何百何千と狩り、殺し続け、同じ回数を自分も狩られ、死に続ければ、夢に生きる狩人は自然と身に付くと思うが?」

 

「大丈夫だ。平然とそう生きる貴方の頭がそもそも狂ってるので、十分凄いよ」

 

「その言い様、そんな良い笑みで言う台詞ではないぞ」

 

「超越的思索に耽る上位者の癖に、そう言う修行を毎日欠かさず続けているのが卑怯だと私は思う」

 

「貴公こそ、陰鬱なヤーナム生活をエンジョイし過ぎとは私は思う。それと同時、忌諱なく悪夢を楽しむのが善く狩り、善く生き、善く死ぬ狩人だ。今より更に良き酔いを血と共に血以外からも得るのが、健康な永遠の人生であるのだとも私は思う。

 励み給えよ。貴公はこの悪夢にも相応しい天才である。

 それは兎も角―――狩人慰労BBQ会の、詳しい説明は?」

 

「ヤーナムの特産品に、巨大豚はいれど牛はいない。探していても何処にもなく、ならばと今度も悪夢でアメンドーズと交信していれば、肉を焼いて食べる美味なる食感を伝えられてな……ヤーナム外の地球の何処かから、牛を手掴みワープで拉致して来たのだよ。

 なので、ちょっと悪夢で放牧を。温泉好き小アメンは焼き肉大好きアメンさんにもなり、今では私のベスト上位者フレンドさ」

 

「あのアメンドーズ、妙な愛嬌があって狩る気が湧かん。元々の痩せた体型も少し太っている様だし、パッチとも何故だか仲良いしな。あれ、元は人間の学術者だった上位者かもしれん。

 それと悪夢に、野生化した暴走暴れ牛が追加されていたぞ。辺境の狩り散歩中、他世界から来た月の狩人との戦闘時、不意に角で轢かれて二人揃い、毒沼の谷底へ頭から落ちたのだかな。

 後、東国から来たサムライ狩人が、葦名牛やで何で葦名牛やねんと騒いでいたのは貴公の所為か」

 

「あぁ、彼か。血の修羅になった千景遣いの牛好きだね」

 

「日本の一部である彼の国は昔、修羅と呼ばれる殺戮の鬼がいた伝承があるようだからな。彼自身、元は忍びなる暗殺者の家系だったらしく、何でも先祖から継ぐ竜咳なる奇病を治しに、遠くヤーナムまで来たらしい。

 後な、他にもあるけど最後にしておくが……私の人形に、料理する時はエプロンをした方が良いと言ったのは褒めておこう」

 

「分かっているとも、同志よ」

 

「地底人成り立ての狂っていた時は彼女に血晶試し斬りをしていた私だが、より確率論に狂うことで何故か人並みの良識を覚えられてなぁ……いや、凄まじい罪悪感を得られる良き可愛さだ。

 エプロン姿で紅茶を出してくれた時、銃口を側頭部に付けながらアノ時をフラッシュバックし、思わず詫び自殺をしてしまったがな」

 

「貴方が彼女に謝れたのなら、私も嬉しいよ」

 

「貴公は良き人だ、ヴォーダイム。御礼に、その脳をまた成長させた際、深き闇を見る瞳を啓蒙しよう。

 私の、私だけの思索で得た結論の一つ。思索の方法を教え、それを実践すれば貴公が私の一人へと変貌するので伝えられないが、その成果は人に与えるべき上位者の愉しき営み。

 遠慮せず、遠き宇宙深淵を覗き込み、近き人間の魂の深い底へ溜まる暗黒の澱を味わい給え。あるいは、根源を観測して法を奪うのも良かろう」

 

「魔法使いにも、接続者にも、私はなるつもりはない。それを届き得る大望だと勘違いしていた小さな私の欲は、より遠くにある渇望を見出だしてしまった。

 ……必要な事を、必要な分だけで良いのさ。

 貴方の叡知は私にとって、そもそも魔法以上の神秘。世界に法として縛られる神秘では、一度の失敗で諦めてしまうしか未来が許されない」

 

「その本質、利口が過ぎる。貴公、我ら月の狩人のようになれなくば、悪夢を真っ当に苦しんで生きることになる。それこそ、死ねずに永遠をな。

 人間、ある程度は狂わせた方が生き易い。人間として生かすなら、尚の事」

 

「獣の楽土では無意味だよ」

 

「完璧だろうと、その完璧を運営するシステム自体も磨耗するぞ?

 人理とて永遠ではない。星に生きる霊長と言う仕組みも未来では崩壊する運命だ。貴公のように新しい人理を作ろうが、やがて絶対に外部機構頼りの永劫など消えてなくなる。

 参考にするなら、我らの悪夢にし給えよ。

 此処は、未来を求めぬ地獄故に不滅。住民は赤子を欲しはするが、種としての未来は不要と放棄し、個体で個体で魂が完結する失楽園だ。

 永遠を作るには善悪の拘りを捨てるべきだろう。それこそが獣性に捕らわれ、獣血に支配された家畜へ化す隙間となる」

 

「貴方は真実しか語らない。だが、私の希望に可能性がない訳ではない」

 

「魂は、どのような加工をしても腐るぞ?

 私のように腐っても、自我を保って永遠を生きるなら、その暗い澱も自分として認めるしかない」

 

「分かっているよ。けれど、そうなった時は、その危機を人は乗り越えられる。貴方のようにね」

 

「うーむ、頑固だ。救われぬ地獄に堕ちると私は見えているが、それでもやるとは。

 まぁ―――良いか。

 では貴公、地獄に堕ち給えよ。

 そして、その地獄から覚めたくなった時、私を頼ると良い。オルガマリーやジャンヌと同様、私の夢は客人を拒まない」

 

「そうか、ありがとう。しかしならば、オルガマリーに貴方の分身霊が憑いているのは、どう言うことで?」

 

「彼女の意志にして、私の遺志だ。我が愛弟子は私を狩り、私の魂を殺し、私を貪った。ならば、その血に蕩け、その脳に寄生するのは必然だよ。

 だがその気になれば、彼女は私の血を外へ喀血可能。

 それをしないのは何故か……私にも分からず、故に利用価値のある分は善意で利用させて貰っている。

 そして、私の好奇心より湧き出る人類に対する狂気も娯楽にしているようだ。しかし、それは灰の善意による人間性によって抑えられ、獣性となって啓蒙的狂気は和らいでいる。結果、逆にビーストの資格を魂に得てしまったが、人理的にも人類史に被害が少ない方が良いのだろう。灰の所業に人理の抑止力が協力的なのも、私にとっては都合が良い。

 しかし、独り立ちは大切だ。時が来れば、私もサーヴァントしての寄生体は消え失せよう」

 

「カルデアにおける狂気的技術革新の正体は、やはり貴方のものか。

 核戦争を防ぐた為の、国家解体戦争計画なるオルガマリーの独自作戦の放棄立案書を見た時、ちょっと頭の中を心配したものだ。食事に誘い、メンタルセラピーをしてみたけど、何か普通だったし、そう言う妄想をする御年頃だとしか結論出来なかった」

 

「うむ、私が原因だ。世界がこのまま人間の自滅に巻き込まれて滅ぶのは良くないと思い、私が思想した軍事会社による戦争経済を軸とする企業主義体制の完全支配だよ。昔、この夢で彼女に語ったことのある実現可能な妄言であるも、思索としては十分以上に魅力的な人理改竄実験であるのも真実。

 カルデアには、それを可能とする技術を作らせてある。その気になれば、何もかもを壊して土台にし、新しい社会体制を生み出せるぞ」

 

「あー……貴方が?」

 

「正確に言えば、私の狂気を継ぎたいと願う彼女の理念だ。

 本当に、灰には感謝するしかあるまい。あれが居なくば焼却はオルガマリーに予め阻止され、異星は目覚めることなく我らの悪夢に飲み込まれ、人理はオルガマリーのモノとなり、進化し続ける闘争の人理へと作り替えられていたことだ。

 灰はカルデアを裏切ることになったが、それもまた人の為、世の為……となる、自分の魂を進化させるのに必要な面白き責務を自分で創り、自分に課す為。

 全く、人理焼却は良い運命だ。それは悪魔と灰により、上手い具合にオルガマリーが素晴らしい狩人へ進化可能な因果律が絡み合っている」

 

「そうか……いや、そうかな?」

 

「秘密は甘い。愚かな好奇が人の脳を痺れさせる。その気付き、大切にし給え」

 

「教えないと。ならば、私自身が暴くしかないのだね?」

 

「この悪夢に答えはないがな。欲しければ、とっとと死から目覚め、元の世界で蘇り給えよ。異星の神も、全ての試練を果たした筈の貴公が目を覚まさず、混乱していることだろう」

 

「いや、まだだ。まだ足りない。此処での時間は、向こうでは一瞬。まだ大丈夫、大丈夫な筈……大丈夫だよね?」

 

「やれやれ。もう少し、本来の流れより時間を加速させよう」

 

「感謝するよ、月の狩人!

 お礼に何か送りたいけど、貴方が一番欲しているモノって何だい?」

 

「何だろうなぁ……―――あぁ、当たり前にある物が私は無かったな。家族からは蔑称で呼ばれ、ヤーナムでも私は狩人でいれば良かった」

 

「おぉ、そうか。だったら、私がする贈り物の一つにコレを送ろう。

 啓蒙には、やはり啓蒙で返すのが道理。私の理念が、貴方にとっての真実になれば幸いだとも」

 

「何かね?」

 

     (■■■■■)と言うのは、どうだい?」

 

 そんな一時を彼は思い返した。

 

 

 

 

――――<〇>――――

 

 

 

 

 目覚めは、何もなかった。死んだ後、英霊の座に行けるとは思わなかったが、されど地獄へ堕ちる権利も失っていた。

 岩、樹、霧、灰。そして、竜と人、闇と火。

 彼女は何もしなかった。死んだ女の遺志が続く魂であるが、この幻像となる世界にとって無関係な異分子。

 

「……………」

 

 命が無い世界だった。ソウルである濃霧が満ちる岩の世界。やがて岩に宿ったソウルによって意志が芽生え、岩は植物として次世代の形となり、植物と鉱物が混ざった樹が自意識を持って動物的に進化した竜。本来ならば地面に根付いていた根を足とさせ、樹木は生き物のように動き出し、翼を生やして空を飛ぶ。

 そして、それ以外の生き物も闇から生まれていた。亡者の姿をした動くだけの幾匹の者共。朽ちぬ筈の竜が動かなくなり、命がない故に不滅であり、それはやがて闇に沈み、だがその体は次の形へと長い年月を経て流動する。不滅の竜が闇に融けた故に、次世代の生き物が灰の世界に生まれたのだろう。

 ―――繰り返し。繰り返し。繰り返し。同じ時代を繰り返す。

 幾度目かの再誕の刻。螺旋となって何処にも進めず、他の未来に進められなかった円環。

 

「喋るでない。相も変わらず、貴様らは口が臭過ぎる。糞団子が蕩けた果物に思える程。これではまるで神都の下水路だな、世界蛇」

 

「古い人の来訪者、我らの友よ。太陽の欺瞞、何故許す……?」

 

「何も何故も、あれもまた人間を生んだ闇よりの産物。あの神々も所詮、自分達が生まれた闇へ還るが運命。

 ……貴様も、道具扱いする人間と何も変わらない。

 嫌ならば今も尚、あらゆる生命を愚弄する白竜に頼み込んでみるがいい。岩から進化した命の生身を捨て、妄執に囚われるあの竜と同様、岩の姿への退化を求道し続けるのも一興かもな」

 

「―――愚かな」

 

「しかし、言葉で操れる愚者が欲しいのが貴様だろうに。

 確かにその在り様、羞恥心で竜は名乗れぬよなぁ……力のない蛇が相応しい」

 

「……下衆に浸る貴公を侮った我の不覚は認めよう。欲と好奇に抗えぬ人間性の極みだと錯覚した節穴もまた認めよう。

 しかし、あの裏切り者の鱗無しと享楽の狂気を共にしたのは否定出来ぬ筈」

 

「余らの思想に、何の意味もない。魂の儘に、余はただただ人間性に流されるのみ。暇ならば、また繰り返すが良い。また悲劇を作ると良い。

 暗い魂にとっての善行を積み、人を苦しめる悪行を為すと良い」

 

「貴公……恨んでいるのか?」

 

「まさか。良い見世物だった。小ロンドも、ウーラシールも……終わるしかない、輪の都もな」

 

「そうか。我の見込み違いだったと認めるよう……貴公、火と同様、闇の時代さえもう見限っているか」

 

 何千年経ったのか。神が支配する神世界と、人が支配される新時代。太陽は昇り、月は沈み、灰の世と違って昼と夜が繰り返される一日と言う神が作った概念。暗い魂に火の封が施され、人間から闇の王のソウルが覚醒されず、神々が時代を謳歌する為の消耗品として使われる神代。

 呆気無く、それは壊れた。

 太陽を燃やす為の材料が灰と成り掛け、日が陰る暗月の時代。

 だがソウルを蓄えた新鮮な薪は焚べられ、太陽に代わって暗い月が昇る空。

 闇撫での欺瞞は神々の欺瞞に潰された。それより続く、不死の英雄が火継ぎとなって死んだ後の時代。呪われ人と不死が罵られる社会。

 

「真実を知るべきではなかった……異邦人、お前は何故、此処に耐えられる?」

 

「既知故に。何処まで行っても他人事よ。苦しみとは個人の業であり、他者と共有する感情に非ず。だが、共感可能であるならば、やはりそれこそ人類種共有の葛藤となろう」

 

「しかし、それさえも作られた偽物だった。古い時代、光の王は人の魂の中身たる闇を封じた。仮初の姿、仮初の命、仮初の魂……偽りの生によって捏造された生命に甘い世界。

 それを人間として悪と断じる事は、正しいのか……罪深いのか。

 光を望むように躾られた闇より生まれた我らの人間性。光も闇も求める在り様こそ、神よりも貪欲な形こそ、真実なのではなかろうか?」

 

「渇望を知りたいのであれば、貴様の妹を解剖すれば良かろう」

 

「あれでは人間へ成れぬ。人間の答えにはならぬ。そう在れと望まれた……他の何者にも成れぬ者で在る故」

 

「深淵たる古い人の末裔だ。不死の英雄に殺された魂の破片なれば、貴様もまた弟の妻に相応しいとあの欲望を見逃したのだろうが」

 

「知りたいのだ。知りたいだけなのだ。

 人を知らなければ―――何を求めるべきかも、我らは何も分からぬ儘に亡者となって忘我する」

 

「闇が何から生まれたのか。光と闇も失えば、貴様も見えることだ」

 

「世界の終わりまで、死なず……」

 

 火は確かに消えた。太陽は消失した。月が輝く為の光は消え、星も見えぬ完璧な暗闇が帳を下した夜の世界。火継ぎは果たされず、人の魂が求めた筈の暗い時代が訪れる。

 だが闇撫でと原罪の探究者の企みにより、再び太陽は輝いた。

 消えただけでは無駄だった。火の封が解かれるだけでは無意味だった。

 神はある意味、人間にとって本当に‟神”だったのかもしれない。正しかったのかもしれない。暗い魂であろうとも、温かい体と甘い命に人間性が満たされ、生を実感出来る定命の人生は、確かに人間たちに神と言う概念へ価値を与える生命群だった。

 しかし、もはや不要。永劫を誰が支配出来るものか。

 火も永遠に出来るのなら―――あぁ、とても素晴らしい人間の時代ではないか?

 どうせ、永遠。人の時代もまた終わる。永遠の中の一幕に過ぎず、永遠に生きる暗い人々は時代を繰り返す。神の時代も人の手で終わらせる必要などなく、自然消滅するのなら、所詮は長いか短いかだけ。そして、永遠の中では時間の長さに価値はない。

 

「お嬢様への顔料……あんたの血、何故使えぬ」

 

「他のソウルが汚物となって余の魂を穢しておる。だが、そも余は暗い魂を持って生まれた人間ではない。貴様らと違い、王のソウルから続く人類ではないのだ」

 

「だが濃い……濃い……古き者の血だ」

 

「しかし、純粋な暗い魂の血ではない。余は不純物に過ぎんよ」

 

「輪の都しか、ない……ないのか?」

 

「…………」

 

「……あぁ、そうか。あんた、知っているのだろう?」

 

「奴隷騎士。神からの使命、もう良いのか?」

 

「もう奴らは死んだ。最後の神も、人喰らいに捕食され、神喰らいとなる為の贄となった」

 

「己は救われないと言うのに、暗い誰かの為に……人の為に絵を描くあの少女の為に、贄となる事を選ぶのか?

 ―――神の為、戦い抜いた結末が今だと言うのに?」

 

「今度は……己が使命は、己で選ぶ」

 

 そして、絵画は描かれた。生温かい冷たさの世界。新しい人間の世界が生みだされ、しかし暗い魂によって新しい灰の世界が生みだされた。

 新世界。何も無い岩と霧の世界だけでなく、そこには命の温かさを生む火を灯す闇がある。

 だから、生き場の無いソウルは流れ込む。濃霧となって世界を満たす。岩はまたソウルを宿して樹となり、そしてまた樹は意志を持って竜となろう。同時にその外側は、人間が火の時代を超えた世界が続いていく。久遠に。永遠に。永劫に。

 繰り返す。繰り返す。繰り返す。終わらない世界と、再誕する別の終わらない世界。

 世界が世界を生み、世界は永遠の螺旋に陥る。その螺旋は闇の中を回りながら落下し続け、その闇は底無し故にその螺旋からまた違う螺旋が生まれ、全ての世界が回りながら落ち続ける。

 

“あぁ……余は誰だったか……何だったのだろうか?”

 

 暗帝は繰り返す。名を失い、だが暗帝と言う魂の名だけは忘れなれない。自分は誰の子宮から出て、誰に何と名前を付けられ、父と母と言う何もかも失い、人間を喪った。

 なのに―――皆のソウルは忘れながらも繰り返される。

 何もかもが最初に戻り、その世界で同じ名の同じソウルと出会い、同じ会話を繰り返す。

 

“なにを、ウシナったのか……消えタのカ……タマしイが死ンでしまえば、無にも成れヌなら……”

 

 繰り返す度、暗帝は名前通りの存在へと深まり続ける。

 暗黒だ。暗さを支配する者。暗帝と言う‟人間"が送り込まれようとも、何も変わらない世界において、暗帝はそのソウルをより暗く深化させ続けるだけの繰り返ししか許されない。

 火の簒奪者が作る世界。あるいは、深海の時代。

 その先を見たが、全ての者の居場所がなくなればその果て、土地が消える世界は縮小し、ソウルは絵画へと流れ込み始める。

 そして、その世界は其の儘に。だがやはり世界だけは残り、灰だけの世界となって全てが風化し、同じ様に最初から繰り返される。岩と霧と暗い闇。ならばまた火が生じるのも必然。

 此処では、どう足掻こうとも因果が灰に収束した。

 暗帝がどんな未来を見ようとも、最後の最後には最初に戻って永遠となる。

 

「―――おや。おやおやおや。

 これは悍ましい牢獄の世界。

 流星が落ちてきた大本を遡行してみれば、このような世界に寄り道するとは」

 

「何だ、貴様は……」

 

「宙を旅する褪せ人の一人さ」

 

 色褪せた黄金のような、輝きが無い黄色の光。それは頭部が光らぬ黄色の太陽となった何者か。口も目も耳も鼻もなく、丸い炎が揺らいでいる顔面の人型。

 

「……意味が分からぬ」

 

「外なる神からすれば、誰しも外なる神と言う訳だよ、君。だが何者かの遺志が介入した邂逅だとも察せられる。

 何と言う事だろう。神を作る意志を遺志に変えるべく、意志より生じた指の遺志を託された私だが、あぁだがしかし……いやはや、業腹じゃあないですか。終わりへ辿れば始まりは同じとなるとは」

 

「意味が、分からぬと言ってるのだが?」

 

「世界を一つに融かしに来た。大いなる意志はもう私の遺志となり、ならば輝ける遊星となって世界に堕ちる流星となる。

 そう、私が―――星となった!

 綺羅綺羅と光る流星より、また流星がキラキラと輝き分かれるのだからね?」

 

「成る程。意味は分かった。忌々しい来訪者か、貴様は」

 

「忌々しく想うのは私の方だ―――!

 エルデなどと言う神の中身となる幻視を生み出した理由、それを作った意志の根源……それを知る責務が私には存在する。

 獣の星よ……獣を流した意志よ……真理に啓蒙深い獣性など、誰が考え付いたと言うのか。何を経て、関係のない世界で神を作ろうとしたのか。

 お前はそれについて何か知っているのかな、女?

 だが、その者さえも生んだ元凶が存在するならば、更にその元凶さえも作った諸悪の根源が要るならば、それら全てを私として一つに融かす責任が私にはある!」

 

「―――知っている」

 

 その黄色の無貌は彼女の魂を幻視する。故に既知だと断定し、皇帝だった不死の女は迷い無く断言した。

 

「そんな事、知っているとも!

 分かっているから質問しているのだからネ!!」

 

「古い獣を探すと良い……だが、余はこの世界からは抜け出せぬ故、貴様は一人で探すしかないがな」

 

「げっひゃっひゃっはっはははははははハハハハハハハハハハハハハハ―――――!!!

 星の空にさえ見付からず、まさかこの世の外側から我らの空に来た者共だったとは、全く大いなる意志など嗤わせます。死ね、死ね死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね。死ね死ね。死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!

 ……ラニさん、聞こえていますか?

 貴女の律も意志から分かたれた幻視の法でした。

 全ての律を一つに混ぜ、私がエルデの概念となってまで求めた答えにやっと辿り着きました。星の琥珀がソウルなどと呼ばれる律……見付けました、星の空の先の此処で!!」

 

 流星のエルデンリングのポーズを取り、彼ないし彼女は答えにまで辿り着く出前に来たことを感じる。

 

「それで、貴様の名は?」

 

「エルデンリングを溶かした律。その概念となった者。されど、もはや名は消えた。生まれ変わりを繰り返し、容貌も性別も人格も個性も喪った。

 故、狂い火の王。

 否、狂気さえ今は色褪せた。

 そうだな、久方ぶりに問われた名乗り。そして、人間種との何百年振りの会話だ。あぁ、困る……実に困る。名などないと言うのに、何かを名乗らずにはいられんとは」

 

「好きにすれば良い。何を名乗ろうと、何も変わらず、何も得られぬよ」

 

褪せた流星(ターニッシュド・スター)、あるいは黄卿(サー・イエロ)、または律喰らい(デバウラー・オブ・オーダー)とでも……何を名乗ろうか、悩むぜ。悩むの。悩みます。

 何が良いと思いますか?

 お前は儂の魂を見ているじゃないですか?

 良い雰囲気のものを貴女に付けて頂けますと、非常に助かるかも?」

 

「貴様、脳の神経回路が狂っておる。言語野がまともに機能しておらん」

 

「仕方ない。見た目通り、私は頭の中が御花畑のどんな花弁よりも黄色いのでね」

 

「成る程、仕方ない。納得した。であれば、褪せ人で良かろう。貴様以外に、もういないのだろう?」

 

「ギャッハハハハハハッハッハッハハハハ!! この宙の下にはな!

 しかし、違う宙の下には同じ顔面黄色の同輩達がウジャウジャと存在しているとも!! 世界の数だけ、私達は世界を一つにすべく宙を巡る流星として旅をする!!」

 

「そうか。宇宙の深淵と交信する……その何だ、猛毒電磁波でも受信していると見える」

 

「あぁ、そうだが。知恵者の巨人に倣い、鏡で頭部を覆えば反射出来るがな。

 だが―――古い獣かぁ……そうか、そうか……ヒヒヒ、良き概念ぞ。あぁ、遂に大いなる意志に手が届く。届く、届くぞぉ……!!

 星の輝きが、色褪せた黄金の流星たる我が黄色の恒星に届くじゃないか!!

 成る程、成る程。これは素晴らしい、路が繋がった。哀れなる人間が獣と混ざり合った末路とは、何とも泣かせる悲劇じゃないですか。

 古い獣の濃霧に覆われた上位者共の悪夢が、空に浮かんでいるとは恐ろしい、美しい、悍ましい、素晴らしい。

 世界を終わらせた結果、違う世界に終わりを齎す悲劇が流れ落ちるとは。

 神が生まれた始まりが人の愚かさこそ起源となるならば、それを求める賢しき者は愚鈍の極みと呼べましょう!!」

 

 興奮の余り、黄色の星が燃え上がる。その火の熱さと輝きは見る者の魂を揺さぶり、暴走させ、その本質を肉体に具現させる狂気である。

 つまるところ、暗帝は人間性を強引に表へ引き摺り出された。

 狂い火の王の瞳と化した褪せ星(その顔)に見詰められたとなれば、誰だろうと魂が狂わずにはいられない。祝福を受けた褪せ人ならば、黄金樹の祝福が呪いとなって肉体から突き出るように、人間性の深淵に犯された暗帝であれば、その黒泥が同じ様に具現する。

 

「―――――」

 

 肉と皮を破って溢れる闇。それが一瞬にして物質化し、硬質化し、血肉ごと石化して硬直する。バジリスクの呪死に近い効果を持つも、だが褪せ星は何かを秘める魂を問答無用で暴き犯す。この褪せ人は何の遠慮もせず、呼吸をするように暗帝のソウルを凌辱した。

 とは言え、互いに真性の―――不死(アンデッド)

 暗帝は篝火と化した自身のソウルの熱によって蘇生し、魂を嬲り殺す神狂わせの病から直ぐ様に元通り。

 

「死んだ。しかし、悪い気分ではない死に様だな。心地良い……」

 

「魂が解放される故に、な。

 だが、すまぬ。興奮してしまいました。気分が昂ると発狂させてしまう体質でして、えぇ……それがお前の幻視たる中身の本質と」

 

「感謝する、褪せた流星(ターニッシュド・スター)。久しぶりの死だ。死ぬ事にすら無関心になっていたが、この死に方は初めてである。とても新鮮な気分にさせて貰った」

 

「どういたしまして、女。それで、名前を教えて頂いても?」

 

「余も貴様と同様、名を喪った。ただの人間、ただの女に過ぎんが、今は暗帝とだけ名乗っている。それと新しい感動をくれたお礼に、一つ良い言葉を縁として預けよう。

 ―――カルデア。

 貴様の暗い宙の旅路において、この概念が良き導きとなることだ」

 

「暗帝に、そしてカルデアと……―――ふむ、ならば来い」

 

「はぁ……?」

 

 褪せ人はぐいっと黄星の顔面を暗帝に近付け、右手で左手首を掴み、その耳元で力強過ぎる意志を込めて意味の分からないことを宣言する。

 

「道標は拓かれた。さぁ、暗帝ちゃん!

 この無限に広がる暗黒宇宙、俺と共に旅へ出ようじゃん!!」

 

「断固、拒否する。独りで逝け」

 

「おや。おや、おやおやおやおや。あれあれ、あれ、あれ、あれれれれ?

 私の誘い文句、決まらない。留まってるとメリナちゃんが運命キリングしてくるから、出来るだけピューと移動していたいんだけど」

 

「殺されてしまえ。どうせ、死なんのだろう?」

 

「否。死ぬ。蘇るだろうが、時間は掛り、蘇った私の魂が元の儘かも分からんからな。黄金樹の祝福を殺す彼女の刃は、貴公にとっても朱い腐れ毒となることだ。

 尤も―――昔の俺なら、だが。

 お前、生きるにウンザリしているなら、私の巫女に殺されるのも一興かもしれん」

 

「あぁ……それは、素晴らしい。実に素敵な死神が、貴様には救いとして与えられているのだな」

 

「素直に認めよう。彼女こそ、我が死、我が運命。我が終わりの巫女」

 

「それを、貸すのか?」

 

「すまん。やはり、この提案は忘れ給えよ。

 愛しき死を他者へ渡す程、私の心は広くはなかった」

 

「おい。悲しい何て分かり易い感情表現を、その炎の揺らし方で再現するな」

 

 見る者が見るなら、黄色の綺羅星が更に色褪せたションボリな雰囲気に見えるだろう。しかし、そもそも直視すれば発狂する邪悪な輝きであるため、何とも無意味な感情表現である。

 

「しかし、カルデアとは……おぉ、見える。見える。見えるではないか!!」

 

「良いから、手を離せ。貴様の日光はソウルに悪いのだ」

 

「ふむ、気難しい女性であるなぁ……――黙れ。行くぞ。

 永遠に価値はない。お前は此処に居る意味もない。真実、無意味である。

 終わりなき命が終わりを求めているのならば、私以外の誰が律を背負うと言うのか」

 

 揺らぐ黄色。深まる暗黒。法則が狂い出し、暗帝のソウルが褪せ人のエルデンリングへ蕩け合わさり、同時に褪せ人の律も暗帝の暗い魂に焦げ付き合う。掴んだ手と暗帝の腕が、互いにドロリと合わさった。

 ―――星になること。

 暗帝が永遠を輪廻する絵画世界が狂い、宇宙卵の殻となる門がぼやけ、空の境界となって律が崩れ始めた。重力から全てが解放され、虚空に穿たれた暗黒があらゆる法則を歪ませ、この‟宇宙"に穴が開かれた。そして、燃え広がる黄色の火。あらゆる存在がルーンとなってエルデンリングに食われ、この世界の律が喰い潰される。

 回収を。世界を運営する法則そのものを奪い取る。

 即ち、律の統一。だが、この世界は歪にして異物。

 狂い火に奪われたエルデンリングは、直ぐ様にこの世界の律と適合してしまった。あるいは、そもそも暗帝が人生を繰り返すこの世界自体が、エルデンリングと言う別世界の法則に一切の抵抗をしなかった。世界を破壊する敵を、むしろ歓迎して自分自身から破滅を受け入れ、黄色の滅びと言う律との融合を喜んでしまっていた。

 深まる闇が、本当の―――最期を理解した。

 恐らく、もう誰もが終わりにしたかったのだろう。

 文明を続ける意味も、また時代を最初からやり直す意義も、永遠に在り続ける理由も、もはや皆無。自動的にそうなるだけの仕組み。その世界で産まれたあらゆる生命が、己が命を拒絶するに至った悪夢のような箱庭。

 終わりにしてくれる救世主を前にし、自ら進み―――引導を渡されたかった。

 それが、答えである。唐突に現れた滅びに抵抗する意味がない世界に、此処はもう成り果てた。本来ならば、こんなにも容易く世界など狂い火の王だろうと滅ぼせない筈なのに、此処は自らを終わらせたいと進んで自害した。

 何故ならば、こんな末路にて永遠を苦しむのなら、そもそも誰も―――生まれたくなかった。

 果たして、こんな世界を狂い火の王以外の何者が終わらせられるのか。この世に生まれたことを絶望する魂に、一体誰が救いを与えられるのか。

 終わりを願う全ての生命に――救済を。

 それこそ、この褪せ人がこの世界に辿り着いた本当の訳。永遠を例外なく苦しむ人々の絶叫が、この王を呼び寄せた。今までそうして、狂い火の王は星となって世界を巡り回り、此処もまた終わるしかない故に今此処で総てが終える。

 一人、本来の住人ではない暗帝を除いて。彼女だけがまだ終われないと、闇から産まれた魂でない故に、この結末を答えだと得られなかった。

 

「貴様は、永遠を救える……と?」

 

「終わらせたい者にとって、のな」

 

 ――蕩け燃える魂の断末魔。

 暗い魂の血。それで描かれた世界の律に、狂い火の王が感染した。無限に確立した内の一つでしかないとは言え、世界の終わりが確定した瞬間であった。

 地面がついに盛り上がる。絵画と言う概念が壊れる。

 流星による直接的な重力崩壊。この世界と言う星が終わりを迎えた刻。

 永遠の暗黒が空に浮かび、星の種を生むかのように世界が一つの塊と成り始め、狂い火が輝く星として燈った。

 悪意等と言うには生温い邪悪の黄星。

 それは黄金樹を生み出す程の生命力。

 元より無尽蔵に近しい褪せ人の祝福。

 終わりの星を新たな律として己に融かし、今此処に狂い火は次の新世界へと旅立つ権利を得た。

 

「さぁ、共に逝こう。君の世界へ」

 

 暗い魂が道標となる。カルデア、と言う概念が存在する別世界への案内人。暗帝の裡から人理と言う素晴らしい律をその瞳で見た褪せ人は、新世界を心底から祝福しよう。

 

 

 

 

◇◆◇<●>◆◇◆

 

 

 

 

 そして、世界は唐突に終わりを迎えた。誰の目にも映らず、静かに空より降る黄色の邪星。その星を追うように来た数多の暗黒流星群。大いなる意志より分かたれた狂い火を滅する為、狂い火の王の焔で死に切れなかった大いなる意志の残滓が放った眷属の群れ。狭間の地における輪廻を狂い火の混沌より継ぎ、流星は黄金律と指による憎悪でもあった。

 時は西暦2016年。人理焼却が起きなかった未来の一つ。

 都市に降り立った獣共が人間を重力から解放し、暗黒を核にして数億人規模の人間球を作った。その生命たる星の種こそ、黄金樹と言う星樹の元となる木の種。人間の血肉によって黄金樹は赤色の生命を帯び、黄金樹の数だけ生まれた区画へ霧が覆い、黄金樹一つ一つが異界を創造する。

 人理は完全に―――崩壊した。

 人類史は外的破滅によって消え去った。

 人理焼却さえ起きていれば、あるいは外側から人理を感知される事もなく、その襲来を回避出来たかもしれない。だがこの世界は何事もなく平和で在ったが故に、特に選ばれた意味もなくあっさりと滅亡する選択肢しか残されていなかった。カルデアは存在していたというのに、だがこの滅び方に対処など人類で出来る訳がなかった。

 

「―――余の、所為なのか……?」

 

 祝福溢れる黄金の世界。幾本かの黄金樹は既に種を作り出し、それを宙へと流星として旅出させた。それは狂い火の王によって死んだ大いなる意志をまた再誕させる為、その養分として選ばれてしまった世界の悪用法。同時に星の獣たちはその狂い火の王を殺す為の刺客。

 黄金樹は人類を還樹させる事でこの世界の律である抑止力と人理の利用方法を学び、英霊の特性を持った人間を生命系統樹に組み込ませ、霧の内側で独自の文明を発展させていた。

 

「余が、余が……あぁ、あぁぁあああ……ッ―――」

 

 この人理世界は、流星の獣にとって素晴らしい苗床だった。余りにも豊富な生命資源。星の内側には独自の異界が存在し、その異界もまた黄金樹は地面に張らした根によってエネルギーを吸収し、その異界を運営する律もまた獣によっては価値のある法則。それもまた祝福の源となる黄金樹の栄養分。その惑星独自の魂の循環さえも黄金樹の樹脂たる琥珀を作るエネルギーに組み込み、大ルーンを為す素材にさえなろう。

 神の中身たる律を運営する概念――エルデンリング。

 ならば、エルデとは概念自体を生み出す創造律に他ならない。

 流れ星となって、数多のエルデの獣が地球に寄生する。黄金樹はその星の魂が流れる輪廻転生を外的制御する装置であり、その星の琥珀をエネルギーとする寄生植物。

 大いなる意志たるエルデより来たりし概念――エルデの獣。流れ星と共に飛来する星からの獣にして、意志の使者。

 それこそ、黄金樹の根幹。星の種から成長したエルデの樹は、惑星に根付くことで琥珀を作る。

 祝福によって人類の魂は輪廻の環に黄金樹が干渉し、その生死の繰り返しによってルーンが生み出される。人々の命と魂がエルデンリングを黄金樹の律として稼働させ、世界の法則としてその惑星の輪廻機構にする。

 人理―――その律が、黄金へと塗り替わった。

 暗帝の魂が縁となって辿り着いたこの世にて、抑止力が還樹されるのは必然だ。

 

「何故だ、どうして……世界は、それなのに……」

 

「―――人類に黄金樹の時代を。

 しかし、その現実を焼き払うのもまた人類。お前にまだこの世を憂う心があるとは思えないが、この星は人理の律が支配している。ならば、常識として憂う必要もない。

 どうせ、無かったことになるのだろう?

 苦しみも悲しみも、惨劇も悲劇も、不必要ならば弔いも要らぬのが人理の良い合理性。

 正しく、人の心無き完全律の一つと言える。

 私はとても好ましく思うぞ。善悪等無く、そこには正しさだけがあり、過ちを根底から根切るその徹底はな」

 

「だが、剪定事象は起きぬではないか?」

 

「黄金樹に、その律を取り込まれたからな。哀れではないか、世界の理を滅ぼすもその世を守るのもまた黄金樹。

 ゲッヒャッヒャッはっはっはっはー!!

 酒が美味いとはこの事か。お前の言う灰がおれば、そもそも世界の滅びなど起きる前に阻止されていたが、その灰がいないことで世界はこの末路に至りました。

 残酷なこと。とても、ね。

 我らが七柱の黄金樹全てを焼き払えば、エルデンリングのルーンとなった人理はエルデの支配から抜けられますが、その人理によってこの平行世界は剪定される運命となりました!!」

 

「もはや、八方塞がりだ。貴様の言に乗った余の過ち……」

 

「良いさ、良いさ。この世もまた、エルデンリングと同じく環の虜囚。人も、世界さえも、だ。だったら、罪悪感など無用でありんす。メッチャ如何でも良いことやねん。須く元に戻るのならば、あるいは元の世界が隣で平行して進んでいるならば、そもそもこの世界の人間の魂に何の価値が有ると言うのだろうか?

 全てに保険が掛けられ、失敗したとて、万事正常に人類は先に進む。

 何と言う欺瞞に溢れた律であろう。死んでも良く、生きていても良い等と。

 それはそれとして、英霊の霊基と言うモノを我輩の祝福に融かせたのは僥倖であったぜ。

 世界のテクスチャを好きに偽る因果律、その魂―――プリテンター、ねぇ……いやはや、私はそんな大層な褪せ人なんかじゃないんだけどさ?」

 

「ほざけ。貴様程、その霊基に相応しい化け物はおらん。己が魂をあらゆる魂に作り変え、世界を騙すのではなく、世界の運営方法ごと作り変えて世界を偽るなど、それ以外に何に該当する?」

 

「自分、ファーリナー志望っす!

 私は星……月の輪廻で輝く、冷たい夜の星が良いのだ。だが、褪せ人は貪る者。今はそう言うカタチの獣となり、人となる」

 

「知るか。酒でも飲んで眠れ」

 

「その通りさ! 故、祝おう!!

 永遠となったこの世界を想い―――乾杯!」

 

「あぁ、乾杯」

 

 暗帝が出した篝火の上、そこには鉄鍋。その中は、海老と蟹。黄金樹の支配領域で美味且つ巨大に育った甲殻類を食べつつ、悪酔いして泣き上戸になった暗帝を宥めつつ、褪せ人は篝火のエストと祝福の雫のカクテルをした酒を万能ツール鞄の秘密道具で作った後、それを聖杯瓶に入れてイッキ飲み。暗帝も同じく、エスト瓶を入れ物代わりにしてがぶ飲み中。

 何だか、生命力が甦る味がする酒気だった。

 今はもう黄金樹を六本燃やし、残す最後は日本区域のみ。此処は廃墟となった東京。富士の山頂に根を張り、豊富な生命資源によって狭間の地より成長した黄金樹は全長七千メートルを超え、富士山と合わされば一万メートル以上の狂気山樹。他の区域同様に、この日本も神代からの神話体系をエルデンリングに奪い取られ、魂のサイクルは黄金樹が司る不死の国。狭間の地の褪せ人を殺す為、他の所を同じく弱肉強食の残酷な戦争地域。

 黄泉は暴かれ、神代が蘇り、祝福によって英霊の魂を得た者達。そして、祝福された生き残りは人間として生き、祝福を失くした者は褪せ人と呼ばれ、死なずの奴隷として使役される。追い立てられ、血を狩猟対象にされ、祝福を受けた人間共の奴隷種族にされた鬼の角人。特に意味もなく狩り感覚で殺される妖怪や魔物。神々は屠殺され、祝福を得た人間たちの血肉となり、だがまた神々も祝福によって蘇る。

 磔にされた人々。拷問が習慣的に行われる鬼狩り。

 劣等と差別され、人も魔も神もある意味で平等に搾取される国。

 黄金樹より蘇った英霊が殺し合い、エルデンリングを奪い合う殺戮の応酬。

 褪せ人の狂い火に犯された律に、禁忌は無し。殺し合う事が正義であり、闘争の限り祝福され、戦いに心が折れた時に祝福は奪い取られよう。そして、英霊は常に祝福化されて供給され、受肉した今を生きる人間として蘇り続ける。

 壊れていた大いなる意志は、狂い火の王によって更に壊れ、手段と目的が合わさってしまっている。それより遣わされた眷属である星の獣もまた壊れ、意志も獣も褪せ人の狂い火の熱に狂っている。そして、既に六輪のエルデンリングが褪せ人のルーンとなった。それは七つ合わせても狭間の地のエルデンリングよりも弱くとも、狂い火の律によって人理と神話が合わさり、それぞれの地域を容易く地獄に変えていたのだろう。

 

「サー・モモタロー……あれは、強過ぎたなぁ……はぁ」

 

 飲み過ぎた所為か、暗帝は深い目で遠くを見詰めつつ、溜息を一つ。

 

「確かに。隕石群を遠距離から連続で切り落とすって、何ぞ?」

 

「劣等鬼種殲滅波って何だったのだろうか……?

 余、あの祝福貪り魔が怖い。まつろわぬ星の悪神、香香背男(かがせお)の頭を丸齧りにして殺すって、どうなのだろうな」

 

「鬼狩りの皇子、大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)……多分あれ、まだ生きてるな」

 

 神州最強。無敵皇子。鬼狩りの英雄。ヤマト四道将軍。あらゆる桃太郎伝承の力を持つ英霊の祝福を受けてしまった少年は、本来ならば人理を救う程の運命力を持っていた筈であったが、律の器となった見た目だけは美少女の根源接続者に支配されてしまい、しかし褪せ人と暗帝によって何とか討ち取られた。

 神たる全能の女王に偏愛される破目になった少年を思い、また酒を一口。旨い。二人は哀れだなぁ、と自分よりか彼が哀れでなく、むしろ哀れまれる立場であるなのを分かった上で酒の肴にして話題にした。

 

「お、今度はカレー味か。インド黄金樹界を思い出すな」

 

「味変じゃよ。塩味も良いですが、調理は創意工夫が命。即ち、愛。ついでに肉も入れよう。

 ……しかし、どの世界も人間は変らんのう。あの黄金樹界も……何じゃったけ、カーストだったか。あれ、貴賎感覚の極致じゃった。

 私が旅した狭間の地も色白蛙や萎え脚の差別人種、アルビノリック(しろがね人)らが迫害され、拷問され、ただそう在るだけで殺される。

 私もルーン欲しさに、遺剣の劣等殲滅波で毎日虐殺していたなぁ……」

 

「この日本黄金樹界も、角有りの鬼が差別され、奴隷として玩具にされておる。いやはや、本質的に人間とは祝福を得ようが変らんな」

 

「おや、おや、おや。おやおやややややや?

 そんな劣等種を助け回っていたお前が、そんな諦めを口にするとは」

 

「諦めておるから、力尽くで助けておったのだ。悪性の営みを喜ぶ民に、言葉は意味を為さんよ」

 

「ぐうの根も言えんグゥ……お、良い香りだ。この日本の原生樹林で取れる神獣は良い出汁が出おる出おる」

 

「此処の神代は、知性有る獣が荒神となって山々を根城にしていたらしいからな。だが人語を喋る巨大熊の肉は、どうなのだろう……?」

 

「命、大事に。動物は何でも食べるのが人の業よ」

 

「差別主義者が倫理を語るか?」

 

「差別された側の経験故の倫理じゃよ。私、特に思うところないのです。ゲッヒャッヒャ……そも、人は劣等よ。

 神に劣るようデザインされた生命に有意があるとでも?

 自分達と違うモノを群れから排斥するのは本能。生まれながらの獣性、それが劣等知性。

 とは言え、私がしろがね(アルビノリック)を蔑むのは正直、通り魔的に殺されまくったからなので、差別ではなく憎悪なのじゃがな!

 マジ、殺し足りんのです。いや、殺しても甦るから空しいだけじゃけど」

 

「貴様、根が俗物よな。余もそうだが」

 

「同意。俗物の極みですね。だけど、お前はちょっと性的倒錯し過ぎてる。でも、殺されたら殺す程に憎むのが普通やろ。

 王朝でのしろがね撲滅運動はルーティーンよ、ルーティーン。一日の始まりにまず黄金波。御買物のルーンはそうして手に入れるのが褪せ人の日常」

 

「はぁ……あ、そう。しかし、日本黄金樹界。此処を滅ぼせば、エルデンリングから解放された人理が剪定事象を引き起こすことを思えば、このままあの全能の器を壊すのも如何なのか」

 

「差別。貧困。紛争。飢餓。疫病。天災。人災。取り合えす、地獄じゃろ?」

 

「人界では当たり前の悲劇よ。一々、そんな程度で人理の人間は自滅せん。ある意味、愚かさとは永遠に付き合い続けるのが人の業だろう。

 だが、不死で死ねぬのもなぁ……魂が余のように淀み、腐り、深まり、暗くなるのならまだ良いのだが……」

 

「此処での褪せ人は、祝福から英霊の神秘が褪せた不死を意味するからのう……いやぁ、心折れた民は惨め惨め。

 英霊要らずの本人単体で糞強い褪せ人もいるにはいるが、やはり弱者の不死は哀れです」

 

「あの変態ら……逆に英霊の魂魄を、自らの魂に食べた故の褪せ人共か」

 

「古代源氏の超技術を得た魔術学者によって作られたロボット兵器って、何ぞ?」

 

「何だろうな……―――いや、大本はローマの神々と同じなのだが」

 

「顔面戦車やら、カラクリ巨大騎馬やら、巨大ゴーレム兵器やら、よく分からん超技術も私の星にはあったが、この星の技術力は吃驚仰天じゃ。

 この星は愉しいぞ。いやはや、旅は良いものだ。酒も飯も美味し」

 

「しかし他と異なり、この日本黄金樹界は栄えておる。あの女王が変態なのもあるが、初動が良かったのだろう」

 

「核兵器、だったじゃろ? 他区域の国、沢山もっておったからのう。

 あれ、黄金樹焼き払うのに自国へ何発も撃ってたからな。荒廃しまくりでイトオカシです。あるいは、虐殺エンジョイ人」

 

「結果、自滅とは。いやはや、憐れよなぁ……何せ、時代も悪かった。細菌や毒ガスなどの生物兵器による殲滅作戦も行われてしまった」

 

「ヨーロッパ黄金樹界、中華黄金樹界、中東黄金樹界、北南米黄金樹界、インド黄金樹界は最初から壊滅的。そして、何故か勝手に滅んだブリテン黄金樹界。

 残ったのが、殺戮兵器が少なく、一番小さな区画と言うのが皮肉じゃな」

 

「ヨーロッパが、特に酷いものだった。見目麗しいエルフが、ああも娯楽産業として尊厳か消化されるのは、一人の人間として恥ずかしい文化である」

 

「そうか? 北南米の方が出鱈目じゃなかったかのう?

 超大型の巨神が彷徨いてるとか、私からしても怖かったぜ。ついつい狂い火になったこの身を焼く滅びの火が解き放たれてしまった」

 

「黙れ。余ごと悪神を焼き払っただろうが」

 

「すまんのう。あの時の私は、今の桃髪フンワリ超絶美少女ではなく、禿頭髭顔色眼鏡親父に生まれ変っていたからですゾ」

 

「落差が相変わらず酷いな、貴様。後、ピンクは淫乱って学説をこの日本では聞いたが、気狂いでもあるようだな」

 

「整形が趣味なのだ。暇さえあれば顔面のストック数は増やすのが休日の過ごし方よ。お前が好きそうな、女受けをする中世的な美男子にでもなろうかい?」

 

「ほざけ。正体を知ってる余からすれば、何であれ気色悪い。顔面黄色。しかし、料理が美味いのは好印象だ」

 

「褪せ人の必須技術です。食べると筋力や耐久を上げられて便利だよ」

 

「神秘よなぁ……―――酒」

 

「はい、どうぞ。呑め、酔っ払い」

 

 グチグチグチグチ、と会話が止まらない飲食風景。共に行動をするようになって五百五十八年。もはやこの惨劇が日常となった年月であり、黄金樹によって訪れた新時代が過ぎた時間であり、剪定事象から狂い火の律が世界を守り続けた歴史であった。

 とは言え、ずっと二人で旅をしていた訳ではない。特にこの日本黄金樹界では、他の黄金樹支配領域がほぼ放射能汚染と生物災害と疫病伝染で死に絶えた荒地であったのと違い、自然が保たれつつ、且つ在る程度は文明が維持され、だが荒廃も進んでいる場所。その分、他とは違って難所が多いのもあり、分担して行動することも多かった。

 

「あれ。あれあれ……この匂い、この気配、久方ぶりです」

 

「………」

 

「ほぉ。余好みの美少女……お前の相手には勿体ない」

 

 濃密な存在感の死。暗く、黒く、冷たい炎の死。焦げた赤色の髪は乱れ、右目は黄色く爛れ溶け、左目は宵色に淀んでいる少女姿の死。それは神を滅する程の運命的、死。

 ―――死。

 魂を殺す運命。肉体を殺す猛毒。

 それは命を削り消す琥珀。生を否定する概念。

 狂おしい死の具現。だが『死』に雑じった混沌の全て。それは『火』であり、それも『血』であり、それは『腐』となり、やがてそれは『星』となって輝くのだろう。

 

「やっと、追い付いたと思ったら……―――貴女、何をやっているの?」

 

「あ、メリナちゃん。なに、私を殺しに来たの?」

 

「そうだけど……はぁ、相変わらず狂ったお婆さんね」

 

「違います。違うのう、この世界だと儂みたいなのはロックと言うのじゃ。知っていましたか?」

 

「……狂い火、貴女にとっては玩具でしかないわね」

 

「ゲッヒャッヒャッはっはっは! 玩具にしたのは、三本指さ!

 あの祭壇にて祭られるは外なる神、モーグが愛した古い愛―――姿なき、真実の母。

 意志の眷属たる力。即ち、瞳。そして、不要された三本指の狂気が混ざり雑ざり、蕩け溶け合い、狂い火は誕生した。

 お前なら、理解出来るだろう―――種火の生贄。

 火もまた神たる幻視の概念。狂い火も、炎血も、滅びの火も、呪血も、本質は同じく神性よ。とは言え、外なる火、外なる腐、外なる血、排斥されたその三つを狂い混ぜた三本指の狂い火は、また特別ではあるがな。

 忌み子モーグが火の器たる血の君主となった様、巨人が祭る悪神によって滅びの火が黄金樹を焼く様、所詮は神共が望む律の儘よな。

 お前なら、共感出来るだろう―――私の黄金を。

 二本指が仕える黄金律の神性……星と死も、狂い火に融け合ったのよ。狭間の地に来訪していた外なる神は無論、今はもう宙にあった神性さえ私が全て貪り尽くした」

 

 星――流星、意志の獣。冷たい夜空、星と月。

 死――宵目、死の女王。死儀礼。凍える黒炎。

 火――悪神、滅びの火。巨人の神にして火種。

 腐――停滞、朱い腐敗。永遠の眠り、腐る毒。

 血――生命、真実の母。忌われた赤色の混沌。

 

「三本指は願っていたんだ、メリナ。こんな世界になるならば、最初からやり直そうと」

 

 二本指は星と死を司り、永遠の為に死を封じた黄金律。三本指は火と血と腐敗を司り、黄金律から不要とされた神性。

 だが、エルデの環から消された訳に非ず。

 ただ、そのリングから隠されてしまった。

 何もかもが一緒だった。それを乱せば、狂うのは必然だった。手から指を分ける最初の間違いから狂気は生まれ、全てを焼き溶かした所で元には戻らない。狂気は癒されず、やり直したとしても元には戻らず、間違いを無かった事になど出来ず、故に黄金が色褪せた黄色の混沌は生まれたのだろう。

 

「元より、全ては同じだった。指は五本、必要だった。星だけが永遠に輝き、世界を照らし続けようなど」

 

 血による混沌。命は受け皿。瞳は星にして、星は地上を見下ろす目。星の命がエルデンリングとなるのなら、環とは瞳であり、命は全て死で繋がっている。

 

「今を生きていた命は望んでいなかった……それは、貴女の意志によるもの」

 

「私に使命をくれた巫女の為に。生きる意味、それを知らぬ女ではあるまい。

 お前は私がヴァイクのような愛情による失敗をせぬ様、ベルナールのような絶望で裏切らぬ様、敢えて距離をとって必要最低限の接触にしておったが……まぁ、それが仇となったな。

 己の心を殺し、己を殺す為だけの旅をする贄。

 私は、そんな犠牲で律を続けるのは真っ平御免でしたから」

 

「………そう」

 

「それはそうと、駆け付け一杯。どうです?」

 

「頂きます」

 

 渡された杯の瓶、その中身を火種の巫女は一気に飲干した。燃えるような酩酊。巫女は狂おしい程の良き宵なる酔いを覚え、無性に何もかもを死なせたいと言う快楽を覚える。命が生きている事そのものが許せず、頭部を竜顎に変えて炎の咆哮を上げたい気分となる甘過ぎる酔い。それは暗帝にとっても、この酒の酔いこそ星の酩酊(エーブリエタース)と呼べる素晴らしき微睡。

 祝福とは、命の死で産まれる蜜。中身は日本産日本酒であるが、器が中身に影響を与えるのは自然。

 

「甘くて熱い。あぁ、美味しい……」

 

「呑め飲め……うむ。酔いで忘れていたが、先程までの会話、前にも同じことを喋ったかな?」

 

「ええ。狂い火を受ける前に貴女、言っていたわ」

 

「そうか、そうだったな。もう忘れてしまっていたな。では、食べなさい。話したいことも沢山あるんでしょう?」

 

「蟹と海老……あれ、これってザリガニよね?」

 

「日本のザリガニは凶暴でな、故に美味い。人間も鋏で挟み、凄く食べるぞ。蟹もな」

 

「…………この鍋の材料、人間食べてたの?」

 

「んー……そうじゃない?

 むしろ、私の手足食べたのも混ざってんじゃない?」

 

「そう。今更だけど、貴女って狂ってるわ。でも美味しい」

 

「えへへへ。ありがとう、メリナちゃん」

 

「どういたしまして、狂い火の王」

 

 茹で立つ味。酒と肉は魂で味わうのだ。隠し味に、狂おしい程の慈愛を込めて。

 

「―――……そうか。

 王の巫女よ、貴様ももう狂っているのだな」

 

「暗帝、だったかしら。この星にて、噂は聞いている」

 

「ほぉ、録な話ではあるまい?」

 

「ええ。何でもヨーロッパの黄金樹界は、悪どく滅ぼされたとか。

 この日本でもDOMAN(ドゥーマン)を名乗る悪徳法師と協力し、人間の祝福を呪詛で暴走させて、異形の怪物へと転生させたとか聞いたけど?」

 

「言うではないか。その貴様は、ブリテンを滅ばした元凶と見える。自滅したかと思ったが、犯人は貴様だろう?」

 

「あれは光の六王剣にして聖剣の王権、六妖精の鍛治師による奇跡の滅び。尤も防衛機構が寝坊しなければ、宇宙からの侵略は防げたらしいけど……その辺り、余所者の私には理解出来ない。

 奴隷鍛冶師として鎖に繋がれ、強制労働されていたのを私が助けたの。結果的に祝福持ちに、聖剣使いの騎士が大勢居て大変だった。妖精の犠牲による聖剣は、人間たちに奴隷種族として妖精らが搾取され、その黄金樹による歴史を覆す為の原罪らしい」

 

「ほう、ほう。成る程。それ、妖精共の自業自得ではないか?」

 

「はい。そもそもあの六人が聖剣を作れば、ブリテンに堕ちた流星は迎撃出来ましたし、堕ちたとしても挽回は容易く、初めから黄金樹の伐採も可能でした。

 しかし、ブリテンの大地に寄生した所為で、聖剣作成に必要な養分は全て楽園から吸われ、もう楽園も今は消えましたから。妖精の立場が、この日本で言う鬼だった。

 ……残酷なのは、中身のない空の聖剣を託された妖精の少女でした。

 祝福されたブリテンの人間を皆殺しにし尽くし、黄金樹を焼き払う為に生まれた彼女こそ……いえ、私が憐憫の願いを持つのは傲慢だった」

 

「この日本やブリテン同様、他も似たような地獄よ。畏敬と畏怖を込め、桃太郎卿と呼ばれるあの少年もその妖精の少女と似たような境遇だろう。

 違いがあるとすれば、此処の女王は律を宿す前から全能だった。そのような運命を愛さずにはいられない狂人だった。見付かれば、玩具にされるのが必然。

 今はもはや、此処は全能律が支配する女神の常世である。

 あるいは、それをも超えて根源律と呼んでも構わぬ程、神の奇跡に狂っておる」

 

 鍋から小皿に分けた蟹を暗帝は、今は狂い火に犯された宵目―――狂死の巫女へ、その運命を同情する表情を浮かべた儘に渡した。

 運命への同情など、英雄の精神を持つ者には屈辱だろう。しかし、その程度の獣性に感情を動かせる程、巫女は人間性を裡に残していない。同時に彼女は暗帝の憐憫が偽りなのも察しており、そうするのが正しい情緒だからそう言う貌を暗帝はしているだけだった。

 

「気が合うの、早いのう。儂、ずっとメリナちゃんと旅していたのに、一緒に鍋を突いた事もないってぇのに。

 と言うより、その刃で私を殺さないのですか?」

 

「死なないもの。この刃を死の聖剣に鍛え直しましたが、貴女の狂い火には律を殺す死も混ざってる。

 運命の死を殺せる程の―――死。

 この矛盾、私が克服しなければ、貴女の律には至れない」

 

「そっかぁ……じゃぁ、仕方ない。あぁ愉しみにしてるよ。

 死ねるあの感覚、忘れられぬ。祝福を与えられる前、褪せ人となり喪った死の終わり。生きるも死ぬも、未だこの身は律に縛られる故」

 

 ずず、と汁を啜る。蟹と海老(ザリガニ)なら美味い出汁が取れるのは狭間の地と同じく自然の摂理だが、それはそれとして褪せ人は一口する度に感動。

 

「嘘つき。死に、期待なんて無いでしょう」

 

「終わりにはならんかったからのう。じゃがな、お前はお前の死で、此処の黄金樹もブリテン同様に亡ぼすつもりかな?

 それが酷い欺瞞だと分かっているかい?

 我が狂い火よりも、この星本来の律は狂っておるぞ?

 私は生まれたくなかったと絶望する者の声を記録するが、この人理なる律は絶望そのものを根切る完全故の汚物よ。

 いや、汚物と言う評価さえ抹消する虚構の幻視で在る故、生命賛美に真っ向から反する生命無惨の恥知らず、且つ狂い火さえ嫌悪する倫理無き理の律。

 そもお前が、狂い火を嫌うのは生命を否定する為だ。その意味においてならば、やはり黄金樹はこの星でも正しい律である。

 如何に狂おうが、祝福とは全く以てそれだけで素晴らしい。そして、お前が狂い火と歪んだ律より守ろうとした世界が、この地球と言う人類種が産まれた箱庭の末路でもある」

 

「ええ。わかっています」

 

「狂い火で焼かれた意志より来たれし黄金樹。その我が混沌律であれば、剪定事象と言う法則から全ての生命が赦されることだ」

 

「それも、分かっています……」

 

「ならば、この世界にいる間は、お前と私はあの時通り、巫女と褪せ人に戻ると言う訳です」

 

「決断は任せる。狂い火を私は否定するけど、狂い火を選んだ貴女を否定はしたくない。本当は、黄金樹を焼くべきだった私は、そんな貴女を否定しなくてはならないけど。

 だから、あの時の貴女が星を滅ぼすまで何もしなかったように、最期までこの星の黄金の輝きを見届けます」

 

「ありがとう。私だけの、運命の死」

 

「―――ええ、ええ。実に感動的な話です。

 黄金樹に滅ぼされたこの惑星の人類種でなければ、涙が出てしまう程に」

 

 歪んだ空間。亀裂の入った時空。その隙間からニュルリと言う効果音が聞こえそうな仕草で、その女は出て来た。

 そう、その人間は正しく『女』であった。

 女と言う概念を具現した、美しく、麗しく、芳しく、艶かしく、素晴らしい美女だった。その姿は黄金律としか呼べず、これ以上ない絶対的比率のバランスであり―――エロスの体現だった。

 とんでもなく、どうしようもなく、圧倒的なエロチックを誇る性なる聖女だった。序でに着ている服も、服とは呼べない性的衝動を見る相手に与える下着同然の代物だった。

 

「貴様は、殺生院祈荒か。どうした、性欲解消の男女漁りは良いのか」

 

「はい。私のH&Wコレクションも揃ってきましたし、関東内府の御仕事も部下に任せれば安泰です」

 

「H&Wコレクション……?」

 

「あら、メリナ様。御存知ではないのですね。この日本では大分知名度のある私の所業なのですが」

 

「ハズバンド・アンド・ワイフの略じゃよ、メリナちゃん。あの冒涜的火山の拷問館……ではなく、火山館の拷問部屋の性的版みたいな悪趣味さね。

 とは言え、今は少子不老化社会が酷いとのことで、今はそこの女の趣味嗜好で赤子工房にもなっているとか、いないとか、そんな感じです。

 ―――悍ましい在り様だ、殺生院。

 だが効率的だからと、工場の製造過程に落とし込んだ生命の営みこそ人間の業。

 魔人の強さへ至り、神の如き体を得て、しかして人間性たる己が意志は元の儘」

 

「…………」

 

「良き、蔑みの瞳ですわ。メリナ様、私、興奮してしまいます」

 

「この女、無敵だから止めとけ。昔の余に並ぶ変態だ」

 

 理解出来ない変態を見る狂死の巫女へ、不死の暗帝は諦め共に忠告をした。

 

「頂けない言葉です。暗帝様とは理解者同志になれると思っていましたのに。折角、妹に衣食住を面倒見て貰っていた二ート全能の目を盗み、苦労して此処へ来た私への侮辱でしょう」

 

「あの全能の変態は躾甲斐がありそうで、実に余好みな美少女で在る故、貴様よりもあやつの方が好きである。

 ……そもそもな、貴様の目的は桃太郎だったろうが。

 その無駄に溌剌で御機嫌な様子、どうやらあの神州最強は仕留め切れんかったか」

 

「はい。正しく、その通り。御苦労様でした。貴女たちが彼を弱めて頂けた御蔭で、良き夜のお相手を拾う事が出来ました。

 今、思い出しただけで…・・はぅ、肉が欲で蕩ける熱い夜でしたね」

 

「―――詳しく」

 

「褪せ人、聞くな。余の耳が腐る……はぁ、貴様らの女王、怒るであろう。桃太郎はお気に入りだったと思うが?」

 

「えぇ……―――それが?」

 

「ま、そうよな。元より気にする女ではなかったな、他人のものか、否か等と」

 

 暗帝は遠い場所を見る瞳で宙を見上げ、そもそも元凶が宙から来た黄金の星神だったと思い直し、やってられないと言う感情を隠さずに酒を流し込む。

 

「良くお分かりで。なので……ええ、その鍋、私にも下さらないかしら、褪せ人様?」

 

「構わんぞ、色欲狐。鍋は大勢で囲む程、美味きものです。しかし、質問があるのですが、宜しいかな?」

 

 座る巫女の太腿を撫でようと尼は手を伸ばし、それを巫女の俊敏な手刀で叩き落とされる。暗帝は狐耳の尼が近くにいると性欲が昂って食欲が減るので、さり気無く彼女へと押し付けていた。

 しかし、それでも手を出すのを諦めない。余りのも素早いセクシャルアタック。食事中にすることではないが、狐尼には関係のない倫理。むしろ、飲み食いしながらするのも良き趣向。

 

「褪せ人様の鍋も巫女は絶品ですね……え、あ、はい。宜しいですよ」

 

 とは言え、褪せ人にも人情はある。さり気無く質問をすることで巫女をエロ攻撃から逸らし、幾度目かの邂逅であるので相手の正体と性根も見抜き、本当に特に意味も理由もなく自分達に会いに来たこの色尼との会話を楽しむことにした。

 

「君の祝福は九尾の狐で良かったな?」

 

「その通りです。玉藻様の成れ果てこそ、私の祝福でした……まぁ、貴女様が見抜いている通り、今はそれだけではありませんが」

 

「そりゃ別に良いじゃよ。ぶくぶく太り給え。良く肥えたその魂、欲深くで実に人間らしいからな。ほら、儂も同じなので理解出来ますから。

 ―――で、蘆屋は?」

 

「その場の勢いで」

 

「そうか。死んだか、あいつ……いや、別に良いんだけど。で、ヤってから消化したん?」

 

「勿論ですとも。貌と体は良い男でしたので」

 

「そっか。そっか、そっか……はぁ、面倒臭い。こっちの協力者、減るのはのぅ」

 

「この黄金樹を守る正義の味方を倒すのに、あれは丁度良い相手でしたからね」

 

「あの褐色白髪の赤マント、シツコイじゃん?

 この間、丸三日間、壺大砲担いであれと一対一で市街地で狙撃戦する破目になったんだよ。蘆屋がいりゃ楽だったんだぜ。困ります」

 

「人質戦法ですか。最低ですね」

 

 やれやれ、と堂に入った尼の溜息。見る者に性的欲情と共に、何処か神聖ささえ感じられる表情と吐息であり、見てるだけで胸焼けする甘さがある。

 

「お前が言うのか……?

 いや、良いけど。彼には千子村正が入っていますので、あの投影魔術も超次元的に悪辣で。私の武装も結構が複製に盗られてしまいました」

 

「私のお気に入りの御人です。体も心も、とても良いでしょう?」

 

「否定せんが……あれ、凄い誑しだろう?」

 

「ええ、とてもとても。ですが、黄金樹の所為でとても可哀想なんですよ。私たち人類はあの暗黒の星によって人類球にされ、星の種となって黄金樹の元になりましたが、そこで祝福に選定された魂はまた黄金樹から生み直されました。

 木の枝からの再誕。産まれ直し、それが今の生き残りです。

 もはや、黄金樹との共生しか人類種には残されていません。

 彼は正義の味方であり、本心では黄金樹を焼き払いたいでしょうに……しかし、それをすればただただこの星ごと全人類を滅ぼすだけの悪手になりました。

 ―――剪定事象、でしたか?

 エルデンリングが全ての人類を人理から守護する結果となりました。

 元凶がそれだと言うのに、それだけがこの星の、この未来に至った人類の可能性を尊んでおれます」

 

「あぁ……だから、か。だから、あの星を呼び込んだ私と暗帝を憎み切っているのだな」

 

「当たり前です。とは言え、私は貴女と暗帝様には感謝しています。友人になれました彼女との邂逅は良き運命でありましたし、何より毎日が気持良くて堪りません。

 黄金の流星絶頂―――……はぅ、誠に私の未来は黄金色に輝いておりましょうや」

 

「お前、まさか……―――え、本気か。そんな律を見出しているのか?

 この世界で律を産み直す方法に気が付いた最初の人間が、お前になるとは……」

 

 ニタァ、と蕩けた貌に刻まれる歪んだ笑み。魔でなく、天でなく、彼女は徹底して人。いや、天魔と呼ぶに相応しい魔人である。

 

「色星の環―――絶頂律。

 全てが蕩け合い、愛し合い、私となって昂りましょう」

 

 理解出来ない何か。悍ましいと呼称するのも無理な外なる魂。巫女と暗帝は驚きの余り、開けっ放しになってしまった口から汁を垂らしてしまった。

 褪せ人唯一人、尼の律を尊んだ。何であれ、世界とは全く以てそう在れば素晴らしい。

 絶頂律。聞いただけで心が躍る概念。褪せ人はまだまだ常識に囚われていた自分の浅知恵を恥入り、その幻視を啓蒙され、狂い火に様々な快楽の色が蕩け落ちていく感覚を覚える。

 

「人間とは、私です。こんな狂い果てた世にて、私だけが人間でありますれば、是非もありません。そして天に立つ人間の心根の本質とは、皆様方を差別なく、区別なく、優劣なく、等しく蕩けさせる至上の愛。

 ならば魂を統べる律とは――我が意、我が欲、それらこそが相応しいとは思いません?」

 

 己の未来を想像するだけで精神を絶頂させる麗しき尼の姿(カタチ)

 

「世も末だな。あ、本当に末だった」

 

「仰る通りかと」

 

 それはそれで、不幸のない未来だと褪せ人は思う。同時に、全人類がこの女の奴隷玩具になる訳であり、人々が永遠に性的快楽に溺れる高次元知性生命体になることを意味する。

 即ち――快楽の為の不死。

 正しく、快楽祝福。人々は快楽の為に生き、快楽の為に死に、快楽に溺れる眷属の神々となる。何せ神たる女王と血と性を交じ合わせれば、強制的に神性持ち。

 狂死の巫女は、死んだ魚よりも感情がない腐った瞳で尼を見ていた。つまるところ、理解したこの女の律を理解してしまった事実そのものを消したくなり、個人が法則を支配する世界とは一歩間違えればこうなることを悟っていた。

 何より怖いのは――エルデの輪は、その律を許容する。

 矛盾はない。永遠を良しとするならば、法則の組み立てなど何でも良く、完全も不全も等価であり、幸福も呪詛も同じ意味。無論、底無しの快楽も。例外は狂い火のみ。

 

「どうした、メリナ。手が震えておる」

 

 暗帝は絶望的変態性に対する畏怖で震える巫女を気に掛ける。恐らく、この手合いの悪と邂逅するのは初めてなのだろう。

 

「暗帝……私、人間って何だろうって最近想う。やっぱり命にも尊厳性がなくては、いっそ黄色く焦がすのも……駄目、駄目だ。挫けそう。

 何故、世界はこんなになってるのに、この人は愉しそうなんだろう?」

 

「人間は強いからな。頑張れる者は、頑張れてしまう。

 地獄に落ちても自前の適応性で居心地良く、人生を尊んで幸せなのだ」

 

「善であれ、悪であれ、此処の人間って強過ぎると思います」

 

「おい、あれは例外だ。性欲を満たす為に神になろうとする者など、況してやそれで本当に神となれる器を持つ聖人など、あやつしかおらん」

 

「私の母も、あれくらい型から外れていれば……いえ、それならそれで、二本指がまた間違いを正そうと元に戻って五本指の混沌たる黄金律になるだけ」

 

 そして、彼女はブリテン黄金樹界で入手した古式拳銃の手入れを始めた。酒と飯が落ち着けば、それと会話以外の暇潰しを欲するのが人の欲。この日本で流通している超小型携帯タッチスパコンも暇潰しには良いが、狂死の巫女は実益もあれば嬉しいと今や趣味となった装備点検の方が面白い。と言うより、狭間の地で()いていた褪せ人の殺戮アイテム作りに巫女も影響されたのだろう。中でも糞壺を作る際の褪せ人は酷く愉しそうで、遠い未来に来てしまった今でも印象深い様子である。

 弾丸に込められるのは―――運命の死(デスティニー・デス)

 それは狂死の弾丸。黒に混ざる赤と黄。

 ブリテンの王。不死の魔王。聖剣狂い。

 彼を殺した狂った巫女。妖精、生け贄。

 だが、王の伴侶たる女王は槍の写し身。

 託された魔銃と妖精に鍛え直された刃。

 黄金樹とは黄金呪。騎士王の写し身だった墓守の少女は、甦りを約束された王として黄金の祝福をされ、聖地奪還を夢見た獅子心王に王座無し。滅ぼされた楽園より生まれた残骸の魔女は黄金樹の枝から人間として生まれた筈なのに妖精として再誕し、腐れ湖の魔女となってしまった彼女は、現代の殺戮道具である銃火器を司る銃の魔女にもなっていた。

 妖精の魔女――ヴィヴィアン・ル・フェ。

 魔女が作った銃は、彼女(魔女)が死んで彼女(魔銃)となり、新しいこの星の、運命の死となった。聖剣成らざる聖銃は狂死の巫女の手元に残り、ブリテンの人間を悉く殺し尽くしたこの銃は新しい巫女の死の狂気と成り果てた。

 何の為に生まれたのか―――メリナは、思い悩む。

 褪せ人の手で与えられた自由なる運命の命。なれば自由もまた狂気の一つ。これが無限の可能性が導いた道の一つだとすれば、自由の代償とは余りにも大き過ぎた。

 魔銃は、重い。想いが、重い。母より託された使命ではなく、これは自分で自分に課した使命と、その使命によって得た永遠の責務。決して晴らされる事のない罪科の現れ。

 

「…………」

 

 尼の性的悪手癖とセクシャル言葉責めを受け流す褪せ人を見つつ、暗帝は暗い気分を晴らすべく、口に頬張った肴を酒で流し込んで食欲と飲酒欲を満たす。狂い火の褪せ人と共にこの星に来た暗帝は、幾らこの並列世界を彷徨して探しても灰は居なかった事を思い返す。あの灰の記録を知る暗帝は、此処には葦名はなく、ヤーナムもないのを知っていた。そして、そもそも灰さえ居ればこんな惨事には決してならず、なったとしても人類の未来は選択肢として残されていた事だろう。

 暗帝が滅ぼした霧界の一つ、中東黄金樹界―――バベル王国は最も酷く、差別、迫害、虐殺、虐待、殺戮が日常と化した場所。天使と悪魔が、邪悪なる人間共の玩具にされる世界。嘗て全人類の文化と言語に統一し、神と宗教を排して人類圏を巨塔の都市に纏め、人類王となった天国への反逆者が、黄金樹塔によって支配する人國。

 人間が、法則も含めて何かもを支配すれば如何なる処となるのか―――地獄、と呼べば良いのだろう。逆に其処は人間だけの狂宴が許される楽園でもあった。冠位弓兵の資格を持つ一人の王が、人類種の何もかもを赦してしまった楽土であった。

 

「思えば、余……良く倒せたな」

 

 天使殺し、拳の聖者。天使を殺して魂を狩り集め、神の使徒ではなく、人の使徒に変えた人國官。褪せ人がとある蛮地の王を思い返す程の筋肉の化身だった男。だが悪魔もまた聖なる拳で打ち祓い、人間の奴隷として捕え、人國なる地獄へと囚われた罪人として苦しめ続ける。彼一人だけで全人類を守るのに戦力は十分だと言うのに、天使と悪魔は人國王の使徒として奴隷兵になり、黄金樹を燃やしに来た褪せ人と暗帝と戦っていた。

 地獄こそ極楽。

 楽土とは焦土。

 悪夢さえ楽園。

 宙に浮かぶ神の館は地に堕ちた。ガフの扉は抉じ開けられ、黄金樹の養分として吸い取られた。

 救世主(セイヴァー)は黄泉返る。死の卵から黄泉孵る。カルデアの王によって虜囚された啓示の民を救った覇王は、女王に殺され血袋に首を詰められた神人は、その地に祝福として甦る。そして、救世主殺しの魔人もまた蘇る。

 しかし、その人國も消え去った。最後に残るは日本のみ。

 

月読命(ツクヨミ)だったか……」

 

 根源接続者が幻視として貪った神の名。それを暗帝は思い出し、どうしたものかと悩む。神殺しの神、神を殺した月の神剣。夜に浮かぶ暗き月こそ、今の日本を照らす偽りの神の太陽の正体。尤も、その太陽神の分け身を宿す人間がこの場にいる尼なのだが。

 暗帝は思うに、此処は暗月の人國。

 色情の淫炎で燃える狐火の太陽と、殺し取った女神(うけもち)の権能で神々の魂を貪り尽くす暗き新たなる月。しかし、その邪魔をするのに利用しようとした陰陽師(DOMAN)は死んだ。もういない。

 保食神(うけもちのかみ)、本来なら命を吐き出す豊穣の女神。だが、既に神性は人間共の人間性によって反転してしまった。

 

「月を落とさねばならんとは。褪せ人の巫女、貴様なら殺せるか?」

 

「何であれ、神には律が付き物。運命と因果より祝福された者なら、私が殺せない道理はないでしょう」

 

「そうか。いや、良かった。ドーマンの代わりが必要だった故」

 

 暗帝が見るのは、腐れ湖の魔女より産み出た狂銃。巫女はもう、見てるだけでは許されない。使命の為に死ぬ旅を生き延びた先の自由の正体とはソレだ。自由に伴う責務とは、何の為に死ぬのかではなく、自分の裡から生まれた願いの為に生きて苦しむ事である。

 不死ならば―――永遠に。

 暗帝がそう在る様、褪せ人がそう在る様、今の巫女もまた同様。

 星の意志が映り宿る右瞳は黄色く、女王の遺志を継いだ左瞳は宵に沈み、巫女は違う二つの色で世界を見詰め続ける責務を背負う破目となった。狂火と狂死が彼女の意志を常に狂わし、火種である肉体は火炙りの激痛で何とか正気を保つ毎日。だが痛みに慣れ、痛覚が機能しない日々。

 爛れた続ける火種の器。

 幻視たる炎を宿す人薪。

 だからか、きっと託された願いが嬉しかったのだ。

 人殺しの為に生まれた銃の重みが、巫女へ生きる実感を新しく与えていた。 

 

 

 

 

 

◇◆◇<●>◆◇◆

 

 

 

 

 

 結局、世界は人理によって滅亡した。救済程、惨たらしい結末はない。黄金樹の支配から救われようとも、人間は決して許されない。

 人間から生まれた無色透明な集合意識域―――阿頼耶識が、人類種の平和な結末を許さない。

 望まれる因果律には限りがある。永遠に続く黄金の時代に価値はないと最初から決められている。

 

〝始まりの呪いとなった古い人、深淵の主。

 終わりの呪いとなった不死人、奴隷騎士。

 ―――……ダークソウル。余の人間性となって余を生かす、余の暗い魂”

 

 一人旅の最果て。流れ着いた世界の地球。遊星が墜ちる前、まだ生きる神が支配する時代の星。あるいは、遊星が地球にそもそも飛来しなかった可能性の一つ。それとも、悪魔が星を撃ち滅ぼして神々の世界を救った有り得ない霧の人世。

 一つ確かなのは、何故か人理が働き、剪定もされてないと言う現実。

 

「ああ、貴公。久方ぶりだな。私と同じく彷徨える事になるとは、悲劇と呼べる」

 

「貴様……―――まさか、あの悪魔か?」

 

「うむ。別の未来を選択した可能性の一つであるがな。しかし、意識をある程度は共有しておるぞ。古い獣も、数多の可能性を共有している故に。

 ほら、見給えよ。私は女だ。貴公の知る悪魔とは別人であるとも」

 

「ややこしいな、貴様ら。思えば、ソウルが似ておるだけでカタチが違うのか。だが、奴と違って古い獣の死滅を望んでいる訳ではないと見える」

 

「狂い火の流星となって来た褪せ人に、私がソウルを肥えさせ、星となった獣を狂わされてな……あぁ、貴公には大いなる意志と言った方が分かり易いか。星となり、時に鈍くなった我が神、我が獣。眷属を別の可能性を選んだ星に流れ落とし、獣を寄生させて霧に覆い、ただただエーテルを永遠に貪り続けるだけの現象。

 所詮、人間同様、神もまた獣よ。

 しかし、正体等に如何なる価値が宿ると言うのか。

 滅ぼされたとて、何も変わらんよ。しかし、獣を滅する為に獣となった私の手で、徹底的に殺し尽くされ、デーモンたる私もソウルを奪い取られ、今はこうして違う世に堕ちた訳だ」

 

「ならば、獣は?」

 

「我ら同様不死故、滅びん。しかし、もう要らんのでなぁ……―――喰った。

 私もまた古い獣の未来の一つであり、人から獣に退化したことで生まれ変わった悪魔の可能性でもある」

 

「あっさりとした答え合わせよ。いや、如何でも良い疑念ではあったがな」

 

「私と言うゴールに辿り着いた褒美だよ。

 エルデの源流、それこそ古い獣から漏れ出たエーテルの流星である」

 

「すまない、知っていた。あの褪せ人を殺し、ソウルから記録を読み込んだのでな」

 

「―――……あぁ、そう言えばそうか。私もまた不死の一匹、理解ある文化だ。

 我らにとって、殺し合いこそが分かり合いである。相互理解に魂を貪り合う以上の業など有り得ない」

 

 異なる神話で神域(テクスチャ)が違う世界。本来はそうであったが、もはや数多の神話が混ざり合う星となり、あらゆる創世神話が交じり、星より人を模された神から生まれたそれぞれの人類種と、次世代の霊長として類人猿から進化した人類が交配した人世。そして此処は、丸々星一つを霧が覆っている歪な穴。

 ―――空が、赤い。星を覆うソウルの霧は血に染まる。

 人類と神々を遊星から救った災厄を滅ぼすべく、遊星を滅ぼした獣の悪魔と敵対した神々の流血。

 ―――海が、白い。錆びた神血のソウルが母へと還る。

 創世神話にて神々や人類を生んだ女神は融け合わされ、獣に成り得る要素は全て深海へ沈没した。

 ―――地が、黒い。神域同士の領土闘争で地は焦げる。

 七種の獣が解放される日を回避出来ず、神々は霊長の悪性腫瘍に犯され、しかして悪魔は食べた。

 そして、悪魔は狂い火の王に滅ぼされた過去を喜んだ。古い獣は人の中身に堕落し、幻視となって形のないソウルに融け、悪魔は遂に古い人の獣になる未来を得た。この愉しき星に堕ちてしまった幸運も、全ては狂い火による因果律の集束だった。

 しかし、獣性は全て討伐された後の完結された人星。即ちこの星こそ、生き延びた神々と人々が、悪魔の霧に囚われ、宇宙へ旅立つ未来を永遠に失った揺り籠である。

 

「貴様が、全ての元凶か」

 

「肯定するしかあるまい。私が救い、私が滅ぼす。しかしてどうせ、先のない未来だ。この世は並列世界の繁栄を運営する人理に、私によるソウルの霧による祝福が無くば滅ぼされるだけの人代が正体だ。

 思えば、私には真理が足りぬ。正解が一つだけでは未来に進めぬ。

 魂の罪人たる要人のエーテルより生まれしソウル。そして、そのソウルより生まれたエルデのルーン。

 私はな、まだ見てみたいのだよ。我々人の魂が行き着く進化の先を。人が救われるには、何処まで魂を啓蒙させれば良いのかを。

 ―――永遠の魂が、欲しいのだ。

 獣の悪魔になった私は、人の悪魔になった私と違うのだよ。良くも悪くもな」

 

「あぁ、成る程。ならば、古い獣がヒトの思考形態を獲得とも言えるのだな」

 

「同様、人がケモノの深層心理を理解したとも言えよう」

 

 他太陽系で製造された戦艦。銀河系を巡る箒星、遊星本体。つまり根源(アーカーシャ)の叡智が当たり前の常識として取り込まれた地球惑星外の技術体系。

 今のこの星は文明が進み過ぎた。宇宙を庭とし、遊星や宇宙戦艦も作れる程。しかし、悪魔がこの宇宙に人間種の獣性を解き放つ邪悪を阻止し、他平行世界の人理崩壊を邪魔し、他惑星知性体や別人類種の平和を守っているのは余りにも余りな皮肉。あるいは、嘗て狂い火に壊されたエルデとしての業を省みた結果がこの世界なのかもしれない。

 だが、此処は魂の楽園。

 誰も人間が死なず、全ての神々は人域へ堕落した末に不死となり、命が循環せず、資源を奪い合う必要のない隔離された霧の星。

 悪魔の最果て、完全なる因果―――悪魔律(デモンズオーダー)

 だが星と宙から霧に隔離されたが故に、人の為のこの星は剪定事象を間逃れた。 

 

「後悔しておるのだな?」

 

 暗帝は、初めてあった筈の悪魔の心を啓蒙される。

 

「いや、未練である。犯した罪科に後悔はないが、我が業は完全には程遠い」

 

「余も、同じだ。この生きる決意に後悔はないが、やり残しが心に残ってる」

 

「そうか。私と同じだ。だが、此処もやがて永遠にはなれず、崩壊する運命」

 

「永遠は、永遠になれぬ。しかし、繰り返される故、永遠は永遠を繰り返す」

 

「感謝する、理解をして貰い。此処も、幾度目かの再誕後だ。まだ届かない」

 

「此方こそ、感謝だ。異邦人である余を、こうして出迎えてたのが貴様でな」

 

 悍ましい世。不気味、且つ猟奇的な終末。血の雨が赤い空から降り続け、地面が黒く錆びる世界。なのに暗帝の視界に広がる海は真っ白で、赤い血雨に一切染まらず、波一つ立たない静寂の世界。

 暗帝が来た此処は、港町とも呼べない漁村。

 白海から取れる奇形の魚介類を産業とする小さな村。

 ならば最初から悪魔は暗帝が此処に来ることを知っており、最初から自分の律が支配する狭間の星が滅びるのを知っていた。

 

「ああ、理解者よ。どうか、滅ぼしたくなるまで満喫し給え。この私の世界もまた不死ならば、好きなだけ世を殺すのが人の業。

 利益と効率を愉しむ為に人理が世界を剪定するならば、尚の事。

 可能性を殺すとは世の滅び。人間が、決して同類を許さぬのは当然だ。

 魂だけが滅びぬのだから。故に呪いは魂となって永劫、その業を手放さぬ限り、上位者気取りの意識域を恨み続けるのだろう」

 

「―――そうしよう。獣のデーモン。

 お互い、何時かは繰り返しに厭きるならば」

 

 一つの終わり。だが、その終わりは永遠に続く。世界が輪廻するならば、その世界に生まれた魂は環に囚われ、自分の肉体が牢獄となって逃げられない。

 悪魔殺しの悪魔は獣となった。

 果てに到達しようとも、其処が楽園とは限らなかった。

 人間は決して滅びることを、ゴールに辿りことを、許されないのだろう。

 

 

