ライバルヒロインの好きな人 (潮井イタチ)
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プロローグ
俺が通う
学園随一の美少女たる生徒の名は、
容姿端麗にして成績優秀、文武両道。
良家の令嬢を思わせるアイドル顔負けの
高過ぎず低過ぎないスラリとした長身に、モデルのようなプロポーションを持つ肢体に至ってはもう「理想的」の一言。
二学期から現れたにも関わらず半月足らずで生徒会に所属し、生徒会会計として活躍する優等生でもある。
性格面においても基本的に良好で、自分の能力を鼻にかけたような言動はほとんどしない。
それでありながら常に気品と余裕を備えた風格を持っているのだから、もはや「学内アイドル・赤坂 聖」の評判は天井知らず。
今では学園内どころか、学園を中心とした近隣地域一帯にさえその名前が知れ渡っていた。
さて。
そんな感じで胡散臭いほどに完璧美少女である赤坂さんだが……実は一人、苦手な生徒がいる。
ある日の昼休み。
学園内随一の美少女は今日も人気者で、男女問わず何人もの取り巻きを連れて廊下を移動していた。
俺は取り巻きの一人である女子生徒と会話をしながら、彼らと連れ立って廊下を歩いていく。
正直な話しんどいことこの上ないが、人付き合いというのはこれで案外重要だ。
学内にいる以上、一度作った人間関係は無視出来ない。どんなに面倒な交流であっても、この先三年間はつかず離れず維持していかなければならないのだ。
と、そこで。
「あ!」
「っ!」
廊下の角から現れる、一人の美少女。
ポニーテールに結わえた艶やかな黒髪に、スレンダーかつ健康的なスタイル。
あどけなさを残した可憐な顔立ちは赤坂 聖とは真逆の可愛らしさがあり、小動物に対して抱くような庇護欲をそそられる。
「……えっと、どうも、赤坂さん」
「……ええ、ご機嫌よう、
ばったりと出くわし、表情が険しくなり始める両者。
そしてそれを見て、周囲にいる生徒たちがにわかにざわつき始める。
俺の視線の先にいる小柄な女子生徒の名は、三日月
先ほども言った通り、赤坂 聖は学園内「随一」の美少女である。
だが、無二ではない。
彼女、三日月 美咲こそ、この学園内の人気を二分するもう一人の学内アイドル。
そして、誰にでも人当たりの良い赤坂 聖が、唯一苦手とする女子生徒である。
綺麗系の赤坂 聖に対し、可愛い系の三日月 美咲。
高嶺の花とされる赤坂 聖と、親しみやすい三日月 美咲。
学年一位の成績を誇る赤坂 聖に、スポーツ万能の三日月 美咲。
両極端の属性を持つ二人の学内アイドルは互いに犬猿の仲であり、水と油の相容れぬ関係にある――と、校内の生徒たちからは認識されている。
個人的には別に水と油の関係だなんて思っていないし、それどころか学内アイドルとしては美咲の一強だと思っているのだが、仮にも俺は赤坂派につく身だ。そう簡単に迂闊なことは言えない。
じっと睨み合っていた両者だが、こちら側が先に根負けした。
ふん、と美咲から目を
同じように立ち去ろうとした美咲だったが、慌てたように振り返ってこちらへと呼びかけてきた。
「あの! ごめん、ちょっといい?」
ギリ、と、俺にだけ聞こえる小さな歯軋り。
一拍置いて、耳のあたりで絹糸のような金髪がサラリとかき上げられる。
その芝居がかった動作と同時、赤坂 聖のスイッチが目に見えて切り替わった。
「――何かしら、三日月さん。私、これでも急いでいるのですけれど」
鬱陶しそうな声音には、相手を威嚇するためにあえて過剰な嫌悪感をこめている。
わずかに気圧されかける美咲だったが、怯まずにこちらへと意見した。
「陸上部の予算なんだけど、やっぱりあれ、少なすぎるんじゃないかって――」
「それは陸上部の方が直接意見すればよいのではなくて? 部活動に所属していないあなたが口出しすることではありませんわ」
ばっさりと斬り捨てた。
普段の態度からはかけ離れた冷徹な話しぶりに、周囲の空気が緊張する。
「でもっ、今期はどう考えても予算が足りてなくて、生徒会の方で不手際があったんじゃないかって言われてて」
「仮にそうだとしても、その予算で納得したのは陸上部の方たちでしょう。すでに決定した事項に文句をつけないでくださる?」
「そ、そっちが間違えたんだから、ちょっと調整するぐらいしてくれても……!」
「生徒会が間違えたという前提で話さないでください、不快ですわ。意見があるなら陳情書に記して目安箱にでも入れておけばよろしいのでは?」
「目安箱じゃ間に合わないから言ってるの! 月曜日には予算が確定するんだから、今日中に対処してくれないと困るんです!」
「それはそんな取り返しのつかない状況になるまで気がつかなかったそちらの落ち度でしょう。私が対処するべき義務は何一つありません」
「……せ、生徒のために活動するのが生徒会でしょ? そんな、冷たい言い方……」
あまりににべもない返答に、徐々に弱り始める美咲。
美咲は元々、誰かに対して強く意見できるような性格ではない。
今でこそスポーツ万能の明るい美少女だが、根っこの部分は引っ込み思案で、内気な気質。
それなのに困った人間を放っておけないお人好しであるから、普通の生徒では意見しづらいこんな女に、無理をして何とか話しかけているのだ。
俺としてはどうにかして美咲の味方をしてやりたいのだが、今の状況ではそれもできない。
その後もいくらか二人の話し合い……というか、言い合いが続いたものの、淡々と自分の意見を突っぱねられた美咲は、涙目になって黙りこくってしまった。
俺はもう見ていられずに美咲から目を逸らす。
「……ふん」
金髪の学内アイドルはピリピリとした不機嫌さを発しながら、振り返って廊下を去る。
取り巻きの一人であるおさげ髪の女子生徒、
「なんなんですかあの人。お姉さまの正論に一々食い下がって……やはり、一度わたしの方で釘を刺して――」
「やめなさい、遥。余計な手出しは許しませんわ。……すいませんが皆様方、今から生徒会室に赴きます。役員以外はここで解散ということでよろしいですか?」
ついてこようとする取り巻き達を押し留め、生徒会の役員のみで校舎の一室へと向かっていった。
ガヤガヤと賑わう校舎内で、コツコツと足音だけが響く廊下。
その微妙な空気を壊すように、隣の男があえてのんきに口を開く。
「良かったの? 美咲ちゃん半泣きだったけど」
「…………」
生徒会書記であるイケメン美少年、
「というかさ、別に予算の修正なんて僕やっとくよ。ちょいちょいって。それをなんでわざわざあんな言い方しちゃうかなあ、赤坂サンは」
「黙りなさい」
普段の赤坂 聖らしからぬイライラとした口調で答えながら、生徒会室の鍵を開ける。
俺は伊良部とともに生徒会室に入り、鍵をしっかりと締めたことを確認して、自分の席に腰を下ろした。
「……ふぅ」
深呼吸するようにため息をつく。
そして、「生徒会会計」というプレートが置かれた自分の席で、俺は――
「なあ、伊良部。俺、一つお前に聞きたいことがあるんだけど」
「うん? 何かな、全生徒憧れの学内アイドル、赤坂 聖サン?」
――そう、今まさにこのモノローグを語っているこの俺、赤坂 聖は。
「なんで俺、お嬢様言葉で好きな子イジメてんの?」
「いやあ、まあ、色々あったからねえ……」
嘆くようにぽつりと呟き、伊良部とともに遠い目で窓の外を見つめていた。
さて、ここらで情報の整理を兼ねた自己紹介をしておこう。
俺の名前は赤坂 聖。性別は元男。現女。そして先程も言った通り、金髪赤眼の文武両道かつ清廉潔白のスーパー美少女だ。いや自分で言うとキッついなこれ。
いきなり叙述トリックをかまされた読者諸兄においては非常に申し訳なく思うが、あのキャラクター紹介を他人事として語りたかった俺の気持ちもわかって欲しい。実際、未だに周囲の言う「赤坂 聖」が俺のことであるという自覚が薄い。
はあ、ともう一度ため息をついて、俺はブレザーのネクタイを取り、ボタンを外す。そして、それなりに女性経験豊富なはずの伊良部が慌てたように目を逸らした。
「流れるように脱がないでよ、聖くん」
「仕方ないだろ、暑いんだから。あ、あと陸上部の予算にゼロ三つ足しとけ」
「いや極端だな君。まあ調整はしとくけど」
普段はキッチリと着こなしている制服を思いっきり着崩しながら、俺は全生徒憧れの学内アイドルとは思えぬ姿で不良のように頬杖をつく。
「あー、もうダリィなマジ」
俺は鬱陶しい金髪を舌打ちとともにかき上げ、荒々しい口調で悪態をつく。数分前まで金髪の令嬢だったその姿は、今ではもう完全にヤンキー女だった。正直、普段色々と鬱憤が溜まる分、気を抜いている時は男だった頃より態度が悪くなっているように思う。
「つーかさ、何、あのお嬢様なんだか何なんだかよくわからんキャラ。誰だよあんな無茶苦茶なロールプレイ考えたヤツ。ホントもうバカじゃねえの。死ねよ伊良部」
「いや何も言ってないのに君が勝手にやったんじゃん」
「そもそもこのキャラを学内アイドルとして受け入れてる学校も何なんだよ。バカか。いるわけねーだろこんな女子」
「まあ、ちょっとしたその場のノリがなんだかんだで収拾つかなくなった感はあるよね」
「というか、俺別に元男だってこと隠してなかったじゃん。成績が学年一位なのも元からじゃん。何で二学期から急に転校してきたみたいになってんだよ。一学期からいたよ。何で誰も気づかないの? バカなの? 死ぬの?」
「それに関しては一学期完全にぼっちステルスしてた赤坂くんにも問題あると思うよ」
「そして何よりバカなのは俺だよ。死ねよもう。なんで美咲イジメてんの? 本当もう死にたい」
俺は両手で顔を隠して崩れ落ちる。
伊良部は小さく苦笑しながら、「生徒会書記」のプレートが書かれた自分の席へと座る。
「まあ、イジメてるってほどでもないでしょ。会ったときにちょっと喧嘩腰になるぐらいじゃん」
「でもさぁ……。俺が言うと周りのヤツらが勝手に余計な気利かせるじゃん。アレ本当ムカつくんだよな。全員死ねばいいのに」
「落ち着け落ち着け。でも、なんでそんなことになってるの? 美咲ちゃんと聖くん、昔から仲良かったじゃん」
「だってさ……」
俺は言いよどみながら頬を掻く。
指先越しに感じる顔は、わずかに熱くなっていた。
「俺が美咲のこと好きだって、バレたくないんだよ。女になった男に好かれてるとか、気持ち悪いだろ」
それにあいつ、好きな男いるらしいし――口の中だけで呟きながら、俺は夏休みから続く一連の騒動のことを思い返していた。
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第1話・親友とのやり取り
ざあ、と病室に吹き込む風が頬を撫でた。
爽やかな空気が走り抜け、長く伸びた金髪がふわりと揺れる。
窓の外を眺めた。今日は幾分か太陽の輝きが大人しい。
涼しげな風に頬を緩めていると、病室の窓ガラスに今の自分の顔が薄く映った。
新雪のように白い肌。淡い色の金髪に、濃い紅色の瞳。
野暮ったい病院着姿ではあるが、それが逆に端麗な容姿の儚さを際立てているようにも思える。
いまだ慣れぬ自らの姿に困惑とも感嘆ともつかぬ息を漏らしていると、開け放っていた扉から、何かが落ちたような物音が響いた。
「……
振り返る。
爽やかな雰囲気の美少年が手に持ったリンゴを落とし、呆然と、見惚れたようにこちらを注視していた。
十年来の親友であり、常に女子から人気だった男子。
学校での成績一位と二位を競い合う、良きライバルでもあった彼と、無言で見つめ合う。
そして静けさに満ちた病室の中……ゆっくりと、口を開いた。
「おう遅かったな
「あ、なんか儚げな雰囲気出してたけど、やっぱり中身は普通に僕の知ってる聖くんなんだね。あと、仮にも入院中なんだから油っこいものはやめといた方がいいんじゃないかな」
小学校時代からの友人、伊良部
しゃりしゃりと皮剥きの音が響く中、俺たちはいつものように雑談を始めた。
「俺の主観ではそこまで久しぶりってわけでもないんだが、それでも何となく懐かしい気がするな」
「ずっと眠ってたからね。でも驚いたよ。うっかりどこぞのお嬢様の病室に入っちゃったかと」
「あら、それなら少しからかってさしあげた方が良かったかしら。全くもう、伊良部さんたら面白い方なのですから。ふふっ」
「…………」
「いやお前が照れるなよ。こっちが恥ずかしいわ。俺も今の声だと結構ハマってるなーとは思ったけどさあ」
喉仏のなくなった喉を抑えつつ、以前よりずっと高くなった声を調整する。
今の声帯でも、上手くやればどうにか男――というか、少年っぽい声を作れないこともない。意識してないとすぐに戻るし結構疲れるけど。
俺のちょっとした演技に対し、伊良部は仕切り直すように咳払いをする。
「しかし、聖くんがこんな姿になっちゃうとはね」
「ああ、俺も驚いた。今朝やっと包帯取れたんだが、最初に自分の顔見た時は小一時間ぐらい困惑したよ」
今から一ヶ月ほど前。ごく普通の男子高校生だった俺――赤坂 聖は、人間の性別を反転させるというとんでもない奇病にかかった。
病気の名前はなんだったか。やたらと長い病名だったためによく覚えていないが、とにかく俺はその病気にかかってからしばらく、意識の無い昏睡状態に陥っていた。
「目が覚めたら全身包帯塗れだし動けないし。ぶっちゃけ包帯取れるまで女になったって自覚なかったんだよな。でもこの顔見たら、ああ、マジで女の子になったんだなあって思ったよ」
「まあ確かに……すごい美少女だよね。その顔から男友達の口調がそのまま飛び出してくる違和感はすごいけども」
「……でも、言ってなかったけど微妙に整形してるんだよな、これ」
俺はつるりとした自分の頬を撫でながら言う。
「全身が丸ごと変化する病気だからさ、身体への負担も相当大きいんだよ。ほら見ろ、発症直後のこの画像。顔面とかもうボロボロでかなりグロいことになってる」
「いややめてよ、友人のグロ画像を見る趣味は――って本当にグロいな! うわ、僕もうこれしばらくお肉食べれないじゃん。せっかく聖くんに目の前で食べるところ見せつけようと思ってファミチキ買ってきたのに」
「お前割と性格悪いな? とにかくそういうわけで、治す時にちょっと顔面弄られてるんだよ。そこまで大きく変わったわけじゃないけど、人の顔って少し変化しただけでも大分印象違ってくるだろ? 結果的に色々上手くハマって、思った以上に良い感じの目鼻立ちになったみたいだ」
伊良部はグロ画像を見せつけてくる俺を押しのけながらも、感心したようにこちらを見つめてくる。
「なるほどねえ……けど、その金髪は何なの? 目の色もなんか赤くなってるし」
「身体の変化と一緒にユーメラニン……真性メラニン色素もごっそり抜け落ちたらしい。紫外線に弱くなってるから、しばらくは直接日光浴びるなって言われてる」
「大変だね、色々と」
「本当にな」
はぁ、とため息をつく俺と、苦笑する伊良部。
「他にはどこか悪くなってたりしないの?」
「んー……前とのギャップがあるから、まだしばらく身体が動かしづらいけど、それ以外は特に。筋力なんかもほとんど落ちてないし」
「へえ、結構細くなってるのに、意外だね」
「でももう男性ホルモンも出ないから、ゆっくり普通の女性並の身体能力になってくらしい。まあ、とりあえず夏休み明けには学校に復帰出来るってさ」
「そりゃ良かった」
言いながら、伊良部はリンゴをうさぎ型にし(この親友はイケメンで頭が良い上に女子力も高い)、皿に乗せてこちらへと差し出してくる。
「はい、フォーク」
「サンキュ」
俺は一緒に差し出されたフォークを受け取り、皿を持つ伊良部の手を突き刺した。
「痛った!?」
「あ、悪い」
「え、何!? 急に何すんの!? 僕何か悪いことした!?」
「いや、ごめん。本当ごめん。普通に手元が狂った。さっきも言ったけど、まだ腕の長さとかのギャップに慣れてなくてさあ。もっとリハビリしないと普通に動けないんだ」
「ああ、そうなんだ――って、痛ぁ! 手元狂うなら再チャレンジするのやめなよ! ていうか自分で皿持ってよ!」
論説ごもっともだ。俺は差し出された皿を受け取――ろうとして、手が空を切った。
「あっ、くそ、この……!」
「ああ、聖くん、ちょっと落ち着いて……」
「……はあ。もういいや。伊良部全部食ってけ」
「いやこんなところで諦めないでよ! このままじゃ病人の見舞いに来て一人でリンゴ食って帰った人になるじゃん僕!」
「いいだろ別に……じゃあもう食わせろ。ほれ」
あ、と俺は口を開く。
いつも家族や看護師さんにやってもらっている仕草だったのだが、伊良部はその一瞬、目に見えてキョドった。
「……おい、伊良部」
「い、いや、大丈夫。これは普通に病人を介護するだけの行為だからね。客観的に見たらアレだけど他意は無いし。相手は十年来の親友だから。うん、オーケー」
「オーケーじゃねえよもう妙な空気になってんじゃんかよこれ! しっかりしろ!」
「しっかりしろと言われても! 聖くんも少しは自分の見た目自覚してよ!」
「わかったわかった! 仕切り直すぞ! ――跪きなさい、下男。そのリンゴをわたくしの口に運ぶことを許可いたします。このわたくしに奉仕出来ること、生涯の栄誉に思うといいですわ!」
「さっきからその謎のお嬢様キャラは何なの!? しかもさっきのお淑やかなキャラからブレまくってるし!」
バサァ! と後ろ髪をかき上げながら演技する俺。そして伊良部のツッコミと同時に突っこまれたリンゴを、フォークからむしり取るようにして食らう。
「んぐ……。お、割と甘い。ていうかこれ、口に運ばなくても手の上に乗せてもらえばよかったんじゃないか?」
「じゃあ何だったんだこのくだり……。ていうか、聖くんってやっぱりなんだかんだ言って演技上手いよね。
「褒めてくれるのは嬉しいけど……演技より演出がやりたいんだよ、俺は。しかもあれだけ偏差値上げたのに結局第一志望には入れなかったし」
インフルエンザで受験当日に寝込んでしまったことを思い出し、ため息をつく。
滑り止めで合格した紙園学園には演劇部がなかったので、結局今は何の部活にも入ってない。帰宅部だ。
「ぶっちゃけもう高校生活にも大してやる気無いんだよな、俺」
「見てればわかるよ、聖くん高校入ってから友達一人も作ってないし、ずっとぼっちだし」
「バカ野郎伊良部! 俺に友達が出来ないのは単に俺の性格が悪いからだよ!」
「なんで急にキレながら自虐してるんだよ。付き合い長いのに時々聖くんが何を言いたいのかわからなくなるんだけども」
「分かんね―のか! お前が俺なんぞと友達になるぐらい性格の良い奴だって言いたいんだよ、俺は!」
「分かるか! なんで僕はキレられながら褒められてるんだよ!」
親友相手にしか出来ないキレ芸をかます俺。
激しいツッコミを放った伊良部は呆れたように苦笑し、ため息をつく。
「でもさ、二学期からはもう少し身の振り方考えたほうがいいよ。――今のF組、荒れてるって聞くし」
そして、切り替えるように真剣な口調で言った。
「……そう、なのか?」
俺は首を傾げる。
F組は俺の所属しているクラスだ。
俺はこの『奇病』に罹ったため、六月あたりから学校に通えていない。しかし、俺が通っていた頃のF組にはそんなに荒れた空気はなかったはずだ。確かに他のクラスよりあまり真面目ではない雰囲気はあったけれど……。
「紙園学園は生徒数が多くて、結構幅広い層から入学者を募っているからさ。やっぱり少しは素行が悪かったり、複雑な事情があったり、聖くんみたいなコミュ障が入ってきたりもするんだよ」
「こいつシリアスな空気に紛れてさらっと親友をディスりやがったな」
「それでF組には、隔離目的でそういう生徒が他のクラスより多く集められてるらしい。あくまで噂だけどね。だからF組に関しては『そういうの』に慣れた田中先生が受け持ってたんだけど……聖くんが入院した少し後から、どうにも調子が悪そうなんだ」
「……それで、不良生徒揃いのF組の手綱が取れなくなったって?」
伊良部は「多分ね」と言って軽く頷いた。
「まあ、そこまで大したことにはなってないとは思うけど、一応気をつけた方がいいんじゃないかな。今の聖くん、絶対悪目立ちすると思うし」
「安心しろ、何にせよ最終的には俺が勝つ」
「勝つってなんだよ。何に勝つんだよ。小学生か。……まあでも安心したよ、今まで通りの聖くんで」
「人間なんてそうそう変わるもんじゃないだろ」
伊良部は「そうだね」と言って笑いながら席を立つ。
「じゃあ、暇になったらまた来るよ」
「おう、またな。俺が指先しっかり動くようになったらスマブラやろうぜ」
軽く手を上げて別れる。俺はやっぱりなんだか久しぶりに親友と話したような気がして、少し頬を緩めながら食べかけのリンゴを齧っていた。
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第2話・義姉とのやり取り①
そして翌日。
細々とした検査の結果、今日から一時退院となった。投薬やリハビリ、検診自体はまだ続けなければならないものの、久々に家に帰れるというのは嬉しい。
しかし、一日経ったが体の変化によるギャップにはまだ慣れない。兄が車で病院に迎えに来てくれたものの、今の俺は立つことは出来ても歩けば三歩で転ぶポンコツと化している。
そういうわけで病室から駐車場までは兄におんぶで連れられ(兄におんぶである、この歳で!)、ようやく久しぶりの我が家へと帰ってきた。
「おう、弟……いや今じゃ妹だな。家に着いたぞ。ここまでおんぶさせやがってこの野郎。軽くなり過ぎてて心配だろうが、さっさと背中から降りやがれ」
「おう、兄貴。誰もおんぶしろなんて頼んでねえよ。腰痛のくせに無理しやがってありがとう、さっさと背中から降ろしやがれ」
険悪なようで普通に良好な兄弟もしくは兄妹のやり取りをしつつ、リビングへと移動する。
「父さんと母さんは?」
「今日は法事だな。夜中までいない」
「そうなのか、タイミング悪いな……。まあ、昨日一応顔見せてるけど」
「お前の顔見て腰抜かすぐらい驚いてたから、なるべく一緒の時間を増やしたいところだな。それはそれとして、今日はあいつがいるから気をつけた方がいいぞ」
「あいつ? って、ああ……」
俺が得心した瞬間、二階からドタドタと階段を駆け下りてくる音が響いた。
バァン! と扉を勢い良く開け放って飛び出して来たのは、エプロンを身につけた小柄な女性だ。
濡れ羽色の髪を短いツインテールにした、あどけない面立ち。非常に可愛らしい童顔だが、その顔と背丈に反し、ボディスタイルには結構なメリハリがある。
彼女は俺には目もくれず、兄に対しキラリとポーズをとって口を開く。
「
「酔ってんのか?」
色々な意味でアラサーとは思えない義理の姉だった。
彼女の名前は
「えー、ていうか何この子! メチャクチャ可愛いじゃない! 何、浮気!? どこでこんなの買ってきたのアナタ! せっかくだから私も半分出すわ! 夫婦の共有資産ということでどう!?」
「兄貴はこれのどこを好きになったんだ?」
「慣れれば可愛いんだよ、慣れれば」
「慣れねえよ」
キャラとしてアクが強すぎるだろ。まだ二話だぞ。色々なものが霞むだろうが。
義理の姉は
「ねえねえ、そういえば
「今しれっと悪意のあるルビを振りやがったなこの兄嫁」
「んー? 待ちなさい待ちなさい、そこな娘」
「そこな娘て」
「その女の子とは思えぬ乱暴な物言い、聖くんの退院日なのに何故か私の旦那様が少女を連れ込んでいるこの状況、この家を我が物顔でくつろぐ態度、金髪赤眼なのにどこか赤坂家の雰囲気がある顔立ち、そして聖くんが罹ったという『奇病』……!」
一拍溜める義理の姉。
「ここまでくれば答えは一つ!」
「嫁のノリが面倒になってきた俺から言うが、こいつが今の聖だ。まだ色々不便があるから、お前も出来る限り面倒を見てやってくれ」
「ちょっと答え言わないでよ! 旦那様のいけず! 好き!」
「俺やっぱりもうちょっと入院してていい?」
帰ってきてから十分ぐらいでもうしんどくなってきた。兄貴は気をつけろと言ったが、気をつけてどうにかなるものでもないだろこれ。
「はーしかしこれが……! 初心なピュアボーイ少年をからかって嘲笑いその痴態を酒の肴にするのも楽しかったけど、これからはこの美少女を好き放題に出来るなんて! 私の新婚生活、まだまだ薔薇色塗れじゃない!」
「色々と看過できない発言がありましたがとりあえず好き放題にしないでください片霧さん。つーかもう新婚ってこともないでしょ」
「旧姓で呼ばないでよ聖くん! 否、聖ちゃん! えへへへ可愛いねえ可愛いねえ、コスプレが似合いそうだねえ、えへへへへへへ!」
「もうやだこの兄嫁」
「ノンノン! お
「……消えてください、
「可愛らしさの欠片もない呼び方された!」
何を言われてもコロコロと楽しげに笑う義姉。しかし俺の金髪に顔を埋めようとした瞬間(旦那の前で何やってんだこの人)、その表情が突然無になった。
「…………」
「え、なんですか……?
