僕の好きな先輩は他の人を好きらしい (かりほのいおり)
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僕の好きな先輩は他の人を好きらしい

好きなものに忠実に書く祭りに寄せて
ボクっ子、先輩後輩、片恋、ハッピーエンド
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 僕という人物を説明するなら、何処にでもいる、まあありふれた人物だと自己紹介するのが一番だと思う。

 勉強しろと親に言われたら勉強をし、遊ぼうと友人に誘われたら遊び。そこそこの学力とそこそこの友人関係の輪を結ぶ、何処にでもいるモブ高校生といった感じに。

 

 生まれてこの方、特に何事もなかったということが僕の取り柄。平穏無事な、そんな人生。

 

 そんな僕にもたった一つだけ憧れがあって、それは一目惚れと言うものをしてみたいと言うことで。

 高校生にもなって未だに一目惚れというものに憧れていたのは、それまで恋愛というものを経験していなかったから。

 

 どうせいつかは流れに任せて結婚して、ありふれた夫婦生活を送ることになるのならば、その前に一つ良くあるラブストーリーみたいな出会いを経験してみたかった。

 まあ、なかなかそんな出会いというものはそこらへんに転がっているものでもなくて。

 

 そういうわけで高校に入学してみてもそんな出会いは起こらず、特に何事もなく二年生へと上がって、僕はまた平坦な人生を一年終わらせて、ため息をついて。

 

 二年生になってようやく僕の話が始まったのです。

 

 ●

 

 それは長閑な春の日のこと。

 新入生が部活見学へ校舎を練り歩き、その浮かれた羊たちを上級生が勧誘する騒がしい放課後。

 

 ぴかぴかの制服に身を包んだ生徒に紛れて、僕ものんびりと校舎を回っていた。ポケットに突っ込んだビニールに梱包された飴玉を弄びつつ、ゆらゆらと。

 

 一年生の時は部活に入っていなかったから、もしかしたらそれが悪かったのかもしれない、そんな安易な考え。

 部活に入れば出会いが増えるというのは至極当然の理論、良さそうな部活が有れば入ろう。

 

 まあ、去年入らなかったのはその良さそうな部活がなかったからで、正直なところを言えば僕の好きなタイプの人が居ればその部活に入ってみようかなという不純な動機。

 

 そうしてやってきたのは第二校舎。

 廊下には吹奏楽部の軽快なミュージックが流れていた。聞き覚えのある曲、けれども曲名はすっかり抜け落ちている。まあ、2年生にもなって吹奏楽は流石に無理があるだろうと、すぐさまその考えを放棄して、次に目に映ったのは生物室という名前。

 

 その扉に手を掛けたのはほんの気まぐれ。

 手を掛けた理由も特になく、あえて理由を探すなら理由がないからこそ開けてみようと思ってしまった。

 

 それこそ運命に導かれたから、なのかもしれない。

 部活の勧誘も辺りには見えず、だからこそ、なんとなく扉を開けようと思った。

 はたして、扉はすんなりと開いてしまった。

 

 真っ先に目についたのは窓際で亀に餌をあげる女子生徒だった。窓から差し込む逆光で顔はよく見えない。

 生物部、だろうか?そんな考察を入れつつ彼女の方へと近寄っていく。

 

 新しく生徒が入ってきたというのに、彼女は何一つ話そうとしなかった。

 愛想が悪い、そんな第一印象。その印象に反して近づいたことで見えた彼女の顔は予想以上に整っていた。そして小さい、もしかしたら新入生なのかもしれない。

 髪をおさげに纏めてるのも子供っぽいし、新入生なら反応が悪いのも仕方ない。

 そんなことを考えつつ彼女の向かい側へとたどり着き、僕は椅子へと腰掛けた。

 

 まだ彼女はこちらへ視線を向けようとしない、しょうがなく僕は口を開いた。きっと他の所に移動する選択肢もあったのだろうけれども、それをしなかったのは彼女の引力にすでに引き寄せられていたのだろう。

