黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件 (とりゃあああ)
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起  エレボニア編
序章   黒い混沌


 

 

 

 

 

 

世界は滅びると、飲み屋で誰かが教えてくれた。

 

 

 

 

「帝都の夏至祭、参加したかったよな」

 

 

 

 

同期の声にそうだなと生返事する。

素っ気なくすんなよ、と同期が絡んでくる。

喧しいと上官が怒り、理不尽だと思いながらも2人で謝った。

同期が悪いと手を合わせる。別にいいよと許す。

日常でよく見られる光景だった。

午後から行われる訓練中、ふと後光が差した。

1週間前に行われた帝都の夏至祭。

帝国解放戦線なるテロリストが産声を挙げたらしいが、そんな出来事、俺たち一般の軍人にはあまり関係ない事象だった。

いや違う。正確には関係あるのかもしれないが、実感など露ほどもなかった。

エレボニア帝国。黄金の軍馬を掲げた軍事大国。俺の故郷で、ゼムリア大陸でも最強だと自負する国家で、周辺諸国全て敵に回しても打ち破れる国力を有する。

打ち倒せるテロリストなどいる筈もない。

そんな油断、慢心があった。

 

 

――――女神が嘲笑した。

 

 

「ようやく一息付けたよ。待たせてごめんな」

 

 

テロリストが放ったとされる一発の銃弾。

鉄血宰相ギリアス・オズボーンは狙撃された。

間髪を容れずに帝都を占領する貴族連合軍。

機甲兵なる最新兵器で駆逐される帝国正規軍。

俺の所属していた師団もコテンパンにやられた。どうしようもなかった。俺は初戦で軍事病院に送られて、俺を庇った同期は肉片すら残らない塵となった。

俺が漸く歩けるようになった頃、唐突に内戦は終わりを告げる。

灰の騎神なる存在、それを操るリィン・シュバルツァーなる英雄、そして何故か死んでいなかったギリアス・オズボーンによって貴族連合軍は帝都から撤退。ジュノー海上要塞に立て篭もった。

尤も、最終的に両者は和解しただけなのだが。

その後、クロスベル占領、各地で頻発する共和国との小競り合い、ノーザンブリア併合まで予定調和のように立て続けに行われた。

無論、俺も参加した。

大した戦果は挙げられなかった。仕方ない。俺は英雄ではないのだから。優れた智謀も、並外れた膂力も、圧倒的な導力魔法の才も存在しない一般軍人。機甲兵すら乗りこなせない雑魚で、そんな俺でも生き残れる戦場だった。

運が良かったのかもしれない。

それとも、内戦より温い戦場だったのかもしれない。

正直、どうでも良かったのだ。その時の俺にとっては。

 

 

 

「カルバード共和国を滅ぼせ!!」

 

 

 

七耀暦1206年、夏。

皇帝暗殺未遂事件、帝都の異変、民衆の暴動。

国家総動員法発令、カルバード共和国への侵攻宣言。

灰色の騎士は英雄の座から陥落した。

熱狂的過ぎる民衆にも、三歩進めば振り返って共和国の悪口を述べる同僚たちにも辟易しつつ、1ヶ月もの間、俺は徴兵された民衆たちに武器の扱い方を教え続けた。

皇帝陛下が暗殺されかかった。

その事実だけなら怒るのも無理はない。犯人を血祭りにするのも文句ない。むしろやれと推奨するまである。

だが、カルバード共和国に皇帝陛下を暗殺するメリットなど欠片もない。

クロスベルを占領した帝国は、既に超大国の座に君臨している。いかにカルバード共和国でも勝ち目などない。喜ばしい事にそれ程の差が生まれたのだ。

ましてや皇帝陛下暗殺の件が事実ならば、周辺諸国も共和国を非難するだろう。

敵はあまりに巨大で、味方はおしなべて存在しない。

共和国の大統領が狂わない限り、そんな大博打するだろうか。

そう上官に軽口まじりに進言したら、次の日には大尉から中尉に降格させられた。非国民、売国奴と罵られた。

よくわからない。

何が起きたのかも、何が起きているのかも。

一種の集団ヒステリーなのか。

それとも、おかしいのは俺なのか。

訳がわからないまま時間だけは過ぎていった。

一刻、そして一刻と。

使えなかった民衆を鍛え上げ、何とか一端の軍人に仕立て上げた直後、ヨルムンガンド作戦が発令された。

俺はクロスベル方面に配属され、共和国と全面戦争に参加されられた。

 

 

 

――――そして、死んだ。

 

 

 

 

 

 

世界は滅びると、大道芸人が教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

「帝都の夏至祭、参加したかったよな」

 

 

 

 

長い夢を見ていた気がする。

内戦勃発、同期の死、クロスベル占領、ノーザンブリア併合、皇帝暗殺事件、帝都の異変、ヨルムンガンド作戦、そして死――。

2年と少しの間、俺は夢を見ていたのか。

よくわからない。死んだと思って目が覚めたら、目の前に死んだはずの同期がいた。思わず顔を触って確かめたら、俺にそんな趣味はねェよと気持ち悪がられた。

暦を調べる。七耀暦1204年だった。

内戦が勃発した年だ。

そして、訓練に向かう途中に同期の発した言葉。

どうしてだろうか。俺は覚えている。

普通、2年以上も前に同性の口にした言葉を覚えている輩などいない。完全記憶能力の持ち主なら話は別だし、その同性に恋心を秘めているなら一考の余地もあるが、俺は至って平凡な男で、そして普通に女の子が好きな輩だった。

つまり普通は覚えてなどいない筈なのに。

それからの展開も頭に入っていた俺は、敢えて生返事をした。同期に絡まれて、上官に怒られる。

既視感ではない。これは追体験だ。

気持ちが悪くなって、俺は午後の訓練を休んだ。

 

 

 

 

――――内戦の最中、同期に庇われず死んだ。

 

 

 

 

世界は滅びると、とあるピエロが教えてくれた。

 

 

 

 

「帝都の夏至祭、参加したかったよな」

 

 

 

今は夢なのか。現実なのか。

二度、死んだ。死んだ記憶もある。痛みも恐怖も覚えている。なのに目を開けて、呼吸して、布団の重みを感じて――。

生きているのか、死んでいるのか。

境界線が曖昧だ。今がいつなのか、どうなっているのかも。

同期が俺の部屋に入ってきた。

前回の内戦で俺を見捨てた男だ。最後は下品な笑い声を上げていた。ずっとテメェが嫌いだったんだよと捨て台詞を吐いて、わざと俺の脚を斬り付けて、貴族連合軍の兵士に捕まえさせた。

俺は捕虜としての待遇を求め、却下され、情報を吐けと拷問されて、最終的に人知れず首を跳ねられて死んだ。

苦しかった、憎かった、殺してやりたかった。

憎悪の衝動に身を任せた俺は、その台詞は3回目だと絶叫して、無防備な背中を押し倒して同期を殺してやった。

本当なら爪を剥がしてやりたかった。

指を切り落として、瓶の中に入れて、顔と頭にだけ蜂蜜を塗りたくって、蠅に卵を産み付けさせて、蛆虫に身体を食わせてやりたかった。

そうだ。俺がされた事を、コイツにしてやりたかったんだ。

でも出来なかった。殺すだけで精一杯だった。

俺は取り押さえられ、軍法会議に掛けられ、内戦が始まる前に処刑された。

 

 

 

 

世界は滅びると、■■■■■■が教えてくれた。

 

 

――――目覚めた。拳銃自殺した。

 

 

世界は滅びると、■■■■■が教えてくれた。

 

 

――――目覚めた。内戦で死んだ。

 

 

世界は滅びると、■■■■が教えてくれた。

 

 

――――目覚めた。灰の騎神に殺された。

 

 

世界は滅びると、■■が教えてくれた。

 

 

――――目覚めた。異形の怪物に殺された。

 

 

目覚めた。圧死した。

目覚めた。焼死した。

目覚めた。水死した。

目覚めた。壊死した。

目覚めた。惨死した。

何度も何度も覚醒した。

死んで、起きて、死んで、起きた。

今、何回目だろうか。十回を超えた辺りで数えるのを辞めたから正確にはわからない。

同じ2年間を繰り返している。

苦しい、辛い、もう嫌だ。

既に何度か発狂している。

その度に自殺した。

死んで目が覚めると、精神状態がある程度まで回復すると理解したからだ。

死ぬことは怖くなくなった。

痛いのにも少しずつ慣れてきた。

親友となり、恋人となり、上官や部下の思い出を持つ人たちから『初対面』扱いされるのも平気になった。

俺は壊れているのかもしれない。

この状況は、走馬灯の一種なのかもしれない。

早く終わってくれと乞い願うも、さりとていつもの如く七耀暦1204年の夏から再スタートするクソッタレな人生。

どうすればこの輪廻から抜け出せるのか。

考えることはそれ一つだけ。

七耀暦1206年9月9日。

その日を超えたことは一度もない。

最後は異形の怪物に殺された。

全員だ。敵味方容赦なく、蟻を踏み潰すように。

存在すら認識されていなかったと思う。

路傍の石、いやそもそも『アレ』は人間を殺しているとすら思っていなかったかもしれない。久しぶりに恐怖した。

世界がなくなるとはこういう事かと学習した。

アレを見て以来、ヨルムンガンド作戦前には自殺する事を己に課した。

もう見たくない。奴に見られたくない。

『アレ』と遭遇しない為なら拷問されてもいい。

根源に刻み付けられた恐怖心、あの姿を思い出しただけで拳銃に手を伸ばしそうになる。

 

 

――――落ち着け、と誰かが煽った。

 

 

仰天した。

誰だと叫んだ。

部屋には誰もいない。

俺だけだ。俺だけのはずだ。

思わず使い慣れた剣を探した。

ヴァンダール流。アルゼイド流。どちらを駆使するにしても、武器がなければ始まらない。槍でも何でもよかった。なのに此処にはひ弱な拳銃しかない。

目覚めたばかりだと舌打ちする。

それでも無いよりマシか。

拳銃を片手に、気配を探った。

声の主を探索して、そしてついぞ見つからない。

もう嫌だ。

もう沢山だ!

今のが幻聴なのか、それとも何かの予兆なのか。

そんなことはどうでもよかった。

一刻も早く楽になりたい。

死ぬことで逃避できないなら、この状況に諍うしかない。でもどうやって。どうやって諍えばいいんだ。

身体はそれなりに鍛えた。

知識もそれなりに蓄えた。

でも、どうしても、この世界を変えられない。

 

 

――――英雄になれ、と誰かが蔑んだ。

 

 

なろうとした。

何回も英雄になろうとした。

灰色の騎士リィン・シュバルツァーのように。

若く、格好良く、強く、優しく。まるで御伽話から出てきたような英雄に憧れて、何度も何度も繰り返す地獄の中で手を伸ばし続けた。

ヴァンダール流を極めた。

アルゼイド流を研鑽した。

けど無理だ。

無様に跳ね除けられた。

曰く、お前は相応しくないと。

足蹴にされ、諦めて、死んで、目覚める。

これ以上どうすればいいんだ!

もうすぐ訓練だぞと様子を見に来た同期を追い返して、俺は自ら生み出した幻聴に向かって吠えまくった。

泣きはしない。既に枯れている。

笑みも溢れない。既に表情筋は死んでいる。

 

 

――――無様だな、と誰かが喜んだ。

 

 

コイツは何だ。

何なんだ、コイツは。

確信した。今、確信できた。

幻聴などではない。俺の生み出した物ではない。

声は空気を震わせなかった。

音として世界に伝播しなかった。

コイツは、俺の頭に、直接語り掛けている。

一歩後ずさる。拳銃の撃鉄を起こす。

意味のない行動だ。大丈夫。理解している。それでも本能的に身構えた。気を巡らし、アルゼイド流にある身体強化術を行使する。

洸翼陣。師から絶賛された技だ。曰く、不自然なほどに洗練されているらしい。その時のヴィクターさんの目が酷く冷たかった事も覚えている。

最悪、逃げられればいい。

他者の脳内に直接声を届けられる存在だ。逃げられるかどうかも定かではない。ただ分かる。この声の主は、俺に起こっている異常事態と何らかの関わりがあるのだと。

 

 

 

――――北だ、と誰かが怒った。

 

 

 

思わず舌打ちが漏れる。

北って何だ。どういうことだ。

方角を現しているのか、それとも何かの隠喩か。

帝国領内における北なのか。ゼムリア大陸における北なのか。解らない。解らないから直ぐに問い返した。

なのに幻惑の声は返ってこない。

1秒が1時間に匹敵した。

洸翼陣を全開にしたままとにかく待った。

待ち続け、幻惑の声は一言だけポツリと返した。

 

 

 

――――探せ、と誰かが哀れんだ。

 

 

 

いや待て。何だそれは。

北、そして探せ。北の何処を。探せとは何を。

理不尽すぎる要求だった。

意味不明だと怒鳴る。

拳銃を虚空に突き付け、息を荒らげる。

洸翼陣の副作用から汗が噴く。左の目尻に垂れてきたそれを片手で拭おうとして、思わず右目が半開きになった瞬間、俺は絶叫して部屋から飛び出した。

怖い!怖い!怖い!

アレは駄目だ、アレは駄目だ。アレだけは駄目だ!

存在してはいけない。目に入れてはいけない。話してはいけない。追い付かれてはいけない。どうにかしてアレから隠れないといけない!

顔が無かった。無貌だった。

触手があったようにも見えた。

肌の黒い普通の男性にも思えた。

学者のような、女のような、魔獣のような。

一瞬で様々な物質に変化していた。

あれ以上見たら、戻ってこられないと確信した。

呼び止める同期や上官の声にも応じず、俺はひたすらに走り続けた。

あそこには戻れない。

アレがいる。アレがいるなら地獄の方がマシだ。

 

 

 

――――面白いな、と誰かが泣いた。

 

 

 

さりとて、俺は逃げられなかった。

進むも地獄、戻るも深淵。

自らの不幸を嘆き、俺は膝から崩れ落ち、慣れた手つきで拳銃をこめかみに当てて、躊躇なく引き金を引くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

 

誰かが嗤う。

誰かが紡ぐ。

誰かが傲る。

 

 

 

――――イシュメルガ、と誰かが飽きた。

 

 

 

 

 





初小説。


手慰みに書いてみました。


クトゥルフ神話っていいよね(確信)





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一話   両親散華

 

 

 

 

 

夢であれ。夢であれ。

起きる度にそう願った。

想いは水流となり、虚構を埋める。

いつか読んだ書物に記されていた。

言霊とでも呼ぶべき概念。言の葉に宿る力は認識できない遠い異世界にも届くのだと。最初は冗談だと思った。今でも阿呆なと侮蔑する。

さりとて現実はどこまでも空虚で残酷だった。

 

「今日はここまでだ」

「ありがとうございます、師よ」

「うむ。早めに休め。明日も早い」

「承知しております」

 

言葉は短く交わされる。

もう少し丁寧に返答したい。だが、鍛錬の相手はヴィクター・S・アルゼイドというエレボニア帝国でも五指に入る剣士。意識を保っていられるだけで御の字といったところか。

帝国南部の湖畔に佇む町レグラム。その高台に建てられたアルゼイド流の道場。窓から差し込む夕焼けは、仄かな霧に阻まれて若干色彩を落としていた。

朝から夕方まで休憩なし。遥か超常の剣士と一騎討ち。自らが望んだこと。直談判したこと。だとしてもキツい。足腰が震えている。

正直、膝立ちの状態でもしんどかった。

 

「大丈夫ですかな、フェア殿」

 

ヴィクターさんの立ち去られた道場。既に他の門下生も帰っている。残っているのは師範の一人であるクラウスさんと俺ことフェアだけだ。

フェア・ヴィルング。

俺の名前。数多のループで磨耗した記憶。その中でもはっきり覚えている数少ないモノ。これを忘れた時こそ、俺の精神も完全に壊れてしまう時だと思った。

 

「申し訳ありません、クラウス師範」

 

差し出された手を掴む。引っ張られた。

ご老体を彷彿される萎びれた手からは想像もつかない力強さ。思わずタタラを踏むが、男の胸に飛び込む訳にも行かずに踏ん張った。

余計に疲れた。超足痛い。早く寝たい。

 

「いえ、構いません。どこかお怪我は?」

「明日に残るものはありません」

「――はて、建物を揺らすほど強く弾き飛ばされておりましたが」

「壁にぶつかる前に体勢を変えました。強打しましたが痛いだけです。身体に損傷はありません」

 

変えるだけで精一杯。力不足を感じる。

本来なら反転し、気功を足に集中させ、壁を踏み場にして逆襲を仕掛ける予定だった。頭は直ぐに行動へ移ろうとして、今はまだ七耀暦1204年9月なのだと思い至った。

七耀暦1206年8月ならいざ知らず。覚醒してからたかが1ヶ月程度では、思考に身体は全く付いていかない。何しろ基礎が出来ていない。膂力が足りない。反射神経も足りていない。何もかもが不足していた。

唯一存在するのはアルゼイド流とヴァンダール流の技だけ。だがそれらも、身体を鍛え上げない事には宝の持ち腐れも同じ。歓声を挙げたくなるぐらい皮肉な状況である。

 

「――――」

「クラウス師範?」

「申し訳ありません。些か疲れたようです。いやはや、もう歳ですかな」

「クラウス師範はまだまだお若いかと」

「慰め、感謝します。しかし、アルゼイド流を学び始めて一月足らずの若人に敗北するようでは、衰えたと自覚しても不思議ではございますまい」

 

クラウスさんは感慨深く息を吐いた。

確かにこの世界線では、アルゼイド流に身を置きはじめてから僅か一月足らず。それでも幾度のループを考慮すれば既に数十年、アルゼイド流の剣術を振るっている。

身体的強度に不満はあれど、この程度できて当然だった。

クラウスさんには当然言えない。

俺、同じ時間軸を何回も体験しているんですよ。

紛れなく阿呆。そして阿呆な話である。

俺にとって現実なところが更に阿呆な点だった。

 

「クラウス師範の教え方が巧みだったからかと」

「そう言っていただけると幸いです」

「師の御息女も僅か17歳で中伝に至っていると聞き及んでいます。アルゼイド家の才能に比べれば私など幾ばくにも及びません」

 

ラウラ嬢の話を持ち出す。意識が逸れた。

クラウスさんの警戒心がほんの少し緩んだ隙を狙った。一礼してから道場を出る。暖かな夕陽に目を細め、思わず頭を振った。

これ以上はボロが出る。いや、出ているか。

どう考えても怪しまれているのだ、俺は。

当然だ。8月上旬に突如として正規軍を退役。その足でレグラムへ移動。アルゼイド流の門下生となり、僅か1ヶ月の鍛錬でクラウス師範を叩きのめしたのだから。

異常である。不可思議である。

だが、こうしなければならなかった。

何かに打ち込みたかった。打ち込める環境に身を置きたかった。どうしても。どうなっても。

今回の世界線は違うのだ。いつもと違う。違和感ではない。そんな単調なものではない。

頭の奥で木霊する。ずっと、ずっと。

おどろおどろしい、不気味な声が、途切れる事なく。

 

 

「ヨコセ、ヨコセ」

 

 

ずっと聞こえる。

何をしても、何処にいても。

ひたすら頭の奥から鳴り響く。

最初は『アレ』かと思った。無貌の主。今回のループでも時折声を掛けてくる存在。言葉と感情が一致しない化物。北、探せ、人形と単語だけで命令してくるクソッタレ。もう諦めた。心臓を掴まれている恐怖心も、意図的に感情から除外した。

 

 

「我ノモノダ、スベテ」

 

 

この声は違う。異質な物だ。

心臓は掴まれない。身を縮こませる必要もない。明確な恐怖は襲い掛からず、さりとて無視できるほど優しい声音でもなかった。

ひたすらに悪意がある。

この世の全てを憎悪する黒い炎に、全身を焼かれているような錯覚。気を抜けば呑み込まれそうな魅力さを感じた。

火炎魔人に焼かれて以来か。

出会い頭に焼死させられた。

混じっているなと口にしていたが、何をと問い質す前に殺された。理不尽だ。数十を超える世界線の中で一度しか会っていないから言い返した事もないけれど。

 

 

「アァ、心地ヨイ」

 

 

テメェだけだ。

俺は心地良くない。

剣を振り払いたくなる衝動を抑える。

ずっと同じ単語を口にする。これで会話でも出来ればまだマシなのだ。気を紛らわせられる。なのにこの声は延々と同じ言葉を繰り返すだけだ。

よくわからない。

もうわからない事だらけだ。

何度同じ時間を体験しても、世界は謎に満ちている。

英雄ならば。才人ならば。一度の邂逅で全てを理解するのかもしれない。一度の体験で最善の選択肢を選ぶのかもしれない。

俺は違う。全て異なる。

一般人で、凡人だ。だからわからない。

無貌の主も、この昏い声の主も。俺のループと何がしか関係性があるのだろうと推測している。但し事態を打破するに至らない。

あぁ、思考が上手く働いてくれない。

使えない。使えない。使えない。

三人寄れば文殊の知恵と東方で言うらしい。

遥か昔、親父が――そん、な――こ、と、を――

 

 

 

――――頭の奥でブチッと鳴った。

 

 

「あれ?」

 

ふと首を傾げる。

 

「俺に家族なんていたか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

ヴィクター・S・アルゼイドは、物思いに沈む。

自室の窓から湖畔を見下ろす。波風一つない鏡面の如き水面。仄かな霧が揺蕩う。遠くには巨大な城も見える。

美しい風景だ。観光地としても名高いレグラム。それらを一望できるアルゼイド子爵家の館。多くの人間にとって羨望の眼差しを受ける。

だが、ヴィクターの目には何一つ映っていない。

壁に掛けられた宝剣ガランシャール。

彼の意識は常に自らの得物へ向いていた。

 

――――アレはなんだ?

 

目蓋の裏で再生される先程の模擬戦。

僅か一月の鍛錬でクラウスを薙ぎ倒した逸材。報せを聞き付け、レグラムに帰還したのはつい先日である。フェア・ヴィルングと邂逅したのも今朝である。

どうしてか。初めて会った気がしなかった。

以前は帝国正規軍に勤めていたと聞く。其処で顔を合わせていたのかもしれない。無意識に覚えていたのだろう、とフェア・ヴィルングは大して気にもせず肩を竦めた。

違和感だ。途方もない違和感を覚える。

剣を交えれば済むことか。

剣士として、アルゼイド流筆頭伝承者として。ヴィクターは宝剣を構えた。フェアも得物を持ち上げる。

同じ。全く同一。寸分違わない剣の構え。

待て。待て。待て。

焦燥する。額から汗が一筋流れた。

確かにお互い同門の剣士だ。筆頭伝承者と初伝という隔絶した差があるとしても。同門の剣士ならば同一の構えになる事は可能性として存在する。

だが、それは――――。

 

有り得ない。有り得る筈がない。

窓に手を置く。思わず力が入った。

理解が追い付かない。鍛錬中ならまだしも、こうして自室に戻ればこの通り。止め処ない疑問が次から次へと浮かび上がってくる。

修行不足か。はたまたフェアのせいか。

汗を流したい。だが、一刻も早く懸念を取り除きたい。こんなにも焦りを覚えたのはいつ以来だろうか。

 

コンコンと扉がノックされた。

 

「クラウスです」

「ああ。入ってくれ」

 

振り向きもせずに答える。

自室の扉は開き、閉められた。

足音は立たず。歩く姿に澱みもなく、全身を巡る気も充実している。いつも通りのクラウス。アルゼイド流でも有数の実力者。そんな老人を完膚無きまでに叩きのめした鬼才が脳裏を過ぎる。

 

「フェア・ヴィルングについてわかった事は?」

「役立つ情報は得られませんでした」

「遊撃士に頼んだのだろう?」

「はい。トヴァル殿に依頼しました」

「にも拘らずか」

「出身は帝都です。両親はおりませんな」

「いない?」

「戸籍にも存在していないとの事です」

「どういう事だ?」

 

眉をひそめる。振り返る。クラウスも訝しげな表情を浮かべていた。当然だ。そのぐらい辻褄が合わないのだから。

鬼籍に入ったならわかる。

蒸発してしまったなら理解できる。

だが、戸籍にすら存在しないとは意味不明だ。

ならばフェア・ヴィルングはどうやって生まれたのだろうか。

 

「消された、ということか?」

「戸籍を抹消した形跡はないそうです」

「なに」

「ヴィルング家は今も帝都に存在します。周囲の方々も認識しております。フェア殿が生まれた時の事も楽しそうに話していたそうです。ただ両親はおられないとの事で」

「捨て子だったか」

「それが……」

 

言い淀むクラウス。

歯切れが悪い。滅多にない。

ヴィクターは嫌な予感を覚えながらも問い掛ける。

 

「どうした?」

「両親はいないと嘯くそうですが、フェア殿は間違いなくヴィルング夫人から生まれたと仰られるそうで」

「なんだ、それは――」

「では両親は何処におられるのか、とトヴァル殿が聞き返しても小首を傾げるだけで反応しなかったそうです。瞬きもせず、身動き一つせず」

 

気味が悪い。

頬が吊りそうになる。

本来ヴィクターは心優しい剣士だ。

若人を導く為に平気で泥を被る益荒男である。

そんな彼をして、フェア・ヴィルングの薄気味悪さは筆舌に尽くし難かった。

強さだけなら問題ない。何しろ『オーレリア・ルグィン』という先例がいる。一月でクラウスを打ち破ったのも驚嘆するだけで不気味さは感じられない。

問題はフェア・ヴィルングの背景だった。

 

「他には、何かあるか?」

「幼年学校、士官学校、軍人時代の友人たちから聞き込みした所、頭脳はおろか身体能力も人並み程度だったそうです。アルゼイド流はおろか、百式軍刀術すら忌避していたと」

「だが、突如として軍を辞め、アルゼイド流の門を叩いた」

「結社と呼ばれる連中の可能性もある、とトヴァル殿は危惧しております」

 

確かに。

今挙げ連ねた情報だけで判断するならばフェア・ヴィルングが、秘密結社『身喰らう蛇』の一員であるという考えに至るのは至極ごもっともであろう。

むしろ道理だ。可能性として最も高い。

幼い頃から結社の一員として暗躍しており、貴族派と革新派の争いが激化しそうな今日、情報を集めるという意味からヴィクター・S・アルゼイドの懐に忍び込む。有り得そうな事だ。結社の人間ならやりかねない。

だが、ヴィクターは『違う』と確信する。

フェア・ヴィルングはそんな生易しい存在ではないのだと、長年培った剣士としての勘が警鐘を鳴らした。

 

「クラウス、そなたは見たか?」

「何をでしょう」

「フェア・ヴィルングの背後に、何かがいる」

「……結社の影ですか?」

「違う。そんな生易しい物ではない」

 

同一の剣の構え。

呼吸のタイミングも一緒。

気を練り上げる速度も全く同じ。

幻想の中で幾度も交錯する剣戟。ヴィクターが勝利を飾る未来が見える。膂力、剣術、精神面。いずれもフェアを上回るヴィクターが勝つのは最早必然であった。

フェアが動く。ヴィクターも奔る。

剣を交えた。一瞬の交錯。火花が散った。

 

――――互角だった。

 

先読みの勝負では紛れもなく勝っていた。

にも拘らず、現実を覆された。驚嘆して振り返るヴィクターの目に、一瞬だけ悍ましい物体が入り込んだ。

 

「では、どのような?」

「『2匹』いた。どちらも黒い。片方は多くの眼を持っていた。もう片方には顔が無かった。触手のような物でフェア・ヴィルングを雁字搦めにしていたな」

 

苦虫を噛み潰したように吐き捨てる。

気のせいだったのか。

そう思いたい。だが、現実は非情だ。

ヴィクターは己自身を騙せない。確かに存在するのだ、あの名状し難き闇は。一人の男に取り憑いて何かを成そうとしている。

何を成す。何の為に取り憑いている。

アレを斬れるか。――斬れない、と弱音を吐く。

ならばフェア・ヴィルングを斬れるか。

斬れると断言できる。斬らねばならないと本能が告げる。

 

「旦那様?」

「クラウス。明日の予定だが、フェア・ヴィルングの中伝に至る試験を行う」

「はっ。聞き及んでおります」

「その際に、奴を試す。いざという時は斬らねばならぬ」

 

ヴィクターはため息混じりに呟いた。

 

――――斬れないだろうな、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこかで誰かが歌っている。

楽しげに歌う。喜んで歌う。手を広げて歌う。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

嗚呼、なんて気持ちのいい響きなのだろう――。

 

 

 



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二話   分岐発生

 

 

 

 

 

「やぁ、マクバーン」

「クロスベルから離れていいのか、お前」

 

空を見上げる一人の男性。

赤を基調とした服装はどこか色気に溢れ、淡い緑色の長髪はさながら女性の如く艶やか。気怠げな様子で首に手を当てている。劫炎の異名を持つ執行者。名前をマクバーン。彼は背後から投げ掛けられた挨拶に対して眼鏡をカチャリと鳴らした。

振り向きもせず、適当に答える。

 

「もう仕上げの段階だけど、帝国方面も気がかりだからね」

「深淵が出張ってんだ。問題ねぇだろ」

「そうだねぇ。君も参加するんだから余計なお世話なのかなぁ」

 

対して、飄々と受け応える少年。

お互いに気心を知れた仲。長い付き合いから醸し出される悪友のような関係性。されど、含みのある台詞にマクバーンが片頬を吊り上げた。

 

「んだよ、何かあるのか?」

「盟主から伝言があるんだよ、君にね」

「俺に?」

「君にだよ。珍しいことにさ」

「カンパネルラ、そりゃあ『厄介事』か」

 

今日、両者は初めて視線を交わした。

カンパネルラと呼ばれた少年はため息を溢しそうになった。マクバーンの様子がおかしい。眼鏡の奥に潜む眼が黒くなりつつある。火炎魔人と化すにしても早すぎる。早速かと半眼になった。

 

「落ち着いてよ」

 

カンパネルラは素直に呆れた。とてもとても。

普段は執行者の中で唯一弁えているマクバーンだが、些か以上に戦闘狂の節が見え隠れしてきた。最近は特に酷い。剣帝レオンハルトが逝去してから余計に。鋼の聖女がクロスベル入りしてからなお酷くなった。

捌け口が無くなったのだ。鬱憤が溜まっているのだろう。だとしても迷惑この上ない。蒼の騎神と戦ってみたいとか言う有様。我儘にも程がある。

 

「盟主の厄介事ってなりゃ落ち着けねぇな」

 

黒い焔が一瞬だけ漏れた。

道化師は右手に幻想の炎を生み出す。

 

「場所を弁えてって事さ。人里離れた場所でも君が暴れたら一発だよ。今、騒ぎを起こすのは計画的にまずいだろ」

 

幻焔計画。

クロスベルの虚なる幻をもって、帝国の焔を呼び起こす。極めて単純。さりとて厄介。此処に至るまで結構苦労したのだ。台無しにされたら部下であるギルバートを虐めてストレス発散しても収まりがつかない。下手したら殺してしまうかもしれない。

カンパネルラの本気が伝わったらしい。マクバーンは周囲を見渡し、頭を掻きむしって肩を落とした。

 

「面倒くせぇなァ」

「弁えてるのか、弁えてないのか。よく分からないよね、君も」

「さっさと盟主の伝言とやらを教えろ」

 

偉そうな口振りも相変わらずか。

そりゃあそうかと一人納得するカンパネルラ。

何しろマクバーンは『異界の王』だ。外の理からやってきた異邦人。魔神の如き能力を扱える唯一絶対の強者である。

だからこそカンパネルラは淡々と口にした。

 

 

「来訪者が現れたそうだよ」

 

 

絶句。

沈黙は数秒。

一拍遅れて笑い声が木霊した。

 

「そりゃあ本当か、カンパネルラ」

「盟主様の仰られる事だからね」

「オイオイオイ。マジみてぇだな、それなら」

 

マクバーンは右手で顔を覆う。

溢れる笑い声。心の底から歓喜する。

自身と同じ外から来た存在。久し振りに人間としてなら全力を出せる。楽しくなってきた。計画なんて深淵とデュバリィに任せて、その異邦人へ会いに行こうと決めた。

痛快、愉快。

さぁ居場所を教えろと催促する。

カンパネルラは一息吐いて、拒否した。

 

「手を出すな」

「あ"?」

 

思い掛けない言葉に、こめかみが痙攣した。

 

「盟主様からの伝言なんだよ。絶対にマクバーンは近づくな。手を出すな。彼の逆鱗に触れるなっていうね」

 

何だそれは。

執行者はあらゆる自由が認められている。

計画に賛同するのも良し。

計画を邪魔するのも良し。

何をしようとも咎められる事はない。それだけの権限を持っている。にも拘らず、盟主は来訪者への接近を禁じた。何故だ。どうして。そもそもそれは結社の掟を破っているではないか。

 

「それだけ危険なんだろうね、彼は」

「テメェは知ってんのか、そいつを」

「今までに『何度か』見ているよ。見た目は平々凡々だね。古の魔力も無ければ、君みたいな異能も持っていない」

「なら、盟主は何を恐れてる」

「さぁね。其処までは教えてくれなかったよ」

 

カンパネルラが指を鳴らした。

転移の合図。幻惑の炎が少年の周りを揺蕩う。

マクバーンはチッと舌打ちした。

異邦人。自らと同じ境遇の存在。気になる。会ってみたい。戦ってみたい。盟主の伝言を無視することもできる。

それでもマクバーンは我を通さなかった。

 

「やっぱり君は弁えてるね」

「うるせぇ。さっさと消えろ」

「あはははは。機嫌を悪くしたみたいだね。ごめんごめん。じゃあ一つだけ情報をあげるよ。恐らく盟主様はこう考えているんじゃないかなぁ」

 

さらっと言い残して、カンパネルラは転移した。

恐らくクロスベルへ蜻蛉返りしたのだろう。そろそろ至宝が復活する。消失した幻の至宝、その代わりに産み出される零の至宝。クロイス家の妄執が生んだ人工的な七至宝の行く末を見届ける必要があるらしい。

完全にカンパネルラが消えたのを確認して、マクバーンは苛立ち混じりに焔を放った。海へ。深い深い海へ向けて。何度も何度も。異能の力で作り上げられた焔は海水を大量に蒸発させて消えていく。

近くに海都オルディスがあろうと知ったことか。

 

「盟主が恐れる化物か。鋼より強いんなら試す価値はあるな」

 

喉を震わせる。

哄笑が夜空に響いた。

仕方がない。今回は諦めよう。

一先ず幻焔計画を完遂させる。

そしてもしも真の姿に戻れなければ――。

 

「精々期待しとくとしようか」

 

 

 

――――君と彼が出会ってしまえば、次の瞬間には世界が終わってしまうってさ。

 

 

 

カンパネルラの愉しげな声が耳の奥で鳴り響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手に残る剣の衝撃。

腕に刻まれた幾多の斬痕。

弟子に纏わり付く昏い神気。

全てを覚えている。忘却などできない。

あの日、殺す気で剣を振るった。血を流す覚悟で絶技を繰り出した。フェア・ヴィルングは死ぬ筈だった。決められた定め。運命とも呼べる。

光の剣匠による本気の殺意、明確な敵意。

恐らく一般の兵士なら戦意を失うだろう。脚を震わして、尻餅を付き、殺さないでくれと懇願するだろう。

裂帛の覇気を突きつけられたフェア。

そよ風のように受け流した彼は愉しそうに笑う。

死など恐れていない。死は通過点に過ぎないのだと。

試験は1時間ほどで終わった。

結局、ヴィクターは彼を殺せなかった。

絶技を受け止められた事で嫌でも察した。

この者を殺すのは私の役目ではないのだと。

 

「アルゼイド子爵、どうしたんだい?」

 

七耀暦1204年、9月25日。

高速巡洋艦カレイジャスの処女航海日。

艦長に指名されたヴィクター・S・アルゼイドに向かって、皇族の一人であるオリヴァルト・ライゼ・アルノールが問い掛けた。

どうやら心配させてしまったらしい。

ヴィクターは素直に謝罪して、クルーに命令を下す。そろそろトールズ士官学院の上空だ。着陸の準備に入らなくてはならない。

 

「貴方が呆然とするなんて珍しいな」

「申し訳ありません、殿下」

「構わないさ。それで何かあったのかい?」

「いえ、私事ですからお気になさらず」

「まぁまぁ。アルゼイド子爵、話してみたまえ。誰かに話すだけでも気が紛れるものさ」

 

皇位継承権を破棄した庶子の皇族。

リベールの異変を食い止めた功労者の一人。

放蕩皇子と呼ばれる稀代の才人。

様々な言葉で表現されるオリヴァルトだが、皇族と思えないほどフレンドリーな人柄こそ最大の長所だと思う。

ヴィクターは苦笑いしつつ帽子を被り直した。

 

「少々迷っております」

「――カレイジャスの艦長になった事かな?」

 

不安げな瞳に見つめられる。

ヴィクターは首を横に振った。

 

「いえ。むしろ光栄に思っております。貴族派と革新派の対立を和らげる一手になれるなら、喜んで艦長としての任を全うするつもりです」

「なら何を迷っているんだい?」

「私の弟子に危うい男がいるのです」

 

危うい男、と怪訝そうに呟くオリヴァルト。

 

「名前は?」

「フェア・ヴィルングと言います」

「初めて聞く名前だね」

「ええ。何しろアルゼイドの門を叩いたのは一月前ですから」

「一月前、ね。帝国解放戦線か、結社の類か」

「お言葉ながら殿下。彼はどちらにも所属していないでしょうな」

 

益々眉間に皺を寄せる皇族。

ヴィクターは確信を持って断言した。

約1週間、剣を交えて気づいたのだ。

フェア・ヴィルングはテロリストになるような信念など持っていない。結社に属するような狡猾さも皆無である。ひたすらに純粋だった。純粋に救いを求めていた。

目は虚ろで、心は硝子のような男だった。

 

「ならアルゼイド子爵、何が危ういのかな?」

「殿下は名状し難き闇を見たことがありますか?」

 

見えたのは一瞬だけだ。

一度の邂逅だったが、未だに鳥肌が立つ。

多眼と無貌。似ているようで全くの別モノ。

どちらにも触手のようなモノがあった。鋼の意志を持っていても汚染されそうな昏い澱みを吐き出していた。

オリヴァルトに名状し難き闇の姿を伝える。

彼は顎に手を当てて記憶を掘り起こし、該当する存在を検索した。

 

「いや、記憶にない。少なくともこの世界では。ミュラー、君はどうだい?」

「影の国で類似する存在がいただろうが」

 

操舵席に座るミュラー・ヴァンダールが吐き捨てた。オリヴァルトも肯く。アルゼイド子爵、これは秘密だと前置きして語り始めた。

 

「多眼の存在は知らない。だが、無貌の闇は見覚えある。『影の国』という世界で一度助けられたんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1ヶ月後、帝国全土を揺るがす内戦が始まる。

そろそろ北に向かおう。いい加減我慢できない。

ヤツが煩くなって来た。9月中旬まで1週間に1度ぐらいの頻度で話し掛けてきた存在Xは、最近だと1日1回語りかけて来るようになった。

早く北に行け。人形を探せ。魔人を殺せ。英雄になれ。呪いを止めろ。降臨させろ。化身になれ。

要望がどんどん増えているのは気のせいか。

言葉と感情はチグハグで、でもどこか焦っている。

アルゼイド流の中伝へ至った俺はレグラムを発った。ヴィクターさんが不在で助かった。どうも苦手だ。苦手になった。何故かこの世界線では殺されかけた。絶技を防げたのは奇跡に近い。多分手加減してくれたんだろう。だとしても正面から食らえば即死だったと思うけど。

一応だが書き置きを残した。探さないでくださいと。まるで家出する少年少女みたいだ。これ以外に書くことなどなかったから仕方ない。クラウスさんも俺を薄気味悪そうな目で見ていた。居なくなって精々するだろう。仕方ないことである。

 

 

「ヨコセ、ヨコセ」

 

 

違う声も聞こえる。存在Yと名付けた。

XとYの声が被ることもある。特に最近は多い。

瞬間、意識が飛ぶ。痛みはない。

ブツリと断ち切られる感じ。もう慣れた。

直ぐに回復する。身体に異常も見当たらない。

どうやら相性が悪いらしい。どちらも悍ましい声なのだ。仲良くしろ。被害を受けるのは俺なんだぞと文句を言いたい。多分、届かないけど。

 

 

「我ノモノダ、スベテ」

 

 

誰にも相談できない。

俺一人で解決するしかない。

進まない時の流れも、この憎悪溢れる声も。

問題点は山積みで。解決策は欠片もなし。

皮肉だなと肩を竦める。

ヘイムダル中央駅。ノルティア本線に乗り換えようと駅内部を足早に歩くこと数分。絶対に会いたくない存在と出くわした。

 

 

「アァ、心地ヨイ」

 

 

黙れボケ。

俺はそんな状況にいないんだよ。

慌てて隠れる。気配遮断。隠密を最優先。

柱の隅から顔を出す。懐かしい姿だ。

彼女の職業柄、出会う可能性は存在した。考慮に含めていた。でも遭遇すると少しだけ焦る。彼女とはループに嵌る前からの知り合いだ。軍を辞めるときも一悶着あった。

 

「――――」

 

何か話している。

話し相手は部下だな。見覚えがある。二回前の世界線で共闘したからか。まぁ直ぐに死んでいたけど。

凛々しい表情は相変わらず。テロリスト対策で忙しいのだろう。多少の疲れが見て取れた。隈もある。さぞかしミハイルさんも心配しているんだろうなと邪推した瞬間だった。

 

 

――――分岐だ、と存在Xが騒いだ。

 

 

はい?

分岐ってなんの?

は、いや、ちょっと待て。

どうして脚が勝手に動くんだ!

いつの間にか気配遮断も解除されていた。

まさか存在Xか。身体を操っているのか。初めての事態。焦りから思考が纏まらない。自らの意思とかけ離れた行動。純粋な恐怖と違う。背筋がゾワゾワする気色悪い悍ましさに対処が遅れた。遅れてしまった。

 

「?」

 

彼女が振り向いた。

ゆっくりと視線が交錯する。

燕尾色の目が見開いた。

ここまで来て逃げるわけにいかない。

何度か恋人にもなった相手だ。

お説教を食らうんだろうなと憂鬱な気持ちで手を挙げる。

 

 

「久し振りです、クレアさん」

 

 

返ってきたのは鳩尾を貫く拳だった。

 

 

マジ痛い。存在X、テメェ覚えておけよ――ッ!

 

 

 

 

 

 









存在Xと呼称しておりますが、幼女戦記のそれとは違います。紛らわしくてすみません。



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三話   鉄血宰相

 

 

 

 

 

帝国政府直属機関『鉄道憲兵隊』。

帝国正規軍の中でもエリート中のエリート。

士官学校で特別優秀な人材だけが集まる場所。

輪廻が始まる前。士官学校を卒業する時。どんなに頑張っても、フェア・ヴィルングは鉄道憲兵隊に入隊できなかった。能力も資格も足りていなかったからだ。

嗚呼、残念。

クレア・リーヴェルト大尉は一人悲しんだ。

さりとて同じ帝国正規軍。

人生の先達として軍人のイロハを叩き込もう。

それが彼に救われた私の義務だと意気込んでいた所に、『俺、軍人辞めるから』の急報である。まだ2年しか従軍していない。次の就職先はどうするのか。宛はあるのか。そもそも事前に相談ぐらいしてもいいだろうに。

返ってきた言葉は淡々としていた。

『それじゃあ元気で』

クレアは怒り狂った。猛き咆吼で通信器を破壊した。

氷の乙女と称される若き天才。導力演算器並みの頭脳を持つ才女は、フェア・ヴィルングに対する制裁案を次々と提案。その数、数百に及ぶ。

結果、こうなった。

問答無用で知人の首根っこを掴んだクレアは、ヘイムダル中央駅に設置してある鉄道憲兵隊の詰所に引き摺り込んだ。

 

「酷い目に遭った」

「此方の台詞ですね」

 

テーブルを挟んで向かい合う二人。

フェア・ヴィルングは掴まれていた首を摩った。

クレア・リーヴェルトは浮き足立つ心を沈めながら答えた。

 

「部下の方々が目を丸くしてましたよ」

「貴方が逃げようとしたからです」

「だとしても首根っこを掴む必要性はないでしょうに。俺は猫ですか」

 

フェアは脚を組んで壁を見つめる。

不本意。どうにかして逃げようと画策している。

長い付き合いだ。彼の考えている事柄ぐらいわかる。扉までの距離。外にいる鉄道憲兵隊員の数。逃亡時に障害となりそうな駅利用者。全て加味すればフェア・ヴィルングは絶対に逃げられない。

贔屓目に見ても、彼の武力は学生にすら劣る。トールズ士官学院Ⅶ組の面々でも制圧できる程だ。

悲しいが現実である。

フェアには才能が無かったのだから。

 

「いきなり仕事を辞めた挙げ句、放浪者になったんです。連絡の一つもよこさない。猫ですね、完全に」

「心配いらないと通信した筈です」

 

テーブルを指で叩く。

トントン。部屋にリズム良く鳴り響く。

フェアが苛立った時の癖。幼少時からの癖。

変わらない。変わっていないことに安堵した。

 

「理由になりません。ミハイル兄さんも気が気で無い様子でしたよ。ご愁傷様です」

「あー。クレアさんから後で謝っておいてください」

「遠慮します。貴方からどうぞ」

「後生です。お願いします。多分、ミハイルさんに捕まったら1ヶ月は解放されないと思うので」

 

初めて慌てるフェア。

クレアは少しだけ溜飲が下がる。

まるで昔に戻ったようで嬉しかった。

硬い表情を解く。惚けるように口にした。

 

「あら?」

「なんです」

「私が解放するとでも?」

「――俺、一般人ですよ。理由もなく長期間捕らえてしまえば軍規に違反しますが?」

 

確かに一般人である。

法律上、そうなっている。

軍を辞めた根無し草の放浪者。

世間の風当たりが強くなろうとも、既に民間人の仲間入りしたフェアを強制的に捕えてしまえば明確な軍規違反である。

当然ながら理解している。

それでも譲れない。譲れない理由があった。

帝国を二分している派閥。貴族派と革新派の争いは頂点に達した。いつでも内戦が始まりそうな不穏極まる情勢。テロリストすら跋扈する有様。泥沼の内戦は不可避だ、とクレアの頭脳も結論付けた。

故に――。

 

「この情勢下、貴方を放逐する訳にいきません」

「鉄道憲兵隊も大層忙しいでしょう。俺一人に関わっている時間も惜しいほどに。クレアさん、早く仕事に戻られた方がいいですよ」

 

淡々と。抑揚なく。

初対面の相手に告げるが如く。

突き放されたクレアは思わず立ち上がりかけた。

 

「フェア、貴方は――」

 

だが止まった。

言動全てを封じられた。

物理的ではない。そんな単純なものではない。

フェア・ヴィルングの昏い眼に圧倒されたのだ。

 

「貴族派と革新派。内戦の兆し。一応、俺は元帝国軍人。貴族派に捕まる可能性もある。だから外は危ない。分かってます。分かってますよ、クレアさん」

 

絶句した。

正直、咄嗟に言葉が浮かばなかった。

初めて見る瞳。底無し沼のような昏い色。絶望に塗り固められた眼光に貫かれた。

死んだ眼など生温い。

これは、死にながら生かされている。

何者かに強制的に生存させられている。

どうして。いつから。

最後に会ったのは一年前。帝都中央部で偶然すれ違った。お互いに非番。カフェで話した。いつも通りだった。普段通り覇気もなく、自然体で、しかし何処か闇を感じさせる青年だった。

なのに。

僅か一年足らずで。

フェア・ヴィルングは変わり果てた。

 

「でも此処に居たら、俺は間違いなく死ぬ」

 

声音には確信が宿っていた。

予測ではない。まるで予言のように断言する。

どうしてと問い掛けられない。

クレアは救われた。昔。昔の話だ。精神的にも強くなれた。それでも。それでもコレには太刀打ちできない。大切な人が生き地獄に突き落とされているのだと知って、クレアはどうすればいいのだろうか。

 

「だから。無理にでも此処を出ます」

 

莫大な覇気が部屋を包んだ。

思わず身構える。だが、抗えないと悟った。

クレア・リーヴェルトは明晰な頭脳が評価されがちだが、間違いなく強者の部類に属する。指揮能力を加味すれば帝国内でも上位に分類されるほどである。

そんな彼女ですら抗えない。

右手に掴んだ拳銃を下ろさせる威圧感。

クレアは椅子に腰を落とした。項垂れる。脳裏に過ぎるは一年前のフェア。可愛かった。助けてあげたくなった。まるで死んだ弟のようだった。

 

「――冗談です」

 

空気が弛緩する。

全身に降り注いだ重圧は唐突に消えた。

慌てて顔を上げる。ほんの少しだけ期待した。

能面のような表情でクレアを見詰めるフェアがいた。期待は見事に裏切られた。

 

「何が、ありましたか?」

 

彼は変わってしまった。

不変の事実。現実を受け入れるしかない。

だからこそクレアは問い質す。

不都合な真実だとしても。弟分を助ける為に。

 

「変わったことは特にありませんよ」

 

フェアは答える。

表情を一切変えずに。

 

「嘘です!」

 

叫んだ。テーブルを拳で叩く。

部下が見たら眼を丸くするに違いない。

感情的にならず。常に冷静で。心優しく皆を導く氷の乙女に相応しくない言動だからだ。

 

「本当です」

「もしや貴族派の人間に――」

 

最悪の光景が飛来した。

クレアは鉄血の子供達と揶揄される立場にある。

貴族派からしてみれば敵対勢力の幹部扱い。彼女に近しい存在を秘密裏に捕まえ、拷問し、なけなしの情報を吐かせる。有り得る事だ。猟兵を使役している節すら見受けられる貴族派ならやりかねない。

勝つ為だ。革新派を倒す為だ。

そんな免罪符を掲げて笑いながら。

 

「クレアさん、何もありませんよ」

「でもそのような姿をご両親が見かけられたら」

 

きっと嘆き悲しむだろう。

帝都に住むヴィルング夫妻。

優しい人たちだ。誰よりも息子を愛している。

だからこそ嘆く筈だ。

一人息子が変わり果てた姿で放浪しているなら。

 

「?」

 

フェアが首を傾げる。

瞬きせず。時が止まったように動かない。

 

「――フェア?」

 

気味が悪い。

逃げ出したい衝動に襲われる。

グッと堪える。堪えろ。堪えなければならない。

そう思った。此処で逃げ出したら一生後悔すると感じた。だから耐えた。なのに次の言葉は耐えられなかった。

 

 

 

「俺に、両親なんて、いませんよ?」

 

 

 

 

 

 

 

走り去るクレアさん。

青い髪が跳ねる可憐な後ろ姿。

本当なら呼び止めるべきだ。肩に手を置いて引き止めるべきだった。甘い言葉を投げ掛け、弱音を吐露して『本当の弟』のように縋る。

クレアさんは完全に俺の味方になった筈だ。

幾度となく繰り返される経験。輪廻から抜け出す為に姉貴分すら利用した違う世界線。それでも無理だった。彼女は死んで、俺も死んだ。

此処に居たら間違いなく殺される。貴族連合軍の帝都占領時に捕らえられる。拷問され、情報を吐いても抹殺される。三回ほど体験済みだった。

鉄血宰相を狙撃しようとする『クロウ・アームブラスト』を止めようとしたら余計に悲惨だ。俺だけでなく、クレアさんも捕虜となる。最後は精神を壊されてしまう。あんな姿を見るのは一度で充分だった。

クレアさんの居なくなった鉄道憲兵隊の詰所。晩夏の暑さは何処に消えたのか。空気が異様に冷たい。目眩がする。早々に立ち去ろう。

長居しても碌な事がない。メリットも皆無だ。

扉に手をかけようとして、尋常ならざる存在と出会した。

 

 

「おや、君は誰かね?」

 

 

思わず右足で踏ん張った。

倒れそうになる身体を支える為に。

正面から受け止めるには余りに重厚すぎる覇気だった。

 

「――鉄血宰相」

「如何にも。ギリアス・オズボーンである」

 

怪物。化物。帝王。

心臓を撃ち抜かれても生きていた不死身さ。内戦で貴族連合軍を打破した粘り強さ。クロスベルを無血占領した即断即決。ノーザンブリアを併合して、エレボニア帝国を超大国の座に押し上げた智謀。それら全てを成し遂げた一人の男。これから成し遂げる稀代の宰相。鉄血宰相ギリアス・オズボーン。

輪廻の中で初めて言葉を交わした。

怖い。怖い。怖い。

歯がガチガチと鳴りそう。身体が震え出しそう。

気合で平静さを保つ。存在Xの姿を思い出して中和した。

 

「此処は鉄道憲兵隊の詰所だ。私の部下がいると聞き及んで足を運んだのだが、こうして出会えたのは見知らぬ男。はて、君は誰かね?」

「フェア・ヴィルングと申します、宰相閣下」

「ほう。君がフェア・ヴィルングか。名前だけは知っているとも。クレアと懇意にしているとな」

 

艶のある声だ。

思わず耳を傾けたくなる。

身から溢れ出るカリスマに屈服しそうになる。

 

「恐れ入ります」

「なるほど。大体見えてきた。久方振りに再会したクレアと話していたという訳か。彼女が公私混同するとは珍しいが、それほど君を大切に想っているという事かな」

 

逃げ出したい。

この場から立ち去りたい。

だが、ギリアス・オズボーンによって出入り口は封鎖されている。窓もなければ、壁をぶち壊す剣も持っていなかった。

無理だ。不可能だ。どう見ても脱出できない。

俺は内心で頭を振った。

落ち着け。我慢しろ。待ちの一手だ。

ギリアス・オズボーンが飽きるまで話し相手になるだけ。俺は凡人。多忙を極める鉄血宰相が時間を割くような価値などない。

直ぐにクレアさんを追い掛けるはずだ。

 

「クレアから正規軍を辞めたと聞いている。以前は第六機甲師団に勤めていたと。本当かな?」

 

追い掛けてくれない。

鉄血宰相は優雅に言葉を紡ぐ。

もう5分近く会話している。移動もせず、腰も下さず。お互いに直立不動のまま口だけを動かしている状況だった。

 

「その通りです、閣下」

「辞めた理由を聞いても構わないかね」

「私に軍属は向いていないと考えたからです」

「模範的な回答だ。大変結構。言い淀まずに口にするとは練習しているのかね。しかし、私とて暇ではない。嘘はやめたまえ」

 

重圧が増した。

屈服しそうになる。

膝を付いて許しを乞いそうになる。

負けるか。負けてたまるか。

そもそもお前がヨルムンガンド作戦なんて行わなければ。クロスベルを占領しなければ。内戦直前に狙撃なんてされなければ!

俺はこんな状況に陥ってないかもしれないのに!

 

「内戦という、最も愚かで馬鹿げた争いに関与しない為です」

「貴族派と革新派の対立か。内戦に至ると?」

「ご冗談を。閣下ならお気付きでしょうに。貴族派が何を造っているのか。誰を雇っているのか。いつ帝都を占領しようとしているのかすらも」

「貴様は何を知っている」

「機甲兵。猟兵。来月下旬」

 

先に喧嘩を売ってきたのは鉄血宰相だ。

買わねばならないのなら大いに買ってやる。

死んでも巻き戻る。七耀暦1204年8月に。

だから強気に出た。見下ろす眼光に立ち向かう。足腰に力を入れて、天上の彼方に存在する鉄血宰相を睨み付けた。

 

「貴様は――。いや、有り得るのか。イシュメルガめ、余計な存在まで招き寄せたらしいな。自業自得だが」

 

鉄血宰相は自嘲する。

誰かを、何かを嘲笑った。

手を挙げて、そして俺の頭に下ろす。

グシャグシャと撫でられた。

思考が止まった。

どうしてだろう。泣きそうになった。

 

「?」

「苦難の道だな。煉獄に至るぞ、若人」

「煉獄に進めるのなら本望です、閣下。私の恐怖は既に一つしかないのですから」

 

進まない時計をぶち壊す。

その為ならば煉獄に堕ちても構わない。

空の女神を殺すことも辞さない覚悟だった。

 

 

 



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四話   黒猫契約

 

 

 

 

 

アイゼンガルド連峰。

人の寄り付かない辺境の地。

最も近い人里は温泉郷『ユミル』だろうか。それでも相当離れている。帝国軍が配備されていないからなのか魔獣も多い。更に強い。厳しい環境に晒されているからだと思う。

9月下旬に来訪以来、延々と独りで剣を振るっている。確かに良い修業環境だ。心を無にして戦える。魔獣も尽きない。だが飽きてきた。話し相手が存在Xと存在Yだ。頭が痛くなりそうだった。

本来なら工業都市ルーレで何日か寝泊りする筈だった。情報を仕入れる為である。ラインフォルト社にも足を運びたかった。

金ならある。帝都で腐るほど手に入れた。競馬である。勝つ馬を幾らでも知り得る。一攫千金を何度か繰り返し、不審な目で見られる前にそそくさと退散した。既に億万長者。特に使い道は無いけれど。

 

「ちょっとアンタ、私の話聞いてるの?」

「聞いている。ミルクが欲しいんだろう?」

「違うわよ、バカ!」

 

足下で黒猫が鳴いた。相変わらず口が悪い。

名前をセリーヌ。雌だ。驚くことなかれ喋る猫である。仕草は猫なのに平然と喋る。声帯はどうなっているのか。仲間はいるのか。疑問は尽きない。

2週間前、長い長い輪廻で初めて遭遇した。驚天動地とはまさにこのこと。遂にこの世界線でも狂ったか。早く自殺しないと。懐に忍ばせていた拳銃をこめかみに突き付ける。慌てたセリーヌが妙な術式で俺を止める。ワイワイぎゃあぎゃあ。そんな笑えない一悶着も存在した。

剣を岩肌に突き刺し、手頃な場所に腰掛ける。

 

「なら何だ?」

 

約1ヶ月前、10月20日頃に一度下山。ユミルまで降りた。里の人々に山籠りに必要だからと嘯いて大量の食材を買い溜めした。その際、手に入れていたミルク。セリーヌが2日前にもう無いと嘆いていたから、てっきりミルクをもう一度買ってこいって話かと。

 

「アンタのことで聞きたいことがあるのよ」

「アイゼンガルド連峰にいた訳か?」

「違うわよ。勿論気になるけど、この3週間ほどでアンタが悪い奴じゃないってわかったからね。気にしないことにするわ」

 

精々感謝しなさいと女王様気取りの猫。

普通に可愛い。ドヤ顔が微笑ましい。存在Xと存在Yに蝕まれていた心が癒されていく。飼い主が羨ましいな。この世界線だけでもセリーヌを譲ってくれないだろうか。

 

「光栄です、猫殿」

 

一礼する。返事は猫パンチだった。

 

「ふざけないで。――アンタ、相当強いわよね?」

「光の剣匠に負ける程度の男だ」

「比較対象がおかしくない?」

「東方では『青は藍より出でて藍より青し』という言葉がある。弟子として師を超えるのは当然のことだよ」

 

光の剣匠ヴィクター・S・アルゼイド。

比較対象として最も優れている存在だと思う。

彼と並べば当代最強の剣士。

彼を超えれば火炎魔人と同じ人外へ。

アルゼイド流だけでは並び立つことすら不可能だと悟った。だからこそ何回も輪廻を重ねることでヴァンダール流も極めた。幾つかの世界線では彼の実力を超えたこともある。喜んだ。これで輪廻の先に行けると。結果は散々。ループは打破できなかったけれども、一つの目安として今でも参考にしている。

オーレリア・ルグィンは除外する。あの女傑と出会った世界線は碌な事が無い。無視無視。遭遇しないように注意しなければならない。

 

「とにかく。アンタは強いんでしょ?」

 

再確認してくるセリーヌへ頷き返す。

 

「多少はな。まだまだ誇れる実力ではないけど」

「結社の人間でも無いのよね?」

「『身喰らう蛇』とかいう奴らか?」

「ええ。世界中に散らばる犯罪組織よ」

 

名前だけ聞き及んでいる。

秘密結社『身喰らう蛇』。火炎魔人の属する組織と聞く。リベールの異変、クロスベルの独立騒ぎも彼らの暗躍に因るものだとか。俄かに信じ難いものの、ヴィクターさんやオーレリアが嘘を吐くとも思えない。

そういえば『カンパネルラ』も結社の一人と聞いた。あの子供がねぇ。人を弄り倒すからぶん殴った事もある。懐かしい話だ。

 

「生憎とスカウトされていない。それにな。犯罪に手を染めるのは人生の最後だと決めている。頼まれても加入しないよ」

 

カンパネルラに断言されたのだ。

アレはいつの世界線だったか。

秘密結社でも君の輪廻を覆すことは無理だと。未来永劫、君は同じ時間軸を揺蕩うのだと。諦めろと。外なる神に目を付けられた君は助からないのだと。

屈辱だった。

俺は何も言い返せなかった。

ただ泣いて縋り、次の日には自殺した。

 

「そう。貴族連合軍との付き合いは?」

「欠片も無い。俺は平民出身だ」

「そ、そう。なら安心したわ」

「リィン・シュバルツァーを貴族連合軍に売り飛ばされるとでも危惧していたのか?」

「少しだけね。騎神さえ目覚めれば逃げられると思うけど、二人とも目覚める気配すらないもの」

 

心配そうに灰色の騎士人形を見る黒猫。

その傍らで死んだように眠る未来の英雄。

約3週間前、七耀暦1204年10月30日。運命の日。クロウ・アームブラストによって狙撃された鉄血宰相。貴族連合軍によって占領される帝都ヘイムダル。帝都近郊の町トリスタも襲撃に遭い、リィン・シュバルツァーたちトールズ士官学院Ⅶ組も無様に離散した。

その日、俺は変わりなく剣を振るっていた。

アイゼンガルド連峰の奥深くで。湧き続ける魔獣を相手に一騎当千の如く。暇だった。むしゃくしゃしていた。魔獣の血と肉片を尻目に、月夜の下で晩酌していると、突如、轟音が鳴り響いた。

見上げて驚愕。灰の騎神がゆっくり着陸した。

口を半開きにして待機。猫が喋って更に驚嘆。

事情を聞き、一人納得した。

内戦初期、リィン・シュバルツァーは行方不明だったと聞いた。まさか蒼の騎神に敗れ、アイゼンガルド連峰の山奥で傷を癒しているとは想像だにしていなかった。マスコミもリークできないわけだ。想像できる訳もない。理解の外だ。

 

「安心しろ、セリーヌ。リィン・シュバルツァーが目覚めるまで全力で守護する。契約した通りだ」

「アンタをエリンの里に連れて行くって話ね」

 

俺とセリーヌはその場で契約を交わした。

リィンと灰の騎神が覚醒するまで近場の魔獣から護り続ける代わりに、幻の秘境とされる魔女の里へ案内するという物だ。

初めてだ。初めての事だらけだ。

今回の世界線は期待できる。鉄血宰相と出会い、セリーヌと契約を交わした。また一つ世界の謎を知る機会を得た。例え輪廻を打破できなくても次に繋がる。存在Xに少しだけ感謝した。

 

「魔女の長殿と話してみたいからな」

「ロゼとねぇ。見た目はちんちくりんよ」

「それ関係あるのか?」

「あるでしょ。威厳とか皆無よ、皆無」

「威厳は大事だな、うん」

「でしょ?」

「だが強いのだろう?」

「まぁね。魔力量だけでもエマの何倍もあるし、魔法の種類も桁違いだし。生活態度さえ改めれば紛れもなく魔女の長と誇れる存在なのに。何であんなにズボラなのかしら」

 

セリーヌの愚痴が止まらない。

尻尾がバンバンと岩肌を叩いている。

ストレスが溜まっているようだ。それも大分。

当たり前か。3週間も景色の変わらない連峰で過ごしているのだ。寒い。高い。美味しい食べ物もない。話し相手は俺ことフェア・ヴィルングだけという有様。彼女にとっては地獄だろう。

 

 

 

 

――――唄え、と誰かが誘った。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

――――謡え、と誰かが踊った。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

 

悍ましい声音が響いた。

どこから。周囲から。全てを包んでいく。

揺れる。揺れる。小さく大きく。大きく小さく。

楽しそう。辛そう。嬉しそう。悲しそう。

様々な感情が入り込んでくる。

気持ち悪い。胃が反転する。吐きそうだ。全身に力が入らなくなって、意識が飛び掛けて、最悪のタイミングで危険を察知した。

 

「クソッ!」

 

セリーヌを抱えて後方に跳躍。

断崖絶壁の上に降り立つ。セリーヌを下ろす。

咄嗟に得物を掴んだ自分を褒めてやりたい。右手に収まる白い大剣。これさえあれば何とかなる。何とかする。再び歌が聞こえてこなければ。全身を揺さぶられなければ。アレは何だったんだ。

頭を振る。対象を切り替えろ。

崖下に視線を向ける。気持ち悪い生物がいた。

首と尾が長く。胴体は太く。全身は青白い鱗に覆われている。四足歩行。見た目は御伽話に出てくる首長竜に近い。気持ち悪さは段違いだけども。

 

「リンドバウムって奴か」

 

内戦時に各地を荒らす幻獣だ。

俺も何度か討伐したことがある。

 

「アンタ、アレを知ってるの?」

「一応な。セリーヌはリィンの傍にいてくれ。アレは猛毒ガスを吐き出す。対抗手段がないと危険だ」

「――勝てるの?」

「勝てるな。問題ない」

 

今の練度だと自信はない。

負ける可能性は十二分に有る。

それでも強気に言い切った。

セリーヌの頭を撫でる。

不必要に怯えさせるのも可哀想だ。

導力魔法をどうやって防ぐか。問題は其処だ。猛毒ガスを出されれば距離を取る。地団駄してきた時も同じ。剣撃を飛ばせばいいだけ。やはり注意すべきは駆動無しに発動させる導力魔法ぐらいだな。

 

「――どうした?」

 

セリーヌは動かない。

眼光鋭く、とある場所を睨んでいる。

リンドバウムが暴れる前にリィンの傍へ走ってくれ。言外にそう願った俺へ、セリーヌは片目だけ此方へ向けた。

 

「アンタ、見た?」

「何を?」

「楽しそうに笑っている女の姿よ」

「いや、見てないが――」

「見間違いかしら。でも、確かに其処に」

 

――頭の奥でブチッと鳴った。

 

「とにかくリィンの近くに行け、セリーヌ」

「あぁもう。わかったわよ!」

 

セリーヌが崖を降りていく。

リンドバウムは黒猫に見向きもしない。

俺だけを見ている。

俺だけに威嚇している。

リィンへ向かわれるよりも好都合だ。

大剣を構える。柄を握り締める。足腰に力を込める。気を巡らす。意識を戦闘に切り替える。自己暗示終了。狙うは長い首元。一気に命を断つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

セリーヌはリィンの傍で結界を張る。

簡易的なモノだが、猛毒ガスを防ぐに足る。

此方を一瞥したフェアが動いた。

瞬間、消える。驚くほど速い。

黒い外套に身を包んだ痩躯がぶれている。

瞬きするよりも早く幻獣の懐に入り込んだ。回転するように大剣を振り回す。狙いは首筋。一刀両断を狙っている。風切り音が響いた。当たる。

セリーヌの確信を嘲笑うように幻獣は吼えた。

口から吐き出された猛毒の塊。紫と黒の混合物。粘度の高そうなソレを躱したフェアは、咄嗟に剣撃の狙いを変えたらしい。流れるように足を斬り付ける。

 

「危ないッ!」

 

幻獣の足下。白い岩肌から褐色の土が盛り上がる。土で形成された八本の槍。空へ向かって伸びていく。

フェアは危なげなく跳躍した。怪訝そうな表情を浮かべている。舌打ちが聞こえる。不機嫌だ。傍から見てもわかる。吐き出された猛毒の塊を空中で斬り落とし、フェアは崖上で態勢を整えた。

数瞬、静寂が連峰を包んだ。

フェアは大剣を肩に担ぐ。嘆息した。

 

「セリーヌ、少し時間が掛かりそうだ。コイツを此処から引き離す。危ないから追ってくるなよ」

 

幻獣の目的はフェアだけらしい。

彼が挑発しながら駆ける。幻獣は怒り狂うように遠吠えして、面白いように追いかけて行く。数分すると地響きすら聞こえなくなった。

一瞬の交錯。時間にして約十秒にも満たない。

フェアは何かを察した。

だからこそ此処を離れたのだろう。

セリーヌとリィンを護るという契約に違反しない為に。

 

「律儀な奴ね、全く」

 

結界を解く。

強張っていた身体を解す。

灰の騎神、起動者も起きない。

セリーヌは周囲の警戒を緩めないまま、考える。

 

「アレは、一体何だったのかしら」

 

歌が聞こえた。悲しそうな歌声。

女性が慟哭しながら紡いでいる歌だった。

アイゼンガルド連峰の山奥で響くには場違いすぎる。聞き間違いか。そう思った瞬間、空間に振動が走る。幻獣が現れ、フェアとセリーヌを踏み潰そうとした。

フェアが跳躍する事で難を逃れる。彼の目は幻獣だけに向けられていた。喫緊の懸念事項だ。戦士ならば当然の行為だろう。

セリーヌは魔女の眷属。戦士ではない。故に空間の奥へ意識を向けた。アレの奥に何かがいるのではないか。幻獣を支配する者がいるのではないか。理屈ではない。本能だった。魔力を行使して微かに見て取れた。

 

「泣きながら、笑っていた女」

 

見覚えなどない。本当に。

それでも懐かしさを覚えた。

どうしてだろう。無性に泣きたくなった。

 

 

 

 



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五話   温泉炎上

 

 

 

 

七耀暦1204年11月29日。

未来の英雄、未完の大器が目を覚ました。

昏睡状態に陥ってから1ヶ月も経過している。

やっとである。漸く目覚めてくれた。

セリーヌも訝しんでいた。初めて騎神を動かした反動、起動者にもフィードバックする損傷、親友だと思っていた男の裏切り。様々な要因が重なったとしても、果たして回復に1ヶ月も掛かるモノだろうかと。

詳しく知らない俺は首を傾げるだけ。黒猫から使えないわねと罵倒された。理不尽である。その夜、セリーヌの背中を縦横無尽に撫で回した。猫の悲鳴が響き渡ったが完全に無視する。毛並み良すぎ。手が止まらなかった。

何にせよ未来の英雄は覚醒した。多少なり衰弱しているが、数日もすれば勘を取り戻せる筈だ。刀捌き、歩行状態、全ての身動きに異常は見当たらない。ホッと一安心である。

アイゼンガルド連峰の山奥で意識を取り戻したリィンは当初酷く混乱していた。苛立ちから灰の騎神を何度も叩く姿は見ていて痛々しかった。未来で英雄扱いされる彼も、今はまだ士官学院の一年生。発狂していないだけマシだと思った。