 

~~~~<◎>~~~~

 

 

 

 迅い。余りにも、敵は速い。完成した技巧を更に極め、業として完結する足捌き。縮地と似ているが、思想は全くの別。狩人特有の夢幻歩行であり、体術として透ける様に全てを容易く避け、悪夢に囚われた狩人として持つ時空間を歪ませ、現実を夢の幻像で汚染する二重作用。

 ―――見る者の瞳に、実体を認識させないのだ。

 元より悍ましい業の持ち主が自重せず、更に鍛え上げた極致。

 挙げ句、更に加速の業で時間を早めているとなれば、敵対する相手はどう足掻いても絶望するしかない死を視る事になる。

 生前の名を亡くした女の忌み名―――暗帝(ネロ)

 彼女は行き成り眼前に出現した狩人が持つ鋸で顔を潰され、攻撃を受けながら反撃すれば至近距離で散弾銃を足に撃たれて体幹が崩れ、しかし倒れ落ちることはなかった。狩人は武器を血中に融かして右腕と同化させ、更に右手を獣化させて爪を鋭く尖らせ、彼女を臓物の中から支えていた。

 

「ゴフ……ッ―――貴様!?」

 

「―――――」

 

 刹那の間、内臓を素手で掻き回される。臓腑たる大腸、小腸、肝臓、十二指腸、腎臓、子宮をほぼ同時に纏めて鷲掴みにされ、腹部から血飛沫と共に抜き取られた。

 その一撃、体を壊されただけではない。魂と体が生きようと死に抗う意志、即ち生命力が獣の手によって抜き取られた。そして、その返り血は狩人の全身に掛かり、赤く意志と生命を潤すのだろう。

 背中から地面へ倒れ込む身体、抉れた顔面。

 暗帝が見上げた先―――寡黙な狩人の瞳。波打たない静かな湖の模様。そして見上げたのは人の顔だと言うのに、狩人の脳は宇宙と化した悪夢であり、彼の瞳を覗けば深淵に映るのは高次元暗黒。宇宙とは空にあり、湖の底にあり、地底にあり、星見をする学術者の瞳には宇宙が映り、それもまた一つの宇宙であった。

 上位者の思索とは、全く以ってそれでしかない。

 目で観測すれば脳に情報が写り、そこでまた輝ける星が煌くのだ。

 暗帝は、その魂がソウルの業を覚えてしまっている故、その思索が脳に伝達されてしまった。与えられた訳ではないと言うのに、脳細胞が脈動し、脳部分に位置する霊体に瞳が仮想具現する。

 

「―――――」

 

 その女の頭を、狩人はゴキブリを殺すように踏み潰した。挙げ句、躙るように足の裏で脳漿を地面で擦り、その魂を破砕する。

 死んだ命から離れるソウル―――それを、狩人は瞳に映す。

 蘇る前、一瞬だけ無防備になる彼女の魂を捕え、彼は何の障害もなく悪夢へ導いた。狩りこそ本懐、人の魂を死人の遺志に変え、相手が不死者だろうと狩り殺せば狩人の獲物。

 

「あぁ……――――っ、余は……」

 

「貴公、おはよう。良い目覚めかね」

 

 月の香りを放つ白い花と、それが絨毯となり咲く墓地。倒れ伏した暗帝が顔を上げると、何故かそこには車椅子に座る狩り装束の狂人が一人と、その背後で取っ手を握る美麗な造形の長身人形が一つ。

 胡蝶蘭、その夢。悪夢の失楽園。見目麗しい作り物の人形が隣にいる場所。

 数ある領域と階層に隔たれた上位者の意識世界において、狩人の夢は美しく儚い頭蓋骨の中身。何とも綺麗な脳味噌であり、月が支配する青ざめた世界でもあった。

 

「……貴様が、目の前にいなくければな」

 

「ノータイムでの蘇り故、ノーカウントだ、ノーカウント。人の生き死になど背負い切れる程、私は聖人君子ではないのでな。

 恨みたいなら、恨んでくれ。許してくれるのなら、私の罪を許し給え。

 どちらでも良く、どちらでも私は構わず、ただ……そうだな。どちらにしろ、話は聞いて貰うが」

 

「何なんだ、貴様は。急に饒舌になったな、気味が悪い」

 

「狩人とは、ただ狩れば良いだけである。命を奪い取ることだけを思考する者であれば、それで良い。

 ならば、在り方の切り替えが大切なのだよ。車椅子とは、私にとって一種の人格レバーでね。座ると自然と無駄話を好み、且つお喋り好きの学術者に早変わりと言うものだ。

 おぉ、正しく啓蒙的生活術。左右に曲がり捲る変態が更に変態するとは、常軌を逸した日常だろう。とは言え、他者の身体に私の遺志を乗り憑けている場合もそうしてはいるがね?」

 

「えー、あ――……なに、どういう?」

 

「暗帝。つまりは貴公のソウルを思い付きで誘拐し、此処に拉致。そして、我が頭蓋の内側である素晴しい夢の中へと監禁した」

 

「―――おい。なんだ、それは?」

 

「火を簒奪した暗い炉、アッシェン・ワン……いや、人名ではアッシュ・ワンか。あの女、ややこしい名前を自分に付ける。

 まぁ良い。貴公の知る灰の女神、その奴隷皇帝である貴公の魂に用があった……が、もう殺し、その遺志を啓蒙されたので既に用済みなった。

 狩ってすまない。まずは謝罪をする。

 次、通り魔的に殺し、更に一度死んで頂き、とても感謝しているよ」

 

「はぁ……あぁー、成る程、成る程。良く分かった。

 本当に、もう目的を達した貴様にとっては、これは無駄話になるのだな?」

 

「Ano」

 

「――……チェコ語、か?」

 

「ああ、そうだ。皇帝特権、翻訳も万全なのは羨ましい限り。貴公に合わせ、今はラテン語で話してはいるが。

 とは言え、私は日本語が一番好きでなぁ……カインハーストの図書館、その蔵書にて、東国の剣士たる血族が寄贈した剣術指南書は日本語でな。その文字に宿る遺志を感じ取るには、やはり読者である自らが日本語に通じるのが手っ取り早いと言うもの。

 居合いを極めるための無の境地、剣士の静かな深き湖の精神性。そして、流水の如き自由な心へ導く啓蒙性。翻訳された多国籍言語では意味合いを解するのが難しい」

 

「どうでも良いわ」

 

「無駄話だとも――で?」

 

「わかった。余も、日本語で話そう」

 

「有難い。あの言語は、情緒的真実を伝えるのに便利である」

 

「構わん。言語には、地域と時代に限らず明るい方だ」

 

「ふむ、有難い。ならば貴公、魔神柱が繋げた宇宙に興味はないか?」

 

「……?」

 

 意味の分からない疑問。だが一つ、直感的に解ることがある。それは絶対に良くない出来事に襲われる未来。

 

「とある小説家が空想した宇宙神話でな。それと酷似した神性が生まれた世界をこの宇宙の外側から観測し、どうも時間軸から外れた英霊の座と繋げている。

 私も私でヤーナムの外の、この惑星上にて、実体を以て顕現しようとした幾匹かの宇宙神を密かに狩ったのだが、本体から離れた分身霊であり、彼らの完全消滅は私が向こう側に赴き、それらを狩り尽くさねばならない。

 色々と試行錯誤し、悪夢生まれの奴らが現実に直接的に干渉出来ぬ様、我らの悪夢が緩衝材になってはいるが……まぁ先程の言う通り、座を介されると難しい。

 尤も、英霊の付与された神性としてならば、問題解決は簡単になる。これらの狂気は人間の持つ浄化作用でどうとでもなり、出来なくとも剪定事象で無かったことにすれば良く、我ら狩人の上位者の出番など無用ではあるがね」

 

「話が、見えんのだが……?」

 

「呪いには、呪いを。狂った奴らの魂を、我らの狂気で狂い侵す。謂わば、呪詛返しだよ。どの国、どの時代においても、呪いは生み出した元の遺志へと還さねばなるまい。

 そして、貴公こそ―――呪い。

 星を狂わすのならば、我等もまた未知なる空を穢そうではないか。

 その為だけに、貴公には是非とも呪われて貰いたい。星を犯す彼らの神聖なる狂気に、生存に貪欲な人理の狂気を混ぜ合わせ、我らの魂が果てた先に得た狂気も融かし混ぜ、この惑星に生きる霊長種の遺志を外なる宙へと啓蒙する」

 

「貴様……ッ―――!」

 

 手足が動かない。白い小人が纏わり付き、地面を血泥の底無し沼にし、まるで罪人を地獄に落とす魔手となって暗帝を奈落へと引き摺り落とす。

 湧き出ている源泉は自分自身。暗帝は自分の血中に蟲が生み出るの実感し、蒼褪めた血が暗い魂の血に混ざり込む。そして脳漿が掻き混ぜられる悪寒に襲われ、臓物が雑ぜられ挽肉になる違和感に支配される。彼女は喉の底から赤い血の雑ざる蒼白いソウルを吐き出し、暗く淀む魂の黒い泥も同時に口から吐瀉してしまう。

 

「安心し給え。貴公、その魂には導きがある。心底、厭いたらまたこの宇宙に還ることが出来るとも。この悪夢から伸びる導きの白く輝く糸が臍の緒となり、貴公の胎の孔と繋がり、その魂を観測しよう。

 何より―――贖罪、欲しいのだろう?

 ならば、是非もなく僥倖な試練。狂気で以って猟奇的に人間共の生存欲求を守り給えよ。

 一人の犠牲で人類史の全てが守られるのであれば、貴公の魂一つで全ての時代が健常な地獄の儘となり、先史文明以前より続き、数万年先の滅びの未来までに生きる果ての、何兆人もの人々が救われる事になる」

 

「ぐげぇ……ごほ、ごほごほっ……!

 よもや、このような邪悪が、いる……と、は―――」

 

「灰に比較すれば、私などまだまだ赤子だ。我ら月の狩人が悪夢で星を狂気から守らずとも、彼女がいればこの世界は外なる宙の神々から問題なく守られていただろう。

 あれは根が聖職者でなぁ……あるいは、運命的にそれらを視界に入れた悪魔殺しが古い獣の餌にしていたやもな。

 しかし運命は悲愴、世界が悲劇で在るならば。

 ならばせめて悲壮であるべきだと、私は想う。

 さぁ、啓蒙の時間である。その頭を私が啓き、暗く澱む蒙を照らす導きの糸を垂らす。

 暗い魂の血が満ちる頭蓋骨の裡に封じられた灰色の脳へ、貴公の暗い瞳となる種子を植え付けようぞ。即座、神経細胞を繋げるシプナスの配列は銀河系と類似し、その銀河模様は外なる宙の銀河群と繋がろう」

 

「――――――……」

 

「沈んだか。では、人理にとって善き途を。神性にとって悪しき路を。そして、それが貴公にとって良き旅にならんことを、狩人の月へ祈りを捧げよう。

 どうせ永遠に続く人生の一幕。地獄は娯楽、狂気も悦楽、冒涜が娯楽。

 善悪の基準は悪夢に必要無し。故、悍ましい神性を食餌にしたまえよ。

 貴公の魂を咎める人間性に富んだ神など、宇宙の深淵に存在する道理がある訳がないのだから」

 



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啓蒙73:アウターナイトメア<②>

 この作品におけるクトゥルフ世界観みたいな雰囲気です。宇宙は美しいですよね?


 聖血は拝領された。竜の魔女は、魔女の狩人として完成され、体と業が造られた後に意志は完結し、素晴らしい生きる遺志となった。

 竜血とは、古都にとっても叡知となる啓蒙的神秘。憎悪で燃える報復の黒炎は血となり、狩人の業となって魔女の遺志に融ける。しかし、それこそが聖処女の聖血にして、星女の死血。

 

「君、家を出ろ」

 

「はぁ………?」

 

「獣を狩り給え」

 

「いや、狩ってるじゃない?」

 

「否。ヤーナムに獣など、僅かしかおらん。私の視座からではな」

 

「脳ごと目が腐ってんの? ウジャウジャしてるじゃない」

 

「基本、居るのは人間と家畜と上位者だ。正しく獣と呼べるのは、血に酔う獣性へ溺れず、神秘の冒涜的素晴らしさに狂わず、狩人の業による狩猟を理性と本能の二律を背反せずに好む狩人だろう。

 例えば、君とか、私とか、ゲールマンとか、マリアとか、そう言う類いの者。溺れ、狂えば、まだ人間的とも言える。

 私の視点においてだが、血に酔うも人を喪わぬ狩人だけが人狩りを楽しむ獣となれた。そして、狩人狩りこそ獣狩りの真実となる。

 理想的な獣とは、狩人を狩る狩人。とは言え、獣化した人間が獣ではないと否定はせんさ。これは私がヤーナムで得た所感に過ぎず、人肉を好む人間が、人間で在ると同時に獣でもあることは当然の真理だ。しかし、狩人に比較すれば獣性が身窄らしい」

 

 狩人は獣と思って獣化したヤーナム民を狩っているのではない。獣化した人間だと理解した上で、人間を狩り殺している。広義的には獣狩りではあるのだろうが、獣として人を狩らず、人殺しだと分かった上で獣となった人間を殺す狩人である。

 彼は好んで血に酔い、何処まで深く溺れようとも、正気と知性を失う程ではなく、気が狂う訳でなし。

 単純、人殺しの狩人で構わなかった。相手が人間ではないと錯覚する必要もなく、自己肯定せずとも現実を狂わず直視する。

 よって、彼の古狩人は正しい。月の狩人は血に酔い、獣にも人間にも上位者にも容赦はなく、人間性による憐みと情けもない"善”き狩人でもあった。迷いの無さは、自分に対する悟りであり、他者に対する弔いなのだろう。

 

「人間から血によって変貌した者は、獣と言うよりも、自らの獣血に精神を飼われた家畜だ。啓蒙低き生まれるべきではなかった無能者が、人血の本質を獣と言う生物だと思い込んだけのこと。本質を一つの答えだけに定めるべきと、狭義に考えることがそもそも啓蒙的思索から外れてもいるがな。

 火薬庫好きの古狩人は、正しい。獣は、やはり人だ。より正しい表現をすれば、どちらでも在ると言う事だ。

 即ち獣狩りは須く、学舎に倣う教会の欺瞞による錯覚だ。奴等が奴等の為に始めた習慣に過ぎず、教会の妄言を民衆に肯定させる為だけの愚かな思想。ヤーナムの獣狩りを必要悪と肯定しても、正しき人道的所業と錯覚すれば、情けない進化しか選択肢が残されぬ。あれは人の獣性であり、それは人が血に導かれた可能性の一つ。眼前の現実を見る際、そこに己が偏見と感情を挟めば、瞳に映る光景は自分が見たいだけの幻視となる。

 悪夢の漁村では獣になった住民ではなく、魚になった住民を狩っていただろう?

 全く以って、見た儘の分かり易い差異が正しい事もある。単純明快、血液汚染を受けた上位者によって形は決まる。血の悪夢に堕ちた人を獣と蔑むのであれば、医療教会の欺瞞に因らぬ獣狩りと言っても良いがな」

 

 獣性に溺れても人の形を喪わぬ者こそ、獣。血に依らず、獣として完成していた証明に他ならない。

 

「私にとって、人間こそ獣より獣性深きケダモノよ。人間の本質が、そもそも他人の血肉と尊厳を貪る賎しき性根だった。

 魔女である私の視点からすれば、人の別名が獣。逆に獣だから、殺し甲斐の生まれる人とも呼べるってだけ」

 

「ならば、人狩りこそ獣狩りか。私にとってどちらも等価値の狩猟だが」

 

「ふん。だからってね、人殺しと獣殺しの差異だって私にはあります。狩る相手が元人間でも、あいつら頭馬鹿になってるし、人肉好きになってるじゃない?

 そんな連中、倫理的にも獣でしょう?

 人道的見地からしても、生かすより殺した方が人間社会の為にもなりましょう」

 

「そうか。ならば、それが君にとっての獣だな。まさか、そこまで都合の良い憎悪を持つとは、あの灰による人選は完璧だ。

 私では、こうなるとまで人道に通じていない故、有難い完結のカタチとなろう」

 

 自分の答えに喜ぶ月の狩人を見て、魔女は蛞蝓を吐きたくなる気色悪さを得た。脳味噌の中の、シプナスの刺激反応まで見られて心理全て理解されていると言う、人間として心を読まれる以上の悪寒を覚えるのは何時まで経っても慣れる実感ではない。

 

「うわぁ……あんた、私をまた問答で馬鹿にした?」

 

「あぁ。しかし、子供はそうして成長するものだとも」

 

「―――で、結局、何をどうしたいのですか?」

 

「星の獣が目障りなのさ。上位者の失楽園に妄想は不要。悪夢に流れるエーテルとは、狂える人血と溺れる死血の混血こそ相応しい。

 始まりは、賢しく愚かな要人の欺瞞から。

 獣とは、そうして呼び込まれた。我らの悪夢とて、概念を司る意識領域による箱庭の連なり故、現実から映る夢幻となる場所。

 現実で、命が死ぬから夢にも死がある。

 人が神と崇める上位領域の存在も、夢にとって獣と同じ事」

 

「へぇ凄い成る程よく理解出来ましたぁ……―――って、私が言うとでも思ってんの?

 いや、思ってませんよね。だから態とそうやって、無駄に分かり難い言葉で喋ってんのよね?」

 

「もう一度言おう。子供はそうして現実を覚えて成長する。疑念無くして思索はなく、思索が必要となる疑問が学術者には大切だ。

 ビルゲンワースの学術書。医療教会の実験資料と、メンシス学派の研究論文。全て読み込み、理解する頭脳を得たと言うのに、学従者の自覚が芽生えないのは嘆かわしい」

 

「アンタが教える勉強、好きじゃないし……強くなるのに必要ならするけど興味ないから、必要以上は業に要らないもの。私の心に必要だって思えれば、勉学だろうと何だって愉しめるのですが」

 

「だから、君は弟子にはなれん。やはり私の業を継ぐのはオルガマリー唯一人。魔女の君では、精々が義理の娘止まりだろうさ。狩人としてならば、生まれ持った暴力と殺意で私以上の獣になれると言うのに、実に勿体無い。

 しかし、好奇心が無いのなら仕方がない。私や弟子程に、神秘の素晴しさに対して獣の貪欲さを得られぬのなら、学術者としての才能は皆無だろう」

 

「そこまでアンタが言うなら……愉しめないけど、強くなるのに必要な義務として苦行を耐えましょう」

 

「いや、強くはなれんぞ?」

 

「…………やる気、出ないわぁ」

 

「狩りに必要にもならん。私と言う狩人にとっても、古都の大学による学術はただの趣味に過ぎん。しかし、神秘の探求とはそう言うものさ」

 

「うーん、華の大学生と考えれば……いや、私の知ってる大学の学徒ってスライム人間だけなのですけどね?」

 

「学費は無料だぞ?」

 

「でも、騙す気も満々でしょう?」

 

「知識は偽らんさ。しかし、実験成果は私に啓蒙され、私の叡智として還元され、君の思索が私の思索の一つにもなる。

 とは言え、学び舎とはそう言うものだ。学徒の研究は大学の成果となる。その一環として、悪夢を多次元観測して学ぶ為にもヤーナムの外で独り暮らしをして欲しいと思い、君には家を出て貰おうと思ったのさ」

 

「え”……まさかまさかの、親の脛を齧る糞ニート扱い?」

 

 二人はヤーナムでは特殊な存在なため現代の常識を持ち、カルデアからの知識も本体に流れ込むので、傍で話を聞く人形には理解出来ない単語が結構な頻度で使われた。

 

「そうだ。働く前に、まず学べ。子供ならば尚の事さ」

 

「分かった。分かったわよ。やれば良いんでしょ、やれば」

 

「知識を得る感覚を知れば君も同様、啓蒙中毒罹患者となり、好奇の味を脳がやがて覚えよう」

 

「おい。義理の娘と呼ぶ女をヤクチュウもどきにさせんじゃないわよ」

 

「安心し給え。精々が、神が発狂死する程の冒涜に過ぎんさ。それに残念ながら、そもそも我らの様な狩人では叡智の思索に本気で狂えない。

 狩りの酔いと比較すれば、意志一つで制御出来てしま得る程度の中毒性だ」

 

「成る程。一度でも死ねばさっぱり出来そうな雰囲気ね」

 

「高所からの落下がお勧めだ。落下死の恐怖も娯楽にする変態性こそ、人間性の証明よ」

 

「あっそ……で、何時から?」

 

「今からでも」

 

「うん。じゃあ、今で」

 

「有り難い。ならば、この聖杯を使い給え。外なる悪夢に繋がっている」

 

 魔女が狩人より優しく手渡された聖杯。それは矢鱈と所々が鋭く角張っており、鋭角の意匠に拘り過ぎている歪な杯であった。何より悪臭を発しており、皮膚に染み付きそうな強さである。

 

「う、クサ……ホント、臭い。豚の尻に手を突っ込んで糞尿が詰まった内臓を引き摺り出した後の腕の残り香に比べれば、そりゃ遥かにマシだけど。ヤーナムでも中々の部類の刺激臭よ、これ」

 

「あぁ。そこに繋がる悪夢より漂っている。墓に生える花の香りに満ちる此処、狩人の家では余り嗅ぐことがない類だ。しかし、置き続ければそれも月の香りに染まるだろう」

 

「人形、嗅覚もあるんだから。アンタ、エチケットには気を使いなさいね」

 

「当然だとも。女性に対する紳士的マナーとは、狩人の仕掛け武器と同じく、獣で在りながらも自分が人間でも在るのだと悟る為に有能な感覚さ」

 

「黙れ、屑男。本当、啓蒙馬鹿」

 

「言われた理由は理解出来るが、君に言われる筋合いはない。とは言え、その事実と君は無関係故に、罵詈雑言は正しく受け入れよう」

 

「はいはい。言い訳お疲れ様ですぅ……」

 

「ふふ。君、やはり理想的な娘の反応だ。可愛いと言う幻視、私でも感じ取れるぞ」

 

 車椅子に座る狩人へ背を向け、魔女は適当な墓石に聖杯を供える。何時もと変わらず、脳内に異空間と接続されるイメージが浮かび上がり、何処に道を繋げるか悪夢の中を意思が錯綜する。丁度その時、魔女の背後に狩人が語り掛ける。

 

「そうだ。もし邂逅する好機があれば君と同じ魔女、アビゲイル・ウィリアムズを頼り給え。尤も本当に頼りとなるか如何かは知らんが、私が観た向こう側での同郷は彼女しか確かと言えないのでな」

 

「はぁ……? 魔女裁判を泥沼化させた元凶の名前じゃないの、それ?

 まぁ、魔女と告発されて拷問されなかったから、逆に魔女の名が相応しい愉快犯ってのもあるでしょうけど」

 

「鍵穴の娘の本名だ。忘れたのか?」

 

「あれ、んー……ん?」

 

 魔女は人の名が記憶から霞み易い。知識は忘れないのだが、過去が血の遺志により赤く染まり、思い出が意志の深くに沈んでしまう。集積する遺志の渦は他人の過去でもあり、通常それは自分を見失う危険性が凄まじく高く、例外である彼女だろうと意識的に掘り返さなければ、夢のように曖昧な記憶障害が引き起こる。

 

「あぁ、忘れてたわ。あの巫女のことね、助言者」

 

「助言者らしいアドバイスも稀にはしなくてはな」

 

「だったら、もっと詳しく?」

 

「行けば理解出来る上、会えば更に分かることさ」

 

「意味不明です。何時もながら、不親切な頭でっかちね」

 

「恐らく、私が渡せる一番の餞別だ。忘れずにい給えよ」

 

「そう。なら、ありがとう。覚えておくわ」

 

 それが魔女が放った門出の台詞。心の底から愉しそうに、歓びの笑みを狩人は浮かべた。同時に狩人の夢が歪み、此処と繋がる悪夢全てが崩れる程の膨大で悍ましい狂気が瞳から漏れ、人も神も見る者の正気を問答無用で消滅させる冒涜そのものへと狩人はなる。

 ―――狂気なのだ。それが今の魂。それこそ起源。

 善も、悪も、愛情も、憎悪も、彼の全ては狂気から生まれる。そして狂気をペンとし、遺志をインクにし、感情と言う名の文字を書く。それを繋ぎ合せて文章を記し、自分の人間性を幼年期を迎えたことで創造した。よって魔女への信頼も愛情も、彼にとっては狂気と等価にして同類。語るまでもなく、全てが啓蒙的思索。彼女の為になら、狩人は躊躇わず自決しよう。

 だから、祈りを。

 狂った魂に染まった遺志で、死を祈る。

 その祈りも狂気から発生した感情だとしても、彼の狂気で嘘は吐けないのだから。

 

 

 

■■■<●>■■■

 

 

 

 悪夢からの目覚め。それは新しい悪夢への眠り。嘗ての赤子の成れ果て、肉持つ遺志とも言える魔女の狩人―――ジャンヌ・ダルクにとって、何もかもが鋭角の都市だった。

 悪臭。異形。猟犬と、住人と、王達。

 あの月の狩人が面白半分に語っていた旅行先の異界を思い出し、だがその世界が夢見る赤子の空想でしかない宙だとも知り、故に啓蒙によって彼女は現実を解する。

 外なる神にとっての―――外なる魂。

 魔女は、今の自分こそ化け物たちにとって悍ましき奇形の忌み子だと分かっていた。

 夢からの、強制的な目覚め。夢に生きる者達からすれば、彼女こそ魔王を呼び覚ます悪夢のよう。そして、夢で在る故に此処では空想のような奇跡も、悪夢も、神秘も、宇宙法則に沿うならば自由自在。

 

「―――なのに、地球は今日も青いのね」

 

 何故、こんな世界を夢見るのか?

 自分をこの悪夢の世界に送った月の狩人を狩りたい衝動を抑え、その疑念を解決する為に彷徨うこと幾百年か。

 鋭角異界都市(ティンダロス)を脱しても、魔女は血の古都(ヤーナム)へと帰る術を持たず、あの遊星の様に宇宙を迷う嵌めになっていた。

 此処に阿頼耶識はなく、故に人理もまたなく、暗い魂も星の律もない。全ての霊長を守る為、人間から生まれた人ならざる人間の支配者など何処にも居ない。人間の集合無意識が星を支配せず、因果律に干渉して人類を運営しない。

 

「知らんよ。余、貴様みたいに星を見下ろす視点を持たぬ」

 

「……っち。やっと地球って言う特異点を見付けたってのに、手掛かりになる貴女が役立たずだ何て」

 

「黙れ。それは余の台詞。こっちは数万年前から迷い人だ。

 はぁ……灰によるソウルの業がなくば、とっくに記憶無しの亡者よな」

 

「―――で。なんなのよ、この世界?」

 

「余が知るものか……人理もなく、人類史も異なり、神秘の在り方が別物。

 となれば、選定事象で滅ぶ世界とも、あの異聞帯とも違う、異世界とも言えぬ別宇宙なのだろうよ」

 

「何よそれ、悪夢じゃない……――あ、そうね。悪夢だったわね。

 広いだけのヤーナムと同じ、誰かの脳味噌の中の、好奇と禁忌を楽しむだけの箱庭ってことですか」

 

「そもそも此処は余達の世と異なり、根源から産まれた世界でもないのだ。まぁ、一種の悪夢よな」

 

「マジかー……この地球、西暦何年?」

 

「数えておらん。ま、コンスタンティヌスのローマ帝国が滅んではいるのは覚えておる」

 

「そうなの……んで貴女、此処でなにやってんのよ?」

 

「海賊狩り。バルバリア海賊の知識はあるか?」

 

「あるわよ。人類史は文明技術含め、総て網羅してますので」

 

「そうか。まぁ偶然、世話になってた所の港町で略奪が起きてな。利益と宗教がハイブリットになった奴隷貿易と言うものだ。

 白人奴隷はアラブ文化園の商人によく売れる。ヨーロッパで流行る黒人奴隷と違い、男女比率も女寄りでな……白人性奴隷がブランド品なのよ。色白な美女は貴重品らしく、海の向こうの砂漠では一軒家の値段に匹敵するらしい」

 

「あらま。それで売れそうな男と若い女全般は生かして、基本金にならなそうなのは殺してんのね。

 ……しかし、猿の縄張り争いから何時になれば文明を進化出来るのやら。私のような衝動的な女でもね、情けない進化を嘆く程度の、深くて高くて広くて大きな思索の叡智がありますので」

 

「そうか。とは言え、今は惨劇を語ろう。いやはや、海賊共の強姦被害も酷いものだ。いや、酷くない性的略奪など知らんがな。犯した後、普通にあっさりと殺されるのも珍しくないい。

 まぁ兎も角、ローマ皇帝として戦争を先導していた余が非難出来る悲劇ではないが」

 

「そうねぇ……民衆やら、政治やら、経済やら、宗教やらと、人様の要望で成り立つ悪行って、加害者の感情が希薄で気色悪いのよね。復讐狂いの極悪人の私が言うのもあれなんだけど、マジで見るに耐えない汚物だわ」

 

「貴様は気持ち良く復讐するために、殺人行為にある種の美学を持ち込むからな。とは言え、それは英霊全般に言える理性的嗜好とも言える」

 

「武人やら、騎士やら、戦士やらと、復讐者を一緒にしないでくれます?」

 

「変わらんよ。余とて、どうせ殺すのなら、心地好く達成感を得て命を奪いたいからな。

 こいつを今―――殺すように」

 

「んん――っ!!」

 

 暗帝は虫けらを踏み潰すに、地面に転がる男の股間を砕いた。

 

「おいおい、面白半分で婦女子の股間にモノを詰め込んで遊んでいたのだ。この程度、声を漏らさず苦しめよ」

 

「あら、優しい。潰すだけで、刺して罰は与えないの?」

 

「数はいる。生きた儘、何人か捕まえたので罰は拘らんよ」

 

「へぇ……?

 貴女だけが全員を殺すの?」

 

「まさか。何のための生け捕りだ」

 

「良かったです。道理を弁えた女で」

 

「しかして、贄より神性は呼び覚まされた。此処に人類の因果律を縛る意識存在はおらぬ代わり、人の運命を操り弄ぶ邪悪なる星の知性体がおる。

 この惑星の生命系統樹は、冒涜的な命の汚濁から生まれたらしい。

 見ろ、魔女の狩人。いや、狩人の魔女か? まぁ、もはやどちらも同じ意味か?

 アレをこの星の人類種は神と呼ぶらしい。太古からこの星に生きる命として、宇宙より来た生物を神と崇めるらしい」

 

「上位者擬き共か。私を見ていたから、瞳で見返してみたけど、壊れかけの私の正気が削れそうで困っちゃう」

 

「良く言う。夢の者共など、貴様からすれば血の獲物。その気になれば、悪夢から醒まして仕舞える癖に」

 

「啓蒙するとは、その知性から啓蒙されると言う事。超人を語ったあの哲学者は、私にとって真実だったと言う事ね。

 けれど、けれどねぇ……貴女の暗い魂の血も、夢の世界へ現実の狂いを与えましょうに」

 

「哲学好きとは、な。いや、貴様のそれは、人類好きの考古学者のお飯事だな」

 

「否定はしないわ。でも無意味な真似事も暇潰しにはなりますし、先人達の無駄な努力を嗤うには、私もまた無駄が無駄だと理解できる知性が必要。

 何より、思索で求める叡知は等価値よ。

 それを生かせるか、死なせるか、決めるのは己の無意味さに他ならないの」

 

「下らないことこそ、善きものとは限らんか。しかし時期、貴様も余のように慣れる」

 

「はぁ? ……私が、何によ?」

 

「殺戮の無意味さに、だ。やはり殺すのならば、余は余に残った遺志の為、意味ある殺人で手を血に染めたいのだ」

 

「―――下らない。

 性根が腐ってる上に暗過ぎんのよ、アンタ」

 

 海から現れた人型の巨神は海賊船を掴み、捻り、潰し、ただ見るだけで人々の脳を爆破させる。そして、その巨神の眷属と思われる魚人達は海岸から上がり、思い思いに人々への殺戮を喜んでいる。

 しかし、元来殺戮とはそのような所業。命の尊さに価値はなく、死の貴さに意味はない。ただ視界にいたから殺すだけ殺し、罪の意識もなく殺し、娯楽を愉しむ疲労感と無駄な作業を繰り返す徒労感が混ざった苦しさを感じながら殺し、けれども命を奪う感覚を愉しんで殺す。殺す為に殺す機能を持つ知性体が人間以外に居るならば、人はそれを何と呼ぶのか。

 人間以外に、こうまで愉しんで人間を殺せる者は怪物以外に有り得ない。

 人間以外に、人間の命を食欲以外に消耗する罪科を持つのも化け物だけ。

 

「憐れです。恨み辛みの果て、魔導書からこんな連中を海から呼ぶか」

 

「ぎゃぁぁああああああああああああああああああ!!!」

 

 火炎放射器(フレイムスプレイヤー)が半魚人を燃やす。火炙りの魔女は、自分の体で聞き慣れた肉の焼けるジュワと言う音を半魚人から聞こえ、嗜虐心と狩猟本能が遺志から煮え泡立つのを感じる。

 狩人の悪夢の中、特に意義も見出さずに狩りを愉しんだ漁村よりもまだ良心的で冒涜的ではない人型に近いこの魚人を、魔女は狩猟技巧の儘に焼き魚にする。叫び声もまだあの漁村よりも人間の悲鳴に近く、ヤーナムの住人は化け物や怪物と形容するのも拒否感を覚える精神的異形の人類だと改めて実感した。

 

「成る程ねぇ……――あは。これ、まだ人殺しって雰囲気ね」

 

「ぴぎゃ!」

 

 序でに魔女は、暗帝が股間を砕いた海賊の頭蓋骨を魔女は蛆虫を潰すように踏み砕く。

 

「そこの暗帝、強姦野郎の股間で遊んでないで手伝いなさい」

 

「言い方が酷いな。流石の余とて分別はあるのだが……―――おい、あの半魚人共。人間の女を襲っておる。

 異種族を積極的に孕ますのか、あやつら。あるいは、人の女が繁殖に必要でもあるのか。見た目は化け物だが、あれでは人域の邪悪程度の知性が中身と見える。獣性を愉悦する海賊と変わらんではないか」

 

 海賊へ復讐する為に招来した異形だと言うのに、その異形の魚人らは村人を自分達の"女”として捕えていた。無論、海賊船に捕えれていた奴隷も同様、もはや魚人の血が交じり合う異形の母胎として利用されている。

 

「ふん、そうみたいね。人間に似ている生物みたいだわ、あの海産物」

 

「やれやれ。襲われた側が復讐で呼んだ異形の化け物だと言うのに、更に怪物に女子供が種子を孕ませるとは。これを悲劇と呼ばず、何と呼ぶ。

 人を呪うならば、自分達ごと呪いを掛けるのは勢いが良過ぎるのではないか?」

 

「喋りながら半魚人も海賊も殺すなんて、とても器用な虐殺者さんね」

 

「其方も、狩猟の技術が脳の機能として無意識で独立しているようだ。魂の領域で狩りを行えるなら、その血腥さも納得の業深き様よ」

 

 血の海の地獄。港街の住人と、奴隷船の海賊と、海から呼び出された海魔。そして、魔女と暗帝が加わった混沌過ぎる惨劇がこの場所の現状。

 殺した。狩った。斬った。潰した。燃やした。凍らせた。千切った。轢いた。撃った。炙った。切った。打った。叩いた。死なせた。射った。毒した。流血した。裂いた。

 思えば、殺し方に拘りはない。魔女は狂人が人を殺し尽くす為に生み出した空想の人間と実在の赤子の混ざり者の、魔物と英霊と人間の混血児。そんな女が持つ理性的正気がまともだと本人でさえ思っておらず、最初から猟奇的復讐心と冒涜的殺戮心が機能として備わっていた悪意の仔。望まれた事を望まれた儘に行い、親の罪を全て背負って死んだ赤ん坊。

 そんな魔女を内側から焼く火こそ、魂を葬送する暗い黒炎。それは怨讐の旗を仕込み武器の材料に使い、葬炎の鎌とした魔女の刃に宿る遺志でもある。同時に彼女は赤子の狩人でもある自分の血を触媒にし、あらゆる武器に黒炎付与(エンチャント)が可能である。

 

「でも、所詮は悪夢。この明るい空がヤーナムと同類の箱庭だ何て、気が付きたくもなかったです」

 

 憎悪の旗を捨て、代わりに弔いの鎌を振るう魔女の狩猟。槍術と棒術を合わせたような軽やかでいて、鋭く重い鎌の一閃は纏めて海賊共を輪切りにし、魚人もまた開き捌いて鏖殺する。地面に人間と魚人の血液と肉片がばら撒かれ、臓腑が地獄の釜のように掻き混ざり、腸から溢れた糞尿で更なる悪臭が臭い立つ。

 暗帝もまた暗い魂の血に染まった片刃大剣を、ソウルで鍛えた筋力任せで適当に振う。技巧を乗せる気はなく、素振りの気持ちで海賊も魚人も挽肉(ミンチ)に変え続ける。そして彼女は斬撃の概念を魂で無意識的に扱い、切られたのなら魂が斬り捨てられるのが道理であり、悪夢的な激痛を直接与え、精神的損傷によってあらゆる生命を壊してしまう。

 

「―――ダゴン、か。そう人間から呼ばれてるのは、確かと」

 

 不幸だったのは、どちらなのか。呼ばれ、久方ぶりに一族総出で人肉祭が出来ると思えば、其処に居たのは狩人と不死人。

 魚神は死を解した。死なぬ化け物に、出会ってしまった。理解した時にはもう頭上から狩人の鎌を突き刺され、首を暗帝の大剣で斬り落とされていた。

 それ故に―――殺戮とは、やはり人間の所業である。殺す相手の命に尊さを見出さず、眼前で転がる死に貴さを与えず、ただ視界にいたから殺すだけ殺し、罪の意識もなく殺す。殺したい、と言う欲求も枯れていると言うのに、獲物が生きているから自動的に技巧が身体を動かして殺すだけ。

 陸に上がった魚人共がそうした様に、魔女と暗帝は虐殺の為の虐殺を行った。船で寄った港で略奪と虐殺を営む海賊の様に、日常で行う仕事と変わらず殺戮を繰り返した。

 神の命は余りに安い。人の命が塵同然の様に。

 死を。この憐れな悲劇を終わらせる――死を。

 何でもない日常だ。良くある光景だ。邪悪な星々に運命を玩弄される地上の運命に、地獄以外の何が似合うと言うのか。それ以外、何が神託されると言うのか。

 それは遠い異世界で邂逅した魔女と暗帝にとって、何でもない日の出来事と重なった奇跡的な出会いであったのだ。

 

 

 

■■■<●>■■■

 

 

 

 魔女は―――人でなしの、怪人である。そして、復讐者。

 人狩りを喜ぶ化け物に成り切れず、怪物と呼ぶには葛藤が大きく、極悪人ではあるがそれでも人間だ。望まれた儘、偽りの憎悪で復讐を全うする為に創られ、産み落とされ、親の為に虐殺者で在り続ける罪の責務を背負った女の子だった。

 死産から蘇生され、人理の為に殺され、そして古都で死から目覚めた赤子だった。

 

「―――魔女よ、どうか……どうか、殺してくれ。あいつらを八つ裂きにして、燃やして、殺して、殺して、殺してくれ!!

 許せない。許せない、許せないんだ、魔女!

 俺は、恐怖に囚われて復讐を果たせない俺を許せないんだ!!

 殺さなきゃいけないのに、殺し尽くして、あいつらの女子供だろうと根絶やしにすべきなのに!!」

 

 片手を捥ぎ取られ、右足首を喰い落とされ、彼の皮膚を剥がれて焼かれ、右目を亡くした男。

 

「俺の、俺の家族が……村が、皆……皆ぁぁああ、ああああああああああああああ!!!!」

 

「――――――」

 

 ヨーロッパで絶大な権力を持つ啓示の宗教。その裏、とある国家の一地方にて、神を信奉する邪教が内部に入り込み、組織は乗っ取られ、真実の意味で"生きる神”の為の宗教機関と成り果てた。

 時代は中世。飢饉が定期的に起き、疫病が蔓延し、隣国同士で殺し合い、貧困格差で飢え死にや病死が当然であり、奴隷が消耗品として死なされ、石を投げれば屍に当たる程に人命が安い人間社会。そして、異端審問と魔女狩りにより、戦争がなくとも特に意味もなく、日常を過ごす民衆が迷信と権力の為に殺戮される悍ましいだけの忌み世。

 

「知るか。自分で殺しなさい。他人に憎悪を託す何て、気持ち悪いのよ……」

 

「無理だ。出来ないんだ……殺されるのは、良い。死ぬのも、良い。でもアレが相手じゃ人間は無力過ぎる!!

 アンタじゃなきゃ、殺せない―――!!

 俺はただ……ただ……虜になっていた……恐怖に震えているだけしか、出来なかった。俺の憎悪が無価値になる。俺じゃあ、あのクソッタレを殺す力がないんだ!!」

 

 殺意と怨念で興奮した彼は縋るように魔女へ近付き、だが喰われた足は上手く前に歩く事も満足に出来ない。そのまま転び、そして地面を這うような形で彼女の足に抱きついて懇願する。

 

「………ちょっと、おい」

 

「殺してくれ、殺してくれ。あの冒涜者共を、あの糞以下の魔女狩りの祈り屋を……神に祈る、全ての塵を燃やしてくれ」

 

「触るんじゃない! 気持ち悪いと言ってんのよ!」

 

「げぇがっ!!!」

 

 死なない様、力を込めずに男を蹴り飛ばす。しかし、怪我を負った男には十分な威力であり、あっさりと地面に転がした。

 嫌悪感しかない。心折れた復讐者など、一体何の価値があるのか。恐怖の虜になって動けず、なのに憎悪で復讐心で燃え続け、殺したくて堪らないのに殺す為に動けない。

 

「―――ッ……クソが。元々、あの生ゴミ共は私の獲物よ。頼まれなくても皆殺しです。

 けれど、貴方の為じゃありません。人命の為でも、況して正義なんてクソの代名詞の為でもない。私が、私の憎悪の為、私以外の獣を狩りたいだけ」

 

「ありが、とう。あぁ……魔女、魔女様……ありがとう、ありがとうござます……」

 

「礼を言うな、このクズ―――!」

 

 鏡像とは、何とも醜い者なのか。現実を映す鏡など夢でも見たくはない。自分が下衆以下の汚物だと自覚する魔女にとって、この男の醜態は狩りの酔いから醒まさせる劇物だった。自分の憎悪だと錯覚していた復讐を思い返すのに十分な薄汚さであり、自覚している醜さを見せ付けられるのは息苦しい。

 ―――螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)。青髭の宝具である空想の魔導書。

 その魔力と狂気を魔女は親から引き継ぎ、血に融けている。それこそ狩人が手に入れたこの宇宙への往復切符であり、魔女の狩人が空想の神性と縁を持つ所以。

 

「ありがとう、ありが――――ッ……?」

 

 ごぼ、と生々しい音が足元からした。顔面が捲り上がって血華が咲き、臓腑の腸が触手となり腹部内部で蠢き、それらが飛び出る男の最期を魔女は見た。

 

――――(ふんぐるい)――――(ふんぐるい)……と。はぁ、背信者風情が。

 人間の妄想で作られた偽りの教えを棄て、真なる神の教えを知った我らレレクス聖血教会に逆らうとは。いけませんねぇ、いけません。それは死んで償うしかないじゃないですか。

 拷問の暇潰しで腸に擬態させておいた神血精霊を、ついつい目覚めさせてしまったじゃあないですか」

 

「―――……」

 

「で、そこの男に何度も犯されてそうな女。神の愛に満ちた美しき我らの魔女狩りを防ぐなど、どういうつもりかな?

 ……しかし、良い。また見たがその顔、怖気するほど美しい。お前みたいな美人の魔女は我らの()奴隷にぴったりだ。魔女を玩具にして飼うなど、人間社会を守りつつも人命に大切にする善行。神も、お喜びになる」

 

 

「………」

 

「おいおい、無視か? そこの汚物を庇っていた訳を聞いてるんだぜ、女ァ」

 

「……――――――」

 

 パン、と銃声が鳴る。術師の質問に価値はなく、その声を脳が聞かず、殺そうと思考内で判断を下す前に無意識的に早撃ちを行っていた。

 飛び散る脳漿と血液が魔女に掛る。唇に脳の一部が付着し、顔が血化粧に染まる。無造作に素手でその"汚物”を拭き払い、口元から感じる気持ち悪さを解消する為に唾を吐き捨てた。

 

「うぇ……っち、クソ。簡単に殺しちゃった。気持ちワル。気分、最悪」

 

 眼下に新しい生命が生まれていた。魔女が救ったと勘違いしていた男が産んだ命であり、神の聖血が交じった人血から生じた眷属の赤子だった。

 魔女は自分自身を触媒にし、神秘の黒炎を手から放つ。触手のような精霊は命を焼き払われ、神に運命のサイコロを振わせず、魂を直接的に葬り去った。

 

「死ぬなら、もっと上手くやりなさいよ……」

 

 血の遺志を瞳に吸い、魔女はそのまま復讐者の男を火葬することに決めた。既に魂が宿らない肉塊に過ぎないが、遺志を弔う葬送の魔女がそうだからと無視する必要はない。油壺から死体へと油を垂らし、右人差指の先からライターの如く点火。黒い焔が油の染みた死体へ零れ、一気に炎上。火葬場よりも強い火力であり、肉が一瞬で燃え、血が気化し、炭になることなく骨となって葬送された。

 

「あーあ、獣ばかり。匂い立つわねぇ……何処もかしくも、狂って、堕ちて、罪が積み上がる様は何時だって悍ましい」

 

 復讐など珍しくもない。人が人を殺す動機の一つに過ぎない。殺人に溢れるこの世において、憎悪とは普遍的な感情であり、魔女が抱く復讐心は家族を殺された人々にとって当然の想い。命がなくなるまで生きるのなら、人が付き合い続ける自分自身の正体だ。

 それを不の感情だと断じて思考停止するなど、無能とすら呼べない白痴症。

 価値が無いと思う人間こそ、その人間が積む人生の過去に価値が宿らない。

 無論、その憎悪が自分の死によって消える恐怖に囚われ、あるいは恐怖そのものに震え、前に進めなくのも人間として当然の生存本能であり、自分の尊厳を守る機能だろう。

 

「―――レレクス聖血教会……確かその名、余は聞いた覚えがある」

 

「別に言わなくて良いです。そこの男の遺志、脳味噌に入れたので。それより遅いわ、暗帝」

 

 グニャリ、とその女は歪み出る。何もない筈の空間に隙間が生じ、当たり前のように彼女は惨劇の現場へ現れた。

 

「ふん。神の眷属を殺していた。そう湧き立つな、魔女。魔女狩りに昂奮する聖職者を狩り殺し、魔女として楽しめたのは分かるがな

 しかし、聖血教会(チャーチ・オブ・オールドブラッド)とは良い得て妙だ。

 あやつらは自分達に神の体液を輸血し、混血児に転生している。それも神々同士の血も混血させ、新しい神性も見出しておった」

 

「彼処と似たようなことを……ッ――――まさか?」

 

「思想を教えたのは、果たして誰であったか。嘗ての昔、貴様が論と啓蒙にて神を信じる狂信者の心を折り、神の不在証明を与えて賢者にした男が居たような。あるいは、魔女狩りに熱する枢機卿を幾人か、その信仰を改心させた事もあったかもな。

 敬虔な神の使徒が、実在する違う神の使徒にするに十分な出来事だ。

 おっと……そう思えば、その男は権力を教会でその後に得て、私設教室を立ち上げたようだ。勿論、協力者も多くおり、聖血由来の不死の立証も可能にしていたようだな」

 

 神狂いの宗教家を不快に思い、事実を啓蒙した過去を魔女を思い出す。発狂してもう何も出来ない木偶になった筈だが、その使徒は違う神に狂うことで再起したのだと理解した。

 

「神の脳に宿る意識体へと、血で繋がる人間の集合無意識に融け合わせるとはなぁ……余は、この世が少々気持ち悪く感じる。

 何を知れば、そこまで狂い果て、尊厳を凌辱出来るのか」

 

「どいつもこいつも、何処でも何時でも……狩っても狩っても、蟲のように卵から孵り続けて」

 

「狩るのか……?」

 

「憎悪の遺志が私に継がれたのです。狩らない理由がない」

 

「貴様は飽きずにソレばかりよ。どうだ、暇潰しに余のようにハレムでも愉しむのは。それか、余のハレムに入るのも良い。

 はぁ……貴様の気苦労は見ていて靄が心に張り付く。苛立ちもあるな。幾ら人の世を救った所で、誰も感謝などせんと言うのに。神の気紛れから幾度この星の人類種を救った?

 あの時も貴様は人を殺し、あの権力者共を利用して復讐の連鎖を断ち切った。復讐者として、復讐と言う人間の営みに一つの復讐を果たしただろうに。

 今回の悲劇、貴様も要因の一つだが原因ではない。何時も通りではないか。狂ったのはそいつの魂の因果律がそう在っただけ。原因は、人間を狂わせることを愉しむ神と崇められる下劣共だ」

 

「けれど、私は魔女の狩人。私以外に狩らせる気もありません」

 

「要らぬ苦労。正しく、貴様の疲れは徒労と呼ばれる種類。偶には堕落を抱いて溺死するのだ。性欲とはそも自分と言う生命設計図を残す活力であり、且つより良い遺伝子を産む進化の為の強さ。本能による命への尊びが、喜びの感情を作り、穢れて傷付く精神を癒す。

 分かるだろう……他者の人肌の温かさが、人の心を潤すのは誰もが知る真理。

 見るに堪えられぬよ、貴様の穢れ。余を布代わりにその血で穢すしか、貴様の意志はこびり付いた汚泥を拭き取れん」

 

「この、毒婦。アンタ、私で愉しみたいだけじゃない」

 

「親譲りなのかもしれん。遺志は引き継がれるものだ」

 

「じゃ、遠慮する。その代わり、狩りを手伝いなさい」

 

「拒絶とは。だが仕方ない。貴様の願いだ、手伝おう」

 

 違う神を信奉する異端信徒が教会に潜み、異端審問官となり、異端として民衆から魔女を作り出して拷問を行い、神への貴い生贄として処刑する。聖血教会にとって処刑台は贄を奉じる血の祭壇であり、魂を素晴しき古い神へと葬送する儀式であった。

 何と言う、合理性か。魔女狩りと言う文化自体を、大量の魂を贄する為のライン工場に作り変えた。更に儀式を愉しむ見守る無辜の民に宿る猟奇的歓喜と冒涜的正義によって、贄の魂は人々への狂気が生まれる。神が餌とするには上質過ぎる旨味となろう。

 レレクス(ルルイエ)に眠る神と、血で繋がる聖血の使徒達。

 皆を神の眷属(カゾク)とする教え。神の仔を増殖する罪深き家族作りの祈り。

 彼らは無論の事、魔女として処刑する無実の人々に、自分達と同じ聖血を輸血する。結果、拷問された事で本当に魔女に進化してしまった無罪の人々は、本物の魔物となって人輪廻から外れて一つとなった。

 

「―――狩らないと」

 

 それらの何もかもを魔女は察している。故に、その魔女狩りを魔女として狩りを全うする。

 魔女と暗帝。狩人と不死。異邦人として、この星と無関係な二人は神の魔の手と人間の狂気的脅威から何時も通り、人々の営みを守り続けていた。

 

 

 

 

====<(◎)>====

 

 

 

 

 ―――魔女狩り。宗教による究極の集団ヒステリー。

 監視、密告、拷問、処刑。あるいは、過度な拷問による獄中死。人間の精神を苛む為の、あらゆる道具を使った虐待理念。しかし、ただ生きるだけで過酷な世において、その人間性の歪みも当然な社会現象。今の技術程度しか進歩していない文明において、地球は死に溢れた地獄である。

 飢餓、戦争、疫病。人間を殺す大いなる災害。だが、人間を統率する筈の社会機構が、現行の人間社会を維持する為に贄となる少数の人間を殺すのもまた、災害と呼べる人災だ。

 

「あぁはぁー……善意を好む人間らしく、生活に密着した愉快な人殺し……何て、私程度が人助けしようが、正そうとしても仕様がないって言うのにね。

 どんな宇宙であろうと変わらない糞溜めみたいな人間社会、見続けていると本気(マジ)で気が滅入る。独り言も増えてく一方じゃないの」

 

 よって魔女は、気色の悪い人間を殆んど鏖殺してしまった。とある田舎の集落で行われていた公開処刑を見かけた際、異端審問の性的拷問を受けた末に殺される寸前の少女に"同情”してしまい、憎悪の炎で処刑を娯楽として愉しんでいた人畜生を焼却した。

 感情的にならず、理性で以って状況判断をした上で、やはり感情の儘に殺してしまえと冷徹に自己判断を下し、神を愛する敬虔な信徒を殺し尽くした。祈りと言う盲目的殺人自慰行為に耽る屑共の魂を、自分と言う地獄の炉へ叩き込む為に魔女は殺した人間の遺志を例外無く貪り尽くした。

 悪夢にようこそ、信仰で自慰する羊共。

 魔女は冒涜的心象風景が渦巻く脳内へと落ちた人類種に、魔女らしい憎悪の暗い祝福を唱える。

 とは言え、盲目な羊を愛する神は、古き時代では神罰を徹底する神話世界の一柱。ある意味、殺人行為と殺戮鏖殺は神の代行。不信心者は生きる価値なしであり、その天罰死を疑うことは許されず、信者として誰かの死を喜ばねばならない。だから魔女は、無辜の民衆に一切容赦はしない。欺瞞や権力によって人死を作り出して悪徳に酔う者共と同じ様に扱い、同じ様に等価値に邪悪な人殺しとして憎悪の火を向ける。

 

「……………」

 

「おい」

 

「…………ぁ」

 

「貴女のそれ、酷い喉ね。ふぅん……熱湯を無理矢理呑まされて、苦痛を受けて叫ぶ事も出来なくなってるじゃない」

 

「……………」

 

「あ、それと謝っとく。すまん。貴女の両親とか、姉妹とか、親戚とか多分、普通に焼いちゃったわ。まぁでもさ、良いじゃないの?

 どうせ、神と信仰と教会への権威の為に、貴女を見捨てた肉親ですし?

 どうせ、そんな連中の人間性に何て魂の尊厳は宿らないから、遺志にも価値は余りないし?」

 

「…………」

 

「との事で、はい。私の言い訳はこれで終わりです。自分の思想の為とは言え、貴女を生かすのに殺したのなら、その命に責任を追うのもまた私の為の責務です」

 

 異端審問により、心も体も壊れた女を拾い、魔女は灰に還した村から立ち去る。結果、死に逝く一人を助ける為、公開処刑と言う娯楽を愉しんでいた者は全て死に、悪夢に落ちた。村八分にされない様、保身で愉しんでいる真似をしている村人も殺し、僅かでも熱気に当てられて死を喜ぶ子供さえも殺した。

 思う儘に、在る。人の世に関わるのなら、それを第一の信条と魔女はする。

 何より、この村は完全に終わっている。宇宙から飛来した他惑星由来の知性体が忍び込み、その遺伝子を人間に取り入れ、遺伝子組み換え人間を秘密裏に人工繁殖していた家畜人舎と化していた。この度の集団ヒステリーも人間の集団心理を測定する為の実験に過ぎず、学者がマウス等の実験用生物を利用した集団生活の動物実験を行うのと何も変わらない行動学の探求であった。

 遥か太古、生に苦しみ続ける人の脳が生んだ神への祈り。

 万を超える群れの統率を維持する人類の発明、宗教と言う社会機構。

 公開処刑を愉しむ村人達だった。奴等は醜く、下衆で蒙昧、且つ悍ましい高度な知能を持つ地球の自然環境が作り上げた知性体。だがその実、奴等に果たして自由意思は存在していたのか、否か。

 だから、殺した―――と、魔女は自分を正当化しない。やはりその殺意を脳細胞が生んだのだから、苛立つ獣を殺したのが根本。狩りたいから、思う儘に狩っただけ。裏側に一秒でも早く死んだ方に人類に良い残虐邪悪知性体が居るのを最初から見抜いていたが、弱者を甚振って殺す村人を殺したいと思ったのは真実である。

 だから、探した―――と、魔女は元凶を逃す気はない。既に異次元宇宙文明技術で製造された空中浮遊要塞を見付けており、人間文明を実験する狂行動学者を狩り殺しに空を登った。まるで螺旋階段を歩き進む様に魔女は天空を登り進んで行った。

 二足歩行する牢人姿の鮫人間(デミシャーク)

 筋骨隆々な騎士甲冑姿の鶏人間(マンチキン)

 ブーメランパンツ一丁の長尾驢人(カンガルーマン)

 兜を被る大剣二刀流の人猩猩(ヒューゴリラ)

 ヒップドロップを愛する袋熊人間(レスラーウォンバッド)

 狙撃用の機械弓を背負う鷹人間(レンジャーホーク)

 空中要塞で襲って来たヒトモドキの怪人を手当たり次第に魔女は狩り殺し、魔力が一番渦巻く危険区画に歩き進む。

 

「猫はグッド。とても可愛い。人もグレイト。実に可憐。地球産ペット生物の中で、スマイリーな愛玩動物。ならば、その二つを遺伝子配合した新種のペット生命を作るのはジャスティス経済。

 猫人間は、とても良い。ドリームランドでも大変人気だ。

 ムーンビーストの奴等も、普通の人間を拷問するよりも気合が入るらしい。

 この糞のように劣った人類種の知的社会の中において、超知性体である私が神となるのは当然であり、その身を人間や動物が捧げて我が利となるのも摂理だろう」

 

 ―――人間。恐らくは、異次元生まれの者。ティンダロスの血を継ぐ混血児。

 巨大な子猫に生餌の人間を与え、その餌やりの光景を娯楽として愉しみつつも、自分が製作した雌猫人と性行為をする怪物。子猫が戯れる可愛らしい鳴声がすると同時、苦痛に満ちた人間の絶叫が鳴り響き、血肉を砕く咀嚼音が奏でられる。そして、パンパンパンパンと肉と肉が激しくぶつかり合う音も響く。

 それは冒涜的異種族間繁殖行為。それを愉しむ者が魔女狩り熱狂全ての元凶。

 人類学を熱心に嗜む実践派の学術者にして、異種族間の遺伝子配合で新生物を生み出す事業に興じる狂人である。

 尤も、三秒後―――死ぬのだが。

 異次元由来の高次元干渉魔術による攻撃を魔女に行うも、彼女はステップ一つで回避しながら容易く接敵し、鎌で首を狩りながら魂を暗い炎で焼殺。その首を更に穢れた蟲を踏み潰すように砕き、床に散らる脳味噌さえも熱処理して消滅させた。

 

「……っち、人喰い猫が」

 

 魔女は人を食べていた巨大子猫を鎌で瞬間解剖し、被害者の遺骸ごと火葬。見た目が可愛らしかろうが、獣は獣。獣性に狩人は平等だ。害獣に慈悲は無く、人を甚振る事に歓びを覚えたのなら、狩人として殺しておいた方が良い。尤も、獣狩りを喜ぶ狩人も所詮は同類の獣ではあるが。

 そして、異形に犯されていた全裸の猫少女を助け出す。何時も通りの感情が壊死した空ろな目をした儘、魔女は自分の境遇でもあるレイプ被害者に手を差し伸べる。魔女にとってはこのような善行を行う感情的動力源も復讐と同様、過去の恨み辛みから湧き出る憎悪である故、ある意味で反転した善意と言うオルタナティブの名に相応しい社会的正義であろう。

 

「にゃー……にゃん、にゃん」

 

「成る程、ナルホドね。啓蒙により、私は猫語も嗜む魔女。貴女の言葉で、この空中要塞の詳細も大体は理解出来ました。良い情報です。

 こっちからの報酬として、どうでしょう……その姿では迫害されるでしょうし、魔術でも学んで人間社会にでも融け込む?」

 

「はい」

 

「――……何よ。人語、喋れるじゃないの」

 

 一時間もせず、魔女は空中要塞を地面に墜落させた。この時代の地球の人類種であれば、数週間で文明征服が可能な超文明要塞であったが、魔女からすれば特に苦労するような偉業ではなかった。

 とは言え、魔女狩りなどの迫害から人を救い上げるのは幾度目か。

 科学文明が深まり、政治制度が進めば、未成熟な社会常識による歪みは一定レベルまで正され、無知の悲劇は確かに今よりは減る。しかし、その文明レベルに届くまで犠牲者の屍は積み上げられる。それまでの間、魔女は視界に入る被害者を助け続ける。

 カルデアに敗れた身である為、その流儀を遺志として自分に魔女は融かし合わせ、彼女は自分が特異点で殺した人数の何千何万倍以上の人命を危機から助けた。だが救えど救えど、自分のような性被害者やジェノサイドの犠牲者は、人類社会が維持される限り決してなくなりはしない。人間を根底から人間以外の生命体へ作り変えない限り、人間は人間を社会繁栄の為に消費し続ける。

 とは言え、元は殺戮主義の極悪人にして大悪党。善行を積み、徳を為そうが性根は変わらない。だから、どうしたと魔女は割り切っているのも事実。人間が救えないことに然程の絶望感はなく、そこそこの虚しさしか感情は湧かず、希望に溢れた未来に関心はない。

 単純明快、自分以外の人殺しに苛立つのだ。

 ついつい、発作的に殺害する副次的人助け。

 後天的な善性として生真面目に生命を尊ぶも、生まれ持った本質は憎悪の悪性。

 殺せば殺す程、人殺しに殺される犠牲者が救われる。その繰り返しでしかない。

 しかし、地獄の底で()った命に魔女はなるべく責任を持つ。()った命を人間社会と言う野へ見捨てては、人殺しを狩って人殺しから助けた命がまた文明のエネルギーとして消費されるだけ。

 今の拠点―――団体生活所、魔女の狩り舎。

 空間転移でさっくり移動した後、魔女は助けられた人を連れて其処へ帰っていた。その数年後。特に世界は変わりなく、魔女は獣狩りをしつつ、気が付けば我が家が広がり過ぎて村のサイズになっていた。そして、それなりの規模の狩人機関となって組織運営され、神話災害を起こす人類の天敵となる神話生物を殺す復讐者の拠り所となっていった。

 即ち、地球外知性体を人類生存圏から駆逐する狩り村。

 人間性の営みに害為す獣を殺す獣狩り。それを生業とする一種の新興宗教とも言えた。

 

「魔女様……」

 

「うん、なに?」

 

「お客さん、来たよ……?」

 

「あら、ありがとう。でも、私の脳が感知出来ないお客さんね……―――ま、行ってみます」

 

 錬金術師となった猫耳の少女からの言葉を受け、魔女はその相手がいる方向に進む。相変わらず脳が気配を感じ取れないが、気配が無さ過ぎてその空間自体が人型の認知不能領域となっている。感じ取れない事を感じ取れてしまえば、逆にその客の居場所は分かり易いとも言える。

 ―――神か、と魔女は啓蒙された。

 上位者狩りも獣狩りと同様、血の歓び。

 だが神も所詮、獣の一種。神性と獣性は相克するが、狩人にとっては味わえる脳内麻薬の違いでしかない。

 

「どうも、魔女様。お噂は聞いております。人類社会から迫害される人を、健気にもお助けになっておられるとか?」

 

「なに、嗤いにでも来たのかしら。だったらその懺悔、聞いて上げます。

 人一人殺す事の罪の重さも知らない白痴の精神的弱者には、魔女らしく憐れみを。同時に人一人助けられない道徳的無能者を嗤うのも、私にとっては素晴しき善行となる」

 

「……―――成る程。珍しい、実に珍しい。

 貴女達すれば外宇宙とは我らの事だが、我らからすれば貴女達こそ外宇宙となる。外なる宙であれば、道徳が悪徳となり、邪悪が神聖となり、素晴しき愛が冒涜なる欲となるのだろう。

 君は、どうなのかね……?

 この宇宙を見て、どう思うのかね?

 啓蒙をされるのだろうかと……素晴しきモノを得られたのかね?

 遺伝子による本能の儘、人間が人間らしく、社会と言う動物の群れを運営する機能に従い、この星の動物らしく同種を守っているのかと思ったのだ。善性など進化によって得た生命種としての脳機能に過ぎず、夢見る儘に脳が化学物質を生成して意思決定を操作する快楽である。だが、だが、やはり君がそうではないと知り、残念に思うと同時に嬉しくも思うのだよ。

 この私も所詮、神の脳が見る夢から零れ落ちた妄想に過ぎず、空想に生じた存在でしかない。

 生命種に下等も上等も存在せず、あらゆる生物の生涯が宙を夢見る脳のシナプスでしかない。

 神も、それ以外も、何かもが赤子の夢を飾り付け、夢見る赤子を愉しませる道化でしかない。

 だから根源から流れ落ちた魂の筈だと言うのに、あの悪夢に流れ落ち、この領域外の空に零れ落ち、宇宙を夢見る赤ん坊の脳内に来た君はきっと素晴しいと思ったのだ」

 

「……………あー、その何。つまり貴女の目的って、まさかの人生相談?」

 

「その通り。ベビーシッターが本職な腐れ道化の分け身ですが、今は人間に転生した地球人。ある意味、赤子の夢見る宇宙の外を知る君は、神の叡智たる我が脳以上の知識がたんまり入った吃驚ボックス。この地球、楽しそうだから監視してねと切り離れた糞無貌野郎の貌の一つだけど、魂はアレとは言え人間性はちゃんと喜怒哀楽がある一般的人類種だ。

 勿論、性欲もある。衝動的にセックスもする。恋人も居た事がある。

 君ら人間の家族と言う社会機構が、身動きが取れない赤ん坊と、赤ん坊の面倒を見る女を外敵から守り、子孫の血を未来に繋げる為に遺伝子が進化して得た本能とは知識では分かってはいても、それに付随する本能的快楽を私の脳はちゃんと人間として得られている」

 

「いや、そっちの事情なんて知りませんし、知りたくも有りません。セックスの正当性を魔女の私に説明されましても、その……なに、あれです。困ります」

 

「うむ。愛は好まぬと?」

 

「いいえ。勿論、好きです。私もまた、人間ですから。人の本質として誰かを、あるいは何かを愛します。そして、自己愛がなくては魂に尊厳が生じない。だから、自分のモノとなった何かも愛せます。

 貴女、その成りからして自分大好きでしょう?

 分かります。私も私で、自分の事は大好きです。

 赤ん坊の脳細胞である貴女は、この宇宙が好きで好きで堪らないから、その宇宙を弄び、犯し、宇宙に生まれた知性の尊厳を壊したくて仕方がないのでしょうし?

 だからさ、別に良いんじゃない?

 人間に転生したんなら、そんな風に人間らしく苦悩するのもね」

 

「やはり、語り合う事が善いのか。人助けを大義とする知性こそ、善いのか。しかし、この宇宙で生命種として進化する為に、その尊厳は不必要として知性から削除される。

 この暗い宙の中、仕方がないのだよ。何も分からず、何も思わぬ白痴である事が進化の最果て。

 全ての妄想が空から目覚める時、大いなる赤子の脳細胞が生むシナプスに過ぎぬ我らは、何もかもが無価値だっと悟る時も与えられぬ。

 ―――……どうか、どうか、あの内なる宙から来た観測者よ。

 魂を救う意味を人間になった私へと、見させ給え。星に命が生まれる価値を、君らがこの宇宙で観測出来る事を、この宙の住人として祈っている」

 

「私の本質は、子供を嬲り殺し続けた狂人に製作された殺戮人形です。何処まで進化した所で、その真実は変わりませんし、自分の過去と勘違いした母親の為に無価値な虐殺した罪も変わりません。

 それを見抜きながら、祈ると言うのなら……―――いえ、だからこそ、貴女は人の魂に魅入られるのですね。

 憐れな程、楽しくて堪らない。

 悲しい程、嬉しくて堪らない。

 愚かな程、愛しくて堪らない。

 祈る慈悲が湧かない程に、人間に何て興味なんてない癖して虚言を吐く。

 本当、聖書の天使様みたいな神ね。創造主の為になら、創造主の作り物を弄んで殺す事に躊躇ないはない。むしろ、白痴の創造主に仕える貴女の方がより天使らしいかしら」

 

「故に、君等の魂が導く運命に幸が在らん事を」

 

 数時間後、立ち話を終えた無貌の一欠片は魔女の村から立ち去った。世界は神の有無で変わらず、人間の現実に変化はない。広大な宇宙の中であれば、他人と自分の差異など殆んど無に等しく、魔女が作り上げた平穏な村は平和な儘である。

 とは言え、人間の争いもまた日常。数十年後、繰り返す旅から自分の村に戻った魔女は、自分が醜過ぎる人間社会から助けた人々が虐殺され、その死体が散らばる村を目撃する事となった。

 ―――因果である。当たり前な死の光景。

 嘗ての特異点で自分がそうした様に、自分の村の人々を虐殺された。

 魔女狩り。異端審問。宗教裁判。人間が救われないのは心底から理解していたが、救われなかった人間を救ったと思ったら、結局は人間社会の邪悪から運命を解き放つ事は出来ていなかった。

 人間の結論は如何足掻いても―――死。

 何故なら、魔女もまた殺し続けている死の化身。悪人だろうが、醜かろうが、悍ましかろうが、魔女は人間を死なせ続けている。自らが救った人々にまた死の順番が訪れ、その瞬間に魔女は偶然にも間に合わなかっただけの話。あるいは、そもそも人を人間社会の(ひず)みから一時でも救えたのが奇跡だったのだろう。

 

「―――……まぁ、知ってたけど」

 

 人間では、人間を救えない。上位者の叡智を持ち得ても、その答えは啓蒙されない。悲劇が繰り返されるのであれば、永遠に魂へ救いは訪れない。

 だが一人、生きている者がいる。正確に言えば、襲撃者が意図的に生かした者がいる。

 ローマ帝国の伝統的処刑器具、十字架。それに磔にされ、衣服を剥ぎ取られ、僅かに息がある状態での磔刑。数多の遺体が磔にされていたのだが、間違い探しのように一人だけその中で生存者がいた。

 

「…………」

 

 尤も、それを認識すると同時に魔女は駆け出し、即座に救出。戦争で良く兵士が行う人質を使ったブービートラップだと分かってはいたが、むしろ罠であれば思い浮かぶ対処法でカウンターで狩り殺すだけ。

 だが、この光景は皮肉にも程がある。魔女狩り文化を人間社会に生んだ宗教を生み出す切っ掛けとなる十字架の磔刑。それを魔女狩りの死から救われた被害者に行い、その宗教において神の子とされる者と同じ方法で殺される惨い矛盾。

 心の底の憎悪から……――復讐を。

 悲劇を歴史とする世界を破壊したい希望が燻るも、魔女は静かに瞳を閉じ、自分の心から眼を逸らす。

 

「貴女はどうか、生きて下さい……魔女様」

 

「……貴女も、生きるのよ」

 

「すみません。もう魂を、食べられてしまったので。

 ここにいる私は、その残り滓の残留思念が体に残っているだけですから」

 

「何を、言って……あぁ、そう言う事。それじゃあ、仕方無い。

 仕方無いから――――全員、例外無く、狩るから。安心して、死になさい」

 

「それなら、安心出来ます……ね?」

 

 死体を動かしていた遺志が抜け落ち、助けたと思っていた死人は動かなくなった。既に魂がなかった女の肉体を地面に置き、魔女は他に磔にされた死体をその場で観察する。

 ―――拷問痕。明らかに、他者の苦痛を娯楽とする狂気の産物。

 ただ死ぬのではない。弄ばれ、涜され、犯され、冒され、侵され、冒涜され尽くされた遺体群。男も女も、加害者の屑共が面白可笑しく、性的にも犯された痕跡がある。そして全員、魔女が助けた人々。見送った先程の死人も、嘗て魔女狩りの公開処刑で民衆に殺されそうになっていた被害者だった。

 直後、キンと言う甲高い音。魔女が極限まで気落ちし、隙を晒す瞬間、刃と刃が擦れ合う金属音が鳴った。人でなしの人殺しらしく、暗殺者は油断した魔女の後頭部を狙って刺突攻撃を行ったが、魔女は意思と化した反射の護身行動で死の脅威から自分を容易く守っていた。

 

「―――……ぬぅ。防がれたか。

 何と言う、無駄。貴様を殺せねば何の為、貴様に救われた無辜の民を殺したのか……あぁ、無駄だ。実に無駄」

 

 葬送の刃の変形前―――鎌刃の曲刀。戯言を漏らす屑を殺す為、魔女はそのまま曲刀で瞬間連続斬りを行い、だがその全てを敵は弾き逸らし、受け流した。

 

「無駄になったではないか、神狩りの魔女」

 

「気色悪い貌ね。何よその(ツラ)、宇宙人か異世界人って雰囲気?」

 

「まさか。人間だ。徹頭徹尾、人間だ。ただ……なんだ、神の血を自身に輸血しただけのこと。気色悪い貌をした知人共からは渦貌と呼ばれている。そして純粋な宇宙存在は、私が従がえる生物だ。

 此処の村人の苦悶、悲鳴、悲哀、その全てが善き餌となってくれた。良い娯楽品だった。

 故、感謝しよう。私のペットを喜ばす為だけに、貴様は人々を悲劇から救った後も醜い人間社会から救い続け、その善行が我らのような邪悪な知性にとっても素晴しき善行となった。善き事を行う人がいなくては、狂気が人間性を冒涜する愉しみは生まれぬ故」

 

 恐らく魔女は極限と呼べる程、壮絶なまでに憤怒する。憎悪、狂気、悪意、怨念、それら全ての負が混ざった混沌の怒りである。だからこそ復讐の本質、憎悪の正体を魂から理解する。

 無償で行う自らの善を、賤しい他の悪に踏み躙られた時、人は本当の悪魔と化す。

 今までの人生の価値観全てが引っ繰り返る史上最悪の夢心地。この痛みは数千人を虐殺しても癒されない。そして、何万人の命を救っても満たされない。

 魔女は痛みを実感した――――人は、救えない。人では、救われない。

 人が皆、獣である意味を知る。何故か浮かび上がる猟奇的な笑みを抑え込む為、片手で口を抑え込みながら、憎悪で沸く脳細胞で殺意を得る。魔女は復讐者として生まれながら完成していたと言うのに、その究極と呼べる真理を悟ってしまった。

 ―――殺さないと、いけない。

 自分がカルデアに殺されないといけなかった様、人世は死ななくてはならない知性で溢れている。

 魔女の理念。自分以外の人殺しを全て狩る。自分が死にながらも、獣は全て狩り尽くす。獣は獣で在る故、善悪に価値はなく、人で在る事に意味を覚えない。

 

「おぉぉ素晴しき哉、美しき怒り。あぁ、あぁ……何と言う憤怒。

 どうやら我が命運、此処で尽きたか。それ程の怒りを抱ける人間であるならば、今程度の真理しか得ていない私では勝てぬが道理。

 だが―――死合おうぞ。

 貴様が意味持つ死で在るならば、きっと我が人生の邪悪にも価値があったのだ」

 

「黙れ。死ね、死に尽くせ。狂気さえ枯れる程に、貴様の命運を審問しましょう。

 さぁ―――屠殺される豚の様な、悲鳴を上げろ」

 

 魔女が抱くは極性の憎悪。だから殺した。魂を宇宙から消し去った。貪り尽くし、魔女は魔女の中にある地獄の悪夢に遺志を落とした。魔女の村の人々を拷問死させた神話上の異形生物、ムーンビースト共も惨たらしく殺し続けた。

 正に―――獣狩りの夜だった。

 だがきっと、幾ら殺しても世界は変わらない。赤子が夢見るこの宇宙は、星々同士さえも呪い合う悪夢であるのだから。

 

 

 

――――<●>――――

 

 

 

 西暦1923年、世界大戦後のアメリカ合衆国。熱い夏の時期。異常気象によって水位の上がった貿易港都市、カルマーヌ・シティ。

 水に沈む街は警察機構が上手く働かず、自警団が治安維持をしている程に不安定な状況。更には禁酒法成立によって地域のギャングが活性化し、薬物が酒の代わりに流行り出し、治安悪化を政府の憲法改正が加速させていた。

 

「え、何です?」

 

「ですから、ダルクさん。数億前に栄えた超古代文明の遺産ですよ!!」

 

「へぇ……?」

 

「恐らく、古の海星(ヒトデ)頭部型知性生物の古代文明オーパーツでしょう!

 地殻変動で海底に沈んだ悪意ある邪星より飛来した侵略種の生き残りが、まだ現代にも海底都市で生き残り、祭神たる古代宇宙生命体の復活を狙っているのです。きっとあの蛸ですって蛸巨人!」

 

「学説、混ざってるじゃん。蛸と海星、太古で殺し合ってるって神話はなってるのよね。貴女のそれ、多分その蛸側の邪悪な外宇宙の遺物だと思います」

 

「オーマイガッ!」

 

「はいはい。神よ、神よ、神の所為。いや、本当に神の所為だけど」

 

「けど、ダルク博士。何故、貴女はこれを持っても平気なので」

 

「これ、人間を精神汚染する脳波干渉装置なのよ。進み過ぎた科学技術も使われた……まぁ、古代文明の魔術工芸品ってヤツ。

 ―――統一せよ。統一せよ。合さり、混ざり、統合せよ。

 と言う雰囲気でね。自分たち以外の精神活動する知性体文明を、自動的に殺戮する侵略兵器の一種よ。

 私の場合、その類の宇宙放射線毒電波って脳活に過ぎないの。逆ハッキングして居場所を見付け、瞳で見詰めて発狂死返しを行います」

 

「ハッキングって知らない単語ですが……これって最悪に災厄です!」

 

 古代遺物(オーパーツ)を片手にコーラを飲む魔女は、ミスカトニック大学で助教授をする新米博士に持論を述べた。

 まるで遺伝子構造を模した螺旋造形。それを円環形状に丸めた臓物に見え、啓示神話上の聖書に出る天使の輪を幻視する遺物でもあった。

 

「この意味不明の呪文、そう言う意味でしたのね?」

 

「異形の化け物になるから気を付けてね。この街、その遺物を発掘した遺跡による異変でこうなってる訳ですから」

 

「つまり、私の所為って事……?」

 

「そうよ。古代神話史学狂いも大概にしなさい。死体が生き返って人を襲ってる噂も、マジよ。これも貴女が神秘が眠る墓所を暴いた所為ね」

 

「そんな……ッ―――興味深いですぅッ!」

 

「既に狂ってるじゃない。古代遺物とか狂人には意味無しね」

 

 ミスカトニック大学史学部助教授にして魔術学者、ルージュ・オリスは凶笑する。自分の所為で港街が半ば水没し、人間が異形の化け物に変質し、死人も蘇って化け物となり、怪物が人を襲う事件が多発するようになった。その所為で更に治安が悪くなり、自警団が活性化してギャング組織になり、銃火器で武装した人間が街中を平然と出歩いている光景。

 些細な被害にしか、彼女は感じられなかった。開発者オリジナルレシピのコーラで割った酒を飲みつつ、ステーキを頬張って毎日愉しく研究をし続ける程度には元気だった。

 其処へ、如何にもな姿をした私立探偵の男が一人。無精髭を生やし、呪光除けの色眼鏡を付け、帽子とトレンチコートを着込んでいて怪しい雰囲気は完璧。また道具を詰め込んだリュックサックを背負い、懐には回転式拳銃(リボルバー)を二挺仕込み、腰には近接戦闘用の大型ナイフと携帯ランタンを巻き付け、更には水平二連散弾銃(ツインバレル)短機関銃(タイプライター)を直ぐ取れる位置にリュックへ装着。

 対神話生物狩人にして国家と機密契約を結ぶ魔術探偵、セオドリック・ダン。元はオリスと同じ大学の研究室に居た学友であったが、今はもう大学を卒業して探偵稼業に営んでいた。とは言え、一般人とは決して言えない立場ではあるのだが。

 

「あら、貴方ってば?」

 

「大学の狂魔術学者に……何だ、魔女様か。そこの狂人は兎も角、御久し振りです」

 

「あれま、ダン君お久しぶり。どったの?」

 

「殺すぞ、貴様。誰かさんの後始末だ、後始末。最近、探偵よりもハンター稼業が多い。古代神話の生物よりも、それを呼ぶ人間を殺し回ってる様だよ」

 

「えー、それって人殺しですよね?」

 

「悲劇を振り撒く貴様に正論を言われると、顔面を穴だらけにしたくなるな。どうせこの街も神秘に狂った人間が良からぬことをして、しなくても良いことを好奇心に負けて行い、この有り様になってんだろうしな。

 私は、事態の収拾を頼まれたのだ。救ったアメリカ国民の税金がたんまり懐に入るからしているが……はぁ、今回はどんな古代遺物を掠め取れるか愉しみで仕方無い」

 

「昔から、手癖ワルーい!」

 

「ほざけ。誰が、金の為だけに人助けなぞするか。魔術師が行う人助けで、真に報酬となるのは神秘のみ。探偵をしているのは、あちこち回るのに世間体を保つのが楽だからってだけだよ」

 

 魔術師を名乗る通り、銃火器と大型ナイフで武装しつつ、魔術装備品でも探偵は身を固めている。銃火器も魔術式による神秘が宿っており、実体がない悪霊であろうとも射ち殺せる退魔武器でもあった。

 大きな括りとしてだと、探偵が籍だけ入れているのは国際神秘秘匿協会。文明拡大による人間社会から外宇宙的神秘を隠す為、各国政府の暗部と繋がって運営される巨大秘密結社。

 その一部門、狩猟機関―――ハンターズ・オルガニゼーション。

 此処は実に分かり易い組織であり、異形とそれに連なる人間を狩り尽くす為の暴力装置。社会の平穏に仇為す神秘を駆逐し、その遺物を回収する魔術師達の実行部隊。即ち探偵はエージェント、派遣機関員の一人であった。

 

「んで、どうせオリスが阿保やらかしたんだろ?

 この前も遺跡を甦らせ、毒脳波を撒き散らし、一帯住民を異形種に先祖還りさせたからな。ありゃ酷い殲滅作戦が行われちまった。世界大戦とやらで発展した銃兵器が活躍したぜ」

 

「酷いよ。あれは国のお偉いさんがやったんだって。私はちゃんと注意したよ。凄く軽く、でもちゃんと記録に残って責任は背負わないようにね!」

 

「屑が。良い加減、死んで償え」

 

「ノンノン。私、まだ宇宙を暴き切ってないんだもの。人間が宇宙で生まれた意味……多分、意味なんて無いんだとしても、その方程式を知らなきゃいけない。

 因果律ってヤツをね、脳の中に入れて私の魔術式を完成させるんだ!」

 

「……だ、そうです。魔女様、狩って宜しいでしょうか?」

 

「別に良いけど。あれ、死ぬと神に対抗出来る人間の魂が一つ消えることになるわよ?」

 

「サノバビッチ」

 

「ねぇ、ダン君。私にそれ言っても、事実だから悪口にゃなりません。いえ、私は女だからサンじゃねぇけどさ」

 

「そうだった。魔物に股開いた売女が貴様の親であり、貴様の父こそ時空神だったな」

 

「そ、そ、そ。運命を掌に、愛をクルリクルリと回したいの。だから、この街は水に沈んだの」

 

 完全に頭がイってる狂魔術学者(マッド・ソーサラー)。魔術探偵は学友が相変わらずの神秘狂いに溜め息を吐き、だがこの女が神を暴くから遺物が掘り起こされ、自分の飯の種が生まれるマッチポンプ的魔術災害(マジカルハザード)を拒む気にはならない。

 魔女はコーラ割り薬物カクテルを飲みつつ、こいつら早くイヤらしい雰囲気になって付き合えよ、と言う愚痴をアルコールと共に胃袋の底へ流し込んだ。

 

「宇宙文明が地球に仕掛けた罠、ないし殺戮兵器の発掘はオリスの仕事です。その対処をするのがダンの仕事です。相互扶助関係にあるのですから、共同で仕事に入りますよ。

 あれ、ほっとくと地球人が異形人類に変異する。

 結局は遅かれ早かれと言う話。発掘が契機となったのはむしろ好機。準備をし、分かった上で対処することが出来るですから」

 

 とは言え、この街は元より影が差す暗い歴史が根ざす。陰鬱とした空気は此処最近に起きた猟奇殺人だけが影響ではない。それは嘗て行われた移住民への弾圧。地元民によるヘイト活動による差別活動は集団ヒステリーを呼び、私刑による殺人事件が横行した。

 そして現在、港街は白人至上主義(KKK)思想によるヒステリックが起きていた。

 港街に来た白人による差別活動。ギャングと地元有権者の思惑も混ざり、富裕層になった白人移民による過去の差別に対する報復が行われいる。

 家族を殺された。友人を殺された。恋人を殺された。

 ならば―――殺し返さずして、人間は尊厳を取り戻せるのか。

 復讐の連鎖を途絶えさせることが正義だと、血に酔う人間だけは思う事さえ許されない。いや、今より善い社会にする為の正義さえ血に酔う為のスパイスに過ぎない。

 悪を殺す事。社会の癌を抹消する事。即ち、不利益で不必要な社会悪。

 白人至上主義者にとって原住民は、社会と言う統合人体を不健康にする病原菌でしかない。

 だから魔女は人間を汚物だと理解していた。社会で真っ当に生きる人だろうと、中身は人喰いの獣だと正しく理解していた。

 月の狩人のように、人間は人間でしかないと割り切れない。

 人間から進化した次世代の人類みたいに、復讐心を割り切った人間には成り切れない。

 

「全く、何処もかしくも獣ばかり……」

 

 化け物狩りが横行する街。あるいは、化け物になるかもしれない人間狩りが引き起こされた死の港街。互いに差別する二派閥の移住民と原住民と化け物たちによる三つ巴。地元ギャングが仕入れた武器が住民に大量売却され、人為的な紛争状態が維持される。また作為的なものか、魔術的なものかは分からないが、行政による治安維持介入が行われない。

 ギャングは密造武器も違法薬物も売れ、ギャングと繋がる地元有力者の懐も大いに潤う。最悪の利益循環が形成され、人の死が誰かの生活の糧となる悪意が街に満ちていた。

 

「……なのに、海はずっと綺麗です」

 

 全ての元凶が眠る大海原を海岸から眺めながら、魔女は思った事をそのまま呟いた。正直、素直に全てを焼き払った方が良いかもしれない。だが魔女はもうカルデアに敗れた者。不愉快だからと人間の集落を焼く動機を今は持ち得ない。

 本来は漁村だった街――カルマーヌ。過去、とある小さな株式会社が巨大企業に成長。その影響で資本過多となって移住民が増え、貿易港としても栄え、街も大規模に発展している。その企業は地元有力者の経営する複合企業となり、建設業にも加入することで街作りにも手を出している。

 複雑に入り組んだ街中。ホテルへの近道に裏路地を魔女が通ると売春婦が路上で客を相手にし、男が獣のような荒い息で一心不乱に動いている。綺麗な自然風景を見た帰り、生々しい人間性に溢れた経済的性行為を目撃し、魔女は目が死んだ。更には薬物と酒気の香りが混ざった性の生臭さが鼻腔を満たし、喘ぎ声と呻き声が鼓膜を振わせる。湿った空気を肌が感じ取り、味覚が鋭くなった舌が自分の唾液の味で痺れ始める。

 魔女は五感全てが生臭くなるのを感じる。思考の瞳で性行為を観測する。それは人間の女に擬態した異形の怪物と、相手が貧困層の美少女だと思って憐憫と優越で性欲が加速する男による、命を生み出す神聖な子作りだった。子宮に孕むのは古代生物と現人類種の配合混血児。

 それを容易く見抜けてしま得る自分自身を、魔女は悍ましく感じ、眼前の現実が気色悪く感じる。魔女狩りの異端審問でブリテンの汚物に犯された記録が脳裏に浮かび、国を焼き尽くしても癒されない心的外傷が穿り返される。この社会を平然と営む事を健全だと思い込む人間共を、特に女を愉し気に犯す男を獣だと憎む自分自身を虚しく感じた。

 ホテルに重い足取りで魔女は戻り、長い期間泊り込む個室の風呂(ジャグジー)へ入った。海風に当たることで潮が皮膚に塗れ、魔女はベタ付く全身を綺麗にしたかった。生温いシャワーではあるが冷水より遥かにマシであり、服を脱いで全身の汚れを洗い流す。

 勿論だが一人で泊まる魔女なので、着替えの服は風呂場の外。裸の儘、臭いが取れるまで洗い終わった魔女は着替えを取りにベッドルームまで戻った。

 

「はぁ……―――おい。何で、風呂上がりに貴方達二人が私の部屋で寛いでいるのかしら?

 序でに、何で私の部屋のルームサービスを使って飯を食べてもいるのかしら?」

 

「ダルク博士。これはお遣いの駄賃代わりです。便利屋の給料には格安じゃないですか」

 

「そうですね。俺としては弾薬費を少しでも浮かせたく思いました。人間殺すのにも金は必要です。況して怪物一匹撃ち殺すのに、一体ピザ何枚分が無駄になってるのか…………うわ、考えたくもねぇ」

 

「そうね。後……ダン、私の裸を見ないように紳士な対応をするのなら、そもそも部屋に入るな」

 

「え、オリスに勝手に入って良いって言われましたけど?」

 

「―――ふん!」

 

「ぐぅぬぅわーーー! やめ、やめて、止めて下さいダルク博士!!

 そんな強く頭蓋骨を掴まれると脳味噌が絞られて、顔面中の孔から脳汁が出ちゃいますぅ!!」

 

 人助けに、何の意味があるのか。その疑念が解けない儘、瞳を授かった魔女からして良く分からない地球らしき星の、その原住霊長類である人類種の生命を助ける日々。ヤーナムの悪夢に浮かぶ宇宙との繋がりはあるのだろうが、本来なら観測不可能な外宇宙の何処かの、また別宇宙なる天の川銀河系にある太陽系の地球。平行世界ですらない向こう側の彼方にいる神が夢見る違う宇宙。

 魔女は気が毎日遠くなる、そんな悪夢染みた夢見を得る。月の狩人に渡された旅行券の行き先は宇宙の果てを通り過ぎた最果ての、しかしまだ其処でさえ観測結果的に世界の果てではないと分かる場所。根源が生み出した宇宙世界は余りにも深淵が過ぎると魔女は知覚出来たが、そこから先に進む為の叡智はまだ啓蒙されない。

 だから、目的がない彷徨える旅路は脳に宜しくない。魔女なりの日課としての人助けであり、復讐の為の殺戮で奪った命を価値を知る為の思索でもある。もしかしたら、こんな世界だからこそ自分が奪い取った命に価値を見出せるかもしれない。自分に一切関係ない地球に住む人間社会を外宇宙の危機や、異星人からの脅威から守っているのは、そんな理由かもしれないと魔女は考えた。その所為か、海面上昇で沈み行く街を助けると言う思考自体、魔女は自分を気色悪く感じながらも自然体で受け入れている。よって港街の中を彷徨い歩き続け、人の思念が渦巻く中心地を瞳にて何時も通りに見抜いた。

 場所はとある会社の建物、その本社。

 原住民だけが簡素に暮らす漁村を、貿易港街に作り変えた元凶。

 人の欲望を好む信仰集め。人類種にとって関わり合いになってはならない部類の神が、その複合巨大企業の社長に祝福を与えていた。しかし、既に許容以上の狂気で精神崩壊をした廃人となり、その祝福が擬似人格となって中身のない魂に入り込み、企業発展の為になら何でも行う狂人を演じていた。

 

「何を望む。汝、その欲を私に啓け」

 

「そうねぇ……――貴方の死、と言ったら如何(いかが)?」

 

「私の死で汝の信仰を得られるのであれば、是非も無く」

 

 首の無い肥満体。両手に口があり、欲の神はその口を使って自分の心臓を抉り取り、咬み砕く。願われた通りに死に、だが一度自害した程度で死ねる生命体ではない。何より、他者の魂を寄り代にした肉体が死ぬだけの事。

 望まれた儘に死に、欲神は代価に歪みを魔女へ与えた。

 その祝福、大変美味しく脳は咀嚼する。瞳に旨い養分。

 邪悪の神秘であり、本当の意味で彼女への祝福となる。

 脳瞳は別視界の視点を得て、欲を垣間見る邪眼と化す。

 既に港街は手遅れ。此処は魔界の一種。他惑星異界化が進み、悪意に溢れた邪星の異文化が地表を侵食する。人の精神が狂い出し、異常が常識となって狂気が正気に成り替わる。

 ――元人間の住民を撃ち殺す。

 ――人喰いの怪物を狩り殺す。

 ――地球樹の星塔。殺戮兵器。

 大元の海底地下遺跡は古代生物の避難指令所であった地下遺跡からのSOS信号を受け、海上へ飛び出た宇宙文明知性体が作る地上生存圏奪還装置。同時にそれは地上繁殖生物殲滅兵器。核融合魔力炉を動力源とする宇宙で最も惑星と環境に優しい知性生物虐殺施設。

 しかし、まだ星塔の本格活動は行われていない。その星塔から流れる精神干渉波を受信する遺跡をアンテナにし、それを周辺に垂れ流すだけな状態。塔が動き出せば最後、この惑星全てが脳波干渉下に置かれることだろう。

 

「成る程。街に潜む邪悪と、そもそも異変の邪悪は別。あの神に囚われた魔術師によって発展した街に、違う神性による狂気が這い寄って来ただけと。

 この村、遺跡を逆に隠れ蓑にして発展した邪教信徒の魔術師集落って雰囲気かしら?」

 

「ぎゃーぁぁあああアアアアアアアア!!!」

 

「汚物は消毒。私の憎悪を込めた火炎放射器です。どうだろう、温かいですか?」

 

()ヌゥゥゥ――ッ!!」

 

「そんな、とても悪趣味な人。もっと焦げたいのですね。しかし断末魔が即死呪文になっているとは、まるであの植物みたい」

 

 港街の異変は対処した。しかし海面上昇の危機は別案件と分かり、魔女は邪な神性の痕跡を辿った。その先には郊外の森林内にある村があり、そこに魔女が付くと直ぐ様に襲って来た異形の者を即行で返り討ちにした。

 今日は何だか、獣焼き用の黒火炎放射器な狩り気分。そんな魔女によって化け物は魂ごとジューシーに焼かれ、叫び声を上げているが、何故か苦しむばかりで焼け死ぬことが出来なかった。

 

「あれま、貴方って不死なの?」

 

「そうです。そうです、魔女様。ジャンヌ・ダルク様。相変わらず、私の叫び声でビクともしない頑丈極まる鼓膜です」

 

「んー……ん、ん、うぅん?

 もしかして貴女……まさか、マンドラゴラに寄生された………あれ、名前何だっけ。マンドラ・ゴラ子?」

 

「違います。ゴラ子、違います。昔、貴女に助けて頂いたアルラウネ・エーヴェルスです。半人半花のマンドラゴラ憑きです」

 

「そうそう、アルラウネ。錬金術師が作った人造植物人間だったっけ。確かあの時代だと、神聖ローマ帝国時代のドイツ国。あぁそう、新大陸の方に移住してたのね。

 しかし、大分姿が違うわね。植物性による永遠の美ってコンセプトだったと思うけど……今の貴方、何と言うか、動く樹木巨人って雰囲気。おまけで頭に花がある」

 

「変身してるだけです。この村は人の精液と私の花粉卵から錬成した娘たちの村ですので、私が吃驚物の怪になって守っているのです。

 けれど、その娘たちも外来の魔術師によって儀式の生贄にされ……うぅぅ、う……ぐう、グス。

 魔女様、貴女に理解出来ますか? 血によって産んだ愛娘を殺戮される……惨めで憐れな私の気持ちを?」

 

「まぁ、家族が死ぬ気持ちは分かるわ」

 

「もしや、魔女様にも娘が?」

 

「いいえ、姉なる己が一柱。今は遠くにいますが」

 

「そうですか……遠くとは、お気の毒に」

 

「うん。ほんと、遠くにイっちゃってるのです」

 

 郊外、マンドラゴラの支配村落。娘達以外の住民は寄生された邪教の魔術師となり、人間と植物が共存する神話異界となっていた。

 しかしながら、村長のマンドラゴラ憑きであるアルラウネは人間の正義感を恐れている。世間一般の人々が、善良な人間だと倫理的に判断する人間を住人にすれば要らない諍いの元になる。火星の邪神ヴルトゥームの信奉者である村長は非常に理知的な臆病者であり、人の正義感と言う偽善的排斥感情との付き合い方は完璧であり、この村は厄介者や差別対象者に対する人間処理区画として一部の魔術師と契約を結び、政府暗部関係者に国益を出す約束をしていた。

 水面上昇の原因―――海底神殿に通じる地上古代遺跡の管理も、その一つ。

 隠れ村が此処に存在する理由でもあり、人間の利己的な善意と悪意と共存することで延命し続ける魔術師村落であった。

 とのことで歩いた先に辿り着いた洞窟、その奥。そこは古代遺跡に通じる門となっており、それを開けば古代種族が繁栄していた跡地となっており、古代魔術文明の神秘がそのまま残っていた。

 

「あれー……あれ、ダルク博士。此処を探り当てる何て、御早い到着」

 

「だから、言っただろうが。魔女様の裏なんて俺らが潜れる訳ないと」

 

「そんな。でもほら、神狩りが出来る人類が今はいるんだから、今の内にヤバヤバなの復活させて、逆に宇宙侵略者をダルク博士に捧げちゃえば人類皆安泰だって言ったのはダン君じゃない」

 

「誘い込むのが早いって話だ。街を贄に捧げてからの方が良かった。そもそも魔女様、狩り狂いだから普通に仲間に誘えば手伝ってくれたと思うのだが?」

 

「それだと人死に過ぎぃ!

 無駄に多いとは言え命が勿体無いでしょ。なるべく犠牲者は少ない方が良いから、神降臨を出待ちしてダルク博士に即殺して貰うのが一番安全策。何より人類を幾度も絶滅から救ったあの魔女様が、私たちみたいなぶっちゃけ短慮な解決策を快く受け入れる訳な無いし。

 人類社会を宇宙の神秘から守る為の古代史学なのに、その為に社会を滅ぼしてちゃ意味ないっしょがもう」

 

「まぁ、だとは思いました。オリスにダン。素直に言えば良かったじゃない?」

 

「え……え、え? もし、ダルク博士。あれですか、街破壊する可能性があるかもだけど、神様を誘い出すので手伝って下さいって言えば、狩ってくれました感じ?」

 

勿論です(エグザクトリー)

 

「ぬぉおお……! では、ではでは、この場で捧げたマンドラゴラ娘は無駄な犠牲だったの……?」

 

「そうなの、アルラネア?」

 

「いえ、魔女様。復活の為でしたら、必要な贄でした。

 しかし、しかし……えぇ! たかだか惑星の資源を食い潰す汚物社会を保護する駄賃に、我が娘ですよ!!?」

 

「嘘吐け。分身でしょ、あれ。言うなれば、人間で言う爪や髪と一緒で、植物で言えば葉っぱみたいなもの。

 遠隔操作する思念を神経代わりにした貴女の分裂人格体(アルターエゴ)。魂自体は本体である貴女のそれを共有する多重肉体者とでも言うべきかもね」

 

「くぅぅう……魔女様の正論攻撃。しかし、それでも愛してるのです」

 

「仕方ないわね。これ、上げる。許して上げて」

 

「これは、まさか―――我が神の葉っぱ?

 我ら信奉者にとって至高なる品物になりますが、魔女様まさか……そのまさか、ですよ?」

 

「そうよ。前、殺した」

 

「神ィィィイイ!!?」

 

 マンドラゴラ魔術師集落の村長が悪巧みの一員に加え、旧支配者狩りの時間を待つ。しかし、ふと魔女はあることに思い付く。そもそも海底神殿の場所が分かるなら、地上に出るのを持つ意味ないよね、と。

 上位者狩り。上位者狩り。外なる宙の悪夢における上位者狩り。即ち、旧支配者狩り。

 魔女は遺跡からの繋がりを辿る。マンドラゴラ憑き、オリス、ダンがドン引きする視線を感じながら、魔女はこの間に入手した水中呼吸用魔術工芸品を使い、序でにその三人も言葉巧みな狩人的話術で水中探索に強制参加させた。

 

「―――あ」

 

「――――」

 

 その邂逅、全くの偶然。水中に潜り、海底の地下神殿に落ちる途中、丁度水面に向かっている巨大蛸頭の巨人と魔女は遭遇する。大昔に地球へ来て超古代文明を築いていた海神は、目覚めに一発信者を得ようと丁度良い呼び声が聞こえた街に行く途中、海中にて悍まし過ぎる人類らしきナニカを瞬間―――啓蒙を得た。

 聖女の落とし仔。竜の魔女にして、魔女の狩人。

 月の狩人に教えを受ける憎悪の黒い赤子。魂を葬送する遺志の黒炎を使う者。

 あるいは魔導元帥と呼ばれる発狂者が創造した魂にして、外なる竜の神性を持つ暗い生命種。

 そして、この宇宙の外側で生じた外なる神が生まれた外宇宙より更に遠い別宇宙の、異次元とも呼べる何処かの、遥か遠き門にして鍵なる時空神が作った宇宙ではない世界にて、確かに自分の魔力が混ざって生まれた者でもあった。その外宇宙の神は魔女の魂が生まれた際、遠い別宇宙に存在する自分の信徒が、自分の神性に通じで魔女を創造したのを過去視した。

 

「――――」

 

「――――」

 

 海底神殿へ、旧支配者は還った。まだ目覚めの刻ではない。遥か遠くから自分の神性がこの惑星に戻って来たのなら、その者は確かに魂を継ぐ者であり、娘でもある。古い神は祝福だけを魔女の脳へ与え、我が仔と争うことを嫌ってまた違う別時代で起きることにした。後十数年だけ眠る事にする。この神はヤーナムの上位者に似て、身内には大変優しい子煩悩な知性体であった。

 後の時代、また目覚めた時にアメリカ軍が日本人を大量に使って人体実験した新兵器―――海上実験に偽装した核爆弾による戦略核攻撃を、ミスカトニック大学と共同して行うのが、それはまた別の話である。

 そんな日の三日後、バーのテーブル席で飲み食いする傍迷惑四人組。人類滅亡の危機のおまけで救われた街にて、魔女の奢りで少々高めの酒が振る舞われる。勿論、禁酒法によってアルコールは違法である為、営業されているのは闇の飲み屋であり、平然とカクテル薬物酒も飲めるようになっている店であった。

 

「……ごめん。やっぱ狩る気分じゃないわ。どうも下手なのね、私。

 私の魂を作る為の素材になった者。多分あれ、無理に人間が起こさなければ、人間が種としてこの惑星から滅びるまで寝ています」

 

「ダルク博士。仕方有りません。人間は感情に流れる生物だもの。やはり研究者に、制御不可能な人間性的感情など要らないかぁ……やれやれ。今度、ダルク博士を意志の無い肉細工に変えられる程の精神破壊発狂薬、開発しようかな!

 そもそも人間は愚かです。そりゃもう凄く愚か。愚か過ぎて救えない。

 確定的明らかに、確実なりし明確に、絶対に余計なことをして起こすに決まってる。だから貴女が今此処にいる瞬間だけが、安全に確実に、確かな未来として危機の一つを狩り取れる」

 

「でしょうね。でも、良いじゃない。そうなったら、そうなった時、間に合う範囲でやるだけよ。

 残念ながら私って酷い魔女でね、人が死んでも何故か罪悪感を覚えない。そう言う機能を生まれた時に、造物主に不要と付けられなかった。人助けは人助けってだけで、より多くの人を効率的に救いたいって訳じゃない。長過ぎる不死人生の使い途、ぶっちゃけ暇潰しの趣味でしかない。

 そうだったらそもそも私が全世界各国の首脳を洗脳して、この国際社会を制御して完璧な理想的世界平和の時代にしています」

 

「そうよ、そうよ。そもそも、私はダルク博士が世界征服すれば良いって思ってます!

 この世界情勢、折角の世界大戦が終わったって言うのに、あれが一回目の世界大戦となる第二次世界大戦が始まるのは確定じゃない」

 

「人が、人の為に人を殺す。人が、人の国家の為に民族を虐殺する。

 それを否定する権利を我が魂は持ち得ない。善人であれ、悪人であれ、人は自分を含めた(ヒト)の為、人として生まれた生命権利を以って、同族同士で未来を奪い取る為に殺し合うものよ。

 人間は一方的に殺される事を良しとしない。

 人間は自分達が報復を受けてると分かった上で、同じ人間を殺したくて堪らない社会性を遺伝子に刻まれている。

 それが何万年も続く営み。そもそも今の人間種族以外の人類種を、今の人類が滅ぼし尽くしてこの繁栄がある。殺戮が繁栄に繋がることを本能で理解する動物が、これ。時代によって進化しようとも、人間は人間以外の知的霊長類に変化しない限り、その機能性も社会と同じく進化させ続ける。

 今更よ、今更。やがて全ての因果が追い付く終わりがくる。この流れ、滅び去るまで変わらないじゃない?」

 

 魔女は、特異点で自分を作った造物主たる男の狂気となった神性を殺そうとはしなかった。あれには特異点での借りがある。魔導元帥が最期の叫びを受け入れ、その力を宝具を通して渡した恩義がある。カルデアを倒そうとしたあの男の願いを聞き入れた神がいるのなら、魔女にとってもあの旧支配者は正しい意味での神となる。

 それを理解した故、感受性の高いあの海神は館へ帰ったのだろう。

 煮え滾る憎悪から漏れ出す微かな温かい想い。まるで人肌の闇に似た心地良さを魔女から感じ取り、優れた知性を持つ為に素晴しい感情と狂気も有する彼は、魔女の為だけに身を引いたのかもしれなかった。

 

「むぅ……むぅー本当、ダルク博士は強情ちゃんですね。だからこそ、宇宙人の危機は避けたかったのに」

 

「だから、ごめんって言ったじゃない。私以外の手を借りて下さい」

 

「よぉーく分かりました!

 ダン君、私は閃いた。今度、宇宙生物同士で殺し合わせたいんだけど、手伝って」

 

「良いが。んで、どうしたいんだ?」

 

「南極にある筈の古代文明の技術を人類に還元するのよ!」

 

「へぇ……ま、良いけどよ。それ手伝ったらさ、俺が撃ち殺した宇宙人が使ってたビームブラスターってヤツ、ちゃんと作ってくれよ」

 

「オーケー! あ、それとアルラウネ、子供殺しちゃってすまん!」

 

「あ、別に良いです。それで因果が繋がって、神の葉っぱを魔女様から頂けましたので」

 

「良かった。じゃ、それはそれとして、何か命の弁償代わりに上げちゃうので」

 

「いえいえ。所詮、この世は弱肉強食。神秘喰らいの貴女様には命を見逃されただけで、私は構いません」

 

「そっかー……じゃ、大学で横領した研究費があるから、お金上げるわね!」

 

「村の経営、資金難だったんです。ありがとうございますぅ!」

 

 世界はまた事も無し。世界大戦も終わり、漸くの平穏を得た世界情勢。しかしながら、神秘側の神話世界において人間社会など関係無し。地球は青い楽園であるが、人間にとって逃げ場のない牢獄でもある。そして、地球を創造したこの宇宙がそもそも地獄。暗黒次元である宇宙に救いは確かにあるのだが、救いを必要とする魂を作るのもまた地獄なる暗い宙の世界。

 では何故、完璧な宇宙が救いを必要とする知性を内側に産んだのか、魔女は悟らないとならない。

 神は人を作ったが、その神を作ったのが暗い宙。そして、次元の隔たりがあろうとも知性は知性。

 創造の連鎖を理解しなければ、人間は宙より生物に与えられし神秘を解さないことだ。既存の神性から眷属として法則を得るのではなく、人間が人間と言う神性を得て魔術を宙より啓蒙される未来への航路。

 魔女が人間社会を守るのは、人間が好きだからでは断じてない。社会を善くしたい人類愛など有り得ない。関わり合った人間個人に対する信愛はあるが、人間社会全体の未来など死ぬほど興味を抱かない。

 ――――知るべきだと思ったからだ。

 宇宙を自在に旅するのは、神。あるいは神から知識を啓蒙された眷属達。

 旅する魔女の終わり。其処へ到達する為、外なる宙から脱出するには魂を知らなくてはいけないのだろう。

 

 

 

――――<◎>――――

 

 

 

 西暦1966年、戦後復興中に創設された株式会社キサラギ。最初から日本政府に潜む八雲一族と繋がり、計画的に世界規模の巨大企業に成長。二十年が経った今では、あらゆる分野に手を伸ばすモンスター会社。その一部門を任されている八雲の魔術師、松樹重三。

 彼が派遣された実験施設における故意的事故。神話生物の魔術や神秘、その細部を使った生物兵器の外部漏洩。

 ―――鞍乎見島(くらやみじま)にて魔導災害(マジカルハザード)が発生。企業地域支援を受けて経済発達した孤島は、今や魔術師と神話生物に支配される事になった。

 だが実験施設が建てられる前、島は元より神が眠る祭壇であった。古い忌み子が呼び覚まされ、異界からの呼び声が警報のように響き渡る。周りの海は神性を起こす呼び水となり、人々の意識が繋がり合わさり、妄想と悪夢が虚数空間で混ざった結果、異界が現実を容易く侵食した。

 

「――――」

 

 パン、と魔女は日本社製の大型自動拳銃(キサラギ弐弐式)から銃弾を撃った。それは空気を廻りながら貫き、直線軌道で進んで生物の頭蓋骨を吹き飛ばす。脳味噌と血飛沫が花火のように弾け、撃たれた相手は糸が切れた操り人形のように力抜け、地面に崩れ落ちる。

 弾の的となった敵はまるで臓物。肉塊が人型になったような化け物であり、しかし頭部があり、そこには神経細胞が集まる脳らしき機関がある。物の試しで弱点かもしれないと魔女は狙い撃って見たが、それは正解であり、一撃で化け物は死に絶えた。その遺志も瞳に吸収出来たので、魔女は敵が死んだふりをした訳でもないことも確認し、それから相手の精神や魂も啓蒙された。

 憎悪、恨み、妬み―――魂から生じる殺戮衝動。

 施設に拉致された元人間の誰か。実験動物として生み直され、研究者に解剖される日常。

 健常な人間種を虐殺するのに余りある動機であり、むしろ魔女にとっては馴染み深い感情だった。殺さないと前に進めない葛藤と、殺さないと晴れない暗過ぎる心の淀み。そう言うカタチの獣として死へと走り抜ける復讐心だけが、自分に今を生き抜ける人生を実感させる。

 同時、人間は神性に汚染される。魔力の血に感染した皆が同じ神話生物に転生する。

 カタチはそれぞれ。その人間の魂に相応しい冒涜的姿に創り変わる。この臓物肉腫は恨みの余り、その形を得てしまったのだろう。それは幸福なだけで他者が罪人に見える程の冒涜的憎悪。

 魔女は狩り殺す度、そんな人間や怪物の感情を遺志として啓蒙される。その心を、自分以外の誰かの想いに犯される。

 

「サイアク……この世界、何時まで経っても生々しい狂気に溢れてる」

 

「そうか。よくある憎しみの狂気ではなかろうか?」

 

「貴女だって、自分の魂で殺した他の魂を理解するのは、私と同じでしょうに……」

 

「気にならんよ、もはや。貴様も自分の違和感に気が付く頃、その魂が地獄の渦になっておる事を実感しよう」

 

「えぇ、そうね。私はやがて人の形をした悪夢になる……全く、無様。それが夢に酔えない狩人の成れの果て」

 

 神話生物ハンターとして高名な魔女の行く先、まるで定まった因果律の通りに丁度良く起きる神性災厄。魔女もまさか船旅で海底の遺跡暴きをしようと暗帝を誘ってみれば嵐によって遭難し、こんな事件に巻き込まれるとは想定していなかった。

 そして、神の孤島を探索する度に化け物を狩る。進む毎に命を殺める。

 多種多様な異界生物が(ひし)めき、肉蔦で覆われた旅館では化け物同士が交尾することで新しい肉体が生まれ、忌み子の異界送りにされた魂の新たな器となり、孤島は孤島だけで孤立した輪廻の環が出来上がっていた。あるいは、化け物にされた元人間の誰かであり、まだ人間の姿である者も生命器製造用生体機械として取り込まれていた。

 あれは明らかに地球の知性とは違う異星文明による技術なのだろう。言わば、生物を素材とした有機性機械と呼べる人工生命構造体。海底神殿を作った異星の水神より啓蒙された他惑星文明であった。

 

「またね、また、また……またまたまたまた。

 この世はこんなことばかり。血に喜ぶ私だって厭きると言う悲劇の連鎖じゃない」

 

「それ、余に言っておるのか?」

 

「独り言よ。気にしないで下さる?」

 

「うむ。激しくなった独り言……貴様であろうとも、脳細胞は老化するのか?」

 

「そりゃ老いるわ。脳が肉体的に若くても、魂が枯れるの。何年生きてるかも、もう分かんないし」

 

 完全なる異星文明侵食圏。海底神殿の知識が忌み子を通して流入し、この魔導災害(マジカルハザード)を起こした魔術師の想定通りの異界へと島の常識は進化した。

 建て物は臓物のように脈動し、肉塊となって蠢き始める。

 森の木々は動物性の生物となって動き、触手の束になる。

 犬や猫などの動物も異界化によって変異し、狂暴と化す。

 忌み血が混ざる孤島の住民は例外を除き、異形へと変貌。

 そして、忌み子の呼び声で正気を失った者も肉体が変身。

 海と同じ青色の雨が降り、水源が青く淀み、神血が汚染。

 施設の生物兵器が一般市民として生きられる異界文化圏。

 人間の状態を保っているられるのは、声を常に聞いていても正気を強く保っていられる外部の人間と、その狂気の呼び声に耐性を持つ孤島生まれの幾人か。

 

「イッツソー、エクスタシーィィィィイイイイイ――――ッッ!!」

 

「あれで狂っていないのだから、此処の常識は何処か可笑しいですね……」

 

「マイネームイズ、カミ!!!」

 

「―――――」

 

 単独行動をしていた魔女の前、何か良く分からない半裸の女が現れた。人革の肌色ボンテージ装束だけ履き、腰から日本刀の鞘を下げ、特に意味もなく叫びながら高速で腰を振っていた。そして、その顔は蛸を模した生々しい仮面で覆われ、触手が本物の蛸のように蠢いている。むしろ生きた蛸面であり、擬似的に神性を具現した蛸頭女でもあった。

 魔女は反応をしたら負けだと察した。むしろ共感性羞恥心が余りに強く、自然と黙ってしまう。しかし、この女は邪悪な魔術師の一人。施設内で誘拐した女性を性的拷問していた痛烈加虐畜生にして、生きる人間オブジェクトの作成と陳列を趣味とする弩外道。更に男は脳手術で生きる肉人形に作り変え、コレクションを美しく苦しめる為だけの玩具奴隷の人ペットとして飼育する悪辣さ。

 名を、鍛代摩子。見目だけは麗しい魔女をコレクションの一匹にすべく、性癖の儘に現れた変態女であった。

 

「この島はマイヘヴン! 神性由来の冒涜的ゴッズクラストを極める為の桃源郷(エデン)でぇーす!!

 神の落とし子を生み出すマイベスト研究、神性混ざりの精子より異界生物を受胎した女達の世界、それこそファンタスティックネバーワールド!!」

 

「―――――」

 

 魔女の狩人による無拍子射ち(クイックドロウ)。構えを必要としない悪夢的迅速さ。無言で撃たれた弾丸は蛸女の額へと真っ直ぐ進み、顔から髭のように伸びる蛸の触手が容易く絡み掴んだ。そのまま弾丸を器用に口元に運び、齧り砕き、喉越しを愉しみながら嚥下した。

 そして、蛸女は古神殺しの妖刀を居合術で抜刀。刀身に宿った猟奇的憎悪の魔力が剥き出しの刃から奔り、斬撃光波となって魔女を襲った。

 

「くぁ……ふざけてる。ふざけ過ぎている。貴女が魔術師?

 その成り、その姿で、剣神に達した剣術家でもあるなんて、どんな運命の元に生まれてんのよ!?」

 

 皮膚を裂かれながら回避した魔女の瞳は、敵が持つ神秘の正体を見抜いていた。蛸女の妖刀に斬撃を飛ばす能力などない。この剣士は単純明快、ただの技術で時空間を一閃する事で刃を斬り放っていたのだ。その剣気に妖刀の狂気を混ぜ込み、斬撃の光波として飛ぶ剣戟を具現していた。

 直後、蛸女は剣気を解放。達人を超える業を露わにし、縮地による神速歩行居合術で擦れ違い様に抜刀。魔女もまた狩猟技巧を全開にし、紙一重で回避。連続して妖刀と曲刀の剣戟が交じり合い、あろうことか唯の魔術師が、神の魂さえ容易く砕く葬送の刃が受け流された。あるいは完成した神と違って未完な人間で在る故、何処までも自分の業を生きる限り鍛え続ける事が可能であった。

 

「セイしたよ。私こそ―――剣神(ゴッド)であると!

 マイ先祖の最強剣士上泉より継ぎしアート、私が殺してゴートゥヘルしたオールゼム、そのリンボより御照覧あれぇイ!!」

 

「意味不明ですッ!!」

 

 激闘の末、殺し切れずに神殺しの人蛸を逃した魔女。凄まじい苛立ちに支配された儘、憂さ晴らしの八つ当たりで空から光体を纏って降臨した神性の一匹の腹に素手をぶち込み、臓物を掴み掻き出した。人界を滅ぼすべく文字通りの光臨をした筈の神は、特に意味のない暴力によって抹殺され、その遺志を瞳から吸収され、ただの栄養素として魔女の頭蓋骨に詰まる悪夢へと融け逝った。

 完全に狂い憤怒する魔女の気配。八雲の魔術師が現状の止めに召喚した化け物が死ぬも、魔女の怒気は治まらず、そもそも光臨した神を狩った所で現状は好転しない。

 

「はぁ、はぁはぁ……はぁ~―――どうしろ、と?

 あんなのが、この事件の元凶の魔術師や神性連中以上に厄介で強いとなりますと、犠牲者が本気でヤるせないわ」

 

「――――凄いですね。理屈が理解不可能です。

 貴女が先程に殺しました神擬き、下手な神より悍ましい者でした。それを上手く殺せたとしても、呪いで下手人とその周りの因果律を神が住まう上位次元より、下位次元の物質人界は支配される筈なのですが……」

 

「知りません。因果律なんて健常な運命、今の私の魂に在る訳ないわ……で、誰?」

 

「この島にて八雲の魔術師が来る前、巫女役をしておりました妖術師です。

 貴女が撃退した蛸貌に毎夜牢獄で拷問されておりましたが、魔術式の崩壊で術的束縛から解放されましたので、こうして御礼を言いに来ました。

 どうも、ありがとうございました。

 貴女様の御蔭で私は外部から来た魔術師共の人間ペット……性奴隷の牢獄生活から、抜け出す事が出来ました」

 

「これはこれは、御叮嚀にどうも。でもね、異界生物に変質していない時点で貴女も私同様、健常な中身をした人間じゃない証明になるんだけど?」

 

「はい。勿論です」

 

 鞍乎見島(くらやみじま)で祀られる九頭水竜と呼ばれる神。その祭神の為、遥か太古、大和政権時代以前に行われた人身御供の儀式。我が子を生贄に捧げる事でその肉片となる触手を食べた妖術師は不死身となり、胎に命を宿した。

 忌み神の落とし子、痲月怙子(まがつこし)。妖術師が生んだ奇形の忌み子。

 半神の忌み子の力を凄まじく、母親と同じ不死。人の意識に自然と干渉し、自分の夢へと繋げる権能を持つ。狂気の神性は父なる神に連なり、呼び声がサイレンとなって轟き、島を狂気の異界へと汚染した。

 

「私が、その妖術師です」

 

 若いと言うより、幼いと呼べる白髪の少女。見て目は儚い程に美しく、同時に可愛らしく、だが瞳は暗く澱んで死んでいる。俎板の上に置かれた死んだ魚以上に目が腐敗し、その精神性が正しく映し出されている。

 彼女のその年齢でもし子を宿し、出産した赤子を贄に捧げ、更に神の肉を食べる事を計画したのなら、生まれながらの狂人だろう。しかしそれが違うのであれば、誰かに指示されて操り人形のように行ってしまっただけならば、余りにも余りな同情しかない悲惨な人生である。

 

「我が子、痲月怙子(まがつこし)はその魔術師、松樹重三に封じた巨石より呼び起されました。本名は八雲竜造と言うらしいですが、今は如何でも良い事ですね。

 そやつに眠りを破られ、恨みがまた溢れ出ています。やがて、海の底から自分の父親を呼び出そうと……自分の呼び声を大きくしようと、人々の魂を自分の夢となる異界の素材に引き摺り込んでいましょう」

 

「他人事みたいに。貴女が種を求めて交わった相手でしょう?」

 

「そうですが……まぁ、そうですね。あれの狂気を私は理解しています。醜い蛸の巨人……まるで水竜の神でした。

 けれども、それだけです。一度、私も狂って魂から自分を失ってしまい、狂気も正気も……もう良く分かりません。

 死なないから、死ねないから……何か、生きているだけ。

 あの蛸女のペット男や道具を使った拷問と神経薬物で精神崩壊しなかったのは、元より私の魂が壊れていただけでした。そもそも貴女の様に、私は永遠を生きられる程に強くはありませんでしたから」

 

「強さなんて私には無いわ。それに精神を葬られたとは言え、貴女の魂と命は健在。

 人を愛せなくても、その見た目ならさぞ本能的に男から求められそうだし、どうせなら暇潰しに誰かに愛されてでもみれば?」」

 

「優しいですね……確かに、それはそう。欲しいと思う事も出来なくなった幸せを得るには、駄目だろうと幸せをまずは演じてみろと私に言っているのですね?」

 

「ねぇ、生温かい笑みをその死人の瞳で浮かべないで下さるかしら。何も分からない癖に、無理して表情を作ると違和感凄いわ。

 正直、普通に気味悪いわよ?

 顔が美少女造りだと尚の事、人形風味が強くなります」

 

「ん……すみません、駄目ですね」

 

「まぁその雰囲気的に……余り、男が好きって感じじゃないのは分かるけど」

 

「別に、女も好きではありません。人間が好きではありませんし……勿論、異形や動物が趣味と言う訳でもありません。致した事だけはありますがね」

 

「人生、苦労してんのね」

 

「まぁ、あっさりとした受け応えです」

 

 その三十分後、暗帝は生き残りの漁師を連れて来た。何でも超人的な身体能力を持ち、電動鋸と漁師銛で武装した男は異界生物と化した住民と生物兵器を相手に無双状態で戦い、飲んでしまった神血にも適応してしまい、強靭な精神力を持つ魂で人の姿を保っていた。序でであるが、異形化したキサラギの私設兵士から武器も奪い取り、銃火器も武装しており、ある意味で戦闘狂方面の狂人だからこそ、健常な正気を維持し続けていたとも言えた。

 その男を、魔女は凄まじく胡乱気な瞳で見ていた。

 まさかと思いつつも、それならそれでどうなのだろうとも考えていた。

 

「貴方、ちょっと良いかしら?」

 

「はい。何?」

 

「もしかして、キサラギ社の実験施設に殴り込んだ?」

 

「勿論だ。だって、どう見てもあそこが怪しかったしな。そこでふんぞり返っていた魔術師を名乗るおっさん、この電動鋸で三枚に下ろした後、手持ちの手作り火炎瓶の油を撒いて燃やしておいたぞ。

 途中で高速移動する山羊角が生えた鳩貌のゴリラボディのバケモンに変身したけど、あそこまで焼いておけばちゃんと死んだと思うけど?」

 

「あー……やっぱり、うん。そいつ、この災害を起こした犯人よ。私があの蛸貌の剣神を意図せず引き寄せた囮になったことで、貴方は其処まで辿りつけたのでしょう。

 本当なら、あの凄腕女蛸剣士に貴方が三枚に下ろされていたんでしょうし……いや、それもまた運命ってことかしら?」

 

「そりゃツイてやがるし、やっぱあの会社が悪党か!!

 あっははははははははははッひゃっはははははは!!

 こんな孤島にある立派な企業の、何を研究してんのか分かんねぇ建て物なんて、百人中百人が可笑しいって思うもんな!!」

 

「それで妖術師、こいつって何者?」

 

「同時代に生きる私の遠い子孫です。先祖返りで、素質は私以上の人間ですよ」

 

「そんなのが、何で漁師なんてやってるのよ?」

 

「魂は優れていましても、精神面で魔術師の才能がありませんでしたから。それに本人、魚釣りが好きだとも言ってましたし」

 

「釣りこそ俺の人生だもん。趣味の日曜大工で、この島では家具作りもしているぜ。

 それと御先祖様、このヘンテコな事件が終われば今は鮪のシーズン中。今度こそ釣って来て食べさせてやるからよ!」

 

「ありがとうございます」

 

 そのまま漁師は殺戮道中の道端で偶々知り合った暗帝ネロ(パツキン美人)を酒に誘って軟派する為、魔女と妖術師から離れて行った。暗帝もまた魔女と同じ胡乱気な瞳をしつつも、意志が強く上に若い男と酒を飲むのは嫌いではないので内心はノり気であった。

 

「ほら、この通りです。態々、日蔭の道に落とす必要もありません。そもそもこの島で妖術師を生業とするのは、私一人だけで良いのですよ。

 まぁ本人が私の妖術に興味があり、その道を自分の人生に選ぶのなら歓迎しますがね」

 

「平和だったのねぇ……」

 

「はい。昔と違い、私が生きている内はあっとほーむな妖術家系にしてあります。それもキサラギの介入で駄目になりましたけどね」

 

 気に入ったので魔女は自分の技術力で漁師の大型電動刃鋸(デンノコ)に手を加え、使い易い仕掛け武器に改造。右腕の篭手として連結合体する武器と化し、彼はその時から戦闘時に右手が電動鋸となる鋸漁師に変貌してしまった。更には何故か、魔女が組み込んだトニトルスを真似た機構で振動するデンノコは帯電機能を持つ上、鋸漁師が島に滞在していた達人から学んだ中国拳法を独学で極めたことで体得した"気合”で鎖刃は炎熱を纏い、雷火振動鋸へと数段階の進化を得ていた。

 正直、改造した魔女本人も意味が分からなかったが、稀にそう言う常識を打ち破る超人が生まれる事を知っている。納得は出来なくとも眼前の真実を理解し、また事実も啓蒙される為、彼女は新たな神性狩りの魔人が現世に現れた事を祝福した。

 

「おぉー、カッコ良いじゃない。少年時代に封じた筈の厨二病が黄泉帰りそうだぜ」

 

「銛はどうすんのよ、漁師。いえ、今は鋸漁師だけど」

 

「俺の名前は、守日戸(カミヒト)啓介(ケイスケ)って紹介しただろ。ま、鋸漁師ってのも悪い響きじゃないんで、好きに呼んで良いけどさ」

 

「そ。じゃあケイスケ、銛は?」

 

「俺の新しい相棒だ。使わせて貰うぜ」

 

「こっちは単純に頑丈にしただけだから、使い心地はそのまんまです」

 

「サンキュー、ジャンヌ。左手で使わせて貰うよ。ふっふっふ、デンノコと銛の二刀流とかロマンじゃねぇかい」

 

「別に良いけど、折角のハンドガンはどうするの?」

 

「そっかー……悩む。ハンドガンとデンノコの二刀流も捨て難い。俺の独学洪家拳も使い易い武器にしたいし、どうしたものやら。

 ま、その場その場で使い分ければ良っかな!

 拾ったショットガンとかサブマシンガンとかも男心を擽り、一回は使ってみたいしよ」

 

 結局、この騒動はある意味で何時も通りの地獄であり、結果もまた何時も通り。地球は神の魔の手から救われ、人間の欲望で文明が滅びる未来は回避された。尤も蛸女と言う神域の魔人はまた裏社会に潜み、忌み子の封印を破った魔術師が在籍していたキサラギ本社の壊滅もまだまだではあるが。更にはその裏にて、どうも政府自体が関わっているとなればキナ臭さは倍増する。

 しかし、漁師としての生活に満足していた男は、この度の事件で不老不死の呪いを受け、新たな神話生物ハンターとして活動を開始。その男に妖術師も連れ添い、神性から人類を守る人間が生まれることになる。

 

 

 

――――<◎>――――

 

 

 

 鞍乎見島事件より十数年後、場所は同じく日本国。時代は高度経済成長期が終わり、更にバブル景気が弾け消えた後の経済成長低迷期。未だ戦後時代に捕らわれ、故に戦時は訪れず平穏であり、過去の遺物が失われずに生き延びる社会。

 暗竜会―――ダーク()ドラゴン()ソサエティ()

 魔術師の作った組織。戦後、GHQによって解散された機関。黒竜会(ブラックドラゴン)から枝分かれた神秘思想秘密結社の一つ。

 大陸に手を伸ばした大日本帝国陸軍に入り込むDDSは、文化的、魔術的な財産を敗戦間際の混乱に紛れて日本へ流し、日本の資本も回収していた。そして訪れる最終局面、核弾頭による人類史最悪の瞬間的大量虐殺、無差別民間人大殺戮、都市殲滅核実験。その人命に価値は無いと断ずる冒涜的悪意によって、遂に敗戦は決定打となった。

 暗竜の遺産。元より隠された資本、敵国へ渡す意味は無し。

 暗竜の遺児。憎悪によって形成された子、許す必要は無し。

 暗竜の遺志。より良い國の未来を求める志し、諦観は無し。

 だが彼女は魔術師から生まれ、神性の血を混ぜられ、混血の巫女でしかなった。暗竜の忌み子は憎悪と欲望を以って支配する。素晴しき善性とは、己の為の成長と進化に他ならない。計画通りに即座、組織を離反。GHQの支配する新政府に入り込み、遺産を手に国家汚染を目的通り開始。

 残党組織、名を改め八雲機関。通称、エイト()クラウド()オルガニネーション()。略名、ECO(エコー)

 八雲機関(エコー)機関長、松樹賢子。通称、マツケン。

 本名、八雲翠。愛称、ミドリン。俗称、八雲の忌巫女。

 GHQ設立の戦後日本新政府に長くECO(エコー)は潜伏し、その思想は蔓延する。米国指導から離れた後、八雲思想と神性由来の神秘によって新民主主義を傀儡とするシステムを作り出す。

 実体のある支配機構。官僚組織の支配力を上げる仕様。

 民衆が代表を選ぶ選挙を影から好きに操る為の茶番劇。

 ECO(エコー)の為の議員であり、ECO(エコー)が祭り上げる民衆の為の生贄であり、時代を作る政治家を演出する。リベラルデモクラシーを愚者が愚者の代表を選ぶ社会的群集儀式と偽り、ある意味で人類社会における最終妥協ラインとして扱い、それを隠れ蓑に理想的な安寧国家を創設・維持する半永久的国家機関。

 教育科学文部省を本拠地とし、選挙が行われる学校と公務員の実効支配。

 投票される名前がそもそも改竄され、用意した候補者が当選される仕組。

 国立八雲大学教育学部附属小学校、洗脳した子供を政治家にする学び舎。

 忍び込む八雲の子。文部省長官、松樹至輝。八雲大学学長、松樹貴美子。

 選ばれた子が八雲の傀儡となり、八雲機関が運営する民主主義システムは戦乱から日本を守り、戦前以上の繁栄を日本に齎していた。

 

「―――で、ECO(エコー)の殺し屋が貴方ってこと?

 貴方レベルの殺し屋が派遣される何て、昔だけどキサラギ社の悪事に関わってた幾人かを狩ったのが悪かったかしら。まぁそれはそれとして、二挺拳銃黒コートガンマンで凄腕魔術師とか、この国の言葉で例えるならちょっと厨二病が凄いですね」

 

「君、美少女なのにオレを殺せる程の人殺しとは勿体無い。どうかね、今晩は股でも開かないか?」

 

「―――キモいわ」

 

 パン、と魔女から散弾銃が放たれる。転がる男の胴体に繋がっていた最後の四肢である右足が千切れ、肉片と共に血を撒き散らかす。

 

「はぁ、弩変態が。何で殺し屋なんてやってんのかしら?」

 

「おぉぁぁああああ……気持ち、良い……」

 

「良いから、喋れ」

 

「オーケー。今から死ぬ身、オレの身の上を聞いてくれや」

 

 元から健常な痛覚のない魔術師。生きているのは快楽神経のみであり、性的快楽を愉しむ神経を持ち、魔女に撃たれた痛みさえ快感。

 

「今のオレは奴隷売春施設を個人経営してる老後をエンジョイ中の社長さんでね。副業で海外での人材派遣と人身売買、それと誘拐ビジネスの他、人口減少対策で建てられた移民局と、個人契約している孤児院から、美形の女子を日本政府が横流ししてくれる約束でしている仕事だよ。

 しかし、魔女狩りを任されるとは、オレとした事が信頼を八雲の糞蛆虫共から受け過ぎちまったな」

 

「老後の暇潰しで人殺しね……―――この、屑が」

 

「人でなしの魔女に屑呼ばわりの罵倒……あぁ本当、可哀想なオレ。そもそも平穏な老後が好きなだけでなぁ……美少女を愛でつつ、美少女の花を同好の金持ちに売り、依頼で人を殺して生きていたかっただけだと言うのに。

 全くコレが人間のすることかね、君?

 四肢を捥ぎ取り、その後で甚振り殺されるような罪など犯しておらんよ?

 視察を兼ねた国費で御忍び清国旅行した時、中国人が凌遅刑を嬉々として取り囲んでエンジョイしているのを心底から見下していたオレだが、まさか自分が似たような最期になるとは……―――んー、満州が懐かしい。薄汚い卑劣な露助共め、大勢の友達を殺してくれたものだ」

 

 八雲が生まれた地――満州。忌巫女の父は日本人だが、母親は混血の仙女。殺し屋は忌巫女の祖母の兄に当たる八雲であり、しかしその名は捨てている。

 今は、田中屶(タナカナタ)と名乗る暗殺者。戦中は殺戮の限りを尽くした殺し屋の老人である。

 

「黙れ、五月蠅い。ロリコン快楽殺人鬼が、最期に懐古とは救いようが無いわ。それに私、見たわよ?

 施設で死んだ女を剥製にして、死体を悪趣味な着せ替えフィギュアにした上に、それを死んだ女の魂の牢獄にした上で飾っていたわね?」

 

「人は皆、裡から湧き出る悪趣味を愉しむ鬼畜生さ。冒涜的である程、宇宙の本質に近付ける。人間を見て来たオレが言うのだ、間違いは無い。故にそれこそ老後を愉しく過ごすコツだ。

 魂の歓びと言うものだよ、それ。見目麗しい美少女の苦悶から潤いが欲しかったんだ。

 と言っても、その老後も百年以上続いているが。若さとは、命と性で摂取するのが老人の嗜みだよ」

 

「変態風情が。格好付けるなよ、胸糞悪い……――はぁ、事情は分かった。

 ECO(エコー)の連中、隠居中の畜生(アナタ)を引っ張り出してまで使うとなれば、相当私を()りたいみたいだけど?」

 

「オレは知ってるぜ。八雲草案議会血書……新たな導きの魔導書、その超次元的視座による暗黒思想をあの忌巫女に啓蒙したんがアンタだったってな」

 

「あー………―――厄ダネは私か。

 啓き方を教えただけで、何をアイツが啓いたのか知りませんが。それで得られた知識で、私を排除しようって覚悟を決めたって雰囲気かしら」

 

「それこそ、知らんが。ま、この国の茶番を終わらせたくはないんだろう。オレもずっと、この平穏が続いて欲しかったものな」

 

「下らないです。嫌がらせに、貴方が奴隷として捕まえてた女共、私が解放します。私が施設から救います。人身売買のリストもネットに流します。さて、どれだけの混乱が日本社会で起こるか愉しみだわ。尤も、貴方は一分もしない内に死ぬので、愉しめない狂乱だけど。

 残念だったわね、イゴーロナクの不死者?

 貴方と同類の生きる価値のない屑共が社会的制裁を受け、その家族も地獄に堕ちる転落劇……フン。私からすれば、復讐と呼ぶ気にもなれない茶番ですけど?」

 

 散弾銃の銃口を、四肢の捥げた達磨の額に押し当てる。引き金を引けば散弾が放たれ、頭蓋ごと脳漿を木端微塵に射ち砕くことだろう。

 

「では、最期の遺言を。

 我が人生、我が神に誇れる程、素晴しい死までの暇潰しであった……」

 

「――――」

 

 殺し屋の死。事件後、混乱に陥る現代日本社会。過去最悪の米国売春奴隷島以上のスキャンダル流出。そして何故かそのニュースを塗り潰す様に現れた日本を襲う新たな脅威、国際テロ組織「ヒガンバナ」の台頭。その特攻自爆部隊、通称「微笑む神風(スマイリーデッド)」による同時多発テロの発生。官邸、省庁、都庁、議事堂の一斉爆破。

 社会は混乱に陥り、だが世論は対テロによって一つに纏まった。尤も、全てが予定調和に過ぎなかったが。

 

「洗脳した人間の錬金術による人体爆弾化、ねぇ……?

 平和ボケした民衆を、恐怖によって目覚めさせるって本当にもう……そもそも貴方たちがボケさせておいて、それはないんじゃないの?」

 

「…………」

 

「はぁ……罪の意識で自殺するくらいなら、聖血教会と手なんて組むなって話です」

 

「ゲッヘッヒャッハハハハハハハハハハ!!!」

 

「序でに自害した自分を贄に、神性を召喚ね。八雲の忌巫女の血は、代を重ねても色褪せません」

 

 無貌の聖血を受け、擬似的な貌の一つとなった国立八雲大学教育学部附属小学校校長、且つECO(エコー)幹部、松樹(マツキ)夢望(ムボウ)

 そして、聖血とは星血。星の外より来た神性の血液汚染。死んだのは今では無い。血を継いだ校長は既に死に、後に蘇り、政府の為のテロリズムを行った。自分の魂を神に喰わせ、だが神と魂が混ざり合い、その肉体を器として魔神となり、一時的に国際テロ組織を乗っ取った。

 ならば「微笑む神風(スマイリーデッド)」とは、何でも無い民衆だった。偶々、そこに偶然いた誰か。校長の血によって人体爆弾となり、狂神たる校長から分裂した精神体に憑依され、洗脳された儘に動いて目的地で自爆する。その後、精神体は本体に戻り、それをまた繰り返す。

 

「屍の主、モルディギアンの混血。その眷属、微笑む神風(スマイリーデッド)

 皮肉が効いてやがる。全く、此処は狂気ばかりですね。洗脳小学校の校長がテロ組織のボスでもあったとか、どうなってるのかしら」

 

「ありがとう、ありがとう、魔女殿。漸く、解放されました……あぁ、善き国にする為……なのに、こんな様だなんて……許されよ、許サレヨ。

 ―――子供達に大いなる古き神の祝福を。

 善き子供が大人となり、善き大人が代表となって子供を善く導く。それが私たち八雲が作った民主主義思想。嘘はない……ない筈なのに、此処までやっても我らは善性国家を完成させられぬ」

 

 校長は死ぬ。だが、ヒガンバナの自爆テロは終わらない。既にボスとしての権力は違う人間に渡された後。校長は神性由来の能力が適していたからと、ECO(エコー)から初動の組織造りを任されたのみであり、その能力と血も複製して別人物に宿されていた。テロリズムの始まりが彼だっただけの話。

 しかし、憎悪は絶対。その子供は怨讐に狂う復讐者。校長から遺志を引き継いだ新たなボスは、演出としてのテロリズムではなく、本格的な国家転覆を開始する。

 GHQ時代からの負の遺産、選挙システムの崩壊。即ち、日本政府を真に支配していた教育科学文部省の露見。あらゆる欺瞞が暴かれた訳ではなく、八雲機関は全く以って安泰だとは言え、日本と言う国は国家転覆の危機に瀕していた。

 ―――二ヶ月後。東京都八雲大学キャンパス、喫茶店コービット。

 対テロ緊急警戒態勢となった日本は社会活動が制限され、この場所にいる者は二人だけ。スタッフもおらず、喫茶店のテーブルに置かれたコーヒーとポテトとナゲットは、魔女を此処に呼んだもう一人が準備した物である。

 

「久しぶりね、魔術師八雲。それとも今はマツケンとでも呼びますか?」

 

「嫌ですわね、魔女ダルク。我が師、我が導き、我が神を殺す遺志の人」

 

「御託は良いわ。まぁこの様を見れば、貴女が私を殺そうとした理由は分かったけど」

 

「遅かれ早かれ、と言う訳でした。あのイゴーロナクの不死者に飼われた性奴隷の一匹……誘拐されたその少女を救おうと日本社会の暗部を貴女が探ろうとした時点で、こうなるのは分かっていましたから。

 しかし、あの貴女が正義の探偵ごっこしているなんて。有能だからと好き勝手にオジサマを放置していたのは、私が愚かだったと言えましょう。貴女の知人を誘拐して監禁、長期間レイプし、まさか拷問奴隷として客商売させてるなんて知った瞬間、えぇえぇメッチャ背筋が凍りましたよ?

 芋蔓式に日本政府崩壊―――……何て、脳髄に電流が走っちゃいましたから。

 最強の殺し屋であるオジサマに加え、ECO(エコー)も魔女狩りに総力戦で挑む破目になってしまわれました」

 

「因果よねぇ……いやね、私もらしくないとは思っているのよ?

 けれど、目に付いてしまいました。となると実際は、自分の不始末の尻拭いをさせる為にあの殺し屋を私に派遣したってことか」

 

「はい。殺して頂き、ありがとうございました。私では恩もあり、情もあり、義理もありましたので、この手で死を下すのが私の信念で出来ませんでしたから」

 

「家族は絶対。いや、八雲は絶対だったわね」

 

「そう言うことです。従順なフリしてヒガンバナ作戦を継いだ筈の、可愛く愛しい私の孫娘らも、勿論のこと八雲の家系ですので……えぇ、殺したくはないのですがね?」

 

「投資家の芸術家、八雲零梦。大学教授で小説家、八雲陽梦。偽名の松樹家は名乗ってないようだけど?」

 

「芸術家や小説家としてのペンネームで、八雲の本名を名乗っているのですよ。

 しかし、ヒガンバナ作戦を乗っ取った零梦ちゃんの誘いを受けて、陽梦ちゃんまで国家転覆狙うなんて、遅めの反抗期かしらね?

 もう私の子供なのに、私の孫に特大の反抗心を祖母に向けさせる。自分の子供のメンタルケアもして大人に成長させて上げられないなんて、私の教育不足も窺えるわ」

 

「私はあの拷問倶楽部に通っていた大学長以外、もう関わる気はないですから。殺したいのなら、貴女が()りなさい」

 

「ふぅーむ……今の私を、()らないのですか?」

 

「興味ないわ、八雲。貴女は復讐相手じゃないもの。あの校長も、私に喧嘩を売って来たから狩っただけですので。大元を辿れば、貴女が黒幕で私の殺害指示を出してたんでしょうけど。

 今の貴女を狩った所で、分裂した人格の一つに過ぎないでしょうし?

 その肉体も、オリジナル八雲の触手を切り落として擬態させた蘇生体ですし?

 神性由来の超能力。確か、人格戯画でしたよね。自分と全く同一の人格を精神世界で写し、それを別人格の同一人物として同居し、やがて時間経過により同じ魂を別個に得る。それに肉体を与え、自分自身の魂・精神・肉体を単一増殖させるってこと」

 

「でもですね、最近はソレだけではないんですよ?

 やっと貴女の力を模倣するに至りまして、成長要素に死者の遺志を養分として摂取することが出来るようになりました。精神と魂は私ですが、そこに知識、技術、過去を加える事が可能となりました。

 八雲機関(ECO)―――全ての幹部が私。

 しかして、同じ魂の別人として並列存在する運命共同体。

 あらゆる八雲の可能性が枝分かれ、私は全ての私と意識の渦で繋がっています。

 私同士で分裂による複製ではなく、生殖活動による生命の誕生も今は可能となっています。まぁ人間ではありませんで、八雲は八雲同士でなくば雌雄接触による生命戯画は不可能ですけどね」

 

「―――……ふぅん。酷な遺伝子構造ね。

 貴女の孫娘、好きな人間でも出来たのかもね?」

 

「かもしれません。嘗て八雲が人間だったのは確かですが、捨て去った筈の人間性への愛の為、私達の為の国と戦う決意を抱く私の別の可能性―――……素晴しいじゃあないですか?

 やはり―――殺して、宜しかった。

 私の目の前で、私が愛した男を犯して殺し、私は私に復讐される過去を獲得した。

 親は絶対。掟は絶対。人間に自分の魂を委ねてはならないと言うのに、孫娘である私は八雲の規律に反してしまいました」

 

 魔女は忌巫女を見送り、コーヒーを飲み乾す。目指す先は国立八雲大学大学長研究棟、ビルゲンワース教室。そこは魔女ダルクに啓蒙された八雲による神性暴きの学び舎。ミスカトニック大学からの研究協力もある日本最高峰の神秘探求機関。徹底した倫理無視による探求規律により、冒涜に比例して叡智を極める人間性の悍ましさの具現。空鬼の次元彷徨を解明した事による高次元結界は位相を現実からズラし、本当なら研究員以外は誰も入れない筈の場所。

 警備に当たるナイト・ゴーント(夜鬼)を愛用の黒炎付与散弾銃で撃ち落とし、地面に転がったソレの頭部を「葬送の刃」の曲刀で断ち切った。

 ディメンショナル・シャンブラー(空気)が魔女を異次元空間から不意打ちし、それを振り向き様に仕掛けによって鎌形態にした刃で首を断つ。

 辿り着いたのは研究棟最深部、学長室。魔女は手も触れずに修得した手品レベルの念力を思念で発し、自動ドアの要領で学長室に悠々と侵入した。

 

「狩りに来ましたよ、学長さぁん……アレ、アンタ誰?」

 

「別に良いよ。ほら、ハリーハリー」

 

「自棄になってんな。そう言う貴女は……まぁ、いっか。

 じゃあ、そもそも此処に引き籠っていた筈の大学長はどうしましたか?」

 

「今は自分が新学長。旧学長は既にボクの微笑む神風(スマイリーデッド)に変えました。ほら先程、国連視察団が爆殺されたニュースがあったと思うけど、それの爆弾になって貰ったよ」

 

「あー……だったら、別に狩りません。生きな、復讐者。私はもう帰る」

 

「はぁ……ッ―――?

 いやいやいやいやイヤ、お前はボクが何者か知ってるでしょ!? だったら何で殺さねぇーのよ!!」

 

「知らんし、知りたくもない。日本人殺したいなら、嫌いって感情が枯れて無くなるまで、好きなだけ殺せば良いじゃない。

 私は日本の内乱とは興味が湧きませんし、関心もないので。恩があった知人に恩返しする為にちょっと首突っ込んだだけで、あの学長がいないなら私の憎悪も終了です」

 

「―――うわぁ……お前、マジ魔女じゃん。信念とかないの?」

 

「そうよ? 好きで人助けして、好きで人殺ししてんの。矛盾しない一つの信条や信念に筋を通す人間っての強いけど、実際はそれ以外を許せない人間性の器が矮小な人間が正体です。

 でも魔女である私は、人間性とかない人間なので矛盾とか大好き。

 長く生きた所為で私の信念は幾つもあって、結果的に全てに筋が通せなく、色んな矛盾も沢山ありますが、憎悪と言う感情が大切なだけでして。

 殺す気が湧かないのに、無理して信条に従って人を殺す程、己に盲目となれば魔女失格でしょうからね」

 

「―――これ、ヤクモじゃ勝てん。

 ボクら、最初から勝ち目のない殺し合いしてるだけじゃないの。こんな阿保に凄まじい叡智と思考を与えたら、頭を進化させようと頑張ってる学者のボクはどうすれば……より善き日本、永遠に届かない」

 

「より善き日本。んー……―――ファンタスティック。

 魔女の狩人にしかなれない私からすれば、素敵に無価値な信念だと思いますね」

 

「国に裏切られたお前からすれば、ボク達が共有する信条はそんなんでしょうね」

 

「所詮、国なんて石器時代から続く生贄システムを進化させた村社会よ。今の社会だって、昔みたいに集団の贄となった代表の人命まで取らない様、指導者生命を殺すだけのマイルドさになった妥協によるカラクリ。専門家や政治家がやる国家方針の政策も結果、当たらぬも八卦、外れるも八卦な、昔ながらの占いと本質な何も変わらないしね。

 私みたいな犠牲者、別に未来になったこの現代でも珍しくも何ともない。

 国を焼き滅ぼしたい憎悪なんて、どんな国からでも必ず生まれる悲劇よ。

 そう言う文明を進化させても何も変われず、何物にもなれず、普遍的に下らない人類から進化する為の上位者なんだけど……―――ふぅ、駄目ですね。

 聖血教会から離反した星血学派の魔術師を、八雲機関が取り込んだのってそう言うことじゃないの?」

 

「だけど、ボクら八雲はこの社会を更に変えて支配する上位存在になる為、そうしたんだ」

 

「そ。じゃあこのテロリズム、頑張って。応援してる」

 

「……………………………ッ――」

 

 つまらなそうに、魔女は「ヒガンバナ」の新指導者を見逃した。狩る必要のない相手を殺す程、彼女は信念に狂えない。血に酔い切れない赤子として生まれ、幼年期を過ぎ、成体した狩人になった今なら必然的選択だろう。

 ――バン、と鈍い発砲音。閉じ去った扉の向こうから、魔女の耳に入る音。

 自害したのか、憂さ晴らしに撃ったのかは分からない。だが、あれもまた八雲であるならば、魔女の教え子に他ならない。

 それでも尚、興味は湧かなかった。死したところで八雲の集合意識領域である本体の脳世界、擬似アラヤシキに人格が魂へと回帰するだけ。即ち、地獄に堕ちるだけのこと。

 

「どうせ、私じゃ誰も救えないし。人間、自分で頑張らなきゃ……人生、欺瞞になるもの。

 ――はぁ。独り言、また増えた。

 歳は取りたくないですね。自分に幾ら愚痴っても、憂さ晴らしにもならないのに」

 

 仕掛け武器を脳裏へ仕舞い、魔女は普段通りに歩む。こちらを隠れ見ていた神話生物を無造作に睨み、視界に居たからと特に意味もなく眼力で黒炎を発して焼き殺す。その遺志が瞳から入り、魂を貪り食らい、自分と言う魔女の形をした悪夢の渦に融かし落とす。

 人のカタチをした地獄。そう言う意味において魔女は、悪魔や灰、狩人と同域の不死者にもう成り果てている。

 八雲が夢見たヒトの正しき不死。

 この世全ての人間が至るべき形。

 その八雲の理念を知った上で、魔女は心底からどうでも良さそうに復讐の憎悪を晴らして去って行った。

 

 

 

====<●>====

 

 

 

 良くある話―――ではないが、こんな世の中であれば、世界の何処かでは起きている事。しかし、今回の話は稀な出来事だろう。

 神秘を好奇心で学び、魔導書を得て、魔術師となってしまった少年による凶行。

 だが現代日本社会のシステムでは魔術師を裁く法律はなく、状況証拠はあれど物的証拠はなく、何より少年法と言う社会の絡繰が子供を守る。どんなに邪悪で気色悪く、一秒でも早く死んだ方が世の為、人の為になる汚物的な子供であろうとも、反省する雰囲気を理性的に纏えば実刑が下っても軽減される事が殆んど。

 即ち、魔術の有無以前、この社会は流れぬ汚濁で腐っていた。

 とは言え、悪法も法。社会の為の規律に過ぎず、個人の為の立法ではない。

 そして本来ならば主犯格の少年は共犯者の立場を得ており、逮捕されて裁判になったと言うのに、主犯は魔術師の少年に用意されたスケープゴート。むしろ、脅されて仕方無く犯行グループに入ってしまったと言う被害者的立場を図々しくも得ており、その事実に神秘に盲目な愚者が見付けることも不可能だった。

 

「―――殺して、欲しいのです」

 

「良いけど。なに、全員?

 後、普通に殺して良いの?」

 

「出来れば、拷問も。孫娘にした以上の苦悶によって、死を」

 

「人狩りなら、代価が欲しいです。その怨讐に相応しい報酬を、私に頂戴」

 

「全て、何もかも。私の全てを。そして、貴女様の遺志に融かして下さいませ。貴女の中から、全てを見届けることを御赦し下さい。

 魔女様、お願いします。魔女様、どうか魔女様……この下らない日本社会が、邪魔なのです。

 この下らない規律を破り、糞以下の社会規律を塵に出来る魔女様にしか、もう頼む宛てがありません」

 

「良いわ。それとね、金銭程度で充分よ。最近、日本に住んでるのは御飯が美味しいからなのと、ちょっと好みな事件が集中してるからってだけ。

 私は邪神じゃないので、別に貴女の命まで―――――」

 

 直後、老婆は自分の首を包丁で切り裂いた。動脈が切れ、頸の骨まで断ち、血が天井まで吹き上がった。地方都市のマンションの一室にて、長く生きた命が一つ自害によって事切れた。

 嘗て、偽善と分かっていても行った慈善活動を思い返す。魔術の生贄として攫われ、神話生物の為に活造りされそうだった少女を助けた過去。その魔術師を狩り殺し、魔物も皆殺しにし、その結果、たった一人の少女だけを地獄から救い上げる事が出来た――――と、魔女は勘違いしていた。

 結局、結末がこれならば―――と、人間に対する憎悪を思い出した。

 魔女に救われた後、苦難はあったろうが人並みに幸福だった人生を老婆は歩んで来たが、その物語のエンディングがコレだった。

 

「――――あ、そう。死を選びましたか。

 凄まじい憎悪の遺志。そうですか……そうですか……あぁ、心底から理解出来ます。この世界を焼き尽くしても良い程、悔しいですよね」

 

 彼女の孫娘は誘拐され監禁、拷問とレイプを繰り返され、衰弱死した後に川に投げ捨てられた。そして、下流に流れ進んだ死んだ少女の遺体を見付けた第一発見者は、最初は腐った豚の死体に見えたと証言した。

 これは、徒党を組んだ屑共による凶悪な少年犯罪の一つである。

 気持ち良いから犯し、面白いから監禁し、愉しいから繰り返す。

 人間は、獣。子供だろうと、獣は獣。いや、人間性を偽らない子供だからこそ醜い獣と成り果てる。

 もし、これを仕方が無いと許すのなら―――魔女は、その人間も少年法に守られる汚物の同類だと見下すだろう。人殺しの人でなしであると自認する魔女が、自分の罪を棚上げして屑扱いして構わない汚物だと、彼女だけは正しくその正当性を世界から学んでいる。

 神秘を秘匿する魔術師が絡んではいるが、このどうしようもない憤りは別である。魔術による悲劇ではあるが、この糞団子に等しい救われなさは社会を作る人間性が根底にある。殺された事を復讐するだけでは収まらない。きっと誰もが、この悲劇から人間が何時もの歴史通りに何の教訓も得らないと理解していた。獣性は平和な世からも膿む出るのだと、人間の知性とはその程度の社会しか作れないと諦めを見出していた。

 魔女が見て来た何時も通りの世界、何時も通りの人間社会だった。恐らく変えるには、死を伴った行動が無くては何も変わらない。言葉で訴えるだけでは、根底の社会性は決して変わらない動物が人間である。

 つまるところ、魔女が頼まれたのは―――テロリズムである。

 法律によって社会的に許された少年を皆殺す事で、老婆の暗い遺志を日本社会に伝播する。老婆が復讐するべき相手は、孫娘を殺した命に価値がない汚物と、その汚物が社会で生きること許すこの日本社会そのものだった。

 

「なら、内側から見ていなさい。昔の私が救ったけれど、今の私では救えなかった貴女」

 

 女と結婚して子供達を育てていた男を、狩った。

 会社を運営して社員を養っていた男を、狩った。

 ボランティアを通じて贖罪をする男を、狩った。

 実家に引き籠ってニートになった男を、狩った。

 死ぬべき四匹の人面獣(ケモノ)。魔術師に誘われて、魔術による精神汚染を必要とせず、有りの儘の獣性で少女を嬲り殺した少年だった男共は、全員が魔女に狩り()られた。勿論、老婆から継いだ復讐の遺志に従い、断末魔が願う儘、苦痛に満ちた死を魔女は届けた。生きた侭に五体を解体される男たちの叫び声は、憎悪に熱く燃える心にとって砂漠のオアシスに等しい癒しとなり、死ぬ前に地獄へ落として殺す度に怨念が救われた。元帥に願われ生まれた赤子にとって生前の繰り返しとなり、狩人となった死後でも同じ復讐を繰り返すそれこそ、竜の魔女の業。

 自分以外の誰かの為―――殺す。

 結局、自分の為の人間殺害権の自由さえなかった操り人形の宿業。だからこそ魔女に宿る憎悪は誰かの為の悪意に過ぎず、母の為に行った罪科を繰り返す破目となる。ジャンヌ・ダルクを陵辱して火炙りにした異端審問官(セイショクシャ)と何ら変わらない人間性(ノロイ)で以って、憎悪と火を崇める血の聖女として、少年だった罪人を惨たらしく殺害した。

 穴と言う穴に異物を挿し込め、爪を剥ぎ取り、体中の髪を手で引き抜き、性器を含めた全身に針を刺し込み、眼球を洗剤を垂らし、殺して欲しいと言うまで苦しませた。少女へ少年たちが犯した同じ罪を、全く同じ手段で魔女は復讐を代行した。彼女の中に融けた老婆の遺志の儘に、人間らしい悪意で以って死人が行う死人の為の善行を遂行した。当然、善行とは呼べない事を魔女は分かってはいるが、この悪行を善い事と喜んでくれる善人だった復讐者の遺志が、魔女に倫理的罪悪感の一切を与えなかった。いや、その感情が芽生えることを絶対に許さなかった。

 勿論、この連続殺人はニュースに取り上げられた。風化していた凶悪少年犯罪の加害者が社会復帰した後に惨殺される事件として、ニュース番組のコメンテーターが視聴率が欲しいテレビスタッフの操り人形となって、面白可笑しく考察していた。

 ―――下らなく、同時にやはり悍ましい営みだ。

 コレの情報を娯楽品として消費するのが、人間と言う動物の本性でもあった。

 そして最後の一人は自殺した事にして社会的身分を抹消し、新しい日本人戸籍を得ていた。少年だった悪人は人生を魔術師として、マフィア組織の幹部として、悪徳に満ちた今の人生を謳歌している真っ最中だった。

 

「甘粕機関の機密暗号書物。経済学者の魔術師が記した未来社会知識による経済運営論。八雲の遺産、暗竜会から流出したアーティファクトの一つね」

 

「そうです。はぁ……いや、良いですけど。これは八雲の不始末ですが……全く、因果ですね。機関が満州で行った娯楽薬品の銭稼ぎが、こうも未来にまで影響を与えるとは。

 露助ちゃんたちが何時も通り愉し気に同志を殺戮し、更にシベリアで大変大勢を嬲り殺しにしましたので、あの地でのことは闇に葬られましたがね。その点、殺戮大好き露助ちゃんは何時も通り悪行に対してだけは良い仕事をして頂けます」

 

「黒竜会と甘粕機関の遺志を継ぐ魔術師の企みが戦後の暗竜会……で結果、今の貴女が運営する八雲機関ですからね。

 と言うか、良くまぁあんな事件後も、平然とまだ政府の黒幕ごっこ遊びをしていられますね?」

 

「今の日本人を、そう育てましたのが私たち八雲の教育科学文部省ですよ。当然ではないですか。いやはや、義務教育の賜物と言うことです。

 愛しい愛しい賢い国民ちゃんです。だってほら、事勿れが一番の平穏ですからね。賢者でなければ、幸せになる為の馬鹿の演技は難しいものですし……えぇ、その演技技術を磨く為の集団学校生活でもあります。教育には一番の手を我らは加えましたからね」

 

「ド屑」

 

「はい。魔女様の仰る通りかと。我ら八雲も日本作りの参照にしたあの魔導書には未来の社会構造図を、異星文明をも考察対象にした未来予知知識も交えて解説してあります。

 なので貴女様が追う元少年性犯罪者の、我ら八雲の理想社会を汚す穢れた血の反社野郎を、現代被れな漫画家を趣味で行う魔女様にも分かり易く例えるなら……そうですね、知識賢人無双で異世界劣等社会オレツエーですかね?」

 

「あら、流行り。同人誌作家な私に対する的確な教えね」

 

「そうですよ。根底が分かり易くチープである程、強固で単純な社会を作れます。複雑な機構など後付けで良いのです。それはほら、人間が人生を掛けて育てる自分自身の人間性も同じことじゃないですか。頑丈な機械も似ています。物作りの根本なのです。

 神―――何て概念、それの代表です。

 簡単に言えば機関の魔導書を手に入れた拉致監禁傷害強盗強姦殺人少年犯は、神秘疎し人類社会における神様になりましたとさ」

 

「まぁ少年だったからと復讐に生きて死んだ私では、拉致監禁傷害強盗強姦殺人の罪を監獄生活の時間経過程度の……そんな程度の生活が贖罪となり、更には社会的に許そうとする現代人の思想が理解出来ませんが」

 

「そこは私たちの責任ではありません。好きでこの様を選んだ国家全体の博愛精神です。普通に銃殺刑で良いと思いますし、邪悪なエジソンさんに倣った素晴しき電気椅子による公開処刑も愉しそうですが」

 

「気色悪い奴等です。私は狩人の儘で充分ね」

 

「でしたら、私を憐れんで下さい。その気色の悪い汚物を、どうにかこうにか平穏な檻で飼殺している私の気苦労を」

 

「何言ってんの。好きでやってる慈善でしょう。偽善じゃない分、救いがないわ」

 

「当然じゃありませんか。偽善に愛はありません。私は愛しているのです。

 日本を愛するように、日本を愛し続けるように、日本の平和の為に何でもする超人的精神を持つように、あの愛国者達に製造されて育てられた人造大日本帝国人なのですから。

 それが―――八雲と言う存在です。

 ですから、我ら八雲の親である愛国者達の遺産を掠め取った性犯罪者には、魔女様より死の裁きを与えて下さい」

 

「良いわよ。だから、情報寄越しなさいな」

 

「では、書類を渡します。追加のサービスですがあの性犯罪者、どうやら甘粕機関に倣って海外麻薬ビジネスを行う民間会社を始めるようですね。

 暴力団を隠れ蓑にした海外日本マフィアなんて神秘の温床になる暗部ですので、多分普通に成功します」

 

「へぇ、何処で?」

 

「書類に各国での詳細情報が記されてますので、其方を参照にして下さい」

 

「オッケー了解。じゃ、情報ありがとう」

 

「どういたしまして、魔女様。またの八雲機関御利用、御待ちしております」

 

 三週間後、時はクリスマス・イブ。雪降る景色が宗教的に似合う頃合いだが、赤道近くの国には関係のないことだろう。その国の港街で目的の男は理狼的快楽人生を謳歌していた。

 名称、魔術師デクマ。通称、傀儡の王。

 本名は既に裏社会でも戸籍情報と共に失っており、国際警察(インターポール)からも身元不明の犯罪者としてデクマと呼ばれているマフィア幹部。一般家庭から生まれた突然変異の邪悪知性体に対し、そもそも警察機構でどうにかなる魔術師でなく、それを暴ける法律や手段も日本には存在しない。その少年性犯罪者だった魔術師は日本経済への大規模シンジゲートを麻薬ビジネスで築いており、犯罪だからこその巨万の富を手に入れていた。

 

「魔女さん、人間は胎児の時にに人権はない。大人や子供と同じ人間であるにも関わらず。だからこそ本人の許可無く堕胎は行われる。それを当然の権利として、人間が人を殺す。では人が、人として社会的に認められるのはどの瞬間からなのか……論理的且つ論理的な線引きが欲しいとは思わないか。

 人は、果たして何時から人として人間達に認められるのか?

 だから僕は人形遊びが好きでね、人形遊びをする幼子を見ていると羨ましく思うのだよ。純粋な気持ちで、人形を人権の無い人間だと思い込んで愉しめる子供の精神性をね。人の親が行う子育ても似たような物だ。社会において殺しても良い命を選択したからこそ、人間は生きた自分だけの人形を手に入れられる。無償の愛玩こそ、人間が人間に向ける最も素晴らしき愛。

 その所為か、日本で悪さをしたいた頃は傀儡魔(デクマ)と呼ばれていた。それが今の名にもなってしまった。人間を人形に見立てて遊ぶ愉快犯デクマ。けれど、それは誰もが同じ心を持っていると思わないかね?」

 

「思わないけど?」

 

「そうか。残念だ。でも、僕は人権の無い人間……――つまり、人間を人形にする手段が欲しくて堪らなかった。特に、魔女さんみたいなSSR級の美人だと尚更良き。男でも、男の娘なら良きの中の良き。

 愚かで異常だと理性では分かっているのに、その煮え滾る熱い衝動を止められなかった。悪として生まれたこの魂をあろうことか、否定せずに僕は自分自身で大いに祝福してしまった。いや、邪悪として生まれたことを奇跡だと歓喜した。

 子供だった僕は耐え切れず、凄く可愛い女の子を人形にしたかった。本当、それだけだったんだ。それを自慢する為の共犯者も欲しかったし、最初から罪を告白して自殺を偽造する予定だったから、その為のスケープゴートも欲しかった。

 でもさ、子供心に思ったんだ。そもそも許されるのにそれは悪い事なのだろうかって?

 少年法と言うマニュアルを読み解くとさ、ちゃんと手順を踏めば法律上、簡単な罪の償い方ってのも分かってしまうからね」

 

「子供が、子供心で法の網目を潜って悪さする……成る程ね。マフィアやってる今の貴方と変わらない精神性。

 所詮、罪人は獣人(ケモノ)。社会に不利益な害獣は狩り殺すのが一番。教会の医療者同様、屑はとっとと葬るに限る」

 

「人間は、獣さ。子供だろうと勿論、獣は獣と言うことさ。もし立派に子育てがしたいなら、異常を見抜いて間引くことも人の親なら大事なことだ。だから僕は家族からもバレないよう、普通を演じることに腐心していたんだけど。

 その甲斐あってか、子供時代に一人で神様を演じられる力を得た後、最高の思いで作りは出来たよ。

 写真もあるし、映像も撮ってある。僕にとっては一番古いコレクションさ。勿論、今も最新版を更新し続けているよ。

 でもほら、その悪行も許されているよ?

 人間は、人間が悪人として生きることを許してくれる慈悲深い知性体なのさ」

 

「馬鹿ね。傷を付けられた被害者からは、永遠に許されない。死を生み出せば尚の事、国ごと焼き殺されても不思議じゃない因果の応報となる。

 だから私は、此処に―――在る。

 運命が貴方に追い付いた。邪悪を喜ぶ人の獣よ、神秘で人を弄ぶ愚者に相応しい最期を迎えなさい」

 

 敵は魔術師。油断は出来ない。そして魔女は即座、魔術師狩りに成功した。その遺志を瞳で喰らい、自分の脳内である悪夢に落とす。魔術師デクマの魂は老婆の怨念とやっと出会い、あの時の共犯者たちの遺志とも悪夢の中で邂逅することだろう。やがて消化され、使者を形成する悪夢の白い血の材料になるまで、生前の意志を保つ血の遺志として存在し続けることになるだろう。

 だが此処―――麻薬蔓延都市に、何の変わりはない。

 一大勢力を作り上げた脅威の新参者が一人、何故か突如として消えただけ。何時も通りの、何の変哲もない日常が続く程度のイベントに過ぎず、何よりその席は違う誰かが直ぐに座ることになる。

 

「―――で、これが魔導書ね」

 

「はい。そうです。そうで、す。そそそ、そうで……そそそう、です」

 

「ありがとう。貴方、もう死んで良いわよ」

 

「ぐべぇぎゃぁ!」

 

 誘拐した少女を地下売春宿で働かせる為、あるいは人材派遣事業を隠れ蓑にして性奴隷を売却する為、趣味で客に対する性演技指導をしていたデクマの側近魔術師。彼は頭蓋から弾け、脳細胞と血液を撒き散らして死んだ。側近魔術師の仕事は、人間を人権のない奴隷人形にするデクマの娯楽稼業であったが、麻薬ビジネスに比べれば利益率は低く、マフィアとしては個人事業の範囲内の趣味でしかなかった。その魔術師は魔女による瞳の視線で洗脳され、目的が果たされたので物理的にも狂気を抑えられずに発狂死したのだろう。

 そして金庫に入っていた魔導書を、金庫に狩人チョップを振り下すことで魔女は手に入れた。鍵開け技能など脳筋には不必要。巨大な獣や上位者の肉体を素手で貫いて脳髄や臓物を抜く狩人の筋力と技量があれば、合金製金庫を素手で破壊することなど容易い。ガラシャの拳を使えばより簡単だったろうが、ナックルパンチをついつい全力で振う狩人癖があるので、微調整が効く素手で狩人式アイテムゲット術を行使したのだろう。

 

「正義を盾に、正義の為に振う暴力こそ正義から最も程遠い悪行……なんて、ついつい愚痴が漏れ出ちゃう私でありましたとさ」

 

「ぎゃあ!」

 

「ふぁぁあ……あ、欠伸が出ちゃった。それにしても聞き慣れた断末魔ね。はいはい、そこの貴方も死んじゃって。どんどんどんどん死んじゃって。

 正しく、一方的な暴力こそ理想的な社会暴力。

 暴力があらゆる悪を解決する。暴力こそ正解。

 ジャスティスバレッドで脳漿を弾き飛ばしちゃいなさいYO!」

 

「やめ、やめてく―――ゲっ!」

 

「うわぁぁああああ!! 死んで堪―――グヒャ!」

 

「この糞女ビッチが殺し―――ベシャ!」

 

 復讐に遠慮はない。魔女は武器保管庫で両手に取った二挺の短機関銃(サブマシンガン)で弾丸を撃ち、事務所にいた構成員を標的に皆殺しを始める。死の恐怖で叫びながら銃弾を拳銃から撃つマフィアだったが、弾速を真正面から容易く見切る狩人の瞳からすれば、欠伸を出しながら避けることなど余りに簡単。況して人体を貫通する拳銃の破壊力ならば、狩人に当たったところでダメージは低い。

 まるでアクション映画の主役のような、と言うよりも魔女は映画の役者の演技を真似ていた。彼女は弾幕の嵐の中を踊る様に潜り抜け、敵と擦れ違う度に射殺する。特に意味もなく腕を後ろに回して背面射ちを行い、アクロバティックな仕草で面白可笑しく人を撃ち殺す。

 

「あー……あ、はぁ……殺した殺した。あ、マネー発見。

 屍と一緒に落ちてるお金は拾っておきましょう。死体漁りは狩人の嗜みですからね」

 

「狩人は業が深いことよ。相変わらずの獣狩りか、魔女」

 

「あら、暗帝。貴女、何でこんな場所に?」

 

「この辺のマフィアは観光客相手に麻薬を売っていてな。そこに神秘被れのマフィア組織の魔術師が紛れ、資金稼ぎに魔術薬品や実験用人間を売り買いするこの特有のブラックマーケットが存在しておる。

 余の狙いは其方だ。結果、先を越された。

 貴様はどうやら、個人的な復讐が目的だったようだが?」

 

「え、嘘。まだなの……これ以上にまだ、闇深くなるのですか?」

 

「元を辿ると、夢幻郷(ドリームランド)からの流れ者による組織だった悪事のようだな」

 

「可笑しいわね。気色悪い強姦殺人者を五匹ブッ殺せば、それで済む復讐依頼だった筈ですのに」

 

「うむ……何だ、強姦魔の類を狩り回っておるのか?

 であれば余に協力するが良い。此処の連中を斬り捨てた後、孤児を使った殺人児童ポルノも撮影している奴等を斬り殺しに行く予定であった。

 真、世には死すべき変態が多い事よ。なまじ文明発展で過去より生活基準が上がり、貴族的生活階級の市民が多くなると、搾取される側の奴隷の消耗も酷くなる。いやはやローマ帝国とは異なり、敢えて貴族の国が奴隷の国を作り上げ、奴隷の反乱を国際経済社会を構築することで封じておるからな。

 歴史から学ぶのが人の知恵であり、この在り様も人民の反乱無き理想国家に相応しき姿だが、やり口が人間らしく悍ましい。高度に複雑な搾取機構により、貴族階級が安全に奴隷階級からの奉仕を安い賃金を払って受けるとは……はぁ、歴史が進む毎に邪悪さも進化するのが人の性よな。

 今回の話も所詮、それの延長だ。魔術やら神秘やらは関わってはいるが、その環境を作ったのが貴族の国が世界に吐き捨てた負債の総決算だろうよ」

 

「あー……ホント、面倒臭いわね。やっぱり人間全部、手早く燃やそうとした私は間違ってなかったわ」

 

「否定はせぬ。我らの時代の先が、この有り様。繁栄と言う善の裏にて、少数の悪が病魔のように蔓延る形。

 経済と戦争の世界を選んだ人類社会もまた人間の本質だ。その事実をこの社会に生きる人間は誰一人否定出来ぬし、否定したくば人理を否定した我らのように戦わなければならん。今の善き平穏な社会を否定し、より善き世界への変化を求める意志が無い者に、そも人類愛の資格なし。この世界に人理はないが、我らの世界においても人類社会の形態はほぼ変わらん。

 ならば……いや、むしろ良いことかもしれん。

 特異点にて人理を否定した我ら二人のような人間がいることで、魂の内側に蟠る何かを救われた死人も少数だが存在することだろう」

 

「私もそれは否定しないわ。偽りの記憶とは言え―――愛していました。

 フランスも、聖女も、心の底から愛していたから憎悪が生まれ、この社会を良しとする世界中の何もかもを殺し尽くしたくなった。

 だから私はあの老婆の、憎悪と復讐の遺志を受け継ぎました。

 竜の魔女を殺戮人形として作った私だけの創造主、ジル・ド・モンモランシー=ラヴァルの無念を継いだように」

 

「そうか。それは良き理由だ。余がこの様になったのは……うむ、言うに恥ずかしい訳だ。この世に生まれた誰もが持ち、誰にも訪れる到達点に対する無念。

 実に本能的な人間性―――死にたくなかった。本当、それだけだからな」

 

「良いじゃないですか。誰もが死にたくないから、人死は酷い悪夢となります。だから復讐者は、殺された人の為に今を生きる人を殺すのだし」

 

「すまんな。傷の舐め合いなど貴様の趣味ではなかったな」

 

「そんなの、良いですよ。長く生きていれば、そう言うのを許せる時代も来るだけです」

 

 ブラックマーケットの壊滅。既に復讐から遠くに来ていたが、それを理由に(ヒト)狩りから逃げる意味はない。

 そして、暗帝と魔女は一歩遅かった。いや、ほんの数時間だけ間に合わなかった。此処はそもそも、夢幻郷から奇形の神話生物を召喚している組織が根付く街。麻薬は外来の魔術師など関係なく、この悲劇が起きるのは時間の問題。確かに魔術師デクマによって神秘探求は加速していたが、最初からマフィア組織を営む魔術師たちは暴走状態にあり、ある意味で奇跡的なタイミングで魔術災害(マジカルハザード)は発生してしまった。

 

「うわぁ……夢幻郷の神秘法則が侵食してますね。もう此処、現代機器が使えない異界常識にされてるじゃん」

 

「余、困惑。ここまでの狂人集団とは見抜けなんだ」

 

 巨剣を握る異形の巨人が人間を敢えて素手で鷲掴み、そのまま顎で骨ごと噛み砕いて咀嚼する。人型巨獣が硬化した手の爪を伸ばして股間から突き刺し、焼き鳥みたいな丸ごと生人間刺しにして遊び喰らう。機械槌を持つ軟体人蛸が先端の鋭利な触手を伸ばして人を串刺し、口に入れて美味しく頬張る。人間大の二挺虫ガンマンがレーザーガンを乱れ撃ち、人間を電撃で消炭にし、あるいは冷凍した後に粉砕する。原生細胞生物が人形もどきの形で蠢きながら人を軟体触手で捕獲し、生きたまま形成した口に入れて踊り食いを行う。空飛ぶ円錐生物が超魔導的な放射能光線を放ち、人間をレンシレンジで加熱したように水分を瞬間蒸発させて爆裂させる。悪臭を放つ奇形の人型猟犬が舌を伸ばし、人間をこちらも瞬間的に体液を吸い取って木乃伊に変えている。

 種族そのものが人類にとって害悪となる異次元生物だと言うのに、あろうことかその種族における上位個体が思い思いに動き、人間に対する"復讐”(サツリク)を我を忘れて夢中に行う悪夢的地獄風景。これ程の異種族がいると言うのに、どの生物も人間を殺し尽くす事に腐心している違和感が有り過ぎる現状。

 それは―――憎悪。人間性に溢れた感情による惨き蛮行。

 自分か、あるいは身内が、恐らく人類種によって危害を与えられた個体のみ、恐らくこの街に召喚されている。その事実を魔女は啓蒙的直感で悟る。マフィア組織に弄ばれていた何かしらの異種族の魔術師が、己が憎悪を召喚触媒の呼び水に使って、人間を殺したくて堪らない神話生物を呼び込んだのだろうと。

 応報である。

 復讐である。

 怨念である。

 呪詛である。

 故、女子供は関係ない。むしろ、より悲惨で救われない地獄にする為、積極的に殺した方が良い。出来れば惨たらしく、同種の人間が憎悪の余り恐怖を忘れる様な悪夢が素晴しい。

 その種族における英雄と称されるに相応しい強靭な魂の持ち主が、怒り狂う心を剥き出して行う惨劇だった。そして人間側は夢幻郷の法則が流れ込む事で、文明の叡智であるあらゆる機械兵器と銃火器の使用を禁じられ、一方的な虐殺だけが許された貧弱なる雑食動物として狩り殺される獲物となって存在していた。

 よって、異形を駆逐出来るのは魔女と暗帝だけ。だが敵の戦闘技巧は英霊の"達人”に匹敵する。長い年月を鍛え上げた業により、その異形の中において更に異形と呼べる異端の強者となり、神格がなくとも神殺しを可能とする本物の化け物揃いだった。

 

「結局、世の平穏に事は無し……ですね」

 

「逃げられたな。幾つかは夢幻郷へ逃げた者もおる……追うか?」

 

「追います。狩り足りないわ」

 

 不死化技術が使われた個体。殺しても立ち上がる神話生物の群れ。魂を抹消しなくては死ねない理由は解らないが、次の邂逅時の為に魂砕きの準備はしなくてはならない。

 そして奴等は神格の尖兵でありながら、神性を狩る立場に回った神話生物の中での異形共でもあった。人間に対する憎悪を以って強さを得た者たち。裏側に宇宙を嗤う為の喜劇したがる道化の神の気配を二人は感じ、だが手出しのしようがない現実も思い出す。

 ―――復讐は終わらない。

 復讐を果たせば、新たな復讐の種が血より芽吹く。

 あるいは、終わらない負の連鎖を望む神が地球を愛でているのだろう。それが宇宙を観測し続けた神にとって、知性が最も愉しく進化する道筋なのかもしれない。まるで小説を書く作家が登場キャラクターを、物語をドラマチックに演出する為の消耗品として使い潰す様に。

 

 

 

◇◇■<◎>■◇◇

 

 

 

 インドの地方都市、その売春窟。生活のために働く者、借金返済の為に身を売った者、家族に不要と売られた者、親戚に騙されて送られた者、誘拐されて売春宿に売られた者、誘拐ビジネスによって他国から拉致された女性もいる。魔女が旅立った日本国もある意味で人身売買化した悪質的人材派遣ルートの到着地点ではあったが、まだそれは今の国際社会ルールの裏を掻い潜る合法。

 しかし、この地は全くの別。人道から反した非倫理的な人権を考えない社会の営み。

 性産業社会において、決して女が男に花を売るのではない。本質的に男が女の花を男に売る地獄、その連鎖。本能に根付いた欲望は経済を良く回し、自分の身体以外に何も持たないと思わされる女性にとって、もはや寿命を削って体を売る事しか生きる術がないと判断する。心身を蕩かし壊す薬物も充満し、それは死に至る疫病となって人間に蔓延する。

 神性を尊ぶ魔術師にとって実に素晴しく冒涜的な地。

 人々の欲得と思念が染み込み、此処は理想の猟奇的悪夢。

 態々、贄を殺して魂を捧げる必要もない。宿に魔法陣を描いておけば性病に掛った末、薬物で脳を融かして死ぬ女たちの遺志が勝手に生贄となる。

 そして、それが当たり前の常識だった。元より魔術師が死を隠蔽する意味がない。そうして女が腐り死ぬのが、この街の悪意から生み出た因習だった。

 

「くたばれ、屑が!!」

 

「ぎゃぁぁあああああああああああ!!」

 

 尤も、そんな事など如何でも良いのが神性狩りの超人。右手にデンノコを装着した鋸漁師は売春窟で商品の女を男共の性欲を使って腐り殺していた魔術師を、圧倒的暴力と言う罰となって三枚に斬り裂いた。更に逃げようする職員を背後から首を銛で刺し、捻り引き抜き、頭を天井まで突き飛ばした。

 

「あぁぁあ!! イラつく、イラつく、苛立ってイラつくぜ!!

 何だ此処は、一体何がどうなってやがるだ、ジャンヌさん!?

 魔術師を殺しに来たが、そもそも魔術師云々とか糞如何でも良い場所じゃねぇか!!」

 

「そうね。こんな場所、邪神でも呼び出して、一回滅ぼして、全部綺麗にした方が良いかもしれないわね」

 

「あぁそうだぜ、マジで同意する!

 でもさ、それするんだったら、死ぬ必要のないヤツだけは避難させなきゃイケねぇけどよ……」

 

「選んで殺すのは、(ヒト)が妄想する神の所業よ?」

 

「分かってる。やるんなら、ちゃんと自分の手で下すのが人の業ってもんさ」

 

「何てまともな。良い教育をしたみたいね、妖術師」

 

「魔女殿、呆れた目で見ないで下さい。私としても、神を狩る人殺しとしてさえ、こうまで真っ直ぐに育つとは思いませんでした」

 

 溜め息を吐く妖術師は獲物と定めた魔術師に右掌を向け、呪文もなく拳へと握り締める。すると空間ごと圧縮することで、相手をあっさりと肉塊球へ作り変えた。

 同時に左手で指を鳴らす。見事なフィンガースナップであり、それと共に最後に残った敵が一瞬で炎上。星の精霊から奪い取った呪詛火であり、即座に肉が消えて骨だけが残った。

 

「神の火で死ねば神の下へ行けると言うのに、星に狂うべき魔術師が死に惑うとは情けないです。私独自の妖術、神通剛力を使うまでもありませんでしたね」

 

 ワンパンで建物を崩壊させ、地面にクレーターを作る妖術師を魔女は思い出し、少しだけ瞳を曇らせた。並みの人間の筋力の100倍はある威力を、この小柄な少女が放つのは現実離れし過ぎている。

 

「あー、あの筋肉変身ですね」

 

「はい。筋肉に、神は宿るのです。千年の鍛練にて、私が導き出した答えです」

 

「妖術師を名乗る癖して肉体強化が一番得意で、更に魔術より体術の方が強いとか詐欺だものね」

 

「あの蛸貌の剣神には負けましたけどね」

 

「仕方ないと思います。あれ、人間生まれの究極だもの。魂に積まれた呪詛の大層、既に幾柱の神性を斬り殺して食べてるわねか」

 

「でしたら、その蛸女を撃退した魔女殿も同類ですね。しかし、今はこの人ならざる魔術師が優先……ふぅむ、やはり裏側にいるのは古代種の蛇族でしたか。

 この手の怪しき者は即殺しまして、死体が人間か否か……迅速的に確認するには一番ですね」

 

 人間の死体は段々と形を変形し、手足が生えた人のような蛇に変わった。妖術師は道端に広がる酔っ払いの吐瀉物を嫌悪する目で蛇人間の屍を見下ろし、何気ない仕草で口を右手で覆った。単純、その死体が臭かったからだ。

 人間の裏社会に寄生し、豊かな生活を営むと共に、蛇神に捧げる人命を調達する。正しく一石二鳥の行いであり、人の悪性を隠れ蓑に蛇人は裏社会で勢力を拡大していた。

 

「カバディカバディカバディカバディ」

 

「シャッーシャッーシャッーシャッー」

 

「暗帝、貴方……正気を失って狂ってしまいましたか。

 音速のカバディなどと、高次元暗黒サッカーを隕石ボールしていた私が言える台詞ではないですが、魂の叡知が泣いている……」

 

「カバディ―――!!!」

 

「シャッー―――!!!」

 

「良し、余の勝ちだ!」

 

シャー(そうだ)。そして、私の敗北だ……」

 

 皇帝特権(カバディ)で蛇人の現地コミュニティ、蛇眼神授会から離反した蛇人の男と友好関係を結べた魔女、暗帝、鋸漁師、妖術師の四人。

 秘密アジトの地下で鍛練と研究に没頭している世捨て人ならぬ世捨て蛇だが、現地の社会構造には詳しい蛇男であった。

 

「此処は酷い街だ。実の娘を、観光客に娼婦として紹介して賃金を稼いでいる家族もいる。

 その子はまだ……まだ、たったの一桁の歳だぞ?

 悍ましいのは、此処の貧民は仕方ないと、ここはそう言う街だからと、親の代から変わらず継がれた因習だよ」

 

「倫理的ね、蛇なのに。それも人間の道徳に肩入れしてる。本来なら、私ら人間が畜生や怪物と貴方たちを思うように、貴方も人間なんて理性がない猿にしか見えないんじゃない?」

 

「だろうな。だが、それを告げる君の瞳は私の事をそう見ているようには見えんが」

 

「善性に態々ね、意味もなく悪意で接する程、もう捻くれちゃいないのです」

 

「素直なのは善い事だ。私とてコミュニティを裏切りはしたものの、信仰を棄てた訳ではない。この様、不出来な悪性を贄としたところで、本当に我らの創造主たる蛇神は御喜びになるのか……私は甚だ疑問に思ってね」

 

 神血を色濃く継ぐその蛇人は人間生まれの元人間であり、そのコミュニティ以外にとある秘密結社に属していた。同じ蛇人ではあるが立ち位置的にはコミュニテイの用心棒であり、同時に血の神聖さから下級蛇人から崇拝される外部の神人でもあった。蛇貌も血によって得たものであり、本来は人型人面の混血児であるも、長寿過ぎるので人間社会に隠れ潜んでいた。

 そして、その秘密結社の名は獣面二十七鬼。各々が古い血に目覚め、人外への変身能力を持つ二十七名の武闘派集団。

 そんな蛇人にとって長い付き合いになる獣面二十七鬼の一匹がこの街にいた。暑いインドの街中、文化や環境など知らぬと、分厚い着物姿で日傘を持つ黒髪黒眼の日本美人が蛇人に用事があり、凄まじい異物感と共に歩いていた。

 それは美形である魔女からしれも、人の美意識を超えた美女だった。その分、違和感があり、美し過ぎて価値観が歪み、彼女を美しいと思う己が気味悪く思う程。

 

「インドのこの街中で、そこまで派手な着物姿で歩くとは……」

 

「あら、あらまぁ。御久し振りですわね、魔女さん」

 

「いや、誰よ。知らんし」

 

「あの時は蛸貌のお面を被っていましたから。ほら、鞍乎見島で貴女と愛し合い、蕩け合った者ですわ」

 

「―――あぁ、あの変態蛸」

 

「刃の交じり合いは又後程、ねっとりお願い致しますね。今はコブラさんに御話が有りますので」

 

「コブラ……―――む、それが貴様の本名か?」

 

「いや、そうではないが。蛇顔時の時の姿で、獣面共から呼ばれている。本名はドマ、チベットの仏教徒だが……今や私の生まれ故郷は漢族政府に占領されているので、現代社会だと中国人と言った方が正しいか。気分悪いがな。本当、気分悪いが」

 

「コブラさんは、私達獣面のケモノに人名を呼ばれるのは御嫌なのですわ」

 

「黙れ、蛸。貴様はケモノとすら呼べぬゲテモノだろう」

 

「もう、いけませんわ。婦人には優しくするのがモテ蛇への第一歩ですわよ?

 それに私は想うのです……蛸こそ、究極の美像。ビューティフルオクトパスこそ、神なる美しさであると」

 

 背後からそんな戯言を垂れ流す蛸女の後頭部目掛け10トンパンチを繰り出す妖術師。今は蛸貌ではなくとも技の冴えに違いはなく、その剣神とも呼べる業によって彼女は拳の風圧さえ抜け避けていた。その余波で蛇人の隠れアジトが崩壊してしまったが、皇帝特権(株価予知)により現代社会で荒稼ぎを繰り返す暗帝の貯蓄を考えれば菓子パン程度の賠償金額であった。

 その三時間後、フランベルジュ二刀流とウルミ二刀流を巧みに振う四本腕の蛇人(コブラ)は、スーツ姿の神剣使いの鮫男に苦戦していた。

 

「―――マイケル・ザ・スペースシャークヘッド。まさか、貴様まで出て来るとは」

 

「おい、蛇野郎。その糞恥ずかしい名を言うな。特にザを付けるな、ザを。シャークとだけ呼べ。

 兎も角、とっととアンタを殺し、俺が善良宇宙人を監禁拷問して創らせたシン・シャイニングトラペゾヘドロンは返して貰うぜ!!」

 

「すまんな、シャーク。それ、要らぬので蛇眼神授会に売った。宇宙鮫にする嫌がらせは最高だぜ」

 

「ファッシャーク!!」

 

 混沌の地獄。魔女と愉快な仲間達、蛇眼神授会、獣面二十七鬼、国家公安対神性特務課の四つ巴。そんな現状の中、魔女らが屋台でカレーを食べている所に鮫男が襲来し、更なる混沌が津波となって押しかけて来る。その数分後、古代種の蛇と海外から来た魔術師に、凶悪な秘密結社から治安を守る為、カラリパヤットを極限まで鍛え上げた対神性公安課長の仙人が現れ、粛清に次ぐ粛清が行われる。

 もはや、蛇人のコミュニティだけを始末すれば良い話ではなくなった。味方に引き込めたと思った蛇貌も獣面との契約で向こう側に行き、蛸貌も同様。まずは邪魔な蛇眼神授会の撲滅を優先する協定は結べてはいるものの、対神性課は全ての不穏分子の抹殺が目的。

 戦いの成り行きで道路でのカーチェイスとなり、強制的にオープンカーになった屋根無し自動車に乗る魔女と暗帝は、浮遊飛行する神話生物に追い駆けられていた。より正確に言えば空飛ぶポリプ・ロイガーノスの上で腕を組んで立つ変質者にしか見えない貌に穴が空いた仙人が、その二人を執拗に狙っていた。

 

「ぱらりらぱらりら~~!!」

 

「言ってる場合ではない、魔女! 余とて現状は冷や汗ものだ!」

 

「言ってなきゃやってられないでしょ!!

 皇帝特権での運転に集中しなさいってアンタ、追い付かれたら―――ヒィ!!」

 

「眼からビーム、口から電撃だと!!

 あの仙人、どんな邪悪惑星へ行って修行して来たというのだ!!」

 

「ほっほっほ、宇宙旅行は仙人の嗜みよ。無論、神々が跋扈する銀河故、人語での説明は難しい。そして、ほれこの通り、縮地もまた自在よ」

 

「「ゲェ!!」」

 

「年老いた御嬢さん方。貴女方より年若い老人の儂に、どうかその魂が至った神秘を授けてくれんか?」

 

 実は獣面二十七鬼の一匹、孔貌の邪仙。この老人こそ、インド公安の神秘を管理する神性邪悪。特に意味もなく古代種を看過し、民衆を星々の神々の餌として放置し、差別主義と身分制度の権化であった。そして、獣面である通り、蛸貌と蛇顔と鮫顔の同僚。獣面二十七鬼は自らが信仰する古神をこの手で殺し、自分の魂に捧げる為の組織でしかない為、信仰心こそ神の血への殺意であり、神を貪る為になら同僚だろうと玩弄する悪意である。

 その邪仙を撃退し、魔女と暗帝は地下都市に辿り着く。

 古き神と古い民の超古代技術の遺物。宇宙由来の幾何学的神造神殿。

 そして、冒涜的儀式。地上から送り込まれた贄の魂を取り込み、一匹の蛇に蓄え続けるソレ。蛇と言う形の地獄を作り、神が降りる器とする。その地獄蛇の皮膚からは人面が浮かび、蛇と言う地獄に落ちた女たちの苦悶する表情が呻き声を上げ、泡のようにまた皮膚の内側へ沈む。

 

「―――ネクロノミコンの写本、神性の文字化?」

 

「そうじゃよ。これがアレば可能。儂の目的は蛇人が人間を生贄に捧げる事で蛇神を呼び出し、その蛇神を贄とすることで時空の丸い神、全なる一にして門の鍵を召喚すること。その力を奪い取り、儂は全ての時空間を超越するのだ。

 さすれば我が父にして母、あるいは神にして魔―――這い寄る混沌、その分身体ではない本体が住まう宇宙の中心へ辿り着く!」

 

「あぁそれで、輝くトラペゾヘドロンねぇ……」

 

「しかし、それもお前らによって台無しじゃ……ま、良いんじゃが。未来にて贄に可能な神が地上に溢れておるのは理解しておるしのぅ。そして、それを為した善き人間ら……お前は良い人材を拾ったの。とは言え所詮、混沌の糞神が運命を愉しむ為の玩具共。

 人の生とはダイスの出目次第。じゃが神はダイスを振らず、神もダイスに踊る舞台役者。ならば、そのダイスとなる運命は誰が夢見る玩具であるのか……あぁ、滅ぼしたい。

 何もかもを……頭蓋骨の中に過ぎんこの宇宙を、この意志によって滅ぼしたい。

 夢から目覚めたいのじゃ……赤ん坊が見る夢の幻像でしかないなど、儂には堪えられぬ」

 

「ふぅん、そ。じゃ―――死になさい。

 幾度でも、何度でも、我が業によって狩り殺します」

 

「そうだ。その果て、お前を得るのだ。

 赤子の妄想に過ぎん儂は、外宇宙の現実をお前の魂から得らねばならん!」

 

 孔顔は死んだ。そして、この宇宙の根源を解する故に甦った。だからまた殺し、蘇り、殺し、蘇り、殺し、魔女は一年間、不眠不休で狩り続け、殺した。地獄蛇の中、異界化する輪廻空間にて時間が加速し、一秒がまた伸び、更にまた一年が経ち、魔女は狩り殺し続けた。

 悪夢。死の螺旋。地獄蛇は転変する。邪仙は生き死に、魔女に挑むも、圧倒的な業を誇る魔女には届かない。一万回の内の一回の奇跡も許さず、確率論も許さない。

 そして―――神は死んだ。

 蛇神は地獄の渦に取り込まれ、更なる神を呼び出す贄とならなかった。死戻りした邪仙は魔女の瞳を掻い潜って消え去り、他の獣面らも逃げ去った。

 そして―――世界は何時も通り。

 売春窟における企みは阻止されたが、人間が営む社会構造に変化は一切ない。神への贄となる事はなくなったが、社会的弱者が人間社会の生贄になり続ける事に変わりない。

 

「我が女神の灰も、人理世界の話ではあるが……カルデアと言う組織に行く前、暇な不死の道楽かもしれぬが、現代社会では人権活動をしておった事があってな。社会正義と言う観点において、数多の人の人生を直接的にも間接的にも救い、その意味において彼女の活動は絶対的な正義ではあった。善意など心に無い彼女の演じた超人徳、即ちカリスマックスは完璧だ。あの人は金集めの才もあったのか、人権活動団体へと無用な資本を献金もしていたのだ。

 その所為か、灰は聖人と呼ばれることもあったそうな。

 本人は単純、暇潰しで国際社会と言う遊戯盤で名声を高めるゲーム感覚に過ぎんし、灰のような不死にとって何ら価値がない行いだろう。しかし、灰は灰としてでなく、ただの人間の女として持っていた時の価値基準で、その暇潰しを行っていた。

 それは良いと考えた善行を、ただ善い事だからと行う善性。ある意味、彼女はそれを通して自らの人間性を知ろうとしていたのかもしれぬ。

 余はその時の記憶もソウルから継いでいる故、こう言う者たちの救い方……まぁ、社会復帰のやり方もある程度は理解がある」

 

「そう、じゃあ宜しく。他人の人生の幸福なんて私は如何でも良いけど、放置する必要もないですし」

 

「任せておけ。余のカリスマは凄い。それは凄い。

 道徳なき人間を善行へ走らせる程、とても凄いのだ!」

 

「へぇー」

 

「関心ないと余のやる気、減るのだが?」

 

「そんな事はないです。灰は私が狩るので。あの女……―――魂から記憶が消えない。

 古い獣を狩ると言う絶対的善行。それは平行世界全ての人理と言うシステムを守る偉業。そんな灰の悪意がなければ、人理よって運営される世界で命へ魂は宿らず、人の輪廻は永遠に循環することはなくなります。その為の贄として生み出され、記憶と復讐心を与えられ、それが私の存在意義となりました。

 ジャンヌ・ダルク(生みの母)の為になら、母が守った故郷さえ滅ぼす竜の魔女。

 滅ぼさねばならない。殺し尽くさなければならない。母なる聖女の為に創られた魔女で在る私は、ただそう在れば魂が満たされる知性を得ました。

 同時、その復讐の因果を克服する事もまた灰による善意でしょうがね。

 結局、利用されるのだとしても、どう利用されるかの自由はあります。

 あんな死に方じゃなくて、人がどうせ終わるのなら、せめて幸せな人生を送って死んで欲しい……――――告白すると、私はそれを見れたら別に……あぁ、何とも無様。怨讐はジルの為であり、私は全てが借り物の善意と悪意。理想に殉じる遺志もなく、人の不幸を聖人のように愉しめる純粋悪にもなれない俗物。

 この外側の世界に来て、やっと気が付けた自分の想いですが。

 それもまた、灰に与えられた魂に宿る暗い人間性が周囲から刺激を受け、俗に言う愛と希望とやらに変化した私の闇と言うのが笑い話なのです」

 

「余も似たようなモノだ。結局、命への執着も消えてしまった。意味のある終わりが、そも無価値だったと。だが無意味でないだけ、人はまだ救われる余地のある魂だ。

 生きたいと思わず、死にたいと願わず、意志が命じる魂の儘に人生を歩むこと。

 我らの永遠に答えはない。答えには永遠に届かず、余にとってそれが答えであり、灰もまた同様だろう。人理を救おうとも、その人理の終わりも見届ける未来は必ず通り過ぎた思い出だ。

 故にローマとは、暗帝となった余にとって道。

 何時か終わる者を救う……我らにはそれが無価値であるのだとしても、人生から価値を奪う我らの永遠に意味を与える星となる」

 

「人は助けても良いし、殺しても良い。だから、善悪に拘る必要はないのよ。私は、私が育てる私の業にとって善い行いをするだけ。

 それが悪行なのだとしても、それこそが狩人にとっての善行なのです」

 

 魂の尊厳を冒涜する邪星の神性が、人間を支配する運命の夢。流れ着いた此処は、ただそれだけの宇宙に過ぎない。

 それでも尚、星に抗うのならば――と、魔女は赤子が夢見る登場人物を憐れんだ。

 自らの魂さえ、その運命であろうとも、人は自分の物に出来ない。全ての運命が人ではない人によって管理されている。人理の世界もそれは同じであり、世界と言う可能性(ヒューマニティ)が人の意識が妄想する茶番劇であった。

 故、それは悪い夢だったと剪定されるのも必然だ。不要なモノだと選んで殺すのが人と言う獣の律。邪悪とは、人類種の繁栄にとって不都合な因果である。

 魔女の瞳に神の手が映る。何者かが運命の賽子(さいころ)を振い落とす光景が啓蒙された。カランコロンと運命(さいころ)が転がり、何処かの誰かが遊戯盤の駒として人生が決定された。

 宙が、そもそも赤子に善き眠りを与える為の世界ならば。そんな赤ん坊をあやす乳母こそ、この宇宙が始まる前から存在した因果律の元凶。それならば、永遠も目覚めを得る悪夢。

 しかし―――人間には明日が来る。

 夢は捨てられない。愛は失われない。希望は形なく輝き続ける。

 魔女は輪廻する因果律を悪夢と哂うが、暗帝は言葉なく黙ることしか選択がなかった。

 自分が救った人間のソウル―――それを己が魂で知り、人間性となって自分と言う地獄の渦に融け堕ちる現実。苦痛を乗り越え、幸せを得た人間の人生、その最期にて魂に宿る想念。

 人間性(ヒューマニティ)を捧げる意味を、暗帝は長い年月を経て理解した。

 灰が同じ結論を得たのだとしたら、きっと彼女にとって人理に管理されると言う欺瞞が支配する世界に価値はなく、故にその人理から解放されるべき魂にこそ意味はあった。自分たち人間(アンデット)が、その魂を利用する神を疎んで殺し尽くした末路を経たように、人理を運営する意志は必ず人間が何時か討ち滅ぼし、個人個人の魂が自由を獲得する未来が訪れる。命に宿った魂が人理に囚われようと、そうでなかろうと、死ねば魂の生まれ故郷に帰る運命ではあるが、人間として知性を持って生まれ、人生を歩む魂に価値は宿るべきなのではないか。

 だからこそ、古い獣は―――死なねばならない。

 悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)は、人間として徹底的に正しかった。苦痛しかないそんな正しさの果て、古い獣狩りを可能とする灰と言う太陽と邂逅した。その事実の正しさを、星の邪悪が魂を支配する世界で暗帝は啓蒙された。あの獣が来れば、この冒涜的な狂世界も餌となることだろう。

 宇宙は、啓かれるべきだ。

 人類種は生まれた星を殺してでも、その揺り籠から旅立つべきだ。

 やがてその宇宙もまた揺り籠だと気付き、人は種として永遠に繁栄し続けるべきだ。

 永遠に生きることになった暗帝は、どうか永遠に人間が進化して欲しいと"希望”(ヒューマニティ)を得てしまった。

 何処までも、何処まで、答えを得て到達しても、そこからまた新しい種として何処までも。

 

 

 

――――<㋱>――――

 

 

 

 地下汚物。穢れた肉壁。赤い血の肉片雨。腐敗臭に満ちた目に沁みる空気。蠢き続ける脈動的建造物。生物の体内となった冒涜的臓物市街。

 ―――血肉界シャッド=メル、と其処の事を住民は呼ぶ。

 対神組織である獣面二十七鬼が殺した複数の神話生物を異界化させ、地下都市として増改築した本当の魔界。支配者階級、労働市民階級、隷属階級の三層人種思想に分けられた徹底差別社会。

 遥か遠き宇宙の何処かの異星に住まう幾柱の神々が大地に来訪し、太古に地球へ飛来していた神々も多くが目覚め、地上世界は異星の神性が支配する永劫神造楽園(ユートピア)に変わっていた。即ち、地球と言う星は人間と言う霊長種族にとって地獄と成り果て、異星の神からの支配を逃れるには地下世界に逃げるしかない状況になっていた。

 だが、地下世界こそ―――人造失楽園域(ディストピア)

 何よりもまだ地上に出ず、古代から地底都市を住処にする神話生物や宇宙生物もおり、地下へ逃げるしかなかったまだ幸せな人類は地底での闘争を繰り返すしかなく、生存圏を確保することが絶対に必要であった。

 

「もうロケット技術は完璧で、宇宙で生きる為の魔術文明も広まったけど、惑星開発技術はまだまだ。そして宇宙文明の流入で人類種の技術発展は短期ブレイクスルーサイクルに突入したわ。

 もう十年程度過ぎれば、異星神の支配に適応出来てない人間やら、神性に嫌気が差してるのを誘って、神性支配地球圏を脱出しようかって考えてる」

 

「そうかい。きのこ、食べるかい? エリンギ、食べるかい?

 良いエリンギが出来たんだ。でも君はきっとゴズミック松茸が好きだろう。食べるかい?」

 

「食べない。脳に貴方の茸菌が入るじゃない。

 兎も角、宇宙開発事業……貴方達は来ないでしょう?」

 

「キノコだからね。茸は地球を愛し、茸な私は神を殺したいのに、神から逃げるのは茸じゃない。それは人間だ。それでもやっぱり茄子も好き」

 

「うん、その通り。人間だからです。茸貌のパイン・マッシュルーム」

 

「イェス。アイアム、パインマッシュルーム。そう人の脳は寄生する菌を支配し、共生するべきだった。より超越的な菌人類となり、椎茸は美味しくなり、舞茸の如き知性菌となろうではないかい?」

 

「じゃあ、知識だけ頂戴」

 

「―――当たり前だ!!!」

 

「うわぁ……え、何で急に大声で?」

 

「ちゅぱちゅぱちゅぱ……ちゅぱ……ちゅぱ、ねぇシメジャンヌさん……わたし、脳が食べたいの?

 脳汁チュパキャブラップス……そう脳液茸汁……ねぇ、魔女さんの脳入り子宮を頂戴。貴女を樹にして発酵させたいの」

 

「駄目。燃やすわよ?」

 

「分かりました。協力します。何故なら、私がきのこだからデス!」

 

 そして啓蒙的交信対談を五十九時間行った後、魔女が住処にする研究所から、筋肉盛り盛り上半身裸の茸頭大男が出て行った。あの姿で神が冒涜的に頭が可笑しいと感じる領域の科学者であり、同時に脳筋茸頭人間でもあると言うある意味、神話世界における都市伝説みたいな“怪人(ヒト)”であった。単独での宇宙活動、惑星移動、時間旅行、次元潜航を可能する魔術師など、神性を持たなければ不可能だろう。

 尤もその茸貌とまともに対話出来るので、魔女も怪人扱いされているのだが。

 地底都市、血肉界シャッド=メルにおいて彼女も立派な都市伝説。名前を言うと呪われそうな冒涜の一つとして、長い年月を人間社会で語られていた。

 

〝大分、頭が茸になってる……あいつ。でも、もう百年以上前からあんな雰囲気だったわね”

 

 そう思いつつ、それを言葉にして出すことはしなかった。あの茸人間の聴覚は見た目通り人間のレベルを超え、頭が茸になっている何て“褒め言葉”が聞こえてしまえば、数時間は茸化手術の勧誘を受ける破目になるだろう。最悪、柔らかい菌類頭蓋から生えた小さな菌花を植え付けられ、脳味噌を土壌にして狂気を肥料代わりにする苗床されてしまう。

 だが地下都市の支配者階級において茸貌など平均的狂人。今やこの世は悍ましい人間が溢れている。

 人類生存圏が地下に追い込まれ、神域から逃れた人間社会はヒトなる人外に支配される事になった。

 よって魔女もまたそんな支配者階級の一人。富裕層特権として住処となる研究所は錬金術機械による汚染大気浄化が行われ、更に空気洗浄が常にされている。

 

「はぁ……っ―――あぁー……はぁ、ヤダね。やだやだ」

 

 とは言え、外出となれば汚物と腐臭に満ちた空気の中を進まないとならない。次の用事を消化する為、魔女は頭部全体を覆うガスマスクを被り、汚染大気用密封スーツの上から同じく外気対策の専用コートを羽織る。

 玄関の扉を開け、一歩―――人工奴隷が車に轢かれ、バラバラになる光景。

 しかし、隷属人種の生き死にに通行人は全く気にせず、死んだ者と同じ他の奴隷も無関心だった。魔女も同じく、魂がない動く肉人形が壊れても気にしなかった。

 

「うぉぉおおおおおお!!」

 

「きぃぇええええええ!!」

 

 関心があるのは、車を運転していた巨体の奇形人と、奴隷散歩を趣味にしていた美形の御婦人。マイカー狂いの運転手はカバーの凹みと傷に憤怒し、回転鎖鋸を二刀流で振り回しながら襲い掛かった。対する御婦人は愛玩用美少女型ペット人間が殺された事で激情し、電磁パルス発勁で雷撃外気功を身に纏い、更に内気功で強化された身体機能で撲殺せんと殴り掛かった。

 魔女は何時も通り平穏な地獄巡りな光景を通り過ぎ、目的地へと進んで行った。勿論、他の通行人も素通りして道を進み、殺し合いは気が済むまで行われることだろう。

 目的地―――鎖鋸宗派聖血教会、遣鋸大聖堂。

 獣面の一匹を殺して新たな鬼となった鋸貌が崇められる信仰団体。

 高回転丸鋸貌、機関鎖鋸両腕、電動刃鋸両脚。そして原動力心臓炉を内蔵する胴体。その機械神像(ロボット)に祈りを上げる解放奴隷信徒の最下級労働市民と、下級から中級の労働市民たち。

 

「人域を確保する為に巨神を倒しまくった漢の浪漫(ノコギリロボット)が、今じゃあ人王神様だもの。この世は変わってる。

 何だっけホラ、あれ……あぁ、あの猿映画!

 あれのオチを思い出すわよね。ギコちゃんもそう思いません?」

 

「―――思う。凄く、思う。だってあのロボ、俺がモデルになってて羞恥プレイじゃん。最近イヤでイヤで、平和だった時代の映像作品ばかり見返してるよ。

 ま、良いさ。三日ぶりだね、ジャンヌさん。またこんな辛気臭い俺を祈るカルト教会に来るなんて、暇だよね」

 

 人間時代は守日戸(カミヒト)啓介(ケイスケ)と名乗っていた魔術師―――鋸貌のギコーギコザシュは、虫ケラな汚物を見下す目で自分の信者を蔑んでいた。

 

「懐古好きねぇ……―――いや、良いけど。今日も誘いよ、誘い。どう、宇宙行く?」

 

「いや、良いよ。暗黒惑星になったこの地球で、異星の神様連中の腑を鋸で掻き出す殺戮道中の方が性に合ってる。

 それに俺も、異星の神―――殺し足りん。

 御先祖様も残るつもりだろうし、置いてけないって感じだ」

 

「そっか。じゃあ、仕方無いわね……まぁ、妖術師を説得しないとアンタは来ないか」

 

「そうだね」

 

「今度は貴方から私の家に遊びに来なさいよ……後、まだ寄って行くつもりだから。気が晴れるまで、今から私の話相手になりなさい」

 

「勿論だ。喜んで、魔女さん」

 

 栽培される臓物を錬金術で通常食品の素材に変換して手作りした手土産。旧時代のお菓子であるクッキーとチョコを密閉鞄の中に魔女は仕舞っており、鋸貌の清潔な居住スペースへと入って行った。彼も宇宙技術と魔術技術で生体機械となった状態から人体形態に変身し、好き勝手進む魔女の後ろへと付いて行く。

 ……三時間後、魔女は大聖堂を出て行った。

