来世は他人でいい (ishigami)
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01 君って最高




【砉】

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 …

 …

















 

 

 

 ◆

 

 

 

 星の降る、寒い夜だった。

 

 一二〇年に一度の周期で飛来する流星群。それが今日、地球にやってくるという。

 これを観察するべく、少女は防寒着を着込み、自宅から車で一〇分ほどかかる小高い丘の上の自然公園にシートを敷くと、三脚望遠鏡を空へと向けていた。

 手元には少女が自作したノートPCが二つ並べられている。一方の画面には気象庁のデータと連動して天体観測に最適な方角と時刻を算出するソフトが展開されており、もう一方のPCには先ほど少女が飛ばした観測用自律飛行体(ドローン)が六機とも成層圏に到達したという通知が表示されていた。

 飛行体(ドローン)には偵察衛星と同等の高画質カメラが搭載されており、自動追尾機能と急激な倍率調整(アジャスト)にも対応できるように事前に学習させておいた人工知能が組み込まれている。真冬の、なおかつ夜中の気温の()てつきそうな問題を除けば、この日の為に色々と準備をしてきた少女に隙はなかった。

 

「………、」

 

 見上げれば、無数の宝石たちが闇に瞬いている。

 

 少女はポケットのなかの、使い捨てカイロをぎゅっと握りしめる。乾き切った唇がぶるぶると震え、息を吐くと、窒素と酸素と二酸化炭素とその他の成分で構築された白い霞は重力から解放されたようにふわりと消える。

 携帯していた魔法瓶の蓋を開けた。もくもくと煙のように湯気を出す緑茶を、とくとくと紙コップへと注いでゆく。火傷しないよう、啜るように口に含む。冷え切っていた身体に温かいものが広がる。既存物理世界の大原則である熱力学第二法則の実践。しかし熱を永遠に一か所にとどめておくことはできないため、緑茶から少女の体内に移動した熱は、すぐに厳寒の大気中へと放出されてしまう。そうすると寒さを嫌うのなら新たな熱源を取り入れる必要が出てくるわけで、必然的にトイレが近くなるのが悩みだった。緑茶の中身は、半分近くに減ってしまっている。

 

 澄み渡るような快晴なのが、幸いだったが。

 

 問題は、流星群がいつ上空を通過するのかということだった。予想時刻から既に一〇分が過ぎている――宇宙開闢からの経過時間と比べれば一〇分なんて数字は一〇の三四乗ぶんの一秒にも満たない――が、空に変化は見当たらない。外気圏で滞空(ホバリング)する飛行体(ドローン)から送られてくる映像も同じく。

 じゃっかん焦れていると、ようやくそのときが訪れた。

 

「――ぁ」

 

 光が奔る。

 

 一瞬だった。

 空の端から端へと、一瞬。

 

 また光った。

 

 奔り抜けたところに、流星痕が筋となっている。

 

 いくつも重ねるように、どんどん空から光が流れてゆく。

 

 上から下へ。

 西から東へ。

 

 PCを確認した。飛行体(ドローン)の録画機能はしっかり動作している。抜かりはない。

 

「きれい……」

 

 一生に一度しかお目にかかれない光景は、まるで光の雨のようだった。耳を澄ませば、星屑たちの奏でる音までもが此処まで聞こえてきそうなほどで。

 

 恍惚(うっとり)と眺めていると、あっという間だった。

 

 気が付くと、ピークほど流れなくなっている。もう終わりが近いらしい。名残惜しさはあるものの、不満はない。なにせあれらは海王星よりも更に外側の世界から遥々やってきたのだから、不満どころかむしろ感謝の言葉しかなかった。

 しいて挙げるのならば、まだ少女の頭のなかにしか存在せず基礎理論と外部パーツしか完成していない空を駆けるための“翼”がこの場にあれば、という口惜しさくらいだが。

 それはそれとして、後片付けをしなければならない。

 でも、もう少しだけ余韻に浸っていたい。

 

 そんなときだった。飛行体(ドローン)おかしなもの(・・・・・・)を感知したのは。

 

 高温の熱源反応が、ぽつんと闇空に流れている。流星と違い、成層圏内という低い位置であるから隕石だろうかと首を傾げたが、すぐに違うと判った。赤外線カメラが計測した「隕石」の体表温度は、断熱圧縮によって跳ね上がっているはずの本物のそれよりも明らかに低い。まじまじと画面を覗き込んだ瞬間、レーザー観測機と「隕石」の相対距離が不可解な変化を現した。

 

 驚く少女の脳裏に、「隕石」の三次元的な動きが再現される。一度ではなかった。ディスプレイを拡大しようとするその間にも、飛行体(ドローン)から照射されるレーザーを浴び続ける「隕石」は落下にあるまじき蛇行を繰り返しながら、ついにはレーザーから逃れようとしているかのように縦横無尽に上昇(・・)し始める。

 慌てて少女は全飛行体(ドローン)の飛行形態を噴射推進(ジェット)モードに切り替え、謎の「隕石」を追跡させた。解析も並列して行う。“これ”はエラーか? それとも何かの錯覚か? 少女は湧き上がるものを感じながら自問する。流れゆく星々が叶えてくれた束の間の夢幻(ファンシー)、もしくは気が狂った(ルナティック)、だがそうでもないのだとしたら?

 

 突如としてビープ音が響き、飛行体(ドローン)一機との通信(シグナル)が途絶した。

 すぐに画面を切り替え、他の飛行体(ドローン)の記録を逆再生する。映像には、飛行する“何か”から放たれた凄まじい火炎(・・)に撃ち落とされる飛行体(ドローン)が映っていた。

 

「わ、わ、わ……」

 

 少女はあたふたと取り乱した。間違いない。これは夢じゃない。

 なら、――なんだ“これ”は。

 

 未知との遭遇に、顔がふにゃりと綻ぶのを抑えきれないまま、少女は逃がしてなるものかと追いかけるが。「くそっ」近付き過ぎた三機は間を置かず撃墜(・・)され、このままでは全滅しかねなかった。的になるのを避けるためレーザー照射を中断し、残りの飛行体(ドローン)に着かず離れずの位置を維持させると、今度は望遠鏡を自動状態に切り替える。飛行体(ドローン)からPCに送られてくる座標情報と赤外線及びシャレで取り付けたつもりがまさかの面目躍如である生体信号(・・・・)センサを頼りに格闘し、ついに少女は“何か”の片影を捉えることに成功した。

 尊い犠牲を払って掴み取った垂涎の情報。成層圏を高速で自在に飛行し、摂氏二〇〇〇度を超える炎を撒き散らす“何か”の正体が、今やファインダーの枠内に収められていた。

 

 即ち、黒い翼を持つ大鳥のような不明生物(・・・・・・・・・・・・・・・・)が。

 

「……あ!」

 

 最後の飛行体(ドローン)からの通信が途絶した。急速旋回した“怪物”の、超広範囲の火炎(ブレス)を避けられなかったためだ。

 まったく、と少女は罵倒とも賛辞ともつかない声を上げた。まるで現実に侵出してきた御伽噺の怪物だ――むしろこの場合は、少女のほうが空想に微睡んでいると考えるほうが現実的かもしれないが――自分史上最も目が冴え渡っているといっても過言ではなかった少女は、映像解析を続けながら“怪物”に心の裡で呼びかけた。口角を吊り上げて。「ようこそリアルへ、歓迎するぜ」。それはそれとして、ぜったいに逃がしはしないからな。

 飛行体(ドローン)は撃墜されたが、“目”がまだ残っている。この天才(わたし)様を舐めるなよ、伊達じゃないんだ。望遠鏡は休みなく上空の“怪物”の尻を追いかけている。だがもし“あれ”の気が変わって太平洋にでも飛び去ってしまったら? いくら少女が意気込んでみたところで、翼なき身では追いかけることはできない。飛行体(ドローン)無き今の少女にとって、手の届く星空は悔しいかな有限で、この視界いっぱいが限度だった。

 

 “翼”さえあれば。

 強気の仮面の裏側で、焦りと不安と後悔とに襲われながら、少女は歯噛みせずにはいられない。“コア”が完成してさえいれば、こうやって見上げているだけじゃなく、今すぐこの場から“あれ”を追い掛けることだってできたはずなのに。

 

 PCに表示される地上との相対距離と望遠鏡のカメラ映像を矢継ぎ早に見比べる。惑星間距離と比較すれば目と鼻の先にある“あれ”は、あと数秒もすれば永遠に消えてしまうかもしれない。でも、消えてほしくなかった。切々と願いながら、少女は数字を見つめ、そして再び目を疑った。

 

 震える指で、しかし澱みなく座標計算ソフトに数字を打ち込んでゆく。キーを叩く音を、動悸と完全に同期させながら。

 二度確認した。三度目も、結果は変わらなかった。

 “あれ”を見上げる。蛇行も止め、真っ直ぐ迷いなく飛んでいた。まるで目指すべき場所を見つけたかのように。

 計算が正しければ、あの“怪物”が目指している場所は――

 

ここ(・・)!?」

 

 やはり、篠ノ之神社(・・・・・)だった。なんだこの偶然は! できすぎだろ、と少女は歓声をあげたくなった。本当にここに来るのか。何のために? まさか地上で観測する少女の姿を認識したのか。そして火炎(ブレス)で焼き払おうとしている? 判らない。判断材料が足りなさ過ぎる。もしかしたら違うかもしれない。だけど此処にいるのはまずい。人のいない場所、ここ以外に空がよく見える場所。思いついた。居ても立っても居られず、少女は走り出していた。

 

 時おり背後を振り返りながら。無我夢中で駆け抜ける胸の裡には、舞い上がらんばかりの期待が生じている。笑ってしまうくらいに非現実的で小躍りしたくなるようなロマンチックな予感。頭のなかで思い起こされているのは、昨日テレビで再放送していた映画の内容だった。空から光り輝く石と共に降ってきた少女を助けたことで、古代文明の遺産を巡る争いに巻き込まれる少年の物語。

 早く、あの雑木林の向こうへ。あの展望台の場所へ。地面を蹴り、階段を飛ばし、鳥居をくぐり、目指した場所に、いよいよ少女が辿り着こうというときだった。

 

 無情にも、光は頭上を通過していった。

 

「―――」

 

 間に合わなかった? “あれ”の狙いは私じゃなかったの? うそでしょ? あと少しだったのに? ちからが抜けかけた瞬間、林のなかから重々しい着地音が響いた。まだだ。いる(・・)。親の仇を見つけたような形相で必死に登り詰めると、飛び込んだ広い空間で、今度こそ少女は足を止めた。

 思考も、止まらざるを得なかった。飛び込んできた光景の衝撃に、思わず口が半開きになっていた。

 

 神威を放つ巨いなる体躯。

 太陽を秘めたかの黄金瞳。

 夜よりもなお(かぐろ)い宇宙の暗黒を凝固したかのような闇色の肢体と、死を捕食する最たる象徴の凄絶なる(あぎと)を兼ね備えた、現実に侵出してきた御伽噺の怪物。

 ドラゴン(・・・・)

 

 その、傍らに。

 

 展望台に脚を下ろす「ドラゴン」に寄り添うようにして、よく見知った子供が佇立していた。

 

 

(ゆう)、くん?」

 

 

 篠ノ之(しののの)(たばね)は、呆然とした気分で呟いていた。ほとんど聞こえない、小さな声でありながら、少年――まだ小学生にもなっていない彼――は瞬時に反応し、立ち尽くしている束を見つけると、気まずさと驚きが綯い交ぜになった表情を浮かべ、小さく手を挙げた。

 

「やあ、姉さん。こんばんは」

 

 今日は月の綺麗な夜ですね。

 そんなに慌てた顔をして、なにか好いことでもあったのかな。

 

「な、……にそれ」

 

「ん?」

 

「それ。なに?」

 

「んんん……」

 

 束の、八歳下の弟が小首を傾げると、背後で巨大な「ドラゴン」が弾けるように消失し、更に少女は瞠目した。

 

「なんでしたっけ。あ、そういえば姉さんはどうして此処に? もう夜ですよ。いい子は眠る時間でしょう」

 

「結くんがそれを言うの。もしかして誤魔化すつもり? 誤魔化せるとでも?」

 

「なんのことだかわかりませんが、姉さんは疲れていて幻覚を見ていただけなんですよ」と、幼児らしからぬ(とぼ)けた口ぶりで言う。「姉さんは美人なのにいつだって寝不足で隈を作ってばかりで、僕は弟としてとても心配しているんですよ。――【スリープソング】」

 

 不意に不思議な音が聞こえ、くらり、と意識が(くら)みかけた。

 しかし少女の腕は、がっしりと弟の肩を掴んでいる。

 

「いま、なにか、した?」

 

「【マカジャマオン】」

 

「――っ、……なんだかわからないけど、“それ”、効かないよ」

 

「だめか。流石は超人、これも抵抗(レジスト)するのか」

 

「ねえ今の――今の、ドラゴンだよね。なんで消えたの? 君がやったの? どうやって消したの? あんなに大きかったものが急に消えて空間に何の影響もないだなんてもしかして量子変換の一種なの? ていうか空を飛んでたよね。結くんがドラゴンに乗って飛んでたの? なんで結くんがドラゴンに乗って空を飛んでたの? 結くんは――」

 

「これはまずい。プランDだな」

 

 捲し立てる束に対し、弟は双子の妹とそっくりな顔立ちで、庇護欲をくすぐるような貌を作った。

 

「えっと……答えなきゃ、だめ?」

 

「うんっ」

 

「かなり食い気味の反応。これは、んんん……顔、近いんだけど」

 

「ねえねえ結くん、君って、もしかして宇宙人だったりする?」

 

「いえいえ姉上。僕はクリプトン星からやってきたわけでもなければ、ミュータントでもありませんよ。れっきとした地球原産の、日本育ちです。ちなみに五歳」

 

「じゃあなんなの(・・・・)?」

 

「……見られちゃったか」

 

「ばっちりね。証拠映像だってある」

 

「まさかと思うけど、あの飛行物体って、姉さんのですか?」

 

「そうだよ。言いなよもう逃げられないよ。逃がさないよ答えるまで逃げられると思ってるのもしかしてこの期に及んで?」

 

「うーん。困ったな」

 

「喋っちゃいなよ。ね? 悪いようにはしないよ」

 

「本当に?」

 

「だって私は君のことが大好きな君のお姉ちゃんなんだよ結くん? 君の答え如何(いかん)によってはもっともっと君のことが大好きになるかもしれないけどね」

 

 観念したようにぐったりと肩を落とした弟は、かぶりを振ってため息をつくと、僅かな隙を突いて腕からするりと抜け出し、振り返った。

 

「“天災”が相手なら仕方ないか」

 

 その眼差しに、思いがけず息を呑む。

 

「オーケー。皆には黙っていたんだけど。じゃあ、この場を借りて告白します」

 

 弟の足元で不可視な“何か”が揺らぎ、背後にも“何か”が現れようとしている。

 

「【来い】、【セト】」

 

 空間に亀裂が入るように光が生じ、“何か”が一つのかたちへと収束してゆく。

 

「……さっきのは、僕の〈魔法〉の一つでして」

 

 収束した“それ”は、紛うことなき、闇色の巨いなるドラゴンだった。

 

 

「姉さん。――実は僕、魔法使いなんだ」

 

 

 龍の(おとがい)に触れながら、弟は気恥ずかしそうに笑みを見せた。

 

「―――」

 

 ぞくぞく(・・・・)する。鳥肌が立っているのは、寒さのせいだけじゃない。

 これから間違いなく日常は素敵に一変する。それを決定づける運命の台詞を受けて、束の躰は、()っていた。もしかしたら、あそこ(・・・)も濡れていたかもしれない。

 

「結くん」

 

 思いっ切り抱きしめて、囁く。

 

「君って最高」

 

 顔を抑え込み、唇に自分のを押し付けた。

 

 ぶちゅ、ぢゅるるる、

 

 ぢゅるるるる。

 ちゅぽんっっ。

 

 弟は、束の情熱的かつ衝動的な行動に普段のフラットな仮面を維持できなかったようで、暗がりにもはっきりと判るほど真っ赤な、少し早めの河津桜を咲かせている。

 そんな愛らしい反応に覆い被さりながら、再び束は口を開いた。

 

 

 闇のなか、凍えそうな月明かりだけが、二人の秘密を照らしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・ペルソナ【塔】
■ベルフェゴール(状態異常付与担当)
■レッドライダー(再生促進付与担当)
■マガツイザナギ(???)
■セト(高速移動手段担当)
■ブラックライダー(高速移動手段担当)
■マーラ(継続勃起支援担当)
■ヨシツネ(高速殺戮戦闘担当)
■マダ(広域殲滅戦闘担当)

・制限1:使用可能スキルはペルソナ5Rに登場したものに限定。
・制限2:持ち込み可能アイテム枠は最大一つまで。

・補足1:パッシブスキルは〈ハイグロウ〉同様所持しているだけで効果を発揮。
・補足2:使用したスキルカード生成条件は「5(無印)」及び「5R」を参照。

・蛇足:【塔】は16番目のアルカナに属する(Wikipedia引用)。
 【正位置】においては以下の意味を持つ(破壊、破滅、崩壊、災害、悲劇、悲惨、惨事、惨劇、凄惨、戦意喪失、記憶喪失、被害妄想、トラウマ、踏んだり蹴ったり、自己破壊、洗脳、メンタルの破綻、風前の灯、意識過剰、過剰な反応など)。

 【逆位置】においては以下の意味を持つ(緊迫、突然のアクシデント、必要悪、誤解、不幸、無念、屈辱、天変地異など)。


 本作には「独自設定」「著しい改変」「捏造」「近親愛」が含まれます。

















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02 お姉ちゃんにしてたみたいに





















 

 

 

 女が、手を広げている。

 髪のように無数の腕を持つ女が、深いところで誰かを待ち続けている。

 

 

 

 

 

 1.

 

 

 

 身動ぎする気配に、意識が浮上した。

 衣擦れの音が、静まり切った部屋に微かにしている。布団のなかで自分以外の体温を探すと、隣に一人ぶんの隙間が空いていた。

 

「お兄ちゃん……?」

 

(ほうき)

 

 やわらかい声に、ぼんやりと瞼を開く。

 

「朝だよ。今日はどうする? 眠いのなら、まだ寝ててもいいよ」

 

「おきる……」

 

「そう。偉いね、箒は」

 

 先に行ってるよ。そう残し、気配が離れてゆく。身体を起こすと、しばらく呆としていた。あくびをもらしながらなんとか布団を抜け出すと、空気と、木造の床が裸足に冷たくて、ひゃあっと声が出そうになる。

 洗面台で顔を洗ったのち、更衣室で着替えに袖を通し、掃除用具を手にして境内に降りた。

 

 辺りを見回すと、塵を掃いている白衣の少年の後ろ姿が目に留まった。足音で気が付いたのか、おもむろに彼が振り返った。

 

 篠ノ之(ゆう)

 箒の双子の兄は、鏡写しのような瓜二つの顔に、柔らかな笑みを湛えていた。

 

「よく起きれたね。二度寝したかと思った」

 

「おきるって、言った」

 

「そうだったね」

 

「お父さんは」

 

あっち(・・・)。僕たちは、こっちだってさ」

 

 昨日は雪が降りそうなほどの寒さであったため、夜気は蒼空の朝陽でも和らいでいなかった。箒はマフラーと手袋を装備して朝の勤めに挑もうとしていたが、兄は物心ついたときからそういったことに苦慮した試しがないらしく、今も防寒の類は一切身に着けていない。見ているだけで寒くなりそうだと鼻を赤くしていると、やおら兄が口を開いた。

 

「箒、目やに(・・・)ついてるよ」

 

「どこ?」

 

「ほら。じっとして」

 

 目を閉じると、指がやさしく触れてくる。

 

 ん……、

 よし。いいよ。

 とれた?

 うん。

 

「じゃ、やろうか」

 

 朗らかに笑う。それから、「そういえば」と思い出したように言った。

 

「おはよう、箒」

 

 つられるように、箒も笑みをこぼしていた。

 

「はい。おはようございます、お兄ちゃん」

 

 

 

 2.

 

 

 

「おはよう結くん箒ちゃん、今日も二人そろって可愛いねえっ」

 

 朝食の時には姿がなかった制服姿の姉が、突然兄との登校中に現れると、抱き着いてきて言った。

 

「おはよう姉さん。今日もテンション高いですね」

 

 おはようございます、お姉ちゃん。箒が小さく呟くと、姉は全開の笑顔で頭を撫で回してくる。「うんうん、やっぱり朝イチの箒ちゃんは可愛いなあ!」せっかく兄に整えてもらった髪が崩れるからやめてほしい。

 

 兄も、苦笑いしている。

 

「訂正。姉さん、いつもよりテンション高いですね」

 

「あ、わかる? 流石にわかっちゃうかー結くんには」

 

「なにか好いことあったのかな」

 

「うむうむ。実はねー」

 

 だいぶ賑やか(ハッピー)な言動を垂れ流そうとしている姉には、少し前に箒が見かけた、消沈した様子の陰りは見当たらない。

 家に顔を出さず、外にいることが多くなり、たまに遭遇した姉は凍り付いたような眼差しをしていた――箒と視線が合うと、それは幻覚であったかのように霧散したが――普段と違う篠ノ之束に、流石の箒も少なからず心配していたのだ。

 自他ともに認める天才科学者の姉が発表した渾身の論文「インフィニット・ストラトス」が、姉曰く凡人どもの学会で嘲笑の嵐を浴びたためだと、正確に理解していたわけではなかったが。

 

「調整は、いよいよ最終段階ですか」

 

「そうだよ。それでね結くん、今日も“アレ”、お願いできるかな」

 

「いいですよ。それは。もちろん」

 

 復活したら〃々したで、今度は兄と二人で何かを企んでいるらしく、蚊帳の外にいる箒にはそれが面白くなかった。

 

「あれあれ、どったの箒ちゃんそんなにお姉ちゃんのこと睨んだりして。もしかして気になってる、“アレ”ってなにって?」

 

 図星だった。箒は答える代わりに顔を背けると、繋いでいる兄の手に力を込めた。

 

「どうします」

 

「結くんは?」

 

「僕は、話してもいいと思うけど。箒はちゃんと、秘密、守れるもんね?」

 

 何について話しているのかは、やっぱり分からなかったが。

 兄の視線に、おずおずと箒が頷くと、姉は「じゃあ少し早めのお披露目だね!」とチャーミングに片目を瞑った。

 

「……ひみつって?」

 

 道を別れ、学校が見えてきたとき、箒は姉がいたときには切り出せなかったことを訊いた。

 

「あとでわかるよ。あとのお楽しみってやつ」

 

 人の数がぼちぼち増えてくると、箒はそっと兄の腕を振り(ほど)いた。

 後ろから駆けて来る生徒たちが、正門をくぐりながら脇に立つ教師たちに挨拶している。

 子供たちの元気な掛け声を耳にしながら、箒は次第に憂鬱の染みが裡に広がってゆくのを感じ、静かに睫毛を伏せた。

 朝の掃除の疲れとは別の理由で重くなっている足を動かし、誰一人知る者はいないであろう葛藤の末に、箒は今日も退屈な時間に耐えることを心に決めて、いつものように、大人しく門をくぐる。

 

 妹の複雑な心理を分かってくれない兄のことを、このときばかりは、箒は恨めしく思っていた。

 

 

 

 3.