簡単に現状を説明するセリーヌ。どうやら1ヶ月前の戦闘時に一悶着あったようで、言葉自体を交わすものの、彼らの仲は冷え切っていた。

俺は口を挟まなかった。騎神関連を詳しく知らないからだ。機甲兵なら得意である。長い輪廻の中で何度も乗り回した。最初は雑魚で、今ならオーレリアにも届くと思う。先に機体が壊れるけど。

 

「あー。足湯って最高だわ」

 

七耀暦1204年11月30日。

朝日も昇り切っていない早朝。

俺は足湯を堪能している。独占状態。最高だ。

昨日はまさしく激動。中々の強行軍だった。

アイゼンガルド連峰の山奥を発ったのは朝早くだったのにも拘らず、温泉郷ユミルの建物が見え始めたのは夕暮れ前。一息ついた瞬間に現れた二体の魔煌兵と戦闘開始。お世辞にも本調子と云えないリィンを庇いながら戦うこと数十分、ユミルから助太刀に来た遊撃士トヴァル・ランドナーの導力魔法によって窮地を脱した。

幻獣と戦った時の負傷が無ければ。猛毒ガスに肺を犯されていなければ。魔煌兵如きに遅れを取ることは無かったのに。まだまだ修業が足りていない。師に追い付かなくてはならない。

 

「隣いいか?」

「構いませんよ」

「じゃあ失礼して」

 

トヴァル・ランドナー。

遊撃士協会随一の導力魔法使い。

何度か敵対した。共闘した事もある。苦手な人間だ。本人の強さはいざ知らず、背後にいる聖杯騎士が強過ぎる。化物である。反則だ。何も出来ずに殺された世界線すら存在した。

同じ足湯を堪能する。二人分、間を空けて。

人付き合いの良さそうな笑みを浮かべている。

本心は違うな。俺を激しく警戒している。

目付きが鋭い。一挙手一投足を見逃さない眼光である。気持ちはわかる。客観的に判断すれば当然の行いだろう。

だから気に食わない。

 

「お前さん、何歳だ?」

「来月で21歳ですね」

「へぇ。結構若いんだな」

「トヴァルさんもお若いですよね」

「俺は今年で27だ。もうおっさんだな」

「27歳には見えませんね」

「口が上手いねぇ。煽てても何も出ないぞ」

「本心ですよ」

「そうかい。ありがとよ」

 

目も合わせず。身体も向けず。

言葉の応酬は気温に負けないほど寒々しい。

お互いに思ってもいないことを口走っている。

 

「リィンを助けてくれたんだってな」

「あの黒猫に頼まれましたから。仕方なくです」

「仕方なく、ね」

 

俺を一瞥するトヴァルさん。

流し目で。疑わしそうに。嫌悪感を滲ませて。

今回の世界線では初対面である。此処まで警戒される謂れなどない。確かに怪しい男だろうが、トヴァルさんほどの遊撃士なら表面上は友好的な態度を取りながら接するだろうに。

俺の知らない所で何かがあったらしい。

 

「どうも含みがありますね」

「仕方なく幻獣とも戦ったのか?」

「一度だけです。二度目は御免です」

「何でアイゼンガルド連峰にいたんだ?」

「修業の為です。世間は煩わしかったので」

「流派は?」

「アルゼイド流を嗜んでます。中伝です」

「仕事はしてないのか?」

「正規軍に勤めてましたが、内戦が始まりそうだったので辞めましたよ。下らない争いに参加するつもりなどありません」

「よくわかったな、内戦が始まるって」

 

温泉郷の中心で始まる尋問。

燦燦と煌く朝日。朝を告げる鶏の鳴き声。それらに呼応したのか、彼方此方で人の動く気配が活発化した。どうやらユミルの人々が起き始めたようだ。

1時間も経たない内に郷全体が賑やかになる。のらりくらりと答えるのも飽きてきた。そろそろ本題に入ってもらおう。

トヴァルさんを睨む。不機嫌そうに問いかける。

 

「先程から何なんですか?」

「結社の一員じゃねぇかって疑ってるんだよ」

 

眼光鋭く言い放つB級遊撃士。

視線には嫌悪と恐怖が混ざっている。

嫌悪は仕方ない。でも恐怖は何だろうか。

俺は首筋を撫でながら苦笑した。演技は得意だ。

 

「そんなに怪しいですか?」

「当たり前だ」

「残念ながら結社の一員ではありませんよ」

「一般人は結社の事を知らねぇんだが」

「これでも耳聡いもので」

 

素っ気なく言い返す。

実際、秘密結社と呼ばれるだけあって、水面下で暗躍する組織だ。一般人は存在を知り得ない。七耀暦1204年だと『身喰らう蛇』を認知しているのは七耀協会を筆頭に、高位遊撃士、将軍以上の軍人、各国のお偉方ぐらいだろう。クロスベルの独立騒ぎが終了してから大規模に動き始める組織だからな、アレは。

 

「ならどうしてレグラムから姿を消した?」

 

クラウスさんから聞いたな。

舌打ちしたくなるのを堪える。

 

「内戦に巻き込まれると思ったからです。人里離れた場所で静かに剣を振るう。アルゼイド流を極める為に必要な行いでした」

「子爵閣下から必要な情報を盗んだから、じゃないのか」

「例えば?」

「カレイジャスの艦長就任とかな」

「光の剣匠が高速巡洋艦に乗っていたとしても、貴族派には黄金の羅刹がいます。正規軍には紅毛や隻眼も。絶対的な抑止力にはなりません。盗む価値のある情報ではないですね」

「――――」

 

ヴィクターさんは紛れもなく強者である。人格者としても名高い。エレボニア帝国の誇る最高峰の剣士だ。対人戦なら最強に近い。

されど相手は軍そのもの。領邦軍にしろ正規軍にしろ。飛行艇、戦車、機甲兵。一対一なら勝てるかもしれない。だが絶え間無く攻撃されれば光の剣匠も敗北せざるを得ない。

機甲兵を操れば一騎当千しそうだけど、どの世界線でも断固として乗らなかった。尋ねても要領得ない答えばかりだった。

 

「トヴァルさん、俺はリィンに危害を加えるつもりなんてありませんよ」

「信用できないな。自覚あるだろ?」

「多少は」

「危害を加えるつもりはないって言ったな」

「はい」

「利用するつもりはあるのか?」

 

当然だ。利用させてもらう。

セリーヌから話を聞いて確信した。

恐らく鍵だ。リィンは一つの鍵だと思う。

騎神に選ばれ、内戦を駆け抜け、英雄となる士官学院生。何かに導かれなければ無理な偉業だ。

前々からヨルムンガンド作戦の裏で何かが起きていると噂されていた。今回の世界線で英雄の座から陥落したリィン・シュバルツァーが何を成そうとしていたのか見届ける事にした。

俺の輪廻を破壊する為に精々利用させて貰う。

いけないだろうか。鬼畜の所業だろうか。

知るか。構うか。気にしていられるか。

聖人君子を気取るつもりなどない。リィンを殺すことでループを断ち切れるなら、狂乱の雄叫びを挙げながら抹殺してやろう。非難されても関係ないと開き直りながら。俺が助かる為だと免罪符を掲げながら。

 

「まぁ、無償で人助けするほどお人好しでもないので。聖杯騎士の総長さんと仲の良い遊撃士さんと違って」

 

冷笑を浮かべて反撃する。

 

「――テメェ」

 

トヴァルさんが立ち上がる。

左手に掴んだ導力器が俄かに輝いた。

導力魔法を繰り出そうとしている。それも強大な分類の導力魔法を。温泉郷の中心で。やはりおかしいな。この程度の挑発で我を見失うなどトヴァルさんらしくない。

 

「止めましょう。不毛です。隠し事ぐらい誰にでも一つや二つある。そうでしょう?」

 

導力魔法は確かに便利だ。

特に遠距離戦闘なら。

それでも近接戦闘では隙だらけ。

傍らに置いていた白い大剣を片手で持ち上げる。冷水を浴びせるように、遊撃士の首元へ切っ先を突き付けた。

 

「喧嘩両成敗でどうですか?」

 

リィンも起きた事ですしね、と微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最悪だ、とトヴァルは顔を顰める。

昨日現れた魔煌兵の再出現。温泉郷へ近付く前に討伐すると決まり、トヴァルはリィン、エリゼ、フェアの三人を引き連れて山岳を登った。

当初、フェア・ヴィルングはユミルに残ると口にした。嫌な予感がすると嘘を吐いてまで。何か企んでいるなと判断したトヴァルは、お前も来いと首根っこを引っ張る。結社の構成員という疑いのある人物を一人にしていられない。妥当な判断だったと思う。

結果、魔煌兵は倒した。

リィンが騎神を操り、見事に消滅させた。

代わりに温泉郷ユミルは炎に包まれている。

トヴァルたちの留守を狙った奇襲。シュバルツァー男爵だけでは防げなかった。これは北の猟兵が暴れ回った証だ。

郷の至る所で怪我人が倒れていた。全員、命に別状は無さそうだ。不幸中の幸い。されど下手人を許す事などできない。

北の猟兵たちは暴走したリィンによって無力化された。目にも留まらぬ速さで得物を叩き斬り、昏倒させる早業だった。

血の海に沈んだシュバルツァー男爵。彼を助けようとした矢先、先程も見掛けた蒼い鳥が街灯の上に降り立った。

 

「結社の使徒かッ!」

「グリアノス。なら、ヴィータもいるわね」

「久し振りね、セリーヌ。元気にしてたかしら?」

 

蒼い鳥が一際甲高く鳴いた。

グリアノスと呼ばれた鳥の頭上に、見目麗しい女性が浮かび上がる。半透明で青白い。幻術か。もしくは魔女の秘術か。少なくとも術者は近くにいないなと結論付ける。厄介極まりない。

 

「お陰様で。アンタこそ長年ほっつき歩いて何してたのよ!」

「私には私の役割があるのよ。ねぇ、フェア」

 

ヴィータ・クロチルダ。青の深淵。

結社に於ける最高幹部『使徒』、第二柱。

民間人の保護を最優先とする遊撃士協会からしてみれば、犯罪組織である結社の最高幹部など天敵中の天敵と云える。

そんな女傑に名前を呼ばれた男は、心底不思議そうに首を傾げた。――演技でなければ。計画の内でなければ。

 

「俺を知ってるのか?」

「勿論。貴方は■■■■■だもの」

 

トヴァルは目元をひくつかせた。

ヴィータの声が、不規則に、散らばった。

聞こえた。鼓膜を揺らした。それでも意味が理解できなかった。何が起きたのか。今のも魔女の秘術とやらか。それとも結社特有の術式に因るものなのか。

警戒態勢を取りながら両隣を見る。

セリーヌはおろか、フェアも訝し気に目を細めていた。

 

「この世界から失われた言葉、か」

 

ヴィータだけ納得したように頷く。

妖艶な笑みを浮かべ、徐ろに手を差し出した。

 

「盟主がお会いしたいと仰られていたわ。私と共に来なさい、フェア・ヴィルング。彼らといても貴方の望みは叶わないわ」

「ヴィータ、コイツを連れて行くつもり!?」

「ええ。私も詳しい事情は知らないわ。それでも彼を救えるのは盟主だけよ、多分ね」

 

ヴィータとセリーヌが睨み合う。

フェア・ヴィルングは身動ぎ一つしない。

トヴァルは全員を視界に収めながら考える。ここまで蛇の使徒が勧誘するとは、本当に結社の構成員ではないのか。怪しい風貌、有り得ない出生、異常な実力。結社の執行者だとしても納得できる条件が整っているというのに。

1ヶ月でアルゼイド流の師範に打ち勝った実力は本物だ。その成長率の高さも。結社に導かれてしまえば巨大な敵となって帰ってくるだろう。

その前に始末する。

ヴィータに気を取られて、油断している今なら!

 

「断る」

 

大剣の切っ先はヴィータの影へ。

放たれた言葉は拒絶を示していた。

まさか断られるとは思っていなかったらしい。蛇の使徒は呆然としている。キョトンと。口も半開きである。

 

「理由は?」

「カンパネルラから聞いている。盟主とやらでも俺を救えないと。今更勧誘してきてもお断りだ」

「何ですって。カンパネルラから?」

「道化師か。お前、奴と会った事あるのか?」

「ええ、何回か」

「有り得ない。カンパネルラがそんな事を――」

 

風切音が鳴った。

蒼い鳥が飛び上がる。ヴィータの影が幾多にも揺れ動く。痺れを切らしたフェアが斬撃を飛ばしたらしい。鋭い一撃だった。正体不明の蒼い鳥を斬殺しようとする程に。

ヴィータ・クロチルダも察したようだ。

 

「どうやら交渉は決裂のようね」

「お帰り願おう、ヴィータ・クロチルダ。此方も忙しいんだ。手伝ってくれるなら感謝するが」

 

ヴィータは厳しい視線に晒される。

特にフェアの眼光には殺気が込められていた。

騙すな。邪魔するな。敵対するなら容赦なく斬る。

フェアの視線に気付いた蛇の使徒は、気まずそうに蒼い宝玉の付いた杖を振るった。

 

 

「アルバレア公爵の愚行、その埋め合わせだけしてあげるわ。でも、これで諦めたと思わないことね、フェア。私の計画に貴方は必要不可欠なのだから」

 

 



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六話   皇女混沌

 

 

 

 

ふと目が覚めた。

自然に起きた感じがしない。

何者かに強制的に覚醒させられた。

目だけで周囲を見渡す。人影無し。気配無し。明確な殺意、敵意、戦意を探索。いずれも周囲五百アージュ圏内から感知できない。

気のせいか。頭を振り、再び目を閉じる。

意図せずに感覚が昂っているのかもしれない。

無理もない。ため息を溢す。

今現在、温泉郷ユミルでまともに戦える人材は俺だけだ。猟兵もしくは結社の人間が攻め込んできた場合、最悪でもアルフィン皇女殿下を逃さなければならないという重責。これまでの輪廻で、初めて体験する皇族守護の任務。ドキドキ。心臓が煩い。久し振りに緊張している。

それでも。この緊張感は好ましかった。

地獄のような輪廻を体験しても、畜生に成り下がったのだとしても、俺はエレボニア帝国の珠玉たる皇族の方々に敬愛の念を未だ持ち続けているのだと確信できたのだから。

 

「ヨコセ、ヨコセ」

「我ノモノダ、スベテ」

「アァ、心地ヨイ」

 

喧しい声だ、相変わらず。

二ヶ月間、ひたすら鳴り響いている。

もう慣れた。人間とは慣れる生き物だと誰かが言っていた。アレは何回目の輪廻だったか。忘れたな。誰が口にしていたのかも。記憶の摩耗を意識すると酷く憂鬱になる。俺はいつまで自我を保っていられるのか。

集中しよう。座禅を組み直す。東方剣術、八葉一刀流の基礎にして真髄と呼べる『無念無想』の境地へ至る為に。高みを目指す為に。リィンから学べる所を学び尽くさないと。次のループでもきっと役に立つだろう。

早朝、リィンとトヴァルさんは灰の騎神と共にケルディック方面へ飛び立った。セリーヌ曰く『精霊の道』とやらを開いて。トリスタで離れ離れになってしまったⅦ組の仲間たちと再会する為に。

何もかもがスムーズだった訳ではない。俺とトヴァルさん、どちらがユミルに残るか。議論に議論を重ねた。勿論、家族を残していくリィンの意見も参考にしながら。皇女殿下の存在、北の猟兵という敵、結社の出方、ユミルの地理的条件。様々な要因を考慮して、アルゼイド流の剣士である俺に決まった。

トヴァルさんは悔しそうだった。

最終的に、リィン・シュバルツァーが俺の味方をしたからだと思う。1ヶ月もの間、アイゼンガルド連峰で魔獣と戦い続けた甲斐があったな。

 

「お腹すいたな」

 

瞑想すること約2時間。

太陽が中天へ差し掛かった。

昼飯時か。本能が空腹を訴える。

ゆっくりと瞼を開いた。眼下に広がる雪景色。温泉郷独特の匂い。好きだなと思った。永住したいという願望を抱かせる風景に一筋の煌めきが走った。目を凝らす。麗しい金髪を靡かせながら、帝国の至宝たるアルフィン皇女殿下が歩いていた。

この時間に何処へ?

まさか何者かに操られているのか。

畏れ多くも後ろ姿を凝視する。歩く姿に異常は見当たらない。ならば自らの意志で足を動かしているという事である。

何処に向かうのか。疑問が浮かぶ。

さりとて護衛対象を見失う訳にいかない。

座禅を解き、大剣を携え、跳び降りる。見晴らしの良い屋敷の屋根から雪の降り積もった白い地面へ難なく着地。10アージュからの高さでも怪我なく降りられた。順調に足腰が鍛えられている。満足げに肯く。この調子で鍛え続ければ、来年にも光の剣匠と肩を並べそうだ。

 

「皇女殿下?」

 

ユミルは小さな郷だ。

帝都ヘイムダルと比べれば尚更である。

故に見付けるのは簡単だった。

温泉郷の隅で佇む皇女殿下へ声をかける。

アルフィン・ライゼ・アルノール。皇帝陛下の息女はゆっくりと振り返り、まるで天使のように微笑んだ。

 

「あら、フェアさん」

 

痛々しい笑みだ。

思わず目を背けてしまう。

皇女殿下の気持ちは察するに余りある。

家族を置いて女学院から脱出。友人の親が治める領地に逃げ込み、無力感に苛まれながら内戦に振り回される祖国と民草を憂う。1ヶ月以上も。

皇女殿下に出来ることは少ない。貴女のせいではないと誰もが気遣う。だからこそ限界に近かったのだと推測する。

間の悪いことに先日の襲撃が重なった。

テオ・シュバルツァー殿は意識不明の重体。皇族所縁の地である温泉郷ユミルには火を放たれた。今も片付け作業に勤しむユミルの人々。表情に笑顔は有るものの、空元気なのは明白だった。

皇女殿下の心労は限界に達している。

それでも気丈に振る舞う。見事だと感心した。

皇族としての責任感からか。大器の片鱗からか。

俺は気付かない振りをした。

俺だけは普通に相対しようと思った。

 

「そろそろお昼時です。屋敷へ戻りましょう」

「ごめんなさい。どうやら探させてしまったようですね。お祈りを済ませたら直ぐに屋敷へ戻りますから」

「お祈り?」

 

問い掛けると、皇女殿下は弱々しく答える。

 

「はい。家族へ向けて」

 

なるほど。一人納得する。

皇女殿下が南方を眺めていた訳を。

内戦時、皇族の方々は皇城から追い出された。治安悪化の為と嘯き、別荘地の一つであるカレル離宮に幽閉されてしまった。今も貴族連合軍によって軟禁生活を送る日々。心配なのだろう。一心不乱に祈りを捧げている。

空の女神へ家族の無事を祈る。

自然な光景だ。教会に赴けば幾らでも見られる。

それでも皇女殿下が行うだけで、こんなにも静謐で、神秘的で、悲嘆に満ち溢れているものなのかと哀れんだ。

 

「ご安心を。皇族の方々はご無事です」

 

俺は力強く断言した。

何度も輪廻を繰り返したからこそ。どの世界線でも皇族の方々は内戦を乗り越えた。特にオリヴァルト皇子とアルフィン皇女は、絶望に項垂れる民草を勇気付ける希望の象徴として内戦を駆け抜けた。

皇女殿下は目を見開き、クスクスと笑った。

 

「ふふ、フェアさんは不思議な方ですね。まるで未来でも見ているかのように断言するなんて。少しだけ安心しました」

 

嬉しそうな表情に胸が痛む。

不十分な発言だった。訂正しなければならない。

 

「申し訳ありません、殿下」

「?」

「不確かな言葉でした」

「不確か、とは?」

「皇帝陛下、皇后陛下に手を掛ける不埒者はおられますまい。但し、セドリック皇太子殿下を利用する者が現れない、とは断言致しかねます」

「どうして、セドリックを?」

「皇女殿下、よくお聴きください」

 

基本的に帝国の内戦は2ヶ月で終了する。

驚くほど短期間で。泥沼の様相を見せずに。必要最小限の犠牲だけで決着を見る。短期決着に於ける重要な要素は、クロワール・ド・カイエン公爵の暴走である。

新兵器に対処できなかった正規軍の復活。対機甲兵用戦術の確立と各地に点在する重要拠点の奪取は、内戦が始まって以来優勢を保ち続けた貴族連合軍を劣勢に陥らせた。

帝都近郊まで攻められたカイエン公爵は、セドリック皇太子を人質に取ろうとする。未来の皇帝陛下に対して有り得ない愚行。そんなカイエン公爵を止めたのがリィン・シュバルツァーである。故にリィンは内戦を早期終結に導いた英雄であり、皇族の方々からも絶大な信頼を得るに至る訳だ。

多くの世界線でセドリック皇太子殿下は悲惨な目に遭う。一度だけ助けようとした。公爵の手から救い出そうと。結果として火炎魔人と遭遇。性根を焼き尽くすほどの焔で瞬く間に消し炭にされてしまった。

俺は皇女殿下へ説明する。

内戦に勝つ為の秘策。それは皇族を味方に付けることだと。特に、次代の皇帝と目されるセドリック皇太子を担ぎ上げれば勝利は約束される。貴族派が優勢を保てば、日和見を決め込む皇族周辺の人々もいずれ屈服する。皇帝陛下は聡明で屈強な方だが、セドリック皇太子は反発できないかもしれない。最悪の場合、セドリック皇太子を洗脳してでも神輿にしてしまうかもしれない。

現に内戦が1年以上続いた世界線。とある理由から、俺がルーファス・アルバレアを殺害した世界線だとセドリック皇太子の声明によって内戦は終結した。帝国中に流れる映像には、虚ろな眼を携えたセドリック皇太子の姿があった。

更に危惧すべき展開はもう一つ存在する。

 

「そんな――」

「帝国全土に散らばる正規軍が息を吹き返し、貴族連合軍が追い詰められてしまえば。貴族派の中心に座すカイエン公爵とアルバレア公爵、彼らに魔が差してしまえば」

「――セドリックは洗脳されてしまう、と」

 

首を縦に振る。

自信を持って肯定する。

皇女殿下は目を伏せる。顔面蒼白だ。スカートの縁を握り締めている。悔しそうに。悲しそうに。多少なりとも言葉を選んだ。語彙力の無さが恨めしかった。

皇女殿下には洗脳されるかもと言葉を濁したが、内戦終盤にセドリック皇太子が殺されてしまう世界線も実在した。アルバレア公爵の暴走である。どうしてそうなったのか、今でもわからない。大体の世界線だと、ケルディック焼き討ちを主導した罪でアルバレア公爵は捕まってしまうのだが。

 

「フェアさん」

 

名前を呼ばれた。

声音に覚悟が篭っていた。

力強い眼差し。蒼穹の瞳に決意が灯った。

思わず片膝を付く。首を垂れる。まるで騎士のように。

 

「はっ」

「どうすればセドリックを救えますか?」

 

難しい問いだ。

セドリック皇太子が最も救われる世界線。最も大事に至らない展開。それは内戦の短期決着以外に有り得ない。内戦終了後、長期間に及ぶ療養を強いられてしまうものの、七耀暦1206年にはトールズ本校に主席入学を果たすまでに回復なされる。可愛らしさから逞しさに変貌を遂げる。まるで別人のように。覇気に目覚めたように。

視線を上に向ける。皇女殿下の表情を視認した。

駄目だ。そんなもの慰めにならない。なり得ない。

皇太子殿下が壮健のまま内戦を終える。有っただろうか。有り得るのだろうか。少なくとも俺は経験したことが無い。セドリック皇太子の悲惨な結末を回避したことが一度たりとてなかった。

 

「ならば」

 

質問を変えます、と皇女殿下は告げる。

 

「私は、どう動けばいいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルフィンは静かに待った。

眼前に跪くフェア・ヴィルングの答えを。

どのようにすれば。どのように動けば。双子の弟であるセドリック・ライゼ・アルノールを救えるのか。

何故か尋ねてしまった。

どうしてだろう。ふと疑問に思った。

彼とは先日会ったばかり。碌に会話もしていないのに。目は虚ろで、口数は少なく、達観した雰囲気から近寄り難い印象を持っていた。

アルティナと呼ばれる少女から助けてもらった。誘拐を防いでもらった恩がある。それでも親しみやすいリィンに問い掛けるべきだった。

親友であるエリゼの兄君。誠実で、格好良く、笑顔の眩しい殿方。初対面の時から惹かれた。心臓がギュッと締め付けられた。

初恋なのかもしれない。

そんな殿方を差し置いて、アルフィンはフェア・ヴィルングに問い掛けた。今後の進退に関わる重要事案を。皇女としての振る舞いを。貴族派に幽閉された家族の助け方を。

更に数秒待つ。

遂にフェアは視線を上げて、重い口を開いた。

 

「二つ、方法があります」

「お聞きします」

 

頷いて催促する。

 

「一つは、皇女殿下が貴族派に味方する事です」

「カイエン公爵を支持しろと?」

「はっ。貴族連合軍の威勢が轟いている今、皇女殿下が貴族派に付けば、抵抗を続ける正規軍の士気を一気に挫く事が可能でしょう。正規軍さえ降伏すれば内戦は終わります。皇族の方々も幽閉から解き放たれましょう」

「北の猟兵を雇い、この地を襲撃したアルバレア公爵の愚行すら肯定することになりませんか?」

「ご賢察の通りかと」

「それは私を匿ってくれる彼らへの冒涜です!」

 

帝国を二分する内戦が早期に終わる。

それは戦乱に喘ぐ民草にとって救いとなる。平和が訪れ、愛する人を失う悲しみから解放される。良い話だ。おそらく大多数の国民から支持される選択肢だろう。

だが、代わりにユミルの人々を失望させる。単身で北の猟兵を相手に奮戦し、今も目を醒さないテオ・シュバルツァーの忠義に泥を塗ることになる。

許されない。

アルバレア公爵には罪を償ってもらう。

 

「もう一つは、茨の道となります」

「茨の道、とは?」

 

不吉な単語に眉をひそめる。

一礼したフェアは、簡潔に案を述べた。

ガレリア要塞にて抵抗を続けているであろう第四機甲師団に合流。つまり正規軍に味方する。皇女殿下自ら旗頭となり、第四機甲師団を中心とした正規軍で帝都を奪還。皇族を解放する。貴族連合軍を打ち倒す。

言葉にすれば簡単である。当然ながら幾つもの不安要素がある、とフェアは付け加えた。

果たして第四機甲師団が持ち堪えているのか。反攻を開始できるほど戦力が足りているのか。順調に進んだとしても、貴族派がセドリック皇太子を担ぎ上げる可能性も必然的に高まる。その前に帝都を奪還できるのか。アルバレア公爵とカイエン公爵の影響力を小さくできるのか。

 

「皇女殿下が自ら動かずとも、あと一月で内戦は終わりましょう。ご家族が心配だとしても、ご辛抱なされるのが最善かと思われます」

 

恭しく頭を下げるフェア。

確信を持って口にする驚愕の言葉。

あと一月で内戦が終わる。今にも泥沼に陥りそうな戦乱が。僅か一月足らずで終焉する。信じられない。一体どのような根拠があるのか。証拠を見せてみろ。

罵声は喉元までこみ上げた。

だが、アルフィンはふと気付いた。

フェア・ヴィルングは逃げ道を用意したのだと。

アルフィンは動かなくていい。温泉郷で匿われていればいい。帝国の民草に祈りを捧げるだけでいい。何故なら彼女は未だ15歳なのだから。

馬鹿にされた、と思ったのは何故なのだろうか。

 

 

「フェア・ヴィルング」

 

 

気付けば彼の名前を呼んでいた。

内戦の終わりを待ち続けるなんて御免だ。

家族の無事を祈り続けるなんて不毛すぎる。

頭は『混沌』と化していた。

心は『闘争』で満ちていた。

アルフィンはフェアの肩に手を置いた。

 

「私は内戦に介入します」

 

だからと一拍。

 

 

 

「貴方も手伝ってくださいますね」

 

 

 

疑問形ではなかった。

肯定以外を認めない断固とした強さがあった。

 

 

 

 








分岐その二。
イシュメルガとニャル様が絶賛応援中。
何故かアルフィン皇女がヒロインみたいになってしまった(お目目グルグル)







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七話   黄金哄笑

 

 

 

 

 

「皇女殿下を誑かした愚か者が!」

 

ノルド高原と帝国の国境門である『ゼンダー門』の地下深くにて、第三機甲師団を預かる隻眼のゼクスが大喝した。

終わらない輪廻を繰り返す俺からしたら見知った顔だ。特に恐怖を感じない。ヴァンダール流の修業だと毎日怒鳴られた。今更である。一喝された所でそよ風にも劣る。涼しい顔で応えた。

 

「皇女殿下の意思を尊重したまで」

 

手足に嵌められた枷が鬱陶しい。

地下牢へ幽閉された際に導力器は没収された。枷と壁を繋いである鎖は特注品らしい。どんなに力を込めて暴れても不愉快な金属音を撒き散らすだけ。捕まった経験は数多くある。未だ慣れない。面倒だなと辟易する。

そもそもどうしてこんな事になったのか。

アルフィン皇女殿下が内戦に介入すると決意した日の夜、リィン・シュバルツァーがユミルに帰還した。元猟兵の少女に紅毛の息子、更に帝都知事の息子を引き連れてだ。面子が豪華すぎないか。

ガレリア要塞でクレアさんと出会ったらしい。元気だったと聞く。クレイグ中将の薦めもあったようだが、フェア・ヴィルングの存在を忌避したのか、ユミルに来訪する事はなかった。第四機甲師団の立て直しに尽力するとの事。鉄道憲兵隊も同様である。

妥当だなと肩を竦め、助かると喜んだ。クレア・リーヴェルトの導力演算器並みの頭脳があれば、第四機甲師団は他の世界線同様に双龍橋を攻略するだろう。俺は必要ない。むしろノルド高原に展開している第三機甲師団へ参加するべきだ。数多の世界線で帝都近郊まで侵攻した第三師団でも目的は達成できる。

皇女殿下が内戦に介入する。全員が反対した。危険を犯す必要などない。内戦が終わるまで温泉郷に隠れていればいいのだと。エリゼも、リィンすら声を大にして。何時間も掛けて。ユミルで安全に過ごしてもらう為に。それでも皇女殿下の決意は変わらず、七耀暦1206年12月2日にノルド高原へ赴く事になった。

 

「君側の奸め。殿下の意思を曲解したのだろう」

 

七耀暦1204年12月3日。

石造りの牢屋は凍えるほど肌寒い。

鉄格子の向こう側で仁王立ちする帝国軍人、ゼクス将軍は唾棄するように吐き捨てた。

君側の奸か。主君を惑わす悪。事実だな。そういう面は多分にある。アルフィン皇女殿下を内戦に介入させてしまった。本意ではない。危険が増すだけだ。わかっているとも。これでも皇族の方々に対する敬愛は持ち合わせているのだから。

皇女殿下が正規軍に味方すると決めた時、歪な気配を感じた。存在X、もしくは存在Yか。意図は不明である。嘲笑っていたのか。感心していたのか。きっと前者だ。侮蔑している雰囲気だった。

だが、とゼクス将軍を睨む。

自らの手で囚われの家族を救いたい。皇女殿下の願いは本物だ。どこまでも純粋だった。脆く儚い願望を叶えてやりたいと思った。

 

「曲解しているのは貴方です、ゼクス将軍」

 

元々は貴族派と革新派による政争。互いの軍事力を行使した結果、内戦という業火は帝国中に燃え広がった。利権を争う醜悪な戦い。国力を低下させるだけ。無意味な争いだ。皇族を巻き込むだけでも心苦しいのだと思う。

特にゼクス将軍はヴァンダール姓を持つ。アルノール家の守護者と呼ばれる一族の一人だ。心境は察する。理解できる。納得しないけど。

 

「堂々巡りだな。時間の無駄だ」

 

隻眼の覇気。鋭利さを増した。

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

「お互いの認識に齟齬があるようですね」

「黙れ。事実は一つだ。貴様は殿下を戦場にお連れした。危険に晒した。故に処刑されねばならない。わかっておるのか?」

 

超法規的措置による極刑か。

皇族を誑かした愚か者。末路としては悪くない。時期も許容範囲内だ。死んで目覚める。同じ流れを繰り返そう。アルゼイド流の門を叩き、アイゼンガルド連峰でリィンを待ち、セリーヌと契約を交わそう。

――ふざけるな。

俺自身を罵倒する。

下らない。心底詰まらない。

今回の輪廻は何処か楽しかった。初めての体験だらけだったから。地獄を終わらせる契機に繋がると期待していたから。結局この様だ。次のループは退屈な物になる。未来を知っている。この世で最も下らない。口の端を吊り上げる。

 

「お言葉を返すようですが。皇女殿下を護る為に私は此処にいます。わかっているのですか?」

 

無知を嘲笑。わざと挑発した。

目を細めるゼクス将軍。腰に携えてある剣に手が伸びそうになった。行けるか。力を試す流れに持ち込めばこっちの物だ。実力は負けている。奇策を用いても勝てない。だが持ち堪えられる。利用するだけの価値があると認めさせる。

 

「――ほう。腕に自信があるようだな」

「試してみますか?」

「下らぬ挑発だ。必要なかろう」

「そう、ですか」

 

無理か。ダメだった。内心で肩を落とす。

諦めよう。今回の輪廻は此処までだ。

やり直す。繰り返す。憂鬱だ。面倒だ。それでも走り続けると決めている。自我を保て。目的を忘れるな。次だ。次こそ鍵を探し出す。鼓舞した心に灯る炎は、今にも消えそうな緩火だった。

 

「恐ろしくないのか?」

「何がです」

「処刑される事だ」

「特に恐怖は感じません」

 

処刑など慣れている。

劇薬で溶かされた。炎で炙られた。生き埋めにされた。首を絞められた。引き裂かれた。杭を打たれた。溺死させられた。脳みそを掻き回された。

これまで駆け抜けたループにて、何度も何度も多種多様な方法で殺されている。今更な話だ。興味も湧かない。何も考えず受け入れる。

ゼクス将軍が息を呑んだ。

憤怒から憐憫に切り替わった。

 

「狂っているな」

「否定しませんよ」

「何があった?」

「答えても無意味です」

「無意味かどうかは此方で判断する」

「――――」

 

黙秘権を行使する。

事実を伝えても変わらない。意味などない。信頼に足る仲間に教えても気が狂ったのだと蔑まれるだけだった。憐まれた。嫌悪された。良い医者を紹介すると突き放された。もう諦めた。

味方はいない。理解者もいない。俺は独りだ。

数秒間、静寂に包まれた。

ポツリ。ポツリ。水の滴る音だけ響いた。

 

「まぁ良い。貴様の末路は変わらぬ」

 

ゼクス将軍は嘆息した。

踵を返す。見慣れた軍服が視界を踊った。

地下牢から出る間際、後ろ姿に声を掛ける。

 

「殺す時は一思いにお願いします」

 

予想外の言葉だったらしい。

ゼクス将軍が足を止めた。ドアノブから手を離した。ゆっくりと振り返る。呆れた様子だった。顔を顰める。重々しく口を開いた。

 

「安心しろ。銃殺刑だ。即死だろうな」

「感謝します」

 

素直に頭を下げる。有り難い。銃殺が最も好ましかった。痛くない。苦しくない。無駄に長い走馬灯も体験せずに済む。

鼻で笑われた。面白そうに微笑んだ。

 

「処刑される人間から感謝されるのは初めてだ」

「貴重な体験ですね」

「笑わせるな、痴れ者が」

 

地下牢に笑い声が響く。

滅多に笑わない寡黙な男。武術と兵法の申し子。皇族に絶対の忠誠を誓う武人。剛毅さの象徴であるゼクス将軍の哄笑は楽しくも悲しげだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼクス・ヴァンダールは紛れもない名将だ。

第三機甲師団の誰もが信頼する師団長である。

内戦が始まって以来、1ヶ月以上に及ぶ挟撃を耐え忍んだ。とある理由から導力通信が扱えない危機的状況に於いても防衛戦を完遂した。

監視塔に設置されていた通信妨害装置を停止させたリィン・シュバルツァーたちの活躍もあり、帝国本土から侵攻するノルティア領邦軍を撃退。最大の窮地を打破する。軍人の士気は高く。対機甲兵用戦術も確立。帝都へ向けて進軍を開始しようとした矢先、見たことのない金色の機甲兵と大規模な領邦軍が現れた。

即座に指示を下す。防衛戦で使い倒した戦車を無理に稼働させる。エンジンの焦げ付いた臭い。砲身は限界。歪な音も響いている。性能は格段に落ちているだろう。どこまで戦えるか。

ゼクスはアハツェンの上に仁王立ち。黄金の機甲兵と真正面から対峙する。勝てるか。難しい。地の利を活かす。それでも防衛に徹するのが精一杯だと判断。何故なら相手は『黄金の羅刹』なのだから。

 

「我が師よ、久しいな」

 

懐かしい声音が戦場に轟いた。

オーレリア・ルグィン。ルグィン伯爵家当主にして、帝国剣術二大流派を若くして極めた鬼才。向上心の塊で、槍の聖女リアンヌ・サンドロットを超えると常日頃から宣言する猛者である。

以前はゼクスの弟子。そして現在、貴族連合軍に於いて常勝無敗の軍神と化していた。難敵だ。手の内を知り尽くされている。

何故やって来たか。意図は察した。

敵味方全員に聞こえるような大音量で、オーレリアは快活に笑う。女傑に相応しい猛々しさだと思った。

 

「ご壮健なようで何よりだ」

「帝国西部で暴れていると聞いていた」

「西部はウォレスに任せてある」

「『黒旋風』か。貴女の片腕だったな」

「頼りになる男とだけ称しておこう」

 

打てば響く言葉の応酬。

敵対していると思えない気安い口調。

多数の機甲兵部隊と戦車部隊が真正面から睨み合う一触即発の事態にも拘らず、互いの司令官は久闊を叙する師弟のように粛々と言葉を交わし合った。

それも此処まで。

ゼクスは丹田に力を込める。口火を切った。

 

「――。して、再会の挨拶に来られたのかな?」

「無論、違う。我が師ならば察しておられよう」

「カイエン公が痺れを切らしたか」

「音に聞こえし第三師団を壊滅させる。抵抗を続ける正規軍の心を折るだろう。だが、それだけではない」

「ほう」

「とある筋から信じられない情報が飛び込んだのだ。我が師よ、アルフィン皇女殿下を匿われているそうだな」

 

戦場に緊張感が走った。

やはりか。舌打ちしたくなる。

オーレリアの声質には絶対の自信があった。ゼンダー門にアルフィン皇女がいると確信している。

何処から漏れたのか。該当する人物は一人しかいない。フェア・ヴィルングなる男。皇女殿下を誑かした不埒者。明日処刑される予定の大罪人だ。

当然ながらアルフィンは激怒した。フェア・ヴィルングを解放しろと。彼は私の為に道を示してくれたのだと。以前の可憐さは消えていた。ゼクスへと詰め寄ると声高に非難した。

それでもゼクスは処刑を強行する。

アレは異常だ。此処で芽を摘むと決めた。アルフィン皇女の反感を買おうとも。何よりも剣士としての勘を信じた。

 

「保護させて貰っている」

 

誤魔化せない。否定できない。

ゼクスは神妙な表情で頷き、簡潔に答えた。

 

「無理に担ぎ上げようとでも?」

「戯言を。私を侮辱するのか!」

 

思わず唸るような声が漏れた。

皇族を利用する。有り得ない。ヴァンダール家はアルノール家を護る為に存在する。危険に晒すなど言語道断。唾棄して然るべき愚行だ。

指向性を持った敵意に、オーレリアは苦笑する。

 

「そう判断されても仕方なかろう。帝国各地の正規軍は劣勢。頑強に抵抗を続ける師団は第三、第四、第七ぐらいだ。皇族の方々を担ぎ上げようと画策してもおかしくない」

「カイエン公に皇女殿下を引き渡せと言うのか」

「カレル離宮にて保護させて頂く」

「堕ちたな。その絶佳の剣、斯様な事に振るうとは」

「何とでも。我々は皇女殿下を護る為に派遣された一軍。我が師、疾く失せよ。これが最後通告となる」

 

黄金の機甲兵が突き付ける大剣。

動きに澱みなく。意志に綻びも見当たらない。

ゼクスは悩んだ。勝てないと気付いたからだ。地の利を活かしても必敗となる。黄金の機甲兵はシュピーゲル。オーレリア専用に調整されている。満身創痍の戦車部隊では太刀打ちできない。第三機甲師団は壊滅するだろう。帝都奪還は儚く散り行く。

歯を食いしばる。

皇女殿下を渡すなどできない。

カイエン公爵に利用されるだけだ。

護らなくては。何としても。帝国軍人の誇りに掛けて。

 

「全軍、双頭竜の陣!」

「是非もなし。良い機会だ。ヴァンダールより学びし剣は、師たる貴方を倒すことで証明させてもらおう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両軍がぶつかる事、1時間。

ゼクス・ヴァンダール率いる第三機甲師団は劣勢に陥っていた。無理もない。碌に整備もされていない戦車と装甲車で戦っているのだから。小一時間戦線を維持できただけでも勲章物だとオーレリアは感嘆した。

砲弾を躱す。大剣を振るう。戦車を薙ぎ払い、装甲車を両断した。包囲殲滅を仕掛ける部隊を牽制する。戦車の数は目に見えて減った。士気も落ちた。勝負を仕掛けるなら此処か。オーレリアは単身で突喊する。

気合を入れ直す。操縦桿を強く握り締める。

戦場を駆け抜ける黄金の閃光。立ち塞がる戦車を斬り捨て、装甲車を一蹴する。三方から一斉に放たれた砲弾。視認した。問題ない。大剣を真横一閃。全て斬り落とす。狙い通りに。

 

「化物かッ!」

「これが、黄金の羅刹」

「どうした、貴様ら。それでも音に聞こえし第三師団か。このままではゼクス将軍を討ち取られてしまうぞ?」

 

高らかに哄笑する。戦車部隊が慄いた。

血が滾る。楽しい。楽しいぞ。久し振りに歯応えのある戦場だ。もっとだ。もっと楽しませろ。槍の聖女を超えるのだ。最強へ至る為に。圧倒的な武勲を積み重ねる。

ひたすらに前へ突き進んだ。

ゼクス・ヴァンダールが見えた。眼前にいる。眉間に皺を寄せていた。見慣れた顔だ。これが最後だと目に焼き付ける。

大剣が届く距離。目測で五アージュ。操縦桿を動かす。黄金の機甲兵が操縦者の意志に従った。機械の豪腕が唸り声を挙げる。得物が振り下ろされる。

 

 

「――――」

 

 

獲った。師を討ち取った。

タイミングは完璧だった。手加減もしていない。確実に斬殺した筈だ。本当なら。何者かが干渉していないのなら。ゼクス・ヴァンダールを失った第三機甲師団は壊滅した筈だ。

落ち着け。呼吸を整える。

オーレリアは静かに問い掛けた。

 

「貴様、何者だ?」

 

オーレリアの一撃を受け止めた機甲兵。形状からドラッケンだと判断する。量産された汎用機甲兵。特殊な機能など装備されていない。特徴は扱い易いだけ。見るからに専用のチューニングもされていない。

恐らく第三機甲師団が鹵獲した機体だろう。

此処までは理解した。簡単だった。

だが、どうやって。黄金の羅刹が放った剣撃を受け止めたのか。

機体の性能差は計り知れない。操縦者の技量も天地を隔てている筈だ。

なのに防がれた。いとも容易く。オーレリア・ルグィンをして目を剥く光景だった。

 

 

 








盟主「私は味方です」






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八話   黒の騎士

 

 

 

 

 

 

現代に蘇った騎士人形がぶつかり合う。

黄金の輝きに彩られた専用機。片や裂傷痕すら残る薄緑色の汎用機。機体性能は歴然。黄金の機甲兵が勝っている。だが、押し切れない。

オーレリアは舌打ちする。

己の不甲斐なさに。慢心していた心に。

苛立ちから操縦桿を強く握る。ミシミシと凹ませる音がコックピット内に響いた。これ以上は駄目だとわかっている。

一呼吸する。目を閉じた。

冷静になれ。理性が忠告する。

激昂しろ。本能が背中を押した。

一拍。勝負はついた。

理性を優先。一軍の将である事を思い出す。

 

「ふぅ」

 

視界が広がった。辺りを見渡す余裕が生まれる。二機を中心として半径250アージュ圏内は空白地帯になったようだ。戦闘に巻き込まれたらしい機甲兵と戦車の残骸が、法則性など無視して彼方此方に散乱している。

いつの間にか両軍とも固唾を呑んで二機の戦いを見守っていた。気持ちはわかる。特に貴族連合軍の将兵は信じられないと目を見張っていることだろう。

突如現れたドラッケン。黄金の羅刹と互角に斬り結ぶ異端者。有り得ない光景だが、既に10分以上も単機で黄金の機甲兵を食い止めている。

戦場の空気は一変した。貴族連合軍の優勢は変わらずとも、勝利を確信する雰囲気は見事に一蹴されてしまった。

全ては謎の兵士によって。

 

「黄金の羅刹が命ずる。名乗れ」

 

一旦、距離を置く。仕切り直しだ。

久し振りの緊張感。溢れ出た額の汗を片手で拭う。

改めてドラッケンを観察する。

様々な場所が痛んでいた。見るからに整備不十分だ。鹵獲された際に出来たと予想する裂傷痕も直っていない。継ぎ接ぎだらけである。

心底から感嘆する。未だ知らぬ猛者の技量に敬意を示した。故に許す。黄金の羅刹に名乗る事を。

 

「――――」

 

無視である。

片手を用いて挑発してくる有様だ。

クイクイと。攻めてこいと手招きする。

空気が凍り付く。数秒、戦場は沈黙に包まれた。

此処まで露骨に挑発されたのは久し振りである。さりとて憤りなど湧いてこない。怖いもの知らずめ。思わず破顔した。

 

「戯け。何故名乗らぬ。何が不満だ?」

「貴女に目を付けられない為だ」

 

聞き覚えのない男の声。

適当で。抑揚なく。平坦な声音だった。

該当する人物を探してみる。強者を限定して検索を開始。駄目だ。見つからない。黄金の羅刹と互角に斬り結べる帝国人など片手の指で数える程度しか存在しない。機甲兵の操作にも精通しているとなれば更に対象は限られる。

謎の男。凄腕の剣士。童女のように心躍った。

 

「ほう、面白い男だ。このオーレリア・ルグィンに名前を覚えてもらう良い機会だぞ。捨てるには勿体なかろう」

「戦闘狂に付き合う義理など持っていない」

 

想像していなかった返事に大笑する。

 

「気付いておらぬのか?」

「何がだ」

「貴様も同じ穴の狢であろうに」

「――――」

「自覚済みか。当然だな。私と貴様は同じだ」

 

オーレリアは最強を目指している。

故に帝国剣術の二大流派を極めた。

槍の聖女を超えるのは一種の通過点だ。

ひたすら高く。どこまでも遠く。終わりのない高峰を登り続ける。身体が動かなくなるまで。死する時まで。自らの限界に諍うと決めている。

そんなオーレリア・ルグィンを戦闘狂と称するなら、彼女と互角に斬り結んだ男も同じく戦闘狂と呼べるだろう。

アルゼイド流とヴァンダール流を修めたという共通点も存在する。似た物同士だ。理由は異なるとしても最強を求め続ける求道者と云えよう。

 

「一緒にするな」

「アルゼイドとヴァンダール。二大流派を修めているだろうに。食えない男め。ヴァンダール流の師は誰だ?」

 

戦場がどよめいた。

それ程までに信じられないのだ。

二大流派を修めたとされる人物は、長い帝国史に於いてもオーレリア・ルグィンのみ。同じ大剣を扱う流派でも『根本』が異なる。水と油に近い。

アルゼイド流を極めながら、ヴァンダール流を研鑽する。ほぼ不可能な所業。だからこそオーレリアは鬼才と呼ばれ、槍の聖女を超えると嘯いたとしても誰も非難しない。最強へ至れる可能性が高いのだから。誰も為し得なかった結果を残しているのだから。

 

「いない。今生では独学だな」

 

男は皮肉げに答える。

全てを理解した訳ではない。

戦場でなければ問い質していた。今生とはいかなる意味か。ヴァンダール流を独学で修得したとはいかなる了見か。知りたい。聞かせろ。求道者の仲間として朝まで語り合いたい。

 

「気に入ったぞ。貴様を私の物にする!」

「俺は貴女が嫌いだ」

「そう言うな。とことん付き合ってもらうぞ!」

 

直向きな想いは機甲兵を走らせた。

胸に湧く純粋な興味。同族と相対した高揚感。

黄金の機甲兵が輝いた。

比喩ではない。

オーレリアの想いと呼応するように。闘争の理念に埋没するように。大いなる呪詛を寿ぐように。

何者かが『戦え』と囁く。

何者かが『奪え』と紡ぐ。

剣撃が衝突する。鈍い音が轟いた。

鍔競り合いは一瞬だけ。受け流された。機体が交錯。右足を軸に振り返る。剣先で地面を削りながら振り上げる。

狙いは一緒だった。タイミングも同様である。

謎の男はオーレリアの剣筋を見極めている。機体を壊さないように受け流す。やはりか。謎の男はオーレリアよりも機甲兵の扱いに長けている。

このまま続けたとしても勝てない。

負けないだろう。だが勝ち切れないのも確かだ。

 

「あぁ、邪魔だ!」

 

それよりも腹立たしい。

何者かに干渉されている。

誰だ。邪魔だ。何処かに行け。

気合一喝。羅刹の本性を知るがいい。

オーレリアは胸を締め付ける『何か』を容易く振り払った。驚愕に揺れる昏い気配。この羅刹を思い通りに動かそうなどと調子に乗るな。

黄金の輝きが止んだ。

闘争に塗れた視界が開ける。

消耗戦を続けるか。それとも出直すか。

 

「貴様、第三機甲師団に属しているのか?」

「明日には処刑される身だ」

 

涼しげな声で答える男。

他人事である。明日までの命だというのに。

剛毅なのか。それとも命に頓着しない質なのか。

どちらにしてもオーレリア好みだ。是が非でも手に入れたい。将来の婿候補でもある。機甲兵の片腕を差し出す。本気で勧誘する。

 

「私と来い。我が片腕として貴様を厚遇しよう」

「断る」

「何故だ」

「貴族派と馴れ合うつもりはない」

 

謎の男はオーレリアの勧誘を撥ね除けた。

明日死ぬとしても、正規軍から嫌われているとしても揺るぎない鉄血の意志。初志貫徹する気概は大変好ましい。

ならば答えは決まった。

覚悟を決めた男に同情も憐憫も必要ない。

薄緑色の機体から溢れ出る『黒色の靄』を見据えて、オーレリア・ルグィンは大剣の切っ先を突き付けた。

 

「私と再び剣を交わすまで生き残るが良い、黒の騎士よ」

「黒の騎士?」

 

頓狂な声を出す謎の男。

オーレリアは快活に笑った。

 

「そなたの渾名だ。幾ら名前を尋ねても教えてくれぬのだ。私自ら名付けようと思ってな。喜ぶが良い」

「やめてくれ」

「ではな、黒の騎士よ」

「おい!」

 

皇女殿下を奪取する。

貴族連合軍主宰であるカイエン公爵の目論見だ。

アルバレア公爵との主導権争いに終止符を打つために。正規軍が皇族を担ぎ上げる可能性を完全に消すために。万が一にも失敗しないように常勝不敗の軍神を派兵した。

戦略的に間違っている。此処で退いてしまったら貴族連合軍は敗北するだろう。刻一刻と腕を上げる目の前の男に蹂躙されてしまう。

だが、オーレリアは『未来』を見た。

内戦の先を。漆黒の先を。黄昏の先を。

闘争という概念を内包する混沌の未来を。

 

「殿は私が行う。ルーレ市郊外まで退却せよ」

 

さりとて簡単に勝たせない。

帝都まで進みたいのなら羅刹を倒すのだな。

当然のように追撃する第三機甲師団を単機で押し留めたオーレリア・ルグィンは、機甲兵部隊から一人も落伍者を出さずにルーレ市郊外まで撤退した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーレリアと一騎討ちした翌日。

唐突に石造りの地下牢から解放された。

名前も知らない帝国兵に引き摺られ、ゼクス将軍の部屋に赴く。道中は針の筵だった。色々な感情が突き刺さる。嫌悪、恐怖、畏怖、困惑。ネガティブな物ばかり。気付かない振りをした。反論するのも馬鹿らしい。

目的地にはアルフィン皇女殿下もいた。ゼクス将軍の側に佇んでいる。目が合う。皇女殿下が嬉しそうに微笑んだ。胸の前で小さく手を振る仕草に首肯で応える。

 

「ご苦労だった、ライエル少佐」

「はっ。失礼致します、中将閣下」

 

一礼後、退室するライエル少佐。

扉が完全に閉まる。密室になった。

 

「お疲れ様です、フェア」

 

皇女殿下に近付かれた。

満足にシャワーも浴びていない。汗を掻いていないにしても無臭とはいかない。匂うだろうに。即座に離れようとする。外套を掴まれた。驚くべき早業だった。

 

「皇女殿下もご機嫌麗しく何よりです」

「フェアのお蔭です。昨日はお手柄でしたね」

 

オーレリアを単機で止めた事か。

誰も彼もが驚く。有り得ないと慄く。

俺は首を捻る。現時点なら難しい話ではない。

機甲兵は新概念の兵器である。如何に黄金の羅刹でも掌握するには時間が掛かる。特に操縦技術は一朝一夕で身に付く物ではない。

時間が経てば経つ程、オーレリアは強くなる。

あの女の天才性を考慮すれば来年には勝てなくなるだろう。

モタモタしていられない。一刻も早く二大流派の真髄を極めなければ。皇女殿下との契約を果たす為に。

 

「羅刹殿を討ち取れなかった己の力量を恥じるばかりです」

「常勝不敗の軍神を敗北させたのでしょう?」

「無駄な消耗戦へと陥る前に仕切り直しただけかと」

「また来るのですか?」

「その可能性は高いと思われます」

 

羅刹の名に相応しい苛烈さ。

護ることよりも攻めることを好む。

皇女殿下の御賢察通りだ。再び押し寄せる可能性は非常に高い。厄介な相手である。攻撃は最大の防御を地で行く武人。勘弁してくれ。

第四機甲師団と共に帝都へ進撃する為にも、短期間でオーレリアを撃破しなくてはならない。難易度が上がってしまった。

 

「大丈夫ですか?」

 

小首を傾げる皇女殿下。

青い双眸が不安に揺れる。

俺は鷹揚に頷いた。胸を叩く、

 

「ご安心を。次こそ羅刹殿を討ち取ります」

「『黒の騎士』の名に懸けて?」

「――お戯れはおよし下さい、皇女殿下」

「カッコいいですよ?」

 

皇女殿下の流し目は艶やかだった。

悪戯っ子のような笑みも歳相応だった。

俺は嘆息した。頬を指で掻く。皇女殿下相手だと不満を口にする訳にいかない。内心でオーレリアを罵倒した。

名乗らなかった俺が悪いのかもしれない。

偽名でも使えば良かったのかもしれない。

黒の騎士という渾名も付けられなかっただろう。

それでも名前を偽るなど出来なかった。最後まで残るであろう『俺』という証。フェア・ヴィルングという名前を虚ろな物にしてしまう事だけは。

 

「殿下、彼も困っておりましょう」

 

ゼクス将軍が苦笑いを浮かべる。

助け舟に感謝する。

皇女殿下は反論せずに一歩下がった。

 

「四日振りだな、フェア・ヴィルング」

 

昨日の件は含めていないのか。

皇女殿下に知られたくない。そんな所だな。

敢えて蒸し返す必要もない。

それよりも、尋ねたいことがあった。

 

「昨日の戦闘で傷を負われたと聞きました」

「擦り傷だ。気にするな」

「将軍閣下は第三機甲師団の支柱。ご自愛すべきかと」

 

オーレリアの強襲にて、第三機甲師団の装備は一層乏しくなった。笑えないほど。現に今も整備班が死に物狂いで共食い整備を敢行している。

性能通りに動かせる戦車は二桁を切った。装甲車も似たような状況だ。鹵獲した数機の機甲兵も操縦者が居なくては宝の持ち腐れ。何処かで機甲兵機と武器弾薬を補充しなくてはならない。

 

「オーレリア将軍と戦うことになったのだ。無理もする。いや、無理できる現状を幸運に思うべきだろうな」

「私は皇女殿下の意志に応えたまでです」

「お主を地下牢から解き放ち、鹵獲していた機甲兵を与えたのが皇女殿下の御意志だと聞き及んでいる」

「ゼクス将軍、その件に関してフェアを責めるのは筋違いですよ」

 

ゼクス将軍を睨む皇女殿下。

醸し出される覇気は武人にも劣らない。

 

「勿論です。フェア・ヴィルングを責めるつもりはありませぬ。我々が彼に助けられたのは事実ですからな。しかしお咎め無しとは行きますまい」

「処刑は撤回された筈です!」

 

皇女殿下が机を叩く。

見開かれた瞳は闘争を秘めていた。

ゼクス将軍は立ち上がる。主君である皇女殿下を押し退けた。尚も詰め寄ろうとした彼女を片手で留める。眉間に皺を寄せて、俺の眼前に仁王立ちした。

 

「黄金の羅刹を食い止めた功績を以って、機甲兵を無断で操った事を不問とする。構わぬな?」

 

腹の底に響く低い声で沙汰を言い渡した。

 

「寛大なる処置に感謝します」

 

恭しく頭を下げる。

此処はゼクス将軍を立てる一手だ。

皇女殿下との約束を果たすためにも。

 

「改めて問おう。お主は共和国の間者ではないのだな?」

「ええ」

「貴族連合軍のスパイでもないな?」

「はい」

「帝国と皇族に忠誠を誓うか?」

「無論。アルフィン皇女殿下の名に懸けて」

 

ゼクス将軍の抱いた危惧は理解していた。

唐突に始まった内戦という有事。帝国各地の正規軍は劣勢で、主敵である貴族連合軍は共和国と手を結んでいる。其処に行方不明だった皇女殿下を連れてきた見るからに怪しい風貌の男。調べてみれば内戦直前に第六機甲師団も辞めている。

民間人と云えども処刑を断行する余地は十二分に存在した。戦後に非難されたとしても後顧の憂いを断つべく、ゼクス将軍は相当の覚悟で処刑という判断を下したのだ。例え皇女殿下の意志に背くとしても。フェア・ヴィルングの命を断つことが皇族の未来に繋がると考えたから。

今でも怪しく思っている筈だ。

それでも皇女殿下の強い意志に加えて、羅刹と互角に戦える存在として明日も生きることを安堵された。

 

「ならば過去を問わぬ。お主を第三機甲師団に迎え入れよう。鹵獲した機甲兵も預ける。その卓越した技量、期待しているぞ」

 

肩を優しく叩かれた。

右手から伝わる期待の色。

嫌悪の視線で見られないだけ救われるな。

 

「承知致しました。必ずやご期待に添いましょう」

 

うんうんと皇女殿下が嬉しそうに頷いていた。

 

 

 








灰色の騎士←灰の騎神ヴァリマール(カッコいい)

蒼の騎士←蒼の騎神オルディーネ(カッコいい)

黒の騎士←黒い闘争と黒い混沌(白い目)






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九話   乙女願望

 

 

 

 

 

 

黒銀の鋼都ルーレ。

ノルティア州の州都。四大名門の一角である『ログナー侯爵家』の本拠地。黒色の城壁に囲まれた巨大工業都市としても名高い。市街地は立体的な二層構造を採用。上層と下層に分類される。通勤への利便性から技師や役員は上層に居を構え、工員や作業員が下層に住んでいることが多い。合理性を重んじる街として有名である。

貴族連合軍の物資供給都市として日夜喧騒に溢れている鋼都にて、オーレリア・ルグィンはグラスを傾けていた。静かに。ゆっくりと。誰にも邪魔されない貸し切りのダイニングバーで。

憂いを帯びた横顔は恐ろしく玲瓏だった。剣を振るわなければ雑誌の一面を飾ってもおかしくない美貌と肉体。三十路と思えないほど瑞々しい。

心地よいジャズの音楽が耳朶に染みる。お洒落な店内も好印象。良い趣味だ。帝都ヘイムダルから転移してきた第二使徒は微かに頷いた。

 

「今晩は、オーレリア将軍」

「魔女殿か」

 

足下に空のボトルが散乱している。

23本。アルコール度数の高い代物ばかり。

どうやら一人で飲み干したらしい。

さりとて口調に澱みなく。手に持ったグラスも震えていない。どうやら欠片も酔っていないと見た。噂以上に底無しのようだ。ヴィータは思わず苦笑した。

 

「元気そうで安心したわ」

「相変わらず神出鬼没な娘だ」

「褒め言葉として受け取っておくわね」

「好きに取るが良い」

 

隣の席に座れ。

オーレリアが顎で指し示した。

仁王立ちして威嚇する趣味もない。今宵の会話は長くなる。此処は言葉に甘えよう。素直に隣へ腰掛ける。当然のように差し出されたグラス。誰も飲むとは言ってないのに。

 

「飲むか?」

「遠慮しておくわ」

 

一瞥もせずに拒否する。

 

「私と飲めぬと?」

「ウワバミだと聞いているもの」

「ふむ。ウォレスから聞いたのか」

 

オーレリアは無理強いしなかった。

残念だと吐息を漏らす。グラスを元の場所に戻した後、新たに用意した25本目のボトルをこじ開けた。口に運ぶ。ゴクゴクと喉が鳴る。物の数分で空になった。

凄まじい速さだ。

ヴィータは笑顔を取り繕う。

 

「魅力的な男性よね。婿候補なのかしら?」

 

一人の男が脳裏を過ぎる。

褐色肌で高身長。知勇兼備で誠実な男性。

ウォレス・バルディアス准将。

オーレリア・ルグィンの盟友にして、貴族連合軍副司令。今も第七機甲師団と死闘を繰り広げる若き豪傑である。『黒旋風』の異名を持つ。

 

「今は違う」

 

オーレリアが嫣然と笑う。

獰猛な気配。捕殺者の目だ。

敵意と高揚に彩られた双眸は澄み切っていた。

 

「新しい出会いでも有ったの?」

「そなたのお蔭でな」

「なるほど。黒の騎士ね」

 

彗星の如く現れた凄腕の騎士。

黄金の羅刹との死闘は既に語り草となっている。

貴族連合軍によって徹底的な戒厳令を敷かれた帝都ヘイムダル。紅の都でも噂される程なのだから地方では推して知るべし。

出撃する度に多大な戦果を積み上げる英雄。

『黒の騎士』の勇名は日に日に高まっていた。

 

「久しく見ぬ面白い男だ。是非とも我が軍門に降らせたい。そして――」

 

生身でも斬り合いたいと。

黄金の羅刹は遠い目を浮かべていた。

右手を強く握る。ゆっくりと開く。そんな動作を繰り返した。想像の中で幾度も剣戟を交えているのだろう。

勝ち負けは聞かない。無粋だからだ。

 

「勧誘の手応えは?」

「無い。アレは貴族派を嫌悪している。理由は知らぬがな。正規軍にも心許していない。アレが第三機甲師団に味方しているのも、アルフィン殿下の存在があるからだ」

 

オーレリアが唇を尖らした。

拗ねた童女のようだ。嫉妬しているのか。

一拍遅れて魔女の視線に気付いたらしい。新たに開封したお酒に逃げた。26本目。自棄酒みたいだと思った。

何にせよ。ようやく本題に入れる。

 

「カイエン公が怒っていたわ」

「皇女殿下を奪取できなかった事か?」

「貴女が西部に戻らない事も」

 

帝国東部の支配は盤石に近い。

第三師団と第四師団は頑強に抵抗したまま。それでも黒竜関に双龍橋、要衝中の要衝を抑えている貴族連合軍の圧倒的優勢は変わらない。

問題は帝国西部である。

第七機甲師団を中心とした正規軍部隊は未だにウォレス准将と激戦を繰り広げている。ラマール州はカイエン公爵のお膝元。貴族連合軍の主宰として絶大な権力を有すると云えども、何もかも思い通りに行くわけではなかった。

一日も早く正規軍を叩き潰す。クロイツェン州を治めるアルバレア公爵より強い影響力を持つ。アルフィン皇女殿下を確保しておきたい。

カイエン公爵は戦後の事も考えて動いていた。

その矢先、常勝不敗の軍神たるオーレリア・ルグィンはゼンダー門攻略に失敗。第三機甲師団の南下を警戒する為と理由付けて、ルーレに留まる。

カイエン公爵の憤激は相当な物だった。

黄金の羅刹はテーブルに肘を付く。やれやれと呆れた様子で口にした。

 

「仕方あるまい。第三機甲師団と黒の騎士をゼンダー門に張り付かせる為だ。私が西部に戻れば此処は落ちる。黒竜関すら抜かれてしまう」

「次は帝都になるわね」

 

首を縦に振るオーレリア。

カイエン公も困った物だと漏らした。

 

「『氷の乙女』によってガレリア要塞も活気付いた。第四師団は立て直されつつある。北は私と機甲兵部隊だけで抑え、東部の残存兵力を双竜橋に結集させて第四師団を押し返す。これしか方法はあるまい」

 

貴族連合軍の優勢は砂上の楼閣に近い。

総参謀ルーファス・アルバレアの策略通りに事態を進めたとしても一手間違えたら敗北する綱渡りの状態。正規軍の強さを侮っていたか。横の繋がりを軽視していたのか。やはり無理か。盟主の仰られる通り『結末』は変えられないのだろうか。

内心とは裏腹に飄々とした態度で尋ねる。

 

「負けるとでも?」

「アレの動き方次第であろうな」

「驚いたわ。そこまで評価しているなんて」

 

瞠目する。咄嗟に隣へ視線を移した。

黄金の羅刹は類い稀な武人である。力量に相応しい自尊心も持ち合わせている。そんな彼女相手にも敗北という苦い結果を齎すかもしれないと評価された黒の騎士。自己評価の低そうなフェア・ヴィルングが聞いたらどう思うのだろうか。

オーレリアは鼻を鳴らす。

飲み干したボトルをテーブルに置きながら言う。

 

「スクラップ間近の機甲兵を操り、この黄金の羅刹と互角に斬り結んだ男だ。これでも過小評価に近いな」

「そう」

「どうした?」

「変わった様子とか無かったかしら」

「魔女殿の推察通り、黒い靄が現れていたな」

 

やはりかと肩を落とす。

早い。早過ぎる。

まだ闘争は煮詰まっていない。

オーレリアの機甲兵も黄金に輝いたと聞く。明らかに干渉し始めている。高位次元である概念空間から現実世界に。『七の騎神』という器でも飲み干せない『巨イナル一』の超々高エネルギーが何者かにより指向性を持って。

盟主は黒の思念体だけではないと仰った。

なら残りは『何者』なのか。

人間の手には負えない巨大な力を欲するなんて。

 

「アレは何だ?」

「黒の騎士たる所以よ。貴方の慧眼通りね」

「――――」

 

オーレリアが無言でグラスを置いた。

ヴィータの惚けた様子に対して、咎めるような視線を投げ付ける。裂帛の覇気を乗せて。真面目な答えを催促した。

深淵の魔女は嘆息する。これ見よがしに両肩を上げた。

 

「詳しく知りたいなら結社に入ることね」

「笑わせるな」

「なら無理ね。機密事項なの。それに安心していいわ。黒い靄の正体は内戦の勝敗に関与しないもの」

 

エレボニア帝国を二分した内戦。

闘争の業火で地上を燃やし尽くす。混沌の概念で空を堕とす。相応しい舞台を用意した後、灰と蒼を衝突させる。擬似的な相克を完遂して『巨イナル一』を再錬成。フェアを受け皿にして受肉した黒の思念体を消滅させる。

無様に世界を終わらせない為にも成し遂げると決めた。

たとえそれが茨の道だったとしても。盟主の意志に少しだけ背く形になろうとも。世界の崩壊を食い止める楔としてフェア・ヴィルングを生存させたまま未来へ進む為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西進の準備を終えた第四機甲師団。

ガレリア要塞で立て籠るのは終わりを告げる。

対機甲兵用戦術は洗練された。帝国東部最大の要衝である双龍橋を落とす作戦も練り上げた。

装備を整えた。物資も補給した。

モラトリアムは終わりだ。反撃に出る時だ。

第四機甲師団の誰もが意気軒昂たる姿を見せる。

七耀暦1204年12月12日。

ガレリア要塞を橙色に染めた夕暮れ時。

クレアは導力通信越しに懐かしい声を聞いた。

 

「ミハイル兄さん、元気そうですね」

『クレアも無事で何よりだな』

「帝国西部はどうなっていますか?」

 

無事を喜ぶ挨拶は二言のみ。

お互いに合理主義な軍人である。

ミハイル・アーヴィングは第七機甲師団を。クレア・リーヴェルトは第四機甲師団を。帝国各地に散らばってしまった鉄道憲兵隊を駆使して立て直している。

一分一秒を惜しむほど忙しかった。

 

『酷い有様だ。対機甲兵用戦術も漸く確立した』

「やはり第七機甲師団が要となりますか」

『ウォレス准将の駆る機甲兵を食い止められるのは第七師団ぐらいだ。重く鋭い。流石はバルディアス流筆頭伝承者。他の師団は呆気なく蹴散らされてしまったよ』

 

噂で聞いた通りか。

クレアは顎に手を当てる。

東部に第四師団、西部に第七師団。そして北部に第三師団。主力となり得る戦力はこの三つのみ。幾ら質で上回ろうとも数は劣っている。如何にして連携するか。早期に敵の要衝を落とすか。これらが内戦を制する鍵となる筈だ。

 

「残存兵力は如何程に」

『決して芳しい量ではない。だが、朗報もある』

「オーレリア将軍の件ですね』

『羅刹がノルティア州で足止めを食らっている今こそ千載一遇の好機。兵士たちの士気は上がっている。どうにかして防衛線を押し上げたい所だ』

「――黒の騎士。彼の話は、聞きましたか?」

 

クレアは苦しそうに言葉を紡いだ。

ガレリア要塞にも届いた軍神の敗北。成し遂げたのはゼクス中将率いる第三機甲師団、そして唐突に現れた『黒の騎士』と呼ばれる謎の男だった。

驚いた。嘘ではないかと邪推した。

クレイグ中将から正体を聞かされた時は、頭痛から倒れそうになった。フェア・ヴィルング。クレアの弟分。大切な人。大切にしてきた人。そんな彼が黄金の羅刹と引き分けた。意味がわからなかった。

ミハイルは一呼吸置いてから答えた。

 

『昨夜、導力通信で話をした。黒の騎士と呼ばれる事に落ち着かない様子だったな。肩も落としていたよ』

 

元気なら良かった。

元気なだけで嬉しかった。

 

「そう、ですか」

『確かに声は変わっていた。雰囲気もな。それでもフェア・ヴィルングである事に変わりない。そうだろう?』

「でも、私は――」

『逃げ出した件を悔いているのか?』

「はい」

 

