「君の長所は、私を愛してることだよ」 (ルシエド)
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第一夜

ある世界の、神世紀72年の、冬


 鷲竜(わしりゅう)類。

 現実に存在する、恐竜の分類の一つ。

 鷲にして竜。

 気が遠くなるほどの大昔、人類より遥かに先に―――彼らは死に絶え、絶滅した。

 彼らは死に絶え、絶滅した。

 絶滅した。

 

 

 

 

 

 これは、歴史に残らぬ物語。

 

 少年は、踏み躙られる花こそを重んじた。

 

 少女は、みんなが幸せになれる未来を願った。

 

 

 

 

 

 夜を駆ける少女が一人。

 それを見つける少年が一人。

 少女と戦う、2mほどの怪人――セミのような、ザリガニのような、忍者のような宇宙人――がハサミを振り下ろす。

 

 少女は紙一重で見切り、桜色の髪が一本だけ切断され宙を舞い、日に焼けた少女の肌にあと1mmで触れられそうなところをハサミが通過する。

 少女は回避し。

 身を捩り。

 足を振り上げる。

 少女のハイキックが宇宙人の頭を蹴り抜くのと、宇宙人のハサミが路面に突き刺さったのはほぼ同時。ぐらり、と宇宙人の体が揺れる。

 可愛らしい少女の顔が、好機と見て戦意に染まった。

 

 十人に聞けば十人が美少女と断言する少女が、桜色の髪や女性らしい胸部を揺らし、その外見に似つかわしくない殺意の攻勢を仕掛ける。

 

「よし、これでトドメ!」

 

 その戦いを、物陰から、一人の少年が見つめていた。

 

 それはただの茶番だった。

 少年は懐に『ダークリング』と呼ばれるものをしまい、陰から眺めるのをやめ去っていく。

 ダークリングで出した2mの宇宙人が、鏑矢・『赤嶺友奈』に倒される音が聞こえた。

 ただの鍛えた地球人に負けることもある宇宙人達では、神樹の戦士は倒せない。

 それこそおそらく、巨大な怪獣が要るだろう。

 だが『鷲尾(わしお)リュウ』が決着まで見ないまま勝敗を確信していたのは……宇宙人の強弱への理解ではなく、その少女の強さへの信頼が理由であった。

 

「今日も終わりか」

 

 それはただの茶番だった。

 終わりの後のロスタイム。

 鏑矢なる少女が勝つことが決まっている出来レース。

 知らないのは鏑矢と民衆だけである。

 倒されるためだけに、リュウはダークリングから怪物を出していた。

 

 今は平和の時代である。

 神世紀72年。

 "かの事件"が終わってから数ヶ月後。

 平和な世界が取り戻されてから数ヶ月が経った今も、鏑矢と呼ばれる少女とリュウが実体化させる異形は、夜の闇の中で戦いを続けていた。

 

「……寒っ」

 

 冷えた夜風が鷲尾リュウの肌を撫でる。

 彼は一人だった。

 遠くに、仲間と抱き合っている赤嶺友奈が見えた。

 彼女は一人ではなかった。

 

「……」

 

 この世界の周囲は、既に全てが終わっている。

 西暦2015年、天の神によってもたらされた怪物・バーテックスにより、世界は壊滅し、70億を超える人々が死に絶え、地球上のほぼ全てが炎にて燃え尽きた。

 人類は、四国と呼ばれた僅かな土地に引きこもり、見つかれば駆除されるネズミのようにみじめにコソコソと生きていた。

 今の僅かな人類世界は、『大赦』という機関が政府のように管理している。

 

 この世界は、平和である。

 天の神々の暴虐に反抗し、人類の味方に付いた地の神々の集合体『神樹』により、四国は結界に囲まれた平和な世界として成立している。

 誰も脅かされることはなく。

 怪物が人を殺すこともなく。

 街が燃え尽きることもない。

 神樹の結界に守られた四国は、間違いなく平和な世界であった。

 

 なのに、戦いがある。

 少年はダークリングと呼ばれる物から宇宙人を出し、少女にけしかける。

 少女は難なくそれを倒し、それで終わり。

 何がしたいのか、見ているだけではまるで分からない。

 負けるために戦いを挑むという、奇怪極まりない流れだ。

 

「……帰るか」

 

 少年は一人帰路につく。

 自分の家には帰らない。

 誰も帰りを待っていないホテルの一室に向かって、歩き出していく。

 

 少年は中学生程度の年齢であったが、短く切り揃えられた黒髪はボサボサで、瞳は濁り、その挙動は周囲を威圧するヤクザ者のごとし。

 素行の悪さが容姿に現れているかのようなその姿は、彼の年齢を五歳ほどプラスして見えるようにしてしまっていた。

 悪党のようで、不良のようで、どこか捨てられた犬のようだった。

 

 リュウは吐き捨てるように呟く。

 

「いつまでこんなマッチポンプ繰り返してりゃいいんだかな、くッだらね」

 

 それはただの茶番だった。

 

「元気そうだったな、友奈……オレはいつまでこんなことやッてんだ?」

 

 とてもくだらないマッチポンプであり、この世界に必要なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が滅び、西暦が終わり、西暦が神世紀となってからしばらくの時が流れた。

 神世紀72年―――リュウはこの年を、自らの生涯で最も後味が悪かった時期だと考える。

 数ヶ月ほど前まで、リュウは数え切れないほどに、人を殺していた。

 追い詰められた人類が逃げ込んだこの方舟の中で、人を殺し続けていた。

 彼が手にしたダークリングという魔の道具の力で、人をひたすらに殺していた。

 

 概要だけ語るならば、さしたる文字数も要らないだろう。

 宇宙で最も邪な心を持つ者の前に現れ、その力を増幅し、超常の力を与えるという伝説のアイテム・ダークリングを手にして、この地に来訪した宇宙人が居た。

 それを見つけたリュウが、躊躇いなく宇宙人を殴り殺し、ダークリングを奪った。

 彼がこの力を手にした経緯の説明など、それで終わってしまう。

 

 彼は手にした鉄パイプで、宇宙人をひたすら殴った。

 宇宙人が動かなくなるまで。

 鉄パイプがひん曲がって折れるまで。

 鉄パイプで殴って、殴って、殴り続けた。

 「これで死んだか?」などとは一度も思うことなく、「何が起ころうと絶対に蘇らないように」という絶殺の意志で、石よりも硬い体の宇宙人を、殴り殺した。

 

 "怪物への憎しみ"をごく自然に持つ彼が得たのは―――怪物を操る力。

 怪物になれる。

 怪物を出せる。

 怪物を作れる。

 ダークリングは、リュウがゲームの中で何度も見てきた『魔王』の如き力をもたらす、魔の者の神器であった。

 

「……使えるな、これ」

 

 そう呟いた彼は、ダークリングの力で人を殺した。

 もうどうしようもないほどに。

 だが殺害の理由は、私欲とは程遠いものだった。

 

 『公正世界誤謬(Just World Fallacy)』という概念が、西暦にはあったという。

 

 世界は公正である、正しい者が報われる、悪人には報いがある、間違っていない者は不幸にはならない、他人を蔑ろにする者は幸福にはならない……そういう考え方だ。

 『正義は必ず勝つ』

 『悪は必ず滅びる』

 などが最も認知されている公正世界誤謬だろう。

 斜に構えていないまともな人間の多くは、この性質を持ってしまっている。

 

 これは意識無意識問わず人間の精神に影響を与えてしまう。

 たとえば、西暦の心理実験の一つでは、人間は「お金を貰って暴力を受けている人」と「何の理由もなく暴力を受けている人」だと、後者を悪人だと思いやすいという実験結果が出ている。

 

「何の理由もなく暴力を受けている人がいる」

「じゃあ自分もこんな風に暴力を受けることになる?」

「それは嫌だ、だから何の理由も無いわけがない」

「この人は悪い人なんだ、だから暴力を受けているんだ」

「よかった、それなら世界は公正だ」

「私は悪い人じゃないから、暴力を受けることはない」

 

 無意識下でそういう心の動きが発生してしまう。

 善人は報われ、悪人は苦しんで死ぬ。

 そうであってほしいと、誰もが思う。

 

 そういう世界が当たり前だと、いつからか自然に思ってしまう。

 願望と現実の認識が、無意識下で混ざっていってしまうのだ。

 

 世界が変わっても、人は変わっていない。

 考え方も、愚かしさも変わってはいない。

 なればこそ、公正世界誤謬もまだこの世界には残っていた。

 "そう"思う人間が発生し、積み上がり、その数を増していってしまっていた。

 

「天の神は何も悪い事していない人を理不尽に殺したのか?」

「じゃあ自分もいつか何も悪いことしてないのに殺される?」

「それは嫌だ、だから何の理由も無いわけがない」

「西暦の人間は悪いことをした、だから殺されたんだ」

「よかった、それなら世界は公正だ」

「私はそんなことをしていないから、殺されることはない」

 

 こういった心の動きは、いつの時代も存在してきた。

 SNSで理不尽に痛めつけられている人に対し、特に理由もなく「君にも悪いところがあったんじゃないの?」と言う人もこれにあたる。

 普通の人間は、理不尽な暴虐の中に理を探すのだ。

 愚かしいことに。

 

「なんでこんな窮屈な土地に閉じ込められてないといけないんだ」

「俺達はいつ殺されるんだ」

「物心ついた時から、僕はこの世界がずっと怖い。生まれて来なければよかった」

「誰が悪いんだ? 誰か悪い事したんじゃないのか? 神の怒りを買ってさ……」

「理由なく人が神様の遣わした怪物に殺されるなんてあるわけないだろ」

「西暦の誰かがやらかして私達はそのせいで、きっと」

「もしかしたら天の神様の怒りに妥当な理由があるのかも」

「どうしたら許してもらえるんだろう」

「儂達は殺されるほどのことをいつしたのか、誰に聞けば教えてもらえるのやら」

 

 公正世界誤謬、逆張り、現実逃避、悪者探し。

 滅びた世界の片隅に残った、狭い狭い四国の箱庭の中で、人々の思考は煮詰まっていく。

 

 現在、神世紀72年。

 世界が終わって西暦が終わって70年以上が経った。

 大切な人を殺された怒りは消え、世界を焼かれた憎しみは失せ、恨みは風化し。

 殺されるかもしれないという恐れと、人類の詰みという状況が産む厭世観だけが残った。

 

「なあ」

「もしかして」

「私達は」

「天の神に罪を償い、許してもらわないといけないんじゃ」

 

 煮詰まり淀んだ思考から、ロクな考えは生まれない。

 歪んだ思想を持つ者は、歪んだ思想を持つ仲間を探す。

 歪んだ人間が集まった集団は、やがてその歪みを集積し、極論に極論を重ねて先鋭化し、最終的に取り返しのつかない過激な集団となる。

 鷲尾リュウは、現在の四国を統治する唯一の統治機構・大赦からそう聞かされていた。

 

 

 

「―――皆で死ねば、許されるんじゃないか?」

 

 

 

 ある日、狂った誰かがそう言い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()が実行に移されかけた。

 古今東西よくある宗教的集団自殺を、全人類にまで拡大した自殺虐殺未遂。

 それが、数ヶ月前のことである。

 

 四国に残った最後の人類を皆殺しにするという、最低最悪の大規模犯罪。

 おそらくは人類史で一度も行われたことはないであろう、人の手による終わり。

 人類の生存に責任を持つ大赦はそれを許さず、カウンターを用意した。

 それがお役目と神樹の力を与えた少女達……『鏑矢』である。

 

 鏑矢(かぶらや)とは、邪なる物を祓うと言われる矢の一種である。

 流鏑馬(やぶさめ)などに用いられ、古来から日本人に親しまれてきた。

 飾られることで魔を祓うものを鏑矢、放つことで魔を祓うものを蟇目(ひきめ)などと言う。

 梓弓然り、日本では平安時代に、

 

「弓の弦が弾かれる清浄な音が、魔を祓うだろう」

 

 という概念が生まれた。

 これを鳴弦(めいげん)の儀と言う。

 それが転じて、矢そのものにも破魔・退魔の力があるとされ、蟇目(ひきめ)の儀という儀礼になった。

 武士の合戦の始まりの合図に使われたものと、蟇目の儀などが混ざっていき、破魔の矢としての扱いが固定化されたのが、現代の鏑矢というものである。

 

 なればこそ、この名とお役目を与えられた少女に求められるものはシンプルである。

 

「人に仇なす邪悪を殺せ」

「魔を終わらせ、敵を必ず射抜け」

「一度放たれたなら、もう戻って来なくていい」

「必要となれば、次の矢を番える」

 

 鏑矢の役目は『殺人』。

 

 このお役目を与えられた少女達は、世界を終わらせかねない危険人物を討つ。

 神樹の神々の力を与えられた少女らの攻撃を受けた人間は昏倒する。

 昏倒させられた人間は、神樹に裁定され、目覚めるか死ぬか、どちらかとなる。

 少女がその手で世界を守り、その手で人を殺すのだ。

 

 力を宿せるのが無垢なる少女であるがゆえの残酷であり、非情。

 昨日まで普通に生きてきたはずの少女達を人殺しの共犯にさせる、最悪の世界守護である。

 

「……は?」

 

 幼馴染の赤嶺友奈が鏑矢に選ばれたと聞いた鷲尾リュウは、何かをしようとして、何もできなくて、自分に何も無いことに気付き、何も守れず、何も救えず、何も変えられず、何も成せない自分に煮え滾る溶岩のような怒りを憶え―――そして。

 

 気付けば彼は、あまりにも無慈悲に宇宙人を殴り殺し、ダークリングを奪っていた。

 

 

 

 

 

 鷲尾家は分類的には名家にあたる、大赦の中核を成す血族の一つである。

 西暦で言うところの、政権の中枢にあたる家の一つであると言えるだろう。

 鷲尾リュウはその家の三男にあたる。

 

 だが、何故か家では過剰に大切に扱われていた。

 何故かは分からない。

 身内は彼を息子のように扱うことも、弟のように扱うこともなかった。

 母親だけは息子のように扱うこともあったが、それでも過剰に大切にされていた。

 

 家族とリュウが気軽に話すことなどまずなく。

 家族とリュウが共に出かけることもまずなく。

 家族とリュウが共に食卓を囲んだことも一度もなく。

 彼は生まれてこの方、家族と『日常会話』をしたことが一度もなかった。

 

 家族の好きなものをリュウは知らない。

 家族の誕生日をリュウは知らない。

 親の仕事も、兄の学校も知らない。

 誰も教えてくれないし、誰も普通に話してくれないから、何も知らない。

 家族のことなのに、何も知らない。

 リュウはその理由を知らないし、知ろうとも思わなかった。

 

―――私はずっとそばにいるよ

 

 そう言ってくれた優しい女の子の幼馴染が一人居たから、それで十分だった。

 それだけで満たされていた。

 幸福は十分なほどに貰っていた。

 

―――ほら、笑って笑って。赤嶺友奈の笑顔につられて笑えー

 

 だから、彼が家族よりも、自分の命よりも、彼女のことを重んじるのは当然の帰結だった。

 

―――私はリュウが笑ってると嬉しいから。小学校に上がってもずっと笑っててね?

 

 宇宙人からダークリングを奪った彼は、奪った時点から戦いを始めた。

 それは中学一年生の頃だったと、リュウは記憶している。

 時に宇宙人に変身し。

 時に獣を召喚し。

 時に友奈を援護し。

 時に友奈の敵のような素振りで人間を殺し。

 赤嶺友奈とその仲間を守らんとして、奮戦していった。

 だから、政府にあたる大赦がそれに気付くまで時間はかからなかった。

 結界の中で大赦と神樹の目を完全に欺くことは難しい。

 

 しかし、大赦はリュウを責めることはなかった。

 殺人の罪を問うどころかその奮闘を称賛し、正式に誇りあるお役目を与えてきた。

 鏑矢を支えよ、と。

 世界のために危険因子を殺せ、と。

 彼らは罪悪感もなくそう言い切った。

 

 その時、リュウの心の内は酷く濁った。

 

 人を殺すのはいけないことだと、生まれた時からぼんやりと思っていた。

 それでも友奈のために、仕方なく歯を食いしばって戦っていた。

 殺さなくていい時は殺さないようにしていた。

 もう治せないほど頭がおかしい人間は「しょうがない」と自分に言い聞かせながら殺した。

 否定されるべきだと思っていた。

 裁かれるべきだと思っていた。

 なのに、肯定された。

 

 今の人の世界で最も偉いと言える大赦の人間達が、人殺しを肯定していた。

 『人の命なんて世界と比べれば軽すぎる』と言われた気分だった。

 『社会に要らないものは消えた方がいい』と言われた気分だった。

 人の死はそんなに軽くていいのか、とリュウの胸の奥が痛む。

 

 濁った心で、感情を表に出さないようにして、リュウは恭しく頭を下げる。

 

「分かりました。オレにやれることがそれなら、やりますともォ」

 

 殺して。

 殺して。

 殺した。

 異常者への殺意と、世界を守る責任感と、殺人をする自己嫌悪が、等しく混ざる毎日だった。

 

 神世紀72年。

 鷲尾リュウは、自分が名前を知っている人間の数よりも多くの人間を殺した。

 鏑矢がするべき殺しの多くも引き受ける形で、大赦の指示通りに殺した。

 リュウは少女達を守り、少女達はリュウの存在を知らない。そういう構図。

 

 人殺し以外の汚れ仕事も彼に優先的に回された。

 大赦に反抗的な人間の家に火を付けたのは大赦の一部の人間の指示。

 火事の中密かにその人間達を助け、秘密裏に逃したのはリュウの意思。

 "出火原因が全く分からない火事"は、『天罰』として扱われ、人の心に釘を刺す。

 ずっとずっと、そういうことを繰り返す。

 そうして、彼の仕事の結果としてこの狭い世界の治安は安定していった。

 

 それも当然だろう。

 数百万人規模の、全人類を巻き込んだ自殺?

 そんなものが起きかねない世界など、もうとっくに終わりかけている。

 手段を選んでいる余裕など、もう誰にも無かったのだ。

 投げ出せない。

 逃げられない。

 この四国の外の世界は、もう砂粒一つ残さず燃え尽きているのだから。

 

 鷲尾リュウは実績を積み上げていき、この年に四国全土心中未遂事件を止めたことで、大赦からの信頼は盤石なものとなった。

 

 どんな指示でも文句を言わず、反抗もせず、必ず遂行する仕事人。

 大赦の多くの人間がそう思っていた。

 彼は冷たい人間ではなく、ただ『大切なものの順序』が揺らがないだけだったのに。

 

 

 

 

 

 神世紀72年のある日。

 リュウが中学二年生になって少しばかりの時間が過ぎた頃のこと。

 その日もリュウは、いつものように人を殺していた。

 「お前が居ると世界が終わる」と告げながら。

 「お前のせいで社会が壊れる」と告げながら。

 『社会にとって要らない者』であるその人間の首に、怪物の鋏手を添える。

 どこでもないどこかに、誰でもない誰かに言い訳するように、死を宣告する。

 

 リュウに死を宣告された男は、死を受け入れた上で、リュウを嘲笑った。

 

「せいぜい良い気になっているがいい。

 お前も私達と同じだ。

 世界を壊す気が無いなら……

 世界の仕組みは変わらない。

 ただ"先と後がある"だけだ。我々が先で、お前達が後」

 

 "神様に謝罪し人類は全員心中しよう"と語った口で、リュウを嘲笑った。

 

「『社会に要らないものを消す』。

 そのやり方を当然のものとして続けるなら……

 お前達もいずれ、我々と同じ場所に立つことになるだろう」

 

 何も知らない子供を、大人は嘲笑った。

 

「因果応報だ。必ず、必ずそうなる。絶対にな」

 

 それは殺される者の捨て台詞であり、負け惜しみであり、予言であった。

 

「先に地獄で待ってるぞ」

 

 ジョギン、と、リュウは怪物の鋏で男の首を切り落とす。

 

「もう地獄だろうがよォ……ここより下なんてねェ」

 

 切り落とした男の首を、リュウは光線で焼いた。

 残った体も、光線で焼く。

 路面に焦げ跡すら刻まず、男の死体は痕跡一つ残さず消された。

 

「だから、ここからあいつを早く出してやりてェんだ」

 

 死に逝く者の戯言だと分かってはいた。分かってはいたが。

 

 男の言葉は、嫌な後味と共に、いつまでもリュウの胸の奥に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事件が終息し、数ヶ月リュウが任じられていたお役目は、マッチポンプの演出であった。

 

 急に大事件があって、急にそれが終われば、民心の不安は消えない。

 よく知っている者も、よく知らない者もだ。

 だから軟着陸させる必要があった。

 まるで都市伝説のように語られる―――怪物が現れ、勇者が現れ、人を守って平和を守るという御伽噺のマッチポンプ。

 リュウは大赦の指示で全てを演出し、友奈は何も知らずにそれを倒す。

 その繰り返し。

 戦いの頻度も徐々に下げ、民衆と組織に、平和の訪れを実感させつつ。

 『影で平和を守る守護者』をうっすら認識させ、神樹と大赦への信仰を高める。

 それが彼のお役目だった。

 

 ここ数ヶ月で、"人を守る神樹様の使い"は随分と定着した都市伝説になっていた。

 都市伝説の拡散に比例するように、民心は安定していく。

 

 別に、彼に何か得があったわけでもない。

 大赦がくれた金も特権も、全く興味がなかった。

 けれど。

 一人だけ、どうしても見捨てられない人がいた。

 リュウは友奈に言えなかった一つの感謝と、一つの謝罪があった。

 見捨てられない。

 だから神世紀72年にずっと、今日までずっと、彼女の見えないところで助け続けてきた。

 

 上手く負け続けた。

 上手く戦い続けた。

 友奈達に手加減がバレないように、慎重に、丁寧に負け続けた。

 時に宇宙人を出し、時に怪物を出し、2mサイズが上限という制限の中、あの手この手で友奈に敵を差し向けつつ、友奈に傷一つ付けないまま負け続けた。

 マッチポンプが大赦の指示で、友奈に傷一つ付けないのは彼の意思。

 そんな毎日を、彼はここ数ヶ月ずっと続けてきた。

 

 だがそれも、今日で終わるようだ。

 携帯電話に来た連絡を見て、リュウは目を丸くした。

 

「お……なんだァ、今日で終わりだったのか、今回のお役目。で、次が最後か」

 

 今日で、マッチポンプのお役目は終わり。

 リュウに今日まで指示を出していた部門の人間からそう連絡が届いていた。

 そして明日が彼の最後のお役目で、明日からは別の人間が指示を出して来るとのこと。

 一時間後に引き継ぎが終わって新しい担当が連絡を寄越すので、すぐ返信できるように待機しておけ……とのことだった。

 

「はいはい、新しい指令ね。やっと最後、ようやく最後……戦いも終わりだなァ」

 

 リュウの攻撃的な目つきの悪さが和らぎ、一瞬とても安心した様子の笑顔が浮かんだ。

 

 一年以上は人を殺していた。

 リュウも……間接的には、赤嶺友奈達も。

 中学生でしかない子供達が、大人の指示でひたすらに人を殺し、殺人に加担し続けた。

 それが終わる。

 危険な因子は全て殺して潰した。

 最後の人類数百万人全てを死なせんとした事件も、もう起こるまい。

 これ以後は平和な時代が来るだろう。

 平和な日常が戻るだろう。

 

「……やっとまた会えるな、友奈。どうからかってやるか、考えとこ」

 

 リュウは大赦の指示で秘密裏にずっと活動してきた。

 赤嶺友奈やその仲間達にも秘密で、だ。

 だから彼はずっと友奈にも会っていなかった。

 一度でも会えば絶対幼馴染の彼女にはバレると、そう思ったから。

 

 会おうと思えば会えたかもしれない。

 だが一年以上、大赦はリュウは友奈と顔を合わせることを許していなかったし、リュウも会うべきではないと考えてきた。

 ようやくその日々も終わる。

 

(話したいことがたくさんあるな。

 面白い話。きつかった話。なんでもない話。まず何から話してやろうかな)

 

 そう、彼は思って。

 

 携帯電話に表示された『赤嶺友奈の抹殺』という指令の文字を見て。

 

 携帯電話を握り潰した。

 

「ああ。西暦のゴタゴタで、戦士の力を勝手に取り上げられなくなったんだっけな」

 

 西暦の終末戦争の時代。

 ある『勇者』が、力を私欲で仲間に向けて使ったという話があった。

 その力が仲間に届く前に、その勇者が神樹の神々に見放されたことで、有事にその勇者は力を失い、あわや戦死しかけたという。

 これが一つ、小さくも強固な棘になっていた。

 

 大赦の一部は、神樹の力を使える少女の心を信用しなくなった。

 感情のままに力を使うこともあるだろう、と。

 この事件以降、少女に与えられる力を神等が勝手に取り上げられなくなった。

 現場で戦う者達にとって、戦場で勝手に力を取り上げられることは死を意味するからだ。

 

 だから。

 『神世紀のシステム』は、暴走した少女を殺す何かの存在を前提としていた。

 少女を戦わせ、それが暴走した時、差し向けられる処刑人がいる。

 

 彼の存在が、大赦に欲張らせた。

 より堅実な世界を求めさせた。

 神世紀72年の事件は終わった。

 敵は居ない。

 "もどきの勇者"も要らない。

 

 力持つ者がもし感情のままに暴走すれば、大赦の上層部全員を一瞬で仕留められる。

 昏倒させて、喉でも刺せばそれで終わり。

 世界を一瞬で終わらせられるだけの力が、鏑矢という少女達にはある。

 鏑矢が癇癪を起こして世界を終わらせる可能性を、大赦は潰そうとした。

 

 と、リュウは思った。

 

 彼は頭脳明晰な人間、とは言えない部類の人間だ。

 どちらかと言えば勉強をしない不良に分類される。

 だから彼は"裏"を読めていなかった。

 大赦も読み取れないだろうとは思っていた。

 鷲尾リュウは全てを知らないまま、全てを理解しないまま、決意を口にする。

 死の恐れがなくなった世界で、また彼女と会うために。

 

 

 

「よし、分かった。大赦潰すか」

 

 

 

 

 

 ―――世界が終わる爆弾の導火線に、小さな火がついた。

 

 

 

 

 

 彼は昔から『好き』とか『愛してる』とか、一番大事なことを絶対に口に出さないから誤解されがちなんだと、赤嶺友奈はたまに思う。

 大事なことほど口にしないから勘違いされるんだ、とも。

 そんな彼―――鷲尾リュウと会わないまま、一年以上の時間が流れてしまっていた。

 

 今日で今日までのお役目は終わりだと、赤嶺友奈は告げられていた。

 次のお役目で全て終わりだと、そう言われていた。

 安堵と安心で、友奈の可愛らしい顔がふにゃりと歪む。

 そんな少女の顔を、一対一で話していた大赦の人間が、じっと見ていた。

 

「やった、やっと終わるんだ。……やっと」

 

 最後のお役目が人殺しでないことに、友奈は胸を撫で下ろす。

 今日まで友奈がずっと戦ってきた敵が大赦を襲って来る、それを迎撃し、なにがなんでも殺せ―――それが、赤嶺友奈に与えられたお役目だった。

 赤嶺友奈の仲間は現在負傷で入院中だ。

 今戦えるのは彼女一人。

 これは彼女が一人で果たすべきお役目である。

 

「へー、これが最後のお役目、ね。大赦防衛?

 ずっと出てきてたあの敵がこっちに来るんだ。

 これ倒し続ければいいの? あ、違うんだ。

 迎撃しつつ一刻も早くちゃんと殺せ? 殺意高い指令だねぇ」

 

 大赦を狙うは怪物。

 大赦を守るは鏑矢。

 難しい構図ではない。

 鏑矢が何も知らない、ということを除いて見ればだが。

 

「こんなのどこにあったの?

 花結装(はなゆいのよそおい)、だっけ。

 この前まではなかったよね?

 あったらとっくに渡してると思うし。

 凄い力が出て、凄いパンチやキックができるのはいいけど……」

 

 友奈から見れば多くのことが不明だった。

 敵の正体も。

 どこからこういうものが出てきたのかも。

 大赦の意図も、何も分からない。

 だが秘密体質はいつものことだったので、赤嶺友奈は特に気にしなかった。

 

「でも最後くらいお願い聞いてよ。

 これが終わったら、一年以上ずっと姿消してるリュウを探して。

 死んでないのは分かってる。探すだけでいいから。私が迎えに行く」

 

 彼女が気にしていること、今の彼女にとって大事なことは、一つだけだった。

 

「絶対見つけてね? これが最後のお役目だから」

 

 たはは、と笑う赤嶺友奈。

 されどその笑顔の裏には、甘さの無い絶殺の意思。

 再会のために敵を絶対に仕留めるという、揺るがぬ意思が裏打ちされている。

 

「敵は複数。

 ……黒幕とか居るのかなー。

 探したら見つかる?

 物探しは苦手だなあ

 メフィラスさんとか何か知ってるかも」

 

 友奈は試しに、新たに与えられた力を起動してみる。

 一瞬で少女の姿が戦装束へと変わり、その体に過剰なほどの力が満ちた。

 

 人類が生み出したどの服とも違う、赤白黒のトライカラー。

 右腕には拳を守る赤白二色のダブルカラー。

 それぞれの色が、桜を思わせる友奈の髪や日焼けした肌を相互に映えさせている。

 花結いの装束。

 どこかから生えたもの。

 よく分からないが、使える力なら何でも使ってやろうと彼女は思う。

 

「……リュウ」

 

 また、彼と会うために。

 

 

 

 

 

 彼が己に課したルールは三つ。

 一つ、正体を隠すこと。

 友奈を悲しませないため、勝とうと負けようと自分の正体を隠し切る。

 自分が宇宙人であるかのように偽装すれば、"人殺し"の罪悪感も無いだろう。

 一つ、友奈の未来を潰さないこと。

 友奈が幸福になれない結末には絶対にしないよう気を付ける。

 壊すもの、壊さないものは、常に考え続けなければならない。

 一つ、そのためなら何でもすること。

 民衆の被害ですらある程度は飲み込める。

 彼が自らの意思で封じていたゼットン等のカードも、もはや使用は躊躇わない。

 

 合理性を重んじる大赦は絶対に世界のために危険因子を殺す。

 大赦は妥協しない。

 世界のためならば、非情に徹する。

 リュウが交渉して「分かった、彼女の生存は保証しよう」と大赦が言った翌日に、リュウと友奈の飲み物に毒が混ざっている可能性すらあるだろう。

 油断すればそこで終わる可能性がある。

 だから絶対に潰さなければならない。

 

 現在唯一の政府と言っていい大赦を潰せば、世界は混乱の極みに落ちる。

 集団自殺事件の後始末もまだ完全に終わってないこの状況でそれをやれば、世界が壊れる。

 不幸になる人間は何十万人、何百万人という規模になるだろう。

 全人類を死なせる最大最悪の犯罪にこそ及ばないが、間違いなくそれに次ぐ最悪。

 

 鷲尾リュウは今現在、この地上で最も許されざる邪悪であった。

 

 それでもやる。

 やるしかない。

 可能性があるならば。

 こんなお役目を言い渡されたなら。

 赤嶺友奈を大事に思う鷲尾リュウに、選択肢など無いに等しい。

 

 世界を半ば壊す犯罪に、友奈を巻き込めない。

 友奈を、『人々を不幸にした悪』にだけは絶対にさせない。

 それは自分だけでいい―――そう、リュウは考える。

 

 悪になるのだ。

 誰よりも邪悪な破壊者に。

 言い訳のしようのない加害者に。

 最も多くの笑顔を奪った屑になってでも、守りたいものがあるのなら。

 

 友奈のためと思いながらも、彼は友奈のためとは言わない。

 絶対に言わない。

 それは友奈の"せい"と言うに等しいことだから。

 

「知ったこっちゃねェんだ、友奈のことなんざ。関係ねえ。

 オレはオレのために……オレの我欲のために、全部ぶっ壊してやる。

 喧嘩以外に何の取り柄もねェオレにできることがそれだけなら、やり遂げてやる」

 

 昇っていった陽が落ちていき、陽が沈み、夜の世界がやってくる。

 

「やっとまた陽が沈んだなァ」

 

 沈む夕日を見ていると、不意にリュウは昔のことを思い出す。

 昔ゲームで、こんな風景を見た覚えがあった。

 綺麗な夕日の終わり際、夕方から夜へと移る一瞬。

 勇者が聖なる武器を持って魔王の竜を倒して世界を救うドラゴンだかクエストだかの、国民的RPGでそれを見たことを思い出すまで、リュウは数分かかっていた。

 テレビゲーム。西暦の遺産。

 四国以外の世界が燃え尽きたがために文化や娯楽もほぼ全てが消え失せたが、運良く残ったものの系譜は今でも残っている。

 

―――あー、リュウくん、そこそんな攻撃しちゃダメだよ!

―――横から口出しやめてくれ

 

―――そこそこ、攻撃攻撃、どんどん攻撃して倒すんだよー

―――だからな

 

―――戦闘終わったけどここ背景綺麗だねー……どうしたの?

―――……友奈が満足してんならいいよ

 

 楽しかった日々のことを思い出す。

 何の憂いもなく幸せだった日々のことを思い出す。

 楽しかった。

 幸せだった。

 無自覚に()()()で語っている自分に気付き、リュウは額を拳で叩く。

 

「過去形にするかよ。絶対に、またあの日によ……」

 

 『勇者が竜を倒し、ハッピーエンド。めでたしめでたし』で終わるゲームの話。

 

 けれど、現実はそういう話にはならなかった。

 

「……現実はゲームじゃねェんだ」

 

 欲しい物があるなら。変えたい現実があるなら。戦うしかないものがあった。

 

 

 

 

 

 襲うは鷲尾リュウ。

 その手にはダークリング。

 邪悪なる闇の神器。

 

 守るは赤嶺友奈。

 その手には機械端末。

 世界最新の、輝ける神樹の神々の神器。

 

 リュウは未だこの先に待つ運命を知らず。

 友奈は何故自分が勇者でなく、まだ鏑矢と称されているかを知らない。

 

 怪物を殺すのが勇者なら、人間を殺すのが鏑矢だ。

 だからこれは、魔王を倒す勇者の物語ではない。

 奈落の底に向かって落ちていく矢が足掻き続ける物語。

 

「大赦を潰す。絶対に。友奈のため……違う。他の誰でもない、オレのために」

 

「大赦を守る。絶対に。世界のため、皆のため、リュウのため」

 

 皆の世界のためなら自分も犠牲にできる勇気ある女の子。

 一人の女の子のために世界を犠牲にできる愚かな男の子。

 光の勇気と、闇の愚かしさ。

 

「オレは死んだっていい……だけど、友奈だけは、譲れない」

 

「最後の最後まで生き残って……大事な友達とまた、笑い合いたいから」

 

 勝った方しか、残らない。

 

「勝たないと。友奈に未来が残らねェ」

 

「勝たないと。リュウを迎えに行ってあげるんだ」

 

 それは彼らが殺し合う、最初で最後の七日七晩。

 

 日が昇り、光が来て、日が沈み、闇が来て、それを繰り返すこと七度。

 

 その果てに、全ての決着は来る。

 

 ―――君を殺せと言われたから。心を殺す夜に堕ちる。

 

 

 




 古今東西、生贄を繰り返す社会を終わらせて来たのは、生贄にされることを拒んだ生贄自身の叫びではなく、その生贄を許さなかった第三者

 "抑止力の処刑人"のポジションは神世紀300年頃に彼を参考にしそのっちに受け継がれることもあるかもしれない


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2

 鷲尾リュウは夢を見た。

 幼馴染、赤嶺友奈との夢。

 もう十年ほどは昔の夢だった。

 

 幼い頃のリュウは純朴な少年で、不良らしい今とは似ても似つかず。

 幼い頃の友奈は、根底の部分で今も昔も変わっていなかった。

 

 リュウが物心ついた頃にはもう、友奈は優しかった。

 友奈は彼にとっては普通の女の子であり、同時に彼の周りで最も優しい女の子だった。

 

「困ってるみたいだねー、大丈夫ー?」

 

 困っている人を見つけると、すぐ助けに行く。

 親が困ってれば、手伝いを申し出ていた。

 老人が困っていたら、手を引いて横断歩道を一緒に渡ってあげていた。

 そのくせ、早熟で優秀な子供というわけでもなかった。

 どちらかというとそそっかしかったと、リュウは記憶している。

 

「リュウくん、そんな心配しなくても大丈夫だよー」

 

「大丈夫なわけあるか」

 

 人を助けに行こうとして、転び、膝を擦りむいて泣きそうになった友奈をリュウは何度も見た覚えがある。

 それでも最終的には涙を引っ込めて、困っている人を助けに行くのだ、友奈は。

 

 頭がおかしい、とリュウが彼女に対し思ったことはない。

 友奈は怪我をしたくないと思っている。

 面倒臭いことだって本当はしたくないと思っている。

 死んだりするのも絶対に嫌だと思っている。

 だが、その上で、人を助けたいと思っているのだ。

 そのために、人を助けようと走り回っていて、その結果として怪我をする。それだけだ。

 

「リュウくん、何か困ってない? なんでもしてあげるから、なんでも言ってね」

 

「そうだな、幼馴染が危なっかしくて困ってるよ」

 

「ええー?」

 

 だから彼は、ずっとずっと願っている。

 彼女がいつも幸せであることを。

 彼女がいつも笑顔でいることを。

 彼女がいつも報われていくことを、願っている。

 そのためなら、なんだってしてやれる気がした。

 

 優しい少女が頑張った分報われないなんてことが―――彼は、心底許せなかった。

 

 

 

 

 

 夢から目覚め、リュウは頭を掻いた。

 何故だか妙に気恥ずかしく、妙にそわそわとする。

 あいつの夢を見るとかまるでオレがあいつのこと超大好きみたいじゃねェか……と思い、リュウはかぶりを振ってその思考を追い出した。

 

 時間帯は夜。

 仮眠を取った甲斐があったようだ。

 リュウの体力は回復し、最近物騒な大事件があったことで、街の人間はほとんど出歩いていない時間帯だ。

 戦うならこの時間帯が良い、とリュウは考えていた。

 

 ……本当に悪辣な人間なら、昼間を戦いの場に選んでいただだろう。

 勝つことだけを考えるなら、真っ昼間に大暴れして大騒ぎし、四国を大混乱に陥れた方が、大赦を破壊するには都合が良い。

 混乱は一人であるリュウに味方し、秩序の側である大赦の足を引く。

 そうなれば、更に多くの人が不幸になり、最悪死にまで至るだろう。

 

 何でもする覚悟を決めておきながら、無意識の内にその選択を選べなくなっているのが、鷲尾リュウという人間だった。

 

「こほっ」

 

 リュウは唐突にむせこむ。

 まるで、重病人のようなむせ込み方だ。

 むせこんだ彼の胸元から、ダークリングが転がり落ちる。

 ルビーの如き赤い輪、サファイヤのような青き本体、黒塗りの下地で構築された、宝石なのか金属なのかも分からないそのアイテムが、抗議するかのように鈍く輝いた。

 

「いッけね」

 

 ダークリングは、邪悪なる者のためのアイテムである。

 この宇宙で最も邪な者を選び、その手元に現れるとされるが、他人がそれを強奪して使っても一応使うことはできるという、戦乱を煽る神秘の存在。

 所持者に特殊な力を与え、所持者が本来持つ力を増幅する。

 だがそれは、あくまでアイテムの力の方向性に沿ったもの。

 

 光に属するオーブリングは、闇と相性が悪い。

 闇に属するダークリングは、光と相性が悪い。

 使用者の心象がある程度反映されるため、心の在り方一つで光と闇を混ぜることも可能になっていくが……暴走、拒絶、激しい消耗などのデメリットが存在する。

 それこそ、ただの地球人が相性の悪い状態で使えば、死に至りかねないほどに。

 

 リュウはそれを感覚的に理解しており、連日で使うことはずっと避けてきていた。

 最短でも48時間以上は時間を空けて使ってきた。

 それは、怖かったから。

 

 『ダークリングに食われる』。そんな予感が、ずっと彼の胸の奥にあるのだ。

 

 使いすぎればそれが現実になる確信が、彼の中にはあった。

 

「昨日の夜に一回。

 今日の夜に使うのは本当は……

 いや、迷ってる時間はねェ。

 オレ以外にお役目が言い渡されて友奈がやられる可能性は、今日以降毎日あるんだ」

 

 焼け石に水程度の"正体隠し"として、仮面とローブを身に着けるリュウ。

 彼はビルの屋上から夜の街を見渡し、全体の状況をまず確認し、深呼吸。

 夜景を見下ろし、ポケットから『怪獣が刻印されたカード』を取り出した。

 

 これは怪獣や宇宙人の怨念、未練、残滓、能力などをカード化したものである。

 ダークリングはそれらをカード化し、いつでも使うことが出来るのだ。

 リュウはその能力で、今日まで時に怪獣や宇宙人を実体化させ操り、時に自らに混ぜることで変身し、時に単純なエネルギーとして敵にぶつけてきた。

 

 リュウの手持ちのカードは怪獣が三枚。宇宙人が三枚。

 諸事情あって七枚目は使えないので、この六枚でやりくりするしかない。

 

 使いすぎたり負荷をかけすぎたりすれば、カードが破壊される可能性もある。

 余裕がないのは彼の体も、カードも同じ。

 全て尽きる前に勝ち切らなければならない。

 できれば、最初の一回で全てに決着をつけたいところだろう。

 

 ゆえに、リュウは最初から手札の中で最も強いカードを切った。

 

「顕現、『ゼットン』」

 

 リュウが指で弾いたカードが空中を走り、ダークリングの輪をくぐる。

 

《 ゼットン 》

 

 カードが弾けて闇となり、リュウの体と混ざった。

 

 昆虫と鎧の中間のような、黒く染まった皮膚装甲。

 角と触覚の中間のような感覚器。

 あまりにも不気味な、黄色い点滅する発光体。

 カミキリムシにも見えるが、その実態は恐竜である。

 

 宇宙恐竜『ゼットン』。

 幾多の宇宙で最強の一体に数えられる、無敵の怪獣へとリュウはその姿を変えていた。

 その姿で飛び立ち、大赦の本拠がある場所へと一直線に突き進む。

 

 ダークリングとの相性の関係で彼の顕現サイズ上限は2mだが、これで十分だ。

 大赦を潰すためにはこれでもあまりにオーバーキルすぎる。

 西暦2015年の人類なら、これ一体で絶滅に追いやれるだろう。

 

 人類ならば、滅ぼせる。

 

『……ああ、やっぱりか』

 

 けれども、人類の世界を滅ぼした怪物を倒してきたのが、神樹に選ばれた少女たち。

 

 ゼットンの前に立ちはだかるは、今戦える唯一無二の神樹の戦士。

 

 桜色の髪に、情熱を色に変えたような鮮烈な赤をまとった少女。

 

 彼女が、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は夢を見た。

 幼馴染、鷲尾リュウとの夢。

 もう十年ほどは昔の夢だった。

 

「友奈、動かないで。バンソーコー貼るから」

 

 友奈は昔のリュウも今のリュウも嫌いではない。

 昔は素直だったし、今でも素直じゃなくなっただけだと思っている。

 幼い頃からずっと、リュウは友奈に優しかった。

 

「友奈、あんだけ傘忘れるなって言ったのに……ほら傘。オレは走って帰るから」

 

 沸騰してる鍋に友奈が触れそうになれば、リュウは友奈の首根っこを掴んで止めた。

 友奈が道路の側溝に落ちそうになれば、抱きつくようにして全力で止めた。

 痴呆が入ったおばあちゃんが焚き火に触れそうになり、それを助けた友奈が焚き火に突っ込みそうになって、リュウが体を張って助けたこともある。

 その時に負った火傷がまだリュウの脇腹に残っていることも、リュウがその傷を友奈に見せないようにしていることも、友奈は知っている。

 友奈が走って転んで怪我をすると、彼はいつも誰よりも先に駆けつけ、手当てをしてくれた。

 

 友奈の中で、リュウは一番優しい隣人だった。

 優しいから、大好きだった。

 

 だから彼女は、ずっとずっと願っている。

 彼がいつも幸せであることを。

 彼がいつも笑顔でいることを。

 彼がいつも報われていくことを、願っている。

 そのためなら、なんだってしてやれる気がした。

 

 あの優しい少年の笑顔がある世界が消えるだなんて―――彼女は、心底許せなかった。

 

 

 

 

 

 夢から目覚めて、友奈は上機嫌だった。

 いい夢が見れた、と言わんばかりに幸せそうな笑顔を浮かべている。

 次でお役目も終わり。

 勝てばそこで終わり。

 戦いの日々もそこでおしまい。

 気持ちのいい朝を迎えて、今日の夜の戦いに備える。

 

「お、アカナー。今日も精が出とるな」

 

「あ、シズ先輩。おっはよーございます」

 

「今夜に疲れ残したらいかんで?」

 

「はーい」

 

 赤嶺友奈に話しかけたのは、桐生(きりゅう)(しずか)

 友奈の二人の仲間の一人で、この世代の巫女である。

 神の声を聞き、人に届け、祝詞で鏑矢達の神の力を制御するバックアッパー。

 やや怪しい関西弁に明るい人柄、面倒見の良さなどで、友奈のもう一人の仲間『弥勒(みろく)蓮華(れんげ)』と同様、友奈から強い信頼を受けていた。

 

 友奈は中庭で格闘の動きをしつつ、静と会話を始める。

 

「レンちどうでした? 怪我大丈夫でしたか?」

 

「大丈夫やったで。折られたの足やし、狙ったみたいに綺麗に折れとったからな」

 

「……あの黒い奴、絶対に許さない」

 

「落ち着けやアカナ。どうせ嫌でも今夜には戦うかもしれんのや、クールクール」

 

「……です、ね」

 

「何があったんやろな。ロックも何があって折られたんかあんま話さんし。

 ほんま綺麗にやられとったから、ロックの足にも後遺症は一切残らんそうや」

 

「だからって、私はレンちを怪我させたやつを許せるわけが……」

 

「ま、ま、許せとかそういう話やないて。

 なんやろなぁ……なんやろこの違和感。まーええか」

 

 静は頭の片隅に引っかかった、言語化できない何かをどこかに追いやる。

 友奈と静からは、肩の力が抜けていた。

 それは敵が人間ではない怪物であると、大赦から知らされていたから。

 

「相手が人外なら、人間相手よか気が楽でええわ」

 

「ですね」

 

 鏑矢は殺人の神事を成すもの。

 ただの中学生の女の子たちにとっては、やりたくもないことだ。

 やらなければやらないからやってきただけ。

 そういう意味では、人外が相手の戦いは非常に気が楽なことだろう。

 なにせ、怪物を倒して人々を守ればいいだけなのだから。

 本当にそれが人間でない怪物であるのなら、だが。

 

「なんなんでしょうね、あれ。シズ先輩は分かります?」

 

「さー、わからん。

 うちらの敵の怪物もおるし。

 うちらの敵を殺してた怪物もおった。

 ただ数ヶ月前までは味方もおったしな。

 人間の敵だけじゃないんやろ、怪物も」

 

「メフィラスさんとかですね」

 

「さっぱり状況が見えん。

 対人間のための鏑矢を、人間でもなんでもない怪物倒すのに使っとるのもな」

 

 うーん、と少女二人して首を傾げる。

 

 盤上の駒には何も知らされない。

 肝心なことは何も教えられない。

 全てを知るのは、いつだって手遅れになってから。

 

「アカナは戦い終わらせて愛しの彼にはよ会いたいんやろ?」

 

 けけけ、と笑いつつ静が言う。

 友奈が顔を真っ赤にして何かしらの反応をすることを期待していたようだが、友奈はあまり動じず、頬を掻いて苦笑した。

 

「よく言われますけど、私達そういうのじゃないんですよ」

 

「ほんとかー? ほんとにほんとかー?」

 

「や、リュウの方が私のことそういう風に見てないんですよ。

 ゴリラ女はあんま好きじゃないみたいなこと言ってたので」

 

「はーん、そうなん?

 ま、ウチは二人の関係も知らんしな。

 アカナが聞いたことが本当かも嘘かもしれんし、話半分に聞いとくわ」

 

「やけに食い下がりますね……」

 

「どうもアカナの言っとる事ぉ聞いとるとなあ」

 

 静がからかいながら指先でつんつん友奈の頬をつつき、友奈が明るく笑う。

 彼女らはもう戦いの終わりを見ていた。

 次で終わり、ならもう日常に帰れる、だから日常に帰ってからのことを考えてみたりする……そういう思考だ。

 

「頑張れアカナ。もうちょっとやで」

 

「はい」

 

 朝日に照らされる中庭で、送られる激励。

 静は友奈が日常に帰ることを願い、友奈はその気遣いを嬉しく思った。

 静は悪戯っぽく笑い、友奈は華のように笑う。

 

「赤嶺友奈、頑張ります」

 

 そうして、その日の夜。

 赤嶺友奈は一人、飛来する黒き化物を待ち伏せ、大赦本拠に繋がる道の途中で対峙した。

 

 かつて、西暦末期の終末戦争は、香川水際での防衛戦だった。

 それを鑑みて、この時代の大赦は密かに香川の反対側……すなわち高知に大赦の中枢を移し、香川の陥落に備えていた。

 なればこそ。

 彼らの戦いは高知で行われる、高知防衛戦の色を帯びる。

 

 自分より一回り大きなゼットンを見て、友奈は衣装をはためかせる。

 燃えるような炎の赤色。

 赤嶺の名に相応しい、火色(ひいろ)のヒーロー。

 夜闇の中でも鮮烈に目に焼き付く、赤き勇者。

 人を守る少女の凛とした美しさにゼットンが見惚れていることに、少女もゼットンも気付いていなかった。

 

「火色舞うよ」

 

 宇宙恐竜ゼットン。

 黒き体に白き角、夜闇の中で黄に輝く発光体。

 その不気味な姿を見ると、友奈は心にふつふつと『絶対に許さない』という感情が湧いてくる。

 

 友奈の親友、弥勒蓮華の足を折った怪物は―――間違いなく、この怪物だった。

 

 

 

 

 

 覚悟はしていた。

 だからリュウに戸惑いはなかった。

 ただただ、納得と憤怒があった。

 大赦は大なり小なり、リュウと友奈の関係を知っていたから、この手を選んだのだ。

 

 鷲尾リュウは絶対に赤嶺友奈を傷付けられないと、大赦は確信していた。

 

「火色舞うよ」

 

 友奈が踏み込む。

 友奈の踏み込みで僅かに路面から跳ね上がった小石が路面に落ちて来るまでのその一瞬で、友奈はゼットンとの距離をゼロにしていた。

 ゼットンの眼がなければ、リュウでは目で追うことすらできない速度。

 友奈の右腕にアームパーツが形成され、最高の武器にして防具であるそれが振り翳される。

 

『悪いが、お前の相手をしてやる気はねェんだよ』

 

 だがその一撃は、空振った。

 友奈の右拳は虚空を通過し、数m離れた位置にゼットンが現れる。

 "瞬間移動"。

 ゼットンが種族として持つ固有能力。

 無限に遠くまでは飛べないものの、瞬間的にある程度の範囲であれば瞬時に移動できる能力。

 

 ゼットンは無限ではなく一瞬にて最強を成す。

 

「くっ……またこんな」

 

 友奈の周囲でゼットンが何度も瞬間移動し、友奈はそれを目で追いきれない。

 

『なんとかなりそうだな』

 

 怪獣・宇宙人に体を変えている間、リュウの言葉は人のそれとして出力されない。

 ゼットンの姿であれば、ピポポポ、という非生物感が強すぎる鳴き声として出力される。

 その鳴き声が、友奈には煽りの声に聞こえた。

 

『あばよ。……ごめんな』

 

 リュウは友奈の視界を切って、瞬間移動をそこから連打して、一気に大赦の本丸を潰しに―――移動しようとした、その瞬間。

 足を、取られた。

 

「お、ビンゴ」

 

 それがトラバサミだと気付いた時にはゼットンの首と右腕に、人間では扱えないような、大規模建築用に使われるものよりも更に太いワイヤーが絡みついていた。

 

『―――!?』

 

 勇者の戦装束の下に隠していたワイヤーを投げた友奈が、にっと笑っていた。

 

「その瞬間移動、前にお前が人を殺してる時に見たよ」

 

 戦闘者としての才覚は、友奈がリュウを大きく上回っている。

 

 友奈がここで待ち伏せしていたのは偶然ではない。

 近くの植木、街路樹の根本、路地裏に入る道……それらの各所に、罠が仕掛けてあった。

 トラバサミもその一つである。

 無論、一度使えば二回目以降は警戒されるし、リュウも待ち伏せされている地点を避けて遠回りすることだろう。

 だが、最初の一回であれば。

 こういう小賢しい罠を予想していない段階ならば、一度は綺麗に罠が刺さる。

 

 友奈は瞬間移動を目で追えていないフリをして、自分の視界に意識的に隙間を作り、ゼットンがそこに瞬間移動するよう誘導し、トラバサミを"当てた"のだ。

 そしてワイヤーで、己とゼットンを繋げた。

 

「違ったらそれでいいけど、私に捕まってる状態だと瞬間移動使えないんじゃない?」

 

『っ』

 

 当たりだ。

 リュウが所持するカードのゼットンは、敵に捕まっている時に瞬間移動ができない。

 トラバサミを挟まれていない足で踏み壊すゼットンだが、ワイヤーの方を腕力で切ろうとしても中々切れなかった。

 

(神の力の入った加工品……!)

 

 神話に度々登場する、神の力の入った金属達。神の玉鋼。

 おそらくは友奈がゼットン対策に要望を出し、大赦が製造したものだろう。

 

「そらっ!」

 

『!?』

 

 ぐんっ、と友奈がワイヤーを引く。

 ゼットンの右腕が引かれ、体のバランスが崩れる。

 ワイヤーを引いた勢いも合わせて跳んだ友奈の飛び蹴りが、ゼットンの顔を打ち据えた。

 

『ぐっ』

 

 ゼットンが腕を振るが、友奈はゼットンの体を蹴って跳躍し距離を取る。

 ワイヤーがピンと張り、リュウは自分もワイヤーを利用してやろうとワイヤーを引くが、友奈が空中で同時にワイヤーを引き、二人分の腕力ですっ飛んできた友奈の拳がゼットンの胸を的確に殴り抜いた。

 

『っ!』

 

 友奈はそのまま足払いを仕掛けるが、ゼットンは跳躍して回避。

 しかし友奈は踊るように姿勢を変え、そのまま逆立ちの姿勢で空中のゼットンを蹴り込んだ。

 空中のゼットンが痛みでぐらり、と姿勢を崩した瞬間、友奈は逆立ちの状態から腕力のみで跳躍し、空中のゼットンを踵落としで蹴り落とす。

 地面に叩きつけられたゼットンが苦悶の声を上げ、"二個目のトラバサミ"が、ゼットンの腕をガチンと挟んだ。

 

『くっ、このっ』

 

 友奈の容赦なき追撃が迫る。

 リュウは必死にトラバサミを外し、地面を転がるように友奈の振り下ろしたギロチンのような首狙いの踏み潰しを回避した。

 回避したゼットンの首のワイヤーを友奈が引き、引き寄せたところに蹴り。

 ゼットンは上手くガードするが、足を引っ掛けられて転びかけ、姿勢が崩れたところに友奈のアッパーを叩き込まれて体が浮き、追撃の拳で吹っ飛んだ。

 

(オレがこのワイヤーで捕まってる限り勝機はねェ!

 こいつ友奈……ヤバい! こんなに強かったか!? なんだァこの装備は!?)

 

 リュウは距離を取り、一旦思考する。

 

 本来、神樹の力は複数人で運用するものである。

 

 適正なら五人、選別して三人、力を最大限まで希釈して多くに与えて32人。

 この時代の本来の戦いは――今は止まっているが――結界外の化物・バーテックスが神樹を折りに来るがために、少女達がその化物から神樹を守るタワーディフェンスである。

 多く弱い駒で守ると強い敵に押し切られる。

 少なく強い駒で守ると多数の敵に防衛の隙間を抜けられてしまう。

 よって、適正人数は五人前後。

 敵の侵攻を橋の上など狭い箇所に限定できても、三人前後である。

 

 西暦末期に戦った初期型勇者システム使用者・西暦勇者は、神樹が与える力をシステマチックに五人で分割運用していた。

 それでもなお、初期装備の攻撃力は核兵器に比肩し、攻撃範囲は都市単位に及び、あまり運動をしない元病弱少女でも車が追いつけないほどの速度で走り回っていたという。

 既存兵器など相手にもならない、馬鹿げた強さ。

 にもかかわらずバーテックスには敗北したからこそ、今の世界があると言える。

 

 今の赤嶺友奈は、未知の装備を身に着けているものの、一人きりで戦っている。

 

 ゆえにかその体には、その頃の西暦勇者五人分の力が集約されていた。

 

 基礎出力は、もはや怪獣以上に化物である。

 

(鏑矢がこのレベルまで……

 これじゃまるで、伝承の勇者サマじゃねェか……!?)

 

 "友奈を怪我させないように戦っている"半端者に、勝てる相手ではない。

 

 リュウはワイヤーを逆利用してやろうとワイヤーを引っ張るが、動きの前兆を見切られていたがために、ワイヤーを緩められ無効化されてしまう。

 

(オレの方からワイヤーを切れば)

 

 リュウはゼットンの超高温火球でワイヤーを切断しようとする。

 だがそれと同時に、友奈がゼットンの右腕を思い切り引く。

 体の向きが90°動き、発射しようとしていた火球が明後日の方向に飛んでいった。

 ワイヤーは切断されないまま、またワイヤーを引いた勢いで距離を詰めた友奈の拳がゼットンの脇腹に刺さる。

 攻撃を食らう度に、体の奥に浸透するような痛みがあった。

 痛みが重なると、何かが壊れていく気がした。

 

(……あー、クソ。

 お前が鏑矢になる前なら……

 オレがこんな外道になる前なら……

 オレの方が喧嘩強くて、お前のこと、守って……弱気になってんじゃねェぞオレ!!)

 

 そして追撃。

 ゼットンの胴に、友奈の右拳が、アームパーツと共に強烈に叩き込まれた。

 これまでの、当てることを念頭に置いた速く巧みな攻撃ではない。

 しっかり構えて、しっかり体重を乗せた、渾身の一撃だった。

 拳がゼットンの胴体にめり込む。

 命にまで拳を届かせる。

 ゼットンに口があったら、内臓が口から飛び出していたかもしれない……そう思わせるほどに強烈に、痛烈に、その胴に拳が食い込んでいた。

 

『ぐあっ……!?』

 

 一瞬、リュウの意識が飛びかける。

 リュウの脳内に、次々思考が浮かんでは消える。

 また何もできないのか?

 また何もなせないのか?

 結局何も変えられないのか?

 世界のために都合の悪い人間を消していく繰り返しを止められないのか?

 自分には何の長所もないのか?

 大事な人のためにしてやれることが何もないのか?

 思考が、浮かんでは消える。

 

「終わりだね」

 

 友奈が、握った拳を引き絞った。

 

 対人込みの戦闘経験が豊富な者は、油断しない。

 

 一撃入れた、やったー入った、というところで止まらない。

 

 戦闘巧者はクリーンヒットではなく、勝利をもってようやく止まる。

 

 赤嶺友奈の二撃目がゼットンの顔面へと叩き込まれ、その頭部が破砕され、ゼットンの全身が光が解けるようにして消滅した。

 

 

 




 合体ウルトラマンの勇者版形態がデフォルト形態になってるやつ


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3

 友奈の拳が迫ってきた、その時。

 リュウの頭の中に浮かんだのは、死の確信だった。

 死ぬ。

 絶対に。

 喰らえば。

 終わる。

 怪獣体の内側に展開される内的宇宙(インナースペース)の中で、遮二無二カードをダークリングにリード、その力を行使していた。

 

《 バルタン星人 》

 

 宇宙恐竜ゼットンの肉体から、宇宙忍者バルタン星人の肉体へと切り替える。

 ゼットンの残影を残し、変わり身の術にて回避を成功させていた。

 そして残影のゼットンが消え、友奈は視線を横に動かす。

 そこには、内臓に深くダメージを受けたバルタン星人が、腹を抑えてうずくまっていた。

 

 宇宙忍者『バルタン星人』。

 ゼットン並みに個体差が大きく、それぞれが持つ技術や能力、武装などのブレ幅が大きいが、分身などの多様な能力を多く持つ多芸な宇宙人だ。

 が。それも、普通に戦えたらの話である。

 重度のダメージを負った今のリュウでは、まともに立つこともできなかった。

 

「別人……いや、別宇宙人?

 だと思ってたけど。

 実際はもしかして全部一人でやってたのかな?

 今姿切り替えたよね? ……まあ、どっちでもいいんだけど」

 

 目の前で姿を切り替えたバルタン星人を見て、友奈は多くを察する。

 ここ三ヶ月友奈が戦ってきた敵。

 その前の一年に、友奈が見てきた複数体の怪物。

 その内の複数体がこの存在の変身した姿であるのなら、と……友奈は察し始める。

 

「悪い人達だったとしても、お前は人を殺したし……レンちを大怪我させた」

 

 殺意に似た明確な敵意に、意識が朦朧としているリュウは悲しむでもなく怯えるでもなく、暖かな気持ちを覚えていた。

 

 四国全土を巻き込んで心中しようとした悪人どもだったはずだ。

 なのに、友奈はそれを殺したリュウを許していない。

 人の命を軽んじていない。

 親友の弥勒蓮華を怪我させたことに怒っている。

 それは、友奈が昔も今も変わらず優しい女の子である証。

 ちゃんと友情を重んじている。

 

「本当は、私が言えることじゃないけど」

 

 リュウが悲しかったのは、友奈がその台詞を上から目線で言ってくれなかったことだ。

 対等の目線で友奈が"許さない"と言っていることだ。

 友奈は自分も人殺しだと思っているから。

 親友の弥勒蓮華を守れなかった自分も同じだと思っているから。

 自分を責めるように、目の前の化物を責めている。

 

 掛け値なしにいいヤツだな、と、リュウは心中で笑う。

 リュウの心は、笑いながら泣いていた。

 友奈には自分のことを棚に上げて欲しいと思っているのは……彼の我儘だ。

 この優しい幼馴染には、身勝手でも自分を許していてほしかった。

 殺人への加担を忘れていてほしかった。

 

「私は、絶対に許せない」

 

 目の前の怪物を許せず、自分を許せない少女。

 自分は許されなくていいから、少女が自分を許せるようになってほしい少年。

 そこに、心暖まる交流はない。

 友奈の拳が、バルタン星人の頬を打ち抜き、バルタン星人が無様に地面を転がった。

 

『ぐ、がっ』

 

「皆が笑ってるこの世界を……私が壊させたりしない! 絶対に!」

 

 少女の怒りの表情が、意識朦朧としたリュウの心を傷ませる。

 「お前は笑ってる方が可愛いぞ」と無意識に言おうとして、言おうとした言葉を噛み殺す。

 リュウは分かっているからだ。

 彼女にこんな表情をさせているのが誰なのか。

 この状況を招いたのが誰なのか。

 だから、言い訳できない。

 

 自分が悪人だという自意識が、リュウの中にはある。

 

(クソ)

 

 大赦を壊した後の崩壊した社会をどうするか、なんてリュウは考えてもいない。

 あるがまま、なすがまま、罪なき人々は不幸になっていくだろう。

 究極の無責任。

 最悪の無責任。

 世界に対して責任を取る気がまるでなく、責任を取る方法など何も思い付けやしない。

 頭の悪いリュウに解決策などなく、あるのは途方も無い罪悪感だけだ。

 

(クソッ)

 

 リュウの内に、嫌悪があった。

 人を殺す最悪な自分への嫌悪。

 何もできない無能な自分への嫌悪。

 良い案を何も思いつけない無様な自分への嫌悪。

 積み重なる嫌悪が自分の中に積み重なり、積み重なり、積み重なり。

 その想いが、ダークリングと共鳴していき。

 

(クソがッ―――なんで、ダメなんだ、なんで、こいつが幸せなら、それだけでいいのに)

 

 

 

 

 

 「お前も赤嶺友奈も、もうこの世界には要らない」と……耳元で何かが囁いて。

 

 「要らない者。お前達の順番が来ただけだ」と……耳元で何かが囁いて。

 

 理不尽な世界に、巡り合わせに、環境に、大赦の対応に、運命に。

 

 『世界が憎い』と、彼はその瞬間、初めて思った。

 

 

 

 

 

 憎しみが体を突き動かす。

 内的宇宙(インナースペース)にて、リュウの腕が勝手に動く。

 ダークリングの使い方など全く知らないリュウの体を、憎しみを媒介にダークリングが動かし、"正解の動き"を体になぞらせる。

 

 ゼットンのカードを、ダークリングにリードする。

 

《 ゼットン 》

 

 バルタン星人のカードを、ダークリングにリードする。

 

《 バルタン星人 》

 

 "道具に操られるように"、リュウは叫んでいた。

 

「来い! 『戦う力』!」

 

 ゼットンとバルタンのカードがほどける。

 二つの闇が混ざって、リュウの体に溶け込む。

 闇と人体が一つになって、新たな力へ昇華する。

 

「超合体―――『ゼットンバルタン』」

 

 "憎悪の奴隷となった者は何も守れない"という、西暦初代勇者が残した訓戒から何も学ばず、それに真っ向から逆らうように。

 

 鷲尾リュウは、闇に飲まれた。

 

 

 

 

 

 その日、その時、その瞬間。

 友奈と、戦場を見張っていた大赦の人間は、揃って上を見上げた。

 50mほどにまで巨大化した、『ゼットンバルタン』の巨体が、そこにはあった。

 

 ゼットンとバルタンを混ぜ合わせたかのような異形。

 セミとザリガニの中間のような宇宙人がバルタン星人で、カミキリムシと恐竜の中間がゼットンならば、それを混ぜ合わせたこれをなんと表現したものか。

 甲殻類と昆虫を高度に混ぜた無機質な人型と表現すべきそれは、恐るべき威容と闇黒をもって街に君臨する。

 

「でっ……でっかっ!?」

 

 友奈が驚愕の声を上げる。

 ゼットン、バルタン、二つ合わせてゼットンバルタン。

 先程までの大きさのゆうに二十倍はあろうかというその巨体。

 ただ歩くだけで街が壊れる。

 一歩踏み出しただけで建物が潰れる。

 人間など豆粒に等しい。

 巨大化した自分の体と、爆発的に増した力に、リュウは酩酊に似た様子を見せる。

 内的宇宙(インナースペース)にて、リュウは力に酔い、飲み込まれていた。

 

『―――いける』

 

 これで何とかなる、と至極当然にリュウが思った、その瞬間。

 

 その瞬間こそが勝機であることを、戦闘巧者は見抜いていた。

 

『……?』

 

 僅かに、ほんの僅かに皮膚に感じた感触に、リュウは違和感を覚える。

 その違和感に反応した時には既に手遅れだった。

 超高速で駆ける小さな影。

 その影はゼットンバルタンの体の表面にある僅かな窪みに足をかけ、ほぼ垂直と言っていい体表を駆け上がり、ゼットンバルタンの顔の前まで飛び上がる。

 

 リュウが眼前に迫る友奈に気付いた時にはもう、拳の鉄槌は振り下ろされていた。

 

「ごめんね。付け焼き刃で勝てるほど、私弱くないんだ」

 

 ガギィン、という酷く鈍く重い音が響く。

 たとえるならば、鉄パイプを全力でフルスイングして、その先端をピンポイントで人間の額に叩きつけるような一撃。

 

 全身全霊全力を一点に収束した一撃が、ゼットンバルタンの額を打ち据える。

 衝撃は額から頭部内部へと伝わり、後頭部から突き抜けていった。

 

『がッ―――!?』

 

 ゼットンバルタンの巨体が崩壊していく。

 慢心、油断、陶酔、自分を見失っていた、等々。

 その瞬間のリュウが致命的な隙を見せた理由には様々名前が付けられるだろう。

 だが、何でもいい。

 恐るべきは友奈の判断力と決断力だ。

 

 突然予想だにしない超合体の力の出現に、リュウは今が戦いの最中であることすら忘れ、友奈は勝機となる隙を見出した。

 新たな力に目覚めた敵が新たな力を使う前に、力を得た一瞬で仕留めきる容赦の無さ。

 容赦の無さを勝利に繋げられる洞察力。

 迷いなくそこに命運を賭けられる『勇気』。

 全てにおいて、友奈は100点満点中120点であったと言えよう。

 その身に宿る力以上に、その精神性が勇士としてあまりにも理想的だった。

 

 かくして、友奈は今日も世界を守ったわけであったが。

 消えた巨体の後に何も残っていないことに、友奈は目敏く気が付いた。

 "逃げられた"と直感的に理解して、桜色の髪を掻く。

 

「むっ、逃した」

 

 周囲に敵の気配はない。

 友奈の手にはいい一発を入れた手応えこそあったが、相手が負ける直前に逃げの姿勢に入っていたなら、どのくらいダメージが入っているかも分からない。

 友奈は少し陰りのある表情で、ゼットンバルタンを殴った拳をさする。

 人間だろうと。

 怪物だろうと。

 他の命を痛めつけた感触を、いつも友奈は好きになれない。

 彼女はきっと、心底憎い相手を殴った時も、心のどこかで謝っている。

 

 "痛みを与えてごめんなさい"、と。

 そんな感情を隠すために、人前ではいつも努めて笑顔で居た。

 

「できれば最初の一回で、勝ち切りたかったのに」

 

 次、また同じ『巨獣』がくれば、友奈はまた同じように勝てる自信はない。

 

 世界を守り、勝利を得たが、戦いは終わらない。

 

「……ごめんリュウ、もうちょっと待ってて。ちゃんと絶対迎えに行くから」

 

 死をもってしか、この戦いは終わらない。

 

 

 

 

 

 12月の凍りつきそうな夜の外気の中、リュウは必死に逃げ、転び、建築物の排水によってできた路面の水溜まりに突っ込んだ。

 泥の水飛沫が舞い上がる。

 リュウの全身が泥まみれになったが、リュウはすぐに立ち上がることすらできない。

 その口から、壊れた笛から漏れるような音がこぼれ落ちていく。

 

「ひゅーっ、ひゅーっ、ヒューッ」

 

 24時間しか間を空けていない変身。

 戦闘中の過大なダメージ。

 初めて使った『超合体』と『巨大化』。

 トドメの一撃のダメージ。

 全てが、彼の命を脅かしていた。

 腹には青々とした青あざと内出血。内臓にもおそらくはダメージがある。額上部にも痛々しい内出血の痕があり、医者が見ればすぐさま脳内の精密検査を強要したことだろう。

 

 だが、そんなことをしていられる余裕も、権利も、もう彼にはない。

 

「居たぞ! こっちだ!」

 

 男達の声がする。

 "大赦の男達の声"が。

 彼らは皆手に銃を持っていた。

 変身が解除され、弱りきったリュウを殺すために。

 

 銃で撃てば、人は死ぬ。

 

 彼らに見つかればリュウは死ぬ。

 世界のために殺される。

 ある者は個人的な事情で。

 ある者は少女にこれ以上人殺しをさせないために。

 ある者は愛する家族が幸せに生きるこの世界を守るために。

 世界を壊す悪魔・鷲尾リュウを、本気で殺そうとしていた。

 

「確実に殺せ! 殺せたら殺したことは発覚させないよう、慎重にな」

 

 彼らが世界を守る正義で。

 

 リュウは世界を壊そうとする悪。

 

 そんなことは、リュウにだって分かっていた。

 

(……死んでたまるか。死んで、たまるか……!)

 

 けれど。

 自分のためではなく、自分の大切な人を死なせないために、死ねない理由があった。

 あの時、リュウが殺した男の言葉が脳裏に蘇る。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「せいぜい良い気になっているがいい。

 お前も私達と同じだ。

 世界を壊す気が無いなら……

 世界の仕組みは変わらない。

 ただ"先と後がある"だけだ。我々が先で、お前達が後」

 

「『社会に要らないものを消す』。

 そのやり方を当然のものとして続けるなら……

 お前達もいずれ、我々と同じ場所に立つことになるだろう」

 

「因果応報だ。必ず、必ずそうなる。絶対にな」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 脳裏に蘇る言葉を振り払うようにかぶりを振って、リュウは体を引きずるように進む。

 そして、橋の上から、川に落ちた。

 もう歩く力も動く力も無いから、流されるまま川に体を任せる。

 12月の冷え切った川の水が、容赦なく彼の体温と流れる血を奪っていった。

 

「おい、今川に何か落ちなかったか?」

「……念の為手配しておこう。川に逃げられても、逃がすなよ」

「囮の可能性も考えろ! 川に何か投げ落として気を引こうとしてるのかもしれない!」

 

 大赦の者達の内何人かがその音に気付くが、彼らは冷静に対処する。

 

「殺せなくても気にするな。

 元々あの化物と鏑矢はいざという時は潰し合わせる予定だ。

 そのために相互に抑止力になる構造を作っておいたんだからな」

 

 一年と数ヶ月以上前のこと。

 鏑矢が一人だとダメだ、二人にしろと誰かが言った。

 赤嶺友奈と弥勒蓮華が選ばれた。

 鷲尾リュウは鏑矢から独立させておけと、秘密にさせろと、誰かが言った。

 だから彼の現状を友奈は知らない。

 

 一人に大きすぎる力を持たせると、暴走した時誰も止められない。

 だから優れたシステムは、力を絶対に一点に集中させない。組織でも、政治でもだ。

 できる限り複数の力が睨み合う形にして、相互に健全性を保たせる。

 どれか一つが暴走した時、他の何かがそれを止められるようにしておく。

 集団・複数という形にしておくと、一人の頭のおかしい人間が全てを決めることはなく、集団の総意……"無難な民意"を反映した決断が最後に残りやすくなるからだ。

 

 大赦は、処刑人を用意するやり方を理想形としていた。

 

 勇者を止める勇者を用意する、みたいな形はこの時代にはそぐわない。

 

 鏑矢を殺す怪物、怪物を殺す鏑矢。この構図こそが、彼らの望んだ形だった。

 

 臆病な人間は、超常の力を持つ人間達には、できれば同士討ちして共倒れしてほしかった。

 

 

 

 

 

 リュウは息も絶え絶えに、川岸から這い上がる。

 厚手のコートを着ていてもなお寒いような気温の中、凍りつきそうなびしょ濡れの服が張り付いて、リュウの体温が加速度的に奪われていく。

 歯の根が合わないほどにガチガチと歯は打ち合わされ、体は猛烈に震え、顔は生気が見えないほどに真っ青になっている。

 いや、顔に生気がないのは、先の戦闘のダメージのせいだろう。

 

「寒っ……

 早く……体温めねえと……

 風邪なんて引いてられるか……んな余裕ねえんだよ……」

 

 朦朧とする意識を繋ぎ留めるため、覚束ない足取りで歩きながら「なんでもいい、なんでもいい、何か考えろ」とリュウは必死に思考を続ける。

 考えることをやめたら、その瞬間に気絶してしまいそうだった。

 思考に浮かぶのは、先の戦いの最後で出た未知の力。

 『超合体』。

 『巨大化』。

 二つのカードを同時に使う力と、体を二十倍近く巨大にさせる力。

 

「あの力を、どうにかして、意識的に引き出せれば」

 

 だが、どう引き出せばいいのかが分からない。

 どう力を使ったのかさえ覚えていない。

 リュウはあの時、自分が何を考えて何をしたのかさえ朧気だった。

 もう一度あの力を使えるかどうかさえ、あやふやだ。

 リュウが懐に入れたままのダークリングが、鈍く闇の輝きを増していた。

 

 戦いの最中のことを、思い出そうとして。

 リュウの脳裏に蘇るのは、友奈の最後の一撃の記憶。

 生きるか死ぬかの境界線を越えかけたその一瞬の記憶が、リュウの体を震わせる。

 少年は、死を恐れていた。

 

「ふーっ、ふーっ」

 

 されど、その恐れを噛み潰す。

 

「怖くなんかねェ……怖くなんかねェ……

 本当に怖いことは、大切な人が死ぬことだ! 分かってんだろオレは!」

 

 もっと怖いことがあるのなら。

 

 死など恐れてはいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈はちょっと、いやだいぶしょんぼりとしながら帰路についていた。

 赤嶺友奈はややダウナーだが、人前では基本的に笑顔でいる少女だ。

 けれども、人が見ていないところでは人並みに落ち込むし、悩んでいる。

 この帰り道で彼女は何度ため息をついただろうか。

 はぁ、と一つ溜め息を吐く度、彼女が胸に秘めた想いがじんわりと漏れ出して、彼女がどれだけ"今日終わらせたかったか"が分かる。

 

 友奈は一人、夜道を歩く。

 吐く息は白い。

 遠くの見えない暗闇の夜道が、まるで今の彼女の置かれた立場を示しているかのよう。

 先の見えない夜道も、先の見えない戦いも、どちらも友奈を不安にさせていた。

 心細さで、友奈は一人ぼっちなのに、思わず弱音を吐きそうになる。

 

「……だめだめ。しっかりしないと。私が頑張らないと、世界が終わっちゃいかねないんだ」

 

 頑張ろう、笑おう、としていた友奈が寮に戻ると、部屋の前に荷物が置かれていた。

 時間指定の宅配便。

 この日の夜、指定した時間に届くように注文された荷物であった。

 友奈は宛先の名前が自分だったことに首を傾げ、今日が何月何日かを思い出す。

 

「あ。そっか、今日クリスマスか」

 

 今日は12/25。

 クリスマスの夜だ。

 昨日今日と朝晩一貫して忙しすぎて、友奈もすっかり忘れていた。

 よく見ると、寮の友奈の部屋の電気が点いている。

 部屋を出た時、ちゃんと消したことを確認したはずなのに。

 "友達がパーティーの準備をして待っていてくれている"と気付いて、落ち込み気味だった友奈の心の奥が明るく、暖かくなっていった。

 

 友奈が送られてきていた荷物の送り主の名前を確認すると、友奈は驚いて、表情が綻んで、だらしなく見えるくらいに、とても嬉しそうに笑った。

 

「―――リュウからだ」

 

 それは、リュウが大赦へ反旗を翻す前に、この時に届くよう事前に贈っていたプレゼント。

 友奈は笑う。

 とても嬉しそうに。

 バカに対して苦笑するように。

 

「なんか大変な事に巻き込まれてるから、顔も見せられないくせに」

 

 クリスマスも。

 誕生日も。

 進級時も。

 何かの記念の日には、リュウは必ず友奈に何かを贈ってくれた。

 友奈は星と重ねるように、夜空に贈り物の箱を掲げる。

 

「でもいつもこういうことするから、まだどっかで生きてるって、ちゃんと分かる」

 

 箱を開けてみると、そこには赤い細長のリボンが入っていた。

 一見すると赤一色の何の変哲もないリボンだが、電灯にかざすと桜の模様が浮かび上がる。

 光が透過して桜が浮かぶ仕組みになっているそれは、桜色の友奈の髪を"色ではない"形の桜で彩っていて、友奈はひと目で気に入った。

 

 これを選ぶのに彼がどのくらい時間をかけたのか。

 彼がどのくらい悩んだのか。

 彼がどのくらい真剣だったのか。

 店の前で不器用なりにうんうん唸って悩んで選んでいるリュウを想像して、友奈は思わずもっと笑ってしまう。

 

「ふふっ」

 

 友奈は思わずステップを踏んでしまう。

 子供の頃から、彼女は踊りが好きだった。

 遊びで踊り、練習で踊り、心が高ぶれば踊って、時間があれば踊って、初めての土地でワクワクして一人で踊り出すこともあった。

 神様に奉納する舞いを踊る、女性の神職者のように。

 

 たん。

 たん。

 たん。

 寮の廊下を踏む友奈の軽やかな踊りが、素朴ながらも綺麗な音楽を紡ぎ出す。

 音と踊りが合わさって、友奈の感情を言葉も無しに表現していく。

 

 嬉しさと、感謝と、愛おしさが見て聞くだけで伝わってくるような、そんな踊り。

 

「ばーかっ」

 

 友奈はここではないどこかへ向けて一言呟き、踊りをやめた。

 深呼吸して、高ぶった気持ちを落ち着けて、リボンを大事そうにポケットにしまう。

 抑えきれない嬉しさが顔に出てしまいそうだったので、もう一度深呼吸。

 

 そうして、友達と幸福な時間が待つ、暖かな自分の部屋に入って行った。

 

 

 




・『ゼットンバルタン星人』

 ウルトラマンのライブステージなどに登場。
 初代ウルトラマンの宿敵の代名詞、ゼットンとバルタン星人の合体怪獣。
 ゼッパンドンを除けば、唯一公式の系譜に存在する超合体形態。
 両者の能力を全て行使することができるため、力のゼットンと技のバルタンをかけ合わせた非常に強力な超合体。
 EXPO2017では闇の男・ジャグラスジャグラーがオーブの代わりに世界を守るために変身し、そのままのジャグラーでは手も足も出なかった怪獣軍団を即座に一掃してみせた。

 一兆度は極めて強力だが、友奈の命を奪いかねないため封印。
 赤色凍結光線や白色破壊光弾などの攻撃手段も危険なため封印。
 初代ウルトラマンを殺害した反射光線・ゼットンブレイカーなども封印。
 分厚い鉄板をバターのように切り裂くハサミの挟み込みなども封印。
 それでもなお、瞬間移動、非常に硬いバリア、分身能力、高い近接能力を持ち、スペシウムを弱点とするバルタン星人の特性を光線吸収能力持ちのゼットンでカバーしている。
 基礎能力が高めのため、完全に使いこなすには一定以上の経験・センス・技量が必要。

 『戦う力』が単純に強いため、戦うならば戦闘力で上回る必要がある。


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第二夜

 ダークリングは、カードを用いて怪獣を実体化させ、己の肉体を変質させる。

 創造と改造の違いはあれど、"カードに沿った肉体を作る"という点では同じ。

 変身前の肉体の損傷を、変身者はある程度無視できる。

 でなければリュウは、二日目にして戦うことも難しくなっていただろう。

 

「いつつ……額の腫れは引いたか。

 傷跡は残ってるから前髪で隠しといて……

 腹は……全部終わってから、病院行けたら行くか……」

 

 12/26、朝。香川某所。

 リュウは秘密の隠れ家にて、体の各所に出来た傷の手当てをしていた。

 

 リュウは大赦にも知られていない隠れ家をいくつか所持している。

 それは「秘密は誰かに話した時点でいつか必ず漏れる」というリュウの考え方に基づいたものであり、ゆえに彼は誰にも所在を明かしていない拠点をいくつか隠し持っていた。

 着替え、医療道具、食料などはある程度各拠点に事前に溜め込んでいる。

 短期決戦、数日を戦い抜くだけなら、問題なくいけるだけの備えはあるのだ。

 

「いつつ……アバラにヒビ入ってたらオレ一人じゃ対処のしようがねェか」

 

 リュウは自分の体のダメージを確認しつつ、今の自分にできることを再確認する。

 

「後は、昨日の力を使いこなせるかどうかにかかッてるわけだが……」

 

 リュウはダークリングを握る。

 宝石なのか金属なのか、それすら分からない赤青黒の美しいダークリングの色合いが、何故か昨日よりも美しく煌めいて見えた。

 

 ダークリングの秘めたる力―――『超合体』と、『巨大化』。

 巨大化はまだ使えもしないが、超合体はいつでも使える。

 それが、検証したリュウの結論だった。

 

「デカくはなれねェが、カード二枚を混ぜるこたァできるってわけだな」

 

 リュウの手持ちは、使えない七枚目を除けば六枚。

 バルタン星人含む宇宙人が三枚、ゼットン含む怪獣が三枚だ。

 どれとどれを組み合わせるかは慎重に選ばなければならないだろう。

 

(……失敗すれば失敗するだけ、後がなくなる)

 

 リュウの味方は居ない。

 リュウが負ければ終わりだ。

 かつ、今はリュウが反乱しているから対抗戦力の友奈の処分が先延ばしにされているだけで……指示を出した大赦の上層の誰かの思惑通りに行っていたなら、友奈は初日に始末されていたはず。

 いつ何が起こるか分からない。

 どう転がるか予想しきれない。

 よって、リュウはチンタラしてはいられない。

 味方無く、後はなく、かつ回復に使っていられる時間もない。

 

 万全の状態まで回復するのに48時間もかかるのならば、無駄な一手は絶望に繋がるだろう。

 

(使い慣れてるゼットンとバルタンを軸に、何か考えるか……)

 

 七枚の手札の中でリュウが使いやすく感じている二枚が、バルタンとゼットンだ。

 最も負荷が少なく、そこそこ以上の力を出せるのが宇宙忍者バルタン星人。

 "やれること"はおそらく最も多い。

 負荷はそこそこで、出力が最高値なのが宇宙恐竜ゼットン。

 "強さの規模"で言えば最も大きくなるだろう。

 

 バルタンでは力負けする可能性が出て、ゼットンでは力に振り回される可能性が出る。

 相手がただの人間だった頃は、こんなことを考える必要はなかった。

 だが今の赤嶺友奈は、数十年前の伝説の戦いで活躍したという『勇者』のそれに並べて語られるほどの強さを持っている。

 

 初めての"対等の立場での殺し合い"は、リュウの心を恐れで竦ませていた。

 

(……全部友奈に明かしたら、仲間になってくれねェかな……)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()弱気になったリュウの心が、情けない弱音を吐き出して、リュウは深呼吸一つ。

 深く息を吐き出し、心が吐き出した弱音を諸共に吐き出した。

 

「ダメだ、巻き込めねェ。

 友奈は『被害者』だ。

 万が一にもオレの味方になってもらうわけにはいかねェ。

 世界に対する加害者になんかなっちまったら……あいつは一生後悔する……」

 

 大赦は、多くの隠し事と、究極の要求で人に言うことを聞かせることができる。

 究極の要求とはすなわち「君がやらなきゃ世界が終わるよ、君も君の大切な人も死ぬよ」だ。

 優しければ優しいほどに、この楔は深く強く刺さる。

 

 この世界には、赤嶺友奈が大切にした人が沢山居て、赤嶺友奈を大切にした人が沢山居た。

 彼女は絶対に、この平穏が崩壊することを許容できない。

 友奈はリュウと違って、悪でも間違った者でもないからだ。

 あるいは彼女は、大赦と話し合いで解決しようとするかもしれない。

 彼女は世界を守るだろう……というのが、リュウの解釈である。

 

 だがリュウは、四国全土の心中を望んだ人間を話し合いの名目で招き、毒を盛って殺した大赦の人間を見たことがある。

 手段を選ぶことのない人類存続維持機構、大赦。

 リュウは何も信じていなかった。

 

 だから彼は誰も頼っていない。

 誰の力も借りるつもりはない。

 奪い取った力と自分の力だけで、全てを解決するつもりでいた。

 

「友奈をどうにかする。

 大赦を潰す。

 そんでもって、昨日の力を使いこなして――」

 

 一人だけで、全てを解決するつもりでいた。

 

「――バーテックスと天の神を、全員ぶッ殺す」

 

 西暦2015年、人類の増長に怒った天の神がもたらした怪物・バーテックスにより、世界は滅び、四国結界の外の世界は全て燃え尽きた。

 世界を焼く炎は未だ結界の外を焼き続け、バーテックスは結界の外でその数を増やしながら、人類を裁き滅ぼす日を待っているという。

 

 だが、もしも。

 伝承に語られるバーテックスよりも遥かに強大な怪物になれたなら。

 昨日の力をリュウが使いこなし、バーテックスより恐ろしい怪物になれたなら。

 神さえも殺せる怪物になれたなら。

 

(人に……友奈に。虫籠の中の虫みたいな一生以外の未来を、与えてやれるかもしれない)

 

 リュウは自覚を持てていない。

 力を持ち、力を得て、力に飲み込まれ、力に溺れた自分が、「友奈を助けたい」という初志からズレて、「この力で何を壊すか」に思考が移っていっていることに。

 ダークリングが、彼の腰元に釣られ揺れていた。

 

(そうだ、力だ、力、力があれば全てを解決できる、全てを壊して全てを殺せば―――)

 

 力を持った者は己の力を試すために、他のものを破壊し、支配しようとする。

 それは動物的本能に近い、獣の心だ。

 気に入らないものを攻撃する。

 嫌いなものを排除する。

 不快なものを消してなくすために動く。

 人間には大なり小なり、そういう性質がある。

 

 それは、自分にとっての理想郷を作ろうとする幼稚な暴虐。

 この宇宙で最も邪なる者に必要な心。

 リュウは何も考えず、自分のことも友奈のことも人々のことも慮らぬまま、ダークリングとカードを掴んで。

 

―――皆笑っていられたらいいよねー。難しくてもそれがいいよね。リュウくんもそう思うよね

 

 幼馴染の声が聞こえた、気がした。

 気がしただけだ。

 ただの幻聴。

 だがそれが、彼の心を正気に引き戻してくれた。

 

 リュウは己の額に己の拳を全力で打ち付ける。

 

「……まずは、目の前のことに集中しねェとな。そんな先のこと考えてられる余裕はねェ」

 

 リュウは調子の悪い内臓を考慮し、栄養ゼリー飲料を胃に入れる。

 酷く気持ちが悪かった。

 まともに動いていない胃腸が、無理矢理入れられた食物に悲鳴を上げている。

 ゼリーでさえ吐きそうになるが、リュウは死ぬ気でそれを押し留めた。

 戦いはまだ続く。

 苦しくても、キツくても、胃に何か入れなければ戦い続けられやしない。

 

「冷静になれ、オレ。驕り高ぶれば、銃弾一発でも死ぬ……」

 

 変身が解けた瞬間を狙われ、撃たれれば、それで終わり。

 

 力を得た程度で傲慢になれば、その命は今日中にでも終わるだろう。

 

 少年には、思い上がっていられるほどの余裕など無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は、鷲尾リュウとその家族の関係を深くは知らない。

 リュウは家族のことをあまり語らない。

 家族はリュウのことをあまり語らない。

 だから幼馴染である友奈ですら、鷲尾家のことをあまり深くは知らなかった。

 

 嫌い合っているというわけではないと、友奈は思う。

 嫌悪や敵意はない。

 互いに無関心というわけではない。

 ただ、鷲尾リュウとそれ以外の家族の間に、深い溝がある、という印象を友奈は持っていた。

 何故かは分からないが、リュウを除いた家族はリュウとだけ距離を取っていた。

 父も、母も、兄達もだ。

 

 友奈が覚えている限りでは、その中で一番リュウに優しくしていたのはリュウの母だった。

 普通に話しているだけでも、慈悲深く寛容な優しい人で、友奈はその人がリュウに一番優しくしているのに納得するのと同時に、何故この人がリュウと普通の親子になれていないのか、幼心にずっと疑問を持っていた。

 

 リュウの母は友奈に優しかった。

 でも、リュウとは"遠かった"。

 友奈は感覚派すぎて、それを上手く言語化できない。

 だから彼女は"遠かった"としか表現できない。

 リュウが寂しそうにしていて、それが放っておけなくて構いに構っていったことを、友奈は今でも憶えている。

 

 記憶の中で、リュウの母は友奈の頭を撫で、いつも微笑んでいた。

 

「そう……あなたが『友奈』」

 

 『友奈』の名にどんな意味があるのかくらいは、リュウを除いた鷲尾家全員が知っている。

 

「リュウに優しくしてあげてね。私達にはもう、その資格が無いみたいだから」

 

 少し悲しそうに、幼き日の友奈に、リュウの母はそう言った。

 

 

 

 

 

 リュウの母と友奈の親交は、友奈とリュウが中学二年生になった今でも続いている。

 

「ありがとうねえ、友奈ちゃん。リュウの部屋の整理を手伝ってもらっちゃって」

 

「いえ、このくらいのお手伝いならいつでもやりますよ」

 

「リュウが帰って来たら真っ先に友奈ちゃんに会いに行かせるからね」

 

「何も言われなくても私に真っ先に会いに来ると思いますけど……」

 

「……友奈ちゃんはそういうのを迷いなく言えるのが強いわねえ」

 

「何があっても、最後には私の下に帰ってくる奴だと思ってますから」

 

 友奈はまったりとした微笑みで応えた。

 

 リュウが行方不明になってから一年以上が経った。

 にもかかわらず、友奈はまだ一度も、リュウの母が"普通の親らしく息子を心配する"ところを見ていなかった。

 それは、異常である。

 

 子と母の不可思議な距離感ゆえのことなのか?

 それともリュウがどこに何をしに行っているのか知っているのか?

 友奈には分からない。

 リュウとの関係の理由も含めて、友奈は探りを入れてみたが、やんわりとかつ明確に拒絶されてしまい、はぐらかされてしまう。毎度、毎度だ。

 だから、何も分からない。

 リュウのことを本気で心配してるのは自分だけなんじゃないか、とすら友奈は思ってしまう。

 そしてその度、友奈は生来の優しさゆえに、その想いを振り払うのだ。

 

「リュウの私物あんまり多くないですね」

 

「あの子は昔からあまり欲しがらない子でね。

 何かに執着することもあまりなかったの。

 物を大事にしすぎることがあまりないというか……

 本当に欲しい物、本当に大切な物を、あまり多くは作らない子だったから」

 

「あー、確かにリュウはそういうところありました」

 

「妙なところで自信がないから、こだわりみたいなのが育たなかったのかもね……」

 

「リュウは自分に長所も取り柄も無いと思ってますからね。そんなこと全然無いのに」

 

「あら、こんな古い写真立てが。本棚の裏に落ちて取れなくなってたのかしら」

 

「あ、これ小学生の時に新しい公園が出来た日の写真だ……あ」

 

 友奈は写真の中の、幼い頃の無邪気に笑う自分とリュウを見て、ふと思い出した。

 あれはなんだったんだろう、と。

 子供の頃に見た・聞いたよくわからないものを後年思い出し、妙に気になってしまうという、どんな人間にもよくある困った想起。

 

「あの時のあれ結局、リュウは何言ってたんだろう……」

 

「おや、何か思い出しちゃったのかしら」

 

「えーまあ、確か何かの会話があって、何かの流れで、何かきっかけで何か言ったんですね」

 

「何もかも分からないレベルのふわふわ度合い」

 

「すみません……全然覚えてないです……

 公園のベンチで二人並んで座ってた時に言ってたことくらいしか覚えてなくて」

 

「うちの子はなんて言ってたの?」

 

「あんくぅーどふーどるだって呟いてました」

 

 ゴン、と足を滑らせた鷲尾母が頭を壁にぶつける。

 そして信じられないものを見るような目を、ここではないどこかに向けて、何故か安心したような表情で友奈を見た。

 その様子を見て、友奈は鷲尾母がこの言葉の意味を知っていることを察した。

 

「あらあら……」

 

「え? あれ? 何か知ってます?」

 

「まあまあ……」

 

「え、何ですかその反応……」

 

「息子と友奈ちゃんに語彙を殺されたの……」

 

「突然の死」

 

 反応に困っている友奈の前で、鷲尾母は穏やかに微笑む。

 それは納得のようで、諦めのようで、安心のようでもあった。

 

「ああ、でも、なんだか安心したわ。本当に」

 

 母は子を想い、少女に願う。

 

「誰が居なくなってしまっても、あなたはあの子のことを大切に想っていてね」

 

 友奈は首を傾げたが、やがて「はい」と答え、力強く頷いた。

 

 ―――鷲尾母は、知っている。ただ、語ることを大赦に許されていないだけで。

 

 子が今日まで何をしてきたのか。

 今何をしてきたのか。

 鷲尾母は大赦から余すことなく伝えられ、この世界に生きる人間の義務として、"命令"を事細かにされている。

 だから、友奈には何も話さない。

 だから、次の作戦への協力要請を拒めない。

 

 大赦のやり方は、大まかにこの世界にとっては正義である。

 

 誰もが一人では居られない。

 親、子、友人、恩人……生きている限り、そういうものを持ってしまうのが人間だ。

 ゆえに大赦は生贄に対し、鉄板の要求ができる。

 「君がやらなきゃ君の大切な人も皆死ぬぞ」、と。

 そう言えば、誰もが従わずには居られない。善良であればあるほどに。

 この世界に生まれ生きる限り、誰もが弱点を持っている。

 

 鷲尾リュウにもその弱点は存在する。

 彼の家族が存在する。

 赤嶺友奈の幸福のため、この世界の人間全ての幸福を切り捨てるということは、家族の幸せすらも切り捨てるということだ。

 家族が大罪人の身内として不幸になることを認めるということだ。

 血の繋がった家族がどういうとばっちりを喰らってもいいと考えるということだ。

 

 リュウの選択は、彼一人が苦しんで終わるものではない。

 彼が"皆のため"を捨てたということは、皆が延々と彼の選択の割を食うということ。

 息子に見捨てられたと告げられた時の母の気持ちは、如何ばかりか。

 どんな事情があるかは知らないものの、母がリュウのことをちゃんと愛していることは、幼少期から付き合いがある友奈もよく知っている。

 だがその愛は、既に『要らないもの』として切り捨てられている。

 そんな現状を鷲尾母はおくびにも出さない。

 

 リュウの母は友奈相手に、見捨てられた者の悲哀を隠し切っていた。

 

 

 

 

 

 そして、夜が来る。

 

 

 

 

 

 仮面を付け、ローブで体格を隠し、夜の闇に紛れて移動する。

 リュウはバレないように遠巻きに見ることを意識しつつ、戦況を確認した。

 大赦によって大赦の本拠周辺に人払いがなされている。

 見張りの大赦の人員は50かそこらといったところ。

 一発芸だと分かっていたのか、罠も仕掛けられていない。

 大通りの真ん中には友奈の姿も見て取れた。

 リュウがどの方向から攻め込んでも大赦の見張りが反応し、友奈がそこに飛んでくる……そういう仕組みの防衛ラインだろう。

 大赦の人員は綿密に定時連絡を取っているため、攻撃して防衛ラインに穴を空けこっそり忍び込むというのも難しい。

 ゼットンの瞬間移動を、リュウの技量で引き出せる最長距離で連打しても、この防衛ラインは抜けられない。

 そういう構築がなされていた。

 

(手の内は読まれている)

 

 大赦は鏑矢やリュウに間接的・直接的な殺害を命じ、その記録を取っていた。

 なればこそ、リュウの手札の多くは知られてしまっている。

 社会を守るために敵を倒させ、倒させる過程で記録を取り、万が一の時は鏑矢やリュウを仕留めるために役立てる……大赦の采配は完璧だった。

 世界を守るために頑張っていただけの少年少女とは違い、大人は"その先"も考えていた。

 人の世を守るためにはこれ以上の采配はないだろう。

 その采配がリュウを追い詰める。

 

「まあいい。そんなこと……初めから分かってたことだしなァ」

 

 親指で弾き入れ、ザラブ星人のカードをリードする。

 

《 ザラブ星人 》

 

 親指で弾き入れ、バルタン星人のカードをリードする。

 

《 バルタン星人 》

 

 ダークリングを掴み、その力を掌握し、闇が吹き出る神器を掲げる。

 

「来い! 『操る力』!」

 

 ザラブとバルタンのカードがほどける。

 二つの闇が混ざって、リュウの体に溶け込む。

 闇と人体が一つになって、新たな力へ昇華する。

 

「超合体―――『フェイクバルタン』」

 

 ザラブ+バルタン。

 

 大赦のデータにも無い新たなる姿で、リュウは待ち受ける友奈めがけて疾走、真正面からの突撃を敢行した。

 

 

 

 

 

 戦いが始まる。

 赤嶺友奈はダンスのように軽快に、とん、とん、とステップを踏む。

 身を包むは赤き衣装。

 揺れるは桜色の髪。

 白赤二色の大きなアームパーツを、腕を引き絞るようにして構え、迫る敵を睨みつける。

 

「……来た。姿は違うけど、昨日の奴と同じ奴かな」

 

 フェイクバルタンは、今日までダークリングが生み出してきた宇宙人や怪獣の姿のどれとも違うようで、どこかが似ていた。

 既知にして未知。しかしその動きは友奈にとって既知のそれである。

 

 大まかには人型だが、細かなフォルムはまるで銀色のザリガニだ。

 両手の大ハサミやセミのような意匠はバルタン星人のそれそのまま、体の構造がのっぺりとして凹みが増え、重心が随分と上の方に寄っていた。

 それがことさらに、銀色のザリガニという印象を強めている。

 だがその体組織は鋼鉄より遥かに硬く、そのハサミは合金をゼリーのように切り裂くという時点で、これは地球上のどの生物にもたとえられない脅威であると言えた。

 

 初手はフェイクバルタンが取った。

 突き出される大きなハサミを、友奈は半身になって無駄なくかわす。

 友奈は流れるようにグローブで守られた左拳をジャブの要領で喉に叩き込み、間髪入れず右拳をアームパーツごと思い切り額に叩き込んだ。

 

『ぐっ』

 

 軽く飛ばされるが、リュウは歯を食いしばって姿勢を崩さずに着地し、友奈が叩き込んできた追撃の飛び蹴りをハサミを盾にするようにして防いだ。

 

「今夜で、終わりにするから」

 

 だが、友奈は信じられない身のこなしを見せる。

 飛び蹴りを防いだフェイクバルタンのハサミの上に手をつき、そこで逆立ちし、漫画のサッカープレイヤーがオーバーヘッドキックをする時のような動きで、敵の脳天を蹴り込んだ。

 身長が150cmと少ししかない友奈では、本来蹴り込めない2m以上の高さの脳天が僅かに凹む。

 宇宙人の声に変換されたリュウの言葉にならない苦悶の声が、口から漏れた。

 

『っ……!?』

 

「火色舞うよ」

 

 大鋏を振り回すフェイクバルタンの攻撃を、バルタンの体を蹴って跳び友奈はかわす。

 リュウはそこに隙を見た。

 跳んだ友奈が着地するまでの一秒か二秒の隙に、頭部から放出した怪音波をぶち当てた。

 

「っ」

 

 怪音波の影響を受けた友奈が姿勢を崩し、上手く着地できないまますっ転ぶ。

 

「あ痛っ」

 

 路面を転がる友奈に向けて更に怪音波を仕掛けるフェイクバルタンだが、友奈はフェイクバルタンの目線と手の向きから攻撃の向きを読み、転がったままの姿勢から跳躍して回避。

 その姿勢から軽く数mは跳躍した友奈は電線をレスリングのロープのように使い跳躍、続き発射されたフェイクバルタンの目には見えない怪音波をもう一度回避。

 更に電柱に飛び移って跳躍、近くのスーパーの外壁を蹴って更に跳躍し、バッタを思わせる跳躍の連打にて怪音波を連続で回避し、ほんの数秒でフェイクバルタンの背後を取った。

 

 だが、これは誘いだ。

 怪音波はただの誘い。

 動きを誘う見せの一撃を複数撃って敵の動きを誘導し、決めの一撃を確実に当てる"戦略"の組み立てこそが、凡人に相応の工夫である。

 かくして。

 

 フェイクバルタンは超合体で得た"切り札"を撃ち。

 

 鈴の鳴る音がして。

 

 ―――目には見えないそれを、赤嶺友奈は回避した。

 

『……おいおい、嘘だろ? ンだそりゃ……』

 

 思わず驚愕を口にするフェイクバルタンの言葉の意味は分からなくとも、驚いていることや、何に驚いているかは友奈にも理解できる。

 

「その()()()は前に見たよ」

 

 催眠術。

 ザラブ星人が得意とする技であり、怪音波などと組み合わせる宇宙洗脳術である。

 ただの人間であれば容易く操ることができ、心の在り方を捻じ曲げるというよりは、その意識を眠らせて体を操作するような効力を発揮する。

 ザラブとバルタンの超合体形態であるフェイクバルタンの得意技である。

 

(なんで分かったんだ?

 五感で発動を感知できるようなもんじゃねェ。

 オレが催眠術を発動して、鈴の鳴る音が……鈴?)

 

 鈴。そうだこあの鈴だ、とリュウは察する。

 この鈴の音は大赦が神事に使う鈴鳴子特有の音だ。

 神の降臨や魔の接近を知らせる、などと語られるそれらが、フェイクバルタンが催眠術を発動した瞬間に鳴り、それを聞いた友奈が回避行動を取ったとしたら?

 

(……大赦。

 友奈を全力でバックアップしてるわけか。

 "忌まわしきもの"の接近を感知するのはあいつらのお家芸だ。

 オレが前に使ったことのある能力は全部対策済?

 催眠術みてェな能力使えば、今みたいに鈴鳴子が鳴る……

 初見殺しの類はあんまり効果がねェと見るべきか。クソったれめ)

 

 リュウは一人で、友奈はそうではない。

 大赦が行う友奈への全力のバックアップが、リュウの勝ち筋を潰していく。

 たん、たん、と一種の音楽にすら聞こえるリズムで、友奈は軽やかに走る。

 距離を詰める動きがなくなり、フェイクバルタンの視界の死角を取る動きに変わった。

 

「その催眠は怪音波に混じえて撃つ。距離次第で影響力の大小が変わる。だから私は」

 

 友奈の腕が遠距離で不自然に振るわれる。

 風切り音。

 フェイクバルタンの優れた視力だけが捉えた小さな影。

 そして、嫌な予感。

 全てがフェイクバルタンに、遮二無二横っ飛びにかわす回避行動を取らせる。

 

 かわしたフェイクバルタンの背後で、コンクリートが砕ける音がした。

 バルタンのハサミがコンクリートを粉砕した時、よく響いていた音だ。

 リュウに振り返って確かめる余裕はない。

 振り返らなくても分かる。

 友奈は今、何かを投げたのだ。

 大赦から得た武器か、その辺で拾った石や鉄片か……何にせよ、建物の鉄筋コンクリートが軽々と粉砕される威力なら、フェイクバルタンでも当たればダメージが入るだろう。

 

 今は夜。

 超高速で投げられた小さな投擲物を目で追うことは昼間よりずっと難しい。

 

「距離を詰めなければいい」

 

『本当に真っ当に厄介な戦術習ってきやがってよォ……!』

 

 頭狙い。かわす。

 足狙い。ギリギリ回避。

 胴狙い。当たってしまい、リュウは思わず呻き声を漏らす。

 

 本当に堅実で無駄のない、"神の力を宿した肉体"を使いこなす技術。

 リュウも赤嶺友奈の師匠が誰かは知っているつもりだったが、それでもなお甘く見ていたと言わざるを得ないだろう。

 ただ単純に、同じサイズで戦うならば技量の差が出る。

 巨大化できりゃァな、とリュウは思うが、ないものねだりだ。

 今あるカードを切るしかない。

 

 ガン、と信じられない速度で投げられた鉄パイプに膝を強打されたフェイクバルタンが、膝を庇いながらその姿を数十に増やした。

 

「! 分身……!」

 

『悪ィが大人気なく詰めさせて貰うぞッ!』

 

 展開された分身はその全てが友奈を見ながら、友奈を円形に包囲する。

 包囲するフェイクバルタン達は流動的に動き、立ち位置を入れ替え、友奈は一瞬にしてどれが分身でどれが本体か分からなくなってしまった。

 友奈を包囲するフェイクバルタンが、その手から光弾を発射していく。

 全方位からの射撃攻撃。

 普通の人間では回避も防御も絶対に不可能。

 しかし友奈は、踊るようにその全てを回避していく。

 

「おっとっとと」

 

 今。友奈は踊るように、ではなく、踊りながら回避していた。

 

 路上でストリートダンスを踊る時のように、周囲全方向に見ている人が居る時のダンスを舞う時のように、どの方向も見ていて、どの方向から見ても美しく見える動き。

 くるくると回る友奈の目は、四方八方全ての攻撃を視界に収める。

 見ながら避けているのではない。

 回転しながら全てを視界に入れ、一旦頭の中で空間的・立体的に把握しているがために、背後から迫る光弾ですら友奈には一発も当たらないのだ。

 

 高度なダンサーが皆持つという、『空間把握能力』。

 これがある限り、分身で包囲し四方八方から光弾を撃ち続けようが、彼女には当たらない。

 回避効率を極めた友奈の動きは舞に似て、とても美しい。

 彼女の舞踏が叩く路面が奏でる音は美しく、どこか心地良い。

 赤色が舞う。

 火色が舞う。

 友奈が舞う。

 鷲尾リュウという観客が、戦いの最中であるにもかかわらず、その舞に見惚れていた。

 

(なあ、おい、友奈)

 

 戦いの流れは膠着する。

 フェイクバルタンは全力で攻撃をし続けなければならず、友奈は全力で回避をし続けなければならず、状況を動かせない。

 たまに友奈が上手く回避を組み立てて余裕を作り、その場で拾ったコンクリートの破片を投げつけるが、分身が一つ消えるだけでノーダメージ。すぐに同じことの繰り返しである。

 この状況が成立し、続いていることと。

 リュウの心が友奈の舞に惹かれていることは、決して無関係ではなかった。

 

(お前はいつも、自分で思っている以上に綺麗なんだぞ。知ってたか?)

 

 月夜の下。

 星空の下。

 闇夜の中。

 リュウの眼にはいつものように、彼女が何よりも輝いて見えていた。

 

 だから。

 大赦は"テコ入れ"をする。

 友奈を勝たせて、世界を救うために。

 

「あうっ」

 

 戦場に、第三者が現れた。

 大赦が人払いしているこの場に現れるはずのない、第三者が。

 その人を見て、リュウは―――『母さん』と、思わず口にしていた。

 大赦が行える最大のバックアップ。

 "一般人が偶然迷い込んだ"という体を装った、鷲尾リュウを殺す一手。

 どんなに理性で感情を抑えても、血の繋がった息子が動揺しないわけがない。

 

「―――」

 

『―――』

 

 ()()()()()、大赦の予想は外れる。

 

 動揺し、動きを止めたのは友奈で、動揺せず、次の一手を打ったのはリュウだった。

 

 友奈以上に、リュウは大赦の裏面をよく知っていた。

 手段を選ばないことを知っていた。

 何が来るかを、徹底的に予想していた。

 なればこそ"鷲尾リュウに有効そうな手"も読める。

 二人の差は、そのまま大赦への不信の差。

 フェイクバルタンは瞬時に反応し、大赦の打った手を逆手に取って、自らの母を捕まえ拘束し、その首筋にハサミを当てる。

 

『動くなよ』

 

 その言葉は通じないが、宇宙人の声帯でも何か言ったことさえ伝われば、それだけで有効な流れを作れるという確信があった。

 彼の中には、「友奈はこれで止まる」という確信があった。

 友奈の優しさをこれで利用できるという確信があった。

 

「……卑怯者」

 

 友奈にしては珍しい、低い声の罵倒。

 大切な幼馴染の家族を人質に取られたことで「許せない」という感情が湧いている。

 リュウの胸の奥が痛み、軋み、苦しむ。

 

 全身が痛んでいるリュウは、自分の胸の痛みに気付かず。

 心が軋む音を聞く耳がないから、自分の心が軋む音も聞こえず。

 友奈の苦しみばかり見ているから、自分の苦しみのことも分からない。

 

 友奈も分かっている。

 敵怪物が求めているのは降参だ。

 それでも迷ってしまう。

 ここで友奈が降参すれば、その時点でゲームセット。世界が終わる。

 人一人を見捨てられないがために、世界を見捨てる?

 一人犠牲になるのを許容できないがために、全部を犠牲にする?