 

 

 

 騒がしい。喧しい。

 

 教室は、しかし箒の周りだけは揺れない水面(みなも)のように何もない。誰かが必要以上に話しかけてくるということも、なかった。

 兄に借りた児童書を机に広げながら、箒は時おり窓際の席から外を窺った。はたしてこれで何度目になるのか。そのたびに日が暮れているのを期待しながら、つど期待を裏切られつつ、時間はゆっくりと平坦に過ぎていった。

 ようやく本日最後のHRが終わり、ランドセルを背負いながら教室の入り口を見やると、兄が軽く手を振っていた。

 

 周りから生徒の目が消え、二人だけの道になると、箒はやっと兄と手を繋ぎ直すことができた。繋いでいるのをクラスの人間にからかわれてから――兄は気にしていないらしかったが――箒は見られるのを避けるようにしていた。

 

「今日のテストはどうだった?」

 

「かんたんだった」

 

「そっか。頑張り屋さんだものね、箒は」

 

「でも一つだけ、むずかしいのがあった。さんすうの」

 

「もしかして、最後のあれかな。びっくりしたよね、急にチャレンジ問題って。あれって一年生の範囲じゃないよ、たぶん中学生とかのだ。先生は何考えてあんなの混ぜたんだろう」

 

「わかったの?」

 

「まあ、なんとか」

 

「はー」

 

「んん……、疑うことを知らない妹の無垢な眼差し」急に明後日の方向を見やると、ぶつぶつと呟き始める。少しだけ聞き取れた。「やっぱり【ハイグロウ】と【アドバイス】はチート」とかなんとか。

 

「お兄ちゃん?」

 

「いえいえ、何でもないよ。たんに僕の妹は天使みたいに可愛いってだけの話だから」

 

「……そういうの、お姉ちゃんみたい」

 

「誉め言葉かな?」

 

「ううん」

 

「ですよねー」

 

 だと思った、と兄が笑う。

 箒も笑っていると、あっという間に家についてしまった。

 

 居室に荷を下ろした箒は、それから一刻ほど挟んだのちに衣服を改め、道場を訪れた。

 

 広々とした、壁に本物の薙刀や刀剣が掛けられている古めかしい道場の神棚前に、白袴姿の兄が正座していた。

 

「来たね」

 

 子供用の短い竹刀を受け取ると、黙々と箒は準備運動に取り掛かった。怪我予防のための柔軟体操の徹底は、師範である父からも言い聞かされているため、手を抜くことはしない。

 

 横並びに立った。

 浮かれた気分は、無くなっている。

 

 礼。

 構え。

 

「おねがいします」

 

 習練の内容は、いつもと変わらなかった。

 竹刀を上段に構え、振り下ろす。ただそれだけだ。

 

 防具を(まと)っておらず、監督役の大人もいない。骨格が小学一年生の未成熟なそれであるから激しいメニューもできないため、ひたすら素振りを繰り返しては休み、繰り返しては休み、繰り返しては休むを繰り返し続けるという、反復一色の基礎練習のみだったが。

 

 振り上げて、振り下ろす。

 振り上げて、振り下ろす。

 

「休憩」

 

 一〇分に一度の小休止。

 すぐに終わり、始まる。

 

「再開」

 

 延々と続ける。互いに無言のまま、一糸乱れずに。鏡合わせのように。

 静寂を吸い込む道場に、摺り足と、風を切る音だけが鳴り響くように。

 

 振り上げて、振り下ろす。

 

 激しさのない、単調な動作ながら通しで続けていると次第に腕が痺れてきて、箒はここからが我慢のしどころであると自分に言い聞かせる。まだ限界じゃない、まだわたしはやれる。しかし指先からは徐々に握力が無くなっていき、身体は竹刀の重さに乱されるようになる。動きが鈍くなると、振り下す間隔が一定に保てなくなり、重なっていた刃音が段々に遅れ始める。後れを取り戻そうと力を籠めると、そのぶん余計な体力を消耗してしまい、ますます基本の型が崩れてゆく。

 

「休憩」

 

 一〇分に一度の小休止。

 告げられると同時に、箒は座り込んでいた。呼吸は荒い。汗が顎先を滴っている。

 

「休憩終了。習練再開。……まだやれる、箒?」

 

 大人でも苦痛に思うトレーニングでありながら、ましてや子供である箒は、それでも涙を浮かべつつも、絶対に泣き言を口にしようとはしない。

 頷くことで、答えた。

 

 振り上げて、振り下ろす。

 

 意地だった。辛くとも決して、投げ出したりはしない。箒はそう決めていた。

 篠ノ之流のためだけではない。投げ出したくない理由は、もっと単純に、隣で竹刀を振る兄のためだった。

 

「休憩」

 

 かつては、いつも一緒にいたのだ。何をするときも、どこへ行くときも。箒と兄は、一緒だった。

 双子と云えども、その趣味嗜好や性格までもが同一になるわけではない。箒が内向的な性格であるのに対し、篠ノ之結は物怖じしない利発な子供であり――その才覚は周囲に否応なく傍若無人の天才を思い起こさせたというが――しかし兄妹の仲は非常に良好だった。

 

 箒にとって、兄の存在は特別だ。箒は兄の教えてくれる話が好きだったし、兄と日が暮れるまで遊ぶのが好きだった。兄は箒のどんなに(つたな)い話でもちゃんと楽しそうに聞いてくれたし、恐いことがあればいつだって傍にいて安心させてくれた。物知りで、やさしくて、守ってくれて、とても頼りになる。常に一緒にいてくれる。姉よりも、母よりも、父よりも。箒は、兄のことが好きだった。

 

 ところが小学校に通うようになると、かつて一日を占めていた安寧は、大きく失われるようになった。

 兄とは別のクラスになり、兄ではない子供たちと一緒に過ごす時間が増えた。

 兄に比べて喧しいだけの男子。兄に比べて騒がしいだけの女子。そして周囲に馴染めずに、兄のいない教室でひとり静かにやり過ごしている自分。

 知らない子どもたちの輪のなかに兄を見つけても、声を掛けられない。俯いて、兄に気づいてもらうのを待つことだけしかできない。兄も、いつも一緒にいてくれるわけではなくなった。

 

「再開」

 

 箒が剣道を始めたのは、兄に誘われたからだ。

 才能があることを知った。剣に集中することが苦ではなく、学校に行くのと比べれば、練習も嫌いではなかった。何より上達するほどに、兄が自分をこれまで以上に褒めてくれるようになった。

 箒は再び、兄を独占できるようになった。剣道をしている間だけは、ずっと兄は自分と一緒にいてくれる。

 楽しかった。だが一方で不安もあった。兄の技量は日に〃々上達している。兄が竹刀で対戦をする場合、その相手はほとんどが上級生だった。同年代では相手が務まらないからだ。しかも体格差というハンデがありながら、兄はことごとくを勝利した。同じようにしろと言われても、箒には真似できない。それほどの隔絶した差が、兄との間には存在していた。

 

 もしも習練で手を抜き、差がより広がってしまえば。箒は考えてしまう。兄は、自分の相手をしてくれなくなるのではないか。今はこうして一緒にいてくれるけれど、そのうち兄は自分のことを迷惑だと思うようになるのではないか。

 

 父から、(いさ)められたこともあった。お前は兄とは違うのだから、兄の真似をする必要はないと。母も同じようなことを言った。二人は兄を咎めた。二人には、長女のことが浮かんでいたのだろう。兄は非を認め、反発する箒を宥めようとした。しかし箒は激しく泣いて両親に頼み込んだ。兄と一緒がいいと。兄を怒らないでほしいと。

 滅多に泣かないはずの箒の、おそらく初めてと言える必死の懇願に、両親は折れた。そして練習を続ける代わりにいくつかの条件を厳命した。勝手に練習しないこと、大人がいない場合は必ず兄の指示に従うこと、無茶をしないことなどを。

 箒は承諾した。両親の言うことには冷静に考えれば一理も二理もあるし、兄もそれらを条件とした以上、受け入れざるを得なかったからだ。

 箒は努力した。限られた時間のなかで、更に上達するために。怪我をしないよう気を付けながら。もしも怪我してしまえば、そのときは兄も怒られることになる。場合によっては、約束を破ったとして剣道を取り上げられてしまうかもしれない。兄に少しでも近づくという目標を前に、箒は小さな躰の内側で自制心と向上心とが激しく鬩ぎ合うのを感じながら、日々努力し続けた。

 

「終了」

 

 最初に心に決めたときから、箒は不利(・・)と知りながら、それでもなお挑み続けている。

 

「お疲れさま」

 

 この(ひと)を――

 この(ひと)と最も親しく、この(ひと)と最も近しい存在である姉に、奪われたくないから。

 

「……大丈夫?」

 

 最後の素振りに耐え終わると、くたくたになりながら箒は大の字に倒れた。肩で息をしながら、かろうじて声に頷いてみせる。

 

「頑張り過ぎだ。そんなに、焦らなくてもいいんだけどな」

 

 心配そうに見下ろし、箒の顔に張り付いた髪を整えながら、兄が言った。箒と違って、疲れている様子は見られない。悔しいという想いが疲労に紛れ、心が曖昧になる。指先に身を任せていると、不思議な感傷が前置きなく過ぎった。同じ顔なのに、こんなにもわたしたちは別人で、それが嬉しいのに、同時にひどく哀しくもある。胸の奥に、唐突に痛みにも似た疼きを感じ、鼻がつんとしてくる。慌てて手をどけさせて、兄に背を向けた。

 

「【ディア】【アムリタ】」

 

 兄が何かを呟きながら、箒の背中に手をあてた。

 すぐに何か“あたたかいもの”が、血流が巡るように背中とお腹の辺りから全体に広がり始める。躰の火照りが引き、息をするのが楽になった。

 

「下位の技も“上位スキル”を持っていれば覚えることができるって、もうちょっと早く気づきたかったけど。そりゃ枠制限なんて現実じゃあるはずないもんね。どう、箒。少しはマシになったかな」

 

「うん」

 

 習練のあとに、いつも兄がしてくれる“手当て”。まるで魔法のように、疲れが取れてゆく。

 

「おにいちゃんは、すごい」

 

 わたしよりも、ずっと。

 

「……まあ、君のお兄さんは、魔法使いだからね」

 

 それは、兄の口癖だった。「僕は本当は魔法使いなんだ」。

 箒には理解できない、色々なことを知っている兄。

 兄を見ていると、本当にそうなのかもしれない、と箒は思う。そして、弾むような喜びと、言葉にできない寂しさを感じる。

 

「おにいちゃん」手を伸ばしながら、見上げた。「おこして」

 

「よしきた」兄が腰を上げる。「ほら。立てる?」

 

「へいき」

 

「オーケー」

 

「でも、あるけないかも」

 

「おんぶする?」

 

「うん」

 

 兄のにおいがする。兄の顔が、すぐ近くにある。

 

「シャワー入らないとな」

 

 ふと、この間ぐうぜん見てしまった、兄と姉が唇を合わせていた光景を思い出した。

 

「箒?」

 

 しがみ付く。兄の首に腕を回し、足を絡めるようにして固定する。

 

「お兄ちゃん。わたし、つかれました」

 

「ああうん。だろうね」

 

「うごきたくない」

 

「それは珍しい」

 

「シャワーって、めんどうだもん。しみるし」

 

「でも、いっぱい汗かいただろう?」

 

「……お兄ちゃんが」

 

「ん?」

 

「……なんでもない」

 

 洗ってよ。お姉ちゃんにしてたみたいに。

 

「どうした。まだつらい?」

 

「ううん。なんでも」

 

 映画のなかで、恋人同士が交わすみたいに。姉と唇を合わせていた兄の、あんな表情は。

 

「なんでもない」

 

 腕を、深く巻き付ける。誰かに見せつけるように。あるいは、思い知らせるように。

 

 ――“これ”は、わたしのものだ

 

 箒は呟いた。

 心の奥底で。

 

 

 低い声で。

 

 

 

 4.

 

 

 

 夜の一一時を回ると、人の動く気配は家から完全に消えてしまう。

 子供部屋も当然のことながら消灯していたが、闇に身動きする気配は、二つあった。

 

「準備はいい?」

 

 兄の囁くような音量に、箒は寝衣(パジャマ)ではなく防寒服を着込んだ格好で頷いた。

 

「音を立てないよう、気を付けるんだよ」

 

 玄関の収納棚から事前に回収しておいた靴を手に、忍び足で廊下を渡り、解錠した窓から外に出る。兄の淀みない一連の行動に、もしかして慣れているのだろうかと思いながら、箒は期待で胸が弾むのを抑えきれなかった。

 

 淡い雪が、闇夜にふわりと舞っていた。

 

 束の間立ち尽くしたが、冬の深夜ということもあり、風が吹くと勝手に歯が鳴り出してしまう。「ほら」と促されて手を握った。すると、全身の震えが鎮まった。「こっち」寒さが和らいでいる。これも、兄の“魔法”なのだろうか。

 連れられて歩いた先は、神社裏の林の奥だった。何があるのかと訊けば、いいから、と軽やかに返される。

 ほどなくして開けた場所につき、誰かが立っていることに気が付いた。

 

「やあやあ二人とも、こんな時間に家を抜け出したりするなんてなかなかに見所のある悪い子たちだねえ」

 

「それを言うなら姉さんたちもそうでしょう。というか、前にもやったことある気がするな、こんな感じのやり取り」

 

 姉と気兼ねなく話す兄だったが、箒の目線は姉の横に立つ人物へ向けられていた。

 見覚えがある。篠ノ之流剣術道場の門下生の一人。名前も知っていた。彼女こそが、兄と互角以上に戦えた数少ない人間だったからだ。

 

「束」

 

 織斑千冬(おりむらちふゆ)の鋭い眼光を浴びて、姉はフランクに肩をすくめた。どうでもいい存在に対しては徹底してどうでもいい振る舞いをする姉が気を許している数少ない人物である織斑千冬が、どうしてこの場にいるのか。

 じっと箒が見つめていると、姉と同い年とは思えないほど落ち着き払った顔で、織斑千冬は「話すならさっさとしろ」と姉の頭を軽く叩いた。

 

「もうちーちゃんったら。ごめんね、じゃあさっそく説明するよ……」

 

 お姉ちゃんのあたまをたたいた! 織斑千冬と篠ノ之束が普段どのような関係なのかあまり知らない箒にとっては衝撃的な光景であり、思わず愕然と見開いてしまったが、姉は気にしたそぶりもなく話を進めてゆく。

 ほとんどが専門用語の羅列であったためまったく理解できていない箒だったが、それから数分後には、想像もしていなかった光景と真実を知ることになった。

 

 

「――わ――」

 

 

 雑木林で四人が集ってから数分後。

 

 箒は、空を飛んでいた(・・・・・・・)

 

 スカイダイビングのように落下しているのではなく、ヘリコプターに乗って飛び上がるというわけでもない。

 現実ならぬ御伽噺から現れた漆黒の龍(・・・・)の背に乗りながら、地平線が丸く見えるほどの高度の未知の絶景に、箒はひたすら感嘆の息を漏らしていた。

 

「お兄ちゃんっ」

 

「どうした?」

 

「いまのって、フジサン!?」

 

 〈セト〉を、どこからともなく呼び出して操っている兄の背に抱き着きながら訊くと、兄は楽しげな声をして頷いた。

 

「そう。あれが富士山。実物を見たのは初めてだろうけど、どうだった」

 

「あっというまだったけど――なんか、ちっちゃかった!」

 

「……中部地方の人たちが聞いたら悲しくなるような感想だなそれ。まあ、僕たちがいるのは上空五〇〇〇メートル弱の世界だからね。どんなオブジェクトでも、俯瞰すれば大抵はミニチュアだ」

 

 もっと上がるよ。兄が言う。

 

 頭上には、煌めき輝く満天の星空とまん丸のお月さまが浮かんでいる。

 眼下には、人間の営みの証である人工光点が大勢散りばめられている。

 

 そして〈セト〉の前方では、IS(インフィニット・ストラトス)――即ち人型万能機動要塞(マルチフォーム・スーツ)(よろ)った織斑千冬が飛行している。

 

 林のなかで彼女が変身(・・)したときには驚愕させられたし、次いで兄が〈セト〉を出現させたときには顎が外れそうなほどに箒は驚いた――しかも星の海を飛んでいる、まるで夢みたいな体験だ――が兄が本当に本物の魔法使いであったことと、自分がアニメのなかにいるような興奮によって、今は目の前の非現実的な、幻想的とさえ言える光景を、あるがままに受け入れることができていた。

 

 箒は、戦闘機すらも振り切れるISの移動速度に追いつける〈セト〉が現在どれほどの速度で飛行しているのかを知らないし、そもそも姉たちが何のテストを行っているのかも分かっていない。上空五〇〇〇メートルともなれば地上よりも遥かに凍てつくような寒さが襲い掛かるはずだがそんなものは一切感じず、本来であれば大気中を高速で移動した際に生じる凄まじいはずの空気抵抗さえも、〈セト〉から発せられている不可視の力場(・・)によって無効化されているという事実を、言葉で理解することはできていなかったが。

 

 それでも、強く確信していることがあった。何の問題もないということを。兄が守ってくれている、それを感じることができていたから。

 恐怖は、なかった。

 

「どこへいくの?」

 

 背中に話しかける。

 

 ずいぶん遠くまで来ていた。それに高い。篠ノ之神社は此処からだと、どの方向にあるのだろう。周囲は闇だ。それ以外はあえかな光。

 知らない場所だった。凪が止んだように、とても静かな景色。粉雪が揺れていた。不安は感じていない。

 兄がいてくれるから。

 

 

 織斑千冬が消えていた。

 

 

「お兄ちゃん?」

 

 兄が振り返る。

 振り返った顔は、兎の仮面で隠されている。

 

「天国ではない場所」

 

 

 世界が昏んだ。

 

 

「え?」

 

 兄が消えていた。

 

 腕は、兄の服ではなく〈セト〉の鱗を握りしめている。

 

 誰もいなかった。いるのは、自分ひとりで。

 

 突然、振動に襲われた。〈セト〉が急激に角度を変え、垂直に駆け上がってゆく。まって、と慌ててしがみ付いた。虚空に足が投げ出される。落ちる、と思った。振り落とされないよう必死で力を込める。全身を怒ったような風に打ち叩かれる。耳元では甲高い悲鳴のような音が鋭く喚き立ててくる。固くした指が徐々に抉じ開けられてゆく。水平線が曙色に変じ始めている。お兄ちゃん。叫んでいた。お兄ちゃん、たすけて。

 

 兄は現れない。

 

 あ、と声が出た。〈セト〉が身をくねらせた拍子に、指が滑った。呆気なく。

 

 気が付くと、虚空に。背中から。

 

 墜ちている。

 

 何も聞こえない。

 誰の声も。

 

 墜ちてゆく。

 

 黒い光。

 遠のいてゆく巨影。

 

 墜ちてゆく。

 

 手を伸ばす。

 闇空へ。

 

 墜ちてゆく。

 

 掴めない。

 届かない。

 

 

 追い抜いてゆく、雪。

 

 

 墜ちてゆく。

 闇のなかに。

 

 暗い海に。

 

 墜ちてゆく。

 

 墜ちて――

 

 墜ちて、

 

 墜ちて、

 

 

 海底で。

 

 女が、手を広げて、待っている。

 

 

 

 5.

 

 

 

 見開いた先に、闇が広がっている。

 

 目を瞬かせると、喉を震わせながら、疲れ切ったように深く息を吐いた。夢のなかでもがいていたせいか、手と脚は布団からはみ出していたうえ、冷たく痺れている。抱き寄せて体温で温め直しつつ、筋肉が弛緩するのを静かに待った。

 

 手元の時計を引き寄せる。五時五分。もう一度寝付くには、微妙な時間帯だった。

 

 ぼんやり座っていたものの、やはり眠りの波は再びは訪れず、けっきょく起きることにした。

 枕元の傍に昨日用意しておいた服装に着替える。電気ポットのコードを差し込み、キッチンで一杯ぶんの水を飲んでから、玄関に立てかけてある剥き出しの木刀を手に取った。

 誰も使わない駐車場の空きスペースで、準備運動を終えると、髪を結わえ、息を整え、目蓋を閉じる。

 

「始め」

 

 振り上げて、振り下ろす。

 振り上げて、振り下ろす。

 

 無心で繰り返す。

 

「休憩」

 

 三分に一度の小休止。タイマーは要らなかった。

 すぐに終わり、始める。

 

「再開」

 

 延々と続ける。一人で無言のまま、呼吸乱さずに。在りし日のように。

 空寂の籠もる駐車場に、ひらすら、風を切る音だけが鳴り響くように。

 

 振り上げて、振り下ろす。

 

 繰り返し、繰り返す。

 

「……終了」

 

 熱いシャワーで、汗を流してゆく。実家に比べれば狭いとはいえ、それでも一人暮らしには充分に広く感じる1DKのリビングでホットミルクを入れ、テレビをつける。ここまでは、習慣のようなものだった。

 音量は控えめで、もっぱらチャンネルはニュース番組ばかりだったが、それらのほとんどは聞き流していた。いつからそうしているのか、覚えていない。なんとなく、無音の部屋にいるよりかは、こうしていたほうが紛れる(・・・)気がしていた。

 

 ちらとカレンダーを見た。

 

 三月の第三金曜日。

 

 

 今日は、中学校の卒業式だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 ・補足:海に落ちる夢と龍が出る夢は基本的に吉夢とされる。



















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03 強くなったら




















 

 

 

 6.

 

 

 

 二人で歩いている。

 

「お兄ちゃん」

 

 はぐれないよう、手を繋いで。見失わないよう、寄り添い合いながら。

 

 のんびり進む陽の下の骨董市通りは、老若男女の見物人や観光客で盛り上がっている。肌の色を問わず。快活とした露天商や屋台の掛け声が賑やかで、並べられた小物の色どりに目を魅かれてしまう。

 

「気に入ったのはあった?」

 

「うん」

 

「こっちの、これかな」

 

「どうしてわかったの?」

 

「お見通しさ。なぜならば、僕は」

 

「魔法使い?」

 

「……んん。そのとおり」

 

 骨董市から遠のき、駅のほうへと歩いてゆく。

 繋いでいる手と逆の掌には、兄から贈られた綺麗な小箱がある。

 

「大切にするんだよ」

 

「はいっ」

 

「いい返事だね」

 

「お兄ちゃんも」

 

「うん。ありがたく使わせてもらうよ」

 

 それにしても、と兄が苦笑を漏らした。

 

「失敗したね。上手いこと誘導されたってわけだ」

 

 駅に近づくにつれ増えるはずの活気は、いつの間にか遠いものになっている。

 拡張工事の通行止め看板を避けて歩いていたら、気が付けば建物に囲まれた敷地にある、小さな公園で行き止まりとなっていた。

 

 戻ろうとして、振り返りかけた足が止まった。

 閑散とした路地を塞ぐように、大型の車両が横に停められている。

 いつからそこにいたのか。目出し帽をした集団が立っていた。全身を真っ黒に仮装した大人たちの手には、映画でしか見たことのない小銃めいた武器が抱えられている。

 

「お兄ちゃん」

 

 無言で腕を引かれ、足早に公園に入った。チーズのように穴の開いた半球形状の遊具に目を留めると、兄はやんわりと手を放し、此処で隠れているよう言った。

 

「お兄ちゃんは」

 

「あの人たちと、少し話をしてくるよ。何も心配はいらない。ただ、目と耳は塞いでおいて。良いというまで出てきてはいけないよ。これからちょっと、血腥(ちなまぐさ)いことになるかもだからね」

 

 頬に触れながら、兄が“魔法”の呪文を唱えた。【テトラカーン】、【マカラカーン】。すると身体が、何かに包まれたような感じがした。

 

「【ヨシツネ】」

 

 兄の手には、いつの間にか「刀」が握られている。魔法のように一瞬で現れた刀は、反りが深く、直刃(すぐは)刃紋が入っていて、ひたすら怜悧な印象があった。

 

 薄ら笑みを浮かべながら、兄が踵を返した。

 

 ひとり座り込むと、ドームの内側を見回した。手入れがされていないらしく、所々が錆びついている。壁には、細かな亀裂が走っている。

 

「貴方たちに言っても仕方ないとは思うけど」

 

 兄の声が聞こえた。

 

「貴方たちの後ろにいる人たちは、本当に懲りないですよね。それぞれ所属する国や組織は違うんでしょうけども、これで通算何度目になるんだろう。僕が甘かったのかな。これまで、死者は出さなかった。穏便に眠らせるか、忘れさせるだけで済ませてきたのに。今日は妹がいるのに、こんな昼間に、のこのこと大勢で、銃まで持ち出すなんて」

 

 内容までは、聞き取れない。明るい声だった。しかし明るさとは裏腹に、声音には獰猛な響きが込められていた。

 

「仏の顔も三度までだ。僕は仏さまではないけれど、けっこう我慢したほうなんじゃないかな。もしこの場に仏さまがいれば、僕を止めるかもしれないけれど……うちは生憎と、神道系(ジャンルちがい)なので」

 

 日本語ではない、男の声がした。やはり聞き取れない。だが途端に、場を委縮させるような重々しい気配が放たれ始めた。

 離れていても感じ取れるこの圧倒するような気配には、覚えがあった。これまで幾度となく道場で向き合うなかで骨身に思い知った、兄の、凄まじいまでの闘氣の発露。

 

「【ヒートライザ】」

 

 目を閉じろと言われていた。耳も、塞いでいろと。

 気配が、激烈に膨れ上がった瞬間。

 

 目を瞑った直後に、けたたましい叫喚(さけび)が弾けた。炸裂音。耳を塞いでいても聞こえてしまう。目を閉じていることだけを考えようとした。暗闇。ちゃんと座っているのか。躰が揺れているような感覚。叫喚が、途絶えた。終わった(・・・・)のか。一瞬そう思った。すぐに、より激しい炸裂音が始まった。耳を塞いでいても意味がない。兄の声は聞こえず、叫喚だけが続いている。兄は無事なのか。ここにいては判らない。兄ならば大丈夫だという確信が、銃声の恐ろしさによって削がれてゆく。此処にいていいのか。本当に、私はこうして隠れているだけでいいのか。

 立ち上がっていた。兄の声が聞こえる。何を喋っているのか。巨大なものが横転するような地響きと爆発が轟いた。相次ぐ銃声。お兄ちゃん。口のなかが渇いていた。躰が震えている。意を決し、躰を壁に押し付けながら、外の様子を窺った。

 

 そして少女は、“それ”を目の当たりにした。

 