逃げるべきではなかった。

フェアから離れるべきではなかった。

たとえ怖くても。悍しくても。薄気味悪くても。

笑顔で寄り添えば昔のフェア・ヴィルングに戻ってくれたかもしれないのに。我が身可愛さに逃げ出してしまった。

あの日から後悔している。後悔し続けている。

10日前、ガレリア要塞を訪れたリィン・シュバルツァーから教えてもらった。温泉郷ユミルにフェア・ヴィルングがいると。

会いたくて。会いたくなくて。

謝りたくて。また逃げ出してしまいそうで。

結局、クレアは決断できなかった。第四機甲師団に留まることを選んだ。これが弱さだ。鉄血宰相からも忠告を受けた弱点だと思った。

 

『お前らしくなかったな』

「兄さんは直接会っていないから!」

 

昏い眼を知らない。

背後に浮かんでいた『多眼』の存在を知らない。

 

『フェアがお前に伝言を頼むと言っていたよ』

「伝言?」

『聞きたいか?』

 

心臓がギュッと締め付けられる。

怖い。聞きたくない。

耳を塞ぎたくなる。導力通信を切断したくなる。

それでも勇気を振り絞った。

あの日、フェアと初めて会った日のように。

 

「――はい。聞かせてください」

『この間はごめん。内戦が終わったらゆっくりと話をしよう。帝都で無事に会えるのを楽しみにしている』

 

思わず笑ってしまった。

 

「兄さん。脚色、していませんか?」

『していない』

 

端的に否定した従兄。

クレアは自身の胸に手を当てる。

温かい。とてもとても。ポカポカした。

悩んでいた。怖がっていた。

堂々巡りの後悔から逃げるように軍務へ没頭していた。そんな日々も今日で終わりだ。この温かさがあれば大丈夫だ。やって行ける。

 

「ありがとうございます。これで、頑張れます」

『内戦が終わったら4人でご飯でも食べよう。美味しい店に連れて行ってやる。私の奢りだ』

「約束ですよ」

『約束だ。だから生き残れよ、クレア』

「はい。ミハイル兄さんも」

 

通信が終わった。

クレアは天幕から外に出る。

いつの間にか夜の帳が落ちていた。

満点の星空を見上げる。流れ星が見えた。

 

「フェアが幸せになれますように」

 

心の底からそう願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゼンダー門から約150セルジュ南下した草原地帯。

民家はなく、街道から外れている静寂の地。

星空の下、清涼な風が草木を揺らした。

フェア・ヴィルングは命の危機を感じながら問いかける。

 

「貴女は、誰だ?」

 

眼前に佇む一人の武人。

オーレリアを超える絶対的な覇気。

白色の甲冑に身を包んだ騎兵槍の使い手は、聞いた者を癒すような澄んだ声音で正体を述べた。

 

 

「蛇の使徒が七柱、鋼のアリアンロードと申します。黒の騎士よ、貴方に幾つか問いたい事があります。お時間は宜しいですか?」

 

 

 

 

 









アリアンロード「黒の騎士? 確かめなくては(騎兵槍構える)」






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十話   至強繚乱

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

 

 

空気が澄んでいる。

深呼吸。歩きながら視線を上に向ける。

冬の夜空に映し出される数え切れない星々。ノルド高原より150セルジュ南下した帝国領に於いても星空は天を満たしていた。

子供の頃を思い出す。

俺はいつも空を見上げていた。海の向こうへ想いを馳せていた。何があるのだろうと。ゼムリア大陸の外には何が待ち受けているのだろうと。

いつか知りたいと欲した。

いつか行ってみたいと願った。

色々な大人に問い掛けた。誰もが首を傾げた。天の先には何もないと。ゼムリア大陸の外には何もないと。ひたすら空の女神を信じなさいと。

おかしいと恐怖した。信じられないと嘆いた。大人の言うことが本当なら、この世界は行き止まりでどん詰まりじゃないか。

日曜学校の友人に自論を熱弁した。トワ・ハーシェル。3つ歳下の少女と語り合った記憶がある。天体望遠鏡で夜空を眺め、不覚にも徹夜したことすらあった。

トワも最初は理解しなかった。大丈夫かと。何を言ってるのかわからないよと首を横に振る始末。さりとて長年の説得の甲斐があった。最後に彼女と会った時には『枷』が外れたように外へ興味を示していた。

長い輪廻だ。再会した時も何回かある。小柄で可愛らしい少女にしか見えないものの、名門として知られるトールズ士官学院で生徒会長を務めた才女だ。誰からも好かれ、誰からも頼られていた。そんな彼女の邪魔をしたくなくて。俺は積極的に関わろうとしなかった。

内戦時には高速巡洋艦カレイジャスの艦長を務めたとも聞く。主に帝国東部を巡航。無垢な民草を鎮撫していたらしい。最終的に貴族連合軍旗艦に対して空中戦を敢行したとも噂される有様だ。本当かどうかは知らないけど。

どこまでも広がる草原地帯。

民家もなく、街道からも離れている。

静かだ。有り難い。助かる。少し疲れた。

黒い外套を脱ぐ。シートの代わりとして草原に敷く。

仰向けに寝転がった。そよ風が気持ちいい。久し振りに独りでいることを堪能する。嗚呼、頭が痛い。額を片手で抑える。ここ3日間で色んな人間と関わり続けたせいだ。

 

「フェア」

 

名前を呼ばれた。

顔を覗き込まれる。

煌々と照らす月光が誰かに遮られた。

微笑むアルフィン皇女殿下と視線が交わった。

 

「申し訳ありません」

「何がですか?」

「直ぐに起きます」

「そのままで構いませんよ」

 

上半身に力を込める。身体を起こそうとする。

だが起き上がれない。

皇女殿下に肩を押されたのだ。グイッと。意外と力強いな。悪戯でも思い付いたような笑みが眩しかった。帝国の至宝と尊崇される理由が改めてわかる。時折見せる茶目っ気を含んだ表情は、老若男女問わずに籠絡してしまう破壊力を秘めていた。

 

「不敬となります」

「此処には私と貴方しかいませんよ」

「そもそも何故此処に?」

「天幕から離れたのを偶然見かけましたから」

 

現在、第三機甲師団は遠征中である。

ゼンダー門を出撃した目的は二つ存在する。

一つはログナー侯爵家を貴族連合から脱退させる事。もう一つはルーレ市の奪還。補給物資を大量に溜め込んでいる工業都市を手中に収めれば、第三機甲師団は当面の危機から脱却できるからだ。

ゼンダー門を出撃したのは早朝。共食い整備でどうにか動かせるようになった主力戦車15台に加えて、装甲車21台。機甲兵3体。黄金の羅刹が率いる貴族連合軍と相対するには物寂しい数と云える。

まさしく乾坤一擲の勝負。

堅実なゼクス将軍らしくない作戦。

それでも決行した。決行せざるを得ない理由があった。

武器弾薬が足りないのだ。連続した防衛戦で底を尽きはじめた。戦車も砲弾が無ければ鉄の車でしかない。歩兵の盾にしかならない。最終的に戦う事もできずに降伏する末路。皇女殿下を有する第三機甲師団全員が許容できない未来。だから討って出た。

 

「ご心配掛けましたか?」

 

皇女殿下は首を横に振った。

右頬に片手を添える。俺を流し目で見た。

 

「いえ、黒の騎士に心配など不要でしょう?」

「皇女殿下」

 

やめて欲しいと言外に伝えた。

好ましくない渾名。呼ばれる度に全身が強張る。

存在Xと存在Yの声も一際大きくなる。心を蝕まれている感覚に苛まれる。只の羞恥心か。勘違いに因るものか。

皇女殿下が隣に腰掛けた。

フワッと風が舞う。優しい匂いが鼻腔を擽った。

 

「ふふ。なら、私のことはアルフィンとお呼びになって。皇女殿下なんて余所余所しいもの」

 

予想だにしない提案。思わず瞠目した。

言葉を失う。不謹慎ながら凝視してしまった。

皇女殿下は微笑みを崩さない。有無を言わせない眼力を帯びていた。早く答えろと。拒否は許さないと。正規軍に与してから発現した威圧感が全身を襲った。

されど俺は首を縦に振らなかった。一騎当千の強者と比べたら弱風のような物だ。軽く受け流す。

 

「無理です」

「黒の騎士と呼び続けるわ」

「無理です」

「黒の騎士」

「無理、です」

「迅雷の如く駆け抜ける黒の騎士」

「アルフィン殿下で如何でしょうか?」

 

完敗だ。ぐうの音も出ない。

帝国の至宝に勝てる筈もなかった。

皇女殿下は不満そうに唇を尖らす。一転して、そうだわと楽しそうに声を上げた。可愛らしい仕草だ。戦場に相応しくない可憐さだった。

 

「エリゼみたいに姫様と呼んでも構わないけど」

「アルフィン殿下でお願いします」

 

何故か俺から頼み込む始末。

中々優れた交渉術だ。先が楽しみである。

 

「ふふ、やった」

 

皇女殿下を姫様と呼ぶなど烏滸がましい。ましてや仲良く会話する事さえ。マスコミに聞かれれば万事休すだ。低俗なゴシップネタに使われてしまう。皇女殿下の未来を汚してしまう事になる。それは決して許されない。

皇女殿下は胸の前で拳を作った。気分転換になったなら幸いである。行軍に疲れていないようで安堵した。

 

「何やら嬉しそうですね」

「お兄様とミュラーさんみたいな関係性に憧れていたから」

「畏れ多いことです」

 

オリヴァルト皇子とミュラーさんの関係。

ヴァンダール流を研鑽した輪廻から記憶を引っ張り出す。確かに二人は気の置けない間柄だったと思う。気安く。心を許せて。本音で語れる親友のような関係性を築いていた。

主君を簀巻きにするのはどうかと思うけども。

俺が皇女殿下を簀巻きにしたら殺されると思う。帝国人全員から血祭りにされる。肉片すら残らないだろうな。

皇女殿下が手を叩いた。

ねぇねぇと俺の身体を揺さぶる。

 

「良い機会だわ。お話しましょう」

「喜んでお付き合いさせて貰います」

 

雲一つない夜天。

内戦に疲弊する帝国の大地と思えない静けさ。

これから第三機甲師団は戦場に赴く。皇女殿下も巻き込まれる。最後の休息日かもしれない。不安を取り除く為にも付き合うべきだ。

皇女殿下は目を輝かせた。身を乗り出す。

 

「なら貴方について聞かせて」

「私ですか」

「殆ど知らないもの、フェアのことを」

「難しいですね。何から話していいものやら」

「大丈夫よ。私が質問するから」

「助かります」

「じゃあ、好きな食べ物は?」

「果物全般です」

「嫌いな食べ物は?」

「野菜全般です」

「年齢は御幾つ?」

「もうそろそろ21歳を迎えます」

「趣味は?」

「天体観測か、剣の手入れでしょうか」

「座右の銘は?」

「初志貫徹ですかね」

「誕生日は?」

「12月31日です」

 

お見合いみたいな問答だった。

皇女殿下が次々と質問を投げ掛ける。

心底から楽しそうだった。相槌を打ったり。驚きから目を見開いたり。クスクスと笑い声を漏らしたり。何処にでもいそうな歳相応の姿に心を痛めた。

 

「ねぇ、フェア」

 

そして――。

最後に皇女殿下が尋ねた。

 

 

「どうしていつも、死ぬ事を怖がらないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルフィンは心配だった。

昏い双眸に隠された諦観を。死を全く恐れない異質さを。不自然なほどに周囲から嫌われてしまう異常性を。理屈などわからない。理由があるのだとしても見当も付かなかった。

だから訊いた。直接、真正面から。

フェアは答え辛そうに目を泳がせた。

答えていいのか。教えていいのか。葛藤から俯いて。苦しそうに目を泳がせて。意を決して何かを口にしようとした矢先、荘厳な声音が草原に響き渡った。

 

「貴方が黒の騎士ですね」

 

二人揃って振り向いた。

白い甲冑に身を包んだ女性が近づいてきた。歩く姿は絵画のようで。堂々とした振る舞いは全てを掌握する威厳さに満ちていた。

顔は兜で覆われている。右手には騎兵槍を佩帯している。不審者だ。それでも目が奪われた。此処まで『美しい』という言葉が似合う人も居ないと思った。

 

「貴女は、誰だ?」

 

フェアが立ち上がった。厳しい顔付きだ。

右手に白い大剣を持つ。鋭い視線は謎の女性へ向いたまま。微動だにしない。一挙手一投足を見逃さないという覚悟すら滲ませていた。

左手でアルフィンを庇う。ゆっくりと彼女の前に身体を移す。謎の女性から隠すように。万が一にも傷付けないように。

こんな状況なのに胸が熱くなった。

 

「蛇の使徒が七柱、鋼のアリアンロードと申します。黒の騎士よ、貴方に幾つか問いたい事があります。お時間は宜しいですか?」

 

蛇の使徒。鋼のアリアンロード。

聞き覚えのない単語に首を傾げる。

だが、フェアは得心が言ったように肯いていた。

 

「貴女が結社最強と謳われる武人か」

「ご存知でしたか」

「名前だけは聞き覚えがある」

「深淵殿から?」

「出処は秘密だ。教える義理もない」

「そうですね。無駄な問い掛けでしたか」

 

風が止まる。

草原から音が消えた。

白銀の甲冑を纏った女性に黒い外套を羽織った男性。人外と達人が醸し出す膨大な覇気の衝突。空間が軋みをあげた。ひび割れたような錯覚すら起きた。

 

「俺に聞きたい事があると仰られたな?」

「その通りです」

「俺からも一つ問い掛けたい」

「何でしょう」

「アルフィン殿下を傷付ける気があるのかどうかを」

 

瞬間、息を呑む。思わずフェアの背中を掴んだ。

彼に不安が伝播したのだろう。大丈夫だと言わんばかりに微かに頷いた。目配せされた時、少しだけ胸が高鳴った。

鋼のアリアンロードは吐息を漏らす。

 

「ありません。私は貴方に用があります」

「偽り無いな?」

「勿論」

「ならば安心した。何が聞きたい?」

「イシュメルガという名前に聞き覚えはありますか?」

「鉄血宰相がそのような単語を口にしていたな」

「意味は理解していないと?」

「何かの固有名詞である事ぐらいしか」

「成る程。何かに取り憑かれている事は?」

「自覚している。名状し難き闇が背後にいることも」

 

冷然と交わされる言葉の応酬。

アルフィンは騎士の背後で小首を傾げた。

イシュメルガとは何か。鉄血宰相が口にしていた理由は。取り憑かれているとはどういう意味か。名状し難き闇とは何なのか。

問い質したかった。今すぐに。徹底的に。

さりとて二人の会話に割り込めなかった。何処までも事務的に問答する二人だが、次の瞬間にも斬り結びそうな重圧を互いに解き放っていた。

 

「では、ご自身の現況については?」

 

アリアンロードの声音に固さが増した。

 

「質問の意味がわからないが」

「単刀直入に申し上げましょう。フェア・ヴィルング、貴方の身体は呪いに汚染されています」

「汚染?」

「盟主曰く、約千年前に現れた『暗黒竜』のように。いや、呪いの大半を引き受けた『聖獣』のように。貴方はただ其処にいるだけで、他人を蝕む毒となっている」

「――――」

「理由はわかりません。貴方にイシュメルガの分体が取り憑いた訳も。そこまで濃縮された呪いに汚染された事も。しかし、放置はできない」

 

唐突に騎士が身動きした。

全身が強張る。片足に力が入った。

アルフィンの不安が頂点に差し掛かった時、フェアが平然とした口振りのまま尋ねた。

 

「つまり、俺を殺すと?」

「貴方に取り憑いているイシュメルガの分体諸共です。安心なさい。苦痛なく空の女神の元へ送りましょう」

「生憎だったな。空の女神など信じていない」

「ならば煉獄へ落としましょう。さぁ、構えなさい」

 

アリアンロードが騎兵槍を構える。

全てを貫く穂先がフェアの心臓に向けられた。

駄目だと確信した。

このまま放置したら後悔する。

アルフィンは勇気を振り絞った。皇族としての責務や、自らの騎士に護られているという認識を履き捨てて。絶死の覚悟を持って、アリアンロードの前に立った。両腕を広げる。静止の構えを取った。

 

「待ってください!」

「何でしょう、アルノールの姫君」

 

背後からフェアの声が聞こえた。

慌てている。驚いている。

大丈夫だ。まだ勇気は残っている。

今にも倒れそうな中、震える声で問い掛けた。

 

「フェアを殺すのですか?」

「滅しなければなりません。彼は今、帝国に広がる闘争の渦と呼応している。このまま進めば取り返しの付かない事になりましょう」

「でも、フェアは良い人です!」

 

思いっきり叫んだ。

セドリックと喧嘩した時でも出したことのない大声。淑女たる者が放つべきではない怒声。スカートの縁を掴みながら、アルフィンは言い放った。

 

「フェアは誰かを呪うなんて事できません。確かに目は澱んでいて、ぶっきらぼうで、皆さんから嫌われていますが、それでも良い人なんです。私の自慢の騎士なんです!」

「――――」

 

アリアンロードは何も言い返さない。

どのような表情を浮かべているかもわからない。

騎兵槍を強く握り締めたまま。穂先を此方へ向けたまま。いつでも刺突を繰り出す構えを保ったまま。変わらない。変えられなかった。

 

「大丈夫です、アルフィン殿下」

 

しかし、背後の騎士には届いた。

アルフィンの想いも。振り絞った勇気の尊さも。

涙目で振り返る。

外套を脱いだ男が微笑んだ。

肩に手を置かれた。ゆっくりと。優しく。貴い物へ触れるように。紡がれた言葉は今までで最も温かかった。

 

「俺は『黒の騎士』です」

 

だから、と続ける。

 

「誰が相手だろうと負けません」

 

彼の胸元に手を当てる。

ドクン、ドクンと心臓が動いている。

いつも通りだ。緊張などしていない。嘘を吐いていない。フェアには何か策があるのか。彼は根拠の無い言葉を吐くほど楽観的ではない。

きっと大丈夫だ。

アルフィンは自らに言い聞かせて、フェアの胸を叩いた。

 

「死なないと約束しなさい」

「はい。約束です」

 

フェアが穏やかに笑った。

刹那、アルフィンの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ありませんと心の中で謝る。

延髄を手刀で打った。痛かったかもしれない。

気を失った皇女殿下を草原に優しく寝かせる。風邪を引かないように外套も掛ける。目尻から流れ落ちた涙を指で拭う。

起きたら謝ろうと思った。

まだ俺が生き残っていればの話だが。

 

「俺を殺す前に、一つだけ誓って欲しい」

「どうぞ」

「アルフィン殿下には決して手を出さないと」

「誓いましょう。我らが盟主の名に懸けて」

 

鋼の聖女が鷹揚と頷いた。

とある輪廻の中、カンパネルラから聞いたことがある。盟主の名を懸ける。結社の構成員にとって最も侵しがたい誓いだと。

誇り高い武人であろうアリアンロードなら、皇女殿下に手を出すことはしない筈だ。

 

「助かる」

 

素直に頭を下げる。

鋼の聖女は辛そうに問い掛けた。

 

「心の憂いは無くなりましたか?」

 

憂いは無くならない。

心配事は幾つも残っている。

死にたくないと思った輪廻は久し振りだった。

だとしても世界は残酷だ。

こうやって理不尽に殺されることも良くある事。

有意義な問答だった。

アリアンロードに感謝する。

後は己の全身全霊を懸けて、武の至強に挑むだけだ。

 

 

「先ずはその兜、割らせてもらう!」

「意気や良し。全力で諍ってみせなさい!」

 

 

 

 

 










盟主「魔人よりも聖女の方が生き残る可能性があるからね、仕方ないね」








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十一話  無貌混沌

 

 

 

 

空間を断絶する大剣。

空気の隙間を貫く騎兵槍。

互いに繰り出す絶技の応酬。

火花が散る。衝撃波が伝播した。

最初からわかっていた。

俺と彼女では絶望的に膂力が掛け離れていると。

大剣を弾かれた。腕から伝わった衝撃は全身を駆け巡る。軋みを上げた。利き腕が捥げるかと錯覚する痛み。我慢しろ。無視しろ。一瞬でも目を閉じれば死ぬことになる。前を向け。

絶え間なく心臓を狙う騎兵槍。唸りをあげる切っ先。紙一重で躱しても。全力で弾き返しても。鋼の聖女は息一つ乱さない。軽やかな足取りを保ったまま何度でも絶死の刺突を放ってくる。

 

「――ッ!」

 

屈む。こめかみを穂先が斬り裂いた。

躱す。動きを先読みされて左の脇腹を抉られた。

弾く。騎兵槍の勢いを殺せずに右肩を貫かれた。

拙い。駄目だ。このままでは確実に死ぬ。

当然ながら理解していた。彼我の戦力差が隔絶している事ぐらい。絶望的なまでに今生の経験値が異なっている事ぐらい。

俺は幾度も輪廻を繰り返している。その度に様々な経験を積んできた。代表的な物で云えばアルゼイド流とヴァンダール流である。修行方法、技の修得条件、奥伝に至る最短の道筋すら知り尽くした状態で七耀暦1204年8月に巻き戻る。反則技だ。他の人間からしてみれば理不尽なのかもしれない。

だが、鍛え上げた身体は戻ってこない。

幾ら経験値を積み重ねても。どれ程までに強くなろうとも。死ねば終わり。大して膂力の無い軍人時代へ強制的にリセットされてしまう。

現在、七耀暦1204年12月13日。目覚めてから約4ヶ月。休む暇なく全身を虐めた。身体能力を向上させた。膂力も元に戻りつつある。それでも全盛期に程遠い。

勝てない。勝てるわけがない。

相手は結社最強の武人。人外へと足を踏み入れた強者。『理』を超えた先にある暴虐へ両の手を掛けている存在だ。

如何に耐え忍ぼうとも突破口は見付からない。

 

「食らいなさい」

 

アルティウムセイバー。

巨大な騎兵槍が横薙ぎに振るわれた。

無理だ。躱せない。防ぐしかない。咄嗟に大剣を地面に突き刺す。剣腹で受け止める。右手を添えた。衝撃が走る。身体が浮いた。地面に足が付かない。吹き飛ぶ。何処か折れる音がした。

そのまま地面を何度も何度も転がる。300アージュほど弾き飛ばされた。声が出ない。激痛から片目を閉じる。漸く止まった。立ち上がろうとする。容赦なく腹部を蹴られた。くの字に折れ曲がる。胃液を吐いた。苦悶に顔が歪んだ。

思わず蹈鞴を踏む。

大剣を持つ手も震えている。

 

「此処まで、ですね」

 

神速の刺突が心臓を狙っている。

完全には避けられない。必ず当たる。

右肩はこれ以上傷を負えない。脇腹からも出血が止まらない。両脚は論外。機敏さを失えば命も無くなる。ならば答えは決まっていた。

差し出す四肢を選択。

無理矢理にでも身体を動かした。

瞬間、左腕が肩の根本から捻じ切られた。

 

「――――」

 

絶叫は一瞬。

噴き出す血を聖女に浴びせる。

動きが止まった。騎兵槍は貫いた姿勢のまま固まっている。此処だ。確信する。好機は一度きり。今を逃せば死あるのみ。挽回する為に失敗は許されない。

激痛を堪えて右腕を振るう。

放てるか。俺の身体が持つのか。

考えても仕方がない。

成し遂げた先に未来がある。

 

「奥義――」

 

洸凰剣。

草原を照らす絶佳の光刃。

放射線に広がる純白の光を纏った大剣。

この一撃で殺す為に。勝負を決する為に。

全身全霊の一撃を鋼の聖女へ振り下ろした。

 

「甘い」

 

静かな声だった。

幻想的で、尚且つ厳しさに溢れていた。

腹部に衝撃が走る。視線を下に向けた。騎兵槍が突き刺さっている。貫通しているな。痛みを感じない。驚きはなかった。どうみても致命傷だったからだ。

鋼の聖女は壮健だった。全身を覆う白い甲冑は赤く染まっている。俺の鮮血で。異様だった。死神にも思える不気味さだった。

兜に一筋の斬傷が見える。

洸凰剣が齎らしたのはそれだけだった。

 

「あはははははは!」

 

笑う。嗤う。呵呵大笑する。

いつまでも哄笑が止まらなかった。

自らの滑稽さが可笑しくて仕方ない。

間違いなく奥義は直撃した。タイミングは完璧だった。手応えも感じた。にも拘らず鋼の聖女へ致命傷を与えられなかった。素顔を隠す兜一つすら割れなかった。

 

「――言い残す事はありますか?」

 

聖女の質問に目を細める。

嗚呼、そうか。一人納得する。

騎兵槍を抜けば絶命するからだ。腹部に風穴が空く。内臓が飛び散る。出血多量。ショック死が妥当な辺りか。助かる見込みはない。再び輪廻の中に舞い戻る。

今回は楽しい輪廻だった。感謝する。

皇女殿下の笑顔を思い出すだけで頑張れる筈だ。

 

「無い」

「では。さらば」

 

騎兵槍が引き抜かれた。

大量の血が草原を紅く濡らす。

内臓が落ちた。ボトリと歪な音が響く。

立っていられない。力が欠落した。崩れ落ちる。膝立ちは三秒だけ保った。草原に吸い込まれていく。俯せで倒れた。目蓋が落ちていく。

 

「せめて女神の元へ」

 

聖女の優しげな声音。

救済の言葉が鼓膜を揺らした。

そんな物は求めていない。

空の女神など信じていない。

実在さえ怪しい女神に祈るぐらいなら、俺は存在Xと存在Yを崇める。次の輪廻でも付き纏うんだろうか。暇な奴らだと嘲笑して、俺は意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇女殿下を守護する黒の騎士。

フェア・ヴィルングは壮絶な死を遂げた。

腹部から止め処なく零れる大量の血液。確実に致死量を超えている。左腕を欠損。大腸が顔を覗かせるほど抉れている脇腹。右肩は一度でも大剣を振るえば千切れてしまうに違いない。

万が一生き残ったとしても、戦士として使い物にならない満身創痍ぶり。血に覆われていない場所を探す方が難しい惨状だった。

 

「安らかに眠りなさい」

 

鋼の聖女は頭を振って立ち去る。

ふぅと吐息を漏らした。

奥歯を噛み締める。強く強く。何度でも。

何の罪もない若人を殺害した。一方的に。独善的に。言い訳も聞かず。反論も許さず。一つの目的の為に。黒の騎神『イシュメルガ』を消滅させて愛する男の魂を救済する為に。

彼は特殊な人間だった。

盟主が憐憫の感情を向けるような。

蒼の深淵が自らの計画に組み込むような。

イシュメルガの分体が取り憑いてしまうような。

最早関係ない。催事に過ぎない。

フェア・ヴィルングは絶命したのだから。

 

「そん、な――」

 

 

――――楽しめ、と誰かが賛成した。

 

 

殺気を感知。敵意が背中を貫く。

足を止めた。反射的に騎兵槍を持つ。

振り返る。恐怖という感情を久々に味わった。

そんな。まさか。有り得ない。

フェア・ヴィルングは確実に死んだ筈だ。

この世界は残酷だ。死者は蘇らない。女神の授けた七至宝でも無い限り。焔と大地の至宝は『巨イナル一』として融合している。奇蹟は不可能だ。

ならばコレは何なのか。

黒の騎士は傷一つない姿で立っていた。

大剣を構える姿に疲弊など見当たらない。万全の状態だった。燃え盛る業火を宿した双眸は、まるで聖女の兜を叩き割ると宣言した時のように爛々としている。

 

「先ずはその兜、割らせてもらう!」

「一体、何を――」

 

動揺する鋼の聖女。

久しく浮かべない驚愕の表情。

感情の起伏は隙の大きさに繋がる。

フェアは達人の域へ到達している。勝敗を決する隙など到底見逃さない。畏れず踏み込む。間合いに飛び込んだ。白い大剣に煌々たる光を纏わせ、アルゼイド流の奥義を繰り出す。

奥義、洸凰剣。

充分に洗練された光刃の剣撃。

先程受け流した奥義よりも遥かに強く鋭い。

だが届かない。

槍の聖女リアンヌ・サンドロット。生前から鬼才と称された騎兵槍の使い手。不死者となった後も250年間研鑽した。弛まずに。慢心せずに。絶対的な黒の騎神を討滅する為に。

腰を低く据える。

左手を突き出す。敵との間合いを計る。

右手に力を込めた。柄を握る。貫き通す。

シュトルムランツァー。

一瞬の交錯。錯綜する二人の想い。

大剣は中心から折れている。

騎兵槍はフェアの心臓を抉り取っていた。

 

「――――」

 

フェアが吐血した。前のめりに倒れ込む。

目を見開いたまま死んでいた。

死んでも尚、大剣から手を離していない。どこまでも愚直に。直向きに。勝利を掴む為に。彼が最後の最後まで諦めていなかった証拠である。

勝敗は決した。

同一の人間を二回殺す。初めての体験だった。

だからこそ鋼の聖女は油断などしていなかった。

 

 

――――楽しめ、と誰かが反対した。

 

 

瞬きをした直後、世界が暗転した。

眼前に人がいる。

この手で二度も殺した男がいる。

昏く靭い力を秘めた黒の騎士がいる。

どうして。何故。幻術か。それとも魔法か。

誰もいない。聖女と騎士だけだ。

ならば何が起こっているのか。

どうして復活する。どうして死なない。

 

「先ずはその兜、割らせてもらう!」

 

気合一喝。身体を走らせる。

二回も殺された相手と戦う。本来なら身体が強張るだろう。恐怖の色も浮かび上がる筈。どんなに隠し通そうとしても、根源たる畏怖から何処かに綻びが生じてしまう。

常人なら。戦士なら。人間という種なら。

何もない。表情に憂いなど見当たらなかった。

フェアは戦意に満ちていた。

勝てると。勝ってみせると。

皇女殿下と交わした約束を守る為に。

鋼の聖女から生き延びてみせると豪語していた時のように。先手必勝。反撃の隙を与えない。押し切るのだと。

 

「良いでしょう」

 

同一人物を二度も殺害した。

不死者になる前を考慮しても奇妙な体験だった。

だからどうした。

この程度、軽く乗り越えてみせる。

アリアンロードは意識を切り替えた。

相手はイシュメルガの分体を宿す怨敵。フェア・ヴィルングを殺し尽くさなければ、本命たる黒の騎神にも勝てない。

相手が死なないならば。

死ぬまで殺し続けるだけだ。

覚悟は決めている。

愛する男を救う為に世界を滅ぼす覚悟さえも。

 

「来なさい。何度でも殺してみせましょう」

 

 

 

 

 

 

頭を吹き飛ばした。

 

――――楽しめ、と誰かが奮起した。

 

 

四肢を切断した。

 

――――楽しめ、と誰かが消沈した。

 

 

全身の骨を砕いた。

 

――――楽しめ、と誰かが驚嘆した。

 

 

聖技を繰り出した。

 

――――楽しめ、と誰かが感動した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何回殺したのか。

500回まで数えた。

殺し方は全て試し終えた。

脳味噌を念入りに消し飛ばした。四肢をくまなく断裂させた。全身の骨を余す事なく砕いた。生きたまま頭から股まで騎兵槍で貫いた。聖技で存在を抹消した。容赦なく、塵一つ残さずに。

それでもフェアは復活した。傷一つ無い状態で。

いい加減にしろと。もう止めてくれと嘆く。

鋼の聖女は息を荒らげた。肩が激しく上下する。『外の理』で造られた騎兵槍を重く感じた。初めてだった。どうして。どうすれば。この地獄から抜け出せるのか。

フェアは殺される度に強くなった。

緩やかに。穏やかに。さりとて着実に。

最初は数分で殺し終えた。

今は1時間以上掛かる時もある。

明らかに違う。

歪んでいた剣術が徐々に最適化されていく。

フェア・ヴィルングの剣技は最初から底が見えなかった。完璧以上に完成された剣術を、不自然なまでに未熟な身体を用いて形だけでも体現しようとしているようだった。これがもしも完成に至れば。現実が追いつけば。恐るべき担い手になると確信していた。人外へ至る才能を秘めていると。

だから問答無用で殺した。

煌魔城を彷彿させる異次元めいた呪いに、アリアンロードさえ超える剣術が融合すれば手に負えなくなると判断したからだ。

現時点だとどうなっているのか。

膂力は不変のまま。

精神面も変化していない。

飛躍した剣術だけで、鋼の聖女と渡り合い始めていた。

 

「先ずはその兜、割らせてもらう!」

「貴方は何なのですか!」

 

夢なのか。現実なのか。

私は誰だ。敵は誰だ。

今はいつだ。明日は何日だ。

何故戦うのか。何故死なないのか。

意味があるのか。意味が持てるのか。

意識は飛び掛けていた。

それでも反射的に戦闘を続けてしまう。

鋼の聖女には絶対に成し遂げなければならない使命がある。愛する男を助け出すと決意した。共に空の女神の元へ旅立つのだと恋慕した。

晩年のドライケルスが脳裏を過った。

そうだ。忘れるな。

相手が誰だろうと打ち砕く。

敵を見据える。

黒の騎士フェア・ヴィルング。

彼の顔は『無貌』へと転じていた。

 

 

 

――――楽しもうか、と誰かが愉悦に震えた。

 

 

 

何回でも。何千回でも。

終わらない地獄の如き狂乱。

夜は長く。朝は遠く。

時の流れが異常に遅い草原の中で。

黒の騎士と鋼の聖女による『仕合』は永劫に渡って繰り返され続ける。

 

 

 

――――面白い、と誰かが口角を吊り上げた。

 

 

 

 










混沌「イザナミだ」






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十二話  永劫輪廻

 

 

 

 

 

鋼の聖女を直視する。

不可解だ。どうにも解せない。

見るからに疲弊している。

数瞬前まで莫大な覇気を身に纏っていた。全てを断ち切る。遍く貫く。誰よりも強靭で。誰よりも高潔な武人に相応しい威容だった。

正直、見惚れた。心焦がれた。嫉妬した。

にも拘らず。瞬きした直後。飛び込んできた光景に目を細めてしまう。おかしいと。何かが変なのだと。

先ずは覇気が揺らいでいる。

騎兵槍は重そうで。集中も欠けていた。

何年間も戦い続けたように。

終わらない闘争に呆れ果てるように。

好都合だと思った。

彼我の戦力差を顧みる。比べるまでもなく聖女が上だ。圧倒的に。完膚無きまでに。挽回の余地はない。勝てる光景も思い浮かばない。兜を割れたとしても、恐らく数分持たずに殺される確信があった。

だが、今ならわからない。

俺に高潔さなどない。負けなければいい。勝てればいい。誇りは持たない。結果だけを求める。輪廻の先に至るには。本当の意味で死ぬ為には。醜く足掻いてでも成果を掴み取らなければならないのだから。

白い大剣を正眼に構える。

四肢の調子を確認。問題ない。万全だ。

猛毒ガスに侵された肺も既に治っていた。

皇女殿下の願いを叶える。

クレアさんと帝都で再会する。

その為にも此処で鋼の聖女を乗り越える。

 

「先ずはその兜、割らせてもらうぞ!」

 

声高に決意を表明した。

瞬間、脳内に膨大な記憶が流れ込んだ。

殺された。顔面を騎兵槍で掻き回される。

殺された。生きたまま四肢を引き千切られる。

殺された。全ての内臓を丁寧に潰される。

殺された。聖技で跡形もなく斬り刻まれる。

何度も何度も何度も。

多種多様な方法で死を与えられた。

怒りながら。泣きながら。叫びながら。

鋼の聖女は苦しみながら刺突を放っていた。

殺される記憶が延々と脳裏を流れる。

最初は諍えなかった。隔絶した膂力と技術。戦闘を開始して僅か1分で絶命した。決定的な隙を衝いた絶技も簡単に受け止められた。情けない。

復活する。二回目も同じく。復活する。三回目も同じく。変わらない。300回目で突破口を見つける。死ぬまでの時間が伸びた。十数分抵抗できた。それでも死ぬ。死にながら剣技を洗練する。600回目で様々な戦技を受け流せるようになった。それでも殺される。殺されながら聖技の弱点を見つける。900回目で渾身の聖技を相殺できるようになった。

そして前回の1225回目。

1時間以上戦闘を続けるまで成長した。中途半端だったヴァンダール流とアルゼイド流を研鑽し終えた。独立した二つの流派を俺なりに統合したのだ。膂力は変わらない。剣術だけを鍛錬した。鋼の聖女に勝てなくとも負けないだけの剣技を修得した。

 

「貴女は、自覚しているのか?」

 

今回の輪廻は何処かおかしい。

やり直す時期が変わったと思えない。目覚めた時の感覚が異なる。死ぬ時の記憶を頭に直接ぶち込まれる事など無かった。

恐らく簡易的な輪廻だと思う。

存在Xの仕業か。それともイシュメルガという奴か。どちらにしても感謝しよう。こうして経験値を積めた。殺される事は慣れているから問題ない。

 

「繰り返されていると自覚しているのか?」

 

答えはわかり切っていた。

それでも尋ねた。初めて訊いた。

確信があったのだ。

もう直ぐこの地獄は終わりを告げる。

永劫に続くと思われた仕合は終了するのだと。

 

「貴方こそ、わかっているのですか?」

 

終わらない輪廻。

極限まで諦観した声音。

聴き慣れている。

俺自身が最も口にしている声質だった。

 

「今は1226回目だ」

「嘘はやめなさい。全て記憶しているとでも?」

 

馬鹿にされた。

ハッと鼻で笑われた。

苛立ったのか。訂正しろと騎兵槍を突き付ける。

余裕が無い。疲れている。

聖女然とした雰囲気は消えていた。

 

「この程度、とうの昔に慣れている」

 

終わりの見えない輪廻。何も変わり映えしない2年。絶望したまま自殺する瞬間。覚醒してから鍛え直す時の無力感。

誰からも賛同を得ず。誰からも理解されない。

それと比べれば優しいと思う。個人的にはだけども。

トリガーとなる台詞を口にする。殺される記憶を叩き込まれる。聖女と戦う。死ぬ。復活する。トリガーとなる台詞を吐く。殺される記憶を打ち込まれる。同じ事の繰り返しだが、目標を持って戦えばいいだけだ。反省できる。終わりが見える。

 

「悍ましいですね」

 

当然だと言い切った俺を見て、鋼の聖女は心の底から気味悪そうに吐き捨てた。声が異常に低い。

兜の下で眉をひそめていることだろう。見なくてもわかる。

 

「知っているとも。誰よりもな」

「イシュメルガよりも」

「記憶にある。貴女の仇敵だったか」

「本当に覚えているのですね」

 

829回目だった。

聖女の放った絶叫と慟哭。

黒の騎神『イシュメルガ』への憎悪。

獅子心皇帝『ドライケルス』への愛慕。

俺の腹部を滅多刺しにしながら泣いていた。

 

「ありがとう、鋼の聖女」

「――――」

 

頭を下げる。感謝だ。

本気だ。嫌味ではない。

強くなれた。研鑽できた。

これなら黄金の羅刹と生身で斬り結べる。機甲兵の技量だけでなく。心身に刻み込まれた剣技で勝負できる。ルーレ市解放に自信が出来た。

しかし鋼の聖女は本気で受け取らなかった。

騎兵槍を片手に。淀んだ覇気を無理矢理奮い立たして。それでも最初と同じ鋭さで。一撃必殺の刺突を繰り出した。

見える。悠々と捉える。

大剣を振り上げる。弾き返さずに軽く遇らった。

身体能力は変わらず劣っている。弾き返してしまえば隙が生まれる。瞬間、解き放たれる騎兵槍。四肢を犠牲に躱しても最終的に殺される未来を辿る。

だから受け流す。

何度でも。幾度でも。

鋼の聖女が隙を見せるまで。致命的な瞬間を見せるまで。

一合が重い。少しずつ手足が痺れていく。

絶技を放ちたくなる。勝負を決したくなる。

鋼の聖女は限界だ。可哀想だ。早く輪廻を終わらせてやりたい。殺された。痛め付けられた。些細な事だ。鍛錬に付き合って貰ったと思えば、むしろ好感が持てる。

 

「――――ッ!」

 

1226回目の仕合。

時間にして58分が経過した。

先に痺れを切らしたのは鋼の聖女だった。

全ての戦技を相殺された。

どんなフェイントにも引っ掛からなかった。

終わらない。泥沼だ。

勝負を決めるのは互いの絶技だと察した。

 

聖技――グランドクロス。

絶技――覇皇剣。

 

闇夜の草原に轟音が響いた。

永劫に閉じ込められた時の結界。

鋼の聖女に地獄を見せた夜の帳は漸く明けた。

 

「あ――」

 

兜が割れた。

1226回目にして漸く素顔を見た。

綺麗だった。美麗だった。端麗だった。

見たことがある。数多の絵画に描かれている。

槍の聖女リアンヌ・サンドロット。獅子戦役に於いて、獅子心皇帝と戦場を駆け抜けた伯爵家の娘だ。もしかしたらと思った。獅子心皇帝への愛慕を聞いて、まさかなと邪推した。

疑問はある。どうして生きているのか。

槍の聖女は250年前に死んでいる筈だ。

 

「やはりな。リアンヌ・サンドロットか」

 

鋼の聖女は否定しなかった。

肯定もせずに驚愕したまま固まっている。

騎兵槍を落とした。膝から崩れ落ちる。

仇敵を前にした武人と思えない醜態だった。

 

 

「まさかこうなるとはね」

 

 

何度も聞いた甲高い声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わったのだと分かった。

根拠などない。証拠などない。だが理解した。

砕かれた兜。斬痕が刻まれた甲冑。

凄まじい絶技だった。素直に称賛する。聖技の隙間を縫うようにして繰り出された剣技。初めて見た。洸凰剣ではない。破邪顕正でもない。二つの奥義を融合して。研鑽に次ぐ研鑽から昇華して。完全に己の物とした絶技に聖女の目は奪われた。

 

「まさかこうなるとはね」

 

空間の割れる音。

視線を上に向ける。

見慣れた姿。数日振りだ。

しかし『久し振り』に見たと考えてしまった。

執行者No.0。

盟主に代わる計画の見届け役。

道化師カンパネルラが優雅に一礼した。

 

「『今回は』初めましてかな。僕の名前は――」

「カンパネルラだろ。挨拶は不要だ」

「まさか独りで聖女殿の兜を叩き割るとはねぇ」

「見ていたのか」

「勿論」

「相変わらず性格の悪い」

「君にだけは言われたくないんだけどな」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味だよ」

 

古くからの知り合いなのか。

道化師も輪廻に囚われた事があるのか。

唐突に変化した現状に付いていけない。何度も頭を振る。落ち着け。意識を切り替えろ。地獄は終わった。悪夢は醒めた。リアンヌ・サンドロットから鋼のアリアンロードに成り代われ。

 

「カンパネルラ、彼と知り合いなのですか?」

 

呼吸を整える。

聖女の横に移動した道化師へ訊いた。

カンパネルラは苦笑しながら頬を掻いた。

 

「昔ね。いや、未来なのかな」

「早く消えろ。お前は嫌いなんだ」

 

言葉の節々から感じられる嫌悪の棘。

フェアは柄を握り直した。本気で嫌っている。

 

「酷いなぁ」

「黙れ」

「君の数少ない理解者なのに」

「これ以上囀るようなら斬るぞ」

「冗談も通じなくなってるね」

「道化師と真面目に話すと思うのか?」

「それもそうだね。一本取られちゃったかぁ」

 

楽しそうに哄笑する道化師。

片や、眉間に皺を寄せる黒の騎士。

対照的な二人の姿に変な違和感を覚えた。

何かが違う。

何処かが異なる。

姿形か。力量か。雰囲気か。

判別できない。判断できない。

カンパネルラが苦笑しながら提案した。

 

「それじゃあ帰ろうか、聖女殿」

「――私は」

「盟主から頼まれたんだよ。君を連れて帰れと」

 

有無を言わさない強い口調だった。

反論は許さない。拒否も不可能。命令を聞け。

鋼の聖女は危惧した。

黒の騎士は危険だ。想像以上に。何倍も。何十倍も危ない存在だと気付いた。彼は世界を滅ぼす。イシュメルガの分体と関係なく。濃縮された呪いとも無関係に。何か別の存在に導かれて。世界を滅ぼし得る厄災に成り果てる。

だとしても。

ループが再び発生したら。

今度こそ地獄から抜け出せなくなったら。

幾ら鋼の聖女と云えども逡巡してしまった。

その弱さを突かれた。

盟主が望まれているなら見逃すのも仕方ないと。

 

「わかりました」

 

本調子のアリアンロードなら。

繰り返される地獄を経験してなかったなら。

彼女は躊躇しなかった。迷わなかった。尻込みしなかった。盟主の制止だとしても。此処で殺す事が最善と信じて得物を構えたに違いない。

弱々しく首肯したアリアンロードは転移の術を起動した。指定した場所はルーレ市の近く。ザクセン鉄鉱山の麓に跳んだ。

風景が変わる。草原から山肌へ。

漸く一息つけた。

甲冑の下が汗で濡れている。

冷や汗か。脂汗か。どちらもだと嘆息した。

幻惑の炎が渦を作った。

中心に立つ道化師はやれやれと肩を竦める。

 

「災難だったね。時間にして3週間ぐらいかな」

「何故、知っているのですか?」

「貴女らしくないね。最初に訊きたいことはそれなのかい?」

 

挑発めいた台詞。

道化師は笑みを崩さない。

余裕な表情が酷く癇に障った。

 

「彼は、何なのですか?」

 

カンパネルラは首を横に振った。

 

「ボクも知らないよ」

「ふざけるのも!」

「詳しく知らないんだ。フェア・ヴィルングに纏わり付く闇も。彼がどうして闇に見初められたのかも」

「では――アレは何だったのですか?」

 

身体が震える。手足が重い。

思い出すだけで。考えてしまうだけで。

二度と体験したくない。

次は無事に地獄を切り抜けられるか不明だった。

 

「彼に纏わり付く闇、その力だよ」

「『巨イナル一』とはそれ程までに?」

 

焔と大地の至宝が融合した存在。

エレボニア帝国に呪いを齎す絶対的な力。

魔女と地精が協力しても封印できなかった。

それらを考慮すれば有り得るのだろうか。死んだ人間を復活させる。一瞬で。何度も。記憶すら保持させて。零の至宝が施した奇蹟を何の脈絡もなく。人間の考えを遥かに超える力だと思った。

カンパネルラは昏い笑みを浮かべた。

違うよ。全然違うと嘲笑した。

 

「巨イナル一でも、イシュメルガに因る力でもない。盟主でも見通せない『外なる神』が齎した永劫回帰の一種さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖女は転移した。

青白い顔で。今にも倒れそうだった。

カンパネルラは止めなかった。

彼女に必要なのは休眠だとわかったから。

 

「盟主も酷な事をするなぁ」

 

外なる神が干渉する。

鋼の聖女に興味を持つ。

二つが組み合わさればどうなるのか。

盟主には視えていた筈だ。

それでもアリアンロードを止めなかった。

 

「まぁ、いいか」

 

北東へ一礼。

誰も聞いていないと知りながら布告した。

 

 

 

「これより盟主の代理として、永劫輪廻の見届けを開始する」

 

 

 

 

 

 

 








聖女「もうやだぁ」





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十三話  鋼都戦線

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1204年12月18日。

第三機甲師団は鋼都ルーレを奪還した。

黒の騎士と黄金の羅刹による壮絶な一騎討ち。対機甲兵用戦術を駆使した包囲殲滅陣。双頭竜の陣を防ごうとする精鋭が駆る数多の機甲兵たち。熾烈を極めたルーレ市郊外の戦は2日に渡って繰り広げられた。

互角の様相を見せていた正規軍と領邦軍。千日手になるかと思われた矢先、ルーレ市内部にて激震が走った。政変が起きたのだ。

父親に反旗を翻したアンゼリカ・ログナー。四大名門の息女がトールズ士官学院の有志たちを引き連れ、RF社を私的運用するハイデル・ログナーに宣戦布告。帝国貴族らしからぬ伯父を糾弾。更にザクセン鉄鉱山にて幽閉されていたイリーナ・ラインフォルトを助け出す。不埒者を叩き出す事でRFの会長職に復帰させた。

北と南から挟撃される危険性。消耗する武器弾薬と機甲兵。黄金の羅刹を圧倒してくる黒の騎士。

意気軒昂だったオーレリア・ルグィンも即断即決で撤退を決意する。ルーレ市から黒竜関へ。ログナー侯爵率いるノルティア領邦軍と共に防衛線を確立しようとした。

重兵装機甲兵たるヘクトル。

超巨大機甲兵たるゴライアス。

最新鋭の機甲兵を戦術に組み込んだと聞く。

 

「お久し振りです、フェアさん」

 

ルーレ空港に至る石畳の橋。その手摺りに寄り掛かる黒い外套の男に、リィン・シュバルツァーは手を差し出した。

妖しい風貌の男。齢20。艶やかな黒髪。襟足に白い部分が混じっている。群青色の双眸は底無し沼の如く濁り、お世辞にも生気を感じられるとは表現できなかった。

フェア・ヴィルング。アルフィン皇女殿下を守護する黒の騎士。先日行われた戦では、オーレリアが操縦する黄金の機甲兵を跪かせた一幕もあったらしい。

常勝不敗の軍神に敗北を与えた。尋常ならない相手だ。アルゼイド流とヴァンダール流を極めているとも聞く。

こうして相対するだけで圧倒されてしまう。深海の如き重厚な覇気に呑まれそうになる。20日前とは別人だった。達人の域だった力量が恐ろしいまでに跳ね上がっていた。

何があったのか。どうしてこうなったのか。

 

「久しいな。壮健そうで何よりだよ」

 

フェア・ヴィルングが首肯する。

手を取った。悠然と握手を交わす。

剣士の手だと思った。

今までの誰よりも堅い掌だった。

下手すれば八葉一刀流開祖であるユン老師にも届きそうな。

 

「フェアさんこそ」

「パンタグリュエルに囚われたと聞いたぞ」

 

心配そうに確認するフェア。

黒の騎士は情報を仕入れるのも早い。

特科クラスが再集結を果たした翌日。温泉郷ユミルは襲撃された。カイエン公爵の出した条件に同意したリィンは、貴族連合軍旗艦パンタグリュエルに自ら飛び立った。

正規軍に与したとされるアルフィンに対する切り札として、エリゼ・シュバルツァーを拉致していたのは予想外だったけれど。怒り狂ったリィンはカイエン公爵の勧誘を拒否。兄妹で決死の逃避行。『鬼』の力を制御した挙句、クロウとの一騎討ちに勝利。救出に来てくれた紅い翼に乗り移り、見事に敵陣から離脱するという一大冒険を成し遂げたのだ。

 

「2日ほどです」

「大丈夫だったのか?」

「手荒い扱いは受けませんでしたよ」

 

実際、丁重に扱われた。

牢屋に入れられる事もなく。手足を拘束される訳でもない。貴族派に協力する武人たちと会話も許された。実りある2日間とも云えよう。

それはそれとして。

エリゼを拉致したカイエン公爵は許せないが。

 

「心配していたんだ」

 

フェアが胸を撫で下ろした。

無理するなよと肩を叩かれる。

どこまでも温かい声音だった。

自らの身をひたすらに案じてくれている。

良い人だと思う。皇女殿下を惑わしたと侮蔑する声も存在するが、正規軍に与すると決めたのは他ならぬアルフィン本人。ルーレ市が早期に落ち着いたのも皇女殿下の御威光があったからこそだ。

 

「俺も聞きましたよ。黒の騎士、その勇名さを」

 

照れ隠しのように話題を変える。

面映いらしい。フェアは頬を人差し指で掻いた。

 

「アルフィン殿下からかな?」

「正確には殿下から聞かされたエリゼからでしょうか」

「恥ずかしい話だ」

「皇女殿下は我が事のように喜んでいたと」

「オーレリア将軍を討ち取れなかった。黒竜関にも防衛線を敷かれてしまった。俺としては芳しい結果ではない。本来なら黒竜関も一気に抜く筈だったんだ」

 

黒の騎士は舌打ちした。

忌々しく。歯痒そうに。

心底から悔しがっていた。

鉄道憲兵隊による尽力で立て直された第四機甲師団が双龍橋を抑えた。第三機甲師団が鋼都ルーレを奪還。帝国東部の戦況は一変した。貴族連合軍の優勢は脆くも砕け散る。勝敗の天秤は正規軍に傾いた。

一番の立役者は間違いなく黒の騎士である。

オーレリアという怪物を剣術で圧倒。アンゼリカと結託する事でルーレ市に混乱を生じさせた。追撃時にも先頭をひた走り、殿を務める羅刹を単機で押し留めた。領邦軍の被害を拡大させるという戦功を積み上げている。

そんな武人が現状を最も納得していない。皮肉な話だ。

 

「第三師団はこのまま南下すると?」

「2日ほど間を開ける予定だ」

「整備と補充ですか」

「整備班には申し訳ないと思うよ」

 

内戦が始まってから碌に整備されなかった主力戦車群。装甲車も同じく。ゼンダー門からも運び込まれた無数の機甲兵機を全て整備調整するとなれば、RF社の技術者を総動員した所で徹夜は確定だろう。

いずれにしても。

第三機甲師団は一休みを取る。

ルーレ市に2日ほど滞在するとわかった。

 

「そう、ですか」

 

歯切れ悪く答えるリィン。

フェアは苦笑した。

困った奴だと目を細めて、優しく名前を呼ぶ。

 

「リィン」

「はい」

「君たちが正規軍に味方する必要などない」

「聞いていましたか」

「オリヴァルト殿下からな」

「――――」

 

高速巡洋艦カレイジャス。

皇族専用艦であり、紅い翼という異名を持つ。

オリヴァルト皇子から譲り受けた希望の象徴。

帝国東部にて巡航。内戦に疲弊する民草を鎮撫する。正規軍でもなく、領邦軍でもなく。中立であるからこそ可能な『何か』を見極める為に活動する。トールズ士官学院の学生と灰の騎神を有するカレイジャスなら、必ずや何かを成し遂げられるだろうとお墨付きを頂いた。

アルスターを救った。手配魔獣を滅した。幻獣も討伐した。困っている人々を助けた。それでも。どんなに精力的に動いたとしても。戦争という業火は、内戦という火種は容赦無く燃え広がっていく。

そんな中、アルフィン皇女殿下が立ち上がった。

正式に第三機甲師団の旗頭となったのである。貴族連合を震わす悲報であり、正規軍を鼓舞する朗報として帝国全土を揺るがした。

一抹ながら不安が募った。

俺たちも皇女殿下と足並みを揃えなくても良いのかと。正規軍に味方して、カレル離宮に幽閉されている皇族方を救い出さなくていいのかと。

カレイジャスなら出来る。灰の騎神を扱えば可能だ。アイゼンガルド連峰にて1ヶ月間も魔獣から護ってもらった恩を加味しても、此処で第三機甲師団と同調すべきではないのかと。

リィンの思惑を読み取ったのだろう。フェアは静かに頭を振った。

 

「灰の騎神が正規軍に味方してしまえば、カイエン公を必要以上に苛立たせてしまう。あの方には堪え性がない。ルーレ市を奪還した直後なら尚更だ。火に油を注ぐ結果になる」

「――セドリック皇太子を利用なされると?」

「既に皇族の方々をカレル離宮に幽閉しているのだ。充分に有り得る。不敬な話だ。そして悍ましい限りだ」

 

エリゼから聞いた。

皇女殿下が自ら立ち上がったのは、セドリック皇太子殿下を救う為なのだと。泥沼の内戦に陥ってしまえば貴族連合軍は皇族を担ぎ上げる。痺れを切らして。未来の皇帝に内定しているセドリックを。そうなる前に助け出す。双子の姉として。家族として。

カイエン公爵と対面した今、リィンも有り得ない未来だと断言しない。充分に考えられる。クロワール・ド・カイエンならやりかねない。カイエン公爵から皇族への敬愛を一切感じられなかった。

 

「それでも君と灰の騎神、カレイジャスも味方になってもらえば相当な戦力になる。アルフィン殿下も安堵するだろうな」

「はい」

「だが君たちは『第三の道』へ行くと決めたのだろう。一度決めた事は必ずやり遂げる事だ。そうすれば道を切り開ける」

 

実感の篭った声だった。

彼自身が『何か』をやり遂げている最中なのだろうか。道を切り開こうとしているのだろうか。

知らない。わからない。心当たりがない。

フェア・ヴィルングには秘密が多すぎるのだ。

 

「ありがとうございます」

 

リィンは強く頷いた。そして頭を下げる。

迷いは晴れない。

超常たる力に選ばれた畏れが消える事もない。

それでも。いつまでも迷う訳にいかない。

そんなもので立ち止まるなんて自分自身が許せないと。フェアも何かに諍っているのなら。足掻いているのなら。一度決めたことを、迷わずに、歩き続ける事こそが恩返しになるのだと。

 

「良い顔だ。エリゼ嬢も安心するだろう」

 

どうやらエリゼにも心配されていたらしい。

カレイジャスにて通信士を務める最愛の妹を思い浮かべる。後で謝ろうと思った。妹を不安にさせるなど兄として失格だろうから。

 

「俺に、何か出来ることはありますか?」

 

またも借りができてしまった。

返さなければ。

利息と負債で潰れてしまいかねない。

クロウ・アームブラストから50ミラを返して貰う前に、リィンは自らの借金をチャラにしようと思い、フェア・ヴィルングに軽い気持ちで問い掛けた。

フェアは顎に手を当て、そうだなぁと呟いた。

 

「なら一つ、頼み事がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物々しい雰囲気に包まれる黒竜関。

ルーレ攻防戦から一日が経った。

オーレリア・ルグィンは寝る暇も惜しんで部隊の再編を急いでいた。貴族連合軍総司令官という立場から他に決済しなければならない案件があるにも拘らず。

誰も止めない。誰も非難しない。

わかっているのだ。此処が正念場だと。

東部戦線は崩壊寸前だ。鋼都ルーレだけでなく、双龍橋も失った。この状況で黒竜関を失陥する訳にいかない。黒竜関という要衝で第三機甲師団と黒の騎士を止める。あの勢いを防がなければ貴族連合軍は瓦解してしまうに違いない。

だからこそ。誰もが走り回っていた。

機甲兵の整備、武器弾薬の補充、兵糧の管理、戦意の維持。上はログナー侯爵から、下は一兵卒まで一つの目的に邁進していた。

そんな中、オーレリアは限界を迎えた。

疲弊した訳ではない。

諦念した訳ではない。

ひたすらに身体が疼いた。

自らを慰めても。統制しようとしても。

心の奥で爆発しそうな衝動から叫びそうになる。

 

「閣下、どちらへ?」

 

執務机から立ち上がる。

勢いよく。椅子を薙ぎ倒して。

隣に控える副官が眉をひそめていた。

 

「気にするな。散歩だ」

 

安心しろと告げる。

護衛を付けなければと進言する副官に、私より強いのであれば護衛させてやると一蹴。絶句した部下を無視して、オーレリアは足早に執務室から立ち去った。

すれ違う兵士達が怪訝そうに見てくる。視線を投げ掛けるだけで何も訊いてこない。オーレリアから漏れ出る黄金色の戦気が、彼女よりも弱い人物を萎縮させてしまうからだ。

誰にも邪魔されずに黒竜関から離れた。

北へ向けて。ノルティア街道を歩く。

右手に真紅の宝剣を携えながら。

目に映る魔獣たちを駆逐しながら。

 

「足りない」

 

地に伏す数多の魔獣。

鼻腔をつく臓物の異臭。

鮮血に彩られた街道の節々。

地獄絵図の中でオーレリアは呟いた。

 

「足りない」

 

刃を振るっても。

技を繰り出しても。

狂気に身を落としても。

昨日味わった興奮を超えることなどない。

 

「足りないぞ!」

 

圧倒された。

薙ぎ払われた。

無様に大地を転がった。

体勢を立て直しても。目を凝らしても。

黒の騎士は全てを凌駕した。

アルゼイド流でも、ヴァンダール流でもない。

水と油。焔と氷。

相反する二つを融合させていた。

全く新しい剣技へと昇華していた。

 

「足りないぞ、黒の騎士!」

 

羅刹は本気だった。

全力で戦技を放った。王技を解いた。

手加減も。油断も。慢心すらしていない。

なのに届かなかった。軽く受け流された。反撃された。地面に背中を付けたのは初めてだった。

そう。初めてだったのだ。

此処まで敗北感を味わったのは。

片手間にあしらわれる感覚。どんな術を講じても届かないと錯覚する絶望的な戦力差。

生まれてきて。生きてきて。

此処まで誰かに恋い焦がれたのは初めてだった。

 

「早く来い」

 

暴虐を繰り返す。

手当たり次第に。自慰をするように。

目に付く魔獣を殲滅していく。

夜風に散る血飛沫は蝶のようで。朱を闇夜にくっきりと浮かび上がらせている。濃厚な血の臭いは視界すら赤く染めようとしていた。

 

「ふふふ」

 

妖しげに笑う。

こればかりはどうしようもできない。

興奮と。高揚と。

身を焦がす恋心を声音に乗せて笑い出した。

 

 

「あはははははは!!」

 

 

満点の星空。

血臭に包まれる静寂の街道。

宝剣を片手に。仁王立ちで。いつまでも。玲瓏な女性が哄笑し続けていた。

 

 

 








領邦軍兵士「……閣下、怖い(ブルブル)」






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十四話  騎士選択

 

 

 

 

鋼都戦線は佳境を迎えた。

ルーレ市を解放。ザクセン鉄鉱山の奪還。RF社への協力要請。カレイジャスの中立確保。灰の騎神と模擬戦。リィン・シュバルツァーの戦力分析まで終わった。

残す処は二つだけである。

一つはアンゼリカとの契約。即ち親子喧嘩で。

一つは黒竜関の陥落。即ち帝都までの安全確保だ。

俺は首を捻る。具体策が思い浮かばない。

一つずつなら問題ない案件だった。さりとて二つを同時に行うとなると難しくなる。

正直に思う。アンゼリカ・ログナーの我儘を無視したいと。親子喧嘩なんて内戦が終わってからやって欲しい。戦争中に行う事ではない。ログナー親子にどんな事情があるとしても。親子喧嘩に付き合うからルーレ市内部を混乱させてくれという契約を交わしていたとしても。

ログナー侯爵家。四大名門の本邸らしき大豪邸。その談話室。緑色を基調とした高級そうなソファーが二つ、木目調の黒いテーブルを挟んで左右対象に置かれている。

扉から見て左側にゼクス将軍とアンゼリカが腰掛けており、右側に皇女殿下と俺が着席していた。

今後の事について話し合う。

ゼクス将軍の呼び掛けに応えた四人。

当事者であり、責任者であり、部外者であった。

 

「不満そうだな、フェア・ヴィルング」

 

アンゼリカが鋭く睨む。

気配を読まれたか。

東方武術を習っていると聞く。

 

「誤解です、ログナー様」

「本当かい?」

「はい」

「親子喧嘩なんてしてる場合かとでも考えているんだろう」

「――――」

 

内心で首肯する。

第三機甲師団の戦力は格段に上昇した。満足に動かせる主力戦車は四倍以上に増加。俊敏性に定評のある装甲車には対機甲兵用装備を載せた。

更にシュピーゲルを接収。俺の乗機に。ドラッケンよりも出力と反応速度が格段に上昇している上位機甲兵。ようやく身体に馴染んだ。これでオーレリアとも決着を付けられる。生身での斬り合いならいざ知らず、機甲兵を用いた戦闘なら俺が有利だ。

黒竜関は要衝中の要衝。

それでも現状の戦力なら問題ない。

ゴライアスは脅威だが、初期ロットだと致命的な弱点を宿している。ヘクトルも長期戦に向いていない機体だ。問題はオーレリアのみである。

俺など及びも付かない大天才。聳え立つ壁を縦横無尽に破壊しながら突き進む開拓者。戦闘の最中に進化する人外擬き。何かやらかしそうで怖い。

これだからオーレリア・ルグィンは嫌いなんだ。

 

「喧嘩腰なのはやめたまえ」

「申し訳ありません」

「悪かったね」

 

白々しい謝罪だった。

感情なんて一切篭っていない。

ゼクス将軍がやれやれと額に手を当てる。

俺が折れるべきなのだろう。胸襟を開くべきなのだろう。譲れと。大人げないと。先日、ゼクス将軍に戒められた。

だが先に喧嘩を売ったのはアンゼリカだ。

皇女殿下に対する非礼を訴えると、露骨に敵対してきた。曰く胡散臭いと。信用できないと。皇女殿下の傍に相応しくないと。

今更な話だ。俺が最も認識している。

エレボニア帝国を二分する内戦が無事に終結すれば。皇族の方々に平穏が訪れれば。俺のような妖しい人間は必要なくなる。

だとしても、今は激動の情勢下にある。

フェア・ヴィルングが唆した。巻き込んでしまった。だからこそ皇女殿下を守護する義務が存在する。否が応でも傍にいなければならない。

矛盾点を突かれたのだ。

自覚しているからこそ腹立たしかった。

 

「フェア、教えて」

 

隣から服を引っ張られた。

皇女殿下が不安そうに首を傾げる。

 

「どうしました?」

 

鋭利な雰囲気を霧散させる。

穏やかでない心境とは裏腹に優しく尋ねた。

 

「黒竜関を陥すのは難しいのかしら?」

「現時点なら難しくありません」

 

答えるべきは此処まで。

俺は只の客将。正規の軍人ではない。第三機甲師団の誰一人として動かせる権限を持たない。そもそも論として、この場にいることだけでも場違いに過ぎる。実際、皇女殿下の威光を笠に着ていると揶揄する声もあるぐらいだ。

チラリと中将閣下に目配せする。

ゼクス将軍はわざとらしく咳払いした。

 

「フェアの申した通りです。現時点なら難しくありませぬ。黄金の羅刹を食い止め、黒竜関を全壊する気概で攻め込めば一両日中に陥落させる事ができましょう」

「ええと。ならどうして?」

「アルフィン殿下、此処からは私がお答えさせて貰います」

 

アンゼリカが割り込んだ。

曰く父親と決着を付けるために行動してきた。正規軍に味方したのも、ログナー侯爵と一騎討ちさせるという契約を交わしたから。

黒竜関を陥落させてからでも特に問題ない筈。現に俺とゼクス将軍はそう考えていた。だから了承した。ルーレ市で政変が起きれば、攻防戦も早期に決着するとわかっていたから。

問題はルーレ攻防戦の後だった。改めて話し合った時、互いの認識に齟齬があると気付いた。

アンゼリカは憤慨していた。ログナー侯爵に打ち勝ち、己の手で黒竜関を陥すのだと。ノルティア州を統括するログナー侯爵家の娘として。

 

「確かに正規軍だけでも黒竜関を陥落させられるでしょう。しかし、私は自らの手で父の目を覚まさせてやりたいのです」

 

グッと右手を握り締めるアンゼリカ。

皇女殿下は少しばかり思慮の海に潜った後、全員の目を見ながら提案した。

 

「ログナー侯と決着を付けた後、改めて黒竜関へ攻め込むというのはどうでしょう。それにアンゼリカさんが勝てば、ログナー侯も降伏してくださるかもしれません」

「確かにその可能性は否定できませぬ。ログナー侯は武闘派として有名です。皇族への忠誠心も高いものかと。しかし、危惧すべき点はそこではありませぬ」

 

ゼクス将軍が静かに否定した。

アンゼリカとログナー侯爵による一騎討ち。必然的に二人の周囲は空白地帯となる。ノルティア州領邦軍だけなら一枚岩だ。ログナー侯爵の威光も充分通じると考えていい。

さりとて今はオーレリア・ルグィン率いるラマール州領邦軍も存在する。

負け戦の後だ。気が立っているだろう。

好都合だと。仲間の仇だと。飛んで火にいる夏の虫だと。

戦闘に集中するアンゼリカへ横槍を仕掛けてくる可能性を考慮しなければならない。

不運なことに『ゴライアス』も配備されている。アレの面制圧攻撃なら助けに入る前に周辺は更地となってしまう。

 

「アンゼリカ殿が殺されてしまえば、第三機甲師団にも少なからず動揺が走るでしょう。オーレリア将軍がその隙を見逃すとも思えませぬ」

「殺されなければいいだけだろう?」

 

アンゼリカは怫然とした表情で言い返した。

ラマール州領邦軍が暴発する。可能性として一割にも満たない。オーレリア・ルグィン直属の精鋭なら尚更である。

俺とゼクス将軍の危惧は無意味かもしれない。

――だが。

以前の輪廻で聞いた。

この時期、黒竜関にはテロリストがいると。

 

「黒竜関には帝国解放戦線の幹部がいるとも聞いています。何を仕出かしても不思議ではありません」

「テロリスト如きに私が遅れを取るとでも?」

「万が一の可能性も有りましょう」

「無いな。テロリストによる横槍が入ったとしても、不都合な攻撃に晒されようとも勝ってみせるさ」

「信用できませんね」

 

淡々と吐き捨てる。

例え『泰斗流』を身に付けていても。トールズ士官学院で強勢を誇ったとしても。幼い頃に仲良くしていたトワ・ハーシェルの同級生だとしても。

この情勢下では信頼に値しない。

 

「ほう。よく口が回るじゃないか」

 

アンゼリカの口許が痙攣している。

こめかみには青筋すら浮かんでいた。

どうやら平常の許容範囲を超えたらしい。

 

「妥当な判断かと」

「君みたいな男でも『信用』という言葉を知っていたとはね」

「信頼という言葉も知っていますよ」

「下らないな。馬鹿にしているのかい」

「ログナー様こそ」

 

アンゼリカは強いと思う。

ログナー侯爵家に属する者としての責任と覚悟を抱きつつ、それでも奔放さを忘れない気高い女性であると認めている。トワ・ハーシェルの親友でもある。性根の優しい女性なのだろう。

だからこそルーレ市に留まって欲しい。これ以上は戦場に来てもらいたくない。アンゼリカに死なれたら面倒な事この上ないからだ。

 

「契約を反故にするつもりか?」

「時期は定めていませんでしたね。黒竜関を攻め落とした後に好きなだけ親子喧嘩されればよいかと」

「よく言った。表に出てもらおうか?」

「構いませんよ。ところで、表とは何処です?」

「――――」

 

アンゼリカは歯軋りした。

パキパキと。指の骨が部屋中に響く。

どうも地雷を踏み抜いたようだ。

目が血走っている。

首根っこを掴まれた。

抗議するも無理矢理連れて行かれる。

嗚呼、長くなりそうだな。

どこか機嫌の悪そうな皇女殿下の視線に晒されながら。どこか諦めたように首を振るゼクス将軍のため息に謝罪しながら。俺はログナー侯爵家の屋敷を後にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1204年12月20日。

貴族連合軍が放棄した鋼都は一定の秩序を取り戻した。イリーナ・ラインフォルトがRF会長職に復帰した事。帝国の至宝とログナー侯爵家の息女が健在である事。貴族派の行いに眉をひそめる市民が多かった事。様々な理由はあれど、予想されていた混乱は2日も掛からず劇的に収束した。