 それはおかしい。

 その選択だけは間違っている。

 間違っていると分かっているが―――それでもなお、構わず攻撃することができない。

 

 「私はさんざんそうしてきたじゃないか」と、少女の心の冷たい部分が言う。

 「何も悪いことしてない、リュウのお母さんを?」と、少女の心の暖かな部分が言う。

 迷いは躊躇いとなり、躊躇いは選択を止め、友奈は動くことも動かないことも選択できない。

 

 フェイクバルタンが何の反応もしない友奈を見かねて、光弾を針のように細くし、威力を絞って母の足を撃ち抜く。

 その身に激痛が走り、足から真っ赤な鮮血が吹き出した。

 

「あっ―――ッ―――」

 

 母は歯を食いしばり、今までの人生に一度も無かったほどの激痛に、悲鳴一つ上げることなく必死に耐える。

 それが『息子の罪悪感を増やさないため』の我慢だと友奈は気付かなかった。

 それが『友奈の足を引っ張らないため』の我慢だとリュウは気付かなかった。

 されどその苦しむ表情は、友奈に選択をさせるには十分過ぎた。

 

「待った! 分かった、分かったから!」

 

 友奈が慌てて、悔しそうに腕甲を捨て、両手を上げて降参の姿勢を取る。

 フェイクバルタンはすかさず、距離が近ければ近いほどに効果が高まる催眠術を打ち込んだ。

 装束の強力な護りを、超合体の強力な出力で貫通する。

 

「うっ……」

 

 友奈の瞳から光が消えて、その体から力が抜ける。

 フェイクバルタンはザラブ星人の力の一つである、もがけばもがくほど強力に拘束する対宇宙人テープで友奈を拘束する。

 これで、催眠術が解けようと友奈はもう動けない。

 念には念を、確実な勝利へと繋げる。

 

『笑えるな。鏑矢の誰よりも、大赦の誰よりも、オレが邪悪だと理解できちまうんだからよォ』

 

 この策を献案した大赦の人間は信じていた。

 肉親が突然戦場に放り込まれれば、血の繋がった息子が動揺しないわけがないと。

 友奈は信じていた。

 秘密主義で陰謀を張り巡らすことはあっても、大赦はそんなことしないはずだと。

 

 いや、信じていたと言うよりは、"思ってもみなかった"というのが正しいだろう。

 根底に善良さがあり。

 根底が人を信じていた。

 信じられていたのは鷲尾リュウの善良さと、共に戦う大赦の善良さであり、それはこの一瞬にまとめて裏切られたのである。

 大赦が思うほどリュウは善良ではなく、友奈が思うほど大赦は善良ではない。

 

 ゆえに、詰みに入った。

 

『どいつもこいつも、未来の希望と人の善良さを信じすぎじゃねェか』

 

 血がドクドクと流れている母親に背を向け、リュウは彼方に見える大赦を見据える。

 

「リュウ……」

 

 背後で母親が何かを言ったが、リュウは振り向かない。

 家族に愛されたかった。

 家族を大事にしたかった。

 家族と笑い合っていたかった。

 そう思ったこともあったが……もう、その気持ちも振り切っている。

 もう、そんなものは何もかもを諦めている。

 足は止めない。

 

『悪いが、オレはもうとっくに選んでンだ』

 

 勝敗は決した。

 赤嶺友奈は戦闘不能。

 弥勒蓮華は先日の戦いで戦えない。

 大赦を守る戦士はもう居ない。

 

 これでようやく、世界が終わる。

 

 世界の滅びを求める人間を殺した人間が、世界の滅びを求めるという矛盾の果てに。

 

 

 




・『フェイクバルタン』

 初代ウルトラマンに化けた凶悪宇宙人ザラブ星人、宇宙忍者バルタン星人の合体宇宙人。
 他人を操ることに特化した超合体形態。

 ザラブ星人はウルトラマンなどに化けてその姿形を写し取ることが注目されがちだが、その本質は"他の文明を滅ぼす"ことを目的に生きる知略の宇宙人。
 悪辣な企みと、他者の姿を写し取る能力と、そして他者の心を操る催眠術。
 これらを組み合わせて目をつけた文明の生命体を『操り』、滅亡に追い込むことから、凶悪宇宙人の名で呼ばれている。

 また、バルタン星人は怪獣を操る能力を持っている。
 他の宇宙人にはあまりない特徴として、それに精神の繋がりを利用することが挙げられる。
 一部のバルタン星人は群体としての精神のみを持っているとされ、サイコバルタン星人などは精神波によって他のバルタン星人や怪獣を操っていた。
 この精神波・サイコウェーブにザラブ星人の催眠術を乗せることで、非常に効果の高い催眠洗脳能力を行使することが可能となったのがフェイクバルタンである。

 相対する人間の精神と意志を体の奥底に押し込み、人形にする『操る力』。
 これに人間が抗おうとするならば、この異能と意志の力の綱引きとなる。


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2

 リュウの記憶では、確か小学二年生の頃。

 

 ぼんやりしてることや、ダウナーにまったりしてることが多い癖に、困っている人を見るとすぐ駆け出して行って、ちょっとどんくさいところがあるせいでしょっちゅう転んでいた友奈を見て、友奈の両親に頼まれたことがあった。

 

「友奈をお願いね。あの子は本当にそそっかしくて、危なっかしいから」

 

 リュウはその頼みに、一も二もなく頷いた記憶がある。

 頼まれなくてもそうするつもりだった。

 だが、頼まれたことでその気持ちはもっと大きくなった。

 

「友奈は親に愛されてる。オレと違って」

 

 子を愛する親がいる。

 親を愛する子がいる。

 それが羨ましくて、妬ましくて、嬉しくて、辛くて……いつまでも続いてほしいと、リュウは思っていた。

 自分は親に愛されているのか嫌われているのかすら分からなくて、月に一度会話をすればいい方なくらいだったから。

 

 家族に愛されたかった。

 家族に嫌われたくなかった。

 子供の頃から、鷲尾リュウはずっとそう思っていたけど、与えられるものはとことん徹底した無接触と淡白な応対。

 その理由さえ教えてもらえなかったから、なおさらに辛かった。

 辛かったから、悲しかったから、苦しかったから、友奈とその親の"間にある幸せ"を、絶対に守ろうと思っていた。

 

「守るんだ」

 

 傷一つなく、あの親の下に返すのだと。

 娘をちゃんと愛してるあの親を悲しませてはならないと。

 愛し合う親子がまた幸せな日々を過ごせるようにするのだと。

 リュウは己が魂に、何度も、何度も、繰り返し誓った。

 必ずその誓いを果たすのだと、その心に決めていた。

 

 友奈はそれを察していたようでもあったし、察していないようでもあった。

 感覚派の友奈は両親が幼馴染に頼んだことを察していなかっただろうし、幼馴染が自分と両親をひっくるめて大事にしていることを察していただろう。

 リュウから向けられる妬みには気付かなくとも、リュウから向けられる愛の類に彼女が気付かないということはない。

 彼が自分のそういった心情を口にすることはなかったが、彼の心情は全て行動に現れていて、だから彼の隣はいつも心地良かったと、友奈は記憶している。

 

 友奈だけを大切にするのではなく。

 友奈が大切にしているものも大切にする。

 友奈が大切に想う人との大切な繋がりもまとめて大切にする。

 それは、"友奈が幸せになれる世界"を大切にするということだ。

 

 子供の頃からずっとそうだから、友奈は子供の頃から同じようなことをリュウに言っている。

 

「人が大事にしてるものを大事にしてるリュウくんのこと、きっと皆大好きだよ」

 

 幼い友奈がそう言って、幼いリュウはよくわからない、といった顔で応える。

 

「友奈だけなんじゃないか、そんなのが好きなのは」

 

「えー、知らないけどきっと皆そうだよ、たぶんね」

 

 まったりした表情で、友奈は言い切る。

 いつも周りの人間と上手く付き合う友奈が断言口調で誰かの意見を否定するのは珍しく、その主張に根拠がないことは更に珍しい。

 けれどもリュウは、そういう時の友奈の意見が大体正しいことを知っている。

 幼い頃も、今も、友奈の心から発せられる言葉は、リュウにとってはいつも正しい。

 

「他の人が大事にしてるものを大事にする優しさって、皆なんでかなくしちゃうみたいだから」

 

「オレは大事な人の大事なものを大事にしてるだけだ。誰にもそうしてるわけじゃない」

 

 色んな人を見てきた友奈は。

 色んな大人を見てきた友奈は。

 人は、他人の大事なものを、簡単に踏み躙ってしまうことを知っている友奈は。

 リュウを見て、どこか嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈の意識は無意識の底に押し込められた。

 催眠術という物理域の干渉が、精神域の非物質的な精神すらも拘束している。

 今の彼女の体を動かせるのは、催眠術を仕掛けたフェイクバルタンのみ。

 もう戦えない。

 勝敗は決した。

 そんな彼女の耳に、どこからか声が届く。

 

「お願い」

 

 それは、路面に転がされた鷲尾母の声。

 慣れない失血は、まだ致命のラインにまでは届かないものの、貧血を起こさせ鷲尾母の息を朦朧とさせる。

 朦朧とする意識の中、立ち上がることもできないまま、母は何かを呟いている。

 心から漏れる感情を、そのまま声にしている。

 

「あの子を、一人にしないであげて」

 

 その声が。

 言葉が。

 想いが。

 

 ―――不可能を可能とし、催眠術を跳ね除けるだけの心の力を、赤嶺友奈に与えた。

 

 

 

 

 

 フェイクバルタンの背中に、友奈が思い切りぶつかる。

 衝撃で、友奈もフェイクバルタンも諸共に路面に転がった。

 

 リュウの判断は正解だった。

 催眠術だけで安心せずかけておいた拘束は友奈の上半身をがっつり拘束しており、花結装(はなゆいのよそおい)なる謎の装備で勇者クラスまで強化された彼女の膂力でも、一切切れる気配がない。

 だが、だからどうしたという話。

 赤嶺友奈は諦めない。

 

『お、お前……!』

 

「いつだって私は、諦めない!」

 

 腕が使えるフェイクバルタンは立ち上がり、立ち上がれないまま友奈がもがく。

 

「そのくらいしか取り柄がないから……諦めないことだけは諦めないっ!」

 

『―――』

 

 リュウはその物言いに、無性に腹が立った。

 

『お前の長所も取り柄も、他にいくらでもあるだろうがッ!』

 

 再度催眠術を仕掛ける。

 先程より強烈に。

 今度こそ、絶対に解けぬほどに強く。

 

 もう一度喰らえば勝利はない。

 だからこそ友奈は、わざと()()()()()()()()()()()()。駆け引きである。

 フェイクバルタンが腕を突き出し、強力な催眠術を放とうとする少し前、前兆動作の段階で体を跳ねさせ、立ち上がると同時に跳躍して回避する。

 

 背中を地面につけて回転するバックスピン――ブレイクダンスの技法――から、流れるように・跳ねるように立ち上がる技術を応用した、奇形の回避。

 体の動きと力の流れを十全に使いこなしてこその踊る鏑矢。

 予想外の動きにフェイクバルタンが動揺し次の一手を迷った一瞬に、友奈は更に横っ飛びに跳んで視界の死角に滑り込む。

 

 そんな友奈に、駆け寄ってくる少女の影があった。

 

「シズ先輩!?」

 

「動くんやないでアカナ!」

 

 駆け込んできたのは、桐生静。

 赤嶺友奈の同年代の友人にしてかけがえのない仲間。

 身を守る術を何も持たないままに生身で駆け込んできた静が、友奈を拘束している拘束テープに複雑な模様と文字が刻まれた符を貼った。

 

 それは葛、葡萄、筍、桃、それらを貫く剣の意匠が描かれた霊符……日本神話においてイザナギとイザナミのエピソードの一つを霊符化したもの。

 勇者システム同様の仕組みで神の力を宿したそれがなぞるのは、『不捕(つかまらず)』の神話。

 符と戦装束がテープを挟み込み、符が装束に宿る神の力を引っ張り出し、スパーク。炸裂した力が、強引に拘束テープを焼き切った。

 

「ありがとうございます!」

 

「警戒されとるから二回目は無理やからな!」

 

 背中を向け逃げに入る静と、その背中を守る位置に入る友奈。

 攻撃はさせない、という意志が見て取れる。

 ……だが、今。

 静が駆け込んで来た時、そして友奈を解放した静が逃げる時、リュウは彼女を撃てた。

 当たり前だ。

 ここは生身のただの凡人が、今みたいな無茶をできるレベルの戦場ではない。

 静が無事だったのは、本当に一瞬の隙にその身をねじ込むような"勇気"を見せたのと、リュウの手が一瞬止まったという幸運、その二つが噛み合った結果に過ぎない。

 

 リュウの手は、一瞬だけ止まっていた。

 他の誰にも気付かれない程度の一瞬、止まっていた。

 武器も持たず、防具もなく、普通の中学三年生の身一つで、勇気をもって踏み込んできた女の子を、リュウは()()()()()()

 

(クソッ、なんで今手ェ止めたんだオレは、なんで、覚悟は決めたはずだろ!)

 

 フェイクバルタンは戸惑いを振り払うように、右腕で怪音波を発射。

 目には見えず腕で防げもしない攻撃が、音の速度で友奈に迫る。

 友奈は飛び越えるか、左右のどちらかに回避するだろうと読んだフェイクバルタンは、右腕を構えたまま、左腕の中に怪音波を発する力を溜め込む。

 回避した友奈にぶち当てる。

 そういう気概で構え、友奈の動きを注視する。

 しかし友奈はリュウの予想の全てを外れ、上でも左右でもなく、なんとフェイクバルタンが放つ怪音波の"下"をくぐって来た。

 

『!』

 

 「なんでそんなに体を倒して倒れないんだ」と、リュウが心底驚く姿勢にて疾走。

 右腕の怪音波をかわし、左右のどちらにも体を振っていなかったために、フェイクバルタンが追撃で放った左腕の怪音波も右に跳んで回避。

 信じられないボディバランスで上半身と下半身を巧みに操り、地面を這う蛇を思わせる動きで、地面スレスレの位置を滑るように走り、接近。

 上下逆さにフェイクバルタンへと組み付き、その膝を腕で極めながら、左腕を蹴り上げた。

 

 迎撃に光弾を撃とうとしていた怪物の左腕が跳ね上げられ、光弾が空の彼方へ消える。

 

『……!?』

 

 ただの飛び蹴り、空中攻撃は、体重を乗せなければ威力が出ない。

 体が浮いているからだ。

 地面を踏み締めその反動で殴る、蹴るなどしなければ、威力は出ない。

 ゆえに友奈は、フェイクバルタンの足関節を腕で極め、腕よりも力のある足で強烈に敵の腕を蹴り上げた。

 敵の膝関節を土台にしているため、敵の腕を蹴り上げる威力が出る。

 敵の腕を蹴った反動を使えば、膝を折りに行ける。

 敵が人間ではなくフェイクバルタンであったために、腕も膝も折ることはできなかったが、十分過ぎるほどのダメージが通っていた。

 

 更に、今の一瞬の攻防にあった意味はそれだけではない。

 フェイクバルタンが撃とうとしていた光弾は、リュウは腕を蹴られるまで気付いてもいなかったが、友奈が避ければ路面に転がっている母親に当たる射線に乗っていた。

 友奈に回避の選択肢は無かったのだ。

 思考は一瞬。友奈はその一瞬の判断で、自分も幼馴染の母も守ってみせた。

 

 綱渡りのような攻防を、赤嶺友奈は信念一つで踏破する。

 技量、視界の広さ、信念。

 この一瞬にその全てで友奈はフェイクバルタンを上回っていた。

 

「私の大切なものを、いつだってリュウが大切にしてくれたように!」

 

 たん、たん、と踊るようなリズムのステップで、友奈はフェイクバルタンを翻弄し、叫ぶ。

 

「私も、リュウの大切なものを―――守るんだっ! 絶対にッ!」

 

 その時。

 

 友奈の叫びを聞いて。

 

 鷲尾リュウは、何故自分が"友奈の友達を殺すこと"を躊躇ったのかを、理解した。

 

 言われるまで、そんな自分に気付いてすらいなかった。

 

『―――』

 

 本当に赤嶺友奈を救いたいのなら、そんな甘さは持ってはいけなかったのに。

 

 催眠術を発動しようとしたフェイクバルタンが、発動までのほんの一息の間に、強烈な掌底を叩き込まれる。

 催眠術は痛みで不発、距離を()()()()()ことで催眠術をもう一度当てられる距離ではなくなってしまう。

 鉄片らしきものが友奈の投擲で飛んで来て、フェイクバルタンは急所を守るが、蓄積されたダメージがフェイクバルタンに膝をつかせてしまう。

 打つ手が次々と消えていく。

 

 "鷲尾リュウがフェイクバルタンで行う戦闘パターン"は、もはや完全に見切られていた。

 

「この世界は皆が生きてて、皆が笑ってて、皆の明日があって……皆のためにあるんだ!」

 

 その鏑矢は、みんなのために。

 

「絶対に奪わせない!」

 

 叫ぶ友奈に、リュウは怪物の声帯で叫び返す。

 

『違う!』

 

 その怪物は、少女のために。

 

『この世界は―――お前が幸せになるためにある!』

 

 ズタボロな体で、得意な接近戦を捨ててまで催眠術対策を徹底する友奈の遠距離攻撃を受けながら、フェイクバルタンは必死に進む。前に進む。

 体の傷を増やしながら、急所を守って、一歩一歩前に進む。

 

『お前のたった一つの命を、たった一度の人生をッ! 踏みつけにされてたまるかァ!』

 

 耐える。耐える。耐える。

 何の策も能力もない、ただの純然たる痩せ我慢。

 気合い一つで、リュウは迫り来る命の喪失すら恐れずに進み続ける。

 

『―――絶対にッ―――!!!』

 

 内的宇宙(インナースペース)にて、リュウが握るダークリングが輝く。

 

 闇が、心を咀嚼する音がした。

 

 

 

 

 

 闇の閃光。

 濁った爆音。

 怪物が怪獣へと、巨大化する。

 

 友奈が踏み潰されないよう鷲尾母を抱えて跳んだ次の瞬間には、巨大化した敵は見当たらず、巨大化前の姿もどこにも見当たらなかった。

 人を守るのと引き換えに、また仕留めきれなかった形。友奈は思わず歯噛みする。

 

「また巨大化……いや今度は一瞬だけ? くっ、逃げられた……」

 

 手遅れになる前になんとか撤退を選べたリュウは、連続変身と全身に蓄積されたダメージを抱えて、マンホールから下水路に逃げ込んでいた。

 肉が痛む。

 関節が痛む。

 骨にヒビが入ってるのか、肉が内出血しているのか、内臓が痛んでいるのか。

 明るくなってから診断しなければ分からないが、全身に激痛が走っていることだけは分かる。

 歯を食いしばり、リュウは歩き続けた。

 

 このままここに居れば確実に見つかり、殺されることは目に見えていたから。

 

「痛っ……そうか、分かった……超合体して、巨大化するのに、必要な条件……」

 

 歩きながら、握りしめたダークリングを見つめる。

 リュウはもう、この神器の本当の使い方に気が付いていた。

 否。この神器を自分が使う場合の、本当の正解に気が付いていた。

 

「『使用者に相応しい心になる』こと……悪魔に魂を売っちまうッてェことか」

 

 ダークリングは、悪のための道具。

 邪悪なる使い手を選ぶ道具だ。

 なればこそ、その使い手は悪である方が望ましい。

 光の者を導くオーブリングと闇の者を導くダークリングは対であり、ダークリングを使用する者には常に、()()()()()()()ことができる。

 闇に堕ちる権利がある。

 

 そうしてダークリングに導かせれば、人はダークリングに相応しい闇の者になることができる……ということだ。

 自分に合わせた道具を選ぶのではない。

 道具に自分を合わせるという、ロクな末路が想像できない本末転倒。

 

「期末テストサボったこともあるくらいにはワルの自覚あったんだがなァ、足りねェか」

 

 既に予兆はあった。

 ゼットンの力を使っても、リュウは友奈に絶対に一兆度の火球を当てないようにしていた。

 何でも切り裂くバルタンのハサミも、内側に友奈を挟まないようにしていた。

 友奈が使っていた鎖を破壊することに使うのがせいぜいで、友奈を死なせないように、大怪我させないように、繊細なほどに気を使っていた。

 

 だが、今日はどうだったか。

 一日前の戦いと比べると、随分と友奈への攻撃に躊躇いがなかった。

 昨日の時点のリュウが、友奈を従わせるためとはいえ、親の足を撃てただろうか?

 かなり怪しいところだろう。

 

(ザラブを選んだ理由すら……忘れかけてたんじゃねェか……?)

 

 催眠術を使うザラブ星人を超合体素材に選んだのは、友奈に傷一つ付けないようにして勝つためだったのに。それすら戦いの中で常時意識していたかと言うと微妙なところだろう。

 実際のところ、リュウがそれを忘れることはない。

 だが今日の彼は、少なくとも友奈を傷付けることを恐れてはいなかった。

 

 この神器(ダークリング)は悪魔だ。

 人を魔道に誘う悪魔。

 人が強い心か善き心を持つ限り、絶対的に無力という意味でも悪魔。

 善人ですら使える闇の力ではあるが、この道具は常に"この宇宙で最も邪な者"を求めている。

 本人の意志に反して闇に落とすことはせず、感情の爆発に乗じて闇に堕とすわけでもないが、常に使用者に闇に染まる選択肢を提示し続けている。

 『お前の意志で闇に染まれ』と、問いかけ続けている。

 

 赤嶺友奈すら自分の意志で笑って殺す邪悪に成り果てることを、使い手に望んでいる。

 

 感情の暴走などの言い訳など、一つもしようがない。

 理性と意志で選ばなければならない。

 ダークリングの闇は甘くないのだ。

 自らの意志で、蔑まれるべき邪悪な者へと成り果てろと、そう囁いている。

 

 誘惑するのではなく、あくまで選択肢を提示するのに留めているのが、ダークリングを『悪者』ではなく『道具』たらしめる。

 その果てに待つのは、感情で暴走する獣ではなく、悪意で他人の幸福を踏み躙ることに喜びを感じる、邪悪な畜生へと成り果てる未来。

 

 ダークリングに心を食わせ、"自分を捨てる"権利は、常にリュウの手の中にあった。

 

「見つかったか?」

「いや」

「今回のあれは完全に裏目に出てたな……」

 

 近場の竹林に身を潜めてダメージを回復していたリュウだが、大赦の者達の会話らしきものが聞こえてきて、這いずるようにまた逃げ始める。

 

 鷲尾リュウに自覚はないが、彼がある程度喧嘩において強いのは、我慢強いからだ。

 格闘技の試合は厳格なルールに基づいた戦いである。

 しかし、喧嘩は諦めなければ負けにはならない。

 我慢し続けられれば、いつまでも負けないことができる。

 往生際の悪さがある程度強さに繋がる。

 喧嘩であっさり降参する人間は喧嘩が弱いが大怪我もせず、喧嘩でいつまでも諦めない者は多少喧嘩に強くなるが、ただの喧嘩で取り返しのつかない怪我をしやすい。

 

 鷲尾リュウが自分に認められる取り柄とは、我慢強さのみであるということだ。

 だから、自分には何の取り柄もないとしか思えない。

 我慢して、我慢して、とにかく頑張る。

 全身を火で炙られても今のリュウほどの痛みを感じることはないだろう。

 痩せ我慢でその激痛に耐えられるのは、彼の中に、耐えて成したいことがあるから。

 

(そうだ)

 

 そんな中、痛みが記憶を想起させる。

 

(前にもなんか、こんなことが、あったような)

 

 痛みと共に思い出す、幼馴染の心配そうな表情と、安心したような微笑みがあった。

 

(ずっと、ずっと前。

 そうだ。

 珍しくオレの方が転んで。

 思いっきりぶつけて。

 メチャクチャに痛くて、オレは泣き出しそうになって……)

 

 幼いリュウが転ぶ。

 幼い友奈が駆け寄ってくる。

 痛い痛いのとんでけ、と友奈がリュウのぶつけたところをさすってくれて。

 優しく触れる友奈の手が、とても暖かくて。

 何故か痛くなくなって、それで立ち上がれた時の記憶をリュウは思い出す。

 

(あの時オレが友奈に何か言ったような、何を、言ったんだったか)

 

 何を言ったか、思い出そうとして。

 

―――Un coup de foudre

 

―――あんくぅーどふーどる?

 

―――……! 友奈、いつの間にそこに……忘れてくれ

 

 何を言ったか、思い出して。

 

 リュウは思わず笑ってしまう。

 

「くはははっ」

 

 思わず笑って、笑い声が体に響いて、激痛で笑いが止まる。

 

 それでも、また笑ってしまう。

 

「ばっかじゃねェのか、オレ」

 

 リュウは涙が出て来そうになって、なんとかこらえる。

 それが痛みのせいなのか、笑いのせいなのか、リュウにも分からない。

 ただ、この一瞬、過去の記憶がリュウを弱くしていたことだけは、確かなことだった。

 

「ガキの頃のオレはアホ極めてんのか? あー、クソ恥ずかしィわ」

 

 まだやれる。

 まだ戦える。

 まだ頑張れる。

 

 思い出を胸に、思い出から湧き上がる力を振り絞り、リュウはまた歩き出した。

 

 

 




・Un coup de foudre
 先々々代のダークリング使用者、ジャグラスジャグラーが夢野ナオミに告げた言葉。
 フランス語で『雷の一撃』を意味する。
 落雷。青天の霹靂。
 転じて予期しない出来事を意味し、慣用句としては『一目惚れ』を意味する。
 また、他の恋愛慣用句との差別化で、「雷に打たれた木のように恋に落ちて燃え上がり、何も見えなくなってしまっている状態」を意味することも多い。
 恋は落ちるとはよく言うが、フランスにおいては人が恋に落ちるのではなく、恋が人に落ちてくるのだとも考えられている。
 全てが燃え尽きたこの時代においては、滅びた国の滅びた言葉。


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第三夜

 赤嶺友奈は、ブランコを漕ぐ夢を見た。

 とびっきり幼い頃の夢。

 公園でブランコを漕いでいる夢だった。

 子供が多く走り回っている公園で、友奈はきゃっきゃとブランコを立ち漕ぎしていて、勢い余って手を滑らせてすっ飛んでしまう。

 

「あっ」

 

 「やばっ」とは思えても、「死ぬ」とまでは思えないほどの一瞬に、墜落死が迫る。

 それを救ったのは、友奈と地面の間に滑り込んだ一人の少年だった。

 

「うおおおおおっ!?」

 

 少年が友奈を優しくキャッチし、頭をどこにもぶつけないように向きを変え、しかし受け止めきるだけの筋力はなく、すっ飛んできた友奈と地面の間に挟まれるように押し潰される。

 ぐえっ、とかなり深刻な声がリュウの口から漏れた。

 口から出そうになった悲鳴や弱音や吐瀉物を全てぐっとこらえ、リュウはフラフラと立ち上がって友奈の手を引き、立たせた。

 

「あっ、あっぶねっ……」

 

「リュウくん、ありがとねー」

 

「……ああ、うん」

 

 ニコニコとしている友奈。

 痛みを必死に顔に出さないようにして笑みで応えるリュウ。

 友奈がリュウを心配していないのは、まだ友奈が幼いからか。

 夢の中の自分と話しているリュウを見て、夢を見ている友奈もまた微笑んでいる。

 

 助けられたことを嬉しく思う女の子がいて、助けられたことを嬉しく思う男の子が居た。

 

 二人は公園で他の友達も巻き込んで遊んで、やがて夕方が来る。

 子供達は一人、また一人と帰っていく。

 そして別れ際に皆同じように、笑顔でその言葉を言っていく。

 

「また明日!」

 

 別れの言葉であり、再会を誓う言葉。

 明日もまた会おうという約束。

 子供は純粋だから、また明日も同じ友達と遊べることを疑わない。

 

「ね、ね、リュウくん、また来ようね」

 

「ん、また明日?」

 

「や、そういうのじゃなくて。

 ああいや、そういうのでもあるんだけどね。

 今ちょっとぴぴーんと来たんだよ、ぴぴーんと」

 

「……?」

 

「明日また来ようとかそういう短い約束だけじゃなくて。

 もーっと長い約束とかしてみたら面白いかなって思ったんだよね」

 

「長い約束……?」

 

「んー……よし。二人で20歳になったらここに集合。うん、そうしよ、約束」

 

「大人になったら? 友奈、話が見えないんだけど」

 

「うん、大人になったら。

 そのくらいの歳になっても、まだ約束を覚えてたら……

 またここに来ようって覚えてくれてるなら……

 リュウくんが今と同じくらい思ってくれてたら……

 ……んー。

 やっぱ言うのやめた。

 リュウくんが覚えててくれたら言ったげる。頑張って覚えててね」

 

「わけわからん。……約束は覚えといてやるよ」

 

「リュウくんはダメだなー」

 

「なんだとコラ」

 

 大人になっても今みたいな関係だったらいいよね、と幼い友奈は願う。

 大人になっても今みたいな関係でいようね、と口に出さないまま幼い友奈は願う。

 あっ、とここまで見たことで、夢見心地だった友奈が"この後"を思い出す。

 夢の観測者が"その時の記憶"を思い出したことで、夢が映し出す光景がつられて動き、この約束がなされた数年後に場面が移る。

 

 時は小学三年生の頃。

 その時、友奈とリュウは二人で下校していた。

 小学校に上がってからはなんだかんだ行かなくなったかの公園の前に通りがかって、何かを思い出した様子のリュウが友奈に問いかける。

 

「そういえば友奈はまだ覚えてる?」

 

 三年生の友奈はその時、幼い頃の自分の発言を思い出し―――思いっきり恥じた。

 

 当時の自分の幼く純粋な思考と感情からした約束を、全力で恥ずかしがった。

 

 医学的見地において、女子は平均して9歳9ヶ月頃から思春期に入ると言うが、この時の赤嶺友奈はまさにその"思春期に入りたてで自分を制御できない年頃"であった。

 

 猛烈に照れて、心底誤魔化したくなって、友奈は忘れたふりをした。

 

「何が?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 リュウが気を使って、友奈が約束を忘れたことになって、友奈が瞬時に照れて誤魔化して忘れたふりをしたことを後悔する。

 

 そんな過去を夢がはっきりと思い出させて、羞恥心と感情の爆発で友奈は跳ね起きた。

 

「うああああああああっ!!」

 

「うっさいわ友奈! 朝っぱらから何騒いどんねん!」

 

 大声を上げて跳ね起きた友奈が大声を上げ、その頭を静がひっ叩く。

 ここは彼女らが住んでいる学生寮、その一室だ。

 今は一人が治療のため病院に居るが、赤嶺友奈と相部屋の弥勒蓮華、部屋が繋がっている桐生静は同じ部屋で寝泊まりするのも日常茶飯事である。

 そんな状態で一人が奇声を上げて飛び起きれば、そりゃ怒られるというものだ。

 

「め、めちゃくちゃダサいというか……

 羞恥心から一番やっちゃいけないことやったこと思い出したっていうか……」

 

「そかそか。顔洗ってき」

 

「はーい」

 

 友奈は顔を洗って、朝御飯の前に体を動かし始める。

 ストレッチ、腕立て、腹筋、スクワット。

 筋肉を鍛え上げる目的と言うよりは、朝食の吸収効率の上昇、自律神経のバランスを整えるためのやや軽めの筋トレである。

 

 赤嶺友奈は筋トレが好きだ。

 筋トレによる美しい肉体の構築とダンスが彼女の趣味である。

 本人は「お役目に必要だからー」などと言うだろうが、鏑矢に選ばれる前からハイレベルなダンスができるくらいには鍛えていたので、完全に本人の趣味である。

 静は暖めたご飯と味噌汁を並べ、冷蔵庫の中の鮭をチンし、野菜の漬物を適当に出し、朝御飯の準備をしながら友奈に声を掛ける。

 

「明日ロックも退院してくるんやから、落ち着きは取り戻しておかなあかんよ?」

 

「弥勒さんもう大丈夫なんだ」

 

「激しい運動は厳禁やけどな。綺麗に足折られたせいで治りも早いっちゅー話や」

 

「よかった……それにしても、毎度思いますけど。

 私と同じくらいの速度でごはん食べながら私の三倍くらい話してるのすごいですね……」

 

「ふふん、褒めても何も出えへんで? 静でない、静なんや……!」

 

「あ、はい、そうですね」

 

 友奈が筋トレを終え、朝食中ながらも賑やかな会話が進んでいく。

 話題を振るのはいつも静。彼女は鏑矢の巫女という肩書きの割に、巫女のスタンダードイメージに反してお喋りで、いつも何かしら喋っている。

 そして不快感がない。

 だから彼女がその場に居るだけで、空気はどんどん明るくなっていく。

 多弁でない人間も比較的よく喋るようになることもある。

 昨日、一昨日と失敗が続いていた友奈だったが、彼女と話しているだけで気分が上向いていく実感があった。

 

 もぐもぐと食べ、和気藹々と喋る。

 

「そう言えばシズ先輩、昨日のドラマなんですけど」

 

「ああ、ラブロマンスやったなー。

 結構おもろかった。特に嘘に嘘を重ねたのが伏線になったのが好きやったな」

 

「あれリアルなんでしょうか?

 現実でも好きな人に嘘や隠し事されたらあんなに傷付くんでしょうか。

 嘘つかれたことを絶対に許せない、ってのがあんまりピンと来ないっていうか……」

 

「せやかてウチもそないな経験あらへんし」

 

「ああ、そうなんですか」

 

「アカナは恋愛経験無いってことにしてるんやったっけな」

 

「無いってことにしてるってなんですか、本当にそういう経験無いですけど……」

 

「へいへい」

 

 卵かけご飯を、卵をかき混ぜてからご飯に投入するのではなく、そのままご飯に卵を投入してからかき混ぜ始める友奈を見て「なんやこいつ……」と思いつつ、静は話を続ける。

 

「ロックかてメロンクリームソーダとか好きやん?

 本人は平静装って飲んどるけど。

 あれもメロンの色素も果汁も何も入っとらん嘘まみれジュースやん。

 嘘を受け入れられる人も、逆に嘘が好きな奴もおるんとちゃうかなー」

 

「レンちはレンちですし」

 

「ドラマの女優も『優しい嘘で騙してくれたのが嬉しい』って言っとったし」

 

「まあ……うーん……あの気持ちも分からないでもないですけど……」

 

「ウチも嘘十割やけどサンタクロースは好きやで」

 

「あー、それ出すのは卑怯ですよー」

 

 けらけらと静が笑い、友奈がくすくすと笑う。

 

「あ、でもほら、整形とか豊胸手術とかは好意的に受け入れられないですよね。

 あれも大概嘘ですけど全然受け入れられてない感じです。なんででしょうか?」

 

「夢が無いからやないかな」

 

「夢がないからかー……」

 

「夢がない嘘はいかんよ夢がない嘘はー。

 ま、アカナは豊胸手術とかする必要は一生ないやろけどな!」

 

「……セクハラですよー」

 

「んはは」

 

 ささっ、と大きい胸を隠すような動きをする友奈に、笑う静。

 このくらいの気安いやりとりができる信頼関係が二人の間にはあった。

 

「鷲尾やったっけか、そいつもアカナの"それ"ガン見しとったんやないか」

 

「リュウはそういうことしません」

 

「お、おう」

 

「興味無いわけじゃないと思うんですけど、私が嫌がるから絶対しないんです」

 

「"私が一番あいつを理解してます"みたいなツラしといてなんで色々認めへんねん……」

 

「いやだって、そういう関係じゃないのも、私がリュウを理解してるのも事実ですし」

 

「あー面倒臭っ! 反応に困るクソリプみたいな味わいのコメント言うんやないわ!」

 

 友奈はどやっとした表情で得意げにリュウのことを語り、何かを思い出して、寂しそうな顔をしそうになって、愛想笑いを顔に貼り付けごまかした。

 

「それに、リュウは私のことを恋愛的な意味では好きじゃないんですよ」

 

「んん? 嘘松乙と言ったろか」

 

「いや本当にそうなんですってば」

 

「なんでそう思ったん?」

 

「クラスで男子が集まって話してたんですよ。

 女子で誰が好みか~みたいなの。リュウもそこに居たんです」

 

「ふんふん」

 

「それで私はいつもみたいに後ろから抱きついて、リュウを驚かせて」

 

「ん……?」

 

「『リュウの好きな女の子のタイプってどんなの?』

 って聞いたら

 『ゴリラじゃない、細くて筋肉のないおしとやかな女の子』

 って言ってて。私その時リュウの女の子の好みを初めて知ったんです」

 

「あー、あー、大体分かったわ。鷲尾少年かわいそやな……こんなんが幼馴染で……」

 

「え、なんですかそれ。

 ともかくですね。

 私も当時はイメチェン頑張ろっかな……みたいなことも思ったんですが。

 リュウはありのままの私に好感を持ってくれてるのも分かってたんです。

 人間としての私を好きで居てくれてるみたいな……

 今のままの筋肉女の私を理解して大事にしてくれてるみたいな……

 そういうのを捨てちゃうのがなんだか嫌で、結局私は私を変えなかったんです」

 

「寂しく思っとんのか惚気けとんのかどっちや?」

 

 クラスの男子達の前でそんなことをされて、本当の本心を言えば翌日からクラスでリュウと友奈が玩具にされることが見えていた当時のリュウの心境は、いかばかりか。

 静は心中で合掌し、未だ会ったこともないリュウの苦労をいたわった。

 彼氏彼女の間柄である男女を静は過去に何人か見たことがあったが、赤嶺友奈と鷲尾リュウの関係はそのどれとも似ていなかった。

 

「とまあそういうわけで、私はリュウの好みの女の子ではないのです。終わり」

 

「せやろか……まあええわ、当人同士の問題やしな……」

 

 断定の口調で言い切る友奈。

 静は、第三者が踏み込んでも何も変えられないという確信を得ていた。

 "夫婦喧嘩は犬も食わないって言うしな"と、心の中でひっそり思う。

 

「私はちょっと体動かしてから大赦の方に行って夜まで寝ようかなって思ってます。

 時間があったら弥勒さんのお見舞いにも行こうかな。

 だから深夜までずっと帰って来ないので、シズ先輩もそのつもりでお願いしますね」

 

「おけおけ、そのつもりで動いとくわ。

 買い物もせんといかんかったし、ほなウチが食材とか買い溜めしとく」

 

「ありがとうございます。私、今夜こそ決着つけますよ」

 

「気負いすぎひんようにな。ウチも二度は助けられん気がするわ」

 

「本当に助かりました。シズ先輩、かっこよかったですよ。私も気合いが入るってもんです」

 

「へへへ、せやろー?」

 

 次は私一人の力で勝たないと、と友奈は覚悟を新たにする。

 助けられるのではなく、助ける。そう誓う。彼女は鏑矢だから。

 守られるのではなく、守る。そう誓う。彼女は鏑矢だから。

 静の勇気に助けられたことで、静に対する感謝と、静に対する心配の両方がそこにある。

 もうあんな無茶は絶対にさせないという友奈の覚悟は、感謝と心配の両方から湧き上がるものであり、その覚悟には燃えるような熱があった。

 

「じゃ、また明日」

 

「ほな、また明日なー。メフィラスも探しとくわ」

 

 だから、友奈は。

 

 次にここに帰る前に、次の夜が終わる前に、戦いを終わらせたいと。

 

 強く、強く、願っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桐生静は、中学三年生。

 祝詞で鏑矢の力を制御する力を与えられた鏑矢専属の巫女。

 リュウや友奈の一つ年上、けれどまだまだ子供な女の子。

 されどどこか割り切ったところがあって、いつも元気にお喋りしている陽気な子である。

 元気で陽気な静だが、髪や肌の色素が薄めで、桜色の髪に日焼けした肌の友奈と並ぶと、どこかインドアな印象も受ける。

 

 下ろせば長い髪を高めに束ねて、汎的なファッションなんじゃそりゃと言わんばかりに独特な、けれどセンスが終わってるほどではない塩梅の服装で、静は外出する。

 太陽が眩しい。

 雲が白い。

 風が心地良い。

 雨を吸った元気いっぱいの緑の香りが、ほんのり風に乗っている。

 

「んー、いい天気や」

 

 静は街を歩いていく。

 子を肩車し、笑顔で歩く親がいた。

 肩を並べて走り回る男の子達がいた。

 わちゃわちゃと話しながら、ウィンドウショッピングをする女の子達がいた。

 愛おしそうに手を繋ぎ、ベンチで語り合う恋人たちがいた。

 

 皆、笑顔だった。

 今の世界がとても平和だから。

 今の世界に幸せになる自由があるから。

 この世界が……守られているから。

 

 一人一人に幸福があって、不幸があった。

 大切な人が居て、嫌いな人が居た。

 守りたいものがあって、なくなってほしいものがあった。

 誰もが普通の人で、普通に生きていた。

 人を殺せなくて、殺されるのが嫌で、人が死なない世界の継続が望みで。

 社会の裏で人が密かに殺されていることも、鏑矢と怪獣が戦っていることも知らない。

 そんな、ごく普通の人達だった。

 

 彼らには、何も知らない権利がある。

 殺し殺されの世界に踏み込まず、平和に幸福に生きる権利がある。

 平和、自由、日常。それらを無条件に得られる権利がある。

 それを守っているのが大赦で、"そちら側"に居られなかったのが静達である。

 

「……」

 

 静は、胸に穴が空いたような感覚を覚える。

 

 鏑矢のお役目とは、どんなに言い繕っても殺人の主犯となることである。

 しからばその力を引き出す鏑矢付きの巫女も、その共犯であると言える。

 それは、どっちつかずの苦悩を生んでいた。

 

 静は主犯にはなれない。

 鏑矢の力で人を死に至らせる神樹、鏑矢の力で人を昏倒させるのが役目の鏑矢、鏑矢に神樹の力を付与する巫女。この関係性は変わらない。

 手を汚していない、という自覚が彼女の胸の内にはある。

 

 同時に、手を汚していないとも思えていない。

 共犯であることに間違いはない。

 人は死んでいるのだ。

 社会に要らない人間は確かに殺されている。

 だから静は、赤嶺友奈や弥勒蓮華と同じ枠の中に自分が居ないと感じながら、街で見る幸せな人達と同じ枠の中に自分がいないと感じている。

 

 それは、孤独とも呼ばれる気持ちだ。

 

 神がそうすべきだと人間に神託を下した殺人に、罪はあるのか?

 世界のために人間を殺したり生贄にすることは許されるのか?

 ……そう問われれば、静は明確に断言できる答えを持っていない。

 

 "加担した"という罪悪感。

 "同じものを背負えていない"という罪悪感。

 静はそれら一切を表に出さず、からからと笑って、友奈達が罪悪感で落ち込んでしまいそうな時はその心を明るくする。

 その在り方に友奈が救われている面は、間違いなくあるだろう。

 

 けれども、平和な街、幸せに笑う人々、脅かされず何も知らない皆を見ていると、どこか寂しさを感じる彼女の心を救ってくれる者はいない。

 

「あら、なんや」

 

 街を歩いていた静が、公園の前でちょっと不思議なものを見つけた。

 

 顔も体もすっぽり覆うローブで姿を隠した不審者が、公園の前で泣いている五歳くらいの女の子の前で右往左往している。

 泣き止んでくれ、と何やら言ってるのが聞こえて、「まさか真っ昼間から事案やないやろな」と不安になった静は真っ直ぐにそちらへと向かった。

 

 少女はどこにでも居るような幼い少女。

 男の服装もまた、さして珍しくはないものである。

 西暦末期、怪物・バーテックスの襲来によって、天空恐怖症候群という病症が発生した。

 天空から襲来した怪物により、人々の精神は時に不安定に、時に崩壊し、空を見上げるだけで発狂する者が多発した。

 そういった者達は、軽症の者ですらローブやフードなどで顔を覆い、空を欠片も見ないようにする以外に生きていくことができなくなってしまったという。

 

 それから70年以上が経ち、天空恐怖症候群罹患者は四国に存在しなくなったが、子世代孫世代がその時代の服装を真似し、ファッションデザイナーが服にそれを取り込んでいった。

 怪しい不審者に見えることに変わりはない。

 だがこの男の服装が他に類を見ない者であるというわけではない。

 怪しいが珍しくはない、そんな格好の不審者であった。

 

「うええ」

 

「ほ、ほら、泣き止んでくれな? ベロベロバー」

 

「うええええん! 今時ありえないくらい古臭いクソみたいな励ましされたああああ!」

 

「そこまで言うことねェだろ! ほ、ほら、撫でてやっから」

 

「あああああん! 童貞確定の振る舞いしてるお兄ちゃんに触られたああああああ!」

 

「え、お、す、すまん。えーと、飴食べるか……?」

 

「びえええええ! 私の嫌いなミルク味いいいいいいい!」

 

「どうしろってんだよ!!! なあ、頼むから泣き止んでくれよ。放っておけないだろ……」

 

 ああ、これは不審者じゃなくてバカみたいなお人好しだ、と静は大体察した。

 泣いている子供を放っておけない優しい人間であることも、けれど子供を上手く扱えるほど器用ではないことも、会話を聞いていて分かった。

 

「ちょっとええか?」

 

「? 何……っ―――」

 

 その男性は深く被ったローブで顔の一部も隠していたため、表情の動きも見えず、静は『その人が自分の顔を見て驚いていたこと』に気付かなかった。

 

「ウチに任せとき。なーに、お喋り・トーク・井戸端会議はウチの得意分野や」

 

「ぐずっ」

 

「ほーれほれほれ。

 この美人というほどやないけどブサイクでもないお姉ちゃんに話してみー?」

 

 男はローブを深く被り直し、もう少し顔を隠してから、静が出してくれた助け舟に乗る。

 

「気を付けろよ。この子はなァ、見かけの年齢の割に強敵……」

 

「母親とはぐれて泣いてるみたいやな」

 

「聞き出すの早ェな! オレの苦労はなんだったんだ!?」

 

「ぐすっ……お兄ちゃんは外見からして社会的信用が無いもん……」

 

「……それもそうかもしれねェけど、釈然としねェー……」

 

 男は立ち上がり、周りを見渡す。

 静と女の子の会話を聞きながら、その会話の断片を拾い、親がどこに居るかの推測を頭で組み立てていっている。

 やがて静も、男の意図を察したようだ。

 

「ん? 探すんか?」

 

「話聞く限りはぐれて時間経ってねェだろ。ならその方が早い」

 

「早い遅いの話やないんやけどな。今時珍しいやっちゃ」

 

 当然のように親を探し始めた男を見て、何の義理も無いのに懸命に親を子に会わせてやろうとする男を見て、静もまた、買い物の予定を一旦ぶん投げて男に協力し始めた。

 ほどなくして親は見つかり、女の子は泣き止んで、親に手を引かれて去っていく。

 

「ありがと、面白い喋りのお姉ちゃん、面白い顔のお兄ちゃん」

 

「ほななー、もうはぐれるんやないでー?」

 

「何? 面白い顔ってオレのこと?」

 

 背が低く下から見上げる形になっていた幼い子にはローブフードの顔隠しの効果も薄く、顔に怪我をしていたから面白い顔と言われたのだが、言われただけの男には分かるわけもなく。

 ちょっとショックを受けつつ、その言葉を飲み込んでいた。

 

「ありがとな、あんたのお陰としか言えねェ」

 

「かまわんてかまわんて。どうせもののついで……おーいどこ行くんや?」

 

「今あそこで婆ァが転んで買い物袋の中身ぶちまけてる。オレの手でも借りたいとこだろ」

 

「ああ、ホンマやなー。しゃーない、猫の手はないけど人の手はあるで?」

 

 買い物袋をぶちまけたおばあちゃんを助けて、お礼を言われて、これで終わりやなーと静が思った頃には、男は別の人を助けに行っていた。

 それに静もなんとなくて付いて行き、なんとなく手助けする。

 え、なんでこの人こんなに人が良いんだ、と男は静に対して思った。

 え、なんやこいつなんでこんなにお人好しなん、と静は男に対して思った。

 困ってる人を放っておけない男と、困っている人を放っておけない人を放っておけない人。

 

 それはどこか、人の世を救うために走る鏑矢を巫女として支える静、という普段の戦いや日常の構図をリプレイしているかのようだった。

 

「つかなんやあんた、困ってる人が居たらすぐ助けに行くマンなんか?」

 

「いんや、そういうわけじゃねェが……やることなくて暇でな」

 

 粗方終わって、やることも大体なくなった頃、男と静はベンチに並んで座って休む。

 互いに自己紹介もしないまま、なんとなく会話もそこそこ弾むようになっていて、ぼんやりしながら空を見上げてお喋りするくらいの距離感にはなっていた。

 

「何もしてないと気が変になりそうだった」

 

「ふーん……?」

 

「こっちの話だからよォ、心配する必要とかはないぜ」

 

 男は近くの自動販売機で適当なお茶を二本買って、一本を静に投げ渡す。

 

「うん? なんやこれ」

 

「今日は助かった」

 

「いや、人助けしてたのはあんたやん」

 

「人助けしてたオレをあんたが助けてくれた。

 オレを助けてくれた人には、オレが礼をしなきゃ筋が通らねェ」

 

 静はきょとんとして、すぐにくっくっくっと笑い出す。

 

「あんた人が好すぎるわ。生きるのに苦労してるやろ」

 

「いや、特には」

 

「あれ?」

 

「物心付いた時には友人に恵まれたからなァ、人より苦労してるとは思わねェわ」

 

 嘘も虚偽もなく、男は心の底から信じている事を言葉にして口にした。

 静は投げ渡されたお茶を見つめて、んー、と少し悩んだ様子を見せる。

 どうしたんだろう、と男は思うが、男に礼をされるようなことはしてないという認識の静からすれば、これを貰うのはちょっと気が引けてしまう。

 

「ウチからするとこんな礼貰うのが申し訳ないんや。

 かといって受け取らんのは失礼やなーとも思う。そこで閃いた」

 

「ひらめいた……?」

 

「なんや悩んどるみたいやったけど、ウチに話してみぃひん?

 ほら、赤の他人やん。

 何話しても損にはならんし、話せないなら話せないでええ。

 赤の他人の善意なら受け取らんでもそんな気にする必要あらんやろ?」

 

「―――」

 

 男は別に何か匂わせたわけでも、何か漏らしたわけでもない。

 二人は自己紹介すらしてないから、互いのことを何か教えたわけでもない。

 ただ、静が察しただけだ。

 悩み事を抱えながら人のために動き続ける者を、大怪我をしながらも周りに心配をかけないよう無理して体を動かしている者を、静はずっと見守ってきたから。

 ローブの下の表情も、傷跡も、何も見えないままに、静は彼を労っている。

 

「あんた、いい人だな」

 

「せやろー? しょっちゅう言われるわ。24時間365日!」

 

「調子乗ンな」

 

「へっへっへ、調子と車はいくら乗ってもええもんやで。事故にだけはお気をつけ、ってな」

 

 この人は事故らないんだろうなァ、と男は静に対し思う。

 男は、率直なところ嬉しかった。

 他人の優しさが暖かく、心地良かった。

 静が今日助けてくれたことも、優しさを向けてくれたことも、嬉しかった。

 

 ―――嬉しかったが、それだけだった。彼は何も変わらない。

 

「気持ちだけ受け取ッとくわ」

 

「そかー。すまんな、役に立てへんみたいで」

 

「いや……心配されただけでも嬉しィもんだぜ。

 ありがとう。オレに必要だったのは、あんたの言葉で入った気合いだったのかもしれねェ」

 

「……なんや、ウチの知り合いの筋肉娘みたいなこと言うんやな。

 言うてそこまで言われるほど、ウチは良いこと言ったわけでもいいやつでもないんやけど」

 

 ふっ、と男は思わず口元に笑みを浮かべた。

 

「あんたが知らなくても、あんたがいいやつであることを、あんたの周りは知ってンだ」

 

 静の優しさを受けて、素直に心に浮かんだ言葉を返した彼の言葉が、柔らかな納得と共にすとんと静の胸の内へと落ちる。

 

「優しいあんたのままで居る限り、あんたは絶対に孤独じゃねェ」

 

 男がベンチを離れ、去っていく。

 

「あ、また明日。ウチもこの辺うろついてると思うしまた明日会えたらええな」

 

 また明日、と何気なく静は言った。

 友に言うように、自然に。

 これから友になれるかもしれない者に、自然に。

 男はその言葉に「また明日」とは返さない。

 

 それは、約束になるから。

 約束になってしまうから。

 その約束だけは、もう彼にはできないことだから。

 

「あんたは友奈に必要だ。それが分かっただけでも、良い時間だッたと思える」

 

 それだけ言って、男は消えた。瞬きの間に視界から消える。

 

 男は一度も名乗らなかった。

 

 けれど、最後に残した言葉が、静に男の正体を察させる。

 

「……まさか、今の?」

 

 頭の中に次々浮かぶ思考と推測を整理しながら、静は髪をかく。

 何か分かったようで、何も分からなくて、けれど分かったことが一つあった。

 

―――何もしてないと気が変になりそうだった

 

 静にも、覚えがあった。

 巫女として鏑矢を送り出して、放てば戻らないが道理である矢の帰りを待ち、何事もなく帰って来ることを祈り、待つ。

 最初のお役目の日が一番酷かった。

 待っても待っても時間は過ぎず、いくら待てども友奈も蓮華も帰って来なくて、不安になっているのに不安を解消することができず、ただただ待つことしかできなくて。

 苦しくても。

 辛くても。

 巫女でしかないから、待つしかない。

 『何もしてないと気が変になりそう』で、意味もなく紙に落書きしたり、ペンを回したり、落書きした紙をくしゃくしゃにして投げ捨てたり、テレビのチャンネルを変えまくったり。

 

 男の言葉に……鷲尾リュウの言葉に、静が覚えたのは『共感』だった。

 

「何かしたくなったらまず人の役に立とうとする、か。

 難儀やなあ。アカナといい、あいつといい、ぶきっちょな優しい奴はどうにも……」

 

 理性ではなく感覚的に、静は理解する。

 

 赤嶺友奈が、かの幼馴染を迎えに行こうとしてる理由を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜は来る。

 時は待たない。

 誰も待たない。

 世界はリュウの敵であり、時間はリュウの味方をしない。

 

 鎮痛剤を何錠、ではなく一袋飲み込み、ペットボトルの水で流し込む。

 段々と痛みは強く、鎮痛剤の効き目は弱くなってきていて、集中力が痛みで散漫になりやすくなってきている。

 弱みは見せられない。

 "鷲尾リュウは無理をしているがもう弱り切っている"と大赦側にバレれば、「赤嶺友奈を使わなくても仕留められるんじゃないか?」という意見が段々と強くなっていくだろう。

 友奈が不要と判断された時、その時が友奈が処分される時になるかもしれない。

 弱さは見せられないのだ。

 

 リュウはダークリングを構えて、止まる。

 

―――また明日

 

 ふと、脳裏に浮かぶものがあった。

 

 今日、街で助けた人々の笑顔。

 今日、街で見た幸せな市民達。

 明日が来ることを誰もが信じて疑わない平和。

 記憶の中の母の顔。

 間違いなくいい人だった桐生静。

 学校の友達。

 そして、たくさんの人達に囲まれて笑っている友奈の笑顔。

 彼の勝利によって"失われる笑顔"の数々を見る度に、思い出す度に―――心がブレる。

 

 苦しくて、辛くて、自分を殺したくなって、止めたくなる。けれど。

 

「迷うな」

 

 けれど、心の天秤の片方にそれらをいくら乗せても、『もう片方に乗っている少女』が何よりも重い存在である限り、彼の天秤は反対側には傾かない。

 

「迷うな」

 

 地獄の苦悩を、自分に言い聞かせるようにして、乗り越える。

 

「悪魔に魂を売ってでも、欲しい物があンなら―――」

 

 親指で弾き入れ、捕獲機械獣のカードをリードする。

 

《 Σズイグル 》

 

 親指で弾き入れ、宇宙恐竜のカードをリードする。

 

《 ゼットン 》

 

 ダークリングを掴み、その力を掌握し、闇が吹き出る神器を掲げる。

 

「来い! 『捕らえる力』!」

 

 Σズイグルとゼットンのカードがほどける。

 二つの闇が混ざって、リュウの体に溶け込む。

 闇と人体が一つになって、新たな力へ昇華する。

 

「超合体―――『シグマゼットン』」

 

 混ざるは二つ。

 ウルトラマンを倒すためだけに投入された、対ウルトラマン特化の二体。

 対巨人特化の二つの力を、対人特化に転換して顕現させる。

 

 悪魔に少しの魂を売ることで、その体は2mではなく―――60mの巨体として、顕現した。

 

 

 




 「あいつどんだけ友奈を傷付けず無力化したいんだ……」って言われてもしょうがない奴


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2

 鷲尾リュウは人を殺せない人間ではない。

 殺せる人間だが、情に流されることがあるだけ。

 そして情に流される彼でも、世界の敵には容赦がない。

 容赦なく殺した人間の顔を、彼は全て覚えている。

 男だけでなく、女も殺した。

 

 だが一度、女とはいえ大の大人が泣き始めた時は、少し困ったことを覚えている。

 

 救えない女だった。

 破滅思考。責任転嫁。暴力的。情緒不安定。精神病。

 生きている限り救われず、殺さなければ救われない女だった。

 文字通りに、頭のおかしな女だった。

 

「知ってるのよ……この世界が、弱肉強食の世界だって……」

 

 壁の向こうの、神が遣わした怪物を想い、両足を折られた女は嘆く。

 

「なんでこんなことになったのよ……世界はなんでこんな風になってるの……?」

 

「違う」

 

 カードから具現化したゼットンと肩を並べ立つリュウは、冷たく淡々と言い放つ。

 

「生物存続の原理は弱肉強食じゃねェ。

 適者生存だ。

 世界はいつだって、世界に適した形の命が残る」

 

 ダークリングから具現化されたゼットンは、ゼットン化したリュウほど柔軟な自己判断はできないものの、口頭で命令すればすぐさまに女を絶命させるだろう。

 温情も同情も期待できないそれは、ギロチンの刃にほぼ等しい。

 

「戦闘に特化していったキリンは皆死んだ。

 生き残ったのはより多くの餌に口を届かせられる首長のキリンだ。

 強い者だけが残り弱い者だけが滅びるなら、地球の生態系は成立しねェんだよ」

 

「……! ふざけないで!」

 

 女が叫び、リュウより一回り大きいゼットンが反射的に殺そうとするが、リュウが止める。

 それは"最後の言葉くらい残させてやる"という、本人すら無自覚の無駄な甘さ。

 

「じゃあ、人類は適者じゃなかったって言うの!?

 だから死んでも滅びても仕方ないって、そんな……!」

 

「神の殺しは世界の真理でも何でもねェんだよ。

 神の選択であって意思だ。

 ……大自然の選別と神の選別を同列に置くなら別だがな。

 人間が滅ぶとしてもそいつァ世界の真理なんて御大層なもんじゃねェ。

 人間を大嫌いな奴が人間を滅ぼした、そんくらいの話でしかねェんだ」

 

「なによ……なんなのよ……何が、誰が、正しいのよ……」

 

「正しさ? オレは少なくともオレが思う正しさは知ってる」

 

 人を殺す覚悟を決める前に、息を吸い。

 

「適者生存ってのは、生き残るべき奴が生き残るってことだ。

 たとえば……優しい子は生き残るべきだと思わねェか?

 他人に優しく、他人を気遣い、困っている人の味方で、友達を笑顔にするような……」

 

 人を殺す覚悟を決めて、息を吐く。

 

「だから、オレもお前も適者じゃねェんだ」

 

 ゼットンが火球を吐き、悲鳴の一つも上げる間もなく、女の体が蒸発する。

 

「だから、適者は生き残らなくちゃならねェんだ」

 

 人肉の焼ける匂いが、鼻孔に酷く気持ち悪くまとわりついて、離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウは悪魔に魂を売る。

 感情を抑えて闇に堕ちるのをこらえる、といった作業はここにはない。

 リュウの望むままに理性が静かに"ダークリングに相応しい"精神性に、徐々に、徐々に染まっていき、理性がごく自然に悪の思考を行うものへと寄っていく。

 成立していくのは、悪性の理性。

 ダークリングの力がほとんど発揮されないほどに反発する光の心を持つ者でもなければ、きっとすぐに虐殺を始めていただろう。

 

『まず、初手だ』

 

 大赦がリュウの巨大化を見て、四国の混乱を抑えるべく、「この時間帯以降は外出禁止」「外を見るのも禁止」「でなければバーテックスの悪影響で心を壊される」という告知を流していたために、この夜からはもう巨大化しても見る市民はいない。

 出歩いている市民もいない。

 戦闘に巻き込まれる心配もない。

 それは数日前のリュウにとっては好都合だったが、今のリュウにとっては、分からない。

 

 シグマゼットン。

 元よりゼットンは昆虫的な外見と機械的な動作が印象的な怪獣だが、機械怪獣を超合体させたことで、より機械的な印象が強くなっている。

 金属質な肉に並ぶ機械のライトのようなパーツが時折点滅し、ピポポ、という機械音声的な鳴き声が異様にその外見に似合っている。

 

 概念としては、機械恐竜。

 外見としては、機械昆虫。

 

 シグマゼットンがその巨体を揺らし、全身から光を放った。

 発光体が放つ光が高知を照らし、友奈や大赦の者達が思わず目を覆う。

 まだ変身もしてなかった友奈は、それを宣戦布告と受け取った。

 

「上等だよ、体だけおっきくなっても、今すぐに―――」

 

 友奈は胸の内ポケットの端末を操作し、変身を始動……させようとして、違和感に気付いた。

 端末が起動しない。

 いや、起動寸前で止まっている。

 間髪入れず、友奈の手から金属の霧が噴出した。

 

「え?」

 

 "さっきの光を目眩ましにして友奈に捕獲光弾を撃ち込んでいた"と、気付いていた者は誰も居なかったから、止められない。

 

 霧が友奈の両手を左右に引っ張り、そこに固定。

 足もピンと張らせて固定。

 友奈の全身を覆った金属の霧が十字架型の棺を構築し、友奈の全身をガチガチに拘束しつつ急速に硬質化する。

 

 十字架型の棺は、殺すのではなく捕らえるためのもの。

 そこに囚われた赤嶺友奈は、宗教画に描かれる『十字架に磔にされた救世主』を連想させる。

 人の世を救う勇者に向けられる悪意には、十字架こそが相応しい。

 

「ちょ、ちょ、ちょ? なにこれ?」

 

 十字架棺が浮く。

 シグマゼットンが吸い寄せている、と判断してからの大赦の反応は早かった。

 

「―――行かせるなッ!!」

 

 初日に友奈が使っていたワイヤーで十字架棺を捉え、飛んで行こうとする棺を車で無理矢理牽引し、なんとかシグマゼットンの吸引圏内から離脱させる。

 危なかった。

 今、もし少しでも反応が遅れていたら。

 もし、シグマゼットンが赤嶺友奈を確保していたら。

 そこでどうしようもなく、人類はゲームセットだっただろう。

 

 リュウは内的宇宙(インナースペース)にて一人、舌打ちする。

 

「あ、あの、これなんですか?」

 

 十字架棺の中から、友奈が周りに問いかける。

 車で十字架棺を運搬しつつそれをどうにか壊すか開こうとしていた大赦の男達は、ビクともしない棺に内心焦りつつ、応えた。

 

「弥勒様が戦線離脱する決め手の一つとなった、あれと同じです。

 体内に何かを仕込む光線。

 検証するわけにもいかず詳細は不明でしたが今分かりました。

 まさか……変身する力を起動すると、本人を強固な棺に捕らえる能力……!?」

 

「!」

 

「これは……これは不味い。

 初手で巨大化してきた以上、奴はそのまま一直線に進むはず。

 ならもう普通に歩くだけで全部踏み潰されてしまう! 止められない!」

 

 防衛戦力が無い。

 

 あのサイズだと、車で体当りしても止められない。

 

 事実上の王手であった。

 

 

 

 

 

 ふぅ、とリュウは安堵で深く息を吐く。

 Σズイグル/シグマゼットンの拘束は非常に強力だ。

 内部から変身に使われる強力なエネルギーが噴出しても完璧に抑え込み、外部からの攻撃にもそれなりの耐久度を誇る。

 普通の人間が壊したいなら、それこそSFの光線銃くらいの火力は必要だ。

 友奈を無力化して戦場からどかし、万が一変身できていない友奈が盾にされるようなことがあっても、ある程度なら棺が友奈を守ってくれる。

 

『ゆっくりでいい。自分を見失わないように、確実に……』

 

 悪魔に魂を売って巨大化し、確実性を確保した。

 これで怪獣化したリュウは、万が一にももう止められない。

 となるとリュウの心配事は、"いつ自分が自分でなくなるか"に焦点が当たる。

 

 自分がなくなるだけならいい。

 最悪は、自分が自分でなくなった後。

 ダークリングに相応しい邪悪になっていけば、いずれは友奈すらどうでもよくなってしまう可能性もある。

 そうなってしまえば、リュウは最悪の力で友奈に危害を加えかねない。

 

 自分の幸福のためではなく、友奈の幸福のために、リュウは細心の注意を払って自分を保つ。

 

『……?』

 

 そんな、進撃する大怪獣を前にして。

 

 何の意味もなく、けれどその者にとって意義あることとして、立ちはだかる人間が居た。

 

「止まれ!」

 

 それは、ただの人間だった。

 ただの大赦の一員だった。

 名も無き者達の中の一人だった。

 昨日の静の勇気ある行動に勇気を貰った人間の一人だった。

 義憤や悔しさに歯を食いしばる、ごく普通の男だった。

 

 男は生身一つでシグマゼットンの前に立ちはだかり、大赦の仮面を投げ捨てる。

 仮面の下の顔はかなり若かった。

 20代前半か、あるいは落ち着きのある10代。

 男は意味など無いと分かってるだろうに、行く手を阻むように両手を広げ、怯えを噛み殺して怪獣の前に立ち続ける。

 

「君の事情は把握している!」

 

『……なに?』

 

「だけど、君が何故大赦に反旗を翻したのか、それが分からない!」

 

『……ああ、そういうやつか』

 

 大赦、とは言うが、本来ひと括りにできる組織ではない。

 老人から若者まで、名家出身から一般出身まで、構成する人間はかなり多岐に渡る。

 特に神世紀初期に生まれ、バーテックスを知る西暦の人間達に育てられた『子世代』の者達と、西暦を知らない子世代に育てられた『孫世代』の者達の間には、越えられない壁がある。

 この若者はおそらく孫世代だ。

 ある程度事情を知っているのなら、名家の人間か、有能な人間かのどちらかだろう。

 

 だがおそらく、全てを知っているほどではない。

 

「何故……何故こんなことをしてるんだ!

 信じてたのに! 共に同じ場所を目指していると思っていたのに!」

 

 大赦は秘密主義であり、その傾向は年々強くなっている。

 それは大赦の他の人間に対してもそうだ。

 リュウも薄々と勘付いてはいた。

 何も知らないまま動いている人間は、少なくないと。

 赤嶺友奈のバックアップに動いている人間、大赦の守りに付いている人間、変身が解除されたリュウを殺しに動いている人間、他の大赦の人間……それぞれ全て、別なのだと。

 

 鏑矢の援護をしていた者。

 鷲尾リュウのお役目を支えていた者。

 赤嶺友奈の処分を決めた者。

 怪獣の正体が人間であることすら知らない者。

 赤嶺友奈の処分がリュウの反逆の理由であることを知る者。

 怪獣の正体がリュウであることは知っていても、リュウが何故裏切ったのか知らない者。

 ……組織は、人の集まりだから。

 この男のような者も居る。

 

 "何かの間違いだ"と思いながら。

 "いや現実だ"と自分の願うような思いを断ち切り。

 "あれは鷲尾リュウだ"と何度も何度も自分に言い聞かせ。

 "なんで"と心の中で繰り返し、友奈と戦うリュウに心の中で問いかけ続けた。

 "君は人を守るために手を汚すヒーローだ"と、この男はリュウに対し、ずっと思っていた。

 

「君は、人々の平和幸福を守るために戦ってくれていたと思っていたのに!」

 

 本人は多くを知っているつもりでも、肝心なことを知らない。

 知らないけれど。

 鷲尾リュウが戦ってきたことも、それで守られた平和があることも、彼は知っている。

 知っているから。

 数十mの高さまで届くくらいに声を張り上げ、泣きそうな顔で、叫び続けているのだ。

 

「その歳で重い責任とお役目を果たす君を……尊敬していたのにっ……!」

 

 それを見て、リュウの胸中に二つの気持ちが湧き上がる。

 "信頼を裏切ってごめんなさい"という謝罪の気持ち。

 "大赦が何言ってやがる"という憎悪に似た憤怒。

 光と闇のような分かりやすい気持ちではない、自分を責める気持ちと他人を責める気持ちだ。

 それは闇の思考である。

 

 光の許しではない、闇の憎悪が膨れていく。

 自分を憎む気持ちと他人を憎む気持ちが湧き上がるのは、きっとダークリングと無関係ではないだろう。

 その思考は根幹が間違っている。

 勝手に期待され勝手に信頼されただけなのだから、それを裏切った自分を憎む必要はない。

 何も知らない大赦の末端に対し憎しみを抱く必要もない。

 何か、どこか、思考の歯車がズレている。

 

 反逆初日のリュウの前にこの男が立ち塞がっていたなら、リュウはきっと、「リュウのことを考えて友奈にリュウのことを黙ってくれている」この男の気遣いに気付いただろうに。

 リュウの後戻りの道を密かに守ってくれていたことに気付いただろうに。

 彼が黙ってくれているおかげで、リュウはまだ、友奈に何もバレないまま全てを終わらせることができる可能性が残っているのだということに。

 大赦がリュウと友奈の同士討ちを狙っている以上、友奈に秘密を明かす可能性がある人間は危険因子であり、事情を知る者全てに箝口令が敷かれている。こうしてリュウに現地で説得を試みている時点で、この男が人生全てを台無しにする覚悟でリュウを説得にかかっているということに。

 今の彼では、気付けない。

 

「止まってくれ! ……君が壊そうとしているものは、君が守ろうとしたものじゃないのか!」

 

 深呼吸し、リュウは胸の内の気持ちを抑える。

 惑いそうで、躊躇いそうで、迷いそうで、でもそんなことを考えたくなくて。

 「皆と、友奈が笑ってられる世界を守りたいよな」なんて言って人を殺していた頃の自分と、世界を壊そうとする今の自分が交互に頭に浮かぶ。

 分かっていた。

 大赦の全てを壊そうとしながらも、リュウはそこに悪くない人が居ることなど分かっていた。

 それでも、悪い人とそうじゃない人を見分けることなんてできないから、友奈を害する者を確実に消すには、全部まとめて消すしかない。

 

『迷うな』

 

 彼に選択肢などないから。

 彼からそれを奪った者がいるから。

 選ぶものは決まっている。

 

『迷うな』

 

 シグマゼットンが、その巨体の足を振り上げる。

 

『覚悟は決めた。

 大切なものの順序は決めた。

 ならよォ、迷ってられねえよな。

 何もかもを壊してでも、何もかもを殺してでも……やらねェと』

 

 振り上げられた足の下には、両腕を広げて動かない男の姿。

 男は逃げない。

 逃げてはいけないと思っているから。

 何の意味もなくても、皆が笑っている今の世界を守るために逃げないこと、それそのものに意味があると思っているから。

 彼を止めようとすることが、間違いではないと信じているから。

 

『避けろよ』

 

 逃げない。退かない。避けない。

 ゆっくりと、かわせるくらいにゆっくりを足を振り下ろしてくるシグマゼットンの足裏が迫ってきても、男は逃げない。

 自分に立ち向かって来る人間の悪意ではなく、勇気こそが、リュウの胸を打つ。

 

『避けろ』

 

 もう、どちらが優位に立っているかも分からないくらいに、リュウが苦痛に満ちた表情を浮かべて、絞り出すように声を出す。

 

『……ッ、クソ、オレは、そのくらいの覚悟、とっくにッ―――!!』

 

 自分の未練と甘さごと、踏み潰すように。

 

 シグマゼットンが思い切り足を振り下ろし、何かが潰れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈を捕らえる十字架は、信じられないほど頑丈だった。

 ハンマーで叩いても凹まず、バーナーを当てても溶けるどころか中の友奈が熱を感じることすらなく、ドリルを押し込んでも傷一つ付かず、チェーンソーをぶつけても擦り傷すらできない。

 これを切り裂くには、おそらく人智を超えた刃が必要だ。

 

「信じられない……何で出来てるんだこれは!?」

 

 ゆえに比較的早く、大赦の者達はこれを破壊して友奈を救出するという方針を捨てた。

 部下を引き連れた大赦の男が十字架棺の中の友奈に問いかける。

 

「赤嶺様、端末は今どこにありますか?」

 

「む、胸ポケットに入ってます」

 

「……誰か! コンテナから電磁石引っ張り出してこい!

 西暦末期に大学が研究目的に作った強力なものがある!

 定期的にメンテされてるからすぐ動かせるはずだ! 早く!」

 

「電磁石なんかで何を?」

 

「胸ポケットから磁力で引っ張り出して、棺の中で手元まで誘導する! 起動は可能だ!」

 

「ええ!? 端末壊れませんか!?」

 

「勇者の端末が今更そんなもんで壊れるか! 電磁パルス対策も十分されてる!」

 

「!」

 

 一分一秒を争う状況で、動けない友奈の周りを多くの人が走り回っている。

 友奈の周りがとんでもなく忙しなくて、まるで友奈が台風の目だ。

 

(何か、何かしなくちゃ、何か……)

 

 何もできない自分を歯痒く思う友奈が、動かない体を無理に動かそうとして、でも何もできなくて、焦燥でどうにかなってしまいそうな自分を制御できず、それでも動こうとする。

 無駄な努力だ。

 ただただ体力を無駄に消耗しそうになった友奈だが、そんな友奈の目と鼻の先で、十字架の棺に少女が腰掛けた。

 

「シズ先輩?」

 

「焦んな、焦んなアカナ。

 どうせできることもないんや。

 今は解放された後、どう戦えばいいかとか考えとけばええんとちゃう?」

 

「でも……」

 

「落ち着きぃや。アカナが落ち着きなくしたらウチらまで不安になるんやでー」

 

 いかにも不安なんかありません、といった顔で、ちょっとふざけた様子でからからと笑い、静は友奈の焦りを和らげる。

 静も不安でないわけがない。わけがないが。

 こういう時に意識して笑える強さが彼女にはある。

 その強さもまた、"他人のために絞り出した強さ"であった。

 

「……なんで、シズ先輩はそんなに落ち着いてるんですか?」

 

「なんでやろなぁ」

 

 静は十字架をペシペシと叩いて、不安と恐怖を塗り潰すほどの『信頼』を口にする。

 

「アカナのこと、信じてるからかもなぁ。にひひ」

 

「―――」

 

「無理も責任感じるのもなしやでアカナ。

 アカナが一人で頑張っとること、それだけで皆感謝しとるんやから」

 

 皆が皆、誰かのために戦っている。

 人のため。

 世界のため。

 平和のため

 友奈のため。

 皆とリュウの笑顔のため。

 ……それぞれ理由は違うけれど、何かのため誰かのために頑張っていて、友奈の周りで走り回っている人達の胸には、友奈への感謝があって。

 

 友奈は深呼吸する。

 自分がなんとかしなくちゃ、と焦るのではなく。

 仲間が助けてくれると信じて、体力を無駄遣いせず、よく考える。

 今の自分に何ができるかを頭で考え、"やったことがないけどできるかもしれないこと"を、己が感覚に問いかけていく。

 

 そうしている内に、周りが助ける準備を整えてくれていた。

 準備を整えるまでものの数分。

 「早っ」「有能!」と友奈は思うが、これが彼らが有能だからと言うより、彼らが懸命で必死だったからだろう。

 

「手元に端末が来たらなんとか手探りで起動してください」

 

「分かりましたっ」

 

 強力な電磁石で端末を引っ張り、棺に傷一つ付けられないまま端末を友奈の手元に運ぶ。

 変身さえできれば、あるいは。

 花結装の出力で内側から壊せれば、あるいは。

 そう思って、できる限り丁寧に、できる限り早く、端末を磁力で運んでいく。

 かくして天の神が否定した人類の技術が、なんでもない人間の懸命な努力が、赤嶺友奈のその手へ希望を握らせる。

 

 かに、見えた。

 

「!」

 

 端末に手が触れた友奈が、触れた感覚に笑顔になり、端末の感触に顔色を変える。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 リュウは自分に取り柄を見つけられない、我慢強いだけの凡夫。

 凡夫が勝利者となるために必要なのは、とことん考えることだ。

 自分の頭で推測できる範囲で、ありえる可能性の全てを考え、対策する。

 端末を十字架棺と同じ未知の金属で覆うことで、リュウは完全に彼女らを詰ませていた。

 

「これじゃ、起動も」

 

 端末は画面に触れることができなければ操作できない。

 ならば変身も不可能であるということだ。

 現状を理解し顔色を変えた友奈の目に、遠くで大赦の男を踏み潰そうとする怪獣が見える。

 助けに行かなきゃ、と思うのに。

 助けに行けない、と動かない体が現実を突きつける。

 打てる手が尽きた。

 状況を打開できない。

 

 もうダメなのかな、と思った友奈の心に、弱気が生えた。

 

 

 

 

 

 もうダメなのかな、と友奈が思ったその瞬間、耳に幻聴が囁いた。

 

 それは、彼女の記憶より湧き上がる幻聴。

 かつて赤嶺友奈と鷲尾リュウが交わした言葉の記憶が、幻聴となりて耳に響く。

 

「諦めないだけじゃ何もできない。

 それが普通だ。

 だってそうだろ?

 負けを認めないネットの荒らしだって諦めることはないが、勝つこともないだろ」

 

「えーうーん……確かに」

 

「諦めないのはいいことだが、それだけで何かが変わることってないと思う」

 

 できることを増やす努力、過去の成功と失敗の経験、語り合い教えられた記憶。

 追い詰められた人に希望をくれるのは、多くの場合その人の過去である。

 

「じゃあ、そういう時どうすればいいんだろう」

 

「頭と心を使え」

 

「頭と心?」

 

「いつも打開策を頭で考え続けること。

 人を大切にして、覚悟を決めて、勇気をもって行動することを心に決めておくこと」

 

 追い詰められた友奈に希望をくれるのは、多くの場合友奈の過去である。

 

 過去に出会い、過去に話し、過去に教わり、それら全てが今の彼女に繋がっている。

 

「つまり、いつも友奈らしく在ること。それが一番大事だと思う」

 

 その幻聴が、友奈の弱気を挫く。

 その記憶が、友奈の心を奮い立たせる。

 その言葉が、友奈に大事な一つの思考を与える。

 もしここにリュウが居たら、私が諦めないことを信じてるんじゃないかな、と。

 

「困った時は周りを頼れ。

 周りの人と助け合っていければ、お前にできないことはあんまない。オレが保証する」

 

 助け合い。

 

 まだ私は、助けられただけで、助け返してない―――友奈は、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光が、溢れた。

 

 端末から溢れた光と彼女自身から溢れた光が接続され、封印されたはずの変身が解禁される。

 そして、友奈の姿は一瞬にしてかき消えた。

 十字架棺には未だ傷一つ無く、中の友奈の姿だけが消える。

 どこへ行った、敵の攻撃か、と慌てる周囲。

 彼らが次に友奈を見つけたその時には、友奈は踏み潰されそうになっていた男を助けていた。

 

 シグマゼットンが路面を踏み潰す音が収まり、友奈が抱えていた男を降ろす。

 

「大丈夫ですか? ええと、お名前は……」

 

「え、あ、はい赤嶺様。安芸と言います。覚えてくださらなくても大丈夫ですが……」

 

「いえいえー、覚えました。離れていてください」

 

 男が離れていくのを見送って、友奈は背の低いビルの屋上まで軽々跳躍し、"友奈の仲間"を踏み潰さんとしたシグマゼットンを睨みつける。

 友奈に睨みつけられたリュウは、困惑していた。

 今のは何なのか。

 何かがおかしい。

 彼が知る友奈のどの技能を使っても、今みたいなことはできなかったはずだ。

 今の一瞬に何が起こったのか、リュウには分からない。

 

『なんだ、今の』

 

 友奈は冷たい目に淡々とした殺意を浮かべ、突き上げた右拳を覆うように腕甲が形成される。

 

「火色舞うよ」

 

 一瞬で、友奈の姿が屋上から消え、シグマゼットンの顎が友奈の拳に叩き上げられる。

 

 反応すら許さない、"瞬間移動からの即時攻撃"。

 

『これは―――!?』

 

 事ここに至り、リュウは理解する。

 間違いない。

 A地点からB地点へと0秒で移動するこの力は、赤嶺友奈が手に入れたこの力は、リュウがゼットンの力で行使しているものと同じもの。

 ゼットンに対抗するため、遠くで殺されそうになっている人を救うため、掴み取ったもの。

 

 瞬間移動だ。

 

『っ』

 

 シグマゼットンが距離を取るために瞬間移動した瞬間、友奈も瞬時にそれに付いてくる。

 引き離せない。

 距離が取れない。

 リュウはある程度瞬間移動の練習をすることで、ダークリングとの相性の悪さ、戦闘の才覚の無さを補い、瞬間移動を使いこなしてきた。

 友奈は今日初めてこの力を使ったが、『友奈』が持つ勇者適正最高クラスの才能、神の力との相性の良さ、戦闘の才覚のみで、瞬間移動を使いこなす。

 

 瞬間移動の前後にできる隙の少なさで見れば、友奈はもう既にリュウを超えていた。

 

『もう、オレより巧く……!?』

 

「もう、それは私にとって脅威じゃない」

 

 夜闇を切り裂く赤色が、シグマゼットンを蹴り飛ばす。

 シグマゼットンはよろけて、けれど倒れないよう踏ん張り、大通りに確と立つ。

 顔を上げれば、そこには軽やかな跳躍で信号機の上に着地した友奈の姿。

 月明かりに映える彼女の横顔は、美しかった。

 

『お前は普通の女の子なのに―――いつも皆のヒーローだな』

 

 思わず口から漏れた言葉に、リュウはかぶりを振って気持ちを切り替え、咆哮する。

 

『上等だ、来い、サイズの違いってやつを見せつけてやらァッ!!』

 

 強がりの言葉を叫ぶリュウ。

 

 ゼットンの瞬間移動のアドバンテージが消え失せたことに、焦りと絶望が湧き上がる。

 

 "悪魔に魂を全て売らないままに勝つ"という可能性が消えていくのを、心が感じていた。

 

 

 




 ゆゆゆいストーリーの描写的に、かなり精密な瞬間移動制御と、千景に足をしっかり掴まれた状態からでも瞬間移動で離脱できる利便性の両方があると思われます。赤嶺ワープ


・『シグマゼットン』

 ウルトラマンガイアを完封したΣズイグル、ウルトラマンを完封したゼットンの合体怪獣。
 強力な者を完封し、捕らえることに特化した超合体形態。

 Σズイグルはウルトラマンガイアを倒すため、対ガイアに特化して製造され、根源的破滅招来体が送り込んだ金属機械怪獣。
 全身が細かい金属の粒子の集合によって構成されており、攻撃で倒されたふりをして粒子レベルにまで分解して逃走し、敵が消えてから体を再構築することもある。
 最たる特徴は胸部から発射する捕獲光弾で、これを受けると体に罠が仕掛けられてしまう。
 この罠がある限りその者は変身できず、罠が起動すると十字架状の棺に拘束され動けなくなり、Σズイグルの体に組み込まれてしまう。
 Σズイグルはそうして捕まえた人間を人質に取り、他の敵の攻撃を止めるのだ。

 Σズイグルは再生能力と捕縛能力に特化しているため、直接的な戦闘力は低め。
 そこを強力なゼットンの戦闘力で補っている。
 人間サイズの敵を捕らえるのであれば瞬間移動と捕縛能力で事足りる。
 変身に端末を操作するワンアクションが必要な西暦勇者・神世紀勇者のシステムの場合、相性問題で捕まった時点で完全に終わりかねない。

 相対する人間を完封する『捕らえる力』。
 これに人間が抗おうとするならば、助けてくれる仲間が要る。


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3

 誰も出歩かず、誰も外を見ない夜。

 大赦の言うことを皆律儀に聞き、揺れる地面に怯えながら、神樹に祈る。

 そんな中、病院の屋上から遠くを見る少女が居た。

 

 黒く長い髪をなびかせて、少女の視線は戦いを捉える。

 遠くからでも見える小さな赤色と、60mはある機械恐竜が戦っている。

 少女にできることは、心の中でエールを送ることくらい。

 

 今日、友奈が一度お見舞いに来た。少女はその時のことを思い出す。

 いつものようにちょっとダウナーで、でも優しげで、楽しい話題を選んで振ってくれた友奈は、別れ際に何気ない言葉を置いていった。

 

―――レンち、また明日!

 

 それは約束。

 また明日も会おうという約束。

 何が何でも生き抜いて、また笑顔で会おうという約束だ。

 少女の胸に不安はない。

 その威風堂々たる立ち振る舞いは、赤嶺友奈への信頼に満ちている。

 友奈は負けない。必ずまた明日会える。少女はそう揺るぎなく信じていた。

 

「……友奈」

 

 少女が見守る先で、怪獣と友奈が同時に消え、高知の海辺にその姿が現れた。

 

 

 

 

 

 思い出があった。

 二人で海に行った思い出が。

 友奈がきゃっきゃと水をかけてきて、リュウが思いっきり海を蹴って水を当てて、二人でワイワイ遊んだ思い出があった。

 リュウも友奈も、それを忘れることはない。

 

 瞬間移動した赤嶺友奈とシグマゼットンが、海に着地する。

 崩れる砂浜。

 揺れる海面。

 舞い上がる水飛沫。

 不安定な足場をものともせず、両者は同時に突っ込んだ。

 

 シグマゼットンの巨大な足が砂浜に叩き込まれる。

 砂浜は一気に水のように流動し友奈の足を取らんとするが、事前動作からそれを読んでいた友奈は既に跳躍で回避しており、跳躍の連打でシグマゼットンの背後に回る。

 だが、読まれている。

 背後に友奈が回っていると読んだシグマゼットンは後方宙返りで飛び上がり、空中で一回転して砂浜に立つ友奈に頭上から黄色の光弾を連射した。

 だが読まれている。

 友奈は瞬時に瞬間移動を重ね、シグマゼットンの背後を取り、その背中を強打した。

 

 背中を打たれて、その痛みにリュウの呼吸が一旦止まる。

 

『っ』

 

 シグマゼットンが消え、友奈も間髪入れず消え、瞬間移動した二人が高知の山に現れる。

 

 思い出があった。

 二人で山を登った思い出が。

 友奈が「はやく、はやく」とにこにこしながらリュウの手を引き、リュウが「お前ほど体力無いんだよ……」と息も絶え絶えな青い顔になって、二人で山頂でご飯を食べた思い出があった。

 リュウも友奈も、それを忘れることはない。

 

 シグマゼットンの腕の一振りが、山を砕いた。

 山を殴って砕き、小山を踏んで平地にする、大怪獣の成す所作は全てが災害に等しい。

 あまりにも強い。

 あまりにも規格外。

 殴り砕かれた山は、途方も無い土石と木々の濁流となって、友奈を襲う。

 

「よっ、とっ、ほいっ」

 

 友奈はあえて瞬間移動を使わず、その身一つで回避していく。

 地面を蹴って跳び、宙を舞っている木々を蹴って跳び、飛んでいる大岩を足場にして、踊るように何もかもを回避する姿は、さながら絢爛な舞踏。

 瞬間移動をあえてしないことで、瞬間移動に力を割かず、拳に集中。

 強烈に加熱された金属のように赤熱化していく右腕のアームパーツから、留め切れなくなった膨大なエネルギーが漏れ、光り輝いていく。

 

 山一つを武器に使う規格外の攻撃をかわしきり、懐に入った友奈が拳を振り上げた。

 

『そんなもン喰らってたまるかッ!!』

 

 拳が突き出される寸前、シグマゼットンは瞬間移動で回避をし、回避された拳から放たれた膨大なエネルギーが触れさえせずに山をもう一つ吹き飛ばす。

 友奈は瞬間移動ですぐさま後を追い、シグマゼットンが橋の下から海へと流れていく川に、友奈が橋の上へと着地する。

 

 思い出があった。

 二人で橋を渡り、同じ学校に通った思い出が。

 小学校には登校班があって、年長組のリュウと友奈がちっちゃい子達を学校まで連れて行くことになっていて、子供達の前で手を引くリュウと、子供達の後ろで優しく話す友奈がいた。

 幼い友奈は「リュウくんは車が来るとすぐ皆が道路に出ないようにするよね」と笑い。

 幼いリュウは「友奈は優しくて好かれてて保母さんとか似合いそうだ」と褒めた。

 リュウも友奈も、それを忘れることはない。

 

 シグマゼットンは、火球を川に打ち込んだ。

 途方も無い熱が、一瞬にして川を縦に窪んだ平地へと変え、蒸発した川の水が大型台風をも超える暴風と乱気流を発生させる。

 水蒸気によってかき混ぜられた大気は、60m怪獣クラスの重量を持つシグマゼットンの巨体は揺らす程度だが、中学二年生相応の体重である友奈では立っていられない。

 それどころか時折体が浮いて、足を路面に着けておくことすら困難だった。

 

「うわわわっ」

 

 このままでは追撃が来る。

 そうなれば負ける。

 負けられない。

 友奈の思考から行動までの時間はほんの一瞬で、友奈は川の左右にある土手に瞬間移動し、そこで地面に拳を打ち込んだ。

 

 地面に楔を打ち込んで建物の固定に利用する時のように、友奈は暴風に耐える。

 動きが止まった友奈にシグマゼットンが右手を向ける。

 ここに、駆け引きがあった。

 友奈は攻撃を予想していた。

 リュウは攻撃したと同時に瞬間移動回避を予想していた。

 友奈は自分が動きを止めた瞬間をこの敵が見逃さないと考え、リュウは友奈が瞬間移動からすぐさま攻撃できる位置に移動すると考えていた。

 

 シグマゼットンの右手から火球が放たれる。

 友奈が瞬間移動で回避する。

 シグマゼットンの肌に、頭上すぐ上に何かが現れ、気流が遮られた感覚が発生する。

 よし、とリュウはほくそ笑んだ。

 

『これで決ま……何!?』

 

 されど駆け引きは、友奈が上を行く。

 なんと、信じられないことに。

 シグマゼットンの頭上には友奈だけでなく、大量の土の塊が現れていた。

 同時、友奈が立っていた地面が崩壊する。

 

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 リュウではやったこともなく、思いつくこともなく、見ても真似できない瞬間移動の応用。

 友奈が自分の体ごと瞬間移動させた土の塊は、乱気流にバラバラにされ、かき混ぜられて広く広がり、蒸発した川の水を吸って濃色の土となって、シグマゼットンの視界を塞いだ。

 応用力と発想力による視界の封印。

 土の幕でリュウは友奈を見失うが、友奈はシグマゼットンを見失わない。

 

 ゼットン、Σズイグルには共通する特徴があり―――体の一部が、光っている。

 シグマゼットンがその二つの超合体形態である以上、その特徴はなくならない。

 光を頼りに、光めがけて突っ込んで、光をその手に握りしめ、ありったけの力を込めた右拳を、アームパーツと共に全力で叩き込んだ。

 友奈の拳が、シグマゼットンの顔に絶大な破壊をもたらしながら、その内側に食い込む。

 

 リュウは、眼球が砕けて落ちるような、そんな感覚に絶叫した。

 

『がああああああっ!?』

 

 思わず顔を抑える。痛い。痛い。痛い。激痛に、何もかもが分からなくなる。

 逃避のために瞬間移動を発動。

 街中に逃げ込んだシグマゼットンが膝をついた。

 とっさに逃げるためだけに力を発動したためか、瞬間移動先はリュウの心の原風景に刻み込まれた場所。すなわち、彼が生まれ育った街に瞬間移動で逃げていた。

 

『ぐっ……あっ……痛い……いたいっ……』

 

 だが、痛みにうずくまっていていいのは数秒だけ。

 すぐさま追ってきた友奈が、強烈な飛び蹴りを額に打ち込んだ。

 うずくまっていたシグマゼットンが、ひっくり返って、仰向けに倒れそうになるほどの強烈な一撃が、余波で大気を揺らす。

 

『―――がッ』

 

 リュウは意識が飛びかけたが、歯を食いしばって踏み留まろうとする。

 このまま倒れてはならない。

 倒れればトドメの一撃が来る。

 先程山で放たれた一撃が胸か頭に当たれば即死だ。

 気を失ったら負けて死に、倒れて動きが止まっても倒されて死ぬ。

 死ぬ。

 死ぬ。

 死ぬ。

 死の恐怖に心蝕まれながらもリュウは目と頭を全力で動かし、その場に踏み留まろうとする。

 そうして、気が付いた。

 

 開けた空間がある。

 そこならシグマゼットンでも足をつける。

 倒れず転ばず、踏み留まれる。

 でも、そこは、公園だった。

 

 あの日約束を交わした、とても小さな、思い出の公園だった。

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

「ね、ね、リュウくん、また来ようね」

 

「ん、また明日?」

 

「や、そういうのじゃなくて。

 ああいや、そういうのでもあるんだけどね。

 今ちょっとぴぴーんと来たんだよ、ぴぴーんと」

 

「……?」

 

「明日また来ようとかそういう短い約束だけじゃなくて。

 もーっと長い約束とかしてみたら面白いかなって思ったんだよね」

 

「長い約束……?」

 

「んー……よし。二人で20歳になったらここに集合。うん、そうしよ、約束」

 

「大人になったら? 友奈、話が見えないんだけど」

 

「うん、大人になったら。

 そのくらいの歳になっても、まだ約束を覚えてたら……

 またここに来ようって覚えてくれてるなら……

 リュウくんが今と同じくらい思ってくれてたら……

 ……んー。

 やっぱ言うのやめた。

 リュウくんが覚えててくれたら言ったげる。頑張って覚えててね」

 

「わけわからん。……約束は覚えといてやるよ」

 

「リュウくんはダメだなー」

 

「なんだとコラ」

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 選択肢は二つ。

 公園を踏み潰して踏み留まり、後に繋げるか。

 公園を踏まないようにして倒れて、トドメを刺され死に、何もかも終わりにするか。

 他に選択肢は無いのか? 無いのか? リュウは考えようとするが、考える時間もない。

 この0.1秒に決めなければ、何かもが終わるのは同じこと。

 

 約束があった。

 鷲尾リュウにとって、約束は自分のためにあるものではない。

 契約の延長にあるものでもない。

 彼にとって、約束はいつも他人のためにある。

 約束を守ることは幸福に繋がり、約束を破ることは不幸に繋がる。

 約束を踏み躙ることは、人間が絶対にしてはならないことの一つだと、彼は知っている。

 

 知っているのに。

 

『―――』

 

 友奈との約束だけは、死んでも踏み躙りたくないと、思っていたはずだったのに。

 

『―――』

 

 "大切なものに順序をつけろ"と、心のどこかが囁いて。

 

 その公園ごと、友奈との約束を、踏み躙って、踏み潰した。

 

「―――あ」

 

 転ばずに済んだシグマゼットンの目の前で、友奈の動きが止まる。

 友奈の視線の先には、今しがた踏み潰された公園の残骸。

 友奈も気付いたということだろう。

 千載一遇のチャンスであった。

 

 呆然として動きを止めた友奈に、シグマゼットンが右手を向ける。

 これで攻撃を当てれば、とりあえず動きを止められるかもしれない。

 友奈は公園の残骸しか見ていなくて、もう怪獣も見ていない。

 それはもしかしたら、世界を守るということや、憎むべき敵よりも、彼女にとっては鷲尾リュウという人間と交わした約束の方が、ずっと大きいということなのかもしれない。

 かもしれないが、リュウは気付けない。

 

 戦いに集中していたからではない。

 公園の残骸を見ている友奈が、少し泣きそうになっていたからだ。

 

(……泣きそうな、顔してる)

 

 泣いている友奈を見ると、"どうにかして泣き止ませないと"とリュウは思ってしまう。

 泣きそうな友奈の顔を見ると、"どうにかして笑わせないと"とリュウは思ってしまう。

 それは体に染み付いた反射。

 彼の心が定めた在り方。

 泣かせたくない人が居るから、いつも笑顔で居てほしいと思っているから、その『光の心』が彼から失われることはなく、ゆえに闇が染め上げた心の中で、爆発的な反発が起こる。

 心の光と闇が予想外の光景に綱引きを始め、リュウは闇を振り切って、友奈をどう泣き止ませれば良いのかを考え始めてしまう。

 

 かくしてリュウは、千載一遇の好機であった数秒を無駄に使い切ってしまった。

 

 赤嶺友奈が、叫ぶ。

 

「―――あああああぁああぁあぁああああッ!!!!」

 

 公園を狙って踏み潰したことは、シグマゼットンの視線の動きで、友奈にも理解できていた。

 できてしまっていた。

 

 友奈の怒りに呼応するように、とてつもない勢いで引き出された神樹の力を、友奈は一瞬で右拳に収束し、アームパーツが太陽を超えて赤く輝く。

 少女は叫び。

 構え。

 踏み込み。

 瞬間移動で距離を詰め。

 全力の全力で、怪物の胴を殴った。

 

『―――あ』

 

 直撃、爆発。

 

 小惑星くらいであれば、一瞬で跡形もなく粉砕される一撃が炸裂し、轟音と爆焔が広がる。

 

 『勇者』に匹敵、否凌駕する一撃は、世界を滅ぼしたバーテックスをも滅殺可能な一撃である。

 

 世界を滅ぼす怪物を滅ぼせる一撃は、すなわち世界を滅ぼしうる一撃である。

 

 戦いを見上げていた大赦の男の心に、拭い切れない恐怖が宿る。

 

 まるで、豆腐を爆弾で吹き飛ばすようだと。赤嶺友奈と怪獣を見て、その者は思った。

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は、思わず舌打ちしていた。

 

「そんな逃げ方が……いや、二度も狙ってやれるようなことじゃないはず……」

 

 Σズイグルは、金属粉の集合体の怪獣である。

 その体を構成する金属粉は攻撃によって容易に失活するため、漫画でよくある「粒子の集合体だからほとんどの攻撃が効かないぞ!」といった耐性は持たない。

 が、攻撃を喰らわなければある程度の応用が可能なのだ。

 シグマゼットンは肉体を構成する金属粉を選り分け、『攻撃を喰らう巨体』と『逃げる本体』に分割し、巨体は爆発四散させれながらも、巨体の爆発に乗って本体は逃げおおせたのである。

 まるで、変わり身の術だ。

 バルタン星人の力をよく使っていた人間でなければ、こうはいかなかっただろう。

 

 だが、二度はできないだろうと友奈は考える。

 タイミングが早ければ友奈の攻撃は本体に行っていただろうし、タイミングが遅ければ分離が間に合わず諸共に友奈の一撃で吹っ飛ぶ。

 巨体が爆発した爆風に乗れなければ逃げ切ることも叶わない。

 本人の能力と運、どちらかが致命的に足りなくても失敗する神業だ。

 素直な感想を言えば、この敵がそこまで瞬間的に発揮される勝負強さを持っているとは思えない……というのが、赤嶺友奈の見解だった。

 それができるなら、戦いはもっと怪獣の優勢で進んでいたはずだから。

 

「……」

 

 友奈は無言で、踏み潰された公園を見つめる、

 

 涙が出そうだな、と思って、涙をこらえる。

 泣くな私らしくもない、と思って、涙をこらえる。

 

「……リュウだって、もうきっと覚えてないよ。そうそう。だから平気平気。うん大丈夫」

 

 覚えてないと、照れて言ったことを悔いる。

 なんであんなこと言っちゃったんだろう、と悔いてももう何も戻らない。

 子供の頃の曖昧で適当な約束だったけれども、もしもその約束が果たされたなら、言いたいことや伝えたいことがたくさんあった。

 

 もう、そうなることはない。

 

 友奈がリュウと再会してから言えることなど、「あの時忘れてたっていうのは嘘だよ」と言うことくらいだ。

 だがそれももう意味はない。

 何故なら公園はもうなくて、あの約束ももう無いからだ。

 覚えてたよ、と話を振ったところで、ただ悲しくなるだけである。

 友奈がこれからもずっと忘れたふりをしておけば、忘れたことにしておけば、最初からそんな約束は無かったのと同じにできる。

 友奈さえ我慢すれば、そうすることができる。

 

 もしもリュウが覚えてたら変に気を使わせちゃうから、と友奈は忘れたふりをする。

 リュウを悲しませてしまうかもしれないなら言わない、と友奈は忘れたふりをする。

 忘れたふりをする。

 リュウと一緒に遊んで、二人で笑った思い出の公園の残骸を見ていると、何もかも忘れることなんてできないと突きつけられて、苦しい。

 親と一緒に笑って、リュウと一緒に笑って、友達と笑った公園はもうどこにも無いのだと突きつけられて、悲しい。

 

 踏み躙られたのは約束で、踏み潰されたのは思い出だった。

 

 もう友奈には、あの怪物を許す理由も、あの怪物に歩み寄る理由も見つけられなかった。

 

「……絶対に許さないから……絶対に逃さないから……必ず、この手で、この拳で」

 

 その言葉には、一人の少女としての気持ちと、鏑矢としての気持ちが混ざり合っていた。

 自分の大切なものを傷付け奪う、憎むべき敵への怒り。

 自分と同じ気持ちを、他の誰にも味わわせたくないという決意。

 倒すべき悪の存在は、人を殺す鏑矢であった友奈の中の、勇者としての資質を開花させていく。

 

 そんな友奈の中に、仲間達は光を見た。

 戦いが終わり、集まった者達の前で、友奈はペコリと頭を下げる。

 

「すみません、倒せませんでした。だから」

 

 まだ、戦いの夜は来る。

 

「皆さん、また明日。……もう、誰も居なくならないでくださいね」

 

 皆の無事を生存を願う少女の"また明日"。

 

 その重みを感じられない者など、ここには一人も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左の眼球が落ちた。

 

 目の周りの骨が砕けているのか、折れているのか、ヒビが入っているのかも、リュウにはよく分かない。

 友奈の一撃が目の周りに直撃した。

 自分の肉を切り離すような無茶な逃走をした。

 シグマゼットンの爆風に飲み込まれた。

 今日のダメージだけでも枚挙に暇がなく、眼球が落ちて失明した左目は、もう戻ることはないだろうと確信させる。

 

 ダメージと超合体の反動が蓄積しすぎている。

 骨に残るほどのダメージは、本来数ヶ月かけて癒やさなければならない。

 リュウは変身前の自分の肉体に重なったダメージが、変身後の姿ならば大して反映されないことを利用し戦っているが、その戦い方が根本的に無茶なのだ。

 24時間程度しか空けていない変身もこれで三回目。

 無理をする度、リュウの中で何かが尽きていく音がする。

 

「はぁ、ハァ、痛、くっ、ああ、づぅっ……」

 

 目がなくなったところが酷く痛んで、考えることがまとまらない。

 まとまらないまま、必死に捜索が始まっている戦闘領域を離脱する。

 追手はまた、数分と経たずに押し寄せてくるはずだ。

 

「落ち着け。

 目は二つある。

 一個くらいなくなったって問題はねェはずだ。

 もう一個がありゃ十分代わりになる。

 友奈は一人しか居ねェんだ、それに比べりゃ、優先順位は低い……」

 

 手近なところに転がっていた木の棒を拾って、震える足で、真っ直ぐに立てない体で、木の棒を杖代わりにして歩いていく。

 

「……ごめんな」

 

 ここではないどこかへと向けられた謝罪。

 リュウの瞼の下から雫が落ちて、地面に染み込んでいく。

 泣いている……否。

 流れ落ちているのは血だ。

 眼球が落ちた穴より流れ落ちる血が、涙の代わりに流れ落ちて、彼は泣いて謝っている。

 

 血の涙の謝罪。けれど、謝っても、踏み潰したものは戻らない。

 

「友奈ならきっと、覚えてるよな……」

 

 何度も、何度もリュウは謝る。

 ここには居ない友奈に向けて。

 謝りながら逃げ続け、やがて小規模な森林に背中を預けて座り込んだ。

 もう歩いていけるだけの体力もない。

 少し休まなければ逃げることもできなさそうだ。

 

「……ん」

 

 そこに一人、大赦の男が歩いてきた。

 手分けをしてリュウを探索しているのだろうか。

 望外の幸運である。

 リュウは今日まで、単独行動をしている追撃部隊は見たことがなかった。

 おそらくリュウの怪我と消耗を察して、少しばかり油断したのだろう。

 

 リュウは深呼吸し、息を整え、カードをリードした。

 

《 ザラブ星人 》

 

 力の出力も負荷もカードとリングに割り振って、最低限の力でザラブ星人を具現化する。

 ザラブ星人は闇夜に紛れて接近し、通信機を一撃で壊し、腰の銃を取り上げ、驚く大赦の男の首筋に手を添える。

 ザラブ星人の指先から放つ光弾に人間を絶命させる威力があるのは、鷲尾リュウを追っている者達ならば全員が知っていることだった。

 母の足すら容易に貫通したものが、脆い首を貫通できないわけがない。

 

「な、な、な」

 

「余計なことしたら殺す。余計なことしなけりゃァ生きて帰れるかもな」

 

「は、はい……」

 

「質問に答えろ。応えなければ即殺すからなァ」

 

 男の拘束と脅迫はザラブに任せ、木に背中を預け座り込んだまま、リュウは問いかける。

 

「お前、オレ達の事情をどのくらい知ってる?」

 

「あ、粗方は……お前が知ってることはだいたい知ってる」

 

「へェ、じゃあお前、死ぬほどオレ達に死んでほしいヤツから指示受けてンのか?」

 

「い、いや、そうではないと思う……

 そういう指示を出してる人と私の間にもまだ数人居るはずだ、おそらく」

 

「どういうやつだ。オレや友奈に死んでほしいんだろそいつは」

 

「わ、分からない。私が聞いたのは、私の一つ上の階級の人からの噂話だけだ」

 

「噂?」

 

「大赦で、出世するために、自分より上の汚職人間等を、鏑矢達に殺させた奴が居るんだって」

 

「―――」

 

「鏑矢の方は汚職の罪が神樹様の判定に引っかかって死んだらしい。

 怪物が殺したのは普通に死んだとか。

 でも、出世のため殺人なんて流石にやるか? やる奴居るのか……?

 そいつは出世した後、書類を改竄して証拠を消して闇に葬ったらしい。

 だから大赦内部の協力者くらいしかそれ知らないらしくてさ……

 一人や二人じゃないかもとか推測してた。噂話だが。

 だからお前と鏑矢が生きてると、その辺のことがバレるかもしれないって……」

 

「……」

 

「汚職してたとはいえ殺されるほどの罪じゃない。

 バレたら確実にやっべーことになるだろ?

 何の罪も無い奴まで手にかけてたら最悪だ。

 噂話なんだけどさ、それが本当なら、鏑矢とお前のどっちが残ってても……」

 

「なるほどな、よく分かった」

 

 ただ、リュウは思い知る。

 自分が何もかも知っているつもりで、どれだけ何も知らなかったかを。

 あの日、リュウが反逆する理由になった友奈の抹殺指令の裏に、何があったのかを。

 自分がどれだけ子供で、短絡的で、何も知らなかったのかを思い知った。

 

 己が内から湧き上がるものが怒りなのか憎悪なのか、リュウにはもう見分けがつかない。

 鏑矢が悪意の殺人に利用されていたかもしれないという話を、友奈が耳にする前に、闇へと葬らなければならない。

 リュウの目的が、一つ増えた。

 

「その悪党を特定する方法はねェのか?」

 

「無い。多分相当上の方だし……」

 

「じゃあやっぱ全員殺さなきゃならねェのは変わんねえなァ」

 

「お、おい、やめろよ、やめてくれ」

 

 命乞いしようとした大赦の男を掴む力を、ザラブが強くする。

 ひぃ、と情けない声が出て、命乞いの言葉は出てこなかった。

 

「次の問いだ。赤嶺友奈周りで、裏で何か怪しいこと動いてないか?」

 

「え、ええと、さっきの話の続きだが、発覚恐れてるんじゃないかって話があって」

 

「……ああ、そういうことか」

 

「長引けば長引くほど発覚する可能性が出るから、数日以内に片付かなきゃ赤嶺も弥勒も……」

 

「……やっぱ時間は残り少なかったかクソが」

 

 この状況が長く続けば長く続くほど、訝しむ人間、違和感を覚える人間、この事態に発展した経緯を調べようとする人間は増える。

 なら、元凶は急ぐだろう。

 手近な鏑矢から始末して、リュウが消耗から回復しない内に、人海戦術で畳み掛けて銃殺……などなど、成功率の低い作戦を無理して強行してくるかもしれない。

 愚行とは言えないだろう。

 友奈やリュウが生き残ってしまえば。

 長丁場になって秘密がバレれば。

 その人物は、どの道破滅し全てを失うのだから。

 僅かな可能性に賭けて、愚行に見える蛮行に走る可能性は十分にある。

 

「最後に。オレ周りの事情は、どのくらい知られてるんだ」

 

「……まちまちだ。

 何も知らない現場の人間。

 怪物が鷲尾リュウだと知ってる指揮の人間。

 私くらい裏事情を把握してる人間。

 もしかしたら知ってて黙ってる奴もいるかもよ?