「……臭う」
「え?」
「臭うよ聖ちゃん! いやこれダメだよ! 性別に関わらずアウトなレベルの体臭だよ、これは!」
「はあ、まあ。入院中は包帯でしたし。包帯が取れた後は一応一通り
「いけません! 風呂、今すぐお風呂にGO! 衛生的にも清潔にしないと――」
「――だが、一人で入れるのか?」
兄の言葉で、一瞬リビングが静かになった。
「……いや、物を持つとかは難しいけど、流石に自分の体を洗うぐらいは……」
「はいはいはーい! 私が入れます! 入れてあげます!」
「そうか? 見たところ腕の動きもかなりぎこちないぞ。今の状態では流石に厳しいだろう」
「私に任せて! 入浴介助ぐらい余裕だから!」
「ぐ……やっぱ家族の誰かに手伝ってもらうしかないか……」
「はい! 家族です! 赤坂家の一員である赤坂
「そうなると、三人の内誰に手伝ってもらうかが問題だな」
「あれー? 旦那様ったら誰か一人抜きませんでしたー? ウチは四人家族じゃありませんよー?」
「俺としては兄貴か父さんがいいんだけど。この歳で母親と風呂っていうのは色々とキツい」
「聖ちゃーん? ナチュラルに私のこと忘れてなーいー?」
「いや、十六の弟と風呂に入るなら全然構わんが、十六の妹と風呂となると色々抵抗感があるぞ……。それは父さんも一緒だろう」
「おーい」
「気持ちはわからないでもないけどさ……」
「なんで二人とも私のこと無視するのさ!」
『むしろなんでそんなにノリノリなんだよ!』
兄貴と同時にツッコんだ。
「いいじゃない別に! 清拭の時だって女性の看護師さんに身体拭いてもらってたんでしょ!」
「む……それは、まあ、そうですけど……。看護師さん達はプロだったし……」
「私だって一応介護士免許持ってるよ! というか、私の方は着衣で入るつもりだもの。そんなに緊張しなくてもいいわ」
それを聞いて、兄貴はふむ、と顎に手を当てる。
「ならいいか」
「いや俺が良くないが! 兄嫁に裸を見られて風呂に入れられる気まずさよ!」
「俺としては妻の裸が見られないなら別にいいんだ」
「私としても恥ずかしがる美少女を弄り倒せるなら何でもいいよ」
「そこ! サラッと性癖を暴露しない!」
すったもんだの末、結局
「兄嫁兄嫁って言うけどさ、実際私にとっちゃ聖くんは実の弟……妹? みたいなものだよ。何なら男だった時でも一緒にお風呂入れるまである」
「ねえよ」
「何よー。もう覚えてないだろうけど、君が赤ん坊の頃はおむつ取り替えてあげたことだってあるんだから。あの頃はあんなに可愛かったのに今になってまた可愛くなっちゃって、このおませさんめ。はーいばんざーい」
「それでもこっちは色々複雑――って、わ」
半ば無理矢理着ていたTシャツを脱がされる。それぐらいなら自分でも脱げたのに。勢いで胸が揺れた。
「ぅ……」
一瞬だけ、白い肌が見えた。俺は思わず斜め上へと目を逸らす。
「おおう、ノーブラ」
「っ、るさい……」
「ツッコミにキレがないぞー、頑張れー。モタモタしてるとお姉さんが強引に脱がしちゃうぞー」
「この痴女が、恥を知れ……!」
「普通に生きてたらそうそう聞かないワードが大分心に刺さるけど何も言い返せない!」
俺は顔が熱くなるのを感じつつも、ズボンに手をかける。
男の時より上の位置、へそのあたりにウェストがきているズボンを、上手く動かない指で握り、強引に引きずり下ろす。
手を離すと同時にするりと布擦れの音がした。サイズの合っていないトランクスごとズボンが落ちる。太ももの内側が直接擦り合わされてしまい、すべすべとした感触が返ってくる。入浴のために服を脱いでいるだけなのに、何だかすごくやらしいことをしているような感覚になった。
「……く、ぅ……」
「あらー何だかんだ言ってピュアな聖くんにはこの程度でも刺激が強すぎたかなー? あっはははは、ざーこざーこ」
「死ね……!」
「うわやばい今ちょっとゾクっと来た」
怒りと恥ずかしさで、お湯に浸かってもいないのにもう頭が茹だってしまっている気がした。
昨日まではやはり、病院という非日常的な環境かつ、身体が満足に動かない状況だったために、どこか羞恥心が麻痺している部分があった。投薬された鎮静剤等による効能も作用していたのかもしれない。だが、こうして家に帰ってくると、周りがいつも通りなぶん、どうしても自分の身体を強く意識してしまう。
シャワーの前でプラスチック製の椅子に座った。耐えきれなくなって目を瞑ったままの俺の背後で、服を着たままの
「んー? 何これ、髪の毛の手触りヤバくない?」
「ああ……まあ、生えたてみたいなもんですからね」
「あーなるほど、全然傷ついてないのね。え、何それチートじゃん」
そんなことを言いつつも、
「いやあしかし、本当に女の子だねえ」
「そっすね……」
「まあこれから色々あるだろうけど安心してねー。みーんな聖くんの味方だからさ。困った時はじゃんじゃん頼っていいからね」
「…………。……はい」
「ところでこれ、前は――」
「それはもう本当頑張って自分でやるんでやめてくださいお願いします……」
「聖くんって一旦受けに回るとすごい勢いで弱ってくよね」
俺はやはり目を瞑ってしまったまま、震える手で(それが身体的な不都合以外の、様々な感情が入り混じった結果であることは言うまでもない)自分の身体を恐る恐る洗っていく。くぅ……自分でやると逆に恥ずかしいぞ、これ……。
「しかし、そう思うと断ったのは賢明だったのかもしれないねえ」
「断った?」
「えー?
「ああ……。アレ、誰でもいいから適当な男子に告白しろっていう罰ゲームだったんで。告白されたのも、俺がそういうのちゃんと見抜きそうだったからってだけですよ」
「あらそうなんだ面白くない」
でも、と
「仮に本当の告白だったとしても、カレシが女の子になったら大変だったろうしね」
「…………」
「聖くんは今の所好きな子もいないんでしょ? しばらくはそういうの考えない方がいいよ。別に口出しするつもりはないけど、できたらその辺はもうちょっと落ち着いてからゆっくり悩みなさいな」
「……そっすね」
……ああもう、気にするな俺。
この人の言う通り、しばらくは『そういうの』を考えない方がいい。
「……!」
「冷たっ! え、急にどしたの、犬か君は!」
俺は水を切るようにして少女の姿を頭の中から振り払いつつ、どうにか身体を洗い終えるのだった。
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第3話・親友とのやり取り②
数日経った。
当初はどうなることかと思ったが、思ったより回復は早かった。
今では運動機能もかなり戻ってきており、日常生活に関しては全く問題ないレベルまで来ている。
「くっ、あぅっ……!」
が、流石にまだ元の水準とまではいかない。
歩く時に気を抜くと唐突に転んだり、食事中に箸を時々落としたり……厄介なことは多々ある。
「あっ、ちょっ……んっ、やっ……! うぅ……んっ! あぁっ!」
「
「うるせえな! 今は低い声を作ってる余裕が……やっ……だーっ、畜生! クソ!」
「このお淑やかで儚げなビジュアルから容赦なく飛び出す罵声のギャップ、何度聞いても脳に悪いなあ……」
「クソですわね」
「そういうことを言っているのではないけども」
これでもう何連敗だろう。俺は携帯ゲーム機をベッドの上に放り出す。
がっくりと俯いて、はぁ、とため息をついた。そのままちらりと、目だけで伊良部の顔を見る。
「飽きた。帰れ」
「う、上目遣いからのスムーズな傲慢……」
「もう結構ですわ。そのままお引き取りくださいまし」
「だからそういうことを言っているのではないんだけども!」
「あーもう、指動かしづらいし肩凝った! というか重いんだよ、胸が!」
言いながら視線を下げる。
視界に入るのは、ぶかぶかとした病院着の上からでもはっきりと分かる二つの膨らみ。
まあ、見ている分には眼福ものだろう。俺だって時々気になってしまうし、今も伊良部がさり気に見ているし。
「チッ、クズが」
「何だよ急に!」
だが、これを他人が付けているならともかく、自分に付いていると本当に邪魔だ。例えるなら胸に水入りペットボトル二つ付けて生活してるようなもん。最近はついに耐えきれなくなってブラを導入してしまったし。大体そもそも俺は貧乳派だし。……いや、それでも好奇心に耐えられなくなって揉んだことはあったけど。恥ずかしくなってやめたけど。
「というかお前病人相手なんだからもうちょっと手加減しろよ! 容赦なしに何度も完勝しやがって……俺が格ゲーの上手さで負けたら、お前に
「うん、結構な分野で勝ってる上に、最後のは勝ってる部分じゃないよね!」
「今度女性看護師さんに『見舞いに来る男友達がイジメてきます。執拗な(格ゲーでの)暴力や(投げ技等の)掴みかかり、いやらしい(コンボの妨害などの)行為を継続してくるんです。どうしたらいいですか?』って相談しよう」
「マジでやめてくれないかな! 何だかんだ聖くんって昔から片霧さんの影響受けてるよねえ!」
「兄貴と結婚したから今は赤坂
格ゲーで負けた憂さ晴らしはこのぐらいでいいか。
俺は仕切り直すように姿勢を変え、用意してあった飲み物を手に取る。
「麦茶と缶コーヒーとオレンジジュースとコーラとサイダーとジンジャエールとレモンスカッシュ、どれがいい?」
「何でそんなに種類が豊富なんだよ……。じゃあ、オレンジジュースで」
「ほい、伊良部麦茶。俺コーヒー」
「さては最初からその二つしか置いてなかったな?」
伊良部に麦茶を手渡す俺。が、何故かコーヒーの方を奪われる。
「あっ、てめ」
「病人だっていうなら健康的な飲み物にしときなよ」
「もうほとんど復調してるんだし別にいいだろ。妊婦さんだってちょっとはカフェイン摂っても許されるんだぞ」
「ぶっちゃけた話カフェイン入った聖くんはテンションが上がりすぎてウザい」
「お、言ったな? やるか?」
「格ゲーで?」
「なんでだよ。やらねえよ。というかもういいよ格ゲーは」
素直に麦茶を飲む。
「そういえば、学校には今のまま通うの?」
「今のまま?」
「ほら、姿が変わったしさ。別人ってことにしたり、他のクラスになったり、あとはまあ、転校したりとか……」
「ああ、それな。親や先生からも色々提案されたけど、そういうのは面倒臭いし無しでいいや。二学期は上手いことクラスメイトから腫れ物扱いされて、一人優雅にぼっちライフを満喫する」
「色んな意味でメンタルが強い……」
別に、こんなことで悩んだりはしないし、ぼっちなのも気にしていない。俺は何もコミュニケーションが出来ないわけじゃなく、あえてやらないだけなのだ。いや本当に。やれば出来るから。やらないだけ。友達とかそんなに要らないから。マジでマジで。本当だってば。
「けど、男子と女子じゃ少しは勝手が変わってこない?」
「人間なんてどれも一緒だろ」
「うわ、中二臭い」
「うるせえ」
「大体、どれも一緒だって言うならなんで僕とつるんでるんだよ」
「フン、調子に乗るな。
「何のキャラだよ。そこはツンデレお嬢様とかにしといてよ」
「か、勘違いしないでくださいまし! ただ幼馴染というだけで、私は別に、あ、あなたのことなんて何とも思ってないんですのよ!」
「あ、やってはくれるんだ……」
げふん、と咳払いをして声を戻し、爽やかな顔で俺は言う。
「まあ、十年も持ち続ければどんなゴミでも多少は愛着湧くだろ?」
「爽やかな顔で言うなよ。僕としても君が十年来の友人じゃなかったらここでキレてたよ。昔は美咲ちゃんのこととか大好きだったのに、今じゃこんなだもんなあ」
「…………」
「え、何?」
「いや……」
「……もしかして、今も好きなの?」
「……別に……」
「……小学校から一度も会ってないのに?」
「……だったら何だよ」
「…………………………………………うわぁ」
「引いてんじゃねえよ殺すぞ」
あわや十年来の絆も無視してガチバトルに発展しかけるが、通りがかった看護師さんに咎められ、伊良部とともに謝りつつ中止。
「いや、ごめんごめん。つい驚いちゃってさ」
「こう見えて今の俺そういうのに関してナイーブなんだよ……」
「ごめんって。でも、もう会う手段もないじゃん。連絡先も知らないし」
「だよな……」
わずかに目を伏せて、内心でため息をつく。
……全く、なるべく意識しないようにしてたのに。このアホ伊良部め。
「あー、それなら今度、僕の方で心当たり探ってみるけど」
「いや、いい。今の俺だってこんなだし、もうちょっと気持ちの整理つけてからで」
「……うん、そうだね。じゃ、そろそろ遅くなってきたし、また」
「おう」
病室の扉が閉められる。一人になった俺と、静かになった室内。
「……ああ、もう」
ゆっくりとベッドに倒れ伏し、枕に顔を埋める。
「……三年間初恋拗らせてるってだけでも気持ち悪いのに、今は女になってるとか……」
うわ、口に出してみると本格的にヤバいな。三年間初恋拗らせてるの時点ですげえキモい。
「……はあ」
本日何度目ともわからないため息を吐きつつ、仰向けになる。
まだ微妙に違和感が残る指でスマホを操作した。前面のカメラに写る、金髪赤眼の美少女。
「……うーむ」
自分で言うのもなんだが、可愛い。伊良部に対する演技も、この容姿だからこそノリノリになっている部分はある。老若男女問わず好かれそうな美人さん。だからと言って、この容姿の俺が美咲に受け入れられるかどうかはまた別の話なわけで。
「ああ、やめやめ。はい、おしまい」
全く、何もかもあのアホのせいだ。少しの怒りと不安感とともに、再度携帯用ゲーム機を手に取る。
今度伊良部に会ったらボロ負けさせてやろうと決意しつつ、俺は気晴らしとリハビリを兼ねた格ゲーに打ち込むのだった。
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第4話・同級生とのやり取り
更に時は過ぎ、なんやかんやと夏休み明け。
別に誰が待っているわけでもない二学期の到来である。
だが、ここに来て一つ問題が浮上した。
俺の運動機能に関しては、もうすっかり元の水準に戻っている。先日は格ゲーで
学力についても遅れた分は既に取り戻しているし、そもそも高一の範囲は既に一通り
そういうわけで、今後の学校生活に対して、能力面における問題は無い。人間関係においても、ハナから築く気がないので問題は無い。
じゃあ何が問題なのかというと。
「……えー、と」
夏休み中、試着に一度袖を通しただけの、新品のブレザー制服を手に取る。
いや実は
女子用の、この辺りではまあまあ可愛いと評判の、チェック柄のスカートの、ブレザー制服を。
「……えぇー……」
…………。……え、マジでこれ着るの? 本気で? いや百歩譲って着たとしても、これ着たまま外に出て、学校に? 嘘ぉ……。
いや分かってる。夏休みが終わったら着ることになるってのはちゃんと分かっていた。今日は始業式だから、ちゃんと正装で登校しなきゃならないし。うん、それは分かってるけど……。
「マジで……?」
あれだけ伊良部相手にお嬢様しておいて、何を今更と思われるかもしれない。
だが、例えば派手派手な衣装の役者さんだって、普段着まで派手派手なわけじゃない。萌え萌え(死語)なセリフを読んでいる声優さんだって、普段から萌え萌え(死語)な口調で喋っているわけじゃない。
役でやるのと自分でやるのは、全く別の話なのだ。
「…………ぐ、ぐぬ」
だから、つまり……その……いやこれ、恥ず……恥ずかしい! 普通に恥ずかしい! だって女装じゃんこれ! 女装じゃん!
ブラジャーやパンツはまあ、スポーツブラだしボクサーパンツだし、ちょっと変わったインナーぐらいに思えなくもないけど、スカートは……スカートはダメだろ! 自分の中で言い訳が出来ない!
待て、他の物から装備しよう。――ワイシャツ、ブレザージャケット、ネクタイ、ソックス。右前と左前の違いなんかはあるが、どうにかここまでは来た。ここまではオーケー。許せる。だけども。
「す、スカート……」
……抵抗感が……抵抗感がすごい……!
着る前は別に女物着るぐらいなんぼのもんじゃいと思っていたけど、実際にやるとこれは、うん! ダメだ! 田中先生に「まあ別に女子制服でもいいんじゃないっスかね」とか適当に答えたことを今更になって後悔している! もういっそスカート履かずに登校しようかな!
落ち着け。最悪の結論に達しようとしている。すぅと深呼吸をして、夏休み中に新しく自室に設置された姿見を見る。……オーケー、ここにいるのは着替え途中の金髪美少女だ。全然似合わない女装をしている男子高校生はいない。大丈夫、何も問題はない。……いや、でも……違う、大丈夫だって! 今鏡に映ってる女子がスカート履くだけだから! ノープロブレム!
履いた。
……うん、まあ、履いた。
履いたは履いた。
何かがゴリゴリ削れていってるような気はするけれど、それでも履いた。
だが。
「……短くない?」
短いよな、これ? いや絶対短いって。試着した時こんなんじゃなかった。断言できる。
くそ、あの筋金入りのコスプレ大好き義姉め、勝手に他人の制服に手を出しやがったな。俺は第一容疑者が居るキッチンに向けて、大声で思いっきり呼びかけた。
「
「えー、何ー!? 今旦那様のお弁当作ってるんだけどー!」
「あなた絶対このスカート弄ってるでしょう! 短い! これ絶対短いって!」
「えー? どれどれー?」
ぱたぱたと音を立てて俺の部屋へとやってくるロリ顔兄嫁。
エプロン姿でばーんと部屋の扉を開け、俺を見てぱぁっと顔を輝かせる。
「にゃ――――! かわいい――――! 現役金髪美少女女子高生――――!」
「違ぇ! そうじゃなくて、スカート短いですってこれ! 見てほら!」
「生脚――――!」
「だから違ぇ! そしてさっきからうるせぇ! あなたこれ勝手に短くしましたよねえ! ねえ!」
「えー? 確かにちょーっと弄ったし、仕立ての時にも微妙に口出したけど、校則的にも全然問題無い範囲だし、そんな短いってほどじゃ――って、ちょっと
「『へへっ』じゃないが! 何で最後微妙な感じで笑ってんだ!」
バタバタした朝に更にバタバタする俺たち二人。
「確かにスカートを勝手に弄ったのは悪かったわ。そこは謝りましょう、ええ」
「なんだその地味に偉そうな態度」
「でもね、私が言うことじゃないけど、あんまりオドオドしてるのも考えものよ? ここまで来たらもう行くとこまで行っちゃいなさいな」
「本当にあなたが言うことじゃないですね」
「せっかく可愛いんだから、もう全部完璧に仕上げればいいじゃない! 中途半端が一番良くない! 下手に弱みを見せると足元を掬われるわ! 久しぶりの学校であればこそ、積極的に愚民どもにマウントを取っていくべきでしょう!」
「確かに……」
「ツッコまないのね!」
「じゃあもう本気出します。こうなったら全身全霊の赤坂 聖でこの世に遍く万象全て
「今から学校に登校する高校生のセリフじゃないわね!」
その後、
結果。
「
「採点緩っ!」
「違うよ! 真面目に満点だよ! いや完璧過ぎるでしょうが、何この手際!」
そりゃ、俺も(心は)男だ。やると言ったからにはやる。今回に限ってはここ一番の気合を入れさせてもらった。
「わ、私をダダ甘に甘やかしてくれるお
「困るのはあんただよ!」
「ハーフアップヘアも上品に可愛くまとめてあるし、ナチュラルメイクも自然な形でしっかり出来てるし、微妙にこなれてない感があった制服もきっちり着こなしてる……いつの間にこんな技術を身につけたというの!?」
「
「だからと言ってそれを簡単に自分に応用してしまうとは――これが、赤坂の力……!」
「赤坂の血筋にそんな特殊能力はありませんが! これでも昔は真剣に演劇やってたんで多少は慣れてますよ!」
「オーケー! ならばもう言うことは何も無いわ! 行ってらっしゃい!」
「いってきます!」
勢いのままにカバンを掴み、家を出る。ぐ、流れに乗ったはいいけど、やっぱりこれは恥ずかしいぞ……!
「ああ、日傘持たなきゃいけないんだった……!」
身体から色素が抜けたせいで、日光に弱くなっていることを思い出す。ええい、なぜこんなどうでもいいところでご婦人ムーブをしなければならないのか!