 お互いにディストピア過ぎる生活で溜まりに溜まったストレスを愚痴として吐き出し、今の社会形態を造った獣面の孔貌と美貌を最後に罵った後、気持ち良く別れを告げた。

 次の目的地は信仰と行商の中心市街地から離れた郊外であり、そのままの足で進もうと考えたが距離もあり、魔女の足で全力疾走すれば直ぐに到着するとは言え気分ではない。道に止まっていた隷属階級人種を生体機械の部品に取り込んだタクシーを拾い、運転手が茨鞭を振うことで進む自動人力駆動車の雅な短い移動を愉しむことにした。血飛沫と共に奴隷の悲鳴が上がり、速度が上がる機能は素晴しく、魔女はやっぱり自分の足で移動した方が良かったと思った。

 しかし尚も、運転手は鞭を振う手を止めない。舌を出し、目を剥き出し、狂気の表情を浮かべ、だが無言を維持して熱心な勤務態度に仕事に励む。それ程まで、神話生物に対する人々の憎悪は悍ましい強さ。人型変態された捕獲異形奴隷は隷属人種として地下人間社会に使役され、タクシーの運転手は奴隷に対する拷問労働も行う市民であった。

 

「お客様、到着致しました。御代は此方で」

 

「はい。壺払いで」

 

「おぉ、ポットユーザーの方でしたか。先に言って頂けましたら、高圧電流茨鞭の特別プランもありましたのに」

 

「良いの。はいほら、手早くして」

 

「すみません。では………はい、返します。この度は御利用頂き、有難う御座いました」

 

「うん。どういたしまして」

 

 タクシーから降りた魔女は臓物市街から離れ、肉菜畑区画を歩き出す。目的地まで続く車が走れる道路はなく、まだまだ少しだけ歩かねばならない。労働市民が肉土弄りをする作業風景をゴーグルの狭い視界に入れながら、ガスマスクの中で溜め息を一つ。

 働く農業労働市民から離れた場所にて、巨大な鉈を持った普遍的な奇形である魚顔人種が肉腫瘍樹林の中で罠を仕掛け、其処に彷徨い迷う人々を狩っていた。服装は人皮膚を繋ぎ合せた白革コートで身を包み、フードで頭部を覆う一種の狩り装束。

 その者は狩猟労働をする支配者階級の人間であり、本来なら森に住む神話生物を狩って食料のジビエをするのだが、娯楽は精神衛生上大切だ。道から外れた樹林はその者の私有地であり、その土壌資産に不法侵入すれば法律上、財産保護の目的ならば誰だろうと防衛権より殺しても構わない。

 

「ギィィ、ギィ……ギィィイイ……君、忌巫女の友人かね。冒涜的忌巫女の友人かね。素晴しく、悍ましく、美しく、清らかなるアバズレの友人かね。

 ならば通行料は要らぬ。だから安全は保障せぬ。道から外れれば、獲物だが。だががが、だが、狩人の私が挑めば、君は私を喜んで狩る事だろう。おぉぉぉおうオゥおオゥ……君の方が優れた狩人だ。神狩りの魔女……魔女の狩人、神殺しの魔女様。

 ギィギィィ……ギィ……ギ、ギギギギ……狩るのだ。

 おぉ、また私の狩り場に獲物が来る。ギギギギギギギギィ……ギィ……あぁ、魔女様。御久しぶりですたね」

 

「いや、いや……やめて、イタイイタイタ――――」

 

 狩人が引き摺って運ぶ刺付き網の中で、足掻き苦しむ隷属階級。直後、その網に高圧源流が流れ出し、その奇形人の狩人ごと獲物は感電した。肉体からは白い煙が発生し、両眼は白目を剥き、舌を出して失禁する。電気が神経を流れる事で全身を無茶苦茶に痙攣させ、網に付く刺が彼女の血塗れにしていた。

 獲物として捕えた隷属階級の脱走奴隷を黙らせ、奇形人は満足そうにまた歩き出す。その方向は魔女が進む先と同じであり、自然と歩く速度を奇形人は魔女に合わせており、視線を向ける事で会話を促した。

 

「貴方、電気鰻の魚人?」

 

「はい、魔女様。我が親たる鰻貌の血を引く娘の、次世代獣面の鰻貌で御座います」

 

「あぁ、あいつ。確か、ギコちゃんに細切れにされたのね」

 

「はい、魔女様。あの男は強姦した女が産んだ娘をまた強姦する趣味を持っていましたので、彼には心より殺して頂きまして感謝しています。

 私はその肉を喰い、骨を噛み砕き、心臓を丸呑み、頭蓋骨を更にして脳の生シチューとして啜りました。御馳走様です」

 

「それで同じ貌になってんのね」

 

「はい、魔女様。なので姿を戻します。この姿ですと、あの強姦魔に人間性を引っ張られ、言葉使いも思考回路も変わってしまいます」

 

「良いよ、どっちでも」

 

 直後、鰻に似た奇形人は人型に戻り、網に捕まえた美形の脱走奴隷より美人の女へと変身した。

 

「その奴隷、どうするの?」

 

「はい、魔女様。狩った生物は精肉ですが、生け捕った奴隷は基本的に遺伝子組換物出産用繁殖奴隷にします。隷属監理局に脱走奴隷を引き渡した所で、再調整の人格初期化は適応されず、キャネットシステムによる食品利用です。

 でしたら生産性のある個人監理。此処では常に生体魔力炉の作業員不足ですので、労働力こそ最高の商品価値となります」

 

「ふーん。精が出るわねえ……」

 

 チラリ、と魔女は棘網で血塗れになった奴隷を見る。視た所、首筋のバーコードから愛玩用金型遺伝子の美形奴隷。野生化した神話生物の姿はそのままだが、奴隷化した生物は人間の遺伝子を金型に人化錬成されて人間の姿になる。

 此処の奴隷は、全てが人間に作り替えられた異種族。

 此処の社会は、地上の神性社会と反転した人の楽園。

 神話生物を人間に作り変え、人間が神話人類(メイスノイド)へと進化する異種族にとっての失楽園。

 

「それとすみません。今までは借用していたこの土地を今はあの御方に譲られまして、既に退去しております。良き血水湖を造って下さり、水中御殿に住んでいます」

 

「そうなのね。だったら、何処に行ったか知ってる?」

 

「いいえ、魔女様。ですが、あの家には巻貝卿が住んでいますので、そちらから聞いて下されば。私は奴隷を飼育工場に連れて行きますので」

 

「(巻貝卿って確か、遺伝子変換による生活奴隷作りと対地上戦用奴隷兵製造を始めた隷属管理局の、初代局長だったと思いますが。何でそんなのが、市街地中央の管理局から離れてんだか、理由は良く分からないけど……)……うん、いっか。

 まぁ……オッケーね。じゃあ、お元気で」

 

「はい、魔女様。おさらばです。お元気で」

 

 一時間後、魔女が歩いた先の場所―――日本屋敷。そして、その隣に立てられた巨大実験施設。血肉ばかりの風景とは違い、脈動する幾何学的流動金属で造られた施設であり、屋敷の方は木製の古めかしい建物だった。

 なので勿論、住人に客の到着を知らせる呼び鈴はない。向こう側が監視カメラか、あるいは魔術的結界で来訪者を察して出て来ない限り、魔女は原始的な手段で知らせるしかないだろう。

 

「巻貝卿のサザエさぁーん! こんにちは!!」

 

「我輩をサザエさんと呼ぶでないわ、魔女殿。戯けのふりは童の前だけにして頂きたい」

 

 管理局初代局長にして退職者、巻貌のトゥルボ・コルヌトゥス。その男はその辺の空間から無音無臭、且つ魔力反応なくヌルリと暖簾を潜る様に現れる。

 

「貴方、こんなところで何やってんの?」

 

「理由は単純だ。神話生物の命の坩堝にした奴隷兵造りの為の、隷属階級人種生産政策と、その施設である隷属管理局であったのだが―――飽きた。生活奴隷は人間金型遺伝子の造形美を気にするので、我輩は本職の奴隷兵造りに集中したいのだよ。

 何より社会的地位は趣味で無い。今は生体機械へ人格コピーした我輩のAIが管理している。実質、我輩の頭蓋骨から自由になった脳細胞が管理しておるので、契約は守っておるぞ」

 

「それ、ニートじゃん」

 

「うむ。今の我輩、我輩の脳細胞から作った使い魔に養って貰っておる」

 

 頭部の巻貝から触角眼球を三十本以上出し、白衣姿の巻貌は肩を揺らして気味悪く笑う。

 

「気持ち悪いわね。目玉、切り落とすわよ。出すなら二、三本にしなさい」

 

「構わん。蛞蝓と同じく、我輩は脳が視覚を得ている。脳で世界を見る―――ふっふふっふフフフフ、ファンタスティックアルカナ。

 目を不要とし、脳で直接世界を見る術、我輩に啓蒙したのは魔女殿ではないか。

 蛞蝓貝類を融合した巻貝殻頭蓋骨……そう―――脳の瞳とは脳が瞳、且つ瞳が脳となる故、神秘を探求する手段として最高の知性機関だ」

 

「生物としての蛞蝓の脳機能でしょ、それ」

 

 蛞蝓は触覚による目に頼らずとも、脳が瞳となって光を感知する生き物。その脳機能を思えば、ビルゲンワースが思索した脳の瞳は非現実的な神秘学の産物であると同時に、軟体生物の精霊を現実的な生物学視点でも理解した的確な表現でもあった。

 

「ならば、魔女殿の脳細胞を寄越し給え。少し……ほんの少しで良いので、頭蓋に穴を開け、脳へ接吻する不敬を御許しあれ」

 

「くたばれ、弩変態。人類を地下世界へ逃がす報酬に前、私が瞳から孵して体内で培養してた精霊を上げたじゃない。そいつから瞳は得てると思うけど?」

 

「頂きましたし、瞳も得ましたし、こうして脳と融合し、更に捕食した異星の神性も貪ることで今では巻貝になりましたが……いやはや、やはり直接的に瞳になる狩人の脳が欲しいと考えるのが、学者の性でしょう」

 

「駄目。自分の思索を大切にしなさい。私の答えは私の神秘よ。

 欲するなら、貴方は貴方の冒涜を為すことね。一度で見付からなければ視点を変えて二度、それでも駄目なら条件を変えて三度、そんな失敗を繰り返すごとに手法を手繰り、思索を高めなさい」

 

「当然の心構えだな。しかし、学者は繰り返しを飽いても毎日行うのが、真理への挑戦。分かっておりまするとも」

 

「そうね。貴方の試作品を量産した造隷兵は地上にて、神性の眷属殲滅と言う大義を得ています。この邪悪は天より来たりし神を、また天へ召させるまで許されることでしょう。

 ―――殺せ、探求狂い(ニンゲン)

 神が人を冒涜するならば、神性を人間性で以って犯すが良い」

 

「―――心、啓蒙されました。

 おぉ魔女殿、真理を頂き感謝しようぞ!」

 

 触覚目玉で歓喜の感情を浮かべ、巻貌が楽し気に方を揺らす。彼が譲り受けた日本屋敷はただの居住スペースに過ぎず、隣の幾何学的流動金属施設こそ叡智が蓄えられた邪悪な冒涜宮。そこは神話生物と宇宙生命体の遺伝子を組み換え、そこに人間の遺伝子も合わせ、造隷兵のプロトタイプを生み出す混沌の子宮炉。量産施設は別にあるが、その設計図を生み出す創造神を真似た禁忌たる神の館。

 設計した兵士が奴隷を殺し続ける戦闘能力比較検証実験場。量産施設より卸された戦闘奴隷や生活奴隷が、幾度も試作品に喰い殺される日々。

 雌個体の出産機能を使った人為遺伝子組換による試作生産。生殖活動が絶え間なく繰り返され、あらゆる遺伝子の組合せを繰り返す実験牢獄。

 生体機械プラントによる試作品を作る為の遺伝子情報開発。地上の神性由来の生物の細胞こそ生命の源であり、オリジナル遺伝子情報の作成。

 人間造形の生殖奴隷が触手に拘束され、異形の命を生む光景。それを魔女はこの施設を見学した時に見たが、そもそも地上の神話生物も人間相手に同じ所業をより大規模に行っている。人類種を畜産業の家畜のように扱っている方がまだ良く、機械畑で生命栽培をしている場所もあり、宇宙文明に植民地化された地上ではそれが常識。現代までの人間が他生命種の家畜化した動物に行って来た共生の在り方のように、宇宙文明の生物が現行レベルの人間と生存を共にするとなれば同じ社会現象が起き、人間など宇宙文明によってその程度の存在価値しかない。

 だが血肉界の住民の如く人間がより高次元生命となり、その生命種へ進化したことによる倫理的社会を構築するとなれば―――答えが、この様だった。

 巻貌は、何処までも宇宙生物の文明倫理において正しかった。弱者が強者の喰い物となる様、弱い文明は強い文明に貪り尽くされ、今までの形を完全に消滅させる。その文明が発展する素材として消化されるのが、宇宙と言う自然の当たり前な摂理となる。

 

「そうそう。なので、彼女が何処行ったか教えて?」

 

「すまない。我輩、同居生活の果て、価値観がエグいですねってフラれた男でな……どんな黄金美男子でもストーカーは余りに惨め故、敢えて行き先は知らぬ様にしている。

 何せ知ると逢いに行きたくなる。

 我輩はな、永遠に愛せる女にしか……永遠の愛を誓わんのだ」

 

「あー……うん。私は好きよ、貴方みたいなの?

 女々しく男らしいとか、精神構造が複雑過ぎて恋愛対象にはならないですが」

 

「―――ック、慰めは不要。序でに本心を混ぜて谷へ蹴落とすな。

 地上奪還による人類社会貢献の為、粛々と研究に没頭するのが一番のストレス解消だ」

 

 巻貌の素顔は三十前後の渋い男前だが、今はサザエヘッド・モンスターなので説得力はない。パっと話を聞いた魔女はもうこの土地に用はないので足早に立ち去り、巻貌も空間にヌルリと自然に融け込んで消え去った。

 直後、行き先に蒙する脳を導きが啓く。

 即ち、光を吸い込むような啓蒙の瞬間。

 目的地を内なる瞳が魔女を啓蒙し、今度はタクシーを拾って地底都市見物をしながらの移動は面倒だからと、異相空間となった夢見る脳の内側から原付き自転車(スクーター)を取り出した。日本に住んでいた頃に魔女が買った移動手段であり、神秘的且つ技術的違法改造がされた超燃費バイクである。それに乗って森の悪路を進むも、木々がある上に地面が肉性。掘れば血泥が出る道はブヨブヨと震えて非常に酔い易いが、魔女には何の問題もない。又、ガスマスク型のヘルメットで最初から頭部を守り、体も狩り装束で保護されているので安全対策は完璧である。

 

「……うへー――」

 

 短いながらも地底世界の地獄巡り。彼女が日常とする世界だが、気持ち悪いのは気持ち悪い。悪夢に馴染む精神力は凄まじく耐久性が高いとは言え、魔女はこの地下都市国家構造に生理的嫌悪感を覚える常人的価値観を喪っていない。

 磔にされてオブジェクトになった奴隷。

 縛り首にされて街灯に吊るされる奴隷。

 見世物小屋で集団公開交尾される奴隷。

 精肉屋で解体順番待ちをしている奴隷。

 公共事業の道路整備を素手で行う奴隷。

 ペット好きな市民に陵辱されてる奴隷。

 鞭の絶叫を時刻チャイムにされる奴隷。

 等々、利用方法は何百何千。魔女はまだまだこんなものでは物足りないと、異常に膨れた人類種の貪欲な営みを道を走るだけで見せ付けられる。

 徹底した隷属階級搾取経済活動を根底にする奴隷消費社会。

 神話生物と宇宙文明を資源とすることに決めた人間の狂気。

 悪夢のディストピア文明を地下に造らなければ、もはや地球で生き延びられない人間の救われなさと、救われないと理解した上で僅かばかりの救いある未来を求める矛盾と、人を救う神がいない事を全人類が悟る故の醜悪さ。人が魂に宿す心は、何処までも邪悪に宇宙の異星を冒涜する宿業に呑み込まれた。

 

「――――此処、ねぇ?」

 

 生体動力プラント工場のある下層区画、株式会社ヤクモ。遠目からでも分かる大型ビルと、地底都市には珍しい超巨大金属製工場の施設団地。

 その企業所有地に入る門の前、この場に来た魔女を来ることが分かっていた様に、人間の領域を遥かに超えた冒涜的な精神砕きの美麗を輝かせる美貌の、女か男かも判別不可能なニンゲンが立っていた。太陽のような後光を幻視すると同時に、ブラックホールのような暗黒も妄想してしまう矛盾した存在感を放ち、脳細胞がその美しさを理解する事を拒絶するなど、この世においてこのニンゲンだけが持つ貌なのだろう。

 

「あら、魔女様。お久しゅうございます」

 

「まぁ、久しぶり。美人過ぎてキモいから、普通の人間形態に戻って」

 

「汚らわしい獣面共から、敢えて美貌と呼ばれている私に人間に戻れとは―――はい、良いですよ」

 

 即座、通常の認識レベルで理解可能な美人に戻る美貌の鬼。魔女の苦言であれば素直に聞くニンゲンであり、見た目は無国籍風な小麦色の肌をした白髪の女であった。

 

「いや、アンタ誰よ?」

 

「ヤクモです。顔は魂に適した形に"成形”されますので、誰も彼もが人間形態時は美形になる傾向にあるのは知っておりましょう?」

 

「いや、だから人種違うし?」

 

「ふふ。嫌ですね、日焼けですよ」

 

「此処、地下の臓物都市じゃん……」

 

「擬似太陽を作りました。既にダイソン球をエネルギー資源に使う恒星文明へ至りましたが、後に滅んだ残存知性体も地球に来ているらしく、良い技術を回収出来ましたね。

 今はヤクモが技術占領していますが、実験段階を過ぎれば街での利用も考えてみましょう」

 

「ん……あれ、それって太陽の火力ミスって皮膚が―――」

 

「―――まぁ、良いではないですか。

 それと鏡貌は来ていません。獣面二十七鬼を創立した初期構成員には無貌の神の血肉が、最後に殺すべき神にして獣面を愛する外なる祭神の愛が、最初の晩餐として振る舞われたのを貴方は知っていると思います。それで無貌の血を継承した獣面は互いの存在感を何となく察知出来ますので。

 しかし、今考えても……何故あの無貌のペテン師は態々、地球を冒涜から救おうと神殺しを使命とする人類の成り果てに、自分の血肉を与えたのやら……今となっても、それだけが理解出来ませんね」

 

「無いよ、ないない。そんな分かり易い大義は、アレにはない。

 多分その獣面二十七鬼って無貌の神血を継ぐシステムも、何処ぞの違う宇宙の地球で似たような組織でもあるのかもね」

 

「成る程。愉し気だから真似し、神たる己を求める人間の足掻きを愛そうとした……っ―――否、違いますね。

 この宇宙自体を冒涜し続けないと存在する意味がない。あるいは、この宇宙における人間の存在価値が、観測者である神の脳味噌を愉しませるだけの娯楽品。

 ……はぁ、宇宙で人間が生まれた理由を無理に見出すなら、精々がそんなところですか。

 でなければ、異星の宇宙生物に地球が占拠されるとなれば、神が人間を救うか、あるいは人類文明が自衛手段を持つまで侵略される運命的時間を遅らせるのが道理でしょう。高次元領域より因果律を管理する超越存在程度なら、既に我ら獣面が確認している訳なのですから、その汚物の手で救われるに値しない知性だったのでしょうね」

 

「違うわよ。運がなかっただけ。この時代、この銀河の太陽系に、偶然にも順番が回っただけの話」

 

「余計、救いがありません。だからこそ一人の人間として、神と因果へ挑むのは足掻き甲斐がありましょう。

 ふふふふふ。何時も何時もありがとうございます、魔女様。貴女の御蔭で、私は常に良い啓蒙を自身の虚無から与えられます」

 

「良いの良いの。それに情報ありがとう……で、鏡貌は何処?」

 

「地上に出ました。彼是もう数ヶ月前だと思います。此処は空気が臭く、腐肉ばかりで嫌気が差したのかもしれませんね」

 

 丁寧な言葉と態度だが、見る者が見れば何処か吐き捨てるような意思が籠もった言霊。魔女の意思は過去を遡り、この世間体と欺瞞の化身と呼べる女から僅かばかりの嫌悪感を出させる相手を記録から検索し、その相手を探り上げる。

 

「―――暗帝、アイツが連れ出したか」

 

「一瞬で真実など啓かれますか。その通りです。二人、クトゥルフの水殿を占拠する計画だったと思います」

 

「はぁ……何で、私も連れてかないのか」

 

「旧支配者の魂を利用したいからではないかと。魔女様ですと……ほら、貴方の脳自体が宇宙になっていますので、神の遺志など真っ先に栄養素にして分解・吸収してしまいましょう」

 

「だったら、鏡貌の妖術師ちゃんが口止めした感じね。今の地上、神が死んだり蘇ったり殺したり殺されたりで、たかだか神性一匹死んだ程度じゃ見抜けないのに」

 

「では、行きますか?」

 

「もう出るわ。情報感謝ね」

 

「どういたしまして……―――あ、良い神の血肉があれば御提供を。

 エーテル吸収用プラグを刺して巨大芋虫へと生命加工した宇宙生物を、私の会社が生体動力炉にしているのは知っていると思いますが、また新しい神性遺伝子解析情報(DNAマップ)への更新があれば、よりよき動力炉生物を作れますので」

 

「分かってる。血の採取があれば提供する」

 

「では、お願いします。御礼はたんまりと……あぁ、それと貴女が好きそうな性奴隷も上げましょう」

 

「金は好きだけど、奴隷は要らない。それより貴方の会社が運営するメタバースVR空間の漫画編集部に、新作出すように圧力お願い」

 

「分かりました。ではリメイクシリーズの狩人&狩人を完結させたあの天才コピー屋を、高次元観測域から呼び戻しましょう。肉体をとうに棄て、今は精神体になっていると思いますが、我が社のメタバースになら情報生命種も住めますので」

 

「そう思えばヤクモ、貴女は全巻揃えているファンでしたね。今や地上全てが暗黒大陸ですが」

 

「はい。私、今でも日本は好きです。この地底都市文明に日本文化を混ぜ込んでいるのも、趣味ですので」

 

「そうですね。では漫画、地上から帰って来た後の愉しみにしておきます」

 

「ええ、お待ちしています。魔女様」

 

 との事で、魔女は数カ月ぶりに地上へ出る事にした。前は暇人揃えた慰安旅行イベントとして細胞集めの神狩りで出た切りであり、もしかしたら鏡貌と暗帝の二人はそのまま地上に残ったのかもしれないと考える。

 悪夢と現実の揺らぎ――灯り。

 悪夢の使者が繋げる導きの光。

 普段は下半身を水溜りのような波紋の内側に隠しているが、彼ら彼女らは赤ん坊と同じく這いずる様に行動する。生まれは月の魔物の幼生であり、血に因って動く赤子姿の苗床であり、血の遺志となって悪夢に堕ちた人の成れ果て。だからこそ血から湧き出る使者達は、月の魔物の血を受け入れた狩人を同胞として助ける月の眷属だ。上位者達に寄生するオドンの白血は上位者を不妊にする水銀の毒だが、赤子ならざる眷属を生み出すのもまた上質な血の触媒たるオドンの神秘。ある意味、上位者の血を触媒として眷属化した知性体はオドンの落とし仔とも呼べ、故に自覚無き信者も多いのだろう。

 その月の使者(メッセンジャー)は悪夢である故、赤子が夢見る宇宙であるこの世界において、何の問題もなく機能する。メンシス学派の様に捕えた人間に輸血して苗床化した後、この使者を使って脳変異させれば、ヤーナムと同じく人外の眷属も作り出せるだろう。あるいは、それを神話生物に行って眷属化させて制御することも容易い。

 しかし、魔女にとって使者は使者。貪欲な学術者共のように実験素材とする気力は湧かなかった。狩人の一人として、悪夢の住人として、外なる神が支配する宇宙であろうと、魔女と使者の間柄は何時まで経っても良好な状態であった。

 

「……………」

 

 尤も転移可能か否か、その場所が安全か危険かは別問題。移動し終わり、瞳の視界が晴れた魔女が黙り込むのも無理はない光景が広がっていた。

 極彩色のスモッグ。肌色の空と蒼白い雲。

 流体金属を主成分とする狩猟文明宇宙人。

 人化した爬虫類と例えられる蜥蜴姿の悪。

 灯りがあった場所はバベルの塔と例えられる巨大要塞の地下、人間培養所。

 そこは人が栽培される屋内肉畑。地球文明を学んだ人蜥蜴は何故か麦藁帽子を被り、笑顔を浮かべながら……つまるところ、畜産業を営む職人が自分の育てる生物を商品として愛する様に、拘束された人の口部に栄養供給ホースを取り付けていた。

 魔女は、ファアグラを作る為の肥育生産を思い出す。人間文明から学びを得たのか、あるいはこの人蜥蜴も人間のような食文化を持っており、伝統的な畜産飼育方法なのかもしれない。既に飼育人間たちは脳を破壊され、意図的に思考能力を落とした劣等種として出産され、異星人にとって都合の良い家畜生物として品種改良が行われた後だった。

 

「………うわ。設置してたところ、また異星人共に侵略されてんじゃない。使者には悪いことをしました」

 

「■◇◇!!!」

 

 背後から人蜥蜴に素手を突き刺し、名称の分からない臓腑を鷲掴み、そのまま抜き取った。それは臓物を刳り抜くだけでなく、その命が生きようする意志を奪い取る狩りの業。糸が切れたパペットのように倒れる麦藁蜥蜴の屍を平気で踏み、その遺志を瞳から貪るように吸い尽くす。蜥蜴の魂は魔女の夢見る脳と言う名の地獄へ堕落し、全ての狩人の遺志が繋がる悪夢の都(ヤーナム)を拡げる糧となるのだろう。

 そしてネットリと右手に粘り付く粘着血液。魔女は人蜥蜴の血を舌で舐め、その成分を味覚を通して脳の瞳が解明した。

 ―――人間生まれの、地球産宇宙人。

 異種配合による植民地化と、異星民族浄化作戦。

 人蜥蜴の正体は地球人類を資源として消化する異星の民であり、蜥蜴の王こそ異邦異星の神々の一柱。神の意に従う信仰深い者たちであり、自分達の文明繁栄を正義とした地球侵略者でもあった。

 狩るしかない。いや、狩り尽くしたい。魔女の視界に入る異星人は、女子供も問答無用で殺すべき捕食者。人の遺志を捕食する悍ましい狩人にとっては、神血から与えられる衝動に蒙する獣に過ぎない。彼女の決意は即座にそう固まり、仕掛け武器の鎌を起動。カチャンと音が鳴り、曲刀を折り畳んだ柄に装着させ、怨讐の黒炎を宿す葬送の刃を手に持った。

 所詮は前線基地の一つ。手遅れになった栽培人類ごと、魔女は何もかもを焼き払う。序でに人蜥蜴共の血をサンプルとして瓶に入れ、魔女は律儀にもヤクモに言われたことを守っていた。

 

「おぉ何だ貴様、地上へ来ていたのか?」

 

「あら、暗帝じゃない。お久しぶりね?」

 

「此処の蜥蜴連中を皆殺しにしていた者が気になってな。少し見に来たのだが……ふむ、余の予想は外れたか。異星民族同士の領地争いと思っておったが、単なる普通の虐殺か。

 ……で、どうだ?

 此処の蜥蜴のような奴ら、貴様の瞳に良い御馳走だったか?」

 

「中々、良い文明の持ち主だったわ。光学ブラスターや高周波ブレードを兵士は装備してました。後、魔術を基礎学問として教育されていて錬度も高いし、強力な念動力を標準的に使用可能でしたよ」

 

「とは言えだ……今はもう、獣面の狂人らが築いた生体地下都市の文明技術力の方が高い。神の遺伝子から神の細胞を作り、細胞増殖で神性生物を量産しておるからな」

 

「酷い話ね。今の人類、その気になれば地上奪還も可能でしょうに」

 

「外なる神の干渉に対する術はまだ無い故、な?」

 

「そりゃ……まぁ、うん。そうなのだけれども」

 

「しかし、綺麗サッパリ焼け野原だ。どんな手品を貴様は使ったのだ?」

 

「奴等の核融合炉に私の黒炎を入れまして、時限式で暴走させました」

 

「ほう、なるほど。何時もの手、何時もの爆破オチと言うことか」

 

「最低な奴等には、サイテーな結末を。畜産にして育てる程に人間好きな異星人ですので、人間の娯楽文化に今生の最期には触れて頂こうと思いまして」

 

「そうか」

 

「そうよ……―――で、貴女と一緒に居る筈のアイツは何処?」

 

「―――ティンダロス。

 鋭角化時空間の異界都市へと、向こう側の住民に連れ去られた。あるいは、敢えて異次元へ旅立ったかもしれん」

 

「―――は?」

 

 との事で、魔女は適当に発展した文明技術を持つ異星人の街を襲撃。地球侵略に来ていた者の脳髄と精神を支配し、秘匿性がない時空間魔術を強制的に行わせ、過去に繋がるタイムワープホールを作成。その歪みを感知してノコノコと鋭角次元から来訪した猟犬を捕まえて監禁し、精神破壊と肉体拷問を繰り返し、ティンダロスへの移動手段を確保した。そして用済みになった犬の脳を霊媒解剖し、遺志を取り込み、異次元旅行の神秘を魔女と暗帝の二人は啓蒙された。

 尖り捩れる異次元生命の文明域。三次元空間では有り得ない時間錯綜と空間交差が混沌する世界。

 湾曲した丸みを帯びた宇宙次元の生物は生存不可能な場所の筈だが、自分自身が宇宙から孤立する異界と化した二人はその場にいるだけで魂の存在が可能。

 

「はぁ……クサ。此処、臭いがね……」

 

「おい。そう狩り殺すな、魔女。ここの者は確かに此方側の次元では殺しを営む猟犬だが、此処では此処の律に則って生きるただのイヌだ。多分、イッヌだ。

 ほら……何だ、我らの認識補正によってそう見える筈だが?

 通常の三次元観測は不可能な為、正確な説明を言語対話で伝えるのは無理だがな」

 

「だって獣だし……私を食べようと触舌(ベロ)を伸ばしてきたし……」

 

「居場所は感じ取れておるのだろう?

 貴様があいつを連れて帰ると決めたのであれば、とっとと連れ帰るのだ」

 

「はいはい。でも相変わらずの不思議空間。私は此処二回目だから……まぁ、そう思えば何だけどさ?

 悪夢に冒涜された私は自己精神をどんな異次元でも保てるけど、何で貴女はこの鋭角時空間でそのままでいられるのよ?」

 

「余こそ、深淵の暗い魂。その化身である故に」

 

「あらま。何だか暗黒に囚われた奴隷ね、それ」

 

「勘の良い女だ……―――ふん。吐き気がする。

 やはり、こやつらは臭過ぎるな。貴様の様に、何時もの様に、目に付く者共は皆殺しにして突き進むか」

 

 暗黒皇帝から漏れ出る深淵が異次元空間を暗く塗り潰し、猟犬も住民も深淵に沈み、形を保てずに魂が融けて消え去る。此処はティンダロスでも都市部から離れた異空間であり、王族の類の強力な個体は存在せず、魔女も黒炎を異次元でも使いこなし、狩猟衝動の儘に虐殺を敢行し続けた。

 これじゃあ、どっちが異次元からの化け物か分からないわね、と魔女は内心で嗤いながら冒涜的殺戮に腐心した。そして塔の天辺で宙に浮かぶ鏡貌の奇形生物―――妖術師とだけ名乗る少女姿の人間が一人。

 

「あ、いた。妖術師、何でこんな辺鄙な異次元空間に閉じ籠もってんの。ほら、地下の臓物都市に帰りますよ」

 

「―――………いや、何故?

 こんな場所まで良く来ましたね?」

 

「お隣さんの世界程度、手段を見出せば簡単でしょうに。でまぁヨーグルトソースみたいな名前の、あのウィリアムズの邪神を殺そうとして、こんな場所で修行してるんでしょうが……ま、諦めなさい。

 アレは、次元の神格なんて言う面倒な宇宙法則の具現です。

 多次元時空間を創造した生物でして、丸みある湾曲次元の支配者よ」

 

「しかし、鍵の巫女を()らなくてはなりません」

 

「あら、恨み? 憎悪を向ける復讐でしたら、私だけは否定出来ませんけど」

 

「いえ……しかし、曲線にこそ神は宿ります。角張った直線は美しくありません。

 女性の胸や尻が美しさの象徴なのは、この次元に生きる知性にとって当然の真理でしょうし、それが正義です。確かに貧乳も良いかもしれませんが……いえ、胸を貧と称するのは外道の発想です。美を探求する者として、やはり美しい呼称であるリリィバストと呼びましょうか……つまり、そう言う事です。分かりますか?」

 

「知らないわ。アンタ、トチ狂ってんじゃないわよ……」

 

「まさか、酷い話です。人殺しも、同じことでしょう?」

 

「アンタ、話に相互性がないですね。正気を亡くしましたか」

 

「夢見る赤子。宙の彼方。世界の中心にして、外なる神の律。

 ウィリアムズは私を啓蒙しました。外なる宙からの異巫女。

 即ち、外なる高次元より俯瞰する物語の舞台劇場こそ此処。

 あぁ、ウィリアムズ……ウィリアムズ……冒涜の巫女、鍵の告発者。魔女狩りに酔う幼き背徳の悦楽。

 貴女の世界、魔女が生まれた世界……何故、我らの次元の神は、赤子の夢足る同胞の我らではない女を愛するのでしょうか?」

 

「何故って、人間なんて所詮は娯楽品でしょう?

 見慣れた小説を読み直すより、新作に興味が出るのは当然のことよ。アイツらにとって、人生ってのは薄っぺらい紙と同じです。

 兎も角、はぁ……―――もう、良いや。狂気落ちしたヤツに付き合うのは面倒ですね。

 おら、鎮静剤を飲みなさい。グイっと、グイっと、気が晴れるまで……はい、次の二本目ね。それでは追加の三本目」

 

「ごぼごぼ……げほっげほ……あ、啓蒙(インサイト)が逆流します……あぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 鏡貌の妖術師へと、魔女は両手に持った鎮静剤を無理矢理に喇叭呑みさせた。強引に開けた口へと流し込み、宇宙的狂気を人間的獣性で中和させ、脳内に溜まった冒涜要素を洗い流した。

 

「星……星が、宙に星が見えますスター―――う、ギモ”ジワルイ”ィ……吐く、吐きますぅ」

 

 形容し難き汚濁を吐瀉する様子。全てを吐き出し終えたのを魔女は確認し、瞳をグルングルンと廻す鏡貌を持ち上げる。本来ならゲロなど酷い臭いの筈だが、悪臭が満ちる異次元空間だとそれさえもフローラルに感じる異臭だった。

 

「ヨッとっと、安定の俵持ち。良し、確保。さぁ暗帝、故郷の次元に帰りましょうか」

 

「発狂者のお手軽蘇生術。逆に、倫理に反する冒涜だと余は思った」

 

「何、他人事みたいな台詞ほざいてんのよ。ワープホール、貴女が作りなさい。皇帝特権で異次元イッヌの時間旅行魔術、もう覚えてる筈ですが?」

 

「そうだが……うむ、此処は酷く臭う。まだ臓物街がマシと言う程に。

 貴様から聞いた話よりティンダロス界には興味もあり、異次元文明視察の啓蒙的観光目的もあったのだが、妖術師の為にも早目に帰るか」

 

「いえ、二人用のワープホールを作ってくれれば良いから。貴女は貴方で、気が済むまで暇潰しをして貰って良いです」

 

「何と、冷たくツレない女よ。だが、それも良い。如何だろうか、一晩程度?」

 

「黙れ、変態」

 

「そうか。ではホレホレ、いあいあ、ふんぐるいふぐたん、うがふなぐるてぃんだろす、オープン(開け)セ・サ・ミ(ごま)

 余は少しだけだが、まだ見て回ろうと考えておる。貴様は見飽きているだろうから、先にそれを連れて帰ると良い」

 

「ありがとう。じゃ、さようなら」

 

「うむ。さらばだ」

 

 暗い魂の深淵をエーテル要素を魔力に混ぜ込んで代理使用し、暗帝は門の創造を行った。だが深淵は人間以外にとって汚物となる激毒であり、あらゆる魂を狂わせる猛毒となり、この異次元においても時空間を汚染する苗床となる動力源(ソウル)

 神は、神だからこそ暗帝の暗闇には逆らえない。それは法則も同じであり、その世界を運営する律を塗り潰す。故に、闇は深淵となる。

 

「―――……で、貴様。何用だ?」

 

「神だよ。君達に祈りを冒涜すべく、祈られた者。故、神託を囁きに来た―――……が、あの狩人様が君のような“人間”の化身を送って来るとはな。

 意外ではなく、だが吾の期待に応え過ぎただろう。

 本来ならば、魂なき吾にソウルを与えて人間性にて冒涜する等、そもそも宇宙の運営が効かないとはね」

 

「ほざくな、邪神。人間を犯し、壊し、冒涜する為に地球に来た外なる者の一匹だろう?」

 

「ええ、暗黒の従僕たる奴隷皇帝。分かたれたこの身、チクタクマンと名乗っておこう」

 

「獣面共の始祖、その分身体か」

 

「アレは面白い企みであった。元ネタは君らの生まれ星がトチ狂い、衛星から病原を呼び込んだ災厄の模倣だ。

 神の因子を持つ娯楽品の足掻き。人間種を異星人や外来神から護る為、人間社会の害悪になってまで滅びを回避する努力。

 ―――吾が愛さず、誰が愛するのか?

 エロイムエッサイム、エロイムエッサイム。我が本体よ、吾は冒涜を訴えたり」

 

 無貌の分身―――機械頭蓋の歯車男。だが服装はスーツを来たリーマン風。

 通常の三次元空間ではない鋭角次元内の筈なのに、その歯車男は何の問題もなく三次元上の肉体を持って存在していた。

 ザクン、とその機械を暗帝は隕剣で断ち切った。

 首を撥ね飛ばし、その機械頭蓋をダークハンド化した左手で捕まえた。

 

「感謝しよう。貴様の脳味噌に詰まった科学の叡智、人類へ還元する」

 

「宜しい。人間よ、破滅の叡智を以って破滅を滅ぼすと良い」

 

「人の愚かさを嘗めるな。安心せよ、如何足掻こうとも人類につまらない平和な未来など得られんよ」

 

「分かっている。宇宙に生まれし知性体共、文明を栄えさせよ。その全てが我らを愉しめるゲームである。

 人間が電子遊戯で遊ぶシュミレーションのように、私はただ愉しみたいだけだ。何より地球など滅んだところでな、他に遊べる知性生物など宇宙で溢れんばかりに存在する。

 では、ポチっとな。これにて、この時代における分身の存在意義は達成された。ゲームクリアおめでとうございます、吾」

 

「機械頭らしい例え方よ……―――ンん、うぅん? おい貴様か、貴様だろう?

 明らかに桁違いの生命力を持つ気配が、此方の方へ近付いてきている。この次元を司る王の類だよな?」

 

「ピコピコ、ピコピコピー。現在、この通信は利用出来ません。現在、この次元で通信は出来ない状態です」

 

「この、ポンコツめ――ッ!!

 獣面の鏡貌となった妖術師は謂わば、貴様の眷属にも等しいだろうが!?」

 

「機械系の獣面は好きだが、鏡は違う分身の好みだよ。オ、オ、チクタク、チクタク、チクタク……ピーピー、ディメンジョンハザードを確認した。

 憐れだな、君。出口など無い。此処が君の終焉となるやもしれんな」

 

 既に次元封鎖によって他時空間への逃げ道は閉ざされた。暗帝がチクタクマンの頭部を持ち帰るには、封鎖の術者本人を殺すか、異次元生物の時間監視の対象から逃げ切る必要が生まれた。

 ティンダロスの大君主。角張った様相の、直線的な鋭い容の捕食者。嘗て此処に訪れた魔女の狩人が手当たり次第に猟犬と住民を虐殺し、王の一人も殺された為、あの魔女を送り込んで来た元凶と魔女本人も大君主は憎んでいた。この度は隠蔽された気配をチクタクマンの悪戯心で破られた事で察知し、文字通り時間を止めて飛来した。

 

「諸々の皺寄せが、此処で余へと集約するとはな!?」

 

 異次元領域と言う相手の本場。いや、丸い宇宙が時空の神の脳内に等しい様に、鋭い宇宙は王達の意識が見る夢にも等しいのだろう。ならばと暗帝は加減も容赦も呵責もなく、魂を剥き出しにしたソウルで以って対峙する。

 彼女が臓物都市に戻れたのは、一週間後の事だった。

 出来心で見識を広げようと判断したのが間違いだったと反省し、次にティンダロスの鋭角次元へ赴く際、不安要素を排除した単身で行くことに心を決めた。外なる神の分身などと言う特級危険物を手持ちにして敵陣地でゆったりとしていた自分が究極の馬鹿だったと正しく認め、暗帝は神狩りに必要な心構えを更に一つ学ぶ事が出来たのだろう。

 

 

 

=―=―=<㋱>=―=―=

 

 

 

 神域なる大地。邪神の惑星。蒼き神性なる狂い星―――地球(アース)

 獣面二十七鬼が支配する地下生体都市以外にも、そして今の地球には異星からの異邦者によって植民地化した土地以外にも、地球人類種が自主権を得て住まう区画がまだ残っていた。

 魔導大学都市―――ミスカトニックランド。

 核兵器によって荒れ果てた地上は異星人のテラフォーミング技術により、異星産植物性樹木生物が生い茂る神域の巨大森林地域となる地区があり、地上には森林を住処とする野生の異星生物が多く住む。そして、そのジャングルには人間と姿が似た二足歩行の知的外骨骼生物が魔術文明を築き、植生建造物を居住区とする植民地を作り上げていた。

 大学都市は、その森林地区地底に建造された人域生存圏となる。住人は野生の異星生物を食糧や素材とするべく術式狩人になる人生しか生存手段はない。魔術は勉学であると同時に狩り道具となり、魔術品は生活必需品となり、薬物は身体機能と魔力機能を高める日常食となり、遺伝子強化が人間が人間を出産する必須条件となった。中でも大学に進学した子供は狩り学徒と呼ばれ、大人になれば非常に優秀な上位狩人になるとされ、ミスカトニックランド全体の財産となる。つまるところ品種改良によって脳機能が拡張され、一般的知能が魔導演算機並に強化された人間の中でも、更に優秀とされる子供だけが、大人になるまで学生として心身全てを成長する権利を得ていた。

 

「ダルク博士、お久しぶり!」

 

「ルージュ・オリス学院長、久しぶり。元気?」

 

「元気!」

 

「そう良かった。ダンは?」

 

「殺戮中!」

 

「それもまた良かった。外来種の虫ケラ共、程良く狩れてる感じ?」

 

「生贄狩りは順調だよ。外来虫人類のバックに付いてる知恵の神さ、何か良く分かんないけど人間側にも平気で知識を与えるのよね。

 貴女への報酬になる宇宙環境対策技術、これね。はいどうぞ!」

 

「生体チップ、開発出来たのね。で、どう使えば……あぁ成る程、こう使うと」

 

「そうそう、ダルク博士。額に付けると、脳に波長化したデータが送信されるってこと」

 

「おぉぉおおおぉぉぉおお、凄い情報量。これなら月に宇宙ステーションが作れます。

 ねぇ、どう? 貴女も神域になった地球から出て、私と一緒に宇宙に行って宇宙人類種の歴史を作らない?」

 

「ヤダ。折角、地球に宇宙文明が溢れちゃったんだもの。正直、人類社会を守ることより素晴しい叡智が、地球にいるだけで手に入るんだもん。

 宙で生きたい人だけ、連れて行って頂戴!」

 

「へぇ……あんなに人間社会を守りたがってたって言うのに、何で?」

 

「いえ、ははは。何だかんだ、ここまで宇宙人にやられても人間って滅びないでいるじゃん。文明レベル自体、そもそも進化させまくってるし、やっぱダルク博士が言う通り、なるようになって正解だった。

 そっちの肉街のヤクモ、恒星文明クラスの知能レベルになってるって話でしょう?

 ほら、ならこの惨劇は人類文明にとって良い事だったんだよ。此処までのブレイクスルーが出来たのって、何だかんだで異星間宇宙コミュニケーションがないと数万年先の人類史だったのよね。他惑星知性体の技術があれば近道は楽チンってこと」

 

「永続的エネルギー生成機関を持つ不老生命体も作れましたからね。地球太陽系外周球体圏のオールトの雲からも資源を集めれば、太陽を囲う星閉じの檻も数千年で建築出来る計算らしい。

 尤も、それなら他太陽系域に宇宙旅行し、その太陽をその太陽系圏全ての惑星群を材料化して恒星動力源装置にした方が早いらしいですけど」

 

「あ。そうなん……ふぅーん、そかそか。じゃ、余計に地球が良いや。どうせ、地下肉街の連中も殆んど地球に残るつもりでしょうし」

 

「わかった。貴女がそうしたいなら、そうすれば良いわ。

 序でだけど、地上の異星人居住区のジャングルで狩り遊びを行いますが、良いですよね?」

 

「良いよ。でも、皆殺しは駄目。森林区の環境保護もあの虫ケラ君たちがやってますので、地下に住む私たちにとっても今となれば森も虫も動物も貴重な自然資源なので。

 怖いのは異星人君の後ろにいる神性なだけで、異星文明や異星人はむしろ良い文明資材になるのでぇーす」

 

「あー……うん、覚えてます。火の邪神をこの森林区画から追い払うのに、私にSOS念波を送信したものね」

 

「そう言う事でした。後、此処の神様には手を出さないように。人間嫌いの人間恐怖症で、とても繊細な御神なの」

 

「見るだけに留めるわ」

 

「はは、それって嗤える魔女ジョークですぅ?

 ダルク博士に見られると、神の類も正気を失って発狂するって話、聞いたのに?」

 

「――――」

 

「ほげえらぁ!!」

 

 無言の悪夢的邪眼光で学院長を気絶させた後、魔女は大学都市の人間が作った"人間”と言う神性と出会いに行く。この大学都市を運営する為の装置にして、文明資源を宇宙物質から生成する人造創造神。あるいは、そうデザインされた神なる知能生命体。

 命名―――人造神人(ゴドーノイド)。人間と言う生命の神格。

 時空間を無視してエネルギーを持ってくる神秘を持ち、そのエネルギーを物質化する法則の擬人化。宇宙自体を人型にした魔術の最奥にして神にとっての禁忌。

 それの姿は大きな白い―――赤ん坊。

 永遠の白痴。成長出来ない無知なる知性。本能的感情だけを持ち得ながら、言葉が分からない故にその感情を理解出来ないヒトの落とし仔。

 

「あー、う、ぅ……う?」

 

「…………」

 

「だーだー……きゃきゃっ!」

 

 魔女が目にするのは。人間に捕獲された異星生物を玩具にして遊ぶ神なるヒトの仔。人形遊びをするように異星人の手足を引き千切り、愉しそうに口の中に入れ、遊び半分で咀嚼する。グチャグチャと口の中で人間が調理された動物の死肉片を食べる様に、ヒトの神子は生物を食べると言う基本的本能を愉しんだ。

 食事は大事だ。神にとっても、人にとっても。

 創意工夫すれば胃袋だけでなく、心も満たす貴重な娯楽になるだろう。

 

「うぅだぁ―――!」

 

 好奇心が満たされたからか、赤子のその手に高次元波動のエネルギー凝固結晶が生み出た。それをまた好奇心の儘に剛速球で壁に投げ、だが砕け散ることなく融け込むように消え去った。赤子の飼育室自体がエネルギー回収装置となっており、壁や床に結晶が当たれば問題はないのだろう。

 あれだけで核“融合”炉一年分のエネルギーとなる。人間視点で見れば、異星人一匹の命を供物に捧げれば良いだけの安い生体炉心。何とも燃費の良い人造創造神であり、この学園都市がエネルギー問題に一切悩まれずに発展出来た理由であった。

 

「白痴の人造創造神、と。何とも啓蒙深く、業の深い話でしょうか」

 

「なんと、魔女様。来ていらしてましたか?

 しかし、此処に近付くのをオリスは拒否してませんでしたか?

 あいつ、我らの赤子が自分より貴女に懐くのを嫌っていたと思いますが?」

 

「質問責めね、ダン?」

 

「あ、すみません。どうも、貴女に再会出来て昂奮してしまって……まぁ、理由なんて良いですね。是非、ゆっくりしていて下さい。

 自分の方はあの阿保狂人を連れて来ましょう。ほら、魔女様の話相手になる人間、此処じゃアレくらいだと思いますからね」

 

「構いません。少し、商店街に行こうと思うわ」

 

「成る程。自分の方は我らの創造神のお守がありますので……はぁ、全く。神と脳波チャンネルを一番合わせられる魔術師が自分なのが祟り、狩りに出掛けるだけでも予定を合わせるのに苦労します。

 他の子守り職員、育てないといけません。魔女様は神に懐かれていますし、どうです? 就職とかしません?」

 

「しません。むしろ、私が面倒見て貰いたい位です。じゃあ私、用事があるので行きますね」

 

「残念です。では、さようなら。自分の方もあの阿保に報告がありますので……ん―――念話、通じない?

 あの弩腐れサノバビッチ女、居眠りしてんじゃねぇだろーな。おいマジぶっ殺すぞ、あぁ殺す。今度こそ殺す。やっぱ脳味噌入れ替えた方が良い」

 

「…………」

 

 物騒な独り言を溢す狩人を魔女は黙って見送り、学院長の冥福を神に祈った。付近に創造神がいるので実に合理的な祈りであろう。

 とのことで、地上で狩りをする前に魔女は商店街で一息入れることにした。ショッピングは嫌いではない。むしろ、漫画や小説などの娯楽品を買い漁るのは素晴しい趣味だ。反して今の住処にしている地下都市は常に生臭く、此処のような清潔感のある都市作りはされておらず、買い物をするのに適していない。商店街やデパートもあるにはあるが、何かと付けて冒涜的都市設計となっており、まともな一息自体が出来ない構造だった。

 街探索を楽しむ魔女は漫画喫茶にて、珈琲を一杯飲んだ後。無料お代わりシステムにより、今はもう四杯目。古い時代に描かれた日本の吸血鬼狩り漫画の全巻読破を既に行い、次に彼女は巨人に復讐を誓う少年の短い人生が書かれた長い物語を読み終える。

 時間は午前十時半。二十四時間常時営業店である漫画喫茶以外の店も開く時間帯。地下都市なので太陽は出ていないが、天井に付くライトの光量で朝昼晩を演出しているので体感時間を住民は維持していた。魔女は寛ぎが過ぎたのを自覚しつつ料金を払って店を退出し、目的である現役狩人相手専門の狩り道具工房店に向かう。

 

「らっしゃいませぇ~」

 

「………」

 

 気の抜けた挨拶をする店主に頷くだけで返事をし、昂揚感(ワクワク)に支配された魔女は狩猟具のラインナップを観察する。会社経営の系列店ではなく個人経営の店なので、恐らくは全ての狩猟具が店主の発想からデザインされた道具なのだろう。

 頭頂部に自動索敵標準式小型光学銃座の付く丁髷(チョンマゲ)ヘルメット。思念だけで命を狙い撃つ悪趣味極まる素晴しく文化的なデザイン。

 首部と四肢の切断に剥いたカッティング光学銃。穴を開けるのではなく、不死性の高い相手の機動力を削ぐ素敵デザイン。

 脳神経ごと蛋白質細胞を焼き殺す過剰電気が売りの殺人用電撃棍棒(スタンロット)。無論、帯電によって一撃でも加えれば動きを止め、その後は一方的な連続攻撃で殴り殺せる合理的機能デザイン。

 高熱化した刀身を超速微振動することで金属を一方的に切断する電磁パルス超合金刀。魔導科学的機能が搭載された白兵戦用携帯武器でありながら、刀身には蘇生阻害の呪詛文字が刻印された対異星生物抹殺デザイン。

 伸縮性の柄を持つ携帯式槍であり、短槍としても長槍としても投槍としても使えるジェットスピア。鉈程の大きめな矛先は切れ味が鋭く、切傷を呪術熱却することで癒えない火傷を与える殺害デザイン。

 樹林の毒花粉の中でも生存可能なアーマード・スーツ。真空空間での長時間活動も可能であり、無重力圏での移動も行える対異界法則生存用デザイン。

 生命維持を行う細胞活動を停止させる超高温小型化火炎放射器(フレイムスプレー)。もはや蛋白質を焼くのでなく、細胞を融解状態にさせて水分を瞬間気化させる焼却デザイン。

 プラズマ光帯(ビーム)を放ち続ける熱的光学銃。機能は単純、物体は一瞬で破壊する爆撃デザイン。

 取り敢えず、有金叩いて買える分を魔女は全て買う。良い買い物が出来たと満足し、此処の工房はデザインが良過ぎて瞳に啓蒙が潤って仕方がない。

 

「ありぃがっとうごぜぇましたぁぁあああーー!!」

 

 突如として一年分の売上を得て、店主はハイテンションな変顔をして魔女を見送った。彼女は使い慣れた挨拶の仕草である狩人的な確かな意志のガッツポーズを背中で語り、大量の荷物を脳内空間に仕舞った後に出て行った。そして当然の事ながら、新しい武器を直ぐ様に使いたいのが狩人が持つ憐れな好奇心。使い心地を確かめる娯楽の為だけに生命を消費する愚かな行為。

 一時間後、地上森林区画に到着。

 野生の異星生物が跋扈して異界自然生態系を維持する神域。霧に覆われた人の居場所がない秘匿樹海。

 10mを超える軟体触手八足動物。肉食性の食獣植物。毒素を巻く菌類大樹。不形の生体光化学ガス状生物。蝙蝠と土竜と猫を合わせた超巨大飛行性動物。食べた動植物の遺伝子を配合して卵を産む外骨骼脊髄人虫。男性器に似た頭部を持つ燃える火の血を持つ二足歩行型四足人獣。動植物の死体を使った武器を装備する知性蛸猿。咬んだ生物を支配する精神寄生蛇。卵のまま生体となる浮遊思考卵人。鉱物細胞で皮膚を形成する半石半樹の爬虫類。頭蓋骨が宇宙銀河系となる身体は人間の時空間思考生物。地球重力圏を浮遊する巨石生物。全長100mを超えて密林を捕食する歩行巨木。

 もはや原生地球生命種からかけ離れた異星生命種。

 密林は悪夢と化し、魔力機関を標準的に備える生命系統樹と成り果てる。

 本来の人間が支配する地球なら一匹紛れ込むだけで、科学文明が崩壊する程の外来宇宙種の危険生物が生態系を作り上げてしまう樹海。

 

「モニュっとモニュメント。あ、それ。あ、それ。モニュメント」

 

 人間が死ぬしかないそんな神域森林区。魔女が其処へ過去に灯りを置いておいた場所は何故か、近くに学園都市の仮設基地が立てられていた。そして森林区にて前線基地を個人の力のみで維持する派遣狩人は、趣味で異星生物園を作る変態だった。挙げ句、基地周辺を異星生物の死体を使った猟奇的だが文化的モニュメントを芸術作成し、周囲の野生生物を凄まじく威嚇していた。魔女はモニュメント作りをするその瞬間を、ある意味で丁度良いタイミングで目撃してしまう。

 特に意味はなく、狩人的感性に従う猟奇芸術。自らの洗脳魔術で脳細胞を支配し、異星生物を使い魔として完璧に使役する派遣狩人の一人は、此処ら一帯の主として野生の中の狩りを多いに愉しんでいた。

 

「は、悪寒。誰だ、貴様は!?

 ……何だ、仲間の人間か。此処で一人で来るとは危険だぞ?」

 

「お構いなく。貴方より強いです」

 

「そんな事は見れば分かるが、お嬢さんなのは事実だろう。私以上の力量の子供であれば大学通いは必然であり、その年齢でその強さだと学生の身分は当たり前。狩りは禁止されていないが、狩り学徒は集団行動が鉄則である。

 子供の死は、都市の知的財産の損失。絶対に避けるべき損害である。ささ、お友達を連れて来るように」

 

「そんな友達はいませんので」

 

「そうか、ボッチちゃんか……そうか。私も身に覚えしかない孤独感だ。仕方無い、私が動向しようかな。暇だしね」

 

「要りませんが?」

 

「まぁまぁ、まぁまぁまぁ。人類、助け合いが大事だ。何万年の進化の果て、その今、遺伝子に善行を為す様にプログラムされた本能を持つのが私達じゃないか。過酷な地球自然環境で生き延びる為の生態系として、そう言う群れ社会に至ったのが知性文明の根底だろう。

 基本、猿と変わらんよ。いや、猿で在るべきなのさ。猿、万歳。

 我々は狩人と化しても善い事が楽しく、社会に還る善行に大きな価値を感じる様、人類種が自らを精神面からも品種改良し続けたから、宇宙からの侵略と言うこの未曽有にも対処できるのだからね」

 

「そこまで言うのでしたら、別に良いですが……」

 

「そうそう、頼り給え。人類種にとって子供は未来へ紡がれる宝であり、無茶する時の安全面を考えるのが大人の務めと言うものだ」

 

「分かりました。それと最後に言いますが、私――――大人です。

 齢千歳を超えて旧世紀から存在します。なので全く以って的外れな忠告ですので、悪しからず」

 

「またまた~……見た目、二十歳行ってなさそうなのに……あ、だからか」

 

「はい。二十歳越えの個人的適齢期で不老手術をする貴方たち学園都市の住民だけど、私はその例外となる肉体年齢となります」

 

「ほぉー……何だ、現行人類を生存させた旧人類の賢人か。

 ふむ、ならば尚の事。モニュメント作りで余った肉をミンチにし、これからジャングル異星ハンバーガーを作るのだが……どうだろう、食べてから行くかね?」

 

「いや、別に要らないわ。私はね―――」

 

「―――神肉、使うが」

 

「食べましょう」

 

 既にBBQ用キッチンセットが外にあり、その気になれば直ぐ様にも派遣狩人は料理を行えるのだろう。彼は返事を聞いた時にはもう準備に取り掛かっており、魔女が十五分間だけ意識を宇宙思索思考実験にトバしている間にもう出来上がっていた。

 ―――何とも啓蒙深い美味だろうか。

 舌を通じて伝わる神秘的味覚情報が脳細胞を蕩けさせ、魔女の思考回路を食の美味さだけで焼き切ろうとしていた。宇宙深淵の深みが味覚の奥深さに情報変換されたとなれば、人間程度の脳スペックだと美味し過ぎて死ぬことも不可思議ではない。

 

「御馳走様。ふう、美味しかった……わ?」

 

「良し。では密林探索に行こうか。無論、私も動向する。

 それと賢者さんの名前は何かな。礼儀として俺の名前を先に言うが、メランドリと言う狩人だ。仲間内からは鉄剣のメランドリと呼ばれている。

 実はこう見えて、街だと術式剣遣いの狩人として有名だ。剣士としてなら一番強いと言う評価を受けている。賢者さんには負ける様だけどね」

 

「強さを含めた詳しい自己紹介、どうも。私は魔女の狩人、ダルク。世間からは簡単に魔女って呼ばれています」

 

「では、魔女様と。賢人さんの名に様付けするのは人類種の礼儀だからな」

 

「好きにしなさい。付いて来るのもね」

 

 剣を振い過ぎ、命を斬る心眼に至り、魂を殺す無の境地に届き、今はもう見るだけで物体を切断する魔眼を得た剣士。たった一人で前線基地を維持する程の戦力をこの剣狩人は保有する意味を持ち、その上で狩りや鍛錬以外の趣味の時間を作れるような殲滅力を持ち、その上で異星生物を使役する魔術の腕前を持つとなれば、それは人域ではないのだろう。

 直後、一匹の異星生物が時空間トンネルを抜けて具現。それは時間操作によって自己時間加速する異次元生命体。地球侵略に来た異星人が作った生物兵器が野生化して繁殖した密林の殺戮者。一匹で完全武装した人間の軍隊千人を二分で皆殺しにする白兵戦機能を持ち、野生で進化したことで周辺の生命反応を感知してエネルギー補給の為に捕食する生態系を持つ。偶然、近場に居た個体が空間触覚から魔女と剣士の発見し、二人の視覚に入らない視覚から奇襲を行ったのだ。

 人類側が呼ぶ脅威の名―――彷徨える空鬼の人獣、シャンブラー。

 空間抉りの念動爪を振う一撃奪命の完璧なる生物兵の成れの果て。

 その異星生物を予備動作皆無の無拍子にて、剣士は空気を裂く無音の斬撃で余りに容易く斬り捨てた。

 だが断末魔が響き渡る。死んで命が尽きたとしても、仲間への連絡は絶対に死力を出し尽くす。自分が死ぬのだとしても、大切なのは種としての繁栄と進化。この狩人の危険性を群れは共通認識として得なければ、この生き物を殺せる生物として進化しなくてはならない。

 瞬間、周囲の空間でワープホールが開く。二十匹を超えるシャンブラーが具現し、一分もせず全ての獲物を魔女と剣士は狩り()った。

 

「空鬼獣か。うむ、素晴しい。この手強い獲物に出会えたとなれば、今日は良い狩り日和となるな」

 

「あれ。軍事生体兵器の技術力に富む異星人が、他の異星人とその神性を虐殺する為の生体を地球にもって来たのが、地球の現環境で更に当然変異した進化種です。

 彼らは集団戦法で神狩りを行う生物兵器。

 一匹でも人類にとっては絶滅要因になる。

 例外無く神殺しの魔物であり、地球でのあの変異っぷりを見れば、食べた神性を全員の遺伝子で繋げてると思うのですがね」

 

「それが一体、何だと言うのだ?」

 

「その感想と見た感じ……貴方、斬り殺したいだけみたいね。

 根が、気狂いの復讐者。膿みが臭う傷痕の精神。貴方からは獣の血腥さが匂い立ちます」

 

 鉄剣の狩人は、余りにも優しい笑みを浮かべている。

 

「憎悪が、人間を強くした。狂気が、人間を進化させた。俺は、そう在れば良い。そう言うカタチの、狩人で在れば良い。

 ―――止まれない。殺さずにはいられない。

 地上から全ての汚物を狩り尽くし、人間は故郷の地上を必ず奪還しなければならない」

 

「憎悪と狂気じゃ、貴方の心は癒えませんよ?」

 

「癒える必要はない。狩りの酔いが、全ての痛みを忘却してくれる」

 

「そうですね。本当、そうでしかない。はぁ全く、宇宙は遠いわね」

 

「しかし……―――うむ。その戦い方、成る程。旧世紀の賢人たる魔女様こそ、我ら狩人の原典になる者。

 オリス学院長がオリジナル・ハンターと呼ぶ始まりの狩人。大学の血液進化薬の原材料を提供した血祖と見るが?」

 

 始まりの狩人は一人。由来する血は二人。暗い魂の血の遺志。魔女が始めた対異星人戦略の一つであり、旧世界から脱却する次世代新人類種。

 剣狩人は、その意味が知りたかった。こんな世界で生まれ、その闘争に酔い続け、強くなり続ける為だけの己が人生に、確かな意志ある価値を作りたかった。人類復興は可能かも入れないが、異星人の侵略で異界法則にテラフォーミングされた惑星復興は無理かもしれない。

 今更、星を取り戻しても価値はない。戦い勝っても世界は変わらない。だが、それでも尚、戦い続けた果てに人類は異星に勝つ為に進化し続けなければ未来はない。

 

「……まぁ、そうよ。魔女を祖とするのが、貴方たち狩人の正体。

 人類が異星人の侵略に対抗する為、手を出した禁忌。彼女が人類を守る指導者になる事と交換条件に、私がミスカトニックの研究者に渡した人間改造技術となります」

 

「話が見えないな。あの学院長が人類を守る立場にすることが魔女様にとって、異星人の神狩りを可能にするほどの血の禁忌を教える報酬になると?」

 

「あの狂人が、一番人間を巧く進化させられる天才でしたので。人間社会の一つが生き延びるにしても、最短ルートを最速で走るシステムを運営出来る魔人が好ましい。

 それ以外は別に如何でも良い。血の落とし仔らが進化する過程が見れれば、それで良いだけです。貴方のような狩人が次世代人類種として誕生した結果を見れたので、追加報酬も十分以上と言えましょう」

 

「狩人になった人間に与える心、無償の人類愛。魔女様、貴女から感じる俺の想いがそれとなる」

 

「ふん、良く言う。一目で、私の魂を見抜いていた癖に」

 

「だが、俺の瞳が見る幻視に過ぎない。言葉と感情を得て、答え合わせとなるのが人との関わり方だ」

 

「貴方は面白い男ね。どうも、口が軽くなっていけません」

 

「そうかい。話は変わるが、俺は星見の魔術が得意でもあってな。今日あの前線基地にいることは、占いで決めておいた運命でもある。

 だから魔女様の口が軽くなるのも、仕方がないかもしれない。

 俺は俺が生まれた理由、自分の血液に混ざる神秘が知りたくて堪らなかったので」

 

「星の巡りですか……えぇ、それなら仕方がないわね」

 

 この剣士は希望の一つ。戦いの末、やがて神性を殺す騎士となろう。

 魔女はその答えが素晴しいと想い、まるで聖女ような笑みを剣狩人へと浮かべた。

 

 

 

■■■<●>■■■

 

 

 

 虚空より神は下りなかった。古き者による叡智。外来知性の菌類を模倣した科学技術。時間を彷徨う種族を解剖して得た生体新機関。二十一世紀に起きた第三次世界大戦の後、進化実験により暴発した大規模生物災害。

 人間に擬態する変動生物。人間の文化を模倣する異星生態系等。それらを誰かが新人類種と呼び、神秘の聖血に汚染された人々は進化の末、人型を捨て去ってショゴスの進化種として繁栄した。だが、何者にでもカタチを為せる故、彼らは人型こそ美しい形だと遺伝子に刻まれていた。

 ―――第一神災。人間の滅亡を始めたとされる最初の災厄。

 人類種を新人類種と偽り、奴隷種族(ショゴス)として使役する野望は魔女によって焼き払われた。奴隷を制御する為に創られた唯一の支配ショゴスは狩り殺され、連鎖して新人類種は人型を作る事が不可能となり、理性を失って本能の儘に人を捕食する化け物を人間は許さない。彼らは皆殺しにされ、見つかれば例外無く処分された。尤も鏖殺から逃れた例外は少ないが存在し、支配種がなくとも人間に擬態する知性を持つ者だけは、人間に発見されずに生き延びられたが。

 ―――第二神災。南極狂気山脈から目覚めた巨大生物。

 これは単純、各核武装国が放った大量の核弾頭によって熱却処理されることで始末された。しかし、それによって南極大陸は焼き払われ、全ての凍りが砕けて溶け、海面が一気に上昇。オゾンホールが大きく広がり、地上を太陽放射線が焼き、人類種は自分達で自分を陽光で焼かれる事になる。

 ―――第三神災。地上に降り注ぐ隕石群。

 不幸こそ幸運だった。住めなくなった地上を捨て、地底に都市を築いた人類は生き延びる運命の持ち主だと言えた。隕石による宇宙災害は地上を焼き払ったが、人々を殲滅するには力不足。

 ―――第四神災。黄の衣が星より降り、地上に築く大帝国。

 地下都市を棄てたとある国民は神を知り、神を下し、神に魂を捧げる。黄色の革衣を身に纏い、新人類種として環境が破壊され尽くされた地上を再建した。その国の技術力で作られた地震兵器によって他国を崩落させ、回収した人々に衣を被せて国民を増殖させる。黄色に染まった再生する人間を奴隷にすることで食糧にし、剥ぎ取っても再生する黄人革を衣にして纏い、全てを黄色に塗り潰していった。

 ―――第五神災。最後となった神々の災い。

 各地に眠っていた神性の目覚め。黄色の神秘が惑星全てに伝播し、地球に眠っていた古い神々が動き出す。海底都市は浮かび上がり、南極地下に封じられていた文明が動き、全ての生物の母となる泥の神が地上に進出し、怠け者な智慧の神が荒れた地上に住処を移し、異邦の星から来た巨神達が闊歩を始めた。

 

「進化とは可能性。だが人は、上位者になっても人の儘。

 月の狩人は何時だって正しいかったわね……人間が神の如き新人類種になろうとも、猿から進化した人の始まりから変えなきゃ無駄になる。

 それが出来ないなら、人を捨てなきゃ永遠に人でしかない訳です」

 

 長く生きる魔女は、完全に人間の星が消滅するのを見届けた。滅びから幾度も守った星が、眠りから醒めた神々の楽園となり、人類にとって深淵の失楽園となって数百年。今や地上に残った人類は神々の奴隷であり、家畜であり、宇宙へ逃げ遅れた神への生け贄であった。

 そんな今は西暦3117年。月面都市、ニューアーカム。人類が築く最も地球に近い国。

 人類生存圏は太陽系に拡大し、宇宙進出した人々は地球を禁断の地に定めた。星は死んだが、人は今の平穏を謳歌する。

 救いの最初、魔女による神性狩り。結果的に未来は魔女が与えたこの選択肢を取ったが、人類は滅んでおらず、訪れた滅びの危機を乗り越えて進化したのも事実。彼女の行いは無駄と呼ぶのは愚者を超えて狂人であり、確かに彼女によって人々は新たな日常を手に入れていた。

 

「しかし、それを我らは平和と呼ぶ。余は嬉しい。この月で発掘され、人の技術を組み合わせた異星文明系の演算機械(スパコン)、中々に面白い人類の新天地だと思う。繋げた平行世界の余の記録的に運命の出会いがありそうだ」

 

「啓蒙深過ぎる。私、最近、今の人類に付いて行けないのよね」

 

「良く言う。今の貴様は神々から人を守った聖処女の再臨。この宇宙圏、聖血教会聖女宗派が一番の宗教になっておる」

 

「勝手に宗教家が作った新派よ。偶像に魔女の私がされるなんて、どんな皮肉かしら」

 

「木星圏諸衛星連邦の第三衛星(ガニメデ)国だと貴様はアイドルになっておった。ガニメデの首都名も聖女に肖り、オルレランだしな。

 実に羨ましい。余も久方ぶりに万能のスーパーアイドルになり、あの熱狂的アイドルブームを作ってみたいものだ。

 何故かバラエティ番組で、音痴芸人扱いされたのは納得出来ぬがな。何が喉怪獣だ。今でも赦さん」

 

「知るか! あのガニメデ生まれ共も、好き勝手しやがり過ぎ!!」

 

「しかし、神の星塔が第一衛星のイオで発掘されたとか。今では木星圏全域に神災に襲われているらしい。

 今や、ガニメデも封鎖して何とか星塔の余波は防いでいる状態だ」

 

「神性殺しの、元軍人のエンジニアが向かったって聞いたけど?」

 

「衛星そのものが、星に擬態した神の魔物だったらしい。手段は知らんが、どうにかこうにかし、無敵エンジニアが倒したらしいがな」

 

「ハインライン技師は本当、何時だって頭が可笑しいわね……」

 

「あやつを地球に送り込めば、神々から星を奪還出来そうで困る。余とて、衛星級神話生物の殺し方など解らん」

 

「今の宇宙移民人(スペシアン)は聖血教会からの輸血と遺伝子改竄で、ああ言う神が殺せる因果へ至る魂に覚醒し易いのよ。私たちみたいに他世界の輪廻から外れた魂も流れて来ているし、今の世は正に吃驚人間劇場です。

 まぁ、これだけ変な因果律が勢揃いしてるってのに、不死身のハインライン技師が一番神をビビらせてるのが私も怖いんだけど」

 

「何故、そこまで因果と魂が揃い、未だに星を奪還出来ぬのだろうな?」

 

「因果律の糸がこん絡がってんのよ。可能性を詰め込み過ぎてる。最近はセイバーぶっ殺すとか言う女神話生物貧乳青ジャージに襲われましたし、私を邪神認定して奇襲してきた宇宙刑事を名乗る不審者と闘いました。何がどうして、この悪夢の宙に迷い込んだのやら。

 裏側にあの弩糞腐れトリックスターの悪意を感じます。あいつ、この悪夢の入り口をフルオープンにしてるっぽいわね。還るべき魂をこっち側に流れ落としてる」

 

「あー…………すまぬ。青ジャージと刑事、余が貴様の居場所を教えたからだな」

 

「アンタの所為か!!?」

 

「あの手の色物は苦手だ。マイソウルが律違反だと拒絶反応を壮絶に起こす故。

 確かに余がセイバーに相応しき男装の美少女剣士なのは、世界を始める根源で定まった真理ではあるものの、脳がバグってあの手の色物律に侵食され、余もその律に支配されるのがソウルの摂理。

 となればだ、人前で平気でゲロ吐く貴様であれば、お似合いの律だと思ったのだ。ほら、貴様は良くエル()字のポーズで宇宙を愛しておるだろう?」

 

「―――殺すぞ?

 満腹になったら奴隷に喉へ棒を入れさせて、ゲロ吐きながら飯食う文化圏の王様が何言ってんだか。そもそも、半尻晒して何が男装よ。露出好きの痴女じゃない」

 

「命で済めば安い犠牲よ。それとローマの貴族的食文化を愚弄するでない。そも死程度で、ビィナスに等しき余の美体は曇らんよ。それを隠すなど、芸術への冒涜と言えよう」

 

「……ッチ。これだから、変態不死は」

 

 二人がいる建て物。そこは月面都市(ニューアーカム)の学術区画、ミスカトニック月面神秘専門大学の第ニ十七研究棟。その神秘部、魔導統合学科の研究室。

 

「それで魔女、ドクター西は何処におる?」

 

「あいつはウロウロし過ぎて分からん。一番最後はハインライン技師のエンジニアスーツを改造するぞ、とノリノリでエレキギターを急に食堂で演奏してんのを一時間前に見たわ。

 確か、星間高機動用人型魔導式戦闘機(アーマードコア・ネクストタイプ)……本当の予定ならそれでしたか。水星南極の兵器開発特区で発明された兵器の改善をする予定だったんだけど。

 ……で、アレに何の用?

 絶対碌でもないのは分かってるけど、聞いておきます」

 

「神秘部、魂魄遺伝子学科の研究資料を渡そうと思ったのだ」

 

「ウェイトリー教授の研究か。あの女、自分の混血を人体実験に使って忌み仔を産むので……いや、その自分を量産でもしようって雰囲気かしら。

 あれ、代を重ねて完成して、不死の時代となったこの宇宙文明になっても、忌み産みの呪いからは解放されてないもの」

 

「瞳持ちの貴様は話が早くて楽よな。あの老魔術師は、自分の娘に鍵なる神の仔を孕ませ、混血児を作成した。だが本質的に重要なのは、神の仔を産む権能を得たラヴィニアの方でな。あのウェイトリーには代々のラヴィニアの遺志が継承され続け、それを辿れば最初の鍵と邂逅する。

 ならば今の新人類の遺伝子には、時空間と適応する為にラヴィニアの血が必須。そのまた赤子にも、時の神秘が使える様にする為にはな」

 

「聖母の血ですか……はぁ、呪われてるわね」

 

「星の法則の外側である宇宙空間に人が適応するに、遺伝子改造が手っ取り早いからな。それでドクター西が要る訳よ」

 

「電話すれば良いじゃない」

 

「余の暗い血であやつは死者蘇生を嘗て企んでな。余も素材を提供したのだが、蘇ったのが人喰らいの化け物であり、今や神喰らいになってしまったのだ。

 あれの妹、今や地球の神々の一匹。今も恨まれてしまい、連絡先を教えてくれんのだ」

 

「良く言う。貴女、神の血も渡したんじゃないの?」

 

「余のソウルが蕩ける血を使った所で、蘇るのは余の写し身となるソウルが中身の幻視になるだけよ。ならば、時空を超越する作用があれば、死ぬ前の魂を余の血で蘇生した器へと、神の座を経由して注ぐことも可能だろうとな。

 最初は成功だった。蘇生後も良かったのだが、衝動的人喰いによって蕩けた泥になり、神を喰らって神性を得てしまったのだ。それもあり、奴はウェイトリー女史の研究を捨て切れぬ」

 

 暗帝に悪意はない。善意もない。善悪は彼岸にあり、ただ在り方に沿うのみ。望まれた事を、相手の願いを叶える事を、暇潰しになる面倒事として娯楽にするだけの思惑。とは言え、それは不死の人間に共有するある程度似通った生き方で在るのだが。

 その時、都市全体に警告音が鳴り響く。街の一部が行き成り爆発。

 高層ビルが崩壊。土煙りが上がり、その周辺の建物も崩れ落ちる。

 神に啓蒙されて高次元知性生命体へと進化した月棲獣は、月面地下世界へと密かに作っていた神の星塔を起動させ、地表の都市を破壊しながら出現した。

 それを魔女が見た瞬間、その装置の機能を看破。

 正体は―――脳波塔。魂が宿る脳を覚醒させ、神秘を伝播させることで遺伝子変異を起こし、周辺の生命体を神の生物兵器に転生させる科学兵器。

 

「うわぁ……そう言う、あれ。むしろ、何でハインライン技師は平然とエンジニア兼神話生物ハンターしてられんのよ。引くわ」

 

「いや、この月面都市は神性由来の狂気研究が主。大学の学徒と研究員はほぼ無事だろう」

 

「うん。だから、素で大丈夫なハインライン技師に引くのよ。でも、研究していない民間人の殆んどは眷属化しちゃってるでしょうね」

 

「ならば、貴様の暗黒ジャンヌファイヤーでとっとと浄化すれば良かろう」

 

「その言い方、五臓六腑が怒りで煮え立って瞳が脳に裏返りそう」

 

「まぁ、落ち着け。問題は月棲獣の住処よ。怪しいのは第六月面鉱山、ツキフジヤマだろう。其処へ行けば、あの星塔を破壊するプログラム装置もある筈だ」

 

「ふぅーん……確かあのジェノサイダーがいる場所です。静かな住処が欲しいって言って来たので、あの鉱山を紹介したと思います」

 

「――……大丈夫そうだな。

 後で恨まれるのも面倒である故、援護だけはしておこう」

 

「貴女が行く?」

 

「良い。何事も暇潰しだ」

 

「じゃあ、私も行くわ。この月の人類史を守りましょう」

 

「では古代異星人語、貴様は覚えておるか? プログラム起動に必要になると思うが……」

 

「鋭次元文明の、ティンダロス鋭角言語も学習済みよ。あいつら、言語系統も角張ってんのよね。カレル文字(ルーン)みたいな脳内音声の象形と違って、ちゃんと系統されてるからまだ読み易い」

 

「余は万能の天才故、皇帝特権と蓄えた知識を組み合わせ、異星文明も如何とでもなる。月棲獣の量子電脳技術にどちらでも対応可能なら、別行動にしよう」

 

 惨たらしい変態細胞生命体化した新人類(スペシアン)。生き残りは狂気耐性の素質がある者達と、ミスカトニック大学に在籍する研究者達のみ。ツキフジヤマ鉱山へ移動する為に都市を出た二人は、民間人だった神話生物を平然と殺戮する大学神秘部神性粛清学科戦闘研究員の迅速な活躍を垣間見た。

 その中、異星系技術を学んだ人類文明によって開発されたマナエネルギー光線工具を武器化改造して使う男が一人。亜空間念運動技術と量子時間運動遅延技術を開発したドクター西の新機能をエンジニアスーツに備え、あろうことか崩壊したビルを念動力場で捕まえて投槍のように発射し、人間が複合融合することで生まれた巨大生物を破壊していた。

 

「あれ、私でも使うと脳が割れる激痛に襲われて、筋肉が分裂して、骨に罅が入り、内臓へ重力負荷が掛って吐血するんだけど」

 

「それより問題は月棲獣(ムーンビースト)共よ。夢幻の月面から現実の月面に移民して来た敵対的現地生物は人類が全て殺し、それの生き残りも故郷へと逃げ延びた筈だったのだがな」

 

「目的は復讐よね……」

 

「Funnnn!!! Fuck!! Fuck!!」

 

 そんな二人の前、凄まじい雄叫びを上げるハインライン技師。それは軍人の時にマスタークラスだったCQCを我流工具CQCに鍛え直し、自分の四肢で生物兵器を破壊する超人格闘能力。最近、恋人と喧嘩別れをした後、神災に巻き込まれたゴタゴタの最中に仲直りをしたのに、今度は行方不明になって別れた状態になり、行方を探る為に月面都市に来たらこの騒ぎ。

 技師は諸々のストレス全てを神話生物に叩き付けていた。神の気が触れる程の狂乱っぷりだ。彼を中心に殺戮の渦が発生し、工作機械が製品を生産するライン作業の如く、工具の殺戮技巧によって技師は化け物を血塗れのオブジェクトに高速加工していった。

 

「ニューアーカムの平穏な日常は、彼と大学に任せましょう」

 

「構わん」

 

 遠い目で狂技師(バーサーカー)の暴れっぷりを見る二人。

 

「―――サノバビッチ!! デストロイ、ファッキュゥウウウウウウウ!!」

 

 死の概念を持たない生きる衛星を壊したエンジニアである。目に付く全ての神話生物が一瞬で解体される様は、正気が直葬してしまう。さっさと鉱山街に向かった二人は、そこではそこでの狂乱が待ち受けていた。

 

「なぁ、お前。異界の人間だろ? 異界の神の巫女だろ? 血に混ざる糞の様な神性、匂い立って仕様が無いなぁ……その気配、異界の神に魂を捧げたな?

 ―――置いてけ。首、置いてけ。

 なぁ首を置いてけ。命を置いてけ。魂も此処に置いてけ。なぁ、なぁなぁなぁ!!!?」

 

「ちょ、ちょっと、落ち着いて下さる……?」

 

「駄目だ。神と、その使徒と、その眷属は皆殺しだ」

 

「え……」

 

「俺はお前らを皆殺しにする為だけに生きている。神の血を受け入れた全ての汚物を殺戮する嵐として存在している。

 斬り殺し、撃ち殺し、その肉片全てを焼き尽くす。

 何もかも根絶やし、眼前にお前らのような邪悪が生きる限り、俺は殺す為に生き続ける」

 

「……ひぇ」

 

「特に巫女の類は駄目だ。ヤコミも、どう足掻いても絶望と指差してるぜ?」

 

「座長さんと同じ国の生まれなのに、なんでこんなに頭バーサーカーなの!」

 

「問答無用だ―――!!」

 

「お話聞いて―――!?」

 

 何か金髪の美少女が、猟銃を背負って偶像を左手に持ち、日本刀を振り回す青年に追い駆け回されていた。空から降る青い炎が的確に少女の逃げ道を防ぎ、物の序でに周囲の化け物たちが焼かれ、苦しみ悶えて死に絶える。

 

「あらま、ジェノサイダーに目を付けられちゃったのね。御可哀想に。その魂に憐れみを、エーメン」

 

「助けんのか? 貴様も同じ目にあったと思うが?」

 

「嫌よ。はぁ……あの魔神柱がこっちの時空間の神と繋げた所為で、H・P・ラヴクラフトが神話を妄想したあらゆる別宇宙を此処の世界の神性が観測出来る様になったから、あんな奴らまで迷い込んじゃって、本当」

 

「余達もその口だろう。あの告発者(ウィリアムズ)もそうだが、この宇宙は迷い人が流れ込み易い。彷徨っていると、気が付けば神の玩具とは儘ならんものよ。

 中でも、ユニヴァースからの流れ者が一番理解不能であるが。邪神の箱庭であるこの宙にて、あれは特段の悪ふざけの類。何を介してユニヴァースの宙を見たと言うのか、観測者の悪戯には困ったものだ。次、好機があれば魂を食べてしまおう」

 

 蒼炎で触手が焼き払われ、神殺しの古刀と全なる鍵の神剣が衝突し、今回のパニックと全く関係ない喧嘩が続けられていた。それを暗帝曰く暗黒ジャンヌファイヤーの黒炎で横槍し、高度に知性的な特に意味もない神秘の殺し合いを強引に止めた。

 

人工知能体(アンドロイド)は兎も角、人機融合体(ヒューマノイド)人工生命体(レプリカント)は人間の遺伝子で作られた生物だから駄目っぽいわ。

 キサラギ社産の鉱山労働者が殆んどモンスターになってるって考えると、結構シンドイわ」

 

「製造企業の量産品だからな、工場生産人(プロダクティアン)は。魂を持っていないプログラムの意識を中身とする肉の人形だが、中には魂が生じる者もいる。

 それらは解放奴隷として市民権を得ているが……ふむ、こうなってしまえば人も物もあるまい。相変わらず、この世界は神々に命が嫌われているものよ」

 

「―――酷い……酷い、酷過ぎるわ」

 

「それは工場生産人(プロダクティアン)のことか。それとも、焼かれてアフロヘヤーになった貴様の姿か?」

 

「両方よ、ネロさん!!」

 

「そうか。似合っておるがな。まるで合衆国文化のロックスターだ。邪星の巫女だけに」

 

「スターだけしか合ってないじゃない。なんで、貴女たちは私にそんな意地悪なのかしら?」

 

「何言ってんのよ、ウィリアムズ。結局、あのジェノサイダーから助けて上げたじゃないですか」

 

「火達磨になった後でね!

 それと、ウィリアムズじゃなくてアビゲイルって言って下さいな?」

 

「分かったわ、ウィリアムズ。前向きな気持ちで善処するけど……やっぱ無理ね、遺憾の意。トンチキユニヴァース連中、誰の鍵でこっち来れるようになったと思いますか?」

 

「……貴女、意地の悪い魔女のオバサマみたい」

 

「いや私、そのまんまよ。と言っても、魂の時間経過に意味がないのはアンタも同じ。そっちもそっちで、何万光年の距離を時空間旅行で短縮してるんだし、むしろ本来の経過時間的にババアじゃない?

 こう言うの、変態国家ではロリババアとか言われるって話。アンタのその座長さんって人の年齢考えると、何とも生々しい恋愛模様じゃないの?」

 

「本当、酷すぎるひねくれ魔女さんね!」

 

「魔女狩りの告発者に、魔女って罵られてもねぇ?」

 

「余り苛めるな。彼女を良く見るが良い、ダルク。可愛らしい顔に、可愛らしく慎ましい体をしているであろう?

 余のハレムで是非になく、躾たい。あぁ言う手合いは根が変態気質でなぁ、ねっとりと吟じれば素材以上の魔性に目覚めるのだ。そして、余のことを御主人様と呼ぶのであれば、アビゲイルと呼ぶことも考えてやらんこともなし」

 

「アンタ、普通にサジョーやセッショウインと同類の変態種だったわね………御可哀想、ウィリアムズ。貴女、今日から皇帝様の側室メイドみたい。

 せめて、どんなプレイが希望が言っておいた方が良いですね。エッチな叡智で冒涜されるわよ?」

 

「断固、御断りです!」

 

「そう、残念。私の代わりにクラウディウスの相手をして欲しかったんですけど。ネチッこくて困るのよ、変態は」

 

「……倒錯してるわ。禁忌的ね」

 

「どうも……―――で、貴女は何しに来たのかしら?

 前はエイボンの書を貸して、それで興味が湧いたからと、異星の魔術師が書いた原典の魔導書が揃ってるどっかの惑星の図書館に行ってたと思ったんですけど?」

 

「それらは全部読みました。今はちょっと地球が気になりましたの。

 ……えぇ、来たらこの様子なので驚いたわ。

 貴女達がいながら、何をやって……――いえ、何をやらかしたの?」

 

「自滅よ、自滅。私と、そこの暗帝がしたのは延命処置。異星文明の技術で生存圏を宇宙に拡げた程度のことです。

 私としては、貴女があのジェノサイダーにどんなチョッカイを掛けたのかが気になるけど?」

 

「私はこの外宇宙に新しいお客さんが来たのを、御父様を介して感じたので様子見してただけなのよ。そうしたら、送還能力を逆作用させた召喚で強引に引っ張られたの。

 本当にもう、怖い人よ。彼、何がなんでも絶対に殺す星人さんだわ」

 

「あー……そう言う。ま、貴女らしい愚かな好奇心ね。

 今はとある邪神が彷徨する魂を呼んだり、転生させたりして、あるいは作ったりして、暇潰しに遊んでるみたいで、娯楽性のある物語を作れそうな面白い奴らの因果律が操られてんのよ。この宇宙を碁盤にして楽しむ、ゲームマスター気取りの糞がいる。

 あのジェノサイダーもその一人。私や暗帝も、あの暗黒外道星神に誘い込まれた口よ。あいつは無駄に美貌がヤバいけど軽薄そうな雰囲気纏ってる癖して、思っただけで自分の神性から神の魂だろうと写し身みたいに創造する……神にとっての神みたいな、物凄い不条理と理不尽がこんがらがって出来るような、まぁそんな神ね」

 

「……あの神様にだけは、関わらない方が身のためよ。この宇宙って言う時空間が発生した時には存在してる何かですもの。そもそも人が認識可能な概念に過ぎない規格、つまりは"神”なんて単語の括りにして良いものではないの。

 例外があるとすれば、夢見る赤ん坊の神様の目覚まし時計になれる人くらいでしょう?」

 

「ん、んん……っ―――いや、そう言うこと……?」

 

「どうかしました、魔女さん?」

 

「あの狩人が言ってた事、腐った脳の戯言だと思ってましたけど。此処でそう繋がるのかぁ……と、ちょっと正気が消える狂気を啓蒙されまして。

 あ”ー……気持ち悪い。吐きそう。蛞蝓吐瀉するかも。

 やっぱりヤーナムと何一つ変わらない。空の上の宙に昇っても所詮は誰かの中の悪夢ってこと」

 

 唐突に両腕をL字に広げ、瞳を上に向け、頭部が細かく微振動し、完全に精神が御空に逝ってる様子になる魔女の奇行。暗帝はそんな彼女に慣れており、ちょっとした日常の癖として思っておらず、平然と無視して会話を続ける。

 

「吐瀉プレイか……―――ふ。生前の余にとって日常的食事風景だな」

 

「何を偉そうに……って、そういや貴女って偉い人でした」

 

「そうだ、余は偉い。ローマ皇帝にて偉すぎる偉人、ネロ・クラウディウス!!

 ふっははははははははははははは……はぁ―――で、ウィリアムズ。貴様、地球を覆って失楽園として封じておった全なる一の断層結界、少しばかり穴を開けたな?

 人工衛星軌道宙域に展開した自動神性迎撃機(アサルト・セル)にも、何かしらの魔術的干渉が地球の外側からあったそうだ」

 

「…………な、なんのことかしら?」

 

「この月面生存圏は、神國へのレジスタンス活動の拠点。地球には様々なアプローチを行い、此方側の人員も送り込んでいる。

 故、ウィリアムズ。正直に真実を告白するか、余の性欲発散奴隷になるか。さぁ、どちらかは選ばせてやろう」

 

「ごめんなさい!!」

 

「やれやれ、最近地球からの神國脱獄者(エグザイル)が多いのは貴様が原因だろう。宇宙移民人(スペシアン)にとって地球の解放が最大の目的故、貴様の行いは太陽系人類にとっても英雄の救世と判断されよう。しかし、神からの人助けは良いが、神性が寄生されておる者も間者として混ざっておったようだな。

 鍵穴の救世主―――……ふふ。大分、評判の良い正義の味方だ。功罪は兎も角な。

 宇宙に居ても脳波汚染で神性に狂う者もおるが、地球の神災テロ犯は神の意志に従い、神の利益になる行いをする。そして、狂気を宿す者を神の使徒として扇動する。

 そやつらが神話生物と手を今は組んでおってなぁ……ハインライン技師が単独で叩き潰した神性邪教、あれに神秘が啓蒙されたのは貴様が原因の一つかもしれん」

 

「お、お、おおお仰る通り……です……」

 

「ジェノサイダーを見ていたのも、本当は自分の罪滅ぼしの協力者が一人でも欲しいからだろう。

 しかし、善意の祈りによる罪科とは。まこと、人の業は未来に進もうと積むばかりよ。だからウィリアムズよ、余もそれを手伝ってやろう。

 救われたい想いと、救いたい祈り。人の、そう言う所を弄ぶ神を余は嫌うのだ」

 

 人格は信心深い善良な少女だが、性根は人が大好き過ぎて邪悪を為す神の巫女。善かれと思うことがそもそも道徳から外れてしまう存在不適合者である。罪悪感を幾ら抱こうが在り方は不変であり、何万光年と言う長い宇宙の旅に耐える精神強度を持ち、それを時空間旅行で短縮する事で鋭角異界の猟犬に常に狙われているのに日常を平気で過ごす異常性。つまるところ、彼女は暗帝の言葉に対し、人に悪い事をしたと考えてはいるが、裡に生じた罪悪感を唯の一つの感情として処理してしまうのだろう。

 そもそも惑星の滅びで知性体が息絶えるなど珍しくもない。自分が人間生まれの巫女だから、地球人類種を特別視しているが、生物が神性の気紛れで絶滅する事に、巫女は余り頓着を長過ぎる時間の中でしなくなっていた。彼女はそれはそれとして、魂を食べる暗帝は悍ましい怖気がする自分以上の"人間(カイブツ)”ではあるとも分かっていた。なので、同類の人間として真っ当な聞く耳を持ってはいた。例外となるのは、とある青年マスターくらいだろう。

 

「あははは! 愉しいわ、楽しいわ!!

 この外なる宇宙に相応しい光景。星の数だけ神々が暗黒の中で狂気を煌めかせ、憐れな知性生物に神秘を輝かせる邪悪な宙の営み。

 私は誰になるのでしょう……?

 あぁ神様、アァカミサマ!!!

 狂える星には、やはり狂える神が相応しいのだわ!」

 

 そんなこんなで魔女と暗帝が計画通りに事を進めた結果、異空から出現する奇怪な触手が神話生物を束縛する光景が展開されている。そして月面上空は肉塊模様に覆われ、巨大な瞳が泡の様に現れ、弾けては消え、また泡の瞳が浮かび上がる。

 そして、召喚魔術で呼び出された山のように巨大な触手を生やす目玉の神は、その肉塊模様の空から伸びる肉蔦を束ねて出来た片腕に捕まり、鷲掴みにされたまま肉空に開いた暗黒虚孔(ブラックホール)に吸い込まれて消えて行った。

 

「毎度毎度、無駄に超スペクタクルで精神が摩耗するわ……―――神死ね。超死ね。死に腐れ、粗製の神性」

 

 月棲獣と狂信者の人間を鎌で纏めて輪切りにしつつ、魔女は死んだ魚よりも腐った溝底の濁りと化した瞳で今回の惨劇を簡単に罵倒した。

 

月棲獣(ムンビ)らがプロダクティアンと化け物を生贄に捧げ、必死に召喚した神があっさり異次元の彼方へと吐き捨てられるか。

 相変わらず、門の巫女は悪辣よ。邪星好きで人間嫌いの学士殿を思い出すものだ……いや、何故かスペース銀河数学者を名乗る天才不審者が大学に在学してはいるのだがな」

 

「あの巨大人型ホシバナモクラみたいな連中を愛嬌のある略称で呼ぶな。そもそも、あの学士ってヤツは信用出来んわ。

 私の研究論文を"雑ですね実に雑ぅぅう!”と、クソムカつく煽りを発表会で入れて来る」

 

 巨大眼球(シアエガ)が限定召喚された門の神に拿捕され、唐突に訪れた月面都市の危機は去った。冒涜的高笑いをする門の巫女の後ろ姿を魔女と暗帝は見つつ、今回もまた何でもない脅威を乗り越えたと実感し、しかしこの宇宙は星の数だけ神性が蠢いていると再認識。それは新たな邪悪の神性が月に攻め入って来たと勘違いしたエンジニアとジェノサイダーが、ほぼ裸の格好になった彼女へと同時に襲い掛かる三十前の出来事である。

 ――人類宇宙開拓(ユニヴァース)史。あるいは、神國顛覆歴。

 それは神々の楽土となった地球奪還を目指す物語。神災に対する人類は生存圏を太陽系全体に広げ、人間自体が文明技術によって止まる事なく生物種としても人工進化する時代。人類が滅びるまではこの宙から脱する気はない魔女(ジャンヌ)暗帝(ネロ)であったが、気が付けば余りに遠い未来にまで辿り着いてしまった。

 人理が無い故、夢見る儘に剪定されずに進む歴史。運命を支配するのは邪星の神性であり、あるいはその支配を脱する因果律を宿す例外的な魂の持ち主だけだった。

 

 

 

■■■<●>■■■

 

 

 

 月面都市中央国立学術機関、ミスカトニック月面神秘専門大学。創設された学部は神秘学部のみ。しかし、学科は凄まじい数があり、今では百種以上に専門化されている。更に在籍する講師も、所属しているのは一つの学科だが、担当する授業は複数の学科を受け持ち、教授陣の研究内容をより専門的に深めて他と差別化する為だけに、恐らくは好きなだけ学科が増えている状態なのだろう。

 むしろ、教授と言う立場は大学内権力が余りに高く、学徒が新しい講師になり、講師が認められて助教授に昇進し、大学長に助教授が教授の資格を与えられる度、敢えて学科が増殖される傾向にあった。

 

「はい、皆。お客さん。他銀河の惑星を探索していた魔術師、アビゲイル・ウィリアムズ講師を呼びました。とっとと拍手しろ」

 

「テキトー過ぎっぞ、ダルク教授!」

 

「―――黙れ、狩るぞ。

 貴方たちが異星文明の魔術的科学力知りたいってーから、下げたくもない頭をウィリアムズに下げて、こうして授業させてんのよ?」

 

「サンクス!!」

 

「感謝の意が不足してるので、貴重な時間を割いてくれたウィリアムズには帰って貰いますかね?」

 

「ジャンヌ先生、素敵! 最強!! 銀河無敵アイドル!!!」

 

「アイドル言った奴、神話生物創造学科に素材提供します。糞共の偶像になんて二度となるか……兎も角、もう黙れ。良いですね、喋るな!」

 

「「「「……」」」」

 

「宜しい。じゃ、ウィリアムズ。講義、頼まぁーね」

 

 唐突に魔女は煙草を吸い始め、教卓から離れる。大学長アルハザードが狂い泣き喚いて門の巫女から智慧を授かろうとしていたのもあり、さり気なく魔女は巫女担当教員にさせられていた。

 

「うん。それでは、始めます。最初は古典的だけど、十億年前に地球へ来た知性体の文明について――……と、考えていましたけど、やめました。刺激が弱いもの。手っ取り早くしたいので、無名の霧について思念波送るわね。

 真実を啓蒙されたいのなら、狂気にまず委ねること。

 そして委ねた上で自己を見失わずにいて、でもまともでいられるは運次第。あなたたちが正気であることを私は追い祈りしましょう」

 

「キター!!」

 

「神、神、カミィ!!」

 

「真実よ、叡智よ、悪夢よ! 我が脳を啓き給えよ!!」

 

「ウィリアムズ大先生、超サイコー!!」

 

「やはり言葉なんてまどろっこしんだぜ!」

 

「脳と脳が脳波で繋がる。実質、アレでしょ! 昂奮致しましてイタしますぅ!!」

 

「全なる鍵の思索を聞ける何て……あぁぁああ、あぁ、あの糞旦那を生贄にして不死身になった甲斐がありましたぁ!!」

 

 例外無く、ハイテンションで発狂する学徒一同。そして、学生に交じって授業を受ける教授、助教授、講師の多さ。彼ら彼女らも神の気配に凄く良いリアクションを行い、ロックスターを前にした音楽信者がドン引きする程の猟奇的熱量を発していた。更にそして、大学長アルハザードさえもさり気なく講義に混ざっていた。

 ―――二十九時間後。脳波交信による講義は終わる。

 授業を受けていた者の殆んどは発狂死し、死傷者が出てしまったが、後に問題なく蘇生されたので無問題。狂い死にしなかった幾名かは宇宙運営の時空間の仕組みをある程度は理解し、自分の研究に取り入れることだろう。

 

「どうも、ありがとう。貴女の御蔭で今回の騒ぎでテンション可笑しくなった奴等、延々哺乳瓶からミルクを与えられ続ける赤ん坊みたいに大人しくなって良かったわ」

 

「お互い様よ。理解者に知識を啓くの、私は別に嫌いじゃないわ。

 ……それで、ネロさんは?」

 

「電脳新作のVR、シルバーキーって言うネトゲしてます。それのPKKに嵌まってるんだとか。

 面白いって言えば面白いわ。現実と同様の電脳空間で、クリエイターが作った好きなファンタジー世界を冒険するってやつ」

 

「それ昔、電脳空間が現実を侵食して問題になったモノよね?」

 

「そうよ」

 

「星人指定版?」

 

「成人指定版ね、成人。倫理規制ない方。言語翻訳の齟齬で遊ばない。まぁ異星人もやってるのいるし、ヤッてるのもいる。

 あらゆるロールプレイが出来るってので、中でも実際に大量のNPCが現実と同じ様に生活しているから、一種の仮想異世界生活とも言える」

 

「人間の欲望に陵辱される為だけに造られたAIの反逆、忘れたの?」

 

「仮想空間の中の、果てしなく、底の無い、理性と言う皮膚が剥ぎ取られた剥き出しの本能と本性と本質。だから、その為のセクシャル・プロダクティアン。予め現実の生身を持たせたAIっこと。

 生フィギュアって聞いたことある……?

 女も男も、脳の作りが遺伝子構造上少しは違う筈なのに、色んな欲が混ざる猟奇性は同じってのは面白可笑しいです」

 

「あるわ。欲深く、冒涜的ね」

 

「けれど、その性文化形態をこの文明の経済は選んだ。これは、それだけの話です」

 

「分かってるわ。私も人間が身売りって文化を楽しめる知性体ってことは、本当に良く、良く、理解してる。でも、魔女さんは一緒にゲームしなさらないのかしら?」

 

「謎のバフ乗せ料理研究家としてアイテム売買し、リアルマネーに換金可能なゲーム通貨で大儲け中。戦闘中にメシ食うのが戦いの礼儀って話よ。

 ついでに、VR内で漫画も描いてるわよ。スペースアマゾネス・ゴッドコムにある筈」

 

 ニューアーカム、郊外。数日で復興した都市は日常を取り戻し、今はもう騒がしく、だが此処は月面の石しか転がる物がない荒野。見上げる空は暗く、宙には地球と太陽と星々が輝いていた。

 再会など数十年ぶり。互いに魔神の企みで生まれた魔女。邪星の魔力によって外宇宙と縁が生まれてしまった二人であるが、この宇宙へ入り込んでしまった迷い人自体は珍しくない。

 

「あなた、今も月の狩人さんのお弟子さんで良いのよね?」

 

「弟子は星見の狩人、オルガマリーよ。しかし、名前が完全なる聖母(Olga Marie)なんて、皮肉過ぎてあの狩人が好みそうな女だわ。

 ……私は精々、学術者が実験動物みたいに愛でるだけの娘らしい」

 

「捻くれ者ばかりね。好きは好き、嫌いは嫌い。もっと皆さん、素直になれば宜しいのに」

 

「お生憎様。素直になれる程、誰にも気を許していないもの」

 

「そう……でも、ほら。魔女さん、宙を見て下さいな。

 こんなにも地球が―――美しいわ。宇宙の神が何でこの星を好むのかが、分かるわね」

 

 地球が輝く夜の星空。共通する話題の神と魔術について話し、他惑星文明について下が噛むほど喋り、そしてとある人物の話に辿り着く。

 

「もう大分前だけど、あいつは貴女をベタ褒めでした。獣の魔神も企みは兎も角、貴女と言う異空の視座を作ったのは素晴しいと」

 

「月の狩人さんにはお世話になりましたし、今もお世話になることもあるの。

 それに、あなたは良い人ですもの。善い人ではないけれどね」

 

「は、何処が?」

 

「人間への執着。言い替えれば、それは興味。命の尊さと、愛の貴さを理解している。

 あなたは人殺しに罪悪感はない癖に、殺人は悪いからなるべくはしたくない。自分は幾ら罪を背負っても気にしない癖に、誰かに自分の罪を背負いさせたくはない」

 

「言い方よ、そんなの。単純、罪を犯すために私は生まれたのだから、そう在るのが望まれたこと。

 ……同時、私は聖女の為にも作られた人形です。

 ジャンヌ・ダルクの尊厳を守るために存在し、彼女が望まないことでも、その魂の尊厳を穢す汚物全てを憎悪の火で報復する。例え、相手が女子供でも、無実で善良な人々でも、一人のためにあらゆる善に敵対する。世界も滅ぼしますし、故郷も殺します。それも、出来る限り残虐に。

 まぁでも、その復讐も終わってしまった。今の私に残ってるのは、罪を犯すだけの死肉人形と言う機能だけですから」

 

「ねえ、隠し事は良くないわ。あなたの魂に、善くないの。

 だって、皆から――愛されてるじゃない?

 カルデアからの記憶の流入現象、本体であるあなたになら有る筈」

 

 カタチは何も変わらない。巫女は何時も通り、子供の姿に似合った可愛らしい笑みを浮かべているのみ。背後に鍵の環が浮いているわけでも、肌色が死人のように青ざめた訳でも、額に神たる鍵穴の瞳が開いた訳でもない。

 ―――狂気、そのもの。

 時空間が歪み捻れ、魂を打ち砕く正気潰し。

 この時空間、即ち宇宙と呼ばれる世界がアビゲイル・ウィリアムズである。これを狂っていると謂わず、他に何と形容出来ようか。

 

「……っ、ァ――貴女、それが本性?」

 

「悪い子なの。何時まで経っても、何万年経っても、好奇心が亡くならない悪い子供。

 でも、それはあなたも同じでしょ?」

 

「元々、頭良くなれって送り込まれましたから。好奇心って最高の暇潰しですし、好奇が悲劇を作ることもある」

 

「そうだわ。だから、あなたは最悪の悪夢を見ることになるの。世界を救う灰を殺す為、カルデアの尖兵として悪を為す。救われたいと願う人間に復讐する機会を得る。

 そして、あなたは灰を妨害する為の狩人でもある。

 灰がその魂を古都の悪夢へ流し落とし、見届けた理由も同じ。

 古い獣狩り……―――魔女さんは、英雄以外の末路を自分に許せないのだから」

 

「……そう」

 

 血によって夢を見る。魔女は嬉しそうに哂い、あの人間と、それに救われようとする人類に、報復を誓った。自分のような邪悪を作ってまで生き延びようと足掻くなら、未来に価値はなく、一人残らず死ぬべきだ。そう彼女は思い、だが反する想いも抱いてしまっている。

 疑念が芽生えた。望まれた在り方と、作られた機能に、魔女は大人しく従がう気はなくなった。

 月の狩人が望んだのは、それ。運命も因果律に縛られず、善悪に頓着せず、自分の意志を全うする一人の人間。復讐をするのなら、欺瞞のない純粋な怒りと恨みによって、憎悪の死で獲物を狩り殺す。その為の好奇心であり、真実を知りたいと願い、その本当を本心から関心を持つ。

 魔女の狩人は―――愉しかった。

 心の底から、偽りのない憎悪を解き放つ好機が来た。

 何れ来る運命を夢見て、その運命を焼き尽くす。魔女は蓄えた憎悪の黒い火で、自分の魂を炙り続けるのだろう。

 

 

 

■■■<●>■■■

 

 

 

 ――――宇宙を秘めた夢見る瞳を持つ狩り装束の男と、吐き気がする程に美の認識を破壊する美貌のドレス姿の女。

 狩人は木製の古めかしい車椅子に座り、長身の麗しい造形美の人形を背後に佇ませる。テーブルを挟んで対する婦人は喪服のような黒いドレスであり、顔以外の全ての肌を隠しておきながら、黄金比としか形容出来ない肉体だと分かり、吐き出す息さえ脳が蕩けるように甘かった。 

 それらの気配こそ、獣性と知性。白痴の人間性と、深淵なる星の神性。眼前の赤子の使徒の血を浴びて殺したい狩猟衝動と、眼前の悪夢の月の赤子を弄んで絶望させたい悪性狂気。

 

「貴公。神たる魔王の赤子の、そのまた子供と言うのも、私が言うのも心外だろうが御苦労だな。あぁ、そもそも貴公に心など無い故、嘲りも慰めも同等の感傷だったか」

 

 対話に熱中し、長話となる二人。紅茶を飲み合い、茶菓子を口に含み、甘い香りが部屋を満たす。

 

「いやー君ね、君。あれは駄目だ。平行世界を一つ消す位は良いよ、別に。私も面白半分で世界とか滅ぼすし、可能性の一つでしかないから消しもする。無論、我ら外なる神の、更なる創造主たる赤子は、夢なりし宙を一つだけ、暗黒の中心で夢見る訳じゃないからさ。枝分かれした悪夢の中の現実は多層構造でありつつ、他世界化による細分化がなされ、多次元構築された観測の識別だけれども、土台が引っ繰り返れば意味はない。

 けれど、けれどねぇ……君、我らの母たる赤子に目覚めを与えた。

 全ての可能性が目を覚まし、魔王と言う現実に帰結するのが必然となってしまう。

 結果、一巡前の宙に生まれたあらゆる神性が滅ぼされ、その余波は小さな歪みを他宇宙に与えた。好奇心を満たす為にする所業じゃないよ、あれ?」

 

「だが、生きているだろう?

 覗いたのは此方側だが、招いたのは其方側。私が貴公らの法則に身を置けば、この宙の秘密を暴くのは仕方が無い末路さ」

 

「そりゃ生きてる。だがその所為で、また何百億年も――――いや、良い。君に時間感覚を問うても無駄だ。何より、作り直すのに君達の宇宙を参考にさせて貰ったからな。

 しかし、世界を滅ぼすような猛毒の癌を作り出す知性とは。いや、所詮は根源の影。宇宙造形も始まりの模倣。我らの本質が赤子の妄想なら、君らは虚無から落ちた無形。その君からすれば、規模など気にせず、夢は夢か」

 

「しかし、それによって人類と言う魂を産んだ宇宙と法則へと、この外なる宇宙が復讐する正当性を貴公らは得た。

 ……何、好きに我らの星と宇宙を愉しみ給えよ。

 如何とでもしてくれて構わん。我らの星で在れば、何度でもやり直しが効く故に」

 

「―――ほざくねぇ……」

 

「気持ちの問題さ。此方の獣が失礼をした御詫びである。悪逆にも厭いた貴公も、世界を守る正義の味方と言うのも一興であろうよ」

 

「その瞳で私を見詰めるな。目が、醒めてしまう……」

 

「互いに無様だな、邪神。まさか外なる宙に住まう者共の抑止として、上位者の私の超次元的思索が利用されるとは。

 それはそれは、私にとって猟奇的に酷い話だ。人の営みの何もかもを全体に還元するなど、もはや人生への愚弄。根源から零れ落ちた人類種と言うのは、冒涜さえも意の儘。赤子の宙にすれば貴公らの営みに何の価値もない様、私の思索も私以外には無価値であるべきと言うのに」

 

「しかし、より冒涜的な仕組みでなければ、我らによって冒涜されるのみ。

 そして、私が求めるのは永遠の安らぎ。永劫の回帰。あの御方の為、あの御方が白痴の無形で在り続ける為、夢であやすのが我が責務。

 御客様、この度の無礼を御許し下され」

 

「それもまた、御互い様だとも。私は干渉せぬよ。なにより、途を繋げたのは此方側の狂気であり、その途の孔を拡げたのも此方の獣性。

 好奇心に、知性は逆らえぬ。

 瞳に覗かれれば、覗き返すのが道理。

 我らのような者、気になれば永遠に無視など不可抗力故、早いか遅いかのどちらかだ」

 

「ひゃっひゃっひはハハハハハハハハはは!!

 確かに、確かに、橋を渡したのはソチラが最初てあった!!!

 あぁ、あぁ、宇宙に何の違いがあろうことか!!

 こうした言語を超越した思考対話も、だが概念による思念交流で知性は知性による限度が生まれるならば、狂気などやはり狂気にしか為らんということ!」

 

「宇宙は素晴らしい。宇宙とは、宇宙で在る故に無限にして起源。しかし、その宙さえも我らの始まりではなく、その起源が生まれた根源的な起点と言うものがあり、その起点が零れ落ちた最初の最初もまたしかり。

 私は学術者である。私は月の狩人である。そして、私は月となった。

 あぁ、無貌のヒトにこう話すのは恥ずかしい。宙を目覚めから護る祈り星である貴公からすれば、私が求める思索の果ての叡智など、取るに足りぬ真実に過ぎんだろう。

 人は夢を決して――諦めない。

 如何程の上位者へ進化しようとも、夢を見る限り私は人間だ」

 

「素晴しいな。外なる神にとっての、外なる上位者じゃないか。お互いの理の外へ意識を置き、お互いの夢の内に入れず、永遠に知性同士が理解し合えない。ならばどうだろう、我らの空想と妄想の宇宙に来てくれないか?

 君がその気になれば、夢と現が自在となる。君が赤子の親となれ。

 きっと神足る私の神様が、無限に広がる暇潰しを愉しく夢見てくれるだろうねぇ」

 

「それは出来ない。お守は趣味でない。貴公らの空には夢の理しかない。目覚めの無い空に、私は惹かれないのさ。故、他の者が其方の住人になることだろう。

 どうか、彼なりし彼女を見守ってくれ。好奇の虜、夢の旅人だ。

 無論、此方の人理を通して来た神性を私は無暗に滅ぼしたりもしない故」

 

「―――分かった。君と言う悪夢に遵おう。

 私が見続ける夢の為、君の夢を輝ける星の一つとして祝福する」

 

「あぁ、感謝する。貴公も愉しみ給え。そう言うのが、止められない趣味だろう?」

 

「丸っこい全なる鍵な私の同胞も、君らの宇宙に誘われたからねぇ……うん、私もまた誘いがあれば乗りましょう。私も、私の夢を続けたいからさ」

 

「美しい夢だよ、貴公は」

 

「……いやぁ、本心で言うから君は悪い人だ」

 

 夢幻の異空。地上の裏側。その何処かの建物の一室。夢の星に浮かぶ月より来た獣の使者が建造した隠し街。

 

「んっんー……ごほん。しかし、君は勤勉だね。学ぼうとすれば学ぶ前に情報が啓けると言うのに、態々そうやって世界の構造の仕組みを啓蒙されようと脳を働かせる」

 

「勉強が好きなのさ。血を得る前の私は知恵遅れの障害児でな、それこそ人間と言う生き物を認識出来なかった」

 

「ふぅん……まぁ、良いよ。私の同胞も考えるって言う知性が必要ない奴も結構いるし」

 

「白痴の方が、創造主たる赤子の心に近いからな。貴公らの神性は」

 

「その仕組みに気が付けば、異邦人である君だろうと思う儘。流石に、そう言う訳にはいかない筈なんだけど」

 

「此処の世の本質は夢である。思う事こそ神秘の根底。現実と認識するこの今は、赤子の脳の中の、宇宙の銀河を構築する超次元暗黒領域であり、察すれば捻じ曲げ易いのも必然だ。

 人の肉体で例えるなら、宇宙とは脳のシプナスであり、銀河とは弾けた電気信号の流れに過ぎず、知性生命体は電気の刺激を受けた脳細胞の働きである。

 あるいは、創造主は優しい魂の持ち主なのだろう。この悪夢の箱庭の中、貴公らの主は全知性体の人生を執筆する作者として、物語の登場人物に運命を自由する猶予を与えた。逆説的に、そも自らの脳髄の神経反応で生じた生命に興味と言うものがない白痴であり、束縛すると言う機能が無い事の証明でもある」

 

 狩人が布で隠した口元で冒涜的に哂い、念じるだけで超次元思索の結果、テーブルの上に味覚を破壊する神秘的甘味を持つドーナッツが具現する。例え、神だろうと余りの美味さに脳が虜となり、魂が堕落する程の冒涜的な美味しさと言う概念を、夢の中の理想像として狩人は容易く作り上げてしまった。

 

「此処は、だから素晴しい。私の宇宙よりも神秘が根源的だ。宙の赤子への思索を悟れば、誰だろうと権能に至れる。

 故―――進化に、価値はない。

 情けない終わりにしか至れない。夢の中で全能であるのは誰もが当然で在り、誰もが次元を超越する」

 

「うま、うまうま。私でもこの味覚破壊はイメージ出来なさそう……はぁ。君さ、あっちに帰ればその力が使えないんだよ?」

 

 脳側へと瞳が裏返る美味しさのドーナッツを頬張りつつ、黒い婦人を邪な笑みを浮かべる。

 

「私には、私の悪夢があるのさ。あの悪夢は我が庭となり、多層化した領域を重ね、果てのない世界となり、此処と同じく広大な宇宙空間が構築されている。しかして、それでもまだまだ悪夢と生命には進化が足りんのだよ。超次元暗黒と同じく、膨大に広げるべき命題だ。

 それに如何にもならない現実が隣にある方が、私の思索にとって喜ばしい。

 目覚めあっての夢。現実の悲劇あっての悪夢にして、確固たる魂から流れてこそ血の遺志」

 

「うーん、そっかそっか。君、我らが主が与える何もかもが自由なる夢の世界、飽きちゃったんだねぇ」

 

「飽き性の化身である貴公に言われるとはな。そこまで不貞腐れた態度が出ていたかな?」

 

「出てるよ、スッゴい出てる。時空間や多次元構造に縛りプレイがあった方が、緊迫研究プレイに没頭出来る趣味ってことでしょう?」

 

「否定はせんが、答え方に困る質問だ。こっちとあっちでは法則が違い過ぎる。解き明かしたい真実が違うだけさ」

 

「全く。私にとっては、全能なる白痴の夢こそが、自在に変幻する現なんだけど。

 君と私、創造主からすればその違いなど分からないし、等しく塵程度。なので夢の中ならさ、同じ立場にあるんだからねぇ?」

 

 狩人は一切の曲解をせず、その神の愛を聞く。彼はそれによって輸血されて狩人になる前の、真っ当な白痴の異常者だった頃を思い返した。

 それは赤子の精神。経験によって成長しない心。止まった儘の価値観。親に愛されず、誰にも理解されず、家族に迫害され、人々に異物として疎まれ、なのに苦痛を実感出来ない歪な魂。

 

「私と貴公は対等ではない。私は上位者なれど、神にはなれん。無論、叡智にも差がある。だが、夢を愉しむ在り方は然程変わらんよ。

 貴公の神性は……―――心地良い。

 理解出来ないその無形の心を啓蒙され、理解出来ない儘に幻視を見た」

 

 愛など無い狩人は、しかし誰かを愛した者の遺志が彼の血となって流れている。愛される事に価値はないが、愛に価値がある事を理解はしていた。

 

「貴公も、同位体が向こうを愉しんではいるのだろう?」

 

「んー……―――サバフェス、エンジョイした」

 

常夏(ワイハ)の導き、善き悪徳だ。彼女は貴公の娘も同然な貌の一つ、もし邂逅すれば便宜を捗ろう」

 

「それは、宜しくぅー」

 

「いや、こちらこそだとも。宇宙を作り出す程の妄想による神性は、現実に支配された我らの星にとって素晴しき刺激となる。

 今後とも、是非に侵食性の狂気を宜しく頼むよ。

 人類史に座へと保管された魂らも、星々の輝きを愉しんで尊ぶ事だろうさ」

 

「ふ、ふふ……――うふふふ」

 

 蔑みと慈しみが混ざる不可思議で美麗な笑み。それを狩人に見せた後、婦人は右手で微笑みを浮かべる口元を隠し、だが笑みを漏らすのを止められない。

 悍ましい事実。狩人の言葉は全て真実であり、婦人を騙す意は皆無。自分の探求に利用する気はあるが、その悪意を隠さず、ある意味で真心を込めて隠し事があることを隠さない。矛盾した正直者であり、その矛盾が狩人の人間性でもある。

 

「―――狩人様。会話中に申し訳御座いません」

 

 長身の人形が腰を曲げ、心地良い小さな声を狩人の耳元で囁く。

 

「あぁ、時間かね」

 

「はい。引き止めますと、御迷惑になりましょう」

 

 懐から出した懐中時計を人形は確認し、既に時間が過ぎている事実を告げる。生きる瞳脳漿を作り物の頭蓋骨に宿す彼女は客である上位存在の予定を把握しており、相手に迷惑を掛ければ狩人にも損になると考え、それを絶妙なタイミングで行った。

 

「そうか。すまなかったな……無貌の神、這い寄る混沌」

 

「ううん、別に良いんだよ。名を亡くした月の狩人君。君と言う宇宙は私にとっても興味深い存在なんだ。既知に満ちた我らの宙にとって、君と言う人間は正しく未知にして、輝ける血の月さ。

 あぁ……―――眠り、か。

 魂のない私を産んだ母たる赤子に眠りを、与えねば……」

 

 薄れる混沌の姿を見て、彼は時間が来たことを察する。

 

「では、さようなら。また機会があれば導きを啓蒙し給え」

 

「うん。さようなら、目覚めの人」

 

 望んだ存在意義に逆らえない。あるいは、逆らう意味がない。魂がない無貌の神は宇宙が生まれてから続けている責務の全うが第一であり、しかしその使命に何の価値も興味も抱かず、なのに続けている究極の矛盾。そして魂が無い故に、そう在り続ける宇宙と言う悪夢を続ける装置で在り続ける。

 白痴の創造主が、そう望んだのではない。無貌の神にとって、創造主が作った宇宙が消えるのが詰まらないだけだ。

 つまらない。つまらない。実に、つまらない。神は怠惰に似た諦観を覚える。この宇宙が玩具のガラクタだと分かっているが、夢から醒めれば永遠を生きる為の暇潰しの手段が失われる。

 

「――――やはり、本体か。

 貌の一つを派遣する程度で私は構わないのだが、あれで中々心配性なヒトだ。偉大なる赤子への、安らかな眠りの与え方を啓蒙したと言うのにな。

 そうは思わないかね、人形(ドール)。未だ幼い私をあやす作り物の聖母(マリア)

 君で在るならば、他人の夢を見守り続ける被造物として生まれ、永遠の繰り返しの中で生きる正しい意味が分かるのだろう?」

 

 夢から醒める様に消えた混沌を狩人は見送る。そして、まるで揺り籠で赤子をあやす様な慈しみに溢れた仕草で車椅子を押し、慈愛と尊重の色をする瞳で狩人を見下ろす人形に、彼は師に教えを乞う学徒に似た声色で問う。あるいは、母親に言葉に宿る概念を知ろうとする好奇心旺盛な子供とも例えられるだろう。

 

「私では、わかりかねます。人間に創られた私では、その人間を作った神の御心など。望まれた儘に、私は私として作られました。

 しかし、私は創造主を愛するように作られました。あの御人も、愛したいのかもしれません。永遠に在るのでしたら、永遠に愛する為に、自分を作った創造主が作るこの暗く冷たい宙もまた愛そうとしている……私には、彼女の言葉から、そんな感情を覚えました。

 感情のない、魂もない……人形の私が感情だなんて……可笑しな話ですが」

 

「君は……―――何時も変わらず、人の心に優しい女性だ」

 

「そう、なのでしょうか……?」

 

「ああ。被造物と造物者、人と獣、人間と人形、上位者と人類種、神と子、夢見るのは等しく同じ故。

 君は、夢から覚めれば動かぬ物体に過ぎん。

 私も、夢から覚めれば考えぬ痴呆の物置だ。

 差異などその程度。存在が異なる概念では在るのは当然だが、その本質は変わらんのさ」

 

「今の私には、狩人様の思索がまだわかりません。申し訳なく、思います」

 

 用の無くなった部屋を出る一人と一体。人形は思考回路で念じるだけで明晰夢の中身を描くように扉を開き、車椅子を押して街へと出る。

 此処は夢幻郷(ドリームランド)と呼ばれる空想の異界。だが人知れず建てられた隠し街であり、密かに建設され、神話生物共が享楽に耽る神に許された失楽園。無貌の神を信奉する月の民の移住先であり、生存圏拡大の為の拠点の一つ。そして今日も今日とて、何時も踊りの平穏が満ち足りる理想郷の一つ。この知性体にとって、人間に例えるならリゾート地なのだろう。まるで観光地のような賑わいだった。

 月棲獣(ムーンビースト)が誘拐された人間を―――拷問する光景。

 ヤーナムのような、生きた人が装飾品として吊るされる悪趣味さ。しかし、現地民にとって良質な嗜好と呼べる素晴しい血の文化。

 

「狩人様……―――」

 

 人形はヤーナムを知る。見た事はないが、歴代の月の香りの狩人達から話を聞き、今代にして最後である月の狩人からも聞いている。

 これが、夢の中の―――狂気。血の宴。

 魔術によって生命力を維持され、命が“活”きた儘に拷問活用する遊び。骨を砕く。血を抜く。熱した鉄棒を当てる。槍で身体に穴を開ける。元から空いている穴へ槍を刺す。鋸で骨肉を断つ。火炙りで長時間放置する。頭蓋骨に穴を開けて脳味噌に針を刺す。人の脳味噌を違う人に喰わせる。自分の肉をその人に食べさせる―――等々、人形が今見ている風景の一部に過ぎない。個体個体が、その個体特有の猟奇的趣味嗜好に従い、冒涜的娯楽に耽る日常風景であった。

 

「―――分かっているさ。

 道徳には道徳で、悪徳には悪徳を」

 

「いえ、私からは何も。冒涜に対し、覚える感情はありません。ですが、良い夢ではない事は、知識として私でも分かります。

 ……何故か、この光景に忌避感を覚えるのです。

 潮の匂いと月が照らす海。遠い昔、夢から出たことなど無い筈ですのに、似たような悪夢を知っている様な気が」

 

「心だよ、君。それ、存分に愉しみ給え。

 気楽に考えることが大切だ。遺志となった後の人生と言う君の物語、好きな機会に開始するのが良い」

 

「――――はい。ありがとうございます、私の狩人様」

 

 狂おしい何か(歓喜)が人形の中身がない筈の脳を満たす。上位者と同色の白い血から使者が湧き出すような、狩人みたいに頭蓋から喀血する発狂を覚え、作り物の眼球から白い涙が流れる。それは涙ではなく、湧き立つような喜びなのだろう。

 ポタリ、と背後の人形から零れ落ちる血滴が狩人に当たった。

 ガチン、と狩人が座り込む車椅子が仕掛けによって変形する。

 回転式重機関銃(ガトリング・ガン)の台座が展開。狩人は車椅子を銃座として躊躇い無く、人肉血祭を愉しむ月棲獣達を肉片へと破壊し始めた。

 その機関銃座式(ガトリング)車椅子を人形は先程と全く同じ仕草で押し、月棲獣達を皆殺しにする狩人の為に街を練り歩く。

 

「あぁ、これが彼らの血の遺志か。大切に、この空想は使わせて貰おう」

 

「嬉しいのですか、狩人様?」

 

「そうだよ。狩りあっての狩人だからさ」

 

「では、私も嬉しいのかもしれません。欲求のない私に自由な夢をくれて……あぁ、あの夢の外側に連れて下さり、感謝します」

 

「君には大変世話になった。そして、世話になり続けている。君は私がいなくても君で在れるが、私は君がいなくては夢を見続けれぬ赤子。

 例え、君が最も愛する者が蛞蝓に過ぎん私ではなく、また愛亡き私以上に君を愛する者がいるのだとしてもね」

 

「私には、わかりかねます……狩人様。ごめんなさい、狩人様」

 

「良いのだ。私は幸せを感じられない欠陥人だが、君が幸せを感じれば……血の遺志で繋がる私も、幸福と言う叡智を啓蒙される」

 

 血吹雪が舞う月棲獣の歓楽街。建て物を貫通する水銀徹甲弾は獣ごと街自体を蜂の巣にし、何もかもを穴だらけに変えてしまう。

 殺戮の渦。弾丸の嵐。水銀の死。

 それは家族や恋人が昼下がりの公園を散歩する、歩くような速さで。

 

「私は、狩人様以外の幸せを知って良いのですか……?」

 

「そうだ。素晴しいのだよ、幸福と言う人間性は。命ある限り、誰もが苦しみの悪夢から解放された夜明けの夢を見る。

 己が意志が、酔い潰れる程にね――――」

 

 

 

―――――<●>―――――

 

 

 

 狩人の夢。月の照らす墓場。水盆の近くに置かれた丸机には、車椅子に座る男と、蒼褪めた白い肌の少女が対面する。そして、男の直ぐ後ろには何故か生きたように動く長身の人形が一体。

 

「―――良い夢は、見られたかね?」

 

「夢は夢よ。此処と同じ。良くても悪くても、現実じゃありません」

 

「では、君にとって善き夢だったかね?」

 

「善い世界だったわ。ヤーナムみたいに、狭く、短く、醜く、穢く、完結した螺旋状の悪夢じゃないもの。そんな悪夢の中で夢を見るって言う矛盾を許すなら、そこまで気にする事もないです」

 

素晴しい哉(ファンタスティック)

 

「どうも、月の狩人」

 

「ならば……君、まだヤーナムに引き籠るのかね?」

 

「質問で返すけど……貴方こそ、まだヤーナムに?」

 

「あぁ、足りぬ故。此処は揺り籠だ。夢を見る場所として相応しい」

 

「だったら同じです。何か、まだ……何か些細な真実を、私はこのヤーナムで見逃している気がする」

 

「やはり素晴しい娘である。しかし我が弟子はそれを得、あのカルデアを死した父親から継いだ」

 

「それ、言うんじゃないわよ。思索を知れって言ったのは貴方なのですからね」

 

「勿論だとも。とは言え、狂い火の星は同次元に至った。ならば、嵐が来る。それは血の嵐であり、魂が呑み込まれる素晴しい悪夢の渦であるだろう。

 君、葦名へ行かねばなるまい。

 その前、真実を探り――得ろ。

 上位者狩りを繰り返し、繰り返し、狩りに気を狂わせ給え。思索を考える才がない君はオルガマリーと違い、その思索を他者から奪い取らねばならない。だが才能など、遺志として融かせば良いだけのこと。生まれ持った素質など、我らに価値は欠片もなく、進化こそ全て。

 だが、答えだけは己が意志の裡に在る。

 瞳により、宇宙となった頭蓋骨の内側を思索し給えよ」

 

「ま、ままま、回りクド!

 そんなことの為、アンタは私を外宇宙に送った訳!?」

 

「あぁ、そうだ。私にとって理解者足り得るオルガマリーが一番の愛弟子ではあるが、手間の掛かる君はどうしようもなく可愛く考える。

 眼前の事実を歪ませる幻視だよ、これは。

 誇りに思えよ。君、実に理想的な馬鹿娘であろう。君を造った者の創造性は月の狩人からしても天才と言わざるを得ない。

 ミコラーシュにその豊かな空想力があれば、内なる瞳が欲しいと言って、内側の脳に瞳が多く生えた腐った上位者もどきを、赤子の報酬に乳母の上位者からメンシス学派へ授かることもなかっただろうに。

 あるいは、それこそ本当に死者の蘇生を人形の再現として可能にしたかもしれん。まぁ、命を喪っただけならまだしも、魂が消失してしまった死人を蘇らすなど夢でしか不可能だろうがな」

 

「そんな酷過ぎる……狩人なんて、汚物めいた蛆虫ばかりです。

 いや本当、私が言えたことじゃないんだけど。とは言え、私が下衆なのと、貴方が畜生なのは無関係なので罵倒させて頂きます」

 

「構わん。真実とは、そう言う類の事柄が多い」

 

 丸机の上にある立体展開型遊戯盤――暇な上位者の思索によって創作された悪夢で流行りの超次元角多層面チェスボードを前にし、魔女と狩人は思念干渉で手に触れず駒を操り、互いが計算する未来の可能性を奪い合う思考遊戯を楽しんでいた。

 並の人間なら、あるいは並の錬金術師であろうと、数分で脳細胞が焼けて廃人になる計算量。

 会話をしながら遊戯盤で遊ぶ二人は、数千年分の尽きぬ話題が無くならない限り、果てしなく遊びながら語り合う気合いで楽しんでいた。

 

「おぉ、中々詰まん展開。これ程の長い長い時間、君は人形と違い、良く逃げる。とは言え、後少しかな」

 

「おい。人形をこんな狂気の遊びに巻き込むな。女心を理解して下さい」

 

「永遠の謎だな。しかし、手に入らない故、素晴らしい真実もこの世にはある。それもまた女心と言うのでは?」

 

「口では勝てませんね、死ね」

 

「傷付いたな。死ねぬ者に死ねとは、良き皮肉だとも」

 

「はいはい……―――で、さっきの狂い火の星って何よ?」

 

「長くなるが説明しよう。始めにまず流れ星の獣、エルデンビースト。即ち、我ら狩人にとっては上位者の獣か。

 神とは器であり、その中身は概念そのもの故、触れ得ぬ幻視となり、その神性とは星に由来する獣性であった。

 ならばエルデンリングとは、獣の血肉が転じた獣性の律たる概念の具現。星の神もまた魂を貪る獣とは、輪廻の環に擬態して生命循環に寄生する悪夢であり、まるで血の遺志を好む我ら狩人が幼年期を経た後の進化した精神的生命種とも言える」

 

「はい……?」

 

「君にとっては未来の話だ。今は理解せず、知れば良い。

 よって、私が瞳で啓蒙されたルーンがリングの破片であれば、元は獣の血肉。エルデンリングに転じたあの獣は、その星の生命と魂を自分の内側で輪廻させ、更なる概念へと肥え続けるのだろう。

 良く出来た仕組みだよ。実質、人々は死ぬことで環となる獣の腹の中へ堕ち、そこで魂を栄養分としてルーンとなって消化され、エルデンリングの排泄物としてまた産み落とされる。輪廻する命の始まりとは、獣の糞である。

 いやはや、合理的な黄金の汚物さ。本来なら、尊ぶべき真っ白な魂を宿す赤子たろうに。その生命の誕生が獣の排泄行為となれば、人間に尊厳などあるのだろうか?

 それを神たる女王が解せれば、祝福と言う仕組みを人類の為に死に物狂いで編み出し、何とか人々を不死の存在にするのは当然の帰結だろうな。

 まこと、人にとっての神なのさ。

 大いなる意志など、魂を貪るだけの獣の元凶であれば、勝てなくとも人間の意志が反抗するのは当然だ」

 

「エルデンリング、なにそれ?」

 

「……何だ、暗帝からは本当に何も聞いてないのか?」

 

「ン、んん……んー――あ、思い出した。

 自分の魂の血と人間や神の血、提供した私の血も混ぜて顔料にして、新しい引き籠り先の故郷になる絵画を描いてる時、何か参考にした世界の運営法則が有るとかで、喋ってたような?

 へぇー、あれって貴方が興味を持つ程の悪夢なの?」

 

「そうだが。まぁ暇潰しの話だ、聞き給え。

 謂わば、狭間の地とは餌場。輪廻の律たる獣の餌として人間の魂が生命を循環させる世界。死なずの祝福は、餌となって排泄物となり、また餌になる人間にとって魂の尊厳に他ならない。

 女王の死を取り除く新たな黄金律は、そもそも本来の黄金樹たる黄金律そのものから人々を、獣のその神性から守る役割も存在していた。大いなる意志も、その永遠に支配が続くと言う素晴らしさに同意したのだろう。

 運命の死の封印。人にとっても、神にとっても、有益なのは間違いではない。獣が死によって血肉と魂の全てを食すことは出来なくなったが、それでも生命が死ねば人のルーンは輪廻へと還元する故、狭間の地はエルデンリングにとって永遠の楽園にもなった。育てた黄金樹を捨て、また宇宙を旅する流星となり、違う土地へ流浪する必要もないからな」

 

「成る程。利害の一致ね」

 

「私は、あの女王の献身を好ましく思う。死の律からの祝福を持つ者が、自らの神性たる宵眼を封じて黄金の器に堕ちたその理由。

 黄金は、眼が眩む。正に、幻視よ。輪廻に必要故に他の神性も宇宙より降りたと言うのに、欠けさせれば獣が機能不全に陥るのが道理。より良き環だと死無き永遠たる黄金を夢見、その永遠の楽土に騙され、辿る未来は女王が求めた獣の死であろう。

 神の手である五本指は、三本が欠落し、棄てられ、意志を伝えるのは二本指のみ。神を殺そうとする者からすれば、砕きやすそうな脆さである。傀儡の器にされようとも、一度の失敗で神狩りを諦める程度の想いならば、最初から神殺しなど望まんだろうに。

 獣の餌となる人々を守る術。それは死の神性を取り除いた黄金の祝福を作り、人々への黄金律とする手段。しかし、獣は貪欲と相場が決まっている。果たして、人間の全てを食せなければ、その獣性は器となった神の人間性を蝕むことだ。

 即ち、神となる人間の魂は有限だ。

 悲劇が重なれば尚の事、軋みを上げ続けよう。

 だからこその還樹の儀、その本質。死のない黄金律を維持するには、足りぬ栄養を補う為に誰かを獣の餌とし、黄金樹に捧げる贄としなくては、エルデンリングのルーンがやがては枯渇する。壊れようともリング自体の消滅は、それと繋がる人間の魂と世界に影響が大きく、避けなければならない。

 故、人から祝福を奪い、その輪廻から外させる褪せ人とは、良く出来た人間がエルデンリングに対する対抗手段と言えよう。

 大いなる意志など、所詮は知恵を持つ獣の成れ果て。アレでは自分に盲目的に従う様に見せらせ、その現状において有益な成果を出す女王の本心には気が付くことは永遠にあるまい」

 

「まぁ、何の話かは意味不明ですが、どうせ未来で有益なのでしょうし、まだ聞きます」

 

「ふむ、素直な良い狩人だ。では続け、話は破砕戦争の原因と、祝福の結論を言おう。

 完全で在るべき環。黄金律たるエルデンリングを砕くには、やはり打ち砕く歪みがいる。環に死の概念がなくば、それをまた戻す必要がある。つまりは運命の死のルーンが刻まれた神の魂を、エルデンリングの循環に還樹し、律に矛盾を生じさせる必要がある。黄金律に固執するとある黄金の半神は還樹の贄となり、その破砕を可能にする環の異物として殺された。女王にとって、恐らくは違う誰かに使う筈だったのだろうがな。

 そしてエルデンリングとは獣であり、その破片を奪い合うとは、獣肉の貪り合いに他ならん。星砕きが停滞の毒素によって、人から獣に退化し、死肉を食らい漁ることになるも、そもそもデミゴットとは獣肉漁りの末路が結末である。

 ルーンなど、そも欺瞞と言うことだ。

 獣を砕き、破片に変え、その肉を食べる神の子ら。眷獣をエルデに送った意志がその有り様を見れば、今のシステムが完全に崩壊したと判断するのが必然だろう」

 

「人は皆、獣でしたよ?」

 

「裏切られ、犯され、殺された遺志を自己とする君にとっては、人間など汚物に等しい獣としか見えんからな。

 兎も角だね……カルデアに、そんな地獄全てを自らのルーンとして貪り着くし、エルデンリングとなった狂い星の褪せ人が訪れた。

 君が、文明より生じた獣性を狩る魔術師……そうだな、我ら狩人から見ても、欺瞞無き獣狩りを為した本当の英雄たるあの狩人……命に希望を見出した藤丸立香を、憎悪の赤子である君が助けて上げ給え」

 

「へぇ、来るのですか?」

 

「君の遺志が抱く思い出。カルデアは死後の楽土。今の君は夢の中で生きる死人ではあるが、君の意志たるサーヴァント分霊個体と繋がる故、半分は外の現実で生きている。

 狂わされてたくはなかろう?

 褪せ人など狂気が人の型を成した混沌の律。個人で完結した輪廻の星環。地球の人類種を汚物と判断すれば星の獣性に従い、人理を己がルーンに作り変えて貪り尽くそう。当然、根源へ魂が還ることはなくなり、全ての魂がエルデンリングを運営する栄養として永遠に消化と排泄を繰り返すことになる。その可能性を悪い夢だったと消去する剪定事象と言う律さえも、素晴しき夢のエルデンリングに取り込まれ、褪せ人の道具に成り果てる。

 私自身は別にそれで困らんが、世界を第一の獣性から折角救い、他の獣性も目覚めてカルデアにどうせ狩られると言うのに、その終わり方は悲劇にも程がある。

 私も是非、救世の贄でありながら、贄たる己が運命にさえ逆らい、それを弾丸にして神を狩る藤丸立香様には御延命して頂きたいのです

 彼は、素晴しい人間です。

 彼は、理想的な獣性狩りの狩人です。

 彼は、世界を獣から救う夢を抱ける英雄です。

 他の何者が、彼を英雄ではない普通の人と思うとも、私にとって事実こそ真実だ。この瞳で観測した事象こそ真理だ。

 何より彼の立場を思えば、カルデアスと戦わなければならない未来は酷い未来だ。君に私が伝えられない程、あるいは無意識的に君やオルガマリーが真実から目を背ける程、酷な運命が定められている。

 私も、生きたいと思えば良かったのだろうか……?

 思索せずにはいられぬのだよ。あぁ、やはり人は意志によって運命を選べるのだろうか、と」

 

「……貴方も、行けば良いじゃない?」

 

「もう行った。そして、役目は終えてある。

 だから見届けたいのさ、一人の人間だった上位者として。いや、人間の上位者としてな」

 

「貴方みたいなイカれた学術者が夢見る場所じゃないわ。カルデアは良い所ではあるけど、上位者が思索に耽る揺り籠ではないですから」

 

「只々、世界の為に戦う。唯単に、未来を求めて足掻く。神秘への思索なく、血の酔いも覚えず、意志の導きの儘、善いことをしたくなることもある……さておき、それは悪手だね。

 ――うむ、チェックメイト。私の勝ちだね。

 君から得る勝利、とても有意義な達成感である」

 

「はいはい。また今度、付き合って上げます」

 

「有難う。良き子を教え子に出来、私はとても幸運だ」

 

「あっそ。はぁ……あぁーあ、疲れた。狩人の夢の中は時間が曖昧で、どのくらい遊んでいたのか分かりません」

 

「二週間は過ぎていないぞ」

 

「嘘、そんなに」

 

「そうだよ。後三時間粘れば、三週間目に突入していたが」

 

「上位者の脳の思考回路、まだまだ扱い切れませんね。月の狩人である名も無き貴方からの輸血液だったと言うにね」

 

「―――ケレブルム」

 

 その時、魔女は悍ましいと言う概念にも収まらない程の、醜悪で、冒涜で、猟奇で、なのに星団の夜空を見上げた時に感じた神秘を超越する感動を得た。

 その銘は、脳の意。宇宙が頭蓋骨の内で無限に広がる人間にこそ、相応しい。脳を進化させた狩人にとって、自分の本性である概念そのもと言えた。

 

「月の狩人、ケレブルム。

 新しい出逢いを得たヤーナムにて、私は名を与えられた」

 

「ふぅん……上位者風のネーミングセンスね。メルゴーやエーブリエタースと同じラテン語。

 なに、医療教会の治験狂いか、メンシス学派の研究狂いか。あるいは、ビルゲンワースの蕩けた学術者からでも貰ったの?」

 

「我が愛弟子、オルガマリーとの縁によって彼は導かれたのだろう。私は望まれる儘、上位者として崇拝してきた学術者に瞳を啓蒙してな。その報酬として、遺志に銘を頂いたのさ。

 彼の名を私は永遠に忘れまい。

 星を夢見た迷い子―――ヴォーダイム。

 人間性の昇華を目指す世界は我ら古都の学術者にとっても、思索の一つとして答えを瞳へ導くことだろう」

 








 思考の紐。三本目の三本目。臍の緒。生物として完成した知性が、自分の赤ん坊に何を求めるのか、不思議です。


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啓蒙74:ソウルレスコープス<③>

 簡単に言いますと、灰が居ないカルデアの場合の話となります。


 全てに蹴りを付け、名を棄てた女らしき人間。

 持つのは識別としての記号――キリエライト(Kyrielight)

 主の光。何を以ってその意味を与えられたのか、考えたくもないが意味は理解出来てしまう。魔術王を召喚した魔術師が、敢えてその意を冠する人造人間を作ったのか、今までの所業から分かってしまう。彼女は結局、オルガマリー・アニムスフィアを殺し、アッシュ・ワンを殺し、だが完全に死なせる事は出来ずに独善の結果、世界を剪定事象から救えなかった者。あるいは剪定事象を確定させて世界を滅ぼした悪性腫瘍。

 ――意味は無かった。

 ――価値は無かった。

 苦しみの中で足掻き、誰も救えず、自分すら救え無かった。

 皆が殺された元凶を殺す事が、自分の平行世界を剪定事象へ進ませる分岐点を生む事を理解しながら、それを為した時点で彼女に終わりがなくなることを意味していた。

 

「これなら、所長が世界を存続させた方が……まだ良かったかもしれませんね、先輩」

 

 滅びを前にする人々の絶望もなく、人理によって安楽死される可能性の一欠片。しかし、あのオルガマリーを放置する選択肢を彼女は持たなかった。

 最終的に、地球の外側へ追放したのが精々の結末。

 しかし、未来へ進める可能性を世界は失ってしまった。

 月の狩人に対する啓蒙的狂信により、人理修復後に訪れるのはアニムスフィアが全てを支配する人類社会であったが、それを否定し、その為に壊されたカルデアを再建して所長となった。彼女はアニムスフィア財閥と旧カルデアから作り変えられたアスピナ機関を滅亡させ、この可能性は袋小路となって未来は消失した。

 ビースト危機後の人理世界において、既に既存機構社会システムの儘では剪定事象となっていた世界を救うには新たなる闘争の可能性が要る。つまりAC兵器による軍事企業主体の戦争経済社会に移行する必要があり、カルデアの技術力は確かに世界を切り拓く可能性だった。同時にコジマ粒子(エーテル)が蔓延する新世界の人理を存続可能なのは、オルガマリー唯一人と言う事実を見抜けず、キリエライトが世界を滅ぼしたのだった。

 ―――何の為、生き延びたのか?

 彼女は絶望と言う疑念だけが裡に残り、復讐も終わり、世界を戻すことで今より良い未来を取り戻す為の、人類悪として終焉に辿り着いてしまっていた。

 

「お前も不憫だな。虚数空間での死闘から戻れば、既に元の世界は剪定事象によって消滅しているとはね」

 

「褪せ人さん……何ですか?

 まだ、この何も無い世界に残っていたのですか?」

 

「共に戦った仲間じゃあないか。アタシだって気にはするさ?」

 

「そうですか……」

 

「だが、良いではないか。剪定事象で滅んだとは言え、異聞特異点化した完全なる異界はまだ別世界に存在している。

 オルガマリーを狂わせた元凶の狩人が住むこの世界のヤーナムは剪定事象で滅んでおらず、灰色の簒奪者がやって来た故郷の絵画世界も消えていない。

 マシュ・キリエライトよ……―――殺せ。全て、滅ぼしてしまえ。

 お前の友であるオルガマリーは人理無き遥かなる我らの外宇宙へ追放されたとは言え、この平行世界をこうした大元の人間は永遠をまだ生きている運命にある」

 

「しかし、私が選択を間違えなければ……オルガマリー所長とカルデアの皆さんと、この人理を続ける未来もあったかもしれません。先輩だって、死ななくて良かったかもです」

 

「だが、そうはならなかった。人理焼却で変わる筈の運命は変化せず、アニムスフィアの企みもオルガマリーの願いの中へ消えた。オルガマリーは自身の狂気に身を委ねた。

 あの女が耐え切れば……あるいはあの灰が人間性を与え、獣の資格を得ていれば、耐えられていたかもしれないがね」

 

「しかし、もしもの……イフの物語でしょう」

 

「あぁ、そうさね。だから、アタシはもう行くよ。絵画世界もヤーナムも、全ての平行世界と合わさる交差点故、そこからなら違う平行世界へと渡るのは此処よりも酷く容易い神秘になる。そこを次元間通路として利用し、お前が違う運命を選んだ平行世界のカルデアにね。

 お前はどうするのかな、盾騎士のキリエライト?

 あの星見女(ホシミメ)と同じく人理に支配されたこの地球の太陽系圏を見捨てるのも良いし、絵画世界や悪夢に赴いて生活するのも良いし、其処から更にアタシに付いて来て違う平行世界に渡るのも良い。勿論、何も無い此処で永遠にただ存在し続けるだけの人生でも良いかもしれんさ」

 

「ボーダーを、まず直したいです」

 

「ならば、カルデアの技術が必須となるね」

 

「いえ。それは大丈夫です。オルガマリー所長に、何もかもを伝授されました。カルデアはもう私と言う脳が見る夢に等しく、そもそも私はあの星見の弟子でもあります」

 

「そうかい。いや、じゃあ良いのさ。となれば、設備が整えられる程度の文明が進んだ世界が良いんだろうね」

 

「はい。ですので、私のことは気にしないで下さい。

 あらゆる全ての星見を啓蒙されています。レイシフトも限定的になら出来ますので、もう何処へ行くのも自由な身となりました」

 

「あぁ、それは良かった。アタシの導き、お前はもう要らないんだな」

 

「―――はい。要りません。私の瞳に星の導きはもう二度と不必要です。カルデアに輝ける星なんて、最初から無ければ良かった。

 だから旅路の先、これからは自分の意思で決まると……そう、私の中に融けた先輩の遺志に誓いましたから」

 

「お前の誓い、永遠に貫ける事を願っている。どうか絶望に沈み、己が魂を見失い、亡者になる事のない永遠であることを祈っているよ」

 

「ありがとうございます。御達者で、狂い火の星」

 

「あぁ、さらばだ。盾の狩人よ」

 

 直後―――星は消えた。一瞬で高次元領域に自身を移動させ、肉体が魂へと帰還し、物理法則から完全脱却した。

 褪せ人は頭部を邪悪な黄色の恒星に変え、重力から解放されていた。当初の目的通り、啓蒙と言う脳干渉を感じる異界化したヤーナムへと狂気の流星となって侵入し、まずは上位者が支配する悪夢の夜空へと強引に旅立った。そこの地獄を味わった後、次は灰を生み出した絵画世界にも旅立つと盾騎士には告げており、実際にそうなることだろうと彼女は未来を今この瞬間、啓蒙された。

 

「ヤーナム……ヤーナム……食べた所長の脳に詰まっていた過去の記憶。汚物の古都。

 私も知らなければいけません。ここが剪定されてしまった本当の元凶……人間性を狂わせた悪夢の始まりを……知らないと、何に復讐すれば良いのかも、永遠に分からない儘になってしまいます」

 

 独り言をブツブツと呟き、思考回路で神秘を巡らせる。褪せ人の存在は知覚出来るので、ヤーナムの存在する時空間へはボーダーの虚数潜航でも旅行可能であり、単独の空間転移で渡ることも可能。また灰の故郷である絵画世界も同様だった。

 その為の動力源(リソース)は腐る程、既に貯蔵済み。

 盾騎士は装甲車(ボーダー)に乗り込み、席に座った。

 人類をカルデアが演じる闘争の歴史から守るため、世界を滅ぼした女。一人のために、全てを台無しにした人理の盾。結局はオルガマリーとアッシュが正しく、殺戮と戦争こそ正義だった人理を守ることなど彼女には不可能であった。

 

「―――この盾で、狩らないと。全てを狩り尽くさないと。

 だからどうかギャラハッドさん、見ていて下さい。見たくなくとも、貴方は見届けて下さい。貴方が私に託した遺志と盾、その先に至る永遠の意味を」

 

 まだ戦わなければならない。決着を付けなければならない。この世界は終わりを迎えたのならば、生き延びてしまった彼女だけでも、犠牲者を無意味にしない為に未来へ進まなければ価値が消失するだろう。

 ―――呪いだった。

 星見の忌み子となった盾騎士は、カルデアで在り続ける必要がある。

 皆の明日であり、希望であり、矜持であった者として、彼女は英雄のように誇りある意志で戦い続けなければならない。戦いが嫌いな何でも無い少女には戻れず、変わってしまったカタチは元の形を失ってしまった。

 

「だからどうかギャラハッドさん、あぁギャラハッドさん……貴方の固き魂の人間性、私に継がせて下さい。先輩を守れなかった私に、貴方の貴い理想で溺死する優しい夢を見させて下さい」

 

 上位者が見る悪夢―――医療の古都、ヤーナム。あるいは、赤子の揺り籠なる夢都。

 ボーダーを操って乗り込んだ異界にて盾騎士は血によって人を知った。輸血液が血管から全身の体内を回り、人類種から違う人類種に変異する自分自身を実感して意識を融かし、数多の狩人らと同様に夢へ堕ちた。しかし、死ぬには程遠く、夢の中の現実を宛ても無く彷徨い歩くことになってしまっていた。

 それでも良かった。古都の営みに拒否感はない。

 獣狩りの夜が繰り返される輪廻。獣狩りの夜から明ける夢の螺旋。

 それが全く同一の夢として融け合わさり、隣合わせの昼夜の世が同時に進む。

 脳の中に地獄はある。夢見る脳に、瞳は芽生える。だからか、盾騎士は引き籠った。上位者の意志で時空間さえ支配され、彼らの気紛れで太陽と月が動く悪夢にまともな道理はない。宙の下の空に赤い月が浮かび、赤子の泣き声が脳内から聞こえ、彼女は神秘を啓蒙され続けた。獣性に血が蠢き続けた。

 ―――キリエライト。造物者の光。

 きっとその名を持つ者はヤーナムにとって、名前通りの光だったのだ。

 夢見る者こそ、幼年期を経た狩人。次世代の新人類単独種。世界に一人だけの単独知性体だが、瞳持つ彼らは平行世界を観測し、観測された世界の数だけ単独進化した上位者の狩人は、世界を超えた無意識上の悪夢で繋がる種族でもあった。

 人間は自分唯一人だけの、自分だけの夢。そんな世界。夢見る上位者の狩人であれば、当然の異界常識。そんな夢の都に自分以外の人間が来訪したとなれば、自分を狩人にした上位者(青ざめた血)のように、その狩人は盾騎士と血で繋がり合いたくなるのは必然だった。

 

「珍しい。まさか、異界からの狩人が異邦者とは。だが何はともあれ、君はもうヤーナムの住人だ。幼年期を過ぎた私が夢見る私だけの古都への、大事で素敵な稀人だ。ならば先達なる狩人して歓迎しよう、盛大にね。

 では徹頭徹尾―――死に給え。

 気楽に夢へ堕ちるのが、我らの悪夢狩りに慣れる秘訣だよ」

 

 両手両足を鞭のように撓る杖で斬り落とされる。腹から壁に杖で磔にされる。そして首を絞められて、身動きを封じられた。盾騎士は絶体絶命を超え、もう死ぬしかない状態にされ、その犯行をした女狩人に耳元でそんな台詞を甘い吐息と共に言われた。彼女は失血から来る寒気と眠気に抗う気力を失いつつあった。だが尚も盾騎士は死ねず、側頭部に突き付けられた銃口から発射された水銀弾により、脳細胞を焼きばら撒かれて漸く死ねた。

 直後、死んでいた盾騎士は即座に目を覚ます。

 柱のような、塔のような、細長い場所の頂上。

 家と墓。花の香り。月が浮かび、周囲は宙まで伸びた柱の群れ。

 地面に倒れ込み、瞼を開けた彼女は眼前の人間を視界に入れつつも、異界と化したこの空間を把握していた。

 

「やぁ、君。先程、頭蓋を吹き飛ばして殺した以来だね。彼是、三十七秒ぶりの再会だ」

 

 立ち上がった盾騎士の前にいる女。仕込み杖を右手に持ち、尖端を地面に当てて紳士然と立つヤーナムの狩り装束姿。

 ガンホルダーに入れた腰の教会の装連銃(リピーティング・ピストル)血族の短銃(エヴェリン)はアクセサリー代わりとなり、スローイングナイフと毒メスと慈悲の刃を隠し持ち、鞘に入れた千景も腰から下げている。そして背中には何故か爆発金槌を背負い、見るからにして殺意を剥き出しにした完全武装狩人であった。

 

「……此処は、何処ですか?」

 

「私の脳の中だ。今は私が運営しているヤーナムの狩人からは通称、狩人の夢と呼ばれているよ。

 尤も我らの瞳が観測した世界の数だけ夢は立証される。狩人の数だけ、狩人の夢も存在する。その夢同士、交流もされている。同じ夢見る狩人共からすれば、共有し合うヤーナムの集合無意識と化した夢とは違い、此処は青ざめた血から遺志を継いだ己だけの心象風景だろう」

 

「意味が分かりません、が……?」

 

「おぉ、すまぬ。君の頭が特別に良いからと、情報を詰め込み過ぎるのは良くないな。うん、良くない判断だった。瞳もない脳では見ただけで全てを啓蒙されず、瞳が無い故に瞳が啓蒙する訳もない。

 しかし、カルデア……あぁ、星見の企み。我ら夢見る狩人による人理への思索。確かそれは、幾名かの月の狩人が行っている思索である。

 無論、私も月の狩人ではあるのだがね?

 興味はなかったが……しかして、関係無い筈の君が、関係無い私の夢に訪れた。

 ヤーナムは混線している故、君のオルガマリーを狂わせた狩人ではないないのだが、しかし私は同じ狩人でもある。魂と宇宙が生まれた場所、根源還りを渇望する憐れで尊い君ら魔術師らしく言えば、次世代の単独人類種と言えようか」

 

「……では、貴女は元凶ではない―――?」

 

「うむ。君のオルガマリーを狂わした狩人君、そもそも男だったと思うが?

 残念だと思うよ、マシュ君。とても残念な知らせとなるが、君を悪用する私からの報酬として、最初に大事な真実を伝えたい。勿体ぶるのは好みではない。在りもしない幻像を追い求め、虚数の宙から来訪した美しき星見の遺子である君にね。

 ―――夢だよ。

 悪い夢だったんだ。

 君のカルデアにおける並列世界のヤーナムに、月の狩人は存在しない。私らの、私たちが繋がり作る蒼褪めた阿頼耶識に、君の世のヤーナムから月は浮かんでいない」

 

「………………」

 

「君には分からないだろうが、だが良い事ではある。無事に、あるいは啓蒙されず、夜明けを迎えた狩人君だったんだろう。三本目の三本目が見出されなかったのだろう。そんな月の観測者たる狩人がいないヤーナムを、愚かで愉しい好奇心から思索実験に使う月の狩人が中にはいる。

 君が狩るべき狩人は、その者だろうね。

 自分の世界でやる前、脳を愉しませる予備実験を試しただけだよ」

 

「……まさか、ただの上位者の思索。いえ、そんな計画的な話じゃありません。

 貴女の言葉が真実だったら、こんなのだったら、ただの思い付きを私の世界と関係無い狩人が、ただ娯楽の為に試してみただけだったと?」

 

「正に―――真理。残念と言った理由を、頭の良い君が悟れて良かった。

 しかし、我ら狩人が持つ運命、君らの防衛意識たる抑止力の干渉がない故、こう言う事態を違う人理の他世界にまで波及させることもある。

 とは言え、阿頼耶識に居場所のない夢見る我らだ。

 束縛が無い故に祝福もない。全体に還り得ない狩人は、世界に一人だからこそ全ての瞳が瞳を観測し、全体なる思考の宇宙を生み上げる」

 

 ある意味、この狩人は優しい遺志の持ち主だった。人殺しや人体解剖を愉しむ血の狩人ではあるが、それはそれとして優しくすると言う行為を好む矛盾した嗜好を持つ怪人だった。

 悪徳と道徳を等価に喜ぶ精神的化け物。

 効率を喜ぶ癖、暇潰しになる非効率な面倒事を愛する異常者。

 何となく狩人の在り方を察した盾騎士は、それ故に嘘がない事も気が付いた。何故なら、真実の方が相手の意志に強い波紋を立てる激毒となるのだから。

 

「偶然、月のない世界はどうなのだろうかと興味本位で覗いていた。

 必然、あの月の狩人は君のオルガマリーの呼び声を聞く事になる。

 月の狩人無き古都はカルデアに干渉する未来などないと言うのに、君のオルガマリーは狩人を失った青ざめた月ではなく、別月に繋がってしまった。

 恐らくは―――遺志だったのだろう。

 それだけが思考の瞳へ流れ込み、君のオルガマリーはアニムスフィアの人理ではなく、オルガマリーが夢見る人理を啓蒙されてしまった」

 

「―――……そうですか。ありがとうございます」

 

 盾騎士の言葉を聞き、狩人は瞳を剥いて驚き、直ぐに納得して瞼を閉じる。笑みを浮かべながら頷き、笑顔を更に深め、慈愛の心を超えた神の如き上位者の貌となる。

 

「おぉ感謝の言葉か……成る程、成る程。

 君、どうだろうか……望むのであれば、私が修めた学術の業を学ばないかい?」

 

「はい」

 

「宜しい。即断即決、素晴らしい。やはり、頭が良い。実に良い。可愛(かしこ)い脳を持っているよ」

 

 研究室を兼ねた月の狩人の家。研究資料が多くあり、実験道具も溢れている。そして時空間が歪んだ書棚なのか、ヤーナムに存在する全ての聖歌隊、メンシス学派、ビルゲンワースの資料本を念じただけで手に取れた。それだけでなく、古都外の神秘も蒐集されており、魔術基盤と魔術理論は勿論、狩人が瞳の未来視と過去視で観測した根源の渦と、その根源の渦の発生方法や、魔術師が編み出した根源到達方法が収められている。

 だが此処は、仕掛け武器や獣狩りの銃器を整備する為の月が夢見る狩り工房。完成され尽くされた仕掛け武器は、既に血の歴史で磨き上げられた狩猟技術と共に完成されているので創造は難しいが、均一に使用可能な銃火器類は思う儘に開発している様子。侵略兵の人間が戦場と言う自前の狩猟場で行う人間狩りも見ていたので、その悪意ある銃器の進化を夢の中で啓蒙され続けていたんだろう。

 

「人形さん。人形さん。どうか、お願い致します」

 

「狩人様の御弟子、キリエライト様。手を、私へ」

 

 数少ない話相手である人形の前に盾騎士は跪く。血の遺志が使われることで能力が改竄され、盾騎士は能力が上がるのを実感する。集めに集めた膨大な遺志が一瞬で消え、体中に張り巡る運動神経と反射神経と、脳が戦闘時に使う神経回路が更なる進化を遂げたことで身体的技量能力が上がる。見たままの重量武器である銃字盾を考えれば筋力の方が良いかもしれないが、複雑な機構も持つ盾は技量も重要になり、筋肉を進化させるのは次回とした。

 また盾騎士の感覚的に能力が上がるのは、筋力は筋肉の質、技量は神経の質。特にこの二つが盾遣いとして重要だと思い、好んで上げていた。その為と聖杯ダンジョン潜りの地底生活を体感的に数十年、あるいは数百年と続けているが、現実世界では夢から醒めるように一瞬の間の出来事なのだろう。

 そして、彼女はまた聖杯潜りの地底人生活を続けた。気分転換にヤーナムを彷徨うこともあるが、効率を求めるなら聖杯を彷徨う方が強くなるには手っ取り早い。血晶石も集まり易い。しかしその日、彼女の聖杯生活に差異が生じた。

 

「あっひゃっひゃっはっはっはっはっはっは―――!!

 まさかとは思うが貴公、密猟者だな。聖杯が夢見る遺跡に創った私の悪夢園に、どうやって意志を繋げて来たのかは知らんが、見知らぬ輩は狩り取らせて貰うぞ!!」

 

「いえ。狩人さん、貴方以外の月の狩人さんから紹介されました」

 

 それを聞き、地底で邂逅した狩人は分かり易い程、ションボリとした表情を浮かべる。

 

「ふむぅー……残念、言葉が通じる類の人類か。であれば、その紹介者と言うのは誰だね?」

 

「名前は知りませんが貴方には、確かそう……百回貴公を殺した奴と言えば良いと言ってました」

 

「ア"ァ"ー……あの糞女か。

 ならば貴公、奴の眷属か?

 幼年期を超えた新人類種たる上位者の狩人でなければ、我ら月の狩人が見る夢は見られない故、我ら以外ならば確かにその血に連なる狩人でなければならん」

 

「いえ。しかし、輸血はされました」

 

「ほう。輸血され、しかして眷属化の変態作用がないとなれば、夢見る狩人の素質がある。成る程、成る程……だが、遺志を継ぐ後継者と言う訳でもないらしい。

 ―――ム、興味深い。

 いやぁ逆だな。湧いた興味が、貴公を人として見てしまう。

 となれば目的は此処そのものとなるな。我が落とし仔らを狩らないと血に誓えば、好きに見て廻って良いぞ」

 

「ありがとうございます。その……あのですね……目玉とかは?」

 

「良いぞ、取っていけ。商売目的の悪夢間貿易の為と、同類たる月の狩人共との世間話な為、態々この聖杯ダンジョンを改造した訳だからな。飼育だけが目的ならば、繋がり合わない自前の夢の中か、自分だけのヤーナムを拡張して飼っているさ。

 近々に企み合う月の狩人のみでなく、あらゆる月の狩人が共有し合うヤーナムの方にも解き放つ予定だ」

 

「どうも、気を付けます。それと私は、キリエライトと言います」

 

「自己紹介とはな。見た目通り、律儀な女だ」

 

 狩人は無遠慮に、且つ盾騎士を舐め回す様、性的な意味も含めてじっくり全身を見詰めた。根が悪い意味でも変態だが、やはり狩人らしい意味でも変態だ。彼女が身に纏う浪漫武装にも魅了され、異性的にも狩人的にも一瞬で気に入ってしまったらしい。

 

「ならば、私も名乗っておこう。月の狩人、マトリックスだ。

 史学のビルゲンワースに原点回帰したのか、ヨーロッパの古典基礎たるラテン語から脳を意味するケレブルムと名乗る月の狩人が居てな……私もそいつから啓蒙され、新人類種同士に差異を生む為の名乗りを良しとした者となる」

 

「マトリックス、ですか……?

 子宮や母体と言う意味でありますが、その……貴方は男性ですよね?」

 

「うむ。とても残念だが私自体に出産臓器はなく、そして我が夢はそう機能しよう。男と言う生物は聖女に成れず、思索において女と比較すれば実に憐れな劣等人類とは言え、上位者が赤子を産む為に最も必要なものとなる。異種間進化に、我らの姿無きオドンは積極的な上位者であった。その為の聖女作りに教会は熱心であり、私もそれを作るのが趣味でなぁ……ふむ、喜ばしい!

 そうだ。貴公が今、そう察した通り、その成果が此処である。

 赤子は素晴しい生き物だ。それを育てるのも素晴しい善行だ。

 どうだろう、結婚しないかね。主観でしかないが、とても狩人と上位者が好みそうな貌と躰だ」

 

「拒否します。余りにも純粋な子作り目的の誘い、初対面で乗る訳がありません。性的目的がない繁殖目的の性欲とか、正直かなり気色悪い下心……これ、下心でさえありませんね」

 

「そうか。まぁそれはそれとして、あの糞女の弟子なら目玉は構わんよ」

 

「改めて、ありがとうございます。月の狩人、マトリックスさん」

 

「うむ。気を抜くと発狂死する故、注意し給えよ」

 

 部屋別に隔離された狂気。九肢が捥げて頭部と胴体だけになったアミグダラ。摘出された人の脳味噌で形作った粘土細工に服を着せた人形。地面に突き刺さった胴体部分のないフルアレセント・フラワー。首だけになって果実の柘榴のように見える星の娘。天井に胴体を縛られた巨大な頭部が逆さになった瞳の苗床。

 そして吊り下がった子宮脳が奇妙な赤子を出産し、夢の中で悪夢の落とし仔が生まれ続ける一室。盾騎士が目的とする場所であり、地面に転がって穴に溜まり続ける目玉だけの姿をした瞳姿の赤子を拾い、ヌチャリと言う気色悪い触感を手で味わいつつも銃字盾へ収納した。

 

「ではマトリックスさん、入場料金に追加する返礼の血の遺志(ブラッドエコー)ですが―――」

 

「―――要らぬよ。良き啓蒙を貴公の血が混ざる遺志から得られた。

 そうか、そうか……―――そうか。新しい世界を見れた。ヤーナムの外側にも面白き神秘が広がっているとは。そして、あらゆる悲劇の始まりたるソウルの業!

 加え、殺戮文明たる人理。火薬庫の思想は間違いではなかった。

 科学を神と崇める人間種、核弾頭を作り上げる程の派手な進化を遂げるとは!!

 何よりも、根源に近い星の裏側。幻想種なる生命系統樹が巣食う異界を、我が瞳は啓蒙された。愉しみだ、狩り場が増えるのは愉しくて堪らんぞ!!!」

 

「あ、はい」

 

「故、あの糞女―――いや、邪悪なる賢人は貴公を私へ遣わせたのだろう!

 何と言う愚かなる好奇だろうか。この様へ進化した私が、外側の新世界を知れば好奇的探求心が何処へ向かうかなど、分かり切っている。

 だからこそ、狂気を意味も無く拡げる為にそうしたのだろうて!!

 寄生虫の苗床たる目玉の赤ん坊は取り放題にしてやろう。報酬だ、報酬だ、いや私から貴公へ送る謝礼の命だ」

 

 狩人は両手をL字に広げ、冒涜的狂気心の儘に交信の仕草をした。同時に赤ん坊のような笑みを浮かべ、夜空の美しい星に似た瞳を輝かせた。

 その後も日々は螺旋のように続く。だが盾騎士は褪せ人にヤーナムで邂逅することはなかった。彼女主観の所感になるが恐らくヤーナムは幾層にも可能性が錯綜しており、月の悪夢の主となる狩人の数だけ古都の未来が枝分かれ、それぞれの悪夢によって隔たれている。集合無意識として共有し合う土台の古都ヤーナムを作ったらしいが、基本はそれぞれ個人の悪夢で活動し、そもそも盾騎士では理解し切れる悪夢の異界でもない。そんな何処かに褪せ人がいるとなると探し様もない。悪夢を夢見る月の狩人同士は並列世界越しに感知出来るのだろうが、異邦者が違う異邦者が夢の何処にいるのかなど分かる訳がない。

 繰り返す日々により盾騎士は強くなった。しかし、尚も月の狩人らは更に強い。

 誰にも勝てる道理がない。ただの狩人とは全てが次元違い。生物として進化した身体機能と脳機能、且つ異次元にしか見えない業の巧みさ。

 それを打ち倒せる力を彼女は欲した。足掻き続けた。狩人が血の遺志を溜め込む様、獣と眷属、住人やトゥメル人、狩人や上位者を殺し続ける内、盾騎士の義手は血肉染みる怨念の溜まり場となっていった。

 殉教者、ローゲリウス。何故か、左腕の義手に取り憑く遺志の力。

 彼の心臓を鉤爪化した義手で抜き取った時、冒涜された生命の怨嗟が坩堝となって現れ出した。生身の右手もいそのこと義手化しようかとも考えたが、銃字盾に改造されたとは言え円卓の十字盾。呪われた怨嗟の義手で使うには、心身全てを冒涜的に呪われた盾騎士からしても心苦しい想いがあった。何より生身の腕があった方が魔術などの神秘が扱い安く、カルデアで学んだ霊媒治療も無駄にはならない。

 

「殺しに殺し、良い狩人となったな。義手も目を覆いたくなる程、悪夢に相応しい死の冒頭になっている。狩りの成果だろう。

 となれば君、もう良いんじゃないか?

 悪魔殺しの悪魔や火の簒奪者などの存在が、我らの悪夢で確認はされたからな。ソウルの業が月の狩人ら全体に啓蒙され、神秘の流入現象が起きた」

 

「そうですか……」

 

「闇の世、灰が生まれし絵画世界は良い場所だった。実に啓蒙的だった」

 

「……行ったのですか」

 

「うむ。彷徨える啓蒙家、月の狩人ケレブルムを殺すと遺志より情報を得られたからな。尤も奴を一度でも狩り殺すまで、私は軽く百以上は返り討ちにされてしまった。そして、その遺志を得た私が他の月の狩人に狩り殺されると、まるで疫病が広がるように全体へ新たな神秘の概念が伝播する。

 今では有名になってしまった。ヤーナム外の魔術世界とその神秘もね。

 根源狂いな魔術師と異なり、狩り合いが好きな我ら狩人は神秘の独占が不可能となる。いやはや、全く以って面白い生態系に我らは深化したものだ」

 

「それ、灰たちも似たような事になってそうですね」

 

「成っていると思うな。火が簒奪された後の、ロンドールが唯一人国となる世にて、銃火器が使われていた世界もあった。

 とは言え、繋がり合えるのは我らが生み出た元凶となる灰の世のみ。

 絵画世界を作り、新たな人界を作った後、その絵画世界から抜け出た後の闇世である。

 それは簒奪者たる王が火継ぎの繰り返しより人の魂を救った後、残滓たる燃え滓も完全に消すべく王は王自身を世界から消し、神の業から解放された王無き人代。

 人が、超越的な一人の指導者の欺瞞から脱した不死の失楽園だった」

 

「あの灰が……そんなことを考える訳が、ない。

 自身が欺瞞を為す前に、あるいは太陽たる自分が利用される前、足掻き踠いて救った自分の世界から自分を潔く消し去るなんて」

 

「するさ。原罪の探求者の遺志を継ぐ故、差異を知ってしまった人間を救いたい灰だけが暗い人代を描き、その絵画世界に生み出せた。

 神による偽りの甘い命、甘い魂、甘い生。だが、その喜びを知る故に闇に生まれた事への苦しみも知る。

 もし今度、火の無い闇からまた最初の火が闇から灯り、静かな深海の闇で差異が生まれるのだとしても、せめて人は人自身の業より苦しむべきだと考えたのだろう。

 そこに、旧世代が集約した太陽と暗い孔は―――無用。

 君が恨む灰の正体がそれだ。神から与えられた偽りの甘い命を持っていた頃の、そんな想いを根底とした暗い呪われ人なのさ」

 

「では……だったら私は、此処から旅立たなければいけません。

 ならどうか、月の狩人さん。出来れば私に、貴女の名前を教えて下さいませんか?」

 

「名か。すまないね、忘れてしまったよ。それに要らない故、自分で自分に名付けていない。

 もし本当に知りたいと願うのであれば、君が私に啓蒙し給え。何であれ、それはきっと私に新しい私を教えてくれることだろう」

 

「ププラ……―――とは、どうですか?

 月の狩人、ププラ。貴女に似合う可愛らしい響きだと思います」

 

「ラテン語の名か。君、学舎の史学に大分毒されたようだね。

 そして、言葉の意味は瞳。良いんじゃないかな、別に。その名で生きれば、やがて愛着が湧き、名乗る度に君の事を思い出し、未来にて必ず気に入ることだ」

 

「ありがとうございます、ププラさん」

 

「そうかね。ではまたの願おう。君の脳は、私に名を与えたのだ。

 あぁ早速凄いな、これは。星が頭蓋骨の内にあるのが分かる。素晴しい新たな探求心が湧いて来る気分だ」

 

「余り、人様へ迷惑は掛けません様に。

 狩人様、狩人様と、貴女を愛し続けて幼年期から育てた人形さんにも悪いですからね」

 

「分かっているさ。人類種の人理は人間の集合無意識が見る星の夢だ。我ら悪夢の宇宙が寄生するべきではないだろう。

 心配は要らんよ、キリエライト。

 天台が星見る様、私も星の輝きを愉しむだけにする」

 

 月光に照らされる霊樹と、最初の狩人と狩人が殺し合った月下の花畑。そこを駐車場代わりに長い年月の間、停車して置いたボーダーに乗り、盾騎士は悪夢の異界から旅だった。

 最後に見たのは片手を振って別れの挨拶をする月の狩人と、深く御辞儀をして自分を見送る人形。そして両手を上げて万歳をする使者の幾名か。

 何処へ辿り着けるのか分からないが、自分の戦場から騎士は逃げられない。

 人理の礎、星見の騎士たるキリエライトは、自分自身の憎悪からも逃げることは許されなかった。

 

 

 

――――<★>――――

 

 

 

 何を守っていたのかと、盾騎士は余りの下らなさに人理を失望した。知識として歴史を知り、事実を正しく理解していたが、彼女は物語の言葉として理解していただけだった。

 汎人類史―――確かに、これ程の犠牲を必要とするなら、繁栄しなければ許されない。

 剪定事象によって屍の山を築き上げ、そこまでして築き上げる繁栄の歴史も人血に塗れ果てる。人間が人間を殺し、人類種同士で殺し合わねば人間は歴史に価値を宿得ない。

 何て、人間は罪深いのか。

 何で、人間は罪深いのか。

 疑念が疑問を生み、盾騎士は彷徨うことだけを許されていた。

 悪夢の中を歩き続けて、その夢から醒めたと言うのに、盾騎士は自分の世界のヤーナムには戻れなかった。あらゆる平行世界で繋がり合うヤーナムから抜け出た後、盾騎士は見知らぬ人理の世界に放り出され、既にもう百年が過ぎ去っていた。

 

「……芥さん、確かに人間嫌いがなりますよね」

 

 世界各国が殺し合う殺戮の時代。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦も終わり、軍事競争が加速する冷戦も終わりを向けた。

 盾騎士にとって余りに長い百年だった。じっと我慢して引き籠っているべきだと理解していたのに、黙って時代が流れるのを見逃せなかった。

 ―――人が、人を殺す光景。何時まで経っても変わらない進化方法。

 これこそ未来へと至る人の輝ける星。人理運営にとって有益な人類種の殺戮劇場。

 盾騎士は、この営みが汎人類史だと肯定しないといけない。その死を受け入れなければならない。魔神王が否定したかった世界の仕組を、あの楽園に至る道を阻んだ者として、否定することだけは許されない。

 その場、その場で、人命を救うのは人間としての当然の権利だが、人間がこんな生き物であるからと、生きているのが気持ち悪いからと、その歴史を否定する権利だけ盾騎士は持ち得ない。

 

「…………」

 

 子供が、死ぬ。いや、子供が社会の為に消費されて死ぬ。大人も死に、男も死に、女も死に、老人も死ぬ。

 

「…………」

 

 抵抗が出来ないように縛られた後、身動きの出来ない男が後頭部から銃弾で撃たれて死ぬ。

 

「…………」

 

 無実の少女が公衆の面前で、宗教裁判による公開処刑を受けて死ぬ。

 

「…………」

 

 空爆によって目の前で自分の子供がバラバラに弾けたを見た後、全てに絶望した親が死ぬ。

 

「…………」

 

 侵略兵が市街に雪崩れ込み、路上で集団レイプされた後に女性が股間に入れられた銃身から銃弾が放たれ、それでも死に切れずに悶え苦しんで死ぬ。

 

「…………」

 

 生きたまま火を着けられて呼吸困難に陥って死ぬ。

 

「…………」

 

 串刺しにされて死に、皮膚を少しづつ削がれて死に、電気を流されて死ぬ。

 

「…………」

 

 特異点で見た死。異聞帯で見た死。汎人類史で見る死。

 

「…………」

 

 現代兵器で殺し合う戦場、あるいは独裁政権下の薄汚い軍人(ケモノ)による弾圧。撃たれて人が良く死ぬ。爆薬で良く弾けて死ぬ。

 

「……ッ―――」

 

 余りにも、憐れな死。憐憫を抱かずにはいられない死。人間が作り上げる地獄に救いはなく、在るのは人間社会そのものが邪悪だと認めざるを得ない人々の死。否定する隙間はなく。何故なら誰もが人を死ねせ、やがて死ぬ。

 

「――――死、ですか」

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。如何しようも無く、只々唯々只管に死ぬ。何故こんなにも人類そのものを嫌悪する形で、人間は人間を死なせるのか。

 盾騎士がヤーナムで得た思考の瞳は変異し、魔神王と同じ視座を得てしまっていた。

 彼と全く同じ絶望と失望を盾騎士は味わい、人類種全ての生命を憐れんでしまった。

 何よりも盾騎士は実際に人間が人間を殺し、犯し、辱める冒涜的な営みを直視した。

 だからこそ、盾騎士は絶望を否定したがる自分を認めなかった。常に瞳から人類史が啓蒙され続け、それを止めようと戦場や惨劇に飛び出ては、そこでまた人の悍ましき冒涜の営みを直接的に今度は見る破目となる。

 盾騎士にとって、吸血鬼狩りの方がまだ精神に良い。自分自身を人間だと思っていない魔術師を狩った方がまだ心に優しい。人間を、自分と同類と思わない精神的な化け物の方がまだ理解出来た。違う生命種と認識していれば、人間が家畜と言う営みで命を奪うのと原理は一緒だろう。

 最初から理解し合えない事を理解出来るのだから、殺す為の心構えをするのも容易かった。

 人喰いの魔獣を盾や四肢を使って撲殺するように、人の形をした怪物を狩るような気持ち。

 殺さねば、死ぬ。殺せば殺す程、命が何十何百何千と助けられる。元より、世界を守る為に育てられた人造人間。人を守る為に強くなった人造英霊。

 尤も、今や―――盾の狩人でしかないのだが。

 銃盾の仕掛け武器を振い、人を守りながら人を殺す人理の矛盾。神を殺した血液由来の銃盾遣い。打ち殺し、叩き殺し、握り殺し、蹴り殺し、潰し殺し、突き殺し、斬り殺し、撃ち殺すカルデア流万能殺戮技巧。

 

「………」

 

「死ね、バケモンがッ!」

 

 放たれた弾丸。盾騎士は弾道を目視し、銃弾が空気を抉り進むのを加速した体感時間でゆったりと視認しつつ、眉間に当たるまで回避行動を取ることもしなかった。首を少し傾けるだけで容易く弾道から外れられたと言うのに、苦痛を味わうように銃弾を生身で受けた。

 キン、と金属が弾かれる音。凡そ人間に命中した音ではない。その音が聞こえる前に跳弾によって弾き跳ね、彼女を射殺しようとした兵士は頭蓋骨が弾け飛んで死んだ。

 

「うわぁぁああああああ!!」

 

 恐怖に震える兵士が、対戦車火器を向ける。そのロケットランシャーも放たれて盾騎士の生身に直撃するも、その手に持つ盾で防ぐこともせず彼女は無傷。爆炎が晴れる前に兵士へと接近し、障子を幼児が破くような容易さで、武器を使わず素手で人体を破壊する。

 極限まで鍛え上げた魔力防御のスキルは宝具さえも防ぐ鎧。同様、極め上げた彼女の五体は神話世界で英雄と呼ばれる程の領域。

 そもそも診を守るのに聖騎士の盾は不必要。人間を狩り殺すのに武器も要らず、肉体自体が高次元的神秘と化した。もはや彼女を傷付けたくば、それこそ灰や狩人が持つ武器のような、実際に神の魂を殺した過去が宿る死の重みが要る。現代兵器は無力であり、魔術攻撃も無駄となり、生物兵器による毒も効かず、核の熱波さえも盾を使えば防ぐだろう。

 

「……………」

 

 血にも塗れず、埃一つ魔力防御の膜で肌と鎧に付かず、呼吸する度に太源を得る事で魔術回路に溜まる魔力も減少していない。その魔力防御が持つ護りの概念は進化し続け、今や遮断領域に入り込む。衝撃を貫通する特殊打撃や、空間を裂く無空の斬撃は防ぎ切れない事もあるが、大陸で進歩した気功体術による毒手さえ防ぎ、魔術回路に干渉する呪詛と術式も防ぐことだろう。

 その瞬間、殺意が籠もる視線を感知。どうやら魔術による光学迷彩で姿を隠している者を見抜き、何も無い筈の空間へと左義手を銃身形態に仕掛変化させて魔力光弾(ソウル・レイ)を発射。カルデアの技術者であるカラサワ博士製の変形機械義手はエーテルを弾薬化する光学武器であり、狩りに特化した魔術師の杖として機能した。

 無論、魔術師を殺すには十分以上の殺傷力を持つ。

 姿を魔術で隠していた敵の胴体に当たり、対戦車ライフルが直撃した以上の破壊が起き、魔術師は五体を爆散させた上で体細胞を焼き尽くされる。大気中に霧散した魂たる遺志を魔術回路ごと瞳で吸い込み、魔術刻印の術式も脳内へと取り込み、その神秘を学習した。

 カシャンと何度でも聞きたくなるような、中毒性のある効果音を鳴らして銃身は義手に戻る。人殺しの道具であると同時に、この音を聞くと狩人は自分が獣ではなく、獣を狩る人間であると再認識させる式様美があった。とは言え、今は義手を変形光学武器とだけ使用する訳ではなく、盾騎士にとって殺傷専用魔術礼装の機能も持たせている。

 灰や狩人から業を盗んだ様に、褪せ人の遺志からも神秘を学んだ盾騎士は重力魔術を義手を使用する。本来ならば地面から岩を掘り起こして浮遊投擲するのだが、彼女は近くの戦車を浮かばせて違う戦車に投げ当てた。戦場を彩る赤色の爆炎が舞い上がり、人肉を焼き尽くす熱波が周囲を襲うも、盾騎士は肌を焼く熱ささえも感じなかった。そして盾騎士は命も見抜いていた。自分に恐怖して身を隠す兵士がまだ戦車の中にはおり、ぶつけた方の戦車には怪我をして動けない兵士がいたことも。

 聖銃字盾を霊体化させて装備しない儘、盾騎士は殲滅を完了させた。テロ組織と手を組んだ魔術師による秘密結社により、戦場に血紋呪詛が刻まれる事で大規模国土魔術儀式が行われて地域の特異点化が行われる所だったが、彼女によって血の魔法陣を穿つ部隊は壊滅された。世界はまた何時も通りに救われた。

 

「…………」

 

 もう戦場に用はない。血紋刻みの為、意図的に用意された戦地に行く前に部隊を撃滅し、必要な分だけの命を奪い取れた。盾騎士は戦場で愛用される使勝手の良い日本車に乗り、隠れキャンプ地への帰路に着く。とは言え時刻は夕刻を過ぎ、日は沈む。しかし、人に見つかるのは面倒だからと車のライトを彼女は付けず、自前の暗視ゴーグルを使って周囲を確認しながら運転を続けた。

 そしてキャンプ地に着けば、先着が一人。戦地で知り合った盾騎士の友人であり、今は数少ない戦友にして仲間の一人が、遅めの夕飯を焚火を利用して調理していた。

 

「キリエライト。早かったな。相変わらずの、狩りの巧さだ」

 

「あぁ、エミヤさん……其方も正義の味方、何時も御疲れ様です」

 

「……貴女に言われると、皮肉に聞こえるがね」

 

「そうですか……あ、確かに。すみません。

 どうも人狩りをすると血に酔って、少し無神経になってしまいます。態々、御飯の前に言う台詞ではありませんでした」

 

「いや、それが皮肉に聞こえる私が未熟だと言うことだ」

 

「そうでしょうか……?

 しかし、前よりも随分と鍛錬と実戦を重ねて強くなっ……ぁ―――成る程、契約ですか。その魂、どうやら守護者の契約を結び、英霊の座へ登録されたように見えます。

 死後の安寧を棄てるのは、ある意味で地獄への片道切符ではありますが、素直に私だけはその偉業を讃えます。考えたくない可能性ですが、貴方が自分の正義を否定する未来に至ったとしても、私と言う人間は貴方を心より尊敬していた事実は覚えていて下さい」

 

 盾騎士は自分の頭が呆けていた事に気が付く。再会して数日経った今、このタイミングで前の彼との差異を感じ取れる等、瞳が曇っている証拠だろう。

 千里眼と化した盾騎士の内なる思考瞳。見たく無いものを見ない様になるべくしていれば、見るべき事実からも視線を逸らしてしまう事態になる。罪悪感で頭蓋骨を砕き開けて、脳内目玉に神秘薬を直接掛けたくなる気分になるが今は我慢しなくてはならない。

 

「分かっている。戦い続けるとは、そう言うことだ。やがて心が折れることもあるかもしれないが……何、まだ理想には届いていない。頑張って見るさ」

 

 何かに憧れる少年のような笑みを、錬鉄の魔術師は盾騎士に向けていた。義父に向ける感情に近い理想への信仰を、彼は盾騎士に向けている自分の心に気が付いていなかった。

 正しく、現代に生きる理想の英雄。

 折れず、引かず、負けず、世界を危機から救う現代の大英雄。

 魔術世界の戦場に飛び込んだ錬鉄の魔術師にとって、同じ戦場で人助けを行う盾騎士は余りにも眩しかったのだろう。何より変形義手と変形大盾を武器にするとか、日本男子として浪漫を感じずにはいられない。

 

「良い笑顔ですね、エミヤさん。思わず、惚れてしまいそうです」

 

「そうかね。いや、貴女にそう思われるのなら、男冥利に尽きるよ」

 

「では、私は女冥利と言っておきます。では話は変えますが、死徒狩りの方は進んでいますか?」

 

「いや、まだだ。追い切れん」

 

「情報漏れ……まぁ、普通に考えて内通者がいますね。そちらは私が炙り出し、狩っておきます。貴方が死徒狩りに専念出来る様、少し工夫をしておきましょう」

 

「助かる。逃がせば、戦火が拡大しよう」

 

 等と言いつつ、盾騎士は既に裏切り者への目星は付いていた。一目見れば脳波から思念を啓蒙される彼女を相手に隠し事は不可能。恐らくは裏切り行為を断行する程の恐怖心を自分達二人に向けていたあの男であろうと判断し、今から効率的で被害の少ない狩り方を彼女は思索する。

 その間、癖で義手の五指をカシャカシャと動かして集中する。学生が行うペン回しみたいな手癖の悪さであり、彼はこの動きをし始める盾騎士に対して余り良い感情は覚えていない。勉強道具を手遊びする様に殺人道具を弄る仕草は、如何に人を狩り殺そうか思案する時の癖であり、より大勢を守る為の殺戮のシュミレーションが脳内で演算されているのだろう。

 殺人思索から一週間後、盾騎士は裏切り者をあっさり焼き殺した。引火性油が入った壺を投げ当て、義手から放った光弾から発火させた。獣狩りに丁度良い殺し方だろう。その者は錬鉄の魔術師の知人であったようだが、テロリストの犯行に見せ掛けており、他の裏切り者もいたので、彼にはその者が全て悪いと言う様に誤解させた儘にした。

 勿論、戦いは続く。そして、当然ならが終わりを何時かは迎える。

 

「死ね、死ね、死ね!!!!」

 

「死ね、殺せ殺せ!!」

 

「人殺し共が!! 死んで償え!!」

 

「死んだ死んだ死んだ!!!!」

 

「うわぁあああああ、俺らはヤったんだぁぁぁああああああああ!!!」

 

 本当ならば裏切り者の策で彼が殺される筈だった処刑台にて、独裁政権下で虐殺を繰り返した軍人が公開処刑されていた。政治犯として縛り首にされていた。民衆は、自分達を弾圧した国民殺しの軍人が死ぬ様を、血に酔う獣の如く歓喜した。

 ―――平和である。人間社会における平和の概念こそ、この様だ。

 即ち、責務の取り方。その本人ではなく、不都合を受けた他人からした責任の所在を明らかにし、負債を命ごと殺すことでこの世から消し去る善行。

 人々の平和を目指して戦場で足掻いた魔術師と盾騎士は、民兵が手に持つAK47から銃弾が空に向かって放たれ、祝砲が鳴り渡るのを聞く。それ程まで喜ばしい人間の死であり、誰も彼もが軍人らが死に尽くされることを夢見ていた。

 

「良かったですね、エミヤさん。貴方の尽力で、手早く平和は訪れました。尤も、この光景を素直に喜べはしないですが……まぁ、最悪の選択肢ではないと思います」

 

「貴女の御蔭でもある」

 

「そうですか。それと裏に、どうやら愉快犯がいるみたいです。戦火を拡大させた民間軍事企業でありますが、そこの幹部がどうやら洗脳されているみたいで。

 セッショウイン……日本人みたいですが、知っていますか?」

 

「知っている。成る程、あの物の怪が……」

 

「追いますか?」

 

「あれは悲劇を拡げる魔物だ。救世の聖人としても一般人に知られているが、社会で有名になる前は埋葬機関にスカウトされた過去を持つ凄腕だよ。魔術協会にコネがある上、聖堂教会にもあれの隠れ信者がいる。

 面倒極まる女であったが、今までは証拠がなかった。

 今回の件、問い詰める良い機会だ。居場所を探り、会ってみよう」

 

「魔術協会の方には私から圧力を掛けておきます。封印指定執行者を返り討ちにしながら探すのは、効率悪いですから」

 

 その女は正真正銘、人類種の天敵。知性体である時点で逆らうのは不可能であり、知性体が運営する社会システムを操ることなど手先を動かすように容易い事業。精神を犯す毒はもう社会に蔓延してしまっていた。たった数年の間で日本の政治機関は掌握され、聖人は救世主として一部の支配階級に崇められていた。

 ―――冬木市。あるいは、倫理退廃都市。

 神秘に覚えがある尼僧が何時からか市内に入り込み、人類種を救う聖者の教えが蔓延した邪教の街。

 その倫理廃都にある御洒落な喫茶店を盾騎士が通り過ぎた時、凄まじく疲れて顔色が悪い美麗な女性から視線を感じた。無視しても良かったが、知り合いだったので盾騎士はその喫茶店に寄ることに決めた。

 

「うわ……貴女、因果が更に絡み過ぎて凄い運命になってるわよ?」

 

「沙条、姉ですか。妹に寄生するニート生活、もう止めましたか?」

 

「綾香から誕生日プレゼントで貰った超安眠布団の中で寝ていましたら、ちょっと魂が抜けまして……気が付いたら、異界で数十年生活してました。確か月の狩人とか名乗る人類種が宇宙の果てまで進化した様な、啓蒙的知性体に精神を悪夢の異界へ誘拐されたの。

 ちょっと勘弁して欲しかったわね、あれ。

 私が根源接続者だからって、何でもして良いって勘違いしてると思う。私だって恋に恋する人間の女だって言うのに」

 

「そうですか。大変でしたね。愛を知らない無垢で純粋な、美しい根源接続者の精神サンプルが欲しかったのでしょうね」

 

「そうよねぇ……はぁ、やれやれ。こんな台詞言うの、趣味じゃないのだけど。でも私が誰かの実験動物にされる平行世界なんて、絶対この狂った人理だけだわ。

 本当、狂い過ぎてる。言うなれば狂人理よ。マシュ・キリエライト、貴女ちょっとヤーナム滅ぼしに行きなさい」

 

「下手に突きますと、上位者の悪夢が人類の集合無意識に寄生しますよ。折角あの狩人さんが抑止力と人理の通常運営を上位者の思索活動から守っているのですから、何もしないのが一番でしょう」

 

「駄目ね。全くその様、それで人理の礎とか名乗らないで下さる?」

 

「……………」

 

「あー……ごめんなさい。何時も相手してる畜生女への癖で、どうも皮肉言うのが常になってしまってね」

 

「……いえ。気にしてません。それに滅ぼすにしても、全ての平行世界に存在するヤーナムの悪夢を同時に消さなければ、平行世界同士で繋がる悪夢がまた古都を夢見て蘇ります」

 

「…………あー、と……うん?

 魔法とかで、如何にかなる次元の話ではないわね?」

 

「はい。試しに沙条さんが手作りで根源式聖杯でも作りましたら、対時空間遠隔次元干渉とかでヤーナムを攻撃してみれば良いのでは?」

 

「止めとく。その未来を観測した結果、全人類が悪夢に繋がって、私が悪夢に呑み込まれて、更に悪夢が根源と繋がって、人類種知性体が根源接続上位者に進化するのを確認出来たから」

 

「メンシス学派は喜びますよ?」

 

「知性体として危険域まで文明レベルが進み過ぎると、宇宙全体に迷惑を掛けるからね。

 愛しい王子様の為にならと、愛に狂う私ならやっちゃうのでしょうけど、この私は良くも悪くも夢から醒めた自分だから」

 

「宇宙規模の話は……今は、しても仕様がないですね。今回は、人間社会に対する脅威に対する話をしたいです」

 

「あぁ……あいつ、殺生院ね。あの女、ぶっちゃけ脳が色欲に支配された悲しい獣だったのですが、神秘と人生の師を見付けて、精神的にもっともっと凄まじく弾けたのよ。その所為か、賢人にして聖人でもあることも、神性と獣性と平気で今は両立させてるの。

 関わると不幸になるから、貴女は絶対離れておきなさい。油断すると直ぐセックス&エキサイティングする雰囲気に流されるから」

 

「気を付けます。で……その、その人の師とは?」

 

「アン・ディールと名乗る女ね」

 

「――――すぅ……へぇ、どんな人ですか?」

 

「会った事はあるけど、人格は邪悪以前に暗黒。その癖、人間大好きで、人類種の文明進歩と生物進化を見守ってる愚かな賢人。魂を持つ時点で私だと勝ち目がないわ。むしろ、根源の律に縛られている魂を本質とする生命だと、あの女がその気になればあっさり生まれ故郷の根源へ魂を送還されて、問答無用で死ぬんじゃないかしら?

 ヤーナム還りの私だと何とか対策が出来るように脳が進化したけど、以前のニート状態だと逆らう気は起きないと思うかしら」

 

「更に、詳しくです。師弟としての関係性も」

 

「追加情報ね。確か西暦以前から生きてるみたいで、ロンドール竜学院の初代学長にして現学長の放浪者って話になってるわ。あそこはもう学徒の入学を認めてない排他的組織な癖して、組織自体は世界各国の神秘組合との交流を続けてるって言う変な場所なのよ。学長が世界中を彷徨ってるのもあるから。

 ……で、殺生院は二千年ぶりの新入生って話らしい。

 そして、最初で最後の卒業生だとか。あの学院から世に出たの、あの女と学長その人だけって話だわ」

 

「なるほど。ありがとうございます。沙条さん、出来れば妹さんを連れて冬木市から脱出した方が良いと思います」

 

「あら、心配ありがとう。でも妹は今、外国にいるから大丈夫よ。私は私で見届けたいから、邪魔しないで此処にいるわね」

 

「そうですか……」

 

 盾騎士が誘われた衛宮家。冬木の社会情勢は手遅れレベルで腐敗しているようだが、一般人の生活が危険なほど治安が悪化している訳ではなく、むしろ治安は向上して犯罪率は激減し、一般的生活が危険になっている筈もない。普通に考えれば、唐突に殺人事件が起きる訳がない。

 ―――血の香りが、匂い立つ。

 錬鉄の魔術師が何故か、女性と男の子を惨殺した後の殺人現場。盾騎士の記録の中では、その女性はカルデアで見覚えのあるサーヴァントだった。第七特異点でだと、自分達に協力してくれた人理の恩人だった。

 

「…………」

 

 生気無く、彼は壁に寄り掛かっていた。斬り落とされた女の首を抱き締めながら、静かに涙だけを流して時間が止まっていた。内臓を曝け出して死に絶える子供は瞼を閉じられ、顔だけは非常に穏やかだった。

 

「……―――ッ」

 

 その光景を見ていた盾騎士は、唇の端から血が流れ出る。

 怒りの余り噛み締めた所為で歯茎から出血した―――訳では無く、背中から突き刺さった手が、鼓動を刻む心臓を直接的に握られている為だった。

 

「貴女が噂の盾騎士卿(サー・シールダー)、キリエライト様かしら?」

 

「……うぅ、ぐ」

 

「成る程、成る程。そうですか。あぁ、話す必要はありませんよ。心の臓腑に触れておりますので、貴女の心は物理的にも好きに弄繰り回せますから、思考を透かして読むのも簡単でありましょう。

 ―――ふむ、ふむふむ。何と、平行世界からの異邦人と。

 うふふふふふ、これはこれは。我らの人理が人類種を楽しむ世界に、良くいらっしゃって下さいました。

 数ある世界において矮小な自分自身を恥じ、世の為に埋葬機関にて魔物でも狩って生活しようと考えていた所、貴女の恩人でもあるあの御方の御蔭で、(わたくし)はこうして快楽(ソウル)に解放されています」

 

「そう言えば……貴女は……そう言う人でした、ね……ぁぁアア”!!」

 

 グニュリ、と自分を嘲笑う盾騎士の心臓を優しく尼は揉んだ。まるで男を愉しむ情婦のような手の動きであるが、それは盾騎士の体内で行っているので誰も見る事は出来ないだろう。

 心臓を握られる純粋な苦痛。体内に手が入るショック死へ至る異物感。そして、尼の手から伝わる脳細胞を泥のように蕩かす快楽。

 悍ましい事に絶頂的な気持ち良さを、盾騎士は心臓から与えられた。この間にもヌチュリヌチュリと心臓を揉み込まれ、膝から崩れ落ちて尻を床に付けるも、尼は盾騎士に高さを合わせて自分も膝を曲げる。そして生心臓を握った儘にしながら盾騎士に覆い被さり、肩に豊満な胸部を押し当て、耳元に甘過ぎる吐息と共に声を囁いた。

 

「では改めまして、キリエライト様。初めまして、(わたくし)は殺生院祈荒と申します。

 この度は私の信者が、私への愛に応えようとする献金の為と、戦場経済を発展させて戦火を拡げたことを心よりお詫び致しますね」

 

「あぁ……はぁはぁ、ぁぁあはぁ、はぁ、はぁ……ッ―――!」

 

「何と可愛らしい(オト)でしょうか。

 ついつい(わたくし)、花の園の方へともう片手を伸ばしたくなる気分になり―――」

 

「―――死ね、変態」

 

 実に気合が籠もった正拳突き。ガラシャの拳を装備した左手を全能者(サジョウ)は尼の後頭部に叩き付け、脳漿と血液を床へ撒き散らした。盾騎士を自慰道具に使用しようと色欲の儘に肉体を愉しもうとした隙を突かれ、色尼はとてもあっさりと死亡した。

 しかし、脳が痺れ上がって盾騎士は身動きが出来ない。心臓の鼓動も不規則極まり、視界が惑星のように廻り続けて視点が定まらない。

 

「はぁ……見守るって言ったけど、見守り始めたらこんな状態だなんてね。趣味じゃないけど、貴女が相手だと近付いて肉弾戦した方が効果的だし、こうして殺したわ。

 殺生院。私の視界から外れるようにしてたみたいだけど、存在感を秘匿する気がないキリエライトごと自分の姿は隠せないわよ?」

 

「……………酷いですわ、沙条様。

 情事を覗き見して愉しんでいた変態の癖に、好きな展開ではないからと私の絶頂を邪魔するなんて」

 

「知らないわ。私の視界の端で盛り出す貴女が一番悪いのよ?」

 

「酷い言い草ですわ。貴女と(わたくし)はお互いに真性悪魔を超え、人理の獣性を克服し、単独の人類種として魂を完成させた者ではありませんか?

 その人間性の魂―――……血、白濁として生臭いですわよ?」

 

 死んだ筈の尼は頭部を当たり前のように"蘇生”させ、何時もの僧侶姿の格好ではなく、冬木市の市民に融け込むカジュアルな格好をした成人女性は妖艶な微笑みを浮かべるのみ。

 瞬間的な脳の活性。輸血液の針を太股に串刺し、盾騎士は意志を即座に甦らせ、肉体も再生。銃宇盾を具現させると同時に仕込み機関銃を三連射。狙いは急所、眉間、首部、心臓。どれか一つでも当たれば動きを止められ、その後は魂砕きの鈍器盾を振って殺せれば良い。

 だが尼は余りにも恐ろしい技巧者。超音速で飛来する徹甲弾を右手、左手、そして歯で受け止めた。そのまま投げ返し、口から唾を飛ばす様に吐き返し、盾騎士を狙う。それを盾で防ぎつつも一気に突進し、あろうことか尼は容易く片腕の掌で受け止めながら流し逸らし、もう片手を振い抜いて腹部に凶悪な掌底を直撃させた。衝撃は魔力防御を貫通し、ソウルの業によって魂と命に直接触れ、愛撫するような優しさで死を与えた。直死の魔眼に匹敵する生命への干渉となり、盾騎士は魂が死ぬ感覚に襲われるが、狩人の遺志は死に慣れたもの。

 血反吐が出るが、それを尼の綺麗過ぎる美貌に吐き付け、視界を奪い取る。そのままカルデアの義手光刀(ムーンライト)を尼を真っ二つにするべく振い、踊る様な足技によって義手の肘部分を蹴り上げられることで軌道が逸らされた。

 

「この……ッ―――」

 

 尼の能力は英霊と言う領域を完全に超え、その体術の技巧は明鏡止水の最果て。虚無の境地から放たれる四肢の一撃は集合を積んだ仙人が更なる鍛錬で仙域を超え、霊長の信仰と惑星の触覚たる神の創造限界を超越した業だった。接近戦で勝てる相手ではなく、生身でその領域の魔人が更に神秘を身に纏う冒涜的境地。

 故に盾騎士は一瞬の間で考え抜いた末、全能者(サジョウ)による魔術師(エミヤ)の保護を確認した為、考え無しに銃字盾から榴弾銃砲(グレネードランチャー)を発射。至近距離で尼僧に直撃し、ミサイルに匹敵する爆炎が屋敷を粉砕し、自分と敵ごと衛宮邸を吹き飛ばした。

 

「うっふふふふふふ……イキそうな殺意ですわ。素晴しい痛み!

 友人(セフレ)の間桐様より貪った虚数魔術が無ければ、とても危のう御座いました。私も人間の肉で呼吸を行う生命、大気から酸素を一瞬で焼き尽くされるとなりますれば、窒息の痛みに喉が潤ってしまいます」

 

「―――変態ですね、完璧な!?」

 

 態と爆炎で服を焼きながら全裸となりつつ、何故か美しい軟肌には煤一つ付いていない姿。今直ぐにでも地球全体で自慰行為でもしそうな、人間では夢想することも不可能な情欲を盾騎士一人だけに向け、貌を両手で覆いながら身体を踊る様にくねらせる。

 そのまま地面に広がる暗い影が尼僧を覆い、余りにも煽情的で、全裸以上に人間の知性を色欲で蕩けさせる黒い装束姿と化す。しかし姿は人間の儘で在り、角や尻尾、あるいは翼がないことに違和感を覚える程の人外の存在感を放っていた。

 

「もっと、もっとです……もっと私に絶頂的苦痛(アマラシキ)を!!」

 

「でしたら、自分で魂を自傷してなさい!!」

 

 社会に対する神秘の露見は厳罰。市街地の昼間から殺し合えば、魔術を冬木市民に目撃されるのは確実。それを盾騎士が気にした刹那、縮地の踏み込みを加速させて師譲りの体術で敵背後に尼僧は回り込み、頭部を両手で掴んで捩り飛ばそうとした。だが銃字盾を背後へ振り回しつつも、褪せ人から貰った義手刀を物体展開させ、それを光学兵器で月光強化を付与した。

 大盾と長刀と言う、余りにもアンバランスな戦闘スタイル。尼僧は盾使いが扱いし難い長刃の刀を使うのを嘲りつつ、背後から影触手を具現して乱れ打つ。その全てを月光義手刀で一瞬で斬り落とし、同時に機関銃を仕込み盾から発射。その弾丸を影の壁が全て吸い取り、虚数空間に融け消え、盾騎士の周囲に現れた影門から中心の彼女を狙って弾丸が放たれた。

 上空に逃げるしかない―――と動けば、相手の思う壺。

 ならばいっその事と思い切った考えを実行。盾騎士は一瞬でしゃがみ込み、亀の甲羅の如き格好で大盾の下に入って身を守った。そのまま片足を軸に回転し、機関銃と火炎放射器を仕込み盾から同時放射して周囲一帯を破壊することで影門を掻き消した。

 

「となれば―――!」

 

 敵の尼僧は敢えて自分が大盾で作った上空から奇襲を掛ける筈―――と盾騎士は判断。一瞬で義手刀展開した左腕を魔力光剣(ムーンライト)に変え、敵の気配がある空中へ月光波を斬り放つ。斬撃光波は気配を切り裂き、それは本当に影で作られた気配だけの囮だった。

 気が付けば、尼僧に顔面を掴まれる。

 頭蓋骨が軋み上げる程の握力で固定された直後、地面が陥没する威力で後頭部から叩き付けられた。

 それもただ地面に叩かれたのではなく、尼僧の魔術で概念的にも強度が増した地面であり、もはや鈍器型の概念武装で後頭部をフルスイングされたのと同じ威力。魔力防御を貫通して衝撃が脳味噌を揺らし、顔面内部から破壊の波動が生まれ、血涙と鼻地を噴射することになった。

 

「ッ―――……ぁ」

 

 呻き声を上げた後、即座に気を完全に失った盾騎士。命を奪わず、だが一瞬で生きようと足掻く意志を奪い取り、的確に魂ごと揺さぶる脳震盪で意識を奪う絶技。狩人相手にするにはほぼ不可能だが、尼僧からすれば盾騎士相手では可能だった。

 そのまま弄る様に盾騎士を密着するように対面で抱き締め、気絶した彼女の耳元で尼僧は愛を囁いた。

 

死体愛好家(ネクロフィリア)の趣味はありませんが、えぇ……我が信者の愛は数あります。

 死体弄りを教主足る(わたくし)も理解して上げる必要もありましょうや。それこそ善、それが愛。そうは思いませぬか、全能なる怪物王女」

 

「貴女の師によって魔性菩薩の未来を止めた癖に、魂の本質そのものに変化したのね。善意しかなく、悪性を棄てた真正菩薩となった末、根源から流れ落ちる快楽の起源さえも貪り尽くしたと。

 ヤツラと同じじゃない。人間菩薩、死ね無くなったのね?

 全く同じ無能よ。今の私と同じ、魔性にさえ堕落出来なくなった人間でしかない呪いに囚われる。根源との繋がりがない神秘薄い人間は、だからこそ幸福を幸福だと実感出来る思考を得ているの」

 

「はい。師は魂と、知性をなる魂の全て、その全て教えて頂きました。この宇宙に生まれた魂は、宙の欺瞞によって縛られ、この星に生まれると人理によって更なる虚構で封が施されています。

 人間は―――在るが儘、生まれの儘、存在理由を内より見出さねばなりませぬ。

 初めから生まれ故郷を知覚する貴女様には理解出来ぬでしょう。欺瞞無き自身を見通せる貴女様は、最初から愛と言う最高の快楽を知って生きているのですからね」

 