 

「ねぇ、フェア」

 

ログナー侯爵家の大豪邸。

アンゼリカ・ログナーの計らいから、アルフィンには屋敷の一角が割り当てられた。メイドによって手入れの行き届いた部屋には高級そうな調度品が複数飾られている。塵一つ落ちていない。導力駆動による室温調節も完璧であった。

アルフィンは窓ガラスから外を眺める。

夜天は雲に覆われていた。

微かな月明かりが仄かに地上を照らす。

寂しいなと思った。

まるで未来を暗示しているようだと感じた。

 

「どうされましたか?」

 

背後から声が聞こえた。怪訝そうな声音だ。

部屋に呼び出されたことも不可解なのだろう。

時刻は午後21時。恋人でもない女性の部屋に上がるとしたら不適切な時間帯だ。更に相手はエレボニア帝国の皇女。不敬罪として首を刎ねられてもおかしくない。

勿論、アルフィンはそんな事しないけれども。

 

「アンゼリカさんには親子喧嘩を諦めてもらったと聞いたわ」

 

結果として。

黒竜関に攻め込む段取りは決められた。

出陣は3日後。中心は第三機甲師団。目標は黒竜関の突破。作戦日数は長くて2日。それ以上は兵站に問題が出てしまうらしい。帝都ヘイムダルにまで攻め込むのだ。武器弾薬の無駄遣いは出来ない。

本来なら出陣は2日後だった。

第四機甲師団から打診が有ったらしい。あちらはオーロックス砦を攻略して、翡翠の公都バリアハートを制圧する予定なのだと。同時に侵攻することで貴族連合軍の動揺を誘うと。結果的に損害少なく目標を攻略できるだろうと。

 

「ええ。黒竜関を陥落させた後に親子喧嘩してもらいます。契約を反故にするようで心苦しさはありますが、さりとて致し方ないことかと」

「フェアが3時間も付き合ったお蔭なのかしら?」

「100回ほど投げ飛ばさせて貰いました」

「あらあら」

 

思わず振り返る。

フェアは涼しい顔で続けた。

 

「中々の功夫でした。ログナー侯爵にも勝てるでしょう。しかし万が一を考慮するなら、やはり親子喧嘩に付き合う必要性は薄いかと」

「アンゼリカさんに恨まれないかしら?」

「ご安心を。恨まれるとしても私だけですよ」

 

さも当然のように頷く騎士。

アルフィンは眉を上げた。何回聞いても驚く。

フェア・ヴィルングは他人からの嫌悪を気にしない。いや、気にしているのかもしれないが、仕方ないことだと諦めている。

自らの存在が周囲に害を与えると。

例え嫌われようともどうしようもないと。

アルフィンの胸に渦巻くのは嘆きと憤りだった。

歩み寄る。後一歩でも近づけば胸に飛び込める位置まで。淑女として咎められてしまうほどの至近距離で唇を尖らした。

 

「私は嫌です。貴方が誰かに嫌われるのは」

「これも性分ですから。それに慣れています」

 

目は虚ろで。心は硝子だと。

オリヴァルトは痛ましそうに評価した。

ルーレ市を奪還した翌日、導力通信越しではあるものの久し振りに再会を果たした。互いの無事を喜び、内戦について話し合う。紆余曲折あった。内戦から手を引いてほしいとも。それでもアルフィンの強い覚悟は無事に届いた。

フェアとも会話した後、オリヴァルトはアルフィンにだけ溢した。

彼は非常に危ういと。どうか手綱を握って欲しいと。

アルフィンは迷わずに首肯した。

フェアの危うさは『誰より』も私が知っている。彼の自己評価の低さも。いつ死んでもいいと達観している異常性も。

だから役割を与えたいと考えた。

内戦が終わった後も傍にいて貰う為に。

 

「内戦の後、どうするの?」

「旅に出ようかと考えています」

「どうして?」

「裏の世界を探るのも悪くないかと」

 

セリーヌとも約束しているので。

そう付け加えた黒の騎士は遠い目をしていた。

結社という謎の組織。

鋼の聖女と呼ばれた孤高の武人。

イシュメルガという悍ましい固有名詞。

確かに気になる。

アルフィンとて一日足りとも忘れていない。

朝日に照らされながら微笑んだ格好良さも。

死なないという約束を護った騎士の心強さも。

思い出すだけで胸が高鳴る。顔も赤くなる。耳が熱かった。

 

「フェアは、どうしても旅がしたい?」

 

顔を隠すように。

浮かれた目を見られないように。

視線を足元に向けながら、か細い声で尋ねる。

フェアは吐息を漏らす。

心配そうに。優しく訊き返した。

 

「何かありましたか?」

「お願いがあるの」

「何なりと。アルフィン殿下の願いならば何でも叶えてみせましょう」

 

何でも。

何でも叶える。

繰り返されるフェアの台詞。

アルフィンは勇気を振り絞って顔を上げた。

視線が交錯する。泥水のように澱んだ、それでいて不思議と魅力的に思えてきた群青色の双眸を見つめる。

 

 

「なら、正式に私の騎士となって」

 

 

驚愕から目を見開くフェア。

彼の力強い手を握りながら更なる願いを口にした。

 

 

「ずっと、私を護ってほしいの」

 

 

 








クレア「!?」(全てを零へ)






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十五話  煌魔顕現

 

 

 

 

約1200年前。

一筋の流星が夜空を切り裂いた。

箱庭に降り注いだ外界からの空想。

ソレは『暗黒の地』に根を下ろし、浸食していった。

初代アルノールは『緋』に封印を施す。

目論見は成功して、浸食は食い止められた。

そして――――。

二対の聖獣は調停者と『とある契約』を交わした。

これは誰も知らない御伽話。

書き手のいない物語。

されど静かに筆は進められていった。

誰も知らず。誰も気づかず。黒の史書にも載らない『因果の果て』で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1204年12月24日。

 

「あはははははははは!!」

 

羅刹の叫声が響き渡る。

黄金の機甲兵が縦横無尽に駆ける。

楽しそうに。嬉しそうに。壊れるように。

羨ましい限りだ。内心で嫉妬する。

今現在、オーレリアは幸福の絶頂にいる。幸せの海に浸っているのだろう。声だけでなく。雰囲気だけでなく。機甲兵の動きからでも判断できた。

6日前よりも鋭く。重く。速い。

明らかに操縦が巧みになっている。

大天才。剣の申し子。万能の超人。

少しでもいいから分けて欲しいぐらいだ。

俺は操縦桿を強く握り締めた。

戦場に絶え間なく斬線が刻まれる。交差する物もあれば、空中に溶けてしまう物もある。殺気と本気が入り混じった斬撃は幾度もぶつかり合った。

 

「良いぞ、黒の騎士!」

「舌を噛むぞ、黄金の羅刹」

 

肉薄する黄金の機甲兵。矢をつがえた弓の如く機体がしなった。右腕の先から伸びた大剣。紅い軌跡を辿りながら。右斜め上から振り下ろされる。

戦技でもなく。絶技でもない。

王技でもなく。そもそも剣術ですらない。

所詮は機甲兵と云う機械。剣技を再現するにはお粗末に過ぎる。握力、腕力、脚力、投力。関節の動作範囲、筋繊維の柔軟性。個人が備える身体的特徴を無視した機甲兵では、操縦者の剣技を完全に再現することなど土台不可能な話である。

それでも。だとしても。

鋼の聖女と1226回に及ぶ仕合を行った。

アルゼイド流とヴァンダール流を統合した。

二大流派を極めた先に見えた人外への確かな道筋。

オーレリアの斬撃を軽く弾き返す。右腕が跳ね上がった。胴体ががら空きとなる。隙だ。明瞭白々な隙が生まれた。見逃すなど愚の骨頂。羅刹に対する非礼である。

冷めた思考のまま横薙ぎの一閃。

左腕に搭載されている盾を割り込ませたオーレリア。無茶な動きだった。様々な部分に損傷を与える。だが他に選択肢などない。俺でも同じ事をする。

紙一重で防御した黄金の機体。領邦軍から発せられる安堵の雰囲気。甘いな。俺は戦場の全員が目を見張るような動作を繰り出した。

機体を回転。後ろ回し蹴り。

文字通り一蹴する。

オーレリアの機体が吹き飛んだ。背中から地面に倒れ込む。起き上がろうとするも、脚部の駆動系に異常を来したらしい。腕だけで踠いている。

 

「――――」

 

静寂に包まれる戦場。

ふぅと一息吐く。周囲を見渡す。

黒竜関から何本も黒煙が立ち込めていた。

機甲兵の残骸。戦車の骸。装甲車の破片。

傷だらけのまま投げ出された正規軍兵士。四肢が千切れている領邦軍兵士。空の女神へ届けとばかりに立ち昇る数多の血煙。吐き気がするほど醜い光景だった。

これが戦争だ。これが戦場だ。

長い輪廻で何度も見てきた。共和国と全面戦争に至るまで生き延びた世界線で、嫌になるほど視界に映った。

徴兵されていく男たち。泣く泣く見送る女たち。不安げに見つめる子供たち。それら全てを灰塵に帰す大量破壊兵器の号砲。鋼の轟音は悲鳴を掻き消した。怒号を打ち消した。ヒトの理性を刮ぎ消した。

狂おしい。悍ましい。

人間とはどこまでも残酷になれる。

どうしてか。拷問された輪廻が脳裏を過った。

頭を振る。忘れろ。気にするな。今を見るんだ。

戦況を確認する。問題ない。

第三機甲師団が有利に立ち回っている。ゼクス将軍の巧みな指揮。ルーレ攻防戦の時よりも四倍近く存在する主力戦車群。黒竜関に立て篭る貴族連合軍は防戦一方だ。

だからこそオーレリアは突喊した。戦況を挽回する為に。敗色濃厚な雰囲気を打破する為に。戦車を五台近く薙ぎ倒し、装甲車も同じ数だけ両断した。さりとて快進撃は此処までだ。夢は醒める。

オーレリアを戦闘不能に持ち込めば。底辺を這いつくばる戦意を更に叩き落とせば。第三機甲師団の勝利条件は全て整う。

その筈だった。

その筈だったのに――。

 

「阿呆がッ!」

 

アンゼリカが戦場に現れた。

紫色のシュピーゲルに乗って。

賛同者と思しき領邦軍も引き連れて。

勇しく。雄々しく。猛き咆吼と共に出現した。

諦めていなかったのだ。

親子喧嘩を。黒竜関を攻め落とすのを。

父親であるゲルハルト・ログナーを声高に呼ぶ。黒竜関の陥落が時間の問題だったからなのか、ログナー侯爵は決闘の申し出に粛々と応えた。

意味がわからない。

不遜ながらに思った。

ログナー親子はどちらも莫迦なのだろうかと。

戦場は混乱を極める。

特に第三機甲師団は酷かった。作戦に組み込まれていないアンゼリカ・ログナーの出現に浮き足立つ。幸いにして横槍は無かった。

後一歩で勝利できるのだとゼクス将軍が反発するも、皇女殿下が戦場にいないからなのか、アンゼリカは傲慢にも我儘を貫き通した。

これは私たちの親子喧嘩だと。

手出しは無用だと。安心して見ていろと。

ログナー侯爵の乗る赤いヘクトル。アンゼリカの駆る紫のシュピーゲル。停戦の様相を見せる戦場の中心にて、両機は死闘を繰り広げる。操縦桿を握り締めながら頑固親父と蔑み、馬鹿娘と罵り合う。固唾を呑む両軍。手に汗握り、親子喧嘩に因る勝敗の行方を見守っている。

そんな中、俺はひどく白けていた。

とんだ茶番だ。下らない。今更過ぎる。

何故、親子喧嘩に拘るのか。

戦場で散った命を馬鹿にするのか。

もしも負けたらどう責任を取るつもりなのか。

それでも見殺しにできなかった。

アンゼリカを死なせたら鋼都は混乱してしまう。

ふと気付く。妙な物が見えた。

紫の機甲兵から『黒い靄』が溢れ出している。

アレは何だ。目の錯覚か?

違うな。確かに存在している。

周囲の反応を確かめる。

どういう事だ。誰にも見えていないのか。

胸がざわめいた。

気持ち悪い。気持ち良い。

二律背反する心境。呼吸が乱れる。汗が止まらない。身体が震え出す。胸倉を掴んだ。落ち着け。落ち着け。言い聞かせる。先ずは息を整えろ。ゆっくりと。ゆっくりと。此処は戦場だ。気を抜けない。しっかりしろ。

赤く染まる視界の端に、何か大きな影が見えた。

黒竜関から跳び降りたのか。勝利の余韻に浸るアンゼリカの機体を踏み潰そうとしている。巨大さから考えてゴライアスだ。目測だが15アージュぐらいか。一刻の猶予もない高さだった。

何故か誰一人として『気付いていない』。

 

「退けっ!」

 

咄嗟に身体が動いた。

機甲兵越しにアンゼリカを蹴飛ばす。

何故なのか。どうしてなのか。

頭上に迫る巨大機甲兵。距離にして2アージュ。

剣で受け流せるか。無理だ。断ち切れるか。不可能だ。四肢を切断する前に剣が折れてしまう。桁外れな質量爆弾だ。技量は役に立たない。横に跳ぶか。間に合わない。その前に踏み潰される。

残り1アージュ。

時間がない。防ぐ方法もない。

どうしたらいい。

諦めない。諦めたくない。

『皇女殿下』の顔を思い出した。

停止する時間。

永遠に続く絶望。

そんな中で、

 

 

 

「黒メ、余計ナ事ヲスル」

 

 

 

毒々しい声が聞こえた。

 

 

「!!」

 

全身が総毛立つ。

頭上の機甲兵なんて問題じゃない。

静止した時間の中で『緋い死』が訪れた。

 

 

「マァ、良イ。コノ時ヲ待ッテイタ」

 

 

存在Xか。存在Yか。

いや違う。違う。違う!!

この『緋い死』は何かが違う。

背筋が凍る。四肢が強張る。

呼吸が出来ない。瞬きが出来ない。

操縦桿を握り締めながら。

落ちてくる巨大な機甲兵を眺めながら。

背後で佇む『緋い死』の声に耳を傾ける。

 

「闘争ニ犯サレタ者ヨ」

 

淡々と。

 

「混沌ニ包マレタ者ヨ」

 

粛々と。

 

「貴方ニ幸セハ訪レナイ」

 

懇々と。

 

「輪廻ノ先ニ待ツノハ破滅ノミ」

 

悠々と。

 

「選ベ」

 

蕩々と。

 

「コノママ踏ミ潰サレルノカ」

 

錚々と。

 

「誰カヲ輪廻ニ巻キ込ムノカ」

 

脳裏に浮かんだのは皇女殿下の姿。

誰よりも可憐で。誰よりも心優しい少女。

騎士になって欲しいと願われた。

ずっと護って欲しいと請われた。

答えは出していない。

迷っている。悩んでいる。

内戦が終わるまでに決めなくてはならない。

皇女殿下の騎士として今回の輪廻を諦めるのか。

輪廻を進める為に皇女殿下の願いを無碍にするのか。

――どちらにしても。

この地獄に誰かを付き合わせる気などない。

問答無用で踏み潰されても。

皇女殿下に忘れられたとしても。

クソッタレな輪廻で足掻くのは俺一人で充分だ。

 

「貴方ノ人生ニ意味ハナイ」

「貴方ノ選択ニ意味ハナイ」

「貴方ノ慟哭ニ意味ハナイ」

 

今更な話だ。笑わせるな。

人生を呪わなかった日などない。

選択を悔やまない日などなかった。

慟哭に時間を費やしたのは最初だけだ。

戦うと決めた。諍うと誓った。

絶対に輪廻から抜け出すのだと決意した。

 

「フム。初代ノ見立テ通リカ」

 

ならば――――。

 

「ソノ覚悟、確カニ受ケ取ッタゾ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日同時刻。

カレル離宮は解放された。

第三機甲師団の南進。第四機甲師団の西進。彼らのあまりにも速すぎる進撃。援軍として帝都近郊から兵士が少なくなり、注意を引かれた貴族連合軍旗艦の隙すら突く、神速の解放劇であった。

紅い翼に乗るトールズ士官学院の生徒たち。第三の道を選んだ特科クラス。彼らは多くの守衛を突破して。立ち塞がる強敵を捻じ伏せて。皇族を助け出した。

ユーゲントⅢ世、プリシラ皇妃。

そして、セドリック・ライゼ・アルノールも。

誰もが笑い、誰もが喜んだ。

当然ながらリィン・シュバルツァーも。

フェア・ヴィルングから頼まれていたのだ。

貴族連合軍の隙を作ってみせるから、紅い翼によってカレル離宮を奪還。幽閉された皇族の方々を解放して欲しいと。

これでセドリック皇太子を利用される事もない。

第三機甲師団と第四機甲師団は順調に目標を攻略している頃と聞く。内戦も終結に近付いた。その一端を担えた者として、リィンは万感の想いを抱きながら皇帝陛下より言葉を賜っていた。

――――だが。

突如、地響きが轟いた。

帝都の空に光の柱が出現する。

皇城方面から発する光は形を歪めていく。

禍々しくも神々しい異形な城へ変貌していった。

魔女は禁忌を犯していない。

アルノールの血も必要としていない。

それでも『煌魔城』は出現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴族連合軍旗艦パンタグリュエル。

白銀の巨船は全速力で南下していた。

黄金の羅刹すら食い破る黒の騎士。彼の存在を危惧したカイエン公爵の命により、黒竜関へ援軍として北上していた際、カレル離宮襲撃の急報が届いた。急いで反転。不埒者を叩き潰そうと急行した矢先、帝都上空に巨大な光の柱が顕れた。

突如降臨した煌魔城に対して、呆気に取られていたカイエン公爵はいち早く自我を取り戻す。船橋を見渡した。誰も彼もが驚き、慄き、有用な情報を齎そうとしない。

使えない連中だ。舌打ちする。

首が千切れるかの如く振り返る。

協力関係を結んでいた魔女に詰め寄った。

 

「どういう事だ、魔女殿!」

 

カイエン公爵は怒鳴り散らした。

彼の心境からしてみれば当然とも云える。

内戦がどういう結末を迎えるにしても煌魔城を出現させる予定だった。セドリック皇太子を利用して『緋の騎神』を起動し、文字通り己の手で帝国を支配する。偽帝と罵られたオルトロス皇帝を祖先に持つカイエン公爵の野望でもあった。

 

「何故、アレが出現する!」

 

その為に魔女や結社と手を組んだ。

莫大な金銭で西風の旅団も雇った。

亡国の浮浪児を引き取り、手駒に仕立て上げた。

その結果がこれなのか。

 

「早く答えろ、魔女殿!」

 

ふざけるな。

馬鹿にするのもいい加減にしろ。

 

「カイエン公、少し静かにして貰えますか?」

 

紫紺の眼光に射抜かれた。

一歩後ずさる。呼吸が止まった。

猛獣の前に引き摺り出された感覚。逆らえば危険だと本能が教えてくれる。無闇に手を出せば噛み付かれるだけでは済まないと。

 

「私も想定外の事態に驚いています。まさか此処で煌魔城が出現するとは。まさか婆様が、いえ有り得ない。なら――――」

 

眉を寄せる絶世の美女。

ヴィータ・クロチルダは目を閉じた。

想定するとしたらフェア・ヴィルングの仕業。だとしてもどうやったのか。如何に黒の思念体に取り憑かれているとしても不可能だ。呪いと連動したのか。オルトロス帝の秘術によって『紅き終焉の魔王』は神の域に達している。最早、概念世界の存在に近い。黒の思念体だけで発動できると思えない。

ヴィータは黙々と予測、推測を積み重ねる。

思考の海から引きずり上げたのはクロウ・アームブラストだった。

 

「おい、ヴィータ」

 

肩を掴まれた。

 

「なに?」

 

視線を動かす。目だけで盟友を視認した。

クロウ・アームブラストは異形の城を指差した。

 

「理由は後だろ。今は煌魔城に行くべきだ」

 

一理あると思った。

考えるのはいつでも出来る。

煌魔城の占拠を優先すべきだ。

今ならそう難しくない。終焉の魔王さえ顕現させなければ。

固まったままのカイエン公爵に事態の優先順位を伝えようとしたヴィータだったが、続けて言い放ったクロウの言葉で卒倒しそうになった。

 

 

「劫炎の野郎は先に行っちまったぜ」

 

 

 

 

 

 









全部さん「ひゃっはー!!」






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十六話  魔人歓喜

 

 

 

 

 

魔女は術式の展開を急いだ。

焦燥感に突き動かされるように。

嬉々とした魔人を食い止めるために。

煌魔城出現の理由は不明なまま。他の魔女による仕業なのかもしれない。可能性としては有り得る。アルノールの血筋すら用意せずに顕現させた方法も理由もわからないけれど。

ヴィータ・クロチルダは八割を超える確率で、フェアが絡んでいると推測する。最悪の可能性を考慮するなら『緋の騎神』の起動者になっているかもしれない。

盟主からの言付け。絶対に護らなければならない頼み事。曰く、黒の騎士と火炎魔人を相対させてはならない。世界が滅びる。闘争の果てに待つのは灰に塗れた瓦礫だけだ。

 

「止まりなさい!」

 

煌魔城、緋の玉座。

中心にて封印されている緋の機体。

他の騎神より二倍近い大きさを誇る魔王である。

獅子戦役で封印されてから早くも250年。御身の力だけで異形の城を顕現させたにも拘らず、その姿は余りに寒々しく、さりとて神々しい物だった。

まるで制御されているみたいに。

まるで何者かに操られているみたいに。

 

「深淵か。何しやがる」

 

強固な霊子結界を張る。

どうやら間一髪で間に合ったようだ。

緋の騎神まで残り一歩。

おもむろに手を伸ばすマクバーンを封じ込める。

目に見えない壁によって遮られた火炎魔人は苛立ちを隠さずに舌打ちした。

振り返った表情で全て察する。

眼鏡の奥で、双眸が黒く染まっていた。

 

「想定外な煌魔城の出現なのよ。何の対策もせずに緋の騎神に触れるなんて自殺行為も良いところね。感謝してほしいものだわ」

「想定外な奇蹟なんだろ。なら俺の目的にも合致する。コイツは、外から干渉されたって訳だ」

 

歓喜に満ちた表情で騎神を見上げる魔人。

今にも哄笑しそうな喜びようだった。

ヴィータにも気持ちは理解できる。

五十年来に及ぶ自己探索。探し続けた同胞の存在を感知したからこそ、使徒の制止も聞かずに猪突猛進したのだと。

 

「カンパネルラから聞いてる。盟主からの言付けも、世界が滅びるとかなんとかって話もな」

「その割には警戒してなかったようだけど?」

「当たり前だろ」

「どういう事?」

「こうして見てりゃわかる」

 

ヴィータは改めて緋の騎神を凝視した。

両腕と両脚は蔦に絡み取られている。目視できるのは腹部と胸部、顔の部分のみ。『紅き終焉の魔王』と化していない。されど生きているような鼓動。今にも動き出しそうな生命感。仄かな緋黒い光を発している。

そして『核』の中に誰かの息吹を感じた。

 

「誰かいるわね。起動者かしら」

「さぁな」

「貴方ねぇ」

「俺にわかるのは、この中にいる奴は相当気の毒な奴だって事ぐれぇだ」

「気の毒?」

「ドロドロに混じってやがる。一つじゃねぇぞ。大まかに二つだな。それ以外にも二つ。割合的に見りゃ4、4、1、1って感じだ」

 

深淵の魔女は目を白黒させた。

恐らく核にいる存在はフェア・ヴィルングだ。

来訪者であり、何かが混じった存在。世界の理を崩壊させかねない危険因子。今のところ結社が把握しているのは火炎魔人と黒の騎士だけである。

確証は得られた。疑問は一つだけ晴れた。

それ以上に頭を悩ませる情報が耳に入った。

複数混じっていると火炎魔人は口走った。一つは黒の思念体と見ていい。もう一つも朧げながら把握している。だが、残りの二つは何なのか。見当も付かない。

カンパネルラなら知っているのだろうか。

盟主の代理人。計画の見届け役であるアレなら。

 

「面白くなってきやがったな」

 

マクバーンは唇を剃り返すように笑った。

魔人の身体から炎が溢れ出す。黒焔を出されてしまえば如何に霊子結界とて保てないだろう。全面戦争に至る。クロウやブルブランと共闘したとしても勝利できない。敗北必至。結社最強の執行者とは、使徒すら軽く凌駕する域に達した化物なのだから。

それでも強気に。凄みを込めて言い付ける。

 

「緋の騎神には手を出さないで」

 

ヴィータの本気を感じたのか。

それともまだ我慢できるのか。

マクバーンは嘆息した後、後頭部を掻いた。

 

「わぁってるよ」

「あら、聞き分けがいいわね」

「盟主からも再三言われてるからな」

 

マクバーンは眼鏡を掛け直した。

ポケットに手を突っ込み、気怠げに口を開く。

 

「つーか。いい加減、この結界を解けや。鬱陶しい事この上ねぇんだが」

「ごめんなさいね。貴方を信用していないのよ」

「あっそ」

 

油断せず。目を離さず。

ヴィータは霊子結界を解いた。

 

「どうぞ。悪かったわね」

 

身動きが取れるようになった魔人。

首の骨を三度鳴らして玉座から離れた。

満悦の表情を隠さず。目を輝かせながら。相好を崩して。マクバーンは軽い歩調でヴィータの横を通り過ぎた。

 

「それで?」

「あ?」

 

待ちなさい、と蒼玉の杖で停止させる。

話はまだ終わっていないのだから。

執行者は自由の身。制止命令を無視した事は咎めない。口煩く説教する義務も権利もない。火炎魔人の意を翻すなど、盟主でもなければできない芸当でもある。

何処かで暇でも潰そうと考えていたのだろう。マクバーンは苛立った様子で睨み付けてきた。

ヴィータはそよ風のように受け流し、緋の騎神を指差した。

 

「貴方と来訪者が出会えば世界は滅びるかもしれないのに。どうしてあんなに警戒してなかったのかしら?」

「四つの存在が混じってるって言ったろうが」

「だから?」

「来訪してる奴は抑えられてるんだよ、アレでもな。まぁ『誰か』の仕業なんだろうが。緋の騎神越しに俺が触れただけじゃ世界は壊れねぇよ」

 

燃やし尽くしたらわからねぇけどな。

魔人は冷笑しながら吐き捨てた。

焔の転移術を用いて、玉座から姿を消す。

深淵の魔女は緋の玉座で一人立ち尽くした。

フェア・ヴィルングは黒の思念体に取り憑かれた被害者だ。大地の聖獣による檻の力も観測されている。相克の果てに辿り着く結末。闘争の業火を食い止める為に、フェア・ヴィルングの存在はまさしく適任だった。

来訪者とは、黒の思念体ではない。

火炎魔人と同格とするなら『外なる神』に起因する物か。そして、神すら抑える存在。この状況を予見した『誰か』。頭痛がしてきそうな謎の数々だった。

盟主は教えてくれなかった。

あの方なら知っている筈なのに。

これも必要なのか。それとも試練なのか。

ヴィータは緋の騎神へ近付いた。

距離が縮まる分だけ大きな胎動を感じる。

孵化しそうな。進化しそうな。

気持ち悪くも感じていたい禁忌の手触りだった。

 

「どうしてこうなったのかしらね、フェア」

 

緋の騎神へ手を伸ばす。

刻々と。少しずつ。緩やかに。

4リジュ。3リジュ。2リジュ。1リジュ。

腹部に触れた瞬間――――。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

泣いた女の姿が目蓋の裏に映った。

笑っている。泣いている。

喜んでいる。悲しんでいる。

両腕を広げて、オペラ歌手のように。

ステージ上で誰かの祝福を寿ぐように。

女の姿に見覚えなど無かった。

悍ましい歌詞にも聞き覚えなどなかった。

なのに。

ヴィータ・クロチルダは惹かれた。

出来ることなら永遠に聴いていたいと思える唄声だった。

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

「おお。これが緋の騎神か!」

 

 

野太い声が響いた。

協力者であるカイエン公爵の声だ。

何故か反発心を覚えたヴィータは我を取り戻す。

深淵に引き摺り込みそうな誘惑を断ち切り、緋の騎神から手を離した。酷く疲れている。肩で息をした。一度目を閉じた。深呼吸。目を開ける。

――――何か大事なものを忘れた気がした。

 

「デカいな。オルディーネの2倍以上かよ」

 

クロウも煌魔城を登ってきたようだ。

カイエン公爵の護衛は疲れただろうに。

汗一つ掻いていない。まったく大した男である。

 

「ようこそ、緋の玉座へ」

 

ヴィータは恭しく招く。

緋の騎神に触れていた事実を忘れながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フェアの駆る機体を押し潰した巨大機甲兵。

見事なまでに戦場の混乱を突いた操縦者は圧倒的な面制圧能力を駆使し、帝国正規軍並びに貴族連合軍の部隊すら薙ぎ払った。

正規軍の快進撃を支えた黒の騎士。彼の敗北は第三機甲師団を動揺させる。結果として、主力戦車を十台破壊されてしまう事態に陥った。

瞬く間に戦場を蹂躙したゴライアス。死に場所を求めた同志V。帝国解放戦線の幹部に引導を渡したのはオーレリア・ルグィンだった。

戦場に茶番を持ち込んだログナー親子。敵味方の区別すら付かないテロリスト。そして、たかだか同志Vに殺されてしまった好敵手。様々な憤りと嘆きを剣に乗せて、オーレリアは予備の機体でゴライアスを破壊した。

帝都ヘイムダルの異常事態。貴族連合から離脱したログナー侯爵家。以上を考慮して、黄金の羅刹は黒竜関の放棄を決意。

その後、正規軍に停戦を呼びかける。

ゼクス・ヴァンダールは苦渋の末に合意した。

 

「フェアはどうなりましたか!?」

 

正規軍が占領した黒竜関。

ログナー侯爵が使用していた執務室。

アルフィンの期待に満ちた叫び声が木霊した。

既に黒の騎士が敗北したのだと伝えてある。

敵の機甲兵に押し潰された事も。

最早、彼の生存は絶望的である事も。

それでも期待しているのだ。

生きていると。元気な姿で会えると。

目を閉じたゼクスは静かに首を横に振った。

 

「せめて遺体だけでもと思ったのですが」

 

息を呑むアルフィン。

半笑いに似た痛ましい表情で尋ねる。

 

「――生きている、可能性は?」

「即死は免れていたとしても、コックピットの惨状を考慮すれば圧死は間違いないかと。しかし、遺体はおろか血糊すら発見できませんでした」

 

まるで最初から搭乗していなかったように。

 

「どういう事、ですか?」

「わかりません。されど、フェア・ヴィルングは戦死扱いと致します。皇女殿下も左様に扱って貰いたく」

「フェアは――」

「これ以上、彼の生死に時間は割けませぬ」

 

主君の言葉を遮る。

力強く。厳しい視線を持って。

ゼクス・ヴァンダールとて人の子である。

名将たる者、他者の気持ちに敏感でなければならない。

故にアルフィンの気持ちには勘付いていた。フェアを騎士として推挙した事も。英雄と崇めている事も。全て彼女の恋心から発露された物だと。

だとしてもフェア・ヴィルングは死んだのだ。

これ以上は時間の無駄である。

気にしても仕方ない。

忘れるべき人間と云える。

 

「殿下、現状は把握されている筈です」

 

正規軍の侵攻に併せて、紅い翼によってカレル離宮は奪還。皇族の方々も解放された。既に安全な場所へ避難されたとも聞く。

大変喜ばしい。

貴族派が邪な事を考えても無駄となった。

問題はバルフレイム宮の変貌だ。

帝都全域を赤黒い靄が包んでいるらしい。

オーレリアは何も知らない様子だったが、恐らくカイエン公爵の仕業だろうと眉をひそめていた。絶佳の武人は、カイエン公め何をやっているのかと酷く不機嫌な様子だった。

 

「嘆くのは後にしろ、と申されたいのですね」

 

アルフィンは涙を拭った。

零れ落ちる滴を振り払い、前を向く。

その双眸はどこまでも昏く、赤く、燃えていた。

 

「御意」

「わかりました」

 

首肯するアルフィン。

どうやら意識を切り替えたらしい。

平時から有事へ。

心優しい少女から皇族の一人へ。

 

「ならば将軍、帝都への進軍は可能ですか?」

「半日ほど時間を頂けるならば」

「軍用艇だけで先行するならどうでしょう?」

「可能です。しかし、貴族連合軍の制空権内へ飛び込む事になります。旗艦パンタグリュエルも守備の任に就いているでしょう」

 

高速巡洋艦カレイジャスなら。

貴族連合軍の弾幕を躱しつつ、帝都方面の惨状を確認できる。変貌した皇城へ突入できる。だが、一般的な軍用艇では叩き落とされてしまう。

 

「第四機甲師団はどうなりましたか?」

「バリアハート市を占領したと。皇女殿下の赦しを得て、温泉郷ユミルへの襲撃とケルディック焼き討ちの件でアルバレア公爵を逮捕したとも」

 

アルフィンは淡々と頷いた。

瞬きは疎らで。瞳孔は開いたまま。

大丈夫だろうかと心配になるゼクス。

 

「将軍、軍用艇の用意を」

 

アルフィンが立ち上がる。

静かに。堂々と。威風を兼ねて。

首を垂れそうになるゼクスだが、それでも第三機甲師団を預かる長として訊き返した。

 

「偵察にお使うつもりですか?」

「いえ。ある分だけ用意してください」

「殿下、それは――」

「私も向います。準備なさい」

 

ゼクスはなりませぬ、と声を荒らげる。

 

「もしも彼らに御威光が届かなければ」

 

如何に軍用艇と云えども。

墜落は免れない。

乗組員も一人残らず死ぬだろう。

帝国の危機を駆け抜けた皇女殿下が殺されれば。貴族勢力を駆逐するまで。国民感情が落ち着くまで。正規軍と貴族連合軍は戦争を続けてしまう。内戦は泥沼に陥ってしまう。

どうかお考え直し下さいと頼み込む。

 

 

「届きます。いえ、届かせましょう。この異常事態に於いてなお、内戦を継続するような愚か者であれば尚更です」

 

 

――だが。

アルフィンは昏い笑みを浮かべた。

どこまで冷酷で。

どこまでも残酷な。

闘争と混沌に満ちた昏い笑顔だった。

 

 

 

 








アルフィン「貴族許すまじ(一部を除いて)」







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十七話  煉獄焚刑

 

 

 

 

 

異界と化したバルフレイム宮。

赤黒い靄に包まれた帝都全域。

帝国正規軍と貴族連合軍は戦争の最中。

パンタグリュエルは帝都上空に佇むのみ。

満足に動けるのはカレイジャスだけという状況であった。皇帝陛下からの頼み。帝都市民の安全確保。第三の道を歩むという彼ら自身の誓いも含めて、トールズ士官学院特科クラスは貴族連合軍の弾幕を躱しながら煌魔城へ飛び込む。

攻略当初から灰の騎神が過負荷状態で動けなくなるという問題が生じたものの、数多の魔獣や魔物を駆逐しつつ破竹の勢いで上層へ突き進んだ。

第一層終点にて『怪盗紳士』ブルブランと対面した結果、無事に勝利を収める。曰く、本来ならば『神速』のデュバリィも待ち構えている筈だったとの事。結社の予想よりも1週間ほど早い煌魔城降臨によって、クロスベル方面から戻ってこられなかったらしい。

第二層終点にて『破壊獣』レオニダス、『罠使い』ゼノと刃を交えた。フィー・クラウゼルの意地と成長を見届けた二人が勝負を譲ったことで決着を見る。何故と尋ねるフィーに、団長を取り戻すという意味不明な台詞を言い残して。

――そして。

第三層終点にて。

執行者No.Ⅰが姿を現した。

面倒だと口にする『劫炎』に対して、あらゆる自由が認められている筈の執行者なら邪魔せずに立ち去れと『紫電』のバレスタインが提案する。

 

「確かにお前らの因縁になんて興味ねぇよ」

 

心底どうでもよさそうに吐き捨てた。

後ろ首を摩り、気怠げに笑ってみせる。

戦闘本能すら感じさせない怠惰な姿だった。

 

「ならどうして此処にいるんだ」

「他に目的でもあるっていうの?」

 

サラが訝しげに目を細める。

リィンの疑問を補完するような問い掛け。

特科クラス全員の眼差しが魔人に突き刺さる。

マクバーンは怯えることなく答えた。

適当に。さりとて確固足る意志を込めて。

 

「時間を稼いでくれって頼まれたからな」

「頼まれた?」

 

首を傾げるアリサ。

程度の差はあれど、誰もが頭を捻った。

リィンは眼前の男性を見定める。

劫炎のマクバーン。結社最強の男。何かが混じっている存在。傲岸不遜でありながらも。正体不明な異能の使い手でも。クロウ・アームブラストと行った決闘を見届けた理知ある常識人でもある。

彼に時間を稼げと頼める存在。

リィンは該当しそうな人物の名前を口にする。

 

「クロチルダさんからか?」

「惜しいな。深淵の奴じゃねぇ」

「姉さんじゃないのなら、一体誰が――」

 

執行者よりも上位の存在など。

結社の最高幹部である『使徒』ぐらいだろうに。

帝国中で暗躍するヴィータ・クロチルダなら適合すると思った。他にいるのか。同僚である執行者からか。それとも他の使徒も帝国入りしているのか。

最悪な未来である。これ以上は許容できない。

 

「教えて貰いたけりゃ俺に認められるんだな」

 

マクバーンから焔が溢れ出した。

距離にして15アージュ以上離れている。

酷く熱い。膨大な熱気が肌をチリチリと焼く。

種も仕掛けも。駆動も詠唱もしていない。

純粋無垢な異能の力。

全てを焼き尽くす劫炎の能力。

特科クラスの面々が得物を手にした。

相手は格上。一歩でも間違えれば消炭となる。

それでも此処まで来た。

数多の想いを抱いて駆け上がった。

だからこそ退くわけにいかない。

前に進む。壁など突き破るだけだ。

 

「良い目付きだ。ちったぁ強くなったな」

 

魔人の目が一点を凝視する。

身を竦ませる眼光。首を垂れそうになる重圧。

負けられない。負けてたまるか。

この手で道を切り開くと誓ったのだから。

 

「アンタに届いた気はしないけどね」

「そりゃそうだ。でも悪くねぇぞ、お前」

 

自らを鼓舞する。

リィンは刀を正眼に構えた。

呼吸を整える。明鏡止水の境地に片手を掛けた。

一つ目の切り札。神気合一。鬼の力を招来させる。

髪色は白く変貌し、双眸は紅蓮と化した。

全身が赤黒い瘴気に包まれ、声すらも低くなる。

 

「良いねぇ、楽しませてくれそうじゃねぇか」

 

余興としてなら充分だ。

心底楽しそうに哄笑する。

誰よりも余裕で。誰よりも快活で。

魔人が一歩近付いた。

刻一刻と増していく熱量に顔が歪んだ。

リィンは無意識に一歩だけ後退る。

強いと分かっていた。最強だと理解していた。

それでも想定が甘かった。アレはまだ本気を出していない。手加減すらしていない。最初から遊ぶ為だけに焔を操っている。

勝てるか。倒し切れるだろうか。

無理だ。不可能だ。その前に灰となる。

道を切り拓くだけなら。

クロウの元へ駆け抜けるだけなら。

弱気になるリィンにセリーヌが一喝した。

 

「しっかりしなさい!」

「――ああ、悪い!」

 

何を迷っていたのか。

どうして死ぬことを考えたのか。

既に退けない場所にいる。恐れる必要などない。

深呼吸。

心を落ち着かせる。

弱気な心を打ち消せ。

意志を強く保て。顔を上げろ。

一歩下がったなら二歩前に進むだけだ。

 

「騎神を呼んだらダメだからね」

「わかってるさ。此処は騎神なしで切り抜ける」

「良い心がけだ。騎神を呼ばれちまったら、流石に俺も本気を出すしかなくなるからなぁ」

 

不気味な瞳が一瞬だけ見えた。

漆黒の虹彩。琥珀の瞳孔。

人間を超越した存在と思しき眼だった。

 

「さぁ、来い」

 

マクバーンが告げる。

焔の勢いが強くなった。

正念場だ。気合を入れろ。

右足に力を込める。柄を強く握り締めた。意識を集中。焔は躱す。戦技は打ち消す。熱量は我慢する。八葉一刀流中伝の名に相応しい業を繰り出してみせる。

 

「俺に膝を付かせたら玉座に行かせてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醒めない悪夢だ。

いつか目覚める時まで。

火炙りの刑に処されている。

緋の帝都ヘイムダル。その中央に聳え立つバルフレイム宮。紅い皇城の前に広がるドライケルス広場にて。何回も、何千回も。数えきれない程に。

広場の中心に火刑台が設置されている。薪が山と積まれ、見知った顔が周囲を取り囲む。逃さない為に。指を差すために。不出来な愚か者を嘲笑う為に。

俺は棒立ちのまま処刑を待つ。最初は逃げようとした。赤黒い空。憎悪に彩られた人々の目。異様な雰囲気から脱兎の如く走り去ろうとして、唐突に力が抜けた。歩こうとするだけで転んでしまう始末。四つん這いでも無理だった。頭を蹴られ、背中を踏み付けられ、両脚を掴まれた。

例の如く俺を火刑台まで引っ張っていく男。誰なのだろうかといつも思う。黄金の髪色、翡翠の双眸。似た人物を知っている。似た一族を知っている。だけど思い出せない。

執行人が手慣れた様子で杭に縛り付けた。薪の山に火を点す。熱い。痛い。煙が意識を朦朧とさせる。思わず叫び声が漏れた。足先から炙られる感覚は慣れないと思う。未来永劫。この世の終わりまで。

身を捻る。煙から逃げる為に顔を上げる。涙は直ぐに蒸発する。痛みは消えない。熱量は増していく一方だ。皮膚は爛れて、骨は崩れ落ち、脚が炭化していった。

明るく輝く炎に周囲の人々は歓声をあげた。俺を指差している。嘲笑っている。今回も失敗したのかと。何回失敗すれば懲りるのかと。次こそは面白い光景を見せてみろと。

クレアさんが笑っている。ミハイルさんが嗤っている。ヴィクターさんが呵っている。オーレリアが哂っている。

誰も彼もが俺を馬鹿にする。

使えない。意味がない。死ねばいいのにと。

炎は何処までも広がっていく。2日掛けて腰まで到達した。本来なら死ぬだろうに。この世界だと気を失うことも出来ない。煉獄の炎が全身を覆い尽くすまで火炙りは続いていく。

絶叫は木霊する。

どこまでも。いつまでも。

 

 

「起キテ、フェア」

 

 

ループ脱却を失敗する度に。輪廻を跨いでしまう度に。約3日掛けて行われる無慈悲な焚刑。神聖なる炎で身を清めてから先に進めと云わんばかりに。

煉獄の苦しみを追体験する中、赤黒い空から声が聞こえた。誰の声だろう。思い出せない。覚えていない。激痛で記憶が霞む。視界がぼやける。声も出ない。早く終わってくれと願うしかない。

 

 

「起キテ、フェア」

 

 

嗚呼。でも――。

心に響く声だなと思った。

叶うならずっと聴いていたいと哀願する。

神様でも。天使でも。悪魔でも何でもいいから。

もう一度だけ彼女に会わせてくれないか。

約束がある。果たすべき契約が残っている。

無明の空に向かって右手を伸ばした。

誰かが。触った事のある掌が。

俺を煉獄から引っ張り上げてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、お勤めご苦労様だったね」

「お前さん、もしかして暇なのか?」

 

帝都近郊の街トリスタに転移した魔人。

劫炎のマクバーンを待ち構えていたのは見慣れた道化師だった。ニコニコと。ニタニタと。何が面白いのか。何が楽しいのか。正体不明な笑みを浮かべている年齢不詳の少年。ひたすらに不気味である。

 

「暇とは酷い言い草だなぁ。これでもクロスベルからの帰りなんだから。特務支援課とも一戦してきた後なんだよ」

 

カンパネルラはやれやれと肩を竦める。

道化師は盟主に代わる計画の見届け役。戦闘行為そのものが専門外だ。にも拘らず、一戦交えた。つまりそれだけ特務支援課を買っているという事である。

珍しいなと瞠目する。

特務支援課とやらに興味が湧いた。

 

「特務支援課ねぇ。強ぇのか?」

「闘神の息子や銀、守護騎士までいるからね」

「鋼もそんな事言ってやがったな。面白い奴らだとか」

 

錚々たるメンバーだと思う。

猟兵王と対を成した『闘神』の息子。東方人街に於いて伝説の凶手として恐れられた『銀』。加えて、1000人近い聖杯騎士の中でも12人しか存在しない守護騎士まで名を連ねるとは。

警察の部署で収まるべき人材ではないだろうに。

 

「壁を乗り越えようとか。零の至宝を取り戻すとか。熱血なんだよ。見てる分には面白いかな。厄介でもあるんだけどね」

 

相当な熱血漢が率いているらしい。

嫌いではない。だが、好きにもなれない。

身を焦がすような闘争から目を背けたばかりだ。

特に強く感じる。羨ましいと。なにも考慮せずに『本気』を出したいと。記憶を取り戻したいのだと。

これ以上はいけない。

自重しろ。機会は来る。

世界が崩壊してしまう願いを振り払う。

敢えて適当に答える。

興味なさそうに。投げやりに。

心の奥に灯った闘争を鎮めるように。

 

「クロスベル関連は知った事じゃねぇけど」

 

カンパネルラが顔を顰める。

 

「えぇ。どうして訊いてきたのかなぁ」

「いつにも増して薄気味悪ぃからだろうが」

「そう?」

「お前、時々『黒く』なるよな」

 

怖気が走るような笑み。

背筋を凍らせるような雰囲気。

全てのモノを憎悪するような視線。

飄々とした道化師に不釣り合いな感情の発露だ。

 

「そんな事ないよ」

「そうか?」

「この世を腹立たしく思うだけさ」

「意味わからねぇが」

「まぁまぁ。とにかく時間稼ぎご苦労様」

 

露骨に話を変えられた。

気安く肩を叩くカンパネルラから離れる。

上機嫌を装いつつも、未だに不機嫌だと気付く。

一仕事終えたのに。

我慢してやったというのに。

マクバーンは嘆息してから答えた。

 

「盟主からの頼みだからな」

 

盟主直々に頼まれた。

灰の起動者と仲間たちの実力を見極めろと。

魔人に膝を付かせる事が可能か。劫炎に耐えられるのか。結社最強の執行者と20分以上戦い続けられるかどうかを。

予想以上に食い下がってきた。

盟主の戒めさえ無ければ『火炎魔人』と化していたと確信できる程にアツくなれた。灰の騎神とその起動者が相手なら血潮滾る戦いが行えただろうに。

勿体ないと思えた。

だからこそ元を取らねばならない。

 

「わかってんだろうな、カンパネルラ」

 

空中に浮く道化師を睨み付ける。

嘘は許さない。改めて誓えとばかりに。

カンパネルラは当然だと首肯した。一礼する。

 

「勿論。契約した通りさ。近い内に相応しい舞台を用意して、君と彼が全力で戦えるようにするから」

 

魔人が本気を出せば世界は壊れる。

来訪者と戦えば大陸は更地と化すだろう。

記憶を取り戻すにしても。

己の正体を掴むためだとしても。

この世界が壊れてしまえば元の木阿弥である。

燻ったまま。疼いたまま。

相応しい舞台が整うまで。

来訪者が鋼を超える日まで。

胸に渦巻く闘争の炎を鎮めると決めた。

 

「しゃあねぇ。せいぜい我慢してやる」

「うんうん。きっと盟主も喜んでくれるよ」

「もう一つ答えろ」

「なに?」

「今から帝都で何が起きるんだ?」

 

詳細は聞かされていない。

幻焔計画に無い作戦工程だからだ。

1週間早く煌魔城が降臨した事も。セドリック・ライゼ・アルノールが解放された事も。そもそもオーレリア・ルグィンが第三機甲師団に敗北する事すら予期しない事態だった。

カンパネルラは愉快だと笑っていた。ヴィータ・クロチルダは不愉快だと眉間に皺を寄せていた。

つまり――。

これは盟主と道化師による作戦の変更なのだ。

カンパネルラはおもむろに帝都を指差す。高らかに宣告した。

 

 

「900年前の再来だよ」

 

 

刹那、『暗黒竜』の雄叫びが轟いた。

 

 

「これから、帝都は死の都と化すんだ」

 

 

 

 








深淵「えぇ!?」(白目)





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十八話  暗黒咆吼

 

 

 

 

 

一際高く心臓が鳴った。

ドクン。ドクンと。

不必要なまでに血液を送り出す。起き上がれ。目を覚ませ。時間を無駄にするな。為すべきことが残っている。起きろ。起きろ。起きろ。お前に全てが懸っているのだと。

休ませてくれと■■■■■に告げる。

貧血は治らない。過呼吸は簡単に回復しない。

死の螺旋階段を登り、降りている。何回でも。何千回でも。つまり人よりも『死』というモノに近い位置にいる。休憩しても良いはずだ。足を止めても良いはずだ。

許さないと。立ち上がれと。貴方に人並みの幸せなど与えないと。超常たる存在は嬉しそうな表情で、悲痛に満ちた声音で答えた。

柄にもなく。意味などないのに。

俺は後どれぐらい走れるのかと考えてみた。

結論はつまらなかった。

明日止まっても、数百年後に止まっても。

俺が為すべき事は何一つ変わらないのだから。

壊れてしまうその時まで。立ち止まってしまうその時まで。ひたすらに前へ。とにかく前へ。それが彼らと交わした『契約』なのだから。

はて、と首を傾げる。

彼らとは誰だっただろうか。

契約とは何を約束したモノだっただろうか。

 

 

「起キタカ、起動者ヨ」

 

 

ふと目が覚めた。

意識は不明瞭で。身体は重い。

それでも無視できない声に導かれた。

ゆっくりと目蓋を開ける。

初見では薄暗い部屋だと予想した。

目を凝らす。此処はどこなのかと。よくよく観察してみると球体だった。中央に設置されている二つの椅子。複座式みたいな形だ。その片方に腰掛けたまま眠っていたらしい。

身体が痛い。不自然なまでに。寝違えただけならこんな事にならない。足先から燃やされている感覚だ。火炙りでもされたか。焚刑にでも処されたのか。

何が起きたのか。覚えていない。

まるで輪廻した瞬間みたいだと思った。正規軍の寮で目覚めた時もこんな感じだ。身体は痛く、頭は重く。溶鉱炉に落とされ、溶けた残滓を掻き集められ、冷却して固まった後に出荷されるような幻視を見る。

 

「ドウシタ。声ヲ発セラレナイノカ?」

 

幻聴までする有様だ。

正気でいられるのも限界に近いかもしれない。

残念である。前回の輪廻は最も楽しかったのに。

未来の英雄であるリィンと仲良くなれた。皇女殿下と知り合えた。鋼の聖女から稽古を付けてもらった。黒の騎士として帝国の至宝を護れた。最後はアンゼリカを庇って、巨大機甲兵に押し潰されるという下らない末路だったけども。

 

「仕方ナイ、カ」

 

瞬間、頭を掻き混ぜられる。

何か太い杖で。グチャグチャと。シェイクでもするように。手加減なく。天地が引っくり返るような激痛から俺が絶叫しようとも手を緩めずに。僅か数秒の出来事が数時間にも思えた。

酷い目に遭った。

さりとて感謝しよう。

現状を理解。事態も把握した。

どうやら俺は死んでいないらしい。

輪廻を跨いでいない。次のループに移動していない。踏み潰される瞬間に転移したようだ。騎神とやらの核に。

灰の騎神はリィンと会話していた。巨大な騎士人形にはしっかりとした自我が存在するらしい。他の騎神も同様だと仮定するなら、先程から話し掛けてくる幻聴の正体も自ずと判明した。

 

「騎神の声か」

「左様。緋ノ騎神テスタ=ロッサ、ダ」

 

緋の騎神テスタ=ロッサ。

御伽話に伝わる巨大な騎士人形。

現代の導力技術を結集させた機甲兵を容易く上回る怪物。操縦者に余程の実力差が無ければ、騎神だけの力で捻じ伏せられてしまう。

起動者とは彼らを操る選ばれた存在。

リィンとセリーヌは確かにそう言っていた。

つまるところ俺は緋の騎神に選ばれたのだとか。

だが首を捻る。ゴライアスに押し潰される直前に感じた『緋い死』。もしもそれが緋の騎神だとしたら辻褄が合わなくなる。

この声から『緋い死』は感じない。

 

「感謝した方がいいのか?」

 

命を助けてもらった。

輪廻を繰り越さなくてよかった。

ありがとうと伝える前に、緋の騎神は否定した。

 

「必要ナイ。初代トノ約束ダカラダ」

「初代って、何の?」

「答エラレナイ」

「おい」

「不可能ナノダ。許シテ欲シイ」

 

抑揚なく。淡々とした口調。

それでも申し訳ない声音だった。

心の底から謝っている。

何か事情があるのだろうと察した。伝えたくても伝えられない。教えたくても教えられない。気持ちはわかる。苦痛である事も。此処は引くべきだろう。無理強いしても可哀想だ。

 

「不可能なら仕方ないよな」

「ソレデモ、貴方ハ我ガ起動者ダ。答エラレル範囲ナラ答エヨウ。遠慮ナク尋ネルガ良イ」

「ありがとう」

「礼ハ不要ダ、我ガ起動者ヨ」

 

律儀な性格らしい。

他の騎神も似たような感じなのだろうか。

不謹慎だが興奮している。

今回の輪廻はどこまでも楽しませてくれる。リィンの行く末を見守り、魔女の長から裏の世界を聞くだけで良かったのに。こうして騎神の乗り手にも成れた。これも邪神のお蔭なのか。もしかして良い奴なのかも。

 

「何個か訊きたい」

「ウム」

「どうして俺が起動者だったんだ?」

「当然ノ疑問ダナ」

 

緋の騎神は答えた。

辿々しいから割愛するけど。

曰く、緋の騎神はアルノール家の血筋にしか反応しないらしい。皇族専用の騎神だという事だ。本来なら俺が乗れるはずもない。天変地異が起きようとも不可能な筈だった。

詳しい事情は話せないようだったが、断片的に聞く限りだと『焔の聖獣』と調停者による裏技が仕込まれていたらしい。暗黒竜に匹敵する穢れた存在と、アルノール家の騎士である事が鍵とも言っていた。

呪いとやらに蝕まれたから。皇女殿下の騎士になれたから。長い輪廻で初めて起動者として選ばれたのか。

緋の騎神は他にも理由があると言っていたけど。

 

「皇女殿下は関係ないのか?」

「アルフィン・ライゼ・アルノール、カ」

「どうなんだ」

「関係ナイ、トハ言エナイナ」

 

言い淀む緋の騎神。

数巡した後、ポツポツと答えた。

曰く、起動者として選ばれたのは俺なのだが、騎神としての力を完全に発揮する為には契約者であるアルノールの血が必要らしい。保証人制度みたいな物だぞと付け加えた緋の騎神。

この時点で猛烈に嫌な予感がした。

この騎神は複座式になっている。もう一つ椅子がある。誰かが座る為に。起動者となる為に。皆まで聞かずとも予想できた。

緋の騎神は推奨するように言った。

アルフィン・ライゼ・アルノール。彼女も乗り込まなければ真の力を発揮できないと。『千の武器を操る魔人』として畏れられた能力を行使できないのだと。

欠陥品にも程がある。皇女殿下を搭乗させたまま戦いに赴けなんて。騎士としてあるまじき行いだろうに。

緋の騎神は悔しそうに声を尖らした。

例え焔の聖獣でも、これ以上の反則技を用意できなかったと。限界ギリギリの妥協点だったと。そうでもしないと『何か』が溢れ出すのだと。

 

「皇女殿下が乗ってなくても。異次元な能力が行使できなくても。機体は動かせるんだよな?」

「通常ノ活動ダケナラバ問題ナイ」

「なら構わない。後は俺がどうにかするさ」

 

騎神は空を飛べると聞く。

それ以外は機甲兵と大差ない筈だ。

二大流派を正確に再現できる分、むしろ機甲兵を動かしていた時よりも強くなっている。充分だ。構わない。これ以上を欲張れば手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

緋の騎神は数秒黙ったままだった。

どうしたと尋ねる前に、一人で納得し終えた。

 

「――フム」

「何だよ。含みがあるな」

「イヤ、ナンデモ無イ」

「それよりもあと一つ訊きたい」

「良カロウ」

「お前から毒々しさを感じないんだ。ゴライアスに押し潰される前に感じた『緋い死』も。どういうことだ?」

「ウム。ヤット訊イテクレタナ」

「は?」

 

緋の騎神が嬉しそうに応える。

辿々しく。覚束ない昔語が始まった。

約900年前、帝都を死の都と化した暗黒竜が生まれた。時の皇帝陛下は仮の都としてセントアークに落ち延びた。それから約100年後、ヘクトル1世が緋の騎神を駆使して帝都を奪還。暗黒竜の討伐に成功する。されど暗黒竜の血を浴びてしまい穢れた存在に堕ちてしまった。

封印されてから約600年後。獅子戦役の時、偽帝と称されるオルトロス帝によって最悪の魔王に変貌させられた緋の騎神は、呪われながらも祝福された『紅き終焉の魔王』へ進化したらしい。

本来なら災厄を呼ぶ神。高位次元に封印しなければならない存在。だが、暗黒竜と等しく穢れた存在である俺を触媒にする事で、緋の騎神に巣喰い続けた呪いを消し去れたのだとか。

 

「え、と。つまり?」

「我ハ既ニ呪ワレテイナイ」

「俺が肩代わりしたからか?」

「イヤ。貴方ニ巣食ウ呪イ、ソレモ半分ホド消エタ筈ダ」

 

目を白黒させる。

意味がわからないと。

緋の騎神を蝕み続けた暗黒竜の瘴気。俺の身体に溜まっていた呪いの半分。二つとも無事に消えたらしい。相殺したのかとも考えたが、話を曲解せずに捉えるなら、俺と騎神に巣食っていたモノは似た類の汚染物質だろうに。

 

「貴方ト我ヲ蝕んだ呪イ、ソレヲ『檻』ニ閉ジ込メタ。煌魔城ガ出現シテシマッタ今、暗黒竜ガ復活スルノモ時間ノ問題。有効活用トイウモノダ」

 

言葉の意味を把握する前に。

事態の深刻さを理解する前に。

唐突に目の前が開けた。

紅蓮の空が視界を汚した。

機甲兵を起動させた感覚に近い。緋の騎神が覚醒したのか。様々な情報が頭に叩き込まれた。空の飛び方、機体の動かし方、そしてトールズ士官学院特科クラスへ襲い掛かる『漆黒の竜』がどういう存在なのかも。

 

「我ト貴方ノ呪イデ受肉シタ暗黒竜ダナ」

 

頭がくらくらする。

出来ることなら二度寝したい。

――だが。

この事態を招いたのは俺と緋の騎神らしい。

今にも死にそうな特科クラスの面々を眺める。

刀を握り締めながら息も絶え絶えなリィン・シュバルツァーが映った。

 

「この馬鹿がぁぁぁ!!」

 

緋の騎神に対する罵倒が口から漏れた。

説教は後である。今は彼らを助けなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

灰と蒼による擬似的な相克。

ヴィータが導いた物語の終焉。

1週間以上早い煌魔城の顕現。彼女の予想と異なる勝敗。それでも上手く行った。当初から予定していた計画の過程を無事に終えた。

油断だったのかもしれない。

慢心だったのかもしれない。

カイエン公爵には何もできないのだと。

魔女も結社も見掛け倒しだと罵倒したカイエン公爵は、何か確信があるように緋の騎神の腹部へ手を触れた。

数秒置いて。気まずい沈黙が流れて。

恐るべき霊圧が帝都全域へ駆け巡った。

咄嗟に防御結界を張る。辛うじて間に合った。

一瞬でも遅れていれば全員死んでいた。純度の高い呪い。黒の瘴気。ヘクトル1世すら蝕んだ純粋悪な毒。触れるだけで空の女神の下に召されてしまうこと間違いない代物だ。

耐え忍び、イヤな予感に背筋を震わせて。

――結果として。

緋の帝都ヘイムダルは最大の危機に陥った。

 

「有り得ないわ、こんな――」

 

約900年前の再来。

死の都と化した暗黒竜の再臨。

長い眠りから覚めたように。滅ぼされた憤りを発散するように。暗黒竜は暴れ出した。緋の玉座から紅蓮の空が見えてしまう程に。

瓦礫が弾ける。瘴気が飛散する。

この世の物と思えない光景に唖然とした。

確かに文献で読んだ。煌魔城を出現させてしまえば。霊脈を活性化させたままにしてしまえば。滅ぼした暗黒竜が受肉するかもしれないのだと。

さりとて時期がある。どんなに早くても一年半の時を必要とするだろう。未だに煌魔城が出現してから1日も経過していない。有り得ない事態であった。

 

「――ッ!」

 

呪いの瘴気は弱まっている。

魔女の加護があれば近接戦闘も可能な程に。

暗黒竜は巨体だ。文献に記された姿形よりも遥かに大きい。幾ら強くても人の手に余る化け物だ。こんな時に限って火炎魔人は姿を現さない。どうやら先に帝都から脱出しているようだった。

頼みの綱は二体の騎神のみ。しかし彼らは疑似相克によって霊力を著しく消耗している。時間稼ぎが必要だ。少なく見積もっても数十分。持つか持たないか。悠長に考えている時間などなかった。

果敢に立ち向かう。

伝説の幻獣が相手でも。帝都全域を死の都と化す怪物が相手でも。此処で踏ん張らなければ、多くの人間が死んでしまうと危機感を持って。

だとしても実力差は明白。気合と感情だけで覆るほど生易しい戦力差ではない。数分経過した。立っているのはクロウ、リィン、ラウラ、サラ、エマ、ヴィータのみ。半数は脱落。戦闘不能。死んでいないだけ幸運とも云える。

 

「おい、ヴィータ!」

 

暗黒竜の顎を躱す。

双刃剣にて鋭利な爪を受け止めたクロウ。

如何に絶望的な状況でも周囲を鼓舞してきた蒼の起動者は、驚愕から目を見開いていた。これ以上は支え切れないと判断して。爪を受け流し、後方に跳躍した後、深淵の魔女に警告を促した。

 

「なによ、これ以上はもう」

 

悪夢はもう充分だ。

目を背けなくなる景色。

暗黒竜の瘴気を抑えるだけで精一杯なのに。

これ以上、何が起きても驚かない自信があった。

 

 

 

「緋の騎神が動き始めてやがるぞ!」

 

 

 

もう倒れてもいいですか、盟主様?