 お前達を助けたいとか思ってる奴はそうするだろうしさ。

 ああでも、さっき人事の異動の話を聞いたな。

 なんか規律違反ってことで安芸って奴が降格無期限謹慎って連絡が来てたような」

 

「……そうか」

 

 人にはそれぞれ大事なものがあり、そのためなら捨て身に何かをしていくことができる。

 けれど。

 捨て身で何かを成そうとした人間のほとんどは、何も成せないまま消えていく。

 怪獣の前に生身一つで立ちはだかる勇気を見せても、何も成せないこともある。

 世界の構図は変わらない。

 

 そして"普通の人"から見れば、命も含む自分の何もかもを懸けて何かを成そうとする人間は、ひどく愚かで、不必要なほどに艱難辛苦の道を進んでいるように見える。

 

「なあ、もう、諦めろよ。勝てないだろあんなの」

 

「……あァ?」

 

「お前なんかよりずっと化物だよ。見ただろ最後の一撃」

 

 仕事でリュウを殺そうとしたことと、リュウに同情的であるということは矛盾しない。

 

「世界を滅ぼした化物と戦えてた化物、勇者ってやつと変わんねえよ……」

 

 人類の敗戦、世界の終わりから七十年以上。

 "世界を終わらせた恐ろしい怪物"を伝聞でしか知らない世代が育った。

 "そんな怪物と戦えていた恐ろしい人間"を伝聞でしか知らない世代が育った。

 バーテックスと勇者という、西暦末期の終末戦争で戦った者達に対する、漠然とした恐れと忌避感があって。

 漠然とした気持ちは、赤嶺友奈を見て、確信に変わっていった。

 

 何千年も続いてきた人の世界を瞬く間に破壊した怪物を、一撃で粉砕するほどの力。

 怪獣の恐ろしさが霞むほどの力。

 それを恐れるなという方が無理な話だろう。

 だがその言い草に、リュウは激怒する。

 

「―――クッだらねえことほざいてんじゃねェッ!!!」

 

 諦めろと言われたことに、少し怒って。

 

 大事な幼馴染を化物のように扱われたことに、とても怒った。

 

「この程度でオレが折れるか! 諦めるか! 投げ出すか! 絶対に守るッ!」

 

 諦めや弱気が心に湧いてくるようなことは、まだ何も起きてないと、心が叫ぶ。

 

 ザラブ星人が男の頭を掴んだ。

 強烈な催眠術が脳内に浸透し、男が倒れる。

 二週間は起き上がることのないよう、リュウはザラブに念入りに催眠術を叩き込ませた。

 ここから状況がどう転ぼうが、最低でも全てに決着がつくまでは、鏑矢が悪意の殺人に利用されていたかもしれないなんて話が、友奈の耳に入る可能性を抑えたかったのだろう。

 焼け石に水かもしれないが、きっとやらないよりかはマシだ。

 

 友奈の強さ、蔓延る悪意を前にしても、彼の在り方はブレない。

 

「クソみてェな理屈を押し付けて来る奴に死ねクソ野郎と吐き捨てて何が悪い!」

 

 おそらく今、この地球で唯一人彼だけが、赤嶺友奈の力に立ち向かう『勇気』を持っている。

 

 その勇気はきっと、彼が幼い頃からずっと、友奈から貰ってきた勇気。

 

 大切な人の幸福のために振り絞る勇気だ。

 

「オレを諦めさせることを諦めろ! オレが―――『この理不尽』の死だッ!!」

 

 必ずやこの理不尽を殺すのだと誓う叫びに、熱がこもる。

 

 鷲尾リュウの心は折れない。

 心が生来強い人間だからではなく、強くなれる理由があるから。

 折れることなく、木に寄り掛かるようにして、彼はまた不屈の心で立ち上がった。

 

 

 




 本当は誰が『勇者』なのか


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第四夜

 全ての元凶とも言うべき人間が居る。

 その人間の協力者が居て、その人間の"強い戦闘力を持つ人間の排斥主張"に賛同する者が居て、大赦上層部の派閥があって、周囲に流される人達が居て、上が決めた方針に逆らわない下が居る。

 そんな大赦の組織図が、現在のこの構図を作っていると言える。

 

 もし仮に、リュウが元凶である人間を知っていて、初日にピンポイントでその人間を殺していたとして、友奈とリュウが戦わないで済んだかどうかは半々といったところだろう。

 事ここに至ってから殺しても、何がどう転がるか予想もしきれない。

 だが、もうリュウにとってそれはどうでもいい。

 

 落とし前をつけさせる。

 でなければ道理が通らない。

 "余計な鏑矢の罪状"を証言するかもしれない者を殺す。

 でなければ鏑矢の人生に余計な重みが乗ってしまう。

 リュウは戦いの消耗を癒やすべき時間を、体を休ませるのに使わず、自分が殺すべき敵を見つけるための情報収集に使った。

 友奈を救うための休息ではなく、憎い敵を殺すための活動に貴重な時間を使っている自分が、どれだけ最初の自分からかけ離れているか、リュウは自覚が持てない。

 一人だから。

 誰も指摘してくれないから。

 彼は、気付けない。

 

 情報を引き出し催眠術で眠らせた男から奪った端末には、一般企業の事務所に偽装した大赦の活動拠点のいくつかが記録されていた。

 おそらくはあの男が利用していた拠点である。

 全ての拠点の位置は特定できず、分割独立(セグメント)式の情報管理体制を導入している大赦の情報を全て手に入れることはできそうになかったが、取っ掛かりには十分だ。

 四国全土で情報操作を行える、四国全土をリアルタイムで管理できる大赦の事務所や情報管理の数は、総数を数えればとんでもないことになるだろう。

 リュウはダークリングの力を使って、各施設の下調べを始める。

 

 現在、12/28 05:30。

 大赦夜勤組の仕事の終わりが見えた頃、朝の始業準備がまだ始まっていない頃。

 

 一つ目の施設はハズレで何もなく、二つ目の施設で運良く、リュウは当たりを当てた。

 具現化・透明化させ、施設で調べ物をさせていたバルタンに透明化を解かせ、バルタンに施設の人間が驚く間も与えず、一人ずつ気絶させていく。

 数ヶ月前、神の力を体に宿した鏑矢の眼に一発で見破られてから、それ以降一回も使っていなかった能力だったが、案外まだ使い道はあるようだった。

 

 宇宙忍者・バルタン星人。

 その力はダークリングから出現させ、偵察諜報活動をさせてこそ真価を発揮する。

 バルタンが見つかってやられてもほぼノーリスクなのに、バルタンが得た情報はサイコウェーブで常時リュウに送信され、よほど酷い撃滅をされなければまたバルタンを使い回せる。

 この多芸さもあって、リュウはバルタンの能力を心底信頼していた。

 

「よし」

 

 リュウの指示で施設内部の人間を全員気絶させ、集めた資料をテーブルの上に積み上げ、バルタン星人は施設に乗り込んだリュウを出迎える。

 

「よくやってくれた、バルタン。ありがとなァ」

 

 バルタンが恭しく頭を下げ、消えた。

 

 ダークリングのカードは、怨念、未練、残滓などをカード化したものである。

 リュウの手持ちのカードから具現化した宇宙人や怪獣はそのほとんどに意志がなく、バルタンもまた思考や感情が感じられないが、時々指示していない動きをするので、リュウは実はちょっとだけこのバルタンの意思の存在を疑っていた。

 

 ただ、バルタンにもし意思があるなら、他に黙っているだけで意思がありそうな宇宙人も居そうで、仮に居たとしてもダークリングが絶対の上下関係を構築している以上、リュウにとってマイナスなことが起こることはないので、あまり考えなくていいことだろう、とは思っていたが。

 

 意思はともかく明確な思考があるとは思えない、というのが現在のリュウの見解である。

 思考があるならガンガン具現化して戦闘判断は任せている。

 それができないから、強敵相手の戦いは、リュウ自身が宇宙人や怪獣に変身して戦わなければならなくなっているのだから。

 

「さて」

 

 リュウは資料をある程度選別し、かばんに詰め込んで離脱する。

 大量の資料を現地で読みふけっていると、時間を使いすぎてしまう。

 気付いたら包囲されていて施設内に注入された睡眠誘導ガスでチェックメイト、ということすらありえるだろう。

 なので一番堅実なのは、資料を持って帰って拠点で読むことだ。

 

 大赦がリュウの襲撃と資料の強奪に気付いた頃には、既にリュウが秘密拠点に帰還してから二時間以上が経過していた。

 対応する暇すら与えない拙速は巧遅に勝る。

 

 リュウはカプセル型の鎮痛剤と注射の鎮痛剤を併用し、注射で即効性の鎮痛、カプセルで遅効性の鎮痛に浸り、なんとか痛みに耐えながら資料を読み進める。

 医薬品の消耗速度が予想以上に激しい。

 どこかで補給が必要になる、とリュウは眉を顰めていた。

 大赦の資料は暗号化されていたり、神事のために古代の言葉で書かれていたものも多かったが、仮にも鷲尾家は名家であり、リュウはそこの三男である。

 こういうものの読み解き方は、ちゃんと頭に入っていた。

 

「……おいおい」

 

 むしろ、読めなかった方が、彼にとっては気楽だっただろうに。

 

「……最悪だ。いや、最悪でも、何も変わらねェ。オレがやることは、何も……」

 

 まだ資料は全部読めてはいない。

 全部読むには今日いっぱい使う必要があるだろう。

 変に時間を使いすぎれば、明日まで食い込むかもしれない。

 にもかかわらず、リュウはこの段階で既に精神的に追い詰められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝の八時頃。人が多く街を歩き回っている時間帯。

 

 街を歩く少女が、周囲の異性の視線を集めていた。

 

 少女の名は弥勒蓮華。

 友奈と共に戦ったもう一人の鏑矢。

 透き通るような白い肌、鮮やかさとは無縁の烏の濡羽色の髪、波打つ黒髪が作る後ろ姿すら美人にしか見えない立ち振る舞い、女性らしさに溢れた白い服装。全てが友奈の対極だ。

 友奈は日焼けした健康的な肌、鮮やかな桜色の髪、ただ歩いているだけで元気いっぱいな事が伝わってきて、どこか少年らしさを感じる赤黒の服装などを好む。

 どちらがより異性の目を引くかと言えば、断然弥勒蓮華だろう。

 

 そして、今日の蓮華はいつもよりも異性の目を引いている。

 冬であるため長袖長スカートにコートという露出の少ない格好だが、それでもひと目で分かるスタイルの良さ。

 白コートによく手入れされた綺麗な髪が映えている。

 エメラルド色のアクセサリーは白い服と黒い髪を映えさせ、青緑系の宝石を思わせる綺麗な瞳と色合わせがされていることは明白だ。

 耳元に青い花一輪を差すファッションはブスがやれば悲惨の一言だろうが、えげつないほどに顔が整っている弥勒がやると、"漫画から飛び出してきた美人?"と思わせるほどの力を持つ。

 被っている白い帽子も黒髪に映えるが、高級な帽子によく見られるハイセンスなデザインバランスが眼に優しい。

 総じて、『黒髪のお嬢様』という形容が相応しい少女であった。

 

 友奈が、自分の体の発育に女性的な意識が追いついていない、少年らしさが垣間見える可愛らしい少女であるのなら。

 蓮華は中学生にして、既に可愛さではなく美しさのみが目に入る美人であると言えるだろう。

 弥勒蓮華は美しい。

 

 だからこそ、彼女が松葉杖をついて歩いていることと、その右足に巻かれている分厚いギプスが強く印象に残ってしまう。

 綺麗な宝石に傷が付くと路傍の小石の傷よりもずっと目立つように、蓮華が綺麗な女性として人の目を集めれば集めるほど、その傷が痛ましく見えるのである。

 だが周囲からの同情の視線とは裏腹に、蓮華は威風堂々と歩き続けていた。

 

 歩道を歩く蓮華が、ゴミを回収している清掃員の前で立ち止まる。

 

「そこのあなた。悪いけど、そこをどいてくださる?」

 

「え? あ、はい」

 

「ありがとう」

 

 にこり、と、花が咲くような微笑みを蓮華が見せ、男は美人の微笑みにちょっと機嫌を良くしながら道を譲った。

 蓮華はそのまま真っ直ぐに進む。

 これほどまでに"美人は得"を体現した女はそうそう居ないだろう。

 

 今の流れは、見方を変えれば『自分が避ければいいのに「どけ」と命令して相手をどかした』のとそこまで変わらない。

 言い方次第、態度次第で、相手は不快になっただろうし、彼女が傲慢で横暴な他人を嫌な気持ちにさせる最低女になっていただろう。

 けれど、そうはならない。

 

 他人に命令してどかすのではなく、丁寧な物腰でお願いしてどいてもらう。

 けれど媚びてはいない。

 美人という暴力で殴ってどかす。

 相手を不快にさせていないが、特に下手に出ているわけでもない。

 であれば、自信満々に礼儀正しく顔の良さで殴っているとしか言えないだろう。

 

 弥勒蓮華は自分の容姿の良さを自覚していて、調子にも乗らず謙遜もせず、当然に・平然と・超然と美人として振る舞い、超絶美人のブルドーザーとして突き進んでいるのである。

 

 真っ直ぐに進んでいることに、特に意味はない。

 弥勒蓮華が他人を下に見ているわけでも、馬鹿にしているわけでもない。

 ただ蓮華は、なんとなく真っ直ぐ進みたいと言っている自分の心に、正しく正直なのだ。

 

 意味もなく真っ直ぐに歩いて行こうとしている弥勒蓮華。

 目的地こそあるが本当に何の意味もない。

 その心の動きに一番近いものを探すなら、きっとおそらく、下校途中に道路脇の白い線の上だけを歩いて家まで帰ろうとする小学生のそれが一番近い。

 

「そこのあなた。悪いけど、そこをどいてくださる?」

 

「え? あ、はい」

 

「ありがとう」

 

 蓮華に微笑みかけられた少年が顔を赤くして、蓮華に道を譲っていく。

 次の人も、次の人も、道を譲る。

 若い男だけでなく、女性も子供も老人も、礼儀正しく美人の暴力を振りかざす彼女に対し、気持ちよく道を譲っていく。

 蓮華が何かしなくても、大怪我している美人ということで、自分から道を空けてくれる良心的な人も多かった。

 蓮華は人がそれなりに居る街中で、一度も曲がることなく、真っ直ぐ進んで行く。

 

「何者も、弥勒の『道』を曲げることはできないわ」

 

 人によっては度肝を抜かれるおかしな理屈で、彼女の中では一本筋の通った当たり前の理屈。

 弥勒蓮華はただ、自分の中の理屈で生きている。

 他人の常識などどうでもいい。

 一般倫理などどうでもいい。

 ただひたすらに自分、自分だ。

 この"確固たる強さの自意識"と、それが生む全く迷いのない在り方は、赤嶺友奈にも鷲尾リュウですら到底敵わないものがあった。

 

 かくして蓮華は、遠くに見えた人間に向けて一直線に歩き、迷いなくその男に歩み寄り、躊躇いなくその男に話しかけた。

 

「ごきげんよう」

 

「え? ああ、ごきげんよう」

 

 深くフードを被っているせいか、顔は見えない。

 見えないはずだが。

 弥勒蓮華は旧知の人間に話しかけるように、気安くその男に話しかける。

 その手には医薬品と食料が大量に入った買い物袋が吊り下げられていた。

 

「必要なものの補充? 大変ね。

 医薬や食物を生み出すような怪獣のカードは持ってなかったの?」

 

「―――」

 

 顔は見えなくとも、男が息を呑んだのが分かった。

 信じられないものを見るような目で、鷲尾リュウが蓮華を見る。

 蓮華ははるか遠くから、街の人々が成す雑踏の中の、顔を隠したリュウを見つけた。

 どうやったのかリュウにはまるで見当がつかない。

 大赦の警戒が薄い地域とはいえ、大赦ですらリュウを見つけられてはいないというのに。

 

「貴方に逃げられれば私は追いつけないでしょうけど、逃げないわよね?」

 

 自信満々に威風堂々に振る舞う蓮華が、綺麗に整った顔で、有無を言わせぬ微笑みを浮かべる。

 

「この足を折った分くらいは、償いとしてこの弥勒と話す義理があるはずよ」

 

 そうかもな、と罪悪感から思った時点で。

 

 リュウは完全に、蓮華のペースに飲み込まれてしまっていた。

 

 

 

 

 

 二人は場所を移した。

 蓮華は街中のカフェかどこかで話すことも想定していたが、リュウが嫌がったのである。

 

「多分、今日この辺は、オレを探してるやつがいるから」

 

「あら。女の子?」

 

「……邪推してねェか?」

 

「いいえ、してないわよ。友奈に恥じない生き方をしているならそれでいいわ」

 

「なんか引っかかる言い方してンな」

 

 "また明日"の約束を交わしてなくても、律儀に果たそうとするかもしれない、いや果たそうとするはずだと、リュウは静の行動を予想していた。

 心配されていた自覚があった。

 何も起きない昼間なら、暇な時間をそういうことに使うくらいの善良さはあったと、静の人格を理解していたから。

 逃げるように、街のその区画を離れた。

 

 リュウは世界という敵から逃げず、友奈の振るう恐ろしい力からも逃げず、死の恐怖にもいかなる困難にも立ち向かい、逃げなかったが。

 "少女の善意"からは逃げた。

 善意と優しさに背を向け逃げるように、彼は蓮華とその場を立ち去った。

 

 蓮華が招いたのは、こじんまりとした別荘だった。

 家の持ち物なのか、はたまた鏑矢の功績から大赦に与えられたものなのかは分からないが、蓮華が使える家であることは間違いないようだ。

 今は誰も居ないらしく、家の中では蓮華とリュウの二人きりである。

 

 好都合だ、とリュウは考える。

 どう考えてもこれからする話は他人に聞かれたらそれだけでアウトだ。

 同時に、何考えてんだこいつ、ともリュウは思う。

 自分の足を折った男、それも怪物を出し怪物に変わる反社会的勢力という危険人物の極みと、家の中で二人きりなど尋常な神経で選べる選択ではない。

 弥勒蓮華の振る舞いに恐れの欠片も見て取れないから、なおさらにおかしく見える。

 

 リュウは過去に彼女の足を折った時、Σズイグルの力で能力を封印した覚えがある。

 戦えないはずだ。

 そのはずだ。

 なのに、何故こんなにもこの少女は、何も恐れていない風で、自信に溢れた振る舞いをしているのだろうか。

 弥勒蓮華を殺す気がない――友奈の友を殺せない――自分の内心が見透かされているようで、リュウはどうにも居心地が悪い。

 

 全身の傷を大きなローブで隠しているリュウだが、屋内でローブを脱ぎ対面で話せば流石に顔の傷……主に痛々しく左目を覆う傷は隠せない。

 

「その傷は友奈が?」

 

「いやただのものもらいだ。その内腫れも引くだろうから気にすンな」

 

「……そう」

 

 澄ました顔で、蓮華はリュウの滑らかな回答を真に受けず聞き流す。

 事前に"こう問われたらこう返そう"と決めていた虚偽の解答は、よく練習した嘘は、その人の口からなめらかに滑り出るものだ。

 問われた内容を聞き、考え、答えた人間の言葉よりも、僅かに早く滑り出てしまう。

 完璧な誤魔化しの回答は、かえって真実を浮き彫りにする。

 これもまた、『口が滑った』と言うのだろう。

 

「ちょッと聞いて良いか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

「どうして分かった。どうして見つけられた。オレはそんなに目立ッてたか?」

 

「いえ、全然」

 

「なら……」

 

「弥勒は美人でしょう?」

 

「あ、はい」

 

 一人称弥勒で迷いなく堂々と言い切る蓮華に、リュウは思わず素が出た。

 

「弥勒の視力はそこまで化物じみて高くないわ。

 でも、着飾ったり露出を増やせば、異性は皆こちらを見るの。

 同性でも多くが弥勒を見て視線を留めるわ。

 なのに、その中で一人だけ、弥勒をちゃんと見たのに、すぐ顔を逸らした人が居た」

 

「……!」

 

「それが貴方よ。

 弥勒を知っていて、弥勒のことを知っていることがバレたくない、そんな人間」

 

 蓮華は、自分を見てすぐに目を逸らしたり顔を逸らしたりした人間だけは見逃さないよう、街の全体を見渡していたわけだ。

 蓮華自身が、歩いているだけでリュウに反応を起こさせるリュウ発見器。

 

「……まいったなァ、こりゃ完璧にオレの負けだ」

 

「ええ、弥勒は常勝稀敗よ」

 

「常勝無敗じゃねェのに常勝無敗みたいな肩書き名乗りたがる人初めて見たわ」

 

 蓮華はリュウを応接間のソファーに導き、紅茶を淹れる。

 

「どうぞ。おそらく貴方の人生で一、二を争うほど美味しい紅茶よ」

 

「客人のもてなしに一切の謙遜が無い人間って今この世に何人居るんだろうな……」

 

「56億7千万の強みがあるのよ」

 

「名前ネタの味付けが強すぎる……あっマジで美味い」

 

「でしょう?」

 

 ふふふ、と蓮華が微笑む。

 

 弥勒菩薩は未来仏とも呼ばれる仏であり、ブッダの入滅から56億7千万年後の未来に世界に現れ衆生を救済するという仏である。

 その時が来れば、人を救うという神性である。

 世界が滅びてからまだ七十数年、ブッダの入滅から三千年も経ってはいない。

 弥勒菩薩の生きる世界においては一日が、地上の400年に相当するという。

 西暦末期、バーテックスが食い殺した人間達が天上の菩薩に助けを求め、助けられず世界が滅びてから、まだ七十数年しか経っていない。まだ三百年も経っていない。

 一日も経っていないなら、仏もまだ気付いていないのかもしれない。

 

「では次はこちらから質問してもいいかしら」

 

「あァ」

 

「メフィラスも他の怪物も、貴方一人が演じてたってことで良いのよね」

 

「―――ああ」

 

「数ヶ月前まで……いえ、貴方にやられるまで。

 弥勒はメフィラスは味方だと思っていたわ。

 他には、こっちを敵として見てる宇宙人が居ると認識してたくらい。

 実際弥勒達がそう思うように、貴方は怪物の姿ごとに演じ分けていたのでしょう?」

 

「……」

 

「友奈には何も言わないわ。弥勒の名にかけて誓いましょう」

 

「……あァ。

 メフィラスは鏑矢の味方演じさせて……

 バルタンやゼットンは鏑矢とも敵対する怪物のふりをさせて……

 鏑矢攻撃するふりして人間殺させて。

 程良いバランスで治安維持に活かせる都市伝説になるよう、マッチポンプで負けさせてた」

 

「殺人の肩代わりと、それを気付かせないためかしら。

 戦闘に巻き込んだという体なら気付きにくいものね。

 それと民心の安定のためのマッチポンプ……

 怪物が同一人物だと気付く理由がどこにもないから、誘導は容易ね」

 

「その通りだ」

 

 悪質宇宙人・メフィラス星人。

 バルタン星人、ザラブ星人に続く、リュウの手持ちの宇宙人カード最後の三枚目。

 一族総じて、"仲間のふりをして人間に挑戦する"宇宙人である。

 リュウは鏑矢が敵だと認識する怪物の姿と、鏑矢が仲間だと認識するように手助けする姿を使い分け、巧みに『流れ』を制御し続けたのである。

 友奈がゼットン→バルタンのチェンジを見るまで気付いていなかったように、鏑矢も巫女もそれが同一人物であると全く気付いていなかった。

 

 敵想定の怪人がテロリストを殺せば、鏑矢の罪を背負ってくれた、などとは思わない。

 宇宙人が鏑矢に戦いを挑んで足止めし、その間にリュウが殺してしまう形を取れば、集団自殺志願者の子供を鏑矢が殺すことはない。

 味方想定のメフィラスが道を誘導すれば、鏑矢が敵の罠にかかることはない。

 メフィラスは味方の振る舞いをさせていたため、緊急時に無防備な鏑矢を襲う銃弾をメフィラスが弾いても、違和感を抱かれることはない。

 

 密かに、敵味方にそれぞれ動かせる駒を置き、コントロールする。

 これならば稀代の謀略家になれない凡人でも、状況を常に掌握できる。

 鏑矢の無事を確保し、罪悪感を減らし、大赦の指示を確実に完遂できるというわけだ。

 メフィラスの姿で、鷲尾リュウは友奈達の信頼をある程度は勝ち取っていたのである。

 

「でもメフィラスの姿で話すことも筆談することも無いのはどうかと思ったわ。

 あれのせいで私達は随分意思疎通に苦労したもの。貴方もそうだったでしょう?」

 

「仕方ねェだろ話しても筆談しても友奈は絶対気付くンだよ……」

 

「ああ、なるほど。幼馴染は大変ね」

 

 絆の深さは理解の深さで、それがマイナスに働く時もあるのだろう。

 

 蓮華は心中で少し、いやそれなり以上にリュウに親しみを覚えていた。

 罪悪感を利用するだけで、とても簡単に言葉を引き出すことができてしまう。

 弥勒の足のギプスを見て、時折何かの感情を噛み潰しているのが可愛らしく感じてしまう。

 隠し事や嘘を織り交ぜず、言わなくて良いことまで言ってしまっているのは、リュウが精神的に弱っているから、そして弥勒蓮華の足を折った負い目があるからだろう。

 

 とことん擦り切れても善良さが失われないタイプの人間だと、弥勒は思う。

 心の芯に善性があって、その上に悪性の何かが積み上がってしまった人間。

 それが、弥勒蓮華から鷲尾リュウへの現段階での評価だった。

 

「私の足を折って変身を封印したのは、私を戦場から追い出したかったから?」

 

 弥勒蓮華は思い出す。

 

 蓮華はあの日、リュウがメフィラスからゼットンに変身するところを見てしまった。

 姿を使い分けていることは鏑矢にも秘密で、マッチポンプを行えという大赦の指示を達成するために、絶対に秘密にしなければならないことである。

 お役目を完璧に達成するには、リュウはその時蓮華を殺しておかなればならなかった。

 鏑矢は片方残っていれば良かったから。

 でも、できなかった。

 しばらく後に静を殺せなかった日が来るまで、蓮華を殺せなかった理由を自覚することすらできなかった。

 

 リュウはΣズイグルに変わり捕縛光弾を打ち込み、ゼットンで足を折って蓮華を病院送りにし、足を折った瞬間を友奈に目撃されてしまい、絶対に許さないと怒りを抱かれる。

 蓮華は病院でΣズイグルに打ち込まれた光弾の正体が判明するまで力の行使を禁止とされ、判明した今となっては半永久的に力の行使を禁止されている。

 Σズイグルの十字架棺は、現代の人類の科学力では壊せない。

 友奈のように瞬間移動ができなければ力を使えても出られないかもしれない。

 

 友奈は親友の足を折った怪物に対し怒り。

 蓮華は自分を確実に殺せたはずの怪物が、優しく自分の足を折って終わらせたこと、捕縛光弾の打ち込みで済ませたことを訝しみ、真実に辿り着き。

 静は蓮華の反応から何かを怪しんでいるが、真実には辿り着いていない。

 そしてリュウは、傷付けたことに罪悪感を覚えていて、全て隠そうとしている。

 四者四様に、それぞれの認識と考えがあった。

 

「足が折れてて力も使えなきゃ戦士失格だ。

 ならよォ、鏑矢全部戦闘不能にしちまえばいいだろ?

 そうなりゃ最終的にオレに殺人のお役目は全部回ってくる……そう思ッた」

 

「でも、友奈の足を折る勇気はなかった」

 

「……」

 

「体に傷一つなければ、大赦は戦力外にしないものね。

 力が使えても足が折れている弥勒と、力を使えれば戦える友奈では雲泥の差だわ」

 

「……」

 

「弥勒は戦うと決めた女よ。

 嬉しいとは言わないわ。

 でもその気持ちは気遣いだから、感謝を述べておくわね。

 友奈に大怪我をさせていたら……弥勒も貴方も、貴方を許さなかったかもしれないけど」

 

「だろォな」

 

 感謝されると思っていなくてむず痒くなったのか、照れた様子のリュウを見て、蓮華は微笑む。

 鷲尾リュウは、蓮華があまり見たことのないタイプの人間だった。

 人を容赦なく殺せる冷徹さ。

 無自覚だろうが、鏑矢を大怪我させ離脱させる時にも、相手を気遣ってしまう甘さ。

 赤嶺友奈には傷一つ付けられない絶対の在り方。

 情に流されやすそうな少年で、蓮華はこういう人間が嫌いではない。

 

「弥勒達の敵として振る舞う時より、味方として振る舞う時に力が入っていた理由は何かしら」

 

「なんとなくだな。その方が仕事しやすいと思ったからだ」

 

「嘘ね」

 

「嘘じゃねェ」

 

「貴方は口だけは素直じゃないようね」

 

「え、口だけって何?」

 

「けれど心の声は、心に従う体の行動に出るものよ」

 

 蓮華は綺麗な黒髪をかき上げて、宝石のような瞳で真っ直ぐにリュウを見る。

 

「友奈の敵になるのではなく、友奈と一緒に戦いたかったんでしょう? 貴方は」

 

「―――」

 

「それは貴方の未練。貴方の願い。貴方が捨ててはならない弱さよ」

 

 メフィラス星人の姿で、鏑矢の味方として振る舞っていたこと。

 そうと気付かせず、守りたいものの一番近くにメフィラスという護衛を置いていたこと。

 何の言葉も発さないまま、鏑矢にも巫女にも信じられていたこと。

 少女たちを守っていたこと。

 何もかもが、繋がっている。

 ひと繋がりの意思の上にある行動なのだ。

 

「本当は大切な人の味方になって、人間の敵から人間を守りたかったんでしょう?」

 

「お前の思い込みだ」

 

「そう。ならきっと正解ね」

 

「お前の思い込みだって言われてそんな返答返す奴他に居ねェぞ」

 

 蓮華は判断材料も少ないままに、リュウの性質と内心を迷いなく断言する。

 

 それが寸分違わず正解を言い当てているのが、とんでもなく恐ろしかった。

 

「だがもォ色んな工作に意味はなくなっちまったんだよなァ。

 あんたにバレた以上、メフィラス関連の情報もとっくに全部漏れて……」

 

「言ってないわ」

 

「は?」

 

「誰にも言ってない、と言っているのよ。

 メフィラスが敵だと友奈もシズさんも思ってないんじゃないかしら」

 

「え、な、なんで?」

 

「さあ。色々理由はあるけれど、一番大きな理由は勘よ」

 

「勘」

 

「弥勒の勘はよく当たるわ。

 貴方が悪者には見えなかったなら、つまりはそういうことなのよ」

 

「お前の足折ったのはオレだぞ」

 

「弥勒も昨日差し入れのポッキーを折ったわ」

 

「それが何!?」

 

「それはさておき」

 

 リュウにとって不利になる情報の全てを、弥勒蓮華は黙秘してきた。

 それは彼女が、リュウの敵にならない可能性を意味している。

 彼女は見極めんとしているのだ。

 鷲尾リュウを。

 それが倒さんとしている大赦を。

 彼女は人生の全てを自分の中のルール基準で決めているから、迷いがない。

 そして頓着がない。

 

 リュウが傷一つ付けていない友奈が揺るぎなくリュウの敵で、傷付けた蓮華がそうではないという奇妙な巡り合わせと関係性。

 この二人の間にだけある傷と痛みが、リュウと蓮華を繋げている。

 友奈を、世界を敵に回す加害者にだけはしないと誓っていても、リュウが傷付くことをある程度許容できる弥勒蓮華ならば、味方に引き込む罪悪感は少ないかもしれない。

 

「事情、全て語ってくれるわよね? 貴方は私に借りがあるはずよ」

 

「……。始まりは―――」

 

 リュウはぽつぽつと、事情を話し出す。

 

 全て一人で抱え込み、第三者の誰も自分の味方に引き込まず、最後まで一人で戦い全ての罪を単身背負い、悪役を誰にもやらせないまま、友奈だけは救うことを決めた。

 それは最悪の悪行であり、彼の中の(ゆうな)を守らんとする心から生まれた他人本位の意思。

 

 素晴らしい献身精神ではなく、同情してほしいがために自分が被害者であるかのように話し、相手が悪いように話し、自分を正当化するように話す。

 それは弱い人間の悪の面が露出した時によく見られる、ダークリングに導かれ望んで手に入れた闇の心から生まれた、自分本位の意思。

 

 二つがぶつかり、相殺し合い。

 釣り合ってちょうどいい感じ塩梅に、普通に事情を話せていたのが、なんとも皮肉だった。

 

 

 

 

 

 事情説明が終わる。

 

 なるほど、と蓮華は頷いた。

 

 笑い飛ばすこともなく、軽く扱うこともなく、蓮華が深刻そうな表情で受け止めているこの状況が、如実に事態の深刻さを証明していた。

 

「分かっているの? 鷲尾リュウ」

 

「何がだ」

 

「貴方、幸せになれないわよ」

 

「何聞いてたんだ?

 幸せになるためにやってんじゃねェんだよ。

 そんなもンが欲しかったら大赦の犬やめねェッつうの」

 

「友奈が悲しむわ」

 

「悲しまねェな。どういう結末になってもそうならねェよう、仕込みはした」

 

「人は、大切な人が幸せじゃなくなると、幸せをなくしてしまうのよ」

 

「無いな。どう転がろうと、あいつが生き残り幸せになれるようにしてみせらァ」

 

「……まったく、難儀な生き方をしていることだこと」

 

 リュウは一人だった。

 だから誰も言ってくれなかった。

 このままだと誰が勝っても幸せになれない、と。

 弥勒蓮華は迷いなくその部分へと踏み込んでいく。

 

 だからこそ初めて、リュウのこの反発を引き出せたと言える。

 友奈だけは死なせない、友奈だけは幸せになれるようにする、と。

 この"だけ"が問題だった。

 こここそが、蓮華の親友・赤嶺友奈を不幸にする根本的問題であると蓮華は考える。

 

「文句言うなら代案出せ。オレはな、これしかねェからこうしてンだよ」

 

 吐き捨てるように言うリュウに対し、蓮華は花のように――けれど、どこか猛獣のように――華やかに微笑む。

 

「一つ提案があるわ」

 

「言ってみろ」

 

「この私の体に入ってる拘束封印の力、これを解除してくれないかしら」

 

 リュウは眉間にシワを寄せる。

 Σズイグルの拘束能力は強力だ。

 一度当てればずっと継続されるし、力を使おうとすれば即無力化できる。

 であるからして、一度当てたらもう解除してやる理由がない。

 

「オレに何の得もねェのにするわけねェだろ。何する気だ?」

 

「あなたも大赦も弥勒が倒して弥勒が全てをいただく。これでどうかしら」

 

「は?」

 

「明日から赤嶺友奈と鷲尾リュウの幸福を願う弥勒が四国の支配者よ」

 

「は?」

 

「友人の幸福と万民の幸福を両立できる素敵な案だと思わない? 弥勒が勝つのよ」

 

「お前覇王の生まれ変わりか何か?」

 

 驚愕のあまり思考が止まる。

 

 弥勒蓮華の思考を理解した気になっていた一瞬前のリュウの思考を、弥勒蓮華はすまし顔の立ち幅跳びで軽々と超えてきた。

 

 

 




 弥勒蓮華はここからが強い


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2

 リュウはごく自然に聞きたいことを蓮華に聞く。

 否、違う。

 本人はごく自然に聞きたいことを蓮華に聞いたつもりで聞いた。

 

「そうだ、その……友奈、どうだ。健康だとは思うけどよ、無理してねェか?」

 

 鷲尾リュウ、貴方会話の中で自然に自分の聞きたいこと聞くために話題誘導するの死ぬほどヘタクソね……と、弥勒蓮華は思った。

 

「今朝お見舞いに来てたけど、風邪気味だったみたいよ。悪化してないと良いけど」

 

「! 本当かッ!? いや待て、風邪気味って言っても程度あるよな、どのくらいだ!?」

 

「落ち着きなさい。男が底を見せるべきではないわ。慌てず騒がず、不敵に笑いなさい」

 

「……すまねェ、焦った。あと不敵に笑う癖が付くとお前みたいになりそうだから嫌」

 

「あら、そう」

 

 友奈が風邪と聞いた途端にそわそわし始めたリュウの様子に、その分かりやすさに、蓮華は思わず笑顔になってしまう。

 陣営的には蓮華とは敵対関係にあるというのに、虚言を疑うことすらしていない。

 魂の底から悪人が似合わない人間との会話に、蓮華はどこか心地良さすら感じていた。

 

「風邪か……悪化してたら見舞いに……いや違ェその隙に大赦潰さねえと」

 

「面白くらい動揺してるわね」

 

「何が面白いッてンだぶっ殺すぞ!!」

 

「やれるものならやってみなさい。相手になるわ」

 

「……」

 

 ダークリングによりカッとなりやすくなったリュウが思わず声を張り上げる。

 が、片足ギプスで能力も封印されているのに、たおやかな指先をクイックイッと動かし挑発してくる蓮華を見ていたら、その熱も冷めてしまった。

 蓮華の動きが読めない。

 というか思考が読めない。

 弥勒蓮華がリュウの心の動きを見抜いて怒気を抜いているのか、それとも天然全開で振る舞って結果的に鎮めているのか、リュウには全く分からなかった。

 

「安心なさい。あの友奈が風邪ごときにやられるわけないでしょう」

 

「……そりゃ、そうなんだが」

 

「男ならドンと構えていなさい。その方が凛々しくて良いわよ」

 

「……昔、オレが風邪引いたことあった。

 結構タチの悪い病原菌だッたらしくてな。

 酷い風邪にオレは記憶もほとんど吹ッ飛んだくらいでよ。

 そんなオレを懸命に看病してくれたのが、命の恩人が、友奈だったンだ」

 

「親も看病してくれたでしょう?」

 

「……? 友奈が看病してくれたって言ってんだから友奈だけだが」

 

「……」

 

「親がくれた薬が最高に効いたから翌日には元気になってたな、確か」

 

 常識は、環境が作る。

 リュウは時折自分が当然のように語る家庭環境がおかしいことに気付いていないし、蓮華はそこに確かな引っ掛かりを覚えてしまう。

 けれども今は、茶々を入れず話を進めた。

 

「あいつが風邪引いて辛い思いをしてるなら、助けに行きてえ、行きてえけど……」

 

「行けばいいじゃない。今なら弥勒に全てを任せて行っていいわよ」

 

「話してて分かった。テメー喋る前に結構何も考えてねェな」

 

 心外、といった顔を蓮華がする。

 なんでそこでそんな顔するんだ自覚持て……といった顔をリュウがした。

 

「……決着をつけるまでは友奈には会えねェ」

 

「無為なこだわり、男の意地、どちらで呼んでほしい?」

 

「どっちもお断りだ」

 

 紅茶を飲み切ったリュウのカップをするりと取り、蓮華はおかわりを入れていく。

 

「一旦状況を整理しましょう。

 大赦にはこの状況を招いた人間がいるものの、特定は不可能。

 多くの者は事情を知らず、けれどその流れに乗っている。

 その人間のせいで友奈と貴方は戦わなければならない。

 弥勒が貴方と友奈と大赦を倒し全てを解決する……というわけね」

 

「その話題整理本当に正しい?」

 

「ええ」

 

 この自信の一割くらいオレにあったらな……と、リュウはついつい思ってしまうのだった。

 

「続きを話しなさい、鷲尾リュウ。まだ話してないことがあるでしょう?」

 

「……なんで分かるんだお前」

 

「貴方が分かりやすいだけよ。女が皆友奈ほど鈍感ではないと知っておくべきね」

 

「さらっと友奈に本当のこと言ってんじゃねェぞ」

 

 はぁ、とリュウは溜め息を吐く。

 何気なく時計を確認する。

 リュウは朝の内に、溶けるまでの時間がそれぞれ違う痛み止めのカプセルを飲んでいた。

 彼の計算では、朝大量に飲み直した痛み止めのカプセルが順次腹の中で溶けていって、その効力が自分に対し発揮されなくなるまで、まだ十分な時間がある。

 まだ話に付き合っていても問題はないらしい。

 リュウとしては、眼球がぽろりと落ちた左目を覆っている包帯に血が滲んでしまう前に、拠点に帰りたいという意向を持っているようだ。

 

 リュウは今日、施設から強奪してきた資料のことを蓮華に伝え始める。

 

「ちょっと嫌になることがあってな、オレとか使って出世してた野郎のことなンだが」

 

「不細工だったとかかしら」

 

「それそんなに嫌か?

 まあいい、一回整理するか。

 西暦の終末戦争時、どっかの勇者がやらかした。

 勇者の力を大赦が勝手に取り上げられなくなった。

 感情で暴走し得る少女、ってもんを信用しない一派ができた。

 だからオレみたいな鏑矢へのカウンターも用意された。

 それが回り回って今のぶっ殺すしかねェ状況を作り上げてるンだな」

 

「ええ。友奈なんて特に感情で何かしてしまいそうだわ」

 

「いやあいつはどっちかっつーと保守派だしお前の方がまだやらかしそうだろ……」

 

「そう?」

 

「当たり前だァ!

 ……で、その流れを誘導してるやつがいた。

 オレらを利用して上司を引きずり下ろしてたんだと。

 だからオレらが邪魔になったらしいな、クソみてェな話だ」

 

 リュウは鏑矢が無実の人間を殺していたかもしれない、という可能性の噂話を、赤嶺友奈と弥勒蓮華のために黙った。

 蓮華はなんとなくに、嘘をつかれたことを察した。

 

「それで何故嫌な気持ちになったのかしら」

 

「そのやらかした大赦の奴には、息子がいたンだそうだ。重病で難病な幼い子供が」

 

「……子供」

 

「西暦末期の技術は多くが失われちまッた。

 難病に効く薬も再生産できなくなっちまッてる。

 何もかも神樹様が作れンなら、勇者の武器とか量産してるだろうしな。

 西暦時代の薬在庫も片っ端から尽き始めてる。

 倉庫から最後の在庫を引っ張り出すには、相当偉くなきゃ無理だ。

 今となっちゃ黄金以上の貴重品だしな。

 難病の子供を抱えた親は、子供が死ぬ前に、一秒でも早く権力を手に入れようとする」

 

「ああ……そういうことね」

 

「何をしてでも、誰を踏みつけにしてでも、子供を救いたかった親が居たンだとさ」

 

 伏せるべき部分を伏せ、リュウは強奪した資料から把握した事実を語る。

 

 鏑矢やリュウを使い、自分より上の人間を殺し、一刻も早く出世しようとし、実際に成功して、今もなお息子を助けるために、権力の座にしがみついている者が居るのなら。

 その者が元凶であるのなら。

 その者が友奈やリュウの現在の不幸の原因でもあるのなら。

 その者を殺すのは正義なのか、悪なのか。

 

 愛する我が子を救うために悪行を行わなければならない時、悪行を為して子を救った者は、無慈悲に殺されるべき悪なのか、そうでないのか。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。オレはそれを肯定する」

 

 その男も、リュウも、抱えている道徳的問題は同じだ。

 

 『愛のためという理由があれば、何をしても許されるのか?』

 

 その愛のために踏み潰された名も無き人達は、あの世で何を思うのだろうか。

 

「……他の誰がこいつを否定できても、オレだけは、否定できる道理がねェ……」

 

 子を愛する親は鏑矢とリュウの死を望む。

 口封じの失敗と秘密の発覚は、親の破滅と権力の喪失、薬無き子の死を意味する。

 リュウはその親の死を望む。

 "子のためなら何でもする親"に思うところはあれど、その者が鏑矢の死を望むなら、大赦全員まとめてでも殺すことに躊躇いはない。

 

 顔も合わせないまま、一度も会話しないまま、二人の男は殺意を固めた。

 己が大切な人の幸福と生のために、相手とその大切な人の生を絶対に許さないことを決めた。

 

「オレはオレと同じ願いを、オレの意思で踏み潰すンだ。容赦なく、迷いなく」

 

 蓮華はリュウの表情を覗き込み、彼ですら気付かない彼の気持ちを汲み取ってくれる。

 

「辛い?」

 

「さァな。だが正直、ちょっと堪えた。

 なんつーか、傲慢な悪とか……

 人の情なんて知らねェ人非人とか……

 倒せばいい邪悪とか、居てほしかったのかもな、オレは……」

 

「こんなに人間らしいとは思わなかった? もっと共感できない悪だと思っていた?」

 

「……そう、だな」

 

「弥勒は十分悪だと思うわ。だからこそ貴方は苦しんでいるのでしょう?」

 

「こいつが死んでいい悪ならオレも死んでいい悪だ、間違いなくな。同類だよ」

 

「それを決めるのは弥勒よ」

 

「一言で話の流れを持っていくんじゃねェ、話術の豪腕ゴリラか」

 

 蓮華はくすくすと笑む。

 リュウは蓮華と話していると疲れるが、同時に闇に向かう自分の心が"以前の自分"に戻っていっていることも感じていた。

 心が少し、明るくなっている。

 心のどこかが、彼女から光を貰っている。

 

「こんな世界じゃなけりゃァな」

 

「そうね」

 

「まるで、子供に小さな箱にギュウギュウ詰めにされた虫だ。

 箱が四国で、虫が人間(オレたち)

 虫は死にたくなけりゃ他の虫を食い殺すしかねェ。

 全部の虫が生き残れはしねェ。

 虫が死んだのは殺した虫が居たからで、そいつが悪いが。

 広い目で見りゃ、こんな箱に虫を詰め込んだ奴が悪いンだよなァ……」

 

 リュウは友奈と蓮華を対照的な人間だと感じつつも、どこか似通ったものを感じていた。

 心強く、諦めが悪く、根底が善性であり、周囲の人間に光を与え、どこか純なところがあって、他人の不幸を喜ばず他人の幸福を喜び、花のような微笑みで日々を生きる。

 きっとそれは、"神に選ばれる少女が共通して持つ資質"なのだろう。

 

 友奈の大切な人を蓮華は守ろうとする。

 蓮華の大切な人を友奈は守ろうとする。

 それがごく自然にできるのが親友というものである。

 弥勒蓮華が鷲尾リュウを気遣っていることと、そこが無関係ということはないだろう。

 その関係は美しく、リュウは意味がないと分かっていても、思ってしまう。

 皆、友奈や蓮華のようであれば……と。

 

―――他の人が大事にしてるものを大事にする優しさって、皆なんでかなくしちゃうみたいだから

 

 自分も含めて皆がそれを持てた世界であれば、どんなに良かっただろうかと思ってしまう。

 何故リュウが苦しいのか。

 それは今の戦いが、幸福を奪い合う戦いだからだ。

 

 友奈の未来と皆の未来が両立できない。

 リュウの幸福と他人の幸福が両立できない。

 元凶の男の大切な人と、リュウの大切な人の、未来と幸福が両立できない。

 幸福というパイを奪い合っているから、全員が幸せになることができない。

 

 友奈と蓮華のように、他人が大切にしているものを大切できて、他人の幸せをごく自然に願い、他人の不幸をなくそうと皆が生きられたら、皆幸せになれるのだろうか。

 それで、世界は理想の形になるのだろうか。

 ならない。

 そんな夢物語が実現しても、絶対にならない。

 何故なら、ここは結界という鳥籠の中だから。

 結界の外の世界は全て燃え尽き、そこには人食いの怪物が星の数ほど跋扈しているから。

 いずれそれが、この最後に残った世界も滅ぼすから。

 

 リュウが生まれた時点でもう、人類が皆幸福になる可能性など、世界のどこにも無かった。

 

「なんで皆幸せになるってだけでこんなに難しいんだろうなァ」

 

「弥勒は知っているわ。幸せにする気がないからね」

 

「……ん? すまねェ、意味がよくわからなかった」

 

「赤の他人を幸せにする気と、自分自身を幸せにする気がないから。分かる?」

 

「……」

 

「他人を幸せにする気が無い人は自分勝手になるわ。

 自分を幸せにする気が無い人は自暴自棄になるわ。

 自分の幸せを求めてるなら、話し合いと妥協の歩み寄りはあるわ。

 でも他人の幸せを求めてるなら、絶対に譲れないことがある。

 何もかもが無いと、視野が狭くなって、どうしようもなく何もかも壊してしまう」

 

「……」

 

「貴方のことよ?」

 

「分かってるよ! 念押し確認やめろ!

 黙ってンのはオレが悪だと分かってるからで言ってること分かってねェとかじゃねえから!」

 

「そう、よかった。遠回しな言い方をしすぎたとちょっと反省していたところだったから」

 

「なんなんだよもう……」

 

 何気ない会話の中で、リュウは理解していく。

 リュウに同情し腫れ物扱いするわけでもなく、憎み怒り敵として見るのでもなく、正論で叩きのめし改心させようとすることもなく、ごく自然に接する蓮華。

 それがどれだけ、心地良く話せる空気を作ってくれているのかを。

 

 弥勒蓮華は大物だ、と心底リュウは思っていた。

 いつも戦いを影から見ていたが、話さなければ分からないことというものはある。

 

「だから貴方に必要なのは、悪で在ると意識することではなく、幸せになろうとすることよ」

 

「―――」

 

「貴方がそういう風にならないと、貴方に友奈の命運を任せる気にはなれないわ」

 

 蓮華と話して初めて分かる、蓮華の人格や、"蓮華が思う正しい生き方"があった。

 

「かっけェな」

 

「ええ、それは弥勒が弥勒だからよ」

 

 謙遜の欠片も無い自信満々な振る舞いに、リュウは尊敬すら覚えていた。

 

 トントントン、と小気味のいい音が響く。

 

「ところでなんで話の途中で突然料理し始めたンだお前……」

 

「空腹になったからよ。他に理由があるかしら?」

 

「ああ、うん、いいんじゃねェの」

 

「貴方も空腹でしょう? 座ってなさい、今二人分運ぶから」

 

 蓮華の行動に一々反応していると話が進まないので、蓮華が話しやすいように話してやるには、かつまともに話すには、そこそこ蓮華の変なところを受け入れスルーしてやるべきだと、リュウはこの短時間で把握していた。

 

「はい、弥勒飯。数字で言えば56億7千万の旨味よ」

 

「旨味で脳味噌ショートするわンなもん」

 

 美味しそうな粥。野菜が姿を見せ、香りで食欲を掻き立てる、中華系の粥だった。

 リュウは丼に盛られたそれを、じっと見つめる。

 食べることなく、じっと見つめる。

 

「? 何かお気に召さないところでもあったかしら」

 

「あ、いや」

 

 蓮華は怪訝な表情になり、妙なものを見る目でリュウを見る。

 リュウの視線は妙だった。

 美味しい料理を前にした反応というよりは、生まれて初めて宝石を見た人間が、宝石から目が離せないまま感動に体を震わせているような、そんな反応。

 

「……」

 

 リュウは粥に手を付けた。

 手を伸ばし、ひとすくいし、口に運び、よく味わうように噛み締める。

 

「……うまっ! うまっうまっ」

 

「そうでしょう。多少なりと腕に覚えがあるのよ」

 

 長く綺麗な黒髪をかき上げ、蓮華が得意げに笑う。

 

「うまっ……うまっ、うまっうまっ」

 

「語彙が死んでない?」

 

 リュウはすぐ料理に夢中になったが、蓮華は気分を良くしつつも、僅かな違和感を覚えた。

 美味しい料理に夢中になった人間は料理を食べる速度が少し上がる。

 子供は特に、喉に詰まりそうなくらいにがっつくことが多い。

 リュウは手の動きこそ速まったが、口に入れてからはむしろ遅く、口に入れた食べ物をとてもゆっくりと、しっかりと味わっている。

 

 ぼんやりと見ていると違いは分からない。

 だが観察力のある人間が見ると僅かな違和感を覚える、『美味しい料理をゆっくり味わっている』のとは違う、『価値あるものをよく感じようとしている』所作。

 食欲という本能的欲求ではない、理性面における欲求による何かだ。

 

「美味いな」

 

 鷲尾リュウが弥勒蓮華を知らないように。

 

 弥勒蓮華も鷲尾リュウのことを何も知らない。

 

「他人の手料理、生まれて初めて食べた。こんなに暖かくて、美味しかったんだな」

 

「―――」

 

 蓮華の料理に夢中になっていたリュウは、"信じられない当たり前の中で生きてきた"彼の中の常識を基準に発言し、それを聞いた蓮華の表情の動きにも気付いていなかった。

 人間も、動物も、幼少期は弱い。

 単独では生きていけない。絶対に。

 だから親に世話をされなければ死ぬ。

 よって、子は基本的に親が与える食を得て生きている。

 

 ライオンは子の代わりに狩りをして肉を子に与え、虫は子の卵の周りに加工した食料を置いておき、チンパンジーは加熱した肉の味を好ましいものと思い子に与える。

 普通の家庭では親が、孤児院なら管理者の大人が、料理ができない家庭では家族で行った料理店の料理人が、子供に手料理を食べさせてくれる。

 記憶に強く残っていないだけで、他人の手料理を食べたことがない人間というのは、日本社会のシステムにおいてほぼ居ないと言っていい。

 

 でももしも、それらの一切が無い人間が居たとすれば?

 

「給食と、コンビニ飯と、特別食と、あと自分で作った飯くらいか。オレが食ったことある飯って」

 

「……」

 

「そっか、これが手料理か。あ、女の子の手料理だからもっと喜んだ方が良いンだろか」

 

「……お父様やお母様は作ってくれなかったの? 外食は?」

 

「お手伝いさんに言えば作ってもらえるって聞いてたな。

 でもよォ、ンなことで仕事増やすの申しわけなくねェ?

 だから自分で飯作り覚えたんだよなァ……

 うんと小さな頃はいつの間にか部屋に食べ物が何か置いてあったな。

 あ、別に貧乏だったとかじゃねェぞ。

 オレ以外の家族は家族で飯食いに行ったりはしてたかンな。

 母親も料理上手で近所の評判の人だったしよ。

 部屋に非常食は常備されてて餓え死にだけはすンなって父親に言われてた記憶がある」

 

「……」

 

「あー、なんつーか本当に美味いって感想しか出てこねェな……」

 

 少女の脳裏に、家族で料亭に行き美味しいものを食べて家族で笑い合う鷲尾家と、一人だけ家に置いていかれて非常食を黙々と食べるリュウの姿が、想像される。

 "現実には過去のリュウはその時泣いていた"ということを除けば、その推察に似た想像はほぼ正解を導き出していた。

 

 リュウは同情してほしくて話しているわけではない。

 自分の中の常識を話しているだけ。

 なのに、どこか薄ら寒い家庭環境が伝わってくる。

 

 昆虫ですら、子のための餌に、他の昆虫を噛み砕いて練り上げた肉団子を作るのに。

 彼の幼少期にはそれ以上に熱がない。

 虫よりも人間らしさがない。

 

「暖かいンだ。それが良い。漫画とかの真心の込もった料理ッてこんな感じなのか?」

 

「……」

 

 リュウはとても喜んでいる。

 蓮華の料理の腕を認めて褒め称えるのではなく、弥勒に与えられた『気持ちのこもった手料理』をとても喜んでいる。

 蓮華の料理の腕を尊敬するのではなく、蓮華の暖かな行為に感謝している。

 おいしい、おいしい、と言ってはいるが、その実彼の内心に満ちる感情は『幸せ』だった。

 

 親に対し求め、願い、何も与えられず、空虚なままに諦めた者は、胸の内に穴を抱えている。

 それは自分自身では絶対に埋められない心の穴だ。

 何年もそれを埋め続けてくれた赤嶺友奈が居た。

 残っていた穴の一つを今埋めてくれた、弥勒蓮華が居た。

 他の人なら「とても美味しい」「弥勒さんは料理が上手だね」で終わるのに、それで終わらないのは、彼の幸福がどこか欠損してしまっているから。

 

 リュウが幸福そうな表情をするのとは対照的に、蓮華は今日一番に真剣な顔をして彼を見つめていた。

 それは弥勒蓮華が今日初めて見せた、驚愕であり、動揺であり、同情であり、リュウには察することができない"優しい者が持つ理不尽への憤り"だった。

 

「うま、うまっ」

 

 リュウが食べていた粥は小さめの丼に盛られていたが、リュウはその2/3程を食べたところで手が止まる。

 叩きのめされたダメージが残る彼の内臓に、これ以上は入らない。

 

「ふう。あんまり胃の調子良くなくて悪ィ。残したくなかったンだが……」

 

「いいのよ。調子が悪いのは分かってたわ」

 

「ん、そか」

 

 リュウの顔色の悪さは目に見えていたし、体は引きずるようにしか動かせていなかった。

 それを気遣い、蓮華は食べやすい粥をセレクトしていたのである。

 リュウがそれを『真心の込もった料理』と表現し、蓮華は自分の気遣いが理解されたことを嬉しく思いつつ、少しの気恥ずかしさを感じていた。

 同時に、リュウが食べ切れる範囲を見誤った己を恥じ、自分の読み以上に弱り切っていたリュウの体調を心配もしていた。

 

(重病人レベルに食が細いわね……)

 

 リュウにとっては何もかもが初めての経験だったはずだ。

 他人の手料理も。

 その暖かさも。

 作り手が自分の体調を気遣ってくれる料理の食べやすさも。

 自分のために作られた料理を残してしまう後ろめたさも。

 全部初めての体験で、全部彼の中で大切な思い出として大切な宝物になることだろう。

 蓮華にもそうなることは分かっていた。

 

「次は貴方が笑顔で『御馳走様』を言える量を見極めておくわ」

 

 蓮華にとっては次の自分はもっと成長している、という宣言。

 リュウにとっては自分の中で習慣になっていなかった『当たり前』を気付かせる一言。

 

「……ごちそうさま」

 

「御粗末様」

 

 リュウは黒く短い髪を掻く。

 慣れていない空気に戸惑う自分をごまかすように。

 蓮華は綺麗な長い黒髪をさらさらと揺らす。

 華美に微笑み、ごく自然に感謝を受け取っていた。

 

 リュウはおずおずと何かを言おうとし、言おうとするのをやめ、けれどすぐにまた言おうとし、口ごもる。

 

「あの」

 

「なにかしら?」

 

「その」

 

 それは、自分で他人を傷付け痛めつけておきながら許されたいと思う闇の醜悪だったのか。

 それとも、弥勒蓮華が頑なだった彼から引き出した、彼の弱さだったのか。

 

 

 

「……その足、痛くないか?」

 

 

 

 謝るように口にしたその一言が、微笑む蓮華に最後の選択を決めさせた。

 

 他人ならよかった。

 他人なら傷付けられた。

 "友奈の仲間"なら、足を折ってしまうくらいは選べた。

 友奈には傷一つ付けられなかったが、蓮華の足なら折れた。

 けれど"弥勒蓮華という優しい少女"と認識してしまえば、もうダメだ。

 

 きっと、次はもう折れない。

 

「この程度の痛み気にするほどでもないわ。

 幼少期に道路で転んだ時ほどにも痛くなかったわね」

 

「それは流石に嘘だろ」

 

「貴方が手加減しすぎたんじゃないかしら」

 

「手加減しようがしまいが足折られたらクソ痛いに決まッてんだろ何言ってんだ?」

 

 蓮華は優雅で、華麗で、自信満々で、その所作は美しく、怒りも憎しみも見せない。

 

 彼を許すのではなく、己が強いがためにそんな罪は最初から無かったのだと強弁する。

 

 彼女の倫理は強固であるがために、人を傷付けることを罪と定義する。

 リュウが行おうとしている人類史最大級の犯罪行為を罪と定義する。

 そして"それはそれこれはこれ"の精神で、リュウが自分を傷付けたことを、罪であると認めていなかった。

 リュウが蓮華に謝罪の言葉を言えないのは、言おうとして踏み留まって傷の心配をしたのは、リュウ自身が『謝って許されちゃいけない』と思っているからだと、蓮華は理解していた。

 

「いいえ、痛くないわ。

 この程度の痛みで誰かを責めるほど、弥勒は弱い女ではないと心得なさい」

 

 その振る舞い、言動、在り方は、鷲尾リュウの心に僅かなれども救いを与える最適解。

 

「……そうかよ。謝らねェぞ」

 

「ええ。貴方はそれでいいのよ」

 

「だけど、ありがとう」

 

「素直で良し。ひねくれた振る舞いはしない方がきっと格好良いわよ、貴方」

 

「……」

 

 照れた様子で、リュウは蓮華の顔を真っ直ぐに見られなくなり、顔を逸らす。

 

「料理もありがとな。思い残すことがまた一つ、無くなった気がする」

 

 その直後に彼がごく自然に口にした心の言葉は、蓮華が聞き捨てならない言葉であった。

 

「生きることを諦めなければ、何度でも食べられるわ」

 

「一回で良い。十分だ」

 

「弥勒の料理を一回で堪能し尽くしたつもり? 傲慢ね」

 

「一回で満足できた。お前の料理が美味しかったお陰だ」

 

 一途であるということと、頑固であることと、不器用であること。

 それは一人の人間に同時に備わりやすいものだ。

 蓮華の軽い挑発にも全く反応しないリュウに、蓮華は"鷲尾リュウの芯にあるもの"を感じた。

 

「お前の気遣いを受け取るのは、ここまでで良いンだ」

 

「このままの貴方のやり方だと、貴方のためにも友奈のためにもならないわよ」

 

「だけどお前のやり方だと、お前のためになんねェだろ。気付かないとでも思ったのか?」

 

「―――」

 

「てめェオレより弱いんだから無理すんな。自分のことだけ考えてろ」

 

 弥勒蓮華は万民の暮らしのために、世界の平穏のために、そして友奈とリュウのために、全てを自分が成し遂げるという提案をした。

 だが、無理だ。

 根本的に何もかもが足りていない。

 主に強さが足りていない。

 弥勒蓮華は既にリュウのゼットンとの一対一にて足を折られ、敗北している。

 

 それが分かっていない彼女ではない。

 彼女は"全員笑って終わる"極めて低い低い可能性を諦めず、不可能にも思える事象に挑み、それを実現しようとしただけ。

 可能性が極低なことを知りながら、それを自信満々に語っていただけだ。

 

 諦めていないだけなのだ。

 赤嶺友奈と鷲尾リュウが、何の罪悪感もなく、笑顔で再会する未来の可能性を。

 

 だがそれは、リスクが高すぎる。

 そして、弥勒蓮華の抱えるリスクが大きすぎる。

 世界全てを敵に回すという点がリュウと同じでも、弥勒には友奈の花結装もリュウのダークリングもなく、リュウが解放しなければ神の力の行使すらできない。

 消耗戦に持ち込めば大赦ですら簡単に射殺できてしまうだろう。

 

 守るべき人々と、倒すべき悪の二極しか無いと思っているのが友奈で。

 絶望に苦しみながら何もかもを踏み潰して友奈だけは救おうとしたのがリュウで。

 二人のどちらよりも勝率の低い地獄の道へ笑って踏み込もうとしたのが蓮華だった。

 三人に共通点があるとすれば。その戦いはただ、自分以外の誰かの幸福と笑顔のために。

 

 今の四国という環境において、最強最良が友奈なら、最愚最悪がリュウであり、蓮華は最弱最善であると言えた。

 

「お前、オレの行動の結果今の社会が終わったら、オレを許さねェだろ」

 

「……」

 

「変にオレに同情すンなよ。

 話してて何を思ったか知らねェけどな。

 不可能だと最初から分かってて挑むこたァねェだろ?

 まあでも、お前がオレの事情を汲んでくれンなら……頼みてェことがある」

 

「言ってみなさい」

 

「オレが負けたら……いや、死んだら。友奈を頼む」

 

 蓮華が細く小さな溜め息を吐いたことに、喋ることに集中していたリュウは気付かなかった。

 

「オレが死んでる時点でどうにもならないかもなァ。

 だけどお前が後に居ると思えば、ちッとは安心して戦いに……」

 

「負け犬の考えね。もう負けた後の事を考えている」

 

「……なんだと?」

 

「いえ、夢見がちな自爆テロリストの考えかしら。

 死んで満足?

 本望に殉じれば思い残すことはない?

 自分の死後に自分の願いを誰かが叶えればそれでいい?

 自分の命も幸福も、他人の命も幸福も、全部ぞんざいに扱うなんて救えないわ」

 

「てめェ」

 

「貴方も男なら、希望のある未来に賭けて、不可能にも思える可能性に挑戦してみたら?」

 

「賭けるのは友奈やお前の未来と命だ! できるわけがねぇだろォがッ!!」

 

「―――」

 

「オレの命だけ賭けてりゃいいならそうするさ!

 オレが負けても他の奴が何の迷惑も被らねェならそうするさ!

 だけどな! 友奈もお前もいいやつだったろ! オレはそう思ったんだよ!」

 

 弥勒蓮華は大まかには鷲尾リュウという人間を見切っていたと言える。

 ただし、一つだけ見誤っていたものがあった。

 リュウから自分への好感である。

 

 蓮華は変わった人間だ。

 "面白い"という印象を抱かれることは多いが、"好ましい"と思われるまでに少し時間が要る。

 そういうタイプであるし、本人もある程度は自覚している。

 だから、リュウから友奈への感情はかなり正確に推察できていたが、リュウから自分への感情はかなり読み間違えていた。

 

 弥勒蓮華が善性の存在であればあるほどに、リュウの中の骨を折った罪悪感は増し、選べる選択肢は減り、視野は狭まっていく。

 善意で舗装された地獄への道が伸びていく。

 鷲尾リュウという悪は、善を滅ぼし善を守るために戦っている。

 

「お前じゃダメだ。

 お前じゃ大赦を皆殺しにできねェ。

 元凶を取り逃がしかねねえ。

 鏑矢とオレが居ない方が良いと思ってる集団を排除できねェ。

 何より、戦う力が足りねェんだよ。

 お前にそこまで重荷を横取りさせて背負わせるほど、オレは弱かねェぞ」

 

 ふん、とリュウが鼻を鳴らす。

 慢心なのか、油断なのか。

 いずれにせよその所作に"心の隙"を見つけた蓮華の行動は早かった。

 

「あら、そうかしら」

 

 弥勒は、リュウが座っていたソファーを強く押す。

 

 怪我人だから、とか。

 自分みたいな怪物が怖くないのか、とか。

 料理が暖かった、とか。

 良い人だ、とか。

 油断する理由を山のように積み上げていたリュウは、反応が遅れるどころか、ソファーが後ろに倒れきってもなお、自分が何をされているのか分かっていなかった。

 蓮華が何をしているのか分かっていなかった。

 

「!?」

 

 ゴン、と蓮華が計算した勢いで後頭部を床に打ち付け、リュウはそのまま後方に転がる。

 

 頭がクラクラしながら、どちらが上かもハッキリ分からないままに立ち上がったリュウは、腰に吊っていたダークリングの留め具が外され、ダークリングが奪われた感覚を肌に覚えていた。

 

「―――!」

 

 蓮華だ。

 リュウは立ち上がりつつ、ダークリングを持った蓮華を見据える。

 何が何だか分からないが、取り返さなければならない。その思いで足を動かす。

 

(ダメだ、ダメだ、それを取り上げられたら、オレは。

 何の取り柄もなくて、何も持ってなくて、何も救えないオレにまた戻って―――)

 

 すがるように立ち向かうリュウの視線の先で、蓮華が手を振った。

 なんだ、とリュウの足が止まり。

 何か飛んで来た、と反応した時にはもう遅かった。

 

 飛んで来たのはゴムボール。

 弥勒蓮華が祭りの縁日で"ゴムボール掬いの女帝"の名を名乗り始めた(誰も呼ばない)時に得たカラフルなボールが、リュウの額にぶつかる。

 ぐらっ、とリュウの頭が揺れ、リュウの視界がぐるんと回る。

 『この投げ方』に、リュウは見覚えがあった。

 

(……あ、これ、友奈がやってたやつ)

 

 おそらくは、師が同じで、蓮華が対テロリスト戦末期に完成させた独自技法。

 友奈がフェイクバルタンの完封に使っていたものだ。

 蓮華が完成させた技術が、友奈にも伝えられたに違いない。

 

 技を教え合うほどの友奈と蓮華の友情にリュウが納得し、ゴムボールを目で追ってゴムボールに顔ごと弾かれた視線を元に戻すと、すぐ目の前に蓮華が居た。

 

「!」

 

 ダークリングで怪獣を出してけしかける一年を過ごしていた、ただの不良少年。

 一年以上、極めて優秀な師の下で鍛え上げられ、その身一つで殺し合いの中に居た鏑矢。

 何の補正もない生身での接近戦なら、笑えるほどに技量の差が出る。

 初撃の蓮華のビンタが普通に入った。

 蓮華は防御の構えを取ったリュウを簡単に崩し、転ばせ、床に転がし、腕を背中側で捻り上げるようにして関節を決め、優雅にリュウの背中の上に座って体重を掛け動きを封じる。

 そして蓮華は床に転がるゴムボールを見つめ、得意げに口を開いた。

 

「―――弥勒疾風弾。神速の投擲よ」

 

「技当ててビンタしてオレを拘束した後についでみたいに技名言ってんじゃねェ!」

 

 弥勒疾風弾。

 恐るべき投擲である。

 友奈のように鉄を投げつけてきていたら、おそらくそれでリュウは即死していた。

 

「痛っ」

 

「やっぱり、体がボロボロね。

 闘いの姿勢を取るだけで……

 いえ。ここまで歩いてくるだけでも、積み木の体で歩くようなものだったのでしょう?」

 

「……」

 

 いや、そうでなくとも、それ以外の蓮華の攻撃が本当に本気のものであればリュウは死んでいた可能性が高かっただろう。

 それほどまでに彼の体はボロボロで、生命力は尽きかけだった。

 例えるならば、少し突かれただけで崩壊する、歩く積み木。

 ビンタがパンチだったら、リュウは死んでいたかもしれない。

 床に転がしたリュウを押さえつけず、追撃を入れていればリュウは死んでいたかもしれない。

 ほどよいダメージ、ほどよい無力化。

 手加減されたことにリュウが気付かないわけもなく、リュウは歯噛みし、問いかける。

 

「ダークリングで何をするつもりなんだよ」

 

「話を聞いていて思ったのだけれど、これはおそらく奪えば誰にでも使えるはずよ。違う?」

 

「……!」

 

「大赦の魂胆は推測できなくもないわ。

 他の人間にもダークリングを使わせる魂胆はあったはず。

 貴方に使わせてデータを取りたかったんじゃないかしら。

 でもこれが、この道具に現在選ばれている者以外でも使えるのなら……

 奪った人間の物となり、その人間でも使えるのなら。弥勒にも使えるはずよ」

 

「―――」

 

 そう。

 蓮華の目的は、途中からこれだった。

 彼女は確かに弱く、その力は封印されているかもしれない。

 だがダークリングを使えばΣズイグルの封印は解除可能で、戦闘も可能だ。

 少なくとも、専門の戦闘訓練を受け、神の力も加護も受け、リュウほど極端に友奈を傷付けることを忌避しているわけでもない彼女なら、もっと上手くやれる可能性はある。

 変身して同条件で戦うという前提なら、リュウより強い可能性もある。

 

 勿論、可能性の話でしかないが。

 無論、どうしようもなく見通しが甘い話でしかないが。

 それでも、リュウも大赦も友奈も全部ぶっ飛ばした弥勒蓮華が、全てを丸く収めるという話は、成功率0%の夢物語ではなくなるだろう。

 

「……なんてこと考えやがる」

 

「そう? 弥勒は最適解だと思ったのだけれど」

 

「やめとけ……加害者になんかなんじゃねェ。お前の人生台無しになンぞ」

 

「いいえ、このまま行っても弥勒の人生は台無しになるのよ。分かるでしょう?」

 

「っ」

 

「社会は壊れ。

 弥勒の周りの人は不幸になり。

 そして何より、親友と親友の大切な人が不幸になってしまいかねないわ」

 

「それは、だけど、それは」

 

「弥勒は万民の幸福のために鏑矢になった。

 断る選択肢もあったけれど、自ら望んでお役目を受けた。

 それは友奈も同じはずよ。

 万民の幸福のために戦う鏑矢が、世界を壊す貴方の幸福のために戦うのもまた当然」

 

「……万民の敵は万民じゃねェだろ倒せよ、手ェ差し伸べてんじゃねェ」

 

「それを決めるのは弥勒よ」

 

「無敵かお前は」

 

「あら、いいわねその表現。弥勒が無敵なら、敵は無い、つまり貴方は弥勒の敵じゃないわ」

 

「お前と話してると脳にうどんが生えそうだ……」

 

 蓮華はリュウから取り上げたダークリングを膝に置き、リュウの関節を固めたまま、リュウが所持していたカードのケースを取り上げる。

 リングもカードも、蓮華の手に渡った。

 リュウは動けない。取り返せない。

 

「弥勒は弥勒よ。弥勒蓮華の生き方を決めることができるのは、弥勒蓮華ただ一人」

 

 蓮華はカードケースもリングの上に置いて、動けないリュウの頭を撫でる。

 

 母が、とてもよく頑張った息子に対し、そうするように。

 

「貴方の人生を貴方しか決められないようにね」

 

「っ」

 

「だから弥勒は、貴方に人生を押し付ける。

 ここで足を止めて、少し先の未来で友奈と笑い合う人生よ。

 弥勒の傲慢を恨んでくれて構わないわ。でも、貴方にはきっとその方が良い」

 

 リュウはいつも、威嚇するような喋り方をする。

 それは、彼に余裕がないから。

 蓮華はいつも、自信満々な喋り方をする。

 それは、彼女に余裕があるから。

 絶体絶命のピンチに余裕をすぐなくして友奈に負けるリュウと、絶体絶命のピンチにも余裕をなくさず余裕を持って逆転の可能性を作る人間には、絶対的な『心の差』が存在している。

 それは、本質的な戦士の資質の差。

 

 この少年が一人ぼっちで世界と戦っていることそのものが間違っていると、蓮華は言うのだ。

 

「鷲尾リュウはもうひとりぼっちじゃなくていいのよ。

 そもそも貴方が一人で戦っているのも、大人の傲慢と勝手が原因なのだから」

 

「―――ぅ」

 

「一人で世界を敵に回して戦うなんてことは、弥勒に任せておきなさい」

 

 弥勒蓮華は、ただ大好きな少女の未来と幸福を願っているだけの少年が、世界と大人の不条理に追い詰められて苦しんでいるのが、『おかしなこと』にしか見えなかった。

 おかしい、と思ったら、私情で殴って壊しに行く。

 なればこその弥勒蓮華。

 

「友奈のために戦っている貴方のために、弥勒は戦うわ。貴方の味方が見当たらないもの」

 

「……頼んでねェ。要らねェ。オレの味方だってンなら邪魔すんじゃねェ!」

 

「ダメよ。貴方がどう転がっても幸せになれないわ。だから貴方の戦いは、ここで終わり」

 

「離せ! 返せ! それはオレの力だ!」

 

「嫌よ」

 

 もがくリュウを、蓮華は技のみで容易く抑えつけ続ける。

 だがリュウがあまりにも限界を超えて暴れようとするため、リュウの傷口から血が滲み始め、肉も崩れ、リュウが自分自身の力で死に近付いていってしまう。

 蓮華はリュウの体のため、リュウを大人しくさせるために蹴った。

 体を壊さないよう、蹴る場所を選び、慎重な手加減……足加減で蹴った。

 折れた足で。

 

「がふっ」

 

「ふふっ……足が痛いわね」

 

「なっ、お、お前なんでそっちで蹴ってンだ!?」

 

「ギプスで固めてる分、攻撃力が高いからよ」

 

「攻撃力だけで選んでンじゃねェ! カードゲームで攻撃力しか見てねェ小学生か!?」

 

「蹴られた貴方も痛い。蹴った弥勒も痛い。一方的に痛めつけないこういう平等が大事なのよ」

 

「……自分の体を大事にしろ!」

 

「貴方が言うと途端にこの世で一番説得力のない言葉になるわね」

 

 ぐったりとしたリュウの上で、蓮華はよく通る綺麗な声で、諭すように言う。

 

「自覚が無いなら。

 誰も貴方に言っていないのなら。

 貴方のために言ってくれる人が居ないのなら。

 弥勒が言うまでもないことだけど、弥勒が言ってあげるわ」

 

 蓮華が片手を振り上げる。狙うはリュウの後ろ首筋。

 

 

 

「貴方はこの世界で誰よりも、赤嶺友奈と殺し合ってはならない男よ。もう休みなさい」

 

 

 

 その言葉が、少しだけ、リュウの暴れる力を弱めて。

 

 蓮華の手刀が、リュウの首を強く打った。

 

 

 




会話途中にこうすることを心の中で密かに考えてる思考回路が何かおかしい女

鷲尾リュウ 169cm 中二
赤嶺友奈  154cm 中二
弥勒蓮華  157cm 中二
桐生静   160cm 中三
体格だけで押しきれない技の差、というか師匠の差
それと消耗の差……

良いお年を~


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3

 あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いいたします!


 リュウはいつも、親指で弾いてカードをダークリングにリードしている。

 それは技量を高め維持する練習であり、腕を鈍らせないための習慣であり、もしもの時のための只人の備えであった。

 

 怪獣を出し、操作する日々の中で、リュウは根本的な自分の弱点に気付いていた。

 それは、本体の自分が弱いということだ。

 これは先々々代のダークリングの使い手・魔剣士ジャグラスジャグラーにはなく、先々代のダークリングの使い手・魔導師ムルナウにはあった弱点である。

 この弱点を持つ者は、接近戦や奇襲に弱い。

 後ろからぶった切られてダークリングを奪われてしまうことすらあるのだ。

 

 特に拘束が致命的だった。

 ダークリングは左手で構え、右手でカードをリードしなければならない。

 よって敵に接近されて片腕を掴まれてしまうだけで使えなくなってしまう。

 そうなってしまえばもう、ぐだぐだの接近戦。

 子供の殴り合いのような流れに入ってしまうか、敵の刃物に刺されて死ぬか……といった、極めて望ましくない流れに入ってしまう。

 

 だからリュウは、色んなことを地道に練習した。

 たとえば―――()()()()()()()()()()()()()()()()、などがそうだ。

 両手を掴まれていても、ダークリングが殴り弾かれ宙を舞っていても、カードを弾いてリングの内側を通過させれば、カードをリードさせることはできる。

 手品のような小細工の技能だが、これがこの瞬間に役に立っていた。

 

 ビンタされ、転ばされた時。自分の体と蓮華の体、それが遮る蓮華の視界の死角を読み切り、そこを通すようにカードを投げていた。

 投げたカードは非物質的にすら思える重量と宿した力の力場により、紙飛行機のように空をゆったりと滑空しながら降りてきて、リュウを抑えつける弥勒の膝上にあったダークリングに入る。

 

《 バルタン星人 》

 

 それはリュウにとっても、命懸けの賭けであった。

 

「!」

 

 出現したバルタン星人がハサミを振る。

 足で跳べない弥勒はリュウを離し、床を転がるように回避する。

 されど回避する弥勒の手から、油断なくバルタンはダークリングを掠め取っていく。

 この鮮やかな手並み、まさに異名通りの宇宙忍者。

 弥勒に首筋を打たれて意識が飛びかけたリュウをバルタンが助け起こし、そのハサミでリュウの背中をさすり、意識をなんとか覚醒状態に持っていく。

 

「賭けには、勝った、ッつーことだな」

 

 リュウはそう言い放つが、()()()()()()()()()()()()

 

 ダークリングを今持っていたのは、蓮華である。

 リュウではない。

 ならば、所持者と判定されるのは蓮華なのでは?

 蓮華はリュウの話を聞いてそう思っていたし、リュウもここまで追い込まれて思いつきの一か八かに出るまでは、そう思っていた。

 

 だが実際は、バルタンはダークリングを持っていなかったリュウの味方をした。

 ダークリングの所持者である蓮華を攻撃し、ダークリングを奪ってリュウに渡した。

 ダークリングに操作されないままリュウを守った。

 リュウが奇跡に賭け、リュウ本人ですら驚くような事態になったからこそ、弥勒蓮華の読みを外せたと言えるだろう。

 その理由として、考えられることは二つ。

 

 可能性が高い推測として、まだ所有権が移ってなかった可能性がある。

 ダークリングの所持者はまだリュウのままという判定だった、だからバルタンがリュウの味方をした、という可能性だ。

 これが一番あり得ることだが、リュウが操作しなくてもバルタンが動いた理由にならない。

 そしてもう一つの可能性。

 可能性が低い推測として―――『バルタンが自分の考えで動いた』、という可能性がある。

 カードから生み出されたバルタンが、己が意思でダークリングのあるべき所持者を選んだ、というとても低い可能性。

 

「……お前、やっぱ……いやなンでもねえ」

 

 リュウはバルタンに話しかけようとして、バルタンが微塵も反応しなかったのを見て、やめた。

 弥勒は折れた足を庇いつつ、床に転がっていたフォーク二本を武器のように構える。

 

「奪った人の物になるというのが嘘……

 いえ。貴方が嘘を言っているようには見えなかったわ。

 奪ったらすぐにはその人の物にはならない、ということかしら」

 

「知らん。オレは雰囲気でダークリングを使っている」

 

「勢いで生きてるわね……そんなに嫌いじゃないわ」

 

 庇うように立つバルタンの後ろから、リュウは蓮華の目を真っ直ぐに見て、真っ直ぐに今の自分の気持ちをぶつける。

 

「お前、オレに人生を押し付けるっつッたな」

 

 リュウはもう、見ていられないくらいにずたぼろだった。

 皮膚は青あざだらけ。擦り傷切り傷内出血のオンパレード。

 皮膚の下の肉はちぎれ、骨はそこかしこが折れたりヒビが入ったりしている。

 内臓はかつての1/10の食事量でも残すほどに弱りきり、片方の眼球は潰れて落ちた。

 

 でも、まだ立っている。そして、まだ何も諦めてはいない。だから、まだ止まらない。

 

「ありがとよ。だけど、繰り返しになるが、お前の優しさはもう十分だ」

 

 立ち続ける彼の在り方に、間違った在り方と正しい強さの両方を感じてしまい、弥勒蓮華はこうなるに至った状況の全てに対し、心中で唾を吐いた。

 

「オレはお前達に人生を押し付ける。

 お前達の『敵』が居なくなった世界で、いつまでも笑ッてろ」

 

 蓮華はリュウに不幸でない人生を押し付けることを謝った。

 だがリュウは謝ってすらいない。

 彼は最初からずっと、大多数に不幸な人生を、友奈に未来を、押し付けるために戦っている。

 だからきっと、彼の在り方は悪に定義されるのだ。

 

「あなたが自分の幸福のために戦わない限り、友奈と弥勒は貴方の前に立ちはだかるわ」

 

「……かもなァ」

 

 弥勒の一言が心の急所を突き、リュウが苦笑して、寂しそうな表情を見せる。

 

「お前は凄ェよ。オレにできねェことがたッくさんできる」

 

「お互い様じゃないかしら。弥勒にできないことが、貴方にはできるわ」

 

「んなこたァーねェ。ダークリングだって、本当は奪えば奪った奴が使えンだ」

 

 ダークリングがその時選んだ奴だけが使えるってわけでもねえ、とリュウは言う。

 

 ダークリングを見つめながら、喋り続ける。

 

「これしかねェんだ、オレには。

 宇宙人ブッ殺して奪ったこれしか。

 戦う力以外に何もありゃしねェ。

 リング抜きじゃ取り柄もクソもねェ奴ができることなんてクソみたいなことしかねェ」

 

「弥勒は自分を卑下しすぎる男は嫌いよ?」

 

「そうかよ、存分に嫌ってくれや。……褒められたんだ」

 

「褒められた……?」

 

「お役目果たしてさ。

 人殺して。

 家に帰って。

 そしたら親父が玄関に居て。

 人を殺してお役目をちゃんと果たしたことを、褒められた」

 

 褒められたかったし、責められたかった。その時のリュウは、中学一年生。

 

「生まれて初めて、父親が褒めてくれたのが、それだったンだ」

 

「―――」

 

「褒めてくれたンだ」

 

 鷲尾リュウは、親に褒められた幼い子供と、望まぬ殺人の罪で投獄された囚人を混ぜ込んだような、蓮華が見たことのない表情をしていた。

 どこか嬉しそうで、どこか悲しそうで、どこか虚ろですらあった。

 赤嶺友奈が毎日埋めていた虚ろが、ずっと埋められないままそこに広がっている。

 

「その時、改めて思い知った。

 オレ、何もねェんだ。

 何もない、何もできない、何の取り柄もない。

 だから褒められねェんだって。

 だから……人を殺すことくらいでしか、親に褒められねェんだって」

 

「子を一度も褒めないのは親が悪いのよ。

 貴方に一切の非はないわ。

 もしも貴方が弥勒の子だったなら、きちんと褒めて弥勒らしい子に育てるでしょう」

 

「突然オレの母親気取りで話し始めて怖い話に持っていこうとすンな」

 

 少し後ろ向きになりかけたリュウの気持ちが、少しだけ前に向く。

 

「空っぽのオレでも。

 何か、何か詰め込めば。

 空っぽじゃない誰かの役に立てれば。

 人殺しでも何か成せれば。

 『幸せにする価値のある人』を幸せにできれば。

 いつか空っぽじゃなくなるんじゃないかって、心のどっかで思っててよ。

 ンなわけねェだろって、頭のどっかが思ってた。

 ……だから、皆のために頑張る立派な人間じゃなくて、一人のために頑張る奴になッてた」

 

 誇るように、少女を褒める。

 

「皆を笑顔にしていつも親に褒められてる友奈は、スゲー奴だと、ずっと思ってたンだよな」

 

 嬉しそうに、少女を褒める。

 

「オレみたいな奴を、いっつも褒めて、凄い凄いって言ってくれてよ」

 

 親に褒められない幼少期のリュウにとって、友奈こそが太陽だった。

 

「この世で一番幸せになるべきだと思った。

 この世で一番幸せになってほしいと思った。

 友奈が笑顔で居ることより大事なことは無いと思った。

 あいつが幸せに未来を生きてくれるなら、それだけでいいと思ったンだ」

 

 太陽を見続けていれば、いずれ目は潰れ、その目は太陽だけしか見えなくなるように。

 

 燃えるような恋をした。燃え尽きるような愛になった。

 

「―――それがオレの生まれた意味で、生きる意味だと、思えたから」

 

 蓮華はリュウに「なんて面倒臭い男」と思ったが、リュウへの好感が減ることはなかった。

 

 蓮華の内に湧き上がったのは、リュウをここまでぐちゃぐちゃにした、周囲の大人への怒り。

 

「色んな人を殺したオレの前に、そんな道がまだ残ってることが、少しだけ嬉しかった」

 

 何度踏まれても強くタフに咲き続ける路端の花のように、太陽に向かい立ち続けるリュウへ、蓮華が覚えた感情は慈しみであった。

 

「どんな人間にも、共通してある生まれた意味、生きる意味というものはあるわ」

 

「何?」

 

「自分が幸せになること。そしてその後、余裕があったら隣の人を幸せにすることよ」

 

「……!」

 

「弥勒は今日見つけたわ。私と友奈が祓うべき、最後の厄を」

 

 厄を祓う矢、ゆえに鏑矢である。

 彼女らの名の由来になったのは、厄を払う退魔の矢の神事だ。

 なればこそ、人を殺すという過程を経るものの、鏑矢の仕事は厄払いの神事とされる。

 人の世を乱す厄があり、それを祓うが鏑矢の本懐。

 万民の――鷲尾リュウの――平穏と笑顔のために、祓うべき厄を蓮華は見定めた。

 

「それは大赦と、貴方の内にある」

 

 だがそこで、続きの言葉を告げる前に、家のインターホンがなる。

 

 "時間切れ"だと、蓮華の直感が言っていた。

 

 

 

 

 

 インターホンが押され、玄関の方から声が聞こえる。

 

「弥勒様、少しよろしいでしょうか」

 

 蓮華はその声に聞き覚えがあった。

 大赦でそこそこの地位に居る人間の声だ。

 "ここは別荘で蓮華が今ここにいるのも偶然なのに、家に居る前提で声を上げている"という僅かなれども確かなおかしさが、蓮華に眉を潜めさせた。

 

「鷲尾リュウ。裏口から逃げる準備をしておきなさい」

 

「! 追手か?」

 

「アポ無しで弥勒の家に来る大赦の人間は居ないわ。普通ならね」

 

 早い。

 隠し拠点に昼の間ずっと引きこもってるのでもなければ、四国全土を管理する政府機関であり、情報管理を得意とする大赦が嗅ぎつけてくるのも当然か。

 医薬品が尽きて買い出しに出て来たという事情があったから、仕方ないという面もあるが、なんにせよ状況が悪い。

 リュウはまだ、前回の変身から数時間しか経っていないのだ。

 今無理をすれば、最悪その瞬間負荷で死ぬ。

 

「なんでオレを逃がす? テメェからすりゃオレはまだ敵だろ」

 

「手加減する余裕はないはずよ」

 

「……ああ。全力で、殺せるだけ殺す。

 逃げに徹してもどうにかなるか怪しいもンだ。

 体の負担無視で怪獣化でもしなけりゃ、銃弾何発か食らうかもしれねェけどな」

 

「弥勒は貴方が人間を殺すべきではないと思うし、人間が貴方を殺すべきではないと思う」

 

「今更だろ」

 

「貴方も、貴方を殺そうとする人も、弥勒の中では殺されるほどの悪人ではないわ」

 

「……分かった、分かった。お前の願いを尊重してやる」

 

 弥勒が一時的にリュウの味方に付いたのは、リュウの意志を後押ししたわけではなく、大赦に反逆の意志を見せるためでもなく、この状況を死人0で終わらせるためだ。

 

 気付けば、リュウは随分蓮華に親しみを感じ、譲歩するようになってしまっていた。

 

(いけねえ。自分の中の優先順位を、しっかりさせろ)

 

 情に流されるのが自分の悪い癖だと己に言い聞かせ、少年は努めて冷徹で在ろうとしていた。

 

「これは……包囲されてるわ。裏にも人が居るみたい」

 

「何?」

 

「既に囲まれているということね。虚空を囲み筒を作るちくわのように」

 

「包囲をちくわで表現する奴初めて見た」

 

 蓮華は少し考え込み、何かを決断した様子を見せる。

 

「仕方がないわね。奥の手を使うわ」

 

「おィ、怪我人はあんま無理は」

 

「この家を爆破しましょう」

 

「無理じゃなくて無法なら良いとか言った覚えはねェんだが???」

 

 あまりにもさらりと、あまりにもとんでもないことを言ってきたので、リュウは思わず蓮華を心配する気持ちが全て吹っ飛んで、素の声を出してしまっていた。

 

「え、お、いや、待てや」

 

「? ああ、特製爆薬は大赦が用意したものよ。

 弥勒が普段から爆弾を常備してる危険人物というわけではないわ。

 家を一つ吹っ飛ばせる分だけちょっと借りてきたのよ。

 ゼットンが巨大化して瞬間移動したところで、足場を発破し崩して捕える用らしいわ」

 

「家にンなもん置いてる時点で変わんねェからな?」

 

「聞いて感心なさい。爆弾の袋は大赦のビニール袋じゃなくて、弥勒謹製の手提げ袋よ」

 

「"エコしてます"ってアピールするのに余念がない意識高い系の主婦か?」

 

「エコアピールはしないけど、"爆破しました"とこれからアピールはするわ」

 

「何にだよ! 大赦か!?」

 

 恐るべき女だ。

 爆弾の調達にも、それを別荘に仕掛けるのにも、爆破そのものにも躊躇いがない。

 一切ない。

 

「仮にも別荘とは言え自分の家に何仕掛けてんだ怖ェんだよ」

 

「何言ってるのかしら。

 仮にもかつて弥勒の足を折った敵よ?

 全て弥勒の勘違いで、悪である可能性も十分あるわ。

 二度と立てないほど打ちのめすには、自分のホームグラウンドに誘い込むのが最善だわ」

 

「ホームグラウンドは自宅って意味の言葉じゃねェからな……え? つか目標オレ?」

 

「怪物になる前なら普通に爆弾で死ぬ。弥勒の目はごまかせないわ」

 

「お前も死ぬだろ!」

 

「爆発に巻き込まれない安全地帯は計算済みよ。

 56億7千万マイクログラムの爆薬が仕掛けてあるけど問題はないわ。

 この部屋のこの領域は砂粒一つ飛んで来ないように完璧な設計がなされているのよ」

 

「とんでもない量集め……いや5.7kgじゃねェかこの野郎! ややこしい言い方しやがって!」

 

 どこかリュウを試すような冗談で、きっちり応えるリュウはその悪戯心に気付かない。

 

「いい? 弥勒が家を爆破したら、弥勒が一目散に走るわ。

 片足がまだ十全じゃない以上、すぐに見つかりすぐに捕まると思う。

 その隙にあなたは逃げなさい。ここで逃げるのに余計なリスクがあるのも癪でしょう?」

 

「……いいのか」

 

「これが弥勒よ。もう分かってきていると思うけど」

 

「お前はオレのこと大して知らねえだろ。

 今日初対面で二時間も話してねェ。

 信用する理由もねェはずだ。

 だって、だッてよ。

 ……オレはお前の親友と戦う。

 お前が命懸けで守った世界を壊す。

 お前らの家族も巻き込まれる。

 ずっと……お前と友奈と桐生静には、オレを罵倒する権利があると……」

 

「そうね。弥勒は貴方のことをほとんど知らないわ」

 

「なら」

 

「でも、友奈のことなら知っている。友奈が貴方を信じていることを知っている」

 

「―――」

 

「友奈は人の笑顔のためなら必ず勝つ女よ。

 そのためなら、いつだって常勝無敗。

 友奈が語ったあなたのことも、友奈なら悲劇を覆せることも、弥勒は知っている」

 

 蓮華が自分を常勝稀敗と言い、友奈を常勝無敗と言ったところに、リュウは確かな尊敬と友情とライバル心を感じた。

 

「そしてあなたのことは、これから弥勒が知っていけばいい」

 

「お前」

 

「友奈に貴方を殺させない。

 貴方に世界を壊させない。

 大赦は即時ノックアウト。

 そうしたら後は状況に合わせて臨機応変に何か考えてどうにかするわ」

 

「一番肝心なところふわっとしやがって」

 

 思わず、リュウは笑ってしまう。

 笑ってしまった。

 闇に染まり始めていて、いつも俯いていて、苦痛に耐える表情しかしていなかったリュウが、笑っていた。

 

「……お前が、友奈の親友で良かった」

 

 蓮華が微笑み、手を前に出す。

 リュウは手をマジマジと見て、少し考えて、差し出された手の意味を理解する。

 少年もまた手を伸ばし、少女が差し出した手を握る。

 握手だ、とリュウは少し暖かな気持ちになって。

 いつもリュウの予想を優雅に立ち幅跳びで超えていく蓮華は、そのままリュウを抱きしめた。

 

「昨日友人になった者も、明日友人になる者も同じよ。

 まだあなたとは友人ではないけれど、必ず友人になれるわ。

 きっとではなく、必ずね。

 さようなら、明日の友人。また会いましょう。世界の終わりが潰えた日に」

 

 抱きしめて、背中をポンポンと叩く。

 母が子にそうするように。

 姉が弟にそうするように。

 蓮華が友奈にそうするように。

 抱きしめてポンポンと背中を叩く蓮華はいつも通りで、リュウは口をパクパクさせていた。

 

「だから、男らしくなさい。情けない男は、弥勒の友には相応しくないわ」

 

「ひゃ、ひゃっ」

 

「あら」

 

「な、何すんだテメェー! 暑苦しいッ! 離れろッ!!」

 

 リュウは顔を真っ赤にして、全力で蓮華を突き飛ばそうとして、蓮華の足の骨折のことを思い出して、優しくゆっくりと突き放した。

 蓮華が髪をかき上げ、面白そうに笑う。

 

「随分かわいい反応をするのね」

 

「はァァァァ、お前な!

 親でもオレを抱きしめたことなんてねェわ!

 友奈くらいにしかされたことねェッってんだよ、あァ!?」

 

「そうね。弥勒も異性を抱きしめてあげたのは初めてだわ」

 

「お前頭おかしいよ……友奈ァどうにかしてくれ……」

 

「ええ、そうね。友奈と貴方と弥勒でゆっくり話せる未来を勝ち取ってみせないと」

 

 口元にたおやかな指先を持ってきて微笑む弥勒蓮華は、リュウの知るどんな女性よりも『客観的美人』として高い所にあり、だからこそリュウは腹が立った。

 よく分からない怒りがあった。

 顔が良い女が顔が良い自覚を持ったまま特に何も考えず振る舞い、周りをぶん回すということに腹が立ちつつ、どこかそれを許している自分を、リュウは感じていた。

 不快感が薄い。

 

 友奈はあまり表に出さず、細やかに他人の心を把握し気遣うことで他人を不快にさせない少女であったが。

 蓮華は快不快よりずっと気になる振る舞いで押し切り、最終的に「不快な人間ではなかった」という評価が残り、話し相手に不快感を残さない独特な在り方の少女なのだと、リュウは思った。

 

 はぁ、とリュウは溜め息を吐き、蓮華の前にダークリングを突き出す。

 

「全部終わったら取りに来い。

 欲しいならやるよ。

 大赦が潰れた後の混乱の時代に、きっとお前を守ってくれるはずだ」

 

「いいのかしら?」

 

「戦う力が要るのは友奈を救うまでだしなァ」

 

「そう。なら、弥勒はそれを受け取らない未来を掴むわ」

 

 かっこつけやがって、と思いつつ、リュウは窓の外を見る。

 遠くに小さく、人影が動いているのが見えた。

 家のドアを叩く音が段々と強くなっていっている。

 家の周りの人間の気配が、どんどん強さを増していた。

 

「家を爆破したらここで動かないで隠れてなさい。弥勒が捕まった頃に走ればいいわ」

 

「ああ、気を付けろよ」

 

 蓮華が爆弾のスイッチを握り、二人して家爆破の安全地帯に入り、どこか戦友に逃がしてもらうような感覚を覚えて、悪くない、なんてリュウは思って微笑み。

 背中側至近距離で、衝突音を聞いた。

 え、とリュウが振り返ると、そこにはリュウの首を打とうとしていた蓮華と、蓮華の強烈な一撃を防ぐバルタンの姿があった。

 蓮華は「むぅ」と声を漏らし、この上なく美しい顔立ちで微笑む。

 微笑んで誤魔化そうとするバーサーカーがそこに居た。

 

「ここはなんか……綺麗に別れるやつだろ!

 綺麗な思い出になるやつ!

 ここで攻撃とかどんな神経してんだテメェ!?」

 

「弥勒が考えているのは、蓮華と貴方と友奈にとっての最善の未来への最短距離よ。

 蓮華は特に考えを変えたわけではないわ。

 ここでダークリングを奪って貴方を縛ってさらって逃げるのも、きっと最適解ね」

 

「山を消し飛ばして最短距離を進むような豪腕スタイルマジでやめろ」

 

 ここまで来るともう、リュウも感心するしか無かった。

 

「全部終わるまでもうテメーとは会いたくねェもんだ」

 

「いいえ。必ずまたこの弥勒と対峙してもらうわ」

 

 すっ、と蓮華は優しくリュウの頬に手を添え、挑発的に、好戦的に笑む。

 

「―――貴方を倒すのは友奈ではなく、この弥勒よ」

 

「なんで突然ジャンプのライバルキャラみたいな言い回し始めんだテメェはよォー!!」

 

 顔を真っ赤にし、蓮華の手を振り払い、リュウは叫んだ。

 

 

 

 

 

 家が吹っ飛ぶ。

 「ここはハリウッドか?」と思わず口にする大赦の男達の前で、家が崩壊していく。

 呆気に取られる皆の前で、ローブの人間が家を飛び出した。

 家が吹っ飛ぶという誰も予想していなかった事態に気が動転し、冷静さを大なり小なり損なった大赦の者達がそれを追う。

 足を引きずるようにして無理をしつつ走っているのを見て、弱りきった鷲尾リュウであると、誰もが思った。

 

 そして、彼らが銃を向けた途端に"リュウに貰ったローブを脱いだ蓮華"を見て、彼らは彼女に一杯食わされたことを知った。

 ある者は驚き。

 ある者は納得し。

 ある者は苛々した。

 

 弥勒蓮華が悪に加担したことに戸惑う者が居て。

 鏑矢の両方が鷲尾リュウと戦わず、味方になる可能性が出て来たことに戦慄する者が居て。

 "やはり感情で動く少女に神の力を無条件で与えることには問題がある"と、将来的な『神の力を与えられた少女』の運用を考え直す者が居た。

 神の力は、無垢な少女にしか宿らぬがゆえに。

 

「弥勒様。同行していただけますね?」

 

 蓮華の周りを大人が囲む。

 蓮華には指一本触れないまま、蟻一匹逃げ出せないほどに綿密な包囲で連れて行く。

 それは神の力を宿した少女への敬意であり、その神聖性への不接触というルールであり、敵とみなしたものへの容赦のない対応であった。

 有無を言わせず、蓮華は車に誘導されていく。

 

 しばらく友奈とは会えそうにもないと、蓮華は思った。

 

 

 

 

 

 崩壊した家の中心、爆弾の爆発が何の影響も及ぼさない破壊の空白から、影が飛び出した。

 それは、リュウを抱えたバルタンである。

 人並み外れた速度で走り、人並みが程遠いほどに弱りきっているリュウを抱えて離脱する。

 

 蓮華を追っていた者達の内、反応が遅くて最後尾に居た者達と、"何かおかしい"と察していた勘の良い者達が、バルタンの離脱によって崩れた家の音に気付き、振り向き、声を上げる。

 

「居たぞ!」

 

 響く銃声。

 逃げるリュウとバルタンに向かって、小さな鉄の塊が飛んでいく。

 

 バルタンに当たったものは弾かれ落ちる。

 危ないコースの弾丸は、バルタンが右のハサミを振るって落とす。

 だが、全ては防げない。

 バルタンが左腕で抱えたリュウの左足の甲を、銃弾が貫通していった。

 

「っ」

 

 なんとか逃げ切り、リュウは蓮華に発見される原因になった、補充のために買った医療道具の箱を開け、木々の合間で怪我の手当てをする。

 圧迫することで出血は止まったが、削れた骨と抉れた肉は戻らない。

 あまり軽く見られるダメージではなさそうだ。

 

「……わざわざ足なんざ撃たなくても、もう走る元気もないっつーの……」

 

 人に見られない所ではバルタンに運ばせ、人がバルタンを見てしまいそうなところは身一つで移動し、なんとか拠点にまで移動しきる。

 リュウが発見された時点で街中が警戒されていたが、日中に騒ぎを起こしたくない大赦が民衆を気遣って戒厳令を展開しなかったことで、なんとか突破できたようだ。

 民衆の安心を考える大赦。

 民衆の安心を人質に取って逃げたようなものであるリュウ。

 

 どちらが悪らしいかで言えば、きっと自分なのだろうと、リュウは一人思った。

 

「お疲れ。よくやッてくれた」

 

 バルタンをカードに戻し、ベッドに寝転がる。

 消耗が激しい。

 出血もある。

 リュウは意識が飛びそうになっている自分を叱咤し、痛み止めと輸血を開始した。

 

「残った資料も読んで……夜まで、寝るか」

 

 何か胃に入れておくかと思うが、腹が減っていない上に、気持ち悪くて食欲がない。

 一日の消費カロリー計算から考えれば、もう少し食っておかないといけないと彼は考える。

 だが同時に、何も食いたくないと、常時ある吐き気に負けそうになっている。

 もしすぐにオレが死ぬなら何も食わなくても大丈夫だよな、と心の暗い部分が叫ぶ。

 じゃああえて辛い思いすることねェよな、と弱気な心が言い始める。

 

 ゼリー飲料を口元に運ぼうとしたリュウが、それをテーブルに置こうとして。

 

―――自分の命も幸福も、他人の命も幸福も、全部ぞんざいに扱うなんて救えないわ

 

 蓮華の声が、何故か聞こえて。

 リュウは我慢して、体を動かすエネルギーを無理して飲み込む。

 吐き気は増したが、戦うための力は継ぎ足されたようだ。

 

 リュウも、蓮華も、相手のことを理解し優しさを向けたが、それだけだ。

 二人は自分の信念を曲げなかった。

 相手に対し一歩も譲らなかった。

 だから互いのことを考えて行動はできても、仲間にはなれなかった。

 二人は同じ道を進んでいけない。

 けれど。

 弥勒蓮華がくれた暖かさの分くらいは、してもしなくてもいいことにおいて、弥勒蓮華が望んだことを尊重してやっても良いのではと、リュウは思った。

 自分の命を少しくらいは大切にしてやってもいいと、思ったのだ。

 窓の外をリュウが見る。

 

 まだ、陽は高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、また夜が来る。

 

 窓の外を見て、リュウはある程度回復した自分の体調を確認し、体を動かしてみる。

 ボロボロだが、すぐ死ぬほどではない。

 変身と超合体で肉体を大幅に再構築すれば、問題は無いようだ。

 自身の体力の低下、抵抗力の低下、菌が入る傷口の増加を鑑みて、リュウは抗生物質の摂取など医薬品による対策を行い始める。

 

 各種"人間の体が動かなくなる理由"をリュウは幼少期の教育で熟知しており、対策は完璧だ。

 戦いの最中に予想外の理由でリタイア、となることはない。

 リュウが自分の体調を常時気遣っていれば、彼が自滅することはないだろう。

 

「……友奈、風邪悪化してねェだろうな」

 

 にもかかわらず、リュウは自分の体調ではなく友奈の体調ばかりを気にしていた。

 拠点に居る時も、拠点を出ても、どこかそわそわしっぱなしであった。

 リュウは友奈の体調を確認できないし、誰も友奈の体調をリュウには教えてくれない。

 当たり前だ。

 だがそのために、リュウは戦場で友奈の体調を確認するまでは安心できない、戦場で友奈を確認したら攻撃しなくてはならない、という嫌なジレンマを抱えることになってしまった。

 

 いつもは戦場に行きたくない、でも行かなければ、という気持ちで行っているのに。

 今日は行って体調を確認したい、でも友奈とは戦いたくないから行きたくない、だけど行かなければ……という面倒臭い心境になっていた。

 

「でも友奈が風邪で弱ってるなら大赦楽に潰せてラッキーかもな」

 

 リュウは、何気なくそう言って。

 

 何気なくそう言った自分に、肝が冷える。

 

「……何言ってんだ。今、オレ、友奈が病気になったことを喜んだのか……?」

 

 かぶりを振って、頭の中の考えを追い出す。

 最低だ、屑だ、前の自分なら考えもしなかったはずだと、リュウは己を罵倒し戒める。

 自分を戒め、自分を律し、仮面とローブを付けて夜の世界を駆ける。

 

 道中、様々なものを見た。

 消えた山。

 潰れた公園。

 地形が変わった海。

 修理中の看板が立てかけられた橋。

 そして、光が灯った数々の家屋。近い内に失われるかもしれない人々の幸せ。

 街の各所で、リュウが友奈と刻んできた思い出の記憶。

 多くのものが、リュウの目に入る。

 

「オレが……オレがこの手で壊すんだ。

 何もかも壊すつもりなら、思い出もいずれ消える。

 まるで星屑のように、何もかも消える。

 最後に残るのは……唯一永遠な、この胸の内の暗黒、何も残らない闇、埋まらない心の穴……」

 

 弱さが迷いを生み、強さこそが迷いを断ち切る。

 

「いや」

 

 街に灯る人々の光が、幸せが、リュウの心を折ろうとする。

 胸に宿る邪悪の闇が、神器が、リュウの心を支えてくれた。

 ダークリングはいつだって、悪行を成さんとする邪悪のために在る。

 

「唯一永遠なものは、きっと最後の最後に、友奈の中で輝いてるはずだ」

 

 悪は時に、正義の味方を倒すためだけに、自らの命すら使い切る。

 「皆の未来のため」「世界の希望のため」といった立派なお題目のために自分の命を犠牲にする正義の味方とは違う。

 その一戦に勝つためだけだったり、気に入らない人間を道連れにするためだけだったり、ヤケクソの自爆だったりと、本当にくだらないことで自らの命を容易に捨てる。

 それもまた悪の資質。

 "悪らしい最期"を遂げるために必要な性質だ。

 

 他人も、他人の大切なものも、自分の大切なものも、自分も、大切にしない。

 それが真正の邪悪である。

 リュウの中の、全てを壊さんとする心と、自分自身すらも友奈のためなら使い切ってしまえる心を、ダークリングが増幅していく。

 それがリュウの望みであるがゆえに。

 

―――人は、大切な人が幸せじゃなくなると、幸せをなくしてしまうのよ

 

 だが、そんな心の動きに、蓮華が告げた言葉がストップをかけた。

 蓮華がリュウに告げた言葉は道理である。

 リュウが言われるべきであった言葉である。

 

 リュウが『取り返しのつかないこと』になれば友奈が泣いて悲しむことくらい、リュウにも分かっている。

 だって、リュウは友奈の理解者だから。

 理解しているけど、目を逸らしているだけだ。

 

 ならば、その先はどうだろうか。

 たとえば、リュウが死んで。

 生前の工作が失敗し、リュウの死を友奈が気付き。

 友奈が思いっきり悲しんで、止めどなく泣き続けて、そうなったら、その後は?

 

「……案外、オレが目の前で死んでも、友奈は後腐れなく幸せになって、笑っていけんのかな」

 

 そうあってほしい、と心の表側が言った。

 そうあってほしくない、と心の裏側が言った。

 

「……!?」

 

 相反する自分の心にリュウは戸惑い、友奈の幸福を望む言葉を自分に言い聞かせる。

 

「良いだろ別に、良いだろそのくらい、むしろそれが良いんだろ、だったら」

 

 どちらも、リュウの本音だった。

 友奈の傷になりたい、友奈に一生自分を覚えていてほしい、友奈が一生他の誰のものにもなってほしくない、一生友奈に自分の死を悲しんでいてほしい。

 友奈に傷付いてほしくない、友奈には自分のことなんて忘れて欲しい、新たに大切な人を見つけて幸せになってほしい、一生友奈が悲しまないでいて欲しい。

 ダークリングの影響で、闇の心が強まりつつある彼の本音だった。

 

 "友奈は自分のものだ"という欲求が闇の愛。

 "友奈は誰のものでもない"という誠実さが光の心。

 二つは必ず、相反する。

 二つが生む意志は必ず、矛盾する。

 

 リュウは自分の頬を叩き、一度頭の中の思考を全て追い出した。

 これ以上何かを考えていたくなかった。

 これ以上この思考に浸かっていたくなかった。

 "選びたくない結論"を自分が選んでしまうのが、怖かった。

 

 大赦の警戒域が見えてくる。

 リュウは足を止め、目を閉じる。

 警戒域の向こうの友奈と、更に向こうの大赦と、その中の元凶を思い、そこに目を向ける。

 

「病気の大切な人が居て、大切な人を救いたいって想いが、同じッてンなら」

 

 その人間に死を告げるように、左手でダークリングを突き出した。

 

「それを理由にしてオレの大切な人を殺そうとしてンだ。

 オレがそれを理由にしてテメェの大切な人の命を奪っても、文句言うんじゃねえぞ」

 

 "ここまで自分を食わせればそれだけの力を出せる"という確信のまま、更に悪魔に魂を売る。

 

 計算があった。

 超合体を加味して考察し、今のリュウが出せる力、今のリュウが扱える力、そして今のリュウが飲み込まれないだけの力の計算が終わった。

 超合体の特性と傾向もある程度把握し、その上で戦略を練り終わった。

 完成したのだ。

 今の鷲尾リュウが戦闘者として運用可能な、超合体戦闘の最適解が。

 

 ここまでならできる、という自身の限界を見定めた最適解。

 これ以上は無理だ、という自身の限界を越えない最適解。

 一対一では友奈に勝てなかった男の、勝つための最適解。

 もはや、ダークリングと鷲尾リュウにこれ以上の工夫の余地はない。

 

 親指で弾き入れ、力を込めてメフィラスのカードをリードする。

 

《 メフィラス星人 》

 

 親指で弾き入れ、力を込めてバルタンのカードをリードする。

 

《 バルタン星人 》

 

 ダークリングを掴み、その力を掌握し、闇が吹き出る神器を掲げる。

 

「来い! 『惑わす力』!」

 

 メフィラスとバルタンのカードがほどける。

 二つの闇が混ざって、リュウの体に溶け込む。

 闇と人体が一つになって、新たな力へ昇華する。

 

「超合体―――『バルフィラス』」

 

 吹き出す闇が、mm単位で制御されリュウの周囲で嵐となる。

 

 そして、超合体のみに終わらず、次々とカードがリードされた。

 

《 ザラブ星人 》

 

《 ゼットン 》

 

《 Σズイグル 》

 

 現れるは三体の怪獣、宇宙人。

 青い目、黄金の口、真っ黒な体色に硬質な体、巨大な二つのハサミを手に備えた超合体怪獣―――バルフィラスが、三体の怪獣を引き連れ、進む。

 メフィラスの魔導によって一糸乱れぬ動きを見せる四体は、四体で一つの生き物のよう。

 目指すは大通りの真ん中で立ちはだかる火色の女、赤嶺友奈。

 

 怪物はその全てが2m前後のサイズのまま、街を歩いている。

 にもかかわらず、その威圧感は60mの大怪獣と比べても遜色がない。

 

 ひりつくような存在感。

 押し潰されるような存在感。

 四体の異形、超合体も合わせれば五体分の異形の存在感が、友奈に知らしめる。

 

 これこそが、鷲尾リュウが今の手持ちの札で出すことができる、最強にして最大の戦力。

 

『バルタン、メフィラス、ザラブ、ゼットン、Σズイグル』

 

 もう、これで負けたなら、鷲尾リュウには切れる札がない。

 

 なればこそ、彼はここで自身の全てを使い切るとしても、今日ここで決めるつもりでいた。

 

 

 

『―――"ダークネスファイブ"だ。命尽きるとしても、今日ここで決める』

 

 

 

 四体の怪物が走り出す。

 赤嶺友奈が走り出す。

 リュウが吠える。

 友奈が叫ぶ。

 

 光の勇者と闇の怪物、過去最大の決戦が始まった。

 

 

 




 四人揃ってダークネスファイブ! ゼロファイト最終回でそう言ってた


・『バルフィラス』

 宇宙忍者バルタン星人、悪質宇宙人メフィラス星人の合体宇宙人。
 人を惑わし、その心に挑戦する超合体形態。

 メフィラス星人は、本人はそこまで多彩な技を持っているわけではない。
 だがウルトラマンクラスの戦闘力、自分の目的達成に必要なアイテムや機械を事前に用意する周到さ、そして最たる特徴として、極めて高い知能を持つ。
 神経毒、記憶の置き換え、欲に訴える問いかけetc……人類の愚かさを試すような、人類が選択を誤れば滅びをもたらすような、そんな仕掛けを好んでいる。
 肉体に備わっている種族的肉体形質に縛られず、その高い知能で個体それぞれが明確に違う力を備え行使してくるため、『魔導』と呼ばれるほど多彩な力を使うメフィラスも居る。

 素材になったカードのオリジナルが備えていた能力の性質上、バルフィラスは分身を使い敵を惑わすバルタンと、記憶に干渉し敵を惑わすメフィラスの力を併せ持つ。
 一部のメフィラスは機械を揃えることで地球全土の全ての人間の記憶を操作、自分に都合の良いように改竄することが可能だが、バルフィラスは単体でそこまではできない。
 できることは、相手の記憶を取っ掛かりにして精神に干渉する程度。
 それでも非常に強力であり、人間は自分の記憶を素材に作られた幻惑に飲まれ、抗いがたい幻想の中で記憶の海に溺れてしまう。
 バルタンが持つ精神波・サイコウェーブによって、その干渉は更に強力になる。

 また、『IQ一万以上』という加減を知らない馬鹿げた頭脳を持つメフィラスを素材としたことにより、マルチタスク能力などが桁外れに上昇している。
 並列作業の処理能力などは、もはや人類のコンピューターですら敵わないレベルである。

 相対する人間の心を揺らがし試す『惑わす力』。
 これに人間が抗おうとするならば、記憶を媒介にする干渉を振り切るほどの、強い想いが込められた強い記憶――たとえば、大切な人との忘れない想い出――が必要となる。


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4

 最後にちょっと誤字見つけたのでちょっとだけ遅れ


 12/28。

 クリスマスの夜の戦いから始まったこの戦いも、もう年越しが見えるほどの日付になってきた。

 赤嶺友奈は蓮華の見舞いに行っていた時は風邪気味だったが、ものの数時間で風邪らしき症状は影も形も見当たらなくなり、夕方頃には風邪気味になる前より元気になっていた。

 

(まるで、神様が治してくれたみたい)

 

 そう、まるで、風邪を引いた友奈を神が()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 本人の自覚は薄いが、赤嶺友奈は神に選ばれし少女。

 その存在はあらゆる意味で『特別』である。

 この世界が、天の神の力によって滅ぼされ、地の神が残してくれた僅かな世界でしか人類が生きられない、神の世界であるからこそなおさらに。

 

「ホンマに大丈夫なんか友奈?