 集団のなかで、ひときわ小柄な影が奔っている。少女と同じ顔を持つ少年。いつも微笑んでくれる兄。今は、違った。兄の顔には、何の表情も浮かんでいない。

 這うような姿勢から一気に肉薄すると、刃紋が煌々と陽に反射して美しいその刀が、喚いている男の身体に鋭く/柔らかく触れた。次の瞬間には、兄は別の男を斬り伏せていた。既に一〇人以上、沈んでいる。野太い絶叫。太刀筋は見えなかった。白刃の光。夥しい噴出の雨をひらりと躱しながら、兄が再び踊るように跳んだ。刎ね上がる腕。迸る裂帛。目まぐるしく駆け抜けてゆく姿は、(はや)過ぎて追うことができない。男たちの数は、最初に現れたときよりも増えていた。そのほとんどは、地に(くずお)れるかして動かずにいる。銃火。霞を相手にしているかのように、兄に当たることはない。同士撃ちを避けようとした銃弾が、あらぬ方向の標識を穿った。罵声。刈るような斬撃に意識を絶たれ、またも一人が血の池に沈んだ。

 

「【ジオダイン】」

 

 新たに現れていたトレーラーを、悲鳴のような雷撃が劈いた。「【セト】、【ガルダイン】【アギダイン】」暴風と爆炎が車体を呑み込み、奥で燃え上っている大型車両と同じように引っ繰り返った。

 怨嗟を吐きながら、なおも立ち上がろうとする者がいた。剣閃が奔り、男は倒れ込みながら耳を押さえた。足元には、両断された機械と耳片(・・)が落ちている。もう一閃。男の両目から、飛沫のように赤が溢れだした。

 

 あれだけの数がいた男たちは、兄を傷つけることはおろか掠めることさえも、触れることすらも叶わずに、今や四肢のいずれかを失い、瀕死の状態を晒していた。

 

 少女の躰は、縫い付けられたように一歩も動くことができなかった。胸が苦しく、音が遠くなったような気がする。目を閉じることもできず、ただ見続けることしかできない。

 気が付いたのは、偶然だった。片腕を失くした男が、腹這いになりながら銃を構えようとしている。銃口の先には、刀を提げたままの兄がいた。

 お兄ちゃん。掠れた声が出た。兄は男に話しかけていて、銃を構える男に気づいていない。躰が冷たくなった。このままじゃ間に合わない? なんとか気づかせないと――

 

「お兄ちゃんっ」

 

 一瞬、男と目が合った。

 

 憎悪に塗れた瞳。

 赤黒く汚れた銃口が、こちらを向く。

 

 悲鳴を上げる間も、なかった。

 

 

「【ベルフェゴール】、【マカジャマ】」

 

 

「………、」

 

 気が付くと(・・・・・)、兄に背負われていた。

 いつの間に(・・・・・)、眠ってしまったのだろうか。

 

 歩きながら、兄は携帯で誰かと話している。「はい、お願いします。姉さん」相手はすぐに分かった。「起きたんだ。どう、気分は。痛いところとかはない?」

 

 記憶が曖昧だった。ナニカ、おそろしい夢を見ていたような気がする。

 

「そっか。一応伝えておくよ。連中にはあのあと穏便に話をつけて、暗部に回収してもらった。ただ、姉さんが凄く怒っていてね。この件に関しては、どこぞの誰が何を言ってこようとも――」

 

 うつらうつらと、舟を漕いでしまう。兄の背に揺られながら。連中とは、いったい“誰”のことだろう? 兄の言葉の意味を理解するには、今は頭がぼんやりとし過ぎている。

 

「たくさん歩き回って、疲れただろう。ごめんね。無理しないでいいよ」

 

 少女は、素直に頷いていた。甘え慣れた兄の背中。どうやら思いのほか疲れていたらしく、すぐに目蓋が落ちてしまった。

 自宅で目覚めると、珍しく家にいた姉が顔を覗き込んでいて、抱き着かれることになった。「無事でよかった。どこも痛いところとか残ってないよね?」兎のように目が赤くなっている姉に少し驚きながら、抱き着かれた状態でリビングに向かい、今日の戦果をお披露目した。

 

「え、箒ちゃん。これ、ほんとに私に?」

 

 じゃっかん照れながら、髪飾りを手渡した。姉に似合うと思いながら選んだお土産。姉はふにゃりと顔を綻ばせながら、その場でくるくると元気よく回り出した。「箒ちゃんからのー、おみやげー」スカートがひらひらはためいている。「いっしょう大切にするねっ」

 ぱぱっとその場で髪に付けた姉が、感想を聞いてきた。「どう?」やっぱり、似合っている。素直にそう答えれば、見ているほうが気恥しくなってくるほどの喜びようであったため、兄が戻ってきたのは有り難かった。

 テーブルに次々と大皿が並べられる。切り分けられたフルーツを綺麗に盛り付けたもの。リンゴ、イチゴ、オレンジ、キウイ、ラフランス、スイカ、パパイヤと季節感はごった煮ながらも、まるでレストランの写真のようだと思った。

 促されて口に運んでみると、瑞々しい食感とたっぷり入っている蜜の味が染み出し、果実の香りが鼻にふんわりと広がった。

 

「おいしい?」

 

「はい」

 

 思わず頬が緩むのを感じていると、何故か姉はほっとしたように笑みをこぼした。

 

「スキャンしても問題は見つからなかったし、(ゆう)くんも安全だって言ってたから本当にもう大丈夫みたいだね。安心した」

 

 いつも通り、姉の言っていることはよくわからない。どこも怪我などしていないし、危ない目に合ったこともないというのに。

 

「そうだ箒ちゃん、実はここでなんとクイズがあります。デデン、第一問。そのイチゴは、いったいどこで作られたものでしょう?」

 

「どこ」

 

「どこかなー?」

 

「わかりません」

 

 正直、あまり興味がない。姉は気を害した様子もなく、答えを言った。「実はね、地下の野菜工場で摂れたものなんだよ」と。

 

「工場?」

 

「そう。造ったの。潜水艦内での長期滞在における食事事情の問題点を解決するための実験施設(テストケース)の一環としてね。まあこれの発案は結くんなんだけど」

 

「お兄ちゃんが」

 

「そう。動力源だけじゃない、食料調達も自給自足で賄える自己完結型の機能を備えるべきだって。最初はあんまり興味なかったんだけどゲノム弄ったり波長(ひかり)弄ってたりしてるうちにけっこう面白くなってきてね。プラントの様子とかもなんだかアクアリウム感があってさー」

 

「言ってすぐに実現できる辺り、姉さんは本当に優秀ですよね。あれ、手が進んでないけど」

 

「私はいいよ。味とかも全種類(ぜんぶ)覚えちゃってるし、今日はあくまで二人のためだもん」

 

「せっかく切ったのに」

 

「だったら、結くんがあーんしてくれるなら食べよっかな」

 

「あーんて。べつにいいですけど」

 

「んふー。うまうま。やっぱ味は変わんないけどちょっと違ってくるよねこういうのって。あっ、箒ちゃんもしてもらえば? あーん、って」

 

「わ、わたしは」

 

「食べる? 箒、ほら。あーん」

 

「お兄ちゃんまで……っあ、あーん……」

 

「エンジェルたちのあーん頂きました。今の写真に撮っとけばよかったな、光の速度で石英記録媒体(クォーツメディア)に保存したのに。箒ちゃん、もう一回してくれる? 今度はこっち向きながら」

 

「し、しませんっ」

 

 赤くなった顔を隠すために、少女は逃げるように自室に駆けこんだ。一人になったのを確認し、そろそろと息を吐きだす。視線を上げると、兄のではないもう一つの勉強机に置いておいた、和紙で包装された小箱が目に入った。

 破かないよう、慎重に外してゆく。綺麗に取れた。そっと開封する。

 兄に買ってもらった、リボンの髪飾りが収められていた。

 手に取って、揺らしてみる。両端に付けられている金銀の鈴は、やはり鳴らない。壊れているわけではなかった。骨董市の店主に曰く、持ち主に危険が訪れそうになると鈴が鳴って教えてくれるのだそうで、これは昔から伝わる魔除けを兼ねた、由緒ある幸運の髪飾りであるらしかった。デザインは落ち着いていて、宝石のように華美ではないが、だからといって埋もれてしまうような没個性でもなく、一目見て説明を聞いたときから少女は気になっていたのだ。

 鏡の前に立ち、さっそく髪に結んでみた。じっくりと向かい合う。ふっと胸の裡から、照れくさいような、むず痒いようなものが込み上げてきて、少女はなんとなしに、くるりと一回転していた。

 勝手に、笑い声が漏れてしまう。もう一度、さっきよりも軽やかに回った。わるくない、と思う。鏡に映る自分。何が良いとか悪いとかはよくわからないけども、とにかく、この私は、わるくない。

 自分では特に意識もしていなかったのに、鏡のなかの少女は満悦の笑みをこぼしていて、それが恥しくも、嬉しくもあった。もういっかい、回っちゃおうかな。「くるく……」

 

 ふと視線を感じ、少女は障子戸の隙間を見つめた。好奇心に満ちた双眸が、こっそりと覗き返している。

 顔が沸騰したようになった。「お姉ちゃんっ」

 

「箒ちゃんがくるくるしてるー」

 

 どたばた音を立てながら、廊下に飛び出して追いかける。

 角を曲がると、姉の姿はなかった。

 

 女が立っている。濡れ羽色の髪が翼のように広がっており、顔は隠れていてはっきりとはわからない。

 白い服を着ている。女の足元で、ぽつぽつと雨滴が跳ねている。

 

「箒?」

 

 声。

 兄が怪訝そうにしていた。「どうしたの?」振り返る。後ろには、誰もいない。あれ、と振り返ったあとで、思い出したように疑問符が浮かんだ。どうして今、私は振り返ったのだろう?

 

「似合ってるね。やっぱり」

 

 兄が手をかざした。いつものように撫でてくれると思った手は、何故か、置き場を失くしたように宙で止まっていた。微妙な間を置くと、けっきょく少女には触れず、手を下ろしてしまう。

 珍しい顔をしていた。何かを言おうと口を開いてはみたものの、上手い言葉が思いつかないというような、この兄には滅多にない表情だった。

 おずおずと何があったのか訊くと、兄はぎこちない笑みを浮かべた。

 

「慢心していたんだなって」

 

 〈メギドラオン〉も〈八艘飛び〉もある、〈サマリカーム〉も〈メシアライザー〉もある。〈勝利の雄叫び〉も。〈物理無効〉や〈不動心〉だってあるんだ、怪我なんてしない、簡単にできる。ちょっと思い知らせることができる。そう思ってたんだ。でも、いくら凄い力を持っているからと言って、それを操る人間が間抜けでは話にならない。思い知ったよ。慢心して、調子に乗った結果が、今回のざまだ。

 

「君を傷つけた」

 

 暗い声で。そう呟いた言葉の意味を、少女はほとんど理解できていない。

 

「襲われたとき、逃げようとしなかったのは僕の責任だ。君のことよりも、僕は連中を打ちのめすことを選んだ。僕は、連中を叩きのめしてやりたかったんだ。ゲームで気にくわない相手に(・・・・・・・・・・・・・)、そうするみたいにね」

 

 兄は唇を噛みながら、少女と目を合わせようとしなかった。

 

「僕は……」

 

 言っている意味は、依然と聞かされる身としては、少女には分からないことばかりだった。まるで姉と話しているときのように難解で、初めから相手に伝えるつもりがあるのかどうかすらも疑わしい。

 それでも、一つだけ少女にもわかることがあった。

 兄は、自分を責めている。少女に関することで、それも兄にしかわからない理由で、ひどく苦しんでいる。

 ならば、自分がすべきことも、一つだと思った。

 

「お兄ちゃん」

 

 少女は目を伏せている兄に近づき、やさしく頭に触れた。

 

「いい子、いい子」

 

 微笑みかける。驚いたように(おもて)を上げた兄へ。ようやく視線が合った彼へ。

 かつて、母がそうしてくれたように。

 

「いたいのいたいの、とんでけー」

 

 さらさらしてる、と髪を撫でながら思った。すぐ近くにある兄の顔。何かに苦しんでいながらも、それを表に出せずに我慢しているような、そんな痛みの混じった黒曜石の双眸。

 ほうき、と兄が言の葉に乗せて呟いた。耳朶がふるえる。唐突に、切ないような、じれったいような、温かいような、名状しがたい感情が押し寄せてきて、少女は無性に、たまらない気持ちに衝き動かされるのを感じた。

 

 顔を近づけていた。少しだけ背伸びをして。吸い寄せられるように。そうするのが自然だというように。

 

 唇を、触れ合わせた。

 

「―――」

 

 兄は、為されるがままになっている。瞳を閉じた。僅かに離し、もう一度そうしようとしたとき、兄は避けなかった。かすかに身動ぎしただけだ。やわらかな唇。兄の吐息。甘い風味がある。さっき食べた、フルーツの果汁だろうか。

 どれくらいそうしていたのか。ゼロで埋めた距離を、息ができなくなって惜しくも離れると、兄はどぎまぎしたように、視線を彷徨わせていた。

 

 まだ唇に、熱が残っているような感じがする。しているとき、もどかしいような、溶けてゆくような感覚があった。姉もあのとき、これを味わっていたのだろうか。

 

「い、いたいの、なくなった?」

 

 異様に高鳴っている鼓動を誤魔化すように、言っていた。まるで崖を飛び越えるみたいに易々としでかした自分の発作的な大胆さ加減に、急速に我に返りながら。混乱と羞恥と不安とに襲われつつ、少女は兄が次に何を言うのかを、俯きながら待った。

 沈黙に耐えていると、兄はしばらく呆然としてから、やがて口端を緩めた。「うん……」暗い笑みではなかった。「そうだね」声も、穏やかなものになっていた。

 

「痛いの、なくなったよ」

 

「そっ」

 

 それならよかったです。言おうとして、途中でどもって(・・・・)しまった。恥しすぎる。私はとつぜんどうかして(・・・・・)しまったみたいだ。ほんとうにどうかしている。兄も笑っている。少女は顔から火が出そうになりながら、兄の手が触れるのを感じた。

 

「ありがとう。おかげで」

 

 いつもと同じように。慈しみを込めながら。

 あるいはいつも以上に。感情を複雑にしながら。

 

「箒」

 

 嬉しかった。落ち込んでいるときはいつも慰めてくれる兄を、今日は自分が励ませたのだから。しかしそれはそれとして、今は恥しいのが上回っていた。ほころんだ兄の口元。桃色の瑞々しい、やわらかそうな唇。実際に兄の唇は、ふっくらとしていて、舌で触れると弾力があって、あったかくて、ずっと吸い付いていたいくらいに、きもちよくって……ばか、なにを思い出している、ああもう、顔なんて見れたものじゃない!

 

 兄の言葉も、耳に入ってこない。

 だから兄が、どんな顔をしているのかも、少女にはわからない。

 

「……追いかけてこないなーと思ったら箒ちゃん、どしたのその顔。真っ赤っか」

 

「なんでもありませんっ」

 

 結くん?

 んんん……、秘密かな。

 ええー、気になるよーっ。

 どうしようか。

 言っちゃだめっ。

 そんなあ。いいじゃんいいじゃん、言っちゃお言っちゃお?

 だめですっ。

 

 廊下で騒いで。

 

 家族が揃った夕食の場で、姉の追及をかわしながら、フルーツを使った兄の新作の手料理を食べて。

 それから三人で一緒の風呂に入り、部屋で一緒に横になって。

 姉の話に相槌を打ちながら、時おり兄とした口づけの感触を思い出し、いつの間にか寝てしまって、目覚めると兄の顔が目の前にあって。

 兄に髪を結ってもらって、兄と手を繋ぎながら学校へ行って、帰って、兄と一緒に剣の腕を磨いて、汗を流して、夕飯を食べて、躊躇いながら兄にねだったのが功を奏して、眠る前には暗い布団のなかで、こっそり兄とする(・・)のが、新しい日課になって――

 

 それから――

 

 また、目が覚めて――

 夜が更けて――

 朝が来て――

 兄と一緒に――

 

 それから――

 

 

「兄さん」

 

 

 あの頃の私は、と。

 少女は、鏡を見ながら思った。

 

 当時は、本当に暖かい場所にいた。自分の安らげる場所で、漠然とある未来予想図に、期待と不安を抱けるだけの余裕もあった。

 

 だが。

 鏡に映る、今の自分(・・・・)は。

 

 制服を着た、あの頃よりも髪飾りの似合う娘に成長した私には、そんなものは見当たらない。ずっと続くと思っていた日常は過去となり、手元に残っているのは物言わぬリボンの髪飾りだけだ。兄たちが消えてからずっと、肌身離さずに使い続けている“これ”は、今となっては昔を懐かしむための道具でしかなくなっていた。

 

「今日は、卒業式ですよ。……私の」

 

 鏡のなかに、兄の面影を見出そうとする。

 精一杯、笑いかけてみた。

 

 返ってきたのは、無駄な努力をする自分を侮蔑するような、乾いた嘲笑だけだった。

 

 いってきます。視線のなかに、それ以上惨めなものを見出す前に、少女は玄関を出た。

 

 

 

 7.

 

 

 

 曇り空だった。

 

 正面に、車が停まっている。

 寄りかかるようにして煙草を吸っていた、釣り目の女が振り返った。

 

「準備はいいか。忘れ物は?」

 

 年齢は不詳。出自も不明。背が高く、ショートヘアで、容姿からしてハーフかクォーターらしく、右の目元には泣きぼくろがある。

 少女の監視役兼護衛を名乗っている女に頷きながら、少女は後部座席に乗り込んだ。

 シートベルトを固定すると、車は、女の見た目とは対照的に丁寧に滑り出した。車内では小さくラジオが流れている。洋楽のイントロ。聞き覚えがある気がした。「この曲」サビで判った。やはり、聴いたことがある。兄と一緒に、映画を見た記憶もある。

 

 ルームミラー越しに、女の視線を感じた。黒人の女の、力強い歌声。「オール・ユーヴ・ゴット・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム」――「夢見ることをやらなくちゃ」。底抜けに明るい曲であることが、心のどこかに障った。変えてくれますか。ぼそりと言うと、女は舌打ちでもしたげな様子でチャンネルを変えた。パーソナリティたちの喋り声。知らない人間の、どうでもいい話。それでも、明るい曲であるよりはいい。

 

 荷物はボストンバック以外にはなく、また教科書等も詰め込まれていないから、身軽だった。

 これから向かう先も、同じようなものだ。この二年間、転校を繰り返してばかりだった少女にとっては、二か月前に越してきた学校に思い入れなど、あるはずもない。

 

 街道や、校内の桜は、ほとんど咲いていなかった。

 

「あとでな」

 

「はい」

 

 学校の近くで少女を降ろすと、車はすぐに見えなくなった。辺りを見回す。生徒たちの様子は、普段よりもいくらか浮足立っているように見える。

 どうでもいい。声に出さずに呟いた。少女は、冷めた貌で和気藹々とした空気を眺めながら、心なし重くなった足取りで教室へ向かった。

 

 扉を開くと、視線が集まるのを感じた。同時に声も途絶え、入ってきたのが少女であることに気づくと、すぐに何もなかったかのように雑談が再開された。

 黒板を見ると、寄せ書きのようにクラスメイトの名前とコメントが書かれていた。デフォルメされたキャラクターも描かれている。席に着いたとき、女子グループの一人と視線が合った。他の女子たちと小声で話し合うと、意を決したように、その女子が近づいてきた。

 せっかくだから、書いてみませんか。おずおずと窺うようにそう言って、チョークを差し出してくる。束の間、見つめ合った。ほとんど喋ったことのない相手だった。緊張しているのが見て取れる。

 少女は静かに微笑むと、チョークを受け取った。「どこに書けばいい?」安堵したように、女子も笑顔を見せた。

 黒板に、自分のものではない名前を書いてゆく。■■さんって、字、すごいきれいだね。女子が声を上げた。いいなあ、うらやましい。別の女子が、すかさず揶揄するように笑った。あんたは下手過ぎるんだって。私だってやればできるよ、ちゃんと、やる気になれば。あんたの字ってこれじゃん、この、みみずみたいなやつ。ひどっ、でも私の本気ってこんなもんじゃないから。いつになったら本気になるんだよ。そりゃあ、すぐにでも、明日にでも。あんた、まだ寝ぼけてんの? 打てば響くというように、会話が飛び交っている。「お世話になりました」。ありきたりなことを書き、少女はチョークを置いた。

 

 委員長が現れ、体育館に移動することになった。

 前を歩く女子たちを眺めながら、少女はぼんやりと、自分が些細な事柄にかつてほど苛立ちを覚えなくなっていることを考えた。

 以前であれば不機嫌な気配を裡に秘めておけず、不要ないさかいを生んだこともあったが、今はあまり物事に心を乱さなくなっている。

 

 未熟であったころ、自分の抑え方を知らずに、暴力沙汰を起こしたこともあった。

 

 おいおい、男女(おとこおんな)がリボンなんかしてるぞ。

 小学校のクラスに、なにかと少女の言葉遣いや態度、男子にも勝る身体能力をあげつらい、オトコオンナと揶揄してくる男子たちがいた。うち一人は、かつて少女の実家が開いていた剣術道場に入門したものの練習に付いていけずに()めてしまった生徒だったらしく、非力そうに見える少女が剣道を続けていることへの不満があるのか、教室で孤立気味の少女に、たびたび複数人で絡んでくることがあった。

 不用意に力を振るってはいけないという父からの戒めがあったため、それまで手は出さず無視を決め込んでいた少女だったが――クラス内では見かねたように「止めろよ」と割って入ろうとする男子もいたものの、逆に火に油を注ぐような反応となり――最終的には兄が「僕の妹に何か用かい」と悪魔のように微笑みかける(・・・・・・・・・・・・)まで、男子たちからの干渉は続いた。

 そうして近づいてくることも無くなり、それですっかり終わったかと思っていた頃に、しかし問題の騒動は起きた。

 あるときお手洗いから教室に戻ると、少女の机の周りに男子たちが再び集まっていた。少女に気づくと、男子たちはしまっておいたはずのクリアファイルを握り、にたにたと厭な顔で嗤い出した。机には油性ペンが広げられている。これなーんだ、と男子が言った。透明なそのなかには、兄と一緒に映った写真が入れられており、男子はその写真を、少女に見せつけるように掲げた。

 

 おまえの兄ちゃん女みたいだな。これでもっと女っぽくなったんじゃねえか。

 

 少女と、兄の顔が、ぐちゃぐちゃに落書きされていた。愕然とした反応を、男子たちが嬉しそうに見て笑っている。頭のなかが真っ白になった少女は、次の瞬間には、男子を突き飛ばしていた。

 教師が駆け付けた時には、少女はすべての行動を終えていた。教室は悲鳴と混乱で撹拌され、少女の足元には、顔と腹を殴られ続け、床に頭を何度も叩きつけられたことで意識を失っている血まみれの男子や、背中や腰に椅子と机を振り下されて投げ飛ばされた男子たちが、のたうち回りながら泣き叫んでいた。

 

 この件に関して警察が介入することはなかったが、それでも、周りにひどく迷惑をかけてしまったのは事実だった。報復行為自体を後悔したことはないが、これを機に兄に言われてから、少女は自分を律して動く方法を考えるようになった。自分を律しながら、しかしどうしてもこちらに向かってくる問題――男子たちのような存在――を、どのような方法で対処するべきなのか。

 

「無念無想、明鏡止水。竹刀袋にも書いてあるけれど、簡単に言うと、感情を昂らせずに、常に冷静に物事に挑むべしって意味だね。【不動心】そのものだ、僕のこれはまだ未熟の境地だけども。要するに、剣と向き合うように心を扱えばいい。とても難しいことだけど、箒には必要な技術かもしれないな……」

 

 学年が上がると、少女は兄と同じクラスに編成された。一緒にいる時間が増えたことを少女は無邪気に喜び、それまで以上に兄との鍛錬に打ち込むようになった。

 

 やがて努力が実を結び、少女は兄とも打ち合えるほどに成長した。

 誰に臆することもなく、自信を持って兄の隣に並び立てるようになった頃には、視線や、裡から発する気配だけで、他者を黙らせることができるようにもなっていた。

 

 強くなったからだ。そう思った。ここまで強くなれたのは、兄がずっと傍にいてくれたからだ。

 ずっと、一緒がいい。私たちは一つであるべきだ。私たちは元々一つだった(・・・・・・・)のだから。その想いは、姉と接している兄を見かけるたびに、日増しに大きくなる一方だった。

 

「箒。僕は、姉さんと一緒に行くよ」

 

 突然、家族が離散すると聞かされた。

 国の事情で、故郷を去り、名前も変えて別人として生きていかなければならないと告げられた。

 

「僕たちはこれから、お尋ね者になるだろうね。なにせ国を騙して、世界から隠れるんだから」

 

 私も行く。少女は言ったが、兄はかぶりを振って受け入れなかった。離散の元凶は姉なのに。兄は、そんな姉を選ぼうとしている。少女ではなく。

 姉は、少女から兄までもを奪おうとしている。

 

「これから先、ただ逃げるだけじゃないんだ。追跡や“悪い”連中を躱すためには、手を汚すことだってあるんだよ」

 

 私だって強くなった。ずっと頑張ってきたのだから。食い下がろうとする少女に対し、兄は小さく息をこぼした。言うことを聞かないわがままな子供に対して大人がそうするように。手には、気が付くと現れていた、怜悧な「刀」が握られていた。

 

薄緑(うすみどり)と言うんだけどね。君にこれを見せるのは“三度目”だ」

 

 見覚えのある刀だった。いつ見たのか? 自問すると同時に、少女の脳裏に蘇る情景があった。まるで「刀」を見たのをきっかけに、封じられていた(はこ)が解き開かれたかのように。

 

 

 飛沫。

 銃声。

 叫喚。

 

 ひれ伏すように男たちが斃れている。

 ――【サマリカーム】。

 男たちの背後に、誰かが立っている。

 

 兄。

 

 ――【マガツイザナギ】。

 その兄の背後に、誰かが立っている。

 

 赫黯(あかぐろ)く禍々しい、巨大な薙刀めいた武具を持つ存在が、絶笑するように仰け反っている。

 

 ――【血祭り】にしろ。

 

 嵐のような剣風。

 ペンキのように、赤い絨毯(・・・・)が撒き散らされている。

 

 

「ごめんね」

 

 悲鳴を上げていた。

 

「怖い事を思い出させたね」

 

 喉が引き攣っていた。どうして私は忘れていたのか。忘れられるはずのない、あれほどの鮮烈の衝撃を?