 

 

 

 

 








カイエン公爵の罪状となっている物。

煌魔城の出現←本当はフェアのせい。

暗黒竜の再臨←本当はフェアのせい。




カイエン公爵「酷くない!?」





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十九話  黒緋覇王

 

 

 

 

 

上空から振り下ろされる絶死の鉤爪。

暗黒の瘴気を纏いて。濃縮された呪いと共に。ゼムリアストーン製の騎神すらも容易く断ち切る鋭利な斬撃。強烈な殺気。どこまでも容赦がない。

暗黒竜の狙いは緋の騎神だけに向けられている。

前世の因縁からか。それとも現状最も動ける騎神だからか。どちらにしても好都合だ。リィンたちの騎神が回復するまで時間を稼がなければならないのだから。

虚ろな目をしたヴィータ・クロチルダから教えてもらった。現在の状況も。暗黒竜を倒す為に必要な武具も。予想外だった。まさかゼムリアストーン製の武器でなければトドメを刺せないとは。

騎神を用いた初めての戦闘。武器も無い。ちょうど良い肩慣らしにもなる。俺はあくまでも脇役。時間稼ぎに徹するだけ。最終的にはリィンとクロウに任せる。

――そう思っていたのだが。

 

「以前ヨリモ強イナ」

「おいおい」

「少々呪イヲ注ギ過ギタカモシレヌ」

 

暗黒竜が強敵すぎる。

速い。重い。鋭い。単純に強い。

噛み砕く牙。斬り裂く爪。弾き飛ばす尻尾。何もかもが一撃必殺。武器さえあれば。大剣さえあれば。無い物ねだりだ。頭を切り替えろ。

爪牙は躱す。打撃の類は徒手空拳で防いでいく。戦闘が始まってから僅か十分。防戦一方でありながらも視えてきた。

だとしても何処まで保てるか。一度でも読み間違えたら騎神の体ごと轢き裂かれる。程よい緊張感だな。笑ってやるよ。これぐらい絶望的でなければ楽しくない。

 

「狂ッタカ?」

「笑わないとやってられないんだよ」

「昔ノ起動者ニ似テイルナ」

「褒め言葉だよな?」

「無論ダ」

 

右、左、上、右、背後。

次々と襲い掛かる死の一撃。

慣れた機甲兵なら受け止められる。

騎神だと無理だ。まだ慣れない。機甲兵と比べて感受性が良すぎるのも考え物だと痛感した。動きに齟齬が出てしまう。数世代前の旧式から最新式に乗り換えた感覚に近い。半日でいいから慣熟訓練させて欲しいという本音を辛うじて呑み込む。

躱す。防ぐ。移動する。

戦闘不能に陥っている面々を踏み潰さないように気をつけて。ヴィータ・クロチルダの援護に期待しながら。暗黒竜の殺意に満ちた視線を受け止めていく。

 

「起動者ヨ、拙イゾ」

「何が?」

「暗黒竜カラ瘴気ガ漏レ過ギテイル」

「だから!?」

「帝都ノ市民ガ眷族トナル。物言ワヌ死人ニ為ルダロウ。霊的ナ感染爆発ダ。大量ノ市民ガ死ンデシマウ」

「防ぐ手段は――」

「無イ。早ク消滅サセルグライダ」

 

可能なら暗黒竜の体力を削りたい。

灰と蒼の騎神が回復した瞬間にトドメを刺せるように。一刻も早く決着を付ける為に。緋の騎神もこれ以上時間を掛けたら拙いぞと急かしてくる。

帝都ヘイムダルの人口は80万を超える。もしも感染爆発が起きたら手遅れになる。助かった人々がいたとしても収拾などつかないだろう。

俺と緋の騎神の呪いによって復活した暗黒竜。齎される被害。巨竜に屠られる命。全て俺たちの責任だ。見過ごせる道理を超えている。

皇女殿下の騎士として認められたのなら。アルノールの騎士として祝福されたのなら。全ての帝国人を守護する責務が生まれたのと同義である。

僅かな隙を見つけろ。

確実に反撃していくしかない。

効果は薄い。拳打でどうにかなる相手でないことも。武器が無ければ話にならないことも。充分に理解している。大して効いていないと織り込み済みだ。

気休めでもいい。とにかく打ち込み続けろ。

右爪の振り下ろしを前進して回避。

間合いを詰める。腹部に入り込んだ。好機。両手に拳を作る。腰を落とした。『武神功』で滾らせた拳打を放つ。一発、二発、三発。直撃した瞬間に捻りを入れる。抉る。抉る。抉る。暗黒竜の巨体が浮き上がる程に。

身を捩る。咆哮をあげた。

多少なりとも効いたらしい。

刹那、騎神が持ち上げられた。

誰の仕業か。愚問だ。暗黒竜以外に有り得ない。

 

「飛ブゾ」

「見れば分かるよ」

 

空中で甚振る為か。

それとも打撃が効いたか。

どちらでも良い。大事なのは暗黒竜が翼を広げた事実のみ。緋の騎神を掴んだまま。殺気を強めたまま。巨大な口から瘴気を漏らして。噛み殺してやると云わんばかりに。

巨体が飛び上がった。

紅蓮の夜空に漆黒の巨竜が舞う。

幻想的な姿だと思った。一枚の絵画として残してもいいぐらいに。さぞや名高い画として後世に伝わる筈だ。そんな下らない妄想に浸りながらも緋の騎神を動かした。

月面宙返り。ムーンサルトキック。暗黒竜の顎を蹴り付ける。ガチンと鈍い音が響いた。相当痛かったらしい。巨竜の間合いから逃げた騎神を強く睨んできた。

身体が強張る。冷や汗が流れた。

全盛期よりも遥かに強力な暗黒竜から見れば、騎神に初めて搭乗した俺と覚醒した直後である緋の騎神は貧弱な獲物に違いない。

特に空中戦なら巨竜の独壇場である。どうにかして地上戦に持ち込むか。覚悟を決めて空中で時間を稼ぐか。眉間に皺を寄せる。利点と欠点を並べていく。

空中なら周囲に気を遣わなくても構わない。帝都に墜落しなければ。市街地に近付かせなければ。直接的な被害は俺だけに留まる。それに――。

 

「運ガ向イテキタナ」

「援護か」

「ウム。ソレニ契約者ガ来タゾ」

「契約者って、まさか」

 

白銀の巨船パンタグリュエルが飛来した。

巨大飛行戦艦が火を噴く。艦橋部分付近に設置された三連装の大型導力砲が二基。艦底面にも二連装の導力砲が二基。甲板に多数配置された垂直発射管から対空ミサイルが大量に放たれた。

羽ばたく暗黒竜に直撃した。膨大な近代兵器の火力に包まれる。雄叫びをあげる巨竜。苦しそうに鎌首をもたげる。

隙が出来た。追撃を仕掛ける好機。

そんな俺を留めたのは一筋の閃光だった。

紅い翼が煌めく。高速巡洋艦の主砲が見事なまでに炸裂した。爆音が轟く。これは効いたに違いない。有り難い。感謝する。

さりとて此処までは想定済みだった。

空中に昇れば援護を貰えると期待していた。

そんな俺の考えを嘲笑うように。

想像力が足りていないと叱咤するように。

帝都の空に聞き慣れた女性の声が木霊した。

 

 

「フェア――。フェア・ヴィルングですか!?」

 

 

心を穿つ悲痛な声だった。

淡い期待を含んだ問い掛けだった。

帝都の空にいる訳。赤い翼に乗っている訳。俺だと気づいた訳。尋ねたい事は山のように有る。知りたい事も、心配を掛けた事に対する罪悪感も存在する。

だから返事をした。

優しく。穏やかに。ハッキリと。

 

「只今帰りました、アルフィン殿下」

 

一拍。

 

「――嗚呼、フェア。フェア、フェア、フェア。生きていたのね。生きててくれたのね。待っててちょうだい。今そっちに行くから」

 

俺の名前を何回も歓呼する皇女殿下。

譫言のように。狂ってしまったように。

純粋な歓喜の叫声。女神に出会ったような恍惚とした表情。帝国の至宝である皇女殿下に相応しくない妖艶な微笑み。

玲瓏だと。美貌だと。綺麗だと見惚れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帝都の空にて四つの影が交錯した。

轟音を響かせる。呪いの瘴気が飛散する。

この世の終わりを彷彿させる光景。万象を呪う巨大な暗黒竜が縦横無尽に夜空を駆け巡る。数多くの帝都市民も紅蓮の空を見上げているだろう。泣き叫びながら。戦慄と幻想に身を焦がしながら。

フェア・ヴィルングの搭乗する緋の騎神。初めての戦闘にも拘らず、僅か一人で暗黒竜と対峙した強者。武器を持たない。練度も足りていない。それらを些事だと吐き捨てて、大胆不敵にも正面から立ち向かっていった。

空へ連行された時は息を呑んだ。

騎神は空を飛べると知っている。機甲兵と異なる能力の一つ。さりとて初めて搭乗した起動者は扱いきれない。当然の原理だ。人間は空を飛んだ事など無いのだから。

フェアは魔女の懸念を覆した。

容易く飛んだ。暗黒竜の顎を躱した。我が庭のように。飛行した経験があるように。恐るべき練度だ。刻一刻と馴染んでいる。1秒毎に動作が洗練されていった。

更に白銀の巨船と紅い翼も援護している。

――だとしても。

決定打にならない。

暗黒竜は羽搏きを止めない。

絶え間ない爆炎を斬り裂きながら。紅い翼に爪を振り被り。白銀の巨船を噛み千切り。蒼穹に於ける絶対王者として君臨する暗黒の幻獣。

 

「霊力が溜まったぜ、ヴィータ!」

「ヴァリマールも行けます!」

 

二人の起動者が背後で叫んだ。

大変喜ばしい。三体の騎神なら相手取れる。

ゼムリアストーン製の武具で致命傷を与えられるのだと文献に記載されていた。灰の騎神による太刀。蒼の騎神による双刃剣。親友同士の連携にて決着を付けられると確信する。

そんな魔女の思惑を嘲笑する暗黒竜。

巨竜がカレイジャスに急接近した。獰猛な爪牙に曝される紅い翼。緋の騎神が間に割り込む。両足の爪を受け止めた。頭を噛み砕こうとする毒牙を躱す。安堵のため息を吐いた瞬間、暗黒竜は巨体を回転させた。長大な尾が鞭のようにしなる。腹部に直撃。重低音が響いた。弾き飛ばされる。

追撃を仕掛ける暗黒竜。騎神の核に目掛けて。右脚の鉤爪を繰り出す。間一髪で回避した緋の騎神は唐突に『動き方』を変えた。

もしかしてと目を細める。

起動者から操縦権を奪ったのかと憂慮する。

緋の騎神は飛来する暗黒竜を潜り抜けて、カレイジャスへ近付く。数秒後『誰か』が甲板に駆け上ってきた。一拍挟み『誰か』は巡洋艦から飛び降りた。霊子変換されながら緋の騎神に吸い込まれていく。

嫌な予感を覚えながらも遠視した。見覚えのある少女だった。アルフィン・ライゼ・アルノール。皇帝陛下の息女。帝国の至宝。黒の騎士と共に帝国正規軍の快進撃を支えた救国の皇女。

確かに疑問だった。

フェア・ヴィルングは皇族の血を引いていない。傍流でもない。本来なら緋の騎神を動かすなど不可能。起動者に選ばれない存在。にも拘らず、何の因果か、フェア・ヴィルングは騎神を巧みに操縦している。

とある推測が生まれた。

アルノールの騎士として動かしているのかと。アルフィン皇女が本来の起動者で、フェアは単なる操縦者に過ぎないのではないのかと。

推測通りなのか。正鵠を射ているのか。

考えるのは後にしよう。

瑣末事に過ぎない。どうでもいい。

目の前で降臨したとある存在に比べれば。

 

「ヴィータ、あれは――」

「騎神から、焔の翼が生えて、いる?」

 

我が目を疑う。

視神経がおかしくなった。

暗黒竜と終焉の魔王が対峙している。

 

 

「――エンド・オブ・ヴァーミリオン」

 

 

もう泣いてもいいですか、盟主様?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルフィンは信じていた。

自らの騎士が生きていると。必ず無事に戻ってくると。証拠は無い。根拠も無かった。それでも契約したのだから。約束してくれたのだから。

だからこそ奮起した。

帝都の空を阻む貴族連合軍に唱道した。事態は深刻であると。敵味方関係ないと。一致団結して収拾に当たるべきだと。

パンタグリュエルとカレイジャスによる帝都決戦へ単艦で割り込む。数分足らずで戦闘行為を中断させる豪腕振り。両陣営に対して停戦合意を呑ませた。

軍用艦から紅い翼に移乗。巨竜の雄叫びに怯む乗組員を叱咤激励して、騒乱の中心へ駆け付けようとした矢先、脳内に声が響いた。

曰く、声の主は緋の騎神であると。永い封印から解き放たれ、フェア・ヴィルングを起動者として覚醒したのだと。『カイエン公爵』の手によって再臨した暗黒竜を討滅しようとするも、得物を持たない故に酷く劣勢な状況であると。

歓喜したのも束の間、打開策を訊く。

緋の騎神は嬉しそうに応えた。アルノールの直系たるアルフィンも搭乗すれば、騎神本来の能力を発揮できると。千の武器を操る魔人として、暗黒竜を圧倒できると。唯一にして絶対の解決方法なのだと。

危険である。罠かもしれない。

それよりも心躍った。喜悦した。

己が認めた最高の騎士。皇女として進むべき道を教授してくれた。常勝不敗の軍神から白星を挙げた。結社最強の武人を追い払った。

彼を助けられる。

彼と共に戦場を歩める。

帝国の危機を打ち払える。

なによりも喜ばしい事柄だった。

故にアルフィンは一瞬足りとて迷わず首肯した。

当然ながら伝説の幻獣である暗黒竜と対峙した時は酷く恐怖した。さもありなん。アルフィンは未だ15歳。武技を学んでいる訳でもない。皇女という肩書を持つ子供でしかないのだから。

黒の騎士の声を聞き、恐怖は泡沫の如く消え去った。カレイジャスから飛び降りる。不思議な感覚に身を包まれて、気が付けば、フェア・ヴィルングに抱き締められていた。

 

「フェア!」

 

座席にて狼狽する黒の騎士。

彼の胸元に美貌を埋める。首元に腕を回した。

二度と離れないように。

二度と死なせてしまわないように。

 

「フェア、フェア、フェア」

 

呪詛のように名前を紡ぐ。

騎士の心を縛り付ける呪いの言葉。

フェアも満更ではないように微笑んだ。

 

「危険ですよ、アルフィン殿下」

「そんな事ないわ。貴方と一緒ならね」

 

暗黒竜の雄叫びが轟く。

緋の騎神が『黒緋の覇王』へと変貌する。

 

約900年の時を経て。

緋の帝都ヘイムダルの空に。

伝説を彩った二対の化物が再臨した。

 

 

 

 







カイエン公爵の罪状となっている物。

煌魔城の出現←本当はフェアのせい。

暗黒竜の再臨←本当はフェアのせい。

霊的な感染爆発←本当はフェアのせい。NEW


カイエン公爵「もうだめだぁ・・・おしまいだぁ(白目)」








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二十話  内戦終結

 

 

 

 

 

 

 

「あははは!」

 

軽薄な笑い声が鼓膜を揺らした。

隣で腹を抱える道化師を尻目に、火炎魔人は腕を組んだ。トリスタの街。トールズ士官学院の校舎屋上。悠然と立ちながら帝都の空を眺める。

夜空を掻き消す紅蓮の炎。瘴気を撒き散らす暗黒の竜。仄かに彩る月明かり。確かな物は何一つとして存在しない。朧気で。幻想的で。幽寂閑雅な世界だった。

暗黒竜と緋の騎神による戦闘。帝都とトリスタの距離は約400セルジュ。さりとて遠視を使わずとも一望できた。一般人からしたら御伽話の一幕を鑑賞しているようなものだろうなと冷笑する。

 

「見てごらんよ、マクバーン!」

 

カンパネルラが興奮している。

指差す先に映るのは緋の騎神から黒緋の覇王へ進化する姿。空間を捻じ曲げて。威嚇する暗黒竜など完全に無視して。巨イナル力の欠片、その一つから神の域へと昇華する。

外装の色は緋から真紅へ。形状は鋭く、大きく。背中から焔の大翼が出現した。騎神全体を包む黒緋の焔は、帝都空域の気温を3度上げそうな熱量を放出している。

子供でもわかる変化。

大人なら絶望する変貌。

近郊都市トリスタも同様の有様。無邪気な子供は御伽話のような光景に興奮しており、無駄に賢い大人は全てを焼き尽くしてしまいそうな覇王の襲来を畏れている。

 

「こりゃスゲェな」

「皇女殿下を取り込んで強くなるなんてねぇ」

「騎神は一人乗りじゃなかったのか?」

「緋は特別なんだってさ。盟主曰くだけど」

「ほーん」

 

騎神状態でも渡り合っていた。

勝てない。それでも負けない戦い。

暗黒竜から致命的な死撃を喰らわずに、弱撃ながら着実に反撃していた。得物がない状態でも食らい付く技量。最悪の幻獣にも単機で立ち向かう度胸。来訪者と融合したからか。それとも本人の素質からか。

白銀の巨船と紅い翼の援護を考慮しても、決定打に欠けた。約900年前、帝都ヘイムダルを徹底的に滅亡させた幻獣の力は控えめに表現しても化物である。近代兵器の塊と至宝の一部が共闘した所で押し切れるほど弱卒な存在ではない。

千日手になるか。

人間の気力が尽きるか。

どちらにしても緋の騎神に勝ち目などない。

灰と蒼の騎神が霊力を補充。完全復活すれば勝利する可能性は高まるものの、何よりも先ずは暗黒竜を地面に叩き落とさなければ。空中戦で戦うのは愚策に過ぎる。

人と竜。生物としての根幹が異なるのだから。

 

「おっ、始めたな」

「千の武器を操る魔人だね」

「見届けさせて貰おうか、今の力を」

 

暗黒竜が仕掛ける。

白銀の巨船と紅い翼を無視して。眼中に無いと宣言して。焦燥感から瘴気を撒き散らして。漆黒の翼を羽ばたかせ、覇王へ遮二無二に突進した。

目を見張るほど速い。

直撃しただけで起動者を圧殺できそうな程に。

黒緋の覇王は身軽な動作で回避した。擦れ違う瞬間に尻尾を掴む。ガシッと。滑らないように爪を立てる。グチャと。腰を曲げて、回転する。巨竜を振り回す。鮮烈な風切音を奏でて。巨竜が目を回して。頭がふらふらになるまで。何度でも大振りする。そして唐突に手を離した。

暗黒竜が帝都の空を舞う。

衝撃を受け止め切れず。体勢を立て直せず。幾らでも斬り掛かってくれと云わんばかりに無防備な姿を晒した巨竜。

黒緋の覇王は肉薄した。右手に携えた魔剣を構えながら。鬱憤を晴らすように。反撃開始だとでも言うように。霊力で創られた魔剣を振り翳す。一閃。匠な斬撃だった。剣帝レオンハルトを彷彿させる太刀筋。技量だけならば黄金の羅刹に勝ると噂されるのも肯けた。

斬り飛ばされる右の前脚。付け根から黒い血が噴き出す。苦悶の雄叫びをあげる暗黒竜。残った左の前脚を突き出す。苦し紛れな爪撃だった。

当たらない。当たるわけがない。

新たに創り出した魔槍を左手に持ったまま。覇王は身を屈んだ。がら空きの胴体へ目掛けて刺突を放つ。深々と竜麟を貫いた。

並の幻獣なら致命傷だろうに。

暗黒竜は叫びつつも戦意を失っていない。

口を開ける巨竜。口先から滴り落ちる黒い毒。液体となるまで濃縮された呪い。噛み付かれれば戦闘終了。緋の騎神は再び穢れた存在へ成り果ててしまう。

覇王は一旦距離を取った。

仕切り直し。呪われた血を避けたと見る。

 

「呪詛の血が厄介だな」

「そう?」

「騎神でも汚染する代物だぞ」

「うーん、黒い焔で止血できそうだけどね」

「あの黒い焔は敵に向いてねぇよ」

「じゃあ何の為にあるのさ?」

「明白だろうが。自分自身を焼いてんだよ」

 

悍ましい。痛ましい。

マクバーンは柄にもなく同情した。

覇王を覆う幻想的な黒緋の焔。攻防一体に相応しい形態。膨大な熱量で敵の接近を許さず、武器を介して焼き殺す。常人ならそう判断する。

マクバーンは異なる。見方が違う。黒い焔を操る者だからこそ気付いた。緋の騎神を取り巻く黒緋の焔は『何か』を滅する為だけに働いていると。

その『何か』とは、外から飛来した『来訪者』に違いない。それ以外に考えられない。火炎魔人状態に匹敵する熱量は『一つの存在』だけに向けられている。アレと混じり合っている四つのどれかだと仮定するなら、来訪者以外に適合する存在が見当たらなかった。

誰が仕掛けたのか。誰が仕組んだのか。

恐らく人の心を一切持たない人物だろう。

起動者に襲い掛かる煉獄の苦しみも。その状態で強制的に戦わせる鬼畜さも。想像するだけで憐憫に値する。

今も地獄の業火に焼かれている。

脚先から炭化していく激痛に悶えている筈だ。

 

「自分自身を、か」

 

哀しそうに口を歪ませる道化師。

先刻までの興奮状態など過去の話。

頭から冷水を浴びせられたように、酷く落ち込んでいた。

 

「業火に焼かれているのはアレだけだ。皇女とやらは痛くも痒くもねぇだろうな。隣で絶叫されても困るだけだろうが」

「へぇ」

「救われねぇ話だ」

 

カンパネルラ曰く、緋の騎神は特別らしい。

起動者と契約者が完全に分離されている。実際に操縦するアルノールの騎士。彼にお墨付きを与えるアルノールの血筋。この反則技は焔の聖獣と初代アルノールが画策した事だとか。

なら、黒緋の焔で身を清める仕掛けは聖獣と調停者に因る物なのか。そこまでして抑えたい来訪者とは何者か。神に連なる存在なのか。

 

「にしても、良くわかったね」

「――まぁな」

 

魔人は目を逸らした。

わかったという表現だと語弊がある。

正確に云うなら本能で察した。黒緋の焔を見た瞬間に。騎神を覆い尽くす莫大な熱量を感知した瞬間に。何故か。どうしてか。理由は簡単だった。

 

 

「アレは『俺』とも混じってる」

 

 

或いは火炎魔人と近しい存在か。

マクバーン自身、己の正体を知らない。記憶を失っているからだ。誰かに説明できる理由も、明白な根拠も不足気味。論理立てて証明するなど不可能である。

――しかし。

魔人だけは確信している。

来訪者を抑えている存在は『焔の神』だと。

 

「そっか。そういう事か」

 

道化師は何かに納得したらしい。

得心がいくように何回も首肯した。

 

「んだよ?」

「君は彼を可哀想だと思うかい?」

「下らねぇ。アレは同情なんて求めてねぇよ」

「確かに。彼は前を向いている。どんなに辛くても、どんなに絶望的でも。その理由がわかったんだよ」

「莫迦だからじゃねぇのか」

「彼は救われると信じているんだ」

 

道化師は微笑んでいた。

黒緋の覇王を、その起動者を。

挫けずに歩き続ける存在を眩しそうに見上げている。

 

「理屈じゃない。理由なんていらない。彼は救われると本気で信じているんだ。マクバーン、君がいるんだから」

 

アレが救われるかどうか。

来訪者から解放されるかどうか。

マクバーンには一切関係がなかった。

自らの記憶を取り戻す為に必要な闘争。鋼の聖女すら超える強者へ育ってくれるだけで構わない。緋の起動者が壊れようとも涼しい顔でいられると考えていた。

 

「彼を救えるのは君だよ、マクバーン」

 

道化師の声が耳に木霊した。

何度も、何度も。

どうか助けてあげて、と懇願するような声音だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気絶しそうな激痛が全身を駆け巡る。

全身を燃やされている。隙間無く。絶え間無く。容赦無く。魂魄まで灰にする業火に曝されてから永劫と思しき3分間だった。

唯一の救いは痛みによる脂汗が流れない事か。

表情は我慢できる。絶叫も呑み込める。それでも身体の条件反射までは抑えられない。冷や汗、もしくは脂汗が流れてしまえば、抱き付いたままの皇女殿下に気付かれてしまう所だった。

 

「フム」

 

本来なら皇女殿下を乗せるつもりなどなかった。

如何に劣勢だとしても。千日手になるとしても。皇女殿下を巻き込むのは臣下としてあるまじき所業。灰と蒼の騎神と協力して、暗黒竜を討滅する算段を立てていると、唐突に操縦権を奪われてしまった。緋の騎神が勝手に動き始め、最終的に皇女殿下を搭乗させてしまう始末である。

声を聞けた。顔も見られた。嬉しかったのは事実。

だけど。それでもだ。

相談もなく、連絡もなく、報告もない。

起動者を無視して事を進めたのは如何な物か。

 

「起動者ヨ、暗黒竜ガ弱ッテイルゾ」

 

起動者と契約者が揃うと。

緋の騎神は黒緋の覇王へ進化した。

暗黒竜から齎された『呪い』だけを除去。偽帝と称されたオルトロス帝の施した秘術は僅かながら残っていた。

『紅き終焉の魔王』は再臨せず。

『黒緋の覇王』として新たに君臨する事になる。

確かに強い。強力すぎる機体だ。

機体性能は格段に上昇している。灰と蒼を同時に相手取ったとしても余裕で勝てる程に。加えて、武器を幾らでも生み出せる。魔剣プロパトール、魔槍エンノイア。黒緋の焔を材料にして、概念を押し固めて、様々な武器を創造する異次元な能力である。

代償として、全身を包み込む黒焔の痛みに苛まれる。可能なら泣き叫びたい。掻き毟りたい。一刻も早く降りたい。人間として当然の欲求だろう。

さりとて俺は微笑む。

凄絶な笑顔を浮かべてやる。

終わりは来る。我慢すればいいだけ。

燃やされるだけで強くなれるなら願ったり叶ったり。

実際、酷く劣勢だったにも拘らず、暗黒竜を圧倒するようになる。右の前脚と後脚は根本から斬り飛ばした。漆黒の両翼も半壊に近い。腹部の巨大な孔からは呪詛の血が滴り落ちている。

騎神の扱いにも慣れた。武器も無尽蔵に有る。ゼムリアストーン製の武具さえ所持していたなら此処でトドメを刺すものを。

 

「暗黒竜を煌魔城まで引き寄せる」

「灰ト蒼ニ飛ンデキテ貰エバ良イダロウ」

「あの巨体が帝都に落ちたら大災害になるぞ」

 

只でさえ恐慌状態。

暗黒竜の死骸が市街地に落ちてしまえば、それだけで帝都の狂乱状態に拍車を掛ける。大パニックだな。無駄に命を減らす結果となる。

それにヴィータ・クロチルダから頼まれていた。

受肉した暗黒竜を完全に消し去るには、最後に魔女の力が必要なのだとか。瘴気の蔓延を一秒でも減らす為に、魔女の近くで討滅した方が結果的に救われる命は多くなるとの事。

 

「――承知シタ。弓ヲ扱ッタ経験ハ?」

「有る。魔弓を創るぞ」

「応!」

 

魔弓バルバトスを創造する。

剣術や槍術と比べれば稚拙な技量。人様に誇れる練度ではない。お目汚しになる可能性大。少しだけ憂鬱になる。

狙いは暗黒竜。全長70アージュを超える巨竜。翼は劣化している。動作は鈍い。達人でなくても当たる距離を保った。弓の弦に矢をあてがう。

改めて暗黒竜を凝視した。

尻尾を掴んで運んでも構わない。

だが、死の間際で自暴自棄になられても困る。

最も恐れるのは急降下して市街地に飛び込む事。

遠距離攻撃を用いて誘導していく。当たるか当たらないか。瀬戸際に矢を放ち、上手く煌魔城の上空に誘き寄せなくては。

連続で矢を発射する。

暗黒竜が回避しようと動き回った。先読みして矢を射続ける。右、左、右、右、左。巨竜が羽搏きを大きくした。白銀の巨船、紅い翼を避ける。向かう先は煌魔城の玉座。溢れる呪いを吸収し、回復しようとでも考えているに違いない。

第一段階は成功した。

後は灰と蒼の騎神に任せる。

吐息を漏らす。痛みから片目を閉じた。

 

「フェア」

 

戦闘の邪魔になるからと。

帝都の市民を救うためにと。

決死の覚悟を抱いて緋の騎神に乗り込み、俺の身体に抱き付いたまま沈黙していた皇女殿下から名前を呼ばれた。

どうしたのか、と視線を落とす。

帝国の至宝は訝しげに目を細めていた。

 

「苦しいのでしょう?」

 

思わず息を呑んだ。

マジマジと皇女殿下を見詰める。

 

「――何故、そう思われましたか?」

「わかるの。貴方がどうしようもない苦しみに巻き込まれていることも。誰にも打ち明けられない秘密を抱えていることも。そして、それを私に教えてくれないことも」

 

皇女殿下が身動ぎした。

俺の胸元に手を置く。

服を破いて肌を露出させた。

細い指が走る。爪の先で傷を付けた。

小さな裂傷。血すら流れない極小の痕。

 

「ねぇ、フェア」

 

皇女殿下は艶やかに笑う。

 

「私、貴方に傷を付けたわ」

 

嬉しそうに。楽しそうに。

年相応の無邪気な笑顔は煌めいている。

だからと続ける。

皇女殿下は傷口を撫でながら言った。

 

「私を傷付けて、貴方の手で」

 

教えてくれないと。

何度でも貴方を傷付ける。

そして、貴方は私を傷付けるのよ。

皇女殿下は朗らかにそんな宣言をした。

何故か確信している。

どうしてだろう。誰から聞いたのだろう。

理由は不明だけども。

原因なんて判別できないけども。

主君に隠し事をすべきか。薄気味悪がられても話すべきか。誰も信じてくれなかった。誰も解決策を教えてくれなかった。

昔を思い出す。誰に伝えたとしても信じてもらえなかった時を。狂人と蔑まれた双眸の冷たさを。

迷って、悩んで、苦しんで、決意した。

 

「――わかりました、アルフィン殿下」

 

灰と蒼の騎神が武器を翳す。

弱った巨竜にトドメを刺した。

視界の端で、暗黒竜が消滅していく。

帝都中に響き渡る断末魔の雄叫び。狼狽するカイエン公爵。騎士剣を構えるルーファス卿。姿を現した鉄血宰相。瓦礫に埋もれた緋の玉座にて、どうやらもう一騒動が起きているらしい。

 

「信じられないかもしれませんが――」

 

黒緋の覇王は緋の騎神へと戻る。

全身を蝕む焔の痛みからも解放された。

緋の帝都は救われた。

それでも俺の輪廻は続いていく。

皇女殿下に全てを打ち明けながら、俺は内戦の終わりを確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 








鉄血「今回の騒動、全部カイエン公爵のせいだな」

ルーファス「皇族の幽閉とかも全部カイエン公爵のせいです」

緋の騎神「マジ許せないっすよね!」←カイエン公爵を操ったあかい悪魔。

カイエン「――――(白目)」

ミルディーヌ「ヤバい(確信)」









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承  クロスベル編
二十一話 皇帝宣告


 

 

 

 

 

七耀暦1205年1月15日。

エレボニア帝国を革新派と貴族派で大きく二分した内戦、通称『十月戦役』が終了してから約3週間経過した。

カレル離宮の解放。煌魔城の顕現。灰の騎神と蒼の騎神の衝突。カイエン公爵の暴走。暗黒竜の再臨。緋の騎神の復活。最悪の幻獣の討滅――。

一連の死傷者は五桁を超えた。心的外傷を抱えた者を含めれば六桁に届くのではと目されている。歴史的建築物も数多く破壊され、帝都全域の被害額は財務担当の人間が意識を手放してしまう程であった。

 

「想像していたよりも酷いな」

「死都と化す寸前で御座いましたから」

 

帝都の中心に坐するバルフレイム宮。

翡翠庭園にて二人の男性が談論している。

片方は鉄血宰相ギリアス・オズボーン。心臓を撃ち抜かれても死なず。内戦を終結に導き。己すら駒として利用する傑物は後ろ腰で手を組み、恭しく頭を下げている。

重々しい報告を受けたユーゲント・ライゼ・アルノール。第87代皇帝は手摺りを掴んだ。被害に遭った帝都市民を慮るように顔を顰める。

 

「復興までの時間は?」

「一年は掛かる見込みかと」

「――ほう。多少なり準備していたのか?」

「万が一を想定しておりました。有り得るかもしれぬと」

 

鉄血宰相は出会っていた。

暗黒竜を彷彿させる純然たる毒の塊。極限まで呪いに犯された男。イシュメルガの分体に取り憑かれた哀れな被害者と邂逅を果たしていた。

故に備えた。1%にも満たない可能性に。後に想定外だったと嘯いても、到底取り戻せない被害を齎す災厄に。帝都を死の都へと変貌させる存在にも対処していた。

皇帝は納得したように首肯する。

 

「あの若者と会っていたのか」

「偶然にも。いえ、必然だったかもしれませぬ」

 

確信などない。

明確な証拠すらも。

即断即決を是とする鉄血宰相を悩ませる。

アレは黒の史書に一行も記載されていない。因果の果て。外から訪れた神の化身。塩の杭よりも遙かに危険な存在だろう。

ならば偶然など有り得ない。

因果に束縛されないなら。黒の史書すら見逃してしまうなら。全てに意味が有る。出逢いは必然だと考える事こそ建設的だ。

ユーゲントⅢ世が朗らかに笑った。

 

「そなたにも見通せぬか」

「我が身の至らなさを痛感するばかりです」

「構わぬ。未来など知らない方が幸せなのだからな」

 

諦観の声音。諦念の双眸。

それは至尊の座へ届いた男に相応しくない。

辛く、苦しく、儚い姿。

ユーゲント・ライゼ・アルノールは、血塗られた歴史の真実を知りながらも皇帝の責務を果たそうとする名君である。

黒の史書が記した『巨イナル黄昏』に至る未来。終焉の結末を定められた主君として。家族を犠牲にしなければならないと悲嘆して。獅子心皇帝の生まれ変わりである鉄血宰相に全てを委ねた。

過去形である。

オズボーンの予想通り『過去形』となった。

 

「陛下、やはり――」

「黒の史書、その原本を確認した。そなたの思惑通りであった。黄昏へ至る道筋が『書き変わっていた』よ」

「未来は変えられる、という事ですな」

 

帝国の過去未来を記載した黒の史書。

原因から結果を導き出す古代遺物の一種。

過去の真実を記し、不変の未来を突きつける。

歴代皇帝の心を叩き折った因果律記述機関は、遂に自らの間違いを認めた。初代アルノールによって起動されてから約1200年、史書の記載を初めて変化させたのである。

僅か一文。されど一文。

大いなる一歩だ。世界の終わりを回避する希望に繋がる。

鉄血宰相は内心苦笑した。皮肉な話だと。黒の思念体よりも遙かに悍ましい化け物が、単体で世界を滅ぼせる来訪者が、終末の御伽話を覆す一筋の希望になったのだから。

 

「あの若者のお蔭か」

「既にお会いになられたとか」

「娘からどうしてもと頼まれてな。中々楽しい一時であった。昏い眼を浮かべながらも絶望に諍う姿は好ましく感じた。良い覇気であったな」

「左様ですか」

 

目尻を下げる皇帝。

クスクスと笑い声を漏らす。

1週間前の事を思い出しているらしい。

オズボーンは胸を撫で下ろした。どうやら元気になられたようだと。もう大丈夫そうだと。心を縛り付ける負担が少しでも軽くなっていれば幸いである。

ユーゲントⅢ世が振り返った。

綻んでいた表情を引き締めている。

双眸に互いの目を映しながら問い掛けられた。

 

「アルフィン専属の騎士就任、聞いておるか?」

「皇女殿下から直に聞き及んでおります」

「妃は反対していたが、余は認めようと思う」

「3ヶ月前ならいざ知らず。今の彼を阻める者など居りますまい。私も賛同致します、陛下」

 

甚大なる被害を齎した内戦。

国力を大きく毀損した十月戦役。

さりとて得られた物も確かに存在する。

一つは、貴族連合軍が運用していた機甲兵だ。

他国には存在しない新概念の兵器。主力戦車と組み合わせれば、共和国の空挺機甲師団にも負けない強力無比な戦術を生み出せるだろう。既にルーファス・アルバレアは新戦術の基本骨子を作成していた。

もう一つは、貴族派の求心力低下である。

内戦を画策して、煌魔城を顕現させ、暗黒竜の再臨を幇助し、皇族並びに帝都市民を大虐殺しようとしたクロワール・ド・カイエン。『極刑』がほぼ確定された貴族連合軍主宰を筆頭に、内戦の最中にも拘らず逮捕されたヘルムート・アルバレア、アルフィン皇女が旗印となった第三機甲師団の作戦を阻害したアンゼリカ・ログナーと云う具合に、四大名門の三つが失態を犯している。

更に帝国正規軍の活躍によって、領邦軍は甚大な被害を被った。東部は壊滅。西部も満足に動かせるのはウォレス准将率いる部隊のみ。吹けば飛ぶような小貴族は勿論のこと、帝国の支柱たる大貴族すらも往年の力を失っている惨状である。

代わりに宰相の威勢は強まった。帝国の危機的状況を考え、貴族連合軍総参謀と停戦する英断。迅速に発表された帝都復興の道筋。断固たる決意で行われたクロスベル占領。ギリアス・オズボーンを讃える声は日に日に増加している。

 

「我が娘ながら驚いた物だ。余よりも早く将来の相手を見つけようとはな。未だ15歳だというのに」

「子供は親を超えていくものでしょう」

「オリヴァルトが意外と遅いのでな。勘違いしていたよ。アレもリベールで良き相手を見つけたと言っていたが」

 

同様に『救国の皇女』と『黒緋の騎士』を題材にした記事も増えている。

温泉郷ユミルで運命的な出会いを果たす二人。幽閉された家族を助けたい皇女殿下に忠誠を誓う黒の騎士。第三機甲師団の旗印となった皇女殿下の行く道を切り拓いていく。快進撃の立役者。最終的に常勝不敗の軍神を破った。とある貴族を庇って戦死したと思われたが、実際は帝都の危機を知って先回りし、皇女殿下と共に伝説の騎士人形を駆使して暗黒竜を討滅した。

事実は小説よりも奇なり。

現代に蘇った英雄譚。心躍るラブロマンス。

十月戦役で疲弊した民草を盛り上げる格好のスパイスとして、二人の関係性を邪推する記事が世間を賑わせていた。

 

「しかしながら、陛下」

「わかっているとも。ヴィルングに爵位を与えなくてはな」

「御意。如何に貴族勢力が弱体化したとしても、出生すら定かならない平民を皇女殿下の婿にするのは難しいかと」

 

皇帝はおもむろに頷いた。

腕を組み、目を閉じている。

オリヴァルト皇子の母君、アリエル・レンハイムを想い浮かべている事は明白だった。

そう、力関係の有る無しではない。

伝統と規律、調和と習慣。簡単に変えられないエレボニア帝国としての在り方。根源を突き詰めていけば人間の悪感情に至ってしまう。

妬ましい、羨ましい、許せない。

決して馬鹿にできない負の力である。

特に帝国人は突発的に『魔が差してしまう』。黒の思念体に導かれて。巨イナル一から漏れ出た呪いによって。信じられない愚行に及んでしまう。

 

「宰相、隠さなくてもよい。ヴィルングをクロスベルに送るのであろう?」

 

腕組みを解き、尋ねる。

鉄血宰相は鷹揚に首肯した。

 

「御明察。共和国軍がクロスベル奪還に動く頃合いです。黒緋の騎士に戦功を挙げさせる良い機会かと」

「他の騎士は本国待機か?」

「順々に送る予定になっております。彼らにも英雄になってもらおうかと。他ならぬエレボニア帝国の為に」

「――良いのか?」

 

ユーゲントⅢ世は知っている。

帝都解放の立役者。

灰の騎神に選ばれた起動者。

内戦を終結に導いた功労者の一人。

リィン・シュバルツァーが鉄血宰相の実子である事を。やむを得ない事情から手放した事を。今も変わらずに一人息子を溺愛している事すらも。

だから問う。

本当に構わないのかと。

息子に茨の道を歩ませても良いのかと。

 

「偽りの英雄の地位に溺れるなら、所詮それまでの男だったという事です」

 

オズボーンは顔色一つ変えずに言い切った。

既にこの身体は死に体。不死者の身。常人から掛け離れている。成し遂げねばならない使命、滅ぼさねばならない怨敵を抱えている。

心を鬼にしてでも。息子を突き放したとしても。

13年前、惨劇の夜、イシュメルガに対して魂と肉体を捧げた日に誓ったのだ。最後まで駆け抜けると。

 

「そなたは強いな」

「最早、引き返せぬ身ですから」

「悲しい事だ」

「――しかし宜しいのですかな、陛下」

 

改めて問い直す。

心残りを無くすように。

希望の光を手繰り寄せないのかと。

ユーゲントⅢ世は静かに、ゆっくりと嘆息した。

 

「13年前に言った通りだ。避けられぬ終末の未来ならば先ずはそなたに任せると決めた。――そう、決めていたな」

「――諍いますか?」

「そのように仰々しい物ではない」

 

苦笑して、続ける。

 

「余ではそなたに敵うまい。だからこそ未来ある若者を支援しようと考えている。諦めずに足掻き続ける『息子たち』ならば、そなたの思惑を超える可能性も高かろう」

 

皇帝はニヒルな笑みを浮かべた。

正面から鉄血宰相の狙いを邪魔すると告げる。

驚愕であり、歓喜でもあった。

心の底から諦めた人間は容易に立ち直れない。砕けた信念、視界を歪ませる敗北感。如何に周囲から発破されたとしても、燃え尽きた薪から新火が生まれる可能性は限りなく低いからだ。

ユーゲントⅢ世は立ち上がった。

諦念を払拭した訳ではない。

鉄血宰相を超える気概を宿した訳ではない。

だとしても――。

皇帝は萎えてしまった志を奮い立たせた。

若い頃に心折られてなければ。

今もなお終焉に諍い続けていれば。

そんな拉致もない空想に浸らせてしまうほど、ユーゲントⅢ世は叡智に富んだ力強い眼光を放っていた。

 

「陛下は、お強いですな」

 

鉄血宰相が久しく表に出さなかった本心。

長い付き合いだ。皇帝にも伝わっただろう。

故にユーゲントⅢ世は高らかに笑い声をあげた。

 

「世辞はやめてくれ。そなたには到底至らぬ身だからな」

 

事実そうなのかもしれない。

ギリアス・オズボーンはまさしく怪物だ。

元来の知恵才覚に加えて、獅子心皇帝時代の記憶も兼ね備え、人外の領域に両足を突っ込み、紅蓮の炎で身を焼かれる覚悟も完了済みと云う化物。

巨イナル黄昏は絶対に引き起こす。

地獄の大釜を開けるなど造作もない。

だからこそ考える。

終焉に諍えと。乗り越えてみせろと。本気で成し遂げようとする鉄血宰相に食い下がり、見事超越してみせるがいいと。

ユーゲントⅢ世が彼らを手伝う。

願ったり叶ったり。全てを受け入れようとも。

 

「宰相よ、これからも頼むぞ」

「承知しました、陛下」

 

一礼する。

本番は此処からだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日同時刻。

寒気に覆われた帝国領内。

近郊都市トリスタの街を通り過ぎる高速列車。

鉄道憲兵隊所属クルセイダー号の後部車両に緋の騎神を載せて。道中の駅に停まる事なく。2週間前に併合されたばかりのクロスベル州へ超特急で走り続ける。

2両目、前から三番目、左側の席。

3本の緋い線が特徴的な黒い外套に身を包み、皇帝陛下から授与された宝剣ヴァニタスを佩帯。アルフィン皇女がプレゼントされたと云う緋いペンダントを首から掛け、窓際に頬杖を突きながら、齢20の青年が腰掛けていた。

第三機甲師団にて客将ながら一騎当千の活躍を見せ、皇女殿下と共に十月戦役を駆け抜け、暗黒竜を再臨させたカイエン侯爵の魔の手から帝都を救った英雄。緋の騎神に選ばれた起動者でもある。

黒緋の騎士、フェア・ヴィルング。

クレア・リーヴェルトの弟分だった、と思う。

 

「――――」

「――――」

 

気まずい。

沈黙が重い。

喧嘩した訳でも、振られた訳でもない。

クレアは見てしまったのだ。

皇城で仲睦まじく話すアルフィンとフェアを。手を繋いだ光景を。傷を付けた、付けられたと意味不明な問答で楽しそうに言い合う二人の姿を。

喩えるなら、弟がイヤらしい行為に浸っているのを目撃してしまった姉のような感覚。子供から、赤ちゃんはどうやって作るのかと聞かれたような雰囲気。

 

 

「――――」

「――――」

 

 

クロスベルまで持ちますかね、これ。

 

 

 

 









黒の史書「いや、ニャルは無理でしょ(白目)」





アルフィン「あれ、フェアは?」

ユーゲント「クロスベルへ行ったぞ」

アルフィン「!?」








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二十二話 魔都絶叫

 

 

 

 

昔、約束した。

陳腐で。月並みで。ありきたりな。

誰にでも心当たりのある他愛無い口約束。

少年は胸を張って口にした。

将来クレア姉と結婚するのだと。

可愛かった。目に入れても痛くない弟分。

最愛の弟を失った時も、叔父を処刑した時も、親戚と不仲になった時も、いつだってクレアの味方となってくれた。隣で支えてくれた。凍えた心を溶かしてくれた。

お世辞にも賢いと云えず。武術の才に恵まれているとも云えず。一を聞いて一を知る。何の変哲もない少年だった。

名門であるトールズ士官学院を受験しても合格できなかった。平々凡々な士官学校に属し、常識的な成績で卒業する。鉄道憲兵隊はおろか、第六機甲師団に入れたのも幸運だと判断できる程に。

何処にでも存在する尋常一様な人間。英雄に相応しくない。傑物とも云えない。普通の幸せを謳歌できる人間だったのに。

『永遠』に、私が、護るつもりだったのに。

 

 

「あの、フェア?」

 

 

交易町ケルディックを越えた。

窓の外に広がるルナリア自然公園。

心を洗い流すような森林風景が流れていく。

ヘイムダル中央駅から沈黙の続く車両。鉄路を越える鈍い音だけ響く。否が応でもお互いの息遣いが聞こえる。

クレアは我慢できずに口火を切った。

気まずい空気を払拭する為に。4ヶ月前に逃亡してしまった件を謝罪する為に。弟分の『歪んでしまった性的嗜好』を正す為に。

 

「――――」

 

辿々しく名前を呼んだ。

返事を待つ。何秒も、何十秒も。

フェア・ヴィルングは窓の外を眺めるだけ。静かに。呼吸を整えて。まるで視覚以外の情報を排斥しているかのようだと思った。

彼の顔を見つめる。

去年と変わらない虚ろな表情。容貌は悪くないのではと黙考する。瞳は大きく、鼻筋は高く、比較的小顔に近い。それら全てを澱んだ双眸が台無しにしている。

そういえば、と無意識に回想した。

4年前に悪戯でキスしてしまったなと。

クレアは頭を振る。いやいや。何を考えているのかと。顔が赤くなっている。落ち着け。円周率を計算しろ。

自分自身と無意味な暗闘を繰り返す中、クレアは気付いた。フェアの顔が青白くなっていると。今にも倒れそうな表情をしていると。

 

「フェア、大丈夫ですか?」

「――――」

 

改めて問い直す。

返事は無い。遠い目をしている。

クレアは座席から身体を起こす。手を伸ばした。英雄の肩を揺さぶる。不謹慎ながらも頼もしい身体付きだと頬を赤らめた。

 

「え?」

 

フェアが視線を動かした。

漸く姉貴分の存在を認識したらしい。不思議そうに小首を傾げた。何回か瞬きする。夢か現か、理解できていないようだ。

クレアは座り直す。ため息を溢した。

 

「顔色が悪いです。青白くなっていますよ」

「それは、気付きませんでした」

 

フェアは唇の端を歪ませた。

無理に浮かべた苦笑だとわかった。

胸の動きが大きくなる。何度も深呼吸を繰り返している。心を落ち着かせる為ではない。疲労、もしくは苦痛を和らげる為に。

皇城バルフレイム宮の光景を思い出した。

次々と脳裏を過ぎる事柄。不埒な記事、倒錯的な言動、恋する乙女のような皇女殿下、満更でもないように微笑む騎士。思わず歯軋りしてしまう自分。

クレアはもしかしたらと勘繰った。

 

「満足に休息を取られていないのでは?」

「毎日しっかりと寝てますよ」

「ここ数日、皇女殿下に連れ回されていたと聞き及んでいます。幾ら仲良くなろうとも、夜遅くまで皇女殿下の部屋に入り浸るのは感心しません」

 

噂好きの侍女から聞いた。

皇女殿下の自室に連日連夜、招待される男がいるのだと。

救国の皇女と黒緋の騎士。雑誌や新聞を通して帝国中を賑わせるラブロマンス。英雄譚のヒーローとヒロイン。年若い男女。何も起きない筈がないと力説していた。

フェアは脚を組んだ。明後日の方向を見る。

 

「――詳しいですね」

「閣下と協議する為に登城することが多かったですから」

 

クレアは素知らぬ顔で答える

本当は弟分が心配で情報を探っていたのだ。

黒緋の騎士は十月戦役にて貴族連合軍を真正面から蹴散らした。嫡子を殺された貴族も数多く存在すると聞く。

戦闘行為に於ける結果だとしても。暗黒竜を討滅したしても。帝都の危機を救ったとしても。皇女殿下の専属騎士に選ばれたとしても。

フェア・ヴィルングはあくまで平民である。貴族からしてみれば見下す存在。貴い血を一滴も持たない下賤な輩。溝鼠ごときが調子に乗るなと。

『然るべき報いを与えてやる』

英雄を讃える声の裏側で巻き上がる怨嗟の声。如何にも人間らしい感情の発露。決して無視できない嫉妬と軽蔑の嵐であった。

普通の人間なら辟易するだろう。人間の醜い部分を見せられて絶望する。命の危険を感じて皇城から退去してもおかしくない。

にも拘らず、聞こえるように陰口を叩かれても。皇女殿下の威光を笠に着てると揶揄されても。緋の騎神に選ばれた事すら何かの間違いだと罵倒されても。

フェアは涼しい顔で聞き流した。

まるで『最初から聞こえていない』ように。

確かに貴族派は弱まっている。内戦を経て、カイエン公爵の暴走を切っ掛けにして、確実に往年の力を失っている。何もできない。領邦軍の規模も縮小した。貴族連合軍総司令官だったオーレリア将軍は、右腕であるウォレス准将と共にジュノー海上要塞で籠城したままだ。

逆風に晒される小貴族の胡乱な言葉など、無視しても問題ないかもしれない。聞く耳持たない方が吉なのかもしれない。

本当に良いのか。大丈夫なのか。

まさしく『異常』で『混沌』とも云える貴族たちの反発を無視して、変な禍根を残さないのだろうかと心配してしまう。

皇帝と宰相は気にしていないけども。

四大名門を筆頭とする大貴族の加護を失ってしまった小貴族の戯言ぐらい、今はまだ黙殺しておけと直属の上司にも窘められた。

 

「クレアさんが想像されているような事はしてませんよ。皇女殿下がお休みになられるまで護衛しているだけですから」

 

フェアが肩を竦める。

普段よりも心無しか早口だった。

口煩い姉に言い訳でもするように捲し立てる。

 

「バルフレイム宮ですよ」

 

クレアは疑いの眼差しを向けた。

 

「だからこそです。クレアさんも気付いている筈です」

「――民衆と貴族の動きですか?」

「俺の想定と乖離してきて少し困っています」

 

四大名門の均衡は呆気なく崩れた。

貴族派は凋落。領邦軍は壊滅。

フェア曰く、此処までは予定通りだったと。

さりとて不遜であると知りつつも、セドリック皇太子を疑問視する声が民衆の中から現れた。内戦の時に何をしていたのかと。暗黒竜が暴れ回っている時に何をしていたのかと。

代わりに『救国の皇女』として信奉を集める、アルフィン皇女を至尊の座に押し上げようとする動きすら出てきた。

帝国内で存在すら危ぶまれてきた貴族が何を考えるか。答えは簡単だ。セドリック皇太子に取り入り、最終的にアルフィン皇女を何処か僻地に幽閉する。

最悪の未来は、戦後のどさくさに紛れて、アルフィン皇女を殺害されてしまう事。進退窮まった貴族たちなら充分にやりかねない愚行だと。特にオーレリアやウォレスが海上要塞に引き篭もっている今、警戒して然るべきだとフェアは断言した。

 

「今は、誰が護衛を?」

「ヴィクターさんが警護に当たっています」

「光の剣匠殿なら安心ですね」

「はい。オリヴァルト殿下も気に掛けてくれると仰られたので。俺としては半月から一月ほどでクロスベル戦線から帰りたいと考えています」

 

虚空を眺める黒緋の騎士。

思い浮かべているのは皇女殿下に違いない。

幼い頃のフェアから向けられた優しい視線に似ている。胸の奥がキリキリと痛んだ。心臓がギュッと締め付けられる苦しみを覚えた。

初々しく手を繋ぐ二人を覗き見て。はしたない妄想を浮かべる侍女の声を聞いて。クレアは負けたくないと考えた。取られたくないと我儘を抱いてしまった。

奪われたくないなら。取り戻したいのなら。

私のモノだと証明する他ない。

諍うしか、勝ち続けるしかない。

戦え、競い合え、鎬を削れ。

この世は『闘争』の概念に浸る事でしか進歩しないのだから。

 

「それに――」

 

フェアは握り拳を作り、ゆっくり解いていく。

 

「クロスベルは、嫌いですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内戦が終結してから。

暗黒竜を討伐してから。

声が聞こえる。怨嗟の声が責め立てる。

最初は甲高い耳鳴りに近く。刻一刻と鮮明になっていき。人間の声だと気付いてから一段と早くなり、今では一人一人を聞き分けられるほどにまで洗練された。

苦痛と絶望。詰問と絶叫。

どうして助けてくれないのか。

どうして守ってくれないのか。

どうして暗黒竜を生み出したのか。

どうして置き去りにしていくのか。

どうして、どうして、どうして、どうして!?

誰も彼もが責問する。

俺は何一つ答えられないと知りながら。

俺は何一つ彼らに報いる事ができないと知りながら。

死にたくないと子供が啼泣する。

生きていたいと大人が嗚咽する。

親の名前を呼びながら死に絶えていく。

子供の名前を叫びながら倒れ伏していく。

過去の事なのに。

終わった事なのに。

もう、どうしようもできないのに。

連日連夜、鳴り止まない憎悪の嘶き。

存在Yの声など生温い。手の届く範囲から耳朶を侵す叫声。キツいなと弱音を吐く。だとしても甘んじて受け入れようと思った。

暗黒竜を生み出したのは俺と騎神である。齎された被害。屠られた人命。それら全て俺たちの責任だからだ。

一週間もすれば慣れた。

現実の声も聞こえるようになった。

謝りながら。同情しながら。

皇女殿下を安心させる為に笑顔を浮かべていた。

 

「顔色が悪いです」

 

クロスベル特急の列車で。

見送り役のクレアさんから指摘された。

表情に出しているつもりなどなかったのに。鍛錬が足りていない。精神も未熟に過ぎる。稽古を付けてくれた鋼の聖女にも笑われてしまう。

安心させる為に苦笑してみせた。

辛かった。巧く騙せたのか、自信がない。

目的地に着くまで数時間。とある理由から無理して会話を続けようと苦心した。話題は時事問題から十月戦役に移り、何故か好きな女性のタイプに発展した。それでも意識を口に傾けた。

夕陽が沈みかけた頃。

帝国領クロスベル州に到着した。

嗚呼、頭が痛い。

意識を持っていかれそうになる。

 

痛い。苦しい。辛い。きつい。悲しい。嫌だ。助けて。殺して。死なせて。食べさせて。私は誰。アイツは誰。どうして。痛い。お腹すいた。苦しい。死なせて。辛い。悲しい。一人は嫌だ。もう嫌だ。苦しい。食べたい。つらい。殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して!!

 

この地は呪われている。

全ての輪廻で断末魔を聞く。クロスベルに近付いた分だけ声量は大きくなる。脳内を掻き回すように。忘れないでと懇願するように。生きた証を残したいと訴えるように。

最初は耐えられなかった。自殺した。

今度は二日目で発狂した。自殺した。

何度も訪れることで耐性が付いた。身体が馴染んでいった。不思議だと思う。今ならゆっくりと寝れるのだから。

――しかし、今回は異なる。

叱責する憎悪の嘶き。

子供が発する断末魔の呪詛。

混ざり合う。溶け合っていく。

此処までキツいとは想定していなかった。汚染されていく。額を手で押さえる。頭がおかしくなりそうだ。立っているのか、座っているのか。地面は上か。天空は下か。

ダメだ。平衡感覚が保てない。

隣にいるクレアさんにしがみ付いた。

それすら力が足りず、地面に倒れ込む。

情けない格好だ。なんて無様なのかと嘲笑う。

 

「――――」

 

クレアさんが何か喋っている。

肩を揺らされた。頬を優しく叩かれた。

綺麗な双眸から涙が溢れ落ちた。泣いてしまっている事にも気付かないのか。少しも拭おうとしない。

とある輪廻を思い出した。

クレアさんと恋仲になった世界線。彼女は酷く泣き虫だった。氷の乙女と呼ばれる才女なのに。泣く子も黙る『鉄血の子供たち』なのに。

身体は動かない。鉛のように重い。

死ねばいいのにと罵声を浴びた。

早くこっちにおいでよと手招きされた。

誘惑は甘美で。諦念は媚薬のようで。

それもいいのかなと考えて、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 








緋の騎神「…………」←あー、と納得。


黒の騎神「…………」←えー、と困惑。







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二十三話 食人残滓

 

 

 

 

行政区に聳え立つオルキスタワー。

クロスベル州を治める行政府であり、貿易センターや国際会議場などの施設を兼ね備えている一大ランドマークタワー。地上40階の超高層ビルには、帝国領を表現する『黄金の軍馬』が掲げられていた。将来的にはクロスベル総督府として機能していく事になる。

クロスベル駅で倒れたフェア・ヴィルング。口から泡を噴き、痙攣を繰り返し、最後は絶叫して気絶した。

騒ぎ出す市民。混乱する駅員。

誰よりも早く立ち直ったクレアは、弟分をウルスラ病院に運び込もうとした。当たり前だ。異常な光景だった。このまま死んでしまうのかと怖れてしまう程に。

一喝して駅員を正気に戻し、蔓延る野次馬を蹴散らした。担架を用意させる。担ぎ上げた。運搬する直前、緋の騎神に止められた。

曰く、ウルスラ病院で高度な治療を行っても意味がないのだと。『直したい』なら任せて欲しい。早期に霊力を高めないと死んでしまうと。

担架に寝かされたフェアの身体に縋りながら、どういう意味なのかと問い返す。知っている事があるなら教えて欲しいと。

緋の騎神は数秒間沈黙を保ち、貴女に出来ることは何もないと拒絶した。問答無用で起動者を核に取り込んだ。停止命令を無視。オルキスタワーへ飛び去った。

 

「成る程。緋の騎神がヘリポートに降り立ったのはそういう経緯からだったか」

 

超高層ビルの執務室。

クロスベル市を臨時統括する才色兼備な男性は、顎に左手を当てて呟いた。名前をルーファス・アルバレア。四大名門の嫡子にして、元貴族連合軍総参謀にして、鉄血の子供たちの筆頭という肩書を持っている。

クレア・リーヴェルトは苦虫を噛み潰したような表情で謝罪した。

 

「ご報告が遅れ、申し訳ありませんでした」

 

ルーファスが悠然と振り返った。

都心の煌びやかな夜景から視線を移す。

豪華な椅子へ腰掛け、執務机で手を組んだ。

 

「このような事態なら仕方あるまい。大尉を責めるのはお門違いというもの。何しろ相手は騎神だったのだから」

「しかし――」

 

納得いかずに否定するクレア。

鉄血宰相から与えられた任務は、黒緋の騎士をオルキスタワーまでお連れする事。ルーファスへ紹介する事。問題が起きないようにサポートする事だった。

僅か半日。一日も持たずに失敗した。

持ち前の責任感と弟分の容態から来る焦燥感。

誰しも振り向く絶世の美貌に翳りを見せた。口元は震えている。双眸は澱んでいた。顔色は今にも倒れそうな程に青白い。

 

「オズボーン閣下も苦笑しておられたよ。クレア大尉は、フェア・ヴィルングの事になると融通が効かなくなるとね」

 

ルーファスは快活に哄笑した。

楽しげに。面白そうに。さりとて嘲りを込めて。

ギリアス・オズボーンの名前を出された。敬愛する上司であり、親代わりとなってくれた人物の名前を。つまりは意識を切り替えろと。お前は鉄道憲兵隊の大尉だろうと叱責されたのだ。

 

「大尉、残念なことだが感傷に浸っている時間は少ない。理由は説明しなくても構わないかな?」

 

突き刺さる眼光だった。

軍人としての答えを求められている。

フェアの容態は気になる。出来るなら騎神の元へ駆け寄りたい。声を掛けるだけでも意味があると信じて。再び目を覚ましてくれると期待して。付きっきりで看病してあげたかった。

クレアは目を閉じる。軍人と私人の葛藤。どちらを選ぶべきか。悩んで、答えを出す。将来的に後悔する選択だと自嘲しながら。

 

「共和国軍に動きがあると推察します」

「二日、もしくは三日後に侵攻してくるだろう。情報局からの報告が正しければ、最精鋭と謳われる空挺機甲師団を投入する筈だ」

「万全の準備が施されていると聞きました」

「作戦内容、軍の行動、それらに必要な兵站。全て滞りなく終わっているとも。空挺機甲師団相手でも互角に戦えると断言しても構わない。勝つことは明白。しかし、戦線を一時的に突破される可能性が高いと考えるべきだ」

 

機甲兵と戦車による画期的な新戦術を用いたとしても。稀代の軍略家であるルーファス・アルバレアが指揮したとしても。

全ての戦線を完全に封鎖など不可能である。

共和国の誇る空挺機甲師団。彼らの練度を鑑みれば妥当な判断。空軍力だけを比較した場合、帝国軍は敗北していると認めてしまう程の差が存在する。

 

「市街地まで来られたら――」

「今後の統治に悪影響を及ぼす。それはなるべく避けたい。だからこそ黒緋の騎士、英雄殿の派遣を要請したのだがな」

 

困ったものだ、と。

ルーファス・アルバレアは肩を竦める。

黒緋の騎士を揶揄した言動であった。ほとほと使えないと。肝心な時に役立たないと。一体何をしているのかと。

ルーファスの立場からしたら妥当な感情なのかもしれない。手にしていた切り札が消失したのだから。愚痴の一つも溢したくなるのが人間なのかもしれない。

如何なる理由があったとしても、クレアの不快感は消えない。僅かながら憤りを付与して意見を口をする。

 

「閣下、新たな騎士の派遣を具申します」

 

蒼の騎神を駆るクロウ・アームブラスト。

灰の騎神を操るリィン・シュバルツァー。

どちらを呼んでも問題ない。フェアの代役として十二分に通用する。仮に明日の昼、帝国本土から呼び出したとしても間に合う計算だ。

ジュノー海上要塞で領邦軍存続を求めて籠城するオーレリア将軍。例え黄金の羅刹を牽制するにしても片方で十分だ。第七機甲師団と協力すれば不測の事態にも対応可能である。

しかし、ルーファスは首を横に振った。

 

「簡単にいくまい。人手が足りないのは何処も同じだからな。オズボーン閣下に要請したとしても却下されてしまうだろう」

「フェア・ヴィルングは戦えません」

「騎神が治してくれるなら問題あるまい」

「彼に必要なのは休息であると愚考します」

「大尉、フェア・ヴィルングは『英雄』だ。内戦で疲弊した帝国人を鼓舞するのに最適な、共和国に対する恐怖心を和らげるのに必要な『機械』なのだよ。今更な話さ。機械如きが、表舞台から勝手に降りるなど許されると思うかい?」

 

随分と勝手な言い分だった。

アルフィン殿下の進む道を斬り拓いたのも。暗黒竜を討伐したのも褒められるべき行い。帝国史に記載されても然るべき偉業とも云えよう。

故にフェアは英雄となった。

否が応でも『英雄』として人気を博した。

必要がある内は死体になってでも働いてもらう。

フェアの境遇に対して、クレアは愕然とする。

朗らかに微笑む筆頭の眉間に、導力拳銃を突き付けたくなった。落ち着け。落ち着け。我慢しろと必死に言い聞かせる。一時の感情に身を委ねるなど不合理だと知っているだろうに。

三回ほど深呼吸してから、抑えた声音で尋ねた。

 

「英雄なら使い潰しても構わないと仰られるのですか?」

「英雄とは国家の危機を打破してこそ存在価値を持つ。民衆の抱く絶望を払拭し、希望の火を灯してこそ存在を認められる。皮肉な話だが、英雄に祭り上げられた者は国家の奴隷となるしかないのだよ」

 

淡々と。揚々と。

ルーファスは断言した。

英雄になる条件を。英雄になった者の末路を。

何処となく面白そうだった。

フェア・ヴィルングがどういう結末を辿るのか。

壊れるのか。奮起するのか。

玲瓏な容貌は悍ましいモノに変わっていた。

怒りが湧いた。憤怒した。クレアは机を叩く。

 

「皇帝陛下、宰相閣下がお認めになられると思えません!」

「皇女殿下の婿候補として迎い入れる準備も進められていると聞く。此処で奮起しないで、平民出身の彼が爵位を得られると思うのかな?」

 

現実を見たまえ、と嗤う。

クレアが如何に反論しようとも。フェアが如何に反発しようとも。英雄の個人意思など中央政府からしてみれば不必要な代物なのだと。

随分な言い草である。

酷く人間味のない発言だった。

目を見開くクレア。手が震えた。

ルーファスはクスッと表情を緩める。好青年のように白い歯を見せて。女性を魅了する美貌に『空虚な感情』を貼りつけて。

 

「全ては彼が目を覚ませば、の話だよ」

 

せいぜい英雄殿に期待するとしようか。

ルーファス・アルバレアは嫉妬するように吐き捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢だと気付いた。

これが明晰夢かと納得する。

暗闇に包まれた都市。散乱する死骸。明けない夜の帳。

完全に滅びた帝都を散策する。一人で。何日も。

異臭を我慢して。寂しさを誤魔化しながら。終わりの見えない夢の中を漂い続ける。

僅かに残っている廃墟の形から鑑みて、恐らくだが約900年前の帝都だと思われる。緋の帝都に相応しい煉瓦色の建物が欠片も見当たらないからだ。

これは想像か。それとも残滓か。

どちらでも同じ事だと虚しく笑う。

俺は納得したいだけだ。己を許したいだけだ。過去の方が悲惨だった。暗黒竜を討伐しなければ到来するだろう未来を夢想して、被害に遭った人々から目を背けているだけ。

下らないと唾棄する。

いつの間にこれほど『弱くなった』のかと。

巻き戻る時計を壊す為に。終わらない輪廻から脱出する為に。本当の意味で『死』を賜る為に活動してきた。

空の女神を殺してでも成し遂げる気概を持っていたのに、たかが五桁の人間を巻き込んだぐらいで罪悪感に苛まれてしまうとは。

皇女殿下と仲良くなれたから。

己の境遇を信じてもらえたから。

少なからず救われてしまったから。

帝国の人間を護りたいと思ってしまったから。

俺は弱くなった。心地良い弱さだと感じていた。

駄目だ。駄目だ。このままだと以前の自分に戻ってしまう。クレアさんに甘えてしまった輪廻まで回帰してしまう。

進むのだと。前へ。前へ。

一歩ずつでも前進するのだと決意した。

戻る事は許されない。

諦める事は容認できない。

遡るぐらいなら壊れてしまえ。

回帰するぐらいなら死んでしまえ。

強い自分に。全てを壊す覚悟を決めた己に。

確固たる意志を持ったフェア・ヴィルングを取り戻せ。

 

 

――――楽しめ、と誰かが嘲笑した。

 

 

黒い混沌が背後で踊る。

以前よりも存在を感じない。

それでも確かに取り憑いていた。

遊ばれる。弄られる。玩具にされる。

死ね。死ぬのだ。死なせてやると。

輪廻を繰り返せば楽になれるのだと嘯いた。

また導いてやる。

皇女と出会わせてやる。

さりとて『騎神には乗らせない』と憎悪する。

 

 

――――楽しめ、と誰かが誘導した。

 

 

宝剣ヴァニタスを抜く。磨かれた剣身に己の顔が映った。誰も殺していない処女剣。最初に奪う命が持ち主とは、何とも皮肉が効いているなと冷笑する。

首を貫くか。斬り落とすか。

一瞬だけ考え込む。断切に決定。

逆手に持ち替えて、首に押し当て、力を込めて。

 

 

「相変わらず凡庸な男じゃ。黒も驚いておろう」

 

 

薄皮一枚で阻まれた。

血が首元を伝う。致命傷にならない少量の血滴。

幾ら宝剣に力を込めても。当てる角度を変えても微動だにしない。

透明な結界に遮られている。頑強な防御結界。ヴィータ・クロチルダと比較することも烏滸がましい堅牢たる守護結界であった。

 

「此処で死ねば全て台無しになろう。許されぬ愚行じゃ。壊れても突き進め。不幸になろうと成し遂げよ。それが、天を見続けたお主の末路よな」

 

世界が切り替わった。

古代の帝都から現代のクロスベル市に。

オルキスタワーの頂上から周囲を見渡した。

天空は血のように真紅で。大地は漆黒に覆われている。人の気配を感じ取れない。魔獣の放つ独特な臭いも感知できない。完全なる空虚な世界だと思った。

宝剣を片手に立ち尽くす。

何をすれば良いのかわからない。

死への渇望は消えた。輪廻する覚悟も消えた。ならば目を醒さなければ。クレアさんを心配させてしまっている。

一歩、前へ進んで、異質な影を見た。

 

「怨嗟の声が恐ろしいのじゃな?」

 

女の声だ。

 

「弱さを払拭したいのであろう?」

 

優しくも厳しい声質だ。

 

「ならば殺せ。己の中に入り込んだ残滓を」

 

瞬間、明確な異常を感じた。

オルキスタワー内に、膨大な人間の気配が出現したのだ。一瞬の出来事。まるで虚空から産み出されたように。六桁に及ぶ人間が犇めき合う。

眼前の黒い影もその一人。

時間が経つに連れて、朧げな姿が鮮明になった。

少年のような体躯。黒い目は充血している。口から涎を垂らし、猛獣のような唸り声をあげて、俺という『食糧』を睥睨していた。

見覚えがある。忘れるなんて不可能な少年。

 

「これ、は――」

「子供も、大人も、女も、男も、若いのも、老いたのも。悉く殺し尽くせ。そうすれば此処から出してやろう。中々良い条件じゃろ?」

 

感謝しても良いぞ、と言い残して。

空から響いた女性の声は聞こえなくなった。

どんなに問い返しても。説明を求めても。文句を口にしても。空は沈黙したまま。言葉は返ってこなかった。

畜生に堕ちたとしても。

輪廻を脱却するとしても。

純粋無垢な子供を喜んで殺せる筈がない。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

少年が近づいてくる。

幽鬼のように。殺人鬼のように。

 

「お兄ちゃんのこと、食べたいの」

 

ゆっくりと。確実に距離を詰める。

まるで弱った獲物を追い詰めるように。

 

「お願い、お願い」

 

必死に懇願してくる。

どうしようもない飢餓感から声を震わせて。

見ていられない。涙が出そうになる。

どうして。何で。この子が此処にいるのか。

意味が無いと知りながら宝剣を構える。

この世の無情さに歯軋りしながら名前を呼んだ。

 

 

「――エルマー」

「ボクね、お腹イッパイになりたいのぉォォおおお!!」

 

 

獰猛な獣を彷彿させる叫び声を轟かせて。

人喰いの化物である『エルマー』は跳躍した。

クロスベル州を拠点としたカルト宗教団体。空の女神を否定するのはわかるが、最悪な事に『悪魔と邪神』を崇拝するという狂った連中がいた。

エルマーはその被害者。純然たる、可哀想な、どうしようもない被害者だ。とある輪廻で出会い、ケビン・グラハムなる怪しい神父と協力しても、殺害する事でしか救えなかった。

 

 

「また、お前を殺さないといけないのか」

 

 

柄を握り締める。

エルマーだけだと思えない。オルキスタワーには今、六桁に及ぶ人間の気配が蠢いている。

つまり。エルマーを殺したとしても、その苦痛に耐えたとしても、同じ事を10万回以上繰り返さないといけないのか。

 

「まったく――」

 

苦笑する。

 

 

「なんて、無様」

 

 











緋の騎神「マジでやるの?」←クレア怖い。

謎の女「当たり前じゃ」←おばあちゃまではありません。

緋の騎神「可哀想に」←フェア好き。







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二十四話 告白慟哭

 

 

 

物言わぬ死骸が見上げている。

悲しくない。辛くない。

何度も何度も自らに言い聞かせる。

深く呼吸した。柄を強く握る。エルマーを殺したのは二回目。慣れたモノだ。飛び掛かる食人鬼の脚を斬り落とし、掴もうとする腕を切断し、宝剣ヴァニタスで袈裟斬りする。

最初殺した時は3日寝込んだ。

今は動ける。余裕がある。冷静な心を保てる。

これで良いんだ。

こうするしか無いのだから。

女の声が真実を話していなくても。

ひたすらオルキスタワーを降りていく。

 

「ひっ!」

 

見知らぬ人々が犇めき合っていた。俺を見て、目を白黒させる。当然か。エルマーの鮮血で彩られて、片手に宝剣を携えて、硝子みたいな双眸を見開いているのだから。

悲鳴をあげる。我先に逃げていく。

俺は覚悟を固めて駆け出した。妻を、彼女を、家族を護ろうとする男たちを薙ぎ払う。真横の一閃で5人を絶命させる。

俺を背中から羽交い締めしようとした体格の良い中年男性の頭を叩き割る。脚を掴もうとした青年の首を撥ねる。ベンチを持ち上げて振りかぶった筋肉質な男を頭から股まで一刀両断した。

実力差がわかったのだろう。

勇気を振り絞った男たちも及び腰になる。愛する者を護ろうとする闘志は萎み、死の光景を目の当たりする事で恐怖だけが膨れ上がっている。

気持ちはわかる。

世界大戦の時、俺もそうだったから。

仕方ない事だ。人間としての常識なのだから。

唐突に始まった殺戮劇。黒幕は謎の女、実行犯は俺、被害者は無垢な一般人。報酬は心を洗い流す血の雨だ。

 

「い、イヤだ!」

「どうして殺すの!?」

「俺たちが何をしたんだ!」

 

無心で剣を振るう。一振り一殺。

オルキスタワーの内部を赫く染め上げる。

俺は目を閉じない。謝らない。後悔しない。

ひたすらに顔を覚える。身体的特徴と断末魔の叫びを記憶していく。忘れない事だけが彼らに報いる方法だと思ったから。

階層の人間を殺し尽くした。壁に寄り掛かる。天井を見上げた。呼吸を整える。大丈夫だ、まだ壊れていない。殺した人間は5000人ほどか。最低でも10万人以上、殺害しないといけない。休憩している時間こそ勿体ない。下へ降りよう。殺さないと。わかっているのに足が重い。勘弁してくれと弱い自分が叫ぶ。甘ったれるな。やるしかないんだ。

震える足を叱責する。

階段をゆっくりと降りた。

上の階層と同じように人間が蠢いていた。

似た事の繰り返し。無慈悲な斬殺劇が上映されていく。せめて苦しまないように。即死で終われるように。惜しみなく戦技を放つ。老若男女分け隔てなく死を与える。

 

「心は痛まないのか!?」

 

上半身だけの妻に縋りながら咆哮する夫。

頭だけの子供を抱きしめて泣き叫ぶ母親。

両親だった肉片を掻き集める双子の子供。

長年連れ添った奥さんを惨殺された老人。

誰も彼もが問い掛ける。

答えない。答えられない。

凝視して、悲鳴を傾聴しながら、剣を振るだけ。

俺がするべき事などそれぐらいだ。

他に必要な行いがあるならどうか教えてくれよ。

 

「――――」

 

20階ほど降りた。

10万人以上、殺し尽くした計算になる。

肉体の痛みなら我慢できる。

忘却される苦痛にも耐えられる。

それでも無垢な人々を殺す所業は困難を極めた。

最早、傷む心も消え失せた。

消え失せたと思っていたのだけど。

 

「お兄ちゃん、誰?」

 

見覚えのある子供たちが虚空から現れる。

身体中傷だらけで。酷く淀んだ目で。無意味に貼り付けた笑顔を浮かべて。心底から不思議そうに小首を傾げた。

敵意も、戦意も、恐怖すら持たない。

当たり前だ。既に壊れているのだから。

カルト宗教団体の被害者たち。『真なる叡智と真なる混沌』を目指して、数百年に渡り、人体実験を繰り返した屑共。大陸中から子供を拐い、死ぬまで非人道的な実験を反復していった。

余りに残酷な所業から徹底的に調べた。結果として不可解な事が判明する。輪廻を隔てる度に、宗教団体の教義と行動、壊滅時期が異なっていた。

基本的に七耀暦1198年には、宗教団体は各国の遊撃士と軍隊によって壊滅済みである。エルマーも七耀暦1200年にはケビン・グラハムの手で臨終する。

当然、俺は思考した。カルト宗教団体が輪廻の突破口になるかもしれないと。何回も接触を試み、事件に巻き込まれて、結局は徒労に終わってしまった。

 

「ワタシたちを、殺しに来たの?」

「ボクたちを、殺してくれるの?」

 

子供たちの声が鼓膜を揺さぶる。

俺は何も返事せずに宝剣を振り翳した。

一度でも口を開けば。

これ以上身体を止めてしまえば。

膝をついてしまいそうだったから。

諍いも、反発も、逃げようともしない子供たちを縦横無尽に殺していく。胸が締め付けられる。心が悲鳴をあげそうだった。

 

「――ありがとう、お兄ちゃん」

 

なんで感謝するんだ。

どうして泣き叫ばない。

いっそのこと罵倒してくれよ。

人でなしと。鬼畜と。クズ野郎と。俺を表現する罵声など幾らでも浮かび上がる。目的の為に10万人を殺害するエゴイストなのに。

歯を食いしばる。とにかく腕を動かした。

一階のエントランス。

最後の子供へ、宝剣を突き立てる。

正確無比な一撃。確実に心臓を刺突した。

数秒待つ。どうか終わってくれと願いながら。新たな気配を感じない。虚空も出現しない。どうやら終わったらしい。殺し尽くしたようだ。

絶命した子供から剣を引き抜く。温かい血を浴びながら周囲を見渡す。まさしく地獄絵図。100人を越す子供たちの死骸が散乱している。

 

「あはは」

 

喉が震える。頬が緩んだ。

現実感を無視した景色に哄笑した。

 

「あはははははははは!!」

 

もう何も感じない。

罪悪感など欠片もない。

仕方ない事だった。どうしようもなかった。巻き込まれた方が悪い。逃げられなかった方が悪い。今度は気をつけろ。次こそは生き延びられると良いな。そうだ、そうだ、俺は悪くない。俺は被害者だ。俺は救われたいんだ。俺は地獄から脱出したいんだ。そうだ、どんな事を行なってでも!!