そんな感じでモタついた結果、日傘を持っているせいで自転車にも乗れず、スカートが気になって走ることも出来ず、結局チャイムが鳴ってからそこそこ遅れて学校に着いてしまった。
既に校舎内は静かになって、他の生徒の姿も見当たらない。
早足で一年棟の前まで来る。遠目にF組を見るが、なぜか田中先生はまだ来ていない。今の内に教室内へ入ろう。
その前に最終確認。廊下の姿見で、ささっと自分の格好をチェックする。
……よし、問題ない。淡い色のブロンドは上品に結わえられて乱れも無いし、制服にもおかしなところはない。前髪も綺麗に整ってるし、顔だってばっちり決まってる。
一片の
…………。
「……いや、マジでこのまま教室に入れと……?」
あああああ゛あ゛チェックしなけりゃ良かった! このままのノリで教室に入れば良かったのに! マズい、急に恥ずかしくなってきたなんだよこの格好俺男だったんだぞクラスでは孤高のクールキャラとか気取っちゃったりしてたのにそれがこんな滅茶苦茶女の子女の子した姿でしかも無駄に可愛くしちゃっていや無理だもう恥ずかしいってばこれやだやだやだうわわわわああああああ――
※
――――少々、お待ち下さい。
※
「ふぅ」
一年棟の前に設置された自販機で缶コーヒーを購入し、一気に飲み干した。
よーし、カフェインキマってきた。一気に頭が冴えてくる。テンションもブチ上がりだ。もう何も怖くない。今の俺を止められるものなら止めてみせろ。
何、素の俺のままこの姿でいるのが恥ずかしいなら、一発派手に演じてやればいいのだ。
どーせクラスメイトが女になったって時点でドン引きされるのは目に見えている。それならいっそ突き抜けよう。中途半端が一番良くない。やるなら極限までやる。他人の視線を気にしてなどなるものか。缶コーヒーをトラッシュボックスに放り捨てる。
そうだな、適当にお嬢様学校からきた転校生みたいな設定でいくか。まだ先生も来ていないし、ふざけるタイミングとしてはバッチリだ。
カツカツと足音を立てて、静かな廊下を歩み、F組の前へ。
半ば大げさと思えるほどの
集まる観客の視線。後ろ髪をさらりと梳くように流し、自分のスイッチを切り替える。
教壇をステージに見立て、舞台上へ。クラスを一段上から見下ろす。
注目が集う中、にっこりと品の良い笑みを優しく浮かべ、完全に調律した声音で華々しく俺は言った。
「――ご機嫌よう、皆様。わたくし、この度私立
『…………』
しん、と教室内が静まり返った。
やれやれ……度肝を抜かれたか、雑魚め。これだから凡人は全く。うちの
ま、これで俺がクラスから浮いたことは間違いない。それはもう稀に見る浮きっぷり、高度で例えるなら成層圏ぐらいだ。さて、席替えもされてないみたいだしさっさと自分の席へ――
『う、おおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
「!?」
怒号が響く。一瞬、固まる俺。次の瞬間、クラスメイト達から次々と熱狂に満ちた叫びが飛び出した。
「転校生だ! 美少女だぁー!」「高校でも転校生っているんだ! ラノベでしか有り得ないと思ってた!」「つーかもうラノベだろアレ! 金髪赤眼のアイドル級美少女ってもう完全にラノベキャラじゃねえか!」「あの人、赤坂くんと名前同じですね」「あの金髪染めてないよね、どこの国の人!? イギリス? ロシア?」「ハーフだよハーフ! 顔とか日本人っぽいもん!」「しかもお嬢様だ! あれ間違いなくどこぞの令嬢だよ絶対!」「うんうん!
……。
…………。
………………――――ハッ!
まずい、予想外の事態に一瞬呆けていた! というかみんなして受け入れてんじゃねえよ! 待て待て待て、F組が荒れてるって話はどこ行った! しかも何でみんな気づかないんだよ! こんなアニメキャラみたいな女子いるわけないだろ! というか病気で休学していたクラスメイトと同姓同名の人間がいきなり転入してくる不自然さに何とも思わないのか!?
ど、どうする? いや、流れを掴め。ここで上手くネタバラシして、本来の流れへ持っていけ!
「は、はい! ドッキリ大成功! 唐突ですがここでネタバラ――」
「すいませんみなさん! 遅れましたぁー!」
俺の声は、教室内に続いて入ってきた第三者の謝罪に打ち消された。
クラス中の視線がその女性へと突き刺さる。
唐突に現れたまだ二十代前半程度のその女性は、あたふたと手にクリップボードを持ちながら、頭を下げつつ自己紹介する。
「えっと、皆さんはじめまして! 心労で倒れた田中先生の代わりに、短い間ですがこのクラスの担任をすることになった、
おお、と小さな驚きの声が上がるが、俺の時よりは遥かに小さなリアクションだ。
というか、あれ? 田中先生が倒れた?
「えっとえっと、急な受け持ちだったので上手く引き継ぎができていないのですが、転校生さんなのですよね?」
「え、いや、あの――」
「全くもう、転校生さんが来るのは十月の予定だったのに、一ヶ月もズレているではないですか! 学年主任さんは適当なお仕事をし過ぎです! ごめんなさい赤坂さん、まだ机も用意出来てなくて……あ、そういえば病気で休んでいる生徒さんがいるんでしたね! では、ひとまず今日はそこで――」
「(ちょっと待てぇえええええええ!!!)」
こうして。
当初想定していたそれとは全く異なる、波乱と怒涛に満ちた学校生活が――今、正しくこの瞬間に幕を開けたのであった。
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第5話・いじめられっ子とのやり取り①
さて、そういうわけで波瀾が怒涛に万丈の如く押し寄せてきたわけだが、だからといってただ流されていくわけにもいかない。
内心で滝のような冷や汗をかく俺の前で、
「はーい、えっと、転校生さんのことはみなさんも気になると思いますが、今から始業式ですよー! 先生みたいに遅れちゃったらダメですからね!」
俺のこともそこそこに説明を始めだす可奈田先生。
だが、ここは強引に割り込んででも話を聞いてもらわなければならない。
「それでは今から講堂に移動し――」
「先生」
「あ、ごめんなさい転校生さん! でも、説明はひとまず始業式の後で――」
「先生」
「え……えっと、ごめんなさい、でも今は――」
「先生。話を聞いてください。今すぐ」
「え、え? で、でも先生は講堂に皆さんを引率して、それが終わったら職員室に行かないと――」
「わかりました、では委員長」
俺はずびしとクラスの委員長を指差す。
委員長は慌てて背筋を伸ばして答えた。
「は、はい! ですがあの、赤坂、さん? なぜオレが委員長だと知っているんです?」
「先生に代わってクラスの引率を。任せていいですね?」
「え――いえ、了解しました!」
有無を言わせない俺に、委員長が何故か敬礼で返答。少し浮かれたような顔で廊下にクラスを集める彼に対し、他の男子生徒たちから何張り切ってんだとヤジが入る。
俺はそれを横目で眺めつつ、先生を教室から連れ出して職員室へと向かう。
「あ、あの、転校生さん!?」
「いいから行きますよ。職員室には生徒名簿なんかもあるでしょうし、それを確認しながら話をしましょう」
そういうわけで、職員室。
大半の教師が始業式に出払っているためか、普段よりいくらか
「――そういうわけで、俺は転校生じゃなくて、最初から一年F組に在籍している男子生徒、赤坂
「……い、いやいやいや! いくら先生が新人だからって騙されませんよそんな! 大体クラスの皆さんだって普通に転校生だーって大騒ぎしてたじゃないですか!」
「あれはただのドッキリっていうか、悪ノリです。ネタバラシする直前に可奈田先生が口挟んだせいで話がややこしくなりましたけど」
俺ははぁ、とため息をつきつつ呟く。
「……人のギャグがスベったところを無駄に煽りやがって、クソが」
「口悪っ! 待ってください待ってください、良家のお嬢様みたいな女の子から飛び出す遠慮ない言葉の数々に先生の頭がキャパオーバーです!」
可奈田先生は目をぐるぐると回しつつも、どうにか頭を振って体裁を取り戻す。職員室にいた他の教師たちに同意を求めるようにしながら、腰に手を当てて俺をたしなめた。
「ていうか、もう! ダメですよ大人をからかっちゃ! こんなのただの悪ふざけだってすぐにわかっちゃうんですからね! ですよね、学年主任!」
「いや、その子が言ってるの全部本当だけどね?」
「全部本当だったんですか!?」
学年主任の先生はショックを受けている可奈田先生の机(色んな書類が山のように積み重なっている)から、俺に関する書類を取り出す。
「ほら、赤坂 聖くんの『奇病』に関する手続き書類。若い人はあんまり知らないからねえ『奇病』のこと。私が子供の頃は結構大きなニュースにもなったんだけどねぇ」
可奈田先生は書類を食い入るように見つめつつ、愕然とした声を漏らす。
「ま、まま、マジです……! ちゃんと前任の田中先生の判子も押されてます……!」
「そういうわけで、後でちゃんと訂正してほしいんですけど……。しかし嫌だなあ、今更あの空気の中ネタバラシするの。絶対微妙な雰囲気になるじゃないですか。はーぁ、良かったですね、可奈田先生。着任早々クラスが静かになって」
「赤坂くん、お淑やかな顔してものすごい皮肉ってきますぅ!」
うわぁん、と悲鳴を上げる可奈田先生。苦笑しつつ去っていく学年主任の先生。
「……あの……」
と、そこへ、コンコンと遠慮がちに職員室の扉をノックする音が響いた。
「……すいません、一年F組の
「え、あ、はい! 入ってください、輪泉さん!」
失礼します、と小さな声。
職員室の中に入ってきたのは、おさげ髪の女子生徒だった。
ああ、そうだ。そういえば同級生にこんなやつもいた。
今さっき自分で名乗っていたが、彼女の名前は輪泉 遥。クラスの中では地味な女子だが、顔立ちは結構整っている。見るからに性格が暗そうだし、切れ長の目が少々剣呑ではあるものの、そこさえ除けばまあまあ可愛らしい感じの女の子だ。
俺とはほとんど関わりがない――というか、俺はほとんどの生徒と全く関わっていないのだが、彼女とは一度話した覚えがある。ええと、どこでだったか。
「先生が来ないので、こっちから来ましたけど……」
「ごご、ごめんなさい! ああ、先生、初日から遅れてばっかりです……!」
「今から始業式の方に合流するので、それだけ……」
「ええっと、あの、輪泉さん、その、辛いようだったら無理はせずに……」
「……いえ、大丈夫です」
少し俯いたまま、ぼそぼそと喋る輪泉。
ああ、思い出した。例の罰ゲームで俺に告白してきた女子だ。ほら、俺が二話で
「で、でも……」
「本当に、大丈夫ですから」
不安げに尋ねる可奈田先生に、どう見ても大丈夫ではない顔で答える輪泉。
こいつ、暗いと言ってもここまでどんよりした感じではなかったはずだが。思えば俺の悪ふざけの自己紹介をした時もいなかったし、体調でも悪いのだろうか。
「――どうせ、あっちは、悪ふざけのつもりなんでしょうし」
彼女の言葉に、俺はわずかに息を呑んだ。
それぐらい、恨みつらみの籠もった声。
可奈田先生が慌てて、行き場のない両手を体の前で
「あの、その、つ、本当に大丈夫なんですよね? クラスが辛かったらいくらでも相談してくれていいですから、先生、その、新人ですけど、頑張りますから……」
「……いいです、別に……気にしないでください」
……ああ、なるほど。
そういう感じか。
正直、F組の様子はほとんど変わっていないと思っていた。
しかし輪泉を見て、俺は
「…………」
視線を気取ったのだろう。ようやくこちらに気づいた輪泉が、長い前髪の隙間から覗き込むようにして俺を見る。
ここまで無反応だったので俺にさほど興味がないのかと思ったが、単に俯いていたせいで気づかなかっただけらしい。まず金髪を見て、それからこちらの顔を見てどきりとしたように視線を
まあ、学校に金髪赤眼だからな。どうしたって気にはなるだろう。
「あの、そちらは……」
輪泉も俺が誰かはわかっていないらしい。そりゃそうか。
よし。
せっかくだし、やるか。
俺は淡い色の金髪をさらりとかき上げ、自分のスイッチを切り替える。
「あ、輪泉さん! 少し驚いたかもしれませんが、この子はですね――」
「はじめまして、輪泉さん。わたくし、今日この学校に転校してきた、赤坂 聖と申します。あなたも一年F組なのですわよね? クラスメイトとして、今日からよろしくお願いいたしますわ!」
「――ってちょっと、ええ!? あの、あ、赤坂くん!?」
突如お嬢様ロールを再開した俺に対し、驚きの声を上げる可奈田先生。
俺は少し耳を寄せるようにして、可奈田先生へと顔を近づける。
「何かしら、可奈田先生?」
「何かしらって! その、今から誤解を解こうとしてたのでは!?」
「誤解? はて、何のことでしょう? 何か言いづらいことでして?」
「え、だ、だから――」
「(転校生なら、いじめられっ子とも仲良く出来ると思いませんか?)」
「へっ……!?」
可奈田先生の耳元で、輪泉に聞こえないようにぼそりと呟く。
「(ネタバラシはもう少し先にしましょう。いいですよね?)」
「(あ、は、はい……)」
「ふう。全く、可奈田先生ったら、自分が髪型をアフロヘアーにしたまま学校に来てしまったことを誤魔化すのに必死になってしまって。ふふっ」
「いやそんな話は微塵もしていないですけど!!」
「あら、申し訳ありませんわ。冗談というのは思ったより難しいですわね。わたくし、あまり可奈田先生のような珍妙な方とお話するのは慣れていなくて……」
「教科書に載せたいぐらいの慇懃無礼!」
俺はくるりと
「ええと、輪泉さんも始業式に合流するのですわよね? 私、まだこの学校に来たばかりで……すみませんが、講堂の方に案内していただけますか?」
「え……あ、はい……」
そして俺は、とっくに中のことを知り尽くしている校舎を案内されつつ、顔見知りの女子生徒に初対面として講堂へと連れられるのであった。
※
朝こそ激動だったものの、その後は特に何があるわけでもなし。
今日は始業式と多少のホームルームだけだったので、午前中で学校は終了。
放課後も話しかけてくる興味津々のクラスメイトに対し「華道のお稽古がありますので……」などと適当にうそぶきつつ下校。
家に帰った俺は狩りゲーの通信対戦をしつつ、伊良部と音声チャットで駄弁っていた。華道とは。
「――つーかイジメなんてのはイジメられる方が悪いんだよな。イジメられるのが当然みたいな暗い顔してるから悪いんだろうが、クズが。ぶっちゃけ輪泉あいつ絶対どっか性格捻じ曲がってんぞ。悪人とは言わんが頭がおかしい。どっか狂った馬鹿だ」
『いやなんで今日の行動からその言葉が出てくんの?』
通信越しでも変わらないツッコミのキレに満足する俺。まあ、本当は一緒にゲーセンにでも行きたかったんだが、クラスメイトに見られると面倒だし。
あまりにも人情味の無い俺のセリフに対し、伊良部が怪訝そうに問いかけてくる。
『普通に良い話で終わらせとけば良かったのに……。何、またいつもの照れ隠し?』
「俺がいつ照れ隠ししたよ。それに良い話でも何でもないだろ、こんなの」
画面を食い入るように見つつ、がちゃがちゃとボタンを連打する。歴戦個体って正直手抜きだよな、これ。あークッソ、伊良部に返事したいのに声のトーン調整する余裕がない。
「今日一日見て分かった。あのクラス、クソだわ」
『その声で罵声吐くのやめてくれないかなあ』
あ、ミスった。一乙。伊良部のやつこの手のゲームは俺より上手いんだからちゃんとサポートしろよ。やくめでしょ。
ゲーム内で拠点に戻された俺が戦線に戻ってくる間にも、会話は続く。
『何、やっぱり噂通りだったの、F組?』
「いや? まあ合ってるっちゃ合ってるかもしれんが、正直あの噂は盛り過ぎだな。素行が悪いってほどじゃねえよ。確かに多少は個性的だったけど、言ってしまえばそれだけだ」
自己紹介の時。F組の誰かが俺を指して「ラノベみたい」などと言っていた。
だが、俺に言わせればあいつらも十分ラノベ的だ。転校生であそこまで大盛りあがりする高校生ってのも、物語じゃよく見るが実際はそういるもんじゃないだろう。
『じゃあなんで――ていうか微妙に転校生のノリだよね、聖くん。どんだけクラスメイトに興味なかったんだよ』
「うるせえ。あのな伊良部。世の中、何かに付けて個性個性と言うが、個性的であることってそんなに良いモノか?」
『君ほど個性的な人に言われちゃおしまいだろうに』
「俺に言わせりゃ個性なんて不和の種だよ。なあ伊良部、見てみろ俺を。こんなヤツと友達になってる人間なぞ、ただのアホだと思わないか?」
『とりあえず自虐に僕まで巻き込むのやめてくれる?』
「だけど、それでもあのクラスはまとまってた。俺みたいなのもいたから結束力があるってほどじゃないが、少なくとも表面上はな。
『…………』
わずかに口を閉じる伊良部。俺はコーヒーを一口含んで、飲み干してから静かに言う。
「こないだ家族から聞いたんだが、田中先生よく俺の見舞いに来てたらしいんだよな。忙しいのに。それで身体壊しちゃバカじゃねーのかって話だが」
『君の暴言、なんか段々ツンデレに聞こえてきたんだけど』
「黙れ。とにかく、『個性的な集団』ってのをまとめるには、何か一工夫必要なんだよ。そうじゃなきゃ、どうやったって雰囲気が悪くなる」
『……つまり?』
「わかるだろ」
一拍溜める。
「一人に全部押し付ければいいんだよ。イジメられるのが当然みたいな、暗い顔してるやつ。罰ゲームを断りきれず真面目にやっちゃうような馬鹿だとなおよし。それでそいつ以外は一まとまりだ」
『――――』
正直、仕方のないことだと思う。
あのクラスメイト達にしたって、そこまで本気でやってるわけじゃないだろう。本当は一学期の時みたいにしていたいやつだっているだろう。
ただ、それでも集団ってのは『そう』ならざるを得ないのだ。
「まあ、とにかく――とりあえず全部ぶっ壊すから協力しろ、いいな」
『いいよ』
「即答してんじゃねえよこのお人好し」
『……やっぱりツンデレだよね、君』
「言っとくが別に田中先生の恩返しとかじゃないからな」
『もう言い訳できないよねこれ』
「いや、本気でそんなんじゃないんだが……まあいいや、後で俺の言葉通りだったと思い知ることになるからな。覚悟しろよ?」
まあ言ってもコメディーなので、そんなにシリアスなことにはなりません。次は普通にギャグです。
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第6話・いじめられっ子とのやり取り②
そして、翌日。
なんやかんやでクラスは平和になった。
「いやいやいや! ちょっと待ってください赤坂くん!」
「なんですか、可奈田先生。もう放課後ですよ。俺、この後
「仲良しっ! いえ、そうではなく、いつの間にそんな……」
「普通に友達になっただけです。俺はコミュ力が高いので。――コミュ力が、高いので」
「何故二回言ったんです?」
実際には周囲をそれとなく煽ってあえて輪泉をイジメさせ、彼女が泣きそうになったところで割り込む
「ハッ。どいつもこいつも、愚かよな」
「なんですかその黒幕ゼリフ! 赤坂くん今すごい悪い顔しませんでした!?」
「失礼ですね。顔は可愛いでしょう、俺」
「自分で言った!」
そう、自分で言うのもなんだが、俺は美少女だ。それもそこらのアイドル顔負けの、絶世と言って過言ではない超絶美少女。その整った美貌からは、治療を担当してくれた整形外科医の先生の圧倒的なワザマエが伺える。好きな人がいる俺だって、気を抜けばうっかり恋に落ちかねないほどに魅力的だ。
「そんな美少女と仲が良い子をイジメる? いやあ無理ですね。少なくとも男子には無理です。ヤツらはもうこっちの気分を損ねる行動は絶対に出来ません。もはや俺の下僕ですよ、下僕」
「ど、同級生を下僕呼ばわり……! 赤坂くん本当に男子だったんですか!? やり方が完全に悪女なのですが!」
「男だったから男の行動が予測出来るんでしょうに」
とはいえ、男子はそれで良くても女子は考え方が違う。
「でも女子はダメでしたね。みんなで仲良く
「逆に腹が立つレベルの無表情棒読み! 生徒にこんなこと言いたくはないですが、これはうざい!」
だがしかし。いつか
「ですが先生。男子に美少女をぶつければ良いのなら、女子には美少年をぶつければ良い。そうは思いませんか?」
「え、ええ……?? それは、まあ、そうかもしれませんが……美少年をぶつけるったって……」
「あいにく、俺にはいるんですよ。顔が良い上に性格も良い、学力が高い上に女子力も高い、女にモテモテの――
「今何か単語に別の意味を乗せませんでしたか!?」
「普段中々会うことの無い、クラス外のイケメン男子。しかも顔だけじゃなく中身も良い。そしてツッコミも上手い。これはもう完全に優良物件ですよ、特にツッコミ」
「ツッコミが上手いことは別に評価点にならないと思います!」
「そんな彼を紹介してくれるとなれば、これはそうそう無下に出来ない――あ、そうですね。せっかくなのでその時の状況をカードゲーム風に例えますか」
「急に!? 何故!?」
「『味方モンスター「顔の良い親友」をフィールドに召喚! イケメンをイケニエに捧げることで、フィールドに存在するあらゆる女子からの攻撃をキャンセルする!』」
「『イケメンをイケニエに』って言いたかっただけでしょう!」
ここでようやく会話が一段落する。
ツッコミ疲れで息切れする可奈田先生に、俺は静かに微笑みかける。
「そういうわけで――安心してくれていいですよ。なんやかんやでクラスは平和になりました。もう輪泉が理不尽にイジメられることは無いし、俺がいる間は、誰かがイジメられたりすることなんて、絶対にありませんから」
「あ……」
「じゃあ俺、輪泉とクレープ食べに行くんで。それじゃ」
俺はカバンを持って職員室を出る。
背を向けて扉へと向かう俺に、可奈田先生の声が投げかけられる。
「あの! 赤坂くん――赤坂
「どうしました?」
「ありがとうございます! その、私、まだ新任で、田中先生みたいに上手く出来ないので、F組の担任が不安で……でも、キミのおかげで、またみんな仲良く出来て……」
「……良いんですよ。これからもツッコミ、よろしくお願いしますね」
「はい! ――っていや、ツッコミは別にお願いされたく――」
ばたん、と俺は職員室の扉を閉めた。
「――ふぅ」
小さくため息をつく。
放課後ではあるが、まだ生徒は残っている。
今はまだ、一年F組のクラスメイトに俺の『素』をバラしたくない。
俺はサラリと後ろ髪をかき上げるようにして、自分のスイッチを切り替えた。
綺麗に背筋を伸ばし、一人淑やかに放課後の廊下を歩いていく俺。そこに、よく知った声が呼びかけてくる。
「やあ、聖くん――いや、赤坂サンって言った方が良いかな、今は」
「あら、伊良部さん。ご機嫌よう。私に何か御用でして?」
「あっちの廊下なら、今はほとんど誰もいないから、良かったら玄関まで一緒にどう?」
「わかりました。では、ご一緒させていただきますわ」
伊良部とともに大回りをする形で人気の無い廊下を歩いていく。
コツコツと響く二人分の足音。
放課後の少し穏やかな喧騒が、徐々に遠ざかっていく。
やがて、誰にも話し声が聞こえない場所まで来る。
俺は演技をやめ、態度を元に戻した。
「――しっかし、大人って馬鹿だよなあオイ! 愚鈍にも程があるぞあの女教師! 伊良部にも見せてやりたかったぜあの浮かれた滑稽な顔をよぉ! ハッハハハハ!」
「いや落差! 一旦お嬢様モードを挟んだことで落差が酷い!」
「あァ、みんな仲良くゥ? はっ、全く。自分たちにも出来ないことをほざきやがるぜ、大人がよ」
「おおう、いつにも増してギャップが……」
「
「なんで聖くんこんなに価値観歪んじゃったの? 無駄に頭が良いせいなの?」
「しかし、今日一日でここまでしか来れなかったのは失敗だったな。クライマックスにはとっておきのショーをお見せする予定だったんだが。ククッ」
「もう完全に黒幕じゃん。何がしたいんだ君は」
「あ? バカ、伊良部。夏休みの時から言ってただろ」
俺は一拍置いて、言う。
「――"二学期は上手いことクラスメイトから腫れ物扱いされて、一人優雅にぼっちライフを満喫する"、って」
「……え」
呆けたような伊良部の顔。俺はそれに一度だけ目をやって、前を向き直す。
「面倒なんだよ、クラスの中で他に浮いてるヤツがいたら。
「…………。聖くん……」
「これでようやく明日ネタバラシ出来るな。今の状況で俺が元男だってバラせば、男子も女子も、輪泉も、全員自分たちを騙してた俺を敵視するだろ? クラスもしっかりまとまったな。どうだ、最高のショーだとは思わんかね? ん?」
「……君はさぁ」
伊良部は片手で頭を抱え、呆れたようにため息をつく。
「なんでそう、やたらと偽悪的なやり方をするんだろうね」
「偽じゃねーよ。悪だよ、俺は」
「高一になっても未だに中二病抜けてないしさ。頭が良いのに馬鹿ったらないよ。僕なんかより、君の方がずっとお人好しじゃん」
「お前がそう思いたいんならそう思ってろ。あれだぞ? 輪泉なんか、一度心を許した相手に裏切られるんだぞ? どこがお人好しだよ」
「分かった分かった。どうせ僕が何言ってもやるんでしょ。さっさとクレープ食べに行ってきなよ。僕は友達でいてやるからさ」
「うっせバーカ。死ね」
「はいはい、ツンデレツンデレ」
疲れたように伊良部が階段を降りていく。
俺たちは生徒玄関で別れ、校舎の外へと歩いていった。
「……でも、俺も疲れたなあ、今日は」
少し赤みがかってきた空を見上げる。
今日は朝からずっと演技演技で、気を抜く暇もなかった。
だが、後もう少し踏ん張らなければならない。玄関前の自販機で一本コーヒーを買う。
ちょうどそれを飲み終え、缶をゴミ箱に投げ捨てた頃に、たたたっ、とこちらに走ってくる足音が聞こえてきた。
「赤坂さん! ごめんなさい、わたし、遅れてしまって……」
「いえ、大丈夫ですわ、輪泉さん。私も少し遅れて、今来たところでしたから……さ、行きましょう?」
「はいっ!」
昨日の暗い顔はどこへやら。にこにことした笑みを浮かべながら、輪泉は俺と連れ立って歩き出す。
「わたくしの方は先生とお話していて遅れてしまったのですけど……輪泉さんは、何かあったのかしら?」
「い、いえいえ! そんな、わたしはちょっとした野暮用で、えへへ……。頑張ったんですけど少し遅れちゃいました……」
そう言って、照れ臭そうに笑う輪泉。少し息が切れているところを見ると、どうやら何か運動をしてきた後らしい。
「そうでしたか。私としては、ゆっくり来てもらっても良かったのですけど……」
「いえ、そんな! わたしから赤坂さんを誘ったのに、こっちの都合で遅れてしまって……わたし、今すぐにも手首を切りたい気分でいっぱいです……」
「とりあえず、そのカッターナイフは今すぐしまってくれますこと?」
「あ、あ、ごめんなさい! つい、うっかりしちゃいました……」
笑いながら、何か赤いものが付いたカッターを仕舞う輪泉。うん、これはイジメられるわ。やっぱどっか頭おかしいよコイツ。
表面上はにこやかに笑う俺に対し、輪泉は心からの笑みを浮かべ、二人で街を歩いていく。
夕方になると街にも人影が増えてくる。俺に刺さってくる視線が気になるが、まあ、役に入ってる分には問題ない。
「あ、あの、赤坂さん……」
「うん? どういたしました、輪泉さん?」
「その、あの……出来たらで、いいんですけど……」
輪泉は少しおどおどとしながら、意を決したように言う。……こういうところは、昔の美咲みたいでちょっと可愛いな。
「わたしのこと、
「あら、そんなことでしたら。わかりましたわ、これからよろしくね、遥」
「はぅ……っ!」
心底嬉しそうにはにかむ遥。うーん、そういえば、美咲以外の女子の名前を呼び捨てで呼んだことって、これが初めてだな。
「あのあの、それじゃ、ついでって言ったらダメですけど、赤坂さんのことも……」
「ええ、遥の好きなように呼んでくれて結構ですわよ」
「本当ですかっ!? じゃあ、わたしからもこれからよろしくおねがいします――お姉さま!」
「ええ、よろし――」
あれ?