 

「その亀に、僕も餌を上げたいんですけど」

 

 その言葉を聞いて、彼女はゆっくりと顔を上げた。初めてこちらの存在に気付いたかのように目を数度パチパチと瞬かせる。

 

「多分無理だと思うよ。このカメ、気を許した相手からしか餌をもらおうとしないから」

 

 それでも試したいのなら、そう言って僕に小松菜の葉を一枚寄越してくる。カメの口にそれを近づけるが、彼女の言う通り顔をフイっと逸らすばかりである。

 

 手渡しなのがダメなのだろうか、試しに葉っぱをリクガメの前にポンと置いてみるとゆっくりと首を伸ばしてもしゃりと食べ始めた。

 

「君、新入生?」

「いや、一応僕は二年生ですけど」

「だよね。新入生にしては背が高いなーっと思ってさ、まあ私の方が先輩なのは変わらないんだけどね!」

 

 何故かピースサインを浮かべつつ、威張る彼女はどう見ても先輩の威厳なんてかけらも見えなかったが、彼女の言葉を信用するのなら三年生ということらしい。

 

「新入生じゃないってことは生物部に入部するってことじゃないのかな、それじゃあここに何のようで?」

「なんとなく、そこに生物室の扉があったから」

「扉閉めとくだけじゃダメだったか、こういう変人がいるから困るんだよなぁ」

 

 扉を閉めといた?

 

「何故扉を閉める必要が?」

「え?だって新入生が生物部に入ってくると対応とかめんどくさいし、ならここで部活でやってるってバレないようにするといいかなって思ったんだけど」

 

 至って真面目にそんなことを言われて、思わず笑ってしまう。予想以上にクズの発想だった。

 周りに他の生物部の生徒が居ないのも彼女と同じような理由なのだろうか、それともただ他の場所に勧誘してるだけなのだろうか。

 一頻り笑い転げた後、僕の様子を見て不機嫌そうな先輩へと話しかけた。

 

「先輩は亀が好きなんですか?」

「なんで?」

「だってそのリクガメに餌をあげてるじゃないですか。餌をあげられるぐらい懐かれてるってことは、それだけ優しく接したってことじゃないんですか?」

 

 僕の指差した方向には、いまだにのんびりと小松菜を食んでいる亀がいた。ちょいちょいと先輩が頭を撫でているのを気持ちよさそうに目を細めている。

 少し首を傾げて先輩は言った。

 

「別に、亀は好きじゃないかな」

「好きじゃないなら他の人に任せるべきだと思うんですけど」

「亀は好きじゃないけど、これに餌をあげることは好きだからさ」

 

「いつかさ、世界が滅亡したとするじゃん?」

「いきなり突飛な話になりましたね」

 

 とりあえず想像してみることにした。

 世界が滅んで先輩と二人きり、それはなかなか素晴らしい世界に違いない。まあ、都合よく二人だけが生き残る方法が思いつかないのだが。

 この生物室の、僕たちがいる一角だけが、世界から切り離されるとか、そういうことぐらいだろうか。

 

 ないな、それは。

 そう自分でツッコミを入れて、とりあえず手軽に隕石を地球に叩きつけることにした。

 あっさりと世界は滅亡、人類も絶滅、それでも地球は回っていく。

 

「で、そうなると食べものが無くなっちゃうでしょ?」

「その前に世界滅亡した際に僕たちが生き残れるかどうかの問題があるんですけど」

「いやいやー、よく映画であるじゃん。ゾンビがウンタラカンタラして世界が滅亡ってやつ。あれだと世界が滅亡しても生き残れそうな気がしない?」

「確かに僕なら生き残れるのにと思いますね、先輩はさっさと噛まれそうですけど」

「なんで助けてくれないのさー!」

 