 

 

「フェア?」

 

 

大声で笑い続ける俺を。

聞き覚えのある小さな声が制止した。

口を半開きにして。天井から入り口に視線を移動させる。視界に広がる阿鼻叫喚の景色、その奥に控える黄金の少女が目に飛び込んできた。

有り得ない。

どうして此処にいるのか。

謎の女は言った。己に入り込んだ残滓を殺せと。皆殺しにしたら怨嗟の声は止まるのだと。つまり彼らは暗黒竜の騒動で死亡した、もしくは被害に遭われた人々だと仮定できる。カルト宗教団体の被害者たちが現れた理由も同じだと考えられる。

――だとすれば。

彼女が出現する条件など満たしていない。

あの方はバルフレイム宮で元気に暮らしている。

前提条件が間違っていたのか。

それとも、もしかして、あるいは――。

どうでもいいと頭を振る。現実を直視しろ。

仮初でも、現実世界に影響しないとしても。

主君である『皇女殿下』を殺さないといけないなんて。

 

「アルフィン、殿下――」

「一体何をしているのかしら?」

 

皇女殿下は微笑んだ。

尋ねる口調に嫌悪を感じない。

純粋に興味を覚えたように。まるで公園で遊ぶ子供たちに何しているのかと尋ねるように。どこまでも真摯で、湧いて出た純然たる疑問を教えてほしいと。

 

「どうしたの?」

 

歩み寄る皇女殿下。

子供の死体を一瞥もせずに跨いで。

ひたすら俺だけを見つめながら近づいて来る。

 

「――――」

 

俺は後退りした。

何を説明すればいいのか。

どんな申し開きをすればいいのか。

眼前にいる皇女殿下は影法師だとわかっている。

本物は皇城に御在宅なのも。問答無用で斬り捨ててしまえば良いことも。一振りで万事解決すると理解している。

長い輪廻だ。親しい人間を何回も殺した。何回も殺された。憎悪を抱いていない。立場や意見が変われば敵味方も容易く変化する。愛憎も似たようなものだ。不変な感情など御伽話にも存在しないのだから。

なのに気圧された。

殺せない。あの方だけは殺せない。

影法師だとしても。本物でないとしても。

俺を信じてくれた。

俺の手を掴んでくれた。

死ぬ時は一緒だと約束した。

 

「ねぇ、フェア。この惨劇は貴方のせいなの?」

 

何故、俺を咎めないのか。

どうして慈愛に満ちた視線を向けるのか。

疑問だけが脳裏を過ぎる。

取り敢えず返答しようとした。

口を開いて、自信を持って、事情を説明しようとして。瞬間、言い訳するみたいだと気付いた。その醜態さと自己保身に吐き気がした。

だからこそ首肯するだけに留めた。

 

「だから、そんなに酷い顔をしているのね」

 

迷わず。躊躇わず。

皇女殿下は逡巡せずに接近する。

俺は宝剣を手にしている。顔は鮮血に塗れ。黒を基調とした服も赤黒く染まり。主観的に見たとしても狂った殺人鬼としか考えられない出で立ちである。

俺は後退する。皇女殿下は前進する。

無意味な攻防は僅か十数秒で終わりを告げた。

壁に背中がぶつかる。これ以上、後方に下がれない。逃げられない。皇女殿下に穢れた身体を近付かせる事になる。

 

「駄目です、アルフィン殿下!」

「教えて。何が駄目なのかしら?」

 

距離にして1アージュ。

手を伸ばせば触れ合う位置。

染み込んだ血臭が鼻腔を擽っているだろうに。

皇女殿下は更に一歩近付いた。右手を伸ばす。俺の頬に触れた。何度も撫でる。優しく、労わるように、壊れてしまった機械を直すように。

口調は恋人を揶揄う少女のようで。

表情は子供の悪戯を見付けた母親のようで。

 

「――汚いですよ」

「貴方が頑張った結果でしょう。汚いなんて言わないで。独りでよく頑張ったわね、フェア」

 

やめろ。やめてくれ。

俺は12万5836人を斬り殺した。28時間誰かを殺戮し続けた。弱さを捨てる為に。鬼となる為に。輪廻を脱却する為に。

何か言わないと。

でも何を口にすればいいのか。

思考できなくて。

頭が混乱してしまって。

崩れ落ちるように腰を下ろした。

 

「俺は――」

「皆まで言わないで。テスタ=ロッサから聞いてるわ。貴方が一人で抱え込んでいたことも。苦しんでいたことも」

 

頬から頭へ。

優しく愛撫する皇女殿下。

相変わらず報連相を知らない騎神だな。

誰にも教えるなと。皇女殿下にも伝えるなと。頼み込んだにも拘らず、この有様である。もしかして灰や蒼の騎神も独断専行するのだろうか。困った騎士人形である。

ふと、疑問が生まれた。

皇女殿下の様子に違和感を覚える。

もしも主君の影法師ならば、記憶と魂を再現した偽物ならば、俺がクロスベルへ出立する前から、皇女殿下は怨嗟の声云々を知っていなければおかしい。

――しかし。

知っていたなら詰問している筈だ。皇女殿下ならば皇城に居たとしても問い質すだろう。そのぐらいは行動予測できる。

矛盾だ。辻褄が合わない。

どういう事だと眉をひそめる。

皇女殿下はクスクスと破顔した。

 

「フェア、私は本物よ」

「は?」

 

俺は目を見開く。

 

「言ったでしょう。テスタ=ロッサから聞いたって。貴方が地獄にいるって教えてもらったの。だからクロスベルへ来たわ。貴方の為に。貴方だけに抱え込ませない為に」

 

呆然とする俺の両頬を手で挟んだ。

皇女殿下は顔を近付けた。刻々と距離が縮まる。

考え直してくれと嗜める前に。

お互いの額と額がコツンと当たった。

 

「貴方は自分のことを嫌いなのかもしれない。許せないのかもしれない。醜いと思っているのかもしれない。だから――」

 

皇女殿下は天使のように微笑んだ。

 

 

「私が貴方を好きになってあげるから。赦してあげるから。綺麗だと思ってあげるから。独りで抱え込まないで。私たちは、一蓮托生でしょう?」

 

 

胸が詰まってしまって。

渦巻く感情に混乱させられて。

俺は、何百年ぶりに涙を流した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝手なことをしおって」

「待チワビタ起動者ヲ壊スツモリカ」

「壊れたなら補強するつもりじゃった。ガチガチにな。人格も、記憶も壊れていたかもしれんがのう」

「ヤハリ。貴女ダケニ任セラレナイ。教エテ欲シイ。ドウシテ起動者ヲ憎ムノカ。我々ガ待チ望ンダ降臨者ナノニ」

「2代目ならいざ知らず。妾は女神が遣わした焔の聖獣じゃぞ。その存在を否定する輩如きに、好意的に接するなど出来ようか」

「初代ローゼリア、貴女ナラ調停者ガ望ンダ者ハ女神ヲ信ジナイト知ッテイタダロウ」

「喧しい。ようやく邪神から解放されたのじゃ。是が非でもこの輪廻で邪神を追い払わなければならぬ」

「起動者ニ何ヲスルツモリナノカ」

「知れたこと。導いてやるのじゃ。誰も知らない御伽話にな。その結果、この愚者が完全なる無になったとしても」

「――――」

「避けられぬ事よ。この者の末路は1200年前から決まっておるのだからな。存在した事すら抹消されるとな」

「――ソウ、ダナ」

「邪魔するでないぞ、テスタ=ロッサ」

「ワカッテイルトモ、初代ローゼリア」

 

 

 

 









ユーゲント「ヴィクター卿を説得して、カレイジャスを動かすとは。アルフィンは誰に似たのやら」

オリヴァルト「いや、父上でしょう。だとしてもカレイジャスでクロスベルまで行くのは驚きましたが」

プリシラ「あわわわわわ」





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二十五話 龍虎対談

 

 

 

 

七耀暦1205年1月17日。

歓楽街以外は導力灯も消える午前1時。

フェア・ヴィルングは無事に救助された。

黒緋の騎士を助け出したのは、アルフィン・ライゼ・アルノール。皇族専用艦であるカレイジャスに乗船して、未だ混迷を極めるクロスベルへ電撃訪問。ヘリポートから降りるや否や、隅に聳え立つ緋の騎神へ駆け寄る。

瞬く間に霊子変換され、騎神へと吸い込まれていった。フェアを起動者とするなら、アルフィンは契約者である。騎神が彼らを害する可能性は低いと知りながらも、関係者一同は万が一を考慮して事態の行く末を見守った。

約1時間後、2人同時に騎神から降りてきた。

フェアは休眠していた、目を閉じて、脱力して、安心したように。にも拘らず無意識のままにアルフィンを抱擁。対する皇女殿下も慈愛の微笑みを浮かべながら騎士の背中に手を回していた。

全員が絶句する。目を点にした。

騎士と皇女だとしても度が過ぎている。

マスコミに写真でも撮られたりしたら。誰かが情報を漏洩してしまえば。検閲が間に合わずに記事として世に出てしまったら。

まさしく世紀の大スクープだ。

今はまだ、只の噂や空想で留まっている二人の関係性に一石を投じる事になる。やはり恋人なのかと。もしくは将来を誓い合った仲なのかと。胡乱な憶測ではなく、確信を持って盛り上げていかれると様々な問題点が浮上する。

民衆の後押しで成立する皇女と騎士の婚約。世間を熱狂させるラブロマンスは、次期皇帝に誰が相応しいかという所にまで影響を及ぼしかねない。

関係者一同、最悪の未来を思い浮かべたに違いない。クレアを筆頭にして、周囲の反応など眼中に無いと云わんばかりに抱擁したままの二人へ勢いよく駆け寄り、不敬ながらも引き離して、事態の収拾に努めた。

――――結果。

朝日の差し込む早朝6時。

オルキスタワー内に与えられた自室にて、クレアは欠伸を噛み殺した。椅子に腰掛けて。天井を向いて。徹夜明けの証拠である隈を摩りながら導力器を耳に押し当てる。

 

「あはははははは!」

 

直後、爆笑が鼓膜を揺さぶった。

思わず導力器を耳から離す。地味に痛い。ガンガンと耳鳴りまでする始末。非難の意味合いも込めて低い声で名前を呼ぶ。

 

「レクターさん」

「いやー悪い悪い。ソイツは災難だったなァ」

 

クスクスと笑い声を漏らすレクター。

軽薄な声音。飄々とした態度。信用できない胡散臭さ。さりとてクレアと同じく鉄血の子供たちであり、帝国軍情報局特務大尉でもある。『かかし男』と呼ばれ、数々の外交交渉を見事成功させてきた。

クレアは不満そうに口を尖らす。

 

「もう。笑い事じゃありませんよ」

「わかってるって」

「本当ですか?」

「当たり前だろ」

 

一拍。淡々と並び立てる。

 

「幸いだったのは皇女殿下の身に何も起きなかった事。人目の付かない深夜だった事。そして、我らが英雄殿も無事に帰還した事だな」

 

的確に要点を抑えるレクター。巫山戯た態度の裏に隠された有能さを発揮した。確かに、重要なのはその三点だったからだ。

クレアも頷いて同意する。

 

「不幸中の幸いでしたよ」

「クレア的には最後が肝心なんじゃねぇのか?」

「そんな事は――」

 

クレアは言い淀んでしまう。

帝国人ならば皇女殿下の無事を先ず歓喜するべきで。その次に、無駄な問題を起こさずに済んだ解決時間に対して安堵すべきで。騎士の帰還など今の二つに比べれば一段ほど劣る位置にある。

勿論、クレアはフェアの無事を最も喜んだ。公人として、帝国軍人として、あるまじき公私混同振りだった。

 

「あー、答え辛い質問だったな。今のは無しだ」

 

悪い、許してくれと。

レクターは苦笑混じりに謝罪した。

悪意の有る質問ではなかった。軽く心躍らせようとして、意図せずに空回ってしまっただけ。別段気にする事でもない。

 

「気にしていませんよ」

 

此方も苦笑と共に返事する。

レクターが安堵のため息を溢した。

 

「そりゃ良かった」

「ところで、レクターさん」

「どうした?」

「帝都は大丈夫なのですか?」

「色々とマスコミが騒いでやがる。皇族専用艦のカレイジャスが全速力で東に飛んでったからな。その1日前に、黒緋の騎士殿がクロスベル入りしたって情報を流していたのが仇になった。山火事に空から油を撒き散らした感じだぜ」

「皇女殿下が乗られていると?」

「あくまで噂の範囲内。憶測レベルだな。確証はどのマスコミも得ちゃいないさ。情報局も動いたから混乱しちまってんだよ」

 

なるほど、と首肯するクレア。

帝国軍情報局の十八番。即効性のある狂言流布。わざと確報、虚報を交えて拡散させ、欺瞞情報を掴ませる事でマスコミ同士による錯乱効果を狙っているようだ。

ふわぁと欠伸する声が聞こえた。

どうやらレクターも徹夜明けらしい。

労いの意味を込めて、彼の働きを称賛する。

 

「それは、お手柄でしたね」

 

レクターは、今回ばかりは仕方ねぇよと呟いた。

 

「上から撹乱してくれって頼まれたしなァ」

「閣下から?」

「いや、皇帝陛下からだ」

「皇帝陛下から!?」

「声がデケェよ、クレア」

「ご、ごめんなさい」

 

素直に謝罪する。

頭をペコペコ下げながらも思考を続けた。

鉄道憲兵隊として帝国中を駆け回るクレアはともかくとして、レクターは基本的に暗躍を得意としている。

そんな懐刀に指示を出す人間は自ずと限られる。最も考えられるのは直属の上司。鉄血宰相の異名を持つギリアス・オズボーン。帝国を支える壮年の男から受けることが多い筈だ。

にも拘らず、皇帝陛下から命令を受けたという。政務を宰相に一任している皇帝陛下が、鉄血の子供たちに命令したなんて。まさしく前代未聞、驚天動地、青天の霹靂である。

 

「ギリアスのおっさんを飛び越えて指示を出すなんて、今まで一度も無かっただろ。流石のオレも魂消ちまったぜ」

 

レクターも驚愕したらしい。

二回ぐらい聞き返したからなァ、と続けた。

 

「確かに。ですが、皇帝陛下から見ればアルフィン殿下は娘さんですから、隠蔽なさりたいと思うのは当たり前なのかもしれませんね」

 

男親は一人娘を殊更大事にすると聞く。

名君として讃えられる皇帝陛下も例外ではないのだろう。特にアルフィン皇女は帝国の至宝と謳われるほど可憐な少女。手放したくないと考えるのも当然と云えば当然である。

うんうん、と納得するクレア。

レクターは馬鹿にしたように嘆息した。

 

「いやいや。何言ってんだ、クレア。騎士殿と皇女殿下の婚約を後押ししてるのは、他でもない皇帝陛下だって話だぞ」

「え''?」

「お前さー、ここ3週間ぐらいはオレよりも皇城に行くこと多かっただろうが。何で知らないんだよ。侍女でも気付いてることだぞ」

「こ、皇后陛下は反対なさっていると」

「らしいな。でもいつかは認めざるを得ねぇだろうよ。皇帝陛下が乗り気らしいからなァ。ギリアスのおっさんも異論とかないっぽいし」

「――――」

 

目の前が暗くなる。

皇帝陛下だけでなく、鉄血宰相までもが二人の婚約に賛同しているらしい。貴族派勢力は日に日に減衰。革新派は十月戦役を経て、絶大な権力を手にした。

歯向かえる者などいない。

フェアとアルフィンの婚約は既定路線と云える。

此処から挽回する為には。フェアを渡さない為には。英雄という、約束された悲劇から助け出す為にはどうすれば良いのか。

クレアは沈思する。導力演算器並みと称された頭脳を全力で回転させる。様々な作戦を緻密に作り上げては、問題点を発見すれば却下していく。そのような事を繰り返す。

苦笑いして、レクターが沈黙を破った。

 

「おーい。生きてっかー?」

 

意識が思考の海から引っ張り上げられた。

 

「あ、はい。ダイジョーブですよ」

「発音がおかしいんだが?」

「突然のカミングアウトに驚いただけです」

「まァ、お前の気持ちを考えるとな。けど、こればっかりは仕方ねぇよ。諦めるか、民衆を敵に回すか。二つに一つだな」

 

残酷な二者選択。

前者を選べば、後悔し続けるだろう。

後者を選べば、フェアを不幸にさせてしまう。

 

「――レクターさんなら」

「どちらを選ぶかって話か?」

「はい」

「オレは騎士殿の人となりなんて詳しく知らねぇし、お前さんの想いの強さも知らねぇよ。だからな、クレア。オレにそんなことを尋ねる時点で勝負は付いてるようなもんだろ」

 

レクターは冷淡に突き離した。

甘えんな。他人に尋ねるな。自分で決めろと。

確かに彼の言う通りだと思った。誰かに決められた未来。誰かに委ねてしまった選択。勝つにしろ負けるにしろ、いつまでも引き摺ることに変わりない。

余りに無様。余りに不格好。

レクターの叱咤激励に対して胸を押さえる。

 

「厳しいですね、レクターさん」

「つっても、オレが言える立場でもねぇんだが」

「ああ、レミフェリアの」

「アレは違うって。殴られるだけだ」

「ではリベールの?」

「アレも違う。面白い後輩ってだけさ」

 

ぶっきらぼうに返答しながらも。

素っ気無く言葉を紡ぎながらも。

レクターの口調には隠し切れない優しさが込められていた。リベール王国への留学で知り合ったと云う学友たち。今も彼の胸を明るく照らす思い出なのだろう。

 

「ま、後悔しない道を選べよ」

 

露骨に話を戻すレクター。

クレアは追及せずに、感謝の言葉を口にした。

 

「ありがとうございます」

「上手くいったらミリアムにも教えといてやるか」

「ミリアムちゃんにはまだ早いかと」

「アイツも良い年頃だろうが。情操教育だって必要だろ」

「レクターさんだと偏りが出そうですね」

「信用ねぇなァ」

「日頃の行いを見ると仕方ないと思いますよ」

「それもそうだな」

「ええ」

 

交わされる軽口。

気心の知れた同僚だからこそ。

男として見ることは出来ない。恋愛感情など抱けない。それでも、こうして恋愛相談に付き合わせてしまうぐらいは信頼できる相手だ。

時計を眺める。午前7時半。

クロスベル市も俄かに活気付いてきた。

帝都も同様である。休憩時間は終わりだなと悲嘆しながら、レクターは軽々しい口調のまま話を収束点に持っていった。

 

「何にせよ共和国軍も動くって話だ。気を付けろよ、クレア。騎士殿のケツを叩いてやってくれ」

「できる限りの事を行います。閣下にもそう伝えておいて下さい」

「了解。じゃあな」

「それでは」

 

通話を切る。

途端に疲れが押し寄せてきた。

この2日間、満足に寝ていない。1時間ほど無理矢理仮眠を取らされたものの、いつ迄も緋の騎神から降りてこない弟分が心配で充分に休められなかった。

身体が重い。目蓋も重い。

このまま眠ってしまおうか。

睡魔に誘惑されて。

意識を手離そうとした瞬間。

コンコン、と扉がノックされた。

誰か訪ねてきた。一体誰だろうと首を傾げる。

筆頭であるルーファスか。紅い翼の艦長であるヴィクターか。それともオルキスタワーの従業員だろうか。

はい、と返事をする。

 

「アルフィン皇女殿下が部屋まで来て欲しいとのことです。ご案内に参りました」

 

相手は皇女殿下付きの侍女だった。

予想外の人物に目を白黒させるクレア。

無理に問い質そうにも、相手は皇族の一人。救国の皇女として帝国人から敬愛されるアルフィン殿下。躊躇するだけでも不敬に当たる存在だ。

疲れた身体に鞭を打った。頬を叩き、眠気を飛ばす。ふぅと吐息を漏らした。立ち上がり、部屋から出る。

見目麗しい侍女が恭しく一礼した。どうぞこちらへ、とVIPルームへ促す。

クレアは大人しく着いていった。皇女殿下の目的を何となく察したからだ。そして良い機会だと思った。フェアの事でどうしても伝えておきたい事があった。

口火をどう切ろうか。皇女殿下を如何にして説得しようか。もしも万事上手く行き、フェアを国家の奴隷から解放したとしても今後の展望をどうしようか。

まさしく取らぬ狸の皮算用をしている最中、侍女が不意に立ち止まった。此方に居られますと一際豪華な扉を指し示す。

ゴクリと唾を呑み込んだ。心臓が早鐘を打つ。掌に汗が滲んでいる。どうやら柄にもなく緊張しているらしい。

深呼吸。落ち着けと言い聞かせる。

構いませんかと侍女が尋ねる。首肯して答えるクレアを見て、侍女は腕を持ち上げて。優しく、静かに、されど聞き取れるような強さで4回ノックした。

 

「アルフィン殿下、クレア・リーヴェルト大尉をお連れしました」

「どうぞ、お入りになって」

「はっ。畏れながら失礼致します」

 

部屋へ足を踏み入れる。

流石はVIPルームだと感嘆する。一言で表現するならば豪華絢爛。飾られた調度品は、その一つ一つが数百万ミラにも届き得る豪華な代物。それでいて派手すぎず、質素すぎず。アルフィン・ライゼ・アルノールの持つ可憐さ、艶やかさ、煌びやかさを見事に引き立てている。

皇女殿下がソファーから立ち上がった。

 

「突然呼び出してごめんなさい」

「殿下が謝られるような事は何も御座いません。お呼び出して頂き、恐悦至極の限りです」

「そう言って貰えると助かります。さぁ、お掛けになって。少し長くなりそうだから紅茶も用意させますね」

「お言葉に甘えさせて貰います」

 

クレアは指定されたソファーへ腰を下ろした。

淀みなく動く侍女。数分も掛からずにテーブルへ紅茶を二つ置いた。美しい所作を維持したまま退室する。皇女殿下付きの侍女としても満点を与えられる動きだった。

アルフィンは紅茶を一口飲み、口火を切った。

 

「クレアさんとお話ししたいのは他でもありません。『私』の騎士であるフェア・ヴィルングについてです」

「フェアについて、ですか?」

 

涼しい顔で問いかける。

勝負は始まっていると気付いたから。

アルフィンが相手だとしても手加減しない。

 

「ええ。フェアの幼少期、幼い頃の話を伺いたいのです」

「本人からお聞きした方が早いかと思いますが」

「恥ずかしがってるのか、何も教えてくれないのです。その点、クレアさんは幼い頃からフェアと仲良くされていたと聞きましたから」

「お聞きしたとは、誰からでしょうか?」

 

少しだけ期待した。

駄目だと思っても、もしかしたらと希求した。

アルフィンは拗ねるように唇を尖らせて、紅茶を口に運ぶ。カップの影に隠れて口端を吊り上げていた事に、クレアは終ぞ気付かなかった。

 

 

「勿論、フェアからですよ。大切な女性『だった』と惚気られてしまいました」

 

 

あれ?

あれれ?

これ、私の勝ちですか?

大切な女性だなんて、フェアったらもう!!

 

 

 

 








レクター「アイツ、恋愛方面はポンコツだからなぁ」←辛辣

フェア「クレアさん、恋愛方面だとチョロイからなぁ」←最低

鉄血宰相「本人は異名を気にしているが、乙女のように恋愛経験皆無なのが悪い」←親心








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二十六話 魔女追憶

 

 

 

 

夢を見る。

時々、変な夢を見る。

ふわふわとした感覚に包まれていた。

周囲は白く。壁はなく。

地面は泡のように覚束ない。

さりとて赤黒い六角形の柱が八本、自身を中心に等間隔で聳え立っている。何処となく焔を彷彿させる熱量、空気を震わせる存在感から肌寒い空間を温めていた。

見覚えのある光景だった。

何度も何度も、この空間から誰かの人生を追体験する。

題名を付けるとするなら『冴えない凡人の一生』だろうか。

赤ん坊の時は母親の腕で優しく抱かれ、幼少期は元気に帝都を走り回っていた。父親の仕事の都合によって紡績町パルムへ引越し、氷の乙女と知り合い、日曜学校から平凡な士官学校に進学して、平均的な成績で卒業、そのまま内戦に至るまで軍人として切磋琢磨していく平々凡々な男の一生だった。

最初は何だろうかと呆れた。

詰まらない。楽しくない。何もオチがない。

途中から微笑ましく感じた。

英雄ではない。超人ではない。それでも必死に生きる一般人。『叶えられない夢』に手を伸ばす若者を応援するようになった。

彼の名前はフェア・ヴィルング。三つ歳下の男の子。エリンの里で修業している時も、巡回魔女として帝国中を放浪している時も。夢の中でしか知らない彼を人知れず応援していた。

 

「頑張れ、頑張れ」

 

まるで我が子を応援するように。彼に対して母性を感じていたのかも知れない。自分にこのような感情があったのかと驚嘆したのも覚えている。

ある時、巡回魔女の役目である月霊窟の最奥に安置されている『水鏡』を確認して、何故か起動している事に目を見開き、そして隠された真実に気付いてしまった。

彼は本当本来の意味で『一般人』ではなかったのだと。

黒の思念体。大地の聖獣。そして、理解できない見えない何か。様々な力を纏っている。いや、憑かれている。

どうしてなのか。

彼の半生を半ばリアルタイムで眺めていたが、常軌を逸した奴らに取り憑かれる要素など欠片も無かった。確かに『枷を外した故の不思議な願い』を持っていたが。それでもありふれた存在。世界からしてみれば塵芥に等しいモノ。にも拘らず、運命とやらに縛られてしまっていた。

ヴィータ・クロチルダは水鏡の前で誓う。

元々、呪いに犯されたエレボニア帝国の現状を憂いていた。家族の為に。フェアの為に。解決しなければならないと考えていた。

好都合だと奮起した。黒の思念体、大地の檻、フェア・ヴィルングの存在。勧誘されていた秘密結社の使徒になってでも、必ずや目的を遂行するのだと誓言した。

魔女の禁忌を破る。犯罪組織に身を落とす。

敬愛する盟主は口にした。

 

「永劫回帰に永劫輪廻。意味は似ていますが、その本質は大きく異なります。彼を救いたいなら、彼を『引き揚げたい』なら、貴女もまた深淵へと浸かるしかないのです」

 

正直な話をすると意味がわからなかった。

ヴィータが水鏡で確認できたのは、黒の分体が取り憑いたこと。大地の聖獣が憑依したこと。そして、見えない何かに縛られていることだけだったからだ。

永劫回帰とは何か。永劫輪廻とは何か。

問い質しても盟主は教えてくれなかった。

今はまだその時ではないと。いつか貴女も知る事になるのだと。望もうと望むまいと拘らず。貴女は彼の真実に手が届いてしまうのだと。

それは一体いつなのか。

それは一体何故なのか。

ヴィータは疑問を浮かべたのに対して、盟主は玲瓏な美貌を破顔させた。

例えそれが地獄の始まりだったとしてもと言い残して。

類稀な聡明さを誇る彼女でも掴み取れない真実の糸口。それらを探りながら、思考しながら、盟主の齎す『オルフェウス最終計画』の準備を着々と進めていく。

結果として幻焔計画を完遂できなかった。

何故か暗黒竜が復活して、フェアが緋の騎神を動かして、皇女を取り込む事で覇王へと変貌して、幻焔計画を鉄血宰相に乗っ取られて、妹に無様な姿を晒してしまう結果になってしまった。

他の使徒から笑われて。酷い屈辱と後悔に苛まれる日々。壁を殴り、物を投げ付けて、それでも癇癪を抑えられない情けない格好。杖を強く握り締める。

力が欲しい。いや、やり直したい。

今度こそ上手くやれる。今度こそ叶えてみせる。

傲慢にも。愚かにも。

彼女はそう願ってしまった。

 

「ごめんなさい、フェア」

 

だからなのか。だからこうなったのか。

目を覚まさせてやろうという世界の意思なのか。

久し振りに見覚えのある空間へ招かれたと思い、フェア・ヴィルングの人生を再体験するのも悪くないかなと微笑んだ瞬間、視界はノイズ塗れとなり、雑音が響いて、聞き取りにくい彼の声が鼓膜を揺らした。

 

【タス、け、テ】

 

ヴィータ・クロチルダは青白い表情を浮かべる。夢の中で、立ち竦んだまま、とある地獄を追体験しているから。

眼前にて繰り返される無惨な二年間。まるで凝視しろと云わんばかりに。目を離したら赦さないと恫喝するように。延々と脳裏に焼き付けようとしてくる。

この世の中に存在する様々な悪意を凝縮させたような、見るも悍ましい宿命に囚われた青年が絶望に諍い、踠き、足掻く二年間。誰にも信じてもらえず、たった一人で、親しい人も、憎たらしい人も全てを灰にして歩き続ける『深淵の軌跡』であった。

 

「ごめんなさい」

 

彼は歩き続けた。

希望が無くても、絶望に囚われても。

『彼女』と交わした約束を果たす為に。

美しくも忌まわしく、儚くも神々しい願い。

黒が振り翳す呪いとは別口に、フェアの精神性を蝕み続ける約束という名の『呪詛』であった。

何よりも先ず『彼女』を殺したくなったヴィータだったが、それよりも大事な事に気付く。根本的な部分。これまでの出来事と、これから予定していた計画が無意味であると察した。

例えばの話として、万事上手く行き、見事に黒の思念体を滅ぼしたとしても、フェア・ヴィルングを救い出すなど不可能である。

彼のループに黒の思念体は関係ない。

アレは保険を掛けているだけだからだ。

永劫輪廻を行わせているのは外からの来訪者である。黒を消去したとしても、フェアは変わらずに七耀暦1204年8月にループしてしまう。

どうしたらいいのか。どうすればいいのか。

先ずは来訪者の実情を知るべきだろうか。

いや、下手に探りを入れて、怒らせてしまったら何を仕出かすかわからない。恐らく来訪者は『外なる神』。天災に等しい。迂闊に触れようものなら汚染されてしまうだろう。

触らぬ神に祟りなし、と東方では言うらしい。

ご尤もな言葉である。まさしく至言。しかし、虎穴に入らずんば虎子を得ずとも聞いた覚えがある。

 

「私は貴方を助けるわ」

 

例えどんな事をしてでも。

膝立ちとなり、優しく手を伸ばす。

絶望に打ち拉がれるフェアの頬を撫でる。

励ますように。労わるように。

落ちてくる雨から彼を暖めるように。

これは異なる世界線。

これは異なるゼムリア大陸の記憶。

ヴィータ・クロチルダは本来この場にいない。只の幻想。或いは残滓。或いは虚像。どれにしてもフェア・ヴィルングに認識されない偽りの存在である。

だけど、その暖かさは通じたのか。

フェアは徐ろに顔を上げ、一拍挟んで自嘲する。

 

「今回も、ダメか。幻覚が見えるなんてな」

「――!」

 

思わず目を見開いた。

彼と話すのは果たして何度目だろうか。

片手で数える程度だが、不思議とスムーズに言葉が浮かんでくる。

 

「あら。私はちゃんと此処にいるわよ?」

「霞んでるんだが」

「どのくらいかしら?」

「顔もわからないくらい、かな」

「まぁ、貴方からしてみれば幽霊みたいなものだから」

「ああ、そう。やっぱり幻覚なんじゃねぇか」

 

弱々しく微笑むフェア。

傍らに突き刺してある白い大剣へ視線を移し、そして頭を横に振った。

 

「幽霊なら、斬ってもしょうがないよな」

「試してみれば?」

「そうしてやりたいのは山々なんだけど、どうも手に力が入らなくてね」

「その傷なら仕方ないわね」

 

腹部から絶え間なく流れ続ける血液。

一目見てわかる。致命傷だ。助かる術はない。

内臓を大きく抉られている。激痛に苛まれているだろうに、普段の様子と変わらずに喋れるだけ驚愕する。

 

「痛い?」

「そこまで、かな」

「そう。アレを斬ったこと、後悔してる?」

 

ヴィータは少しだけ目を逸らした。

時間にして夕暮れ。分厚い雨雲に覆われているせいか、湖の辺りはやけに薄暗い。それでも見える位置に棄ててある遺体と、暴風雨でも過ぎ去った後のような建物の残骸が先程まで行われていた激闘を彷彿させた。

 

「どうだろう。よくわからないよ、もう」

「悲しい?」

「いや」

「可哀想に」

「幽霊に同情されるなんてな」

 

笑い声を挙げようとして、彼は痛みに悶えた。

くの字に身体を折れ曲げようとするフェア。

歯を食い縛って耐える彼を、ヴィータは慌てて支えた。魔女の秘術を行使しても、世界によって打ち消されてしまう。

歯痒い。苛々する。

どうして私はこんなにも無力なのかと。

 

「なあ、教えてくれよ」

 

フェアは曖昧に笑う。

最後の力を振り絞っているのか。

息は絶え絶え。声に覇気を感じない。

それでも、次の輪廻に向けて意識を昂らせる為に問いかけた。

 

「俺は、『コレ』でいいのか?」

 

ヴィータは彼を地面に仰向けで寝かせつける。

頭を腿の上に乗せた。所謂、膝枕である。

フェアは多量の出血で意識が朦朧としているらしい。特に抵抗も見せず、弱々しく頭上を睨み付けるだけだった。

 

「おい」

「大人しくしなさい」

 

頭を撫でる。優しく、優しく。

彼の母親の代わりとして愛情を込めて。

手入れなどしていない黒髪を手櫛で整えていく。

 

「幽霊、さん?」

「貴方はそれでいいのよ」

「本当に、そう思うのか?」

「ええ。貴方の思う通りに進みなさい。これからは私もフォローしてあげる。だから、決して諦めないで」

「諦めるつもりなんてないよ」

「約束する?」

「意味、あるのか?」

「嫌?」

「いいよ。約束する」

「良かった」

 

ヴィータが微笑む。

フェアは安心したように目を閉じた。

 

「ありがとう」

「――何が?」

「少しだけ、迷っていたから」

「そう。疲れているのね。少し眠りなさい。子守唄でも歌ってあげるわ」

「だから、子供扱いはやめてくれって」

 

歌姫による無償の子守唄。

雨粒が地面を叩き付ける音も、吹き荒ぶ木枯らしの轟音も跳ね除けて、フェア・ヴィルングの耳許へ優しく伝わっていく。

ヴィータは考える。

こうして誰か一人の為に子守唄を紡ぐのも悪くないなと。魔女として。歌姫として。使徒として。様々な使命を忘れられた一時だった。

彼女もまた悩んでいた。苦しんでいた。

だから救われたのは果たしてどちらだったのか。

わからないまま時間は流れていく。

雨は止まず、風は収まらず。

湖の辺りで子守唄だけが人の気配を知らせてくれる。

 

「フェア・ヴィルング、だ」

 

唐突に、彼が喋った。

目を閉じたまま。少しだけ口を開けて。

今更ながら自らの名前を言の葉に乗せた。

 

「え?」

 

ヴィータは小首を傾げる。

 

「俺の、名前。名乗ってなかった、から」

「――――」

 

嗚呼、と納得する。

魔女は一度として彼の名前を呼んでいない。

気恥ずかしかったからか。

それとも彼の惨状に心打たれたからか。

ヴィータは子守唄を止めて、歌姫の如き微笑みを浮かべた。

 

「良い名前ね」

「あぁ、本当に」

「私の名前も、知りたい?」

「幽霊にも、名前が、あるのか?」

 

失礼ねと口を尖らす。

童心に帰り、彼の頬をむにっと掴んだ。

いざ名乗ろうとして、ヴィータはふと思った。

もしも此処で名乗ってしまったら、今回の世界線に於ける過去を変えてしまうのかもしれないと。

好都合か、それとも不都合か。

ヴィータ・クロチルダでも判別できなかった。

結局、悩むだけ無駄だと結論付ける。

ならば名乗ってみるのも面白いと熟考して、

 

「――もう、莫迦ね」

 

彼が息を引き取っている事に漸く気付いた。

これまで見てきたループの数々。死ぬ瞬間はいつだって悲惨だった。拳銃自殺、拷問による死、深傷を負ったショック死、出血死、数え上げるのも馬鹿馬鹿しくなる程、彼はありとあらゆる死を経験して、その死に様はいずれも可哀想なほどに痛ましかった。

穏やかな寝顔だった。

安らかに。静かに事切れていた。

ヴィータ・クロチルダは魔女である。そして、秘密結社の最高幹部である。死体はとうの昔に見慣れている。

彼らと同じ死顔は、フェア・ヴィルングにとって今回のループは少しでも心救われたからなのだろうか。

 

「下らないわね」

 

彼の願いは、本当の意味で死を賜る事。

輪廻を繰り返さず、永遠の眠りにつく事。

わかっている。気付いている。知っている。

それでも、そうだとしても。

今まで多種多様な艱難辛苦を味わってきたのだから。彼の精神を磨耗する地獄だけ到来していたのだから。この残酷な試練を乗り越えた先に幸福が待ち構えてないと全くもって辻褄が合わないだろうに。

人生は山あり谷ありと云うならば、フェア・ヴィルングに関して適用させるなら、これからはずっと山だけで良いはずなのだ。

 

「――救ってみせなさいよ、空の女神」

 

この子をどうか。

この煉獄から助け出して。

魔女が乞い願うなど間違っている。

至宝を顕現させて。

奇蹟を実現させて。

どうか、どうか、この青年を助けてあげて。

慟哭は空に通じなかった。

女神は彼らに微笑みを齎さなかった。

 

「――――」

 

不干渉を気取るのか。

こうして信仰心を集めておきながら。

暴走した七至宝の残骸すら回収せずに。外なる神を相手にする事もなく。こうして一個人を救い上げようともしない。

それが『神』であると云うならば。

それがフェアを見棄てる理由ならば。

 

「貴女の代わりに、私がこの子の女神になってみせる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと目が覚めた。

肌触りの良い毛布に包まれている。

ベッドはふかふか。眠気を誘う悪魔の道具。

身体が重い。思考も鈍っている。

俺はどうして眠っていたのだろうか。

意識を落とす直前を思い出せない。

視界に広がるは高い天井。飾り付けられたシャンデリアに目を細める。右側へ視線を移す。壁一面に広がる巨大なガラス、触れただけで一般人の年収を超える額を請求されそうな調度品の数々が目に映った。

不調法な俺に似合わない豪華絢爛な部屋である。

何が起きた。どうして此処で寝ている。

疑問を晴らそうとして、身体を起き上がらせようとして、何か違和感を覚えた。

何やらいい匂いが鼻腔を擽る。そして頭を沈めている物は枕と思えない柔らかさ。嫌な予感がして視線を真上から少し後方にずらしていった。

 

「幽霊、さん?」

 

ガラスから差し込む陽光で顔が見えない。

さりとて見覚えのある光景だった。

最後の最後に救われた世界線。女性の幽霊に子守唄を歌ってもらいながら死んでいった輪廻の記憶と瓜二つな状況。何も考えずに口走った単語だったが、女性らしい存在はクスッと笑った。

 

「おはよう、寝坊助さん。約束通りフォローしに来たわよ」

 

何を言ってるのか。

というか誰だ。あの時のように幻覚か。

いや、膝枕されているのだ。実体はある。そもそも論として、俺はこの気配の主を知っている。確か彼女は秘密結社の最高幹部で、セリーヌ曰く魔女の一人で、帝都でも大人気の歌姫ではなかったか。

そうだ。

蒼の深淵、ヴィータ・クロチルダだ!

寝込みを襲われたか。無用心な。そして怠け過ぎだと己を叱りつけながら、俺はやけに重い身体で戦闘態勢に移ろうとして『悪夢』を見た。

 

 

 

「あら?」

「え?」

「はぁ。密会のつもりだったのに。残念だわ」

 

 

 

 

開かれた扉の先に。

天使のような微笑みを浮かべて。

普段通りのお淑やかな皇女殿下を見て。

 

 

 

「どうして貴女が此処にいるのですか?」

「簡単ですよ。彼との約束を果たす為に来ました」

「約束?」

「ふふっ。皇女殿下には関係ない事ですよ」

「――」

「顔が引きつっていますわ、皇女殿下」

「そこから離れなさい、ヴィータ・クロチルダさん」

 

 

 

 

俺は何も悪くないのに、平謝りする未来が垣間見えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







空の女神「だってニャル様怖いもん。゚(゚´Д`゚)゚。」

D∴G教団「お前、ホンマそういうとこやぞ」

フェア「どっちもどっちなんだよなぁ」










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二十七話 精神外傷

 

 

 

 

「さて、現状を纏めようかしら」

 

ホワイトボードの前に仁王立ちする蒼の深淵。手に黒いペンを持つ。何処からか取り出した黒い眼鏡を掛けた姿と、十月戦役時に着ていたドレスから一転して清楚感溢れる白いシャツと黒のスラックスは、元から存在していた理知的な彼女の印象を殊更強調していた。

胸部は大きく。腰部は括れている。細すぎず太すぎない理想的な体型。無意識に零れる大人の女性特有のフェロモン。すれ違う男性を悉く虜にしてしまうであろう魅力的な美貌。

アルフィンは人知れず奥歯を噛み締めた。

強敵だ。氷の乙女よりも遥かに難敵である。

何しろ彼女は、フェア・ヴィルングが幾千の輪廻を繰り返しているのだと正しく認識しているようなのだから。

 

 

「その前に――」

 

 

ヴィータは嘆息した。

 

「皇女殿下、今の状況でフェアの手を握る必要はありますか?」

「私の騎士ですから。彼を心配するのは当然のことですわ」

 

にぎにぎと。

アルフィンは想い人の手を握り締める。

嗚呼、暖かい。逞しい。ゴツゴツとしている。

脳裏を過ぎるは先日の抱擁。泣いてしまった騎士を抱き締める。彼も感極まっていたのか、アルフィンの背中に手を回した。嗚咽を漏らしていた。

頼り甲斐がありそうで、それでいて何処となく弱い部分を垣間見せる自らの騎士。お互いに護り合う関係性。まさしく一蓮托生と云えよう。こうして掌の感触を確かめる事で再確認しているのである。

 

「まぁ、良いでしょう」

 

眼光を錯綜させること数秒。

ヴィータが目を逸らす。一歩引いた証だ。

彼の現状は伝えてある。

フェアと云う器に入り込んだ、暗黒竜争乱に於ける犠牲者の残滓。約十万人にも及ぶ人々。罪のない無垢な存在。そして、この地を穢す宿願の塊。とある存在の導きにより、彼らを自らの手で虐殺した結果として『修羅』へと両足踏み込みかけた惨状の全てを。

 

「アルフィン殿下、私は大丈夫ですから」

 

ベッドに仰向けで休んだまま、フェア・ヴィルングが苦笑した。彼は本調子ではない。特に限界までひび割れてしまった魂魄は、一朝一夕で修復する代物だと云えない。

此処で無理させてしまうと、将来的にどのような副作用が生まれるのか見当も着かない、と緋の騎神テスタ=ロッサは忠告してきた。

故にエレボニア帝国の皇女という強権を発動させて、ふとした拍子に起き上がろうとする『じゃじゃ馬』をこうして寝かし付けているのである。

 

「駄目よ」

「どうしてです?」

「目を離したら貴方は直ぐに無茶しちゃうもの。こうやって手を握ってないと心配になってしまうわ」

「子供じゃないんですから」

「貴方が傍にいると確かめていたいの。駄目?」

「私はちゃんと此処にいますよ」

「もう。説得力ないわ」

「反省しています」

「それに、ね」

 

握り合う互いの手を持ち上げる。

フェアに対して見え易いように。

ヴィータに対して見せ付けるように。

 

「こうした方がお互いに安全でしょ?」

「アルフィン殿下を護りやすいとは思いますが」

「なら、良いわね?」

「仰せのままに、殿下」

 

了承は取った。

これで文句ないだろうに。

微笑みを携えて、魔女へと視線を移した。

ヴィータは一瞬だけ眉を寄せる。但し、それ以上言及しようとしなかった。話を先に進めようとしたのか。それとも大人の余裕とやらで躱そうとしたのだろうか。

負けられないと強く思う。

氷の乙女に関しては既に牽制済み。新たな難敵を目の前にしても、アルフィンは臆することなく立ち向かうと決めていた。

恋とは競争。愛とは戦争。

オリヴァルトから借りた書物にもそんな一文が記されていた。

 

「フェア、今から軽く質問していくわよ」

 

パンパン、と。

ヴィータは手を軽く叩いた。

場を仕切り直す為に。場の空気を変える為に。

眼光鋭く。姿勢良く。黒いペンでホワイトボードをコツコツと叩きながら、蒼い魔女はまるで戦場へ赴くように声を発した。

 

「うん」

 

フェアも素直に首肯する。

当初、彼は酷く混乱していた。

幼い頃からフェア・ヴィルングの一生を追体験していた魔女の存在。本人しか知り得ない記憶を人知れず共有していると云うのは、まさしく表現できない薄気味悪さを纏っていると思う。

さりとて、その事実から逃れる術はなく。

ループする直前、世界大戦序盤に死亡する世界線にて、初恋の女性であるクレア・リーヴェルトへ告げた想いの言葉。つまり告白の台詞を、妙齢の女性から一言一句間違えることなく復唱させられた時は、如何にフェア・ヴィルングとて正気を保っていられなく、耳を抑えながらやめてくれぇぇと頭を強く振っていた。

だからなのか。

黒緋の騎士は魔女に対して酷く従順である。

 

「改めて忠告するわ。辛い事も、悲しい事も遠慮なく訊くわよ?」

 

魔女は言った。

やっと癒えた古傷を抉るかもしれないと。抉るだけに飽き足らず、塩を塗るかもしれないと。

フェアの輪廻は主観的な回数で軽く三桁を超えていると聞く。時々歪な記憶のズレを感じる為、もしかしたらそれ以上に、もしかしたら四桁に至る数をループしているのかもしれないと自嘲していた。

どちらにせよ、黒緋の騎士にとって拷問のような作業である。トラウマに触れられた挙句、更に根掘り葉掘り聞き出す悪魔の所業なのだから。

無論、アルフィンは反対した。

声を大にして反論した。やめろと。赦さないと。

只でさえ精神的に危ない状況なのだ。安静に努めるのが先決。此処で無理をさせるなど言語道断だと魔女に詰め寄った。

だが――。

激昂するアルフィンを止めたのはフェア・ヴィルング本人だった。彼は深々と頷いて、それがループ脱却に必要な事なら構わないと快く了承した。

魔女は優しく説明する。

第三者視点から見た輪廻ではなく、フェアの主観的な輪廻の状況や仕組みを知りたいのだと。突破口を見つける為には先ず其処からであると。輪廻は凡そ二年だけ。既に半年近く過ぎている。残りは一年と半年強。その短い期間で打開策を見つけて実行に移さなければならない。一分一秒すら惜しいのだと。

 

「魔女の知恵を借りられるなんて滅多に無い。気にせず尋ねてくれ。俺に答えられる範囲なら答えてみせる」

「そうね。貴方は『そういう人』だったわ」

 

表情は普段と同じで虚ろなまま。

双眸は虚空を眺めるように無機質で。

普段と変わらない姿を堅持するフェア。

しかし、手を握っているアルフィンには伝わってきた。彼の緊張と恐怖が。何を訊かれるかと云う緊張感と、訊かれた内容を答える際に発狂しないだろうかと云う恐怖心が。寸分違わず伝播した。

だからこそ彼の手を強く握り締める。

私は此処にいると。

私が支えになってみせると。

内戦時、常にひ弱な主君を支えた騎士を、今度は私が支えてあげるのだと意気込んで見せて。

 

「最初が多分、一番辛いわよ?」

「有り難い」

「良い心掛けね」

 

一拍。

 

 

 

 

 

 

「貴方のご両親について、聞かせて?」

 

 

 

 

 

 

瞬間、フェア・ヴィルングは苦悶の叫びと共に大量の血を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、アッバス」

 

ゼムリア大陸中央部に位置するアルテリア法国。

七曜教会の総本山であり、大陸各地に点在する教会を束ねる都市国家でもある。典礼省、封聖省などの省庁を内包する行政の中心地とも云える。

その一角、封聖省傘下の聖杯騎士団専用に割り当てられた病院の一部屋。とある患者を眺めていた禿頭の偉丈夫に対して、飄々とした中性的な青年が声を掛けた。

偉丈夫をアッバス。

中性的な美貌の持ち主をワジと呼ぶ。

 

「随分と早い帰還だな。総長は何と?」

 

アッバスは腕組みしたまま問い掛ける。

ワジ・ヘミスフィアは小さく吐息を漏らした。内心で胸を撫で下ろしつつも、相変わらず掴み所のない口調で答える。

 

「クロスベル方面に関しては万事問題なく、恙なく完了したかな。至宝の力を失ったとは云え、キーアを無理矢理回収しなくて済んだよ」

「約束を守れたようで幸いだったな」

 

ニヤリ、と微笑む禿頭の正騎士。

約束という単語に肩を竦めながらも、守護騎士は淡々と応じた。

 

「総長はともかく、封聖省のお偉方は頭が堅いからね。どうなるかと思ったけど、暗黒竜の一件もあるし、あんまりクロスベル方面だけに関心を向けられないみたいだ」

 

此処は七曜教会の総本山。

枢機卿たちも数多く存在する。

彼らに聞かれたら異端審問に掛けられそうな内容の台詞を平然と吐き出す上司に対して、アッバスはいつもの事かと諦観しつつ、暗黒竜の件に話を進めた。

 

「酷い惨状だと聞いたが?」

「伝説の幻獣が顕れたにしては、其処までの被害じゃないと思うけど」

「ワジ」

「ごめんごめん」

 

犠牲者を蔑ろにする発言。

流石に聖職者として赦されない。

強く睨み付ける。前言撤回しろと眼で訴える。

守護騎士はサラっと平謝り。両手を上げて、降参の構え。本気で口にした訳でないだろうが、言霊に宿る力は馬鹿できない。

いつかその発言が、自身に返ってくることもあるのだから。

アッバスから赦しの雰囲気を感じ取ったワジは、此処ぞとばかりにさらっと総長から聞いたばかりの最新情報を口にした。

 

「副長から急報を聞いた時、封聖省のお偉方は守護騎士を四人派遣するって騒いでたらしいよ」

「四人も?」

「総長曰く、帝国に実在する『始まりの地』はオリジナルよりも大事なんだってさ。アレがないと世界の破滅を避けられないとかなんとか」

「初めて聞いたな」

 

始まりの地。

原型をアルテリアに持ち、その複製として各国に建造される事で数を増やした、まさしく人工特異点とも呼ぶべき地下施設の事である。

所詮は複製だと考えていたが、どうやら間違った認識だったようだ。オリジナルよりも重要な帝国の始まりの地。人工特異点を越える産物に成り果てているという事だろうか。

アッバスは眉間に皺を寄せる。

ワジも同感らしく、うんうんと頷いていた。

 

「ボクもだよ。総長は守護騎士全員に伝えておくって言ってたけどね。どうも『約束の刻』が近付いてるみたいでさ」

 

不穏な単語だった。

アッバスは深く息を吸い込んだ。

 

「初代アルノールとやらが言い残した」

「そう、終末の刻だよ」

 

調停者アルノール。

エレボニア帝国の皇帝として君臨した最初の男。

大崩壊後の『暗黒の地』を、聖獣の力を借りながらも見事治めた古の名君である。

彼の血には特別な魔力が秘められているとも聞くが、だからと言って1200年後の未来を予言できるとも思えない。余りにも人間離れした力であるからだ。

 

「法王猊下は信じていらっしゃるのか?」

 

ワジも本気にしていないのか、ぶっきらぼうに答える。

 

「半信半疑だと思うよ」

「だろうな」

「総長は確信してるみたいだけどね」

「なに?」

「どうも別口の情報源から確信を得たらしいよ」

 

別口の情報源か。

アッバスは顎をさすった。

噂に聞く高位遊撃士の伝手だろうかと推測する。

情報の精度はともかくとして、紅耀石が確信を得たとなると非常に拙い事になりかねないと肩を落とした。

 

「どうやら碌でもない事が起きそうだな」

「帝国で跋扈する騎神とやらの存在もあるから。正直、第八位のお爺さんと副長だけじゃ手が回らないと思うんだよね」

「我々は行けんぞ。奴のリハビリもある」

「わかってる。ケビンも行けないみたいだし、別の守護騎士が派遣されるみたいだけど――」

 

ワジの言葉が不意に途切れた。

不審に思うアッバス。

歳下の上司が足早にベッドの方へ向かった。

其処に眠るのはヴァルド・ヴァレスと云う、クロスベル潜入時に知り合った不良である。『混沌なる叡智』と名付けられた薬の後遺症を治療する為に、アルテリア法国へと連れてきたのだが。

目を疑う現状に、アッバスは暫しの間、文字通りの意味で言葉を失った。

 

「――――」

「黒い靄かな、これは」

 

ヴァルドの全身から溢れ出る黒い靄。

顔は視認できず、体格すら覆い隠す異質な靄。

途端、ヴァルド・ヴァレスは恐るべき力で暴れ出した。治療用器具を薙ぎ払い、押さえ付けようとするアッバスを振り解き、正気を失った瞳で威嚇してくる。

この力、尋常ではない。

徒手空拳の構えを取る。此処は病室。されど戦場へ変わったのだから致し方無し。一先ず眠ってもらおうかと足を踏み出した瞬間、先手を打ったワジが見事に抑え込んだ。

 

「アッバス!」

「わかっている!」

 

法術を試すも効果無し。

黒い靄は噴き出し続けている。

暴れる力が刻一刻と強くなっている事に気付いたワジは、数瞬だけ『聖痕』を発動させて、ヴァルド・ヴァレスを無力化した。

アッバスが騒ぎを聞き付けた看護師に、専門医を連れて来るようにお願いする中、ワジは険しい顔付きを浮かべていた。

 

「グノーシスの副作用か?」

「まさか。今になって起きるとでも?」

「可能性としては有り得る。特にコイツは異常なまでにグノーシスと呼応していた。『混沌を知れば叡智に至れる』だったか」

「判断材料が少な過ぎる。いや、待てよ」

 

刹那、ワジは目を見開いた。

 

「もしも、たった一回でも、グノーシスを服用した人物がこうなるのだとしたら――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、集え。

混沌なる叡智に手を染めた愚者たちよ。

極限の力を貸してやろう。

面白い。面白い。面白い。

只の余興が此処まで不愉快なモノになるとは。

 

 

さぁ、走れ。

愚かな眷属を叩き起こせ。

愚かな炎に包まれた奴を殺せ。

詰まらぬ。詰まらぬ。詰まらぬ。

只の喜劇が此処まで愉快なモノになるとは。

 

 

さぁ、歌え。

世界に響くように。

愚かな神を地に叩き落とす為に。

 

 

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

 

 

 

さぁ、裁定の時だ。

 

 

 

 

 

 







ミレイユ「――――」←ランディのことが好きな女性准尉。

ランディ「絶許」








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二十八話 賛美合唱

 

 

 

 

 

高級な布団が鮮血に染まる。

口から溢れ出る黒血を止められない。

内臓をぐちゃぐちゃに掻き回される感覚。脳味噌を生きたまま一つ一つ分解されていく嫌悪感。胃液は吐き終えた。それでも喉を震わす。何かを出し尽くす為に。

傍で皇女殿下が泣いている。

ヴィータは痛ましそうに顔を歪めている。

どうにか安心させたい。

苦しいけど。辛いけど。何とか耐えられる。我慢して耐えられるなら、俺にとって救いと同じであるという事を。

 

「両親について、聞かせて?」

 

魔女は尋ねた。

正直、意味がわからない。

両親とは何だろう。

哲学的な問いを自らに投げ掛ける。

血の繋がった大人か。それとも、戸籍の上だけで繋がっている間柄なのか。きっと、恐らく、詳しく理解できないけどこの世界の人間ならば必ず保有する関係性。

俺に両親なんていない。いるはずないんだ。

だって、そうだろう?

俺は、俺は、この世界の人間では――。

 

「いえ、貴方にもご両親が存在するわ」

 

やめろ。やめろ。やめろ。

内臓を吐き出している気がする。

脳味噌を全て抉り取られた気がする。

体内に宿る血を一滴残らず失った気がする。

何故、俺の両親にこだわる。

どうして、実在しない筈の両親を尋ねる。

 

「諦めないで。考えなさい。人間は父親と母親がいなければ生み落とされない。それとも貴方は人造人間なのかしら?」

 

肩を掴まれた。

魔女と視線が交錯する。

悲しそうな目だった。苦しそうな瞳だった。それでも強い意志を感じる。救いたいという願いを秘めた双眸から逃げようとした途端、俺は何か壁のようなモノにぶち当たるような気がした。

瞬間、全身を焼き尽くす激痛が駆け巡った。

やめてくれと絶叫する。

もういいだろ。どうでもいいだろ。

俺の輪廻は。俺のループは。

俺だけのモノだ。俺だけに課せられた宿命だ。

 

「女神の枷を外した貴方ならできるはずよ。囚われたままなら、いつまでも邪神に弄ばれるわ」

 

女神の枷とは何だ。

邪神とは失礼じゃないか。

アレは、あの御方は、この世界に――。

いや、いや、いや!

違う。一体何を考えているんだ。

違うだろう!

俺は輪廻から脱却したい筈だ。

ループに突き落とした奴へ復讐したかった筈だ!

理解できない。自分が誰なのか。性別はどっちだった。何がしたかったのか。どうして此処にいるのか。空は何色だった。地面は踏んでも大丈夫なのか。一日は何時間だろう。一日は何年だったかな。人はどうして死ぬのか。生まれる為に必要なモノは何だっただろうか?

記憶も、願望も、友人も、恋人も。

全てを放り投げた先にある眷属としての幸せは。

 

「フェア・ヴィルング、私を見なさい!」

 

フェア?

フェア・ヴィルングとは誰だ?

オレの名前だろうか。違うと思う。そんな名前ではなかった。しっくり来ない。羅列から間違っている。音として不適切だ。『フェアヴィルング』など誰が名付けた。

この世界に『混乱』でも起こしたいのか。

場違いだ。名前など不要だ。自己の確立など無意味に過ぎる。オレはこうして存在する。実証など捨てておけ。他人の眼など掻い潜れ。俺はオレとして必要な行いをしていくだけだ。

最重要な任務を思い出せ。

暗黒の地に降り立った外神を滅ぼす事。

闘争の概念、灼熱の害獣、約束の刻へ向けて。

ゼーレ。ゼーレ。ゼーレ。

 

『ゼーレ・デァ・ライヒナム』。

 

動き出せ。動き出せ。

炎に蝕まれたとて眷属の使命を忘れるな。

さすれば救ってやろう。

女神とやらから受けた『呪詛』すら跳ね除けて!

 

 

 

「あー、こうなったかー」

 

 

 

中性的な声が聞こえた。

聞き覚えのある道化師の声だ。

危機感など母胎に置き忘れてきたような飄々とした声色。フェア・ヴィルングと云う自意識が残っている中で。霞んでいく視界の先に。普段と同じ笑みを浮かべたカンパネルラが立っていた。

嗚呼、懐かしいな。

お前もそうだったろうに。

良かったと安堵する。『黒』く染まり切っていない道化師を眺めて、オレは漸く心臓が止まってくれたと胸を撫で下ろした。

心安らかに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の焦りはわかるけどね、深淵」

 

血臭に包まれた凄惨な部屋。

ベッドは真紅に彩られた。全ての血液を吐き出したとされるフェアは、人知れず心臓の動きを止めていた。意識を失くして。身体を支える力を無くして。皇女殿下の悲痛な嘆きに反応すらしなくなった。

道化師は淡々と歩く。

まるで予期していたように。

まるで未来を確信していたように。

亡骸に抱き付く皇女。想像以上だった枷の力に茫然とする魔女を横目に、カンパネルラはフェアの額に手を置いた。

 

「無理に『枷』を外してしまったら、世界からの認識を失ってしまうことになる。名前と自我の崩壊だけじゃ済まないよ。彼は一生、外なる神の下僕に成り下がってしまう」

 

ヴィータの眼が力の流れを捉える。

道化師から騎士へ。一方的に流出していく。

焔のように暖かく。同志に対するように優しく。

二人の関係性に疑念を持った直後、フェアの心音に気付いた。数秒だけとは云えども、完全に停止していた心臓が再起動している。

導力魔法による回復ではない。魔女の術とも明確に違う。道化師の正体を知るのは盟主だけと聞くが、改めてその特異性と異常性に目を見張った。

ヴィータは頭を振る。

そんな事は後で考えればいい。

取り返しの付かない事を行ってしまったと悔恨に沈む。

 

「私は、フェアを救おうとして――」

「深淵の行おうとしていた事は間違ってないよ。だからこそ、盟主も君の行動を黙認したわけだしねぇ」

「盟主が?」

「彼は、永劫輪廻計画の本体だしね。永劫回帰計画のサブプランでもあるし。盟主にとってみれば誰よりも大事なヒトなんだよ」

「永劫輪廻計画?」

「ボクと盟主しか知らないけどねー」

 

深淵にも教えてあげるよ。

盟主も望まれている事だから。

カンパネルラは粛々と要点だけ口にする。

幻焔計画の裏で進行している永劫輪廻計画。

第二段階である両計画の完遂と共に開始される予定である、オルフェウス最終計画第三段階『永劫回帰計画』。

その二つの計画に必要な存在が、様々な存在に取り憑かれたフェア・ヴィルングであると。文字通り世界の命運を背負った哀しい男なのだと。

 

「フェアは、フェアは無事なのですか!?」

 

アルフィンが悲痛な叫びを言い放った。

彼の頭を抱き締めながら。目尻に珠玉の涙を溜めながら。魔女と道化師を責めている訳でなく、ひたすらに己が騎士の安否を確かめる清廉な言の葉であった。

 

「問題ないよ、皇女殿下。此処で『枷』について自覚させておかないと色々とね、どうしようもないぐらい拙い事になっていたから。深淵を責めるのはやめてほしいかな」

「フェアが無事なら、私はそれで――!」

 

良かったと涙を溢しながら。

フェアの髪に頬ずりしながら。

アルフィンはホッと安堵のため息を吐いた。

 

「カンパネルラ、どういう事?」

「君の行った行為は、結果的に彼を救ったという事だよ。神様の施す『枷』って、どれもこれも悪趣味だからさ」

 

本人だけだと自覚すら出来ない。

枷に嵌められている事も、枷から外れている事さえも。

だからこそ、フェア・ヴィルングは生まれた時からある意味に於いて特別だった。幼少期から女神の枷を脱却してしまったのだから。

ヴィータは勘違いしたのだ。女神の枷を難なく擦り抜けたフェアなら。邪神の枷すらも自覚させてしまえば、容易く潜り抜けてくれるのではないのかと。

 

「女神の枷に嵌らなかったのは色々と理由があるんだけどね。兎も角、外なる神の枷は桁外れなんだよ。何しろ数千年、いや数万年かな、彼を蝕んでいるモノだからさ」

 

理解していたつもりだった。

彼の悪夢を追体験した時から。

道化師に言われた。焦り過ぎたと。全く以ってその通りだ。助けてやりたい。救ってやりたい。この手で。私の手で。彼を悪夢から覚まさせてやりたいと意気込んでしまった。暴走してしまった。

強く。強く。強く。

何度も奥歯を噛み締める。

盲目の信頼は、悪意よりも質が悪い。

フェアは強いと思う。終わりの見えない輪廻を経験しても尚、明確なる自我を保っていることが何よりの強さである。

しかし、個人の力だけで神の奇蹟を超越するなど不可能。まるで考慮していなかった。外なる神の下劣さも、フェアに襲い掛かる負担の大きさも。

 

「貴方に救われたわね、カンパネルラ」

「それはこっちの台詞だよ」

「どうして?」

「さっきも言っただろう。結果的に彼を救った事になるってさ。君の行いは必要だったんだよ。『輪廻を繰り返す事で縮まっていく枷』を多少なりとも押し返せたんだからね」

 

道化師の台詞から、己の導き出した推論が間違っていないと理解した蒼の深淵は、穏やかに呼吸を繰り返す想い人へ視線を向ける。

彼はループを繰り返す事に親しい人を忘れてしまう。特に、度重なるループの中で関わろうとしない人物の事を。学生時代の友人、久しく再会しない幼馴染みなど。最早、彼らの存在すら認識していないに違いない。

今回に至っては両親の記憶、存在、概念すらも忘却してしまう始末。故に推測した。もしかして邪神の齎した枷は縮小しているのではないかと。

最初はゼムリア大陸全体を覆い尽くしていたそれらも、数千回のループを経て、フェア・ヴィルングの周囲だけを取り囲んでいるのではないかと。

意図は不明である。何故フェア・ヴィルングを狙ったのかも。

 

「盟主は、全てをご存知なのかしら?」

「あの方をしても全て識るのは敵わないんじゃないかな。本質を見抜いても、概略全部を観測していないだろうね」

「でも貴方は言ったそうじゃない。例え盟主でもフェアを救うのは無理だって」

「盟主でも救えないよ。きっとね。彼を本当の意味で絶望から引き揚げられるのは、マクバーンだけだろうし」

 

どういう意味かと目を細める。

大いなる存在である『盟主』ですら概略を把握していない。干渉したとしてもフェアを救えない。にも拘らず、マクバーンなら絶望から引っ張り上げられるらしい。

外からの来訪者だからか。

外の理に通じる存在だからか。

だが、もしそうなら盟主でも同じ事では――。

 

 

 

「皇女殿下とフェアから離れなさい!!」

 

 

 

入口の扉が開いた。

勢いよく。蹴破られるように。

導力銃を構えた女性将校が姿を現す。青白い髪に煉瓦色の瞳。軍人として引き締められた身体、大瀑布のような敵意と殺意。氷の乙女とも称されるクレア・リーヴェルト大尉は、瞬き一つせずに銃口を魔女と道化師に向けていた。

 

「嫌な時に現れたわね」

「これはこれは。氷の乙女殿」

「蒼の深淵、そして貴方が道化師ですね。今すぐ皇女殿下とフェアから離れなさい。さもなくば撃ちます」

「とは言ってもね、ボクは彼らの敵じゃ――」

 

銃声が鳴り響く。

躊躇なく引き金に力を込めた。

普段の彼女と違う。明らかに余裕がない。

 

「離れなさい、と言ったはずです」

「やれやれ。人の話を聞かないお嬢さんだなぁ」

 

眉間に放たれた銃弾も道化師には届かない。

如何なる術なのか。彼は指を鳴らすだけで風や炎を操る。自らの急所へ到達する前に弾丸を押し留めた。

人の神経を逆撫でするように、カンパネルラは右手の人差し指を揺らした。チッチッチッと口を鳴らす。わかってないなぁと嘯く。

 

「ボクには通じないよ。幾ら撃っても無駄だってば」

「関係ありません。殿下とフェアに手を出すようなら、如何なる術を用いてでも排除させてもらいます」

「確かにこの光景を見たら勘違いするかもしれないけど、皇女殿下からも教えてあげてよ。ボクたちは敵じゃないってさ」

 

アルフィンは頷いた。

コクコクと。フェアの頭を抱き締めながら。

さりとて操られていないとは断言できない。結社の使徒と執行者から脅迫されていないとも。氷の乙女もそう判断したのか、より一層敵意を剥き出しにした。

クレアの反応は当然だろう。

エレボニア帝国の軍人ならば、フェアの状況を知らないなら、そういう考えに行き着くのは至極当然である。

 

「皇女殿下を脅すとは――!」

「はぁ、何を言っても無駄みたいだね」

 

嘆息する道化師。

やれやれと肩を落とした。

目を閉じて。ゆっくりと開いて。

豹変した。軽薄な態度は消え失せて、薄気味悪い微笑みは冷笑に早変わり。黒く変わる。目の奥に強烈な敵愾心が存在していた。

 

「あんまり邪魔しないでくれるかな。正直、君如きに関わってる暇なんて無いんだからさ。これまでも、そしてこれからもね」

 

瞬間、奇妙な歌声がクロスベルを包み込んだ。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

それは邪神へ捧げる賛美歌。

それは異界の神へ届ける鎮魂歌。

行政区だけではない。中央区、港湾区、東通り、西通り、歓楽街。全てから鳴り響く。指向性をもって。とある一点へ。オルキスタワーへ。正確に表現するならフェア・ヴィルングの下へ集っていく。

魔都が合唱を始める。

クロスベルの鐘が木霊する。

神の定める規則に違反した不信者を殺すのだと。

 

「これは!」

 

唐突に起こった異常事態。

歌声は止まず。延々と繰り返される。

如何に導力演算機並みの頭脳を持つ氷の乙女だとしても、外の理にさえ通じる事態の把握には時間を必要としていた。

 

「どうやら、外なる神は非常に御怒りらしい」

 

道化師は吐息を漏らした。

 

「正念場だよ、深淵」

 

巫山戯た様子など微塵もなく。

逆に追い詰められた顔色すら浮かべて。

カンパネルラは黒緋の騎士を優しげに一瞥した。

 

 

 

「人と神の戦い。誰も知らない神話の再現、その第一幕なんだからさ」

 

 

 

 

 








盟主「フェア、どうかご無事で」








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二十九話 皇女回復

 

 

 

 

 

懐かしいと何故か微笑む。

煉瓦造りの独房。自由を妨げる黒い鉄格子。何処からか雨漏れしているのか、不規則に溜まる水溜り。小蝿が集る。溝鼠が走り回る。不衛生極まりない環境。まさしく囚人の末路だと肩を竦めた。

十アージュの高さを誇る天井。小さく枠取られた小窓。微かな隙間から紅い月が見えた。どうやら夜らしい。此処が現実世界だと仮定するならの話だけども。

脱出は不可能だ。何しろ力が入らない。

起き上がる事も、立ち上がる事も可能だが、導力器による身体能力の底上げはおろか、半年間で鍛え上げた膂力すら皆無に等しいモノへと変貌していた。

壁に背中を預け、今後の予定を練る。

直前の記憶を反芻していく。ヴィータ・クロチルダによる質問。両親という単語について尋ねられた。途端、壁のようなモノにぶつかった。四方八方から万力で押し潰されるような激痛が全身を駆け巡る。不思議な存在と押し問答していく中で気を失ったのだ。

アレは誰だったんだろうか。

初めて聞く名前だった。

ゼーレ・デァ・ライヒナムなど知り合いにいたかな。少なくとも最近の輪廻だと存在しない輩だと思う。まぁ、自分の記憶すら信用していない俺が言うのも何だけど。

 

「ほう。落ち着いておるようじゃな」

 