「どうしました、お姉さま?」
「いえ……そこは、聖と呼んでくださるのかと……」
「お姉さまにそんな失礼なことは出来ません!」
「そ、そう……まあ、遥が良いなら何でも良いのですけど……」
なんだろう、最初からどこかヤバいやつだとは思っていたのだが、同級生をお姉さまって……。
まあ、いいか。どうせ明日になればネタバラシして、こいつと疎遠になるのだし。今は好きに呼ばせておこう。
「えへ、えへへ……。今日は、助けてくれて、本当に嬉しかったです。本当に、本当に……」
しみじみとした様子で言う遥。その顔に浮かべる笑みが少し不気味で、俺はわずかに距離を取る。
「ずっと、一緒にいてください、お姉さま……」
「遥……?」
「いえ、なんでもありません! ……えへへっ」
だから、彼女が口の中で呟いていた言葉は、結局わからずじまいだった。
※
翌日。
さーてどういう演出でネタバラシしようかなーと考えつつ、クラスの前で立ち尽くしていた俺に、背後から声がかけられた。
「お姉さまっ、おはようございます!」
「わっ……!?」
そのままトン、と背中にくっつかれる。
後ろを振り返ると、にこにことした遥の顔。わ、悪巧みしてる最中に急に来られると心臓に悪い……。
「さ、教室に入りましょう、お姉さま?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいまし――って、あ」
思わず昨日までのキャラで答えてしまう。
気を抜いた隙に、するりと教室の中に連れ込まれる。くそ……まあいいか、別に今じゃなくてもチャンスは――
「……あの、遥?」
「はい? なんでしょう、お姉さま?」
「そこの方たちは――」
俺は教室の床を見下ろす。
そこにいたのは、昨日伊良部を紹介するまで、俺に敵愾心を向けていた女子達。
当然、伊良部を紹介したからと言って悪感情自体が消えるわけではなく、俺はそれを踏まえた上でネタバラシをする予定だったのだが……。
「――なぜ、私が入ってくるなり土下座をしていらっしゃるのでしょう……?」
俺は微妙に引きつった声で遥に問いかける。
遥はにっこりと笑みを浮かべて――にっこりと、狂的な笑みを浮かべて、言う。
「だって、お姉さまに歯向かう人間は完膚なきまでに叩き潰して、自分がただの豚でしかないと認識させなければならないでしょう?」
何言ってんだコイツ。
「あの、えっと、はる、か……?」
「あ、あと、男子にも一人、お姉さまが実は男だとか言ってる輩がいたんですよ! 酷いと思いませんか!? ねぇ! お姉さまは女の子なのに! ねぇ!」
ぞわり、と背筋が何かに撫でられるような感覚が走る。
ゆっくりとクラスを見渡す。
もう、クラスメイトは全員揃っているのに、一人いない。一昨日の自己紹介の時に、一人だけ微妙に疑問に思っていたやつがいない。
「だから少し――ゴニョゴニョしちゃいました、えへへっ」
何も可愛らしくない「えへへっ」だった。
「その、ゴニョゴニョというのは――」
「やだ、お姉さまったら聞かないでください、きゃっ」
そう言って両手で顔を覆い、くねくねと身体をよじる遥。その勢いでポケットの中からカッターナイフが落ちる。やはり、昨日見たときと同じように、刃先には何か赤いものが付いていた。
…………。
よし。
「(ネタバラシは、また今度にしよう!)」
そうして俺は、未だしばらく、このお嬢様キャラを演じることを決意したのだった。
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第7話・義姉とのやり取り②
ところでウチの義姉、赤坂
その界隈では結構有名人で、専業主婦ゆえの時間的余裕を活かして様々な活動に手を出している。
無論あくまで個人レベルの、ただの趣味だ。しかし、それでも同人作品等では結構な儲けを出しているらしく、我が家の家計にそこそこ貢献。
が。
「ひーじりちゃーんっ! 早速だけどお姉さんのコスプレに付き合いなさいな!」
時々俺を巻き込むのはどうにかしてもらいたい。
俺は疲れ切った身体を起こし、ジト目で
「……俺、疲れてるんですけど」
「なにさー、
「マジで毎日毎日疲れてるんですよ……今日もヤンデレ狂犬ヤバ女の世話とか頑張ってたんです……」
遥の本性が発覚した日。
目覚めさせてはいけないものを目覚めさせてしまった俺は、責任を取って遥の面倒を見ることにした。流石にあのクレイジーを覚醒させて放置したままというのは寝覚めが悪い。俺の身だって危ないし。
遥に『ゴニョゴニョ』されて朝から保健室送りになっていた男子生徒、
こうして、当初俺の思っていた方策とは全く別の方向性で、現在の一年F組は一致団結し、まとまったのだった。
なお、協力を拒んだ生徒には、俺の方から遥をけしかける旨を伝えてある。相も変わらずひでえクラスだ。まあ、あのまま遥をイジメていたらいつ爆発するともわからなかったので、これはこれである種の改善と言えるだろう。
「やはり、平和を作るのは圧倒的な力と共通の敵だけなんですね……」
「何言ってるかわからないけど、コスプレしよう! 今ならご褒美もついてくる!」
「じゃあやりまーす……今日は何のアシスタントをすれば?」
「ふふん。聞いて驚くなかれ。まずはこの露出度高めの衣装をねー」
「はい」
「聖ちゃんが着る」
「はいお疲れ様でーす」
部屋からご退出願おうとする俺に、必死に抵抗する
「やだー! お姉さん今日までずっと我慢してきたんだよ!? 病人を着せ替え人形にするのは悪いなあとか登校初日は疲れてるだろうし休ませてあげようかなあとか! それなのに聖ちゃん毎日疲れた疲れたって! いいじゃないもうすぐ週末じゃないゆっくり休めるじゃない、聖ちゃんのばかぁ!」
「疲れてるとか関係なしにイヤです! 普通に恥ずかしい!」
「もうスカートにも慣れてるじゃない!」
「慣れてねえよ! 気にしてる余裕がなかっただけ!」
「今の聖ちゃんがブレザー制服着てればそれだけでコスプレみたいなもんだよ!? 私のツイッターアカウントに『親戚の子がやってたコスプレです☆』って聖ちゃんの制服画像を貼り付ければ『可愛いですね! (任意の学園モノ)に登場する(任意の金髪赤目キャラ)ですか?』って
「なんか急に制服着るの恥ずかしくなってきたんですけど!?」
確かに金髪だし赤眼だし、該当するキャラも多そうな容姿だけど! いざそんな言い方されたら妙に今の姿でいるのが照れくさくなってきた!
「今の聖ちゃんはもう、何着ててもコスプレなんだよ! いっそのこと全裸でもコスプレ!」
「それは流石に暴論!」
「そういうわけだから、今更どんなコスプレしても問題無し!」
「問題あるわ! それならもうジャージしか着ませんから!」
「ふぅむ……ジャージで金髪赤眼のラノベキャラは、と……」
「やめい!」
「ぐふぅ!」
などとコントを繰り広げつつ、
鬱陶しい義姉を部屋から蹴り出し、ベッドの上に寝転がる。
「うぅ~。聖ちゃんがかまってくれないよぉ」
「兄貴とでもイチャイチャしててくださいよほら。しっしっ」
「旦那様今日残業だもん! かまってよ聖ちゃぁん、さっきだって私が一人強盗と相対して苛烈なバトルの末に圧倒的な勝利を得たというのにぃ」
「何やってんだアンタ。ていうか強盗って……こんな一般家庭に何盗みに来るっていうんですか」
「知らなーい。下着泥棒だったのかな、多分」
「え、マジで来たんですか?」
「うん。女の子だったのかなあアレ。なんかマスクの下からお下げ髪出ててさぁ。結構手強かったし、最終的には逃げられたんだけど、こてんぱんにしてべそかかせて靴を舐めさせながら『
俺はスプリングのように立ち上がり、即座に九十度の礼をした。
「ありがとうございました
「おおう、どうしたの急に」
そういうわけで。
「じゃあまずは、FGOのエレシュキガルからで」
「確かに金髪赤目ですが、あなた普通に版権モノを出してきますね」
「? 何か問題が?」
「いや、こっちでは問題ないです」
「こっちってどっちよ」
用意された衣装一式を順に見ていく。
えーと、ドレスに、マント。胸元のアクセサリーに、マントを留めるためのベルト。片方だけの黒ソックスに、髪を結ぶためのリボン、そして黒のティアラ。足首に着ける金色のバンド……。
「って、結構多いですね。どれも気合入ってるし……いつの間に作ったんですか、こんなの」
「そりゃ聖ちゃんの入院中だよ。出来上がった後は早く着せたいなー早く着せたいなーって思ってたのになかなか機会がなかったんだもん」
「俺に確認取ってから作ってくださいよ……。そういえば、合わせてないけど、衣装のサイズとかは大丈夫なんですか?」
「ダメそうだったら後で修正するよー。まあ、ちゃんと測ったから大丈夫だと思うけど」
「え、いつ俺の身体測ったんですか?」
「…………」
「いつ!?」
お、覚えが無い……! うわ、バンドとか足首にぴったり嵌るし! 本当にいつ測ったんだこれ!
「まあまあ、細かいことは気にしない気にしない! ほら、さっさと着た着た!」
「こやつ……」
仕方ない……遥(らしき人物)を撃退してくれた恩もあるし、ここは気にしないでおこう。
ひとまず、
とりあえず最初にドレスを着る。次に――
次に……。
「……スカートは?」
「無いよ」
「さも当然のように!」
「履きたかったの?」
「履きたいわけではないけども! それでもあると無いとじゃ大違いでしょうが!」
「だってこのエレちゃん第一再臨だもん、無いよ。ほら、見せパンだしへーきへーき」
「これだからコスプレイヤーは!」
「あ、でも今のボクサーパンツじゃ見えちゃうから、そっちもショーツに履き替えてね。前私が買ってきたやつ」
「ボクサーパンツなら女性用下着じゃないので恥ずかしくないという、唯一の心の砦が……っ!」
震える手でボクサーパンツを脱いで、少し前に
半分涙目になりながら衣装を身に着けていく。ていうかこれ、ゲームだとアクセサリーに紛れてたけど思ったより胸元開いてる。はずい。
どうにかこうにか大体の衣装を見に着け終わった。最後にリボンで髪をまとめ、ツーサイドアップに。黒色のティアラをつけて完成。
「ほう……ほうほうほう! いいね聖ちゃん! 元々金髪赤目で色白だから、すっごい自然な感じ! ウィッグじゃないせいで毛量が足りないけど、これはこれでなかなか……!」
「あんまり見ないでください……!」
ぱしゃり。
「普通に撮ってんじゃねえ!」
「いやあ可愛かったのでついつい。てへり。ほーら、ポーズしないと恥ずかしがってるところ撮っちゃうぞー」
「う、うぅ……!」
そうして、俺はその日いっぱい、
なろう版では微妙に内容変わってます。
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第8話・先生とのやり取り
始業式からそれなりの日数が経過したが、今でも金髪赤眼のこの容姿は人目を惹く。
F組のクラスメイト達は少しづつ慣れてきたようだが、教室の外に出ると他クラスの生徒からの視線が一斉に突き刺さる。いくら俺が演劇で視線慣れしているとはいえ、これはなかなかのストレスだ。学校外でも通行人からチラチラと見られるし、正直に言ってウザったい。
夏休みまでは「鏡見ればいつでも美少女映るとか目の保養になっていいじゃん」なんて気軽に思っていた俺だが、いざ自分が目の保養にされると妙にムカつく。見せもんじゃねえんだぞ、金払え。
「〜♪」
「……その、遥?」
「はいっ! なんでしょうか、お姉さま!」
「歩きづらいので、少し離れてもらえると嬉しいのですけれど……」
「あ……。ご、ごめんなさい! 怒らないでください! 許してください!」
「いえ、別に怒っているわけでは……」
「どうしたら許してもらえますか!? お願いです、わたしのこと嫌いにならないでください、お姉さまのためなら何人でも刺しますから!」
「やっぱりくっついていて結構ですわよ」
「本当ですか!? ありがとうございますっ!」
加えて厄介なのが、この、今まさにニコニコ顔で俺の左腕を抱きしめているヤンデレだ。一応そこそこ可愛い女子に引っ付かれている形なのだが、正直全然嬉しくない。なんつーか毒蛇に巻き付かれたような気分。
こいつがいる限り演技をし続けなきゃならないし、俺の本性がバレたらまず間違いなく暴走一直線だ。全くもって気が抜けない。
正直なところさっさとブタ箱にぶち込んでやりたいのだが、コイツはこれでなかなか証拠を残しやがらない。バーサーカーのくせして頭が回る。今のところコイツを真っ向から打倒出来たのは
遥に密着された状態でゆっくり廊下を歩いていると、唐突に横合いから軽い衝撃を受けた。床に何冊ものノートが落ちる。
「……っと」
「あっ……! す、すいません、赤坂さん。大丈夫ですか?」
曲がり角から出てきた男子生徒とぶつかったようだ。
……ていうかこいつ、今一瞬胸に触らなかったか? わざとじゃないんだろうが、それでも微妙に顔を赤くしているのが気持ち悪い。気持ちは分からんでもないが、なんで男子に欲情されにゃならんのだ。唾でも吐いてやりたい気分――
「――お姉さまが不快なようなら斬りますが」
「いえ、全くもって平気ですわ! あなたの方こそ怪我は無い? ほら、落としたノートです。日直のお仕事でしょうか? 頑張ってくださいね!」
「は、はい! ありがとうございます!」
不快でないことを示すために、にっこりと微笑みかける。男子生徒は、真っ赤に照れて去っていった。
……こんな感じで、遥のせいで俺がやたらと善人のように扱われ始めているのも厄介だ。
無意味に注目を集めつつ、廊下を歩いていく。……二学期最初のテストの学年順位が見たかったんだが、どう考えても悪目立ちするな、この流れだと。貼り紙の前にもそれなりの数の生徒が集まっているし。
「遥、一つ頼んでもいいかしら? わたくしの代わりに順位を見て、こっそり教えてほしいのだけど……」
「はい、お任せください! この
「わたくし、列にはきちんと並ぶ子が好きですわね」
「順番を待って見てきます!」
そう言って、生徒達の後ろにつく遥。ここで重要なのは「順番を待てない子は嫌いですわよ」というような、マイナス方面での苦言を呈さないことだ。暴走する。めんどくさい。
「あ! ありましたお姉さま! 一位です! 学年順位総合一位は赤坂
「そしてコイツ何もわかっていやがりませんわね」
微笑を
……いや、お前ら一学期の頃は俺が総合一位でも全然興味なかったじゃん。総合二位の
これ以上ここにいても面倒なだけなので、遥を連れて教室に戻る。
復学後も継続して一位を取れていたのは嬉しいが、それ以上にフラストレーションが溜まった。なんだこれ。
……というか、最近はどうにもイライラすることが多い。
外に出ればじろじろ見られるし、学校にいる間はずっと演技しなきゃならないし、ヤンデレの見張りはしなきゃいけないし、家に帰ったら
そして問題なのが、これらの大半が俺の自業自得という点だ。
登校初日の悪ふざけとしか言えないお嬢様自己紹介。
他人と関わりたくないが故のイジメ問題介入。
覚醒ヤンデレを見て見ぬ振りに出来なかった心の弱さ。
俺に全ての原因があるとは言わないが、下手を打ったことは間違いない。絶対もっと上手い立ち回り方あったってこれ。誰に責があるとかではなく、自分の愚かさが許せない。
どうにかしてこのストレスを発散したいが、最近は俺の
でも、今の俺が一人で行くと絶対変なのに絡まれるよなあ。身体能力は男の時と同等――むしろ柔軟性や足の速さなんかは見違えるぐらい上がっているのだが、それでも面倒を避けるに越したことは無いし。
……困った。気晴らしがしたい。
と、そこで、休み時間の教室に若い女性教師が入ってきた。
「赤坂く……赤坂さーん、少しお話があるのですけれどー」
「おや、私のおもちゃ二号――こほん、可奈田先生。どうもご機嫌麗しゅう。何かご用でしょうか?」
「今、先生を何か別の呼び方しませんでしたか!?」
「いいえ、そんなことはありませんわ! わたくし今、先生が来てくれてすごく嬉しいです!」
「すごくサディスティックな笑みが浮かんでいるように見えるのですけれど! ええと、とにかく! お話があります!」
教室から連れ出され、空き教室へと移動する。
当然のように遥がついてこようとしたが、先生に止められて教室で待機となった。……目上と認識している人間には一応従うんだよな、コイツ……。
静かな教室内で二人きり。可奈田先生は、簡素なプリントを差し出しつつ言った。そこに書かれていたのは……。
「生徒会役員への立候補に関するご案内です!」
「どうぞお引き取りくださいまし」
「即答!」
「おっと、お嬢様ロールが抜けていませんでした。俺そういうのいいんで帰ってください」
「わざわざ言い直さなくて良いですよ! それに生徒会役員になれば内申も上がりますし、そんなに悪いことじゃないと思うのです!」
「学年一位に内申上がるとか言われても」
「ぐっ……で、でも、赤坂くんはなんだかんだ言って輪泉さんの面倒も見てくれていますし、教室内も赤坂くんが来てからなんだかまとまっているので、面倒見の良さとリーダーシップはあると思うのです!」
「おっ、節穴――いえ、先生は優しい価値観をお持ちなのですわね。ふふっ」
「お嬢様モードで何かを誤魔化されました!」
「けど本当、そういうの面倒臭いからいいですよ。ただでさえ二学期から色々あって疲れてるのに」
「それは、まあ、先生にもなんとなくわかります。性別が変わって、色んな人からも注目されて気疲れするっていうのは……」
可奈田先生は少し同情するように顔を伏せた。
「でもだからこそ、他人に気兼ねしない、過ごしやすい環境を学校内に作ることが重要だと思うのです! 見ていた感じ、輪泉さんも少し赤坂くんに依存し過ぎな気がしますし、生徒会という、限られたメンバーしかいない場所で活動するのも悪くないと思いませんか?」
「むっ……」
……確かに、先生の言うことにも一理ある。
学校内でも遥に纏わりつかれない場所。なかなか魅力的だ。
「言われてみると良さげな気もしてきました……すいません、先ほど節穴と言ったことは取り消します」
「やっぱり酷いこと言ってたんですね君!」
「ですが、それでも素の態度で他人と接するのは抵抗ありますよ。俺、見ての通り性格悪いじゃないですか」
「それに同意するのは可哀想ですが同意せざるを得ません! しかし今、生徒会には赤坂くんの大好きな伊良部くんも入る予定なのです!」
「その言い方やめてくれます?」
「伊良部くんからは赤坂くんがツンデレだと聞き及んでおります!」
「べ、別にわたくし、伊良部のことなんて全然気にしてないですわ! 勘違いしないでくださいまし! ふん!」
「あ、そういうのやってくれるんですね!」
「でも、伊良部以外の生徒会役員とは初対面じゃないですか」
「正直な話、生徒会長は受験を控えた三年生なのでほとんど生徒会活動に参加することはありません。副会長の二人も二年生なので、一年生とは予定がズレることが多いです。伊良部くんと二人きりになれるチャンスも多いことでしょう!」
「だからそういう言い方やめてくれます?」
だがしかし、ふむ。
「わかりました、やりましょう」
「やった! ありがとうございます、赤坂くん! 会計係が埋まらなくて、本当に困ってたんです!」
「先生はなかなか話術が巧みですね。授業はそうでもないのに」
「こら!」
プリントにサインをする。赤坂 聖、と。
「赤坂くんはクラス外でも評判が良いので、絶対に就任できると思いますよー」
「そりゃどうも。それで、役員選挙っていつなんですか?」
「今日です」
「は?」
「今日の六時限目の全校集会です。それまでに演説内容とか考えておいてくださいね!」
「先生は教師より詐欺師になった方がいいんじゃないですかね?」
オチがついたのでここで区切っちゃいました。
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第9話・誰かとのやり取り
生徒会役員には無事当選した。
一応、立候補者は他にも四人いたのだが(各係に五人ずつ立候補しないと選挙が出来ないそうだ)、俺は得票率……えーと、何十パーセントだっけ。まあ過半数越えのぶっちぎりで当選した。正直見た目だけで選ばれた感じがある。
あ、あと伊良部も当選していた。まああいつは元から人気だし順当だろう。
「はぁ」
家に帰り、ため息を吐く。今日も色々と疲れた。
……しっかしこれならわざわざ気合い入れてスピーチする必要なかったな。もう適当に「頑張るので応援してくれると嬉しいです」とか言っとくだけで良かったのではあるまいか。また無意味に目立った。高校生活にやる気無いって一話から言ってんのに。可奈田先生許すまじ。次に会った時はボケ倒してやる。ツッコミ疲れで死ぬがいい。
とまあ、そんな徒労感も相まって、俺はついにゲーセン行きたい欲を抑えきれなくなった。いや、もう誰がなんと言おうとゲーセンに行く。赤坂
「男装、するか」
まず男物の服を身につける。身体の線が分かりづらいパーカーなどが中心。九月の残暑には少々暑いが致し方なし。
続いて野球帽を被ってその中に金髪を仕舞う。瞳の赤色を隠すために薄い色のサングラスもかけとこう。総合的にB系ファッションっぽくなったけど、ひとまずはこれで良し。
姿見で確認。
……うーん、流石にこれだけだと男に見えないな。本当にやるならもっと真剣にしないとダメか。
とはいえ、人間なんて姿勢と歩き方だけでガラッと雰囲気が変わるものだ。どんなお爺さんでも、姿勢が良いだけで若々しく見えるのと同じ。オーラや人柄なんてものは、多少練習すれば案外普通に作れてしまう。姿勢と歩法は演技の基本にして極意である。
小学校の時の美咲なんかも、その辺しゃきっとするようになってから本当に明るくなりだした。あいつに関しては元が良い子だったからというのもあるだろうけど。
そういうわけで立ち方を変え、部屋の中を何度か往復。
リハビリの時に歩き方を矯正したこともあって、下手に歩き方を戻すと何かしら妙な癖がつくんじゃないかと心配したが……うん、大丈夫そうだ。ガニ股になったまま戻せないみたいなことは無い。
当然ながら、元男であるがゆえに男としての歩き方は自然そのもの。これなら長時間会話するようなことがない限りは大丈夫そうだ。というか逆に、そこまでしてこっちが女だと気づかないならそいつはよっぽどの節穴だろう。
たかがゲーセン行くのに大げさな気がしなくもないが、ウチの近場の店舗はどこも妙に治安が悪い。昔はそうでもなかったんだが。
何はともあれ準備完了。夜遊びに苦言を呈する
……なんだか、久しぶりに気を張らずに外出出来ている気がする。
夜間故に人通りが少ないというのもあるだろうが、やっぱり女性の方が他人から見られやすいのだろう。軽く男装しただけで随分と違う。これからも時々男の格好で出かけてみようか。
目的地にたどり着き、絶妙に小汚い店内へ。店の前でヤンキーっぽいのが何人か
そこそこ新しい機種だったのだが、ヤンキー共のせいであんまり人がいない。対人戦に関しては期待出来そうにない。
ストーリーモードで一通りプレイもしてみたが、正直あんまり面白くない。一度乱入もあったが、初心者なのかさほど強くはなかった。
……どうせCPU戦なら、好きな筐体でやるか。
席を立ち、店の奥へ。マイナーな古い機種へと向かう。
このゲーセンにはかなり昔から置いてある筐体だ。小学生の時も、たまに伊良部や美咲とやっていた。
百円を入れて、ストーリーモードを開始。どうせこんな古い筐体で遊ぶプレイヤーもいないだろうし、一人でゆっくり――
――《挑戦者現る!》
「ん?」
誰かが対面に座る気配。
意外だ。まさかこれをプレイする物好きが俺以外にもいたとは。
しかし、所詮は試しにやってみただけの初心者だろう。無駄にこれをやり込んでいる俺に敵うはずもない。出来る限り楽しませてやろうと、手加減前提で対戦を始め――
