大洗の随伴歩兵 (海野波香)
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ひよこ

作者から一言:リハビリがてら新連載。短めの中編になります。


 夏が近づきはじめた。風に張りつめた冷たさはなくなり、代わりにくしゃみと涙を誘う厄介な空気があたりを満たしつつある。県立大洗女子学園は大海を航行する学園艦だ。花粉症患者にとってはいい環境だろう。

 

 小柄な少女がくしゃみをする。

 

 

「風邪ですか、会長」

 

「んや、花粉症。河嶋ー、ティッシュ」

 

「は、ここに」

 

「桃ちゃん、箱でティッシュ持ち歩いてるの?」

 

 

 生徒会の面々は和気藹々としているが、その空間で賑やかなのは彼女たちだけだった。御神酒が奉じられた神棚。曇り一つない姿見。ところどころ補修跡の見える無垢材の板張り。そして、木刀を構える稽古着姿の少女。全てが静かで、全てが整っている。

 

 そして、適切な瞬間に適切な力加減で踏み込まれた足はその空気を割り、同時に木刀が空気を砕く。そして、一瞬の残心が空気を仕留める。次の瞬間には構えが戻り、そして空気も戻る。さながらヒュドラとヘーラクレースの戦いだ。

 

 そして、少女が12の型を終え、静かに木刀を納めた。

 

 

「いやー、お見事お見事。大洗ではこういうのあんまり見れないからねえ」

 

「世辞は結構。拙は修行中の身だ。よちよち歩きが精一杯のひよことでも言おうか」

 

「道場の先生がひよこってことはないでしょ、すごいと思うよー、塚原ちゃんは」

 

 

 稽古着姿の少女――塚原四葉は褒めちぎる生徒会長に困ったような笑みを見せた。塚原四葉。鹿島倒車流、塚原道場の主である。若くして道場の看板をその両肩に負う彼女は、事実一人前以上の力量を持った剣士である。

 

 しかし、その四葉に教えを請う門下生の姿はない。名札かけには塚原四葉の木札がかかるのみだ。いくつか手入れされた防具は置かれているが、置かれているだけ。本来なら木刀と木刀が打ち合わされるはずの型も静かなもので、四葉が発する音のみが響いていた。

 

 

「拙はいつまでもひよこだ。稽古の相手もない、仕合う相手もない。姿見の向こうにいる拙と睨み合うことしかできん。それに……」

 

「それに、戦車もないし?」

 

 

 生徒会長の言葉に答えず、四葉は視線を逸らした。肩口で切りそろえた髪がしゃらりと揺れる。

 

 鹿島倒車流は戦車道の傍流、随伴歩兵道の流派だ。戦車と共に進み、共に戦い、共に死ぬ。もちろん競技であるから、死ぬことはないのだが、それくらいの心積もりでなくてはならないと、そのように教えるのが鹿島倒車流であり、そして古い随伴歩兵道、もしくはタンクデサント・アーツだ。

 

 しかし、ここに戦車はない。

 

 

「悪い話じゃないと思うんだけどなー」

 

「機を逸した。その一言に尽きる」

 

「いやあ、わかんないよ? これから大洗で戦車道がじゃんじゃん盛り上がって、そしたら随伴歩兵道も――」

 

「ない。拙にはわかるのだ。もはや鹿島倒車流は死んだ」

 

「えっと……じゃあ、塚原さんは戦車道に参加しないってこと?」

 

 

 生徒会副会長、小山柚子の問いかけに四葉は頷いた。四葉は諦念とも確信ともつかない、しかし確固とした思いを抱いている。道場の歴史は長く、それゆえに四葉の悲しみも重い。四葉はその悲しみを表に出すことなく、静かに語りはじめた。

 

 

「先日の練習試合は拙も観戦した。西住みほと言ったか、彼女の指揮は見事だ」

 

「うんうん」

 

「そして、負けたらあんこう踊りという約束を果たす度胸も認める」

 

「そうだよねえ、すごいよ西住ちゃんは」

 

「西住だけではない。連帯責任を自ら申し出る貴公にも眩しいものを感じるぞ、生徒会長」

 

 

 四葉の言葉に、生徒会長がにへらと笑って頬を掻いた。

 