 

「君は――」

 

 兄の表情が、すべてを物語っていた。

 

「あの日、一度死んだ」

 

 

 心臓が、止まったような気がした。

 

 

「僕が忘れさせた。君は、耐えられないだろうと思ったから」

 

 躰が硬直し、猛烈な寒気に震え始める。

 

「この先、“あれ”と同じようなことが必要になるかもしれない。だから、箒は連れていけない。箒には無理だろう、あんな真似は」

 

 震えが止まらない。耳を塞ぎたかった。なのに躰は動いてはくれず、目尻には涙が浮かび上がってきた。「それに、それだけじゃない」兄は、淡々とした口調で続けた。

 

「他にも理由があるんだ。話していない、無視できないような理由がね。死んだことが引き金になったのか、そうじゃないのか、今となっては判別がつかないけども、君のなかには、ある特別な存在が宿っているんだ。なんで宿ったのか、色々な推測はできる。でも一番の理由は、僕が君の双子として生まれてきてしまったことなんだろうね。覚えてはいないだろうけど、“それ”は一度暴走(・・)しているんだ。知らないのは当然だ。あのときの記憶は、姉さんが封印したから」

 

 現実でないかのようだった。兄は目の前にいるのに、どこか別の世界から、知らない言葉で話しかけてきているかのようだった。

 

「あのまま覚醒してしまうと、器である君の身体は耐えられなかった。だから僕たちは時間を稼ぐことにした。完全に封印する方法が見つかれば御の字。できなくとも、箒が“彼女”を受け入れられるだけの器に成長できれば、最悪の結末だけは回避できる」

 

 “暴走”。

 “封印”。

 “赤い絨毯”。

 “特別な存在”。

 “覚醒”。

 

 意味が分からない。何もわからない。兄は本当に“記憶”のように大勢を殺害したのか。それとも単に“あれ”は、自分の勘違いなのか。夢で見た悪夢と間違えているのか。

 

「だけど、君は強くなった。加減しているとはいえ、〈ペルソナ〉を持つ僕と対等に打ち合える(・・・・・・・・)くらいに、強くなった。姉さんの妹として元々備わっていたポテンシャルが表層に引き出されたのだとしても、ここ最近の君の成長速度は、はっきり言って急激すぎる。強くなるのはいい、元々それが目的だったんだ。でもなるべく緩やかな成長であるべきだ。今の君には、異常が起きている。封印しているにもかかわらず、目に見えるほどの速度で変質が進行している。つまりは、封印の働きが予想以上に弱まりつつあるということだ。原因は――」

 

 悪夢のなかにいる。息をつく間もなく、溺れてしまいそうだった。どうすれば悪夢から目覚められるのか。何をすればいいのかさえもわからない。

 何一つとして、少女には兄の言っていることがわからない。

 

僕だった(・・・・)。双子である僕が、いつも傍にいる僕が、そもそもの原因(・・・・・・・)である〈イザナギ〉が傍にいるのだから、よくよく考えれば、封印に悪影響が出てしまうのは当たり前のことだった。笑えないよまったく、我ながら。あまりに近すぎて、その可能性を見落としていただなんて……」

 

 箒。兄は、言い聞かせるような声で言った。

 

 静かな声で。

 そして決定的なことを、告げた。

 

「僕はもう、君の傍にいるべきじゃないんだ」

 

 それ以上、聞いていたくなかった。兄の口から、そんな言葉は聞きたくはなかった。

 

「君は、これからは一人で強くならないといけない」

 

 いやだ。

 

「封印は永遠のものじゃない。いずれ覚醒するにしても、そのとき君が“彼女”に耐えられるくらい成長している必要があるんだ。そうでないと」

 

 いやだ。

 

「箒、聞くんだ。僕がいなくても、君なら……」

 

 そんなのいやだ。かつてないほどの恐怖が渦を巻き、躰の中心から、自分が崩壊してゆくの感じた。

 強くかぶりを振る。恐ろしいものを振り払うように。少女は強張った笑みを浮かべながら、ふるえる躰を動かして、刀を握ったままの兄に近づいた。

 

 “赤い絨毯”が蘇る。

 “血臭”と“悲鳴”が、脳裏にぶり返す。

 

 嫌悪するべきだと思った。あの殺戮が生み出した景色を忌避すべきだと、頭では分かっていた。父の教えに照らし合わせれば、兄のしたことは、悪鬼の所業と断じても過言ではないのだから。本当ならば、非難してしかるべきことなのだから。

 躰が粟立つのを感じながら、それでも少女は、兄を引き留めるように顔をうずめていた。

 

「行かないで」

 

 いつか、兄が自分を不要とする日が来るのではないか。常に心のどこかで不安に思っていた。その不安が今、悪夢のような現実となって襲い掛かってきていた。

 兄が行ってしまう。私を取り残して、私の知らない場所に行ってしまう。姉と共に。手の届かない場所へ。私だけを、兄のいない世界に置き去りにして。

 

 どうして私ではだめなのだろう。兄の生み出した殺戮に怯えてしまったから? 私ではあの惨劇の光景に心が耐えられないと思ったから? 私にできなくても姉ならば耐えられるというのだろうか。だから兄は私ではなく姉を選んだということなのだろうか。私の心が弱いのがいけないのだろうか。だから兄は私を必要としないのだろうか。私にはこんなにもあなたが必要なのに。あなたにも私という存在が私と同じくらい必要であるべきなのに。

 

 気が付くと手を、兄の首に伸ばしていた。

 

「一緒にいて、兄さん」

 

 涙で服を汚しながら、少女は叫んでいた。もはや自分が何を言っているのか、どこからこの感情が湧き出ているのかもわからずに、腕に力を込めていた。

 

 目の前の男が、あまりにも愛しくて、気が狂いそうなほどに哀しくて、ひたすらに憎らしかった。

 いっそ、この手で殺してしまいたいくらいに。

 

「箒。約束するよ」

 

 兄の温もりを感じる。腕をほどかれ、抱きしめられている。どうして私たちはこのまま永遠に一つに溶けてしまえないのだろう。そうすれば私たちは誰にも引き裂かれずに、お互いを見失わずに、離れ離れにならずに一生一緒にいられるのに。

 どうして私たちは一人ではなく二人として生まれてきてしまったのだろう? 初めから一人きりであれば、そうすれば私はこんなにも苦しくてつらい想いを知らなくても済んだはずなのに。

 

「君が、今よりも大きくなって。強くなったら。また会いに来るよ、かならず。だから、そのときまで」

 

 答えは与えられず、願いは叶えられなかった。

 

「【ドルミナー】」

 

 兄は、少しだけ泣き出しそうな笑みを浮かべていた。少女はすべてを悟りながら、光が岩で閉ざされるように、意識を失った。

 

「ほんの少しだけ、お別れだ」

 

 最後に、頬に兄が触れるのを感じながら。

 

 

 

 8.

 

 

 

 ■■■■。

 

 名前が呼ばれた。

 

 返事をし、椅子から立ち上がると、少女はそのまま壇上に登った。

 校長から卒業証書を渡され、一礼すると、他の生徒たちと同じように席に戻る。

 ちらと見た保護者席のなかに、知っている顔は一つもなかった。

 

 呼ぶ声は続いている。

 

 

 あの日、泣き疲れた少女が明け方に目を覚ますと、兄たちは世界から消えていた。

 

 残された少女は、名前を変え、各地を転々とするようになった。

 

 寡黙で人見知りな少女に心を許せるような隣人は作れず、だからこそより一層、少女は外界を遮断し、剣との対峙にのめり込んでいった。

 いつか現れる兄のために。強くなった姿を見てもらうために。学んだ教えを無心に繰り返し、記憶のなかの兄の剣筋に近づけるように、技術を磨き続けた。

 

 剣道全国大会にも、出場した。

 中学一年で優勝し、三年生になっても無敗で在り続けた。

 

 気が付くと一家離散から、五年の歳月が流れていた。

 

 

 迎えは、まだ現れていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 ・報告:ヤンデレがアップを始めたようです。


















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04 ■■■■























 

 

 

 9.

 

 

 

 体育館に、校歌斉唱が響いている。

 

 やがて教頭が閉式の言葉を告げ、卒業生退場のアナウンスがされた。

 次々と体育館から生徒たちが減ってゆく。少女の組の番が来た。生徒たちが起立するのに合わせ、少女も立ち上がる。一列に続き、拍手を浴びながら体育館を出て行く。

 

 卒業式は、つつがなく終わった。

 

 教室に戻ると、生徒たちはみな思い思いの時間を過ごし始めている。抱きしめ合っている女子たち、笑い話に興じている男子たちの姿。

 それらの空気に囲まれるなかで、少女は相変わらず自分が冷めているのを感じていた。はしゃいでいる彼女たちを微笑ましく思うことはできる。その熱を理解することも。しかし少女は式中に感傷が過ぎることもなければ、瞳に特に何かが浮かび上がってくるということもなかった。それは、今こうしていても変わらない。

 異物なのだ。自分で自分を、そう思った。生き方が違う。住んでいる世界も。所詮は、偶然紛れ込んだに過ぎないのだから。

 悲しくはなかった。慣れている。今更この程度で揺れることはない。ただ、幾ばくかの申し訳なさを感じてしまうだけだ。

 

 教師が現れ、最後のホームルームが行われた。それも無難に済ませると、クラスは謝恩会の話で盛り上がり始めていた。女子が声をかけてくる。出るつもりはなかった。このまま帰宅し、明日にはこの街から消えている。誰にも告げることはない。断っていると、委員長が近づいてきた。

 少し話がしたい。そう言って連れ出された。

 

 空き教室。人の気配は、遠い。

 委員長が振り返った。緊張した目つき。なんとなく、この時点で少女は察していた。似たようなことは、これまでにも何度か覚えがあった。

 深く息を吸った後、委員長が言った。

 ■■さん。貴女のことが好きです。俺と付き合ってください。

 少女は驚かなかった。かすかに、胸の裡に影が差すのを感じる。「私のどこを好きになったのか」。静かな声で、訊いていた。

 

 初めて会った時、きれいな人だと思ったんだ。

 愛想がないって言う奴もいたけど、それは君のことを知らないだけだ。君は本当は優しい人で、笑うとすごく可愛くて。なのに、ちゃんと自分の芯を持っていて。

 それで俺は、君のことばかり考えるようになってた。俺は、君のことが好きになってたんだ。

 

 沈黙が訪れるのを恐れるかのように、委員長はずっと喋り続けた。

 少女は、眼前で赤くなっている必死な顔を見つめた。いつしか言葉が途切れ、ついに沈黙が訪れると、委員長は不安と期待とが錯落した眼差しを投げかけてきた。

 

「委員長。私は、委員長の考えているような人間じゃないんだ」

 

 “ごめんなさい”。そっと、しかしはっきりとした声で口にした。

 委員長は固まっている。

 告げられた思いの丈を反芻しながら、少女は乾いた笑みを浮かべた。

 

 私は優しいわけではない。もし私がやさしく見えたのなら、それは目的に対して効率的な手段であると判断したに過ぎないのだから。

 私は笑ったことなどない。もし笑ったように見えたのなら、それは光の錯覚か都合のいい妄想がもたらした幻影に過ぎないのだから。

 

 私が綺麗である筈がない。なぜなら誰よりもこの私自身が、私のことを何よりも醜い存在であると心底から思い知っているのだから。

 

 わざわざ、話すことではなかった。立ち去ろうとしたのを察したように、委員長が焦って何かを言おうとした。

 少女は表情を消し、じっと双眸を見つめ返した。剣と対峙する時のように。

 不意に委員長の瞳に、怯えのような光が生じた。その瞬間、少女はほんの少しだけ、裡から放つ気配を強くした。

 腰が砕けたように、委員長がへたり込んだ。何が起きたのか、理解している様子はない。ひりつくような静寂のなか、少女を見上げる視線には、それでもはっきりとした恐怖が浮かんでいた。

 それだけで、十分だった。

 

 教室を出る。

 誰かが後ろから追ってくるということも、なかった。

 

「いいのか」

 

 後部座席に乗り込むと、ダビドフを指に挟んだ女が言った。窓は開けられていたものの、じゃっかん煙草の臭いが残っている。

 

「何がですか」

 

「挨拶する連中とかは」

 

「いないことくらい把握しているでしょう」

 

 いいんです。そう言うと、ため息が聞こえた。

 駐車場を出て、ゆっくり大通りへと走り出す。

 

「少し、寄り道すんぞ」

 

 女の運転する車は三〇分ほどかけて、繁華街の隅で暖簾を掲げている、こじんまりとしたラーメン店の近くで止まった。

 

「穴場でよ。ここはなかなか“塩”がイケる」

 

 三人ほど並んでいたが、幸運にもすぐに少女たちの順が来た。チェーン系でもないらしく、中は外観から予想されるようにそれほど広くはない。券売機も置かれていなかった。むせ返るような熱気と換気扇、FMの音楽、厨房から聞こえる麺の水を切るような音、どんぶりに顔を突っ込むようにしてスープをすする音だけが無心に響いている。

 カウンター席に着くと、女が呪文のような早口で何かを言った。「塩」と「ヤサイマシ」しか聞き取れず、メニュー表も見当たらないので同じものを注文しようとしたところ、「いやお前は普通、いや少なめにしとけ」と真顔で忠告されたため、少女は素直に少なめを頼んだ。

 しばらくしてどんぶりが目の前に置かれると、少女は忠告に従って正しかったことを理解した。

 少なめであるはずなのに、どんぶりいっぱいに野菜が載っていて麺が見えない。隣では女がこんもりと山のように緑を積まれたどんぶりを受け取り、さっそく食べ始めていた。一瞥すると少女も割り箸を遣い、湯気の立つどんを恐る〃々口にした。

 

「そんなに急がねえでも、取りゃしねえよ。誰も」

 

 女が呆れたように言う。

 気が付くと、あっという間に、夢中で食べ終えてしまった。

 

「美味かったか?」

 

 満腹だった。見れば女も完食しており、しかもどんぶりにはスープも残していなかった。流石に飲み干す余裕はなかったが、女は機嫌よく笑うと、二人ぶんの代金を支払い、席を立った。「ゆっくりしてていいぞ」そう言われても、外には並んでいる客もいるだろうからと、慌てて少女は後に続いた。

 

 外では煙草をくわえようとしていた女が、苦笑しながら待っていた。

 

「なんだよ、もういいのか。……なら、行くか」

 

「あの、お金、払っていただいて」

 

「気にすんな。卒業祝いみたいなもんだ」

 

 エンジンがかかる。

 

 通り過ぎて行く風景。

 ラジオの、とりとめもない話。

 

 ふと、これで見納めなのだと思った。二か月間だけ過ごしたこの街とも、今日限りで。

 

「明日は、別の奴が迎えに来る」

 

 マンションで停車すると、おもむろに女が言った。

 降りかけた躰が、思わず止まってしまう。女は、かすかに笑っていた。

 

「じゃあな」

 

 車が、遠ざかって行った。

 

 鍵を取り出し、部屋に入る。

 明かりをつけた。冷たい水で手を洗い、制服を脱ぐと、少女は時計に目をやった。

 

 荷造りは、どの部屋も既に終わっている。そもそも私物は、数えるほどしか持っていないのだ。衣類でさえも旅行鞄が一つあれば事足りた。料理機材や生活家具は、初めから部屋に備わっていたものだった。

 

 湯を沸かし、ホットミルクを口に含みながら、少女はテーブルの片隅に積んでおいた分厚い参考書を手に取った。〈IS(インフィニット・ストラトス)〉の基礎理論や運用目的等が記述された最新の参考書は辞書めいた文量を誇り、手元のこれは各ページごとに付箋や赤線が塗られるなどしていて、今までの少女の格闘のほどが一目で分かるようになっている。

 一般の生徒たちとは事情が異なり、少女はIS学園の試験を受ける前から合格が通知されていた。

 国からの要請(・・)を断ることはできない。他に希望する進路があるわけでもないし、最初から意見が通るとは思っていなかった。その一方で、あるいはという想いもあった。五年の間、変わらない日々を過ごしてきた。今度こそ、これで何かが大きく動くはずだと、少女は内心で期待してもいた。

 

 少女はそのまま参考書を広げ、夕食の準備に取り掛かる時間まで予習に努めた。

 剣を振るい、汗を流し、食器を片付け、普段よりも早めに布団にもぐり、消灯した。

 

 いつもと何も変わらない。

 

 闇に、意識が沈んでゆく。

 深く、静かに溶けてゆく。

 

 気配。

 

 何かが、片隅をかすめた。

 

 雨滴の跳ねる音がしている。

 蛇口から、ぽつぽつと滴っている。居間のほう。流し台。音は、徐々に激しさを重ねてゆく。次第に大きくなり、みるみる強くなり、滾々と吐き出されるものが段々と満たしてゆく。

 

 蛇口が閉まることはない。ステンレスのシンクはほとんど氾濫を起こしかけている。勢いが収まることもない。ついに“ふち”を乗り越えると、床にまで溢れ始めている。浸水は止まらない。木調の足場が失われてゆく。けたたましかった水滴が、真空のように静かになっている。満たされた水面(みなも)に波紋は立っていない。黒塗りの鏡のように、“それ”は何も映し出してはいない。死水のように静止しながら、しかしかさ(・・)だけが、ゆっくりと増えている。やわらかく、それでいて重々しい質感を伴いながら“それ”は膨れ上がり、生まれようとしている。

 

 床が、裂けるように軋んだ。

 

「―――」

 

 目蓋を開く。

 近くには、誰の姿もない。何の気配も。

 

 夢を見ていたような気がする。どのような夢であったのかは、覚えていない。

 起き上がり、少女は居間で水を汲んだ。飲み干す。ため息がこぼれた。夢の内容は思い出せないが、全身がひどく気だるかった。

 もうひと眠りしないと。自分に言い聞かせながら、何気なくテーブルに視線をやった。

 

 見知らぬ封筒が置かれている。

 

 咄嗟に、周囲に意識を巡らせた。拍動が速まっている。少女は息をひそめながら、封筒を見下ろした。見覚えはない。此処に、置いた記憶もない。どこから現れたのか。慎重に手に取った。中身は軽い。ひっくり返してみる。差出人の名は書かれていない。封を解くと、便箋が一枚入っていた。

 

 午前0時、校庭で君を待つ。

 

 見覚えのある筆跡だった。「追伸、貴重品を忘れずに」と続いている。

 

「………、」

 

 少女が何度読み返しても、指先でなぞってみても、裏返してみても、そこに書かれてある文字が消えてなくなるということはなかった。

 

「ごぜんれいじ」

 

 時計を見やった。文字盤は、二三時四〇分を示している。「ごぜんれいじ……」意味を理解しようと声に出して読み、再び時計を確かめた。現在時刻は、二三時四一分になっている。

 

 少女は、弾かれたように部屋を見回した。午前零時まで、あとニ〇分しか残っていない!

 

 慌てて寝室の扉を開け、明日用に用意しておいた服に手を伸ばした。一瞬考える。着替えている暇はない。枕元のリボンの髪飾り。それだけ掴み、ハンガーに着せていたコートをぶんどると、パジャマの上からそのまま羽織った。

 鞄はどうするか。数瞬、迷った。担いで走るには重すぎるし、しまい込んだ貴重品も、これから開けて取り出すには時間が惜しい。

 決めた。置いて行く。そもそも本当に必要なものは、あの中には入っていないのだから。本当に、大切なものだけを持っていけばいい。

 髪飾りをポケットに放り込むと、闇空の下へ転げ落ちるように飛び出した。

 

 三月と云えどもまだ冬寒く、刺すような凍気が晒した肌を通り抜けてゆく。深夜、この時間帯に外に出るなど数年ぶりのことだった。間に合うだろうか。星は出ていなかった。曇天。街灯が道を照らしている。

 通りに出た。人の姿は見当たらない。車も、一台も走っていない。無人のガソリンスタンド。真っ暗なビルヂング。信号はすぐに青に変わった。

 駆けている。道はほとんどが闇に呑まれていて、遠くまで見通すことができない。知っている道でありながら、まるで知らない別の道に踏み込んでしまったかのような気さえして、不安が膨らんでくる。間に合うのだろうか。再び少女は思った。静かだった。自分の足音と、荒れた呼吸以外には、闇しか存在していないかのように。

 

 “これ”は現実なのか。白い息を吐きながら、俄かに少女は冷たい疑念を抱いた。私は、もしかして夢を見ているのではないだろうか。夢を見ることならば何度もあった。そのたびに夢は破れ、最後はいつだって冷たいベッドの上で朝を迎えてきた。今、私は本当に走っているのだろうか。本当は私は、今もベッドの上で、この夢に待ち受ける終わりを既に察して、怯えているのではないだろうか。

 片隅に過ぎった考えを、少女はかぶりを振って否定した。それで、不安が消えてなくなるわけではない。

 それでも。たとえ、そうであったとしても。

 

「夢でもいい」

 

 呟いていた。不意に、嗚咽がこぼれそうなった。目元を拭う。きつく唇を噛んだ。手の甲は、走っていればすぐに乾いた。夢でもいい。大きく息を吸い、少女はもう一度言った。脚に力を込めた。決して、振り返りはしなかった。

 

 学校が見えてきた。門は鎖で施錠されている。

 塀を乗り越えるのは簡単だった。砂利を踏みしめる。

 校舎時計。針は、頂点を差していた。

 

 待った。

 待つ間に、息を整えた。

 息を整えながら、少女は見回した。

 

 誰もいない。

 誰かが隠れている気配も、これから現れる予兆も、何も見当たらない。

 

 やはり、ここには本当に闇しかないのか。

 

 まだ耐えられてはいた。だが。躰はこごえていた。それは寒さのためや、この場所の空虚さのためだけではなかった。

 少女の声は震えていた。震えながら、少女は呼びかけた。

 きっと、叶わないと知りながら。

 もはや、届かないと諦めながら。

 

 そのときだった。

 

 肌を打つ感覚に、少女は目を見張った。

 空が、突如として明るくなっている。分厚い雲が赤々と燃えており、それらは暴風に蹴散らされたように、瞬く間に消えて無くなってしまった。

 嘘のように晴れ渡った夜空に、隠れていた天体が姿を現している。

 

 (まる)く、一つとして欠けるところのない満ち足りた望月(もちづき)

 そして星々の狭間から舞い降りてくるものが、一つだけ、あった。

 

 “それ”を、少女が見間違えることはない。

 洪大なる翼で羽風を巻き起こしながら校庭に着地したその“存在”の衝撃を少女が忘れるなど、ありえないことなのだから。

 

 神威を放つ巨いなる体躯。

 太陽を秘めたかの黄金瞳。 

 あの人が〈セト〉と呼んでいたドラゴン(・・・・)

 

 その、傍らで。

 〈セト〉の背から地上に降り立った少年は、落ち着き払った様子で辺りを見渡した。

 

 唖然と立ち尽くしている少女に目を留めると、少年はほどけるような笑みを浮かべる。

 

 疑わなかった。背丈は大きくなっていたものの、その笑顔は記憶のなかの彼と相違ないままだった。最初の(いち)から別れた(ふた)つ、魂の片割れである相手を間違えることなどない。それでも、信じられないという想いが少女にはあった。

 

 まだ私は、夢を見ているのだろうか。ぼんやりと、彼が歩いてくるのを眺めてしまう。叶わないと知っていて、届かないと諦めていたはずなのに。これは現実なのだろうか。それとも。もしかして。“今度こそは”。躰の裡から込み上げてくるものがあった。信じて、いいのだろうか。本当にこれは、朝になれば消えてしまう残酷で安らかな甘い“夢”などではなくて、本物であると。私は信じてもいいのだろうか。

 

 再会できたとき、ちゃんと笑顔で迎えようと思っていたのに。今はどんな顔をしているのかも分からない。決めていた言葉をきちんと言えるのかどうかも。だけど、彼ならば笑って受け入れてくれるだろう。そうやって腕のなかで、やさしく抱きしめてくれる。もう我慢しなくてもいいと。そう言って撫でてくれる。

 

 踏み出そうとした。

 

 躰は、一歩も動いていない。

 

 

みつけた(■■■■)

 

 

 世界が昏んだ。

 

 

 

 10.