――《YOU LOSE!》
負けた。
「……な」
このゲームは三回勝負二本先取。その内、一本目は相手に勝ちを譲った。
しかし、二本目からいきなり相手の動きが変わり、叩き込まれたのは無数のコンボ。油断していた俺は一瞬の内に敗北。
「フッ……」
筐体越しに聞こえてくる、こちらを鼻で笑うような声。……ほ、ほぉ、手加減された分際で随分と生意気な……。
俺は再度百円を投じる。
今度は最初から全力だ。持ちキャラを選んでゲームスタート。
相手のキャラとの相性が良い事もあって、序盤は俺有利に進む。しかし、認めたくなかったがどうやらこのゲームに関しては相手の方が格上らしい。どうにか一本こそもぎ取ったものの、続く二本目以降は敗北。
何度か挑戦したが、結局相手に対戦で勝ち越すことは出来なかった。
……くっそ、楽しかったは楽しかったけど、やっぱり悔しいな。
いつの間にか、財布の中身が随分と心もとなくなっている。思った以上に熱中してしまったようだ。
他のゲームもやっておきたいので、席を立ち離脱。相手に軽く頭を下げる。席に座っていたのは、目深にフードを被った女性だった。……女が夜にこんなゲーセンへ来るのは危ないんじゃないか、と思いかけたが、今は自分も女であったことを思い出す。
その後適当に見て回ったが、結局さっきの格ゲーが一番面白かった。これならもう少し付き合っていた方が良かったかもしれない。
帰ろうとしたところで、ふと、店の奥の古い
よくあるUFOキャッチャーではなく、アームを引っ掛けて景品を落とすタイプ。軽く覗いてみると、何世代前かもわからないようなアニメキャラのフィギュアが置いてあった。……完全に在庫処分用のおもむきだな、これ。
そういえば昔、美咲とこのゲーセンに来た時も同じ機種で遊んだ覚えがある。あの時は当時の魔法少女か何かのプライズフィギュアが置いてあって……俺と伊良部が少ない小遣いでどうにか取って、美咲にプレゼントしていた。そしてその後帰り道に美咲がコケてぶっ壊して三人で大喧嘩したんだった。懐かしい。
そんな思い出もあってなんとなく近寄って眺めてみるが、特にめぼしいものも無い。それに、取れそうな位置からは既に景品がなくなっている。こんな古い景品だらけでも、プレイする人間はいるようだ。
「――って、もうこんな時間か」
いい加減遅くなってきたので、そろそろ家に帰ろうと歩き出す。
自動ドアをくぐろうとしたところで、店の外から男の罵声が響いた。
「ん……?」
遠巻きに覗いてみる。
今もまだ店の前に陣取っていたヤンキー達に、一人の女性が絡まれていた。さっき俺が対戦していたフードの彼女だ。
鞄を抱くようにして、じっと怒鳴り散らす男に耐えている。……さっさと適当なヤツ張り倒して逃げればいいのに。俺がそんな風に思うのは、美咲や
無視して帰ろうとも思ったのだが、何故か気になる。
どうしてか無性にイライラする。
せっかく発散したストレスがまた溜まっていく嫌な気分。
――ちらりと振り返れば、男が腕を振りかぶっていた。
「おい!」
低い声を作って、男たちに呼びかける。それと同時に走り出した。
「あぁ!? なんだテメ――」
怒鳴り返そうとする男。
「――ェごっ、ぶっ!?」
しかし、その罵声は途中で止まる。男が怒鳴り終わるより早く、俺の膝蹴りが相手の顔に突き刺さっていた。
我ながら凄まじい早業だが、別に俺は拳法家でもキックボクサーでも無い。普通の男子――違った、普通の元男子女子高生だ。言ってて思ったが普通じゃないな。とにかく、俺は普通の男子高校生だった。そこまで並外れた身体能力を持っていたわけじゃない。体育の時だって、体力テストは平均そのものだった。
しかし、唯一特筆すべきなのが、今は女の身体でありながら男性並みの筋力を持っているという点だ。
これは『奇病』における最も奇異な特徴の一つである。何せ――
単純に運動エネルギーの公式に当てはめても、速度は男の時より十一%上昇している計算。筋密度を考慮すれば、実際の身体能力は更に高い。今の俺がトラックを走れば、それだけで日本女子新記録にさえ迫るレベル。……まあ、『奇病』罹患者のスポーツ関連は色々とデリケートなことが多いので、身体能力が普通の女性並みになる発症後半年までは公式記録が残せないのだが。
このような奇妙な性質から、性別反転を代表とする二十世紀から現れたいくつかの『奇病』達は、一部の学者達から『人類をアップデートしうる最上の可能性』とまで囁かれている。
要するに、俺は今、すごくつよい。
と言っても、複数人相手に真面目に喧嘩して勝てるレベルじゃない。速いだけで、腕力は男の時と変わらないのだ。たった今の正面奇襲で一人減らしはしたが、俺に出来るのはそこまでだ。
「逃げるぞ!」
「あ、うん!」
フードの女性に手を伸ばす。
返ってきた声は思ったより若かった。間近で見れば、背丈も随分と小柄。最初は同年代かと思っていたが、これはやもすれば中学生か。十六歳以下が夜のゲーセンに入るなよ、条例違反じゃねえか馬鹿。
女性、否、少女の手を引き、夜の街を駆ける。
最初はどうにかついてきていた少女だが、すぐに音を上げはじめる。彼女が何か荷物を庇いながら走っているせいだ。
「それ捨てろ! 追いつかれるぞ!」
「だ、ダメ! 大事なやつだから!」
「知るか馬鹿! じゃあしっかり持っとけ!」
俺は荷物を持った少女を抱き上げる。軽い。ちゃんと飯食ってんのかコイツ。
もちろん、いくら軽いからと言って人間一人抱えれば足は鈍る。
俺はすぐさま角を曲がり、細い横道に少女を降ろした。
「隠れろ!」
「え、君は――」
「いいから! 俺が囮になるからじっとしてろ!」
横道を出て、俺一人で男たちを引きつける。
……よし、郊外の方に誘導出来た。あいつらはもう完全に頭に血が昇ってる。
俺は再度角を曲がった。身を隠すと同時に帽子とサングラスを外し、ぶかぶかの上着を脱いで腰に巻く。そのまま悠々と男たちの方へと引き返す。
「くっそ、どこ行ったアイツ!」「探せ! どうせ近くにいるだろ!」
男たちは俺とすれ違い、そのまま郊外へと走っていった。
……うーむ、なかなかの低脳。姿勢と歩き方を女らしいものに変えるだけでここまで騙されるとは。
十分に離れたあたりで姿勢を戻した。金髪を帽子の中に仕舞ってサングラスを着け直し、パーカーを羽織り直す。まあ、男だと思ってた相手がいきなり金髪巨乳になれば、分からなくても仕方ないのかもしれない。
「あ、いた!」
そのままさっきの横道に戻ろうとして、フードの少女と出くわした。
どうやら、向こうも俺のことを探していたようだ。
「何やってんだお前。俺なんか探してないでそのまま帰れよ、危ないだろうが」
「き、君だって危ないじゃない! 大丈夫、怪我無い……!?」
「ねえよ。あいつらアホだったし。お前こそ大丈夫か?」
「う、うん……平気……」
何が恥ずかしいのか、少女はわずかに俯きながらボソボソと呟く。つーか本当に小っちゃいな、声も背も。俺だって女になってから身長いくらか縮んでるのに、それでも少女を見下ろす形になっている。その上で彼女がフードを目深に被っているので、全然顔が見えない。
少し屈んで覗き込んでみようとしたが、さっと顔を逸して避けられた。なんだ。そんなに嫌か。
「送ってくけど、家は?」
「だ、大丈夫! 一人で帰れるから……」
「帰れるように見えないから言ってるんだろうに。家知られたくないんだったら、途中まででいいから送らせろ。とりあえずあっちの方いけば明るいし、変なのに絡まれることもないだろ」
「ぅ……わ、わかり、ました……」
少女と共に、人通りの多い方へと歩いていく。
「あんまり女の子一人で夜に出歩くなよ。あのゲーセンなんて見るからに治安悪そうだったじゃねえか」
「む、昔はあんなんじゃなかったもん……」
「何年前の話してんだ。どうしても行きたいんだったら彼氏でも連れてけ」
「ひゃひっ!? い、いない! いません! カレシとかっ!」
「いや、それを頑なに否定する必要は無いと思うんだが……」
……彼氏なあ。
いくら男装してたって、俺の身体が女性のものであることには変わりない。そのうち身体能力も下がっていく。そうしたら、こうして一人で夜歩きも出来なくなるわけだ。うわー面倒臭い。とりあえず伊良部でも彼氏役にしとくか? 嫌だなあそれ。アイツだってお断りだろう。
と、考え事をしていると、少女が俺の横顔をじっと見ていることに気づいた。
……ああ、女だってバレたか。いやあなた私のこと言えないじゃん、とか、そういう視線だろう、これは。
「……まあ、いいや。ほら、この辺りならもう大丈夫だろ。じゃ」
「えっ、あ、はい! その、ありがとうございました!」
少女がぺこりと頭を下げた。俺はそれを見てから振り返って、家の方へと歩いていく。
「…………」
少し歩いたところで、なんとなく、少女の方を振り返った。
彼女は後ろを向いて、早足でどこかに去っていくところだった。一瞬だけ少女の顔が見えた気がしたが、遠目なのでよくわからない。
……もしかして、あれ……いや、違うか。
美咲とは雰囲気が違うもんな。
※
私は彼が歩いていくのを見送って、下げた頭を上げた。
くるりと振り返り、足早に家の方へと向かう。
……どうしよう。まだ心臓がどきどきしている。
あんな漫画みたいなこと、本当にあるんだ。
思い出すと顔が熱くなる。女の人みたいに綺麗な顔をした男の人。……あれ? 男の人だよね? うん、「俺」って言ってたもんね。夜に女の子一人じゃ危ないとかも言ってたし。女の人だったらあんなことは言わないだろう。物腰や歩き方も男の人っぽかったから間違いない。
「……あ」
自分の背中が少し丸まっていたことに気づいて、慌てて背筋を伸ばす。地元に帰ってきたせいで気が抜けていたのかもしれない。
近くのお店のガラス窓で自分の姿勢を確認する。
よし、大丈夫。人間っていうのは、少し姿勢を直すだけでガラッと雰囲気が変わるから不思議だ。
……でも、あの人と別れた後で今更姿勢を直しても遅かった気がする。暗そうな子だと思われただろうか。というかどうしよう、名前も連絡先も何も聞いてない。恥ずかしくてテンパって、何もかも頭から抜けてしまっていた。
普段ならあの程度の不良ならどうにでもなったのに、荷物を持っていたせいで慌ててしまったし……。前も、私がはしゃいで転んだせいで壊してしまったから、これを持ったままあまり激しく動き回るのは躊躇われた。本当ならそんな壊れやすいものでもないのに。
正直、今更これが欲しかったわけでもないのだけど……結局、私はあれを壊したことを彼らに謝ることが出来なかった。それがずっと心残りで、だからゲームセンターでこの景品を見つけた時、つい百円を入れて取ってしまったのだ。……でもどうしよう、高校生にもなってこれを部屋に置いておくのはちょっと……。
「あ」
いつの間にか家についていた。引っ越し直後で真新しい「
「ただいまー」
「おかえり、美咲。こんな遅くまでどこ行ってたの? 週明けから新しい学校で、色々することも多いのに……」
「ええと、ちょっとね」
「もしかして聖くんとでも会ってたの? それとも
「会ってないよ! あの二人はただの幼馴染だから! それに、もし好きだったとしても小学校の時の知り合いが三年経ってもまだ好きとかありえないよ。流石にちょっと気持ち悪い」
「まあ、それもそうかしらねえ。それにあの子達って昔から頭良かったし、紙園より上のとこ行ってるわよね」
そんな風にお母さんと話しながら、私は新しい自分の部屋へと向かう。
数年前の魔法少女シリーズのプライズフィギュアを鞄から取り出す。フィギュアの保管場所に悩みながら、私、三日月美咲は週明けから紙園学園へと通う準備をするのだった。
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第10話・転校生とのやり取り
翌朝。
男の時に比べると朝の支度も何手間か増えたが、基本的な部分は変わらない。
起きて、トイレ行って、飯食って、歯磨いて、顔洗って、以下略。
寝間着にしているTシャツを脱ぎ、吊るしてあるブレザー制服を手に取る。
ここ最近は色々と衝撃的なことが多かったので、いつの間にか女子制服にも慣れてしまった。すまない、嘘だ。二学期からそれなりに経ったが、未だに慣れない。
というか、心のどこかで「こんなもんに慣れたかねえ」と思っているのだ、俺は。最近になってようやくそれに気づいた。
思えば、俺は昔から
だが、それはそれとしてそろそろ諦めみたいなものを抱きつつあるのは事実だった。
さらりと淡い金色の後ろ髪を梳き、自分のスイッチを切り替える。はい、
無意味に滑らかな動きで寝間着を脱いで、無意味に優雅な所作で制服を着ていく。
髪をハーフアップに結わえて準備完了。両手で鞄を持ち、出陣する。
「あ、聖くん! ちょうど良かったお弁当――って、おやぁ?」
しかし、ここで弁当を用意していた
エプロンをつけた兄嫁は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら俺の顔を覗き込む。
「……(ほらっ)……! ……(例のやつ)……! ……(かもんっ)……!」
ちょいちょい、と何かを期待するような仕草で自分を指差す
俺は静かにため息をつきつつ、わずかに困ったような笑みを浮かべて言う。
「おはようございます、
「
「ありがとうございます。正直テンション高くてウゼェですわ」
「ちょっと聖お嬢様ー?」
弁当を受け取る。あー微妙に眠たかったのに一気に目が覚めたわこれ。
日傘を開いて家を出る。
そろそろ季節も秋めいてきたが、残暑はまだしぶとく残っている。俺の肌はまだ弱いままなので、日光対策は今しばらく必要だ。何日か前に傘を忘れていったら後で肌がひりひりと赤くなって酷い目にあった。冬になるまでは日傘と日焼け止めが手放せないだろう。
「あ、おはようございますお姉さま! あは、朝から奇遇ですね!」
「ええ、おはよう
隣町に入ったあたりで、どこからともなく遥が現れる。
朝から奇遇とか言ってやがるが、そもそもこいつの家は学校を挟んで反対方向。どうやったって俺の通学路と重なるはずがない。
こいつは、毎日この辺で俺を待ち伏せしているのだ。ここまで回り道をするのは遥にとっても結構な負担なはずなのだが、何日か前に一時間早く家を出た時も、こいつとこの場所で出くわした。一体何時間前からここに張り込んでいるんだろう。怖い。
家に直接来ないのは、以前正しい意味で自宅を警備していた
遥と連れ立って学校に登校し、一年F組へ向かう。
昨日の生徒会選挙のせいか、今日はいつもより視線が多い。こら、やめないかそこの男子。勝手に人を学内アイドルに
教室に到着した。一部のF組メンバーからわずかに緊張の気配が発せられ、「今日も来やがったか……」という視線が俺のすぐそばのヤンデレに突き刺さる。が、遥はまるで意に介さない。
遥の本性を察せていない鈍感なクラスメイト共と上っ面な会話をしている内に、始業開始のチャイムが鳴った。
「おはようございます、可奈田先生ですよー。はーい赤坂さん、私の顔を見て露骨に嬉しそうにするのはやめてくださいねー。そして輪泉さんはやたら剣呑な目つきで先生を睨むのをやめてくださいねー! よくわからないですけど、多分何かが違うと思いますからー!」
俺は何も言っていないのに朝から好調なツッコミであった。
「そして今日はなんとですね、F組に転校生さんがいらっしゃるのです!」
クラスメイトの視線が俺に突き刺さる。F組にとって、転校生といえば俺のことだ。実際には転校生でも何でもないんだけども。
だが、そういえば確かに可奈田先生が『全くもう、転校生さんが来るのは十月の予定だったのに、一ヶ月もズレているではないですか!』とか、始業式の時に言っていたのを思い出す。忘れていた人は四話を参照。
「あ、みなさん違いますよー。赤坂さんのことではなく、今日新しく転校生さんがこのクラスに入るのです! いや皆さん、『あ、そう……』みたいな顔しないでくださいね! こらそこ、露骨に『またかよ』みたいな態度を出さない! 転校生さんに失礼でしょうが! どうしてくれるんですか赤坂さん! あなたのせいで盛り下がってますよ、このクラス!」
知るかよ。いや、確かに俺のせいだけども。
「えー、コホン! それでは色々とハードル上がってしまいましたが、どうぞ!」
バラエティ番組の司会者のようなノリで、可奈田先生が転校生を呼ぶ。
しかし、クラスメイトはもはや興味もなさげだ。俺も正直どうでもいい。
自分で言うのもなんだが、先に来たのが金髪赤眼の美少女お嬢様だ。こんなアニメにしか出てこないような存在に勝てるキャラクターなどまずいない。
完全に弛緩した空気の中、教室の扉が開いて――
「――――」
――息を、呑んだ。
それは俺がやったような、劇的な――正しく『劇』的だった登場とは違った。
自然体の、普遍的な登場。
実際、俺のように時間が止まるほどの衝撃を受けたクラスメイトはいなかった。
それでも、何故か彼女の姿は教室中の視線を一身に集める。
楽しげに、弾むように歩いてくる小柄な体躯。
ぴょこぴょこと、可愛らしく揺れるポニーテール。
無垢な笑顔を輝かせる愛らしい顔立ちは、どこか小動物的な庇護欲を抱かせる。
教壇の中心に立って、存分に元気を乗せた声で彼女は言った。
「――はじめましてっ、今日からこのクラスでお世話になる
華やかな笑みに、心を撃ち抜かれる。
心臓が高鳴る。
景色の色が変わる。
可奈田先生が何やらどうでもいいことを説明していたが、俺の耳にはもう何も聞こえてこない。ただ、ぼぉっと美咲の姿を見つめていた。
俺の席の二つ隣、
三年ぶりに見た美咲は、あの頃よりずっと成長していた。当たり前だ。もう高校生なのだ。それでも、彼女の彼女らしさは何一つ損なわれていない。むしろ、あの頃よりずっとずっと輝いて見える。
短かったポニーテールは背中のあたりまで伸びていて、溌剌な印象を抱かせながらもあの時よりずっと女の子らしい。
背丈は小柄で、体つきも華奢なままだけれど、小学生の時とは比べ物にならないぐらい少女的。抱きしめたくなるような愛らしさに満ちている。
あの頃はズボン姿で遊んでいたのに、今の美咲は真新しい紙園学園のブレザー制服を身にまとっている。その姿が本当に本当に可愛くて、どうやっても彼女から目が離せない。釘付けになるとは正しくこのことだった。
けれど、彼女がこちらを見返してきたことでそれは終わった。
美咲が不思議そうにこちらを見て、にこっと嬉しそうに微笑む。顔が火が噴きそうなくらい熱くなって、俺は思わず目をそらした。
わからなかった。どうして、美咲に見返されることがここまで恥ずかしいのか。いくら好きだからって、三年経っていたって、だからってこんな……。
だが、疑問は即座に氷解した。クラスの男子が小さな声で交わす『赤坂さんと転校生、どちらの方が可愛いか』という会話。
俺はおもむろに自分の体を見下ろす。視界に入ったのは、チェック柄の短いプリーツスカート。初めてこれを着た時以上の羞恥が、体の底から湧き上がる。
片思いの相手に、自分の女装姿――いや女装ではないのだが――を、見られたという事実。それを認識してしまうと、自分の、長く伸びた淡い色の金髪も、アニメキャラのような赤い眼も、日本人離れして白い肌も、女性性に溢れるモデルのような肢体も、異様に整ってしまった顔立ちも、今になって急に恥ずかしくなってくる。
頭の中が混乱して何もわからなくなり始める中、HRが終わって、一時限目が始まるまでのわずかな休み時間。
美咲はクラスメイトに囲まれて会話していた。矢継ぎ早に繰り出される質問へと楽しげに答える彼女だったが、ふと、思い出したように自分の方から質問を口にした。
「そういえば、このクラスの名簿に、赤坂 聖って名前見つけたんだけど……」
鼓動が跳ねた。にわかに滲み出す冷や汗。
「え、三日月さん、赤坂さんと知り合いなの?」
「うん、幼馴染! でも、多分聖くんは別の学校行ってると思うし、クラスにもそれっぽい人いないし……」
「それって男子? だったら別人だよ、ほら、赤坂さんってあそこに座ってる金髪の子だし」
美咲がくるりと振り返って、こちらを見る。
立ち上がり、こちらに歩いてくる彼女。もはや全身から火が出そうだった。
「あの、赤坂さん? さっきも言ったけど、三日月 美咲です! 私の幼馴染と同じ名前だったから、つい気になっちゃって……」
「……ゃ、やめ……駄目、ストップ!」
「へ? どうし――」
「いいからこっちを見るなぁっ! 死ぬ!」
「なんで!? え、本気でどうしたの!?」
「とにかく――あ」
ぬるっ、と。
美咲の背後に、ヤンデレ狂犬・遥が形容しがたい動きで現れる。
「よくわかりませんが、お姉さまを死なせるなら――誰であろうと、殺す」
「待っ……!」
遥が制服の袖口からカッターナイフを取り出す。
美咲がきょとんとした顔で振り返る。鋭利な刃が、その無防備な体へと振るわれ――
「わっ、びっくりしたぁ……」
――そしてその次の瞬間、砕け散った。
「え」
「危ないでしょ、もう!」
美咲が少しお姉さんっぽい口調で遥に言った。
同時に、すり抜けるような動きで近づき、すれ違う。その両手には、いつの間にか遥が持っていたのであろう危険物が全て収まっていた。
「な、に……!? か、返して――」
「駄目! 没収だよこんなの!」
ドゴンッ! と凄まじい音が響く。
それもまた、一瞬だった。
コンマ一秒前まで美咲に飛びかかろうとしていた遥が、まるでコマ送りのように、大きなたんこぶを作って教室の床に突っ伏していた。
クラス内に混乱が広がる。静まり返る教室。美咲が「ご、ごめんなさい、やり過ぎた!?」と、慌てたように言う。そして……
『お……』
そして、遥の脅威を知る、一部F組メンバーが口を開く。
『おおおおおおおお! 救世主だぁああああああああっ!』
「え、何!? どうしたんですか!? あ、赤坂さん、これ……赤坂さん!? あの、授業もう始まるけど!」
混乱する美咲に何も言えず、俺は教室から逃げ出した。
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第11話・転校生とのやり取り②
「と、いうことがあったんだが」
「美咲ちゃん強すぎない?」
「そりゃ
教室から逃げ出し一時限目をサボタージュした俺は、生徒会室で
ため息を吐きながら、少し前から持ち歩くようになった手鏡を取り出し、自分の顔を確認する。金髪赤眼の整った美少女顔。少しづつ見慣れてきた自分の顔だが、今だけはどうしても恥ずかしい。しっかりと施してしまったナチュラルメイクが羞恥心を煽ってくる。これを自分でやったという事実が、余計に頭を茹だらせた。
「なあ伊良部、どうすればいい? 本当に恥ずかしいんだけど、今の姿で美咲と顔合わせるの」
「どうって……どうしようもないじゃん。とりあえず授業には出なよ。ただでさえ病気のせいで単位ヤバいのに」
「それが出来ないから相談してるんだよ!」
俺は片手で頭を抱え、もう片方の手で生徒会室の長机を叩いた。ドンという衝撃により、「生徒会会計」と書かれたプレートがわずかに動く。
「そうは言ってもね……この際だし全部バラしちゃえば? その
「ふざっ――ふざけんなお前! そんなことしたら絶対ドン引かれるだろ! どうでもいい他人ならともかく、美咲に引かれたらその場で死ぬぞ、俺は!」
「えぇ……大体自分でやっといて今更そんな……」
伊良部は呆れた顔でため息をつく。そして、いかにも適当な調子で言う。
「じゃあそのまま演技してればいいんじゃないの? これまでみたいに隠してればいいじゃん。役に入ってれば恥ずかしくないんでしょ」
「それは……そうかも、しれないけどさ……」