 四葉はこの生徒会長がただの暴君でないことに期待している。戦車道成績優秀者に過剰な特典を設けたり、転入生の西住みほに過度な重荷を負わせたり、目に余ると感じるところがないではない。しかし、四葉は人の善性を信じる方が好きだ。期待しすぎない程度に、盛りすぎない程度に、ささやかな信用を寄せる。亡き母から学んだ生きる知恵である。

 

 だからといって、四葉が戦車道、ひいては随伴歩兵道に対する考えを変えるわけではないのだが。

 

 

「その輝かしい舞台に拙は上がれん。精々、このなまくらな我が身が錆びないようにするので精一杯だ」

 

「そうかなー、せっかくの機会だと思わない?」

 

「思わん。そも、随伴歩兵道は廃れた武道だ。その中でもいっとう亜流の鹿島倒車流など、今になって日の目を見ることがあろうものか」

 

 

 機を逸したのだよ。そう呟いて、四葉は壁に目をやった。

 

 時計を挟むようにずらりと並ぶのは、歴代の師範たちだ。みな表情は硬い。活躍の場を得ることなく没し、見守ることしかできない道場の飾りになっていったのだから、当然と言えば当然だろうか。

 

 大洗女子学園の必修選択科目に随伴歩兵道はない。それどころか剣道もない。いくら腕が立っても、それを披露する舞台が用意されていないのだ。

 

 一瞬の沈黙を経て、四葉が呟いた。

 

 

「すまない、お客人。そろそろお引き取り願う」

 

「貴様、何の不満が――」

 

「いや、バイトの時間でな。シャワーを浴びて着替えねばならん」

 

 

 踏み出そうとした桃の右足が空を切った。つんのめって板張りの床に顔面から落ちそうになる桃の体を、慌てて四葉が支える。

 

 

「怪我をするぞ」

 

「む……すまない」

 

「気にするな。お構いもできずすまなかった。見学であればいつでも歓迎しているが、次に来るときは是非運動着を……どうした?」

 

 

 四葉は気づいた。生徒会長、角谷杏が嫌な笑みを浮かべている。見た目にはわからない、狡猾で悪辣な笑みだ。四葉の背筋を、つ、と汗が伝った。

 

 この少女は何か企んでいる。

 

 四葉が口を開くよりも早く、生徒会長の刃が――たった一言の柔らかな刃が、四葉の胸を貫いた。

 

 

「塚原ちゃん、アルバイトの許可申請って出した?」

 

「……あ」

 

 

 塚原四葉、16歳。剣の腕は一人前だが、それ以外はてんで半人前だった。だくだくと額から汗があふれる。これほどまでに焦ったのは、入学試験に受験票を忘れてきたとき以来だろうか。

 

 四葉は静かに膝をつき、手をつき、頭を下げた。俗に言う土下座である。

 

 

「後生だ、見逃してくれ」

 

「じゃあ交換条件ね。つーわけだから、随伴歩兵道よろしくー」

 

「では、失礼する、塚原」

 

「よろしくお願いしますね」

 

 

 不覚を取った。




一話あたりの文字数とか気にしてたらリハビリにならないよね、という言い訳をさせてほしい。


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まなび

 これはまずい。

 

 夕暮れ時、四葉が生徒会執務室で対面した西住みほは、早くも重圧に押し潰されそうになっていた。四葉と生徒会幹部の面々を目の前にして、その視線はどこか遠くに向けられており、うわごとのように作戦と編成を構築しては崩し、構築しては崩し。

 

 いくら生徒会が大洗戦車道復興の御旗を掲げても、指揮する者がこの有様では、にっちもさっちもいかない。

 

 

「ファイアフライをもし出してきたら……それよりフラッグ車がどの車輌かによって陣形が大きく変わってくるし……情報があまりに足りない……」

 

「生徒会長、これは大丈夫なのか」

 

「んー、ちょっと待ってね。西住ちゃーん。西住ちゃーん?」

 

「……はっ、ひゃい!」

 

 

 まるで今四葉の存在に気づいたかのような様子で、西住みほは跳び上がって返事をした。不安にならないでもないが、転入してきてじきに全国大会の初戦だ。しかも隊長。その緊張は計り知れない。

 

 ようやく目が合ったみほに、四葉が手を差し出した。

 

 