 プンスカと頬を膨らませて、怒る仕草をする先輩はやはり可愛い。まあ何をしていても可愛いと思うのだけれども。

 そんな茶番劇を経て、こほんと先輩は仕切り直した。

 

「でさ、そんな飢える私の目の前に、この亀が颯爽と現れるわけよ」

「竜宮城にでも連れてってもらうんですか?リクガメですよこれ、絶対海を泳げませんよ」

 

 さらに言えば、自分より背丈が小さい先輩とはいえ、体重を支えられるほどの大きさを亀は有していない。

 と言うか、世界が滅んで竜宮城が滅ばない理屈がわからないのだが。

 

「いや、この亀を食べて飢えを凌ぐ」

「飢えを、凌ぐ」

 

 思わず反芻する。

 食用か、非常食用としてこの亀は育てられていたのか。僕の憐むような視線を無視して、亀は黙々と小松菜を食べていた。

 

「完璧な作戦だと思わない?リクガメってもっと大きくなるらしいし、きっと3日ぐらいは飢えが凌げるぐらいまで大きくなると私は思うんだよ」

「はあ」

「まあ、私が3年間餌を与え続けてるのにいつまで経っても大きくならないんだけど」

 

 何が悪いんだろうと彼女は呟いていたが、僕はそれがリクガメの成長限界だということを察しが付いていた。

 もっと大きくなるリクガメも確かにいるが、これは20センチぐらいがせいぜいなのだろう。

 

 けれども、それを先輩に教えることはなかった。そうしたのならば、その亀が見捨てられる気がしたからという理由もあるし、何より僕は餌を与える先輩を眺めることが好きだったから。

 

「この亀、どんな味がするんだろう」

「きっと小松菜の味だと思いますよ。ところで先輩、飴要りますか?」

「ん、欲しいな」

 

 疑り深い亀と違って差し出した飴を引ったくってすぐさま口の中に放り込む彼女、飴玉を用意しといて良かったなと過去の自分へと密かに感謝する。

 

 この飴みたいにカメも桃の味がすると良いなと彼女は言って、僕は亀は桃を食べるのだろうかとぼんやり考えていた。

 食べるのならば、桃の飴を亀にあげるのを試してみようと。

 

 ●

 

 果てしてリクガメが飴を食べることはしなかったが、かわりに僕は生物部へ入ることになった。

 

 はっきり言おう、僕は先輩に一目惚れしていた。自分とはまるっきり正反対の彼女に憧れていた。

 

 生物部は彼女が新入生を弾こうとしていた甲斐もあってか、生物部の部員は少なかった。そして、その部員の中で先輩は浮いていた。

 

 希少な女子生徒である。男子は男子で固まって、先輩も先輩でその輪に無理やり入ろうともしなかった故に。

 先輩以外の存在に興味は一切ないから、僕にとっては好都合だった。

 

 そういうわけで生物部に来るたびに先輩と2人きりで話す機会が保証されていた。リクガメに餌を与えつつ、何気ない会話をする日々。

 

 その時期が僕にとって一番幸せな時期だったと言えるだろう。

 

 ●

 

 そんなある日のこと、先輩は唐突に尋ねてきた。

「ねえ、好きな人いる?」、と。

 

 あまりにも唐突な話題、その言葉を飲み込むのに少々の時間が掛かるのも仕方ないことだった。

 当然のことながら正直に答えられるはずが無い、だって面と向かって話してる相手が僕の恋してる相手なのだから。

 だから矛先逸らしに、僕は言った。

 

「僕は恋話なんてくだらないと思うんですよ」

「えー、こう言う話こそ私達らしい高校生っぽい話題だと思うけどなー」

 

 まあ恋話を出来るぐらいの距離まで近づけたのは、出会った頃に比べ前進したということなんだろう。ヘラヘラと笑う先輩を眺めつつ、僕はそう思っていた。

 