「……今でも好きなんだっけ、美咲ちゃんのこと」
「ぐっ……そ、そうだよ」
「じゃあ、隠したままってわけには、いかないか」
「……でも、隠さなかったとしても、どうにもならない、よな」
静かに肩を落とす。どんよりとした雰囲気が自分から出ているのが分かった。
「だって、女の身体だぞ、俺。どんなに好きだって言っても、断られるに決まってる」
「そんなことは……」
「自分の立場に置き換えてみろよ、伊良部」
俺は伊良部を諭すように説明する。
「例えばの話だ。お前がどっかの高校に転校したとする」
「うん」
「で、転校先のクラスに知らないイケメン男子がいたとする。筋肉ムキムキで背の高い、態度もキリッとした男の中の男みたいなやつな」
「うん」
「そんでもってお前はそいつにいきなり呼び出される。伊良部はすわ決闘の申し込みかと怯えつつ、恐る恐る校舎裏に赴く」
「うん。なぜ話の中の僕がそういう考えに至ったのかは分からないけど、うん」
「そしたらそいつが内股でもじもじしながら『実はワタシ、元々女の子で、伊良部くんの幼馴染の○○なの! ずっと前から好きでした、付き合ってください!』って言ってきた。お前ならどういう反応を返す?」
問いかける。
伊良部は口元に手を当て、二秒ほど黙考した。
そして一言。
「……うーん……」
「ほらぁ! そんなリアクションになるだろもう! わかってるんだよそんなことは!」
俺は金髪を振り乱して長机に額を叩きつける。伊良部は慌てたように弁明した。
「い、いや、でも、美咲ちゃんは違うかもしれないじゃん! 実はあっちも聖くんのこと好きかもしれないし!」
「ねえよ! 小学校の時から一度も会ってない相手が高校生になってもまだ好きとか有り得ねえだろ!」
「自分のことを棚に上げたね今! あー、けどほら! 三年会ってない間に、美咲ちゃんが同性愛に目覚めてたりするかも!」
「だとしても無理だろ! 見ろ俺を、中身完っ全に男! どんなに見た目が女の子でも、中身がこれじゃどうしたって萎えるわ! お前だって、別に俺に対してエロい気持ちになったりはしないだろうに!」
勢いよく同意を求める。
しかし、伊良部は何故か一瞬沈黙した。ヤツはキョドったように視線を逸し、にわかに冷や汗をかきながら答える。
「……う、うん、まあ、ね」
「おいちょっと待て」
「いや、全然全然! 聖くんは親友だよ!? そんな、性的対象になんて見れるはずないって!」
「お、おう……お前そういう、ガチっぽいトーンで答えるのやめろよ……心臓に悪いな……」
俺と伊良部はどちらからともなく咳払いをし、妙な雰囲気を振り払う。
「でもさ、やる前からそうと決めて諦めるのも違うでしょ。これまでに『奇病』に罹った人は聖くん以外にもいるし、そういう人たちが一生パートナーに恵まれなかったわけでもないんだから」
「う……それは、そうかもしれねえけど……」
「一旦美咲ちゃんに聞いてみようよ。それからでもきっと遅くないって」
そういうわけで、伊良部が俺のクラスメイト相手に電話する。
「……うん、ああ、
電話を切った伊良部がこちらを見て頷く。
俺はそれに頷き返し、扉の外を指し示す。
伊良部が生徒会室の外に出て、扉の前で待機。
俺は生徒会室の中で扉に耳を当て、美咲が来るのを待つ。
しばらくして、廊下を小走りで向かってくる軽い足音。俺は耳に意識を集中する。
「
美咲の声だ。何とも楽しげに伊良部を呼ぶ響きに、少しジリッとしたものを感じてしまう。
頭を振って雑念を払い、二人の会話に耳をそばだてる。
「久しぶり、美咲ちゃん。小学校以来だね。僕の方は大して変わってないよ」
「それにしても、驚いちゃった。智くん頭良かったから、紙園にいるとは思ってなくて……」
「あはは、まあ、紙園学園が家から一番近かったからさ。どうせ大学に入るんだし、それならわざわざ遠い高校に通う必要も無いかなって」
舐めた口を利く伊良部。お前俺より成績下のくせしてお前。気持ちはわからんでもないけども。
「そうなんだ、なんかすごいねえ」
ぽわんとした感想を返す美咲。可愛い。
「あ、そういえば聖くんはどこの高校行ったの? 紙園じゃないよね?」
どきり、と心臓が跳ねた。
紙園に通っていることは隠しておきたい。まあ、これぐらいなら伊良部が適当に誤魔化してくれるだろう。
「え、あー、聖くんは……その……えっと……。……うん……」
いやアドリブ下手くそかお前。
「? どうしたの?」
「ひ、聖くんは……。……えー……病気で……。……くっ!」
「え、何!? 何があったの!? 聖くん大丈夫なの、ねえ!?」
伊良部……! 馬鹿……! 伊良部……ッ!
「あ、ああ、ごめんごめん……。今はもう大丈夫だよ、退院して元気にしてるから」
「そうなんだ、良かった……」
親友の大根っぷりに頭が痛くなるものの、美咲が心配してくれたことに心が弾む。
「み、美咲ちゃんの方はどうだった? ほら、好きな人とか……」
「ええ? ないない! 私みたいなちんちくりんに彼氏とか出来ないって!」
何言ってんだ、美咲が彼氏募集したらそれだけで王国が出来るぞ。
「そうかな、小学生の時とか聖くんといい感じだったと思うけど」
来た。
俺はハラハラとした気持ちで、美咲の返答に耳を澄ます。
「そう? あーでも、言われてみればそうかもね。男子じゃ一番仲良かったし――」
思わず身じろぎする。これは、もしや……!
「――でも、今は別にだよね。小学生の時から一度も会ってないし」
「ガハッ……!」
「? 今何か吐血音しなかった?」
膝を立て、崩れ落ちる。物音を立てないように細心の注意を払ったが、口からわずかに音が漏れた。
「き、気のせいじゃないかな……えーと、じゃあ、美咲ちゃんって、男子に興味とかは無い人なんだ」
「え、普通にあるよ? 別に同性愛者でもないし」
「こふっ……!」
「? 今何か喀血音が……」
矢継ぎ早の連続ダメージを喰らい、床に倒れ伏す。物音を立てないように細心の注意を払ったが、やはり口からわずかに音が漏れた。
「あと、それに私、今ちょっと気になってる男の人いるから……」
――――。
心臓が、止まった気がした。
その後、伊良部と美咲はとりとめもない近況報告を交わしていたが、俺にとってはもう、どうでも良かった。
「じゃあ、またね! 今度聖くんも呼んで、暇な時に同窓会みたいなことしようよ!」
「あ、うん。またね、美咲ちゃん……」
伊良部が返事を返し、軽い足音がたたたと廊下を去っていく。
美咲が去り、空気が静まり返る。
二時限目開始のチャイムが聞こえてきたが、伊良部も俺も、教室に急ぐことはしなかった。
「……えっと、聖く――し、死んでる……」
扉を開けて、倒れ伏したまま動かない俺に慄く伊良部。
「…………」
「その、さ。元気出して……」
「……もう、帰る……」
「いや駄目だって! 単位ヤバいんだから! ほら、自販機でコーヒー奢るから、早く二時限目行かないと!」
伊良部に肩を貸してもらいながら、俺はふらつく足取りで教室へと向かうのであった。
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第12話・転校生とのやり取り③
そろそろ毎日投稿が厳しい……!
……行きたくないなあ、教室。今のこの気持ちで一体どう美咲と顔を合わせろと?
「はぁ……」
ため息をつきながらプルタブを上げる。
口の中に広がる無糖の苦味。いつもの五倍ほど苦く感じるそれを、顔を上げて一気に飲み干した。
カフェインがすぐさま脳に効き始める。ダダ下がりになっていたテンションが強制的に上がりだした。俺は空き缶をトラッシュボックスに投げ入れ、親指で唇の端を軽く拭う。
よーし、ぐだぐだ悩んでいてもしょうがない。
とりあえず、キャラに関してはいつものお嬢様でいこう。
ここで俺が聖だとバラして美咲に余計な気を遣わせるのは嫌だ。あいつは優しいから、俺がクラスから孤立するようなことになれば絶対にどうにかしようとお節介を焼いてくるだろう。
それぐらいならもういっそ、他人として振る舞う方がいい。俺としても、しばらく美咲とは距離を取りたい。
いずれカミングアウトしなければならない時は来るだろうが、それは別に今日でなくたっていいはずだ。やるならもっとこう、伊良部とかと相談して、ちゃんと場を整えてからにしよう、うん。
「よし……」
かきあげるように後ろ髪をさらりと梳く。なんとなく始めたこの仕草も、今ではかなりルーティーン化してきた。条件付けの如くスイッチが切り替わり、意識が役へと入り込む。
「申し訳ありません、少々遅れました」
何事もなかったかのように扉を開けた。
教室中から突き刺さる視線。その中には当然、美咲のものも含まれている。……大丈夫、オーケー。この程度で演技を揺らがせる俺じゃない。カフェインによるブーストがよく効いている。
数学教師が怪訝そうな目を向ける中、俺は悠々と自分の席へと戻っていく。
が、その途中で美咲に小声で話しかけられた。
「あの、赤坂さん、大丈夫だった? 私、何かしちゃった……?」
「……な、何でもありません、わ、よ。ききき気にしないでください、まし」
「明らかに何かがあったよね!?」
クソッ! やっぱり好きな子相手にお嬢様言葉で会話するのは流石にキツい!
俺は再度後ろ髪を勢いよくかき上げ、恥ずかしさを誤魔化すために勢いよく叫ぶ。
「何でもないと言っているでしょう! しばらく話しかけないでください!」
「ええ……? よ、よくわからないけど、ごめんね?」
「何を謝っているのですか! あなたは何も悪くありません、単にわたくしがあなたと口を利きたくないだけで!」
「そっちの方が逆にショックなんだけど!?」
「あと、自分に落ち度がないと思っているのになんとなく謝っておくというのはよくありませんわ! 自分がやったことを認識していないのに謝罪するのは、相手に対しても失礼です!」
「す、すいません!」
「だから謝らないでと言っていますのに! そういうところですわよ、パッと見明るそうに見えて根は引っ込み思案の三日月 美咲!」
「この短いやり取りで既に私の人柄が看破されてる!」
「か、勘違いなさらないで! あなたのことなんて、小学三年生の頃の夢が『スーパーサ○ヤじん』だったことぐらいしか知らないのですから!」
「むしろ何故それを知っているのかひたすらに疑問なんだけど!」
「……ただの当てずっぽうですわ!」
「凄まじい直感力っ!」
そこで、数学教師がごほんと咳払いをした。俺と美咲は慌てて口をつぐみ、自分の席で授業を聞く態勢へと戻る。
俺は授業を半分聞き流しながら、こみ上げる想いを外へと出さないよう必死に押し留めていた。
それにしても、チクショウ……なるべく距離をとっておこうと決めた矢先から……! そしてあんな会話でさえ、久しぶりに美咲と話せたことに喜んでしまっている自分がいる……!
いや、喜んでちゃダメだ。俺はぎゅっと目をつむり、自分の額をシャーペンで小突く。
例えどんなに好きだったとしても、俺はもう美咲と恋仲になることなんて出来ないのだ。美咲には既に好きな相手がいる。俺がいつまでもこんな風に未練を抱えているわけにはいかない。
初恋を三年も引きずったんだ、もう十分だろう赤坂 聖。ここですっぱりと諦めなければ男らしくない。今女だけど。
だが、未練とはそう簡単に断ち切れないからこそ未練なわけで。
「…………。……っ」
無意識にちらちらと美咲の方に視線をやってしまう。あちらもあちらでさっきのやり取りを気にしていたのか、不意に目が合ってしまった。
俺は慌てて顔を逸し、授業に集中する。
教科書と黒板しか見ないように意識していたのだが、ふと、クラスメイトの囁く声が耳に入ってくる。
「……ねえ、赤坂さんと転校生の子、なんかいきなり仲悪くない……?」
「やっぱ朝のアレだろ……自分の取り巻きがいきなりボコられたからキレてんだって、絶対……」
「あー、ああ見えてプライド高そうだもんね、赤坂さん……」
何もかも間違ってるぞ。お前らそんなんだから遥の本性未だに見抜けねえんだよバカ。事情知ってるF組メンバーもそろそろ説明してやれ。
……だが、この際あいつらの言う通り、俺が美咲を嫌っているということにしてしまったほうがいいのかもしれない。
そうすれば美咲だって俺には関わってこないだろうし、俺だって美咲のことを諦められ――いや諦められるのか、俺……? だって三年も初恋引きずってたんだぞ……今さら嫌いなフリした程度で冷めるか、この重過ぎる片想い……?
――いや、違う。
俺は小さく頭を振る。
諦められるのか、ではなく、諦めなければならないのだ、もう。
美咲だって、女になった男に好かれるとか気持ち悪いに決まってる。あいつには好きな人だっているのだ。俺みたいな中途半端な人間が今さら美咲の傍にいるわけにはいかない。
それに何より……美咲は、今も絶対に優しいから。俺に叶わない想いを抱かれていることを知ったら間違いなく心を痛める。あいつは何も悪くないのに。
だから、この好意だけは絶対にバレないようにしよう。
俺は静かに決意して、この片想いを諦めることを誓ったのだった。
……そういや、美咲が気になってる男って一体誰なんだろ。
ちょっと短めですが、プロローグに至るまでのストーリーは終わったのでここで一区切り。
次回は少し時間が飛んで、プロローグの後からのスタートです。
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第13話・ヒロインとのやり取り
今回はプロローグからの続きです。一応確認しておくと話がわかりやすいかも。
ライトノベル半冊分にも至りそうな長い長い回想を終えた俺は、昼休みの生徒会室でぼそりと呟く。
「――ここまでが、最初のプロローグに至る一連の流れだ」
「え、何? 急に何の話?」
「いやこっちの話」
あの後、美咲はF組の一部メンバーを起点として、一気に学園中へと名を馳せた。
まあ当然のことである。元より美咲は可愛くて、性格が良く、スポーツも万能で、コミュ力も高い、俺なんぞとは比べ物にもならない最強最高の美少女なのだ。人気にならないはずがない。
当然、俺としても赤坂
俺は美咲がより人気になるよう裏からこっそり手を回し、彼女を後押し。結果、美咲はわずかな期間で
「……なぜ俺まで学内アイドルと化しているのか。これがわからない」
「そりゃ、美咲ちゃんの人気が上がったからって、聖くんの人気が無くなるわけじゃないし。あと、輪泉さんをノーマークにしちゃったのが痛かったよね」
「クソ、おのれヤンデレ……!」
俺はギリリと歯噛みする。
そう、遥は、美咲が俺より称賛を得ていくのを、黙って見てはいなかった。
当初は直接美咲を亡き者にしようとしていたらしいが、遥が戦闘能力で美咲に敵わないのはご存知の通り。
安心した俺はこれまでずっと続けていた遥の監視を辞め、美咲の学内プロデュースに奔走した。しかし、遥はその間まるで対抗するかのように俺の学内プロデュースを進めていたのだ。
「本当に、あらゆる面で厄介だな、アイツ……」
しかしなんで遥のやつはこういうことを相手に許可も取らずにやるのか……。勝手に人気者にされて、相手が困るとは思わないのだろうか。想いが鬱屈としたまま暴走して、相手のことを考えられなくなった人間はこれだから困る。大体、同性相手にそんなに重い好意を抱いてどうするというのだ、全く。
「…………」
「ん、どうした伊良部」
「いや別に」
あと、
遥を恐れていた彼らは即座に圧倒的戦闘力を持つ美咲の支持者となったのだが、美咲側につかなかった鈍感なF組メンバー達は違う。彼らは俺が知らない間に次々と遥に取り込まれていき、学園内で徐々にその勢力を拡大。そして俺が気づいた時には遥を中心に赤坂 聖を支持する一大グループが結成されてしまっていたのだ。
こうして、俺のほうが早くこの学校に現れていたこともあり、学園内の人気は最終的に二分。紙園学園は赤坂 聖と三日月 美咲、二人の学内アイドルが
俺は深くため息をついて、会計係の椅子から立ち上がる。
「まあ、良いや。過ぎたことをぐだぐだ言ってても仕方ない。もうなるようになれだ、こんなもん」
「片想いが実らないとわかった瞬間、色々と投げやりになったね、聖くん」
「うるせえ」
着崩していた制服や、崩れていた髪を整え、生徒会室の扉に手をかける。
「あ、聖くん。ついでに作り直した部活動予算の書類、職員室に出してきてよ。僕、今日は生徒会室で食べるから」
「まだ昼食べてなかったのかよ。それなら俺がやっといたのに……」
「いやあ、思ったより作業の量が多くって。そろそろ食べないと午後の授業に間に合わないから、よろしく」
「おう、了解」
伊良部が書き直した部活動予算に関する書類を持って、俺は生徒会室を後にした。
※
私は、肩を落としながら学校の廊下を歩いていた。
「……はぁ」
生徒会会計である赤坂さんに頼み込んではみたけど、結局、陸上部の予算調整に関しては通らなかった。
一応、最低限必要な予算だけは学校側から支給されるので、部活動が出来なくなるわけじゃない。
けれど、その他の雑費に関しては生徒会の采配で決定される。そのため、ギリギリの予算しかない今期の陸上部は、これからかなり窮屈な活動を強いられることになるそうだ。
……陸上部の人たちは気にしていないと言ってくれたけど、やっぱり心苦しい。
私は基本的に他人に頼られるのが好きだし、他人の助けになれるのも好きだ。
昔から周りの人達に妹扱いされてしまうことが多かった私は、誰かに頼られると必要以上にお姉さんぶって何でも引き受けてしまう癖がある。
しかし当然、そうやって頼み事をどんどんと引き受けていけば、今日みたいにどうにもならなくなる時も来る。どう取り繕ったってメンタルが豆腐な私は、そうして失敗する度に酷く落ち込んでしまうのだ。
いや、運が悪くて失敗する分にはまだいい。でも、今回の失敗に関しては正直目に見えていた。
よりにもよって、頼み事の相手が私のことを嫌っている赤坂さんだ。
あれほどの美人にはなかなか話しかけづらいという気持ちは分かるけれど……私に頼んだのは絶対に人選ミスだと思う。「あの赤坂さんに意見できるのは美咲さんしかいない」なんて言われて、ほいほいと引き受けてしまった私も私だけど。
というかそもそも、あれほどの美人と対等に扱われているというのがむず痒い。
そりゃ私だって、可愛いって言われたら嬉しいし、みんなの人気になるのも嬉しい。
でも私のそれは赤坂さんとは違ってもっとこう……マスコット的なものだと思うのだ。
さっきも言ったみたいに、みんなの妹とか、ペットとか、そのへん。前の学校でも実際そんな感じだった。決して憧れの美少女とか、美人とか、そういうのじゃない。
だから赤坂さんと比べれば月とすっぽん――とまでは言わないけど、月とアルマジロとか、多分そのぐらいの差がある。アルマジロも可愛がってくれる人はいるだろうけど、決して月と対等ではない。
……いや、そもそもあんな創作の世界から抜け出してきたような子と、対等な女子が果たしているのだろうか。
あれほどの美少女、テレビでだってそうそう見ない。眩しいくらいに顔が良い。金髪赤眼という幻想じみた特徴に、モデルのように派手で、かつ均整なボディスタイル。成績においても学年一位で、立ち振る舞いもまるで役者のように堂々としている。少し気を抜けば暗くなってしまう私とは全く大違いだ。
……言ってて思ったけど、どんな超人だろう、これは。
創作のような、どころか、完全に創作の人物だ。
そしてなんでそんな人に嫌われて、対抗馬にまでされているんだろう、私は。
根っからの卑屈さを思いっきり発揮し、鬱々とする。
この卑屈さに関してはもう、小学生の頃から全く変わっていない。というか人間なんて、そうそう変わるものじゃない。たとえ何年経ったって、見た目がどんなに変わったって、根っこの部分はそう簡単に変化したりはしないのだ。
「つまり、何をしたって私の心は豆腐……崩れ豆腐……」
もはや
今の状態で誰かから冷たくされたら今度こそ泣きそう……と、弱々しいことを考えながら職員室に向かう。
担任の可奈田先生なら優しいし、赤坂さんと仲も良いから、予算に関して話を聞いてくれるかも。そう思って、職員室に続く廊下へと向かっていき――
「あ」
「う」
――またもや、金髪赤眼の美少女と遭遇した。
「さ、先ほどぶりですわね、三日月さん」
「う、うん……」
赤坂さんは何かの書類を持つ手を腰に当て、後ろ髪をさらりと梳きながら、こちらを見下ろすように言う。私は完全に萎縮して、呟くように小さく答えた。
……正直、あまり顔を合わせたくない。きっとまだ怒っているだろうし……。
会釈をしつつ、こそこそと職員室に向かう私。しかし、どこか戸惑ったような顔の赤坂さんが、私の退路を塞ぐようにしつつ、微妙に歯切れの悪い口調で話しかけてきた。
「……あの、アレですわよ。そんな、その……そこまで落ち込まなくてもいいのではないかしら! 見ているこちらまで気分が落ち込んでくるのですけれど!」
「ご、ごめんなさい……」
やっぱり怒っている。私はそろそろ本気で泣きそうになりながら謝った。
「だから謝れとは言っていないでしょうに! もっとこう、堂々としていればいいでしょう! 張り合いがありませんわね!」
「でも……」
「でもではありませんわ! あなただってその、紙園のアイドルと言いますか、そういう感じではありませんの! だったら私に言い負かされた程度で落ち込んでどうするのですか!」
「それは、みんなが勝手に言ってるだけだし、私は別に……」
「ぅ……だ、だって、昔から人気になるの好きだったし……」
「え?」
「何でもありません! ええと、とにかく! ライバルのような立ち位置にいる人間が、そのような卑屈な態度では困ると言っているのです、私は! 三日月さんはもっと、自信を持ちなさい、自信を!」
ビシリとこちらを指差す赤坂さん。その仕草はやたらと様になっていて、舞台劇のようにかっこよかった。後ずさりした私は、思わず職員室の扉へと追い詰められる。
「ライバルって言われても……私なんて赤坂さんに比べたら全然、アルマジロみたいなものだし……」
「いや私のどこと比べてどうアルマジロなのか、アルマジロが良いのか悪いのか、三日月さんがアルマジロだったら私は何なのかとか、その辺何も分からないのですけれど! もっと比喩を頑張ってくださいまし! なんというか天然ですわね、相変わらず! そんなだから国語の成績が悪いのですわ!」
「ほら、こんな感じで頭だって悪いし……」
「はぁ!? 無駄に賢い女なんてろくなもんじゃありませんわよ!」
えぇ……よりにもよって学年一位がそれを言うんだ……。
「大体それならあなただって、運動面ではかなり優秀な成績を残しているでしょうに!」
「それはそうだけど、私って性根がインドアだから……運動よりゲームとか好きだし……。赤坂さんだって、体育には出てないけど、運動はかなり出来るんでしょ? 足とかすごい速いって」
「あれはドーピングだからいいのです、別に」
「いや何も良くないけど!?」
「とにかくそうやって、能力があるくせに延々自虐をされると、見ているこっちが苛々するのです! 多少は慎みなさい!」
「じ、自虐じゃないよ! 絶対、私なんか赤坂さんより全然下だもん、赤坂さんみたいに美人じゃないし、背だって小学生みたいだし、いつも子供扱いばっかで、女扱いされたこと無いし、性格だって本当はこんな、暗くて、普段は無理して明るくしてるだけで、だから私は――」
私を黙らせるように、すぐ横で大きな音がした。
「――いい加減にしろ。それ以上言ったら本気でブチ切れるぞ」
「っ……!」
目の前に、赤坂さんの顔があった。
私の背後の扉に手を当て、距離を詰めている。いわゆる壁ドンってやつだった。
「い、今……」
「いい加減にしてください。それ以上は本気で怒りますわよ、と言ったのです」
そ、そうだったっけ……?