「塚原四葉だ。拙のことは好きに呼んでくれていい。貴公の勇姿はかねてより拝見している」

 

「あ、えっと、はじめまして……?」

 

「然り、はじめましてだな。西住流と鹿島倒車流の交流も絶えて久しい」

 

 

 鹿島倒車流の名を聞いて、みほの伸ばしかけた手がぴたりと止まった。

 

 鹿島倒車流はかつて西住流とも交流があったとされる。されるだけだ。西住流は実戦的な流派であり、ともすれば酔狂と思われてもおかしくない鹿島倒車流とは相性が悪かった。

 

 宙ぶらりんになった手と手を、生徒会長がぐいと掴んで結ばせる。

 

 

「まあまあ、そう硬くなんないでさ、仲良くしなー」

 

「拙もこれより貴公の指揮に従う身だ。よろしく頼む」

 

「は、はい……え、指揮に従うって、もしかして」

 

 

 みほの半ば確信に近い疑問には、桃が答えを示した。

 

 

「我が校のチームには随伴歩兵を採用する。公式レギュレーションに則り、1名のみだ。この学園艦で代々随伴歩兵道を継いできた鹿島倒車流の当代師範である塚原四葉を招いた。作戦に組み込むように」

 

「で、でも、鹿島倒車流は――」

 

「実用性に乏しい、か?」

 

 

 四葉に続きを奪われて、みほは言葉を詰まらせた。

 

 四葉は別に怒っているわけでも、恥じているわけでもない。隊長としての西住みほであれば、敢えて鹿島倒車流から随伴歩兵を募ることはないだろう。押しつけられた人事だ。

 

 とはいえ、いまさら四葉は後に引けない。アルバイトの許可ももらってしまったし、学食の食券で報酬を先払いされてしまったし、なんならもう食券は使い始めている。指揮には従わねばならないし、逆らうつもりもない。ただ、できないことはできないだけだ。

 

 

「鹿島倒車流は確かに酔狂な刀遊びだ。随伴歩兵なのに持てる銃は種子島がいいところ。地雷も火炎瓶も扱わん。刀も人死にが出んように刃引きされたなまくらだ。西住流が好まないのもよくわかる」

 

「いや、そんな、そういうわけじゃ」

 

「余計な気遣いは不要、拙は貴公の隊に入ったのだ。しかし」

 

 

 四葉が手をぐいと引くと、みほは力なくよろけた。その顎を四葉の片手が持ち上げる。柔らかい頬だ。うら若き乙女の。不安と警戒に潤んだ瞳が四葉を見上げている。

 

 

「拙は貴公の真価が見たい」

 

「私の、真価」

 

「そう、真価だ。車長でありながら水没した味方の救援に向かってフラッグ車を無防備にするような、ありのままの貴公を」

 

 

 ひゅ、とみほが息を呑んだ。ちらりと目をやれば、生徒会の面々が困惑の表情を浮かべている。いや、生徒会長だけは無表情の裏に何かを隠しているようだが、それが何かまではわからない。ただ、その真剣なまなざしからは、一切の遊びが感じられなかった。

 

 一方で、みほの顔色はひどく悪い。昨年度の全国大会で西住流と黒森峰の看板に泥を塗ったと後ろ指を指されてきたのが相当堪えているのだろう。彼女がこの大洗にいるのも、あるいはそれと関連しているのだろうか。西住家のお家事情など四葉には知る由もなかったが、ただ、みほの瞳の奥に渦巻いている不安、後悔、苦痛、そういった暗雲はたやすく汲み取ることができるほどに明らかなものだ。

 

 

「あの判断は西住流の者がなすそれではない。そちらの家元にも言われたかもしれんが。ゆえに、よい」

 

「……え?」

 

「ああいや、西住流を悪く言うわけではない。しかし、救える者を見捨てて勝ちを取ることの何が誇らしいのか、拙にはわからんのだ。つまり」

 

 

 四葉はみほの腰に手をやり、ぐいと抱き上げて崩れかけていたみほを立ち上がらせた。細い腰だ。これで高校生としては一流の戦車乗りなのだから恐ろしい。

 