「でも反応から見るに、居るんじゃないの好きな人。君さ、いないとは一言も言ってないでしょ?」

「……いませんよ」

「またまたー、ひょっとしてこの部活にその誰かさんが居るんじゃないの?だから2年生になってからこの部に入ろうとしたとか」

「先輩、それ以上下らないこと言ってると今日の飴あげませんよ」

 

 抜けてるようで思いがけないところで本質を突いてくる。まさにその通りなのだけれども、僕の本命が誰かまでは流石に見抜けないようでした。それもそのはず、彼女にとって盲点なのだから。

 

「恥じる事はないと思うよ?()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 同性の相手を好きになることを、先輩は考慮していない。それは僕にとってありがたいことであり、逆に言えば最後に大きな壁が立ち塞がっているということだった。

 

 僕が男であったのなら、先輩に対し気軽に話しかけることはできなかっただろう。でも男じゃないからこそ、先輩に対して告白することが出来ない。

 

「そういう恋愛がしたいからこそ部活に入ったんですけどね」

「ならこんな部活じゃなくて陸上部とかに入れば良かったじゃん、背も高いし運動神経良さそうだし」

「僕は出来るだけ体を動かさずに、この亀みたいに生活することに憧れてるんですよ」

「勿体ないし、この部活に出会いなんてないと思うけどなー」

 

 ありますよ、あったからこの部活に入ったんですよ。そんな言葉を言えるはずもない。

 

「先輩はこの亀を育てるために生物部に入ったんですか?」

「まあ、それも理由の一つではあるんだけどさ」

 

 ●

 

 つまり、好きな人が居るから部活に入るという考えを抱いてる人が地球上にたった1人、僕だけというはずがなかった。

 そして問題はその僕以外の同じ不純な動機を抱いているのが先輩だということで。

 

 その日聞いた話によれば先輩は1年生の時に、同じクラスの彼に一目惚れして、その彼が生物部に入ると言う話を聞いたからわざわざこの部活に入ったらしい。

 

 同じ部活に入る積極性はあるのに、告白する勇気がないのはまあ先輩らしいと言うべきか。

 

 ●

 

 先輩に好きな人が居ると知って、僕のこの恋が叶いそうにないとわかっていたとしても、相変わらず生物部へと足を運ぶ日常は変わらなかった。

 

 さながら誘蛾灯に惹きつけられる羽虫のように、このままじゃどうしたって無理な話なのに、自分を傷つけるだけだと分かっていたのに。

 

 あいも変わらず先輩はリクガメに餌を与え続けて、それを眺めながらたわいのない話をしつつ、時たま常備している飴を彼女に献上して。

 

 そうしているうちに文化祭の時期が迫ってきたのだ。

 生物部ではリクガメを含む飼育している生物の展示をする事に決定して、時間の割り振りの結果、僕と先輩が同じ時間に配置されることになった。

 

 二人きりの時間。僕の高校では文化祭を最後に文化部を引退することが慣例だったから、二人で会える時間はそれが最後かもしれない。

 もしかしたら文化祭を終わっても、先輩なら時たま顔を出してくれるかも知れないけれど。

 

「先輩、いつになったら告白するんですか」

「ちょっ!?声が大きいって!」

 

 そう言いながら先輩は周りをキョロキョロと見渡したけれども、そんな会話をするにあたり生物部に例の彼が居ないことは確認済みである。

 ほっと胸をなでおろす彼女へ僕は追撃を掛ける。

 

「文化祭終わったら部活引退ですよ、そうしたら会う機会もぐんと減ると思うんですけど」

「そうは言ってもさ……こう、行けるって確信できるタイミングが中々なくて」

 

 てへへ、と恥ずかしそうに髪を押さえる彼女を見ながら僕は例の彼を憎く思っていた。何もしてないのに、僕が欲しいものを勝ち得る奴がどうしようもなく憎い。

 それでも、僕はその気持ちをひた隠しにして笑顔を浮かべて言ったのだ。

 