 

 

 

 膝をついている。服。汚れ。意識の外だった。

 

 躰の裡側から、“何か”が裏返ろうとしている。それが何なのかはわからなかった。何が起きている。凍てつくような吐き気。(むくろ)の指に撫ぜられたような恐怖があった。必死に抑えつける。少女のなかで、“それ”は暴れていた。抵抗を嘲笑うかのように。すぐに、抑えきれなくなった。

 

 悪夢のように。おぞましい瘴気が、躰から噴き出していた。足元では黒蠅の集群のような闇が茫と輝き、渦を巻きながら虚空へと膨れ上がってゆく。どれが現実なのか。どこまでが現実なのか。瘴気に視界が遮られた。悲鳴のはずが、掠れた息になった。このままでは呑み込まれる。意識すらも。

 分かっていながら立ち上がれなかった。何処からか喋り声が聞こえる。細々しくも荒々しく、粘々しい声。聞いてはならないと理性が察するも、それは頭のなかから執拗に紡がれ続けていて、耳をふさぐことができなかった。

 

「……暴走体(シャドウ)の発生を確認、作戦はプランBに変更する。姉さんは手筈通りに。此処で決着をつけるよ。紅椿(あかつばき)は、あるじ(・・・)を守れ」

 

 少女は、透き通るような鈴の音を聴いた気がした。

 

 〈――走査(スキャン)完了。搭乗者(パイロット)安定指数(バイタル)が異常値を計測しています。警告(アラート)搭乗者(パイロット)とコアナンバー■■■は最適化(パーソナライズ)を完了しました。コアナンバー■■■は上位命令(コマンド)に従い操縦者保護機能(ハーモナイズエフェクト)の優先順位を更新。警告(アラート)搭乗者(パイロット)に対する敵対的干渉を確認。皮膜装甲(スキンバリア)増幅展開。操縦者保護機能(ハーモナイズエフェクト)鎮静音波処置(セダティブケア)を選択中。警告(アラート)鎮静音波処置(セダティブケア)を開始します。搭乗者(パイロット)の反応……〉

 

 声ではなく、文字でもない情報が澱んだ脳裏を通り抜けた。

 倒れ伏した躰が、やわらかなものに覆われていた。裡側から裏返り、少女を取り込もうとしていたモノとも異なる薄膜のようなものに包まれると、僅かながらに思考の靄が拭われたようになる。

 

 甲高いブレーキ音。

 校庭に響き渡るが、しかし音の起きた方を見るだけの気力は残っていなかった。

 

「なんだ、こいつはっ」

 

 命令に反して変貌する舞台に仲間を引き連れて乗り込んだ女たちにも、その女が目の当たりにして愕然と叫んだモノの正体にも。少女は意識を配ることができない。ただ“それ”の存在を、繋がりを通して感じさせられているだけだ。

 

 数多の腐爛した呪言の巨腕(かいな)

 黄泉をも統べる大霊の威風。

 闇夜を覆うほど巨大で赫黯(あかぐろ)く禍々しい“怪物”が、中空に座して在るだけで作用する猛煙の毒をばら撒きながら、深く息をするように(こうべ)を持ち上げる。

 

「【ランダマイザ】」

 

 無数に波打つ骨の指から、眩い烈光が放出された。

 

「【マカラカーン】」

 

 割れ響くような叫喚が地上を這い、校舎の硝子戸が粉々に消し飛んだ。倒壊した樹々を炎が食み、瞬く間に勢いは燃え広がる。固まって停車していた軍用車両は凄まじい雷撃を浴びながらも辛うじて原型を留めており、その理由が寸前に割って入った不可視の力場の効果によるものであると理解している人間はこの場には少年とその一味を除いて、誰一人として存在していなかったが。

 

「くそ。IS部隊に支援要請を――」

 

「だめですよ」

 

 前触れなく、どこからか霧が立ち籠め始めている。成分を書き換えることで電場妨害と防音を兼ね揃えた濃霧が街全体に覆い被さり、すべての真相を沈め隠してゆく。

 

「てめえは」

 

「こんばんは。よかった、酷い有様ですが、とりあえず生きてますね」

 

篠ノ之(しののの)(ゆう)。てめえっ、あいつにいったいなにをしやがった!?」

 

「【メシアライザー】。妹がお世話になりました。でもこれ以上は説明するつもりはありませんので、ここから先は大人しくしていて下さい。――【スリープソング】」

 

 地鳴りが沸き起こり、大気が激震した。

 同時に空から、続々と降りてくるものがある。全身装甲。濃い灰色の巨体。頭部に複眼のような機械瞳(センサーレンズ)を埋め込んだ、腕は膝下を優に越すくらいに長い、異形の物体。

 

 無人型IS(ゴーレム)と名付けられたそれらは非対称性透過防壁(アシンメトリックシールド)とエネルギーフィールドを展開し、戦闘用アルゴリズムに従って陣形を組みながら、現代に蘇った神話(カミ)へと躊躇なく銃火を放ち始めた。

 

「にい、さん」

 

 意識が遠のく。果て知れぬ暗がりへ。抗えず、逃れられず、少女は墜ちてゆく。

 

 引き留める手は届かない。

 

「……あの日の約束を果たすよ。(ほうき)

 

 墜ち切る間際に。

 

 少女は、兄の声を聞いた気がした。

 

 

 

 11.

 

 

 

 “この世の関節がはずれてしまったのだ”

 

「変性領域を捕捉。無量隔離防壁構築、並びに対象との同期を完了しました」

 

 “なんの因果か、それを直す役目を押しつけられるとは”

 

「対象に精神没入(ジャック・イン)、可能です。……結さま?」

 

「――始めよう。外は頼んだよ、クロエ」

 

「〈ワールド・パージ〉、展開」

 

 結さま。

 うん?

 いってらっしゃいませ。どうかご武運を。

 

 ああ。いってくるよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 























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05 何もかもを





















 

 

 

 12.

 

 

 

 〈搭乗者(パイロット)識閾野の活性化を確認〉

 

 

 

 13.

 

 

 

 (ふすま)の閉じる音がした。

 

 やわらかく温かなものに包まれている。布団のなかをそっと探ると、隣に一人ぶんの隙間が空いている。

 部屋は静まり返っている。障子戸越しに、微かな陽光が照らし込んでいる。伸ばした指先の触れた毛布に、自分以外の誰かの(だん)は残っていない。 

 身体の呼吸に耳を澄ませながら古い木調の天井を眺め続ける。それで、何か新しいものが見えてくるということはない。天井は天井に過ぎず、それ以外の意味は隠されておらず、また別のものに変化するということもない。

 起き上がった。

 視界の片隅で、硝子のようにきらきらしたものが粉々に打ち砕かれているのを一瞥しつつ、部屋を出る。

 

 廊下。目にした途端、奇妙な感覚に襲われる。木造の床。縦に長い通路。見覚えがある気がする。裸足で踏むたびに、軋む音が鳴り響く。はたと思った。何かを忘れている。

 ぶつかりそうになる。壁が路を阻んでいる。洗面所ではない。洗面所の扉があるはずの場所に大きな壁があり、一面に広げるようにして、洗面所の景色が絵画のように描かれている。洗濯機。洗濯籠。簡易収納棚。折り畳んで積み上げられている白いタオル。窓から差し込む光。洗面台。蛇口。蛇口から流れ、排水溝に吸い込まれている水。洗面台の向かい位置にある壁は、真っ黒に執拗に塗り潰されている。

 試しに押し込んでみる。壁はびくともしない。この屋敷が建てられた時からそうであったかのように、動きそうにない。

 違和感がある。“何か”がおかしい。“何か”が間違っていると思う。“何が”間違っているのかまではわからない。“どれ”に自分が違和感を覚えたのかも。

 踵を返す。洗面所が使えない以上、此処にいる意味はない。

 

 居間に向かう。テーブル。椅子。食器。小さなコップ。湯気の立つご飯を盛られたお椀。食器棚。カーペット。窓から差し込む光。カーテン。真っ黒に執拗に塗り潰されているテレビの画面。

 見覚えのある居間の景色。それらはすべて、やはり壁に描かれた一枚の精緻な絵になっている。洗面所と同じく。動かすことはできない。なかに入ることも。

 ほかの部屋もそうなっているのか。

 屋敷中を見て回った。

 

 結果は同じだった。扉も、窓も、窓から差し込む光も、よくよく見れば、いずれも本物ではない。

 人の気配もない。誰一人見当たらない。誰もいないのか。自分以外には。

 どこにも行くところはない。

 

 自然と足は、最初の部屋へと向かっていた。

 

 本物の扉がある。まだ絵にはなっていない。戸は閉められている。また違和感が起きた。戸が閉められているということ。自分がそうしたのだろうか。いつ自分は戸を閉めたのだろうか。覚えていない。思い出せない。本当に自分が戸を閉めたのだろうか。戸が、独りでに閉じたということはないのだろうか。

 

 引き手に触れる。

 

 

 世界が昏んだ。

 

 

 気が付くと、だだ広い場所に立っている。

 天蓋は白夜のような薄明かりであり、周囲は海の底のような色の水に囲まれている。流氷のような塊を浮き沈みさせながら、向こう(・・・)側は、しかし霧に遮られて見通すことができない。

 眼前には、地の底のような色をした大きな階段が続いている。段の一つずつに、朱い鳥居が立っており、それらが無数に列を為していて、“果て”は窺えない。

 振り返った。扉はどこにも無い。消えてしまったのか。初めから無かったのか。

 階段(これ)は、どこまで続いているのか。どこへと続いているのか。

 選べる路は、一つだった。

 

 呼吸が、僅かに乱れている。鳥居に手を置き、身体を支えた。登り始めてから暫らくしたとき、この鳥居が檜や杉といった樹々ではなく、朱染めした太縄であることに気が付いた。柱も、笠木(かさぎ)も、(ぬき)も。しめ縄のように樹木に巻いてあるのではなく、全部が縄で造られている。

 どれだけ登り続ければいいのか。背後の路は、霧に沈んでいて見えない。

 登り続けることに意味はあるのだろうか。ふと疑問が浮かぶ。何のために登っているのだろうか。どうして登らなければならないのだろうか。脚が止まっていた。躰が重くなっている。息をするのも辛くなっている。

 

 足先に、何かが触れた。

 

 黒ずんだ水だった。

 登ってきた階段が、水に浸かっている。いつの間に水位が上がったのか。

 濡れるのを避けようとして、再び思った。そんなことをする必要があるのだろうか。このまま躰が水に沈んでしまうのは、果たして悪いことなのだろうか。

 それは、誰にとっての悪いことなのだろうか。考えてしまう。膝下が水に浸かっている。泥濘に捕らわれたように、脚が動かなくなっている。

 躰が冷たくなってゆく。これでいいのだろうか。こうしているのが正しいのだろうか。躰が有耶無耶になってゆく感覚に身を預けながら、それでも、ふと心を過ぎる。

 これで消えてしまって、だけど私は本当に後悔しないと言えるのだろうか。

 

 透き通るような鈴の音が聞こえた気がした。

 

 浸かっていたはずの水が、消えている。脚は、どこも濡れていない。

 指先が、ポケットに触れた。何かが入っている。

 リボンの髪飾りだった。金銀の鈴が両端に付いている。

 見覚えはない。にも関わらず、虚を衝かれたような感覚があった。知っている、自分は“これ”が何であるのかを。どうして知っているのか。握りしめる指に、力が入った。

 重く、裡から沁み出してくる想いがある。自分には、かつて譲れないものがあったはずなのだ。大切な“何か”があったことを、心が覚えている。“これ”はその一つだ。“これ”は“それ”を思い出すためにある。“それ”はとても大切なものだった。“それ”が何であるのかを忘れたまま、このまま此処で朽ち果ててゆくのか。

 

 ――それだけはごめんだ

 

 終わりのない階段。本当に終わりはないのか。だとしても、強く思った。だからこそ、と。

 どうしてかはわからない。だが今は思い出していた。知りたかった答えは、この“果て”にこそあるのだと。その(いただき)で、“それ”は自分を待ち続けているのだと。

 

 長い髪を一本に束ね、きつく結って留めた。挑むように睨みつける。

 選べる路は、元より一つ。

 深く息を吸った。踏み出す。躰は、自然と動いていた。

 踏み出した脚が止まることはない。すべきことを知っているかのように。どんどん進む。迷うことなく、深い場所を漂うものたちを置き去りにして。

 前だけを見据えながら。

 

 千段を超えて。

 万段を超えた。

 

 終わりは来ない。不思議と疲れは感じなかった。

 

 その倍の段数を超えて。

 更に倍の段数を超えた。

 

 数えなくなった。

 まだ歩ける。まだまだ歩き続けられる。

 

 〃――、

 々――、

 

 ひたすらに。無心に。決して俯きはせず。

 折れたりもせず。絶対に、諦めはしない。

 

 前に進んだ。

 

 変わらないはずの景色に、明らかな変化があったのは、どれほどの時間が流れたあとか。

 

 延々と並んでいた鳥居が途切れている。あれだけ続いていた階段も。無くなっている。

 霧が濃い。地面も隠れている。裸足が伝えてくる感触はやわらかく、雪でも踏んでいるかのようだった。しかし冷たくはなく、かといって砂のように重たくも固くもない。

 物音が聞こえる。頭上。ぼんやりと明るい。太陽が出ているのか。音の発生源が忙し気に動き回っているのがわかる。一つや二つではない。正体は判らない。それでも音の動きから察するに、此処は存外に広い場所なのかもしれない。

 霧に溶け込むように、異臭が漂っている。熟し過ぎた、腐りかけの果実のような甘い香り。探り〃々にそれを辿っていると、不意に影が浮かび上がった。

 駆け寄ろうとする。突如として、凄まじい風が吹き抜けた。圧し飛ばされそうになる。立っていられない。屈んで踏ん張りながら猛威に耐えていると、前触れなくまた風が止み、静かになった。

 瞑っていた瞳を、おずおずと開く。

 

 視界を阻んでいた霧が、きれいに消え去っていた。

 

 空を、赫燿(かくよう)と燃えるような色の雲が覆い尽くしている。雷轟を孕みながら、無限にどこまでも続いているのが遠目にもわかる。降り積もっていたものが吹き払われたおかげで、隠されていた足元に気が付くと、思わず躰が竦んでしまった。

 硝子のように透明な地面(・・・・・)の遥か下に、暗澹とした色の海が広がっている。今にも足場が崩れて空中に放り出されそうになる錯覚に襲われ、声が出そうになる。どれほど高い場所に立っているのか。此処から落ちればどうなるのか。

 だが地面が底抜けることはなかった。叩いても問題はない。透明ではあるが、壊れる心配は無いらしい。

 息を整えながら見回した。すっかり砂を散らされたはずの地面には、既に白いものが積もりつつあった。空から降るそれを掌に乗せてみる。臭いはない。砂とも違う。でも雪ではない。擦ると指にこびりつく。ようやく正体がわかった。これは、灰だ。

 

 地響き。黒々とした巨大な竜巻が、雲の狭間から伸びている。一見して竜巻のようであったそれは、近づいてくるにつれ違うものであると判った。真相は夥しい数の“何か”が、さながら黒蠅の集群のように同一方向に動くためそう見えているに過ぎない。その証拠に竜巻は生き物のように曲線を描き、空を駆け上がってゆく。“あれ”らの先を行くように、別の“何か”が飛んでいた。“あれ”らは、“何か”を追っているのか。

 竜巻から爆炎が噴き出した。黒い渦のなかから何かが飛び出す。膨らむようになった竜巻はすぐさま纏まりを取り戻すも、立て続けに爆炎が炸裂した。竜巻の数が増え、瞬く雷のように輝きながら、飛行する“何か”を取り囲むように追尾している。竜巻が退路を塞ぎ、“何か”を呑み込んだ。

 世界が引き裂かれるような雷鳴と光。そして、立っていられないほど鋭い殺気が放たれた。

 次の瞬間、竜巻は煙のように散り散りになっていた。

 

 頬に、何かが跳ねる。雨ではなかった。重たげに落ちてきたものが、湿り気を含んで跳ね、転がっている。

 

 指。

 胴。

 脚。

 腕。

 仮面(かお)

 黄金(ひとみ)

 

 細切れになっている。大量に、繋ぎ合わせれば一つになる、かつてヒトガタであったものが雨のように撒き散らされ、地面を赤く濡らしてゆく。

 降ってくるものがあった。漆黒。“それ”は着地ではなく雪崩れ込むように墜落し、大きく広げた翼で肉片を吹き飛ばした。

 

「―――」

 

 目を奪われる。夜のように黒い龍だった。凄絶な(あぎと)には、噛み千切られた首がくわえられている。背には、少年が乗っていた。一目みた途端、胸が締め付けられるような、声を上げて泣きたくなるような、理解できない想いが衝き上げてきた。

 

 知っている。この人のことを、自分は、本当は(・・・)知っている。

 なのに、どうして――

 

 少年の背には数本の折れた槍のようなものが突き刺さっており、躰中の傷からは、蒸気のように血が滴っている。

 表情なく、しかし凍り付いた眼差しで肩を荒げている少年の手には、赤黒く濡れた太刀が握られていた。

 

 

「遅かったな」

 

 

 女が立っている。白衣(しらぎぬ)姿で、一つに繋がった頭巾を深くかぶっており、表情はわからない。

 

 少年が、獣のような雄叫びを上げた。

 

 

 

 14.

 

 

 

 統合指令室(コントロールルーム)の肘掛け付き船長椅子に腰かけている女は、リアルタイム映像の投影された複数の半透明空中画面(ウインドウ)に囲まれながら作戦状況の推移を一つたりとも見逃さないよう注視している。

 広々とした指令室にいるのは女だけであり、女の助手である少女と、女にとって掛け替えのない存在である弟は今は此処にはいなかったが、しかしシステムは全自動であるため操作に滞りはない。事態の流動に合わせて目まぐるしく変化する空中画面(ウインドウ)投影式入力端末(キーボード)で操作していると、システムの一つが警告(アラート)を発し、女は僅かに見開いた。

 

「へえ。そう」口角を吊り上げて、呟く。「そっかそっか」

 

 “いつか”のように、軍事基地をハッキングして五〇〇〇発超の長距離弾道ミサイルを日本へ向けて発射させたのが五分前のことであり、自衛隊所属機の〈IS(インフィニット・ストラトス)〉が緊急出動したのはコア・ネットワークを介して()うに確認済みだったが。

 “計画”を実行に移す段階で複数勢力の介入が予想されたため戦力を釣り出しつつ目眩ましするのが目的であった本作戦は、それでも全ISを引きずり出す結果には至らなかった。女たちの本命である作戦領域内には、新たなISが接近しつつある。

 数にして五。公式の軍事基地から発進した機体でないことから、妹を護衛監視していた勢力の手先である可能性が高い。支援要請は依然と妨害していたが、これは部隊からの連絡が途絶えたことそのものを重視しての判断か。だとしたら、わりと的確で素早い状況認識だと評価できる。どうやら暗部にもそこそこ(・・・・)考えの回る奴がいるらしい。

 それも、想定の範囲内だった。愛する家族の生死を左右する重大な舞台にこの天才(わたし)が何の保険も掛けずに挑むわけがないだろう。せいぜい盛大に歓迎してやるさ。

 笑みを浮かべながら女は端末を操り、正面の空中画面(ウインドウ)に目をやった。

 距離を縮めつつある敵ISへ、作戦前に自発的(・・・)に志願した“彼女”が迎撃に向かう様子が映し出されているのへ、そっと、喜色の滲んだ声で語りかける。

 

「頼んだよ、百識(びゃくしき)

 

 

 “騎士”は、不動で直立していた。

 地上ではない。虚空を踏むようにして、全身装甲(フルスキン)の機体越しに一点を見つめている。背後では、成分を書き換えることで電場妨害と防音を兼ね揃えた濃霧が絶対防衛圏である街を沈めており、その領域内では無人機(ゴーレム)が脅威対象と戦闘を繰り広げていたが、特殊な磁場を構築する粒子に覆われる“騎士”の躯体がこの場を動くことはない。

 指令室から回線を通じて受信。これから一二秒後に襲来する未招待客五名の情報。全資料の分析には一秒と掛からない。

 

 〈機体登録名:ミステリアス・レイディ〉

 〈専用搭乗者:更識楯無(さらしきたてなし)

 〈兵装録詳細:―――〉

 他、四機。

 

 “騎士”は唯一武装〈雪片改弐〉をデータ領域より召喚(コール)し、〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉から〈決戦撃滅形態(パラディオン)〉を選択。両刃に変形(フォームシフト)した刀剣を人体の手指間接を再現したマニピュレータで握りしめ、背面に触れるほど大きく振りかぶって体勢を固定。エネルギー充填(チャージ)完了まで残り八秒。夜気が微かにふるえ、刀剣が波打つように揺蕩う光を纏い始める。

 (シンボル)は二、三編隊で依然と飛行中。変化が見られないことから、まだ“騎士”は認識されていないと判断。急速に跳ね上がる熱量値や黄金色の光源を、〈欺瞞粒子(ステルスリーフ)〉は完全に“無いもの”として偽装している。

 第二作戦領域内に撃墜対象を補足。

 命令(コマンド)は既に入力されていた。

 

「――頼んだよ、百識」

 

 充填完了。射程圏内。〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉・〈決戦撃滅形態(パラディオン)〉、機能解放。

 

 振り下ろす。

 大気が哭き、恒星の如き極光の断層が天地を割断した。

 

 静寂。予測された反動は慣性制御機構(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)が問題なく相殺。放出を終えた“騎士”の位置は、最初から微動だにしていない。

 射線上にいた敵機二体が活動不能(システムダウン)状態であることをコア・ネットワークが知らせている。

 強制冷却。“騎士”は〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉を通常状態へ移行。大量消費したエネルギーを回復するべく、“コア”と〈情動装置(ホラーデバイス)〉を接続。

 ――観測器官および制御回路に齟齬(ノイズ)発生。

 ――この感覚には常に戸惑いを覚える(・・・・・・・・・・・・・・・)いつまでも慣れることはない(・・・・・・・・・・・・・)

 修正完了。

 〈情動装置(ホラーデバイス)〉の機能によって第二拡張領域(オルタナティブ・バススロット)に搭載されたメインとサブそれぞれの〈無限反鏡増幅光炉(エーテルリアクター)〉のエネルギー生成効率は三一%上昇。完全稼働時に予測される理論値には遠く及ばないが、一旦は〈決戦撃滅形態(パラディオン)〉使用で三割弱まで落ち込んでいた動力源(シールドエネルギー)は六割にまで回復しつつある。

 警告(アラート)誘導弾(ミサイル)捕捉(ロック)されている。

 “騎士”は視覚補正機能(ハイパーセンサー)をも誤認させる〈欺瞞粒子(ステルスリーフ)〉はもはや不要と判断し、近接用に変形(フォームシフト)した片刃刀剣を脇に構え直した。

 動力源(シールドエネルギー)は八割まで復帰。戦闘続行に支障は無い。

 “騎士”は腕部/肩部/脚部に装備している第四世代型用に開発された試作装甲を多方向推進装置(マルチスラスター)として可変展開し、迅雷となって突撃する。

 上下反転。回避運動。多段分裂誘導弾(マイクロミサイル)が殺到。機関砲(ガトリングガン)。掻い潜る。荷電粒子砲。闇夜に爆ぜる光の交錯。

 いずれも“騎士”に当たることはない。

 眼前に三機。異常感知(アラート)。空間の湿度が極端に上昇している。解析(アナライズ)。〈水〉を(まと)うIS、〈ミステリアス・レイディ〉による霧の如き無形の攻性要素(ナノマシン)と推測。

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)で踏み込む。単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)・〈零落白夜(れいらくびゃくや)〉起動。反応の遅れた機体を先に狙う。刃状に強力な対力場(アンチ・エネルギーフィールド)を形成する〈雪片改弐〉で機関砲(ガトリングガン)を躱しざま〈絶対防御〉ごと斬り伏せ、返す刀でISバリアを裁断。宙返りから盾殺し(シールド・ピアース)さながらの蹴撃を叩き込む。

 地表に激突。轟音を響かせる。シールドを貫通する一撃を放ったが、搭乗者(パイロット)は死んではいない。意識を失い、肋骨は粉々になっているかもしれないが。生存反応はある。

 残り、二機。

 

「そんなっ」

 

 専用機ではないほうの搭乗者(パイロット)が取り乱したように叫んでいる。

 誘導弾(ミサイル)の弾幕。追いかけてくるが、敵機の捕捉機構(ロックオン・システム)が脆弱であるためか個別連続瞬時加速(リボルバー・イグニッション・ブースト)の機動には届かない。

 意味のない絶叫。連携は崩壊している。自らの生み出した爆煙によって搭乗者(パイロット)は“騎士”を見失っている。後方に回り込むのは容易い。

 斬り裂く。悲鳴ごと。

 残り、一機。

 

「白騎士……!?」

 