 無理しとるんやないやろな?

 風邪引いとるのに無理して今夜も戦う必要ないんやで?

 やーまあ上は絶対無理言うて来るやろけど、そこは気持ち的に、な?」

 

「へーきへーきです。ほら見てくださいシズ先輩、後方宙返り空中二回転ー」

 

「うっわすご! なんやこれ!? ゴッドパワー!?」

 

「これくらいなら鏑矢になる前からできてましたよ? ほら、ここの筋肉使ってね?」

 

「鍛えた体が健康を生む、の体現者みたいな女やな……」

 

 部屋で話していた静に、鍛え上げた筋肉をふんすと見せる友奈。

 静は筋肉自慢がしたかった友奈の意思を察しつつ、風邪を引きかけたために健康アピールして心配させないようにしている友奈の優しさも察し、それをあえて指摘しない。

 心配させないようにする友奈、気付いていないふりをする静、二人の優しさが少しふわふわとした楽しい時間を作っていた。

 

「もう随分風邪引いてないんですよ。ちっちゃい頃に、リュウに看病されたのが最後かな」

 

「ほーぅ? ラブの匂いがするやん……!」

 

「しません。最初に言っておきますが、オチはギャグです」

 

「えーなんやつまらん。でも聞くー。お笑いはウチの基本やからな……!」

 

「基本を関西人の思考に置きすぎている……昔、私が風邪を引いたんですよね」

 

「嘘やん」

 

「えっ」

 

「バカが風邪引くわけないやろ!」

 

「シズ先輩!」

 

「仮に風邪引いてたとして、それでどうなったん?」

 

「今話の腰を折る意味ありました……? それで、リュウが私の親と看病してくれたんです」

 

「ほう!」

 

「私はすぐ治ったんですけどリュウに伝染っちゃって、リュウはこじらせちゃったんですよ」

 

「優しいバカやん……ん? バカは風邪引かんから優しいアホやな」

 

「リュウがアホなのはここからです」

 

「ええ……?」

 

「リュウ、高熱で記憶吹っ飛んじゃったんですよ。

 それで、その後私に看病されたことだけ覚えてて……

 私に伝染されたことすらすっかり忘れちゃって。

 私が命の恩人だとか思い始めて、私が原因だってことも忘れちゃったんです」

 

「……アホやバカやないな、こらもう愛や、愛。

 親バカの上には親の愛しか無いんや、バカを超えたものは愛だけや……」

 

「リュウは愛とか言わないと思いますよ、多分」

 

「言わなかったから何や! アホか! バカはむしろアカナお前や! このバカナ!」

 

「最近のシズ先輩よく分からないところでキレることが多すぎる!」

 

 わいわいと二人で騒ぐが、そこに弥勒蓮華は居ない。

 予定では今日中にここに戻って来ることになっていて、二人の会話が少し浮足立った様子なのもそれと無関係ではないだろう。

 お祝いの料理もわんさか準備されていて、蓮華が二人にどれだけ好ましく思われているのか、二人とどれだけ絆を強く結んできたのかがよく分かる。

 ここが友奈と蓮華と静の帰る場所である限り、友奈も蓮華も強く在れる。

 必ず帰るという意思で、強くなれる。

 

「その時ですね、リュウが私が寝るまで絵本読んでくれて……そうそう、これこれ」

 

 友奈はのそのそと動いて、近くの本棚から何気なく本を一冊取り出した。

 その本のタイトルは、友奈も静も子供の頃に忘れようがないくらいに何度も見たもの。

 

「伝説の勇者・乃木若葉様をモデルにした本やん。アカナは好きそうやな」

 

「リュウも好きだったんですよ、これ」

 

「子守唄代わりに絵本選ぶとか、当時ちっこかったろうにガキっぽくない選択やなぁ」

 

「リュウはヒーローが好きなんですよ。

 だから伝説の勇者様も好きなんです。

 なんだっけ……

 ええと……

 『愛と勇気が最後に勝つ話が好きだから、優しい奴に勝って欲しい』

 だったかな。リュウが言ってたの。

 だから、終末戦争に勝利して人類の未来を勝ち取った初代勇者が好きなんだって」

 

「……ほー、オモロイやんけ。確かにアレはそれっぽいこと言いそうな男やったわ」

 

「……シズ先輩はいいですよね、街で偶然リュウに会えたりして」

 

「こんなつまらんことで嫉妬すんなてもう」

 

 にししと笑う静から視線を外し、友奈は絵本をペラペラとめくっていく。

 

「子供の頃私もずっと読んでましたから、目を閉じても内容全部言えるんですよね、私」

 

「ほー」

 

 友奈は目を瞑って、本の中身を見ないままに読み上げる。

 

「勇者は傷付いても傷付いても、決して諦めませんでした

 全ての人が諦めてしまったら、それこそこの世が闇に閉ざされてしまうからです。

 勇者は自分がくじけないことがみんなを励ますのだと、信じていました。

 そんな勇者を馬鹿にする者もいましたが、勇者は明るく笑っていました。

 意味がないことだと言う者もいました。

 それでも勇者は、へこたれませんでした。

 みんなが次々と魔王に屈し、気がつけば勇者は、ひとりぼっちでした。

 勇者がひとりぼっちであることを、誰も知りませんでした。

 ひとりぼっちになっても、それでも勇者は戦うことを諦めませんでした

 諦めない限り、希望が終わることはないからです。何を失っても、それでも―――」

 

 それは、始まりの勇者の物語。

 "バッドエンドではない"と叫ぶような、子供向けの物語。

 大赦が人々の心を絶望に染めないため、カバーストーリーとして創作し販売した物語。

 本当の事の上に、嘘を塗りたくり、希望があるように見せかけた物語。

 友奈とリュウが何故か幼い頃から大好きだった物語。

 

「―――勇者は自分がくじけないことがみんなを励ますのだと、信じていました。

 そしてみんながいるから、みんなを信じているから、自分は負けないのだと……」

 

「おー、ホンマにソラで言えるんやな」

 

「ふふん。なんでか私もリュウも大好きで、二人で繰り返し読みまくってました!」

 

「教科書もそれくらい読んどれば今頃学校一の天才扱いされたんとちゃう?」

 

「唐突に学校の成績の話するのやめてください」

 

 友奈は目を開き、本をまたペラペラとめくっていき、最後のページで手を止める。

 

「あれ……あ、そっか」

 

「ん? どないした? 行儀悪ぃ奴がハナクソでも付けとったんか」

 

「そんな小学校の図書室みたいなことある……?

 いや大したことじゃなくて、何も描いてないな、って」

 

「?」

 

「リュウの部屋にあるやつは、最後のページにいっぱい人が描いてあるんです」

 

「はて、その物語って最後の勇者が一人ぼっちでかっこよく剣を構える終わりやろ?」

 

「そうですね。リュウがそのひとりぼっちの勇者の周りにいっぱい人を描いたんです」

 

「ほー、ええなそれ。いやうん、ええわ。

 絵本で主人公が最後のページなの見て、そういうこと考えるんか。

 ええ子やん。一人ぼっちの勇者の周りに友達書き込むっつーのもウチ的に高得点やな」

 

「勇者をひとりぼっちにしない。

 最後は笑顔で居て欲しい。

 リュウはそんなことばっかり考えてる子だったんですよ。昔からずっと」

 

 友奈は目を閉じれば、今でも思い出せる。

 初代勇者をモデルにした絵本の最後を、ひとりぼっちで終わらせないようにしたリュウの姿を。

 クレヨン片手に、いろんな人を書き込んでいたリュウの姿を。

 幼い頃のリュウは、そんなことにすら懸命になっていた。

 そこには、伝説に語られるような勇気や、映画のラブストーリーで描写されるような鮮烈な愛ではなかったけれど、友奈の目には、とても尊いものに思えた。

 

「勇気よりも。

 希望よりも。

 強さよりも。

 勝利よりも。

 諦めないことよりも。

 もっと大事なことがリュウの中にはあったんです。それは、幸せになること」

 

 絵本を読み、勇気の教訓を得るのではなく、諦めない教訓を身に着けるのでもなく、希望の教訓を知るのでもなく、最後に絵を書き込むリュウを見て、赤嶺友奈は何かを学んだ。

 もう、十年以上も前のことだ。

 静はからかうことなく、友奈の大切な思い出を聞き手として尊重する。

 

「他人の幸せを見てばっかりで、前も足元も見てないところが本当に危なっかしいんですよね」

 

「まー、聞いとるだけでそれは分かるわ」

 

「リュウって、悪い人にいいようにされちゃいそうなところがあるというか……」

 

「『残酷』から遠すぎるんやろ。なーんとなく伝わるわ」

 

 鷲尾リュウの長所も、致命的な弱点も、友奈は全てを知っている。

 

 知らないことは、リュウが秘密にしていることだけ。

 

 彼女が敵の正体がリュウであることを知ってしまえば消える勝ち目があり、彼女が敵の正体がリュウであることを知らないからこそ、消えている勝ち目もあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダークリングとカードの組み合わせが発揮する力は、持ち主の形質を反映する。

 

 先々代の所有者、魔導師ムルナウは使役と増幅を主としていた。

 意思のある宇宙人を大量に具現化させ、長時間そのまま手駒として運用。

 強力な怪獣に、ムルナウの固有能力を付与し強化改造。

 空間を歪ませウルトラマンの変身を強制解除、変身封印、異空間に拠点を確保。

 宝石化の魔術をダークリングで増幅し、地球を丸ごと宝石化……などの運用を行った。

 

 先々々代の所有者、魔剣士ジャグラスジャグラーは合体と強化を主としていた。

 カードをリードすることで、強力な封印も消滅させる攻撃として行使。

 敵の弾丸をカードで吸収防御。

 そうして、生身の己の戦闘力を補助強化していく。

 カード二枚を使い、超合体。

 超合体に強力な怪獣の尾を巻き込み取り込む、強化型の超合体……などの運用を行った。

 

 この二者の傾向は、一言にまとめてしまうと分かりやすい。

 すなわち、『自分の手を汚さない邪悪』か、『自ら正義を叩き潰す邪悪か』である。

 前者は外道として倒されやすく、後者は正義の者にどこか近い形質を持っている。

 前者は卑怯者になりやすく、後者は武人になりやすいからだ。

 けれども、どちらも倒されるべき悪であることに変わりはない。

 

 鷲尾リュウは、どちらの悪の形質も微妙にしか無いのが難点であった。

 

 ムルナウのように大量の宇宙人や怪獣を展開できない。

 リュウは複数体を同時に出せず、出せてせいぜい一体が限界。

 展開した複数体の手駒を全て巨大化するムルナウとは、まさに天地の差である。

 

 どちらかと言えば、ジャグラスジャグラーの手法がリュウの気質に合っている。

 一年以上超合体の機能を引き出すことすらできていなかった、リュウのダークリングによる自己強化適性は、一言で言えば最低である。

 それでも、安全地帯から怪獣をけしかけるだけで終わらせず、超合体で自己を強化し、リスクを背負い自分の命を懸けて戦うリュウは、こちらの方に適性があるだろう。

 強いて言えば、ではあるが。

 

 『バルフィラス』は、そんなリュウの適性を合わせて補うものであると言える。

 

 メフィラスの高い知能を使い、複数体の怪物を具現化し操作できるのがこの形態の強みだ。

 適性値の問題でリュウは複数体怪物を出すと自分の頭で操作しなければならず、そのために頭がパンクしてしまい、全部の怪物の動きが止まってしまう問題があった。

 だがその問題を解決できれば、どうなるか?

 

 リュウはムルナウほど多くの怪物を操れず、ジャグラスジャグラーほど強くないまま。

 だがジャグラスジャグラーより多くの怪物を操れるし、ムルナウより個で強い。

 一つ一つの強みでは歴代の使用者には勝てないが、今の自分にできることを複数組み合わせ、それらに限りなく近付いた強みを発揮する。

 言うなれば、『凡夫の工夫』だ。

 

 それは人類の歴史に度々現れる、歴史に名を残した凡人の在り方。

 科学のことを何も知らない天才経営者よりも、科学のことしか知らない天才科学者よりも、多くの金銭を得た経営と科学の両方を知る秀才の者のような在り方。

 "誰にもできないこと"ができるのが天才だ。

 ならばそれを超えるのは、"誰かができること"を組み合わせた工夫の累積のみである。

 

 バルフィラスは、友奈がこれまで戦ってきた敵の中で、間違いなく最強の敵であった。

 

「くっ」

 

 友奈を、怪物が包囲し、一斉に攻撃している。

 正面にはバルフィラス。

 右にはザラブ。

 左にΣズイグル。

 後方からはゼットンが攻めていた。

 

 今日まで一対一ばかりだった友奈の呼吸を崩す。

 怪物複数体の一糸乱れぬ攻撃に慣れていない友奈のリズムを崩す。

 常に死角を作らせ、死角から攻め立てる。

 リュウが選択した攻勢スタイルは極めてオーソドックスなものであったが、ゆえに強力だ。

 

(風邪は悪化してないか。良かった。ッたく、友奈の癖に心配させやがってよォ)

 

 友奈の体調にホッとしつつ、太陽を中心として廻る太陽系惑星群のように、友奈という太陽の周りをリュウと怪物が廻っていく。

 常に動き、常に的を散らし続ける。

 足を止めれば、一瞬で友奈に粉砕されかねない怖さがあった。

 

 巨大化はしない。

 この戦いでは巨大化を選択しないと、リュウは決めていた。

 

 巨大化は凄まじく戦力が増大し、友奈の強くない攻撃なら耐えられるほどの耐久が得られる。

 それは凄まじい利点である。

 だが、状況が変わった。

 友奈が瞬間移動の力を得たからである。

 

 瞬間移動を習得して瞬く間にリュウを超える技量を得た友奈が相手では、瞬間移動合戦になって死角を取られるのがオチだ。

 巨大化すれば、死角が増える。

 友奈が潜り込める死角が増えてしまうのだ。

 そんな状況で巨大化すれば、友奈に一撃で即死させられる可能性が非常に高い。

 現に、シグマゼットンが既に巨大化した状態で友奈に競り負けてしまっている。

 

(打つべき手は)

 

 リュウは常に思考し、初見殺しの初手を切った。

 ゼットンの猛攻で友奈の気を引き、ザラブとΣズイグルによる援護攻撃で更に詰め、ゼットンで詰みに持っていく……と、見せかけて。

 そんなものでは詰ませられない友奈に、メフィラスの力をぶつけた。

 バルフィラスというメフィラスに似ても似つかない昆虫的な姿で、メフィラスの姿で一度も見せなかった能力を、不可視の波として叩き込んだ。

 

『幻の海に、溺れてろ』

 

 ビクン、と友奈の体が跳ね、目の焦点が合わなくなった。

 

 かつて、ある地球にて。

 メフィラス星人は瞬く間に()()()()()()()()()()()()()()

 これはその系統樹にあたる、記憶を媒介した精神干渉である。

 ザラブが意識の動きを静止させる催眠ならば、こちらは記憶を介して夢を見せるようなもの。

 

 あの時にザラブ星人の催眠を脱出したのと同じ方法では、抵抗すら不可能である。

 

『ガチガチに固めるぞ。Σズイグルで捕縛光弾、ザラブは拘束テープで……』

 

 違うプロセスを経る、精神分野における行動阻害+無力化。

 同じ方法では脱出できない精神の束縛。

 だからこそ。

 ザラブの時ほど、友奈は脱出に時間がかからなかった。

 

『!?』

 

 確実に無力化する、と油断なく考えていたリュウが幻覚の次の一手を打つ前に、友奈はあっという間に幻覚を振り切り戦闘を再開する。

 半端な幻覚は見せていない。

 幸せに溢れた幻覚を見せていた。

 溺れる夢を見せていた。

 リュウが見せたのは、友奈の心を微塵も傷付けない、優しさと幸福に満ちた夢だった。

 誰も居なくなっていない、友奈が好きな人が皆友奈の周りに居る、そんな夢。

 赤嶺友奈は笑顔で居ればそれだけでいい、人を殺さなくてもいい世界の夢。

 友奈の周りにちゃんとリュウも居る、そんな夢を……友奈はすぐさま、跳ね除けた。

 

(甘い夢に溺れるもんか!

 私は! ちゃんと現実で!

 どっかで困ってるかもしれない、あいつを、迎えに行くんだ―――!!)

 

 記憶を媒介にした精神干渉を跳ね除ける方法論など無い。

 要されるのは強靭な意志の力と、強固な記憶の力である。

 己を支える強い記憶の力こそが、メフィラスの精神支配に打ち勝ち、『これは違う!』と叫ぶ心の力を与えてくれる。

 かつて地球全土の記憶書き換えを成し遂げたメフィラスが敗北したのも、まさにこれ。

 

 赤嶺友奈は"記憶を由来とする精神の力"が、あまりにも強いのだ。

 

(誰だ、こいつにこンだけ力のある記憶を与えた奴! クソが、今だけは恨むぞッ!)

 

 ゼットンの拳と友奈の拳がぶつかり、ゼットンが一方的に吹っ飛ばされた。

 戦線が崩壊する気配に、リュウの肝が冷え、選びたくなかった選択肢を選ばせる。

 幸せいっぱいの夢ではダメだ。

 またすぐに脱出されてしまう。

 理想を言えば大赦を崩壊させるまで、最低でも拘束が終わるまで、友奈の動きを封じられるだけの幻覚を見せなければならない。

 ならば、"幸せの逆"でも見せなければどうにもならない。

 

 以前のリュウなら、絶対に失敗していただろう。

 だが、今の彼ならできる。

 今のリュウが友奈を苦しめる最適解を望めば、後は心がその最適解を作り上げてくれるのだ。

 

『ッ、悪い、友奈!』

 

 赤嶺友奈の最大の理解者であるが友奈を傷付けられない男。

 所有者を闇に導く神器。

 二つが合わさり、赤嶺友奈にとって最悪の存在が、ほんの数秒誕生する。

 友奈を傷付けようとする友奈の最大の理解者という最悪が、幻を見せる。

 

 幻の中で、リュウが言う。「お前が嫌いだ」と。

 幻の中で、リュウが死ぬ。「お前のせいだ」と言いながら。

 

「―――っ」

 

 シンプルに友奈は傷つき、打ちのめされ、けれど折れず。

 先程の幻から脱出するよりも遥かに早く、友奈は抜け出して来る。

 傷付いた顔で、友奈は叫ぶ。

 記憶を媒介にしたその幻を、何もかも否定する記憶が、友奈の中にはあった。

 

「リュウは私に対して怒ることも、否定することもあるけど!

 ダメなところ言うだけでハイ終わり、ってことだけは絶対にない!

 いつだって、どこを反省すればいいのか、どうした方がいいと思うのかまで言う!」

 

 バルフィラス、ザラブ、Σズイグルの放つ光弾の密集を、友奈は身のこなし一つでかわす。

 踊るような回避は、弾丸の隙間をすり抜ける理想値を極めたような動きだ。

 蜻蛉の速度で空を舞う蝶はこんな風に見えるのかもしれないと、リュウは思った。

 

「だってリュウは、私を否定したいんじゃなくて、私のためを思ってるだけだから!」

 

 ああそうだよ、と吐き捨てるようにリュウは思う。

 

『知った風な口聞きやがって……ああそうだよ! お前の言う通りだ!』

 

 バルフィラスが突き出した腕から放たれたビームを友奈が殴って弾き、空に弾かれたビームが花火のように炸裂した。

 

 リュウは耐えた。

 友奈の心を傷付ける一手を打つ苦しみに耐えた。

 友奈は耐えた。

 心の一番柔らかい部分を刺すような幻に耐えた。

 けれど、二人共耐えただけ。

 頑張って我慢しただけで、耐えた以上のものではない。

 耐えられることと、傷付かないことは、別なのだ。

 

 もっと傷付かなければ、もっと耐えなければ、勝てない。

 

 戦いは、まだ続いているのだから。

 

『くっ、このッ、クソがッ』

 

 ゼットンが接近し、友奈を殴ろうとする。

 友奈が瞬間移動で回避した。

 すかさず瞬間移動直後の友奈をザラブの光弾が狙うが、発射された時にはもう瞬間移動済。

 間髪入れない瞬間移動の連打は悪夢のような攻勢だ。

 

 だが、とリュウは心を奮い立たせ、食らいつく。

 

 Σズイグルの背後に現れた友奈に、Σズイグルが振り向かないまま後ろ回し蹴りを放ち、友奈は瞬間移動で更にかわした。

 包囲は、友奈の余裕を奪うためだけにしているのではない。

 他三体の目で自分の周囲と背後を視野に入れ、自分の背後に友奈が現れても瞬時に気付き、瞬時に反応するためにあるのだ。

 目の数で、死角を埋める。

 工夫にて才覚差を埋める。

 

 が。

 

 友奈はΣズイグルの背後からゼットンの背後に瞬間移動、反応したゼットンの攻撃を見てから瞬間移動、ザラブの背後に瞬間移動し反撃が間に合わなかったザラブに攻撃を仕掛け、ザラブのカバーに入ったバルフィラスの背後に瞬間移動。

 ザラブのカバーに入り背後に攻撃を仕掛ける余裕がなかったバルフィラスを、蹴り飛ばす。

 

『ぐあっ!?』

 

 友奈の瞬間移動の技量を高めに見積もり、事前に対策を考えてきたはずの鷲尾リュウを、赤嶺友奈は"少し攻めの速度を上げる"というだけのゴリ押しでものの見事に粉砕する。

 

 浮いたバルフィラスを瞬間移動で空中にて更に蹴り、同時に瞬間移動で『背後に居たはずの友奈を攻撃した直後』のΣズイグルを瞬時に放ったジャブで吹っ飛ばす。

 『背後に居たはずの友奈を攻撃した直後』のゼットンは、その瞬間、あまりにも早く瞬間移動を繰り返した赤嶺友奈が二人に見えた。

 バルフィラスとΣズイグルを二人の友奈が蹴っているかのように見えた。

 

 怪獣の脳内の視界処理と、怪獣の目に入る光、全てが置いて行かれるほどの神速の瞬間移動。

 

『がッ、う、ぐ、どうやってンだそれはッ!』

 

 無事なザラブが必死に跳びつき友奈の腕を掴むが、掴んでいたはずの友奈の姿が消え、ザラブの背後からの友奈の足払いがザラブを転ばし、また友奈が消える。

 他人に掴まれた状態での瞬間移動など、リュウのゼットンも未だにできていないのに。

 

「ふぅ」

 

 友奈は少し離れたところでトントンとステップを踏み、一度深呼吸し、呼吸を整える。

 それだけで、今の瞬間移動連打で切れていた息が、平常時の状態にまで戻っていた。

 それだけしか、今の攻勢で消耗が発生していなかった。

 

 もうザラブの催眠もΣズイグルの捕獲仕込みも、各怪物が放つ光弾も当たらない。

 友奈はこの一日で、瞬間移動を完璧に使いこなしていた。

 48時間の間隔を空けなければ自分の体を怪物に変えるだけで命が削れるリュウとは違う。

 友奈は24時間常時変身していても問題がないために、ダークリングの力を試す余裕もほとんどないリュウとは違い、常時自らの力を練磨できるのだ。

 瞬間移動習得からすぐにリュウを瞬間移動の技能で超えた友奈が、一日瞬間移動を練習し、できることを確かめていったなら、どうなるか?

 

 こうなるのだ。

 もう、リュウでは瞬間移動を限界まで使っても追いつけない。

 精密で、正確で、発動が速く、隙がない瞬間移動という最悪。

 フェイクバルタンの時に見せた空間把握能力と、シグマゼットンの時に獲得した瞬間移動が、この上ないほどに綺麗に噛み合っていた。

 

 目覚めて一分か二分でリュウの技量を凌駕したのだから、丸一日経った今となっては、もはやリュウとは別格の使い手になっている。

 仮に一年二年とリュウが鍛錬したところで、友奈と同じレベルになれるかは分からない。

 "神に選ばれ、神の力に最高の適性を持つ友奈"。

 "ダークリングに選ばれておらず、自分を捨てて辛うじて適性を得ているリュウ"。

 向いている者。

 いない者。

 そして、適性に留まらない、伸び代の有無。

 

 リュウは超合体と巨大化を初日に手に入れ、それでなんとか食い下がっていたが、できることはカードの組み合わせを変えるだけで、根本的な実力の天井は伸びていない。

 ここ一年と少しで、彼の成長は頭打ちになっている。

 対し、友奈は逆だ。

 花結装は初めて使用する装備。

 初戦にして初使用はリュウと戦った12/25である。

 だから使えば使うほど新たな機能が発掘され、新たな力が発現し、常出力は伸び、友奈はその力を上手く使えるようになっていく。

 

 この戦いが始まった日に、鷲尾リュウの伸び代はほぼ0であり、赤嶺友奈の伸び代は丸々残っていた、とも言える。

 初戦の時点でリュウは戦力で負けていて、その差は未だ爆発的に開き続けていた。

 

(考えろ。考えろ。オレができンのは、工夫することと諦めないことだけだ―――!)

 

 Σズイグルが、分解した。

 分解したΣズイグルが金属の粒子となって友奈の周りを舞い、視界を塞ぐ。

 金属粒子で出来た怪獣らしい、それだけでは意味のない小細工だ。

 そこに間髪入れず、ゼットンが踏み込んだ。

 

「む」

 

 ゼットンの強烈な拳を、友奈は流れるような防御で受け流す。

 友奈は瞬間移動で距離を取るが、そこにザラブの催眠術とバルフィラスのビームが飛んで来て、かわした友奈の頭上を瞬間移動してきたゼットンが取る。

 ゼットンの蹴りをはたき落としつつ、友奈はほんの僅かにひやりとしていた。

 

「やっぱり、コイツだけは別格かな」

 

 全スペックで友奈が上回っている。

 上回っているが。

 ゼットンと、超合体で出力が爆発的に上がっているバルフィラスだけが、今の赤嶺を倒す攻撃力を持っている。

 その上、瞬間移動までできるゼットンが、友奈対策の主軸であることは明白だった。

 

『行くぞ! まずはゼットンを盾に―――』

 

 陣形に戻したゼットンを先頭に、リュウは迫り来る友奈を迎撃に入る。

 ゼットンは『不壊』と宇宙で讃えられる超強固なバリアを貼って、その場に踏ん張る。

 その後ろでバルフィラス達三体が構えた。

 

 正面からの攻撃や仕掛けは、ゼットンが防ぐ。

 瞬間移動で上後左右のどこからか攻められたら、三体が対応する。

 そういう受けの想定だった。

 これで防げると、あまりにも甘い想定をしていた。

 

『―――!?』

 

 走りながら、友奈が右拳に溜め込んだエネルギーがアームパーツに溜まり、赤き光と共に強烈なパンチがゼットンのバリアへと叩き込まれる。

 

 まるで、和紙が破けるように、ゼットンのバリアは容易く吹っ飛んだ。

 

 西暦の勇者の一人が放った必殺技は核兵器に例えられたが、今の一撃は水爆を容易に超えるほどのエネルギーが込められた、常識外れの物理攻撃。

 一昨日よりも、昨日よりも、遥かに高められた威力の一撃であった。

 それどころか、赤い光が出るまでの溜めの時間も以前より短くなっていたように見える。

 チャージ時間はどんどん短く、放たれる一撃はどんどん強力になっていく。

 

 リュウが"友奈ならもしかしたら"と直前に不安になっていなければ。

 リュウの不安を煽る心の闇が無かったなら。

 ゼットンがバリアを破られた瞬間、ゼットンをカードに戻していなければ。

 

 おそらく今の一撃で、ゼットンはカードごと完全に消滅してしまっていただろう。

 内的宇宙(インナースペース)で、リュウの背筋に冷や汗が垂れる。

 

『受けても死。

 避けても瞬間移動で追撃。

 攻撃の妨害も瞬間移動で無力化してくる、ッてか。

 ……分かってた、分かってたが、クソ、どうする……!?』

 

 ゼットンを再具現化させ友奈の処理に当たらせるが、全員で間断なく攻めて、友奈に瞬間移動を連続で使わせつつ、友奈の動きを先読みして動きを妨害するしかない。

 今のような強力な一撃を打たせれば、全てが終わる。

 防げない。

 かわせない。

 封殺できない。

 有効な対策が無いのであれば、一瞬一瞬を全身全霊で乗り切る以外の選択肢がない。

 

 今の友奈には余裕がある。

 余裕がある内は何をやってもダメで、何を仕込んでも無駄だ。

 友奈に広く遠く周りを見る余裕があれば、違和感を拾われやすくなる。

 友奈が余裕でリュウを即倒してしまえば、仕込みも何もない。

 

 せめて、もう少し、片方に傾き切った勝敗の天秤を押し返せれば、あるいは。

 

 そう思うものの、力を溜め込んだ拳を空振りするだけで衝撃波が生まれ、ザラブ星人が無様に地面を転がされているこの状況で、何が有効なのかてんで分からない。

 

(もっと余裕を削らねェと、何やっても、即潰されンだ、クソ!)

 

 リュウは足りない戦力を補うため、今使っている五枚に加えて『六枚目』のカードをリードしようとするが、ダークリングからバチッと嫌な音が鳴り、弾かれる。

 内的宇宙(インナースペース)に、はらりとカードが落ちた。

 

「っ」

 

 もうこれ以上絞り出せる力はない。

 これ以上できる無理はない。

 今の手札から切れる最大値を発揮している以上、この上は無いのだ。

 ゲーム的に言えば、リュウは編成コスト上限いっぱいまで使い切ってこの面子を出している。

 それら全てをバルフィラスの頭脳で最大限に使いこなし、最高の連携を行わせ、過去最強の戦力を動員して……なお、一方的。

 

 殴って瞬間移動して、殴って瞬間移動して、殴る。

 それだけをしてゼットン・ザラブ・Σズイグルを吹っ飛ばした友奈の姿が、一瞬だけ三人同時にそこに居たように見えるという恐怖。

 

―――なあ、もう、諦めろよ。勝てないだろあんなの

―――お前なんかよりずっと化物だよ。見ただろ最後の一撃

―――世界を滅ぼした化物と戦えてた化物、勇者ってやつと変わんねえよ……

 

 あの時大赦の男が言っていた言葉が、何度もリュウの頭の中をちらつく。

 

(……分かってたことだが、きちィ)

 

 だからリュウは、叫んだ。

 

『ざッけんじゃねェ……今日のこのメンツで勝てなきゃ、一生勝てねェんだよォ!!』

 

 挫けそうな自分を鼓舞するように。

 

 後がない自分を叱咤するように。

 

 これが最後の決戦ならば、負けを認めてはならないと、魂が叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮華は車の助手席に座らされて、車で護送されていた。

 後ろの座席に座らされていないのは、後ろの座席に特殊な装置があり、万が一蓮華が神の力を行使した時、この装置がそれを妨害する予定だからだ。

 だから、蓮華を助手席に置き、触れられない後部座席にこれを置いている。

 蓮華は微笑みながら状況を把握。

 運転席に一人、後部座席右に一人、後部座席真ん中に機械、後部座席左に一人。

 武装した大の大人三人が相手だと、素手では少々分が悪かった。

 

 蓮華を乗せた車の前後にも、少し離れて別の車が付いている。

 なるほど、これなら仮に"怪獣が奇襲してきても蓮華は確保できる"というわけだ。

 念には念を入れ、備えに備えが重ねられていた。

 

 蓮華は既に、潜在的なリュウの味方と見られている。

 リュウのΣズイグルによる封印はもう解かれていると大赦は思っているのだ。

 実際は蓮華とリュウは今も奇妙な敵対関係にあり、Σズイグルの罠は解除される気配もない。

 だが、その幸運な勘違いが突破口になると、蓮華は確信していた。

 

「シートベルトを付けたほうがいいわ。万が一の事故の時に危ないわよ」

 

「弥勒様。到着まで喋ることは許可されておりません」

 

「そう。友奈もリュウも、弥勒がこう言えば素直に聞くのにね」

 

 誰も蓮華の言葉に耳を貸さない。

 喋ることを許さない。

 蓮華に誘導されることも、蓮華に絆されることも徹底して避けている。

 シートベルトも付けないまま、蓮華が動いたらすぐに反応できる姿勢のまま、懐に手を入れて何かを握り締めている。

 そんな大人を見て、蓮華は。

 

「やはり、いい子じゃない子が育った大人はダメだわ」

 

 カーブに差し掛かったタイミングで、曲がる車のサイドブレーキを思い切り引いた。

 

 "真冬の少し氷が張ったカーブの上"で、思い切り車がスリップする。

 

「わあああああああ!?」

「うあおおおああ!?」

「えええええええ!?!?」

 

 ダメ押しとばかりに、蓮華はハンドルを掴んで思いっきり回した。

 いい子じゃないのはお前だ、と周りの大人が思った瞬間、壁に激突。

 蓮華を乗せていた車の前後を走っていた車に乗っていた人間達が、一人残らず仰天していた。

 

「ふぅ」

 

 のそのそと、ちょっと潰れた車から蓮華が這い出す。

 一緒に乗っていた三人が生きていることを確認し、蓮華はほっと安心した。

 

「うっ、ううっ……」

 

 後部座席の二人は気絶していたが、運転手はまだ気絶せず呻いているのを見て、蓮華は後頭部を掴んでハンドルに叩きつける。

 きゅぅ、と気絶した男を見て、「よし」と蓮華は満足げに呟いた。

 

「気絶したわね。じゃあちょっとスマホをお借りするわ」

 

 大分運に頼っていたが、運を天に任せて賭けに出たわけではない。

 ここまでの道中で、蓮華は運転手の技量をしっかりと見極めていた。

 ここまでカーブが多かったが、仕掛けるカーブをどこにするかはしっかりと考えた。

 そうして、誰も殺さず、誰も死なないようにして、蓮華はこれを仕掛けたのである。

 生きるための努力を最大限にして、リスクを背負うことを恐れない。ゆえに勝つ。

 大分運に頼っていたが。

 大分運に頼っていたが。

 

 近くを見渡し、24時間エレベーターが動いているビルを見つけ、蓮華はそこに入る。

 追ってくる大赦の人間達を振り切り、エレベーターに乗り込んだ。

 すぐ囲まれ、また捕まるだろう。

 流石に生身の少女がここから逃げ切れるような手はない。

 だが、『時間』は確保できた。

 弥勒蓮華が電話をかけ、何かを伝えることができるだけの時間が。

 

「さて」

 

 蓮華は話す内容をまとめながら、奪ったスマホで電話をかけた。

 

 ギャンブルも嗜む彼女らしい、弥勒蓮華らしい一手であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この戦いにおけるリュウの最大のアドバンテージは、数である。

 友奈を包囲し、常に瞬間移動で死角を取られないようにし、手数で実力差を埋め、一瞬の隙を見逃さず友奈の死角から一撃を決める所に勝機を見出す。

 この戦場で勝利するなら、それがきっと最適解だった。

 

「うん、慣れてきた。このリズムかな、っと」

 

 今、そのアドバンテージの一つが潰された。

 友奈が多対一に慣れてしまった。

 対応速度が劇的に上がる。

 惑わす数が通じない。

 "あと数秒で負ける"と直感的に理解したリュウの対応は、早かった。

 

『……最後の一手だ、オラァ!』

 

 バルフィラスが、ゼットンが、ザラブが、Σズイグルが、増えた。

 木の上に、ビルの上に、建物の横に、バス停の横に、道路や公園を埋め尽くすように。

 これ以上無いというほどに、大量に増えた。

 

「へぇ」

 

 バルタンの分身と、メフィラスの記憶を介した幻の混合だ。

 実体があるもの、ないもの、そもそも幻覚でしかないものの混合編成。

 四肢を武器とし格闘戦を主体とする友奈では、普通に一体一体殴って倒していっても朝が来てしまうだろう。

 

 友奈に打つ手を片っ端から潰されていったリュウが選んだ、最後の一手。

 もうこれに対応されたなら、考え得る全ての手が潰されてしまったことになる。

 なる、というのに。

 その瞬間、鈴鳴子が鳴った。

 

『げっ』

 

 ザラブの催眠攻撃を探知し、友奈に知らせたあの仕組みだ。

 遠くで、友奈をバックアップする大赦の人間達が親指を立てていた。

 もう対応した、ということなのだろう。

 神の力を通した耳で見据えれば、どれが分身でどれが幻でどれに実体があるのか、友奈は聴覚でハッキリと理解することができた。

 

 地力が高い、とはこういうことだ。

 普通のスポーツでも、凡夫の工夫が、最初の一回だけ天才を完封することはある。

 だが十回、百回、と繰り返すと天才が勝ち越していく。

 そしてやがて、天才には一度も勝てなくなっていくのだ。

 強い個人、強い組織は、追い込まれてからも強く、弱者の工夫に虚を突かれてからも強い。

 

 強者の勝利は妥当であり、弱者の勝利は奇跡である。

 

「これで……」

 

 友奈はゼットン、ザラブ、Σズイグルの位置を確認し、最後の実体を見据える。

 そこに、バルフィラスが―――全ての元凶が居るんだと、心を奮起させる。

 路面を跳ね、壁面を跳ね、街中を駆ける稲妻のように、神速の移動で距離を詰め、黒幕と見ているバルフィラスへ向け拳を突き出す。

 

「……トドメだッ!!」

 

 

 

 そして、"Σズイグルの金属粒子で作った偽物のバルフィラス"を粉砕した。

 

 

 

「……え?」

 

 偽物を粉砕し、友奈はもう一度周りを聴く。ゼットン、ザラブ、Σズイグルしか居ない。

 

 そして、察した。

 

「―――ヤバい」

 

 赤嶺友奈が長々と戸惑わず、考え込むこともなく、すぐに気付いたのは流石の一言だ。

 

 だが、もうとっくに手遅れである。

 

 

 

 

 

 リュウの計画はこうだ。

 まずとにかく友奈に必死に食らいつき、余裕をできる限り削りつつ、今この戦場に全身全霊を集中させる。

 友奈はそこまで器用な人間でなく、とても一途な人間であったから、戦闘難度以外は容易であるとリュウは思っていた。

 

 怪獣達は距離があっても操作が可能なため、Σズイグルの金属粒子で偽物を作り、自然にバルフィラスを後ろに下げて、一糸乱れぬ連携で攻撃を続けさせた。

 そのせいで最終的にはリズムを読み切られ、完璧な対応をされてしまったが、十分に距離と時間を稼ぐことはできた。

 リュウはあと数秒で、大赦の本拠に辿り着く。

 

『やった』

 

 この戦いは防衛戦にして制圧戦だ。

 

 友奈の勝利条件は、怪物を自分の後ろに通さず殺すこと。

 リュウの勝利条件は、大赦の心臓にして脳であるそこを元凶ごと崩壊させること。

 別に友奈を倒す必要はないのだ。

 これまでは、友奈を倒さなければ大赦を崩壊させる目処が立たなかっただけで。

 

『オレの、勝ちだ』

 

 だが強力な駒を複数使えるというバルフィラスの力があれば、それができる。

 強力な駒で友奈を足止めし、気を引き、その間に怪獣を到達させられる。

 二回目以降は通じないだろうが、一回通じれば十分だ。

 それだけで大赦を崩壊に導ける。

 導けるはずだ。

 

『勝、ち』

 

 崩壊に導ける、はずだった。

 

『え』

 

 そこには建物だけがあった。

 電気はついていて、人形の影で人が居るように偽装されているが、それだけ。

 大赦の本拠を目の前にして初めて分かる事実を、リュウは理解する。

 ここにはもう誰も居ない。

 ここにはもう何もない。

 ここに、大赦の脳も心臓もない。

 

「ようやく来たか」

 

『! お前は……』

 

「お前がここを狙うよう、ここに常中して偽装してた男だ」

 

 そこには、タバコを吸う男一人しか居なかった。

 

「皆、世界のために働き続けてたぞ。

 お前が攻めて来てるのを知っても。

 朝も昼もここに詰めて仕事をしてた。

 お前にビビって逃げたら世界が回らないからな。

 世界のためにお前なんか恐れていなかった。

 だがもうそれも終わった。機能移転は完了した」

 

『―――』

 

「お前が何度もここを狙ってると分かってて、ここに留まるバカが居るか?」

 

 中枢の機能分散をすぐにするのは無理だ。

 仕事の分割再分配などの手間がかかりすぎる。

 けれど場所を変えるだけなら、数日で可能だろう。

 もはやリュウにも、この男にも、どこに今の大赦の中枢があるのかは分からない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()

 

 

 

 バルフィラスの膝が折れる。

 

『……あ』

 

 大前提にある勝機がなくなった。

 あると思っていた希望が消えた。

 未来の可能性が潰えた。

 

 もうこれで、リュウが受け入れられないことを受け入れずに友奈に未来をやれない。

 もう、どこにその敵が居るのかも分からない。

 もう、どこで友奈の死を望む人間を殺せばいいのかも分からない。

 そして友奈の処分が始まるのが数日以内である以上、どうあがいても間に合わない。

 

 希望があると思っていたから戦えていたのに。

 それがないと分かった以上、もうダメだ。

 リュウのズタボロな体を支えていた希望が消え、変身が解除される。

 まともに動く状態でなかった体から力が抜けていき、リュウは路面に倒れた。

 

 絶対的な神の力がなくても、怪物的なダークリングの力がなくても。

 

 "大人の悪辣さ"一つで、少年少女の希望はこんなにも簡単に潰えてしまうのだ。

 

「ぐっ……」

 

《 バルタン星人 》

 

 それでも、リュウは手を止めなかった。

 もう何も考えられない。

 もう心に力が入らない。

 もう体に力が入らない。

 心が折れて、希望が消えて、それでもバルタン星人を具現化し、自分の体を運ばせる。

 

 夜闇の中、心折れたまま逃げるリュウと、追う大赦の男達。

 

「急げ」

「探すんだ」

「全く、何を考えて逃げてるんだか」

「こんなことは早く終わらせるぞ。

 我々の本当の敵は結界の外に居る。

 天の神とバーテックスこそが真の敵だ。

 いつまでもこんなことに手間をかけ危険を長続きさせている余裕は無いんだ」

 

 彼らが漏らす言葉の一つ一つが、今のリュウにはよく刺さる。

 

「そうだよな。"こんなこと"、だよな……」

 

 矮小なことなんだ、とリュウは表情を歪める。

 彼らにとって、本当の敵はリュウではない。

 結界の外の怪物なのだ。

 リュウは反乱を起こした反乱分子で、すぐ倒すべき敵でしかない。

 彼らにとってのリュウは、本当の敵に立ち向かう途中で湧いてきた、面倒な内ゲバ反乱者の一人でしかないのである。

 

 そして逃げた先、拠点が見える交差点で、リュウは信じられないものを見た。

 

「嘘だろ」

 

 自分の隠し拠点が、大赦に制圧されている。

 

「これで最後だな」

「はい。鷲尾リュウの隠れ拠点はこれで全て制圧を完了しました」

「一個や二個なら二日目に見つけられてたが、全部見つけるには流石に時間がかかったな」

「全部見つけてから一瞬で全部潰さないと効果が薄いですし、しょうがないですよ」

 

 希望はない。

 未来もない。

 どこにもない。

 

 何もない。何もない。何もない。

 帰る場所も、戻る場所もない。

 鷲尾リュウには、もう何もない。

 

「友奈」

 

 思わず口をついて出た言葉に、あまりにも情けなくて、リュウは涙が出そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心折れ、希望が尽きたリュウが、からん、という音を聞いた。

 顔を上げたリュウが見たのは老女。

 弥勒蓮華からの連絡が入ったスマホを持った、老女であった。

 

「あの子の連絡は間に合った、というわけか」

 

 老女はリュウの前で足を止め、膝を折って目線を合わせる。

 

「泣いているのか? 悲しいのか?」

 

「……別に」

 

「そうか。ならいいのだが」

 

「あんたは……」

 

 老女は竜胆と桔梗の着物を身にまとい、とても綺麗に微笑んでいた。

 

 

 

「―――『乃木若葉』。悲しんでいるお前の味方だ」

 

 

 

 

 それは、赤嶺友奈と弥勒蓮華に戦い方を教えた師匠。

 

 滅びゆく世界を守らんとして戦った、最初の神樹の戦士。

 

 始まりの勇者、乃木若葉―――御年九十に迫る老女が、微笑み、そこに居た。

 

 

 




 それは、彼に残された最後の光


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第五夜

 かつて、終末戦争と呼ばれた戦いがあった。

 

 多くの人が頑張った。

 多くの人が足掻いた。

 初代勇者・乃木若葉とその仲間達が、世界を滅ぼす神と怪物に抗った。

 

 そして、負けた。

 

 ある者は大切な人を守ろうとして死んだ。

 ある者は世界を守ろうとして死んだ。

 ある者は幸せになろうとしたのに死んだ。

 ある者は皆と生きたいと願いながら死んだ。

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。

 その死に感じた思いを、七十年以上経った今も、乃木若葉は忘れられない。

 今になっても、死んだ仲間を夢に見る。

 

 大赦は初代勇者が世界を守った、生き残った、勝利を掴んだ、などと言うこともあるが。

 乃木若葉からすれば、全て嘘っぱちだ。

 負けた。

 負けたのだ。

 大切なものを片っ端から奪われて、屈辱と悲しみと絶望の中で敗北した。

 

 若葉は勝ったから生き残ったのではない。

 ただ若葉は()()()()()()()()だけ。

 若葉が当時の勇者の中で最も強かったことは事実だが、若葉は当時見た最強のバーテックスに勝てる気がしないし、蠍のバーテックスに奇襲されれば即死していた自覚がある。

 

 生き残るべくして自分が生き残った、だなんて若葉が思ったことはない。

 むしろ若葉は、自分の周りの人間を、自分よりも生きるべき人間だと思っていた。

 友達だった。

 仲間だった。

 大切だった。

 若葉は他の勇者に優しくされ、救われて、他の勇者を守ろうと命を懸けて戦い続けた。

 だけど皆死んだ。優しかった者は、皆死んだ。

 

 終末戦争で死んだ人間は七十億人以上。

 世界と人々を守るために戦った戦士の内、生き残ったのは乃木若葉のみ。

 軍は滅び、怪物に立ち向かった一般人は全員死に、神の勇者も皆死んだ。

 

 人類は天の神に媚び、罪もなき少女を生贄に捧げ、頭を下げて許しを請うた。

 "大いなる(ゆる)しを我らに"……大赦と組織の名前を変えてまで、媚びた。

 どれほどの屈辱があったことだろうか。

 自分達が生きてきた世界を奪い、大切な人を殺し尽くし、幸福と笑顔を奪ってきた憎い神に、生贄を捧げて媚びる辛さは、筆舌に尽くし難いものだっただろう。

 

 乃木若葉は、同じく生き残った巫女の上里ひなたと共に生きた。

 世界をいつか救うため、逆転の方法を模索した。

 大赦の力、神の力を宿す少女のシステムの研究を進めた。

 結界の外の脅威に怯え、愚行に走ろうとする人間を導いた。

 上里ひなたが、寿命で死んだ。

 やることはまだ沢山あった。

 鏑矢を鍛えて、人々を導いて、象徴として在り続けて。

 生きて。

 生きて。

 生きて。

 胸の奥の幸せの容器に小さな穴が空いていることを自覚していながら、ただただ、自分以外の人々のために、自分以外の世界のために、果たすべき責任を果たし続けた。

 

 ただの中学生の女の子だった乃木若葉が、世界のための責任を背負わされて、数十年。

 

 数十年止まることなく走り続け、気付けばもう齢九十に迫るほどの時が流れていた。

 

 その生涯の概要を知った時、鷲尾リュウは『この世で最も苦しい拷問だ』―――と、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウは軽やかな音色に、目を覚ました。

 

 ベッドの上ではなく、布団の中で目を覚ましたことにリュウはまず違和感を覚えた。

 そしてすぐに昨日の晩のことを思い出す。

 希望の喪失、絶望の直視、そして乃木若葉との出会いを。

 

「っ」

 

 状況は、最悪中の最悪と言っていい。

 

 リュウにとっての最善とは、世界の全てを犠牲にしてでも友奈の未来を繋ぐこと。

 そのために必要なのは、赤嶺友奈の力を恐れる者達の抹殺である。

 大赦の壊滅はその手段にすぎない。

 しかし本拠の移転により、それは不可能になった。

 赤嶺友奈の処分が数日以内に確実に行われることを考えれば、捜索には時間が足らず、リュウは四国全土を焼き尽くすくらいしかもう選べる手段がない。

 

 リュウが潜伏し、数日以内に友奈かリュウのどちらかが死ななかった場合、鏑矢の処分と、リュウを暗殺できる僅かな可能性に賭けた乾坤一擲の策が始まる。

 そうしなければ元凶の人間が破綻し、その息子は薬を得られなくなり死ぬからだ。

 友奈の暗殺から始まるだろうから、その後リュウの処分に失敗しても、全部終わった後の情報工作に失敗しても、元凶が死んでも、何も関係がない。

 友奈が死んだ後に誰が死のうが権力を失おうが関係なく、綱渡りを渡りきれる可能性が高かろうが低かろうが、元凶は手近な友奈の殺害から始めるしかない。

 

 もう、他に道を探せば、どうあがいても友奈を不幸にする道しかない。

 

「……」

 

 友奈に全てを明かして、味方に引き込めない可能性が高いという困難の壁を越え、友奈を仲間にするというのがおそらく『現在考えられる最善』である。

 リュウは潰れて眼球が落ちた部分を覆う部分をさする。

 この傷の負い目があるから友奈を仲間にできるかも、という打算はあった。

 この傷が友奈の心を深く傷付けて幸せを奪うかも、という絶望があった。

 

 仮にリュウが全てを明かしたとして、友奈はリュウを痛めつけたことを後悔し、激しくその心を傷付け、罪悪感に引きずられるようにしてリュウの味方に付くかもしれない。

 そうしたら、その後が地獄だ。

 大赦は自分を潰そうとするリュウ達を受け入れることはないだろう。

 次に打つ手として考えられるのは、戦力として"勇者"を投入することだろうか。

 世界全てを敵に回したリュウと友奈が、勇者率いる世界と戦うことになるかもしれない。

 機能移転で時間と安全を確保した今の大赦なら、それができる。

 

 ズブズブの持久戦になれば、食料から必需品まで世界の全てを管理しており、勇者をいくらでも補充し投入できる大赦が有利だ。

 リュウ達の戦いは一転し、世界の平穏と幸福を奪うテロリストと、その根絶を狙う治安維持組織の戦いという形で明確化する。

 

 友奈の家族や友達、守ってきた人達や救ってきた人達が苦しみながら戦いに巻き込まれていく毎日は、否応なく友奈から幸福を奪っていくだろう。

 その状況は、リュウのせいで起こり、友奈のために維持されるのだから。

 延々と、大切な人と、四国の何の罪もない人間を苦しめながら生きていくという選択に、友奈が果たして賛同してくれるかというと、相当に怪しい。

 友奈のために罪を重ね続けるリュウを見る毎日に、彼女は耐えられるだろうか。

 どこかで『駄目になってしまう』かもしれない。

 友奈の苦しみを前提にしてすら、友奈の将来的な幸せが得られないのだ。

 

 大赦はドライだ。

 途中和睦に入ろうという意見が出ても、今の大赦の本拠がリュウか友奈にバレた時点で全て終わると判断するだろう。

 鷲尾リュウが大赦を信じてないことも分かっているに違いない。

 だから、どちらかが完全に潰れるまで止まることはきっとない。

 リュウ達が大赦を潰すか、大赦がリュウ達を潰すか、結局はその二択になるだろう。

 

 どこに進んでも、地獄しかない。

 

 赤嶺友奈の幸福を願う限り、地獄しかない。

 

 最善ですらこれだ。

 他の道を選べば、もっと酷い結末に転がりそうなものが大量に並んでいる。

 "リュウが大赦を潰し社会は混迷に落ちたが友奈の未来は繋がった"という、当初は最悪の中の最悪にしか思えなかった未来が、今はもう遥かにマシなものにしか見えないのだ。

 

 大赦の中に元凶が居る、と知ったこと。

 その元凶に誘導されている人間達が居る、と知ったこと。

 鷲尾リュウの危険性と大赦への不信が、大赦内で周知されたこと。

 赤嶺友奈の強大な力を恐れる者の存在。

 友奈がリュウの体に取り返しのつかない欠損を作ってしまった今。

 大赦が心臓部を別の場所に隠し、もう見つけられないという現実。

 全てが最悪に噛み合っている。

 全てが地獄への道を作っている。

 無い。

 希望が無い。

 どこにも無いのだ。

 

 友奈に未来があればいい、友奈に幸福があればいい、友奈に笑顔があればいい、そのための希望があればいい……その一心で、リュウはここまでやってきた。

 希望が尽きれば、もう死に体の体を動かせるだけの力がない。

 倒すべき敵がそこに居てくれたのは、世界の平和を維持するための仕事をしていたからで、機能移転が終われば、倒すべき敵はそこに居てくれなくなる。

 それだけで、何もかも終わってしまって。

 鷲尾リュウの頭では、もう希望が見つけられない。

 

「……」

 

 リュウはフラフラと立ち上がり、歩き出す。

 彼の目を覚まさせたのは、軽やかな音色だった。

 耳を澄ませば、それはハーモニカが奏でる音楽であることが分かった。

 リュウはその音楽に引き寄せられるように、動かない体を引きずり、壁に体を預け、ゆっくりと移動していく。

 

(懐かしい)

 

 何故懐かしいと思ったのか、リュウ自身にも分からなかった。

 聞いた覚えがなかったのに、聞いた覚えがあった。

 西暦の頃から残る、歴史を感じる屋敷の香りが、古い材木や香木の香りが混じった空気に、リュウはとても落ち着いた気持ちがあった。

 この香りを嗅いだ覚えなんて無いはずなのに。

 この古臭い香りをいつも身に纏っていた人と、どこかで会ったことがある気がした。

 

 リュウは旋律に導かれ、庭に出る。

 

「―――」

 

 そこに、凛とした老女が居た。

 

 庭の大石に腰掛け、竜胆と桔梗の着物の上に金と白が混じった長い髪を流し、年季の入ったハーモニカで優しい旋律を奏でていた。

 美しいと、リュウはひと目で感想を抱く。

 リュウは昔、平安時代の美女が笛を吹いている美しいイラストを見たことがあったが、まるでその時見たイラストの別バージョンを現実で見ているかのようだった。

 

 ハーモニカは、古風な笛と違い着物の老女には合わないようにも一見思える。

 だが実際に目にすると、そういった印象を一切受けない。

 それはそのハーモニカが、80年前後使われ続けた年季の入ったもので、アンティーク感が強い……というのが理由の一つだろう。

 

 そして、西暦が滅び、このハーモニカがもう作られていない旧時代の遺物となった、というのもあるかもしれない。

 もうこんなただのハーモニカですら、この時代では前時代の遺物となりつつあるのだ。

 平安時代の笛も、じき百年目が見える使い込まれたハーモニカも、リュウには同じに見える。

 

 響く綺麗な旋律が止まり、老女は大岩から、とん、と飛び降りた。

 

 老女がリュウに歩み寄ると、老女が纏う古い材木と香木の香りが鼻に届く。

 

「起きたか」

 

 老女は白と金の髪を流し、深く皺が刻まれた顔で親しげに微笑む。

 リュウの人生で、こんな雰囲気をした人間に出会ったことはなかった。

 存在感は強いが、圧迫感がない。

 背筋をピンと張って真っ直ぐに立っている姿に、僅かな無理も見当たらない。

 ごく自然に立つ立ち姿でありながら、剪定された盆栽のように整っている。

 普通なのに特別で、特別なのに普通、それが筆舌に尽くしがたいバランスを成している。

 

 神々しい、凛々しい、美しい、素晴らしい。

 様々な形容が当てはめられるだろうが、そのどれもが相応しくないように感じられる。

 どんな形容が相応しいか考えたリュウは、"懐かしい"と思った自分に、首を傾げた。

 その形容は、どう頭で考えても、この老女に相応しいものではないと思ったから。

 

「このハーモニカは、伊予島という者の遺品だ。

 大昔に仲間とお遊びで練習して……懐かしくなって、少し引っ張り出してきた」

 

 リュウはペコリと頭を下げる。

 体を傾けただけで、肉は破け、骨は軋み、かさぶたで塞がりかけた傷は少し開いて、圧迫された内臓が悲鳴を上げていた。

 

「オレは、鷲尾リュウと言います。助けてくださッたこと、感謝します」

 

「私は乃木若葉だ。……どうもお前と話していると、若い時のままの話し方になってしまうな」

 

「え?」

 

「お前は何故か、懐かしい時代の匂いがする」

 

「……そッすか」

 

「今朝餉を作る。中の適当な所に座って待っていてくれ」

 

 若葉はリュウを誘導し、部屋に導く。

 和室で若葉を待つリュウの前に並べられたのは、量を抑えた普通の朝食だった。

 米、焼鮭、味噌汁、小松菜。

 量が少ないのもあって、リュウは無理なく完食する。

 

「……美味しいッすね」

 

「そうか。それはよかった」

 

 リュウは、蓮華の料理に感動した。

 あの時の手料理の暖かな味を、リュウは生涯忘れることはないだろう。

 彼の人生の中でも上位に入るほどに心を揺らされた体験だった。

 

 だからこそ、分かることがある。

 蓮華の手料理を食べた後だからこそ、分かることがある。

 ()()()()()()()()()()が、そこにはあった。

 とてもリュウの口に合う。彼の好みに合っている。

 蓮華はリュウの体調を見切り料理の量を調整するという絶技を見せたが、リュウはそれでも残してしまっていた。

 なのに、若葉の手料理は残していない。

 それは若葉の方が、蓮華よりも遥かに適量を見切っていたことを示していた。

 

 "理解の深度"が深い。

 そして、リュウにそれが気付かれてもいない。

 リュウは蓮華の気遣いや暖かさに気付き感動を覚えていたが、蓮華よりも遥かに理解の深度が深い若葉の気遣いや暖かさには気付いてもいない。

 自分が特別な扱いをされていることに気付いてもいない。

 まるで、彼にとってはそれが当然であるかのように。

 

「その、乃木若葉様は」

 

「うん?」

 

「え」

 

「ああ、すまない。

 "乃木若葉様"に違和感しかなくてな……

 もうちょっと呼び方はどうにかならないか? もっと気安くていいんだぞ」

 

「若ちゃんとでも呼べばいいンすか?」

 

「……ああ、それでもいいぞ」

 

「勘弁してください……ンじゃ、若葉さんで」

 

 はるか年上の老女に、それも世界を救うために戦ってくれたという伝説の勇者に、そんなフランクに接することができるわけがない。

 若葉は寂しそうな表情をしていたが、"こういう時に甘やかすと妙につけ上がるんだ"とリュウの胸の奥の方が言っていた。よって譲歩はしない。

 

 古びたテーブル。

 年季の入った椅子。

 日焼けした壁掛けの絵。

 丁寧に手入れされた年代物の茶碗。

 アンティーク風味の花瓶には桔梗、山桜、彼岸花、姫百合、紫羅欄花の造花が飾られていて、それぞれの花の香水が振りかけられてある。

 こういう形で"一年中同じ花を飾る"デコレートを行っているのを、リュウは初めて見た。

 

 初めて見た物が多いのに、何故か懐かしく感じるのが、リュウは不思議でならなかった。

 

「懐かしい時代の香りがするだろう」

 

「……まァ、しますね」

 

「私はこういうものが好きでな。

 機会があれば貰ったり、買い集めたりしていた。

 他人の遺品も多いが……だからこそ、誰かが西暦の時代に使っていたものがほとんどだ」

 

 リュウはこの屋敷の中に不思議な懐かしさを感じることに、自分なりの理由を見つけた。

 ここは、西暦の残骸だ。

 神世紀になってから70年以上が経っている。

 にもかかわらず、この屋敷の中は西暦に生まれた物で満ちていた。

 かつて壊され失われた時代が、そのままこの屋敷の中に保存されているのである。

 

 若葉が過去の時代に囚われている、というわけではない。

 彼女は、彼女がこうしなければ失われていたはずの物を集め、それを守っている。

 その在り方はまるで、『墓守』だ。

 

 かつて死んだ仲間の遺品を守る墓守。

 かつて殺された時代の遺品を守る墓守。

 この屋敷はまるで、遺品と遺骨を納められた墓のよう。

 ……いや。

 もしかしたら、若葉にとってはこの四国こそが、ある意味で墓なのかもしれない。

 

 この結界内の四国は、『根之堅洲國』とも呼ばれている。

 日本神話に登場する、死後の世界に近い異界と同名の、『神樹の根に守られた国』という意味の名前だと覚えればいい。

 広義では、この四国は神話的に見れば既に死後の世界である。

 なればこそ"人間は全て死んだ"という扱いが擬似的になされ、西暦末期に人類は天の神の攻撃を止めてもらうことが可能となった。

 ここは死後の世界に等しい異界。

 若葉の仲間達は死に。

 その遺品と思い出はこの地へと収められた。

 四国人類もまた、滅びた地球人類の遺品であると見ることができる。

 乃木若葉は世界に残されたたった一人の勇者として、この四国という墓を守る墓守であると言うこともできるだろう。

 

 乃木若葉は違う。

 この世界に生きる全ての人間と、彼女だけは何かが違う。

 それは、リュウが彼女と屋敷を見て"墓守だ"と思ったことからも分かる。

 その違いは間違いなく、この世界の環境が生み出しているものだろう。

 乃木若葉と、それ以外の人類。おかしいのはどちらなのか。

 この世界の異常性を体現しているのは、果たしてどちらなのだろうか。

 

「その」

 

 リュウはおっかなびっくり、口を開く。

 

「オレを、大赦にでも突き出すンすか」

 

「いや、教え子に頼まれたからな。そんなことはしない」

 

「……伝説の勇者の名に傷が付きますよ」

 

「名に傷が付くくらいなら私は構わん。

 名声は必要な時に必要な分持っていれば良い。

 それよりも、何の名声も得られないほどに情けない自分に堕ちないことが大切だ」

 

「……」

 

「名より実を取れ、と先人は言った。

 名ばかりを気にすると実は失われてしまうものだ。

 己を鍛え実を備えれば、名声もある程度は付いてくる。大事なのは己を貫くことだ」

 

 若葉は枯れた名花を思わせる。

 皺があり、生気は老人相応で、活力は明確に感じられない。

 だが、美しい。

 そして枯れる前はもっと美しかったことを想像させる。

 一本筋の通った若葉の在り方は、リュウの心をどこか安心させていた。

 

「よかッた」

 

「何がだ?」

 

「若葉さんはオレの思ってた通りの人だッた。

 絵本を読んで持ってたイメージ、そのまンまの、尊敬できる人だった」

 

 若葉が枯れた美しい花なら、リュウは既に折れた刃である。

 

 たった一つの願いが叶わないことを知り、現実に敵わないことを知り、なおもたった一人の少女を諦めきれない敗北者である。

 

「オレ……もうちょっと……出来のいい人間が良かったな……失敗作だから、きっと……」

 

 "失敗作"という聞き慣れない言葉に、若葉の目が僅かに細まった。

 

「……オレは、若葉さんの前にだけは、絶対ツラ見せちゃならねェ奴だったんです」

 

 リュウは絶望に飲まれていた。

 半ば自棄になっており、その言動も行動も、衝動的なものだった。

 そんな状態でも、心の芯にあるものを捨てきれていなかった。

 

 仁義というものを考えれば、自分が乃木若葉に顔を見せることはあってはならないのだと、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、リュウがバルタンを使い強奪した資料を、弥勒蓮華と別れて拠点に戻り読み耽っていた頃に、見つけた事実であった。

 

 西暦末期、乃木若葉と共に戦った戦士は全員が死んだ。

 その中には、神樹に取り込まれた勇者も居た。

 初代勇者チームの一人、乃木若葉の親友・『高嶋友奈』である。

 

 高嶋友奈は神樹に吸収され、以後神樹は世界の危機を予知してはそれに合わせて、世界に危機が訪れる14年前に『友奈因子』を埋め込んだ少女を誕生させることとなる。

 それが『友奈』だ。

 輪廻転生、命のサイクル、それらを掌握するのもまた神の一面。

 因子とはすなわち、同一の存在を誘引する輪廻のフックである。

 『友奈』は例外なく最高値の勇者適性を持ち、不可能を可能とする気質も持って生まれ、『前の友奈の記憶』を微かに持って生まれてくることも多いとのこと。

 

 友奈因子を持って生まれてきた子供は、例外なく逆手を打って生まれてくる。

 逆手とは、すなわち天ノ逆手。

 高嶋友奈が神より授かった、天を呪う神殺しの力である。

 そうして生まれた子供は必ず『友奈』と名付けられ、高嶋友奈と同じ容姿と、天の神とその眷属に対し極めて有効な攻撃特性を備えたまま育つ。

 そして神樹が予知した将来的な戦いにおいて投入されるのだ。

 

 いわば、神樹の決戦兵器。

 

 少女の形をした、神造の英雄である。

 

 もしも各時代の人間が集まったなら、各時代の友奈の顔を見てさぞかし驚くだろう。

 『友奈』はそれこそ、身長・体重・容姿全てに関する数字が近似か一致し、同じ服を着ていればほとんど誰にも見分けられないレベルのコピーとして生まれてくる。

 『友奈』の中でも近しい個体は、それこそ親ですら見分けることが困難であるはずだ。

 

 神樹が生み出した『友奈』を見ていて、大赦は思った。

 

 ()()()()()()()()()()()、と。

 

 神樹ばかりに負担はかけられない。

 人間にできることは人間でやっていこう、と考える者達が居た。

 

 優秀な人間の安定確保は、いつの時代も戦力確保の核である。

 古今東西、人類は教育と訓練、優秀な人間の抜粋でそれを成し遂げてきた。

 しかしそれは、多くの人口を抱えた国が、国の生産力から見て抱えられる上限の人数を教育・訓練し、優秀な人間とただの兵士を選り分けることで、ようやく成立することだ。

 四国総人口と全人類総数が等しい今の人類に、それだけの余裕はない。

 

 『友奈』と同じ方法で戦力が確保できるなら、それが理想だ。

 『友奈』は少し訓練すればすぐ一線級の戦力、最高クラスの勇者となる。

 なんとも夢のような存在だ。

 "訓練する前から傑作になることが分かっている兵士"は、人類史の中で多くの国々が夢見て、そして実現できなかった存在である。

 それができたなら、人間という個体差が大きい存在を使っているのに、最高レベルの戦力を常時ブレなく維持できる……というわけだ。

 

 一般人を戦わせる必要もなくなる。

 戦わせるための人間を、世界の危機の度に安定生産させておけばいい。

 人類は平穏に生きるだけの人間、戦うためだけに生み出された人間、それを管理する大赦という三分化がなされるだろう。

 戦うためだけに作られた人間を戦わせていけばいい。

 神が作った友奈の周りを、人が作った戦士で固めていけばいい。

 

 大赦が最初に導入してみたのは、"人類最強の存在"の因子であった。

 幸い、輪廻は神樹が握っている。

 輪廻より最強の因子を拾うことはそう難しくはなかった。

 理想の勇者の因子を導入した『友奈』が例外なく理想の勇者であったために、人類最強の因子を導入した人間は例外なく人類最強クラスの駒となると期待されていた。

 いずれは人類最強の因子を導入した少女を作っていき、神の力を与えた勇者として、戦わせていくプランが立てられていた。

 

 いわば、人類の決戦兵器。

 

 少年の形をした、人造の英雄である。

 

 『友奈』の後追い。

 地の神の真似。

 神の御業の模造品。

 人間を素材にした最強の兵器。

 天の神に滅ぼされかけている旧人類を守り、神と怪物を討ち滅ぼす新人類。

 

 結論から言えば、この計画は大失敗に終わった。

 

 人類最強と言えるほどの能力は発現せず、多くの能力が人並みでしかない。

 特殊な資質も全く見られなかった。

 因子は容姿の酷似などの性質は発生させたが、友奈因子と同じであるのはそこくらいで、『友奈』のような即戦力には程遠い。

 『家族』や『仲間』、『幼馴染』といった特定の関係性に強烈な執着が見られたものの、これらも年齢を重ねるにつれて希薄化の傾向があると分析されていた。

 

 因子導入体第一号の大失敗を受け、将来的な成功の見込みも無いために、計画は中止・破棄され永久凍結がなされることとなる。

 

 因子導入体一号に使われる受精卵は、大赦の人間から提供されていた。

 ある大赦の者が、「大赦の人間の実験に一般人を巻き込むのか?」と言った。

 他の大赦の者が、「責任を果たすべきが我々で、守られるべきが民衆だ」と言った。

 そして、実験に我が子を提供するという苦渋の決断をしてくれた、鷲尾家の当主が提供してくれたものが、因子導入体第一号となった。

 

 心苦しい気持ちもあっただろう。

 だが、鷲尾家の当主には目論見があった。

 因子の導入で『友奈と同じ』になった息子がどうなるか、ということである。

 

 この世界は既に詰んでいる。

 いざとなれば民衆から勇者候補を選定するだろうし、西暦のような戦いが起きれば、その影響で四国は破壊され、市民は次々死んでいくだろう。

 大赦の人間とて、特別扱いがされることはない。

 死なない者は、強い者だけだ。

 生贄に捧げられない者は、本当に貴重な者だけだ。

 理想的な生贄とは、神にとって価値があり、大赦にとっての価値が低い者である。

 

 鷲尾リュウは、そんな父親の願いを受けて生み出された。

 

 貴重な命とそうでない命なら、生贄には後者から優先的に捧げられるだろう。

 戦いの余波で街に破壊が発生しても、強い命は生き残れるだろう。

 西暦の戦いが終わってから70年以上、結界が限界を迎えるまでまだ数百年。

 因子導入体が将来的に戦いに投入されることがあっても、それは戦いの時期が来た将来のことであり、投入されるのは技術が洗練されたもっと後の番号の個体である……と考えたのだ。

 知っている者は知っている。

 この世界では、強者以外に生存が保証された者は居ない。

 だから父は、リュウに『強さ』を与えたかったのだ。

 どこかで自分が死んでも、息子が健やかに生きていられるように。

 

 四国の人類が鳥かごの中の鳥ならば、鷲尾リュウは虫かごの中の虫だった。

 人類が自由を奪われ世界を自由に飛び回れなくなった鳥ならば、リュウは生まれてから死ぬまでを観察されるだけの虫だった。

 大赦はずっと、虫かごの中のリュウを観察していた。

 『次』に利用できる可能性があるかもしれないから。

 

 "余計な影響"を与えないため、家族が少し接触しただけで大赦は警告し戒めた。

 家族はリュウと接触を重ねることができず、心配そうに遠巻きに見ているしかない。

 それでも"親を事故でなくしたと記憶されているオリジナル"因子の影響で、親に執着を持つリュウは、心の中でずっと親の愛を求め続けていた。

 親の愛を求めながら、親の愛を諦めていた。

 

 親に褒められて嬉しそうにしていたリュウも観察されていて、人殺しに慣れていくリュウも観察されていて、有事にはリュウが欲しい物のために友奈を殺せるかもしれない、と思う大赦の人間は少しずつ増えていった。

 

 父に誤算があったとすれば、リュウが失敗作だったこと。

 そして、『友奈』がリュウのすぐ後に生まれてきたこと。

 極めつけは、リュウがダークリングを得て……最終的に、反逆者となってしまったことだろう。

 

 虫かごの中の虫は、太陽に惹かれる。

 鷲尾リュウという虫は、赤嶺友奈という太陽に惹かれた。

 虫かごの中で太陽を目指し飛び回ることに意味はあるのか?

 どこにも行けず、本当は自由も無いのに、必死に羽ばたくことに意味はあるのか?

 大赦には、それが飛んで火に入る夏の虫より滑稽に見えていた者も居たことだろう。

 

 神造の英雄、赤嶺友奈。

 神が生み出した人々のための生贄。

 

 人造の英雄、鷲尾リュウ。

 人が生み出した人々のための生贄。

 

 自分のことを普通の人間だと思っている神造の生贄を、自分のことを普通の人間だと思っている人造の生贄が、命をかけて守ろうとしている。

 それは、傍目にはどれだけ滑稽に見えていたことだろうか。

 

 子に与えたかったものを与えられず、業だけを与えてしまい。

 親として普通に接することを禁じられ。

 リュウの直後に友奈が生まれてきたことで、"もしかしたら子の世代で大きな戦いが起こるのか"と気付いてしまい、リュウがそれに巻き込まれる可能性に頭を抱え。

 リュウがダークリングを手に入れ、それが大赦に発覚し、大赦の上層部によってリュウが殺人のお役目を課せられた時には、もう心臓が止まる思いだっただろう。

 

 父に許されたのは、大赦におためごかしで言い繕って、なんとか言うことができた、生まれて初めての褒め言葉くらいだった。

 玄関で何時間も待っていた。

 一人で立って待っていた。

 そうして、初めてのお役目を終えて返ってきたリュウに、褒め言葉を言って渡した。

 せめて、罪に押し潰されてしまう我が子に、一つくらい肯定を贈ってやりたかった。

 父にできることはそのくらいだったのだ。

 

 リュウが反逆し、人質のお役目を打診された時、リュウの父は「子の足を引っ張るくらいならば腹を切る」と言い放ち、実際に軽く腹に刃を突き刺した。

 そんなことをされてしまえば、大赦も強要はできない。

 だから、母親が人質に選ばれたのだ。

 リュウの父は世界の滅びを受け入れてまでリュウの味方にはなれず、哀れなリュウの足を引っ張ることもできず、今もどこかで、世界の行く末を受け入れている。

 リュウの死の報が届いても。

 世界の終わりの報が届いても。

 受け入れねばならないと、父は思う。

 それが自分に与えられる罰であると、思っているから。

 

 リュウは多くを知った。

 強奪した資料が、リュウが今まで知らなかったことを教えてくれた。

 リュウが疑問に思っていたこと、違和感を持っていたことを、線で繋いでくれた。

 それらは何も解決しない。

 何も希望を産むことはない。

 リュウは言葉にできない苦しみを抱え、バルフィラスで出撃し、何もかもをその夜に終わらせようとして……もうとっくに、希望が無いことを知ってしまった。

 

 赤嶺友奈は、因子を使って乃木若葉の親友を生まれ変わらせたかのような神造兵器。

 鷲尾リュウは、因子を使って乃木若葉世代の誰かを生まれ変わらせたような人造兵器。

 叶うなら、リュウは乃木若葉の前にだけは顔を見せたくなかった。

 自分の存在は乃木若葉の心に不快を与えるかもしれないと、思っていたから。

 

 

 

 

 

 リュウが思うに、失敗作よりも下はない。

 だから自分は最底辺の命なのだと定義する。

 期待されたものを何一つ備えないまま、鷲尾リュウはこの世に生まれてしまった。

 親が子に望み期待した"幸せに生きてほしい"という願いすら、リュウは踏み躙っている。

 

「世の中に成功作と失敗作しか無いなら、失敗作以下の出来損ないなんてきっとないンだ」

 

 リュウは自分の顔を手でさすり、自嘲する。

 

「若葉さんもどっかで見た顔だったりすンじゃないっすかね」

 

「……どうだろうな。もう昔の知り合いの顔など、随分忘れてしまったよ」

 

 知ってる人だったんだな、とリュウは思う。

 最強の因子。

 あるとすれば、乃木若葉の戦友の誰かだろう。

 勇者の誰かという可能性もある。

 リュウは自分のオリジナルが誰かは知らないし、資料にも記載されていなかったが、当時乃木若葉が戦友と共に戦っていたことくらいは知っている。

 

 リュウの因子由来の記憶を警戒してか、リュウは幼少期の教育内容から見ると不自然なほどに、初代勇者とその仲間について教育されていない。

 だがそれでも、乃木若葉のことを知らないようにすることは不可能だ。

 今も生きている、人類最高の英雄なのだから。

 乃木若葉の仲間の勇者の誰かが自分のオリジナルなのだろうか、とリュウは思う。

 

「オレは、友奈を助けたいンすよ。それだけは、絶対に諦められない」

 

 リュウは自暴自棄気味に、今の自分の状況と、今の自分の心情全てを吐き出す。

 若葉は表情をほとんど動かさないまま、黙って彼の話を聞いていた。

 "友奈を守る"とリュウが言っている時だけ、ほんの少しだけ、口角が僅かに上がっていた。

 

「そこまでする理由はなんだ?」

 

 乃木若葉は問いかける。

 

「何よりも誰よりも、赤嶺友奈を助けたい理由があるんじゃないのか?」

 

「……本当は。

 あいつには、言うほど気にすることなんてないンすよ。

 鏑矢は昏睡させるだけ。

 鏑矢の力で昏睡した人間を神樹様が殺すだけです。

 直接的に殺してるオレとは違う。

 あいつらは本質的には、自分の手で人を殺してなんかねェんだ」

 

「……なるほどな」

 

「あいつらは、世界を守ッただけ。

 平和を、幸福を、笑顔を守ッただけ。

 神樹様の人間処分の手伝いをしただけだと……オレは、そう思ッてンだ」

 

 リュウ本人ですら、大声では言えない意見。

 言った本人ですら、道理の上では正しくないと思っている主張。

 けれど、リュウはそう思いたいと思っていた。

 皆にそう思ってほしいと思っていた。

 お前は悪くないと友奈に言いたくて、友奈には自分が悪くないと思ってほしくて、大赦の誰からも"殺されるほどの罪なんて何一つない少女"と思われていてほしかった。

 

 

 

「友奈は悪くない。友奈が苦しむ理由なんて無い。だから、助けるんだ」

 

 

 

 それは、彼の中で揺らがずそこにある願い。

 乃木若葉は何かを納得したように深く頷き、微笑んだ。

 

「そう言えるなら、私がお前の敵に回る必要は無さそうだな」

 

 若葉は手元の花瓶をいじり、竜胆の造花が並べられた花瓶から一輪、桔梗・山桜・彼岸花・姫百合・紫羅欄花の造花が並べられた花瓶に移す。

 そっくりな色をした桔梗と竜胆の花が、ささやかに互いの色を引き立て合い、並んでいた。

 

「お前に誠実であることも、私の正義だ。私は悲しんでいるお前の味方で居よう」

 

「なんで、そこまで」

 

「お前を拾った時、お前の表情は、とても悲しそうだった。

 その感想は、話した今も変わっていない。お前はとても悲しんでいる」

 

 本物の英雄は、悲しんでいる人を救うからこそ英雄なのだと、子供の頃に絵本を読んでいて思ったことを、鷲尾リュウは思い出す。

 

「悲しんでいる誰かの味方になりたいと思うのは、人間として間違っているか?」

 

「―――」

 

 リュウは、涙をこらえた。

 泣かない。涙は流さない。

 全てが終わるまでは涙を流さない強い人間でいようと、心に決めていたから。

 こんなことで泣きそうになるほど自分が追い詰められていたことに、一人ぼっちの孤軍奮闘に心が削られていたことに、リュウは今初めて気がついた。

 

「同じだ。

 何も変わらないさ。

 本当は誰も悲しませたくないお前と、悲しんでいるお前の味方で居る私と……」

 

 若葉はリュウの背中を優しく叩き、優しい声をかける。

 

「少し羽を休めるといい。ちゃんと飛び続けることは、きちんと休むべき時に休むことだ」

 

 お茶を淹れ始めた若葉を見つめながら、リュウは思う。

 

 こんなにも強い人でも。こんなにも優しい人でも。こんなにも凛々しい人でも。

 

 大切な人を、守れなかったのなら。

 

 ―――本当に、自分なんかに、大切な人を守れるのだろうか? と。

 

 

 




 七十年経って何もかも記憶から薄れ行く中で、『友奈を守るんだと言っているリュウ』を見つめる若葉の懐かしい気持ちは、ひなたも寿命で死んだ今となっては誰にも分からない


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2

 何故世には医者が必要なのか。

 それは、人間は根本的に、自分の手当てを自分で行えないからだ。

 若葉は毎晩ズタボロにされつつ自分の手当てを自分でするしかなかったリュウを見て、もう何もかもが見ていられなかった。

 

「来い。包帯を巻き直してやる」

 

 リュウを連れ、若葉はかなり大きな部屋に入る。

 部屋は物置のようで物置ではない、よく掃除された綺麗な部屋でありながら、ありとあらゆるものが積み上げられた場所だった。

 右を見れば、本が詰め込まれた本棚に、その前に置かれたアウトドアグッズ。

 その左には道場で使うような道着があって、その前にゲーム機が積み上げられていた。

 古びた楽器に、西暦のアイドルグッズ、刀や銃らしきもの、他にも様々な物が整理整頓されて置かれて、『乃木若葉の七十年』が感じられる部屋だった。

 

 リュウはそこで椅子に座らされる。

 

「脱げ、リュウ」

 

「……え」

 

「老婆に見せて困る肌などないだろう。早く脱げ」

 

 有無を言わさず脱がし、若葉はリュウの手当てを開始した。

 包帯を外し、皮膚と一体化しているガーゼを剥がし、痛みに呻くリュウに「男だろう、耐えろ」と優しい声をかける。

 膿を出し、丁寧に拭いて清潔にし、出血がある場所は丁寧に止血する。

 骨が折れている部分は、部位によってバンドや添え木で補完した。

 薬を塗り、湿布を貼り、薬剤でなんとか消炎鎮痛消毒などの対策をするが、焼け石に水でしかないことは手当てをしている若葉が一番よく分かっていた。

 

 即時入院が必要だ。

 今生きている事自体が、奇跡的なバランスで成り立っている。

 自らの傷を治す超常の力を持たない者は、戦う度にこうして消耗していくことを、乃木若葉はその経験からよく知っていった。

 

「よくもまあこんな手当てで戦い続けようと思ったな……

 一人でやったと考えれば及第点はやってもいいが。キツく締めるぞ」

 

「お褒めいただきあいだだだだだだだイデェッ!?」

 

 数秒間息が止まりそうなほどの痛みに、リュウは歯を食いしばって耐える。

 だが若葉の的確な手当て、特にリュウが自分の手を届かせられなかった背中側の傷の手当ては、リュウの体を大分楽にしてくれていた。

 痛みが柔らかになり、傷と欠損で動かしにくくなっていた部分は、十分な止血と固定によってかなり楽になっていた。

 一例を出すと、リュウの足の甲には穴が空いていたが、若葉がガチガチに固定した上で、足首に障害者用の板バネを入れることで、痛みに耐えられれば歩くことくらいはできるようになった。

 走ることは流石に無理である。

 

「色々置いてあるンすね」

 

「そうだな。私も長生きしすぎてしまえば、ボケでどこに何があるかを忘れてしまいそうだ」

 

「今は全部覚えてるンすか……御年九十とかそんくらいでは……?」

 

「どうだ、いくつに見える?」

 

「酒に酔った大人みたいな雑話題振りやめましょうよ」

 

「む、すまない。

 大昔にこの話題振りをやっている者を見て、当時の私は羞恥でできなくてな。

 今思い出したからちょっとやってみたくなった。お前と話していて思い出したようだ」

 

「えー、まあ、思い返して不快にならねェ思い出があることはいいンじゃねッすかね」

 

 愉快なお婆ちゃんだな、とリュウは思う。

 不思議なものだ。

 今日会うまでは、世界に希望を残した大英雄を、心底尊敬していたはずだったのに。

 実際に会ってからは、親しみしか感じていない。

 若葉の会話のテンポ、話のノリ、気の良い在り方が、とてもリュウの肌に合っていた。

 

「オレのオリジナルってどんな人だったンすかね」

 

「それは聞いても意味の無いことだ」

 

「じゃあ、友奈のオリジナルは?」

 

「それも聞いても意味の無いことだ」

 

「えー……そッすかね……?」

 

「今を生きているお前達には何の関係もないことだ。

 過去は過去で、今は今。

 大切なことはそんなところにはなく、ゆえに聞いても得は無い」

 

 若葉はリュウから剥がしたガーゼや包帯を捨てながら、己の考えを述べていく。

 

「命はたった一つだ。分かるか?」

 

「まァ、そンくらいは。……オレの場合は、模造品の失敗作ッすけどね」

 

「死ねばお前も、赤嶺友奈も、そこで終わりだ。

 お前達の因子の元になった人間もそうだ。

 復活も、再生も、同じ者を作ることもできない。

 誰もが命は一つで、人生は一つなんだ。

 だからこそ……皆必死に生きて、皆懸命に命を守ろうとするんだ」

 

 若葉は自分の生まれを知り、状況の最悪さもあって悪い方、悪い方へと考えるリュウを正しい方向へ導いていく。

 

「お前はお前で、赤嶺友奈は赤嶺友奈だ。

 この世にたった一つの命なんだ。

 それを忘れるな。

 死んだ者とは二度と会えない。

 失われた命の価値は取り戻せない。

 お前が自分の命と存在価値を軽んじても、私はその考えを否定する」

 

「……」

 

 若葉とリュウの視線が、自然と周囲の物にいく。

 七十年以上収集され溜め込まれたもの。

 遠い昔から守られてきた思い出。

 この中のいくつが乃木若葉の友の遺品なのか、仲間の遺品なのか、大切な人の遺品なのか……少し怖くて、リュウは聞く気になれなかった。

 

「死んだ人に会いたいとか、思わないンすか」

 

「死んだ人間との、終わった話だ。

 死んだ者は蘇らない。

 ここに来ても失ったものは戻らない。

 私がかつての……昔の自分には決して戻れないのと同じように」

 

 古びた手甲や古びた木刀、経年劣化を経た木の盾に木で出来た模造の鎌……部屋に置かれた様々な物に、若葉が愛おしげに触れる。

 模造品の武器が置いてあるのは、かつての戦友の遺品だろうか。

 

 時間は過去には戻らない。それが原則だ。

 人間は過去を変えることなどできやしない。

 過去に誰かと触れ合って得た成長はなかったことにならず、過去に友と重ねた思い出はいつも胸の奥にあり、過去に死んだ者を生き返らせることは出来ない。

 

 だから若葉は、今を生きて、今大事な人を守ることが最も大事であると考えている。

 それを見失い、今を見られなくなった者が、必ず皆不幸になることを知っている。

 

 若い頃の若葉は過去ばかりを見ていた。

 過去に殺された人間の復讐のことだけを考えていた。

 その時若葉を導いてくれたのは、高嶋友奈を初めとする若葉の大切な友だった。

 今のリュウは未来ばかり欲しがっている。

 未来に殺される友奈を守ることだけを考えている。

 彼を導いてくれる友は、赤嶺友奈は、彼の敵に回っている。

 

「あれ、なんだこれ……初めて見ンな」

 

 リュウは若葉が部屋に置いていたものの一つを手にとった。

 それはかなり大きな、こけしのような人形だった。

 開いてみると、その中に少し小さくて少し表情の違う人形が入っていた。

 その中にも、少し小さくて少し表情の違う人形がある。

 開いて中身を出せば出すほど、新しい人形が次々ぽんぽんその姿を現して来る。

 

「マトリョーシカだな。ロシアの民芸品だ。それも私の仲間の遺物の一つだ」

 

 ロシアから来た避難民でもいたのか? とリュウは思う。

 

「へぇこれがあの……今となっては超貴重品じゃないンすかこれ」

 

「そうだな。いずれは人類の誰もが、マトリョーシカなんて忘れてしまうだろう」

 

「面白いのに誰も作れないなンてもったいねー……」

 

 リュウはちょっと楽しそうに、人形の中の人形を取り出していく。

 新しい人形が出る度に少しずつ人形の表情が変わって、それを何気なく楽しんでいるリュウを若葉が見ていて、ただそれだけで、彼女も楽しそうだった。

 

「まるでお前だな。いくつもの顔を持っている」

 

「?」

 

「初めて会った時は悲しみに満ちた顔。

 庭で見た時は改めて見つめた絶望の顔。

 料理を食べて喜べば年相応。

 さっきまでは私を親しみの目で見ていた。

 そして今は、私の話を真面目に聞いて、誠実に自分の中で受け止めている」

 

「あァ、なーるほど」

 

 リュウは自虐的に、乾いた笑いを浮かべる。

 

「どうせ中身は空っぽなンだよなァ。オレみたいにさ。こういうのはそういうのが相場だ」

 

 そうして、マトリョーシカの中心の、最後の一つを開けて。

 中からからんからんと音がしていなかったから、空っぽだと思っていたリュウは、最後の一つの中から写真が転がり出てきたことに驚いた。

 

「え」

 

「空っぽな人間など居ない。

 私にも、お前にも、あるものがある。

 それは思い出だ。

 大切な人との記憶だ。

 それが私達を、どんな苦境の中でも戦わせてくれる」

 

 それは、一枚の写真だった。

 経年劣化しないように表面加工がされていて、それがマトリョーシカの幾重にも重なる人形の壁に守られて、色褪せずそこに収められていた。

 中心に居るのは少女達。

 六人の、笑顔の少女達。

 その周りに大人の男や年頃の少年などが居て、皆笑顔で写真に写っている。

 写っているのはおそらく三十人に届かない程度で、服装を見る限り、食堂で食事を作る料理人や大赦の男達など、様々な者達が集合写真に入って来ていることが窺えた。

 

 皆笑っていた。

 皆楽しそうだった。

 皆仲が良さそうだった。

 "この時は誰もが勝利を疑っていなかったんだな"と―――リュウは、眉をひそめる。

 

「こいつァもしかして」

 

「ああ。仲間達との集合写真だ。確か、誰かの誕生日を祝い、勝利を誓った日の写真だ」

 

 リュウがその写真の中で真っ先に目を惹かれたのは、写真の中心。

 写っている人達の中心は六人の少女達で、その少女達の中心に、『皆の中心』と言える二人の少女が居る。

 その片方が、赤嶺友奈に瓜二つの姿をしていたから、リュウの目は真っ先にそこにいった。

 

「……友奈? いや、これは」

 

「高嶋友奈だ。その隣が私だな。友奈の左が郡千景で、私の右が上里ひなただ」

 

「えっ……若葉さん美人系の美少女だったンすね」

 

「若い時はな。もうすっかりしわくちゃのお婆ちゃんだ、ふふっ」

 

「若くない若葉ッすね」

 

「ぷっ」

 

「あ、こういうの好きなンすか?」

 

「いや、今のは不意打ちだったから笑ってしまっただけだ。次は笑わん」

 

「そこ張り合うンすか……」

 

 この人が友奈のオリジナル、と、リュウは不思議な気分になる。

 写真の中の高嶋友奈を見れば見るほど、不思議な気分になった。

 その周りの人達を見ているだけでも、不思議な気分になった。

 そして次に目が行ったのが、若葉と友奈の後ろに居て、二人の肩に手を置いている男。

 青年と少年の中間に見えるその男は、鷲尾リュウと似た顔をしていた。

 

「……これが」

 

「そうだな。おそらくそいつが、お前の中の因子の元の人間だ」

 

「オレより顔が良いの腹立つなこいつ……クソが」

 

「そこ張り合うのか……」

 

 その写真は、光だった。

 何も知らないリュウが見ても、光だった。

 皆幸福そうで、楽しそうだった。

 敗北なんてなんとも思っていなくて、勝利だけを信じていた。

 この写真に写っている全ての人間が、揺るぎなく未来の希望を信じていた。

 

 けれども。

 もう、若葉を除いて、全員が死んでいる。

 彼らの戦いは敗北に終わり、この写真には悲しみが付随してしまった。

 

 この写真を撮った時は、希望しかなかったはずだ。

 そのはずだ。

 けれど、戦いの結末がこの写真に余計なものを付けてしまった。

 おそらくは、この写真を見ているだけでも若葉は辛い気持ちになってしまうのだろう。

 だから、マトリョーシカの中に封印した。

 そうでなければ、若葉が簡単には見られないところにこの写真を封印した理由がない。

 

「そういえば、この写真に写っている男共で、私を美少女と言ったのは一人だけだったか」

 

「え、マジですか。ホモばっかだったのか……その人が将来の旦那とか?」

 

「流石に私でも戦死した人間と結婚はできんよ」

 

「……すンません」

 

「気にするな。そんな昔のことで傷付く婆など、どこにもおるまい」

 

 若葉は笑う。

 自然な笑いではない。

 無理して浮かべた笑いでもない。

 慣れた笑みだった。

 悲しみを隠すことに慣れた笑みだった。

 悲しい思いをした時に浮かべ慣れた笑みだった。

 その笑みは、ごく自然に若葉の悲しみの上に乗せられている。

 

「辛かったが、苦しかったが、楽しかった。

 絶望と喪失に満ちていたが、得たものもあった。

 楽しいと思える時間、好ましく思えた仲間、得たものを失っていくような過程だった」

 

 若葉は写真を手に取り眺めている。

 昨日まではあまり目にしたくもなかった。

 けれども今日は、写真を見て思い出に耽り、その時の気持ちを語る気になっていた。

 悲しみだけではなく、喜びもあったことを思い出しながら、若葉は気持ちを口にする。

 それはきっと、彼が隣に居るから。

 

「あの日の敗戦からずっと、私の人生は終わらない夜で……

 負け続け、喪失し続ける日々に入るまでの私の人生は、光に包まれていた。

 ああ、今更になって語るのは恥ずかしいことだが。

 きっとあの日負けてしまうまで、私は仲間と一緒に世界を救えると、夢見ていたんだな」

 

 それは、叶わなかった夢。

 バッドエンドの過去の思い出。

 希望が尽きた日の前のことと、後のこと。

 

「幼馴染のひなたが居なければ、私は自暴自棄になって何をしていたかも分からない」

 

 希望が尽きて、一人ぼっちになった者は、何をするか分からない。

 

 鷲尾リュウにも、かつての乃木若葉にも、希望が尽きた瞬間があった。

 だから今、リュウにはかつての若葉の気持ちが少し分かるし、若葉にも今のリュウの気持ちが少しは分かる。

 "ここからどうすればいい?"