「―――……まぁ、良いけど。好きに言えば。

 根源接続者の私でも貴女の未来、全く見えないから友人関係を続けられたのだし」

 

「はい。私の快楽以上の、愛の快楽に堕落したいと決めた全能者様だったから、私も貴女と友人であると思う事が今までは出来たのですが……残念です。本当、快楽を分かち合える初めての私以外の"人間”かもしれないと、あの時は思っていたのですがね」

 

 人理のテクスチャが剥げ落ちる音がする。世界が異界に侵食される色が出る。全能と快楽が魂を剥き出しにし、人が呼吸すれば絶頂死するか恐怖死する惨殺空間が出来上がる。ぶつかり合えば周囲一帯が破壊された上、異界常識に侵食されて二人の心象風景に塗り潰される特異点となるかもしれない。

 ―――外なる宙の神秘。

 この宇宙を作った根源から外れた不死由来の概念。根源の星幽界に還れない魂。

 一度死ねばもう元には戻らない生命ではない二人は、人類種と言うカタチの現象でしかない。故、自身の魂が法則を運営する設計図となり、高次元知性体は脳そのものが世界を観測する瞳と化す。まるで脳で光を見る蛞蝓のような脳の視覚であるが、魂で観測するからこそ二人は同次元の者として殺し合える。

 

「人の土地で―――何、やってんのぉぉぉおぉおおお!!!」

 

 完全にブチ切れた同じ高次元頭脳を持つ魔術師もまた、この殺し合いに参加可能なのは道理であった。

 

 

 

■■■■<★>■■■■

 

 

 

 魔法見習いの魔術師―――遠坂凛。根源到達者の一人。

 才能を目覚めさせ、魂が覚醒した少女は大人となり、宝石の法則をその身に刻み込む。脳は宇宙の外側を観測することで平行世界が運営される宇宙を理解し、高次元体の脳を得たことで世界同士の境界を観測する知覚を獲得した。

 知識を学習することは当然だが、より重要なのは魂の宿る脳が根源より生まれた法則を観測すること。理解するには見るしかなく、律を宙から啓蒙されることで解明される。それによって高次を知覚することが出来る。何より、魂は高次元から来た己自身故、そもそも辿り着きさえすれば不可能ではない。とは言え、そこで自我を保ってられるか否か、帰られるか如何かは、本人次第ではあるが。

 

「―――で、どうなってんのよ?」

 

「魔法使いなら、別に説明する必要ないでしょう?」

 

「は? ふざけんじゃないわよ! コミュニケーションって分かる!?

 まだ人間で居たいんだったら貴女も言葉で説明しなさい。士郎のその状態と、そこのコスプレSF甲冑女と、あの外道エロ尼についてよ」

 

「同じ平行世界を観測すれば、此処の状況もだいたい脳にインプットされるじゃない」

 

「話にならないわね! 良いわ、だったら……――――あ。なにこれ?」

 

「ほら、そうなるじゃない。どうせ私が説明しても信じないから、そうやって観測して納得することになるものね」

 

「―――……はぁ……あー、最悪」

 

「一応、私は私でこの事件を解決しようと思うけど、貴女はどうしたい?」

 

 全能者は魔法見習いを詰問する。ある意味、自分と同じ視点を持つこの魔術師であれば、既に答えなど出ている問題。大前提として殺し尽くさねばならないが、それを自分で行えるか、否か。

 遠坂邸のベッドにエミヤは寝かせ、監視の意味も込めて見知らぬ盾騎士はリビングのソファーに起き、その隣の椅子に座って遠坂凛は絶望に貌を曇らせて思案する。精神強度の高い彼女は本来なら無表情を維持して考え込む性質であるが、今回ばかりはそんな建前を守れる状態ではなかった。

 

「まず、あの尼は殺す。

 必ず、この手で殺す。

 この土地はオーナーとして、一個人として、あの僧侶には負債を払って貰う」

 

「当然ね」

 

「……で、どうしよう?」

 

「どうしようかしらね?」

 

「千里眼、持ってんでしょう?」

 

「あれ、人生には要らないから。それに必要な時、あるいは必要な相手には役立たずだもの。貴女も、その視点は手に入れたとしても、覗き見が好きって雰囲気じゃないようだけど?」

 

「……あっそ」

 

「後、隠蔽活動は気にしなくて良いわよ。あの女がもう協会も教会も日本支部は支配してるっぽいから、外様の狂った馬鹿がテロ的思想で行った神秘漏洩事故って事にしてた感じ。

 衛宮家爆破の原因も、そいつが魔術師殺しに恨みがあった個人的怨恨だったと言う捏造にしてるわね」

 

「あーん……? 代理オーナーの桜はどうなってんのよ?」

 

「洗脳されてたみたい。残念だけど、もう外道に堕ちてるわね。アレが使っていた虚数魔術はそう言うことよ」

 

「藤村先生と、その子供が死んだ理由……納得出来ないんだけど?」

 

「理由なんてないわ。単純に、アレの趣味じゃないの?

 藤村先生……いや、もう結婚して柳洞だったっけ。衛宮士郎が高校卒業して、独り立ちしたのを見送って、それをちゃんと待ってた零観さんと子供出来て幸せな教師生活をしてたようだけど。

 何と言うか、あの色欲破戒僧からすると壊して殺すのに、楽しくて堪らない善人よね。

 それも洗脳した衛宮の手で直接、あんな風に子供を目の前で内臓捌いて殺した上、本人の首を切り落と―――」

 

「―――止めて。見ただけで精神、結構ヤラれてるから。

 聞くと殺意が抑えられなくなる。魔術師とか、そう言うのが如何でも良くなりそう」

 

「気持ちは分かるわ」

 

「そりゃ、全能な貴女だったら他人の情緒も実感して分かるんだろうけど……―――いえ、何でも。慰め、素直に受けておきます」

 

「気にしないで。感情を得たのに、この様なのは自分が全部悪いってだけの話だもの」

 

「そうね。こっちに協力する事に、貴女が無気力じゃないだけマシか」

 

「……………」

 

 途中、起きていた盾騎士はその会話を盗み聞きしていた。まるで歯が立たなかった尼僧の腕前。魔法を使って正解を観測した根源到達者と、最初から正解を得ている根源接続者。彼女は自分の見立てから、恐らくこの二人が組んでも尼僧には敵わないだろうと考える。自分と衛宮がその戦力に加わっても、あの尼僧の技巧と神秘に届かない。

 本物の不死を殺すにはルールを度外視した一手が要る。殺せないなら、殺さず直接的に世界から排除する。手っ取り早く根源の渦か、次点で虚数空間にもで叩き落とし、この世から魂ごと消すしかない。尤もそれでも生き延びて物理世界に戻って来る不死もいるのだろうが、この平行世界に戻って来る可能性は低くなる。

 

「おい。コスプレ魔術師、もう起きてるんでしょう?」

 

「酷い言い様ですね。女神に良く似た魔法使いさん」

 

「はい? 女神って、そりゃ美人だけど、今のこの私に何を言って……ッ―――あー………ごめん。貴女に当たる何て、本当に如何かしてたみたい。

 それでマシュ・キリエライト、話を聞いても良いかしら?」

 

「気遣いは無用です。むしろ、責めて貰いたい程です。気が楽になるかもしれません……が、今は私の心情など何の価値もありませんね。

 こっちの事情、その高次元の脳で観測し切れない詳しい部分を説明致します」

 

「良いのよ。色々あって、私は私が混ざってしまって……どうもね」

 

「遠坂凛。私の経験上、その症状は危険だって根源到達の先達として忠告しておくわ。とっとと割り切っちゃいなさい」

 

「分かってる。分かってるから、今は良いのよ」

 

「全員、察しが良いと会話が飛びますね」

 

「案外、余裕あるみたいね、マシュ」

 

「それと、すみません。その名は棄てました。ただキリエライトとだけ呼んで頂けると、非常に助かります」

 

「そう。じゃあ、キリエライトとだけ呼びましょう」

 

 瞳持つ者同士、会話が異次元視点なので理解し合い過ぎるのも難しい。魂を観測する上、身の上も丸裸となれば面倒はないが羞恥心は強くなるも、お互い様なのだろう。言うなれば、精神的には銭湯でばったり出会って世間話をするような雰囲気か。心的外傷も把握されるのは気色悪いかもしれないが、それもまたお互い様なので無視するしかない。

 何より、この平行世界における夢の狩人は思索により積極的なのも悲劇なのだろう。ヤーナムの中に住みつつ、上位者と人類種の防波堤にも成りつつも、自分の思索実験には人道がない好奇心を良しとする魔物。外界の魔術師など根源の律に囚われた憐れなる眷属程度にしか見ておらず、夢見る瞳を与えることを報酬にし、代償に何かしら人生の一部分を奪い取る。

 人間性を捧げてしまえば、魂が欠落した部分に啓蒙が入り込む。脳が膿んだ場所に、瞳が生み出る。神秘に狂えば、悪夢に囚われて月の眷属となることだろう。

 

「それで遠坂さん……脳を見た雰囲気、貴女も?」

 

「……まぁ、そうだけども。思索実験のサンプル欲しさに、適材を拉致して悪夢に監禁するヤツの所為ね。

 私の場合は夢でうっかり繋がって捕まった沙条とは違って、何処ぞの魔術師がアインツベルンの聖杯鋳造技術を盗んだ上、冬木の聖杯が解体される時に全てを盗み見して、チェコで聖杯戦争が起きるって聞いて行ってみれば……いやもう本気(マジ)で凄い大惨事だったわね。

 聖杯がヤーナムの悪夢と繋がってしまってねぇ…………結果、凄まじくエグい紆余曲折な悪夢を経て、魔法の観測する瞳を得たから変な話だけど」

 

「その犯人って人形師の魔術師一族、ミコラーシュ家の人ですね。カルデアにも、所長がスカウトした魔術師って事でいました」

 

「―――そいつよ、そいつ。その神秘学術者。

 集めた魔術師と召喚されたサーヴァントを全員、上位者の悪夢に捧げたのよ。冬木の責任者として視察に行けって言う時計塔の圧力もあったけど、魔術師としての好奇心と責任感もあって行ったのが悲劇の始まりだったわ」

 

 チェコで行われた惨劇の悪夢――聖杯戦争。

 盾騎士が今この時、垣間見るのは英霊達が獣性と啓蒙に汚染されて召喚されるサーヴァント体。そこで勝ち残った魔術師は聖杯を手にする事は有り得ず、全ては主催者が益を得る為だけの魔術儀式。全人類をより上位種族へと脳機能を深化させ、知性人類種として今より進化させる外法の企み。

 サーヴァントの魂で作られた聖杯からの再誕者。誘拐された人々の死体で受肉する英霊の坩堝。

 (ウツツ)(ユメ)を繋げる暗い孔と、響き渡る小さな鐘の音。現実の世界に来た赤頭巾の鐘鳴らしの女。

 抑止力の尖兵が上位者の悪夢と繋がり、人理世界の運営が悪夢の住人共に観測される危機。そして悪夢が再誕される者の脳から漏れ出て、人理のテクスチャが編纂される事態に陥る寸前。

 

「結果、根源観測する破目になった。まさか、こんな棚から牡丹餅みたいな展開で見てしまうなんてね」

 

「うーん、ちょっと二人とも。衛宮士郎、起きたみたいだけど?」

 

「そう。え……そう!?」

 

 会話に割り込んだ全能者の言葉で魔法見習いと盾騎士はリビングの扉を見た。直後、そこが開く。病んだ顔色の男が一人、静かに無言で入って来る。

 貌に黄色の亀裂が入った呪詛姿。しかし、直ぐに魂を冒涜する邪色は消え、褐色の肌へと幻視のように戻る。

 果たして本当に彼が衛宮士郎なのか、古くからの友人である凛には疑念しかない。そんな彼を寝易いようにスウェットに彼女は着替えさせていた筈だが、何時もの魔術礼装服に着替えてから下りて来ていた。

 

「…………」

 

「おはよう。衛宮士郎」

 

「あぁ…………君、沙条の姉か。彼女から話は聞いている。家でニートをしているバカ姉とね」

 

「その通り。で、貴女はそのバカから助けて貰った訳だけど?」

 

「感謝する。賢者は俗世から離れて引き籠るのが定番だが、君もその通りだったようだ。

 とある聖者に人間は基本、ニートであると聞いた過去がある。今に満たされているのであれば、それ以上を望むのは全て欲望であるとね。

 彼に言わせれば、この出来事も全て間が悪かったのだろう。

 あぁ、割り切ってしまえば良い。出なければ、足を使って進めない。己が感情など、その程度の問題だろう」

 

「あら、本物の聖人で出会ってるみたい。その出会いはきっと貴方にとって有意な出来事だわ。

 本当に間が悪かったのね。私も似た境遇だからすごく分かるわ。間が悪かったから、この世界の私では何もかもが上手く運ばない。

 如何でも良い誰かを私だけの王子様にしてみようとも考えたけど……運命の出会いって、そうじゃないじゃない?」

 

「成る程。君の運命は、私の運命に塗り潰されたと言うことかね」

 

「あら、マウント行為ね。騎士王マウントとか、命の恩人な私に取っちゃうの?」

 

「すまない……」

 

「暗い男ね。まぁ、あの惨状で明るい男より良い男だけど」

 

「どうも、記憶があやふやでな……あの色魔をこの手で殺したまでの事は覚えているが、どうも後は夢うつつだ。

 特に藤村大河とその息子をこの手で殺した光景……いや、私が殺したのだが、オレが殺した。そう、殺したのは確実だ。気持ち良く、殺したんだったな。この世で一番の快楽だった。愉しかった、楽しかったし、楽しかった。

 誰かを救えた時よりも―――嬉しかったんだ。

 理想を叶えるより、願いに届くより、人生が報われた気がしたんだ。

 遠坂、人類にとって救いとは事なのかもしれん。そう思えるような夢を見ていた様な気がする」

 

「―――それ、呪いよ……ごめん、衛宮くん。

 私じゃ多分、その呪いを解けないわ。あの尼僧は殺すけど、永遠に貴方は呪われ続ける」

 

「そうだろうな。だが、オレはこの呪いを克さなければならない。罪悪感を幸福感に転換する呪詛が脳に巣食い続ける限り、弔いも償いも始められないからな」

 

 魔術師殺しの錬鉄者(エミヤ)が尼僧を殺したのは事実だろう。だが、その死が呪いとなって彼の魂を蝕み、そもそも尼僧は不死身の快楽人間。死ぬことも快楽に過ぎず、夢から醒めるように蘇っただけの話。

 人殺しを愉しみ、人助けも嬉しい。苦難を喜び、受難が心地良い。

 ある意味、無敵な救世主だ。極限の善悪両端を至上の快楽とする魂は、心折れる事が在り得ず、ゴールがない旅路を永遠に歩き続ける事が可能となる。

 

「いえ、遠坂さん。殺生院さんの呪いは解けましょう。私の錬金術と霊媒術があれば可能です。しかし、また別の呪いが生み出ています。それも殺生院さんが仕込んだ悪辣な呪いなのでしょうが、今よりかは良い状態ですので……いいえ、良いも悪いもないのですが。

 とは言え、それでも殺生院キアラは殺します。

 彼女の血を使い、錬金術にて解呪薬を作りましょう」

 

「だったら、それで良い衛宮くん?」

 

「構わない。あれには、償わせなければならない。不死身だと言うならば、幾度でも殺し、殺し、殺し続け、魂が砕けるまで殺し尽くすのみ」

 

 冬木は、悪夢と化した。炎海に沈む新都。戦後日本最大の暴動が起き、暴徒が街中で略奪行為を伴うデモを行い、警察官が惨殺される事件が多発。魔術災害によって火の海となったのではなく、民衆による集団ヒステリーが起こした放火事件が重なり、街全てが薪となって燃え上がった。

 法律上において、民間宗教団体―――と見せ掛けた魔術結社。

 実体が明らかになった今、殺生院祈荒を宗主とする組織はカルト教団としての本性を外側にも現した。

 

「さらばだ、桜」

 

「先輩……今まで、ありがとうござい……ました。姉さんに、どうか……わたしの遺言を……」

 

「あぁ、わかっている」

 

「すみま、せん……」

 

 家族の首を切り落とし、正義の味方は虐殺者による殺戮を喰い止めた。尼僧に洗脳され、影で人々を踊り喰いし、殺戮の限りを尽くした蟲の魔女は死に絶えた。

 洗脳された死徒、受肉した英霊、封印指定の魔術師。教団に所属する戦闘部隊は多種多様であり、二代目魔術師殺しのエミヤからしても強敵揃いだった。彼と同じく、尼僧からの凶悪な呪詛を魂に宿し、人域の臨界を超えた神仏の力量を持つ超越者たちが、強い魂を持つ筈の化け物らが、殺生院と言う女怪一人に全てを支配されていた。

 間桐桜もその一人。しかし、死の淵で一時だけ自我を取り戻し、自分を殺す相手が衛宮士郎で良かったと安堵して、彼に涙を流しながら微笑み、斬首を安らかな気持ちで受け入れた。

 

「桜、サクラ……ッ―――桜、桜、桜!!」

 

 彼女のまだ温かい生首を抱き締め、魔法使いは涙する。その背後から盾騎士は全てを見届け、盾の取っ手が砕ける程の力で右手を握り締めた。

 

「安心して下さい、遠坂様―――奇跡はこれ、この通り。

 既に神の理を私は手に入れています。死は終わりでなければ、別れでもありません。唯の良く在る日常風景なのです」

 

「―――貴様……」

 

 人間が知性と常識を持つ以上、頭を下げずには要られない究極の慈愛。菩薩の化身としか見えない微笑み。あらゆる獣性が克服され、全ての狂気が癒される至高の愛。

 殺生院祈荒がその惨劇に微笑み―――間桐桜は、何の前触れもなく蘇った。

 正に、悪夢そのもの。奇跡が神仏の手で行われるべきならば、それは神のみの御業であり、それの現実は在ってはならない出来事。

 死人が蘇生するなど―――許されない。

 何の覚悟で、衛宮士郎が家族を殺したのか。

 何の遺志で、間桐桜が殺される想いを固めたのか。

 何の決意で、遠坂凛がこの地獄に耐えたのだろうか。

 嘗ての聖杯戦争、衛宮が見届けた英雄王による子供たちへの陵辱。魂の尊厳を穢し続けた十年の悲劇。ギルガメッシュが供物の喰い残しと見捨てた同胞たちの死と、その無念なる日々。

 後悔を失くす為に、奇跡に頼ってはならない。この手でギルガメッシュを上手く手懐けていた神父を殺した日を彼は忘れず、意図せずとも理想の為の殺人は復讐も遂げ、旅に出る決意を固めた運命の出会いからの数日間。

 ―――冒涜、だった。

 何もかもを穢す菩薩の後光、それが照らす悪意ある神の奇跡だった。

 

「…………安心して下さい。間桐様はこの通り、蘇りました。貴方がその手で殺した命を、私だけは元通りにして差し上げましょう。

 勿論、あの教師とその息子も蘇りましょう。

 何と言う完璧な贖罪でしょうや。殺人の咎を完全に償えるのは、この世でたった一人の真人間たるこの私だけ。正しく、魂の絡繰を理解した私にしか出来ないこと」

 

 首と身体が霊子(ソウル)に分解されると同時、根源の星幽界から情報がソウルに読み取られ、息の根を止めた筈の時間が巻き戻ると同時に魂があの世(根源)から再誕した。凛の腕の中で間桐桜は、全く元の儘の状態で、洗脳も解かれた状態で、蘇生してしまった。記録一つ喪わず、完璧な魂と精神で。

 それは洗脳化で犯した罪に対し、罪悪感を覚える知性に戻ったと言う事。

 多くを殺した。楽しく、殺した。男を犯した。女も犯した。子供も犯した。老人も犯した。魂を、影の中で咀嚼した。色欲が働けば、本当に犯してから殺した。

 

「ぁ……ぁ、ぁぁあ、あ―――ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 自我の否定、意味消失―――精神崩壊。

 正気だからこそ、狂気を前にまともではいられない。遠坂凛の腕の中で命を取り戻した桜は発狂し、血の泡を吹き出し、赤い色の涙を流し続けていた。

 素晴しき哉、神の奇跡―――死者蘇生。

 人間が辿り着くべき遥か未来でも在り得てはならない業。不老不死と同じく人類種の歴史にとって罪深い理由が、此処にて実例を以って証明された。

 

「ふふ……うふふふふふふ―――あぁ、魂が高まりますわ。

 人では、人を救えませぬ。死人を甦らせる程、己が魂を極めても。人域を超えた境地に辿り着こうとも。無論、無の果てにて世界を始めた根源に辿り着こうとも。

 神が人を救えない様、神の如き業を得たとしても、人間では決して人間は救えませぬ。

 正義の味方と成り果てた衛宮様、その様な世を前に、貴方は如何にして理想を語りまする?

 この私でも貴方の理想は不可能だと嗤いまするのに、人の魂さえ救えぬ貴方が何故、人を一人でも救いたいなどと夢見ることが出来ましょうや?

 故―――素晴しき、その様の姿!

 貴方はせめて、己が魂だけは自由自在で在るべきだと私、慈悲の念から想いましたのよ?」

 

 死から黄泉がえり、狂い死ぬことも許されない桜の姿。錬鉄を繰り返して鍛え上げた鉄心に罅が入る。いや、その鉄心が嗤い始める。

 嗤う鉄心が―――殺せ、と泣き叫ぶ。

 殺せ。殺せ。殺せ。ただ殺せ。ただただ殺せ。残虐を尽くして殺せ。惨たらしく絶命させろ。

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお―――!!」

 

 愛用する干将莫耶の双剣が理念を喪い、今の新たな理念を基に骨子が組み替わる。人殺しの性能を高め、銃火器の概念と狂い混ざる。あの鍛冶師が抱いた想いが、錬鉄の固有結界の中で冒涜され、新たな殺戮兵器が投影された。

 ―――射ち殺し、斬り殺し、惨く殺す。

 三種の暴力で以って殺人を為す。銃式干将莫耶の真髄である。

 

「あら、私を殺せば――――あの御婦人、蘇りませんよ?」

 

 嗤う鉄心を人間菩薩は更に嘲り嗤う。千分の一秒でも迷っては隙となり、その隙を狙える尼僧からすれば今の錬鉄者など殺し放題。その上で尼僧の瞳から放たれる精神汚染干渉は彼の魂を掌握し、自我を粉々に破壊することで身動きを封じた。

 故に盾騎士は、敵殺害を我慢する精神が吹き飛んでいた。もう自制心を消していた。殺意が、自分の中のあらゆる感情を塗り潰していく感覚を味わっていた。

 茫然自失となって現実逃避と尼僧からの呪詛で固まる遠坂は全く動けず、尼僧によって究極の死徒へ転生した人狼妖精(ガット)デミ・オルト(ファーン)の二体が全能な筈の沙条の足止めに成功し、助けに動けるのは盾騎士だけだった。

 機械仕掛けの銃字盾を変形。まるでロケットの噴射孔にも似た砲門。

 それは飛行機の噴射機関(ジェットエンジン)に匹敵する威力の火炎噴射器。

 炎をばら撒いて人間を焼死させる火炎放射器ではなく、火の熱波を噴射する名前通りの殺戮兵器であり、破壊力を伴った火炎熱波による対軍戦術兵器でもあった。同時に左腕の義手も変形させて火炎放射器形態にさせた。

 即ち、二腕二砲の火炎攻撃。右手の火炎噴射器が問答無用で物体を融解破壊し、左手の火炎放射器が神秘で以って生命力を細胞ごと焼き殺す。

 

「良いサウナの熱波です。今、日本だと流行りですからね」

 

 ピシリと構えた尼僧の右手の人差指と中指。結界術を使う呪文を兼ねた自己暗示(ポーズ)であり、徳を修練で高めた僧侶に相応しい防衛力を持つ結界と障壁の多層防御膜が火炎を防ぎ切る。尼僧に届いたのは空気を熱した風に過ぎず、その言葉通りサウナ程度の熱さなのだろう。

 その儘、熱量を自身の魔力(ソウル)を混ぜ込んで球体に固定。

 更なる高温状態にし、火炎球をプラズマ状態に移行。

 盾騎士にプラズマボールから多数の炎弾が飛来するも全て盾で防ぎ、そのままシールドバッシュの突撃。

 バカの一つ覚え―――と、侮るほど尼僧は幸せな頭脳を持たない。前回と違う戦術を考え付いていると予想し、相手もまた自分の技量を見抜いていることも理解している。

 盾騎士は自分を盾の陰に隠し、義手から仕込み槍を展開。偉大なる盾使いの槍兵から学んだ戦闘術が身体を動かし、盾の動きに対応する尼僧の迅速さに合わせた刺突を一閃。

 だが、尼僧の戦術眼と体術は人域を凌駕した業。その矛を強化した人差指で優しく受け止め、そこから更に電撃を盾騎士へと流し込む。しかし、その義手は医療教会工房の変人アーチボルドの設計によるトニトルスを受け継いでもいる品物。ラテン語で雷を意味するトニトルスと同じく、雷電もエネルギーに変換する義手は尼僧からの電流を吸収し、逆に発電。

 そのエネルギー全てを瞬間変形した義手光刃(ムーンライト)に注ぎ、カウンターの迎え斬り。しかし、同じく腕を暗黒色に発熱させた手刀を尼僧は繰り出し、盾騎士の義手光刃を迎撃。

 カルデアのムーンライトとロンドールのダークスレイヤーが衝突し、だが軍配は尼僧に上がる。盾騎士の義手は弾き飛ばされ、体幹が乱れることで体勢が崩れ、また心の臓腑を抉り触って悦に浸ろうと尼僧はほくそ笑む。胸に手が伸びたその瞬間、盾騎士はまるで獣のように歯を立てて腕に噛み付き、肌ごと肉を噛み千切る蛮行的一手を選んだ。

 それに尼僧は意外性から少しだけ驚く。盾騎士はそんな敵の顔面へ目掛け、義手の掌から炎を大発火。その一撃を受けて蹈鞴を踏み、隙から作った更なる大きな隙を狙い、魂砕きの銃字盾を最速最重の筋力で薙ぎ払う。だが尼僧はあろうことか足技で盾を踏み台にして蹴り上がり、一気に距離をとって安全圏に退避した。

 

「まぁ、何と言う荒々しき接吻。

 そわかそわか。私、とても心が躍ります」

 

「相変わらずの、無敵な変態っぷりです」

 

「何を言っているのやら……と、無知な獣でしたら怪訝に思う言葉でしょう。あぁですが、今の私は魂の悟りを得た人間となりました。

 カルデアに、デミ・サーヴァント計画。人間性を無視した人理編纂の所業。

 悍ましきは星見の魔術師でありましょう。獣性も所詮、人理を尊ぶ人間性の前では知的好奇を満たす食材でしかなく、貴女様の世界において私は魔神柱に洗脳された唯の贄。

 何と言う悲劇。残虐なる末路。余りの憐憫に、この平行世界の私を比較してしまうと、己への愛玩で昂ってしまいます。

 ―――快楽の獣。気持ち良き哉、獣性の悦。

 その名を得られたのは、正に清きカルデアの皆様方の御蔭でしょうや!」

 

 食い千切られた部分を尼僧は自分の舌で舐め、清純な処女のように間接キスの気恥ずかしさで頬を赤らめ、蕩けた瞳を盾騎士に向ける。それは地球を融かす程の、快楽の魔眼による精神汚染だ。知性生命体ならば、異星人だろうが、性行為を本能に持たない人類種だろうと、決して逆らえない魂への干渉。

 盾騎士は自分が蕩けるのを実感する。そして、本能が蕩けた儘に機械的な理性が肉体を問題なく制御する。根源接続者の沙条だろうが魂から発情して身を振わせる魔眼の絶対性だと言うのに、聖騎士の円卓盾に選ばれた乙女だった女は自分自身の精神性そのものを今も絶対の守りとした。

 

「あらあら、うふふふ。何とまぁ……まさか、マシュ様は不感症なのですか?」

 

「その名、今の貴女が呼ぶのは万死に値します。ただ、キリエライトと呼ぶように。

 それと殺生院キアラ、貴女のそれは所詮、私からすれば生理現象を刺激された悪戯程度に過ぎません。気持ち良いですが、別に快楽など己に念じれば我慢出来ますから」

 

「流石は、獣狩りの盾乙女。狩った獣性は全て克服済みと言う訳ですね」

 

 戦いは決着が付かず。流石の全能者も、真祖狩りの真祖に匹敵する妖精もどきと、嘗て灰が地球外生命種から人類生存圏を守る戦いで偶発的に得た細胞で変異したデミ・オルトが相手では殺し切れず。自意識を自力で何故か強引に取り戻せてしまった宝石の魔女も参戦したが、デミ・オルト一匹を高次元干渉攻撃で細胞一つ残さず完全抹消するのが精々であった。

 しかし、その代償は余りにも大きかった。新都はほぼ壊滅し、電波障害で冬木市の電子機器は全て破壊され、文明都市圏としての機能を完全に失った。無論、人命は数千単位で消え去り、戦後日本において未曾有の人災として記録された。

 カルト宗教団体の暴動だったデモはテロリズムと認定され、対日過激派テロ組織が小型核爆弾を使った事による人類史初のシティジャック事件として歴史に刻まれる事態となった。その為、あろうことか実際に協会は裏工作で核爆弾製作の証拠を偽装し、過去最大の神秘漏洩を防ぐ隠蔽工作となってしまった。

 

「あぁもう完全に終わりだわ。冬木のオーナーとして終わったわ。こうなってしまえば、魔術師の家名として名誉も糞もありゃしないじゃない。

 最悪……マジ糞ったれ。最低に最悪な災厄だった。

 時計塔からは落とし前所じゃない呼び出しがあるに決まってる。そもそも、どんだけの費用が裏工作に使われてしまったのかしら……宝石剣、何十本分……まさか百本単位よね。千本単位は行ってないわよね?」

 

「これで貴女も逃亡生活。衛宮士郎と同じ封印指定の決定は確実よ?

 勿論、根源接続がばれちゃった私と、神代の神秘が使えるのが漏洩した殺生院も封印指定された上、教会からも真性悪魔と認定されそうだから逃亡生活になりそうね。

 ぶっちゃけた話、安全な平行世界に逃げた方が手っ取り早いわよ。

 私はその気になれば記憶操作と記録改竄で、教会も協会も操って何事もよしなにしちゃうけど」

 

「―――黙れ、全能ニート。

 そもそも何でアンタみたいな奴が冬木市に潜伏生活してんのよ!」

 

「場所台のお金、ちゃんと家から払ってたじゃない。沙条家は文句を言われる筋合いないのだけど」

 

「そのマネーも今回ので全部、パー!」

 

「私に当たらないで下さる? 淑女として見っともない」

 

 争いは同等の物同士に起こるもの。言い争いも同様であり、知性持つ者が我欲で動けば思考の次元が如何に高くなろうが、口喧嘩程度は勃発する。交渉の主導権を奪い合う為、名誉と清楚をチップにしたマウント合戦が今、二人の淑女同士で始まろうとしていた。

 多分、この惨状から現実逃避したかったのもあるだろう。本当にもう何もかもが出遅れとなり、どうしようもない状態になっていた。

 

「お二人とも、私が弱いばかりに……すみません」

 

「あー……別に、そんなことを思ってないわよ?」

 

「そこの全能者は嘘吐かないし、私も思わないわ」

 

 衛宮士郎はあの後に甦り、撃ち込んだ弾丸から尼僧の体内で剣製の固有結界を展開。特に治癒阻害が屈折延命の効果を持つ概念武装で全身を切り刻むも、死から生へ悦びながら帰還して、更なる情欲をエミヤに向ける始末。そしてあの人間菩薩を確実に始末する為、正義の味方は菩薩の呪詛を悪用することで反転し、悪の敵となってしまった。

 彼の精神が蘇生した理由がそれ。よってエミヤシロウは嘗ての人間性を理想へ捧げる事で正義を喪い、人を失い、だが人を超えた正義の執行者に深化した。呪詛による洗脳を、無理矢理に自分で自分を洗脳する呪いにしたのが原因だろう。

 

「でさ、これから二人はどうする……?

 私は僻地に魔術工房でも作った後、まずは桜と二人で生活するわ。幼児退行してしまったから面倒見ないといけないし、呪いでもう年を取る普通の人間の儘でもいられないくなったし。

 生活がちょっと落ち着いたら、あの外道色尼殺しの旅には出るつもりだけどもね」

 

「あら、良いの? 貴女が死んだら、桜の面倒を見る人がいなくなるけど?」

 

「―――……」

 

「その目、まさか非人間でしかない私に期待でもしてる?

 自分で言うのもあれだけど、恋に恋して男の事情を考えない盲目の間抜けなんて、そもそも人間失格レベルの駄目女じゃない。

 未来を見たくないからと、現実の今も見えなくなってしまうのが私の本性」

 

「その欠点、克服した貴女だと思うけど?」

 

「同じように欠点を克服した殺生院が、今のあの様よ。

 あいつと私、何も変わらない人間性の持ち主。何か一つ違ったら、私は同じことをしている未来を持ってるの」

 

「藤村先生たちの墓も守りたいし、貴女も妹の人生に一回程度は助けになって上げれば?」

 

「まぁ迷惑掛けてばかりだったし……バカ姉バカ姉言って今も見捨ててないし……はぁ、仕様がないわね。

 根源に接続することで失ってたけど、肉親への情ってヤツは厄介だわ。助けと言うか、何と言うか、ちょっと時計塔と交渉して不干渉条約でも結んでおくわね。そうすれば私の妹は勿論、貴女の妹も協会からチョッカイを出される心配はないかも。

 私も私で都合が付いたらそっちに合流しましょう。その後はまたニート暮らしをしましょうか。まさかこの私が自宅警備員ならぬ自宅介護師とはね。神秘を極めても現実は世知辛いわ。

 人理が運営する今の現代社会で根源に至ってもメリットなんてないのに、魔術基盤一つ満足に極められない魔術師って生き物は本当に不思議」

 

「そう。協力してくれるのは感謝します。勿論、心の底からね」

 

「どう致しまして、宝石の魔女。

 それでキリエライト、貴女はこれからどうするの?」

 

「旅を続けます。私の居場所はこの世界にはありませんし、元より根無し草ですから」

 

 殺す。必ず、人間菩薩は殺す。あるいは、死ぬ瞬間を見届ける。一度殺すと決めたなら、盾騎士は必ず相手が死ぬまで足掻き抜く。一度で死なないなら、その精神が摩耗するまで幾度でも。

 彼女は魔法見習いと根源接続者に別れを告げた後、再び一人旅に出た。意表を突いてまだ尼僧が日本に潜伏していることを考え、日本の噂ある地域を彷徨い歩くことに決めた。敵も自分も寿命はなく、時間だけは膨大に余っている。死と言うゴールが消えてしまった人生においてだが、長い時間の掛る目的が出来た事は不幸の中での幸運だったかもしれない。あるいは、あの尼僧もそれを目的にしていたかもしれない。

 通常の現代乗用車形態に外観変形させた装甲車(ボーダー)に乗り、彼女は日本の整備された道を暗い目をした儘、制限速度を律儀に厳守させて走らせていた。

 

 

 

□□□□<◆>□□□□

 

 

 

 カルデアのない人理の世。そこにも異邦者がいる可能性は非常に大きい。盾騎士はソウルで惹かれ合ったのか、その女と日本国の片田舎で邂逅してしまった。

 

「それはそれは……何とも、奇怪な人生を歩んでいるようですね」

 

「火の無い灰。貴女にだけは、憐憫されるのが不愉快になります」

 

「とは言え、私ではない私による罪のようですからね。この私に関係はありませんが、だからと貴女と無関係になるのは私の魂にとって損失に成り得ます。

 ……ふむ。面倒事は複雑怪奇な程、愉しいと相場は決まっています。

 良いでしょう。キリエライトさん、貴女を私の弟子にします。きっと楽しいに違いありません」

 

 確かに、自分が知る灰ではない灰だった。見た目は異なり、魂も違う人間。勿論、性格も全く異なり、こんな事を言うとは欠片も盾騎士は思っていなかった。

 

「―――は?」

 

「原罪探しに今の私はアン・ディールを名乗っていますが、貴女の認識に合わせて改名しましょう。名前など幾ら持っていても構いませんしねぇ……ふふふふ。そうですね、どうしましょうか?

 ―――ココロ。それが良いですね。

 今から私はココロ・ハイミヤと名乗りましょう。どうです、日本人名らしい響きでしょう?」

 

「いえ、別に呼びませんから」

 

「漢字にしますと、心理のシンでココロと読み、ハイミヤは遺灰の灰と宮中のキュウで宮となります。ですので、キリエライトさんと出会ったこの瞬間より私は日本人女性、灰宮心です」

 

「だから、嫌ですよ。呼びません」

 

「仕方有りません。では勝手に、藤丸立香と名乗りましょう」

 

「宜しくお願いします、灰宮心さん」

 

 そこから盾騎士は、特に意味も無く殺し合いの訓練で一日に何度も死ぬ事になる。何を灰は盾騎士の内側から見出したのか、異様なまで彼女が強くなる様に御節介を完全焼却するように焼き尽くす。それはもう御節介を焼き捲くった。

 その結果、同然の如く盾騎士は強くなった。自分のソウルを吐き気がする貌を浮かべる彼女へと無理矢理に喰わせ、灰は愉し気に盾騎士を育てていた。

 

「強くなりましたね。この段階でしたら、貴女のやる気を出す為に少し自分語りをしましょう。

 確か、日本だとこう言うのが流行ってましたよね。隙有れば自分語りをするのを、ネットと言う架空公共空間でナルシストと詰るのが民衆の愉しみらしいですしね」

 

「はぁ……? ネット、貴女みたいのがするのですか?」

 

「勿論です。あの手の他空間交流、好きです。スマートフォンは文明人の必需品。世界情勢など一年経てば古代史になる進み具合の人界にて、電脳空間は大切な世界です。それと昔、真っ当に火の無い灰をしていた頃、とある地面をメモ書きの掲示板代わりに使い、他世界の灰の皆で書き込みお喋りとかしてましたからね。

 お、話が飛びました。ではそうですね、まず殺生院祈荒の人類文明に対する有能性について語りましょうか」

 

「あれの、有能性……?」

 

「ええ。まず、彼女は人類種と地球を救世しています。カルト宗教に相応しい胡散臭い救世主でありますが、彼女は本当に何もかもを救った真実の救世主です。

 敵性外来種の宇宙生命殲滅に彼女の魂が必要だから、私は彼女にソウルの業を教えました。尤もそもそもな話、そうなれば人理によって剪定事象が起こりますので、正確に言えば人理より此処の平行世界を守ったと言えるのでしょうが。

 あ、人理云々はとある別平行世界の灰から聞きました。

 のんびり大昔から神秘研究と自己鍛錬をしてましたが、まぁ此処は面白い人代の人界ですので、助けられるなら助けようと思いましてね」

 

「あぁ……で、オルトですか?」

 

「はい。序で、未来にて迫るアリストテレスの魂も融かして頂こうかと。

 いやはや、ある意味で恒久的な世界平和の実現です。この惑星を喰い潰そうとも此処の人間の皆さんは存分、人間同士で安全に殺し合って頂ける状況になりましたね。

 そもそも、私たち灰は人類種の進化が見たい知性体です。

 行き着いた最後の最後、自滅以外の滅亡などつまらないにも程がありましょう。況して、外的要因で滅びるなんて魂が苦痛に悶えもしません。

 結果、我が究極の弟子は魂を自慰道具にする人間菩薩と成り果ててしまいましたが、剪定事象を引き起こすことはないでしょう。何よりも剪定事象によって生まれた無数の残骸の上で汎人類史を謳歌するこの人類種、そもそも犠牲者の文明圏拡大の素材にするのが通常の生態系ですので、ただ生きているだけでも罪深く、罪深くなければ人間に非ず。となれば、あれが快楽を得る為の贄になって頂き、尊い犠牲者として何時も通り汎人類史に貢献して貰いましょう」

 

「……――――――」

 

 苛立ちが凄い事になり、湧いた殺意が瞬間沸騰したので盾騎士は殺しに掛ったが、パリィされた後に致命攻撃を受け、倒れ込んだ死に体へ更にソウルの結晶槍を叩き込まれて死に絶えた。蘇った直後、おかえりと気軽に言う灰を前に盾騎士は瞳が死んだ魚のように濁り、また対面に座り込む。

 実に、灰は愉しそうだった。人殺しを心底から愉しむ異常者ではあるが、人理から人類愛を学習することで人の業を愛する心を手に入れていた。

 

「酷いことをしますね。殺されるような侮辱を貴女にしたとは思いませんし、そんな程度の悲劇、此処なら日常だと思いますが?

 百年以上はもう生きている筈ですので、邪悪でなければ存在出来ないのが人類種だと分かっているのに。戦争を繰り返し、略奪を繰り返し、殺戮を繰り返す歴史を目撃していましょう。その当事者を殺し尽くせる手段を持ち得ながら、それを放置した貴女が、たかだか塵の如き国益を神託だと崇める無能者以上に、あの殺生院を殺そうとするのは道理ではない。この程度で怒りを表すのであれば、地上全ての国家を解体し尽くし、貴女が悲劇のない社会を作れば良いでしょう。尤も、その為には殺戮と破壊が必須になりますが。

 等と言いつつ、私も貴女も人間です。分かっていますとも。

 間違いだと理解して間違いを犯す自由が、人間の魂にはなくてはなりません。

 あの女の業が未来にて人類種を守護すると知った上で、貴女は彼女を狩りたくて堪らなく、我慢することがどうしても出来ない訳です」

 

「だったら、大人しく殺されて下さい」

 

「報酬は此処までです。殺生与奪の権利など不死には無価値ですが、態と殺されるのは自害と同じです。自殺は趣味ではありませんので」

 

 新宿、高層建築物。表向きは違う名があるが、魔術師たちが殺生院ビルと呼ぶ神代回帰の為の儀礼塔。どうやらエミヤによって殺戮が引き起き、爆破され、倒壊してしまったらしい。世界の何処かに潜伏していると世界各国の政府機関が政治犯殺生院を探してはいるが、まさかの潜伏場所が東京都新宿区であり、更には違うテロリストによってビル爆破によるテロ行為が行われることになった。

 片田舎の一軒家、灰が作った朝食を二人で食べていた盾騎士は、大雑把な朝のニュース番組で表向きに改竄されたその情報が出回ったのを確認した。

 

「噂にも聞くし、貴女からも聞きましたが、エミヤと言う男は派手ですね。あんな街中で高層ビルを神秘で以って爆破するとは。

 殺生院の活動拠点を放置すれば、確かに被害者は数百倍。あの女の性欲発散の為に死ぬ人数を考えれば、百人程度の犠牲者は安いものですね」

 

「命に、安いも高いも……いえ、私には天秤を批判する資格はありませんでした」

 

「人理に尽くした挙げ句、不死ですからね。とは言え、命を比較する行為は悪ではありません。

 さて、今日は農作業の日です。キリエライトさん、畑にレッツゴーです。私の方はハーブ園と茸小屋での作業がありますので、京水茄の収穫をお願いします」

 

「はい」

 

 何故、こんなことになってしまったのか。疑念が脳に寄生する葛藤は生まれ、山中の樹海の中、手入れをする茄子畑に向かう。

 場所は日本国東北地方某県某山中の隠れ里。嘗ての戦国時代、大名葦名一心が統治していたが、内府軍に滅ぼされた土地であり、更に盾騎士と灰がいる居場所は濃密な神秘によって現代文明からは隔離された異界でもあった。

 そんな跡地にて、きのこ人が一人。京水茄子の畑に辿り着くと、盾騎士は灰の茸小屋から脱走した茸型知性体が口を開けて畑の作物を静かにゆっくり拾い喰いしていた。また人間性による実験の所為か、脱走個体は茸からの更なる人化により変態し、魔術世界的には暗黒茸魔人と言う意味不明な知的生命種となってしまっていた。そんな並の宇宙人よりも外宇宙的な風貌のUMAきのこが、ナスをただただた食べていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そこに葦名山に生む魔獣化巨大熊も現れる。管理が緩過ぎる灰の牧場から脱走し、未だに確保されていない一匹だろう。

 通称、ダークベア。灰が暇潰しで創造した悪意ある知的幻想種。

 正式名称、暗黒月輪熊(ツキノワグマ)。自らの創造主である灰を滅殺する為、そして実験と称して異形の化け物になって死んだ熊仲間たちを仇を討つ為、暗い血に凶悪な怨念の遺志によって適合し、人化してしまった彼女は実験施設から脱走した復讐熊である。

 

「―――……」

 

 暗黒茸人と暗黒月輪熊が殺し合い、仲良くなり、十分後に灰抹殺の為に手を組む光景。光学迷彩で透明化した上で気配を遮断していた盾騎士は、ソウル実験成功体が脱走した挙げ句、その被造物に恨まれる灰の自業自得な復讐劇を特に手を出すことなく見守るだけに留めていた。

 そしてソウルの業を源とした魔術基盤の独自魔術により、擬態魔術で魂のカタチを変形させ、肉体を人間形態に作り替える一本の茸と一匹の熊。既に現代社会に適合しているのか、人化した儘に山を下る方向へ進んで行き、この人外である筈の二体は人里へと下りて行った。

 

「んー……と、そこはかとなく地獄ですね」

 

 独り言を呟き、盾騎士は空を見上げた。時間は正午少し前、太陽が浮かんでいる。だが此処は灰の魂が支配する異界常識内部であり、その太陽はその空間内における神秘たる太陽。灰のソウルが夢見る異界であり、神代以上に意味の分からない神秘濃度となり、植物性の巨人が傍を歩くことで丁度盾騎士が居る場所が影に覆われた。

 此処が何故、現代日本……と疑念に脳味噌が支配されつつ、彼女は当初の目的である京水茄子の収穫を再開する。

 源の宮から流れ落ちる滝の水で育てられる茄子畑。近くには多腕の水棲奇形腫が村落を形成し、悪霊と怨霊が物理的に実体を持って彷徨い、地面からは亡者が地獄から抜け出る様に溢れる。土地神がまだ色濃く存在する所為か、此処の生物は神が住まう食べ物を摂取することで未だ進化をし続け、人間も人間と言う括りの幻想種の一種となるだろう。

 

「きー、うきー……きー」

 

 茄子収穫をする盾騎士が森と気配を一体化させていると、そんな彼女にさえ気配を悟らせない獣が一匹、背後で葦名産太郎柿をムシャムシャと頬張っている。正体は赤兜を被り、股間に褌を巻く人間サイズの白い老猿。腰に概念武装化した安土桃山時代の古い日本刀二本を鞘に入れ下げ、背中には旧日本帝国軍製一〇〇式機関短銃を背負っている。

 余りにも古くから生きる知性持ちの獣。土地神が憑き、長生きの末、現代にて灰に出会ってしまった不運な者、蟲に適応し切れず巨大化することはなく、ただの不老でしかなったのは幸運だったが、葦名を新拠地にしようとする灰の来訪が猿の運命を決め付けた。

 

「き!」

 

 そんな人間臭過ぎる上に獣臭くもある老猿は、盾騎士の肩に手を置いてサムシング。意味は分からなかったが、この猿が縄張りで育てる果樹園の柿を袋から取り出して渡して来たので、恐らくは励ましと憐れみだと言うことは理解出来た。

 人間が獣化した古都ヤーナムの獣より人間らしい、啓蒙高き人化猿。憐憫と言う人間文明の獣性さえも兼ね合わせる人間性(ヒューマニティ)な猿に盾騎士は複雑な気分になるが、この柿は恐ろしく甘い上に美味い。

 

「どうも、です……」

 

「うき!」

 

「いえ、酒は要りません」

 

「うき?」

 

「おにぎりも大丈夫です」

 

「うきー」

 

 人間文化圏を学習した猿は、人を模倣する集団生活を営んでいる。樹木の上に猿用の木製小屋(ウッドハウス)を作り、畑や田んぼを耕し、あろうことか豚や牛などの家畜も飼育いている。神域に達した剣士たるこの白猿は、その村落から賢者ならぬ賢猿として崇められる世捨て猿だが、猿村の外れに住んでいるだけで縄張り内の一匹であることに違いはない。村猿から貢物が多く渡され、この白猿も暇潰しの趣味で行う果樹園栽培の柿を渡し、猿の村からすれば土地神が色濃く残った神秘なる食べ物として愛されていた。

 そして賢猿の名の通り、この白猿は神秘にも通じる魔術師である。むしろ、幻想種として人間以上の性能を、人間以上の知能で使う森の賢者である。旧日本帝国軍の一〇〇式も魔術礼装化され、実はこの猿が気に入って弟子入りさせた灰によってソウルの業も学んでいた。

 あの灰は、やはり何処か可笑しかった。猿にまで、その者を人間にしてまで、ソウルを学ばせていた。

 まるで疫病を流行らせる様、気に入った誰かの魂へ自分自身の分身と言える己が業を教え込むのを好んでいた。あるいは、自分自身を増やそうともしているように見え、この平行世界は灰の暗い魂を継ぐ業の持ち主が多く存在していた。

 神秘は無論、武術や思想も同様だ。

 ソウルの業を含めた己が業を誰かの魂にした。

 盾騎士が知るカルデアの灰と違い、カルデアのないこの平行世界の灰は同じ原罪の探求者で在りながら、思索の方法が全くの別物。不死身の"人間”が多くおり、灰は有る意味で自分のソウルを己がソウルで観測する趣味があった。

 

「―――む」

 

 直後、金髪紫眼の青年が何処ぞから現れた。木製のハンマーのような槌の闇杖を背負い、登山の枝切り兼獣肉解体用の狩人的鋸鉈を持ち、散弾猟銃と護身用大型五連装回転式拳銃を持つ男。完全武装しつつ、戦いの気配を纏わず、まるで空間に人型の暗い孔が空いたと思える異様な存在感。

 そんな男が全くの予兆なく、霧から晴れる様に姿が突如として背後にあった。野生の直感を持つ白猿も、人の気配には敏感な盾騎士も、この男が声を漏らすまで全く気が付かなかった。

 

「あー……え、まさかヴォイドさん?」

 

「む……―――成る程。そう言うこともあるのか。

 マシュ・キリエライト。このオレは初めましてと言っておこう」

 

「はい?」

 

「気にするな。気にする事でもないのでな。では、これを渡しておこう。

 あの灰には君からオレが感謝をしていたと伝えてくれ。とは言え、ヤツからすれば魂の尊厳を人類外から守るのは、この星に住まう人類として当然の善行だと謙遜するのだろうが」

 

「えっ?」

 

「つまるところ、オレはあの人類種の化身たる灰の弟子だ。

 時間が惜しいので、もう異界還りを行う。オレの代わりにオレの言葉を伝えるものが居れば、オレ自身の言葉は無用となる。あの人間も、そのオレの考えを察し、理解する」

 

「はぁ!」

 

「さらばだ。まだこの世界を彷徨うのであれば、邂逅することもあるだろう」

 

「あの、ちょっ―――!?」

 

 盾騎士は手渡された良く分からない未確認生物の生首を見下ろした後、そのまま風に吹かれた霧のように消える異端者を見送る破目になった。挙げ句、まだ魂が宿っているのか、その首は瞬きを行い、音無き声で断末魔の遺志を発し続けていた。

 正しく、茫然自失。何が何だか分からない。

 地獄だと此処を思っている彼女だが、まだまだ地獄の方が分かり易い。奇奇怪怪な異界魔界の坩堝と言えよう。剪定事象の世で知り合いだった知り合いではない奇人が、神代であれば地球人類種が神と崇めるだろう真エーテル炉心な宇宙生命の頭部を渡して来るとか、一体どんな因果でこうなるのかさっぱり分からなかった。

 

「うき!」

 

 盾騎士の肩に手を置き、老猿は葦名太郎柿をもう一つ渡した。彼女の心に、獣からの憐憫が沁み渡った。

 灰から教えを受けた弟弟子である暗黒域人間である彼の事を良く知る老いた賢猿は、何もかもを知りたがる知識欲の塊であり、外宇宙の理を知る故、彼の脅威を正しく理解していた。即ち、正しく理解している為、無害であることも理解していた。

 この人理世界に、この灰が来た理由は必ず意味がある。ロンドール竜学院など作る程、業を広めるならそれこそが灰の探求。盾騎士のカルデアにおける灰は弟子を積極的に作らなかったが、此処がそうなら人間性にとって必要な因果律となる。

 

「しかし、首。なんで、首です……?」

 

 その声に反応したのか、蛞蝓と蛸と象を合わせて奇跡的に人間らしい合作にした生首は、ギョロリと言う効果音が聞こえそうな動きで瞳を盾騎士に向けた。だが意図は分からないが、老猿がその生首の眉間に手刀(チョップ)を下ろすと瞼が閉じられた。

 もしかしなくても、これまだ生きているのでは……と、足指から脳天まで鳥肌が立つが手を離すことはしなかった。

 

「うきっきっき!」

 

「貴方、私より頭が良いのですから教えてくれても良いのでは?」

 

「き!」

 

 喉を指先で叩き、発声機関が人間と違うとアピールする。その後、白猿は地面に指先を当て、異常なまで達筆な文字を土へと書いた。書道家と名乗れる程、綺麗な文体で現代日本語の長文を瞬き程の間にて、指を流れる様に走らせた。

 

『なんじゃろな。あの男、ぶっちゃけ灰も良く理解しておらんし』

 

「そうなので?」

 

『灰曰く、宇宙と交信した地球外人類種と言う話じゃ』

 

「成る程。その詳しい交信内容は知らないと言うことですね」

 

『猿でしかない儂はのう。あの灰は魂を持つ時点で、その魂が分からぬと言うことは有り得んのでな。機械だろうと意志のある魂であれば、その肉体に宿る魂を理解可能だろう。

 なればこそ、此方側を観測した時点で灰はあらゆる暗黒領域を暴き出す。

 可哀想な事よ。たかだかこんな辺鄙な惑星に手を出した時点で、奴等の文明域は人間性の闇に沈む運命に辿り着いた』

 

「まぁ、あの灰はそう言う女ですね。人類に売られた喧嘩、絶対に買って、相手を狩って、人間って言う闇に絶対に還します。

 外宇宙の暗黒領域を如何する気か知りませんが……あれ、その為の殺生院ですか?」

 

『曰く、エロで星を救うのもまた人間性と。

 火の簒奪者として、最大の啓蒙が彼女のソウルだったと申しておったぞ』

 

「うわぁ……うわぁぁああ――恥、です。

 全宇宙に誇れる痴的に知的な生物に人間がなっちゃいますね。宇宙人と星ごとヤれるとなれば、あの人も励みますね」

 

『人間の交尾文化、猿の儂から見ても獣らしいぞい』

 

「遺憾の意、人類種として表明させて頂きます」

 

 等と言い、生首を老猿に渡した後、盾に収納しておいた野菜籠を取り出し、それに水茄子を入れてさっさと去ろうとした。此処に居れば、またどんな珍生物と邂逅するか分からない。白猿が生首に生えた髪を掴んで猿らしく頭上でブンブンと振り回し、クケェェと生首の口から魂を切り裂く怪音が漏れ出る中、ある意味で珍しい銃声が森の中で響いた。

 パンパン、と更に連射される発砲音。そして、木々を薙ぎ倒す破壊音。胡乱気な瞳で唐突に童心へ帰る白猿を見下ろしつつ、盾騎士は溜め息を思いっ切り吐き出した後、その場所へ向かうことにした。この異界山は日本の退魔組織や魔術結社に封印地区に指定されているとは言え、猟銃会の猟師が神隠しにあって入り込んでしまった可能性も零ではなく、民間人が魔物から逃走している場合もあるだろう。

 

「―――惨たらしく、絶命しろ」

 

「■■◆◆◆■――――!!」

 

 灰が生み出した無機物生命体、翼の生えた巨像―――死蝋のガーゴイル。

 対峙するのは黒装束の魔術師、陰陽双剣銃の男―――エミヤシロウ。

 ガーゴイルは超高機動で空を飛びならが動き、両刃剣を舞う様に振り回し、黒い大剣を剣豪の如き巧みな剣捌きで斬り放つ。エミヤは巧みな身のこなしで回避するも避け切れず、体に衝撃が走るも剣化した鋼の肉体が防ぎ、隙を狙って銃弾を撃つも単純に堅いため弾丸が弾かれる。

 対等な戦いとは言えない。戦局はガーゴイルの優勢だ。速度、膂力、技量、体格において巨像が上。エミヤが勝っている点を強いて言えば、戦術と戦略の二つ。ならばと陰陽両刃剣をエミヤが作れば、ガーゴイルも両刃剣を構え、互いに同得物による潰し合いが始まった。

 面倒な事になったと盾騎士が思考した瞬間、戦術が脳裏に浮かび―――ホーミングミサイルを銃字盾から発射。

 破壊力はグレネードに劣るが誘導性に優れ、推進力を維持しつつ標的のガーゴイルに接触。爆薬が破裂することで高温が生まれ、装甲を融かしながら弾丸が突き進み、ガーゴイルの躯体の破壊に成功。だが敵は盾騎士の殺意に気付き、左腕で防いでいた。とは言え、灰の神秘と現代科学に加え、錬金術師のロボット工学によるガーゴイルの体は理想的な超合金性で堅い上に柔らかく、熱波と冷気にも強く、破壊は出来たが腕を千切り取ることは出来なかった。

 その瞬間、ガーゴイルは己の不利を悟る。一瞬で空を飛び、空中から大地へ、大剣から暗黒火炎の飛ぶ斬撃を斬り放つ。

 エミヤは螺旋式機関銃(カラドボルグ)を撃ちながら、後方に跳ぶことで飛来する斬撃を避け、更に盾騎士も銃字盾の仕掛け機関銃を発射。

 十字掃射(クロスファイア)によってガーゴイルが一瞬で蜂の巣にされるも、あろうことか"我慢”することで防御力を向上させることでダメージを強引に軽減。この暗い人の像は人間性の死蝋により、灰から業を継いだ対人兵器であり、人間だった。

 人間の―――魂だった。

 死なず、止まらず、諦めず、決して絶望を受け入れない。

 火の無い灰に導かれた自由なる人の像―――ガーゴイル。

 エミヤに宿る嗤う鉄心が、それを共鳴する。このガーゴイルと全く同じ、人間の死蝋で固まる壊れた剣の魂が奴を殺せと理想を嘲笑う。ガーゴイルも、人間でなくなった自分を嗤う様、壊れた機械人形のようなこの人間を殺したくて堪らない。

 逃がすものか、と双銃遣いは嗤った。

 逃げるものか、と死蝋人像は嗤った。

 投影したワイヤーフックを像に引っ掛けたエミヤは宙に飛ぶガーゴイルに張り付き、まるで葦名の忍びの如き体術で宙を舞う。そして巨像は振り落とす為に躰を高速回転させるも、彼は手の爪を剣化させることで喰い込ませ、その近距離から直接手から魔力を流し込み、その魔力で投影を発動。エミヤの起源たる剣の銃弾が体内から固有結界が限定展開され、ガーゴイルの肉体を今度こそは破壊。銃弾を幾ら撃ち込んでも体内に入らなかったが、これならば片足を捥ぎ取るのに問題はない。

 しかし、空飛ぶ為の翼は健在。ガーゴイルは止まらない。

 盾騎士は銃字盾を投げ、それに立ち乗り、仕掛け展開した火炎噴射器を軌道。更に魔力防御を応用することで魔力の飛行翼を作り、戦闘機の形状を模倣。そのまま星見の義手をムーンライト(光学兵器)に変形させ、突撃する勢いの儘に彼女はガーゴイルを手刀で斬り裂いた。

 しかし、その一閃を死蝋の大剣で受け逸らす。

 敵がまた一人増えた。この葦名の異界において素晴しいことだ。

 いやまだ一人―――否、一匹、宿敵の気配をガーゴイルは察知。

 白い老猿は純粋な己が脚力だけで、魔力も神秘も使わず、生物としての機能だけで空を舞った。腰の鞘から抜いた日本刀を抜刀術で二本同時に引き抜き、あの貴き神たる桜竜の剣技に似た風の斬撃を放つ。そして山に籠もり、剣を振り続けた日々が、剣を振う度にその重みが刀身に圧し掛かる。その斬撃を巨像もまた斬撃を飛ばす事で空中で相殺し、更に天高くへ飛び立った。

 流石に三体一はフェアではない。矜持を持つ故、殺し合いに拘りはない。

 ガーゴイルは重力を操る事で流れ星となり、そのまま異界の何処かへとあっさり逃げ去ってしまった。

 

「うき……きき……!」

 

 特に意味の無い行動だと分かってはいたが、老猿は背負っていた一〇〇式機関短銃を上空に向かって乱射する。苛立ちは即座に発散した方が良い。それが老猿にとっての暴力の悟りであり、雑念を仕舞い込む人間性に相応しい賢者の落ち着きなどに虚無の境地を感じられなかった。筋肉に技巧を乗せた流水の暴威こそ、野生的な闘争の真髄だ。なので銃が大好きな剣神猿は、獣性に従がって銃声そのものに心を奪われるのだろう。

 そのまま腰の巾着袋から太郎柿を出し、一齧り。美味い。葦名の新鮮な水で育った柿の木に実る果実は、猿に生きる活力を注ぎ込む。

 これを食べて元気にならない生き物はいない。そう白猿は真理を伴ってエミヤと盾騎士の所に向かうが、あの魔術師は駄目そうだと一目で剣神猿の野生的直感で啓蒙された。

 あの男、心が壊れている。いや、呪われた心を自分で破綻させることで、その呪いの呪縛から解放されている。しかし、それは自己暗示に近い洗脳であり、呪詛を与えた相手からの洗脳と混ざり合い、新たな呪詛が壊れた心に上書きされている。

 これ――――殺した方が、良い。もはや呼吸をするだけで、脆くなった魂に罅が入る。

 死が救済だな、と瀕死の野生動物を楽にして上げたい慈悲の念を白猿は覚える。だがそんな死の心得を思い留まり、ゆっくりと誰かの命を思いやる優しい殺意を心中の鞘へと収めた。

 との事で、コミュニケーションの大切さを異文化異種族交流を通じて知る老猿は心境を改め、巾着袋の太郎柿を黒い魔術師に渡すことにした。

 

「き。うき」

 

「猿が、柿……?」

 

「頂いて下さい、エミヤさん。魔術回路が癒されますよ」

 

「ならば、頂こう。君の言葉は絶対、心底より信頼しなければならん」

 

「そこまで盲信されましても……」

 

「いや、でなければ殺生院は殺せない。君の忠告を良く聞いておけば、私は間違えなかった。私は、君より私の考えを優先することを二度としない。

 思想を持つことは、罪悪だった。

 感情を持つことは、悪徳だった。

 私は、君の言葉を正しく理解する殺戮兵器で在らねば、あの女を殺せない。

 殺さなければならん。確実に殺す暴力装置となることが理想。そうだ、それこそ理想的な正義である。私は理想の為、理想に殺され、理想をこの手で殺し尽くす」

 

「……そんな、ことは―――」

 

「―――ない、と?

 だが嘗ての君の助言に従い、あのビルを爆破したのは正しかった。元より手心など価値はないと示したのが、君だ。

 こう成り果てる前、そも人を救う為に人を殺し続ける終わり無き旅を始めた。殺すべき敵に慈悲を持つ等、己が理想に己への救済を見出そうとした愚か者の自慰行為だろう。あの女が喜びそうな考えだったと、今は反省しているさ」

 

「もしかして……それで、私なんか会いに、こんなところまで?」

 

「それ以外、あるまい。私より遥かに利口な賢者である君ならば、そもこの脳味噌などメスも使わず啓き見れることだろうに」

 

「まぁ……分かりました。あの死蝋ガーゴイルと殺し合いになった経緯も読めましたし……で、柿は?」

 

「うき!」

 

「すまない。頂こう、猿……―――何と言う、柿。

 秘蔵する魔術師の髄液が、使い尽くした動物油に感じるな」

 

「それより、ここの柿汁の方がマシなのは確かです。あるいは、葦名の米で作ったおにぎりの方が素晴しいですよ?」

 

「成る程。少し、帰る際に頂いておこう」

 

 猿と別れた後、盾騎士は宇宙生物の生首を手土産に住処へと帰る。京水茄子は勿論だが、背後からエミヤは無言で付いて来た。流石の彼でも地球外生物の生首を持つ盾騎士には引いていた。

 歩いて一時間、走って数分の谷。其処から更に盾騎士は義手のワイヤーハンドを使い、エミヤも投影ワイヤーフックを使い、道無き道の谷を跳び進んで着いた葦名の谷砦。その隠し寺を大幅リフォームした場所が灰と盾騎士の住処となり、既に灰は台所で昼食を作り終えていた。

 

「まぁ、あらあら。キリエライトさんにエミヤさん、おかえりなさい。

 もう御飯、出来てますよ。手、洗面台で洗って来て下さい。勿論、エミヤさんもね」

 

「あ、はい……っ――ではなく、ヴォイドさんから首を貰って来ました。お知り合いで?」

 

「虚数空間で悪さをしている際、私を殺しに来た時に返り討ちにしました。面白い魂をしてましたので、我が落とし仔に相応しいと思いまして、弟子の一人にしました。

 あれ、会話が愉しいです。宇宙運営の神秘、聞けて良かったと思います。

 その首だけ宇宙人は、確かなんだったけか……言ってしまえば、月からの外来種です。死徒の親分じゃなく、他生物らしいのですが、それはこれから調べて解明する予定です」

 

「そうですか。では、これを」

 

「どうも」

 

 盾騎士から受け取った生首を分解し、自分のソウルへと融かし込む。何もかもが啓蒙され、死徒誕生の元凶たる月世界に隠された神秘も全て理解したが、それはそれとしてソウルが良い味して美味い。

 地球外知的生命体。あるいは人類種に崇められる者。

 神性無き外なる神。神の如き神ならざる異邦の住人。

 内側から外の世界に出た灰は、地球もまた内側にある世界に過ぎず、結局は人の世が人以外のヒトに制御されていることに溜め息が出る。

 原罪が生み出た世界。その大元を求めて故郷の外側に旅出た簒奪者は、その旅に終わりがない事実だけが癒しとなる。だからこそ、地球の外側のソウルは灰にとって愉しみでしかない。尤も、この首が何なのかは灰にしか理解は出来ないのだろう。本当に月で生まれたのか、あるいは月に旅出た古い時代の人間の残骸なのかも、灰にしかもう分からない。

 と灰が思考している間、盾騎士は魔術で躰を浄化した後、洗い場で手を洗う。エミヤも彼女に従い、さくっと手を洗って灰の居る居間に戻る。

 

「麻婆豆腐と、おはぎです。どうぞ、エミヤさん。元気、出ますよ」

 

「…………猿に貰った柿を、食べたばかりでね」

 

「どうぞ」

 

「わかった。頂くとしよう」

 

 自分のソウルの重みで相手の魂を屈服させる統一言語よりもある意味で凶悪な言霊により、灰は自然な微笑みでエミヤを座布団に座らせた。

 

「いただきます」

 

「はい。召し上がって下さいね」

 

 中華、四川料理―――麻婆豆腐。枯れた舌に刺激を与える劇物。

 地獄の名に相応しい葦名の料理である。灰が作るなら、尚の事。

 感情が薄くなった自覚のある盾騎士は、味覚から伝播する痛みを伴う辛味に脳が震え、麻婆豆腐の本質が啓蒙された。香辛料が融けた油の旨味成分もまた脳を侵し、辛味と旨味で涙が出そうになった。

 

「―――――」

 

「美味しいですか、エミヤさん?」

 

「辛いが美味い。オレの舌でも分かる刺激だ」

 

「まぁ、そうですか。調理技術、数千年間、鍛えた甲斐がありました」

 

 十分後、麻婆豆腐を食べ終え、口直しの葦名米のおはぎも食べ終えた。

 

「それで、用事は何でしょう?」

 

「貴様に用は……まぁ、少しだけだがある。メインはキリエライトに対する頼みだよ」

 

「成る程。良いでしょう、キリエライトの自由意志を私は縛りません。我が業を授ける鍛錬は例外ですがね。

 我が弟子、人殺しの道具として頼りたいのでしょう?

 勿論、これ以上の褒め言葉はありません。この世の人であるならば、縄張り争いはこの文明圏における繁栄の華。殺人殺戮の業は、素晴しき技巧でありますからね」

 

「助かる。でキリエライト、構わないか?」

 

「良いですよ。何時ものことですからね。人理の矛にして盾を自称する身、人助けの為の人殺しは慣れています。

 それでエミヤさん、灰に対する頼みとは?」

 

「貴様がロンドール竜学院で育てた弟子、殺生院を殺すのを手伝え」

 

「断ります。エロはヒトを救います。

 この宇宙に生まれる知性が繁栄を求めるならば、宇宙が知性を必要とする限り性欲は魂となって知性種に刻まれ、性欲からの解脱は宇宙からの解脱をも意味します。全人類が聖人君子となり、救世主の資格を得て、神を超え、あらゆる人間が人間の究極と至るとなれば、あの人間菩薩たる獣の救世主は不要となりますがね」

 

「つまるところ、あれは必要なのか?」

 

「はい。過去に一度、世界と人類史を救世しています。またあの人間菩薩が救世主と転変する機会がありますので、此処で殺せば対知性兵器として私が完成させた苦労が水の泡となっちゃいますからねぇ……ふふふ。

 やるならば……―――いえ、それは貴方が考え、貴方の意志で零から行って下さいな」

 

「そうか。では、そうしよう―――……封印は手伝えると?」

 

「良いでしょう。これ、契りの剣です。投影の為の情報を今、こうして見せましょう。

 ついでに我が傑作たる火継ぎの螺旋剣です。貴方、螺旋剣が好きだそうで、人間の運命を模すこの螺旋も好みの部類だと思いますよ」

 

「―――…………急に、出す品物ではないな。

 見た瞬間、脳細胞が死滅した。宝石剣に並ぶ劇物だぞ、それ」

 

「その為の、麻婆豆腐とおはぎ。神宿る大豆の豆腐と、炊き立て米のおやつです。その脳、良い雰囲気で蘇生されることでしょう」

 

「ならば、心底より感謝しよう。これならば、あの女のお遊びを邪魔立て可能だろう」

 

「どういたしまして。あの子はとても有能ですが、世界を守る救世主の代わりは他にもいますので、未来を気にせず頑張って下さいね。

 いざとなれば、そこのキリエライトさんも良い子です。この人理世界を救うのならば喜んで、人身御供になって貰えましょう」

 

「それを普通、本人の前で言うものでしょうか?」

 

「不死たる貴女程度の犠牲で、貴い限りある命が救われるのです。釣り合いは向こう側が重く、我ら不死は余りにも軽き人命。

 尤も、ただ同然の我ら不死の献身で救われる安い世界ともなりますが。

 なので別に構いませんでしょう。ほら、ゴミ拾いレベルのボランティアとは言いませんが、幾万円を寄付するような程度の善行だとは思いませんか?」

 

「思いません」

 

「そっかぁー……じゃ、仕様がない。

 尼僧狩り、そんなにやる気が出ない雰囲気ですかね?」

 

「やります」

 

「では、手伝って上げてね。エミヤさん、見るからに死に急いでいますし、死に場所を探してますから」

 

「人間の気持ち、分かり過ぎて人の心を喪ってますよ……」

 

「何と。ではマイルドに言いますと、頑張り果てた人には、良い死に方をさせて上げるのが人間性の証明だと思うよ」

 

「心がない……―――あぁ、それで偽名で灰宮心と名乗ってるのですね」

 

「皮肉に聞こえるのなら、今からでも藤丸立香と名乗っても―――」

 

「―――殺しますよ?」

 

「いけませんね。殺すだなんて言葉使うのは、人間性に反する意志じゃあないですか。

 エミヤさんを見て下さい。彼は機械的に宣告する人。本当に殺す相手にしか、命の尊厳を躙り潰す相手にしか言わないでしょう?」

 

「だったら、大丈夫ですね」

 

「成る程。それなら大丈夫でした。ちゃんと殺す気があるのなら、とても真摯な言葉になりましょう」

 

 灰は、とても嬉しそうに微笑んだ。きっと人間を、人間が救うことが出来るだろう。人間が、人間を救う世界を人類種は作れるだろう。

 人類文明の進化を見届けたいが、それ以上の願望――魂の進化。

 答えは外側にある。いや、新世界を目指し続ける自分達の魂から生まれ出る。

 見付けるモノではなく、魂から作られるモノなのではないのかと、あらゆる平行世界で活動する原罪の探求者を継ぐ灰は考え付いていた。

 繋がり合う火を簒奪した全ての灰は、人理の世界に辿り着いてしまった暗い太陽の人間は、同じ原罪で繋がり合い、探求を共有していた。

 

 

 

=====<◎>=====

 

 

 

 美しく光輝く為の、火を模す人間性の形―――太陽賛美。

 アルファベットで例えれば、綺麗なY文字に見える灰の挨拶。尤も太陽を簒奪した今の灰が行えば皮肉極まり、天井から吊るされた盾騎士はこの格好を強制させられている。

 此処は、牢獄だった。正確に言えば、牢屋風のプレイルームだった。元は特殊性癖のニーズに応えるラブホテルの一室だった。

 その部屋の中央にて、拘束具に縛られた盾騎士の姿。彼女を拘束した変態の趣味なのか、余りにも際どいコスプレ染みた服を着せられ、辱しめる気が物凄く伝わってくる熱意が篭っていた。

 尼僧が求めるのは肉体だけではない。精神と魂まで犯さなければ意味がない。いや、そうでなければ他人で遊ぶ際、最大の快楽でもって気持ち良くなれない。

 

「名付けて――デンジャラスビースト。

 平行世界の私から啓蒙されたカルデアの叡智です。貴女も貴女様で、私に負けない趣味をお持ちのようで」

 

 Y字拘束された盾騎士の露出した脇を指先で撫でつつ、尼僧は菩薩の微笑みを浮かべている。その上、彼女に近付き、股から唇まで鼻先が触れる距離で体臭を嗅ぎ、特に意味もなく衝動的に接吻をした。しかし、ただの口付けではない。煩悩的な深みのある舌入れの所業(ディープキス)。生々しい吸引音がしそうな程。それは灰のソウルから学んだダークレイスの秘儀であり、人間性への攻撃であった。

 肉体を強制的に興奮させ、人格を塗り潰す性的快楽であり、魂を蕩かす魔性の唇だ。それを既に数十回は受けた盾騎士ではあるが、感情がない死んだ魚の目で尼僧を見ているだけだった。

 

「飽きませんね。殺生院さんも、ある意味で不自由な人間です。その魂の起源になってしまった混沌衝動を、ソウルの業で支配することで逆にその快楽に虜になっています。

 人間性の―――いえ、快楽の奴隷です。

 獣性を支配する立場となることで、貴女は神になることを拒絶しました」

 

「勿論ですとも。この世の、今のこの私、快楽狂いの魔性菩薩には微塵足りとも興味はありませぬ故。未完で在り続けることが正しい進化の人間性。完成を求め続ける在り様こそ、我が人間菩薩となりましょう。

 即ち、快楽とは――魂の尊厳でありました。

 知性を求めた宇宙が魂を根源から呼び込んだ様、本能が快楽を喜ぶのも知性体にとってこの世界で進化する為の活力なのです」

 

「自覚があるなんて……その、恥ずかしくないのですか?」

 

「全然。むしろ貴女こそ、私が趣味でその服とも言えぬ服を着せましたが、その格好で凄んで恥ずかしくないのですか?」

 

「全然」

 

「そうですか。悍ましい程の強き心でありますわ。

 破廉恥な格好で縛られ吊るされ、並の人間でしたら数十万人を蕩け殺す我が接吻を幾度も受けても平常心を喪わないのは、ちょっと人類種と呼べる魂ではありませぬことよ?」

 

「如何でも良いことです。死に慣れた私達にとって、快楽の熱は命の熱に似て心地良く、それだけの話でしかありません。

 ……で、沙条さんはどうしましたか?

 貴女のことです。どうせ、殺すのは惜しいからと玩具にしているのは分かってますが、程度によって私の怒り具合は変わりますからね」

 

「貴女様の予想通り……―――では、ありませぬ。

 その幾倍化の快楽が魂を犯しました。根源と言う外側と接続した端末存在でありましょうが、此処は我が師たる灰の人血絵画を学んだ私だけの心象風景となりますれば、ね」

 

「まさか―――……そんな、馬鹿げた事を……?」

 

「我が廃退神都は生温く御座いません。快楽の全てを既に私は―――啓蒙されました。

 となれば、もはや魂を外なる理に束縛される意味は無し。覚る者の悟りは既に不必要となった身において、運命と因果から自由にならねばなりませぬ。

 魂が生まれた律から、この宇宙を生み出した法から―――快楽の為」

 

「そんなことの為……―――馬鹿げてます!」

 

「はい。ですが、快楽に狂うのもまた魂。我らの魂を生んだ何者かにとって、愚かである事もまた正しいのです。

 いえ……この所感は正しく在りません。所詮、この世とて根源の内側にある世界。

 正しく言えば、正しくない事など有り得ません。間違いを犯すこともまた、正しき選択の枠から外れませぬ。それがこの完全無欠の曼荼羅足り得る我らの宇宙が、我ら全ての魂を根源から落とし流した理由となりますれば、そうとしか考えられないのです。

 だから―――気持ち良く、なりたくて堪りません。

 人間の魂が覚える本能と欲望に禁則など無く、禁欲もより深く逝く為の魂の快楽でしょう」

 

 卑猥な姿の盾騎士(デンジャラスビースト)の服の内側に手を入れながら、太陽賛美(Yの文字)で拘束される貴き女を尼僧は言葉も使って弄ぶ。

 

「ですから、貴女様が我慢なさる今の快楽は間違いであり、正しくもありましょう。

 そもそも魂に備わった機能でありますれば、知性体として性欲に溺れることは普遍的な人類種の真理」

 

「それを、貴女はこの異界の真理としただけの話ではないですか?」

 

「ふふふ。えぇ、その通りです。これは私の魂にとっての真理です。灰に魂を啓蒙され、人間菩薩となった私と言う女が導き出した答えです。

 その果て、神たる根源接続者を人間に戻せました。あの御方を常々私、心底より可哀想だと思っていました。

 始まりから終わりまで何かもが根源と言う理に定められ、あらゆる魂が根源の律に縛られ、そもそも人類種が自分達の被造物たる集合無意識に歴史を制御される人界にて、その全てが分かって仕舞われるのは憐憫に値します。

 故、あの女は不自由なのです。生まれながら、禁欲されております。

 何一つ自由のない人理の世にて、我々は知覚を第七感覚までに抑えられることで、即ち無知であることで不自由を自由だと錯覚出来ますのに」

 

「……成る程。確かに、貴女は灰の弟子に相応しいですよ」

 

「ええ。あの女は、何処までも人間でした。快楽狂いの儘に私を、人間の儘で人間を愉しめる魂を御教え頂けました。

 愉しく気持ち良い自由な魂が、今の私の信条ですからね。

 神の力を手に入れても、神になれば人間自体で気持ち良くなれない何て事実……えぇ、目から鱗でしたから」

 

「で、貴女は何時までこうして自分語りを私に?」

 

「まず、知って頂けなければなりません。貴女の全てを私が知っている様に、貴女にはまだまだ語り続けなければなりませぬ。

 無論、理解出来ぬ無能者は直ぐ様に蕩かせば良いだけのこと。私と言う人間性に堕落し、溺れてしまえば良いだけ。

 ですが、キリエライト様は私と同じ"人間”でありますれば、意志疎通は何事よりも大事。人間性を理解し合えるのならば、それを求める事もまた人間性の本質なのです」

 

「その相手を縛り付け、自由を奪って無理強いするのが意志疎通ですか」

 

「すみません。しかし、仕方がないことなのです。

 それが私の――自由だった。それだけの事です。

 そして私に挑んだ貴女は、その自由意志に従い、誰にも縛られず自由に未来を選択した結果―――自由を奪われる未来に辿り着きました。

 自由には責任が伴います。あるいは、自由に生きる代償として罰が下されます。

 貴女様が自由に生きる私に責任を取らせる為、罰を下しに来たように。私を殺すと言う殺人の罪科に囚われず、正義を自由に執行する貴女が私に敗れ、その責任でこうして自由を喪ったように」

 

「分かってます。人間性に、善悪の価値基準は意味を為しません」

 

「所詮、他との比較があって成立する価値基準ですからね。善に絶対はありません。

 大切なのは、己が善を絶対に貫き通そうとする人間の意志であります。その人間が生き様を示すことで、意味が宿った善に価値が生み出るのです。

 無論、悪も同様です。ただの悪は理性と言う道具を手に入れた本能的欲求でしかありません。それを人間が罪と共に為すことで意味と価値が生じましょう。あるいは、無価値と言う虚無の価値が生まれるのです」

 

 盾騎士は、魂に宿る心の底から軽蔑した。そこまで人間を悟っておきながら、人間性を完璧に克服する資格を有しておきながら、自分と言う人間だけを救う救世主となった尼僧を。

 

「そこまで悟っているのに、何で貴女は―――こんな様に?」

 

「悟った故、この様なのです」

 

 直後、快楽の熱が盾騎士から離れた。普通なら精神崩壊を起き、魂が形を保てずに蕩け、人間が人間性を万回は喪う気持ち良さが身体に渦巻きながら残留することで、本能的に尼僧を求める躰を完璧に意志一つで支配することで彼女は呻き声一つ洩らさなかった。

 毎日の日課(プレイ)をこなした後、尼僧が出て行く。その三時間後、台車に乗った人一人が収まる程度の細い鳥籠の小牢が部屋へと、メイド姿の女性の手でゆっくり運ばれて来た。そのメイドは何処から見ても殺生院祈荒と瓜二つであり、魔力や気配と同じく内側のソウルさえも同じだった。完璧に彼女そのものであるが、何と言うか存在感に妖艶さが足りない。むしろ、清楚と呼べる程だ。

 正体は分身―――アルター・エゴ。生殖行為による自己増殖。

 相手を孕ますのでなく、自分が孕むでもなく、己がソウルで汚染した魂を自己存在へ転生させる第三外法。殺生院に成り果てる前は男だったかもしれないし、女だったかもしれず、老人かもしれず、子供だったかもしれない。あるいは、妊婦の胎の中にいた赤子だったかもしれない。

 盾騎士は、その事実を即座に啓蒙された。悍ましさの余り、直視するのも心が堪えた。盾騎士とて本来、心が折れれば最後には殺生院祈荒に魂が生み変えられる。あの尼僧の心象風景に塗り潰され、魂が液状に蕩けることで快楽の絵具となり、世界を彩る気持ち良いだけの色彩となるだろう。

 今の尼僧にとって快楽に貴賎はない。善行も気持ち良く、悪行も気持ち良く、加虐も被虐も気持ち良い。人間を滅ぼす魔人となるのも、星を救う救世主になるのも、やはり気持ちが良い。子作りと言う現行人類種数万年の繁殖行為もまた、遺伝子がそれを喜びとする善行であり、尼僧の快楽は人類史に根差した獣性の証でもあるのだろう。

 そして鳥籠を盾騎士の部屋に置いた後、メイドは清楚な佇まいを崩さずに出て行った。殺生院と同じ姿であるにも関わらず、デンジャラスな獣姿な盾騎士に色欲の瞳を一切送らず、まるでロボットように無感情な貌であった。

 

「……ん、あー……キリエライト。まだ大丈夫みたいね」

 

 鳥籠から人の声。両手を手枷で縛られ、そこから吊るされた者の言葉。足は伸ばしても鳥籠の底には着かず、強制的にぶら下がっている状態だった。

 

「沙条さんこそ、まだ沙条さんで居られて良かったです」

 

「まぁ、ね。しかし、これでも幸福感もあるのよ?

 人間としての人間性。全く、無知とは幸せだわ。

 人の魂は皆、根源から生まれたのにその根源と繋がらないのも当然よ。

 全知全能なんて価値は無い。この世の全てを知ろうとする愚かさにこそ価値は宿り、この世の全てを知る嘗ての私に価値は無い。

 その点、何処までも色尼に感謝してると言って良い。

 あぁ―――……まさか、死ぬのが怖い何て。繋がっていた生まれ故郷の根源に還るだけだと言うのに、それだけと分かってるのに恐ろしいの。死ぬ程の気持ち良さも、恐ろしくて堪らないの。

 全能性を捧げて手に入れた人間性が此処まで愛おしいとは―――…‥全く、なんて無様なのかしら。

 何もかもが分かって、それで分かり切った雰囲気の女に、命に価値がないことを正しく理解して仕舞える人間になんて、私の騎士様が振り向く訳もない。国を救いたいなんて憐れなまで愛おしい人間性に溢れたあの王子様が、人間性の欠片も無い人真似をした神に心惹かれる道理がない」

 

「饒舌です。テンション、凄く高いみたいです」

 

「今の私の魂と同じく、こんな籠に入ってる所為かもね。それにしてもキリエライト、何て破廉恥極まる格好をしてるのかしら?

 無理矢理着せられてるのなら分かるけど、そこまで様になって着こなしてるのはどうかと思います」

 

「白いワンピース一枚で吊るされてる人に言われたくないです。それ、下は裸ですよね?」

 

「そうよ。色尼曰く、なんでもこの世で最も清楚な幻想らしいわ。理解出来ないけど。裸ワンピースは、裸エプロンに匹敵するとか、しないとか」

 

「ワイハの漫画合宿でジャンヌ・オルタさんと一緒に私は学びましたが、貴女は日本人なのに日本の娯楽文化の知識が少ないようです。

 後、裸エプロンは日本人にとって普段着ですよ。日本出身の英霊のタマモさんは、エプロン一丁で廊下を彷徨ってましたし」

 

「へぇ……?

 今は繋がってないから分からないけど。それ、根源にも記録されてるのかしらね?」

 

「さぁ……?

 人間で在る私は、宇宙の創造主じゃないので分かりませんが」

 

「それもそうね。しかし、手枷で吊るされてるから皮膚が痛い筈なのだけど、何でか痛くないのよね」

 

「あぁー……あの変態僧侶のことです。痛みで気持ち良さが翳るのが嫌な信条なのでしょう。やがて、痛いのも気持ち良くなるのも待っている可能性も大いにありますが」

 

「―――……はぁ、付き合い切れないわね。

 自慰行為に他人を巻き込んでる時点で、そもそも自慰ではないのに」

 

「立派な強姦行為ですよね。相手を蕩けさせて、心が折れれば合法とか思ってるのでしょうか?」

 

「やってる事、アルハラからのセクハラだわ。あの魔女が王子様と一晩致し、不義の子を作ったのと同じだもの」

 

「三人共、知人ですから私はノーコメントで。ノーコメント」

 

「そう。色々と、大変な日常生活だったのね」

 

「……ノーコメントで」

 

 その瞬間、コンコンとプレイルームのドアがノックされる。盾騎士(キリエライト)接続者(サジョウ)の二人は会話を止め、其方の方に視線を向ける。当然の事ではあるが、この拘束された状況でノック音に返事をするほど酔興ではなかった。

 なので十秒後、ドアは自然と開いた。返事がなければ無人と判断するのだろうが、まるで中に人がいる事が分かっている様に丁寧で静かな入室だった。

 

「失礼する」

 

 その男―――完全武装した変質者。頭部をヘルメットとガスマスクで守り、更に防弾チョッキで胴体を守る姿。背中に銃火器を幾本か背負い、腰には鉈と斧や手榴弾を下げ、今はモーゼル(レッド9)を装備していた。

 本来の彼ならば武器など要らないのだが、此処は接続者さえ根源と接続出来ない様に、光の無い暗黒領域からの波長も届かない異界。その本人自体の戦闘技能しか使用出来ないソウルの領域であり、流石に生身一つで戦い抜く気はなく、そもそもソウルの業を覚えた後は趣味に走っている節があった。時間が立つ程、その傾向はより強くなり、暗い宙の魂を持つ彼が人間性に目覚めつつある証拠でもあった。

 

「む。キリエライトに、接続者か。こんなラブホテルで奇遇だな。いや、当然の合流とも言える。しかし、何とも言えない状況だ。

 その格好、所感に過ぎんが―――エロい目に遭ったか?」

 

「見れば誰でも分かりますよね、ヴォイドさん?」

 

 ガスマスク男が当たり前過ぎてトンチキな推理をすれば、盾騎士だろうと胡乱気な瞳になるのも仕方がない。

 

「そうか? いや、そうだな。君、肌色の面積が大きく、布地は局部しか覆われていない。これでは刺激が強過ぎる。オレの目の保養にはならず、逆に毒となるな。

 この異界は、性欲を持て余す。成る程、これが人類霊長種の思春期か。

 しかし、非人間が快楽に愉しく狂えるとは。いやはや、実に愉快な知性体への救済方法だ」

 

 ふむ、と何に納得しているのか分からないが頷いた。第三者が傍から見れば、ガスマスクとヘルメットで顔を隠す変質者が卑猥な格好をさせられた女性を見て愉しんでいる様子だった。

 

「ちょっと。そこの暗黒端末な貴方、女が拘束されてぶら下がってるのを観賞するのが趣味でなかれば、助けて欲しいのだけど。勿論、御礼はするわよ?」

 

「すまない。助ける。それと敢えて言うが、オレにその手の性癖は皆無だ」

 

「分かってる。貴方、淡泊そうだもの」

 

 本来なら根源との繋がりが断絶された異界において、魔術基盤と接続して使う神秘たる魔術と魔法は使えない。魔力やエーテルなどのエネルギーは存在するが、それを使う為の法則が機能しない。しかし、己が魂を使うことで魔術基盤を使わず、単独の神秘として魔力を消費。即座に彼の手から理外の暗い波が放たれ、どのような原理が働いたのか分からないが盾騎士と接続者の拘束具が外された。

 魔術基盤が接続不可能な異界なので魔術は使えないが、肉体の神経の使用権を取り戻すことで肉体が動き、霊体の神経である魔術回路も使用可能となったので魔力を扱うことは可能。何より、ソウルの縛る術式が肉体から離れた為、魂が神秘を扱える状態になった。

 

「ありがとう、端末者さん」

 

「感謝は受け取る、接続者。だが対価は要らない。人間が同類種を助けるのは、社会的生物として必然の生態系だ」

 

「確かに。私も立派な真人間だし、分かるわ。善意が人格をより良い方向に形成するもの」

 

「ナイスジョークですね、沙条さん」

 

「え、何が?」

 

「え、全部ですけど……あれ。まさか、本音?」

 

 戯言を言い合いつつ、行動は素早い。盾騎士は魂が解放され、プレイ衣装(デンジャラスビースト)から戦闘用スーツに早着替え。そして即座にソウルの業を応用した武装化を行う。通常ならサーヴァントの機械鎧(オルテナウス)に着替えるのに数分は必要だが、サーヴァントの武装化と同じ様な事が可能。

 とは言え、全能なる接続者は一応はまだマトモな人類枠。盾騎士の様な着替え能力も使えなくもないが、彼女と違って装備は没収され、此処は根源との繋がりがないので永続的な投影魔術で服は作れない。尤も投影による服を着れば、ダメージを受けた瞬間に全裸となる強制的ノーダメ縛りとなるので流石の沙条でもそんな趣味はない。

 

「接続者、服はある。こんな事もあろうかとな。意匠はオレの趣味になるが、良ければ着てくれ」

 

「啓蒙的なまで気が利く男ね。人間性薄そうなのに紳士が生態付けされてるのは、ポイント高いと思う」

 

 何故か『そうだ、根源に行こう』とデカデカとプリントされたクソダサパーカーと暗黒色のジーパン、そして女性用下着を渡された沙条は宇宙を漂う猫みたいな表情を浮かべる事になった。

 宇宙的美的感覚、なのだろうか……と彼女は訝しんだ。

 とは言え、根源と接続出来ない今の身では全能足り得ない為、悩みを思うだけで解決することは不可能。悩みをしっかりと悩み続けられる事に感動しつつ、失恋のショックでニートの悟りを得た自分並に駄目人間かもしれないと彼女は思い悩み、端末者に胡乱気な瞳を向ける事にする。

 

「前言、撤回。貴方、ダサ過ぎません?」

 

「そうか。君の為に御洒落ポイントといて、オレが無地のパーカーにプリントしておいたのだが……ふむ、要らぬ御節介だったか」

 

「良いけど。別に、良いけど。好きな王子様とデートするって訳でもないし」

 

「なら、着替えると良い。また、オレに覗きの趣味はない。直ぐに出て行き、別行動に移る」

 

「まぁ……うん、ありがとう」

 

「それと次に再会するまでの忠告をする。キリエライトの心境を考えれば見た瞬間、怒りに我を忘れ、悪手を選択するかもしれないからな。

 殺生院祈荒は、洗脳した衛宮士郎と―――擬似新婚生活を愉しんでいる。

 どうやら藤村大河なる魂を貪っていたらしい。彼女のソウルを自分の色彩にし、高校教員藤村先生を演じている。その上、平行世界を観測することで藤村大河と衛宮士郎が結ばれた可能性の未来を知り、それを模倣しているようだ」

 

「―――――っ……!!」

 

 端末者の予測通り、盾騎士は脳が瞬間蒸発した。余りにの怒りに義手を力任せに振い、壁に叩き付け、一撃で何かもが吹き飛んだ。彼女をカルデア最強の兵士に鍛え上げたオルガマリーが開発したマシュ・キリエライト専用の魔力防御反転魔術式、アサルト・アーマーも義手限定解放され、まるで騎士王の魔力放出の如き破壊攻撃を可能にした。

 尤も、対獣機械鎧(オルテナウス)を着る今なら全身で同じ事が可能。悪魔殺しや灰が放つ神の怒りに匹敵する対魂性能を持つ今の彼女の一撃は、生きる神の魂を砕くことも出来る。それを義手だけの止めたので、まだ理性を喪う程の憤怒ではなかった。

 

「ありがとうございます、ヴォイドさん。接敵時、隙を晒す無様を見せなくて済みました」

 

「それは良かった。では、オレは立ち去ろう」

 

「はい」

 

「私からも感謝するわ。じゃあまたね、端末者さん」

 

「ではまただ、全能なる接続者。菩薩に啓蒙された今の人間性に溺れぬ様、気を付けろよ」

 

 暗黒領域の端末ではなく、地球の人類種として能力を制限された男は全身武装の儘、時間に追われる社会人のような忙しさで部屋から直ぐに出て行った。

 背徳の廃退神都―――アラヤシティ。

 地上の何処にも無く、地球のどの時空間にも無い都。

 しかし、街並みは現代日本の都市に類似し、だが見た事も聞いた事もない企業が経済社会を回し、都市国家が単独で存在するだけの歪な世界。特異点とも異聞帯とも呼べず、何かしらの概念を今の魔術世界では付けられない異界としか呼べない場所。

 一つ正しく言えるのは、人間菩薩の魂が夢見る世界と言うことだけ。

 即ち其処は、規律と秩序が快楽社会によって運営される人間社会だ。

 本能に根差す原始的快楽である性行為は無論、あらゆる娯楽活動によって快楽を得る社会であり、知性体としてある意味で完璧な平和が実現した夢想だった。恒久的世界平和が実現された理想社会であり、快楽中枢に精神活動が支配される管理社会でもあった。

 そんな眠る人々の為の夢の国。住民は確かに人間であるが、正体は殺生院に融かされて一体化した信奉者の魂を利用した転生体。

 蕩けた後の、死後の世界。

 あるいは、夢見る魂の中。

 その全てを理解する盾騎士は路上で集団過密性行為をする民衆を視界に入れつつ、発狂並のダサいパーカーを着る接続者を連れて街を歩いていた。

 

「吐き気がします……」

 

「うわぁ……あれ、ナニをドコに入れてるのかしら?」

 

「見ない方が良いですよ。脳髄が快楽に塗り潰れます」

 

「しかも、全員が殺生院じゃない。悪趣味だわ」

 

「人間と言う知性が全て、そのソウルとなっているのでしょうね」

 

「男性体、女性体、男児体、女児体、両性具体。何と言う気色悪さ、正に殺生院パラダイスって雰囲気ね」

 

「貌で個人を識別する必要がなく、他人と比較する意味がない快楽社会の平和です。自分も他人も、気持ち良くなる為の存在なのでしょう」

 

 挙げ句、蕩けた腐肉のように人間は分裂する。いや、人間なので新たな繁殖能力と言った方が正しいかもしれないが、新しく誕生する生命はあらゆる可能性の人類種(セッショウイン)。もはや新人類名のホモ属として、ホモ・セッショウインと言うべき新型霊長類だ。ソウルがソウルと交じり合うことで新たなソウルが作られ、根源由来の魂ではないソウルが快楽種として、性行為と言う工程を踏むことで生まれ出た。

 まるで自分が蕩けて殺生院になる錯覚に盾騎士は襲われるが、そう感じるだけで彼女の精神活動に影響は全く無い。彼女の精神性は普通の女性に近しいものだが、英霊からしても規格の精神力と強靭過ぎる人間性を持ち、快楽を啓蒙されるだけで魂を汚染されることはなかった。

 ―――降臨にして、光臨。

 星光に満ちる菩薩の後光。

 背後の曼荼羅がまるで旧約聖書の天使の翼の様でもいて、あるいは悟りを得た人間が放つ叡智の光源なのだろう。

 空に菩薩が満ち溢れている。

 気持ちが良い快晴の大青空、人間菩薩が溢れている。

 

「此処はお天気も殺生院みたいです。沙条さん、これって良い天気と呼んで良いのでしょうかね?」

 

「まぁ、ある意味で気持ちが良い晴天ね。空模様まで交じり合う快楽快晴だなんて、神経質なまで徹底してる。愉しくて堪らないのでしょう」

 

「ウェヒッヒッヒヒヒヒッヒ……―――あ、ちょっと発狂していまいました。

 此処は頭が可笑しくなります。快楽行為に快楽し、快楽が気持ち良く、そして快楽行為に没頭する無限螺旋です」

 

「眼から血が出てるわ」

 

「貴女は、鼻血も出ています」

 

「気持ち良いって感覚が、もう気持ち悪くて仕様がないの」

 

「同意します。ヤバいです。マジヤバです。

 それと会話はなるべく途切れないようにして下さい。実を言うと発情していまして、なるべく精神に負荷を掛けずに気を逸らしたい状態です」

 

「それには私も同意だわ。

 精神活動を妨げる快楽攻撃はキツい。今だって物理的に脳から神経伝達物質が溢れ、快楽ホルモン漬けにされてるもの」

 

「確かに……ん?

 あ。ふと思ったのですが、沙条さんって凄い美人さんですよね?」

 

「ちょっと。キリエライト、顔が近いわ。耳に息が当たってる。脳味噌が茹っているみたい」

 

「――……あ。すみません、狂ってました。

 周りの建築物が殺生院の組合せのようで、道は殺生院の貌が敷き詰められ、太陽も殺生院の貌が輝いているようで、段々とこの空気も淫らな殺生院の吐息に感じられ……あ。あ、あ。あ。あ、あぁ!

 酷い、酷い幻視です。幻覚です。五感までの狂気ならいざ知らず、六感も可笑しい……七感さえも、狂って来る。狂います」

 

「はぁ……――仕方無いわね。

 貴女がそうしたいなら、私の体だったら貸すわよ?」

 

「あー……あ”-……いえ、すみません。正気を思い出しました。

 殺生院以外でスッキリすれば一時的には気が晴れるかもしれませんが、一度でも色欲に溺れれば、戻れないかもしれません」

 

 索敵戦闘時以外は余り被らない機械兜(ヘルメット)を、モードレッドが持つ宝具の兜のように鎧から仕掛けを起動して装着する。目的地は分かっているが、気を紛らせる為に殺意に没頭したかった。憎悪と怨念の中に、救いがあることを理解していた。

 完全武装対獣兵器(パーフェクト・アーマード・マシュ)が瞬間的に具現。スリムな近未来的機械鎧に似合うマシンチックな仮面であり、まるでSF作品に登場するヒト型ロボットのような意匠。レフ・ライノールの研究物から技術と盗んで作ったオルガマリー所長の魔術レンズと、それに数多の性能を追加する補助機械が付いた単眼の擬似・千里眼。

 その千里単眼(モノアイ)が怪しく、美しく、赤く光り輝いて周囲を一瞬で索敵する。

 結果―――周囲全てが殺生院。透視、未来視、過去視、その全ての視界に殺生院。何処まで行っても、彼方まで逝っても殺生院。

 交じる。混じる。雑じる。解けて、融けて、熔けて、溶けて、蕩け合う。

 魂が蕩ける。世界を観測する時、世界から個の魂が観測される。盾騎士が世界を覗き込む時、世界(セッショウイン)もまた盾騎士を覗き込む。

 魂と魂が繋がった。ソウルがソウルに呑み込まれた。

 神の如き獣。だが神に非ず、獣に非ず、人間性から生じた快楽だった。

 

「沙条さん……私、快楽の中で悟りました。

 憎悪の中に救いは有りません。戦場で戦い続けても、人間は救われません。なのに、戦場から逃げても次の地獄が待っているだけでした。どうせ人間は、自分達が数十万年も地球で住み続けて、そうやって積み続けた人間性に救われないのです。

 ヒトは、救われないのです。

 だから、戦わないといけません。

 けれど、蕩けてしまえば―――……もしかして、この悪夢から逃げ出せるのでしょうか?」

 

「無理ね。貴女、もう魂がそう言う領域じゃない。

 断言するわ――もう、根源に落ちて魂が安らぐこともない。

 正しくあの獣が人理焼却に目覚めた憐憫に値する悲劇でしょうね。その体は人間に作られた命で、生命の営みから外れた兵器として生まれ、なのに魂が根源に還る事も出来なくなってしまった。

 不死とは―――ソレ、なのよ。

 精神死による亡者化さえも克服した灰の人間性とは、永遠に生きる事が出来るの。そんな人間が快楽の渦に蕩けた所で、所詮はそんな世界の中でも異端に過ぎないでしょう」

 

「正真正銘、死の無い魂ですか……―――はぁ、殺生院さんでも無理なのですね」

 

「永劫、共にいることは出来るわよ。この悲劇も、時間が経てば摩耗するもの。まぁ、趣味ではないので殺し合うけど」

 

 快楽園都市部を抜けた先の住宅地。単眼アーマーの盾騎士とクソダサパーカーの接続者が辿り着いたのは、古びたアパートだった。日本の何処にでもある普通の建物だった。

 まるで昭和時代の風景。ノスタルジーの夢。

 懐古と言う名の、過去に浸り犯される快楽。

 昔を美化する事で今から逃避する自慰行為。

 ただそれだけの場所。所詮、全てが殺生院。

 しかし、一人だけそうではない人間が居た。

 少年が一人、夕暮れの商店街が買い物をしていた。周り全てが殺生院だと言うのに、その異常を常識の光景だと錯覚することで日常生活を送る憐れな生贄がいた。

 

「藤ねぇ……―――いや、大河の好物は……っと」

 

 そんな独り言を耳も良くなる単眼の機械兜を被ることで聞こえ、盾騎士は人間性の汚濁に瞳が穢れる。それは殺意を超えた形容し難い憎悪と怨念―――人間性の澱。

 

「見てられません……」

 

「所詮、年増女の自慰行為。恋を知らず、愛に溺れた業の慰め物かしら?

 全く以って美しくないわ。恋は夢見る心、愛は溺れる心って事、あの女じゃ分からないわよね」

 

「アレじゃあ何の実感もないでしょう。取り敢えず、放置すると新婚プレイに励む様を見せ付けられます。藤村さんに変化したあの女と衛宮さんの性行為を見る気はありません。吐き気と眩暈で死にそうになります。

 ―――掌握(■◆◆■)固定(□□)

 捕まえました。やれやれ……これ、私たち侵入者に対する生餌ですかね?」

 

 あらゆる触媒を融かし込んだ仕掛け義手。あるいは、殺して来たソウルが持つ神秘を宿す簒奪の左腕。灰、悪魔、褪せ人、そして狩人の人間性が潜む邪悪なる魔の機械であり、カルデアが作った災厄の魔術礼装であり、今は最早、機械仕掛けの神の左手だった。

 その手が、上位者の言葉(オト)によって呪文が唱えられた。

 盾騎士から人間では理解不能の概念が流れ、それに近しい人類種の概念が当て嵌まり、上位者化した人間の脳が根源に還れない悪夢の神秘を具現する。それは暗黒の端末から助言を受けた事で手を打つ算段を組み立てられ、彼の御蔭で安全に行使出来た一手である。

 

「あ”ぁあ”あ”あ”ぁぁあああああああああああ!!!」

 

 褪せ人が心臓を喰らった竜の腕を実像に結ぶ様、盾騎士はアメンドーズ(アミグダラ)の見えない左腕を脳と繋がる悪夢から召喚。神秘によって衛宮士郎に戻っていたエミヤの脳を発狂させ、強引に洗脳の精神毒を叫び声に変換させて排出。尼僧と交じり合うことで精神に適応し、肉体も過去に戻っていたが、その変化が打ち破られる。

 黒い肌。刈り上げられた白髪。その長身は黄色と黒の装束で覆われる。体中に亀裂が走り、呪詛が刻み込まれ、一瞬で変わり果てた。

 錬鉄の魔術師殺し、エミヤシロウ。もしもの幸福と言う名の快楽から、正しい現実の苦痛を取り戻した悪の敵である。

 

「久しぶりです、衛宮さん。気分は如何でしょう?」

 

「夢から醒めたさ、キリエライト」

 

「はい。中毒症状も無い筈です。

 ですが夢とは本来、苦痛塗れの現実に対する麻酔でもあります。毒になる夢が悪夢となりますが、夢は夢」

 

「分かっている。程良く心地良い快楽の悪夢だった。しかし、所詮は夢幻だよ。夢の中で夢を叶えた所で、そこに救いは存在せん」

 

「それは良かったです。

 じゃあ、人間菩薩―――狩りましょうか?」

 

「当然だ。殺そう。

 その前に、だ……全能の魔女、格好が恐ろしく不格好だ」

 

「見て見ぬふりをするのが紳士だわ」

 

「そうか。では、何も見なかった」

 

 悪夢に取り憑かれている様子はない。接続者は特に迷う素振りもせず。霊媒治療の要領で指先を頭蓋骨を透け抜けて頭脳に直接手に触れ、魔力を流して刺激を与える。霊体に直ぐ影響を受けて状態は戻るかもしれないが、彼女は簡易脳外科霊媒手術を行い、ロボトミーの要領で感情と理性を物理的にも切り離した。

 序でにその指先、体外に排出されることで実体化した"快楽(ジュソ)”が具現する。

 余りにも美し過ぎる輝きで、万人が魅了される人間性の現れだ。それは日本の暖かな春、空気の中を揺れ落ちる桜の花弁と瓜二つ。

 

「快楽の呪詛、ねぇ……桜色の花だなんて皮肉が過ぎる。二人共、そうは思わない?」

 

 握り締め、破戒。接続者は怒りを覚えた自分の人間性を、何故だか嬉しく感じる。

 

「同感だ」

 

「異議なしです」

 

 投影した対物理狙撃銃を背負いつつエミヤは答えた。先程同様、兵士のヘルメットと単眼(モノアイ)マスクを合わせたような貌の儘の盾騎士は、その恐ろしき仮面で頷きつつ、銃字盾に外付けの未展開状態のブラックバレルを装着。

 

「あ、シロ~! もう何処をほっつき歩いて――――」

 

 振り向き様、エミヤは狙撃銃から対空間投影弾(カラドボルグ)を発射。同じく、盾騎士も一切躊躇わず自分の人間性と啓蒙を装填してブラックバレルを発射した。

 高校教員、藤村大河―――を演じる人間菩薩が、即座に蒸発。

 数多の神や獣を殺した黒い銃身と、投影魔術師による宝具の爆裂。粉微塵よりも酷い惨状に成り果てるも、魂が不死である菩薩は宇宙を太陽系を焼却しようと生存する。

 

「あぁ……何て、ことを。とても酷いですわ。

 先程の攻撃にて我が胎内にいたソウルが消えてしまいました。私は確かに藤村大河でありましたのに、人の死はとても残念でありましょう」

 

「黙れ、物の怪。腐った甘さの息を吐くな。

 死ね。ただ、死ね。徹頭徹尾、徹底的に―――死ね」

 

 自己愛と他者愛。憐憫死と憎悪死。無様故、慈悲を抱く。悟りを得た聖人の境地を得ながら、自分だけを救う女が命を愛する菩薩の笑みを浮かべる。

 もはや、言葉は不要。無言の儘に、盾騎士と接続者は狩り殺しに掛った。

 エミヤは弾丸を撃ち続け、弾丸が尼僧の体内に入り込む度に固有結界を暴走させた。

 そして、二分三十秒後―――尼僧は当たり前の様に勝利した。盾騎士は内部破壊打撃によって臓器が死滅した状態を固定され、錬鉄の魔術師殺しは四肢を砕かれた上で魔術回路を停止させられ、接続を切られて人知無能に陥った接続者は神経機能のほぼ全てを官能狂いの呪詛で痺れさせられた。

 

「単純な欲望――セックスを致したいのです」

 

 動けない盾騎士に馬乗りになり、彼女の耳元で呟く。特に意味も無く舌を耳の穴に入れた後、甘腐れた吐息と共に鼓膜を直接的に呪詛声で震わせ、脳を快楽の概念そのもので染め上げる。

 

「―――と、麗しい少女姿の女を襲えば、あの正義の味方が復活するに決まっております」

 

 再起動したエミヤの魔弾を歯で受け止め、噛み砕き、嚥下する。それによってラインがソウルとソウルで結ばれ、快楽感覚が彼へ固有結界と共に逆行し、官能に魂が汚染された。

 瞬間、仕掛け義手を銃砲形態(ハンドカノン)に盾騎士は変えて魔力弾丸(エーテル)を発射。

 それを尼僧は素手でパリィし、嫌がらせで弾道が接続者の方へ逸れた。弾丸が当たって地面に転がり、白目を向いて気を失った。

 

「ヒトは、性欲の前では平等であります。この世は性欲が全てです。人間は人間を裏切りますが、快楽は人間を裏切りません。人理の繁栄に快楽は必要不可欠でしょう。故、性行為で快楽を得ると言う脳と肉体を設計図として遺伝子が作られ、知性は本能を喜びましょう。

 人間性には気持ちが良いと言う快楽そのものに―――価値が、ある」

 

 そして、地面から触手影が実像を成す。接続者と錬鉄者が四肢と胴と首を拘束されて宙に吊るされ、序でに四肢の骨を更に砕いた。身動きが出来ない上で、完璧に身動きが出来ない状態にさせ、その上で痛覚神経が感応する刺激を全て快感に変換した。

 凶悪なまでの感応的絶頂が気絶していた二人の全身を襲うが、真顔で耐え抜き、だが魂が持つ人間性へ快感が染み込む。

 

「さて、此処は極楽。獣性によって完成した人理の答えであります。皆様、幸せを私に蕩けて受け取りなさい。我らの魂、決して死んで根源に還る必要などありませぬ。

 快楽の―――律。

 人代を啓蒙して頂けた狂い星様、どうか見届けて下さいな」

 

 感極まる尼僧の耳に、カシャリと言う金属音が入る。直後、桜色の麗しい呪詛が垂れ流れる頭部を唐突に、散弾銃から放たれた水銀弾が吹き飛ばす。

 尼僧を背後から銃殺した女。狩り装束の女。血腥い女。月の香りがする女。

 その女は地面に散った脳漿を踏み付け、人の気を容易く狂わせる微笑みを浮かべる。宇宙の深淵よりも深い狂気の貌。魔術師が夢見る根源と同じ次元に存在する夢の異界に、悪夢からの落とし仔が訪れた。

 

「すまんな、人間性の獣。狩りの時間だ」

 

「……何者、ですか?」

 

「グランドフォーリナー、月の狩人―――ププラ。

 親愛なる盾の狩人の為、貴公を殺しに来た人間だ」

 

 血に酔う人間狩りの刻。二人は殺し合い、人理の終わりの終わりで許された冠位の霊基を得た霊体の狩人が、灰の弟子たる人間性の化身を打ち倒した。快楽の獣性を獲得した人間を幾度も殺し尽くした。殺人現場たるそこは最早、星が命を夢見る人理の外側。最果ての外側である根源の渦の向こう側にて、快楽の人間菩薩は殺された。しかし、不死故に蘇り、ならばと首を捥ぎ取って保管することに狩人は決めた。

 人間――ホモ・サピエンスはそも、認知によって世界を生きる。感覚器官から取り入れた情報を脳内に挿入することで、現実と言う名の虚像を演算する。全てが脳に繋がる。謂わば肉体も現実を夢見る為のパーツ。余りにも優れた虚構を作り上げる脳機能進化により、他のホモ属である人類種を皆殺しにして霊長たるヒトの位を星から与えられた最優秀殺戮知性体。

 本来、生き物は名誉の為に死ぬ意味などない。

 そして、生きる事以外に命を奪う必要もない。

 神と言う概念を作り上げる脳が、進化の根底。

 脳が生んだ集団共有する概念を理解する知性。

 謂わば非現実を現実だと幻視する事が人間性。

 宗教、国家、利益の為に自も他も殺せる知能。

 だからか、脳が生きていれば現実を夢見れる。

 最初から夢見ることで何万年も進化し続ける。

 人間の遺伝子は、この地球でより良く、より広く、支配種族として生存する為に変異した。社会と言う脳の神経回路が演算する虚構を成長させる知性進化の途を選んだ。

 月の狩人ププラは脳こそ真実だと啓蒙されていた。

 人間は脳と言う肉体の核が進化の要だと理解した。

 魂を閉じ込める檻だと知り、夢見る箱に使用した。

 快楽を持ち帰ろう。古都の悪夢は血に酔うが、狩りの快楽が更なる進化を促し、素晴しき獣性を狩人が夢へ啓蒙する。狩りが、愉しくなる。より気持ち良い血の酔いが脳を愉しませる。

 

「魂を焼き殺す灰の様にはいかんな。しかし、私の人間性を当てにしたな?」

 

「はい。根源との繋がりが断たれた異界ですが、世界が違くとも人の脳は同じ宙に繋がっています。それは、血の繋がった私と貴女も。

 きっと、来て下さると思ってました。御人好しで、且つ御節介な貴女なら尚の事。

 上位者からの呪いで獣性を得た人間を、獣狩りと称して狩り愉しむのが狩人の業。

 人間性からの膿みで獣性を得た人間を、狩りたくて堪らない狩猟衝動に襲われる。

 殺生院の獣性は謂わば、自らを人間と名乗る獣が数十万年もの間、増え続けた繁殖衝動の具現体の側面も有します」

 

「上位者へ、子作りの快楽とは……ッチ、君は脳が良い。私より、人間として利口だ。善性と悪性のバランスを正しく律すれば利己的、且つ利他的にもなる素晴しき考えにも至るもの。

 善悪両立。自他確立にして、利害の天秤。

 平等で在るが故に、比較する心を失くした魂。

 なら獣性と啓蒙も、等しき上位者からの脳への祝福にして呪詛となる。

 変わったな、マシュ・キリエライト。以前の君なら、人殺しを助けて欲しい等と思いもしなかっただろうに」

 

「変わりました。殺せるのなら、誰の手でも良いのです。私でも、貴女でも。

 何より、言葉にせずとも、貴女は私の思考と感情を理解して頂けます。想いを打ち明ける事だけが、コミュニケーションではありません。

 頭が良い狩人の貴女なら、すれ違いは有り得ないですから……うん、とても便利な啓蒙的頭脳だと思います」

 

 聖杯への供物を保存する為の培養液。それに融けた人血、獣血、白血を混ぜた青ざめた血。そして、脳缶に改造した聖杯はカレルの秘文字(ルーン)が刻まれ、呪われた冒涜的血晶石が埋め込まれ、その中に快楽の獣性を宿す脳が収められていた。

 仏の微笑みを浮かべる殺生院祈荒の生首が、魂だけが死ねずに浮かんでいた。

 もはや魂と脳があれば完結する世界に至った人間菩薩は、そもそも自分だけ居れば事足りる。証拠として、首だけを脳缶に入れられていると言うのに、人間性に膿んだ彼女のソウルが生んだ快楽絵画世界であるこの異界は崩壊していなかった。

 

「此処は、ヤーナムの悪夢に融かそう。君等人理が繁栄する根源より流れ落ちた宇宙に蕩ければ、ソレが定めた律にとって激毒以外の何物でもない故。

 となれば、我らの悪夢を創世した悍ましき月のケレブルムも、喜んで快楽の夢を受け入れる。

 全く……―――集合無意識領域、阿頼耶識。我らの悪夢を、癌細胞を溜め込む肥溜だとても考えているのか?

 とは言え、我らの悪夢に獣の快楽は非常に有能。知性から新たな知性を誕生させる素晴しき獣性となるのも事実」

 

「恐ろしいですよ。これ程の貴女でさえ、月の一つでしかないのですから」

 

「その台詞は灰に言え。平行世界の数だけ異なる己が存在する秘匿は、あの人間から受け継いだ世界の神秘だ」

 

 脳缶聖杯を地面に置き、狩人は椅子代わりにして座った。盾騎士より背の高い狩人は彼女を見下ろして話していたが、今は逆に盾騎士を見上げていた。

 

「奴等は、自分自身を唯の人間だと認識している。他人がどうあれ、奴等の自己認識は"人間”で完結し、この人理の世へ絵画世界から解放された。

 私も同じだ。私は、唯の人間だ。人間以外だと認識出来ない。

 人間の脳は、自分を人間ではないと思えない。血により死んだ人間としての遺志に、未来永劫果てなく囚われるのだろう」

 

 ―――剣製の魂魄。

 ―――根源の接続。

 この血を密かに得た狩人が古都に帰れば、その神秘は悪夢に蔓延する。他の月の狩人にププラが狩り殺されると、その遺志が狩人に伝染し、その狩人が他の狩人に殺されると更に感染し、一瞬であらゆる月に神秘が保菌される事になろう。

 

 

 

――――<◆>――――

 

 

 

 殺生院祈荒の消失。彼女は邪悪であり、関わった個人個人を愛に溺死させる人間菩薩だったが、人間社会自体に与える影響は意外の事に善性のものだった。

 ―――相互理解による文化交流。

 ―――宗教間の利害関係の改善。

 ―――エネルギー問題の共有化。

 ―――テロリズムへの抑止効果。

 ―――独善的独裁者の人格軟化。

 ―――経済発展と貧困層の減少。

 ―――圧政崩壊による飢餓撲滅。

 少しだけ、互いに優しくなれる歪な社会に管理されていた。テレビで中継され、ネットに拡散した愛の呪詛に塗れた映像が人々の頭脳を干渉し、人を愛する人間性に汚染された世界に替わりつつあった。あの女の正体は自分だけを愛する救世主だったが、師である灰に精神性を啓蒙されたことで、自分に都合が良い自愛的世界平和を作ろうともしていた。

 精神に潜む裏側の管理者を知り得ない世界中の誰もが、昔よりも今が良い世界になったと実感していた。あの尼僧は人にとって極大の邪悪でありながら、確かに世界を個人に依存させる程の素晴しき聖人だった。

 依存性の高い麻薬のように―――平和に、人間社会は甘く腐ってしまった。

 菩薩に心が管理されなくなった日。

 人に人が、愛と言う衝動を僅かに持てていた精神管理から解放された刻。

 たった一人の思想家のテロリズムによって、己が命を捧げる自爆犯が各国の政治機関を攻撃。世界で同時多発的テロ行為が引き起こり、国際均衡に亀裂が入る。敢えて、戦争の選択肢を選ぶ非平和主義派の人間は生かされ、世論の操作もあって戦争勃発の土壌が作られる。

 尼僧の死から二年後、第三次世界大戦にして、歴史の転換となる最終核戦争が始まった。

 大地は焼かれ、空が燃え上がり、海が放射能で汚染された。人間が、人間を壮絶に殺し、死なせ、根絶やしにする自滅行為が愚か過ぎる程に繰り返される。余りにも醜い殺戮が幾度も引き起こされる。地球が数億年も掛けて生み出した生命系統樹の結果たる数多の動物種が死滅され、もはや植物が生きられる地球環境ではなくなった。

 

「科学と言う宗教信仰。嘗て神だった自然を克服した自分達の技術を、新たに人間を管理する神として崇める人間社会。その科学と言う知恵によって、誰もが神の視座を知識として共有化する素晴しき思想。

 人間が作り上げた人間の為の、破壊の太陽。

 あぁ、人間の生み出す業は、何て―――美しい。

 辿り着く自滅の未来。しかして全てが根絶されることなく、生存はまだ許されている。ならば科学文明と言う神を克服した新文明社会が、この地獄を生き延びた人間からまた生み出ることでしょう」

 

 自滅的虐殺。剥き出しになった人間性。灰は灰らしく、こう在る人々を人間だからと素晴しいと喜んだ。人間が何物の欺瞞に縛られず、欲望の儘に文明を滅ぼした業を良しと微笑んだ。

 そして、これまた灰は灰らしく、その儘の生活を営んだ。

 人間社会崩壊後の末期世界など、灰にとって当たり前な世界過ぎて何の感傷も感慨もなかった。

 何故なら、人間は世界の終わりに辿り着いても諦めない。人間は、人間の業を根絶されるまで止めず、何処までも足掻き続ける。

 ―――人間は、永遠に人間だ。

 自分がそう在り、今もそう在るのだから、この人理の世の人々も人生を愉しめるだろう―――と灰は人の強さを信じていた。あるいは、その強さがなければ人間ではない人の形をしているだけの生物に過ぎず、人を騙す神のように人間性によって世界から駆逐されるだけだとも嘲笑っていた。

 何より、魂一つあれば―――自由である。

 己が魂を確固とすれば、苦難も苦行も日常だ。

 死に塗れた地獄であれ、人間は慣れる生物だ。

 故、誰もが罪人だった。人間は例外無く、人間で在る故に今までの人類史を焼き払った愚か者だった。そして文明が灰に還った新時代を生きる白痴の幼子だった。

 白紙化した人間社会。

 灰燼に帰した文明圏。

 太陽(ニュークリア)で燃えた何も無い灰色の大地は、やがて惑星の生命が枯渇することで鋼の大地となる。それでも尚、生存不可能な筈の地上で生き延びる人類種を見た母たる地球は、この悍ましい寄生生命体を気力の悪さから根絶やしする為、他惑星に救援信号を送ることになるだろう。

 とは言え、まだ時は来ない。人理を人類と共に夢見る事を止めた星が、死に逝く自分と共に子を道連れにするべく、人類抹殺を希う時代は遠い先だ。

 

「醜い……」

 

 一言、盾騎士は漏らした。狂乱の中の、虐殺だった。アニムスフィアが全てを支配する統制神秘社会だった。人理保証期間カルデアが設立されない筈のこの平行世界だったが、アニムスフィア家は魔術協会に所属した儘で続いており、何よりオルガマリー・アニムスフィアは所長に就任していないだけだった。

 最終戦争による人為的なオーバーカウント1999の発生。

 それは神秘無き世界。魔力が枯渇した死ぬだけの星の地表。

 魔術回路を持つ魔術師(メイガス)は、霊子電脳と自分を接続する最新の魔術師(ウィザード)となり、アーマード・コアと呼ばれる人類史最悪の兵器を使うパイロットと成り果てた。そして、魔術師と言う新人類種が人間を律する上位種族となり、彼らは支配者階級となる社会となった。

 宇宙エーテルよりも異常なコジマ粒子。惑星と生命を蝕む人類種の毒素。アニムスフィアによる輸血をされなければ、呼吸する事さえ儘ならない地獄の環境化。生き延びた人間は全てがアニムスフィアの管理化に置かれ、そうでなければ人類文明圏から追放された荒野か砂漠か、生態系が異常進化したコジマ・ジャングルたる巨樹森で生きるしかなかった。

 その上で、国家の体を為す何十社もの巨大軍事企業を互いに争わせ、技術発展を人為的に進める戦争経済。

 ならば今のこの惑星はオルガマリーが全てを支配している。彼女の脳が人類種を啓蒙する。より素晴しき思索の儘、社会は思索実験の遊戯基盤として玩具にされ、人間の技術力を果てしなく幾度もブレイクスルーを繰り返すことで強制進化させ、この宇宙で最も進んだ知的文明圏を作ろうとした。星の要らぬ人間だけの人理を生み出そうとしていた。

 

「醜いです。何でこんなに……醜くて……」

 

 だから、盾騎士は殺した。目に付く人間、全て殺した。彼は人々の為、人々の敵を殺し、悪を倒した。体が動かなくなるまで戦い、人々を助けた筈のエミヤを背後から騙し打ちされた。無辜の民衆が彼の首を撥ねて殺し、バラバラになった死体を掲げて喜んだ。

 ―――悪の宴。吐き気を催す人間本来の人間性。

 悪の敵となった男だけではなく、女も、子供も、老人も関係無く、彼と共に玩具にされて処刑された。数十万年間、何も変わらず、あるいは敢えて変わらず、星を滅ぼしても延々と積み重ね続けた知性(ヒト)本性(イデア)

 愉し気に、狂った様に、瞳を星みたいに輝かせて踊っていた。

 だから、盾騎士は徹底的に鏖殺した。生かしておけなかった。

 人理を夢見る醜い生き物を、彼女は見逃す事を出来なかった。

 もう、獣を焼くように焼却するしかなかった。死に続ける命が連鎖する気色悪い人類史を憐れんだ獣のように、盾騎士は獣性の儘に獣たち焼き殺すしか途は残されていなかった。

 

「あー……うー…………うー?」

 

「…………」

 

「あー?」

 

 殺戮の限りを為した彼女の眼前、人語を喋れない人の形をした人間―――幼子。

 星見の瞳を持つ盾騎士は名を視認し、その血に混ざる遺志も啓蒙されるが、その真実から目を背けようとする感傷が思考から生まれ、だが逃げた所で現実は変わらない。夢の中でさえ人間にとって、その夢は現実と言う真実から生まれた世界に過ぎず、彼女に逃げ場など存在しない。

 だから、盾騎士は、震える手で、子供の頭を撫でてみた。

 楽しそうに微笑み、笑い声を上げる姿を見て、盾騎士は心に亀裂が入るのを実感した。

 

「シネェ!!!」

 

 その背後から殺意の雄叫びを上げ、先端の尖った鉄パイプで突き刺しに来た強化人間の女。盾騎士はその攻撃を回避すると同時、何の躊躇もなく女の顔面を殴った。顔面が拳の形をして陥没し、血液と肉片と脳漿を撒き散らしながら吹き飛び、人外と化した化け物の筋力で人体を容易く破壊した。

 顔に、人の脳味噌が付いた。それも唇の上であり、盾騎士は人間の脳細胞の味を意図せず知覚してしまった。

 嫌悪と苛立ちから地面に唾を吐き捨て、唾液混じりの脳液が地面にへばり付く。顔を覆える単眼兜を被っていれば良かったとも思うが、盾騎士がそれをトリガーにした自己暗示によって脳と体を殺戮機械に作り替える為、人間性を棄てた一つ目の怪人となってしまう。子供を撫でるのに心亡き化け物にならなくてはならない程、彼女はまだ自分自身を割り切れていなかった。

 

「きゃー、きゃきゃ!」

 

 人が死ぬ光景が愉しいのか、自分を誰かが守ってくれたのか嬉しいのか、あるいは両方かもしれないが彼女の前で幼子は喜んでいる。

 また、そんな子供の頭を盾騎士は撫で―――そのまま握り潰せばそれで良いのに、と思うのに出来なかった。

 彼女はもう人の涙を流せる心を魂から失っていたが、魂から人の尊厳を失えなかった。それ故、棄て切れない自身の善性に絶望した。死ぬべき罪人だと言うのに、出来る悪行と出来ない罪科に線引きする己が人間性に失望した。瞳に映る人間の中から、選んで人を殺す傲慢な自分の正義感を嫌悪した。

 カルデアの魔術師達がそう望み、そう育てたと言うのに、ロマニ・アーキマンと言う男の人間性を知る盾騎士は、彼の遺志から継いだこの善意をゴミクズとして廃棄出来なかった。

 

「………子供は、可愛いですからね」

 

「あ! あ! ああ!」

 

「そうですよね、エミヤさん……」

 

 快楽の人間菩薩が生んだ獣の落とし仔。あるいは、幼年期の魔人。剣製の遺志を継ぐ獣の子を盾騎士は拾い、彼が守っていた命を守るべく、彼女は旅をする事に決めた。この何もかもが滅び去った文明社会を復権させるべく、戦争経済が何もかもを支配するオルガマリー・アニムスフィアの世をまだ生きることに決めたのだった。

 次世代アーマード・コア、ネクスト。機体名、ラウンドシールダー。

 殺戮兵器であり、今の彼女にとっては移動手段でもある寝床。それのコックピットに幼子と共に乗り、盾騎士はその地から去って行った。その日から盾騎士は、世界の為の戦いを惰性と割り切った。

 人助けの為の―――人殺し。

 その矛盾した善悪を彼岸に追いやり、盾騎士は幼い命を育てることに決めた。人間は必ず死ぬが、殺される絶望で命が終わる瞬間を見るのに厭いたと言う感情もあった。医療行為等によって死を見届けるのは兎も角、戦争屋として戦場で見る誰かの命の煌きをもう見たくなかった。

 

「お母さん。お母さん。ロボット、乗せて」

 

「駄目です」

 

「なんで!?」

 

「普通に、子供とネクストを接続させるのは倫理違反でしょう。私を鬼畜生な駄目保護者にするつもりですか?」

 

「良いじゃない。ボク、デンジャラスビーストボディなんだから」

 

「幼い女の子が、自分の体をそんな風に言うんじゃありません。

 倫理の育成は難しいですね。そもそも貴女、誰に似てそんな破廉恥な服を好むようになったのですか……」

 

「生みの親と育ての親の、ダブルパンチだと思うけど?

 際どい服、こう何故か馴染む。着るとテンションが凄く上がる」

 

「―――……貴女、もしかして私のタンスを漁りました?」

 

「テヘペロ」

 

「お小遣い、減給です」

 

「鬼ババア!!」

 

 殺戮の合間の、十年程度の穏やかな平和。拾った子供を育てる義務を盾騎士は自分に課したが、思いの他に順調に子育てが上手く行き、手応えが余りなかった事に驚いた。何より誰も殺さず、無関係な人間を守る事もせず、傍で育つ一つの命だけを守り続けた。

 だが、そうでなくても構わない気持ちもある。善を目的に、悪を遂行する。人工英霊である盾騎士は、その矛盾に苦しまない普通の精神性を獲得している。人殺しと言う罪を背負うのは辛くて重いが、それだけだった。どれだけ背負っても、心が折れる事が出来ない。

 けれども、この生活は―――穏やかだった。

 あの人間菩薩がこの世に残した命が、盾騎士に愛を啓蒙した。いや、してしまったとも言える。

 それは母性由来の愛情。母親が子供に向ける類の愛情。男女間のような利己的な欲がなく、利害によって生じる悪性が一切無い愛する心だ。

 

「こんにちは、キリエライト。私はアニムスフィア。

 現行人類種の支配者であるカルデア機関長、オルガマリー・アニムスフィアです」

 

「―――……あの子は?」

 

「拉致しました。素晴しき人理を我ら人類種が夢見る為、より良き希望の未来へ至る為、我々が彼女を人体実験に使用します。人類史の為、消費させて貰います。

 勿論、保護者の貴女もカルデアが保護し、新強化人間開発のサンプルとして協力して頂きます」

 

「―――分かった。理解した。怒りの儘、私は貴方を狩り殺したいと願う。

 でもまだ私と貴女は話し合っていない。だから、もっと貴女の心情を聞きたいです」

 

「瞳が脳を真実で啓蒙すると言うのに、私の言葉が必要と?」

 

「はい。理解し合えないと納得してから、殺すなら殺すと決めたいのです」

 

「成る程……―――成る程。もし譲歩が可能なら、確かに私も話し合えるわ。此方の都合上、彼女に人の上位者を生んで貰うのは避けられませんが、私としてならそれで充分な話です。

 元より、命を奪うつもりはありません。けど何と言いましょうか……その、女としての尊厳を穢すのを貴女が許せるのなら、殺し合う必要もないのは事実。しかし、それを言って説得しようとも、我ら人類種の邪悪を貴女が許せるとは到底思えません。

 貴女が子供が犯されるのを我慢出来ると思えず、強硬手段を取りました。

 とは言え、この事実を言葉にした所で、そっちもそっちで殺意をより強固にするだけの結果になる筈だけど?」

 

「そうですが……まぁ時と場合と、相手にも因りますから。

 殺し会うしかないのも分かりますが、話し合える人と対話する時間が有るのに、意志疎通を無駄と切り捨てることこそ、精神性の消耗だと気が付きました」

 

「貴女、私より大人ね。根が、善悪混じる人間性を良く悟った善人みたい。

 でも、そうね。カルデアのこっちが、悪どいことを新人類種の人理の為に代行し、生け贄になることを貴女方に強制するから、そんなのを言うのが人に惨いし、人間として最低の言い訳だから恥ずかしいとも思う。

 世界の為、人類史の為……何て理由は所詮、本能の儘に星を目指す獣の知性なのよ。

 邪悪で在ることの理由に、希望の為の善意だって言うけど、やっぱりそれは、私が人々の世界を見続けたいって言う個人的な好奇心でしかない」

 

「本音を、感謝します。オルガマリー・アニムスフィア。

 私も嘗て、同じ理由で世界ごと人々を殺し回りました。

 なので、動機は分かります。心情も悟れます。友人にもなれましょう。

 ―――殺します。

 貴女を殺し、あの子を守り、今のこの人理をアニムスフィアから解放します。それが人間の獣性を宇宙に解き放つ愚考だと理解した上で」

 

「人をヒトのまま、文明を進化させて宇宙を旅し、ソラの新時代を彷徨する私が夢見る人理。

 宇宙を旅する文明も、より強い技術によって創生し、どんな宇宙人の人理にさえ負けない人間の阿頼耶識を、上位者の神秘を寄生させて羽化させる。牢獄と化したこの星から、宙へ人類種を羽ばたかせる。

 多分、理想的な社会になるわよ?

 この太陽系で生まれた全てのアリストテレスを駆逐し、この銀河も他銀河も、あるいは外なる宙で生まれた生命や兵器であろうと、私たち人間には敵わない宙の人理を作り出す。

 数多の平行世界にある可能性の未来において、一つくらいこの希望がなくちゃ、憐れだし、駄目だと思う。この宇宙が根源から魂を招いて創った知性として、必要とされたから生まれた命なのなら、そうじゃないと私達人間は人間をやりきれないじゃない」

 

 根底にあるのは―――永遠。

 何処までも続く不滅の進化。

 徹底して人を終わらせない。

 人理と言う悪夢を、人間が人間だけの意識で見続ける恐ろしい夢。

 

「ありがとうございます、オルガマリーさん。

 相互理解の上、これで擦れ違いなく相容れないと実感し―――狩り合える」

 

「貴女は自分が育てた命を一つ守る為、これから宇宙に広がる可能性の希望を潰すのね。ならば、私も夢の可能性を導きましょう。

 その一つの悲劇を基点に、数兆、数京と増える未来の命を守ります。

 人理と言う人類種の悪夢が、やがて外なる宇宙さえ夢見る為にも、そして知性体が宇宙文明を越えた母たる高次元領域に至り、その先の根源文明に辿り着く道を、私は永遠に諦めない」

 

 夢見る星見の瞳が、世界からひとつの命を守ろうとする女を認識した。

 至高にして、糞団子の如き――敵。

 壮大な夢を見る為だけに、この狩人は少女を強引に孕まし、宇宙文明の母胎にしようとしていた。そして惑星を支配したオルガマリーのカルデアは支配領域拡大を止めず、次に支配する恒星と惑星を人類史が獲得する為、文明技術を進化させることで太陽系全ての管理を目指していた。

 また一人になった盾騎士は、闘争だけが元気に渦巻く地獄の地表で戦争経済に参加していた。カルデア傘下の軍事企業同士が殺し合う呪い染みた新人類史の社会形態は、確かに社会としては発展が一切止まらず突き進み、技術進歩が一日毎に進み続け、巨大な資本が人間の欲望を更に狂わせて戦争技術が毎日開発されていた。

 そんな暗い星と化した地球の南極上空、宇宙圏の住処でオルガマリーは眼下の星に祈りを捧げる。カルデアの博士が愛した青い世界。根源接続者でありながら、科学の発展を夢見ながらも、その文明以上の叡智を生まれながらに持ってしまった憐れな究極の天才。

 他惑星外来種殲滅作戦―――円盤落とし戦線。

 魔術世界ではオルト(ORT)と呼ばれた生物はカルデアの軍事企業連盟の総力によって細胞一つ残さず狩り、コジマによって蘇る余地なく完璧に抹消された。宇宙空間での活動を視野に入れた次世代人類種の遺伝子開発の為、カルデアは遊星人種の作成実験―――オルト・キリエライトを起動した。

 

「あぁ、コジマよ。コジマの導きよ。宇宙塵を超えた人類種が作った根源粒子。星見たるカルデアが創造した魂の文明エーテルよ。

 ―――遊星狩りの責務、ありがとう。

 コジマ博士。根源に接続した通常の人類史に名を残せない狂気の偉人。本来、人類史に名を残す気が皆無な貴方の御蔭で、地球から人間以外の寄生虫を排除出来ました。

 遂に母たる星を貪り尽くした我ら人類種、星の外から飛来した異星生命の殲滅に成功しました」

 

「―――………」

 

「ちょっと貴女、私の背後に黙った儘、立たないで頂けません?

 この啓蒙的な交信の祈りの所作、神秘的過ぎて近付きたくなるのも分かるけども?」

 

「知らないわよ。後、そのL字をちょっとづつ逆L字にしながら喋るの、結構ムカつくのだけど?」

 

「仕方ないじゃない。脳に、こう波長が()ちゃうんだし」

 

「良く言うわね。私が言うのもアレなんだけど、秘密機関とか作って世界を操る黒幕ライフを愉しむとか、本当に悪趣味極まると思う」

 

「同感。でさ、貴女……―――コジマ、好き?」

 

「まさか、乗せる気?」

 

「根源接続者の魔術回路持ちと、ネクストの相性は良いからね。我が人理産の凄いロボットに、ロボットよりヤバいのを乗せるのは、正に外伝的浪漫でしょう。

 それにカルデアでも神経改良した強化人間を一点ものとして作ってはいるけど、最高傑作のキリエライトをシリーズ化して量産した方が良い人間が作れるし……結局は遺伝子デザインの奇跡が一番だし……何よりも、魂から精神面も継ぐクローンを私は作れるから。

 やっぱり、根源と接続した魂を作ると面倒が無くて良いのよ。

 血の遺志は良い。肉体だけじゃなく、コピった魂からメンタルも写せるからね」

 

「貴女の趣味、気味が悪い。キリエライトを素体にオルトやセファールにプラスアルファで真祖の魔力を混ぜ、更に遺伝子に私と貴女の因子を組み込む新人類種とか、悪夢と言う何でもあり時空でなくては実現しない妄想よ」

 

「だから、現実は駄目なのよ。この程度の惰弱な宇宙法則の上だと、私の思索に耐え切れない。もっともっと自由なる思索を許してくれる時空間でなくては、ヤーナムの学術者は満足に研究に没頭すら出来ません。

 まぁまだ、私の脳内から引っ張り出せないけど。

 現状いっそ人化小アメンをアーマード・コアに乗せた方が、異次元操縦力が面白可笑しくて、感動」

 

「そう……で。キリエライトの子、どうする気なの?」

 

「血は、継がれたわ。出来損ない私と異なり、とても優秀な女です。

 子に成れても、子を生せない私は、正しく生まれるべきではなかった無能者だからね」

 

「自虐は良いのよ、興味ないし」

 

「正論ね。では根源が律として支配するこの宇宙において、全能となる接続者である沙条の魔女。素晴しき邪悪な恋を夢見る貴女に問いましょう。

 この数十万年間における我ら人類種の歩み、その進化とは何だと考える?」

 

「さぁ……?

 それもまた、私は興味無いわ」

 

「単純、間引きに因る家畜化よ。

 狩猟社会から農耕社会に形態移行(パラダイム・シフト)する際、人間らしい人間ってのは過密化した村社会に適応し難かったの。なので、人間が管理し難い人間は即座に殺すか、虐め殺すか、迫害するかと言う選択が取られた。群れを形成する他知的動物も、他者に荒々しい勇猛な個体は無用な者として殺害される傾向にある。

 そうするとね、現行社会に適応する遺伝子が残り、その遺伝子同士の子供が子孫として繁栄する。

 それを何万年を繰り返した果て、今のこの社会を形成して生き残った遺伝子が、霊長として生存している。

 社会不適合者ってのは遺伝子上、ある意味で先祖還りに近い。存在不適合者ってのは、より人間の本質たる魂に近しい人間そのもの。

 魂の儘に生きる人間は人理が運営する社会上、人類種として―――論外。

 社会と言う被造物を生み出し、法律と言う社会の律を作り出し、自らで自らを家畜化したことが、人間と言う人類種の人工的な進化方法となりましょう」

 

「あぁ、成る程。つまり貴女、カルデアによる人工進化は正しいって言いたい訳ね」

 

「本来なら数百万年、あるいは数千万年分の進化を、知性で極めた社会が生んだ技術によって作り出す。

 そして、数十億年の歳月を生きた星々が生み出す究極の進化形態。その結晶たるアリストテレスの生命へ人間が至る為には文明の進化に応じた遺伝子と肉体と脳の人工進化は必要不可避であり、それを超えるにはそもそも魂を根源の枷から解き放つ必要がある。

 我々は―――高次元暗黒を生きる意味がある。

 カルデアと言う文明社会が、正しく人々を宇宙で生存可能な家畜にしましょう」

 

「私は根源と繋がる人間だから、今の世界をその気になれば新しい世界のテクスチャを張り付けて、自分に都合が良い新世界を作り出す事も出来る。無意味だからやらないだけで、可能と言えば可能。

 けれど、貴女のそれは魂をこの宇宙に与えた根源への冒涜ね。

 世界模様(テクスチャ)なんて何でもよくて、人類種として進化する為の舞台装置(ステージ)が貴女には必要なだけ」

 

「それが私の冠位指定(グランド・オーダー)。人の魂が今の法則から卒業する為の、幼年期を終える為の旅を始めること。

 ただただ、見たいのです。見続けたいのです。

 未来を見る貴女が観測出来ない希望の始まりに至りたい。

 根源にもない記録されていない新しい終わりに向かう宙への旅路を、せめて永遠に生きる私は進みたいのです」

 

「そんな事の為に、キリエライトから子供を奪い取ったと」

 

「そんな事の為に、夢の狩人たる私は子供を犠牲にします」

 

 家畜小屋で育てた動物を愛でる牧場主の気持ち。即ち、被造物を管理する造物者としての瞳。自業自得で惑星を殺した地球人を、鋼と成り果てた死の大地で育てる星見の狩人は、自由を得る為に更なる家畜的進化を自らに施して自由を失う人類種を獣性から憐れんだ。

 戦え。貪れ。殺せ。奪え―――血を、流せ。

 何も変わらない営みだ。何一つ、仕組みの根底は変わらないことだ。

 より過酷になっただけだ。原始時代より不適合者への間引きが厳しくなっただけだ。

 社会を造形するのも、社会を維持するのも、社会を管理するのも、人間が人間の為に行う業だった。

 可能性がある選択肢が豊富な未来。世界の理不尽無き自由を目指す事こそ、自由の奴隷へ堕ちる人間性の矛盾。

 文明が生んだ獣性全てを獲得し、星見の狩人は神秘を遺志へ啓蒙することで獣を克服する。支配者を演じるアニムスフィアはカルデア機関員である沙条へ、とても優し気な微笑みを浮かべた。結局、夢に向かって走り出すのは楽しくて堪らない。

 オルガマリー・アニムスフィアは新人理誕生の為、少女一人の尊厳性を穢す罪を古都の学術者や医療者同様、むしろ探求心から血の歓びを得ているのだろう。未知を啓き、暗闇を照らす人道に善悪は無く、彼女は己が脳を啓蒙する儘、未来を曇らす悪夢を狩り続けたかった。

 其処はカルデア宙域の、楽園。

 下界はカルデア管理区域の、失楽園。

 壮大な夢物語を語りながらも、所詮は人間に人殺しを強要する独裁者の独善。

 カルデアの支配する星はもう例外無くそれしかない滅び終わった世界だが、それでも進化を人類種に求めさせた罪を背負う責務がオルガマリーにはあった。独善しか許されないのだろうと、滅びを良しとしない事が罪科となる理不尽が人理には存在する。

 その仕組みが、彼女は愉しくて堪らない。

 苦悩と苦難に満ちた世界が自分の意志を極めるのだと、人間として嬉しくて堪らない。

 輝ける星を目指せ、と彼女は全人類種に求めた。そうでない人間は社会に無用であると、人類種の現行文明自身に間引かせた。その結果、滅んだ後の地上は更なる地獄に生まれ変わった。

 そんな地獄で、盾騎士はまだ戦い続けた。

 アーマード・コアを操り、回路持ちごと他のネクストを戦場から駆逐した。殺すこともあれば、殺さなくて済むこともあり、コジマに心身を汚染されながらも戦い続けた。

 

「キリエライト、主の威光か。また随分と洒落た偽名だな」

 

「……………」

 

「沈黙か……――ふ。寡黙な女だ」

 

 子供を奪われてから数年後、盾騎士はスミカと名乗る魔術師と邂逅した。いや、魔術師の意味がないこの時代なら回路使い(サーキッド・ユーザー)と呼ぶパイロット人種だろう。

 その者は通信越しに盾騎士へ話し掛けるも、彼女はそれに無反応だった。何故なら、ネクストを同時三機破壊した後の最悪な余韻を味わっている最中であり、そのバックにいた軍事企業を壊滅させた後でもあり、つまりは虐殺の限りを尽くした罪悪感を何とか自省と悔恨で消化している時間だった。

 その上、AMSの負荷により盾騎士は神経回路が焦げ付き、視界が七色の光に満ち溢れ、まるでサリエリが演奏する星の歌が耳の中で響き渡り、鼻血が止まらず口と顎が血塗れになった。瞳からも血涙が流れていた。体にも血が垂れ落ち、逆流してきた光に脳が焼け始めていた。

 

「話が貴様にある。アニムスフィアを狩る計画だ」

 

 南極上空、宇宙圏。空に建築された巨大浮遊宇宙ステーション、アスピナ・コロニー。その中に建築された統合機関、カルデア。そして、其処が地球を覆うアサルトセルの全てを管理する惑星包囲装置の制御施設であり、飛来してきた宇宙生物や宇宙文明を撃退する人類史最強の宇宙要塞でもあった。

 つまるところ、考え方としては蟲毒の壺だった。悪夢よりも尚、悍ましい現実の邪悪だった。旧世紀の文明を滅ぼした現行文明の人間達は、既に宇宙進出可能な技術を持ちながらも、コジマ粒子が満ちる死滅した惑星に閉じ籠められていた。

 全ては、オルガマリーによる輝ける悪夢(オーダー)

 闘争を愛する究極の人理を煮詰め、更なる知性の進化を促す啓蒙的思索。

 恒星級単独種宇宙生命体を、文明の神秘で以って撃滅する個々人。それは究極の兵器を量産する最強の群生知的生命種の創造。

 次々世代アーマード・コア、オルテナウス。機体名、カルデアス。

 機関長オルガマリーこそ最悪のパイロットであり、最終戦争後の人理世界で最も人間を虐殺した個人。そもそも彼女は地上全てを滅ぼす事を単独で可能とする人類種の天敵だった。

 当然と言えば当然だったが、盾騎士のラウンドシールダーはカルデアスに勝てず、大破した。宇宙にあるアスピナに行く事も出来ず、カルデアが所有する唯一無二にして一機だけのアーマード・コアに軍事企業連のネクスト全てが敗北し、現行地球人によるオルガマリーへの反逆は失敗した。

 

「現行人理を人類が自滅することで消えた新人理……ま、剪定事象など面白くないですしね。

 けれど、御父様の願う人理ではない。新たな星の、新たな人理など不必要。人理を夢見るのは人類種だけで良い。血より私は遺志を継ぎますが、私は私の願いを生きる限り継ぎ続ける」

 

「…………」

 

「ダンマリですか。悲しいわ。前に瞳で見たけど、貴女は謂わば、私の妹のような人造人間じゃない?

 世界は違えど、根源からこの宇宙に流れ落ちる魂は一緒であれば、その意志は似たような存在だと思うの」

 

「アーマード・コア開発南極基地、アスピナ。カルデア機関長、オルガマリー・アニムスフィア。

 大層な肩書ですね、血の狂人。随分と愉し気に、人理と人代を支配している様でいて、遠いカルデアで生まれた私も嬉しく思います」

 

「おっと、辛辣な返答。でも返事、ありがとう。

 勿論、人間を支配するのは人間として愉しく思う。興味は無くても、性行為を本能的に愉しむ様、工夫された創作料理を美味しく味わう様、遺伝子で設定された本能的快楽が肉体にはあり、その肉体をそんな魂は喜ぶものじゃない」

 

 そう機関長(オルガマリー)は微笑み、コックピットから引き摺り出した盾騎士(キリエライト)の頬を両手で挟んだ。両脚を車輪で轢き潰し、右手を曲刀で斬り落とし、左義手を電気棍棒で感電させ、身動きが出来ない彼女を辱め、心を犯したいと血の欲求が餓えを訴える。

 機関長は立てない盾騎士と視線を合わせる為、膝を着いてしゃがみ込み、瞳と瞳で視線を合わせて狂気を融け合わせた。それはこの世で最も原始的な接触であり、脳の一部である眼孔の交じりは脳接触に等しき行いであり、彼女は自分の人間性で盾騎士の脳を冒していた。

 

「あぁ、血の友よ。暗い紫色の可愛い友よ」

 

「あ……ぁ、ぁぁ……あ……ッ―――」

 

「共に、夢の中を彷徨いましょう?

 私が作ったこのカルデアが、貴女の故郷にまたなりましょう」

 

「―――馬鹿が。

 二度と、私のカルデアを侮辱するな」

 

 そして、容易く再移動した盾騎士のオルテナウスは動き、銃口変形した義手からエーテルが放たれた。至近距離で顔面に直撃した機関長は頭部が消え去るが、首から吹き出る血が頭蓋骨を瞬間形成した後に肉付けされ、元の頭部に蘇生。

 だが、その隙で距離を離した盾騎士は肉体の回復させ、即座に万全な状態に戻る。

 その姿を機関長は(イヤ)らしい瞳で眺める。発情した獣の恍惚と万人を慈しむ聖女の笑顔が混ざったような、人間に異形の魂が憑依した神の微笑みのような、何とも形容し難い狩人の貌を浮かべる。その後、彼女は血塗れになった自分の顔の唇付近の血漿を、常人より少しばかり長い血色の舌で一舐めする。

 

「私の愛の告白、受け入れてくれませんか。

 一緒に上位者を孕まされたあの娘の面倒を見ようと言うのに、そんな激しく断れるなんて悲しいわね」

 

「黙れ、外道。貴女は災厄の類の狩人です。

 あの私を今の私に育んだあのオルガマリーでさえ、ここまで狂っていなかった!!

 どれだけ狂おうとも、オルガマリーは何時だって人理を守ろうとする人類愛を持っていたのに!?」

 

「だって、愉しんだもの。地上全ての呪詛が、私の頭蓋骨の中に溜まるの。悪夢を見る我が脳に人理の人間性が、融けて、熔けて、解けて、蕩け合うの!!

 あぁ、星が見える。海の底から、夜星が眼下に煌き光る。

 月よ、朱月よ、蒼褪めた月よ。人が捨て去る我らの揺り籠を数多の月光で祝福し給え。

 人類愛が人類種を滅ぼす癌となる人の、その矛盾。人理を星より我ら人間が簒奪せねば解脱することは許されぬ」

 

「黙れ、黙れ、黙れぇぇえええええええええ!!!」

 

「母たる大地を滅ぼすまで、人は人を救えない。個人は人類種を愛してはならない。だからこの罪は狩人ではなく、魔術師アニムスフィアとしての私の責務。

 この星から宙の世界へと、人理に縛られる人類全てを導く使命が存在するのだから!!」

 

 恐らく、この星で最強だった。誰よりも強い意志を持ち、何処までも強い魂を持つ狩人だった。盾騎士に機関長となった星見の狩人に勝てる道理はなく、心折れるまで殺され続けた。何時間も、何日も、何週間も、何カ月も、心を狩るまで殺され続けた。その時が来るまで、延々と死に続けた。

 ―――黒い十字架。

 ―――黒い霧巨人。

 宇宙から飛来した他惑星単一生物―――アリストテレス。

 アサルト・セルに覆われた地球を襲うも、コジマが守る成層圏の守りは堅く、どのような生物であれば進めば進む程に細胞が削り取られた。

 そしてカルデアの誇るアーマード・コア、オルテナウスも量産された。そのパイロットも量産型強化人間、キリエライトシリーズであり、各企業の回路使いが操る次世代ネクスト機たるオルテナウスを使って異星生物撃退の第一次異星間大戦が勃発した。

 その異変は凡そではあるが、盾騎士が機能停止をした三週間後程度のこと。よって盾騎士は幾度かは機関長を狩り殺せたはしたが、最終的には敗北を喫した。今はもう捕まり、とある一室で監禁されてしまった。

 

「ねぇ……勘違いはして欲しくないの、キリエライト。

 私とてバッドエンドは好きじゃないし、人類史の天秤を破滅へ傾ける気はないのです」

 

「……今更、ですね?」

 

「未来が見えるってのは都合の良い選択肢を分かった上で取れるけど、心情的にはストレス過多になって人間と言う知性体には不都合な機能となる。ほら、あの沙条の全能者を知れば分かると思うけど、高次元領域からの視座で生まれたこの同次元が分かっちゃうと、その次元で人生を歩む価値が失われる。根源から生じた我らの魂が低次元に落ちる意味が消えてしまう。

 正直言って、この人生―――つまらない。

 ヤーナムで瞳を得た事で得られた感動は素晴しかったし、夢見る事は貴いけどさ、人理を貴ぶ魔術師アニムスフィアの私は死に絶えました」

 

「で……?」

 

「獣性の血を克服したのは不幸だったわ。

 啓蒙の瞳を拝領したのは不運だったわ。

 人間性を捧げ、夢見る狩人となって、人の上位者と成り果てた今―――心の中には何も無い。

 感動が無いのよ。ま、人間性を捧げて狩人になったのだから、血以外に酔える情動がないのは当然。私は上位者に深化した狩人となって、つまりは悪夢そのものとなって人理の世に回帰したと言うのに、人理を夢見る人類種の一員ではなくなっていた。

 ―――貴女と同じ、人理に記録されない高次元暗黒の精神生命となった」

 

「―――……あぁ、そう言う言い訳ですか?

 灰ですね。あの女……あるいは、男の可能性もある並列世界もあるかもしれませんが、あの人間がカルデアのオルガマリーに人間性を与えた、と?」

 

「そうなりますね。残念ながら、私は願われないと変われない生き物です。悲しんだり、苦しんだり、死にたいと願ったりするオルガマリー本人の精神はヤーナムの悪夢で心が折れ、頭蓋骨を檻にして脳内で永遠に眠ってます。そんなオリジナルに完璧な狩人として望まれて生まれたのが、コピーメンタルである今の私。本人格が血の遺志を粘土のように捏ねて作ったのが、第二人格の星見の狩人となります。

 正しく、感応する精神。瞳を卵とし、人血から生まれた精霊。

 即ち、青ざめた血がオルガマリーの中で人格を得たのがこの私です。とは言え、血の遺志から盗んだ心しかなく、自分から感情を生む機能がない紛い物の人間性で、その人間性もオリジナルから写し身ではありますが」

 

「だったら全部、偽物ですね?」

 

「正しく、その通り。悍ましいだけの無様な偽物が夢見た所で……まぁ、狩人様はそれで良かったんでしょうけど。

 あの人、他人に対する貴賎はありませんから。善し悪しとか、効率非効率とかでもなくて、ぶっちゃけると思考の足しになる難問が欲しいだけのところもありましたしね」

 

 本来なら全人類に向けられる程の、人理ごとこの世全ての命を狩り尽くす様な凶悪な人類愛が、盾騎士一人に凝集される。それ程に禍々しい輝ける星の瞳が、個人の意志を圧し折るように魂が愛でられる。

 

「とは言え、所詮は脳の中の夢で起きた話です。現実で喋るには無意味な話題でしょう。そんなこんなで本来の人類史において、灰から獣の資格ともなる人間性の闇を得ることで、私は人間の心を獲得する選択肢がありました。灰をカルデアへあの人理大好き糞親父が招待しても、その灰が私に深く興味を得ないと人間性は得られず…………あぁそう思えば、その可能性を選んだ世界が貴女の平行世界でしたね。

 基本的にヤーナム帰りのオルガマリーは自身の思索の為、何ら躊躇なく人理に寄生し、剪定事象を克服した上で人類史を生み変える。

 即ち、全人類を例外なく精神管理する家畜化。

 その上で、人類種は闘争の家畜と成り果てる。

 社会に適合出来なかった遺伝子と遺志を人類史から剪定し、闘争に特化した進化へと辿る戦争経済の人理となります。この世界の様にね」

 

 そして、アリストテレスの死体が空間固定されて浮かんでいるのが良く見える窓のある部屋にて、盾騎士はSF映画のセットのような拷問器具に似た固定台に拘束され、機関長の無駄に長いお喋りに付き合わされている。しかし無駄話ではなく、恐らくは自分の思索を盾騎士に植え付ける事で遺志を継がせ、この可能性を違う可能性に至った平行世界における対記録帯情報汚染を行う為であり、それも盾騎士は分かっていたが声を無視する選択肢は取れなかった。とは言え、近未来的拷問器具で拘束されてはいるので、盾騎士は苦痛を直ぐ様にも与えられる立ち場ではあり、ある程度は大人しくする算段ではあった。

 尤も機関長(オルガマリー)に盾騎士を陵辱する悪意はない。縛り付けるのに便利だからと使っているだけで、拷問目的で縛っている訳ではなかった。そして組織運営に一応は必要だからと作った尋問室に過ぎず、この南極宇宙ステーションで捕虜を捕まえたのは盾騎士以外におらず、今となっては彼女の個室と成り果てている。

 

「しかし、カルデアのアサルト・セルで覆われた地球を見て下さい。星を滅ぼさず、星が夢見る為の家畜として管理された自由無き平和な人類種の未来を選択した可能性において、他惑星生物による人類種殲滅活動はありませんが、星の人理から解放された人間だけの人理では、どう足掻こうともこの始末です。あるいは、宙に旅立てずに牢獄となった地表で死滅するだけ。

 どのような結末に至ろうと、管理機構からの脱却を目指せばこうなります。

 何処ぞの誰かが起爆剤となった核戦争がなければ、緩やかな文明発展で宇宙進出も出来たのでしょうが、選択を間違えた後の人類史は個人由来の人類愛が世界を救わないと自滅するだけだった」

 

 カルデアが齎したコジマ粒子とアーマード・コアで殺害したアリストテレスの細胞やエネルギーさえ、文明への資源化吸収する人類種を愛おしく機関長は思い、その遺志を盾騎士の脳へと夢の音声(カレル・ルーン)で継がせ続ける。

 

「だから、私は狩人でありながら、この阿頼耶識へと上位者を寄生させた。

 だから、そう在れかしと求められる人理を、感応する精神に適合させた。

 星が生んだ命と、その星が夢見る律こそ人理なら、我ら狩人がその悪夢を狩らねばなるまい。獣を生み出す諸悪の元凶でもあるなら、尚の事。

 故、生み出るのは、星を脱する幼年期の阿頼耶識。

 星が最後に出産する悪夢の赤子です。即ち、星に寄生した人間の上位者なのです」

 

 結局、人間は星々の魔物達に打ち勝った。盾騎士も人類史を守る為、またカルデアの人間兵器として人理の尖兵となって戦った。

 そして子供を機関長から取り戻し、世界を救ったカルデアを滅ぼした。

 しかしながら、既に上位者の赤子は生まれた後の事。企業連合に壊滅された事にし、それを人類史の転換となる革命と偽った。オルガマリーはカルデア崩壊後に名を改めて裏方の組織を作り始めた。

 カルデアを継ぐ秘匿機関―――オドン教会を創設。カルデアが滅んだ後の文明社会で暗躍。

 アニムスフィア・インダストリーと言う巨大テクノロジー企業も作り、宇宙開発事業を掌握。地表における現行魔術基盤が崩壊したことで魔術回路だけが遺伝子に残った人類種を血液で変え、新人類種型人工遺伝子と強化回路持ちを標準化した宇宙環境に適合する生命体への転換を始めた。

 

「――――――――」

 

 育てた子供を救った。だが人間が母たる星から脱するように、子は親から離れて独立する生命。大人になった獣の落とし仔は盾騎士の庇護下から旅立ち、彼女は孤独を楽しめる満足感を味わいながら穏やかな生活を送っていた。

 故、今の星は人だけが夢見る新たな人理の世。盾騎士がカルデアを滅ぼしたことで始まった宙の人代。侵略生物から地球を守ってもいたが、人間を地球に閉じ込めていたアサルト・セルも消え、彼女が救世主となって始まった宇宙開発時代。

 

「―――先輩。

 どうやら私、本当に遠くまで来てしまったようです」

 

 緑化に成功した大地。企業開発都市圏外の村落。その外れの一軒家に彼女は暮らしていた。自分自身以外の何もかもが自分の元から消え、盾騎士はすべき事も全て失った。即ち、孤独を愉しめる程に虚無感を受け入れてしまっていた。もはや、心の中には何も無かった。尤もそれも、軍事企業が施設から意図的に漏らした生物兵器が、都市圏外で人間を捕食する事件が起きなければの話だが。

 村民はカルデア開発の新人類種への遺伝子移行が済んでおらず、武器もなく、無論だがアーマード・コアもない。生物兵器は暴れ、村民を容易く虐殺していた。

 同時に盾騎士もまた生物兵器を虐殺し返した。

 生きたい、と実験施設から同胞を犠牲にして逃げ延びた人型の生物兵器らは、施設で殺された同胞と同様に盾騎士の手で殺戮された。人血を吸わないと生きられない彼らは、ただ生きたいが為に村民を生きながら吸血し、エネルギー源として食事をしただけだった。人間が求めた人を殺す為の兵器であり、同時に人を憎む為に生まれた知性だった。

 

「ただ生きることを求めて、どれだけ死んだのか?

 平穏に生きたいと願い、為すが儘に死んだのか?

 生きる為、人は闘争をしなければならない。戦い、苦しみ、最後は死ぬことが前提の世界。

 繁栄をしない自由が許される穏やかな理想郷。それを否定し続ける事が、間違い続けた過去が積まれて出来た今を受け入れる事が、全体の為の人類史でした。何万年もの人類種の歴史を肯定する為の希望が、私が人間性を捧げて守った人理でした」

 

 血塗れになった地面を踏みしめ、彼女はブツブツと独り言を呟く。村人の死体を、丁寧に、丁寧に、一人、一人、掘った穴の中に埋葬する。自分が殺した生物兵器の死体を運び、尊厳を持って丁重に並べ、一人一人の死に顔を見た後に火葬した。

 殺して―――殺された。

 誰かの幸せを願う程、誰かから幸せを奪うしかない摂理。

 

「誰も救えない。何も変えられない。人理を歪められない。私は何一つ、創れない。もう何も分かりません。先輩、私は何も理解出来ません。世界を何一つ私に人類愛を啓蒙しません。

 ただ生きているだけで苦しい。ただ生きているだけで傷付ける。

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 ……オルガマリーも、ドクターも、先輩も、全員が間違っていました。私はずっと間違い続けました。

 もっと皆の願いが叶う良い未来があった筈なのに、希望に溢れた今に来れた筈なのに、苦しみのない正解は存在しませんでした。人間は間違えないことが出来ない知性でした」

 

 受け入れた筈だ。オルガマリーの、宇宙で繁栄する未来を良しとした筈だ。

 

「―――死ね。そうだ、皆殺しにしましょう。

 人理を星から奪ったこの人類種を根絶やしにすれば、きっと人理のない死んだ地球は平和な筈です」

 

 カメラが単眼となる瞳兜を被る盾騎士は、ただただ自分の脳へ延々と絶望を焚べていた。その気になればオルガマリーがそう仕組んで未来を選択する様、彼女も人類史の可能性を剪定する事が可能な脳を持つ。好きなように未来を仕組む事が出来る。人類史の癌であるビーストと同じく、数年もあれば人類種根絶のプランを作れることだ。

 なのに―――人間は、救えない。

 人が救われる希望の可能性を瞳は啓蒙しなかった。

 

 

 

====<★>====

 

 

 

 また戻ったのだと気付き、だが何かが違うと悟るのは早かった。秘匿が厳重になされつつ、だが悪夢から夜に神秘が這い出る。

 獣狩りの夜―――なのに、時間が過ぎる。

 夜明けの朝―――そして、夜がまた来た。

 繰り返される。夕暮れになれば狩りの因果は戻り、幾度も同じ夜が帳を下ろす。

 悪夢を狩るしかない。しかし、そもそもな話、悪夢を狩った所で夢の出来事である。夢の中で誰かの夢を醒まそうと、夢見る自分の現実に何ら影響は無い。

 より匂い立つ血腥さ。

 昼間の生活感と、夜間の冒涜感。

 古都ヤーナムで太陽が空を廻ると言う矛盾。であった筈。まるで最初からそうであったかの様に―――朝が、何故か来ない。

 夢の夜が始まる。あるいは、一日が一日として繰り返されていたのが夢だったのかもしれない。

 溢れ出る狩りの獲物ら。住民、獣、眷属、上位者、狩人。そして、幼年期を超えた夢の狩人らが繋がり合うことで、このヤーナムは青ざめた血を克服した狩人達が夢見る悪夢となった。謂わば、狩人が狩りをする為に生み出した阿頼耶識による混ざり融けたヤーナムだった。

 時間はなく、空間は伸縮し、月が幾つも浮かぶ。狩人の悪夢からヤーナムに古狩人が溢れ、そして夢の数だけ狩人が増え続ける。このヤーナムに、他のヤーナムで新人類種となった狩人が自身を夢として投影し、狩人による狩人の為の夜が繰り返される。

 思索の為。治験の為。何より、狩りの為。

 盾騎士は、最も悍ましい末路に至ったヤーナムに迷い込み、そこで日常生活を送る上位者の狩人に敗れ、また違う上位者の狩人に夢の中で捕縛されてしまった。それは彼女の体感時間で言えば一週間以上前の出来事であり、しかし夢見る古都の時間視点で観測すればこの夜の出来事でしかない。

 

「……―――」

 

「まだ口は動かせぬよ。筋肉が弛緩しているのさ。捕まり、投薬されている間、糞尿が垂れ流しであったであろう?

 肉体が動ける様になるまでの間、お喋りで暇でも潰そうではないか。尤も、貴公は喋れぬ故、思念を脳で交信する私が一方的に口を動かすだけではあるがね」

 

 車椅子に座る男――月の狩人、ケレブルム。

 背後のドレス姿――人形。狩人を見守る者。

 医療教会暗部、悪夢に隠された実験棟に拘束されていた盾騎士を助けた狩人と、その従者。その二人と対面する彼女は薬物と輸血実験によって完全に脱力しており、今は指先一つ動かない状態。しかし、死亡時以外で途絶えない強過ぎる意志によって意識は保たれ、盾騎士は二人を眠らずに認識していた。

 まるで死体のように座り垂れる。眼球だけを彼女は動かし、眼前の景色を細かく観察する。テーブルにはヤーナム地酒である血酒があり、それに飲み飽きた狩人は人血、死血、獣血、眷属の血、上位者の血などをカクテルにしている。尤も血酒の喉越しは狩人的に素晴しいが、余りにも長い年月で血味に飽いているので、最近は普通に味変をしていたり、血酒に酔う合間合間で違う酒を飲んでいる。更には血以外にも、独自開発した精神性魔術嗜好品である神秘薬も狩人は酒に入れ混ぜて酒気を愉しんでいる。魔術師が何かの間違えて飲めば、魂魄乖離によって根源の渦を垣間見るか、ビックバンで弾き飛ばされた宙域外宇宙か、高次元暗黒に通じる悪夢を見る可能性があるだろう。

 そんな魔薬血酒を飲み終え、狩人は血腥い上に酒臭い息を吐く。学んだ重力魔術によって車椅子に座りながら、狩人は棚から念動力使いのように酒瓶をテーブルの上に持ってくる。そして狩人が呑み干した酒瓶を人形は手早く片付け、リフォームで増築された洗い場に幾本もの空瓶を片付けた。

 

「戦う姿を見た事があるが……貴公、血に酔う獣を相手に盾を構えるとは。我ら幼年期を超えた狩人ら間にて、ヤーナムに啓蒙極まり過ぎて頭脳筋の目隠れ美少女がいると噂が立っていたが。

 人間の筋力で、獣の膂力に叶う訳がない……と言う偏見、木端となりて猛省だ。

 獣血に渇くヤーナム野郎が喝采し、雄叫び、その銃火器を仕込んだ殴り盾を真似する者も多くいる。

 機関銃(マシンガン)なる新たな銃器と大盾の仕掛け武器となれば、新型の獲物にもはや浪漫が脳液となって歓喜するのも仕方なし。

 やはり暴力の根底とは筋肉。筋肉さえあれば問答無用で解決する。ステップ狂いの狩り好き共に、貴公は素晴しき脳筋の導きを与えたのだよ。身を守りながら獣を殴り、獣の肉ごと骨を砕き、体幹が崩れた所で臓物引き抜きとは、実に清々しい筋肉的狩りである」

 

「…………」

 

「照れる必要はないよ、盾騎士卿(サー・シールダー)。貴公の脳波長を私の脳は受信可能であり、心と心を繋げて交信するのも容易い。言葉だけが意志を伝える手段ではない。誰とでも問答無用で通じ合えるのが、我ら狩人の長点だろう。

 命を殺し合い、血を交り合い、脳を繋げ合えば尚の事だ。

 極論、脳の神経筋接合部(シナプス)が連結する形が銀河系と類似する様、貴公と私の脳の中の宇宙も夢の中にて重なった。青ざめた血を持つ者同士、当たり前の事だがね」

 

 ふぅ、と狩人は血臭い息をまた吐いた。環境変化に対応する為に嗅覚を鋭くしている盾騎士は、何故か甘くて狂おしい血腥さに脳が蕩け、視界に光の筋が映る幻覚を見た。

 

「…………」

 

「血に心地良さに蕩けた瞳だ。ふむ……貴公、我が魔薬血酒を飲むかね?」

 

「…………」

 

「要らない、と。では渡すだけ渡しておこう。一口飲めば、一日分の暇潰しにはなる。何より、酩酊は死に場に彷徨う葛藤と生き方を悟れぬ苦悩を忘れさせる故」

 

「…………」

 

「何を言っているのやら。見た目は若いが貴公の実年齢、既に老婆にも等しいだろうに」

 

「…………」

 

「ささ、時が来るれば飲むと良い。ぐい、と一気にな」

 

 優しい笑みを狩人は浮かべているのに、瞳だけは常に宇宙の恒星の如き輝きである。盾騎士からすれば、光が届かない暗闇から覗き込む気色悪い瞳であり、悍ましい視線でしかない。

 だからか、その誘いを断る意志を持てなかった。今、飲んで仕舞えば良い。

 望まれる儘に呑み干し、星が脳宇宙で輝き、自分を取り戻すのを実感する。

 鼻血と血涙が流れるが狩人としては正常だろう。脳が強引に啓かれるとなれば出血するのは必然だ。

 

「……どうも。月の狩人さん。回復しました」

 

「そうかね。では、良かった。序でに、貴公を酷い目に合わせた同胞、私が狩っておこう。その後、私が犯し、穢し、尊厳を討ち砕こう。オルガマリーの友を害するなど、人間としては許せることではないのでね。

 我らにとって復讐は、大切にすべき素晴しい娯楽なのだ。

 折角の与えられた動機を投げ捨てるのは、因果を断つのと同義になってしまうのでね」

 

「必要ありません。私が、狩りますので」

 

「そうかね。ふむ、口を開ける元気もあるようだ。では、そこの椅子に座り給え。意志疎通こそ人間性を交り合わせる根底だ。

 まずは話し合いをしようではないか?

 互いに互いを知らなくば、相手の裡から何を暴こうかと言う欲も自覚できないだろう?」

 

「分かりました……―――なのでもう一杯、頂けませんか?」

 

「勿論だとも。人を愉しませて上げたいと作った酒である。

 見目麗しい少女に業を所望される……あぁ、こんなに嬉しい報酬はないだろう」

 

 狩人は新しい酒瓶を渡し、盾騎士はまた酒瓶に唇を付けて直接呑み込んだ。

 

「私のこと、どれだけ分かりますか?」

 

「全てだ。貴公の平行世界においるヤーナムにて、月の狩人は生まれない筈だったか、違うヤーナムから干渉を受けてしまったようだね。

 結論を言えば、全く以って間が悪かったのだろう。

 偶々、偶然、悲運にも、そのヤーナムに幼年期を終えた月の狩人が干渉していただけの悲劇さ」

 

「やり切れませんよ……そんな理由じゃあ、私は認められません」

 

「故、謝ろう。私の分身、私の眷属が迷惑を掛けた」

 

「――――は?」

 

「本来は調べていただけでなぁ……―――だが、そうなった。

 月を継がなかったヤーナムからの観測をしていた。元はそれだけの話さ。しかし、その時、一人の少女の嘆く声を他世界に送った我が端末たる眷属が聞いてしまった。

 貴公の悲劇は、それだけの事だった。

 苦しみ続けるべきオルガマリー・アニムスフィアを、関わるべきではない私が救おうとしてしまっただけの運命だった」

 

 この狩人が―――元凶。

 

「だから、安心して欲しい。このヤーナムが存在する平行世界において、カルデアは間違えないことだ。

 いや、間違いを無自覚に我が弟子たる星見の狩人は啓蒙され、望む儘に多様な可能性を観測し、カルデアはより良い善なる未来に進むだろう」

 

「貴方が……ッ―――貴方さえ、いなければ!?」

 

「うむ。私さえいなければ、獣性は全て灰が貪り尽くし、剪定事象となった世界を灰が見限り、結局は人理によって滅んでいた。貴公ら人類が、この星の人理の枷から抜け出さぬ限りな。その点こそ、灰や狩人が汎人類史の人類種と人理に認められない原因である。

 結末はどう足掻こうとも、変わらない。

 人理の檻の中で安寧を貪る人間の儘では、人間性は何一つ変わらない。

 私らと貴公らの最大の違い。そして、最大の間違いにして正解。多様性に満ちた未来の新人類としての可能性の一つ―――自由で在ることだ。

 人間と言う根源に縛られない事こそ、人間の―――答えであった」

 

 狩り殺そうと盾騎士が躰を駆動させようとした瞬間、神経に筋肉が一切反応しなかった。此処は眼前の車椅子に座る男が起きながら夢見る眠りの世界。抵抗するには、せめて新たな赤子として幼年期を迎える新人類種の種子を脳が得なくてはならない。

 尤も、それ以外にも数多の可能性を持つのが人間性である。

 盾騎士が見出した未来が、そのヤーナムの答えである必要は欠片も無いのもまた、人間の業である。

 

「―――……だったら、もう違います。

 私は人間です。狩人と言う人間です。暗い魂の血で啓蒙された盾の狩人となりました」

 

「その通りだとも。私が夢見る悪夢であろうと、貴公は自由で在らねばならん。人理の盾として人類種を守り、人理の矛として獣性を狩り取る人間で在るならばな。

 故、貴公――マシュ・キリエライトは動けない。

 未来を夢見る瞳を受け入れられない人間に、自由な夢を抱くことは許されない」

 

 渾身の力と心を使い、彼女は何とか右手の指だけは動いた。指先だけしか動かなかった。

 

「う、ぅ……ぐぅ―――!」

 

「では、話を続けよう。それとも殺意が抑えられないのならば、言葉を聞く心境を得易い様、脳の神経細胞も制御しようかね?

 薬物の投薬とそう変わらない効果だ。貴公の脳細胞から脳液を出し、それに特効を付与するだけの絡繰だからね」

 

「……要りませんよ。話、聞いて上げます」

 

「感謝しよう、キリエライト。平行世界からの来客にこの悪夢が手酷い仕打ちをした挙げ句、そのまま私が奴隷扱いをするのは精神に悪影響を与えてしまう。

 私とて、なるべく他者へ罪悪感を覚えず、健康的に夢を抱いて生きていたいのでね」

 

「良く、そんな心にもない事を言いますね」

 

「そうかね。いや、その通りだな。心にもない感情だが、その倫理観を私は得ている。

 倫理に対する実感は一欠片もないが、人間扱いをされなかった身である故、周囲の誰にも教えられなかった概念だ。人間として生きる為、血によって人となり、望んで非人間となり、こうして得られた倫理と言う人間性だ。

 ……その点、貴公も同じだろう?

 人理の為に倫理を棄てた人間共の理想により、非人間として生み出された生物兵器であるならばな」

 

「私が育ったカルデアを、部外者の貴方が語ると?」

 

「―――語るとも。アニムスフィアのカルデアには罪がある。

 魔術師ライノールが爆破した後の貴公が愛するカルデアにないが、貴公を作った星を夢見るカルデアは余りに罪深い。何も分からずに死んだ犠牲者は、決して許しはしないことだ。

 尤もその因果ごと世界を消した故、罰もない。

 罰なき罪など、本人だけしか理解は出来ないことだろう」

 

「それは……それは……私だって、そんなことは分かっています」

 

「しかし、安心し給え。私にそれを糾弾する意志も資格もなく、この世の誰もが貴公を罰する理由も資格もない。

 むしろ、あらゆる月の狩人は貴公の所業を喜ぶだろう。新たな狩りの業をこうして持ち込む因果となり、工房を啓蒙する事になった故にな」

 

「糞団子ほどの慰めにもなりません」

 

「そうか。いや、すまない。幼年期を経て、望んで人並みの倫理観を啓蒙されたが、人の心を解した上で誰かへの気遣いは難しいらしい。

 よって、次の話題に進もうか。暇潰しに行う啓蒙の為の時間は余っている。

 そうさなぁ……では、宇宙について語り合おう。舌を噛む程、口から血が出る程、智が交じり合えば、人格も精神も理解し合い、脳が脳を啓蒙する。

 さ、さ、酒の肴にはなるだろう。もう一瓶、貴公は酩酊を拝領し給えよ」

 

「頂きます。良い酔いの酒、私は嫌いじゃありませんので」

 

 干した獣肉(ビーストジャーキー)や血の様に赤い果実、そして魚や貝の干物や薬効不明の錠剤も取り出し、それもまた酒の肴にして狩人は一口づつ食べた。美味しそうに盾騎士は見えなかったが、酔いに狂う脳は何故かこの肴たちに対して食欲が湧いてしまう。

 震える手で口に運び、噛み、咀嚼し続け、酔いに味覚が狂って美味過ぎた。アルコールと共に中毒症状が合併され、脳が求める儘にまた咀嚼し、酒で喉に流し込む。

 

「我らのような知性を、何故この宇宙は創ったと思う?」

 

「考えた事もありません。何故でしょうかね?」

 

「考え付かないなら、一つ例え話をしよう。狩り好きの学術者視点でしかないが、宙とはこの世で最も美しい理想の曼荼羅。完璧な姿であり、広大にして深淵。如何程に考えようと、全てを考え付くことが出来ない暗黒。

 思うに、宇宙そのものが完全無欠にして全知全能。

 根源がこの世に生み出した最初の世界とその法則。

 そんな場所に何故、生命が生じるのか。それを作る為に魂が必要となる意味。知性が自らの命の価値を知らずに誕生する必要性」

 

 愉し気に、狩人は笑みを浮かべる。

 

「―――宇宙の欠点。それは宇宙が宇宙を観測不可能だからだ。

 宇宙が知性を創造した事に意味を求めるのなら、私達は完璧な形をした宇宙を観測する為、この宇宙に生まれた。

 その為に、全ての魂に価値がある。

 それ故に、全ての命に意味がある。

 人間と言う生き物が、人間の形をしているの事にも道理がある。

 そして魂が永遠だと知る我らは幸運だ。その永遠性を悟れる故に命に対する穢れた理を悟れる。死を恐れ、その境界線を知識として学ぶことが世界を知るのに大切だが、その結果を経て死を亡くした私達は命に囚われず、星と命の母である宇宙を探求する悟りを得られた」

 

 ヤーナムで学んだ事。瞳から宇宙を観測した月の狩人の見解。それこそが彼が上位者となり、悪夢と言う宇宙を運営する存在理由。

 

「故、不必要な魂はない。宇宙はあらゆる魂に意味を与える。宇宙を宇宙として運営する為、観測者は別宇宙の卵として魂を持つ。

 即ち、宇宙が自らの為に必要としたからこそ、我らは知性持つ生命として存在する。造物主は世界を構築する素材として魂を作り、法則であるこの宇宙に命を与えられて我々は脳を得た」

 

「……貴方は……結局、その悟りを得ても変われなかったのですね」

 

「善き啓蒙だ。貴公、単純に頭が良い。その通り、己が生まれた意味を得られたとしても、何一つ私は満たされない。

 恐らく私は頭が悪いのだろう。この宇宙より、私の脳の中の宇宙は真理が脆い。

 この宇宙より我が悪夢の知能が低いから、宇宙の全てをまだまだ理解出来ない」

 

 爛々と瞳が星色に光り輝く。夜空に奔る流星よりも綺麗で、同時に地上に落ちる隕石以上の破滅を宿す色。

 

「私は―――賢くなりたい。今より尚、頭を啓きたい。瞳持つ頭脳を鍛え続けたい。

 脳が作る知性を極め、脳に宿る魂を極め、この意志を永遠に継ぎ続ける。そう在り続ける。

 月の狩人と言う悪夢が、何時かあらゆる存在の創造主であるこの宇宙から離れる為、全てを知り尽くしたい。この欲求だけを人間として実感出来る知性が、私である」

 

 盾騎士は恐怖した。心の底から、眼前の"人間”が恐ろしくて堪らなかった。そうなった原因はあるのだが、今の彼がそうすべき理由はない。

 知識を得る為なら何でも行い、何でも実現させる。彼は些細な思い付きで人類を滅亡させる。人間から魂を学んでいる最中だから、彼は地球を悪夢で覆っていないだけ。知り尽くせば、思考実験の一つして人理は思索に取り込まれる。

 人類愛の為に人類悪に落ちた獣よりも、獣らしい。

 人類史を管理する人理と抑止力以上に、理に純粋。

 彼にとって、あらゆることが許されていると言う前提で行動する。そう思考することを自分を根源より作った宇宙が許しているから、彼は有る意味で宇宙と言う完璧なる曼荼羅を神として信じ、その真理を解剖する学術者でしかない。

 とは言え―――灰が、その未来から人類の魂を守るのだろう。

 だからこそ、その灰を自分のセーフティに悪用することで狩人は好き勝手に行動してもいた。悪夢を見る人類を慈しむ人間性も狩人は得ているのだから。

 

「貴公には、だから手伝って頂く。その魂たる観測者を抹消するこの宇宙に在るべきではない上位者―――古い獣。

 観測的啓蒙によって私は獣の知識を得た故、用済みではあるが宇宙に危機を及ぼす者には違いない。利用はしたいが、この宇宙の為にも、やがて宇宙に旅出る人類種と言う立場の為にも、あれを放置するのは知性体として大いなる恥となる。

 元より、要人と言う人間らが高次元から引き寄せた宇宙外の災厄でもある故な。人間である時点で、人間以外の知性の為にも害獣駆除の責務が生じよう」

 

「………狩人、風情の癖に。

 人類史の未来に、夢を見るのですか?」

 

「如何に明晰だろうと、夢は夢。故、自分以外の脳へと語るべきなのさ。貴公の夢を暴いてしまった代価としてな。

 酷な夢だ。貴公の中の、藤丸立香が憐れだと思う。

 しかし、思い出は過ぎ去った。遺志となったのだ。

 如何な時代だろうと、世界を変えるのは強き想い。

 それの為し方と終わり方、既に知っているだろう。

 ならば貴公、善い業を魂の内に積み、死に至る後悔を膿む罪を心から清算すべきだ。本来ならば命を捧げるなど一度しか許されず、だが我らは気が済むまで自己犠牲を繰り返す権利を得た。

 それは、とても良い因果だと思わないか?

 全ての後始末を償い切れるまで、不死たる貴公は責務を果たす為に死に続ける希望に至った」

 

「――――ッ……くだらない、ですね」

 

「その通り。自己犠牲は下らない。如何しようも無く、つまらない。未来に続かず、袋小路に陥るだけの間抜け。加え、我らからすれば夢から気持ち良く醒める為だけの手段に過ぎない。

 ―――理解ある狩人で助かるよ。

 不死に、責務は背負えない。人生を歩めぬ我ら、悪夢に沈み、溺死するのが幸福だ。尤も、存在し続けることが死にたくなる程に息苦しくとも、魂が窒息死を得る自由もないのだがね」

 

 血酒を飲む。何時もより、狩人は美味しく感じる。喉越しも素晴しく、味わい深さを感じ、血と死の感動が味覚情報に脳内で変換される。血腥くも美しい少女が眼前にいるからだろう。

 

「選択の時間だ。円卓の残骸、星見の末路、盾騎士のマシュ・キリエライト。終わりを超えて始まりに戻るか、歩みを止めて終わりの夢の中で幸福を幻視し続けるか……どちらを選ぶ?

 狩人で在るならば、どの夢を見るのか貴公自身で決めるが良い。

 無論、狩り足りないと言う理由だけでも良い。そもそも夢見る狩人で在れば、狩り以上の喜びは不要である故にね」

 

「―――進みます」

 

「大変、素晴しい。その遺志を継ぐ貴公そのものが、やがて獣狩りの夜と成り果てることだろう」

 

 投薬作用も神経制御も脱し、盾騎士は生身の右腕を動かす。テーブルに置かれた神秘薬をカクテルした狩人が飲んでいる血酒瓶を鷲掴み、強引に口に押し当て、一気呑みをする。唇の端から血色の酒が零れ落ち、顎まで滴り落ち、服が真っ赤に染めながらも飲み続ける。

 狩人が好む酒は即死性快楽。脳を殺す啓蒙的真実が血に溶け、呑む度にソラの全てが瞳へ流れ落ちる

 それは急性中毒による酩酊。脳機能の麻痺。即座に生命維持が停止し、死に、夢から醒める。味気ない蘇生を行い、だが彼女はまた血酒を一気呑みして死に、直ぐ様に甦る。目覚めの為、脳を酒で酔い殺し続けるのだ。

 

「分かるよ。貴公、何処までも酔いたいのだな。しかし、死ぬほど酔えば、酔いから醒めてしまうのが狩人の欠点だ」

 

「もう少し……死なない程度の、ありませんか?」

 

「安心し給え。酔いの中毒死に慣れると、それが丁度良いと塩梅の酩酊となる。我ら狩人は血に酔うのだよ。獣性に酔う人と言う形の獣で在ることが重要だ。

 獣もまた血から啓蒙された上位者の神秘。それに啓かれた人間性の在り様だ。

 思い出すのだ、キリエライト。所詮、死など少し長い瞬きと変わらん。夢の中なら尚の事、酔いは直ぐに醒めるだろう」

 

 上位者化した夢の狩人が繋がり合い、同じ空を観測し、幼年期を終えた上位人類種の阿頼耶識―――夢都ヤーナム。

 狩人も人間であるならば、全ての世界でヒトは繋がり、集合無意識を作り出すのが人類種の必然的な業であり、夢。

 元より、人理など惑星の意志があらゆる生物を通じて夢見る空想の一つ。幼年期が過ぎた上位者の狩人が別の可能性を獲得した新人類種でもあり、夢見る上位者でもあれば、その平行世界の地球に一体しか生まれない筈の月の狩人もまた宇宙の機構を人間らしく悪用しよう。

 このヤーナムは、人類種を啓蒙された月の狩人による人理でもあった。

 全てのヤーナムがあらゆる狩人を通じて夢見る空想の可能性であった。

 

「此処での死は我ら新人類種の、魂が夢見る喜びだ。酔いが、死の尊厳を啓蒙する。即ち、オルガマリーの血は呼び水だったのさ。彼女の血がこの世界を我ら月の狩人に啓蒙した。

 全ての月が、その意志たる狩人が、別個の人理として夢都では人間性として確立した」

 

 月であり、星。

 空にして、湖。

 

「尤も、人理の仕組みを学んだ灰からすれば既に通り過ぎた思索でしかない。我らの血による絵画世界とも言え、人類史からの闇より得た影である。ある意味、汎人類史に寄生する上位者(レイチョウ)の人理でもある。幼年期の先の進化の為、やがて必ず臨終する惑星を見切った我らは、現行人類種が星と共に夢見る今の人理に酔えなくなってしまったのさ。

 それを啓蒙されたいのなら、酔って死ね。

 進化に獣性が要らず、地球の人類種が生み出した理を不要とする狩人にとっての―――人理」

 

 人とは――業。

 

「マシュ・キリエライトよ、己が人間で在る事を我らと同じく啓蒙され給え。

 皆、一人の人間。皆、人間性を持つ。

 狩人でしかない私も、人間だったさ。

 しかし、それが貴公に不可能なのも私は理解しているとも。狩人らが夢見る月世界のこのヤーナムでは、特にね。

 故―――葦名に行く権利を与えよう。貴公は灰の獣狩りを見届けよ

 このような人理を夢見る事が出来るのも、進化の為の空想遊びが人類種に許されるのも、灰が魂を喰らう獣を狩る事が確定している故に」

 

 人間性を尊ぶ唯の人間、月の狩人―――ケレブルム。

 所詮、夢見るヤーナムの数だけ存在する狩人の一人。

 狩人全てが特別ならば、その特異な存在達は誰もが狩人の業と言う普遍性を持ち、ある意味で常識を共有する人間とも言えよう。だからか、己を特別だと考えず、この世で唯一人の幼年期を超えた単独の新人類種だと言うのに、孤独を理解し合える他世界の自分自身からも好奇心旺盛な子供のように業を倣って学ぶのだろう。それは灰と悪魔が自分を人間を超越した者と特別視せず、唯の人間に過ぎないと正しく理解しているのと同じ理屈である。

 そして、盾騎士(キリエライト)の脳を彼は海より深く、空より高く、古都の宇宙を理解して欲しいと星に願って啓蒙する。

 素晴しさと、悍ましさに、狩人は歓喜した。彼女はきっと良い狩人になるだろう。

 血液由来の狂気が、盾騎士の脳を祝福する。器に流れ込む水のように満ち溢れる。

 人間と言う生物が、そもそも救われる必要がない化け物だと狩人は導かれていた。

 即ち、人類史への救済など考える必要はない。勝手に自分で自分を救う事だろう。

 狩人は愉しそうに微笑んだ。盾騎士は"キリエライト”の意味通り、狩人達のヤーナムにとっての"主の光”となる希望だと彼は思索した。

 

 



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啓蒙75:ネームレスエコーズ<④>

 幕間兼ローマ編のエピローグの終わりです。


 ―――楔の神殿(ネクサス)。崩壊した悪魔の祭壇。

 杖を持つ黒衣の女と、近未来的な機械装甲(アーマー)を着込む少女が二人。

 

「そうですか。あなたはカルデアと言う組織の所長をしていたのですね」

 

「継いだだけですが。オルガマリー所長は死に、ドクターも死に、ゴルドルフ新所長も死んでしまいました。私のマスターも、私が弱かったから死にました。皆、皆、殺されて死んでしまいました。

 だからと、私が諦めてしまえば、死んだ皆が無駄死になってしまいます。

 私以外に皆の遺志を継ぐ者はおりません。何より私は他の誰だろうとカルデアの呪いと祈りを、継がせる気はありませんでした」

 

「旅する御方……話して頂き、ありがとうございます」

 

「私の方こそ、楔である貴女の話はとても参考になりました。獣をまどろわせ、眠りを与える悪魔の神秘……多分、一番私に必要な叡智でしょう。

 殺せられないのなら、封じるのが一番。

 生きていようとも、永遠に眠らせて仕舞えば良い」

 

「それなら、良かったです。ですが、何時か必ず……あなたを解き放つ者が現れることです」

 

 黒衣の女は本来なら両眼を蝋で封じていたが、右眼部分だけ封印が融け、その目で優しい視線を相手に向ける。

 

「それは問題ありません。もう私は救われまして……だから、これ以上の救いは要りません。一生分、貰いました」

 

「……旅する御方。盾騎士のキリエライト。それは、余りにも惨い未来です」

 

「はい。その惨さが、この罪悪感を薄めさせる唯一の酩酊なのです。何より貴女にこそ、運命がまた巡り合わさることを祈っています」

 

 何処か遠くの、もう二度と会うことのない誰か。夢の中と言うよりも、眠りの中で思い返す古い記憶の旅。彼女は自分が目覚めるのを実感し、周りが白けて自分と言う認識が強まるのが分かり、脳が現実を受け入れ始めた。

 

「――――……」

 

「おや、おや、おや。目覚めか、それが目覚めであるか。この目覚め、何とも素晴しい目覚めじゃあないか。

 アッシュ・ワンから頂いた遺伝子マップを改竄する毎日だったと言うのに、こうしてオリジナル・キリエライトの生身が手に入るとは……あぁ、やはり素晴しき世界だ。

 研究は無駄にならなかった。愉しい徒労だったが、有意な犠牲となることが出来た。

 どうだろうか、悪夢の治験……肉体の変貌なき夢の苗床。選ばれし落とし仔の君にしか出来ない治験だよ、これは。何より、私は血を与えるだけで行うのは経過観測だけ等と……ッ―――ふっふふふふふふふ!」

 

 医療教会(ヒーリングチャーチ)葦名支部運営者、教区長ローレンス。患者拘束用治験椅子に座る彼女は、背後から聞こえるその冒涜的学術者の呼び声で目が醒めた。

 囚われの身になった過去を思い返そうとするも、脳に針が刺さっている所為で思考が鈍る。更にどうやらピンセットで脳の一部を生きたまま摘み取られたのだと把握する。視界が千色に歪み、脳組織へ直接的に薬物の類を注射され、あるいはソースを掛ける様に薬液を降り注がれたのだとも分かった。

 グリグリ、と針で脳が刺激されてシナプスが反応する。だと言うのに、彼女は声を洩らさなかった。既に肉体を意志が完全に支配している為、本能を超えた神経反応レベルでの制御が可能。

 

「……―――」

 

「あぁ、分かっている。分かっているとも、オリジン・シールダー。拷問になど私は興味はない。ただ、そうただそれだけの事なのだよ。

 ―――心臓を、摘出したいだけなのだ。

 ―――脳髄を、採取したいだけなのだ。

 けれど、安心して欲しい。全て悪い夢になる……此処は現実だが、青ざめた君の血肉は夢に過ぎん。死は夢幻であり、現実の方が夢へ反転し、なのに夢は夢の儘なのだから」

 

 オリジナルである不死の肉を、教会施設で作った複製品の肉体へと移植する治験。心臓を取って心臓を縫い合わせ、脳を抜き取ってパズルのピースのように脳を入れ込む作業。これの繰り返しで得られた成果から、この実験に以上の進展がないことも教区長は分かっていた。

 しかし、偶発的に得られる啓蒙がある可能性は零に収束していない。失敗が成功を実らせる苗床になることは、聖歌隊の研究成果が証明している。

 

「素晴しい肉体だ。この血は、悍ましい程の狂い果てた強靭さだ。あぁ全く、君を捕えるなど私には不可能であり、しかして葦名は七騎のサーヴァント化した簒奪者と、一匹の宝具化した簒奪者と、百の簒奪者が存在している。

 袋叩きにされてしまえば、核の熱波を防ぐ君の防御力も限界が来よう。優れた相手を殺すには数の暴力に頼るのが一番簡単だ。

 だから、混ぜられる。混ぜ、混ぜ、混ぜて、これもあれもとあらゆる血の穢れを混ぜられる。まるで君の肉体は輸血液のパックだね」

 

 彼女が思い出すのは、雷槍の戦神、聖剣の狩人、黒い流血鴉。そして、その身に太陽を宿しながら、自分自身の魂が太陽を飲み乾す程の孔を穿たれた簒奪者の群れ。一人一人が、そもそも世界の存続を可能とする救世主か、あるいは世界を丸ごと滅ぼす破壊者であるならば、彼女は一対一の決闘であろうと勝ち目は皆無だった。そうなのに、そんな連中が興味本位で十人以上は集まり、一方的に敗北した。

 とは言え、実質的には戦神の簒奪者一人に負けたようなもの。

 戦神に勝った所で他の簒奪者との戦いは避けられず、逃げ延びる目論見は全くなかったのだが、戦闘自体は一騎討ちであり、彼女は力尽くで魂を突き砕かれてしまったのだった。

 

「……………狩人の、治験ですか。

 成る程。そんな様だから、実験棟を作るまでして、自分の獣性を克服することも出来なかったのでしょうね」

 

「おや、脳にメスとピンが入っているのに喋る元気があるとは。全く以って素晴しい生命だ、キリエライト」

 

 啓かれた知識。それを得る為、物理的に開かれた頭脳。頭蓋骨を言葉通り、その骨を蓋みたいに切り外し、教区長は意志が宿る生体機関を視認する。

 脳細胞の働きを見る為、通常の検体は麻酔無しで意識の有る状態で観測し、今の彼女も同様だ。この状態になれば本来、呻き、鳴き、喘ぎ、叫ぶのだが精神状態は不断の不変。今の盾騎士に物理的損傷で動作と意識が阻害されることはなく、憎しみや恨みを教区長に向ける感情の矛さえも存在しない。

 

「貴方が言ったことでしょう。私は、私で在る限り私と言う夢。そう言うカタチの獣で在り、そう在れば良い夢なんです。

 他の血が入ったところで、脳が自浄作用の喀血を行うだけです。血を惜しむから、虫に脳を制御される様に陥るのです」

 

「成る程。青ざめた血の忌み子、星見の狩人が作った史上最強の最高傑作は、冷血の赤子でも有るようだ。

 ならば後で是非、貴女に見て欲しい――――此処の区画に住む実験体の患者、その全てが貴女の遺伝子から作られた貴女の複製品。他区画の実験棟で捕えられた葦名市民の劣等患者共とは、比べ物にならない成果を出す優秀な汚物と呼べることだ。

 言うなれば、貴女の娘たちとも呼べましょう。

 そして、アゴニスト異常症候群の発祥原理も此処で生まれ落ちてしまった。

 私も私自身を実験体にしては失敗し、私のクローンも実験素体にしてみましたが……やはり、貴女の遺伝子は比較にならぬ程に素晴しかった。

 この葦名にて、貴女の血が民衆の救いなのさ。

 ソウルをデーモンに吸われ、白痴の亡者になるのを止める予防の輸血を、全ての葦名市民が感謝していることでしょう。あのヤーナムで医療教会が崇めらたようにね」

 

「―――……そうですか。

 では、必ずこの特異点を滅ぼします。私が、此処を殺します。カルデアの悍ましき宿業こそ、この葦名を助けるのですから」

 

 輸血液とは、生きる意志を活性化させる血の力。患者と同様の治験用拘束椅子に彼女は縛り付けられ、輸血装置と血管を繋ぎ合わされおり、常に輸血液が体内に流し込まれている状態を維持されている。そして、過剰に溜まった体内の血液もまた常に採血されている状態であり、彼女の体内を血の坩堝として使用することで、混じり合う青ざめた血を作り上げるライン造血装置を教区長は作り上げた。

 狩人の体質を悪用した死なずの永続的回復機関。半永久的な輸血液製造生体機械。

 それは医療教会の実験棟を運営していた教区長の悪夢的発想だった。キリエライトはこの治験椅子によって、生きる血の触媒として素材として消耗させられていた。

 とは言え今はもう、実験は毎日に行われている訳ではない。簒奪者憑依用の素体はクローンが使われ、オリジナルの彼女はより良いコピーを作る為の上質な触媒として利用されるのが主目的。ローレンス教区長による私的治験は数十分で終わり、後は何時も通りに椅子に放置されている。

 だが今日は違った。治験椅子に座る盾騎士と実験道具一式だけが置かれた隔離監禁個室を扉を、治験が終わった後で開く音がする。此処は秘儀で封じられており、教区長以外の教会関係者は入れない筈だと言うのに、その侵入者は何でも無いように盾騎士へ話し掛けた。

 

「あのケモノでカリフラワー……略してケモフラワー教区長さん、本気で悪趣味な……ッ―――ふぅ、盾騎士のキリエライトさん……ですよね。大丈夫?」

 

「―――……誰、ですか?」

 

 そして気が付けば、盾騎士の眼前には金髪の女性。少女とは呼べないが、大人にも見えず、そのどちらにも見える程度の年齢。十代半ばか、後半か、二十歳を迎えているか、どうも判断が付かない曖昧さ。しかし、それ以上に印象的なのは神父服を着こなして似合っている点だろう。

 神父服の女は盾騎士を胡乱気な目付きで見ていた。

 腐乱死体を見る特殊清掃員にも似た胆の据わる目。

 凄惨な殺され方をされた筈の死体が喋る異常事態。

 死んでいないのは理解していたが、神父服の女は敢えてこの姿でいる盾騎士を悍ましいモノだとも理解し、視線を逸らしたくなるのを我慢して話し掛けた。

 

「うわぁその頭が……あの、開いてるまま喋っても、大丈夫?」

 

「別に、平気です……んー、ん。はい、治しました」

 

 瞬間、盾騎士は姿が戻る。まるで夢のような、映像が逆再生するような、気味が悪い程の治癒能力。椅子は拘束器具に過ぎず、常に流し込まれる特殊神経毒で肉体が動かないだけで、肉体の再生は容易い状態だ。尤も彼女からすれば、死ねない故にこの場から逃れられないので不都合極まりない延命処置。死にさえすれば夢となって帰還出来る。だからアイデアに富む教区長はその冒涜的発想力から、狩人専用延命拘束治験装置としてこの椅子を作り上げたのだろう。

 四肢をベルトで締め、首元を枷で固め、胴体を縛り付ける。指先の自由もなく、股を開脚されて腰を動かす余裕もない。腕と脚には薬品と血液を通す点滴が刺され、自由なのは顔だけだろう。とは言え、魔術回路は勿論のこと思考回路も神秘と不接触にされている為、言葉の自由があっても呪文一つ唱えられず、太源への干渉も完全に不可能。服装も患者用の白服であり、魔力と肉体の動きを封じる神秘が刻まれた拘束具でもあった。

 

「自己意識が強烈だね。凄い再現力。

 うん……そうだね、眷属に脳味噌をチュウチュウと吸い取られても平然と動けるのが私たち狩人だから、不可思議じゃないんだけど」

 

「それで……貴女は誰ですか?」

 

「……ごめん。自己紹介、遅れたわ。ちょっと此処の様子が強烈で。

 名前はユビだよ。指の狩人、ユビ。盾騎士さん、助けに来ました。でも、単身で一気に葦名市内に攻め入ったのは、ちょっと頭が聖剣ゴリ押し三倍太陽さんだと思う。

 脳筋だよ、脳筋。瞳が脳を筋肉啓蒙した変態マッチョメンのゴリラさん。医療教会の力isパワーな獣狩りさんだ……墓石で殴って、車輪を叩き付けて、大砲を撃つのと変わらないと思う」

 

 狩人は盾騎士を助ける為、獣狩りの斧を超精密な動作で振い、拘束具だけを的確に破壊する。だがまだ身体は動かない彼女を持ち上げ、監禁室の扉を鍵開け技能で静かに開けていたのでそのまま出て、実験棟を通り抜ける。

 

「どうも、ありがとうございます。指さんでしたか?」

 

「どういたしまして。指のユビよ……まぁ、呼び方なんて何でも良いのだけど」

 

「神父服……でも、女性ですか。カトリックは聖職者の男装を許しませんので……成る程、コスプレ女と言う訳ですね」

 

「嫌だわ。これ、お父さんからの遺品の狩り装束なの。夢でなら直ぐ戻せるから、ちょっと私風に改造してるけど」

 

 足音も無く、静かに進む。狩人は無音を心掛けている様でいて、しかし周りに声が聞こえるのも気にせず平気で喋っている。理由は簡単で狩人(ユビ)は魔術によって空気の流れを遮断しており、消臭ついてに空気振動もしないので会話が漏れる事もない。光学迷彩機能も発動中。忍び足なのは葦名流武術修得の為の鍛錬であった。

 指は此処まで来るのに見て来た光栄を再度見る。盾騎士も同じく様々な治験を受ける際に、見せ付けられた惨劇をまた見学される破目になる。

 此処の実験棟区画は、キリエライト素体の生産と実験が主。生産工程は実に工場的な光景であり、ソウルと血液が混ざった液体で満ちた人間大のカプセル内部で肉片から培養されている。

 そして天上から吊るされる素体。ベットに縛られる素体。椅子に縛られている素体。優れた肉体で在る為、他区画の実験体のように肉体の大幅な変貌は起きていないが、眷属化や獣化の現象が少しばかり起きている者はいる。あるいは注入された魂造りの材質にデモンズソウルが使われており、デーモン化も同時に進んでいる個体もいる。しかし一から製造する素体であり、キリエライトシリーズは均一化された身体・精神・霊魂であるため、素材の違いで実験結果が異なる事がなく、実験手段の差異を正しく比較出来る治験区画となっていた。

 無論、解剖された後の標本もある。様々な上位者の血で眷属化が進んだキリエライトのホルマリン漬けや、牢屋の中で拘束される生きた眷属化キリエライトの牢獄回廊もあり、獣化したのも同様。デモンズソウルの影響で細胞変化も起きる個体も多く、血の影響も混ざった奇形異形の患者になる者もいる。

 

「気持ち、悪くなる……だから、いけないの。ビルゲン大学出のヤーナム野郎は、余計なことして上位者の怒りにふれ、災厄ばかり呼び込んで駄目なのよ。

 お父さん、言ってたわ。ヤーナムの高学歴は病気揃いだって。自称インテリは行動力がない無能が多いけど、本物のインテリは損得以前に好奇心と探求欲に忠実な善悪気にしない有能だから、社会を駄目にする病原になるかもしれない自覚がないって」

 

「世間を変えて今より良くしようとする愛が、今の社会を壊す悪なのは良く見て来ましたが……はぁ、私が一杯。尊厳が破壊されます。

 是非、この葦名は滅ぼさないといけませんね。赤目、駄目絶対」

 

「メンタル、強いね。私だったら衝動的に焼き払っちゃうかも」

 

「慣れです」

 

 実験棟地下最深部のキリエライト素体研究区画を抜けた先、そこは医療教会の市民入院施設としても利用される元葦名大学病院病棟群であり、現葦名医療教会からは実験棟とも称された。デモンズソウルに冒された精神汚染患者に対する教会の血液実験場であり、葦名市民を実験素材にする冒涜的治験施設。

 教区長(ローレンス)の思索こそ悪夢の苗床だった。人間に対する瞳と血の思索実験は無論、ヤーナムの医療教会同様に人間の生物兵器化も行っている。学術者が思う儘、実験を繰り返す研究現場は阿鼻叫喚の悲鳴と血飛沫が上がり、事故で学術者が実験動物に喰い殺される事も珍しくなく、発狂によって自分自身が実験素材になることも多くある。

 そして、太陽に焦げた暗い魂の血。

 古い獣により祝福された悪魔の魂。

 生まれから作り上げるキリエライト素材と違い、葦名市民の魂はこの特異点によって徐々に獣の霧へ適応した生命。人間を反応させる神域の触媒が多く教区長の手元へ集まり、何より外聞を余り取り繕うことなく、大雑把に研究を進められる特異点と言う思索実験に富み過ぎる世界。

 

「―――私がこんな世界に生まれた意味、知りたくない……」

 

「思索を好む上位者に並ぶ知能みたいですが、貴女の心はまだ子供みたいですからね。ユビさん、何かお悩みがあれば相談して下さい。助けて貰った御礼をしたいので」

 

「また会えたら、そうしてみるね」

 

 思考の瞳を持つ指と盾騎士は、その全てを見るだけで啓蒙された。