「そのちょうど良いタイミングがもうすぐあるじゃないですか」

「文化祭のこと?いやいや、私と君とで同じシフトでしょ」

「だから、あの人と僕が入れ替わって先輩と組めば一緒に周る時間ができるでしょう?」

 

「……いいの?なんか見返りとか要求されない?」

「別に僕にできるのはこれぐらいですし、先輩の為ならそれぐらい無償でやってあげますよ。ただし、誘うのは先輩自身がやってください」

 

「本当にありがとう!うまくいったら何かお礼するから!」

「頑張ってくださいねー」

 

 慌ただしく先輩は生物室から飛び出していった。恋する乙女は無鉄砲、即行動するのはいいことなのだろうけれども、彼がどこにいるのか先輩はわかっているのだろうか。

 そして取り残されたのはリクガメと僕、置きっ放しの小松菜を手に取った。

 

「……これで良かったよね」

 

 僕の独り言をリクガメが答えてくれるはずもなく、無言で葉を食んでいる。時間が経ってようやく、僕が餌を差し出しても食べてくれるようになっていた。

 別に亀と仲良くなりたくはないのだけれども、ちょんちょんと頭を撫でるとフイと顔を逸らされる。

 

 先輩と最後の部活の時間を過ごす選択も当然あった、仕事が終わって一緒に文化祭を回るのも幸せだっただろう。

 自分の選択に後悔も確かにあって、けれどもその選択を蹴ったのは、僕と彼女が似ていたから。

 

 踏み出せない焦ったさを、僕はたしかに知っている。

 ただ、僕の恋がどうにも叶いそうにないのと違って、先輩にはまだ成功の目がある。ならば僕が彼女の背を押してあげるのは、至極当然のことのように思えたのだ。

 

 まあ一緒に文化祭を回るという提案をとても残念なことに却下されるかも知れないし、その時はその時で先輩と一緒に楽しむとしよう。

 

 

 

 翌日、そんな僕の皮算用もあっさり破れて、先輩の笑顔を見ながら複雑な感情を抱くことになったのだけれども。

 

 ●

 

 お客様が時たまやってくるのを、僕はやる気なく眺めていた。やってくるのは子供連れの家族ばかりで、対して労力を割く必要もなく、まんじりともせずいつもの飴を舐める。

 

 もう一人、僕と同じ時間に入った彼と僕にはなんの接点もないものだから当然話す種があるはずもなく、そもそも僕からしても話す必要もないので、そういうわけで彼はひっそり隠れてスマホを触っていた。

 まあ、僕も注意する気もないのだけれど。

 

 そして考えることはと言えば先輩のことである。

 もう先輩に対してできる事はなく、あとは彼女の幸せを祈るぐらいだった。上手くやってるだろうか、告白まで漕ぎ着けただろうか、いつもの我儘さを発揮して迷惑を掛けていないだろうか。

 

 今日、生物部であった先輩はいつにも増して可愛く見えた。彼女の期待に弾む声を聞きながら、恋する女の子はより可愛くなると言うのは本当のことなのだろうと実感して、その恋の矢印が僕に向いていないことがどうしようもなく悲しかった。

 

 壁にかけられた時計を僕は見上げた。

 いつにも増して時間の進み方が遅いような気がした。飴玉を噛み潰して、また新しいものを口の中に放り込む。

 この仕事が終わるまで後15分ぐらい、けれども先輩がここに戻らなきゃいけない時間はもっと先。

 

 文化祭を遊びに回るのはやめよう、そう決めた。

 気晴らしにはなるだろうけれども、彼と楽しむ先輩を見るリスクもあったし、隣に彼女が居ないことが辛くなるだろうから。今更、その権利を手放すんじゃなかったと後悔するけどもう遅すぎた。

 

「……お前もやっぱり大きくならないなぁ」

 