 そう考えても、答えは出ない時間が続く。

 それが希望が無いということだ。

 けれども何もしないなら、希望が尽きたその瞬間から、『次』には繋げられない。

 

「皆が私の光であり、私を照らしてくれていたのだと気付いたのは、全て失ってからだった」

 

 乃木若葉は、希望が尽きたその瞬間から、『次』に繋げた偉大な勇者だ。

 

 そういう意味では、この世の他の誰よりも―――今のリュウを導くに相応しい。

 

 若葉は写真を胸に抱き、目を閉じ、かつて仲間達と過ごした日々を想う。

 今は、リュウを見ていると思い出す、一人の男を想う。

 

「お前はお前で。

 この男はこの男だ。

 同じになることはないだろう。

 ただ、私にとって、この男は光だった……そう、思う」

 

 リュウの服の内側で、闇を孕むダークリングが、鈍く煌めいた。

 

「この男にとっては、私が光だったらしいがな。

 まったく、見る目のない男だ。

 私の何を見てそう言ったのか今になっても分からん。

 それなら友奈の方がよっぽど光だっただろうし、そんなだから千景も……いや、どうか」

 

 案外何も考えずに言ったのかもしれんな、と、言いかけたところで、若葉は口ごもる。

 

「お前には分からない話を続けてしまった。礼を欠いたな」

 

「いえ、なンとなくッすけどニュアンスは分かったンで」

 

「思わず老婆の口をついて出た未練など、聞くに耐えん醜悪だ。反省せねば」

 

 こほん、と咳払いをして気を引き締める若葉。

 乃木若葉は己を恥じる。

 リュウに聞かれた時は答えなかったのに、話している内にどんどん口を滑らせてしまい、リュウが分からないような内輪の話までしてしまうところであった。

 それは彼女の理性が昔の話に意味はないと"正しく"判断しており、彼女の感情がついつい過去の思い出話をするという"間違い"を犯してしまっているからだろう。

 

 若葉が思い出話をすると、リュウには何も分からない。

 分からないのだが、胸の奥に何かが微かに響くのだ。

 若葉が話している人間のことが分からなくても、若葉から滲む感情があるからだろうか。

 

 今の話題には、特にそれを感じる。

 言葉の節々から感じられる熱。

 理性で制御しきれていない感情。

 軽くバカにしているようで、確かな好意を感じる語り口。

 リュウは軽い口調で、ほんの軽い気持ちで、本気の欠片もない冗談を口にした。

 

「オレのオリジナルと付き合ってたりとかしてたンすか?」

 

「そんなわけがあるか」

 

 そして、すぐに後悔する。

 返答の語調が一気に変わった。言葉の重みが一瞬で変わった。

 どこか優しげだった若葉の言葉が、強い語調の断言になったことに、リュウは若葉の中の譲れない何かに触れてしまったことを感じ取っていた。

 

「全く。最近の若い者は大事な人への想いを語ればすぐこれだ」

 

「あ、ごめンなさい」

 

「構わん。若い頃は惚れた腫れたの話が好きなものだ。私にも覚えがある」

 

 若葉の語調は一瞬で戻った。

 だが今の一瞬、若葉が見せた一面をリュウは忘れない。

 若葉がその後にどんな言葉を続けても、リュウには下手なごまかしにしか聞こえなかった。

 

「私とこの男の間にはそういう感情は一切なく、信頼できる親友として……」

 

 不器用な人だと、リュウは思う。

 

「……いや、どうだろうな」

 

 嘘をつききれない人なんだと、リュウは思う。

 

「あの男に伝えたかったことや、告白しておきたかったことがあった気がする」

 

 ぽつり、ぽつりと、リュウが知らない思い出話ではなく、今ここに居る乃木若葉の胸の中の想いが、細々とした言葉として漏れ出して来る。

 

「だが、大切な想いは生きている内に伝えなければ、初めから無かったのと同じだ」

 

 想いは、告げる側と、告げられる側によって成立する。

 想いを伝える前に片方が死ねば、それは永遠に成立しない。

 初めから無かったのと同じ、虚無に成り果ててしまう。

 

 乃木若葉はそうなった。

 鷲尾リュウと赤嶺友奈は、そうなるかもしれないが、まだそうなってはいない。

 過去は過ぎ去った動かない事実。

 未来は未だ来ていない明日だ。

 

「もう七十年以上が経った。

 結婚もした。

 子も作った。

 孫も残した。

 世界を守り戦う子孫は残した。

 やるべきことを全て果たそうとしたら、七十年かけてもまだ終わらなかった」

 

 何故、そんなことをそんな表情で言えるのか、鷲尾リュウには分からなかった。

 

「……口にしたかった想いなど、もう忘れてしまったよ」

 

 何故胸の奥が締め付けられるような気持ちになるのか、リュウ自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友奈は静を気遣って口を開かなかった。

 静は友奈を気遣って口を開かなかった。

 そんな沈黙が数分続いて、けれど沈黙に耐えられなくて、友奈と静は口を開く。

 差し込む朝日が目に痛かった。

 

「……帰って来なかったね」

 

「……せやな」

 

 弥勒蓮華は昨日彼女らの下に帰って来るはずだった。

 だが家を爆破し連行され、途中で逃げ出し乃木若葉に連絡するも更に捕まり、弥勒蓮華は大赦の独房にぶち込まれてしまっていた。

 帰る目処は立っていない。

 蓮華は友奈や静に何を話すか分からず、明確に鷲尾リュウの味方もしていた上、リュウが封印を解いた状態なら神の力も使える一級の危険人物である。

 大赦としてはこのままの流れでリュウが友奈に殺されるのが一番で、その後情報操作で事態を軟着陸させるのが最も世界のためになるのだから、妥当な采配だろう。

 

 大赦は弥勒蓮華の体に精密検査で怪しいところが見つかったため、念の為別の病院で長期検査を行うという連絡をしていた。

 友奈は蓮華を心配した。

 静は真に受けた反応をしつつ、怪しんだ。

 友奈は根幹が他人を信じたい子で、他人を心配する子だったから。

 静は今日まで、友奈が探しているのに街で顔を隠してうろついているリュウ、蓮華の反応、違和感のある戦いの流れなど、疑う理由を心の中に積み上げていたから。

 

 嘘くさいと静は考えていた。

 何故なら、蓮華が自分の声で連絡してこなかったからだ。

 弥勒蓮華は義理堅い。

 「帰れなかった不義理を詫びるわ」とわざわざ連絡してきて、「そんなことでわざわざ連絡してきたんか、まー健康第一にな?」と静に笑われる方がそれらしい。

 帰ると言って帰れなかった不義理を気にするのが弥勒蓮華である。

 

 友奈は心配の方が先行しているため気付いていない。

 他人の心の機微に敏感で、恋愛的な話には鈍感で、他人が抱いている悪意にも鈍感なのが赤嶺友奈である。

 だからこういうところに気を付けるのは自分の役目だと、静はちょっと思っていた。

 

「お祝いは、また今度かな」

 

 友奈は冷えた料理にラップをかけ、冷蔵庫にしまっていく。

 蓮華が戻って来たことを祝うために作られた豪勢な料理があった。

 蓮華が帰って来たら、三人で楽しくお祝いをしようと思っていた。

 楽しい時間になるはずだった。

 暖かな時間になるはずだった。

 けれど、蓮華が帰って来なかったから、できなかった。

 

 静は「食べちゃってまた作ればいいやん」と言っていた。

 友奈は「レンちが帰って来るまで待つよ」と言っていた。

 何時間も待って、大赦が連絡して、帰って来ないことが分かって、蓮華を待ちたいという気持ちと、すぐには帰って来ないという理性が釣り合ったまま、二人は傍に居た。

 寂しさと、心配と、不安と、隣に居てくれる友達への感謝があった。

 そして、朝が来た。

 

 友奈は気丈に笑っているが、静にはその裏にある心配が分かる。

 静は、この戦いに最初から何か違和感を覚えていた。

 その正体が何か分からないままこのまま流されていていいのか、とも考えていた。

 弥勒蓮華の未帰還が、彼女の背中を押していた。

 

「ちょっと用事思い出したんで出かけてくるわ。遅くなるかもしれんけど、気にせんといて」

 

「あ、はい。いってらっしゃーい」

 

 リュウは、静の前でこう言った。

 

―――何もしてないと気が変になりそうだった

 

 静はその時、その言葉に共感した。

 そして今、その言葉を聞いた時よりもずっと、強く共感していた。

 まず探すべきは弥勒蓮華。見つかるなら鷲尾リュウも。

 探して見つけて、その後どうするかまでは思いつかないが、見つけられなければ友奈のこのごまかしの笑顔はなくならないと……そう、思ったのだ。

 

 この何もかもが不透明な状況で、友奈の大切な人を探しに行くのは危険があるかもしれない。

 暗闇の中に何があるか分からないまま踏み出すようなものだ。

 けれども、静は行く。

 それが友情であると、桐生静は思っているから。

 

「大丈夫やて。きっと、何もかんも大丈夫や」

 

 友奈の髪を撫で、くちゃくしゃにかき混ぜる。

 

 撫でた手を振って、静は街に出掛けて行くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若葉はリュウを布団に寝かせていた。

 有無を言わせず、眠気がなくてもとりあえず寝かせて、体力の回復に務めさせる。

 若葉が有無を言わせない強情さを見せると、リュウはなんとなく逆らえなかった。

 初代勇者の貫禄、恐るべし。

 祖母がバーテックスを見て精神を壊してしまったせいで、リュウの誕生の前には死んでしまっていたため、こういう老女の扱いにリュウはいまいち慣れていなかった。

 

「あンの、布団に血が付いて汚れるンじゃ……」

 

「洗えばいい。多少のシミなら気にせん」

 

「ッてか、この布団かなり高いんじゃ……」

 

「お前の体調の値段よりは安いだろう」

 

 なんだこいつ一々かっこいいな、とリュウは思い、心中で「なんだこの御方一々凄くかっこいいな」と言い直した。

 不敬不敬、と自分をこっそり戒める。

 

「体を動かすと治りかけの部分が壊れかねん。

 この先何をするにしても、その時体が動かなければ終わりだ。

 体は人生の最初から最後まで自分を支えてくれる宝であることを忘れるな」

 

「はいッす」

 

 リュウは布団に寝かされ、無言の時間が始まった。

 リュウは大人しく寝ていて、その隣で若葉が無言で花瓶に花を刺している。

 無言だったが、無音ではなかった。

 無言だったが、不快ではなかった。

 静かな時間が流れていくこの空気を、リュウも若葉も心地良く感じている。

 

 一時間ほど経った頃、リュウは頭に浮かんだ言葉を、そのまま口に出した。

 

「人道的な非人道、って言うンすかね、あれ」

 

「大赦か」

 

「はい」

 

「そうだな……そういう表現も、また正しい」

 

「少数を犠牲にして多数を生かす、理屈では分かるンすよ」

 

 リュウの語り口が、理性は納得していたが感情は納得していないものであることに、若葉はちゃんと気付いている。

 

「その人らがそれやらなきゃ終わるッてンのも。

 オレらが理想の代案出せてねェッてのも。

 お前らは間違ってンぞと言うだけなら楽なのも、分かってンすけどね……

 正直、友奈の代わりに専用の人間作って戦わせるってなッたら、オレも賛成しますし。

 でもきっとそうなったら、友奈の代わりの戦士は、オレ恨んだりもすンだろうな……」

 

「私も根本的には同類だ」

 

「へ?」

 

「西暦の最後、奉火祭というものがあった。

 何の罪もない、汚れなき無垢な少女の巫女を何人も生贄に捧げた。

 それで天の神に許しを請うたんだ。

 私は結局、それに何の文句も言わなかった。受け入れた。私も同じようなものだな」

 

「え、いや、それは違うンじゃないすか。

 少なくともオレはそのおかげで今も生きてられンだから、感謝してるし、間違いでは……」

 

「それは、死んだ者もそう思っているのだろうか」

 

「―――」

 

「そういうことだ。生き残った者は感謝し、犠牲になった者は恨むのだ」

 

 若葉が語るのは、道理である。

 そんな道理が通る世界を否定する響きがどこかに見える、そんな語り口であった。

 

「生贄にされた者は

 『ふざけるな』

 と言う。

 生き残った者達は

 『あなたが苦渋の決断をしてくれたおかげで助かりました』

 と言う。……戦いが終わった頃に、感謝を皆に言われる日々が、苦痛だった」

 

「……」

 

「罵声の方がまだ気分は楽だったな」

 

 何もかも奪われた屈辱の敗戦と。

 とりあえず停戦でも戦いを終わらせた感謝と。

 世界を取り戻せなかった無能な勇者への罵倒と。

 自分を責める乃木若葉。

 そんな終わりがあった。

 

「……全て私が背負って終われたら楽なのにな、と何度も思ったよ」

 

「分かります。オレだって、そういうこと何度思ったことか」

 

「困ったな。私が全て背負うなら良いが、お前が全て背負うとなると寝覚めが悪い」

 

「なんじゃそりゃ」

 

 両者共に、溜め込んでいた苦悩を吐き出して、答えの出ない重い話題を広げて、けれど気持ちが同じであることがなんだかおかしくて、二人は冗談めかして笑う。

 

「バトンを繋いだつもりだった。

 勇気のバトンを。

 希望のバトンを。

 だが、お前と赤嶺友奈を見ていると思う。私は……

 ゴールに向けて血みどろのまま走らせる、生贄のバトンを渡してしまったんじゃないか、と」

 

「……いや、若葉さんが後に繋いだのは、希望と未来と勇気だけなンじゃないすかね」

 

「そうか? お前がそう思っているという気持ちだけは、受け取っておこう」

 

 リュウはふと、あの時叩きつけられた言葉を思い出す。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「せいぜい良い気になっているがいい。

 お前も私達と同じだ。

 世界を壊す気が無いなら……

 世界の仕組みは変わらない。

 ただ"先と後がある"だけだ。我々が先で、お前達が後」

 

「『社会に要らないものを消す』。

 そのやり方を当然のものとして続けるなら……

 お前達もいずれ、我々と同じ場所に立つことになるだろう」

 

「因果応報だ。必ず、必ずそうなる。絶対にな」

 

「先に地獄で待ってるぞ」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 バトンが放置されることはない。

 バトンは人から人へと渡され続け、受け取った者は苦しみながら血みどろになって走り、死というゴールで次の人へと渡される。

 勇者から後世の勇者へと、受け継がれる勇気のバトンではない、生贄のバトン。

 世界を救うために常に続けられる生贄のリレー。

 

 それは血を吐きながら続ける、悲しいマラソンであると言えた。

 

「……」

 

 少し、会話が止まる。

 

 会話が途切れて、無言の時間が過ぎる。

 

 無言が続くが無音ではない時間の中、風が木を揺らす音が途絶えた瞬間、若葉が口を開いた。

 

「お前に、反面教師にするべき男のことと、ある女の遺言を伝える」

 

「?」

 

「ある男が居た。

 不器用だった。

 不器用過ぎた。

 周りの人を大切に思い過ぎた。

 民衆を大切にし過ぎた。

 誰よりも強く在り続ける男だった。

 皆を怪物から守り、疲労と負傷を過剰に溜め込み……

 ある日の戦いの後。

 幼い頃から付き合いのあった女を庇って、民衆に暴行され、死んだ」

 

「! それは……」

 

「不安と恐怖にかられすぎた民衆の暴走、というやつだ。

 ……強い男だったよ。

 疲労がなければ、傷がなければ、守るものがなければ、相手が民衆でなければ、きっと……」

 

 風がまた吹き始め、木々が揺れる。

 

「英雄は、人々のためにあるのだろうか。

 人々の何かを損なえば、人々に否定されれば、生きてはいけないのだろうか。

 民衆の期待に応えられなければ、希望を守れなければ、死ぬべきなのだろうか。

 そんなことはないと私は思う。

 少なくとも、私は……

 世界の全てを敵に回してでも、抵抗して欲しかった……いや、抵抗して良かったと思う」

 

「……」

 

 言い直す前の言葉と、言い直した後の言葉に、乃木若葉の倫理と、祈りがあった。

 目には見えなくとも、言葉で明言せずとも、そこにはあった。

 

「上里ひなたという女が居た。

 私の幼馴染でな。

 前線には出ていなかったから、終末戦争も生き残っていた。

 彼女が支えてくれなければ、私もどこかで折れていただろう。

 ……だが、無理をする女だった。

 先程話した男が殺された時も、墓前で一人で泣いていたよ。

 私の前では決して泣かなかった。

 その時思ったことも、きっと誰にも言わなかった。

 だが、死の直前……安らかに眠るように死ぬ前に、その時の気持ちを口にして逝った」

 

「……その人は、なんて?」

 

「『貴方はもっと自分勝手でよかった』……だそうだ」

 

「―――」

 

 リンチされて死んだ男と。

 その男に対し思ったことを、朦朧とする死の直前まで黙っていた女と。

 そのどちらとも仲が良かった乃木若葉がいた。

 もう、若葉しかこの世には生き残っていない。

 

「歳を取ると、世界の流れを見ていると、思うこともある」

 

「……何を?」

 

「命を捧げて世界を守った人間には、その世界を滅ぼす権利もあるのかもしれない、とな」

 

「……!」

 

「ああ、世界の滅びを願っているわけじゃない。

 皆が守った世界だ。

 これで最後に残った世界が滅びてしまえば、何もかもが無になってしまう。

 皆が生きたことも。

 皆が戦ったことも。

 皆が死んだことも。

 だから私は、世界の存続と、かつての世界を取り戻すことを願っている。だけどな」

 

「だけど……?」

 

「死んでいった私の仲間達には。

 人々のせいで犠牲になった者には。

 今の世界の滅びを選ぶ権利がある……とも、思ってしまうんだ。歳のせいかもしれない」

 

 若葉は布団に横になったままのリュウに、マトリョーシカの写真を渡す。

 

 受け取ったリュウは、貰った写真を重く感じた。

 

 ただの写真なのに、とても、とても重く感じた。

 

「私はお前の選択を受け入れるだろう。

 もう今の私にはお前を止める力はない。

 止める気も、止める権利もない。

 ―――願わくば。今度はお前が、己と大切な人の幸福を掴めることを願う」

 

 写真を持つ手が震えた。

 

 世界を救った勇者ですら、リュウを間違っていると断じない。

 

 世界の平和と存続を願う者ですら、リュウの選択を受け入れてくれる。

 

 "何が正しいのかなんて誰も教えてはくれない"という現実は、何をどうして何を選べば良いのかも分からなくなっている今のリュウには、とても重かった。

 

 

 




 若葉が語らなかった感情を、鷲尾リュウが知ることはありません


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3

 12/29 16:00。

 冬の日の入りは早い。

 もう空の色は夕方のそれに近付きつつある。

 

 だが、リュウが見つめる空は偽物だ。

 人類(かれら)の空はもうとっくに奪われている。

 太陽が人を優しく照らすことなどなく、太陽神(天の神)は人を滅ぼさんとしている。

 結界の外は2015年以降太陽は差さず、分厚い暗雲が空を覆い、西暦の最後からは地表を焼き尽くす地の炎が天を照らす異常な世界が広がっている。

 だから、この空は偽物だ。

 神樹が作り出した偽物の青空は、やがて偽物の夕方に移り変わるだろう。

 

 大赦の前身が"人間の心を落ち着かせるこれまで通りの空"を事細かに神樹に教え、神樹が細かに調整しながら作り上げた空が、この空だ。

 朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来る、当たり前で偽物な空。

 本物の空を見たことがある人類は、もう乃木若葉一人だけ。

 リュウは子供の頃、友奈に本物の空を見せてやりたいと思ったこともあるが、もうとっくの昔に一度諦めてしまった。

 この世界で、誰も本物の空など見られはしない。

 そんな液晶画面と何ら変わらない空模様について、リュウが一つだけ決めていることがある。

 

 戦うのは、夜だ。

 

「行くのか」

 

 乃木の屋敷をこっそりと出て行こうとするリュウに、若葉が声をかける。

 リュウは少し驚いた様子で振り返った。

 単純に技量の差である。リュウが気配を隠しても若葉にはバレバレで、逆に気配を隠した若葉の存在にリュウは気付いていなかった。

 リュウは若葉の目をしっかりと見て、深々と頭を下げる。

 戦いを経てその命は削れ痛み弱り切っていたが、出会いを経てその命は以前より強く在った。

 

「お世話になりました」

 

 そんなリュウに、若葉は餞別を手渡す。

 

「持っていけ」

 

「これは……」

 

「私が管理を任されていた物だが、構わん。

 どうせ次世代の勇者システムに神の賜物の類は必要ないと聞いている」

 

「……伝説の中で、初代勇者の武器だった神の刀、『生太刀』」

 

「花はおまけだ。どこかに飾っておけ」

 

 袋に包まれたその刀は、生太刀。地の神の王の剣である。

 刀を包む御刀袋に差されているのは二輪の花。竜胆と桔梗の造花。女性らしい飾り立てだ。

 竜胆と桔梗には共通する花言葉がある。

 『誠実』だ。

 乃木若葉はずっとその両方を描いた着物を着ていた。

 誰に対しての誠実なのか、彼女の人生を知らないリュウには分からない。

 

 けれどもこれを贈られた意味は分かる。

 "赤嶺友奈に対して誠実である"ということが、彼の在り方の根幹だ。

 そこに自覚が無いほどリュウは己の気持ちに鈍感では無かった。

 若葉は、その誠実は間違っていないと、そう伝えたいのだろう。

 

 ただ一つだけ、リュウは気になった。

 今渡されたのも造花。

 若葉が部屋に飾っていたのも造花。

 造花、造花、造花。全部造花だと、流石にリュウも引っかかりを覚える。

 

「造花、好きなンすか?」

 

「うん? ……そうだな。造花は枯れない。死なない花だ。永遠だからな」

 

「……」

 

「昔は普通の花だけが好きだったがな。今は生きている花も、造花も好きだ」

 

「……いただいていきます」

 

「ああ、持っていけ。

 花がお前を助けることは無いかもしれないが……

 花を贈った私の気持ちはある。私は、お前の未来の幸運を願っている」

 

「気持ちは大事ッすよ。人間の一番大事なもンで、一番踏み躙っちゃならねェもンだ」

 

「だな」

 

 若葉はふぅ、と息を吐き、屋敷の門柱に背中を預けた。

 空を見上げる若葉の視線が、夕方になりつつある空を眺める。

 毎晩喧しいほどに戦闘音を響かせているのだ。

 戦いは夜であると、若葉も説明されるまでもなく理解していることだろう。

 

 これから始まる戦いを思って。

 『友奈』と、『彼』が殺し合う戦いを思って。

 それを止められない、複雑怪奇な事情を思って。

 若葉は更に溜め息を重ねる。

 二度目の溜め息には、陰鬱な響きがあった。

 

 何がいけなかったのだろうか、と若葉は思わずにはいられない。

 今この時も、いや、七十年以上前からずっと、若葉はそれを考えている。

 人が死ぬ度。

 大切なものが失われる度。

 そしてこれからは、『友奈』と『彼』が殺し合う度、考えるだろう。

 "私がどうしていたらこんなことにならないで済んだのか"、と。

 「良い世界にしよう」と七十年もの間頑張り続けたはずの若葉に突きつけられた現実は、かつて愛した友と同じ姿をした二人が殺し合う世界。

 

 死に行く者は死の瞬間のみ後悔するが、生き残ってしまった者は、一生後悔し続ける。

 

「私は何か……間違っていたんだろうか」

 

「え?」

 

「寿命の終わりが見えてくると……余計なことを考える時間が増えて困る」

 

「余計なことッて」

 

「私と、上里ひなたは、誓ったんだ。

 世界を、平穏を、未来を、必ず取り戻すと。

 ……取り戻せないものもあると分かっていた。

 それでも、そのために生きることを誓った。

 それが……生き残ってしまった……私達の果たす使命で、責任であると」

 

 山のように積み重なり、泥のように沈殿した感情が、言葉の中に混ざっていく。

 

「私は人を導くこと。

 ひなたは組織を導くこと。

 それぞれやるべきことを決め、すべきことを始めた。

 ……今となっては乙女にもほどがあるが、少しは少女らしい夢も見ていた。

 語るだけで恥ずかしい話だがな。

 いずれは好きな人と恋をして……

 その人と結ばれ、夫婦となり……

 子もできて、孫に囲まれて……

 ふっ。昔の私なら、こんな想像をしていた事自体を否定していただろうな。そんな女だった」

 

「あの、それッて」

 

「勘違いするな。

 今の私に幸せが無いなどとは言わない。

 努力が何もかも報われなかったなどとは思わない。

 そんな夢の話も、大まかには叶ったと言えるだろうしな。

 ただ、なんだろうか。

 ……中学生の時の私は、恋ではなく責任で、結婚や子作りをするとは思ってなかったんだ」

 

「―――」

 

「果たすべき責任があった。

 生き残った者の責任が。

 責任から逃げるわけにはいかず、世界に何もしないわけにはいかなかった」

 

 乃木若葉は、こんな本音を、今日までの人生の中で、一度も口にしたことはなかった。

 

 何十年も口にされないまま、墓の下まで持っていかれるはずの本音が、溢れて流れる。

 

 それは本音の吐露であり、過去を作った者から今を生きる者への謝罪だった。

 

「だが……だが。

 その結果として、今の世界があるなら……

 お前達が、そんなにも苦しんでいるのなら……

 それはきっと、私のせいだ。私が導いたからこそ、今の世界があるのだから」

 

「……そいつは、違うんじゃねッすか」

 

「いや、違わない。

 大衆を動かす力を何も持たないから、苦しんでいるのがお前達だ。

 私はその対極。一時は人類全てを導いた者だ。

 世界を変えられないからお前達は地獄に居る。

 私は、世界をこの形に変えた当人だから……

 何も守れなかったくせに、何も取り戻せなかったくせに、伝説の勇者と讃えられている」

 

 諦めるな、戦う準備を密かにするぞ、世界を守れ……そう言い続けたのは若葉だ。

 眠るように四国で滅びることもできた。

 集団自殺で、一瞬にして全ての苦しみを終わらせることもできた。

 けれど。

 若葉に導かれた人間達は、諦めなかった。

 未来のために積み上げるという正義のレールを外れなかった。

 

 夫婦の愛の結晶であるはずの自分の子が、自分に似ても似つかない『友奈』になっていることの不気味さ、不快感、異常性……それらを、親に飲み込ませる。

 西暦の元一般人の少女を無残な犠牲にした悲劇を二度と起こさせないため、理想の戦士を人造で作る方法を模索する。

 人を殺してでも、子供に殺させてでも、集団自殺を止める。

 世界のために。

 未来のために。

 希望のために。

 何でもする集団が出来た。

 それはきっと、何をしてでも進み続け、過去の生も死も全てを無駄にせず未来に繋ぐ、乃木若葉という者の強さに、皆が惹かれ、引かれて行ったから。

 

「お前が殺すべきは世界ではなく、子のために罪を犯した親でもなく、この私だ」

 

 若葉のそんな言葉を聞いて、"乃木若葉を殺す権利がある"と若葉に思われている、被害者にして加害者にならんとしている鷲尾リュウは。

 

 とても、とても、腹が立った。

 

「乃木若葉」

 

 思わず若葉を呼び捨てにして、間違った友達を叱る時のような口調になって、若葉に対する一切の遠慮と尊敬が吹っ飛んだ。

 

 そのくらいに、今の若葉の言葉はリュウにとって苛立たしくて、絶対に認められないもので、的外れで、無茶苦茶で―――聞いていて、涙が出そうなくらいに、悲しかった。

 

「人を好きになれた幸運。

 人を好きになれた喜悦。

 人を好きになれた奇跡。

 ……こんなにも好きになれる人と出会えた時点で、オレは幸せ者だと思わないか?」

 

「―――っ」

 

 鷲尾リュウは、赤嶺友奈が好きだ。

 

「オレは、不幸なだけの哀れな被害者じゃねェ。

 これから最悪の加害者になる加害者に、そんなに罪悪感抱いてンじゃねェよ」

 

 何故、こんなにも善良で、こんなにも責任感があって、こんなにも皆が幸福になることを願っていて、こんなにも『友奈と自分』の笑顔を望んでくれている人が、苦しんでいるのか。

 リュウには分からなかった。

 理解できないのではなく、納得できないから、分からなかった。

 永遠に分かりたくなかった。

 絶対に納得したくなかった。

 

「ちゃんと生きて終わらせる。

 ちゃんとここに帰って来る。

 オレも、友奈も、きっと戦いが終わったらここに顔を見せに来る。

 笑ってくれ、オレ達皆のヒーロー、乃木若葉。

 あんたの人生が間違いじゃなかったってことを、オレ達が絶対に証明してみせる」

 

 リュウは未だに分からない。

 自分がどうすればいいのか。

 どこに向かって走れば良いのか。

 何を壊せば良いのか。

 何を成せば良いのか。

 正解があるなら教えて欲しかった。

 ただただ、赤嶺友奈の未来と幸福しか望んでいないのに、世界はそれすら許してくれない。

 乃木若葉に妥当な救いがあってもいいのに、世界はそれすら許してくれない。

 

 ―――『世界に対する怒り』が、ふつふつとリュウの内に湧き上がる。

 

「オレは、悪だ。

 あんたが守ったものを壊す悪。

 あんたが守った平和を乱す悪。

 乃木若葉に救われた人間の子孫のくせに……

 乃木若葉が大切にしてるものを壊して……

 自分にとって大切なものを優先する……最低最悪のクソ野郎だ」

 

 "敵"への湧き上がる怒りは、やがて憎悪へと変わる。

 

 鷲尾リュウの内に渦巻くは、正当なる応報へと繋がる憎悪であった。

 

 他人の気持ちが分かる人間だけが持つ、『優しさから生まれる憎悪』であった。

 

「だから、見てろ。オレがあんたを苦しめた天の神をぶっ殺す」

 

「―――」

 

「あんたの大切なものを奪って、苦しめて、泣かせて、笑顔を奪った神をぶっ殺す」

 

「……ふっ。大口を叩くものだな」

 

「ついでだついで。

 元より、オレは友奈をこんな狭い世界に閉じ込めてた神が気に入らなかった。

 全部終わらせたら次は結界の外と神をどうにかする予定だッたんだよ。

 あんたが心の底から笑えばよ、友奈もきっとそンだけで笑ってくれるはずだ」

 

「あぁ、なるほど、そういう理屈か。……懐かしいような、そうでないような気分だ」

 

「オレは悪だ。

 大赦も、見る人によっちゃ悪ではあるかもな。

 あんたも、自称だけど人を犠牲にしたことを悪いことだと思ッてる。

 他も、オレにとっちゃ友奈の幸福を踏み躙ンなら問答無用で悪だ。

 ……だけどな。

 そのどいつよりも悪だと、オレが思うもンがある。結界の外の化物共と、神だ」

 

「……それが、お前の出した結論か」

 

「力はある。手に入った。だから、絶対にぶっ殺す」

 

 大赦にとってリュウはただの反乱分子。

 組織として倒すことを目標とするほどの存在ではない。当たり前だ。

 だから総力を上げて『戦う』のではなく、『処理』しようとしている。

 それはいい。別にいい。リュウはそう思う。

 本当の敵がどこに居るのか……大赦が目を向ける先を間違えないで居てくれたおかげで、リュウもまた、倒すべき敵を見据えられる。

 

 けれど、背負うものや倒すべき敵を増やせば増やすほど、人間は破綻しやすくなることに、リュウは気付いていない。

 そうやって背負いすぎた結果、潜在的な敵を増やしすぎてしまった結果、破綻して集団暴行で死んでしまった男が居たということを、根本で理解できていない。

 『友奈』が全て根幹において『友奈』であるように、因子は形質を継承させる。

 

「そうしたら笑ってくれ。

 屈託なく笑ってくれ。

 悲しみを隠すとかじゃなく。

 想いをごまかすとかじゃなく。

 記憶を押し込むためなんかじゃなく。

 心底嬉しいと思って、笑ってくれ。

 オレは友奈の気持ちも分かるから、言える。

 オレも友奈も……あんたのそういう笑顔が見たくて、たまらねェんだ」

 

 こんなことを言いながら。

 こんなことを願いながら。

 こんなことを誓いながら。

 かつて、その男は死んでいった。

 だから若葉は、彼にその刀を託した。

 西暦の時代に愛用していた、神の刀を。それが何かを変えてくれると信じて。

 

「あんたが心の底から笑えば、オレも友奈もきっとつられて笑ッちまうから」

 

 矛盾している。

 その在り方は矛盾している。

 友奈の未来のためには、世界を壊す必要がある。

 若葉の全てを尊重するためには、彼女が守った世界を傷付けるべきではない。

 それは両方を選べない分かれ道を前にして、自分の体を二つに裂きながら両方に進んで行くようなものだ。

 

 最強の力を手にした赤嶺友奈に勝てるのか?

 勝てたとして、その後大赦を殲滅し、結界の外の怪物を一掃し、神を倒すところまで、命は保つのか? 力は足りるのか?

 最終目標が遠ければ遠いほど、志半ばで死ぬ可能性は高まっていく。

 

「世界を取り戻すために頑張ったあんたの笑顔を、取り返してきてやンよ」

 

 なのに、なんとかなる気がしていた。

 若葉にとっては懐かしい感覚だった。

 高嶋友奈を始めとして、若葉の仲間の中には、「大丈夫」と口にするだけで仲間を安心させる者が居て、若葉もそんな人間の一人だった。

 皆の中心になれる者。

 言葉に力を持つ者。

 周りの仲間に、光を見せることができる者。

 

 鷲尾リュウは己が闇に染まり、悪に成り果てようとも、他人に光を与えられる。

 そんな、人間だった。

 

 けれど、若葉はそんなことは考えてはいなかった。

 ただ、彼がくれたその言葉が、枯れた老婆の心に染み渡っていた。

 細々とした理屈はいらない。

 ただ、嬉しかったのだ。

 懐かしい嬉しさがあった。泣き出したくなるような感情があった。

 

 

 

「―――お前はいつも、私の心を救ってくれている気がする」

 

 

 

 老婆は微笑む。

 まだ、本気で心の底から笑えないままに。

 

「私はここで待っている。

 お前が居場所を全て失っても、ここはお前の居場所だ。

 帰る場所がなくなる、なんてことはない。

 ここにお前の帰る場所があり、お前の帰りを待つ人間が居る。忘れるな」

 

 拠点も、実家も、幼馴染も。

 どこにも帰ることができなくても。

 きっとここには、帰って来ることが許されている。

 

「優しさを失うな。そして、本当に辛い時は人を頼れ。

 私の掛け替えのない親友と似て非なる、まだ幸せになる余地のある男よ。

 お前はきっと、それだけでいい。……それだけで十分だ。乃木若葉が保証する」

 

 リュウは曖昧な表情で頷き、踵を返す。

 若葉はその背中を信頼の目で見送り、一瞬だけ不安な目をして、その背中に手を伸ばしかけるがぐっとこらえて、伸ばしかけた手を戻し、着物の胸元を握る。

 行け、と言って背中を押してやりたかった。

 行くな、と言って戦いの場から遠ざけたかった。

 どのどちらも選べなかったのが、乃木若葉が老いたという証明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、夜になる。

 赤嶺友奈はそわそわしていた。

 朝に出掛けていった静がまだ帰って来ていないのだ。

 今日になれば三人揃っているはずだった。

 なのに今は友奈しか居ない。

 弥勒蓮華も桐生静も居ない。

 友奈は心配と不安で、そわそわする自分を止められなかった。

 

「何か、あったのかな……」

 

 そんな友奈が呼び出されたのは、大赦の一施設。

 友奈はそこで、大赦の男から"褒美"を与えられていた。

 

「え、私が勇者に認定されたんですか!?

 伝説の勇者の若葉様と同じ!? わぁ……わぁ……!」

 

「魔を払い、世を清めるのが鏑矢。

 しかしながら赤嶺様は、怪物も倒しておられます。

 妖魔を打ち倒し、世界を救う勇者……その名に相応しいと認められたということです」

 

「勇者・赤嶺友奈! ですね?」

 

「はい」

 

 勇者。

 勇気ある者。

 この世界においては、神樹の神々に選ばれた無垢なる少女の戦士を指す。

 事実上、名前が変わっただけではあるが、その名前が重要だ。

 

 この時代はまだ乃木若葉が健在である。

 すなわち、『勇者』がまだ生ける伝説として在るのだ。

 勇者の称号を得るということは、その後継者と認められたということでもある。

 ましてや、今勇者の称号を持つのは赤嶺友奈のみ。

 人類を牽引してきた乃木若葉という唯一の勇者と、その肩書きを継承することが認められたたった一人の勇者ともなれば、その名には黄金を超える価値がある。

 

 ただの言葉の羅列が呪文となり、力を持ち、神々の時代に逆戻りしたこの星の上では、ただの名にすら力が宿るこの世界では、名前一つがとても重い。

 

「それと、これを。こちらは私の権限で引っ張り出してきたものですが」

 

「これは……盾? 割れた盾を修理したものかな……?」

 

「乃木若葉様のお仲間が所有していた盾です。

 元は旋刃盤だったと聞きますが、壊れて修理された際、盾に戻されたと聞きます」

 

「!」

 

「端末を近付けてみてください」

 

「こうですか? わっ、吸い込まれた」

 

 かつて、西暦の時代に若葉の仲間が使っていた盾。

 世界を守り、仲間を守り、若葉や……『当時の友奈』を守り続けた盾。

 それが大赦の男から手渡され、友奈の端末に吸い込まれて消えた。

 

「あの御方は周りに余計な心配をかけることを好みません。

 ですが……口にしないだけで、何も感じないわけではなく、内に溜め込み飲み込む方です」

 

「それは分かります。稽古つけてもらってる時、そういうこと何度もありましたから」

 

 "あの御方"などと呼ばれるのは、この世界で若葉のみだ。

 政治指導者も居ないこの世界では唯一無二の存在である彼女は、こんな言葉ですら彼女のみを指す隠語になってしまうくらいの、尊敬される偉人である。

 けれども。この大赦の人間にとっては、尊敬されるだけの人間ではなかったようだ。

 

「これは、内密にして欲しい話です。

 かつ、確実な事実ではない。

 私が聞いた話と、当時の人間が残した話と、書類に残された資料から推理した推測です」

 

「いいんですか、大赦の人がそんなこと話しても」

 

「よくはありません。ですが必要なことです」

 

「……」

 

「当時、乃木若葉様には本当に大切な人が何人も居たようです。

 大切な戦友。

 戦場で共に戦ってくれた親戚。

 いがみ合いながら背中を預けた少女。

 若い者達が集まっていたわけですから、当然"そういう感じ"になった異性も居たらしく」

 

「! え、あの若葉様の恋バナですか!?」

 

「こほん。いえ、そこは本題ではなく。

 いや、確かに本題の一部ではあるのですが。

 実際のところ、乃木若葉様に恋愛感情があったのかは分かりません。

 ただ、一部記録から消されている黒髪の勇者が居たらしく……

 乃木若葉様はその人を応援しつつ、その勇者から嫉妬されていたようです」

 

「乃木若葉様が泥棒猫?」

 

「……あの性格で?」

 

「……無自覚な三角関係とかの方がまだありそう」

 

「乃木若葉様に恋愛感情があったかは不明、不明です。赤嶺様」

 

「そんなお気に入りのアイドルが恋愛してることを必死に否定する人みたいな……」

 

「こほん。話を戻します。

 その時期、そういう思春期の問題があれば、乃木若葉様にも心労が溜まります。

 何せ、五人の勇者のリーダーですから。

 そんな乃木若葉様が心中を吐露した親友が二人居たと書いてありました。

 幼馴染の上里ひなた様と、親友の高嶋友奈様。おそらく、貴女の名前の由来です」

 

「! へー。そういえば私の名前、大赦から与えられたんだっけ……」

 

「もしも貴女が戦死されれば、乃木若葉様は……『二度目』の悲しみを味わうことになります」

 

「……!」

 

 赤嶺友奈が、自然体から姿勢を正す。

 

「どうか二度も、『友奈の死』をあの方に味わわせないでください。お願いします」

 

 大赦の男は、深々と頭を下げる。

 

「大丈夫」

 

 友奈は豊かに膨らんだ胸を叩いて、堂々と言い切り、約束する。

 死なないことを。

 乃木若葉を、己の死でこれ以上傷付けないことを。

 そして、赤嶺友奈が死なないままに、あの怪物をちゃんと倒して終わらせることを。

 

「期待してもらったら、ちゃんと応えるから」

 

 そして友奈は、大赦の男の名を呼んだ。

 

「お母さんの心を守りたいって気持ち、分かりますよ。乃木海地さん」

 

「……お恥ずかしい限りです、赤嶺様」

 

 若葉の息子は、仮面の下で苦笑する。

 これは彼にとってもかなり危ない賭けだろう。

 彼は全ての事情を知らないまま、かなり危ない橋を渡ったことになる。

 けれど、それでも。苦しみの人生を生きた母を救ってやりたいという、子の愛があった。

 

「義理と責任と良識で……

 努めて望ましい母で在ろうとした、私の母を……

 "そうしたい"ではなく、"そうすべき"でしか、母として在れなかった母を……お願いします」

 

 恋をして、愛し合って、結婚して、伴侶を愛し、生まれた子を愛する、のではなく。

 生き残った責任を果たすため、未来に希望を残すため、妻としてするべきことはこれだ、母としてするべきことはこれだ、という在り方を続けてきた、そんな母を見て、子が抱いた想いは。

 母への哀れみと、母を守りたいという祈りと、母をもう誰も傷付けないでほしいという、子の愛だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静は歩き疲れて、もうすっかり夜になった周りを見回し、溜め息を吐いた。

 何も見つからない。

 誰も見つからない。

 赤嶺友奈の笑顔を取り戻せるものが見つからないまま、次の夜が来てしまった。

 もう、次の戦いが始まってしまう。静はまた溜め息を吐いた。

 

「駄目や……なーんも見つからん。

 つーか、おかしいやろ。

 どこの病院もロックの面倒見とらん。

 弥勒家にも連絡の痕跡なし。

 大赦関連で情報集めても手応え無いとか……こら、最悪の大当たりかもな」

 

 静は頭を抱えて、髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。

 

「ロックも鷲尾リュウも、やばいことに巻き込まれとると見て間違いないか……」

 

 それも大赦が隠してることで、というところまでは、静は口にしなかった。

 夜になった。

 戦闘が始まる。

 安全地帯に引っ込んで、戦闘が終わってから別口で探したほうがいいかもしれない、と静は考え始める。

 ちょっとどころでなく、嫌な予感がしていた。

 

 コンクリートの柱と金属製の手すりが並ぶ道の端で、静はコンクリートの柱に背中を預け、休みつつぼんやりと周囲を見回す。

 

「ロックもあの男も、そんな簡単に見つかるなら苦労はしないってやつやな……」

 

「ありがとー、ラムネのお兄さん!」

 

「またラムネの開け方分からなかッたらオレを呼べ。近くに居たら、まあ来てやンよ」

 

「おるー! 普通におるー! なんやあんたいつもこんなんなんか!?」

 

「うおッやかましッ……っておいおい、あんたか」

 

「静でない静をよろしく。ウチ、あんたを探してたんや!」

 

「オレは探してねェ。ンじゃな」

 

「待たんかい!」

 

 静は背を向けて去って行こうとするリュウを追おうとして、手すりを掴んで思いっきり引き、その反動で初速を得て走り出そうとする。

 その瞬間、手すりが柱からすっぽ抜けた。

 

「えっ」

 

 すっぽ抜ける手すり。

 その時、静の目に入る「修理中、触るな」の張り紙が埋まっている草むら。

 近所の子供がいたずらでもしたのだろうか?

 思いっきり転倒する静の頭の先が向かうのは、どこにでもある石ブロックの角。

 この勢いと静の体重を考えれば、このまま後頭部をぶつければ、即死。

 天地がひっくり返るような、死を実感させるような感覚を静は覚え――

 

「そそッかしい女だな。気を付けろ」

 

「お、おお、おーきに。あんがと」

 

 ――リュウに、抱き留められるように助けられた。

 

 あれ、結構遠くにおらんかったか、と静は疑問に思うが、ゼットンカードをリードし具現化させずに僅かに力を引き出したリュウが助けてくれた、という詳細にまでは気付かない。

 

 ただ、リュウが"やっちまった"といった顔をしていたので、リュウが立ち去るつもりが振り返って助けてしまったこと、『見られたら困る方法』で静を助けてくれたことは、なんとなくに感覚で理解していた。

 

「もう夜だ。ツラが一定以上いい女は危ねェぞ。用心して帰れ」

 

 リュウはそう言い、抱き留めていた静を優しく降ろし、今度こそ踵を返して去っていく。

 

「あっ、待っ……消えた?」

 

 静もその後を追うが、曲がり角を曲がったリュウを追って曲がり角を同様に曲がった瞬間、一瞬前まで追えていたはずのリュウの背中が、消えていた。

 普通の人間の消え方ではない。

 間違いなく、超常の力の行使による逃走。

 

「あかんな、もしかしたらウチが考えとるより時間無いんか?」

 

 静はとりあえず、戦闘に巻き込まれることのない安全地帯を頭の中であたりをつけて、そこへと駆け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして。

 至高の刃が、全てを壊そうとする者の手に渡り。

 至高の盾が、全てを守ろうとする者の手に渡り。

 初代勇者達の想いが、今を生きる者達へと継承され。

 

 また、戦いの夜が来る。

 

 

 

 鷲尾リュウは、深々と息を吐いていた。

 

「あいつ地味に怖いな。勘がいいやつだ……」

 

 桐生静も中々に怖い。

 巫女というのは、要するに神の力への感受性が高い者ということだ。

 異能の受信能力者、と言い換えても良い。

 だからおそらく、直感的にブラブラした時、赤嶺友奈や弥勒蓮華よりもずっと、桐生静の方がリュウを見つけやすいのだろう。

 今は見つかりたくないというのに、中々厄介な女だ、とリュウは思う。

 

 そもそもリュウが困っている子供を見捨てられる自分でいられたなら、流石に静も見つけられないため、十割彼の自業自得なのだが、それを言う者は誰も居ない。

 

「さあ、行くか」

 

 ダークリングを構えるリュウだが、目的地はない。

 これまでは大赦まで一直線に進むリュウと、それを止めようとする友奈というタワーディフェンス的な戦いになっていたが、もうそれもない。

 目的地がないなら、これまで通りにはいかない。

 だからどうすればいいのか分からない……それが、昨日の時点でのリュウだった。

 

 けれど、今は、ただ、一つだけ。

 

 『赤嶺友奈に幸せな未来を与える奇策』だけは、思いついていた。

 

「頼む、ダークリング。

 オレをもっと、悪に堕とせ。

 途中で手が止まッちまわないように。

 途中で躊躇ッちまわないように。

 最後の最後まで、悪を貫く心をくれ。

 ……この世で唯一、オレが悪で在ることを望んでいる、お前を信じる」

 

 ダークリングが、リュウの信頼に応え、望みを叶える。

 

 友奈は世界より大事か?

 世界は友奈より価値があるか?

 何を犠牲にしてもいいのか?

 何を犠牲にするのはいいのか?

 何を犠牲にしてはいけないのか?

 民衆の幸福は?

 民衆の悲嘆は?

 乃木若葉が守ったものは?

 先人が命懸けで守ったものは?

 西暦に守られたものを自分が壊していいのか?

 一人の幸福は四百万人の幸福に勝るのか?

 全人類の幸福のためなら一人の幸福は踏み躙って良いのか?

 鷲尾リュウは何したい? 何を守りたい? 何を踏み躙る? 何を愛している?

 

 数々の葛藤を、ダークリングの闇へとくべて、一気に燃やした。

 

「―――!!」

 

 親指で、ゼットンのカードを空に弾く。

 親指で、パンドンのカードを空に弾く。

 リュウが空に突き上げたダークリングに、二つのカードが順に入り、闇が爆発した。

 

《 ゼットン 》

《 パンドン 》

 

「来い……『終わりを告げる力』……」

 

 ゼットンとパンドンのカードがほどけ、爆発した闇が相乗効果で巨大化していく。

 二つの闇が混ざって、リュウの体をかつてないほどに巨大な闇へと導いていく。

 それは、最高の相性を持つ闇の組み合わせ。

 山のようにカードを持つ者でも、"これが一番強い"と言い切る超合体。

 カードの強さだけでなく、カード同士の相性により、桁外れの闇を生み出す究極合一。

 

 サメのような顔。

 燃え盛る溶岩のような赤。

 冷めきった溶岩のような黒。

 ゼットン、パンドン、二体の怪獣を思わせる意匠。

 背の側から伸びる雄々しき尾に、乃木若葉から贈られた神刀・生太刀が融合した。

 

 それは、鷲尾リュウの、新たなる力。

 

「超合体―――『ゼッパンドン』」

 

 光よりなお輝く闇。

 光なき超高熱の炎。

 終焉に重ねた終焉。

 

 ここではない地球で、初代ウルトラマンの最後の敵であったゼットンと、ウルトラセブンの最後の敵であったパンドンを重ねた異形が、吠える。

 燃える炎の終焉超合体。

 ゼッパンドンの周りには、絶えることのない闇の炎が渦巻いていた。

 

 かつて、この世界は滅ぼされた。

 炎によって四国を除いた全てが燃え尽き、人類は敗北した。

 天の神がもたらしたのは、怪物と終焉の炎。

 そしてゼッパンドンもまた、終焉の炎の怪物である。

 

 天の神とそれが操る怪物に、勇者が立ち向かう物語。

 その最後には、終焉の炎が添えられた。

 宇宙人とそれが操る怪物に、光の巨人が立ち向かう物語。

 遠い世界の光の巨人の物語の最後にも、終焉の炎が添えられた。

 

 だから、これはきっと、西暦最後の戦いの再来(リプレイ)

 

 世界を滅ぼしていいと言われた。

 生き残った乃木若葉に、上里ひなたに、そう言われた。

 何故か分からないが、泣きそうだった。

 許されたならやろう、と思う心と、もうやめろ、と叫ぶ心の両方があった。

 

 許すな、と心が叫んでいた。

 受け入れるな、と心が叫んでいた。

 泣いてしまうかもしれない少女が居た。

 人生そのものを悔いる、少女だった老女が居た。

 こんな世界は何もかもが間違っている、と心が叫んでいた。

 

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 "犠牲と苦しみが続く世界なんて滅びてしまえ"と、その心が叫んでいた。

 

 ゼッパンドンが、炎を吐く。

 敵ではなく、街を狙って。

 これまで街をできる限り壊さないようにしていたリュウとは、明らかに違う戦法だった。

 燃え盛る街の中、炎に気付いた民衆が逃げ惑う。

 逃げ惑う中、大怪獣ゼッパンドンの存在に気付き、誰も彼もが悲鳴を上げる。

 

「世界を滅ぼした―――怪物だっ!」

「嫌あああああ!!」

「逃げろ、逃げろ!」

 

 ゼッパンドンは火を吹き、世界を焼き続ける。

 

『来い』

 

 火を吐きながら、想いの言葉を吐き続ける。

 

『来い、友奈』

 

 想いの言葉を吐きながら、想い続ける少女を呼ぶ。

 

『オレを止められるのは……お前だけだ。来い、来い、早く来い』

 

 少女の名を呼ぶ少年の声に応えるように。

 あれを殺せと叫ぶ大赦の声に応えるように。

 助けて、と悲鳴を上げる人々の声に応えるように。

 

 闇を切り裂く火色は、そこに現れる。

 

 

「―――火色舞うよ」

 

『―――来いッ!!』

 

 

 ゼッパンドンが吐き出した紅蓮の炎と、赤嶺友奈の烈火の一撃が、闇夜に火の花を咲かせる。

 

 皆が知らない戦いは終わり。

 

 皆が知らずにはいられない、そんな戦いが始まった。

 

 

 




・『ゼッパンドン』

 初代ウルトラマン最後の敵ゼットン、ウルトラセブン最後の敵パンドンの合体怪獣。
 原作にて闇の男・ジャグラスジャグラーが使った強力な超合体怪獣。
 終焉の超合体。

 ラスボス×2という特性と相乗効果のためか、使いこなせれば非常に強い。
 原作ではウルトラマンオーブ+二体のウルトラマンの力を用いたフュージョンアップウルトラマンを、マガオロチの力+二体のラスボス怪獣の力を用いたこの超合体怪獣が圧倒している。
 が。
 鷲尾リュウはマガオロチの尾を所持していないため、性能はその時ほどには高くない。
 一兆度火球のゼットンに火属性のパンドンを合わせているため、強力な火属性の力を行使可能であるが、大赦が目指しているの理想の勇者システムはその全てが『壁の向こうの業火』を想定されているため、そういった点では相性が悪い。
 されど瞬間移動、強固なバリア、破壊光線、攻防共に極めて強い超高スペックの体など、相性差を基礎能力のみで覆す強さも兼ね備えている。

 サメのような顔といい、ゼッパンドンはゼットンともパンドンとも似ていないパーツを多く持っている。
 それは、ゼットンとパンドン以外の何かが触媒となって完成形が出来るからである。
 リュウの場合は、聖なる刀が尾に入ることで完成した。

 マガオロチの尾が無いゼッパンドンは、尾無き怪物である。
 鷲尾竜に尾が無ければ、鷲竜。鷲竜類。
 絶滅した古代の竜となる。
 すなわち鷲尾リュウのゼッパンドンは、絶滅した竜であると同時に、終わりをもたらす怪物であると言えるだろう。
 その存在は全てを終わらせると同時に、終わりに反抗せんとする。

 ゼットンバルタン同様『戦う力』が単純に強いため、戦うならば戦闘力で上回る必要がある。


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4

予約投稿を一時間間違えて設定してて気付いてなかったとか久しぶりのやらかしですね……すみません


 幼い頃。

 まだリュウが人を殺していない頃。

 まだ友奈が人を殺していない頃。

 何の心配もなく、自分達の明るい未来を信じていた頃。

 二人は今は無い公園で、楽しく話していた。忘れることの無い思い出があった。

 

「私あれやりたい、あれあれ」

 

「あれじゃわかんないけど」

 

「生まれた日は違えども~ってやつ」

 

「……桃園の誓いだ……昨日のドラマの三国志だ……」

 

「そうそう」

 

 赤嶺友奈がきゃっきゃと遊びを提案し、リュウは見捨てずちゃんと乗る。

 そんな関係。

 

「なんて言うんだっけ?」

 

「我ら三人、生まれし日、時は違えども。

 兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。

 上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。

 同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、同年、同月、同日に死せん事を願わん。

 皇天后土よ、実にこの心を鑑みよ。義に背き恩を忘るれば、天人共に戮すべし……」

 

「長いよリュウくん」

 

「ドラマは改造して短くまとめてんの!」

 

「なるほどなるほどー。短くね」

 

 幼い友奈はむむむと考え、ぴこーんと思いつき、にししと笑って、むふんと咳払い。

 そして、リュウに向き合った。

 

「健やかなるときも、病める時も。

 喜びの時も、悲しみの時も。

 富める時も、貧しい時も。

 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け。

 その命ある限り、赤嶺友奈に真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「それ本当にさっきのを短くまとめたやつ?」

 

 全然違うじゃねーか、とリュウは思った。

 

「リュウくんが誓ってくれたら、私も誓ってあげるー」

 

 笑顔の友奈に、リュウは顔を逸らしつつ、照れた様子で誓う。

 

「……誓う。これでいいか」

 

「はいはい、私も誓うねー」

 

「かっるいなお前……」

 

「えー、軽いは重いかは関係ないよ。誰とでもしない、っていうのが大事なんだよ」

 

「……それもそうか」

 

「おかーさんもね。

 愛してるって言葉で一番大事なのは、一人にしか言わないことなんだって言ってた」

 

「いいお母さんだな」

 

「うん!」

 

 友奈と友奈の母の間には、普通の親子には無いものがある。

 『友奈』という、拭い切れない特別な事情が。

 それでもなお、友奈の母は友奈を母としてちゃんと愛している。

 その愛にどれだけの価値があるのか、友奈もリュウも知らない。

 ただ、愛に飢えているがゆえにそのあたりに敏感なリュウは、他の親子よりもずっと強固な愛が友奈に向けられていることは、察していた。

 

「友奈。桃園の誓いは、生まれた場所が違う奴と誓うから意味があるんだ」

 

「えー」

 

「家がお隣さんの幼馴染とやっても意味ねェんだ。新しい友達ができたらやれ」

 

「えー」

 

「えーじゃなくて」

 

「桃園の誓いじゃないからいいと思うよー」

 

「分かっててやってたなお前」

 

 ペシン、とリュウが友奈の頭を軽く叩き。

 

 うへへー、と友奈がだらしなく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼッパンドンに足を折られた大赦の人間達が、積み上げられていく。

 ビルの屋上に、一人ずつ、一人ずつ。

 ゼッパンドンは出現直後から街に火を放ち、避難誘導の指示にあたろうとしていた大赦の人間達に目をつけて、一人ずつ拾い、足を折って屋上に積み上げていた。

 逃げられないように。

 かつ、死なないように。

 

 積み上げられた彼らは、小さなライトに照らされた看板を目にする。

 そこに刻まれた文字を読む。

 そして、各々"最悪"以外の何でもない感情を顔に出した。

 

『今の大赦の本拠を吐いた人間だけは助ける。残りは皆殺しにする。先着順』

 

 街に火を放てば、大赦が動く。

 現在唯一の行政が動かないわけがない。

 そこで大赦の人間を片っ端から捕縛していけば、現地の人間が足りなくなるためどんどん現地に人員が投入され、更に捕縛できる対象が増える。

 そうしていけば、必ずどこかで捕まえられる。

 今の大赦の脳と心臓がどこにあるか、知っている人間を。

 

 絵に書いたような、"正義の味方の殺し方"だ。

 

「まさか……これが狙いで街に火を放ったのか……!?」

 

 大赦の人間を次々捕まえて足を折って積み上げていけば、火災への対策が遅れる。

 行き着く先は途方も無い被害が出る大災害だ。

 まともに対応されなかった火災は延々と燃え広がり、街を燃やし尽くし、発生する死者数は昭和以降で最大のものにもなりかねない。

 街の人を助けに行きたくても、足を折られていては立ち上がることもできやしない。

 

 "巻き込みすぎるな"と言う心が、炎を落とす場所を選ぶ。

 ゆえに、まだ死人は一人も出ておらず、避難も間に合っている。

 "世界も大赦も壊してしまえ"と言う心が、蛮行を止めない。

 だから街は燃え盛り、足を折られた大赦の人間が積み上げられていく。

 

 そして、リュウは大赦の心臓部の場所さえ特定できれば、全員殺すつもりでいた。

 口からでまかせではなく本当のことを言っている、と確認するため、我先にと大赦の心臓部を吐くように誘導しているのだ。

 言えばもう用済み。全員焼いて問題はない。

 更に言えば、ここに積み上げられた者のほとんど全てが、現在の機能移転した大赦の心臓部……リュウと友奈の死を望む元凶がいる場所を知らない。

 そんなことはリュウも百も承知だ。

 だが、どうでもよかった。

 何も知らないまま、助かる可能性が完全に0で喚いている人間を見ても何も思わず、むしろそれを踏み躙ることに快感を覚えていた。

 

『ははははははははははははははッ!!!』

 

 "今の鷲尾リュウ"は、散々自分を苦しめてきた大赦の人間も、そうでない人間も、ひとまとめにして痛めつけることに、快楽しか感じていなかった。

 復讐の快楽。仕返しの快楽。

 頭の中の善性、理性にぼんやりと幕がかかり、暴性、獣性がむき出しになっていく。

 大赦の人間が叫んでいる。何か言っている。何か罵倒している。

 リュウは心地良さそうにそれを受け止めていた。

 彼の笑い声はゼッパンドンの声帯を通し、獣の笑い声として各々の耳に届いている。

 

 だが、ダークリングが求めた悪には程遠い。

 何故ならば、まだ誰も死んでいないからだ。

 街の燃える度合いが全く足りていない。

 足を折るだけでは誰も死なない。

 街で死人が大量発生すれば大赦の人間もより多く引きずり出されて、見せしめに大赦の下っ端でも殺して見せれば、もっと全員口を滑らせやすくなるはずだ。

 

 リュウは悪心を求めた。

 ダークリングはそれを与えた。

 なのに、ここまで堕ちても、ここまで染まっても、リュウの中には、光が残っている。

 

『来い』

 

 街に火を放ちながら。

 

『来い、友奈』

 

 人を追い立てながら。

 

『オレを止められるのは……お前だけだ。来い、来い、早く来い』

 

 ゼッパンドンは、彼女を待つ。

 

「あ……赤嶺様だ!」

 

 そして、大赦の者達は、闇を駆け間に合った火色の希望を見た。

 

 駆けつけた希望の少女を見て、誰もが心惹かれ、その勝利を願った。

 

 世界中が、"守ってくれる君"を―――『勇者』の君を、待っていた。

 

「―――火色舞うよ」

 

『―――来いッ!!』

 

 ゼッパンドンが吐き出した紅蓮の炎と、赤嶺友奈の烈火の一撃が、闇夜に火の花を咲かせる。

 大地は燃え、大気には火花が舞い、空には花の如く広がる火。

 結界の外だけでなく、内側にも火が満ちていくという絶望だ。

 だが空を見上げる人々の目には、怪獣を見る絶望だけでなく、勇者を見る希望もあった。

 

 

 

「……『勇者』だ。勇者様、だ……!!」

 

 

 

 火色は、この世界における絶望の象徴だ。

 世界を燃やすは天の神がもたらした火。

 結界の外で燃え盛る火の色は、人の心をすり減らす。

 だというのに。赤嶺友奈の纏う赤は、人々の中の火のイメージを塗り潰す。

 その赤色が空を舞うだけで、ゼッパンドンの火に感じた絶望の印象すら上塗りされてしまう。

 

 人の目を引く、火色(ひいろ)のヒーロー。

 

「なんでここまでなって樹海化が始まらない?」

「人手が足りません。ヤバいですよ」

「ここまでの大惨事を情報操作で隠すには、二百年以上は余裕でかかりそうだな……」

 

 口より連射されるゼッパンドンの火球は、一つ一つが一兆度。

 単発で国を焼き尽くす熱を持ち、信じられない威力と連射速度を両立する。

 赤嶺友奈の一撃は、一つ一つがそれを凌駕する。

 叩きつけられた拳からエネルギーが爆発し、火球を粉砕するのみならず、その熱を一瞬にして拡散させていく。

 

 かつて、戦いがあった。

 今は、伝説になった戦いがあった。

 それは、人を滅ぼさんとする怪物と戦う、勇者の伝説。

 乃木若葉達が打ち立てた伝説。

 この戦いは、伝説の再現だった。

 

 友奈の姿が、一瞬でかき消える。

 

『うん?』

 

 次の瞬間、爆発音が連続で響いた。

 壊れていく建物、森、地面、貯水タンク。

 友奈の拳の一撃が爆発を引き起こし、燃える炎を吹っ飛ばす。

 森を破壊し脇にどけ、地面を吹っ飛ばして土を森林火災に被せて沈下、貯水タンクを壊して流した水で都市の火災を消す。

 ゼッパンドンの対処を片手間に、友奈は街の火災対策もするつもりのようだった。

 

『瞬間移動に、拳の連打に、爆風消火か……勇者サマみたいな振る舞いだなァ、オイ』

 

 そんな友奈の思い上がりを、ゼッパンドンは瞬時に粉砕する。

 

 怪獣を一発殴っておこう、と思った友奈が拳を握り締めた瞬間――その背後の森林を踏み潰しながら――友奈の背後にゼッパンドンが瞬間移動で現れた。

 

「!」

 

 友奈もすかさず、瞬間移動。

 神の力で、神速のワープ。

 だがゼッパンドンも瞬間移動。

 魔の力にて、魔技の追撃を成す。

 瞬く間の瞬間移動でついてきたゼッパンドンの踏みつけを、友奈は横っ飛びで回避した。

 

「瞬間移動のレベルが上ってる……!」

 

『くっ、ははは、はははッ! お前と同じことが出来るってのは気持ちが良いな、友奈ァ!』

 

 ゼッパンドンの口から炎が、頭部突起から闇色の炎のようなビームが連射される。

 友奈はバックステップ、サイドステップ、後方宙返りと踊るような動きでかわし、かわしきれないものは瞬間移動でかわすが、その瞬間移動にもゼッパンドンはついてくる。

 瞬間移動直後のほんの僅かに発生する隙に炎とビームの連射をねじ込まれ、友奈は辛うじて跳んでかわすが、背筋に嫌な汗が流れる。

 

「こいつ……今までの奴とは、何か違う……!?」

 

『はははははははははははははは』

 

 ゼッパンドンが咆哮し、その全身から雷が放たれる。

 雷は怪獣の周囲全てを無差別に破壊し、大地は砕け、木々は灰に、岩は砂となっていく。

 友奈は雷一本一本の軌道を見切るという信じられない妙技を見せ、雷の隙間に踊るように体を滑り込ませる絶技で魅せる。

 友奈の体から離れた一粒の汗が、雷に飲まれバリッと音を立てて蒸発していた。

 

 ゼッパンドンは、どんな超合体よりも高い相乗効果を発揮する超合体。

 ゼットンより強いカード、パンドンより強いカードはいくらでもあるが、ゼッパンドンより強い超合体はそうそうない。そういう強力な組み合わせなのだ。

 瞬間移動をもってしても翻弄される瞬間移動技能。

 炎、光線、雷、などの多彩な攻撃手段。

 どれも恐ろしいが、それ以外にも恐ろしいことが二つある。

 まだまだゼッパンドンは本気を出していないというのが一つ。

 

『どうした? もっと余裕で勝ってみろよ。世界中がお前の勝利を待ってるぞ。へ、へ、へ』

 

 そしてもう一つが、リュウがおかしくなり始めていることだ。

 闇に染められ、力に飲み込まれ始めている。

 冷静さは失っていない。

 むしろ頭は冴えに冴え、知的に理性的に友奈を倒す戦術の組み立てを行っている。

 それが逆に、恐ろしい。

 

 ゼッパンドンが空に吹いた炎が、友奈めがけて降り注ぎ、友奈は雲より高くまで瞬間移動し、間一髪回避した。

 

 汚染された精神。

 転換された心。

 引きずられる魂。

 今や鷲尾リュウには、赤嶺友奈を傷付けることを躊躇う気持ちすら薄まっている。

 リュウを敗北者たらしめる最大の要因が、消えかけているのだ。

 愛する人を笑って殺せたその時、彼はダークリングに相応しい邪悪へと堕ちる。

 

 そんな邪悪を倒してくれる正義を、人々は待っていた。

 絶望の中にありながらも、心のどこかで勇者を待っていた。

 光を待っていた。

 そして、友奈は来たのだ。

 誰もが友奈を待っていて、誰もがリュウを待っていなかった。

 友奈には帰る場所があり、リュウの帰る場所は片っ端から消えていった。

 それを闇が意識させ、リュウに友奈を殺させようとする。

 憎いだろう、妬ましいだろう、あいつのせいだ、潰してしまえ、と

 

―――私はここで待っている。お前が居場所を全て失っても、ここはお前の居場所だ。

 

 そんな心に、ふと若葉の声が蘇って。

 

―――リュウは何があっても私の下に帰って来るでしょ? 信じてるから

 

 ずっと昔、得意げな顔でそんな事を言っていた、生意気な幼馴染のセリフを、思い出した。

 殺そうとする心と、傷一つつけまいとする心が綱引きをし、一方的に闇が勝つ。

 ゼッパンドンの口の中に、また瞬時に炎が溜まる。

 だが、一瞬の心の綱引きが友奈にチャンスを与えた。

 

 僅かに反応が遅れたゼッパンドンに、好機と見て友奈が飛びかかる。

 これまで友奈が繰り出し続けてきた、赤い光を放つ拳が振りかぶられた。

 過去最強の威力。

 過去最短の溜め時間。

 これまでの戦いで、いや、今この瞬間にも技量の成長と武装の最適化が進んでいるがゆえに、赤嶺友奈の勇者としての進化は止まらない。

 その一撃は、小さな星をも消し飛ばすだろう。

 

 にもかかわらず。

 その一撃は、ゼッパンドンが展開した透き通る緑の色のシールドに防がれていた。

 

『ゼッパンドンシールド』

 

「……!?」

 

『お前の攻撃はもう、オレには通用しない』

 

 友奈が瞬間移動を行い、跳躍と瞬間移動を織り交ぜる攻勢にシフトした。

 頭上に瞬間移動して殴る。

 地面を蹴って斜め上に跳ぶようにして殴る。

 木を蹴った直後に瞬間移動し、慣性力を残して横一直線に飛んで殴る。

 真下に瞬間移動し、ジャンプして殴る。

 

 だがその全てを、瞬時に展開した"ゼッパンドンシールド"が防いでしまった。

 友奈の攻撃のエネルギーを吸い取るかのように、強固な盾が柔軟に攻撃を受け止める。

 

「こっ、のっ!」

 

『ゼットンに光線は通用しない。

 光線を吸収できンのがゼットンだからだ。

 お前は光線を使わねェから、これまでは無意味だったが……今は違う』

 

 リュウは近接格闘技能にそこまで自信を持っていない。

 だから、格闘での処理にこだわらず、シールドを上手く使っていく。

 鷲尾家は代々目が良く、"当て勘"に優れているため、友奈に()()()()()()()()()()感覚で動かせば、狙撃のような感覚で防御を成立させることができた。

 

 友奈はゼッパンドンの侵攻で折れた街の街灯を拾い、合金の柱とも言うべきそれを、ゼッパンドンの正面から豪快に投げる。

 そして瞬間移動し、ゼッパンドンの背後に回る。

 飛翔する鉄の柱と、背後から飛びかかる友奈による、一人挟み撃ちだ。

 防ぎきれないはずの同時攻撃を、ゼッパンドンは背後にシールドを貼り、そして前から迫る勇者級腕力で投げられた金属の塊を―――胸で、融かして、食った。

 

「!? なにこれ、どういう防御!?」

 

『ゼッパンドンの吸収は万能だ。

 ゼットンはバリアと吸収が分かれている。

 だから、バリアを光線に砕かれることも多いが……

 ゼッパンドンはバリアにも光線を吸わせることができる。

 肉体は光線を吸収するのみならず、物理攻撃も融解し吸収できる』

 

 それは、あるいは太陽に放り込もうが融けない武器すら、熱して食らう吸収能力。

 一兆度の熱で融けてしまう武器ならば、ゼッパンドンに当てても意味はない。

 その体に喰らわれてしまう。

 ゼットンの代名詞一兆度、パンドンの炎を模した体、二つが合わさるがゆえのゼッパンドン。

 

『物理攻撃も光線の類も一切効かねーんじゃテメェに勝ち目はねェんだよ! あはははッ!』

 

 圧倒的な攻撃力だけでなく、比類なき防御能力まで備わっている。

 友奈が瞬間移動でまた移動するが、ゼッパンドンも瞬時についてくる。

 この瞬間移動能力さえ無ければ、まだ友奈も対応のしようがあっただろうに。

 強大な力と強大な闇に、リュウの心は加速度的に引っ張られていた。

 

 友奈は一旦後退しようとするが、ここは街に近い山間の広場。

 下手に動きすぎると、ここまで火力がある怪獣の攻撃が街に当たりかねない。

 ゼッパンドンが口の中に炎を溜め、それを解き放った。

 ゼットンの炎、パンドンの炎、そして……『かつて乃木若葉が使った炎』。

 全てを混ぜ込み相乗化させた炎が、熱線となって飛んでいく。

 

「この炎……!?」

 

 それは、若葉が祈りを込めた神刀を媒介にした力。

 "恋した人とまだ結ばれることができるかもしれない"赤嶺友奈と鷲尾リュウの幸福を願った、若葉のその想いは、彼の体に力を与える。

 恋をした人も居た。

 愛し合っていた者も居た。

 けれど結局、片方が死んで、両方が死んで、誰も彼もが結ばれなかった。

 最後に生き残った若葉は、その全てを見てきた。

 友奈とリュウにはそうなってほしくないという想いが、刀からリュウに伝わっていく。

 

 だが、友奈は防ぐ。街を背にして、守って防ぐ。

 

『!? なんだその盾は……!?』

 

 突き出した友奈の右拳のアームパーツから、巨大な光の盾が(あらわ)れていた。

 

 それは、盾の勇者・土井球子が祈りを込めた神盾を媒介にした力。

 人を守らんとする者。

 友を守らんとする者。

 世界と、背後を守らんする者。

 大切な人を、愛する人を、守らんする者。

 その者にこの盾は力を与える。

 "守りきれなかった自分の代わりにお前はちゃんと守るんだ"と、土井球子が言っているかのように、強く強く、光の盾は輝き続ける。

 

 土井球子は仲間を守るため、誰よりも先に仲間を庇い死んだ。

 彼女の盾は、人を守る。

 乃木若葉は仲間を守るため、誰よりも前に出て戦い、生き延びてしまった。

 彼女の刀は、敵を討つ。

 

 最後まで生き残ってしまった勇者の力を、最初に散った勇者の力が防いで砕く。

 

『……ゼッパンドンシールドと同格の護りかッ!!』

 

 刀の想いがリュウに壊す力を与える。

 盾の想いが友奈に守る力を与える。

 これは、西暦の延長線。

 

 ゼッパンドンが跳ぶ。

 空中で高速で回転し、前方宙返りの動きでゼッパンドンが尾を振り下ろした。

 それは、剣術における剣の振り下ろしのようで。

 あるいは、人の首を落とすギロチンのようだった。

 友奈が瞬間移動で避けると、生太刀が一体化したゼッパンドンの尾が地面に当たる。

 

 震度7を超える大地震が、四国を揺らした。

 

「くっ……四国の地盤まで壊れないよね、これ……!?」

 

 ゼッパンドンの恐るべき部分は、フィジカルにもある。

 恐るべき耐久力。

 恐るべき格闘力。

 馬鹿げた攻撃力を持つ爪と牙に、今は生太刀が一体化した尾まである。

 友奈が小さくすばしっこいために当たりづらくなっているが、建物に当たればスナック菓子のように粉砕し、地面に当たれば大地震を起こすだろう。

 当然ながら、踏まれれば今の友奈でも即死する。

 

『さァ』

 

 その上、今のリュウには人の心がなくなりつつあり、悪辣だった。

 

『守ってみせろよ、正義の味方』

 

 ゼッパンドンがまた、空に火を吐いた。

 吐いた火が夜空を埋めて、友奈を狙―――わず、降り注ぐ。

 人々が逃げ惑う、街の真ん中に。

 一兆度の火球の雨が、降り注ぐ。

 

 力なき人々が、罪なき人々が、男が、女が、子供が、老人が、悲鳴を上げた。

 

「! ……この、外道ぉぉぉぉぉっ!!」

 

 友奈は瞬間移動で跳ぶ。

 もう、神盾で自分を守っていられる余裕はない。

 拳から射出した光の盾と、瞬間移動で拳を振るう自分の二つで、街を火球から守り始めた。

 

 それは、終わりなき地獄。

 次から次へと降ってくる火球は、本来一人で受け止められるようなものではない。

 それでも友奈は、技能と気合で防ぎ続ける。

 防ぐ度、苦悶の声が漏れた。

 守る度、熱が生む苦痛が染みた。

 殴る度、敗北と喪失に近付いていく実感があった。

 

 そんな『皆を守る勇者』を、人々が見上げていた。

 

「ぐっ、うっ、くっ……! このっ……くうっ……!」

 

 友奈は「次で最後の一つだ」と、自分を叱咤する。

 空から降ってくる最後の火球を見上げつつ、友奈は見た。

 自分に狙いを定め、先程のゼットン・パンドン・勇者の炎を一体化させた三位一体の炎を口の中に溜めている、ゼッパンドンの姿があった。

 

「―――」

 

 光の盾は射出したまま、遠い。

 ならば選択肢は二つ。

 空から降る火球を迎撃し、ゼッパンドンの攻撃を喰らうか。

 街を見捨てて、ゼッパンドンの攻撃を避けるかだ。

 友奈は迷わず、前者を選んだ。

 

 閃光に近い、炎の熱線。

 

 それが、赤嶺友奈を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が飛んだ友奈は、記憶の海に揺蕩っていく。

 

 これは、友奈が蓮華と静と出会ってすぐの頃の記憶。

 

 初めてのお役目の前日の記憶だ。

 

「よっしゃ、ほな頑張るか。人々のため、アカナの愛しの彼のために!」

 

「もー、そんなんじゃないですってばー」

 

「でも、弥勒達が人々の暮らしを守るということは、その彼も守るということよ?」

 

「それはそうなんだけどー」

 

 リュウの話で、女の子三人はやんややんやと盛り上がっている。

 明日は戦い。

 絶対に後味のいい気持ちにはならない戦いだ。

 三人全員がそれを分かっている。

 分かっているから、せめて今日くらいは、明るい気持ちで居ようとしていた。

 

「それに、友奈の守りたいものは私達の守りたいものにもなるのよ。友人とはそういうもの」

 

「せやせや」

 

「……ありがと、レンち、シズ先輩」

 

 友奈はこそばゆい気持ちになる。

 この先何があっても、この三人なら、乗り越えられる気がした。

 この三人なら、最後まで後悔せずに走り切れる気がした。

 この二人と出会い、三人で頑張れる幸運に、感謝していた。

 

「あ、そうだ! あれやろうよあれ!」

 

「あれ? なんやそれ」

 

「昔そのリュウと遊んでる時、色々考えたんですよー。オリジナルの桃園の誓い~」

 

「アカナに引っ張られて考えさせられる幼馴染の苦労が目に見えるようやな……」

 

 友奈がセリフと動きを説明し、蓮華と静がノリノリで乗る。

 

 友奈が右手を前に伸ばす。

 その右手の上に、蓮華が右手を乗せる。

 その右手の上に、静が右手を乗せる。

 三人の右手が重なった。

 

 静が口を開く。

 

「生まれた場所は違っていても」

 

 蓮華が口を開く。

 

「共に進む場所は一つ」

 

 友奈が口を開く。

 

「私達の進む先に、今日より良い明日を作るために!」

 

 三人が、口を開く。

 

「「「 いつだって、心は共に! 」」」

 

 最後の最後まで、三人で走り切ることを誓う。

 

 必ず、この世界の平和を護り切ることを誓う。

 

 真面目に誓って、その後、三人は笑い合っていた。

 

「……ね、ね、もっかいやらない?」

 

「気に入ったんかい!」

 

「しょうがないわね、友奈は」

 

「ふっふー。これね。

 私とリュウが考えた、いつまでも一緒に進んで行くっていう約束の誓いなんだ」

 

 友奈は、幸せな記憶に浸る。

 

 そして、三人と手を重ねた時、リュウと幼い頃に似たような誓いをして、手を重ねたことを思い出して、記憶を思い出している記憶を思い出す、という入れ子の記憶想起になり、目覚める。

 

 夢の中で夢を見ている場合じゃない、と友奈の全身が叫んでいた。

 

 

 

 

 

 ふらふらと、友奈は立ち上がる。

 どこかのビルの屋上に落下していたようだ。

 全身の肌や衣装がぷすぷすと焼け焦げていて、そこかしこに痛みが走っている。

 遠くにはゼッパンドンが嘲笑っているのが見えた。

 このまま友奈が立ち向かわなければ、またゼッパンドンは街を焼くだろう。

 

「させない」

 

 友奈はアームパーツに包まれた右手で、左手首を握る。

 手首を包む花結装の下には、手首に巻かれる形で、クリスマスにリュウが贈ってくれたリボンが巻かれていた。

 

 むき出しの髪に巻いておくよりも、ここの方がまだ守られている。

 戦いの中でも、リュウに支えてもらっている気分になりたい。

 敵や人を殴る右拳には、リュウのリボンを巻いていたくない。

 そんな複雑な乙女心から、彼女は左手首にリュウのリボンを巻いている。

 

 腕輪(レット)のように巻かれたそれを、手甲を付けた右手で、握った。

 

「―――私に、勇気を」

 

 友奈は二人の親友と、一人の少年を想った。

 二人と重ねた手の感触と、彼と重ねた手の感触が、まだ思い出の中に残っている。

 今は、遠く離れていても。

 体は、遠く離れていても。

 心は、近くに居てくれると信じている。

 いつだって、信じている。

 

「……いつだって……心は共に……」

 

 そして、赤嶺友奈は。

 

 真の意味で、盾の勇者より継承した神の力を、我がものとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天と地を貫く、神の炎が吹き上がった。

 

 それは、奇跡を掴む炎、無限に燃え盛る絆の光。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それを見ていた誰もが、炎に見惚れた。

 結界の外の、醜悪なる神の炎ではない。

 優しく、気高く、暖かで、人と人の繋がりのような炎。

 炎のような光なのか、光のような炎なのか、見ている誰もが分かっていない。

 ただただ綺麗で、美しかった。

 

 世界を貫く炎の中に、赤嶺友奈がいる。

 世界を守る勇者がいる。

 光になって、炎を纏う勇者がいる。

 炎から、光から、彼女から、誰もが目を離せなかった。

 

 避難誘導をしていた大赦の男が、感嘆の声を漏らす。

 

「『精霊』を引き当てた。なったのか……本物の勇者に」

 

 精霊は、勇者の証。

 西暦の様々なデータから、精霊を勇者に使わせるかは、今かなり議論されている。

 だが、これこそが勇者の力。勇者の証。

 西暦の勇者達はこの力を用いてこそ、恐るべき化物達と戦えていたという。

 大赦は、友奈に精霊を与えなかった。

 だが、友奈は自らの力で引き出したのだ。神樹の中から、形なき精霊を。

 

 それを『勇者の資格』と言わず、なんと言う?

 

「皮肉なものだ。

 いつも、鷲尾リュウが取り返しのつかないことをしようとする時……

 それを止めるのは赤嶺友奈だ。相手が鷲尾リュウだと、知らないはずだろうに」

 

 男には戦いを止めたい気持ちがあった。

 だが、できないだろうという理性があった。

 だから、今自分にできることをする。

 あの二人の間に入ることなど、神にも許されない……そんなことを、考えながら。

 

「仕事をするぞ!」

 

「うす、三好さん」

 

 この世界の未来はあの二人が決めるのだと、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 炎が、燃え盛っている。

 

 光と闇、そのどちらかが消し去られることはない。

 それがこの宇宙の真理であり、人の心の真理だ。

 闇があるからこそ光がある。

 光があるからこそ闇がある。

 光が強まれば影は濃くなり、強い闇の中からこそ強く輝く光は生まれる。

 この太陽系の太陽が、とてつもなく暗い宇宙の闇から生まれたのと同じように。

 

 リュウが友奈を強くする。

 友奈がリュウを強くする。

 日常の中で、リュウが友奈に言葉をかけて、それが記憶に残り、力になる。

 日常の中で、友奈がリュウを抱きしめて、それが思い出に残り、力になる。

 戦場で顔も知らずに殺し合ってもなお、二人を支えるのは互いが残した思い出で、それが戦いの中で常に二人を強くしていく。

 止まることなく、二人の力は強まっていく。

 

 光は闇を抱きしめる。闇を抱いて光となる。闇は光に憧れる。

 

 

 

 

 

 燃え盛る火の中、友奈が右手を掲げた。

 

 ただそれだけで、生太刀とゼッパンドンの尾の融合が解ける。

 生太刀がリュウから離れていく。

 右手を掲げた友奈の元へと飛んでいく。

 

『この光は……!?』

 

 リュウは思わず手を伸ばすが、届かない。

 光り輝く刀を掴めない。

 神の剣はリュウを見放し、友奈が掲げた右手に掴まれる。

 そして友奈の右手の拳、盾、刀が融合し、神の力が勇者の手の中で『真価』を発揮し、これまでとは比べ物にならないくらいの光を発して、輝いた。

 

 

 

『お前は神に選ばれていない』

 

 

 

 ―――そう、誰か、何かが、リュウに囁いた。……そんな、気がした。

 

 ゼッパンドンの体から力が抜ける。

 生太刀は元より、地の神の王が乃木若葉に与えていたもの。

 地の神の群体である神樹が望めば、それは使うべき者の手元へと運ばれる。

 リュウの敵は世界の全て。

 なればこそ、何もかもが彼の敵で、友奈の味方をして当然。

 

「山本五郎左衛門、七人御先、義輝」

 

 友奈は『一度に三体引き出してきた』精霊の名を呼ぶ。

 友奈には細々とした制御が性に合わない。

 だから、手に入れた神の武器の何もかも、手に入れた精霊の何もかもを、右腕にいつも装着されているアームパーツに集約した。

 神の力を集めたがゆえに、神すら殺す神殺の拳が出来上がる。

 

 三精霊の三位一体。

 拳、刀、盾の三位一体。

 友奈、蓮華、静の三位一体。

 神盾より継承した炎の力で赤嶺の名に相応しい、真っ赤な火色の炎を握った。

 

 炎のような光が流れる、三位一体の光の流炎(トライアド・ストリーム)

 

 強化形態:トライアド・ストリーム。

 

『ぐっ……なンでだ……なんでお前なんだ……なんでお前が光に選ばれるんだ……』

 

 ゼッパンドンが火球を吐き出す。

 友奈はそれを、容易く殴って反射した。

 殴り返された炎が顔に当たり、リュウが呻く。

 

『他の誰でも良かッただろ……お前みたいな普通の女の子じゃなくたッて……』

 

 ゼッパンドンが放った雷を、友奈は綿あめのように拳に絡めて、拳を突き出し、倍の威力で撃ち返して来る。

 それが胸に直撃し、ゼッパンドンの体が揺らいだ。

 

『お前がいつも光に、神に選ばれるから! お前が戦わなくちゃならなくなるンだろ!!』

 

 リュウの心の弱い部分が、折れそうになる。

 強さも弱さも、光も闇も、ぐちゃぐちゃになっていく。

 なんで、なんで、なんでと、思考のドツボに嵌り、そのまま負けそうになったリュウの耳に。

 

 ハーモニカの音が、届いた。

 

 リュウを応援できない女が。

 

 リュウの勝利を素直に望むことができない女が。

 

 遠く離れた場所から、ハーモニカの音楽に乗せて、リュウに想いを届ける。

 

『負けられるか……負けられるかッ!

 まだ! お前の未来を! お前にやれてねェんだから!

 後悔しながらじゃなくて、幸せに、笑ったまま生きていけばいいンだよッ!!』

 

 リュウは叫ぶ。

 まだ終われない。

 このまま死を受け入れられない。

 後悔しながら生き続ける未来を得てしまった若葉を見た。

 死んで未来が無くなってしまった人達のことを知った。

 

 友奈が死ぬことも、友奈が後悔しながら生きていく未来を得ることも、リュウは絶対に、受け入れることなんて出来やしなかった。

 

『未来をやるだけじゃ駄目なんだ!

 未来がなくても駄目なんだ!

 笑っていける―――そんな未来をッ―――!!』

 

 リュウの体から抜けたのは生太刀と神の力だけ。

 元よりリュウが使っていた炎は、生太刀に『大天狗』なる精霊を宿していた、乃木若葉の力と想いの残滓である。

 初代勇者・乃木若葉の想いも力も、まだゼッパンドンの中に残されていた。

 まだ、最大の力を込めた炎なら、あるいは。

 

 リュウはあまりにも追い詰められていて、友奈の様子に気づかない。

 

「……うっ」

 

 友奈が少し、ふらりと体を揺らめかせる。一瞬、膝が折れそうになっていた。

 

 赤嶺友奈は、ゼッパンドンを力尽くで滅することができるだけの力を得た。

 それだけの力を、自分の中から、神樹の中から引き出した。

 『友奈』の名に恥じない、不可能を可能とする勇者の才覚であると言えよう。

 だが、あまりにも強い力を引き出してしまったがために、引き出した力に自分の体がまるでついていけていないのだ。

 鷲尾リュウ同様に、赤嶺友奈もまた、自滅という名の滅びへの道を進み始めている。

 

「これで……最後」

 

『これで……終わりだ!』

 

 友奈が拳を構える。拳に宿るは炎。皆を守るという約束の炎。

 

 ゼッパンドンの口内に炎が溜まる。渦巻く炎。味方でいると約束した、乃木若葉の約束の炎。

 

『ああああ!』

 

 ゼッパンドンが、空に火を吐く。

 想うは絆。鷲尾リュウと赤嶺友奈の二人の絆。

 蓄積したダメージのせいで崩壊寸前のリュウの体から、黄金の光が漏れていく。

 それがリュウの命であると、分かっているのは何人居るのか。

 

 其は絆。極めた絆。金色纏う地球の脅威。

 

 友奈が飛び込む。

 想うは絆。離れていても繋がっている、鏑矢三人の戦士の絆。

 ゼッパンドンが空に吐いた炎を粉砕しつつ、友奈は一直線に進む。

 

 其は絆。(まこと)の絆。それこそが最強であるという、不滅の真理。

 

 誰がどう見ても、その一瞬、優勢なのは友奈だった。

 炎を片っ端から粉砕し、友奈が懐に飛び込んで。

 

『―――ヒートハッグッ!!』

 

 ゼッパンドンが、自爆する。

 体の表面を吹っ飛ばす自爆。

 超高熱の自爆は、ゼッパンドンの体ごと、友奈の体を炎で飲み込み吹っ飛ばす。

 

 はず、だった。

 

 友奈は勇気をもって踏み込む。

 根性をもって耐える。

 神の力を使ってゴリ押す。

 裸で大火事の中に入っていくような熱さと痛みを友奈は感じていたが、構わなかった。

 掲げた拳に、ゼッパンドンの炎すら巻き込み取り込む。

 リュウの力さえその一撃に乗せていく。

 蓮華と、静と、リュウが、いつも友奈を強くしてくれる。

 

 勝利を掴む一歩の勇気が、勇者の証。

 

 

 

「勇者ぁぁぁぁ―――パぁぁぁぁぁぁンチッ!!!」

 

 

 

 ゼッパンドンシールドもぶち抜いて、融解吸収も無視して、何もかもを突破して、全てを砕く勇者の拳が、ゼッパンドンに直撃した。

 

 ゼッパンドンの肉体が、崩壊する。

 胴に叩き込まれた一撃は全身に衝撃を拡散させ、くまなく体を破壊していく。

 怪獣の巨体が闇の粒子となって消えていき、空中に生身のリュウが放り出された。

 逃げるしか無い、そう分かっていても、不可能。

 仮面とローブで姿を隠したリュウの目の前に、既に赤嶺友奈が居た。

 既に、その拳を振りかぶっていた。

 

「今度は、絶対逃さない」

 

 空中で身を捩るリュウと、拳を突き出す友奈。

 

「勇者っ! パンチッ!」

 

 友奈の拳がリュウの右腕に当たり、リュウの右腕が、肩の生え際からちぎれて吹っ飛んだ。

 

「―――ッ!!」

 

 そして同時に、ゼッパンドンが空に吐いていた火球が、リュウを殴って吹っ飛ばした後の友奈に連続で直撃する。

 

「あぐっ―――」

 

 リュウは片腕を失い吹っ飛んでいき、友奈は全力を振り絞った一撃の直後に攻撃を当てられたせいで気絶。

 二人共、街のどこかに落ちていく。

 すなわち、相討ち。

 負け続けだった鷲尾リュウが、初めて掴んだ、『引き分け』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いが終わり、十数分が経っていた。

 

 リュウは立ち上がり、焦点の合ってない目で前を見て、歩き出す。

 意識は朦朧としていたが、淀んではいなかった。

 止血はしたものの腕がもがれたことで大量の出血が発生し、意識に軽い混濁が見られ、されど友奈の一撃が『闇を祓って』いたのである。

 

 闇を祓う清めの矢、ゆえに鏑矢。

 その一撃は人に向けられ、魔を祓うためにある。

 リュウの中の闇を友奈の一撃が吹き飛ばし、その命を友奈の一撃が削り取ったのだ。

 まともに頭が回らない状態で、リュウは歩いていく。

 

―――私はここで待っている

―――お前が居場所を全て失っても、ここはお前の居場所だ

―――帰る場所がなくなる、なんてことはない

―――ここにお前の帰る場所があり、お前の帰りを待つ人間が居る。忘れるな

 

 朦朧とする頭で、リュウは若葉の言葉にすがっていた。

 鷲尾の家にも、隠れ家にも、友奈の下にも、帰れない。

 彼の頭の中に残る帰る場所は、もう乃木の家しかなかった。

 

(帰りたい)

 

 普通の才能。普通の技能。普通の強さ。普通の心。

 リュウは普通に生きるならともかく、勇者と怪物の世界で戦っていくにはなにもかもが足りなくて、工夫と意志の強さだけでどうにかしてきた。

 出血で意識が朦朧とすれば、意志の強さが消え、心の弱さが顔を出す。

 

(もう、休みたい)

 

 "友奈のため"という理由で叫び続けている時だけ、リュウは強い人間になれる。

 

 そんな彼の心を、運命が丁寧に、丁寧に、端からへし折っていった。

 

(誰か……誰でもいいから……オレを……)

 

 そうして、リュウは乃木の家に辿り着き。

 

 ()()()()()()()()で燃えている乃木若葉の屋敷を、目にした。

 

「―――あ」

 

 戦いに熱が入れば、周りを見ている余裕なんてなかった。

 世界の全てが燃え尽きてもいいと思った。

 遮二無二、空に炎を吐き、炎を降らせた。

 全てリュウがやったこと。

 自分の意志でやったことだ。

 

 燃えている。

 若葉の仲間の大切な思い出の品々が。

 七十年、若葉が守り続けた大切なものが。

 恋、友情、信頼、親愛、様々な感情を抱いた者達との記憶の品が。

 若葉の屋敷が、全て燃えていた。

 

 消火に当たっている大赦の男達が、会話している。

 

「若葉様の火傷は大丈夫か」

「大丈夫だとは思うが……歳が歳だ。このまま亡くなられる可能性も」

「おい、縁起でもないことを言うな」

「絶対に許さねえ……俺達人類全ての大恩人になんてことを!」

 

 そして、リュウを見つける。

 

「お前達! 何も守れなかったことを悔しく思うなら! 若葉様のために絶対に逃がすな!」

 

 リュウは転げるように逃げ出した。

 

 何かのカードをリードし、誰かを出して、自分を運ばせた気がした。

 

 ここで死んでしまいたいと思いながらも、友奈を放置してはいけないと思った気がした。

 

 朦朧とした状態のリュウは、自分が何を出して何を思ったのかも分からない。

 

「何もかも燃やしやがった奴を……殺せ!」

 

 ただ、背後で大赦の男達が怒鳴った言葉が、やけに耳に残っていた。

 

 燃えずに残ったのは、リュウが若葉に貰ったあの写真一枚のみ。

 

 それ以外の全てが、燃え尽きた。

 

 

 

 

 

 残り少ない脳の機能を、リュウは自分を責めるために使っていた。

 ぶつぶつと、自分を責める。

 ぶつぶつと、誰かに謝る。

 謝罪と自己嫌悪の言葉を、動かない頭を無理矢理に動かし、ぶつぶつと呟き続けた。

 

 リュウは不思議な体の感触を覚える。

 瞼を上げると、リュウを運んでいたゼットンが、誰かにリュウの身柄を預けていた。

 暖かい。

 柔らかい。

 人肌の心地良さに浸かっていたリュウは、自分を運んでいたのが桐生静であることに、10分以上気がついていなかった。

 

「お、気が付いたみたいやな」

 

「おま、え……」

 

「ウチじゃあ相手役としては不足やろけど、愛の逃避行と洒落込もか?」

 

 静は優しく、リュウを背負って歩き続ける。

 ゼットンがリュウを守っていたこと、友奈が腕を吹っ飛ばしたことで、静は腕の無いリュウの事情を表面的には察していた。

 その上で、通報せず、助けようとする。

 巫女は相当に代わりが居る。

 リュウの味方に付いているとなれば、リュウごと射殺は免れまい。

 それを分かった上で、静はからからと笑って、リュウを背負って運んでいる。

 

「なん、で」

 

「自分で言った言葉も忘れとるとか、もう痴呆進んどるんかアンタ」

 

 前に会った時、リュウが言ったこと。

 

―――人助けしてたオレをあんたが助けてくれた。

―――オレを助けてくれた人には、オレが礼をしなきゃ筋が通らねェ

 

 さっき抱き留めて助けられた静が、今実践していること。

 

「ウチを助けてくれた人には、ウチが礼をせな筋が通らんわ」

 

「―――」

 

「ウチが思うに、あんたそんな悪者やないやろし、事情があるやろ」

 

「……違う、オレは、オレは……」

 

「まーた自分を責める言葉でも呟くん? まあええけど、ウチは意見変えんからな」

 

「……」

 

 ぷっぷー、とクラクションが鳴る。

 

(! 大赦の車!)

 

 もう見つかったのか、とリュウが朦朧とする意識の中で危機感を持つ。

 彼らの隣で、大赦の車が静止する。

 

 もうダメだ。

 リュウはさっきゼットンをカードに戻したことで、本格的に新しい怪獣を出す余力がない。

 自分の足で立つどころか、座る姿勢すら継続できないだろう。

 そのレベルまで消耗し、負傷している。

 静を巻き込むなど論外だ。

 銃口を向けられたら、無関係を装って突き飛ばし、静を助けなければならない。

 そう思うものの、リュウにはもう静を突き飛ばす力もない。

 

 車のパワーウィンドウが降りて、運転手がサングラスを外す。

 

「いいところに来たわね。乗りなさい」

 

「おい中学生」

 

 運転手は弥勒蓮華だった。

 

「車の動かし方は家で習いゲームセンターで実戦経験済みよ」

 

「ゲーセンのあの筐体は実戦とは言えへんからな!」

 

「ちょっと借りただけの大赦の車だから壊れても大赦が直すと思うわ」

 

「借りた? 盗んだんとちゃうか?」

 

「監禁罪で訴えないだけ、弥勒は大赦に気を使っている聖母のような女と言えるわね」

 

「監禁から脱出して車盗んできた女にだけは大赦も言われたくないやろなぁ」

 

「弥勒より弱い見張りを置いていたのがいけないのよ」

 

「お前戦国時代と生まれる時代を間違えたんやないやろな」

 

「首を絞めれば気絶するのはどの時代も同じ。常識よ」

 

「どの時代でも通用する人間の倒し方は聞いとらんからな!」

 

 リュウの朦朧とする意識が、静と蓮華の会話の途中で途絶する。

 

 静に体を預けたまま、リュウは目を閉じ眠りに落ちた。

 

 

 




 燃える炎の三人+一人


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第六夜

 夢の中で、リュウは友奈と向き合っていた。

 友奈はリュウに怒り、憎み、殺意を向けていた。

 リュウが怪物になっている時、彼はいつもこれを見ている。

 日常の中でいつも笑顔を見せてくれて、笑顔でない時はころころと表情が変わり、最後にはまた笑顔に戻る友奈が好きだった。

 殺意を見せる友奈を見る度、心が削れる音がした。

 リュウは穏やかな笑顔を見せ、友奈に微笑みかける。

 

「お前、勇者になったンだな」

 

 リュウを殺意の視線で睨み、友奈は眩しいほどの火色に燃える。

 

「悪を倒して世界を救う、赤き勇者に」

 

 黒一色の鏑矢の仕事服があった。

 万が一、返り血が飛んで来ても目立たない、真っ黒な服。

 

 友奈が次に着たのは、花結装。

 火色に白と黒を加えた、西暦勇者の戦装束に似た服。

 

 そして、新たな力を得て、また姿が変わった。

 服装自体は変わっていないが、とてつもない炎が常時身に纏われるようになった。

 誰が見ても心が惹かれる、炎の赤色。火色の勇者。

 炎はマフラーのように体に密着し、翼のように広がり、マントのように風になびく。

 夜の闇の中で、まるで篝火のように見える赤き勇者へと変わったのだ。

 

「へッ……なンでだろうな。

 悲しいけど、嬉しいぜ。

 お前が戦わないといけないことが悲しくて。

 いつも見てた、人のためのお前の勇気が認められたことが、嬉しい」

 

 友奈がゆっくりと迫り、腕を振りかぶる。

 殴られても仕方ない、とリュウは思う。

 倒されても仕方ない、と覚悟を決める。

 殺されても仕方ない、と諦めた顔で受け入れる。

 とかなんとか思っていたら、友奈がリュウの服を脱がし始めた。

 

「えっ」

 

「ふっふーん」

 

「オイちょっと待て、待て、待て!」

 

 あんまりにもびっくりして、飛び起きたリュウは。

 

「あら、お目覚めかしら」

 

 ベッドの上で薬片手に自分の服を脱がしている弥勒蓮華を目にして、思わず悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 "テメェのせいで妙な夢見たぞ"と言わんばかりの表情で、リュウが蓮華を睨む。

 蓮華はどこ吹く風で受け流していた。

 リュウは意識朦朧としていた時が最後の記憶のため、ここがどこなのか、今がどういう状況なのも分かっていない。

 分かっていないが、そんなことを把握することに意識を割いていては、弥勒蓮華にぶん回されることだけは分かりきっていた。

 

「ひにゃっ……って案外可愛い悲鳴を上げるのね。

 不良みたいな威圧的な話し方をしてるのは、舐められないため?

 形から入るタイプということかしら。でも実が伴ってないわよ」

 

「うるせーな!」

 

 蓮華は手当てするために脱がそうとし、リュウはいらんいらんと抵抗する。

 

「脱がすな脱がすな脱がすンじゃねェ」

 

「大人しくしなさい。貴方、今体の状態が最悪中の最悪なのよ」

 

「やめろ!」

 

 抵抗しようとするリュウの傷口に消毒液をドバっとかけ、「ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と悲鳴を上げさせ、リュウを大人しくさせつつ脱がして手当てしていく。

 リュウも途中からは大人しくなり、動くのを止めた。

 途中から蓮華が平手で傷を軽く叩き始めたため、このままだと傷口にグーパンが来るような予感がしたのだ。

 

 何故か、若葉には何故か服を脱いで手当てしてもらう恥ずかしさが比較的少なく、蓮華に――年頃の女の子に――裸を見られたことで、見られることが恥ずかしいという感覚が蘇る。

 恥ずかしいがしょうがない、となんとか割り切っていく。

 やがて恥ずかしさが引いてくると、リュウは自分の体に違和感を覚えた。

 腕がない、目がない、全身に激痛が走っている。それはいつものことだ。

 点滴、輸血。これは失血死などを避けるため、分かる。

 だが、それでどうにかなっているということがおかしい。

 

 友奈の攻撃力は、戦いの序盤から既に超合体怪獣を一撃で即死させる威力があった。

 それが日に日に磨かれ、強化され、昨日の戦いでは強化形態まで獲得した。

 その一撃を食らってリュウが生きている?

 それがおかしい。

 ありえない。

 蟻に火炎放射器をぶち込んで蟻が生きていたようなものだ。

 

 リュウの胴回りの肉は弱い部分から崩れ、肋骨は二、三本折れ、神経系は衝撃でかなり潰れており、内臓も機能不全を起こしかけているが、それでもおかしい。

 あまりにも軽症すぎる。

 

「死んだ、って、勇者パンチ食らった時は思ったンだが……」

 

「弥勒も思ったわ。貴方の仇討ちで大赦に討ち入りしようかと一瞬考えたくらい」

 

「無茶すんなよ……なんで、生きてンだ、オレ……?」

 

「一枚だけカードが割れてたけれど、これのおかげかしら」

 

 弥勒が渡してきたカードを見て、リュウは直感的に、自分が生き残った理由を察する。

 割れたカードには、もう何の力も宿っていなかった。

 主であるリュウを庇い、そのカードは人間で言う『死』を迎えていた。

 

「パンドン……」

 

 双頭怪獣・パンドン。

 ある時代の地球における戦いで、ウルトラセブンの最後の敵となった燃える炎の大怪獣。

 十分な強さを持ちながら、ゼットン同様に高度な知性体クラスの心を一切持っていないため、宇宙人に操られて戦うことがほとんどという怪獣である。

 

 その知性は、地球で言えば大まかには犬くらいだろう。

 主人に絶対に逆らわない。

 主人に絶対に反抗しない。

 よく躾けられた犬の如く、主人の命令に忠実な怪獣種族と言える。

 ゆえに、多くの宇宙人がパンドンを愛用した。

 手足を敵に切り捨てられようが主人を疑わず、肉体を改造されようが忠実で、憎しみや怒りがなければ生命活動を行えない体に改造されることすらあったという。

 

 リュウには、パンドンが自分の代わりに死んだ理由が分からなかった。

 そんな理由も義理も無いと思っていた。

 

 理由はある。

 ただ、リュウが"命を賭けるに足る理由"だと思ってないから、気付いていないだけで。

 パンドンの側に、理由はあった。

 ある日、ある時。数ヶ月前のこと。

 リュウは友奈の手を汚させないため、メフィラスで間違った道に誘導し遠回りさせ、その隙にパンドンでテロリストを殺し尽くした。

 時間的にもタイミング的にもギリギリだったが、パンドンのおかげで何とか間に合った。

 リュウは友奈を遠巻きに見てほっとして、役目を果たしてくれたパンドンの頭を撫でる。

 

「よくやッてくれた。助かッた。ありがとう」

 

 パンドンは無反応。

 黙ったまま、リュウに何も命令されているわけでもないから、反応すらしない。

 リュウは頭を掻いて、「……何やってンだオレ」とパンドンをすぐカードに戻した。

 そんな、何気なく始まって何でもなく終わった一幕があった。

 

 つまらないひととき。

 ありふれた一瞬。

 何気ない感謝。

 一度も心を通わせたことがなく、何の気持ちも伝わっていなくても、パンドンには鷲尾リュウの生存と幸福を願う理由があった。

 片思いの忠誠と友情があった。

 

「ありがとうな」

 

 リュウが割れたカードにそう言った、ただそれだけで、パンドンのカードは報われる。

 これ以上の報いは無い、というほどに、パンドンのカードは報われた。

 

 リュウは腕を組んで考え込もうとするが、片腕がないので腕がスカる。

 残った左手を顎にあて、気を取り直して考え込む。

 

(前はこんなことはなかった。

 カードに意思なんて無かったはずだ。

 今のオレだからこんな風になッてる?

 だとすりゃ……ダークリングの適性の上昇で、カードにも影響が出てンのか)

 

 リュウの成長が、進化が、カードの意思を引き出している。

 怪獣や宇宙人の怨念、未練、残滓、能力などをカード化したものがカードだ。

 当然ながら、そこには"意思の素"と言えるものが封入されているものもある。

 意思が目覚める可能性がある、そんなカードが存在している。

 

 どこかで死んだ宇宙人の精神の残滓。

 力の塊を怪獣のカードに整形しただけの、まだ意思のない力の塊。

 自分を殺した者を恨む思念の結晶体。

 死んですぐの怪獣をダークリングがカード化した新造品。

 それぞれのカードで、千差万別。

 カードによっては、ただの道具でしかないはずなのに、使用者を暴走させ大切な人を殺させかけたことまであるという。

 

(不思議な感覚だ。

 心の中に、暗いもンがねえ。

 ダークリングを使い始める前みてェだ。

 なのに、ダークリングから引き出せる力はゼッパンドンを使えるようになッた時のまま)

 

 リュウが変わった。

 だからカードも変わった。

 それすなわち、彼とカードの間に新たな可能性が生まれたことを意味する。

 リュウの命と闇を諸共に殴り飛ばした鏑矢の勇者の魔祓いは、予想外の効能をリュウにもたらしていたようだ。

 けれど、リュウはあまり状況を楽観視しない。

 

(この状態が長続きするもンだと思わねェ方がいいな。

 堕ちに堕ちたことで使えるようになッたゼッパンドンみてェに、何か別の力も出せるか?)

 

 そこで、リュウは、思い出す。

 ゼッパンドンになった自分がやらかした、とんでもないことの数々を。

 街に火を放ち、大赦の人間を片っ端から痛めつけ、罪なき人々を苦しめて、数え切れないほどの人間が死んでいてもおかしくない大惨事を引き起こし、何より、友奈を傷付けた。

 友奈の火傷が記憶に残っている。

 傷付いた友奈の姿が目に焼き付いている。

 

「……うッ」

 

 リュウがあの状態のメンタルを維持していたなら、友奈を傷付けた記憶を思い出しても、さして気にしていなかったに違いない。

 友奈を傷付けても気に留めることすらしない邪悪か。

 友奈を痛めつけたことを喜ぶ邪悪か、どちらかになっていただろう。

 

 友奈の一撃が、彼のそんな闇を消し飛ばしていた。

 皮肉にも、それがリュウを苦しめる。

 善良であればあるほど、善良な者を傷付けてしまったことの後悔は大きい。

 篝火の光は闇を祓い、心に光を取り戻す。

 心に光があるからこそ、愛した者を傷付けたことに苦しんでいく。

 

 友奈こそがリュウを最大限に苦しめていて、友奈こそがリュウを人間の側に繋ぎ留め、友奈こそがリュウに『罪を悔いる権利』をくれる。

 

 リュウは叫び出したくなった。

 けれど、ぐっとこらえて全てを飲み込む。

 そして蓮華に問いかけた。

 

「何人死んだ?」

 

 それは、鷲尾リュウの罪の確認。

 

「負傷者は沢山。死者は0よ」

 

「は……え? 嘘だろ?」

 

「大赦が上手く対処したらしいわ。それと貴方、日頃の行いが良かったんじゃない?」

 

「……知ってんだろ。良いわけねェ。悪人ぶっ殺すのがいい行いか?」

 

「さあ。弥勒は貴方の日頃を知らないもの。

 ああ、でも、友奈に聞けば日頃の貴方の行いをいくらでも話してくれそうね」

 

「……」

 

 ふふふ、と上品に笑っている蓮華に、リュウは無性に腹が立った。

 そりゃもう、友奈に聞けばリュウの日頃の良さを山程話し、蓮華は「ほら日頃の行いが良いじゃない」とドヤ顔を披露するのだろうが。

 リュウは「それはズルだろ」と思わずにはいられなかった。

 そして死人が出なかった奇跡に、ほっとする。

 

(いや、何楽になった気分になってんだ。忘れんな。第一、いいことばっかじゃねえ)

 

 リュウはかぶりを振って、自分を許そうとする自分の想いを追い出した。

 

 そして改めて、昨日のことを思い出す。

 昨日の戦いの最後に、ゼッパンドンから命が噴き出す黄金の光が発生した。

 初めての現象であったが、リュウは感覚的に理解している。あれはマズい。

 

 あれはつまり、体がもう限界のラインを越えたということだ。

 増大する力と、傷だらけの体のバランスが崩壊したからこそ、ああなってしまった。

 変身前の傷を変身後に持ち越さないで済む限度のラインを越えてしまい、変身前の肉体の影響を受けた部分が、ゼッパンドンの力の反動に耐えきれず、崩壊したのだろう。

 リュウの体はすぐには治らない。

 つまりまたあのレベルの力を出せば、また自壊が始まってしまうということだ。

 誰かに殺されるまでもなく、鷲尾リュウは己の力で自殺を完了してしまうだろう。

 

 しかしながら、ゼッパンドンですら友奈には勝てなかった。

 搦め手はもうほとんど試し、リュウの全カードの特性は友奈に把握されている。

 力で勝つとなれば、ゼッパンドンを超えた力が必要となる。

 だがそうなれば、確実に自壊してしまう。

 『七枚目』を使おうかと一瞬思うが、リュウは頭を思い切り振って、その思考を追い出した。

 

 とりあえず、今すべきことをしようとリュウは考える。

 

「オイ、弥勒蓮華」

 

「もっと親しみを込めた呼称にしなさい」

 

「……レン。地図持ってきてくれ」

 

「いいけど、何に使うの?」

 

「大赦の本拠が分かった。地図の上で確認したい」

 

「へぇ……? どう特定したのかしら」

 

「……あんま言いたくない」

 

「そう。なら聞かないわ」

 

 こいつのこういうとこは好きなんだけどな……と思うも、口には出さない。

 話しているだけで素直に褒める気が失せていくのが、弥勒蓮華が弥勒蓮華たる由縁だ。

 

 大赦の者達の叫びを、ゼッパンドンは心地良さげに聞き、嗤っていた。

 その時のリュウは闇の愉悦を得ることにばかり意識がいっていたが、闇が抜けた今、記憶の中の言葉を正確に読み取ることができる。

 その中に、大赦の本拠の位置を叫び、命乞いする声があった。

 同じ場所を言っている複数人の声があれば、そこが答え。そこが正解。

 地図とすり合わせれば、リュウは今の大赦の心臓にして脳である場所を特定できる。

 

 問題は今現在、ここを攻めて攻略可能な手がないということだ。

 搦め手は尽き力押しも難しい。

 大赦が昨日のゼッパンドンによる大赦本拠特定を甘く見て、今日も油断しきっているなら、友奈が防衛に付いていない可能性もあるだろうが、それはあまりにも楽観視だ。

 "今の友奈"には、何が通用するのか想像もできない。

 

 はぁ、とリュウが溜め息を吐く。

 

「暗い気持ちになるのはそのあたりにしておきなさい」

 

「……レン」

 

「これを受け取っておきなさい。大事なものよ」

 

「大事な物……?」

 

 ごくり、と唾を飲むリュウ。

 藁にもすがる思いで、蓮華の言葉に耳を傾ける。

 鷲尾リュウの頭で考えつくことでは何も解決できないとしても、弥勒蓮華の思考回路から生まれる発想ならば、あるいは?

 期待するリュウに、蓮華は懐から取り出した写真を手渡した。

 

「五枚しか作っていない奇跡のアングルのレア物よ」

 

「へー、レンのサイン入り自撮りブロマイドか。

 自分で作ッたのか? 写真写り良いッすね弥勒蓮華さん。で、これが何?」

 

「それを弥勒だと思って大事にしなさい」

 

「はいはいはいはいそーですかッ!! あいだだだだッ、傷に響く……」

 

「自分の体は大事にしないと駄目よ?」

 

「そうだなッ!!」

 

 こんな人間のくせに超絶美人で微笑むと更に美人度が上がるからって許されてるの不公平じゃねェの……? そう、リュウはかなり本気で思った。

 

 部屋の戸を足で開け、両手に買い物袋をわんさか持って入って来た静が、二人のやり取りをちょっと見て呆れた顔をしていた。

 

「なーにやっとんのやお前ら……」

 

「弥勒とリュウはまだ軽い世間話をしていただけよ。何かするのはここから」

 

「ウッソだろこれまだ会話のジャブだッてンのか?」

 

「寝ていなさい、リュウ」

 

「クソッそういえばコイツいつの間にか名前で呼び捨てにしてンないつからだ」

 

 静が椅子の背を前にして、逆向きに座る。

 蓮華が折れた足のギプスに服が巻き込まれないよう、リュウが寝ているベッドの端に座る。

 三人が、重い話をする姿勢になった。

 

「ロックが知っとる事情は全部聞いた。

 でもま、知らん事情もあるやろし……

 できれば本人の口から聞いておきたいなぁ、なんて思てな」

 

「……」

 

「他の誰でもなく、友奈の一番の幼馴染の、あんたの口から聞きたいんや」

 

「……」

 

 リュウは迷い、躊躇う。

 語るべきか、何も言うことはないと突き放すか。

 単純な二択だが、選び切れない。

 リュウがここで話さない意味はない。

 蓮華が多くを話した以上、ここでリュウが話すことは誤解の解消や情報齟齬の修正などプラスの効果を多く生む。

 逆に、話さないことで発生するメリットはない。あるのはデメリットだけだ。

 口を滑らせて変な誤解が発生するかもしれないが、せいぜいそのくらいの話である。

 

 迷っているのは、合理的な理由ではない。

 感情的な理由だ。

 リュウは怯えている。

 全ての事情を話し、受け入れられ、受け入れてくれた人を好きになり、その人とその人の大切なものを、自分が傷付けてしまうことを恐れている。

 乃木若葉の時のようになることを恐れている。

 全て明かして、自分が否定されるなら良い。罵倒されるなら良い。攻撃されるなら良い。

 だが、受け入れられてしまって、自分を受け入れてくれた人を傷付けてしまうことには、耐えられない。

 

 そんなリュウを見て、蓮華は何かを察したようだ。

 スマホをポケットから取り出し、番号を打ち込み、いつでも電話をかけられる状態にして画面をリュウに見せる。

 

「リュウ、弥勒のこのスマホに表示されている番号が分かる? 大赦の通報窓口よ」

 

「「 脅すなや! 」」

 

 踏ん切りがつかない情けないリュウの背中を押しに来てるのだというのは分かる。

 それはリュウにも分かるのだが。

 やり方ってもんがあるだろ……と、リュウは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は己を鍛えていた。

 トレーニング器具を使い、自重を使い、合間合間に走り込んで使う筋肉をローテーションし、体の各部位をいじめ抜いていく。

 昨日より今日の自分を強く。

 今日の自分より明日の自分を強くしていく。

 そんな実感があるから、赤嶺友奈は筋トレが好きだ。

 戦闘訓練と違って、他人を傷付ける力が成長してる実感があるわけでなく、鍛えた力で他人を傷付けなくていい、自分一人で完結する筋トレが好きだ。

 誰かを傷付けるためじゃなくて、自分にできることを増やしていくためだけに繰り返す、自分の可能性を広げていく筋トレが好きだ。

 

 けれど、今の友奈は、いつもと同じ気持ちで筋トレをしていない。

 逃げるように筋トレをしていた。

 今、友奈の周りには、誰も居ない。

 

 トレーニングを繰り返し、繰り返し、誰も居ない現実から逃げようと、トレーニングの回転速度を早め、筋肉にかける負荷を増やしていく。

 汗と共に嫌な考えが出ていってくれれば、なんて考えて、汗を流す。

 トレーニングに集中していれば、余計なことを考えないで済む気がして、でもふとした時にすぐ思考が戻ってしまって、友奈の表情は曇っていく。

 

 子供の頃、いつもよりキツいトレーニングに挑戦する時、応援してくれたリュウが居た。

 その声があれば、いつだって限界を超えることができた。

 鏑矢訓練で一緒に走り、一緒に汗を流し、一緒に頑張った蓮華が居た。

 隣に蓮華が居たから、辛くても頑張れた。

 訓練やトレーニングの後、タオルとスポーツドリンクを笑って渡してくれる静が居た。

 「よう頑張ったな」と毎回欠かさず言われるだけで、また次も頑張ろうと思えた。

 

 でも、今はもう、誰も居ない。

 会話するのも大赦の連絡係の人くらいで、赤嶺友奈の周りに、彼女が心を許せる親しい人は誰も居ない。

 大赦が調整と工作を行い、友奈が街でうっかりあの三人に出会ったりしないよう、友奈の親経由で何かに気付かないよう、徹底した情報の管理が行われていた。

 

 友奈はトレーニングを終え、シャワーを浴び、夜に備え体を休める。

 一人で使うものでもない広い部屋の片隅で、ベッドの上で膝を抱え、変身に使う端末を手の中で転がしながら、ぼうっと思考を揺らめかせる。

 

「なんでだろ……

 ちゃんと戦って、ちゃんと勝ってるのに……

 大赦の人も、私は一回も負けてないって太鼓判押してくれてたのに……」

 

 ベッドの上で膝を抱える友奈の腕の力が、僅かに強まる。ぎゅっと膝が抱えられる。

 

 友奈は抱えた膝に顔を埋めて、誰も見ていない己の表情を隠した。

 

「……気のせい、なのかな。

 どんどん強くなってるのに。

 どんどんできることも増えてるのに。

 勝てば勝つほど、一人ぼっちになっていってる気がする……」

 

 友奈を見る周りの目が変わっていっている。

 友奈への大赦の扱いが変わっていっている。

 いつも近くに居てくれた仲間が居ない。

 戦場で助けてくれた大赦の人達は皆足を折られて入院中。

 幼馴染も、会いたいのに、話したいのに、とても、とても遠くに感じる。

 

 膝に顔を埋めていた友奈はハッとして、頬を叩く。

 

「いけない。弱気になっちゃ駄目だ。今の私はもう勇者なんだから、頑張らないと」

 

 頬を叩いて、気合を入れて。

 

「頑張れ友奈。大丈夫。私はできる子。だって、そう言ってくれる人が……」

 

 入れた気合が、すぐに萎える。

 

「……いつになったら会えるのかな、リュウ……」

 

 戦いにこんな気持ちで臨めば負ける。

 赤嶺友奈はそういう『戦場の条理』を、よく理解している。

 

 今日もまた、夜に戦いが始まるだろう。まだ時間はある。

 だから友奈は、必死に自分に言い聞かせる。

 こんなんじゃ駄目だ、いつもの自分に、と。

 もっと心を強く、戦えるように、と。

 

 「火色舞うよ」と口にしなければ、戦う自分にも人を死に至らしめる自分にもなれないような、ワードを使ってやっと自分を切り替えられる少女の、悲痛な自己暗示であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウの話を聞き、静はうんうんと頷いていた。

 同情しているような、納得しているような、していないような、何かに怒っているような。

 感情を噛み締めるような、噛み潰すような、どんな頷きだった。

 

「なるほどなぁ、苦労しとるのは、友奈だけじゃ無かったんやな……」

 

「オレのは言うほどの苦労じゃねェよ。

 望んでやってる。大赦の命令でやらされてたお前らとは違ェ」

 

「はーん。ようやくファルコン1の性格が読めてきたわ」

 

「オレの性格読めようが何も……ファルコンワン!?」

 

「ウチなー、友人付き合いある奴には呼び名いじって個性付けたくなんねん」

 

「ふふ……始まったわね、シズさんのショータイムが」

 

「いや始めンな始めンな。もしかしてアレか、他の人のあだ名もこんなンなのか?」

 

「弥勒のあだ名もファルコン1よ」

「ウチのあだ名もファルコン1やな」

 

「全員ファルコン1じゃ区別つかねェだろうが!!!」

 

「ええ、冗談よ」

「せやなー」

 

「つーかツッコミしそびれたが、鷲尾の鷲はファルコンじゃなくてイーグルだ!」

 

「せやなイーグル」

「そうねイーグル」

 

「んんんんん゛ん゛ッ」

 

 重い話のすぐ後に、空気を意識的に軽くする静、天然で軽くする蓮華に、リュウは心中でひっそりと感謝した。

 

「ほんでイー君は」

 

「クソ変なところで固定しやがった」

 

「ちょっと聞かなあかん話があるんで、ちょっとウチに時間割いてくれへん?」

 

「いいけどよ……やけに格式張った言い方するんだな」

 

「あんまよくない話や。ウチが昔使っとった使い古しベッドやし寝心地悪いやろけど……」

 

「え!? ここお前の家!? ここお前の部屋!? これお前のベッド!?」

 

「……ロック! お前何の説明もしとらんかったんか!?」

 

「渡した弥勒のブロマイドの説明はしたわよ?」

 

「くぉらぁ!」

 

 ペシペシ蓮華の頭を叩きつつ、静は真面目な顔になる。

 リュウもその表情に姿勢を正した。

 

「真面目な話や。

 ウチが巫女やから、神樹様が直接下した神託の話。

 人類の内乱と同士討ちどころの話やない、人類の存亡をかけた話やねん」

 

「! まさか……」

 

「せや。壁の外の怪物が―――バーテックスが、来る」

 

 都合の良い結末はあるのか。

 奇跡の軟着陸はあるのか。

 優しい世界の行く末はあるのか。

 

 少なくとも、今この瞬間。良い未来が来る可能性の多くが、潰えていた。

 

 

 

 

 

 理由は未だ不明だが、結界外からバーテックスが攻めて来る。

 かつて世界を滅ぼし、戦士達を死に至らしめた悪夢達が。

 この七十年で溜め込まれた戦力はどれほどの規模か、想像もできない。

 少なくとも、西暦末期の戦いより戦力が少ないということはないだろう。

 

 天の神と人類の講和は成立したまま。

 理由なく攻め入られることはない。

 何か理由があるはずだが、その理由は不明。

 とにもかくにも迎撃しなければ、きっとそのまま世界は終わる。

 

「最悪じゃねェか」

 

 世界の敵・バーテックスを迎撃するのは勇者だ。

 すなわち、現在唯一の勇者である赤嶺友奈が迎撃に当たることになる。

 リュウの脳裏に浮かぶのは、最悪の展開。

 

 西暦の時代。

 "味方を殺す"のに最も使われた手段は。

 戦場で、敵に殺されたと見せかけて死なせることだ。

 

 バーテックスの侵攻がまた始まれば、新勇者の選定は確実に始まる。

 赤嶺友奈が死んでも代わりを容易に補充できるようになる。

 "口封じ"の必要のない、都合の良い勇者に入れ替えることができる。

 システムへの細工、端末への細工、などなど様々な手段を使うことで、友奈を前線に送り出して死んでもらうことができるのだ。

 それは、毒殺などよりもずっと痕跡が残らない安全な殺害手段。

 

 元凶の人間が、ノーリスクで、赤嶺友奈を死なせる手段を得た。

 

 人類全体で見れば赤嶺友奈の死はデメリットとハイリスクしか発生させないが、元凶の人間から見れば、赤嶺友奈の死はメリットとリスク排除の方が大きくなるだろう。

 残った鷲尾リュウが瀕死なことなど、大赦の上層部ならばもう皆知っている。

 

「……いつ、来るンだ?」

 

「今夜。18時や」

 

「今が10時だから……最悪友奈が死ぬまで……殺されるまで……あと、八時間!?」

 

 時間はない。

 余裕もない。

 取れる手段が、選べる選択肢が、ない。

 あまりにも『できること』がない。

 

「……オレが戦うしかねェな」

 

 リュウはベッドから立ち上がろうとするが、呻いてベッドに倒れてしまう。

 友奈の一撃は、パンドンが身代わりになってなお、リュウの命と体を削った。

 戦える体ではない。

 蓮華はリュウの手からダークリングを取り上げ、セットのカード達も取り上げる。

 

「おい」

 

「弥勒の気持ちが伝わってないなら何度でも言うわ。

 伝え方に不足があったなら謝りもする。

 だからちゃんと聞きなさい。他の誰でもない、貴方のことなのだから」

 

「……」

 

「弥勒に任せておきなさい」

 

 代わりに戦うと、蓮華は二度目の宣誓をする。

 

 そんな体で戦わせられない、と、蓮華の目を見るだけで伝わった。

 

「テメェも諦めが悪いな」

 

「貴方が56億7千万回弥勒を突き放そうと、弥勒は56億7千万1回目の説得をするだけよ」

 

「っ」

 

 強い、強い想いだった。

 とても強い言葉だった。

 強さの裏に、優しさがあった。

 

 リュウは蓮華からダークリングを左手で奪い取り、自分が健在なことを示そうとする。

 だが、無理だった。

 ダークリングを持つ左手はあっても、カードを差し込める右手が無い。

 両手がない者に、ダークリングは使えない。

 

「その腕で、ダークリングが使えるの?」

 

「―――」

 

 ダークリングを使う両手も無いのに、何ができる?