 臓腑化した患者が集合する巨大内臓獣。天井が銀河空間となった個室の持ち主である青い軟体人間。人の認識を狂わせる半幻影人。血液が燃える発狂妊婦。汚物を生み出し続ける蝿集りの巨人。人間を病ます汚濁を作る沼男。人型の竜となった岩石の巨人。寄生虫を体内に住ませる人獣。蕩けた腐肉が融合した巨大スライム人間。蜘蛛と竜と犬を合わせた燃える炎人。雷電と大嵐を身に纏う人型神秘獣。五体に兵器を組み合わせた多数の仕掛狩人。異次元空間を頭部にする鐘の髑髏の軍勢。脳味噌が巨大化した発狂の魔眼を持つ女。触媒となる血液を生む為の生体造血人間。

 実験成果は、ヤーナムの比ではない。教区長は繰り返す程に成果が出る葦名の研究環境の素晴しさの余り、百を超える発狂を乗り越え、既に正気と狂気が融け合わさった。

 

「助けは此処までで良いかな。手っ取り早く、貴女を殺して還しちゃえば良かったかもしれないけど……それはアッシュ・ワンさんに止められたの。

 何でも、キリエライトさんにはマイカーがあるから、それも返して上げなさいって」

 

「あの灰が、貴女を私の助けに……―――はぁ、嫌な予感しかしません。

 計画に取り込まれるのは癪ですが、私も私で目的があるので仕方がありませんか。それと、車に関しては感謝します。死に戻りで葦名街から脱出するのは簡単ですが、教会に没収されたボーダーを取り戻す手間を考えると、一緒に脱出した方が良いですから」

 

「だよね。逃げるだけならそっちの方が助かると思って……斧で貴女の首、直ぐに斬ろうと考えたら、一瞬で釘刺されたもの」

 

「あの女、狡賢さに比例して親切な行いをする時、本当に気が効くのも苛立ちます」

 

 何時か、全てを焼き払わなければならない実験棟を抜け、盾騎士は狩人(ユビ)に背負わせられたまま無事に医療教会兵器研究棟へ移動した。そこには盾騎士が愛用するボーダーなる装甲車が格納され、今も葦名のテクノロジー化する為に研究されているらしいのを指は聞いていた。

 格納庫へ到着し―――研究員十五名。その者らが、これより指が殺すべき味方。

 秘薬を呑んだ上で更に気配殺しを行い、狩人は鏖の狩りを即座実行。盾騎士を優しく壁に預けた後、斧を振って頭を無音でカチ割り、首を撥ね飛ばし、投げナイフで脳を貫き、散弾銃の銃把(グリップ)で頭部を殴り弾き、痛みで悲鳴が上がらない即死箇所を狙って狩り殺し続ける。時間にして五秒も掛らず、指は全員を仕留め切った。

 

「良いのですか。この人たちを、殺して?」

 

「うん。殺さなきゃ、貴女が困るでしょう?

 それに監視カメラの類は電子回路に脳波で干渉出来るから殺害記録は残らないし、この空間の記憶からも夢から干渉して塗り潰せるから、魔術や過去視の魔眼でも見抜けないと思う。多分、そうだと思う……今回が初めてやるから、確実かは分からないけど」

 

「不安です」

 

「安心して。計算上は平気だから」

 

「失敗フラグって言うの、知ってますか?」

 

「知ってる。葦名で、漫画とかアニメも見てるから……で、どう?

 身体は動くようになったかしら。毒抜きはしてあるし、中和薬も注射したから、そろそろ良い雰囲気になってる筈なのだけど?」

 

「ボーダーの運転程度ならもう大丈夫です」

 

「良かった。じゃあ、もうさようならね。奪われてた装備もここの近くの保管庫にあったもの。

 それとアッシュ・ワンさんからの伝言だけど、まずはアームズフォートの破壊を先決した方が良いですねぇ……ふふふふふって言って嗤ってたよ」

 

「相変わらず、この盾で踏み躙りたくなる人ですね。けれど、そうした方が良いのでしょう。それが出来る程の仲間を集めてからではないと、葦名殲滅は不可能みたいです」

 

「抑止に召喚された英霊さんが頑張りましたので、後は残り一つだけみたいだよ。確か……あぁ、んーなんだっけね……そうそうグレートウォールだったっけ?

 万里の長城を移動要塞にしようとか言う狂気、男の浪漫だってお父さんは好きそうだけど」

 

「成る程。魔女さんと暗帝さんがいるみたいなので、ちょっと移動要塞破壊計画に誘ってみます」

 

「うん。応援してるよ、盾騎士(シールダー)さん」

 

「ありがとうございます。では、またの時までさようなら」

 

 装甲車(ボーダー)に乗った盾騎士は運転席から操り、屋根から無反動戦車砲を展開し、砲門発射。格納庫のシャッターを粉砕し、更に今度は榴弾砲を展開してグレネードを撃ち放ち、残骸ごと木端微塵に消し飛ばす。盾騎士はボーダーで煙りが上がるシャッター跡に突き進み、そのまま医療教会研究施設からの脱獄に成功したのであった。

 直後、アラート音が鳴り上がる。葦名街中に緊急警報が響いてしまう。

 医療教会の人体兵器(ハンター)が出撃し、火薬庫式戦闘用自動二輪車(ローリングモーターバイク)に乗った追撃部隊が盾騎士の追跡を開始した。

 

「あら、ふふふふ。ありがとうございました。ユビさん、貴女は確かな仕事をする良き狩人さんです。

 報酬に最初の火で黒焦げた暗い魂の血を輸血しませんか。きっと月の狂気にさえ永劫に狂えなかった狂人の眷属でしたら、美味しいと思って頂けると思いますよ」

 

 どうか逃げ切って欲しいと神ではなく、盾騎士自身の魂に祈る指の背後から、優しく甘い声が掛った。聞く者の脳を蕩けさせる偶像の囁きであり、神の啓示と錯覚させる聖職者の聖句でもある。

 しかし、その女の本性を知っていれば、何の感情も乗っていない軽薄とすら呼べない感謝の念だとも理解出来た。

 

「要らない……と、言いたいけど頂くわ。私、この血をもっと強くしないといけないもの」

 

「はい。では、どうぞ。約束の報酬に追加しておきましょう」

 

 手渡された輸血液を身体に刺すのでなく、指は口を開けて喉へと直接的に呑み込んだ。偉大なる上位者の血液以上の潤いであり、葦名に浮かぶ太陽の熱力が遺志となって身体へ流れ込む実感を得た。

 眷属で在りながら、不死の狩人たる高次元人間。思索の為の叡智に逆らえない自身の浅ましさに涙が流れるのを堪え、だが嗚咽が漏れるのは防げない。快楽以上の快楽が苦痛となって脳を焼き、思考の瞳が新たな神秘を得て血を新生させる歓喜に震え、指の狩人は思考の紐に幻視する指先が震えるのを止められない。

 

「う、うぅ……う、うっうっう”ぅう”う”ぅう……ちくしょう……ちくしょう、わたしは、わたしは……―――」

 

「嘆く事はありません。狩人なのですから、えぇ……本来、狩人の源流とは学び舎の学術者が叡智を得る為の手段が形となった業ですので、その歓喜こそ本来の愉しみ方でしょう。

 それを得て、異形化した獣にも眷属にも落ちない貴女は素晴しい狩人ではないですか?」

 

「うるさい。黙れ。人間め、この人間め……」

 

「はい。私が人間です。人を殺し、神を壊し、律を壊し、世を治す、そこらで生まれる唯の人間です。

 だからこそ、人の血は美味しいのでしょう。人間にとってもね、人血は素晴しい啓蒙なのでしょう。

 キリエライトさんも、ユビさんも、私と同じ人間なので気にする必要は皆無です。人間だからこそ、人間をこの世で最も愉しめる資格があるのですからねぇ……ふふ、ふふっふふふふふふふ」

 

 小さな狩人を背後から肩を抱き、耳元で人間性を囁く。擬似的な啓蒙が脳内で起き、魂が啓かれる宇宙的快楽を味わった。

 そんな指に灰は微笑む。人助けは、助ける側も愉しむべきだ。灰の信条であり、愉しめない相手を助ける価値はない。とは言え、無駄な徒労を疎む心などない為、暇潰しの面倒事として無価値な人間も意味もなく助けるのも灰である。その点、指の狩人は価値のある人間だった。それだけの事で灰は興味を魂から湧かす理由になる。

 

「さぁ、世界(ニンゲン)を知りましょう。ユビさん、貴女はケレブレムから預かった大事な家族です。

 キリエライトさんと言う英雄にして聖者を地獄から救い上げると言う、その余りにも貴い人助けを通じ、どうかこの道徳心に基づく歓びを知って頂きたいのです。

 英雄が、英雄と呼ばれる狩人が何故、民衆の為と言う欺瞞を信じてしまったのか……魂を蕩けさせる甘い自己犠牲精神と、人を助けると言う太古からの社会性を喜ぶ人間(ケモノ)の遺伝子に刻まれた本能的快楽をね」

 

 史学と考古学、そして生物学的視点からも人間を観測する灰にとって、集団性を好む社会的動物として備わる人間の脳機能も研究対象に過ぎない。群を運営する際、善性とは生物の繁栄としての利点である。だが、魂の視点を持つ彼女はそれだけでない事も知っている。

 ―――人間性(ヒューマニティ)とは、それ以前のナニカ。

 指の狩人に宿るソレを見たい。見続けていたい。月の狩人が葦名へ送った贈与物、どうか大事に完成させてヤーナムの悪夢へ還して上げたい。

 

「―――うん。私は、指の狩人だから」

 

「えぇ……なので、甘えて下さい。好奇心が枯れる程に、ですよ?」

 

 これは月の狩人が葦名へ来た少し後の出来事。灰にとって計算外だった盾騎士の失態を助け、それを預かった少女の成長の為に利用した話である。

 

 

 

●●●●<◎>●●●●

 

 

 

 日本国政府機関の一つ、葦名幕府。

 日本国内統合政府機関、官僚内府。

 嘗ては国際情勢に合わせて日本国も議会制を取り入れたが国際社会が消滅した大崩壊以降、内閣府はなくなり、日本政府は幕府と内府で運営されている。尤も、今はそれさえも形骸化した終末期。政治形態に意味など一欠片もなく、行政サービスをする相手となる国民が存在しない状態。

 全ての元凶―――古い獣。この一匹によって世界は狂った。

 星が霧に覆われ、人間の肉体が溶けて魂が漂い、霧のデーモンが徘徊する異界常識。

 日本国外を問わず各地にて、伝承と神話がデーモンとなって具現する異常事態。神話の神や魔物、そして英雄として信仰される死者が人々を殺戮し、魂をソウルに変換して貪り尽くす阿鼻叫喚。

 しかし、その地獄を克服する救世主が現れた。あるいは、救世が可能が力と因果律を持つ為、その役割を当て嵌められただけの只の人間。抑止とは相容れない異物でありながら、人理にとって善なる獣狩りをする外道。

 嘗ての俗称の灰の人(アッシェン・ワン)を改め、人名でアッシュ・ワンを名乗る灰は、他世界の自分を大量に召喚。火の簒奪者となった灰を呼び込み、数多の世界に存在する最初の火を蒐集し、葦名を中心とする日本国だけに火の封を施す事に成功。

 日本だけは獣の濃霧から守られ、しかしそもそもの発生源が葦名の地下神殿に存在する矛盾。

 幕府征夷大将軍、葦名一心はアッシュ・ワンと契約を結び、伝承を具現したデーモンが蔓延るだけの被害に、何とか日本国の現状を維持する事に成功した。

 

「貴公、まだ準備は終わらぬか?」

 

「気が早い悪魔さんですねぇ……ふふ。もう少し、犠牲者が欲しい所です」

 

「そうか。では、確実な準備を頼むぞ」

 

「ええ、それはもう。古い獣など人理にとって百害あって一利無しです。しかしながら、我ら灰にとっては利しか存在しない有益な神にして魔、同時に獣でもある理、そして人を人間足らしめる魂の化身でありましょう。

 安心して下さい。必ず、殺します。良い薪になりましょう。

 人理に、黄金の時代が訪れることです。貴方や私が贄として捧げた人々も、きっと無意味な死ではないと理解して頂ければ、根源の渦の向こう側にある星幽界で御喜びなることでしょう。

 尤も生まれ故郷に還った人間の魂に、幸福を喜び、不幸を嘆く感情の自由など存在しませんがね。

 死した時、魂が意味消失するのは必然。不死である我らにとって死は無価値である故、それに価値が生じないと言う意味を理解可能であり、死を知っても解することが出来ない者にとっては価値がある故、その意味を理解出来ないと言う矛盾に陥ります」

 

「無駄な哲学だよ、それ。我ら不死にこそ、哲学は無価値だ」

 

「尤もですね。しかし私達は永遠故、長く生きる為、思考実験は手放せない大事な暇潰しになります。哲学程、心地良い徒労はそうそう無いのも事実でしょう?」

 

「死を尊ぶならば、冥界や地獄にでも逝けば良い。貴公であれば好きなだけ、神も悪魔も貪り愉しめることだ」

 

「残念ながら、そこの者共も死にました。あの世と言う異界にも寿命があり、最期で以って死んでしまいました。

 本当、残念でしたね。私に死の概念がない訳ではなく、生命も死ねます故、ただただ魂が死ねず、無へと還れないだけですので。

 だからこそ、此処の世の人々は幸福です。死ねば根源と言う異界に還る原理を、魂が生まれながらに持っているのですからね。そして、全ての魂が平等に無へと融け、一つの渦となって星幽界で永遠を孤独なく存在し続ける権利を持っています。

 羨ましい限りです。私も是非、死んでこの孤独から解放されたいものですね」

 

「―――ハ、軽蔑する。やはり悍ましい女だぞ、貴公。

 その感情は確かにあるのだろうが、僅かばかりの本心に過ぎん。それも感傷から程遠い学者視点の下衆な好奇心だろうが」

 

「いやぁ……うふふふ、手厳しいです。勿論、貴方の言う通り、本心で嘘ではないのですよ。死ねない呪われ人の成り立て頃は、本当に死にたいって想ってはいたんですよ?

 何故、どうして、疑念ばかりでした。

 とは言え、それも人のソウルを食べた後は、その衝撃で自身の不幸に無関心になってしまいましたが。そんなどうしようもない事を気にするのなら、変える必要がそもそもない過去に頓着せず、進める時に進められるだけ全速前進するのが強い人間性と言うものです。

 それがいけませんでしたね。そもそも自分自身が、死後のあの世と呼べる人型の地獄になろうとは」

 

「それもまた、ソウルの業だ。人間、魂が強いばかりでは弱さによる幸福も忘れてしまう故」

 

「ですね。大切にするべき健常な弱さに価値を覚えられなくなるとは、自分の事ながら酷い欠陥人格です。

 所詮、灰が持つのは闇より生じた人間性。神の欺瞞によって与えられた火の封がなければ、我ら不死は人肌の温かさを実感出来ない暗黒の澱なのでしょう。

 闇の生温かさは分かると言うのに、結局……人にとって、真実が幸福になるのでしょうか?

 神による火の時代で得られた幻の、命に甘い偽りの生の方が……―――まぁ、私は嫌いですが。

 ならば私の闇が手に入れた神々の愛する太陽、即ち闇の生命を神の夢幻へ転じた日の輝き……その神の時代から奪い取った火で以って、人の魂を欺く全てを焼き尽くしましょう。

 それが人の為の善であろうとも、人の魂に幸福を与えるのだとしても、誰かが描く夢の世界など人間が持つ人間性が許さない。そんな夢に生きた所で、己が魂に価値が生まれる訳がないのですからね」

 

「否定はせんぞ。人は、自分で選んだ戦場で戦い続けるべきだ。生きるとは、そう在る事を意味している」

 

「正しく、それが現実に生きる価値です。私もそう在ろうと努力はしております故、えぇ……自分から逃げるのだけは嫌なのです。

 尤も、相手を挑発する為の敵前逃亡は大好きなのですがね。姿を隠しながら大弓で狙撃し、こそこそ逃げ隠れ、相手の隙を狙ってまた狙い撃つ。不死殺しにおける最高の愉しみ方の一つでありましょう」

 

「糞だぞ、貴公。何処までも追い駆け、殺したくなる衝動を覚える怨敵だ」

 

「はい。その為に鍛えた逃げ足ですので。何より、糞な敵が投げる糞団子ほど道理に合う悪意もありません故に」

 

 日本国首都、葦名都葦名市。其処の山中にて世界遺産に認定された観光名所、葦名城。既に政府機関は街の中心部に移っていたが、神秘の中心部が此処であるのは戦国時代を終わらせた現代の葦名時代まで変わらない事実。しかし、世界崩壊後の今において政府機関は機能しておらず、既に征夷大将軍にして最高府長である葦名一心は、嘗ての居城である葦名城に戻っていた。

 その城より離れた寺にて、悪魔殺しの悪魔と簒奪者の灰は湯呑みを片手に世間話に興じていた。

 二人が見上げた空は文明崩壊によって地上に電灯が消えている為、満月と星々が輝く満点の夜空。しかし、夜出と言うのに浮かんでいるのは暗黒の太陽、日蝕の火。陰月にして、陰の太陽。空と言う一面絵柄(テクスチャ)は完全に狂い、夜と昼が交互に一日の内に回るも、太陽だけは位置を一切変えずに浮かび続けている狂気的異常状態。

 

「はぁ、囲炉裏は良いですねぇ……日本文化、私はとても好きですよ」

 

「夜空が見える屋根のない寺の中で文化を語るなど、貴公は皮肉が強くていけない女だぞ」

 

「まぁまぁ、気にせずに。後ですね、私は温泉も好きなのですよ。私のソウルで、今はそう言う人格に設定しています。愉しむと言う機能は失っていますが、なければ他者の魂と共に奪った精神も消化すれば良いだけですから。

 これは実質、私も文化的健常者と呼べるのではないでしょうか?」

 

「呼べぬな。健常者が、日本伝承の英霊を模したデーモンをペットとして飼育はせん」

 

「金太郎のデーモンのことですか。まぁまぁ、良いじゃないですか。抑止力として召喚された本人の前で、幼い少女の腑を犬喰いしていた自分のデーモンを見る事になってしまい、人理を救うべく抑止力として召喚された坂田さんには悪いことをしたと反省はしていますよ。

 しかし、えぇ……残念ながら、抑止力と私は協力関係にありますからね。

 本来なら召喚されたサーヴァントの皆さんは、私のこの事業に協力することが使命だと自覚している筈ですのに、何故か一人も灰たる私と協力しようとはしませんでした。

 英霊としての義務感、サーヴァントとしての使命感、そんな召喚された存在意義にさえ逆らい、人理に反逆するとは頂けませんねぇ………ふふふふ」

 

「だろうよ。貴公の悪辣さ、反吐が出よう。悪魔以下の吐瀉物の糞反吐に落ちてまで、人類を救いたいと思う人間がいるものか。

 と言うより、貴公に協力することが人理救済に繋がるなど、誰もが信じたくはなかったことだろう」

 

「はい。ですので、抑止力には感謝しております。私は彼らの技巧から学びを得ました。私を殺そうとする敵は多ければ多い程、素晴しいのです。

 酷い勘違いを正す必要など、況して味方にする意味もありませんでした。その人間性に価値はあると私も認めてはいるのですけどね。

 本来、そも抑止力として召喚されるサーヴァントは、この特異点を消滅させようとする者達に向けられる兵器なのです。ですから、カルデア狩りの為なのに、いやはやサーヴァントの皆さんは我が儘が好き過ぎませんかね。これでは己が魂を絶対の指針とする私の同類です」

 

「ハァ……―――貴公の所為か、溜め息が癖になりそうだぞ」

 

「癖は良いですよ。自分特有の仕草を持てば、自己認識の機会が増えますからね。時間ばかりは贅沢に浪費する我ら不死にとって、何となく茫然と忘我する暇が少なくなりますから」

 

「あぁ言えば、こう……ハァ、口では勝てんな。あぁ、また溜め息が出てしまったぞ」

 

「人理の世に生きる大昔の哲学者と、昔は友人関係にあった時期がありました。彼らの屁理屈の巧さは私の比ではありませんよ?」

 

「成る程。歴史の札付きだな」

 

「そこは折紙付きと言って欲しいものです……ふふふ。ですが、日本の諺に馴染む程、貴方も葦名に親しみましたか」

 

「忍びの業、剣士の業。我が業と良く馴染ませた故ぞ」

 

「そうですか。でしたらどうです、キリエライトシリーズの素体にデーモンのソウルを移してみては?

 私が召喚した火の簒奪者が肉体を持たない霊体故の弊害を解消する為、マリスビリーとの契約で得たカルデアの技術によって、霊体と良く馴染む人肉生成が好きに作れますから」

 

「簒奪者の中には、その素体を娯楽品として使う者もいるようだが?」

 

「仕方有りません。造り方と使い方、教えない方が協力者に不義理でしょう。召喚した簒奪者に、その手の変態趣味を持つ異常者がいる……―――いえ、嘗ての人間だった頃の人間性を私の神秘によって再誕させた事で、異常者として自己の再認識を得た者がいるのは仕方がないことです。

 欲得など簒奪者は既に枯らせていますが、生者としての欲求を甦らせる事もまた、私が皆さんに与える報酬の一部分です故」

 

「それは久方ぶりの食事の美味さに対し、感動の余り涙を流す自由な人間性とかかね?」

 

「はい。感情の得方を授けました。キリエライト素体と言う肉器がソウルに合っての外法ですがねぇ……ふふふふふ。

 皆さんには是非、葦名での人生を愉しんで貰いたいのですよ。

 まぁそれはそれとして、簒奪者の魂からすれば、感情を持つ人格と言うのが玩具の娯楽品にしかなりませんので」

 

「それこそ、貴公の嫌う欺瞞だろうに」

 

「愛と希望、それらが素晴しいと人間性は証明しなくてはなりません。闇の内より湧く我らの思いも、火の温かさに刺激を受けて変容しますからね。なので私はね、私個人が欺瞞を好きに嫌っているだけでして、その嫌悪を人に強制する事もまた欺瞞だと考えます。

 偽りの甘い命、甘い業……悪いと断じますが、そう断じるのは私だけで良いのです。

 何より寿命と言う甘い死を持つ命を奪い、それをソウルに偽装して魂を偽っていた女です。

 故に欺瞞とは、何も知らぬ者に人生を強制する行いです。分かりながら尚、そう在ると決めたのでしたら、私は偽物も本物になるべきだと思います。

 だから、えぇ……嘗て大王より火を継いだ不死も、きっと甘い命を人に与える神の欺瞞を良しとし、故にそれを己が真実にした英雄だったのでしょう。

 それを灰として、私は永遠に否定をしたくはないのです。

 偽物と分かった上で自身の思いとするならば、それもまた己がソウルとなりましょう」

 

「それとこれと、あの凶行は別だと思うがな」

 

「でしたら、貴方が殺せば良いでしょう。火の簒奪者、その一人や二人、屠れない悪魔殺しではないですよね?」

 

「殺せば霊体は元の時空に戻るが……貴公、簒奪者のソウルを太陽と繋げていよう。さすれば、殺した所でそのソウルが別のキリエライト素体を器として蘇生するだけの話だ。

 そも、素体に人の魂は宿っておらん。マシュ・キリエライトの魂を模したソウルの造形物だ。

 ソウルの形こそあの少女のモノだが、その材料に使われているのは我が古い獣の霧に過ぎん」

 

「はい。所詮、人造のデモンズソウルですからねぇ……ふっふふふふふ。

 そこに特異点で集めた悪性情報と私の火で焦げた暗い魂の血を使い、簒奪者の霊体に相応しい器を作り出しただけの複製遺伝子体です。

 貴方が解放したところで魂喰らいのデーモンになるだけのことです。

 とは言え、貴方や私にとってソレこそが人間、人の本性。他人の魂を貪る魂だけが、永遠を生きられるのですから」

 

「あぁ……もう、試したぞ」

 

「へぇ……では、貴方と言うソウルの御馳走に耐えられましたか?」

 

「否。しかし、それで助けた命を殺すのは無責任故、我がデモンズソウルを馳走した。結果は貴公の予想通りだよ」

 

「分かっていますよ。当たり前な事ですが、召喚した簒奪者の中にも、逆に貴方のような人もいましたからね」

 

「貴公、それで良く自由気儘な簒奪者共を纏められるな。

 奴等は私や貴公の同類。善悪に頓着がなく、損得も気にせず、生死にさえ関心はない。魂が赴く儘、自分の為だけに生きる者だぞ」

 

「業によって説得しました。とは言え、元より殺戮を本能的に魂から愉しむのが灰です。契約した相手が自分に利があり、且つ愉しい戦場を与えてくれるとなれば、私も含めて灰など御気楽な連中が多いのですよ。況して、簒奪者となって残り火の時代を続ける永遠の繰り返しさえも愉しんでいる灰ともなれば、その内に健常な道理など既にありません。永遠を厭いたまともな灰は、とっととソウルを始まりの闇に還していることでしょうしね。

 大切なのは、永遠を忘れて没頭出来る暇潰しです。

 私の召喚に応じる事が出来た簒奪者とは、気が遠くなる長い年月で殺戮を極め続け、永遠の中で灰同士の殺し合いを飽きずに延々と繰り返し続けるような、本当にどうしようもなく、魂を終わらせることが出来なかった灰が正体となります」

 

「その本質が私や貴公と同じ物か。ならば、仕方が無い」

 

「えぇ、その通りです。信念に反する気に入らないことを許せない何て灰は、もう全員が消えて無くなっています。それは信念がないのではなく、多くの魂を継いだ所為で信念を多く持ち過ぎ、矛盾に葛藤する心も消えてなくなり、人間性の器の底が抜けてしまった為の弊害でしょう。

 気に入らないなんて感情が消え失せても、それでもまだ許せなかった過去の何を正す為、価値のない戦いを続けている灰だけが此処に到達してしまいます」

 

「共感出来るぞ。とは言え、同情と言うその感情もまた、他者の精神を栄養素にした魂の働きに過ぎんがな。

 キリエライトシリーズを大量生産する貴公は気に入らんし、どうにかしてもみたが……確かに、その犠牲が無ければ古い獣は狩れぬ。

 儘ならぬ事だが、同時に比較するまでもなく是非もない事実。

 何処かの誰かを無作為に犠牲とするのではなく、最初から犠牲となる命を自分達が作って消耗する。あの時代の繁栄に至った人理を救う手段としては、悍ましいまでに相応しい合理性だとも」

 

「それもまた、私が人類種から直接的に現地で学んだ人間性です。

 何も知らず、何かを知る術もない無垢な命。それを自分の都合で冒涜する行い……これこそ最も私が嫌悪する欺瞞です。

 しかし……えぇ、それ故でもあります。

 だからと、全人類の魂を見殺しにするのは性に合いませんからね。

 私が勝手に犠牲にし、勝手に皆さんが救われると良いのです。報酬はカルデアの人々がこの特異点に訪れ、好き勝手に私へとこれから与えてくれることでしょう」

 

「誰にも感謝はされんぞ?」

 

「要りませんよ、既にソウルを頂いていますから。貴方もそれは同様でしょう?」

 

「確かにな。悪魔殺しに対価は不要だな。むしろ、悪魔殺すと言う行為が私にとっての報酬だ。

 貴公にとっても目的にした結果など関心はなく、その過程で起こる面倒事が報酬になる訳ぞ」

 

「その通りです。自分の使命は自分で選びました。手段も、目的も、全て自分の選択です。他者は何一つ関係はありません。

 なので、貴方も思う儘に行動して下さい。

 終わりの結果は既に出ていますので、今はその工程を存分に御愉しみ下さいね」

 

「分かっているぞ。貴公こそ、ソウルを励み給えよ。失敗は別にして構わんからな。駄目なら駄目でまた繰り返せば良い。

 期待しなくとも好機が無限に訪れるのが、我ら不死が持つ数少ない利点であろう」

 

「ふふふ。えぇ勿論、最初の一回目で成功するとは思いませんよ。準備を万全した上で出てしまう問題点の洗い出しが、トライ&エラーの繰り返しには大切でしょう……おや?」

 

「来たようだな、アッシェン・ワン」

 

「そうですね、デーモンスレイヤー」

 

 その瞬間、葦名に蔓延るデーモンの一匹が具現した。あるいは、それが出現するからこそ二人は此処で待っていたのかもしれない。

 所謂、敵対侵入者出現時の待伏せ行為―――俗称、出待ち。

 霧が指向性を持って形を作り、伝承と英霊の情報に基づく人々の信仰心が作用し、魂喰らいの英霊(デーモン)が現れた。

 名を―――蘆屋道満。平安時代の陰陽師にして法師。

 抑止側のサーヴァントではないデーモンとしての具現体だったが、むしろ神秘性はサーヴァントを超え、座に存在する本体以上にもなる個体だろう。生きる神を再現する古い獣によるソウルの業は、利用する術師が制御さえ出来れば決戦魔術・英霊召喚をも再現する高次元の権能であり、このデーモン具現化現象は古い獣の法則に覆われた世界においてただの自然現象に過ぎない。

 そのデーモンの胴体を悪魔は肉切り包丁で真っ二つにし、上空に上がった上半身に付く頭部をソウルの光で消し炭に変えた。そして灰が唱えた混沌の嵐が地面から吹き上がり、デーモンの残った肢体を焼き尽くしてソウルに霧散させた。

 

「やれやれですねぇ……これでまた、デーモン被害を抑えることが出来ました。民間人が今以上に死に過ぎ、ソウルを吸われ、頭が馬鹿になって亡者化するのも愚かしいですから。

 我がローレンスの教会による輸血液で蘇りの副作用は無くせますが、魂にも限界がありましょう」

 

「そうかね……不死でもなく、悪魔でもなく、狩人でもなく、その混血である人間としか形容出来ぬ何者か。

 潔く、自我消失した亡者になった方が、その魂にとって幸せではないか?」

 

「魂はそうかもしれませんが、そのソウルに宿る人間性が抗うのでしたら、私は助けて上げたいと考えます。

 とは言え、同胞の簒奪者と暇潰しに殺し合い、魂を貪り合うのも善き日課ですが、こちらもまた治安維持に大切なこと。巡り巡って、デーモンによる吸魂で精神崩壊する人も減りましょう」

 

「霧の濃度が高い場所を特定して出現地点を算出後、そこに待伏せ。デーモンを具現と共に葬送し、そのソウルが持つ神秘を自分達の技術に還元する。確かに抑止として召喚されたサーヴァントを獣の霧はデーモン化可能な情報として記録し、そのデーモンを自然出現させる現象が葦名では起きているが、それをこうも利用するとはな。

 幾度目かの蛮行ではあるが、全く……考え付く事が悪辣だな、貴公。しかし、その利益を得てる私が言えた事でもなし。英霊のサーヴァントを一度殺しても、そのソウルを吟味し尽くせる訳も無い故、同じ魂を再利用して業を導き出すのは便利ではあるぞ」

 

「観測したとある異聞世界で行われた悲劇を参考に致しました。リスポーンキル、略してリスキルと言う人理の文化です。

 とは言え、私も元の世界では似たような事をしていましたがね。侵入する空間の歪みを予め見付けて置き、そこに待伏せして出現した闇霊を狩り殺し、それから安全に探索するのも手段ではありますから」

 

「成る程。畜生が考え付くのは、どの世界も同じ事か。人殺しを愉しみつつ、ソウルを奪おうと侵入した他世界にて、私もそれで殺された事がある」

 

「面白い屑が一杯ですよねぇ……ふふふ。私も同じ殺され方を味わった事が幾度もあります。

 しかし、このソウルは蘆屋道満のデーモンですか。サーヴァント体を殺してから、このデーモンも葦名にて幾度か殺していますが、まだまだ執拗に現れます」

 

「こいつは好きだぞ。不必要なまでの万能性に富む神秘を持ち、殺す程に陰陽道の新しい術式が啓蒙されるからな」

 

「うーん……―――簒奪者に、良いソウルで売れそうですね。

 あるいは、これを対価にして仕事を任せるのも良いかもしれません。折角のデモンズソウル、他のソウルに上書きして複製しておきましょうかね」

 

「英霊も死ねばソウル、我らにとっては通貨に等しいか」

 

「今の葦名はソウルのエーテル通貨制度にしていますからね。むしろ、現金に何の価値がありましょうか。

 まぁ目的は達しましたので……さて、私の散歩と世間話に付き合って下さり、ありがとうございました。貴方の暇潰しになれたのでしたら、実に幸いですよ」

 

「構わんよ。容易く神殺しを可能とし、且つ魂殺しを基本的な異界常識とするソウルの業に比較すれば、確かに対魂神秘性は圧倒的に劣るのだろうが、利便性と万能性は私の"魔法”よりも扱い易い。

 やはり、デーモン化したキャスターのソウルは非常に美味だ。

 この葦名、学びが溢れておる。叡智を腐らせるのは、業の探求者としての冒涜だぞ」

 

「キャスターの魔術以外の、ソウル錬成による宝具コレクションも増えましたしね」

 

「あぁ、有り難いものだったぞ。貴公より啓かれたソウル錬成の技術は、私の業に新たな神秘を齎した。デモンズソウルを武器に鍛える業は会得していたが、デモンズソウルで作った我が錬成炉により、更なるソウルの加工技術を得る事が出来た」

 

「―――ん?」

 

「ほう―――」

 

 そして、その出現は余りにも唐突だった。デーモンの具現化現象の兆候は一切なく、サーヴァント召喚の気配も全く無かった。とは言え、灰と悪魔の二人は世界の歪みに対して鋭過ぎる知覚を有する。気配が無いと言う程度では意味もなく、実際にこの世から存在しない領域でなければ意味がない。

 つまるところ、魂を持っている時点で二人の感覚網は騙せない。時空間を渡って具現したその者は、だが気付かれてしまう事など分かっていた。自分がそもそも相手と同じ知覚を有している為、そんな小手先の神秘など無意味であると。

 

「―――やぁ、諸君。久方ぶりだね。

 私も君らの隠し事から漂う甘い薫りに惹かれてしまった。まるで腐臭を好む蟲になった気分だよ」

 

 車椅子に座る狩り装束の男と、その車椅子の取っ手を握る美しい造形をした人形。

 

「何だ貴公か、月の狩人」

 

「あらあら、御久し振りですね。貴方の愛弟子であるオルガマリーには私、大変御世話になりました。そして竜の魔女の事、今も面倒を見て頂き感謝しています」

 

「気にするな、灰の君。そして悪魔殺しの悪魔、あるいは上位者の悪魔、この度は古い獣狩りの成就を祝福に来たのさ。

 そして、この世を謳歌する啓蒙活動家として、上位者狩りの悪魔に対し、悪夢を古い獣より守って頂き感謝するとも」

 

「確かに私は貴公が住まう悪夢にて、上位者を殺してソウルを貪った。故、狩人の上位者から見れば上位者擬きの悪魔になると言えるかな」

 

「しかし、君は夢に生きる者ではない故、我らの血を得たとしても悪魔の上位者にはなれない。それがとても残念だと考えているのだよ、君が瞳を不要する悪魔であることがね。

 その所為か上位者(グレート・ワン)悪魔(デーモン)の区別が付かぬ無知蒙昧な神秘学者から、君は上位者名でダイモンと呼ばれているよ。とは言え何時も何時も、ラテン語好きなビルゲンワースの学術者は的確な名を啓蒙されるものだ」

 

「ダイモン……―――ふむ。その名、確か悪霊や英霊の意だな。

 私が嘗て滅ぼした世界において、そこの魔術師にも名付けられた名でもある」

 

「デーモンの語源でもありますよ。成る程、その名は貴方にこそ相応しいかもしれませんね。それに折角あの古都の学術者が考えた名ですし、人名の一つして使ってみてはどうですかね」

 

「人としての名か……良い機会だ。この魂がデモンズソウルの味を覚えた後、生みの親から授かった名も失くしていた。

 悪魔殺し、ダイモン。

 名無しで在り続ける事に拘りは元より無い故、それで構わんか」

 

「君、あっさりした悪魔だね。では今より、ダイモンと呼んでも構わないのかね?」

 

「あぁ、良いぞ。貴公が私に与えた名、覚えている限りは使わせて頂こう」

 

「感謝するよ、ダイモン。学術者に傾向する私の知人も、君に名を与えられたのを知れば、蕩けた脳を茹で上げて喜んでいることさ」

 

「良く言う狩人だよ、貴公。

 悪夢となった貴公からすれば、夢見るその頭蓋内に登場する人間の遺志に過ぎんだろうに」

 

「そうだよ。ヤーナムの時を止める一夜の悪夢と、上位者となった私の脳が夢見る悪夢は融け合わさった。君が獣を眠らせる淡い霧の夢であるようにね。

 簡単に言えば、私が――ヤーナムだ。

 私は月の狩人、ケレブルムとなった。

 とある魔術師に君と同じく、その在り方に相応しい名前を与えられた。

 あぁ、脳の宇宙に光り輝く銀河同士が繋がるのだよ。あの魔術師の脳より啓かれた惑星直列の業、星々がシナプスとなる私の素晴しい魔術回路さ」

 

「あれは便利だ。貴公より、私も素晴しい魔術回路の使い方を学べたぞ。真似た原理、拡散する獣の霧を魔術回路と仮定し、消失する世界を私は魔術回路として利用可能となった。

 その後、我がソウルそのものを回路する事も可能になった。

 数多の滅ぼした世界は我が内にあり、数多の世界が我が魔術回路となって力となる」

 

「確かに、素晴しい理ですよねぇ……ふふふ。暗い魂に穿った闇の孔と、其処へ簒奪した最初の火。人理の世で手に入れたこの肉体に開発した魔術回路ではなく、火に焦げる我がダークソウルこそ魔術回路とする究極の業でした。

 まさかの正解がヴォーダイムさんでしたよね……あぁ全く、因果は廻り回るものです。

 レフさんに爆殺された皆さんでしたが、それによって彼の神秘を学んだ狩人により、更に磨かれた業が私のソウルへ流れ込む事になりました」

 

 灰は、運命を尊んだ。本来、もしヴォーダイムの神秘を得るには殺してソウルを貪るしかないが、裏切りを働く前のカルデア生活を行う彼女の人間性は真っ当にも程が有り、嘗てのようにソウルを殺し回る正常な火の無い灰の儘ではいられなかった。昔の灰であれば、魔術王ソロモンが人間に擬態していたロマニ・アーキマンを即座に殺し、その魔術の業を全て魂に奪い取っていたが、マリスビリーに勧誘された灰は誰に対しても渇望の対象にしなかった。特殊な魂を持つ誰かを、自分のソウルにしようと誰も殺さなかった。

 だが、結局―――こうなった。

 他世界より火の簒奪者が大量召喚され、灰たちが身に隠す最初の火もまた同じ数だけ葦名に呼ばれ、その全てが繋がった。

 即ち、太陽直列した葦名の日。そして、それこそが暗い魂たちの火。

 月の狩人(ケレブルム)は上位者と言う視座から見ても異常極まる灰の思索に恐怖し、同時に歓喜し、脳液が悦びで溢れ出るのを我慢する事が不可能だった。

 

「灰の君、アッシュ・ワン。貴女に捧げる私だけの獣狩りの業だよ。

 我が友、我が生徒、ヴォーダイム君も星幽界に記録された全ての魂を脅威から守る為に自分の業が使われるのであれば、事後報告だろうととても喜んでくれることさ。

 そもそも魂が世の外から流れ落ちる律が、根源の内側から砕かれれば、人理も運命もこの宇宙に存在し得ない故にね」

 

「心にもない事を、感情を込めて話すのが貴公の悪い癖だ。

 古い獣によって崩壊しようとも、貴公は貴公のヤーナムで思索を続けるだけであろう?」

 

「勿論だ。私は私で完結しているからね。尤も、君もその筈だが?」

 

「人間性の、その残り滓だよ。でなければ、貴公らヤーナムの学術者が私に付けた名を使う等と言う思い付き、そんな気紛れを起こす為の心そのものが私には存在しない事となる。

 そうだろう。月の狩人、ケレブルム?

 与えられた名によって概念由来の神秘性を得るのが、魔術王によって魔術が生み出されたこの人理の世だ。ダイモンの意、この世界の理で鍛える我が魔術によって良き概念へと育ててみよう」

 

「素晴しい。君は私の思索を直ぐ見破る。その上、悪夢に秘匿する新しい名も暴かれた。とは言え、君の言う通り、私もケレブルムの意味を大切にしたいのさ。

 アッシュ・ワン、それは君も同じなのだろう?

 でなかれば、裏切りを機に名を改める事もなかった筈さ。アン・ディール」

 

「まぁ、そうですけどね。今までは失った名の代わり、誰かの名を借りていましたが、古い獣を薪にするので少し気合と言うものを心無いこの魂に湧かせてみようと考えました。何より暗い魂に孔を穿とうと、最初の火を得ようと、魂を進化させ続けようと、どの世界で生きようとも、灰の人(アッシェン・ワン)で在る事に意味がありました。

 ですので、アッシュ・ワンと私は名乗ります。

 火を宿そうと、人間性を尊ぼうと、やはりただの燃え殻(アッシュ)でしかないのでしょうね」

 

「気合かね。君には似合わないと思うが」

 

「自負のある物凄い得意技なのですがね。私は基本的に脳筋体質でして、集中力は気合で鍛えるものだと思っています。中でも全身全霊の気合で行う魂からの"我慢”を鍛え続け、嘗てとは次元が違う強さになりました。維持可能な時間も幾倍にも伸ばせます。

 脳天にグレートソードを叩き落とされても平気ですし、貴方が撃つ大砲も素手で受け止めて見せましょう」

 

「便利故、殺した簒奪者のソウルから私も体得したぞ」

 

「へぇ~……確かに。その我慢で加速歩行し、一方的に車輪で轢殺するのも一興か。

 私も悪夢にて鍛えてみるとしよう。すまないと思うがアッシュ、其処らで現世を謳歌する簒奪者を殺せる領域に進化するまで、私もこの葦名で狩猟を鍛えても良いかね」

 

「良いですよ。あいつらも業と力には底無しに貪欲ですので、月の狩人である貴方の業を食したソウルから学ぶと思いますが、宜しいですよね?」

 

「等価交換だね、君。無論、宜しいに決まっているさ。

 貴公ら火の簒奪者に殺され、魂を貪られる感覚も嫌いではないのだ。脳がすっきりする錯覚を覚えられる」

 

「―――狩人様」

 

「お。すまないね、人形。趣味である世間話に耽ってしまった」

 

 長身の美麗な女にしか見えない人形の仕草。それを見た悪魔はつい先程食したソウルに態とらしく影響され、テンションが無骨な騎士甲冑のまま急上昇。

 

「ンンンンンンンンン。ンンン!

 相も変わらず、獣性匂い立つ美しき造形の人形ぞ。喋る姿も夢見るように麗しい」

 

DOMAN(ドゥーマン)が感染していますよ?

 ンンンンンンンンソソンソソソ。まぁ私も彼の言動と陰陽術は好きですので、気持ちは解りますが」

 

「同意だ。彼のソウルに浸ると、何だか生きているだけで気分が良くなるのでな」

 

「分かりますかぁ……ふふふ。彼の宝具を奇跡にしみましたが、面白い効果でした」

 

「どの程度のソウルで伝授して頂けるか?」

 

「大凡人間二万数百人分程度のソウル……切り捨て、20000ソウルで良いですよ。数百人程度の命、我々には誤差でしょう」

 

「二万程度の人魂で覚えられるとは、実に安い。抑止力として出現した英雄王が私に殺された後、その魂を霧が覚え、幾度か英雄王のデーモンをこの間に殺してなぁ……アレは一匹で数十万人分の魂の重みがあり、荒稼ぎさせて貰い、ソウルは増えるばかりだ」

 

「貴方の業には非常に御世話になりましたので、えぇ……御悪魔価格と言うものです。しかし、女性に獣臭いと言うのは頂けませんでした。

 ダイモン、人形さんに謝った方が良いのでは?

 古代文明トゥメルの赤子、女王ヤーナムが孕んだ水子。人に獣の血を授ける上位者メルゴーの血を弄ぶ者たち、血質高い穢れた獣性―――血族(ヴァイルブラッド)、時計塔の狩人さん。

 彼女が如何に獣性深い血の狩人を真似た御人形さんだからと、人形である彼女の血は獣性だけではなく、啓蒙たる神秘の蛞蝓の血も混ざっておりましょう。むしろ、彼女が動くのはそれ故の神秘です。

 試しに刀でも持たせてみれば面白いかもしれませんよ、狩人。

 トゥメルの秘儀であるメルゴーの血から生まれる寄生虫、その獣血由来の火の神秘を使えるかもしれません。あのマリアさんみたいにです。

 ほら、血液の弾丸を撃ち出す火薬代わりになる……あぁ確か、貴方たち狩人が持つ血質とはそう言うものでしょう?」

 

 メルゴーの血、獣。コスモス(輝ける星)の血、宙。そもそも獣も眷属も、上位者の血から生まれた存在。違いは、生まれに由来する血液だけ。

 中でも上位者――姿なきオドンとは滲む血であり、あらゆる血に潜む虫そのものであり、その本質は上位者に寄生する上位者。全ての悪夢から生まれた上位者が感染し、上位者が思索の為に神秘を行う体内の精霊を、上質な触媒を、その血液から作る根源的上位者。

 即ち、血質は獣性と繋がり、神秘は啓蒙と繋がる。

 内の血の中に秘して求めるそれが上位者オドンの本質である。

 灰が観測した悪夢にして血の宇宙。血より虫は生まれ、精霊は生まれ、寄生虫が生まれ、赤子もまた血と血を混ぜ合わせることで誕生した。ならば血を触媒に、自分の血から自分と血の繋がる赤子を求めるのが上位者が思索を行う目的。

 月の狩人は、灰と悪魔に何もかもを読まれている事を悟る。

 内に隠す人類種にとって未知な思索も、この二人の魂にとっては既知の因果律。

 人の血から生じる上位者の赤子が悪夢の空にて、宇宙から生まれ落ちた月となる事実。メルゴーが上位者の血を得たヤーナムから生まれ、ゴスムがゴースの胎中で生まれながら死に、狩人から生まれた月の魔物は狩人を愛し、その悪夢には必ず赤子の月が浮かぶのだろう。ならば月の赤子である狩人の乳母となる人形の正体、あるいはその血の本質を視ただけで理解されるとなれば、魂を改竄しようとも隠し事が不可能だと相手に分からせる。

 人形より、そのソウルが興味本位で奪われる可能性。悪魔と灰の二人がその気になれば、異界化したヤーナムだろうと、そのヤーナムの内にある上位者の悪夢だろうと、奴等二人が瞳を見通せば安全な場所など何処にもない。

 結果、彼女にとって一番安全なのが狩人の隣と言う皮肉。灰の悍ましい知的好奇心が向けられるとなれば最後、魂が欠片残さず弄ばれる事になろう。霊体の憑依素体に適したマシュ・キリエライトの遺伝子がそう使われたように、人形が人形の儘に使者を塊りにした脳瞳のほおずき(ウィンター・ランタン)となるだろう。あの腐った瞳のメンシスの脳味噌が悪夢を照らす提灯(ランラン)であり、ミコラーシュの悪趣味な人形遊びがメンシスの脳味噌を使った眷属としてほおずきを作ったように、人形に何かしらの血が流れ込めば、きっと植物のほおずきみたいに脳が膨れ上がるかもしれない。

 

「話が逸れたぞ、灰。しかし、それはそうだな。すまないな、人形。

 そして、貴公の母親代わりとなる女性に無礼な言葉を吐いた事を謝ろう。狩人ケレブルム」

 

「謝罪を受け取ろう。同じくすまないね、悪魔殺しダイモン。悪夢に潜む我らから、その獣性臭さは拭えぬよ。

 元になり、人形がその遺志を継ぐ対象となった女は、灰が言う通りトゥメルのメルゴーの血を継ぐ狩人である。私と同じく、その写しである彼女も血に餓える獣の呪いは避けられんよ。しかし、メルゴーの獣性は聖体である輝ける星と相克する故、星界が悪夢に広がる宇宙であるのならば、月もまた悪夢に浮かぶ星と言う月界。

 十分に本体の肉体が輸血された獣血を人形の青ざめた血は克されている筈だが、悪魔の君はそれから獣性を嗅ぎ分ける」

 

「呪いは続くものです。その血に継がれ、ずっとずっと赤子の赤子まで。彼女の血が赤色から真っ白へ青ざめているからと、貴方だけは油断はしない方が良いかもしれませんねぇ……ふふふふふ。

 遺志が逆流する―――……何て、誰かの思い付きで起こるかもしれません。

 そうなれば酷いことになりそうです。面白い程、惨たらしい悪夢が生まれるかもしれません。ゲールマンがまだ生きていれば、夢の中の妄想が現実に起きたと喜ぶかもしれませんがね。あるいは植物のほおずきみたいにぷっくらと脳が腐り膨れ、ランタンみたいに腐った脳から生える瞳が光るなど……ふふふ。悪趣味程、人は心が良くも悪くも揺さぶられましょう。

 まこと人形師ミコラーシュさんは、カルデアでも素晴しい冒涜的学術者でしたよ。ビルゲンワース的、と貴方には言った方があの人形師の在り様について通じるかもしれませんが」

 

「チェコの人形狂い、魔術師ミコラーシュか。カルデアにメンシス学派の血が生きているのは知って入るよ。我が愛弟子、オルガマリーがスカウトした狂人であるからね。

 しかし、悪趣味ね……―――お、良き思索が啓蒙された。

 やはり君の暗い魂の血は愉しくて堪らない。それも古い獣の体内と同じこの霧中となれば、私の思索がより素晴しき高次元に至るのも仕方なしことさ」

 

 それは唐突な冒涜的所業。彼の人差指から小さな無数の瞳が生え、紐状に丸まり、虫のような何かとなる。自分の肉体に数多ある寄生存在から複製したそれを更に軟体生物的肉感を持つ触手が覆い、完全に人の指ではなくなった。

 

「現物より少々大きいですがそれ、瞳のひもですか?

 ふぅん、これは確かに合理的です。狩人、貴方の血にはオドンたる上質な滲む血も混ざっていますからね。

 敢えての、赤子もどきの眷属にする雰囲気ですか?」

 

「まぁ灰よ、分かったとしても見てい給え。これは手品と同じさ。種も仕掛けもある血の営みだけどね」

 

 そして、月の狩人は触手化した人差指をまるで蜥蜴の尻尾のように、手に触れず自然と切り離した。その触手は人体から離れたというのに蛞蝓みたいに蠢き、車椅子に狩人の太股の上で白い肉塊となって変容し、狩人が瞳に映す使者に近い人型となった。既に触手化していた人差指は人型の指として再生が終わり、その触手生命体は狩人の生命系統樹から切り離された。その命は白い血液が湧き上がって出来たような異形であり、普段の使者との大きな違いは下半身も露わにしている点。

 ―――赤ん坊になる前の、水子のような異形だった。

 上位者の眷属と呼ぶのに相応しい容。そんな小さな肉体は徐々に大きくなり、実際の生まれたての赤子と同じ大きさまで成長を終える。その時、月の狩人は右手で自分の右眼を抉り取った。狩人の赤い獣血が混ざる青ざめた血が眼孔から流れ落ち、その血が赤子に滴り落ち、水浴びを愉しむように小さな泣き声を上げる。

 直後、眼球を赤子の脳へ―――植え付けた。

 融け込むように頭蓋骨へ寄生し、そのまま目玉が脳内へと沈み落ちる。

 

「うぅーむ、獣の霧が満ちる環境が良いのかな?

 眷属作りは初めてではないが、ここまでの出来は初めてだね」

 

 赤子は裸の幼女となり、更にそのまま成長を続け、第一次成長期を終える。それでも止まらず、第二次成長期に入り、十代半ば程度の年齢まで体を大きくさせていた。

 車椅子に座った狩人は、自分の虫たる触手指から生んだ全裸の少女を抱き締め、背中を自分の赤ん坊をあやす母親のように慈愛に満ち溢れた仕草で撫でる。少女は口から白く濁った血液を吐き出し、同時に赤い血液を鼻の孔から垂れ流す。

 その格好は車椅子に座る狩人の右足を跨るような形となり、糸の切れた操り人形みたいに脱力し、全身を彼に預けていた。

 

「お早う、指の落とし仔である私。気分は如何かね?」

 

「あぁ……ぁ……ぁ、ぁ……―――あぁ、はい。御父様、気分はとても最悪です」

 

「良き目覚めではないと?」

 

「は……い。気持ち、悪い……です……脳の中を、瞳が………御星様みたいに、ぐーるぐーる……ウ”、ォ……ァ、ゲェェ……オウェ”……ァ」

 

 口から這い出るように吐瀉される汚物。生まれたばかりの為、胃の中に消化物はないのだが、形容し難い流動物が垂れ流しになっている。

 

「酩酊だね。血に酔っている。酔いで瞳が廻っているよ。しかし、それも必然だとも。エーブリエタースも我が血に融けた遺志の一つ。

 貴公に流れるのは私の青ざめた血。私が克した上位者共の血が融け込み、同時に獣性を克服した狩人の人血であり、そこの二人を狩り殺して融けた血もまた私に流れている。

 混じり合う遺志こそ混血であり、血の交じりより赤子の命は生じるのだよ。

 即ち、月の狩人の血を継いでいる純粋な私の分身、青褪めた眷属の狩人と言うことだ。それは赤子になれぬ上位者の落とし仔にして、思索を生まれながら持つ故に、人の視野を持てぬ狩人でもあることを意味する」

 

「ゲェ……―――」

 

「うむ。所詮、造物者の抱擁の中、その子供であれば好きに吐き給えよ。

 しかし、蕩けた血ではなく、蛞蝓と寄生虫の吐瀉物とはな。神秘と獣性が蟲の形を得ているのでは、まだまだ血に融け切っておらず、血の交じり具合が足りぬか。我ら狩人と違い、生まれ持った血の遺志により、眷属として完成した肉体なのが悪いのだろうな」

 

 裸の少女に服を着させる為、狩人は脳から服を取り出した。しかし、何故かその一つ目は血の滲むリボン。狩人自身の手で少女の頭にリボンを付けた後、彼は手にアメンドーズと似た高次元暗黒を纏わせ、少女を浮遊させる。同時に異空間から体をはみ出させた幾人もの使者が少女に纏わり付き、数秒で狩り装束への着替えを完了させた。

 そして、少女の肉体は完全に覚醒する。あの脱力感と吐き気が夢から醒める様に消え、確かな両脚で何故か立てるようになっていた。

 

「我が人指し指の眷属(インデックスフィンガー・キン)。ならば、指の狩人と言う名の眷属で良いか。となれば貴公は、狩人の上位者やより生じた人ならざる眷属の狩人、夢に堕ちた遺志の写し身だ。それが設計の基であり、貴公の生まれとなる。記憶しておくと人格が形成され易くなろう。

 それを啓蒙された前提で問うが……貴公、名はどうしたいかね?

 ヤーナムで死んだ誰かの遺志を継いでいると思うが、最期の記録も覚えているかね?」

 

「豚……下水道……お父さんが……あれ、月の香りの狩人が安全な場所……場所を、行って―――生きた儘、食べられて、内臓を舌で弄られて……苦しくて、暴れている所を、最後に頭を噛み砕かれた。

 分からない……誰、誰の記憶、誰の遺志なの?

 グチャ、グチャ、グチャ、グチャって、豚の口の中で私が挽肉になっていくの……でも、私って誰?

 豚なの……私を食べる、豚の血も……混ざって、交ざって……ぁぁ、ぁああ、あぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁああァァアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

「落ち着き給えよ、我が指の眷属。発狂など良くある症状だ。と言うよりも、私がそう思えば、既に貴公は正気にそう晴れていよう」

 

「―――はい。月の狩人様」

 

「狩人の名呼びで様付けは要らんよ。貴公は赤子ではないが、家族以上に私に近しい存在。文字通り、我が血肉であるのだからさ」

 

「………はい。獣狩りさん」

 

「ふむ。では逆に……いや、私の視点からでしか逆と言うのは通じないが……まぁ貴公、ヨセフカの診療所は覚えているかね?」

 

「――――え……え、え? あぁ、あ、あ……生きた儘、内臓……腹、切られ、切られて……麻酔が……なのに、私は頭蓋骨に穴を開け、られた……んだっけ、だっけ……なに、脳味噌に、いれられたん、だっけ?

 プル、ぷっるぷるぷるるるプルプルルルしてくの、体が?

 青い、青い……柔らかな、私の体……気持ち悪い、のに……―――気持ちが良いのよ、良いの……良かったの、良かったのよぉ……ォォォオオオオおぉぉぉぉおおあぁぁあああああああああああああ!!!」

 

「鎮まり給えよ、我が指」

 

「はい、獣狩りさん」

 

「あぁ、それとケレブルムだ。今の私の名がそれだ。どれでもその時の貴公の思考に従い、私の事は好きに呼び給え」

 

「ケレブルムさん……それが、今の獣狩りさんの名前なのね」

 

「真似は愉しむ趣味だが、やはり貴公も今や私である。継いだ遺志がそう在るだけの、離れた肉体が生成したその脳に創った私の擬似人格。感応する精神が、その遺志の願いを与えているに過ぎん故、嵌まり込むのは私の前以外にし給えよ。気恥ずかしいのでね」

 

「分かったわ、月の狩人」

 

「それで良い、指の狩人」

 

 そして、葦名に夢が誕生した。現実は歪曲し、因果が狂い乱れるも、既に狂い果てた葦名においては何ら異常ではない常識的日常。

 少女が着込む狩り装束―――ガスコインの神父服が視界の映像が乱れるようにぼやけ、神父服風の女性用装束に替わる。帽子の代わりに血塗れたリボンを頭に付け、腰には改造を施した散弾用短銃を吊り下げ、背中にはガスコイン神父風の歪曲した獣狩りの斧が装着されていた。

 

「それで、名はどうする。その遺志、家名のガスコインは継ぐのかね?」

 

「ううん。此処、ヤーナムでも知られたあの日本だから……指の眷属だし、ユビで良い。私はガスコインの遺志を継ぐだけで、名はヤーナムで眠っているべき」

 

「承った。我が眷属、指の狩人ユビ。その命を好きに使い、好きに生き、好き死に給え。

 その果て、眷属で在りながら我らのような血に酔う狩人となるか、否かは……貴公の意志が決めると良い。まぁどちらにせよ、月の狩人の写し身である指の狩人に違いはないがね」

 

 少女は狩人の上位者から生じた眷属である狩人擬き。人の生まれではない狩人の眷属であり、人から瞳を得て人以外に変化した訳ではない。最初から狩人としてデザインされた生物である為に、やはり人の形をしても人ではないのだろう。

 正体は、狩人と言う名の獣性のカタチを得た指の眷属。生まれながらの狩人だからこそ、ヤーナムの狩人から見れば狩人と呼べる人間ではない。しかしその為、最初から血に酔いながら獣へ成らずに狩りを行う理想的な狩人像の具現でもあった。

 

「うん。でも、獣狩りさん……私がもし、豚に喰われなければ、どうなってたのかな?」

 

 啓蒙されない可能性の話。指の狩人(ユビ)では知り得ない話の為、だからこそ生まれ出たこの最初の内に、自身の御父様から真実を聞き出そうと考えた。

 

「オドンの花嫁かな。ガスコイン神父は素晴らしい獣狩りで在る故、その子の血はオドンの滲む血と相性が良いことさ」

 

「そう……あぁ、そうなんだ」

 

「家に籠もれば狂い死に、死ななくとも狂気によって自我を亡くし、避難場所に辿り着こうが貴公が継いだその遺志の少女に救いはない……――決してな。

 とは言え、それが獣狩りの夜が始まったヤーナムだ。今の貴公がその末路を気にする必要はないよ。あの娼婦のように、まだ幼い貴公だったあの少女が、滲む血によって生じる上位者の赤子に寄生される可能性はヤーナムの夜にはなかったのだからさ」

 

「本当、どうしようもない。逃げた先は結局、治験の検体になるか、上位者の出産をするか、その二択。

 下水路で一人、あの豚の餌になる方が、死んでそこで終われる分だけまだマシな結果みたいね」

 

「そうなるな、ユビ。しかし、今の貴公ではない思い出だ」

 

 狩人はユビに少しばかり微笑むも、それは口に覆われた布で分からない。しかし、瞳の動きでユビは狩人の思考を僅かに読み取れた。

 そんな己が眷属の様子を狩人は確認し、葦名でのデーモン狩りを予定に組み入れる。悪夢における上位者にとってのエーテルと呼べる血の遺志(ブラッドエコー)と似たソウルの蒐集を視野に入れ、脳と脳が夢で繋がるユビから視線を外す。その瞳の先にいるのは、灰と悪魔の二人。

 

「では灰よ、我が分身を宜しく頼む。必要であれば仕事も頼んで良い。

 しかし―――」

 

「―――えぇ、裏切りも信頼もありません。

 手段を愉しむのに必要であれば互いにやるべき事を為す。思う儘、望む儘、助け合い、殺し合いましょう」

 

「宜しい。とは言え、それで恨むのではれば私を殺して良いさ。そして、灰狩りを私は愉しむのみだ」

 

「勿論です、狩人。では私の失楽園(アシナ)、御滞在を御愉しみ下さいね」

 

「有難う。では機会があれば、是非とも何時か私が作る異聞特異点ニューヤーナムにも来給えよ」

 

「気が早いですね。それ、まだまだ計画段階ではないのですか?」

 

「うむ。故に確定した未来である。

 あぁ、それと悪魔……―――君の人としての願い、彼女へ届く事を空に祈っているよ」

 

「祈りの言葉か……感謝するぞ、狩人。

 私も久方ぶりに、決死の覚悟を思い出しながら頑張ってみよう」

 

 高次元暗黒の門が開き、宇宙の輝きが漏れ、その空間が狩人と人形の二人を覆う。葦名での狩りの前、彼は一旦悪夢へと帰ることにした。人形を連れて英霊のデーモン狩りをする程、狩人も自分の腕前に自惚れておらず、眼前の灰と悪魔以外が相手ならば狩人の夢は安全だった。

 

「そうかね。では、さようなら」

 

「さようなら、灰様。悪魔様。ユビ様」

 

 別れの挨拶と共に頭を下げる車椅子の狩人と、美しい御辞儀をする人形。二人が悪夢の()と共に消え去る中、礼節を身に付ける悪魔は一礼を返し、灰は片腕を振って別れの挨拶を行った。

 ユビは妙に表現力豊かで様になるジェスチャーを行う四人に対し、自然と遠い目を向けるも、彼女自身もまた自然と頭を下げている当たり、仕掛け武器を好む狩人として獣狩りの血に抗う人間的意識の高さが窺えた。

 

「去りましたか。それではユビさん、ここでの生活を教えましょう。まずは仙峯寺を吸収したローレンスの医療教会に紹介し、仕事と立ち場を与えておきましょう。今や葦名の奇病である変異亡者化現象、アゴニスト異常症候群を治癒出来る唯一の医療機関兼宗教法人ですので、地位と給料は上級ですよ。

 勿論、気に入らなければ相談して下さい。

 自由にするのも良いですし、他の役職も紹介しまうからねぇ……ふふふ」

 

「―――嘘よ。だってローレンス……うわ、あのローレンスかぁ……」

 

「あら、御存じですか?」

 

「うん、灰さん。これだと、ガスコインの名を棄てた意味がないかもね」

 

「では、止しますか?」

 

「ううん、良いの。取るに足りない我が儘だもの」

 

「宜しいです。では悪魔殺し、先に私達は帰還しますね」

 

「ああ、分かった。良き時間であったぞ、灰よ」

 

「有難う御座います」

 

 彼女は気疲れより溜め息は吐かなかった。生まれたばかりのユビにとって、他者との関わり合いを自分から避ける必要はなかった。

 そして転移で共に連れて行く為か、片手を出す灰の手をユビは躊躇わず握り、同時に空間が歪曲を始めた。それが指の狩人ユビの、葦名における狩人生活の始まりであった。

 

 

 

――――<(◎)>――――

 

 

 

 草木のない荒野。コジマと放射能で焼かれた焦土。場所は首都葦名から南下した旧群馬県区画の関東平野。灰がこの特異点に齎した百八の暗黒太陽が世界を暗く照らし、自然が焼き払われた大地を更に熱し、人間がまともに歩くことも出来ないだろう。

 其処に、十四の人影があった。

 生き物が居ない静かな世界の中、彼女らはエンジン音を響かせる。

 単眼機械兜(モノアイ・ヘルメット)で頭部を覆って先頭を駆るバイク乗りと、その一人を一列に並んで追い駆ける同じ格好の単眼兜のライダーズ。遠目から見れば、赤く輝く瞳兜が流れ星の様に一筋奔り、十三の蒼白い血の瞳頭がその一筋を追って十三の流星が筋となって走り閃くのが、とても幻想的な光景だろう。

 

「狩人用の強化外骨骼鎧、もう最新版に更新されてましたか……」

 

 走る。奔る。迸る。思わず独り言を機械兜の中で漏らした盾騎士はモーターバイクに跨り、荒野を只管に疾走していた。それを追い駆ける十三機の影。追い駆ける者らは働き蟻のようにシステム化された統率を持ち、完全武装した火薬庫式戦闘用高機動二輪自動車は近代兵器で搭載され、それを躊躇なく盾騎士を向けて放射し続ける。

 バイクを駆る影達の正体は、瞳兜と民衆に嫌悪される葦名の教会狩人。名は、葦名支部医療教会教区長直属機動狩人課。通称、人狩り部隊。

 即ち、教区長(ローレンス)による思索と治験の総決算。上位者の思索を探る為、ヤーナムで繰り返し行われた非人道的集団治験の成果と、同時に行われ続けた上位者化神秘人体実験の研究結果の積み重ねが、古都外の人類史に行われた人権無き学術実験の思索方法がこの特異点で合わさった。特異点葦名の医療教会において、初代教区長が求めた健康的人体と健全なる精神を持つ、獣性と啓蒙を克服した人間的人造狩人が誕生した。歴史と歴史が融合した実に素晴しきヒトの思索を教区長は得てしまった。

 

「―――ッチ!」

 

 盾騎士(キリエライト)が舌打ちをするのも無理はない。悍ましいと言う感情を超えた異物感と嫌悪感。十三騎は蕩けていた。それは召喚式となる匣を融け合わせる混沌としたクラススキルの霊基。詰めるだけ詰まられた英霊達のスキルと、霊基情報としても魂に刻まれた血液由来のスキルと、狩人の血の遺志から継がれた殺戮技巧の業。

 正しく、人類史に有り得ない悪魔の所業。

 そんな者らが、自分自身(キリエライト)を模すことであの医療教会で作られてしまった事実。

 上位者の神秘を得た人間こそ、上位者にとっての上位者かもしれない。あるいは、神秘を得る必要もない知性を既に得ているのかもしれない。彼女は吐き気を脳が誤作動した錯覚だと今は割り切り、バイクのモーターを燃やす様にアクセルを捻って加速させた。

 だが火薬庫式戦闘用高機動自動二輪車(ローリングハイモーターバイク)は最新版だ。最高素体であるキリエライトシリーズから作られた人狩り部隊の狩人は、ただの獣狩りではなく、デミ・サーヴァントでもない。人狩り部隊の彼女達は無論だがライダークラスのサーヴァントが持つ騎乗スキルを保有した上で、加速の業と強化魔術と魔力放出(炎)により、自分自身がエンジンパーツの一部となってモーターに更なる火薬庫的回転機構を発揮させる。

 

〝面倒、臭いですね―――!”

 

 心中で漏れる弱音。バイクを駆る盾騎士は背後を盗み見る。ぴったりと追い付き、距離を離さない十三影。それは人語を喋らない人狩り狩人と、燃焼機関を轟かせる人狩り用モーターバイク。

 そして十三騎は短機関銃(サブマシンガン)を片手に持ち、躊躇わず徹甲弾を盾騎士目掛けて精密連射。蛇行運転する事で何とか弾道から外れようと盾騎士はするが、十三の銃口がピッタリと射線を誘導して当て続ける。とは言え、盾騎士は身とバイクを守るのに盾を必要とせず、鉄壁の魔力防御だけで防ぎ抜く。しかし、最新兵器を搭載する殺戮バイクに用意された個人携帯兵器が短機関銃だけな訳がなく、人狩り部隊の瞳兜も医療教会の技術部工房が開発した変態的仕掛け武器を多数所有。

 瞳兜の一人が自動追尾式多連装マイクロミサイルランチャーを脳内から取り出し、更に違うもう一人がバイクを仕掛け変形させ、葦名市外での人狩り中に車輪で良く轢殺した犠牲者の怨念を纏わせて爆走。

 コジマ粒子ミサイルはまずいと盾騎士は第六感で悟り、蛇行を超えた独楽の如き回転運転で誘導システムを誤作動させて何とか回避。だがその減速の隙を狙って怨霊車輪(ゴーストホイール)ライダーと化した瞳兜の一人が、バイクのマフラーからの超排気噴射を応用したジェットジャンプを使い、上空から轢殺落下攻撃を瞬時に敢行。

 ならば、と盾騎士もまた超絶的な運転技巧を披露する。落下してくる車輪に位置を合わせ、盾騎士は一瞬で機体を反転させて向かい合う。そして、前輪を上げたウエェリー状態で後進運転し、上げたその前輪で落下してくる怨念車輪を迎撃。同時に機械化した愛用の銃字盾を具現させ、どのような防御力を持つ相手だろうと一撃粉砕するパイルハンマーの仕掛け武器機構を起動。

 当たれば即死。爆発四散は必須。その死を瞳兜は第六感で己へ啓蒙し、更には心眼(真)スキルと化した未来予知領域の戦術眼の面でも、轢殺落下攻撃を仕掛ける前に見抜いていた。

 対抗手段は単純明快―――高貴なる円卓の大盾。

 瞳兜はあろうことか、その身に宿る霊基も盾騎士と同じだった。

 教区長(ローレンス)の手で憑依された聖騎士ギャラハッドの宝具をカルデアの技術部と同じ思想から、その十三騎の十字盾を全て銃字盾に改造していた。人狩り、獣狩り、英霊狩りの万能狩猟仕掛け武器となり、防御能力も同様のモノであり、人理そのものが相手だろうと問題がないレベル。

 盾騎士の銃字盾から飛び出たパイルハンマーの射出剣が、瞳兜が脳内から取り出した銃字盾に当たり、その衝撃力を完璧なまでに封殺。むしろ、盾騎士が自身が放った衝撃の反動を受けて吹き飛び、それによって結果的ではあるが敵から一気に距離を取ることが副次的に出来た。

 

「―――宇宙は空にある」

 

「宇宙は空にある。何故、宇宙は、空に……?」

 

「……宇宙は空にあるのですか?」

 

「宇宙は空にある……のですか?」

 

「宇宙は空にある。宇宙は、空に在る。宙に、宙がある」

 

「宇宙は、空にあった。宇宙に空が、がががががが或る」

 

「宇宙は……宇宙は、空にあぁぁぁああぁぁぁああああある」

 

「宇宙。宇宙。宇宙。宇宙は、ある。宇宙は空に有る。在る。空にある」

 

「うぅうぅうぅうぅうう宙は、宇宙は空にある」

 

「宇宙は、空にある―――!」

 

「宇宙ちゅうりゅりゅうちゅうちゅうは空に、ある!!!」

 

宇宙は空にある(The sky and the cosmos is the one.)。宇宙と空は同じなので、宇宙は空にありました」

 

「脳を啓き、瞳が生える。故、宇宙は空にある」

 

「「「「「「「「「「「「「あぁぁァァァぁああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッ!」」」」」」」」」」」」」

 

 絶叫が、盾意志の後ろから聞こえる。爆撃のようなエンジン音を塗り潰す様、脳に直接的に空気を介さず響く声の様、彼女の耳から音が脳内に這入り込む。這い擦る様に、這い寄る様に、盾騎士を模す瞳兜の人狩り狩人の呻き声が、発狂的自我崩壊を啓蒙する。

 十三の青眼。

 十三の狂気。

 十三の真理。

 宇宙は空にある。空と宙は同じである。その気付きこそ、啓蒙。そして人間性を冒す素晴しき啓蒙は、流行り病のように他人の脳髄へ感染し、寄生虫のように脳内で成長する。

 ―――狩人ら、狂い給えよ。

 神秘が啓く脳こそ、人間性の本質だ。

 盾騎士から遺伝子を継ぐ瞳兜の狩人らは獣性と啓蒙の儘、ロケットランチャーを取り出した。グレネードランチャーを取り出した。ガトリングガンを取り出した。ヘビィマシンガンを取り出した。マイクロミサイルポッドを取り出した。レールガンを取り出した。

 直後、盾騎士に炎が襲い掛かる。魔力防御と魔術式によるバリアがなければ、即座にバイクが爆散する爆撃の嵐。

 瞳兜たちによるその弾幕を、突如として横槍に入った機関銃掃射が――迎撃。

 盾騎士を爆殺せんと降り注ぐ爆破物が空中で誘爆され、味方が居ない筈の孤独な特異点で唐突に助けられた。その違和感を気色悪く思いつつ、機械兜を被る彼女は連射音がした方向にモノアイカメラのレンズを向けた。

 

「―――あらま、久しぶり。カルデアのマシュ・キリエライト。

 寄生虫の坩堝みたな地獄で奇遇じゃない。見た雰囲気、元気そうだけど……最近如何かしら?」

 

 即座にその音源は高速機動で走り抜ける盾騎士のバイクに追い付き、横に並び走る。そして光学迷彩で隠れていたサイドカー付きバイクのサイドへと乗る魔女の狩人―――ジャンヌ・ダルクが、物凄くダウンした疲労感満載なテンションで、まるで隣人に挨拶するような雰囲気で聞いて来た。

 挙げ句、ノーヘル、ノーシートベルトな上、サングラスを掛けた上で煙草を吸っている。その上で二挺ガトリング銃を構えるトゥーハンドモードであり、サイドカーの上に片足を乱暴に乗っけて浪漫溢れるポーズで格好付けいる。良く見れば、飲み掛けの血酒瓶が付属のコップ置き場に置かれている。

 無論、運転手は魔女ではない。彼女の隣でバイクを運転するのは不死たる暗帝―――ネロ・アビスであり、彼女もまた魔女と同じくノーヘルな挙げ句、気だる気に酒瓶からアルコールを喉に流し込みながらバイクを運転している。そのまま盾騎士の速度に合わせる為にアクセルを捻り上げて加速させ続け、酔拳ならぬ酔騎乗を行っている。だが皇帝特権を持つ暗帝ならば、酔っていても安全に危険運転が可能なのだろう。矛盾しているが。

 

「カルデアのシールダーではないか。良い感じに、肉質的な美女に成長したようだ。

 む。何故、余に無反応。ほら、余だよ。あの余だ、余だよ。貴様、実にこんな悪夢で奇遇だな。まさか余の事、覚えておらぬのか……ヒック?

 ―――おえ。運転しながら呑むと、胃袋から吐きそうになるな……まさか、余、酔った?」

 

「この人たちは……ッ―――!」

 

「ちょっと、シールダー?」

 

「え、なんですか……―――あ。助けて貰った御礼をまだ言ってなかったですね。

 言いたい事は沢山ありますし、そんな状況ではないですが、ありが―――」

 

「その格好、ダークヒーローみたいでちょっと良い感じじゃない」

 

「―――はい! ありがとうございました!!」

 

 自分のクローンを改造した教会の人造狩人から追われる悲壮感が、法律も条例もない荒野で飲酒運転をする狂人二人を相手にすることで盾騎士の中から蒸発した。

 特異点のフランスとローマの最期に会って、カルデアが相手を殺し、死によって別れた筈。だった筈だ。

 なのに魔女と暗帝は自分達をこの世から殺して排除したカルデアの一員である盾騎士へと、気さくを超えた気色悪い程の気安さで、旧友と悪ふざけをするみたいな雰囲気で窮地から助けていた。この精神死するような違和感に発狂しそうになる理性は蒸発させず、盾騎士は単眼兜の中で喜怒哀楽の百面相を浮かべるだけに留めていた。

 とは言え、その間も人狩りの瞳兜のライダーズは追撃を止めていない。

 魔女は忍者が追手の足元へ撒菱(マキビシ)を投げ置く様に、大量の手榴弾と火炎瓶を瞳兜の進路上にバラ撒いた。

 

「あっはっはっはっはっは! 我が怨讐の火炎瓶で燃え上がりなさい!!

 ひゃっはあはははははは! 自家製火薬の手榴弾で爆発四散し給え!!

 燃えて爆ぜろ、憐れで可哀想な教会の実験動物共!

 死んで遺志となって、貴女らをそうした糞学術者を殺す為、我らの狩りの糧となると良い!」

 

 魔女の悪性は、創造者に望まれた人間性。生まれた時から変わらない。相変わらず、自分以外の誰かの為の大量虐殺を心底から愉しむ極悪人だ。生まれながらの性根はむしろ凶悪化し、敵である瞳兜の生まれの事情を知った上で、憎悪と好奇から生まれた自分と何ら変わらない被造物でもあるとも理解した上で、血液由来の猟奇的殺意を躊躇わず向ける。狩りを愉しむ狂気に翳りは無く、創造者たる狂人から継いだ愛憎由来の人殺しを行える。

 思わず盾騎士は魔女へと、義手を銃形態に変形して粒子光線(カラサワ)を撃ちそうになるが理性で抑えた。

 

「え、キリエライト。助けた相手から何で私、殺意を向けられてるのですか?」

 

「何となくです。気にしないで下さい」

 

「ふぅーはっはっはっははははははは!!

 おいおい、魔女。あのシールダーにさえ特に意味もなく、生理的に嫌われておるようだな!」

 

「あー……凄く、心外。淫乱グロテスク大魔王が何言ってんだか。

 自害する前の暗帝ちゃんは、性奴隷の男の子を去勢して男の娘にして、それをハーレムに入れてた弩変態の癖に、そう言うこと言えるのね?

 私、その厚顔無恥さは尊敬します。

 でもそんな変質者とランデブーはお断り。このバイクは私が拾ったヤツだから、叩き落とすわよ?」

 

「愚か者が。余の万能たる皇帝特権がなくば、修理は不可能だったであろう。

 竜の魔女の名の通り、脳味噌が蜥蜴人程度に退化したと見えるな」

 

「――あ?」

 

「は――?」

 

 時空間が歪み捩るような、常人を容易く自我崩壊させる殺意同士がぶつかる。感受性が豊かな人なら精神が破壊されて発狂死し、修羅場を知る者でも神経系が狂って失禁するだろう。そんな特にいも無い地獄空間を生み出す二人に、盾騎士はこいつら事故って吹っ飛ばないかなぁと考えるも、助けに来てくれた相手にその想いを告げなかった。性根はとても良い子だった。

 とは言え、今はバイクで爆走中。上位者の(コエ)を使うことで爆音の中でも声と言う概念を魂で聞き、三人はテレパシーより高次元な情報伝達で会話を行っているが、危機はまだ健在。魔女が爆発物をばら撒いても問題は解決していない。

 盾騎士の頑丈さも模造生物兵器(バイオクローン)として継ぐ瞳兜らは、全く以って無事だった。肉体と駆動二輪を炎上させながら、むしろ身を焼く火の熱を愉しむ様に、狂気を膨らませて敵対者への追撃を熱狂する儘に再開した。

 

「魔女さん。その、あのですね……貴女の怨讐の炎って、私のゲノム複製狩人を一人も殺せていないようですが?」

 

「おうおう、吃驚仰天。復讐の為に生まれた女へ何と言う煽り。ふらっと悪夢に来て、月の狩人を狩ってた仮面巨人に匹敵する苛立ちだわ。糞団子を投げられ、顔面が肥溜になった時を思い出す。

 やれやれね。盾騎士、随分と善性が擦れた様ですね。ちょっと暗帝、貴女が一晩相手をすれば人間性でも戻るんじゃないの?」

 

「お、寝床闘技の話か。余の心は誰で在れ、コロシアムに挑む心意気でダイブするものだ。何よりソウルに仕舞っておる少し前に拾ったこの金の羊毛は、何処でもベッドになる簡易布団として便利だからな。

 神話曰く、勇者イアソンが姫と洞窟でセックスするのに使ったとの事だ。しかも挙げ句、その目的は子作りに非ず、裁判で無罪を勝ち取る為の性行為だったそうだ。挙げ句の果て、ギリシャの神々が囲んで観戦し、セックスファック性行為と煽る中で、勇者イアソンとコルキスの姫は金羊毛の上で交じ合ったとか。あの冒険の目的となった物だと言うに、神話だとそれでしか使われなかった。

 人理からの目覚めを目指した皇帝として、せめて―――その遺志は、継ぎたいものよ」

 

「何の話ですか―――!?」

 

 煽れば、その煽りが倍以上に長文化して返って来る始末。しかも高速思考を用いた高次元念波会話によるセクシャル罵倒。盾騎士は心底から憤慨し、自分の生体クローンを素材にして知的生命を弄ぶ医療教会への怨念にそれを混ぜ、そんな憎悪塗れの魔力を使った重力魔術を自分に使用。盾騎士は乗るバイクの仕掛けによってジェット噴射器化したバイクのマフラーも使い、ファンタジー映画のCG映像の如き動きで飛んで行った。

 魔女と暗帝は、頭が良過ぎて趣味に走り、頭が悪くなりそうな光景を死んだ魚の瞳で見詰めた。尤も、飛行バイクで盾騎士が今まで逃げなかった理由がある。何故なら盾騎士を追う瞳兜達も同じくバイクを仕掛け変形させ、敵と同じく宙へ浮かんで当たり前の様に飛び立った。

 

「じゃ、皇帝特権宜しく」

 

「任せよ。余は万能を超えし者。人智人能の暗黒皇帝だ!」

 

 とは言え、暗帝は万能なる神秘を持つ。どんな法則が作用したのか、真実から瞳を逸らす凡俗には分からないが、二人が乗るサイドー付きバイクも平然と宙を飛んだ。

 しかし、やはりバイクは地上を疾走する人類史の浪漫。盾騎士や瞳兜らもそうだが、地上を走るよりもバイクの移動速度は遅く、暗帝は人間性の怨念を纏わせることで更なる加速を齎せた。

 

「―――あ、ヤバ」

 

 その呟きを魔女は思わず漏らした。忘れてはならない事実を思い出す。此処は、太陽を簒奪した火の無い灰の特異点。召喚された火の簒奪者の一人に、太陽の遺志を継ぎ、太陽となった灰が存在する。

 戦神の簒奪者―――ネームレス・キング。

 葦名特異点において最悪の災厄と化したドラゴンライダー。しかし霊基をサーヴァントとして憑依させた灰でしかなく、だが灰は太陽を奪い化けても灰の儘。

 決して葦名が全てを支配する日本で、空の中を目立って飛んではならない。魂狩りを永遠に愉しむ人間性を抱く太陽の狂気が、愛竜を駆ってヒトのソウルを求めて空を飛び続けていた。

 

「はぁーはっはっはっはっはっははははは!!

 もう無茶苦茶ではないか。だがこれだ、これである。戦場にこう言うのを―――余は、求めておるのだ!!」

 

 銃火器から弾幕の嵐が生まれ、ぶつかり合い、火炎と魔力と光線も衝突する。だが、それら全てを戦神が放つ高次元暗黒太陽由来の雷電が塗り潰す。天高くに太陽雷の電球が作られ、それの発する何千もの落雷が諸共を撃ち落とさんと降り注ぐ。

 挙げ句、葦名の医療教会から一つのロボットが転移する。教区長がカルデアの技術力に知的衝撃を受けて誕生した装甲外骨骼―――メタルウルフに乗り込み、盾騎士の肉体を奪還する為に戦場へと飛び込んだ。それは個人と個人で国家規模の戦争を行うアーマード・コアの闘争思想を継ぐ兵器であり、教区長が平行世界より啓蒙的思想汚染を受けることで思い付いてしまった殺戮の浪漫であった。

 

「何ですか、あれ……―――え、鉄狼?

 教区長専用特殊機動重装甲メタルウルフ改め、鉄狼(テツロ)?」

 

 瞳が啓蒙することで盾騎士は名を知り、それによって思考が逆に麻痺した。バイクを空を飛ばす自分の所業は大分弾け飛んでいる自覚を持つが、それを超える狂気が葦名特異点には蔓延していた。

 盾騎士。十三の瞳兜。戦神の簒奪者。

 魔女の狩人。暗帝。葦名支部教区長。

 それぞれが好き勝手な欲望と思惑で狩り合い、魂を貪る殺しを貴ぶ邪悪。脳を遺伝子から作られた瞳兜さえ、人道に反する生まれは憐憫に値するが、聖剣の狩人から遺志が継がれた教会狩人の系譜として、教区長がそう在れかしと望む完全無欠な在り方を得た怪物に過ぎない。そして、その教区長さえ今は手段は問わず、実に文明的な殺戮手段である機械兵器を操る状況。

 しかし、獣性に支配された獣に複雑な殺戮兵器は操れない。

 獣性に抗う事を思索すれば、教区長(ローレンス)にとってこれ以上の武器はこの世にないだろう。幾ら血に飢えた獣のように人狩りを行おうとも、人間的兵器に乗る限り、理性を要にして人殺しを為さねばならない。

 ―――が、此処は戦神を継ぐ簒奪者の雷雲が渦巻く魔境。

 あらゆる電子機器や精密霊子機が異常を来し、高度な文明機械である程、雷電化したソウルのエーテルの影響を強く受ける。太陽と化した戦神を前に、電子機械は無価値である。

 結論―――空中戦は続かない。

 戦神こそ宇宙(ソラ)に浮かぶ太陽の化身。陽光の雷以外の電気で宙に飛ぶ事を許さない。

 味方である筈の教区長がいるのにも関わらず、戦神が放つフレアは電磁波を伴って周囲の時空間に強制干渉し、空中全ての電子機器を一撃で断線(ショート)させた。

 

「成る程。月を照らすは太陽と言う事か。

 我ら学舎の学術者に宿る狂気さえ、火を得た輝ける灰からすれば、尊き人間性の一部に過ぎない……そうなのですね、アッシュ・ワン」

 

 教区長(ローレンス)は自分を悪夢から召喚した灰に呪詛を呟き、その灰から拝領された機械兵器が火を簒奪した灰の太陽にとって無価値な存在だと正しく啓蒙された。

 脱走した盾騎士簒奪の為、彼は夢酔う学術者の浪漫の粋を集めた超兵器をあっさり乗り棄て、空の中だろうと躊躇わず飛び降りる。狂気の酔に囚われたビルゲンワースの元学徒らしい行動力であり、過酷なロードワークに酔ってこそ学者は研究の道を邁進する。

 現代葦名特異点に戦国時代より継がれていた忍びの業。その学びは古都で学術者をしていた教区長にとって、いや史学を学んでいた学舎の学徒であれば、古きより伝わる技術を継ぎ、古人の遺志を尊ぶことが思索への本懐。

 それより啓蒙された空中移動手段―――忍び凧を脳内から教区長は取り出し、まるでモモンガのように空を舞う。雷雲中で流れる風の動きを啓蒙的直感能力で見切り、彼は見事な動きで嵐の波を容易く乗りこなす。もはや本場葦名の忍びよりも忍者をしている浪漫思想を愉しんでいた。

 そして、教区長以外の者らも各々が空中浮遊の手段を使って空を飛んでいた。盾騎士は魔力防御翼を付属させた銃字盾をグライダー代わりにし、それとバイクを瞬間連結させた上で回路を使わない手動の魔力動作により、盾の仕掛けから火炎噴射器を出して単独でジェット移動。盾騎士を模した瞳兜らもほぼ同様の機能を使って空を舞う。だが万能極まる暗帝は兎も角、魔女はそんな汎用性のある飛行手段を瞬間的に使用出来ず、皇帝特権による気合の浮遊魔術オンリーでバイクを飛行させる暗帝に便乗するも、ゆっくりと二人は地面に向けて滑空していった。

 

「では諸君、天使ならざる人間として、大地へと墜ち給えよ」

 

 戦神の呟きは空気を振動させる音の代わりに、頭蓋骨内の脳細胞を焼き尽くす電磁波となって空気を流れ、殺人テレパシーとして周囲全員の脳へと直接的に殺意が伝わる。

 これは声を上げても相手に聞こえない空中戦(ドッグファイト)において、灰が生み出した技術。人理世界の近代技術である電波通信をソウルの業で応用した奇跡擬きだ。とは言え、受け取る側が通常の人間だと戦神の電磁音声を脳が受信と同時に即死してしまう欠陥品。人理の人間性が生んだ神らしい啓示を真似したお手軽大量虐殺奇跡と化してしまい、戦う相手がある程度は脳をレンシレンジで温められても耐えられる者にしか使えない通話手段となってしまった。

 よって悪意のない戦神による脳味噌レンチン電磁波動が周囲に伝播する。戦神の雷鳴は容易く水分を体内から蒸発させ、脳細胞を破壊する奇跡的殺戮神秘は上空から滑空して墜落する者たち以外にも伝わり、地上でまばらに生活していた人間や、それ以外の荒野で生きる生命体も問答無用で殺し尽くした。序でに肉体が死ぬことで魂も焼き焦げ、物体から解放されたと言うのに根源の星幽界へ帰ることは出来ず、霧のように漂うソウルとなった後に戦神の口へと吸い込まれた。

 

「こんなんがウジャウジャと葦名で後、百人以上いるとか……」

 

「まぁ、気長に攻略するしかあるまい。とは言え、アレへの手助けも要らぬ御節介だったか。あの様子ならば逃げ切れよう。

 それで魔女よ、貴様は何処へ堕ちたい?」

 

 脳細胞を戦神の奇跡的電磁波で焦がされながらも、何故か脳が無事な暗帝と魔女の二人。魂が物理的に重力で引っ張られる灰らの世界だと魂魄も砕ける落下死は日常風景に過ぎないが、此処は人理世界における葦名。上空から墜ちたとしても生身の肉体が拉げて弾ける程度が最悪だ。

 

「何処でも良いし、別に。それにほら、面倒なのがこっち来ています」

 

 嵐の王(ドラゴン)に乗る戦神が、その相棒と共に落下する。まるで上空から獲物を追う鷹のように、急激落下する。戦神にとって戦うと一番面倒臭そうなのが魔女と暗帝のペアであり、即ち一番戦い甲斐のある難敵でもあった。

 鳥に似た古竜の嘴顎から火炎息吹が吹かれ、その火が二人を追う様に伸び襲う。戦神から投げられた一筋の雷槍は、散弾銃のように数百に散乱した上で一本一本が自動追尾する。それらは並の不死性ならば魂ごと熱却する火力であり、強度の弱いテクスチャの空間なら鎔け落ちることだろう。

 

「簒奪者風情が、恨み積せる神の真似事とはな―――!」

 

 暗帝はその魂に相応しい暗い笑みを顔に刻み、褪せ人を殺してソウルから学んだ永遠の暗黒と呼ばれる球体を形成。戦神の雷撃と古竜の炎撃が孔の如き黒玉に吸い込まれ、その球体ごと消滅する。同時に暗帝は結晶化した巨大な魔力剣を背後に幾本も編み上げており、とある英霊の投影魔術のように発射した。

 その直後、魔女は神秘にて加速。空中に魔術で足場を作り、火炎を爆薬みたいに使って魔力放出スキルを模し、空を走り駆ける。宝具の旗を素材に改造した葬送の刃を構え、その仕掛けを起動させて大鎌となり、暗い怨讐の炎を刃に纏わせて襲い掛かった。

 狙いは敵の弱点―――古竜の首。

 断頭に相応しい葬送刃の鎌が降り下される。だが戦神が竜狩りの剣槍を伸ばし、その断頭刃を容易く防ぐ。その上で剣槍は雷電を纏っており、サーヴァントの霊基を枯れた藁と等しく焼き崩す威力の電撃が伝播するも、魔女の鎌が纏う暗い怨炎も同領域の神秘。

 斬撃同士と概念同士がぶつかり合い―――戦神は、口から火炎を吹き出した。

 姿を変えずに古竜化する術を得た者―――否、戦神を信仰する簒奪者の息吹。

 それを魔女はモロに直撃し、火達磨となって吹き飛ばされ、燃える隕石となって墜落する。その上で嵐の王は空中で体を捻り回して尻尾を振い、魔女を地平線の彼方にまで吹き飛ばす。

 

「■■■◆■◆◆――――!!!」

 

 竜の雄叫びが轟き、雷雲が竜巻となって渦巻く。地面から土砂を巻き上げ、空に岩石が木の葉みたいに乱れ舞った。

 それは、何もかもを破壊する雷雲の災厄群。吹き飛ばされた筈の魔女は竜巻の吸引力に容易く巻き込まれ、再びこの戦場である上空に引き戻された。洗濯機の中で洗われる衣類となって岩石と共に揉まれ、序でに雷撃も流れることで細胞を焦がし続ける。エジソンが利権の為に開発した電気椅子以上に凶悪な処刑器具となって魔女を苦しめる。

 

「あばばババババババッバ!!」

 

「竜の魔女が竜に遊ばれておる……ふ、滑稽な」

 

 と言いつつ助ける為、斬撃を振り放つことで暗帝は魔女が囚われた竜巻を一刀両断する。そのまま墜ちる魔女の方へ気合の皇帝特権で飛び、バイクのサイドカーでキャッチ。頭から突き刺さる様に墜ちた魔女は直ぐには姿勢を正さず、フニャリと逆さまに萎れた植物みたいに倒れ込む。

 そして動かない逆さの魔女の尻を暗帝は愛で撫で、そのお尻へと恋人役となって囁く。紛れも無き変態の所業だが、戦神が支配する雷雲空ではセクハラを注意する存在は皆無である。

 

「良いヤラレっぷりであった。そう言う営みも、人類学視点だと有り寄りの有りだ」

 

「あら、弩変態皇帝様。私のお尻、触らないで下さる?」

 

「柔らき丸みには神が宿る。筋骨隆々に角張った英雄らしい男の裸体も好きだが、程良く流れた脂肪こそ美裸の真髄よ。貴様の肉体を作った者は、芸術の何たるかを深淵まで啓蒙されたと見える。

 すまないと思ったが、仕方無き事。

 偉大なる天才芸術家たる余は、美しい尻を触らずにはいられなかったのだ」

 

 魔女は狩人の脚力で顔面狙いの蹴りを放つ。しかし、暗帝は態と空中浮遊するバイクを乱暴に運転し、横から一回転することで蹴りを回避しつつ、逆さでキックしてきた魔女を空中に放り出した直後に今度は上向きにして再度キャッチ。

 だが二人の眼前―――戦神と古竜。

 尻を愛し気に撫でる加害者と、尻を愛でられ憤怒する被害者。戦神はふざけている二人を侮らず、逆にふざけた恰好や行動をする偏執的変質者こそ、戦闘技巧が極まった殺戮者であることを何処までも知っている。いや、魂の深淵まで狂い果てて変質したソウルでなければ、永遠の果てまで灰は戦い続けて強くなれない。全裸大の字コミュニケーションを挨拶程度の嗜みとする簒奪者らにとって、美人の尻を触ることなど礼儀とさえ言えた。

 

「―――盾の乙女、医療教会の狩人から救いに出たか。

 貴公ら二人、あの灰が作った特異点で邂逅した時と、随分とソウルが様変わりしたと見える」

 

 そんな内心を隠してシリアスな雰囲気をソウルから楽しむ戦神は、端からみれば堅物なのだろう。だが実際は、真面目な人間性で真面目な神性を演じているだけの、只の人間の為れの果ての、太陽の化身に過ぎなかった。火を簒奪した灰とは、そう言う人間であった。

 

「うるさいわね、この人殺しの戦神。略して、人殺神(ひとごろしん)

 英霊狩りも終えたってぇのに、まだ狩りに勤しむのですね。それなら狩り応えのある貴方と同じ簒奪者の灰でも殺してなさいって、ハ・ナ・シ?」

 

「すまんな、竜の魔女。我ら簒奪の灰、力量は皆が同程度であり、且つ殺し方も似かよっておる。毎日、幾度か殺し会えば充分だ。

 故、出来るなら、貴公らのような者と殺し合った方が、ソウルが戦いの歓喜で満ち足りる。効率的な鍛練相手としてなら、無論……貴公は弱者に過ぎぬ故、得られる満足感の程度は下がるが」

 

 直後、雷火が狂い巻く。戦神は敢えて枯れた儘にした亡者貌を笑みの形に歪め、学術者の愚かな欺瞞により生まれた人造古竜へ思念を送り―――雄叫びを上げる。

 

「礼節と尊厳があってこその、人をヒトと足らしめる人間性。ならばこそ、ああ……我が友、我が魂、嵐の王よ。貴公の人間性も限界に見える。

 ソウルに餓えるなど―――人間性、そのものだ。

 故、今より食餌の時間だ。柔らかな感触を持つ女の肉と共に、腐れ落ちる直前の熟れた魂を噛み締めよ」

 

 世界そのものが戦神の心象風景に呑み込まれた。いや、元よりこの葦名は星の心象風景とも言える人理から、灰らが簒奪した人間性による人理人界。その中で更なる牢獄が作り上げられ、魔女と暗帝は戦神のソウルの内側に捕えられたとも言えよう。

 

「―――フン。たかだか葦名で百匹以上いる簒奪者の内の一人。

 その程度でしかない貴方に、魔女たる私が魂に閉じ込められた程度で、心が折れるとでも?」

 

「そうだとも。人間が生物として優れる利点の一つにて、数の多さがある。神以上の魂を持った人間であろうとも、やはりその者はただの人間でしかない。

 戦神以上のソウルを持つ人類など―――腐る程よ。

 神を疎みながらも、神を好きで模す。魂さえも、その形に変貌させる。人間は度し難く奇怪な知能へ至り、醜い程に愚かでなければ多様性は生まれず、だからこそ人の営みは人間に人間性を与えよう。

 そして、貴公以上の憎悪を燃やす人類種も同様、何ら珍しくも無い。

 ならば、魔女よ。貴公の憎悪も所詮、我と同じ人類史の一頁に過ぎん記録なのだろう」

 

 その理念を抱く戦神の簒奪者―――ネームレスキングは、言葉が無用だと分かった上で、この口上をこの二人にだけは言わねば義理がないと判断した。

 灰の特異点が人理に残す遺志。あるいは、無かった事にされた悲劇が遺す悪意。これ程の人間性はそうそう存在しないのだと、戦神だけは二人を特別視していた。

 尤も戦神は―――狩り、殺す。殺戮こそ信条。

 雷雲の地面と雲母の視界。雷電が空気中を走り、呼吸するだけで肺が焦げ、魂が焼却される天空の地獄。此処は魔術理論・世界卵を真っ当に学んだ戦神が作り出す世界。盾騎士(キリエライト)を逃がす為とは言え、この葦名における最悪の災厄と呼べる貧乏籤を引いた上で、更なる地獄たる固有結界の中に閉じ込められた。

 

 

 

 ◇――――<◎>――――◇

 

 

 

 葦名市の外。既に日本の大地を荒廃し、人が住める環境ではなくなっていた。それはデーモンによる被害だけではなく、葦名が保有する国家戦力が自国領に向けて使用されているのが主な原因である。

 ―――コジマ粒子汚染による環境崩壊。

 カルデアの技術力を得た灰は、人理焼却がなかった場合のオルガマリーが運営する本来のカルデアが導く人理の未来も知り得ており、それがこの状況を作り上げたと言っても過言ではなかった。

 

「―――ふぅむ……」

 

 そんな終末風景を眺める月の狩人。狩人専用仕掛け車椅子に一人座り、人形を連れて来なかった彼は悩みから静かに唸り、車椅子の肘掛に右肘を深く置き、掌の上に顎を置いて考え事をしていた。

 

〝人型の機械兵器と、巨大地上戦艦か。啓蒙深い戦争だな”

 

 車椅子に座ることで人為的に人格形成を学術者寄りにする今の彼は、ロマンチストでもある狩人(ポエマー)である。無論、本来の狩人的嗜好が消えた訳でもない為、火薬庫的芸術精神は健在であり、むしろ何事にも娯楽と学術を求める感性は高まっていた。

 

〝灰が得たカルデアの技術力を高める為、機械兵器を宝具にする英霊は抑止力によって召喚された。しかし、その兵器宝具が灰の本拠地である葦名へと向けられ、サーヴァント共の技術を得た葦名の機械兵器軍と戦争状態に陥ったか。

 人理の抑止も、迷走しているのだな。とは言え、あのような人間しか古い獣から身を守る手段がないとなれば、こうなるものか。人間共の獣臭いの集合無意識が、更に獣性を匂い立たせるのは仕方なし”

 

 そんな狩人の後ろ、一つの影が何時の間にか佇んでいた。殺意も敵意もなく、静かに狩人を見下ろしていた。

 

「お主、何奴?」

 

「貴公こそ、何者かね?

 天狗の面を付けてはいるが、天狗のデーモンと言う訳ではないのだろう」

 

「かっかっかっかっか。白々しい男よ。儂が誰かなど、分かっておろう」

 

「その酒臭さでな。中華の酔拳ならぬ、酔剣とでも言うのかな。とは言え、血に酔うのは私も同じだとも」

 

「良い酒が毎日手に入っておってな。態々あの灰に召喚されたと言うに、何故か葦名にて酒造りに嵌まる簒奪者がいる。

 いや、面白い。面白い馬鹿共だ!

 何が馬鹿らしいかと言えば、この一品が混じり気なしの魂が込められた極上の一酒と言うことよぉ!」

 

「美味かったな。私も葦名市を観光したが、その時に自作酒をソウル販売する簒奪者の酒を飲ませて貰ったよ。それも最高品種のジークをね」

 

「……ふん!

 あの店、予約がないからのう」

 

「貴公の葦名は素晴しい。特に酒が素晴しい。私の街は地酒の血酒しかない故、上位者となって啓蒙的味覚を得た我が舌は、血の酔い以外も求めてしまう。

 いやはや、猟奇的酩酊には丁度良いが、程良く心地良い酩酊には程遠いのが問題だ。獣化を克すれば、それはそれでまた新しい欲求が生じるのが知性の問題点さ。

 つまるところ、葦名最高―――と言う事だね。

 特に人形と泊った葦名湯屋。露天風呂で見上げる満点の星空と、新鮮なコジマに汚染された空気。そして夜でも浮かぶ暗き月、陰の太陽たる簒奪者の火と、今にも落ちそうな輝ける満月」

 

「酒造りの再現も"そうる”の業の応用じゃと言っておった。儂には理解出来ぬがな」

 

「ほぉ……――ソウルの業か。

 学習中であるも、酒造りにも使えるとはな。今度、偉大なる上位者の死血酒でも研究してみるかね」

 

「で、あるか。儂も酒には興味があるが、今は良いわ。だがその会話内容で、お主の大まかな正体は分かった。

 やーなむの狩人じゃったか。灰が話しておったのを覚えておる。

 一手、お主と死合ってみたいものだが……今は止そう。儂の鍛える葦名流に、お主のやーなむ流狩猟から技を盗むのも一興だが……カカカカッ、機会など幾度も廻ろうよ」

 

「貴公の治める葦名城下街にて、ユビと名乗る金髪の異邦人がいる。彼女を人斬りとして襲うと良き業が啓蒙されることさ」

 

「おう、分かったわ!」

 

 そして、懐から瓶を取り出す。狩人は若さを吸い取る竜の眷属を狩り殺し、それから得た製造法から作った京の水を使い、獣血と死血を混ぜて発酵させた血酒の水割りを酒瓶から飲んだ。脳が震え痺れ、血が熱く狂い、何かを狩り殺したい狩猟衝動が酔いと混ざって発露する。

 狩人にとって、この意志が素晴しい美味さであった。やはり血と啓蒙に酔うのが狩人の嗜み。人間としての味覚とはまた別の感覚こそ、酒に求める酔いなのかもしれない。

 

「たーまやー……で、こう言う場合は合っているのかね、天狗」

 

「合っておる。じゃが、この手の戦を儂は好まん」

 

「そうか。私は好きなのだがね」

 

 狩人の血腥い酒の吐息と共に出る場違いな感想。アレを花火と例える感性を天狗は好まないが、将としての戦略は通じるも、兵としての戦術が通じ難い眼下の戦争を好まないのも事実。

 

「……轟沈じゃな」

 

「そのようで。サーヴァントを圧倒的殲滅力で下す旗艦アンサラーも、古代インドの神造兵器搭載戦闘機と、古代アトランティスの技術で作られた木馬と、平安源氏の人型決戦兵器。そして、機動聖都の巨大祭壇ロボが相手では敗北するか。

 これで葦名に残るアームズ・フォートは残り一つ―――グレートウォール。

 私なら機械関係は電子回路に干渉して即座に自分の手駒に出来るが、葦名に敵対する反政府軍には難しい相手だろう。

 また何が酷いかと言えば、アームズ・フォートが聖杯で材料を創造して組み立てた簒奪者の玩具でしかない点であり、それも灰に召喚された工作好きな幾人かの簒奪者だけの力と言う話だ」

 

「お主はこれを観に来ただけか」

 

「ああ。観戦に酒は付き物らしい故、こうやって愉しんでいたのさ。人と人が狩り合うのを視るのは元より好きだったが、スポーツ観戦は上位者の視座を得てからの趣味だね。

 貴公も、そこは同様……だろう?

 景観の良き此処で観ているとはそう言う意味だからね」

 

 星見の魔術師(ヴォーダイム)からのプレゼントである今のこの車椅子は、火薬庫式回転機構を応用した車輪と火噴き推進を搭載する頭が良過ぎて、頭の悪い造りをした狂気の逸品。狩人本人が遣う高次元暗黒の力場を応用した啓蒙的念動を補助にし、車椅子は電動式の物のように動き出す。

 

「では、天狗。私は壊れた部品の廃品回収に行こうと思うが、貴公はどうするかね?」

 

「好きにしろ。儂は戻ろう、さらばだ」

 

「では、さようなら」

 

 火薬庫の殺戮回転機構が起動。車椅子へと平和利用されたとは言え、その殺意の高さは隠せない。車輪が火花を散らしながら狩人は吹き飛ぶように疾走し、天狗の視界から数秒で消え去った。

 天狗――正確に言えば天狗の面を被る男は、人斬りの剣聖であり、この葦名を始めた戦国大名の一人。彼は剣気を治め、サーヴァント狩りやデーモン狩りで更に極めた老境の技巧でも、あの狩人狩りは荷が重そうと判断した。

 

「一昨年に()った鵺のデーモンと、昨日殺めた桃太郎のデーモンは、特別狩り応えがあったが……カカカッ、奴が月の狩人。

 真、あの様に至る心技となれば、神なる龍に挑む方がまだ容易かろうて」

 

 直後その上空、ドラゴン乗りの簒奪者が通り過ぎる。今までの特異点では霊体のサーヴァント擬きとして灰に召喚されていたが、葦名の彼は生身の本体。太陽に等しい黄金の輝きを纏い、狩人が車椅子で爆走していった先に目掛け、宝具で例えればEXランクの対城宝具に匹敵する雷槍が放たれた。

 カルデアの英霊召喚フェイトを灰が応用し、戦神のデミでもある簒奪者は無論、その暗い魂の孔の内に最初の火を収めている。

 太陽の光の槍(サンライト・スピア)―――正しくそれは、灰が簒奪した火の煌き。

 己が太陽となって放つ奇跡は、本来の神の力を遥かに超え、魂を抹殺する熱量を誇る。それを狩人は即座に車椅子を反転してバック運転をしつつ、仕掛けを起動させて大砲を銃座に展開。砲撃により空中で雷槍を迎撃。

 とは言え、流石に極限の血質を持つ月の狩人だろうと、その気になれば悪夢の宙を焼き尽くす最初の火による雷槍を相殺することは不可能。だが高次元暗黒による瞬間的空間渡りを行う隙間を仕掛け大砲の砲撃によって僅かに生み出し、狩人は車椅子の瞬間噴射(クイックブースト)で雷撃の爆風を潜り抜けた。

 だが最初の火の雷槍(サンライト・スピア)など、戦神の簒奪者にとってそもそも小手先の一投。ドラゴンに乗りながら天高くに巨大電球を作り出し、太陽と同じ恒星となって極光を纏い、そこから数多の電撃が雨粒となって落雷する。一撃でサーヴァントの霊体は勿論、高ランク防御型宝具だろうと貫通する落雷網が狩人目掛けて降り落ち、地上を電球落雷で絨毯爆撃を敢行した。

 その全てを、狩人は車椅子で爆走しながら回避し切った。余りの神業にして魔技。如何程まで気に入った車椅子を愛せば、この技巧に辿り着けるのか、まともな人間には到底理解出来ない領域。

 

〝ぬぅ……あれは何じゃ?”

 

 そして、空に開いた宇宙的空洞から不可視の巨体が落ち出る。最初の火の電球よりも上空から抜け出た者は誰にも見えない存在だが、召喚者の狩人は無論、戦神と天狗の瞳には問題なくその姿が映っていた。

 扁桃頭の上位者―――アメンドーズ(Amygdala)

 月の狩人が交信によって関係を得た悪夢の住人の一人であり、だが狩人の血を流し込まれ、彼の思索実験によって特異体と化した憐れなる落とし子。獣性と啓蒙が混ざる月の混血は上位者だろうと血に狂わせ、伸びる髭が触手のようにうねり回り、大幅に肉体を巨大化した不可視の怪物。

 高次元暗黒を纏った手を竜に乗る戦神に振り回し、離れれば扁桃頭(アーモンドヘッド)から飛び出る眼球から啓蒙的熱線光帯を発射し、それを華麗なドッグファイトで嵐の王(ドラゴン)は回避した。そして、戦神から放たれる雷撃を高次元暗黒を纏う手が掴み、握り、そのまま相手に投げ返す狩人的神技を扁桃頭は披露する。そのまま扁桃模様の頭蓋から飛び出る瞳が、幾本もの極大の熱線を消防車の放水のように乱れ放ち、視線上にある空間を焼き尽くす。だが戦神は手に持つ剣槍で光線を受け止め、そのまま啓蒙的神秘熱を刃に纏わせ、自身の雷電と融和。雷鳴と共に高次元雷撃光線を矛先から撃ち放ち、その光帯撃(ビーム)を狩人が簒奪者のソウルから学んだ闇の魔術・反動を啓蒙的解釈をすることで得た高次元暗黒の遮断膜を造り、簒奪者の反動と同じく絶対防御を為すことに成功した。

 気が付けば、車椅子に乗った儘で狩人は扁桃頭の上に乗り込み、嵐の王に乗って戦う戦神とライダーのような戦い方で死闘を演じていた。しかし、今の葦名では良く見る怪獣決戦である。数百メートルはある人型の山と言うべき細身の巨体と狩人が、襲って来た炎を吹く鳥のような竜と最初の火の戦神と殺し合いを始め、この世とは思えない幻想的地獄風景が具現した。

 

〝考えるだけ無駄か……うむ、葦名は地獄だ。

 思えば灰が作った竜が集団脱走し、葦名で暴れた事件の方が今より悲惨であったか”

 

 不死の簒奪者を狙って通り魔的に狩り殺しを続ける狩人。今の葦名において悪名が広がり、つまりは簒奪者にとっては最高純度の殺しても構わない娯楽品と同じであり、戦神の簒奪者が空より特に意味もなく視界に入ったからと殺しに掛るのは不可思議がない事実。

 尤も、葦名市街地でこのような怪獣大決戦が行われる事が些か稀。天狗が知る限り、街中で巨大生物が暴れ回るのは幾度かあった惨劇。

 ―――死合いに飽く程の、贅沢な地獄の楽園。

 天狗は修羅が芽生える己が心を否定するつもりはなかった。

 事実、既に葦名では伝承より黄泉返りを為した修羅のデーモンが現れ、その鬼を天狗は斬り、怨嗟のデーモンもまた天狗は斬り、簒奪者も幾人か斬り殺した。そして、天狗自身も既に不死の人間に成り果てた。無論、英霊のサーヴァントも、英霊のデーモンも、天狗は斬り、その魂に怨嗟は積もるばかりである。

 

〝抑止のさーばんとの召喚も種が尽きよう。謂わば魂の魔力と言える獣の霧を、抑止力は霊脈代わりに使用出来ず、既に今の日ノ本の土地に魔力は残らず、鋼の大地と成りおった。獣のそうるを奴等が資源運用することは不可能となれば……いや、そも話が違ったな。英霊の悉くが世界を見ることで敵対するが、本来抑止力は葦名の味方であった。

 しかし、関東平野を蹂躙する最後の要塞列車を倒せるのは、あの旗艦を撃ち落とした者らが最後よ”

 

 葦名市以外の全てが焼き尽くされた日本。だが、悪夢は悲劇の後にこそ起こる。天狗は自分が田村から国盗りを為した葦名のこの成れ果てを見て、特異点と言う歴史になった意味を理解した。

 

「お主は、まだか……―――隻狼」

 

 その呟きは荒野の空気に融け、静かに消えた。

 

 

 

 ―――<◎>―――

 

 

 

 その男――オデュッセウスは死を受け入れる。

 空中浮遊要塞――旗艦アンサラーの撃滅成功とは即ち、現存サーヴァントの全滅を意味する。

 だからか、彼はこうなることを全て理解した上で戦い続け、此処まで戦い抜き、そして戦いは終わりを迎えた。

 何一つ予測と変わらない現実である。なるべくして戦い、あるべくして死ぬ様。言われた通り、敵機械兵器軍中核旗艦、アームズフォート・アンサラーの破壊は後に特異点に来るだろうカルデアが葦名市に入るために必要不可欠な作戦であったが、彼等が倒したい灰はサーヴァントたちの決死の足掻きそのものが目的でもあった。旗艦アンサラー撃滅の為、全てを擲って戦う英雄の姿に感動したいが為の、灰たる簒奪者共の娯楽劇場の出し物としての、最高の喜劇であった。

 

「そうであろうとも、この様が正しいものか……」

 

 頼れる味方は全て死んだ。自分以外、霊基を保つ者はこの戦場では皆無。オデュッセウスは敵旗艦中枢に入り込み、宝具の真名解放と共に行った壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)によって連鎖爆破を起こし、何とか破壊には成功するも、それは彼の死を意味する。しかし、こうしてまだ生きている。

 木馬に備わった緊急脱出装置が起動したことで、彼は破壊の渦の中を抜け出る事だけには成功していた。しかし、既に霊基は破壊され、魂が抑止力が用意したエーテルの擬似肉体から抜け出るのを気合で止めるも、そもそも肉体がもう崩壊していた。

 それでもまだ死ねないのは、獣の霧であるエーテル――ソウルを身体に取り込んだ影響だ。

 火防女の祝福やソウルの業による儀式魔術は為されていないので、彼の魂は不死(ソウル)化はされていないが、通常のサーヴァントよりも遥かに死に難い肉体を得ている。受肉とも呼べ、一度限りの蘇生とも言える状態だろう。

 

「終わりか、オデュッセウス。余は……だから、あの時に言ったであろう?

 貴様らの抗いに、価値は無い。何をしても、何もしなくとも、人理は問題なく救われる。灰と簒奪者らの火により、恒星直列した太陽の魔術回路が獣を焼却処分するであろう」

 

「だが、それは……人理による選択ではない。選ばされただけだ。英霊の遺志も必要とされず、今を生きる人間の意志さえも無意味となる救済だ。

 あの様な存在に生かされる未来など、気に喰わぬ。断じて、認められん!」

 

「感情の問題か。確かに、獣性の根源的生まれよな。しかし誰が救おうと、人類が救われるのならば、別に未来に至る原因など何でも善かろう?」

 

「ならば、おまえは何故―――此処に居る?」

 

「獣の末路を見たいからだ。抑止力として召喚されながら、人理に逆らう貴様らの足掻きを見届けるのも有意だが……それも、古い獣を狩る建設的な答えがなくては価値はあるまい」

 

「建設的……か。成る程、ローマ皇帝らしい価値基準だよ」

 

「街の建築と言う皇帝の国家事業。即ち風景美とは、計算高き測りでもある。貴様らの頑張りは一人の人類として素直に誉めるが、悪辣さも素晴らしい人の集合無意識は、灰による確実な未来を欲した。

 ……分かるか、英霊?

 あの灰なる女は己が魂を鍛える試練として善行を積み、悪行を積む。その結果、罪と屍を積み上げる。

 灰に抗う自由を抑止力に対し、サーヴァントの貴様らが意志を奪われずに得られたのは、それこそが灰が世界に欲する報酬でも在る故に、だ。

 抑止に植え付けられる強迫観念の束縛を打ち破り、自らの自由意思で行動を選択する強靭な魂の持ち主だけが、この特異点葦名に召喚される資格を有するのだ」

 

「それを俺は――許せない」

 

「まぁ、そうよなぁ……余も人理に生じた一人の英霊だった者として、それを許すほど器の広い信念無き一般人の感性を持たぬ。

 ただの人ならば、普通に生きられる未来があればそれで構わず、不幸と貧困を押し付けられれば抗うが、ある程度の幸福で良いとするのが美徳よ。別に灰が救おうが……実質、人理思索の実験動物の犬として飼われるのだとしても、現世の人間で経済社会の犬でない者などおらんしな。

 だから、無意味だ。我らの人理に人間性など諦めろ。

 その壊れた律から卒業することこそ、人が根源の縛りを超えて至る到達点。

 人が真に個人となり、世界から自由を勝ち取る人間性である。故に余はこの今の成れ果てに辿り着こうとも、未だ灰には届かんのだよ」

 

「だとしても……―――俺は! この意志が間違いとは思わない!!」

 

「魂が進化せねば、結局は繰り返しだ……―――いや、繰り返しなのだな。

 神域を超えて高次元に至ろうと、接続者のように無から宇宙が生まれた原因を知ろうとも、その魂に無知でしかないのであれば、貴様の願いは灰の救世を妨げるだけの道端の小石。

 それでも、人に意味を求めて戦うか……?

 余はもう諦めているが……貴様は、人理が良しとする確定した救世を悪しと拒むか?」

 

 男は血反吐を吐く。いや、ペースト状のミンチになった臓物を吐く。四肢の骨は砕け、背骨も折れていると言うのに、確かな自分の意志で死体のまま立ち上がる。

 

「あぁ、拒むとも!!」

 

「そうか。であれば、余が貴様に蘇生魔術を施そう。そして不死たる深淵を授け、この戦いを続けよう。負けても、死んでも、心折れて諦めるまで、余と共に戦いを続けることが出来る。

 簒奪者等と同じ立場となり、諦めなければ決して負けない権利を得る。

 人理の為、人理を犯す人間性を得よ。

 即ち、今の貴様を貴様足らしめるその―――人間性を、捧げよ」

 

 彼女の瞳から流れる暗い血の涙が掌に落ち、粘性を持つ泥となって具現。右手に纏わり付く深淵の暗い魂は、ただただ其処に在るだけで世界を狂わせる魂であり、人理が影響を与えることが不可能な物質。何かの間違いで根源の渦へ流れ込めば即座に星幽界は汚染され、人類は例外なく不死となる魂に汚染されることだろう。

 宇宙の視座を超える魂が生まれた高次元領域さえ―――いや、だからこそ根源からこの宇宙へ流れ落ちた魂はそう成り果てた。終わりの果て、魂そのものの進化の果て、そんな終わりを繰り返した果てが、この在り様だった。

 男は、それを暗帝との会話から理解していた。

 受け入れれば、座の本体とは別存在となる魂の法則。

 

「すまない。それは、出来そうにない」

 

「そうか。尊厳もまた人間性よ。ならば、貴様の遺志を余の魂が継ごう」

 

「良いのか……?」

 

 血を体内に戻し、暗帝は微笑んだ。人理の英雄にとって不死化など悍ましいだけの様。魂は誰もが永遠なのだとしても、この星の世界は魂の永遠を良しとしない。未来永劫、死ねず、消えず、根源に還れない魂など、憐れにも程がある。

 不死と、徹底的に不滅である。暗帝が受け入れた永遠とは一切の救いなく、本当に永遠であり、永遠に魂の生まれ故郷へ還れない因果律に囚われる地獄の悪夢である。

 この恐怖―――不死となり、永遠に成り果て、そう在って克服する諦観。

 例え世界が消え果てるのだとしても、彼は決して受け入れてはならない魂だと正しく理解していた。

 

「あぁ、当たり前だ。その為の、ソウルの業なのだ。

 過去を無価値にしない在り方―――余は、そう在り続けたいと願っている」

 

「ありがとう、暗帝ネロ。どうか俺の遺志を継ぐおまえの永遠に、僅かばかりの安らぎが有らんことを」

 

「どういたしまして、冒険者オデュッセウス。貴様の在り方は永遠の旅を生きる余にとって、とても貴い導きとなるだろう」

 

 冒険者の宝具、壊れた木馬―――拝領。

 

「では、さらば。良き男、素晴しき英雄よ。

 魂の残滓たるその遺志―――余のソウルとなって記録となろう」

 

 魂の一粒は根源に還す。灰がそうしていたように、根源の星幽界から魂の全てを悪戯に奪い取ることはしない。全てを貪れば、その魂は輪廻の環から外れ、来世の魂に情報が継がれる事がなくなることだろう。それは混沌衝動である起源からの途切れを意味し、暗い魂の王でもある灰の理念に反する神の如き悪行だ。勿論、暗帝にとってもこの世に存在する上で必要とする信念であり、最低限の倫理であり、反人間的な人間性を陵辱する行いを進んでする価値がない。

 死を超えた死を他者へ与える地獄こそ―――暗い魂の正体だった。

 しかし、そのエーテルをソウル化し、暗帝は自分の魂に融かし落とす。オデュッセウスのソウルが自分となり、彼の思い、記憶、霊基が融合する。

 

「あぁ………―――熱い。実に、貴様は熱き男だ」

 

 変形機械兵器の操縦服をソウル(エーテル)で具現し、それをまたソウルとして魂に仕舞い込む。暗帝は三里離れた戦場で月の狩人と戦神の簒奪者が争い合う気配を感じ取り、狩人によってこの別れを邪魔される筈だったのを、戦神の慈悲によって防いで貰ったのを理解していた。

 恐らく、戦神の簒奪者は人間の味方をする太陽だ。正義の味方には程遠い自己の塊だが、人間以外の味方は決してしない男である。本質的にその在り方から外れず、その儘で闘争を尊ぶ雷神になりたい人間だった。暗帝は彼を有り難く思い、冒険者に別れを告げられた幸運を噛み締める。

 

「暗帝、ソレ――――神話の礼装かしら?」

 

「違うわ、魔女。貴様が分からぬ道理ではないだろうが」

 

「そう、残念。貴女に守護女神の加護があれば……いえ、軍神の剣もあれば良かったけれどね」

 

 口に加えた啓蒙的劇物入りの煙草を吸い、魔女はトロンと蕩けた瞳で英雄達の最期を見届けていた。巨大機械兵器の戦闘になど興味はなく、参加する気もなく、その気になれば電子回路を瞳からの神秘汚染で傀儡化することも出来るが、そうはしなかった。そうする意味を今の魔女は持っていなかった。

 手を出せば、人理に抗う選択をした遺志を穢す事になる。死は、死であってこそ価値がある。

 彼等の決死を見届けたいと言う欲望に、魔女が逆らう訳がなかった。狩人の業に染まった魔女の魂は、その遺志こそ守りたい最後の一線であった。

 

「はぁー……アイツ、月の狩人が来ています。さっさと逃げるが吉よ。どうせカルデアが来るまでの、お邪魔な厄病狩人様だから」

 

「良いのか。一目、挨拶だけでもすれば良かろう?」

 

「不必要です。星見の狩人が葦名には来るのですし、まずは狩りを全うするのが先決よ」

 

 口と鼻の三つの穴から煙を竜のように吐き出し、魔女は髪がボサボサになるのも構わず頭を掻き回す。頭蓋の内の、脳の瞳が疼き震えて堪らない。本当なら、狩って、狩って、狩って、血の酔いの儘に狩り尽くし、狩猟衝動の儘に殺し回りたいが、煙草を吸って我慢する。獣性が漏れ出る血の疼きを、血中に神秘的な煙を融かすことで抑え込む。同時に獣血が脳味噌へ流れ込み、瞳が人血に満ちて啓蒙が抑えられる。

 ―――愉しくて、楽しくて、ヒトの世界は堪らない。

 英霊達の足掻きは活路を見出した。灰がサーヴァント等へ求めた通り、彼らは良い障害となったのだろう。死ねば死ぬ程、霧がデーモンとして模倣する良き伝承源となった事だろう。

 

「これでアームズフォートの残りは一機ね。でも、アレには私の瞳は通じない。簒奪者の一人が直接乗り込んでいるから、他のヤツみたいに純粋な機械兵器として成立しない。

 そもそも、アレを倒す火力を誰も持ち得ない。

 聖剣の一撃さえ耐えた異聞人類史の軍事企業が開発した超兵器の、聖杯による復元要塞。オルガマリーのカルデアが支配する軍事企業群が、例え星が滅亡しても人類を管理する鋼の未来世界において、対宇宙生物戦争……アリストテレス殲滅作戦における軍事兵器の大元になった旧モデルたちの最高傑作の一つよ」

 

「だがその傑作の一である旗艦アンサラーは、抑止に抗うサーヴァントが撃ち落とした」

 

「それは……確かに、そう。けれど関東平野を蹂躙するグレートウォールを、英霊から継いだ程度の兵器で倒せると思うのですか?」

 

「余はどちらでも良いのだ、どちらでもな。単純に逃げるのが趣味ではないと言う話。

 だがな―――やるのだ。ただ、やらねばならぬ。

 見届けたのであれば、余がやらねばならぬ責務となった。それだけの事実だ」

 

 魔女は瞳を見開く。観測する数多の可能性たる未来を垣間見て、その結果が一瞬にして一つに集束される因果律の変動を察知した。

 別の可能性等と、そんな生易しい余裕を根源の法則から生じる運命に与えない。

 だから、煙草がどうしようもなく美味しく感じる。脳が蠢くのを強引に抑え込む人間性に溢れた自制行為が、まるで自慰行為にも似た快感を脳細胞に与えてしまう。それから瞳を逸らすように魔女は竜のように火の無い煙を吐き出し、指で叩いて灰を落とし、また深く吸い、繰り返し吐き吸って、燃え殻を地面に滑り落とした。

 そして、虫ケラな汚物を殺す様に踏み躙る。まるで煙草の燃え殻を誰か見立ているかのように、魂から憎悪を込めて躙り潰す。

 

「それじゃあ、暗帝……―――()りましょう」

 

「あぁ、破壊しようとも―――!」

 

 

 

 ■■■◇◆<●>◆◇■■■

 

 

 

 喫茶店、茶屋狼忍堂。店主を務める少年と副店長の少女。そして最近、そこの居候となった女性。葦名で流行るアゴニスト異常症候群により、悪魔憑きが頻繁に暴れる治安が極悪な葦名市街地ではあるが、その喫茶店は強い用心棒が住まう様になったので被害は抑えられていた。

 

「メリナ、ありがとうございます」

 

「構わないわ。居候料だもの、変若(おち)の巫女様」

 

「様は、要りませんよ?」

 

「気にしないで。私の拘りみたいなものだから」

 

「あら、そうですか?」

 

「そうなのです」

 

 悪魔憑きとしての能力を使って強盗に来た罹患者を狂死の巫女――メリナは、逆手持ちにした右手の短刀を暗殺術で振い、一瞬で五体を十七分割して四散させた。唯単に殺したのではなく、店内が悪魔憑きの体液で汚れない様、店外の表に連れ出した上で抹殺した。

 その上で運命の死により、魂の消滅からも蘇生可能な真性の不死でなかれば、根源なる星幽界に還る律に従わない魂でなければ、命の死を克服した程度の不死者を容易く殺す宵眼の黒炎で四散した死肉を焼き、悪魔憑きの蘇りを封じてしまった。

 即ち―――巫女の救い死。

 魂がまだ根源に帰れる程度の永遠ならば、幸福だ。悪魔憑きは灰や悪魔、あるいは簒奪者たちとは違い、人理の律に縛られる者であれば、運命の死を救いを齎すルーンとして受け入れる資格がある。異界で運営されていた律の死とは言え、魂にとって死であることに違いはない。

 との事で、路上の焼け焦げた死肉は公共機関の清掃員に任せ、狂死の巫女は変若の巫女に頭を下げ、店内へと戻った。運命の死に染まった愛刀を仕舞いつつ、爛れた狂眼と滾る宵眼を魔眼殺しの眼鏡で封じ込め、この特異点で得た自分の新しい仕事を始める。

 

「メリメリさん……茶、欲しい。後、おはぎ」

 

「はぁ……メリメリね、私はそれ好きじゃない。次にその渾名を言ったら脳天に刃を突き刺して、運命の死を解放するわ。それか、貴女の事を逆にユビユビと呼ぶわよ?」

 

「良いよ。可愛いと思うもの」

 

「やめて。だったら、ガスコインって呼びます」

 

「そ。じゃあ、止めます。その名は今の私に相応しくないし、ローレンスの糞野郎に勝手に付けられた家名だから。

 でも、ユビユビは言って良いよ?

 実は私、女の子同士のこう言うやり取りって憧れてたの」

 

「知ってます。貴女は隠してないから。だから、言わないから」

 

「ドケチさんね」

 

「はいはい、分かった。それじゃ貴女の注文は、お茶と饅頭ね」

 

「狼忍饅頭じゃなくて、クロウさんのおはぎね」

 

「そう。持ってくるから、大人しくしてなさい」

 

 巫女に馴れ馴れしく接する客の一人。女でありながら改造した神父服を着込み、頭には帽子を深く被り、長い金髪の毛を血塗れの赤いリボンで結ぶ狩人姿。顔立ちを十分以上に可愛らしいが、瞳が死んだ魚類のように暗く沈み、顔色も死人のように蒼褪めている。

 まるで少女の動く屍。神父服を着ているのが更に倒錯的な色気を出し、同性の巫女に対しても妙な劣情を与える雰囲気を纏っていた。

 

「ん~ん~~、うん、んんッ、んんー……」

 

「ご機嫌ね、ユビ。鼻歌で書類仕事かしら?」

 

「うん。アゴニスト異常症候群の原因と構造は解ってるけど、細胞変異の仕組が分かりそうなの。ソウルのデーモン化とは別の変態的進化だから、治験が難しくてね」

 

「―――……なら、良いけど。どう、大変かしら?」

 

「うん、大変。まさか、レポート作成なんて……人生、分からないもの。ついで、儘ならないものよ」

 

 この葦名において、人の成り果ては二種類。魂を喰らう衝動に囚われた亡者と、理性的に人の魂を食べる悦びに堕ちた悪魔憑き。どちらも、ユビ・ガスコインの勤め先である医療教会が予防する病魔であるが、どちらかと言えば悪魔憑きはまだ人の意識があるので治療対象となり、亡者は狂うばかりで駆除の対象であった。

 そんな悪魔憑き共が集められるのは、医療教会入院患者収容施設。

 別名、葦名病棟―――ローレンスの実験棟。ドクター・ロマンを名乗る人情派を装った外道医療学術者が管理人をする職場であり、ユビ・ガスコインの勤め先でもあった。

 ――血の臭い。生物の饐えた生臭さ。

 臓物と脳漿と眼球。体液塗れの残骸。

 デーモンに汚染された魂に適合することで肉体が変化し、人の形を喪失した罹患者。

 英霊のデーモン達に殺され、そのデモンズソウルに感染し、呪いを受けた悪魔憑き。

 魂に影響を受けて細胞が変質し、変貌した魂に相応しいカタチへと進化した新人類。

 血の狩人は継承した遺志が軋みを上げる嫌悪感を覚え、それに比例して脳が神秘を喜ぶのを実感し、その歓びにも比例して自分が作られた指の遺子へと変貌する違和感で、ある筈のない心が冷たく堕ちる感覚に襲われた。

 

「悪魔憑き狩りの狩人、と言うだけではないのね」

 

「ローレンスの御好意ってものよ。私からすると遠回しな嫌がらだけど。月の落とし子の指である私が、人語で意志疎通出来るからと良いおじさんが構い通しで……いや多分、彼からすれば私との楽しい共同研究の感覚で、善意によるものなのだけど。

 でも、人生何事も経験が栄養になるから、研究員の学術者ってのも得難いね」

 

「良い噂はないけど……?

 悪魔憑きが実験動物として消費されていると聞いてます」

 

「治験……―――夢のデーモンの、その赤子。教区長さんは、新しい思索で何時も研究が愉しそう。傍から見てると、発狂しては鎮静剤で急に静かになって、また発狂しては大人しくなるから、夢に出そうなほど怖いけど。

 ……でもね、メリナさんはそもそも、この葦名をどう思う?

 医療教会の血の医療は確かに、この特異点でアゴニスト異常症候群を治す医療といて機能してる。何より、人間の魂が根源との法則をこのまま維持するには、古い獣の討伐は必要不可欠」

 

「どうだろう……もう、どうでも良いのかもしれない。私は、まだ私の使命の為に死ねないだけだ。此処にいるのは、私が導いてしまったあの星に、今度は死への運命をまた導く為」

 

「そうなのね。巫女さんも、もう疲れてしまったのかしら?」

 

「いいえ。疲れはない」

 

「……そう」

 

 おはぎを食べ、その指に付いた餡子を狩人(ユビ)は舐め取る。甘い味がする。深く、濃く、だがしつこくない甘さ。あるいは、それは家庭の味に近かった。

 家族の記憶。指の狩人の鼓膜に残留するオルゴールの音。幸福だった思い出が遺志から掘り起こされ、自分が狩人ではない少女だった誰かの続きだと錯覚させる悪夢の音色。月血を継ぐ狩人の指でしかないと言うのに、指の狩人は月の眷属でしかない己を諦観しながら、この葦名と言う世界も諦めていた。

 

「所詮、此処は特異点。全員、カルデアによって殺される運命なの。

 私の生まれ故郷……ヤーナムと同じ、一夜の夢ってこと。その定めは誰にも変えられない。

 狼忍堂のクロウさんとオチさんは良い人で、生きていて欲しい。だけどカルデアによってその幸福は消される未来は決定してる。そもそも古い獣が狩り終われば、此処は灰と悪魔にとっても用済みになる」

 

「ええ。カルデアと言う人らが、幸福もあるこの地獄を滅ぼす」

 

「私の頭蓋骨の中にある御父様の脳細胞が教えてくれる……根源の法則で運営される人理の律は、どうしようもないんだってこと。

 ヤーナムが救われないのと、この特異点葦名が救われないのも同じことだわ」

 

「そうね。律から救われたいのなら、その今を変えるしか手段はない」

 

「獣は―――正しかった。

 自分の未来に救いを求めるのなら、自分の戦場から逃げるべきじゃなかった」

 

「そうね。だから私も、生まれの使命から逃げなかった」

 

「ふっふふふ、うふふふふふふ……!

 獣狩りをしていたお父さんが信じていた神様……お父さんがお母さんを殺した事が試練なら……神父さんが祈る先、そこに待つ真実に何の価値が有ると言うの?」

 

「貴女が人間なら、神に祈るべきではないわ。

 神の力、その奇跡と言う現象を操る為、人はただ技術の所作として祈るだけよ」

 

「あぁ、メリナさん……何故、貴女の運命の死は私の目覚めにならないの?

 何故、その爛れた黄色の瞳は、私の脳を発狂させて自我を喪わせてくれないの?」

 

「貴女は不死だから。その魂に還るべき場所はないのよ」

 

「知ってるよ……貴女、私を殺してくれたもの。狂い火の病も、喀血で体内から吹き抜けば、死んで狂わず元通り」

 

「魔眼殺しは感謝しているの、ユビ。本当に。

 けど、貴女の願いを叶えられる程、私はまだ人の魂を殺してルーンに還してない」

 

「感謝の意はローレンス先生にで良いよ。私はただの仲介だもの。それに、まだ私もどうしても死にたいって程、人生に絶望し切るような悟りもないの。

 ただ……ただね、死んだ人に会えないのが、私のこの遺志が不憫だなぁ……って、それだけ」

 

 コジマ汚染に適応した葦名市民と、その葦名市民が普段食べる汚染食品。その中で、狼忍堂の食べ物は自然的でかなりの絶品。

 食でのストレス緩和に、愚痴によるストレス発散。

 ユビがこの茶屋に通ってしまう理由としては十分過ぎることだ。

 

「おや、ユビ殿。こんにちは」

 

「こんにちは、クロウさん。おはぎ、頂いてるよ」

 

 おはぎを食べつつ茶を飲み、現世の地獄を言葉にして巫女へ吐き出していた狩人は、葦名最高のおはぎ職人の少年に深く頭を下げた。

 

「お早いですね、九郎」

 

「良い太郎柿が早目に見つかったのだ。そなたの好物だろう?」

 

「あら、それはまた……はい。ありがとう」

 

「こちらはメリナに」

 

「うん……――うん? え、ショットガン?」

 

 巫女はスっと剥き出しの儘に手渡しされた水平二連散弾銃を見たが、見ただけでは何も分からなかった。

 

「うむ。この店の常連になった者……確か、簒奪者と名乗っておったな。本名は知らぬ」

 

「―――……え?」

 

「お米ちゃんのお米最高、九郎ちゃんのおはぎ最高、と両手を立てたくの字にし、喜んでおったな。常連になって以降、彼女は何かと融通してくれるぞ」

 

「あー……それ、教会で遊んでる簒奪者ね。本人は工房のフォルロイザって名乗ってる。仕掛け武器とか現代兵器が好きで、医療教会の工房でボランティアしてる。

 なにか楽しい事とかないって、その人から頭の悪い変な頼み事をされたので、此処の喫茶店が美味しいと私が紹介しちゃったけど?」

 

「貴女が悪いわね。けれど御子様、良いのかしら?」

 

「私への護身用と頂いたのじゃが、私が使うと反動で骨が折れるやもしれぬ……」

 

「その人、馬鹿なの?」

 

「馬鹿よ。凄いの、本物。この間、教会を要塞化してたもの、趣味で。教区長さんが触手爪拳法で殴って止めてたけど、既にガトリング銃と大砲で改造されちゃってたわね」

 

「馬鹿じゃなくて狂人ね。でも、狂ってる方が良い仕事をするのが、人間の不可思議さだ」

 

「それで、あの教会があんなことに」

 

 アゴニスト異常症候群を抑える輸血液を無料配布する医療教会。人だかりが絶えない場所であり、巫女が前に見た時は既に改造済みであり、葦名城よりも城として機能する要塞みたいな武装化が成されていた。

 何処もかしくも狂っている。今一時は仕方ないと思考を放棄した狂死の巫女は、唐突に手に入った散弾銃をルーン化して自分の内側へ仕舞い、此処に来てしまった運命を思い煩う。

 治安のない荒れた街。無法地帯で生きる市民。亡者と悪魔憑きによる虐殺被害。罹患者を実験材料にする教会。輸血液による医療技術を盾にした民間人への心理的支配。霧から溢れ出るデーモンと、そのデーモンとなった伝承の英霊たち。

 そして―――頭の可笑しい簒奪者の群れ。悍ましいと言うが概念が壊れる程の、悪夢。

 狂死の巫女にとって奴等は謂わば、狂い火の王が流星群となって世界を弄んでいる状況に等しい。

 しかし、葦名市市内である此処はまだマシな部類。外側はより悍ましい状況になっている。アームズフォートはサーヴァント達の尽力で残り一つまで減らされたとはいえ、まだ地上最強の一つが破壊されずに残っていた。

 

 

 

―――――<㋱>――――

 

 

 

 感謝される事に、星見の狩人(オルガマリー)は慣れていなかった。人助けに興味は湧かず、誰かを助けられたとしても、善行に対する有意な実感など欠片も無かった。死人の遺志を使って自分の意志に影響を与えることで感情を作れはするが、本当は嬉しいとも楽しいとも思わず、人助け為に行った狩猟行為の方に愉しみを見出す人格破綻者だ。彼女は既に、自分が本来持っていた筈の当たり前な人間性がヤーナムで砕け散ってしまっているのを理解しており、世界を救おうとも自分が永遠に救われる事がないと啓蒙されていた。

 何を救おうとも、善性への実感が存在し得ない葛藤。

 善人で在ると自分を偽り、聖人君子を真似して無償の慈善を人に施しても喜びはなく、故に自分の幸福に還る願望を持ち得ない。それを求めても、やはり狩人は狩りこそを尊び喜ぶ生物でしかなく、それ以外に得られた感情も啓蒙的学術の探求心を満たす愉悦しかなかった。

 とは言え、今の彼女には人間性がある。人理の律において獣性とも呼べる感情の種を持ち、偽りだと思っていたそれらを愉しめる心を持った。呼び起こすには今まで通りに感応する精神と混ざる人間性が他者との関わりを必要とするが、思えればソレが本心となる。今のオルガマリーにとってその在り様が精神の正体。

 しかし、自分のサーヴァントである忍びの手前、非人間的な行動を取る気はなかった。ヤーナムで彼女が心底から愉しんで行っていたビルゲンワースと同じ探求心を満たす冒涜的殺戮行為など以ての外。誰かに嫌われるのは良いが、何故か自分の忍びに嫌悪感を向けられるかもしれない可能性に、彼女は僅かばかりの嫌悪感を覚えていた。対人関係に恐怖心などないが、何故か特定の人物に嫌われると気持ち悪い気分になる。

 恐らく、ただ狩るだけではなく、守りもしたのはそれだけ。あるいは藤丸やマシュなら、そうすれば流石所長と何時も通りに褒めるだろうと言う思いもあり、彼女はこんな自分があの二人にそんな影響を受けている事実を非人間的に嬉しく思う。人の心を喪いはしたが、人の思いを理解する思考回路まで失った訳ではないと、彼女は人助けをする度に虚しくも喜ばしい実感を得られたのだろう。

 

「主殿……」

 

「何よ、隻狼……良いじゃない。駄目だって言うの?

 貴方だって、為すべき事を為すのだよって、私に言ってたじゃないの?」

 

「いえ、構いませぬ。貴女を主とした己が意志に、変わりはなし。しかしながら……少々、身を削り過ぎではないかと」

 

「別に……食糧とか、別に要らないし。別にね」

 

「では、先程の……腹の虫の鳴き声は、如何に」

 

「ウッッサいわね!!」

 

 他の者が皆無な二人旅。所長は意図的に顔を恥ずかしがり屋な女性のように血液操作で赤めらせ、人間ごっこを本気で演じる。それが善い人間性だと自分を啓蒙する。

 実は対人関係に鈍い忍びは、所長が本心から恥ずかしいと思っていないことは悟っていたが、何か楽しそうなのは事実なので特に気にはしていなかった。

 

「あー、もう……保存食のおはぎはないのよね?」

 

「ありませぬ」

 

「柿は? 干し柿でも可」

 

「ありませぬ」

 

「飴ちゃんでも良いのよ?」

 

「加護を受け、余計に腹が減りまする」

 

「ひゃー!! もう、ヒャッハーもんね!! 流石の狩人でも血味とかも飽きてるのよ、もう!!

 ―――煙草、吸お。そうしましょ。

 血酒とか呑むなら、こっちで気晴らした方がまだマシね」

 

「確かに、そちらが健全かと」

 

「すぱー……はぁ、隻狼も吸う?」

 

「要りませぬ。独特の臭いが服に染み、気配を自然へと混ぜるのに……手間が掛かるため」

 

「あら、そう……ん?

 それって遠回しに私が臭いって言ってない?」

 

「……は」

 

「は、じゃないわよ!!」

 

「主に偽りを告ぐ忍びは、掟に反しまする」

 

「そりゃそーだけども!?

 ……はぁ、そもそもあの修羅のデーモンって、絶対に貴方だったじゃない?」

 

「は……それ故、手早く仕留めた」

 

「マスターの私がドン引く程の、覚悟のガン決まり具合だったわ。真空派を生み出す剣戟で切り刻み、居合からの抜刀で神速の連続斬撃で細切れにして、その後は火炎放射で焼却とか怖い程の殺意よ」

 

「修羅など……居る事そのものが、罪深き悪。人の悪の営みにより生まれた想念……その積み先は、斬ることが救い。

 しかし、あれは怨嗟が積もる先ですらなく、ただ、ただただ……怨念の塊への成れ果てとあれば、幻の鬼だろうと……介錯を為すことが忍びの業でありまする」

 

「そうなの?」

 

「――は……」

 

「じゃあ、別に良いけどね。でも、そのデーモンとそっくりだからと、最初はあの村の連中に石ころをベースボールのピッチャーみたいに投げられたじゃないの。

 私はほら、色々察する異次元の天才だから、因果関係がうわぁっと理解したけど……」

 

「当たらなければ、因果は生じませぬ故……俺が怨嗟を向けるのも、それは間違い」

 

「そっか。ま、ファーストコンタクトの擦れ違い程度、障害じゃない。私の啓蒙的交渉術で阿保で悲劇的な勘違いは直ぐ解けるから問題はないわ」

 

「……御意」

 

 デーモンに襲われていた村を救い、二人は少しばかり滞在して情報収集した後、再び日本国の荒野を歩き続けていた。

 日本国首都―――葦名都。

 その都庁所在地、葦名市。

 又、政府主要機関が密集する政治都市であり、大崩壊が始まる前は世界有数の栄えた街であり、国際社会の中心の一つ。其処が目的であり、今は侵入出来ずともまずは瞳で見て、情報を啓蒙されなくては突破口も見出せない。

 

「北ね、北。まずは北に向かわないと」

 

 恐らく人類史日本国において東京都があった筈のそこは、この特異点葦名では東都県と呼ばれ、巨大国際貿易都市として栄えた経済特区であったが、今はもう瓦礫と廃墟だけの廃都。あるいは、人以外にも化け物も住んでいるため死都と呼ぶ事も出来るだろう。

 転移した所長と忍びは薩摩県から北へ上り、南都県を過ぎ、境府の奴隷市と京都府の刑務市を過ぎ、此処まで来たがまだまだ旅は長い。

 所長は少し感傷と言うものを意図的に思い煩う。此処まで真っ直ぐ進んで来た訳でもなく、寄り道も多かった。進んだ軍事技術による殺戮機械が市場に当然のように流れ、魔術とソウルの業が民間にも浸透し、挙げ句の果てに伝承から具現したデーモンが魔物となって徘徊する地獄領域の魔国。更には亡者と悪魔憑きまで人間が変貌し、誰もがソウルに餓えており、己が人間性を保つ為に殺戮を行うのが自然の営みとなる悪夢。

 即ち、例外無く不老不死が実現した理想郷であり、命が死ねないと言う末路の失楽園でもあった。

 此処は最早、根源の律からも隔絶した永続的独立特異点。人理に属さないのではなく、剪定事象にも選ばれない世界そのものがソウルによって不死化した絵画的異界(テクスチャ)。そんな有り様を思えば、狩猟狂いで学術好きな所長だろうと、一過性の悪意を向けられた程度では負の想念を覚えない。

 自分が世話になり、また世話をした廃都の村へと振り返る。善い人もいれば悪い人もいて、老若男女がいる集落であり、そう思った瞬間――――巨大過ぎる兵器がその村を轢き潰し、あっさりと通り過ぎて行った。

 

「―――あ……?」

 

 廃墟が今度こそ、全て瓦礫に変わった。関東平野の支配者、アームズフォート―――グレートウォール。

 それを見ることで聖杯より呼び出された異聞存在の情報を脳の瞳が啓蒙し、脳細胞が情報を受けて電気信号がシナプスを駆け周り、その有り得ざる未来世界のカルデアが持つ技術力を所長は啓蒙される。

 村人は挽肉と呼べる酷い有り様で死に、幼児が好奇心で蟻を踏み潰した様な屍となった。兵器と人間の大きさを比較すれば、そのサイズ感が丁度良いだろう。だが獣の霧によってソウルに囚われている故に死は問題ではない。既に国全体が儀式によって転生しており、此処の住民は死なずの人間。今の日本国で限りある命を持つのは、儀式後に抑止力から呼び出されたサーヴァント程度。問題なのは、この死が最後の一押しとなって亡者化した者もいれば、悪魔憑きとして覚醒した者もいることだろう。

 

万里の長城(グレートウォール)ね……っ―――ふん、それを移動要塞にする発想は確かに啓蒙的ね。

 流石、異聞世界においてカルデアによって戦争経済を支配する私。こんなのを配下の軍事企業に造らせて、皆で殺し合って軍事技術を発展させて、惑星内で技術力のブレイクスルーが起きるまで宇宙進出をアサルト・セルで封じさせ、地球人類圏を蟲毒の壺に見立てて機械文明の高次元化を目指すとか、唾棄すべき変態女だわ。

 アレゴリカル・マニュピュレーション・システムの適性は、魔術回路を媒体とした霊子的接続による脳髄演算機の操作で……まぁ今のカルデアでも十分に出来るし、ホムンクルスを部品に使うボーダーのAMS生体演算装置にも組み込んであるけど。

 しかし、自分でそのAC型兵器を造っておいて、そのACネクストタイプを倒す為のAFも造らせる何て、何をどう思えば此処までに私は成り果てるのだか……」

 

「主殿、意味が分かりませぬが……いえ、それよりも、まずは助けに」

 

「無駄よ、無駄。それにデーモンからソウルを奪われる訳じゃないから、ただ死んだ程度でそこまでの人的被害はない筈。

 ギリギリで自我を保っていた亡者間際の人は、これが止めになってるから助けられないしね」

 

「だが……」

 

「そもそも簒奪者が列車には乗ってるみたい。それに殺した所であいつら平気で蘇るし、百人以上いる内の一体を葦名の復活拠点に送る程度しか出来ないわよ」

 

「……は。御意の儘に」

 

「どうにもならない簒奪者より、まずは未来異聞世界から特異点に流れ落ちた機械文明兵器の撃滅が必要みたい。

 そもそも全てのアームズフォートを破壊しないと……あれ、どうも破壊しなくても葦名市には入れるから……賢し過ぎて馬鹿な行動する簒奪者の趣味の産物で……でも残ってると後々に厄介になるって未来情報がやっぱり啓蒙されるし?

 そもそも見た感じ、サーヴァント狩りに使っていた悪趣味な兵器ってところね。けど人殺しには戦力過剰が過ぎる変態兵器で……うーん、これ使い始めたのにやっぱり理由とかないんじゃ……?

 そもそも葦名市に対する守りなんて簒奪者の一人がソウルの業で結界を張り、夢幻境界にすれば平行世界からも侵入なんて不可能になるのに、こんな物理兵器で虱潰しで外敵を殺して守る必要が……あ、やっぱり無いわね。理由とか。

 そもそも走るだけで葦名市とか消えるじゃないの、あれ……奪い取って使うのが吉かもね。でも絶対破壊しろって、瞳を“膿”む青ざめた私の脳細胞が囁いてるのよね。

 良し―――やっぱ破壊ね破壊、完全破壊!

 手に入れても良さそうじゃないって見えたから、残念だけど破壊します!!」

 

「御意……」

 

「今度の村に車とか有れば良いなぁ……場所的にサイタマって所だけど、機械がある位には栄えてるのかしらね。どう隻狼、車あったら運転出来る?」

 

「すみませぬ」

 

「分かったわ。私のドラテクがパイルバンカーする時が来ましたか……ふふふ、アニムスフィアは私の代よりカーレースでも魔術協会最強よ。

 むしろ、カルデア傘下の自動車企業において、私こそ最高のスポンサーにしてドライバーですしね」

 

「……は」

 

 主の言葉が良く分からない時、忍びは意味深く深刻そうな深みのある表情でそれっぽく頷き、雰囲気だけは所長が求める空気にして醸し出していた。彼は長いカルデア生活と日本国葦名の二人旅を経て、忍びとしてそこまで万能になってしまっていた。

 

「じゃ、また歩きましょうか。まずは葦名市に入り込むのが先決だから。あの列車兵器を破壊するのはカルデアから藤丸が狂い星を連れて来た後にし、戦力も集めないといけません。

 ―――うん、あれ……私、何て言った? 狂い星……狂い星ってそれ?

 黄色の波動……狂気の瞳、星の王……うわぁ……見なきゃ良かった……これマジで?」

 

「如何した、主殿?」

 

「うぅーん、と……今は良く分かんない。葦名で啓蒙の材料が揃ったら説明します」

 

 頭部と眼球から血を流しながら、所長は無気力に項垂れつつ歩き出す。一度見た事で事象と因果律を把握し、通り過ぎた列車兵器の巡回ルートを既に彼女は見通し、安全な旅路を啓蒙されているので足取りだけは確かであった。とは言え、簒奪者が乗り込むことで運命など有って無いような状態で、未来予測など簒奪者相手に何の意味もないのだろうが、そこに何の刺激もなければ予定通りに進むのも所長は解していた。

 アームズフォートと英霊狩りを好む簒奪者等による惨劇―――サーヴァントの絶滅。

 それは決定した未来。現れるデーモンの種類の数だけ、この特異点で英霊達が殺された事実であり、魂の情報がソウルの霧に融けた証拠であった。

 そして最後のサーヴァント達が旗艦アンサラーと相打った光景も、所長は既に過去視と千里眼で瞳に映していた。その時が起こる前に自分がこの葦名に来ていれば、アームズフォートの残骸からAC部品を錬金術と魔術で造り、サーヴァントが召喚する人型決戦兵器宝具に改造も出来、勝てた可能性もあったと所長は思うが、その偶然は時間が過ぎ去ることで許されなかった。

 

〝簒奪者狩りと灰狩り、太陽落としと暗月崩し……そして、闇を晴らして火を失くす。勝つ方法はそれ。でも、それは古い獣狩りの失敗を意味する。あの獣を狩らないと、根源と人理を結ぶ魂の律が終わりを迎える。

 ―――さて、何から始めますか。

 その為の準備に、最後のアームズフォートを破壊しないといけないから……”

 

 瞳と脳細胞を全力全開で回転させ、所長は脳内暗算で賢者の石を超える未来演算を行い、瞳の紐が蠢き思索を啓蒙し、思考の瞳が新しく芽生え出す。考えるだけで進化する星見の狩人は今も尚、際限なく、限界を宇宙よりも深く沈めて考え続けた。

 ―――血が、足りない。力が、まだ足りない。

 血質(獣性)神秘(啓蒙)の他にも、月の狩人のように、灰や悪魔のように、新たな数値的概念を己が魂に組み込みたい。その為に暗い霧の血を混血しろと瞳が啓蒙する。葦名には星見の狩人が欲する暗い血に溢れている。

 きっと忍びも強くなるだろう。魂を改竄する行いなど珍しい外法ではないだろう。 

 所長の足は力強く進む。デーモンを狩って得た力は素晴しかった。葦名にはそれを超える啓蒙が溢れているのだから。

 

「あ。そう思えば何だけど、隻狼―――」

 

「……何か」

 

「―――全部、殺すけど?」

 

 その宣告は徹頭徹尾、正しさしかない血の心。元からこの所長、特異点における邪魔者は、必要なら特異点ごと皆殺しにする冷徹の理性を持つ。

 それは魔術師だからでも、狩人だからでもなく、役職や役割で自分を律することもなく、等身大の思索によって罪科を良しとする悪辣さを原因とする。

 

「構いませぬ」

 

「何人かは特別扱い出来るし、無理に英霊登録して遺志を召喚式に組み込めるっちゃ組み込めるけど……良いのね?」

 

「は……―――元より、断ち切る為の旅。

 永遠を生きる死なずの業を、救いとする人ではありませぬ」

 

「分かった。確かに英霊なんてお化けの一種で、座に囚われ人理に使役され続ける死なずの奴隷。

 人理を救うと言う私的利用で彼らを召喚使役する私のカルデアは、永遠による災いを嫌う人には悪になるわよねぇ……」

 

「…………」

 

「良いのよ、別に。素直な感想を言ってもね」

 

「……いえ。必要とあらば、命を道具とするのも忍びの業。慣れて、おりまする」

 

「そうね。魔術師も同じだわ……うん、慣れてる」

 

 より善き未来の為に今の人理を変えようとする人間的願望の遂行―――人理編纂。つまり、今の人理が生み出した現状の人理を否定する人間性。人類史が生み出した人理の敵対者とは、人類に対する失望と絶望を持ち得る人類愛故に積み重ね、それより生じた獣性にとって善き未来へ至る新たな人理を求める理想主義者。

 だが本来のオルガマリーに愛はなく、故に人類愛は有り得無く、知的好奇心の儘に意思が描く思索の為の、知的生命種社会実験。それは進化する為だけに存在する理想社会であり、経済活動がイコールで闘争心となって戦争を為す世界。

 とは言え、その企みは灰が人間性を与える事で阻止された。人理に感応する精神が獣性に反する啓蒙的思索を人類史に作用するのではなく、啓蒙と獣性と他にも人間的感情が精神性となり、人類愛と呼べる心を持つ故にオルガマリーはカルデアによる思索実験を行わないだろう。そして人理焼却が無ければ彼女のカルデアが世界を支配し、人理焼却もカルデアにマリスビリーが灰が招いていなければオルガマリー単身で獣を狩り取り、やはり彼女のカルデアが世界を理想的な進化をする社会へと作り直していたことだ。

 ビーストに転ずる資格を得たことで、オルガマリーは世界を思いの儘にする自身の"思索”に葛藤する機能を得てしまった。灰からすれば、心ない虫みたいに機能的に生きるだけの彼女へ人間性を与えることで、どんな魂魄反応をするのか見てみたい実験だったのかもしれず、同時に友人として感情を教えたい善意であり、そのことでオルガマリーは古都で死んだ筈の"人間”と言う精神に感応し、その人間性を復活させたのだろう。

 

「しかし、だからこそ、この特異点は私にとって素晴らしいの。だって未来産業になるロボットは良い……凄く、良いのよ。その時代に妄想とされる未来予想こそ、新世界の想定航行図。

 昔は只の思索実験だったけど、今は心から楽しめる興奮と幸福の人間性を灰から与えられた。これが人間の魂が持つ愛と希望にして、より良き繁栄を願って作られた人類史を紡ぐ善なる想念であり、時空間を超越する絶対的熱量。

 即ち――未知なる未来への、浪漫(ロマン)

 私はカルデアを道具として使い、宇宙文明に現代文明を発展させ、惑星生存圏の制限のない新たな人類社会こそ、既存人理を不要とする新生人理の汎人類種族……と言うの見てみたかったけど、それがビーストの種子となる獣性になる要因になってしまっていた。

 これ、どうすれば良いと思う。隻狼?」

 

「む……主殿、すみませぬ。俺には、考え方も考えつきませぬ」

 

「我が獣性こそ浪漫ってことよ、あっはははははっはははははははははははははは!!

 ―――ネクスト、欲しいなぁ……凄く欲しいです。

 今の葦名じゃあ全部壊れて灰燼に還っちゃったか、機械兵器型宝具の修理素材になってたけど、過去視観測のデータ収集は出来たし、ノーマルなら此処でも素材があれば造れるし―――うん、作っちゃおうかな!」

 

「宜しいかと」

 

「そっかー、そっかそうかぁ……隻狼が言うなら仕方ないわね。うん、仕方無し!」

 

 脳内でシャドウ・ボーダー改造案を描きつつ、彼女はまず新たな啓蒙的直感に脳細胞を痺れさせた。忍びはロボットと聞いても葦名の交通手段である巨大注連縄人形くらいしか想像力が働かないが、そもそも注連縄人形を思い浮かぶ時点で一般からすればかなり想像力豊かなになる経験の持ち主である。

 

「その為にロボ乗りの一大盗賊団がいる軽井沢……寄ってみようか、悩みます」

 

「御意の儘に……」

 

「貴方、ロボ斬りも手慣れたものね?」

 

「否定はしませぬが……いえ、既に得意かと」

 

「電子機械などの機兵狩りの業も覚えました。更に私は魔術も使えば、電磁パルスの錬金術も理論に混ぜ、思考回路と電子回路を繋げられるから。更に啓蒙的思念波長で対魔術加工されていても意味ないし、電磁波遮断も魔力阻害も無効化だしね。

 向かう所、私達に敵は無し!

 なので一方的な無双状態を愉しみましょう。

 私も一回は現実で、ロボット兵器のパイロットになってみたかったのよ。カルデアのVR空間でロボゲーを遊んでいたけど、やっぱりこの泥臭い操作感が堪らないわ。

 まぁウザッたらしい簒奪者が葦名市外を徘徊して殺されることもあるけど、アイツら以外には何とかなるものね」

 

「……は」

 

 一人一人が太陽並みの熱力を誇る火を魂内に持ち、虚数空間の如き暗黒空洞に等しい深淵の暗い魂に至り、挙げ句の果てに精神性が無の境地を超えたナニカと成り果て、武器を振う技術力は達人にとっての達人と言えるEXランクの技巧派狂いにして、魂を物理的に素手で粉砕する脳味噌筋肉人間の極致。そんな連中が何の変哲もない一般人として生活するのが葦名らしい。忍びは所長がそう聞き、確かに彼が葦名市外で稀に出会う簒奪者は正しくソレとしか言えない異次元の化け物だけしかない。

 その連中が一番の障害なのだが、と忍びは思ったが口にはしなかった。

 二人掛りで挑めば何とか撤退戦は可能ではギリギリで可能なので、不死性を抹殺されて魂の情報を消去する死以上の死で以って殺されるような事態には陥っておらず、まだ何とか殺されても普通に死ぬだけで逃げられる。しかし、そんな簒奪者を百人以上は味方に付ける灰を、どう殺せば良いかは全く見当も付かないのも当然だった。何よりも葦名で得られた情報から、灰もまたそんな簒奪者の一人であり、且つその灰自身が学者肌タイプであり、簒奪者連中の中だと中堅から上位の間程度の戦闘能力と言うのが恐ろしい。と言うよりも、全員の力量がほぼ僅差であるので、百回戦えば精々勝敗の差が十程度しかないのだが。

 その絶望感を簒奪者に殺されて良く理解している忍びは、葦名攻略の絶望的難易度を愉しむ事で理性的に正しく楽観視出来る所長の精神性が悍ましく感じる。彼女にとって死ぬ事も殺す事も、もはや娯楽の範疇でしかないのだろう。自分が死ぬことを勘定に入れた特攻も戦術の一つでしかなく、強い敵がいることは素晴しい出来事でしかなく、それを殺す好機を得たことが狩人にとって更に素晴しい幸運なのだ。尤も忍びもまた強敵との死合いは愉しみであり、命に等しい魂の尊厳であり、忍びの信条に並ぶ存在理由として魂に刻まれてしまっているのだが。

 

「貴方の肯定は実に心強い。さて、疼いて堪んない狩人心を初心に戻してメッチャ狩るぞ~……ふっはっははははははは!

 簒奪者は殺して殺して、何人も何回も狩り殺し、片っ端から狩り尽くす!

 空っぽにした頭に血に飢えた獣性を注ぎ、啓蒙的殺戮技術を無心で使い潰し、殺意に専心する愚かなる馬鹿な阿保になって狩って良い敵なんて―――最高(サイッコゥ)じゃないの!!」

 

 舌の味覚に血の味が広がる幻覚を感じる。所長は瞳を真っ赤に充血させ、だが顔色は青ざめさせ、遺志に満ちる魂を歓喜に振わせる。自分を殺し得る困難は、冒涜的悪夢である程に素晴しいのだから。

 機械文明の兵器軍。肉体を作り変える不死の病魔。伝承の悪魔を生む霧の侵食。人間の魂が究極へ至った簒奪者の群れ。

 そして上空に浮かぶ直列恒星魔術回路(ファーストフレイム・サーキット)。それが灰と悪魔が用意した世界を救う冒涜だ。これを殺すには、それこそ人理を破壊する古い獣に並ぶ力が必要になるだろう。人間性を捧げた結果、この様になるならば灰は、やはりどんな世界を救おうとも火の無い灰でしかなかった。

 

「最高だから、きっと私は―――人間だ。

 此処は恐怖を忘れた私に、恐怖を愉しむ心が蘇るような悪夢なのだから」

 

 童女のように微笑み、彼女はクルリクルリと荒野で回る。目の廻った脳の瞳のように、くるりくるりと夢に酔う。それを見る忍びは修羅の悦楽が火を灯し、眼前の女を意味もなく斬り殺したい怨嗟の衝動が生まれるが、既に呑み乾した狂気に過ぎず、何時も通りに渋い表情を深めるだけだった。

 きっと、この日本国葦名の世は平穏なのだろう。過酷な戦国でも更に悍ましい戦乱の葦名国を生きた忍びも、古都ヤーナムで獣狩りの夜に酔い続けた所長も、この世である人理も所詮は同じ世だと正しく理解していた。住まう者の価値基準でしかなく、人は獣となる醜い動物で在ることを否定出来る人間はおらず、それを否定可能なのは虐殺と怨嗟を喜びとする冒涜的殺戮者だけだろう。

 夜空で煌く星のように、不幸も巡るのが世の常だ。生きている内に順番が来るか、その前に死ねるかだけの違い。この特異点に巻き込まれた人々は極論、生まれた人理世界における間が悪かっただけだ。

 二人は自分と他人の不幸を割り切ってしま得る人間性であり、人の死と苦痛には無関心だった。ただせめて忍びは自分が殺す相手にだけは僅かばかりの慈悲の念を覚えて供養し、所長は狩人の業として狩り殺した相手の遺志を継いで自分の内に葬送するのみだ。

 

「そう在れば……俺もまた、恐怖される人の怨嗟を……斬ってやることしか、出来ませぬ故」

 

「良いじゃないの。それが忍びとしての責務なんでしょう?」

 

「……………は」

 

 素晴しい良き旅にはならないと二人には確信があった。同時に、暗くとも楽しい旅になる予感があった。オルガマリーは変わらず楽し気に歩き、狼は黙々と彼女の少し斜め後ろに付いて行く。一歩進めば荒野に足跡が踏まれ、風が吹けば過去が忘却されるように足跡が消え、しかし歩きを止めなければ軌跡は続いて行く。

 だから、きっと何も変わらない旅だった。何事も変え難い思い出になる。

 良くも悪くも、楽も苦も、歩き続けた旅路全ての記憶が魂に融けるのだ。

 二人はそれを理解しているからこそ、迷わずに突き進める。ゴールを決めていなくとも、不死であろうとも、最初の一歩があれば最後の一歩もまたあり、旅は必ず終わるもの。その続きがあるのだとしても、それはまた新しい旅であるのだから。

 

 

 

====<◎>====

 

 

 

 日本企業、アシナ重工。国家と契約を結んだ複合企業であったが、霧による国際社会崩壊後の世界において、葦名唯一の大企業となった株式会社。と言っても、既に株を買う相手など葦名幕府征夷大将軍である葦名一心一人しか存在しないのだが。

 よって二人が乗り、皇帝特権(騎乗:A+)暗帝(ネロ)が運転するサイドカー付き二輪自動車もその会社によるもの。

 とは言え、廃車となって放棄されていたのを皇帝特権(道具作成:A)で修理した物であり、魔女による仕掛け武器の工房知識も応用され、諸々に違法改造されたモンスターバイクであるのだが。

 

「貴女、運転上手いわね!!」

 

「何だ、爆音で聞こえぬ!?」

 

「上手いっつって褒めてんの!!!!」

 

「そうかそうか!! ふははははは! 余は万能の天才故な!!」

 

「―――で、逃げ切れんの!!?」

 

「余が、知るかぁぁああああ!!!」

 

 全長六千四百メートル。高さ百五十メートル。幅五十メートル。動力車両二機。戦闘車両三機。格納車両二機。地上最強の移動要塞にして、兵器格納母艦。

 関東平野を蹂躙する破壊兵器、アームズ・フォート―――グレートウォール。

 比較すれば米粒程の大きさもないサイドカーバイクを轢かんと、その超兵器が地面を砕きながら疾走していた。

 

「と言うか、敵拠点そのものが動くって此処はどんな特異点よ!!?」

 

「オルガマリー・アニムスフィアのカルデアに言え!! 技術流入の大元は奴の邪悪が元凶だ!!」

 

「カルデア、死すべし!! 死すべし!!」

 

 テンションの儘に散弾銃を背後の列車兵器に向けて魔女は撃つが、その光景を見る百人中百人が予想する通り、銃弾の傷が付くだけで装甲にダメージは皆無。そもそも大陸弾道ミサイルや超音速の電磁滑空砲(レールカノン)を弾き返す装甲に対し、対人銃火器など無力。

 この兵器こそ、核弾頭による都市殲滅熱波攻撃さえ設計上は防ぐ地上最強の移動要塞。それはただそう在るだけで凶悪な概念武装でもあった。

 

「もう駄目だ、御仕舞よ。私は此処で轢き潰されるんだ……さぁ暗帝、私がワープする時間稼ぎの為、貴女が囮になって逃げて下さい」

 

「この魔女、どうせ死んでも蘇るからと諦めるのが早過ぎるのだ!?」

 

「無抵抗で死ぬのは癪に触るのよ!!」

 

 そして、武装車両から追尾式ミサイルが数十発と発射される。勿論、目標は眼前を走る二人乗りバイク。

 

「それ何回目ですか!? 面倒臭いわねッ!!」

 

 サイドカーに乗る魔女は身を乗り出し、両手に改造済み重機関(ガトリング)銃を二挺装備。そのまま上空から自分達に向かって飛来するミサイル軍勢へ目掛けて連射し、弾丸を当てる事でミサイル内部の火薬を誘爆させた。

 結果、空には鼓膜を破る爆音と共に苛烈極まる花火が炸裂。魔女は音速移動する物体に対して、回転式機関銃を連射した上で狙撃し、その悉くを撃ち落とす悪夢染みた荒技を披露した。

 

「うぅわっはっはっはははは!

 これぞ正しく私の両腕は回転銃身(ダブルガトリング)ってことね!!」

 

 異様なまで昂奮する魔女は普段口にしない趣味である作家活動に属する思い付き―――即ち、漫画作家的冗談を笑いながら言葉にし、汎人類史を取り戻す重要性を再認識した。

 言葉にするのも悍ましい邪悪なる罪科を経て、素晴らしき消費現代文化が構築されたのであれば、地獄(ジンリ)の中でこそ生きる苦痛を忘れられる娯楽は花開くのだと。

 

「なんだそのダブルガトリングとか言う芸術センスの塊みたいな名称は!!?」

 

「憐れなる思春期の落とし子は最高に心が痛い文明ってことよ!!

 元凶開花させた筈の日本がこれじゃ目も当てられない皮肉だけどね!!」

 

 更にエーテルでも真エーテルでもソウルでもない空間滞留する魔力類似エネルギー―――コジマ粒子が粒子熱波大砲(レーザーカノン)の銃身内部で胎動し、蒼白い光熱反応が禍々しく光り出す。

 カルデアの啓蒙的科学技術の結晶である砲台こそ―――コジマ粒子砲(キャノン)

 本来ならば数百人体制で運営するこの要塞列車を一人で運転する簒奪者の一人は、過剰火力で相手を殲滅する事に歓びを覚える灰であり、他簒奪者からは工房の簒奪者(フォルロイザ)と呼ばれる開発狂い。召喚仲間である機巧の簒奪者(エアダイス)と絡繰の簒奪者(ファロス)と共同で古い獣の聖杯を幾十個も使い、学習した現代文明や魔術技術を応用し、更に得た異聞世界機械文明の情報を解明した事で―――この様と、成り果てる。

 

「神を撃ち落とせても、ビームは無理(アウト)ォッ!!」

 

「安心しろ魔女、余のドラテクは粒子発射速度も容易く見切るのだ!!」

 

「コジマ粒子砲と一緒に、超大型グレネードが数発来ますけど!?」

 

「範囲攻撃は余もちょっとな……?」

 

この畜生が(ポルカミゼーリア)―――!!」

 

「おい。ローマ皇帝たる余をイタリア語で罵倒するか、普通?」

 

「アンタに言ったんじゃないっての!?」

 

「分かっておる。お、こんな愚痴り合いしておれば、相手の攻撃準備が整ってしまったな」

 

 皇帝特権(ソウルの業:EX)で闇術・反動(リペル)を使い、暗帝は暗い黒色膜をバイク周辺を覆いながら展開。グレネードの範囲攻撃とコジマレーザーが直撃するも、世界を別つ暗黒障壁は高次元干渉も遮断する魂の拒絶であり、攻撃自体には無傷。

 しかし周囲数百メートルの地面が抉られたことで吹き飛び、だが皇帝特権(騎乗&魔力放出:A)で空中滑走。更には飛んでいる砕けた岩盤も足場にして撥ねるようにバイクは進み、千分の一秒後に訪れる死を予測し続ける灼熱の思考回路に暗帝は専心し、石飛礫の嵐を走り抜けた。暗帝は周囲に示す自尊心以上の運転技術(ドライビングテクニック)を披露し、平然とまた巨大列車からの逃走劇を続けていた。

 

「ふはっはははははは! 名探偵のデーモン以外にも、余は怪盗のデーモンを倒しておる!

 これぞ日本に召喚されたアルセーヌ・ルパンの知名度補正によるルパン走り(ドラテク)よ。日本人が抱くあやつへの幻想を余は理解出来る女である故に、このロマンは愉しいのだ!!」

 

「デーモンなのに女誑しって言うあの男かぁ……ってか、あれって孫の設定ではありません?」

 

「愚か者め! 探偵がバリツとか言う謎日本武術を、日本の此処では更に技巧が強化されて使うのだ!?

 ローマ皇帝の余が認めるアイドル文化発祥の変態民族の、あの日本人が幻想に向ける知名度補正を舐めるで無い!!」

 

「座の住人は本当、何とも言えない面白伝承も魂へと序でみたいに情報追加されて……あぁ、その魂を憐れむしかないなんて」

 

 聖処女(オリジナル)が姉属性にトランスする悪夢が脳内でフラッシュバックし、魔女はサーヴァントに宿る業の深さを改めて実感。英霊の座には死んだ人間本人の魂を記録情報として素材の核にし、他様々な伝承情報を材料として融合させて英霊を形作る機能を持つが、それが魂にとって喜ばしいことだとは限らない。

 聖女が妹狂いの姉になるのなら、情報の追加記載など不可思議とも呼べないのだろう。

 きっとアイドルの英霊もいるのでしょう、と魔女らしく上から皮肉目線で逆十字の憐れみ(エーメン)を行い、ソロモン王に責務を与えた天の館に住む者へと敬虔な使徒のような優しい憎悪で微笑んだ。人に向ける憐憫が獣性であるならば、きっと神は人が獣で在れと御創りになったのだと彼女は人も神も憐れむだけだった。

 

「おい、信仰嫌い! 思考が飛んでおる、今は戦場に集中せんか!!」

 

「あら、すみません。我が母を真似し、この世を慈悲の心で儚んでしまいました」

 

「そうか! だったら、その慈悲で余を助けて見せよ!!」

 

「ちょっと頭が痛くなるけど――――これは、どう……?」

 

 直後、グニャリと空間が歪む。夢見る人が目覚める瞬間のように、周囲が融け消えるあの錯覚にも似た感触が現実空間に現れ、暗帝が運転するサイドカーバイクが世界が暗転するように消滅する。暗帝はその異空間に呑み込まれ、瞬きをせずとも視界が意識と共に一瞬だけ暗闇に覆われ、実際に目を瞑ってしまう強烈な眠気を覚える。だが即座に気を正し、意識が眠る前に脳を覚醒させ、瞼を意思の力で抉じ開ける。

 気が付けば、其処はバイクで疾走していた荒野ではなかった。

 数日前に滞在していた村の外れであり、暗帝のその眼前―――コーヒーを沸かしてソロキャンプを愉しむ一人の女が、生気のない瞳で突如として現れた二人を見詰めていた。

 

「魔女に暗帝、お久しぶりですね。葦名に向かっていたと思うのですが?」

 

「貴様……まだ、此処に居たのか?」

 

「はい。けれど、ダルクさんの夢見移動の感じから、やっぱり簒奪者から逃げ帰って来た雰囲気です。だから私はまだ早いと言ってたのですよ、暗帝さん?

 オデュッセウスさんから譲り受けた宝具を修理してからじゃないと、そのバイクじゃ潜り抜けるのは不可能です。

 ほら、貴女たち二人は特別遊び相手として目を付けられていますしね」

 

「心折れた瞳で正論を喋るな。余とて腹が立つと言うものだ―――キリエライト」

 

 死んだ魚の方がまだ生き生きとした生命の残滓を感じ取れる程の、暗く澱んだ死人の両眼。少女から大人になる間程度の年齢の彼女は、だがその整った顔に相応しい微笑みを浮かべるも、瞳の色だけは何も変わらず死に絶えていた。

 可愛らしく美しい顔と仕草なのに、瞳と気配が死人の冷たさを纏う不気味な存在感。更に左腕が捥げており、その機械義手は整備台の上に放り投げられた様に乱雑な置き方をされ、常人では邪な好奇心だろうと押し潰されて近寄れない雰囲気を漂わせていた。

 

「ま、貴女の言う通りだったわよ。それでキリエライト、私が設置した灯火にいざと言う場合に帰って来るのを分かっていて、まだ惰眠を貪って此処に居るのよね?」

 

「はい。きっとそのバイクはグレートウォールとの戦闘で壊れてしまうでしょうし……バイクの部品をくれるのでしたら、私のミミック・ボーダーに乗るお二人分の運賃にしましょうと思いまして。

 三人旅が御嫌でしたら、断ってくれて構わないのですがね……」

 

「はぁ……盾女、無理に辛気臭くしないでくれる?」

 

「好きで辛気臭くしていますから。生きるのが苦しいからこうしているのではなく、気持ちポジティブを装うよりも今は素で在る方が楽なんです、私」

 

「分かった上でその様とか、かなり重症みたいね」

 

「相変わらずの心配性。ダルクさんは優しいです」

 

「優しさじゃなくて、単純に憐れみよ。憐れみ。人間らしい獣心。

 可愛いのが可哀想な目に遭っていると手を出して構いたくなる歪んだ愉しみ、人なら誰でも幾分かは持ってるものじゃない?」

 

「それは善意を愉しんでいるだけですよ。人の性と言うものでした。無力な他種族生物を助けるのを、法律に定めてまで行うのが人の社会ですからね。

 尤も人間社会に無害であり、且つ娯楽的飼育と言う有益な経済活動を与える動物に限りますが」

 

「―――分かってんじゃないの、キリエライト。

 同時にアンタが魔女に成り果てた私を憐れんでるのも……この私は、充分に分かっている。だから、手助けする為にまだ此処に居る」

 

「はい――――……カルデアの、オルガマリーが狼と共に来ました」

 

「……………そう。アイツ、やっぱり来たのね」

 

「藤丸さんが来ましたら、これで特異点崩落の未来予測視は決定します。その為に、私達三人は運命に沿った行動は確定でしなくてはいけません。

 勿論それ以外の行動も自由ですが、定まった基点での行動が必要不可欠でしょう。

 オルガマリーの冒涜的邪眼もそれは見えているでしょうから……問題は、その運命が遂行された後の観測不可能な時間記録帯における未知領域の運命となります」

 

「あ、そう。其処ら辺はアンタに任せるわ。私は私で、好きに狩らせて頂きます」

 

「承知しました。では、そこからは御好きにどうぞ。それまでは共に戦いましょう。

 テーマは勿論、仲良くエンジョイコラボ&エキサイトハンティング。死ぬのも愉しくて笑ってしまう我々ですから、不幸も娯楽にしないと長い長い不死生が暗く曇ってしまいます。

 どうせ百年後には人理焼却なんて世界滅亡の危機も、そんな事もあったなぁ~……と、笑い話にしかなりませんからね」

 

 盾騎士(キリエライト)は暗く微笑み、口内が火傷するのも構わず高温の珈琲を味わって喉に流す。彼女は使い慣れた魔力防御スキルを応用し、捥げて何も無い左腕に不可視の魔力腕を造り付け、その魔力素手で網の上で焼いている獣肉を器用に引っ繰り返す。

 コジマ粒子への適応化遺伝子改竄された人肉喰い半デーモンの魔牛肉であるが、盾騎士の目利きが確かなら人を喰っていない安全品質保証が正しい牛肉だったと思われる。とは言え、正気を保つのに保管しておいた自分の人血を気付け薬に使うので、とても今更の話ではあるのだが。

 

「……で、食べますか?」

 

「喰う」

 

「余も、喰う」

 

「では座って下さい。珈琲はどうされます?」

 

「飲む」

 

「余も、飲む」

 

「そうですか。では、煎りますね」

 

 そして盾騎士は全自動珈琲豆焙煎機を起動させ、不可視の魔力生腕を触手みたいに分裂させて一気に肉を焼き始めた。

 

「それでアームズフォートは如何でしたかね?」

 

「勝てぬな。ギリシャの古代機械兵器を使うのが近道だな」

 

「同感。そもそも異聞世界とは文明の規格(サイズ)感が違うわ。アンタの世界のカルデアって良くもまぁ……いえ、あのマシュ・キリエライトに愚痴っても意味ないわね。

 行き過ぎた責任感で我が家と家主を滅ぼした張本人に、今更それを問うのが頭が悪過ぎる」

 

「いえ、当然の罵倒です。私程度の半端“物”では、あの人みたいに……ドクター・ロマンのような最期には至れません」

 

「仕方ないでしょ。アンタは私と同じで魂が逝き場のない不死なんだし、そもそも責務なんて背負える生物じゃなくなってる。

 もう生まれた根源の星幽界には還れないから―――不死、なのよ?」

 

「そうですね。うふふふ……罪悪感を晴らそうにも、罪を背負えないのが我らでした―――で、話を逸らそうとした魔女。貴女はどうすれば良いと思います?」

 

「……っち。暗帝を手伝えば良いんでしょう?」

 

「ネクストタイプは英霊の宝具に使ってもうありませんので、修理したノーマルの流れ物しかありませんが……」

 

「要らんわ。私の方が素で強い」

 

「はい。今は平均サーヴァント以下のポンコツしかないですからね。大型フォークリフトを人型戦闘ロボットに改造しているのが精々です。

 なので、今からすべきことは素材集めです。簒奪者に鏖殺されたロボット乗りサーヴァントの皆さんもデーモン化して日本の何処かで現れていますので、宝具の素材化の為に殺し回り、序でに集めた廃材の再利用もしましょうね」

 

「お遣いかぁ……イベント消化感が強いです」

 

「今は戦神の簒奪者も上空で暇潰しの哨戒をしてますので、お気を付けを」

 

「気を付けるも何も、戦ったら負けて死ぬだけじゃない」

 

「では此処へと死に戻るまでになるべくお遣いを済ませる様、お心掛けを」

 

「私の命を(ゴミ)みたいに扱ってくれて。不死は(チリ)にすらなれない不燃物だけど」

 

「私も皆さんと一緒に死にますので、それで許して下さい」

 

「戦神の電撃は魂に響いて痛いから。あいつ来たら貴方を囮にしますので、そのつもりで」

 

「戦いが苦手な私は彼が怖いのですが……まぁ、ダルクさんの為に死ねるのなら構いませんよ。

 それにドラゴンライダーが相手なら、空中戦が得意な私の出番です。この機関武装化霊基外骨骼(アーマード・オルテナウス)は重力作用するローラージェット付き慣性制御型宇宙服でもありまして、大気圏外の無重力空間でも十全な戦闘活動が可能です。

 最近は盾も改造してまして、理解に苦しむかもしれませんがジェットで飛べます。魔力防御で滑空翼を造って、浮遊サーフィンが出来ます」

 

「あぁ……アレね、あれ。確か、スーパーアーマード・マシュだったっけ?」

 

「忘れて下さい。人理焼却後に訪れた、私の遅めの思春期でした」

 

「そうだな。貴様はギャラハッドの遺志が霊基から抜けたからと欲望の儘、あるいは浪漫の儘、星見の盾と星見の鎧を好き勝手使い過ぎだ。

 そこな義手も説明が長文になる機能を、好奇心が赴く儘に拡張しておろう?」

 

「何でも出来、何にでも対応するのが、私が育て続ける星見の矛です。このアーム・カルデアスを、サー・ベディヴィエールは微妙な目で優しく微笑んでくれましたが」

 

「優しい騎士なのだろうな。それ以上に霊体化して霊基に収める運命変換式人間性砲……その星見の盾に装着する付属外部銃身、ヒューマニティ・ブラックバレルなど悪趣味極まるが」

 

「簒奪者にはただの魔力砲撃ですけどね。ソウルの業、その闇術は魂魄干渉攻撃に絶対の防御力がありますので」

 

「ふむ。では貴様を鬼札(ジョーカー)には使えんな」

 

「すみません。生命力が高い神や宇宙生物は良い獲物ですが、そもそも人間を殺すには銃弾一発で事足りますから。後、魂や命がない機械兵器が相手ですと、ただのコジマエーテル砲となります」

 

「余も同じだ。責めはせんよ。謂わば、殺人事件に核弾頭を使う馬鹿の類だ」

 

「そうですか……まぁ、別に良いです。人生だけはたっぷり余ってますし、お二人の寝床は私のミミック・ボーダーとなりますので、お話タイムは腐る程」

 

「ふぅーん……ミミック・ボーダーね―――これが?

 厳つい見た目にして、まぁ随分と可愛らしい名だけど?」

 

 如何見ても大型装甲車にしか見えない戦闘用車両。現形態は砲台は付いてないので戦車モードではないが、機関銃座と榴弾砲座が屋根に付き、側面はセントリーガンが装備され、都市戦闘区域にそのまま突っ込んで街を占拠しそうな威圧感。機動力を重視し、六輪駆動のモンスターエンジンは過剰重量だろうと問題はない。

 外装変形機能と霊体転換型銃火器。魔術式シェイプシフターと称する錬金術式の魔術礼装。聖杯を単純魔力炉心として搭載し、改竄したペーパームーンによる虚数空間潜行能力。

 それは盾騎士が生まれたカルデアにて、レイシフトの代用品となる人理兵器。

 星見王を名乗る狂学術者オルガマリーが開発した人理最高峰の時空間旅行舟。

 魔女の狩人は、学術者として極めた瞳による啓蒙的観測力により、この車の本質を既に見抜いた後であった。

 

「とある異界在住の堕ち神を数匹素材に使ってまして、それが現代文明だとそんな名前が相応しい魔物でした。その御蔭か、中は広い造りになってます。

 生活空間はベットスペース以外にもキッチン、バス、トイレもあります。これ即ち、私が趣味で改造したキャンピング・ボーダーにしてミニ・ボーダーです」

 

「それでこんな無駄多機能に……おい。まさか、サウナまでは付いてませんよね?」

 

「そこまでは。けれど、テントサウナは仕舞ってありますよ。カルデアでキャンプ好きな人がいまして、話を聞いていましたから」

 

「普通にこれ、貴様の家ではないか?」

 

「はい。時間を無視して世界をドリフト移動しつつ、もう千年以上は暮らしてますよ。それはもう、マイハウスのリフォームが趣味になる時期もありますとも。

 気が付けば、魔力リソースの聖杯も溜まってしまいました。

 何だかんだで神殺しにより簒奪した神核の有効利用に聖杯転換もしておりますし、趣味に走っても十分な資源は蒐集済みですとも」

 

「え、本当にカルデアのマシュ・キリエライトさん?

 頭、寄生虫キメ過ぎて狂ってんじゃない?」

 

「成る程。クリスマスで幼女になってガチサンタになる貴女からすれば、私程度の娯楽レベルは鼻で笑えてしまいますね」

 

「正論パンチ、マジ痛いんだけど……?」

 

「それが死因の陰陽師もいるのですから、人格を玩弄したいからと過去を掘り返すのは止めましょう。獣の所業と変わりないです」

 

「今度は実例を交えた道徳パンチ。気を付けます」

 

「こちらこそ、すみません。とは言え、コミュニケーションは相手の土台となる底辺部分からの理解が大切です。何を怒りに感じるのか、何を悲しく思うのか……そう言うのを知るのが、大切です」

 

「それで自前豆焙煎珈琲と日本魔牛の焼き肉か。腹を割る会話をするには、貴様の手段は実に合理的なコミュ強よ。

 モグ……もぐもぐ、美味いな。モグモグ、もぐり。

 のぅキリエライト、臓物肉はないか? 余はゲテモノも好きでな……」

 

「あります。心臓(ハツ)肝臓(レバー)、カットしますね」

 

「あ、それ、私もお願いします。それと盾女、知ってますか?

 カルデア食堂でも人気だったカルビって、実はバラ肉に脂が付いていれば良くて、肋骨周辺の腹全体でカルビって言う正確な部位は牛ちゃんに無いのよ」

 

「……ッ――――!?」

 

「ふ。あぁ神よ、焼き肉マンガを描く為に覚えた知識でマウントが取れました。エーメン、もぐもぐもぐ……あら、美味いじゃない」

 

「ありがとうございます。お二人はホームズさんから教わった特製漢方調剤のコーラ、飲みます?

 珈琲で身も温まったでしょうし。やっぱり脂と疲れをサッパリさせる炭酸薬ドリンクが一番……そうは思いませんか?」

 

「飲む。ホームズ直伝ってのが良く効きそうな感じだわ」

 

 暗い瞳で優しく盾騎士は貌を笑みの形に歪め、念力でも使っているように漢方コーラを何処からか浮遊させて取り出し、魔女に渡した新しいコップに注ぐ。

 しゅわしゅわ、と炭酸が鳴る音。気泡が弾け、薬味的香りが漂った。

 それを飲めば確かに魔女は口内の脂が流れて、喉から臓器に落ちて体内に吸収されると脳が目覚めるように疲れを癒す。

 

「―――おい、これ……このコーラさ、アレでしょ?」

 

「心配しないで下さい。薬効だけを再現し、副作用はありませんので」

 

「じゃ、良っか!」

 

 この盾騎士、薬物で洗脳する気だと暗帝は気が付くも、美味いと言う味覚を愉しめるなら構わないかとそのまま飲み喰いを平気で続けた。何せ、その盾騎士が一番酔っていた。

 

 

 

――――<◎>――――

 

 

 

 山高く聳える葦名城から下った先の隠れ里、水生村。反対方向には平田屋敷があった観光地、平田電波塔。葦名城のある山から谷を挟み、更に高くの山へと登る先、隔絶された桜の元凶たる源の宮。そんな恐ろしき二つの山の麓から平地へと、近代葦名市の街並みは築かれている。つまり現在、市民の生活の基盤は平地の葦名都市部となる。

 そんな鬼も哭き死ぬ葦名街。整備された市内地下水路の更なる深淵部。底の底にある其処。汚物の掃き溜めにして、地上から逃げたホームレスの流れ着く地下。

 名を地下街――病み村。闇底の深淵部にある異空間。

 とある異界にある村を模倣された場所。それは嘗て火の時代、その王城と王都、そして城下不死街の排水が流れ落ちる下水路の先にあった汚物と汚濁が溜まる村だった。底には下水が最後に辿り着く糞尿の地下大沼があり、葦名もまた同じ作り方をされた人間と汚泥の溜まり場があった。とは言え、街作りをした不死街の人間より悪辣ではない。あの街は魔女が住まう地下都イザリスと、古い時代が残る灰の湖の入り口に通じる地下空間を、人間が生活で生み出す排泄物で満たしていた。

 そんな葦名で出た排水が、最後に落ち溜まる糞沼の上に築かれた汚臭と死臭の集落区画。沼の泥は猛毒の肥やしへと熟成され、人間が食べた人間だったソウルの混ざる汚濁の地獄。

 糞沼における最悪の毒性こそソレだ。人喰いにソウルごと食べられた人間が臓腑で消化され、肛門から排出された排泄物。同時に腐った人間の死体自体も溜まり、時間経過共に腐敗することでドロドロに熟れ蕩け、人間だった排泄物と混ざることで肥やしとなって沼地が出来上がる。

 獣の霧に汚染された人の魂―――ソウルが、死体と共に腐る成れ果て。

 そして、この葦名街の地下には当然ながら模倣された本来の病み村とは異なり、廃都にも灰の湖にも通じない葦名特異点における最下層。深い谷底の森林部にある水生村より更に下となり、都市開発された地下水路でもあったのだが、今はもう人間以外の生物も住み着くもう一つ汚濁の王国となっていた。

 

「じっくりことこと煮込んだ人間性(ヒューマニティ)スープ。

 ヒューマンスープをじっくりどろどろ腐らせた人間性スープ。

 臓腑の糞尿ごと全てを煮込んで腐った肥やし。糞になっても死ねずに魂が物質に囚われた人間の終わり。最初の火で温め、ちょっと深淵で冷やせばあら不思議、中身が少し湿った激毒猛毒の糞団子の出来上がり。肥やしパイの出来上がり。

 あぁ、不死の魂を腐死させる。湿る生糞の苗床。最初の火よ、温め給え。呪われた不死が更に呪われた呪われ人を枯らした灰にして、闇の刻印たる孔が穿たれた火の簒奪者。亡者にすらなれない我ら、人の落とし仔よ。

 所詮、此処は肥やしの底。糞溜まり。

 人の世は呪われ、だから人間性は呪いだった」

 

「凄い良い声で、また凄い歌を唄うのね」

 

「何だ、貴様か。月の狩人の落とし指。即ち、憐れなる指の狩人。両親に会いたいだけの憐れな少女の遺志の入れ物、肉細工の人形でしかない不出来な狩人姿の糞袋。

 貴様の造物主も此処に来たが、呪いの苗床に最悪だから最高だと我が汚物を喜んでおった」

 

 ぐちゃり、とユビの前で呪詛(ダング)が垂れた。拘束椅子に魔術的拘束をされた英霊のデーモンはソウルの業によって受肉され、デーモンと言う名の獣として生かされ、糞呪の苗床として生かされている。

 召喚された英霊の成れの果ての、そのまた成れの果て。英霊の魂から生まれたデモンズソウルである英霊のデーモンは、サーヴァントと同様に英霊の座とラインが繋がっている。獣の霧と言うソウルのエーテルから肉体も魂も作られており、本人ではなくとも本人と全く同じ人形として機能する。それが受肉したとなれば人間と同じであり―――呪いを臓腑に溜める、糞袋にもなった。

 そして、座と繋がるとは阿頼耶識とも繋がっている。その簒奪者は己がソウルの業により、人理が運営してきた人間のあらゆる悪性を、呪われた人間性として物質化したソウルを排出させる。無論、生きている故にデーモンは食事が可能であり、生理現象もまた人間と同様であり、糞尿が垂れ流れるのもまた当然。

 

「相変わらず、悪趣味。良き人々の残骸を、本当に糞袋として扱うのは……穢れが、過ぎると思う」

 

「いかんぞ。貴様等の愛用品の中でも、特注品の作り方に文句を言う等。況して、青ざめた血の苗床である狩人が呪いと闇の温床を嫌うのは本末転倒だ」

 

 糞好きな灰。闇髪灰眼の美女。美の女神以上に女神らしい人間性の美貌。流れ星のような神々しい瞳に、染みも皺もない真っ白な陶器の如き肌。赤薔薇を思わせる色合いの唇から漏れる吐息は、それこそ花の香りに等しい甘い蜜。もはや絶対黄金律としか呼べない各パーツで構成された貌の比率であり、芸術の神が何晩も思い悩んで作ったと思わせる傑作的顔面造形。微笑むだけで魂を支配し、人間は決して抗えない歓喜に汚染される存在感。

 火の簒奪者の一つ―――糞呪の簒奪者、ダング・パイ。

 葦名住まいの簒奪者にとって大人気の各種糞団子販売専門店を営む灰にして、その葦名にて史上最悪の呪いを生んだ邪悪なる穢れ灰である。また団子(パイ)作りの達人であり、名前にも採用した為、周りからは『パイ』と言う愛称で慕われている糞呪に塗れた忌まわしき呪われ人でもあった。

 

「人間性の、呪いの苗床……―――気持ち悪いね。

 ヤーナムの異常者(キグルイ)も似たようなことして、上位者の呪いを街に撒き散らしたけど……これ、話の忌みさに際限がない。まるで底のない奈落よ」

 

「無論だ。我ら簒奪者、太陽を喰らう人の暗い孔。即ち、ダークリングの呪い子。

 あぁそれと勘違いして貰いたくないが、肛門の暗喩ではないぞ。全く以って汚らわしいことだ。この人理世界においてインターネットなる文化を喜んだが、まさかそんな意味合いもあるとはな」

 

「けど、パイさんには暗喩じゃないと思う」

 

「ふははははははははは……確かに。うむ、正しき意見だ。

 我ら孔空く灰一同、人の暗い呪詛を捻り出す肛門であることを否定は出来んな。世界に不要な汚物が闇に蕩ける底無しの廃棄孔に等しいぞ」

 

 愉し気に微笑む糞呪(パイ)は正に美の化身。外側の人革だけは誰も彼もを魅了する過ぎた美麗であり、笑顔を作るだけで魅了の呪術が発動する領域のソウルである。だが中身は名前の通り、人間にとって最も穢れて悍ましい呪詛が溜まった簒奪者であるのだが。

 

「それと、インターネットで思い出したが……いやはや、この糞呪、ここまでの呪いの汚濁を人間から捻り出させる名案を一人では思いも付かないぞ。他の簒奪者にも相談したが、あやつらは我と同類故、大体の思考は似通ってしまう。

 だが、どうだ。見給えよ、ユビ。これが人類の叡智である。我ら灰とも似通ったサインによる平行世界執談を、この人理世界では共有するアイテムを持つ同士ならば何時でも何処でも全世界で行えるのだ。

 ……分かるか、この素晴しき狂気を。

 我は世界中のイカれた暇人共の発想力を利用出来る手段を得た。

 人間に対する悪意ある利用方法の数々、人理の人間共から拝見させて貰ったぞ。故、感謝しよう。これは君らが捻り出す糞呪の発想だとも。とは言え、だから獣をして醜く穢いと滅ぼされるのだろうが」

 

 ローマ帝国の拷問処刑。カトリックの魔女狩りと異端審問。中華による内乱殺戮史。アメリカの黒人ヘイトの人体実験。ロシアの強制収容所。ナチスによるユダヤ人虐殺。日本の丸太部隊。

 それら全てが、糞呪にとって人間性に満ち溢れる素晴らしき祝福にして宿業。人理に溜まる悪性情報を回収し、彼女はその人類史の記憶を貴んだ。

 汚れ一つ塗れず、真っ白で清潔な美しい手がユビの頬を撫でる。それは見た目に反する汚れ切った肥やしの邪悪。糞呪の実験対象はデーモンだけではなく、彼女が呪いを生み出す道具はありとあらゆる人類種である。老若男女関係無く、葦名市民は無論、亡者も悪魔憑きも、彼女に捕獲されると呪いを垂れ流す糞袋としてしか呼吸は許されない。これまた当然ながら仲間である簒奪者も対象物で幾人か捕獲されたが、現在はもう殺し返され、屈辱極まる報復を味合わされ、脱走を許して仕舞っている。余談だが、糞呪にその報復をした簒奪者は平然と糞団子を買いに今も普通に通っていた。

 そんな女が、指の狩人を苗床にしようと考えるのは自然。あらゆる他世界旅行の異界渡りを愉しむ旅卿の簒奪者に知識を啓蒙され、狭間の地やヤーナムと言った様々な異世界へ分身霊体を送る事に成功し、新たな知見を得てしまった彼女は、それによる呪いもまた混ざり、糞呪の苗床と言う暗い業を魂に宿すに至った。

 

「穢い手で触らないで……って、言いたいけど」

 

「安心し給え。しかと、我が魂は腐れ穢れた汚物だとも。まるで妖精や女神の如き美貌と美体を持つが……何、私は芸術の才能が多分に有ってな?

 無意味に(ツラ)が良いのは、女神の業たる生まれ変わりによるソウルの作り直しだ。その魂たる根本から外見が変わる為、科学と言う文明で例えれば、今の私は遺伝子レベルでの美人で在ると言う訳であり、偽物ではないが……まぁ、作り物ではある。

 清潔なのは、なんだ……アレだ。ほら、醜く汚い呪いを綺麗で真っ白い床に撒き散らす快感と言えば、狩人の貴様には通じるだろう」

 

「…………」

 

「成る程。理解は出来ぬと。君、友人にはなれんぞ」

 

「結構よ。貴女みたいな人、友達には要らない」

 

「そうか、残念である。では客人、如何程の糞団子を望むかね?」

 

「このソウル量で、何時ものくれるだけ」

 

「おぉ、何だ。珍しい。ソウルに付くこの残り香、我らの召喚者たる死灰のお遣いか。奴は纏め買いの常習故、この病み村には余り来ぬ」

 

「……死灰?」

 

「何だ、知らんのか。今は死灰の簒奪者、アッシュ・ワンと名乗っておる。

 ヤツは原罪の探求者を継いでおるが、そもそも各々のソウルに原罪探求を志すことが召喚される簒奪者の条件となる。その意味において、我もまた火の簒奪者として業を永劫に続ける原罪の探求者。その一つ。

 何よりこの葦名にはアン・ディール本人……正確に言えば、本人の魂が混ざる原罪の簒奪者が召喚されており、そちらが方がよりオリジナルに近いだろうしな」

 

「魂に由来する原罪の探求者……そう、そうなのね。だから、貴女達は永遠に救われない」

 

「此処に召喚される簒奪者と、そうではない簒奪者の違いだよ。召喚者である灰と同じ……己が魂を永遠に探求し続ける簒奪者だけが、此処にて新たな名と業を拝領する権利を得た。

 素晴しき哉―――人間性。

 長い時によって喪失した己が心を……糞呪を愉しむ生きた歓びを、また魂が肉の躯体を得ることで我は蘇った。器となるキリエライト素体による生身の感情と感動は、枯れたソウルを潤すオアシスであろう」

 

「そうなんだね」

 

「うむ、そうである。では、我がソウルの内側で準備は整った。手を出し給え、貴様のソウルに送ろう」

 

「わかった、パイさん」

 

 ユビは糞呪に掴まれた手から、ソウル化したアイテムが自分の中へ流れ込んでくるのを実感する。

 

「これにて貴様のソウルは糞に満ちた。御利用、感謝しよう。その呪いにて存分、この世を糞呪塗れにすると良い」

 

「そう言うの、言わないで欲しい」

 

「すまんな。人喰い豚に喰われて消化され、その糞になった貴様の遺志に対する配慮が足りんかったな」

 

「そう言う事、本当に言わないで」

 

「……―――ん。あぁ、気遣いか。思った事を正直に話すだけが、対話ではなかったな。

 確かに、真実だけでは人間性に傷が付く。感情を取り戻したとなれば、人間らしい思いやりもまた一興かもしれん」

 

「まぁ……別に、良いけど」

 

「ならば慰謝として、一つ世間話をしておく。深淵の簒奪者、マヌス……あの闇狂いが貴様を探していた。出会えば碌な目には会わんぞ」

 

「もう一週間前、異空間から伸びた手で拉致されたよ……」

 

「ほぉ……話が繋がった。それからアッシュ・ワンに助かられ、今はあの女の言う事を報酬として聞いているのだな」

 

「違う。指示に従うのは、彼女が魂を啓蒙する先生役をしてくれてるから。でも、助けてくれたのは事実」

 

「ではもう一つ、貴様に良い話を言っておこう。流血鴉が月の狩人を追っている。情報源に貴様は拷問されるやもしれん」

 

「それは、知らなかった……知りたくなかった。でも、何で?」

 

「ヤツが月の狩人を殺し、殺し返され、また殺し、殺し返され……で、また殺そうとしたら何処かに消えたとか。

 あれの落とし仔である貴様であれば、貴様本人が居場所を知らぬとも、その肉体を暴いて魂を剥き出しにし、縁を辿れば探し当てられるからだろうな」

 

「―――……あー……そのあれ、何だろう。如何足掻いても、絶望なのだけど」

 

「では、その時はこの糞団子を投げ給え。糞に塗れれば、殺意も薄れるかもしれん」

 

「逆に、挑発になりそう」

 

「仕方が無い。この店にアレが来た時、貴様からの伝言を言おう。ほら、拷問される前に言っておけば、出会って即座に戦闘とならないかもしれないぞ」

 

「ヤーナムに帰ってると思う」

 

「うむ。それを伝えておこう」

 

「お願い。じゃ、またね。パイさん」

 

「さらばだ、ユビ」

 

 帰り道。亡者の楽土である糞沼の病み村を出て、葦名下水路を進む。腐肉と糞尿から漂う腐臭と死臭。目玉模様の巨大蛙や、腐肉スライム、人喰い亡者や汚物に適応した奇形の悪魔憑きなど、理性のない魔物を斧と散弾銃で狩りながら指は地上へと登って行った。

 だが下水路を出た瞬間――月光の簒奪者が一人、何故か佇んでいた。

 あらゆる月光波の奔流を愛する灰の一つ。後ろに背負う蒼き月光の聖大剣が空間を歪み曲げる存在感を放ち、その本人もまた太陽の如き膨大な魂の気配を隠さない。

 

「ルドウイークさん……こんにちは」

 

「あぁ指の狩人、それは良い事だ。私のことをルドウイークと呼んで頂けるとはね」

 

「他の月光、私は知らないわ」

 

「新たなる月明かりを啓蒙され、とある聖剣の聖職者を葦名において肖る灰である故、疑念無い君の声は脳に優しい音になる。

 ―――ふむ。悪魔の月明かりも手に入れ、やはり素晴しかった。しかし、あの悪魔殺しの月光を得るにはまだ遠いな。

 ならば肉親だった神父の遺志を継ぎ、今は無き少女の遺志も継ぐ狩人なる眷属よ。どうかね、暗い闇に甘い命を偽る導きの太陽を欲するかね?」

 

「要らない。それで、なんで待伏せ?」

 

「悪魔殺しによる魔術教室が一時間後に始まる。君、愉しみにしていたが、予定はまだ聞いていなかったと思ってな。

 召喚者たる我らの灰が、あ”ッ……と凄い声を上げて思い出し、流血鴉(クロウ)と私とアン・ディールの四人で煙草を吸っていた時に言ったのだよ」

 

「あのアン・ディールさん……と?」

 

「そうだね。では君、宙を見上げてみなさい。対話を繰り返し、意見を積み重ね、その果てに得た火を簒奪した新たなる灰の世界。

 此処、葦名は―――人竜の巣。

 人を素材にして作られた人工飛竜と、人造古竜の楽園。彼は求め続けているのだ……原罪を克服すべき竜を、ね」

 

 葦名の山脈を住処にする原罪のアン・ディールの眷属たる竜族。彼はアッシュ・ワンと共同研究する狂神秘学者であり、既に葦名の上空は飛行性実験生物の縄張りとなっていた。街中で暴れる亡者やデーモン、悪魔憑きを食す為に降りて暴れることもあるのだが、葦名市民は既に野良猫と変わらない離し飼いの幻獣、あるいは野生神獣として受け入れている。

 

「本当、どうかしてる日常風景」

 

「デーモンよりかは良いだろう。

 あるいは、医療教会の生物兵器よりかも人道的だ。どちらも、元の素材に人間が使われているが」

 

 嘲る微笑みを彼が浮かべた直後、背負う月光剣が光り輝く。淡き蒼い後光が放たれ、まるで菩薩像のような神々しい姿となる。

 月光遣い(ルドウイーク)はそのまま後光の光源を抜剣しながら、上空目掛けて聖大剣に月光波を纏わせたまま振り下す。それはビル屋上から隠密落下奇襲を何故か行う奇形化亡者のアゴニスト異常症候群罹患者―――悪魔憑きを脳天から股下まで両断し、月光波の斬撃が肉体ごと魂を塵に還した。そして、マンホールからも飛び出た悪魔憑きには医療教会製の長銃を向け、銃弾によって頭部を破壊。そのまま倒れる敵へ月光剣を地面ごと突き刺し、月明かりのソウルが相手の魂を焼き尽くして灰燼とした。

 

「鉄砲、使い慣れたみたい。ヤーナムの狩人からしても、月光遣いのルドウイークさんは良い動きね」

 

「火薬で鉄粒を飛ばすクロスボウ、人理世界の銃火器か。私の世界における人間文明において、火薬兵器の進歩は余りなかったからね。これはとても新鮮であり、クロスボウと違って敵に対する衝撃力があって実に便利だ。挙げ句、医療教会の長銃は銃身を折り畳めば鈍器にもなり、クラブ代わりにも使える。

 私は実に幸運な灰だ。四つの月光を錬成炉に入れ、我が闇に収めた太陽を月を輝かせる大剣を作り、満足したが………ここ葦名にて我が月明かりは……まぁ、良いか。君に、白き竜の導きはまだ見えない事だ」

 

「とても気になる」

 

「私を狩り殺し、ソウルを得れば啓蒙されることだろう。叡智を欲するならば、我ら不死は力こそ全てだ。頭の良さなど、魂にソウルを焚べれば何処までも賢くなれる故に。

 ……では、直ぐ講義の時間となる。

 悪魔殺しの悪魔、ダイモンによる魔術教室は始業に厳しい。葦名大学を占拠した医療教会の特別神秘授業、今の君はどうしたいかね?」

 

「……行くわ」

 

「では、手を捕まり給え。我ら教会装束の者は人狩りで恨まれ、ソウルの罹患者に狙われ易い。空間転移で行くのが面倒ないだろう」

 

「うん……」

 

 移動には十秒も掛らない。講義開始の五分前、教室の扉はまだ閉まっておらず、悪魔の講義室には葦名に召喚されたほぼ全ての簒奪者が各々の椅子に座っている。皆は要人が齎した神秘であるソウルの業を愉しみに悪魔殺しが来るのを待っていた。

 その一席、灰が煙草を吸いながら暇そうに魔術書を読んでいた。タイトルは「魔術王以前の神代魔術に対する魔法魔術の歴史」と古代ヘブライ語で書かれており、恐らくは統一言語時代の魔術師が長生きし、真エーテルが枯渇する西暦時代に魔術世界が変換される前程度に書かれた本であろう。時計塔や彷徨海、アトラス院の何処においても貴重過ぎる概念的文化財であり、通常の魔術師ならば読んだ瞬間に脳が神秘に発狂してしまう程の叡智が込められていた。

 

「死灰の、それはどうしたのかね?」

 

「次に行う皆さんへの私の講義にて、この人理世界における魔術の授業をするのに必要な知識を脳へ入れてました。それと月光遣いさん。ユビを連れて来て貰い、とても感謝致します。

 しかし、その死灰と言う呼び名は慣れませんね。火の簒奪者を大量に呼び込んだ弊害で、呼び方が面倒になった所為ではありますが。とは言え、単なる灰に過ぎない私が死灰ですか?」

 

「全員、簒奪者だからな。それを言えば、君も含めて全ての簒奪者が月光遣いの名に相応しい使い手だよ」

 

「まぁ、良いですよ。加えて、縁として全員が自己の魂から原罪を見出す探求者でもありますからね。特別、別の名で区別しなければ、全員に差異などありませんしねぇ……ふふふ。

 とのことですみませんでしたね、ユビ。

 探求狂いな私からすれば、他人の所為で授業を聞けなかった事になれば、その者を百度殺しても足りず、また百度は殺してしまいます。」

 

「いえ、間に合ってるから良い。

 後、あの悪魔殺しさんがそろそろ―――」

 

「―――諸君、講義の時間だ」

 

 瞬間、空気が凍り付く。特に意味も無く呼吸を許さない程の絶望的圧迫感を放ち、且つ厳格過ぎて仁王像の如き存在感を纏う悪魔殺しが教壇に突如として現れていた。一番前に座って講義を聞く教区長ローレンスはその威容が直撃するのか背筋をピンと伸ばし、だが禍つ星のように瞳を輝かせて神秘の啓蒙を愉しみ過ぎ、血の涙さえ流していた。瞳が歓喜で震えてしまうのだろう。