 日差しの中でゆっくりと寛ぐリクガメに、僕を見た。理想にいつまで経っても追いつけない、そもそも追いつけるはずもないと言うのに、それでもせっせと餌を与えることをやめず、そして後悔をする僕を見た。

 

 ふと入り口の扉が閉まってることに気付いた。誰でも来れるように開けておくと言う決まりだったから、それを知らないお客様が閉めてしまったのだろう。

 看板は作られていたけれど閉まっていたら、くる客も来ないと言う理由だった。僕が入部を決めた時みたいに、自ら扉を開けようとする人は案外居ないものだ。

 扉を閉めっぱなしにしたほうが楽なのだろうけれども、律儀に開けようと立ち上がって、丁度そのときに扉が空いたことで座ろうとして。

 

 しかしながら僕は立つでもなく座るでもなく、中途半端に動きを止めることになった。生物室に入ってきたのが、まさにその先輩だったから。

 

 感情を無理矢理押し殺そうとしているかと思うほどの無表情、けれどもこちらに向かってくる先輩の足音は余りにも乱暴に、隠しきれない不機嫌さが聞こえていて、ああ失敗したのだなと僕はポケットを漁っていた。

 

「先輩、飴いりますか?」

「……いらない」

 

 拍子抜け、これまで飴をいらないなんて言われたことはなかった。リクガメを挟んで僕の向かい側へと着いた先輩は何を言うでもなく、こちらの顔をじっと見つめている。

 

「ずるいよね」

 

 そう一言、先輩は言った。

 

「何がです?」

「何もかも、私が持ってないものを持ってることがずるいって言ってるの。一人で帰ってきた理由を聞かないで、全部お見通しって顔してさ、私も君ぐらい賢ければ失敗しなかったのに」

 

 何言ってるのかさっぱりわからないでしょ?、そう言って先輩はくすりと笑った。

 少なくとも彼女が僕に対して怒ってるのはわかるけれども、それがどういった理由かはわからない。

 

「つまり一緒に回ることを提案したのが悪いって言いたいんですか?」

「同じことを何度も言わせないでよ、私が持ってないものを持ってるのがずるいって言ってるの。その高い身長も、綺麗な顔立ちも、何もかもずるいって、私が持ってないものを全部持ち合わせて、冷静になれば勝ち目なんてあるはずなかったのに」

 

 先輩の言ってること全てが理解不能だった。僕からしてみれば、先輩の方こそ僕の持ってないものを持ってるように見えていたし、勝ち目も何も彼女と何かを勝負していたつもりもない。俯きながらか細い声で「知ってたんでしょ?」と彼女は言った。

 

「……何を」

「彼がさ、君の事を好きだってことを」

 

 頭をガツンと殴られたような衝撃だった、そんなこと知ってるはずもない。否定しようと口を開いて、けれどもなんの言葉も思いつかなくて。

 

 つまり彼は、あいつは、先輩を振る理由として僕を使ったということらしい。それが本当か嘘かはどうでもいいことで、結果としてこの状況が生まれてしまったわけで。

 

「ずるいよ、なんで生物部に入ってきたの。きっと気まぐれだったんでしょ、だから二年生になってなんとなく入ってみて。なんで来ちゃうかなぁ、入らなければよかったのに、扉を開けなければ良かったのに、そうすれば私が」

 

 我儘な理論だと思う。僕にだって彼女と一緒に居たかったから、この部活に入ったっていうのに。

 でも『僕がここに居なければ良かった』というのは確かに事実なのだろう。そもそも僕と先輩と会わなければ良かった。そうすればあいつと僕に接点ができることもなくて、先輩の恋が叶う未来があったのかもしれない。

 でも、それを今知ったところでどうなるというのか。どうしようとないところまで行きついてしまったのだから。

 

「ごめんなさい」

 

 だから僕に言える言葉はたったそれだけで、それを聞いて先輩はくしゃりと顔を歪めた。

 