 リュウの体が、リュウに現実を突きつける。

 欠けた体が、絶望を突きつける。

 もう彼の体に、友奈を救う力はない。

 

 ダークリングを握る手を、蓮華が優しく包んだ。

 大丈夫だと。

 任せろと。

 ちゃんと弥勒が代わりをやると。

 うなだれるリュウに、リュウの手を包む蓮華の手から、優しさと暖かさが伝わっていった。

 

 

 




 終わりが近い


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2

以前の失敗の反省を活かし今回はすぐに気付きました!
はい
同じ失敗繰り返すと言い訳のしようがない感じがしますよねすみません


 リュウが不良になったのは、悪になりたかったから。

 彼自身もまだそんな自分に気付いていない。

 彼は闇になりたい光だった。

 彼は悪になりたい善だった。

 『友奈』が戦いに苦しむのは彼女が()に選ばれているからであるが、『彼』の苦しみは常に()に選ばれないことから生まれていた。

 悪に堕ち切ることができれば、彼の人生に苦しみは無かっただろう。

 

 人間が自虐に走り、自らの価値を全否定するのはどういう時か?

 多くの場合は、自分の理想を、自分自身が裏切っている時だ。

 

 鷲尾リュウには、自分自身を全否定する理由が山のようにあった。

 だが、彼がここまでこじらせた最大の理由は一つだけ。

 赤嶺友奈が鏑矢に選ばれたこと。

 そしてそれに際し、何も出来なかったことだ。

 

 リュウと友奈の最後の会話は、喧嘩別れだった。

 その会話の内容をリュウは覚えていない。

 果てしなくつまらない、記憶に残しておく必要が無いくらいつまらないことだった、そんなことだけは覚えている。

 リュウと友奈は喧嘩を一度もしたことがない幼馴染ではない。

 ただ、喧嘩をしてもすぐ仲直りするだけだ。

 大抵の場合はリュウの方から謝って、友奈も謝って、友奈の方がリュウに優しくして仲直り。

 喧嘩はしたことがあっても、殺し合いをしたことはなかった。当たり前だが。

 

 喧嘩別れをして、それから一度でも会っていれば、10秒とかからず二人は仲直りし、見ていて恥ずかしくなるくらいの仲の良さを見せただろう。

 だが、その10秒が訪れないまま、一年以上の時間が経ってしまった。

 喧嘩別れの後、友奈は乃木若葉達の指導を受けて鏑矢として育ち、リュウは荒れた。

 それはもう荒れに荒れた。

 

 無力な自分から逃げるように。

 何もできない自分を必死に忘れるように。

 他人を傷付けるためというより、自分を傷付けるために、カツアゲをしている不良に喧嘩を挑んで、ガラの悪い男達に絡まれている女性を助け、強盗に殴りかかっていった。

 威圧するような話し方がどんどん過激化していく。

 殴られ慣れて、痛みには慣れても、専門の格闘家ほど強くはなれず。

 自分を加速度的に見失っていった。

 

 友奈と離れれば自分は空っぽだと言うリュウの心があった。

 そんな情けない自分は認めたくないと言う心があった。

 でも認めなければ友奈の価値を軽んじてしまうと言う心があった。

 そんな情けない自分は友奈の隣に相応しくないと言う心があった。

 

 リュウの人生は、数奇な運命が作った穴の空いた欠損、それを埋める友奈で出来ていた。

 だから、友奈が居なければ穴が空いたまま。

 だから、友奈が居なくても優れた人間で在れなければ、友奈に貰いっぱなしになる。

 助けてもらった分助けることで、心の安定を保っている人間というものは居る。

 鷲尾リュウがそうだった。

 

 鏑矢のお役目は多少の危険があり、それがなくても人殺しの過去を残す。

 友奈がそれに選ばれ、何もできなかった彼の胸に残った穴は、どれほどのものだったか。

 荒れに荒れ、良き少年は不良になり、自分を見失っていく。

 

 幼馴染の赤嶺友奈が鏑矢に選ばれてから鷲尾リュウは、何かをしようとして、何もできなくて、自分に何も無いことに気付き、何も守れず、何も救えず、何も変えられず、何も成せない自分に煮え滾る溶岩のような怒りを憶え―――そして。

 

 気付けば彼は、あまりにも無慈悲に宇宙人を殴り殺し、ダークリングを奪っていた。

 

「……」

 

「い……あ゛……」

 

 彼は手にした鉄パイプで、宇宙人をひたすら殴った。

 宇宙人が動かなくなるまで。

 鉄パイプがひん曲がって折れるまで。

 鉄パイプで殴って、殴って、殴り続けた。

 「これで死んだか?」などとは一度も思うことなく、「何が起ころうと絶対に蘇らないように」という絶殺の意志で、石よりも硬い体の宇宙人を、殴り殺した。

 

 それは、恐るべき精神性。

 精神的に限界ギリギリまで追い込まれた人間は、時に恐ろしい性質を発揮する。

 リュウに躊躇いはなく、迷いも無かった。

 宇宙人を見つけた瞬間、鉄パイプを探し最短時間で最短距離で接近、背後から急所を殴った。

 急所の次は顔面。

 人間で言えば急所を全部鉄パイプで思い切り殴られた後、首から上の感覚器を念入りに潰され、頭が潰された形になる。

 あまりにも恐ろしく、徹底した鉄の殴打であった。

 

 リュウは直感的に、その宇宙人が悪であることを理解していた。

 それは彼の中の因子がもたらした微かな直感。

 "これは世界を脅かす"という直感。

 "これは友奈を傷付ける"という直感。

 その直感は間違いなく正しかったが、リュウは自分が何故そこまで強烈な直感を得て殺害に動いたのかイマイチ自覚が持てず、戸惑っていた。

 衝動的に自分が殺したように思えていた。

 

「テメェ、宇宙人か」

 

「はっ……見れば分かるんじゃないのか」

 

「この星を侵略でもしにきたのか?」

 

「……ぷっ。

 あはははは!

 面白いジョークだな。

 漫画でも読んでそう思ったか?」

 

「……」

 

「こんなゴミみたいな星、欲しがる宇宙人なんているかよ」

 

「……あ?」

 

「よく見る、神性によって滅ぼされかけている星。

 燃えまくってる灰と変わらねー星だ。

 侵略しても何も手に入らねえ。

 何もかも炎の中。

 炎が消えたところで、手に入れた星がまたいつか神にリセットされるのは目に見えてる」

 

「……」

 

「知ってるか?

 怪獣と宇宙人の箔付け。

 "いくつもの星がアイツに滅ぼされた"

 って肩書きがあると、一目置かれるんだ。

 そんなもんだぞ星の滅びなんて。

 強い奴がその気になったら星が滅びました、なんてよくある話なんだよ」

 

 この星もよくある『宇宙の強者に滅ぼされた星になったな』と、宇宙人は笑った。

 

「なら、テメェは何しに来やがったんだ」

 

「無価値な人間が無価値な星にしがみついてやがる。

 星の外に逃げる技術もないからだ。

 最高に笑えるよなぁ? フライパンの上で生きたまま焼かれる虫みたいだろ」

 

「―――」

 

「見物に来ただけだ。

 ゴミムシも火に放り込めばよく踊る。

 盛大にみじめに、最高に笑える見世物だ。

 奴隷でも確保して、世界の終わりを促進して……

 泣き叫んで滅びるところまで映像に記録しておくと、知り合いにいい値で売れてなぁ」

 

「……そうか」

 

「無価値な星。

 無価値だから滅びろと言われてる人類。

 こんなもん奪っても無価値なのは言った通りだ。

 でもな。

 苦しみや悲しみは違う。

 無価値な人間でも、ゆっくり踏み潰せば最高の音楽を奏でてくれる。

 分かるか? 分かんねえかー。

 もっと小さい子供だと分かるんだけどなー。

 ほら子供って、無価値なはずの虫が足をもがれて苦しむと、楽しそうにもっとやるだろ?」

 

「もういい」

 

 リュウはもう一度、鉄パイプを振り下ろす。

 もう一度。もう一度。もう一度。

 手足ではなく、人間で言うところの急所と頭部と首を狙って、何度も何度も。

 一撃で殺せるだけの強さがないから、何度も何度も殴るしかない。

 

 死なない生物は、本質的には存在しない。

 死なない生物などそれこそ神か何かだろう。

 宇宙人でも、怪獣でも、場所を狙って殴れば死ぬ。

 岩より硬い宇宙人は岩を砕くほどの攻撃を加えれば、鉄と同格の頑丈さを持つ獣は鉄が歪んで折れるほどの攻撃を加えれば、死ぬ。

 

 そうして、リュウは知った。

 ダークリングに強さを依存する者は、道具を使う前に攻撃されればそのまま負ける。

 ダークリングを奪われただけで戦えなくなる。

 それしか頼る物が無いということは、それが無くなれば終わりということだ。

 殴り潰される悪の宇宙人を見ながら、リュウはそれを肝に銘じていく。

 

「うははっ、がっ、うっ、ぎぃっ、づぅ、がぁ……ぐっ」

 

 自分の星がこんな奴に笑われていることに。

 この世界がこんな奴に嗤われていることに。

 今の人類がこんな奴に嘲笑われていることに。

 リュウは情けなさと、憤りと、悲しみと、軽蔑と、憤慨と、言葉にし難い想いを抱いた。

 殴って、殴って、殴って。

 鷲尾リュウは地球を悪の宇宙人から守る正義を成すが、そんな風にはまるで見えない。

 

 悪の宇宙人が、死に際に言葉を残す。

 

「覚えておけクソガキ。お前は選ばれていない。必ず滅びる」

 

「……死ぬのはテメェだ」

 

「宇宙はなんだかんだで因果応報だ。

 お前がそれで怪物になれば、いずれ心も怪物になる。

 怪物に待つのは滅びだけだ。お前は死に方しか選べない。多分死に方も選べない」

 

 こんな狭い世界しか知らないリュウに、宇宙という広い世界を知る悪は言い放つ。

 選ばれた者は何かを得て、救われる。

 選ばれなかった者は何も得ず、救われない。

 

 光の巨人に救われる地球と、救われない地球がある。

 神に生きていいと認められた世界と、認められない世界がある。

 神樹に選ばれ戦って死ぬかもしれない勇者達が居る。

 神樹に選ばれず無力なまま殺されるかもしれない民衆が居る。

 

 地の神に選ばれ与えられた友奈。

 何にも選ばれず、与えられず、奪い取った力しか持たないリュウ。

 天の神に"生きるべき者"として選ばれなかった人類。

 天の神に"滅ぼす者"として選ばれたバーテックス。

 リュウに選ばれなかった社会。

 リュウに選ばれた友奈。

 ダークリングに選ばれた悪。

 ダークリングに選ばれていないリュウ。

 選ばれるものと、選ばれないものがある。

 

 この世界で鷲尾リュウを"選んだ"のは―――赤嶺友奈だけだ。

 

 だから、彼にとってそれよりも大事なものなど、この宇宙のどこにもない。

 

「誰も、お前を、救わない」

 

 悪の宇宙人が言い残した言葉は、リュウの心に深々と刺さる。

 その手には、死した悪から奪い取ったダークリング。

 悪を殺して奪ったリングだけが、リングが与える力だけが、この世界で何かを成せる鷲尾リュウの拠り所。……それを失ってしまえば、鷲尾リュウには何も無い。

 

 本当はもっと沢山、彼の中には色んなものがあるはずなのに。

 まだ中学二年生なのだから、これから得ていくものもあるはずなのに。

 リュウにとっては、何も無いのと同じであった。

 優しさも。

 気遣いも。

 良心も。

 愛も。

 リュウの中では全てが無価値。

 価値があるのは、誰よりも大事な人を救える闇の力だけ。

 

 だから、弥勒蓮華にダークリングを渡して、友奈のことを任せてしまったその瞬間。

 

 彼の中で、何かが終わった。終わってはならないものが、終わってしまった感覚があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウは弥勒蓮華にダークリングを譲ったが、瀕死二歩手前の体のくせに大人しく寝ていることはせず、蓮華にダークリングの使い方を教えることを申し出て来た。

 

「大人しく寝てなさい」

 

 案の定、リュウの体を気遣う蓮華は突っぱねる。

 蓮華の視界の中、片目が落ちて腕がもげて、全身ボロボロでもまだ頑張ろうとする姿が、辛くても辛くても頑張り続ける友奈の姿と重なってしまう。

 しかし、思わぬところから助け舟が出た。

 

「ええんとちゃう? ロックも先輩から教わっといた方がええやろ、あと八時間やで?」

 

「……シズさんらしくない意見ね」

 

「何もできず待つだけの時間もめっちゃ辛いもんや。

 心配すんのも分かるんやけどな、やらせたってくれへんか?」

 

「それは……確かに、そうかもしれないけれど」

 

 待っているだけの辛さを知る静の発言もあって、蓮華は渋々、死にかけのくせに無茶をするリュウの助力を受ける。

 なんだかんだ一年以上の使用経験があり、ダークリングや各カードの特性を試行錯誤で把握していたリュウの助言は、新たなダークリングの使い手にとって貴重なものとなった。

 

「ダークリングは邪悪を選ぶ。

 あンまり体から離さず、常に所有の意志を持つンだ。

 じゃねェと勝手に宇宙のどっかに行ッちまいそーなブツだからな」

 

「ええ、触れれば分かるわ。これ、弥勒みたいな人間は大嫌いな道具のようね」

 

「全ての道具に意思があったら、お前に使われたい道具ッてあんま居ないと思うンだ」

 

「弥勒の手と貴方の手なら、弥勒の手の方が綺麗よ?」

 

「リングを持ってる手の綺麗さの話してんじゃねェんだよ!!」

 

 ダークリングは、使う者の性質によって違う使われ方をする。

 魔導師ムルナウならば他者を使う方向性。

 魔剣士ジャグラーならば自己を強化する方向性。

 リュウはどちらかと言えばジャグラー寄りで、蓮華はどちらかと言えばムルナウ寄りであったようだ。

 

 ある程度リュウに近い『闇の神器と相性の悪い光の属性』を持ちながら、けれどリュウほどには魂がダークリングに拒絶されず、蓮華は闇に堕ちないまま複数の宇宙人を制御していた。

 

 ダークリングを手に入れてから、複数制御の習得まで休憩を抜いて約五時間。

 リュウがバルフィラスを使って居た時の感覚を参考にして、それを再現することに集中していたとはいえ、意識的に技術習得をする時間としては早すぎる。

 友奈同様乃木若葉に鍛え上げられた蓮華には、驚異的な地力が備わっていた。

 

「さらっとやりやがって……

 オレの場合メフィラスの肉体と頭脳がなけりゃできなかったのに……」

 

「そうね……ちょっと頭の中がややこしいわ。

 リュウはこれを闇に堕ちた出力と、メフィラスの頭脳で為していたそうね」

 

「ああ」

 

「正式な訓練を受けて得た地力ではなく、工夫でどうにかする……

 弥勒もそういうのは嫌いではないわ。でも、無茶と工夫を同じにするのは好きではない」

 

「だろうな。お前はそういう奴だ」

 

「今、色々試して見て分かったの。

 これは使い手によって使い方が変わる道具よ。

 それはおそらく、この神器が使い手の心をある程度反映するものだから」

 

 蓮華は手の中で、軽快にくるりとダークリングを回す。

 

「弥勒が強く願うと、弥勒の中に力が湧く。

 これは所有者の負の心や、欲望に反応して、所有者を強化するのね」

 

「それはオレもなんとなく感じてたな」

 

「同時に、一人で頑張ろうとすると、宇宙人達の制御が乱れる。

 一人で頑張ろうとするのをやめると、制御が正確になっていく……

 超合体や巨大化のやり方は分からない。

 でも複数制御のやり方は分かるわ。

 つまりこれに必要なのは

 他人を頼る心か、他人を支配する心かのどちらか。

 誰も頼る気がなく、誰も支配する気がない人間には、複数制御の力が向かないのね」

 

「……!」

 

 リュウは若葉の言葉を思い出す。

 

―――優しさを失うな。そして、本当に辛い時は人を頼れ

―――私の掛け替えのない親友と似て非なる、まだ幸せになる余地のある男よ

―――お前はきっと、それだけでいい。……それだけで十分だ。乃木若葉が保証する

 

 若葉は本当に的確に、リュウが失っていたものを見抜いていた。

 今の彼に無いものを見抜いていた。

 それさえあればいいということに気付き、指摘していた。

 

「友奈はちゃんと分かっていたわよ。貴方に言われたからって」

 

「え……オレ?」

 

「"オレが保証する"とまで言ったのでしょう? 友奈に」

 

「……あ」

 

 リュウはかつて、自分が友奈に言った言葉を思い出す。

 

―――困った時は周りを頼れ

―――周りの人と助け合っていければ、お前にできないことはあんまない。オレが保証する

 

 それは、シグマゼットン戦で友奈に新たな力を覚醒させた記憶の言葉。

 リュウが以前何気なく言った言葉と、若葉が何気なく言った言葉が同じということは、因子のオリジナルがかつて似たようなことを若葉に言った、ということなのかもしれない。

 遠い昔の鷲尾リュウのオリジナルの言葉が、今の鷲尾リュウに刺さる。

 お前にはそれが足りていない、とでも言うかのように。

 

「そろそろ休憩にせえへん?

 分かっとると思うけど、もうあんま時間あらへんからな。

 体力残しつつ練習して、本番前にちゃんと休憩して作戦開始するで」

 

 18時には外から敵が来る。

 それを処理して、次に大赦と友奈関連をどうにかする。

 大赦とリュウ達が共闘して、外の敵に対処し、なあなあの空気にできればそれが一番であるのだが、流石にそれも難しいだろう。

 ゼッパンドンがやりすぎた。

 穏便な着地点を探すには、何もかもが足りない。特に時間が足りていない。

 リュウ達の視点から見れば、戦う以外の選択肢はないのだ。

 

 休憩しながら、上品に人差し指を立てた蓮華が、リュウに微笑む。

 

「リュウ、面白い話をしなさい」

 

「人類史で最も人を苦しめてきた無茶振りをナチュラルに振ンじゃねェ」

 

 無茶振りであった。

 

「えー、あー、うン。

 昔のオレはなァ、あだ名がのび太君だった。大人しかったしな。

 ンで友奈がジャイアンだった。

 最初はジャイ子だったけどな。

 活動的で腕力もあったから、筋肉女のジャイアンとか呼ばれてたわけだ」

 

「へぇ……弥勒が知らない話ね」

 

 のび太と結婚するからジャイ子だったんやないか、と静は静かに話を聞きつつ思った。

 

 そしてこの話のフリから、話のオチに気付く。

 

「あ、分かった! ウチがしずかちゃんやな!」

 

「……話のオチを先読みして先に言ってんじゃねェ張り倒すぞ!?」

 

「ふっ……ちょっと面白かったから合格よ」

 

「あ、はい、そッすか」

 

 わいわい、やんややんやと、楽しそうに三人は話す。

 とても楽しい時間が過ぎて、会話しながらも、三人は思う。

 友奈をここに加えて、四人で楽しく話したいと。

 

「そういや、地の神様は他に何か言ってなかったのか、シズ。

 巫女の神託しか今は頼りになる情報源がねェんだよな……」

 

「んー……あー、そや。アカナが今使っとる装備あるやん? 鏑矢のとはちゃうやつ」

 

「ああ、あッたな」

 

「アカナが着とるあれが『摂理に反している』っちゅう話やったな、確か」

 

 戦いまで、残り時間は三時間を切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は、一人ぼっちの御飯を食べ終わり、見舞いに行った。

 乃木若葉の見舞いである。

 ゼッパンドンの炎で火傷し、念の為検査入院したと聞いたのだ。

 軽傷と聞いたが、軽傷だろうと心配するのが友奈である。

 

 ただし。

 今の友奈の心境は、あまりにも複雑な状態にあった。

 師である若葉を純粋に心配する気持ち。

 若葉まで"居なくなる"ことを恐れる気持ち。

 誰でもいいから、友奈のことを理解している知人と会話したいという気持ち。

 ゼッパンドンから守りきれず、怪我をさせてしまったことを謝りたい気持ち。

 何もかもが混ざっていて、どれも全て友奈の本音の気持ちだった。

 心配で、怖くて、寂しくて、謝りたくて、でもやっぱり心配で。

 

 なのに、友奈は若葉の病室まで通してもらえなかった。

 大赦の男が、友奈に落ち着いた口調で説明していく。

 

「今、貴方様の内側には精霊の穢れが蓄積されている可能性があります」

 

「精霊の穢れ……?」

 

「西暦末期、切り札と呼ばれたものを使用することで蓄積されたもの。

 大赦が勇者の暴走を恐れる理由。

 勇者の感情を歪め煽り暴走させてしまうものです。

 現在、若葉様の病室は聖域化されています。

 邪気、汚染、病原菌、そういったものが入れない清浄な空間。

 火傷の傷から悪いものが入れないようにする処理です。ですが、穢れが入れば……」

 

「へー……なるほど……?」

 

 心を汚染する毒。

 精神に染み渡る闇。

 西暦末期の勇者達は、凄まじく強力な精霊の力を使う度、それが己に流し込んでくる穢れと心の中で戦わなければならなかった。

 かつての勇者達は現実でも心の中でも戦わなければならず、敵は怪物だけではなく己自身ですら敵だった。

 穢れに飲まれれば、善良な勇者が一般市民を殺すことは容易に起こり得る。

 だからこそ一度、精霊を使うシステムは封印処置がなされたのである。

 

 赤嶺友奈は、その頃の勇者達の二の舞を懸念されている。

 穢れを祓う鏑矢が穢れに蝕まれれば、それをどうにかできる者はいない。

 

「勿論、蓄積されていない可能性もあります。

 ただ何分、七十年以上前に問題視されたものです。

 精霊の穢れを測定するにも動く機材がありません。

 誰も予想していなかったのです。貴方が精霊の力を引き出す、だなどとは」

 

「なんか引けちゃったので……」

 

「なんかで獲得しないでください赤嶺様……

 ともかく、自分の心の状態には注意してください。

 まだ穢れの話は確定ではありません。ありませんが。

 大きな力にはリスクがつきものです。どうか自分を見失わないように」

 

「……気を付けます」

 

 大赦の男が懸念するのは、赤嶺友奈の暴走。

 今、この狭い世界の中で間違いなく最強である彼女が、精霊汚染による暴走をしてしまえば、もう本当に誰にも止められなくなってしまう。

 『暴走する正義』は誰にも止められない。

 だからこそ、息子を救うために大赦を誘導していた元凶が、神の力を持つ少女は危険だという誘導を成功させられたのだ。

 

「赤嶺様。

 私には多くのことを話す権限がありません。

 他の者もそうですが、箝口令を破ることができないのです。

 私がクビになれば家族が路頭に迷いますし。

 我が家で働いているのは現状私のみ。

 新築の家のローンは丸々残っていて、子供三人の学費も払えなくなるのはちょっとアレです」

 

「途中からめっちゃ世知辛い話混ざってきましたね……」

 

「ですが、業務規程の範囲であれば話すこともできます。

 どうかお気を付けて。

 貴方の装備、周りのこと、現状、何もかも……大赦の人間ですら多くは知らないのです」

 

「……え、大赦も知らないんですか?」

 

「はい。大赦が全てを知っている、と考えない方がよろしいかと思います」

 

 この世の全てを知る者など、神しか居ない。

 

「特に貴方が今使われている『花結装(はなゆいのよそおい)』。

 それがいつどこから来たのか、少なくとも私の権限では知ることもできませんでした」

 

 リュウも。

 友奈も。

 民衆も

 大赦の多くの者も。

 多くのことを知らないまま、運命に流されるように、破滅へと向かっていっている。

 皆が皆、全てを知る黒幕になんてなれるはずもなく、必死にもがいている。

 

「勇者の支持者として申し上げます。どうか、賢明な判断をお探しください」

 

「わぁ、もうファンが出来てる。はい、なんとか、頑張ってみます」

 

 若葉に会えなかったことで寂しさ等は消えなかったが、応援の気持ちを受け取って、少しばかり元気を出して己が心を奮い立たせる赤嶺友奈。それは、きっと痩せ我慢だった。

 

「大赦のおじさん、名前はなんて言うんですか」

 

「三好です」

 

「ああ、マリオが乗り捨てて落ちていくやつ……」

 

「それはヨッシーです」

 

「それじゃ、また今度来ますね。ヨッシーおじさん」

 

「その時は一報ください。ヨッシーおじさんなら便宜を図れることもありますので」

 

 戦いはまだ続く。

 

 何も分からなくても、突き進む以外に選択肢はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蓮華はどんどんダークリングの扱いに習熟していく。

 友奈のような進化ではなく、リュウのような闇に落ちていく最適化でもなく、練習と慣れによる技術の向上で強くなっていく。

 巨大化も超合体もない。

 不安要素しか無いが、工夫と作戦、本当に危険極まりない事態になればリュウのようにダークリングの闇に染まるという手もあるだろう。

 

 とにかく、これで行くしかない。

 

 なのに、リュウの心には、ポッカリと穴が空いていた。

 

「……」

 

 それでいいのか、と心が言っている。

 蓮華は既にゼットン、バルタン、ザラブ、Σズイグル、メフィラスの五体を出現させ、それを同時制御する練習に入っている。

 リュウの眺める空き地で蓮華に操られ連携する五体の怪物は、メフィラスの力を使わなければリュウではとても真似できないレベルだった。

 この分野においては、既にリュウを超えている。

 

 弥勒蓮華なら、という想いがあった。

 だけど、という想いがあった。

 リュウは納得していない。

 けれど、自分が何に納得していないかも分かっていない。

 何かに納得できない。

 何かを了承できない。

 だから、分からない想いを分からない言葉に変えられないまま、苦悩している。

 

 ベンチに座って項垂れているリュウの体に、影が差す。

 リュウが顔を上げると、そこにはメフィラスが居た。

 夕日を背にして、メフィラスがリュウの目を真っ直ぐに、じっと見ていた。

 

「いいのですかな」

 

「え? お前、喋れ」

 

「本当にそれでいいのかと、聞いているのです」

 

 メフィラスは強い口調で言い放つ。

 

「私は貴方の生死には興味がない。

 貴方が生きて終わるも、死して終わるも、どちらでもいい。

 私の言葉は貴方の心への挑戦。

 この挑戦にどんな答えを返すかは、地球人である貴方次第です」

 

 それは、地球人の心を試す言葉。

 

「全てを彼女に任せ、全て彼女に背負わせ、何もかも丸投げして、待つだけでいいのですか?」

 

「―――それ、は」

 

「それで納得できるのかと聞いているのです」

 

 リュウが僅かに、息を飲む。

 

「貴方は許せなかったものがあったはずです。

 受け入れられないものがあったはずです。

 納得できないことがあったはずです。

 だから貴方は、善でもなく、正義でもなく、光でもない、何かになりたかったのでしょう」

 

「オレが……納得できないこと……」

 

「だから貴方は、悪を、闇を、この道を選んだはずです。この身はそれをずっと見ていました」

 

 メフィラスの言葉が、リュウに何かを思い出させる。

 それは、彼が間違うことを願った理由。

 悪に、闇になることを望んだ理由。

 

 リュウはベンチから立ち上がり、訓練中の蓮華に歩み寄った。

 

「レン」

 

「何かしら?」

 

「ダークリングを返してくれ」

 

「……」

 

 蓮華は一瞬真面目な顔になり、やがて困ったように微笑んだ。

 

「そう言うかもしれないと、思ってたわ」

 

 蓮華がダークリングを振ると、ゼットン、バルタン、ザラブ、Σズイグルが蓮華を守るように、リュウの前に立ちはだかるように立つ。

 かつての仲間は、今や全て敵。

 リュウの手の中に力はない。

 

 ダークリングは取り返せない。

 怪物の壁は越えられない。

 蓮華がリュウのことを思ってくれる限り、リュウの手元に闇の神器は戻らない。

 それでも、とリュウの心は叫ぶ。

 

「ずっと……ずっと! お前らを見てて、おかしいと思ッてた!」

 

 リュウは叫ぶ。

 

「だってそうだろ!

 なんで昨日まで普通に生きてた女の子が、突然呼び出されて!

 力与えられて! 訓練されて! 社会の危険人物殺す仕事任されてんだ!」

 

「……リュウ。貴方は、優しすぎるのよ。弥勒達は望んでやったことだわ」

 

「……"自分の幸せのために少女に人を殺させる"のも!

 自分の手を汚さないで普通の女の子に手を汚させンのも!

 平和のために必要な人殺しの罪を子供に押し付けんのも!

 っていうか、人殺しそのものも神樹様に押し付けてんのも!

 何もかもが! 気に入らなかった! 大赦の正義が大嫌いだった!

 それ以上に! 人を滅ぼす天の神が掲げてる神の正義が大嫌いだった!」

 

 叫ぶ。

 

「正義が大嫌いだったから!

 世界が大嫌いだったから!

 人間が大嫌いになりそうだったから!

 オレは! 正義の敵になって、正義の犠牲を救える、悪になりたかったんだッ!!」

 

 叫ぶ。

 

「……ありがとうな蓮華。本当に感謝してる。

 優しくしてくれて。気遣ってくれて。

 本当は気持ち全部伝わってる。だけどな。

 お前に友奈を救うために必要な罪は背負わせねェ。

 そいつはオレが持っていく。

 手を汚させられてきた鏑矢に、これ以上任せる気はねェ。

 オレが背負える分の罪も悪も、全部オレが背負いたいと―――そう、思ったんだ!」

 

 世界のため、大赦のため、人々のため、必要な汚れ役を全て押し付けられた少女達に、もう何も押し付けなくていい、全てを引き受けられる悪になりたい。

 

 そう願った。だからこの道を選んだ。そして彼は、こうなった。

 

「"皆のために"。それだけで辛い役目を背負ってくれたこと、オレは感謝してる」

 

「鏑矢にそんなことを言ってきた人、貴方がきっと初めてね。……陰のお役目だったから」

 

 彼の言葉は、全てが決意で、全てが願い。

 

「オレはいい。

 戦うために作られたようなもンだ。

 でもな、お前らは違う。

 普通に生まれてきたンだろ?

 親の愛の結果として生まれてきたンだろ?

 じゃあ違ェんだよ。

 オレは、強い戦士として戦うことを望まれて生み出された。

 だけどな……お前らは、幸せになることを望まれて、生まれてきたんだ」

 

 全てが祈りで、全てが覚悟。

 

「普通に生まれてきたお前らと。

 オレが幸せになってほしいと願ってる友奈。

 そういう奴らが不幸になっちゃァいけねェよなァ」

 

「貴方も不幸になってはいけないのよ」

 

「オレが男で、お前は女の子だろうがよ」

 

「前時代的な考えね、西暦脳かしら」

 

 蓮華は、リュウの覚悟を受けて、けれどその奥の隠された本音を語調から見抜く。

 

「それが全てではないはず。

 まだ貴方には、弥勒に言っていない本音があるはずよ」

 

 リュウは目を閉じ、若葉が伝えてくれた、上里ひなたの遺言を思い出す。

 

―――『貴方はもっと自分勝手でよかった』

 

 だから、自分勝手に、叫んだ。

 全力で叫んだ。

 

「オレが、この地球上で、一番に友奈を愛しているから!」

 

 それは、愛の叫び。

 

「するべきことが同じなら。

 背負う罪が同じなら。

 誰がやっても、友奈が救われるのなら。

 ―――あいつに未来をやるのはオレでありたい。それは、オレの自分勝手だ!」

 

 自分勝手な愛の叫び。

 

 全てを背負い罪を重ねて悪として突き進むことを決めた、彼の心の原動力。

 

 世界を壊して友奈を救ったという罪を、弥勒蓮華から奪い取る自分勝手な叫び。

 

「存分に否定してくれ。

 クソみたいな自分勝手だ。

 合理性もクソもねェ。

 自分の願いのために踏みつける人のことを考えてもねェ。

 だけど……

 誰の期待にも応えられず生まれてきた出来損ないが……

 間違ってた人生の中で、空っぽな自分の中に見つけた、たった一つの願いなんだ!」

 

 その叫びを。

 

 『彼ら』は、ずっと待っていた。

 

 

 

 

 

 弥勒蓮華が、呆然とする。

 蓮華の操作で蓮華を庇ったザラブとΣズイグルが、一瞬で倒され、カードに戻されていた。

 二体を倒した怪物―――ゼットンとバルタンが、蓮華の手からダークリングを奪い、リュウに無言で寄り添って、彼にダークリングを渡す。

 ダークリングの支配はまだあったはずだ。

 ゼットンとバルタンを出したのも蓮華であったはずだ。

 なのに、ゼットンとバルタンは、あらゆる理屈をすっ飛ばして、鷲尾リュウを"選んだ"。

 

 『行こう』と、言葉なくとも、ゼットンとバルタンの気持ちが伝わった。

 

 鷲尾リュウは、強く頷く。

 弥勒蓮華と桐生静は、"納得はしていないがしょうがない"といった顔をする。

 

「……生きて帰って来なかったら、弥勒は許さないわ」

 

「無茶はするんやないで? アカナが泣くからな」

 

「ああ。分かった」

 

 バルタンの手から、脱皮再生光線がリュウに放たれる。

 それは骨や内臓を治すことはないが、肉はある程度脱皮効果で治せる光線。

 多少ではあるが、リュウの体がマシになる。

 鷲尾リュウは強くなろうとしても、もう天井にぶち当たっている。

 だけど。

 意思ある仲間が力を貸してくれれば、もっともっと強くなれる。

 

「ありがとな」

 

 夜が来る。

 夕の刻が終わる。

 夕映えの戦士達が並び立つ。

 

「ゼットン。

 バルタン。

 なんだかんだ、お前達が一番相性良いンだよな。

 合理性とか何もねェが……お前達を信じて、進む。

 悪ィ、最後の最後まで、オレと友奈に夜明けが来るまで、付き合ッてくれ」

 

 ゼットンとバルタンが、力強く頷いた。

 

 怪獣全てが自らの意志でカードに戻り、リュウの手元に戻っていく。

 

 18:00まで後少し。鷲尾リュウは、走り出した。

 

 

 

 

 

 走っている内に、夕の世界は夜の世界になっていく。

 走る。

 走る。

 走る。

 大赦によって人が居なくなった街の中を、結界の端に向かって走る。

 

 魂は風よりも速く。光よりも疾く。心は何よりも速い神速に。

 

「ゼットン!」

 

 叫ぶリュウの左手が掲げたリングに、独りでにカードが飛び込んで来る。

 

《 ゼットン 》

 

 足がもつれる。傷が開く。血が吹き出る。それでも足は止めずに駆ける。

 

「バルタン!」

 

 叫ぶリュウの左手が掲げたリングに、独りでにカードが飛び込んで来る。

 

《 バルタン星人 》

 

 ゼットンとバルタンのカードがほどける。

 リュウを"選んだ"二つの異形が、リュウの左右に並走する。

 リングを握るリュウの左拳、ゼットンとバルタンの左拳が同時に頭上に突き上げられた。

 

「『戦う力』、オレに貸してくれ!」

 

 それは、天への反逆の意志。

 天を打ち倒さんとして突き上げられる男達の拳。

 もう一つの()()()()

 二つの異形と一つの人が、今、心と体を一つにして昇華する。

 

「超合体―――『ゼットンバルタン』ッ!」

 

 かつて、心も通わせないまま、超合体が何かも分からないまま繰り出した時とは"桁が違う"と言い切れるほどの、絶大な力が全身を覆う。

 降臨するは、ゼットンバルタン。

 彼の始まりの超合体。

 

 結界の外に飛び出した巨大な怪物は、壁の外に迫る怪物達の第一陣を睨んで叫ぶ。

 

『これからまたオレと友奈の戦いだ! お呼びじゃねェんだ失せろッ!!』

 

 敵は無数。

 燃え盛る世界を進軍するは、星の屑と十二の星座。

 圧倒的な数の第一陣に、ゼットンバルタンは"無数に増える"ことで迎え撃つ。

 

 数千を超える、60mクラスのゼットンバルタンの分身が、敵へと突っ込み。

 その全てが、自爆した。

 太陽表面爆発を遥かに凌駕する連鎖爆発が、それぞれの爆発の威力を際限なく上昇させ、バーテックスの侵攻第一陣を吹き飛ばす。

 分身。

 突撃。

 自爆。

 あまりにも恐ろしい、宇宙的スケールの自爆大行進。目を疑うような攻撃であった。

 

 生き残っているバーテックスは0。

 ゼットンバルタンは瞬く間、ほんの数秒で、侵入準備をしていた怪物・バーテックス――星屑と呼ばれる末端個体群――を一掃し、四国の街中に降り立った。

 本当に戦うべき少女と、相対するために。

 隻腕のゼットンバルタンは、体を軽く動かし、痛みがないことに感謝する。

 

『負荷が全然ねェ……ありがとな、ゼットン、バルタン』

 

 元々、普通の怪獣カードの負荷が10、力が10とすれば、バルタンは負荷5で力10、ゼットンは負荷10で力20という不思議なバランスだった。

 リュウが使いやすいと言っていたのは、そういうこと。

 その特性が、今や比べ物にならない規模で発現している。

 

 戦える。

 まだ戦える。

 一人じゃなくて、三人ならば、戦える。

 ゼッパンドンを超える力を全身に漲らせ、隻腕のゼットンバルタンは腕を構えた。

 

 見据える先には、火色の勇者。

 

「火色舞うよ」

 

 救え、とゼットンとバルタンが言う。

 守れ、とゼットンとバルタンが言う。

 頑張れ、とゼットンとバルタンが言う。

 あなたが使える力はここにある、とゼットンとバルタンが言う。

 

 それは本当は言葉でも何でもない、純粋な想いを伝える意志。

 

 それを受け止め、リュウは力強く頷き、星々煌めく夜空を背後に、飛翔した。

 

 

 




・『シャドーエクスプロージョン』

 命知らずの宇宙忍者こと、バルタンバトラー・バレルの得意技。
 ゼットンバルタンの素材であるバルタン星人も習得しているバルタンの秘技。
 非常に高度な"忍術としての自爆"であり、2mクラスのバルタンが数十mクラスの大怪獣に放っても、ほぼ即死級のダメージを与える強力な自爆である。

 バルタン星人の自爆の用法は戦闘手段に限定されず、ウルトラマンコスモスと戦ったネオバルタンは、同族の未来のために許しを請おうと自爆を行い、自らの命をもって温情を求めるなど、敵を倒す以外の目的で自爆している姿も確認されている。
 彼らの自爆は個人の代名詞である特殊技能ではない。
 ただの攻撃手段でもない。
 やけっぱちになった自暴自棄でもない。
 多くの技術体系の上に存在する、宇宙忍術の一つなのだ。

 リュウ、ゼットン、バルタンが一つとなったゼットンバルタンは、実体を持つ分身を数え切れないほどに発生させることができ、それらを自爆させることが可能。
 一人では使いこなせない、究極の自爆技能である。


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3

 リュウは善の自分を、悪へと変えたかった。

 光の自分を、闇へと変えたかった。

 世界が、人間が、運命が憎かったから。

 正義の敵に、友奈を救える邪悪になりたかった。

 

 大赦の正義も、神の正義も、彼には通じない。

 正しさでは彼を止められない。

 彼は世界のためと言う大赦も、人間は思い上がり傲慢になったと言う天の神の主張も、全てことごとくを滅ぼすために生きることを決めた。

 

 全ての正義を否定する、というわけではない。

 リュウが全否定する正義があって、友奈を救うために仕方なく否定する正義があった。

 彼が嫌うのは、優しさのない正義、愛のない正義だ。

 赤嶺友奈も、弥勒蓮華も、桐生静も、無慈悲ではなかった。

 涙が出るほど優しくて、愛のある正しさがあって、だからこそリュウは許せなかった。

 

 子供の頃、リュウがテレビで見ていた正義は、皆愛があって優しさがあった。

 愛があって優しさがあったから、その正義を正しいと信じることができた。

 リュウが大赦を壊すことを決められた理由は、きっとここにあるのだろう。

 愛のない正しさ。

 愛が無いままに正しさを求めたものは、絶対に何かを間違える。

 "世界のため"と言い生贄を殺し続けるのは、正しいのかもしれない。

 だが愛がない。

 愛が無いまま繰り返すなら、それは間違った正しさとして継続されてしまうだろう。

 

 それは根幹的欠陥。

 大赦が最悪の組織に成り果てる可能性。

 正しさは時に正解ではなく、正義の道理は時に大間違いになる。

 傷付いた人の心を救うため、正論を言うのが間違いであり、優しさを手向けるのが正解なのと同じことだ。

 鷲尾リュウは、正しさではなく、少女の優しさに救われた人間だったから。

 苦しみの果てに、成るべき悪に成ることができた。

 

 人類は平穏に暮らしたいのであれば、命懸けでリュウという悪に勝たねばならない。

 

 勇者が怪物に立ち向かったように。

 人が神に立ち向かったように。

 鏑矢が世界の危機に立ち向かったように。

 悪を倒さなければ、終わるしかない世界がある。

 

 

 

 

 

 変身を終えた友奈は、腕を振る。

 痛みはない。皮膚の僅かな突っ張りもない。

 大火傷していた、という事実そのものが無くなったかのような綺麗な肌。

 夜になったが敵――リュウの怪獣――はまだ来ず、友奈は手慰みに自分の体に付いた傷を数えようとしたが、傷一つ無い体を見て、友奈は表情を曇らせる。

 安堵はない。

 ただただ気持ち悪さがあった。

 ものの数時間で傷が何もかも消えていることに、拭い去れない嫌悪感があった。

 

 手に持った携帯電話で、友奈は後方の大赦の者達と通信を行う。

 もう、前線で友奈のサポートに回せる人間が居ない。

 ゼッパンドンに大量の人員を病院送りにされ、街の多くも燃やされたことで、今大赦は大混乱に陥っていた。

 裏工作をする余裕など持っている人間など誰もいまい。

 リュウと友奈の死を望んだ人間も、もう何も動いていない。

 

 だが、それだけで説明できないような何かが起こっていた。

 

『怪我は大事ありませんか』

 

「うん、針で刺したくらいの傷もないかな。

 傷の治りが早い早い。流石に戦闘中にすぐ回復はしないけどね」

 

『……神樹様は、神託によればそんな治癒の力は与えていないとのことですが』

 

「うん。この装備の力かな?

 この装備手に入れた初日から発揮されてた力だった気がするから」

 

 この装備を手に入れた日から、友奈の体の傷は不自然なほど早く治っていた。

 風邪が異様に早く治った時から、違和感はあったのだ。

 風邪を引いた友奈を神が風邪を引く前より強い命に強化したかのように、友奈は風邪を引いても悪化するどころか、即座に治ってしまった。

 神が治し、友奈を強化したかのような一幕。

 だが、神が何もしていないというのなら、それは何なのか?

 この傷の高速修復は、何が理由であるというのか?

 

 道具は道具。

 ただの道具だ。

 所有者に力を与える道具。

 ダークリングも、花結装も、使用者に何かを与える、ただの道具。

 

「元々、この戦いが始まって数日は私に傷一つ付いてなかったしね」

 

 鷲尾リュウが自分を見失い、友奈に傷一つ付けたくないという自戒を失い、友奈を傷付けるということをしなければ、ここまで明確にこの異常に友奈が気付くことはなかったかもしれない。

 

『正直に言って、状況が分かりません。

 何かがおかしいと思います。

 あの炎の巨獣のせいで人が激減したのは分かります。

 ですが上層部がそれで説明できないほど混乱している、というか。

 神樹様の神託にも巫女が戸惑っています。

 これまでにない、一貫性の無い神託に、神託に混じるノイズ……何が起こっているのか』

 

「分かんないけど、とりあえず私は勝てばいいんだよね」

 

『はい』

 

「あんま自信ないな……

 前回と同じの出てきたら街守れるか分からないし……

 ……最初っから、前回の精霊も勇者の武器もフルで使うしかないかー」

 

 何かの歯車が狂っている。

 リュウからすれば、この戦いは狂った歯車を少しでも戻すための戦いで、大赦や友奈からすれば世界の歯車を狂わせないための戦いである。

 だがそれとは別に、何かがおかしくなっている。

 それはズレ。

 誰も気付いていないようなズレ。

 リュウや友奈が、それぞれ別の領域で大切なことに気付いていなかったように、大事なことを知らなかったように、人間では知ることができない領域の何かが存在する。

 

 それが彼らに益をもたらすのか害をもたらすのか、誰も知らなかった。

 

『怪我にはお気を付けください』

 

「心にも無いこと言わなくていいけど」

 

『そんな、心にも無いことなどとは』

 

「私知ってるんだ。私のこと、裏で化物って言ってる人達が居るの」

 

『……!』

 

「いいんじゃないかな。私もそう思うしね」

 

『赤嶺様……』

 

「試してないけど、多分腕切り落としても生えてくる気がするんだよね、今の私」

 

 友奈は、はるか遠くを見据える。

 結界の壁を越え、夜の世界に現れるゼットンバルタンが見えた。

 腕無き死角を後方に回し、黒く巨大なハサミを前方に回すゼットンバルタン。

 神樹が作り出した黒き夜空と輝く星を背景に、黒い甲殻・白い皮膚・黄の発光体で構成されたゼットンバルタンの姿がよく映える。

 

 自分が化物にしか見えなくなってきた赤嶺友奈に対し、今日のゼットンバルタンは何故か、前に見た時とは違い、気高い騎士のように見えた。

 姫を守り、姫を救い、魔王の国を滅ぼす、絵物語の黒騎士のように見えた。

 友奈は思わず、目を細める。

 

「腕を無くしたらそのまんまなアレと。

 今の私と。

 どっちの方が、よりおぞましい化物なのかな」

 

 友奈は通信を切断し、とん、とん、と踊るように軽快なステップを踏む。

 

「……あー、いけないいけない。

 今の私、何か感じ悪かったな。

 気を付けないと……どうしたんだろ私……」

 

 友奈が突き上げた拳、一体化した神刀と神盾が、神の光で夜を照らした。

 人々が空を見上げる。

 ゼットンバルタンに怯え頭を抱えていた人達が空を見上げる。

 子供達が空を見上げる。

 それは希望の炎。

 それは希望の光。

 赤嶺友奈の未来を薪にして燃え盛る純粋な光の炎。

 三位一体の光の流炎(トライアド・ストリーム)が顕現し、世界を貫く炎の柱が輝いて、世界を奮わせる炎の爆発が世界を揺らした。

 

 神の領域の炎を身に着けた強化形態へと変身した友奈が、ゼットンバルタンを迎え撃つ。

 

「火色舞うよ」

 

 忌々しき怪物に向けて、友奈が突き出した拳より、炎の破壊放射が放たれる。

 一刻一刻と進化し続ける赤嶺友奈が瞬時に編み出した、応用にして必殺の炎。

 

『―――Un coup de foudreッ!!』

 

 ゼットンバルタンが炎に向けて、左腕のハサミを突き出す。

 ハサミが開き、放たれるはゼットンの一兆度にしてバルタンの白色破壊光線である、闇。

 進化ではなく絆によって編み出した、三位一体の闇色破壊光線。

 

 世界を照らす光の炎と、一人のための闇の力が、夜空を塗り潰すように爆発した。

 

 空を塗り潰す爆発が空から消える前に、その周囲で小さな爆発が連続する。

 なんだ、と一般人達が空に目を凝らしても目で追えない。

 それは超高速の連続瞬間移動と、超高速の攻防が生む小爆発。

 ゼットンバルタンと赤嶺友奈による、空間を超越した連続の攻防の軌跡であった。

 

 ほぼクールタイムもない瞬間移動の連発は、音も光も置き去りにする。

 光速すらも追いすがれない神速に、魔速をもって追いすがる。

 神の速度を、絆の速度で凌駕する。

 ゼットンバルタンは恐るべきことに、人類史上最高速に到達していた友奈を、瞬間移動の速度と技量で凌駕していた。

 それが、友奈の感情を逆撫でする。

 

「お前さえ居なければ!」

 

 精霊を三つ同時に常時使用するという今の友奈は、危険な領域に突入しつつあった。

 そして今、明確に危険な領域へと足を踏み入れる。

 通常稼働状態だったトライアド・ストリームを、出力上限値限界まで引き上げる。

 西暦勇者達は精霊一つで精神が不安定になり、強力な精霊の反動で死にかけたことすらあると言うが……それを、三つ同時に、全力で稼働させるという命知らずの無理無謀。

 

 炎の輝きが、二倍、三倍、と止まることなく増していく。

 体にかかる負担が、友奈の命を危険な領域へと連れていく。

 精霊の穢れが、滝の水のように流れ込み、蓄積していく。

 赤嶺友奈の瞬間移動能力が、一瞬にしてゼットンバルタンを凌駕し返した。

 

「……こんな思い、しなくて済んだんだ!」

 

 友奈の攻撃に憎悪が乗る。威力が増す。炎が爆発的に光り輝く。

 絶え間なく繰り出される炎の拳による猛攻が、サイズ差を無視してゼットンバルタンを圧倒し、押し込んでいく。

 瞬間移動の連続のせいで一般人にはどちらが勝っているかも分からず、空や街の郊外で勇者と怪物が戦う爆焔しか見えておらず、爆音しか聞こえていないが、戦力差は明白だ。

 片腕では、赤嶺友奈には敵わない。

 

 友奈は憎悪をぶつけるように、泣き叫ぶように、吹き出る悲しみや寂しさを抑えきれないまま、感情をそのまま言葉に乗せて叫ぶ。

 

「こんな、こんな、こんなっ……!」

 

 辛かった。

 寂しかった。

 悲しかった。

 逃げたかった。

 自分が、情けなかった。

 鏑矢の役目が、辛かった。

 一人ぼっちの時間に、終わってほしかった。

 お前のせいだ、と怪物のせいにする友奈がいた。

 街を見下ろして、皆を守らないと、と思う友奈がいた。

 皆を見下ろして、いいよねあなた達は何もしなくて、と思う友奈がいた。

 友奈に敗北を許さない大赦に、何も教えてくれない大赦に、苛立つ友奈がいた。

 辛い時に傍にいてくれないリュウに、今自分を抱きしめてくれないリュウに、たっぷりと甘えさせてくれないリュウに、頭を撫でにきてくれないリュウに、怒っている友奈がいる。

 

 赤嶺友奈の中には、いつも友奈が好きな友奈と、友奈が嫌いな友奈がいる。

 穢れが、友奈が嫌いな友奈を増幅する。

 だから、友奈は自分を嫌いになっていく。

 

「こんな弱い私に、こんな悪い子な私に、ならずに済んだのにっ!」

 

 これこそが、西暦の勇者を追い詰めたもの。

 外の敵と内の敵の、内の方。

 心蝕む精霊の穢れ。

 理想の勇者と言える才覚が、ありえない精霊の顕現を成し、ゼットンバルタンにも勝てるだけの力を彼女に与え、力と引き換えに心と命を喰らっていく。

 

「……皆の心は一緒に居てくれると信じてるから、私は一人でも戦えるんだ!」

 

 対し、リュウはゼットンバルタンをいくら動かしても全く負荷が無い感覚に感謝し、一人で最強の友奈に対し、三人の力で食い下がっていた。

 

『ゼットン、瞬間移動の制御と判断を任せる!』

 

 赤嶺友奈に対抗する手段は一つ。

 役割分担と、連携である。

 リュウは瞬間移動の制御と判断の全てをゼットンに一任し、口で言ってる暇も無いので、言葉もなく意志を通わせ連携する。

 ゼットンが瞬間移動で接近し、リュウが友奈の攻撃を防御する。

 リュウの防御が崩されたので、ゼットンが瞬間移動で回避する。

 息を合わせて、ゼットンの瞬間移動とリュウの蹴りを同時に行う。

 そうして、赤嶺友奈に拮抗する。

 

 リュウとゼットン、どちらが一瞬でも間違えれば、諸共に死ぬ。

 けれど、"間違えない"と信じて命を預け、一瞬一瞬に全力を尽くすのだ。

 信頼を握り、強さを成す。

 

『もっとワープテンポ上げろ! オレはついていける! オレを信じろゼットンッ!』

 

 ゼットンがリュウに無茶をさせる。

 リュウがゼットンに無茶をさせる。

 仲間だから無茶をさせず大事にする、のではない。

 仲間だから、信じて無茶をさせるのだ。

 

 瞬間移動しながら、実力差を埋めるため、ゼットンバルタンは瞬時に分身。

 本体と変わらない物質密度を持つ分身を三つ生み出し、四つの体で赤嶺友奈と拮抗する。

 

『バルタン、分身操作は任せる! オレと動きにズレ生んだら承知しねェぞ!』

 

 リュウは分身の全てを、宇宙忍者の制御に任せる。

 リュウが操る本体を、バルタン操る分身が守る。

 本体を狙った攻撃を分身が弾く。

 分身を狙って放たれた炎を本体が光弾で爆裂させる。

 信じられない腕力で攻防を行う赤嶺友奈を、本体と分身の同時キックが吹っ飛ばす。

 

 地に足をつけ、本体(リュウ)分身(バルタン)がハサミを打ち合わせた。

 

 すぐさま友奈が跳ね跳んで来て、リュウをバルタン操る分身が庇い―――渾身の力を込めた炎の一撃が、分身二体を瞬く間に蒸発させる。

 本体と強度が変わらない分身二体を消し飛ばし、友奈は更に距離を詰めてきた。

 リュウとバルタンの肝が冷える。

 油断すれば死ぬ。

 油断しなくても死ぬ。

 最善を尽くさなければ、死ぬ。

 

『ちゃんとついて来いバルタン! この程度の速度と連携じゃ、次は押し切られる!』

 

 三人で得意分野の役割分担。

 ゼットンは熱と瞬間移動。

 バルタンは各種特殊能力と分身操作。

 そして、リュウは戦闘に集中する。

 

 "我らは一つ"。

 その想いで、心も体もひたすら一つに。

 僅かなズレもなく、三つを一つに重ねていく。

 リュウは友奈を救うため。

 バルタンは友奈を救いたいリュウの想いを叶えるため。

 ゼットンは友奈を救いたいリュウに何か救いを与えるため。

 違う考え方なのに、同じ想いで一つになり、強くなっていく。

 

『行くぞ! オレの力じゃねェ、オレ達の力で、世界で一番最高に愛せる女の未来を作る!』

 

 リュウが叫ぶ。

 ゼットンが頷く。

 バルタンが頷く。

 包み込むような優しい闇を纏ったゼットンバルタンの左腕が振り下ろされる。

 何もかも焼き尽くすような光を纏った赤嶺友奈の右腕が振り上げられる。

 大ハサミと、アームパーツが衝突し、光も闇も吹っ飛んで、けれど怪獣と勇者は止まることなく攻防を続ける。

 

『オレが世界で一番大事な女の命、お前らの頑張りにも託したぞッ!!』

 

 想いに呼応し、一体化した二体が、より強い力を吐き出した。

 

 友奈はゼットンバルタンの死角である、欠けた右腕側に回り込もうと瞬間移動を繰り返す。

 

「お前さえ居なければ! お前さえ死ねば! お前さえ殺せれば!」

 

 吐き出されるは、憎悪、怨嗟、恨み言。絶対に許さないという想いの言葉。

 

 瞬間移動の連発で音も光も振り切れても、まとわりつく想いは振り切れない。

 

 友奈らしくもない叫びを上げ、友奈らしくない憎しみの目で、友奈らしくない憎しみにあかせた攻撃で、真っ当ではない思考から責任転嫁と八つ当たりのような気持ちで攻撃を重ねる。

 

「きっと、きっと、きっと、きっと、きっと、きっと、きっと、きっとっ!!」

 

 リュウ達は心を重ね、冷静に、考えに考えて、力を合わせてその猛攻を受け流す。

 残った腕の一本しか無い大ハサミが、まるで騎士の大剣のように振るわれていた。

 

「皆生きてる。皆幸せで、皆笑顔で、大切な人がそこで日々を送っていて……」

 

 どんなに心を穢されようと、赤嶺友奈の心の芯には光がある。

 悪意に引きずられようと、その根底には優しさがある。

 きっと、暴力と正義を振りかざす人間になってもそうだろう。

 リュウはきっと彼女の在り方の中に、優しい正義の味方を見た。

 友奈が放つは、超高温の炎の大剣。1000mはあろうかという、神の炎を固めた剣。

 

「……壊していい世界なんてないんだ! だから!」

 

 けれど、その在り方は光であるがために、相容れず。

 

『お前より大事な世界なんてない! だから!』

 

 リュウは叫び、二体の怪物はその想いを肯定する。

 

『お前が生きて、お前が幸せで、お前が笑顔で、お前がそこで日々を生きていけるなら……!』

 

 それが何よりも大事なのだと、リュウは叫ぶ。

 ゼットンは、愛よりも優先される正しさなどないと、熱を貸す。

 バルタンは、大切な人が殺されそうな時はどこまでも自分勝手になっていいと、光線を貸す。

 一兆度の破壊光線が、友奈の炎の剣をものの見事に破壊した。

 

(―――友奈が、笑っていれば、それでいい。だから、世界を壊す)

 

(―――リュウが、笑っていれば、それでいい。だから、世界を守る)

 

 大切なものがあった。

 譲れないものがあった。

 世界よりも彼女が大事で、大事な彼のために守りたい世界があった。

 

 二人ともまたいつか、大切な人と笑い合える未来が、欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空と大地を駆け回るようなゼットンバルタンと友奈の戦いを見上げ、静は絶句し、蓮華は何やら考え込んでいた。

 二人の視線はリュウを心配そうに見つつ、何かおかしなものを見るような目で友奈を見る。

 おかしな言動。

 おかしな戦闘。

 憎悪に引きずられ、怨嗟を口にし、あまりにも友奈らしくない戦い方をする赤嶺友奈に、二人は途方も無い違和感とおかしさを覚えていた。

 

「なんちゅー戦いや……しっかし、アカナ、あれ……」

 

「シズさんも違和感があるようね」

 

「おかしい、おかしいんやけど、どうなっとるんや……?」

 

 静には分からないが、弥勒には分かる。

 戦っているリュウにも分かっている。

 リュウは大赦の資料を強奪したことで"それ"の前例を断片的に知っていて、蓮華は罪悪感などを利用してリュウから話を引き出した時、その情報も吐き出させていたからだ。

 

「弥勒はリュウから強奪した資料の話を聞いているから分かる。あれは、精霊のせいね」

 

「精霊のせい……?」

 

 弥勒は聞いた内容を、現状の友奈と比較しつつ話す。

 精霊の穢れ。

 怨霊の側面を持つ存在を体に宿すことで発生する体への悪影響。

 友奈の言動や行動は、それで説明がついてしまう。

 

 装着している花結装の力で、精霊を体の外部に留めることもできた。

 しかし奇跡を起こして精霊を引き出した友奈は、それを花結装の力で高度に体に憑依させ、爆発的に力を引き出してしまった。

 この戦いの中で、その出力を限界まで引き出してしまった。

 心の中に溜まっている穢れは、相当なものになっているだろう。

 ゼットンバルタンを殺した後……友奈は、人を殺さずに、世界を壊さずにいられるだろうか。

 

 いられないわね、と弥勒は直感的に判断する。

 

「そら、結構あかん状況とちゃうか?

 暴走する側がリュウとアカナであべこべになっとるやないか!」

 

「ええ、あまりいい状況ではないわ。リュウ! こっちに分身よこせる?」

 

 蓮華が叫ぶ。遠いからか、爆音のせいか、声が届いていないようで、反応が無い。

 

「リューウー! 分身をこっちにー!」

 

 瞬間移動の連発、光線と炎の衝突の爆発。声が届いていないようで、反応が無い。

 

「しょうがないわね」

 

「ん? なんやその拡声器どっから」

 

「他の誰のは無視しても弥勒が呼んだら早く来なさい!」

 

「うがああああっウチの鼓膜破れるぅっ!?!?!?」

 

 ゼットンバルタンから分離され、バルタンが制御しリュウと会話可能な小型バルタン……チャイルドバルタンが、弥勒と静の元に飛んで来た。

 

『うっせー奴だな……なんだ、何か気付いたンか?』

 

「見解が同じという前提で話すわ。友奈の精霊の穢れをどうにかしないといけないと思うの」

 

『! そッちも同じ考えか。オレも薄々そう思ッてたが、どうすりゃいいのか……』

 

 小さな体で腕を組み、悩み始めるリュウに、蓮華が不敵に微笑む。

 これは名案があるな、とリュウは思った。

 凄いこと言い出しそうやな、と静は思った。

 

「シズ先輩。弥勒と友奈と初めて会った日、言ったことを覚えているかしら」

 

「……? ……! マジか。や、祝詞は確かに、色々覚えとるけど、いけるんか?」

 

「『鏑矢の元の神事は妖魔を退散させ無病息災を祈願する』

 『弓の弦を鳴らして穢れを祓う』

 『厄を祓うために物理的に放たれるのが人間の鏑矢』……弥勒はそう記憶しているわね」

 

「鏑矢のお役目は()()()()()。確かに、そう言った覚えあるわ」

 

『……まさか。祓えるのか? 精霊の穢れを』

 

「やってみなければ分からないけれど、やる価値はあるはずよ」

 

 蓮華は髪をかき上げ、おしゃれな帽子を被り直す。

 

「貴方が弥勒達を信じてくれるか。

 弥勒達が貴方の信頼に応えられるか。

 要点はそこね。貴方と、ゼットンと、バルタンの力と同じ」

 

『……信じ合って、任せて、頼れるか。ってことか』

 

「何も信じず、誰も頼らず、たった一人で世界に挑んだ貴方には難しい話かもしれないわ」

 

『……』

 

「弥勒の目を見て答えなさい。できる?」

 

『できる』

 

 鷲尾リュウは、即答する。

 

 

 

―――昨日友人になった者も、明日友人になる者も同じよ。

―――まだあなたとは友人ではないけれど、必ず友人になれるわ。

―――きっとではなく、必ずね。

―――さようなら、明日の友人。また会いましょう。世界の終わりが潰えた日に

 

 

 

 Σズイグルの力を解除し、弥勒蓮華が持っていた能力を解放する。

 そうして、信頼を証明した。

 これで巫女の静が神の力を付与すれば、蓮華は以前と同じように、鏑矢としての神の力を行使できる。

 

『もう明日は過ぎたぞ。とっくにダチだろ。ダチなら信じる』

 

「ありがとう。弥勒も貴方に親友を任せて、信じるわ」

 

「ほな、やってみよか。初めての試みやさかい、ぶっつけ本番一発で決めるで?」

 

 三人が腕を突き出して、チャイルドバルタンのハサミと、二人の拳が打ち合わされる。

 

「ウチが祝詞で、魔を祓う鏑矢の力をロックに降ろして」

 

「弥勒という、神の力の器を通して、元々の鏑矢の役目である魔祓いの力をリュウに」

 

「そして私が上手いこと調整し、赤嶺友奈の闇を祓う魔導として組み立てましょう」

 

「「 ん? 」」

 

 突然、にゅっと、メフィラスが会話に入って来た。

 

「わああああ!? なんやなんや!」

 

「メフィラス……リュウ、出したの?」

 

『いやなンか今勝手に出て来た』

 

「お気になさらずどうぞ、お嬢様方、主殿。

 ゼットンやバルタンと同じく、私も自分の意志でリングに入れるようになっただけです」

 

「なんやねんもうえろうびっくりしたわ」

 

「ふっ……弥勒はびっくりしなかったわ」

 

『何対抗してんだお前……できンのか、メフィラス』

 

「ええ。我が一族の二つ名は"魔導"。

 魔を導き、魔導術を習得しております。

 お二方と主殿だけでは不安定な力でしょうが、私ならば安定させることも難しくはない」

 

『分かった。頼む』

 

「主殿の意のままに」

 

 かくして、友奈を穢れから救うための作戦が始まった。

 

 巫女と鏑矢が準備し、メフィラスも準備を始める。

 

 ものの数秒で終わるような作業ではないが、できれば数分で終わらせたいところだろう。

 

「主殿」

 

『ンだメフィラス』

 

「ゼットンとバルタンが貴方を助ける理由をご存知ですかな」

 

『いや……知らねェな』

 

「バルタンはかつて、虐殺されて滅びに頻した種族の一つです。

 虐殺された数は20億。彼らはほぼ皆殺しにされ、そして自業自得であると言われた」

 

『!』

 

「バルタンは虐殺を許さない。

 この星の人間に同情しているのです。

 強者に虐殺されつつある人間達であるからですね。

 自業自得と言われようと、虐殺された悲しみは消えません」

 

『……』

 

「初めは、バルタンは貴方を嫌っていたのです。

 貴方は虐殺をもたらし、多くを死なせ、種族を滅亡に導く者だったから」

 

『それは……そうかもな』

 

「けれども、今のバルタンは貴方の味方をしている。

 世界を敵に回してでも、大切な人を守ろうとする貴方を。

 きっとバルタンにはバルタンの、貴方を好ましく思う理由があるのでしょうな」

 

 バルタン星人は、かつて侵略者であった。

 生きるために必死過ぎる侵略者だった。

 彼らは侵略の返り討ちにあい、20億を虐殺された。

 バルタンが正しいだとか、間違っているだとか、そんなことは関係ない。

 ただ、バルタンは、悲しかったのだ。憎かったのだ。

 仲間を沢山殺されたことが悲しくて、殺した敵が憎かった。

 20億を殺されたバルタンは、70億を殺された地球人に同情していた。

 

 リュウは今日まで、バルタン星人のカードが一番負荷が少なかったことの理由を知った。

 

「ゼットンは、貴方に忠誠を誓っている。裏切ることのない騎士のように」

 

『それは、なんとなく分かる』

 

「ゼットンは、貴方に仕え、貴方の願いを叶えることに意義を感じているのでしょうね」

 

 ゼットンは動物に近い知性を持つ。

 多くのゼットンは心を持っていない。

 愛ある飼い主に従順であるのが、ゼットンの特性。

 忠犬のように、あるいは忠実な騎士のように、ゼットンはリュウに従っている。

 それは、主のリュウを主に相応しいと認めているから。

 

 リュウは今日まで、手札の中で最強のカードであったはずのゼットンが、その力の割に負荷が少なかったことの理由を知った。

 

『お前は? お前がオレに従ってる理由とかもあるのか』

 

「ええ」

 

『聞いてもいいか』

 

「宇宙には、道理というものがあります。

 悪は正義に負ける。

 闇は光に負ける。

 間違った者は正しき者に滅ぼされる運命にあります」

 

 メフィラスは笑う。少しばかり、優しく笑った。

 

「私はただ、見たいのですよ」

 

 それは、悪の宇宙人であると言われるメフィラスが、悪であることを選んだリュウのため、味方であることを選んだ理由。

 

「勝つべき光が負け。

 負けるべき闇が勝つ。

 正しさではなく、人を愛しただけの間違った者が勝つ。

 自らのエゴを押し付ける自分勝手な者が勝つ―――そんな素晴らしい一瞬を」

 

 紛うこと無く。メフィラスという男が、リュウの味方をする理由であった。

 

「必ず勝ちなさい。貴方のカードは皆、それを望んでいます」

 

『任せろ』

 

 リュウが、バルタンの体でハサミを突き上げて、メフィラスが拳を打ち付ける。

 

 そこには、ただ。

 

 リュウの勝利を願う、三人の怪物の願いがあった。

 

 

 




ウルトラマンと人間に倒された三つの悪


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4

 メフィラス星人とは、挑戦者である。

 彼らは『挑戦』という言葉を好む。

 特に心への挑戦を好む一族だ。

 そんなメフィラスが、いつも負けている星があった。

 その名を、地球と言う。

 

 メフィラスは武力ではなく、心を試す形での侵略を行う。

 強き心、気高き心、人を想う心、綺麗な心……そういったものを星の住人が全員ちゃんと持っていれば、メフィラスの侵略は必ず失敗する。

 「どうやら私の負けのようです」「ですが、また貴方がたの心に挑戦させていただきますよ」と負けを認めて、去っていくのだ。

 メフィラスは他の侵略宇宙人と違い、計画が失敗したらムキになって死ぬまで戦うということがなく、心で負ければそのまま敗北を認めて去ってしまう。

 だから本当にしょっちゅう地球人に負けるのだ。

 "地球人の心に負けた"と認めてしまう、本当に珍しい宇宙人だから。

 

 メフィラスはそんな自分達の種のことを、作業の速度を全く落とさず手慰みに簡潔に語った。

 

「私は挑戦すべき、試すべき人間の心を見つけたのです。それはここにある」

 

『大赦か? 友奈か? オレか?』

 

「その全てです。私は、貴方がたの答えを待っている」

 

 メフィラスは、いつも人間の心に挑戦する。

 人間の答えを待っている。

 答えが己に返される瞬間を、待っている。

 

 リュウ――チャイルドバルタン――はメフィラスとああだこうだ話している蓮華と静を見て、そこに無言で佇んでいた。

 バルタンの分身で良かった、と、リュウは口に出しそうな思いを飲み込む。

 揺れる気持ちがあった。

 この二人が生きる世界を壊して良いのか、という気持ちがあった。

 揺れるだけで、絶対に赤嶺友奈を優先する自分を変えない、鷲尾リュウの心があった。

 

『……』

 

「私情で光を消し去っても、誰にも文句を言われる筋合いは無いと思いますがね」

 

『オレの心中を読んでんじゃねェ』

 

「私情結構。自分勝手大いに結構。

 世界は貴方に文句を言う権利が、貴方には世界に文句を言う権利がある。

 なら、それでいいのでは?

 貴方だけが我慢する必要はない。

 鏑矢が生贄にならないといけない義理もない。

 皆のために敵を倒すのが正義であり、己のために敵を倒すのが悪でしょう」

 

『……』

 

「心弱き犯罪者を見なさい。その多くは、自分だけの幸福のために悪になった者達です」

 

『そりゃ、そうだが』

 

「正義を掲げることで幸福になれるなら、そうすればよろしい。

 ですがそうなれない者もいます。

 で、あれば。正義を押し付けられることで不幸になる者は、悪に成れば良い」

 

『……なんだお前、オレを励まして背中でも押してくれてンのか』

 

「さて、どうでしょう」

 

 慇懃無礼な丁寧口調で、メフィラスはリュウの罪悪感を拭っていく。

 リュウは絶対に友奈を選ぶ。本質的には迷いはない。

 けれど最後の最後に抱く罪悪感の量だけは、周りの気遣いで減らすことができるだろう。

 そして、メフィラスは作業をしつつ、"鷲尾リュウは赤嶺友奈を諦めない"という部分をごく自然に信じ切っている自分に気付き、笑ってしまった。

 

「よっしゃ、終わたで!

 話は後でええ。友奈を頼んだわ」

 

「貴方は弥勒の代理よ。なら、必ず成功するわ。弥勒を信じて行きなさい」

 

『あンがとよ。……お前らと友奈は、絶対に無事に再会させて見せッから』

 

 空で、ゼットンバルタンの本体と赤嶺友奈の攻撃が、一際大きな爆発を起こす。

 

 小さな分身バルタンとメフィラスは、地上を昼間のように明るくする戦闘の光を見上げた。

 

「さあ……挑戦と行きましょう」

 

 カードに戻ったメフィラスが分身バルタンの内に戻り、分身バルタンが空に飛び立つ。

 静と蓮華は一瞬心配そうにして、けれどもすぐに、確かな信頼と共に彼を送り出した。

 

『おうよ』

 

 かくして、希望の一撃を持ち、分身はゼットンバルタンの内へと戻る。

 リュウと、ゼットンと、バルタンの三人の力を合わせ……いや。

 心と体は三人で一つでも、メフィラスの想いも合わせ、想いは四人で一つに合わせ、闇色の奇跡に手を届かせるべく手を伸ばす。

 

 『三人で一つのチーム』(Tri-Squad)ではない。

 四人で一つの『挑戦者達』(Try-Squad)

 挑むのだ。

 世界に。

 大赦に。

 友奈に。

 そして、愛のために挑むと決めた困難と、困難に挫けそうになる自分の心に―――!

 

『ゼットン!』

 

 ゼットンに無理をさせて、本体分身合わせて四つの体を全て瞬間移動。

 瞬間移動を連続で行う四つの体で、四方八方から友奈を攻め立てる。

 

「あああああああ!!」

 

 しかし、四つの体が渾身で振るう四つの片腕、四つのハサミは、友奈の両手足が放つ四連撃に次々と弾かれていく。

 なんというバランス感覚か。

 この"全身を使う感覚"は、ブレイクダンスも余裕でこなす彼女ならではの戦闘特性。

 包囲が優位に繋がらないのが、異常であった。

 

『バルタン!』

 

 リュウは本体の足を止め、分身の操作を任せたバルタンに自分を守らせる。

 友奈が三体の分身に足止めされた一瞬で、リュウは強力な攻撃を組み立てた。

 分身、分身、分身。

 友奈の視界を埋め尽くす無数の分身。

 五千を超える、2mサイズの実体持ち分身が一瞬にして生み出され、飛翔した。

 

 それらは若葉の想いから受け取った炎を纏い、爆発力を増大させ、数千の爆弾を組み合わせた連鎖爆発を引き起こす。

 視界を埋め尽くす爆焔。

 鼓膜を破りそうな爆音。

 大気を焼いて産む爆煙。

 友奈は神域の移動速度と瞬間移動を織り交ぜて、巻き込まれれば今の友奈ですら気絶も免れない――恐るべきことに気絶で済んでしまう――ギリギリの領域を駆け抜ける。

 

「ああ、もう、もう、もう、もう、もう! 早く死んじゃってよっ!」

 

 そして、友奈は握った拳をハンマーのように振り下ろす。

 

 それは、災害だった。

 炎の暴風。

 炎の竜巻。

 炎の津波。

 炎の落雷。

 天地万物を粉砕しかき混ぜる災害が、無数の分身達を消し飛ばしながら放たれる。

 それは、太古の昔、神の御業に見られたものたち。

 炎で再現された"災害という名の神々"が、自然現象と似て非なる破壊をもって分身達を、そしてゼットンバルタン本体を飲み込んだ。

 

『!』

 

 友奈が膝をつく。

 全力で後ろに跳びながら、瞬時に移動可能な上限まで後方に瞬間移動し、慣性で後ろに飛びながらもなお炎に飲み込まれ、バリアを粉砕されながらゼットンバルタンが吹っ飛ばされる。

 

 友奈の心に光が残っていなければ、友奈が街を気遣っていなければ、一切の制御を行っていなければ、四国が原子レベルで消滅するほどのエネルギー。

 そのエネルギーに相応の、県一つ分の攻撃範囲。

 吹き飛ばされ、小山に叩きつけられ、山を突き抜けてなお止まらず、大地に転がるゼットンバルタン。その体の各所は業火によって焼かれ、グレーの煙を上げていた。

 

 リュウの残り少ない生命力が尽きかける。

 ゼットンバルタンのあちこちの肉が破れ、僅かに黄金の光――命の光――が漏れ始める。

 立ち上がろうとする。

 足に力が入らない。

 腕で体を起こそうとする。

 腕に力が入らない。

 指先は僅かに動くが、それだけ。

 ゼットンとバルタンと融合した体はまだ健在であり、心も未だ不屈であるが、それを操作するリュウの命がふらついてしまっている。

 

 友奈が迫る。追撃が来る。

 

『ぐっ……頼む……

 頼めるほどの義理はねェけど……!

 頼っていいほど、何かしてやったわけでもねェけど……!

 今、オレが頼みにできんのは……一つになってる、お前らだけなンだ!!』

 

 リュウの意志をリュウの命が裏切っている。

 だが、二つの異形は裏切らない。

 

 "我らは一つ、想いも一つ"と、言葉なくとも伝わる二つの意志。

 

 ゼットンが足腰を操作し、バルタンが上半身と腕を操作する。

 トドメに来た友奈の拳を、ゼットンバルタンの巨体が巧みに受け流し回避した。

 体の主導権をリュウに返し、ゼットンが瞬間移動で本体を逃しつつ、バルタンが三つの巨体分身を操作してリュウが回復する時間を稼いでいく。

 主人が弱くとも、醜くとも、情けなくとも、ゼットンとバルタンは構わない。

 主が立ち上がるまで、自分達が支えればいいと考える。

 

「……ああ、なんだか、イライラする……」

 

 友奈は今のゼットンバルタンの姿を見ていると、自分が嫉妬し、羨望し、憎悪し、安堵し、親しみを覚えることが何故なのか、自分自身でも分からなかった。

 

『……そうだ。一人なンかじゃねェ。怪物だッて、悪者だッて、きッと……!』

 

 闇の光線と光の炎がぶつかりあう。

 リュウは立ち回りも考えている。

 友奈が悪役に見えないように。

 自分達が悪役に見えるように。

 友奈が街を守っていて、怪獣が街を襲っている、そんな風に見えるように、余裕もないくせにできる範囲でそういう立ち回りを選択していた。

 だから、友奈が暴走していることに人々は気付いていない。

 

 そんなリュウと共に戦いながら、バルタンの心は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 

 バルタン星人は、かつて母星を失い、宇宙船で新天地を求めて旅立った種族だ。

 気の遠くなるほどの時間、宇宙を漂流し、故障した宇宙船の修理のため地球に立ち寄った。

 そして、20億3000万人の同胞を移住させるため、一体のバルタンが地球侵略を敢行した。

 してしまった。

 

 結果から言えば、侵略に踏み切ったバルタンは死に、20億3000万人のバルタン達は宇宙船を破壊されたことで死に、僅かな生き残りがこの後、地球とウルトラマンへの復讐に走ることになる。

 リュウのバルタンはよく覚えている。

 地球を守るために立ちふさがった光の巨人(ウルトラマン)の顔を。

 自分達を殺す時、光の巨人が憐れみを持っていたことを。

 本当に仕方がなかった、ということを。

 よく覚えている。

 

 バルタンは自分達が悪いことなど分かっていた。

 自業自得と言われれば、否定する言葉など持たない。

 侵略者は死ぬしか無いだろうと言われれば、そうだと言う。

 侵略された方と侵略する方どちらもが生き残れるわけがないと言われれば、頷くだろう。

 

 ただ、辛くて、悲しくて、苦しかった。バルタンはただ、それだけだった。

 

 「お前が悪い」と言われても。

 その言い草が正しくても。

 奪われることは辛い。

 殺されることは悲しい。

 同族が死んでしまえば、泣きたくなるような想いがある。

 

 まだ何もしていなかった同族が。

 生まれてから一度も何も傷付けていなかった同族が。

 ただ生きていたいだけだった同族が。

 "死んでよかったね"と思われていることが辛かった。

 正義に殺されるべき命だったと思われていることが悲しかった。

 20億も殺されて、めでたしめでたし、となっていることが、苦しかった。

 

 バルタンは自分を倒したものが正義だと認識してはいる。

 けれど、納得だけはできなかった。

 何よりも許せなかったものは、正義ではなく。

 

 "自分がもっと上手くやっていれば、誰も死ななかったのでは?"

 

 ……そんな、彼の中に渦巻く想い。

 何の意味もない後悔。

 みんなみんな死んでから考えても、何の意味もない思考。

 自分を嫌い、自分を憎む心だ。

 それは鷲尾リュウに力を貸す理由になり、乃木若葉への同情の理由になった。

 

 人間もバルタンも同じ。

 いつだって、価値を正しく認識するのは失ってから。

 仲間を全て失う悲しみを知るのは、仲間を全て失ってからだ。

 

―――私達は、生きたい

 

 人間もバルタンも同じ。

 ただ、生きていきたい。それだけだ。

 かつて20億の仲間の、生きたいという願いを何も守れなかったバルタンは、戦う。

 今は、2人の少年少女の生きていける未来を守るため、戦う。

 

 何も守れなかった結末の後、かつての仲間を想いながら、生き続けた乃木若葉が居る。

 何も守れなかった結末の後、かつての仲間を想いながら、リュウを守らんとする怪物が居る。

 彼女も彼も同じこと。

 鷲尾リュウへの想いは一つ。

 "大切なものを失った私のような想いを、彼にさせたくはない"。それだけ。

 

 乃木若葉の想いがリュウに与えていた炎が、分身を操作していたバルタンの左手に宿った。

 

 本体(リュウ)分身(バルタン)による、炎を纏った左腕が放つダブルパンチが、強固なガードを固めていた友奈の腕をかち上げ、神の炎を吹き散らす。

 

「うっ」

 

『ここだ!』

 

 ここだ、とゼットンとバルタンが貸している戦闘センスがリュウの中で叫び、赤嶺友奈に発生した千載一遇の隙を狙って、穢れを祓う鏑矢の力を乗せた一撃が放たれた。

 

 勝利に繋がる一撃が放たれ、そして―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界には、『樹海化』がある。

 神樹と人類の滅殺を目論み、四国の外から敵が侵入した瞬間、四国結界の内部の時間を神樹が停止させ、神樹の世界が世界を塗り潰すのだ。

 人の街は神樹の根に覆われ、時間が止まった街は破壊されることもなく、止まった時の中で『勇者』がその迎撃にあたる。これがこの世界の基本防衛だ。

 

 となると、疑問が発生する。

 何故今日まで、リュウと友奈の戦いには樹海化が発生していなかったのか?

 怪物が世界を破壊し、人を傷付けているのに、樹海化が発生しない。

 これはこの世界においては異常事態である。

 何故、樹海化は発生しなかったのか?

 それは、この戦いが特殊なものであったことが理由だった。

 

 この戦いは、()()()()()()()()()()()()()である。

 

 原因は大赦。

 怪物は鷲尾リュウ。

 防衛は赤嶺友奈。

 全員人間である。

 神の侵攻もバーテックスの襲来もない。

 集団自殺志願テロリスト達ですら人間だ。

 この戦いは最初からずっと、人間と人間の殺し合いであり、結界の中の人間がどんな未来を選ぶかという戦いでしかない。

 

 人類が自分達の行く末を自分達で決めたなら、神はそれを受け入れるだろう。

 リュウが勝っても、友奈/大赦が勝っても、きっと神は受け入れる。

 どちらかを罰することはない。

 ただ、人間という総体が自分達で選んだ形の世界を、神樹の力で支え続けるだけだ。

 

 これが、こじれた。

 本当に厄介な方向に発展してしまった。

 神樹を構成する意識体達の意見が、真っ二つに割れてしまったのである。

 

 神樹は神々の集合体である。

 その内部には神々や、戦い散った英霊など、様々な意識が混ざる、群体神性なのだ。

 当然、意見が分かれることもある。

 多くの神々は大赦、及び現在の世界の維持を支持した。

 これが現在の神樹の主体だ。

 そして、一部の神達が鷲尾リュウの方を支持した。

 これが、"造反神"と言われている。

 

 どこまでも人VS人だったこと。

 そして、神樹の内部紛糾。

 これが樹海化を妨げていた……というわけだ。

 

『彼は間違っていない。間違ったのは、鷲尾リュウと赤嶺友奈を追い詰めた愚かな人間だ』

『いや。我らがこの姿となったのは、人の世をできる限り平穏に、長く続けるためだったはず』

『人間達はあちらを立てればこちらが立たず、の状態だ』

『人間の選択の結果を手助けするならいい。しかし、人間の選択に干渉するのはどうなのか?』

『この狭い世界の行き先を決めるのは人間であるべきだ』

 

 だがその紛糾も、既に終わった。

 

 神樹の意思はとりあえずではあるが統一化され、神樹は単一の意志を取り戻す。

 

 世界に、樹海化が広がっていく。

 

 世界の時間が止まる。

 世界が神樹の根で覆われていく。

 色鮮やかな世界が広がり、花弁が空を舞った。

 輝ける光の樹海の中には、この世界へと引き込まれた勇者・赤嶺友奈と、倒されるべき怪物・ゼットンバルタンのみ。

 

『! これは……!』

 

「伝説の勇者様の話で出て来た……樹海?」

 

 この世界で時間は動かない。

 結界がどうだとか、そういうレベルではない。

 樹海化は、掌握した時間を完全に静止させる神の御業なのだ。

 

『!?』

 

 だから、神の力を全く持たず、神樹に許可されていない者は、誰もこの世界では動けない。

 どんなに喧嘩が強い者でも、時間を止められれば動けない。

 巫女がいい例だ。

 樹海内では、許可された巫女は動け、そうでないものはこの世界に入ることすらできないため、ここで動ける巫女とここに来ることすらできない巫女が両方存在している。

 天の神の使徒・バーテックスならば、神の力で時間を止めても止められない。

 この世界を滅ぼした怪物は、時間を止めても止められない。

 

 なら、ゼットンバルタンは?

 

『う……ぐ……動けね……!?』

 

 神樹が明確に、意識的に、この世界に招きつつ時間停止の権能をかけた。

 ゼットンバルタンは規格外だ。

 ダークリングという宇宙の闇の象徴の一つであるものに、リュウ、ゼットン、バルタンの絆の奇跡を重ねた超合体。

 その力をフルパワーで振り絞れば、神の力も神聖な力も欠片も持っていないというのに、完全に時間が止められてしまうこともなく、時間停止に抵抗できる。

 

 だが、それだけだ。

 一歩、前に踏み込むことすらできない。

 腕を上げることもできない。

 戦うことなど絶対に不可能。

 そして、目の前には動きを何も阻害されていない赤嶺友奈。

 

 時間停止にただのパワーで抗うという時点で化物だが、それでどうにかなるわけもない。

 

 

 

『お前は神に選ばれていない』

 

 

 

 ―――そう、誰か、何かが、リュウに囁いた。……そんな、気がした。

 

 今日まで神樹は、人間同士の争いでどちらかに味方せず、静観してくれていた。

 その慈悲を、リュウは理解する。

 今日まで神様達は、人間達が世界の行く末を決めることを待っていた。

 その残酷を、リュウは理解する。

 それも今日までで、神樹は今日ようやくリュウを()()()()()()()()()()()()という、人類全てを救いたい神樹が選びたくなかった苦渋の決断を、選んでしまった。

 その慈悲と残酷を、リュウは理解する。

 

 神様は人を愛している。

 人を大切に守ってくれている。

 だから、守る。

 もう七十年以上、一日も休まず人類を守り続けてくれている。

 人々の世界が続いていくことを望んでいる。

 だから、決めた。

 

 リュウの味方をする神様さえ居たというのに。本当に苦渋の決断だっただろう。

 だがそれでも、神樹も"選ぶしかなかった"のだ。

 助けて、と人々は叫んだ。

 守って、と人々は叫んだ。

 救ってください、とリュウが変身する怪獣を見て叫んだ。

 神樹は、皆の祈りと願いを聞き届ける。

 祈られれば、願われれば、叶える……それが、神のルールだから。

 

 西暦末期に、バーテックスに食い殺される人々に『助けて』『守って』と願われたのに、七十億人の願いも祈りも叶えられなかった、そんな地の神の集合体が神樹である。

 『救ってください』と叫んだ人達を、誰も救えなかったのが彼らである。

 人々のその叫びを、見過ごすことなど、できるわけがなかった。

 

 神樹を動かしたのは、友奈の叫びもだ。

 友奈は叫び続けていた。

 この世界は壊れてはならないと。

 皆の笑顔は失われてはならないと。

 今のこの世界が続いていくことを望む叫びが、神樹を動かした。

 神樹の"お気に入り"である友奈の叫びは、それだけで神樹の心を少しは動かすものである。

 人々の笑顔を、幸せを、願いを、日常を守りたいという友奈の願いは、きっと正しい。

 

 逆に言えば、状況がここまで悪化するまで、神樹の神々達は、鷲尾リュウの生存を諦めることを良しとしていなかったのである。

 

「……神樹様の御力、お借りします!」

 

 止まった時間の中で、友奈が跳ぶ。右手のアームパーツに光の炎が集約される。

 

 回避不能。

 防御不能。

 体の時間が止まっているのに、ゼットンバルタンに何をしろと言うのか。

 何もできるわけがない。

 

 次の一撃で、絶対的に、無慈悲に、どうしようもなく、リュウは終わる。

 

『動け……動け動け動け! クソッ、なンでこんな―――!!』

 

 これで終わり。

 

 ゼットンバルタンは敗北する。

 

 鷲尾リュウは死んで……それで、終わりだ。

 

 "そんな結末は受け入れられない"と、リュウが―――ではなく。ゼットンの心が、叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウが所持する七枚のカードの中は、先代ダークリング所持者から奪ったもの。

 その中でも先代が切り札として見ていたのは、ゼットンだった。

 ただのゼットンではない。

 このゼットンは見かけこそ普通のゼットンであるが、ある宇宙の特別なゼットン種である。

 

 そのゼットン種は時空の歪みなど、時空のエネルギーを吸収し、角は変形し巨大化、体の各部に黒い棘が生え、一兆度火球ではなく重力崩壊を起こしたブラックホール引力弾を使う。

 宇宙における通称は『変異種』。ゼットン変異種だ。

 先代ダークリング所持者は、この種の死亡した個体をカードに変換し、所持していた。

 

 単純な強さもハイエンドクラスだが、何よりこのゼットンには特別な特性があり、その特性が目覚めない可能性も目覚める可能性もあった。

 ゼットンが持つ『最強の遺伝子』が目覚めれば、一瞬にして変異種の力が覚醒する可能性があって、それがこの宇宙の神々が持つ"時も止められる権能"の対策になると先代は考えたのだ。

 結論から言おう。

 その目論見は、甘かった。

 

 このゼットンの力を超合体で強化しても、神の時間停止には僅かに抗えるだけ。

 体はまともに動かせず、角が時空のエネルギーを吸い上げているものの、一つの世界を作り上げるほどの神の強固な時間停止は無効化できない。

 何も、抗えない。

 何も、できない。

 無力感が体に満ちていく。

 

 いや、まだだ、とゼットンは考える。

 ゼットンは主を尊敬している。

 自分よりも遥かに小さくて遥かに弱いのに、ゼットンは自然とリュウを"自分より強い"と思うことができて、自分にそう思わせる主が大好きだった。

 大好きで、尊敬していた。

 だからここで終われないと、限界を超えて、限界を超えて―――その無理無茶無謀に、宇宙最強種ゼットンの『宇宙最強の遺伝子』が目覚める。

 

 覚醒して絞り出した力でも、ゼットンバルタンを動かせるのは数秒が限界。

 

 だが十分だ。()()()()()()()()()()()を、リュウに渡すことは出来る。

 

 それは、リュウの願いを叶えるためだけに限界を超えるゼットンの意地。

 

 ゼットン。

 彼らの種族に付けられたのは、全ての『終わり』を意味する名。

 初代ウルトラマンすらゼットンに『終わり』をもたらされ、それを見た者は絶望した。

 誰もが何かを終わらせようとして、ゼットンの力を使おうとする。

 リュウもそうだ。

 彼は友奈の笑顔を奪うものことごとくを『終わり』にしたかった。

 

 このゼットンにとって、自分が何かを終わらせることで、誰かの笑顔を作ることができるだなんていうことは……生まれて初めてのことだった。

 

 だから、決めたのだ。

 力を貸そうと。忠誠を誓おうと。

 彼のこの苦しみと戦いの日々に、自分が『終わり』をもたらそうと。

 ゼットンを彼が必要とする日々が終わるその日を、ゼットンは掴み取ろうとする。

 

 それは主である友を思う、終わりの願い。

 

『あああああああああああッ!』

 

 動きが止まっていたゼットンバルタンに油断しきっていた友奈を、左腕のハサミが捉える。

 

「!? えっ―――!?」

 

 発動するは、穢れを祓う絆の一撃。

 

 静、蓮華、メフィラス、バルタン、ゼットンの順に渡って来たバトンを、叫びと共に叩き込む。

 

『お前は負けるんだ! お前を―――』

 

 リュウは叫ぶ。愛を叫ぶ。

 

『―――赤嶺友奈を愛してる、皆にッ!』

 

 自分が友奈に向ける愛を。

 

 そして、皆が友奈に向ける愛を。

 

「勇者……パンチッ!!」

 

 ハサミの中で穢れを祓う闇に飲まれていく友奈が、自分の身も顧みない一撃を放つ。

 

 闇と光が炸裂する。

 

 それは、世界を丸ごと飲み込むような大爆発。

 

『何が正義だ! 何が神だ! 何が光だ! ―――テメェらに、友奈(こいつ)の何が分かるッ!!』

 

 リュウはその中でも、友奈を救う手を止めない。

 

 闇と光が入り混じる大爆発の中に精霊の穢れが飲み込まれ、消えていく。

 

『オレより友奈を愛してから、出直してこいッ!!』

 

 そうして、信じられない規模のエネルギーが爆発し。

 

 樹海化が解け、止まっていた時間が動き、元の世界が戻って来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 精霊の穢れは祓われ、消し去られた。

 らしくない友奈は消え、いつもの友奈が戻って来る。

 友奈を救いたいという皆の願いは、ここに確かに叶ったのだ。

 そして。

 

 仮面が割れ素顔が露出し、気絶し、路面に転がる鷲尾リュウと。

 穢れは祓われたものの、花結装を身に纏い、まだ戦おうとしていた友奈が。

 小雨が降り始めた夜の空の下で。

 その顔を、合わせていた。

 

「……え……?」

 

 何故?

 そう思った瞬間に、友奈の思考が動きながら停止した。

 色んなことに納得ができた。

 理解できないことがたくさん頭の中に発生した。

 わけがわからなくて頭が止まった。

 数々の事柄に"もしかして"という想像の手が伸びていった。

 

「え? え? え?」

 

 考えなければならないことがあった。

 考えたくないことがあった。

 考えていることがあった。

 全部の思考が高速で動き、止まり、また動き、止まる。

 赤嶺友奈は困惑の極みにあり、その視線が気絶したリュウの顔で止まる。

 

 友奈に殴られ、欠損した眼球。

 

「―――あ。ああああああああああ」

 

 誰がやったのか。忘れられるわけがない。

 

 友奈が叫んだ、次の瞬間。

 銃声が響き、異形が現れる。

 

 友奈の背後には、いつの間にか大赦の者達が居た。

 リュウの傍には、いつの間にかメフィラスが居た。

 叫び混乱する友奈には、リュウに向かって銃が撃たれていたことも、その銃弾をメフィラスが掴み止めてリュウを守ったことに気付く余裕もなかった。

 メフィラスはまだ戦える友奈、どこに何人居るかも分からない大赦、気絶してもう戦えないリュウを見て、密かに舌打ちする。

 

「今日のところは彼を休ませるため、撤退させていただきます。

 ですが、他の誰が何を言おうと、私には言い切らせていただきましょう」

 

 最後に、捨て台詞を残す。

 それはメフィラスの一族の習性。

 負けを認める時は素直に、勝ち名乗りを上げる時は堂々と、でも負けず嫌い。

 

「鷲尾リュウの勝ちです。赤嶺友奈を救ったならば、それは彼の勝利なのです」

 

「―――」

 

 その言葉が、友奈の胸に刺さる。

 

 メフィラスは赤嶺友奈を除いた全員を指差し、声高々に叫んだ。

 

「必ずや、愛のために地球人に挑戦し―――その心に勝利するでしょう! 我らが主が!」

 

 そして、逃げる。

 友奈がその背中に向けて手を伸ばすが、届かない。

 心的ショックで打ちのめされた体は、リュウもメフィラスも追ってくれなかった。

 茫然自失とする友奈に、大赦の男は気が引けながらも、上から命令された万が一の時のカバーストーリーを話し始める。

 話している男自身ですら、"ここまでこの子を使い潰していいのか?"と、疑問と罪悪感に苦しめられていた。

 

「赤嶺様、あれは偽物です」

 

「に、偽物?」

 

「ザラブという怪物が居たでしょう。アレと同じです。

 本物と同じ姿に変身できる怪物が、あなたを惑わそうとしたのです」

 

「偽物? じゃあ……」

 

「はい、つまりは……」

 

 と、そこで。

 

 "そんな胸糞悪くなる嘘は五秒も語らなくていいわ"とばかりに、車が友奈を跳ねた。

 

「!?」

「!?!?!?!?!」

「何事!?」

 

 突如突っ込んできた車は友奈を跳ね飛ばし、フロントガラス辺りに友奈の体を引っ掛け、そのままの勢いで走り去っていく。

 

 運転席の窓から親指を立てて突き出される、弥勒蓮華の拳があった。

 

「貴方達が気に入らないから、とびっきり煽らせていただくわ。ばいばいきーん」

 

「あっちょっとっ」

 

 大赦の思い通りにはさせない。

 その一心でとんでもないことをして、友奈を攫う。

 まさにこの状況の最善手。

 普通の人間では絶対に思いつかないような最善手であった。

 

「れ……レンち!?」

 

「その装備なら痛みすら無いと思うけど念の為確認するわ。友奈、大丈夫?」

 

「意図的に人を車で跳ねて平然と心配する人初めて見たよ……!?」

 

 蓮華は公園に友奈を転がし、車を止める。

 大赦の者達が来る気配はない。

 とりあえず、大赦が書いたシナリオは蓮華によって完全に粉砕されてしまったようだ。

 蓮華が髪をかき上げ、友奈に歩み寄ると、友奈はこの世の終わりのような顔をしていた。

 

 いつもの笑顔ではない。

 明るくもなく、可愛くもない。

 "してしまったこと"が、赤嶺友奈の笑顔を奪っていた。

 

「レンち……ごめん、ちょっと放っておいて」

 

「ええ。じゃあこれを聞かせたら放っておくわ」

 

「……?」

 

 蓮華は微笑む。

 微笑み、スマホを操作する。

 そして、録音を再生した。

 

 

 

■■■■■■■■■■

 

「オレが、この地球上で、一番に友奈を愛しているから!」

 

「するべきことが同じなら。

 背負う罪が同じなら。

 誰がやっても、友奈が救われるのなら。

 ―――あいつに未来をやるのはオレでありたい。それは、オレの自分勝手だ!」

 

「存分に否定してくれ。

 クソみたいな自分勝手だ。

 合理性もクソもねェ。

 自分の願いのために踏みつける人のことを考えてもねェ。

 だけど……

 誰の期待にも応えられず生まれてきた出来損ないが……

 間違ってた人生の中で、空っぽな自分の中に見つけた、たった一つの願いなんだ!」

 

■■■■■■■■■■

 

 

 

 本音を語れと言ったのは蓮華だ。

 録音していたのも蓮華。

 今友奈に聞かせたのも蓮華。

 悪魔のような、女であった。

 

「え……ええええ!? リュウって私のことそういう意味で……えええええ!?」

 

 友奈の思考が回る。

 回る。

 回る。

 頭の中がぐちゃぐちゃになるまで。

 

「リュウが私のこと好き……そんなに好きだったんだ……へぇー……へぇぇぇー……」

 

 そして、友奈は。

 

「……きゅう」

 

 考えることが苦手なのに、あまりにも一気に頭に情報を詰め込まれたことで、ショートした。

 

「友奈が全てを知り。

 罪悪感から道を間違え。

 そのまま、バッドエンド。

 ……三流の映画によくありそうな話ね。

 でもこの弥勒が主役の映画ではそんなことは許さないわ。全員笑って終わらないとね」

 

 微笑む蓮華。

 

「さて、皆が悲劇を予想した世界の流れをひっくり返して、喜劇にしてしまいましょう」

 

 そして、ここからが。

 

 最後の、そして本当の戦い。

 

 最後の夜が、やってくる。

 

 

 




 次から第七夜

 『最後の夜』です


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第七夜

投稿直前に致命的な誤字がよく見つかる……

追記:書き忘れていましたが、本日は高嶋友奈の誕生日。ハッピーバースデー!


 リュウは寝袋の中で目を覚ました。

 あれ、戦いは、と寝ぼけ眼をこすりつつ起き上がろうとする。

 が、激痛で起き上がれない。

 体と命へダメージが過度に蓄積しすぎている。

 そうだ友奈の穢れを消して……と思ったところで、リュウは周りを見る。

 

 買物袋を片手に得意げなバルタン星人と、買物袋の中身をチェックするメフィラスがいた。

 

「ふむ……よろしい。

 ちゃんと大赦の備品から盗んできましたか?

 透明化は一度も解きませんでしたね?

 よろしい。薬と食料は今の彼には必須です。

 にっくき大赦の物資を奪うことも、勝利に繋がり……おや」

 

 メフィラスがリュウの目覚めに気付いたようだ。

 リュウは思わず仰天する。

 

《 ザラブ星人 》

 

 メフィラスがダークリングでバルタンをカードに戻し、ザラブのカードをリードして、具現化したザラブに水筒を持たせていた。

 

「ザラブ、こっそり水を汲んできなさい。見つからないように気を付けるのですよ」

 

 こくり、と頷き、ザラブが川に向かっていく。

 リュウは周りを見渡したが、どうやらここは山中のようだ。

 よく見るとテントがあり、テントも寝袋も大赦の管理ナンバーが刻印されてある。

 どうやらメフィラスがリュウに無断でダークリングを使い、リュウを抱えて山に逃げ込みつつ、大赦から物資を奪ってリュウの安全地帯を作り、朝まで寝かせていたようだ。

 

 近くにいくらでもホームセンターやコンビニはあっただろう。

 だが、リュウが見る限り、周りにあるものは全て大赦の備品。

 メフィラスは大赦からのみ物を奪っていたようだ。

 これは敵、これは敵でない、という律儀なまでの区分から、メフィラスの性格が伺える。

 

 リュウはあまりにも予想外な展開と光景に混乱していたが、一旦思考停止した。

 弥勒蓮華との付き合いの中で、自然と鍛えられたスルースキルである。

 

「おはようございます主殿。今コーヒーを入れましょう、お待ち下さい」

 

「……おはよう」

 

 メフィラスが煎れてくれたコーヒーは、とても美味しかった。

 

 

 

 

 

 リュウはザラブから朝食を受け取る。

 とても柔らかく煮られたお粥で、リュウは何とか小さな茶碗の半分ほど食べ、辛うじて戦い続けるための栄養を補給した。

 

「ありがとう」

 

 リュウに感謝の言葉を告げられ、ザラブがぺこりと頭を下げる。

 ザラブは優しい手付きでリュウの体の血を拭き、包帯などを取り替えていく。

 あまりにも痛ましく、連戦の負荷もあって治るどころか悪化しているリュウの全身の傷を見て、ザラブは無言で顔を顰める。

 バルタンが買い物袋に詰めてきた医療用具で、ザラブはなんとかリュウの命を繋ぐ手当てを進めていく。

 

「負荷がねェな、どうなってんだ?」

 

「メフィラス星人にこの程度の負荷、無いも同然です。

 怪獣を複数出して制御するのには頭脳を使うようですしね。

 なるほど、操る分には魔剣士より魔導師に向く……我が一族にはむしろ使いやすい」

 

「……悪ィな、助かる」

 

「いえいえ」

 

 本来ならば、こんな用途は不可能だ。

 ダークリングは他人の手に渡れば簡単に所有権が移ってしまう。

 ダークリングで具現化した宇宙人にダークリングを渡してしまえば、場合によってはそのままダークリングを奪われる可能性すらあるだろう。

 大本の者であるリュウに負担が一切行っていないこともおかしい。

 

 だが、メフィラスはそれを成している。

 おそらく、理由は二つ。

 

 一つは、リュウがダークリングを手放しても裏切らないカード達からの好感。

 すなわち、その各々の怪物との絆。

 もう一つは、メフィラスのカードの、オリジナルの能力が高いからだろう。

 発現した知性、発揮している能力、ダークリングの使いこなしなど、戦闘力以外の面で言うことがない秀逸さが見て取れる。

 今のリュウには、この上なく頼りになる仲間だ。

 

 ザラブがリュウの胴体の包帯を締め、リュウが痛みに声を漏らし、ザラブがあわあわと右往左往し始めた。

 

「いだだだ」

 

「我慢してください、主殿。情けない声を出さぬように」

 

「テメェ本当にオレがカードから出した奴か? なんかオレの扱いがぞんざいじゃねェか」

 

「何をおっしゃいます。この身は貴方様に忠実なメフィラスでございますよ」

 

「クッソなんかバカにしてるように聞こえる」

 

 我慢していた笑いをこらえきれないように、メフィラスが含み笑いをした。

 

「さて、状況は複雑です。主殿、ご清聴願えますか」

 

「言われるまでもねえ。

 神樹様は完全に友奈の味方に回ッた。

 友奈もオレらへの殺意を緩めやしねェぞ?

 つーことはだ、もっともっと自分を強化しねェと駄目だってことだろうがよ」

 

「赤嶺友奈はかの怪物の正体が貴方だと気付いたようですよ」

 

「……! ……時間の問題だったが、そうか、ここで気付かれちまったか」

 

「正直に言いましょう。

 彼女は読めません。

 主殿の方が彼女の思考は正確に読めるだろう、と思うくらいです」

 

「当たり前だろ?」

 

「……ここまで堂々と最大の理解者気取りができるなら、信頼に足るというもの」

 

「オイ気取りってテメェ」

 

「話を戻しましょう。

 相手側の動きがまだ見えません。

 しからば、主殿が言ったことが正鵠を射る。

 赤嶺友奈を、そして神樹を超える力が必要です。でなければ、樹海化で負けます」

 

「あれは……確かにヤベェな。時間停止による、世界そのものを使った妨害」

 

「56億7千万通りのシミュレーションを行いましたが、今の手札では必敗です」

 

「……やめろ! レンの真似すンのはやめろ! アレが増えンのは悪夢だ!」

 

「天然ですがよく考えている御仁だと思うのですがね……」

 

「マジでやめろ……で、どうだ。今の手札では、ってことは打開策あンだろ」

 

 メフィラスが不敵に笑う。

 一度闇に堕ちたことで得たリュウの成長と力の拡大によって、メフィラスが固有の意志と高度な思考力を取り戻したことは、リュウにとって最大のプラスだったのかもしれない。

 

「ええ。打開策は少し考えつきました」

 

「! マジか?」

 

「情報があれば、後は考えるだけですな。

 パソコンで長時間データに精査をかけるのと同じです。

 メフィラス星人の頭脳は、地球人基準でIQ1万以上……余裕だったと、言っておきましょう」

 

「逆に頭悪そうだな」

 

「……!?」

 

 だが、そのありがたみを今のところあまり感じていないのがリュウであった。

 

 

 

 

 

 メフィラスはザラブを戻し、Σズイグルを具現化。

 Σズイグルの十字架棺を蓋なしで出し、そこにクッションを詰め、なんとそこにリュウを詰め込むというとんでもないことをした。

 先の戦いで、棺に詰め込まれた友奈は、棺ごと浮いて連れ去られかけた。

 つまりΣズイグルの棺は、非接触で浮かして動かすことができるのだ。

 2m状態で具現化しても、その能力は変わらない。

 

 大怪我を負った人間は、背負って運ぶだけでその振動が傷を開いてしまうという。

 人間は皆地に足つけて進んでいかないといけない以上、どんなにクッションやサスペンションをつけても振動は発生する。

 山道ならなおさらだ。

 しかし、Σズイグルが優しく運べば、それもない。

 

「主殿。痛ければ我慢せずに言うのですよ」

 

「オレは子供か、要らん念押しすンな」

 

「これはこれは、ご無礼を。

 確かに、小さな子供は痛ければすぐ泣き喚きます。

 無駄に痛みを我慢するなど、手当てが遅れるなど愚の骨頂。

 たとえば、子供未満の幼稚な人間でもなければ、素直に痛みを訴えるでしょうな」

 

「……」

 

「山を一つ歩いて越えます。しばらくはそのままの姿勢でどうか我慢をしてくださいますよう」

 

 丁寧口調で皮肉言ってれば柔らかい印象になると思ってんじゃねェぞ、とリュウは思ったが、心配されていることは分かっていたので、黙っていた。

 黙ったままむすっとしているリュウの横で、メフィラスが愉快そうに笑っている。

 

 メフィラスは両腕を後ろ手に組んで談笑しながら歩いていたが、Σズイグルは無言のまま、リュウを乗せた担架代わりの棺を浮かべて運んで行く。

 山道は段々獣道になっていき、舗装されていない地面は凸凹と石によって非常に歩きにくく、水はけが悪い領域はまるで沼のようだった。

 地面は乱雑に伸びた雑草や刺々しい草花に覆われ、木々は伸び放題で道を塞がんばかり。

 ほどなくして車が通れるほどのスペースもなくなり、猟師あたりしか使っていないのではないかというレベルの道になっていく。

 

 Σズイグルは浮かべ運ばれているリュウが植物の棘、木の枝に引っかかって痛い思いをしないように、浮かんでいるリュウの少し先で何気なく、茨を千切り、木の枝を折り、進む。

 メフィラスもまた、何気なくΣズイグルの歩行速度に合わせていた。

 

「サンキュ」

 

 リュウが感謝の言葉を伝えると、Σズイグルのギアが回る。

 回転するギア、動くエンジン、稼働する体の各所が合わさった音が、怪獣の声のように――リュウの言葉に応える声のように――聞こえた。

 まだ道中は道半ばにも達していない。

 リュウは話題を振ってもらっているだけでは申し訳ないという素の自分の性格を抑えきれず、自分からも話題を振った。

 

「メフィラス。お前らは、どういう経緯でカードになったンだ?」

 

 ふむ、とリュウに寄って来たハチを叩き落としつつ、メフィラスは語り出す。

 

「我々が怨念、未練、残滓などをカード化した物であるのは感覚的に分かっていると思います」

 

「……なんとなくはな」

 

「我ら七枚は全てが死者の残したものをカード化した物。

 既に死んだ怪物の残影です。

 ダークリングはそういうものもカード化できますからな。

 ここに意思はありますが、既に正常な生物とは言えず、生きてはいないとも言えます」

 

「死んだ存在を、ダークリングがカード化したもの……」

 

「私はかつて、暗黒の皇帝『エンペラ星人』に仕える最高幹部、暗黒四天王の一人でした」

 

「え……お、おう。オレの中学のダチも暗黒四天王だったなそういや」

 

「それはただの厨二病では?」

 

 こほん、とメフィラスは咳払い一つ。

 

「私はウルトラマンメビウスという者と地球人との絆に破れました。

 悔しくはありましたが、運が悪かったとは思っておりません。

 醜さと愚かさだけでない、強く、美しく、悪を跳ね除ける輝きの心。

 敗北を認める以外にはない完全なる敗北。完膚無きまでに私は負けたのです」

 

「へェ……バルフィラスの時みたいにボコボコにされたのか」

 

「いえ、それは負けていませんが」

 

「あン? 負けただろ、バルフィラス」

 

「確かに赤嶺友奈は強大でしょうね。

 私が一対一で戦ったとしても、負ける可能性は高い……

 ですがバルフィラスを操っていたのは主殿。

 あの時は私が戦っていたわけではありません。

 私が力を貸していたわけでもありません。

 よって正確には、私はまだ赤嶺友奈には負けていない……ということです」

 

「……お前頭良いかと思ったら結構すぐムキになンだな……」

 

「……いえ、今のは軽い冗談です。どうかお気になさらず」

 

「ン、おお」

 

「話を戻しましょう。

 ダークリングは残滓をカード化します。

 ゆえに、生前の存在を再現するわけではない。

 死した暗黒四天王メフィラスの一部がカタチを持ったのが、この私」

 

 彼ら(カード)は、先代のダークリング所持者が、使える手駒として集めていたものの一つ。

 

「私は、あえて地球人に挑み続けるメフィラスの心。

 地球人が私の誘惑に勝てば、敗北を認め去る心。

 本当は光の巨人と地球人を尊敬している……そんな心の残滓なのです」

 

「そいつは……悪役ッぽいンだか、悪役ッぽくないンだか」

 

「悪ですとも。この感情は、善き者は決して持たないものですからね」

 

 闇に生きる光への挑戦者。

 ゆえに光になることはない。

 光の巨人になりたいとも、地球人になりたいとも思わないまま、今の自分のままで勝利することを望み続ける。それがこのメフィラスだ。

 語るメフィラスの目に人間への敬意を感じ、リュウは一つ思い至る。

 このメフィラスは、赤嶺友奈や弥勒蓮華を"そういう目"では見ていたが……大赦の者達を、どういう目で見ていただろうか、と思う。

 

 彼はメフィラス。人の心に挑戦し、地球人の良心と心の強さを試すもの。

 

「地球人と光の戦士に単身挑み、勝利する。

 それが我々メフィラスの望むところと言えるでしょう。

 時には子供の心を試し。

 時には人間を皆洗脳し、それを打ち破れるか試し。

 今は、この世界が存続すべきか試す……それで我らが勝てたなら、素晴らしいことです」

 

「……『挑戦』が好きなのか?」

 

「ええ。心で勝つ。心で負ける。

 その時こそ、真に勝利と敗北を感じることができる……負けると死ぬほど悔しいものですが」

 

「紳士的な口調から突然負けず嫌いな一面出されるとちッと笑っちまいそうになるンだが」

 

「……負けず嫌いは治したい悪癖なのですが、どうにも困ったものです」

 

「いや、いいンじゃねェか。負けず嫌いな方が強くなるッて言うしな」

 

「お気遣いいただき、感謝します」

 

 負けず嫌いとは、己の負けだけでなく、負けてほしくない誰かの負けも認めない者だ。

 

「そのウルトラなんちゃらに殺されたのか」

 

「いえ。私はウルトラマンに負けた後、当時の主君エンペラ星人に殺されたのです」

 

「……マジ?」

 

「はい。仕事が終わりましたので、そのまま」

 

「えッ……それで殺されるもンなのか?」

 

「ええ、まあ。

 私も予想外でしたがね。

 エンペラ星人は要らないと思ったらノリで殺す御方でしたから」

 

「どういう組織でどういう上司だブラック企業か……!?