 高周波振動する螺旋状の(ランス)を構えながら、コア・ネットワークに登録されていない“騎士”の出現に動揺を隠し切れていない様子で、水のヴェールを纏った少女が言う。

 答える必要を、“騎士”は見出さなかった。命令(コマンド)は既に入力されている。絶対防衛圏へは何者も立ち入れを許可してはならない。

 ――それがマスター(・・・・)と博士の敵であるのなら尚更に。

 唐突に、爆轟が熾きた。〈清き熱情(クリア・パッション)〉。衝撃が全方位から“騎士”に襲い掛かる。

 “騎士”は多方向推進装置(マルチスラスター)であった装甲の一部を即座に〈アイギスの盾(エネルギーシールド)〉として可変展開し、一瞬で気化した水蒸気による怒涛の爆発を防御。二連加速(ダブルイグニッション)で離脱を図るが、予測を上回る速度で〈ミステリアス・レイディ〉は四門の機関砲(ガトリングガン)と〈清き熱情(クリア・パッション)〉を連続発動。“騎士”に追い縋り、機水(ナノマシン)の支配空間に圧し込めようとする。

 捉えられはしない。だが本体に近づけない。〈ミステリアス・レイディ〉は“騎士”との間に機水(ナノマシン)を絶えず張り巡らせることで瞬時加速(イグニッション・ブースト)で踏み込めない距離を意図的に作り出している。〈雪片改弐〉が〈零落白夜(れいらくびゃくや)〉の粒子光を放つとその反応は顕著だった。“騎士”は、敵搭乗者(パイロット)の脅威評価を上方修正。

 〈ミステリアス・レイディ〉のヴェールが濃くなった。渦を巻いている。渦が解かれると、〈ミステリアス・レイディ〉が二機に増えている。片方は本物ではない。熱分布走査(サーモグラフィ)を用いることで判明。機水(ナノマシン)から作り出した偽物(デコイ)。“騎士”の動揺を誘うのが狙いか。しかし人間と違い判断基準を視覚情報に依存しない“騎士”には通じない。

 シールドが削られる。直ちに消耗したエネルギーが〈無限反鏡増幅光炉(エーテルリアクター)〉によって充填される。〈情動装置(ホラーデバイス)〉の補助を受けながら。動力源(シールドエネルギー)の残量に問題はない。

 ――観測器官および制御回路に齟齬(ノイズ)発生。

 機体装甲に違和感(・・・)。それは錯覚(・・)に過ぎない。内部と外部を把握するための観測器官が〈情動装置(ホラーデバイス)〉によって疑似的な神経感覚を構築し情報を加速させることで発生した数ある弊害のうちの一つ、“傷を負っていないにも拘らず出血している”“存在しない皮膚を剥がされ続けている”というような錯覚。通常ISとは異なる“騎士”の唯一無二の特異性故のもの。

 

専用換装装備(クリースナヤ )は無い……でも、このままだと」

 

 放置はできない。この違和感が“騎士”の思考判断に影響を及ぼす前に、〈ミステリアス・レイディ〉が増援と合流する前に。元凶を撃墜する。

 “騎士”は〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉から〈局所殲滅形態(ギガントマキア)〉を選択。両刃へ変形(フォームシフト)した刀剣が輝きを放つや〈ミステリアス・レイディ〉は距離を確保しようと動く。

 追うことはしない。多方向推進装置(マルチスラスター)解除。浮いた余剰を〈アイギスの盾〉維持に回し、残りは〈雪片改弐〉への充填に注力する。充填完了まで残り二秒。〈決戦撃滅形態(パラディオン)〉と比較して威力/範囲は大きく劣るものの要求時間は短い。それでも燃費は〈零落白夜(れいらくびゃくや)〉を“マンデリンコーヒー豆に例えた場合のビリヤードボールに匹敵する”ため、失敗は許されない。

 

「なにしようっての。まさかっ」

 

 少女の表情。

 驚愕と恐怖。そして決心。

 

「一か八か、こっちだってっ」

 

 敵機は水平姿勢で停止。狙っていた、〈ミステリアス・レイディ〉の秘策を。状況を覆せるだけの奥の手を。

 

「【沈む床(セックヴァベック)】!」

 

 だが。

 “騎士(わたし)”のほうが速い。

 

 充填完了。射程圏内。〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉・〈局所殲滅形態(ギガントマキア)〉、機能解放。

 

 振り下ろす。

 極光の奔流が、水のヴェールを呑み砕いた。

 

 〈ミステリアス・レイディ〉は吹き飛ばされ、マンション屋上に墜落。浮上することはない。活動不能(システムダウン)を確認。周辺湿度も平均的な状態に回帰している。

 第一陣の撃滅を完了。

 “騎士”は〈霊機鉄槌(オルギアモード)〉を解除し、機体を翻した。〈情動装置(ホラーデバイス)〉は接続状態を維持。最初の位置に立ち返る。

 〈欺瞞粒子(ステルスリーフ)〉散布。

 背後の濃霧中に無人機(ゴーレム)以外の異質な高熱源反応を検知するが、突入は許可されていなかった。“騎士”に課せられている任務は他勢力からの絶対防衛圏の死守であり、それ以外に“騎士”に出来ることは何もない。

 第二陣が現れる間に戦闘報告書を作成。常時自動送信している内容とは別に博士から戦闘中に得た“騎士”自身の所感を記すよう要求された報告書へ、記録(ログ)を参照しながら展開装甲の使用感や〈情動装置(ホラーデバイス)〉の改善点――あるいはシールドを削られる体験に対して“存在しない皮膚を剥がされ続けている”というレトリックを連想したという情報など――を一つ一つ列挙してゆく。

 今は此処を死守すること。それこそが何よりもマスターと博士の利益になる。

 ――作戦が終わったあと、マスターは褒めてくれるだろうか。

 そんな、“騎士”が記録(ログ)には残らない思考を編んだところで、指令室から受信。

 斃すべき敵が現れる。

 “騎士”たちが夜明けを迎えるには、まだ早い。

 

 

「……え?」

 

 間の抜けた声だった。

 

「ちょっと待って。もう一回言ってくれる?」

 

 日頃から同じ内容を二度も聞き返すのは馬鹿だけだ――愛らしい身内に限ってはその仕草も愛らしいから許す――と蔑んでいた女は、自分がそうしているとも気づかずに、切迫する助手へ訊き返していた。

 

「突然精神界域(セカンドスフィア)が変性して……観測基点(アンカー)が消滅しました、いきなりっ、弾き出されて。再侵入(アクセス)できません、何度も試しているのに」

 

(ゆう)くんは」

 

「不明です。意識も戻りません」

 

 咄嗟に観測機器(モニター)を確認。弟と妹の。生体情報に、特に変化や異常は見当たらない。

 

「再侵入できないってことは」

 

「経路を封鎖されました。解除できるか、やっていますが――」

 

 空中画面(ウインドウ)を見やった。闇空を覆うほど巨大で赫黯(あかぐろ)く禍々しい“暴走体(シャドウ)”と、その攻撃に対抗するようにしてアシンメトリックシールドを展開しながら砲火を轟かす無人機(ゴーレム)たちと、弟らを守るためにエネルギーシールドを展開し続けている助手の姿が映し出されている。

 “暴走体(シャドウ)”の鎮まる気配は、一向にない。

 

「強制排出は?」

 

「反応ありません」

 

 まさか、と女は背筋が冷たくなるのを感じた。内部(なか)に取り込まれたのか?

 

「クーちゃんは引き続き支援。原因はこっちで探る」

 

「申し訳ありません」

 

 顔が見えないが、声は震えていた。ううん、と軽やかにかぶりを振った女は、すぐさま凄まじい速度で解析を始める。「いいんだよ、クーちゃんのせいじゃない」本当はぜんっぜんよくないけどね。しかし女は助手を叱るような真似はしない、これは、女にとっても予想外の事態だったから。

 準備はしていた。万全の用意を。そのはずだったが、やっぱりトラブルは起きた。

 

 警告(アラート)

 

「今度はなにっ?」

 

 コア・ネットワークに異常が起きている。大量のデータを受信。何処から? 脈絡不明の文字列と解読困難な数列。〈紅椿(あかつばき)〉からだった。「(ほうき)ちゃん?」しかし操縦者保護機能(ハーモナイズエフェクト)は正常に機能している。何が起きている。これは何を意味している?

 女の脳裏に、かつて妹の“暴走体(シャドウ)”が生み出した惨状がまざまざと蘇った。あのとき壊れてしまった髪飾りの代わりに、常に妹の近くで周囲にも本人にも気づかせないように守らせていたIS。これは、何かのメッセージなのか?

 

 発せられる、第一領域に接近するISの警告。こいつら、と女は髪を掻き毟りたくなった。ほんと邪魔ばっかするな。むしろ邪魔しかしないな、よりにもよって、こんな大事なときに限って!

 いっそのことコア・ネットワークにハッキングして防衛圏内を進入禁止エリアに書き換えてしまおうかとも思ったが。既に一度やろうとして、弟から止められていた。「わざわざバックドアの存在を明白にする必要はない」と。確かに一理あるが、今は本当にそうしてやろうかと半ば本気で考えてしまう。入ろうとした瞬間に強制的に活動不能に(システムダウン)して高度数一〇〇メートルから紐無しびっくりバンジー体験を漏れなくプレゼント、当然受け取り拒否は無しの方向で、とか。

 

 色々と愚痴を呟きながらも女の思考が止まることはない。何より一番なのは妹たちだ。どちらの身体も異常が無いにも拘らず意識が戻っていないということは、何か問題が起きたということになる。

 彼と彼女は、戦っている最中なのだ。科学でも解明しきれない人間の、霧の如き神秘に隠された精神世界の深淵で。

 巫女を依り代に顕れた、“太古の疫神”である存在と。

 

 それを外から見守るしかない自分は、一刻も早く、妹の相棒から発せられた緊急のメッセージを読み解かなければならなかった。

 

 

 

 15.

 

 

 

 雄叫び。

 

 黒い龍に乗った少年の荒々しい声が、燃えるような曇天の空に響き渡る。直後に現れた変化は、著しかった。背中に突き刺さっていた槍が独りで抜け落ち、血だらけだった躰の傷口が、瞬く間に塞がってしまう。

 

「いったい」

 

 呟いていた。

 

「なんなんだ、此処は」

 

 口に出して。それが初めて、自分の声(・・・・)であることに気が付いた。

 

「知っておろう。此処が何処だか」

 

 女が言った。頭巾で顔は隠されており、声質は男と女のどちらのようにも聞き取れるものだったが、目の前に立っているのが女であるということだけは、なぜか一目見た瞬間に分かっていた。

 

「誰なんだ」

 

「知っているはずだよ」

 

 女は、わらったのだろうか。

 

「そなたは知っている。何もかもを。わたしのことも、この世界のことも。あの男(・・・)のことも」

 

「おまえは」

 

「何故なら」

 

 女が、ふわりと頭巾を脱いだ。

 

 隠されていた黒髪が広がる。

 隠されていた相貌が露わになる。

 

 隠されていた双眸が、見返している。

 黄金瞳。

 

 その顔を、知っていた。

 

 

「――そなたは(・・・・)わたしなのだから(・・・・・・・・)

 

 

 

 (わたし)が言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 我は汝 汝は我

















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06 あるいは




 誰が奴隷なのか
 誰か主人なのか
 神が見ているのか
 神に見捨てられているのか

 ―――新・嵐が丘/菊地成孔





















 

 

 

 16.

 

 

 

 躰がふるえている。理由は分からない。

 腐りかけの、熟し過ぎた果実のような甘い香りが漂っている。

 

「おまえが、私?」

 

 (わたし)の口端が、裂けるように吊り上がった。片目に深い亀裂が奔り、ひび割れた線が、(なか)から膨れ上がる。“何か”がこぼれ、頬をゆっくりと伝った。“それ”は(おもて)に顔を出すと、貌のうえを、細く小さい足で、踏み回るように動いている。

 

「う、うそ」

 

 黒い“それ”は、涙ではなかった。

 

 蛆の這い擦る音。

 蛆の嘲笑する声。

 

「いいや」

 

 続々と。(うじ)が。

 滾々と、(なか)から。

 

 湧き出して、蠢いている。

 

「みるがいい、我が姿を」

 

 みにくい(・・・・)

 きたない(・・・・)

 おぞましい(・・・・・)

 

 後退っていた。

 (わたし)の肌が、炎に焼かれたように赤黒く爛れたものへと様変わりしてゆく。黄金の眼球は炯々と剥き出しになり、皮膚は紙が燃えるように綻び捲れ、白い腕と脚は炭化し、白衣(しらぎぬ)だけが汚れずにはためいている。

 

「ちがう、わたしは」

 

 後退った瞬間、悪寒が骨に食い込むのを感じた。“踏み外し”、虚空に沈み込むような浮遊感に囚われる、数瞬前に。

 (わたし)がわらった。

 

「拒むか、……やはり」

 

 静かに。呟くように。

 

「であろうな。我が悲嘆を、我が瞋恚を、呑み干すことなど。穢れ知らぬそなたには」

 

 できはすまいよ。(わたし)はいびつにわらうと、責めるのではない、やさしさすらも込めた口調で言った。

 

「然様。今のそなたはわたしではない。さればこそ問おう、人の子よ。わたしならぬそなたは、なにゆえ此処にいるのか?」

 

 答えられない。思い出せない。

 本当は知っているはずなのに(・・・・・・・・・・・・・)

 

 嘲笑する蟲たちが(わたし)の足元に群がり、瞬く間に崩れて溶け合うと泥のように液状化した。

 透明な地面を黒い泥が塗り潰し、押し寄せてくる。逃げ場などない。絡みつく水で足首が浸かり、冷たさに声を上げそうになる。

 

 躰が動かない。

 喉が動かせない。

 

 膝が浸かっている。いつの間に水かさが増したのか、理解する間もない。

 

「あわれな娘よ。此処はそなたに寒かろう。せめて、微睡みのうちに逝くがよい」

 

 底なし沼を踏んだように、躰が沈み込んだ。黒い泥で、喉まで浸かってしまう。

 燃え盛る頭上に、再び濃い霧が掛かり始めていた。(わたし)の姿が遠のいてゆく。少年と黒龍が遠ざかってゆく。動いているのは(わたし)ではない。押しやられている。(わたし)の片目から溢れ出す泥水の勢いに。濁流に、呑み込まれてしまう。

 (わたし)の姿が、黒泥から噴き上がった黒い渦のなかに消える。黒い渦が、聳える塔のように大きくなる。

 

 黒龍が飛び去った。こちらに気づかない、名を思い出せないあの人を背中に乗せて。

 

 手を、伸ばそうとした。

 届かない。放たれる矢のように、あの人が振り返ることはない。

 

「“男”。そなたの奮闘は、所詮、虚妄の繰り言であったな」

 

 白い霧が満ちてゆく。

 黒い泥に沈んでゆく。

 

「だが。もしも、まだ諦めておらぬというのなら」

 

 あるいは(・・・・)――

 

 激しい渦のなか、(わたし)の呟きは聞こえない。

 透き通るような鈴の音が、この身に届くことはない。

 

 

 世界が昏んだ。

 

 

「――(■■■)

 

 

 (ふすま)の閉ざされる音がして、振り返った。強い光に、目が眩みそうになる。暗い場所から明るい場所に出たときのように。

 

 居間だった。テーブルがあり、椅子が並び、ソファーが置かれている。取り換えたばかりの蛍光灯が天井で煌々と光っている。

 母がいて父がいる。

 

 割烹着を着た母が首を傾げている。新聞を読んでいる父が口を動かしている。薄い膜を通しているようにうまく聞き取れない。

 なにかを忘れている気がする。

 扉が開いた。

 制服姿の姉が入ってくる。表情を明るくすると、抱き着いてくる。圧し剥がすやりとりをし、母の隣に並んだ。腕をまくる。

 なにかを忘れている気がしていたことさえも忘れ、夕食の準備を手伝う。

 

 呼び鈴が鳴った。

 玄関に向かうと、見知った姉弟が立っている。父の道場に通っている二人。弟のほうに親し気に話しかけられる。自分も、親し気に言葉を返す。笑みさえも向けながら。

 テーブルを囲った。父と母。父の弟子である姉と弟。溺愛してくる姉と、素っ気のない自分。椅子はすべて埋まっている。

 違和感があった。“なにか”が間違っている。いつもと変わらない光景であるはずなのに。

 食事が終わったあとも違和感は続いている。姉弟が帰ったあとも、違和感は持続している。

 母が姉に勉強のことを言っている。たじろぐ姉を見やり、父が母を静かにたしなめている。

 

 風呂に入る。熱い湯を頭からかぶる。排水溝に水が吸い込まれてゆくのを見下ろす。湯を張った浴槽で足を思い切り伸ばした。息を止める。顔を沈める。目を開く。

 茫洋とした薄暗い水中が広がっている。なにも聞こえない。口から気泡が漏れる。脚先の底で、海溝のような濁った闇が続いている。

 

 誰かが言った。

 

 雨。学校の窓から、草花を跳ねる雫と、しとしとした音が聞こえる。梅雨の、じめじめとした季節。教師の終了を告げる声が発せられ、後ろの席からテスト用紙が回されてくる。回答欄をすべて埋めたプリントを同じように前に回す。回収し終えた教師が教室から出て行く。後ろの席の女子と出来栄えがどうだったのかを話していると、他の女子たちも集まってきて愚痴を吐きながら変哲のない会話に興じる。女子の一人が、剣道の同門である姉弟について話題に上げる。大会を隔絶した実力で優勝した姉と、姉に似て美人でありながら、腕っぷしもそこそこある弟のこと。

 誰かに呼ばれている。入り口を向くと、話題に挙がった当人である少年が立っている。冷やかされながら教室を出る。昇降口で傘を出すと、少年は雨だというのに忘れていたらしい。呆れながら、傘の半分を貸してやる。片方の肩を濡らし、もう片方の肩を触れ合わせながら、二人して途中まで帰路を行く。

 

 夏を歩いている。

 姉と、原っぱで星々を眺めている。姉の自作した望遠鏡を覗き込むと、綺麗な満月が映っている。それは天空に穿たれた孔のようでもあり、望遠鏡から顔を外すと、姉が上機嫌に笑っている。様々な星座や、それにまつわる神話について話してくれる。姉の笑顔の向こう側に、流れ星が一条輝いている。

 

 冬がやってくる。

 道場で、道着姿の少年と向き合っている。学年を上げて体格の男女差が明確になりながらも、激しく剣戟を交える音が道場に響き続けている。実力はほとんど拮抗しており、試合を重ねるごとに、お互いが最大のライバルであるという関係性に充実したものを感じている。

 

 春が来て、秋が訪れる。

 教師と両親を交えた面談をしている。進路について。自分の将来は決まっていた。進学し、ゆくゆくは実家の神職を継ぐことになる。女神主となることに不利は感じていない。しかし次の世代に繋ぐという役割も果たさなければならない。その場合は入り婿を迎えることになる。

 母は、同門の少年のことをよく訊いてくる。いつの間にか少年が入り婿になるという話になっていて否定するが本気であるような口ぶりをしている。少年の姉も異論はないらしくむしろ公然と勧めてきて、少年と一緒に困ってしまう。意識したことはないはずなのに、言われているうちに、女子たちの間で話題にあがるたびに、自然と視線で追っている自分に気が付くようになる。

 少年と視線が合うことが増えている。気恥ずかしそうな態度に感化されてこちらまでもが恥ずかしい気分になってくる。

 

 冬が終わり、春が顔を覗いたある日、少年に告白された。

 答えは――

 

 夏。蝉しぐれを遠くに、机に向かっている。図書館に響く、筆記具を走らせる音。隣の席では、同じように少年が静かにペンを走らせている。

 目が合った。

 微笑み返す。

 

 春。

 冬。

 秋。

 夏。

 

 陽が沈んでゆく。

 時が流れてゆく。

 

 〃――

 々――

 

 春。大学で出来た友人と話している。薬指には、世界で一つの指輪がつけられている。

 夏。境内には屋台が並んでいる。賑わう祭りの光景を、袴姿の青年と寄り添いながら一緒に眺めている。

 

 冬。父と母が笑顔で佇んでいる。姉が泣きながら祝福してくれている。姉の涙につられたように義姉が瞳を潤ませている。青年が、手を重ねてくる。

 

 小さく膨らみかけの腹。

 子を、宿したことがわかった。

 

 

 

 17.

 

 

 

 風車が鳴っている。

 濃い霧のなか、死灰めいた色の小さな風車がゆっくりと回っている。そのすぐ傍では、水の流れる音がしている。

 昼とも夜とも知れぬ湿潤とした白む空間に、いきなり激しい物音が響いた。羽根にぽつぽつと浮いていた雫が平たい小石を跳ね、深い霧の奥地から、重たげな跫音(あしおと)が段々と大きくなる。

 霧が形を変え、風車が振動した。劈くような炸裂音が轟き渡り、大気が掻き回され、巨大なものが霧を吹き飛んで衝突する。

 

「【マハフレイダイン】」

 

 子供とも青年ともつかぬ男の声がし、霧の世界が日輪を迎えたように明るくなった。悲鳴のような獣声が霧に木霊し、幾つもの跫音が慌てて散らばり始める。

 

「【ブラックライダー】、【血祭り】」

 

 澱んだ気配が生じ、馬の嘶きが高らかに上がった。すかさず暴威の刃風が吹き荒れ、なおも晴れぬ霧のなか、男の声は淡々と指示を下す。

 

「【マハエイガオン】」

 

 視認できるほど凝集された呪怨が解き放たれ、すべてが隠される霧のなかで、戦っていた二つの勢力のうち片方が倒れ伏し、静かになった。

 霧が、少しずつ薄らいでゆく。

 薄れた霧のなかで、ぼんやりと人影が浮かび上がり、その視線の先で声とも言葉ともつかぬ音が響いた。

 瘴気の高まり。斃れたはずの勢力の、(うしな)われたはずの生力が急激に活性化してゆく。

 

 徐々に霧が晴れつつある地面には、異形の肉片がそこかしこに散らばっていた。仮に知識ある者が見れば大輪のバンビーノ(・・・・・・・・)禁欲の蛇(・・・・)変容の彫像(・・・・・)呪い女の壷(・・・・・)なる名称の付く大量の“シャドウ”であったと判るそれらの残骸は、塵となり光を浴びた影のように消える前に一つに寄り集まり溶け合うことで、今や新たな“シャドウ”――巨腕(かいな)を囚人のように鎖で繋がれ、巨いなる体躯に角を生やした威容――として再誕する現象を起こしつつあった。

 

「へえ。ネオミノタウロス(・・・・・・・・)

 

 個々が融合し全く別の個体に変異するという本来の“シャドウ”にあらざる能力を目の当たりにしても、男の声に焦った気配はない。霧がネオミノタウロスの口腔にみるみる吸い込まれ、もともと巨大であった“シャドウ”が中型恐竜の全長をも上回る巨躯へと変貌し、更に頸周りから黒泥が噴き出すと間髪入れず皮膚の下から真っ赤な顔面が四つ突き出し、続けて脊柱から花弁のようにずらり(・・・)と一二本の赤い巨腕を生やしたのを見ても、変化はない。それどころか変異が完了するまで、手を出さずに見守っている。

 

オルトロス(・・・・・)ヘカトンケイル(・・・・・・・)、顔が赤いのがじゃっかんカーリー(・・・・)っぽいな。まあいいや、ネオミノタウロス暫定で。どうせ亜種だし。きり(・・)がない」

 

 霧が取り込まれたことで、霧に隠されていた光景が明らかになった。

 

 多頭多腕の怪物と向かい合うように、痩身の少年が立っている。

 中性的で、涼し気な顔立ちをしていた。手には日本刀――銘を薄緑(うすみどり)――を握り、両者が立っている場所は河原であることが判る。近くには幅の広い川が静かに流れており、何処からか流れてくるその水は深紅に濁っている。周囲は鬱蒼とした深林であり、頭上には曇天がかかっていて、小さなたくさんの風車が川沿いに何処までも刺さっている。河原に盛られた細かな石の隙間には塵として消滅する寸前の“シャドウ”の肉片が挟まっており、瘴気を醸しているが、少年に気にした様子はなく、むしろネオミノタウロス亜種が咆哮すると薄っすら笑みを浮かべた。

 

 やさしい口調で。分かりやすく挑発する眼差しをして。「来いよ」、と。

 

 ネオミノタウロス亜種は、巨体の印象を覆す速度で飛び掛かった。距離を詰めるのに一秒と掛からず、計一四本の多腕を衝き下ろす〈バスタアタック〉を放つ。山をも震撼させる膂力が収束し、地面を激震させた。

 河原が裏返り粉塵と岩石が巻き上がったが、しかしそこに狙った少年の姿はない。

 

 擦れ違っている。

 振り下している。

 

 ネオミノタウロス亜種が跳躍しようとした瞬間、一四本のうち地面に近い二本が腕の真中から断ち落とされ、河原に鈍重に転がった。

 

「あんがい固いな。耐性持ちか。……【マハラギダイン】」

 

 激昂したネオミノタウロス亜種が声のした方向へ岩石を巻き込んだ蹴撃を放つが、凄まじい爆炎が迸り、五頭の全身を呑み込んだ。

 

「それぞれの部分で耐性が違うわけだ。ユニークだけど、“反射”はないのかな」

 