 四葉は己の腕にちらりと目をやった。乙女の細腕と称するには少々無骨だろうか。傷痕もちらほら。どの傷も思い出深いものではあるが、わけを知らない人々からは虐待を疑われることもあった。そもそも四葉には虐待をする親がないのだが。四葉の母に言わせれば父は「逃げ出した腰抜け」で、彼の形見は四葉が今巻いている腕時計くらいしか残っていない。

 

 腕時計が示す時刻は4時45分。春真っ盛りとはいえ、潮風に寒さを感じることもある頃合いだ。隊長に風邪を引かせないためにも、あまり長話をすべきではないと四葉は判断した。

 

 

「貴公の新しい戦車道を見せてくれ。あるいは、拙もそこで何か得られるかもしれん。そういうことだ。すまん、そろそろ失礼する」

 

「またバイトか、塚原」

 

 

 呆れた様子で桃がため息をつくので、四葉は首を振って否定した。今日はアルバイトも休みをもらっている。

 

 

「いや、なに、化学の補習をすっぽかした。急いで教員室に行かんとどやされる」

 

「ほ、補習? 新学期が始まってそんなに経っていないだろう」

 

「学期始めの小テストで3回連続赤点を取ると、補習をもらうものらしい。明日は物理だ」

 

 

 桃がよりいっそう大きなため息をついた。しかし、四葉にはどうしようもないことだ。モルがどうこう、アボガドロがどうこうと言われてもさっぱりだし、頭が茹だりそうになるのだ。小さいころはかけ算の九九でつまずいて母に拳骨を食らった。どうにも四葉は勉学と相性が悪い。

 

 突然、笑い声が弾けた。何事かとみほから手を放して目をやれば、生徒会長が腹を抱えている。目尻の涙を拭っても、まだ笑いがこみ上げてくるという様子だ。

 

 

「いやあ、塚原ちゃん可愛いねえ。大丈夫大丈夫、去年の河嶋もそんなんだったよ」

 

「会長、この時期の私はまだ補習を受けていません!」

 

「私のノート貸したからなんとかなったようなもんだよねー」

 

「くっ……」

 

「まあでも、そっか、補習か。じゃあ塚原ちゃん、こうしよう」

 

 

 生徒会長がぱんと手を打った。

 

 

「放課後の練習終わったらこの生徒会室に寄ってよ。私の古いノート引っ張り出しとくから、バイトの時間までおべんきょー」

 

「それは……よいのか?」

 

「まあこれくらいは報酬の範囲内だよね。大会と追試が被って出られないとか言われても困るしさ」

 

 

 にへらと笑う生徒会長に嘘の気配はない。渡りに船だ。なんせ四葉には勉強を教えてくれる友達というものが一人もないのだから。

 

 別段、コミュニケーションが苦手なわけではない。アルバイト先でシフトが重なっているパートのご婦人方ともそこそこ上手くやれている。ただ、致命的に乙女らしさというものがないのだ。化粧品、ドラマ、恋愛小説、洋服。少女たちの輪に入っていくには、些か興味関心と知識技能が欠如していた。

 

 四葉は生徒会長に頭を下げた。

 

 

「かたじけない」

 

「硬い硬い。明日ー、は、補習なんだっけ。じゃあ明後日からね、よろしくー。化学の担当は松永? そっか、じゃあ早く行った方がいいね、あの人怒らせると怖いし」

 

「……怒らせると、どうなるんだ?」

 

 

 四葉は頭の中で松永というふくよかな化学の教師を思い描いた。たぷたぷの顎を震わせて笑う、愛想のいい中年男性だ。彼が怒っているところを想像するのは難しかった。

 

 

「いやあ、とにかく怖いよ。なー、河嶋ー」

 

「塚原、今すぐ教員室に走れ。松永はまずい、本当にまずいんだ」

 

 

 桃の声は震えていて、なんなら膝も震えている。これは並大抵のことではない。何かと噛みついてくる騒がしい片眼鏡女ではあるが、どうやら四葉の馬鹿仲間であることは間違いないようで、そうすると一つの答えが見えてくる。

 

 

「怒らせたことがあるのか」

 

「いいから早く行け!」

 

 

 追い出されるように生徒会執務室を転がり出て、四葉は忠告通り急いで教員室に向かった。17時には到着したが、泣き疲れて頭が使いものにならなかったので、補習が始まったのは18時だった。



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