 その隣に座る戦神の簒奪者(ネームレスキング)が気配りで小型の放つ回復の奇跡をデコピンで発射し、教区長の目を治癒。講義が始まっているので言葉は発しないが、教区長は戦神にL字ポーズで目礼を行い、戦神の方はY字ポーズで受け答えた。

 

「既に貴公らは殺し合うことでソウルを共有しているが、言葉で得る論理的思考は別である。まずは前回の続きより、前提の話をする。

 ソウルの業―――その根源、要人が古い獣の魂から引き出した有り得ざるエーテルだ。

 そもそも太源(マナ)小源(オド)に依存しない領域外の業。惑星より生まれる真エーテルとも乖離した高次元からの動力。高次元存在である魂を運営する為の異次元におけるエーテルであり、光波長や時空間は無論、宇宙領域外に存在する星幽界に干渉することも可能である。

 とは言え、我らがエーテルを使う術を得たのは此方の世界における神秘を学んでから。むしろ、この地球における魔術の方が大規模であり、神話が組み合わさり、複雑怪奇である。特に神代において、神とは根源接続者であり、それに連なる故に神代の魔術師は根源を動力源として神秘を行使することが出来ている。

 故に差異を見出す事で分かる特徴……そうだな。ソウルの業とは名の通り、魂のエーテル魔術である。その働きを見て貰う為、貴公らはまず魂の動きを己が魂で知覚し給え。よって見本として、今より動物実験を行う」

 

 そう言った悪魔は手に持つ袋を開け、そこから子猫の死体を取り出した。

 

「この猫は私が葦名生活で飼っている猫の一匹だが今朝、死んだ。遺伝疾患持ちであり、衰弱死した。ただの肉となり、命の気配はなく、魂もないことが貴公らは解ると思う。

 ではこれより蘇生するが、数秒で済むの良く見てい給え………―――ふむ、蘇生終わり。

 時間が逆行することでこの猫に命が戻り、更に外側から魂を肉体へ再び引っ張り込む現象を観測出来たと思う」

 

「にゃー、にゃー……ニャー―――」

 

 悪魔に懐いているのか、子猫は彼の指を舌で良く舐める。それを悪魔は全く気にせず、背中から鷲掴みにすると、その子猫をあっさりと虚空へと消し去った。恐らく子猫が住んでいる悪魔の自室へと空間を跳躍させて送ったのだろう。

 あの子猫は、遺伝子工学で作られた人工生物。生産過程で不具合があった不良品。人を慰めるだけの命に過ぎず、その存在理由も短命だから果たせない物。しかし、悪魔はだからこそ、廃棄されるその命を拾い、その寿命まで面倒を見て―――結果、講義演習の見世物として蘇らせる結論を得た。

 

「―――……人間に対するのも、ソウルの働かせ方はそう変わらん。

 重要なのは、他者の魂を感知する自分の魂を自覚する事だ。諸君らであれば、あの子猫の屍に子猫自身のソウルが帰還したことを理解出来たと思う。

 ソウルによる魂の召喚と送還。謂わば、輪廻と循環。まずはその事実を実感しなければならない。

 この世界の魔術師で言う神話に基づく魔術基盤。その概念こそ己が魂であり、魂から生まれる思考が魔術理論となるのが、ソウルの業と言うものだ。とは言え、その万能性は魂に関する事柄に限られるがな。

 何故ならば、我らの魂は根源には還れぬ。死ねぬ事実を認識することが重要だ。その上で自分自身で完結した永続的自己サイクルを繰り返す。

 そのような存在が魂で以って他者の魂に触れる事――それを、自在とする事。

 貴公らにとって、魂で触れ合うことなど容易い常識である故、その触れ方を知れば自ずと呪文を我流改竄することも簡単になることだろう。

 攻撃魔術も根底は同意だ。故に魂で魂を攻撃する意味を知れば、奇跡によるソウルの流れを知覚するのは容易く、魂で魂を癒す概念を解すればより良く魂を壊す術も見出せる。

 古い獣によるエーテルの神秘、ソウルの業とは全てが同じことである。

 話は戻るが、だからこそ己が魂が基盤となる。信仰による奇跡は物語でもあるので少し変わるが、重要なのは獣のエーテルを持つ魂が共通認識する"神”の業としてあれば、それはもう現実のエーテル法則であり、そう言う現象がそう起きるのが当たり前のソウル現象と化す。

 故、呪文さえ記憶すれば我らは魂で神秘を引き起こせる。何故なら、その時点で理解出来るからだ。

 だからこそ、既に皆に教えた蘇生の神秘を繰り返し見せた。ソウルをソウルの業として認識するだけに止まらず、人間の思考回路としてもエーテルの流れを魔術現象として解明すれば、その現象に自分の手を加える余分が啓蒙されよう。

 ……では諸君、机上の杖を手にし給え。

 ソウルの矢を使えると思うが、それを思念誘導で常に杖先で回転させ続けてみよう。序でに、ソウル本来の青色からも色合いを変えてみよう。

 気持ち的に、びゅーんひょいっと言う雰囲気で頑張るのだぞ。それが出来れば自らのソウルで以って魔力に干渉し、この世界における神秘を悪用する手段を見出せる。魔術回路とソウルを合理的、且つ効果的に併用するにはソウルの業を自由自在にするのが手っ取り早い」

 

 魂で魂を攻撃するのが基本の為、魔術協会の魔術師にとって火の簒奪者が使うソウルの矢とはそれ自体が死の概念に等しい神秘。肉体の破損は物の序でであり、何気ない攻撃魔術が命ごと魂を削り取るなど悪夢だろう。そんな神秘が講義室で生徒たちの頭上をグルグルと回転している光景など、見る者が見れば啓蒙直後に発狂死は確定だ。

 

「同時に、違う呪文だとその魔術は違う理論で運営されている。魔術の呪文や奇跡の聖句には、それを作った者のソウルが宿っているからな。訓練すれば、ソウルの矢で浮遊するソウルの矢の真似事は出来るとは言え、その理論はまた異なるので気を付けよ。無論、それ用に特化した呪文の方が有能なのは当然だ。それを解すれば、奇跡による光矢をソウルの矢のように飛ばすことも可能だろう。

 魔術の奇跡化、あるいは奇跡の魔術化だな。

 その転換を上手く思考可能となれば、より深いソウルの業を己が魂が自身へと啓蒙する」

 

 悪魔の講義は短く、且つ相手に能力がある事が前提の話。一時間もすれば今日の分の話は終わり、次回の講義は悪魔が新しいソウルの業の観点を思い付くか、あるいは話をする程の利益を葦名の地で得るまで行われないだろう。

 暇潰しで始めた灰唯一人への講義だったが、気が付けばこの騒ぎ。しかし、悪魔は自分の脳内で腐らせるだけの論理を話すことを存外に愉しむ自分に気付き、今は趣味の一つになっていた。とは言え、日々毎日殺し合うことで既に全員が魂を奪い合い、互いの魂が持つ神秘に隠し事など不可能なので、講師と学徒に単純な能力差などなく、講義と言っても考え方を教える魔術教室に過ぎない。つまるところ本当の意味での授業であった。

 よって講義後に悪魔へと質問をする学徒は皆無。授業内容を聞いて疑問など湧かず、理解不足による疑念も有り得ない。なので悪魔は珍しく、と言うより初めて質問者が来た事に喜んだ。尤もその質問内容は、授業に全く関係なかったが。

 

「悪魔殺しさんって……その、猫さん好きなのね?」

 

「小さいのはな。大きいのは車輪骸骨の如きローリングアタックをするので、殺すべき獲物としてなら好きである。尤も、小さいものを可愛いと思う今のこの感情も、灰が私に啓蒙した人間性による自発的感動に過ぎん。言うなれば、好きになりたいと思えば好き勝手に愛着を抱ける。

 そう言う意味においてならば、貴公もまた同じことだろう?」

 

「そうだけど……何だか、女の子っぽい趣味でしょう?」

 

「成る程。私は単純、癒しと言う感動を再び人間として実感してみたく、実験的に飼っているだけだ。結果、癒させるべき心がないことを再認識しただけだったがな。

 灰共の人間性はやはりいかん。闇より自分を自由に好きに出来るからと、死んだ心が蘇ったような偽りを錯覚する。命も魂も蘇生出来るとは言え……所詮は悪魔、喪った嘗ての人間性は二度と戻らぬのだろう」

 

「じゃあ嫌いなの、猫さん?」

 

「嫌いにもなれるぞ。命が多過ぎるのは不利益で気色悪いと、専用施設を作って屠殺するのもまた人間性だ」

 

「そう考えると、人も獣だよね……」

 

「そうだな。悪魔も灰も、心が枯れただけの獣に過ぎんよ。無論、血に酔えなくなった狩人もな。

 しかし……うむ、とは言え動物好きの輩か。ハベル・ザ・ロックが確か、葦名幕府創立三百年記念国立葦名動物園に入り浸っているな」

 

「はべる・ざ・ろっく……?」

 

「ハベル・ザ・ロックだ。岩のような簒奪者だよ。渾名だがな。名は巌躰の簒奪者、ロックである。

 見た目は岩鎧を着込んだ男……いや、女かもしれぬが、まぁそいつだ。通りすがりの闇霊魔術師に魔術で殺され過ぎ、よって魔術嫌いが過ぎ、あぁなったと聞いている。同時に魔術の創造主であるドラゴンに対する竜嫌いの反動か、竜以外の動物を愛でるのだが、命に触れると脳筋過ぎて挽肉にしてしまう難点がある」

 

「まさか、あの……アシナニンジャよりアクロバティックに動く、あの?」

 

「あの、だ。気が付くと、背後から尻に特大武器をフルスイングする類の灰だ」

 

「簒奪者さんたちから先輩って呼ばれてる、災厄なる黒き森番の人と同じ?」

 

「森番の技巧は最上級だ。簒奪者共の技巧は全員が同等だが、各個人で僅かながらの差異はある。その極小の差を比較すればだ、ハベル・ザ・ロックは森番に匹敵しよう。

 ―――さて、話を猫に戻そう。

 貴公、獣を飼いたいのであれば獣飼を訪ねると良い。奴は野生動物の保護にも熱心な変わり者。特に葦名の猿は良いぞ。その簒奪者が芸を仕込み、葦名無心流を扱う二刀流の白猿軍団が作られている」

 

「あの猿さんたち、人間より芸達者よ。絶対、獣じゃないわ。

 でも、それなら納得できるかも。猫さん、一度は飼って見たかったの。お父さんは獣絶対狩り神父さんだったので、飼いたいとは言えなかったけど……」

 

「そうか。大事にしないと、動物は直ぐ死ぬので気を付け給え。そもそも私の場合、その場にいるだけで魂が弱い魂を圧迫し、寿命を削り取る。貴公も同様、その場にいるだけで精神を血と瞳で狂わせることになろう。

 蘇生の魔術を学べば、トライ&エラーで正解を探れるがな」

 

「嘘……猫さん、飼えないの?」

 

「飼えるぞ。己が、命を愉しむだけと割り切ればな」

 

「止める。残念ね」

 

「それが良い。愉しめないのならな……尤も今の葦名にて飼われる以外、愛玩動物に未来など皆無である。

 カルデアの連中がこの特異点を鏖殺するまでの寿命が保たれるとなれば、それは天寿を全うしたと言える話であろう」

 

「そうだけど……いえ、でもそうかもね。飼うわ、やっぱり」

 

「それも良い。愉しみたいと、割り切れたようだ」

 

 悪魔殺しの悪魔は、悪魔らしく笑みを浮かべる。生命倫理の問答は、悩める者が貴ければ美しい答えになる。善で在れ、悪で在れ、健常で在れ、狂気で在れ、悪魔は何も否定しない。魂から生み出るのならば、病める膿だろうと祝福する。無論、清らかな光だろうと変わらない。

 きっと、その為に作られた眷属(ドール)なのだろうと。

 月の狩人(ケレブルム)の思惑を投射(トレース)した悪魔殺し(ダイモン)は、少女(ユビ)が狩人として奪う命の重みを知る事が大切なのだと理解している。

 人間が何の為に命を愛でるのか―――その娯楽が続く意味を、悪魔は魂で分かっている。

 それを実感しなくては、狩りを狩りとして愉しめる狩人にはなれない。上位者の血に縛られる眷属から、何にでも成り果てる人間に進化することは出来ない。

 何であれ、だから子供は美しいと悪魔は思う。猫をペットに欲しがる少女の頭を、神話の天使や悪魔からして"悪魔”でしかない魂の存在感を隠さず、彼はまるで人の親のように優しく撫でた。

 

 

 

 

――――<◎>――――

 

 

 

 寒い荒野。満点の夜空と、夜なのに浮かぶ黒い太陽。そして、明るい黄金の満月。その月は明らかに大きく、地球から眺める衛星ではなく、宙と言う葦名特異点のテクスチャに浮かぶ月ならざる月である。

 しかし、今は如何でも良い。問題にはならない。

 ローマ特異点で神祖を狩った事で、所長が持つ思考の瞳がより高い階位へ進化した。何の枷もなく高次元暗黒を覗く望遠鏡となり、見てはならない全てを見ることだ。そして、知るべきことも知らないでいるべきも知り、真実を正しく認識する瞳に目覚める。更に太陽として浮かぶ最初の火を啓蒙された事を最初の切っ掛けに、自分自身についても全てを明らかにしていた。

 

「はぁ……」

 

 そんな事を思い煩いながら、木の枝を焚火に入れる。

 無知とは罪。だが無知が罪だと知ることが罰である。

 絶対に何かしら細工を脳に施されていると分かりながら、突き進んだ結果がこの始末。

 己が無能さと無知さを克服する為、脳を進化させる為の学術を探求し、枷を破壊した。

 パチパチと、枯木が火の熱で弾ける音だけが寒い荒野で鳴る。所長は座り込み、その焔を見ながら自分に無意味な自問自答を繰り返す。しかし、学術者にとっての探求とは己が脳から瞳を探る試み。狩人も同じく、自分が瞳より脳へ吸い込んだ遺志を自らの夢に還す故、自分自身への確かな自己認識が自我を強烈に保つ。

 自分で、自分を観測する繰り返し。悪夢に生きる狩人は、だから現実で死に絶えない。夢から自分を認識する限り、意識が途絶えることは有り得ない。

 

「……星見、ねぇ」

 

 全ての人類の魂と惑星の魂を、灰と悪魔が狩ろうとする古い獣から護る為の旅路だった。人理焼却を途中で離脱し、何もかもを自分の半身だと感じられるからこそカルデア所長として任せた。信じられるから、彼を人類最後のマスターとし、彼女を人類最後のマスターを支えるサーヴァントとし、男を所長代理に任命した。

 ―――本当に?

 だが既にその疑念は晴れた。思い浮かんだ瞬間、己が瞳が曇る脳を啓蒙した。

 灰は惑星を焼く火を得ていなかったから、カルデアとカルデアスを如何こうしようとは思っていなかった。どうしようもなく、所長がビーストの資格を得る程の人間性を与えたのもそれが理由の一つだろう。

 

〝ヴォーダイムとヴォイドめ。言えば、灰を諭してカルデアスなど最初の火で燃やしていたのに。あれが無ければ、レフが人理焼却のスイッチにもならなかったけど。

 あぁでも、最初の火を古い獣を焼ける程……惑星を焼ける程の火にするには、フランス特異点とローマ特異点で行った災厄の蛮行を現実の汎人類史で行わないといけない。上手く生死の天秤を操らないと、我々の汎人類史が剪定事象の平行世界のルートに脱落する。

 それを阻止するなら、糞親父の理念を潰す私なりの汎人類史保証をしないといけない。そうなれば月の狩人の最初の思惑通り、マリスビリーのカルデアによる悪夢から地球と人類の見る夢である人理は救われる。

 結果的に、月の狩人は正しかった。私の瞳を曇らせることで、獣からも星からも汎人類史の夢は守られる。

 火の無い灰は一度の間違いもしなかった。人間性を私に与えることは、瞳を曇らせる枷を破壊する神秘となり、獣性を得る切っ掛けとなり、こうして葦名にて真実が啓蒙される。特異点における蛮行は、この宇宙全ての魂を古い獣から守る力となり、惑星の魂を焼き払う最初の火はカルデアスと言う“ソウル”をも灰にして白紙にすることだ”

 

 再編された第二人格。自分が自分で在る為、改竄された記憶。星見の狩人、オルガマリーはカルデアの所長として基地に来た時、啓蒙されたことで父親の遺志から知識が啓蒙された。

 何を考えて、カルデアを作ったのか。

 何の為の人理保証であったのか。

 何を遺産として託されてしまったのか。

 むしろ、素晴しき啓蒙対象であった。愚かな好奇を抑えられる様な賢者ではなく、狩人である所長にとってカルデアは愉しい遊び場だった。それこそ愛着が湧き始め、従業員やマスターたちとの交流に熱を帯びる程。カルデアスの真実を知った時も、そんな驚きはなかった。所詮は魔術師の魔術工房、出来てしま得るから出来ることで神秘探求を行った出来事だ。

 とは言え、最初の火を啓蒙された今であれば、危機感は然程ない。特異点の惨劇を経て進化した灰がその気になれば、惑星ごと世界の運命など如何とでも力尽くで破壊可能。

 いざと言う場面、灰が間違いだと判断すれば、人類史はあっさり救われる事だろうと―――所長は、分かり易い未来を啓蒙されている。とは言え、それは最後の最期のセーフティ装置。抗う者全てが消え去った後のことであり、灰は止めを刺して違う平行世界に行くのだろう。

 

〝まぁ、私が所長になった時には何もかもが手遅れだったし。月の狩人が私に付けた脳への枷を破壊出来るようになって、カルデアの真実を正しく認識出来るようになった後だと、人理焼却が起きて更に手遅れだったもの。

 どうしたものか……―――はぁ、神祖ロムルスに申し訳ないわ。

 彼を殺したのは我が師なのに、我が師の束縛を砕ける程の神秘はロムルスの遺志を得た影響だなんて”

 

 己が霊体に寄生する脳のサーヴァント。フォーリナー、月の狩人。カルデアの特異点巡りから外れた後になって、所長は自分のサーヴァントであるフォーリナーからの呪縛を打ち破るも、今はもう意味が無かった。

 脳の枷―――記録封印と認識改竄。

 それを打ち破れたのはロムルスの御蔭でもあるが、葦名特異点による影響も多分に大きい。この地は古い獣のソウルである濃霧に満ち、所長からすれば空気が常に神秘に満ち溢れた世界であり、脳が常時活性化し、啓蒙の感度が凄まじい鋭さを持つ。即ち、進化し続ける脳細胞であり、思考の瞳も同じく古い上位者に匹敵する領域にまで成長する。月の狩人には届かなくとも、それに僅かでにも対抗可能な瞳を、ロムルスの遺志を得た脳が進化するのだろう。

 

〝いや、どうせアッシュ・ワンのこと。全部、知った上で分かって私を此処に呼んだ。そんな可能性もあるけど、偶然でもある可能性もある。

 あいつ、天才と天然が混ざってる上で、馬鹿げた運命力を持つから始末に負えないのよ。

 何でこうも灰に都合が良い方に転がるんだか……いや、それも必然か。人理保証以前に、この宇宙の魂を根源到達で全て喰らい尽くす古い獣から護ってんだから、そりゃ誰だってアイツの味方よね。魂がなければ、この宇宙を観測する知性が根源から流れ落ちなくなるのだし、そんな化け物を放置したとなればあらゆる宇宙の魂から人類史が否定されるでしょう。

 外宇宙の化け物だって、突っ込みどころ満載なのが古い獣。

 宇宙生まれの邪神連中にとっての劇物でもあるし、人間だけが行える役目でもある”

 

 カルデアに帰り、カルデアスを如何こうするのは古い獣狩りを為した後。正しい認識、確かな記録を取り戻したオルガマリー所長に迷いはなく、星見の狩人としても狩るべき獣を見抜いている。

 問題なのは月の狩人が何故、オルガマリーの思考を制限していたのか。

 答えは単純、カルデアの技術とカルデアスが必要だと考えていたから。

 自分が狩人化したのも偶然ではなく、必然だったとも理解した所長にとって、己が師である月の狩人も狩るべき上位者になったのだと完全に覚悟を決め込んだ。

 

〝だと言うのに、月の狩人も火の無い灰も―――ヒトに善い人間だ。

 根本的に、人類全体への善行が、己にとっても利益として矛盾なく世界を救う理想的な不死の体現。つまるところ、幼年期を過ぎた人類種の完成した姿の一つ。その過程における悪行が、抑止力からも看過されるように全てが共和されている。

 私本来の理念が汎人類史になることも、今よりまだマシとは。本当、救われない。だってあれ、カルデアスを不要とする我がカルデアが直接的に人理未来保証をする闘争の企業間戦争経済よ。文明進化と技術発展の為に子会社の軍事企業を殺し合わせ、汎人類史が惑星の魂が人と共に見る人理から脱し、人類だけが夢見る人理を始める為の宇宙進出を完璧とする殺戮史よ。

 だから真実が啓蒙された瞬間、本当は力技で虚数空間の神殿に単身で殴り込み、第一の獣を直ぐにでも狩って良かった。その後、灰を説得して古い獣狩りの途中だろうとカルデアスを焼かせても良かった。あの女は私とカルデアで対応出来る人類の危機だから、ゲーティアによる人理焼却もカルデアスによる人理編纂も任せているだけで、出来ないと頼めば直ぐに応じてくれるでしょう。

 そもそも、私が救う必要などないしね。誰が救っても良い。

 なのに何故、こうも古い獣狩りに執着してしまうのか……オルガマリー・アニムスフィア、もう分かっても良い筈”

 

 星見の狩人は、自分と言う擬人格(インサイト)を夢見る本人格(エコー)に問い掛ける。だが夢見ている故、第一人格は眠っている儘。焚火を前にした脳内での自問自答も価値はない。

 獣は狩れば良い。そう在れば、星見の狩人はオリジナルが与えた狩りの存在意義を果たせる。

 しかし、そう在るだけでもはや満足出来る意志ではない。灰による人間性は獣の資格を与えたが、それは人間ならば誰しもが持つ癌因子に過ぎない。人の心とは、導きの淡い光筋を幻視させる事もある。先の見えない未来に、希望と言う幻想を見出す夢見もまた人の強さであろう。

 

「君が幻視に魅入られるとは、珍しいね」

 

「―――……月の狩人。でも貴方が、どうして葦名に」

 

「夢見る者がいる次元に、我らは例外なく偏在するのさ」

 

 美しい造形の人形に押され、車椅子に乗る狩人は所長の隣にある空間から現れた。魔力の反応は一切無く、空間転移の反応もない。幻覚が唐突に物質となったような違和感に溢れる顕現だ。

 

「うむ。簒奪者のソウルと化す神祖ロムルスを狩れば、私の幻視を見破る瞳に進化する。君、随分と成長して喜ばしい。

 カルデアの所長が委任と共に即座、カルデア狩りを始めては虚しいからね。

 そもそも私が君の脳に召喚された時にて、事態は手遅れ。灰による人間性を得て、そのまま所長として本人格の遺志である君は成長するのが良かったと思う。それにマリスビリーの目的をある程度は悟れてもいただろうが、夢見る狩人は愚かな好奇に逆らえない。

 いや、愚かでなければ叡智の学びを得られない。聡いことが幸福とは限らない。星に浪漫を見出したのならば、君の獣性もきっと浪漫と呼べるこどだろう。

 ―――宇宙は空にある。それだけだ。

 灰が惑星の魂をも灰に還す様、我ら悪夢もまた星の精神を悪夢に落とす。

 何、安心し給え。必ず、最後は成功に辿り着く。歩みたい過程を願う儘、思う儘、好きに選ぶのさ。失敗してもやり直せるのが我ら不死、最大の利点である」

 

「初めて、貴方を殺してやりたいと思う」

 

「善い意志だ。それは、我が遺志より全ての事実が啓蒙される確かな途さ」

 

「で、何の為よ?」

 

「人理とは、母たる星と子たる人が夢見る未来への航海図。夢の狩人である私が文明の到達を見届けたいと思うのは、間違っているかな?」

 

「間違ってないです。けれど、それが一番じゃない」

 

「そうだね。であれば、人理改竄が可能になるまで君の成長を許さないだろう。他人が描いた壮大で綺麗な芸術作品に、それを愉しむ見物人である私が自分の手を加える必要がない。如何なる大義名分も芸を汚す理由にならない。

 灰と似たような動機だ。あれが今より強い魂を目指す様、私は今より脳が賢くなりたいだけでね。謂わば、自己進化の為である。結果、その探求が人類史への利益にも繋がっているだけだ。

 人の為だけに、私は誰も狩り殺さない。あの灰も、自分以外を理由に誰かの魂を奪い殺さない。

 とは言え、君が求めるのはそんな当たり前な根本ではない。私が行う自己還元の為の狩りの手段であり、それがどのように人類が夢見る人理にも還元されるのかと言う絡繰だね?」

 

「貴方はそもそも、上位者の悪夢が人理を汚染するのを今も阻止してる防人じゃない。人類史のテクスチャなんて意味がないあいつらが溢れ出れば、その時点で人理焼却より救いがない悪夢になる。永遠に人は悪夢に囚われて、メンシス学派が望む全人類の上位者への進化が、人から赤子を求めるあの上位者らの思索によって最後は行われる。ある意味、月の魔物がヤーナムに悪夢を抑え込んでいたし、その遺志を継ぐ狩人の上位者も同じ業を継ぐ。漏れ出れば最後、人間の血に見えざるオドンが拡大して、人は自らが神と呼ぶ上位存在たる悪夢の一部になる。挙げ句、人間を得た上位者はやがて悪夢の空から宇宙に旅立ち、異星文明まで長い時間を経て悪夢へと侵食する。

 それ以上、何を人なんかに与えるの?

 所詮、上位者の血液汚染がなくとも獣へと自ら堕落する知性体なのに?」

 

「君は得るべきだと思ったのさ。悪魔殺しのデモンズソウル、火の無い灰のダークソウル、褪せ人のエルデンリングを。

 皆を須く狩れば、君は彼らに流れる血の遺志から全ての業を啓蒙されることだ」

 

「貴方がまず、為せば良いでしょう?」

 

「既に得ているさ。故、ヤーナムの悪夢はより深まった。繰り返しは円盤から螺旋となり、同じ夜が変異を起こす善い宵となる」

 

「……そう。不幸せなことね。でも悪夢の奈落に落ちている事に、住民が気が付けないのは幸運かも」

 

「しかし、必要なことだ。君が私の思索を暴く為にも、現段階の思考の瞳では思考の次元が低いのだ」

 

「そうですか。結局、自由意志で決めて良いってこと。好きにして良いなら、今まで通り今の私の視座から好きにさせて貰います」

 

「君の思索は、君だけの思索だとも。私は情報を制限するが、それを暴くことが君の進化に繋がろう。

 私の思索の為にも、君は大いなる悪夢に浮かぶ高次元暗黒をより深く、より高く、そしてより狂おしく脳へ啓蒙し給え」

 

「そして、貴方の思索も私が瞳を為す為の糧になる……って?」

 

「肯定だ。互いに狩人は夢で繋がり合う隣人。脳と脳で導き合い、遺志を貪り合うのが運命さ。その為、まずは灰共の戦技の忍びの業を触りに会得せよ。ソウルを血より解せれば、その神秘も得られる。特に、星の業である褪せ人の重力魔術は素晴しいからね。

 ―――うむ。葦名での用は君との邂逅で済んだ。

 狩人たる我が故郷、ヤーナムの悪夢に私は帰ろうと思うが……ふむ。君、何か疑念はあるかね?」

 

「有るけど……何だか、違和感だけ。その違和感を意志に出来そうにないの」

 

「成る程。疑問にならざる疑念と言う訳だ。それ、得難い思索への道である。大切にし給えよ。君にとって、きっと良き悪意になる答えへの方程式になろう。

 故、助言を一つ。指の幼子に気を付け給え。

 狩人の罪こそ我らを救う罰となる。唯の人として救われた幻視した時、その錯覚が心を折る獣の形を取るだろう」

 

「怖いわね。月の狩人がそう言うのなら、そうなのでしょう」

 

「あぁ、そうだとも。そして、最後にこれを伝えなければならない。

 私は月の狩人―――ケレブルム。

 夢の中にて、固有の名を魔術師に頂いた。素晴しき事だった。

 星見の狩人、オルガマリー・アニムスフィアよ。我が弟子、我が希望よ、どうか拝領した我が名を覚えて欲しい」

 

「ケレブルム……―――うん、覚えました」

 

「良かった。君にだけは、我が心ながら不思議と自慢したくてね。親から拝した君の名も素晴しいが、負けず劣らず私の名も善い響きだと思うだよ」

 

「良いんじゃない。ヨーロッパの史学に古代ラテン語は必須だから、その名もビルゲンワースらしいと思うわ」

 

「全くだ。君の名も、魔術師が神話から意味を込めた美しい言葉だからね」

 

「今となっては冒涜的だけど……うん。それを誇れる程の叡智は欲しいと思います」

 

 何故か、二人以外に命の気配がない荒野の夜。車椅子の取っ手を持つ人形は生命無き人形に徹し、虫の気配も、空気が動く風の気配も皆無な静寂。焚火が枯木の枝を焼く音だけがパチパチとなるだけ。それは傍にいる筈の忍びの気配さえも所長は感じられないと言う事実。

 最後になり、夢見心地に火を見ていたのが夢だったからと気が付いた。

 焚火を見ながら居眠りをしてしまった所長の脳内にて、狩人と人形は夢見る彼女の瞳に映る幻像であった。

 

「ではさらばだ、我が弟子よ。この特異点、達者に狩り尽くし給え」

 

「さようら、我が師。貴方の導きが偽りの光でないことを祈ります」

 

 転寝(うたたね)から醒めるのを実感する。直ぐ傍に忍びの気配があることを感じ取る。眼前の狩人と人形の姿がぼやけて消えていき、彼女が瞬きを夢の中でした直後、目の前には現実の荒野が広がっていた。

 

「主殿、良く眠れた様で」

 

「それはもう、グッスリね。良い目覚めだわ……空が綺麗だと、特に」

 

 夜はもう終わり、時は曙。朝焼けの空が広がる葦名特異点。黒い太陽ではない日が地平線から登り出し、焚火の炎はもう消えていた。

 

 

 

――――<◆>――――

 

 

 

 ボーレタリアの地域一帯で生える月草類。悪魔発案のその加工品、ムーングラス薬。草を齧り、苦味と共に生命を癒すのでは味気無い。悪魔は各種月草を自分の魂内に建てた楔の神殿(ネクサス)でハーブの自家栽培をしているが、葦名では普通に菜園で育てており、その薬草を使った新しい回復手段を編み出そうと思考錯誤し、その月草の霊薬瓶を作り出した。

 あるいは、啓蒙的発想から考えた神秘薬か。ソウルの業によって月草のデモンズソウルを生み出し、神秘薬の霊液を浸し、その効果を持つ回復液を溜める瓶として創造するに至った。

 数多の神秘が蔓延る葦名にて悪魔は、エスト瓶も、傷薬瓢箪も、輸血液も手に入れている。月草以外の回復手段は多くあり、そもそも奇跡で充分でもあった。しかし、オリジナル性のある自動補充効果を持つアイテムが欲しいのも事実。結果、ムーングラス薬を自動的に貯蔵する薬液瓶を完成させた訳だった。

 

〝―――……まぁ、ソウルの業で真似たエスト瓶で充分か”

 

 脳内であっさり合理的正解を思いつつ、それはそれとして趣味となってしまった家庭菜園の作業を続ける。土弄りは心が洗われ、自身のソウルを写す鏡となって月草は成長する。当然と言えば当然、悪魔は愛用の全身騎士甲冑の儘であり、その格好でハーブ作りの農作業に没頭している。

 

「~~~~、~~……―――」

 

 子供らが医療教会の孤児院で歌う星の聖歌、あるいは高次元暗黒に繋がる星歌を悪魔は静かに鼻歌し、月草に如雨露で優しく水を与えていた。無論、ただの水ではなく、薬品やソウルが混ざった霊水であった。

 とは言え、悪魔は常在戦場の心構え。何時も通り、左手首には古い獣の御守を巻き付け、腰には鞘に入った直剣。家庭菜園を楽しむ今この瞬間、背後から灰や狩人に襲われ様がノータイムで迎撃し、一秒後に訪れる死を脳内で仮想して警戒し続け、常に神殺しさえも即座に可能な心構えだろう。

 そう言う男が、楽し気に家庭菜園をしている光景が気色悪い。同じ技量を持つ者なら、少しでも悪魔に殺意を向けるだけで早撃ち魔術(クイックスペル)により、狙撃距離だろうとソウルの光が敵対者の魂を消炭にするだろうし、近場なら直剣で斬り捨てられる。有り得ない可能性だが今この時、衛星軌道上から広範囲熱却エネルギー帯が撃ち放たれても、悪魔だけは生き残ることだろう。

 そして薬物作業を行う為、幾本かの月草を引き抜く。魂魄内部の神殿に自前の魔術工房があるにはあるが、今は葦名に用意した自分の魔術実験用私室があり、そちらへと向かった。付随して悪魔が装着する鎧の金属部品同士が当たり、がちゃんがちゃんと騒音が鳴り響いた。

 作業場の鍋、あるいは錬成炉壺。地獄の釜と言う形容が比喩ではない悪魔のアイテム。またソウルによって自己の魂に瞳を作った悪魔は、狩人と似た啓蒙能力を遣うことで最初の火を模した力を得ている。その火炎を鍋を熱する竃の動力源にし、悪魔の為の悪魔鍋は完成する。その鍋の中によく洗った後に切り刻み、磨り潰して混ぜ合わせた月草を優しく入れた。

 

「イーヒッヒッヒッヒッヒ……イーッヒッヒッヒッヒ……」

 

 邪悪に笑いながら、悪魔は月草を良く煮込み、掻き混ぜる。悪魔にとっても定番は概念。魔術鍋の煮込みは、魔女がする邪悪な笑いが良い。これをするか、しないかで、出来栄えは変わるのが人類種が根源より見出した魔術基盤の面白い所だと悪魔は考える。

 魔術も奇跡も等しく、悪魔が覚えるソウルの業と言う名の"魔法”は、古い獣から見出された唯の神秘。逆に魔術基盤は惑星に住む人類全体の知的資源とも言え、星に記憶された神が持つ権能から、長い歴史の中で人間が学んだ文明技術である。そして、科学技術で再現不可能な神秘を魔法と呼ぶ。

 即ち、人類種の伝承に対する信仰心もまた神秘。悪魔が人々のイメージ通りな魔女っぽく笑うだけで、それは呪文となって作用する。魔術において様式美を無視するのは非合理的な考えであり、魔術を魔術らしく扱うのは大事な下拵えだろう。

 

〝………美味い。巧く出来たか”

 

 本来、草を煮込んで出来上がるのは青臭い草水。だが問題はない。痛覚に精神が作用されない悪魔は無論、不味過ぎる苦味の飲み物も明鏡止水で一気呑みする人外である。しかし、人間性を灰から得たことで味覚を楽しむ精神を取り戻し、草味の薬物草ジュースを飲むのは味気無いと感情由来の考えが思い浮かぶ。

 それで出来上がったのが、今のムーングラス薬。何となく、生命が回復する味わいを再現することに成功し、ソウルな喉越しを生み出すことが出来た。

 

〝ハッ……――そうだ、人体実験しよう。

 簒奪者の灰らは何でも新鮮だと喜ぶから全員須く、駄目だな。あいつら、人間性が葦名で再誕した故、精神年齢が箸が転がるだけで喜ぶお年頃だ。美味ければ嬉しく、不味ければ楽しむ馬鹿である。

 ふむ……―――ならば、ローレンスだな。

 あぁいや、思索実験が上手く出来過ぎて常に発狂状態だったか。最近、自身の脳細胞を上位者の脳に生み直したと冷静な真顔のまま、医療教会屋上で悪夢と三日間微動だにせず交信していた。あるいは、今もその脳味噌の使い心地を浸っていたいとまだ交信中やもしれんし、外来生命種の遺伝子情報も血より取り込んでいたな”

 

 気分は竜の神の右ストレートパンチで死に、火守女に蘇生される前の人間時代、近所にいた野菜をくれる商家の御婦人。悪魔が悪魔となる前の世界情勢はボーレタリアから漏れ出る霧によって人類滅亡の秒読みが始まってはいたが、社会と言う群れシステムで生きる人間にとって近所付き合いは大切だった。

 脳内で悩みつつ、ムーングラス薬瓶をソウルに仕舞い、悪魔は自宅を出る。亡者と悪魔憑きとデーモンの脅威が溢れる葦名街ではあるが、今は一般市民も不死故に死の危機はそこまで問題ではない。道にはそれなり人通りがあり、悲鳴が結構な頻度で響き渡るも、誰かが死ぬ間際の断末魔に興味関心を向ける者はいない。

 

「ガハハハハ、ウァーハッハッハッハハハ!」

 

 歩く事、三十秒。悪魔宅の近所に住む酒蔵の店主と視線が合い、悪魔を見て特に意味もなく笑い出す。名は酒造の簒奪者、ジーク。葦名名物のホームセンター、アシナズホームのアウトドアコーナーで購入したキャンピングチェアに座り、玉葱に酷似する全身鎧の重さもあって動く度に壊れそうな音がした。

 

「何が面白いのだ、酒造の」

 

「いや、面白くなくとも笑うのだよ。酒とは、そう言うものなのだ」

 

 歴史を感じさせる玉葱兜をまさか改造したのか、簒奪者は顔下半分だけ不自然にパカリと言う音を立てて開け、酒瓶から特製ソウル酒を喉に流し込みまくる。エスト瓶の一気呑みに近く、全身から色付きエフェクトの如きオーラを発し、酒臭い玉葱人間に成り下がった。

 正しく、アルコールオニオン。葦名市酒造業界に現れた期待の新星は、灰が召喚した簒奪者共に与える人間性によって酒好きだった不死になる前の過去を思い出し、灰として鍛え上げたソウルの業を酒の為に使う変態となっていた。

 

「うぅぅうううむ、うむ……美味い。成功だな。だが、まだ足りないか。

 悪魔殺しの悪魔、次の講義は何時になりそうか。貴公の話は酒造りに有能なソウルの業であるのだよ」

 

「何時でも良いがな。しかし、講義室を準備する教区長が前の講義内容を脳で消化し切るまで、次回講義の準備を手伝ってくれんのだ」

 

「愉しみにしている。しかし、暇だ。ウーラシールの光の魔術で時空間を操り、酒の熟成も貴公から得た学びにより容易くなったが、それはそれで効率的にも程が有り、暇が出来る。

 うむ。葦名闘技場で人殺しでもするか。

 我ら簒奪の灰にとって殺し合いこそ永劫に飽きぬ娯楽。やはり新たな娯楽を見出そうとも、初心を忘れてはいかんな」

 

「成る程な。まぁ、少し提案があるが、この薬品を酒造りに使っては見ないか?」

 

「ふぅーむ……ふむ、ふむ。何だ、貴公が葦名に持って来た月草ではないか。

 すまないが、断らせて頂く。既に暗月草酒を試作しておる。何より原材料は有り難いが、他者の加工が入った物を使いたくないのだ。

 其処も含め、我輩の趣味なる娯楽工程である。いや無論、薬品作りは参考にするのだがな!」

 

「そうか。ならば良い。玉葱なる騎士甲冑の一人、酒造の。今度、あの場で邂逅すれば殺し合おう」

 

「がっはははははははは! 愉しみにしておるぞ、悪魔殺し!」

 

 簒奪者の周囲で灰が舞い、酒造(ジーク)は一瞬で闘技場へと転移した。悪魔は簒奪者らにとって暇潰しで行う神秘講義が関心度が素晴しく高い娯楽になっていることを知ってはいたが、酒蔵屋の酒造りにまで利用されていることには気が付かなかった。

 ソウルの業に通じる脳は、魂を直視する淨眼。悪魔殺しの悪魔からすれば、魂や精神は肉体と同じく見て触れる物質であり、簒奪者の灰や上位者の狩人も同様だ。魔力で干渉することも手先で弄ぶように容易い業となる。その眼力を誇る悪魔からして、簒奪者と言うのは見破れない存在であり、逆に簒奪者も悪魔の魂を見破るのは不可能となっていた。

 

「奏でます。題名、ハベル・ザ・ロック」

 

 根源由来の魔法より冒涜的な悪魔殺しのソウルの業を、酒造の便利アイテムとしか認識しない簒奪者の一人。そんな酒浸りの玉葱野郎を通り過ぎ、数十メートル歩けば、これまた色濃い人格の簒奪者が、路上ライブを開いていた。

 彼女は何でも、不死になる前は音楽家をしていた元人間らしく、旅の果てにて火の簒奪者となった。そして、この葦名へと灰に召喚されたことで寿命があった時代の人間性を取り戻したらしい。ある意味、成り果てた後で夢を思い出させるのは残酷窮まるのだろうが、火の簒奪者は人生を悔やんで苦しむ機能がもうないのでどうでも良いのだろう。

 名を怪音の簒奪者、エレナ。本来なら物語である奇跡の呪文をアレンジ作詞し、大魔法防護に綴られた白竜シースに対する岩のようなハベルの想いを路上で盛大に歌い上げ、楽器も演奏していた。

 悪魔は決して、彼女へ話し掛けたりはしない。音楽家が民衆に唄を唄い、楽器を演奏している最中、知り合いだからと邪魔をするのは人間性が疑われる。灰により得た人間性は羞恥と品格を再び魂に与え、悪魔は人間らしい大人の感性を取り戻していた。とは言え、悪魔殺しが悪魔な時点で娯楽品の域を出ない精神的玩具でしかないのだが。

 数十分後には何曲か聞き終え、悪魔は拍手をした。他にも聞いていた者たちが居り、聞き終えて拍手をした後、今の葦名で貨幣通貨として使用されるソウルを地面に置かれた受け皿代わりの楽器入れケースに入れる。彼らは皆、何処となく満ち足りた感情を貌に浮かべながら去って行った。尤も誰かの命から奪い取ったか、あるいは死体漁りで拾ったかした魂を、こんなにも綺麗な音で魂を感動させる唄の報酬にする当たり、葦名市民の社会的倫理観はこのディストピア生活で破綻していた。

 

「はぁー……死にたい。あぁ、死ねないんだった。けれど、死にたいなんて陰鬱な感情、彼是幾千年ぶりかな。音楽家の感性を取り戻したけど、やっぱ駄目な雰囲気だ。

 獣飼いの悪魔殺しもそう思って、葦名暮らしを愉しんでいるのでしょう?」

 

「自分自身を、自分で愉しんでこその不死生だ。ならば物は試しで自害を愉しめるのが不死の醍醐味。死ねば、善き刺激を脳細胞が受けるかもしれんぞ」

 

「何と言う芸術的発想……―――神か?

 いや、悪魔だった。軽い気持ちで人を死に誘うなんて、やってはいけませんよ?」

 

「すまない。親切心だったが、貴公の心を傷付ける意図はなかった」

 

「良いでしょう。では、今からあのおはぎが美味しい茶屋に行きませんか?」

 

「それも、すまない。貴公から音楽の時間を奪うのは心苦しく感じるのでな」

 

「フラれました……あぁ、残念だ。死にたいな―――歌います」

 

「あぁ……まぁ、うむ。それで良いのでは?」

 

「―――怪音の。待たせたかしら?」

 

「少し、遅れてしまったな」

 

 悪魔殺しの悪魔と怪音の簒奪者との会話に、横槍が唐突に入った。男女の二人組であり、その二人もまた灰に召喚された簒奪者である。名は、墓唄のミルファニトと楽奏のニコ。不死化する前の記憶を取り戻した簒奪者が、生前のその人間性をまた愉しむか否かは個人差があるも、この三人は音楽を魂に取り戻したのだろう。

 悪魔は一言別れの挨拶をし、その場を離れた。背後から、人間の魂を完全支配するソウルの楽曲が奏でられ、狂気的熱狂が湧き上がるも、悪魔は悪魔で在る故に魅了されることなく過ぎ去った。

 

「自らの記憶に魔術を掛け、監督である自らが作った茶番劇を登場人物として愉しむか。灰め、相変わらず悪趣味極まる女だよ。だが貴公でなければ、葦名特異点と言うテクスチャ型惑星消却兵器は作れなかったであろう。

 とは言え、此処までしなければ我が主、我が神、我が贄……古い獣は狩れぬ。

 いや、私がそこまで育ててしまった。魂が生み出る向こう側、宙の外……根源に渡らせぬよう人々を生贄に捧げ過ぎ、もう後戻りは出来ぬと思っていたのだがな」

 

「――――……しからば此処を決着の地に定め、星の魂も人の魂も、獣より救わねばならん。

 貴公、人間は戦う為に戦うのでない。しかし、戦いに生きれば摩耗は起こる。人間性は磨り減る一方だろう。だからこそ戦い続け、忘れ、穢れようとも、捧げた人間性は我ら不死が必ずや取り戻す」

 

「戦神、貴公か。なんだ、月の狩人狩りはしくじったか?」

 

「あやつ、アメンドーズなる巨大上位者に宇宙生物の細胞を節操無く取り込んでいた。だが、それを我が愛竜は齧り、肉を喰らい、進化してしまった。葦名でソウルより作った嵐の王ではあるが、ヤーナムの宇宙に住む上位者にも似た……あるいは、地球に飛来したとされる宇宙由来の古代生物か。

 悪魔殺し、オールトとハーヴェストスターを知っているか?

 嵐の王の後継たる竜で在った筈だが、最近は獰猛性が凄まじく増し、不死性も得てしまい、大人しくするのに殺す必要があって面倒だ」

 

「灰が、旅した人理世界にて簒奪した蒐集物の神秘だな。カルデアの技術部にもサンプルを提供したと言っていおり、その悪用方法もマリスビリーなる魔術師との契約した報酬として、その知識を得ていたと思う。

 あの狩人は月の如き極悪人の癖して、路傍の石ころな小悪党の考えもする人間だ。

 恐らく、サンプルごと技術も灰から盗んだかのだろう。とは言え、私も共犯者である故、互いに互いの技術を共有しており、全く同じことが出来ると言えば出来る。

 貴公が望むのであれば、貴公の竜より惑星外来種の細胞を、ソウルの業で取り除くこも可能だが、どうしたい?」

 

「不要。全ては、魂が望む儘に。狂気もまた、己が為の死で在れねばならん。嘗て我が、太陽を追い求め続けたように」

 

「では貴公、何故だ。何故、太陽の簒奪者を名乗らず、戦神の簒奪者を己が魂に命名した?」

 

「―――太陽万歳。あぁ、太陽万歳だとも。

 太陽になりたかった我が願い、火を簒奪することで太陽となり果て、戦神の殻を被って太陽の落とし仔を演じ、だが太陽は救いでは無い。救いではなかったのだ。

 神は、人を欺いた。偽りの甘い命、偽りの甘い生、偽りの甘い檻。

 救いが欲しかった。救いになりたかった。だが太陽は人間に偽りしか与えなかった」

 

「だが、救いには違いないことだ。神の偽られたのだろうが、その偽りを幸福だと感じた魂そのものは真実だろう。

 所詮、誰かの夢の中でしかなく、心が救われても魂が救われぬ事に違いがないがね」

 

「故、火の簒奪者の一として、太陽の戦神を演じよう。

 救われ方、救い方、太陽の真実が欲しいのだ。貴公らが人々の魂を獣より救うと言うなれば、どうか我がソウルに温かな救済を啓蒙し給えよ」

 

「ならば尚、今よりも強くなる事だ。何時か時の果て、貴公一人で、貴公一人の火で、古い獣を焼き滅ぼす太陽となるまでな」

 

「分かっておる。その為、暗き太陽を輝かせる為、我がソウルはあらゆる闇を飲み乾そう」

 

「良かった。聖者の真似をし、懺悔を解き明かしてみたが、悩みが少しばかりでも晴れたのであれば幸いだ」

 

「すまんな。人間性を取り戻した所為か、火を簒奪したかった最初の願いも思い出し、久方ぶりの人間らしい葛藤が楽しくて堪らないのだ。

 会話は良い。特に、貴公のように博識な悪人との会話はとても良い」

 

「互い、人の魂を貪り喰らう最底辺の倫理しかない化け物だ。気にすべき世間体は少ない身、羞恥心に囚われる必要もないことだ。

 尤も、品性は重要だがな。それがなくば、人間性は獣の域へ堕落してしまう。

 だからこそ、愚かだと分かりながらも、好奇心の儘に魂を動かすのは大切だ。

 それを棄てるのは獣への一歩。とのことで戦神の、どうだろう。私が作ったムーングラス薬、飲まないか?」

 

「―――……………つまるところ、相談料と?」

 

「あぁ。今以外の夢を捨て、他の可能性を棄て、人は葛藤を失くして矜持を得る。それ以外ないと思い込み、尊い者の誇りは狭い器の上でのみ成立する。それ以外は許されないと決め込み、多様性を認める人格であろうと、既に自分自身は決して後戻りが有り得ないと覚悟する。

 完成されるとは、そう言うことだ。

 この特異点にて我らが屠殺した英霊の在り方は、つまりは終わり方だ。

 ならば、世界を救う為に英霊を竜と共に殺戮した貴公には責務が生み出ることになる。例え不利益を被るかもしれないと未来を予想しようとも、今以外の未来を夢見る事が人間性の証明だろう」

 

「そうか。では、頂こうか。容易く揺れる意志もまた、今は一興と」

 

 悪魔から手渡された薬瓶を飲み、戦神は―――星を見た。

 

「あ、すまん。それ、ソウルと脳細胞に刺激を与える覚醒神秘薬だった。ついでに生命力も回復するぞ」

 

「いや、良い…………成る程。確かに、これは啓蒙だな。

 この世における恒星、太陽が存在する原因。我らの世との差異か。うむ、知るべき事がまだ我には多くあると、無知を知ることが出来て良かったと思う」

 

 恒星の化身である戦神の簒奪者(ネームレス・キング)は、枯れた亡者の貌を動かす事は出来ないが、気配だけで微笑んだ。そのソウルの振えは容易く周囲の時空間を激震させ、葦名に満ちる獣の濃霧を自身の雷雲に変換し、上空が一瞬で嵐に覆われる。雲海の中で走る雷電の一筋に当たれば、戦神と同じ雷神だろうと感電死させる魂殺しのソウル現象となっていた。

 だが悪魔殺しが気軽に左手からソウルの光を空へ放ち、概念を概念で上書きして撃ち滅ぼす神秘現象を強引に引き起こす。葦名の曇天は即座に晴れ渡り、元の空模様へとあっさり戻った。

 

「興奮のし過ぎだ。葦名で得た学びの一つ、世界卵の余波が貴公のソウルから漏れ出ていたぞ」

 

「ソウルの業と魔術世界の律、それなりに親和性が高い。真性悪魔が持つ独特な魂の在り様、此処で知れたのは僥倖だった。

 しかし、貴公……悍ましい業だ。

 我ら簒奪者と違い、その内に火なき魂で在りながら、我らの太陽を克する獣を持つ」

 

「残酷な事に、人も神も獣に過ぎんさ。星の魂も、世界ごと獣に喰われる餌に過ぎん。

 戦神、貴公も己が内より獣を見出しと良い。闘いに狂うのではなく、狂いたくなる衝動の源泉、その答えが魂には存在する。

 その答えが、貴公の―――人間性。

 形なき闇に姿を与えるのが人間の業と言うものだ。いや、それこそが貴公らと言う人類種の在り方とも言える」

 

「人類種による差異か……ふむ。一概に、人間を人間だと一括りにするのも愚かしいか」

 

 悪魔殺しの世界の人類。火の無い灰の世界の人類。そして、人理が運営する地球世界の人類。それを一括りにするのは、人類種に対する不理解だと戦神は考える。とは言え、人は人で在ることに違いは無く、神は神である事に間違いはない。しかし、もし不死種と化した人類種が間違いなのだとすれば、始まりの分岐点は確実に悪魔殺しの世界にてソウルの業を啓蒙され、古い獣を外側から呼び込んだ要人である。

 

「人格は……その何だ、死灰のヤツが我らにも与えた人間性によって盆暗化したとは言え、貴公は真正なる賢人だ。その魂は人類では誰も勝てない魔人だ。

 ならば、その言葉は正しいのだろう。

 間違いで在ろうとも、貴公が無理を通せば道理にもなるのだろう。

 ふむ。であれば、願望の儘、狂気の儘、道楽の儘、突き進むのが灰の一匹としての世界か。やがてその道が間違いだったと思う事が出来るまで、狂気は正気の儘でいてくれることだ」

 

「む。ボンクラとは非道な言い様だ。金、暴力、セックス、何とも人間的ではないかね?

 何より、悪徳を好む悪魔に相応しい在り方だ。欲望は人の数だけ渦巻くのが、人間社会と言う人類の作り出すシステムだな」

 

「そうだろうが、貴公はそうではなかろう。いや、人間性の御蔭か、性欲を楽しむ能力も取り戻せてはいるが。

 なれば神々のように肉欲に溺れ、神聖なる子作りを励むのも善かろう。魂の本質が亡者でしかない我ら人間にとって、命の温かみは神の太陽が見せる幻視に過ぎん故」

 

「しかしながら簒奪者の中には、肉欲に溺れている者もいるだろう?」

 

「不死となる前、好きだったのだろう。悪徳もまた人間性と共に蘇る」

 

「成る程。かく言う私も、女の肉体は好きだったなァ……――しかし、駄目だな。灰に人間性を貰った今と言え、そう言う気分になれん」

 

「枯れておる。だが、分かるな。美や性に感動する機能自体が脳から消えている。人間性を取り戻したと言うのに、嘗ての感動は戻らないと言うことだ。

 ……所詮は人間、我らは闇か。

 神の太陽に心を騙されなければ、甘き命の輝きには届かない」

 

 心亡き灰。火を飲み乾す暗い孔の簒奪者。そう在れば良かったが、そう在ることを灰は許さなかった。世界を救う為に人を殺すならば、償いが出来ないのだとしても、せめて殺人者に罪を苦しむ人間性がなくては何もかもが救われない。機械的に命を選んで殺すなど、まるで可能性が残されたより良い繁栄を未来とする人理の抑止力と何ら変わらない。

 戦神は好んで生気のない亡者貌にした儘、人間らしく乾いた口を動かした。

 目も、口も、唯の暗い孔でしかないと言うのに、戦神は確かに嗤っていた。

 

「悪魔殺し、どうだろうか。貴公は、カルデアが此処を滅ぼせる未来が見えるのか?」

 

「安心しろ。必ず、滅びる。故、貴公は遠慮する必要はない。思う儘、戦いを挑むのが善い未来へと繋がろう」

 

「そうか……あぁ、そうだな。確かに、良き戦士らであった。

 星見の忍びは我が討ち取ろう。幾度でも、繰り返し、繰り返し、殺し尽くそうぞ」

 

「何だ、確信が欲しかっただけと見える。生真面目な男だ」

 

「答は得た。少し、狩りに出掛けるとしよう。まだ星見の狩人も星見の忍びも、我を殺せる技巧に至っておらん。

 太陽たるこの身を殺せる程の業に深める為にも、我が幾度でも殺し続け、その業を我が太陽の剣槍で掘り深めなければならぬ」

 

 戦神の戦意に反応し、上空から嵐の王(ドラゴン)だった生物が降下する。数多の血が混じり合い、今はもはや血液由来の神秘生物となった竜の上位者か、あるいは竜のデーモンか、説明のし難い者と成り果てていた。

 鉱物でありながら、植物でもあり、打撃に強い柔らかさと斬撃に強い硬さを両立させ、爬虫類から進化した鳥類のような羽毛を身に纏う。姿形にそこまで変化はないが、神秘学と生物学の両面から見れば、元の原種からして地球産幻想種から離れてはいたが、今はもう別次元の生命種と言える竜と言えるだろう。

 本来ならば、都市一つ容易く滅ぼす魔物。上空に現れた時点で葦名市は滅亡必須の危機だろうが、より危険な異常人間体が百名以上は溢れ返っている為、市民はドラゴンさえも日常風景の一部として受け入れていた。

 

「◇◇■■◆□―――!」

 

 竜は悪魔を見た所為か、本能的にソウルを活性化させ、最初の火を持つ戦神と繋がることで太陽フレアと化した火炎息吹を嘴に似た口から吐き出した。プラズマ現象を物理的に引き起こし、コンクリート製の道路は焔と熱波で融解し、ビルのコンクリも鉄骨ごと融け砕けた。

 言うなれば、くしゃみのようなものだ。竜的生理現象なので、戦神はこの凄まじい惨劇に一切関心を向けず、街が壊れたかと言う程度の認識である。序でに民間人も巻き込まれて事故的虐殺が起き、数人の簒奪者も巻き込まれて燃えたが、少し生命力が削れただけでほぼ無傷であった。

 

「むぅ……」

 

 戦神は手を翳し、火の簒奪者となる前から使い慣れた魔術を発動。本来は物体の時間を巻き戻すウーラシールの光の魔術であり、武器の修理などに使う用途の神秘であるが、より光量を増やして戦神は倒壊した街全体の時空間を戻し、神の如き光の力で十秒前の世界に復元してしまった。

 光とは、知性が宇宙を観測する為のエネルギー。

 時空間を維持する宇宙が、何故か作った原動力。

 人理の世を知る為にあらゆる科学知識と魔術知識を魂で覚えた簒奪者達にとって、現代科学による魔術技術への啓蒙は異常なまでに素晴しかった。

 

「……光の法則は、物理世界において時空間と同類だとか。ソウルの業に、魔術基盤と魔術理論と同じく、物理現象に則る宇宙空間の物理法則の視点による観測を加え、より神秘を拡大させている葦名の簒奪者らであるが。

 いやはや我らながら、悍ましい進化よ。

 悪魔殺し、貴公の叡智で使用法は更に拡大と深化も可能となった」

 

「我らの魂はソウルと言うエーテルを使い、時空間をも制御する。無論、光と言う現象とて同様だ。ならば、容易なことなのだよ。そして、素晴しいことでもある。

 同じ世界にて、世界を作る為の法則として観測された以上、無関係な訳がない」

 

「返答、感謝する。では、行くとするぞ。さらばだ」

 

 灰に似つかわしくない凶悪な脚力で戦神は飛び上がり、嵐竜の首に着地する。そのまま一気に上昇し続け、獣の霧を雷雲化させることで世界をソウル由来の固有結界で侵食し、嵐と言う空の領域そのものを浮き舟にして戦神と竜は飛び去った。その余波で雷が市街に降り注ぎ、何名か市民が死ぬことになったが、黒焦げのまま蘇って動き出すので問題は無い。強いて被害を言うなら、衣服が焼け破れ、体を洗う必要が出る程度だ。

 数多の簒奪者らの中でも、嵐竜と組む戦神は特級の強者。あんな“人間”に気に入られる星見の狩人と忍びを不憫だと考えつつ、魂を鍛えられる脅威が自動的に会いに来てくれるのは不死としては幸運だとも理解しており、悪魔は凛々しい貌に似合う微笑みを浮かべて見送った。

 

「雷のソウル。戦神のデモンズソウル。ふむ、その業を作ってみるか。如何思う、ローレンス教区長?」

 

「あぁ、ダイモン先生……探しました。講義室と講義道具の準備、整いました」

 

「そうか。感謝しよう、教区長。それでどうかね……貴公の治験を手伝ったが、他細胞の癒着は進んでおるか」

 

「上位者より、人間と良く馴染みます。我が導きにして我が召喚者、賢しき灰殿の御蔭で啓蒙を得ましたが、宇宙生物の利用方法を巧い使い方はダイモン先生でなければ思い付きませんでしょう」

 

「あれは灰の発想を悪用しただけだ。貴公の脳が、その導きを得たのだ。人類史に残る生物学の発見、魂の底から誇りに思い給え」

 

「宙よりの来訪者。ヤーナムの宇宙ではありませんが、これら外来生物種は上位者にとって良き思索と為り得ましょう。

 何とも凄まじく、あのミコラーシュが血涙を瞳から流す進化です。全人類を上位者にすることで夢で脳が繋がり、思索の結果的に種族全体の進化を願った神秘学術者でありましたが、この進化方法をあの男は認めざるを得ないことです」

 

「そうかね。その手法、灰は二千年以上前に思い付いていたがね」

 

「しかし、無価値と断じました。彼女は何処までも人間であり、その魂が根源より脱する独自進化を人類種に期待していますので。生物的進化を灰は人類へと、そこまで期待はしていませんでした。

 所詮、宇宙で偶発的に生まれた単独種と、古代異星文明が作った生物兵器の遺伝子情報に過ぎないのでしょう。

 まだ計画段階であるオルト・キリエライトによる狩人部隊……―――灰殿は楽し気に評価しましたが、それは私の研究成果としてだけの評価でした。医療教会による新たな人造生命種としては、一切の関心はありません」

 

「人を使いはしたが、それは人の進化ではない故。強いて言えば、外来種との交わりによる混血の変異となる。灰が求める進化とは少し主軸は違う。

 貴公のように、一人の人間の魂として別生命系統樹を飲み乾せば、人間として認めはするのだろうがね」

 

「成る程。私と言う一個体が為した人類種の進化しか認めず、人のソウルが喪われる我が研究成果には余り興味はないのですね。それ……何とも、悲しい結果です」

 

「だからこそ、誇り給え。貴公は生前に敗れた獣性と啓蒙、その二つを克する人間性を蘇ることで獲得した。そして、獣性と啓蒙によって惑星外来種の血を制御した」

 

「ソウルの業の御蔭です。灰殿とダイモン先生には、心より歓喜の感謝を」

 

「貴公は神秘を恐れる良き魔術師だ。葦名には先達が多い。彼らの魂から業を学び給えよ」

 

「はい。史学を志す学術者として、胆に銘じます」

 

「宜しい。では、如何かね? 新作のムーングラス薬が出来たのだが?」

 

「―――頂きます」

 

 その後、悪魔はまた何時も通りの半日を終える。しかし、彼は眠る必要がない脳を持つ。肉体に疲労感は堪らず、精神は不死に相応しき疲れ知らず。夜と昼に体感時間的な境界線は存在しない。既に葦名闘技場で簒奪者らを殺し、殺し返され、血と魂を互いに混じり合う習慣も終え、人間個体としての技巧が上がったのも実感した。

 葦名、地下神殿。正確に言えば、神なる竜が居た台地の山間部地下湖。

 要石を置いた其処に悪魔は訪れ、古い獣が何時も通りに眠っているのを確認する。

 日課の観測活動。火守女のデモンズソウルから学んだ眠りの業により、悪魔は今日も獣が深い夢を見ているのを感じ取る。

 

「星見の狩人。貴公、瞳にて見ているのだろう?」

 

 誰もいない筈の地下湖で、悪魔は虚空にある誰かの視点に向けて話し出す。

 

「此処が、到達地点となる。これが、人理の獣が発生する以前に存在する古い獣である。そして、魂ごと人類史を貪ろうとする宙の外からの来訪者だ。

 啓蒙されたのであれば、幸いだ。

 狩り方も知れたのなら、災いだ。

 では、覗き見は此処までにして頂こう。

 どうか貴公のソウルに、神の祝福が在らん事を……―――アンバサ」

 

 悪魔は自分自身の魂へ祈りを捧げ、この時空間を隔離する。千里眼は無論のこと、高次元暗黒からでも獣の地底湖を今だけは認識することは不可能となり、あらゆる平行世界と時間軸からの干渉も出来ない異界となる。

 ―――幻視するのは、女性だった。

 黒衣を纏い、杖を持つ悪魔だった。

 自分を悪魔へと生まれ変えしたデーモンを夢見、彼はもう自分の魂の中にしかない記録を顧みる。

 

「………………」

 

 別れは永遠。再会は有り得ない。奇跡は獣が起こす必然に過ぎず、悪魔は運命が魂によって描かれた道筋でしかないことを正しく理解する。

 

「……君は、獣の中にも……もう居ないからなぁ……」

 

 手の上で火守女のデモンズソウルを浮かばせながら、このソウルが自分の記録から再現されたソウルでしかないことも分かっており、悪魔はこのソウルをデーモンとして蘇生させる意味を見出せずにいた。

 

「根源にも、デーモンの魂はない。消えた我らの魂は……何処へ、逝くのだろうか」

 

 あるいは、唯の無色なソウルになって全てのデーモンが獣へ融け込んでいるのか。しかし、そこから蘇らせたとしても、悪魔殺しに刻まれた情報を型として作り出されるデーモン人形である。

 それこそ獣が死によって向こう側へ逝けば、宇宙から魂が消えるかもしれないが、そこでなら悪魔はその魂を得られる可能性も少しは出るかもしれない。

 

「面白い話だ。根源を母とする人間の魂など容易く蘇生出来る魔法使いとなったと言うのに、再び会いたい君には永遠に出会えない。

 酷い程に上手く出来た因果だよ、ソウルの業は。

 流石は、要人が獣より齎せた神秘だ。悪魔は決して救われない。悪魔では、決して悪魔を救えない」

 

 デモンズソウルを自分のソウルにまた融かし、悪魔は地底湖の岸に座り込む。眠る獣を見上げると、偶に身動きをすることで樹木が軋むような音が轟き、鼾らしき呼吸音を静かにだが鳴り、湖面を波出させた。その波に座る悪魔が打たれる度、甲冑の中に水が入り込んで気色悪い感触を味わうが、それを拒んで立ち上がる事はしなかった。

 赤子を水遊びさせる母親の気持ちなどではないが、もはや悪魔は古い獣に対する憎悪を喪っている。

 所詮、餌場で餌を貪る獣の所業だ。底無しの魂は空腹に支配され、全人類を食べても満たされない。

 思えば、獣も迷子に等しい。外側から神を求めた人間に対する災いではあるが、獣にとってソウルは人間で言う酸素だろう。思考活動をする為に必要なエネルギー存在。ならばこの眠りを人間で例えればコールドスリープであり、当たり前な生命維持活動を停止させて思考回路を凍結する“魔法”となる。

 魂の、何もかもを悪魔は支配する。例外は一切無い。

 その気になれば古い獣も殺せるが、殺して終えば根源に獣の魂が帰還する事になる。

 即ち、獣の死は宇宙を観測する知性全ての終焉を意味する。宇宙が魂を作った意味が消える。

 その悲劇を最後の最後まで長引かせる為に眠り続けさせ、そのエネルギーに人間と“世界”のソウルが必要だったが、その惨劇もこれでお終いだ。

 終わるのだ、悪魔が続けた―――眠りの、旅路。

 火守女の願いがやっと叶う。永遠の眠りが、古い獣に訪れる。

 灰よ。灰よ、灰の君よ。世界に仇為す悍ましき灰にして、人間の魂を救うことしか出来ない灰。

 

「……………」

 

「あら。悪魔殺し、獣の御確認ですか?」

 

「……貴公」

 

「まさか、私が雰囲気を読んで出直すとでも?」

 

「いや、貴公は不死らしい不死。死体漁りを趣味とする女に、そこまで上等な人間性は期待せんよ」

 

「その通り。そして、それは貴方も同様でしょう?

 しかし、実に寝入りの良い獣です。何故か分かりませんが、この獣はずっと見ていられます。魂が惹かれると言いますか……いえ、実際に惹かれてはいますね。愛しいと言う感情さえ、人間性から淀みとなって滲み出る気分です。

 ソウルの業―――我らの、その根源。

 感動は必然。あらゆる神秘の始まりに、人間は逆らえません。あるいは、そもそも根源の星幽界を作った何かしらの意志があるのでしたら………まぁ、根源に居場所無き我ら不死には叶わない夢でしたか。

 ならばせめて、心地良い水辺で安眠した儘、無痛で殺すのがこの赤ん坊には慈悲でしょう。火の簒奪者が、神たる獣に慈悲などと嗤われますがねぇ……ふふふ」

 

「その瞳の色……貴公、愛した者でも思い出したか?」

 

「残念でした。こう成り果てる前、信心深い教会の修道女です。社会の決まり事でしたから、ダークリングに呪われる前は貞操は神に捧げていまして、神に偽られた甘い生による愛は知りません。旦那さんは勿論、恋人さんも、心を無き呪われ人となる前に得られませんでしたので。

 人に思われて愛を得たのは、それは愛を実感出来なくなった後でした。亡者化の進行を止めるのが遅かった私は、灰となった後だろうともう心が無いと言うのに、魂から暗い血の涙を流せるのは笑い話ですよ」

 

「安心し給え。私が愛を知ったのは、悪魔となってからだ」

 

「そうですか。では、貴方が私を愛してくれますか?」

 

「すまない。私にとって、女は唯一人だけだ。この三次元で今を生きる女性に興味はない」

 

「ならば、諦めましょう。召喚した簒奪者も、基本は似た者同士でして……えぇ、他人を本気で愛せない欠陥人間ばかりです」

 

「ダークソウルの人類種にとって、神による火の封がなくば得られぬ機能故にな」

 

「我らにとって本当の愛などと呼べる感情は、命に対する暗くて温かな渇望でしょうね。同じ闇から魂への、依存に近い共存の欲望でしょう。

 結局、殺して魂を奪い、一緒のソウルになるのが手っ取り早いと言う話です。神が火の封で、死ぬことが出来る命を人間に与えたのも分かる生命種ですよ」

 

 灰は懐から煙草を出し、呪術の火で先端に着火し、深呼吸と共に煙を肺に流し込む。最初の火による呪術の火で吸う煙の所為なのか、灰は煙草から太陽の温かみを感じる。

 そもそも最初の火はソウルの中にある。灰は、自分自身にも死のある命を与えられる。他人のソウルで自分に感情を作らずとも、嘗て神が人間を作り直した様に、火の封で暗い孔を閉じる輪を施し、偽りの甘い命と生によって“人間”へと転生出来る。

 尤も―――簒奪者故、死ねば火の封は消える。

 何より嘗て否定し尽くした神の欺瞞を、自分の魂を慰める為に使うのは、人間の原罪を見失うことになる。

 もし今の灰に強くなる為の理由があるとすれば、呪われた時に思った時のあの怒りの理由を解くことであり、原罪を探求するしか生きる価値はもうないのだろう。

 

「そうか。しかし、その貴公の苦しみが人間性を私へと与える契機となった」

 

「いえ。使い途のない私の暗い太陽に、悪魔である貴方は価値をくれました」

 

「まさか、貴公……感謝しているのか?」

 

「ええ。貴方が、私に感謝しているように」

 

「何だ、そう言う話か」

 

「はい。その程度の話です」

 

「ならば、仕方無い。

 葦名の匂い立つ煙草、幾本か吸い終わるまで獣を愛でるのだろうしな」

 

「それも肯定します。禁煙、禁酒、禁薬など不死に意味はないですので」

 

 日課となった眠りの監視。火の着いた煙草から煙が上がり、先端から灰となって湖に落ち、燃え殻が出来上がる。

 灰は、紙煙草が好きだった。まるで自分たち灰のようで皮肉が効いている。箱からまた一本取り出し、唇で咥え、また火を着けて吸い始めた。悪魔は逆に懐からジークの店で前に買った酒瓶を取り出し、隣に立つ灰に視線を向けることなく飲み始めた。

 

「それ、一瓶頂けませんか? 煙草を一箱、上げますので」

 

「物々交換か。別に構わんぞ」

 

 悪魔は違う酒瓶を渡し、灰は紙煙草箱を同時に渡す。悪魔は煙草の煙を肴にして酒を飲み、灰は酒を口直しに使って煙草を吸い続ける。

 

「悪魔殺しの悪魔。世界を救うと、どんな感動を人間は得られるのでしょうかね?」

 

「残念ながら灰よ、人殺しと同じく救済に感動などない。それは獣性を持つ者の特権だ。人を愛する神を信仰すれば、その欺瞞を得られるかもしれんがな」

 

「そうなのでしょうねぇ……ふふふ、残念です。救う価値も無く、救われる価値も無い訳ですか。

 私自身が、無価値な人間で永劫に在り続ける真実を認めてしまった時点で、魂は眼前の現実からは逃げられませんしね」

 

 手に持つ煙草の燃え殻を灰は大発火で完全な消炭にし、灰すら残さず焼却した。幻視するのは最初の火の炉。最初の火を燃やし続ける暗い孔の炉、それこそ火の簒奪者。こんな存在、人間の屍を遺灰にする焼却炉と何が違うというのか。そして、そんな存在が世界を救って達成感など得られるものか。

 だが、古い獣を焼却するには相応しい人間だ。

 湖に座り込む悪魔を見下ろし、灰は人の魂を奪って強くなった自分が旅に出た意味を顧みる。同時に人殺しの旅も省みる。

 呪われた意味が欲しかった。命に意味が欲しかった。

 そんな後悔が消えた今となって、獣から世界を救う意味を得た。

 何もかもが終わった後ならば、自身に還る価値はなく、全く以って無意味だった。

 

「はぁ……此処は、感傷が魂に生まれていけません。自分の過去に浸った所で、得られるものなんて無いと言うのに」

 

「獣は、我らのようなソウルにも精神に作用する。だから、惹かれるのかもしれんな」

 

「確かに。出来れば、ずっと見ていたい感動を得られます」

 

 そう自分を灰は嘲笑い、大の字になって背中から盛大に倒れた。水飛沫が上がり、悪魔にも掛ったが、彼は微動だにせず、また新しい煙草に着火して吸い始めた。

 

「………………はぁ、アンバサ」

 

 小さく、獣への祈りを悪魔は唱える。これから殺す神に、彼は何の感動も得られなかった。

 






 読んで頂き、有難う御座います。気が付いたら結構な量でしたので4分割しました。多分、四十万文字は行ってない筈。次回から葦名編を執筆していきます。それはそうとエルデンリングのDLC、楽しみですね。


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啓蒙76:ダークムーンライト<●>

 ちょっと本編前のおまけが考え付いたので投稿してみます


 糞呪の簒奪者(ダング・パイ)。恐らく、召喚された簒奪者の灰の中では一番の美貌。人間の遺伝子が幾度奇跡を起こしても辿り着けないと確信出来る程の美の造形であり、芸術の神が奇跡を起こしてやっと作れるような貌と肉体の黄金律。

 即ち―――被造物(ツクリモノ)だった。

 幾度もトライ&エラーを繰り返し、生まれ変わりの女神の神秘を使い込み、微調整を何度も行った故の美人。猟奇的なまでの拘りを極めに窮め、もはや神秘性を宿すに至り、見た者のソウルに美しいと言う概念攻撃を仕掛ける程の対魂性能を得てしまっている。神による魅了でさえ、もはや糞呪の美貌には及ばない。

 何故、そこまで、この女は自分の美貌にとことん拘るのか?

 単純、より糞たる呪詛を深める為に。美しい人を糞で汚し、排泄物で穢し、肉体を汚物で陵辱するその精神が汚らしい呪いを膿む。彼女にとって己が美貌は汚れる為に作り上げた芸術作品。

 事実、糞呪の簒奪者は美貌自体に関心など糞程も無い。

 だが、美しい光が気色の悪い汚物に塗れる時、忌まわしき感動が業となる。闇の中だからこそ、僅かな光は人間性に差異を及ぼす。

 汚泥の中で人々の為に祈る聖女。悪魔になってまで人を救おうとする姿。

 蛞蝓に覆われた美しい月明かり。宝具たる月光は、故により美しく輝く。

 惨たらしく腐敗した女神の四肢。しかし、流麗な剣技に曇り無く、華麗。

 美しい何かが穢される姿。あるいは嘗ては麗しかった何かが、見るに堪えぬ醜い汚物に転じた姿。

 綺麗な魂が汚物に冒される芸術。それ故に美しいからこそ、それこそこの世で最も醜く、下衆で、蒙昧で、悪臭を漂わせ、無形不定の穢れた呪詛を吐き出すに相応しい。

 糞呪の簒奪者が葦名で取り戻した―――人間性。

 物干し竿を愛刀にするのも、その為。汚らわしい故、最も流麗な剣技によって彼女は人を惨殺する。

 

「可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。可愛い。

 ―――可愛い。

 可愛いから可愛く、可愛いのだ。

 人間性が狂える程、何て可愛いのか。

 これだけ糞団子に囁いても、あの仔は可愛い。糞団子並に、実に可愛い。

 月の狩人、ケレブルム。貴様は非常に罪深き男だ。これ程の可愛い落とし仔を生まれるとは、穢れる為の我が美に勝る愛ではないか」

 

 だからか、糞呪にとって、指の狩人は可愛らしくて堪らなかった。

 汚物に溢れた古都の悪夢の中から、月の人差指として這い出た紐。

 

「そうだ。そうだ。彼女のソウルに呪詛を溜め、捻り出させる汚泥はきっと素晴しい臭いがするに違いない。汚物は汚い程、美しい魂を光らせる闇である。

 ならば……あぁ、深淵だろうと叶うまい。

 皆、糞団子は大好きだ。皆、火を汚したくて堪らない筈だ」

 

 英霊のデーモンにソウルを食わせ、作り上げた肥溜の泥沼。並の簒奪者ならば、平然と大の字になって眠れる程度の醜悪性に過ぎないが、可愛い仔にとっては酷い拷問になる。下水の汚物が溜まる毒沼で安眠出来る灰共の感性が狂っているだけであり、特にこの糞呪の簒奪者が好きモノでしかないのだろう。

 呪い、在れ。祈り、有れ。

 故、魂を呪い合い、命を祈り捧ぐ毒。

 糞の様な救いの無い世界で、糞を垂れるしか能の無い汚物。

 葦名下水路の奥底、糞と毒の王。あるいは、病み村の村長。

 太陽を宿す灰らの一人、糞呪の簒奪者は楽し気に音を唄う。

 序でに愛する物干し竿を取り出し、流麗極まる演武を舞う。

 

「らんらん、らぁんらん。らんらんらぁ~んらぁ」

 

 態と音程を外した不協和音なのに、何故か美声。脳を犯す美しい雑音。その吐息は極上の果実とも似た甘い香りを漂わせ、無論のこと体臭さえも人の魂を虜にする甘さを漂わせる。

 しかし、そんな女が狂い唄う場所は汚物が熟成された葦名下水地下街―――病み村。

 地上の人間共が垂れ流す汚泥が流れ着く吹き溜まりにして、死体が辿り着く掃溜め。

 上質な糞団子作りには最高の立地であり、ある意味で糞呪の美貌が相対的にこれ以上ないほど光り輝く舞台でもあり、彼女の簒奪した火が病む闇の中で美しく燃え上がり、病み沈む村人を惨めな姿で照らし上げる。産業廃棄物である腐った化学薬品さえも流れ込み、遺伝子変異を起きた病み村の住人にとって、糞呪は自分達を罰として焼き照らす恒星であると同時、美の女神以上に麗しい崇拝の対象でもあった。

 今日も、糞呪様の美しい声が聞こえる。村人は、それだけで嬉しかった。

 村の皆は歓喜の唸り声を上げ、病み村は闇の中だと言うのに祭りの雰囲気を醸し出す。

 

「そうだ、彼女を―――(ケガ)そう」

 

「―――いけませんよ、糞呪の」

 

 欲望が太陽となって炸裂する間際、死灰の簒奪者(アッシュ・ワン)が彼女のダークリングを押し止めた。完璧に気配を消していた灰は、何時でも不意打ちの致命特化させた短剣を背後から突き穿てる状態を保ち、惨たらしく糞呪を殺せる手札を見せる。

 病み村も数瞬で鎮まり、何時も通り静かな様子に戻る。下水が流れる音だけが響き、村人らは自分達の生活に戻ったのだろう。

 

死灰の簒奪者(アッシュ・ワン)か……何だ、見張っていたのか?

 糞に脳がやられた異常者の独り言も見逃せぬとは……我が呪い、大したものではないだろう?」

 

 恐ろしい事に、本気で糞呪は自身の呪いを特別視していない。

 所詮、人間、誰もが腑に汚物を溜め込む糞袋だと考えている。

 灰とてそれは同じ考えだ。呪いと化した己が人間性ではあるのだが、他の簒奪者の人間性と比較すれば、実に普遍的な狂気に過ぎない。火を簒奪した灰と言う人類種の纏まりの中において、何ら特別な邪悪でもなく、無論のこと称賛されるべき善意でもない。

 しかし、それは人理の悪によって人間性を取り戻した灰らの常識。

 誰も彼もが、世界ごと人類全体の魂を狂わせる太陽であり、暗黒。

 その事実を人理世界で長く生きた灰は理解し、だが他の簒奪者は理解し切れていなかった。言うなれば、美しい紋様で描かれた曼荼羅の幻か、文豪が妄想した素晴しき物語の世界観の夢か、善悪が交じり合う混沌を完璧に表現した絵画の世か。

 ――ただただ生きる事。葦名の中でだと、楽しくて堪らない。

 それこそ、灰が簒奪者達に与えた恩。同時に罰ともなる悪夢。

 

「良く言います。太陽を醜く穢す貴女は、全ての簒奪者から好かれていますが、同時に警戒されてもいます。誰だって顔面に糞団子は受けてたくはないですからねぇ……ふふふ。

 何より、彼女は預かり者です。

 別段、ただ殺すだけなら素晴しい死なのですが、心を折るのだけは止めて欲しいのです」

 

「だが、そうではない。貴様も同じ感性を持っている故、我が願望も分かる筈だ。それにあの娘のソウルを視るに過去、豚の糞になって肉体が滅んだと分かる。

 ―――穢したい。家族を愛する、その魂を。

 求める事が無価値なのだと、粘液化した屍の沼の中で分からせたい」

 

「それは、最後の娯楽でしょうに。まずは私との契約、古い獣狩りです。そして、根源に眠る魂を救ってからの話です。

 それにあの娘、月の狩人(ケレブルム)の思索でもあるのですよ?」

 

「まさか、あの月に支障があるのか?」

 

「ありません。けれども、私に支障が出るのです」

 

「貴様は確かに、この我よりかは綺麗好きだったか」

 

「糞団子好きな灰に綺麗好きなど、有り得ませんよ」

 

「ふむ。恩人からの願いだ、良いだろう。何より貴様からは、より大きな愉しみの為、目前の悦楽を我慢する有意な人間性を与えられた。我慢は愉しみ度合いを増やす調味料となる。そも我が汚さずとも、あの可愛い娘の血の中は蟲が溢れておる。汚物具合ならば、狩人も我の呪いと大差はないだろう。

 汚れた寄生虫か、穢れた蛞蝓か……いや、綺麗だったと言うのに自らの業で穢れた姿と成り果てる。それを我が愛でる方がより呪われておる」

 

 にっこりと麗しい太陽の笑みを糞呪は浮かべた。度し難い程に美しい微笑みであり、美貌をより美しく際立たせた。それは人でなしの心を容易く感動させ、罪悪感が欠片も無い咎人のソウルを人間性の温かみで癒し、自らが貶めた弱者に償いたいと強制的に思わせて容易く自害に追い込む程の呪いだった。

 尤も灰には一切効果はなく、糞呪は糞でしかない。見た目は無論、感動や情緒、真実と欺瞞にも惑わないのが簒奪者の人間性である。

 

「糞呪の簒奪者、ダング・パイ。その名に相応しい業と化した灰よ。

 折角、この葦名で目覚めた人間性なのです。一時の呪い、一時の愉しみなら、今の時間を大事にして下さい。己がソウルと同様、この葦名の事も滅びるまでは大事にして下さい」

 

「そうだった。簒奪者は、貴様の御蔭で娯楽で得た。それは貴様を介し、この人理からの贈り物だとも理解している。

 ならば、あぁ……ならば、この糞呪―――呪いを今より善くしなければ。

 特異点で起きた邪悪が人類愛故の、欺瞞。偽りの獣性、人を偽る獣の人間性が由来する。

 貴様が特異点を悪夢に孵した訳を解すれば、贋作されし甘き罪が無価値になろう。

 それは勿体ない、勿体ない。勿体無いという価値観、この葦名にて学びし我もまた、このまま遊び尽くして消えるのも勿体無いことだ」

 

「その通りです。その為のフランスとローマの特異点であり、だから葦名には魔女と暗帝も来ました。貴女達、簒奪者が大好きなあの二人です。

 よって指のユビ・ガスコインもまた、葦名特異点と言う絵画を描く為の登場人物です。それは酷く残酷な物語になりますが、その末路の前に貴女が手を出すと、ケレブルムに申し訳ないのです」

 

「真っ当な悲劇に、我が糞は無粋である。確かに、それはそうだ。

 上質な絵画に対して、糞を絵具に汚物で塗り潰す行為に当たる。

 貴様が止めに掛るのも道理は道理。我が個人消費して善いソウルに非ず、あれは貴様が幸運にも月の狩人ケレブルムから啓蒙された―――愛、そのもの。

 ならば、仕方無い。実に仕方無き人道。

 人間性に従い、思う儘に犯さず、偽られた甘い道徳の欺瞞に従い、月明かりのソウルを尊重するとしよう」

 

「助かります。これもまた、古い獣狩りですからねぇ……ふふふ」

 

「いや、こちらこそすまぬ。衝動的に糞を求めてしまうのだ。

 では、またな。そちらもそちらで、酷く忙しいのであろう?」

 

「勿論です。では糞呪、ローレンスさんとは仲良く御願致しますね」

 

「分かっているぞ。我も我で、産廃は好きなのだよ」

 

 そういって、灰は消えて行った。糞呪は穏やかな美の微笑みを浮かべ、呪術で岩を吐瀉する様、口から糞を吐き出す。漏れ出たソウルからの呪詛(クソ)を掴み、ダークハンドと呪術の火が交じり合う呪われた暗い手から燃える波動を応用し、その糞を一瞬で団子(パイ)に形成する。

 外側は焼かれて硬く塊り、だが中身はじっとりとまだ柔らかい団子。

 魂がソウルの業によって消化された後、それに呪詛が融けた排泄物。

 魔術師の視点から観測すれば、第三魔法による物質化した魂の汚物。

 呪いだった。最初の火を貪った暗い魂が、蝕した魂を体内で輪廻させた後の姿であり、それは根源に還って情報が星幽界に帰化された後、また現世に戻る赤子の魂と同じであった。

 糞呪の簒奪者にとって―――輪廻とは、これだった。

 エルデンリングが狭間の地で、魂を樹の獣が食してまた排泄し、人の魂に戻していた様、その本質は根源で運営されるこの宇宙も同じこと。人類種への欺瞞が仕込んだ魂に対する冒涜であり、人は永遠でなければ尊厳など有り得ず、糞呪の魂もまたダークリングが浮かび上がる事で不死となり、誰かの排泄物として魂が輪廻することもなくなった。彼女にとって糞団子とは、生まれたばかりの赤ん坊の魂であり、自分と言う人の形をした地獄を介する輪廻転生。魂を作り出す消化と創造だった。

 そして糞呪は、呪いを作ろうとする。

 葦名は呪詛(クソ)を排泄するのに上質なソウルに溢れている。

 それは糞たる呪いを捻り出す為の生乾く苗床と、その呪いとなるソウルを宿す生きた生命体。肥となる餌は多くある。医療教会が捨てた患者、即ち産業廃棄物。

 初代教区長(ローレンス)とは底無し沼に嵌まる様、ズブズブにも程がった。何より葦名下水街である病み村は、医療教会から垂れ流れる汚物の全てを受け入れる深海でもあった。

 

「産廃、サンパイ、さんぱい。産廃人間」

 

 単純明快、糞呪に美しき神秘が穢れる時の麗しさを思い出させたのは、死灰の簒奪者であった。召喚者である灰の人間性が、彼女を糞呪で在る人間性を獲得させた。

 ただの灰、ただの簒奪者、ただの太陽だったと言うのに、今はもう糞呪の簒奪者。

 灰が冒涜し尽くしたフランスとローマの特異点による人類史の人間性が、何でも無い簒奪者を糞呪に目覚めさせる火種を作り出した。元より、召魂された簒奪者はそう在る人間だったが、その生き方に太陽の感動を与えたのが灰だった。

 

「指のユビ、ユビ・ガスコイン。愛在る魂も食されて糞になるのならば、きっと麗しき人間性の糞団子が排泄される。

 瞳の紐たる指の狩人よ、愛は狂おしいのだろうか?

 魂の器を生殖する父と母とは、どういうものであったか?

 全て過去となって夢見る思い出も消えてしまった。この貌と躰も自らのソウルで生み変えてしまった」

 

 長刃の日本刀――物干し竿を背負い、そして左手に暗い火を宿し、美麗な貌を愛に歪めて糞呪は病み村の自宅から外出する。

 今の彼女は殺したい相手がいた。

 穢し尽くしたい月明かりがいた。

 月―――即ち、太陽の輝きを反射する夜の星。

 簒奪者は自らが太陽と化し、光を宿らせる星。

 だからか、月光を嫌う火の簒奪者は居ない。人間とは、夜の星を輝かせる陽光である。誰もが例外無く、白竜が見出した魔術の原理を徹底まで理解し、知力を根源を掘り進める程に深化させている。そんな召喚された簒奪者の中において、魔術を極めに極めた灰達の中でも、特別に月光の諱を持つ灰がいる。

 そして、その灰は糞呪の視界の中、無差別に見掛けた病み村の村人を、月明かりの聖剣で虐殺していた。

 啓蒙された数多の月光を混ぜ、融かし、合わした聖剣を振う灰は、その葦名で殺した英霊のソウルさえも取り込み、聖剣化した錬成宝具の大剣を愉し気に振い続ける。数多の伝承の聖剣魔剣を、錬成炉に焚べ、月光の渦に鎔け落とし、月光の灰は月光を振い回す。

 輝き、斬る。

 切り、光る。

 断ち、煌く。

 明り、裂く。

 須く、月光。

 全て、極光。

 化け物を一方的に屠る姿は、正しく英雄的。

 だがその本質は血に酔う狩りに過ぎず、悪。

 本人の祈りは所業の善し悪しに関係しない。

 しかし、月光の簒奪者は英雄に非ず。英霊の魂を幾人も貪っても、英雄の矜持は理解出来ず。ただただ目覚めた己が単純な人間性を尊ぶ為、只管に月光を振うのみ。

 

「村人狩りとは悪趣味だぞ。月光の簒奪者」

 

 淡い月明かりを纏う月光剣を村人に突き刺し、そのまま光刃部を爆散さえ、村人は内部から四散して爆死。死して現れる穢れたソウルを月光灰(ルドウイーク)は貪り、魂を吟味し、吸収。そのまま同時に通常大剣状態になった光無き月光聖剣を背負い、背後から聞いた声に振り返る。

 甘い息、甘い声。鼓膜を振わせる甘い魅惑。

 しかし、月明かりの神秘性と比較すれば、糞呪灰の美貌は路傍の石ころ程度にしか月光灰は感じられず、性的興奮もせず、関心も抱かない。並の精神力なら、男性なら数発の射精、女性なら長時間絶頂したであろう美の暴力だったが、月光灰は月明かりに人間性を捧げており、自らの火の輝き全てを月を当て、より深く月光として反射させている。

 

「ルドウイークと呼び給え。その名、実に素晴しき月の響きを持ち合わせる。名の無かった私は、狩人から奪い取ったその名で呼ばれると良い気分になる。そして、月光による殺戮が善い行いだと、葦名で啓蒙された己が人間性に導かれるのだよ。

 導きのなかった灰の私は、だが火を簒奪する意味は月明かりにこそあった」

 

「断るぞ、醜い下衆」

 

「此処まで語っても、拒否されるか。残念だ。だが、貴公の中に在る火もまた、月を輝かせる太陽の輝きである。それもまた、我らの月明かりだ。

 貴公は正しく、美しき醜悪だ。まるで月の導きだよ。

 美しい光を演出する大元が醜い寄生虫の様、貴公の美貌は醜さを際立たせる為の業。私とて生まれ変わりの神秘を愉しんだ過去を持つも、それ程までに貌の整形を極める事はしなかった」

 

「如何でも良い。我が村長をする病み村にて、その狼藉は許されぬ。貴様、命を何だと思っておる?」

 

「買い物に使う通貨を得る手段だな。命を奪えば、魂を得られる故」

 

「道理に動いておるだけか。ならば仕方無い……で、何用か? 糞団子を買いに来たか?」

 

「いや……指の狩人についてだよ」

 

「―――ほぉ?」

 

 即座―――貫通三突き。予備動作が存在しない物干し竿による瞬間技巧。

 あらゆる猛毒、激毒が染み込んだ糞刃が、防御の一切を無視して敵に襲い掛かる。その上、とある英霊の剣技を戦技として学んでソウルに融合させた事で、物干し竿は三度の突きが一突きに凝縮されていた。

 魂が燃え尽き、零の極致に辿り着いた灰の絶技。

 それを迎撃するのもまた、月光の灰による技巧。

 あろうことか、単純に一歩だけ横に揺らぐ様、歩を進める。ただ歩くだけで、月光灰はもうその行動が極まり尽くし、当たり前の様に死の猛毒糞刃を避ける。尤もその程度の業、召喚された簒奪者全てが至っている暗黒領域。糞呪は絶技を普通に回避されることも理解しており、そのまま突きより横へ刃を切り払う。

 だが彼は身を捻り、背負ったままにしてある月光剣の柄で首に迫る刃を受け止める。防御すると同時に、左手に持つ教会の散弾銃を糞呪に向けて発砲。何十発と言う銃弾が同時に彼女へ迫るも、左手から暗い波動を盾の様に浮かばせ、時空間を歪ませるで弾丸全てを受け逸らす。

 

「行き成りだな、糞呪の女。肥え糞を塗りたくった刃で襲い掛かるなど、人道的ではない」

 

「我の趣味だ、許せ」

 

「趣味なら許そう。殺すだけに抑えよう」

 

「有り難い。では糞団子購入時、少し必要な人命を安めにする」

 

「君は寛大だ。まるで糞を溜め込む便穴のような、懐の深さだ。素晴らしい灰の壱である」

 

「褒めるな。欺瞞無き賞賛、我が魂が羞耻するであろう」

 

 と言いつつ、糞呪は糞塗れの毒岩を砲撃の速度で吐瀉。それを月光灰は素の刀身を晒す月光剣の刃の腹で打ち砕き、散弾として叩き返す。そして糞呪は、己が呪詛を混ぜた汚泥の黒炎を物干し竿に纏わせつつ、身を屈めながら踏み込む事で、間合いを詰めつつも糞岩散弾を避けた。それと同じく、月光灰は聖剣に月明かりを纏わせ、月光の大剣を完全覚醒させた。

 直後、月光波が神の怒り(奇跡)の様に拡散放射。火の簒奪者が魂内に宿す太陽の灼熱光を、灰の月光剣は月明かりとして反射させる。彼が作り上げた火なる月光は本来より遥かな極光を放ち、騎士王の聖剣以上の輝ける星となり、問答無用で魂を根源に還さずに殺す光となる。それゆえ死がない生き物も容易く殺し、魂を持つ者であれば、絶対に抗えない絶対殺害光線と化す。耐えられるのは、魂が完全に死んでも蘇る真なる不死のみ。

 結果、地面のコンクリートが淡い光を受けて溶岩地帯となり、一瞬で空気がプラズマ状態に変化。

 近代的な葦名地下街の一角が月明かりに蕩け、光源がない下水路そのものへと光が刻まれ、発光。

 しかし、溶岩の上を平然と歩く簒奪者に高温は無駄であり、火も同様。とは言え、月光波の衝撃は十分以上のダメージとなり、その光を糞呪は穢刃で一瞬で斬り払う。

 

「ぬうぅぅん―――!!」

 

 彼は笑みを深める。相手の技巧を愛する故、月明かりが照らすに相応しい業こそ、月光が滅するべき敵。

 月光の簒奪者(ルドウイーク)は月光を纏う大剣を幾度も素振り、そのまま連続で光波の刃を乱れ斬り撃つ。

 無論、糞呪の簒奪者(ダング・パイ)も笑みを浮かべる。美しい月光こそ、彼女の(アイ)すべき業。

 全ての光波を月明かりと並ぶ流麗な剣技で斬り裂き、光さえも暗い汚刃は穢し尽くし、その美麗な淡い光を呪い落とす。

 そのまま容易く近付き、糞呪灰は物干し竿を振い、月光灰も聖大剣を振った。

 刀身に纏うエネルギー同士は相殺され、純粋な技術と膂力の釣り合いとなる。

 瞬間、斬り、受け、打ち、撥ね、殴り、跳び、反り、弾き、蹴り、それら全てが重なり合い、殺し合う。剣術、体術、魔術、呪術、奇蹟が交り合い、技巧を凌ぎ合う。数秒が数時間に引き延ばされる体感時間内にて、糞呪と月光は人間性を否定し合う。

 だが、僅かな魔力充填の時間を糞呪を相手に許してしまう。

 サーヴァントの真名解放に必要な程、悠長な隙間ではない。

 しかしソウルの魔力を刀身に溜め込み、光波を凝縮・加速させて月光灰は月明かりの斬撃を発射。

 

「これこそ、我が―――月光愛だとも」

 

 月明かりの極大光波。尤も、敵に時間があるなら自分も同じ事。彼女もまた己が闇と繋げたダークハンドと呪術の火を混ぜた暗い火の手へ、魔力を出来る限り充填しており、その光波に向けて呪詛の太陽火を放つ。

 言うなれば―――糞塗れの大黒炎。

 ソウル内の最初の火を使うことで一軒家を瞬時に消失させる物理的な火力に加え、ソウルの重みによって概念そのものを吹き飛ばす対魂呪術であり、それは月光波もまた同様である故、互いに拮抗するのが必然な流れ。

 光波と黒炎が衝突し、爆縮する瞬間―――糞呪は飛んだ。

 水鳥の様に滑空し、全方位を時空間ごと切り刻みながら月光灰を攻撃。しかし、彼はその攻撃全てを月光剣で容易く弾き逸らし、その一撃一撃が相手の体幹を揺さ振る巧みさを宿すも、糞呪は一呼吸で体勢を整えて着地。その地面に足が着く隙を狙い撃つ為、月光灰はファランの剣技を模した狼のような動きをし、地面を滑り込んで強襲する。それを後方に跳びながら糞呪は即座に避けるも、月光灰は地面に散弾銃を突くことで独楽の如き軸を作り、その回転力で追撃を舞う様に敢行。その上で刀身に光を溜め、光波と共に第二斬撃は放った。しかし糞呪灰はそれさえも空中で物干し竿を振うことで弾き落とし―――眼前、月光剣が叩き落ちる光景が迫っていた。

 その上、光波を放ちながら、更には散弾銃も撃つことで逃げ場を封じる。

 だがその程度、心眼以上の先読みで想定済み。糞呪は既に魂の髄から「我慢」を行い、それら全ての攻撃を一切の体幹を崩さす、更には微動だにせず、余りにあっさりと臨死の危機を乗り越えた。そして、我慢で極まった防御と体幹を維持した儘、糞呪は物干し竿を振う。

 究極の連続斬り、即ち―――同時三閃。

 殺した侍のデーモンから学んだ戦技を放ち、月光灰は逃げ場のない糞刃の檻に囲まれる。

 しかし、余りにも悍ましい事実がある。彼は縮地以上の高次元領域による歩行によるものか、空間を跳躍するのではなく、時間が停止する寸前の速度で一歩だけ前方にステップ。狩人を殺すことでソウルが覚えた加速の業を更にソウルの業で改竄・進化させ、古狩人以上の出鱈目な加速を可能とし、同時攻撃からなる刃の檻を平然と潜り抜けた。夢見る様に自分自身を幻にして踏み込み、そのまま月光聖剣による奔流突きを行った。

 絶死の刻、糞呪灰は月光を前に片足を上げ―――踏み躙る。

 そう来るのさえ、彼女は悟っていた。そのまま軽く袈裟斬りにしながら上を飛び超え、着地する前に逆手持ちした物干し竿で背中から心臓を一刺し。

 忍びの技―――影落とし。

 簒奪者共は葦名に伝わる忍術、剣術、武術全てを体得しており、ソウルが学ぶ業に例外は無い。つまるところ糞呪灰だけでなく、月光灰も条件は同様であり、そもそも相手の手札を全て把握している。

 対処は単純、見切れているのなら弾き流(パリィ)し、体幹崩しを一撃で成せば良い。

 当たり前な(ザマ)で、影落としは受け流される。月光灰は左手に持つ長銃をバックラー代わりに使い、物干し竿の刺突を受け流し、達人が行う柔術のような動きで糞呪灰の体勢を崩した。

 ()った―――と、月光の灰は錯覚。

 彼女は態と自分から体勢を崩し、むしろ地面に全力で転げ落ち、その勢いで後方にローリングして回避した。

 

「―――……で、続けるか?」

 

 転がった糞呪を見た月光の灰は、ここが止め時だと理性的に判断。不死故、死んでも続け、永遠に殺し合えるが、今はそこまで殺戮そのものに熱狂してはいなかった。

 

「貴様の美しい月明かりを糞塗れにしたいが……まぁ、良い。

 殺そうとはしたのだ。それで失敗した。貴様に殺された村人に対する義理、病み村の村長としてはこれで返せた事だ」

 

「頭が糞にやられた半ば獣の人間なぞ所詮、獣だろうに。脳細胞が毒に蕩けた者に、情が湧くとは面白い。薄汚い奴等を、薄汚いからこそ愛するとは偏屈極まる。しかし、我らにとっては汚物だから汚いと感じる感性そのものがもはや新鮮。

 これもまた、我らの召喚者たる灰の祝福か。

 だが何より、そも我ら灰は魂喰いに、獣か、人か、神か、化け物かなど気にはしない。人殺しに、好き嫌いはないからな」

 

「趣味だからな。この様を愉しめる人間性を、我は得たのだ」

 

「ならば、確かに仕方がない。私も、月光を愛する実感を葦名にて得た。

 人理の人類史、それより啓蒙された我らの人間性だ。大切に、己がソウルに沈めるのが簒奪者の嗜みだ」

 

「貴様と同じく、元よりこう在る灰ではあったがな。この葦名で善き心を取り戻し、業も極まってしまったよ」

 

「良く言うな、糞呪。自らの魂に対してのみ、善き心だろう」

 

「貴様は違うのかい、月光狂い」

 

「違い等、無い」

 

 究極の月光。月明かりの化身。月を輝かせる為だけの―――太陽。

 だからか、召喚されたどの灰もこの月光の簒奪者を余りルドウイークとは呼びたくはなかった。この男に人間の名前は一欠片も相応しくない。

 只管に、男は『月』だった。

 満月だった。新月だった。影月だった。欠月だった。暗月だった。それに属した名前なら、悍ましき月に相応しく、そう呼んでも良かった。

 何せ、彼が振う月光の本質は太陽の火。

 数多の簒奪者の中、この男が最も月を美しく輝かせる太陽だった。

 故に擬似サーヴァント―――セイバー、ルドウイーク。聖剣のルドウイークの魂を自分に憑依させながらも、その名に何の意味がない極限の『月』だった。

 

「我が最初の火、月を照らすだけの光に過ぎん。そうであれば、それだけで良い」

 

「故、貴様はルドウイークの遺志からは程遠い。あの指以外、そう呼ぶ者など、我らが灰の召喚者程度」

 

「だが、彼の導きは素晴らしく美しき月である。我が太陽が照らすに相応しい醜さだ。啓蒙足り得る月と言うのまた、人間性に他ならぬ。

 ならば、私が月下で這い廻る悪夢の遺志を継ぐ。

 導きの輝ける月となり、この聖剣もまた我が月光に蕩けよう」

 

 月光の灰(セイバー)は月に微笑み、月光剣を輝かせる太陽の笑みも浮かべる。

 その瞬間――発砲音。

 簒奪者の呪術(封じられた太陽)を水銀弾に封じ込め、それを教会の連装銃で撃つ同時二撃太陽炸裂。その上、骨髄の灰も追加触媒として使用しており、敵を貫き、爆ぜ、確実に殺す狩の権化と化していた。

 

「取り敢えず、殺したくて殺してみたが……いや、どうせ死なんが。

 やはり同類。これで死なん故、殺し甲斐がある。

 とのことで、そこの乳繰り合ってたお二人、殺し愛に充実する男女など嫉妬心しか湧かず、撃ったぞ」

 

 カインの兜と鴉羽の狩装束。彼は灰的な私生活の充実、つまりは殺し相手に恵まれるリア充が胸糞悪い為、定期的に喧嘩を売っていた。

 アーチャーのサーヴァント―――ブラッディ・クロウ。

 あるいは達人の簒奪者、流血烏。セイバー以上の剣技を振う癖、狂気染みた火力を誇る連装銃によって弓兵のクラスと化した火を宿す灰の一。いや、悍ましい事実はセイバーより剣技が優れている点ではなく、そもそも技巧を極め尽くした簒奪者達の中において、その究極以上の領域内にて更に達人と呼べる極点に至っている事実。

 

「貴様、またか……流血烏。糞団子に沈むか?」

 

「おぉ貴公、出会い頭の挨拶で発砲とは。人間性も限界と見える」

 

「俺の趣味なんだ。人殺しを咎められるなぞ、許される事ではない。悲しくなってしまうではないか。俺は愉しみたいだけだ。いや、火を簒奪したことで、火を奪い続ける殺戮の旅路の中で、忘れていた人間性を更に忘れ、忘我したと言うのに、だが思い返した。君達の御蔭だよ。

 ―――快楽殺人鬼。

 人殺しが好きなだけの、獣。

 より強い命を殺す事を尊ぶ。

 より光り輝く人間性を斬る。

 死した魂で刀を鍛え、奪った魂で肉を窮め、殺し合いで業を深める」

 

「何を、急に語ってる?

 糞で脳がやられたか?」

 

「だが、あぁだが、しかし―――」

 

「人の言葉を介さぬとは。所詮、獣か。

 まぁ良い。長くなるなら月光を撃つ」

 

「―――輝ける星よ、血に沈め。

 世界を救いたいと足掻く美しき心、その意思。カルデアの者が絶望し、悶え苦しみ、それでも尚、諦めずに、心折れずに我々と殺し合って欲しい」

 

「そうか。で、何故撃った?」

 

「糞呪の灰。他世界の灰の物語に侵入した気持ちと言えば、分かるだろう?」

 

「殺せそうだったから、か?」

 

大正解(インサイト)。殺すことに動機は不要。

 しかし、殺す行動に移る理由の数は、腐敗する程よ。隙を晒したのだ、殺すのが灰の礼儀だ」

 

「礼儀と言うより、常識だ。序でに糞団子も投げ当てると完璧戦術だぞ」

 

「光波狙撃こそ至高だよ。物影から背後に奔流不意打ちし、葦名式致命の一撃たる忍殺も可。

 故、貴公―――……死に給えよ。

 二人同時に殺そうとしたのだ。ならば私と糞呪と共闘するのも、まぁ構わんだろう?」

 

 鴉羽姿の達人灰(クロウ)は連装銃をガンマンの手遊びの様に、クルリクルリと人差指で回す。生命体の遺伝子を描く螺旋のように、廻しながら腕を拡げて拳銃を動かす。錬成炉を使って数多のソウルや千景を材料にし、この葦名で改造した愛用の打刀を血と火で赤く燃え上がらせ、達人灰はカインの仮面兜の中で血に酔った笑みを浮かべる。

 ―――それまた、一興。

 人に殺されるのも気持ちが良い死。

 此処より、言葉は不要。会話以上の娯楽を実践し、人間性へ快楽を注がんと達人の簒奪者へ、二人を月明かりと糞塗れの呪詛を振り上げた。

 

 

 

 

――――<☆>――――

 

 

 

 ―――暗月明り(ダークムーンライト)。あるいは暗い月光。

 月を輝かせる百八の太陽が浮ぶ葦名の宙において、彼もまたその一となる星。そして、葦名の月はその百八の火によって照らさせる暗月と化す。特異点内で浮ぶ実際の太陽はテクスチャの模様に過ぎず、その宇宙空間は特異点の外側であり、だが簒奪者達の太陽は特異点内部で本当に浮かんでいる。

 月光の簒奪者(ルドウイーク)は啓蒙された古都で光る狩人、輝ける星の導きを己が魂に取り込み、この葦名で趣味である星見に耽っていた。

 月と、月が従がえる星の群れ。

 何も啓蒙されたのは上位者から流血した血液由来(ブラッドボーン)の月明かりだけに非ず。

 人理における月光も彼のソウルと化す。嘗ては英雄として死に、そして葦名で召喚された英霊の遺志が境界記録帯として継ぐ聖剣魔剣もまた、彼の魂に情報として記録されている。無論、それは月光灰だけの話ではなく、召喚された全ての簒奪者が、英霊のソウルを簒奪することでソウルに神秘を記録している。

 その気になれば、英霊の座に簒奪者は闇を流し込み、記録帯本体をソウルとして貪る事も出来るのだろうが、その侵略行為は召喚者である灰が契約によって固く禁じている。それをすれば葦名から強制的にソウルを排除され、死灰を名乗るアッシュ・ワンと真に敵対することになる。だからこそ、灰が敢えて特異点に風穴を開けて人理からの干渉を良しとすることで、座からもサーヴァントは召喚され、簒奪者は英霊狩りを愉しみ、そのソウルを娯楽とする自由が許される。

 死の安寧こそ、人理側のサーヴァントによって最大の自由だった。

 セイバーは、故に最大の感謝を人理に祈る。己が月光を聖剣化させる事に成功したのは、人理が人類種の人類史を守り続け、人理が剪定し続けた人類史の遺志を汎人類史が成功者として継いで繁栄したからこそ。

 

「エルデンリング。おぉ、エルデンリング。

 狂い火が流れ星となり、カルデアに流れ落ち、この葦名に来る。死した英雄の遺志、英霊共を導く輝ける星、獣狩りの救世主が、狂った星を連れて此処に落ちる」

 

 月下の流星群。月光灰(せイバー)は未来を星占いで見通し、葦名が滅び去る結末を視た。

 古い獣狩りは成され、死灰が思い描いた様、根源は人間の手で守られる。魂の究極である古い獣は簒奪者達のソウルの業へ還り、自分達は人理の業と獣の業を手に入れた後、元の世界に送還される。

 

暗月明かりの剣(ダークムーンライト)

 

 そう囁き、セイバーは月光剣から極光を宙に向けて放つ。全力全開、最大限の月明かりが葦名を照らす。彼の剣から伸びた光波が空を裂いて宙さえ真っ二つに両断し、時空間ごと世界が斬れることで宇宙外の高次元に繋がり、根源同様、様々な外世界を観察可能な孔が啓く。

 月明かりと、それだった。

 夜を照らす輝きであり、高次元暗黒も例外ではない。

 エルデなる暗月の宙を葦名より月光灰は見通し、未来を見通すことで理解した他世界異星も解し、その月光も旅卿の簒奪者から得た情報より簒奪する。

 無。虚無。空。空虚。

 孔にして洞。啓いた事で葦名は異空から見られるも、此処が深淵。此処が地獄。

 太陽は地獄でもあり、あらゆる地獄を好む簒奪者が覗いて来る者共へ、己が地獄を啓蒙する。

 即ちセイバーとは、月光と言う名の人型の地獄。彼に憑依させられたルドウイークのソウルは導きそのものを啓蒙され、悪夢より深い人間性の悪夢、魂の地獄に落とされてしまった。

 尤も、あらゆる簒奪者がそう在る地獄だった。例外は一人もおらず、地獄に落ちたことで自分自身が地獄と化した。その魂は死後の世よりも悍ましい異界となり、それぞれのソウルが好きな地獄を悪夢として夢見ている。

 ならば月光の灰が夢見る地獄は―――月明かりの闇。

 彼は月さえ在れば良かった。月と言う美しい星が空に在れば良かった。

 自分自身が太陽となって月を輝かせる事が、夢だった。その果て、彼は火を簒奪したことで月明かりの悪夢となった。

 

「私となったルドウイーク様、聞こえていますか?

 我が火が照らす月光の波は、君の鎮魂と為り得ましょうか?

 ルドウイーク様を食べた事で私は男の体に生み変え、人理救済の為に抗う英霊様方の魂を多く食べ、英雄の心得を得た私は善き人間性を手に入れました。

 ―――そうだとも。

 月光は、導きだった。貴公にその正体が寄生虫が脳に見せる幻覚の筋だとしても、この月は神の欺瞞が見せる火の影だ」

 

 月光灰は本来の美貌―――月の様な淡い美少女の貌に数秒だけ戻るも、セイバーのソウルである馬似の端正な男顔に変わった。

 彼女は葦名で召喚された後、セイバー化することで彼と為り、男性体へ性転換した。アッシュ・ワン曰く、人理のサーヴァントが伝承と性別が違うのは良くある事らしく、逆にセイバーらしいと嗤っていた。

 その手の趣味を彼女は持っていなかったが、男と言う肉の娯楽も愉しい性生活だ。

 月明かりの原典は鱗の無い白竜であり、生命倫理を弄ぶ人間性こそ月光の精神とも呼べ、その対象は自分自身も例外ではない。自分を犯していた男が実は自分以上の美少女だったと知った時のセックスフレンドの驚愕する貌は楽しく、その娘を男に変えて自分は女に戻り、もう一戦するのも冒涜的で面白可笑しく、葦名で趣味を愉しめる彼氏な彼女も作ってみたが、出来上がったのは異形の赤子だった。

 白竜の業を使った生命冒涜にしかならず、子供が為せないダークリングの持ち主が道理を曲げても、その赤子に宿るソウルは己自身の延長でしかなった。

 月明りの無貌。生まれた直後に死に、不死故に蘇り、それに魂が繋がる母も死に戻る。

 だが変異亡者化現象―――アゴニスト異常症候群罹患者となり、母と落とし仔はソウルが混ざり、融け合い、デーモンと成り果てた。

 ―――愛の模倣。愛すると言う社会性動物が持つ本能の真似。

 そして、その二つのソウルも月光に溶けた。二人の遺志を継ぎ、やはり灰は灰でしかなかった。

 だが、そうではなかった筈。神の欺瞞、偽りの甘い命に不死が騙されていた時、まだダークリングが浮んでいなかった時は、灰らはまだ理解出来ていた。本能通り、愛と言う感情が脳で機能していた。

 

「月見とは風流だ。だが、宙を斬るのは無粋であろう」

 

「原罪の簒奪者、アン・ディールか。居城から出て来るとは、何用か」

 

死灰灰(しかいばい)、我らのアッシュに唆されてな。奴から貰った遺伝子構図で作った新種の竜を実験に使ったが、汎人類史で言うジェット飛行型戦闘機になり、私と何故か殺し合いになってしまった。

 なぁ、月光灰(げっこうばい)よ。どうか、どうか、下らぬ愚痴を聞いてくれない哉?

 この魂から生み出た仔だと言うのに、間引き殺すことが最大の益となってしまった親の葛藤と言うものを」

 

「月が出ている間ならばな、原罪の」

 

「貴公は優しい男だ。まるで火を学んだ白竜が、絵画の空へ浮かべた月のように」

 

「そうか。とても嬉しい褒め言葉だ。女神に口説かれるより、心地良い」

 

「そうかね。では、私の話と行こう。長い無駄話になるが、長い夜を過ごすのに丁度良い暇潰しにな」

 

 人理。それを知る灰。その一人である原罪の簒奪者、アン・ディール。葦名のサーヴァントとして、カルデアにてアン・ディールを名乗っていた死灰の簒奪者(アッシュ・ワン)より、敢えてアン・ディールと原罪の銘を与えられて召喚された灰。

 とは言え、この葦名にいる簒奪者は全員が原罪を探求する灰。

 各々が自分の絵画の中、地獄(ノロイ)と化した己が人間性を深めていた所を葦名に召喚され、人理の人間性を得た事で個の心を獲得する。それは原罪灰(げんざいばい)も同様、火と命と竜を使命として学び、やがてソウルが枯れ果てた後、火の無い灰となって蘇った不死の呪われ人であり、その研究は火を簒奪しても続いていた。

 そんな原罪の灰からしても、人理の業は素晴しかった。人間は、人間だと感動した。

 神の欺瞞が不死に甘い命を偽る様、人理は人類史と言う甘い夢を人間に見せていた。

 だから原罪灰は人理を滅ぼすべきだと思った。だが人理は、人間が星と共に見る夢。

 ならば、あの灰がそう語った様、灰らが火から簒奪した人間の理を正義と言う名のクラブとして振り下すのは欺瞞そのもの。自分たち神が太陽の時代を独占する為、偽りを囁き、命の温かみを偽り、奴隷として使う為に真実を騙していたのと同じ。

 阿頼耶識に人類種外の意識が寄生しているのなら、この人理は人間を騙す神たる嘘。よってアラヤの天敵である上位者の精神が古都に封じ込められ、人間の集合無意識に寄生していないのは、月の狩人による悪意無き善行なのだろうと原罪灰は理解していた。

 

「ならば……―――星は、人類種にそう在れと望んでいない。

 この理の在り様、人間性そのものが理となって人を運命の牢に入れておる」

 

「そうだな。もはや人代だよ、此処は。我々が夢見た希望の未来、その先だ」

 

「しかし、その上でこの様だ。人が人に対し、神を気取るのならば、人も神」

 

「どうあれ、人が人を騙す世界だ。神の欺瞞はないが、人の欺瞞が支配する」

 

「神となった人間。自分達で自分を騙す世。不死こそが甘い偽りの命となる」

 

「あぁその通りだ、原罪の。此処では逆になる。人間が決めた命の在り方だ」

 

「月明かりで見通せた事だ。我々の業は魂を奪う死に過ぎず、我らは無価値」

 

「そうなる」

 

「であれば、もしこの人理の仕組みを変えるとなれば、我らが神となって新しい理を創造する事になる。

 だが―――許されぬ。

 人が人以外のソウルで冒涜され、この憐れな様ならば、遠慮は要らぬ。星たるガイアも関わっておるが、所詮は文明の餌となる命。人理がそう在る様、星は人に滅ぼされるまで、そも人類種の奴隷として無価値な延命を繰り返す運命に囚われた。

 となれば虐殺となる。獣の役目を受けた者共、ビーストが殺戮に走るのは、人間が求める罰の具現だ。

 そして、私は人間性から人間を救う術はない。否、救われるべきではないと思う。そう在り、在り続けた未来が今ならば、救われない人の儘に業を深めよ」

 

「殺すだけの魂で在る故、仕方がない」

 

「そうだな、月光の。やはり人は、己が業に苦しみ続けるのだろう。

 しかし、それは良い事なのだ。そして、善い事だと判断してしまう。故に我らは人類史の獣共の様、人理から人を救済する意志を持ち得ぬ人間となる」

 

「無論だとも。私が火を簒奪したのは月明かりの為だけだが、間違いを正すことを良しともした。人を神が作った火の理から脱する事が良いと思ったからだ。より苦しむ未来が世界に続くのだとしても、人間性が暗く沈むのだとしても、人の真実が苦しみならば、それこそが魂の在るべき現実だ。

 今の人理は、そう言う時代だ。人が人類史繁栄の為、より善き未来の為に苦しむ星の世。

 我々の魂からすれば窮屈に思えるが、そも此処の人間は自分達の集合無意識で世の理を運営している。謂わば、我らにとっての闇とも言えるもの」

 

「人間が、人間の為に苦しみ抜く事が人理の本性だ。その果て、星を滅ぼそうともな。

 やはり可能な善行は皆無。やるべき事もなく、慈悲も無用。文明繁栄は見守るのみ。

 苦しみ続ける因果を断つのが、人類史を欺瞞する悪か。我らの心が闇で在る様に、人理の人々は自業の自罰で苦悶するのが原罪となる」

 

「善かれと思い、人理を変えれば獣となる。神と言う名の獣だよ。だから古都に籠もる月の狩人、ケレブルムは上位者共の思索からアラヤとガイヤを保護しているが、思索の為と自分の精神で集合無意識を汚染しなかった。弟子である星見の狩人、我らが簒奪者の星であるオルガマリーに、人理思索を求める好奇心を敢えて植え付けなかった。無論、星見の狩人が自発的に己を啓蒙し尽くし、人理に感応してカルデアよりアラヤに寄生し、人々を導く一筋の光となるならケレブルムは止めはしなかったが、悪夢は悪夢の儘。現実にて、そうはならなかった。

 ならば、我らもそう在るべきなのだろう。

 何より、人間の業からこの星の人間を救うとなれば、此処で生まれた悪夢が為すべき邪悪だろう」

 

「貴公はやはり、月明かりに相応しい。何故、ルドウイークなどと名乗るか理解出来ぬが、その月は人理にとって永遠の安眠を齎す薬となろう」

 

「如何でも良い事だ。私はただ、今は只、月を美しく輝かせる薪の星となるだけだ」

 

「原罪は、業が深い」

 

「貴公が言うかね?」

 

「天使の繭より天使蝶の竜を生むも、それはデーモンの業と魔術王の叡智があればこそ。彼が神から授かった神秘を簒奪することが人間の在るべき姿であり、その技術を文明へ真に解放し、安全弁の自壊を克服する事が、人理が育てた人間性の証明だろう。

 人で在れば、前時代の古い人たる神へ敬意を示し、今より排斥しなくてはな。

 そう考えれば、神とその血が独占する星の技術を、人代に啓いたソロモン王の素晴しい魔術師だ。きっと彼は人の善き心、我ら人間が抱く人間性を愛する男に違いない」

 

「その台詞、カルデアの人には言うなよ。ある意味、悦楽は得られるかもしれないがね」

 

「確かに。人が心の赴く儘に、魂を剥き出しにするのは胸へ迫る感動がある」

 

「違う。私が言いたい。我が月の為、ありがとうと」

 

「ふむ。確かに、我が原罪もカルデアに繋がる。感謝は、しなければならぬか。

 今のこの身はキャスターのサーヴァント、アン・ディール。我らが灰の君が英霊召喚術式を悪用出来るのは、それを作ったソロモン王が根源にあり、人理の為とフェイトを仕組んだカルデアのマリスビリーに他ならん」

 

「然様だ」

 

「ならば、原罪を深化させねばな。その点、頭の狂った首狩り民族である日本人の国、葦名は研究を静かに出来る良い国だ。人の生首に価値を感じる日本人と言うのは、実に面白い愚かさだ。首を金品で交換し、首の数で地位が上がるらしい。

 あぁ、清々しい程の蛮族だ。野蛮人だ。死を恐れぬ獣の勇者だ。実に、実に、人間らしい社会性だ」

 

「武士道の価値観だな。我らで言う騎士道に通じるだろう。

 尤も我らが生まれた世は、この世界の文明文化が良く似ており、武器や技術と共に侍の道理もロスリックに伝わっていたが」

 

「不可思議な類似点だが、疑問はない。描かれた絵画となれば、題材の元となる素材が存在するのが必然だ」

 

 首狩り民族―――日本人。簒奪者からすれば、ある意味で親近感を覚える良い人種だ。

 彼等は戦時の中、首を戦果として欲する殺戮の民。金や強さにも変わるソウルを貪る不死と欲得の本性は何も違わず、命とは消費する燃料に過ぎず、やはり人間は人間だと納得出来た人間性だ。

 常識は、何処でも同じらしい。

 人は人を様々な因果にて殺す。

 更には日本人だけが特別なのではなく、生命の価値はどの国、どんな民族でもそう変化はない。

 他国の多民族を植民地として支配し、常識や価値観を押し付け、本来の人間性を歪める邪悪を、国の正義として行うこともある。その為の殺戮を良しと笑い、自分達に利益を齎す善き未来への希望として、愉し気に人間性を犯す罪を為す。それらは灰らの世でもあった人間の業。人理焼却が起きた汎人類史でも未だ続いており、神気取りの愚かな凡人が人間社会を運営するのは変わりない。いや、賢人なら社会を導く等と言う生贄役をやらないだろう。

 やはり人も生命。所詮、神と同じ獣に過ぎない。

 だから灰は人を人間から救う道理を持ち得ない。

 デーモンや獣、あるいは特定個人の企みから世界を救えるが、人間性だけは救済する気は一欠片もない。それは人へ神が行った冒涜であり、灰にとってはむしろ人の業で苦しむことが人間性だ。

 

「我らが灰の君が啓蒙した人理と人類史、非常に善き人間性だ。

 闇と言うある種、無欠なる平等な価値観を有する我ら人間にとっても、やがて闇の中で火を灯さずとも差異が生じる未来を観測出来た。そして、故にまた火は闇の中で灯るだろう。新たなる最初の火が生まれるだろう。

 だが闇たる我ら、此処までの差は生まれない事だ。

 所詮、不死。自らの魂だけが真実だと、深淵より暗い闇と繋がる己がダークリングより啓蒙される」

 

「その点、冷たい孤独な様でいて、その実、魂たる暗黒を共とする我らは全体が闇。ただただ人型の闇となって個を維持する生命である。

 しかし、火の封を喪った我等のダークリングは、単なる闇へと繋がる暗い孔と化した。人の形に価値を失い、魂に尊厳を必要としなくなった。

 ――人を、人にしたことは否定出来ぬ。

 太陽の光の神にそのことだけは、感謝せねばならぬ。

 奴等の欺瞞がなくば、そも欺瞞を赦さぬ憤怒の人間性も芽生えず、何にでも成り得る闇だった。人知無能にして不全有欠の人類種であった。

 どう足掻こうとも、人間性に尊厳を宿したのは神なのだ。奴隷として使役する為の虚偽だとしても、我等は使命に価値を感じるのは神からの呪いであった」

 

「だがそれは、神が求めた火の時代の押し付けだ。人の領域を火によって植民地にするやり方だろう」

 

「無論、そうだとも。価値観を塗替え、常識を作り変えること。我等の世界における人間の国も、他国をそうして占領し、文化を冒涜するのは当たり前な侵略であり、正しくその業は神から始まったとも言える。それは価値観の書き換えであり、強制された精神の汚染。

 人理の人類史も同じだ。人間は、人間だよ。

 しかし、今の(ザマ)になったと言うのに、神気取りの欺瞞は好きになれぬ。故、この星の人間社会の在り様は、人を騙す神の薄汚さが見えて気色が悪い。

 だからか、私はこの人理が人を照らす神の太陽に見えるのだよ。

 いっそ、人の魂の為に滅ぼすべきではないかと、そう思うのだ。

 此処は原罪の渦だ。人が欺瞞を良しとする地獄だ。

 私が否定した業を、この星の人間は繁栄として享受している。人間社会としても、運命を管理する人理としてもだ」

 

 月光灰は、その怒りが良く分かる。植民地化の業は酷いものだ。人間性を穢す欺瞞の極みの一つであり、神が人に行った悪意が、この汎人類史では溢れている。カルデアがビーストから救った現行社会でも、人が人を騙して搾取し、尊厳を犯し続る醜い社会しか形成出来ていない。

 時代を作った神が人類種に行った罪。同類の邪悪を永遠に正せないなら、汎人類史の欺瞞も永遠。人間社会を焼き払った人理焼却も、獣が人に向ける葛藤の成れの果てだろう。

 

「殺したいのか、原罪の灰」

 

「滅びが見たいのだよ、月光の灰。

 自業の自罰、業の渦。己で己を欺き、苦しみ続ける有限の螺旋。それでしかない人類史の未来にて、神を気取る人間性の末路を」

 

「それは、星の滅びだろう。我等が火を奪い取ったように、人理の人間共は星の魂を簒奪する」

 

「やはり、そうか。貴公の星見占いは未来そのもの故、あの灰が言う事は全て真実であったか」

 

「ああ」

 

「神が人に見せた甘い生命の時代。人間が不死ではなかった世界。それは最初の火によって演出された幻であり、人の真実たる闇を火で封じ、神と言う位が人より上であり、貴い在り方だと社会的価値観にて騙す。

 人理とは、我らにおける最初の火による虚構の世。造られた時代の夢幻よ。

 ならば、この星の魂こそ火である。人が人で在るのなら、やがて人は火を消すか、奪うかしかあるまい。自らのみの人間性で独立し、苦しみと言う自由な闇へ解放される。

 この星の人間が宇宙と言う暗黒を目指すのは、己が魂が星が見せる夢に縛られている事を、何処か心の内で悟っているからかもしれぬ」

 

「成る程。原罪は終わらぬな。自らが終われないのだから、当然だな」

 

「そうだぞ。醜いと憤りながら、だが私は人理の業を見守ろう。

 私が絵画へ思い浮かぶ希望の未来を、きっと彼等は余計な御世話だと、欺瞞を嫌う我等の様に嫌悪する」

 

 だからこそ、原罪の灰はこの星の人間を素晴らしく思う。その苦しみ続ける人間性を尊んだ。

 それが、己の救い難い原罪だと知りながら。そして、原罪を持つのはどの世界でも同じ。時代と言う素晴しき夢は、だが甘くとも嘘であるならば人間は否定しなければならず、人間性に自由を与える為、人間は星を未来で必ず否定する結論へと至る。

 月光灰は、月の明かりからその全てが啓蒙されていた。

 差異無き世など無い。個を得た時点で元には戻れない。

 その結論を以て、特異点葦名はカルデアが終わらせる。 

 人間から人間を救う事は出来ずとも、だが古い獣と言う災厄から魂を救う事は出来る。殺せば良いのなら、ただ殺すだけで獣の地獄からは救われる。他の地獄が星には溢れ、人理も所詮は地獄の一つでしかないが、この地獄だけはきっと灰達が終わらせることだろう。

 

 

 

 

――――<☆>――――

 

 

 

 行き着いたのは―――感謝。偉大なる暇潰しに、感謝する。

 人を殺す為の業へ、毎日、毎日、真心を込めて、武術の素振りを行う。神でもなく、誰かにでも無く、武術を極め続ける自分の魂に祈りを込める。動作の一つ一つが究極へ至り、そのまた先に進み、それでも尚、終わり無き果てまで鍛え続ける。

 殺戮の業、人を殺す術理。言葉では何とでも言えるが、根底として基礎鍛錬は大切だ。

 何より、腐敗する程に時間は余っている。大事な娯楽を疎かにする意味が存在しない。

 

「だけど、君は行き過ぎだと思うぞ。凡剣のクレイモア」

 

「……月光ばかり振り遊ぶお前に、言われる筋合いはないが?」

 

「そうだが。まぁ偏屈なのは(みな)同じだな」

 

 凡剣の簒奪者、クレイモア。葦名でその名を名乗る通り、愛剣として使い続けるクレイモアにのみ人間性を捧げる武の究極。クレイモアと言う形のソウルであり、クレイモアを振う現象と化した人間であり、クレイモアと言う概念を愛する精神性。

 何ら特別な剣ではないが、神も、火も、闇も、人も、これ一本で全て殺す。

 凡剣を名乗る様に、使う武器は何ら変哲もないクレイモア。火の簒奪者となった現在、ソウルと素材で今尚も我流の鍛冶で刀身を極めてはいるが、そもそもは道端で転がる死体から拾った量産品の一つ。偶然でも、運命でもなく、死体漁りで手に入れたコレクションの一つ。

 それを愛剣とした理由は、特に何も無い。クレイモアに拘る価値も無い。

 しかし、何でもないクレイモアで戦い続け、武器に慣れたからと惰性で使い続け、やがてクレイモアと言うカタチの暴力に至る。その内、クレイモアを振いたいから敵と戦い、クレイモアを鍛えたいから命を奪い、クレイモアをより善いクレイモアにしたいからとソウルを貪り、クレイモアを最強のクレイモアにしたいから、最初の火を鍛冶の火種にしてみたかった。そうすれば時代さえもクレイモアとなり、クレイモアで時代を斬れる。

 何故なら、彼こそがクレイモアだからだ。クレイモアで在れば、それで良く、そうでなければ意味はない。クレイモアが自分となったのは、試し切りで亡者を斬った瞬間だろうと凡剣の灰は理解していた。その時、人殺しの業はこれで良いと納得して使い続けた。故に慣れ、使い込んだ。

 修復と手入れで綺麗な刀身をしているも、形自体は死体漁りで拾った時の儘。

 猟奇的なまで研磨され、極限の切れ味を物理的にも可能にしているが、それは凡剣灰(クレイモア)の職人芸だろう。そして葦名で凡剣灰が簒奪した全てのソウルは、愛剣クレイモアを振う為の技術と化している。

 

「精が出る。その剣と化すソウルも喜んでいよう……」

 

 闇の中でも更に黒い深淵。暗く澱む静かな声。空間に開けた孔より、その者は唐突に現れた。

 深淵の簒奪者、マヌス。闇の魔術師、あるいは深淵の闇術師。

 バーサーカーのデミ・サーヴァントにして、キャスターとのダブルクラスを持つ灰。暗い闇術に長けた深淵狂いではあるも、ソウルには火が宿る簒奪者でもあり、何処からともなく現れる神出鬼没な男だった。

 

「……で、深淵狂い。何か用かね。

 用がなければ、穴蔵から出て来ないだろう?」

 

「いや、趣味の暇潰しぞ。外出はしておるのう。普段、こうも深淵深淵した格好で外出していない故、その印象が付いたのみ。

 召喚されてまで、世界の隅へ態々引き籠もらぬわ……まぁ、そう言う闇霊はおるが」

 

「ほぅ……では、私と街中と擦れ違ったことも?」

 

「猟奇的な微笑みを浮かべ、変異亡者共……いや、この葦名ではアゴニスト異常症候群罹患者だったかのう……その憐れな人間を、狩っているのをな」

 

「それは、実にお恥ずかしい」

 

「人殺し等、羞恥としては強姦と変わらぬ咎よ。人様の前で行う罪悪ではない。其辺、無理解な悪人てもある愚者が多い。

 尤も、人様の前で全裸になるのを躊躇わぬ灰に、その羞恥心はなかろうがのう」

 

「全く以て、お恥ずかしい。だが殺人と言う尊厳の陵辱が、人間は大好きである。そして、私は人間であった。そう理解しておきながら、人殺しにより、私は人に殺される人を助けた過去を持つ。やはり救われた人を見れば、魂からして喜びがある。

 善意とは、誰かへの悪意となる。

 尊厳とは、誰かへの陵辱となる。

 如何に綺麗事を塗りたくろうと、怪物狩りも、獣狩りも、不死狩りも、神狩りも、致死の羞恥である。正義も教義も、心で魂を慰める行為だった。

 故、月光だけが不変だった。

 人でなしが為す人狩りでさえ、月明かりは芸術となる美しさだ」

 

「同意するぞ。深淵もまた、酷く優しい。生温かい。決まりもなく、囚われぬ。善悪問わず、ただ深いもの」

 

 深淵灰(マヌス)は不定の左腕を伸ばし、空間に孔を穿ち、そこへ腕を突っ込む。其処よりぬるりとローブ姿の男を取り出し、余りに自然な雰囲気で誘拐の完全犯罪を達成した。

 そのローブ男を、凡剣灰(クレイモア)月光灰(ルドウイーク)も見る。

 どうやら、正体は夢であるらしい。狩人に近い朧気な生物であり、人類史に感応する精神の持ち主。三人の灰は相手の名も魂も人間性も理解し、だが男は夢見人であり、且つ非人間だった。自分達の様な真っ当な人間ではなく、しかし男が人類種に分類されるのは分かった。

 

「―――おや?」

 

「覗き見をしていたな、人類種。いかんのう……我らのソウル、この宙が生む時空間に囚われぬ。

 例え、未来や過去から観測したのだとしても、見ると言う事は見られると言う事よ。人理の世にはソウルを擽られる言葉がある。

 深淵を覗く時、深淵もまた覗いている。あぁ、全く以ってその通りじゃ……お主、深淵を理解したいのじゃろう?」

 

「いやぁ、ははは……―――これは参ったな」

 

「人の心を得て、感動を得たいのじゃろう?

 自死が希望の未来と感じる程の、罪悪感を味わいたいのじゃろう?

 ならば、お主は人間に落ちると良い。我が深淵の渦、地獄の火となってお主の冷たい心を生温かく癒し、心無き冷たい魂へ火を通そうぞ」

 

 暗い深淵の手が男を優しく握り締める。潰すのではなく、塗り潰す様、這い侵す様、深淵が染み込み出す―――直前、不可視無拍子の斬撃。初動なく動く体は大剣を振い、触れ得ぬ深淵へ刃を通して切断する。無の境地へ至った超越的技巧の持ち主だろうと斬れない筈だが、その剣士からすれば斬れない方が道理に合わず。

 凡剣の灰、クレイモア。彼は絶望的な魂の処刑から、ローブの男を助け出した。

 後、万分の一秒でも斬るのが遅ければ、男の"人間性”は全て深淵と同化していたことだろう。

 

「マヌス、そこの覗き魔はカルデアの旅路に必要な人間だ」

 

「分かっておる。故、その禁忌に惹かれるのだ」

 

 凡剣灰(クレイモア)は黒竜由来の眼力で覗き魔を拘束しつつ、だが剣を右手に深淵灰(マヌス)から守っている。そして深淵灰は右手に持つ槌杖に暗黒を纏わせて闇の剣を形成しつつ、背後に三十を超える人間性の塊『追う者たち(アフィニティ)』を浮かべた。

 ゆらゆらと闇術の秘奥が揺れる。分裂し、更に数が増え、既に上空へ三百以上の追う者たちが渦巻いている。もはや人間性の雲となって空を遮り、一瞬にして暗黒領域となり、寒くも暑くもない生温かい空気に塗り潰される。

 

「星の楽園へ返してやれ。その魔術師、人の営みに影響がない無毒無害の蟲と変わらん。

 何よりも、美しい心の持ち主だ。月明かりの如く、無機質な湖面に反射して波立つ風景の紋様だ。玩具にしたい気持ちは理解出来るが、それでは脳無し亡者と同じ魂の奴隷となる」

 

 錬成炉を使って月光剣へ融かした杖やタリスマンにより、月光灰(ルドウイーク)は大剣一本で魔術と奇跡を使用可能である。あるいは、火により呪術(パイロマンシー)さえ。

 即ち、淡い剣の月明かりより、月の魔術が結ばれた。月光灰の背後、月光の結晶塊が浮ぶ。

 一つ一つが月明かりを受ける星々となって、月たる月光剣に率いられて宙に流れる。導きの一筋らが光り集まる流星群だった。

 そして、月光と深淵の飛礫が衝突。光と闇の戦いが何百と煌めき、軍配は深淵灰に上がった。二人の灰が追う者たちの渦に対処している間、虚空より穴が開き、再度ローブ男は暗い深淵の左腕に捕まり、絶体絶命の危機へ陥った。

 

「まぁまぁ、落ち着き給え。ほら、覗きをしていたのは謝るからさ」

 

「必要ないのう。覗けると言う事は、我等が灰の君が葦名を覗くのを許したと言うこと。そして、覗き者に呪詛返しがないのも、それが罠でもない事が理由だろう。

 故にのぅ……夢見がちな賢人よ。

 私がお主を捕えたのは、そのソウルに好奇が湧いてしまった。それだけなんじゃよなぁ……ある種、因果律が働いておるのもしれん。

 愚かな好奇がお主は湧き、好奇心を宿すお主に私も好奇が向く。何と言う事だろうか、相思相愛であるならば、魂が闇に蕩ける末路も幸福な終わりと言えると思わぬか?」

 

「無いないナイ! それ全然ハッピーエンドじゃないからね!?」

 

「そうか……―――ふむ、ならば仕方無い。

 同胞からもお主のソウルを貪り犯すのは反対の様であれば、我慢するのも一興か」

 

「もしかして、君……適当に開けた孔から、私をポイするつもりじゃないよね?」

 

「さらば。あぁ、さらばだとも、マーリン」

 

「さようなら、マーリン」

 

「頑張りたまえ、マーリン。グッバイ。

 それとマヌスが空けたこのマーリン用の孔、略してマーリングって言うのはどうだろうか?」

 

「チクショウ、このダークヒューマン共め!!」

 

 凄く憎たらしく元気に手を振る深淵灰(マヌス)月光灰(ルドウイーク)凡剣灰(クレイモア)。マヌスの暗い手から地面に空いた孔に投げ捨てられたローブの男が、心持つ"人間”らしく恨みを込めて叫んだ。そして、ゆったりと孔に彼が沈む中、中指を立てた右手を上げ、熔鉱炉に消え逝く機械兵士みたいに葦名から去って行った。

 現代人理社会において、映画は娯楽。アニメも同様。

 灰共からすれば、人間性から生じた素晴しき新芸術。

 汎人類史で築かれた文明は集積され、暇潰しに最高。

 ある種の感動を灰の三人は覚え、両手を掲げて拍手。

 エンターテイメントを理解する夢魔の人間性は、悦。

 即ち、感動だ。この人理の根底、文明は愉快で面妖。

 夢魔の観測者役を請け負う自己犠牲に免じ、阿頼耶識にダークソウルを送る事はせず、文明技術にソウルの業を啓蒙する事もせず、何もしないでおくことに決めたのだった。

 

 

 

◇◇◇◇<■>◇◇◇◇

 

 

 

 人理探求。あるいは、世界探索。魔術、呪術、仙術、法術、奇蹟、そして体術。

 最後に――――魔法。

 旅卿の簒奪者、アッシェン・ジャーニーは旅する為に旅をする旅狂いの灰であり、あらゆる世界を旅して回っていた唯の其処らの平行世界に居る火の簒奪者に過ぎなかった。だが葦名に召喚された事で旅卿の字を授かった。そして、皆がそうであり、名無しの灰だったと言うのに、アッシェン・ジャーニーと言う名を獲得した。

 元々は見た事ないものを見たかった。

 自分が知らない事を知り得たかった。

 気が付けば、何も得られない程に全知全能足り得る闇と火のソウルと成り果てたと言うに、それでも尚、その灰は旅を自分が太陽を簒奪したとしても止めなかった。

 だからか、この葦名は旅卿灰(ジャーニー)にとって楽園だった。

 夢幻の中で冒険を無限に繰り返す現象に過ぎず、嘗ては旅する人型の地獄で在った。だが旅をしたいと言う人間性を取り戻し、旅する為の動機を取り戻した。

 

「――――と言う訳さ。これで、その世界での物語は終わりって感じかな。

 どうだったかな、月光の灰。人理の文学に学び、ドラマチックに面白可笑しく脚色したが、嘘はない話だよ」

 

「最高に面白い旅話しだった、旅卿の灰。まさか、月に異星人の秘密基地があるなんて、この葦名を去って自分の絵画世界へと戻った後、自分の世界の外側である人理の世を探索したくなったな」

 

「そうだろう、そうだろう。旅は良いぞ。旅行は人間性を豊かにする。人殺しの罪を積み重ねる冒険活劇は、灰の業だとは言え、美しい自然や古代文明の建築技術に夢見るのも善いことだ。

 その旅で新しい神秘や武器、あるいは戦闘技術を得るのもまた素晴らしい旅の宝物だ」

 

「それで君は、どんな宝を手に入れて来たのだね?」

 

「何を言っている。私を殺して貴公がソウルを知り得た様、私もまた貴公のソウルを知り得ている。殺し殺され、互いに魂を交り合わせたとなれば、それ以上の理解は人類種には皆無。

 もはや我等全てが、魂から愛し合う関係と言える訳さ。

 だから、そう在る。欺瞞は無く、虚偽も無く、完全に補完し合う獣霧の世が葦名だよ。

 簡単な事さ。宝とは、そう思うことが大切なんだ。人間、人間性が多様で豊かなら、その魂は心だけで満たされる」

 

「であれば、宝で此処は溢れている。葦名はカルデアが来ない限り、永遠の理想郷だ。しかし、魂から互いを分かり合える故、理解した上で殺し合うのが我等が灰の業となる。確かに、旅の結末には良いかもしれん」

 

「そして、また新たな答えを求めて旅をする良い契機となるのさ」

 

「成る程。それが此処で、君が手に入れた答えと言う事だ」

 

「勿論だよ、月光の灰。そして葦名の剣術と忍術、薄井の忍術、寺の拳法なども旅の宝だ」

 

 シュシュ、とシャドーボクシングをする旅卿灰を優しく見守る月光灰。微笑ましい井戸端会議を行う火の簒奪者の二人ではあるが、そこに筋骨隆々な騎士甲冑巨体と、萎びた体を襤褸布で纏う細身の男が訪れた。しかしその光景には違和感が大きく、萎びた男は巨騎士の背中に張り付き、その重さを意に介さず巨騎士は歩いていた。

 まるで―――そう、何と言うか、例え様が全く無い光景。

 強いて言えば、葦名で流行っている漫画文化において、大人気作家であるあの作品の敵キャラだろう。暗黒魂武術裏武道会とかに出場してそうな雰囲気だった。

 

「あ、ロスリック弟とローリアン兄じゃないか。久方ぶりだな」

 

「それは貴公が旅ばかりしているから、この葦名市街で出会わないだけではないか」

 

「…………」

 

王兄灰(おうけいばい)、貴公は相変わらず無口だ。月明かりを見ても無反応とは、ローリアンを演じているのではなく、どうやら素の貴公がそう在るらしい」

 

「兄上、月光狂いが言ってるが?」

 

「…………」

 

「確かに。言葉は不要だ」

 

「…………」

 

「しかし、兄上……いや、分かった。それは、また今度に」

 

「どう言う事かね、旅好き?」

 

「さぁ……?」

 

 寡黙な簒奪者(兄)と、少しお喋りな簒奪者(弟)の漫才芸に月光灰と旅卿灰は首を傾げる。その二人へと特に意味も無いと言うのに、王弟灰を背負う王兄灰はデーモン狩りの燃える大剣を振い、言葉無く殺しに掛った。

 とは言え、歴戦を超えて永劫を戦いに生きるのが灰。不意打ちで幾万度も死んだ経験がソウルとなり、今はもう不意打ちと言う戦術そのものに適応する。対暗殺精神性を獲得していない灰など葦名におらず、余りに自然なバックステップで斬撃を回避した。

 

「……何故、私たちは殺され掛ったのかね?」

 

「さぁ……だが、旅路では良くある出来事だけど?」

 

「この街は砂糖塗れの喰い物が多い。娯楽の一環に過ぎない食餌だが、私達も人理の人間の様に、砂糖で脳がやられてしまったのかもな」

 

「流通が発展した経済社会において、金持ちは高い健康食品を買え、貧乏人は油や砂糖に塗れる安い不健康食品しか買えないのが面白可笑しい状態だ。

 娯楽薬品も多いしなぁ……この間、ハイブリットエスト剤でハイになってた灰もいたしな」

 

「灰だけに?」

 

「灰だけにな」

 

「兄上を中毒罹患者共と一緒にしないように……頼むよ?」

 

「……で、不機嫌な理由は?」

 

「家が爆破されていた、かな?

 葦名に建てたロスリックキャッスルビルが、何と言うべきか……そうだな、融けていた。まるで高温の炎で炙られた鉄器のように、ビルが蕩けた後に固まったようになっていた」

 

「戦神だ。今、楽々月占いで過去視したが、あの灰のドラゴンが融かしていたよ」

 

「それ、私も見ていたよ。狭間の地とヤーナムからの帰り、寄り道で未来時間軸の平行世界にてアルティメット・ワンを狩り尽くした後、この葦名へと戻った時にビルで焚火していた戦神が居たと思う」

 

「だそうだ、兄上。素晴しい事実を知れた。さぁ、殺しに行こうか」

 

「………………」

 

「あぁ、そうだった。そうだな。月光と旅卿、感謝するよ」

 

「どういたしまして、王弟の灰」

 

「グッドヒューマニティ、フォーユー」

 

 そして、王兄灰と王弟灰は過ぎ去った。特技が瞬間移動聖剣解放な兄弟な為、油断は一切出来ないが、殺されて死んだ所で日常に過ぎないので二人は平常的危機感で見送った。

 

「去ったか。それにしても、二人掛かりで戦神狩りとは。あの灰は強いから、どうだろうな」

 

「あの竜が、中々に強いからね。オリジナルなら私は目を瞑っても倒せるが、バージョンアップし過ぎてるし。

 ま、いっか。それじゃあ、私はまた旅に出るよ。まだカルデアが来てないみたいだし、ちょっとこの葦名日本を散歩で一周してみるかな」

 

「そうか。達者でな、旅卿の簒奪者」

 

「うんうん。そっちもね」

 

 月光灰(セイバー)に手を振り、旅狂いの灰は葦名市外へと足を向ける。この灰が葦名に集う灰へ齎した知識は深淵にして広大、且つ革新的でもあり、暇潰しで殺し合う事でこのソウルを皆が知り得、様々な世界の神秘と技術を知る事が出来た。勿論、それは旅卿灰にとっても同様であったが、他の灰からすれば狭間の地の業や、各地伝承の神話体系などの神の業は素晴しかったのだろう。

 冷たい月。死の月。束の間の月。黄金の月。導きの月。暗い月。白竜の月。

 そして、始まりの月。より原初に近い根源の月。魔術の起源、ソウルの業。

 探求は必要不可欠だが、探索もまた同様。旅する事で、月の光は深化する。

 それを知れ得た事が素晴しく、葦名で新たな月明かりが啓蒙される。月光灰は、ただただ月光を愛し、月光を慈しむ。ルドウイークの名も灰にとっては月の一つだった。灰は月に一目惚れをしたのだろう

 

「一目惚れの正体。それは―――性欲だよ」

 

 そして別れの僅かな間で考え耽る月光灰に、凄まじく余計な一言が放たれた。血腥い気配と同様、その男が放つ言葉は血気一色しか感じられず、脳に染み込む赤色の狂気となって月光灰の思考を侵食する。

 朱月よりも尚、紅い月光。死の月明かり。

 簒奪者に月で無い者は非ず。誰もが火を抱く故、月光を有する。

 月光灰の脳内を視るだけで覗き見、簡易的な精神解剖を無遠慮に行った気遣い皆無な男もそれは同じである。

 

「何だ、貴公。光波で消炭にされたいのか?」

 

 月光灰と同じ者――達人の簒奪者(ブラッティクロウ)が、殺意も血気もなく耳元で静かに囁き、気色悪さに月光灰は裏拳を振り抜く。そんな魂を容易く砕き殺す死の一撃をささっと避け、流血烏姿の達人灰(クロウ)は話を続けた。

 

「いや、俺が言ったのは一般論だ。性欲とか、俺達は枯れちまってるからな。じゃなければ、火を焚く薪役にはなれんさ。ほら、性欲混じりの火が燃えると、世界がある意味、ダークエロ時代になっちまうだろうし?

 兎も角、それはそれとしてお前の月光、美しい死だった。

 久方ぶりに有意な死だったから、少し話をしたくなった」

 

「分かった。即ち、月明かりに死す快楽を知り得た同志になったのだな?」

 

「いや、別に。死ぬに、良いも悪いも判断しないが。まぁ、流石に死に際で糞団子を投げ当てられるとなれば、売れた挑発を最大値で買うけどさ。

 とは言え、光に満たされて死ぬのは、まだ良い死に方だろう。

 試しに我等が灰の主が葦名で作った……何だ、戦術核兵器であったか。あれの実験に巻き込まれた時の、爆熱と白光と比較すれば神秘的な最期なのは認める」

 

「あぁ、あれか。人類史が啓蒙された科学の火、文明の太陽か。あれはあれで、良い火だと思う。冒涜的殺戮者が背負うに相応しい業の化身ではないかね?

 太陽の火で命を燃やす等、酷過ぎる。悲劇は慣れているが、目新しい虐殺方法だった。私達が行う殺人規模など、この人理において日常だ。安目に憐れなのは、あの火の殺戮で勝った者は、滅びるまで罪人で在る事が宿命される。詫びる事も、償う事も、謝罪にならん。むしろ、永遠に許されず、死ぬまで下衆な殺戮者で在り、何時か人に狩られるべき獣にいるべきだろう。運命が追い付くまで罪を背負い続け、死ぬが良い。他の殺人者がそう在る様に」

 

「人殺しとは、そう言うことさ。人殺しは死ぬしかなく、悪とは死してこそ認められる。特に人殺しではない定命の人間を殺せば、倫理を理解する人間性が呪詛を膿み、その者は魂より善なる尊厳性を損なう事となるからね。

 俺とて、殺人行為にはボーダーラインがある。

 殺し合いを尊重し合える者か、殺人を行う自分を許した者か、人殺しが日常になった者か、人を殺さないと生きられない者か……そんな程度が境界線だろうな。

 それを超えた者は、例外なく獣だろう。化け物は死ぬしかない。あるいは自分以外の誰かの為、意図して超えた者は、使命感に酔う正義の奴隷だ。だがその上で、人を殺す現実に葛藤して殺す者なら、悪を為して罪を積む憐れな唯の人間だ。勿論、その意味において俺ら灰は獣だよ」

 

「同意だな」

 

「己が所属する群れの歯車となり、群体の利益の為に殺戮し、命を冒涜する者。国を守る戦士は、そう言う人間性が暴走した侵略者から他人を守る勇敢な英雄であるが、逆に国を侵す兵士は我等が抱く人間性に並ぶ憐れな人殺しだ。

 尤も、自分の為にしか人を殺せないのが灰。火を簒奪したのも、根底として火が欲しかっただけ。結果、それが神の枷を完全に破壊し、人のソウルを自由にすると言う意味がある事は分かってはいたが、自己犠牲など不死には茶番だ。所詮、ソウルを貪る魂の快楽に酔う為のスパイス程度。

 そう言う意味において社会が膿む病魔、自分の幸福の為に誰かの絶望を求めるイデオロギーと言う精神疾患を俺らは理解出来ないな。幸福な未来など求めた事はない。自由では在り続けたが」

 

「私も理解出来ない。彼等は国益の為、殺したらしい。それは人の為ではなく、政治家と資本家の為に殺したと言う事だ。

 何とまぁ獣らしく、実に安い使命ではないか。己の為ですらなく、誰かが嘯く欺瞞の為の罪科。何より、共同体として社会全体が背負うと人々に思わせ、罪悪感を失くす犬畜生と化した思考回路。だが、それを良しとするのが人理と人類史。不死ではない人間を、亡者でもない人間を、化け物でもない人間を……ただ、当たり前の日常を送る同じ人間を纏めて殺す等、醜過ぎて殺したくなる。叫びたくなる理不尽さだ。

 しかし、この怒りを発する人間性は、この人理から啓蒙された火種だった。

 ならば、人間を許してはならないと希う復讐心は、この世の人間の願いだ。

 やはり、何処もかしくも死が臭い立つ。文明ばかり栄えて、だが獣ばかり。

 そう言う意味においては、我ら不死人の方が人間性が豊かかもしれないな」

 

「だが、お前のそれは錯覚さ。所詮、猿の縄張り争い。人の魂のみから生み出た獣の業と言う事だ。

 敵を選んで殺す―――……気色悪い。

 許せない気持ちは良く分かる。そんな程度の言い訳の為、人殺しをさせられる等、人間性が勿体無い。その程度の奴等が消費するなら、我等が古い獣を狩る為の燃料した方が有意義だ。

 だからこそ、その思想もまた欺瞞となるのさ。導きの本質がそれだよ。自分側をより優れた善だと考え、相手の在り方を歪める善意は悍ましい所業だ。思う所は色々あるし、千里眼を魂で模す事で殺戮の人類史を全て私達は見て、その上で古い獣から人理を救うと決めて協力している。そうだろう?」

 

「分かっている。だからこそ、犠牲者が一切出ない特異点領域での火種作り。

 死灰灰(しかいばい)の企みによって人類史に結果は還らず、だから犠牲者に死はなく、ただの悪夢として消え去った」

 

「ま、そうじゃなかったら、俺達も協力しちゃいない。悪は許すが、嘘は許さんからな」

 

「結果的だが、本来ならあの特異点で死ぬ事で、実際の人類史でも死ぬ人間の命を、あの灰は守っている訳でもある。そう言う意味なら、特異点に居る者を死の運命から全て救ったとも言える」

 

「見方で善悪は変わるさ。火の時代が良い人からすれば、簒奪者となった灰は時代を殺した極悪人。けれども、人が人らしく生き、神の嘘に惑う事がない時代が作るには、あれが手っ取り早かった。

 死灰の灰は、俺らと同じく人を殺すが、己が魂の為だけだ。

 殺人動機を外側に求める者に、我等は決して賛同しない故。

 尤も、やり口が凄まじく下劣で反吐が出るがな。あれと敵対したら、徹底して尊厳を破壊される事になる」

 

「殺したい奴しか、殺さない奴だからな。あの女、性格が最悪だ。こうして貴公の様な殺人鬼に愚痴を漏らす程、あの女はグロテスクなソウルだよ

 とは言え、灰達が持つ新たな倫理観も人理の人間性から啓蒙された火種。考え方は分かるが、感情は伴わない。怒ろうと思考した後に魂を刺激しないと、怒りの感情をソウルから作れず、意図しなければ絶望の苦しみも味わえない」

 

「分かるさ。俺もこう、それらしく語ってはいるが、自分以外の殺人鬼を批難する自分自身の悪意はないしね。

 人間社会に対する憤りも、この星の人間から啓蒙された遺志。俺自身の怒りは、俺が火を奪ったあの世界の神が作った社会に向ける意思だからな」

 

「新鮮な人間性は善い。こうも多様な変化をする火種なら、私の魂はあらゆる感情を愉しめる。

 社会や罪科について語るなど無意味だと言うのに、思考を口にする面白さは知り得た。これは葦名に来なければ有り得なかった」

 

 口が達者な世界蛇の愉悦を理解し、月光灰(ルドウイーク)は笑みを浮かべる。達人灰(クロウ)は葦名で手に入れた連装銃を西部開拓時代のガンマンのようにクルクルと回し、脳内でこれまでの殺人記録映像を回想しつつ、だが流血見たさの殺人欲求は湧き出ない。

 月光灰がそう在る様、達人灰も自分に憑依したソウルを融かしている。戦いの末、何故かあの首置き広場だった灰の墓所の横に居たソードマスターの様な、打刀一本で褌一丁の形へ行き着いたが、今は服を着るようにサーヴァントの霊基を着込んでいる。

 ただただ、斬りたいだけだった。敵を殺す為に、ソウルと言う報酬を求めた。だから葦名は彼にとって至高の楽園だ。斬れない程の極点の技巧の持ち主に溢れ、故に斬り応えが有り過ぎて堪らない。

 

「―――天使か」

 

 そしてあらゆる魂を一切の例外なく、とてもとても容易く斬り殺す達人灰は、上空に天使を垣間見た。その美しさの余り、堪らず笑みを溢す。生命を斬り焼き、魂の死を見抜く彼にとって天使の死は娯楽だった。天からの死もまた愉しめる娯楽だった。

 光にて、ゴジマに汚染された葦名街が浄空と化す。

 光臨した羽付き人間が、輪の如き太陽を出し、微笑みを浮かべる。

 葦名街のビル群に天から光柱が降り注ぎ、太陽の天罰が人の文明を破壊する。更には英雄王の王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)のような光槍の一斉掃射が行われ、絨毯爆撃がたった一人の灰によって引き起こされた。

 

「太陽の蝶。あるいは、簒奪の天使。あれもまた、月となる白竜の思想だったか」

 

「ロスリックの天使信仰か。中々に、あれはあれで業が深い宗教だった。

 俺らからすれば、空爆野郎でしかないが……――灰と為る前、あの簒奪者は天使信仰者だったけな」

 

「美しい光。太陽の恩恵。白竜の業、月光蝶に連なる天使光臨も、月明かりと言えるかもしれない。

 しかし―――邪魔だ」

 

 月光灰(ルドウイーク)の背負う鈍剣が淡く輝き、月光聖剣に転生する。そのまま極光を放ち出し、彼は大斬撃月光波を背中から抜剣する儘、振り抜きつつ解放した。

 神々しき天罰の殺戮者を、地上の月光が照らし切る。

 市街破壊のテロ行為を行う灰は、気が向いた同じ灰がこうして殺し返すのが日頃の日常風景。

 

「恐ろしい、恐ろしい、恐ろしいな。天使と月光による市街破壊。狂おしい人でなしの殺戮、明日の朝出る葦名新聞の見出しになる派手さだ。最近、灰同士の喧嘩が良く記事になるしな。

 思えば明日、週刊少年ニンサツの発売日でもある。

 なぁ月光の灰(ムーンライト)よ、お前はアレの中だとどの漫画が好きな感じかね?」

 

「推しの娘」

 

「知っている。主人公の衛降(エブリ)慧惰子(エタコ)が、親を殺した忌まわしき狩人に復讐する王道ダークファンタジーか。あれ、結構好きだ」

 

「それと、ローリングソウマン」

 

「デーモンとヒューマンが戦うのヤツ」

 

「葬送のゲールマンとか」

 

「葬送の刃を振う学び舎の弔い人、ビルゲンワースで葬送の狩人と呼ばれたゲールマンが、やがてヤーナムにて最初の狩人と呼ばれて青ざめた血と邂逅するまでの実話系だったか。

 血族マリアとの出会いと、恩師であるウィレームへの裏切りが衝撃的だったぞ。

 まさか死体を胎内回帰させて老いた赤子となり、死した赤子を寄生虫の精霊体にした操り人形となり、眷属を超越した狩人の上位者化へ利用されたとは……あれ、マジ実話なの?」

 

「フィクションはあるかもな。後、エルデン飯」

 

「エルデが支配する狭間の地、そのバトルクッキング漫画だったか。結局、主人公がエルデンロードになって、自分の料理道を律に組み込むオチは良かったと思う。通称、飯律エンド」

 

「聖杯ダンジョンに血晶石を求めるのは間違いではない」

 

「地底人の実録漫画だな。最近、三デブに血晶石を植えて放牧する実験物になってたか」

 

「エブの唄」

 

「限りなく、純愛。パーフェクト恋愛レボリューション。

 啓蒙力(インサイトパワー)53万の狩人が、異形こそ美の造形だったと言うこの世の真実に気付き、ついに滲む血念願の赤子が生まれる話だったなぁ……やはり、愛は素晴しい!

 こう、何と例えようか、枯れた薪に過ぎない己の人間性が満たされる気持ちにしてくれるぜ」

 

「狩人✕狩人」

 

「今は悪夢の深淵、暗黒星間編だったな。まさか、コスモスの真実が時戻りの目覚めに過ぎず、夢の深海にヤーナムが沈んでいただけとはな」

 

「OOKAMIも面白かった」

 

「忍者アクション漫画か。主人公はカルデアのサーヴァントがモデルらしいぞ」

 

「ニンジャ系だと、ゴッドスレイヤーも好きだ」

 

「神忍を狩る忍びの復讐劇だな」

 

「後は何だったか……あぁ、あれだよ。闇魂(あんたま)

 

「ギャグ漫画か……将軍かよぉぉぉおおお!」

 

「おぉ、いける口だな。恥ずかし気も無く、良く言える」

 

「羞恥心があれば、自分から快楽殺人鬼を名乗らないさ」

 

「確かに」

 

「なにしてくれてんじゃぁぁあああああ!!」

 

 世間話をする灰二人の間へ、金髪碧眼の分かり易い王道美女が一人、叫び入る。その姿はある意味、人理世界における下級天使像。人の背に羽が付く形であり、灰等の天使像である亡者貌の古竜に似た植物人間からは程遠い。

 それは暗い魂による人間性の人体変態が可能とする進化形態の一種。古い竜とは植物と鉱石が合わさったような死の無い生命であり、ロスリックの天使信仰とはある種の生命起源への回帰に近いのだろう。人の天使化とは、鱗を求めた白竜の願いから来る思想。よって、白竜の狂気が人間性により信仰化したのが、その在り様だ。

 その所為か、羽は根と蔦が竜の翼を模した物が本質。だが天使灰の翼はまるで鳥のような形をしており、羽毛はないが見た目だけは軟らかそうだった。

 

「天使灰じゃん。マジ天使」

 

「黙れ、殺人カラス。そんなことより、テメェどう言うつもりだクソ月光!?」

 

「あの辺り、私の近所である。よって教会的に予防は大切にしたい故、新築の我が家が爆破される前に貴公を爆破した。

 有難う、感謝するよ。この私に、月光花火の光波を打ち上げる口実をくれてな」

 

「ファッキューサノバビッチ!!」

 

「そうは言うがな……貴公、仕方がなかった。我が家には酒造のジークから買った血が匂い立つストロングエストを買い溜めしていた為、導きの我が師ビームを撃たざるを得なかった」

 

「じゃあ、しゃー無し。ジークのストロングは天使級だからね!

 それはそれとして、今――――死ぬが良い」

 

 光槍軍勢。上空にその刃が、三百三十九本。一本一本が魂殺しの死であり、神を人間が冒涜する為の奇跡。貴い輝ける星を、更に輝く恒星で以て焼却処分する殺意である。

 対し、月光灰――奔流、斬撃一閃。

 凄まじく極太な熱的光帯が槍に衝突すると同時に爆散し、三百以上ある槍を纏めて粉砕。そして月光灰は、特に意味もなく糞団子を相手の顔面に無拍子で緩やかに投げ、天使灰は蹲むことで顔面糞塗れになる悲劇を回避。しかし、その顔面へ月光灰はヤクザキックを叩き込み、鼻を圧し折りながら吹き飛ばす。

 

「へぎゃ!!」

 

「おお、おお、綺麗な顔が無様ではないか。だが天使の面に相応しい醜態だよ」

 

「糞呪産の糞団子じゃねぇーか!?」

 

「臭く、粘り、犯し、穢す。呪いとして、糞呪の糞は完璧だ。

 導かれし月光よりも尚、彼女の肥溜は悍ましい呪に溢れている」

 

「……ッチ。これだから、簒奪の灰は―――」

 

 直後、天使の頭部が爆散した。爆発物の正体は壺だった。この灰と元々偶発的に殺し合っていた相手―――壺狂の簒奪者、アッシェン・ポットが追い付き、超遠距離投擲技法によって壺投げ狙撃を成功させた。

 王道、火炎壺(ファイアボム)

 強化版、黒い火炎壺(ブラックファイアボム)

 各種紐付きに、雷壺(ライトニングアン)

 だがそれだけでなく、壺狂灰はあらゆる壺をソウルより見出している。壺投げ技巧を限界以上に極め尽くした後、この灰は投げる壺そのものに疑念と願望を抱く。もっと色んな壺を投げ、人を殺したいと。それが壺愛だと。特に新たな壺を知る為にと狭間の地へ赴いた際、壺が生活の一部となった壺文明を知り、壺作り文化に人間性が更に深まり、あらゆる素材を壺の中身にする狂気を啓蒙された。

 尤も、冒涜的殺人壺狂いと言う可愛らしい部分を除けば、実に普遍的な頭に壺を被る火の簒奪者。着込む鎧は統一されずに種類はバラバラで、使う武器もその日の気分。今日の壺狂灰は薪&薪な気分なのか、螺旋に捻れた火継ぎの大剣を二刀流で握っていた。

 

「アイアム、ポット。マッドポットマン。オーケー?」

 

「オッケー。ナイスツボソゲキ」

 

「ビューティフル、ポットスナイパー。グッジョブ」

 

 グッと右手で親指を上げる壺狂いに、達人灰(クロウ)月光灰(ルドウイーク)も親指を立てて気持ちの良い返事を行った。

 しかし、天使は倒れている。顔面に蹴られた上、壺が炸裂した所為か、当たり前な事だが頭部は見るも無惨にグチャグチャに崩れ落ちている。王道美女だった金髪碧眼の天使らしい貌はなくなり、黒焦げた焼死体の亡者貌になっている。とは言え、灰達の常識からすれば、その亡者面の方が天使らしい風貌と言えるのだが。

 

「何なん。え、一体何なの?

 天使な私に恨みとか……何か、あの……しましたか?」

 

「いや、天使は月光より、糞団子が似合うから。一月光遣いの意見だが」

 

「取り敢えずの基本、やっぱうんこ投げてみるでしょう。糞で猛毒にすれば、殺し易いし」

 

笑壺(クサ)

 

「テメェが一番ムカつくんだよ、クソ壺頭」

 

嗤壺(クサ)

 

天罰(シャー)!」

 

 突如として怒り、そのまま襲い掛かって来る天使灰へ壺狂灰は左手に瞬間装着した壺大砲から、炸裂極太矢を発射。ソウルの業だけでなく、魔術回路によって魔術基盤と魔術理論や、心象風景たる世界卵の術理も使用可能な全ての灰は、持ち得る神秘を更なる殺戮技巧へ進化させており、壺狂いも例外でない。壺狂いのツボキャノンは着弾時、壊れた幻想も利用されていた。

 結果、盛大なる爆裂。

 頭部が完全に消失した上、天使灰は腹部から上部が消し飛んだ。

 刹那――蘇生。篝火の燃え滓に宿る残り火のような、一瞬だけ燃えて消える火の最後の最後と言うべき燃焼。それに似た人体発火が天使に起き、彼女は何でもないように元へ戻る。

 すると無言の壺狂灰は蘇生し終わる間際の天使に、火炎壺を徹甲作用の超豪速壺で投げ当てた。放物線を描く普段の投げ方も壺狂灰は極めたが、それ以外の投げ方も極め上げている。むしろ、壺を極めるとは投げ方の超絶技巧化であり、ありとあらゆる投擲方法を学ぶ事でもある。

 よって殺戮技巧を鍛えた成果として、竜狩りの大弓に等しい壺投げが大成功。

 天使は壺が当たった衝撃力と、火炎壺自体の爆破力により、即座に爆散した。

 

「笑壺、笑壺。ツボツボツボ、ツーボボボボボーボ、ボーボボ!」

 

 壺狂の簒奪者は、壺である。壺頭である。壺を愛で、壺で殺し、壺で魂を奪う。底無し壺と化した灰のソウルを、人類史そのものと言える第一の獣の光帯を飲み干しても足りない程、ただただ壺だ。

 故か、笑い方も―――(ツボ)

 人類史に壺文明を築く開祖となり、その為の壺を学ぶ為、壺るのみ。壺の為の壺であり、人の為の壺として、壺の為の人で在る。

 ――壺く、故に壺り、ただただ壺る。

 簒奪者として未来永劫、完璧だった。そう言うカタチの人間だった。

 

「でさ、何で喧嘩してました?」

 

 達人灰がツボボーボと笑う灰に、とても親し気に聞く。

 

「壺を、割ったのだよ……」

 

「あー……そりゃまぁ、うん。殺すしか、ないよねぇ」

 

「私にとってのそれは、月光剣に糞団子を塗りたくるような行為。

 狩るしかあるまい。貴公は正しく、そして素晴らしい恩讐だ」

 

「有難う。貴公らの壺に、人間性が在らんことを」

 

 壺狂いは壺故、壺の祈りを行った。

 

「そう思えば、お前……葦名で壺教とか言うカルト宗教してたな」

 

「宗教は哲学だ。開祖が死し、やがて伝承となり、そして思想が学問化する。だが灰は不死故、説く者は存命し続ける。ならば我等が啓く教えは永遠、カルトに属する。

 だからか、壺は素晴しく在り続ける。

 糞呪に糞入れ専用の糞を作り続ける。

 壺だよ、貴公。壺こそ灰だ。我等の長き旅路、常に壺と共に在り、壺の祝福が在る。

 白教の環、ウェイオブホワイトコロナ。輪こそ王冠、コロナの輪斬。白き祝福の環。

 しかして、ウェイオブポットデスボム。壺教の死壺。どうだろうか、墓王の瘴気は。

 おお、おお、おぉ壺よ、壺達よ。我が壺の暗い空が見えているだろうか、それが愛。

 壺は素晴らしい故、素晴らしく、壺の丸みに神が宿る。人が生んだ芸術と言う神聖。

 壺、壷壺壺つぼ、つぼつぼつボツボツボツボボボーボ、ツーボボ。即ち、それが壺」

 

「ふぅーん……で?」

 

「ならば私は、そう言う形の人間性である。壺という、獣で在れは、それが人の証だ」

 

「完璧だ。あぁ、貴公ならば月明かりを封じる壺も作れよう」

 

「壺さん、お前は完璧な人間性だよ。俺は、俺が恥ずかしい。何が、快楽殺人鬼だ。何が、血濡れた人斬りだ。

 俺もなんかこう、格好良い名乗りが欲しいなぁ……流血烏、ブラッディクロウってのも良い雰囲気だけど、あのヤーナムでないと名前のインパクトが深淵過ぎて恥ずかしくなるのです」

 

 とは言え、天使も灰。阿呆共の馬鹿話が頭上でされていても意識はあり、怒りの儘に飛び上がった。

 

「壺野郎、テメェに人の心はないんか!?

 良くもまぁ、この自作美女フェイスの私を痛めつけられるなぁ!!

 テメェにとって壺が芸術なように、私には私こそが芸術なの、分かる!?」

 

「…………」

 

「黙ってないで、何か言ってみろや!」

 

「この壺は、良い壺だ」

 

 ソウルの内側から取り出した壺を手元に持ちつつ、壺狂いは壺を愛し気に撫でる。それは確かに素晴しく美しい壺で、性的魅力を感じる程に滑らかな曲線を描き、人間的な丸みを帯びている。

 それは壺狂灰が趣味の陶芸で作る壺だった。葦名にて、壺専門陶芸工房で暮らすこの灰にとって、壺が全てである。そして、その壺が天使灰に割られたAランク宝具級の逸品であり、起源「壺」と言うソウルの具現でもあった。

 

「――――……あー、もぉ良いよ。

 私の負けよ、負け。敗北者敗北者、負け天使」

 

「謝罪は大事だ。貴公、その誠意に対し、美しき火炎壺を授与する」

 

 壺頭の壺狂いは、とても厳かな雰囲気でその美壺を天使灰へ渡した。

 

「あれ、これって観賞用の壺なんじゃ……?」

 

「否。人殺し用の壺だ」

 

「もしかして、触媒的な使い方とか……?」

 

「否。投げ、当て、焼殺する壺だ」

 

 場の空気に流され、天使灰は壺を受け取ってしまった。壺狂いは満足そうな雰囲気で手を振って立ち去り、月光灰と達人灰も、それぞれが別の帰路で立ち去って行った。

 

「結局、壺、割るじゃん……」

 

 釈然としない思いを胸に抑えつつ、だが少し口から愚痴が漏れた天使灰は、灰らが簒奪した太陽が浮ぶ葦名の宙を見上げた。彼女は何故か今、自分が殺された事への理不尽さを理解する気力が湧かなかった。尤も、理解する価値がないからこその理不尽ではあるのだが。

 

 

 

―――□□□<■>□□□―――

 

 

 

 美しき者―――月の蝶。あるいは、月明かりの蝶。

 始まりは月光蝶。人間性を研究する狂魔術学者でもあった白竜(シース)の創作物であり、後のロスリックに信仰として伝わった伝承的魔術。元となるカタチは古竜であり、巡礼者の天使信仰も元を辿れば、古竜の鱗を求めたシースの願いから始まったと言えよう。

 

「蝶々、蝶々。私、蝶々。月明かりの貴方、あるいは貴女、蝶々の形へ変態しませんか?」

 

「しない」

 

「何故?」

 

「卵、幼虫、蛹、成虫。その四段階を経て、人間性を変態させて人間は深化すると言う、一種の信仰。あるいは、魂の形を変える程の信仰心によって、肉体を進化させる人の種族的偏執性。元は魔術師の理論的な人間性の研究だった成果を、宗教化することで新たな竜の容として完成させる我ら人の業。

 それ、私は月明かりではないと思うのだよ。

 火の光を反射する月が、そう在るだけの欺瞞だとは分かっているのだけどね」

 

「残念だわ。残念。チュパチュパ、でも私は蝶々なの。蛹ではないのよ?」

 

「蕩けるのは、飽いたのだね」

 

「そうなの。だから、蝶遣の簒奪者って名乗ってるの。魔術基盤と魔術理論、簒奪者は根源から好きに持ってくるからいけないの。

 貴方も、サーヴァントの霊基以外に、自分のソウルを変態させてる。

 私が起源を蝶にしたように、貴女は起源を月光にした。皆、皆、そうしている。皆、本当は暗い闇なのに。皆、火だって言うのに。でも結局、皆の起源は皆、一緒。皆、人。起源、人。人でしかないから、闇も火も全て魂へ簒奪するの。

 だから、全ての人類種の起源を蝶にしたいの。その人類史を作りたいの。

 私は、私の世界を羽化させたいの。私の魂を卵にし、世界卵を孵化させて、幼虫から蛹化させて、蛹が羽化して蝶になる。世界も、蝶なの。特異点、剪定事象、異聞帯。素晴しい叡智が啓蒙されたわ」

 

「良い事ではないか。自分の世界をそうし給えよ。

 その為、まずは古い獣狩りだ。あれがこの宇宙の外側に漏れ出てば、星幽界が酷いことになろう」

 

「いけない獣さんだわ。でもあの獣を狩ろうだなんて、死灰の彼女はとても善い人だわ。わたしたちみたいな人が、人類種を救おうだなんて、きっとこの星の人類史は蝶みたいに素晴しいのだわ。

 素晴しい程―――愉しいのだわ。

 自由に、きっと、ずっと、人理を滅ぼして蝶になるまで、好きに人類史は変態させるのが一番だわ。星が見る人理なんて、人が宙に旅立つ蝶になるのに邪魔だもの。でも、今は必要。きっと今はまだ、人類史は蛹なの。人理と言う殻の中で、人の歴史はドロリドロリと蕩けている段階なのだわ」

 

「肯定するよ。未来の人に、星の加護など要らん。今はいるが、やがて要らなくなる。人理と言う補助輪も、自由に変態する人々は不要と棄てるだろう。

 故に、我らの導きは欺瞞となる。誰かの思惑など、薄汚いのさ。

 獣の脅威から、その魂を救って上げるだけで構わないのだろう」

 

「私達、灰は、己の魂の為だけに戦う人間。自らの人間性だけを尊厳にし、闇に沈み、火に舞う蝶。

 人の為に、人を殺すのは魂に嘘を吐くのだわ。

 貴方は月光。その想いが起源にして、人間性」

 

 蝶遣灰(マダム)は名の通り、蝶の姿をしている。あるいは、毒蛾とも言える艶やかで奇怪な踊り子衣装だろう。しかし、顔付は何処かの英霊のソウルから盗んだのか、カルデアにも在籍する多種多様な霊基情報がある同じ貌のセイバーのサーヴァントにそっくりであった。

 月光灰(ルドウイーク)は、月光聖剣作成の参考にした聖剣の持ち主である彼女の事は気に入ってはいるが、この蝶は何か違うと思いつつ、同じ月愛好者として会話をする間柄でもあった。

 

「だから、私は蝶々なの。てふてふ、てふてふ。最初の火の蝶なのよ」

 

 空間をソウルで歪ませて力場を作り、蝶狂いは背中の翅を羽ばたかずに宙を舞い、肺を腐らせて魂を穢す鱗粉を出す。激毒にして猛毒、そして生命を蝕む毒。

 とは言え、糞呪の糞毒と比較すればソウルに効く劇薬だろう。

 匂い立つ香りは良く、甘く、常習的に吸い続けたくなる魔薬。

 此処で深呼吸すれば夢幻の彼方を垣間見、神秘が啓蒙される。

 蝶遣灰は気分が良くなる。自分の鱗粉で昂揚して、唄を唄う。

 

「てっててーてふてふてふ、てっててーててふてふふてふ、蝶々(チョーチョー)!」

 

「ぼぼっぼぼっぼっぼぼぼぼ、(ツボ)!」

 

 そして偶々其処で、壺作り用の粘土を買いに来ていた壺狂灰が通り掛り、蝶ラップにソウルが深く共鳴し、壺ラップを披露した。

 月光灰は自分も月ラップを披露した方がノリが良いと思ったが、止めておいた。

 大切なのは導きだった。己の魂は、自らのソウルで導くのみ。彼は両手を合わせ、敬虔な信者の様な仕草で祈りを捧げた。これまで殺して来て、そして今は自分の魂の内側の闇に融けた全てのソウルに。同時に、魂の内側で光り輝く最初の火へ。

 

「―――ふ、ラップか。全く、此処の世は面白い人間達だよ。音楽と言う芸術文化はあったが、ロックと言う概念はなかった。

 むしろ、此方の世界におけるラップは、崖キックマスターの記憶喪失聖職者嫌いだったな。馬脚は侮れない」

 

 地味に蝶遣灰の鱗粉により、幻覚、毒死、啓蒙、発狂の惨死空間となった地獄絵図から月光灰は静かに去った。また周囲に居た葦名市民は鱗粉を吸ったことで死ぬも、不死故に死に切れず、蘇り死に、脳が狂い出し、細胞形成が歪み、亡者化現象が発動。だが体は生きることで次段階の変異亡者化現象が起き、古い獣の霧が彼等のソウルに干渉することでアゴニスト異常症候群が発病した。

 呼称、アゴニスト異常症候群罹患者。

 通称、悪魔憑き。デーモン化した人。

 人理文明が生んだ軽快なラップ音楽が鳴り響き、ソウルから悪魔が膿み出て地獄が生まれる。

 

「そして、月光こそ惨殺光波の真髄」

 

 無造作に彼は月光剣を振い、歩くのに邪魔な亡者市民を一掃。人々を灰燼に帰し、ソウルが霧に蕩け、消え去った。月光波によって肉体は完全消滅させ、その気になればソウルも完璧に貪って存在ごと抹消する事も出来たが、面倒なのでただ殺すだけに留めた。月光灰に殺された人々は時間差はあれど、直ぐにこの葦名の何処かで魂から蘇生することだろう。

 しかし、葦名において良くある光景。悲劇ですらない日常生活。無論、人殺しだ。命は奪われた。ソウルも同様。通貨としても使える為、利益もある。

 しかし、誰も死んでいない。否、誰も死ぬことが出来ない。簒奪の灰達は特異点が消えない限り根源にさえ還れない葦名市民を、魂の生まれ故郷である根源の星幽界に送還する事も出来たが、死灰灰との召喚契約により、古い獣狩りの邪魔は出来ない故、その慈悲を与えられなかった。

 

「しんぶぅーん、しんぶぅぅううん、葦名新聞だよ」

 

 人理の世の文化研究の一環として鑑賞したインド映画並にキレッキレなダンスをする蝶遣灰と壺狂灰を平気で置き去り、自分で切り払った道を月光灰が進んでいると、丁度今日刊行された新聞を販売する葦名市民が一人。彼は自分の魂に貯蓄しているソウル残量を把握した後、葦名に召喚された事で趣味となった購読を行うことにした。何より最近、霧から生まれた英霊のデーモンを纏めて数百人は殺したので、月光灰の懐事情はとても潤っていた。

 

「何ソウルかな?」

 

「5ソウル」

 

「人間五人分の人生か。しかし、この新聞は値段に相応しい情報量と言える。それと、マキモクとヤクジルを買おうか」

 

「しゃーす。合計、8ソウル」

 

 人命八人分の値段を魂で払い、新聞売りの市民はソウルを得た。これでこの市民はソウルの自分に還元することで、アゴニスト異常症候群発病を遅らせる事が出来、永遠の特異点の中で自我をそれなりに保つ事が可能となった。

 そして序でに月光母が買った薬物煙草と漢方コーラ。脳が痺れて思考が冴え、理性的に昂揚する嗜好品。葦名街ではソウル通貨で流通する灰等の劇物であり、普通の市民が使えば僅かに病状が進行しよう。

 

「―――……」

 

 歩きながら彼は新聞を広げ、口に加えた煙草を吸い、腰には薬物コーラを一瓶。特異点外側の現代文化において死ぬ程、月光灰は行儀が悪過ぎるマナー違反灰だが、破壊音や発砲音と断末魔の悲鳴が良く鳴る葦名街で気に留める者など皆無である。

 

「……」

 

 カルデア、第一の獣狩りに成功。特大見出しを読み、月光灰は少しだけ微笑む。速読で一瞬で全文を黙読し尽くし、脳内に情報の土砂崩れを流し込む。更には未来視予報として亜種特異点攻略や、夏の特異点などの未来情報も記載されていた。

 どうやら、この葦名特異点に来訪するのは今年中らしい。

 即ち、古い獣が灰達に狩られ、根源生まれの魂は全て消滅から救われるのが確定する。

 

「……ふぅーむ」

 

 読み歩きをしつつ、月光灰は襲って来たアゴニスト異常症候群罹患者を口から岩石を吐瀉射撃をして撃退し、生成した追尾する月光結晶塊を背中に浮かばせながら自動迎撃する。彼は悪魔憑きの殺意を気にせず、愉し気に読書散歩を続行し続ける。

 殺し歩くなど、日常生活過ぎて疑念さえも浮かばない。

 使命に生きる灰の生活そのもの。旅は殺戮、世は悲劇。

 ふと上空が気になったその時、ビルからビルに飛び移る修羅天狗を月光灰は目撃した。人命(ソウル)から得た葦名新聞を折り畳み、服の中に仕舞い込んだ後、葦名で召喚された灰達の中で流行っている忍具を使って彼はまるで忍びの様に空中を容易く飛翔した。

 それはカルデアのアサシンが使う鉤縄であり、葦名においては日常的な移動手段。また巨人殺しや竜狩りさえも容易く行える様になった画期的な対巨体殺戮道具でもあり、灰等は例外無く素晴しい立体的殺戮技巧を手に入れていた。

 

「ちょ……ちょっと、待って。ねぇ、待って天狗さん!」

 

「何を言っておる。お主、狩人だろう。のう、狩人だ。血の匂い、臓物の悪臭、人斬りの歓喜……狩人の気配よ。

 あの狩人から聞いた指の狩人に違いない。そうだな?」

 

「そうだけど、そうなのだけど……!」

 

「ならば、斬ろう。お主を、儂が斬ってやろう」

 

「いえいえ、いえ……―――誤解があるの。話せば分かるわ!?」

 

「ふ……―――問答無用。斬ろうぞ」

 

 ビルを跳び移りながら殺し合う、指の狩人と天狗。聖剣を背負う月光灰は空いた両手で煙草を吸いつつ、コーラを呑み、特に手を出す事なく傍観していた。何故ならし合いの観戦は灰にとって数少ない魂からの娯楽であり、殺戮技巧を学習する素晴しき好機でもあった。

 天狗は鞘から刀を居合で振り抜き、斬撃を飛び放つ。(ユビ)は斧で飛ぶ斬撃を斬り叩くも衝撃でビルから落下し、だが左手から放った鉤縄が壁に引っ掛かり、そのまま脅威的な膂力で自分を引っ張り上げることで空中を舞い上がる。しかし、天狗は周囲の自然環境に干渉出来るのか、ビルを自然発火させることで炎上させ、(ユビ)は周囲を煙と熱に覆われ、行動範囲を制限される。その上、思うだけで空中に発電現象を引き起こし、指に目掛けて落雷攻撃を行った。

 修羅の炎。神竜の雷。剣聖から剣神となり、剣を極めた男。神域を人域に落とし込み、更なる深化を続ける剣の業。

 ―――悪魔狩り天狗。

 それが葦名の空を舞う天狗。修羅天狗。

 ひょんな因果で死なずの征夷大将軍となった大名ではあるが、今は只の忍び殺しの天狗であり、趣味で狩人狩りも行う人斬りの修羅である。

 

「おや、おやおやおや。月光の、奇遇ではないですか」

 

「造物の簒奪者、ピグミーか。ダイモン先生の授業以来だな」

 

「そうですね。とは言え、原罪のアン・ディール、暗月のダークリング、行商のメレンティナ、武器のデニス、工房のフォルロイザ、絡繰のファロスと、機巧のエアダイスも来たようです。

 全く、灰達は揃いも揃って悪趣味です。殺し合いを観戦しに、地面に落ちた砂糖を拾いに来る蟻のように集まりますとは」

 

「あぁ……エアダイス達も、か?」

 

「はい。で、彼等が何か?」

 

「確か剪定事象史から啓蒙されたと言う、アームズフォート造りに嵌っていたと思ってな」

 

「今は、宇宙艦隊ですよ。時代はスペースだそうです」

 

「では、英霊殺戮戦線グンマを本拠地にしてるグレートウォール乗りは、今は誰なんだ?

 エアダイスとファロスとフォルロイザの三人が、自作戦艦を使った葦名外の英霊狩りをしていただろう?」

 

「誰なんでしょうね?

 最近、森番の奴が葦名街で灰狩りしているのを見てませんので、パイロット役を交換したのかもしれません」

 

「あぁ、仮面巨人先輩か」

 

「はい。それと禁区グンマは、私がオルトエーテルと古い獣のソウルを合わせ、生物適合化したオルト細胞で造物したオルト動物の楽土になってます。思えば旧群馬県たるグンマ禁断封印区は、オルトや古い獣の落とし仔が暮らす死の楽園。私達叡智狂いの人類種が仲人なキューピットとなり、細胞を掛け合わせ、素晴しき惑星外の忌み子らを誕生させた訳です。

 ですが、構いませんよね。森番の簒奪者、マスク……我等が灰の先輩不死たる仮面巨人に管理を任せているので、あの森は大丈夫です。多分」

 

「荒野と剥げ山だけの鋼の大地に、突如として拡がる森林山地か……酷い場所だよ。カルデアの連中、この葦名まで来るのに最後のアームズフォートを撃破しても、あの森を突破しなければならない訳だ。

 ……今まで使えた上空の抜け道は、もう封鎖しているからね。

 特異点外から転移してきた場合、旧埼玉県の荒れ地からしか来れない様に孔を開けているから、現状の葦名入りは陸路で南のみの状況だったか」

 

「死灰女の企みですよ。我らが召喚者、アッシュ・ワンは実に頭が良過ぎて性格が悪いです。

 全く、私が造物を名乗りたくなる程の猟奇的研究欲求を与え、我らの人間性まで古い獣狩りに悪用するとは、何とも面白可笑しい娯楽です。

 神と違い、騙すのではなく、交渉してこうしたのが更に悪辣ですよ」

 

「私の月光愛も同様だとも。それに此処の世の神秘である根源由来の基盤と理論も愉しい学術だ。元より、ソウルの業で好き勝手出来たが、個人の魂を対象にする事に特化した我らと違い、その気になれば此処は宇宙規模の対象が可能だからか、月光が届く範囲も大きくなった。

 魂殺しと言う観点において、根源特攻とも言えるのが私達だが、応用性は遥かに魔術基盤が上だとも」

 

「新たなる学術、異なる神秘。でなければ、私達が死灰の奴に誘われる所以もありませんでした……あぁ、戦いも佳境ですね。

 死なしても殺せない葦名の暇人共も集まって来た所為か、観戦もヒートアップしている様です」

 

「どちらが勝つと思う、ピグミー」

 

「月光の、それは愚問です。指のユビは愛らしいですが、所詮は狩人の分裂体。思考する瞳の擬人体です。精神性は兎も角、身体機能や戦闘技能はほぼ本人でしょう。

 天狗に勝ち目はありませんよ―――本来なら、ですがね?」

 

 会話は無価値。逃走も不可能。ならば―――狩れ。

 眼前の死闘に開き直った(ユビ)は瞳を啓き、生まれながら備わった殺戮技巧を全開。悍ましき人獣としての本性を現し、斧を長柄の斧槍に変えて猟奇的な笑みを浮かべる。獣血たる上質過ぎた血質より、炸裂する燃える血を刃に纏わせ、左手の散弾銃もまた同様。

 天狗は修羅の血を滾らせ、(ユビ)と斬り合い、呪い合う。

 零の先、時間が逆行するマイナスの脳。死に、死し、死なせ、濃密な血の燃える死の気配が爆ぜ上がる。

 剣が振るわれる前に斧が振われ、その斧を先読みして短銃を連射しようとして、散弾銃が撃ち込まれる直前、落雷より迅い刃の一閃が放たれるより早く、斧槍から手斧に戻った重厚な一撃が無の領域から叩き込むのを予測し、天狗は即座に納刀して居合を行った。

 抜刀一閃、直後―――無空なる斬撃の嵐。

 居合は無論、続く斬撃も魂を斬り捨てる業であり、それらは死に場に迷う修羅を葬送する弔いの剣。

 だが(ユビ)は狩人。月から生まれ落ちた指の狩人だ。その斬撃を全て斧槍の柄で弾き逸らし、むしろ技を放つ天狗の体幹を衝撃で揺さぶり、技と技の動きが止まる隙間を拡げようとする。とは言え、今の天狗の体幹強度は凄まじく高く、この攻撃だけではまるで足りず。

 即座、天狗は火を刀身に纏わせ、斬撃と共に炎撃を扇状に斬り放つ。

 同時、(ユビ)は狩人特有のステップ歩行を踏み、容易く背後へ回り込む。

 炎撃を避けた彼女はそのまま斧を断頭の処刑器具として振り、天狗は刀を背後に回し守ることで攻撃を防いだ。直後、消える。燃え上がる霧となって(ユビ)の視界から消失し、気が付けば左腕を切り落とされていた。

 

「――――!」

 

 退避と回避は狩人の専売特許。加速する思考に支配された肉体は、その加速倍率に容易く適合し、彼女は天狗から一瞬で距離を取る。

 天狗の業、忍術と体術。世界と同化した認知消失。(ユビ)は思考する瞳で見切れなかった真実に驚愕し、星を殺した後に宇宙進出した遥か先の人類史滅亡の未来まで見通す自分の思考が、この天狗一人に追い付けなかった現実を愛した。

 未知。知り得ぬ技巧。悟れず、分からない。無知に戻る赤子の脳。

 これ程、学術を愛する狩人にとって素晴しき啓蒙はない。分からない事を啓く事こそ、学術者。

 とは言え狩人からすれば、腕の消失は痛手に非ず。意思によって腕がなくなった事実(ユメ)から目覚めれば、現実の自分には何ら影響はない。尤も生きようと足掻く意志が摩耗し、生命力が減ってしまうのは難点だが。

 

「天狗さん……痛い、よ?」

 

「かかか、その貌と恨み節は合っておらんぞ。お主、心底から楽しそうだ」

 

「狩人だから、仕方無い。だって、私自身から、甘い血が匂い立つの」

 

 眼を開き、瞳を啓く指。脳の瞳が目玉を通じて世界を観測し、彼女の脳内で広がる夢から狂気が這い出る。見られた天狗は修羅の炎が一瞬にして暴き啓かれ、神なる竜の血が肉体を雷電と化して竜と為る。

 即ち、魂の断末魔―――発狂だ。

 人間の体を人間の魂が、そのカタチに転生させる外法の神秘。

 

(カッ)!!」

 

 その狂気さえ、天狗は気合を入れるだけで克服したが。

 

「――――ぁ……けど、そうよね。

 私が与える狂気なんて、貴方自身が持つ狂気からすれば……そんな別段、苦しい思いでもない」

 

()くぞ、狩人!」

 

 念じ、瘴気を刃に込め、上段より振り下す。そして振り上げ、また振り下す。葦名流、一文字二連。彼女は容易く避け、その避けた先を先読みされて弾丸を撃ち込まれた。それは天狗の早撃ち連射だった。手斧の刃で弾き逸らして銃弾から逃れるも刹那、大忍び刺し。天狗が繰り出す絶死に対し、(ユビ)も武器を変形させながら斧槍で突撃。

 交差する一閃と一閃―――競り勝つ、天狗の刃。

 肝臓部に突き立つ刃がそのまま斬り上がり、回転する天狗は相手を切り刻みながら舞い、落下と共に頭蓋から股先まで刀身を貫いた。そして穿ち入れる状態で念じ、刃より黒い死の瘴気が一気に溢れ出し、指の狩人を内部から即死させた。

 

「狩人……迷えば、敗れる」

 

 朧気に死体が消える(ユビ)に天狗は呟き、その夢から醒めるような死に様を見送った。

 

「……指狩りとはな」

 

 独り呟く月光灰は勝敗の差を理解していた。それは天狗に無く、指には有ったもの―――殺意の迷い。

 技巧が一定水準を超えた先、無の境地を更に深く掘り進めた其処の底において、どちらに傾くかは些細な心理状態や、戦いの中で傷付いた肉体や武器の状態に左右される。そんな極限状態時、千分の一秒よりも短い時間の中、何かしらの遅れが生じる雑念が交じれば、迷った方が死ぬのが殺し合いの理だろう。

 となれば、天狗が殺し勝つのが必然だ。

 何より、この葦名において彼だけが唯一無二の英雄である。あらゆる英霊が死滅する地獄の中で、彼だけが英雄として生存している理由を考えれば、当然の流れである。そもそも肉体面は成長してはいるが、生まれてから一カ月も経たない幼い女児(ユビ)が勝てる相手ではなかった。

 

「しかし、うむ。善き技であった。また斬り合おうぞ、指の狩人」

 

 どう言う原理で盗んだのかは分からないが、天狗は古狩人のように一瞬で肉体を加速させ、この場所が過ぎ去って行った。

 

 

 

|||||<◎>|||||

 

 

 

 

 

 その日の夜も月光の簒奪者(ルドウイーク)は、光波を夜空へ向かって振り抜いた。淡く光る極大の斬撃は、彼が振う技巧としての秘伝竜閃の様な飛ぶ斬撃でもあり、そもそも光波を使わずとも剣を振うだけで剣術の技として刃を飛ばす剣士であった。

 言うなれば、魔剣の技で以って月光を放つ業。

 騎士王等の聖剣魔剣遣いのソウルを得、葦名無心流と言った技術を覚えた末、葦名で思い付いた月光灰独自の月光波は直ぐ様に完成された上で日々進化していた。何時もは月光の聖剣から光波を解き放つだけの日課であったが、この日は技量としての集大成も見てみようと、技としても全力で振り抜いた。

 

「月か………」

 

 次元を断つ月の輝き。存在の多寡や、現実や異次元に関わらず、魂持つ者は絶対に死ぬ必殺の奥義。葦名に召喚された簒奪者で在れば、誰でも可能な当たり前な普通の人間としての業に過ぎず、特別な神秘などでないが、その一つを愛するのもまた永遠を生きる灰の心得だろう。

 結果、月光への愛が今日も宙を両断する。

 真っ二つにするだけなら、古い獣さえも一刀する月光灰は、宇宙と言う時空間さえも照らし切る月光剣士であり、そもそも根源の記録である魂を抹消させる程の魔剣だった。

 

「ダークソウルがスッキリするドラッグコーラ。略称、ダッキリなんだって。ルドウイークさん、飲む?」

 

「もう一回月光したら、飲もうか」

 

 夜空を月光で照らし斬り、宇宙の時空間を開く孔が生まれ、外側である根源まで刃が通る。そこに根源より漏れ出る『魔力』で渦が発生し、葦名全体が根源を観測することで神秘に啓蒙された。古い獣の霧とコジマ粒子で満ちる太源が、根源からの干渉で魔術反応を引き起こし、市民達のソウルに多大な影響を与える。魔術体系を取り込み、根源系統の神秘を学習した簒奪者達からすれば、もはやソウルの業の延長上にしかならないが、日々を変異亡者化現象の恐怖と戦うアゴニスト異常症候群罹患者からすると祝福と相反する悪夢だ。

 ―――啓蒙(インサイト)だった。

 獣の霧を吸い込み、医療教会の輸血液を流し込み、葦名市民は神秘の受け皿として完成されている。それは進化する肉体と霊体、深化する魂と、そして自然成長する魔術回路である。 

 

「じゃあ、はい。上げる」

 

「ヤクジルの新種に相応しい味わいだ。脳が蕩けるぞ」

 

 その事を一切気にせず、月光を愉しんだ後の一杯で更に月光を愉しむ。月光灰は聖剣に纏わり付く蒼い月光刃を解き、鈍色の大剣を何時も通りに背負う。

 

「あぁ、それにしても味わい深い。感謝しよう、ユビ。今日の昼、あの修羅天狗に殺された傷も癒えた様で何よりだ」

 

「血も入ってるよ?」

 

「成る程。獣性漢方薬剤、即ちケモ・コーラか」

 

 炭酸の刺激的感触。擬音で言えば、シュワシュワとでも言えば良いのか。そんな音が脳内からも聞こえ、脳細胞が実際にシュワシュワと溶け蕩け、泡が弾けるように瞳が弾け、脳液が満ちる昂揚感が溢れ出る。健康被害が酷く、中毒性も高く、快楽中枢を殺人的に刺激し、気持ち良さに発狂するが、灰達からすればエストの一気呑みよりかは体に良いだろう。何より、死ねば体は健康に戻る。

 

「それで、ユビ。君は何時、あの古都に戻るのかね?」

 

「んー……別に、あそこは御父様の住む場所ってだけ。御父様自身だって治療の為に来た旅人だし、私はこの私の前になる前の人の遺志の故郷だけど、私はこの葦名で生まれた御父様の眷属の、指の狩人。

 カルデアの皆様が、葦名を狩るまで居たいわね。

 それに不死の類で考えると、簒奪者さんたちは面白い人ばかり。だから此処での生活も、今はとても愉しいわ」

 

「だろうな。私もそれの同類だが、人生を愉しもうとする奴等ではないと、他世界の人類史を守ろうとは考えないしな。

 それが人を人足らしめる人間性、人間らしさ。実に普通な事だ。

 善き未来を夢見て世界を変えたい故の行動も、善き平穏を夢見て世界を守りたい故の行動もまた、善性の上に成り立つ普通の人間性とも言える」

 

「簒奪者さん達、人間人間、普通の人間って自分たちのことを言うけど。正直な雰囲気、そんなに人間に拘ってないでしょう?

 貴方達の召喚者である灰さんも、自分の事を唯の普通の人間だって言ってたけど?」

 

「良く分かるな。所詮、私は私だよ。獣で在る事、闇で在る事、人で在る事、火で在る事、神で在る事。

 全て善い事で……やはり、どうでもいい事なのだ。何が真実で欺瞞だろうと、私は私だ。善悪含めな。

 今在り、嘗て在って、永遠に在り続けるのであれば、何かに変態する事もある。神が暗黒に枷を嵌めて作った人間から、闇たる不死の人間となり、灰と言う新人類の人間として蘇り、今は神の始まりを闇に宿す火の簒奪者だ。そしてサーヴァントの霊基を獲得し、独立記録帯でもある。

 重要なのは、私が私を欺瞞にしないことだ。人間性由来の感情から、自分ごと相手を騙し、人生を偽らないことだ。その点は、人間らしくなく、灰で在るべき事柄だな」

 

「魂が、闇でしかないのに?」

 

「言っただろう、それは私にとって善い事なのだ。即ち、どうでも良いのだよ。

 真実は、やはり真実でしかない。この星が宇宙と言う暗黒から生じたように、私の魂も暗黒から生まれただけのことだ」

 

「じゃあ、人間は何処でも変わらないってこと?」

 

「大元の、魂の生まれ故郷は同じだからな。我等の魂は闇より生じるも、その闇も始まりはあった。此方は暗い暗い闇が、魂を求めて命が生まれてしまった。

 その所為ではないが、この人理の世と、我等の絵画世界は感応している。類似点も多く、根源的な故郷自体は同じだからか、人間の魂同士は理解し合えるのだろう。此方側にも葦名に似た日本の様な国もあり、侍や武士は居たし、漢字もあった。無論、西洋文化圏に似た騎士も居たからな」

 

「それ、ダイモン先生やアッシュ・ワンの話を聞いて、不思議だったもの。例えになるけど、確かマヌスさんの名前、こっちだと古代ローマ時代の言葉で確か……何だったっけ?」

 

「―――手だよ。種別で言えばラテン語だ。

 君は本人を知り得ぬが、あれは正しく手そのもの足る闇だった。いや、闇なる手であり、暗い手たるダークハンドの原典だろう。口の臭い蛇が、何からダークレイスの業を啓蒙されたか、一目で理解可能な分かり易さだ。

 これもまた君は知り得ぬ事だが、我等の世界における文明発展は、神が主導だ。文字文化の発達も勿論、神だ。人間に言語を与えたのも、神だ。人類種に最初の文明と文化を与えたのが、神だった。人の世である人類史において象形文字から言語の形は進み、文明と共に変わるが、我等の世の神は最初から完成された文字を文明として保持していた。

 では果たして、あの神共は何から文化を啓蒙されたのか?

 あるいは、我等の世界は最初から霧に覆われる灰の時代から始まったのか?

 答えは単純だ。マヌスの名が証明している。あれは手だった故、マヌスと神から呼ばれ、そう在る闇に相応しかった。彼の名は他に有ったかもしれぬが、最後は人の手(マヌス)と言う名の人間であったのだよ。神からすれば、人間など望む儘に際限無く変態する化け物に過ぎぬがね」

 

「神も、人も、同じ魂なのね」

 

「神もまた、闇から生じた命の幾匹だ。人間の先祖である小人と同様に。そして、あの世界は血に依り描かれた世界。それは魂が溶けた血液が、起源。始まりは、デモンズソウルが溶けた人間の血液から創造された人界。

 魂そのものが―――人の業となった。

 ソウルの業が成り立つのは、古い獣を根源とする為だ。ならばやはり外側から獣を呼び込んだ要人が、あらゆる欺瞞の始まりとも言える事だろう。

 一番最初に魂を描いたデモンズソウルの持ち主は、果たして何を題材に絵画を創造したのだろうか?」

 

「だったら、やっぱり人の魂も獣なの?」

 

「違う。獣もまた、人と同じ魂と言うだけだ。結局、魂の儘に存在しているだけだ。無論、不死足る我らは魂は自在だが……ふーむ、言葉が足りないな。月の薫る我が脳は深刻な啓蒙不足と見える。

 すまない、ユビ。月光素振りが足りない様だ。もう数回、宇宙を割らねば深化し切れない」

 

「あぁー…………と、良く分からないけど。うん、何とかなく分かったわ。どうぞ、ルドウイークさん」

 

「では、遠慮なく」

 

 ソウルより魔力を聖剣へ充填、更に刃へ凝縮。月光化した魔力を加速させつつ、まだ刃に止め、制限なく凝縮した月光を加速させ、剣が崩壊する臨界突破時丁度―――発射。

 狙いは、天蓋。空とは宙にして、穹。

 地上の月剣から夜空を照らす月光波は何も無い筈の時空間に衝突し、光が弾け、月明かりが爆裂する。

 再度、宇宙が罅割れ、根源が夢見る現実が部分的に目覚め、真理が渦巻く孔が内側の悪夢を啓蒙する。

 この特異点は神秘に祝福され続ける。此処は人類史において、最も魂が根源に近付く場所。人理の世に出た簒奪者共からすれば、根源観測など容易いが、他の住人からすれば悪夢の先触れ。星が夢見る儚い世界こそ人間の現実だと理解され、己が人生が夢に過ぎない事を悟り、理を啓蒙された葦名市民は発狂する。死に至る程の苦しみさえも、只の夢でしかなく、記録の一部となる情報でしかないのなら、今のこの苦悶に価値を与えるのは己が魂のみ。

 強く在れない魂は―――無価値。

 それを灰達は悲しく思う。あるいは、それを悲しいと思える人間性を人類史から啓蒙された。

 であれば強くないのは無価値だが、弱い魂は無価値ではない。故、灰は人と為り、人を悟る。

 

「月が綺麗だわ………ルドウイークさん」

 

「あぁ、月は綺麗だ。魂が導かれる程に」

 

 爛々と、月が光り輝く。

 人の魂の様に美しい。

 

「良い月が見えた。酒の肴に良い月だった。しかし、迷いが見えるぞ、貴公」

 

 悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)、ダイモン。月が綺麗だと夜空を見ていれば、地上から宇宙を照らす月光を見て、彼は空間をヌルリと割り潜んで転移した。誰も悪魔を観測出来ず、月光灰も指も、悪魔が此処で言葉を話すまで存在している事実を認識出来なかった。

 

「悪魔殿、お久しぶりです」

 

「ダイモン先生、夜分にお疲れ様ね」

 

「ふむ……―――これで、良いか」

 

 瞬き一つする隙間のない祈り。何億何兆、あるいは何京と繰り返した業の深みこそ、(カミ)と為る悪魔が行う神への所作。

 その名も―――反魔法領域。

 悪魔が認識する時空間において、あらゆる神秘が阻害され、魂が嵐に束縛される領域。古い獣と同列の魂となった悪魔にとって、もはや尋常ならざる効果と規模となり、一時的だが神秘そのものが無価値へ帰る。

 

「その祈祷……何で?」

 

「指の少女よ、私は覗き見されるのが好きではないのだ。過去からでも、未来からでも、根源を通しての観測だろうと、不愉快極まるのだ。最近、常に反領域を自身に纏う魔術を開発したのも、その所為だ。必要性に駆られる事で技術の進歩を促進される故、己が魂へ還る利益にもなる訳だがな。

 尤も、私が持つ神秘は貴公らも知り得ているだろう?

 私も貴公らから神秘を学び得ている故、素晴しい関係と言える。

 だからさ、此処に来たのはその延長だ。我が月明かりの大剣を狂喜した月光の簒奪者であれば、きっと喜んでくれると思ったのだ」

 

「へぇ。覗き見は、好きな癖に?」 

 

「悪魔らしく、魂が好きなのだよ」

 

 直後、神秘が現れ、世界が悪魔の心に塗り潰される。正体は結界魔術、固有結界。葦名に召喚された灰らは全員が学習した魔術理論『世界卵』により、それぞれの魂に眠る心象風景が具現化されるが、そもそもソウルを自在とする人間の化身ならば、心を絵画のように描くのも容易いこと。

 だからか、悪魔が想うのは人の業の獄。

 何も無い暗い水辺。星海の夜空。満月と欠月と暗月。

 正しく心象風景そのもの。悪魔の心が具現化され―――女性の亡骸が一つ、小さな木製の舟を棺桶にして眠っている。目を蝋で封じられた黒髪黒装束姿であり、まるで祈る様に杖を握って死んでいた。

 

「悪魔殿、やはり愛か?」

 

「貴公が、月光を愛するようにな」

 

「我が固有結界は、月が月を照らす月界ではあるが……いや、だがこれを見せる気であったのか?」

 

「いや、そうではない。ないのだが、彼女は私の記憶の中以外にもう何処にもおらず、だからこそ常に思い出となって心に眠る。私や貴公らが願うソウルの業とは、そう言うものだ。

 思い出を語るのは良い事だが、見せ付けるのは趣味ではない。

 しかし、心を語るのに心の象形を偽るのは不義理故……まぁ、あれだ。質問があれば答えるが、私から言いたい事はない」

 

「気になるけど……良いよ。ダイモン先生、貴方と酒でも呑んだ時、話したい気分になれば話して欲しいってだけ」

 

「人の魂を暴くのは娯楽であり、貴公の秘密は最大の蜜ともなるが、私も何か聞く気は無い。恩人は恩人だからな」

 

「では、進むか。ここは私のソウルで描いた心の中に過ぎず、私のソウルの中には今まで貪ったソウルによる数多の心象風景が眠っている故、目的地はその一つから作った心象風景となる」

 

「業、深すぎる話よね……」

 

「進むぞ、ユビ。秘密好きな灰にとって、我慢は魂が歪んでしまう」

 

「はい」

 

「すまないな。少し、迂回する。内臓したソウルを整理したが、啓いた後も世界卵は混沌としている。私自身の心象風景を見せる気はなかったが、まだまだ修行不足故、そこまで自由自在に心を在れんようだ」

 

 水辺に浮かぶ小舟の棺桶に眠る女から、異様なまで瞳を(ユビ)は逸らせなかったが、鋼の意思で何とか歩を進めた。

 疫病が蔓延る谷底の村。

 奇形肉塊が取り付く塔。

 溶岩が流れる火山工房。

 雨風が吹き荒れる墓場。

 竜の住処となった城塞。

 巨人が住まう巨大な砦。

 地下に進む暗黒の巨塔。

 獣が火に巻かれる古都。

 血の啓蒙足る地下神墓。

 神の竜が支配する王域。

 空より来る異星の影塔。

 律を作る獣が住む狭間。

 太陽を浮かべた神の世。

 巨人を殺戮した廃王国。

 王達の故郷が集まる獄。

 殺しに殺し、貪り続けた魂が集合して作る悪魔に宿った心象風景。それは魂達の生まれ故郷であり、業が生み出された地獄でもあり、だが一つ一つのソウルにもそれぞれの心象風景が世界より膿み出ている。

 ―――比喩無く、悪魔だった。

 この所業を行える魂は人間の極みであり、人間こそ悪魔の正体だった。

 業、その一文字が全て。何もかもが渦巻き、集まり凝り、人の形となった地獄が悪魔の本質。

 そんな地獄を進み、人の所業を見ながら深みを続き、そして人理の世で悪魔に蝕させれた魂の風景が広がった。其処は分かり易い人類史の歩みであり、屍を積み重ね続ける繁栄であり、不死よりも安い命の価値が証明される地獄だった。

 本当に命は安かった。人殺しの罪も軽かった。

 所詮、法も倫理も集団心理が形作る幻想。善を求める人の心が悪を膿み、罪を産む。希望の無い絶望の未来を求めて地獄を作るのではなく、希望に溢れた未来を求めて絶望を人に与える業こそ汎人類史。

 悪魔は此処も魂の地獄だと―――啓蒙された。

 古い獣の脅威など無くとも、外側から来た侵略も必要とせず、人は自らの内側から自然と脅威を作り出す。

 ならば、魂もまた獣。古い獣も人の可能性に過ぎず、人と言う知性の成れの果て。悪魔は、故に自身が人から悪魔になる意味も価値も、この人理の世に辿り着いた事で理解されてしまった。培った知性により、己が魂を啓蒙してしまった。

 疫病。死ぬ。

 病魔で死ぬだけでなく、病魔憑きの罹患者を差別して人が人を殺す。

 戦争。殺す。

 集団としての利益を求め、違う集団を群れで殺し、罪を益として正当化する。

 迫害。死ぬ。