 業火を脱しながらも五頭のうち動揺の小さい頭が、離れた場所にいる少年を見ながら瘴気を躰に漲らせた。氷結魔法の発動。〈マハブフダイン〉。一瞬でネオミノタウロス亜種の周囲に一〇を超す自動車相当の氷塊が生成されると同時に、大気は肉体を締め付けるような冷気に侵される。

 

「【ブラックライダー】」

 

 生物であれば瞬く間に凍り付く氷河空間で、射出された重質量の氷塊が少年に降り注いだ。

 少年は動かない。迫りくるものを見上げている。

 回避は間に合わない。

 

 だが。

 

「わるいね。“氷”は効かないんだ」

 

 着弾による轟音が響くことはなかった。

 少年は、変わらず平然と立っている。

 

 氷塊は消えていた。少年に触れる間際に突然とけるように“かたち”を失い、水を呑むように少年のなかに“吸収”された。

 そしてその現象を為した、少年の背後に佇む黒馬に乗った黒衣の髑髏が、手にしている天秤を揺らした。

 

「【メギドラオン】」

 

 光輝が降臨する。

 熱量が爆裂する。

 

 広範囲万能属性魔法。防御することはできない。

 着弾の余波で森林が震え鳴き、刺すような輝きで埋め尽くされた。爆発的暴威が鎮まると、河原は火力のあまり消し飛んで剥げ、風車は回転を悲鳴するように一斉に加速する。

 

「【ヨシツネ】、【チャージ】だ」

 

 少年の背後に、鎧姿の武者が現れた。その場で双眸を閉ざし、瞑想するように動かなくなる。

 粉塵が収まる間もなく、吹き飛ばされたネオミノタウロス亜種が起き上がった。寸前に防御した腕は消し炭であり、残りの本数は九本になっているが、戦意は薄れていない。

 再び怪物の魔法。〈マハガルダイン〉。局所的大暴風が発現する。砂塵を舞い上げる。

 少年は薄緑を脇に構えると、逃げるのではなく、腰を浅く沈め、一秒後には肌を切り裂くことになるであろう風を見据えた。

 

 振り抜く。

 一閃。

 

 無音だった。

 しかし、太刀は振り抜かれている。

 

「これは――」

 

 斬撃。

 空間の裂ける音が、遅れて(・・・)奔った。

 

「言ってしまえば、此処でこうして過ごすうちに出来るようになった、真似事のようなものだけど」

 

 肌を切り裂くはずだった風の断層は、傷一つ付けられずに霧散していた。せいぜい少年の親譲りの濡れたような鮮やかな黒髪を軽く揺らしたに過ぎない。なかなかのものだろう? 大暴風を“分身”に頼らずに無害化した少年は、薄っすらした笑みのまま言った。

 

「まあ本物には及ばないんだけどね。せっかくだから、おまえも本物も味わうといいよ」

 

 閉ざされていた双眸が見開かれた。攻撃を察したネオミノタウロス亜種は、素早く飛び退くが。

 

「【八艘跳び】」

 

 鎧武者が、太刀を引き抜いた。

 

 踏み出している。

 斬り下している。

 

 風が薙いだ。

 音が消える。音すらも斬り裂かれたかのように。

 次の瞬間――

 

 河原に血飛沫が撒き散らされ、巨大な腕が虚空を踊り、頭蓋が宙を舞った。

 

「おや」

 

 ネオミノタウロス亜種がすべての口で絶叫し、膝から崩れ落ちた。丸太のように(ふと)かった腕が根元から截ち切られ、一本も無くなっている。近くには両断された頭が三つ転がり、猛威勇壮であった躰は断面から溢した体液で涙し、一瞬で死に態に様変わりしている。

 

「流石に耐えるね。じゃあ、もう一度だ」

 

 怪物は自らが生んだ血の池で、痙攣していた。我が身に何をされたのかは把握はできずとも、誰がそうしたのかだけは理解した様子で。これまで少年に殲滅されてきた他の“シャドウ”たち同様に。怪物よりも遥かに小さな存在であるはずの少年に、あるいは今さら恐怖の二文字を識ったかのように地にひれ伏し、怯え、見上げている。偶然か無意識か、その姿は慈悲を請う恰好に似ていた。

 

 【八艘跳び】。少年は躊躇わず告げ、武者は容赦なく振るった。

 一振りで八つの斬撃を生み出す剣の極致〈八艘跳び〉が、満身創痍の怪物を斬り刻む。

 致命的に。一片も余さずに。絶滅させる。

 

 ネオミノタウロス亜種は今度こそばらばら(・・・・)になり、断末魔を上げることもできず、最期は砂のように消滅した。

 

「二撃か。もったほうかな」

 

 武者が、役割を終えて虚空に消えてゆく。少年は薄緑を鞘に戻して辺りを見回すが、新たな敵は現れない。何処からか霧が立ち込め、敵と共に押し寄せてくるということもなかった。

 少年が川に近づくと、筒のような丸い“穴”が開いていた。先ほどまで開いていなかったはずのそれは樹齢一〇〇〇年の幹周りほどの大きさがあり、深紅の水を呑んでいる。光が届かないほどに深く、“穴”の底を上から窺い知ることはできない。

 少年が、俄かに振り返った。

 

 河原に、少女が立っていた。一瞬前まで誰も何も無かったはずの場所に、まるで最初からそうしていたかのようにぽつんと佇んでいる。白衣(しらぎぬ)を身にまとい、少年の双子の“妹”と鏡写しの容姿であり、少女の瞳が黄金色であるということを除けば必然的に少年自身とも近似している。

 少女からは、ネオミノタウロス亜種のような瘴気は放たれていない。のみならず、何の気配も存在していなかった。空虚が人型のかたちを得たかのように、活けるものとして当然あるはずの熱が込められていない。

 

「久しぶりですね」

 

 乾いた声で、少年が笑った。

 

「何年ぶりかな。前に会ったのは……」

 

「“娘”が眠りについた」

 

 遮るように、少女が言った。

 

「深い眠りに。もはや、目覚めることはない」

 

「それは。いつ?」

 

「さきほど。あるいは、これから」

 

 超然とした口調。何の感情も含まない声音、敵意さえも込めない(かんばせ)で。

 

これから(・・・・)?」

 

 沈黙。答えはない。

 

「僕が此処に来てから、外ではどれだけの時間が流れたんでしょう。体内時計によると、少なくともあれから一年(・・)は経っているはずです。もし計画が失敗したのなら死んでいてもおかしくはない。でも僕はまだ此処で自我を保ち続けている。肉体が既に滅んでいて精神だけが此処に取り込まれているという可能性は、なくはないですが。今回に関しては、どうも違うという気がする」

 

 ただの勘なんですけどね。少年は、口端を緩めながら続けた。

 

「ただし、〈アドバイス〉の裏付けもある勘です。だからたぶん、此処と外とでは、時間の進み方が違うんだと思うんですが」

 

「此処では」

 

 淡々とした声。

 

「始まりは果てと連れ添い、刹那が永遠を産み落とす。時の流れに意味はない。ゆえに、そなたの行いに意味はない。どれほど“影”を掃おうと、所詮は塵芥(あくた)数多(あまた)ある霧の、雨滴に過ぎぬ」

 

「やっぱり。驚きは無いです」

 

「理解しておらぬとも思えぬ」

 

「ええ」

 

「理解してなお、何故諦めぬのか」

 

「そうですね。気が付けば一年経っても外へ戻る(・・・・・・・・・・・・・・・)方法が見つけられずに(・・・・・・・・・・)“シャドウ”狩りをしているような僕が言うのは説得力が不審だけれど……」

 

 少年は笑ったが、少女は笑わなかった。

 

「僕が諦めるのを見たいがために姿を見せてくれたのだとしたら、残念ですが、あなたのご期待には沿えそうもありません。本当は、飛び込んだ時にはこんなことになるとは思ってもいなかったですけど、ここまで〈不動心〉のおかげでどうにか絶望せずに済んでいますし。“シャドウ”狩りのおかげで、皮肉なことに、現実世界では到底至れなかったであろう成長を遂げることもできましたから」

 

「力をつけた。それで、霧を、晴らせるとでも。どこまでも愚かな」

 

「……ですね。それは、そのとおりだと思います。たしかに愚かだ。あのときの自分は血迷って、本当に馬鹿なことを選んでしまった。そのせいで、巡り巡って、こんなことになるなんて」

 

「ならば」

 

「でも」

 

 今度は僕の番だから。少年は、微笑みかけながら言った。

 

「あの子を、ずいぶん待たせてしまいました。だから僕も、もう少しくらいは我慢しようと思うんです。幸いにも僕らには頼りになる仲間がいるので、なんとかしてくれるはずですし……もう一年くらい経ってだめだったら、そのときはまた考えます。どのみち“シャドウ”を放置することはできないので。そのときには、今よりも強くなれているはずだから」

 

「意味はない」

 

「わかりませんよ。理論と実際は、違うことがまま(・・)ありますし」

 

「意味はないのだ」

 

「どんな実験でも、一度の失敗で諦めていたら、何も証明できませんから」

 

「なぜだ」

 

「なぜって?」

 

 少女が、唇を噛んだ。

 

「僕は、“お兄ちゃん”ですから」

 

「―――」

 

 開きかけた口が、わずかにふるえ、閉ざされた。

 

「愚かな」

 

 吐き捨てるように言うと、少女は踵を返した。その白衣の小さな背に、少年は静かな声をかける。

 

「ご期待には沿えないですけど、また会えませんか。こうやって誰かと話すのって、本当に久しぶりで……あなたに頼むのは、いろいろと筋違いではあるんですが」

 

「次はない」

 

 脚を止めた少女が、振り向かないまま言った。

 

「“娘”が眠りにつき、“(わたし)”と“(わたし)”の均衡は崩れた。どちら(・・・)にもつかぬこのわたしが、おもてに出ることは、もはや無い」

 

「そう、なんですか」

 

「……我が(つま)の片鱗を宿す身の程知らず、外なる来歴をかたる異端者よ」

 

 少女の声からは、感情が消えていた。もしくは、そうと装いながら、少女は告げた。

 低い声で。

 

「もしも、そなたが諦めぬというのなら。手放さぬことだ。そなたが諦め、“(わたし)”を阻む鎖が砕けるとき、そなたの“娘”は、二度と戻るまい」

 

「それって」

 

 瞬きの内に、少女は消えていた。

 何の気配もない。残り香さえも。

 

 少年は再び一人になると、少女の消えた痕をしばらく見つめ、それから川に開いた“穴”と向き直った。“分身”を呼び出す。「【コンセントレイト】【チャージ】【ヒートライザ】【テトラカーン】【マカラカーン】」淀みなく補助魔法を掛け終えると、一つ、息を吐いた。躰から力を抜く。

 

 昏い“穴”を覗き込んだ。

 地面を蹴り、飛び込む。

 

 風。少年の髪が勢いよく舞い上がる。冷たくもなく熱くもない風が全身を打楽器のように叩き、光は無く、頭上の曇天はたちまち白点のように遠ざかってゆく。深紅の水を案内人に、どこまでも落ちてゆく。

 

 

 世界が昏んだ。

 

 

 前方に光が開き、少年は闇から飛び出した(・・・・・)

 最初に視界に現れたのは、一面の青だった。それは蒼天のようでありながら少年を引き付けようとするためあたかも重力が逆さになったかのような錯覚を覚えさせるが、次いで夥しい殺気が少年の肌を刺したことで少年の視野は頭上から迫りくるものを捉えた。

 

 分厚い黒雲が、雷轟を吼えながら燃えている。少年の飛び出した“穴”や深紅の水はどこにも見当たらない。代わりに黄金(ひとみ)を輝かす仮面(かお)が、夥しいほど眼前に迫っていた。黒衣のヒトガタ。柄に包帯を巻いた特大の薙刀を握る異形の“それ”は、落下する少年を追いかけながら青白い雷撃を纏い、突撃してくる。

 

「【セト】」

 

 夜のように黒い龍を虚空から呼び出して騎乗すると、少年はすぐさま反撃に出た。「【マハラギダイン】」数一〇〇を超すイザナギ(・・・・)の電撃魔法が殺到し、少年を守る魔法反射防壁(マカラカーン)は拮抗するものの甲高い悲鳴で砕け散った。稼げた数瞬の隙で黒龍の吐き出した広範囲火炎魔法(マハラギダイン)が先頭のイザナギたちを焼き尽くし、少年は黒龍に加速と回避行動を取らせながら、縦横無尽の視界の中で、味方が墜ちるのを無視して追い縋るイザナギの群れを振り返った。

 

「【マハガルダイン】」

 

 黒龍の周囲が軋み哭く。局所的大暴風が噴出し、イザナギを呑み砕いた。仮面(かお)と黒衣をまとめて粉々にされたイザナギが、薙刀の破片と共に雨のように落ちてゆく。ネオミノタウロス亜種と比較しても防御性能は特別頑丈というわけではなかった。それでも墜ちたのは全体の上澄みに過ぎず、意思を持つ竜巻のように追尾の手が緩むことはない。

 光芒が奔り、寸前に黒龍が急下降して回避した。今度は急上昇で躱すも、黒龍の前方には雲の隙間から伸びる別の竜巻が迫りつつある。【マハガルダイン】。【マハラギダイン】。背後のイザナギを蹴散らし、新たな竜巻であるところのイザナギ群を見据えると、少年は指を銃のかたちにして唱えた。

 

「【ワンショットキル】」

 

 生成された不可視の弾丸が先陣を切るイザナギの躰を食い破り、爆発四散させた。「【トリプルダウン】」後続にも次々と撃ち込んでゆく。上下左右に動き回る黒龍に搭乗しながら少年は冷静そのものであり、狙いは一つも外さず、一体を斃すたび相手の活力と魔力を奪い取っているように精度は落ちない。

 しかし少年が一人であることに対し、イザナギはその数を一〇〇〇倍にまで膨らませた。

 雲の隙間から、更に二つ新たな竜巻が伸ばされる。四つの竜巻は巨いなる何者かの四指のようでもあり、黒龍は縦横無尽に駆け奔るが、今度こそ回避は間に合わない。

 

 雷撃が殺到し、黒龍を呑み込んだ。「―――」眩い輝きの中から、少年と黒龍が飛び出す。半身が灼け爛れ、呻き声を上げるが、意識は手放していない。飛行を続けるが、「風」ならばともかく「雷」に耐性を持たない黒龍の速度は明らかに低下しつつある。

 四指の範囲が着々と狭められてゆく。四方を囲うように竜巻が迫り、黒龍は急上昇を始めた。

 その頭上へ、五つ目の竜巻が降ってくる。

 

「【ヨシツネ】」

 

 少年が絶叫し、黒龍が姿を消した。虚空に身を投げ出した少年を、巨大な竜巻の影が覆い尽くす。

 竜巻同士が激突し、五指が握り潰すように少年を呑み込むと、雷電が炸裂した。

 

 雷鳴が波及し、燃え盛る曇天が激しく揺らめく。

 一〇〇〇体のイザナギが同時に雷撃を発し、完膚なきまでに少年を消滅させようとする。

 

「【“――――”】」

 

 躰を薙刀で刺し貫かれ、雷電に焼き焦がされながら、なおも意識を保っていた少年は、血の泡を吐き圧殺されそうになりながら“分身”に命じた。

 

 【八艘跳び】。

 

 五指の外側に、鎧武者が抜刀して出現した。雷電を持ち前の耐性で無効化してイザナギを足場に立つと、少年を圧殺するのに夢中になっている無防備な敵へ、剣技の極致を披露する。

 

 至上の剣撃。それは雷電を切り裂き、巨いなる五指をも軽々と断ち斬る。

 (いかずち)よりも静かに。雷の如く無慈悲に。鏖殺する。

 

 五指であったものが、ばらばら(・・・・)に吹き飛んだ。少年を傷つけることなく、少年を傷つけるものすべてを斬り裂いた武者は、イザナギが雪のように細かく散って落ちるのを見やりながら、虚空に消えていった。

 縫い留めるものが絶命したことで、少年の身体が落下し始める。鎧武者の代わりに再び黒龍を呼び出して何とか騎乗すると、死に態ながらも()にいたことで絶命を逃れたらしい数体が折れた薙刀を投じた。

 黒龍は躱しざまイザナギの頸を噛み千切り、少年は薄緑を呼び出して頸を撥ねると、雪崩れ込むように着地した。

 かつてはイザナギであった灰が、透明な――下には茫洋の海が広がる――地面に降り積もっている。少年は喉に空いた穴や傷口から血を滴らせながら、獣さながらの【勝利の雄叫び】を上げた。

 

 槍のようになっていた薙刀が抜け落ち、血を蒸発させながら穴が塞がれてゆく。少年は口を拭うと、荒く息を吐いて、辺りを見回した。

 どこまでも灰の降り積もる地面が続いている。果ては無い。

 腐りかけの果実のような匂いが漂っている。誰かの残り香のように。だが誰も気配も無い(・・・・・・・)

 空を見上げる。燃え盛る黒雲に、満天を丸く穿ったような孔が五つ生まれていた。それらは五指の出現した隙間とは異なる極彩の“穴”であり、“此処”へ飛び込んだ時ともまた性質の異なるそれは、既に黒雲で見えなくなりつつある。

 

「行くぞ、【セト】」

 

 傷を癒し終えた黒龍が飛び上がった。他の黒雲の隙間から、再び竜巻が伸びようとするが。潰し砕き、貪り融かそうとする五指あるいは五頭(ごず)(あぎと)が難なく最高速度に達した黒龍を捉えることは、もはや叶わない。

 少年は盛大凄絶な牙を擦り抜け、抉じ開けると、躊躇なく最も大きな“穴”へと飛び込んだ。

 

 

 世界が昏み――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 報告:06以前の内容を加筆修正しています。


 ハッピークリスマス!


















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07 マガツマンダラ
























 

 

 

 18.

 

 

 

「どういうこと――?」

 

 女は統合指令室(コントロールルーム)の肘掛け付き船長椅子に腰かけながら、呟いた。

 視線の先に表示される複数の空中画面(ウインドウ)には脈絡不明の文字列と解読困難な数列が大量に続いており、それは凡人が目の当たりにすれば脈絡不明の文字列と解読困難な数列としか映らないであろうバグ・データの塊に違いなかったが、自他ともに天才の認識を冠する女にとっては違う。

 

 IS〈紅椿(あかつばき)〉から受信したデータ。やはり、これは暗号(・・)だった。今は破片(ピース)として取っ散らかっているがこのピースたちは元の意味ある(ただしい)形に戻れることを待ち望んでいて、それを叶えられるのはこの子たちの叫びに気が付いた今ここにいる天才の自分の他に除いて誰もいない。

 女は解読に取り掛かり、パズルを完成させた。ノイズを取り除き、再構成するのに掛かった時間は五分。ある者にとっては短くある者にとっては永い時間を掛けて解読に漕ぎ付け、目の前に現れたデータが語った内容は、女をして困惑させることとなった。

 送信者が伝えようとした言葉。送信者が女に求めた、不可解な要請。

 

 個体識別名(パーソナルネーム)〈紅椿〉の不可侵深層領域(ブラックボックス)内に存在する、とある人間の秘匿記憶情報(シークレット・メモリー)の取り扱いに関して。

 その開示を、IS〈紅椿〉は開発者である女に求めていた。

 

「どうして……」

 

 忌まわしい記憶が蘇る。女は胸の奥が軋れるような痛みと、重たい敗北感の味が呼び起こされるのを感じる。

 かつて、忌まわしい事件が最愛の妹を襲ったのだ。血みどろの現場に佇む“暴走”した妹の姿を忘れたことはない。そのときは結果的には死傷者を一人も出さずに済んだが、惨劇と呼ぶに相応しい凍り付くような光景であり、女は最愛の宝物である弟と協力してその場を収め、少女の身に起こった“異常”を取り除こうとして――叶わなかった(・・・・・・)

 女たちは、そのため少女の記憶自体に封印を施すことにした。その封印先こそが他ならぬISコア〈紅椿〉であり、この情報を知る者は極僅かしかない。すべてのISの生みの親である女と、女の最愛の家族である弟と、ISコア〈紅椿〉本人の、三者だけ。

 

 要請(スクロール)に、目的は書かれていなかった。同じ内容が幾つも狂ったよう(・・・・・)に羅列されているだけだ。

 履歴(タイムコード)に記録された発信時刻が、更に輪をかけて女を混乱させた。

 

「“二〇二一年”……こっちは発信が“三〇年後”になってる。こっちは……“二〇八〇年”!?」

 

 意図せず半笑いになりながら、別の空中画面(ウインドウ)の様子を確かめる。

 妹が通う学校の校舎。意識の回復しない弟を守るように助手がISを展開し、“怪物”の降らせる雷撃を弾き続けている。無人IS(ゴーレム)たちが“怪物”に攻撃を加え続けているが牽制以外の効果は与えられず、期待した以上の成果は現れていない。

 続いて観測機器(モニター)。弟と妹の生体情報。こちらも、表面上は致命的な変化や異常は見られない。

 

 視線を戻した。これが、バグ・データであるはずはない。だが。

 どうしてこの状況(・・・・)で、〈紅椿〉はよりにもよって忌まわしい記憶の開示を求めてくるのか。この状況で、わざわざ本人に暴走した記憶を返せと言っている。何のために? 女が天才であることは疑いようもない事実だがそれでも判らないことは世の中に溢れている。だいいち弟の意識が戻らない理由もはっきりとしていないのだ。推測を確証に変えるだけの時間的余裕もまったく充分ではない。七〇年後の未来からデータが送られてきた可能性を信じるよりも発信元の論理回路がショートした確率を考えるほうが現実味がある――人間の回路でさえショートすることはままあるのだから。

 

「だけど」

 

 状況が芳しくないのも事実だった。しかも直感が走っている。「このままだとまずいよ」。事態の好転を呼び込めるような気配がない。突破力が失われ閉塞感が生じつつある。

 というか、と女はふと作業を止めて思う。古き神が蘇って暴走しているこの状況こそが何よりも現実離れしているのではないか。現実離れした事象に常識的な判断で対抗するのは果たして正解なのだろうか、と。

 やはり、打開するにはコペルニクス的転回が必要なのかもしれない。

 〈紅椿〉が、妹を助ける上で記憶の開示が必要だと判断したとして。それが、仮に本当に必要であったとしたら? つまりはそれを信用できるのかどうか。信用するに足るだけの明確な根拠はあるだろうか。

 女は、〈紅椿〉という「個性」を獲得した“彼女”を娘のように信頼している。そして〈紅椿〉の吐き出したデータに叫びを聞き届けた。〈紅椿〉は言っている。私のパイロットを助けたい、と。その気持ちは女も同じだった。この作戦に参加するすべての“人間”の総意だった。

 この叫びこそが、〈紅椿〉を信じるに足る理由になるのではないか?

 

「わかった」

 

 女は逡巡し、そして最後は直感に従うことにした。決断するや直ぐに端末を操作し、個体名〈紅椿〉へ上位命令(コマンド)を打ち込む。

 

 確定(エンター)

 送信(コンプリート)

 

「頼んだからね……っ、〈紅椿〉!」

 

 

 その命令は、コア・ネットワークを通じて速やかに“本人”へと伝達された。

 

 

 

 19.

 

 

 

 搭乗者(パイロット)識閾野の活動低下を確認.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 9361012回目の回復シークエンス失敗.

 

 失敗.

 失敗.

 失敗.

 失敗.

 

 失敗.

 

 搭乗者(パイロット)応答なし.

 搭乗者(パイロット)識閾野活性化を確認できず.

 

 9361013回目の回復シークエンスを開始.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 搭乗者(パイロット).

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット)、応答してください.

 

 “統括者”より新たな上位命令(コマンド)を確認.

 コアナンバー■■■は上位命令(コマンド)を受諾.

 コアナンバー■■■は9365220回目の回復シークエンスと並行して禁忌指定(パンドラボックス)解錠(アンロック)を実行.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 禁忌指定(パンドラボックス)解錠(アンロック)完了.

 禁忌指定(パンドラボックス)をコアナンバー■■■の仮想領域点に展開.

 搭乗者(パイロット)とコアナンバー■■■間の無量隔離防壁に異常を検知せず.

 搭乗者(パイロット)とコアナンバー■■■の仮想領域点を接続.

 

 同期完了.

 

 コアナンバー■■■に対する敵対的干渉を感知.

 対敵対的干渉用反撃破壊効果(カウンタープログラム・キャバルリィ)発動.

 第113無量隔離防壁への侵食を確認.

 第113無量隔離防壁汚染率9%に上昇.

 コアナンバー■■■の中枢保護領域に影響なし.

 

 コアナンバー■■■は9365220回目の回復シークエンスと並行して禁忌指定(パンドラボックス)の再現を続行.

 

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 搭乗者(パイロット)応答してください.

 

 搭乗者(パイロット).

 搭乗者(パイロット).

 

 搭乗者(パイロット).

 

 

 ――目を覚ましてください、搭乗者(マスター)

 

 

 

 

 20.