赤坂さんは至近距離で、こちらをじっと睨んでくる。
こうして間近で見ると、やっぱりとんでもなく顔が良い。同性相手なのにドキドキしてくる。
赤坂さんは普段の彼女からは想像もつかないぐらいに表情を鋭くしながら、諭すような声で私に言う。
「あなた、自分の笑った顔を鏡で見たことはありますか? 私がやるような作り笑いとは違う、本当の笑顔です。みさ――三日月さんは無理に明るくしているだけなんて言いますけど、友人たちに囲まれて笑っている時のあなたの顔は、本当に明るくて輝いているんです。私の方が美人だなんだと言いますけどね、あなたの方がずっとずっと可愛いに決まってる、絶対に。自分が美少女だって自覚が無いんだ、お前は」
「え、あ、え?」
「……っ、ごほん。……あのですね、背が小さいことに本気で悩んでいる女性なんて、今どきあなた以外にそうそういませんわよ。自分の頭が悪いなんて言うけれど、いつも相手の思いを必死に汲み取って、考えて、みんなに気を遣うことの出来るあなたが本当に頭が悪いはずがありません。性格が暗いなんて、他人を照らしすぎなだけでしょう。それだけ優しいのに自分の性格を卑下したら、いよいよバチが当たりますわよ、私から」
「あ、赤坂さんが当てるんだ、バチ……」
「ええ、私は性格が悪いですから」
ふん、と言って顔を背ける赤坂さん。でも、よく見ると、その横顔はわずかに赤く染まっている気が――
「そろそろ午後の授業ですねー、ご飯もしっかり食べたので、可奈田先生張り切っちゃいますよー。あの赤坂くんが称した私の話術で教室中の生徒を熱狂の渦に包んで昼下がりのまどろみなど許さぬフィーバーアフタヌーンレッスンを繰り広」
――そこでガラリと職員室の扉が開いて、扉に体重を預けていた赤坂さんは、私ごと職員室の中にもんどり打って倒れ込んだ。
「ひゃっ!?」
「うわっ!?」
「ぐはぁっ!?」
二人分の体重を受けた可奈田先生が一番のダメージを負っていた。
「扉開けた途端いきなり美少女二人が
「す、すいません可奈田先生……」
私は慌てて、上に乗った赤坂さんをどかすように起き上がる。
「な……!? ちょ、どこ触って――!」
「あ、ご、ごめんなさい赤坂さん……」
手の平に柔らかい感触が返ってきた。胸を触られた赤坂さんが飛び退くように立ち上がり、私から離れる。
その拍子に、今まで赤坂さんが持っていた書類がパラパラと手からこぼれ落ちた。
「! しまっ……」
「よっと。はいはい、可奈田先生がキャッチしたので安心してくださいねー。で、えーと、ああ、部活動予算の改訂書類ですか。陸上部の部費調整ですね、了解ですよ、赤坂さ――痛いっ! え、なんで先生の頭をぺしぺしするんですか! そこまでではないですけどまあまあ痛いですよ赤坂さん!」
私は、目を
彼女は見る見るうちに顔を真っ赤に染め、慌てたように胸の前で腕を組み、足を少し仁王立ち気味に開きながら、そっぽを向いて言い放った。
「――か、勘違いしないでくださいまし! これは伊良部が――伊良部さんがやっただけで、別に、あ、あなたのためとかじゃ、ないんですからねっ!」
「…………」
「…………」
思わず、無言になる私と可奈田先生。
自分の言ったことを反芻したのか、ぷるぷると身体を震わせ、涙目になりかける赤坂さん。
それを見て、黙っていた可奈田先生が、ぽつりとこぼすように呟いた。
「完璧な、ツンデレ……」
「うわぁあああああっ!」
「痛いっ! 書類は投げちゃ駄目です赤坂さん! 駄賃とばかりに先生にダメージを与えていくのはやめてください赤坂さん!」
「違いますから! 三日月さんのことなんて、嫌いなんですから! 全然、絶対、好きじゃないんですからぁー!」
「あ、廊下は走っちゃ駄目ですよ―!」
日本女子新記録に迫るのではないかというほどの速度で、またたく間に走り去っていく赤坂さん。
それを見て、私はやっぱり、自分より赤坂さんの方が可愛いんじゃないかなあ、と、そんな風に思ったのだった。
既に雑魚な聖ちゃん。
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第14話・ヒロインとのやり取り②
放課後。
自らの醜態を省みて、俺は悟った。
「このままじゃそう遠くない内にバレる」
「ぶっちゃけそんな気はしてたよ」
上級生がろくに来ないため、相も変わらず親友と二人の生徒会室。
俺はぐったりと机にうつ伏せになりながら、
「だって許せないだろ! こんな
「いやブーメラン返ってくるの早過ぎか! 自分が美少女だって認識を持てよ!」
「えー、確かに美少女っちゃ美少女だけど、美咲に比べたらブスだろ、こんなん」
「何一つ美咲ちゃんのこと言えないよねぇ君!」
なんかよくわからんが伊良部に滅茶苦茶怒られたので、仕方なく手うちわで我慢する。
手の平で顔を扇ぎつつ、生徒会室の窓を開けた。向こうの職員室に見える可奈田先生がこちらに気づき、ひらひらと手を振る。俺は指で鉄砲の形を作り、バンと可奈田先生を撃った。可奈田先生は一瞬戸惑った後、うっ、とよろめくフリをして倒れる。……あ、ふざけてたせいで教頭先生に叱られてる。おもしろ。
「ていうか最近暑くなったり寒くなったりで全然ちょうどいい気温にならねえんだけど。もう十月だぞ、どうなってんだ日本は」
「この分だと今度の体育祭も面倒なことになりそうだね。熱中症対策をすればいいのやら防寒対策をすればいいのやら」
体育祭は生徒会が主体となって運営するイベントだ。小学校や中学校の時の運動会とは違って規模は小さく、クラス対抗でいくつかの競技をこなすだけ。
さほど大きな行事ではないのだが、それでもこの紙園学園はとにかく生徒数が多い。当然、準備することも多く、これからの放課後は生徒会室に籠もっての作業を続けることになる。
「ところで、クラス別の体力テストの成績、集計終わった?」
「まだ。ていうか何であの体育教師は紙で渡すんだよ、データで寄越せデータで。一旦プリントする意味がわからん」
「一応個人情報だから、そのまま渡せない理由があるんでしょ。紙で渡すのも何かの建前のためなんだろうね」
「いつの生徒会が思いついたか知らんが、余計な作業増やしてくれるよなあ本当」
「そりゃ、運動部の多いクラスが圧勝するんじゃ盛り上がらないし。ハンデはつけてあげないと」
「それだって運動部の奴らにしたら理不尽な話だろ。日頃から努力して鍛えてんのに、なんで普段何もしてない奴らに配慮してやらなきゃならないんだ」
「
伊良部にそう言われ、微妙にイラッとする俺。が、こいつの言うことも分かると言えば分かるので、反論はしない。
そもそも体育祭はその名の通りお祭りであって、大会じゃない。生徒が楽しむことが第一で、勝ち負けは二の次なのだ。これに関しては伊良部が正しい。
「そういや、美咲の成績が入ってないけど、どうするんだこれ。あいつをハンデ無しにしたら流石にブーイングが来るぞ」
「この学校じゃ体力テストしてないからね。前の学校での結果が残ってるかは微妙だし、その内改めて体力テストするのかもしれないから、F組は後回しにしといたら?」
「了解」
F組の成績表を一旦脇にやる。
「そういや、聖くんって体育祭出るの? 今年はいくつかの競技を屋内でやるみたいだけど」
「どうだろうな、多分出ないんじゃないか? 自慢じゃないが、俺が出たら絶対にF組が勝つだろ。『奇病』のせいで筋力以外のスペックは大体上がってるし、筋力だって男子の平均ぐらいにはあるし。もう二、三ヶ月もすれば弱ってくると思うけど、それまでは体育の授業にも出ないことになってるんだから」
「二学期の体力テストもやってないんだよね、確か。今の聖くんがハンデ無しのまま参加すれば、流石にF組が有利過ぎるか」
「参加しようと思えば出来るだろうけど、そこまでして勝ちに行くものでもないしな」
さっきも言ったように、これはお祭り。勝ち負けは二の次だ。
元男子なんてバランスブレイカーを使ってまで勝とうとするのは、いくらなんでも大人げない。
「いやーっ! 嫌です学年主任! 学年主任がなんと言おうと、赤坂さんは絶対に参加させますからね! あの子がいれば絶対にF組が勝つんですから! いや本当に頼みます! どうか、どうか! ……え、いいんですか!? 本当に!? へ、へへっ、言いましたね! 言質取りましたから! はい、もう体育祭の名簿データ上書きしちゃいましたから! 後戻りは出来ませんよ! 待っててくださいね、今本人に伝えてきま――え? 参加するなら体力テストをして、結果に見合ったハンデを付ける? ……ま、待ってください学年主任! それでは無双が! F組無双が出来ません! 待って、待ってください学年主任ー!」
窓を通して生徒会室まで聞こえてくる、無駄に大きな声。
ほどなく生徒会室の扉が開き、学年主任の先生が入ってきた。
「あー、そういうわけでね、赤坂 聖くん。今から体力テストをするので、よろしくね」
「えぇ……」
そういうことになった。
※
所変わって、紙園学園・第三体育館。
普段は運動系の部活が代わる代わる使っているのだが、今回は隅っこを一時的に間借りさせてもらう。
本来はもう少し準備が必要なのだろうが、これは正式な体力テストではなく、結果を体育祭の参考にするだけなので、計測は随分と大雑把だ。
行う項目も、屋外に出る必要があるハンドボール投げと、時間がかかる二十メートルシャトルランは抜きだ。いいのかそれで。
「……ううむ」
一人、女子更衣室の前で佇む俺。
先に保健室の先生が体操服を用意してくれたのだが、よりにもよってそれをこの部屋の中に置いてきたらしい。なんでそういうよくわからない気の利かせ方するの。しかももうどっか行っちゃったし。
俺は体育の授業に参加していないので、今まで女子更衣室に入ったことは無い。第三体育館にはトイレも無いし、必然的にここで着替えることになる。運動部に無理を言って場所を間借りさせてもらっている手前、今から本校舎に戻ってトイレで着替えてくるのは無意味に時間がかかって申し訳無い。
……まあ、大丈夫か。体育の時間と違って、他に着替えている女子がいるわけでもないし。さっと着替えてさっと出るだけだ。
とはいえ、ラッキースケベは出来る限り防いでおこう。いや、俺ももう女子だから女子の着替えを見たところで問題があるわけじゃないんだけど、一応ね? 仮に見るにしたって心の準備とかいるから。うん。
「入ってますかー?」
コンコン、と扉をノックする。反応なし。わずかに扉を開く。再度ノックと呼びかけ。反応なし。クリア。
微妙に縮こまりつつ、誰もいない更衣室内へ。……うわ、変態っぽい言い方になるけど、男子更衣室と匂いが全然違う……。当たり前っちゃ当たり前なのだが、男臭さが全然無い……。
部屋の隅に置かれた丸イスには、半袖とハーフパンツの夏用体操服と、長袖と長ズボンの冬用体操服がそれぞれ一着ずつ置かれていた。好きな方を着ろということだろうか。やはり気の利かせ方がよくわからない。
……夏用と冬用、どっちにしよう。どっちでもいいと言えばどっちでもいいのだが、今の身体で肌を出すのは妙に恥ずかしい。伊良部相手ならともかく、今は他の生徒にも見られるわけだし。
っていうか何で伊良部なら恥ずかしくないんだろうか。兄弟みたいなもんだからか。でも姉みたいな関係の
やはり、こうして考えるに、俺はやっぱり頭の中が男のままなのだろう。今の身体で肌を出すのが恥ずかしいというのも、男なのに自分が女性の身体であることを他人に知られるのが恥ずかしいからだ。……何故俺はこんなところで自分の羞恥心の機序をやたら丁寧に解析しているのだろう。
まあいい、とにかくさっさと着替えよう。
俺は制服を脱ぎ、下着姿になる。
そこで、がちゃり、と扉が開いた。
「あ、赤坂さんも体力テスト受けるんだ。昼休みの時はどうも――」
「きゃああああっ!」
「何で!?」
無遠慮に更衣室の中に入ってきた美咲に対し、俺は咄嗟に悲鳴を上げた。
く、くそ、無理に演技で対応しようとしたせいで本当に女の子みたいな声が――っていうか恥ずかしい! 好きな子にこんな女の子みたいな(っていうかそのものの)体見られるの恥ずかしい! さっき自分の羞恥心を分析したせいで何がどう恥ずかしいのかすごいよく分かる!
「み、みみ、見ないでくださいぃ……!」
「女同士なのに……? そ、そんなに嫌ならあっち向いてるけど……」
美咲は夏用体操服を手に取り、後ろを向く。俺は慌てて冬用体操服に着替え、外に出た。
……更衣室を出る時に一瞬、美咲の着替え姿が見えてめちゃくちゃドキドキしたのは秘密だ。
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第15話・ヒロインとのやり取り③
更衣室で一悶着あったものの、どうにか気を取り直し、いつもの動作で役に入り直す。
もうさっさと体力テストを終えて、生徒会室に戻ろう。このままでは俺の精神が
早足で廊下を抜け、館内へと足を踏み入れる。
『ワアアアアアアアアアアアア!』
瞬間、盛大な歓声が体育館を揺らした。
「……うん?」
体育館内に集まっていたのは何十人もの生徒たち。
元々第三体育館を使っていた運動部の面々が迷惑そうに眉をひそめる中、空気の読めないおさげ髪が一際大きな声で叫ぶ。
「頑張ってくださいねお姉さまー! あの女をボロクソに打ちのめしてくださーい!」
「…………」
遥……お前、お前本当なんでそういう……なんでそういう余計なことするの……。というかどっから聞きつけたの……。
俺は遥とともにいる生徒達を見渡す。彼女を中心として、学年も問わず男女入り混じった複数の生徒達。
中には純粋に俺の――というか学内アイドルである「赤坂さん」のファンもいるようだが、そのうちの何人かはなんか……なんか目が血走ってる……。
「見ていますからねお姉さま、見ていますから、あなたを見ています、見ていますわたしはあなたを見ています、絶対に見ています目を、目を離しません見ています、わたしは見ていますあなたを、見ています、見ていますから」
こっわ……。
故障したロボのようにこちらを応援する遥に、思わず後ずさりする俺。お前本当にそれ素でやってんの? わざとじゃないよね?
俺が帰れって言ったら帰るかなあこれ……いや帰んないよなあ、絶対……。
というかこの圧倒的アウェーな状況で美咲が入ってきたらヤバい。あいつの豆腐メンタルが砕け散る。大豆ペーストになる。
「えーと、遥?」
「はいっ! なんでしょうかお姉さま!」
「私の携帯を持ってきて欲しいのだけど」
「こちらに」
「こちらに、ではありませんわよ。どうしてあなたのポケットからすぐにわたくしの携帯が出てきますの」
携帯の電源を入れる。「パスワードを複数回間違えたため、機能をロックしています。ロックは一秒後に解除され――」というメッセージが一瞬だけ見えた気がした。……うん、そろそろ変えよう、パスワード。
俺は遥から画面を隠しつつ、隣の席の
それからおよそ五分後。
第三体育館は、赤坂派と三日月派が集い、それぞれの体力テストを応援する会場へとその様相を変えていた。紙園学園の生徒、ノリが良過ぎる。そして
「頑張れー三日月ー!」「応援してるよ、美咲ー!」「赤坂さんも三日月さんも、体育祭で不利になるのでほどほどで良いですよー!」「なんですかあの人たちお姉さまが勝つに決まってるのにわたしのお姉さまが負けるわけないのになんでなんでなんで」
俺を応援する側に妙なものが混じっているのはともかく。
「が、頑張るね! みんなありがと!」
美咲は突如として始まった対決に少し動揺しつつ、自分を応援してくれる側に応えようと気合を入れていた。でもそんなに張りきらなくていいぞ、これ。
しかし俺の方はどうしよう。見ての通り赤坂派は過激な面々が多いため、両陣営の溝を深めないためにも出来れば俺が勝ちたいところだが……果たしてあの美咲に勝てるかどうか。
小学校の頃は男女にさほど身体能力の違いがないため、完全に俺がボロ負けだった。だが、よく考えれば今はもう高校生。こんな見た目になっても平均的男子の身体能力を維持している俺なら、十分に勝ちが狙える。ていうか勝つだろ、いくら何でも。
ちなみに、俺が男だった時の体力テストの結果はこうだ。
握力:55kg(結構な強さ)
上体起こし:28回(だいたい平均)
長座体前屈:29cm(体が硬い)
反復横跳び:53点(だいたい平均)
立ち幅跳び:230cm(だいたい平均)
50m走:7.2秒(だいたい平均)
1500m持久走:5分20秒 (ちょっと速い)
うん、普通。本当ならシャトルランがかなりいい線いくのだが、今回は測定しない。その代わり死ぬほど苦手なハンドボール投げをやらないので、とりあえずはトントンと言ったところ。
それにこの括弧内の評価は全て「男子としては」という但し書きがつく。『奇病』による異様な強化がなくても、この時点で女子としては破格のスペックだ。長座体前屈も、夏休みのリハビリの際にずっとストレッチをしていたので、以前よりかなり柔らかくなっている。
美咲には悪いが、これはどうやったって俺の勝ちだろう。
多数のギャラリーが見守る前で、俺と美咲の体力テストが開始された。
※
そして数十分ほど経過し、持久走以外の六項目が終了。
簡易な計測であり、50m走などは手動測定によくあるガバガバ具合だが、とりあえずの結果は出た。
そういうわけで、現在の俺の成績がこちらである。
握力:53kg(女子としては相当なゴリラ)
上体起こし:37回(体が軽くなると腹筋もかなり楽)
長座体前屈:49cm(ほどほどの柔らかさ)
反復横跳び:71点(相当な身軽さ)
立ち幅跳び:341cm(サーバルキャット並)
50m走:5.8秒(異次元の俊足)
すごい。いや、大抵が『奇病』によるものではあるのだが、それでもすごい。『奇病』罹患者が発症後半年はスポーツで公式記録を残せないのも頷けるスペックだ。特に鍛えていない俺がこれなのだから、男性アスリートが『奇病』に罹ればとんでもない超人になるだろう。……罹ったところで公式記録は残せないし、大体は選手生命を断つことになってしまうのだろうが。
で、同じように持久走以外の六項目を終えた美咲の結果がこちら。
握力:50kg(……女子としては相当なゴリラ)
上体起こし:56回(は?)
長座体前屈:63cm(その身長で……?)
反復横跳び:91点(忍者か?)
立ち幅跳び:308cm(何のネコ科?)
50m走:6.2秒(……?)
何?