「……最低だ、私」

 

 それだけ呟いて、彼女は再びふらりと部室から出て行った。彼女を呼び止めることなんて出来なかった、全部僕が原因なのだから。

 

 ●

 

 文化祭についてはこれ以上語ることもない。ただその日からいつまで経っても先輩が生物室に顔を出すことはなかった。当然だ、部活も引退なのだから来る道理もない。

 

 僕は彼女をつなぎとめる鎖にはなれなかった、ただそれだけの話。僕はといえば先輩が居ない部活にいる必要もなかった。ただ、先輩の代わりにリクガメに餌をあげるという使命感だけが足を前に進めていた。

 

 リクガメに縛られている、それは本当だったのか。

 本当はそうやって餌を与えていれば、いつかは先輩が顔を見せてくれるんじゃないかとか、そういうことに期待してたんじゃないか。

 

 ひょっこりと唐突に顔を出して、私の代わりに餌をあげてくれてありがとうと褒めてくれる日が来るんじゃないか。その日の為に相変わらず先輩と僕の分の飴をポケットに入れていたんじゃないか。

 

 あの文化祭の日みたいに、頼むから振られてくれと願ったあの日の様に。

 

 だからバチが当たるのだ。

 

 ●

 

 卒業式の日。僕はいつものようにリクガメを飼育ケースから出して、先輩が座っていた席でぼんやりと時間を無為に費やしていた。

 

 先輩に会いに行くならば今日が最後、それなのに自分からは動こうとしない。そんな僕を責めるように、リクガメが責めるような目を向けていた。

 

 会いたい、会いに行きたいにきまってる。

 でも先輩は僕のことを許してくれるのだろうか?

 先輩が受け取るはずだった好意を奪い取ってしまった僕のことを、許してくれるのならば一度でも生物部に顔を見せてくれたんじゃないか?そんなことがなかったってことは、つまりはそう言うことなのだろう。

 

「亀さんや、お前は先輩に会いたいと思わないの?」

 

 餌をくれないと分かっているのか、こちらの言葉に反応しようとすらしない。

 分かってる、先輩が来ることに期待してたって無駄だって。ここで待ってたって先輩が来る目はほとんどないことだってちゃんと分かってる。

 

 なら行くしかないのだ。少ない確率にかけるぐらい先輩に会いたいのなら、自分から動こう。

 最後に、後悔を残さないように。

 亀を再び飼育ケースへと閉じ込めて、僕は生物室の扉に手をかけた。

 

「「あ」」

 

 そして僕は生物室に入るのを躊躇っている先輩と鉢合わせした。

 

 ●

 

 再びリクガメを飼育ケースから出し、いつものように向かい合わせに腰掛けた。気まずい沈黙に先手を撃ったのは先輩だった。

 

「随分と、久しぶりだね」

「……そうですね」

 

 本当に久しぶりだった。文化祭が10月だったから、実に5ヶ月以上たっている。

 記憶にある先輩となんの変わりもなく、変わったところはと言えば胸に白い花がつけられてるところ。

 ああ、先輩も居なくなるんだ。それを見て、ようやく実感が湧いた。本当に最後に会えてよかった、まだなにも話してないのに、そう思った。

 

 先輩が酷く暗い顔してるのだけが嫌だった。僕は嬉しいのだから、先輩もどうか笑ってください。そんな内心の気持ちに反して彼女は深く頭を下げた。

 

「あの時、文化祭の日はごめんなさい」

「いえ、先輩は頭を下げる必要なんてないんですよ」

「そんなことない、自分勝手な理論を振り回したって私でも分かってる。もっと早く謝りに来るべきだったのは私だったのに」

 

「私馬鹿だから、謝っても許されないんじゃないかって思ってさ。拒絶されても仕方ないことをしたってわかってたから」

「僕が先輩に対してそんなことするはず無いじゃないですか」

「君が優しすぎるだけだよ……って、なんで泣いてるの」

 