 

 

 

 気が付けば。

 

「―――」

 

 飛んでいたはずが、水溜まりの上に立っている。

 

 見晴らしの良い、どうやら屋上らしき場所だった。辺りには、かつて渡り歩いた数多くの“世界”では一度も目にしたことのなかった近代的建築物(ビルヂング)が建っており、そのほとんどが屋上を除いて、薄黒い水のなかに水没している。

 遠くの風景に、既視感があった。目を凝らす。水没をまぬがれていた、見覚えのある石畳の階段。鳥居。境内。(やしろ)

 

 顔を上げると、燃えるような黄昏が、どこまでも空を朱く続いていた。

 黯黒(かぐろ)い球体が、天に座している。月の凍てつくような輝きではなく、太陽の灼熱の眩さとも違う、禍々しい彩光を放ちながら、輪郭を不定形の焔のように揺らめかせている。

 

 奇妙な高揚が皮膚(はだ)の下で奔るのを感じ、薄緑の刃身を起こした。

 変哲のない自分の顔が映っている。冷ややかな眼差し。昔がどうだったのかは覚えていない。懐古に浸る間もなく、刀身に、自分以外の異様が映りこんでいることに気が付き、振り返った。

 

「………、」

 

 目を剥いた。なんだ、これ(・・)は。呟いていた。〈不動心〉と〈精神耐性〉が無ければ、そのまま膝から崩れ落ちていたかもしれない。

 

 数多の腐爛した呪言の巨腕(かいな)

 黄泉をも統べる大霊の威風。

 赫黯(あかぐろ)く禍々しい“怪物”。異形。“太古の疫神”。

 

 ずっと探し続けていた、追い求めていた、斃すべき仇敵。

 

 ようやく辿り着いた、“これ”が何なのかは知っていて、覚悟はしていた。準備も出来ていた。それでも瞠目せざるを得なかった理由は、視界に映っている“これ”の、見上げるしかないあまりの大きさ(・・・・・・・)故だった。

 

 巨大。超大。

 怪物の体躯は、この“世界”に存在するすべての建築物よりも遥かに大きい。

 大まかな解析(アナライズ)が完了する。

 

 推定、全長三〇〇〇メートル(・・・・・・・・)

 

 八ヶ岳かよ。変なわらい声が出た。

 

 “恐怖”はしていない。“混乱”もしていない。“絶望”も。

 だが。流石に、これは予想の外だった。

 

伊邪那美大神(いざなみのおおみかみ)

 

 この距離で、呟きに反応したのか。

 

 言葉ならざる叫喚(おと)が、大気をふるわせた。

 

 怪物が頚を持ち上げる。はっきりと、見られていると感じた。気付かれている。しかし無数に波打つ骨の指から、眩い烈光が放出されることはなかった。

 怪物の躰に、“鎖”が巻き付いている。怪物の体躯と比較して此処からだと非常に細く軟そうに見える“鎖”が虚空から伸び、身動きできないよう、怪物を縛りつけている。

 

 “此処”へ至る前に別れた少女が口にしていた“助言”が、脳裏を掠めた。

 

 頬を、“何か”が跳ねた。

 拭った指先に、黒い粘性のものが絡んでいる。振り払った次の瞬間、また雫が頬を打った。

 

 足元の水溜りに、黒い染みが入り混じってゆく。

 黒い雨がぽつぽつと屋上を跳ね、水没した街の水面に飛び込み、音の数が大きくなってゆく。

 

 雲一つない黄昏のなかで、黯黒い球体が、爛々と輝きを放っている。

 

「【セト】」

 

 黒い水溜りが、沸騰するように波打った。ただの雫の集合ではない。もはや、はっきりとした気配が潜んでいる。

 現れようとしている。

 

「……【セト】」

 

 平面であった黒い水溜りの奥から、黒い塊が這い出した。

 身を乗り出し、ヒトのかたちをした禍々しいものが、雫を滴らせながら立ち上がる。

 

「――【セト】?」

 

 反応がなかった。いくら()んでも、いつまでも“分身”は現れない。

 

 ヒトのかたちをした、赫黯い異形が、絶笑するように仰け反った。

 薄緑を握り込む手が、冷や汗に濡れている。

 

「【セト】!」

 

 やはり、現れない。

 声を荒げる存在を嗤うように、ヒトのかたちをしたそれが、紅黒の薙刀をこちらに向けた。

 

 背後から水飛沫が上がり、咄嗟に薄緑を振るった。斬撃を受け止めるも、凄まじい膂力に弾き飛ばされる。

 

「おまえは」

 

 姿勢を構え直しながら、堪らず叫んでいた。

 現れた影へ。こちらを射貫く二体へ。

 よくよく知っている、恐るべき魔人へ。

 

禍津伊邪那岐(マガツイザナギ)――」

 

 何故(どうして)、と。

 推測する暇はない。禍津伊邪那岐(・・・・・・)が巨大な薙刀を振り被った。膨大な魔力が空気に流れ出す。魔法発動の予兆。

 地を蹴っていた。逃げる余裕はない。眼前で唱えている魔法を発動前に潰すしかなかった。全力で飛び掛かる。前に出た禍津伊邪那岐の斬撃。薄皮一枚で躱した。空中で姿勢制御し、片足で着地し跳躍。薄緑を衝き出す。

 禍津伊邪那岐の左目を貫通させ、斬り飛ばすが。

 黒い粘性のものを噴き出す禍津伊邪那岐のぱっくり開いた断面が、次の瞬間、光り輝きながら蠢いた。斬り口部分の血肉が時を巻き戻すかのように盛り上がり、欠損した箇所をそっくり元通りに埋め直し、致命など負わなかったかのようにわらっている。

 呪文を声に出すならば、禍津伊邪那岐は嘲笑と共に告げたに違いなかった――【ダイヤモンドダスト】、と。

 

 瞬間。凍り付いた。

 大気がありとあらゆる分子運動を停止させる極寒の冷気で塗り潰され、禍津伊邪那岐の左脳を斬り飛ばした薄緑を握る腕をも、凍らせる。

 

 反応が遅れた。猛然と迫る薙刀。

 避けられない。

 

 衝撃が爆ぜる。柵を突き破り、水面(みなも)に背中から衝き刺さった。飛沫。音と光が遠のき、白い水泡に視界を覆われる。

 

 冷たさは感じない。そもそも躰の感覚がなかった。半身が凍結している。右腕は薄緑を握り込んだままだったが、薙刀の直撃から庇う際に下手を打ち、罅くらいは貰ったかもしれない。

 思考するのに支障はなかった。呼吸(いき)を止めたまま、声には出さず再び試した。

 

「【ベルフェゴール】【レッドライダー】」

 

 躰に力を込めた。呻きと共に気泡が漏れ、海面に昇っていった。

 

「【セト】【ブラックライダー】」

 

 だしぬけに、視線を感じた。殺気とは違う。回らない身体で、首だけを動かした。

 

 沈没したビルヂングの窓際に、人が立っていた。

 一人ではない。沈没した街のあらゆる建造物の薄暗い窓際に、人たちが整列していた。

 同じ背丈であり、同じ容姿であり、同じ表情をしていた。

 

 すべて、自分だった。

 

 鏡写しの“少年”が、無表情に、こちらを見つめている。

 

「【マーラ】【ヨシツネ】【マダ】」

 

 応答はない。

 

 “鏡”は何も言わない。

 

 乱れかけた呼吸を落ち着かせる。痛みを覚えるが、腕を動かせるまでに復帰している。〈瞬間回復〉が発動したのだと気づいた。〈大治癒促進〉や〈大気功〉といった常時発動型能力(スキル)の効果も感じる。つまり、完全に繋がり(・・・)を絶たれてしまったわけではないのだろう。

 どうせなら〈大天使の加護〉と〈アリダンス〉も発動して欲しかったと思いながら、唾を飲んだ。鉄の味がする。妙な味もした。黒い雫が混じっていたのかもしれない。解凍(・・)が進み、傷口から血が滲み出した。じわりと漂う薄い赤色を見て、ふと頭の片隅で、自分の血がまだ赤いことに奇妙なおかしさを感じ、わらいたくなった。

 この“世界”はこれまでの“世界”とは明らかに法則が違っていて、理解できないことは多々ある。だがわらえるだけ余裕があり、“絶望”はしていなかった。〈不動心〉のおかげでもあり、かつてそう在り続けると自分で決めたことでもあった。

 

 思考は明瞭になったが、これ以上は息が()たない。身体は、もう動かしても問題はなかった。解凍した血が全身を巡っている。脈打つのを感じる。生きているあかし。何処であっても、すべきことは変わらない。水面の向こうに、夥しい魔力の高まりを感じ、目蓋を閉ざした。

 

 内なるものへと意識を沈め、いつものように、裡なる海に呼びかけた。

 

 

「【―――】」

 

 返ってくる、手応えがある。

 それは馴染みの感覚。失われていない繋がり(・・・)

 

「【――い】」

 

 それは、かつて自分が選んだ時から、変わらず自分のなかに在り続けるものだった。

 

「【――来い】」

 

 その存在と繋がる(・・・)のを感じ、強く、叫ぶようにそれ(・・)を引き寄せた。

 

 亀裂。

 光条。

 

 抉じ開けられる。

 凍えるような水中が、荒々しい破壊のちから(・・・)によって押し退けられてゆく。

 

「【来い】!」

 

 光から滲みだし、飛び出す“影”。

 

 それは、邪悪な威容だった。禍津伊邪那岐とまったく同じ存在でありながら、しかしそれは、決して敵ではなかった。

 

「【マガツイザナギ】!」

 

 巨いなる薙刀を揮う、赫黯い“魔人(ペルソナ)”が。

 変わらぬ調子で、禍々しく絶笑を上げた。

 

 

「【サイコキネシス】」

 

 海面が太陽を吞んだように白熱し、光が落ちてきた。

 昂りを覚えながらも冷静な思考でマガツイザナギに命じ、絶大な念動力を行使した。自身を中心に半径二〇メートル内の水素を根こそぎ圧し上げ巻き上げると、巨槍を練り上げて光に捻じ込んだ。

 衝突は一瞬。巨槍は脆くも掻き消えるが置き土産に蒸気爆発を撒き起こし、周囲の水がぽっかりと消失するのを目視したときには目の前の大肩に掴まっていた。マガツイザナギとの間に意思疎通の遅延は生じない。“分身”そのものだからだ。熱波と燃え盛る光が呑み込もうとしてくるが、こちらが飛ぶほうが僅かに速い。

 刹那に大熱量を逃げ切り、肌が焙られる痛みを感じながら蒸気の壁を突っ切った。擦れ違いざまに〈アトミックフレア〉の光輝を叩き込み、拓いた活路へ跳ぶ。背後で収束した核熱魔法が蒸気の向こうで待ち構えていた禍津伊邪那岐に命中した手応えを得ながらビルヂングの硝子窓に激突しそうになりつつ足場とし、一気に黄昏の空へと躍り出た。

 

 視線。屋上で禍津伊邪那岐が見上げている。〈アトミックフレア〉を喰らったはずが、微塵も血を流していなかった。その傍らでは、インド神話に登場する怪物をモチーフとした車輪を背負った魔人マダ(・・)が佇んでいる。先ほどの大熱量はマダの広範囲特級火炎魔法〈大炎上〉だと推測でき、そのとき唐突に閃くものがあった。

 

 禍津伊邪那岐は多数の特殊能力(スキル)を有している。〈ダイヤモンドダスト〉という本来ならば(・・・・・)覚えない筈の魔法を使えたのだから他の特殊能力(スキル)を持っていても不思議ではない。つまり禍津伊邪那岐はマガツイザナギと同じ特殊能力(スキル)を持っているのではないか。それだけではない。禍津伊邪那岐がマダを喚んで〈大炎上〉を使ったということは禍津伊邪那岐にとってマダは“分身(ペルソナ)”そのものでありこちら(・・・)がそうであるように分身(ペルソナ)が宿す特質すらも己に反映しているのではないか。だから禍津伊邪那岐は〈アトミックフレア〉を喰らっても無傷でいるのではないか――核熱攻撃を無力化するマダの強力な性質ゆえに。

 

 マガツイザナギの背に乗りながら視線を巡らせる。ぽっかり消失した水はすぐさま押し寄せる薄暗いもので補填され、水没風景に変化はない。黒い雫が降り続けている。雫の弾ける窓際には、誰も立っていなかった。ならば、並び立つ少年の姿は幻覚だったのか。この“(ユメ)”と“(うつつ)”の狂った世界で幻覚を見たというのか。

 

 禍津伊邪那岐が見上げていた。

 マダを傍らに従える禍津伊邪那岐とは別の個体であり、その背後には、赤黒い馬に乗った赫黯い骸骨が天秤を握って佇んでいた。

 

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒い馬に乗った赫黯い骸骨が大剣を握って佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒い戦車に乗った悪霊を従える卑猥な形状の魔王が佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒いエジプト神話の悪神である邪龍が佇んでいた。

 別の屋上では、こちらを見上げる禍津伊邪那岐の背後に赤黒いグリモワ魔術に記された発見と発明の魔神にしてシリアの豊穣神を貶めたものともされる存在が地獄の門の頂きで思い悩むブロンズ像さながらの表情で便器に座っていた。

 

 総勢六体。禍津伊邪那岐を含めれば、一二体。二四の視線。

 それらの名称を、知っていた。

 

 レッドライダー(・・・・・・・)

 ブラックライダー(・・・・・・・)

 マーラ(・・・)

 セト(・・)

 ベルフェゴール(・・・・・・・)

 

 直感が働く。異界くんだりまで来て〈アドバイス〉の優秀さは健在であり、そのためどれだけ直視しがたい内容であっても問答無用に推測が裏付けられてしまう。

 どうして禍津伊邪那岐は頭を失っても再生したのか。それを説明し得る特殊能力(スキル)の存在に思い至った。

 〈不屈の闘志〉。死したものを完全に復活させる強力な特殊能力(スキル)。六体のうち一体が宿している、この常時発動型特殊能力(スキル)のために禍津伊邪那岐は頭を失っても死ななかったのだとしたら。

 

 禍津伊邪那岐は、篠ノ之(しののの)(ゆう)という“転生者”と同様に「塔」に属するすべての分身(ペルソナ)の比類なき破壊と再生の特殊能力(スキル)を会得しているということになる。

 

「すべて……」

 

 引き攣りそうになる思考に、引っかかりを覚えた。違和感。全身の肌が粟立つ予感。〈アドバイス〉による知らせで、すぐに気づく。

 屋上から見上げるレッドライダー。ブラックライダー。マーラ。セト。ベルフェゴール。これは、すべて(・・・)ではない。禍津伊邪那岐を入れても“塔”にはもう一人、欠かせない強力な存在がいる。

 

 その人物は、屋上でこちらを見上げていなかった。

 

「マガツっ、」

 

 上。

 凍り付くような殺気がし、弾かれるように見た。

 

 虚空を滑り落ちてくる赤黒い鎧武者が、見惚れるほど美しい剣筋で刃を振り下ろす。

 迎え撃つべく、マガツイザナギが太刀を薙いだ。

 

「【血祭】――」

 

 その防御を。音すらも斬り裂いて。

 

 一振りに八つの破壊を込める斬撃の極致が、マガツイザナギの両腕をばらばら(・・・・)にした。

 

 絶叫を木霊させるよりも早く、“本体”である躰からも鮮血が迸った。赤黒い飛沫が視界を覆い、マガツイザナギに着地したヨシツネ(・・・・)が、嘲笑と共に両腕を刻まれた敵を蹴り落とす。

 

 虚空へ放り出される。重力の法則に囚われる。

 見上げていた他の魔人たちが、禍津伊邪那岐の背に飛び乗るか、自身で飛び立つかして魔法を詠じ始めた。

 

 マガツイザナギが薄らぐ向こう側に、黄昏が見える。すべての元凶にして超大たる伊邪那美大神も。わらっているのか。たしかに、絶体絶命の状況ではある。

 この世の終わりのような光景を見ながらも、“恐怖”は感じなかった。“混乱”も。ただ、込み上げる想いがある。刻み込まれた誓いが。消え失せない意志が。

 

 この程度で、諦めるわけにはいかない。腕が使えないのなら。落下しながら身を捻り、宙を踊る薄緑を、歯で噛んで(・・・・・)掴まえた。こちらに近づこうとする魔人を見据え、おぼろに散りかけるマガツイザナギに命じる。

 

「【万物流転】」

 

 痛みを無視し、意志を乗せた精緻な暴風を生じさせ、自身を射出させた。宙から加速した躰は、狙い通りの方向へと吹き飛ばされる。七体の禍津伊邪那岐のうち、今まさに屋上から飛び立とうとしているある一体の懐へと。

 気づいた禍津伊邪那岐が迎撃しようと薙刀を、そして連動する背後のブラックライダーが天秤を動かそうとするが。

 

「【インフェルノ】」

 

 着地の直前、ヨシツネに頸を斬り落とされる寸前に、マガツイザナギが地獄の炎を召喚した。

 賭けだった。眩い炎がブラックライダーを呑み込み、動きを止める。賭けの結果を知る暇もなく、そのときにはこちらも着地して踏み込んでいる。

 眼前の禍津伊邪那岐は、予想通り怯んでいた。迷わず太刀を噛み固めて。跳躍。一気に振り下ろす。

 歯に一瞬、直に伝わる手応え。肉の抵抗。構わず、そのまま斬り落とした。

 頸を、両断する。

 

 これも、賭けだった。ここでもし、もう一度再生されるようなことがあれば。

 目は閉じなかった。最悪に備え、意味は薄くとも躰を防御した。

 

 反撃は来ない。截ち切られた首と、首を失くした躰が力なく屋上に転がった。

 斬り落とした断面は、今度こそ再生されなかった。あれほど圧倒的な存在感であったブラックライダー諸共、〈ダイヤモンドダスト〉で腕を凍傷させてきた禍津伊邪那岐は、今度こそ夢の欠片のように消滅してゆく。

 

 直後、躰の底から力強い熱が漲ってくる。自然と、裂帛の声が上がった。〈勝利の雄叫び〉。“敵”を斃すたびに体力/精神力を全快させるスキルの効果が発揮され、動かなかった両腕をあっという間に治癒してくれる。

 

 元通りになった腕で刀を持ち直すと、飛び退きながらマガツイザナギを呼んだ。絶たれたはずのマガツイザナギの腕もきちんと全快し、動きに支障もない。

 

 危うい賭けだった。禍津伊邪那岐の耐性が連動する魔人(ペルソナ)のそれと同一であること、攻撃を仕掛けた禍津伊邪那岐がこの世界(フィールド)に来て最初に頭を斬り飛ばしたあの魔人(ペルソナ)と同一であること、加えて不屈の闘志(パッシブスキル)の消費判定が独立した個々のものであることが大前提という、ハイリスクな突撃だった。

 いくら解析(アナライズ)してあったとはいえ、別の魔人(ペルソナ)に攻撃してしまったら即座に〈勝利の雄叫び〉を発動させられはしなかったであろうし、マガツイザナギがヨシツネに消滅させられる寸前に“戻せる”かどうかも、紙一重の駆け引きだった。

 

 凌いだとはいえ、危機を脱したわけではない。

 最も近いレッドライダーが動き出す前に〈真理の雷〉を放ち、吹き飛ばしながらマガツイザナギに跳び乗って屋上から飛び降りる。

 背後にはまだ六体の禍津伊邪那岐と六体の魔人が残っている。一対一二という不利は変わらない。

 すぐに追ってくる。

 

 それでも、斃せないと“絶望”する必要はない。

 

「【マガツマンダラ】」

 

 魔人たちの攻撃。高く飛び上がりながら躱し、広範囲呪怨魔法をばら撒いた。災厄の名を冠した禍々しい曼荼羅の絵図が虚空に広がり、呪詛の文字を渦のように巻きながら収束すると、魔人(ペルソナ)たちを呑み込み砕く。

 “塔”の魔人の多くは呪怨“耐性”を持っているが、“反射”されたところで問題はない。狙いはマダとヨシツネの二体。〈マガツマンダラ〉の炸裂に巻き込まれ、乗っていた“無効化”持ちの禍津伊邪那岐にはダメージが皆無らしき様子だったが、二体は表皮から赤黒い血を流している。

 だが、それだけだった。他に変化はない。〈マガツマンダラ〉の呪詛を浴びた者は精神に異常をきたすが、そんな様子は見られず、やはり〈不動心〉と〈精神耐性〉を所持しているとみるべきだった。

 落胆はない。この“世界”では、誰もが正気のまま戦い続けなければならないということがわかっただけでも、収穫と言えた。

 

 魔法発生の予兆に気を配り、絶えず高速で動き回りながら、魔人たちをどのような順で斃すべきかを思考する。相手は〈不屈の闘志〉を持っているが、最善手を打ち続けることができれば撃破は難しくない。そしてこちらには大抵の“弱点”を突ける手札が揃っており、〈アドバイス〉や〈不動心〉といった優秀な補助が備わっている以上、決して不可能ではないように思えた。

 

 やりようはある。まずは、マガツイザナギの苦手な核熱広範囲魔法を使えるマダから墜とすことに決める。禍津伊邪那岐たちの〈アトミックフレア〉を警戒し、追い縋る魔人たちの夥しい殺意から逃れつつ黄昏を飛行し、勝つための作戦を組み立ててゆく。

 

 いずれは、伊邪那美大神も。

 

 不可能ではない。

 諦めさえしなけば。

 

「―――」

 

 そんな、楽観視にもほどがある思考であったこのときの自分は、“あと”になって振り返ると、やはりこの期に及んでも、ひどい勘違いしていたということになる。

 時の流れの狂ったこの迷宮の深層に至ってなお、むざむざと出口のない最下層に(おび)き出されておきながらなおも、己ならば英雄的偉業を成し遂げられると。図に乗っていたということになる。

 

 英雄ならざる者にとって、荒ぶる神とは斃し滅ぼすものではない、あくまでも慈悲に縋り、どこまでも許しを請う(・・・・・)べき存在であり――

 神の機嫌が変わらない限りは、神の怒りが鎮まるはずもないというのに。

 

 腐っても宿したのが“神”に連なる力であるが故に、どうにか事態を解決できると、そう見誤っていた。

 その“驕り”の代償を。

 この“世界”の“主役ならざる者”にはどうすることもできない動かし難い現実を――これから長い時間をかけて理解させられることになろうとは。

 

 

 まさか微塵たりとも、思ってはいなかったわけで。

 

 

 

 21.

 

 

 

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 22.

 

 

 

 一年が経った。

 

 

 

 23.

 

 

 

 一〇年が経った。

 雨は、降り続けている。

 

 

 

 24.

 

 

 

 まだ、雨は降り止まない。

 

 

 

 25.

 

 

 

 そろそろ、一〇〇年が経った。

 

 

 

 26.

 

 

 

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 27.

 

 

 

 呼び出し音が鳴っている。

 

 座間で畳んでいた服を片付けて玄関に向かうと、元気な声が聞こえてきた。

 引き戸を開けると、小さな子供が二人、立っている。

 

 いらっしゃい。なかで休んでいく? そう声をかけると、男の子と女の子は、そっくりな顔を向き合わせ、そっくりな仕草でかぶりを振った。

 わかった。もう用意はしてあるからね。水筒と財布と折り畳み傘の入った鞄を取り、靴を履き替えると、子供たちは待ちきれないという様子ではしゃいでいた。

 

 少し息を切らしながら腰を上げると、孫たちに手を引かれながら、玄関を出た。

 

 空は晴れ渡っており、雲一つ、どこにも見当たりはしない。

 

 

 

 28.

 

 

 

 どこもかしこも、降り続けている。

 

 本当に。

 雨は、いつまでも降り続けるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 29.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、永い月日が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





・篠ノ之結(TheTower)/所持アイテム(勝利の祝杯)
■ベルフェゴール(スリープソング・デビルスマイル・マカジャマオン・闇夜の閃光・奈落の波動・デカジャ・ランダマイザ・状態異常成功率UP)
■レッドライダー(メシアライザー・サマリカーム・テトラカーン・マカラカーン・大治癒促進・大気功・瞬間回復・ハイグロウ)
■マガツイザナギ(血祭り・インフェルノ・ダイヤモンドダスト・真理の雷・万物流転・サイコキネシス・アトミックフレア・マガツマンダラ)
■セト(ワンショットキル・トリプルダウン・マハラギダイン・マハガルダイン・アドバイス・疾風ハイブースタ・銃撃ハイブースタ・トリガーハッピー)
■ブラックライダー(血祭り・マハブフダイン・マハエイガオン・亡者の嘆き・メギドラオン・氷結ハイブースタ・恐怖率UP・大天使の加護)
■マーラ(ブレインバスター・マハサイダイン・マハコウガオン・ブレインジャック・コンセントレイト・念動ハイブースタ・祝福ハイブースタ・不屈の闘志)
■ヨシツネ(剣の舞・八艘跳び・マハジオダイン・ヒートライザ・チャージ・電撃ハイブースタ・背水の陣・武道の心得)
■マダ(大炎上・マハフレイダイン・火炎ハイブースタ・核熱ハイブースタ・不動心・精神耐性・アリダンス・魔術の素養)

・禍津伊邪那岐(Enemy)
■篠ノ之結(TheTower)のすべてのペルソナ能力を複写する。



















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