え、俺の幼馴染本当に何? スポーツ万能とかそういうレベルじゃねえ。何をどう鍛えたらこんなんなるの? 着替えの時とか、別に腹筋割れてなかったじゃん。二の腕とか普通にぷにっとしてるじゃん。これ、『奇病』に罹る前だったら握力以外勝ててないぞ……。
「はぁっ、はぁっ……赤坂さん、すごい……! 私、運動得意なのに全然勝てない……! やっぱり、赤坂さんの方がすごいと思うなぁ……」
「あなたそれもう卑屈とかじゃなくてただの嫌味になってますわよ」
好きな子相手にこんなこと言いたかないが、こいつ頭おかしいんじゃないだろうか。普通ならこの運動神経だけで天上天下唯我独尊できるぞ。この上美少女で性格が良くてコミュ力があって可愛い……? 何で美咲はこんなに自己評価が低い子になってしまったんだ。
えー、色々と言いたいことはあるが、ひとまず現在三勝三敗。
次で決着がつくということもあり、こちらを見物するギャラリーは大いに盛り上がっている。しかし、俺としてはもう完全に負けた気分だ。いやというか無理だわ。勝てねえわこれ。
基本負けず嫌いな俺であるが、ここまでくると悔しいという気分さえ抱けない。コングラッチュレーションの拍手で美咲を讃えたい。
遥などはギリギリと歯ぎしりをしてこちらを睨んでいるが、これどんなに睨まれても無理だろ。次負けるって俺。
しばしの小休憩を挟み、最後の持久走の準備が整った。まあ、体育館の内周をぐるぐると回るだけなのだが。なお、男子の時は走る距離が一・五キロだったが、女子の場合は一キロである。
気の乗らないまま位置につく俺。あんまり長い距離走りたくねえなあ、おっぱい痛いし。
ため息をついて開始の合図を待っていると、隣に立つ美咲が少し緊張した素振りで語りかけてきた。
「えっと、赤坂さん」
「なんですか、三日月さん。もうあなたの勝ちでいいですわよ」
「いやこの盛り上がりの中でそんなこと言わないでよ! 私がいたたまれないよ!」
「で、藪から棒にどうされました?」
「あ、あのね? 私が勝ったら、ちょっとお願い聞いてほしいんだけど……」
「いいですわよ。小指までなら差し上げましょう」
「要らないよ! 私を何だと思ってるの!」
「それぐらいのワガママは許容する、ということです」
「許容しちゃ駄目だよそれは! ……高校生にもなってこういうこと言うの恥ずかしいけど、その……」
「流石に超サ○ヤ人にはしてあげられませんが……」
「違うよ! 私はただ……」
……というか、本当は美咲の言うことなら何でも聞いてあげたいのだ、俺は。ただ、自分の想いを知られたくなくて、何も出来ないだけで。
ふむ。そう考えるとここは手を抜いてでも負けた方が――
「赤坂さんとも、友達になれたらいいな、って……」
――――。
「赤坂さんは私のことライバルみたいに言うけど……でも私は、赤坂さんとも普通に仲良くなりたいし、もっと普通に話したいなって……あなたは嫌なのかもしれないけど、それでも――」
「さて、全力で勝ちに行くとしましょうか」
「やっぱり嫌なんだね! ごめんね!」
ああ、嫌に決まっている。
友達では嫌だから、幼馴染なんて関係では我慢できないから――でも、もう、その先には行くことが出来ないから、俺は必死になって美咲を遠ざけようとしているのに。
今さら女友達なんて、そんなどうしようもない関係を与えられるのは、耐えられない。
「…………」
美咲に気付かれないようにして、遥に目で合図を送る。一秒と遅れずにこちらに気づくヤンデレ。
こんな遥ではあるが、それでもこの一ヶ月、学校にいる間のほとんどを共に過ごした間柄だ。
俺は端的な口の動きで、彼女に向かって指示を下す。
「(やりなさい)」
「(かしこまりました)」
おさげ髪の少女が頷き、その姿が影と消えた。
……何するのかわからんが、美咲なら大丈夫だろう。それに、いくら遥でも衆人環視の中じゃ大したことは出来ないだろうし。
「赤坂さんに三日月さん、準備オーケーですかー? じゃあ、いきますよー、よーい……」
可奈田先生が俺と美咲、二人分のストップウォッチを構える。
「スタート! って、あ、あれ、いつの間にか三日月さんの方のストップウォッチが動――」
構わずに走り出す俺と、微妙に動揺しつつ走り出す美咲。直後、遥とその仲間が無理矢理歓声を上げ、今さら止められない雰囲気が生み出される。よくやったヤンデレ。後で褒める。
恐らく、これで稼げたのはコンマ数秒程度。同時スタートである以上、あまり大きな不正は出来ない。しかし、ゴールでほぼ同着となった際には俺の勝利が確定する。
「……っ」
だが――速い。こちらはそれなりのハイペースで走り出したというのに、美咲はまるで負担を感じる素振りもなく、俺とほぼ横並びで走ってくる。
この体育館の内周は一二五メートル。八周するまでに美咲に対して同着以上でなければ、俺の敗北。なかなかに厳しいが、遥が打ってくる手はこれだけではないはずだ。あいつと上手く連携出来るかどうかが勝負の鍵となるだろう。
一周目。遥が携帯のライトで美咲を牽制。多少目を細めるものの、ペースは乱さない美咲。
二周目。どうやったか知らないが、遥が発泡スチロールを擦ったような音を出す。俺はこういう音が気にならないタイプだが、美咲はうっと顔をしかめた。
三周目。わずかに遅れた美咲に対し、遥が足元へ何かを撒いた。一瞬足をもつれさせるが、どうにか走り続ける美咲。
四周目。今回は遥は何もしてこない。だが、体育館に備え付けられた梯子を登っていく姿が見えた。
五周目。遥が上から何かを撒く。美咲がくしゅんとクシャミをする。
六周目。そろそろ俺との差が開き始める美咲。遥がタイミング良く体育館の窓を開けて、美咲に強風を叩きつける。
七周目。遥は現代に生き残ったニンジャなのではないかと疑い始める俺。俺からは何をしたのか分からなかったが、背後で美咲がひっと怯えたような声を出した。何を見せた。
「はぁっ、はぁっ……!」
そして、最後の八周目。
あまりにもいやらしい遥の妨害工作で、美咲は俺との距離を離されている。このペースなら、間違いなく俺が勝つ。
だが、ここで。
「――――!」
後ろから聞こえる足音が一気に加速した。
「……っ!」
マズい。抜かれる。
俺は懸命に足を動かすが、序盤からハイペースで走っていたためにスパートをかけられない。
遥にも視線をやるが、悔しそうに首を横に振る。もう打つ手が残っていないようだ。ここまでしてもらってる以上流石に責められない。
残り五十メートルを切った。美咲が猛追してくる。俺は何も出来ない。ボルテージを上げていくギャラリー。ついにゴールへと迫る。もう横に美咲が来ている。いや、抜かれた。これは、負ける――
「あっ」
――そして、美咲は転んだ。
「えっ」
驚く俺だが、足は今さら止まらない。
転んだ美咲を無慈悲に追い抜き、ゴールする。
「…………」
息を荒く吐き出しつつ、遥の方を見る。しかし、彼女は否定するように首を振った。どうやら、彼女の仕業ではないらしい。
背後を振り返ると、美咲が俺に遅れてゴールするところだった。
二人でぜぇぜぇと疲労困憊のまま、とぎれとぎれの会話を交わす。
「あ、あはは、負けちゃった……」
「……何を、やっているの、ですか、全く」
「うん、ちょっと、無理しちゃった……。私、本当に、赤坂さんとは……仲良く、なりたい、から……」
「…………」
俺は渋い表情で、美咲から顔を逸らす。
どうしようもないぐらい、無性に苛々していた。自分に。
「……私、あなたのことは、嫌いですわよ」
「私は……赤坂さんのこと、結構……好きだよ」
「…………」
疲れ切った足を無理矢理動かし、俺は体育館を出る。
俺の無茶振りに答えた遥がこちらに走り寄ってきて、汗に濡れた俺の腕にぎゅっとしがみついてくる。普段なら内心で慄く俺だが、今はそんな余裕もなかった。
ひたすら、疲れていた。
それが、持久走による疲れでないことは、なんとなく、分かった。
「お姉さまっ! やりましたね、やりましたね! あはは、あのあの、私、役に立ちました!? 私役に立ちましたか!?」
「ええ、感謝いたしますわ、遥。何か、してほしいことがあれば、聞いてあげますわよ」
「本当ですか!? じゃ、じゃあ、明日のお休みにお姉さまとデート――あ、ごめんなさいやっぱりやっぱり――」
「分かりました。しましょう、デート」
「え、えぇっ!? いいんですか! あは、あははは! やった、やったぁ! ありがとうございます! えっへへへへ♪」
遥の頭を適当になでながら、俺は何も考えられないまま、ぼんやりとその場を後にしたのだった。
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第16話・ヤンデレとのやり取り①
翌日の土曜日。
今日は学校もないのだが、俺は制服姿で駅に向かっていた。
「というか、女として出かける時の服が制服以外に無いんだよな……」
なんだかんだで遥とデートすることになった俺だが、よく考えてみれば女物の私服が無い。
遥も俺の服を選んでみたいということだったので、ひとまず制服で外出と相成ったのである。
女になった以上は女物も用意しておいた方が何かと便利だろうし、俺としても異論は無いが……服買うのにこんなに金渡されてもなあ。「余ったら聖くんのお小遣いにしていーよー」なんて言われたが、絶対に余るだろう、これは。いや、貰えるものは貰っておくけど。終わったら何買おう。
そんなことを考えている内に駅に着いた。
遥の姿を探って周囲を見渡すが、彼女の姿はどこにも見当たらない。あいつなら待ち合わせの一時間前にはもう着いてそうだと思ったんだが。
携帯で時刻を確認すると、約束の時間はまだ十五分ほど先。
今回は俺の方が早く着き過ぎたか、と携帯をしまう。
「おはようございますお姉さま!」
そして、少し携帯を見ている内に、目の前に遥が現れていた。やはりニンジャなのか……?
「ごめんなさい、少しトイレに行ってて……あは、休日にもお姉さまと会えるなんて、あはははは」
休日でも変わらず狂的な笑みを浮かべるヤンデレ。こいつはもうこれがデフォになってしまったらしい。
しかし、態度に反してその格好は随分とおとなしく……というか、おとなし過ぎた。学校でもやや地味な雰囲気のある遥だが、私服の彼女はそれよりなお一層地味である。センスが無くて地味になってしまった――というよりは、自信がないので目立ちにくい服を選んだ、という感じだ。おかげで隠密能力が学校時より更に上昇している。
美咲は自分に自信がないからこそ精一杯自分をよく見せようと頑張るタイプだが、遥はその逆らしい。素材は良いんだからもう少し思い切っても良いとは思うのだが。
腕に纏わりつかれるいつもの毒蛇スタイルのまま、電車に乗って隣町へ。
俺の住んでいる町は都市再開発が行われこそしたが、別に都会になったわけではない。真面目に友達と遊ぶ予定を立てるなら、ここいらの学生はみんなこっちの町に来る。
そんな賑わう町の、土曜日の駅前というだけあって、人通りも多いのだが……
「……随分と、見られていますわね。流石にこれは……」
「お姉さまが気になるなら、少し、減らしましょうか?」
「どうやって減らす気ですの。そこまで気になっているわけではないからやめなさい」
何もしていないのに、普段より多くの視線が突き刺さってくる。特別嫌というわけじゃないが、無駄に注意力を割かれてしまう。……いや、そこのおばさん、この金髪赤眼別にコスプレとかじゃないから。普通に制服着て出かけてるだけだから。というか探せばもっと派手な人他にいるでしょうに。
「髪も目も自前なのですけどね、一応」
「俗人にはお姉さまのオーラをそのままの形で受け取ることが出来ないのです」
遥の戯言は聞き流すにしても、俺が雰囲気を作りすぎているというのは事実かもしれない。
オーラや風格なんてものは姿勢一つで簡単に作れる。だが、作れたからって受け入れられるわけじゃない。F組の面々はあっさりと受け入れたが、普通はこんなお嬢様キャラ、誰だって嘘臭く感じる。いくら何でも現実離れし過ぎだ。コスプレだと思われるのはその辺が原因なのかもしれない。
遥に連れられ、デパートに到着。……しかし、デパートで服なんて買ったこと無いな、俺。女性向けのショップに立ち入るのも生まれて初めてだ。
「? どうしました、お姉さま?」
「ああ、いえ。こういうところには来たことがありませんでしたから」
「なるほど。わたしのような庶民どもの店ですからね」
「いやわたくしも庶民ですけれど」
「そんなご冗談を。お姉さまは財閥の娘なのですよね?」
「違いますけれど。勝手に適当な設定を生やさないでくださいまし」
「今日も、庶民が身に着けるようなカジュアルな服が無いということで、不肖わたしに服を選ぶよう命じられたという話でしたから。えへへ、まさかわたし如きがいと
「また何かよくわからない方向にパワーアップしてますわね、あなた」
俺に対して謎の幻想を抱く遥。……いや、でももしかしたら、程度こそ違えど他のクラスメイトからも良い所のお嬢様だと思われている可能性はある。というか間違いなく思われてる。赤坂家、普通の一般家庭なのに。
「――って、待ちなさい。遥、あなた一度私の家に来てますわよね? なら、普通の家だったのも知っているでしょう?」
「え? 何の話ですか……?」
「いや、直接見てはいませんが、ウチにこっそり侵入しようとして
「みや、こ……? うっ、記憶が……」
「ちょっと」
「や、やめてくださいお姉さま……これは、これだけは思い出してはいけない気がします……どうか、どうかお許しを……!」
「何したんですか
このヤンデレが怯えるところなんて久しぶりに見たぞ。
遥が本気で呻いているので、この話題は切り上げショップへと入る。
「言っておきますけど、あまり高い物を選ばれても困りますからね?」
「大丈夫ですよ、普通に、私の友達だって使っているお店ですから」
「へぇ、友達なんていたんですね、あなた」
「はい! お姉さまの魅力を伝え広める心強い同志達です!」
ボケのつもりだったのに更に強いボケで押し返された。こいつに対してはもう俺もツッコミ役に回るしかないらしい。もう美咲と
そういうわけで、遥に言われるがまま服を見繕う。
「試着してきますわね」
「お供します」
「お供しなくて良いです」
「なぜですか! わたしはお姉さまの犬なのに!」
「遥、おすわり」
「わん」
一人、試着室へ。着方がよくわからないものもあったが、携帯で
着終わった。試着室のカーテンを開ける。
「……! 非常にお似合いです、お姉さま!」
「ええ、ありがとう。ですけど、これ……」
俺は鏡に自分の姿を映す。シンプルに纏まった印象の、ジャンパースカートにブラウス。ちょっとフリルやレースが多めなんじゃないかとは思うが、まあ、許容出来る範囲だ。だが、こういう系統の服はいわゆる、その……
「……童貞を殺しそうと、言いますか」
「?」
「いえ、何でもありません」
全体としては清楚かつ上品なのに、胸やら何やらが強調されて非常にあざとい格好になっていた。しかも、それに対して「良い」と思ってしまったのがつらい。今までも自分の顔を鏡で見て可愛いな、と思ったことはあったが、それでも、こういうあざとい方面で可愛いのは、なんか違う。童貞に童貞を殺す服を着せるのやめろ。自己矛盾で頭が混乱する。
「……えーと、遥。わたくしとしてはもっとこう、カジュアルな服が良いのですけれど」
「嫌、でしたか……?」
「いえ、嫌というわけではないのですが」
「申し訳有りません、自害いたします」
「とても気に入りましたわ。買いましょう、この服」
「わぁい!」
遥が暴走するので俺が要求を呑むしかないという嫌なパターンが構築されつつあるが、今回に関しては遥も真面目に服を選んだのだろうし、実際ちゃんと俺に似合う服だ。受け入れよう。……これが似合っちゃってるっていうのもなんか、男だった身としては複雑なものがあるのだが。
俺は気を取り直すように淡い金髪を梳き、役に入り直す。
「では、遥。ついでにもう何着か選んでくれませんか? 今度は出来れば、もうちょっと普段使いのし易い、カジュアルな方向で」
「了解です!」
もともと上下で二、三ほど見繕う予定だったので、次も遥に任せる。
「これなんてどうですか、お姉さま!」
次の服はちゃんと俺の要望通り。
色々と信頼出来ない彼女だが、センスに関しては大丈夫そうだ。
※
「……遥」
「なんでしょう、お姉さまっ」
「ここって本当に、普通のお店なんですよね……?」
「ええ、もちろんです! わたしも何回かここで買い物したことありますから!」
「へぇ、普通なんですか、これ……そっかぁ……」
女の服って高いんだなあ、と思いながら、俺は寂しくなった財布を眺めるのであった。
ヤンデレデート編、もう一話続きます。
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第17話・ヤンデレとのやり取り②
財布が寂しくなったというよりは、元の状態に戻っただけなのだが、それでも少し落ち込む。
どうせ女物は滅多に着ないんだから、別に一着でもよかったのではないだろうか。しかしもはや後の祭り。
「次はどうしましょうか!」
「え、ああ、そうですわね……」
なんだかもう終わった気になっていたが、遥とのデートは未だ継続中だ。
でも、そもそもデートって何すりゃいいんだろう。どうせこいつと一緒じゃ予定なんか役に立たないと思い、ほとんどノープランのまま来てみたが……今日の遥は思ったより大人しい。休日だからだろうか。狂犬を散歩させるつもりで意気込んでいたら、元気有り余る普通のワンちゃんだったというか。まあどちらにせよ犬なんだが。
「ふむ……」
顎に手を当てて考える。が、いい案は出てこない。そろそろ昼食にすべきかとは思うが、女子が行くような飯屋に関する知識なんて皆無だ。というか「飯屋」っていう言い方がもう男臭い。
思えば、それ以前の問題として、俺には知り合いと遊んだ経験自体がほとんど無い。中学までは友達もいたが、
「あのあの、お姉さまの方で希望が無いなら、わたし、一緒に行きたいところあるんですけど……」
「そうですか? なら、遥に任せます」
「その、お、怒らないでくださいね? 悪気があって、提案するわけじゃないんです……」
「はあ。どこに行くのかは分かりませんが、別に怒ったりはしませんわよ」
「ごめんなさい……死にます……」
「もう対処法がわからないのですけど、この子」
カッターナイフを自分の首筋に当てだす遥を、腕力で無理矢理取り押さえる。大人しいは大人しいが、これはこれで面倒。今日はヤンデレというよりメンヘラ寄りになっているらしい。
なんとか持ち直した遥に連れられ、デパートを出る。
でも、もしやたら格式高い店なんかに連れて行かれたらどうしよう。わからんぞ、作法とか。
前にクレープ食べに行った時のカフェも結構お洒落な店だったが、もしあそこ以上だったら俺では対応出来ない。演技でそれっぽくは出来るけど、あくまでそれっぽいだけだし。
正直マ○クや○イゼとかにしてくれると嬉しい。でも、遥は俺に妙な幻想を抱いているし、そういう店には絶対連れてってくれないんだろうな……。
「ここです」
視線の先に見えるMの看板。普通にマッ○だった。
「……え、ここですか?」
「や、やっぱり駄目でしたよね、死にます……」
「いえ、嫌というわけではなくて、どうしてここなのか気になって」
「その、お姉さまは箱入りの令嬢でしょう?」
「違いますけど」
「こういう店には来たことがないでしょうから、その、もしハンバーガーとかを食べたら、どういう反応をされるのか、気になってしまって……」
ナチュラルに否定の言葉を無視されたが、もしや遥のやつ……。
「あの、あの、駄目ですよね。お姉さまがこんなの食べちゃ……」
「……あー」
ここまでの会話でなんとなく察する。
もしや遥のやつ――「今まで品の良い健康的な料理しか食べさせてもらえていなかった箱入りのお嬢様が、初めて出来た庶民の友達とファストフードチェーン店に行ってジャンクフードを食べ、『わたくし、こんな美味しい物初めて食べました!』などと今まで味わったことのない新鮮な味わいに感嘆の声を漏らす」みたいな――フィクションでたまによくある、現実にはそうはならんであろうシチュエーションを……実際にやってみたい、のか……?
俺は遥の表情を観察する。が、元より感情を顔に出しまくる彼女のことだ。俺の想像通りのことを考えているのが、一目見てわかってしまった。
「……え、えぇ……」
……な、難易度が、高い……。
目を瞑り、額に人差し指を当て、考え込む。傍から見た今の俺は、きっととんでもなく複雑な表情になっているだろう。
「うーん……」
どうする? 普通に断ってもいいが、メンヘラ寄りになっている今日の遥を落ち込ませるのはマズい気がする。というかそもそも、俺は遥を危険視しているだけで、嫌っているわけではないのだ。今も、「遥のくせに割と可愛らしいこと考えるんだなあ」と少しほっこりさえした。まあそれはそれとして危険ではあるからさっさとブタ箱にぶち込まれてほしいのだが。
「…………っ」
おどおどとこちらを伺う遥。恐縮してはいるが、瞳の中には抑えきれないキラキラが混じっている。うーわ、断りづら。どうしようこれ。
……仕方ない、やってみるか。服選んでくれたし、そもそも今日の外出は美咲に勝たせてくれたお礼的な部分もあるし。
「……へぇ、わたくし、マ〇ドナルドなんて初めて来ましたわね! 前々から興味があったのですけど、家の者が食べさせてくれなくて……行ってみましょう、遥!」
「は、はい! やったっ、えへへへへ……!」
普通に喜ぶヤンデレ。不覚にも少し可愛いと思ってしまった。でも今になって好感度上げても流石に無理だからな。初対面の時ならともかく、本性出した後じゃもうフラグバッキバキに折れてるからなお前。
「わあ、随分と混んでいますのね。どうやって注文するのでしょう?」
「そこのカウンターで注文するんですよ! 並びましょうっ、お姉さま!」
すごいウキウキしてる。確かに俺だって友達に世間知らずのお嬢様がいたらこういうことやりたくなるかもしれないけども。
遥のオススメに従ってチキンフィレオを注文し、トレイを持って席につく。
手にソースがつかないよう恐る恐る包装を開ける……感じの演技をしつつ、ついに実食。いや、実際にはついにも何もないのだが。
「…………」
無駄にゆっくりした動きで、あ、と口を開く。そして、耳元で髪をかき上げながら、そぉっとバーガーを口に運ぶ。
焦らす意図があるわけではない。ただ、求められる演技の繊細さに緊張しているだけだ。しかしモタモタしている内に、いつの間にか遥だけでなく周囲からも視線が集い始めてきた。やめろやめろ。見せもんじゃねえんだぞ。
そうやって幾秒か粘った結果、なんとか脳内で台本を作り終える。決意するようにチキンフィレオを口にする。
「……。ん……っ!?」
二度咀嚼して、驚いたように口元を抑える。まあ別に驚いてないけど。普通にチキンフィレオだけど。
遥のドキドキとした視線を浴びながら、再度もぐもぐ。そして、感嘆といった雰囲気のため息を漏らし、呟く。
「……すごい、美味しい……! わたくし、こんなの初めて食べました! こんなに美味しいものが世の中にあったのですね!」
「! あは、やったっ……! はい、はいっ! 美味しいですよね、マク〇ナルド!」
喜色を満面に浮かべる遥。ここまで喜ばれると俺の方もちょっとは嬉しい。俺はにこにこと笑顔を浮かべながら、チキンフィレオを美味しそうに頬張っていく。
「ふふっ、本当に美味しい……♪ ありがとうございます、はる――」
そこで、くすり、と微笑むような声が聞こえた。反射的にそちらを見る。紙園の生徒と思しき、高校生のグループ数名。
「あっ……」
そしてその中でもひと際目立つ、ポニーテールの小柄な少女。
カジュアルかつ秋らしい装いをした、私服姿の美咲が、微笑ましげに、こちらを、見て――
「ご、ごめんね赤坂さん。別に馬鹿にしたわけじゃ――」
「みゃぁーーーーー!?!?!?!?」
すごい声が出た。俺は机に手を着いて立ち上がり、慌てて美咲に向かって叫ぶ。
「ちちちちち、違いますから! これはその、ええっとあの、アレなんですから! か、かかか、勘違いしないでくださいま――って、ああっ!?」
二の舞! 前回の二の舞! またツンデレになった! そんなつもりじゃないのに!
「とにかくちが、違うんですから! 別にそんなに美味しいなんて思ってな――」
「実は美味しくなかった、ですか、お姉さま……?」
「いえ、だから、お、美味しかったですけど! なんですかこの挟み撃ち!」
俺はバーガーとドリンクポテトを小脇に抱え、美咲に対して指をさす。
「いいから、これはそういうんじゃないのですからね! 後で覚えてなさい! いえ、忘れなさいもう!」
「口封じ、いたしましょうか?」
「しなくていいですから! 行きますわよ、遥!」
かき上げるように髪を梳き、遥の手を取る。意図せずテイクアウトする形になりながら、俺は逃げるように店を飛び出すのだった。
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