 大赦が十倍腐敗してもそこまでにはならねェと思うンだが!?」

 

「ですので正直大赦はマシだと思っている私もいます。

 ただし、マシなだけです。五十歩百歩という言葉をご存知ですかな?」

 

「まァそうなんだがな……つっても一応、大赦は世界のためにやッてんだが」

 

「ええ、そうですね。それは私も同意です。

 しかしながら、思うのですよ。

 他人のため、世界のため、他人を苦しめる。

 自分のため、野望のため、他人を苦しめる。

 苦しめられる側からすれば同じことでしかないのでは、とね」

 

 それはそうかもな、とリュウは考える。

 全て同じだ。メフィラスに挑戦された者も、皇帝に殺されたメフィラスも、リュウに加害される民衆も、リュウを追い詰める大赦も、大赦を追い込んだ天の神も。

 『被害者』という枠でくくれてしまう。

 

「私はどちらかと言えば、強者の側でしたが……

 格下の生き物はいつでも自分の都合で殺していいと思っている強者は、腹が立ちませんか?」

 

「……天の神か」

 

「大赦もいずれそうなる気がするのですよ。大義名分がありますからね」

 

「……」

 

 IQ一万という、小学生が考えたような規格外の頭脳は、時に未来を見通すようなことを言う。

 メフィラス星人は、社会の構造上の問題で現在の社会を維持するために踏みつけにされる"社会的弱者"と、戦闘力がないという意味での弱者が、基本的に同じであることを知っている。

 違うようで同じであることを知っている。

 弱者は生贄を強要されれば拒絶できない。

 メフィラスが語る理屈は、四国を支配する大赦と、暗黒の宇宙を支配する皇帝は、『その世界の中で最も偉い』からこそ腐敗してしまうという観点のもの。

 この星の外側から、この星を眺めた悪の者の感想だった。

 

 リュウは言葉の節々から、平然としたふりをしたメフィラスの恨み節も感じる。

 

「あれだな。全部終わったら、お前の仇も取りに行ッてやるよ。エンペラだっけ?」

 

「やめなさい。

 勝てません。

 この星の人間達程度の戦力では、どれだけの奇跡を積み上げても勝てません」

 

「そこまで言い切るレベルに強ェのか……」

 

「勝てない勝負に挑み、勝つ……それは光の者の資質。我々は堅実にいきましょう」

 

「あァ……堅実に勝てンなら、そうしてェが」

 

「目的のために手段をできる限り選ばない。

 あらゆる手で敵の勝利の可能性を潰す。

 先に下準備を徹底する。

 我々は何よりも大切な目的のため、悪辣に行きましょう。

 大事なことは、光の者達に憧れすぎないことです。闇が光に憧れれば、破滅が待っています」

 

「憧れは禁止か」

 

「ええ。

 愚かな闇の者が光に憧れるとどうなるかご存知ですか?

 奇跡に頼るようになります。

 気合いで勝てる気になります。

 頑張れば何でもできる気になってしまいます。

 ですがそれは、運命の女神に愛されし者にしかできないことでしょう」

 

「……」

 

「光に憧れた者達は、安易にその真似をして、死んでしまうのですよ」

 

 リュウは、メフィラスのその言葉に。

 

「お前とか……他のカードの奴に、そうやって死んだ奴でも居るのか?」

 

 死したメフィラスの心の一部がカードとなったこのメフィラスから、人間やウルトラマンメビウスへの確かな憧れのようなものを感じた。

 しかし、メフィラスは首を横に振る。

 

「いえ」

 

 その言い切りには、有無を言わせない否定の意があった。

 

「私はそのメフィラスの残滓の中の、『地球人に対し抱いた敬意』の残滓」

 

 Σズイグルの運ぶ棺の上、横たえられて居るリュウの体の上に乗る木の葉を、メフィラスは優しく拾い、手の上で燃やし灰にする。

 木の葉ではなくなったものが手の上に残る。

 灰だけが手の上に残る。

 木の葉の残滓である灰を、木の葉であると言う者はいない。

 

「私のオリジナルは……

 怨念が、怪獣墓場で別個体となって復活。

 本体も、別の戦いで復活。

 ここにその残滓がカード化した私が居ます。そういうものなのですよ」

 

「バラッバラだな」

 

「クローンというものがあるでしょう。

 あれも、上手くやれば一つの死体から数十兆体の個体が作れます。

 どれもクローンゆえに同じ。

 しかしながら、同じであると同時に、本当に完全に同じ存在は発生しません」

 

 この世から失われてしまった価値あるものを、本当の意味でそのまま復活させたり、復活させるということは、限りなく不可能に近いことなのだ。

 

「主殿……我らは同じ。

 貴方の気持ちも、全てではありませんが分かります。

 貴方が所有するカードは全て、貴方の気持ちを大なり小なり分かるのです」

 

「……あ」

 

「オリジナルが存在する。

 その一部が、私や貴方を構成する根源。

 怨念、未練、因子……

 オリジナルの残した何かから、私や貴方は作られた」

 

 高嶋友奈という過去の死人の因子から作られた赤嶺友奈。

 過去の人類最強の因子から作られた失敗作の鷲尾リュウ。

 死んだ怪獣や宇宙人の残滓から作られたカードの者たち。

 彼らは、同じ苦悩をその生涯に背負う者達。

 本物と言うには遠すぎる。

 偽物と言うには近すぎる。

 そして、『戦え』という願いの下に生み出された、戦うために生み出された命である。

 

「何かを継承し、何かを繋げているのです、私達は。

 私はオリジナルから自我が繋がっている認識で生きています。

 貴方はオリジナルと繋がっていない認識で生きています。

 ですが私も貴方も、オリジナルではない。

 因子から作られたのが貴方で、残滓から作られたのが私です。

 それは間違いなく本物ではない。

 されど、偽物でもないのです。

 私も貴方も、オリジナルからそのまま続いている何かを持っているはずです」

 

「……」

 

「それは、輪廻を巡る魂に近いものです。

 生と死の断絶を超越する、情報を継承する何か。

 それこそが私や貴方を作り上げたのでしょう。

 私達は本物に似て非なる偽物。

 そして偽物に似て非なる本物です。

 本物から作られた本物で……作られたという時点で、どこまで行っても模造品なのでしょう」

 

 オリジナルが見たもの、覚えた感情、刻んだ記憶を、"自分のもの"として覚えていて、それは本当に事実であるのに、本人ではない。

 本物なのか?

 偽物なのか?

 矛盾しているのか?

 矛盾していないのか?

 人によって答えが違い、明確な答えが出し切れない、曖昧な境界線の上にある命。

 

「貴方と、赤嶺友奈と、私達。そこに共感があり……私達の抱いた願いがあった」

 

「……オレは、どうすりゃその願いに応えられる」

 

「勝てばよいのです。貴方と赤嶺友奈が幸を勝ち取れたなら、それで良いでしょう」

 

 メフィラスはリュウと共に歩み続ける。

 他のカード達も、同じように歩み続ける。

 最後の瞬間まで、共に。

 

「赤嶺友奈の心は強い。おそらく、少し前まで普通の少女だった者としては、相当に」

 

「あァ」

 

「ですが私は、貴方の心が彼女の心に挑戦し、勝利するはずだと考えています」

 

「愛だ恋だの話で勝ち負け、ねェ……」

 

 リュウは苦笑する。

 メフィラスは勝つ、勝つ、と言っているが、リュウは愛の力を武器に友奈を救えれば他はどうでもいいから、勝ち負けで表現されているのがなんだか面白く感じてしまう。

 

「? 何を言っているのですか」

 

「?」

 

「地球人の恋愛は惚れた方が負けなのでしょう?

 ならば貴方は赤嶺友奈に勝ち、勝利をもって彼女を惚れさせるべきです」

 

「―――」

 

「我らは勝つために戦っているのです。どうかそれをお忘れなく」

 

 そして、メフィラスの言い草に、少し意表を突かれた。

 思わず、くくっと笑ってしまう。

 

「……やっぱ宇宙人の倫理観はちょっと地球人とは違うンだな」

 

「お嫌いですかな?」

 

「いンや。個人的には好きだ」

 

「ありがとうございます、主殿」

 

 リュウにダークリングの負荷はない。

 メフィラスを常時出している負荷もなく、メフィラスが出しているΣズイグルの分の負荷もリュウにかかっていない。

 発生していない負荷をリュウは不思議に思っているが、元々バルタンやゼットンが力の割に負荷が少なかったことや、メフィラスの"リュウの知らない用法を知ってそう"な振る舞いに、不思議に思っていても疑問に思ってはいなかった。

 

 それは、負荷をカードの方が引き受けているから。

 リュウが本来引き受ける負荷を、彼らが自らの意思で背負っているから。

 だから瀕死のリュウを死に至らしめる僅かな負荷も、彼にはかからないのである。

 それが()()()()()()寿()()()()()()()()ということを、メフィラス達は語らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、彼らは到達する。

 

 そこは、リュウと友奈が戦い続けてきた高知の僻地、山中にあった平地。

 ここに繋がる道はとうになく、大量の木々や草花をどけなければ来ることはできなかった。

 おそらく、軽く数十年は人間がここに来ていない。

 一人でも来ていたら、ここまで鬱蒼とした緑の密閉は出来ていなかっただろう。

 

 数十年分の緑が作り上げた自然の城壁。

 そこに囲まれた平地は、不自然なほどに雑草がなかった。

 雑草が一本も生えていない平地に、赤と青紫の花が咲き乱れていた。

 季節外れの二種の花が、色鮮やかに咲いていた。

 赤い花は彼岸花。青紫の花は竜胆。

 その花の名を、誰から教えられたわけでもないのに、鷲尾リュウは知っている。

 

「ここは……神樹の加護があるようですね。

 神樹が雑草一本も生えないようにしている。

 季節外れでも咲き続けることができるようにしている。

 人間の意識の流れも微妙に操作され、ここに向きにくくなっているようです。

 神の力に意識の流れを誘導されていることに気付かなければ、ここには来れないようですな」

 

「メフィラスはどうして気付いたンだ」

 

「宇宙物理学、というやつです。

 物理法則に則ったもの。則っていないもの。

 その両方を理解し、法則性を理解するのがメフィラスの宇宙物理学なのです。しかし」

 

「なんていうか」

 

「ええ、」

 

 リュウとメフィラスは、同時に口を開いた。

 

「なんと、おぞましい花畑」

「なンて綺麗な花畑だ」

 

「……」

「え?」

 

「なるほど、確かに見かけは綺麗な花畑に見えます。主殿も正しい」

 

「見かけは……ってなンだ」

 

「これは、何者かの醜い情念で咲く花。

 神樹がこれだけ加護を与えているのを見ると、おそらくは勇者でしょう。

 しかしながら光の側である勇者がここまでの情念を……? 少し、疑問はあります」

 

「勇者の、醜い情念?」

 

「自分が

 『そうありたくない』

 と願った勇者が置いていった情念、光で在ろうとした勇者の忘れ物かもしれません」

 

 メフィラスは地面に並んで咲く、彼岸花と竜胆の花に手で触れた。

 

「おぞましいものです。

 感じられる感情が、あまりにも醜く、大きい。

 家族への憎悪。

 愛への渇望。

 故郷の者達への怨嗟。

 民衆を許さないという思い。

 世界を壊したいという憤怒。

 そして、何よりも大きな、大切な人を失った悲嘆。

 蓄積された負の感情はもはや数え切れず……

 既存の感情と同じ名前を付けられない感情も多い。

 おそらくは七十年以上経っても、目減りの気配すら無い負の感情です」

 

「そンなにかよ」

 

「この花を植えた者がどんな者だったのかは分かりません。

 ですが……

 彼女は憎悪と怨念を込めて、この種をここに埋めたのでしょう。

 ここに憎悪と、怨念と、その根幹となる思い出を置いていったのです。

 これは、憎悪と怨念で咲き誇る竜胆と彼岸花の花畑。

 神の力が混ざり、二つの花は肩を並べて、一年中ここで咲いている……なんと醜い」

 

「オレはあンまそうは思えねェんだよな」

 

「何故ですか?」

 

「その醜さが、なんだか愛しく思えるものに見えてンだと思う。多分」

 

「ふむ、なるほど……この闇を受け入れられる、闇の気質でしょうか。推察ですが」

 

 メフィラスは周囲を探索し、花畑の中心にネームプレートを見つける。

 それは数十年の間に劣化し、多くの文字がかすれて消えてしまっている。

 だが、読み取れる日付や文字もあった。

 メフィラスは浮いているリュウにも読み取れるよう、それを持ち上げ抱えて読む。

 

「1/11と書かれているようですね。いったい何の日付なのか」

 

「誕生日だろ。誕生日を祝うッていう明るい行動と重ねたンだと思う。

 そうすりゃ恨みを込めて種を植えるッて自分の行動が薄まる。

 花が咲く限り自分の憎悪が消えない、ッて自分の考えが、少し帳消しになッた気になる」

 

「……? 何故、そう思ったのですか?」

 

「うン? 勘」

 

「……なるほど。では、そういう前提で考えてみるとしましょう」

 

 勘にしてはあまりにも細かく、かつ断言系である言葉。

 リュウは勘でここまで言い切る人間ではない。

 ならば、これは勘ではないのだろう。リュウは勘だと思っているだけで。

 メフィラスはそれを理解していたが、あえて言うことはなかった。

 

「今日が12/31だから、11日後か。1/11」

 

「ここに名前がいくつか書いてあります。

 読めるのは……この一つだけですねぇ。

 せん……千景(せんけい)でしょうか? ふむ……」

 

「綺麗な名前だな」

 

「? そうですね。地球人の感覚だと、そう見える名前なのかもしれませんな」

 

「つかよ、そろそろ本題に入ッていいんじゃねェのか。ここに何をしに来たんだ」

 

「少し、迷っています」

 

「あ?」

 

「ダークリングの機能を覚えていますか。カード化の能力です」

 

「? ……! お前、まさか」

 

 それは、メフィラスが考えた乾坤一擲、渾身の奇策。

 

「この地に満ちる、膨大な怨念。

 神樹が注いだ神の力。

 これらをまとめて、ダークリングでカード化することが可能なのではないでしょうか?」

 

 怪獣や宇宙人の怨念、未練、残滓。

 それらが、リュウの所持するカードの源であるのなら。

 メフィラスの発想は、実現可能であると言う他無い。

 

「……いけンな、多分!」

 

「しかし、迷うのです。

 これだけの憎悪、怨嗟、未練……

 あまりにもとてつもない。

 カード化の際に負荷が発生すれば、主殿の体はそれだけで」

 

「カード化始めるぞ!」

 

「話を聞けい! 主殿!」

 

 ダークリングが闇色に輝き、その空間に存在するものを飲み込んでいく。

 神の力を。

 咲き誇る彼岸花と竜胆の花々を。

 そして、怨念達を。

 全ての力がリングを通り抜けると、それは一枚のカードの形を成した。

 

 リュウの手に握られるは、『八枚目』。

 

 拍子抜けするくらい簡単に、負荷もなく、カードは作成される。

 彼岸花と竜胆の花が描かれていて、カードを傾けるとその背景が移り変わる。

 背景に映るは千景(せんけい)

 竜胆の花と彼岸花の花が、千景を旅しているかのようなカードであった。

 

「お、出来た」

 

「……」

 

「メフィラス、どうした? 負担とか負荷とかは0だッたぞ、安心しろ」

 

「いえ。

 仮にも怨念。人を呪うものです。もう少し苦労するかと思ったのですが。

 まるで、残留した思念が自ら望んでこちらに助力して来たかのような……」

 

「あンのか、そういうこと」

 

「さて。無いとは言いませんが、予想していなかったことではあります」

 

「いいじゃねェか、オレらには都合が良いことで」

 

「確かに。脇に置いておいていいことでしょうな」

 

 過去に人を憎み、恨み、生きたいと願ったまま死んで行った誰かの想いを形にしたカード。

 それは憎悪。

 それは怨念。

 それは未練。

 けれど。

 もしも。

 そこに。

 もっと暖かくて優しい気持ちが、混ざっていたなら。

 これは単純な闇の力とは言えないカードなのかもしれない。

 

「闇だけではない闇のカード、か……主殿。一旦戻りましょう。作戦を練る段階です」

 

「ああ」

 

 リュウとメフィラスはもと来た道を戻り始め、Σズイグルがリュウに水のペットボトルを無言で差し出し、彼らは戻る。

 

 今夜がきっと、最後の戦い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中で、赤嶺友奈は、自分と対峙していた。

 いや、自分ではないのかもしれない。

 ところどころが、自分と違う。

 自分と同じ顔をした、自分ではない自分が、そこに居た。

 

「あなたは、私?」

 

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」

 

「私と……同じ顔」

 

「そうだね。同じ顔で、違う心で、違う人生を生きてきた。私は高嶋友奈」

 

「私は……赤嶺友奈」

 

 同じ顔の友奈が、目の前で微笑んでいる。

 

「私のつまんない話、ちょっと聞いてくれるかな」

 

「……いいけど」

 

「色んな人が居たんだ。

 郡千景……ぐんちゃんとか。

 貴方も知ってる乃木若葉ちゃんとか。

 他にもいっぱいいて、そうだ、リュウくんもね?」

 

「リュウ?」

 

「……12月にね。

 リュウくんが約束してくれたんだ。

 1/11が私の誕生日だったから。

 誰よりもでっかくお祝いするぞ、って。

 毎日楽しみだった。

 毎日ワクワクしてたんだ。

 でもね、そうはならなかった。

 リュウくんは不安になった人達に、12/25に殺されちゃったから」

 

「……!」

 

「あと二週間くらいだったから、私も楽しみにしてて……

 ううん、これは話さなくていい話だ。

 私とリュウくんは約束してたんだ。

 一緒に頑張ろうって。

 一緒にみんなを守ろうって。でも、私達が守ったみんなに、リュウくんは殺されちゃった」

 

 高嶋友奈と名乗る少女が、ぽろっと気持ちをこぼして。

 

「私がみんなを守ったのって、間違いだったのかな。みんながリュウくんを殺したら、それは」

 

 漏れ出しかけた気持ちを、必死に抑え込み、微笑む。

 

「……ごめん、今の無し。聞かなかったことにして」

 

 少女は、振り絞るように言う。

 

「クリスマスに戦い始めて。

 でも、殺さないで、死なせないで。

 あなたはまだ……何も終わってないんだね」

 

 少女は、絞り出すように言う。

 

「頑張って。あなたはもう、真実を見つけたはず」

 

 少女は、願うように言う。

 

「人身御供を廃して。

 真実と立ち向かい。

 かりそめではなく本当の平和を取り戻す。そんな英雄譚を、待ってるから」

 

 少女は、祈るように言う。

 

「目が覚めた頃には、全部忘れちゃうよ。大事な夢はいつも忘れちゃうものだもんね」

 

 そうして、赤嶺友奈は目覚める。

 

 

 

 

 

 友奈が目覚めた時、傍には二人の親友が居た。

 

「おはよう、友奈」

 

「レンち」

 

「無事みたいやな。よかったよかった」

 

「シズ先輩」

 

 大切な幼馴染は、傍には居なかった。

 

「リュウ」

 

 覚悟をもって。

 決意をもって。

 赤嶺友奈は、拳を握る。

 

 それは、大切な人の未来を守るという、誓いの拳であった。

 

 

 




 メビウスで、地球人とウルトラマンの心に負けた後、地球から離れるわけでもなく、見惚れるように地球を眺めてたせいで、エンペラの奇襲食らって消滅したメフィラス


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2

 赤嶺友奈は道端の花を指差した。

 下校中の鷲尾リュウはそれだけでは意味が分からず、首を傾げる。

 

「ほら、あれだよ。前世でああいうのだったんだと思うんだよね、私達」

 

「花?」

 

「そそ。私とリュウで並んで道端に咲いててさ。

 人間に踏まれるのに怯えてるから寄り添ってて。

 風に吹っ飛ばされないように支え合ってて。

 人間見上げて、

 『来世は人間に生まれ変わるぞー!』って言い合ってるんだ」

 

「オレも言ってんの?」

 

「二人で言ってるの。

 でさ。二人で仲良く生まれ変わろうって約束するの。

 二人揃って人間になって、また隣に、って。

 で、そこでリュウが茶々入れてくる。

 『二人一緒に人間に生まれ変われるとは限らないだろ』って」

 

「お前の想像なのにオレのセリフ入ってるのか……」

 

「で、約束するんだ。

 片方だけ人間に生まれ変わって。

 片方だけまだ花だったら。

 人間になれた方は、その花を部屋に持って帰って、その花の一生分大事にしようって」

 

「生まれ変わったのに見つけられるか?」

 

「見つける見つける。

 私は絶対見つけるし、リュウも絶対に見つけてくれるって信じてる」

 

 友奈はそう言い、いつものまったりとした笑顔を、花のような笑みに変える。

 

「で、さ。なーんか最近私と距離取ってない?」

 

「気のせいだろ」

 

「いいや、気のせいじゃないね。触れ合いが足りない。なんか会話もちょっと減ったよ」

 

「……離れたとしたら友奈の方だぞ。呼び方変わっただろ」

 

「えー、だってリュウくんっていつもみたいに呼んでたら、からかわれるんだもん」

 

「全部オレのせいってわけじゃないだろ」

 

「えー、リュウのせいでしょ、いっちょ前に思春期入ってない?」

 

「入ってない」

 

「あーあ……あんまり胸とか大きくならないほうがよかったかな。変に距離取られるし」

 

「え、あ、な、何言ってんだ。勘違いすんなよお前」

 

「えー」

 

「お前何回えーって言うつもりだ」

 

「今のえーは『リュウのえっちー』の略」

 

「えっちじゃない!」

 

「えっちー、思春期ー」

 

「このクソガキ!」

 

 ぎゃーぎゃーと、二人で軽く喧嘩しながら下校していく。

 

 赤嶺友奈と鷲尾リュウは喧嘩をしないわけではない。たまにして、すぐに仲直りするだけ。

 

 一年以上会えなかった時期に入る直前も、喧嘩別れだった。

 

 

 

 

 

 それは、しばらく経った今も同じ。

 リュウと友奈は互いに対して明け透けだから、そして何より意志が強くて頑固だから、妙に互いに対して譲らないことがある。

 だから、こうなるのだ。

 友奈もリュウも、自分の幸せは妥協しがちなくせに、相手の幸せは妥協できない。

 だから、ここまで転がってしまう。

 

 妥協しない者が行き着く先で引き起こすのが殺し合いや、戦争である。

 友奈はリュウの幸福を妥協しなかった。

 リュウは友奈の幸福を妥協しなかった。

 妥協しないから、ぶつかり合うことになった……とも言える。

 もちろん、最大の原因はそう仕組んだ大赦の者だろう。

 だが、その企みは全て明らかになった。

 ここから先に、大赦の企みが介入できる余地はない。

 

 この世界の行き先は、鷲尾リュウと赤嶺友奈が決める。

 

 二人の中の譲れないものと願うものが、人類全ての未来を決定する。

 

「……」

 

 友奈は無言で、昨日知ったことを頭の中で整理し、叫んだ。

 

「あああああああ!!!!」

 

 もう叫ぶしかないので、叫んだ。

 

「アカナこれ何度目や」

 

「さあ? 弥勒は数えていないわ」

 

 友奈は今日まで、最悪を積み上げてきたと言える。

 彼女はリュウの生きる世界を守りたいという願いを抱え、戦ってきた。

 傷一つ付けたくない、という願いはリュウだけのものではない。

 リュウが友奈を傷付けたくないように、友奈もリュウを傷付けたくないのだ。

 だからこそ、積み上げた最悪がある。

 

 友奈はリュウを傷付け、幾度となく攻撃し、殺意をぶつけて、その目を抉って、腕を奪った。

 一生物の後悔である。

 最悪、それを知った時点で友奈は一生幸せになれない人間に成り果てていたかもしれない。

 愛は諸刃の剣だ。

 愛から生まれた憎悪は何よりも強い憎しみになる。

 愛した者を傷付けた後悔は、何よりも深く刻まれる傷になる。

 愛なき者より、愛持つ者の方が傷付くのがこの世界の条理である。

 

 赤嶺友奈は、心の地獄に落ちる運命にあった。

 が。

 弥勒蓮華が、運命の歯車を一つ蹴っ飛ばした。

 歯車が一つ足りないと、歯車が逆に回り始めることも、全てが壊れることもある。

 運命もまた同様だ。

 

 もう、色々と台無しになっていた。

 

「んんんんんんんんんっっっっっっ」

 

 友奈はリュウへの罪悪感を思う度、リュウが友奈へ叫んだ愛の録音を思い出し、罪悪感にろくに浸れないまま羞恥心と嬉しさで転げ回る。

 そんな友奈を、静と蓮華が呆れた目で見ていた。

 寝ても覚めてもリュウリュウリュウリュウ。

 落ち着こうが慌てようが彼彼彼。

 友奈が自分を責めようとすると即座に記憶のリュウの声が愛を囁いてくる。

 まるで、友奈の心を追い詰めるものを、リュウが片っ端から消し飛ばしていくかのように。

 

 だが、当たり前のことなのだ。

 赤嶺友奈の中で、鷲尾リュウからの恋愛感情より大きく扱われるものなどあるはずがない。

 罪悪感ですら比べればカスだ。

 愛は全てを塗り潰す。

 塗り潰していく。

 悲劇一直線だった世界の流れが、天の神が作った完全に詰んだ世界が、愛に欠けた大赦の冷静な采配が、リュウと友奈に押し付けた悲しみの数々が、全て当たり負けしていく。

 

 さながら、小学生と相撲取りが土俵の上でぶつかっているかのようだ。

 悲しみが土俵に上がってくる。

 後悔が土俵に上がってくる。

 自分を攻める気持ちが土俵に上がってくる。

 しかし、リュウの言葉という名の『愛』が相撲取りとなって全てを弾き飛ばしていく。

 

 友奈の心には、リュウが叫んだ愛しか残らない。どす恋。

 

「リュウに言いたいことが多すぎる……!!」

 

「せやろね」

「そうでしょうね」

 

「もおおおおおお!! なんで二人はリュウと一緒に居たのに……もおおおお!!」

 

「何言っとるのか分からんな」

「でも何を言いたいのかは分かるわね」

 

 友奈の選択を、静と蓮華は穏やかに待つ。急かしはしない。

 選ぶのは友奈である、というのが二人の共通意見であった。

 戦わなければならない理由も、戦いたくない理由もあった。

 

 これは、かつての戦いのロスタイム。

 郡千景は絶望の果てに花の種を植え、戦いの中で死んだ。

 高嶋友奈は仲間が皆死んでいく中、悲しみと悲嘆を振り切るように一撃を放ち、世界の命運を繋いで死んでいった。その因子は、まだ輪廻を巡っている。

 乃木若葉は生き残り、この世界に繋いだ。

 鷲尾リュウのオリジナルは、彼という失敗作へと繋がり。

 かつて宇宙のどこかで戦い、死んでいった悪の残滓は、リュウの手の中にカードとして残り。

 日本神話における天の神と地の神の戦いは、百万年以上経った今も続いている。

 これは、西暦が終わり人が負けても終わらなかった人の戦いのロスタイム。

 

 西暦の人間が神に強制的に背負わされた重荷を、西暦が終わった後の人間達が延々とツケを支払い続けている。

 最悪、この時代が終わっても、それは数百年続くかもしれない。

 鷲尾リュウ。

 赤嶺友奈。

 二つの"時代の遺物"は、果たして何を選ぶのか。

 

 赤嶺友奈の体に力が満ちている。

 消耗もほぼない。

 それは彼女が覚えていない夢の中の彼女が、『次代の友奈』に与えた何かだろうか。

 

「アカナ」

 

「んああああ……シズ先輩?」

 

「辛かったら全部投げ出してもええんやで。そっからが大変かもしれへんけど」

 

「!」

 

「なーんもかんもアカナに押し付けとんのがおかしいや。

 相手もあのイー君やしなあ……

 せや、大赦も倒してアカナとイー君で王様と王妃様にでもなりゃええねん」

 

「大赦抜きで四国運営する自信あります? 私は無いですね」

 

「むー」

 

「弥勒はあるわ」

 

「レンちは黙ってて」

 

 実際のところ蓮華は自分が大赦の代わりを務められるだなどと思ってはいないが、そう言う自分を貫くことで、友奈とリュウに別の道を示せることを知っている。

 だから、あえてそう振る舞っている。

 友奈とリュウの幸せのために大赦が滅びても、その後を自分がどうにかしてみせる……これは、そういう友情の献身なのだ。

 とても分かりづらいが。

 

「ありがと、二人共。でも、全部投げ出す気はないんだ」

 

「……そか」

 

「私、リュウのことが好きだから。

 あいつが本当にどうしようもなく間違った時、止めるのは私でありたいんだ。

 この星の上で、私だけがあいつの特別で居たい。そんな願いもここにあるから」

 

 友奈は胸に手を当て、目を閉じ、祈るように言葉を紡ぐ。

 

 さらっとそんなことを友奈が言うものだから、静は頭の中がくらくらした。

 

「……うおっ」

 

「え、何その反応」

 

「友奈は真っ直ぐね。分かりやすくて好ましいわ」

 

 蓮華が上機嫌に笑い、綺麗な髪をかき上げる。

 

「守る、ということでいいのかしら? 友奈」

 

「うん。リュウの気持ちは分かる。

 でもね、どーしても思うよ。

 それは間違ってるって。リュウだって分かってないわけがない」

 

「そうね。弥勒から見ても、彼は本来友奈側の人間に見えたわ」

 

「それでも……リュウが、そうしたなら。

 それはきっと、間違ってても人を救うもので。

 リュウが分かってる大事なことより、もっと大事なことだったんだ」

 

「そうね。友奈を救いたがっているリュウを、弥勒はこの目で見てきたわ」

 

「この星で一番友奈を愛しとるらしいしな」

 

「ああああああああああああああああ」

 

「うわっ壊れたやんけ」

 

「壊したのはシズさんでは……」

 

 会話一時停止。

 時間経過。

 再開。

 

「私がこの世界を、社会を守りたいのは、ここでリュウと生きていたいから」

 

「個人か、世界か。

 よく物語では語られる二択ね。

 でも、世界が残らなければ、個人も残らない……友奈はそうしたいのね?」

 

「うん。

 でも、そうだね。

 皆がリュウを許さないなら……リュウを連れてどこかに逃げようかなあ」

 

「あら……愛の逃避行? 弥勒も少しそういうのには憧れるわね」

 

「ロックもアカナも発想吹っ飛んどるわ……

 ま、そんくらいでなきゃ鏑矢は務まらんしな。アカナはイー君を見捨てない、と」

 

 当たり前のことを言う静に、友奈は当たり前のように頷く。

 

「一生傍に居るよ。

 だって、リュウの目と腕は一生使うはずだったんだから。

 奪った私が一生傍に居て、なくした目と腕の代わりになってあげないと」

 

 静の頭がまたくらくらしてきた。

 

「私は、私だけじゃなく、私の大事なもの全部大事にしてくれるリュウが好きだよ」

 

 蓮華は少し考え始める。

 

「それを捨てさせちゃった極悪人は……きっと、私なんだ」

 

「でもこの星で一番愛されてるのよ、貴方」

 

「ああああああああああああああ」

 

 もはやコントであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウが今使えるカードは六枚。

 七枚目を除外し、割れて使えなくなったパンドンを除外し、八枚目を入れて六枚。

 八枚目の解析を進めるメフィラスの横で、リュウは地面に脱力し座り込んでいた。

 

「本当はな、友奈の大事なもの全部、大事にしない奴に、あいつを愛する資格はねェンだ」

 

 ならば、社会を壊して友奈の未来を確保し、友奈の大事なものの多くを踏み躙ろうとする者は?

 

「そいつを踏み躙ろうとするオレは極悪人だ」

 

「そうなろうと決めたのでしょう?」

 

「……あァ」

 

「何。彼女は貴方を受け入れますよ。

 貴方を受け入れないのは赤嶺友奈ではなく、貴方自身です」

 

「む」

 

「嫌いだから受け入れられないのです。

 愛するから受け入れられるのです。

 光だから許せるのです。

 闇だから許せないのです。

 許しと愛は同義。

 貴方よりずっと、赤嶺友奈の方が、貴方のことを愛している」

 

「こっ恥ずかしいこと言いやがッて」

 

「道理を羞恥で語れないのは子供と言うのです、主殿」

 

 リュウは言い負かされ、押し黙る。

 

「……あいつは必ず、オレを止めに来る」

 

「でしょうな。彼女は自分のことがあまり勘定に入っていないようですし」

 

「あいつは、許さない人間じゃねェ。

 むしろ誰よりも許しを知ッてる。

 でも、それは人を許すだけだ。

 悪を、罪を許してるわけじゃねェ。

 してはいけないことはしてはいけないこと。

 そこをあいつが揺らがせるわけじゃァねェ。

 人を許す慈悲があって、悪を正す正義の感覚があるあいつは、オレを必ず止めに来る」

 

「貴方がそう理解されているなら、それが正解なのでしょうね」

 

 メフィラスは八枚目の分析を進めながら、リュウの背中を押そうとする。

 ハッキリ言ってしまえば、メフィラスですらこの先は全く読めていない。

 この先どう転がる可能性もあると思っている。

 なればこそ、リュウに必要なのは、"分かりきったことを再確認する行為"……すなわち、覚悟の強度を上げる言葉だと理解していた。

 

「主殿。想いを抑えませんように。

 その想いこそが、貴方を振り切らせるのです。

 中途半端な良識はきっと貴方を後悔させます。

 優しいがゆえに不幸になる情けない主人の姿など、我々は求めておりません」

 

「だな」

 

 鷲尾リュウは、遠く離れた友奈へと向けて言葉を紡ぐ。

 

 死にかけのリュウは命尽きかけ、油断すれば意識が飛びそうになっていて、呼吸は早く、浅く、視線は定まっていない。顔色も死人一歩手前だ。

 だが、生きている。

 まだ、死んでいない。

 彼の未来は途絶えていない。

 

「ずっとずっと、無価値に生きてきた。

 生まれた時からずっと空っぽだった。

 空っぽな自分を、君が埋めてくれた」

 

 それは、友奈への愛の言葉。

 

「君は周りの誰にも優しくて、だから誰からも好かれていたけど。

 君が誰にでも向けていたありきたりな優しさだけで、空っぽな胸がいっぱいになった」

 

 それは、友奈への感謝の言葉。

 

「この心は、この想いは、全部君で出来ている」

 

 自分に何の取り柄もないと思っていた少年が、自分には何も無いと思っていた少年が、その生涯で唯一自分に備えられたと思っているもの。

 自分自身の内より編み上げ、自分自身に備えたもの。

 自ら望み、自ら彼女を選び、掴み取ったもの。

 

 『愛』。

 

 戦いの始まりの日から、最低で、最悪で、苦痛の海から最善を探すような時間だった。

 でも、悪いことばかりではなかった。

 大切な人の未来のためだけに戦う。

 それは、きっと悪いことではなかった。

 大切な人のために生きられることは……自分には何も無いと思い続けてきた彼にとって、何にも代えがたい価値だった。

 

「分かりました。八枚目は極めて特殊ですが、特別な使い方をするものではありませんね」

 

「そッか」

 

「このカードの用法は単純です。

 普通に使えばそれだけで天下無双でしょう。

 ですが、このカードを分析していて、少し思いついたことがあります」

 

「?」

 

「全てに勝利し、赤嶺友奈を主殿のものとした後、ついでに天の神も倒してしまいましょうか」

 

「! 何か良い手を思いついたのか?」

 

「ええ、まあ。ですがそれは、とりあえず」

 

 そうして、二人は。

 

 結界の外の、はるか遠く彼方に見える『バーテックス第二陣』に視線をやった。

 

「奴らを一掃してからにしてしまいましょう」

 

「だな」

 

 天の神は未だ健在。

 バーテックス達は段階的に、準備が終わった順に攻め込んで来ているだけで、その総数は全くと言っていいほどに減っていない。

 その総数は無限にすら思えてしまう。

 結界の外の燃える世界は、また炎と怪物に埋め尽くされていた。

 

 小型個体、星屑と呼ばれる存在。

 集合進化個体、黄道十二星座と呼ばれる存在。

 そしてリュウ達に対応したのか? 怪獣を模造したような存在。

 何体並んでいるのかもう分からないほどの、『本物の怪物の群れ』。

 リュウなどという怪物の姿になっているだけの人間とは、あまりにも桁が違う。

 

 数が違う。

 無限の数で押し潰す、それが怪物。

 醜悪さが違う。

 リュウのような人間とは、醜悪さの純度が違う。

 意志が違う。

 この怪物達は、人間の幸福を一つ残らず踏み潰す意志に、一切の躊躇いがない。

 

 なのに、この怪物達は、一面的に見れば悪ではない。

 "傲慢に思い上がった人間を滅ぼす"という、天の神の正義に従う神の使徒であるからだ。

 それは正義に従う天使、とも言えるものであり―――『悪』が倒すべきものである。

 

「生まれた星は違っていても、共に作る未来は一つ。永遠に魂は貴方と共に」

 

「メフィラス」

 

「ご武運を」

 

 メフィラスはリュウに分かりやすくまとめた情報概要を話し、カードに戻る。

 片腕しかないリュウに、通常のダークリングの使い方はできない。

 リングにカードは通せない。

 されど、もうそこには何の問題も存在しない。

 歴代のダークリング所持者の中で、彼だけがそれを問題としない。

 

 『お前はオレの片腕だ』と言ってやりたくなるほどに、信頼に足る怪物のカードが、三枚も彼のポケットの中に居るから。

 

「力を貸してくれ、ゼットン!」

 

 ゼットンの名を呼ぶ。

 胸の前に突き出したダークリングに、ゼットンのカードが己の意志で飛び込んだ。

 

《 ゼットン 》

 

 ゼットンのビジョンが、寄り添うようにリュウの右後ろに現れる。

 

「技を貸してくれ、バルタン!」

 

 バルタンの名を呼ぶ。

 胸の前に突き出したダークリングに、バルタンのカードが己の意志で飛び込んだ。

 

《 バルタン星人 》

 

 バルタンのビジョンが、寄り添うようにリュウの左後ろに現れる。

 

「知を貸してくれ、メフィラス!」

 

 メフィラスの名を呼ぶ。

 胸の前に突き出したダークリングに、メフィラスのカードが己の意志で飛び込んだ。

 

《 メフィラス星人 》

 

 メフィラスのビジョンが、リュウを敵から守るように、リュウの正面に現れる。

 

「行くぞ! 三つの闇の力……俺に貸してくれ! ダークトリニティ!」

 

 そして。彼岸花のカードが、最後にリングへ吸い込まれた。

 

 其は彼岸花がもたらす奇跡。

 "誰よりも他者との繋がりを求めた"勇者の遺した想い。

 自分と他人をより強く繋げる―――()()()()すら成す力。

 

 通常規格を遥かに上回る究極の闇の力に、ダークリングが叫ぶ。

 

《 トリニティフュージョン! 》

 

 リングを握るリュウの左腕、三つの怪物の左腕が、突き上げられる。

 天を討つ意志。

 天に逆らう意志。

 四つの意志が一つであることを示すように、その腕を突き上げる。

 四つの体、四つの心、四つの意志が、重なる。

 

 

 

「神花超合体―――『イーノ・エボル』ッ!!」

 

 

 

 そして。

 『竜』が現れた。

 

 宇宙恐竜ゼットンは、地球人によく言われる。

 「お前のどこが恐竜なんだよ」と。

 地球でゼットンに最も類似した姿を持つのは、カミキリムシであるからだ。

 宇宙人からすれば恐竜と言えばゼットンの姿なのだが、地球人には虫にしか見えない。

 

 だが、"これ"は違った。

 雄々しい角。鋭い牙。強固な爪。

 黒き甲殻、刃物のような羽、隻腕の腕に握られる禍々しい大剣。

 その姿は、まさしく大剣を握った『悪の竜』である。

 ゼットンの延長でありながら、バルタンの名残を多く残し、メフィラスが混ざっていることが一目で分かる姿であると同時に、総体としては『ドラゴン』としか言いようがない。

 それは竜。

 真なる宇宙恐竜。

 地球人を核としたことで、より"地球人の思う恐竜"に近づいた宇宙恐竜だ。

 

 それは聖書における『黙示録の獣』と呼ばれる存在を連想させる。

 聖書に語られる黙示録の獣は、地獄より現れ竜の形を取り、救世主の手によって討ち滅ぼされる……と、語られる。

 赤嶺友奈という救世主に討たれることを望まれるリュウには相応しいのかもしれない。

 だが、違う。

 これは違う。

 愛の獣ではあっても、黙示録の獣とは違う。

 

 この獣は世界を救う勇者に愛され、勇者を救おうとする、ただ一人の少年である。

 

『今日が、最後の戦いだ』

 

 竜の異形でありながら、隻腕大剣という異様な出で立ちのイーノ・エボルが、大剣を構える。

 

 神速をもって、異形の大剣を振り下ろす。

 

 同時、宙に浮かんだ無限の一兆度火球が、無限の敵に殺到した。

 

『トリニティ・トリリオンッ!!』

 

 無限に殺到する無限。

 

 無限-無限=0。単純な暴力による単純な計算式が、異形を焼滅させていく。

 

 目に見える範囲に殺到していた第二陣は、第一陣の時のゼットンバルタンであれば封殺できていたはずの数と質の暴力は、かくして、消えてなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らは一つ。

 本物であって本物でない、そんな生まれを持つ悪の者達。

 けれど、彼らが抱く想いと、繋いだ絆は本物だ。

 

 イーノ・エボルは、夜の世界に降り立った。

 神樹はいつでも樹海化を始められる状態で、大赦はいつでも対応できる状態で待つ。

 誰もがその姿を見上げていた。

 友奈もその姿を見上げていた。

 その姿を見て、友奈はぽつりとその名を呟く。

 

「―――『(リュウ)』」

 

 何度も何度も彼らが戦ってきた高知ではなく、四国の中心で、彼らは対峙する。

 片や、三位一体の光、燃える炎の勇者。

 片や、三者の力を借りる闇、暗黒の悪。

 

『友奈』

 

「! リュウの声が、頭に響く……」

 

『聞くまでもねェが、オレと戦うンだな?』

 

「……うん。殺さないけど、ちょっとゲンコツ。痛いかもね」

 

『そうか』

 

 リュウが視線を動かすと、友奈の近くには静と蓮華も居た。

 樹海化が始まれば彼女らは戦場までついていけない。

 その直前まで、友奈の傍に居てやるつもりなのだろう。

 

『お前らもそっち側か。まあそうだよな』

 

「すまんなぁ。でも、ウチも最後に賭けるとしたら、アカナを選ぶわ」

 

「全員笑って終われる可能性は、友奈に託したわ」

 

 蓮華は帽子を深く被り直し、友奈とリュウに向けて言う。

 

「両方とも、"死んで償おう"などとは、弥勒の前では決して思わないように」

 

 それは、二人の友としての言葉。

 

「人を愛したがために死ねるのも人間。

 罪を償うがために死ねるのも人間。

 だけど、弥勒はそれを愚かと思うわ。

 できることならすべきではないのよ。

 その人を愛するために死ねないと叫ぶのが、より正しい人間なのだから。

 ……愛した昨日を理由に死ぬくらいなら、明日愛するために生きなさい」

 

 蓮華の言葉を受け、リュウと友奈は見つめ合う。

 

『お前、オレに勝ッたらどうする気だ?』

 

「私が全部背負っていくよ。

 それでどうにかしてみせる。

 リュウも私のため、全部背負おうとしてくれたんでしょ?」

 

『……!』

 

「私は死なない。

 誰が殺そうとしても死なない。

 頑張って、そう生きてみるよ。

 それで、子供のために私をどうにかしようとした人も責めない。

 私が死ななければ先は繋がるよね?

 そうやって頑張っていけば、未来も繋がって、改心する人も居るかもしれない」

 

『そりゃまた随分と、"かもしれない"が多そうな話だな』

 

「うん、そうだね。

 大赦の人に味方してくれる人が出てくるかもしれない。

 普通の人達が味方してくれるかもしれない。

 途中で私達の予想もしない何かが起こるかもしれない……」

 

『専守防衛のキツさを知らねえのか?

 やっぱダメだな。

 お前には任せられねェ。人間の悪意を分かッちゃいねェンだ』

 

「それはリュウもじゃない? リュウは人間の善意とかを信じてなさすぎだと思う」

 

『ああ。オレはな、もう、ほとんどの人間を信じてねェんだよ……』

 

「……ごめんね」

 

『なんで謝る。お前のせいじゃねェだろ』

 

「ううん。きっと、私が鏑矢に選ばれた日から……リュウが気付いてないだけで、私のせい」

 

『お前は何も悪くねェ』

 

「リュウはそう言うよね。それがなんだか、とっても嬉しい」

 

 二人は結論ありきで話していて、その結論に繋げるために理屈を考えている。

 

 リュウは友奈の生存、未来、幸福のため。

 そのために大赦を、社会を壊す。

 彼は悪であるがために、奇跡を信じない。確実性のみを信じている。

 

 友奈は皆のため、リュウのため。

 そのためにリュウに罪を犯させないため、リュウが笑っていられる未来のため、絶対にリュウに世界を壊させない覚悟を決めている。

 彼女は光であるがために、奇跡を信じている。全てを救うことでリュウを救おうとする。

 

 信じることで、全てを救う可能性を模索する友奈。

 信じないから、友奈の未来だけを重んじるリュウ。

 二つは平行線。

 互いのことばかり見ている平行線だ。

 "目の前の幼馴染の幸せ"という同じ方向へ向かって伸びていく、二本の平行線。

 

「リュウって私のこと好きなんじゃないの? 大人しく言う事聞いてよ」

 

『……まあ、人並みじゃね』

 

「……」

 

『お前は周りに愛されるからな。オレもまあ人並みにはな』

 

「なんか私ちょっと腹立ってきたな」

 

『なんだお前……面倒臭い奴だな』

 

「それリュウが言う?」

 

『言うぞ。お前とじゃ比べ物にならン』

 

「大体リュウはさ、いつも私に一番大事なこと言わないじゃん。私の居ない時しか言わない」

 

『そりゃ言う必要がないことだからだろ。お前の素直じゃないとこの方が問題だ』

 

「は? え? いつ私が素直じゃなかったの? 何月何日何時何分何秒地球が何回回った時?」

 

『神世紀69年10月8日17時50分地球の回転数は知らン』

 

「いやそんなの覚えてないから。バカなの? あ、でもその日私の誕生日だね」

 

『……』

 

「リュウの誕生日の日のことならともかく、うーん……」

 

『……このクソバカゴリラめ』

 

「! 言ったね、このバカバカバカ! 私なんかのためにずっとこんな……バカ!」

 

『"なんか"とか言ってんじゃねえぞバカ野郎! "なんか"なんかじゃねェんだよ!』

 

 二人の口喧嘩が始まって、静と蓮華が笑いをこらえ始めた。

 

「「 ……もういいッ! 」」

 

 怪獣と、勇者が構える。

 

『行くぞ……友奈の明日を、決して諦めないために!』

 

 何百回、何千回、何万回、友奈の幸せを願ってきた少年の叫びに、怪物達が頷く。

 

「決して絆を諦めない。私は私の欲しい物全部欲張って、明日に行くんだ!」

 

 真の絆。絆を諦めないことが未来を掴む。それは、不滅の真理。

 

 彼らの戦う意味は一つ。『愛』。それこそが、彼らの戦う意味。他にはきっと何もない。

 

 結果から言ってしまおう。

 この戦いで死者が出ることはない。

 より『相手を愛している方』が、最後の勝者としてそこに立っている。

 

 

 

「『 いいから全部こっちに任せて、さっさと休んで幸せになれッ!! 』」

 

 

 

 『こっちのほうがずっとお前のこと大好きだ』と叫ぶような。

 

 一歩も譲らない戦い。

 

 犬も食わないような戦いが、幕を上げた。

 

 

 




・『イーノ・エボル』

 ENO EVOL。

 「Love one」は、「愛する人」を意味する英語の慣用句。
 愛の反転、ゆえに悪の名。
 愛の対としての悪。
 リュウの赤嶺友奈への想いそのもの。一人(ONE)を想う愛。
 勇者が討つべき竜、悪、悪魔、魔王。それらの衣装を全て備えた大邪竜。

 大赦が世界にとって、人にとっての正義であり、その正義に反するものが悪であるならば、鷲尾リュウはこの上ないほどの悪である。
 犠牲を前提に世界を守る正義。
 犠牲を許容せず世界を壊す悪。
 その構図は揺らがない。
 ただ前者には愛がなく、後者には愛があっただけ。
 この戦いは、そう要約できる。

 素材の三体はそれぞれ強力だが、特に
●メフィラスの極めて高い知能
●バルタンの非常に多彩な技と能力
●ゼットンの高すぎる単純戦闘力
 が揃っていることが大きい。
 それはすなわち、心技体に隙がないことを示しているからである。

 ただし正当にダークリングに選ばれていないリュウが使うにはあまりにも強力すぎるため、戦闘態勢に移れば消耗が非常に激しい。
 弱っている体で使うなど以ての外。
 メフィラス、バルタン、ゼットンが一体化しつつリュウの負荷を受け止め、ザラブとΣズイグルが力を行使した際の体外からの反動を受け止めることで成立している。
 一兆度火球を同時発射数上限無しに連射する『トリニティ・トリリオン』など、その攻撃力は神の領域に到達している。

 闇を纏う。
 愛を握る。
 悪と成る。
 全てを超える究極の闇の愛、悪の極限。


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3

すみません遅れました
遅れたのは文字数が25000字くらいになったからです
HAHAHA
すみません


 世界は根に覆われた。

 極彩色が世界に広がる。

 世界の時間は止まり、樹海化が始まる……はずだった。

 

「ん? なんや、戦いもう終わったんか? 時間動いとるやん」

 

「……そういうわけではないみたいね。シズ先輩、あまり離れないで」

 

 街の時間が止まっていない。

 街、街を覆う木の根、根の上の樹海の三層に分かれ、街のみが時間を止めていなかった。

 時間の止められた木の根が街を覆っているため、街は時間停止に守られているものの、現在の神樹が展開する樹海化とは明らかに違う。

 樹海化は、神樹の根が街や人を覆い同化し時間を停止する異界化現象だ。

 だがこの樹海化は、樹海が人を飲み込んでいない。

 神樹の巫女である静は、いち早くその理由を感覚的に察する。

 

「……神樹様が、アカナ達の戦いを理解しとるんか……?」

 

 街を、人を、過度に守っていない樹海。

 バーテックスと違い、リュウも友奈も街を破壊しないだろうという信用の樹海。

 時間が止められていないため、皆が戦いを見て、会話を聞くことができる樹海。

 人々が"知ることができる"樹海。

 リュウと友奈は、世界の時間が止まり、自分達の会話を誰も聞いていないと認識したまま、樹海で対峙し、対話する。

 街を覆う根がフィルタリングの役割を果たし、リュウ達は街の状態に気付かない。

 

「行くよ、リュウ。受け止めてね」

 

『来い、友奈。お前の全部受け止めてやる』

 

 二人の戦いを見上げ、蓮華は気付く。

 これは、()()()()()()()()()()()なのではないか、と。

 

「……まさか」

 

 神の心と人の心は違う。

 そこには根本的なズレがあり、神もそれを自覚している。

 だからこそ人間を使う。

 人間を参考にする。

 蓮華は少し不安そうに、少し楽しそうに、大事な事柄をコイントスで決める人間を見ている時のような気持ちで、蓮華は彼方の神樹を見やる。

 

「神というものは、本当に人の心が分からないのかしら……?」

 

 まるで勝敗を決める審判のように、樹海の中央で、神の樹が光り輝いていた。

 

 

 

 

 

 それは、目を逸らしたくなるような戦いだった。

 目を閉じて聞いているだけで、耳を塞ぎたくなるような戦いだった。

 凄惨なのではない。

 こっ恥ずかしいのだ。

 

 最初は「なんだなんだ?」と見て聞いていた民衆も。

 「なにこれ……」と次第に戸惑い。

 「お、おう……」という反応が増え始め。

 「……微笑ましいな」という反応に染まっていき。

 「あれこれうちの学校の」という反応もぽちぽちと出始め。

 やがて、皆の表情が真剣になっていく。

 

 赤嶺友奈と鷲尾リュウの、今日までの日々を語り、互いの気持ちをぶつけ合う会話は―――民衆にとって、あまりにも重かった。

 それは、生贄の語り。生贄の愛。世界のために捧げられた生贄達の叫び。

 もっとドロドロとした、粘着質な憎悪の叫びなら良かった。

 それなら民衆も、"自分達の平和のため"に捧げられた生贄を見下し、軽蔑し、軽く見ることができたかもしれない。

 なのに、綺麗だった。

 とても綺麗だったのだ。

 

 少年と少女の叫びは、とても綺麗だった。

 

 二人の戦いを見て、二人の会話を聞いていた人々が、心動かされるほどに。

 

「こうやって、リュウとぶつかり合って分かったんだ」

 

 超高速の瞬間移動合戦の合間に、両者が止まる。

 切り裂かれた大気がゆったりと戻り、友奈が燃える拳を構え、イーノ・エボルが大剣を構えた。

 両者共に、隙なく止まる。

 

「リュウは変わったけど、変わってない。

 本音を聞かせてよリュウ。本当はこんな事、やりたくなかったんでしょ?」

 

 友奈は優しく問いかけた。

 

 同時に踏み込んだ人間と大邪竜が衝突する。

 隻眼隻腕大剣という異形の漆黒竜人が振るう、バルタンのハサミと一部ゼットン種の鎌の腕(デスサイス)を合わせたような巨大な大剣は、まるで"夜"だ。

 怪獣の手で振るわれる夜。

 光を切り裂き、どんなものでも砕けない夜。

 友奈が凝縮した神の炎も拮抗すらせず切り裂かれ、神樹の世界の光も切り裂き、剣の残像がまるで夜空のように美しく見える。

 

 友奈はその闇に見惚れ、リュウが生み出した美しさに、胸を高鳴らせた。

 

 高嶋友奈の夢を見てから、花結装によって体の外側に固定された精霊は、精霊の穢れを赤嶺友奈の内側に微塵も溜め込まない。

 イーノ・エボルもまた、ゼットン変異種の時空エネルギーの干渉を吸い上げる力にて、時間停止の干渉を完全に無効化することに成功していた。

 

『そりゃな! 本当ならやりたくなかったさ!』

 

 リュウが叫ぶ。

 友奈が悲痛な表情に変わる。

 友奈が輝かせる炎と、大剣が刻み込む夜空のコントラストが、民衆の目を奪う。

 

『だがな、そんなこと言えるかッ!』

 

 "本当はやりたくなかったんだ"と平然と言える悪党の気持ちが、リュウには分からない。

 

『オレのせいで不幸になる人達に、そんなこと言えねェだろ!

 "本当はやりたくなかった"なんて言えねえだろ!

 それは善悪とは別のところでクソだ!

 平和奪っておいて!

 自由損なっておいて!

 笑顔を踏み潰したくせに、本当はやりたくなかっただ!?

 それだけはダメだろ!

 オレは……オレは! 望んでやった、憎まれるべき悪としてやりきるンだ!』

 

 イーノ・エボルが掲げた剣から、空へと闇が伸び、樹海も友奈も傷付けないが気絶はさせる闇の雨が降る。

 神の炎をブースターのようにして吹き出し、極めて高速かつ柔軟で瞬間移動以上の対応手を持つ移動手段とした友奈が、闇の雨の合間を抜けていく。

 

 その時の友奈の表情が、友奈の知っているリュウのままである安堵と、友奈の知っているリュウがそんなことを言っている悲しみに満ちていたことを、人々だけが気付いていた。

 彼らは、友奈とリュウの両方を見ていた。

 

「……私のために……大切な人のために苦しんで頑張った人を、悪だなんて思えない!」

 

 絞り出すような友奈の叫び。

 絞り出すような友奈の炎。

 イーノ・エボルは今まで防御にも苦心していた友奈の炎を、大剣で容易に切り払う。

 

『違う』

 

 切り払われた火花が、イーノ・エボルの涙に見えたのは、民衆の錯覚だっただろうか。

 

『悪は、"やっちまう"から悪なんだ。その定義は、行動に源がある』

 

 イーノ・エボルが連続で振るった大剣が、継ぎ目なく斬撃を飛ばしていく。

 友奈はそれを容易に殴り砕いていく。

 子供が親友の背中を叩いて友情を確かめるような、『この程度じゃ百万回やっても怪我一つしねえよ』とばかりに、互いを信頼しきった繋がりの確認。

 

『善は"やらねェ"ンだ。

 思い留まるンだ。

 殺したいって思っても、誰も殺さねェんだ。

 それが普通なンだ。

 分かるか? 悪はな、やるから悪で、やッちまうから犯罪者なンだよ』

 

 自嘲気味にそう言うリュウに、友奈はちょっとイラッとした。

 

 リュウが放ってきた斬撃の一つを、フルパワーで殴って返し、額に当てる。

 

「リュウはそういうところほんっっっっっっっとに面倒臭いと思う」

 

『あァ!?』

 

「まだやってない!

 そしてこれからやるにしても、私が止める!

 何もうやった気になって大犯罪者気取りになってるの! 笑っちゃうんだけど?」

 

『……! お前こそ何もう勝った気になってやがる!』

 

「私は昔からリュウのそういうとこ面倒臭いとか可愛いとか思ってた!」

 

 リュウが少し照れた隙をつき、友奈が即興で組み立て、その手に宿る生太刀を模した100mサイズの炎の大剣が振り下ろされる。

 イーノ・エボルの闇の大剣が受け止める。

 まるで、夜空と朝焼けが食い合うような鍔迫り合い。

 

「もうちょっと、人のせいにしたっていいのに!」

 

『うるせェな! オレの勝手だろうがッ!』

 

「私のことならすぐ"お前のせいじゃない"とか言い始めるくせに!」

 

『……オレの勝手だろうが』

 

「あー、もう、ほら、自分がダブスタしてるって分かってるから言葉の元気消えたし」

 

『いいンだよオレの中で一貫性ありゃそれで』

 

 ゼットンの一兆度、バルタンの破壊光弾、メフィラスの破壊光線を混ぜ合わせた凄まじい破壊光線が放たれる。

 それは友奈の神の盾から発せられる光の盾ですら防げない威力であったが、友奈は盾の表面に炎をまとわせ油のような役割を果たさせ、盾を斜めに構えて光線を受け流す。

 世界の未来をかけた攻防。

 

 にもかかわらず、四国の人々は、世界の未来をかけた攻防には目もくれず、リュウの血の滲むような言葉紡ぎに耳を傾けていた。

 

『ずっと、ずっと、取り柄もねェ自分が空っぽにしか思えなかッた。

 オレには何もできねェんじゃねェかと心のどこかで思ってた。

 このダークリングを得るまで、怪物の仲間と出会うまで、ずっとそうだッた』

 

 世界を滅ぼす怪物にすら見えた存在が、ただただ自分の無力さを嘆く弱い人で、もがきあがく弱者の側であったことは、心に響くものがある。

 劣等感は同じ思いをしたことがある人に対し、共感を生む。

 

『お前は最初から可愛かったし。

 かっこよかった。優しかった。

 周りを気遣えてたし、周りを笑顔にできてた。

 運動は言うまでもねえし踊りは綺麗と言う他無かった。

 バカっぽいのだって愛嬌だ。

 鈍感なのも嫌ンなることもあれば助かることもあった。

 ちゃんと女性らしく成長もしていった。

 大人らしい落ち着きだってちょっとずつ付いてってた。

 幼馴染の家族にも愛されるくらい、善良で……

 誰よりも勇気があって、踏み込むことに躊躇いがなくて……

 でも、勇者としてよりも、一人の女の子として、誰よりも素敵だった』

 

「……え、あ、うん」

 

 一瞬、リュウの劣等感を語っているようで好きな人の長所を語っている早口語りが、友奈と、戦いを見守っていた人々の思考を止める。

 イーノ・エボルは、その一瞬の隙をついて友奈を蹴り飛ばした。

 サッカーボールのように友奈が飛んでいく。

 こら、と街の女は思った。

 うーん……と街の男は思った。

 今の早口語りから告白に繋がっていかないことに、青臭さや若さを感じた大人達は、拭い難い懐かしさとむず痒さのようなものを感じていた。

 

「あいたたっ……」

 

『そんなお前の横に立って釣り合いが取れるような取り柄なンざ、オレにはなかった』

 

「……!」

 

『なンも無かった。オレには、誇れるものなンて、何も、何も……』

 

 胸が引き裂かれるような悲嘆が込められた少年の声。

 それを聞き、人々の胸の内に想いが灯る。

 "なんとかしてやってくれよ"と。

 それは聖人だから抱く想いではない。

 善人だけが抱いていた想いではない。

 普通の人達のほとんどが、ごく自然に胸の内に宿していた想いだった。

 

 普通に生きて、普通に恋して、好きな人と不釣り合いな自分に悩んで、不器用に好きな人を守ろうとする……そんな子供に、救われてほしいと思うのは、普通のことだから。

 

 人々の声も想いも、友奈には届いていない。

 けれど、赤嶺友奈は勇者。今の世界で唯一の現役勇者。

 人々の願いを叶えるのが勇者だ。

 

「あるよ。リュウ」

 

 強く、強く言い切る友奈に、リュウが僅かにたじろぐ。

 

 自然と皆が、友奈を応援する。そのバカに思い知らせてやれと、友奈を応援し始める。

 

『ねェよ』

 

「たくさんあるよ。その中でもとびっきりのが一つ」

 

 そして、人々は。

 

 

 

「君の長所は、私を愛してることだよ」

 

『―――』

 

 

 

 そう、思いっきり言い切った友奈に、度肝を抜かれた。

 

「なんでわからないかなー」

 

 口をパクパクさせるリュウに、友奈は本音の言葉で畳み掛ける。

 

「この地球上で、私の隣にリュウが相応しくないと思ってるの、リュウだけだと思うんだけど」

 

『―――』

 

「世界最強が世界で一番強い人でしょ?

 じゃあ世界で一番私を愛してるリュウも似たようなもんだよ。

 いや、むしろ、強いことより私を愛してくれてる方が価値あるよね?」

 

「言い切りやがってこのアマァ!」

 

 いけませんぞ、恋愛は惚れた方が負けですぞ、と合体したメフィラスが言っているが、慌てふためいているリュウにはあまり聞こえていない。

 

「本当に、リュウにいいとこはたくさんある!」

 

 友奈はリュウが振り遅れた大剣の太刀筋を見切り、友奈は瞬間移動を差し込んで、斜めに振り下ろされた大剣そのものではなく、大剣を握っていた手を殴り飛ばし、攻撃を弾く。

 

「リュウの素敵なところはさ。

 人が幸せになる、って事をちゃんと分かってるところ。

 他人の幸せを願えるところ。

 他人がどうしたら幸せになるか考えられるところ。

 そして、他人を幸せにできるところ。

 だからね、私ずっと幸せだったんだ。

 私を全力で幸せにしてくれてたし……

 私の周りも幸せにしてくれてた。

 私の大切な人も笑顔にしてくれてた。

 それが、とっても、とっても、嬉しかった!

 周りがみんな笑顔で幸せだと、ちょっと辛いことがあっても、すぐ笑顔になれたから」

 

『……え、あ、うん』

 

「鷲尾リュウは私の知ってる中で誰よりも、他人を幸せにできる天才なんだ!」

 

『……お前はいつも大げさなンだよッ!』

 

「まだ控え目に言ってる方だからね?」

 

『嘘だろ』

 

 主殿、心を強く、勝利は目前です、と合体したメフィラスが言っているが、動揺しているリュウにはあまり聞こえていない。

 

「他人の幸せばっかり願ってるから、時々足元が見えなくなるけど!」

 

 一兆度の炎を大邪竜が吐き出し、友奈は絆の炎で受け止めつつ、瞬間移動。

 

「それは絶対悪いことじゃない! 私が絶対、悪いことになんてさせない!」

 

 イーノ・エボルの背後を取る……が、瞬間移動が読まれていたため、イーノ・エボルの後ろ蹴りと友奈の勇者パンチが正面から衝突した。

 

 弾けた衝撃波が、世界を揺らし、樹海を揺らす。

 

『オレの在り方を周りがどう受け止めるかまで、お前が責任取らなくていいンだよ!』

 

「それならリュウだって、私が選んだ鏑矢のお役目の責任取らなくていいよ!」

 

『好きでやッてンだ!』

 

「私だって好きだからやってるの!」

 

『頑固者!』

 

「あはは、それ自己紹介!? 十年以上付き合ってて一番笑えたよ!」

 

『ンだとテメェー!!』

 

 君達二人共そうだぞ、と、皆が思って。

 

 なんでこの二人がこんな苦しみを背負ってるんだろう、と、皆が思う。

 

『お前は親に愛されてンだろ!

 ちゃんと親の元に帰れ! そこで穏やかに暮らしてろ!

 よく事情は知らねェけどな、両親共にお前のこと人並み以上に愛してただろうが!』

 

「リュウだってちゃんと親に愛されてるよ!

 帰らなきゃ、あの場所に! 嫌なことは私に任せておけばいいから!

 事情はよく知らないけど、ちゃんと終わらせて、お父さんお母さんにまた会わないと!」

 

 友奈が更に進化を遂げ、炎を凝縮した千を超える剣が飛ぶ。

 イーノ・エボルが力を合わせ、燃える炎の分身体を千ほど生み出す。

 千と千、炎と炎がぶつかり合った。

 光の炎と闇の炎、二つの炎、二つの意思は互いに一歩も譲らない。

 

『お前はなあ、あれだ! 友達とかいっぱい居ただろ!

 そんなお前に万が一のことでもあってみろ、何人悲しむと思ってやがる!』

 

「友達は数じゃないよ! 何を想ってるかだよ!

 リュウのことをよく知ってる学校の何人かは、リュウのこと本当に大事に想ってて、だから!」

 

『友達だけじゃなくて、お前は異性からとかも……

 なんだ、そういう好意向けられてただろ!

 そういう人間だって悲しむし……なんかイラッとすンな!』

 

「それ言っちゃう!?

 それならね、リュウだってぶっきらぼうだけど面倒見いいし!

 いい感じだよねー、って言ってる女の子とか普通に居たからね! 生意気!」

 

『オレが生意気な要素ねェだろ!

 大体好きでもねェ女に好かれたってどうでもいいわ!』

 

「あー! 女の敵ー! 酷いこと言ったー!

 いい子ばっかだったんだよ、リュウに惹かれてる子!

 おとなしくて、おしとやかで……

 なんで……そういう子じゃない子を好きになったりするの!?」

 

『……なんのこと言ってんのか分かんねェな!』

 

「……あっそう! 分かった! じゃあもう知らない!」

 

『オレはな! どうしても、どうしても……一番大切な奴がずっと一人だけだったんだよ!』

 

「―――この、バカッ!」

 

 全エネルギーを込めたイーノ・エボルの大剣の突き。

 全エネルギーを込めた赤嶺友奈の腕甲による正拳突き。

 二つが、同時に突き出され、その先端が衝突する。

 

「素直に好きなものを好きだと言えないヘタレ男っ!」

『素直に好きなものを好きだと言えないヘタレ女ッ!』

 

 大爆発が発生し、二人は樹海に転がった。

 

 思春期に入ると、言いにくくなることがある。

 愛が大きくなっていくと、言いにくくなることがある。

 自分の気持ちが分かってくると、言いにくくなることがある。

 

 世界を知って、周りを知って、常識を知って、自分達の愛や関係があまり見ない希少なものであると気付いて、それをからかわれて、呼び方が変わって、距離感が変わって。

 友奈も変わってなかったのに。リュウも変わってなかったのに。

 周りが変わっていったせいで、二人も変わっていくしかなくて。

 子供の頃の延長でずっといられたらよかったのに、そのままではいられなくて。

 

 今はもう、戦うしかない関係まで、転げ落ちてしまった。

 

 変わらないものもある。

 変わってしまったものもある。

 子供の頃からある恋があった。

 大人になっていくにつれて育っていった愛があった。

 

「前回の私の誕生日、会いに来てくれなかったくせに!」

 

『なっ―――そ、それは、悪ィとは思ってたが』

 

「次の日も朝四時から訓練で、レンちとかMステも見ないで寝てたのに!

 私は0時に日付変わるまで待ってた! 来てくれるって信じてたのに!」

 

『そッ……それは、悪かッたが……一年以上会ってなかッたしよ、しゃァねェだろ』

 

「あー、あー、仕方なくありませんー!

 待ってたんだよ! 絶対来るって思ってたのに!

 リュウなら来るかなーって思ってて!

 寝てたら申し訳ないなーって思ってて!

 バカみたいにちょっとワクワクして待ってて!

 次の日居眠りして乃木若葉様にめっちゃめっちゃ怒られたんだからね!」

 

 あー、それは男が悪いね、と民衆の一部の女達は思った。

 それはしょうがないだろ、と民衆の一部の男達は思った。

 

『そ、そンなら、お前だッてオレの誕生日の時居なかっただろーが!』

 

 あー、それは女が悪いな、と民衆の一部の男達は思った。

 それはしょうがないだろ、と民衆の一部の女達は思った。

 

「……ごめんね」

 

『自分のことになるとマジトーンで謝るのやめろよ……

 気にしてないからお前も気にすんなよ、な? な? オレは許してるから、な?』

 

「……私も許してる」

 

『黙って姿消したのは悪かったよ、ごめんな』

 

「あ、今のリュウ、昔のリュウみたいだった」

 

『……うッせーな!!』

 

 来年はちゃんと誕生日に行けよ、と多くの者が思った。

 本気の戦い。

 本音の言葉。

 本心の叫び。

 それは、人の心を動かすものだ。

 光の者と闇の者が、民衆が今まで知らずに居た、知らないで居られた、世界の裏側で世界を支えるために苦しんでいた者達のことを理解させていく。

 本人達は会話を聞かれていることに気付いていないから、徹底して無自覚に。

 

 平和のために踏みつけにされた少年少女の感情は、綺麗だった。

 とても純粋な愛で、恋。優しさであり、相手の幸福を願う祈り。

 透き通るような愛しい想い。

 鬱屈して歪みきっていない。

 折れ曲がって穢れ切っていない。

 綺麗だったから、人々は、自分達が無自覚にそれを踏みつけていたことを理解した。

 大赦がそれを踏みつけさせていたことを理解した。

 人を支える土台は人に踏みつけられる。

 平和を支える土台も人に踏みつけられる。

 

 リュウの誕生日の時に傍に居なかったことを悔いる友奈の表情にすら、罪悪感を抱いてしまうリュウを見て、人々は何かを思い始める。

 

『オレはお前がそういう風に、後悔したりすンのが気に食わねェんだよ!』

 

「後悔しない人生なんてない! ……だから、後悔しないように頑張るんだよ!」

 

『限度ってものがあンだろ!

 頑張った奴が死ンだり死ぬほど後悔し続けたりすりゃ……そいつは絶対に間違ってンだ!』

 

 リュウの脳裏に、乃木若葉の寂しい後ろ姿が蘇る。

 頑張って、頑張って、その果てにあの老いた姿があるなら。

 あるいは、あの老女の後悔のような感情を残す死があるなら。

 絶対にそれは間違っていると、リュウは言い切れる。

 

 イーノ・エボルの分身連打、瞬間移動連打が友奈を攻め立てに入る。

 友奈の背筋に、冷たい汗が流れた。

 

『そいつに相応の人生ってもンがあるだろ!

 苦しみすぎるのも!

 悲しみすぎるのも!

 辛すぎるのも、奪われすぎるのも絶対ェおかしい!

 お前の人生だッてそうだろ、報われろ! 幸せになれ! 笑顔になれ! 無理なくだ!』

 

 あえて強い言葉を使うリュウに、弥勒蓮華は哀れみの目を向ける。

 

『命令形で言わねェと聞いてくれねェなら、何度でもこう言ってやる!

 だから黙って見てろ! 大赦は跡形も残さずブッ潰して、未来を掴むッ!』

 

「歩み寄る気配も見せないなんて、リュウらしくないよ!」

 

『ふざけたこと抜かしてんじゃねェぞ!

 何もかも知ってて!

 俺の迎撃にお前だけ寄越した組織に! 歩み寄りなんてあるわけねえだろ!』

 

「っ」

 

『オレは! それに! ずっとキレてんだよォォォォォッ!!』

 

 怒りの叫びが世界を揺らす。

 イーノ・エボルの咆哮が世界を揺らす。

 それは樹海を揺らし、宇宙も、時間停止の壁を越えた街も僅かに揺らす。

 ずっと、ずっと、怒っていた。

 それが本当に許せなかった。

 だから今でも、大赦の未来の可能性など信じられない。

 友奈のように希望に賭けられない。

 

 リュウはもう、悪以外の道など選べないのだ。

 

『生温いやり方で世界は守れねェ……そうだろうな!

 今日まで大赦の守ってきた世界でオレと友奈は育ってきた、そうだろうな!

 だが!

 道理と恩を重んじた結果お前を守れねェなら! オレは恩知らずな悪でいい!』

 

 イーノ・エボルの大剣から放たれる散弾のような炎を避けながら、友奈は叫ぶ。

 

「私だって! 本当はめっちゃ怒ってるよ! 怒らないわけないよ! でも!」

 

 炎をかわしきった友奈が、トン、と樹海の根の上に着地する。華麗な踊り子のように。

 

 その顔を見て、静が無力感を噛みしめるような表情を浮かべた。

 

「……しょうがないじゃん」

 

『……そんな顔、すンなよ。そんな顔、させたくねェんだよ』

 

 人々は、己の頭で判断する権利を持つ。

 自分の目で見て、耳で聞いて、頭で考えることが許されている。

 二人の事情。

 世界の状況。

 友奈の表情。

 友奈の言葉。

 リュウの叫び。

 叫びに乗った感情の発露。

 それらを見て、知って、各々の人が、様々なことを考え始めていた。

 

「私さ。

 あんま話したことなかったけど……

 暴力で敵を消してハイ解決、ってやつ、あんまり好きじゃないんだ」

 

『知ッてる』

 

「そっか」

 

『だからもう何もすンな。

 お前はもう何も背負うな。

 オレに任せて、暖かい日々に戻れ』

 

「やだ」

 

『……お前な』

 

「リュウに全部背負わせる、って選択だけは絶対に"しょうがない"って思えない。絶対やだ」

 

『……お前なァ』

 

「何もかも"しょうがない"って思えるほど、私強くないんだよ。受け入れられない事もあるの」

 

 受け入れられることは、人によって違う。

 リュウは社会の崩壊も自分の不幸も受け入れられた。

 友奈も自分の不幸なら受け入れられた。

 でも、受け入れられないことがあったから、こうして戦っている。

 

 凝縮された勇者の光と、凝縮された怪獣の闇がぶつかり合った。

 

 人々は二人の戦いを見上げ、揺れる。

 力なき人々にとって、大赦の崩壊と社会の不安定化は絶対に受け入れられないことだ。

 だから彼らは、友奈だけを応援するのが当たり前のはずなのに。

 何故か、揺れていた。

 

「リュウが思うほど、私強くないもん」

 

『お前が思うより、お前は強いよ。

 でなきゃオレにあんな代案出してこねェ。

 だがオレは……"心も力ももっと強くならないと"ってお前が思う日々を、終わらせたい』

 

「……リュウは私より、私のことを分かってるのかもね」

 

『お前もオレよりオレのことを分かッてるのかもな』

 

 かもな、なんて言いながら、二人はそうだと確信している。

 

 二人は互いに対し、"分かってる"を叫びながら、(ケン)(ケン)を振り回した。

 

『お前の弱さも、綺麗じゃねェところも知ってる!

 お前より清廉潔白な奴を知ってる!

 お前より生身の戦いが強い奴を知ってる!

 本当は犠牲になって死にたくないお前より、迷いなく死ねる奴を知ってる!』

 

「リュウが悪い人になってることは分かってる!

 前のリュウと何もかも同じじゃないことは分かってる!

 止めないと色んなものを終わらせちゃうことは分かってる!

 リュウがしようとしてることが……私のためで、私のせいな悪行なことも分かってる!」

 

 一、十、百、千、と、大剣と拳がぶつかる音が響いていく。

 

 大剣は殺さないために峰打ちで振るわれ、拳は星を砕く力を込められつつも、大剣を受け流すことに集中していた。

 

『それでも、お前が何よりも輝いて見えるのは!』

「それでも、リュウが闇に堕ちてすら人を救える自分で居ようとしているのは!」

 

 想いを叫ぶ。

 

『お前がいつも―――悲しんでいる人を悲しみの底から救ってるからだ!』

「君がいつも―――悲しんでいる人を愛し慈しむ味方になってるからだよ!」

 

 悲しみの中から友奈に救われ、友奈を好きになった少年。

 自分が悲しんでいる時、寄り添ってくれるリュウを好きになった少女。

 二人は対だ。

 そして、相手が自分より凄いと思っているくせに、相手より自分の方がずっと"大好き"の気持ちは大きいんだと揺るぎなく思っている。

 

 二人の叫びから、蓮華や静も、人々も、心という感覚器で染みるように感じるものがあった。

 大好き。

 信頼。

 尊敬。

 友情。

 愛。

 その他諸々、数え切れないほどの二人の感情が心を伝って染み渡ってくる。

 

 イーノ・エボルの炎と友奈の炎がぶつかり合い、大爆発を起こした。

 それを見て、人々が心配そうな声を漏らす。

 ああ、無事だろうか、と誰かが思う。

 早く終わらせてやれ、と誰かが思う。

 このくらいの年頃の子はこういうので全部吐き出さないとな、と誰かが思う。

 早く告白しろ、と誰かが思う。

 

 もう人々の中では、この戦いはとっくに、赤嶺友奈/勇者がさっさと勝って自分達の日常が守ってもらえればいい……なんてものでは、なくなっていた。

 

 だって、そうだろう。

 こんなにも普通の子達が、こんなことになっているのなら。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……共感性が低い人間でも、そう思ってしまうのは当たり前だろう。

 だから、そういう人間は"普通に生きてきた子供達の死"を、個別の理由で望まない。

 共感性が高い者達は彼らに同情し、そうでない者も彼らに死んでほしくない、と願う。

 

『……お前がいつまでも、笑って生きててくれりゃ、それでいいんだけどな』

 

 イーノ・エボルの隻腕が、巨剣を握り、剣の峰で肩をとんとんと叩く。

 

「私も、リュウが罪悪感なく笑って生きててくれれば、そのくらいでいいんだけどね……」

 

 友奈が、強固なアームパーツに覆われた右手で頬を掻き、苦笑する。

 

『オレ、お前が生きてて、笑っててくれないと、幸せになれねェんだ。悪ィ』

 

「……私も、おんなじ気持ちかも。不思議だね」

 

『不思議だな』

 

「不思議に思えるのは……私達が自分の気持ちを、本当は分かってないからかもね」

 

『オレは分かッてるぞ』

 

「どうだか」

 

『お前は分かッてねェのか?』

 

「……どうなんだろうね」

 

 両者の力が溜め込まれ始める。

 

「私、なんだかんだこの世界が好きだよ。リュウと出会えたからね」

 

 友奈は光、花、拳。樹海の光と相乗効果を起こすような、炎の光。

 

『そうか。オレはもう嫌いだ。お前を奪おうとしたからな』

 

 リュウは闇、竜、剣。樹海の光を飲み込んでいくような、優しい闇。

 

「リュウが言いたいこと、分かるよ。

 不安定、不確定、不明瞭。

 なーんも確かなこと無いもんね、私の言ってること」

 

『やッと気付いたか』

 

「ううん、最初から分かってたよ。

 でもさ……それしかないじゃん。

 リュウは私よりずっと強いから。

 きっと世界を壊しても我慢できちゃうと思うんだよね。

 でも私は……リュウが一生後悔しながら生きていくのは嫌なんだ。これは私の我儘」

 

『―――』

 

「だったら私は積木みたいに積み上げたいんだ。

 どんなに不安定でも。

 いつ崩れるか分からなくても。

 私と皆で積み上げたい。

 何も排除しないで積み上げたい。

 小さいことでも積み上げていきたい。

 どこかで、全部崩れるかもしれないけど。

 リュウが背負わなくても、簡単には手が届かない場所に、それで手が届くはずだと思うから」

 

 ばちり、と友奈の武装に溜め込まれた光が小さく弾ける。

 

『お前の言いたいことは分かる。

 きっとそれが一番なンだよな。

 綺麗で、理想的で、美しくて、心地が良くて……』

 

「でしょ? んふふー」

 

『だけど、オレは信じねェ。

 希望も、奇跡も、不確定な未来も。

 なーんも信じてねェんだ。

 信じるってことは賭けるってことだ。

 賭けたくねェ。オレはお前を賭けたくねェ。

 お前の未来を懸けて、博打に出る勇気がねェんだ。

 ……勇気がねェんだよオレは。それが全てだ。勇気があるお前の逆なンだ』

 

「! そんなことない!」

 

『いや、ある。

 オレはビビッてんだよ。

 勇気ねェからビビッてんだ。

 お前が死ぬことにビビッてる。

 なら、オレは積み上げない。全部ぶっ壊してゼロにして、やり直す』

 

 バチッ、と隻腕に握られた大剣に溜め込まれた闇が小さく弾ける。

 

『それが、勇気のねェオレの選択。

 オレは勇者じゃねェから……悪行以外で、お前を救えない』

 

 勇気ある友奈。

 勇気なきリュウ。

 

 希望に全てを賭ける勇気を持ち、不可能にも思える状況で、奇跡を掴める友奈。

 それは、今日までの戦いでずっと証明されてきた。

 友奈と同じ勇気を持たず、本当に大事な場面で他人に奇跡を掴まれてしまう側のリュウ。

 それは、今日までの戦いでずっと証明されてきた。

 

「私もホントは怖いよ。

 何が起こるか分からないしね。

 一番最初に死ぬとしたら多分、ここでリュウに勝った私だし。

 でも……いつまでもこの大好きな世界で、リュウと一緒に居たいから。勇気を出す」

 

 何も恐れない女の子ではなく。

 勇気がほんの僅かにも揺らがない女の子ではなく。

 根が普通の女の子が振り絞った勇気にこそ、リュウは輝きを見た。

 

『そういうお前を、オレは……いや、なんでもねェ』

 

「何? 言ってよ」

 

『なんでもねェって』

 

「言ってってば」

 

『しつこいなお前』

 

「ねえ、今の言葉の続きは?」

 

『本当にしつこいな!? いや流せよ!』

 

「ねーえー、リュウー、"そういうお前を、オレは"何? ねえねえ」

 

『なんで今日のお前はそういうとこに食いつくンだ!? どうしたンだお前!』

 

「なんでだろうねー」

 

 余裕綽々に友奈がいたずらっぽく笑う。

 録音によって友奈の方だけ"知っている"ため、この論争はずっと友奈に有利であった。

 あの録音を弥勒がリュウの目覚ましアラームに設定しておいたらどんな顔するんでしょうね、やめーや、といった会話を蓮華と静が地上でしていた。

 

 光と闇が、限界まで双方の武器に溜め込まれた。

 それを、両者が最適な形へと錬成する。

 次が最後の一撃になることは、友奈もリュウも理解していた。

 

(……やべ。"また負けそう"とか、思ッちまった。こういう思考はいけねェ)

 

 その時。声が、聞こえた。

 "勇気ある者が勝つなどという条理はありません"……と。

 "勇気なき悪がたまには勝ってもいいでしょう"……と。

 同化していたメフィラスの、ささやくような声だった。

 力強い声ではなかったが、とても心強かった。

 

(―――だな)

 

 目を閉じた友奈に、精霊の穢れの影響を受けていない友奈に、伝わる想い。

 とりあえず無事に帰って来い、という静の想い。

 ハッピーエンドは美しくてこそよ、という蓮華の想い。

 お前を助けるためにお前と戦うなんて最悪を選んでごめん、というリュウの想い。

 絆を元に神域の力で組み上げた力が、想いを朧気に受信する受信機となる。

 懐かしいような、初めて嗅ぐような、山桜の香りがした。

 

「……」

 

 友奈も、リュウも、一人で構えている気がしなかった。

 

「リュウはさ」

 

『なんだ』

 

「一年以上、メフィラスとかの姿で、私を助けてくれてたんだよね」

 

『大赦から指示されたお役目をしてただけだ』

 

「もー、恩を着せそうな発言だけは意地でも言わないんだから……どう思った?」

 

『何をだ』

 

「辛くなかったかな、って」

 

『また余計な心配しやがって……』

 

「余計なんかじゃないよ。絶対に余計なんかじゃない」

 

『……辛くなんてねえよ』

 

「本当に? リュウは今も辛さを隠してるって、私は思うよ。勘だけど」

 

『無視できる辛さだ。

 お前の誕生日にヘッタクソなでかいケーキ作った時も。

 バカみたいにお人好しなお前を焚き火から助けた時も。

 お前に犬のうんこ投げて泣かした同級生と喧嘩した時も。

 川に落としてなくしたお前のぬいぐるみ一晩中探してた時も。

 お前と喧嘩した時も。

 この日々も。

 ちったァ辛くはあッたが……ほら、あれだ、お前がいつも言ってるやつがあッたろ』

 

「何?」

 

『人のために何かして、笑顔でお礼言われると嬉しい気持ちになるッて。

 お前のために何かするのは、それだけで嬉しい気持ちになれた。お前が教えてくれたんだ』

 

「……ん」

 

『お前のおかげだ。お前のおかげでいつも、オレは幸せだ』

 

 そうして、リュウは、笑顔を見る。

 友奈の笑顔を。

 もうずっと見ていなかった、昔は毎日見ていた、友奈の心の底から幸せそうな笑み。

 

「私も」

 

 そうして、友奈は、笑顔を見る。

 リュウの笑顔を。

 もうずっと見ていなかった、昔は毎日見ていた、リュウの心の底から幸せそうな笑み。

 

 友奈の素敵なところを見る度、リュウは素敵な笑顔を浮かべる。

 リュウの素敵なところを見る度、友奈は素敵な笑顔を浮かべる。

 かつて、二人はこうだった。

 いつも、二人はこうだった。

 "この人が自分を笑顔にしてくれる"と互いに対して思うことに、確かな理由があった。

 

「いつも、私達が喧嘩した時、先に謝るのはリュウで、仲直りして、ずっとそれに感謝してた」

 

 最後の一撃を、二人が構える。

 最後の一瞬が近付いてくる。

 決着の一瞬は、きっと、瞬きの間に終わる。

 

「だから、今日は私が言うね。……全部私が悪かったと思う。ごめんね」

 

 オレか、大赦か、天の神が、お前に謝るべきで、お前が謝るなよ、と……悲しむ大邪竜が隻腕にて、強く強く巨大な大剣を握る。

 

『お前は悪くねェ。全ての悪はオレは引き受ける』

 

「させない。そんなこと、絶対に許さない」

 

 戦っているのに、二人の心は一つになっていた。

 互いへの想いが、一つになっていた。

 

 同時に、踏み込む。

 同時に、腕に力を入れた。

 同時に、叫んだ。

 

『友奈ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』

 

「リュウッ――――――ッ!!!」

 

 光と闇がぶつかる。

 炎の拳と炎の剣が振るわれる。

 炎が闇を喰らう。

 闇が炎を喰らう。

 光が闇を照らし消す。

 闇が光を飲み込んだ。

 少女の恋が少年の恋を押していく。

 少年の恋が少女の恋を押し返す。

 一進一退、一瞬一瞬に拮抗し、勝敗の天秤が揺れ動く。

 

 もう、力の強さだけで勝てる領域ではない。

 これは愛の戦い。

 目の前の彼/彼女を、より愛する者がかつ戦い。

 

 そして、より愛した方が勝った。

 炎が炎を突き抜け、一撃が対敵の炎を粉砕する。

 愛が最後の一歩を後押しし、武器が愛する者の喉元で止められた。

 殺す意思はない。

 勝利する意志はある。

 ゆえに勝者は喉元で寸止めし、敗者は敗北を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オレの、勝ちだ』

 

「私の……負けだね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空のような一閃だった。

 闇を固めた、ダークトリニティによる漆黒の大剣。

 それは闇の炎を纏いながら、光を飲み込む一閃で全てを薙ぎ払い、勝利した。

 

 この瞬間、世界の行く末は決まった。

 

 かに、見えた。

 

『神樹様。樹海化を解除してくれや。

 ぶった切られたくはねェだろ?

 オレは勇者じゃねェから、あんたを斬れる。

 人間の一部を潰すだけだ。オレを樹海から出してくれりゃ……人類は続く』

 

 イーノ・エボルが隻腕で大剣を神樹に向けると、神樹が樹海化を解除した。

 ゼッパンドンの時に大赦の本拠は特定している。

 ようやく、七日七晩の戦いが終わる。

 リュウは感慨深そうに、夜空を仰ぎ見た。

 勝った。

 勝ったのだ。

 今度こそ完全に。

 ようやくリュウの願いは叶う。

 罪の量は跳ね上がり、彼は人類史最大の悪となるけれど、願いは叶う。

 赤嶺友奈に確実に未来をやれる。

 

 そんなイーノ・エボルを、街の人々が見つめていた。

 かつてのゼッパンドンに対する恐怖と憎悪の目とは明らかに違う。

 各々の視線に込められた感情は十人十色だが、間違いなく負の感情だけではない。

 いや、負の感情以外の方が多かった。

 

 受け入れるような表情があった。

 我慢するような表情があった。

 泣きそうな表情があった。

 怒りながらも同情する表情があった。

 構わない、やれ、と呟く男が居た。

 大丈夫、大丈夫だから、と子の手を握る母が居た。

 神様……と祈る少女が居た。

 我々全員が他人事で居られない時が来たんだ、と呟く老人が居た。

 

 歩き出そうとしたイーノ・エボルに、その時横からかかる声。

 

「リュウ、降りてこい」

 

『若葉さん……?』

 

「今さっき、大赦内で結論が出た。

 お前達を追い詰めていた元凶の者は自殺した。上層部は方針の変更を決定している」

 

『―――は?』

 

 声をかけたのは、乃木若葉。

 その声が、怪獣の体と心の動きを停止させる。

 リュウは慌てて超合体を解除し、竜胆と桔梗の着物を着た若葉に詰め寄った。

 

「どういうことッすか!?」

 

「私は大赦の上層部と接触していた。

 仮にもかつての勇者だ。

 コネはある程度あるからな。

 お前達をどうにかできないか、自分にできることをしていた」

 

「え……あ、ありがとうございます」

 

「気にするな」

 

「あの……その……火傷は」

 

「私に同じことを二度連続して言わせる気か?」

 

「……すンません。あと、ありがとうございます」

 

「ふっ。お前が感謝を二度言ってどうする」

 

 乃木若葉は、枯れた美花のように微笑む。その微笑みも、すぐに消えた。

 

「で、何があったンすか」

 

「お前がゼッパンドンで撒いた炎が、病院から外に出ていた元凶の男の子に当たった」

 

「―――は?」

 

「そして、治療虚しく、昨日死亡した」

 

「……それって」

 

「お前達の死を望み、子に薬を望んでいた男は、工作する理由がなくなったんだ。

 そして、何もかもを証拠付きで公開し、自殺した。

 生きる理由がなくなったんだ。

 大赦の上層部は身内の情報操作が発覚し、大混乱に陥った。

 だが結局は、身内の恥の償いも兼ねて、お前達にこれ以上の負担を強いることを止めた」

 

「……」

 

 リュウの脳裏に、一昨日の蓮華の言葉が蘇る。

 

―――負傷者は沢山。死者は0よ

―――は……え? 嘘だろ?

―――大赦が上手く対処したらしいわ。それと貴方、日頃の行いが良かったんじゃない?

 

 死者は0だった。昨日0ではなくなった。

 日頃の行いが悪かった者に、報いが落ちた。

 友奈もリュウも死なせてまで子供を生かしたかった親への報いは、その親が引き起こした戦いの余波で、子が火傷で地獄の苦しみを味わいながら死んでいくという結末だった。

 

「お前達の会話が……その、なんだ。

 色々とあって、大赦の者達に響いたのもある。

 元々、お前達二人を見て

 『これはあまりにも残酷だ』

 と思う人間はそこそこいたらしい。

 今は、上層部と全体の過半数がお前達の味方だ。

 ……元凶の人間をあまり恨まないでやってくれ。

 奴が、子供が死んで全てを明らかにしたのは。

 奴が、自殺したのは。

 お前達二人に対して……死んでしまいたいくらいの罪悪感と後悔があったからだろうから」

 

 若葉とリュウの会話を聞いていて、友奈は思い出す。

 

―――正直に言って、状況が分かりません。

―――何かがおかしいと思います。

―――あの炎の巨獣のせいで人が激減したのは分かります。

―――ですが上層部がそれで説明できないほど混乱している、というか。

―――神樹様の神託にも巫女が戸惑っています。

―――これまでにない、一貫性の無い神託に、神託に混じるノイズ……何が起こっているのか

 

 大赦の混乱。

 神樹の混乱。

 その全てに、納得のいく答えが提示されていた。

 

「は、はは、なんだそりゃ」

 

 リュウが、乾いた笑みを浮かべる。

 

「……結局、殺して壊す以外で、解決はできねェんだな、オレは……」

 

 誰がどう見ても、リュウは悲しんでいた。

 

 蓮華と共に戦闘で疲弊した友奈を助け起こしていた静が、首を傾げる。

 

「え、なんや、万事解決やん。もうちょっと喜んでもええんやないか」

 

「シズ先輩。リュウは、その人の息子さんにも生きてほしかったんですよ」

 

「……は?」

 

「本当はそうだったんです。

 ただ、他に道がなかったから、こうしただけで。

 心のどこかでは、父親の方にも報われてほしかったんだと思います。

 だって……『息子をちゃんと愛してる父親』だったから……憎みきれるわけがなかった」

 

「……なんやそら。絶対に、全員幸せな道なんてどこにも無かったやろ」

 

「罪のない子供に死んでほしいなんて思えないやつなんです。リュウは」

 

 友奈は疲弊した体で、力なく拳を握り締める。

 

「だから、苦しかったんです。だから……私が傍に居てあげないとって、思った」

 

 友奈はだから、皆が笑っていける結末を目指して、奇跡を積み上げようとしたのだ。

 

「弥勒が思うに、貴方達二人は、生き方が下手ね」

 

「……レンちも似たようなものだよ」

 

「あら、心外」

 

 ふふ、と蓮華が微笑み、リュウは手の中のダークリングを見つめて、先代ダークリング所有者の言葉の一部を思い出す。

 

―――いずれ心も怪物になる

―――怪物に待つのは滅びだけだ

 

 因果は応報する。

 悪は報いを受ける。

 "悪因悪果を招く"と言うように、それは宇宙の絶対の法則では無いものの、宇宙の生命が形作る大きな秩序の流れとして存在する。

 正義はその法則の履行者であり、悪はその法則への反逆者であると言えるだろう。

 

 子のために心を怪物にした親が居た。

 親はリュウと友奈を潰し合わせた。

 権力を守るために。子に薬をやるために必要な権力を守るために。

 その行き着く先が、怪獣に焼かれて苦しんだ息子という末路だ。

 親が下手なことをしなければ、もしかしたら……子はもう少し、長生きできたのだろうか?

 火傷で死ぬという地獄の極みではなく、安らかに死ねたのだろうか?

 

 分からない。

 だが、元凶の親は死ぬほど苦しんだに違いない。

 それが、"一線"を越えてしまい、心まで怪物にしてしまった者への報いだった。

 心を怪物にしなければ、世のため人のために戦い続けてきた友奈とリュウを同士討ちさせようと誘導するなどという外道行為ができなかった、そんな普通の人間への報いだった。

 "一線"を越えたがゆえの、因果応報。

 

 ―――ならば、鷲尾リュウは? 彼は"一線"を越えているのか?

 

『……悪いことはするもんじゃねェんだよ。お前らは、後悔したくないなら絶対にすんなよ』

 

 リュウは皆に、そう言った。

 彼らの会話を、遠巻きに人々が聞いている。

 何かが終わったことを、人々が感じている。

 

 戦いは終わったのに。

 何もかもが解決したのに。

 とてもとても、後味の悪い結末。

 虚無と悲嘆を纏うようなリュウの立ち姿が、民衆の目に焼き付いていた。

 力強い口調で、若葉は言い放つ。

 

「この結末は、お前達の戦いのおかげだ。

 お前達の戦いは決して無駄ではなかった。

 怪物が居た。

 怪物から人を守る勇者が居た。

 勇者が守ってくれる姿に、勇者を支持する声が増えた。

 全てが明らかにされたことで、大赦が身内の恥を雪ごうとした。

 お前達二人の会話を聞いて、人々が、大赦が、お前達が普通の子供であることを思い出した」

 

「……ん? オレ達の会話?」

 

「気にするな。お前達が常に頑張り続けたからこそ、この結果があったんだ」

 

「……はは、子供を焼いて得た結果ッすけどね」

 

「運が悪かった。それだけだ。

 ……罪なき子供が犠牲になった世界の因果は、私にも責任がある。

 忘れることはできまい。だが、共に背負おう。

 その罪はお前だけが背負うべきものではない。

 この因果を作った全員が背負うべきものだ。

 お前達の戦いが終わるよう暴露と情報操作を行い自殺した男が、一番にそう思っている」

 

「……」

 

「だから、お前達はこれから―――」

 

 優しい表情で諭すように言う若葉の言葉を、遮るように。

 

 友奈が変身に使っていた端末が、けたたましいアラートを慣らした。

 

「え、何、何!?」

 

「……警報」

 

 若葉が、先程までリュウ達に向けていた優しい表情を消し、冷たい戦士の表情へと変わる。

 それは警報。

 樹海化警報。

 勇者のみが持つ端末の機能であり、()()()()()()までバーテックスが接近していることを知らせる、悪夢の到来を教える報せ。

 

「バーテックスが、来る」

 

 若葉が戦慄と共に悪夢の名を呼ぶが、リュウがそれに食いついた。

 

「待った、オレがさっき目に見える範囲のは全部倒してきたばっかだぞ!?」

 

「何か仕込みがあったと見るべきだろうな。……おそらくは、これが本命の侵攻だ」

 

「本命……友奈は休んでろ。オレが行く」

 

「ちょっ、待っ、あうっ」

 

「押し切って勝った分、オレの方がちッとは余裕あンだろ」

 

 敗北し消耗した友奈がつまづいてこけた。

 リュウはちょっと微笑ましそうに笑って、ダークリングを握る。

 "主は自分が守る、安心しろ"と言わんばかりに、リュウの周囲にゼットン、バルタン、メフィラスの三枚のカードが浮かんでいた。

 

「オレは戦いに行く。後は頼む、若ちゃん」

 

「―――」

 

 それは友奈ほどではないが疲弊し、連日連夜の戦いで命の残量が尽きる寸前まで摩耗し、本当は意識がぼんやりし始めていたリュウが、何気なく言った言葉だった。

 無意識の、無自覚の言葉だった。

 それがリュウの知らない理由で、乃木若葉の胸を打った。

 

「―――ああ、任せておけ」

 

「任せる」

 

 リュウの掲げたダークリング、三つのカードが、再び一つの形を作る。

 

「行くぞ! 三つの闇の力、ここに集え! ダークトリニティ!」

 

 隻腕の大邪竜が引き抜くように大剣を振り、四国の外へと飛翔していく。

 

 その巨体を見上げる人々は、ある者は本能的に、ある者は理性的に、彼が自分達を守るために戦いに行ってくれるということを、理解できていた。

 

「頑張れ」

 

 街のどこかで誰かが呟く。

 

「……死ぬなよ」

 

 また、街のどこかで誰かが呟く。

 

 ヒーローの出撃を見送り、その無事を祈るテレビの中の人々のような気持ちが、四国の人々の胸の内に芽生えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天の神は、驚愕していた。

 何が起こったのか。

 何が"これ"を作ったのか。

 まるで理解ができなかった。

 

 僅かに、四国内部に不思議な力を感じていた。

 それがある日――花結装、超合体、巨大化が初めて戦った日――には、はっきり感じられたものの、脅威というほどの力は無かった。

 なのに、その力が毎日大きくなっていった。

 四国周辺のバーテックスを向かわせた時には、もう手遅れ。

 無数の星屑と無限のバーテックスで攻め立てても、一瞬で消し飛ばされるほどに、結界の中で強くなっていった力は"最強"に近付いていた。

 

 天の神は戦慄する。

 たった一週間。

 たった一週間で、ここまで強くなったのか?

 ありえない。

 どういう成長速度なのか?

 どういう進化速度なのか?

 その進化速度は、無限に進化するバーテックスを凌駕している。

 進化速度の頂点(バーテックス)が取って代わられている。

 ゆえに、天の神は戦慄する。

 

 赤嶺友奈は、鷲尾リュウが居れば無限に強くなれる。

 鷲尾リュウは、赤嶺友奈が居れば無限に強くなれる。

 誰も予想していなかったのだ。

 二人だけの戦いの坩堝が、二人をどれほど強化していくのかを。

 

 だから、天の神は安堵する。

 今はまだ……鷲尾リュウとイーノ・エボルの力は、天の神とバーテックスの力を、凌駕するほどのものではなかったから。

 今日"これ"を倒せる幸運に、天の神は安堵した。

 

 

 

 

 

 イーノ・エボルが、地面に剣を突き立て、杖代わりにして膝をつく。

 

 四国が目と鼻の先である最終防衛戦で、イーノ・エボルを殺さんとするのは、怪物達。

 

『はぁ、はぁ、はぁ』

 

 イーノ・エボルを囲むのは、千を超える強豪怪獣。

 1200を超える黄道十二星座。

 一万を超える星屑だった。

 その全てが天の神の生み出した怪物……星屑と、星屑で作られた化物達。

 リュウのイーノ・エボルが強豪三体を掛け算にした、10の強さの怪物三体で1000の強さの怪物という馬鹿げた計算式の上にいる怪物であっても。

 10の強さが千体ならば、それだけでその戦力はイーノ・エボルの十倍である。

 

 メフィラスはリュウの代わりに戦術、立ち回り、最高最善の戦闘選択を考えつつ、あまりにも多い天の神の戦力への驚愕を隠さない。

 

「信じられませんな……

 しかし、宇宙神性ともなれば可能か。

 星屑を集めて、我々と同クラスの強力な怪獣達を、大量に生み出すとは……」

 

 友奈への恋と愛で無限に強くなる男を、無限の数で圧殺する。

 

 身も蓋もない、神の摂理の完全圧殺。

 

「集まり、進化し、常に勇者を凌駕する。

 なんとも恐ろしい。

 天の神の正義に沿った天使かもしれませんが、悪役そのものの特性ですな。

 人にとっての悪で、神にとっての正義の体現……話に聞く最終兵器ゾグの如き絶対性だ」

 

 燃える世界の中で、無限の怪物がイーノ・エボルを包囲している。

 その向こうで、輝く鏡のような太陽が輝いていた。

 神のような太陽、太陽のような神。

 それは化身であると同時に本体である、太陽神にして天体神。

 日本神話における最大最高位の輝ける光の神。

 

 天の神そのものが、怪物達の力を強化しながら、そこで燦々と輝いていた。

 

「これを越えて、あの天の神を倒さなければならないとは」

 

 リュウと友奈の進化は、あまりにも短期間で、あまりにも速かった。

 天の神が直々に消さなければならないと思ったほどに。

 神の領域に到達し、その傲慢に天の神が激しい怒りを覚えるほどに。

 リュウは内的宇宙(インナースペース)で、口から溢れた吐血を拭い、闇を纏い赤く輝くダークリングを胸の前に構えた。

 

『友奈には負けてやってもいいが―――テメェにだけは絶対負けねェ』

 

 天体の主体太陽神。光り輝く主神、その神が口にしたことが正義になる、人を神の正義で裁く……そんな光の体現との戦いに、ダークリングが強く震えて力を吐き出す。

 地球上過去最大と言い切れるほどの、光と闇が衝突する戦い。

 鷲尾リュウはその戦いを闇の勝利で終わらせるべく、最後の最後の賭けに出た。

 

 これが人生最後の賭けだとすら思いながら、賭けに出た。

 

『やるぞメフィラス。お前が見つけてくれた、天の神を倒す方法を』

 

「……できれば、使ってほしくなかったのですがね。

 あれは確実に命懸けになる。

 赤嶺友奈を主殿が手に入れた後、しばらく休養を挟んでから使いたかった」

 

『そんな余裕はもうねェ。友奈の明日が、今ここにかかッてンだ!』

 

「ですな。主殿の明日が、ここにかかっている!」

 

 リュウが、力強く隻腕でダークリングを握り、それを頭上に掲げ、呟く。

 

「悪かった。

 カードのお前らを、一年以上オレの我儘に突き合わせて悪かった。

 それと、あンがとな。

 意思が無い頃から、助けてくれて。

 意思が芽生えても、どのカードも一枚もオレから離れていかないでくれて。

 オレをずっと助け続けてくれたのは……お前らだ。

 最初に、一人ぼっちのオレを救ってくれたのは友奈だった。

 友奈が居なくなってまた一人ぼっちになったオレを救ってくれたのは、お前らだ」

 

 感謝の呟きには、万感の感謝を込める。

 

「本当にありがとう。勝っても負けても、生きても死んでも、感謝してる」

 

 リュウの言葉に応えるようにカードが震え、リュウがダークリングを起動した。

 

『ダークリング!

 お前が闇の神器なら!

 ―――この光を消し去るだけの闇を! ここに紡いで見せろ!』

 

 ダークリングに闇が集まる。

 集まった闇が輪の中を通り、カードとして形成されていく。

 今日も使った、怨念、未練、残滓をカード化するダークリングの権能だ。

 この闇は、どこから湧いてきたのか?

 リュウはどこから、何を集めているのか?