 頬に手を当てると確かに濡れていた。

 泣いちゃいけないのに。慌てて顔を袖で拭うも、涙は止まらない。

 

「ごめ、んなさい。泣くつもりは無かったのに、全然泣くつもりは無かったのに、おかしいな」

 

 ふと気が緩んで箍が外れてしまった、最後に泣いた日なんて思い出せないぐらい前のはずなのに。

 先輩に嫌われてなかった、そのたった一つの事実でそんなに救われるなんて。

 

「先輩に、会いにいきたかった」

「うん」

「謝れば、許してくれるんじゃないかって。でも二度と顔も見せるなって言われるかと思うと、足が竦んで」

「私も君も、似たもの同士だったから」

 

「先輩は僕のこと許してくれるんですか?」

「許すも何も、君は何も悪いことしてないでしょ」

 

「私のこと、許してくれる?」

「いいんですよ」

「こんな最低な私なのに」

 

「先輩、最後に僕の秘密聞いてくれますか?」

「なに?」

 

「僕の好きな人、いないって言ったですけど本当は居たんですよ」

 

「先輩、僕はあなたのことが大好きでした」

 

 告白、驚いた顔を浮かべてすぐに申し訳なさそうな顔をした

 

「そっか……そういうことね、だから生物部に入ったの?」

「ごめんなさい、僕が生物部に入らなければ良かったのに」

「だーかーらー!もう謝らなくていいって言ったでしょ!」

 

 長いような、短いような、はっきりと分からないぐらいの時間の後、彼女は言った。

 

「ごめん、私と君は付き合えない。告白されたのは確かに嬉しい。けどね、もう会う機会もずっと少なくなっちゃうから、それはどうしても嫌なんだ」

 

「私は好きな人と同じ時間が過ごしたいの、だから生物部に入った。まあ大学は失恋中だし好きな人とか関係なくきめたけどね」

 

「ねえ、君はどこの大学行くとか決めてる?」

「……まだ、決めてないです」

「私はね、明誠大学に行くんだ。頭がいいところだし、失恋の甲斐もあって勉強が捗ったおかげでギリギリだったけど、なんとか入れた」

 

 私が言ってる意味、分かる?

 そう言われて僕は一つ頷いた。

 

「……いいんですか?本当に僕も目指しますよ?」

「うん、一年だけ待ってあげる。だからさ、頑張って私のことを迎えに来てよ」

 

 ずるいなと思った、諦めさせてくれないなんて。リクガメの頭を一つ撫でて、またねと彼女は言った。

 

 ●

 

 春、出会いと別れの季節。

 先輩と初めて出会っておおよそ2年、先輩が高校を卒業して1年、新入生のガイダンスを終えた僕は講堂からゆっくりと出てきた。

 

 大学には無事合格したものの、先輩の連絡先を知らないと言う致命的な欠点から、人の群れから手探りで先輩を探し当てなければいけないといけない問題に僕は直面していた。

 

 はっきり言えばめんどくさい、新入生の群れに紛れてサークルの勧誘を交わしつつ、適当に辺りに視線を巡らせる。

 

 面倒臭いとは思うけれど、不思議なことに不可能だと思うことはなかった。むしろすぐ見つけ出せるんじゃないかとすら思っていた。

 

 まあ、そんな都合よく見つけられるはずもなく、人の列から抜け出て壁へと寄りかかる。

 ポケットから取り出すのは常備してる飴玉、あの日初めて会った時と同じピーチ味の物。

 

 焦ることはない、時間はまだ十分にあるのだから。一つ深呼吸をして、ふと耳に興味深い言葉が聞こえてきた。

 

「……なに、この亀?」

「飢えた時に食べるようですよ。世界が滅んでも、2人で飢えを凌げるように」

 

 思わず笑って、そして僕は走り始めた。

 




投稿予定からだいぶ遅れたー……許してね


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