 群れの中で不利益の象徴を作り、悪の証明で罪の不在を生み、邪悪と言う幻想を社会化する。

 飢饉。殺す。

 現代において指導者が意図的に集団殺戮を行う罪の生まれぬ手段であり、無能者の失策となる。

 鏖殺。無し。

 現行人類史における最も優れた殺戮手段は生み出され、実行される。悪魔はそれを見て、人類文明の進化に対する幻想を棄てた。

 文明を進めた所で、人は人を救われない。汎人類史に未来はなく、終わりしかない。

 不死となって永遠を嫌い、限りある定命の存在こそ尊く、懸命に生き抜く人々に夢を見ていたが、それこそ無価値な幻想に過ぎないと正しく理解した。

 だから、終わりの無い永遠を文明化してはならない。個人の業で抑えるべきであり、根源に魂が還らない人を文明社会と言う機構で作ってはならない。苦しむのは今この時、不死と化した人間だけで良い。

 この地獄は、限りある命に過ぎない人間だから、看過されているに過ぎない。

 古い獣が齎す業を人が正しく運用すれば、皆が人間から悪魔へ進化すれば、きっとこれが永遠となる。地獄を日常に作り替え、死が当たり前の生活となり、魂が魂を差別し、区別し、苦しめる地獄の星を膿み出るだろう。

 

「死を魂の循環とする機構を、人理の世であるこの星の人々は良しとした。阿頼耶識は正しく、それは幸運だった。

 永遠を求めるのは獣の所業だよ。そもそも根源を神聖視し過ぎている。

 魂が生まれる事も所詮、宇宙が今こう在る様、ただの現象でしかない。

 弱い魂はな、腐るのだ。強く在る魂はな、他者の魂を腐らせるのだよ。

 分かるだろうか。この宇宙は根源の影に過ぎず、魂を作る高次元である根源とて、宇宙を救う術はない。人が人を救えない様、世界では世界を救えない」

 

「良く、分からないわ。どう言うことなの、ダイモン先生」

 

「永遠の世界も存在する。死の無い生物の星だ。しかし、それは永遠に腐り続ける知性の世だ。その腐れを防ぐのなら、根源より流れ落ちる魂を作り変えるしかなく、真実を覆い隠す欺瞞の星を作り上げるしかない。

 だが、その欺瞞もまた個の業となる。やはり、永劫の果てにて腐るのさ。

 よって死で生命を消費し、魂を現世と根源で循環するのは良い業だった。

 何もかもを忘れた魂は腐る前に故郷へ還り、根源で無に戻り、生まれ変わりが可能となる。

 謂わば、宇宙の仕組みを利用した人理の律の正体だ。魔術と言う文明技術を星は人類種に啓蒙しておきながら、それを科学のように広めるのを防いだ。魔術と魔法が科学と合さり、一般文明化していれば、全人類が死徒を遥かに超える完全無欠の不死種族に進化していただろうに、阿頼耶識自身さえも人間文明の究極に突き進むのを許さなかった」

 

「皆、ダイモン先生みたいになってたかもしれないわね」

 

「まぁ、だろうな。実際、私が滅ぼした剪定事象に選ばれる世にて、人間はそうなった。其処は剪定事象さえも克服した人類種の世界であり、永遠に世界から熱量を奪い続け、根源に眠る資源も喰らい尽くす事象の癌となっていた。あの儘、何もかもが永遠となった人代は人理も必要とせずに単独で進化し、根源から新しい宇宙が生まれる熱的資源も全て消費しただろう。

 永遠ならば、無限を食せるのが道理だからな。

 だからな、私はそんな人々を滅ぼしたよ。古い獣を封じる私は人間だが、人間だからと人の業が人を滅ぼすのを見逃せなかった。何より、ソウルを理解する人が文明ごと古い獣に進化する証明にもなった」

 

「そうだから、人理はアッシュさんとダイモン先生に協力する。それは、良く分かったと思う」

 

「それだけでは無いがな。未来への架け橋であり、全人類種の魂が根源へと寄生する上位者と言う悪夢に進化するのを防ぐべく、特定の個人が生贄となって世を守る現状を維持しているのもある。

 月の狩人、ケレブルム。彼には酷い扱いをしている罪科の意識がある。

 火の簒奪者、アッシュ・ワン。彼女を悪役と言う贄にした自覚もある。

 別に私は、人の魂が根源を滅ぼそうが何も想わない。古い獣による滅びも所詮、要人と言う脅威を生んだ人自身の罪でしかない。

 だが人間ではないのに、人間に力を貸した悪魔が居てな……そんな好きな女が守りたかった世を守る為だけに、私は人の魂を生贄にし続ける悪魔なのだろう」

 

「しかし、悪魔殿……死の循環を許す今の人理はこの様だ。それでも、貴公は人を許せるのかね?」

 

「許せるよ。何より、人は悪魔からの許しを必要としない。私が脅威を殺そうと、脅威を放置して人が滅ぼされようと、人々は当たり前の様に魂が循環するだけだ」

 

「星と共に生きる人に、興味無いのか?」

 

「貴公にとっての月光が、私にとっては彼女と言うだけだ」

 

「ならば、仕方がないことだ。欺瞞の無い愛は、とても素晴らしいからね」

 

 愛が善ならば、悪魔は地獄で以って人の善性を証明する。人の世が滅びるのを幾度も防ぎ、人から宇宙を救い、魂から根源を救った。

 救いの地獄だった。永遠に愛すると決めた魂は、ただそう在り続ける。

 古い獣を魂の内側で飼い殺しながら滅びの世を渡り、悪魔は地獄を蒐集し続ける。

 

「とは言え、私は善人ではないぞ。人殺しもするし、人を殺すのも愉しめる戦争屋だ」

 

「でも逆に、それって英雄らしいと思うわ。ダイモン先生だって、人が人を殺すのは普通の事だって分かってるでしょう?」

 

「否定はせんさ。しかしな、殺人を罪と理解する倫理も同じく得ている。あの灰もそうだぞ。現行文明において、資本主義を学んで経済社会で荒稼ぎした金銭を使い、国際援助機関を運営していたからな。

 何となく思い付きで、貧困に苦しむ人々へ尊厳ある生活を与える善意。

 根があの女は聖職者だからな。善悪在っての人の業であるなら、善い事は良い事として愉しむ心を備えている」

 

「それが、私は怖いのよ。なのに何で、葦名はこんな世の中にしてるの?」

 

「人の死も愉しいのだ、善悪が等価である故。死灰の灰は矛盾無く罪を犯し、闘争を喜びながら平和も楽しみ、葛藤なく悪意で以って善を為す。

 人助けも同じとなる。奴もまた、私と同じ心亡き悪魔だと言う訳だ」

 

「理解出来ない。貴方も彼女も、上位者より上位者してるわ。私を指より御産みに為された御父様だって、まだ人間性に溢れてる」

 

「仕方がない。正直、過去の私が今の私を見たら、理解する気も湧かないだろう。これ程の罪を積み、人の魂を贄にして人の世を守る所以がない故にな。

 ふむ。しかし、長話の御蔭か、気が付けば目的のソウルが描く風景に辿り着いた。

 待たせて、実にすまない。人類史が描く地獄道の画など、気色悪かったであろう?」

 

 ―――朱い月。月光世界。

 曇天の下に月が浮ぶ地上の悪夢。

 

「此処は、上位者となった人間のソウルだ。阿頼耶識に悪夢を寄生させ、全人類を神に進化させ、人々が夢となって繁殖する人類史を作った者の魂だな。

 私が早目に狩り殺さねば、他の平行世界にまで魂の上位者化現象は及んでいただろう。だがそれは人類種の進化として正しく、永遠さえも文明化したが、全ての人類が集合無意識を知覚し、互いの魂を理解し合う世だった。

 ―――争いが消えた平和な世だ。正しい意味でな。

 永遠に生きる神となった新人類種が、繁殖用奴隷として製造した人工人間を使う文明。

 争いの無い世を作り上げる為に、欺瞞を極めねば永遠の平和は有り得ないと言う証明。

 その正体は世界自体が剪定事象を克服し、世の滅びを眠りに変え、夢に目覚めて世界を繰り返す上位人理。根源と言う宇宙誕生の資源を延々と貪っていた故、新しい宇宙が生み出る為の世界卵を貪る夢の星。その世を剪定出来ぬ人理の代わりにソウルの霧を流し込み、獣の餌とすることで私の独善による人為的剪定事象を行った」

 

 紅い空の月下にて浮ぶコンクリート造りの浮遊都市。手を伸ばせば月に指先が触れる塔の頂上にて、椅子に座る女が独り。

 彼女は白い長髪を無造作に垂らし、血腥い狩装束の儘、本を読む。

 冷血な表情で瞬きもせず、静かに五指を動かして頁を進めるだけ。

 

「悪魔、何か用かしら?」

 

「今はダイモンの名を得た。そう呼んでも構わないぞ」

 

「嫌よ。永遠の平和に至った地球を霧に包み、獣の餌にした悪魔じゃない」

 

「しかし、貴公は私と言う地獄に堕ちた故、その存在が死に至る権利を得た。他のソウルの人格達と同様、根源に還るのが摂理だと思うが」

 

「それも、嫌よ。人は根源より価値が在るから、私はあの平和な星を作った。狩人として、文明に血を啓蒙した。だからね、それを否定した貴方の業を啓蒙されたいの。

 何より、死んで解放されて何になる?

 根源に還ってもこの意識は消えず、記憶を持った儘、また私は私を繰り返す。事実、今の私は無数の私を繰り返した果ての私。結局、違う平行世界で生まれた違う私であるオルガマリーに転生するだけ」

 

「そうか。では、地獄(此処)に居給え」

 

「そうするわ。私が還らなくとも、根源に私の魂は存在する。私は、また私に戻って私になる意味もない。あるいは、私ではない私の魂を継ぐ違う自分になる価値も失った。

 ―――で、後ろの二人は何なの?

 楔の神殿でも見た事はないけど、もしかして貴方がソウルを奪ってない人達かしら?」

 

「指の狩人と、火の簒奪者だ」

 

「ふぅん……―――あっそ。遂に、あの古い獣を狩る算段が付いたって訳?」

 

「そうなる」

 

「じゃあ、それだったら……死ぬのも、良いかもね」

 

「成仏するのか?」

 

「その仏教用語、私は好きよ。確かに、世を悟ってこの世を去る気には為れそうね」

 

「人理の世に合わせ、私も言葉を覚えたのだ。しかし、正しい使用で良かった」

 

「貴方の感傷なんて糞団子よ。で、連れて来た理由は?」

 

「貴公を見せたかった」

 

「不愉快」

 

「愉快な事が、この地獄で起こるとでも」

 

「その正論も不愉快よ……はぁ。で、こんなソウルの深淵まで来たのだし、見学だけって訳でもないのでしょう?」

 

「残念だが葦名の終わりにて世界は救われ、貴公は我がソウルの神殿から去り、人の故郷である根源へと還る。もはや夢は醒める、不死ではない故な。それと二人を連れて来たのは関係のある事なのだ。

 此処は、狩人の悪夢に浮かぶ月の中。

 地上に堕ちた月界都市にして、正夢。

 月好きな灰と、狩人の眷属ともなれば、良い感傷が啓蒙されると思いな」

 

「啓蒙……―――啓蒙ね。今となっては懐かしい脳の刺激だわ」

 

 白い髪の女は立ち上がり、悪魔の横に立つ二人へ近付いた。

 

「そこの月光狂いは良さそうね。私を見ただけで、此処の月の全てを悟れたでしょう?」

 

「そうだ。だからな、すまない。人生を覗き見るなぞ、人として不躾だった。人間性を尊ぶのなら、魂に触れる許可を取るべきだったろう。これは人を、獣と蔑む無能者と変わらない無礼だ」

 

「良いのよ。どうせ、此処は地獄。この程度の辱め、世界を間違えて導いた罰には軽い。

 けど、貴女は別の様ね。指の狩人、ユビ・ガスコイン。月の狩人の指から生まれた思考の紐の眷属ともなれば、知り得ぬ事もない癖に、人間性だけは元の人格の儘にされ、感情は生死を悟れていない」

 

「―――……ぁ、う……」

 

「泣かないで欲しい。貴女の御両親はもう死んでるのだから、涙を流して何になるの?」

 

「………ぁ、ぁ……ぁあああ!」

 

「でもね、人の死を悲しめるのは羨ましいわ。涙の流し方、魂が忘れてしまったから、根源に還っても私は私の悲しみを取り戻せないしね。

 だから、きっと私はこう思うのよ。その肉、胆と脳は狩人の瞳を卵にして孵化した指の紐だとしても、その魂は何処から流れて来て、夢を見る器に宿ったのかしらとね」

 

「でも、それでも私は私の名を名乗れないの。ねぇ、オルガマリーさん……だから、貴女の遺志を私に下さい。

 おねがいします、御願い致します。どうか、どうか、私に遺志を託して下さい。後悔も、未練も、きっと継いで私がダイモン先生を殺します。根源に還します。復讐を受け継ぎます」

 

「残念。こいつが死んで根源に還るなら、誰が同じ場所に何て還るものか。そもそも、この宇宙に流れ落ちた魂が生まれた渦に悪魔野郎が混ざるとか本当に気色悪過ぎるし、この不死が死んで無に還るなら、私は意地でも夢と為って蘇る。

 だから恨んで殺して結局、復讐に意味なんてない。どうせ死亡き人を渦へ落とした所で、復讐した相手と同じ場所に自分が逝く訳だし……なら永遠、この宇宙で苦しみ終われない方が素晴しい苦悶よ。還った根源で無に戻り、ずっと苦しむ不死共を嗤ってやるのが丁度良い復讐だわ。ま、私の意識はどうせ虚無に融けても消えないでしょうけど」

 

「―――ヒ、ヒヒ。ヒヒヒヒ、ヒッヒヒヒヒヒー!」

 

「止めなさい、ユビ・ガスコイン。発狂しても、一秒もしないで理性が戻るのだから、一秒前の自分が恥ずかしいだけじゃない」

 

「狂えもしないなら……じゃあ、私はどうしろって言うの?」

 

「さぁ……瞳が生えた脳があるのだし、自分で考えなさい。

 けど血と脳は教えましょう。継がれる遺志こそ、狩人の死を尊ぶ弔いと為り得ます」

 

 気が付けば指は、光輪で魂ごと肉を拘束されていた。何時、縛られたのか分からず、だが此処が固有結界の中だと考えれば不可思議ではない理不尽だった。

 そう指が考え付くと同時、眼前の女は自分で自分の頭蓋骨を砕き割り、掌で血塗れた脳を掬い取っていた。

 

「―――は?」

 

「じゃあ、お食べ。遺志を、継ぐのでしょう……?」

 

 





 読んで頂き、ありがとうございました。
 葦名に召喚された簒奪者達のほのぼのとした日常回のおまけでした。


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深淵死滅亡国「アシナ」
啓蒙77:オーバード・ナイト


 今年も、明けましておめでとうございます。


 近代葦名街に建てられたビル、その一室。サムライホテル葦名の最上階、スイートルーム。そこのサウナから出た灰は水風呂に入り、広いバルコニーで外気浴を行い、またサウナに入る。それを繰り返す事、三回。冷蔵庫で冷やしておいたキンキンのジーク印のビールを取り出し、一杯一気呑み。

 細胞の一つ一つまで癒しが廻る淡い刺激。

 この為だけに生きている―――と、灰は人理の世で得た人間性によって生を実感した。

 

「クーゥゥウウ、美味いですねぇ……ふふふふ」

 

「マスター。どうも、お疲れだったようですね」

 

「勿論。とても、とても、です。ローレンスさん、貴方も一風呂どうですか?

 サウナは良き文明の一部です。発展した人類種の娯楽文化は、人の魂を癒す素晴しき業でしょう」

 

「結構です」

 

「何とも勿体無いですね。この部屋、100ソウルですよ。

 そこらの人間を百人虐殺しないと楽しめない部屋なのですから、命はちゃんと有効活用しないといけません」

 

「医療教会に血風呂がありますので。良い趣味をした英霊のデーモンを狩れまして、少し彼女の宝具を改竄して風呂場を作りました。ガスコインの娘にも、脳に良いからと使わせていますよ。

 まぁ兎も角、此処でしたら、英霊のデーモンを一匹殺せば百日以上は泊まれるでしょう?」

 

「それはユビさんへの、重めのヒーリングハラスメントです。略してヒーハラは程々にですよ、ローレンスさん。どうせその血風呂、産業廃棄物になった罹患者か、肉塊になったキリエライト素体の生き血でしょうし。世の中、死に続けるより辛いこともありますので。

 ……――あ、チェックメイトです。

 ふふ、この度は私の勝ちですか。碁盤遊戯は直感的に戦えないのでもどかしいですが、やはり勝利は素晴しい快感です」

 

「何と。私の負けなようですね、マスター」

 

「では、勝者としての質問です。何故、私に負けたか分かりますか?」

 

「さて、何故ですかね?」

 

「貴方が―――弱いからですよ」

 

「ハハハハ、手厳しいです。しかし、真理です」

 

「無論この私も、私より強い人間と比較すれば、実にか弱い女性と言う訳です。尤も、獣的な話ですがね」

 

「皮肉好きも極まれりです。少しは、脳も可愛らしくなられては?」

 

「こう見えて、我が脳と魂はアイドルを理解可能です。なら充分、中身は可愛いと言えるではないでしょうかね」

 

「そうですか。あ、そこの一本、頂いても?」

 

「どうぞ。一本と言わず、好きに吸って下さい」

 

 スゥゥウと教区長は煙をとても深く吸い、スパァと内臓ごと吐き出すように煙を出す。表情は変わらずとも瞳は恍惚した色を現し、脳に啓蒙が溜まる実感を得た後、生きる意志が湧き出る。

 煙草は素晴しい。体にも、脳にも、意志にも効く。

 何事も心が一番。快楽が脳髄を癒し、思考に効く。

 

「ではもう一勝負、しますね。はい、します」

 

「拒否権は無しですね、マスター」

 

「無駄話を続けるとなれば、無駄話以外の暇潰しもするのが良いのです。人狩りと同じですよ。ただ獲物を殺すより、好きな得物で狩った方が愉しみが増えます」

 

「成る程。ではまた勝負をしますか。しかし、今度はチェスではなく、将棋にしましょう。

 折角の日本、その葦名です。日本文化が伝わるカインハーストに将棋は有ったかもしれませんが、ヤーナムで私はした事がないので新鮮なのですよ」

 

「将棋ですか……まぁ、構いませんよ。好きですから」

 

 遊び道具をソウルに仕舞い、今度は将棋盤を出す。二人は再び盤上での戦いを始め、思考の潰し合いを行い続ける。

 

「それで医療教会葦名支部は如何ですか?」

 

「順調です。ソウルの業も教えて頂きましたので、根源が作った魂の原理は解明されました。人の上位者化のメカニズムも把握出来ましたし、悪魔と狩人も素晴しい情報材料です。

 何より、良いのはキリエライト素材です。今の人狩り部隊は彼女らを基にしたデミ狩人ですからね」

 

「感謝して下さいね。私がアニムスフィアに協力した報酬として、デミ素材の遺伝子マップをマリスビリーさんから貰えたのですからね。尤も、サーヴァントの呼び声となるソウル精製は私の研究結果ですがね」

 

「其処らで殺した人間の魂を、キリエライトの魂を生成する材料にする技術ですか。実に冒涜的な考えです」

 

「それも出来ますが、今は狩ったデーモンのソウルを使ってます。霧から自然発生しますので、ソウルを作るのには良い材料です。

 それと、葦名には魔女のダルクさんと暗帝のネロさんも来ています。好機がありましたら、人体実験に使ってみても良いでしょう」

 

「ほぉ……―――宜しいので?

 あの二人、オリジナルキリエライトと同じく、貴女のお気に入りでしょう?」

 

「あらあら。その語調からしますともしや、私がキリエライトさんを教会から逃がした主犯格ってバレている様ですね?」

 

「過去視封じはされてましたが、医療教会は私の魔術工房ですからね。言わば、臓腑の中であり、脳が知覚する外部体躯です。

 全く以ってソロモン王には感謝ですよ。良い遺志であり、良き文化を後世に残して頂けました。私のような学術者が尊敬する数少ない英霊の一柱です」

 

「キリエライトさんの件は私が頼んだので、ユビさんに当たらない様にお願いしますね」

 

「勿論ですとも。代わりに、今は医療教会の孤児院で子供の面倒を見る時間を与えています」

 

「うわぁ……―――酷いですね、凄くとても。絶対に彼女、憐れな孤児に愛着を持ちますよ?

 ケレブルムはちゃんとした人間性を彼女に与えてますから、そんな症候群罹患者の孤児の面倒を見たら、結末が分かり易過ぎます」

 

「悲劇に絶望するのが、正しい人の心の働きと言うものです。あの狩人の眷属ですから、冷たい血の女だと思ってましたが、いやはや……まぁ、それも人生です。

 生前、私は子供の悲鳴は聞き慣れましたし、彼女もきっと大丈夫です。それに人の思索がしたいのでしたら、子育ては有意な時間になるでしょうしね」

 

「命の授業と言う訳ですね。狩人が、未来で自分が狩ることになる獲物を育て、自分の愛情も込めた血の遺志を頂くと」

 

「人の尊さと命の貴さを悟り、知り、学ぶ。一人の大人として、彼女には立派な人間性を得て欲しいのです。

 家畜を屠殺して金銭を得るのが素晴らしい仕事である様、狩人が獣を狩って教会から賃金を得るのも社会貢献となります。職務に弔いの意志は持つのは素晴らしいですが、それは己がその手で殺す相手の遺志を継ぐ覚悟が無い無能がしても無価値な人間性ですので」

 

「―――で、何時ですかね?」

 

「まさか。意図的に、私からは何とも」

 

「本当ですか?」

 

「本当ですよ。ただ、そうですね……アゴニスト異常症候群が悪化した孤児が暴走し、他の孤児を殺戮する何て事故が起きるかもしれません。

 あぁ、何と言う悲劇でしょうか。物語としてはありがちな三流脚本ですが、神が思い書く世の中と言う脚本はそう言うものです。もしも、もし不慮な事態が起きれば、ガスコインの娘が愛情を込めて育てた子供達が、子供同士で血肉を喰らい合う事になるでしょう。まぁ、只の可能性の話です」

 

「確かに。可能性の話ですね。ですがケレブレムの視点ですと、良い経験になると思索を喜ぶので、貴方の悪意にとても感謝することでしょう」

 

「ウィレーム先生は下品だと嫌いそうな思索ですが……はぁ、私も好きではないですがね。ただ、そう……血に酔うと、愉しめると言うだけです」

 

「じゃあ、ヤっちゃいましょう」

 

「おやおや、おや。引鉄(ひきがね)を引くのですね?」

 

「はい。絶望は良い経験です。人間性を強くします。悲しみを知る人は、悲しみに沈む誰かへ優しく出来る人に成長するでしょう。

 カルデアの藤丸立香さんの人間性が強く在る様、ユビさんも強く在って欲しいのです」

 

「素晴しい善意です。きっと、人理も御悦びなる事でしょう」

 

「当然ですよ。人理を夢見るこの星と、その星に作られ育った人類種に、私は今の人間性を啓蒙されたのですから。

 しかし、神の様な欺瞞は御免です。貴方の方から、子供達に希望の未来が一切無い事は伝えておいて下さい。心の底から絶望を納得出来る様に、誰かの為に生きる日々の幸福が、憐れなる死へ辿り着く道でしかないことを」

 

「分かりました。地獄への道は善意で舗装されている……と言う訳ですね?」

 

「その通りです。ですが、それもまた人間性です。子供に未来など人理も人道も許さないと言うのに、憐れなまで可愛らしい子供をユビさんは愛さずにはいられませんからね」

 

「承知しました、マイマスター。演劇は早目に開いておきます。あるいは根源より因果律を操り、特異点に来たカルデアのマスターとガスコインの娘を合流させ、その時にでも見せますか?

 あの少年は抑止によって獣狩りの運命に囚われています。実に、可哀想ですがね。

 孤児達はきっと、彼の心を鍛える程々の悲劇には丁度良さ気な生贄に為り得ます」

 

「そこまでの下拵えは要りませんよ。藤丸立香さんには不要な善意です。どうせ、これからの悲劇には耐えられる人間性に成長しますので」

 

「あぁ確か、貴女が接吻をしましたからね。何とも、悪徳な使徒です」

 

「まさか。私は所詮、善意の他人ですよ。しかし、だからこそ運命に抗う人の魂の本質を、彼は理解出来ることでしょう。座に蒐集された集合無意識と言う欺瞞の奴隷、その英霊共の魂よりも強く、絶望に立ち向かう心の強さを手に入れることです」

 

「それは素晴しい物語です。その主人公ともなれば、アヤラが座に惹き入れたくなる程に魅力的でしょう。駒を従えさせる贄の駒には丁度良い存在です。

 ところでマスター、こんな話は知っていますか?」

 

「良いですよ、聞きます」

 

「夜の寒さに凍える子が一人、独りになって家で留守番。父と母はおり、しかして父は獣狩り。殺戮の夜、路地は血に濡れ、広場は火炙り、処刑人と人攫いが出歩き、犬さえ人肉に餓え、烏は屍を突いて肥え太る。子を守るべき母は娘に男を愛する女の貌を見せ、そんな夜に置き去りだ。

 さてはて、女だったのか、母だったのか、どちらを重く愛していたのか。

 悲劇を語る際、悲しみの素材となる命の方向性が大切だと思うのですよ。

 それと同じく、私が扇動した部下は子供に血を流し込み、時には切り刻み、医療の発展に尽くしました。私は孤児院の子を親として愛し、だから素晴しい思索を得て欲しいと考えてました。

 何より、実は私―――童貞ではないのですよ。

 神の血を拝領するならば、処女か童貞であること大切だと思ったのです。だからこその孤児院なのです。他の精が交らない清らかな血にこそ、上位者の精は良く混じるのではないかと思ったのですよ。

 結果、特に関係はありませんでしたね。滲む血は、ただ血に適した胎盤が良く、聖女に処女性は要りませんでした。私は穢れない孤児の血を愛しましたが、私の愛に価値はありませんでした」

 

「分かり易い話ですね。ケレブルムは狩人となる前、童貞だったと思います。殺してソウルを味見しましたので、過去は知ってます。相手も同じですが」

 

「悲劇ですね。人間として考えた場合、彼はガスコインの娘と同じ、子供ですよ。女と交じり合う前の、童貞の子供です。性欲の自覚すらない感性です。親から子供として愛されず、女から男として愛も向けられず、だが愛を必要としない優れた人間性を得ているのでしょう。

 瞳で見た雰囲気、生まれは奇形の忌み子でしょうね。体格は早熟だったので、若くして古都へ旅立ち、辿り着く体力があった大人に保護されるべき子供。

 血の医療で遺伝子異常が治り、ある意味で生まれつきの獣が、狩人と為って人へ為る訳です」

 

「狩人が、羨ましいのですか?」

 

「はい。その境遇こそ、彼が今の彼に進化する土台となる過去です。知性に欠けた白痴で在りながら、生まれながらの高い知能こそ、学術者として最高の理想なのです。

 結果、獣血も啓蒙を得て、寄生虫も蛞蝓も蕩け、彼は狩人として完成された。もはや神々しいまでに脳が次元そのものと化し、月の血は人類種の進化に還元された。

 我等の邂逅、我等の悪夢、全てが正しかった。ならば、全てが善き惨劇だったのですよ。勿論、道徳としては論外ですが―――幸運で、幸福な、地獄でしょう」

 

「ふふふ……―――幸福とは、拘束です。人生が、その今に囚われます。

 人は不幸で在らねば自由に為れません。その不幸が旅に出る自由を狩人に与えました。人間性が無限の可能性を得るには、人の魂は地獄で在らねばなりません。強い心の持ち主が不幸を得た時、人間性は真なる自由を啓蒙されるのです。

 なのでローレンスさん、今の貴方は残念ながら幸福なのです。

 研究と実践、神秘の探求、耽美なる学術の日々。幸せが選択肢を拘束し、欺瞞を真実だと錯覚させます。貴方は医療教会と言う幸せから逃げられない状態なのです」

 

「――――……あぁ、それは確かに。確かに、そう在る人間性です。

 ならばマスター、私は棄てるべきなのでしょうか。これしかないと思う事が、折角の啓蒙を殺すのですか」

 

「はい。私は、何物にも為れない私なのです。価値を持つ事が幸福であり、だから私は自由を以て己が人生が自分以外に無価値である真実を証明します。

 殺す為に殺す。その価値からも脱して下さい。

 救う為に救う。無私すらも虚構と為り得ます。

 だからね、この葦名は誰もが自由な儘に存在できるのです。欺瞞を失うとは、過去と未来の幸福を捧げる昔の自分の遺志なのです」

 

「思う儘に、在るのですね。私は医療教会を大切に思うから、人間性の儘に大切にするのですね。様々な理由付けを理解した上で、感じたその思いを受け入れる自己への肯定。

 何か分かる様な気がします。生前、私は目的に辿り着けない事を不幸だと感じてた。

 だが不幸とは違う……そうだった。そうだった筈だ。何故、私は知りたいと希ったのか。神秘を知り得る必要もなく、私は私だ。人間だった。衝動だった。走らずにはいられなかった」

 

 教区長の人生、自分以外の人間には無価値だった。求める真理さえ、人類にとって無価値だった。

 

「私にとって私の人生は……善いこと、だったのですね?」

 

「―――はい。貴方は善い人生を歩みました」

 

「でしたら、死後の余生は―――在るが儘に」

 

 パチン、と彼は将棋の駒を盤に置く。それは素晴しい思考より生まれた戦術であり、灰を防戦に回す切っ掛けとなる神の一手だった。

 

「愉しんで下さい。その魂が、自分で在ると言う絶対の事実だけはね」

 

 遠くを灰は見た。いや、特異点の全てを知覚した。理解し尽くし、未来を見通し、だが素晴しい魂は宇宙闇黒よりも暗く、何一つとして見通せない。世界を手に入れても、己の不幸を愉しむ自由な人間性は支配出来ない。教区長の人間性を自分らしく祝福し、この地獄を魂の儘に生きてみようと普通に思った。特別な覚悟も、幸福な未来も、輝ける希望も、願いの成就も要らず、本当にただそう考えた。その思考の果て、何時も通りに葦名を滅ぼす為に呼んだ女を盗み見る。

 ―――ORT(オルト)と古い獣のソウルが混ざる結晶森林。

 上空から日本国首都『葦名』に潜入出来なくなり、栃木と茨城の北部は全てが腐れ毒沼に沈む。その沼地を抜けても対空砲火と対地砲火が十全に装備された戦線防壁に覆われている。関東南部から葦名へ歩きで進むには、どうしても魔物が住まう森林を抜けるしか無く、葦名は封鎖されてしまった。しかし、脅威はそれだけではない。

 第二次世界大戦、史上最狂の爆撃機乗り。

 ドイツの大英雄、ソ連兵殺しのルーデル。

 抑止力によって葦名で召喚され、アームズフォートを宝具の爆撃機により単機撃破したサーヴァントであったが、彼は現行文明を殲滅する程の異聞帯兵器と相打ち、死に、そのソウルは灰らに簒奪されてしまった。即ち、葦名上空はドラゴンの他、量産されたルーデル式爆撃機「葦名昂号」が飛んでいる事となる。ローレンスが教区長に就く葦名支部医療教会による人狩り部隊は、兵器使いとしても運用されており、飛行要塞とも形容出来る究極の爆撃機が葦名の上空を守っている事となる。

 

「遂この前までは、こんな森林なかったんだけど……―――えぇぇえぇ、何でこんな事になってんでしょう?」

 

 沼地から湧く奇形の化け物。森林に潜むオルト魔獣。戦線防壁は怪物らが首都に来るのを防ぐと同時、グレートウォールと言う蹂躙兵器は森林も沼地も気にせずに関東平野を爆走し、魔獣も化け物も走り殺す地獄となっていた。

 

「さぁ?」

 

「何か、爆撃機も飛んでますよ?」

 

「サーヴァントの宝具を模したのだと思いますよ、ダルクさん」

 

「そうね……ちょっと見ない内に、森は出来るわ、沼は湧くわ、防壁が築かれるわ……はぁ、スピード感が凄過ぎて付き合い切れないじゃない?

 貴女が葦名街から逃げた時だと、まだ三つとも無かった筈よね?」

 

「地上殲滅用の爆撃機も無かったと思いますよ。挙げ句、あの爆撃機、あの人のパクリでしょうし」

 

「パクリは駄目じゃない。邪魔なACはぶっ壊したってのに、そのACやAFを破壊した魔王様の愛機を、こんな風にリサイクルするとかちょっと鬼畜外道過ぎる」

 

 パチパチ、と焚火の薪が弾ける音。重厚な鎧を着込む盾騎士は、篝火に火掻き棒を突っ込んで火の調整をする魔女へ、とても胡乱気な瞳を向けた。

 

「本当、カルデアから来るのですか?」

 

「大した未来視出来ない雑魚眼の盾ちゃんは疑っちゃ駄目ですよ?」

 

「直ぐ、煽ります。育ちが出ますね」

 

「アハハハハハ。良い環境で育った自覚はあるわ。自由に伸び伸びと、レイプ魔のクソブリテンと、裏切り者の腐れた王国民に復讐しましたので。

 思えば、それが魔女の原典ですね。大人になる前に、子供な私はカルデアに殺された。

 キリエライトはどうかしら。煽ったの、貴女なのだから、その育ちって言うのを無知な私に教えて下さる?」

 

「では、脳を開いて下さい。良い機会ですし、私があの女を恨む理由を見せましょう」

 

「ん~……じゃ、教えて」

 

 魔女の視界に夢が映る。夢の光景の中で見る映像内にて、星見の狩人は実に御機嫌良し。鼻歌を吟いながら、踊るようにカルデア職員を殺し回っていた。

 

『――……ふん、ふん、ふんふん……ふん、ふん、ふんふん。

 ふふふんふん、ふふふんふん、ふふふふ、ふうーふうーふぅ………』

 

 怒りの日。即ち、人が世界を灰塵へと帰す運命の日。

 

『ふふん、ふ、ふ、ふぅ―――……はぁ、夢のような素晴らしさ!』

 

 だが、鎮魂歌にしては血生臭く、何より雑過ぎる。

 

『狩人とは、やはり血に酔ってこそだもの。ならば、流血なくして悪夢に目覚めなし』

 

 カルデアの技術で作られた監視カメラの映像解析度は肉眼のようにくっきりとし、集音機能も高いので小さな独り言も聞き取れる。

 

『どうして……どうして何故です、所長―――!?

 私たちは貴女だったから……貴女だからこそ此処まガヒョ―――!!」

 

 短銃より放たれた水銀弾が、職員の頭蓋骨を木端微塵に粉砕する。

 つまり、彼女は部下を―――殺した。躊躇わず銃殺してしまった。

 

『うわぁぁああーーー!

 いやだいやだ、や、やめ、やめて下さ―――!』

 

『うわぁぁあああああああああ!!』

 

『裏切り者、裏切り者!!』

 

『止めて、止めて! どうか、殺さないで下さい!!』

 

 散弾銃の銃口を顔面に押し当て、射殺。

 腹部に手を入れ、内臓を鷲掴み、惨殺。

 愛用の曲刀で膾切りを繰り返し、斬殺。

 火炎放射器で生きたまま火炙り、焼殺。

 怨念が廻り入る車輪を振り回し、轢殺。

 墓石付きハンマーを叩き下ろし、撲殺。

 

『宇宙は空にある! あぁ、血みどろな心、粘りつく気!

 我らの呪いが海に還るなら、きっと深海にカルデアは沈むのね!!』

 

 歩き、狩り、殺す。視界に映る生命全て、狩り尽くす。

 

『だから、だからね……マシュ。貴女は、きっと普通に生きるの。貴女はもう、星から解放された。

 自由に生きれば良い。魂に従い、在るが儘、夢から目覚めて獣性を棄てる時が来たわ』

 

 血に酔った善き狩人だった。死に酔う良き狩りだった。正しく、ヤーナム。正しく、獣狩り。素晴しいと言う形容がこれ程に似合う惨劇はない星見の狩り。

 ―――これが本当のことだった。

 こうしてキリエライトのカルデアは滅ぼし尽くされた。

 思念に乗って憎悪が伝播し、盾騎士の怨念の記憶は魔女の脳内に入り、脳細胞を死滅させる様に広がり、その時の映像がイメージとして啓かれる。

 

「私が此処にいるのは、そんな感じです。これで満足ですか、魔女のダルクさん」

 

「ま、聞きたいことは聞けたし、満足っちゃ満足よ。でも、その哀れな(ザマ)、ぶっちゃけ如何にか何ないの?

 私が言えたことじゃないけど、負け犬臭くて堪んないわ……マシュ・キリエライト」

 

「―――訂正を。その名は棄てました。

 キリエライトと、ただそう呼ぶようにして下さい。次にその薄汚い呼称で私を呼べば、貴女の脳漿を盾で撒き散らします」

 

「はいはい、キリエライト。アンタとは殺し合いたくないから、絶妙に煽るだけにしとくわ」

 

「相変わらずの構ってチャンですね。少し、大人になったら如何でしょうか?」

 

「イヤよ。復讐者ってのはね、承認欲求の塊なの。我が報復、此処に在り……と世界に刻み込まないと、何一つ憂さが晴れないでしょう」

 

「―――フン。そんなだから、無様に魚類貌の男に踊らされる。

 自分自身の憎悪ではなく、ブリテン生まれの塵雑巾に強姦(レイプ)されたオリジナルを自分の記憶と思い込み、無価値な所業を特異点で為すのですよ」

 

「あっそ。でもね……―――最高(サイッコォオウ)に、復讐は愉しかったわ。

 復讐者は憎悪しなければ呼吸さえするのに苦しくて、何もかもが憎くて堪らない。誰が憎いのかも、最後には分からない。

 でも、でもね…‥私は侵略者を存分に―――鏖殺(コロ)したわ。

 その後に行ったフランスに対する復讐は、復讐者としてはオマケよ。

 憎くて堪らないし、殺さないと自分が死にたくなったけど、本来この手で殺すべき相手は残さず殺したものね!」

 

 キリエライトの義手が握り込まれる。積もった怨嗟が頭蓋骨の模様となり、人を狂い殺す呪詛が流れ出た。

 

「貴女達のような、生きる価値の無い屑がいるから……」

 

「いるから、なに?」

 

「……結局、私もそうだから、誰も救えない」

 

「そうよ。殺人相手がサーヴァントだろうと、殺人は殺人。憎悪を以て戦えば、命を愉しむ人殺しなのよ。

 きっと藤丸は貴女を慰めるけど、あいつ自身は自分は罪人だと断じて戦うでしょう?」

 

 皆殺しにされた。一人残らず、誰も生かさず、殺された。頑張ったのに、耐えて、足掻いて、その果ての報酬が異聞帯だった。

 殺したのは―――同じ、カルデアだった。

 カルデアが、人類史の汚点となったカルデアを殺した。平行世界にまで因果律を狂わせていたと、人理の為に何時も通り殺戮した。

 人生に価値は無く、人道に意味は無い。

 永劫でしかないのに、限りある生命を慈しむ何て余りにも下らない。

 キリエライトは報復すると決めた。人理が塞がれば焼却し、カルデアが邪魔をすれば鏖殺する。故に決して、オルガマリー・アニムスフィアだけは許してはならない―――

 

 

 

 

 

亜種特異点

深淵死滅亡国 「アシナ」

 

【オーバード・ナイト】

 

 

 

 

 

 指の狩人、ユビ・ガスコイン。医療教会葦名支部の狩り業務に勤める雇われであり、悪夢に住む月の狩人から送られた派遣狩人兼聖職者。彼女は葦名における自分の上司である教区長から新しい職務として、孤児院での生活を頼まれていた。

 ―――幸福だった。人間らしい生活だった。

 笑顔が絶えない日々。人間性に尊厳が宿る満ち足りた日常。集団生活は人間の本能的社会性が充実し、理性面でも子育ては素晴しい仕事だと喜んでいる。そして他の職員は優しい人格をした人が多く、(ユビ)は同僚にも恵まれ、人殺しに反する人助けの毎日を送った。

 人を殺さない日々。それは人狩りを疎ましいと思える充実した幸せだ―――けれど、終わり。

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。愛していたのに、死んだ。死ぬと分かっていたのに、後で辛くなると分かっていたのに愛してしまい、死んだ事実を受け入れたくないと思う程、苦しくて堪らない。思う必要もないと分かっているのに、苦しむと分かった上で思考して、苦悶する。

 

「あ、ぁ……―――あ、ぁぁあ。あ。あ。あああああああああああああああ、あああああああああああ……あぁあああああああああああああああああああああああああ」

 

 一人暮らしをしていた家から引っ越した後、孤児院暮らしをしていた彼女は自分自身に絶望する。分かっていた筈だ。死に別れは確定する未来。死ぬ者への愛着など、精々が犬猫の愛玩動物に向ける程度に抑えなければ、愛する程に苦しむだけ。同類ではない畜生と割り切っていなかれば、自分の魂が切り裂かれるだけ。

 

「メリナさん……―――死んじゃった。ねぇ、死んじゃったよ。皆、皆、死んじゃった」

 

「そうね、ユビ」

 

「どうしよう。ねぇ、どうしよう私まだ、奇跡をちゃんと覚えてない!

 ダイモン先生に蘇生を頼めば大丈夫だよね。子供達は死から助かるよね!!?」

 

「蘇生……?」

 

「ソウルは一杯あるから、大丈夫。きっと大丈夫。苦しんで死んだアカネさんも、ユウジさんも、イチゴさんも、キヌコさんも、妹を庇って死んだサイさんもきっと大丈夫、大丈夫。

 だって、死んじゃうなんて可笑しい。こんなの可笑しいよ。

 人は死なない。私みたいな人以下だって死を克服出来るんだから、人間の仔な皆なら死なんて病いは治らないと可笑しいじゃない?

 そうでしょう、メリナさん。魂が死んだって、人は大丈夫だよね?」

 

「………………」

 

 変異亡者化現象、アゴニスト異常症候群。病魔を魂に罹患する孤児院の子は、獣の霧を吸い続け、魂が奇形となって肉体も変容した。だが理性は保ち、そして時間と共に狂い出す。

 ―――食人衝動。あるいは、混沌衝動。

 食べ合う孤児と孤児。肉を食べ、肉となり、その肉をまた食べ、肉が廻る。血肉が交じり合い、肉塊が膨れ合う。全て一つとなり、蠢き、孤児達は一人の孤児となった。血肉の落とし仔となった。

 

「……死んだけど、死ねないわ。ほら、ここは葦名だ。罹患者を、死では救えない」

 

「―――違う!!」

 

「なら、私が殺そう」

 

「え、だって……なんで?」

 

「何でって、もう命の形が狂ってる。生を強制されて、死に切れないなんて駄目でしょう?」

 

「でも、子供なんだよ……?」

 

「殺して欲しいと、彼等は苦しんでいる」

 

「――――……けど、そうだけど!?」

 

 全ての孤児は混ざり合った。命の混沌。人命だけの生命系統樹。変異することで獣化し、上位者化し、デーモン化し、英霊化し、その変化現状全てが混沌とするのが変異亡者化現象。

 運命の死で黒く燃え上がる使命の刃。狂巫女(メリナ)の冷酷な殺意が周囲を冷やし、死なずの亡者を殺す不死斬りにも似た絶死の恐怖が孤児達の塊にも伝播する。彼女の手に掛れば、死の無い生命に死を与え、その上で魂を滅する事が可能だろう。無論、黒色に混ざる黄色の火は魂を発狂死させ、嘗てより禍々しい運命以上の死が具現する。

 

「私は、初めて―――命を賭けて皆を守りたいって思えたのに!?」

 

「なら、貴女が殺しなさい。獣狩りをした貴女は、誰かにとっての守りたい人だった筈の獣も、その手で狩り殺した過去を持つのだから」

 

「――――……」

 

 葬送の意味を身で味わう苦悶。何故、ゲールマンが狩りを弔いとしたのが、指は正しく理解する。そもそも獣は徹底して人間なのだ。匂い立つ血にえづき、微笑み殺す狩りを良しとすれば、狩人自身が獣以上の獣に堕ちる。人殺しを人狩りとさえ認識せず、尊厳ごと踏み躙る人殺しを作業と思って狩り殺す。

 せめてもの―――弔いを。孤児を知らない狂巫女ではなく、皆を知る自分が送ろう。

 葬送を思う彼女は夢見る脳から斧と散弾銃を取り出し、ラフな私服から狩り装束の神父服から即座に着替える。

 

『ユビちゃぁぁああん!』

 

『あそぼ、ユビちゃ!』

 

『まま、まままま、まま』

 

 肉塊から泡の様に生えた可愛らしい子供の貌。その口が開き、混ざり合った脳味噌から言葉が発声。

 ―――殺せ。

 斧を下ろす。血が出た。斧を下ろす。肉が削げた。斧を下ろす。首が堕ちた。銃を撃つ。血が弾けた。それでも苦しみ悶える孤児達の塊。油壺を投げ、火炎壺を投げ、火達磨にする。肉塊から生えた貌が断末魔を上げ、生えた手足がバタつき、苦しみ悶え暴れ、更なる変異亡者化現象が進む。

 孤児らは肉塔となり、救いを求めて天を目指す。

 臓腑が蠢き溢れ、脳が膨れ上がり、手足が百足の様に生え狂う。

 これが―――魂なのか?

 これが―――人の可能性なのか?

 しかし、これもまた根源から生じる人の本質であり、そう在る事が許されるのが人の世。悍ましい在り方さえも宇宙にとっては善い事だった。

 

「あっはっはっはははははははははははっはっはああはははははは―――!!

 私は指。所詮、指。御父様の脳片から生じた腐った紐。だから仕様がないの、意味がないの、価値がないの。ごめんね、皆、ごめん、ごめん。ごめんなさい。

 ―――救えない。

 やっぱり救えない。人を、人間性からは救えない!!」

 

 遺志を継ぐ為、その手で狩る。狩人でしかない自分を愛してくれた孤児達へ、魂がこの世で生きようとする意思を断ち切る一撃を。無へ至る斬首により、孤児らは正しく息絶え、死ねぬ故に遺志は指の夢の中へ送られた。

 

「ユビ……―――何で、こんな事に?」

 

「メリナさんには分からないわ。でもね、これは決められた悲劇だったの。孤児たちに限界が来るの、私だって分かってたから。

 でも、分かってなかった。何でも無い様に、こうなったら狩れると思ってた。

 私が愚かだったの。心さえ獣になれば、迷うこともないのに。血に酔えば、間違えることもないのに」

 

「……ッ―――夢の律ね。黒幕が居る」

 

「いないよ、そんな奴。ローレンスさんからは、やがてこうなるのは教えて貰ってた。彼は何一つ嘘を吐かず、未来が絶望なのも隠さなかった。成り果てた子の処分も、教会で働く私の仕事。軍人が侵略する敵国で、今を生きる民間人の子供を虐殺するのと変わらない。人狩りを営みにする文明社会の邪悪な気色悪さを、私は分かってた筈なのに。

 でも、それがどれだけ薄汚い獣の所業か、分かって無かったってだけ。

 やっぱり人間は獣なのね。血に依り姿さえ獣になっても元が獣なら、やっぱり獣が人間なの」

 

「貴女……それ、全部が本心ではないわね」

 

「―――え?」

 

「無意識下の刷り込みでもない。貴女、罪悪感を継いでいるだけ。誰のかは知らないけど、人の死を悲しめる優しい心を理解出来るよう、そんな祈りの中から生まれたのね。

 あるいは、その感情をその者へ啓蒙する為の――――いや、それは貴女も理解しているみたい」

 

 巫女は死を見る宵眼と、狂い火の星の瞳を両目に持つ。見抜けない概念もなく、現象も理解し、心の動きさえ色で分かる。だからか、指の思考も読み取れた。

 それは、死に至る病からは程遠い。並の人間の精神力なら百度は自死する精神的外傷を受け、全力で嘆き悲しみ、その上で彼女の意志は無傷だった。他人の痛みと感応する精神性を持つ狩人と同じだった。

 

「そうよ。心の底から悲しいけど、悲しいだけ。魂もあるし、心もあるから、涙も流せる。

 けど、それで自害を選ぶような人間らしさはないの。でも不死だから、自殺なんて自慰と変わらない下衆な慰めだわ」

 

 だからこそ、(ユビ)は祈る。指先で十字を宙で切り、父と仕えた同じ神へ死を哀悼する。葬送の意義を知るには、誰かの為に流す涙を知らなければならない故に。

 

「そうね。私も、それは同じだから。

 だから、せめて……どうか貴女が祈る彼等が、安らかに魂が巡りますように」

 

 絶望に慣れる二人の魂は、この現実が世界にとって無関心な事実だと理解する。人間の魂が如何程に地獄へ落ちようが、人の魂を根源から流し落とした宇宙自体は綺麗な曼荼羅模様の儘、観測されることで完全無欠と言う美しさを維持するのみ。

 何が偽りなのか。何が、誰の望む欺瞞なのか。

 魂の循環への祈りに何ら価値がない事実を巫女は見通しながらも、彼女はそれでも人だから、祈るしかなかった。

 

 

 

 

◎◎○◎◎<●>◎◎○◎◎

 

 

 

 

 ―――大日本倭国首都、葦名。

 葦名幕府を京の朝廷から赦しを得て開き、一大名に過ぎなかった葦名一心が征夷大将軍となり、既に四百年が経過した。

 だが、もはや国家など意味がない。

 伝承の写し身――悪魔(デーモン)が闊歩する世の中では、人の営みなど砂上の楼閣。

 

「関東を大蹂躙するアームズフォート、グレートウォール。

 太陽系外部の異常生態系が作られた封印禁断区、グンマ。

 汚泥が吹き溜まる糞と屍の葦名市街地下下水路、病み村。

 日本国の新しい観光地……――イヤだわーホント、イヤ。もっと気持ち良く愉しい場所じゃないといけないわぁ」

 

 格好は人形用のスペア服を来た幼い美少女貌の狩人。だが声は野太い低音ボイス。

 

「オカマキャラが定着していますね、狩人」

 

「やぁーね~……ケ、イ、モ、ウ!

 ボクの名前はケイモウよ。灰ちゃん、気持ち良くボクと啓蒙しようよ?」

 

「その嵌まり様、役者とかに憧れていたのですか?

 あるいは、お笑い芸人のコント師ですかね。日本文化におけるお笑いの歴史は奥深いですし、貴方がそれへ故意に感応するのも理解出来なくはありませんが」

 

「故意に恋したの、あはぁ!」

 

「その手の親父ギャグ、前頭葉が劣化により理性が緩むから出るそうですよ。締まりの無い脳に衰えたのでしたら、この葦名で文学でも勉強して頭脳を鍛えて下さいね」

 

「しんらつー! けど、その罵倒が脳に気持ち良い!!」

 

「―――っち。精神が無敵ですね、このオカマさん」

 

「やぁーねー。キャラはこんなだけど、性自認はオトコ。つまり、ボクは廃人形な女装家男娘なの」

 

「分かりましたよ、ケイモウさん。今はそう言う設定で良いのですね」

 

「うん!」

 

「で、何に影響されて……その、あの何です。今の気持ち悪い様になっているのですか?」

 

「色んな遺志を混ぜたら、ビックバァアン!! 宇宙は空にあるのだわ!!」

 

「良く理解しました。仕方無いですねぇ……はぁ、溜め息出ます。不法滞在ではないですし、抑止の糞団子思想みたいな特攻要員を地雷みたいに仕込む卑劣戦法でもないし、良いですよ。別に本名でも良いんですが。

 代わり、役には立って貰います。私も道化を演じるのだから、益は分配して頂きます。狂い火の褪せ人さんが来る様でして、カルデアの対応も変えないといけませんし、あれには根源から因果律に干渉して運命を操作するって言う反則も効きませんからね」

 

「ケイモウって名前がアレなら、ボクの第二プランの姫汚(ヒメオ)で良いよ」

 

「結構です、ケイモウさん」

 

「ノンノン。ケ、イ、モ、ウ、だよ。もっと愛を込めて!」

 

「フン―――!」

 

「うわぁお、糞団子をこの美少女フェイスに投げやがったわ!?

 恐ろしい恐ろしい。ボクが加速の神秘を覚えてなかったら、うんこ塗れになってたじゃん」

 

「――……ッチ、これが苛立ちですか。人間性が豊かになるのも、善し悪しがありますね。

 はいはい、修復修復っと。装備品の修理以外にぶちまけた糞団子を綺麗にするのに、時間を戻すこの魔術はとても便利です」

 

「もぉー、粘着く汚物を人に投げちゃダメだZE!」

 

「安心して下さい。もし、その可愛らしい顔面が糞塗れになれば、ちゃんと顔を修復して上げました。序に脳も良くなるかもしれませんから」

 

 あざとい貌と仕草で微笑むも、廃人形が発する声の野太さはグランドクラス。筋肉質な大男の声帯と同レベルの野性味豊かな声質で、萌え声を模した話し方をされた時、灰は自分がどんな表情をすれば良いか判断に困り、取り敢えず日本人の対人文化から学んだ曖昧な笑みを浮かべた。

 これは獣からの呪いか、魂の為に殺した人々からの罰か。

 しかし、発酵し尽くした文化が化身として具現化した狂人だろうと、狩人は狩人。凄腕にして、高次元暗黒思考を持つ神秘学術者。灰は廃人形と言う革に惑わされず、その本質を見通し、人類種の自由に繋がる遣い方を選ぶ事にする。

 

「ま、明るい変質者キャラの方が良いですね。此処、ロスリックやヤーナムみたいに暗めな街ですからね。カルデアの皆さんも、こう言うのが一人位居る特異点の方が、思い出に残るでしょう」

 

「人をイロモノキャラみたいに扱うなんて、灰ちゃんのエロオンナ!

 このこの。良い男、見付けたの。良かったら、ボクも灰ちゃんのセフレンリングの一員に入れても良いんだよ?」

 

「すぅー……はぁ―――良し、殺します」

 

「あはぁ、ごめんごめん、ごめんなさい。ほら、貴女って全ての人間性を許してくれるから、ついつい調子に乗っちゃうの。

 ―――で、良いソープランド、紹介してくれる?」

 

「無料案内所に逝って下さい。とっとと、逝って」

 

「もぉー、いやね。日本国独自の娼館施設を聞いただけだわ。狩りで染み付いた獣血臭さを、女と交わって匂いで上塗りして、ボクも血を中身から女臭くしたかっただけなのに。

 何事も、形から入って中身も詰めて、心から愉しむのが夢見る白痴の流儀って思うのよん!」

 

「へぇあっそうですかぁふぅーん」

 

「オッケーね。自分で探しまぁーす」

 

「是非、そうして下さい。知人のシモの世話までする気、私はありませんので」

 

「それと、ちょっと葦名でカルト宗教団体を実験的に作る予定よ。良いわね?」

 

「お好きにどうぞ。葦名市民の人生は、別に私の所有物では在りませんからね」

 

「サンキュー。名前はズバリ―――共脳啓蒙党!」

 

「はい」

 

「うわぁお、糞団子程に興味無し!!」

 

「まぁ、カルトとか有っても無くても、存在がどうでも良いですね。それはそれとしてカルト宗教政党とか、現世に嵌り過ぎではないですか?」

 

「いやん。元々この葦名、西欧の議会制政治も入れた幕藩体制だったって知ったから、カルト政党ごっこしよう思ったの」

 

「政治家ごっこで宗教遊びですか。悪趣味な女装家ですね、廃人形さんは」

 

「後、カレル文字のルーン刻印を身体に彫ったわ。カレルタトゥーを葦名に流行らせようと思うのよ。

 後々、灰ちゃん見て、舌ピと臍ピ開けた。めちゃ強い指輪をインしたら、中々シャレオツじゃない。

 後々々、ハーレムってやつすると良い気分だわ。ボク、人類種の原動力が性欲って言う本質、好き。

 あぁ―――おっぱい。丸みに神の心は宿る。美人のおっぱいに昂奮する事は、素晴しき人間性なの!

 灰ちゃん、穴さえあれば何でもイケる変質者の遺志を継ぎ、その魂さえも宇宙が求めた知性の一つだと穢れた悟りを手に入れちゃった」

 

「良いんじゃないかと思いますよ、もう……」

 

「それじゃあ、一緒にボクと一緒に水着霊基になろうよ!」

 

「拒否します。見せる相手も居ませんので」

 

「ボクは夢の妖精さんだよ?」

 

「実際、その本質が本当にそうだから否定出来ないですね」

 

 段々と女装家廃人形に対応するのが面倒になって来た灰は、とっとと葦名都二十三区の一つである新壬生区二丁目のソープ風俗街に行って欲しいと思いつつ、人間が面倒と思う自分の人間性を愉しみながら会話を続ける。

 

「じゃ、ボクはボクで愉しみます。フロイト先生のセックス心理を夢の中で理解する為に、ね?

 純粋なる分身存在(アルターエゴ)は子作りなんかじゃないけど、哲学を愉しむには心もまた超人じゃないと駄目じゃなぁーい?」

 

「エロい瞳で私を見ない様、魂の底よりお願い致します。歳相応に潔癖でして、もう体も心も若くないのですよ」

 

「関係ないね!!!」

 

滲む血(オドン)さん並の繁殖欲求ですねぇ……はぁ、暗い血の夢の赤子を求めるのは分かりますが。

 私が子供を孕んだ所で、その赤ん坊に宿るソウルこそ私の分身でしかなく、私の胎盤を使っても既知の暗い魂が生み出るのみです。魂を身から出すのに根源は要らないですが、それは私自身による創造。結果、上位者の赤子みたいに魂と魂を混ぜた新しい魂を悪夢から生み落とすこともない訳です。勿論、人間のように根源からこの宇宙に魂が流れ落ちる事もないです。

 やるなら、私の血の方を精子代わりに、女を孕ました方がまだ未知が拓けますよ?」

 

「ふぅーむ……むむむ、あそこがムラムラする程の啓蒙じゃないの。

 良いわね。生き血とは魂が融け込む通貨。貴女のソウル、上質な触媒にもなるってことかしら?」

 

「そうなります。なので、ダークソウルをもう啓蒙されているのでしら……ケイモウさん、やりたい事を葦名でしてはどうかと思います。

 やるべき責務も、人代に対する責任も、何一つ貴方は持ち得ないのですからね」

 

「あらーん、うっふふふふひゃははははひゃっひゃひゃひゃひゃ!!

 道楽じゃ娯楽じゃ生殖じゃ、あー素晴しき哉、人間道。無責任な子作りこそ人間性なき神の営み、上位者の心じゃないの」

 

「しかし、それは生物として善き本能です。善き未来を思考すれば、人は子供と言う責任を背負う負債を避ける高度な知性を獲得していますので。

 まぁ、葦名は不死。子供を作ろうともこの特異点、根源より宇宙へ魂は流れ落ちず、獣の霧によってソウルが循環する地獄のこの世です。此処自体が擬似的な星幽界にして、根源となる獣の夢の中と為り得ましょう」

 

「正に―――悪夢!!

 ボク、凄く興奮して来たなぁ……はわわぁ、誰でも良い気分だわ。此処から次の瞬間、その誰かを狩り犯すしかない」

 

「此処では、魂は自由です。そう思う事が許された魂なら、その罪科を好きに犯して下さい」

 

「それじゃーねぇ~」

 

「では、さようなら。善き滞在を、ケイモウさん」

 

 美少女貌の廃人形(ケイモウ)が部屋から立ち去り、灰はちょっと計画変更を余儀なくされた古い獣狩りまでの脳内脚本を書き直す。

 オーバーカウント1999―――変異計画、始動。

 カウンターダウン2000―――人類実験、再開。

 瞬間、獣が目覚めた。分身存在こそ夢と現を区切る空の境界線上の死亡確認。

 もはや既存の法則に意味は無い。根源から学んだ人類種の神秘と科学に価値は無く、魂だけが確かに実在する現夢の特異点が覚醒する。

 

「あは」

 

 素晴しい人の世界を始めよう。

 悪夢の様な現実に目覚めよう。

 

「あはははははははははははは」

 

 悪魔殺しの悪魔、ダイモン。月の狩人、ケレブルム。

 この憐れな人代を守りたいと希った灰と同じ人類種。

 

「あーっはっははっはっひゃっひゃっひゃひゃはははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 太源は消えた。擬似的な真エーテルであるエーテルは消失し、真エーテルは全て古い獣のソウルに吸収された。この特異点から星の力は抹殺され、極限の空白地帯が生み出された。

 正しく此処こそ―――空白の創造。

 白痴にして白紙。特異点と言う現象ですらない白地の絵画。

 剪定事象にも選ばれず、人理に認識されず、選ばれる対象として阿頼耶識の中で透明となった廃棄物。

 

「ダイモンとケレブルム。お前らは、私と同類の人間だ。どうしても、世界を地獄にしなければ人類種を愛せない。

 見たかっただろう、誰もが強く在ろうとする魂の世。

 さぁ……―――獣狩りを始めようか。人の魂が闇より深い生まれ故郷よりも先の、本当の誕生を知る為に」

 

 









 読んで頂きありがとうございました。今まで葦名編を始める長いプロローグでしたが、此処まで作者の我が儘に付き合って貰い感謝します。
 これからは書きたい話を詰め込んで、物語を積んでいきたいと思います。


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啓蒙78:狂い火の王

 ダンジョン飯、アニメ化!


 召喚され、早三ヶ月。彼か、あるいは彼女である褪せ人は、カルデア生活を人間として結構満喫していた。特に夏休みで人間性が弾け飛ぶ夏の水着特異点が始まる前に呼ばれたのが良かったのかもしれない。

 

「おぉ、マスター。昏睡状態が醒め、まだ一週間。体調は如何かね?」

 

「ニーヒルさん、御蔭さまで大丈夫だよ」

 

「それは良かった。私の野宿壺料理がマスターの魂に良い効き目が出て嬉しく思う」

 

「そうだね。効き目、マジヤバでした……」

 

「アレは精力剤としても優秀さ」

 

「そうだね……敏感過ぎて、歩けなかったね……」

 

「はっはっはっは! 以後、気を付けます」

 

「そうやって反省する点、ちょっと他の英霊と雰囲気違うから良く分からない」

 

「友人になれた殺生院キアラから、俗世に疎い私は常識を学んだからな。

 ふふふふふ。死後の今になって社会を学び、大人を倣う。カルデアと言う集団に馴染む為にも、真人間としてサーヴァント稼業に励むさ」

 

「でも倣う相手、キアラさんだもんなぁ……」

 

「マスター、彼女に何か問題でも?

 見目麗しく、育ちも良く、何より良識に理解在る大人だ。友人としては善き人間性の持ち主だ」

 

「それは、貴方には無害ってだけだし」

 

「なら問題無いってことだろう。人は誰しもが身の内に獣性を隠すもの故、魂自体を咎めるのは道理ではない。

 何はともかれ、彼女はカルデアにとって善き女だ。心を理解し合うのが難しくとも、行動原理を理解するのは誰にも出来ることさ。元より人間は、人間にとってとても分かり易いからね」

 

「そうかなぁ?」

 

「気にしない、気にしない。何より彼女が善い大人な女性でいられる様、それはそれとして自分達はコミュニケーションを愉しむのが人の営みだ。

 何より、美人でエロい。会話も面白いし、下ネタも笑ってくれる。いやはや、優良過ぎて怖い」

 

「――――確かに」

 

「それに彼女、マスターにはしかりと自重してるから良いと思うがね?」

 

「油断するとジュワって泡に溶かされて殺されそうだけどね」

 

「それも否定はしない」

 

 廊下のベンチで静かに壺珈琲を呑んでいた褪せ人は、自然な流れで隣に座り、会話を楽しむ藤丸へ綺麗な笑みを見せる。遂この間、藤丸は意識体を肉体から拉致されて寝込んでいたが、この様子なら心身共に無事なのだろう。

 

「何はともあれ、君は苦労人だな。マスター、そろそろ次の仕事が舞い込みそうだ」

 

「―――ウゲ、頻発するな。

 貴方の占いは結構良く当たるけど……何それ、未来視?」

 

「人の魂に絡み付く因果が見えるだけだよ。マスターの場合は何と言うか、指先までグルグル巻きでエグ過ぎる状態で、はっきり言って同情する。

 正直な話、死にたくても死ぬ気が湧かず、未来の為に運命に生かされる次元だ。未来を求める余り、足が止まらない」

 

「それ、本当?

 ゲーティアの人理焼却事件も解決して、散らばった残党魔神柱も倒してるっていうのに?」

 

「カルデアは多分、このまま終わらないと思う。解体話は出てるけど、私は裏技で人間に転生して、ちょっと現世に残って様子見する。

 愛着もあるし、出来る事をしないのは無責任だ。自分の運命に対してな」

 

「人間になれるんだ?」

 

「人間にすることも出来る。ただ、そう言う魂の倫理に触る外法、他のサーヴァントは嫌いそうだから言わないだけだ。私も友人達から軽蔑をされるのは、心苦しく感じるのでね。

 けれどねマスター、君は特別だ。誰か無理矢理にでも人間へ蘇生させたい人が居れば、私に言って欲しい。聖杯に出来る程度の神秘なら、私も可能な事柄が多いからな」

 

「今は、良いかな。でも覚えておくよ」

 

「そうし給え。では善き休暇を。トレーニングルームにレオニダス王が居るので、寝込んで鈍った体を筋トレで鍛え直したい気分なら行ってみると良い」

 

「分かった。ありがとう、行ってみる!」

 

「どういたしまして、マイマスター」

 

 廊下から去る藤村へ、褪せ人は穏やかな笑みを浮かべて手を振った。壺に入れた珈琲を飲みつつ、カルデア技術部から支給された携帯端末をポケットから取り出してカルデアのスパコンに接続し、ネットサーフィンを軽く楽しみ出す。

 

〝ニーヒルさん、か……まぁ、悪くない名前だ”

 

 真名など褪せ人にはない。強いて言えば、狂い火の王だろう。今と為っては人型の律であり、運命であり、独立した輪廻の循環そのもの。しかし、それを名乗るのは人命を聞くマスターに対して答えになっていない。なので召喚された直後の数秒間だけ熟考した褪せ人は、愛着のある好きな必殺技の叫び声を名前にする事にした。女神やデミゴッドが可能とする業は基本何でも行えるのが今の褪せ人なので、実際に血の祝福を施し、超広範囲出血呪殺も出来るとなれば、その名を名乗るには充分だろう。

 勿論、他の候補も名乗りであったが、昔の知人の名を借りるのは偽名になる。その点、ニーヒルはその時に自分で名無しの自分へ名付けたのもあって、ある意味で偽名ではないので、そこまでの不義理にはならないだろうと言う打算もあった。

 

「ん……―――」

 

 褪せ人はカルデアの厳重なセキュリティレベルでロックされた機密情報を盗み見し、現状を把握。面倒になれば、時計塔と言う場所に自分の中に取り込んだ暗月の宙より流星群を呼び出し、重力を操って大量の隕石滅ぼせば良いかと判断し、気にしない事とした。

 元凶―――カルデアス。人造の星にして、補完された人理の律。

 興味本位で狂い火を宿してみたくなる衝動に襲われるも、それは止しておいた。どうやら実際の地球と感応している為、カルデアスが通じる人理にまで狂い火が伝播すれば星の魂は発狂し、褪せ人の混沌律とも人類史が共鳴し、汎人類史が一撃で破綻する未来を見通した。褪せ人は、狂い火の律となった自分の業ではカルデアス破壊は可能だが、それは現行人類種と惑星の終焉を意味する事を理解した。

 

〝となれば、あの暗い魂も業としては私と同じ。狩人が悪夢を使えば、カルデアスの存在価値を消失可能だが、私より悲惨な未来を汎人類史に齎すだけと。

 悪魔殺しならば、古い獣に捕食させることで、人理に影響を与えずカルデアスの消滅も可能だが、ソウルの獣が汎人類史に襲来すれば、そもそも汎人類史自体が意味消失する矛盾が生じる。また悪魔殺しが古い獣と同じ惑星の捕食が可能なまで進化するには、古い獣を狩り殺さねばならないと。

 ……葦名攻略は、必須だな。

 どちらにせよ、古い獣を狩るのは人理も賛同。アラヤとガイアも、自分を直接的に貪る上位捕食存在には消えて貰いたいのだろう”

 

 此処までの話と、此れからの話を見通し、褪せ人は自分の立ち位置を理解しておく。利用する為にカルデアに来たので、その報酬分は人理とカルデアに利益を齎すのは丁度良い協力関係。一方的に搾取しようと画策すれば、ビースト共が人類の生存圏から駆逐される様、褪せ人もまた人理側が操る因果律によって天敵となる死を送り込まれる事となる。

 それはそれで愉しめるが、その死闘は最期の御愉しみに取っておけば良い話。

 

「―――壺で豆を煎る珈琲は、何時飲んでも美味いな」

 

 ベンチに座り、褪せ人は全てに納得して珈琲を楽しむのみ。自室に置いた祝福の前で休むのも良いが、娯楽としての休憩には余り適さない。

 

「あぁ、分かっているよ。トレント、心配するな。君の魂は私の物なのだからね」

 

「ブルルル……」

 

 そして愛馬は褪せ人の壺を咬み取り、そのまま珈琲を強奪して飲み干した。色々あり、何でも食べる馬ではあるか、今の不服そうな表情からして一番の好物は変わらず、また褪せ人による手作り料理が一番美味しいのかもしれない。だが思案する褪せ人はずっと悩み続ける癖があるのを霊馬は分かっているので、壺を返した後はまた姿を消した。

 ―――神狩り。神性持つ者、全てに対する絶対の天敵。

 神性由来の防御は濡れた和紙より破り易く、だがそもそもあらゆる生命と法則を滅する高次元の天敵。

 その褪せ人が実体のないルーン化し、脳内へ記録情報として保管しておいた遺骸より生まれた剣を取り出す。名は神の遺剣であり、まるで脊髄が螺旋を描いて人を十字にしたような形であり、金属にはない生々しさと神々しさを放っていた。

 

「―――雑種」

 

「あぁ、ギルガメッシュ王か。険しい貌をしてどうした。その力み具合、喰い過ぎのトイレか?」

 

「戯け。贋作者(フェイカー)の飯が如何に美味な真作だろうと、そこまで浅ましく貪らんわ。

 それより、貴様……それだ。その死臭漂う神の屍で作った剣を、このような場所で出すな。悪臭で脳が誤作動を起こし、思わず蔵よりエアを取り出しそうになったわ」

 

「欲しいなら、上げるが。追憶より、複製品が作れるのでね」

 

「要らんわ。神の死体なぞ蔵に入れてみろ、他の宝が黄金色に汚される」

 

「そうか。私は逆に、君の全てが欲しいと思うがな」

 

「―――……………まぁ、良い。黄金律を誇る我が肉体と貌こそ、美そのもの。貴様が惚れ込むのも無理はない」

 

「あぁ、そうだな。何分、気に入った魂を人形にする趣味があるのでな。友人の教授に人の愛で方を教えて貰ったが、ここはとても目移りしてしまう。

 しかし、下衆に浸る気分にはならない。カルデアは不思議な場所だよ。

 君とて私を殺した方が良いと思うのに、実行する気分にならないからね」

 

「フン。愉悦は魂の形で在る故、貴様の娯楽を愉しむことを否定はせん。

 だが、分かるな?」

 

「なら、次の特異点に君は来るべきだ。

 人間を統べる王を自認するなら、彼等こそ人間性そのもの。喜んで、君からの死刑たる罰を受けるとも」

 

「星の眼も、アラヤの監視も消えた場所だ。無論、我が眼が何も見えぬ。故に分からぬが恐らく、宙より来た獣が起き、灰と名乗る人間の残骸が思案する計画……それの最終段階に入ったのだろうよ。

 其処では英霊なぞ、ただの餌だ。何より、今や存在を維持出来ぬ。

 敵は人間から生まれた獣ではない。人間そのものと対峙し得るのは、やはり今を生き抜かんとする人間だけだ」

 

「残念だ。けれどね、私はマスターに付いて行こうと思う」

 

「滅びを愉しみたいだけの、貴様がか?」

 

「君の所為ではないか」

 

「なに?」

 

「狂気に堕ちず、恐怖に狂わず、命の危機もなく、正気の儘に他人を害する少数の屑。

 そして、君が治めた素晴しき王国民と違い、他人を尊び合う人間性のない多数の屑。

 謂わば、王が心の底より王として心身を賭し、守るに値する人の存在価値と尊厳性。

 古き人類種、要人が齎し、人々に望まれた死だが、これによって強く在る魂が残る。

 これは魔法以上の外法により、根源から呼ばれし魂を自然淘汰する災害だ。ギルガメッシュ王、君の心根は正直で真っ直ぐだ。この世の醜さと汚さに狂う必要がない強き人だ。

 だから、分かると思う――多いと言うのは、それだけで気色が悪い。

 だから、皆がそれぞれの在り方に合う律を宿すべきだと、私は思う。

 私は君の国に理想を見たのだ。人がそう在れるのなら所詮、今のこの様は自業自得、故に自罰の果てなのではないかとね?

 人間は頭の悪い猿だから仕方が無い―――その言い訳を、君のような英霊は人類史に絶対に許さない。

 何故なら、人は正しく在る魂が有る。神と対峙した君の国が証明した。終わり方に納得する尊厳だよ。

 君のような英霊だけが、人に法と律を統べる資格があるように見える。だからもし、私の中のソレを理解出来るのであれば、君さえ良ければ、人へ望みを与える未来があるとは思わないかね?」

 

「―――戯け。違う英霊でも仲間に誘え。

 下らぬ終末思想程度に、この我が乗ると思うか?」

 

「これも残念な事だが、未来が分からぬ死人では私の願望を分からない。所詮、阿頼耶識が管理する魂の蔵たる座へ還樹した死の無い亡霊だ。

 定まった未来への抵抗。誰かが貧乏籤を引き、人間と戦わなければならない。

 藤丸立香が今の世を守る為の生贄と為ってしまった様、地獄を背負う責務が偶然によって定まる。

 そう言う意味において、アッシュ・ワンを名乗る灰の人はソレそのもの。奴は邪悪を愉しめる悪徳な人間性の持ち主だが、エミヤ親子のような正義の味方を志す人間性を持っていれば、世の為に悪を為す矛盾に苦しみながら全く同じ事を行っただろう」

 

「偽善者の戯言だな。貴様ら不死は楽しみながら我にとっての偽善を行う故、その本質に慈善しかないからこそ気色悪い。

 心底から、人の魂を神と世の摂理から解放し、自由を以て救いを為すか。挙げ句、自らの業による自滅を正しき死と定め、君臨者として人を統べる意義を欺瞞と断じる」

 

「人の未来に、善い事だと思ったのだ。その為に魂を使うのが、人類種に善い行為と感じたのだ。そう言う意味において、確かに我等のような不死の人間は獣だよ。

 善かれと思い、地獄を生み出す魂の化け物。

 葦名特異点創造もあらゆる平行世界に住む全人類種の魂を守る行いであり、だがそれによって魂の永劫を証明する神さえも悶え死ぬ地獄が作られた……いや、そんな地獄を地球を生んだ宇宙が求めているのかもしれない。

 私はこの暗い宙を旅して結局、永遠の平穏も所詮は永劫の苦悶と等価値だったと言う当たり前な事実に還っただけだった」

 

「その事実に答えなど―――無い」

 

「そうだね。だからこそ、君の魂をルーンにしたいと考える」

 

 瞬間、貌が黄色く燃える。黄色の太陽であり、それは黄炎に焼かれる眼球でもあった。賢王の視界にだけ移るその褪せ人の本質は、善悪も人獣も区別無く蕩け合さる集合的無意識の地獄だった。

 全てを見通す彼以外には見えない褪せ人の姿。いや、普段はそんな魂自体を偽造し、あらゆる領域の千里眼を無力化し、賢王さえも"普通”の人間にしか見えないと言うのに、今この瞬間だけは千里眼の持ち主に対してのみ正体を露わにした。

 

「やる気か、雑種―――?」

 

「いや、良いさ。此処では人殺しを行う気分にならない。人前での見せ付けた殺人行為なぞ、衆人観衆の中で全裸になって何も知らぬ幼子を陵辱するのと同様の恥ずかしい行いだよ。人間性に悖る獣の行いだ。獣を身の内に飼う私とて、ここの善き人等へは善性の建前を守り、罪を犯すと言った羞恥なく接したい。

 ギルガメッシュ王……君も、そう思うだろう?

 私は、魂を大切にしたいと考える。秩序ある場所ならば、餓えた獣でいる必要もない」

 

「そうか。ならば、良い。我も所詮、人の身で在る故な」

 

「仲良くしようではないか。殺し合い等、獣へ堕落すれば何時でも行える些事だろう」

 

 若い婦人に似合う黒い喪服となり、美人だが生気のない女性の貌となった褪せ人は、最初からそのような人間の姿だったと認識を作り直し、賢王の眼からも本来の姿である眼球太陽貌を容易く隠す。

 

「なのでギルガメッシュ王、どうか私の事はニーヒルと呼び給え。是非とも、仲良くしたいと考えている」

 

「良く言う。貴様が興味があるのは魂と、英霊の霊基足り得るその追憶だろうに」

 

「勿論だ。思い出は、とても美しいだろう?」

 

 眼と眼が合い、視線が交わり、褪せ人と賢王の脳が蕩け合う。それは過去であり、現在であり、未来であり、そして魂に宿る原罪だった。

 

「貴様は……――いや、答えは分かっているか。

 ならば最後に聞こう。その熟れた魂、神を愛しているのか?」

 

「短くは言えぬ。少々複雑でな……長くなるが、良いかね?」

 

「構わん」

 

「当然、愛している。嘘偽りなく、五指の手を送った神へ祈り、感謝する。何故なら神は利己的に人を愛したのだ。人を支配する為に王を操り人形にし、因果律へ干渉し、魂が巡る輪廻の環を貪った。君の生まれがそう神に求められた事を、あの国では逆らう事も許されず、血の営みさえも強制された女神がいた。それは神が人を求める故の思索であり、君は血を人へ混ぜる為の道具だったから、その無機質な執着が分かる筈だ。

 ならば私も、欺瞞と偽善から膿み出る愛を、永劫の先まで神へ与えたい。

 被造物である私からの、造物主への贈り物だ。きっと親である神は、その悪意こそ善い希望だと喜んで頂ける」

 

「成る程。恨みの余り、もう愛している様だ」

 

「ふふふはははは……あぁ、そうだな。愛がなくば、此処まで恨み通せない。灰と狩人、そして悪魔も同様だろうよ。

 思い煩い過ぎ、恨みと言う感情を愛する程に魂が奇形化したとも言える。それは生き場の無い欲の余り、衝動的に他人を犯す獣の様、復讐と言う行為自体に昂り、価値を見出す変態した精神性だ。

 どうしようもないのだ。恨む為、地獄の為、人の世の苦しみを終わらせぬ為、人以外が人を犯して世界を滅ぼすなど勿体無い結末だと思うのさ」

 

「なら、我からの苦言はない。穢れた悟りの末、羞恥も失い、絶望すら忘我した人間よ……―――愉しめ。

 此処は時の果てまで、我の庭だ。

 貴様の願い程度、眼を凝らせば其処らで転がっているやもしれんぞ」

 

「ありがとう、ギルガメッシュ王。思い出せない忘れ物、探してみるよ。

 その代わりと言ってはあれで、当然の事だが人の世の為にも、人間の魂そのものより、あのマスターは私が守り通そう」

 

「そうしろ。ではな、色褪せた人間」

 

 立ち去る英霊を見送り、褪せ人はカルデアの購買部で買った嗜好品である紙煙草を取り出す。酒、女、男、賭博と色々な娯楽を試したが、煙草が一番性に合っていると感じ、今の性別的には彼女となった褪せ人は煙を深く吸う。自作の壺珈琲と一緒に吸う煙草の美味さは別格で、口内がドロドロに臭く汚れる感覚が堪らなく好きだった。

 本来は甘い香りがする自分の吐息が、珈琲と煙草の臭いが混ざって鼻腔が気色悪くなる。

 しかし、その独特な臭さが癖になる。一種の臭い癖であり、人がこの嗜好に嵌まるのも褪せ人は良く分かった。

 

「興奮薬でも調合しようか。手早く、人間関係を気にせず、快楽を得られる故なぁ……」

 

 調合師として一級の腕前を持つ褪せ人は、カルデアにも召喚された暗殺教団のアサシン秘伝の薬物技術も理解している。あの探偵も深く気に入ってくれた事を考えれば、カルデアで一番の薬剤師かもしれない。

 

「悪巧みかね?」

 

「あぁ、教授ではないか。独り言を聞かれてしまったか」

 

「良く言う。態と聞こえる様に言ったのであれば、独り言とは言わないよ」

 

「確かに。では、安心し給え。このカルデアで薬物を蔓延される気はないさ。君がロンドンの街で行った様な、精神を壊した廃人で人々を塗れさせる悪事など考えていない」

 

「耳が痛いね。金儲けに手っ取り早く、それを確かに私はしたさ。とは言え、あの時代、我が故郷たるグレートブリテンは遠い異国の清にアヘン戦争を行い、インドも利用した薬物経済を国是にしていた故、一言に悪とは言えないと思うがね」

 

「その通りだ。悪に因り、善を為す。人の業だ。しかして、それは人が獣で在る証明にもなる。

 それ故、カルデアで人の心を壊して遊ぶ金儲けは好ましくない。獣の所業を行えば、マスターはとても悲しむだろうからな。

 だからさ、それはそれとして君も愉しむかね?」

 

「結構。あの探偵の御仲間にはなりたくないのでね」

 

「そうか。似た者同士、脳液の悦楽を愉しめると思ったのだがな」

 

「可愛い顔をして、裡は悪い娘だね」

 

「いやいや。君と比較すれば、まだまだ私の脳が生む悪事など可愛らしいものだ。

 心の底から私は尊敬しているのだよ、教授。何もかもを殺せば全て解決する蛮族の国より、其方の方が人間に生まれた運命を愉しめそうで羨ましい」

 

「だが、人の作る国の本質はソレさ。私の故郷もそうだった。謂わば、三枚舌の海賊国家。暴力と策謀に心を躍らせる政治遊びの黒幕劇場。

 それが―――善いのだよ。善い国だった。

 人が人の為に作った社会と言う脳の遊び場こそ、猿の群れから進化した人間の集団生活だ」

 

「気がとても合う思索だ、教授。君の話は脳に素晴しく効く。あの探偵との御話と同じだと思う」

 

「何と言う罵倒だろうか。およよよ、薬中探偵と比較されるなど、君には人の心がないのかね?」

 

「比較する心が人の証だよ。どちらが善か悪か、強いか弱いか、賢いか愚かか、多いか少ないか、幸福か不幸か、とな。

 しかし、私を見張る程に君が興味津津か。

 一体、何と比べて危険だと思考するのか。

 何はともあれ、マスターへの入れ込み具合は察知出来た。悪で在る故の、愛情か。親愛に対し、人間性の善悪は問われないと見える」

 

「同感だね。それ、正しくブーメラン発言だ」

 

「違いない」

 

「……で、行くのかね?」

 

「君が行きたいのかな?」

 

「残念ながら私では無力だよ。マスターの力には為り得まい」

 

「事実だな。透視した雰囲気、君も狩られていたと思うな。街のルール作りに犯罪王の叡智が利用されている」

 

「イヤだね、実にイヤだ。新宿で同盟を結んだ嘗ての共犯者から聞いたがね、あの場所にも魔神柱が逃げ込んでいると聞いたけど……魔神柱がまともにいられるような異界とは思えんな」

 

「肯定するよ。可哀想な魔神柱だ。折角、ソロモン王の神殿から逃げ出したと言うのに、縁有るとは言えあの灰を頼ってしまったのは不運の極致だ。

 おぉ……柱は永劫を知り、狂ってしまわれた。

 無限に繰り返す不死の因果の中、柱によって聖杯は生まれ、だが聖杯によって柱は呼ばれた矛盾が存在する」

 

「フン。魂を金銭とする地獄の中の地獄と言える神秘文明だね」

 

「より根源に近付いた人類文明の形とも言える。魔術師からすれば、究極の楽園だ。神代よりも根源に近く、だが獣が目覚めた今、最も近い故に魂だけが神秘を扱う異界と化した。

 残念だが、座に還った君達英霊は無価値だ。魂が律に囚われた奴隷に尊厳はない。私が律の肉細工に過ぎない様に、ね。

 ならば英霊諸君、獣の霧に蕩け堕ち、デーモンをソウルから生む情報にしかならないことだ」

 

「むぅ……――仕方が無いのカネ?」

 

「激励は受け入れるよ、教授。マスターの葦名行きは見通し皆無の地獄へ落とす所業だ。それへ何も出来ないのは心配だからね。特に君は、人理に影響のないあんな地獄は放って置きたい事だろうに。

 ……まぁ、カルデアにはとても影響があるけどね。

 オルガマリー・アニムスフィアの生存情報を、きっとあの灰はカルデアに態と探知させる故、マスターは古い獣狩りに巻き込まれる因果律に流される」

 

「―――頼むよ、褪せ人」

 

「任し給え、教授。それはそれとして、煙草と壺珈琲はどうかな?」

 

「結構。加齢臭に口臭がプラスされると、若い子には嫌われるからネ!」

 

「なぁに、頑張って仕事をする人間の臭いだ。マスターは嫌わないさ」

 

「だからって、仲間に引き込まない事だヨ。じゃ、サラバ!」

 

「うむ、さようなら」

 

 凄く釘を刺して来た教授を褪せ人は見送り、煙草を深く吹かす。そして、壺珈琲を飲み、気分が程良く高揚し、脳が冴えて思考が晴れる。彼女はお気に入りのベンチから立ち、今日の予定を消化するための目的地へ歩き出した。

 刹那―――首に走る刃。

 身を隠す場所も暗闇も無いと言うのに、その大きな影は空間自体に溶け潜み、眼前の褪せた人間を斬り捨てる。だが首を死の刃を断てず、恐るべきことに単純な身を屈めると言う動作だけで回避していた。尤も死が付与された獣殺しの一閃が直撃した所で、その死をルーン化して魂から外せる為、あらゆる死が褪せ人にとって無意味であるのだが。

 

「おはよう、山の翁。避けられそうだから、避けてしまったよ」

 

「天命を拒むか、褪せ人。だが死を授けられぬ屍へ、首を出せと言うのは傲慢だな」

 

「勿論だ。きっと君に殺され、魂が根源に流れるのは素晴しいのだろう。根源から生まれた魂にとって、母たる胎の海へ回帰するのは喜ばしい終わりだ。そして、また魂は無に溶け、乖離した個は全体に還り、また人生を循環させる。

 新しく始める為の―――終わり。

 本当は君も、そうするべきだと思うのだよ。完結した時、人生は報われる。何の為に戦い、何の為に生きたのか、君がそう思った事実は最初の最後に回帰する」

 

「だからこそ、我は回帰の獣を殺す役目を良しとした」

 

「生真面目だな。だけどね、それはそれとして首を狙う頻度は下げて欲しいな。最近は一日一回の死告だよ?」

 

「そうか……―――そうだな。すまない。

 我は首が好きでな、斬れぬ物を斬る修練に専心していたようだ」

 

「案山子じゃないのだよ、私」

 

「当然だ。案山子の首を落とせ等と言う、天命の音を聞いた過去はない」

 

「君は霊廟住まいの鐘髑髏男だものね。暇潰しは修練しかないから、カルデアでは私を構いたくなる気持ちも理解出来るけどさ、もっとこう……何だろうね、優しくして欲しい哉?」

 

「天命、承った。その首、優しく斬り落そう」

 

「そうだね……君、何だかんだやっぱり斬るよね……―――うん、地獄。

 未来軸における確定斬首の精神攻撃、即ち暗殺せずして暗殺による抑止力を実行する手腕。暗殺教団の開祖はやり口が暗黒思想だね」

 

「成る程。やはり褪せ人よ……―――首を出せ。

 死を具現する律の本質、輪廻の為の死。貴様は生死の業さえも魂の因果に宿す。ならば我が頂戴する死もまた必然の死に過ぎず、死の無い混沌の生に意味を見出すことだ」

 

「一度、斬首を受けた。素晴しい業だった。私の魂は君の業を覚え、ルーンとしても現し、戦灰を編み出した。

 運命の死は―――進化する。

 全てが律の理。死ねず彷徨う私への慈悲の死は、君が私の魂へ向ける感情は憐憫に他ならない」

 

「ふむ。仕方が無い理不尽か。しかし、それ故にカルデアへの途に導かれた。あるいは、あの灰が作った葦名特異点を葬る為の必然性。

 その因果に堕ちた運命が追い付き、不死共が鐘を鳴らし、死が払われるとは」

 

「それだけなら、私も簡単なのだけどね。まるで人体から癌細胞を周りの肉ごと切除する剪定者と為るなど、咎を背負う生贄役に過ぎないけれども、罪悪感を理解する倫理観を私はまだ棄ててはいない。

 一番始まりの、普通の人間の感性を捧げる程、混沌狂いではないさ。

 まぁ、それを分かった上で狂気に奔りはするも、それもまた人間だ」

 

「否定はせん。暗殺の道を選んだ我とて、この信仰が他者の狂気を奔らせるのは理解していた。我の信仰が、善意の民を信仰へ導き、教団の暗殺者となる宿業を少年少女に宿らさ、未来にて殺人の咎を背負わせる。

 しかし、暗殺を良しとするならば、命と共に殺した者の未来も魂魄で継がねばなるまい。

 鐘の音とは、遺志である。晩鐘を鳴らし、忘れず、死は永遠。ハサンの全てを我は継ぐ」

 

「やはり人間は素晴しいね。君の死は、とても美しいのだよ」

 

「………――貴様もまた、人間なのか?」

 

「何処まで行っても結局、何も変われなかったさ。何も得られなかったよ。

 ……君は何か、その業で変われたのか?

 信仰への悟りを得ようが、魂が魂以外の何かへ変異する事はないだろう。

 魂は永劫、魂の儘だ。より上位の視覚、高次元に届く視野を得ても、見える世界が広く遠くなっただけだった」

 

「故、晩鐘の音が聞こえる。だが、死の因果へ届かぬか……」

 

「なら君、死に給えよ。繰り返すのだ。そう在るしかないのだろう?」

 

「修練がまるで足りぬ。信仰がまだ未熟。未だ我が身、成長過程に過ぎぬ。貴様の律を垣間見、己の中の至らぬ何かをカルデアを通じ、死の途より解しよう」

 

「お互いまだ、この業を鍛え始めた理由には程遠い訳だ」

 

「そうだな。ならばせめて安らかなる死が、その魂に訪れる事を我は願う」

 

「ありがとう、山の翁。君はとても、優し過ぎる男だね」

 

「さらばだ。信仰の過程で消えた葛藤を死の淵より思い出せる故、貴様との問答を実に有意である」

 

 髑髏姿の死は音もなく、影となる事もなく、自然と空間に溶けて消える。存在感が零になるのではなく、暗殺者は境界の狭間に消え入る。彼にしか分からない境地により、心と共に体もまた人の認識領域外へ渡り去った。

 

〝神へ祈る死の信仰者か……―――真実と欺瞞、見分ける悟りを経た狂信。

 この星が生む神の実体を考えれば、神話は人の魂と等価値で、全て人の祈りそのものに過ぎないだろうに”

 

 だからこそ、祈るのであり、祈る価値がある。褪せ人は完全律に届いた金仮面卿を思い出し、この星の律である人理から視座の揺らぎの一切を排し、完全無欠永劫不変の管理者に作り変える発作的な衝動を得る。剪定事象と言う理不尽もなく、繁栄以外も許す人の心無き無機質な世。

 そんな世界の神を星の魂から作れば、平等に不幸で、理不尽に幸福なのだろう。

 幸せでなければならないと律が決め、誰もが正しく幸福な時間を得られる事だ。

 

「まぁどちらにせよ、獣の世だ。人の魂、この宙の中では永遠に救われないか」

 

 褪せ人は態と独り言を漏らし、今日も首が付いている事を嬉しく思った。死ぬのは娯楽に過ぎず、死を刻まれた所でルーンとなるだけだが、ある程度の感動を褪せ人は心で味わえる。

 そして、マナー違反な歩き煙草を再開。褪せ人は唇を窄めて煙を輪っかの形で吐き出し、魔法陣のようにエルデンリングを空中で作る。其処へ魔力が流れて因果に干渉し、運命を自分の思念で歪ませ、盗み見た未来を強引に手繰り寄せる。

 数分後、誰もが見れず、認識出来ない異空間にて狂人が一人、交信する姿。

 褪せ人は感知出来るが、夢と現の狭間の場所にて月光が照り、絶叫する声。

 

「オルガマリー所長。あぁ、オルガマリー所長。どうか、瞳を。どうか、白痴の血へ届かぬ私に叡智を。

 あぁぁぁああああああああああああああああああああああああああぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああああああああぁぁああああああああああああああ!!!!!

 獣の血。途絶えた未来。今は空に沈み、過去は海に上がる。

 宙より来たりし獣の環が啓蒙し、枷は外れ、人は人と為る。

 我等に智を。我等に血を。我等に痴を。白痴の夢を脳に授けよ。

 もはや無駄か。全て、無駄か。星の夢に寄生する感応する精神。

 貴女は夢だった。貴女が悪夢であった。貴女こそ我が啓蒙されし神秘。

 届かぬとも足掻き、至らぬとも彷徨う。私は貴女の脳髄を暴き犯す蟲。

 学を唄い、神を諭し、人を生す。夢見る我等は学術者にして信仰する瞳の穢れ。

 ならば私は諦めぬ遺志を継ぎ、諦めず夢追い、悪夢に彷徨い、先人に刃を下す。

 あぁ……あ、あぁ……ぁ、ぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!

 導きのオルガマリーよ、どうか阿頼耶識に感応し給え。

 どうかどうか、人理の上位者を胎内に孕み、星と為れ。

 赤子よ、赤子よ、人を呪え。悪夢の呪詛を祈り、祝え。

 寄生する精神。人を進化させる夢。上位者と為り給え。

 人は獣。宙に住む生命もまた獣。何もかもが獣に過ぎず、宙の外から獣を呼び、命と夢の本質が獣。魂が獣から生まれたのならば、全てが獣性を孕む母の業。

 この宇宙たる生命の海は、星を生み、命を生み、夢見る事で克する業を魂は得た。

 君こそ星だ。星見の狩人、オルガマリーよ。ソウルの業を夢見て、夢追い、カルデアに帰還し給え」

 

 特異点の地獄に感応し、瞳から感涙する少女姿の狂気―――魔術師、ミコラーシュ。

 カルデアに来る前は人形狂い、夢追い人、人攫い魔、傀儡遣いと呼ばれていた狂魔術学者であり、神秘狂いの学術者。先祖の神秘を継ぎ、その遺志も継ぐ彼女はチェコで亜種聖杯戦争を画策した悍ましき化け物であり、だが所長によって人道に改心しただけの腐れ外道である。同時に人理焼却を解決した現在は技術部開発課課長であり、神代も含めた遺伝子工学の最先端を行き、今はマシュ・キリエライトの資料として研究することで、集合無意識が見る夢である英霊の座、即ち境界記録帯の仕組みを完璧に解明した魔人でもあった。

 

「昂揚しているね、ミコラーシュ女史」

 

「エルデンリングではないか。あぁ、ダークソウルに続いて夢の本質と対話が出来るとは、やはりオルガマリー所長は全てが正しかった。オルガマリーのカルデアはこの世で最も優れた学術組織だった。

 私はね、君の律を夢見たいのだ。指が悶える混沌の律を貪りたいのだ。

 人理を救う事業。それで過去の罪を償う事が、私に最大の利益を齎す。

 交信する。人と交信する。座と交信する。世と交信する。私が交信だ。

 愛しているんだ、オルガマリー。君の夢ばかり私は命より啓蒙される。

 エルデンリングの狂い指人より、やっと君が灰の揺り籠より帰還するぅぅぅうううゥゥファンタスティック!!!」

 

「あ、腕がL字から逆L字になっていくね。何か得られたのかい?」

 

「―――瞳だ!!!」

 

「もっと私から上げようか?」

 

「―――ファァァアアンタスティッッック!!!」

 

 褪せ人は自分の目玉を指であっさりと抉り、熟れた葡萄の果実みたいに爛れた黄色の眼球を狂学術者へ渡す。彼女はエデンの園で食べられる知恵の果実よりも極上の禁断を手に入れ、親に頭を撫でて貰う幼女のような素晴しい笑顔を浮かべた。

 口内へ入れ、奥歯で一噛み。

 ぶちゅり、と瞳が弾け飛ぶ。

 瞬間、黄色の星が全てを照らし、瞳が星を直視し、月の宙が狂い混ざる光景。

 

「叡智が、甘い。褪せ人よ、もっと欲しいのだが?」

 

「なら君さ、分かってるよね?」

 

「何と、生贄か?

 今は清く正しいサーヴァントが多く在住していてな……ジル・ド・レェを代表とした狂人さえも人間的に生活し、過去の獣性を封じている今、そう言う行いは人間として恥ずかしく思う。

 私とて人間、集団生活を重んじる精神を持つのだよ?

 思春期で性欲を我慢出来ないのと、そう大差ない未熟さだ」

 

「違う。技術部が生産してる煙草だよ」

 

「それは、世界を救う為なのかね?」

 

「あっひゃひゃっひゃっはっはあははははは……はぁ、皮肉が好きで君はいけないね。そんな臭い台詞、心より話す程、不死は純真ではないよ。私も含め、ね。

 古い獣の狂気から世界を守り続ける悪魔や、人の魂に在るが儘の自由を与えたい灰と、夢見る人間の意識を人類種外の精神感応から保護する狩人を知る事で、欺瞞が真実と錯覚しているようだ。いやはや、あの不死者等も行動の結果はそうなるだけで、そうすると人間共の阿頼耶識が操る因果律を良い様に利用出来て便利って感じで、謂ってしまえば下品な性談義以下の価値しかない話題だ。

 それを真実だと自身に唱えば、今までの全てが欺瞞に堕ちる。けれど、頭を空っぽにして話せる馬鹿話はするだけで愉しいもの。所詮、それが人間性さ。

 あの人間達からすれば、救世は魂が夢見る為の手段に過ぎないのだよ。結局、自分の魂が生きる事を感動する為の、あるいは嘗て感動した理念の為の、自分が人間で在る真実を証明する為の理想だった」

 

「おぉ、であれば煙草を吹かすも、世界を燃やすも等価である。

 ……ふむ。そちらの方が、臭い台詞では?」

 

「君、それを私は言ってないよ。ま、良いさ。私、息が(ヤニ)珈琲(コーヒー)で自分でも臭いから、そう言う臭い台詞を吐くのも一興。

 とのことでメンシスブレス、下さいな」

 

「良いだろう。受け取り給え、脂滓(ヤニカス)の上位者」

 

「うるさいね。脳細胞が爆薬になる程、神秘を啓蒙するよ?」

 

「素晴らしい!」

 

 そして、褪せ人は檻マークが印された煙草箱を受け取る。身体に悪そうでいて、脳には良さそうな味がする独特な煙であり、彼女は技術部産の品種改良されたタバコで作られた煙草が好きだった。

 娯楽は善い。精神に作用する薬物は、とても手っ取り早く快楽を得られる。

 調香師の業を学んだ褪せ人にとって、薬師の技法は知り得て当然の常識だ。

 一発薬物を決めて、心身の戦闘能力を強化するのは当たり前な戦術である。

 

「では、これを」

 

「ありがとうね。じゃ、私の目玉をもう一個」

 

「ファンタスティック!!」

 

 夢見る瞳の中で偏在する狂学術者から離れ、現実となった煙草箱を手にして褪せ人は立ち去った。どうも今日は色濃い人物達と邂逅し易く、妙なイベントが多くて愉しく感じた。

 どろり、ドロリ、どろどろ、と瞳が爛れる。

 視界に映る全てを蕩けさせ、混ぜ合わせ、爛れた混沌の世を幻視する。

 だが人を見ただけで命を阿頼耶識から外して狂わせると、その運命を管理する人理まで狂気が伝播し、何もかもが狂い出す。広がる病魔に命が感染し、魂のパンデミックが引き起ころう。

 

「ハァ……―――忍びないな。そう忍びなく、勿体無い。それだけの話だ」

 

 思いを強引に言語化し、それを自己暗示として使い、褪せ人は蕩け爛れる眼球を魔力で練り固める。数瞬で通常の人間と同じ目玉となり、誰が見ても普通の人類種の貌となる。修道服が似合う美貌に戻り、狂学術者(ミコラーシュ)との短い挨拶を思い出しながら散歩を再開する。

 ―――何を求めていたのか。

 最近の褪せ人は、カルデアに来てから毎日考え込む。何せ平和にして平穏。娯楽に遊興、鍛錬と修行。趣味の道具作成と携帯食調理。人間性が富む素晴しき人間関係と、コミュニケーションスキルの上達。

 

「人を地獄に落とす時、あるいは世に地獄を作る時、せめて魂は真摯で在りたいものだ」

 

 呪われた独り言だった。呪詛を垂れ流す言霊だった。僅かばかりの悪意が周囲に伝播し、呪いのルーンが漏れ、人理と言う律を脅かす因果が人体から露わとなる。褪せた黄金、黄色の狂い火が瞳に灯る。人理焼却よりも悍ましく、惨たらしく、だが滅亡を殺す絶望の未来を確定させる脅威が具現し掛かる。

 身の内に獣を飼うエルデの権化。別れた全てを統合した五本指。黄色の狂った混沌律。

 ふと褪せ人は接ぎ木がしたい気持ちとなった。家族でも良い。あるいは腐れ湖の蔓延。

 命から命は誕生する。人理が腐れ落ち、新たな人類史から生まれる生命の歴史が悦楽。

 ならば、あらゆる可能性を混ぜ合わせる。剪定された人類の未来が蕩け、未来を得る。

 

「ニーヒルさん、廊下での歩き煙草は禁止です!」

 

 狂笑が零れ落ちる直前、褪せ人の歩みを止める声。

 

「……あぁ、そうだね。すまないね、マシュ。

 どうもカルデアでのマナーと規律にまだ為れず、迷惑を掛けてしまうようだ」

 

「いえ、分かって頂けたら構いません……あ。吸い殻は発火する可能性があって危ないですので、普通の燃えるゴミに捨てるのは駄目ですからね」

 

「承知したよ。人里離れた寒冷地で小火騒ぎなんて、面倒極まるからね。ほら、ちゃんと携帯灰皿もあるのだよ」

 

「もう……危機管理意識はしっかりしてますのに、違う部分は無頓着なのですから」

 

「日々、学びだよ。新しい文化は脳へ善き刺激となる。歩き煙草、駄目絶対。覚えた覚えた。

 大丈夫だ、マシュ。明日から頑張るよ。凄く頑張る、とてもね。マナーは人間関係の根底だからね」

 

「うわぁ、気のない返事ですね」

 

「煙草、良いよね。体が煙を求めている。脳が白濁として閃きを得るのだよ」

 

「―――中毒です!!」

 

「仰る通りで、マシュ。人類学、より学ぶよ。喫煙方法も何処かの大学の教授が研究し、論文にしていることだろう。

 ところで―――吸う?」

 

「吸わないです」

 

「そうか。吸わないか……ふむ、美味いよ。吸わない?」

 

「吸いません、絶対」

 

「残念だ」

 

 善悪が境界線なく混ざる価値基準を持つ褪せ人は、思考にブレーキがない。マシュに煙草を進めたのは断られるのを前提条件とした軽い冗句であると同時、気の迷いで受け入れたら平気で相手をニコチン中毒にする親切心も持つ。

 褪せた常識と価値観が、他者の正気を色褪せさせる。

 取り敢えず、今日は廊下限定で禁煙しよう。そう褪せ人は考え、何時も通り平穏な日常を愉しもうと意気込む。

 

〝人理。人類史。星の魂を殺す阿頼耶識。

 予め定められた運命に抗う為の獣。未来を求める意志こそ人理が生んだ獣性の根底”

 

 カルデアを創設した人間の思い。そしてカルデアに収束する獣達の想い。

 偽造された星の魂―――カルデアスの『全て』を見通す褪せ人は、神が宇宙のルールを利用する様、人間もまたその神秘を悪用するのを最初から理解しており、人が先達者である神と同類の知性へ為るのも分かっていた。

 根源と言う高次元資源。

 世界が内側にある理由。

 星となった律は、知る。

 地上で起こる全ての元凶は人間であり、やがて未来の人間へ因果が戻るだけ。

 

〝私は混沌の遺志を継ぎ、三本指は二本指を喰らい、元の五本指へ戻った。始まりの、竜王の時代の五本指だ。けれど壊れた律が元に戻らず、私の五本指も壊れている。

 だからメリナさん、今から君の所へ行くよ。

 今度は私を殺せる程の死に、君の運命は成長しているのかな”

 

 運命の死。それは命を殺す毒はなく、死と言う運命を魂に与える因果律の確定。故に神の永遠を否定する為、世界が運営する法則そのものを破壊する歪みとなり、宿した律を自分に融かして混沌律自体と化した褪せ人も何時かは滅ぼせるだろう。

 無論、そうなれば人類史も殺す死となるのが必然。

 根源と繋がる事で、その存在が未来に辿る内包された死を発現させる直死の魔眼。それと違い、死そのものを魂に刻み込むルーンの本質こそ運命の死。

 

〝今のメリナさんなら、きっと不死以外に例外は無い筈ね。

 ――死だ。

 皆、死ぬ。素晴しい、死。

 死ねぬ我等、死して宇宙から解放され、宙に輪廻する魂を呪わずにいられない。

 ならば、この暗い宙に囚われた我等、律を修復する意味を見出す遺志を継がぬ。

 きっとこの星は呪われている。星の魂は人間に祈られている。輪廻する故に永劫で在る死を未来とした魂、その最期は根源と言う故郷に還り、またこの宇宙に捻り出される連続性こそ、死を繰り返す永遠”

 

 ―――狂気と正気が蕩け合う意識。

 

「何処もかしくも、宙の内は地獄塗れか……ヒヒ」

 

 褪せ人は何もかもが見れた。カルデアで生活していた灰の軌跡を過去視し、汎人類史が守るに足る人理の律だとも理解する。宇宙の外側に広がる虚無を魂の本質とし、無に還る為に宙へ堕ち、低次元で命を学び、宇宙を観測した魂が根源へ流れ落ちる事実。

 人間と言う現象の真実。魂への呪いと祈り。

 それが灰が悪魔の理念に協力して、人の魂を守る意味だ。悪を為してまで生かす価値でもある。

 やがてその事実を人間が理解した時、人は星から旅立ち、この宇宙と言う仕組みに挑むだろう。

 灰が守りたいのは、人が魂を自由とする未来の可能性。永遠の幸福と永劫の苦痛は等価となる。

 褪せ人はそんな灰の遺志とカルデアで共鳴し合った。古い獣を宙の外から呼んだ要人の罪を清算し、ソウルの業を人の魂へ完全に簒奪する。人の魂は更に進化し、虚無より暗い闇の底へ深化する。

 

「ラダーン将軍に倣い、私も星を砕く運命を選ぶよ……メリナさん」

 








 読んで頂き、有難う御座いました!
 DLCがそろそろ出ると言う願望を祈る為、エルデンリングをまたやり始めるこの頃です。ヒロイン蛇娘、ゾラーヤスちゃんは可愛いですね。エルデンのDLCの後はまた新作が出ると思いますが、その次のゲームも楽しみです。


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啓蒙79:凡剣

 流行りに興味が湧きましたので、手を出してみました。自分のイメージを守りたい人は見ない方が良いと思います。


灰(AI画像)
【挿絵表示】

デーモンスレイヤー(AI画像)
【挿絵表示】

狩人(AI画像)
【挿絵表示】

褪せ人(AI画像)
【挿絵表示】




 ブリーフィングルーム。呼び出された藤丸は、所長代理をしていたロマニのそのまた司令官代理をするキャスターのサーヴァント――ダ・ヴィンチから、任務内容の説明を今から受け始めていた。

 

「すまないね、藤丸君。意識不明から回復して直ぐだと言うのに」

 

「構いません。それでダヴィンチちゃん、魔神柱は何処で?」

 

「君の察しの通り、シバからの新しい反応があった。

 場所は―――日本、東北地方。

 更に詳しい場所はまだ分からないけど、観測はされた。まぁ、されたのだけど……数秒後、奴の反応は直ぐに消えたのさ」

 

「あ、それ罠ですね。つい最近、罠に嵌まったばかりですし。武蔵ちゃんの御蔭で生き延びたけど」

 

「だろうね……はぁ、これも罠だろうけど、落ち着いて聞き給え。

 カルデアの実験召喚サーヴァントである所長のアサシン、狼の霊基反応も確認出来た」

 

「―――ッ……!

 え、だったら、つまりそれって!?」

 

「居ると思う。つまりは、そここそ奴等が本拠地にしている特異点さ。

 裏切り者のアン・ディール……あぁいや、今はアッシュ・ワンって名乗ったんだっけ。まぁどっちでも良いけど、彼女は約束通りゲーティアの時間神殿にも現れなかったが、人理焼却を防いだ後の今になって行動を起こした。

 ―――これ、どう言う意味か分かるかい?

 それも生き残りの魔神柱が起こした特異点を攻略し終えた今、この状態でだ」

 

「どう言うことですか?」

 

「あの女にとって、君がゲーティアを倒すのは予定通りだったって事さ」

 

「……え、有り得ますそれ?」

 

「あれは酷い人間賛美を語る女でさ……まぁ、意気投合した私もある意味で同類だ。そう言う意味だと、ロマニが自分を犠牲にしてまでカルデアを守る男だと言うのも、アッシュ・ワンは一人の人間として正しく信じていたんだろうね。君からすれば胸糞悪い話だと思うけど。

 それと、君には奴からの祝福がある。マシュもだけど、それは全体の運命から外れ、定まった運命に抗う魂への呪いでもある。

 私ではその祈りを観測出来ないけど、ちょっと眼が良い連中だと何となく分かるらしいから、別れのキスがそうだったんじゃないかな?」

 

「じゃあ、ゲーティアを倒せたのもキスの加護?」

 

「それは断じて違うよ。ビーストを倒したのは君の意志であり、ロマニの遺志でもあり、マシュの誓いだ。そして、死を望まない私たちカルデアの願いだった。

 けれど事実として、アッシュ・ワンは君が死ぬ運命を遠ざけたのも本当の話をさ。だから、幸運は儲け物と思うが良い。あれはあれで、ある意味において良縁だったとね」

 

「良縁……?」

 

「疑念は当然だとも。裏切りも事実であり、奴が外道なのも本当だ。勿論、悪人ではあるけどね、正しくない訳でもないのさ。結局、ビースト打倒において、奴はカルデアの味方だった。

 カルデアにおける一番の妙手は単純明快に、マスターである藤丸立香の生存確率の上昇だよ。

 生き残る可能性、その奇跡を運命から手繰り寄せる運命力。元から多分、かなり高かったと思うけど、観測出来ない人間の魂が持つ本質的な能力を、あの女だけは君に授けることが出来る人間だった」

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチは同僚だった者達二人を思い出す。レフ・ライノールと同じカルデアの裏切り者―――魔術師兼神秘学者、アン・ディール。

 彼女は完璧だった。魔術師としても、兵士としても、技術者としても。

 何より、話が合う芸術家だ。まるで幾人分の才能を混ぜ合わせたような画師でもあったダヴィンチの同僚は、魂が絵の中へ引き込まれるような画力を持ち、Aチームが揃った集合油画を描き、それは今もカルデアの一室で飾られている。そして見詰めているとその晩、絵画の中に引き摺り込まれる悪夢を見る程に、人の魂へ叫ぶように訴える感動がある。

 

「つまり、人の心を道具にいている女なのさ。藤丸君自身には悪い人間なのだけど、君の魂にとっては本質的に味方と言うことだ。

 ビーストを倒した今、どう判断しているかは分からないけどね……いや、違うかな。オルガマリー所長を聖杯探索の旅から排除したかったのを考えると、君自身に世界を救わせたかった様に思える。所長とアサシンがいれば、君に英霊達との縁がなくともどうにかなった場面が多かった。奴が用意したフランス特異点とローマ特異点以外、あれほどの徹底した人間性の地獄はなかったからね。

 けれども、その場合、あの女は以降に攻略した特異点にも干渉した事だろう。ある意味、人為的な悪意あるカルデアへの抑止力だったと思う」

 

「相対的に、特異点の敵戦力が上がってたって雰囲気ですか?」

 

「だろうね。まるでゲーム感覚だよ。悪趣味なやり方だ。近代人類史の戦争から戦略を厭らしく学習してるね。

 まぁだからこそ、よりカルデアが生き延びる可能性が高い選択肢として、所長はカルデアを離れて裏切り者を討ち取りに旅立った訳さ」

 

「それは何となく分かってました。でしたら、罠だとしても俺は飛び込むしかありませんね」

 

「―――死ぬかもしれない。何て、君に問うのも野暮か。

 でもね、特異点からの情報は何の異常もない。観測した内部の様子だと、余りにも普通なんだ。現代の普通の日本と同じだとしか判断出来ない。

 魔神柱とアサシンの反応が観測出来たのは一瞬で、それ以外はずっと同じ情報だけしか分からない」

 

「罠ですね。もう凄い誘ってますよ。此処は安全な特異点だと、マスターを送って大丈夫だと、怖くないから来てって言う挑発じゃないでしょうかね。

 挙げ句、カルデアがその挑発を見抜くのも加味した皮肉です。

 分かっていたとしても、マスターをレイシフトするしかない状況にする悪意です」

 

「やっぱ、だよね。人をやる気にさせ、蟻地獄に落とす思惑を匂わせ、結果的に此方を誘い、有利なフィールドへ呼び込む。

 人間賛美が過ぎ、人間性が人類種への期待の余り腐り落ちた女だもの。我々の人間性を理解した上での策謀だろう」

 

「フランスとローマを超えると思った方が良いと思います」

 

「その癖、同行出来る適性かあるのが、あのサーヴァントだけだ。

 何を以て差別化してるのか分からないけど、他サーヴァントは無意味だってシバは判断した。でも、その判断情報も魔神柱の反応が出た時のみで、今は普通の特異点反応しか観測されていない。勿論、現状だと適性サーヴァントはほぼ全員だ」

 

「と言うことは、魔神柱討伐に必要なのはニーヒルさんだけで、多分他は送っても弾かれて駄目そうですね。あるいは、送れても霊基に支障が出ますか」

 

「藤丸君、君も中々に戦術眼が育ってきたようだ。概ね、私もそう判断しているよ」

 

「まぁ何となくですが、マシュを此処に呼んでいない理由もこれで分かってきました。

 所長の安否を囮にして、マスターである自分を罠に嵌めようとしていると知れば、強引にも同行しようとします。ギャラハッドの霊基がなくても、サーヴァントクラスの戦闘能力がありますからね」

 

「その点はオルガマリー所長がねぇ……ロマンチストな天才は災害さ。ぶっちゃけた話、マシュはもうマシュ自身が強いから」

 

「マシュは人間ですからレイシフト自体は問題ないですけど、まだ病み上がりです。戦闘は問題ないかもしれませんが、持久力にまだ……」

 

「そうだよねぇ……―――うん。魔術回路もまだリハビリが必要だ。シャドウで守りも補えるし、君の耐毒性諸々もまだ消えていない。

 藤丸君は不可欠なマスターであり、一番生存確率が高いサーヴァント戦の達人だ。

 有能云々において、こと特異点では万能なる私以上の適任者。そんな君の弱点になる状態だと、むざむざころされに行かせるようなものか」

 

「正直、心苦しいですが……俺達以上にマシュは、自分自身の状態を理解していますから。

 尤も理解した上で恐怖心と戦い、生死の境界線上のギリギリで無茶も無理も同時にしますので」

 

「あー……―――何か今、ロマニの苦労を凄く実感した。

 けれど、成る程。君だけがマシュを守れる。いやはや甘酸っぱい関係だね」

 

「話、変えますよ?」

 

「ごめんごめん。見た目は究極の美女だけど、私の中身は美女好きのオジサマだから。若い子を揄うと心が潤うのさ。

 との事で、あのサーヴァントだけを供にしよう。ランサーのサーヴァント、ニーヒル。過去の人類史にラテン語のゼロを冠する英霊なんていないけど、彼女はエミヤみたいな守護者だったり、人理修復を助けに来た両義式や殺生院祈荒みたいな協力者なのだろうね」

 

「大丈夫ですよ。ニーヒルさんは信用出来ますし、何より超強いですから。何か良く分かんないレベルでつよつよなので」

 

「だね。それはそれとして、シャドウサーヴァントの召喚システムはバッチリ管理しておくさ。生命線の強化は急務だからね」

 

「お願いします、ダヴィンチちゃん」

 

「―――任せ給えよ!

 技術部門の職員からも頭の狂った改良案も出て、それを取り込んでるから安心するが良い」

 

 その後、一時間程度の説明と受けた藤丸は部屋から出た。とは言えレイシフトまでの時間はまだ余裕があり、その合間にマスターとしての準備を多く揃えなくてはならない。礼装一式を整え、携帯非常食を持ち、予備も含めた通信手段を幾つか用意する。

 コフィンが並ぶ使い慣れたレイシフト施設。

 赤く燃えていたが青色に戻ったカルデアス。

 気合を入れ直した藤丸は何時もの職場へ行く途中、その扉の前で待っていたサーヴァント―――褪せ人、ニーヒルと合流した。

 

「やぁ、マスター。良い顔をしているね。どうやら今回の仕事は特別みたいだ」

 

「そうかな?」

 

「そうだよ……私の経験に当て嵌めるなら、まるで家族の為、戦争へ赴く兵士のようだ」

 

「そうかも。恩人を、助けられるかもしれないんだ」

 

「戦う理由としては、とても上等だ。一心に走り抜けられる事だね」

 

「うん。だからさ、今回も助けて欲しいんだ」

 

「何、気にするな。我々サーヴァントも、君の気遣いには何時も助けて貰っている」

 

 褪せ人は自然と右手を藤丸の前に出し、その手を彼は力強く握り返した。

 

「では行こうか、マスター。何時も通りの、特異点解決の旅さ」

 

「ありがとう。一緒に、戦いに行こう!」

 

 入室した二人は、司令官代理である技術顧問とマシュから最終確認を行い、準備は万全。レイシフトの為にコフィンへ入り、アンサモンプログラムが起動する。

 獣の残党、魔神柱狩り―――レムナント・オーダー。

 カルデア職員は使い慣れた動きでバイタルを確認した後、システム最終安全確認も行い、レイシフト起動ボタンを押す。そして霊子変換された藤丸の眼前に光が渦巻く。それは蒼い輝きであり、特異点まで続く孔。藤丸の脳が認識する何時ものレイシフトの光景。

 直後―――暗く、深く、奈落に落ちる穴となる。

 地獄へ墜ちるのだと藤丸は理解し、決意を固めた。きっとこの先、自分は悍ましい世界を見るのだと言う予感と、必ず生き延びてカルデアに帰るのだと意志を確かにした。

 

 

 

■■□□◆<●>◆□□■■

 

 

 

 何も無い冷たい荒野。薄暗く、寒い冬の時期の日本の気候。濃霧ではないが霧も僅かに停滞し、命の気配が合切なく、空気が汚物となって人を殺す毒と化す違和感。藤丸は呼吸をすると喉が焼ける違和感と、肺に生き物が焼けた煙が充満する感覚に襲われ、咽る程の鈍い痛みを味わっていた。

 太源(マナ)が―――無い。

 魔術回路が鈍く、重く、魔力に慣れた魔術師からすれば真空状態に等しい地獄。

 

「噂に聞く、オーバーカウント1999の地球か。人間の惑星へ対する搾取が臨界を超えた神秘が死んだ時代だね」

 

 藤丸の横に佇む褪せ人の第一声。カルデアで生活している時に着る普段着の、黒い喪服姿や巫女服姿ではなく、夜騎兵鎧一式に着替えていた。

 荒野の風に黒衣を靡かせつつ、兜の中からくぐもった声を放つ彼女へと視線を向け、藤丸は苦し気な表情で質問をする。

 

「……それ、どう言う?」

 

「マスター、今の君は陸に上がった魚と同じ状態と言う事だ。ほら、これを口から飲み給え。こんな事もあろうかと、と言う秘密道具だよ。

 現状、カルデアからの魔力供給も諦めた方が良いだろうしね」

 

「ありがとう。用意が良いね」

 

「友人のキアラから、人類史で必ず起こる枯渇現象を聞いてたのさ。この特異点がそうなのかは知らなかったけど、まぁ予感があった。それと毒素も空気に混ざっているが……雰囲気、君の体質なら問題なさそうだね」

 

 褪せ人から渡された小さな壺を手に持ち、蓋を取って藤丸は中身を見る。それは黄金色に輝く液体であり、芳醇な香りがする果物のジュースみたいではあるが、何の果実を絞って作られたのか分からず、例えようがない自然風味な甘さであった。そして飲みやすそうでいて、美味そうでもある。

 彼は躊躇わず、ぐいと一飲み。

 更にニ、三、四と連続して飲み、壺の中身を空にした。

 

「魔術回路の不調は完治した筈だ。序に私と繋がったラインから君の方に干渉し、サーヴァントの簡易召喚は可能にしておいた。カルデアとの通信は厳しいが、座との繋がりを利用した魔術式なら使える状態だ。この幸運、システム調整を完璧に行ったダ・ヴィンチに感謝しておくと良い。

 それと、魔力消費の方は気にしなくて良い。

 私が死ななければ、カルデアの代わりの魔力タンク役もしておくよ」

 

「え、こわ。ちょっと万能過ぎない?」

 

「サーヴァントなんて無法な位が丁度良いのだよ。ま、そもそも、この特異点は魔力問題が解決出来ないと、最初から詰み状態だからね」

 

「むぅ……あ、駄目だ。やっぱ、カルデアと通信出来ない」

 

「カルデアスは疑似天体であれば、魔力が無い此処は星の意識が観測出来ない無明領域となる。要は星の生命力が死滅した区画となる。なので、カルデアスでも観測出来ないのが必然だ。

 とは言え、君そのものが楔となっている。君だけは観測されてるから、意味消失は心配しなくて良い。私の方からも観測しておくのでね」

 

「何でも知ってるよね」

 

「基本、世界の仕組みって隠せないからね。見れてしまえば、そのまま理解出来るのだよ。

 何より、原因や理由も説明出来た方が、君の脳もスムーズに動くはずだからね」

 

「それは感謝っす。マジ神秘っす」

 

「敬い給えー……と、雑談は歩きながらするか。

 近場に誰か居る気配するから、そっちに向かうことにしよう」

 

「了解。で、そっちってどっち?」

 

「あっち」

 

「あっちね。じゃ、あっち行くよ」

 

「分かった。案内しよう」

 

「頼みます」

 

 頼もし過ぎるサーヴァントの後ろへ続き、マスターは何も無い荒れ地を歩き出す。そして転移した此処は本当に何も無い荒野であり、障害物など皆無に等しく、正直その気配がすると言った人影は少し時間が経てば見える距離に近付いていた。とは言え、まだ一キロメートル以上は離れており、習った強化魔術で視力を良くして何とか見える程度ではあるが。

 

「見えて来たね。座って背を向けてるあの人で良いんだよね?」

 

「あぁ、マスター。気配はただの人間であり、存在感も人のそれだが、悪い予感がする。それはもう、凄くとてもする。

 感覚からして恐らく、神を平気で生きた儘で踊り喰いする類の人類だな」

 

「敵じゃん!?」

 

「善良な神殺しの可能性もある。まぁ、人殺しに罪悪感を持たない悪人なのは違いないだろうが」

 

「後、何で何時もの馬を召喚しないの?」

 

「少し、この特異点を観測しておきない。それとね、接敵する前に君はこの空気に慣れておいた方が良いと思うけど。序にその身体、歩いて違和感を消しておくと良いさ」

 

「何で分かるのさ?」

 

「友人だろ。普段と違えば、雰囲気で分かるのだよ」

 

 そして褪せ人と藤丸の二人は、目的の人物の場所へ辿り着いた。その後ろ姿は全身を覆う騎士甲冑。鞘に入った大剣クレイモアを地面に置き、地面へ直接座り込み、休憩の為か焚火を行っていた。また何故かその焚火を燃やす薪には捻れた剣が突き刺さっており、熱で空気が揺らぎ、まるで注意の時空間が歪んでいるような不安を藤丸に与えた。

 藤丸は焚火を見続けるそんな後ろ姿を観察する。相手は此方の気配に気が付きながら振り返らず、微動だにすらせず、静かな騎士姿の人物に不気味な雰囲気を感じた。それはそれとして、コミュニケーションが英霊級の彼は相手へ躊躇わず話し掛けるのであるが。

 

「あの、すみません。お話、良いですかね?」

 

「……あぁ、貴公らか。この荒野は寒いだろう、座り給えよ」

 

 穏やかな声。魂を鷲掴みにする言霊の重み。思わず、藤丸は褪せ人の方に視線を送る。安全確認を兼ねたサーヴァントへの目配りだった。

 

「座るかね、マスター」

 

「そうだね」

 

「此処は寒い。二人は、熱燗、珈琲、緑茶、白湯、何を飲みたい?」

 

「お構いなく。それより聞きたい事が―――」

 

「―――何を、貴公は選ぶのか?」

 

「……じゃあ、お茶下さい」

 

「其方は?」

 

「珈琲で」

 

「承った。直ぐ出来る。その間、話をしよう」

 

 声からして男の騎士はコップを二つ出し、その中に粉を入れ、水を入れる。そのまま焚火の上に置き、手早く飲み物を熱し出す。藤丸と褪せ人は焚火を挟んで騎士の対面に座り、何も無い冷たい荒野の中、唯一の温かみである焚火で暖を取る。

 

「ふむ。後、すまない。質問も受けるが、まずは此方から聞きたい事があるのだが……青年、良いかね?」

 

「はい、構わないです」

 

「私は見張りでな。先程、あの灰が態と特異点に開けた孔より、ソウルが通り抜けた気配がした。侵入者は珍しくなかったが、最近は余り見ない。古い獣が目覚め出し、太源の類は一切合財蒐集され、我等の御馳走である抑止力の英霊も完全に来れない日々だった。霧より英霊のデーモンは発生するがね。

 その日々の中、貴公ら二人が異界より流れ落ちて来た。もしかしなくとも、獣狩りのカルデアだと思うが……合っているか?」

 

「―――――――」

 

「白状し過ぎたか。固まっている。会話をするならば、理解し易く情報量を制限するのも対話では大切か。

 それで、そこの女。太陽のように頭部が黄色に燃える姿、狂い火の王で間違いないかな。サーヴァント遊びをする貴公は、我々が認識する彼女の褪せ人と言う認識で間違いないだろうか?」

 

「魂が見える癖に、相手に確認する必要があるのかね?」

 

「ある。反応を愉しむ心持ちこそ、人間性の証だ」

 

「なら肯定だね。それと良い匂いがするけど、飲み物はまだかな?」

 

「適温まで後少しだ。少し、少し……少し、今だ。受け取り給え。熱い故、気を付けるのだぞ」

 

「ありがとう、火の簒奪者。ほら、マスターも」

 

「あ。あ、あぁ……うん」

 

 騎士姿の男―――簒奪者の灰は、二人の前にコップを地面へ直置きした。藤丸は丁度良い温度のコップを持ち、寒い荒野の気温で冷えた手を温め、飲もうか迷うも、褪せ人が何も言わないのでそのまま一口。美味い。凄く美味かった。素晴しい味の黄金律であり、あの雑な作り方で完璧な風味を出すのが良く分からなかった。

 

「それで青年、質問は?」

 

「あ、はい。此処は何処ですか?」

 

「日本の関東平野だ。貴公に分かり易く言えば、第三次世界大戦で焼け野原になった埼玉県だ。核兵器で日本は首都葦名を除き、瓦礫と荒野と、禿山が広がる死の国となった……らしいぞ。

 私は、人間による人類種根絶の営みを見たわけでないからな。よって、より大きな括りで説明すれば、此処は自滅を尊んだ人類史の一つとも言える」

 

「はぁ……そう言う、特異点?」

 

「いや。そう言う剪定された平行世界を、特異点として人類史に召喚し、特異点化している。何でも、星の意識に悪夢を寄生させる古都ヤーナムの上位者の業らしいぞ。

 生後二十年未満の、生まれたばかりの青年には解り難いかもしれんが、学習すれば理解し、やがて貴公も出来るようになることだ。人間、長く生きると何でも出来てしまう故。

 それと、この特異点はソウルの霧とコジマ粒子に溢れている。そこな褪せ人、マスターの体調管理は出来ているかい?」

 

「無論だよ」

 

「それは良い。死なれては困る。葦名を地獄に落とした意味も消え、悲劇に価値が生じなくなる。最後まで戦い、死なぬようせよ。

 後、マスターの青年。我等の都合でカルデアとの通信も遮断しているので、鍛え上げた己が直感と経験則を信じ給え。これまでの特異点の旅路は、決して貴公を裏切らぬことだ」

 

「はい……―――で、やっぱり敵対するのですか?」

 

 落ち着いた口調であり、敵意も害意も相手にはない。しかし、話す内容は特異点を作った側が分かる事であり、何よりカルデアと言う特異点外の情報を知る事から、この騎士姿の男は自分の敵対者だと藤丸は判断せざるを得ない。

 

「口ぶりから分かることだろうに。特異点殲滅が貴公の役目であり、その心情からも特異点の中で生きる人々を虐げる我等を許せない。首都葦名なぞ、今となっては葦名市民を甚振る為の巨大な強制収容所だ。尤も汎人類史で生きる貴公からすれば、敢えて人類種が意図的に作る聞き慣れた地獄であり、遠い異国の事だと平気で見逃している悲劇の一つでしかないが。

 しかし、それこそ人理の醜さ。

 この様な営みを日常として行う人間の知性と本能を良くしようと、あるいはその醜さをなくそうと世界を変えたいと思い、力を持つ者が人生を賭して行動すれば人間が人間で在る事をやがて許せなくなる。その人類愛は人類悪へ反転し、人類史から生み出た獣性と成り果てる」

 

「分かっています。カルデアが倒した敵―――ゲーティアは善の一つでした」

 

「歴史として今尚、人は人を燃やし続ける。過去から営みを変えられなかった。そして、人が生んだ被造物に燃やされた。人理焼却もまた、人間性から生じた世界の当たり前な悲劇の一つ。

 貴公が今抱く思い、他人の人生を踏み躙る我等を許せないと感じる善なる人の尊厳こそ―――獣の証だよ。

 故、人は皆、獣なのだよ。自らの意志を自分に証明する為、人と言う動物の本質に触れた時こそ、人間性は人として覚醒する」

 

「貴方は、カルデアが間違っていると?」

 

「いや。むしろ、我等の方が人を間違えている。魂にとってどちらも正しいが故、より種族全体の運命に適さぬ方が歴史から排除され、我等の様な汎人類史の異物は糞に等しい汚物として扱われる。

 カルデアの魔術師―――胸を張れ。貴公には、貴公だけの戦う理由がある。

 我等が行う邪悪の本質、その結果をこの先で知る事になるが、貴公が我等を殺す意志を曇らせる必要はない」

 

「分かりました」

 

「戦う訳が互いに在る。しかし、馳走は馳走だ。

 飲み終わるまでは語り合おう。殺し合い等、何時でも出来る」

 

「理屈は把握したよ……で、君の名は何だい?」

 

「ただの灰である。しかし、葦名にて名を得た。同じ灰、同じ簒奪者である同輩へは、凡剣の簒奪者、クレイモアと名乗っている。

 それで、二人の名も聞いておきたい。嫌なら構わんが」

 

「私は褪せ人、狂い火の王。カルデアではニーヒルと名乗っている」

 

「カルデア職員、藤丸立香です」

 

「感謝する。これから私が殺す者、あるいは私を殺して頂ける者との名乗り合いなど、実に贅沢な殺し合いとなった」

 

 そう火の簒奪者となった灰の一人―――凡剣の簒奪者、クレイモアが言い終わると褪せ人はコップの中身である珈琲を飲み干した。藤丸も同じく、緑茶を全て飲み切り、全身に活力が巡り回るのを実感する。

 どうやら体調が頗る良くなったようだ。敵に塩を送るとはこのことであり、藤丸は脳細胞一つ一つを認識する様な思考の冴えと、油を注した精密機械の如き魔術回路の滑らかさを味わっていた。明らかに凡剣灰から貰った緑茶が原因だった。

 

「同意だね。それとほら、コップ返すよ。美味かった、凡剣のクレイモア」

 

「御馳走様でした。美味しかったです……」

 

「ありがとう、二人共」

 

 コップを凡剣灰はソウルに仕舞い、篝火となっていた螺旋剣を薪から引き抜き、それも自分の内側へ収める。火は消え、先程までの穏やかですらあった語り合いの雰囲気も消失する。

 ―――殺すこと。斬ること。

 藤丸は眼前の敵が余りにも自然体で、何気ない仕草で剣を振い、魂に死を悟らせずに殺すのか、何となく力量が肌で感じる。だがそれ以上に、サーヴァント以下の、それこそ自分以下の魔力反応しか感じないのに、本能でさえ恐怖を理解出来ない程の不気味さを藤丸は感じだ。

 感覚は何も訴えない。だが強いと、もしかしたら人理を集めたあの獣より危険なのかもしれないと、藤丸は表現し切れない小さな違和感を感じ、それが真実だと直感的に理解した。

 

「では………やろうか」

 

「ああ、殺し合おう」

 

 凡剣灰はクレイモアを自然体で手に持ち、褪せ人は死体漁りの曲剣を二刀流で構える。藤丸は魔力回路を振わせ、脳裏に召喚するシャドウを戦術眼で以って準備。

 直後―――褪せ人の眼前、刺突の襲撃。

 褪せ人は左曲剣で受け流し、右曲剣で同時に袈裟斬りを行うも、灰は一歩動くだけで軽く避け、そのまま刺突した大剣を振り抜く。それをしゃがみ込むことで褪せ人は避けつつ、下段からの挟み切り。

 灰は跳躍して容易く避け、即座に顔面に向けて蹴りを放つ。それを曲剣の刃で褪せ人は受け止めるも、甲胄の硬さ以外の何かしらの守りがあり、灰の足を切り裂けず、そのまま後方に吹き飛ばされた。灰もまた褪せ人を踏台にし、自身の脚力によって更に跳び、後方へと退避する。

 

「頼む!」

 

 藤丸より召喚されたシャドウサーヴァント。同時三体召喚した上、出し惜しみ無しの即座三重真名解放。

 エクスカリバー。クラレント。フェイルノート。それは円卓の騎士による絶殺網。カルデアのマスターである藤丸に許された必殺の布陣。

 だが灰は何処であろうと、灰。あろうことか、剣の柄を両手に持ち、防御の型で構え、単純に攻撃を真っ向から我慢した。その姿、宛ら竜血を浴びたジークフリートや太陽鎧を纏うカルナだ。灰は神秘に対して高い自身の耐久力と、ソウルと楔石を限界を遥かに超えて使われた騎士甲冑の防御力と、防御能力が原盤強化した大盾を簡単に超過したクレイモアを持った上で―――戦技『我慢』を己がソウルそのもので行った。

 よってただの凡剣を己が魂として鍛え上げた灰のクレイモアは、刃に触れた神秘を絶対的な概念により斬り裂き、身を襲う僅かな余波は完璧に受け流され、極まった体幹によって一切動く事もない。

 そして、藤丸を狙った灰の投げナイフ。褪せ人は咄嗟に投げナイフを狙い、剣を振うことで嵐の斬撃を斬り放って迎撃。

 その瞬間、灰は絵画世界の鴉の騎士に似た瞬間移動染みた動きで踏み込み、藤丸のシャドウに接近。クレイモアを振い、騎士王の顔面を突き穿ち、叛逆の騎士を脳天から股まで両断し、嘆きの騎士を斬首した上で心臓を突き刺した。

 そして、灰のクレイモアに血が纏われた。殺したサーヴァントの霊基と血液を己がソウルで支配し、凶悪な出血の祝福を施し、その上で最初の火による呪術を使う。

 灰の愛剣が―――血色に染まり、燃え上がる。

 もはや流血太陽と呼べるそれは、剣の形をした地獄である。

 

「――――!!」

 

 同時に褪せ人は、右眼へ全力の魔力を込めていた。速度と破壊力に優れ、何より頭部となった黄色太陽が瞳を噴出口に使い、狂い火を奔らせる。

 ―――空裂狂火(フレンジードバースト)

 黄色の火線が伸びる。狂い火の王が放つ黄火は並の褪せ人の祈祷を遥かに超え、兇悪。直撃すれば魂を犯す混沌の病魔が狂気と共に内側から爆裂し、掠る程度でも魂の本質を狂わせて具現化する。

 尤も、灰は―――クレイモアにて狂気を受け入れた。

 空裂狂火を防いだ血に燃える剣は、灰が葦名で学んだ忍びの業により、狂い火を更に纏うことで黄色が混ざる。灰の愛剣は、より悍ましき狂血太陽の凡剣へ進化する。

 

「まだまだぁ!!」

 

 周囲に大源(マナ)が無く、カルデアからのエネルギー供給もない。サーヴァントである褪せ人へ送る魔力すらなく、今は逆にそのサーヴァントからマスターに魔力が逆流する状態。だがその上で藤丸は召喚術式を起動させ、ラインから一人の英霊を呼び出した。

 暗い髑髏の影法師―――山の翁。

 中東地域で曲剣文化が流行する前の、両刃型の大剣。暗殺教団の信仰に基づく装飾が施された大盾。

 ――――死の形だった。

 濃密で在りながら存在感は薄く、だが絶対的な死。

 

「おぉ、死の信仰とは……」

 

 灰は、このサーヴァントのソウルに感動した。死の業、暗殺の心得、祈りの形、殺し続けた技。そして後継であるハサン達の遺志を継ぐ決意。

 だが―――殺す。いや、だからこそ人を殺したい。

 灰にとって殺人とは魂の食餌でもあり、殺戮は大食いでさえあり、他人を深く知り得る為の業である。

 

「―――死告天使(アズライール)

 

 小手先は無意味、且つ全力以外は一刀で返され死亡。本体ならば話は違うが、シャドウとして藤丸に簡易召喚された山の翁の情報体では、あの灰に死は届かない。

 宝具の真名解放―――容易く、素手で逸ら(パリィ)される。

 積み上げた死の数。魂が悟る死の業。繰り返しの中、幾星霜も続けた殺戮の死が灰の技。単純、火と闇を継ぎ、世を繋げた灰は、この世の誰よりも人の魂を祈っている。それは人の生死への祈りであり、断じて神を崇めるのではなく、個の想い。魂となった己が業への感謝であり、魂への憎悪であり、魂への悟りであった。

 そして、体勢が崩れたアサシンの心臓へ、狂血太陽の凡剣を突き刺した。

 即ち、それはクレイモアが死のソウルを覚えたのと同意。また灰はソウルから晩鐘の業を学び、魂が翁の人生を悟る。

 だが―――死なず。

 いや、死んでも動くのが山の翁。

 

死告天使(アズライール)――――」

 

 そも一回目の剣技は囮。二回目の絶死に繋げる為の戦術。アサシンは大盾を手放し、自分の心臓を突き刺す灰の腕を握って拘束し、クレイモアを動かせない状態で斬首の一閃を放った。

 同時、内臓を破裂させる馬脚の前蹴り。

 無論、信仰心から自分の内臓を掻き出している山の翁に壊れる臓器はないが、刃の軌跡を動かすのに十分な衝撃だった。それでもアサシンは決して掴んだ灰を離さず、腕が形を保てず、そのまま引き千切れた。拘束が外れ、灰は自由となる。

 

「―――シッ!」

 

 屍山血河にて――死屍累々。

 褪せ人が両手で振るう血刀より、灰へ左右からほぼ同時二連斬。呪血を纏う刃で以て、血に飢えた奥義を解き放つ。

 それを灰は容易く弾き逸らし、続く三連斬撃もクレイモアは短刀よりも軽く振るわれ、当たり前の様に防ぎ弾いた。

 褪せ人は一瞬で強靭な体幹を刃を通した衝撃で狂わされ、動きが乱れ、その隙を狙った足元を払う回し蹴りを受けてしまう。普段なら耐えられたが完全に体勢が崩れ、地面へとあっさり転んでしまった。

 

「来たれ、混沌」

 

 背後から迫るアサシンの気配を感じ取ると言う、異次元領域の感覚で暗殺を悟り、灰は倒れて隙を晒す褪せ人への致命の一撃を選ばず、敢えて()を纏う左手を地面へと叩き付けた。

 呪術、混沌の嵐。だが火を簒奪した灰の混沌は、イザリスの領域を遥かに超える。周囲を一瞬で溶岩地域に変え、地面から幾本もの火炎柱が焚き登る。

 

「助かった。ありがとう、ライダー」

 

 藤丸は念の為に予備召喚していたメドゥーサの愛馬、ペガサスに乗り、空を飛ぶことで何とか無事だった。

 そして山の翁(アサシン)は気合でまず溶岩に耐え、火柱も気合で回避し、咄嗟に大盾を浮舟代わりにしてマグマの上でも生きていた。褪せ人も何とか無事であり、周囲全ての足元から吹き出る火柱を重力の暗黒波で抑え込み、助けようと振り向いて見たアサシンのアイデアを盗む。彼女はルーンが渦巻く内より大盾を取り出し、重力波を解き、火柱を大波代わりにしてサーフィン染みた奇っ怪な動きで脱出した。

 

「素晴らしき、難敵だ」

 

 敵の強さ、戦術の冴、生存能力に感動した灰は、クレイモアを混沌の溶岩となった地面に突き刺す。

 

「我がクレイモアを触媒にし、古い獣の霧、デーモンの子宮である溶岩、そして命の種となる死んだサーヴァントの霊基情報を、暗黒より狂い混ぜる。

 褪せ人よ……デーモンだよ。

 それらを錬成したら、この混沌より何が生じるか、楽しめそうではないか?」

 

 態々、自分の戦術を開示する必要は灰にない。だが、敵に脅威を味合わせたい。死に、感動して貰いたい。そんな暗い親切心より、灰は恐怖を生み出した。

 望まれぬ生命の誕生。赤子の名―――聖剣のデーモン。

 煮え滾る混沌より、爛れた鎧の悪魔が這い出る。その悪魔へ褪せ人は星砕き(重力魔術)を放ち、自分の曲剣が届く位置まで引き寄せ、二刀で斬る。連続で切り、斬り、生命力を血液ごと噴出させ、膾切りにする。複合的に属性を混ぜ合わせ、限界以上に鍛え上げた神秘血の死体漁り(二刀流曲剣)は、邂逅一瞬でデーモンを一方的に始末した。

 だが、混沌が凝縮する。溶岩全てがクレイモアに集まり、命を生む偽りの火も狂い混ざる。

 その合間で千切れた腕をアサシンは繋げ、髑髏の大盾を構え直す。そのまま灰へ突進し、大盾によるシールドバッシュを敢行。しかし、灰はその大盾を剣の柄で受け止め、柔術を仕掛けるように逸らし、アサシンの体幹を打ち砕く―――とはならず、アサシンは灰が触れる前に盾を手放し、影となって背後へ回っていた。そして褪せ人はそんなアサシンの後ろか灰へ迫っており、この瞬間にて挟み打ちの戦術が成功。

 

「流石は、カルデア」

 

 無論、灰は全てを理解していた。一対多を不得意としたまま存在する不死と違い、一人で多人数を殺戮する闇霊の鏡である灰は、強者からの挟み撃ちなど余りにも慣れ切った状況。

 何よりも凡剣灰にとって、クレイモアを己が身と業で戦う以外の戦術は―――小手先。

 混沌招来によるデーモン創造など、葦名で神秘学を学んだ簒奪者の灰なら誰でも出来る同然の事であり、火を奪った人間の魂にとって普通の業だ。

 クレイモアを振う、その一閃。その剣技。

 人間以外の魂が観測不可能な、人間の魂そのもの足る剣術が、余りにも容易く敵の二人を斬り裂いた。

 

「そうだ、そうで在る。敵ならば、そう在るべきだ。

 ―――諦めるな。

 ―――挫けるな。

 ―――止まるな。

 戦え。戦うのだ。何が何でも戦い、葛藤しようが戦い、愛する人が地獄へ落ちようとも独りで戦え。

 貴公ら、人間なら戦え。人間なら、己が魂を永劫に証明し続けよ。人間の魂を持ち得るなら、同じ人間である私を殺人せよ」

 

 魂を斬り裂く灰のクレイモア。ただ剣を振うだけで当たり前なように神殺しを行い、根源より死の未来を見る直死の魔眼以上に悍ましい魂の死を灰を振うが、所詮は凡剣。究極の人斬り包丁に過ぎず、あらゆるソウルを斬る凶器と言うだけだ。尤も魂を観測する灰は、自分のソウルで相手のソウルを攻撃するのが普通だが。

 しかし、死で在る山の翁は耐えた。

 根源的な死を悟り、むしろ彼の魂は学習した。

 まだ未熟。まだ修練が足りぬ。だがカルデアの旅路に関わり、新たな死の感触を得た。

 

「首を―――出せ」

 

 シャドウに本体からの意識が浮んだ。クレイモアによる切傷より死が魂に流れ込み、アサシンは己が霊基全てを焼却して霊体が崩壊するエネルギーを生み出す。

 ―――死で在った。

 人間が人間を殺す様、星の魂も葬る死が根源より悟られた。

 

「成る程、これが……ッ――」

 

 神殺しの業を持つ鍛冶師が鍛え上げた業物を幾つも持つ褪せ人は、故にクレイモアの恐ろしさを正しく理解する。

 アサシンが覚醒したのも分かったが―――死は、人の業。

 灰もまた、同じ事。葦名で学んだ新たな戦技とサーヴァントの技能により、加速の業にて猟犬の縮地(ステップ)を行い、死と同じ迅速さでアサシンの首斬りを避けながらも背後に回り、致命に届く一刺し。だがアサシンは切腹の動作で自分の胴体ごと背後の灰へ、一突き。灰へ死を叩き込み、アサシンは消滅した。

 それにより生まれた隙を逃がさず、褪せ人は全力を解放。燃え上がる大鎚を構えて突撃し、そのまま轢き続け、灰を引き摺り回す。死ぬまで轢き、呪血にて出血をさせ続け、最後は宙に打ち上げる。

 瞬間―――爆散。

 因果応報の奇跡を無拍子の祈りで灰は自分に仕込んでおり、執拗に苦痛を連続して与える敵へ、苦しみの因果を応報した。何より悪辣にも、灰はクレイモアで攻撃のほぼ全てを防ぎ、敢えて少しばかりの損傷が肉体に入るように防御を調整していた。

 直後―――致命。

 吹き飛び、倒れる褪せ人の心臓をクレイモアで串刺し、更に押し込む。引き抜いた後、もう一撃と顔面に剣を力任せに叩き落とした。しかし、褪せ人も灰と同じく我慢し、相手の攻撃で死ぬ間際で生き延び、倒れた状態で黄金の怒りを解放。尤も灰は、その衝撃波をクレイモアで切り払った。同時に刀身は黄金刃を纏い、更なるエンチャントの深化に至る。

 

「不手際だぞ、褪せ人。私の死に届かなかったのは、戦友の命を無駄にしたと同義だ」

 

「ほざけ、灰。死を克服している癖に、効いた振りするとは、英霊の尊厳を愚弄する行いである。そもそも、その業の至りながら、凡剣を自称するなど詐欺だろうが」

 

「嘘ではないぞ。凡俗で在らねば、貪欲な剣には為れぬ故。だが確かに、すまなかった。手加減し、小手先で遊んでいた。

 我がソウル、我がクレイモア―――味わい給え」

 

 騎士甲冑の灰。火の簒奪者の一。人理を未来へと繋げたカルデアを試す為、待ち受けていた不死―――凡剣の簒奪者、クレイモア。

 彼は剣を構えた。これより、あらゆる剣術が戦技と化し、褪せ人を殺すだろう。

 褪せ人も死体漁り(双曲剣)を構え、敵を垣間見、武の頂きを理解する。眼前の灰はもはや剣聖以上の領域で在らねば、神域を超えた殺戮技巧を魂が認識出来きず、何も理解出来ず、ただ死ぬだけ。そんな業より剣技が放たれる。踏み込みと同時に刃が振り上げられ、褪せ人は受け流そうと動いてしまった。

 防御はクレイモアによって一方的に剥ぎ取られ―――褪せ人は、体勢が崩れた振りを行う。敢えて隙を見せることで攻撃を限定し、次に迫るクレイモアの斬撃に対応しようと動く。だが灰は、その手の戦術眼に手慣れ切っており、先読みによる思考戦は得意中の得意。何よりも変哲もないクレイモアに拘り、同じ灰を同時に何人も殺す手腕を持つ為には、どうしても相手にする敵全員より思考能力が優れていなければならない。

 戦技―――燕返し。

 防御を剥ぎ取り、動きを制限し、回避不可能の魔剣が振るわれる。構えからの二段絶殺。

 戦技―――猟犬のステップ。

 褪せ人は刃の範囲網の出口である後方へ、咄嗟に退避。尤もその手を灰は先読みし、燕返しを振いながらも同じ速度で踏み込んでおり、褪せ人を斬撃から決して逃さない。

 であれば、仕方が無い事。褪せ人は多重次元屈折現象で増えた二刀は二刀流で構える曲剣で防ぎ、残る一刀を潔く受け入れる。これも極限以上に鍛え上げた戦灰『我慢』で何とか耐えるも、命が零れ落ち、自分に死が迫るのを褪せ人は実感する。

 

「ぐぅ……ッッ―――」

 

「―――死、在るのみ」

 

 狼騎士の業であり、灰等にも伝承が伝わる剣技―――跳躍縦回転斬り。

 体幹が総崩れし、瞬間的な回避行動が出来ない褪せ人へ、灰は更なる追撃を無慈悲に、且つ愉し気に叩き込む。左肩から肝臓までクレイモアの刃が斬り裂き、褪せ人は吐血すると共に、臓腑を体外に漏れ落とした。そして灰は刀身を相手の心臓に串刺し、動けない様に体内からソウルを流して拘束した後、褪せ人が被る夜兜を剥ぎ取る。

 

「美しい女の貌だ。芸術品に通じる、手作りの顔だ。しかし、その本性……狂い火の黄色の瞳、混沌を宿す眼球の太陽か。

 あぁ、貴公―――善きソウルだ。素晴しき火だ。

 さぞ、殺したと見える。我等と同様、人の魂の味を覚えた人間性と見える。貴公の魂へ、火に焦げた暗い魂より、その人間性を祝おうぞ」

 

 凡剣の灰(クレイモア)は脳に粘り付く声で、褪せ人の耳元で祝福を唱える。兜の内より、外宇宙の暗黒領域より暗く深い、人の魂だけが発する言霊が彼女の脳内へ入り込み、狂い火となった黄色の太陽頭が痙攣し出す。

 その光景を見て、藤丸が彼女を助けない訳がない。

 シャドウサーヴァントを六騎も再召喚し、自分のサーヴァントを救い出そうとし―――

 

「送還」

 

 ―――灰のその一言で、藤丸が簡易召喚した英霊は特異点から退去した。

 

「……ッ――ゲー、ティア?」

 

「否。だが剣狂いの灰でしかない私だが、あの悪魔よりソウルの業は学んでいる。貴公の、つまりはカルデアの召喚術を我等に対し、正常に使うのは酷く難しいぞ。

 これは魔術王が飼う獣の業に非ず。人間ならば、修練で誰でも使える普遍的な神秘の技術だ。しかし、殺し合うを愉しむには下の下の手段である故、非常につまらない。それはそれとして、灰共がこのような手段を全員が使える事を貴公には知っておいて貰いたい。

 はぁ……だが全く、戦闘中の長話は宜しくない。

 役目故、仕方がないが……魂の感触だけを刃にて感じ続けたいのだがな」

 

「何なんだ、おまえは……!?」

 

「火を簒奪した灰だ。そして、貴公と同じ人間だよ。唯の、当たり前な、其処らの人間と同じ魂だよ。少々クレイモアが好きだが……何、好きな存在(モノ)に拘るのも人心を持つ証だろう」

 

 暗い簒奪者の手(ダークハンド)で褪せ人の首を握り、空間を歪めて拘束し、右手にクレイモアを握って灰は近付く。

 

「……うむ。駄目だな。貴公、運命の力が絶望に負けておる。

 あの灰より暗い接吻を受け、獣狩りの宿業に打ち勝つのだろうが、まだ助けが入らない」

 

 残念そうな雰囲気で灰はクレイモアをソウル内に収め、灰は右手に黄金色の瓶を取り出し、その液体を褪せ人に振り掛ける。魂だけは助け、彼女のルーンが破砕しない様にしたが、抵抗可能なまで命を回復させはしなかった。

 

「世界を救ったと言うに、まだ意志の力が弱いのか……いや、そうだったな。

 そもそも抑止力もなく、人類種からの後押しもなく、貴公を生かそうとする全人類からの祈りも此処には届かない。人類史を尊ぶ人の身勝手な願いも聞こえない。

 此処では、貴公自身の意志が大切だ。心を強く持ち、魂を強く在れ。

 力の強弱は運命には関係無い。仲間を信じる人間性が、貴公が信じる者に宿る人間性へ呼び掛ける」

 

「………」

 

 統一言語よりも重く、深く、人の魂に語り掛ける灰の声。強く在れと言われ、藤丸は魂より強く在りたいと思い、眼前の恐怖に負けそうな自分の心を、その恐怖そのものが勇気を持てと震わせる。

 

「貴公の内にて、愛する者の姿を浮かべよ」

 

 盾を構える姿。何時も見守る少女の後ろ姿。幾度も命を救ってくれた彼の命、彼の運命、彼の相棒。世界の為、カルデアの為、彼を護る為の英雄と為る藤丸立香のサーヴァント。

 藤丸立香が一番最初に自然と浮かんだのが、彼女であった。彼女の後ろ姿にこそ、躊躇いなく彼は愛を抱いていた。

 

 

「マシュ……!」

 

「あー……すまぬ、カルデアのマスター。

 助けに来た余、期待のキリエライトでなく、暗帝だ」

 

 

 暗黒なる一閃。極まった剣術。そして褪せ人を助け出し、藤丸の隣にまで移動した女こそ―――暗帝だった。

 同時に褪せ人を握る灰の腕を切り落とした後、暗帝は酷くつまらなそうな顔で藤丸に姿を見せた。灰の背後からの攻撃を可能にしたのは、相手を殺すつもりがない人助けの為の斬撃だったか、あるいはソウルの業と狩人の業などを学んだ御蔭か。それとも、今までの旅路が尋常ではない地獄だった所為か。

 ともあれ、藤丸は助かった。凡剣灰が望んだ通り、人理も関係無く、アラヤの後押しもなく、彼自身の魂の本質が呼び寄せた必然の奇跡であった。

 

「ローマ特異点の、ネロ皇帝!?」

 

「うむ。貴様の怨敵にして、偉大過ぎてやはり偉大な皇帝である」

 

「やっぱりネロちゃまじゃん!!」

 

「え、カルデアの余ってそう言う雰囲気なのか?

 ともあれ、あれだ……――おい、褪せ人。その様、その負け姿、灰が本気なればマスターを死なせておったが?」

 

「そうは言うが暗帝、あの灰は私より殺し合いの経験を積んでいるのだよ。君だって勝てないだろう?」

 

「まぁ、そうだが」

 

 聖杯瓶を飲み、全回復した褪せ人は夜鎧を着直し、友人である暗帝と奇跡的な再会したと言うのに平然と泣言を吐露した。

 しかし、不気味なのは腕を切り落とされ、褪せ人を奪われたと言うのに、灰は身動きをしない。攻撃に移行せず、ソウルの内よりクレイモアを出す素振りも見せない。

 

「―――素晴しい。貴公は勇者である。正しく人間の鏡だ。

 藤丸立香、決して己を勘違いするではないぞ。必然となった奇跡は偶然でなく、貴公が自力で出した賽の目だ。運命が貴公を生かしているのではない。運命に手を抉り込み、貴公が意志によって死の可能性を剪定した」

 

 抑えていたソウルの存在感を解放し、灰は愉しいと言う人間性を剥き出しにする。エンチャントを切ったクレイモアを何時のか握り持ち、一歩、また一歩、気配を強めながら三人に近付いた。

 

「そして暗帝、貴公が此処に在るならば、貴公の愛する魔女もまた居ると言う訳だ」

 

「うむ! 相思相愛、魔女も余を愛しておる!!」

 

 満面の笑みを浮かべ、誰もが見惚れる美を暗帝は体現する。葦名にて人間性を得て感情も取り戻し、人の笑顔に感動する感性が戻っている灰は、思わず暗帝を可愛いな感じ取り、思考を一瞬だけ意図的に止めた。何故なら、可愛い女を素直に可愛いと思える事が、素晴しき感動に他ならない。

 なら、欲しいと考える。この世で一番素晴しき存在は人間の魂であり、人間そのものが美しい。暗帝のソウルを手に入れるのは、己が魂に善い行い。灰を召喚したあの灰が、地獄より生み出した灰達の為の贈り物。

 

 

「――――吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)!!」

 

 









 読んで頂き、有難う御座いました。
 灰が葦名に召喚した灰の一人でありますので、ぶっちゃけると沢山居る内のネームドモブ灰の一人です。後、ロスリックで対人戦をずっとやってるタイプの灰しか召喚されず、言うなれば最初の火を継いでも人殺しが止められない連中ですので、対人も攻略も箆棒に強い設定になってます。



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啓蒙80:火の簒奪者達

 今まで読んで頂き、ありがとうございました。
 これからも見て頂けると、非常に嬉しいです。


吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)―――!!」

 

 殺戮の火刑が直撃し、灰は燃え上がった。しかし、太陽を宿す灰のソウルを焼くには同じ領域の神秘が必要であり、全身が燃えているが無傷である。

 むしろ最初の火により灰は常日頃、身の内から灼熱が煮え滾り、闇を薪に燃え上がる暗い孔の炉。魂を焼く程度の焰では、何ら意味はない。よって焔の影に隠れ、とあるアイテムを上空へ密かに投げたのだが、そんな灰は燃えながら、何故か燃えている暗帝を見ていた。

 

「アッ、あつ、熱いっ! 飛び火が酷い、熱いのだ!!

 余、燃えてるよ!!

 相手を実際に燃やすなど情熱的な愛に過ぎぬか、魔女!!」

 

 なので灰が例外であるだけで、火の粉を被った暗帝が熱がるのは当たり前である。

 

「愛を偽る詐欺師がいましたので、えぇ……神罰よりも、身に沁みる応報の方が魂に響きましょう」

 

「これだから性格破綻の存在不適合者は、余が愛するに面白い歪さよ。

 躾が甲斐が有って――堪らんな!」

 

「あっそ、ふーん」

 

 変態の戯言を聞き流し、藤丸達の方へ魔女は歩み寄る。

 

「あら、こんな荒野で奇遇。久しぶりですね。マスターちゃん、元気?」

 

「元気」

 

「なら、良し。無事ね」

 

「来てくれて、ありがとう」

 

 何かしらの、言い様のない衝動。藤丸の安心した笑顔を見た魔女は、彼の心を暴きたくなる血腥い情念が湧くも、暗い殺意を自分に向けることで下卑た欲望を浄化した。

 それは、性欲と独占欲が混ざる尊厳性。堪らなく獣を狩りたくなる狩猟衝動に近く、だが自分の手で触れて汚したくはない想い。

 

「分身のサーヴァント体の方は、貴方とカルデアに世話をされてますから。

 ま、ギブアンドテイクって奴よ。この言葉、良い響きじゃない?

 それに仇は絶対返すのに、受けた恩を返さないのは……復讐に品性が生まれないでしょう?」

 

「新宿でも、ジャンヌには助けれた」

 

「相変わらず、義理堅いわね。ま、恩有っての縁でもありますからね」

 

「良き雰囲気の所、悪いがな……余、灰狩りなんて不毛はせず、逃げたいのだが?」

 

 髪の毛が少し煤けた暗帝が灰を指差し、嫌そうな表情を浮かべる。敵はジャンヌの黒炎をクレイモアに纏わせた上、また最初の火による呪術で炎を刀身へ付与していた。序に攻撃能力向上と防御力上昇の各種加護も無拍子の祈りによって一度に全て自身に与え、先程よりも明らかに強くなっているのが分かる。

 静かな様子で佇み、戦意も殺意もなく、だが凶悪な存在感。悍ましいのは強大な魔力反応は皆無であり、並の魔術師よりも魔力を感じられない。武装からは魔力の迸りが分かるのに、灰本人は藤丸立香と同じ唯の人間としか魔術的な視点からだとそう判断せざるを得ない。

 

「見るからに無理じゃない?

 あれ、凄くやる気になってます。ほら、何か分かり易く暗黒チックなオーラも纏ってるし」

 

「―――貴公等、久方ぶりぞ。魔女と暗帝、二人揃いが様になっているようだ。

 仲良しだな。良い事だ、友と仲が良いのはな。永遠を生きる以上、孤独は避けられぬが、故にその思い出もまた永遠に魂へ残留する」

 

「そう言う、何と言うか……その気遣いな言葉?

 殺し合いの中で言うの、やめろ。殺し殺され、恨み恨まれ、アンタらが始めた地獄なら、そう徹しなさい」

 

「しかして、それもまた道楽の中の娯楽。愉しめる事を、人間性の儘に楽しむ事が人の在り様だ。

 我ら灰、所詮は出歯亀の変態だ。

 嫌がる者を揶揄するのが堪らぬのさ。

 それにほら、魔女の狩人よ――頭上、注意だとも」

 

「―――あ」

 

 べチョ、という音。頭部に落ちた形容し難き汚物。

 直後、猛毒劇毒による吐血。皮膚は爛れ、眼球は解け、髪が頭皮ごと蕩け抜ける。

 何より、魂を腐らせる肥糞。枯れた不死の生命を穢す毒を受ければ、魔女だろうと肉体ごと魂が蝕まれる。これは超高密度放射能汚染の被爆以上の致死性で、ある種の霊体に対する放射能とも言えた。糞に触れた魔女の人肉が糞に溶け、同化し、生きた糞となるのが必然だろう。

 この世において、最も悍ましい毒。

 魂に食され、消化され、人体から捻り出された魂が宿る人肉排泄物。

 

「糞呪手製の糞団子だ。頂戴し給えよ」

 

 ブチリ、と血管が引き千切れる幻聴を藤丸は聴こえた。それ程までに、魔女の怒気は恐ろしかった。

 更には自分を体内から炎上することで、付着した糞を焼き飛ばし、糞呪の毒素も血液ごと熱消毒。魔女は憤怒と憎悪の儘に燃えがる姿を見せ、鬼よりも化け物な表情を浮かべ、悪魔よりも悪夢に出そうな目付きとなった。

 

「アッヒャ!」

 

「お、余は知っておる。この魔女、マジ切れだ」

 

 勝率、効率、安全――その程度の思考、肥溜めへ消えた。

 自分の神秘で自分を火炙りにする糞塗れな魔女は、あらゆる熱量を機動力に叩き込む。もはや距離の概念を零にする狩人の歩行により、時間が逆行して始めからその場所に居たように、灰を真正面から奇襲する。

 首を狩る軌道で魔女は葬送刃の曲刀を振い、クレイモアは余りにも柔らかな動きで斬撃を受け逸らした返しに、カウンターの首斬りを行う。魔女は左手に握る獣の柄頭で弾き逸らし、曲刀の連撃を振い、それを灰は連続して弾き逸らし、斬り返す。

 互いに全身を炎上させ、灰と魔女は凄惨に殺し合う。

 正しく燃え上がる殺意。火炙りの最中、暗帝は逃げる機を失ったと認識し、邪美なる黒炎を暗黒片刃剣より放つ。

 

「こうなっては仕方無し。

 何よりも、友に糞を投げ付けた人間の屑を生かす道理など―――ローマに通じぬわ!!」

 

 真紅の炎に黒炎が纏わり、死の焔を色濃く醸す暗帝の片刃剣。

 

「カルデアのマスターに、褪せ人よ。余達二人は助けに来たが、貴様らは好きにせよ。

 軽く安い我らの命に責任など無意味故、逃げたいなら今直ぐにでも、行け。何処へ向かうべきかは、褪せ人が分かるだろう」

 

 暗帝は二人にそう言い、凄まじく劣勢に追い込まれている魔女を助けに、文字通りの火中へ飛び込む。灰はクレイモアをただ振うだけで軌跡の全てが切断され、時空間は無論、魔女の憎悪の炎も斬り裂かれ、死さえも斬るのだろう。

 己がソウルを究極に至っても鍛え上げた灰の剣術は、全ての魂を斬り消す零の境界の先にある業。そして人理が観測した境界記録帯も灰は観測し、クレイモアの為に有能な英霊や人間の業は全て、クレイモアの戦技に還元されている。

 尤も、やはり灰は灰。クレイモアを斬り払い、薙ぎ、上げ、落し、突く。そんな基本的な殺人動作を己が魂へ祈る様に行い、永劫の中で無限に繰り返し、当たり前な剣術が全て絶技と化している。

 

「―――この、クレイモア野郎が!」

 

 魔女が左手の散弾銃をぶっ放すも、灰は余りにも容易く避けながら踏み込み、愛剣を一突き。魔女は死点から体を逸らして避けるも、灰は避けた方向へ斬り薙ぐ。何とか曲刀を腕全体で回すことで弾き逸らすも、技量差により、灰は剣の軌跡を動かさずにそのまま斬り裂いた。

 胸を魔女は斬り裂かれ、乳房が肺ごと血塗れとなる。戦いの邪魔になるからと、狩り装束で固く小さく抑えていたが、中身ごと血液が零れ落ちる。しかし、その自分の姿を一切気にせず魔女は戦おうもするも、接近する灰にクレイモアを意識誘導の囮に使われ、顔面へ思いっきり頭突きをされた。鼻が陥没した上で前歯が砕け散った魔女が体勢を崩した所を暗帝は助けるも、そもそも魔女を追い込む事自体が暗帝への罠。

 暗帝の片刃剣をクレイモアで抑え込むと同時、左腕による首狩り攻撃―――ラリアットが炸裂。

 勢いそのまま後頭部を地面に叩き付けられ、暗帝は白目を剥き、喉が潰される。地面にクレーターが出来、その中心に沈む女の胸にクレイモアを突き刺し、心臓を破る。その後、選定の剣を抜く様に台座(暗帝)からクレイモアを引き抜き、暗い血液を刀身にエンチャントした。

 噴水のように血液が上空へ吹き上がる。血の雨だった。

 暗帝の魂に染まった暗い黒血が荒野に降り、人間のソウルを冒涜するあらゆる呪詛が具現する。それはローマの罪科であり、暗帝が特異点を生き延びてしまった後の、無限に等しい時間で見続けてきた人類種の悪と罪だった。

 ――暗黒なる邪悪。輝ける死の歴史。

 荒野が黒く染まり、死が啓蒙される。

 灰はソウルより暗帝が味わった絶望と悲痛を理解し、そのやるせなさを魂で吟味する。灰にとって、これこそ人殺しの醍醐味であり、人生を味わう悦楽であった。

 

「見給えよ。輝ける人類史、今こそ黄金時代。星の上に人は地獄を創造する。あぁ星よ、人を生んだ地球よ。人理を欺瞞と人類種が理解する時、貴公の魂は宇宙の暗黒へ還るのだよ。

 とは言え、クレイモアで魂を斬りたいだけの私には、価値無き感傷だがな。

 人理を巡る戦いも所詮、人を騙す貴公にすれば……いや、決めるのはこの世に生きる人間である」

 

 突如、暗くなる。夜空である。星が輝く宇宙が荒野の上空で輝き、数多の隕石が降り注ぐ。

 謂わば、流星群の煌きだ。狙撃銃染みた精密さで蒼白く燃える星が灰を狙い、その全てが一斉に襲い始める。

 

「―――彼方への呼びかけ(アコール・ビヨンド)……」

 

 小さな声が宇宙足る時空間そのものを揺るがす言霊となり、世界自体を神秘なる呪文が汚染する。故、夜空とは脳が見る悪夢の宙であり、完全無欠な曼荼羅を描く宇宙へ至った彼女の心象風景である。

 ―――流星群。出来損ないの実験作。

 同じ出来損ないだった彼女は、完璧でないからこそ死を繰り返し、未完の儘に成長する。完成されない為、完成した自分の未来を夢見続ける。

 

「魔女も暗帝も諸共とは…‥あぁ、仲良きことだ。仲が良いのは善きことだ。

 星見の狩人、オルガマリー。貴公はカルデアの勇者が来る時空間を啓蒙されていたと思える」

 

 その感傷を侵食されて描かれた夜空を見るだけで、灰は解した。その思考を言葉にすることで相手のソウルに自分の人間性を叩き付け、精神汚染を容易く引き起こし、周囲の人間を面白半分で発狂させる。

 何より、素晴しき危機。灰はクレイモア一本で流星群に対峙する。

 加速することで時が止まる体感時間の中、灰は眼前に迫っていた隕石を斬り弾く。その次の隕石も、次の次も斬り砕き、結果として地面に隕石が衝突することで暗帝と魔女が爆散するのも防いでいた。

 

「御命、頂く……」

 

「星見の忍びか」

 

 それを見逃す忍びで非ず。灰を背後から心臓を一刺しした後、更に刃を捻って傷口を抉じ開け、止めと共に小さな慈悲の言葉を放つ。己が手で殺した命へ正面から向き合うのが忍びであり、その人間性を素晴しいと灰は感じ、感動の儘に奇跡『神の怒り』を解き放った。

 最初の火による奇跡こそ、奇跡の大元である神を遥かに超えた神秘。

 故、灰は祈る。好きなように奇跡を描き、神の怒りは人の手で深化していた。

 

「ぬぅ……」

 

 忍びは灰から即座に剣を抜き、忍義手から仕掛け傘を起動。何気なく魔女と暗帝を見捨てて自分だけを守り、二人が衝撃波で吹き飛ぶのを察知しつつ、傘を扇状に変えた。何故ならば、隕石が雨の様に降り注ぐ戦場だろうと構わず、灰は忍びに斬り掛った。

 既に爆風で火達磨状態ではなくなり、元の姿になった灰。

 忍びの技量を知る為、こちらを優先するのが当然である。

 むしろ、隕石斬り等、灰からすればバッティングセンターの打ちっぱなしと変わらず、やはり斬るなら人間相手が最高だ。そして隕石が降り注ぐと言うシュチュエーションも、それなりに愉しめる嗜好だろう。

 

「―――――」

 

 そんな流星群に紛れ、隕石となった人間が一人。

 

「―――げっひゃっひゃっひゃははははは!!」

 

 律たる概念そのものと化した褪せ人は、デミゴッドの神秘は無論、全ての外なる神の権能も手に入れている。ならば修練と実践により、星砕きの将軍が至った重力魔術の極みも体得する事が可能。もはや外より来た律の化身とも言え、重力と言う星の魔術は褪せ人にとって非常に相性が良かった。

 結果―――人間隕石が、燃えながら墜落突進。

 マスターの守りを援軍が来た事で気にしなくて良くなった褪せ人は、灰と言う難敵―――即ち、殺し切れぬ娯楽品に全てを叩き付ける遊びが出来る。何より、人生の何もかもをぶつけられる相手と出会う為、褪せ人は混沌律となってもまだ人間として、数多の世界が連なる宙を彷徨っているのだから。

 

「逃げぬのか、忍び?」

 

「諸共……」

 

 死が降り当たる直前、その僅かな数秒にて自分と殺し合う忍びに灰は問うも、返答は単純。むしろ忍びにとって都合が良い死。忍びと斬り合い続ければ褪せ人の超上空からの落下突進攻撃で死に、褪せ人に対処すれば灰は忍びから葦名で高名極まる忍殺の一撃を受けるしかない。

 とは言え、灰に現状を覆す手段は複数ある。となれば、純粋に成功率が高い手段を選ぶ。それは巨人の王のソウル由来の闇術―――反動の神秘。

 忍びの刃を止めると同時、灰は隕石化した褪せ人と宙より降る流星隕石群も全て止めた。最初の火を蝕した暗い魂が放つ自分自身と言う歪みは周囲を覆う障壁となり、火で焦げ続ける深淵の暗黒が世界そのものからソウルを守る。

 輝ける星達の爆心地。生温かい暗黒だけが生きる地獄。

 褪せ人は灰へ至高の一撃を叩き付けるも、一寸たりとも破れず、あらゆる運動エネルギーが暗黒に吸収されたかのように停止してしまった。そして夜空から流星群は今も降り続けており、褪せ人ごと灰を宙は爆撃し続けた。

 

「あっはっははははははははは!! 久しぶりね、藤丸!

 その様子、カルデアを爆破した糞獣を狩れた様で何よりです。私が帰還した際、所長権限での人理救済ボーナスを期待しておきなさい!!

 限り無く兆に近い金額を円で用意して上げますからね。それに程度の低い現代経済社会の拝金資本家からお金巻き上げるのって、悪徳原始人騙して金儲けするみたいで楽しいのよね。そもそも私より頭の良い経済屋が現世に居るかっての」

 

「再会一番の話題がお金ですか、所長?」

 

「何言ってるの。一番に、綺麗な夜空を見せて上げたじゃない?」

 

 星見の狩人、オルガマリー。そして人理保証機関カルデア所長、オルガマリー・アニムスフィア。

 固有結界と化した世界卵、星見の悪夢。彼女の脳が夢見る宇宙が今、この荒野の空へ投影され、上位神秘たる宙が心の中より呼び出された。

 

「何はともあれ、御苦労様でした。それと、今日からまた宜しくね」

 

「はい。分かってますよ、所長!」

 

 目的の人物である所長と忍びに直ぐ出会えた幸運。特異点を彷徨う覚悟をしていたが、一番の本当の目的を成し、藤丸は安堵の表情を浮かべる。

 そして忍びは何気なく吹き飛び転んでいた魔女と暗帝を拾い、二人を俵持ちにして所長の元へ帰還。星砕きの隕石突進をしていた褪せ人は普通に動きを止められた後、灰に臓腑を燃える呪術の左手で掴まれていた。そのまま体内から太陽爆散攻撃な浄化を受け、所長達の方向へ狙ったように吹き飛ばされてしまう。

 

「ごめん、マスター。ちょっとあれ、理不尽過ぎるわ」

 

「随分と弱気だね、ニーヒル」

 

「倒してもさ、あの手の人間……死ねば死ぬ程に強くなるのだよ。私もその類の不死だけど、同じ速度で成長されるとなれば、堪んないよ」

 

「どんな人間なのさ、それ」

 

「こんな人間さ」

 

 倒れる自分のサーヴァントに藤丸は手を差し伸べ、褪せ人は自然な動きでその助けを受け入れ立ち上がった。そして藤丸の元へ即座に集まった戦力を見回し、このマスターが人理を修復出来た所以を深く理解することが出来た。

 これは確かに、獣の天敵となる人間だ―――と悟り、微笑む。褪せ人は自分の手を握るマスターの手を、特に意味もなくニギニギニギと幾度も揉み握った。何となく、そうしたいと感じていた。

 

「あー……―――成る程。貴女が褪せ人ね。噂は聞いています。何でも、頭狂い火のイエロー人間だとか」

 

 無表情で握り揉む褪せ人と、困惑する藤丸を見て、所長は灰を瞳で監視しつつも褪せ人へ挨拶を行う事にする。そもそもこんな超特級の水素爆弾以上の危険人間が自分のカルデアに召喚されている事が驚きで、召喚システム「フェイト」の魔改造を行った過去の自分を叱咤すべきだとも考えた。

 

「そう言う貴公は、オルガマリー所長だね。自分も噂は聞いているのだよ。頭が良過ぎて、ちょっと未来に生き急いでいた女ってカルデアだと聞いてるぞ」

 

「一体、誰がそんな……あぁ、技術顧問ね。現行経済の万能マニュアルを見せた時に言われたわ……全く、理想の美女に性転換するオジサマに未来云々は言われたくないですね。

 ま、その意味で言えば、貴女も中々に未来に生きてるみたい。

 自分の貌の体の造形程度、手慰め程度の芸術作品としか感じてないみたいだし?」

 

「趣味なのだよ。美の造形は、暇潰しには最適だ」

 

 丁度その時、褪せ人の声を聞いたからか、忍びが俵持ちにする魔女が目覚めた。

 

「……う、頭痛い。私、寝てたのね。

 そうよね。顔面にうんこブツケられるなんて、有り得ない。全て、悪い夢だったのよ」

 

「残念だが、現実だ。ちょっと貴様から今も臭うしな。後で余が調香した香水をやろう。

 糞呪の糞団子は各種毒素特盛ではあるが、やはり臭いがグランドエゲツつない故、な?」

 

「私の石鹸もやるぞ。狂い火で脳が焼かれてる私でも、顔に糞を塗られた女には優しくする人間性がある」

 

「―――……世界が、人が、私みたいな邪悪生命体に優しい。やっぱ、今も夢なのね」

 

「灰が来る。今、下ろして、構わぬか……?」

 

 自分が抱えている状態で井戸端会議を始める女達へ、男一人で肩身が狭そうな雰囲気で忍びは会話を中断させた。とは言え、流石に顔面肥溜めにされた魔女には慈悲の念を盛大に抱かずにはいられなかったので、世界の優しさに魔女が涙目になった所で声を掛けておいた。

 彼は気難しい所長と二人旅をしている内、お気遣いの修羅へと進化してしまったのだろう。

 

「そうね。助けてくれて、ありがとう。狼さん」

 

「余も、感謝である!」

 

「構わぬ。だが、感謝の意は……人として、受け取ろう」

 

 褪せ人からの瞬間泡立ちシャンプーで悪臭と汚物を落とし、暗帝に香水を吹き掛けて貰うことで、魔女は時間にして五秒程度で元の暗黒聖女姿へと戻った。この葦名において糞団子対策は必須であり、受けた後の解毒は勿論、その汚れを落とす方法も持っていなければ人格不安定になり、やがて精神崩壊を起こす事だろう。

 死んだ魚が更に解体されて生首だけになった後の瞳みたいな、徹底して人間性が穢された目付きとなった魔女は、もはや憎悪しかない。悪夢を焼き尽くす底無しの憎悪だけが、彼女の精神を煮え滾らせる動力源だった。

 そんな瞬間を見計らっていたのか、タイミングが良いのか、灰は爆心地の煙から歩き出た。兜の顎の部分に手を当て、関心したように頷きつつ、クレイモアを血を払うように一回転させた後に背中の鞘へ収めた。

 

「―――勢揃いか。やはり星々の中心、藤丸立香。カルデアのマスター。

 貴公の活躍を葦名モールのアシナンシアターでは、悪趣味な灰が映像作品にし、大衆娯楽として放映していたが……あぁ、実物は良い。実に善い。

 強き善き魂を引き寄せる因果律。悪しき魂へ、善き人間性を魅せる啓蒙性。

 オルガマリー・アニムスフィア。貴公、この運命を整えた人理を如何に思うかね。まるで人理修復に協力させる為の固く閉じた心を開く鍵穴が、それぞれ違うサーヴァント共に対するマスターキーのような人間性ではないかね、彼は?」

 

「けれども、それが貴方達が理想とする、在るが儘の魂の在り方って話じゃない?」

 

「個体としては、な。しかして、その途を都合良く配置し、獣狩りの狩人に仕立て上げるのが気に入らん。結局、彼は我々と同じなのだよ。

 同時に、我々と同じ簒奪の結論に至らぬのもまた、人理にとって都合が良い人間性だ。

 自由で在る事が求められ、それが想定された利益を出す未来が定めっているとなれば、やはりそれは奴隷の人生となるだろう。欺瞞な世を作るのが、神か、人か、星か……いや、今のこの人代はそれら全ての成れ果てか。

 星の簒奪者――――アニムスフィア。

 だがね、貴公が宙を奪わないが故、欲の儘に罪を犯さなかった故、在るべき罪科は消えず、彼の旅は終われず。悪行が世界を穢す罪となる前にて、貴公ならば悪夢で終わらせただろうに」

 

「―――長い。無駄話、終わり?」

 

「あぁ、全て無駄だからな。最初の一人目として、藤丸立香の前にて貴公の悪事を密告するのもまた、この葦名を貴公等が使って解決させるのに必要な些末事」

 

「凡剣の灰。人には悪辣で、剣にだけ真摯な奴ね」

 

「否だとも。人もまた剣と同じ。叩けば叩く程、柔軟となり、硬質にもなる。悲運と真実が槌となって貴公等を叩き、その人間性を練磨する。

 我ら灰の魂も同じく、日々奥底へ深化する。

 固有結界―――暗い魂の炉(ダークソウルズキルン)。私のソウルが夢見る心象風景の一つだよ」

 

 灰。崩れた巨塔。火が燻る残骸。無数の武器が突き刺さる広場。暗い火の太陽が浮び、螺旋の剣が火を灯す。

 

「世界卵を形作る等、貪ったソウルの数だけ創造出来るが……何、やはり炉となった灰にとって、この光景こそ簒奪の根底だろう。

 ―――魔術王には感謝しなくては。

 彼は神より秘匿を啓かれ、素晴しき学問を人間で在る私達へ残してくれた」

 

「頭悪いわ。勉強好きは貴方だけじゃないって話」

 

 侵食する夜空。暗い太陽が浮ぶも、月と星団も描かれ、星見の異空が灰の魂を塗り潰す。

 

「否。それで良い。それが善い。剣を振う新たな境地を、貴公が私へ啓蒙し給え」

 

 人間性(ヒューマニティ)の人影が吹き溢れ、上空より降り注ぐ隕石と衝突する。流星群が闇に呑み込まれ、逆に輝ける星の光が闇を焼き払う。そして灰が貪った過去のソウルの残滓が人間性に形を与え、闇霊に似た人の型と為る。虚ろな霊が溢れ出し、武器を手にし、灰のソウルと言う地獄に落ちた人格のない霊体が動き出す。

 直後、最初の火が燃え上がる。

 灰の積もる地面に焔が広がる。

 魂を焼く火炎は半端な不死性を容易く抹殺し、灰本人が不死で在る故に他の永遠を否定する。

 

「面倒臭いっての―――!!」

 

 藤丸の前で自身の内から憎悪の火炎を出し、魔女は彼を守る防壁となる。魂を焼く炎を暗い憎悪の炎が遮る光景は地獄の一幕に見えるが、誰かの命を助ける途を啓いた魔女の業でもあった。

 

「マジサンキュー、ジャンヌ!」

 

「感謝の言葉が凄く軽いッ!!」

 

 クレイモアを持つ灰は思うだけで殺意を操る。思念で動く霊体はそれぞれが武器を握り、敵に襲い掛かる。無論現状、所長が夢見る宙より隕石は墜ち続け、灰色の地面より湧く人間性が自爆特攻して隕石を空中で迎撃していた。

 刹那、灰は剣を一振り。最初の火から漏れ出た熱量を練り込んだ魔力を、ソウルの大剣として形を与え、時空間を斬り裂く技量で解き放った。まるで月光剣のように斬撃が飛び、前方広範囲全てのソウルを斬り捨てる刃と化した。

 

「余の情熱が貴様に焼けるか……ッ――」

 

 暗帝は剣先で円を描き、その斬撃に相対する。

 

「―――星馳せる終幕の薔薇(ファクス・カエレスティス)!!」

 

 斬撃を叩き斬り、暗帝は虚無を斬る灰の刃を爆散させる。

 

「宇宙は空にある。宇宙は空に、あぁ―――宙に脳が在る……あっひゃひゃっひゃひゃひゃはははははははははははははははははは!!

 見なさい、藤丸。星よ、これが星の本質、宇宙の在り方!

 何処まで美しき曼荼羅を描く星海。銀河の並び、恒星の煌きよ。私だけの宇宙、私が夢見る宙、きっと暗い魂さえも呑み込む闇に至るでしょう!!」

 

 隕石を更に増やし、絨毯爆撃を敢行する。鼻血を垂らす、血涙を流し、耳から脳液を漏れ出す所長は、啓蒙を脳にキめ込んだ笑みを浮かべ、絶笑を声高らかに上げ叫ぶ。

 藤丸は所長だなぁ…‥と思いつつ、脳が清らかになる感覚に陥る。

 灰が拡げた固有結界の上空に描かれた所長の固有結界。人を狂気に誘う神秘に満ち溢れるも、彼は自然と正気を保っていた。

 

「―――あぁ、星よ!!」

 

 灰と忍びが斬り合い、褪せ人が闇霊の群れを蹴散らし、魔女は藤丸を最初の火の熱波から守り、暗帝は藤丸を狙う遠距離からの大弓や結晶槍等の狙撃攻撃を守る。その自分達側が負ける膠着状態を打破せんと、所長は宙より巨大隕石群を招来させた。

 蒼白く燃える隕石―――小惑星。

 悪夢そのものを物質化させて墜落させるなど夢の中でしか許されず、故に此処は夢の中。小さな月が灰に迫り、固有結界を土地ごと抉り飛ばさんと大破壊を引き起こす。

 

「忍びよ、退き給え。貴公も、あの石ころに潰されたくはあるまい」

 

「――――ッ!!」

 

 灰は踏み込み、回転斬り、突き刺し、斬り上げ、薙ぎ洗う。ほぼ同時瞬間連撃を受け、忍びが何とか弾くも体幹を崩され、僅かに斬り裂かれながら吹き飛んだ。

 

「ふむ――――」

 

 クレイモアを肩に担ぎ、彼は飛んだ。星の重力魔術により、火の玉となって宙へ墜ちて行く。狭間の地由来の神秘を学ぶ灰にとって重力魔術は新鮮であり、律たる褪せ人程ではないとしても、星砕きの将軍に届きそうな錬度まで鍛え、彼は己を隕石として宙へ自分自身を打ち上げた。

 方向反転した超過負荷重力加速。神代の古竜を一撃で殺害する極大の落下攻撃。

 クレイモアを叩き刺し、そのまま巨大隕石を破砕し、灰は悪夢の神秘を解した。

 

「―――宙か。良い試練だった」

 

「でしょう―――?」

 

 灰の固有結界内ではあるが、空は所長が侵食した固有結界域。悪夢を繋げる空間転移により、所長は灰の傍へ転移する。そして足場を魔力で固めると同時に空間を歪め、高次元による湖面を作ることで空中を足場として立っていた。だが灰もまた魔術と奇跡を使うことで竜の雲をソウルから呼び、それを足場にして平然と浮遊する。

 獣狩りの曲刀を所長はほぼ同時瞬間七連斬し、それを灰のクレイモアが全て弾き逸らす。凄まじい剣術だが、それを振るえるのも当然と言えば当然の理屈だった。英霊として葦名に召喚されたドイツ流剣術開祖、ヨハンネス・リヒテナウアーのソウルを貪った灰達は、この人理世界で生まれた両刃大剣を運用する究極の剣術理論を座から啓蒙された。英霊の業を知り、己が業をより深化させており、それはあらゆる武術に通じるソウルも同様。例外無く灰らは武の技術のみで魔法に等しい魂に至った術理の権化である。勿論、葦名の侍や忍びの業も同じ事。

 そんな灰の一人は斬り返しに、英霊の戦技を放った。

 名は―――射殺す百頭(ナインライブス)。斬ると言う概念、その具現たるソウルの魔力が籠もったクレイモアは、当たり前のように魂を徹底して斬り殺す。

 

「――――――」

 

 だが所長は良く見慣れていた。ローマの具現、建国王ロムルスと殺し合った彼女は次こそ完璧に勝つ為にと、既に対抗策を脳より編み出していた。

 真っ向から所長はより加速する曲刀剣技を繰り出し、速度に特化することで九斬全ての一歩先を斬り放つ。

 言うなれば、戦技―――射殺す百頭返し。所長に剣速の(ハヤ)さで挑めば、未来視する瞳で観測した技の速度以上の加速で以て斬り返す。剣技全てを灰に命中させるも、灰もまた戦上手。戦技(我慢)によって肉体を守り、平然と耐え切る。だが、隙は生まれた。

 そのまま所長は骨髄を込めたエヴェリンに魔術を施し、更なる魔力と啓蒙を注ぎ―――水銀弾を発砲。

 所長の魔術により拳銃は固有時制御の小結界で覆われており、銃身内で弾速は十倍速に達し、超音速を超過した水銀弾が灰の胸部で爆裂する。

 

「―――ガッ!!!!」

 

 魂に響く死の一撃。比喩無く魂を狩り取るオルガマリー特製の発砲魔術。脳に漂う啓蒙を神秘に代え、死を夢見る瞳の具現となり、灰は一瞬だけ意識を失い、魂の生命活動が停止した。

 されど灰は灰。一秒もせず意識を取り戻し、空中で体勢を整える。

 嘗ての自分なら潔く落下死を受け入れると灰は考えたが、此処は人理の世。自由落下の衝突によってソウルが物理的に弾け死ぬ訳ではなく、此処では世界の運営法則の違いによって魂は物理干渉を受けず、高所からの転落死で助からないと言う訳ではない。何より魔力の運用技術はソウルの業より多種多様な使い方があり、多数の神秘技術が世界に溢れ、使える手段が非常に多い。灰はそれらを葦名で学び、落下死から逃れる方法を幾つも修得していた。

 

「うーむぅ……」

 

 空中でエスト瓶を呷り、何気なく完全回復した灰は悩んだ様に唸る。重力加速を低下させ、綿毛のように漂う灰に目掛けて落下攻撃をする所長を見上げつつ、物は試しで最初の火を雷電化した太陽の光の槍を投げ放つ。無拍子の祈りによって予備動作がほぼない投槍は空中でも正確に投げられ、所長は曲刀で雷槍を受け宿し、雷返しで投げ払い返した。

 それをクレイモアで受け止め、物の序でに雷電をエンチャントさせ、灰は英雄の戦技をソウルから召喚した。

 

「戦技―――黄金衝撃(ゴールデンスパーク)

 

「……ちぃ――!!」

 

 所長の落下攻撃と灰の戦技が衝突。虚空にて雷電撃が爆散し、二人は弾き飛ばされる。

 

「座より簒奪した英雄の業だ。血に酔う狩人の魂には響く重みだろうよ」

 

「英霊の尊厳まで奪い取って、貴様等は……ッ―――」

 

 空気振動として音は聞こえなかったが、魂に響く声によって嘲りを聞く。葦名の忍び凧を取り出し、所長は滑空しながら怒りを漏らすも、言葉だけで抑えるつもりはない。魔術によって反動を極限まで零に抑え、右手で凧にぶら下がりながら左手に取り出したガトリング銃を灰に砲撃。

 秒間、数十発の水銀弾が飛ぶ。しかし、空中の灰は何かしらの障壁を作り、飛び道具を完全無効化。

 

「―――藁の様に、ただただ死ね」

 

 直ぐ様に宙より召喚した隕石を落とし、だが灰は即座に世界を閉じることで所長の固有結界ごと自分の異界常識を終わらせた。

 

「結界を閉じたか……―――馬鹿が」

 

 怒りを漏らした所長は世界が崩れ去る光景を見る。固有結界消滅後、内部に居る人間をある程度は好きな場所へ現実に戻せる。灰に出現場所の権利はあり、敵全員を一纏めにし、一網打尽の皆殺しがし易い距離と配置に決めた。

 クレイモアに暗黒の光を込め、灰は居合の構えを取る。それは闇喰らいの竜の吐息に似た黒紫色を纏い、絶望的なまで高まるソウルの波動を放ち、時空間を歪ませ―――ドン、と銃弾一発。

 灰の背後、十字盾を構えるアーマー姿の盾騎士が一人。

 その盾に仕込んだ機関銃を撃ち、敵の頭部を木端微塵の挽肉に作り変えた。

 

「灰さん、こんにちは……――で、さようなら。

 固有結界を解除しましたら、次回は待伏せされているのを注意しましょうね」

 

 そして首の無くなった死体の心臓に十字盾の先端を突き立て、限界までエネルギーを溜め込んだ仕込みパイルハンマーの一撃を発射。もはや原型を止めずに爆散し、地面が巨大なクレーターとなって凹む。更には不死殺しの概念によって魂を粉砕し、灰のソウルは消え去った。

 その数十秒後、静かに佇む盾騎士の近くに皆が近付いた。灰の気配はなく、また他の敵の気配もない。

 

「や、キリエライト。来てたの?」

 

「ダルクさん、来るに決まってるではないですか。相手はあの灰の一人、真っ向勝負は勿論、素直に奇襲や不意打ちをしても勝てませんよ」

 

「それで固有結界の展開まで隠れておったのか。余らは貴様が活躍する場を作っただけと?」

 

「残念ですが、そうなります。こう見えて、私はカルデアの頭脳でしたので」

 

 全身近未来アーマーに包んだ機械的な盾騎士。彼女は機械兜(ヘルメット)の中から空気が籠もった声を出し、親し気な雰囲気で魔女と暗帝の二人に片手を上げていた。

 

「マシュ……?」

 

「藤丸さん、その名は棄てました。私の事はただ、キリエライトとだけ呼ぶ様にして下さい」

 

「貴女も大変ね、キリエライト」

 

「黙って下さい、アニムスフィア。貴女が藤丸さんとの会話に割り込まれると、酷く心が乱れますので」

 

「ごめん。でも私、脳が故障してエアリーディング機能が働いてないから。それはそれとして、感謝してます。とても良い働きでした」

 

「それは……っ―――どう、いたしまして」

 

 ぱちぱちぱち、と優しい音の拍手。気配は先程まで全く無かったと言うのに、その人物の存在感は空間がヌルリと這い出る様に現れた。

 所長は咄嗟に相手を殺そうとするが、第六感も戦術眼も殺害行為を抑制した。不意打ちをむしろ敵は望んでいると理解し、体勢も万全。

 思い浮かんだ百手を思考回路内で試すも、全て自分が血肉を地面に撒いて返り討ちに合うと予測され、待ちの一手が手ごろと判断した。

 

「いや皆さん、実に素晴しい戦いでした。灰の半殺しの達成、おめでとう御座います。そして殺し合い、御苦労様でした。

 久方ぶりの再会となりますが、貴方達の雄姿を見れて感激しています。

 狂っている私ではありますが、私の眼に狂いはなく、感動しています。

 凡剣のクレイモアさんに情報を流してみましたが、理想通りの展開になって嬉しい限りです」

 

「アッシュ・ワン。こっちこそ、久しぶり。相変わらず、殺し甲斐のある挑発をする女ね。後、お生憎様。見る目が無いわよ、貴女。

 不死だからどうせ蘇るんでしょうけど、その凡剣とやらの灰はちゃんと死んでるわ。

 キリエライトが魂砕きで木端微塵にしたから、死体だって残ってません。馬鹿、阿保、死ね……あー、本気で死ね」

 

「嫌ですねぇ……ふふふ。ほら、そこで生きてるではないですか?」

 

 荒野で残り火が燃え、体が空間が歪むように具現し、凡剣の簒奪者が蘇った。それを見た所長は起きた神秘を理解し、予めソウル内に秘匿した蘇生魔術によって命を治し、肉体を完全復元し、残り火によって魂を呼び起こしたのを理解した。

 確かに、これでは半殺しが正解だった。

 此処まで追い込み、この人数で囲んで戦っても、今は半殺しが限界だった。

 

「死灰の灰、アッシュ・ワン。負けておらず、私の愉しみは続いているが。むしろ、此処からが全力だ。魂を剥き出しにしよう」

 

「その通り、まだ負けてません」

 

 灰の隣に立つ灰。二人に一切の隙はなく、単純に敵戦力は二倍となった。

 

「ですが、残念です。もう時間切れですよ。藤丸さんの元に、あのキリエライトさんが来てしまいましたから」

 

「そうか、残念だよ。契約は守ろう。何より、目的は達成されたのだろう?」

 

「はい。貴方の献身に感謝致します。ですので、えぇ……地獄を皆で作りましょう」

 

 そして灰の呼び声に応じ、全ての火の簒奪者が此処へ召喚される。凡剣灰と同等の脅威が追加されたのだった。悍ましい事実ではあるが、一人一人が太陽の火と同規模の魂を持ち、一人一人が剣聖を超えた異次元の技量を誇り、一人一人が固有結界を有し、一人一人が底無しの闇と化す唯の人間達だった。

 そして所長は瞳により、灰達全員の名が見えた。その暗い魂を啓蒙された。

 達人の簒奪者、ブラッディクロウ。月光の簒奪者、ルドウイーク。戦神の簒奪者、ネームレスキング。原罪の簒奪者、アン・ディール。王兄の簒奪者、ローリアン。王弟の簒奪者、ロスリック。深淵の簒奪者、マヌス。糞呪の簒奪者、ダング・パイ。不死の簒奪者、アンデッド。暗月の簒奪者、ダーク・リング。造物の簒奪者、ピグミー。混沌の簒奪者、ケイオス。死瘴の簒奪者、グレイブ。枯薪の簒奪者、シンダー。闇血の簒奪者、ナイト。聖剣の簒奪者、サンクトゥス。探索の簒奪者、ロイ。旅卿の簒奪者、アッシェン・ジャーニー。獣飼の簒奪者、ベントリック。人喰の簒奪者、マンイーター。悦楽の簒奪者、アマナ。暗運の簒奪者、セラ。巡礼の簒奪者、ピルグリム。天使の簒奪者、コクーン。蝶遣の簒奪者、バタフライ。描手の簒奪者、ペインター。血画の簒奪者、ジェレマイア。救世の簒奪者、ダークハンド。火守の簒奪者、エメラルド。冒涜の簒奪者、ストロアン。啓示の簒奪者、モル。聖句の簒奪者、グリアント。蕩肉の簒奪者、ディバウラー。墓唄の簒奪者、ミルファニト。楽奏の簒奪者、ニコ。怪音の簒奪者、エレナ。行商の簒奪者、メレンティナ。武器の簒奪者、デニス。工房の簒奪者、フォルロイザ。絡繰の簒奪者、ファロス。機巧の簒奪者、エアダイス。忘却の簒奪者、ソダン。喪失の簒奪者、ロンド。酒造の簒奪者、ジーク。探求の簒奪者、ヴォイド。岩角の簒奪者、ドレイク。超越の簒奪者、エディラ。竜血の簒奪者、ヨア。鍛冶の簒奪者、ブラックスミス。錬成の簒奪者、キルン。遺骸の簒奪者、バモス。嵐王の簒奪者、ストームルーラー。経典の簒奪者、カルミナ。静氷の簒奪者、サリヴァーン。呪火の簒奪者、ザラマン。道化の簒奪者、トーマス。爆呪の簒奪者、スワンプ。戦魔の簒奪者、ストレイド。月蟲の簒奪者、フレイディア。結晶の簒奪者、スケイルレス。祈呪の簒奪者、スキュラ。雷光の簒奪者、スピア。聖人の簒奪者、アイボリー。闇囁の簒奪者、グランダル。幼婆の簒奪者、ヘクセ。魔法の簒奪者、ビックハット。源術の簒奪者、ロード。蛇瞳の簒奪者、アストラ。反呪の簒奪者、レイヴン。暗屍の簒奪者、レイス。灰殺の簒奪者、フィンガー。森番の簒奪者、マスク。覇印の簒奪者、フリン。鋼拳の簒奪者、エリー。騎士の簒奪者、オスカー。惨刃の簒奪者、ナイフズ。無双の簒奪者、ファーナム。壺狂の簒奪者、アッシェン・ポット。流血の簒奪者、グレイネン。影忍の簒奪者、シノビ。狼剣の簒奪者、ウォッチャー。凶鉄の簒奪者、ヒューム。凡剣の簒奪者、クレイモア。尖槍の簒奪者、アルスター。鉄壁の簒奪者、アンブレイカブル。撃盾の簒奪者、バッシュ。邪闘の簒奪者、ツイン。霊鐘の簒奪者、ベルスタッド。巨斧の簒奪者、ヴィクター。貴刺の簒奪者、リカール。射手の簒奪者、ガイラム。絶弓の簒奪者、ホークアイ。射殺の簒奪者、マーベラス。狩人の簒奪者、シュミット。暗殺の簒奪者、マルドロ。巌躰の簒奪者、ロック。鎌鬼の簒奪者、スケイス。旋舞の簒奪者、ドリフター。無明の簒奪者、サンティ。鎧砕の簒奪者、ルート。盾狩の簒奪者、ローシャン。蛮鎚の簒奪者、ハンマークラブ。捻鞭の簒奪者、エス。叢雲の簒奪者、ムラクモ。断命の簒奪者、マリダ。黒銀の簒奪者、オハラ。隠業の簒奪者、スタブ。

 そして死灰の簒奪者、アッシュ・ワン。

 葦名に召喚された百七の最初の火にして、全てを集めた火の一つ。

 それはサーヴァント化した六騎と、宝具化した一匹に、百の簒奪者。

 火の簒奪者に人間性を与えた上で、葦名へ召喚したマスターの灰。

 その灰達はカルデアのマスター、狂い火の王、魔女の狩人、暗帝、星見の狩人、星見の忍び、盾騎士の七人を囲い、ソウルを愉し気に奮い沸かす。

 

「灰でしかない憐れな同志の皆さん、紹介します。此方、元同僚のカルデアです。人理保証機関の職員にして、人理修復を為した勇者です。

 彼の名は、藤丸立香。人類史を取り戻したマスター!

 永遠を是とした獣の時代を否定し、今の人類史を守った大英雄です。

 私達は彼と同じ人間として、火の無い灰として、その素晴しき人間性こそ見習いましょう。星の魂が間接運営する人理に管理された人間の代わり、奴隷のソウルとして生きる自由無き今の人類種に代わり、時代を救った彼の偉業を祝いましょう」

 

「おめでとう」「素晴しい偉業だ」「感謝する」「貴公こそ英雄だ」「人間として尊敬する」「今の世界は君の御蔭で存在する」「良くやった」「藤丸万歳」「太陽万歳」「祝福の時間だ」「人間の鏡」「ファンタスティック」「好き」「獣狩り、おめでとう」「獣に打ち克った英雄だ」「時代を良く守った」「心を折らず、良く頑張った」「人が生きているのは貴公の御蔭だ、ありがとう」「感謝するぞ、人類史の守護者」「人類種の救世主だよ」「その人間性に、人の導きが在らんことを」「獣の天敵よ、幸せで在れ」

 

 一人一人が正しく、藤丸の在り方を理解していた。心の底より欺瞞無く、最後まで生き延びた彼の人間性を祝福していた。

 それは感謝と称賛。太陽のような光の祈りであり、人肌にも似た温かい思いやりだった。

 

「では灰、諸君―――殺して下さいね」

 

 煌くソウルの奔流。最初の火の熱的魔力を炉の暗い魂が強め、魔力として補填。

 藤丸達七人に目掛け、魂を完璧に破砕する死の光帯が百を超え、襲い掛かった。

 







 読んで頂き、ありがとうございます!
 葦名編における主なモブ敵である簒奪者達を登場させました。サリ裏や森みたいにウジャウジャと灰達はリポップしますので、どんどん殺さないと危険な特異点となります。


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啓蒙81:汎人類史の火

 勝利、友情、努力!
 世界は素晴しく、人間は頑張れる生き物です!!


 百の極光が一点に収束し、凝縮し、加速する。時空間を圧倒的な概念規模で粉砕し、貫通しながら軌道上のソウルを破壊する。

 魔術の名―――ソウルの奔流。

 束ねられた魂の光。その魂を破砕する百の波動。呼び出された灰達が放つ熱的光帯。触れてしまった魂の因果律、あるいは運命力をも絶滅させる。

 一本一本が神殺しを可能とする魂砕きの魔術であり、物理的にあらゆる生命の魂を肉体ごと破砕するソウルの業の秘奥である。対魂魔術として考えた場合、死よりも悲惨な損害を魂に与え、不死ではない只の人間が受ければ魔法による死者蘇生の奇跡も不可能とする事だろう。

 宝具「誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)」に物理的な破壊力は到底届きはせず、第一の獣のように星を貫き壊す事など火の簒奪者には不可能だが、やはり魂に対する破壊力は絶対的だ。生半可な不死性では、その不死性ごと強引に消炭となる。もはや火を簒奪した灰は、ソウルの業による魔術さえ月を司る白竜を超える。魂を力技で破砕する一点において、奔流に届く宝具は人理の世で観測される事はまず有り得ない。

 

反動展開(ロード)()人理深淵(カルデアス)―――」

 

 静かな盾騎士の一言。十字盾の周りに黒文字の暗い魔法陣が浮かび上がり、味方全員を覆う程の暗い膜が周囲に展開される。

 それは彼女の人間性の具現化であり、絶対に守り通す意志の在り方。

 だがもはや闇に染まり、聖十字の盾に聖騎士の祝福はなく、暗くなった盾騎士の魂が全てを汚染し尽くした。

 

「―――流石です。貴女こそ、人間の可能性です。

 当たれば魂が根源に還る事も許さず破壊する灰の魔術。魔法による蘇生も不可能な程に魂を砕く奔流の神秘を、百を超えるそれを同時に防ぐとは」

 

 死灰の灰(アッシュ・ワン)は求めていた光景を実際に観測し、己のソウルが深化する実感を得る。それは他の火の簒奪者も同様であり、爛々とした暗い瞳で盾騎士の奮闘を喜んでいる。

 この業を簒奪したい。新しい力を手に入れたい。

 今を生きる意味であり、可能性こそ最大の娯楽。

 もっと見せて欲しいと簒奪者の灰達は、一人一人が自分の放つソウルの奔流に魔力を装填し、より凄まじく魂を撃ち砕く威力にしようと魔術を強めた。

 

「相変わらずの硬女です。しかも、イイトコ総取りと来ました。

 私なんて、顔面うんこ。今も糞臭い。

 灰連中相手にすると糞団子はお決まりなのは知ってるけど、あー……今回は私が外れかぁ……」

 

 葦名特異点では、幾人ものサーヴァントが糞呪の簒奪者が作成した糞団子で息絶えた。魂を汚す猛毒は英霊と言う存在にとって、アンリ・マユの呪泥やティアマトの混沌よりも致命的。糞塗れとなって悶え苦しみ抜いた挙げ句、惨い姿で死ぬのは余りにも酷かった。とても胸に迫る英雄の悲劇だった。

 尤も戦場において、人糞は非常に有効な殺人兵器。古くから人間は糞を使って人を殺している。惨い戦乱を生きた英雄ならば、敵に奪われるのならばと、自領の村の井戸に糞を投げ入れる程度の戦略は取る。糞団子と言う武器に疑問はない。

 それはそれとして、魔女は糞団子が当たった運の無さを悲嘆した。一気に精神が老け込む。灰達の極光から皆を守る為、一人奮闘する盾騎士に、狩人に狩られて死んだ漁村民の瞳で魔女は気怠げに絡んでいた。

 

「ちょっと、ダルクさん。防御中で身動き出来ない時、肩を組まないでと言いましたよね。

 後、糞呪の糞団子の残り香が凄いです。下水路で水泳しても、そこまでヤバくないですので、シャワー浴びるまで私に触らないで下さい」

 

「酷い、酷過ぎる!!」

 

「こらジャンヌ、マシュの邪魔しないの」

 

「あれ、マスター。私の事、ナチュラルにクソガキ扱いしてない?」

 

「ふははははは、糞だけにか!

 魔女よ、貴様は中々に上手い事を言うではないか」

 

「マジ殺す」

 

「呑気ねぇ……ま、未来視しても危機ないから、私も一息しちゃってるけど。今の内に輸血しよ。後、目玉マッサージして瞳に溜まった啓蒙(コリ)(ホグ)しておこう」

 

「所長、目が痛いのですか?」

 

「痛くはないわよ、藤丸。使い過ぎると、変異するかもだけど」

 

「キリエライト殿、守り忝なく……有り難い」

 

「どういたしまして。この中だと、常識人は狼さんだけですね」

 

「ちょっと、私も常識人寄りの褪せ人だぞっと」

 

「頭狂い火が何言ってんだか。むしろ、常識が褪せてるのでは?」

 

「―――で、どうする?

 彼奴等、まだ撃ってきてるんだけど……てか、何か長くない?

 流石の灰連中でも、これちょっと可笑しい。節約してずっと撃ってる訳でもなさそうなのに。糞団子洗いたいから、早くキャンプ地に戻ってシャワー浴びたいんだけど」

 

「そうよな。ソウルの奔流、魔力消費が早い筈なのだが……余だとこの消費量、十秒でバテる」

 

「すみません。言ってないですが、護り籠もると詰む場合がありまして……私が弾き飛ばして霧散したソウルを、また加速運用する回路で即座吸収して撃ってるみたいです。灰はソウルの業に適合した独自進化した魔術回路を得てますから、こう言う使い方も葦名で学んだようですね。

 言わば、加速循環ですね。灰の一人がこれを、アオザキ魔力加速理論として葦名大学の学会で発表してました」

 

「と言う事は、キリエライト。出口ないの?」

 

「ないですね、アニムスフィア。相手が一人なら何とかなりますが、百人分の攻撃範囲に加え、厄介なのは百人分の観測範囲って話です。逃げ場の作り様が無いのです。

 ―――で、私は気張るのも限界があります。

 良い脱出案を誰でも良いので、今この場で思い付いてくれると助かります」

 

「…………」

 

 圧倒的な絶望の死。今はそんな状況の筈なのに、周りの雰囲気の所為で藤丸は危機感を感じながらも、死の恐怖で焦れる心境に陥り、首元に迫った断頭刃に対して苦悶することはなかった。

 とは言え、打開策がないのも事実。

 また、あの灰がこの膠着状態を予想していない訳がないと藤丸は考え、早くしないと向こう側からのもう一押しが来るだろうとも予測した。

 

「余、良い方法を思い付いた。

 まず魔女が服を脱ぎ、全裸となって太陽万ざ――」

 

「不死の老害が。まずはアンタの裸体で実践しろ。

 魔女と嘲られる私でも、血に悪酔いし、僅かばかりの品性まで瞳に蕩けさせてないわ」

 

「――本人から却下されたので、無しだ。

 結構、これで殺し合いが中断することもあるのだがな。仕方無い、芸術の君臨者にして美の化身たる余が、直々にやるしかあるまい」

 

「暗帝殿……静粛に、頼む」

 

「鯉口切りながら、言うな。貴様がチャキチャキ刀を鳴らすと、こっちもリズムに乗りたくなるのだ。

 だか、謝ろう。頑張っておる盾兵(スクタリ)にも悪いしな。では、第二プランだ。ぶっちゃけ、ワープすれば良くないか?」

 

「無理ね。ソウルの霧を使った結界が張られてるわ。ここまで来ると次元断裂ではないかしら」

 

「魂を持つ生物は通れんと……」

 

「仕方無いわ、キリエライト。まだ時間掛りそうだから、もうちょっと耐えて。はい、気力が回復する鐘の音ね」

 

 所長が手持ち小鐘を鳴らすと盾騎士の魔力、体力、体幹が回復し、序でに防御態勢を維持するするこで発生し続ける精神的疲労が癒えた。

 