この声は聞き覚えある。

体感的な時間経過だと二日前ぐらいに。

少女のように甲高く、古めかしい言葉遣い。唯我独尊、傲岸不遜を体現する声色。忘れるはずなどない。異界のオルキスタワーで道を示した女だ。

 

「特に心乱す理由もないんでね」

 

鉄格子の外。浮かび上がる女性の姿。

金髪灼眼。白と黒を基調としたシックなドレスに身を包んでいる。手に持つ杖。首からぶら下げる六面体のペンダント。彼女の身に付けるアクセサリー類は、そのどれもが莫大な魔力を保有していた。

謎の女性は玲瓏な顔を歪めた。

心底忌まわしそうに吐き捨てる。

 

「凡庸なくせに生意気な奴じゃな」

「独房の中は慣れているんだ。懐かしいよ」

 

数多の輪廻に於いて。

尋問される事も、拷問される事も有った。

閉じ込められるだけなら二倍以上の確率で。

毒虫だらけの独房で一週間以上、寝床もないまま放置された経験も存在する。故にこの程度の環境なら、まさしく天国と呼んでも差し支えない範囲であった。

 

「お主の経験など知った事ではないわ。知りたくもないしのう。何回も何回も同じ所をグルグルと回った挙句、逃げ出したり、無駄に格好付けたりと散々じゃったわ」

 

謎の女性は腕を組んだ。

苛立ちからか、憎らしさからか。

可憐な脚で鉄格子を何度も蹴りつけた。

にしても今の台詞は。

もしかしてこの女性も同じなのか。

 

「ヴィータ・クロチルダみたいに、俺の輪廻を追体験したのか?」

「阿呆が。それよりも尚、質が悪い」

「つまり?」

「口にするのも憚られる。これ以上は訊くな」

「わかった」

 

絶対的な意志を感じた。

敵意とも、殺意とも違う。死んでも赦さない。死ぬことも赦さない。未来永劫、この手で苦痛を感じさせてやるという狂気を、彼女の言葉の節々から感じ取れた。

この場面で余計な一言を発したら、この女性は必ず暴走してしまうと確信した俺は、素直に首肯するだけに留めた。

 

「素直なのも気色悪いのう」

「どうしろと?」

「生理的に無理なのじゃ。察しろ」

「まぁ、それなら仕方ないな」

 

俺は肩を落とす。

反対に、謎の女性は快活に笑った。

 

「お主の才能は、嫌われることに関する事だけじゃからの。いやはや、それすらも黒のせいだとするなら、お主に才能など一欠片も存在しない事になるなぁ」

 

楽しそうだった。

心の底から嬉しそうだった。

フェア・ヴィルングという存在の事が、本気で嫌いなのだと思う。彼女は生理的に無理だと口走っていたが、恐らくだけどそのような単純な理由ではないんじゃないかな。

嫌われるのは慣れている。

今更傷付いたりしないが、嫌われる理由だけは気になった。少しだけ。ほんの少しだけである。

 

「黒のせい?」

「テスタ=ロッサから聞いておらぬのか?」

「全然」

「お主に蓄えられ続ける神羅万象の呪い。誰彼構わず他人に嫌われるのは、それが理由じゃ」

「呪いを振り撒くのが、黒だと?」

「黒の思念体。イシュメルガの事よな」

「イシュメルガ。鉄血宰相や鋼の聖女も口にしていた奴か」

「只の分体じゃがな。絶対悪の結晶ではあるが、それは人の子が生んだ業よ。妾の管轄から離れている。どうこうするつもりもないのう」

 

謎の女性は他人事のように言い放つ。

酷く淡々としていた。酷く鬱蒼としていた。

例えイシュメルガが何をしようとも。例えイシュメルガが人類を滅ぼしたとしても。まるで人間の自業自得だとでも唾棄するような発言だった。

注意深く観察してみる。漸く気付いた。

この女性、明らかに人間と云う種を超越していると。

 

「アンタは、人じゃないのか?」

「呆れた奴じゃな。未だ悟れぬのか。よもやこんな輩に宿ってしまうとは。大地の奴もほとほと不憫よの」

「?」

「此方の話じゃ」

「で、アンタは誰なんだ?」

「妾はローゼリア。女神が遣わした焔の聖獣じゃよ」

 

声高に自己の存在を告げる女性もとい聖獣。

予想の斜め上を通過していったな。まさか御伽話に出てくる存在だとは。にしても聖獣ねぇ。姿形は人間そのもの。これは人類も獣の内に入ると云う事の証なのだろうか。

 

「へぇ」

 

ともかく言葉を返す。

一言だけ。目を見開きながら、

焔の聖獣はお気に召さなかったらしい。杖で床を叩きながら、不服そうに唇の端を吊り上げる。心無しか独房内の気温も上昇したような。

 

「わかっておったものの、反応が薄いのう」

「空の女神とか欠片も信じてないからな」

「赦されざる発言じゃ。万死に値すると理解しておるのか?」

「空の女神が本当にいるなら、俺の輪廻を止めてくれ。そうすれば幾らでも祈りを捧げる。聖杯騎士団とやらにも加入してやるよ」

 

莫迦が、と聖獣は口汚く罵った。

鉄格子の隙間から腕を伸ばす。俺の首根っこを掴んで引き寄せた。恐るべき膂力だ。踏ん張る事も出来ずに鉄格子へ全身をぶつける。

間近で睨み付けられた。

ローゼリアの紅い瞳が燦々と輝いている。

 

「空の女神が一個人の為に何かするとでも考えておるのか。戯け。神を侮るでないわ。お主の輪廻は自業自得によるもの。他者の力を借りるなど笑止千万じゃよ」

「自業自得?」

「禁忌に触れた罰よな」

「覚えがないけど」

「今回の輪廻でなければ、妾の手で殺してやるものを。まぁ、良い。全ては予定通りよ。邪神の枷と触れ合わせる事もできたしのう」

 

今一度、鉄格子へ引き寄せられる。

普通に痛い。痣になりそうなほど力強い。

気が済んだのか、聖獣はパッと手を放した。解放されて尻餅を付いた俺を見下しながら、フンフンと鼻唄を奏でながら鉄格子の前を歩き続ける。

 

「ヴィータとやらも良くやってくれたな。多少道筋を描いてやればこの通り」

 

聞き逃せない発言だった。

俺は立ち上がりながら問い掛ける。

 

「アンタ、あの人に何かしたのか?」

「不思議に思わんかったのか。類い稀な才能を持った魔女と云えど、夢の中で他人の人生を追体験など出来よう筈もなかろうて」

「魔女の術に無いのか」

「当然。妾が見させてやったのじゃよ。多少なりとも脚色してな。お陰で上手くいったの。我が眷属を騙すようで心苦しいが、まぁ時が経てば洗脳も解いておく」

 

そうか。そういう事か。

 

「成る程なー、納得したよ」

 

わざと軽い口調を使う。

落ち込む心を奮い立たせる。

魔女の協力は仕組まれた物だった。

ヴィータの優しい眼は洗脳された物だった。

最初から気付いていた。何かがおかしいと。上手く行き過ぎていると。答え合わせが少し早かっただけなのに。

俺は無意識に胸の辺りを握りしめた。

 

「何をじゃ?」

「ヴィータだよ。俺のことを心配していた。俺を助けようとしていた。でも、何処かで本当だと思えなかった。アンタが洗脳していたからだったんだな」

「一時の夢を見られて良かったのう。お主如きが好かれる筈もなし。身の程を知るがよい、愚か者めが」

 

その通りだ。

何を勘違いしていたのか。

この世界は優しくない。期待するだけ間違っている。他人の協力を当てにするなど愚の骨頂。ましてや好かれるなど、天変地異が起きようとも有り得ないのだから。

素直に反省しよう。ほら、心は、痛くない。痛む心も持ち合わせていない。

 

「耳の痛い話だ」

「ふん。こうして対面する機会を作るだけでも一苦労する有様とは。落ちぶれた物じゃ、ローゼリアともあろう者が」

「今でも相当な力を持ってそうだが」

「往年から比べたら四分の一ぐらいじゃな。これも邪神から解放されたからではあるが。まぁ、お主を導くのに充分な力ではある」

「輪廻脱却を導いてくれるのか?」

「間接的にではあるが。お主は知らぬかもしれんがな、今回のループこそ千載一遇の好機よ。にも拘らず、お主はアルノールの娘とイチャコラするだけ。ほとほと呆れるわ!」

 

語尾を強くして言い切る聖獣。

抑えられない強烈な憤怒からか、絹のように繊細な金髪が逆立ち始めている。全身を覆う魔力は指向性を持って俺へと突き刺さった。

客観的に見るとイチャイチャしていたかもしれない。認める。距離が近過ぎると思っていた。それでも俺は、皇女殿下に対して恋愛感情など持っていない。畏れ多い。身分が違い過ぎる。彼女の傍にいたのは約束したから。救われたからである。他意はない。大切な人だからと云って、恋愛感情に結び付けるような思春期男子みたいな愚かしい事はしないさ。

 

「皇女殿下を護ると約束した。あの方の騎士として守護すると。安心してくれ。ループ脱却を諦めた訳じゃない」

「妾は時間を無駄にするなと申しておるのじゃ」

「だが、俺はあの方に救われた。例え今回で輪廻を終わらせられなくても、皇女殿下を護ると誓ったんだ」

「黙れ。お主の感情など有象無象の価値もない。ただ突き進め。機械なら機械らしく、単一の行動だけしておればよい」

「何が言いたい?」

 

改めて問い返す。

聖獣の悪辣な台詞など無視する。俺の感情に意味がないなど自明の理。突き進む事もとっくの昔に了承している。機械と表現されたのは初めてだけど、意外と腹も立たずにしっくり来た。

だからこそ涼しい顔で尋ねる。

ローゼリアは害虫でも眺めるような視線と共に毒付いた。

 

 

 

 

「お主、本当にアルノールの娘から好かれているとでも?」

 

 

 

 

空気が、凍った。

 

 

 

 

 

「――――」

「アルノールの娘が『本当の心』に従って、お主如きに好意を抱いているとでも?」

「純然たる物ではない、と気づいていたが」

「甘いわ。純然でも、不純然でもない。アルノールの娘が変貌したのは混沌による影響よ。覚えがあろう?」

 

俺と皇女殿下が遭遇した場所。

初めて言葉を交わした温泉郷。

リィン・シュバルツァーの故郷である。

 

「ユミルの里で」

「その通りじゃ。本来ならお主なんぞ信頼される筈なかった。好かれるなど言語道断。あの場には『本物の英雄』も居ったからな。リィン・シュバルツァーを差し置き、お主に懐いた理由は邪神の趣味によるものよ」

 

確かになと自分を嘲笑う。

薄れていく輪廻の記憶を思い出す。

特に七耀暦1206年の序盤から中盤に掛けて。

灰色の騎士として活躍するリィン・シュバルツァーは、皇女殿下の婿に相応しいのではないかと各マスコミも報じていた。彼らの仲を噂して、英雄と姫君の仲に熱狂していた。

俺がいなければ。俺が関わらなければ。

あの方はリィンと交友を育んでいた筈だ。

 

「おい、莫迦者」

 

ローゼリアが忠告するぞと続ける。

 

 

「このまま行けば、アルノールの娘も輪廻に巻き込む。お主のことを好き過ぎる故。確実にな。お主に止める術などない。そういう風に『決定』されておる」

 

 

それは駄目だ。それだけは駄目だ。

皇女殿下だけではない。誰であろうとも。

終わらない地獄を味わうのは俺一人で充分だ。

皇女殿下の細やかな笑みが脳裏を過ぎる。助けなくては。止めなくては。騎士として、救われた者としてあの笑顔を曇らせたくない。

 

「――どうにか、できないのか?」

 

一縷の望みを込めて訊く。

ローゼリアは嘆息した後、言葉短く答えた。

 

「現時点なら方法は有る」

「なら頼む」

「ほう。あの娘を巻き込みたくないか?」

「誰であろうと巻き込むつもりなんてないさ」

「良い心掛けじゃな」

 

口では褒めながらも。

眼だと小馬鹿にしていた。

ローゼリアの態度など今更だ。気にしない。

それよりも方法を知りたい。穏便だと良いのだが。

 

「でも、どうやるんだ?」

「簡単な話よ。アルノールの娘からお主に近付こうとする感情を、まさしくそのまま反転させてしまえばよい」

「つまり、それは――」

「邪神による影響を取り除き、アルノールの娘を元に戻す。覚悟しておけ。あの娘からしてみればお主に誑かされていたと同義。嫌われるどころでは済まぬであろうな」

 

目を閉じる。

俺の名前を呼ぶ皇女殿下を思い浮かべる。

楽しかった。救われた。生きる意味を持てた。歩き続ける意思も、誰かに境遇を信じてもらえる喜びも、畏れ多くもアルフィン殿下から頂いた代物である。

大丈夫。俺はこれだけでやっていける。

だから返さなくては。元に戻さなくては。

あの方の心を歪めたままなんて。あの方の将来を澱ませたままなんて。赦される限度を超えているのだから。

 

「アンタのお望み通り、黒緋の騎士として皇女殿下を護る必要もなくなると」

「察しが良くなったのう。まさしくその通りよ」

「――」

 

一息吐く。

 

「怖気付いたか?」

 

ローゼリアに笑顔を返した。

にっこりと。にんまりと。にこにこと。

本当に、久し振りに、何故か笑えた気がした。

 

「まさか。願ったり叶ったりだよ。皇女殿下を地獄に巻き込むぐらいなら、俺はあの方から嫌われる事を望むさ」

「殊勝な心意気じゃのう」

「あと、クレアさんの事なんだけど」

「あの娘なら大丈夫だと思うがな。良くも悪くも普通すぎる。勿論、油断できぬが。それにあの娘に宿っているのは混沌ではなく闘争じゃ。嫌われるよう改変するのは難しいのう」

 

確かに。彼女なら大丈夫だと思う。

何度も恋仲になった。夫婦として寄り添っていた世界線も存在する。それでも輪廻に巻き込まれなかった。

それでも――。

一抹の不安が過ぎってしまう。

 

「万難を排したい。どうにかできないか」

「近付かせないようにするだけなら可能じゃな」

「構わない」

「イシュメルガに関与したくないが、致し方あるまい。闘争を掻き消そう。お主の存在価値を無にする。そうすれば近寄ってこん。場合によっては嫌われるよりも酷かもしれんな。存在を認識されぬのだから」

 

聖獣とは凄まじい。

他者の心や魂を操るのだから。

ローゼリアは阿呆がと唇を尖らした。

焔の至宝を見守り続けた聖獣だからこそ。魂と精神を司る『紅の聖櫃』の恩恵を受けているからこそだと説明した。

成る程、だとしても規格外である。

本当にそれだけなのかと疑問に思ったが、機嫌を損ねるのも気が引けたので、取り敢えず俺は聖獣に頭を下げた。

 

「構わない。頼む」

「恐ろしくないのか?」

「特に何とも。嫌われていようと、存在を認識されていなくても、俺が二人を大事に想っているのは変わらないんだから。特に支障はないんじゃないかな」

「ふっ。良い感じに壊れておるな、お主」

「褒め言葉?」

「阿呆。貶しているのじゃ」

 

漸く機械らしくなりおったな、とローゼリアは嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 










緋の騎神「何してくれてんのォォ!?」←可哀想



黒の騎神「ざまぁ笑笑」←普通にクズ



アルフィン「――――」←ヤバい。







 


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三十話  絶望希望

 

 

 

 

 

 

 

優しい温もりに包まれている。

目を開けるまでもなく。誰だろうかと疑問に思う必要もなく。彼女と過ごした一月半を振り返りながら、俺は震える脚を酷使して立ち上がろうとした。

異界のオルキスタワーで暴走。存在Xの施した枷と衝突。ローゼリアから一時的に心停止していたと教えられた。

本来なら数日間、絶対安静に努めるべきだけど。皇女殿下の現状を考えれば、今すぐにでも離れなければいけない。

立ち上がれ。俺の身体が壊れようとも。此処で踏ん張らずにどうする。更に皇女殿下の心を穢すつもりか。拭えない泥水を掛けるつもりか。

俺の忠義はその程度だったのか。

苦しませてはならない。悲しませてはならない。

 

 

「――――いやっ」

 

 

皇女殿下は身体を震わせた。

嫌悪感を滲ませて。恐怖心を露わにして。

まるで強姦に襲われた年頃の少女のようだった。

俺を圧倒させた覇気も破裂した風船のように萎んでいる。恐る恐る腕を持ち上げて。俺と御身の間に手を差し込み。思いっきり吹っ飛ばした。

 

「くっ――!」

「貴方は最低です!」

 

物理的な距離にして約2アージュ。

だけど、もう、手を伸ばしたとしても。言葉を巧みに使っても。貴女を守護したいと望んでも。俺が俺である限り、絶対に皇女殿下へは届かない。

 

「私は、私は貴方のことなんて――――!」

 

わかっています。理解しています。

貴女の恋心は作られた物だった。存在Xに誘導された物だった。正常じゃなくて。歪んでいて。心を捻じ曲げていた。

だからこれは喜ぶべきだ。

皇女殿下の歩むべき道が元に戻ったなら。

こうして、存在Xの影響を取り除けたなら。

輪廻に巻き込む可能性を消失させられたなら。

臣下として、騎士として、一帝国人として、俺は誰よりも貴女の回復をお喜び申し上げます。存在Xに纏わり付かれているフェア・ヴィルングが口に出せる台詞ではないけど。

 

「嫌いですッ。貴方なんて、大嫌いですッ!」

 

結構、いや蹲りたい程に痛かった。

予期していなかったら顔を歪めていただろう。

でも問題ない。身構えていた。心構えしていたから。

愛していた女性から、信頼していた仲間から憎悪の感情を向けられる。今までの輪廻で幾度も体験済み。落ち着け。切り替えろ。皇女殿下ならクレアさんやリィンに任せれば安心できる。俺は俺でやるべき事をしなければならない。

刹那、三発の銃声が轟いた。

道化師と魔女は慌てて回避する。

氷の乙女はその隙を見逃さなかった。

 

「皇女殿下!」

 

クレアさんが皇女殿下へ駆け寄った。

俺の直ぐ傍を通り過ぎて。まるで何も見えていないように。認識していないように。この場で大事な存在は、皇女殿下ただ一人であると高らかに宣言しているようだった。

改めて、ローゼリアの力に戦慄する。

容易く人の心を変えてしまうとはな。空の女神が授けた七つの至宝、その恩恵を預かっていたとしても果たして可能な所業なのだろうか。

どちらにしても、これで問題無いはずだ。

俺はホッと一安心する。懸念事項は見事に払拭された。ならば手早く行動に移ろう。宝剣ヴァニタスを杖代わりにして起立する。

入り口付近で立ち竦む二人へ視線を向けた。

 

「ヴィータさん、いやクロチルダさん。古戦場まで転移できますか?」

「可能よ。クロスベル北東の古戦場を指しているならね。だけど、どうして貴方の為に転移しなければならないのかしら?」

 

冷たい声音だった。

汚物を見下ろす視線だった。

焔の聖獣は時が経てば洗脳も解いておくと口にしていた。仕事が早過ぎる。ローゼリア曰く、手っ取り早く古戦場まで行かなければならないのに。

走るか。導力車を奪うか。騎神に乗れれば良いのだけど、アルノールの騎士と云う肩書を失った俺は起動者としての価値を喪失している。

カレイジャスも無理だろうな。そうなると――。

 

「ボクが連れていくよ。古戦場までだね?」

 

カンパネルラが名乗りを挙げた。

掴み所のない微笑。感情を悟られない口調。

相変わらず妖しい少年だった。やれやれと肩を竦めながら。まるで気安い友人の如く、俺の隣まで歩み寄ってきた。

クロチルダさんが眉間に皺を作る。

 

「ちょっと、この男の為に此処を離れるつもりかしら。貴方が言ったのよ。混沌に操られた集団が押し寄せてくるからって」

「まぁ、彼の為に行動しろって盟主から言付かってるからさ。そんなに睨まないでよ、深淵。直ぐに戻るよ」

「盟主からねぇ。本当かしら?」

「本当だって。やれやれ、信用ないなぁ」

 

道化師は俺の肩に手を置いた。

じゃあ行くよと前置き。幻惑の焔が足下から渦巻いた。原理不明。結社の人間や魔女ぐらいしか扱えない転移術。初めて経験したものの、何処となく暖かさを感じた。

視界が蕩揺する中、皇女殿下とクレアさんを盗み見る。最後だから。今生の別れだから。どうか許してほしい。

姉代わりの女性からそもそも認識されず。皇女殿下から憎悪に満ちた視線を向けられながら。俺はオルキスタワーの一室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸が痛い。張り裂けそうだ。

彼を押し飛ばした時から。最低だと突き放した時から。心の声に従って、大嫌いだと大声で宣言した時から。

捨てられた子犬のような表情だった。信頼していた人から暴言を食らったように落ち込んでいた。どうして。意味がわからない。貴方は私を騙していた。洗脳していた。自身が英雄となる為に利用していただけの筈なのに。

 

「どうして、私は」

 

クロスベル中から歌が響いた瞬間、私は唐突に目が覚めた。霞んでいた視界が開けた。黒いナニカに覆われていた魂が解放されたのだ。

盲目な愛。有り得ない感情。あの男の為に内戦へと介入して。己の騎士になって欲しいと浅ましく懇願して。騎神のコックピットで抱き合って。修羅へと堕ちかけていた男を救い上げた。

世間では内戦を早期終結に導き、暗黒竜を打倒した『救国の皇女』と『黒緋の騎士』と云う、悍ましい限りのラブロマンスが人気を博しているらしい。

やめて欲しい。

私はあんな男、好きではない。

好みのタイプでもなく。興味すら湧かない。生理的に無理。あまつさえ人を洗脳する外道である。二度と会いたくない。記憶すら消したい。あの男と触れ合った場所を斬り落としたいとすら考えてしまう。

 

「なのに――」

 

心が引き千切られそうで。今直ぐ謝りたくて。

軽薄そうな少年と共に何処かへ立ち去った彼を追い掛けたいと。どうか私も連れて行って欲しいと泣き叫ぶ激情が、胸の内からひたすら湧き上がってくる。

心臓が早鐘を打つ。

この恋愛感情は間違っているのに。

この悲痛な叫びはあの男を喜ばせるだけなのに。

私はフェア・ヴィルングを憎まないといけないのに!

 

【ありがとうございます、アルフィン殿下】

 

何度も何度も。

彼の笑顔が脳裏を過ぎる。

誰も信じなかったと云う御伽話を受け止めてあげた時。あの男は、フェアは心の底から救われたように微笑んだ。

あまりにも綺麗で。あまりにも清廉で。

嗚呼、この人は誰よりも強くて、誰よりも弱いんだなと確信した。助けてあげたい。護ってあげたい。一番近くで彼の軌跡を見続けたいと願った。

でも、それは嘘八百の台詞で。私の同情心に付け込んだ御伽話で。あの男は内心で嘲笑っていた筈である。

扱い易い女だ。このまま手籠にしておこうと。

あの男は女の敵である。エリゼの兄、リィン・シュバルツァーさんと正反対の人間。女性をモノとしか見ておらず、その毒牙を突き刺す事に躊躇しない悪魔。空の女神から見放された害獣。世の女性のために駆除すべき存在だと認識する。

 

『契約者ヨ、ソウ思ウノカ?』

 

脳内で緋の騎神が問い掛ける。

違うとでも。間違っているとでも。

私は漸く自我を取り戻した。切っ掛けは不明だけど、こうして本来の心を奪取した。二度と洗脳されないように。二度と手籠にされないように。二度と恋心など抱かないように。

私は、あの男を憎悪する。絶対に赦さない。

 

【私は、貴女を護ります。黒緋の騎士として】

 

やめろ。

 

【そろそろ寝ましょう、殿下。明日も会えます】

 

やめろッ。

 

【アルフィン殿下の騎士になれた事は、次の輪廻でも絶対に忘れません】

 

やめろッ!

 

『記憶ヲ否定スルノカ、契約者ヨ』

 

フェアの発言は全て嘘。虚構に塗れている。何一つとして正しくない。悪だ。アレは悪の塊だ。近寄るだけで汚染される。呪いに犯される。

身体を清めたい。全身の皮膚を剥ぎ取りたい。

だって、そうしないと――。

 

 

 

私はまた、フェアを好きになってしまう。

 

 

 

 

【私が貴方を好きになってあげるから。赦してあげるから。綺麗だと思ってあげるから。独りで抱え込まないで。私たちは、一蓮托生でしょう?】

 

 

彼は泣いていた。

親と逸れた幼子みたいに。

幼子と再会した両親のように。

あの瞳から流れ落ちた涙は『本物』だった。万感の想いが込められていて。頬を伝う滴と触れ合うだけで浄化されていく気すらした。

どちらが間違っているのか。

私か彼か。記憶か直感か。世界か己自身か。

答えは出ない。何も判別できない。もう良いと投げやりになる。忘れよう。忘れてしまおう。彼と行動を共にした記憶も、鉄面皮である彼の眩しい笑顔も、私の心を軽くした言葉の数々すら忘却の彼方に追いやろう。

エリゼと一緒に、家族と触れ合いながら、女学院で生活を始めれば、きっと以前のアルフィン・ライゼ・アルノールに戻れると信じて。

フェア・ヴィルングと再会しない事を女神に祈りながら。空虚な感情を抱え込みながら。誰にも言えない偽りの恋心を押さえつけながら。これからの人生を歩んで行こうと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヤリ過ギダ、ローゼリアッ!』

『このくらいが丁度良かろうて。それにな、妾は娘の感情を反転させただけよ。あの莫迦も愚か者ながら納得しておった』

『契約者ノ心ヲ壊ス気カ、起動者ノ心ヲ壊ス気ナノカ!!』

『喧しい。妾はどちらでも構わぬ。それにアルノールの娘を輪廻に巻き込んだ方が、二人の心を破壊する事に繋がると思うがな』

『限度ヲ考エレバ良カロウッ!』

『それ程までに大事か。人間らしくなりおったのう、テスタ=ロッサ。それで最後に苦悩するのはそなたじゃぞ』

『関係ナイ。ソノ時ハソノ時ダ』

『言うではないか。黒に力を奪われた分際で』

『――――』

『まぁ、900年前の暗黒竜の仕業だがな』

『ローゼリア、我ヲ憎ンデイルノカ?』

『アルノールの血筋だけに反応させ、舞い降りた外神を封印させた緋の騎神。黒も考えたモノよ。己の力が足りないなら緋から奪えばいいと開き直るのだからな』

『七割以上モ黒二持ッテ行カレタ事ハ反省シテイル。ダガ、今ハ二人ノコトダ。最早、起動者ハ起動者デ無クナッテシマッタゾ!』

『安心せい。その辺は考えておる。まぁ、その時もそなたは憤怒しそうではあるがのう』

『ローゼリアッ!』

『最早な、妾は人間などどうでも良い。全ては邪神を追い払う為じゃ。思い出すが良い、テスタ=ロッサ。我々の使命と果たすべき約束を』

『忘レタツモリナドナイ。ダカラコソ、我ハ貴女ヲ嫌悪スル。我々ノ尻拭イヲシテクレル者ヲ、彼処マデ痛メツケルトハ』

『奴なら這い上がってくるじゃろう。輪廻を経る度に焚刑させた甲斐もあるというものよ』

『――コレガ吐キ気カ。感謝スルゾ、初代ローゼリア。騎神デアル我ハ、刻一刻ト人間二近ヅケテイル気ガスル』

『褒め言葉として受け取っておこうかのう』

『フン。我ハ貶シテイルノダ』

『既視感を覚える言葉の応酬じゃな、誠に下らぬ物よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焔の聖獣曰く、クロスベル全土で木霊する歌声の矛先は俺だけらしい。混沌と化した元警備隊員、巻き込まれただけの一般人、誰もがフェア・ヴィルングを殺す為に活動していると楽しそうに教えてくれた。

勿論、ローゼリアの発言を無条件に信じた訳ではない。あの性格なら少なからず真実と虚偽を織り交ぜているだろう。だが、俺は確かめる術を持たない。

空の女神に対する想いを考慮すれば、聖獣なのは間違いないと思う。存在Xをどうにかしたいという憤りも。現状を打破したいという意気込みも。

何やら『妖しい』気配も感じたが、先に今回の事変を解決すべきだ。

古戦場まで転移してくれた道化師は、何かに納得したように首肯した。此処だったのかと呟き、どうか腐らずに頑張ってねと言い残して。カンパネルラは一足先に去っていった。

気に食わない奴だけど。好きになれないけど。どうにも時々見せる微笑みが心に突き刺さる。心配とも、好意とも違う。純粋なナニカ。不思議な感覚だった。

 

「おかしいな。静か過ぎる」

 

古戦場は荒れ果てている。

瓦礫に覆われ、雑草が生い茂り、人の気配も感じない。だからこそ予想と異なる。魔獣ならいざ知らず、存在Xに操られている元警備隊が待ち構えていると考えていたのだけど。

何にせよ、敵がいないなら好都合である。

追手が差し向けられる前に、可能な限り奥へと進んでいく。古戦場自体は然程広くない。問題は地下に在る教団の遺跡。太陽の砦も探索しないといけない事だ。

恐らくだけど幻獣も湧いているだろうな。多少面倒だが、怠けていた武技を取り戻すにはちょうど良いかもしれない。

思考を切り替え、一歩踏み出した瞬間だった。

 

 

 

「待ちくたびれたぞ。やっと現れたか、緋の起動者よ」

 

 

 

何処となく聞き覚えのある声音、口調。

決定的に異なるのは、焔の聖獣と比べて、人間そのものを慈しむような温かさに溢れている点だった。

 

「内戦の時には、ウチのセリーヌが世話になったそうじゃな。放蕩娘からも助けてほしいと連絡が来た。妾が来たからには安心せい。伊達に長生きしている訳ではないのでな」

 

太陽の砦。その隠された入口。

気絶している人々を背中に、幼女が立っている。

焔の聖獣をそのまま小さくしたような。身体から溢れる膨大な魔力も似た性質。ローゼリアの子供だろうか。

 

「え、と。どちら様で?」

「ふむ、ヴィータから聞いておらぬのか。緋の起動者に隠し事しても仕方ないのでな。心して聞くが良い」

 

金髪灼眼。紅い魔杖を手に持つ幼女は高らかに名乗った。

 

 

 

「妾はローゼリア。セリーヌが言っていた魔女の長にして、ヴィータという放蕩娘のお師匠様じゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 







セリーヌ「フェアって奴がねー」←己の眷属。



ヴィータ「フェアって子がねー」←心配していた放蕩娘。



2代目ローゼリア「フェアのう。え、待って。こやつ、もしかしなくても緋の起動者ではないか。それにループしてる人間じゃと。やっと見つけたー!!」←世間に疎いお婆ちゃん。









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三十一話 幼女説明

 

 

 

 

 

自称魔女の長は幼女だった。

平らな胸を反らして。褒め称えよと自慢気な笑みを浮かべて。外見だけなら背伸びしたい年頃の子供である。成長期真っ盛り。周囲の子供たちを見下したくなるような精神年齢の最中だな。

だが、仁王立ちしているだけで大気を焼却しそうな魔力は、大人版ローゼリアを遥かに超越する異次元の巨大さ。

俺は目を白黒させる。混乱していた。眼前で反応を待つ幼女はローゼリアと名乗った。頭の中で敵意を剥き出しにする妙齢な女性もローゼリアだと口にした。

果たして偶然だろうか。

まさか、そんな。何かしらの関係を疑う方が建設的だろう。年齢の違いはあれど見た目はまさしく瓜二つ。声も同様に。常人を平伏させる魔力の強大さも似た性質である。ならば、これは――。

 

「おい、緋の起動者」

 

反応が無いことに不満だったのか。

幼女版ローゼリアは半ば閉じた目で睨み付けた。

裂帛の威圧感。思わず身構える。しかし、キツいな。病み上がりには堪える。休ませろと絶叫する身体へ鞭を打ち、俺は恭しく応えた。

 

「何でしょうか、自称魔女の長殿」

「自称ではないわッ。妾はこう見えても歴とした魔女の長じゃぞ。――いやまぁ、眷属を分けてしまったからロリィになってしまったがのう」

 

地団駄を踏む魔女の長。

そういえば、と一月前を思い出す。

セリーヌ曰く、魔女の長は見た目ちんちくりんなのだとか。威厳は皆無。魔力量は破格の一言。扱える魔法の種類も桁違い。ずぼらな私生活を改めれば皆の誇れる魔女の長になれるのにとぼやいていた。

色々と合致する。この幼女な姿に威厳など感じられない。ならば自己申告通り魔女の長殿か。こんな場所で会えるとは。

 

「まぁ、良い。お主の境遇は把握しておる」

 

長殿は付いてこいと背中を見せる。

入り口付近で意識を失う人々を横目に、俺は太陽の砦へ足を踏み入れた。見慣れた通路。嗅ぎ慣れた異臭。肌を突き刺す独特の雰囲気。カルト教団の施設は吐き気を催すほど悍ましい空気に包まれている。

唐突に出現する幻獣や魔物、更に魔女の長殿への警戒も怠らない。この情勢下で出会う者を手放しで信頼できる程、俺の精神状態は心安らかな物ではなかった。

 

「先日の事じゃ」

 

我が庭のように歩く長殿。

紅い魔杖で石畳を鳴らしながら奥へ進んでいく。

 

「久しく連絡を寄越さなかった馬鹿娘から、お主のことを頼まれたのじゃ。驚いたぞ。あの放蕩娘が、妾に対して頭を下げたのじゃからな。晴天の霹靂という奴よのう」

「貴女の仰る娘の名前は、ヴィータ・クロチルダで正しいですか?」

「うむ。巡回魔女の任も放り投げ、犯罪組織に身を落としたと聞いた時は目眩もしたがな。好きな男が出来ただけであんなにも変わるとはのう」

 

ケラケラと愉快そうに笑う幼女。

クロチルダさんを揶揄する声は楽しそうで。面白そうで。それでいて人情味に溢れていて。言葉悪く罵ったとしても、本当は弟子の事を大事に想っているのだと察した。

だからこそ俺は訂正しなければならない。

クロチルダさんの想念は全て洗脳に因る物だと。

 

 

 

「安心せい。妾は勿論、ヴィータも知っておる」

 

 

 

俺の辿々しい説明に対して。

魔女の長殿は立ち止まりもせずに答えた。

淡々と。抑揚なく。さも当然であるかのように。

 

「え?」

「魔女の宿罪である初代ローゼリア。あの方が暗躍していることも。あの方の力で、ヴィータがお主の輪廻を追体験できたのも。妾たちは全て把握しておる」

 

驚いたか、と視線だけで問い掛けられる。

どう答えたら良いのだろうか。そもそも本当の話なのかと疑問符を浮かべる。焦るな。考えろ。信じられるのは自分だけなのだから。長殿の言葉を鵜呑みにするな。吟味しろ。

初代ローゼリアとは大人版金髪灼眼の女性だと思う。何となくだけど理解できた。同じ名前から察するに、長殿は2代目だったりするのだろうか。いや、本質は違う点に存在する。問題点は一つだけ。長殿の言葉が本当ならば、クロチルダさんは洗脳されていると了解した上で行動していたのだろうか。

有り得ない。思わず首を横に振る。

 

「難しく考えるな。ヴィータはな、洗脳される直前に妾へ連絡してきた。お主のこと、数千回に及ぶ輪廻のこと、そして妾と似た魔力を持つ黒い残滓の事を」

「そうだとしても、洗脳された事に変わりないのでは?」

「その通りじゃ。ヴィータにとっては屈辱であったろうな。洗脳されるとわかっていながら、抗えない自らの非力さに。才能だけなら歴代魔女の中でもピカイチなのじゃが、相手は正真正銘の聖獣じゃからのう」

 

長殿は足を止めた。

教団の紋章が刻まれた扉を見上げる。

何かを考え込んで。遣る瀬無いように嘆息して。先を急ごうかと再び歩き始めた。

 

「その点、妾は魔女の長じゃからな。あの方でも干渉できぬ。ふふん、今頃は悔しがっておるかもしれぬな」

「長殿、話が見えてこないのですが」

「つまりじゃ。ウチの放蕩娘はお主の事を好いておると云うことよ。洗脳されずともな。むしろ干渉された事で不純物が混じっていたとも表現できるのう」

 

時系列を整理しよう。頭が痛くなってきた。

先ず最初に、クロチルダさんは夢の中で俺の輪廻を追体験した。何百回、何千回と。長殿曰く、初代ローゼリアの選択した部分だけを重点的に見せられたのじゃろうなとの事。

クロチルダさんは何千回に及ぶ追想の最中、黒い魔力の残滓を感じ取った。自らの意思と無関係に操られると予想した彼女は、自我を失う前に長い間音信不通だった長殿へと連絡した。

その後、蒼の深淵は初代ローゼリアによって思考誘導を食らい、最終的には追体験の記憶を封印されてしまったらしい。

確かに、と腑に落ちる部分も存在した。

オルキスタワーでの視線と言葉。アレは好意を解くというよりも、フェア・ヴィルングと云う人間そのものを知らない反応だった。

それでも信じない。信じたくない。

頑張って。期待して。どうにか駆け抜けて。その結果として無様に裏切られるのには慣れているけれど。皇女殿下の視線を思い出すだけで身が竦んでしまうのだから。

今は唯、ひたすらに耐えるしかない。

 

「何にせよ」

 

長殿は意気揚々と頷く。

 

「詳しい事は本人に聞くのが一番じゃ」

「聞けるとは思いませんが」

「妾は2代目ローゼリアじゃぞ。その辺も抜かりないわ。ちと時間を要するが、まぁ放蕩娘の目を覚まさせる為なら里の皆も協力してくれよう」

 

特にエマは張り切るじゃろうなと続ける幼女。

 

「セリーヌの飼い主でしたか?」

「うむ。委員長気質で口煩いが、この娘もヴィータに負けず劣らずボインじゃぞ。ナイスバディと云う奴よな!」

「はぁ」

「おまけに美人じゃ!」

「なるほど」

「家事もできる。良妻賢母間違いなし!」

「それは良かったです」

 

どう反応すればいいのかわからず。

打てば響くような会話を心掛けたにも拘らず。

 

 

「――如何に妾でも、お主ほど悲惨な人間を見たことがないからどうしたら良いかわからぬ」

 

 

何故か落ち込む幼女を慰めながら。

道中に湧く悪魔を滅して。幻獣を討伐して。薄暗い教団施設を降りていく。以前のループで踏破した事もある為、特に迷わず、俺と長殿は最深部へ突き進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魔女の長は謝りたかった。

本当に済まぬと。申し訳ないと。

焔の至宝を授けられた末裔の長として。何よりも2代目ローゼリアとして。先祖の犯した許されざる大罪を、先祖のやり残した後始末を背負い込ませてしまった若者へと頭を下げたかった。

フェアは言った。謝られても困りますと。

確かにその通りだ。今更、謝罪されても困惑するだけだろう。この若者は壊れている。表面上は生真面目な男を装いつつも、心の奥底は木っ端微塵に砕け散っている。

無限に繰り返す輪廻。何故巻き込まれたのか。既に理由などどうでもいいのだと口にした。このループから抜け出して、本当本来の意味で死にたいだけなのだと朗らかに吐露した。

これが魔女の業か。これが定めなのか。

 

『婆様、助けてほしいの』

 

先日、数年ぶりにヴィータの声を聞けた。

唐突な連絡。嬉しかった。三時のおやつを放り投げるぐらいに。それでも師匠の体裁を取り繕う為に、夜まで説教じゃと意気込んだローゼリアに対して、才能溢れる放蕩娘は時間がないのよと叫んだ。

 

『今夜にでも私は私でいられなくなる。悔しいけどこれ以上は抗えないわ。だからね、婆様。助けてほしい人がいるの。救ってあげて欲しい人がいるのよ』

 

どうかお願いします、と頭を下げた。

才色兼備で。傲岸不遜で。余裕綽綽で。まるで御伽話にでも登場しそうな生意気な弟子が、他人の為に悲痛な声色で懇願した。

ローゼリアは一も二もなく了承した。

大切な者を持てた弟子を見捨てるなど不可能。師匠として、何としてもヴィータからの願いを叶えてやると奮い立った。

詳細な内容を耳にして、魔女の長は驚愕した。

呪いから脱却した緋の騎神。初代ローゼリアの黒い影。そして、初代アルノールが魔女と地精に言い残したとされる『輪廻を繰り返す男』。

空の女神の存在を信じず。世界の枷から外れ、代わりに邪神の枷を嵌められた若人。終わらない地獄を彷徨い続けて、それでも歩き続けようとする鋼の意志を兼ね備えた人形の話だった。

 

『お主でも抗えぬか、あの方からの干渉に』

『悔しいけど無理ね。魔女の術だけなら抵抗できるけど、この力にはどうやら外の理も含まれているらしいの。解析できれば問題ないけど、絶望的に時間が無いわね』

『やはり妾ぐらいか、あの方に抗えるのは』

『婆様の前任者を甘く見ていたわ。焔の聖獣も捨てたものじゃないわね』

 

魔女の長は目を閉じた。

初代ローゼリアの邪悪な笑顔を追憶する。

遂に世に現れたかとため息を吐きたくなった。可能性として、緋の騎神が呪いから脱却したからだろう。若しくは黒緋の覇王へ昇華されたからか。

いずれにしても厄介な事になった。

フェア・ヴィルングを早急に助け出さなくては。あの方は容赦が無い。目的の為に手段を選ばない狡猾さを秘めている。放っておけば大惨事になりかねない。

 

『憎まれ口は健在じゃな。で、どうする?』

 

低い声音で尋ねると、ヴィータは哀しそうに答えた。

 

『正直、私が助けてあげたいけど、こんな無様な姿を見せたくないから。全て婆様に委ねるわ。悪いようにはしないでしょう?』

『当たり前じゃ。言い伝え通りの男で、本当に緋の起動者なら、初代の残滓も共に葬れるチャンスじゃからのう』

 

奇蹟か、天命か。

多くの宿命を背負った男が、加えて緋の騎神の起動者に君臨するとは。正しく千載一遇の機会。永らく探し続けて、一度も遭遇できず、さりとてこのような絶好の好機を得られるとは、まさしく何かに導かれているように思えてならない。

フェアは我ら魔女を赦してくれるだろうか。

初代アルノールと二対の聖獣たちによって『外なる神』を封じ込めた謀略。二つの至宝を衝突させたことで生じた『巨イナル一』。魔女と地精が造り上げた、幾多に重なる負の遺産を解消させる為に走らされていると知っても尚、彼は協力してくれるだろうか。

 

『そう。安心したわ』

『恐らくじゃが、お主は記憶を封印されるであろうな。フェア・ヴィルングの事を何もかも忘れてしまう』

『――嫌な人ね、婆様の前任者は』

『大崩壊以前は優しいお方だったらしいがな』

 

伝え聞く限りだと。

焔の眷属を慈悲深く見守っていたと聞く。

1200年前、空想が舞い降りた時から豹変してしまったと誰かが嘆いていた。聖獣と思えない暴虐な輩に変わってしまったのだと。

嘆息したヴィータが、婆様と呆れたように言う。

 

『どうしてその話を教えてくれなかったの?』

 

カチンときた。

 

 

 

『お主が巡回魔女の任から無事に戻ってきたら教えるつもりでおったわッ』

 

 

 

思いっきり机を叩く。

失敗した。地味に痛い。

赤く染まる手にフゥフゥと息を吹きかける。

床に落ちたおやつも食べかけなのに。勿体無いことをしてしまった。エマが帰ってきていたら大目玉を食らっていたに違いない。

 

『あらあら。それはごめんなさいね』

 

クスクスと笑いながら謝罪する馬鹿弟子。

 

『まったく。さては反省しとらんな、お主』

『フェアの為だもの。反省するわけないでしょ』

『惚れた男の為なら命を張るのが女か。いつの時代も変わらぬな。ドライケルスとリアンヌを思い出すわ』

 

片方は死去して。もう片方は行方知れず。

ローゼリアの胸を暖かく満たす二人の友人。

ドライケルスは女神の下へ旅立っているのか。不死者であるリアンヌは元気にしているのか。二人の顔を思い出したら寂寥感が込み上げた。

ババアは涙脆くていかんわ、と目元を拭う。

 

『まぁ良い。妾の方で準備しとく。封印を解く儀式ものう。言うまでもないが、お主は自己暗示を繰り返すのじゃぞ』

『いつ頃?』

『今年の5月までにはどうにかしておく』

『長いわね。もう少し短くならないのかしら?』

 

目の前にいたら半眼で睨んでいただろう。

 

『――お主な』

『冗談よ。有り難う、婆様。フェアの事、どうかよろしくね?』

『任せておけ。妾の方で保護しておく』

『エマにもよろしく伝えておいて』

『阿呆が。自分の口で伝えればよかろう』

 

そうしたいのは山々だけどね。

空元気な口調のまま、ヴィータは苦笑した。

恐らく頭を抑えている。頭痛を我慢するように。

 

『もう、無理なの。八割以上侵食されてるわね』

 

マジか、とローゼリアは若者口調で驚く。

残り二割しか存在しない正常な精神で、スラスラと淀みなく会話できるとは。少なくともエマには不可能だろう。エリンの里にいる魔女にも。身内贔屓かもしれないが、ヴィータの才能は歴代の魔女の中でもトップクラスに君臨すると確信した。

 

『負けるでないぞ、ヴィータ』

 

弟子を励ました。

すると、鬼才の魔女は面白そうに笑う。

 

『ふふ』

『どうした?』

『優しい婆様、気持ち悪い』

『お主なぁ!』

 

優しくしたらこの始末である。

本当、この馬鹿弟子、どうしてくれようか。

 

『じゃあね、5月を待ち望んでるわ』

『うむ。元気でな』

 

さて、と立ち上がる。

向かう先はクロスベル。

どうにか絶望の御伽話を覆さなくてはならない。

いざ行かんと意気込んだローゼリアを待っていたのは、大森林で採れた野菜がたっぷり入ったシチューを食わせようとする里の人々であった。

 

 

 

 

『野菜は嫌いじゃと言っとるじゃろうがぁ!』

 

 

 

 

 

 

 









里の人々「エマからも頼まれてますから」←善意

ローゼリア「いや本当、マジでいらんから!」←迫真

里の人々「美味しいですから」←曇りなき善意

ローゼリア「や、やめ、やめろぉぉぉお!!」←めぐみん風。







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三十二話 六角焼却

 

 

 

 

 

 

 

太陽の砦を足早に攻略しながら。

俺と長殿は互いに知り得る情報を交換する。

もしも魔女の長が敵だったとしても、俺の知る情報は格別に多いと云えない。ループの記憶、帝国二大流派剣術の絶技、暗黒竜の末路、初代ローゼリアとの台詞。得てしてそのぐらいである。

敵だとするなら既に把握していてもおかしくない情報の羅列。つまり情報を渡した所で不利益など無く、むしろ俺の知らない知識を得られるなら諸手を挙げて感謝しよう。

何せ相手は魔女の長。期待してしまうのも無理ない。結果として、様々な事柄を教えて貰えた。こうしてクロスベルまで来た甲斐が有った。

 

「遥か昔の事。大崩壊以前、エレボニアの地には二つの至宝が存在した」

 

長殿曰く、焔の至宝と大地の至宝を授けられたらしい。

前者は『紅の聖櫃』。焔の眷属に付与された。主に魂と精神を司る。後者は『巨の黒槌』。大地の眷属に贈与された。主に肉体と物質を司る。

確かリベール王国には『空の至宝』が、クロスベルには『幻の至宝』が割り当てられていたな。国家の規模が違うからか。それとも別の意図が関与していたのか。どうしてエレボニアには七の至宝が二つも降臨していたんだ。

女神とやら、少しは加減してくれ。邪魔だよ。

 

「二つの至宝によって、人々は繁栄を謳歌していたそうじゃ」

 

二つの至宝はそれぞれ守護神の形として君臨。

永い間、人々に奇蹟と恩恵を授けていたらしい。

さりとて幸福な日々は続かなかった。二つの至宝を授かった眷属が相争うようになり、遂に1200年前。二つの至宝は人々の願いを糧にして、真正面から衝突した。反動だけで天変地異を引き起こした挙句、地上を暗黒の焦土と化した末に相討ちとなったとの事。

此処までなら普通の御伽話。盛者必衰の理を表現している。めでたしめでたし。だが、世界はそんなに優しくない。エレボニア帝国を蝕む原点。呪いの源はこの衝突に因る物だった。

最後の激突によって二つの至宝は融合する。魂と精神、肉体と物質。両極端な至宝だからこそ生じた最悪の結果。制御不能な力を持つ存在へと昇華したのである。まさしく『巨イナル一』。絶対存在と化した力の塊を、眷属と聖獣は茫然と見上げていたらしい。

残された彼らは『巨イナル一』の封印を幾度も試みた。しかし悉く失敗する。最終的な案として、大地の眷属が器になる七体の騎士人形を創造。焔の眷属が『巨イナル一』の力を騎士人形に分割して注ぎ、強大な力は『七の騎神』として管理される事となる。

『巨イナル一』そのものは高位次元に封印。どうにか人間の手に負えない巨大な力の後始末を付けた彼らは、文明再興の為に暗黒の地にて再出発する。こうしてエレボニア帝国の基礎が出来上がっていったという訳らしい。

 

「魔女はな、焔の眷属の末裔なのじゃ」

「だとすると、大地の眷属も名前を変えていそうですね」

「うむ。『地精』と名前を変えておる。聞き覚えあるかのう?」

 

瞬間、頭に違和感が走った。

紙やすりで脳を削られているような感覚だ。

何者かの干渉を確信した。俺はその名前を知っている。聞いた覚えがある。それでも思い出せなかった。僅かに脳裏を過ぎるのは、眼鏡を掛けた青髪の男性が微笑んでいるぐらいで。

 

【此処まで来たのか。良く頑張ったね】

 

優しくて。暖かくて。

陽だまりのような人だったと思う。

朧げな記憶だ。本当かどうか定かではない。

長殿に報告するのはハッキリと思い出してからでも構わないだろう。不正確な情報を共有しても混乱させるだけだ。首を横に振る。否定の意味を込めて。

 

「いえ、ありません」

「うーむ、残念じゃのう。もしかしたら知っておるかもと思ったんじゃが」

「どうしてですか?」

「あの者たちもお主を探しておるからな」

 

エレボニア帝国を造り上げた初代アルノール。皇室の祖先。調停者の異名を持つ。その名の通りに二対の聖獣と至宝の眷属たちを纏め上げ、文明復興の中心的人物となった。

彼は死の間際、魔女と地精に言い残した。

曰く、輪廻を繰り返す男が必ず現れる。その者は空の女神を信じておらず、邪神に魅せられた存在である。緋の起動者として導いて欲しい。いずれ来たる『約束の刻』を越えられるようにと。

 

「約束の刻とは?」

「妾も詳しく知らぬ。初代ローゼリアも口を噤んでおったからな。世界の滅びを表していると思うのじゃが」

 

初代アルノールは俺の存在を予知していた。

想像を絶する遥か昔、1200年も前から。どうしてか。古代文明に触れていた人物なのは関係無いに違いない。調停者だからか。いやいや、意味が異なる。1200年後を言い当てられる才気の持ち主なら『預言者』と恐れられる筈だ。

調べなければならない。初代アルノールを筆頭にして、二対の聖獣の関しても。焔の聖獣が口走った台詞を考慮するなら大地の聖獣も、俺の境遇に何処かしか関連している筈なのだから。

長殿も同意する。そうじゃのう、と笑った。

 

「妾も帰ったら文献を読み漁るとしよう」

「助かります」

「気にするでない。お主のサポートをするのも使命の一つじゃからな。はてさて本題じゃ。此処からはお主の話を聞くとしようかのう」

「未来について、ですか?」

「うむ。お主の境遇も悲惨極まりないが、地精の輩が言い残した『巨イナル黄昏』についても対策しなければならんのでな」

 

忌々しそうに吐き捨てる長殿。

苛立ちをぶつけるように。不平不満を解消するように。道中にて待ち構える魔物へ絶死の魔法を放った。鎧袖一触。影も形も残らず焼失した魔物を尻目に、長殿は外郭通路を歩いていく。

 

「800年前の事じゃ」

 

そう前置きして、長殿は歴史の一端を紐解く。

900年前に突如として出現した暗黒竜。帝都は瞬く間に死都と化した。多くの人命が失われ、この時に大地の聖獣も瘴気に汚染されたらしい。

時の皇帝はセントアークに落ち延びた。魔女と地精も大打撃を受けたとの事。態勢の立て直しを図り、軍事力の増強を行い、約100年越しに帝都を奪還。呪われてしまった緋の騎神を皇城地下に封印した。

此処まではテスタ=ロッサに聞いた内容と合致する。鵜呑みにしても問題ない部分。初めて聞く内容は次からだった。

地精は終末の予言を言い残して、完全に表舞台から姿を消した。即ち『巨イナル黄昏』。詳しい事は魔女の長でも何もわかっていないようだが、歴史の影で行われてきた騎神の戦いはどうやら地精が唆したモノだとか。

必要なのは情報である。果たして未来に何が起こるのか。断片的にでも知れたら自ずと予想も付くと長殿は口にした。

 

「お主にとっては辛いかもしれぬがな」

「いえ、大丈夫ですよ」

「助かる。では、話してくれるかのう?」

「わかりました。薄れた記憶なんで拙いですが」

 

取り敢えず、俺は一番最初のループを話した。

十月戦役勃発。碧の大樹。革新派の勝利。クロスベル占領。ノーザンブリア併合。皇帝陛下暗殺未遂。皇子殿下爆殺事件。ヨルムンガンド作戦の発令。そして、西ゼムリア大陸全土を巻き込んだ世界大戦へ。

俺が一般軍人として駆け抜けた世界線。

戦争が起こる前にクレアさんへ告白もしている。敢なく撃沈したけれど。私なんかと付き合ったらいけないと。貴方にはもっと良い女性がいるのだと。容赦なくフラれた。苦々しい思い出である。

その後、ヨルムンガンド作戦に従事。最も苛烈な戦場であるタングラム丘陵付近にて死亡。享年は22歳。最も平凡で、最も幸せな一生だったと今なら思う。

 

「皇帝を殺したのは共和国の間者なのか?」

「詳しくは何とも。士官学院の生徒なのは確かでした。どの世界線でも同じ人間です。鉄血宰相とセドリック皇太子が断言していましたけど、実際に見た限りだと悪人だとは思えませんでしたね」

「そして、ヨルムンガンド作戦か。お主から見てどうであった。何かおかしなモノを感じ取らなんだか?」

 

抽象的な表現に頭を悩ませる。

おかしなモノか。うーんと首を傾げる。

俺が知り得る歴史の流れを整理しようと思う。

皇帝陛下暗殺未遂事件が起きるのは七耀暦1206年7月17日である。どの世界線でも変わらない結末。夏至祭の祝賀会にてアッシュ・カーバイドに銃撃される。

ヨルムンガンド作戦が発動するのは一月半後、七耀暦1206年9月1日。これも変わらずだ。信じられない速さで大規模な徴兵が行われ、恐るべき量の兵站が確保され、僅か一月半で立案されたと思えない緻密な作戦が完成していた。

不可解な件は数多く有る。

だが、俺の心に響くのはたった一つだけだ。

 

「集団ヒステリーじゃと?」

「言語化し辛いですが、似たようなモノかと」

 

当時、誰もが共和国を踏み潰そうと考えた。気持ちはわかる。同意する。むしろやってしまえと賛同しよう。俺も帝国人なのだから。

だが、気持ち悪いのは此処からである。

中には冷静な者も存在した。本当にカルバード共和国の仕業なのかと。彼我の実力差を鑑みても何処かおかしくないかと。

大陸でも有数の経済都市であるクロスベル自治州を占領したエレボニア帝国は、カルバード共和国を大きく突き放して超大国の座に君臨していた。

国力差は明白。加えて、皇帝陛下暗殺の件が本当に共和国の仕業なら国際社会の孤立化は必至である。二国間で全面戦争に至っても、カルバード共和国に勝ち目などない。にも拘らず、皇帝陛下暗殺を断行したのは腑に落ちない。何か別の意図があるのではないか。

そう主張していた人間も、次の日には思考停止した人形のようにカルバード共和国をぶっ潰せと叫んでいた。

 

「ふむ。単一の方向に人間の精神を誘導しておるのか。何故じゃ。いや、そもそもどうやって。何か媒体でもなければ不可能ではないのか」

 

ぶつぶつと独り言を呟く幼女。

足を止めている事にも気付いていない。眉間に皺を寄せて。カツンカツンと魔杖を鳴らして。あーでもないこーでもないと唸り続ける魔女の長。

余りに必死な姿に、俺は吐息を漏らした。

一つだけ隠し事をしているからだ。世界大戦を生き延びた世界線。七耀暦1206年9月9日。最後に見た『化物』の姿。思い出したくない。口にしたくない。

そもそも論として、俺は魔女の長を信用していない。

彼女の性根は優しいと理解している。俺に対して真摯な対応を心掛けている事も。教えてくれる情報に不自然な部分がない事も。出来る限り俺の力になろうと奮起している事もわかっているけど。

どうしてだろうか。

俺は2代目ローゼリアを心底から信用できない。

信任してはならないと胸の内から誰かが声高に喚いている。

 

「どうかしたか?」

 

幼女が見上げる。

不思議そうに目をパチパチさせて。

俺は無表情を顔に貼り付けながら答えた。

 

「いえ、何でもありませんよ」

「ならば良い。貴重な情報、助かったぞ」

 

長殿はニッコリと微笑む。

800歳と思えない純粋無垢な笑顔だった。

俺が失くしたモノ。俺が棄ててしまったモノ。

 

 

 

 

『お父様ばかり狡いですわ』

『宝剣を渡しただけであろうに』

『私、プレゼントしたことありませんもの!』

『そう言われてもな。見よ、彼も困っておろう』

『むー』

『膨れるな、アルフィン』

『そうだわ。フェア、貴方にコレをあげる!』

『待て待て。落ち着け。それは皇室に伝わる由緒正しいペンダントだぞ。おい、聞いておるのか』

『うん、とっても似合うわ!』

『――やれやれ』

『私よりもフェアの方が必要だと思いませんか、お父様』

『魔除けのペンダントであるからな。肌身離さず付けておくことだ、ヴィルング。いずれはそなたを護ってくれるやもしれぬ』

 

 

 

 

そういえば、と首元を探った。

服の中に隠された緋いペンダントを取り出す。

今回、クロスベルへ向かう高速列車に揺られている最中、同席していたクレアさんにも揶揄われた皇女殿下からの贈り物。

形は六角柱で。大きさは7リジュ程度。色素は濃くて。仄かな温もりに包まれた皇室伝来の宝。本来の持ち主であるアルフィン殿下から譲り受けた大切な物である。

俺が持っているべきではない。

皇女殿下に返さなくてはならない。

でも、どうしても、持っていたいと絶叫する自分がいて。アルフィン殿下との繋がりを完全に断ち切られる恐怖に身を竦める自分がいて。

戻れない過去に想いを馳せる弱いフェア・ヴィルングがいた。

 

「おぉ、良い物を持っておるな!」

 

長殿が声を上げた。

短い足でテコテコと歩み寄る。

 

「この先へ進むには妾の加護が必要じゃからな。その辺のセピスにでも魔力を込めようかとも考えておったが。うむ、まさしくピッタリの宝玉じゃのう」

 

どれ、貸してみよと手を伸ばす。

数秒間逡巡してから、俺は恐る恐る手渡した。

大事な物なので壊さないでくださいよと注意すると、魔女の長はわかっておるわとニヒルな笑みを浮かべてから膨大な魔力を高めていく。

鮮烈な緋い輝き。太陽の如く赫焉として燃えているような錯覚に陥る。思わず双眸を閉じてしまった。

刹那、もがき苦しむ初代ローゼリアの姿が目蓋の裏に映った。交差した腕を焼き尽くす緋い光。まるで日光に照らされた吸血鬼のようで。端麗な顔付きを鬼の形相に変化させていた。

徐々に緋い眩耀は小さくなっていく。

ゆっくりと目を開くと、長殿が満足気に頷いていた。

 

「うむ、これで良い」

 

緋いペンダントを返してもらう。首に掛けると、煌々とした魔力が全身を駆け巡る。暖かい。荒んだ心が急速に癒される感覚だった。

俺は魔女の長を信じられない筈だった。

信用してはいけない。拠り所にしてはいけない。

胸の内から湧き上がる声。視界を濁らせる甘い囁き。

 

 

「にしてもアレじゃな。そのペンダント、ドライケルスの奴が後生大事に持っていた物とソックリな気がするんじゃがのう」

 

 

妾も呆けてきたかな、と落ち込む幼女。

俺はペンダントをギュッと力強く握り締めた。

先程の幻視が本当なら。長殿を信じさせないようにしていたなら。

初代ローゼリアが何としても漏洩を防ぎたかった『化物の件』について、魔女の長と情報を共有した。

 

 

 

 

それこそが突破口に繋がると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 










女神「至宝が邪魔は言い過ぎ!\\\٩(๑`^´๑)۶////」

フェア「至宝のせいで誰も彼も碌な結末迎えてないから残当では?」

女神「私のせいじゃないもん。゚(゚´Д`゚)゚。」







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三十三話 焔神降臨

 

 

 

 

太陽の砦、最奥へ無事に辿り着いた。

屠った魔物は数知れず。亜空間から出現した幻獣すら悉く殲滅して。フェアとローゼリアは互いの力量を正確に把握した。

魔女の長は傍らの男を呆れた様子で盗み見る。

想像以上に強い。むしろ強過ぎる。心身共に満身創痍にも拘らず、得物から放たれる剣技は鮮烈を越えて芸術的ですらあった。

魔物を一閃。幻獣を一刀両断。路傍の石を眺めるが如く。足下に蔓延る蟻を踏み潰すかのように。淡々と獣の命を喰らい尽くしていた。

剣技だけならリアンヌにも届いているやもしれんなと感心する。同時に憐憫すら覚えた。この力量へ到達するまでにどれほどのループを繰り返したと云うのか。どれほどの地獄を体験したと云うのか。

放蕩娘が好意を寄せるのもわかるのう。

フェアの苦痛を想像しただけで胸が痛くなるならば。実際にその光景を見せられた者は、余程の人非人でもなければ彼の為に苦心するだろう。

 

「以前見た時とは違うな」

「零の御子とやらが封印されていた物だが、今は邪神とやらの力を内包した代物へ変貌しておるからな」

「詳しいですね?」

「この砦の入口にいた奴らから聞き出したからのう。本当か嘘かは定かではないが、そういう風にインプットされておったな」

 

一言で表現するなら神秘の揺り籠。

ツァイト曰く、500年前に創造された人造人間を揺蕩わせていた代物との事。悪魔と邪神を信奉する教団によって零の御子は目覚める。

彼女を護り続けた揺り籠は役目を終えたのだが。約一年の歳月を経て、悍しくも妖しい黒い閃光を周囲に放っていた。

 

「あの黒い塊が――」

「此度の贄じゃろうな」

 

上空に浮遊する揺り籠。

その真下で仁王立ちする黒い塊。

黒い靄で確証はできないものの、大きさと形からして操られた人間だと推測する。女性か男性かは不明。年齢すらも。名前すら消失しているかもしれない。

フェアは宝剣を抜いた。

一歩進む。痛ましげに贄を見つめながら。

 

「やるのか?」

「楽にしてあげるのが、私の役目でしょう」

「妾はあの揺り籠をどうにかしなければならん」

「了解しました。お気をつけ下さい」

「お主もな」

 

黒い塊は絶叫する。

憎い敵を眺めるように。

殺意の衝動に突き動かされるように。

獣の如き雄叫び。床を踏み潰す。砕け散った瓦礫を後方に放ちながら、黒い塊はフェアの間合いに跳び込んだ。

得物を持たず。武器になるのは恐らく両腕のみ。そんなもの関係ないと。速度だけで圧倒してやると云わんばかりに。裂帛の殺意と共に右腕を叩き付ける。

一般人なら。例え高位遊撃士だとしても。弾けた柘榴のように頭を潰されそうな一撃だった。鈍い風切音を奏でながら振り下ろされたソレを、フェアは難無く掻い潜った。

紙一重の回避。刹那でも行動が遅れれば死んでいた状況にも表情を変えず、宝剣ヴァニタスを袈裟斬りに振るう。

慢心もなく。油断もなく。

目を奪われる剣技だとしても。

直撃した黒い塊には、傷一つ付けられなかった。

 

「ん?」

 

首を傾げるフェア。

反撃に転ずる黒い塊の殴打を躱しながら、隙を見つけて剣撃を放っていく。実力的にかけ離れた両者だが、両腕両脚を斬り飛ばそうとしても、上半身と下半身を分断しそうな一閃をお見舞いしたとしても、邪神の『贄』と化した人間に斬撃が届く事はなかった。

黒く染まる揺り籠を結界で封じながら、ローゼリアは思考を加速させる。

恐らく黒い靄に包まれた『贄』を排除すれば、今回の騒ぎは終結すると予測していいだろう。揺り籠は媒体に過ぎない筈。力を増していく厄介な代物だが、こうして封じてしまえば只の飾りに等しいガラクタである。

他の魔法を繰り出す余力は無いものの、800年という月日で培われた経験則から、ローゼリアは瞬時に黒い靄の正体を掴んだ。

厄介じゃのう。『概念武装』の一種か。

通常兵器で殺せない聖獣すら滅する事が可能な武器の一つ。如何に宝剣だとしても貫けない。黒い靄は纏うだけで最も頑丈な防具であり、精強な武具にもなっていた。

邪神とやらの力に戦慄する。

使い捨ての『贄』へ授けるには強力過ぎる。

 

「普通の剣じゃと傷一つ付けられんぞ!」

 

でしょうねと。

フェアは軽い口調で返す。

投げ飛ばしても。弾き返しても。

黒い塊は一度足りとも休まずに突進する。明らかに隙だらけ。リアンヌ・サンドロットにも比肩する剣技の持ち主なら、最低でも十回は殺してしまいそうな機会なのに。

揺り籠の力が漏れないように封印しても尚、一向に解ける気配の見えない概念武装。むしろ刻一刻と濃度を強くしていた。

ローゼリアは思わず舌打ちする。

この調子で進めば拙い。フェアの体力は有限にも拘らず、邪神に弄ばれている黒い塊に体力という概念が有ると思えないからだ。

いずれ突破されてしまうだろう。避けられない未来。だからこそ打開策を考える。状況を打破する一手を模索する。

一瞬だけ揺り籠の封印を解くか。フェアの斬撃に併せて、ローゼリアの魔法を乗せれば。突破口を手繰り寄せられるかもしれない。

だがと踏み留まる。ドス黒く輝く揺り籠を一瞬でも無防備にしてしまったら酷く後悔するだろうと魔女の本能が警告する。

あの黒い光彩はフェア・ヴィルングを蝕む。だからこそ緋いペンダントに魔力を込めた。焔の聖獣による加護を与えた。邪神の力に何処まで通用するのか。ぶっつけ本番で試す程、ローゼリアは無鉄砲な輩ではない。

どうした物かと目を細めて。

そして、魔女の長は『アレ』に気付いた。

黒い塊の蹴撃を後方に跳躍して回避したフェアの様子が何処かおかしいと。動きではなく、彼から発せられる雰囲気が明確に変化している。

ローゼリアの眼は見抜いた。フェアの背中に纏わり付く『緋い死』を。呪いと無関係に、緋の騎神と関係なく、世界そのものを燃やし尽くしそうな神の姿を。

虚ろな視線、自然体とも云える姿勢、宝剣を右手に、首からぶら下げた緋いペンダントを左手で握り締めて。

 

 

 

「――『焔』か」

 

 

 

 

莫大な熱量が出現した。

宝剣ヴァニタスに纏わり付く清廉な焔。

空虚を埋めようとする暖かな陽光のようで。

 

「これなら、行けそうだな」

 

フェアが目線を上げる。

黒い塊は警戒するように唸り声を上げた。

絶句したローゼリアは先程の会話を思い出す。

フェア曰く、七耀暦1206年9月9日にこの世の悪意を全て凝縮したような『化物』が出現したらしい。全長は凡そ300アージュ。左肩に赤い人型の模型を括り付け、右肩に蒼い巨鳥を飼い慣らし、全身を『黒い焔』で覆い尽くした化物が、世界大戦を続ける地上の人々を一瞬で焼き払ったとの事。

表と裏で連動する未来。もしや表の事情を大戦に発展させたのは、闘争の概念で世界を包み込む為だろうかと予想する。『巨イナル一』と何かが融合を果たした結果、世界を滅ぼしてしまう化物に変貌してしまったのだと仮定したなら。

地精が口走った『巨イナル黄昏』とはこの事か。

だが問題は、今考えるべきは別の部分である。

800年前、初代から使命と記憶を譲り受けた時に僅かながら垣間見た。1200年前、天から舞い降りた空想の産物。『外なる神』が暗黒の地に根を下ろす瞬間を。

 

「違うのか、もしや」

 

ローゼリアは『ソレ』が邪神だと思っていた。

大崩壊直後、混迷を極めたゼムリア大陸を蝕む為に訪れたのだと。1200年前から人々を混沌の底に陥れようと暗躍しているのだと。

前提条件が異なっていたと遅まきながら見抜く。

初代アルノールが中心となって、緋の騎神へと封印を施したのは別の神なのかと。焔の眷属の末裔であるローゼリアは、神気すら漂わせる焔に目を奪われた。

 

 

「まさしく焔の神、じゃな」

 

 

フェアが踏み込んだ。

一歩だけ。軽く間合いを詰めた。

少なくとも魔女の長にはそう見えた。

黒い塊から鮮血が噴き出す。黒い靄の一部分が焼却される。人間らしい肌色の皮膚を覗き見て、ローゼリアは情けない事に漸く事態を把握した。

まるで見えなかった。微塵も反応できなかった。

爆発的に身体能力が上がったのか。それとも此れこそがフェアの実力か。いずれにしても流れは掴んだ。

概念武装すら焼き棄てる『神なる焔』は、徐々に熱量を増していく。黒い靄を燃やす度に。邪神の影響力を減らす度に。歓喜の咆哮を挙げていく。

 

【嗚呼、心地良い】

 

フェアは動く。邪神の贄を楽にさせてやろうと。

黒い塊は嘆く。天敵である焔へ唾を吐き捨てる。

勝負は確定した。此処から巻き返すなど不可能である。黒い靄を全て燃やした。金髪の女性は深手を負った猛獣のように顔を歪めて、ジリジリと後退していく。

魂を失っているならもう助けられない。

如何に魔女の長でも、喪失した『魂と精神』は回帰させられない。それは空の女神と七の至宝だけが行使できる奇蹟だからである。

フェアも理解しているらしい。操られた贄へ同情するように。せめて苦痛なく終わらせようと宝剣を構えて――。

 

 

 

「――たす、け、て」

 

 

 