 

 

 

『―――テメェに殺された()()()()()()()()だッ! 天の神ィ!!』

 

 

 

 そう。

 怨念を、未練を、残滓を、カードにできるなら。

 天の神に当時虐殺された七十億を超える人間の残したものも、カードにできるはず。

 世界は燃え尽き、されど理不尽に殺された人間達の怨念は残っている。

 まだ死にたくなかった人間達の未練が星の表面に渦巻いている。

 七十億の残滓がそこに在る。

 

 それらは人間の目には見えず、本来は他者に干渉する力も無い。

 当然だ。

 死んだ者の恨みがそんな力を持つなら、今頃星の上は力を持つ怨霊だらけになっている。

 だが、ダークリングなら。

 目には見えず、力を発することも出来ないそれを、力あるカードにできる。

 リュウの新たな力にできる。

 

 彼らは、無力だった。

 七十数億人も居たのに、総じて無力だった。

 あっという間に滅ぼされてしまうくらい、無力だった。

 ()()()()()()()()()()()から。神の使徒バーテックスを前にして、無力だった。

 生きている間も、死んでからも無力だった。

 そんな無力な者達の力を、リュウはここに束ねようとしている。

 

 しかし。それだけの大きな力をカード化するとなれば、当然ダークリングの所有者には相応の負担がかかる。

 瀕死の少年がそれをするなど、自殺行為だ。

 

『ぐっ……!』

 

「いかん、全員で支えろ!」

 

 メフィラスの号令で、リュウの手持ちのカード五枚がダークリングに纏わりつき、支えた。

 それでも足りない。

 負荷を抑えきれない。

 ダークリングを持つリュウの腕から血が吹き出し、カード達に小さなヒビが入った。

 

 なんとか解決策を、と最も知力が高い自覚があるメフィラスが考える。

 僕の力で、と最も力の強いゼットンが一番多く負荷を受け入れる。

 力の流れを調整すれば、とバルタンが忍術の要領で負荷を流す。

 これ以上無茶をせんでくだせえ、とザラブが必死に少しでも多く負荷を受け止める。

 Σズイグルは何も考えず、ただひたすらに、リュウが受ける負荷を自分の方に流していた。

 だが、足りない。

 まるで足りない。

 七十億以上という莫大な怨念をカードの形に押し込むには、全然足りていない。

 

『ぐっ……まだ……まだっ……男は、根性っ……!』

 

 ダークリングを持ったまま、命が体から離れ始めるような感覚を覚え、リュウは膝をつく。

 

 あと一歩、絶対的に一歩が足りない。

 

 そんな感覚があった。

 

 

 

「大丈夫だよ」

 

 

 

 そんな感覚に飲まれかけたリュウの左手を、少女の両手が包み込んだ。

 

『……え?』

 

「リュウくんには、私が居るから」

 

『友、奈』

 

「私は、リュウくんがいればどこまでも強くなれる。

 リュウくんは、私のためにどこまでも強くなってくれる。

 だからきっと……私とリュウくんが居れば、どんな敵にだって、絶対に負けないんだ!」

 

『……ああ!』

 

 赤嶺友奈が、そこに居た。

 

 神の力でイーノ・エボルの内側、内的宇宙(インナースペース)まで瞬間移動で飛び込むという無茶苦茶をやらかしてきた友奈に、リュウは思わず苦笑する。

 

 闇の嵐の中、怪物のカード達もまた"この無茶苦茶のせいでこいつに勝てなかったんだ……"と褒めるような、ビビッているような、そんな思考で思いを一つにしていた。

 

『お前、どうしてここに?』

 

「乃木若葉様に、生太刀の力の引き出し方を教えてもらってたんだ。

 神の刀一本分、元気になってきたってわけ。あ、そうそう、伝言があった」

 

『伝言』

 

「『お前達二人なら何でもできる』……だって」

 

『……かもな。若葉さんは良いことを言う』

 

 友奈の両手と、リュウの左手がダークリングを強く掴む。

 

 友奈が傍に居てくれることで。

 リュウが傍に居てくれることで。

 二人の力は、無限大に。

 無限大の力が、七十億という少なすぎる数字の力を、カードに束ねる。

 

「さあ、最後の一踏ん張り!」

 

『おうともッ!!』

 

 そうして、完成したそのカードを、友奈が掴み。

 

 リュウが構えたダークリングへと、リードした。

 

《 覚醒せよ 》

 

 ダークリングが静かに、九枚目のカードの力を解放する。

 

 解放されるは、七十億の闇。

 個別の意識は薄れ、天の神に殺された怨念や未練が純粋化され残り、七十年かけて朧気になっていった人間達の想いが、一つの方向性を持った闇となり、リュウを包み込む。

 リュウは一瞬恐れるが、自分の手を握っている友奈に気付き、友奈の勇気を貰う。

 闇と向き合い、受け入れる勇気を。

 七十年前の七十億の死者達の想いを受け入れた時、リュウの脳裏に、声が響いた。

 

 

 

『こんな子供が』

 

 

『私達と同じように』

 

 

『泣きながら、無念のまま、死んでいいわけがないな―――』

 

 

 

 神は鷲尾リュウを選ばなかった。

 彼に何の力も与えず、力を奪うこともあった。

 

 運命は鷲尾リュウを選ばなかった。

 彼は因子から何の力も得られず、何の力も持たないまま生まれてきた。

 

 ―――『人間』は、鷲尾リュウを選んだ。

 

 地球上全ての、七十億の闇が彼の下に集う。

 それは、天の神ですら立っていられないような闇の激流、闇の暴風。

 海底にあった神の如き闇の集積体ですら粉砕し、原型を全く留めないほどにすり潰し、人の闇に染めて流れていく。

 宇宙の闇すら巻き込んで、染め上げて、リュウの下へと集い来る。

 人の闇が大量の闇を巻き込んで、リュウに力を貸すという意志に統一されていく。

 私達のようにはなるな、の一言と共に。

 闇が、彼の手の中で力を成す。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 それは魔剣。

 闇纏う魔剣。

 ダークリングが変化し、イーノ・エボルの大剣を元にした魔剣だった。

 短剣にして魔剣であるそれが、リュウの手の中に握られている。

 

 リュウに使われた神刀は、リュウを拒絶し、見捨てた。

 神に選ばれていなかったから。

 だが、この魔剣がリュウを見捨てることはない。

 彼は、人に選ばれたから。

 

「行こうぜ、皆で」

 

 リュウが魔剣を掲げると、魔剣に変化したダークリングが、高らかに叫んだ。

 

《 デモニック・フュージョンアップ! 》

 

 七十年前に殺された。

 七十億の怨念を。

 七つの心で掌握し。

 七人御先の力を元に、ここに一つにまとめる。

 

 あの花畑で手に入れた"七つにして一つ"である勇者の力を、ここに使う。

 ゼットン。

 バルタン。

 メフィラス。

 パンドン。

 ザラブ。

 Σズイグル。

 そして、竜胆と彼岸花が描かれた最後の一枚を持つ、鷲尾リュウを入れて七人。

 

 彼らは、七人の御先。

 御先とは様々な意味を持つが、この場合は姫の先を行き、姫を無事に送り届ける者のこと。

 赤嶺友奈(愛する姫)を未来に送り届けたいリュウと、そのリュウの願いを叶えたい化物達。

 彼らは、七人合わせて一つの御先。

 

『究極超合体!』

 

 内的宇宙(インナースペース)のリュウと友奈の足元を、咲き誇る花々が包み込む。

 赤い彼岸花と、青紫の竜胆の花。

 花に囲まれて並び立つ二人の背後に、六体の怪獣が並び立つ。

 彼らは、そう。

 この二人を幸福な結末に送り届けるためだけに、戦ってきた。

 

 

 

《 イーノ・エボル・グラシアス! 》

 

 

 

 かくして。

 最強最大の魔竜が、燃え盛る地球へ現れた。

 その闇は地球で燃え盛る炎も、怪物を照らす太陽神の光も、一瞬で諸共に飲み込み、咀嚼し消滅させる。

 その姿に、天の神は―――『己の終わり』を、確信した。

 

 鷲尾リュウが短剣を握る。

 大邪竜が大剣を握る。

 

 鷲尾リュウが短剣を掲げる。

 大邪竜が大剣を掲げる。

 

 鷲尾リュウが短剣を振り下ろす。

 大邪竜が大剣を振り下ろす。

 

 因果は応報する。

 悪は報いを受ける。

 天の神は神の理の上では正義で、人の理の上では悪である。

 遠い昔、人々を殺し、乃木若葉を悲しみと絶望の底に落とし、善き人々を殺し尽くした天の神への―――人がもたらした因果応報。それが彼。

 この世全ての闇の想いの代行者として、彼は闇の魔剣を振るう。

 

「『 天の神 』」

 

 いつも一緒の二人だから。

 いつも高め合う二人だから。

 二人揃えば、いつでも最強。

 

『オレが』

「私が」

 

 互いに大事に想っているから。

 互いを守ろうとしているから。

 二人揃えば、いつでも無敵。

 

『オレ達が!』

「私達が!」

 

 リュウが倒れそうな時、その手を友奈が握れば。

 友奈が倒れそうな時、その手をリュウが握れば。

 いつでも、どんな時でも立ち上がれて、もっともっと強くなれる。

 握った手の中、愛が生まれる。

 この宇宙で最強なのは、人ではない。神でもない。

 善でもなければ悪でもなく、光でもなければ闇でもない。

 

 この宇宙で最強のものは、『愛』。

 

「『 大切な人の未来のために、お前を倒す! 』」

 

 愛なき者に、彼らの愛は負けたりはしない。

 

「『 見せてやる! 二人の勇気をッ!! 』」

 

 赤嶺友奈。

 鷲尾リュウ。

 愛の物語は最後の幕へ。

 

 運命を断つ究極の魔剣が、絶望に染まっていたはずの二人の未来を、切り開いた。

 

 

 




残り二話で完結

・『イーノ・エボル・グラシアス』

 メフィラスが見つけた"天の神すら倒す秘策"。
 イーノ・エボルの強化形態。
 太陽も容易に闇で塗り潰す、闇の暗黒大邪竜。
 デモニックフュージョン、フュージョンアップ、どちらとも違う奇形融合、デモニック・フュージョンアップによって七枚分のカードと融合することで到達した。
 七十億人の殺された地球人と、"天の神を倒す"という単純明快な意識で想いを重ねており、基礎出力値は天文学的な数値を叩き出している。

 「今を生きる者達のために戦おう」
 「皆の未来のために戦おう」
 「多数を生かすために少数を犠牲にするのは仕方ない」
 「世界のための生贄はしょうがない」
 といった『正しさ』への反抗者。正を反転させた悪逆。
 「死んでいった者達の復讐をしよう」
 「殺した神に報いを与えよう」
 「正しさなど知ったことじゃない」
 「愛のためなら全てを踏み躙ろう」
 という、正義の味方の対極を進むような悪道の大邪竜。

 グラシアスは『ありがとう』を意味する言葉。
 リュウの仲間や死者への感謝の言葉であり、それをその名に冠している。
 すなわちこの怪獣は、名前が悪を示すものであると同時に、愛する者への愛の告白と、支えてくれた仲間への感謝が込められているということになる。
 この名は、鷲尾リュウの本質そのもの。

 極悪、残虐、を意味する"アトロシアス"の対、ゆえにグラシアス。
 白の対となる黒。
 超人の対となる異形。
 自分のためだけに光を否定する悪も居れば、他人のためだけに光を否定する悪も在る。
 光と共に在れない闇が在り、この宇宙の光と闇のように、光と共存する闇も在る。

 三位一体を超えた七つの意志で御先(おんさき)へと進む究極の力。
 赤嶺友奈という姫を守る七つの御先(みさき)
 友奈が傍に居なければリュウには到底扱えない、闇を抱いて光となる究極の愛。


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4

 人間は誰も、一人では完璧ではない。

 翼は一枚では空を飛べない。

 足は一本では歩いて行けない。

 でも、二つなら、完璧を超えられる。空も飛べる。困難な道を走り抜けられる。

 

 二人なら、完璧な神だって倒せる。雲の上にだって行ける。結界の外にも走っていける。

 子供の頃から、リュウと友奈はそう信じていた。

 

『トリニティ・トリリオン! 全員で、ぶっ放せッ!』

 

 一兆度(トリリオン)を、トリニティのその先へ、同化した全員でぶっ放す。

 燃える。

 燃える。

 燃える。

 それどころではなく、大爆発した怪物に巻き込まれ、他のバーテックスまで吹っ飛んだ。

 惑星を余裕で消滅させる規模の炎の群れを、天文学的規模の同時発射数と連射速度で撃ちまくるという超攻勢。

 一瞬でバーテックス達の群れが、六割は消し飛んでしまうほどの超火力であった。

 

 友奈の炎、若葉の炎、ゼットンの炎、パンドンの炎。

 仲間達の炎をリュウが纏めて、皆で撃つ。

 

『! おっと』

 

 天の神そのものが超威力の火球を撃ち放ってきて、リュウ達は大剣を振って粉砕する。

 間髪入れず天の神は、神の力を込めた地球よりも太いビームを天上より撃ち放った。

 防げるか? と疑いすらせず、リュウは皆と共に剣を振る。

 斬撃が、飛んだ。

 ビームを真っ二つに両断し、飛んだ斬撃はそのまま天の神の横を通り抜けすっ飛んで行き、空の彼方にある月を真っ二つにしてしまった。

 

『あっやべッ』

 

「主殿! どうしてそう、肝心なところで粗忽なのですか!」

 

 メフィラスが叱り、イーノ・エボル・グラシアスの念動力が月をくっつける。

 なんという無茶苦茶か。

 天の神とその使徒達が全力を注いでも、まだ押される程の圧倒的パワー。

 だが、それだけではない。

 負荷は私が引き受ける、主殿の体は私が維持する、赤嶺ちゃんと呼吸を合わせろ……それぞれの怪獣が個別に考え、個別の仕事をこなしている。

 そのためこれだけの力を使いながら、リュウの体への負荷は0に近い。

 

「怪獣さん達! 私、勇者だから!

 私の力を使って、私に負荷をかけて無理させてもいいよ! リュウくんよりは鍛えてるから!」

 

『おゥこら友奈テメェ』

 

 怪獣達は今、一体化してるから口など無いはずなのに。

 怪獣達がくすりと笑うのが、友奈にも伝わってきた。

 リュウがツッコミを入れた時の気持ちも伝わってきた。

 これが"超合体"なのだと、友奈は戦いながら理解する。

 

 天の神とバーテックスは、正確な連携を始める。

 怪獣と言うべき化物達の前に、天の神の鏡のような盾が展開され、怪物達が一直線に走ったり飛んだりしながら突っ込んで来た。

 それは盾。天の神の権能である反射盾。

 いかなる飛び道具も、この盾はそのまま跳ね返してしまう。

 

 ゼットンの視力でそれを見る。

 メフィラスの頭脳で分析する。

 バルタンの忍者としての記憶に、いい動きの技があった。

 リュウは友奈の方を見もせず短剣を投げ渡し、友奈はリュウの方を見もせずに投げられたことを理解し、投げられた短剣をノールックでキャッチする。

 

『友奈。剣を逆手に持ッて……そうだ』

 

「おっけー、行くよ。勇者パンチっ!」

 

 それは、宇宙忍者と勇者の技の融合。

 クナイを逆手に持って振る忍者のようで、拳を突き出す勇者そのものである動き。

 短剣を左手で逆手に握った友奈、大剣を左手で逆手に握った合体怪獣、そして皆が、左拳を思いっきり振るう。

 左拳と大剣に、炎を纏わせながら。

 瞬間、暗闇と、閃光。

 

 ごぱっ、と斬撃と炎が入り混じった一撃が、大気を飲み込んだ。

 

 それは光の炎と闇の炎の融合。

 剣を逆手に持った拳を、炎ごとぶち当てる単純な一撃。

 それがどうした、とバーテックスは構わず進む。

 

 まず、反射盾が砕けた。ただの紙のように砕けた。

 大気が砕けた。

 空間が砕けた。

 そして、バーテックス達も砕けて消えた。

 勇者パンチで放たれた炎はそれでも止まらず、地球の外側に突き抜けて……宇宙から見ると、地球に真っ赤なポニーテールが生えているかのようであった。

 

 その攻撃の通り過ぎた後にバーテックスの生き残りはなく、生き残っているのは天の神のみ。

 

「返すね、ありがと」

 

『おう』

 

 友奈がリュウの方を見もしないで短剣を投げる。

 リュウが友奈の方を見もしないで短剣をキャッチする。

 言葉での意思疎通もほとんどないのに、どこに剣を投げてるかすら分かりきっている、あまりにも異様な相互理解。

 今も感謝の言葉を言うつもりでなければ、おそらく言葉は要らなかっただろう。

 

 怪物達は必死だった。

 何故か?

 リュウと友奈の息が合いすぎていて、必死でついて行かないと完璧に合っている二人の息に合わせられないのである。

 自分達が合体の邪魔になりかねないという恐ろしさ。

 まるで純愛カップルの超高速バイクラブラブデートを、六体の怪物が徒歩で走って必死に追うような気分である。青春力が高すぎる。

 怪物達は苦しい思いをしていたが、それは嬉しい苦しみであった。

 

 何故、今日初めて共闘したはずの赤嶺友奈が、今日までずっと共闘してきたはずの怪物達よりもずっとリュウと息が合っているのか?

 "愛"ってことでいいか……と、怪獣達は納得した。

 

『オレも、テメェも、悪党だ。天の神』

 

 天体神たる天の神が黒い雷を落とし、リュウ達が大剣で切り払う。

 

『人を許せねえ奴が、最後に勝ってていいわけがねェ!』

 

 太陽のような光を込められた矢と針が構えられた。

 矢が飛び、針が突き出される。

 一つ一つが、まるで太陽の如き流星のよう。

 

 リュウは大剣を握り、トリニティ・トリリオンを周囲に展開。

 一兆度の火球をパンドン、ザラブ、Σズイグルに制御を任せ迎撃させる。

 集中。

 呼吸。

 凝視。

 全身全霊を懸け、最も信頼する三体の怪物と、赤嶺友奈と息を合わせて、瞬間移動で距離を詰めつつ巨大な大剣を振り下ろした。

 

 展開されるは不可視のバリア。

 世界一つに匹敵する不可視の障壁。

 樹海という一つの世界を作り上げる神樹よりも、天の神が遥かに格上であるがゆえに成立する、樹海一つよりも遥かに強大な壁が、大剣を受け流す。

 衝突の衝撃でプラズマが散って、バリアにヒビが入った。

 

『悪党が! 笑って終わっていいわけが! ねェんだよッ!!』

 

 割られる。

 そう判断してからの天の神の対応は早かった。

 世界一つに相当するバリアを自爆させ、その反動で距離を取りつつ、イーノ・エボル・グラシアスにダメージを与えて吹っ飛ばす。

 単純ながらも、エネルギー規模が規格外であるがゆえに有効な攻撃であり防御であった。

 

 吹っ飛ばされたリュウ達は、しかし四国を背後にして地面を踏み締め、そこに踏み留まる。

 最後に残った人の世界とそれを守る結界を背後にして、それを守るように立つ。

 大剣を振り回しその衝撃波で、天の神のバリアが弾けた爆発から、四国結界を守りきる大邪竜。

 その闇は、いかなる光にも負けはしない。

 

『っ、最後に笑うのは―――皆がその子の幸せを願うような―――そんな―――』

 

 リュウは叫び続ける。

 立ち続けて。

 剣を掲げて。

 自分が悪であることを認めながら、天の神が悪であることを叫ぶ。

 自分こそが、天の神という光の悪を討つ、闇の悪であることを叫び続ける。

 

 だがそんなリュウの後頭部を、赤嶺友奈がしれっと叩いた。

 

「ちぇい」

 

『うごっ』

 

「あーあー、自分に酔ってる空気のリュウカッコ悪い」

 

『おいこの野郎』

 

「"皆がその子の幸せを願うような"……って私のこと指してるのかな。

 まーリュウは入ってないよね。あーやだやだ、これだから斜に構えてる中学生は」

 

 ダウナーな様子で、やれやれと言わんばかりのポーズで、友奈はリュウの心を引き戻す。

 メフィラスが、一体化したまま二人に語りかけた。

 

「ええ、友奈殿が正しい。貴方がたは笑って終わっていいのです」

 

 空には、鏡のような太陽のような、禍々しくも神々しい天の神。

 

 天の神が落とし賜う千の太陽の流星を、リュウ達は千の斬撃を飛ばして切り潰す。

 

「悪党は笑って死ぬこともあるのです、主殿」

 

 悪は笑う。

 上機嫌に笑うのだ。

 その後、正義の味方に倒されることも多いけど。

 悪はいつだって、笑うことが楽しくて素敵なことだと知っている。

 自分達の正義を疑わない者達を、悪はちょっと下品なくらいに高笑いして、蹴っ飛ばす。

 

「笑って終わりなさい。神の笑顔を蹴り飛ばし、愛した人の未来を守れたことに笑いなさい」

 

 メフィラスが、天の神の能力を見切った。

 IQ一万の頭脳が、勝利へ繋がる道筋を読み切り、リュウと友奈に流し込む。

 無限に分岐する未来の分岐を、絆と頭脳で踏破せよ。悪らしく、不敵に笑いながら。

 イーノ・エボル・グラシアスが、燃える世界を駆け上る。

 そしてメフィラスは、悪の理屈を語り始めた。

 

「あそこで、己が当然のように光で在る神に!

 貴様のような醜い人間にこの私が! と叫ばせ!

 正しき我が貴様のような悪に負けるか! と叫ばせ!

 ふざけるな私は間違えていない! と叫ばせましょう!

 自分が正しいことを疑わず、否定もされない光の神を……蹴り飛ばすのです!」

 

『―――ああ!』

 

「行くよ、リュウくん!」

 

『……そういやオレも友奈ちゃんに戻した方がいいのか?』

 

「……お好きにどーぞ!」

 

 鋭い翼を羽ばたかせ、大邪竜は飛翔する。

 飛翔を仲間に任せられる。

 瞬間移動を仲間に任せられる。

 防御を仲間に任せられる。

 それの、なんと頼れることか。

 

 ゆえに、リュウと友奈は攻撃に集中できる。

 天の神への接近と攻撃を仲間に任せ、リュウと友奈は心を重ね、最後の一撃のために力を溜め、溜めに溜め、重ねた心で更なる力を引き出していく。

 

「もっと、息を合わせて、もっと先へ!」

 

『呼吸だけじゃなく、心臓の鼓動も、思考も全部合わせろ! オレ達ならできる!』

 

 力を、高めて、高めて―――闇の短剣が、ダークリングと分離する。

 片腕しか無いリュウでは、その両方は扱えない。

 でも、二人なら扱える。

 

「『 リュウ/友奈! 』」

 

 友奈がダークリングを掴む。

 リュウが闇の短剣を突き出し輪をくぐらせ、リードする。

 本来ならばカードだけをリードし力を発するダークリングが、途方も無い闇を凝縮して鍛え上げられた短剣に反応し、その内側に溜め込んだ闇の多くを吐き出した。

 リュウは友奈の持つダークリングを鞘とし、剣を抜き放つようにして、全身全霊、後に何も残さないくらいの意識で、前のめりに、横薙ぎに、魔剣を振るった。

 リュウと、イーノ・エボル・グラシアスの剣より、放たれるは究極の闇。

 

 空に輝く、天の神へ向けて、闇が伸びる。

 

 太陽の輝きの存在を許してしまう宇宙の暗黒よりなお昏い、最暗の闇が一直線に飛んでいき、天の神の光を全て喰らい尽くす勢いで、直撃した。

 

『テメェは神!

 自然を媒体にした自然神!

 本質的に死はねェ……だが!

 滅せなかろうが封印はできる!

 七十億年くらい出られねェようにしてやるから、出てくんじゃねェぞ!

 なんなら一生出てくンな! 別にテメェ居なくても地球生物困らねェからな!』

 

 これは、宇宙で最も力任せの"封印の儀"。

 

 なればこそ、七十億の怨念が、七十億年の封印という規格外を成す。

 

『七十億年後なら人類を裁こうがお好きにどうぞだ!

 その頃、人類はテメェみたいな時代遅れの神を置いて宇宙に旅立ってるだろうがなァ!』

 

 神がその力の全てを使い、抵抗する。

 リュウが短剣を握る左腕から、周囲の闇の全てを短剣に注ぎ込む。

 もうとっくに、リュウに注ぎ込めるような生命力の余力はない。

 仲間が、怨念が、貸してくれている闇の力を、全て注ぎ込むしか無い。

 短剣を全力で握って、叫んで己を鼓舞して、全ての力を注ぎ込む。

 

『人類が誰も居なくなった後の地球燃やして、自慰でもして一生過ごしてろ!』

 

「……リュウのえっち。いつそんな言葉覚えたの」

 

『そういやお前居たなあーあーあー! クソッ天の神め許さねェぞ!!』

 

 あまりにも息を合わせすぎて一瞬友奈の存在を忘れたがゆえの、失言であった。

 許すまじ天の神。

 隙あらば仲を見せつけてくるリュウと友奈だが、本人達は真剣だ。

 天の神もまた、真剣である。

 

 七十億の憎悪。

 七人の光の敵対者達。

 そして、地の神が生み出した天の神を呪う"天ノ逆手"をもつ赤嶺友奈。

 全てが一つとなったイーノ・エボル・グラシアスは、全並行宇宙を探しても同格の存在が見当たらないほどの、『天の神殺し』として完成していた。

 

 殺された七十億人は、天の神を許さない。

 光の敵対者は、光の側の天の神を許さない。

 友奈の腕に宿る天ノ逆手は、天の神を許さない。

 そして、鷲尾リュウもまた、世界をこんな風にした天の神を―――七十年を超え、乃木若葉という一人の人間を苦しめ続けた天の神を、許さない。

 

 七十数億の怨念は、七十数年ぶりに復讐の機会を与えてくれたリュウに感謝する。

 感謝し、その子供の未来を繋いでやろうとする。

 その想いがいっそう強烈に、絶対的な存在であったはずの天の神を追い詰める。

 

「『 だああああああああああっ!! 』」

 

 叫ぶ二人の声が重なる。

 リュウの手が震えてきた。

 短剣を持つ手を、友奈が両の手で支える。

 だが、それでもなおリュウの消耗が止まらない。

 

 天の神が先にやられるか?

 リュウが先に力尽きるか?

 ……メフィラスですら、予想がつかなかった。

 

「友奈殿! 主殿の手を強く握って、声をかけ続けてください!」

 

「そ、それでどうにかなるの!? メフィラスさん!」

 

「気休めです! ですが気休め以外に休める余裕はありません!

 主殿は貴方の声がかかっている間は意地でも死にません! ……多分!」

 

「う、うん! 頑張れ、頑張れ、リュウくーん!」

 

『うるせーなこいつら……死なねェよオレは……! こんな奴と相打ちになるか……!』

 

「頑張れ、頑張れ、主殿……友奈殿! 声が小さい! 冗談抜きで主殿が死にます!」

 

「う、うん! ふれー、ふれーっ!」

 

『うるせーッつッてんだろ! 心配しなくてもお前ら置いて先に死ンだりするか!』

 

 リュウと一体化している全員が支え、負担を奪い取り、延命に励んでいるのに。

 勝利が近付いてこない。

 神が勝つか、人が勝つか、引き分けか。

 天の神すらその予想がつかないほどに、ギリギリの領域の拮抗。

 

(クソ……視界がぼンやりして……前に死にかけた時みたいに幻覚がクソッ……!)

 

 リュウの感覚がどんどん薄れていく。

 これが死かと思うと同時に、心に湧き上がる恐怖を必死で抑え込む。

 色んな人が、頑張れと言ってくれた気がした。

 色んな人が、支えてくれた気がした。

 幻覚の言葉や感覚に飲まれて、リュウは現実かそうでないかが分からなくなっていく。

 

(感覚がぼやけて……何も……触覚も、聴覚も、視覚も……)

 

 姫百合の香りがした。

 紫羅欄花の香りがした。

 山桜の香りがした。

 彼岸花の香りがした。

 幻覚に惑わされる鼻を、リュウは忌々しく思う。

 

『……う……』

 

 広がる大地の香りがした。

 波立つ大海の香りがした。

 小さな女の子から、大きな大人、見るからに外国人な人まで、支えてくれた気がした。

 何が現実か、何が幻覚か、リュウには分からない。

 

『うおォォォォォォォォォォォォォッッッッ!!!!』

 

 色んな人が居て、色んな想いがあって、その全てが、リュウの背中を押してくれていた。

 そんな、気がした。

 いつの間にか、幻覚は消えていた。

 薄れていた感覚が戻っていた。

 弱り切っていたはずの、何の力も残っていなかったはずの体に、いつの間にか最後の力が備わっていた。

 

 押し切る。

 押し切る。

 押し切る。

 急に湧いた力がリュウの力を更に増し、天の神の抵抗を押し切っていく。

 それは神には無い力。神が理解できない力。

 

 本当の意味で死を持たず、死が状態でしかなく、倒されてもいつの日かまた現れる、災害を擬神化した日本神話特有の神の特性のせいで、彼らには理解できない。

 生と死を越え、繋がるものがあることを、与えられる力があることを、知らない。

 寿命もなく、死も無い、それは長所であり弱点だ。

 人が備える"その強さ"を、神が備えることはない。

 

 そうして、天の神は。

 

 メフィラスの考える『理想の悪』の対極を―――選んだ。選んで、しまった。

 

「! 危ないっ!」

 

 その瞬間。

 時が止まったようだと、リュウは他人事のようにその瞬間を見ていた。

 

 友奈がリュウを突き飛ばす。

 ほとんど勘による行動だった。

 友奈が、リュウの居た場所に入れ替わるように残る。

 

 その瞬間に、光速を超えた光の針が放たれた。

 それは、命を奪う蠍の針。天に輝く蠍座の針。天体の殺法。

 光よりも速い速度で飛んだそれは、発射されてから回避することなど不可能で、『樹海に侵入するバーテックスと同じ力』で、内的宇宙(インナースペース)という異界に侵入。

 そのままの速度で飛翔し―――友奈の心臓を、貫いた。

 

 リュウの代わりに、友奈が針を受けた形。

 太陽神の権能を持った飛針は、光速を超え灼熱を超える。

 灼光は心臓を焼き尽くし、こぽっ、と、友奈の口から泡の混じった血が漏れた。

 

「……あ」

 

『友、奈?』

 

 愕然とし、意識の動きが止まるリュウ。

 何が起こっているのか分からなかった。

 目の前の現実が受け入れられなかった。

 なのに、体は咄嗟に動いていた。

 

 天の神の第二射、第三射、それ以降の針が迫り、リュウは友奈を突き飛ばす。

 彼らは同じ。

 同じ場面に行き逢えば、必ず同じ行動を取る。

 愛する人を突き飛ばして、庇って、救う。その代わりに、自分が死に至るとしても。

 

 友奈を庇ったリュウの体を、太陽の針が貫通していく。

 何本も、何本も。

 リュウは倒れ、けれども歯にヒビが入るほどに強く歯を食いしばり、立ち上がれないままに突き飛ばした友奈に手を伸ばす。

 誰がどう見ても死んでいる友奈に、命が尽きる寸前のリュウが息も絶え絶え手を伸ばすという、あまりにも痛ましく、血まみれな光景。

 

 その時、友奈の指が動いた。

 まだ生きている。

 生きていることがおかしいのに、まだ生きている。

 何故、とメフィラスは思ったが、天の神の針が友奈の心臓ではなく、その少し横を針が貫いていることに気が付いた。

 

 それは奇跡。

 本当に小さな奇跡。

 友奈はリュウを左手で突き飛ばそうとして、腕輪(レット)のように巻いていたリュウからのプレゼントに気付き、反射的に体の向きを変えて右腕で突き飛ばしたのだ。

 だから、針は心臓ではなく、少しズレたところを貫通していった。

 あの日リュウがこれをプレゼントしていなければ、友奈がリボンを左手首に巻いていなければ、プレゼントを無意識レベルで大事にしていなければ……確実に、即死だったはずだ。

 いや、リュウが追撃を防いでいなければ、その奇跡があっても確実に穴だらけの死体になっていただろう。

 

 されど致命傷には違いない。

 呻く余力もない友奈に、呻きながらリュウが手を伸ばす。

 

『ぐっ、うっ、がっ、くぅっ……! ゆ……う……ぁ……』

 

「主殿!」

 

 そして、天の神の封印は完了した。

 リュウの言う通り、七十億年は出てこれないほどに強固な封印だ。

 メフィラスが声を上げ、イーノ・エボル・グラシアスの操作権を握り、封印の中に飲まれていく天の神に毒を吐く。

 

「光も闇もない、負け惜しみのような醜い最後ですか……!

 ……そんなものを選ぶとは! 神としての矜持はないのかぁ! 天の神よっ!」

 

 メフィラスは熱くなりやすい。

 だから、丁寧語を思わず捨てて神を罵倒する。

 メフィラスは負けず嫌いだ。

 負けが嫌いだから、リュウと友奈が死ぬなどという『実質負け』を受け入れられない。

 彼は心が好きだ。

 神のような超越した心ではなく、間違えることもある心が、正解を選ぶのが好きだ。

 地球人に負け、地球人に負けたことを認め、敗北を受け入れてきたメフィラスが。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()と、心の底から、強く思っていた。

 

「……いや、これが、主神としての最後の意地ですか……くっ、急がなければ!」

 

 大邪竜を操作し、メフィラスは急ぎ四国へ戻る。

 

 一刻も早く病院に連れて行かなければ、と思考する。

 

 だが。その頭脳は、もう二人の片方が手遅れであることに、気が付いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 またか、と若葉は呟いた。

 リュウ達が天の神を倒してくれたという話を聞いた喜びと、喪失の悲しみの両方が、一緒くたになってやって来ていた。

 血まみれのリュウが今にも止まりそうな呼吸で手当てをされていて、それを今にも泣きそうな友奈が見下ろしていて、そんな二人を若葉が見ている。

 

「ねえ」

 

 リュウは瀕死だ。

 

「なんで」

 

 だが、友奈はもう無傷。

 

「私は平気で生きてて、リュウくんは、こんなにも死にそうなの?」

 

 何かがおかしい。

 友奈の傷の治りがおかしい。

 ほぼ致命傷だったはずの傷が、カチリとスイッチが入るように、一瞬で治りきっていた。

 リュウと友奈の周りの人達は、悲しみ、無力感、そして困惑に包まれている。

 

 その困惑が、頂点に達した時。

 友奈の体から、()()()()()()怪獣が飛び出してきた。

 リュウの通常等身規格と同様の2mほどで、トカゲにドレッドヘアのような角を生やし、岩石細工のような肌を貼り付けたらこういう姿になるだろう。

 ドレッドヘアのトカゲは、リュウと友奈の前で片膝を折って、頭を下げた。

 怪獣なのに、細やかな仕草が、とても女性らしかった。

 

「え?」

 

「あちきは、マスター鷲尾リュウ様の『七枚目』。サラマンドラでござりんす」

 

「七、枚目?」

 

「『即死でなければ傷を治せる』。それがあちきのカードとしての能力でありんす」

 

「傷を……治せる……?」

 

「あちきは人を治せる怪獣。

 怪我をする前に付けておけば、腹を貫かれても治しんしょう。

 そして、カードとはいえ、この身は女性でありんす。

 友奈様にマスターは気を使い、あちきに任せたのでござりんす。

 マスターの何よりも大事なものを任されたあちきは、それからずっとお主さんの傍に」

 

「私に……ずっとあなたが? い、いやそれよりも!」

 

 友奈は慌てて、自己紹介や細かい事情を聞くことすらすっ飛ばして、今にも死にそうなリュウを治してもらおうと、サラマンドラの手を引く。

 サラマンドラの悲しみの瞳を見て、若葉は何かを察し、諦めようと歯を食いしばった。

 若葉にとって諦めとは脱力ではなく、歯を食いしばるものだった。

 

「それなら急いでリュウくんを!」

 

「できんせん」

 

「え」

 

「マスターはもう、死ぬからでありんす」

 

「……え?」

 

「あちきにもう少し力があればと思えど……無力でござりんす」

 

 サラマンドラのカードは、傷を治すもの。

 しかし、今のリュウは対象外。

 治せる範囲の、明確に外側にあった。

 

「……よくやッてくれた、サラマンドラ」

 

「! リュウくん!」

 

 友奈が駆け寄り、優しく抱き留め、サラマンドラは女性らしい柔らかい所作で、リュウの前で片膝を折った姿勢を取る。

 サラマンドラは悲しみと謝罪を、ただ姿勢と態度で示し続けた。

 

「あちきは、マスターの期待に応えられたでありんすか?」

 

「ああ」

 

「……無力なあちきを、お許しを」

 

「何が無力だ。よくやってくれた。……友奈をよく、守りきってくれた」

 

「本当に、本当に……身に余るお言葉でありんす」

 

 ダークリングの能力は大まかに分けて三つ。

 一つ、カードの力を引き出し、混ぜ合わせ、自らを巨獣化させる力。

 一つ、カードの力をそのまま実体化させ、怪獣等を使役する力。

 そして最後に、カードから引き出した力を極大まで増幅し行使する力。

 

 光線を吸収する怪獣をリードしておけば、生身で光線銃を無力化し、強力な闇の巨人のカードを使えば、光の封印を粉砕する一撃を放つことができる。

 カードは『封印』にも応用することができ――天の神に使った封印はこれの応用――、普通のカード一枚でも、半永久的に封印を継続させることすら可能だ。

 使い手によって、効果の応用範囲と継続時間は相当に伸びていく。

 

 彼が友奈に使ったのは『サラマンドラ』のカード。

 弱点にさえ攻撃されなければ、細胞の一欠片からでも再生するという不死身の怪獣である。

 よって、これを使われた友奈は、即死しなければどんな傷も再生する。

 もちろん限度はある。

 でなければリュウはあそこまで神経質になっていない。

 リュウが巨大化して踏みつければ再生すらせず即死であるし、一兆度の火球がかすれば当然再生もせず、天の神の攻撃を複数受ければ当然生存は叶わない。

 怪獣相手に人間が備える再生能力としては、あまりにも心許ないものだった。

 

 しかし、即死さえしなければ大抵の傷は自然に治る。

 よほどのことがなければ、肌に傷も残らないだろう。

 リュウが戦いの中で"友奈を傷付けない意志"を一貫していれば、二重のセーフラインによって友奈の命が脅かされることは無いはずだったのだ。

 リュウが友奈の未来のためにかけられる保険としては、これ以上のものはなかった。

 

 けれど。

 それを知った時、赤嶺友奈の胸に湧き上がるものが、悲しみと怒り以外にあるだろうか?

 

「そんな……そんなことって!」

 

 友奈の脳裏に、あの時の大赦の人間との会話が脳裏に蘇る。

 

―――……神樹様は、神託によればそんな治癒の力は与えていないとのことですが

 

―――うん。この装備の力かな?

―――この装備手に入れた初日から発揮されてた力だった気がするから

 

 そんな強力な能力が0から生えてくるわけがない。

 友奈も戦いの中で様々な能力を目覚めさせてきたが、それは装備や神樹から引き出してきたものにすぎない。

 神が与えたわけでないなら、その能力は誰が与えたのか?

 決まっている。

 赤嶺友奈に死んでほしくない……いや、戦いの傷一つ残ってほしくないと願っている、鷲尾リュウ以外にありえない。

 

 元々リュウは初日で決着をつける、できなければ数日以内に、という基本思考で戦っていた。

 長期戦は友奈のリスクになる、と考えていたから。

 そして数日であれば、サラマンドラの効果は十分に維持できる。

 初日のリュウは十分な休養を定期的に取っていたため、十分なエネルギーをサラマンドラに込めることが可能で、二週間は余裕で保つように仕込むことができていた。

 

 リュウは、どんなに自分が追い詰められても、死にそうになっても、サラマンドラのカードを友奈から剥がして手元に戻さなかった。

 ゼッパンドンの時に堕ちに堕ちても、戻さなかった。

 

 それは、彼がどんなに変わり果てようとも―――赤嶺友奈が、誰よりも大事だったから。

 傷一つ無い友奈の体が、リュウの愛を証明している。

 けれど。

 友奈は。

 そんな愛の結末としてリュウが死ぬだなんてことは、受け入れられなかった。

 自分の死よりも、受け入れられなかった。

 

「バカ! バカバカバカ! リュウくんの……リュウのバカ!」

 

「あーあ……呼び方戻っちまッた。

 前の友奈みてーな感じで、懐かしかッたのに……

 つか、バカとか、やめろよ。分かるだろ。お前の体に一生残る傷でも出来たらどうすンだ」

 

「―――っ」

 

「いや、よかった、お前が怪我しなくて。

 治れば怪我して良いってもンじゃねェからな……」

 

 友奈が"この怪物を倒してまたリュウと一緒に過ごすんだ"と思い、怪物のリュウを叩きのめしている間、リュウはずっとそんなことを考えていた。

 そんなことを考える自分を、闇に堕ちる度に失い、忘れていき、それを友奈が取り戻してくれたから、友奈に深く感謝していた。

 友奈から見れば、本当は、感謝する側とされる側が逆だったのに。

 

「リュウが、自分で使ってれば……

 こんなにはならなかったのに……

 手遅れにはならなかったのに……」

 

「だ、な。分かる。

 でも、怖かったンだ。

 オレじゃなくて……お前が死ぬの、怖かったンだ」

 

「……自分が死ぬことだって、怖かったくせに!」

 

「何でも見抜くなよ……やり辛ェな……

 最初からずっと言ッてたろ。

 オレ、勇気、無かったんだ……お前に貰わねェと、勇気なんかねェンだ」

 

「それはっ……勇気が無いんじゃなくて……優しいんだよっ……!」

 

 友奈の握るリュウの手が、どんどん冷たくなっていく。

 熱のある血がもう巡っていない。

 命が血に通っていない。

 友奈の目が涙で潤む。

 

 彼の手の中には、常に多くの選択肢があった。

 友奈を見捨て、この力で支配者となり権力を手にする選択肢。

 友奈の強化を止め、友奈の怪我や死のリスクを飲み込み、力で押し切る選択肢。

 戦いの中で手加減することを止め、友奈の怪我は覚悟で大赦を潰し切る選択肢。

 本当に何もかもを壊しながら突き進む選択肢。

 いくつもの選択肢があった。

 だが、彼はどれも選ばなかった。

 

 彼が選んだ正しい選択も、間違った選択も、全ての理由は一つ。

 彼女が痛い思いをせず、苦しい思いをせず、辛い思いをせず、健やかで、幸せで、楽しい毎日を送り、いつまでも笑っていられれば、それでよかった。

 それ以外、求めるものなどなかったから。

 それだけは、必死に求め続けた。

 その結果がこれだ。

 友奈の胸は痛み、その心には苦しみが満ち、これ以上無いほどの辛い思いに引き裂かれ、どうしようもなく幸福が失われ、その表情からは笑顔が失われていた。

 この結末だけは嫌だったはずなのに。

 この顔だけはさせたくなかったはずなのに。

 上手くやれると、思っていたのに。

 

 天の神の最後の足掻きは、人類にとって最高の勝利こそ覆せなかったものの、リュウと友奈にとっての最悪の敗北をもたらしていた。

 

「リュウは、なんでそんなに私の心配ばっかり!」

 

「ガキの頃からよく転んでた、幼馴染が、心配だったからな……

 ったく、よく転ぶおッちょこちょいな奴が幼馴染だと辛いぜ……へへへ」

 

「なんなの……それ」

 

「お前が転ンだ時手当するのは俺の役目だからよ。しょうがねェ」

 

「しょうがなくなんかない!」

 

「良いンだよ。好きでやッてんだから、さ……」

 

「好きだからってやらないで! やらないで、ほしかったのに……!」

 

 リュウは友奈に笑ってほしいが、頭がまともに動かない。

 笑ってほしくて口を動かすが、笑ってもらうために頭が動かせない。

 思うまま、頭に浮かんだことを、そのまま口に出していく。

 それが普段のリュウが決して言わない事柄であると、リュウは自覚を持つこともできない。

 

「赤嶺のおばちゃんとか……お前の親にもお前のこと、頼まれてたしさ……」

 

 家族という、"理由"があった。

 

「お前との公園の約束……オレから破ったから……償いすべきだと思ッてたしよ……」

 

 約束を破ったという"理由"があった。

 

「ほら……今思い出したンだけど……お前風邪引いた時……

 お前が弱ッててさ……

 女の子だな、ッて思って……俺が守るんだって、心に、決めて……」

 

 思い出があった。

 

「悪かった……

 ごめん……

 喧嘩して……

 謝ってなくて……

 オレが、素直じゃなかった……」

 

 別れる前に、した喧嘩があった。

 

「幸せに、なれよ。

 誰でも、良い。

 ……いや、誰でも、良くはねェけど。

 お前を、大事にしてくれる、人が良い。

 大切な人を作って。

 その人を大切にして。

 それがお前を、幸せに……きっと……大事にして、大事にされろよ……」

 

 友奈が言葉を挟めないのは、それが彼の遺言であると思い始めているから。

 彼の言葉を少しでも多く聞こうとしているから。

 口は動かず、耳はリュウの言葉に傾けられ、瞳からは今にも涙が溢れ出そうになっている。

 

「お前が転校していく前の……

 オレと、お前が、通ってた学校で……

 田村はオレより優しかったし……

 犬吠埼は、オレよりかっこよかったし……

 加賀城はオレより、勉強、出来たし……

 ……お前を、幸せにする人を、探せば……

 ……ああ……でも……

 あいつらの誰よりも、オレの方が友奈のこと好きだな……何言ってんだオレ……?」

 

「……いいよ、もっと言って」

 

「……」

 

「……リュウ?」

 

「……ん、ああ、悪い、今ちょっと、疲れたから眠ってた……だけどもう少し……」

 

 別れの瞬間が来る。

 

 きっと、あと一分もせずに。

 

 おそらく、最大の後悔と悲しみを残す、別れの瞬間が来る。

 

「最後に、一つ、だけ。友奈」

 

「……なあに?」

 

 最後に残す一言は、リュウにとって何よりも大切な、絶対に言わないといけない一言。

 

 

 

「好きだ」

 

「遅いよ」

 

 

 

 今日までずっと言えなかったこと。

 一度も言われることのなかった、愛の告白。

 それを口にして、リュウの腕がだらりと下がった。

 命が、魂が、抜けていくような、死の瞬間を皆が感じていく。

 

 それは、祖父や祖母の心電図が止まる臨終の瞬間を看取るような、悲しみと死の数秒。

 

「バカじゃないの」

 

 友奈の瞳から、涙がこぼれ落ちる。

 

「本当に、バカ」

 

 目を閉じて動かなくなったリュウの顔に、友奈の涙が落ちる。

 

 友奈が泣いているのに、その涙を止めに動かないという『鷲尾リュウ限定の異常事態』が、彼の状態を赤嶺友奈に知らしめる。

 

「……バカは、私か。

 『なんで』とか思ってるけど……

 本当は……理由なんて……ちゃんと分かってるのに……」

 

 誰のために?

 何のために?

 なんで?

 そんなことを今更聞くほど、友奈は鈍感でもないし、バカでもない。

 鷲尾リュウからの想いを理解できなければ、ここまで彼を好きにもならない。

 想い合うということは、理解し合うということだから。

 

 「好きだ」、という言葉を、二人は別れの言葉としてしか言えなかった。

 

 新しい何かを始める言葉として言えなかった。

 

 何かを変える言葉ではなく、何かが終わる瞬間を飾る言葉としてしか言えなかった。

 

 それは本当は、新しい関係を始めるための、愛の告白の言葉であるはずなのに。

 

「……リュウ」

 

 友奈はリュウの頬に、そっと手を添える。

 程なくして、最後の温度が消える。

 そうなった時、彼は本当に死を迎え、死体に至る。

 リュウの最後の体温をその手で覚えておこうとしたのは、愛か、乙女心か。

 

 友奈は悲しみをこらえて、リュウが好きだった微笑みを浮かべる。

 悲しみの顔よりも、笑顔の方をリュウが愛してくれたことを、覚えているから。

 無理をして笑う。

 でも、涙は止まらない。

 だから泣きながら笑う。

 悲しみながら、悲しんでいない自分を無理に見せようとする。

 悲しみが極まった友奈の作り笑顔が、崩れて、くしゃくしゃになって、濡れていって。

 そして、その時。

 

 リュウの体に、闇の弾丸を撃ち込む者がいた。

 

 

 

 

 

「そろそろ弥勒の出番かしら。主役が大活躍するクライマックスといったところね」

 

 

 

 

 

 メフィラスを従えた弥勒が、メフィラスから手渡されたダークリングを素振りし(意味は無いが気合いを入れている)、悲しみに暮れる皆の前に現れた。

 なんだこいつ、と遠巻きに見ていた人達が思った。

 「嘘やろ」と静が反射的に言っていた。

 メフィラスが眉間を揉んでいた。

 

「ごめんなさいね。ちょっと今さっきまでメフィラスと話し込んでいたから」

 

「あ……あかん!

 出かけてた涙が引っ込んでもうた!

 この先ロックがなんとかできてもできなくてもウチもう泣ける自信ない!」

 

「いいのよ、シズ先輩。ここから先に泣くシーンは無いわ。笑って終わりましょう」

 

 蓮華はリングの内側に指を引っ掛け、西部劇のガンマンが拳銃をそうするように、手の中でくるくると回す。

 

 これはリュウが蓮華にダークリングを譲り、蓮華がダークリングの扱いを練習していた時、休憩時間に練習していた動きだ。

 かっこいい以外に何の意味もない動き。

 しかし、その努力はリュウがダークリングを取り戻したことで無に帰した。

 無駄な努力と成り果てたのだ。

 だがその日の努力は、今の蓮華にかっこいい動きを可能とさせている。

 そう。

 あの日の努力は。

 この日のために。

 

「運命、というものは常に弥勒の味方をする。

 弥勒が願い望めば、最後には弥勒が望んだ形と成る。

 これもきっと運命ね。

 ここまでのめぐり合わせも、ぶつかり合った結果も。

 弥勒がこの世界でリュウに次いで二番目にダークリングを使った女であることも、きっと」

 

「レンち……何か、できるの……?」

 

 弱々しい声を漏らす友奈の涙をハンカチで拭い、蓮華はダークリングをくるくる回す。

 

「貴方達が起こした奇跡と偉業に比べれば、砂粒のようなものよ」

 

 蓮華が"少しだけ生命力を取り戻した"リュウを抱きかかえ運んでいる横で、メフィラスはサラマンドラに話しかけ、事情とこれからの展開を説明していく。

 

「ええええ!?

 マスターが直接技術を教えた人間でありんすか!?

 一部技能はマスターを超える!?

 そ、それなら、確かに何か手がある可能性も……というかなんでありんすかねこの女」

 

「サラマンドラは初対面でしたね……

 ですが今はそんなことを話している時間はありません」

 

「そ、その通り。マスターを助けていたしんしょう、弥勒様」

 

 蓮華は力強く頷く。

 

「ええ。弥勒に任せなさい」

 

 なんでこの御方はダークリングをずっと回してるんでありんすかね、とサラマンドラは思ったものの、あんまり気にせずスルーした。

 

「起きたらリュウに恨まれるかもしれないけど……

 それも構わないわ。友奈もリュウも、弥勒の前では涙の一滴も流させたくないもの」

 

 蓮華は五枚のカードをリードする。

 リードしながら、リュウをここまで支えるために、全てのカードにヒビが入っていることに気付き理解し、蓮華の胸は強く痛んだ。

 既に具現化しているメフィラスとサラマンドラに、ゼットンとバルタン、疑似復活したパンドンにザラブにΣズイグルと、全ての怪物が人間サイズで現れる。

 

「念の為確認するわ。

 貴方達の中で、リュウのための死が嫌な人は居る?

 居るなら弥勒は考慮するわ。そのカードだけは除外する」

 

 全個体が即答。

 

 リュウのために、彼らは己の終わりを選択した。

 

「……そう。ありがとう。

 メフィラス。

 さっきのカードの一部を生命力として飛ばしたアレ。

 アレをカード全体ですればいい……ということよね」

 

「ええ。今はサラマンドラがおります。

 人間から作られたカードもある。

 そして、カードではないリングの使い手の貴方がいる。

 再生。

 人間の素。

 そして、使い手。

 私の頭脳が術式を組み立てていけば、『核』さえあれば主殿を蘇らせられる」

 

 初代サラマンドラは、原理的には細胞一体化再生能力を持つ怪獣。

 初代のみ、と頭に付くが。細胞一つ一つに別々の命が融合することで、細胞それぞれに無限の再生能力を持たせる、という理屈を持たされた怪獣である。

 このサラマンドラはその初代の血縁にあたる存在をカード化した存在。

 その能力を使うということは、リュウの細胞にカードの命達が融合し、リュウの体に擬似的に不死身レベルの再生能力を与える……ということだ。

 

「ダークリングを通して強力な力を撃ち込むにはカードが必要、という話だったわね」

 

「その通りでございます。

 主殿の肉と命を蘇らせる力をカードに乗せ、撃ち込むこと七度。

 我らカードが主殿の肉に同化しつつ、その命をなんとしてでも繋いでみせましょう」

 

「……けれど、そうすることで」

 

「我らは消滅するでしょうな。

 復活することもありますまい。

 なにせ、一度死んだものの残滓から作ったカードですからねぇ。

 意志も魂も心も、何も残らないでしょう。

 そんなものを残せば主殿の復活の邪魔となる。これが我らの、最後の仕事です」

 

 メフィラスは敷かれたマットの上に移動させられたリュウを見下ろし、笑う。

 

「くくく」

 

 見下(みお)ろしはしていても、見下(みくだ)しはしていなかった。

 リュウは今、死の一歩手前にいる。

 比喩でなく、本当に。

 きっと子供が雑にパンチでも食らわせれば、それで死んでしまうだろう。

 まるで消える寸前のロウソクのように、弱く、儚く、誰かが守らなければ消えてしまいそうで……でも、今この瞬間も、生きている。

 

 メフィラスはリュウに語りかけるが、眠るリュウが応えることはない。

 

「主殿が眠っていて良かった。

 起きていたら、絶対に我らの献身を拒絶していたでしょうから。

 我らが魔王殿のそんな情けない姿など、見たくもない。

 光に勝利した我らが魔王。

 我らの主。

 我らの誇り。

 我らの生まれた意味を体現する男。

 その未来を繋げることの……なんと満足できることか。なんと心が震えることか」

 

 その言葉はリュウには届かない。

 けれど、リュウの周りの人達には届く。

 友奈にも、静にも、蓮華にも、若葉にも、遠巻きに見ている人々や大赦にも。

 鷲尾リュウに届かず、虚空に消えるはずだった言葉を、その人達は覚えている。

 

「主殿。

 実は私は子供の頃から嫌いな言葉がありましてね。

 何だと思いますか?

 ……『正義は必ず勝つ』、ですよ。

 あれがどうにも苦手だった。

 どうやら私は……子供の頃のささやかな願いを、貴方に重ねていたようだ」

 

 メフィラスが語りかけるリュウに、ずっと友奈に同化していたサラマンドラも寄って来る。

 サラマンドラは意志が無かった頃に友奈に付けられ、意志を得てもリュウの手元には戻って来ることなく、戻って来た頃にはリュウが瀕死だった。

 よって、その意志をリュウと疎通させたことがない。

 しかし。

 このカードは他のどのカードよりも、リュウの一番大事なものを任されていた。

 どのカードよりも強く願いを託されていた。

 

 ゼットン、バルタン、メフィラスが他のカードよりも強い想いをリュウに対して持ち、結果としてリュウに信頼されたカードであるならば。

 サラマンドラはその能力ゆえに、最も頼られ、想いを託された者である。

 最初がそうだった。

 そして、最後もそうなる。

 最初にリュウに想いを託され、赤嶺友奈の命を守り続け、最後に弥勒蓮華の手で、サラマンドラは希望を紡ぐのだ。

 

「にしし……

 マスターの傷をあちきが治すことはござりんせん。

 これまで、ただの一度も無かったでありんす。

 されど、マスターの一番大事なものを任されてござんした。

 それのなんと嬉しいことか。

 そんなあちきが最後にマスターを治す役目も担うなど、怪獣冥利に尽きるでありんす」

 

 女性のような上品な微笑み方をするサラマンドラに、涙を拭って、けれど泣き腫らした顔で、涙声のまま、友奈はこのままだと言えない言葉を告げる。

 そして、全力で頭を下げた。

 

「あの……今まで私を守ってくれてたんですよね? ありがとうございます!」

 

 微笑むサラマンドラ。

 サラマンドラが仕事できるのは、最後のみ。

 その性質上、ここまで他のカードのように活躍することは多くなかった。

 けれど、今日まで友奈のことを見守り続け、友奈という少女を知った。

 友奈に使われる前の一年、リュウを見守り続け、リュウから友奈への想いを受け止め続け、リュウの最も大事なものを託された。

 

 そして先程友奈を、今リュウを、救う仕事を完遂しようとしている。

 最後に自分が果たすその役割が、サラマンドラには何よりも尊く思えるのだ。

 バッドエンドのはずだった。

 そんな運命のはずだった。

 それを、GE(グッドエンド)のED(エンディング)に反転させる、運命をひっくり返すことの、なんと痛快なことか。

 

「あちきが守っていたのが貴女でよかった。

 あちきのマスターが好きだったのが貴女でよかった。

 同化していたのは一週間程度でござんしたが、たとえようもない幸運でござんした」

 

 サラマンドラは、無力感からか友奈が自然に握り締めていた拳をほどく。

 戦うためにいつも握られている友奈の拳を開かせる。

 その手はもう、戦い以外のためにも使っていけると、信じてるから。

 

「もう、拳なんてものは握るもんではござりんせん」

 

 自分がマスターを救ったら、その手を握るのは友奈であってほしいと、そう思うのだ。

 

「ここだけの話でありんすが。あちきは多分……

 七枚のカードの中で一枚だけ、マスター以上に貴女の幸せを望んでいるでありんす。にしし」

 

「! ありがとうございます、サラマンドラさん」

 

「貴女も、マスターと同じくらいかわいそうで辛かったでありんしょう?

 よく頑張ったでありんす。

 貴女も報われて、ちゃんと幸せになっていきなんし。ゆーびきーり、げーんまーん」

 

「ゆ、ゆーびきーり、げーんまーん」

 

 サラマンドラが友奈に、「幸せになれ」と、「嘘ついたら針千本飲ます」と言って、先程針で刺されて死にかけサラマンドラに救われた友奈を苦笑させる。

 

 若葉もまた、礼儀作法に則り着物のまま地面に膝をつき、恭しく頭を下げた。

 それは人間が神に対し使う礼儀作法。

 怪物達は神ではない。

 若葉もそんなことは分かっている。

 だがこれこそが、乃木若葉の知る、どんな礼儀作法よりも丁寧な感謝の仕方であった。

 

「感謝する」

 

 ザラブが照れて頬を掻いた。

 Σズイグルが若葉に頭を上げさせる。

 パンドンが親に褒められた子供のように、嬉しそうに鳴く。

 ゼットンは若葉の着物の膝に付いた泥を、優しく払い落とす。

 

 バルタンは20億を守れないまま生涯を終え、70億が殺されたこの世界に辿り着き、70億の無念を晴らした結末の果て、憑き物が落ちたような乃木若葉を見て―――夜空を見上げる。

 天の神は倒された。

 結界は解除された。

 未来は取戻された。

 炎が消えた外の世界の、作り物ではない本物の、満天の夜空が広がっている。

 

 何かが終わった気がした。

 鷲尾リュウが、何かを終わらせてくれた気がした。

 乃木若葉への共感と、慈しみがあった。

 後悔は消えない。

 過去はなくならない。

 死んだ者は蘇らない。

 けれど、己の心の中で決着をつけることはできる。

 バルタンと乃木若葉の心の中で、後悔が少しずつ、別の想いに塗り潰されていく。

 

 「よかった」と、バルタンが心の底から思える結末が、ここにあった。

 

 

 

 

 

 弥勒蓮華は、一体一体の異形を軽んじない。

 だから全ての怪物が彼女を拒絶しない。

 リュウ以上の複数同時使役技能を容易く発現させてみせたのは、そこにも理由がある。

 一体ごとに、ちゃんと名前を呼んでいく。

 一体ごとに、ちゃんとその頑張りに感謝し、その労をねぎらっていく。

 

「今日までリュウと友奈をありがとう。お疲れ様、サラマンドラ」

 

 サラマンドラは友奈と握手し、リュウの服の乱れを整えてから「これでイケメンでありんす」と呟やいてカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、パンドン」

 

 パンドンは眠るリュウの頭を何度も撫でてカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、ザラブ」

 

 ザラブはリュウを抱きしめ、名残惜しそうにカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、ズイグル」

 

 Σズイグルはリュウの腕に『友奈ラブ』と書きカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、バルタン」

 

 バルタンは乃木若葉の前に行き、長く丁寧に頭を下げ、リュウの前にも行き、若葉よりも長く丁寧に頭を下げ、カードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、ゼットン」

 

 ゼットンは友奈とリュウを見て、その眼球から僅かに水分を滲ませ、その水分を腕で拭って、リュウの腹を優しくポンポンと叩いてカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

「今日までリュウをありがとう。お疲れ様、メフィラス」

 

 メフィラスは何もせず。

 何も言わず。

 何も残さず。

 "私が何かを残す必要はない"と言うかのように。

 "もう彼は彼女達が居ればそれだけでいい"と言うかのように。

 リュウを見つめ、瞳を閉じてカードに戻り、ダークリングにリードされた。

 

 まず、サラマンドラが体の再生準備に入った。

 蓮華のダークリングの後押しを受けて、その再生の力の上に仲間達が力を乗せる。

 パンドンがまず、命を継ぎ足した。

 ザラブが生物らしく、傷や穴を塞ぎながら、肉と血を治していく。

 Σズイグルが機械らしく、骨を修理整形して、神経を繋いでいく。

 

 バルタンが、天の神が最後の力で刻んだ、灼光の大穴を塞ぐ。

 彼がまた、明日も健康な体で生きていけるように。

 ゼットンが、リュウの欠けた右腕の核となり、再生させる。

 彼がまた、力強い腕で、愛する人を抱きしめられるように。

 メフィラスが、リュウの片目を蘇らせる。

 鷲尾リュウがいつでも、どんな時でも、彼らしい道を見失わないように。

 

 

 

 

 

 リュウは、夢を見た。

 皆と別れる夢だ。

 支えてくれた異形達と離れる夢だ。

 リュウが「待て」と手を伸ばすと、彼らは本当に待ってくれて、踵を返し振り返る。

 けれど、その体がほどけ、きらきらと輝く闇になって、リュウの体に集まっていく。

 

 リュウは一度も泣かなかった。

 初日から今日に至るまで、一度も涙を流さなかった。

 絶対に泣かないと決めていた。

 涙で救えるものはないと思っていた。

 弱くない自分で居ようと、泣きそうになっても涙をこらえ続けた。

 

 泣いてはいけないと、自分に言い聞かせて、言い聞かせて、言い聞かせ続けて。

 

 頬を伝う雫があった。

 流れ落ちる透明な水滴があった。

 溢れ出た感情が、両の瞳から流れ続ける。

 己の手に涙が落ちるまで、リュウは自分が泣いていることにも気付いていなかった。

 

『生まれた星は違っていても』

 

 彼らは消えていく。

 

『共に創る未来は同じ』

 

 言葉を残して。

 

『永遠の絆はここに』

 

 想いを残して。

 

『我らは一つ』

 

 これは別れではない。

 

『想いは一つ』

 

 悲しみの別れではなく、喜びの終わりのために、彼らはそれを選んだ。

 

『魂はいつも共に』

 

 共に在る日々は、駆け抜けるような日々だった。

 共に在った時は長くても、心を通わせたのは数日だった。

 けれど、きっと忘れない。

 リュウはきっと、死ぬまで彼らのことを忘れない。

 

 怪物は謳うように、声を張り上げる。

 

『高らかに叫びましょう主殿。我ら、宇宙の悪と貴方の愛が、勝ったのだと!』

 

 そうして、リュウは目覚める。

 

 目覚めたその時にはカードもなくて、怪物も一体も居なかった。

 無かったはずの腕や目が戻っていた。

 結界も無く、世界は元の形を取り戻し。

 号泣していた友奈が、夢のせいで泣いていたリュウを思いっきり抱きしめていた。

 

 リュウは、自分が何時間眠っていたのかも分からない。

 けれども、友奈に支えられてベッドから移動し朝焼けを見て、今が朝であることを理解する。

 夜が終わった。

 七日七晩の戦いが終わった。

 短いようで長かったこの日々が終わったのだ。

 

 昇る朝日が、リュウの目に染みる。

 嬉しいはずなのに。

 達成感に満ちているはずなのに。

 願いが全て叶ったはずなのに。

 世界ですら救い終えたはずなのに。

 何故か、涙が止まらなかった。

 

 朝日が目に染みているせいだと、リュウは思うことにした。

 

 

 

 

 

 これまでも大変だったが、ここからも大変だ。

 戦いは戦いだけでは終わらない。

 得てして準備も長く、後始末も長いのだ。

 乃木若葉も老体で、これから先の世界を舵取りできる力はない。

 次代の世界は、今の世界を生きる者達が引っ張っていくことだろう。

 

 若葉はそんな"希望のある話"ができることを喜び、リュウと友奈に感謝する。

 

「まさか、私が生きている間に、世界を取り戻せるとはな。

 ありがとう、リュウ、友奈。

 お前達二人が勝って、世界を取り戻して、生きて帰って来てくれたこと。

 それが本当に、本当に、本当に……嬉しい。私にとっては何よりも嬉しいんだ」

 

「あー、まァ、オレの場合は好き勝手やッてただけなンで……」

 

「いいんだ。

 私にとっては、それが嬉しい。

 ずっと後悔があった。

 ずっと無念があった。

 死んでいった仲間に勝利を誓ったのに、負けてしまったことに。

 私の世代で終わらせることができず、次の世代に負債を押し付けることに。

 ……世界を救えないまま死んでいくものだと、ずっと思っていた。諦めていたんだ」

 

 若葉が感慨深そうに、結界の壁のない、果てのない世界を見渡す。

 それは、彼女が奪われ、見ることさえ許されていなかった、欠けていたはずの故郷の―――本当の人間の世界の風景。

 西暦から続くロスタイムは、ここに終わりを迎える。

 

「やはり、諦めることはよくないな。

 そんなことも忘れていたんだ、私は。

 色んなことを諦める癖が付いていた。

 鷲尾リュウ。お前を見ていると、大切なことを思い出すよ。諦めない者の格好良さ、などな」

 

 若葉は別れの言葉を告げて、二人に背を向け去って行く。

 

「お疲れさん。明日迎えに行くから、早めに寝て早めに起きるんやで?」

 

 静は軽い笑顔を浮かべて、手を振って軽やかな足取りで去って行く。

 

「リュウ、これは何だと思う?」

 

「ダークリングだな」

 

「もう戦う必要が無いから、必要ないと思わない?」

 

「まァ……そうだな」

 

「そーれっ」

 

「!? 土佐湾にダークリングが……レンお前! お前レン! 何してンだ!?」

 

「気持ちは分かるわ。要らないゴミとは言え、海への不法投棄は礼儀に反するものね」

 

「そういうこと言ってンじゃねェんだよ! オレのダークリング!」

 

「……? あれは貴方がくたばった後に弥勒が手に入れた、弥勒のものよ」

 

「お前の論法はどうしてそう無敵なンだ!」

 

「安心なさい。何かあったら、友奈か弥勒が貴方を守ってあげる」

 

「ダークリング投げ捨てたお前が言うならそりゃただのマッチポンプだろうが!」

 

「あれはリュウを変な道に引きずり込む悪魔よ。もう要らないわ」

 

「……ぬ」

 

「今回の事件を通して、つくづく思ったわ」

 

「?」

 

「弥勒は貴方と友奈を気に入っていて、貴方達二人にとって重要な存在で在りたいのよ」

 

「なんだお前二股かけてる恋愛漫画の主人公みてェなこと言いやがッて……」

 

「言い得て妙ね。できれば二人の中の一番か二番は欲しいもの。

 でもそんなこと言ってる貴方も、弥勒のことがとても好きでしょう?」

 

「……お前のそのクソ自信満々なとこ本当に腹立つわ」

 

「そこで否定できない素直さが可愛らしいわね」

 

「……テメェもう帰れ!」

 

 蓮華は華麗に、風に舞う花がどこかに飛んでいくかのような所作で、去って行く。

 

 最後に残ったのは、リュウと友奈のみ。

 

「あー、疲れた……

 いやなんだこれ……

 天の神との戦いよりレンに疲れさせられてンぞ……

 クソカスザコ天の神より弥勒蓮華の方がずっと強ェわ……」

 

「でも、楽しかったんじゃない? レンちとリュウは本当に楽しそうに話すよね」

 

「……まァな。友奈、これからどうなると思う?」

 

「さあ。

 明日のことは分かんないけど……

 ……リュウが居るなら大丈夫かなって」

 

「そうか」

 

 誰にも脅かされない、二人が心穏やかに迎えられる明日が来る。

 二人が悲しみと苦しみの中で頑張り続けた果てに掴んだ、希望の明日が。

 

「ね。リュウ。ちょっと聞いてくれる?」

 

「いいぞ」

 

 最後に残す一言は、友奈にとって何よりも大切な、絶対に言わないといけない一言。

 

 

 

「好きだよ」

 

「知ってる」

 

 

 

 今日までずっと言えなかったこと。

 一度も言われることのなかった、愛の告白。

 今度は死別の言葉ではない。新しい関係を始めるための愛の言葉だ。

 ここからまた何かが終わって、何かが始まる。

 

 けれども友奈は、リュウの"知ってる"にちょっと不満げな顔をしていた。

 

「……なんでリュウはそう素直じゃないかな。嬉しいくせに」

 

「友奈が言うか?」

 

「言いますぅー」

 

 これだからリュウは……と、友奈は"やれやれ"と身振りで呆れを示す。

 

 そして、唇が重なった。

 

 口づけをしたリュウが友奈から離れて、不意打ちされた友奈の思考と動きが止まる。

 

「まったく。初めてのキスッてやつは、恥ずかしいもンなんだな……」

 

 そして不意打ちで動きが止まっているのをいいことに、もう一度唇を重ねた。

 

 友奈の思考がショートする。

 段々と思考が動き始め、その顔が真っ赤に染まっていく。

 視線はあっちこっちにいき、口は喋れる状態ではなくなっていき、心は激しく狼狽える。

 

「あばばばばばばば……きゅう」

 

 そして友奈は、気絶した。

 

 気絶した友奈を、リュウが咄嗟に受け止める。

 

「……ッたく、これだから恋愛経験のねェ処女は。

 とは言っても、オレも恋愛経験ねェ童貞だけど……まあいいか」

 

 リュウは友奈を背負い、帰路につく。

 

 自分の家に帰って、ただいまと言うために。

 

 友奈をあの家に帰して、ただいまを言わせてやるために。

 

 家に帰って、寝て、起きて、また明日友奈や友と会うために。

 

 明日が来るかも分からない、終わりかけの世界を彼は終わらせた。

 

 また明日は来る。また朝日は昇る。終わらない悪夢はない。明けない夜はない。

 

 天の神(太陽)を倒し、彼らは夜明けを手に入れた。

 

 

 




七枚目はサラマンドラお姉さんでした

次回、エピローグ。話の終わり。そして最後のネタバラシ


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プロローグのエピローグ/帰って来た勇者:怪獣使いと少年

 

 

「これは、あなたの知らない私の話」

 

「もう誰も知らない、私だけが覚えている話」

 

「帰って来たよリュウくん。私、ここに帰って来たんだ」

 

 

 

 

 

 

 これは、赤嶺友奈と鷲尾リュウと弥勒蓮華の物語。

 この世界に、花結装(はなゆいのよそおい)は存在しない。

 

 花結装。

 それは、あるはずのない力。

 勇者システムの最終到達地点の一つ。

 世界の歩みを歪める存在。

 運命に干渉する究極の花。

 この武装には、後悔と、未練と、悲嘆と、絶望と、希望が込められている。

 

 神樹の力は時空に干渉するため、神樹内部の世界はあらゆる時代に接続し、またあらゆる時間の概念を超越している。

 この装備はその領域を通して送信されたもの。

 未来から過去への贈り物。

 赤嶺友奈から赤嶺友奈へ託された希望。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()が送った―――神世紀300年基準の勇者システムを更に強力に改造したものである。

 

 友奈はリュウと会うために。

 リュウは友奈を救うために。

 全力で戦いが始まった。

 花結装はなく、大赦は研究中だった西暦勇者システムを解禁。

 西暦勇者クラスの存在となった赤嶺友奈と、超合体も巨大化も持たない鷲尾リュウの戦いが始まったものの、ここに問題が発生した。

 戦いが、泥沼化してしまったのだ。

 

「最悪だ」

 

 友奈はリュウを仕留めきれず、かといってリュウは友奈を傷付けられず、リュウが搦め手も使い始めたことで、勝敗がつかないまま街の被害が増えていく。

 リュウの搦め手から友奈を救うため、友奈に世界を守ってもらうため、友奈を救ってリュウに殺される大赦の人間が増えていく。

 戦闘の流れ弾や大規模被害で、傷付き、死んでいく市民が増えていく。

 

「弥勒も寝ては居られないわ。手を貸すわよ、友奈」

 

 戦いの天秤を傾けたのは、弥勒蓮華の参戦だった。

 泥沼の戦いは、ダークリングの闇に汚染されることを選んだリュウが優勢で進んでおり、その天秤を弥勒がひっくり返した。

 怪我を押して参戦した蓮華もまた西暦の勇者システムを使っており、単純に人類側の戦力が倍加した――とはいえ、蓮華は片足が折れていたため限界はあった――ため、リュウはだんだんと追い込まれていき、戦局は逆転する。

 

 そして、大赦はトドメを刺しに動いた。

 新勇者の選定である。

 西暦の勇者は五人。

 勇者は一人暴走しようが、五人暴走しようが、世界が滅ぶためリスクは同値だ。

 だが五人ならば"暴走した勇者を他の勇者が止める"というセーフティが作れる。

 当然ながら、新しい勇者が三人選定され、投入された。

 鷲尾リュウの勝利の可能性は、ここで半ば潰えた。

 

「オレは、諦めねェ」

 

 しかし、リュウは諦めない。

 諦めず戦い続けるリュウに、最悪の後押しが現れた。

 バーテックスの、襲撃である。

 

「―――世界が、終わる?」

 

 修羅場を数多くくぐり抜けてきた友奈や蓮華とは違い、新規勇者三人は訓練期間が比較的短く、その内二人が死んだ。

 最後の一人を蓮華が庇うが、最弱個体ですら勇者に重傷を与えるのが西暦末期の戦いであり、彼女らの装備はその時代から七十年程度しか経っていない。

 仲間を守るのと引き換えに、蓮華は重症を負い、作戦行動中行方不明(MIA)に認定され、友奈の必死の訴えも虚しく、捜索にはそこまでの人手が割かれなかった。

 そんな彼女を見つけ、拾い、手当てし、救ったのは、リュウだった。

 

「……何故、弥勒を……?」

 

「お前は、殺されるほどのことはしてねェはずだ」

 

「……殺さなくていいなら殺さない、と。聞いていたより善良な人みたいね」

 

 勇者が二人死に、蓮華が行方不明になっても、戦いは続く。

 バーテックスの侵攻が始まってから数ヶ月経っても、彼らの戦いは終わっていなかった。

 

 新規勇者の選定と訓練も始まった。

 だが、友奈と新人卒業したての勇者一人、そして新人三人では「防衛の度に勇者の死人を出すな」と言われてもどうにもならない。

 西暦は、勇者五人を三年以上訓練したという。

 友奈でも二年未満。

 他の勇者は全員が一年未満。

 地獄のような防衛が続き、非情に徹することができなかったリュウも人知れず助力し、超合体も巨大化もないままに友奈を守り続ける。

 

「ダメだ、何もかもが足りない」

 

 大赦は民心の安定のため、リュウをバーテックスの一種であると発表、そちらにも民衆のヘイトを向けていく。

 更に現行システムの一号勇者であり唯一の戦力である友奈を酷使し始めた。

 世界を守る最善手。

 だがリュウから社会の居場所を奪っていき、友奈の命を危険に晒していくことで、大赦はリュウが歩み寄れる余地を加速度的に失っていく。

 絶対に許さない存在になっていく。

 リュウが友奈と笑い合うためには、大赦を絶対に潰さなければならなかった。

 

「ぶッ潰す、絶ッ対ェにな」

 

 バーテックスの攻撃は定期的に行われ、人々の心は段々不安になっていく。

 加速度的に余裕を失っていく。

 優しさとは、安定と余裕から生まれるものだ。

 人々の心が揺らいでいけば、人々は寛容でなくなり、攻撃的になり、優しさを失ってしまう。

 社会はリュウが壊す前に、腐っていた。

 社会を壊すのは怪獣だが、社会を腐らせるのは人の心で、それが世界を手遅れにする。

 

 そしてこの時期、乃木若葉が寿命を迎えて死に至った。

 初代勇者は後悔を抱え、大赦の名前も知らない人間に囲まれ、どこかの誰かへ謝り続けながら死んでいったという。

 象徴である初代勇者・乃木若葉の死は、間接的に社会にトドメを刺した。

 

「すまない……私は、最後の一人だったのに、何も……ひなた……皆……りん……」

 

 勇者の負担は増えていく。

 広報。

 戦闘。

 訓練。

 どれが欠けても、世界は終わる。

 なのにバーテックスは容赦なく結界の外から襲撃を続け、勇者が迎撃し、死人が出て、バーテックスの襲撃に便乗して鷲尾リュウ達が迎撃し、勇者達が迎撃、またバーテックスが来る。

 大赦は効率性を最優先し、効率のためにたった一つしかない少女の命をゴミのように使い捨てていき、リュウはそれも止めるために急ぐが、それが勇者を摩耗させる悪循環。

 最悪の螺旋。

 

 大赦も勇者も世界の存続に必死で、赤嶺友奈にその負担が集中した。

 周りが雑魚であればあるほど、赤嶺友奈の存在は輝く。

 神樹の特別製。

 勇者のジョーカー。

 他の勇者候補とは桁が違う、勇者適性最高値。

 他の勇者が何人負けても、赤嶺友奈だけは負けない。

 赤嶺友奈が最後に勝つから、世界は決して滅びない。

 

 他の勇者達が、星を見るような目で友奈を見始める。

 大赦の人間が、神を見るような目で友奈を見始める。

 人々が街のあちこちで、友奈という都合のいい神様を崇め始める。

 

 鷲尾リュウは、赤嶺友奈が"英雄という死刑台"に進んでいく姿が、はっきり見えていた。

 

 少なくとももうこの時点で、赤嶺友奈は普通の少女に戻れなくなっていた。

 

「クソ、友奈……! オレにもっと力があれば……!」

 

「落ち着きなさい。弥勒がお茶を淹れるわ」

 

「……悪ィ」

 

「慌ててもしょうがないわ。それよりちょっと肩揉んでくれないかしら」

 

「お前オレのこと気遣ってるようで気遣ってねェな」

 

「さぁ?」

 

 リュウは蓮華を助けた。

 だが、方針を変えたわけではない。

 強い勇者が復帰すれば、この時のリュウが望む、

 『大赦を倒し結界内に対バーテックスの新体制を確立し友奈を安全な場所に送る』

 という願いが叶うことは絶望的だった。

 

 よって蓮華から端末を奪い、小屋に閉じ込めておくことにした。

 殺しはしない。

 しかし解放もしない。

 勇者としての蓮華を無力化するには、これで十分だとリュウは考えた。

 

 だがここで"監禁しておけば自分はブレてない"というところで思考の進みが止まって、悪党ぶることを徹底し忘れるのがリュウだった。

 

 大赦に追い詰められすぎて他の拠点が用意できなかった。

 よって蓮華と同じ小屋で寝泊まりしていた。

 蓮華の前で無防備にグースカ寝ていた。

 自分で蓮華の足を折ったくせに、常に口には出さず蓮華の足を心配していた。

 何ヶ月も蓮華の足の包帯などを交換し、蓮華の治療に貢献した。

 蓮華の家族の近況を確認して教えてくれた。

 蓮華の料理を食べて感動していた。

 食べ物に何か仕込まれることを最初は警戒していたが、一週間で警戒が消えた。

 むしろ無邪気に蓮華の料理を喜ぶリュウに、生まれてこの方他人の手料理を食べたことがないというリュウに、蓮華の警戒の方が剥がされていってしまう。

 

 不思議な感情と、不思議な関係があった。

 

 蓮華も彼の在り方を最初は罠かと思っていたが、何も考えてないリュウに気付き、何度か脱出する機会はあったというのに、何故か逃げる気をなくしてしまっていた。

 敵であるはずなのに、リュウを放置しておくことができなくなってしまっていた。

 リュウは笑えるくらい情に流されていた。

 一つ屋根の下で数ヶ月一緒に暮らした異性をぞんざいに扱えないのが彼である。

 

 監禁されていると飽きてくるんじゃないか、苦痛じゃないか、と思ったリュウが、蓮華のために大量の少女漫画を買って来た時は、もう笑いをこらえることに苦労していた。

 共に過ごす時間が長くなればなるほど、情が湧いてしまうのは、二人共そうだった。

 

「リュウ、弥勒の財布を渡すから、ちょっと新しい下着を買って来なさい。上下で」

 

「お前もうオレで遊んでねェか?」

 

「まさか。弥勒を監禁するような怖い男に、そんなことできないわ」

 

「嘘クセェ……骨折治ったって言ってもまだ折れやすいだろうから気を付けろ」

 

「あいたたた、リュウに折られた足が痛むわ。

 今夜カレーの材料を買ってきてくれたら、痛みが収まるかもしれないわね」

 

「コイツ……!

 オレの扱いを覚えてすっかり味しめやがって……!

 もうお前どッかいけよ! お前が居ると調子が狂うンだよ、何もかも!」

 

「残念ね。監禁されてるから帰れないわ」

 

「お前なンなの?」

 

 数ヶ月の戦いの継続は、友奈に深刻な負担を強いた。

 精霊の穢れの蓄積である。

 精霊を体外に留めることも可能かつ強力な花結装が無い以上、現在の最高戦力である友奈は切り札/精霊を連発するしかない。穢れを溜め続けるしかない。

 でなければ世界が終わる、数ヶ月の綱渡りの連続があった。

 

 友奈以外はどんどん死ぬ。死ぬから、穢れが溜まらない。

 友奈は死なない。だからどんどん溜まっていく。

 リュウ相手にも精霊を使うようになっていくと、穢れの蓄積速度は爆発的になる。

 精霊の穢れのことなど、途中で離脱した蓮華も、外野のリュウも知る余地も無い。

 バーテックス戦で友奈を死なせないため、リュウが友奈を怪獣と戦わせ対怪物の経験値を積ませる、などということすら何度かしていたほどだった。

 

 リュウと会えない時間が二年弱。

 蓮華と会えない時間が数ヶ月。

 静は居てくれたが、焼け石に水。

 友奈のメンタルは加速度的に削られていった。

 

「私は大丈夫……私は大丈夫……大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」

 

 世界が終わりに近付いていく。

 

 元々一般人だった少女を、勝つためにいくらでも使い潰せる備品か何かとして扱う大赦に危機感を持った蓮華は、リュウの仲間となって二人での独立勢力を結成。

 一つ屋根の下で二人で過ごしてリュウをほだした――けど蓮華も割とほだされていた――ことにより、独立勢力の主導権を握ったことで、蓮華は世界を救っていく。

 弥勒蓮華は己の信念に忠実だ。

 大赦に忠実なのではない。

 彼女はいつだって、ビターエンドに納得する努力ではなく、ハッピーエンドのための努力を、涼しい顔で賢明に積み上げている。

 

 鏑矢を突破し大赦を武力制圧する作戦立案と、実行。

 バーテックスの対処と、四国に接近する前に攻撃を仕掛けての漸減。

 ダークリングの怪物達の能力で検知した、大赦もまだ認識していない結界内部の危険因子への素早い対処。

 リュウが生身の時を狙っている大赦の暗殺工作も、事前に潰していった。

 

 蓮華はリュウの影に隠れ、自分の姿を見せないまま、友奈を抱える大赦を翻弄していく。

 

「お前のおかげで、オレもやることがハッキリ見えてきた。ありがとな」

 

「あら、珍しいわね、友奈至上主義者の貴方が友奈以外の女の子を褒めるのは」

 

「普通に褒めてんだろ!

 適当に何も考えずレッテル貼るな!

 第一テメェは元々友奈の次くらいの数オレに褒められてんだろうが!」

 

「そうだったわね。貴方は友奈の次くらいに弥勒を大好きだったわ」

 

「発言の一部を力尽くで別の単語に置き換えて別の台詞に変える豪腕やめろ」

 

「ちなみに貴方はもう少しで弥勒の中で友奈と同じくらい好かれてることになるわ。

 頑張って励みなさい。今の時点で男性好感度ランキングはダントツの一位だからね」

 

「……調子狂うンだよな。背中が痒い」

 

「ふふ。照れてる」

 

「照れてねェ!」

 

「最近の貴方は明るくて良いわね」

 

「……誰かさんのおかげで暗い気持ちのまま一日が終わることがねェからだ」

 

「それは希望よ。弥勒の希望。持つ者を不敵に笑わせる、決して消えない希望の灯」

 

「希望の灯?」

 

「ロウソクの火を他のロウソクに分けても消えないし、減らないでしょう?

 それと同じ。強い希望は他人に分けても決して減りはしないわ。

 誰よりも強い希望を持つ者が、周りの人間に希望を与え続けるのよ。

 この弥勒こそが何よりも強い希望を持つ女。貴方に希望を分け与えた女というわけ」

 

「そりゃまた……なんかいいもンだな」

 

「大事なことだから、死んでも忘れないように。

 生まれ変わっても心のどこかに覚えていなさい。

 貴方の心のどこかに、この弥勒蓮華が、希望の灯火を分けたことを」

 

 戦いは終わりが見えない。

 窮地を犠牲と生贄で乗り越え続ける大赦は、巫女の素質がある少女達を生贄に捧げることで天の神の怒りを鎮める奉火祭を画策したが、リュウと蓮華の襲撃と説得で失敗。

 バーテックスは勇者に対応し、進化を続け、更に強大な力を付けていく。

 大赦陣営の方針は硬直化し、民心は荒廃していく。

 

 そして、街の被害も増していく。

 バーテックスの襲撃も、リュウ達と大赦の戦いも、街の破壊の規模を増していく。

 偽の情報でリュウを誘き寄せ、奇襲で勇者達をぶつけるという戦法を大赦が取るようになってからは、街に被害を出さないよう作戦を組む蓮華の努力も無駄になっていく。

 大赦が守りの勇者と攻めの勇者を個別に運用できる数の余裕を得たことが、事態を更に最悪に転がしていく。

 

 街も。

 花畑も。

 公園も。

 丸亀城も。

 戦いの余波で燃え尽き、多くは跡形も無く灰になった。

 

 友奈は戦う。

 一人でも戦う。

 

 友達の勇者が死んでいく。

 仲間が自分にばかり任せて、丸投げする。

 大赦が自分を神のように扱う。

 "赤嶺友奈という一人の人間"として扱われる時間が減っていく。

 "一人の女の子"として扱われる時間が0になっていく。

 親にも会えない。

 リュウとも蓮華とも会えない。

 切れそうな正気の糸を手繰り寄せるような状態の友奈を、本当にギリギリの領域で、桐生静の優しさと会話が繋ぎ留めていた。

 

「大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫」

 

 友奈とは対象的に、リュウは闇に堕ちることで自分の能力を闇に最適化しつつ、蓮華のメンタルケアで常に自分を見失わなかった。

 数ヶ月かけて少しずつ力を高めていった、とも言える。

 超合体も巨大化もないリュウは、カードに意思を発現させることもできず、倒せるバーテックスも限られ、数ヶ月かけても大赦が抱える勇者軍団も突破できない。

 

 それは、友奈がそこまで極端に強くないから。

 超合体も巨大化も無くても、リュウが工夫すればそれなりにやり合えてしまうから。

 そこに蓮華まで加わった。

 彼女が非常に頼りになる上、リュウに安心感を与えてしまう。

 常にリュウのメンタルをケアし、工夫と作戦である程度の成功を掴ませてしまう。

 皮肉にも、蓮華がリュウから苦痛と絶望と孤独を取り上げたことが、リュウが悪なる闇として成長していく機会を奪ってしまっていた。

 

 しかし。

 彼女の存在は、どう見てもプラスの方が多かった。

 

 恐るべしは弥勒蓮華のそのスタンス。

 彼女はリュウと友奈が殺し合うのを回避し、バーテックスという脅威を前にしても譲れないもののせいで内ゲバする人類の内乱を止め、友奈とリュウの共闘というゴールを見据えていた。

 そこに繋がる最短経路を全速力で疾走していたのだ。

 生きているだけで希望を繋ぐ女。

 世界が破滅と絶望に向かう中、弥勒蓮華の周りにだけ、希望はあった。

 

 リュウと弥勒で交互にダークリングを使い、ダークリングを使っていない方は相方を支え、近い理想と友奈への想いを持つ二人は、奇妙な出会いから言葉にし難い絆を紡いでいった。

 

「……」

 

「戦闘の結果少し弥勒の服が破けただけよ。今から着替えるわ、後ろを向いていてね」

 

「……前々から言ってたが!

 最近ちッとお前との距離が近ェ気がする!

 体が触れてる回数とか何か増えてきてねェか!」

 

「貴方どれだけ初心(うぶ)なの?

 心配しなくても友奈やシズさんほどじゃないわ。

 男の子なのに同じ扱いになるわけないじゃない。

 貴方が異性に耐性が無いだけよ? 可愛らしいわね」

 

「それは……そうなのかもしれねェが……! あと可愛いはやめろはたくぞ」

 

「こんなことで友奈との仲が進展するのかしら」

 

「……うッせーな!」

 

「困った怪獣使いだわ。

 友奈が何故好きになったのか分からない……とまでは言わないけど。

 理由は分かるけれども、これでは関係の進展まで大分時間がかかりそうね」

 

「第一オレと友奈のことをテメェに気遣われる謂れはねェんよ! しっしっ」

 

「友奈に一途ね。実に好ましいわ」

 

「お前がオレの見てきた中で一番ツラが良いのは認めるが、友奈はそれを超えて一番なんだよ!」

 

「素敵」

 

 状況は悪化する。

 

 友奈を除いた勇者とリュウの激突に静が巻き込まれ、左目を失う重傷を負った。

 

「え……シズ先輩……?」

 

「気にすんなや……アカナ……」

 

 静と話したこともないリュウに、友奈の大事な人を守らなければという意識は働かなかった。

 必死で余裕がない友奈以外の数合わせ勇者はなおのこと。

 戦闘に巻き込まれた静が生き残ったのは、すぐさま蓮華がリュウに指示を出し、リュウが命懸けで蓮華の願いを果たしたから。

 それ以外に理由はない。

 片目だけで済んだのは、幸運であったとすら言えるだろう。

 

 けれど、友奈は幸運だなんて思えない。

 

 友奈が休みたいと大赦に願った日のことだった。

 「もういやだ」「せめて、一日だけ」と摩耗しきった友奈が眠りについた日のことだった。

 友奈が休み、他の勇者達が出撃したから起こったことだった。

 静は友奈を責めなかったが、それがいっそう友奈を苦しめる。

 

 嫌な思考が、友奈の頭の中を駆け巡る。

 自分が休まなければ。

 あの敵が憎い。

 世界が嫌い。

 何もかもがもう嫌だけど、もう休めない。

 もう二度と休むなんて言いたくない。

 破滅に向かう思考が、友奈の頭の中を駆け巡る。

 

「シズ先輩……シズ先輩……ううううううううううううううううううううううううううううう」

 

 多くのリスクを承知で、リュウと蓮華は最後の決戦に挑む。

 対バーテックスではない。

 対大赦のだ。

 リスクが高すぎるからと蓮華が忌避していた作戦を、彼らは実行に移すことを決めた。

 

 追い込まれれば追い込まれるほど、大赦は非人道的な選択を躊躇わなくなる。

 世界と友奈の限界まで見えてきてしまった。

 静を傷付けて蓮華や友奈に申し訳無さそうにしているリュウなどを見て、蓮華が作戦を提案したことに、友人を思いやる蓮華の焦りがあったことも否定できない。

 奇跡と希望に賭けるのが光。

 時には卑怯なまでに安定性と確証を求めるのが闇。

 彼らはこの時、前者に賭けた。

 

「悪ィ、レン、オレはお前の先輩を……」

 

「よくやってくれたわ、リュウ。弥勒の感謝を受け取りなさい」

 

「……すまン。あと、ありがとう」

 

「胸を張りなさい。友奈のことが好きで迷わない貴方こそを、弥勒は好ましく思うわ」

 

「ンだそりゃ」

 

「貴方の最大の長所は間違いなく、友奈を愛してることだものね」

 

「……そンなもん長所に数えてんじゃねェよ……」

 

「長所よ。

 人を好きになるということはね。

 他の人にない長所を好きになるということなのよ。

 顔が良い、背が高い、運動ができる、誰よりも優しい、お金持ち。

 そんな誰よりも一途で一人を愛する誠実な男が好きという女は、多いんじゃないかしら」

 

「へー。お前も?」

 

「そうね。弥勒も、きっと友奈もよ」

 

 結論から言えば、最初から奇跡を掴むことに賭けて、僅かな可能性に挑むべきではなかった。

 互角の条件で衝突すれば、奇跡を掴むのは絶対的に『友奈』である。

 成功作の神造の英雄、赤嶺友奈。

 失敗作の人造の英雄、鷲尾リュウ。

 天然物の英雄の若雛、弥勒蓮華。

 二対一でぶつかってすら、赤嶺友奈は逆転の隙も与えずに勝利した。

 

 腐っていく社会は守られ、硬直化していく大赦は健在、蓮華の作戦は粉砕され、リュウの変身が解け、蓮華が助けに入る。

 リュウの頭を胸元に抱え、庇うように抱きしめる。

 誰がどう見ても強い絆を感じさせる所作。

 その瞬間。

 過去、現在、未来、どの時代を見ても類がないほどの穢れを溜め込んでいた友奈は。

 心がもう誰よりもまともでなくなっていた友奈は。

 それを見た友奈は。

 一瞬の思考の後に、()()()()()()()()()()()

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 

 普段なら友奈の中に生まれても一瞬で消えるはずの、ほんの小さな『嫉妬』が、精霊の穢れに増幅されて、家族を殺した一生物の仇への憎しみに匹敵するものに跳ね上がる。

 それは、コントロールなどできない感情。

 自制心を破砕する心の暴走。

 どんなに頑張ってもどうにもできない。

 

 『友奈』は、いつも根本が普通の女の子である。

 恐怖を持っている。

 心配を捨てられない。

 嫉妬だってある。

 憎悪や恨みだってある。

 ただ懸命に、我慢して、優しさで心にそっとしまって、勇気で振り切って、泣きそうでも笑顔を作って生きている。

 それが『友奈』だ。

 

 精霊の穢れは感情が無ければ意味が無い。

 だから、小さくてもそういった人間らしい感情を抱く『友奈』は、小さな感情を捻じ曲げながら爆発的に拡大化する精霊の穢れの、格好の的になる。

 

 それは間違いなく嫉妬だった。

 それが、ずっと自分の傍に居なかった親友を侍らせていた彼への嫉妬だったのか。

 それが、ずっと見つけられなかった幼馴染と深い仲に見えた彼女への嫉妬だったのか。

 自分のことなのに、友奈は、最後まで分からなかった。

 

 頭の中身が沸騰する。

 嫉妬で心が狂う。

 制御できない感情が思考を阻害する。

 どうして、どうして、どうして。

 "疑問を持つ"という思考ですら、一瞬で激怒と憎悪に変換されてしまう。

 西暦末期の時代の赤き勇者のように。

 

 蓮華を突き飛ばして守ったリュウの腹を自分の拳が貫いてようやく、友奈はほんの僅かに正気を取り戻していた。

 

「……お前は、悪くねェ」

 

「え―――あ―――っ―――」

 

「オレが、そう、言うから。……お前も、そう信じろ……友奈……」

 

 穢れが煽った友奈の感情は複数ある。

 だがその中でも、最も厄介だったものは、おそらく『恐怖』だった。

 

 友奈はリュウを愛している。弥勒蓮華が大好きだ。

 それは彼らの魅力を、友奈がとても大きく見ているということでもある。

 他人の長所やいいとこ探しをしてそこを褒めることに関して、友奈の右に出る者はいない。

 普段の友奈であれば、それは「好き」という気持ちが作る好サイクルの材料だ。

 だが、この時は違う。

 

 魅力を見れば嫉妬する。

 長所を見れば羨んで歯噛みする。

 自分と違う個性を持っている人間が自分より優れているように見えて、妬ましさが瞬間的に憎悪に変わり、殺意に変わるのがこの時の友奈であった。

 

 リュウを見て、「レンちを取られる」と思った。

 彼が持つ自分にはない長所を、友奈はたくさん知っていたから。

 蓮華を見て、「リュウを盗られる」と思った。

 彼女が持つ自分にはない長所を、友奈はたくさん知っていたから。

 

 『いいとこ探しが得意で他人の長所をよく褒めるいい子』を、『他人の長所ばかり見て妬み羨み攻撃を始める害悪』へと成り果てさせる。

 それが、精霊の穢れ。

 本人の気質の延長であり、本人に自分の意思で考えて行動した感覚が残るというのが、何よりも最悪だった。

 

 普段の友奈では心にふっと浮かんでもすぐ消し去ることができる、『()()()()()()』という恐怖。

 それがリュウに致命傷を与えてしまった。

 しかしリュウは友奈を責めず、友奈に微笑み、最も信頼に足る友―――弥勒蓮華に、最も大事なものを任せていく。

 

「悪ィ、レン、友奈を頼む」

 

 リュウは死に至るまでの『三分間』に、奇跡を起こした。

 それは闇の神器を持ち、弥勒蓮華と長く二人で過ごしたがゆえに得た、心のみの光の者の資質……奇跡を掴む者の資質の発現。

 

 まず、神樹と交渉を始めた。

 神樹に世界を救うことを対価に、リュウの願いを叶えることを確約させた。

 リュウは"悪魔に魂を売り"、それまで越えられていなかった自分の中の壁、能力の天井、『一線』の全てを越え踏破する。

 超合体、巨大化、全カードとの同時合体。

 それらを一瞬で獲得した。

 おそらくは、己の命と引き換えに。

 友奈を想う心と、蓮華と過ごした時間が、彼を『三分間』で全てを救う英雄に至らせた。

 

「―――絶滅超合体」

 

 そして、結界外のバーテックスの全てが駆逐され、世界の敵は消失し、リュウは死亡した。

 

 それは、リュウの自殺だった。

 あまりにも不器用な友奈への優しさだった。

 友奈が自分を殺せば罪悪感で苦しんでしまう。笑顔を失ってしまう。

 だから自分で、自分を殺した。

 友奈の与えた傷で死ぬのではなく、自分の手で自分を殺したのだ。

 

 だが、その愛が何かを救うことはなかった。

 友奈からすれば、そんなおためごかしで騙されるわけがない。

 リュウの願いを汲もうとしても、そんなことで自分を騙せるわけがない。

 

 リュウはなればこそ保険を打っていた。

 神樹との契約が履行され―――()()()()()()()()()()()

 

 それは神樹が持つ権能。

 特定の人物の記憶を世界から消去し、その人間が世界に存在した痕跡ごと全てを消去する、物理的干渉すら間接的に発生する絶対的な情報干渉。

 リュウは最初から、世界から居なかったということになった。

 彼の物語はゼロへと戻る。

 

 あとは神樹が舵取りし、大赦を神託で動かせば十分どうにかなった。

 大赦は世界を管理しているがために、神樹がそれを動かせば、鷲尾リュウという人間一人が欠けた不自然さも、あっという間に消え失せてしまう。

 

 勇者システムは西暦末期以降、一度も使われず、まだ密かに研究されているということに。

 世界の破壊や死者も災害のせいということになった。

 家族も、友人も、リュウに助けられた者も……友奈も。リュウを忘れた。

 忘れなかったのは神樹と、一人の人間のみ。

 その人間は任された。

 託された。

 

 鷲尾リュウがこの星の上で唯一人、自分の一番大切な愛する人を任せた人間。

 誰にも背負わせたくない、でも誰かに託さないといけない重み。

 何かにおいて一番特別な人間でなければ、リュウはきっとそれを託さなかっただろう。

 弥勒蓮華は、もう誰も彼もがリュウのことを忘れてしまった世界で、海の見える小さな丘にリュウの墓を建てる。

 

「もし全て分かった上で弥勒に任せたと言うなら、貴方を嫌いになるわ、リュウ」

 

 蓮華の顔に浮かぶのは、悲しみの微笑み。

 

 世界を守ること。

 友奈が幸せになれるように守り続けてあげること。

 蓮華もちゃんと幸せになること。

 リュウが蓮華に約束させたことは三つで、蓮華はこの内二つを絶対に守ることを誓う。

 

「いいわ。最後までやりきってあげる。

 子孫代々、貴方が守った世界を守り続けると誓うわ。

 ……残りの生涯も、全て貴方との約束のために使い切ってあげる。

 感謝しなさい。この弥勒に。この友情に。この幸運に。……弥勒達が出会えた奇跡に」

 

 それから数十年の間、一年に一度、たった一人がこの墓に通い、語りかける日々が続いた。

 

 鷲尾リュウによる"神に近付くものと勇者の全ての消去"、及び自殺を、天の神は自己犠牲による神への謝罪と受け取り、バーテックスの全滅もあって、停戦を再開する。

 望まぬ副次効果として、輪廻の輪の異端であるリュウの情報を世界から消去したことで、天の神の記憶もいくつか欠けたことも幸運だった。

 幸運が味方し、奇跡的に全てが噛み合い、勇者がこの時代に戦っていたということすら、蓮華と神樹以外の全員が忘れ、時が流れ始める。

 リュウは神世紀300年へのバトンを残した。

 ……この世界の延長、神世紀300年に、全ての決着がつくことなど、知らないままに。

 

 哀れんだ神樹は二度と同じことが起こらないよう『彼』の因子を地球の輪廻転生のサイクルから解放し、星の外へ送ったが、それは長い時間をかけてこの星に帰還することとなる。

 まるで、運命のように。

 まるで、守るために戻って来たかのように。

 やるべきことが残っていると、言わんばかりに。

 

 神世紀序盤の日々の中、赤嶺友奈は日々を生きる。

 笑って生きる。

 弥勒蓮華は、赤嶺友奈がちゃんと幸せになれるよう努力した。

 それがリュウとの約束だったから。

 だが最後の最後まで、弥勒蓮華は誰にも理解されない無力感を覚えながら、生涯を終える。

 

「なんだろう」

 

 赤嶺友奈はリュウの存在を忘れ、何かが欠けた感覚を覚えながら、生涯を終える。

 

「幸せなのに、私、なんでこんなに虚しいんだろう」

 

 幸せだったかもしれないが、何かが欠けた人生だった。

 そして"各時代から戦士達が集められた神世紀300年の試練"が始まった。

 それは人類への試練。

 各時代の戦士達が集められ、人類の可能性が試される試練に挑み、彼ら彼女らは試練を乗り越える。瞬きの夢のような試練だった。

 

 赤嶺友奈は神世紀73年当時の精神性と記憶を持って未来に招集され、神樹によって消された記憶を思い出す。

 鷲尾リュウのことを思い出す。

 

「―――リュウ」

 

 赤嶺友奈は過去に神世紀300年基準の勇者システムを強化したものを送り、過去の神樹を通してそれを受け取った大赦が赤嶺友奈に、細かな事情を知らないまま渡した。

 それこそが、花結装(はなゆいのよそおい)

 ゆえに、過去の人間は誰もが、未来からの干渉を行った赤嶺友奈の存在を知らない。

 

「忘れてて……ごめんね。本当に……ごめんね……」

 

 花結装は僅かに因果を歪める。

 『幸福を願い戦う者達の想い』によって、ほんの少しずつ因果を誘導する。

 本当に取り返しのつかない事態を遠ざける。

 ハッピーエンドに繋がる因果を作り上げる。

 すなわちこの装備の本当の機能は、"大切な人を幸せにしたいという本気の願いを叶える"というものなのである。

 

 この装備の周辺において、大切な人の幸せを願う者の人生は、バッドエンドに終わらない。

 

 かくして、過去は改変された。

 

 結果、干渉された赤嶺友奈の世界線は、どの未来からも独立した道を歩き出した。

 本来の歴史から繋がる未来はそのままその先の未来に続いていき、なかったことにされた過去の上に上書きされた新たな歴史が、別の未来に続いていく。

 自分を無かったことにするリュウを、過去を無かったことにする友奈が救った。

 リュウが自分を無かったことにすれば、友奈は時間も飛び越えて、その過去を無かったことにしてでも、『彼』を救ってみせるだろう。

 

 花結装を過去に送った赤嶺友奈は、自分で自分の過去を改竄し、未来と過去の連続性を無茶苦茶に書き換え、歴史を修正したため消滅。

 今は過去にも未来にも、その存在はない。

 もう誰もその存在を覚えていない。

 けれど、神樹だけが覚えている。

 その『人間』が残した、最後の希望の輝きを。

 人よ、いつかこの苦境の全てを超え、幸福に成れ―――神は人に、そう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかった」

 

「リュウくんが生きてる。幸せそうだ。ううん、『私』が幸せにする。絶対に」

 

「……いいなぁ」

 

「自分自身に嫉妬する日が来るなんて、思わなかったな」

 

 

 

「でも、私がバカだったから、仕方ないんだ」

 

「リュウくんが幸せじゃないと、私も幸せじゃないって、忘れてたんだから」

 

「だから記憶が無い時……あんまり幸せじゃなかったのかな……」

 

 

 

「でも、しょうがないよね。あのリュウくんは、あの友奈のだから」

 

「私のリュウくんは、いつも私の心の中にいる。今は、そう思える」

 

「私達二人は、いつもひとつ。今だって。近くに感じてる」

 

 

 

「……大好きだよ、リュウくん」

 

「あはは」

 

「初めてだね。生きてるリュウくんに向けて、こんなこと、言うの―――」

 

 

 

「―――あ」

 

「バカじゃないの、リュウくん、レンち」

 

「こんなところまで迎えに来てくれるなんて、ホントに―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の見える丘に、リュウは墓を立てていた。

 それは今は亡き人々のための墓。

 リュウが八枚目の竜胆と彼岸花のカード、九枚目の七十億の怨念のカードを掲げ、そこに込められていた想いを解放する。

 既に魂は輪廻の輪に戻っている。

 彼らの魂はここには無い。

 だがその想いを雑に扱うことなく、墓を立て、成仏を願う。

 これはリュウにとって、譲れない在り方だった。

 

「今行けるところで、一番綺麗な所に来たかったンだ。オレのワガママだけどな」

 

 散っていく想いの欠片の色は、まるで春の花の花弁のようだった。

 

 怨念であったはずなのに、最後に散華する想いの姿は、綺麗だった。

 

 海に散っていく想いを見て、リュウは自分が生まれるずっと前にあったという、神世紀には絶えた習慣である、死者の灰を海に撒くという葬送の仕方を思い出す。

 丘を降りていくと、友奈、蓮華、静が待っていた。

 ここは四国外、近畿地方の海岸線の丘。

 彼らは数少ない専門的な訓練を終えた者達であるということで、四国外部の初期調査チームとして、四国外部の調査任務に従事していた。

 

「終わった?」

 

「あァ」

 

「それじゃ探索もしつつ帰りましょうか。弥勒は残っている服があったら見ていきたいわ」

 

「所有者のおらん価値あるものが山のようにある廃墟とか宝の山やなー」

 

「ほどほどにな、ほどほどに。オレは面倒見切れねェぞ」

 

 四人で廃墟になった街を歩く。

 結界外の炎が消えた世界は、西暦最後の瞬間のままだった。

 バーテックスにより街は破壊され、人間は皆殺しにされたため残っておらず、街のあちこちに人の肉だったものの残骸や白骨が残っている。

 一般人なら精神が不安定になってしまいそうだ。

 そこを平然と歩き、談笑できる彼らはやはり、一般人からは遠いのだろう。

 

「せやけど最終的には面倒見るんやろ?

 わーっとるわーっとる。四国帰って何か言われてからが見ものやな」

 

「……帰りたくねェなァ」

 

「んんっ」

 

「おいシズ。お前今笑ったな? こらえきれてねえぞ?」

 

「弥勒も笑っていいかしら?」

 

「断ってから笑えば許されるとか思ってんじゃねェ!!」

 

「あはは……私も帰りたくない方の人間だな……」

 

 四国には、祝福ムードがあった。

 世界を救ったリュウと友奈に対する祝福ムードである。

 それがクラスのカップルを囃し立てるクラスメイトのようであり、お見合いを仲介するおばちゃんのようであり、結婚を祝福する神父のような、そんな人達の入り混じった空気。

 よって、リュウはあんまり帰りたくなかった。

 道を歩くとからかわれる。

 遊んでいると微笑ましい目で見られる。

 最近急にダダ甘になった両親や兄弟といい、リュウはとにかく反応に困った。

 

 リュウは根底の性質が陰キャである。

 大量の人間に持ち上げられたりすることに魅力を感じない。

 好きな人と二人きりで静かに過ごす方が好きだ。

 それこそ、今のような、友と愛する人と数人で談笑している時の方が好きなのだ。

 四国が嫌というわけではないが、落ち着かないので帰りたくない。

 そういう忌避感である。

 

「まあいいわ。行きましょう。」

 

 蓮華が右腕でリュウのを、左腕で友奈の腕を抱きしめるようにして、歩き始めた。

 

 柔らかな感触が、リュウと友奈の腕に伝わる。

 

「なッ……おまッ……離れろ!」

 

「レンち、どこのお店行きたいの?」

 

「そうね……まずあそこのブティックに行きましょうか」

 

「友奈とレンで二人して無視すんな」

 

「弥勒は貴方達二人の命の恩人よ? しばらくは弥勒の所有物になってもらうわ」

 

「ぐっ……!」

 

 リュウは見るからに照れていて、照れてる照れてるー、と友奈がリュウのほっぺたをつんつんとつつき、弥勒は二人に挟まれて優雅に微笑む。

 

「なんやこいつ百合の間に堂々と挟まる男か?」

 

 静は冷静に突っ込んだ。

 

「ウチ、そういやその後の話聞かなかったんやけど、大赦とはどうなったん?」

 

「弥勒がちゃんと確認したわ。もう大丈夫よ、きっとね」

 

「リュウがすごかったからねー。

 大赦の人間全員に殴らせて。

 大赦の人間全員殴って。

 はい、これで大小様々な思ってること全部終わり! で本当に仲直りしちゃったんだもん」

 

「弥勒曰く。

 クズにはスーパー系のクズとリアル系のクズが居るわ。

 スーパー系のクズが両津勘吉。リアル系のクズが大赦の一部ね」

 

「スパロボでクズ表現する奴オレ初めて見た」

 

 友奈がリュウの背中を軽く叩いて、リュウが気恥ずかしそうな表情をして、弥勒が二人に挟まれて機嫌良さそうに微笑んでいる。

 

「なんやこいつバトル系少年漫画の住人か?」

 

 静は冷静に突っ込んだ。

 

「シズ先輩、シズ先輩」

 

「なんやアカナ」

 

「その……えっと……こっそりリュウと二人になりたいなって……えへへ」

 

「なんやお前少女漫画の主人公か?」

 

 静は冷静に突っ込んだ。

 

「ほれロック、お前はこっちや」

 

「仕方無いわね……しかしいずれ、ライバルと相棒、二人纏めて弥勒の配下にしてみせるわ」

 

「それはまた後日に好きにやっとれ」

 

 蓮華と静が去るやいなや、友奈はリュウに飛びついた。

 その体をぎゅっと抱きしめて、顔を上げて、目を瞑る。

 目を瞑らないと恥ずかしくてまだ耐えられないが、"してもらえない"時間が続くことも耐えられないのが、今の赤嶺友奈だった。

 

「ね、ね、リュウ」

 

「お前は盛りのついた猫か?」

 

「そういう言い方は嫌い」

 

「はいはい。オレもしたかッたよ」

 

「んふふー」

 

 触れるだけの、子供のようなキス。

 ただそれだけで、幸せが胸いっぱいに広がって、二人は満足してしまう。

 けれど今日のユウナは、それだけではちょっと満足しなかった。

 

「ね、ね、外国の映画で主人公とヒロインがやってるみたいなすんごいキスとかもやって?」

 

「……家帰ったらな」

 

「やたっ。約束ね?」

 

 昨日も。

 今日も。

 明日も。

 楽しい日々があって、楽しい日々が続いていくと信じられる。

 だって、幸せだから。

 

「リュウ! 今弥勒の自伝のタイトルが思いついたわ!

 名付けて『帰って来た勇者:怪獣使いと少年』! 小説にして出しましょう!」

「こらロック!」

 

「怪獣使いの固有名詞をオレじゃなくてお前が使うのか!?」

 

「私が勇者のところに入るんだー。レンちらしいタイトルだね」

 

 リュウはこの日々を、ああ呼ぶ。

 

 この幸せで楽しくも騒がしい日々を、こう呼ぶ。

 

 自分達が勝ち取った日々を、そう呼ぶ。

 

 幸せに満ちた、『日々の未来に続く今日』と。

 

 

 




これにて完結。ありがとうございました

追記:この作品は、このEDに終着するように書かれています

Two As One(二人で一つ)
https://www.youtube.com/watch?v=5-hEpir1rFk


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