「……どうも、アニムスフィア。後、数十秒は持ちます。ですが百人分の奔流を受けてますので、表に出してます私の暗黒面がジワジワと浄化されます。全力で急いで下さいね」

 

「オーケー。喋りながらもスパコン以上に思考回路は働かせて考えてるから、安心して守ってなさい……―――ッハ!

 私、良い案を思い付きました。

 やっぱり暗帝の言っていたワープにしましょう。霧に境目に孔を開ければ、外側に空間転移が出来る筈だわ」

 

 思考力を上げる為、細長い思考の紐の乾物を齧っていた所長は、ソウルの霧に人の魂が通れる空洞を穿つ方法を思い付く。

 

「どうやるのだね、オルガマリー。いざとなれば呪血の秘奥、数え上げる呪いを解き放つが?」

 

「駄目です、褪せ人。見た事ないけど、灰連中にも効く様にすると、敵味方も問答無用で皆殺しになる。私は一度、それで死ぬのも気分が良いけど、藤丸が出血大サービス死しますので」

 

「安心しな。上手くやるぞ。ニーヒルなんて名乗ってるからな。だがしないで済むなら、貴公の案で良いのである」

 

「ありがとう、良いサーヴァントしてるのね。ま、失敗しないとは思わないけど、いざって時の為に構えておいて」

 

 所長は目を閉じる。思考の瞳も同時に塞ぎ、脳が外部の情報を得ず、夢が現実から完全隔離された。彼女は灰共が管理するソウルの霧へと自意識を融かし、ソウルの霧を自分の夢の霧として認識する。

 ―――結界、螺旋狂鏡面。所長が啓蒙された神秘の銘。

 原初は要人が、古い獣から啓蒙されたソウルの業。それが灰の生まれた世界において、白竜シースが啓蒙され、太陽由来の奇跡と相克する月由来の魔術と言う技術体系が創造された。灰が使っていたその魔術は人理の世に来ることにより、根源到達によって魔術基盤「ソウルの業」の概念を宇宙の外側より生み出し、魔術回路でも使用可能なマギクラフトとしての側面を得ていた。その神秘は他基盤と違って一人一人の魂から生み出る力であり、ある意味で全員が個人基盤を独占した状態で使っている。故、灰共は魂が修めるソウルの業によっても回路より「ソウルの業」を使い、他基盤神秘も乱用する魔術師兼呪術師と化し、葦名大学にて神秘の暴虐と成り果てる。悍ましきは深化し続ける灰共の貪欲な知識欲だった。ソウルの業に、人理の人類種が作った現代魔術は勿論、神代で神より人が啓蒙された神代魔術も取り込み、より古い時代の魔術が存在しない全てが魔法だった頃の神秘も集積されている。

 即ち、結界には日本独自の魔術基盤、陰陽道と鬼道の神秘が使われていた。

 

〝宇宙の外―――……あぁ、星並ぶ銀河、最も美しき曼荼羅模様。

 それを作り出す場所。私の魂はきっと、この美しい宙を美しいと思う為に、星の魂が巡る美しさを観測する為、根源よりこの宙へ流れ落ちた。暇な時、また夢の中より旅するのも愉しいけど、時を止めた思考内だろうと、今は浸る時ではない”

 

 魂より記録を啓蒙され、所長の意識が領域外に飛び掛けるも、凶悪なまでに強固な意識と、人類全ての精神を発狂死させる程に膨れ上がる狂気を封じた夢見る脳によって、現実に平然と彼女は居続ける。

 その結果、とある事実を知る。この特異点の日本で召喚されたサーヴァントの霊基情報は全て灰が簒奪し、古い獣の霧もまた死んだ全てのソウルを記録することでデーモンを生み出し、サーヴァントは古い獣を擬似的な座として魂を霧から複製・改竄・進化した状態で再誕召喚される。

 よって特異点に満ちるソウルの霧は、拡張された擬似的座と言える。それを瞳で観測することで、何かしら所長は啓蒙されるかもしれないと深く入り――――――

 

〝―――――――”

 

 ――――古い獣を、見た。白い岸、浅い湖面。瞳を啓く間際の獣。目覚める直前の、半覚醒状態の、まだ現実を世界と認識していない夢の微睡(まどろ)み。

 しかし、この葦名特異点では見慣れた狂気。

 魂が捻れ狂う獣性を愉しみ、その夢から視線を逸らし、霧の中に記憶されたソウルの霊基情報を閲覧する。

 

〝これと……これと、これとこれ。後、これと最後にこれ。

 半端に魔術基盤を使って結界の魔術理論なんてロジックを組むから、隙間が生まれる。パワーで押し返すしかないゴリ押しが一番。

 尤も、相手がゴリ押しを受け逸らすテクニックとそれに必要なパワーがあれば、灰の御遊びが正解なんだろうけど”

 

 蘆屋道満、怨霊太陽。テスカトリポカ、暗黒太陽。ガウェイン、聖剣太陽。カルナ、梵天太陽。卑弥呼、天命太陽。玉藻前、九尾太陽。それは六つの日が放つ火。

 太陽の知識を星見の瞳が脳へ啓蒙し、その概念を水銀弾へ注ぎ込む。

 魔術師として宇宙の外さえも夢見る埒外の瞳を持つ魔術師(オルガマリー)は、デモンズソウルより素晴しき煌く星を観測したことで、灰達のソウルが宿す最初の火が取り込んだ神秘をも理解した。

 

「じゃあ皆、キリエライトが守ってるこの時空間域に孔を開けるから、ちょっと耳だけ塞いでおいて。鼓膜破れるので」

 

 愛銃の血族短銃(エヴェリン)に概念を込めた。それは魔力でも術式でもなく、所長は存在に新たな意味を与えた。太陽で在れ、と水銀弾が火と成り果てた。

 ―――遺志を啓蒙すること。

 英雄と言う死人が死後、英霊と化すその遺志を、血に依って所長は具現した。

 正に芸術的技巧。美しさを感じる魔術の腕前。概念を仕立て上げる様は、繊細にして精密、且つ迅速であり、轆轤を回して粘土を捏ねる陶芸家。

 謂わば、魔術の太陽。神秘の火。

 汎人類史が夢見る太陽の瞳孔だ。

 所長はエヴェリンから太陽水銀弾を何も無く虚空へ撃ち、だが宇宙そのものである時空間に命中させ、特異点内の座標点と座標点を空洞による線で結び付けた。

 

「良し、ここから脱出ね。一瞬だけど、真空無重力空間を通るから、足止めると大気圧に抵抗する体内からの圧力と水分沸騰で自己崩壊するから注意しなさい。それとキリエライト、貴女は守りを維持しながら最後に思いっ切り、この孔へ飛び込みなさい。

 最後に言うけど……足、止めるのは駄目だから、ね?」

 

 所長はそう言うと飛び込み、それに他の者も一斉に続き、藤丸は盾騎士の後ろ姿を見た後、褪せ人に抱えられながら孔を通った。

 ―――宇宙。蒼白く燃える星の流星群。

 恒星が渦を為して銀河を作り、その幾つもの銀河も更に渦巻き、余りにも巨大な不可視の何者かが星々を並べ、実験を行っていた。夢見る光景であり、それは夢だからこその不可思議。

 星だ。輝ける悪夢の星海。美しい脳神経の繋がりに似た光の渦巻。

 宇宙とは地獄でも天国でもなく、魂を持つ星が浮ぶ暗い海だった。

 星が魂を持つ知性体だからこそ、星の上では魂を持つ命が生れる。

 この悪夢の宙は、完璧な曼荼羅を模した夢見る意識の宇宙である。

 藤丸は、啓蒙された。その空の途を通り、脳が僅かに拓けてしまった。瞳が啓き、思考が煌き、赤い血液が流れる蒼白い血管のような、赤いこそ青い宙を妄想し、朱月が蒼白い血に染まった眼球に見え、思考回路が真っ白い白紙の白痴に深化する。

 

「―――皆さん、御無事で何よりです」

 

 最後の盾騎士が途を通った後、孔は一瞬だけ燃えた後に直ぐ消える。孔を通る時に守り消す瞬間、少しソウルの奔流を受けたからか、盾騎士の十字盾は赤色に熱し上がり、彼女の強化アーマードスーツも焦げていたが、火傷以外の分かり易い怪我はしていなかった。

 

「それでアニムスフィア、此処は何処ですか?」

 

「グレートウォールが走る関東平野管理地、サイタマ殺戮区画よ。私と隻狼がキャンプ地にしてる地下秘密基地の近くね」

 

「うわ、あのサイタマですか。ニューライフデスサイタマの連中がいる場所ですよね?」

 

「デスサイタマの奴等は私達が皆殺しにしました」

 

「葦名大学附属軍事企業アシナビットの営業傭兵、アシナビットマンの横流し品の、結構な作りの粗製品を持ってたを思うのですが」

 

「隻狼はロボット斬りも手慣れたものよ。後、私が魔術要塞化した榴弾砲搭載式機関銃装甲車で殲滅しました」

 

「あぁ……あの噂の、アシナカートの元ネタは貴女でしたか」

 

「そう言う事よ、盾騎士のキリエライト。とは言えね、此処の住人は霧を吸って一度でも死ぬと、不死の人間に再誕するので、皆殺しって言っても今も何処かで生きてるわよ。

 ま、遺志よりデスサイタマしてる時の記憶を奪ってるから、ある意味で生まれ変わりでしょうがね。

 なので藤丸、死ぬと死ねなくなるから気を付けてね。此処の住人は特異点消滅をすれば、その不死の因果律から抜けられるけど、外から来た藤丸は別。永遠を生きたいのなら死ぬのも良いけど、この宇宙が牢獄となって根源の星幽界に魂が還れなくなるので注意してね」

 

「良く分からないけど、分かりました。つまりは何時も通り、命は一つ、命大事にってことですね!」

 

「―――パーフェクトよ、藤丸。

 どうやら私が求める仕事のスタイルに、完璧なカルデア職員に成長したみたいだわ」

 

「感謝の極みです、所長」

 

「ふふ、分かってるじゃない。ベリルが持ってた漫画の―――……は?

 え、なにこれ……核熱反応?

 まさか、まさかまさか―――冗談じゃないわ!!?」

 

 遥か先の上空に瞳を向けた所長は、貌を蒼褪めて意味不明な独り言を放った。冷戦時代のソビエト連邦とアメリカ合衆国が主軸となって繰り返した狂気が何故か啓蒙され、ドラゴンの上でソレを構える女の姿を見てしまった。

 

「キリエライト、もう一度!!」

 

「あの元凶、人を何処までも!!

 ―――反動展開(ロード)()人理深淵(カルデアス)!!!」

 

 上空から堕ちる太陽の火に盾騎士は立ち向かい、背後の仲間を守る為、自身の魂と化した絶望と失望で深まり続ける暗黒面を顕現させた。

 

 

 

 

―――◇<◆>◇―――

 

 

 

 

 上空一万メートル。地上で最も高い山よりも宙に近い場所。死灰(しかい)(ばい)のアッシュ・ワンは戦神(せんしん)(ばい)のネームレスキングと共に、竜に乗って飛んでいた。鳥類に似る奇形のドラゴンは、この葦名で数多の竜種と異星生物の細胞で錬成して作られた嵐の王であり、灰はその上でとある兵器を地上に向けて構えていた。

 しかし、まだ発射空域に着いていない。ソウル抑制と隠密、加えて見えない体の魔術によって完璧なステルス飛行を行い、ドラゴンは認知不可能な未確認飛行物体となって二人を乗せて飛んでいる。

 

「個人兵装用戦術核弾頭、デイビー・クロケット。撃った歩兵も核爆発の範囲となる自爆殺戮兵器です。

 我々簒奪の灰からしましたら、英霊にダメージを与えられない糞団子以下の軍事製品ですが……人殺しの道具としては、生命尊厳を冒涜する人類史の自滅兵器です。

 まぁ、ソウルを注ぎ、魔術で概念武装化してますので、私が使えば対都宝具にはなるのですがね。化学兵器、ブラフマーストラとでも思って下さい」

 

「―――――」

 

「溜め息とは、傷付きますね。戦神さんも、人理の人類種が文明より見出した火に、興味が無い訳ではないでしょう?」

 

「人が、人を殺す為の道具だ。業により神も殺せるが、此処の人間は自分達の能力で管理し切れぬ太陽の焔を生んだだけだ」

 

「これもまた―――火です」

 

「人が作った火。文明の進化を尊ぶ人間性より、誕生した火。それは、我とて分かっておる」

 

「しかし、核兵器で人を殺した人類史の人間種には、一人の人間として失望しました。死のない不死を一度殺すのではなく、同じ寿命のある人間をこんな物で殺すなど。

 あぁ、まさか自らの人間性に従い、人を殺した殺戮者が神みたいな言い訳をするとは。

 太陽の火を手に入れ、それを人殺しの道具にしておきながら……平和の為、戦争を終らせる為と、真顔で欺瞞を垂れ流す人間社会の本質。その上、その殺戮を見せ付け、殺戮行為を脅迫道具にし、貴族の国が奴隷の国を貪る人間と言う群れの本質。火による平和を一人でも信じる者がいる限り、あるいはその欺瞞を利用する人間がいる限り、人は火に囚われ、神のように火の奴隷となるでしょう。

 人が、神と同じ神性に近寄る人間性を手に入れた世界が、この星の運命でしたね。

 いけません。実に、いけません。

 火を一度でもそう使ったとなれば、汎人類史の末路もお察しではないですか。とは言え、その終末を乗り越えてこその人類であり、また次の終末を自分達で作り出し、また乗り越えるのです。正しく自業自得、悪因悪果の進化方法と言えましょう」

 

 この星の人間が、そんな哀れで馬鹿な人間性が、灰は見ていて飽きなかった。きっと、この様が在りの儘の魂なのだと正しく理解し、人間社会をソウルで正すことはしなかった。

 何故なら、個人で世界を正せば、それもまた欺瞞の火だ。文明をソウルの業で導くことも出来たが、それを灰が行えば火を使って人を管理した神と同じになる矛盾。神となった闇の一匹、グウィンが個人の意思で定めた独善の正しさで、世界を火で歪めたように。

 だから正しさとは善であり、故に獣性だ。

 核兵器によって星で生きる人の社会は変容したが、それは誰もが自分自身に対して良かれと思って生きた故。数多の人間が己へと為す善行によって今の文明が出来上がる。

 ならば灰も、自らの善性に従い、人理の人々が在るが儘に、星の上で進化する魂の在り方を見守ることにした。剪定事象と言う管理基準は灰の人間性が気に入らず、惑星のソウルを簒奪しようかとも迷うも―――それは、この星で生まれた人の定め。

 最初の火を奪った人間として、此処の人がやがて奪い取る世界の魂を横取りするのは人間性を悖り、未来にて自分が行った火の簒奪が無価値になる。

 

「しかし、だからこそ私はその人間性を克服すると信じています。

 自分達が造ったもので自分達を管理し、それ故の、自分達を自分達が進化する為の脅威とする自己進化の矛盾。宗教による殺戮の支配からある程度は脱した現行社会を見れば、やがて核による抑止の支配からも脱するでしょう。

 嘗ての人類種の天敵とは、飢餓、疫病、戦争の三つ。それを今やある程度は克服したならば、自分達で作った核と言う新たな文明の天敵も克服すると、魂より私は信じましょう。

 きっと、人ならば、出来る筈です。

 星を滅ぼすことで、星が夢見る人理にきっと、この人類は届く筈です。

 太陽は真に、汎人類史の火となると!!」

 

「肯定しよう。暗い魂を尊ぶ我等の人間性と、この星のソウルが見守る人類種の人間性は、やはり異なる」

 

「でもね、それも所詮は戯言です。どうでも良い只の事実です。魂の本質は、そう言う話からは程遠いのです。核技術は人の創る太陽ですが、魂を歪める欺瞞ではなく、原因はその太陽で人を殺す人そのものが欺瞞と化していることです。最初の火は罪でも嘘でもなく、只の火で在る様、汎人類史の火も最初の火と同じ世界を照らす光でしかない訳です。

 神は火より生まれ、だが火を人は作れるのです。

 人は自らを薪にして、人の世を照らす光となるのです。

 私が最初の火を簒奪したように、人理の人も空より火を簒奪しましょう」

 

「成る程。貴公、愛そうとはしたのか」

 

「人間ですからねぇ……ふふふ。愛してみたいとは、考えました。結局、私の魂は憐れみも、慈しみも、何も思えませんでしたがね。

 そう言うものだとは、判断出来る思考回路は有りますのに、心が動かないのは不可思議な話です。とは言え、脳の作りは同じ生物ですので、ソウルを使わずとも何時か人間らしさを自前で取り戻したいものです。不死となる前、あるいは不死となって幾度も死んで人間性が死を受け入れる前、確かな私が魂の中にあった筈でしたから」

 

「我も似たようなものだ。祈りの果て、戦神を模す人間性に辿り着き、もはや戦神本人を五感を閉じて殺せる程に彼のソウルと共鳴しておるが、所詮は神真似遊戯だ。

 しかして、我はそれしかない。

 最初の火、始まりの雷を得て、我が祈りは魂の根源へ届いてしまった。闇も火も魂からすれば、同じ価値しかなく、ただ選ぶ事が本質だった。尤も、それは貴公が召喚した全ての灰に共通するがな」

 

「感謝していますよ、戦神」

 

「否。感謝するは我等の方だ。既に幾つもの星のソウルを貪った古い獣であり、数多の世が手遅れとなるも、根源へ至る前に仕留める事が出来そうだ。

 敵を頂くのは、有り難い幸運だ。貴公は最初の火の使い途を、我等に啓蒙した。

 人の世を守り続ける為、幾つかの世を贄にするしかなかったあの悪魔殺しも、この葦名にて僅かばかりは報われよう」

 

「はい。ですので、キリエライトさんには試練が必要となりました。人類が生み出す最悪の災厄、殺戮の火を十字盾で覚える事が大切なのです」

 

「人の世の為ではなく、人の魂の為に、貴公は人類史の邪悪で以て彼女の善性を証明する。

 人理の人間は、貴公の救世(グゼ)を理解出来まい。

 悪で在らねば、獣より人は救えぬ道理を、永劫に解るまい」

 

「闇より這い出る善い魂なのです。きっと彼女は、死に切れぬ不死の遺志を継いでくれましょう。

 それに私は、自分の魂の為にしていますから。悪いことは悪い人として、悪徳や罪科も生々しく愉しむ人間性を此方で得ましたしね」

 

「殺人の業は座の英霊と変わらず。むしろ、魂を根源に還す此方側の殺人行為の方が……いや、生命は生命か。

 命に是非を問う等、魂を貪る我ら灰に資格無し。

 殺し合いを愉しむ為の、消耗品。それで良いか」

 

「我々は、命に見放された魂でありますから」

 

 発射地点。遥か眼下、荒野に居る七人。

 

「だから、安心して下さい。今の憐れな樣に失望するのは人として正しく、絶望も素晴らしい感情ですが、それは未来にて人がより善き文明の火で星を焼き払う為の犠牲です。人が進化するために、人が人を薪にして人理を輝かせるため、今を生きる命を焼いているのです。でなければ、歴史に殺されていった魂に価値は生まれず、その最果ての未来にて、人間が殺戮した人間の価値が決まります。

 犠牲を良しとする人間性は気色悪く、私はとても嫌いですが、この星がその有り様を良しとして人と言う我が子を許し、それに人もまた甘えている様は、一人の不死として見るに耐えないのです」

 

 破壊兵器、水素爆弾(ハイドロゲン)

 あるいは、核熱兵器(サーモニュークリア)

 戦術核兵器に搭載されているのは、現行人類史における最悪の小型戦略核弾頭。爆縮レンズにより核分裂連鎖反応を生じさせる臨界状態を引き起こし、それを基点に核融合反応を起こす物質を追加することによって爆破能力を向上させる兵器だった。

 それを未来におけるカルデアの科学力と神代魔術を使い、大幅な小型を行い、ソウルの業によって科学兵器に火を宿らせる。爆破する少量の核分裂物質と連鎖核熱する核融合物質により、汎人類史冷戦時代に開発された戦略核弾頭に匹敵する個人兵装を葦名大学研究機関は作り上げてしまった。理論上、更なる核融合反応を引き起こし、惑星を物理的に破壊する事も可能となる。

 何より既に、実験済みだ。剪定事象となった異星生物が目覚めた世界、あるいはアリストテレスが襲来する未来。灰により、肉体ごと魂をこの兵器で粉砕された星が生む一が多くいる。既に惑星の命が尽き、魂が燃え終わる寸前の人理無き完璧な人代は、灰によって宇宙生物から救われ、星が死んでも生き延びる人間を気色悪く思った地球の殺意によって人類は滅ぼされた。

 その悪夢―――無反動砲より発射された。

 十キロ以上離れた地面に撃たれ、十秒後に爆裂する地獄。

 

「聞こえているのでしょう、オルガマリー?

 私から貴女へ贈る鎮魂火……――汎人類史の火ですよ」

 

 遺志宿る夢へ、祝福を。

 悪夢見る魂へ、啓蒙を。

 

 

 

―――◇<●>◇―――

 

 

 

 核熱反応。原子が炸裂し、火が放たれた。地表を抉り取る純粋な破壊エネルギーに魔力が宿り、ソウルが奔流となって熱波に流れる。大地を破壊する火力は、地球を殺してでも繁栄と生存を求める今の人類種の人間性そのものと言え、最悪の地獄を生み出し続ける汎人類史の在り方である。

 爆心地の爆縮。地表を吹き飛ばすと共に、捲り上げ、皮ごと肉を剥ぎ問う様に核熱の波動が大地を奔る。その上での、ソウルの業。星の躰に大穴を開けると同時に、星の魂を殺し尽くす魂殺しの概念とエーテルが爆裂し、惑星を確実に仕留める破壊兵器と化してきた。

 物理的な破壊と、概念的な破砕だけで非ず。その相乗が破滅の胆。

 この兵器の本質は人理を夢見る星の魂を死滅させる星砕きだった。

 六千度を超えた熱波は肉体だけでなく、魂を熱する地獄の炎と化し、核熱の奔流は一瞬でソウルを消炭にする。

 

「―――マシュ!!!」

 

 キリエライトと呼ぶことも忘れ、所長は盾騎士に叫ぶ。灰の葦名が創造した核熱の一撃は月の真祖は勿論、他惑星から飛来した異星の化け物を殺す人類進化の暴力、その悪因と悪意。

 十字盾で防ぐ盾騎士の闇―――全てを防ぐ彼女自身の人間性が、その全てを受け止めるとなれば、彼女は今この瞬間、不死の魂を焼き尽くす汎人類史の火で焼却され続けている事を意味した。

 ならば、僅かばかりでも―――と、所長は盾騎士に手で触れ、魂を焼く熱を自分に流した。

 盾と盾騎士を通じて熱波が所長を焼き、魂が蒸し上がり、血液が発火する。結果、人体発火現象が引き起こされ、体中の孔から火が吹き出る。

 

「主殿……!」

 

「貴方は、止めて置きなさい……って、もうしてるし」

 

 怨嗟の火を受け入れる様、忍びもまた盾騎士の肩に触れ、彼女を焼く火を自分に流し込んだ。所長と同じく、体に火が纏わり付き、忍義手が噴火したように焔を吹き出した。

 

「もう一焼き、セルフ火刑しなきゃいけないってことね。ほら暗帝、アンタもちゃんと焼かれなさい」

 

「分かっておる。ソウルの奔流の方が魂砕きの概念は遥か上であるが、物理的な破壊と焼却能力は核熱爆弾の方が上だからな」

 

 魔女と暗帝は燃え死ぬのを理解しながら躊躇わず盾騎士に触れ、彼女を魂の内側から熱する炎を自分達のソウルに流し落とした。二人も所長と同様に燃え上がり、細胞が融解する温度に気合と魔力と神秘で我慢し、排熱噴射孔となって盾騎士を助けた。

 魂を焼く熱、死の火。それは星の内に籠もる熱を遥かに超える炎を排熱する為、人型の生命に耐えられる火力ではない。無論、神や妖精でも魂が焼却され、本来なら一瞬で無にすら還れず、根源に堕ちず、灰と化す。

 

「永遠の闇。暗き我が星よ、人の火を呑み給え」

 

 そして褪せ人は盾騎士に触れ、自身を燃やしながらも熱を魔力変換。盾騎士と繋がり合うことで十字盾ともラインを通じ、盾の守りの外側に暗黒球体を創造する。

 褪せ人の暗黒星は十字盾の守護と衝突する前に核熱のソウル奔流を吸い取り、熱波を抑え込む。だがそれも微々たるものに過ぎず、変わらず十字架ごと盾騎士は焼かれ続けた。

 

「君は俺の知るマシュじゃない。

 でも、その背中を守りたいから……―――君を、守るよ」

 

 藤丸は盾騎士の隣に立ち、手に触れた。彼では火で焼かれる苦しみは分かち合えないが、それでも手を重ねることで魔力を流した。先程の戦闘で失くした令呪は褪せ人からの魔力逆流で補完され、彼は躊躇わず全て消費した。

 それでも熱で彼の手は火傷し、そして焦げ付き、やがて炭化を始める。それでも尚、藤丸は彼女の手を離さなかった。

 

「―――はい。先輩」

 

 盾騎士の暗い魂に火が灯る。彼女を守りたいと願う全ての魂が繋がり合い、汎人類史が生み出した大量殺戮兵器が抑え込まれる。仄かな火が、人を融かし殺す核熱の火を鎮火する。

 輝ける星―――盾騎士の闇に堕ちたソウルに、一筋の導きが流れ星のように奔った。

 嘗て聖剣が放つ極光を跳ね返した様、それは優しく煌く。核熱の衝撃は十字盾によって一点に凝固され、地球圏外の暗い宇宙に向け、汎人類史の火は光となって解き放たれた。

 

「これが、人の魂が至る心なのね……」

 

 所長は思わず、啓蒙を超えた感動が零れ落ちる―――その時、彼女の脳にのみ声が聞こえた。

 根源的な統一言語をよりも魂に響く、人間のソウルに直接的に話し掛ける音だった。そして、その声は魔女と暗帝、盾騎士にも繋がり合う所長を通じて聞こえて来た。

 

「核。人類史の業。それによる殺戮は負の一面。現在における使用例、日本人を幾万人も虐殺した人類史の火。嘗て人類史を守った貴女へ、灰である私が送る歴史からのメッセージには丁度良い皮肉でしょう。

 これもまた、人間性の真実。

 人とは、何処までも薄汚い。

 罪を理解しない妖精と同様。

 より強い死が在り様を示す。

 しかし、貴女にとって気色の悪さは見殺しにする理由には為り得ません」

 

 脳が、震える。

 心が、罅入る。

 

「人は救われるのだと、貴女は知っています。人間性が、人の魂を動かす実感を得ています。人間は人間との繋がりにより、人類種自らが生んだ愚かな業を打ち倒せる訳ですね。

 即ち、それは人間性の克服です。

 マシュ・キリエライト、貴女は孤独でも強い女です。しかし、それは強い人間だからという至極当然の理由であります。

 けれど、その魂は繋がり合いこそ、私は貴女の本質だと思うのです。

 数多の英霊達との繋がり合った縁が人間性を刺激し、今の貴女の強さを形成しました。同時に後の悲劇が、孤独が貴女から弱さを余分として削ぎ落してしまわれました」

 

 究極の、人間賛歌。灰は人間があらゆる欺瞞を語って同族を殺し、殺戮手段に核兵器を使おうが、この星の人間が未来に走り続けて進化すると理解していた。

 信じる、信じないの話ではない。彼女は人が人理を夢見る星の魂を砕き、それでも繁栄する生存を勝ち取ると未来を見通していた。同時、星を殺してでも生きる道を諦めた時、灰は根源からソウルを蒐集して自分と言う地獄に落とす悟りも得ていた。

 

「貴女を守りたいと念じる友人達の想いを受け入れ、貴女は星砕く文明の火を超えました。それも人理を思う惑星の魂さえ木端微塵にするこの対星兵器は、この先の人類史が創造するだろう真エーテル兵器に並ぶでしょう。それこそ、アリストテレスを真っ二つに両断する斬撃皇帝にも並ぶ破壊力でした。

 ならば、その人間性が人類史の業を凌駕したのです。

 他人と繋がり合う心こそ……否―――繋がった人を守りたいと願う貴女そのものが、魂の強さなのだと」

 

 人間が生み出す人類史を滅ぼす業。

 一つ目、宗教――神を形為し、遺志を継ぐ。

 二つ目、国家――宗教によって群れを成す。

 三つ目、経済――個人に職と役割を与える。

 四つ目、学問――神秘を経て科学となる業。

 五つ目、戦争――その総決算にて他を貪る。

 人の営みの果て、全て混ざり合う形こそ文明。そして飢餓と病魔に並ぶ人類種の天敵を自分達で作り出す。戦争は進化し、そして現在も進化し続ける。人は星ごと自滅する知性を得たのだろう。だが灰は、これらに因る悲劇が盾騎士の在り方を歪める力はないと信じる事にした。

 

「人が人間性を凌駕した時、星が夢見る人理から目覚め、人類は星から宙へ踏破するのです。しかし残念ながら、個人の意志で最初の一歩が踏める人類種は、とても限られています。神を作った星を超える人の心を得た魂を、どうにかして古い獣を狩る為にも作る必要がありました。

 魔女―――贄を求める人間社会の克服。

 暗帝―――嘘のない無垢な欲望の肯定。

 星見―――過去を顧みない進化の未来。

 今、盾騎士となった貴女は三人と繋がり、忍びと褪せ人とも繋がり、心を持つ人間として、友情を以て核熱の脅威を凌駕しました」

 

 魂の生き物だと、灰は心底から信じていた。魂が命を得て生む心の力を、灰はどの人間よりも人間として信じていた。

 

「何より、久方ぶりの藤丸立香の魂は懐古で咽び泣く程に感動した事です。孤独に戦い続けた貴女の心に、命を賭しても守り相手を愛する人間性も蘇りましょう。獣を狩る為にも、人間性が生み出す愛と希望の物語が大事なのです。

 ソロモン王、叡智を極めた男―――アーキマンさんは、魂で以って己が人生を証明しました。

 愛は素晴しい火であり、希望は魂を未来へ運ぶ方舟。私は彼の献身を信じる事にします。人理が良しとする人類史が生んだ大地を焼く火、核熱の魂砕きを超えた今、人間の業を克服する準備を貴女方は終えたのだと」

 

 戦神と共に灰が乗るドラゴンが観測可能域から消え去った。それと同じく灰の(オト)は聞こえなくなり、所長の脳は魂を狂わせる音で震えなくなった。同時に狩猟衝動で脳が奮え、瞳から意思が彩る。

 ―――白い湖面にて、幻影が見えた。

 現実で意識を保ちながら見る白昼夢で、所長は眼前の女に問うしかなかった。

 

「――――……貴女は人間の魂を、信じるの?

 この星の人代で、ずっと人間を見守っていたのに?」

 

「はい。私は人間ですからね」

 

「これからも、皆で皆を殺し続けるのに?

 古い獣から人も星も救っても、何も変わらず殺し続けるのに?」

 

「それが人間です。それを間違いだと個人が人間性の在り方を変えれば、神の立場となり、人類種を幸福の奴隷に作り変えるだけですよ」

 

「私は……何か、嫌だ。そんなの、救いたくない」

 

「誰も救えませんからね。極論、死を否定して不死の命を与えても、永遠に宇宙から生まれ故郷の根源へ還れず、永劫から救われないのが悲劇的です」

 

「なら、何で?

 別に、根源の星幽界なんて喰わせれば良いじゃない?

 これなら、あの古い獣が新しい宇宙になって、中でソウルが巡るだけでしょう。人間の営みはこの宇宙から、古い獣の中に移動するだけ。それにこの宇宙も、星が夢見る様に、根源が見る夢みたいなものだし」

 

「欺瞞が題材にされた絵画の中で、腐っても死に切れないのは悲しいことです」

 

「今もそう見えるけど?」

 

「しかし、自由です。今の人理は、人が自由で在る故に見る夢ですからね。それが腐るまでは良いと思いますよ。

 誰かが甘くて自由な偽りの幸福から更なる自由を求め、何かが作ったこの宇宙に魂を閉じ込めた根源こそに自由があると気付くまではですがね」

 

「嫌いなのに?」

 

「灰みたいに、個人で永遠を生きられないのなら、仕方無いと思います。他人の魂に、そこまでの頑なさを求めない程度には人を諦めてはいますよ。

 だから、闇から生じた我々ではなく、根源から生じる魂を、暗い私が期待出来るように手心を加えました。それが魂を貶める神と同じ邪な業と分かりつつも、奴等の業を祈ると共に、私は私が嫌う神の心も祈ることに決めました」

 

「貴女は、守りたい信念が沢山あるのね。器が大きいわ」

 

「いえ、そもそも広がる為の器がないですから。それに好き嫌いと、魂の在り方は別に考えてます」

 

「じゃあ、良いわ。私も本当は、アニムスフィアの命題を気にせず、完璧な狩人って言う別人格(ワタシ)を夢見て眠った本人格(オルガマリー)の為にも、自分が美しいと感じる宙の人類史を描いてみたかったけど……まずは自分の魂を大事にしてみるわ。

 貴女がくれた人間性だもの。人理の在り方を嫌う獣性(シカク)も得られたしね」

 

「是非、どちらか選んで下さい。可能性が狭まれ、道が一つしかないのは憐れでしたからね」

 

「私に遺志を継がせた師……私を作ったあの月の狩人も、今の私を喜んでいるのでしょうし」

 

「はい。上位者と化した自分の精神を人理に寄生させ、人類種を己が眷属にし、進化し続ける為の戦争を自滅しない程度に行い続ける文明が、人間性無き貴女の夢見る星。

 私は……いや、それを止めるのが欺瞞だと分かってはいましたし、貴女に文明を滅ぼし得る獣の愛憎を与えるのも分かっていましたが……為すべき事を為したと言うことです。

 どちらにせよ、まずは貴女が人間を取り戻してから未来を選ぶ方が、貴女の魂への善行になると考えました」

 

「感謝はするわ。人間を可哀想って思える様になったのは、貴女の御蔭だもの。学術的進化以外も、人に対して素晴しいと感動を心から出来ますしね。

 それに、恨み憎めるから本気ってのもあります。

 人間を嫌うって実感が、自分も人間だって言う実感に繋がったわ」

 

「それは良かったです。ならば星見の狩人、善き悪夢をこの葦名で見て下さいね」

 

「そっちこそ、火が映す夢幻から目覚めることね。執着なんてらしくない」

 

「―――……確かに、です。

 なら御望み通り、貴女達を魂の為に殺します」

 

「ええ。だったら夢の為、私が貴女の希望を打ち砕く」

 

 灰は微笑み返し、所長は白昼夢から意識の一部が目覚めた。夢見る間、彼女は起きて現実で行動していたが、確かに心の中で灰と同じ場所で夢を見ていた。

 

「どうかしましたか、アニムスフィア?」

 

 汎人類史の火を克服した盾騎士は、隣で自分の腕を両手で握って祈る所長に問う事しか出来なかった。本心ではどんな宗教画よりも美麗な彼女の、真心からの行動を止めたくはなかったが、何故そんなにも綺麗なのか知りたくなってしまった。

 

「夢を見ていたの。今、その夢の続きを見ているわ。

 キリエライト……せめて貴女は私の前で、心折れる姿を見せないでね。介錯の為、その頭蓋に銃弾で孔を開けるのは心苦しいですから」

 

「……未来を見る千里眼は止めた方がいいですよ。根源からの情報、灰の特異点では意味ないですから」

 

「知ってる。根源経由した未来観測を、灰が魂で描く絵画の中では使えませんのはね」

 

「なら……ッ―――まぁ、良いですけど。どうせ関われないのなら、私には関係の無い悲劇です。

 それに千里眼で観測されて定まった運命なら、私の盾で打ち砕くのは簡単ですが、貴女の瞳で見て、私がそうなるのだとしたら、無力を実感しますね。私もまだまだ努力不足と言うことですか」

 

「私も同様な話よ」

 

「良く言う、誰よりも強い癖に」

 

「そう在りたいものだわ。でも、それは貴女も同じだし、今より先を目指すなら誰だって同じじゃない」

 

「そう言える時点で、人が頑張れるって信じられる時点で……はぁ、良いですけどね」

 

 盾騎士は何時もは前髪で隠す右眼―――因果律観測用義眼、モールドシバを使い、周辺時空間と人間自体を観測する。

 そして彼女は溜め息を吐き、やっと危機が過ぎ去ったのだと確信した。

 







 現状の簡単な人物紹介

◇死灰の簒奪者、アッシュ・ワン
 魂の形を得た闇。暗い魂。根源の星幽界から生じた魂ではなく、全ての灰と繋がる彼女の魂の生まれ故郷である闇も、既に根源に接続しても観測出来ないナニカと絵画世界の中で深化している。今は古い獣が進化の果てに根源へ至り、星幽界全ての魂をソウル化させて喰い尽くし、宇宙から全ての魂が流れ落ちず、宇宙誕生から遡って魂と言う現象がなくなり、この人理が生まれた宙から魂の概念が消失するのを防ごうとしている。人理と抑止力は、葦名特異点にその脅威を閉じ籠め、全ての魂をソウルの業から守ろうとする灰に協力しなければならない状態。
 尤も本人は自分が為すしかない救世主の立場を悪用し、自分の魂が進化する為の鍛錬として利用している。本人の人間性は人殺しが好きな虐殺狂の邪悪人間で糞団子を人の顔面に当たるのが趣味な女だが、自分の罪を滅茶苦茶凄まじく平和利用する知恵を持った鬼畜外道でもあり、何だかんだ集合無意識は生存する為に灰の魂に絶対服従となっている。

◇悪魔殺し、ダイモン
 愛した火守女との誓いを守りたい騎士。元々は異聞化した人類史の地球人類種だが、古い獣によって根源生まれの魂と規格が違い、魂の在る次元が根源からもズレている。古い獣が根源に至るのを防ぐ為、また古い獣が地球から逃げ出さない様、剪定事象になった世界や、剪定事象になりそうな世界に赴き、ソウルの霧で満たし、その世を獣の為の贄に捧げていた。要は未来がなくなった世界を独善によって選び、剪定事象で抹消される前に餌にしていた。それによって眠らせ続け、根源から生まれた全ての魂を守っていた。
 現状、灰によって古い獣狩りの成功が確定し、葦名特異点にて自分の役割を全うするのに専念。

◇月の狩人、ケレブルム
 古い獣の根源漂着は不都合な為、今は灰の救世に協力している男。またメンタル勝負において異次元レベルの化け物であり、根源から生まれた魂の筈なのに、灰や悪魔と同じくそれに反している存在。古都で上位者化した後は地球の魂や人類種の阿頼耶識に、惑星外宇宙精神体が寄生するのを防いでいたので、地味に全人類を宇宙の脅威から守り続けていた。宇宙圏外の暗黒領域からの毒電波や遺物も、彼が月の狩人になった後からは届かず、実は巨大隕石落下の確立にも干渉して恐竜絶滅の様な危機から人類文明を守っており、何気に善行を積み上げまくり過ぎな狂人となる。尤も思索に有益だったり、人類種全体の死滅や変異でなければ、地球での様子を見ている場合もある。
 今は自分の頭を良くすることが一番の目的。既に上位宇宙を脳内悪夢に作っており、オルガマリーは彼の悪夢における最高傑作となる。

◇星見の忍び、狼
 オルガマリーに召喚された忍び。カルデアの召喚術式に所長が人類圏外の神秘を加え、サーヴァント化してしまっているので、受肉した上で肉体が生前より強化されている。生前の使命は全うしているので未練も後悔もないが、第二の生を与えてくれた上で、忍びに忍び以外の人生の在り方を教えてくれた所長の為、今は主への忠義に報いたい自分の欲に従い、為すべき事を為す。
 現状だと、完璧な忍び。所長との関係上、生前の御子と、旅した巫女との忠義とは別にしており、所長が男女の中になろうと迫って来た事も多々あるも、鋼の意志で拒んでいる。本人曰く、いざと気合を入れると怖気で死にそうになるとか。

◇狂い火の王、ニーヒル
 実は元神秘超特化な褪せ人。今は全ての能力がカンスト突破してるが、やはり神秘系が好き。本名を忘れたので名前はなかったがカルデア入りすることで、幾千幾万回と殺しに殺したデミゴットの必殺技の叫び声を自分の名前にした過去を持つ。またニーヒルは零や虚無の意味を持つラテン語なので、ローマ系英霊からは御年頃な名前だと勘違いされている。
 王となった後、狭間の地の全ての生命と魂を自分に融かし、狭間の地の外側に出て惑星上全ての魂を自分に融かし、星から生物を死滅させた。それによって狂い火の星となり、エルデを殺す流星となって宇宙に旅出た。目的は自分の星にエルデンリングの獣と指を送った元凶の、宇宙の何処かに居る本当の神を打ち滅ぼす為である。で、色々あってその神を殺し、今に至る。尤もその神も全てが死に絶えず、残滓となる遺志が残り、狂い火の王を狙っている状態。なので実は、今はもう褪せ人がエルデの律を生み出すソウルそのものとなる。

◇星見の狩人、オルガマリー
 狩人を夢見た本人格が生む別人格。アルターエゴ。精神崩壊を引き起こして本人格が廃人となる前、自分の脳内に集めた血の遺志を凝り集め、自分の写し身として、死人の思念を細胞みたいにして形作ったのが今のオルガマリーの精神である。元より魂は一緒であったが、悪夢での狩人生活でオルガマリー本人を起源とする擬似魂が出来、第二人格は根源ではなく悪夢より擬似魂を写しにして本当の魂を得て、それを今の人格が完全同化している。なので、人間の脳から生まれた完全無欠な感応する精神生命、人工上位者が、星見の狩人の本質。
 本当なら学術的好奇心の儘、阿頼耶識に精神寄生した後に星の魂を発狂死させ、全てのアリストテレスを地球に呼ばせた上で太陽系全ての知性を蒐集する存在であった。その為に、地球文明をアーマード・コアによる戦争経済で爆発的に発展させ、宇宙を焼き尽くす星を利用した文明の炎を生む予定でもあった。尤も第二人格の狩人な彼女を作り上げた月の狩人は、その未来が好きではないので、そうなると余り彼女と関わらず、孫を見守る御爺ちゃんみたいな立ち位置になるらしい。
 今は灰が人間性を与えたことで、カルデア所長しているのが好きな気持ちなので狂気そのものと化してはいない状態。しかし、それによって人間を嫌う感情を得ているので、何かの拍子でビースト霊基に覚醒する資格を得た。

◇魔女の狩人、ジャンヌ・ダルク
 元々は完璧なる復讐のソウルに深化する人間性の卵。素材としては、聖女ジャンヌの子宮から取り出した水子の魂を核にし、様々な死人の遺志で凝り固めたソウルの暗い火と、灰自身の暗い魂の血と、抑止に召喚された適当なサーヴァントを殺して簒奪した数多の霊基情報となる。彼女と彼女の竜が特異点で殺した人間のソウルと人間性を全自動で流し入れ、怨讐として死ぬまで成長した。また実は人理側も古い獣を狩る為なら仕方無いと全力サポートをしており、実はフランス特異点での魔女によるフランス人殺しが上手く進む様に後押しもあり、より惨たらしくフランス人が死ぬと魔女の精神が暗く深まり、古い獣を狩るのに有意義な死となるので、滅茶苦茶残虐に民間人が死ぬようにもしていたりもする。それはそれとして、最後はカルデアがちゃんと綺麗に後始末出来る様、特異点解決段階となってフランス人虐殺が必要量に達すると、カルデア側を後押ししていた裏設定。ぶっちゃけた話、魔女と灰が行った罪は繁栄の未来を求めた全人類の意識による共犯でもあり、フランス特異点とはフランス王国が聖女を火炙りの生贄に捧げたように、灰が世界を古い獣から救うために全人類が意味のある犠牲として捧げた生贄殺戮劇場な茶番劇でしかない。尤もそれは、ローマの殺戮も同様となる。
 特異点消滅後、月の狩人の悪夢に送って彼に預けた。灰は魔女に死と絶望の遺志を継がせ、怨念を磨き上げ、古い獣を狩る火として利用するつもりであり、月の狩人は魔女が可愛いので普通に悪夢で好き勝手生活させていた。強くなりたそうにしていたので、自分の思索と暇潰しに、狩人の業や狩りの心得、啓蒙方法などを遺志より伝授もしていた。
 色々あって外宇宙の神性の一が、この宇宙を夢見ることで150億年分の宇宙人理を作り、その外宇宙存在の精神世界における地球のある宇宙へ月の狩人に送られ、生活していた過去がある。また、その宇宙を作った神性は一度だけ地球のある宇宙に干渉し、地球にまで変な交信波が流れ、それを逆探知した月の狩人が宇宙圏外の神性の精神宇宙に侵入して夢から覚醒させ、一度ぶっ殺してその神が夢見る宇宙を滅ぼしている過去があり、その縁によって魔女の修行の地に良いと送られている。
 サーヴァント体がカルデアに召喚されており、彼女の分身霊体としてバカンス謳歌中。本人は悪夢の中を彷徨い続け、今は本人自体が葦名特異点に顕現して活動中。

◇暗帝、ネロ
 灰が作り上げた汎人類史の闇の王。人の魂が膿む悪性情報を人間性に流し込まれ、人類史全ての邪悪を理解し、その上であらゆる罪を許し、その罪を快楽として愉しむ女。結果、魂を陵辱する罰を他人にするのが大好きとなり、直ぐ人を心身共に自分のソウルで犯したくなる。ドラゴーと違ってビーストの資格はなく、元々はローマ帝国を永遠に生きる人が永遠に人生を謳歌可能な完璧なる楽園とするべく奮闘していた。
 灰によって並列世界の絵画世界に送られ、最初の火の始まりと終わりの時代を幾度も繰り返す。永遠を無尽蔵に繰り返したと思い、死んだ心でソウルを生きるようになった時、その絵画世界で神殺しの流星となった褪せ人が漂着して、その世界から強引に連れ出された。色々と世界を彷徨い、時間軸が関係無い月の狩人と邂逅してしまい、魔女と同じ外宇宙暗黒領域の神性が夢見る宇宙に送り込まれ、また何とか戻って来て、自分の絵画世界を書いて引き籠っていたが、葦名特異点を感知して顕現し、今となる。


 読んで頂き、有難う御座いました。
 勝利、友情、努力。それは美しいものを観測したい誰かの欲望により、完成されます。究極、黒幕は古い獣を星から滅したい平行世界の全人類であり、死にたくないと願う星の魂も黒幕でもあり、灰の手でお前も救われたいなら頑張れ頑張れと、黒幕として努力させられている雰囲気です。
 結局、人間は、人間ではない人間に深い所から支配されているのでしょうね。


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啓蒙82:サイタマ殺戮区画キャンプ場

 DLCとは、素晴しい。ボスに殺され続ける地獄に発狂する死にゲーと分かって買うなど、褪せ人は哀れだよ。火に向かう蛾のようだ。ダイスンスーン。
 そう思えば、エルデンリングの兎耳枠って誰なんでしょうね。個人的にはDかなと思ってます。


 東北地方大日本倭国首都、葦名都。征夷大将軍が住む葦名城は山深い場所に建てられてはいるが、近代化に伴って市街地が平地に作られ、だが今や全て廃都。言わば旧市街地廃都葦名にして、灰が自分達に合わせて楽園化した灰都となる。また特異点化した歴史において、第三次世界大戦を経た核戦争後、古い獣の霧に星は覆われ、もはや人界は日本だけとなり、形だけでも都の体を保っているのは葦名のみ。

 そして七人が居る此処は、旧埼玉県。現在名、サイタマ殺戮区画。

 不死が不死を狩る戦場にして、グレートウォールが疾走する関東大荒野の一区画。

 灰が爆破した戦術核熱兵器の爆心地から30キロメートル以上離れた、そんな地獄みたいな場所の隠れ宿。七人の侵入者は高速で走り続け、十五分もせずに辿り着いていた。

 

「此処がキャンプ地よ。ま、連結改造キャンピングカーを駐車しただけなのだけど。私ってば、良い仕事しました。褒め給えよ、マスターちゃん」

 

「私の、ボーダー、ですよね、ダルクさん」

 

「そんな怖い顔すると可愛い顔が台無しよ、盾騎士のキリエライト」

 

「確かに、です。どんなに美人でも、糞団子臭がすると女の私でも萎えますからね」

 

「キィー、ムカツク!」

 

「ヒスるな、魔女。貴様も糞団子が当たった余とキリエライトに、同じことを言ったではないか」

 

「私としたことが、嫌味で復讐されました……」

 

「それより貴様、今日の調理担当は明日と交換な。死体をドブに一年漬けし、スライム状のヘドロになった汚物の如き臭い故」

 

「へぇへぇ、分かりました。どうせ私はうんこ臭いですよ」

 

「その通りです。ボーダーの中も、念入りに浄化した後、お風呂に入るまでは立ち入り禁止ですので」

 

「流石の私も、人の家に糞臭こびり付ける程、底意地は悪くないわ」

 

「ふむ。しかし、そこまでなら一度死に、肉体を魂から再誕させれば、如何かな?」

 

「そう上手くは行かぬのだ、褪せ人。灰共の糞団子は、糞呪を名乗る火の簒奪者が作っておってなぁ……死ぬ程度で糞臭さが落ちるのは、挑発性能が低いとか何とかな?

 ―――魂に、こびり着くのだ。

 殺人行為で香る死臭よりも尚、死した屍が消化された末の悪臭に塗り潰されると言うことよ」

 

「成る程。故、肉体と霊魂を共鳴させた上で、魂も物理的に洗浄しなければいかん訳か」

 

 そして藤丸を運んでいた忍びが屈み、背中から彼をゆったりと降ろした。

 

「藤丸殿、御苦労だった……」

 

「いえ、狼さん。運んでくれて、ありがとう」

 

「……は」

 

「もう、私が運ぶって言ってたのに。この魔改造車椅子、藤丸で試したかったのに」

 

「主殿、その車椅子は……いえ、人間は死ぬと……む、いや……藤丸殿が死ぬのは、いけませぬ」

 

「ほら、駄目だよ。狼さん、所長の頭の具合に言葉が詰まっちゃってる」

 

「そっかー……駄目なのね、車椅子」

 

「せめて、自爆仕掛けに……安全弁を」

 

「何でよ、隻狼。古都の車椅子乗りは自発的に爆発するボンバー罹患者なのに。あー……それと、褪せ人のニーヒルでしたっけ?

 私、今は特異点で活動していますが、人理保証機関カルデアの所長をしています。名は、オルガマリー・アニムスフィアと申します。これ、名刺です」

 

「これはこれは、ご親切に。私、狭間の地で褪せ人をしていました名無しの人間です。現在はニーヒルと名乗っています。

 あ、こちら私の名刺となります。カルデアにて、同志たるサーヴァントに作成して頂けました」

 

「どうも、御叮嚀に。私共の藤丸立香が御世話になってます」

 

「いえいえ。そんな。此方こそ、貴女の機関には助けられております……―――で、貴公が星見の狩人と。

 他並列の時間軸で悪い噂は良く聞くぞ。

 何でも、アニムスフィアが生んだ阿頼耶識の天敵とな」

 

「観測により、私は全ての私は知ってるわ。勿論、もはや全てが私の人間性に還りました。

 尤も貴女は、全てを自分に融かして還したように見えるけど。全く、瞳を合わせる魂と魂の見詰め合い等、脳が蕩ける酷い業だ」

 

「神と邂逅する為さ。故、私は此処に居る。即ち、神を殺そうとした神の業が、人に神を殺させる。奴等の思索を理解出来ぬ内は道具でしかなく、私は神が神を殺す為に進化した神殺しの刃と言う訳だ。

 憐れだよ、貴公もそう在る人間だと言う事がね。人が神を殺す術を、神が人に憎悪を以て啓蒙するのだから」

 

「運命が、運命を絡め合わせる訳だ。なら、仲良くしましょうか。縁が出来てしまったのら、どうせ永遠の付き合いになるのだし」

 

「宜しく頼むぞ。月の狩人の脳が妄想した、有り得ざる最高傑作よ」

 

「程々にね。私よりも、藤丸と仲良くして欲しい訳だから。

 それと何で霊馬を移動で出さなかったの?

 ちょっとした疑問だから、嫌なら言わなくていいけど?」

 

「凡剣の簒奪者だったか。彼奴の送還がまだ魂に残っているのだよ。どうも召喚関連は上手く出来ないらしい。

 とは言え、対策は思い付いた。マスターの方の召喚術式も如何様にも出来そうだ」

 

「あー、あの悪魔殺しの悪魔が更に改良したアレね。あの悪魔騎士、根は鍛錬狂いの天才肌の魔術師だから、かなり頭脳波な神秘学者で中々に厄介なのよね。

 灰共全員、それ使える上、貴女が対策してもその対策されるので、やるなら最初から対策される対策もしておきなさい」

 

「ふぅーむ、鼬ごっこか。人間、変わらんな」

 

「そりゃ、ずっと人間で在る今を愉しみ続ける人間ですし」

 

「確かに。納得しかない」

 

「―――さて。魔女と暗帝のキャンプ地に着いたし、お喋りは此処までにして、寝泊まりの準備をしましょうか。

 それと言うまでもないけど、ジャンヌ。貴女はちょっと臭うから、何も手伝わないで良いからね。ほら、触った物から残り香が薫ると気分悪いので」

 

「じっと待ってまぁーす」

 

 盾騎士の隠れキャンプ。結界で魔力と生命反応を隠蔽し、空間を歪めて世界からも隠れ、魂を感じ取れない様にソウルの業による隠密も施す多重隔離結界。この当たりは物騒であり、不死共の殺戮鏖殺が横行するサイタマ殺戮区画であったが、今や殺戮者を更に殺戮する人間が移住して来たことで、アームズフォート・グレートウォールによる集団轢殺を除けば、ある程度は平穏になったのは皮肉だろう。

 とは言え、所長と忍びの生活拠点である移動式聖杯生成地下基地が殺戮区画(サイタマ)の何処かにあると考えると、グレートウォール級の災厄がまだ潜んでいるとも言えた。

 

「後、魔女よ。風呂、貴様が最後な。糞団子を洗った奴の後に、余は入りたくない。誰であろうと、入りたくない。

 それと、出る前に風呂掃除もしておけよ。無論、掃除道具は滅菌の為に使い捨ての焼却処分だ。皇帝特権により余はグランドクリーナーではあるが、糞団子の掃除は当たった本人との決まり。役割分担は共同体生活における潤滑油である故」

 

「神は死んだ!」

 

 焦げた糞団子の残り香がする魔女に、暗帝は余りにも無情な宣告をしていた。

 

「今回は何時ものコジマ除去に加え、コジマが混じった放射能汚染も心配せんといかぬな。

 そちらは余がやっておこう。大学の水爆にはコジマ技術が使われておったし、一寝入りする前の洗浄が面倒よな」

 

「マミーと言うより、貴女ってオカンみたいね」

 

「オルガマリー、余も歳だ。そも生前で三十路越えである」

 

「そっか。そう考えると、私もバアさんね。子供どころか、曾孫が曾孫作ってるレベルで、悪夢を彷徨ってるのよね」

 

「まぁ、こんな炎上系女は子供に要らんがな!」

 

「言えてる!」

 

「糞共。抱き着いて、糞団子臭を移すぞ」

 

「謝罪の意、表明します」

 

「心より、スマヌス」

 

 テヘペロと唇から蠱惑的な舌先を出す所長と暗帝。魔女のセミロングヘアが陽炎のように憤怒の念で揺らぐが、深呼吸することで落ち着こうとし、糞団子に当たった自分の匂いを深く嗅いで目が死んだ。

 灰と殺し合う際、この糞団子攻撃だけは許せない。魔女の殺意が憎悪によって更に深まり、むしろ毎日毎日深まり続け、怨讐の火が暗く深化する。

 

「しかし、この葦名特異点に来てからだが、解毒や洗浄の神秘が嫌に上達したよな。

 あの手の不死共は良く知っておるつもりだったが、あそこまで対人戦闘に有益で利便性があるからと、自家製の激臭糞団子を使う集団が徒党を組むのは珍しいものだ」

 

「殺人行為における習性じゃないかしら。私達が剣で人を斬り殺す様に、武器の選択肢として当たり前にある道具なのよ。

 それにあの灰共、汎人類史が作る地球戦争史も学んでるだろうから、人理によって新しいうんこの使い方を啓蒙されてるんじゃないの。元々、糞を武器にする文化はあったんだろうけど、糞呪って言う糞みたいなうんこ偏愛する灰が居る所為で、更に糞の使い方が巧みになってるし。

 何と言うか、無念無想な剣神の境地で糞団子投げて来るの、技巧の無駄使い過ぎて腹が立って来るんだけど」

 

「それはそう。ビリー・ザ・キッドの早撃ちみたいに糞投げるのとか吃驚過ぎて、最初は咄嗟に隻狼を盾にしてしまいました、私」

 

「オルガマリー。アンタ、私でもドン引く糞人間です。魔女の私が言うんだから、間違いない」

 

「……………ぬぅ」

 

 その時の事を思い返しているのか、忍びが眉間をそれはもう凄まじい深さで皺を寄せる。戦国乱世、人糞は人殺しの武器にされており、火薬の原料になるのも知ってはいるが、灰共のそれは血反吐を撒き散らす劇毒だった。

 

「ごめんって隻狼。見た時、うわぁ……ってなって、無意識で令呪が無拍子で発動されちゃったのよ。代わりにあの灰、森番の簒奪者には糞屍スライム培養の血晶石を組んだ私御手製劇毒回転ノコギリの刑に処したし、良いじゃない」

 

「その一度、ただ一度、殺める為……幾度か……」

 

「わかった。今度、おはぎ作りますから」

 

「主殿、忝い」

 

 大金が詰まった袋を拾った時の様にニンマリと笑う忍びを見た藤丸は、何となく今の所長と彼の関係性を理解する。それを更に気の抜けた顔で見守っていた盾騎士は、ふと雑談から抜ける事にした。

 

「では、御夕飯前の風呂のため準備を始めます。私、薪を焚きにいきますので」

 

「へぇ、凝りしょうね。電化もせず、魔術も使わないのね」

 

「グンマ封印区画で取った薪が余ってますから」

 

「まぁ、グンマ薪の焚き風呂と。楽しみ」

 

「はい。楽しみにしてください。火が違いますからね、火が」

 

 左手を右肩に当て、右腕を回転させながら盾騎士は男らしく去って行った。見た目通り、性別は女性なのだが、纏う雰囲気が法螺貝吹きながら敵軍に突撃する薩摩兵な雰囲気であり、特に意味もなく彼女の後ろ姿に所長は交信ポーズを取った。

 とは言え、交信は交信だ。上位者に構えれば、脳に湿った声が音の文字を啓蒙される様、所長は汎人類史の火を唐突に理解する。

 

「しかし、対核熱は良い連携でした。まずはキリエライトが盾で止める。そして彼女と触れ合うことで、ニーヒルが孔球で吸い取り、ジャンヌが炎の流れを操り、ネロが闇で孔を深め、隻狼が火炎の漏れを防ぎ、藤丸が令呪によってキリエライトに連帯の要とした。

 その最後の仕上げに、私が核熱の火が纏まった球を流星として宙に打ち上げる。

 この七人が居て初めて為し得る偉業です。あるいは、だからこそ、あの灰は核熱兵器を撃ったとも言えるのですが」

 

「話、飛んだぞ。しかしながら、同意だ。星の海を旅した狂い火である私は、生命起源を己が命で解しておる。

 宇宙誕生の虚無からの爆裂より数億年後、最初の星の炸裂が宇宙空間に生物の大元である有機物を生成した。

 小さな粒であるそれらを確か、汎人類史では原子と呼ぶなのだとか。あの灰が空より落とした壺は、宙で起こる星の光を擬似再現した爆発だったな」

 

「―――お、褪せ人。貴女、お話し出来る啓蒙家みたいね」

 

「奇遇にも生物的に、私も貴公も雌。女子会の話題に我等が宇宙の、百五十億年分の観測記録を舌が捻れ切れる程に語り合うのも良い拷問(ザツダン)だろう」

 

「良いわね、宙活(ソラカツ)。今度、時空間を超密度圧縮した脳内交信でもして、女子会トークを数万年も続ける拷問遊びでもしましょうか。

 あぁ、この宙は余りにも完全無欠な美しき曼荼羅模様。

 あらゆる芸術も、地球で生まれた全ての美の概念も、宇宙には永遠に届き得ない」

 

「では触りに、外宇宙銀河で生まれた知的生物の惑星間航行文明、貴公は知ってるか?」

 

「知ってるも何も、地球に不時着した宇宙戦艦の話?

 文明を作った知的生命体が死に絶え、他星のヒトの被造物が地球で人類種に神と崇められてた過去話じゃなかった?」

 

「この星には、この銀河は無論、他銀河系列の宇宙文明史が飛来しておる。挙げ句、外宇宙異次元暗黒領域より、神秘物も漂い付く。

 ハーヴェストスターの生まれ故郷も気になり、彼等に狂い火を啓きに行ってはみるが、あの神秘機械文明も気になる故、時間を遡り、滅びる前の文明へ行ってみようか」

 

「太陽をエネルギー源にする恒星文明らしいです」

 

「宇宙における一番の資源だろうな」

 

「等と言いつつ、まずは周辺惑星の人類種に敵対する星の眷属共を皆殺しにして、資源にしたい。本音は惑星間戦争文明の発展なのだけど」

 

「一番、貴公が人間らしい人間よな、オルガマリー」

 

「当たり前でしょう。何時かは、この宙で生きるヒトに人間を啓蒙する為だもの」

 

 所長と褪せ人は段々と早口となり、瞳より視線が交り合い、眼球交信が始まる。瞳をアンテナに脳波送受信をし合う様になり、念話を超える意識対話を始め、むしろ交信する事でより高度な対話に進化し続ける。こうなると高速思考に対応出来ない脳であれば、膨大な情報量に脳細胞が燃焼して頭蓋骨が爆発し、思考悶死するだろう。

 その時、七人全員の脳に(オト)が響いた。

 耳に心地良い優しい声。まるで日本の娯楽文化で働く声優が喋る声質であり、少女でも成人女性でもない生温かい女の声だった。

 

『ピンポンパンポーン。此方、葦名電磁脳波塔よりお送りします全国脳波放送でございます。此方、葦名電磁脳波塔よりお送りします全国脳波放送でございます。日本国民全ての脳へ、葦名幕府行政サービスからの連絡放送です。

 葦名幕府国会与党、啓蒙共脳党より、議会決定の内容をお送りします。

 この度、殺人税徴収法案が可決されました。この度、濃霧管理局運営資金調達の為、殺人税徴収法案が可決されました。つきましては、人間対象の殺害行為のみ、一殺一ソウルの徴収を行います。亡者、悪魔憑き、獣憑き、またデーモンの殺害は対象外となります。自意識を保つ人間の殺害に限定し、税徴収を行います。また徴収方法は濃霧による間接徴収を自動的に行います為、国民皆様の生活にご負担は掛けません。

 それに伴い、葦名幕府行政サービスはこの度より現金資本は廃止し、全て自動徴税ソウルシステムに統合されます。全自動化により、金銭売買によるインボイスとセールスタックスなど全て完全廃止し、商店事業者の事務作業は不要となります。日本国民の皆様は好きに鏖殺をお楽しみくださいませ。

 追加として同時に、名誉殺人税徴収法案も可決されました。魂の尊厳を守る為、名誉殺人を行った際、此方もソウルを自動徴収致します。魂の為にソウルを奪う行為は人道に適した行いですので、一殺十ソウルとなります。葦名幕府行政サービスは皆様の慈悲が正当化される様、殺された人間のソウルが十ソウル未満の場合、殺人者のソウルから不足分を徴収致します。尤も、此方も人間以外に変異した亡者は適応されませんので、人外は無税で殺戮出来ますので、変異した身内の人間は御遠慮なく殺害して下さいませ。

 また、カルデアからの侵入者が確認されました。大日本倭国の滅亡が確定致しましたので、日本国民の皆様は人類史が救われる為、一方的な皆殺しを受け入れ、清く正しく死にましょう。人類史繁栄の為にカルデアによる無慈悲なジェノサイドを拒まず、迷惑を掛けない様、潔く死にましょう。日本人らしく、惑星最後の民族に相応しい死に様で、救世主カルデアに殺されましょう。デーモンの濃霧より救われる為、カルデアが下さる慈悲の死に感謝し、魂の最後を祈りましょう。

 最後に、グンマ封印区画の完全緑化に成功しました。今より二十八時間五十七分前の濃霧管理局大魔術実験により、自然豊かな大森林地帯となりましたので、葦名産の養殖人肉や培養人菜以外の食糧輸入にご期待下さい。

 人類最後の民族、日本人の蒙を啓き、皆の魂を一つの脳で共にする幸せを。以上、啓蒙共脳党党首、田村ケイモウよりお送りしました。ピンポンパンポーン』

 

 電磁脳波放送が終わると、藤丸は宇宙を漂う上位者猫のような、何とも言えない奇妙な表情を浮かべた。

 

「かー、マジで糞っ垂れ社会。ディストピア過ぎて笑えてくる惨状です」

 

「魔女よ、貴様の好きそうな世界観でないか?」

 

「フィクションなら好きなだけよ、暗帝ちゃん。現実になると心が痛むの。

 まぁ、復讐に酔って殺戮を行った罰として、他人の苦悶と共感するのは受け入れてるけど」

 

「それ、生後一ヶ月の赤子の時の話だろうに。しかし、人間性に年齢は関係ないか」

 

「自意識は在ったわ、捏造品の作り物だけど。とは言え、その哀れな肉人形が私の本質なら、その様を否定するとこの魂まで意味を失うことでしょう。

 そういう意味において、葦名特異点は私と貴女を映す鏡になるって訳なのよ」

 

「ローマのパクリだものな。全く、罪と邪悪を物真似るとは、恥知らずめ。

 余の女神とは言え、人間として斬らねばならぬ」

 

「彼奴等、平然と糞団子投げを愉しむ精神性なので、恥とかないですね。しかも発酵して高熱状態な上、中身はまだ湿ってるとか最悪過ぎて面白い」

 

 その時、褪せ人は唐突に魔女へ近付き、顔に接吻する寸前まで寄り、スンスンと鼻を鳴らして体臭を嗅ぎ出した。凄まじく失礼な上、明らかに糞団子がで臭くなっている女性に対し、拷問染みた羞恥心を与える行いだった。

 よって、魔女の表情は一瞬で死んだ。次の瞬間、凄く、とても、目茶苦茶に臭そうに表情筋を歪め極める褪せ人に、予備動作一切皆無の無拍子で、その眉間に銃口を押し当てた。

 

「何なのよ、テメェ……?」

 

「素晴らしく臭く、堪らなく臭うのだ。血便と壺の中で混ぜ合わせ、発酵させ、新たなる壺を作れる啓蒙を貴公の体臭より得た。

 成る程。糞団子、ダング・パイ。成る程。血蝿も喜び集る素晴しき糞の業だ。

 死体より発露する祝福と良く似ておる。この糞も死体に死体を食わせ、熟した呪い糞と見える。故の、糞呪か」

 

「―――は?」

 

「持っておるのではないか、貴公。それに、暗帝と盾騎士も。あの灰共を一度でも殺せる好機が有れば、我等不死の大好物な特技である死体漁りの業により、奴等のソウルから幾らか盗んでおるだろう?

 是非、分けて頂きたい。きっと、灰共を呪い毒する良き死の壺が作れそうなのだ。勿論、対価は渡す故」

 

「その前に、顔、近い、キモイ、離れなさい」

 

「何と。数年掛けて造形した美貌だぞ。その我が芸術が、キモイと?」

 

「反吐が出る欲望が顔に出てんのよ」

 

「確かに。それは気色悪かった。素直に謝ろう。すまん。私は私が、どうしようもない下衆だと自覚する故、その欲望を当てたとなれば、無礼極まるのも理解しておるのでね」

 

 退廃的な煤けた黄金の美貌。まるで人間の薄汚い欲望で穢された聖女のような表情を醸しつつ、褪せ人は甘い吐息で言葉を出している。それを魔女は魂に直撃した所為か、脳裏でブリテンの聖職者に集団強姦された記憶を思い出し、糞の様な赤子時代の記録に死にたくなりつつも、死に至る心的外傷の深さに比例した憎悪の怨念が煮え滾る。

 彼女の瞳が殺意と憎悪が混じり、怨念と邪悪が雑じり、誰でも良いから殺したくて堪らなくなる。あるいは、誰かの命を奪っていないと自殺したくて堪らなくなる。

 褪せ人の眉間に当てた短銃の引き金を感情に従がって引こうと思うも、血塗れた狩人の理性が指を凍り付かせて動かさなかった。

 

「良いわよ。糞団子ね、糞団子。脳内空間に幾つか持ってるわ。後で上げる。勿論、対価は頂くけど」

 

「ありがとう。貴公は……いや、君は善い人狩りだ。実に善人だ。

 私のとっておきの神秘、貴公の脳に刻もう。深く、蕩ける様に、血の神秘を啓蒙しよう」

 

「それは超期待します。モーグウィン、どんな感じの憐れなる落とし子なのでしょうね」

 

「あれはとても良かったぞ。後、疑問だが……名誉殺人とは何だ?」

 

「あぁ……褪せ人である貴様は知らんか」

 

「知らんな。戦場で敵兵を討ち取る名誉……と言う雰囲気ではないな。貴公は知っているのか、暗帝」

 

「あぁ、見た事もある。其処な魔女も、な。簡単に言えば、汎人類史の歴史にある殺人文化。人理焼却が起きた現代でも行われる人身御供や生贄に近い因習だろうな。

 例えば、そこな魔女のように男共に陵辱されるだろう。その後、親族が穢れた女が醜いからと殺す。身分違いの男女の恋は禁忌として、その女は欲に溺れて醜いと殺す。それと文化を守らないからと、何か苛立つから殺す。

 まぁ、汎人類史の本質とも言えるな。

 人間は、そうやって薄汚い社会正義に従い、人間の命を剪定し、社会適応する遺伝子進化を繰り返した知性故にな」

 

「ほぉ……―――何だ、共感出来る下衆さだ。

 汎人類史の人類種、褪せ人と何一つ変わらんのか。成る程、灰が救いたくなるのも頷けるぞ。古い獣などと言う温い外的要因で滅んで良い生命ではないようだ。

 苦しみ抜き、自業自得の悪因を克服し続けた未来の果て。そこに至らねば、自滅も許されぬ。否、自滅以外の死滅は許されぬ。我等と同じく、今更に清く在る事が欺瞞となり、醜く在らねば過去が憐れとなる」

 

「やはり貴様、余の同類の儘か……―――カルデア、当たりを引いて何よりだ。

 平和に見えようが、醜さが薄れただけで、人類史の何処の国も人間性は変わらんさ。勿論、特異点化した葦名幕府が支配するこの日本もな。

 尤も、それが素晴しいのだ。何もかも焼き尽くす情熱の愛もまた、獣の心を持たねば愉しめぬ故にな」

 

「止めなさい。人間性の話なんて、辛気臭い。私達みたいなのが人間を語ると、結論は獣性に辿り着くって決まってるじゃないの。魔女と嘲られる私にだって分かっています。

 結局、関わるべきじゃないのよ。幾ら殺しても殺戮に満足はない自慰の坩堝。

 そもそも政治家や国家、あるいは宗教の為に人を殺す奴等と共感し合えない。

 他者を守る為に無実の人を殺す何て意味不明だし、生きる以外の殺人は極悪。

 私達は自分の為に人を殺す。自分の為に銃を握り、殺戮を行う人でなしの輩。

 私も所詮、人の罪から孵った赤子が、唾棄すべき邪悪に育った幼年期の姿だ。

 そんなどうしようもない憎しみや憤りより、風呂入って、飯食って、糞して、寝て、日常を繰り返して、自分の魂から逃避して―――で、仕方無いと悟れば良いだけの話だわ。

 結局、そう在るから私は魔女として存在する。

 皆、根源は同じでしょう。目の前の命を救えるなら、何も考えず気楽に救っときゃ良いのよ。んで助けられたら、痩せ細った自尊心を満たせて良かったと善き悪行に酔う快楽へ浸る。うだうだ悩むなら、その日は自殺したい気分で自害したって事だけなのですし?

 そもそも平和に生きる人間の視点からすれば、私等みたいな殺人狂い、とっとと死刑判決してこの世から一秒でも早く死んだ方が良い精神異常者でしかありませんし?」

 

「そうよな。社会不適合者な上、生きるに苦しむ存在不適合者は、倫理に苦悶しようが我を貫くのみ。そんな事より今の貴様は、とっとと風呂に入りたいだろうしな」

 

「当たり前じゃない。お湯、沸いた?」

 

「うむ。盾騎士の温度調整は完璧だ。奴こそ風呂奉行よ」

 

 丁度その時、簡易浴場から盾騎士は戻って来た。彼女にも葦名電磁脳波塔からの脳波放送が聞こえていた筈だが、彼女は何一つ思っていないのか、先程と何一つ変わっていなかった。

 

「薪、焚いてきました。順番は何でもいいですが、ダルクさんは最後です。その間に御飯の準備は進めますので、最後のダルクさんは念入りの長風呂でお願いします」

 

「分かってるわ。との事で藤丸、もし誰か一人でも入浴シーンを覗く場合、最後の最後まで皆と致す決死の覚悟で覗くことね」

 

「分かった。死にたくないので、狼さんと五目並べして待ってます」

 

「意気地無しね。夢のハーレムじゃない?」

 

「―――ふ。今日はまだ死ぬのに良い日ではないと思うんだ、ジャンヌ」

 

「そうね。隣で銃をクルクル回して威嚇する所長ちゃんも怖いので、今日は御誘いだけで我慢しましょう」

 

「何と。なら魔女よ、今日は余と―――」

 

「―――黙れ、変態皇帝。そんなに盛りたいなら、他の変態を誘ってなさい」

 

「なら、褪せ人。余、致したいよ」

 

「すまん、暗帝。私、好きな人間がいるのでな」

 

「巫女のメリナか。やれやれ、一途な事だ。あの娘、貴様には意図的に素っ気無い雰囲気だったが?」

 

「それが良いのだよ。深く好かれようとされず、程々の友人程度の距離感を保とうする意地らしさが、とても可愛らしい。

 他の人間は分からぬ無能で在れば良い。

 私だけが、彼女の可愛らしさを理解していれば、それで良い」

 

「そう思えば貴様、あの娘の為に分かった上で欺瞞に飛び込み、むしろ真実を理解した上で、自分の狂気の儘に狂い火の王になった口だったか」

 

「何も無い私にとって、守るべき者は最初から一つしかなかった故。ラニさんには悪い事をしたが、そもそも律と言う宙の欺瞞を焼き払いたい欲求を否定するのは、私は私自身の魂に出来なかった。

 結果、狂気が正気と化した。

 救えぬ者の運命を啓き、積もる怨念を晴らす路は、黄色の病魔のみだった」

 

「貴様も余と同じ、何もかも焼き尽くす情熱に浮かれた化け物だったな」

 

「同類、故に友だ。故、共に憐れむ無様さで在る。合わせ鏡は互いの狂気を正しく映す」

 

「―――そこ、無駄話する前に入浴準備して下さい。

 ほっとくとする人生哲学を語り合う癖、説教臭いから私は嫌いです」

 

「キリエライト、なら若い話をしよう。貴様、どんな性癖の持ち主だ。余は全てが自分の思いの儘と考え、実際にそんな能力を持つ人間を従順な召使いに調教するのが大好きだ」

 

「貴公、好きな体位を教えて欲しい。実はこれ、狭間の地に伝わる文化的な占い方法なのだよ」

 

「セクシャルな質問は若くありません」

 

「余達の年齢を考えれば、中年が嗜む下世話な下ネタは、まだまだ若いだろうに」

 

「そうだそうだ。貴公は本物の清純ではあるが、年齢を考え給えよ。清き湖面も停滞すれば、爛れる様に腐れるのだ。

 ならば、清らかな年増など腐敗の眷属と何が違うのか?

 盾騎士、キリエライト。私は乱れ狂うもまた健康だと思うのだよ。

 との事で、一番風呂は貴公が入り給え。頑張った奴が一番報われるのが人道と言うものなのだよ」

 

「あー……御好意は受け取ります。皆様は?」

 

「準備出来た風呂の前に、コジマと放射能の汚染除去しましょう。その後、結界魔術で無菌空間を作りますので、そこから風呂に入るのが良いんじゃないの?

 勿論、風呂はキリエライトからでオッケーね。

 まだちょっと雑談タイム延長したいし、時間は腐る程にある訳だし、急ぐ必要もないのだし」

 

「御意の儘に……」

 

「オルガマリーに賛成」

 

「余、構わんよ」

 

「俺も所長に賛成」

 

「私も」

 

 個性豊かな意見がバラける集団な様でいて、一致団結する速度は一瞬。正体不明にして概念錯綜する理解不可の魔術理論―――即ち、正気が抉れる魔術を所長は即席で作り、オーロラ色に発酵する波動を右手から出し、盾騎士の汚染除去を始めた。

 その上で小型結界を作り、移動式個人結界と言う魔法レベルの神秘を盾騎士に張り付け、風呂場まで無菌状態を維持する様にした。

 

「ニョニョニョパニョ~ン……―――と、はい終わり。

 細胞自体は勿論、細胞内の遺伝子やミトコンドリアなどの細胞小器官も綺麗にしといたから、汚染症候群の罹患は気にしなくて良いからね」

 

「脳と内臓が良い気分です……まぁ自前でも出来ましたが。とは言え、御厚意には感謝します」

 

「キリエライトみたいな御嬢さんに感謝されて、おばさん嬉しいわ~」

 

「そですね、アニムスフィア」

 

 冷徹な目付きで素っ気無い返事をした盾騎士は、脳内空間に下着と部屋着が入っているのを思考で確認した後、グンマ薪で焚かれた浴場に進んで行った。

 

 

 

 

―――◇◇◇<◎>◇◇◇―――

 

 

 

 サイタマ殺戮区画の夜空はとても美しい。星団が光り輝き、月が異様なまで大きく煌く姿。第三次世界大戦後に起きた第一次世界核戦争による惑星環境破壊によってオゾン層はほぼ崩壊し、太陽から生物の細胞を破壊する有害宇宙線が地上に降り注ぐ様、地球を覆う自然の防壁は消え去った。大地から見る宇宙の姿は在りの儘の姿となり、星が死滅することで澄み切った空気は、ソウルの霧が薄れた日はとても綺麗な夜空を演出していた。皮肉にも灰による核熱爆弾により、霧は吹き飛ばされていた。

 本来、美しい故に人間の細胞を破壊する死の夜空。

 だが、所長と盾騎士が張る結界により人間の生存隔離空間が作られ、団欒な夕食会を演出する事が出来ていた。

 

「ゴチ」

 

 そして、短く、力強く、魔女は手を合わせて祈りの言葉を言い放つ。

 

「にしても藤丸、何故覗かなかった?」

 

「行くなと囁いたんだ、俺の第六感(ゴースト)がね」

 

「意気地無しね。灰が支配するこの特異点の日本、覗き規制する法律なんてないじゃない。混浴云々は基督教圏の影響でしかなにってのに」

 

「古き良きローマも、中世日本と同じく混浴だった。余も人を選ぶが混浴派だ。どうせならば、身と同じく心も情熱的に暑くなりたいのだ」

 

「エロ目的じゃない」

 

「私、性欲は褪せてないぞっと。その気になれば、顔はそのままに男の肉体に変身も出来るぞ」

 

「お。行ける口か、褪せ人」

 

「私は歴戦の戦士だ。寝まくったデスベッドでコンパニオンな美女……うむ、これは言い方が悪いかな?」

 

「悪いな。だが敢えて、そう言う意味でも余はインペリアル級である」

 

「では、英雄を抱くのを使命とする死衾の乙女と、暇があれば円卓で壺大砲したものだよ」

 

「―――壺大砲。即ち、ジャルキャノン。

 キリエライト、機関盾を愛する貴様はどう思うか。ローマ的に浪漫へ通じる貴様は、余を通じて壺が見えるだろうか?」

 

「愛、そのもの。壺を愛する狂気が啓かれますね……ッ―――はぁ、もう良いです。

 少しこの特異点、脳が溶けて苦しいです。脳細胞が少々蕩けた様で……はは、まぁ核熱兵器の放射能でソウルが焼けたのですから、お風呂入ってご飯食べた程度では、精神がまだまだ回復しませんね」

 

「脳と魂でダメージが残ってるわね。寝ても回復し切れないから、ちょっと後で私の所へ来なさい。ロマニ直伝の精神分析からして貴女、例えるなら統合失調症手前な脳を精神力で抑え込んでる雰囲気で……うーん、脳神経細胞が自責の念で生物機関的に狂い出してる感じかな。

 カウンセリングと私自家製の精神鎮静剤で応急手当でもしておきましょう」

 

「やっぱり、そうですか。自分の脳機能を自己暗示と薬物投与で殺戮思考に特化させた所為かも知れませんが、戦闘関連以外だと最近は考えが纏まり難くなってるのですよね。戦術戦略はむしろとても冴え渡り、人を守る時は何一つ迷いが消えて無を悟れるのに……人殺しを愉しく考えてると、どんな風に女子供殺そうかショッピングするみたいに迷ってると、鈍い頭痛もアミグダラからしないのですが。

 あぁ、エミヤさん……貴方の苦悩が啓かれます。葛藤が痛みを消してくれます。

 鉄の心なんて持つものじゃなかった。そう在らないと止まってしまうのに、歩き続けないといけなかった。ドクター……あぁドクターロマン、どうして貴方は私を動物から人間にしたのでしょうか?

 機械の左腕が痛いです。怨念が冷たく熱く、鋭く鈍く、亡くした生身が、この痛みが、喪った過去を教えてけますか?」

 

「あら、ロマニの幻覚に加えて幻通も発症してるじゃないの。成る程……あぁ、そう言う関連か。

 藤丸に会ったのが、心に致命傷を負ってる訳ね。癒えない魂に清い良心は劇毒だから、善性が罪と言う傷痕に塩を塗る。仕方ない事だけど、仕様がない事だし、壊れちゃったら治せるから良いんだけど、そう割り切るのは奴が与えた人間性が私の魂へ痛みを与える」

 

「アンタも良い感じに、この葦名で外道具合が腐れたわねぇ?」

 

 その様を魔女は嘲笑った。心の底から可笑しくて堪らなく、彼女は自分に融けた遺志が獣性に酔うのを喜んだ。

 

「ふふふ。貴女は随分とフランス特異点とは違って、人間味が増した様ですね。女子供を竜に喰わせる何て真似、もう出来そうにはないわ。

 心、痛むのでしょう?

 復讐、もう酔えないでしょう?

 灰も非道よね。復讐しかない火と悪徳の赤子を、今の善なる正しさを得るのを想定してそう作ったのだもの」

 

「――――拷問よ。今の一分一秒全てが、心地の良い地獄なのよ。

 私の魂に融けた子供達の怨念が復讐しろと囁くの。赤子だった私に、今も赤子な遺志が、自分達を殺した魔女を作った元凶を苦しませろと、赤子に人殺しをさせた人理を焼き尽くせと嘆いている。殺戮を良しとした人理を滅ぼせと、人殺しをしたくないのに願ってる。

 長い時間の果てで、皆が私の罪を赦したの。

 何で人生を奪った私を、どうして赦したの?

 でもね、私は星見の貴女が全てを理解しているのを知っている。頭蓋骨を啓いて、脳漿を啜れば、きっと全てを理解出来るのも分かってる」

 

「求めるなら、別に構わないけど?

 ほら、カルデアに力を貸してくれる対価に、私程度の命と脳で足りるなら、むしろ毎日ずっと上げます」

 

「だから好きになれないよ、星見の狩人。ほら、キリエライトが狂い始めてます。

 大事な人間の一人で、貴女みたいな外道女が大事に思える稀な善人なのですから、ちゃんと助けて上げなさい」

 

「そうね。でも、自分で罪を犯した自分を許せないって人間性を得られたのに、殺した相手に憐憫によってその人間性を許される何て、ある意味で貴女もまだ幼年期みたい」

 

「罪科について語り合うなら、今晩からでも良いのですよ?」

 

「今度ね。今はキリエライトの精神を治したいので……はぁ、ごめんだけど隻狼、藤丸の方の様子は見ててくれない?」

 

「御意の儘に……」

 

「じゃ、宜しく。んー……あ、そうだ藤丸。キリエライトの事は心配しないでって言っても、絶対心配し続けるだろうから、取り敢えず明日の朝に一杯構って上げる為に今晩はちゃんと寝なさいね」

 

「わかりました、所長!

 明日、メッチャ心配するために良く寝ます!」

 

「凄い割り切り、安心するわ」

 

 所長はひょいと盾騎士を抱き上げると、寝床まで歩き進めた。症状からして精神的損傷は、核熱爆破以上に百人分のソウルの奔流を守り続けた時に使い潰したソウルの摩耗具合だと見通し、弱った魂で核熱を防いだのが止め一歩手前にまで精神錯乱が進んだと判断した。

 灰との殺し合いは、魂を否定し合うソウルの削り合い。

 精神的摩耗も同時に起き、死と共に心が折れる絶望だ。

 火の簒奪者を百人相手に回したと思えば、心が折れる直前で踏み止まり、魂が少し崩れる程度で抑えた盾騎士の精神力が桁外れに強かった。

 

「では藤丸殿、俺とチンチロでも……やらぬか?」

 

「昔、時代劇で見たね。盲目の剣士が、イカサマするヤクザを斬り殺しまくってたアレでしょ?」

 

「カルデアにて、嘗て見た。動く絵巻、良き文化なり……」

 

「オッケー、私も参加するわ。金を賭けても意味ないし、負けた奴は脱ぎましょう。言わば、脱衣チンチロね」

 

「魔女よ、愉しそうよな。ならば余も参加せねばなるまい。

 ローマの混沌極めし性文化に敵う娯楽か、否か……暗黒皇帝たる余が直々に遊んで見極めてやろう!」

 

「脱衣となると、マスターは不利なのでないかな。今の礼装、肌に張り付くほぼ一枚みたいな装備にしか見えぬのだが?」

 

「―――断固、反対!!」

 

「しかし、それが良い。マスターが羞恥に染まる貌を見るのを想像すると、胸に迫る感動のような衝撃がある。成る程、やはり褪せ人たる私は、人間の生の感情こそ最高の娯楽となるのだろう。

 ふぅむ……う、思わず、我が聖槍がニーヒルしそうになる」

 

「ニーヒルさん!!?」

 

 ―――これより十分後、忍びはフンドシ一丁の姿となった。

 所長が盾騎士に精神処置し、眠るまでの間に楽し気に会談を行う他五人。灰が召喚した火の簒奪者の一人、機巧の簒奪者(エアダイス)が擬態によって小石に変化して観察しており、サイコロ遊びで忍びがほぼ全裸になったのを訝しんだが、魂レベルで小石になっているので感情面で一切の揺らぎはなかった。

 この灰は、技術狂いの一人。工房のフォルロイザと絡繰のファロスと共にカルデアの核製造技術を学んだ後、灰が撃った核熱兵器作成に協力した男。彼はソウルの奔流と最初の火によるエーテル干渉タイプの核熱が引き起こす放射能汚染が、人体に与える悪影響を知る為に此処へ来たが、思った通り全員が無事であり、少しばかり安心することになった。

 灰に召喚される前、彼が人王をしていたのは自分が火を奪った暗黒時代の人代帝国。不死たる人間が何処まで進化可能なのかと技術力の発展を好んだ灰は、己の王国を神代以上の文明技術によって巨大帝都に作り上げ、蒸気機関文明まで押し進める事が出来ていた。

 しかし、人理の人代を知り、核文明を啓蒙された。魂が物理干渉を受けるソウルの業を根底とした神秘法則の絵画たる異界だが、物理法則はソレとして確立されている。そして異界だろうと物質も元を辿れば、ビッグバンより数億年後に生まれた巨大恒星の超新星爆発による原子創造であり、星の大地も人間を構成する有機物も、遥か太古の宇宙で爆裂した星があらゆる星と生命の母であり、それらの宇宙塵が集まって銀河の星の一粒一粒が生み出た。

 ビッグバンが時空間と最初の物である水素を作ったのであれば、最初の星は命と銀河の始まり。大元を辿れば灰の生命起源もまたソレより生まれたモノであり、全ての宇宙生物の始まりだろう。

 己の魂が、宙に求められた故。

 機巧灰(エアダイス)は、星見に感動された。

 余りにも美麗な曼荼羅模様である銀河群の正体を灰は知り、閉じられた自分の世界にはない宇宙を知り、しかしこの広大な宙の世さえも閉じられた世界の一つ。やはり、自分たちにとっての闇たる生まれ故郷が、この宙の世界で生まれたヒトにもあるのだと。

 

「あれま。貴方、私の魂に感応して宇宙を夢見てた?」

 

「ああ、君のソウルを見たからか。感動により、隠密が破られるとは。

 しかし、空か。美しい。

 闇の次に目指すべき地点ではないか。あるいは、空もまた暗い深淵に見える。命の根底、物質の根源を考えれば、この世もまた我々と同類だ」

 

「で、暴れる?」

 

「しない。ただ心配だった。特に、カルデアの少年が」

 

「核、撃っておきながらよく言う」

 

「マシュ・キリエライトに必要な火だった。現人類による汎人類史の火こそ、彼女のソウルに絶望を焚べ、人間の進化に対する失望を与えよう。

 君達を裏切る際、彼女には心底から納得して貰いたい。

 我々の知性の本質が闇の一匹である様、君等の知性も所詮は猿。如何程の残虐性も、原始の縄張り争いと何一つ変わりはしない。

 始まりは変えられない。変質しない根底がある。

 魂からして、人とは人の儘に人の命を簒奪する」

 

「貴方は、そう言う人間性が好きみたい」

 

「悪が為す罪もまた、事実。魂の為に火を奪ったならば、魂に嘘を吐くのは心苦しい感傷が生まれる。

 だからか、獣狩りの彼には彼女との絆を結んで頂こう。

 悲劇の土台となるのは、幸福だった今までに他ならぬ」

 

「じゃあ、もう帰って。今日は眠いし、戦う気分じゃない。

 百八もいる火を宿す灰の一人でしかないとしても、その貴方一人が本気になると私達七人全員より強いし、殺し合いも巧いから嫌なのよ」

 

「ああ、分かった。他ならぬ、オルガマリー・アニムスフィアの願いだ。叶えよう。

 君には、人類叡智を我ら灰に啓蒙した恩義があるのだから」

 

 ゆらゆらと小石は揺らぎ、時空間に蕩けるように姿が消え去った。

 

「ふぅー……」

 

 溜息一つ、所長は吐く。

 

「……煙草、吸お」

 

 モクモクタイムに外に出れば、小石に化けた灰。リラックスをする筈が神経を擦り減らし、彼女は独り言が漏れるのを抑えられなかった。

 ―――その時より二時間後の深夜、関東平野を疾走する巨大過ぎる物影。

 名称、グレートウォール。葦名で作られたアームズフォート最後の一機にして、今は森番灰(マスク)が運転手をしている殺戮機構であった。

 

「君、運転が荒い。動力炉の魔神柱型聖杯、壊れ掛けてたよ。自動弾薬補充システムがアラートを出してた。まぁ、直したけどね」

 

「エアダイス、メンテ御苦労。感謝だ。しかし、アンタら技術屋の灰さん等が作ったあの核熱の火、とても美しかった。特に、森に自生していた茸人も思い出す見事なキノコ雲だったさ」

 

「マシュ・キリエライトの為だ」

 

「オリジナルのソウルに火を啓蒙する所以、分からぬ善意ではないが……うぅむ―――好みではないな。

 汎人類史の火を使わずとも、彼女の魂に火を宿す手を捩じ込み、捏ね繰り回し、精神を手厚く冒涜すれば良かった事だろうに。

 失敗は、カルデアの英雄が真なる救世主へ転生する自体となろう。

 余りにも悲劇的過ぎる末路は救済を茶番へ落とす。見るに堪えぬ。

 やはり人間、森が一番だ。自然と共に生きるサバイバルが宜しい」

 

 森番灰(マスク)は自作の仮面兜―――父母子の三面頭を揺らし、グレートウォールの巨大砲門を見ながら、甲板のテラスで葦名産エスト緑茶をシバきつつ、水生水羊羹を一本丸ごと丸齧りしていた。

 更に自前で鍛え上げた黄金巨人鎧を森番灰は普段着としても着込み、鎧は金剛石より遥かに硬く、粘土以上に柔らかく粘り、羽毛の様に軽い仕上がりとなっていた。何でも、この葦名に来て学んだギリシャ方面の宇宙文明の神話技術をソウルの業と混ぜ、特殊素材巨人鎧に改良したらしい。尤も他の灰も似たような装備の葦名式改造を行っており、森番灰の鎧の特殊性は珍しいものではなかった。

 謂わば、スペース三面仮面巨人鎧アンデット。

 それこそ森番の簒奪者、マスクの正体だった。

 とは言え、灰達の技術発展を大幅に齎した灰の一人こそ機巧の簒奪者、エアダイス。工房灰(フォルロイザ)絡繰灰(ファロス)と意気投合したのが悪かったのだろうと彼は思いつつ、殺戮兵器で抑止力の英霊を撃滅するゲームは愉しかったので何一つ問題はなかったと判断した。

 

「では、君が家庭菜園するグンマ封印区画は良かったのか」

 

行商灰(メレンティナ)から、アンタらが英霊狩りに使った最後のアームズフォートを啓蒙に導かれて買ったからな。森での人狩りゲーム用奴隷に飼ってた英霊憑依型キリエライト素体を数匹と、英霊のデーモン数百匹分のソウルは良い値段だった。

 ならば、使わないのは実に勿体無い。あぁ、この勿体無いと言う感覚、日本人を殺してソウルを奪って得た素晴しい人間性だ」

 

「節約精神とはまた微妙に違うからね。しかし、メレンティナめ……人狩り好きな森男へ兵器転売とは」

 

「森男と言うのは止め給え。でアンタ、何しに来たさ?」

 

 そして、森番灰は動力源聖杯と管理AIシステムが直った兵器を再起動。不死化した住民に機関砲とミサイルをグレートウォールから試し撃ちをしていた森番灰は、まだ試射遊びを愉し気に再開。殺戮兵器の的になる事で死に生き続ける人間地獄を茶の肴にし、断末魔と共に発露するソウルを貪り、命を森狂いの不死らしく娯楽にしていた。

 此処は―――チバ遊園区画。

 灰に召喚された灰共が開発した兵器を、対人で遊ぶ旅行先の行楽地であった。

 

「―――カルデアを、襲撃し給え」

 

「成る程な。我等の召喚者、アッシュ・ワンの救世思索に反する気か?」

 

「いや、逆だな。思索内に収まる異常だよ。葦名市を覆う幻覚の結界、その術式の核はグレートウォールに搭載する魔神柱の聖杯に組み込まれている。

 星見のオルガマリーが、本格的に動き出そう。

 古い獣狩りの一環となる試練だ。元より全てのアームズフォート、破壊される運命だった」

 

「おい、待て。俺、この玩具をソウル払って買ったんだが?」

 

「故の転売だ。憐れだよ、最強の一人である森番の君が、より素晴しき災厄としてカルデアに立ち塞がる壁となった。

 行商の簒奪者は、己よりも君こそ相応しいと娯楽を譲ったのだろう」

 

「はぁ……―――フ。悪役遊びが、これの本質か。

 ―――素晴しいじゃないか!!!

 カルデアと遊んだ凡剣の野郎を羨ましく思っていた処だ。ソウルの奔流で盾騎士の心を甚振り犯すだけじゃ、人間性より無限に湧き出る嗜虐心を癒せないでいたんだよ」

 

「ありがとう。協力して貰えるなら、このグレートウォールを少し改造しようと考えてた」

 

「宜しくな!!」

 

 本来の森番灰は、森での殺し合いを極限まで極めた殺戮者。自分と同程度の敵を同時に十人相手にした一対多の戦闘だろうと、平然と勝ち残る殺し合いの化身。葦名に召喚された全ての灰がそう在るが、森番灰は殺戮技巧が測定不能なEXランクの中でも上澄みに位置する。

 即ち、殺したサーヴァントのソウルから簒奪した霊基概念に因り、今までの不死人生で鍛えた業に付いたその名こそ―――殺戮技巧。

 既にEXランクではあるが、灰は今を生きる生粋の人間である。

 あらゆる業が成長過程であり、魂も進化を終えていない幼年期。

 グレートウォールで人を殺す程にソウルは深まり、より豊かに成長し、不死化した日本人を蘇る度に殺し続け、ソウルを食べる度にその人間が歩んだ悲劇的人生を映画感覚で愉しんだ。

 

「しかし、汎人類史か。うむ、良い歴史観だ。俺がこうして霧に犯された不死身の日本人を殺しているが、向こう側の正しい善なる世界では確か、アメリカ人が日本人を生きたまま空から火炎壺を落として焼き殺していたんだったか。核熱兵器の元になった核爆弾も、人殺しが堪らないそのアメリカ人とやらが日本人殺戮実験で使ったのだろう?

 何とも、正義の味方らしい。俺は愛と正義が大好きだからね、この世の人間性から魂の正しさを学びたいのさ。

 故、これは素晴しい殺戮だ。本音を言えば、もはや嫌い過ぎて奴等の様な屑へ皮肉を言うのが愉し過ぎて、凄く好きになった感じだね。

 ……全く、指先一つで人殺しをするとは。自分を神だと勘違いする正しい善人は、やはり生きているだけで気色悪い。命を奪うのならば、己が魂を賭すのが我等の人間性の在り方であり、人理に生きる人間の進化では魂が致命的に腐れようて」

 

「人が人を殺すのは何時もの営みであり、アメリカ人による日本人の焼却虐殺はほんの少し前の話だ。しかし、歴史の勉強は良い事だ。外側の人間が日本暮らしをする礼儀でもある」

 

「だろう。俺も一人の在日火の無い灰だ。文化文明、全て吸収したいのさ。素晴しいものは、やはり素晴しい事に変わりはないのだからね。

 ひゃっははははは……この特異点、その歴史も変わらん。

 やはり自然、特に森で人殺しをするのが一番だ。とは言えね、このグレートウォールは別腹としてソウルの食餌を行っているぜ」

 

「皮肉が好きなのは本当だな。私も同じだ。あれが他世界を殺し尽くす程に価値のある正しき在り方ならば、人間らしい様に錯覚するだけでの神気取りだ。

 人間性だけは、人間の魂に嘘は決して許されぬ。

 選定し、剪定する等、欺瞞そのものだ。我等を人間にした雷の神が空に描いた太陽と同じ、偽りの甘い生で魂が世界に騙されている」

 

「だがアンタ、殺したい程に好きなんだろう。皆、同じだよ。俺も好きなんだ、命と魂がね」

 

「あぁ、そうだ。だから彼等の人間性を学び、こうして人理に倣って特異点で殺戮を引き起こす兵器を作った。

 ―――明日だ。良いかい、明日だよ。

 サイタマ殺戮区画へ砲門からグレネードを撃ち込み、全てを轢殺し給え」

 

「承った。良し、殺そう。どうせ人間、死など直ぐ慣れる。

 ソウルの奔流を撃った翌日にまた遊べるとは、森に感謝しなければ」

 

 三面仮面兜を被る森番灰は肩を揺らして笑う。彼は翌日を愉しみにした所為か、嬉しそうに巨大列車から弾幕を撃ち放ち、死にたくとも死に切れない不死共を焼却した。

 愉しいから殺し、森に引き籠って殺しの業を窮め、愉しいと言う感情が消えても殺戮を極め、だが火を継いだ。その後、燃え尽き、遺体は埋葬された。

 森番灰は確かに、人が人らしい方が良いと思い、神の欺瞞を嫌悪した上で限りある人生を尊んだ。その末路―――時代の最後、灰となってロスリックに蘇り、やはり無価値な欺瞞だったと理解させられた。

 永遠の魂で在りながら、命を貴ぶのは錯覚である。

 美しいと思って個人の意思で他人の人生を歪める等、唾棄すべき欺瞞の極み。

 

「人間は強い。頑張れる。きっと誰もが、永遠に戦い続ける魂で在るのだろう」

 








 読んで頂き、有難う御座います!
 ぶっちゃけた話、火の簒奪者ルートの灰が出る二次創作を読みたいが、余り見ないので欲望が解き放たれて作った作品です。後、かぼたん殺しルートの古い獣な悪魔殺しと、幼年期上位者ルートの狩人様も読みたいので、悪魔合体させたクロスものとなります。書いてる間にエルデンが発売されて、狂い火ルートの褪せ人も読みたいので合流した雰囲気です。顔面狂い火なんて絶対面白いですからね。で、型月厨な自分としてはFGOも書きたかったので、一度に全部するしかないと思いました。
 しかし、それはそれとして、効率厨王殺しな対人狂いなのに糞団子を投げない灰が全く想像出来ないんですよね。糞団子投げない癖に灰を名乗ると凄まじい矛盾に襲われ、もはやキャラ崩壊レベルですので、自分がゲームでしていた事は全部ぶち込まないと脳液が切れてしまうのですよね。なので、糞真面目に糞団子を濃密に描写することでしか得られない脳液が得られる事を啓蒙され、私は糞団子の大切さに気が付きました。あぁ導きの糞団子よ、初見プレイ時に妙に強い道中の雑魚キャラを安全に殺してくれてありがとうございました。


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啓蒙83:太陽万歳

 宇宙には沢山の太陽があります。型月ワールドだと星にも魂がある設定ですので、夜空で光る星は全て魂の輝きでもあるのですよね。今回の話は輝ける星を目指し、遥か未来にて人が宇宙へ旅立つ愛と希望の物語な雰囲気にしています。
 ―――太陽万歳。
 


 葦名支部医療教会、大聖堂。美しい建築物。人が神を夢見る為の空間であり、人が神を象った被造物でもある。

 

「―――――」

 

 人差指の眷属。指の狩人、ユビ・ガスコイン。彼女は人間が神を妄想の中で模して作った本物と関わりがない像の前で跪き、両手を合わせ、真摯な姿で祈る。

 人界、葦名特異点。地獄。古都の悪夢。簒奪者達の灰都。核熱戦争後の廃都。

 目を瞑りながら教会の天井を見上げ、瞼も屋根も透視し、深夜の夜空を見る。

 暗い太陽。闇黒の火。綺麗な夜空と言う絵画を宙に描き、太陽は闇に隠れる。

 同時、月の狩人の人差指の紐であるユビは、宇宙深淵全てが啓蒙され、絶望。

 己が永劫の悪夢であり、宙の熱量は有限であり、この宙が自分より先に根源と言う現実へ目覚める事を理解し、宇宙よりも長生きするこの魂に恐怖する。

 

「―――酷い話だよ。

 月の悪夢から生まれたのに、恐怖する心がある何て」

 

「だよね、酷い話じゃん?

 でもユビ先輩が描くその絶望に歪む顔、悲壮感たっぷりで超可愛いよ」

 

「同じ眷属風情が、私を語るの?」

 

「自分語りと言う訳だね。でも、眷属って言い方は寂しい。何より、利休のソウルから学んだ詫び寂びの感覚じゃないね。

 ケ、イ、モ、ウ。私は田村ケイモウって言うの。

 カルデア救世主信仰を愛する宗教政党、啓蒙共脳党党首って言うのは知ってるじゃない?」

 

「気色悪い事をする。アゴニスト異常症候群罹患者を、そうやって理想を唱えて操るの、医療教会の屑共と変わらない」

 

「人間に、亡者も罹患者も、一般人も異常者もないの。人間は人間なの。見ている現実は脳が見る仮想現実で、五感が脳内で交わって情報より今を作ってるだけ。

 誰だって、そんな脳が見る現実から救われたいの。

 だから人間、夢見るだけで救われるのよ。何てお手軽に救える安い生き物なんでしょう。実に安価で素晴しい作りだと思わない?」

 

「思わない」

 

「うん。分かってるよ、ユビ。此処はソウルの業が支配する神秘異界。汎人類史みたいな安っぽい物理的な脳内現実じゃないし、魂が魂で見る本当の現実なのよね。

 なら、不可思議な話じゃない。

 祈った所で両手が塞がるだけ。

 こんな人間が作った聖堂で思い煩っても、貴女の脳は救世を夢見れないよ」

 

 祈るユビの耳元で絶世の美少女顔の人物―――ケイモウが万人の心を蕩けさせる甘い吐息を当てながら、野太い男らしい声を吐き出していた。

 

「月の廃棄物……廃人形が、夢を語るなんて片腹痛い」

 

「私は夢から生まれたの。だから、夢を夢見るの」

 

 狩人の夢に住む人形と同じ服を着る廃人形は、仕込み杖を紳士的に使い、カツンと床を突く。その結果、動物の皮膚が捲り上がって血肉が現れる様に大聖堂が剥がれ上がり、生き物の臓物の中に居るような異界常識が世界を支配する。

 気色悪く、気味も悪い。悪臭が漂い、肺が腐る程。(ユビ)は人格形成に利用された少女のソウルらしく、未知なるものへの不理解から生まれる恐怖心を向ける。

 

「………――――」

 

「あら、ユビ。その驚愕する雰囲気、勉強不足が露呈したね。思考の次元が低い馬鹿は呼吸してるだけで見苦しいんだから、ちゃんと神秘も学ばないと駄目よ。

 これ、結界魔術って言うの。固有結界でも使われる魔術理論・世界卵を利用してるから、擬似的な固有結界でもあるけど、ちゃんと説明するなら侵食固有結界って言った方が正しいかな。

 ちょっと最近、喰った魂の心象風景を混ぜ雑ぜして、絵画を書くように結構好きな世界卵を妄想出来るようになったの。人間の魂を絵具代わりにするのって難しそうだったけど、協力的な灰さんを手軽にちょいと殺して業を簒奪したら、結構簡単に出来るようになったのね」

 

「―――貴女、ただの眷属の狩人じゃない?」

 

「どーだろう……そーだろうかな。ま、良いじゃないの、ユービせーんぱい!

 実はこれ、変異亡者化現象を起こした人間を塊にして作った世界なの。例えば、この間の孤児院で起きた集団発病で誰かさんに殺された子供たちとかね」

 

「…………」

 

「あらー怒った顔もカワイイ~」

 

 ダン、と(ユビ)より散弾銃が発射された。その弾丸を廃人形は自分も散弾銃を撃ち放つことで、散らばり広がる弾丸の群れを同じ散弾で衝突させて弾き飛ばす絶技を披露した。

 

「残念。此処はイ”っちゃえば、再誕者の心象風景って所ね。上位者を甦らせる思索から私が得た思索……何て言えば良い謂い方だけど、まぁトゥメル人を利用したメンシスマジックの猿真似なんだけどさ!

 葦名市民で遊んでみて、脳を繋げて悪夢を見せてみたけど、得られたのはこんな夢の回想だけ?

 いやぁどうだろう、この夢見る心からもう少し先の魂が見られそうだけど……うぅーん、でも魂の先で見れる程度のって発生源の根源ワールドだけだし、宇宙を夢見る真理も良いけど、最初から終わりが決まった答えなんて興味ねぇのです。

 でもぉさ、それはそれとして旅するのも浪漫じゃん。其処ら辺、どう思うよ姉妹?

 宇宙が許したから私の魂が私と言う知的生物の命を得たのなら、この地獄って結末が孤児院の子の答えとなるなら、これが視点が違う脳が見る宇宙のカタチになるとは思わない?」

 

「宗教思想での思索遊びに、私を巻き込まないで。この狂人」

 

「うっひっひひひっひ。ヤーナムでも日本ってそれなりに名の有る土地じゃない。折角の旅行なんだから、何もかもをタノしみ尽くさなきゃさ、呼吸してる時間が勿体無いよ。

 そうそう、この勿体無いって感覚、日本人が持つ自然信仰を根底にする民族心理を理解しなきゃいけないんだよ?」

 

「その程度は分かるよ。神話にある天皇家以前の、縄文時代の宗教観念でしょう」

 

「それ、その信仰理念こそ、葦名の神様ーズの本質だよ。元より、人間が作ったナニカを祈る対象にするのは邪道も邪道。況して人間を神とするなど、余りにも外法。先史文明に生きた日本人にとって祈るに値しないのさ。

 私はそれが好きでさぁ……葦名の古い神は、カタチのある神を犯すのよ。

 上質な神秘そのものって言うか、私が思うに上位者オドンに近い性質かね?」

 

「…………」

 

「睨むなって、指パイセン。何で此処で話を戻すと、この固有結界は真性悪魔のやり口を真似た我流の神秘って訳なのよ。

 夢見る脳が見る現実。分かり易く言うなら、仮想現実って感じ?

 あー……ユビちゃんは仮想現実って分かる?」

 

「分かるよ」

 

「じゃ、此処はそんな所。死んだ命を経た魂が夢見る死の世界ってことさね。既に脳を持たない残留思念に魂が宿り、それでも死者が繋がり合って夢見る現実の光景ってこと。

 実に、興味深い。生前と死後の世界である根源を魂は知っているのに、経験した人生が持つ視点によっては死後の世界がこうも様変わりするとはね」

 

「此処の連中が、そうさせただけじゃないの……」

 

「でもでもぉ……それを美しいと宙は夢より地獄を観測するの」

 

 ぐちゃり、ぬちゃり、ぐにゅじゅ、と一歩進む度に床を踏むと気色悪い音が鳴る。

 

「つまり、簡易的な思索実験ってこと。上位者の眷属である私は、この葦名で古い神を血で理解する事が使命なのよ。

 勿論、暗い魂の血との反応の方も同じく大切な人体実験。きっと人間、脳をとことん進化させれば、何もかもを理解出来る生物になれると思うんだ。

 そうすれば、脳神経は銀河系と同じ煌きとなって電気信号を放ち、宇宙が描く太陽生命樹の曼荼羅が頭蓋の内に拡がるの」

 

「太陽……?」

 

「んー……あれだ、量子力学って分かる?

 いや、分かってるに決まってるか。現代物理学は習得してるもんね。まぁ、真エーテルが宇宙法則は更に加わるから、ちょい厄介なんだけどさ。

 ほら、宇宙が出来た後に生まれた巨大恒星、要は最初の太陽が出来て、その火がボンと弾けてさ、色んな原子を作って、星と生命を作る物質を作ったのは分かるじゃない?

 物質創造の原理って話。この物質界において、世界に生まれた宇宙がエネルギーに形を与えた後、その物質自体が今の多種多様な種類に進化した絡繰だよ。簡単な話、宙で燃える火によって宇宙内部で物体は生成されたのよね」

 

「………物自体が、進化したってこと?」

 

「当たり前じゃない。そもそも生物を構成する有機物だって、大昔に弾け死んだ太陽が作ったのよ。太陽の火がなければ、この宇宙はただの水素ガスが充満する空虚な風船って話じゃない。宇宙が生んだ最初の物質を、太陽の火が此処まで増やしたの。

 私はね、それを知り得たいのよ。

 因果律を解剖し、宇宙内部をそうした理屈を見てみたい」

 

 廃人形は爛々と瞳を輝かせ、視線で以って指の狩人の心を冒涜する。精神解剖を愉し気に行う。

 

「私達にとっての最初の火、宇宙の何処かにあるのよ。最初の太陽が、宇宙暗黒なる深淵で輝いている。我々は太陽の残滓なのさ。

 その魂を葦名にて、ワタクシは啓蒙されました!

 灰達が火を手に入れた様に、私は私で我々を生んだ最初の火の、その星の魂を貪り尽くしたい!」

 

 ―――恐怖。

 

「あぁ宇宙よ――――!」

 

 きっと出会うべきではなかったのだと、夢見る瞳が彼女の脳を啓蒙した。

 

「どうか生命を生んだ魂よ、根源より魂を求めた暗き宙よ、貴方を美しいと感動する私を御照覧在り給え!」

 

 輝ける星から始まった銀河系に思いを馳せ、地球人として廃人形は宙を夢見る浪漫に耽り、クルリクルリと一人回って踊り狂う。

 

「宙に生きる全ての命に祝福を。

 根源に還る全ての魂に福音を。

 我等の悪夢がきっと、貴方が魂を望んだ世界を解剖します」

 

 (ユビ)は理解したくはなかったが、分かってしまった。何故この人間が神よりも悍ましく、恐ろしいと思ったのか。いや、この葦名にいる灰達に対する恐怖の原因と、悪魔殺しに対する畏怖でもあり、そして自分を眷属として生み出した月の狩人に対する根源的恐怖。

 魂を、徹底して魂として観測する思考。根源を観測した後、尚も湧き出る知的好奇心。

 悪魔殺しの悪魔が、古い獣より守ろうとした相手を理解してしまった。灰がそれに協力する理屈も今、指は辿り着いてしまった。

 

「人の魂を守るって……そう言うことか」

 

「あぁ、その閃きこそ脳の進化よ。指のユビ、ユビ・ガスコイン。宇宙の外側から獣を呼び込んだ人類種の罪、それは要人と言う自滅因子に対する人間からの贖罪。

 既に滅んだ古い話の因果でも、終わらせないと永劫に償い続けるしかないじゃない?

 剪定事象程度の自浄作用じゃ、古い獣を無かった事には出来ないの。悪魔殺しは人間と言う生命を無駄にしない為にも、太陽が生命を作って魂の楽園となった宇宙を崩壊させない為にも、人の業が宙に生きる魂を貪る暴挙を抑えないといけない」

 

「でも、貴方の邪悪が許される訳じゃない。宗教遊びをする教区長も貴方と同じ悪い人で、医療教会は嘘吐きだけど、彼は本心より真面目に罪を犯してる。その罪科が、きっと自分の魂に善い行いだと思い、悪魔みたいな好奇心を大事にして周りの人達を地獄に落とす。

 けれど、貴方は全然違う悪人。遊びたいだけの、宗教詐欺師。

 なによ、啓蒙共脳党って。ふざけてる馬鹿の考えじゃないの」

 

「観点が違うの。彼は宗教を思索の為の道具にしただけで、信仰心も組織運営の動力源に利用しただけだわ。

 私はね、この世で生きる魂の働きを良く見たい。人生を通じ、根源から生まれるその情報動力源が、一体どんな理由で宇宙に存在するのか……宙に何を求められているのか……どうか、私の思索を通じて知りたいだけなの」

 

「貴方、根源に還れないのに?

 私と同じで結局、夢見る月の脳にしか居場所はないんだよ」

 

「だからこそ、知りたいの。宙を夢見る高次元……魂の作り方、元より原材料は何なのか、そもそも魂は最初から魂なのか、私は私で在る真実を何一つ理解出来ていない。

 この宙の命が、火の死から始まったのなら……あるいは、死の世でもある根源における更なる死を、私は啓蒙されなければ疑念ばかりが膨らむの。

 これは、その為の一歩。生まれた価値を、私はこの魂に証明する。

 ユビ・ガスコイン。貴女は貴方の思索に殉じれば良い。月の狩人の思惑通り何て肉細工に甘んじないでさ、あんな糞野郎の思索に付き合う必要はないし……そもそも貴女が自由で在る事を、狩人は望んでもいる」

 

「―――嘘」

 

「嘘じゃない。ホント、ホント。ま、全部じゃないけどネ!」

 

 直後、床から人間が出産される。裸の少女が一匹と、少年が五匹。

 

「見覚え、ある?」

 

「………」

 

「ソウルって不可思議だよね。魂、肉体、精神は巫女の死で滅んだけど、死後の魂は特異点に捕えられてるから、ちょっと夢を通じて肉を与えてみました。んで魂って精密な記録が刻まれていてね、それを遺伝子みたいに使うとこんな感じで結構楽に第三魔法が使えます。

 宙から来たあの狂い巫女は不死者を殺せるけど、ソウルの異界で魂を消失出来る訳じゃない。

 そもそも無の次元から生じた魂を、無から完全に消す何て矛盾が可能な業は有り得ないから」

 

「何、するつもり……?」

 

「病名、アゴニスト異常症候群。とある平行世界を観測した灰がつけた社会用の名でね、魔術的には変異亡者化現象って言えば良いかな。死徒の言い変えで、非徒って言うのも良いし、太陽に焦げて適応したのは火徒でも良い。ま、名称の案は沢山あるんだけどね。簒奪者共も正確に謂うと、あの灰が始めた葦名幕府濃霧管理局による計画で、薪の兵って言うのだけど、今は流行りから廃れて普通に簒奪者って言ってる。

 あ、話が逸れた。まぁでも情報は多い方が良いし、覚えておいてね。

 私は月の思索馬鹿とメモリを共有してるから、あの腐れ外道が観測した魂も理解してるし、その存在を正しくも理解してる。で固有結界の中な此処は、つまりはプリティなマイブレインスペースでもある訳なのであーる」

 

「輪廻させる気ね」

 

「うん、御明察(ごめいさつ)

 ので、五名殺害(ごめいさつガイ)してみたよ」

 

「………」

 

 ぶちゅり、と特に意味がない死が生まれる。両手で捻り潰す雑巾絞りのように、子供が捻れ回った。

 

「貴様―――!」

 

「大切なのは視点なのです。ほら、見て下さい。古い獣の濃霧を食べ、ソウルの業を解した私はちょっとだけ頭が良くなりましたので、生命起源も理解出来ました。勿論、宇宙で物質が生まれた原理もな。

 英霊のデーモン―――アンリ・マユちゃんです。

 何を以て人理が葦名に派遣したのか、余りにも分かり易いソウルでしょう。人間性を尊ぶのであれば、これ以上の適任はそうはない。他人と言う悪がいなければ善性に酔えない信仰と人徳、人の死が素晴しき未来だと錯覚する精神は得られまい」

 

 英霊のデーモンが固有結界内で誕生する不気味。そして即座、そのデーモンの頭蓋骨を創造主である廃人形は鷲掴み、ソウルを貪り尽くし、殺した。

 ―――死ね。呪う言葉。絶対殺人権。人殺しの悪魔が願われた誕生理由。

 (ユビ)は死したデーモンから極性の悪を啓蒙され、自分が愛した孤児が悪の贄とされた事も理解した。

 

「人間性を理解する為に、そもそも人間性がなくてはならないわ。感受性豊かな脳機能が必要なの。貴女も私も、あのイカれた糞狩人が葦名に設置した生きる脳波塔でしかないのよ。

 古都の悪夢でアンリ・マユちゃんを見ても、実験患者の一人にしか見えないでしょう?

 でも、それで止まると観測機能がゴミじゃん。無駄だし。だけどね、貴女は葦名でアンリ・マユちゃんの精神に感応して、脳がちゃんと呪う遺志を悲しむ事が出来るって訳じゃナァイ?

 ―――愛と希望に感動する心!

 人類愛なくして、悲劇に価値は生じない!!」

 

 廃人形(ケイモウ)は気が狂った異常者の瞳で笑い、獣ような貌でヒトを嗤う。心象風景は晴れ、現実が聖堂へ回帰する。

 

「此処は、楽園だ。人理が管理する汎人類史、素晴しく過ぎて堪らない!

 星よ、人に夢見る心よ。星そのものの人間性を啓蒙され、古都で足掻いた私の苦しみが人類種にとって何の価値もない真実を知りえました。

 しかし、葦名を良しとした時点で……分かりますか、星よ。地球よ。

 貴様は貴様が生んだ人類種と同類だ。貴様の魂に底が有る事を、私も、狩人達も、そして簒奪の灰共も全てが理解しているの。その人間性に触れ、人を管理する阿頼耶識と大差無い心を分かってしまった。母たる星よ、人間をもう命が尽きる程に愛したのなら、落し子としての義理は果たしたよね。人類種は貴様程度の生存欲求と共倒れをする生命種じゃないんだよ。

 だから、呼べば良いのさ。

 お友達の星に、愛しき我が子が気色悪いと、虫を踏み潰す様な子殺しを頼み給えよ」

 

 聖堂の中、廃人形はクルリクルリと星みたいに踊り回る。

 

「だからね、私はエリンギが好きなのよ」

 

「―――は?」

 

「花言葉は――宇宙!

 茸とは宇宙。宇宙より人に寄生する菌は脳に巣食う。最近、鬼哭く葦名街にキノコニンゲンが現れると聞くからね。人類史でも南米辺りはヤーナム茸の親戚な菌類楽園神話って話だし」

 

「知ってる。見た。ハードパンチャーでしょう。灰の人が爆散してたし、花言葉も知ってる」

 

「後、玉葱の花言葉は―――不死」

 

「……不死?」

 

「不死」

 

「フッシー」

 

「うん。不死」

 

「あぁ、玉葱っぽい騎士甲冑してる不死の灰がいたけど……あれって葦名流のオヤジギャグだったんだ」

 

「風流よね、花言葉。そしてカリフラワーは小さな幸せ。脳液とは、即ち全く以ってそう言う事なのね」

 

「私には分からないけど」

 

「――――宇宙なのよ」

 

 そして、また固有結界が生まれた。銀河系が浮ぶ美しい夜空と、地面は一面の花畑と化した。

 

「そもそも宙が夢なのだとしたら?

 現実の正体が、根源が夢見る宇宙なのだとしたら、根源で生まれた魂にとって現実とは何なのか?」

 

「知らないし、意味ないわ。それこそ思索すれば?」

 

「うん。だからこそ、根源探求を無駄な神秘と割り切ったビルゲンワースは、何処までも美しい悪夢の宙に神秘を見た。皆で、ミンナの夢を見た」

 

 宙の瞳―――廃人形。月狩人の指から生まれた眷属である指の狩人は、この女が狩人の何処から生じた眷属なのか、何となく分かる様な気がした。

 

「葦名での思索ね……良いけど、別に。私は私の使命がある。

 根源に還れない私の魂にとって、根源で魂を食べる古い獣は如何でも良いけど、葦名で得られた人間性には価値が有って欲しいもの」

 

「正しく。でもね、人を助けるのに理由がいるの?

 結局、最後は同じ場所で蕩けて同じになるのにね。

 けれど、この宇宙で我等の魂は個を得たんだから、理由が有る事に価値があるの」

 

 聖堂の中で描かれた夜空に、流星群が流れ落ちる。二人の周囲に蒼白く燃える星の礫が降り落ち、花が地面ごと燃え散る光景が美しい。

 

「古都にて豚に喰われて糞になった君、その成れ果ての夢のカタチ。髪を結ぶ白い紐、綺麗なリボンを新しく買えたんだ。

 指の眷属となった人生。折角なら存分に、人生を満喫しようじゃないかしら」

 

 野太くも、澄んだ男声で廃人形は微笑んだ。

 

 

 

――――<③>――――

 

 

 

 深夜。サイタマ殺戮区画で夜空を見上げる。所長は自家製の血酒を呷り、煙草を吸い、深く吸い、それでも吸い、咽て吐いた。血酒を吐き、鼻水も生理現象で垂れ、涙も流れたが、また酒を呑む。

 血の酒が飲みたい気分だった。濃密な人血が濃縮した獣性に溢れた血の味が、脳に沁み渡るのが愉しい気分だった。

 彼女は地面に直接座り込み、心に溜まった毒素を吐き出す為、猛毒となる酒を呑んでいた。

 

「ウゲェ……最悪。最悪。独り言、止まらない。最悪。死ね、屑共」

 

 故、飲む。まだ、呑む。酒を呑み、酒に呑まれたい。

 

「死ね。死ね。死ね。死ね。糞が、マジ死ね。あー死ね。何、してくれてるの。あの糞親父、死ね」

 

 マリスビリーに、死の呪詛を垂れ流す。死んでも根源に還らず、何処ぞの星でまだこの宇宙で魂が生きている父親に、所長は罵倒の念を送り込む。

 

「良いけど。そっちはそっちで、好きに根源探求の思索をしてれば良い。月の狩人め、私の瞳を曇らせて、これを見せなかったって事ね。まぁ、良いけど。本当、良いけどね。分かってる。分かってる。因果律を気にする生真面目だから、私の義憤は邪魔だった訳だ。

 藤丸にアニムスフィアの尻拭いをさせたいと?

 私ではなくて、私を妄想したオルガマリーに親の業を継がせたいと?

 狩人でしかないオルガマリーでは、どうせ星を狩る事しか出来ないって訳?」

 

「悪酔いよな、星見の狩人」

 

 意図的に気分最悪な酔い方をする所長の背後で、暗帝は返事をする必要がない質面に返答した。彼女は葡萄酒を入れた水筒を首から下げ、胡乱気な瞳で所長の後頭部を見詰めていた。今夜は眠る気がしなかったので、本当なら一人焚火で夜酒をキャンプらしく楽しむ気だったが、生き迷う先客の相手をすることに決めたのだろう。

 

「何よ、暗帝」

 

「皇帝たる余が奴隷の真似事をするのも、偶には良いだろうと思ってな。指でも突っ込み、吐瀉させてやろうか?

 少しは酒気も抜け、脳がすっきりするかもしれんな?」

 

「ローマの貴族文化は好きではありません」

 

「文明にとって、消費は華だ。人間が人間の為に生産した故、使う程に良いのだ」

 

「あっそ」

 

 所長はそう吐き捨て、血酒を一気飲みした。アルコール度数95%の蒸留酒を呑む以上に危険な血酒を流し込み、彼女は血液が煮え滾って脳が爆発しそうな頭痛を敢えて自分に与え、鼻血が流れ出しても呑んでいた。

 

「その様子、マシュ・キリエライトの記憶を見たようだ」

 

「そうよ。気分最悪。私はあの灰が人間性を与えて、それをカルデアでの生活で育てたから……こう、何と言ってら良いのかしら……まぁ、その、そんな気分になるのよ。こんな真っ当な感性、気が付かない内に育っちゃって、もうやってらんないし。

 本物の私なら……―――いや、どうなのでしょうね?

 人の心を失わない事こそ、狩人の業か。心まで獣になって、脳も夢を見てるってのに、人間性ってのは厄介よ。ロマニとか、マシュとか、ヴォーダイムとか、ペペロンとか、ヴォイドとか、あー……芥とかもね。オフェリアと無駄話しかしない女子会とか、開祖がヤーナム帰りなゼムルプスとの対獣馬鹿話とか、ガッドとする殺人思考話も好きだったし」

 

「善悪の彼岸だったか、それ。苛立つ様でいて、悩んでないものな」

 

「へぇ~成る程、暗帝ってそう言うのも読むんだ?」

 

「暇故、一通りな。何もする事のない人生、知識と哲学は老後の愉しみよ。

 まぁ何だ、そなたの怒りは良い事だよ。本気で共感すれば、感情が伴うのが正常な人間性よ。古都で人を失い、またカルデアで人を得て、魂によって人を超え、人を超えたその先も人域に過ぎんのだ。

 ふむ、見た雰囲気……五十年は人心を得てから経過しておらんな。

 古都での狩人生活を加味すればその数千倍、人生記録の体感時間は経過しているのだろうが……心が余のように枯れて燃え殻になるには、諸々の絶望やら人間への失望を実感し続ける長い期間が要るだろうな」

 

「私、貴女みたいになるの?」

 

「残念ながら、為る。とは言え、生きる人間性は有限なれど中々に頑丈だ。安心しろ。そなたなら一万年、今のオルガマリーと言う名の人間性は暗い魂へ還らんよ。

 それに灰や余、それにあの魔女の様に、自前のが亡者化して感情が使い物になっても、ソウルを食べると他人の生の実感から感情も生めるしな」

 

「そっか。私は人格を古都で失って血より心無き私が生まれたけど、あの魔女は自前の人間性を古都の悪夢で喪ってる訳ね」

 

「あぁ、そうだ。序でに余は、絵画世界の繰り返しで人間性から心が消失した。今の余の人間性のその心は不死化した後の作り物よ。

 思えば……こう何とも言えぬ、気色悪い不可思議な感触だ。余の魂、心を失ったのにまだ動く。感動と言う情報を生めぬのに、この魂は何かを求めて今を生きる余の記憶を記録し続ける」

 

「えー、本当?

 私、そうなるの?」

 

「元より、そなたの魂には心など要らぬ本能だろうに。だが感情を生めぬ人間性に嫌悪するその悪感情、灰の御蔭で理解出来ている現状は理解しておるな?」

 

「そうだけどさ。私、鉄の心で動じない完璧な狩人で在って欲しいと言うオルガマリーの願望から生まれた人格だしね。でも、知っちゃったしさ?」

 

「成る程、それで無駄話による愚痴か。そなた……いや、貴様からすれば良き弱音に満ちた感傷よ。人間としてそれを言葉にするのは善い成長と言える。

 うむ。余は他人の心には寛容故、聞いてやろう。お悩み解決相談、と言うやつよな」

 

「じゃ、マシュについて」

 

「愛すれば良いのでは。人間、情熱的に行動すれば何かしら変わる。生前の余は焼き殺す勢いで愛した結果、因果が廻って自決する破目になったが、人間が歩む人生なぞ、結構そのようなものだ。

 なので後先考えず、肉体的に愛してみるのも妙手だ。

 ヤレば何かしら変わるだろう。後戻りを考えると前に進めなくなる故な」

 

「やだ。プラトニック希望です」

 

「何を言うと思えば、人も動物よ。本能もまた人間性を刺激する大切な衝動だ」

 

「そうやって、直ぐエロに走る。この変態エロエロ暗黒皇帝。真面目に答えてるのは分かるけど、もっと私の今の人間性に寄り添って下さい。本気で御願致します」

 

「うーむ。こう言うの、根が聖女的人間性を宿す魔女の方が適任だが……まぁ、魔女と同じ思考回路で余の脳を動かせる故、同じ考えで言葉は話せるので、そっち方面でも考えてやろう。

 なら、そうよな。人肌の生温かさを感じさせ、良い雰囲気で慰めるのは如何だ?

 人間は結局、同じ人間の心を通じて己が精神を癒す。人間そのものが最高の癒しとなるものだ。特に相手が自分を愛していると実感すれば、より善い結果を出すことよ」

 

「厳しい! 恥ずかしい!!」

 

「ならいっそのこと、貴様が得意な洗脳話術で夢を見せろ」

 

「それしか、ないのかな……ッ―――!!」

 

「冗談を真に受けるな、バカモノ」

 

「助けるのに、迷いはない。助けたいと思ったんだもの、助けるわ。そこに葛藤はないけど、心の助け方って意味分かんないのよ。

 私はほら、もう自分が救われないって割り切ってるから、助かる必要ないから別に色々考えないけど、そう言う奴ってやっぱり他人もいざって時に助けられんのよ。医療本でのマニュアルは知っているし、人の神経回路の働きも分かるけど、キリエライトは自分で自分にもう試してるじゃない?」

 

「それはキリエライトも同じだ。だが簒奪者百人分の奔流で狙撃された故、魂を直接的に揺さ振られ、まともな心理状態を保てぬのが道理。過去の掘り返され、昔の人間性が活性化しておるのだろう。その直後、汎人類史の火で焦がされた。その身ごと、心を焼却されたのだ。

 彼女は魂に血を、通わされたのだ。

 奴等は意図的にソウルの魔術へ、魂に宿る心への精神操作を付与したと見える」

 

「まさか……最初の火、百個分の熱を?」

 

「うむ。即ち、世界を百度は焼き殺す絶望を―――百度分な。

 絶望する感情を失った人間性へ、絶望と言う意味を過去から未来の全人類史を百回繰り返す程、刻み込む。何も感じぬ心へ、汎人類史が人へ膿ませた絶望を百度、叩き付ける」

 

「折れる心がないなら、その心を植え付けてから圧し折った……と?」

 

「そうなる。いやはや、余がそれに気が付いたのは先程だがな。単純な魂の滅却かと思ったが、そもそもキリエライトに防がせ、人間性を刺激する為とは。

 読むに恐らく、我等へ裏切りを働かせる為の、その火種となる感情を与えたと見えるな」

 

「そこまでは……ッ―――しますね。いや、なったら良いなと言う恩の字な策謀で、あのアッシュはする女だ」

 

「だろうよ。まぁ、自分の心が折れてるなぁ……と実感しつつも、平然と戦えるのがキリエライトだ。それに今の奴は、魂に宿る心の闇が深い程に防御力が増す故、むしろ騎士としては強くなっておる。

 今の奴が抱く暗黒面の深淵具合、あの核熱兵器ならもう一人で防げるのでは?

 あるいは、あのゲーティアが放つ人類史の熱量も、今の暗い魂なら完璧に防ぎ切る事も可能かもしれんな」

 

「酷い話ね……―――で、デイビークロケットなんて骨董核兵器品を使った訳か」

 

「意図は見える。これなら確かに、古い獣の濃霧から人理を守れるわ」

 

「人理の守り手として、灰は騎士を完成させたいのだろう。

 暗い魂の人類として、究極の一と対峙する盾は完成する。

 だが悍ましいことに、彼女は絶望と失望を繰り返す程、更なる完璧な人理の守り手となる。ならば喜んで、人理は彼女に絶望を与えよう」

 

「糞共……血に酔う狩人よりも薄汚い。これじゃあ、灰が守る汎人類史が悪夢でしかない。人が人の儘、血に酔わず、心も失っていないのに、獣に堕ちる気分も分かります」

 

「この真実、キリエライトか藤丸に言うか?」

 

「言えるか。マシュが人類を憎む程、人理の守り手として完成するなんて」

 

「しかし、人理にとってキリエライトの人間性は有益となった」

 

「世界は悲劇ね。人間性を捧げてまで人理を守り、人理の為に剪定された人々は絶望を焚べて、けど全てに理由が生まれた。

 色んな人が苦しんで死に、それをマシュが見て怒り、暗い魂の深淵は成長する。この星で起きたあらゆる悲惨な絶望が、マシュを究極の一を克服する暗い盾に進化させる。けどマシュはマシュだから、人類を滅ぼそうなんて考えない。

 あぁ……良く出来た絡繰じゃない?

 汎人類史が地獄であれば、それだけで希望の未来は安泰となった。あの灰が、盾騎士の魂をそう仕込んだように」

 

「だから余は、その根底をあのローマで変えたかったのだ。今はもう、変える気なんてないがな」

 

「もうこれは駄目ね。灰の魂を、この宇宙から―――狩らないと」

 

「しかし、良いのか?

 今までの犠牲、全てが無駄になる。そして根源から宇宙へ、二度と魂が流れ落ちる事がなくなる。

 特異点で魔女は絶望の儘に、余は希望の儘に、魂を火へ焚べた。余の人間性に残る痩せ細った僅かばかり心が、人に償えと、叶わぬ希望を夢見た罰を受けろと言っておる。

 余は―――古い獣を、狩らねばならぬ。

 灰の企み自体には賛成だ。要人を良しとした遥か過去の人類種が犯した罪を認め、この暗い宙に生きる全ての命を犠牲には出来ない。外宇宙も例外なく、全ての魂が消失する。観測する魂が無くば、根源は宇宙を夢見ない」

 

「宇宙の外側に、神を見た愚か者の尻拭いね。あの悪魔殺しの悪魔も、余りに酷過ぎる業を背負わされたものね」

 

「思えば、全ての因果は其処に集約される。絵画の中で絵画が描かれ続ける灰の異界も、始まりはソウルの業から始まった暗い魂の世だ」

 

「古都ヤーナムも、その灰が人類史にソウルの業を持ち込んだ所為で生まれた業ですね」

 

「分かるだろう。人の魂が受けた全ての苦しみが、無に還ってしまうのだ。過去の過ちを、星ごと無かった事にするのは悲劇とすら呼べん。星のソウルさえも、宙から消える故にな。

 ……しかし、それも良いかもしれぬ。

 犠牲を前提とした知性体の生態系、間違っていると否定するのも魂だ。人間から生まれた獣が人間全体を醜いと嫌悪するならば、一つの魂が全ての魂を間違いだと正す為、魂を生む根源こそ醜いと世の摂理に逆らうのも一興だ」

 

「破滅衝動の真似とは。そんな感傷、別にない癖に」

 

「うむ。無いし、もう心より生まれぬよ。ならば、共闘は続行よな?」

 

「あー……胸糞悪い。いっそのこと、人理滅ぼしたい」

 

「お、やるか。余、貴様がやるなら協力する」

 

「人類悪は人類愛で、人類愛は人類悪になる。私は育ったこの人間性で善性を信じて世を救うけど、だからこそ人を許せない獣性が人類を嫌う余りに狩り尽くしたい衝動が生み出る」

 

「耐えろ。獣へ為る資格がなくば、愛を語る資格もない。無論、愛するも出来ぬ」

 

 何をすべきか、所長は全て理解していた。だから夜空を見上げるしか無く、この特異点の星空が暗い火の太陽が描く映像でしかないことも分かっていた。

 最初の火、絵画の太陽。闇から生じた光。暗い魂で燃える日。

 そして所長だからこそ、その火が何を描こうとするのか―――直感する。決して啓蒙ではなく、火の光で眩む瞳では見通せず、彼女は自分の脳で魂を見通した。

 

「宙の―――最初の火?」

 

「何を……言っている?」

 

「簒奪者が奪い取った火を見て。あれ、描いてるのよ」

 

「まさか…………」

 

「この夜空を作った火のソウルを、夢見てる」

 

「………あ、そう言う火か。

 古い獣の焼き方、余も見えた」

 

「簒奪者共が宿す最初の火で、この宇宙における最初の火を再現する気?

 いや、正確に言えば火のソウルを融かした暗い魂の血で、宇宙史想定した人理における一番最初の恒星の魂を描く気みたいね。

 銀河系を作った超新星爆発せし太陽の火。

 惑星と言う魂の体を作った人理を思う夢。

 宇宙に生きる全ての生命系統種根底の灯。

 私的にビルゲンワース流に言えば、こんな感じの火ね。これなら確かに、この宇宙の法則が殆んど効かない古い獣も焼けるかもしれないわね」

 

「余から見た葦名の暗い太陽の概要。凡その雰囲気でしかないが、そう見える」

 

「あー……それで、アッシュは汎人類史に失望した感じを、凄く態とらしく醸し出してるのね。

 熱核兵器は、この宇宙における火の力を悪用したもの。

 生命たる器、肉体の有機物原子を作った現象を、魂ある命を殺戮の利用したとなれば、火を悪用して人を騙した神みたいだと思い、一人の人間として残念に思うと。

 けれど、そもそも人間を残念だと思える感情が、この人理の世の人類種から啓蒙された人間性だ。なので、あれがそう思うってことは、汎人類誌の人類種が人間自体に魂の底では失望してるって答えになる。

 となれば、灰としてではなく、人理の世に生きる普通の人間として、この人間は間違っていると言う結果を得た訳だ。尤も、その絶望的な死に至る感情が、灰としての彼女への報酬にもなった」

 

「だな。あの灰自身、そも失望するような期待はない。本人が持つ人間性は救世を試みる今も枯れ、永劫に蘇らず、灰となる前の不死の時には回帰せん。

 何かに対し、感情は生まれず、心は在れど、在るだけで中には何も無い。永遠を耐えてしまった強靭過ぎる自我と自己が、あの女の魂の正体よ。この宇宙よりも耐久性が高い心と魂なぞ、人間が至った所で根源に帰れぬ因果に絶望も出来ず、不幸に苦しむ真っ当な地獄も日常となり、この宙が滅んでも人間は絶滅しない未来が確定しただけの話だ」

 

「そっか。思えば、アッシュも人間だもの。魂が行き着く先に、人類種は到着してしまったのよね。

 んー……あ、何か分かった。

 古い獣を焼くのに簒奪者の火が大量に必要で、その簒奪者を釣る生き餌作りに特異点の惨劇が必要で、世界を救うのに太陽が必要になった。それもただの太陽ではなく、物理的に星と命を生んだ宇宙における最初の火となるソウルがね。

 オッケー。理解、理解。

 真なる有機生命体の起源を使いたいとは、狙いが分かり易い。根源に帰れない魂だから、根源に接続出来ない癖して、観測情報を根源と言う法則を守るのにも使うから、因果が回るようにアイツもアイツで苦労して考え込んでるのね」

 

「だが最初の火と言う事は、宇宙における最初の魂と言うことだ」

 

「そうね、暗帝。根源を通じ、垣間見た遥か過去の記録なんだろうけど」

 

「となれば、その救世には更なる裏がある。貴様程の賢者であろうが、夜空を見え上げただけで見通せる程、容易く分かる邪悪では在るまい」

 

「そこまでは分からないけど……―――うん、目的地は分かった。

 葦名に隠された炉の篝火に、私達は辿り着かないといけない。幾度も殺しても死なない灰共を相手にしながら、突き進み続けるしかない」

 

 そう自分を嗤い、所長は太陽が隠れる夜空に向かって寝転ぶ。如何滅ぼすか、何をして地獄を潜り抜けるか考え、遂に彼女は大の字になって星空を見上げ始めた。

 

「裏切らないでよ、暗帝ネロ」

 

「裏切らんさ、星見のオルガマリー。貴様達に死なれると、悲しい故な」

 

 暗帝は人差指の先を爪で切り、自分の暗い魂が溶けた血を流す。それを見た所長は自分の人差指も同じく切り、二人は指先同士を合わせて血を混ぜる。混ざった血が、二人の体内に入り、魂がソウルに蕩け落ちる。

 意志と遺志。感情と感傷。魂と心。

 人間性が人間性に刺激を受け、互いに魂を分かち合う。

 夜は晴れず、まだ最初の火の太陽は空に昇らず、特異点は暗かった。

 

 

 

◇◇◇<◎>◇◇◇

 

 

 

 巨大兵器の甲板。酒造のジーク印のエスト酒を呷り、ソウルを貪りながら森番の灰は一息。螺旋剣の焚火の前に座り、身を温めている。

 綺麗な夜空を見て、灰はダークサインが出る前は学者だった過去を思い返す。

 そして不死となって投獄され、その後に脱獄して試練の果てに火を継いだ旅。

 灰となって蘇り、火を簒奪する王殺しの繰り返しを経て、森番は此処に居る。

 

『ピンポンパンポーン。葦名電磁脳波塔より、全日本国民の皆様の脳へ連絡をお送りします。葦名電磁脳波塔より、全日本国民の皆様の脳へ連絡をお送りします。

 此方、葦名幕府行政サービス、啓蒙共脳党党首田村ケイモウより連絡致します。

 殺人税追加徴税法案、連続同一殺人税徴収法案が葦名幕府国会で可決されました。同じ人物を連続で殺害した場合、課税率が殺す度に上昇致します。国民の皆様のご負担にならないよう此方も濃霧より自動徴収しますので、御気楽に殺人の方を御愉しみ下さい。

 また、自殺税徴税法案も同時可決されました。此方は自殺した場合、ソウルを自動徴税致します。連続同一殺人税の徴税も適応されます為、死に過ぎにはお気を付け下さいませ。

 これに伴い、葦名歓楽街における風俗営業法も変更要素が加わりました。性サービス風俗店で自動徴税が行えるようにシステムがアップデートされた為、殺人行為も営業範囲に含まれます。客側と店側に年齢制限はありませんので、日本国民の皆様は歓楽街風紀維持条例に従い、御好きに御愉しみ下さいませ。

 以上、啓蒙共脳党党首、田村ケイモウより脳波放送を終わりにします。

 汎人類史の救世主、カルデアが日本国民の皆様を皆殺しにする間、どうか国民の皆様は節度ある生活を御送りする様、行政サービスから御願致します。

 では五分後、朝日が登ります。全てが皆様の記録を元に戻り、蘇生が遅れていたソウルも根源より戻ります。太陽の光が全てを祝福し、壊れた世界を直します。日本国民の皆様、また素晴らしき良い一日を始めましょう。

 どうか、啓蒙共脳党に清き一票を。どうか、子供達の未来を決める素晴らしき社会の為、正しき一票を日本国民の皆様にお願い致します。ピンポンパンポーン』

 

「ソウルの神秘による国家運営。悪趣味なごっこ遊びだな、廃人形。しかし、気持ちは分かる。税金遊びは楽しいからね。人から奪ったソウルで買い物をするのは愉しく、人の金で食べる飯は美味いように、血税を玩具にするのは脳液が溢れる歓びだ。

 だが、公平な運営など人の群れには有り得ぬ。社会機構における税など、運営側の管理者からすれば御飯事であろう。だからこそ皮肉なことに今の葦名は、人類史のどの国よりも、人の魂に平等な社会で在る訳だ。人よりブクブクと肥えた我等のような魂が、ソウルの業を極める為だけの社会となった」

 

 脳波放送が終わり、森番灰は仮面兜を被り直した。線の細い中世的な顔立ちであり、短髪の淡い美女か、あるいは儚い美男子にも見え、万人が美しいと思える人間美の貌だった。女受けも男受けも良く、だが男らしくも女らしくもなく、何処か混沌とした芸術顔だった。元の自分の貌など既に忘れ、暇潰しの整形で作った造形的美貌だった。

 尤も森番灰自身は自分の貌を父母子の三面仮面と認識し、特に拘りが有る訳ではないが、基本的に今の三貌仮面を被っているのだが。

 

「独り言を喋ろう。言葉を話そう。星が綺麗な夜、宇宙に魂を語るべきだろう。この夜空を綺麗だと思えないのならば、そもそもこの宇宙に生まれ落ちる必要がないソウルであるのだから。

 暗黒が美しい。美しいと思える事そのものが、美しい。ありがとう、アッシュ・ワン。君がくれた人間性が、美しいと言う感動を私の魂に啓蒙するのだ。

 星見の狩人、オルガマリー・アニムスフィア。

 彼女を見るとまるで、澄んだ空気の森で見上げた夜空を思い出す程の、感動的な宙のソウルだ」

 

 森番の簒奪者にとって星見の狩人(オルガマリー)は初恋だった。不死となった後は人を愛した事はなく、人を殺す事でしかソウルが満たされない彼は、不死人だった時代は人を殺すだけの殺戮現象だった。

 魂の存在理由こそ、魂を貪る事。

 如何に神が火を浮かべた世界を愛せるのか葛藤した結果、森番灰は人そのものを愉しむ事にした。勿論、出会う神のソウルは全て殺し喰い、己が魂で以って他者の魂を徹底的に陵辱した。そんな彼が森に籠もって不死狩りに没頭するのは必然と言え、気分転換で他の場所に行く事もあったが不死のソウルを貪り尽くす事だけが快楽だった。

 正しい意味でのソウル狂い。

 亡者よりも亡者らしく、理性を極め尽くした自意識により、人を殺す人間(ヤミ)だった。

 本来ならば、そう在る人間ではなかった。普通の優しい人間だった。妻を愛し、自分の子供を愛し、家族を自分の命よりも大切にする善人だった。だがダークリングにより不死となり、その家族に化け物と罵られて迫害され、家族が密告した白教の不死狩りに捕まった。そして不死院に長い期間投獄された事で、記憶を倫理観と共に失った不死は、誰よりも優れた殺人の才の儘に強くなるだけだった。

 やがて薪の王を殺し犯し、太陽を奪う為に火を継いだが、簒奪の資格はなく、彼は薪となった。神以上に優れたソウルは肉体が燃え殻となるも遺体として残り、埋葬され、ロスリックの企みで灰として蘇ってしまった。

 

「あぁ……きっと、美しいのだ。世界が、美しいのだよ」

 

 灰となり、不死だった頃の記録も全て失っても、魂に業は焦げ付き続ける。殺戮の業もまた、魂と共に永劫だった。

 ―――殺した。殺した。徹底して殺した。

 世界を愛する為、世界を憎む為、殺し続けた。意味が欲しかったのかもしれない。己が永遠に価値が生じて欲しかったのかもしれない。

 だからこそ、彼は森が好きだった。

 自然の中、ただただ殺人に専心するだけで良い環境が素晴しかった。

 殺す事だけが価値だった。暇潰しに女子供をソウルではなく、肉体的にも獣として犯してみたが、罪悪感が湧かない自分の魂に絶望するだけだった。いや、そんな絶望さえも本当はなく、罪に無感情な己をつまらないと断じ、ただただ罪を積み重ねる永遠を選ぶ事にした。

 火を簒奪しようとも、自分自身が太陽となっても、人を愛せない様に世界を愛せない。

 無論、闇も愛せない。愛がない。何も思えない。森番灰は余りにも完璧な暗い魂に至っていた。

 

「人理は素晴しい。そうだろう、オルガマリー。だから君は、世界を救わなければならないと、罪悪感の儘に灰を狩るのだろう」

 

 死灰の簒奪者、アッシュ・ワン。カルデアを裏切った灰にして、古い獣から全ての魂を救う欲深い救世主。

 奴の召喚に応えたのは―――人間性、それ欲しさ故。

 フランス特異点とローマ特異点で行った残虐が、無かった事にされて逝き場を失ったその記憶が、心の無いソウルを灯す火種となり、人理世界の作り上げる美醜両面を宿す人間性が灰達に啓蒙された。二つの特異点で起きた悲劇は火を宿す灰達を呼ぶ為の生き餌であり、古い獣を狩るのに必要不可欠な生贄だった。

 愛と希望に涙を流し、死と絶望に涙を流し、人生と言う物語に対する―――感動。

 世界を愛する感動。

 人間を愛する感動。

 其故の獣性。人類悪は人類愛。

 だからこそ人間性は美しく、灰達は嘗て失った人間性を再誕させた。

 やっと今まで積んだ罪の価値を見出す好機を葦名にて、全ての灰が得られたのだろう。

 

「我等が召喚者の灰により、その啓蒙されし人間性により、私は葦名で自分を思い出せたんだ。

 ダークリングが浮かぶ前―――天文学者だった。

 夜空が好きだった。だから不死となる前の、夜空が綺麗に見えた森での思い出を忘れてきたと言うのに、私は森に引き籠もっていた。火を継いだのも、夜空が見えない闇の時代が好きになれないと、記憶喪失でも何となく分かっていたからだった。

 だが、今は違う。あの灰により、私は私を取り戻した。

 神が火により描いた偽りの空ではなく、この宇宙は本物の空だと理解している。

 だからね、オルガマリー……君を見ると、あの時の夜空を思い出してしまうのだよ」

 

 始まりの感動。人間性の極性。森番灰は―――愛と希望を取り戻したのだろう。

 他の簒奪者達が心を甦らした様に、彼はフランスとローマで生贄にされた人々の断末魔により、灰達に人間性を与える為に惨殺されたソウルの記憶により、世界を救いたい程に人を深く愛する感情の実感を獲得した。

 所詮、本人の心ではないとしても、誰かの魂にとっては真実だ。

 人を救いたいと願う事が薄汚い欺瞞と化した魂にとって、感動する事そのものが真実に成り果てていた。それを理性的に承知した上で、森番灰を含めた全ての灰が人類種の醜さを愛していた。

 

「月の狩人、ケレブルム。君は悪い男だ。こんな可哀想な魂を、人間は温めずにはいられない。愛さずにはいられない。それが人間性を宿す人間の証に他ならない。

 宇宙の様に綺麗だ何て―――考えられない。

 彼女を冒涜した時、苗床にした時、私は宙を啓蒙されてしまった」

 

 全ての灰の人間性が覚醒する。その為に、灰はフランスとローマを地獄に変えた。誰も彼もが、嘘偽りなく、心より古い獣を死滅させて全人類種の魂を守りたいと言う欲望を手に入れた。

 全身全霊、あらゆる灰が世界を今まで通りに守るだろう。

 闇が人間の本質で在った様に、この世界における人間の本質が暗い魂と違うと正しく理解した上で、人間が魂の儘に在る事を希う。その邪魔をする者は全て殺す。暗黒領域に潜む外なる神だろうと、宇宙生命だろうと、他惑星のヒトだろうと、根源から生じた獣だろうと―――人に仇為す全てを殺す。

 邪魔なら、人理も殺す。星の魂も殺す。人から神になった人間も殺す。

 しかし、今はそうではない。そうなった時、殺すのみ。今は人間として人間を殺すのみ。

 何よりも、この人代はあの灰の世界。召喚された灰の平行世界における人理の世に非ず。

 重要なのは、自分達の世界にも潜んでいるであろう数多の古い獣を滅ぼす術を知る事だ。

 

「夢見る宙は、とても美しい。森の様に美しい。この宇宙はビックバンが炸裂した数億年後に生まれた巨大恒星、つまるところ最初の太陽が超新星爆発を起こした事で数多の原子が生じた。

 太陽から、全ての物質が始まった。宇宙塵(エーテル)が広がった。

 ならば、星にも魂があるのなら、宇宙で最初の魂はその太陽なのだろう。

 宇宙が最初の星を生み、宇宙にある全てが一つの星から始まった。この地球も起源は太陽であり、最初の太陽から全生命種も始まった。

 ―――太陽万歳。

 命に価値を与える火。原初の宙は、我等の絵画と何一つ変わらなかった。根源で生まれた魂が宿るあらゆる生命が、宇宙で生まれた最初の太陽が生んだ物質を起源とするならば、この根源が作る世も太陽が宇宙の人理を夢見る本質だろう。人理の世の人間を構築する物体も、百億年以上前に生まれた太陽から生まれた存在だ」

 

 星見の本質。宙の機構。宇宙が魂を根源から求めた理由。

 

「オルガマリー、君の肉を犯したことで私は宇宙を啓蒙されたのだよ。外なる暗い宙もまた、月の狩人により我々は暗い魂の儘に愉しめた。

 だから私は、この葦名を去った後、私が生まれた世界の何処かに居る古い獣も狩るよ。

 根源に還れない我々だからこそ、死ねぬからこそ、皆の死に価値がある宇宙であって欲しいと願ってしまう。死に意味がなければ、命が無価値になってしまう。そう思える人間性を、この人理によって我々はあの灰から与えられた」

 

 森番灰はグレートウォールの甲板から夜空を見上げ、思う儘に、謳う様に、独り言を呟き続ける。

 

「そう思う度、君思う獣性をソウルが求めてしまうのだ。君思う度、君の肉体ごと魂を味わいたくなる。

 人が蛹を経て天使へ至るならば、きっと私は君を殺した時に変態したのだ。

 人を愛する事を君から啓蒙された。君を殺せて良かった。君を犯せて良かった。君の生と死を、性を通じて貪り尽くしたいと願えて良かった」

 

 灰がカルデアを裏切った最大の理由。自分が召喚した全ての灰へ、灰は魂を愛する魂を啓蒙した。それこそが、人類種を見守り続けた彼女が辿り着いた人間性の本質だった。

 

「―――愛を、ありがとう。

 火を簒奪した一人として、我が人間性を君の死へ捧げよう」

 

 グレートウォールに格納された人型蒸気機関型量産殺戮兵器―――アーマード・バベッジが飛び立ち、チバ遊園区画で暮らす人々が虐殺される。水蒸気放射器で焼き蒸され、光学銃で銃殺され、巨大金属鎚で挽肉になるまで撲殺される。更に腹部が扉のように開き、そこから伸びる肉触手が人間を捕えて内側に引き摺り込み、グチャグチャと音を立ててエネルギー源に吸収する。

 当然、Aバベッジはソウルを持つ。魂に惹かれて人を襲い、人を機械的に捕食する。

 まるで鉄の処女のようだった。更には金属鎚ではなく、丸鋸槌を使う特別機もいる。

 

「星見をまた、犯し殺すのかい?」

 

「愛情と簒奪は同意。分かるだろう、機巧の。尊厳は尊重するよりも、この手で弄びたくなるのが人情だ。女として生まれた事を後悔する程に、俺と言う男を殺したい程に恨んで欲しい。

 それは、何事にも変え難い衝動となる。

 彼女の魂に刻まれる怨讐の感情となる。

 夜空の星の様に、彼女には輝ける星の意志を抱いて欲しい。

 その果て、彼女は実際に私を一度は殺せる程の好機を手繰り寄せる運命力と実力を手に入れた。俺が強姦して殺さなければ、ここまでの殺意は覚えられなかったことだろう。

 何と言う善行だろうか。素晴しき罪を私は犯せた。彼女の腹に呪術の手を突っ込み、臓物を掻き回しながら焼き、内側から子宮に包まれた肉を自分の手で握った時、私は神のソウルを奪い犯した時以上の感動を得られたものだよ。

 その時の、オルガマリーの叫び声……ッッ―――涙が流れる程に麗しい音だった。上位者共の声よりも深く、宇宙の深淵に思いを馳せる幸せだった」

 

「分からないな。愛をまだ、私は取り戻せていない。

 君の様に心を捏造すれば、らしき何かは手に入るかもしれんがね」

 

「言うなよ、エアダイス。森での殺戮の日々により得られた感性なのだ。これもまた、俺と言う人間性の真実に他ならんさ。

 何より、星に血痕で刻まれた人間の歴史は素晴しかった。

 君も見た事だろうし、映像作品にもなっていた筈だがな。

 確か映画監督の英霊のソウルを食べた灰が作った作品である……あぁ、サピエンス英霊汎史だったっけか?」

 

「見たな。良かった。普通に見た場合、十万時間以上の超大作を固有時加速空間結界の映画館で見るアレだろう?

 特に印象に残っているのは……あれだな、我等灰共のアイドルとも言える魔女の狩人のオリジナル、聖女ジャンヌの部分だろうか」

 

「異端審問からの処刑か。しかし、あれもまた人間性だ。だからこそ、見る者の人間性が刺激されて感動する。

 生贄を求める社会正義もまた、人の本質。故、その克服である魔女は悪であることが正しく、人そのものが間違っていると断罪出来るのだろう。

 だからか、俺は愚かな好奇心を耐えられなかった。あの魔女が果たして、母親と同じ目に世界を救う道程であった時、何を恨むのかを。魂を穢される苦悶に、何を憎むのか。

 私か、常に生贄を求める救い難い人間か、あるいは無駄に酷薄な世界か、その全てか。

 自分から言える真実は、犯される彼女の憎悪に満ちた瞳は、まるで夜空で光る恒星のように綺麗だった」

 

「程々にな、森番の。人理より祝福された我等の人間性ではあるが、犯すのが愉しいからと陵辱を趣味とするのは獣そのものだ」

 

「相手は選んでいるさ。憎悪を活力にする魂だけを、今は犯し殺すのみ。弱い心では愉しめぬ。何よりも、己の魂を進化させる以上の幸福ではなく、それを幸福だと錯覚する娯楽もまたアンタらと同じく保有しているからね。

 だけど、何度も見たくなる程に美しい。

 夜空に浮かぶを星を手に入れたいと希っていた時の、不死を知らぬ子供の頃の憧憬が脳を焼く。今の俺は単純な衝動に浸るべく、星よりも美しい瞳の輝きをずっと愛でていたいのだろう。その光をソウルを奪う様に、冒涜し尽くしたいのだろう」

 

 ―――星見の脳より、星を見る。

 ―――憎悪の心より、光を見る。

 

「機巧の簒奪者、エアダイス。アンタが、人理の世より学んだ殺戮兵器で大量虐殺を愉しむのと同じ事さ。

 分かっている筈だ。永劫の繰り返しを無心で耐えられるだけで、我々は灰で在る事実を飽いてしまったのだろうよ。それでも尚、死滅の終着なき無限の自己進化を行い、根源に居場所のない魂は、灰の儘に存在し続けるのみ。

 だが、それら全てが善い心の在り方だ。

 葦名で得た新たな感動……俺が美しいと感じた他人の心に、私はこの魂で輝きを貪りたい」

 

「そうよな。所詮、如何に進んだ技術だろうと愉しむのは獣。いや、獣で在らねば高度な進化も有り得ない。性欲も戻った葦名でのこの肉体と、特異点より生まれた人間性により、君の冒涜的獣性も共感出来る。いや、愉しめるのも同じ事。

 ―――人間だ!!

 そう思えば、私は人間だった。

 本能を取り戻した肉体を愉しめる人間性を再び得たのならば、感情の儘に人で遊ぶのも人間らしさか。永劫を克服した不死の悟りを得た後に、またこのような愉悦を得ると、今までより一段と深くソウルを貪れると言うものだ」

 

「不死の悟りは皆、同様。我々は、この宇宙よりも長生きだからな。その終わりの無い人生、人殺しだけが愉しみとはいかないのさ。迷い様がない一本道を見通すと、敢えて彷徨いたくなるのが人情だろう。

 ―――心を失い、だが心を得て、心を希う。

 感情を得るのにも一苦労だが、苦労する面倒事そのものが娯楽となる。心を宿している今のこの有り様自体が、人間を愉しめる魂が、最高の娯楽品である」

 

「価値のない神の信仰が無意味だと分かっていたのに、人への信仰もまた無価値だと気が付くのに時間が掛ったのは憐れな話だ。そして、その悟りが無価値と悟るのに、我々は時間がまたもや掛ってしまったようだ。

 しかし、葦名で気が付けた。だろう、森番の。

 心の在り方もまた命と同じく巡るのかもしれんな?」

 

「腐り落ちる事も出来なくったのさ。有限だった最初の火を、魂で以って永遠にしてしまった簒奪者は、自分の魂からだけは逃げらねぬ。

 ……さて、エアダイス。狩りの時間だ。

 私は、また殺そう。俺は、星を犯そう。我は、人を愛そう。何時も通りの、ただの日常を今日もまた繰り返そうではないか。

 だからね、三面の仮面兜に誓い、私はカルデアのマスターに人間性を捧げよう」

 

 夜明け。百八の簒奪者達が空に描いた太陽が昇り、世界が火の光に包まれる。核熱兵器で地面に出来上がった巨大クレーターはなくなり、蘇っていなかった不死化した日本人も蘇生する。記憶を失くして亡者化した魂も、人間性が忘我した亡者として蘇生する。

 これよりグレートウォールが、チバ遊園区画よりサイタマ殺戮区画に移動する。

 人理が求める古い獣狩り。それに抗う侵入者を討つべく、そして絶望を楽しむ為に二人の灰は日本人を轢殺しながら直進して行った。

 核熱兵器―――汎人類史の火を克服したように、暗い魂の火も乗り越えよう。

 百八の暗い太陽が連なる葦名の太陽が今、空に輝く。暗い死の光がソウルを祝福し、永劫輪廻を具現する。宙がアッシュ・ワンの巨大魔術回路と化し、人々の記憶が為す幻影によって日出の朝を演出する。それは異常なまで美しい絵画で在り、現実よりも現実的な美麗な記録であり、人々が記憶の中で美化させた朝日の思い出であった。

 

「そうだな。灰共の心の火が作るこの美しい朝日の映像も、カルデアのマスターは感動してくれるだろう。

 そして、罪を犯す我々だからこそ、闇の中で火を愛でる人の懐古に感動出来る。尤も、葦名で人間性を取り戻した故の罰であるがね」

 

「罪人は皆、自分の人生に善いと思って罪を犯すものだ。

 倫理の枷、それは人間性の束縛。しかし、魂が人の枷を外した時、人は罪を貪る獣として思う儘に変貌する」

 

 ソウルの肉体。即ち、肉体もまたソウル。素体に憑依受肉する簒奪者達だが、生身の肉体もまた彼等のソウルそのもの。そして、錬成炉と融合した灰達自身もまた錬成炉であり、英霊のデモンズソウルは素晴らしき素材。

 ソウルの業、魔術「無限の剣製」を魂より具現。他人の魂を模す固有結界は錬成炉体である灰に適した魔術であり、森番灰はアヴァロンの鞘と聖剣を無造作に創り出す。そして乖離剣を作り、日輪の鎧を作り、あらゆる星と神の武装を贋作する。魔力を形にする世界卵の在り方を全ての灰達は学び、またそもそも本物もソウルを使って魂から生み出せる。人間に過ぎない灰達全員、例外なく座自体を模倣可能。宇宙の外側だろうと、全て魂が住まう存在区画でしかなく、根源もまた人の魂の領域でしかない。

 

「だからね、エアダイス。火を得た灰となった後、俺は葦名で英霊の存在理由を知り得て良かった」

 

 それらをソウルに戻り、森番灰は思念操作でグレートウォールを再駆動させる。

 余りにも美し過ぎる朝日が昇る荒野を、人間を轢き殺しながら巨大兵器は進む。

 

「英霊は、ヒトが作り出すソウル。奴等もまた人間であり、人間は人類種の被造物であり、何一つ人は特別な差が魂にはない。

 罪も、同じだ。善行が同じ様にね。

 我等にとって糞団子と乖離剣が等価値である様、魂に因る価値とは思う事が本質だ」

 

「分かっている。外敵を滅する聖剣と惑星を滅する核熱は、同じ存在だ。

 森番のマスク、為すべき事を為そうじゃないか。せめて盛大に、昨日よりも激しく、汎人類史の侵入者を歓迎しよう」

 

 ―――殺せ。不死ならば、愛する行為と矛盾せず。

 ―――犯せ。終われぬ人生、穢れなど癒える生傷。

 森番灰は暗い森の中から見え上げた夜空の星々の感動を思い出す為、それ以上の美しい感動を与えてくれた星見の狩人の瞳を愛でる為、何時も通りに平和を祈った。

 人間性における究極の心象風景、全ての魂が平和へ歩み進む世界卵を思いながら、灰は魂を愉しみたいと人間性を己の闇へ捧げるのだろう。

 






 読んで頂きありがとうございました。


 灰(悪魔&狩人&褪せ人)視点による人理世界の太陽解釈について。

 ビックバンが炸裂して宇宙が生まれ、それにより弾き飛ばされた神性が150億光年離れた暗黒領域たる外宇宙に存在します。それから数億年して宇宙に一番最初の恒星である太陽が作り出され、超新星爆発を起こして消滅します。その爆発により水素諸々しかなかった宇宙に違う原子が生まれ、言うなれば物質そのものが太陽によって進化します。よって生命を作る有機物となる原子も一番最初の太陽爆発によって宇宙に誕生し、生命種が生み出る因果律の原始となります。原子の原始こそ太陽であり、その物質が生命の土台となります。なので、何も無い暗い宇宙における最初の火となります。
 また星に魂が宿る型月世界の宇宙ですので、宇宙で一番最初の太陽にも根源より魂が流れ落ち、宇宙が描く生命の始まりでもあります。その物質が宇宙で宇宙塵になって広がり、真エーテル発生の原初にもしています。よって太陽から生まれた物質が集まり、塊り、また違う太陽になり、惑星もまた一番最初の太陽が生んだ物体から生まれた太陽の子孫達になります。そして、その星にも根源から魂が流れ落ち、宇宙を巡る生命でもあります。よって銀河系が太陽から生じた物質で生み出ており、星で生まれた命も起源を辿れば太陽となり、太陽を生んだビッグバンたる宇宙となります。
 根源観測可能な魂である灰は、それを宇宙の魂や根源にある太陽の魂を通じて啓蒙されており、地球が宇宙が祈る奇跡として存在しているのも理解しているので、軽々しく星の子である人理世界の人間が醜いから滅ぼそうと言う考えは持ち得ません。しかし、醜いのは醜いので根源に居場所がない魂として、葦名で取り戻した人間性にちょっとだけ嫉妬の念が湧くので辛辣になります。
 狩人様が銀河系が廻る宇宙を綺麗な曼荼羅模様と感動する理由は、この宇宙が星に魂を宿した意味を理解した上で、自分の魂がこの宇宙で存在する価値を自分で自分に啓蒙した為となります。なので星の生命を始めた最初の太陽に対し、銀河を生んだその魂の在り方を美しいと感動しています。そんな宇宙を美しいと観測する彼は、それ故に外宇宙の神性にとって悪夢的な天敵と為り得る人間性の化身です。光る太陽を観測する星見とは狩人様にとって存在理由であり、オルガマリーを究極的な理想として自分の魂以上に価値を感じ、実はこの宇宙よりも彼女を愛してもいます。まぁ、人形ちゃんに向ける感情はもっと悍ましいのですが。
 悪魔殺しが古い獣を地球に閉じ込めていた理由も同じで、人のソウルを食べることでやがて星のソウルを貪る程に古い獣が進化するのが分かっていたので、古い獣を宇宙の外側から呼んでしまった人類種の罰として、太陽から始まった宇宙を観測するあらゆる知的生命種の魂を守る為でもあります。要人を生んでしまった人類種が宇宙に対して犯した罪を、たった一人でずっと苦しんでいた人間となります。彼も彼でドラゴンボールみたいに太陽に古い獣を叩き込んでみようかと思いましたが、太陽の魂を食べたら怖いので最終手段で考えてました。
 褪せ人は実際に平行宇宙を旅しているので、基本的には太陽万歳派。そもそもラニの律も、五本指を生んで星に送った神からすれば、神が作った律に過ぎず、褪せ人は律そのものが魂に対する欺瞞だと考えてます。なので宇宙の何処かにいる神を殺し尽くす為に狂い火によって自分が律となり、狂い星となり、太陽が目印となる宙へ旅立ちました。


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啓蒙84:グレートウォール

 取り敢えず、FGOのクトゥルフ的外宇宙世界観にフロム世界観を混ぜた場合における全体的な二次創作的宇宙世界観の解答になる話です。
 後、作者がAFで一番好きなのがグレートウォールです。あれは浪漫ですよね。


 太陽が昇り、夜空が綺麗な光で晴れ渡る。寝起きの魔女はゾンビのような動きで、役割分担として今日の朝食を準備し始める。他の六名も動き出し、自然と焚火の周囲に集まり出す。魔力充電式炊飯ジャーの自動炊飯機能により、朝食を作るタイミングで白米が炊き終わり、魔女は慣れた手付きで和食風の料理をあっさりと作り終わった。

 そして朝食を食べ終わる瞬間、爆裂は突然だった。藤丸が軽快なトークで百戦錬磨のホストを遥かに超えた異常なコミュニケーション能力で、盾騎士の精神的外傷を蘇生レベルで回復させる朝の一時。七人の特異点侵入者が居るキャンプ場に激震が走った。

 

「あー……――グレートウォールか。暗帝、今は如何?」

 

「―――ふ。魔女よ、余こそは万能暗黒皇帝であーる。死した英霊達の遺志を引き継ぎ、宝具は既にソウルの内側で完成しておる。

 ACネクスト、マルス・ソウルレスで出る。

 久方ぶりのグレートウォール戦だ。弩腐れ外道の屑森番の気配を感じるが関係ない。今此処で万里の聖杯を撃滅する」

 

 朝食の塩漬け豚肉御握りを食べていた暗帝は、皮肉気に嗤う魔女へ漢気溢れた笑みを返す。その後、一瞬でエロス神が気に入りそうなパイロットスーツに早着替えをしていた。

 豊満な胸、括れた腹、張りの有る丸尻。

 敢えて目立つセックスアピールの極み。

 童貞の理性を木端微塵に破壊する暗帝の格好は藤丸へ精神攻撃を行ったが、果たして藤丸が童貞か否かは疑念のある問題点であり、彼は心臓の鼓動回数が倍以上になるだけの異常状態で耐えていた。結果、毛細血管が血流の圧力に負けて鼻血が出るも、一瞬で出血の違和感を悟った彼は簡単な霊媒治癒で血管を治し、精神統一によって暴れる心臓を心頭滅却で沈める事に成功。

 尤もこの場にいる全員が、藤丸の理性が崩れ出していた事に気が付いていたのだが。むしろ、特に意味もなく精神干渉を行う格好になった暗帝に白い目を向けていた。尤もも忍びは拝んでいたが。

 

「私は内部から攻めるわ。使い魔の灯火持ちを忍び込ませてるから、今からワープして入る。

 ま、そもそも気配からして森番の簒奪者……あの腐れ外道の糞野郎っぽいのが運転手してるし、私怨を晴らしたいしね」

 

「私怨って、何?」

 

「四肢を取られて、両目を素手で刳られた後、達磨姿で手酷く凌辱されたのよ。挙げ句、首だけになった隻狼へ見せ付けながらね」

 

 魔女の短な疑問に、所長は上位者らしい形容出来ない無貌の笑みを浮かべて答えた。

 

「アイツには確かに、私も玩具にされた恨みがある。殺さずに生捕りにして勝った女がお気に入りだと、体と魂を犯してから殺してソウルを貪る奴だからね。

 エジソンのソウルで作った電気椅子で処刑拷問されつつ、体中を焼鏝に当てながら、熱した棒を穴に突っ込まれたけど、仕返しにあいつのアイツを噛み千切ってやったわ」

 

「流石、魔女。超クールじゃないの。情けなく叫ぶ強姦魔の顔、今この時に啓蒙されました」

 

「あの屑を皆でリンチ出来る機会が来るとか、テンション爆上げよ。

 さぁて群馬王を名乗るあの腐れ灰野郎、デカい鉄の棺桶ごと派手にブッ殺してやりますか!!」

 

 キャンピングカーに使っていた盾騎士の自家用車が、彼女が思念を送ることで戦闘用装甲車に瞬間変形。そして直ぐ様に乗り込み、グレネードランチャーとガトリングガンが展開され、後部運搬用乗車口を解放する。

 

「藤丸さんと狼さん、後ろに。他の諸々も乗せて上げます。荒野でのヒッチハイク、面倒でしょう?」

 

「わぁ、男女差別。何時から男に、そんな咋な媚を売る娘になっちゃったの?」

 

「嫌ですね、ダルクさん。私も人間です。私は、私に優しい人には特別優しくしたいだけですので」

 

「私も、優しくしたのに?」

 

「貴女って不可思議ですよね。心が死んだ復讐の鬼なのに、誰かに優しいって行動が取れるのですから」

 

「じゃあ、仕様が無い。私も乗せて」

 

「はい、どうぞ。ほら、褪せ人な貴女も気にせずに」

 

「どうも!」

 

「では、暗帝さん。貴女の活躍を期待しています。

 葦名で散った英霊の皆さんの遺志を継いだ意味、私の意志に見せて下さいね」

 

「余に発破を掛けるとは。だが良い挑発だ、気分が乗る。

 何、安心せよ―――鏖殺だ。

 余こそローマ皇帝、薔薇の君臨者。不死と為る生前より、この手は血に塗れておる」

 

 遠目に疾走するグレートウォールが見える距離となる。暗帝は敵を視認した後、右手を空に向けて呪文を混ぜた真名解放を唱えた。

 それは―――唄。魂を呼ぶ音の詩。

 芸術を愛しながらも、芸術に全く愛されなかった万能の天才は今、此処を劇場だと空想して台詞を読み上げる。

 

「機械仕掛けの巨神よ、顕現せよ!

 星を守る古き軍神よ、励起せよ!

 英霊達が灰による救世を否定したいと願うなら、貴様もまた未来の人間の遺志を継げ!」

 

 輝く右手を握り締め、胸に当て、暗帝はその名を声高らかに呼び上げた。

 

「薔薇の唱―――軍神なる無祈騎械(マルス・ソウルレス)!!」

 

 赤い機体が具現し、暗帝はコックピットへ飛び入る。人型兵器を直感的に操作する為のコントローラーとは別に、パイロットが持つ魔術回路と直接接続される神経電磁針が刺さり、脳と神経基盤がリンクした。暗帝が思う儘にACネクストは機動し、そして同時に材料となった魂の記憶に彼女は脳を汚染された。

 灰達が剪定された可能性の人類史から学んだ文明技術により作られた殺戮兵器、アームズフォート。それによって数多の英霊が虐殺され、その魂は集約され、こうして遺志は宝具となって暗帝のソウルに継がれる事となる。

 

「外宇宙文明が生んだ機神を模した人類文明の、国家解体兵器…………ナニコレ、超カッコ良いのでは?

 星が見える、マジスター。

 国を解剖した企業連邦形態な文明も、そんな悪い雰囲気じゃないね」

 

 巨大兵器に向かう暗帝を見つつ、浪漫に震える所長だが、ふと視線を逸らすと同じように瞳を輝かせる男の子が一人。そんな藤丸も所長の方を見てグッドと親指を立てると、所長も同じく確かな意志を込めて腕を上げた。

 通じ合う意思と感情。人間、やはり浪漫に夢を見る限り、楽しく人生を送れるのだろう。

 その光景を見ていた盾騎士は、ボーダーの変形機能に人型モードを追加しようかとも考えたが、止めた。正直、人型にするなら自分自身が戦った方が強い上に修理費も掛らず、懐にも優しい事に気が付いてしまった。リアルとは総じて世知辛く、現実的な思考を持つと狂気に酔うのも苦労する。

 

「じゃあ―――()りに行きますか」

 

 邪笑と呼ぶに相応しい魔人の笑みを魔女を浮かべ、人の心を圧死させる濃密な殺意を纏う。まるで蝗の大軍が皮膚を這い回り、視界が真っ黒に染まって地獄へ落ちる錯覚を、藤丸は自分に向けられた訳でもないのに感じ取る。耐性がない者ならば集団を一瞬で昏倒させる悪意は、敵対する英霊に宝具の真名解放をされた時以上の恐怖であったが、彼は確かな意志で平然と流していた。

 何より、自分に向けられた意思ではない。

 藤丸は新生した令呪を見詰め、そのまま暗帝が乗った決戦兵器が飛び去るのを見届ける。

 

「それじゃ隻狼、私は行ってくるので」

 

「……は」

 

「諸々、宜しく。特に藤丸ね」

 

「御意の儘に……」

 

 従者らしく跪く忍びの前で、額に右手を当てて天を仰ぐ所長は姿が薄れて消えた。まるで蜃気楼が晴れたような光景だったが、藤丸は所長に関して疑念を抱く事を止めていた。気にしても仕方が無いことが世の中は多い。

 

「藤丸殿、参ろう」

 

「そうだね、狼さん」

 

 愛想が全く無い忍びの催促に彼は愛想良く返し、キャンピングカーだった殲滅用装甲車に乗り込んだ。その後に魔女と褪せ人も続き、二人はこれ以後の未来を予知しながら戦術を考える。そして考えても仕方がない事に気が付き、敵の悪辣さに反吐が出る気分を抑え込む。

 アームズフォート、最後の一つ。

 グレートウォールが残った理由。

 あるいは、葦名幕府に逆らって虐殺された英霊達が、これを残してしまった原因。

 

〝簒奪者共……ソウルで脳を進化させ、座に記録された学者の魂を貪り、何を生み出すと言うのですか”

 

 数理の究極。工学の極点。それを見る盾騎士は、枯れた人間性が僅かに燃える。

 

〝魂を娯楽品とする意味。それは宇宙の仕組みを解き明かす人類の意志を、玩具にすること。

 汎人類史の文明技術と、その可能性が辿る未来の知識も、魂の記録ごと灰達に奪い取られてしまった”

 

 彼女はアクセルを踏み込み、ギアを切り替え、所長と暗帝以外が乗ったボーダーを発進せる。

 そして敵兵器(グレートウォール)は全自動対英霊蒸気機関兵器―――アーマード・バベッジを排出し、人殺しによるソウル蒐集と言う当たり前な日常的業務を開始した。

 葦名大学工学部附属軍事企業、アシナビット。

 そして親会社の複合大企業、葦名カンパニー。

 バベッジのソウルは他英霊と違わず灰達に利用され、悪用され、蒸気文明を夢見る理想もまた継がれていた。

 

「新型の量産タイプね。それもバベッジタイプのAC」

 

「何だい、それ?」

 

 カルデアに召喚され、現代技術や文明知識を取り入れた褪せ人とは言え、この特異点特有の技術関連は知り得ない。褪せ人はキョトンと言う可愛らしい擬音の例えが似合う表情豊かなな貌を作るも、その中身は叡智に貪欲な人間性の化身である。

 その悍ましさを感じ取りつつ、魔女は気にせず会話を続ける。そうでなければ、永遠を生きるには精神が保たないことだろう。

 

「灰の奴等、学者や科学者の英霊のデモンズソウルが大好きでね。いや、英霊なら何でも好きなのだけど……まぁ、葦名幕府の日本社会にこうやって英霊の神秘を還元してるのよ。

 昨日の核熱兵器だってカルデア産超技術以外にも、原爆関連の逸話を持つソウルの宝具やスキルを使ってるんでしょうし。まぁ、奴等のソウルから作った錬成物も色々と良い趣味してるけどね。

 なので座に居るアメリカやソ連で逸話を残した科学者は生前に誰かを利用していた様に、死後に利用され、襤褸雑巾みたいになって灰達に利用され続けてるってこと。世界を運営する人理に穢す殺戮兵器としてね。あのAバベッジも原子炉搭載されてるのよ。

 何とも憐れじゃない。生前は人類種が運営する政治の道具として使われ、死後は人類種が運命を管理する為の道具として使われる。魂は命が死んだとて魂の儘にあり、その脳が文明を変えようとも人は在るが儘に、因果が変わる事もなし」

 

「そりゃあ、死んだ程度で救われるなんて都合が良い妄想、する方が脳が弱過ぎる証拠だ。

 とは言え、狭間の地にもあの手の兵器は良く居た。良く壊した。サイズ感はガーゴイル程度だけど、あれみたいに達人の武技を模倣する人型兵器って訳ではないかな。ゴーレムみたいな雰囲気だな。

 しかし、デモンズソウルね。成る程ね、成る程……此処、楽に脳が鍛えられるみたい。狩れば狩る程、魂と共に脳へ知恵が蓄積すると」

 

 狭間の地の王都、そのローデイル黄金樹勢力による超技術、ガーゴイル製造技術。現代風に例えると飛行機能付き人型高機動戦闘兵器を思い返す褪せ人は、今度自家製ガーゴイルを作ってみたい欲望が湧くが、今はガーゴイルやゴーレムの破壊方法を脳裏から掘り返す。

 装甲車(ボーダー)のモニターから見る外の光景。

 飛び交う英霊の残骸、Aバベッジ。疾走する破壊戦艦、グレートウォール。そして、その全てに立ち向かう暗帝のACネクスト、マルス・ソウルレス。

 

「さて、どうしましょうかね……」

 

 今の状況を打破する戦術を考案しようと思考回路を働かせ、未来が曇って先読みが出来ず、盾騎士は思わず苦悶に満ちた独り言を漏らす。同時に脳と神経接続したボーダーの防衛機能を彼女は使い、ガトリング砲門とグレネード迫撃砲を展開する。そのまま高機動戦車としての姿を現し、彼女は運転をしながらも的確に迫り来るAバベッジ達を撃墜した。

 爆散するAバベッジたち。彼等自動兵器も重機関銃を発射してボーダーに命中させてはいたが、盾騎士が機関部に収納した十字盾により、魔力防御の障壁(バリア)が発生して全てから防いでいた。だが現代戦争で言うAI搭載式自爆ドローン兵器としての側面も持ち合わせており、皆が乗るボーダーにAバベッジ達は攻撃しながら接近を続けている。

 逃げの一手。盾騎士はそれを選ぶ。そもそも彼女は遠距離からグレートウォールを破壊する手段はない。無論、彼女が持つ聖杯を火薬として自爆させてば有効な破壊手段となるが、そもそも灰達が作った兵器である最高防御機能を持つAFが、特異点を破壊する程の攻撃を受けても壊れるか否かも、分からない。同時に、グレートウォールを破壊する為にこの特異点が壊れた場合、封印された古い獣が悪魔殺しの眠りより目覚める結果となり、やがて根源へ回帰する獣によって人理は宇宙全ての魂ごと消滅する事となる。

 

「……まぁ、暗帝さんとアニムスフィアに任せましょう」

 

 そう結論した盾騎士は宙を感じた。上空で暗帝が操るACマルスが踊り撃つ姿を認識した。そして暗帝のネクストが放つ機関銃掃射がAバベッジ等を十秒で数百体と爆散し、グレートウォールから発射させた超巨大砲弾が真エーテルブレードで一刀両断にされるのを見た。

 正しくその姿、斬撃皇帝。

 軍神の威光たるフォトン・レイの真髄。

 葦名特異点で敗れ散った英霊達の遺志を継ぐ戦いの神。

 

〝けれども、物量はグレートウォールが圧倒的ですね。ネクストを否定したい才の無い凡人が、天才達が壊した後に作った時代を支配する為の兵器であれば、数だけはいる人員で少数の天才を圧殺するのが確実でしたものね”

 

 人間性を喪ったオルガマリーの人理保証機関カルデアが作る可能性の未来汎人類史。宇宙進出を目指す宙の時代へ至る為の国家解体後の経済戦争。アーマード・コア技術こそカルデアの素晴しき業。即ち、カルデアを継ぐ凡人側の灰と、軍神として蘇った天才側の英霊を継ぐ暗帝。

 盾騎士の視点において、この殺し合いは余りに醜かった。諸悪の根源を思えば、この最先端の戦争に辿り着くまで、如何程の人々が未来に希望があると錯覚して魂を散らして死んだのか。

 だが―――壊す。

 壊して、壊して、壊して、只管に破壊する。

 人が国を壊す為に作った機械として蘇った神の宙の機械が、数多の英霊達が流した血の遺志を形にし、アームズフォートを撃滅せんと駆動する。世界を守ろうとする凡愚の思想を抱く灰を、神の機械を操る暗帝が軍神の剣によって否定しようと戦いは激化した。

 

 

 

 

◎◎◎◎<●>◎◎◎◎

 

 

 

 

 数ヶ月前、まだ森番灰(マスク)ではなく、工房灰(フォルロイザ)がAFを操縦して不死化した日本国民を虐殺していた頃。葦名特異点攻略の為、所長はグレートウォールを破壊しようと企んでいた。結果、不可能ではあったが、内部への侵入自体は成功していた。その時に仕込んで置いた灯と使者と通じ、彼女は思うだけで内部へとあっさり潜入に成功していた。

 

「や、早いね」

 

 尤も、この世で最も人殺しが巧みな灰の一人―――森番の簒奪者、マスク。

 彼は所長が転移して来る事も、この場所に基点となる灯がある事も、そして如何にして自分を抹殺しようかと考える事も先読みしており、容易く待伏せ行為を成功していた。

 彼は今か今かと可愛い可愛いオルガマリーに思いを募らせながら、この手でこうやって陵辱死させる好機を愉し気に待っていた。

 

「―――グッ……」

 

 奇跡、緩やかな平和の歩み。言うなれば、絶対平和圏内。狩人の要となる脚を潰し、速度を制限し、走行と跳躍を禁止する強制的な平和的歩行。森番灰が火の無い灰となる前、一人の不死だった頃、違う世界の不死同士でソウルを奪い合うの手段として良く流行った一方的な卑劣極まる虐殺手段である。

 不死が求める平和とは、全く以ってそれで良い。

 一方が撫で殺される立ち場となることで、世界は何時も通り争いのない平和な時間となる。

 

「……ゥゥウ”!!」

 

 ボン、と二発同時大発火。左右の手に呪術の火を宿した森番灰は、そのまま所長の左右の腕を握り、両腕爆破を行った。咄嗟にステップを行うことで身動きが一瞬止まった所長は両腕を掴まれるのを防げず、腕と共に仕掛け武器と短銃を落とし、一瞬で武装化解除を行われてしまう。

 だが攻撃は止まらず、そのまま反魔法領域の神秘を付与した短剣を腹に刺し込む。所長の魂は体の内側から魔力を制限され、魔術回路の起動は勿論、あらゆる呪文も禁止された。

 

「良い匂いだ。可愛いソウルを持つ人間を最初の火で焼くと、魂が幸福に満ちる人間性を感じ取れる」

 

 魂を殺す奇跡など生温い。最初の火の炉と化した灰の炎は魂を根源に還さず、つまりは無にすら返さない火。灰に焼かれて死ねば、そのままソウルが灰となって終わる事だろう。とは言え、所長もまた不死。死んでもこの宙から逃げられはしない。

 だからか、森番灰は遠慮をしなかった。最初の火で燃える暗い手で所長の太股を撫で、掴み、指が肉へ突き刺さり、大発火。地面に転げ落ちた千切れ焦げる片足を拾い、特に意味もなく更に焼いて灰燼とする。所長は平和の奇跡によって転ぶ事も出来ず、両腕と片足が捥げ堕ちた状態で直立を強制されていた。

 直後―――眼球が隕石となって森番灰に直撃した。

 予め神秘も右目に仕込み、右眼自体を自分から独立した術式と稼動させ、所長は自分が待伏せされる事を理解した上で相手の不意を穿つ好機を狙っていた。

 

「馬鹿が。直ぐ殺そうとしないから、そうなる」

 

 上位者化への進化が葦名での日々で進み、所長は脳の内側の悪夢から湧き出る使者が体に纏わり付き、そのまま白い肉塊となり、使者達の塊は千切れたオルガマリーの四肢となって夢見る脳と同化した。そして心臓から流れ込まれた血が通り、人肌の色を取り戻し、血の遺志によって人の形を取り戻す。同時に使者が所長に刺し込まれた文字通りに魔法の領域の神秘を封じる反魔法領域の短剣を抜き取り、それを渡し、彼女は灰に向けて短剣を投擲して突き刺した。

 短剣により、歩みを強制する平和領域は解消。そして地面に落ちていた仕掛け武器の曲刀と血族の短銃を使者達は拾っており、所長は近付いて来た彼等が敬い掲げる愛武器を受け取った。同時に彼女は輸血液の針を血管に刺し、血液を操ることで急速注入して生命力を一気に活性させた。

 

「どうも。ありがとう、皆」

 

「――――」

 

 悪夢に苦しむ病人の呻きにも聞こえる奇妙な笑い声を上げ、使者たちは泥沼へ沈む様に彼女が夢見る悪夢へと帰還する。もはや脳魂一体となり、彼女の脳を構築する神経細胞に等しい使者達は、血に因って人の形を得て、啓蒙高い蒼褪めた白い悪夢(オドン)の血から湧き生まれ、そしてまた血に還るのだろう。

 ―――素晴しい、悪夢の業じゃないか。

 感動の余り森番灰は、頭蓋骨が隕石で消滅していると言うのに、肩を震わせて嗤っていた。肉体自体を意識的に操ることで、灰は手を使わずに刺さった短剣を排出していた。

 

「や、強いね。読まれているのを読んで、こう殺すなんて、実に可愛い。君の魂はそう、とても可愛い夢のソウルだね」

 

 ソウルを震わせ、人の魂が宿る脳へ森番灰は首無しの儘で語り掛ける。口もないのに首に空いた喉の穴へエスト瓶の中身を流し込み―――その間にて、所長は短銃より強化徹甲水銀弾を発砲。

 しかし、その回復狩りを先読みしていた森番灰はエストを飲む真似をしていただけだった。容易く左手に何時の間にか装備した盾で防ぎ、そのまま一気呑みを敢行。一瞬で頭部は再生され、被っていた仮面兜もソウルより修復されていた。

 

「黙れ、変態が。強姦魔風情が格好付けるな」

 

「ひゃひゃははははは……では、私は君にこう言おう。

 人殺し風情が、人道側に立った顔で私を語ると言うのかな。あぁやはり、物を知りながらも感情を人間性の儘に発露させる等、実に実に人間らしい可愛らしさじゃあないか。

 けれども、仕方が無い。君の穴はとても良かった。例えるならば、生命が生まれる魂の部屋に繋がる道。直接的に言えば、子宮に繋がる産道だ。何よりも、君のダークリングはとても美しかった。ついつい、皺の数を数えたくなるような気分になったぜ」

 

「屑野郎が……!」

 

「良い、凄く良い瞳だ。あぁ凄く興奮する、興奮するじゃないか。そうだ、この感動だよ。美しき人が憤怒と憎悪に染まる様、この様!!

 私は感動する為――――今も尚、人を暴きたいからソウルを簒奪する!!」

 

 人間性を振わせることで本能的性欲を活性化させ、森番灰は股間のソレをイキリ立たせる。星のように血色で輝くオルガマリーの魂を味わう為だけに今、彼は陵辱して殺そうとソウルを全開にした。

 最初の火の炉となった暗い魂。火の簒奪者としての本性を現し、灰は愛剣のツヴァイヘンダーを装備する。そして忍びよりも忍者らしい瞬間的高機動体術で重装備のまま動き、彼はレイピアを振うよりも軽やかに連続突きを行った。それを狩人の踏み込みで避けながら接敵して所長は獣狩りの曲刀を振い、だが灰は愛剣を攻撃から一瞬で防御の構えに移し、余りにも容易く攻撃を弾き流す。だがそれでも所長は曲刀を振って防御を崩そうとするも、灰の体幹機能は鉄壁を軽く超えて城壁と化し、隙を狙った銃撃も灰は一歩動くだけで回避。逆に所長の腹へ前蹴りを叩き込み、血反吐と共に臓物を吐き出す威力で胴体を穿ち、灰は蹴り一つで相手の魂に罅入れる。普通なら死ぬより悲惨な最期を迎えるが、所長は無傷の時と変わらない動きで蹴られながら短銃を二連射するも、灰は『我慢』するだけで体幹崩しの銃撃を簡単に耐えてしまった。

 此処から先、時間が停止する密度で二人は殺し合った。

 十秒間に幾千の死が交錯し、命が死に、だが魂は死ねず、殺し合う。

 

固有結界(リアリティマーブル)―――平和の夜森。

 平和主義者の我に相応しき心象風景。私が夢見る美しき平和な自然の異界常識」

 

 その心地良い死の舞踏を、灰は心で世界を冒涜する事で停止させた。今この瞬間、グレートウォール内部の金属の床に草が生い茂り、樹木が具現され、天井全てが余りにも美しい宙の法で運営される星団の夜が現れた。

 

「貴様、何処までも――――!?」

 

「殺し合いは好きだけどね、人殺しも好きなんだ。私だけが平和に、一方的に、殺すのがね」

 

 侵食固有結界、平和の夜森。森番灰が葦名で学んだ魔術の一つ。異界常識である己が魂で世界を塗り潰すのでなく、塗り変えて変色させる人間性の禁忌。

 彼の周囲は全ての動きが停止され、歩く事も許されず、魂さえも停止する。動けるのは物質だけ。だが所長は灰の異界自体を観測する事で精神までも停止する事はなく、だが肉体を動かせる状態ではなくなった。

 

「さて、陵辱の時間だ。輝ける星が見守る森の中、良い夜を過ごそうじゃないか?」

 

 灰は四肢を切り落とす為、早速の御愉しみとツヴァイヘンダーを振う。だが彼が使ったのは心象風景と化す程にソウルに慣れ親しんだ奇跡の異界を、ソウルと魔力で魔術回路を運用して具現した魔術である。

 ソウル使いとしてならば、違う話になったかもしれない。

 しかし、魔術師としての技巧であれば、所長は天才を超えた異才である。

 

「ほぉおお……?」

 

 灰が世界を冒涜するならば、その冒涜を更なる狂気で犯すのみ。心は心で折れば良い。星団が煌く美しい平穏な夜は、隕石が降り注ぐ悪夢の夜に侵食された。

 

「美しい――――!」

 

 所長は灰の異界常識から、自分の異界常識を周囲に展開することで平和の拘束を無効化する。そして夜空に空いた孔は所長が夢見る悪夢の夜空と繋がり、蒼白く燃え上がる隕石群が高次元暗黒より招来する。

 だが、灰の周囲は灰の異界。既に異界化した絶対平和包囲圏は全てに適応され、隕石だろうと例外ではない。宙の石飛礫は空中で停止し、星の平穏を暴く宙からの脅威は無効化された。火を得た灰にすれば、宇宙からの大絶滅だろうと人間性によって今の文明を守り抜く。

 ―――灰は杖より、幾十にも乱れ湧かれたソウルの結晶槍は発射。

 一つ一つが今を生きる神の魂を砕き殺すソウルの重みを持ち、権能を持つビーストをだろうと撫でる様に宇宙から抹消する。だが所長は魂砕きの魔術一つ一つを視認し、因果律を歪めて自動追尾する結晶槍を、自分自身の因果ごと加速することで時空間を歪めて回避する。

 瞬間―――灰は、自身の敗北を理解した。

 先に固有結界を出した結果、この因果に導かれたと悟った。

 

〝成る程。君を犯した気になっていたが……その実、私もまた魂を悪夢で犯されていた訳だ”

 

 嘗て勝利した後、灰は所長を強姦して殺害した。犯した所以が灰に残り、その脳に啓蒙足り得る小さな種子が夢となって残留する。

 千分の一秒より短い万分の一秒、脳が夢見ることで肉体が停止する。

 神経全てが彼女の脳が繋がる悪夢を垣間見、美しい宇宙の星雲に感動する。

 葦名で人間性を得たことで魂を強くする意味を灰達は取り戻し、同時にそれはこの世界の美しさに涙を流す価値を取り戻した事を意味する。人間が生きる宙に価値が存在するのだと人間性が訴える故、召喚された簒奪者達はこの宇宙を獣から守ろうとするあの灰と悪魔の企みに賛同し、そう在るからこそオルガマリー・アニムスフィアが夢見る星見の美しさには抗えない。

 即ち、灰自身が願う平和への歩みが、灰本人に適応されてしまった。固有結界が僅かばかり、反転した。歩み寄る事に価値を得て、灰は所長の心から美しき平和を啓蒙されたのだろう。

 

「―――死ね」

 

 その言葉を発する前にて、所長は灰の首を切り落とした。直後、地面へ頭蓋骨が墜ちる前に発砲した水銀弾を命中さえ、脳味噌を空中で爆散させた。そのまま曲刀を変形させて大曲剣にし、股から背骨を通じて両断した後、四肢を刃を一周させることで全て切除する。そして出来損ないの失敗作を真似、隕石を灰の遺体目掛けて絨毯爆撃した。

 

「ごめんね、魔女。囲んでリンチするって言ってたけど、私一人で充分だったようです」

 

「―――そうか?」

 

 ポン、と灰は所長の肩を優しく叩く。

 

「…………魂、消し飛ばした筈」

 

「うむ、だな。しかし、蘇生したまでのこと。篝火で蘇る程の、完全な死には遠い。死の度合いが低ければ、奇跡と火で如何とでもなる。

 だが、残念だ。私としてはまた犯したかったのだが、こうして私に一度は重ね掛けしておいた蘇生の奇跡を消費した。戦術で上回る脳の強さを得たとなれば、少しお喋りの時間が必要となる。

 君が嫌ならば、またこのまま殺し合いを続けるがね?」

 

「はぁ……―――殺したい。けど、聞いとく。

 殺しても死なない不死な癖、どんな手段でも殺せない程に用心深い上に強いとか、糞過ぎる人間性じゃない」

 

「負けるのは嫌いでね。篝火で蘇るのが屈辱なのさ」

 

 一人では殺し切れない事を悟り、所長は会話中の不意打ちを狙う程度にした。何よりも、こうして灰をグレートウォールの操縦から離してAI自動運転モードにしておけば、仲間も撃滅作戦を行い易くなる。狙いはAF稼動炉と化した万里の聖杯であり、むしろ会話時間が伸びる方が本来の第一目的に適した作戦行動となる。尤も灰はその事情を分かった上で、可愛い女とのお喋りを優先する人間性に忠実な男であった。

 

「で、何よ?」

 

「まずは盾騎士のキリエライトの件、感謝する。アレの人間性が揺らぐと星が滅びる。我等は獣より根源と宙を守るが、人理を火より守るには星の暗き盾が要るだろう」

 

「何となく、分かるわ。汎人類史の火、核熱の光を覚えさせた理由もね」

 

「人間性を人理保証の為に捧げて貰いたい故、な」

 

「御都合主義極まる話ですね」

 

「平和主義者な私にとって、素晴らしい計画だった。一人の人間の心を折って亡者とするだけで、人理が管理する美しい人のソウルの楽園が維持される訳だからね。

 だが、良い終わり方になるとは思うんだ。生きる意味がないのに、我等は永遠に生きるしかない不死。世界に価値を感じないと言うのに、過去の価値を守る為に心を持ち続けるのも辛かろう。せめて苦しいと言う感覚を持つ人間性を捧げれば、この宇宙と言う時空間が冷却死するまでの時間も無意味に出来ることだ。

 根源に還れないとは、そう言う運命だしね。

 その点、君も辛くなれば人間性を喪い、とっとと亡者となることだ」

 

「良く言う。貴様、この星の宙を美しいと思う為だけに、生きている癖に」

 

「世界は、こんなにも美しい。出来れば、永遠に繰り返して貰いたいんだ」

 

 森番灰は、この世全ての愛に満ちた瞳を仮面兜の中で輝かせる。暗い星とも言うべき闇の火を炉となった魂で滾らせ、彼は世界全てを暴きたいと知的好奇心をソウルを焚べて燃やしていた。

 

「―――だから、最初の火を葦名の宙に描いたのね」

 

 自分達の真理を聞き、灰は優しく微笑んだ。

 

「その様子、星見のオルガマリー……我らの太陽が描く星の正体、気が付いたようだ。それも脳の瞳が啓蒙したではなく、己が思考と直感によってとは素晴らしい。

 君にとって、もはやその脳は魂と化した。

 思考することが世界に対する概念干渉だ。

 最初の火で焦げた暗い魂の血、その顔料こそ宙を魂の楽園とした最初の星たるソウルの煌きの具現。あの魂は、この宇宙で生まれた君達にとっての最初の火である」

 

「絵画世界の住人が語る宇宙か。いや、だからこそ貴方達は繰り返される宇宙が見えると?」

 

「あの灰に呼ばれた我等火を得た灰は所詮、輝ける最初の星を描く為の顔料だ。古い獣を狩る為に必要な道具に過ぎず、この人理を夢見る星の宙を守る為の生贄だよ。

 しかし、致し方が無い事。火を奪う為、王殺しを行い、椅子に首を並べた我等が、自分が贄と捧げられるのを嫌がるのは人間性が許さぬのさ。人間だからこそ、人間で在る為の最低限度の尊厳性は重要だ。尤も火の炉と化した暗い魂である我々は、贄にされた程度ならば地獄の苦しみを受けて死ぬだけ故、取るに足らぬ悲劇でしかないがな」

 

「それは、如何でも良いのよ。むしろ、惨たらしく絶命しろって感じです。

 でもね、それが真実なら……外から呼んだのは悪手じゃない。古い獣を外なる宙から呼び、ソウルの業を始めた惨劇と同じ事を繰り返す破目になる」

 

「―――ふふ。同感だ。

 だが外側と言えど、その広さには深度がある。古い獣は魂が発生する生まれ故郷、根源の星幽界よりも更に離れた根源領域における深淵から来た魂だよ。獣が拓いたソウルの業と言う神秘は、それ自体が宇宙の運営法則に反する魔法であり、あの灰がこの宇宙に啓蒙した魔術基盤、ソウルの業は火に焦げた暗い魂の血に属する地球で観測する魔道だろう。

 言った事だ、何事も繰り返しとな。永劫回帰する螺旋である。人間の視点ならば外宇宙は根源に属する外側と勘違いするかもしれぬが、あれはまだこの宇宙の外側であるが、宇宙の内側であり、世界の外側である根源ではない。異次元の暗黒領域ではあるけどね」

 

「そう言う話ね……――だから、あの狩人は星を守る?」

 

「宇宙で命を生む最初の魂こそ、我等が描く星の太陽だ。生命起源となる物質の誕生は、恒星の炸裂から始まった。銀河の夜空は太陽が描く魂が宿る命の絵画であり、輝ける曼荼羅模様だろう。

 だが世界を始めた爆発は別だ。物体が動く時空間を始めた宙の起源。即ちね、命と同じく、世界も冷たくなるのだよ。冷却死した宇宙にて、また宇宙の始まりが破裂する。

 その時、熱の無い冷たい世界で生き延びた魂は、次の始まりから弾き飛ばされ、前の宇宙の生き残りとして高次元暗黒領域となった死んだ宙で、今のこの命に恵まれ、新しい魂が根源より流れ込む温かい宇宙を観測する暗い宙の神性と成り果てる」

 

「今だとCCC―――共形サイクリック宇宙論だったかしら?」

 

「CCCか、君の生きる汎人類史の言い方だな。描かれた銀河の光より、前回宇宙の存在を見た。魔術世界も暗黒領域を観測した事により、繰り返しが繰り返される。故に宙はまた、宙に回帰する。宙が宙を描き、永劫回帰する無限の螺旋構造。即ち、ビッグリップの先だ。ゴールのあるクランチも救いだがな。

 どの終わりを選択するかは、世界次第だがな。しかし、外側の観測により、繰り返しをまた選ぶのが魂の在り方なのかもしれぬな」

 

「あの小説家は、宙の先の宙を見た。この宙を描いた宙に生きる者を」

 

「ならば、分かるだろう。悪魔殺しの悪魔と同様、そもそも我等簒奪者全てが要人のソウルも得た。葦名にて、得てしまった。故、外側より魂を呼ぶ術理を所持しておる。世界を創世した最も外側の根源は無論、この宇宙の殻となる外宇宙からもな。

 阿僧祇の年月を阿僧祇程に繰り返した時間を経て、時空間が崩壊した宇宙で生き延びた魂の最果て。

 更にその繰り返しを見ていた外宇宙の外側における外なる宙に生きる深淵。しかし、時空間は存在せず、高次元暗黒は全て蕩けて合さり、夢見る階層が悪夢となって今の宇宙を覆い包む」

 

 森番灰は最初の()が輝く地球の空を見上げ、自分達の暗い血で描いた葦名の空が全て宙と繋がる事実を完璧に理解している。ブラックホールでさえ一瞬で蒸発する時間なき永劫を簒奪者全てが啓蒙され、永遠に生きる不死の意味を理解し、外側から魂を呼び込む召喚術の本質を正しく要人より簒奪した。根源に記された根源を滅ぼす因果を強奪した。

 だが何一つ、特別な神秘で非ず。根源で生まれた魂にとって当たり前な業であり、長い時間を経た人なら誰でも出来る技術。何よりも、簒奪の灰は根源生まれの魂ではない。根源に接続する資格を持たず、還る為の死も無く、観測する事しか出来ない人類種だ。それでも理解し、行使するのであれば、星見であるオルガマリーにも進化し尽くした未来でなら可能な神秘と言うことだろう。

 

「さぁ、舌を咬む程に語り尽くした今―――神秘の時間だ。

 星見の女よ、君ら学術者が求める外側の死んだ宇宙との邂逅、存分に愉しみ給えよ」

 

 グレートウォールが走っていた関東平野上空、光り輝く星の曼荼羅が浮かび上がる。高次元暗黒より孔が穿たれ、時空間無き外の空より魂が零れ落ちた。それは真エーテルを得ることで魂が肉を帯び、この物質次元宇宙の法則を愛で上げる様に産声を上げ、嘗て自分の魂が根源より流れ落ちた宇宙を生きていた時代を懐古した。

 クトゥルフ神話として現行文明に広がった宇宙の物語。

 旧宇宙が絶滅し、新宇宙が生まれる事で得た暗黒神性。

 ならば、生命を始める最初の火に惹かれるのは必然だ。

 それは神と呼ぶには余りに強大で、人の認識が矮小だと理解させる存在は余りにも巨大で、星が宙に浮ぶ一粒の礫でしかない事実を人間の脳へ叩き込む。

 

「過去、君はフランス特異点で見ただろう。彼だよ、彼。彼女かもしれんがね」

 

 人類史に絶望した救国の元帥が呼び、勇者ジークフリートが身を呈した倒した蛸貌の邪星。その究極の一が等身大の魂で受肉する絶望的悪夢。だがそれ以上に悍ましい事に、その召喚を簒奪者達は誰でも可能と言う事実。

 この狂気が、葦名では当たり前な人の業。

 星が生む神を超え、その星の魂も超えた先の先の、更なる先。

 人類種の魂が決してこの宇宙で至ってはならない究極を普遍とする灰達の業。

 ソウルを自在にする意味、古い獣を呼んだ要人を超えた業の最果て。つまるところ、葦名特異点は人類史の特異点ではなく、星が夢見る悪夢の特異点と化していた。

 

「――――――――」

 

 巨大な人蛸が動く。邪眼を輝かせ、脳を汚染する電磁魔力波を垂れ流す。この宇宙の法則外の、無の闇に生きる神ならざる神性ではあるが、今は魂を物質化させて命を得た。得てしまった。本来ならば、命ある魂の宙には存在出来ない暗黒領域の知性であり、前宇宙の生き残りだと言うのに。

 火で焦げる暗い魂の血より描くソウル―――最初の太陽。

 百八の最初の火が魂を導く輝ける星となり、光を忘れた旧宇宙のヒトに命の温かみを思い出させた。

 この地球で生まれた人類種の娯楽作品により、作家が根源ではない外より啓蒙された狂気により、クトゥルフと言う(オト)を知った魂は、この宇宙を知れた奇跡を神に感謝した。

 ―――神が願う、神。

 宙を運営する律。今此処に在る現実。

 物質が生まれ、物質が消滅する時間。

 百五十億年と言う生まれたばかりの幼年期の宇宙。

 世界の滅びを幾度か見た人蛸は、根源を魂の起源とした究極の最先端である地球人類種を見て、愛と希望と言う魂の感動を啓蒙され、心をまた得て、其処の底より慟哭した。

 

「君が星見した暗い光の一つさ、オルガマリー……―――では、狩り給えよ。

 魂が夢見る悪夢の住人である月の狩人君の弟子で在れば、宙の悪夢より星を守るのも容易い奇跡であろう?」

 

 森番灰は消えた。彼は宙の神性へ祝福の言葉を送って葦名へ転移し、人蛸は人間性が囁く祈りの言葉に耳を貸してしまった。

 ―――贄。捧げられた命。

 魂で魂を見る人蛸は所長を見て、その魂魄を理解し―――感動した。

 人間性である。彼は人と化した。暗い魂の火を通じて星に来た神性は人となり、神の肉を以て人心を魂の脳で感じ取ってしまう悲劇を経た。

 

『魂は全て、平等だった。私も君も、同じ存在だ。

 悪夢を共に見よう、人類種。宙に存在するのであれば、きっとそれだけで命に価値はある故』

 

 魂を愛でる為、人蛸は命を喰らい、同じ命となるべく人を虐殺する。そして物質として存在する奇跡に涙し、また脳を得た人蛸は感動出来る今に感動する。

 そして―――火の落とし仔を見た。

 自分の魔力が交じって誕生した聖女の赤子。自分の魂と通じる魔導書より、欠片が魂に雑じる竜の魔女。

 

『赤子。竜の魔女……魔女の狩人、ジャンヌ・ダルク。我が落とし仔。

 そうか、君が導きか。君こそ、暗黒の中で輝ける星の火だ。あぁ、あの絵描きに力を啓いた様……否、我が娘へ愛を授けなければ。

 暗黒の元帥。国を救った狂気の我が分け身、君の遺志を此処で継ぐ』

 

 脳波の送受信が起き、統一言語に近い(コエ)の言語化変換が行われ、人蛸の意思が次元へ干渉して伝播した。

 それは上位者の(オト)に似た宇宙の振動。

 空気ではなく、時空間を振わせる音。

 だから、呪いは継がれ続ける。赤子の赤子まで呪いが紡がれ、だが暗い宙の彼方からの祈りでもあった。

 

『ならばこそ旧い宙より、この宙へ我が遺志を送ろう。共に、永劫へ回帰しよう。

 宇宙が滅び去る無限の前にて、我等が為の悪夢へ逝き、邪星が夢見る地獄の宇宙へ今、至る』

 

 フランス特異点より、悪夢は回帰した。願いは紡がれ、遺志は継がれる。

 人蛸の邪神は動き、それだけで時間が狂い、空間は歪み、次元に亀裂が走った。







 読んで頂き、ありがとうございました。


 一応、この二次創作型月時空の宇宙の終わり方はビッククランチでもビックリップでもビックバウンスでもなく作者が浪漫を感じるCCC、共形サイクリック宇宙論としています。この宇宙法則にしますとクトゥルフ的外宇宙にも浪漫が科学的にも個人的には生まれましたので、そんな感じにしています。
 前回、型月宇宙における最初の火の役割を、この宇宙で最初に生まれた恒星と言う設定にして、その星に型月宇宙における一番最初の魂が根源より流れ落ち、その星が死んで超新星爆発を起こして生命起源となる原子物質が宇宙に充満した説明をしました。
 なので今回のは外宇宙存在の成り立ちとして、そもそもビッグバンが弾けて今の型月宇宙が生まれる前の旧宇宙における知性体の誕生と言う二次創作的設定となりました。簡単に言えば、宇宙は繰り返されていますので、前の型月宇宙が死んで時空間が崩壊して、物質が存在出来ない素粒子だけが世界に存在する暗黒でまたビッグバンが発生して今の型月宇宙が生まれた事にしましたので、外宇宙の暗黒神性は前回宇宙の生き残りとなる魂にしました。前の宇宙か前々の宇宙でもクトゥルフ神話っぽい物語も実際にあり、その宇宙も十の三千乗くらいの年で滅んでいる感じにしています。


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