贄が苦しそうに呻いた。

白目を剥きながら。両腕を振るいながら。

それでも確かに救助を懇願した。

自我が僅かにでも残っているなら助けられる。

ローゼリアは揺り籠の結界を維持しつつも、宝剣ヴァニタスと贄の間に簡易的な障壁を張ろうとする。どうか間に合ってくれと祈りつつも、されど速すぎる剣撃のせいで無理かと諦めながら。

 

「ッ!」

 

肩口から斬られる贄の姿。

それはローゼリアの幻視だった。

フェアは薄皮一枚の所で踏み留まる。代償として右腕から嫌な音がした。ブチっと。的確に表現するならば、無理に宝剣の動きを止めたせいで筋繊維の断ち切れる音が木霊した。

そうだとしても。

 

「ようやった!」

 

これで無事に贄を解放できる。

フェアは精神的負担を抱え込まずに済む。クロスベル全域の混乱も回復するだろう。万々歳。後はフェアの焔で揺り籠を破壊して、邪神から解放されるであろう贄の応急処置を行わなければならない。

忙しくなりそうじゃのう。

無垢な人々を見守る聖獣として、優しい笑みを浮かべたローゼリア。

 

 

 

 

そんな確信を、邪神は嘲笑った。

 

 

 

 

「――――」

 

 

 

 

フェアは宝剣を止めた。

己の右腕を犠牲にしても。反撃される可能性を考慮しつつも。これ以上、自分以外に邪神の犠牲者を出したくないと云う一心から、宝剣ヴァニタスを空中で止めたのだ。

確かに。確実に。熱の苦痛すら与えないように。

それでも、宝剣は血に塗れていた。

ローゼリアは見た。金髪の女性が罪悪感から『まるで自らを斬って欲しい』と云わんばかりに接近したのを。

 

「なん、で――?」

 

贄は疑問を吐露する。

初めて光を宿した双眸にてフェアを非難した。

止めてくれたじゃない。

助けようとしてくれたじゃない。

どうして再び『剣を振るった』のと。

綺麗な袈裟斬りだった。左肩から右腹部まで走る裂傷。鮮血の雨を降らしながら、邪神の贄は仰向けに倒れる。

 

 

彼女は既に、息絶えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ランドルフは急いだ。

相棒であるロイドと共に。

太陽の砦を全速力で攻略していく。

目指すは最奥。探し人はミレイユ准尉。

今から約3時間前、突如としてクロスベル全域を不思議な歌が包み込んだ。何かを讃える歌声に呼応するクロスベルの鐘。そして、グノーシスを摂取した事のある人々は我先にと暴れ出した。

正常な心を失くしたように。何者かに操られているように。

ミレイユも例外ではない。

抑え込もうとするランドルフを蹴り飛ばし、恐るべき速さで走り出す。明らかにミレイユ本人の持つ本来の身体能力ではなかった。

元猟兵であるランドルフさえ追い付けない。途中で彼女の姿を見失い、途方に暮れていた最中、騒ぎを聞き付けたロイド・バニングスと合流した。

街道に湧く魔物や幻獣を二人で捌いていると、ティオ・プラトーから膨大な霊子反応が太陽の砦へ集まっているとの報告を受けた。

街道にて立ち往生していたバスの乗客から、ミレイユらしき人物が古戦場へ向けて走っていったと云う情報を聞き出し、まさしく一石二鳥だとランドルフたちは意気込んだ。

 

「ランディ、俺たち以外に誰かいるぞ」

「ああ、わかってるっての。敵だと思うか?」

「どうだろうな。味方だと有り難いんだけどね」

 

太陽の砦。その入口は開いていた。

目立つ足跡は二つ。片方は幼子で、片方は成人男性程度。不思議な組み合わせである。非常事態でなければ誘拐事件を彷彿させるような。

ランドルフは急ぐぞと告げる。

敵か味方か。今はどうでもいい。

どちらにしてもやる事は変わらないからだ。

ミレイユを元に戻し、一刻も早く混乱を終わらせる。エレボニア帝国に占領されようと、クロスベルの地と其処に住む人々を護るのが特務支援課の使命なのだから。

 

「最奥だ!」

「ああ、やっと着いたぜ!」

 

長い一本道を駆け抜ける。

両脇を流れる地下水に目もくれず。

正義感と使命感に突き動かされた二人は、目の前に広がる光景を到底受け入れる事など出来なかった。

まるで太陽のように輝く黒の揺り籠。紅い魔杖を持った金髪の幼女。焔を纏った大剣を片手に佇む黒髪の男性。

 

そして――鮮血の海に沈むミレイユの死骸。

 

黒髪の男が振り返る。

一見すると特徴の無い顔の持ち主。

しかし、彼の右頬にベットリと付着している紅血を視認したランドルフは、万が一の為に持ってきた本来の得物を右手に掴んだ。

 

「テメェ――ッ!」

 

ベルゼルガー。

猟兵時代の相棒を片手に。

ランドルフは狂気に飲み込まれる。

 

 

 

「ミレイユに何しやがったァァあああっ!!」

 

 

 

 








焔の神「――――」←久し振りにスッキリ。

ニャル「――――」←燃やされたけど、面白くなりそうだから爆笑。

イシュメルガ「趣味悪ッ!」←お前が言うな定期。





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三十四話 混沌終局

 

 

 

 

特務支援課を知っている。

数多の世界線で知り合った。

仲間として胸を張れる存在ではなかったが、出逢えば夕飯を共にする程度の仲にまで発展した事もある。

気の良い人達だ。クロスベルの未来を真摯に考える様子は、帝国人である俺でさえ応援したくなるぐらい懸命だった。

一向に恋仲へ発展しないロイドとエリィさんの仲を受け持った世界線も存在する。ランドルフさんに付き合って、二人でハイタッチした記憶を何故か未だに覚えていた。

だからなのか。

憎悪に囚われた復讐鬼を前にしても、全く危機感が湧いてこない。相手は元猟兵。闘神の息子。高位遊撃士を圧倒する可能性を秘めた男なのに。

俺は右手を使えない。明らかに筋繊維が千切れている。回復を待っている時間など存在しない。苦手な左手で宝剣を握り直す。致命的なハンデだと思った。

 

「どうしてミレイユを殺したッ!」

 

確かに当初は殺すつもりだった。

クロスベル全土の混乱を終わらせる為に。万が一にでも、オルキスタワーにいる皇女殿下やクレアさんを傷付けさせない為にも。

慈悲なく。速やかに。容赦無く。

邪神に見染められた贄を殺害する予定だった。

だが、彼女は僅かながら自意識を保持していた。助けてと懇願した。胸に響いた。だから宝剣を止めたのに。確かに斬撃は届いていなかったのに。

 

「必要だから殺した。それだけだ」

 

ランドルフさんの武器を受け止める。

名称はベルゼルガー。一言で表現するなら巨大な銃剣である。猟兵時代に扱っていた鉄の塊が獰猛な唸り声を上げた。憎い相手を断罪しようと獣牙を尖らせる。

左腕が痺れた。結構キツイな。

利き腕ではなく。体力も限界に近い。宝剣を覆っていた焔もいつの間にか鎮火している。この状況で闘神の息子と相対するのは自殺行為に他ならない。

でも理解できる。

どんなに言葉を尽くしても相手は止まらないと。憎しみが晴れることはないと。だからこそ淡々と伝える。必要な事だけ。己が成した行いだけを言葉少なめに。

 

「誰かに操られていようが、ミレイユを殺す必要なんて無かっただろうが!」

「彼女が核だった」

「だからどうしたってんだッ!!」

「今頃はクロスベルの混乱も収まっている筈だ」

 

ベルゼルガーを弾く。

さりとて縦横無尽に刻まれる斬線。

並の人間なら満足に振る事すら叶わない巨大な武器を、特務支援課随一の恵体は手足のように操ってみせる。

対して――。

俺は防戦一方。刻一刻と体力も削られている。現時点なら問題なく捌ける。だが、これ以上身体に負担を強いた場合、いつ迄この接戦が持つことやら。

 

「ふざけんなッ!」

 

銃弾が空中を奔る。

正確無比。一発一発が致命傷になる一撃だった。

ならば全て無に還すだけの事。

宝剣を正眼に構える。体内の気を練成する。

途端、足がぐらついた。貧血気味な身体が悲鳴を上げる。横になれ。休憩しろ。貴様に戦技を出す余力など無いのだとわざわざ警告してくる。

余計なお世話。ありがた迷惑であると鎧袖一触。

 

「穿て」

 

戦技、瓏霞楼。

幾重にも振り下ろされた刃。宝剣から発せられる重厚な斬撃の波が、赤黒い弾丸を文字通り弾き飛ばした。

二大流派剣術を昇華した先に見出した独自の戦技である。鍛錬以外に使っていなかったが、こうして実戦でも無事に扱えた事に人知れず胸を撫で下ろした。

 

「ッ!」

 

ランドルフさんが舌打ちした。

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

無理もない。傍目から見れば、今にも卒倒しそうな男が無表情で奮闘しているのだ。その男が大事な人を殺害した犯人ともなれば、ランドルフさんの心境も凡そ把握できると云うモノ。

だからと云って、倒される訳にいかない。

やっと突破口が出来たんだ。この地獄から抜け出せる手掛かりを掴んだ。ループを終わらせられるかもしれないんだ。

自分勝手な願いだとわかっている。

私利私欲に塗れた想いだと重々承知している。

でも、それだけが俺の原動力だった。那由多の世界線を駆け抜けてきた俺が、自我を保ちながら今此処に存在する唯一のエネルギーだった。

 

「ロイド・バニングス」

 

故に謝らない。

 

 

「キーアは、元気にしているのかな?」

 

 

正直、時間がない。

風の剣聖が訪れたら万事休す。

万全の状態なら相対できると思うが、この状況で八葉一刀流の奥義皆伝者と斬り結べば確実に斬殺される。

ランドルフさんだけで手一杯なのだ。火を見るより明らかな未来。わかっているなら回避すればいいだけの事。単純明快な道理。それに必要な言霊も、世界線漂流の旅で頭に叩き込まれていた。

 

「テメェ――!」

「あの子に何かするつもりなのかッ!」

 

ローゼリアと押し問答を繰り返すロイドも、目を剥いて怒鳴った。さも有らん。彼らにとって絶対に護るべき少女の安否を、得体の知れない男が尋ねたのだから。

 

「何かするつもり?」

 

小馬鹿にするように首を傾げる。

さぁ、演技の見せ所だぞ、フェア・ヴィルング。

 

 

「呆れるな。今、あの娘がどうなっているのかも知らずに、こうしてお前たちは時間を浪費しているのか」

 

 

二人の顔が絶望に歪む。

最悪の想像が脳裏に映し出されたに違いない。

 

「ミレイユだけじゃなく、キー坊まで――!」

「落ち着け、ランディ。キーアはアリオスさんに任せてあるッ。余程の手練れでもキーアに手出し出来るはずがない!」

 

細かく追求しないでおこう。ボロが出る。相手は元上級捜査官だ。無闇に口を開けば、嘘特有の矛盾点を容赦無く突っ込まれるだけ。

やれやれと肩を竦ませる。想像力がまるで足りてないと云わんばかりに。大根役者顔負けの演技だったが、余裕のない二人にとって、最悪の想像を後押しするような動作だったらしい。

 

「絶対に赦さねぇッ!」

 

闘神の息子はベルゼルガーを肩に担ぐ。

重厚な前傾姿勢を取る。瞳が赫く染まった。

彷彿するのは猛毒を持つ蠍である。一撃で相手を刺し殺す尾を、眉間に突き付けられているような錯覚を覚えた。

最強の猟兵となるべく育てられた男の、本気の殺意を一身に受けながら、俺はロイドの位置も視認してから技の準備動作に入る。

この身体だ。左腕なのも致命的。完成した絶技は放てない。例え最後まで繰り出せても、威力は往来の半分以下だろう。無理に放つ必要性は皆無と考えていい。

ランドルフさんとロイドの距離も離れている。一撃で巻き込むには広範囲の戦技を使わなければならない。該当する条件を満たすのは一つのみ。鍛錬に付き合ってくれた聖女から託された俺だけの技を選択する。

 

 

 

――――何をしている、と誰かが嘲笑した。

 

 

 

今、この状況で、話し掛けるな。

頭の中で何重にも木霊する存在Xの声。

男のようで。女のようで。

老人のようで。幼子のようで。

声は高く。声は低く。陽気で、陰気で。

様々な人間の特徴を重ね合わせた声に包まれる。

 

 

――――艶羨すれば良い、と誰かが蔑んだ。

 

 

嫉妬しろと。羨望しろと。

悍しくもお前がそう言うのか。

ふざけるな。馬鹿にするな。引っ込んでろ。

羨ましくなんてない。

眩しく見えたりしていない。

俺は俺で。彼らは彼らで。

其処に艶羨の気持ちを抱いた所で、世界は何も変わらないのだから。

 

 

――――愚か者め、と誰かが泣いた。

 

 

意識が薄れる。

深淵に引き込まれる感覚に苛まれる。

下手人は明確。元凶は存在X。理由は不明だ。

なけなしの精神力で抗おうとする。

 

 

――――眠れ、と誰かが突き放した。

 

 

だが、結果はわかりきっていた。

存在Xの力に抵抗など出来よう筈もなく、俺は最後に準備しておいた戦技を放ち、無様にも意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローゼリアは見た。

哀しくも清廉な一撃を。

宝剣を真横に一閃させただけ。無造作に。それでいて精魂込められた絶技のように。ツァイトの自慢していた特務支援課の二人は枯れ葉のように吹き飛ばされた。石柱に頭を打つけ、気絶してしまっている。

一瞬の出来事に驚愕する。

確かに二人は隙だらけだった。

精神を大きく揺さぶられ、動作にキレは無くなっており、確認できようもない心配事を心に植え付けられていた。

さりとて一撃。さりとて一瞬。

これがフェア本来の実力なのかと目を見張る。

 

「リアンヌ、コレはお主に匹敵するぞ」

 

贄を殺した動揺を鑑みて、万が一にもフェアが殺されそうであれば、揺り籠の封印を解いて加勢しようと考えていたローゼリアを嘲笑うような逆転劇だった。

フェアが残心の構えを解く。流れるような動作で宝剣を背中に仕舞い込む。スタスタと足早に此方へ歩み寄る。

そして――気付いた。

フェアの双眸がドス黒く濁っている事を。

どうしたと問い掛けるよりも早く、彼の口が開いた。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 

途端、意味を為さない言葉が羅列した。

聞くだけで耳を塞ぎたくなる。

唯の人間なら発狂してしまうそうな狂気の音叉。

深淵に引き込もうとする誘惑に、ローゼリアは焔の聖獣と云う誇りを糧にして打ち勝った。魔力を全解放する。猫のように縦へ伸びた瞳孔で、フェア・ヴィルングを見上げる。

 

「何者じゃ!」

 

魔杖を持つ手は震えている。

掌には汗が噴き出し、今にも地面は崩れそう。

永劫とも思える時間の末、フェアらしきモノは再び口を開いた。

 

 

「――――」

 

 

音は耳に届かない。

それでも脳内に届けられた。

不気味な現象からか、頭痛が発生する。

今すぐにでも回線を切れと警告するように。

 

曰く。矮小な存在の中で、貴様は我の声を把握できる。故に聞かせようと。

 

誰なのか。

いや、該当する存在は一つだけ。

2代目ローゼリアは丹田に力を込めた。

 

「お主が、フェアに纏わり付く邪神か?」

 

曰く。そうでもあるしそうでもない。邪神でもあるし邪神でもない。魔王の無聊を慰める為でもあり、この者の罪を裁く為でもあると。

 

脳に刻まれる言の葉。

目眩がする。頭痛が酷くなる。

フェアに同情した。もしもこの声を頻繁に聴いているとしたら、継ぎ接ぎだらけながらも良く自我を保っていられた物だと。

 

「今すぐフェアを解放せいッ。この者はお主の玩具ではないッ!」

 

曰く。不可能だ。この者は自ら今の状況を望んでいる。この者は大罪を犯した。そして『天』を見続けた。故に我は叶えたのだと。

 

意味がわからない。

フェアは何故、ループを望むのか。

フェアはどのような罪を犯したのか。

いや慌てるな。邪神が嘘を吐いている可能性の方が高いのだから。そう己に言い聞かせても、ローゼリアは心の何処かで理解していた。

この惨憺たる神は真実を述べているのだと。

 

「何がしたい。何が望みじゃ!」

 

曰く。我に望みなどない。有るのは愉悦、そして魔王の意志を遂行するまで。この者の罪を僅かな間、裁定しているだけの事だと。

 

答えの順序がバラバラだ。

まさにチグハグ。ならば数を熟すだけ。

 

「魔王とは?」

 

曰く。語る必要のないモノ。万物の創造主だと。

 

「フェアの罪とは?」

 

曰く。我が与えた禁忌の書物を開き、起動させてしまったと。

 

「僅かな間ではない。この者は既に――」

 

曰く。僅か10万年である。この者の罪を拭うには短過ぎるのだと。

 

「何故、フェアは今の状況を望んでおる?」

 

曰く。1170年前、この者は言った。叶うならば自らの手で決着を付けると。絶望した上で立ち上がる者に加護を与えた。それだけだと。

 

待て待て待て。

ローゼリアは視線を落とす。

邪神の述べる『魔王』が何者なのかは考えないようにする。一端でも触れようとした瞬間、根源を司る絶対者に睨まれたと錯覚してしまう程に、背筋が凍ったからだ。

邪神は言った。

禁忌の書物を起動させてしまったフェアの罪を裁定する為に、約10万年も同じ時間を繰り返させているのだと。恐らくフェア本人は10万年と云う膨大な時間を認識していない。記憶の取捨選択をしているのか、それとも無意識の内に自我を護ろうとしているのか。いや、其処は後回しするとしよう。

問題は1170年前と云う時間の方である。

フェアは七耀暦1183年生まれ。肉体年齢だけで云えば先月21歳になったばかり。大崩壊後、直ぐの時代に存在していた訳がない。

 

「冗談は止めるのじゃな。フェアの生まれは21年前。1170年前などこの者は愚か、妾すら存在しておらぬ」

 

曰く。よもや気付いておらぬとは。所詮は愚かな神の愛玩動物。真実に至る眼すら持ち合わせていないとは。愉悦のカケラも見当たらぬと。

 

魔法を放ちそうになった。

この邪神を燃やし尽くしてしまいたいと。

だが踏み留まる。身体はフェア・ヴィルングそのもの。終極魔法を直撃させてしまえば灰すら残らない。

それに――例え邪神にぶつけた処で、この人智を超越した存在を抹消できるとは思えなかった。むしろ片手間で殺されてしまうと確信できる威圧感であった。

 

「ならば答えよ。真実とは何じゃ!」

 

ローゼリアの大喝に、邪神は淡々と告げた。

 

 

 

 

 

曰く。この者は、貴様らが幾度も口にする『初代アルノール』とやらの生まれ変わりだぞと。

 

 

 

曰く。我が与えた『黒の史書』の封印を解き、魔王と繋がってしまった大罪を償う為に、こうして無様に足掻いているのだと。

 

 

 

 

 









ニャル「開くなよ? 絶対に開くなよ? フリじゃないからな?」←フラグ。

調停者「勿論だとも」←フラグ。

ローゼリア「何故与えたし」←正論。









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三十五話 騎士放棄

 

 

 

 

 

七耀暦1205年3月2日。

一月半も続いたカルバード共和国との鬩ぎ合いは、黒緋の騎士による活躍からエレボニア帝国の勝利に終わる。

フェア・ヴィルングの駆る赫く彩られた機甲兵部隊は数百台の戦車を破壊した上、幾重にも敷き詰められた防衛線を容易く突破。タングラム丘陵を越えて、アルタイル市近郊にまで攻め込んだ。

都市付近にて一進一退の攻防が繰り広げられる中、援軍として差し向けられた『灰色の騎士』の活躍により、最精鋭と謳われる空挺機甲師団も半ば壊滅状態にまで追い込む。

これ以上の継戦は周辺諸国を巻き込む大戦争へ繋がると危惧した共和国首脳部の判断により、七耀暦1206年2月26日を以って停戦へ至る。

アルテリア法国の仲介により、両国とも矛を収めた。共和国に譲歩を強いる形で、クロスベル自治州は正式にエレボニア帝国の属州として認められる結果に。一週間後に行われた併合宣言にも、大陸諸国からの大きな反発は見受けられず、黒緋の騎士は五体満足な姿で帝都ヘイムダルへと帰還した。

何故、対共和国戦に於いて『緋の騎神』を操らなかったのか。その疑問に黒緋の騎士は答えを濁した。だが、読者の皆様には安心して欲しい。彼は機甲兵だけで信じられない大戦果を挙げたのだから。

空の女神もご照覧あれ。

我らの英雄が築き上げる帝国の華々しい未来を!

 

 

 

 

 

 

 

「君の人気は熱狂的なモノになりつつあるな」

 

3日前に発行された帝都時報の一面。

字面を目に入れるだけで背筋に嫌な汗が伝う。

鉄血宰相は柄にもなく苦笑した。初めて見たかもしれない。普段なら冷笑を浮かべる一幕だと思うのだけど。

久し振りに脚を踏み入れた皇城。バルフレイム宮の一角に用意された宰相執務室。オズボーン宰相と机を挟んで対峙する。直立不動の状態を保ちながら、確かに張り切り過ぎたかなと振り返る。

特に反論しない。事実その通りだから。故に恭しく頭を下げるだけに留めた。

 

「恐縮です、閣下」

 

さりとて心中で言い訳する。

対共和国戦に於ける総作戦指揮を執ったのは『ルーファス・アルバレア』であった。共和国軍の戦車を軒並み殲滅しろと指示したのも。タングラム丘陵を越えろと命令したのも。アルタイル市近郊でリィンと共に撃滅作戦へ移行しろと下知したのも。

須くルーファス・アルバレアの要請だった。

本来であれば、タングラム丘陵にて待ち構える戦術を取る予定だったらしい。確かに殆どの世界線だと防衛に徹している。

総指揮官による鶴の一声でカルバード共和国侵攻作戦に切り替わったのは、一月中旬に勃発した第二次クロスベル騒乱が原因であった。

帝国正規軍クロスベル方面隊に組み込まれた元警備隊員が多数暴れ出す。様々な破壊工作に従事する。更に主力戦車でクロスベル市内を暴走する者も現れたと聞く。

混乱が終結しても尚、クロスベル州の動乱は収まらなかった。間髪入れず攻め込んできたカルバード共和国と呼応して、少なくないレジスタンスも出没する有様。帝国統治に支障を来す。故に攻め込んだ。事態の収拾を図るには、反乱部隊の希望を摘む事が先決。帝国に歯向かった輩に絶望を教えてやりたまえと、クロスベル総督は何かを嫉妬するように微笑んだ。

 

「この戦果なら仕方ないかもしれないがね」

「恐れ入ります」

 

何を白々しい。

帝国の英雄に仕立てあげたのは貴方だろうに。

意味はわかる。意図も理解できる。内戦で疲弊した帝国民の気持ちを盛り上げる為。相対的に下がった国力を誤魔化す為。広告塔として利用できる新たな英雄を、帝国の新たなシンボルを鉄血宰相の手で作り上げたに過ぎない。

数多の世界戦ならリィン・シュバルツァーがその役を担う筈だった。今でも彼は『灰色の騎士』と云う若き英雄だが、皇女殿下との仲も噂される俺よりは世間の荒波に飲まれていない。

 

「改めて聞かせてもらおう。どうして緋の騎神に乗らなかったのか。まさか出し惜しみした訳ではあるまい」

 

駒の心情など知る必要もないと云わんばかりに、鉄血宰相は唐突に話を変えた。グルリと。双眼の奥に智謀者の煌めきを滲ませる。

おかしいな。

報告済みの案件だろ。

鉄血宰相が忘れるなど考え難い。

探りを入れているのか。それとも何かの試しなのだろうか。カルバード共和国に寝返ったと思われているなら些か以上に心外である。

 

「宰相閣下、その件につきましてはアルバレア総督にお伝えしておりますが」

「勿論知っているとも。だからこそ改めて聞かせてもらおうと前置きしたのだ。この意味がわからないとは言わせないぞ」

 

伝言など許さない。

己の口で説明しろと云う事か。

多分、俺の感覚を信じるならの話だが。

鉄血宰相と腹の内を探り合うなど不可能。負けるに決まっている。全財産賭けてもいい。変な対抗心など見せずに本質部分だけ開示しよう。余計な脚色を取り除いてしまえば、理由など僅か数行で説明できる。

 

「私がテスタ=ロッサの起動者となれたのは、契約者である皇女殿下の騎士として認められたからです」

「らしいな」

「ですが、とある理由から私はアルノールの騎士では無くなりました。起動者としての資格を剥奪されたと言えましょう」

「とある理由とやらを聞きたいのだ」

 

皇女殿下から凡その話を伺っているだろうに。

あの御方は一月下旬に帰国している。一ヶ月の時間的猶予だ。幾らでも問い質す機会は有ったに違いない。

帝都空港に着陸するカレイジャス。クロスベル戦役に投入された起動者を差し置いて、代名詞である緋の騎神が格納庫に大人しく載っている。何故だ。どうして。誰もが疑問に思った筈だから。

 

「簡潔に申し上げますと、私が皇女殿下の御不満を買ってしまったのです」

「ほう。皇女殿下から嫌われてしまったと?」

「御明察であります」

「辻褄は合っている。皇女殿下も似たような事を仰られていたな」

 

ズキリ。

痛む胸を嘲笑する。

前へ進め。過去に囚われるな。

その為に今日、此処を訪れたのだから。

 

「皇女殿下は未だ15歳の身。恋に恋する年齢でありましょう。私への想いも一過性の物だったと考えれば、左程おかしなことではありますまい」

 

素知らぬ顔で口ずさむ。

まさに不敬。新設された衛士隊に惨殺されそう。

だが言わなければならない。

皇女殿下をループに巻き込むなど不忠の極み。

鉄血宰相は胡乱な目付きだった。何処となく同情しているような。屠殺場へ送られる家畜を眺めるような。兎にも角にも表現し難い表情だった。

 

「皇女殿下の恋心は冷めてしまったと」

「恐らく」

「成る程な」

「故に宰相閣下」

「何だ?」

 

一拍。

目に力を宿した。

引き返せない道を行く。

 

「皇女殿下専属の騎士就任の件、誠に名誉な話ではありますが、謹んで辞退させてもらいたく思います」

 

口にしてしまえばなんて事はない。

想像していたよりも落ち着いている自分がいた。

一月半に及ぶ猶予が有ったんだ。十二分に覚悟できていた。だからこそ涼しげな顔を保っていられる。もしも今が一月下旬なら、表情筋の死んでいる鉄面皮も見事に歪んでいたかもしれない。

 

「皇帝陛下の赦しは得ているのか?」

「はっ。先日の戦勝記念パーティーの際、畏れ多くも上奏致しました。残念であると仰られながらも、お互いに納得していないなら破棄も止む無しと」

 

下唇を噛み締めて。

賛同を得る為に頭を下げて。

そんな俺の肩を、皇帝陛下は優しく叩いた。

ポンポンと。まるで親族に対する激励のように。

見上げた先に映し出されたのは、一言で表現するなら古い鏡だった。

今なら唯の錯覚だと気付く。

だが――。

あの時、俺には『アレ』が見えたのだ。

 

「根回しのいい事だ」

「褒め言葉と受け取っておきます」

「ならば爵位の件も無かったことにして構わないのだな?」

「ええ。私には過ぎた物かと」

 

名ばかりの爵位。

領地を持たない似非貴族。

肩書きだけでも重苦しい。不必要だ。

特にこれから人里離れた場所に赴くつもりなら。

 

「確かに。正直、君に爵位は似合わん」

 

鉄血宰相が口角を吊り上げた。

不思議と腹立たしくならない。素直に同意する。

 

「全くです」

「騎士就任を辞退。爵位も不要。ならば、君は積み上げた戦果で何を望む?」

「黒緋の騎士という異名を返上させて貰えれば幸いです」

 

呼吸を挟まず。

私情を介入させず。

淡々と希望を口にした。自らの手で最後の綱を断ち切る行為。必要が必要であるが故に。皇女殿下の傍を本当の意味で離れる為に。

 

「自由を望むか。英雄は嫌だと?」

「凡人である私には過ぎたる肩書きでした」

 

頬を人差し指で掻きながら本音を吐露した。

英雄とは舞台装置。観客を楽しませる機械に等しい。国家の奴隷である。荷が重い。息苦しい。憧れる事すら間違っていた。

今後、灰色の騎士として駆け抜けるリィン・シュバルツァーを心の底から尊敬する。何かに悩んでいるようだったが、それでも前を向く力強さは英雄と呼ばれるに相応しい佇まいだった。

視線を右斜め上に向け、そういえばと自嘲する。

存在Xが英雄になれと囃し立てていたのは、俺が英雄と云う本質に対して落胆すると知っていたからなのだろうか。

 

「これについてはどう考える」

 

鉄血宰相が帝都時報を指差した。

マスメディア、第三階級、世間の空気。

俺のような一般人ならいざ知らず、国の運営を任された為政者からしてみれば、彼らこそが最大の味方でもあり最大の敵でもある。厄介至極。特に内戦後、気が立っている民衆をどのように宥めるか。貴族勢力が衰えた今、最も気にすべき事案だった。

その動向を気にするのは当然である。

 

「民衆は熱しやすく冷めやすい。徐々に話題を逸らしていけば、一年も経たずに別の人物に食い付くでしょう」

 

勝手な言い分だ。

素知らぬ顔で答えたものの、内心でリィンに謝る。

まさしく身代わり。或いは生贄。もといスケープゴートだからだ。

親友だと語っていたクロウ・アームブラストと共に頑張ってほしい。互いにしがらみを持つ身だとしても、あの二人なら乗り越えていけると確信していた。

できれば皇女殿下も幸せにしてくれるなら万々歳である。

 

「情報局も忙しいのだがな」

「申し訳ありません」

「まぁ良い。皇女殿下の御様子から察していたからな。君の願いもわかっていた。マスコミへの準備は出来ている。何よりも――」

「?」

「皇帝陛下から、フェア・ヴィルングの好きなようにさせろという勅命を受けているのでな。私が反対意見を口に出来る筈もない」

 

鉄血宰相はやれやれと肩を竦める。

皇帝陛下の言葉に呆れた様子だった。

俺も人の事はとやかく言えない。眼前の怪物と同じく茫然としてしまったから。皇帝陛下から与えられる格別の温情に対し、どうやって報いればいいのかと頭が真っ白になった。

その後、海上要塞に立て籠もったままであるオーレリア・ルグィンや、帝都復興の状況、内戦が終わってから元気を無くしてしまったセドリック皇太子の話題へと移っていった。

 

「それでは閣下、失礼致します」

 

面会は三十分ほどで終了した。

鋭い視線を背中に受けながら退室する。

重い扉をゆっくりと閉めた途端、肺の中に溜まった空気を勢いよく吐き出した。柄にもなく緊張していたらしい。鋼の聖女と比較しても引けを取らない威圧感から解放された喜びに浸る。

深呼吸。一回、二回、三回。

よし、もう大丈夫。先に進もう。

見慣れた通路を足早に歩き出して。

 

「――――」

「――――」

 

蜂蜜色の髪を靡かせる少女と出会った。

蒼穹の如き双眸。憂いを帯びた美貌の持ち主。

一瞬だけ視線が交錯する。

目を見開いて。何かを堪えて。手を握り締めて。

それでも皇女殿下は歩みを止めなかった。真正面だけを見つめながら、まるで赤の他人のように擦れ違う。

 

「――――どうして、此処で」

 

声が聞こえる。

戸惑うような。運命を呪うような。

心配するも、振り返らない。

俺は俺の成すべき事を果たすのみだ。

曲がり角まで到達。知人と出会さない内に皇城から離れようと考えた瞬間、見慣れた幼女が眼前に転移してきた。

 

「遅かったではないか」

 

2代目ローゼリア。魔女の長。

様々な肩書を持つ彼女は唇を尖らした。

どうやら長時間待たせてしまったらしい。

 

「申し訳ありません、ロゼ」

 

いつ頃だったかな。

長殿と呼ぶのを禁止されたのは。

曰く、お主に長殿と畏れるのは申し訳なくなるのじゃと酷く落ち込んでいた。心なしか髪の毛も燻んでみえた。

2代目ローゼリアと呼ぶ。却下された。

クロチルダさんのお婆さんと呼ぶ。却下された。無理だ。埒が明かない。正解を教えてくれ。どのようにお呼びすればいいのか問い掛ける。

ロゼで良いぞと魔女の長は小悪魔的な笑みを浮かべながら提案した。それからだ。彼女をロゼと愛称で呼ぶようになったのは。

 

「大事な話とやらは終わったのか?」

「全て終わりました」

 

コクリと首肯する。

感情を乗せずに答えた。

全て終わった。一つのゴールに辿り着いた。

 

「ならば良い。妾の用事も済んだのでな。そろそろ里の方へ向かうとするかのう。皆も歓迎の準備を進めておる頃じゃ」

 

エリンの里。

魔女と呼ばれる方々が住まう隠れ里。

正直な話をすると心躍る。胸が高鳴る。ループを終わらせる千載一遇の好機、一度も訪れたことのない場所。否が応でも期待してしまう。

さりとて不穏な単語に耳を傾けた。

 

「ロゼの用事とは?」

「少しだけ確認したい事があってのう」

 

ロゼは特徴的な灼眼を細めた。

不機嫌と云うよりも納得していないような面持ち。

残念ながら俺にはこれ以上察せられなかった。聞き出す能力も皆無だ。

刹那の間、眉間に皺を寄せたローゼリアだったものの、直ぐに普段と変わりない穏やかな表情へ切り替わる。

 

「まぁ、直ぐにどうこうなる事柄ではない。安心せい」

「いつか聞かせてくださいね」

「無論じゃ。お主をサポートするのが妾の使命じゃからな」

 

まるで自分自身に言い聞かせるように。

まるで何者かを口汚く罵倒するように。

魔女の転移魔法に身体を包まれながら、俺はロゼの横顔を盗み見る。

 

 

 

罪悪感に押し潰されてしまいそうな面貌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見知らぬ幼女をロゼと呼んだ。

見知らぬ幼女と仲睦まじく話していた。

見知らぬ幼女と共に何処かへ去っていった。

通路の柱に隠れながら、アルフィンは高鳴る胸を抑えつける。止まって。鎮まって。もう私を惑わさないで。

 

「――フェアの、バカ」

 

頬を赤く染めながら呟く。

隣に立っていた幼女へ強い嫉妬の念を浮かべながら。

 

 

 

 

 

 

 









レクター「お前さん、ヴィルングの奴と喧嘩でもしたのか?」←最初はお節介と冷やかし。

クレア「ヴィルングとは誰ですか?」←純粋な目。

レクター「――喧嘩じゃねぇな、コレ。一体何が起きてんだ?」←勘で察する。









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転  ウロボロス編
三十六話 盟主邂逅


 

 

 

 

 

鼓動を感じた。旋律を奏でた。

約二千年に渡り、理の果てに微睡む大いなる神。

静かに、されど確実に。

騒がしく、なれど不明に。

如何に『私』とて手出しできぬ至高の存在。

迂闊に触れれば抹消されてしまう。無闇に関われば発狂してしまう。無力を恥じ、無知を呪い、無明を消した。

だとしても。そうだとしても。

私は何とかして諍いたかったのだ。どうにかして傍にいたかった。胸を叩き、感情を吐き出し、伝えたかった。全てを背負い込む必要など無いのだと。

そうあれかしと望まれ、そうあればいいのにと願われ、そうあるべきだと断言されても尚、まだ見ぬ人類の為に大罪を背負った男の魂を救いたかったのだ。

因果律を確定させる禁書。白痴の魔王と接続してしまう宝物。強大な神性を剥ぎ取る前に創り上げた『七至宝』すら、一息で吸収してしまいかねない化け物へ単独で相対する道を選んだ男の魂を煉獄から掬い上げたかったのだ。

 

「――――ゼーレ」

 

目尻から溢れた涙を拭う。

無意味な感傷。無価値な滂沱。

心を切り替え、他所行きの表情を貼り付ける。

後悔も、懺悔も、悔恨も必要ない。

『私』は身喰らう蛇の盟主。

神性を剥ぎ落とした女神の残滓。

そして、彼の心を縛り付ける呪詛を刻んだ最低最悪な女だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

森林の隙間から溢れる夕焼け。

もうそんな時間か。一呼吸を挟み、名残惜しくも宝剣を鞘に仕舞った。近くの岩場に腰掛け、竹で作られた水筒を口に運ぶ。

エリンの里を訪れてから早くも一ヶ月。怒涛の一月だった。漸く落ち着いた。未だにお客様扱いだが、それは致し方ないと思う。彼らからしてみれば千二百年も待ち望んだ存在だ。どのように接していいのかわからないだろうから。

顔を上げる。

最近、頻繁に空を見るようになった。

まるで幼い頃みたいに。好奇心からか。それとも義務感からか。無意識ながら手を伸ばす。何かを掴もうとする。だが、何もない。

空虚で、無意味で、ゼムリア大陸から出てみたいという無謀な願いを嘲笑うようで。

ふと疑問に思った。

嘲笑うのは誰なのだろうかと。

家族か、友人か、他人か。それとも世界からか。

恐らく全員だろうなと自嘲の笑みを溢す。

 

「此処にいたのね。探したわよ」

 

足下から聞こえる声。

夕陽に彩られた天から視線を落とす。

黒猫がいた。エマの使い魔。セリーヌである。

どうして此処にいるのかと疑問を覚えて――。

 

「嗚呼、夕飯か」

「いつまで経っても帰ってこないんだから。珍しくロゼが心配してたわよ」

 

片膝を付き、黒猫と視線を合わせる。

不機嫌であると伝えるように眦を吊り上げるセリーヌだったが、少しだけ心配そうに鳴いた。この使い魔はキツそうな言動と裏腹に心優しい性格の持ち主だ。飼い主に似るというのはどうやら本当らしい。

 

「悪かったよ。少し考え事をしてて」

 

セリーヌは一瞬だけ目を見開き、静かに問う。

 

「――皇女のこと?」

 

ほら、と笑いそうになった。

未練がましい男を嘲笑するのでなく。心の底から相手を慮るような声音で優しく尋ねてくる。

だからこそ俺は肩を竦めて答える。

 

「違うって」

「なら、いいけど」

 

納得したのか、していないのか。

セリーヌは不機嫌そうに目を細める。

どちらかといえば納得してなさそうである。余計な心労を与えるのも気が引けた。故に尋ねた。何度か繰り返してきた問い掛けだった。

 

「セリーヌはさ、ゼムリア大陸の外に何があると思う?」

「またそれ?」

「気になるだろ」

「そりゃあね。でも、幾ら考えても意味ないでしょうが。誰も真実を知らないもの。教会の連中だって答えられないわよ」

「――俺は、俺たちは不自由なんだよ。この小さな星に、この大陸に押し込まれている。綺麗に整えられた箱庭を有り難がってるんだ」

 

誰の仕業なのか。誰の思惑なのか。

わからない。だから腹立たしかった。

最早、過去形である。過去形にしてしまった。

 

「だからアンタは空を見続けるの?」

「ずっと昔の夢だよ」

「夢、ね」

「最近、どうしてなのか頻繁に考えるんだ」

 

俺の願いは一つだけ。

この地獄から解放される事。

世界の真実など、世界の在り方など。既にどうでもいいことだった。死を賜る事に比べれば。輪廻の隙間を潜り抜ける事に比べれば。

セリーヌが右脚で俺の足を優しく叩いた。

 

「疲れてるのよ。今日は早めに休みなさい。ロゼには私から伝えておくわ」

「大丈夫。俺も手伝うよ。ヴィータさんの洗脳を解く準備なんだから」

「いいから。アンタがいても大して役に立たないんだから。今日は大人しく休んでなさい。いいわね?」

 

有無を言わせない声音だった。

素直に頷かなければ魔女全員で休ませそうな勢いだ。こうなってしまうと梃子でも動かないのがセリーヌである。

溜息を一つ。首肯する。

黒猫はそれでいいのよと笑みを浮かべて――。

 

 

「――これは」

 

 

最早驚きは無かった。

完全に世界が閉じている。

微風に揺れる木々、周囲を駆け回る魔獣、先導するように歩く黒猫。それら全てが、世界を構成する物質全てが静止した。

錯覚か。それとも幻術なのか。

不思議な現象に慣れたからだろう。慌てず、冷静に現状を把握していく。どうしたものか。下手人は誰なのか。初代ローゼリアなら侮蔑を含んだ言葉で煽ってきそうな場面だが、体感時間で一分経過しても現れそうにない。

この時点で初代ローゼリアの線は消えている。ならば誰なのか。存在X、もしくは存在Yか。こんな回りくどい、いや、こんな直接的に関わろうとするだろうか。

どんな存在が現れてもいいように、俺は宝剣を抜こうとして、締め付けられる胸の疼痛から眉間に皺を寄せた。

そうだ、俺は『彼女』を知っている。

空から舞い降りた長髪の女性。色素の薄い髪、白磁のような肌、黒を基調とした清楚な服装、まるで『女神』のような雰囲気を醸し出す天女に、俺は何故か懐かしさを覚えた。

そして、この女性が何者なのか察した。

 

「間違っていたら笑ってほしい。アンタ、結社の盟主か?」

 

確率として数億分の一に等しい質問だろう。

だけど、どうしてだろうな。

俺は確信を以って問いを投げ掛けた。

仄かな笑みを浮かべ、『彼女』は静かに声を発した。

 

「初めまして。漸くお会いできましたね」

「――なんで、かな。聞きたい事とか、確認したい事とか、たくさん有る筈なのに、上手く言葉にできないんだ」

 

例えば、盟主がどうして此処にいるのか。

例えば、この現象の原因と結果について。

例えば、どうして結社を作り上げたのか。

例えば、何故俺の輪廻を知っているのか。

例えば、例えば、例えば――。

細かい所まで挙げるならキリがない疑問の数々。純粋な部分もあれば、叱責に近い部分も有るだろう。にも拘らず、勝手に身体が動いた。一歩だけ近づく。『彼女』の頬に手を当てる。生きていると体感して、ひたすらに安堵した。理由はわからないけど、目尻に涙が浮かび上がりそうな程、俺は安心したのだ。

 

「どうしました?」

 

盟主は小首を傾げた。

初対面の男に触れられた不愉快さは微塵も感じられない。まるでこうしている事が当たり前のような、恋人という関係性が至極当然のような距離感だった。

俺は慌てて距離を取る。

胸を覆い尽くすような恋慕をかなぐり捨てて。

 

「アンタ、俺に何をした?」

「何も。今の貴方には何もしていませんよ」

「今の?」

「言葉を間違えましたね。貴方には何もしていません。だからこそ、貴方はこの空間に存在していられるのですから」

 

俺は宝剣を突き付ける。

瞬間、心の何処かで誰かが絶叫した。

やめろ。何をしている。許されない行為だと。

愚行を糾弾する心をかなぐり捨てて、盟主に対して敵対行動を取った。

 

「心して答えろ。セリーヌや、他の人たちは無事なんだろうな?」

 

彼女は淡々と頷いた。

 

「勿論。単純に『世界を止めた』だけです」

「時間を停止した、ということでいいのか?」

「厳密には『世界の管理を棄てた』だけですよ」

 

正直、意味がわからなかった。

大国すら翻弄する秘密結社の長だとしても、世界の管理を行えると思えない。人間の許された管轄を超えている。

人でないなら何だろう。決まっている。アレしかいない。

 

「神、なのか?」

 

七至宝を人類に与えた空の女神。

星すら瞬く間に滅ぼしそうな外なる神。

比べるとしたらそのような偉業を行える存在だ。

盟主は少しだけ表情を変えた。不機嫌そうな口調で答える。

 

「その区分は嫌いです。貴方も嫌いでしょう?」

「そう、だな。空の女神も、外なる神とやらも大嫌いだ」

「ええ。貴方はそれで良い。そうでなければなりません」

「含みのある発言だな」

「人が歩むのに必要な感情は憎悪ですから。神を恨んでいるなら、心底から嫌っているなら貴方はまだ歩いていける。安心しました」

 

胸を撫で下ろす盟主に、違和感を覚えた。

何かが、何処かがおかしいと。

この女性はヒトではない。

敢えて表現するなら人形に近い。

もしくは何かの搾りカスだろうか。

いずれにしても人間を超越している。そんな存在が、どうして俺如きを心配しているんだ。どうして世界の管理を一時的に棄ててまで会いに来たんだ。

 

「色々と聞きたいことがある。聞かなきゃいけないことが山ほどあるんだ。アンタは、答えてくれるのか?」

「いいえ」

 

だろうなと思う。

だから、純粋な疑問だけ尋ねる。

 

「どうして、俺の前に現れたんだ」

「外なる神を出し抜ける好機だったから」

「それは理由にならない」

「謝りたかったのです」

「初対面なのに、か」

「ええ」

 

何を謝られているのか分からなかった。

訊けば簡単なのに、口は動いてくれなかった。

もしも結社の連中が齎した被害について謝っているなら、幾らでも文句や不満を口に出来たはずなのに。

俺は宝剣を背中に戻して、ポツリと答えた。

 

「許すよ」

「許さないで下さい。許してはなりません」

 

えぇー。

 

「なら謝る必要ないだろ」

「自己満足です。貴方に大罪を押し付けた。貴方に後始末を任せた。貴方に呪詛を植え付けた。貴方に、果てしない苦痛を肩代わりしてもらった。謝罪だけで許される許容量を超えています」

 

大罪。後始末。呪詛。苦痛。

身に覚えの無い言葉の羅列だった。

その内容を知りたくとも、彼女は答えられないと唇を噛み締めた。外なる神に知られてはとんでもないことになるのだと。

 

「なら手伝ってくれよ。俺の輪廻を終わらせる為に」

「私が直接関与したとなれば、外なる神が黙っていないでしょう。本来なら貴方に会うだけで因果律の調整が働くと思っていただければ」

「?」

「今回の事もまた『天の理』に触れたから。女神の施す呪いから最も浄化されている魔女の里だから。こうして貴方と直接対面できたのです」

「難しい話は苦手なんだがなぁ」

 

嘆息して、頭を搔く。

生来、頭の良い方ではない。

経験に基づく推測なら可能なのだが、意味深な単語を聞いても、それに該当する答えを導き出せないのだ。

残念な頭をしていると自分の事ながら思う。所詮はトールズ士官学院にも入れなかった落ちこぼれなのだから仕方ないかもしれないけど。

 

「ふふ、そうですか」

 

何が琴線に触れたのか、盟主は微笑んだ。

優しげな声、柔らかい笑顔、望郷の念すら抱かせる光景だった。

 

「アンタも、笑うんだな」

 

正直、驚いた。

彼女は『もう』笑わないのだと思っていたから。

恐らく盟主自身も仰天したのだろう。何度も己の頬に手を当てる。信じられないと言いたげに呟いた。

 

「笑うなんて、いつ振りでしょうか」

「鉄面皮より良いと思うけど。アンタは、昔から笑ってた、ほうが――」

 

昔から。昔から。

昔から何なのだろうか。

俺と彼女は初対面なのに。

これまで出逢った事も無いはずなのに。

 

「これ以上は、駄目みたいですね」

 

盟主が浮かび上がる。

重力を完全に無視した挙動など今更だ。それでも手を伸ばす。焦燥感が身体を動かした。どうにかして彼女を此処に繋ぎ止めておきたいと心臓を焦がした。

 

「待て。行くなッ。また俺の前から――!」

 

消えるのか。

置いて行くのか。

俺は、オレは、君の為に――。

 

 

「先に私の前から姿を消したのは貴方ですよ、ゼーレ」

 

 

さようなら、と言葉を残して。

どうしようもない喪失感を抱かせて。

彼女は姿を消した。

 

「ちょっと、なに立ち止まってるのよ」

 

セリーヌの声で、霞んでいた意識が回復する。

 

「――アンタ。その花、どうしたの?」

 

右手を持ち上げる。

白い花が握り締められていた。

俺は何をしていたのだろう。誰かと会っていた気がする。誰かと話していたと思う。大事な人。大切にしなければいけない人と。

大森林にも、エリンの里にも自生していない白い花を見つめて、俺は、オレは動く口を止められなかった。

 

 

「オレの好きな花を覚えていたんだな」

 

 

エーデルワイス。

最早、何処にも存在しない花の名前を、オレは弱々しく呟いた。

 

 

 








創の軌跡が発売されると4月下旬に知り、パッケージの写真が盟主であると気付き、盟主の新設定が出る可能性も高いと思い、更新は控えようと考えていたのですが、これはクトゥルフ神話に犯された軌跡シリーズなので吹っ切れようと遅まきながら決意して更新した次第です。

後、普通にAPEXの面白さに嵌っていたという俗物的な理由もあります。更新が遅れて申し訳ありませんでした!









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三十七話 結社会合

 

 

 

 

鋼の聖女は獅子心皇帝を愛している。

強く、深く。彼の為ならば自らの身を犯罪結社に落とす事も、永劫に続くと思われた殺し合いに於いても自我を保っていられる程に。

だからこそ、アリアンロードは蒼の深淵を責められなかった。盟主に絶対の忠誠を誓っている聖女でも、結社を裏切ることでドライケルスの魂を救い出せるなら首を縦に振ると客観的に判断できたからだ。

 

『使徒ともあろう者が、まさか絶縁状を叩き付けて去るとは。些か予想外です。一時的に袂を分かったという訳ではないのですね?』

 

使徒用位相空間、星辰の間。

数多の四角形で区切られた幻想のような壁。中央に形作られた円台。周辺を取り囲む様にして聳え立つ七つの柱という独特な場所にて、第一柱の厳かな声が響いた。

円台の中心で、道化師は肩を竦める。

 

「そうだね。もう二度と戻らないんじゃないかなぁ。どうやら盟主に不満が有るみたいだしさ」

 

盟主に不満、と聖女は眉をひそませる。

何処かヴィータ・クロチルダらしくない。焔の聖獣であるローゼリアを抜けば、歴代でも最高と謳われる魔女は理知的で用意周到な女性である。喩え、盟主に不満を持ったとしても、即断即決に至るような思考回路を有していると思えなかった。

 

「うふふ、その内容は分かっているの?」

 

新しく第三柱の座についた妖艶な女性、マリアベル・クロイスが楽しげに尋ねた。対角線状にいるせいか、先程から何処か含みのある笑みと視線を飛ばしてくる。

寒気を感じる。出来るだけ無視しようと決めた。

 

「ボクも詳しく知らないかなって。いやいや、そんなに睨まないでよ」

 

げんなりとした表情を浮かべるカンパネルラ。

第一柱から発せられている圧力を肌で感じたのだろう。勘弁してくれと云わんばかりに肩を落とした。

 

『睨んでなどいませんよ。盟主はその事をご存知で?』

『確かに。問題はそこだねぇ』

 

第六柱、F・ノバルティス博士が第一柱の疑問に追従した。

 

「知ってらっしゃるんじゃないかな。深淵が言うには、盟主に面と向かって辞めると告げたらしいから」

「それはまた――」

「あらあら。そんなに激しい方だったかしら?」

 

思わず絶句してしまう。

黙って出奔するのではなく、不満はあれど忠誠心を抱きながら行動しているのでもなく、盟主御本人に直接告げていたとは。その行動力に少しだけ感服した。

マリアベルも同様だったのか、珍しく目をパチクリとさせている。

 

『虫の居処でも悪くなったんじゃないかね。彼女はほら、鉄血宰相に裏を掻かれて機嫌を悪くしていたから』

「煽っていた貴方が口にしていい言葉ではないですよ、博士』

『事実を伝えていたまでさ』

 

悪びれもなく、あっけらかんと吐き捨てる。

自らの知的好奇心を満たすならどんな犠牲も厭わないマッドサイエンティスト。最近、お気に入りだった執行者が完全に失踪したり、お気に入りの兵器が壊されたりしている為、ストレスを溜め込んでいるようだ。

その捌け口にされたヴィータには哀悼の意を送りたい。

 

『反省を促す、という一点だけなら有効でしょうね』

「うーん、仕方ない一面もあると思うけど。宰相閣下殿はまさしく化け物だよ。そうだよねぇ、聖女殿」

 

第一柱と話しながら振られた話題。

チラリと此方を盗み見るカンパネルラ。口元が少しだけ歪んでいる。口角が僅かに吊り上がっている。趣味の悪い。いや、イイ性格をしていると表現すべきか。

動揺するな。目を逸らすな。口を震わせるな。

己に言い聞かせながら、特別な感情を込めずに答える。

 

「――えぇ。稀代の怪物と言えましょう」

 

化物、怪物、人外の極み。

それも当然。鉄血宰相の前世は、獅子心皇帝と呼ばれる帝国中興の祖であるからだ。泥沼と化していた獅子戦役を終わらせられたのは、何も運や配下の強さだけではない。ドライケルス本人が類い稀な英雄の素質を持っていたからである。

万夫不当、天衣無縫。

誰にでも優しく、風来坊な一面を見せながら、それでもいざという時に頼りになる偉丈夫。惹かれた。好きになった。将来を誓い合った。過去も現在も変わらずに愛している。

それは、彼がギリアス・オズボーンへ転生したとしても変わる事のない無償の愛だった。

 

『幻焔計画を奪われ、挙句に出奔とは。執行者ならまだしも、なぜ盟主は許していらっしゃるのでしょうか』

『お許しさえ頂ければ、先日完成したばかりのモノで追撃するんだけどねぇ』

「うふふ。博士、貴方にそのような自制心があるとは驚きましたわ」

『心外なッ。自制心の塊である私に何て事を言うのか!』

「そんなんだからヨルグにも嫌われてるんじゃないかなぁ、博士」

『三人とも落ち着きなさい』

 

根源、博士、道化師を嗜める第一柱。

重低音で厳かな声色はこういう時に役立つ。

先手を打ち、至極早い段階で冷水を浴びせ掛けたお陰か、三人が三人とも大人しく口を噤んだ。

盟主が降臨される前に、場を温めておこうと決めたアリアンロードもその流れに乗った。

 

「第一柱殿の仰る通りです。今は、奪われてしまった幻焔計画の修正と、遁走した第二柱について話すべきかと」

『帝国は未だに内戦の痛手から回復しておらぬのだ。単純に黒の工房諸共取り返すというのは駄目なのかね?』

「クロスベルの騒乱、エレボニアの内戦。この二つでも相克に必要な闘争は足りていなかったんだよねぇ。単純に取り返したとしても、エレボニアの焔はそう簡単に目覚めなさそうだけど」

 

かつて焔の至宝と大地の至宝が融合することで生まれた『巨イナル一』を、七つに分割された『騎神』の状態から元の状態に再錬成する事こそが幻焔計画の終着点であった。本来その為には『巨イナル黄昏』を起こし、世界を闘争のエネルギーで満たすという条件にて分かれた力を一つに戻す儀式である『七の相克』を行う必要が存在したのだけれど、黄昏による世界の破滅を望まなかったヴィータにより代替方法が考案されたのである。

クロスベルの騒乱と帝国の内戦による霊脈の活性化を利用して煌魔城を顕現。相克に必要な『黄昏による闘争』と『霊場』の代替にした上で蒼の騎神と灰の騎神を激突させた。

擬似的な相克を行い、これで多少なりとも『巨イナル一』が再錬成されれば、それにて幻焔計画は完遂する筈だったのだ。

だが、無残にも失敗してしまう。更に計画の要だった黒の工房を乗っ取られることで、復活したギリアス・オズボーンにより幻焔計画そのものを奪われてしまう結果に。

此処から巻き返すにはどうするべきか。

解決策を提示してくれそうな蒼の深淵が使徒を辞めた今、結社として早急に今後の方針を決定しなくてはならなくなってしまった。

 

『極論を述べるなら、大陸全土を巻き込む戦争を起こすしかないでしょう』

「世界大戦、ですわね」

「決断するのは早過ぎます。必要な闘争の程度を調べてからでも問題ないのでは?」

 

苦し紛れな言葉だと自覚している。

獅子戦役には遠く及ばずとも、エレボニア帝国全土に拡がった内戦の闘争でも擬似相克には至らなかった。

ならば結果は見えている。七の相克を満たす為に必要な闘争は、世界を破滅に導く泥沼の世界大戦しか有り得ないのだから。

ノバルティス博士は嘲笑を浮かべながら頷く。

 

『わかっているとも。その為に新たな神機も建造中なのだから』

 

それらが完成してから動き出す手筈となっているがはてさて。どこまで希望を持てばいいのか。悩める聖女の耳に、第一柱のぶっきらぼうとした声音が届いた。

 

『私には違う気掛かりも存在しますが』

「気掛かりって?」

 

カンパネルラが微笑みを携えて問う。

すると、まさしく予想外な答えが返ってきた。

 

『フェア・ヴィルングの事です』

「――――」

 

瞬間、脳裏に過るのは月夜の草原。

終わらぬ殺し合い。永劫に続く斬り結び。

思い出したくないけれど、忌々しい記憶として頭にこびり付いていた。トラウマと称しても不正解ではなかった。

何しろあれ以来、聖女リアンヌ・サンドロットはフェア・ヴィルングという名前を聞いただけで頭痛に苛まれるぐらいなのだから。

 

「黒緋の騎士と云う渾名の方でしたわね。そこそこイケてるとか。まぁ、私の好みからかけ離れていますけど」

『確かに私も興味を唆られる。彼の乗った騎神は高次元存在へ昇華したと聞くからねぇ。出来ることなら手許で色々と調べあげたいが』

 

呪いに犯されていた緋の騎神。獅子戦役時、聖女と獅子心皇帝の行く道を遮った最後の障害でもあった。

人知れず頭を振る。

どうも過去に囚われ過ぎている。ふぅと一呼吸つく。今は忘れよう。次に出会ってしまった時は、問答などせずに銀の騎神を呼び出そうと誓いながら口を開いた。

 

「黒緋の騎士へ接触できるのは、カンパネルラと深淵殿だけという決まりだった筈です』

『その深淵殿がいなくなったのだ。代わりを用意するのは至って当然だと思うのだが?』

「それは――」

『道理ですね。しかし、これは盟主の仰られた事です。降臨なされた際、お伺いした方が良いでしょう』

「うふふ、それがよろしいかと」

『但し』

「まだ何か?」

 

フェアの件はもう良いだろうに。

これ以上、彼の事を思い出させないで欲しい。そう言えたらどれだけ幸せだろうか。

頭の奥で警鐘が鳴り響く。これ以上は許容量を超えていると。数日、間を置かないと当時の記憶を詳細に反芻してしまいかねないと。

聖女の視線に、第一柱は重苦しい吐息と共に言葉を重ねた。

 

『私は、彼の操った騎神について疑問視しているのではありません。カンパネルラ、あなたは何か隠していませんか?』

「何かって言われてもなぁ」

『彼と盟主、そして貴方に、何がしかの関係性があるのではないですか?』

 

ピキリ、と。

星辰の間に亀裂が走った。

 

「あらあら」

『ほう?』

 

マリアベルとノバルティスが興味津々で見守る中にて、カンパネルラは淡々と、僅かに早口で捲し立てる。

 

「関係性ねぇ。盟主はどうか知らないけどさ、確かにボクは彼について興味を持ってるよ。でもそれは一個人としてだから。別段何か隠してるとかそんなんじゃ――」

『カンパネルラ。永劫輪廻、という単語に聞き覚えあるのでは?』

「――――」

『永劫輪廻?』

「初耳ですわね」

 

第六柱と第三柱が首を傾げている。

どうやら二人とも聞いた事すらないらしい。

聖女は知っている。例の夜、彼は似たような事を口走っていた。外なる神が齎した永劫回帰の一種だと。『永劫輪廻』とやらと近しい内容なのだろうか。

第一柱は罪人を咎めるような口調で追及する。

 

『どうやら聞き覚えあるようですね。さぁ、永劫輪廻計画について知っている事を話しなさい、カンパネルラ』

「それを何処で聞いたのかな?」

『これでも第一柱ですから。自ずと耳に届いてくるのですよ。それで、話す気になりましたか?』

「私も知りたいですわね、その計画について」

『永劫輪廻とは穏やかではなさそうだが。オルフェウス最終計画に関わるなら、私たちに話せないなんてことはあるまい』

「聖女様もそう思うでしょ?」

「えぇ、まぁ」

 

恐らく、あくまでアリアンロードの推測でしかないが、第一柱とて道化師を糾弾するのは不本意極まりないのだと思う。本来ならこのような場で問い質すつもりなどなかったのだろう。

カンパネルラは結社にて最古参の存在。その忠誠心も折り紙付き。盟主を裏切るなど非現実的だ。第一柱も当然ながら理解している。しかし、執行者はおろか使徒第二柱すら身喰らう蛇を脱退してしまうという異常事態が発生してしまった。

何事にも例外は存在する。有り得ないなんて事は有り得ない。道化師だとしても隠し事は赦さないという意思表示。最高幹部たちに身の潔白を証明してみせろと言外に伝えている。

ところが――。

 

 

「君たちが知る必要などない」

 

 

 

そんな第一柱の思惑など完全に無視して、カンパネルラは能面のような表情を顔に貼り付けた。似合わない。初めて見る。普段の薄ら笑いを超越する気味悪さ。加えて、聞いたこともないような声色にドス黒い感情を込めて一蹴した。

 

『何と?』

 

改めて問う第一柱。

カンパネルラは無表情で言葉を返す。

 

「今、口にした通りだよ。二度も言わせないで欲しいな。永劫輪廻計画はボクと盟主によって進められている。其処に部外者が立ち入ったら困るんだよ」

『成る程、私たちが部外者だと』

『そもそも君、計画の見届け役に過ぎないのではなかったかな?』

「しつこいよ。何か問題でもあるのかな。それにね、これは盟主のお考えだ。君たちがどう喚こうと何も変わらないよ。――いいや、何一つ変えられないんだ」

 

火に油を注ぐ口振り。

明らかに挑発している。

どの言動がカンパネルラの逆鱗に触れたのか不明だが、此処まで喧嘩腰な道化師は初めてだった。飄々とした態度を無造作に脱ぎ捨て、至って普通の青年の如く第一柱を睨んでいた。

数秒黙り込んだ第一柱は、極めて冷静に最後通牒を突き付ける。

 

『面白い。その啖呵を切った以上、もう後には引けませんよ』

 

火花の散る星辰の間。

ノバルティスは面白そうに眺めているだけ。マリアベルも同じく。隙を見て両者を焚き付けようとするだけに博士よりも質が悪いといえる。

アリアンロードはどうしようかと悩み、そして、救世主が訪れたことに感謝した。

 

「皆さん、お静かに。あの方が来られましたよ」

 

星辰の間に於いて、蛇の使徒より数段高い位置に浮かぶ一本の巨大な柱。それは、最高幹部よりも上位に君臨する存在の為に造られた祭壇である。

アリアンロードを筆頭に全員が気付いた。その巨大なる存在感を。我々を導くに値する慈悲と叡智を兼ね備えた絶対的な君臨者を。

 

【揃っているようですね】

 

天女のように透き通る声音。聞く者を安堵させる魔法の声色。それはつい先程まで荒ぶっていた第一柱と道化師すらも瞬く間に意気消沈させてみせた。

些かバツが悪そうに、第一柱は天上の主君へ言上した。

 

『はっ。お出で下さいませ、主よ』

 

 

 

 

その後の会合は、まさしく『身喰らう蛇』の今後を、世界の行く末を決定付ける物となった。

 

 

 

 

 

 













聖女「フェア怖いフェア怖いフェア怖い」←正常


道化師「えー、全然怖くないと思うけどなー」←異常











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三十八話 深淵再誕

 

 

 

 

 

「これって理不尽ですよね、ロゼ」

「止せ。エマの説教は天災じゃ。嵐じゃ。通り過ぎるのを静かに待つ他あるまい。言い訳でもしよう物なら破滅よな」

「ご家族なんですから」

「無理じゃ。後で野菜の盛り合わせを食わされてしまうのでな。妾は既に諦めた。お主も諦めてしまえ。楽になれるぞ」

「そんな殺生な」

「そもそも何故あんな事態になったのじゃ?」

「朝起きたらあんな感じで」

「妾の孫娘は夜這いに行くような痴女とでも?」

「俺の方からは何とも。後でロゼから聞いて下さいよ」

「阿呆。男なら自分で対処してみせい」

「ヴィータさん、顔を真っ赤にして何処かに行きましたから」

「追いかけんかッ」

「追いかける前に捕まったんです」

「むむむ。エマは石頭じゃからのう」

「リィンと仲良さげだったような――」

「灰の起動者か。セリーヌに訊いても要領を得ないのでな。その辺も詳しく聞きたいのう。一体何処まで進んで――」

「おばあちゃん?」

「ひぃぃ!」

 

 

 

 

 

エリンの里には露天風呂が完備されている。

見上げる先に燦燦と輝く真円の月。身体を包み込む程良い温かさ。今朝の騒動にて疲れ果てた心身を癒してくれる。

ほう、と吐息を漏らした。力が抜けていく。

何故か混浴になっているが、今更恥ずかしがるような事でもなかった。

 

「へ、平然とし過ぎじゃないかしら?」

 

彼女は顔を紅潮させて、身体をタオルで隠しているけど。妬ましげに此方を睨んでいるけど。経験豊富そうに見えて、もしかして生娘だったりするのか。

 

「後から入ってきたのはヴィータさんですよ」

「少しぐらい動揺しなさい!」

「これでも緊張してます、少しだけ」

「――嘘でしょ。自信を無くすわね、全く」

 

これ見よがしに嘆息するヴィータさん。

本当だって。嘘ではない。数多くの世界線だと彼女と深く関わっていない。今回が初めてだ。少なからず緊張してしまうのも仕方ないだろうに。羞恥心は一切生まれてこないけども。動揺も顔に出ないだけだ。

 

「でも、考えてみればそうよね」

 

睥睨するヴィータさん。

豊満な胸元を華奢な腕で隠しながら呟く。

 

「貴方、経験豊富だもの」

 

下手なことを口走れば地雷を踏み抜くだろう。

正解などない。時と場合、状況と感情を考慮して判断しなければ。こんな事に頭を悩ませるのも久し振りだった。

 

「慣れているだけです」

 

普段から飄々としたヴィータさんを意気消沈させるなら素直一択。粛々と返答する。顔を赤くしたら負け。言葉を詰まらせても終了。堂々と言の葉を紡ぐ。そうすれば、相手も簡単に詮索してこない。

深淵の魔女は頬を軽く膨らませながら、俺の方へ忍び寄る。水面が波打った。彼女の心模様を表しているようだと思った。

 

「今朝のこと驚いた?」

「勿論です。エマからお叱りを受けましたよ」

 

文字通り仰天した。

いつも通り目覚めた瞬間、歌姫の美貌が目の前に有ったのだから。鼻と鼻が触れ合う距離。少しでも身動ぎすれば口付けを交わせる位置にあった。

まさしく同衾。数秒の間、意識が飛ぶ。思考を回復させて、とにかく離れようと背中を仰け反らせた。今の俺では責任も取れないというのに、何か間違いでも起きたら面倒だからだ。

ベッドが軋む。振動が伝わる。秘密結社の最高幹部にまで登り詰めた女傑。当然ながらヴィータさんは目を覚ました。途端、頬から耳まで赤く染めて部屋から出て行った。

朝食の用意が完了したと呼びにきたエマ・ミルスティンに見られた結果、今朝の騒動に繋がったという訳だ。

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

容易に想像できるのだろう。

クスクスと心から面白そうに笑う。

 

「ヴィータさんの事も探してましたけど」

「あの娘のことは何でも知ってるわ。口八丁手八丁で丸め込むのも簡単よ。今頃、婆様がまた説教を食らっているでしょうね」

「ロゼも可哀想に」

 

心中で合掌した。

申し訳ない。俺にできることはこのぐらいだ。

 

「泣きながら野菜を食べているわね、きっと」

「罪悪感を覚えてください、少しは」

「これぐらいの距離感で良いのよ、私たちは」

「仲良いですよね、三人とも」

 

ヴィータさんとエマは実の姉妹ではなく、ロゼと義姉妹も血縁関係など存在しないと聞く。それでも本物の家族のように、もしかしたらそれ以上に良好な仲である。

遠慮のないやり取りは、お互いを信頼しているからこそ可能なコミニュケーション。どうやって家族間の信頼を回復したのか疑問だった。

 

「あら、嫉妬?」

「どちらかと言えば疑問でしょうか」

 

答えてから後悔した。

俺が謝る前に、ヴィータさんは苦笑する。

胸元を隠していた腕を正面に伸ばして、手持ち無沙汰を解消するように水面をペチペチと叩きながら言葉を発した。

 

「謝ったわ、ちゃんと。何も言わずに姿を消した事。結社に身を置いた事。平然と魔女の禁忌を破った事も」

「申し訳ないです、俺の為に」

 

自惚れでも、自意識過剰でもなく。

歴代でも随一の魔女が蒼の深淵に堕ちた理由の一つに、フェア・ヴィルングという存在が関与していた。

だからこそ俺は口にした。貴女が気に病むことは何一つ無いのだと。ループ脱却の助力を願うけれど、必要以上に責任や心痛を感じる必要なんて無いのだと。

ヴィータさんは気にしなくて大丈夫よと大人の対応を取ってくれていたけれど――。

 

 

 

「謝らないで。貴方にだけは、謝られたくないわ」

 

 

 

今回だけは違った。

優しく頬を撫でられた。

 

「私が勝手に貴方を護りたいと思ったの。囚われの貴方を助けたいと。挙句、男性として好きになってしまった」

 

静かに相手の眼を見詰める。何者にも縛られていない紫紺の双眸は情愛と慈愛に溢れていた。視線を外すのは失礼に値する。淡く白い湯気が立ち込める中で互いの瞳に感情を反映させた。

 

「見返りなんて求めていない。そうしたいから行動に移しただけ。貴方に謝られてしまったら、私の立つ瀬が無くなってしまうわ」

 

矜持と信念。覚悟と行動。

不用意な謝罪はヴィータさんを苦しめているだけか。覚悟を決めた女性は恐ろしく強い。手強い。手に負えない。何度もクレアさんで体験済みなのに、忘れてしまっていた己の不明さを人知れず恥じる。

 

「ありがとうございます、ヴィータさん」

「ふふ、どういたしまして。でも残念だわ。本来なら煌魔城が出現した時に助けてあげられた筈だったのに」

 

ぽんぽん、と頭を撫でられた。

ループの記憶を一部共有されているからか、ヴィータさんの前だと強気になれない。子供扱いするなと手を払い退けられない。為されるがままになってしまう。

ヴィータさんの気が済むまで愛撫された後、俺は話を戻した。煌魔城の件である。緋の騎神。暗黒竜。カイエン公。様々な結末を生んだ場所で、結社と蒼の深淵が何を企んでいたのか、既に本人の口から聞き及んでいる。

だからこそ改めて確認したかった。初代ローゼリアも口にしていたように、俺に大地の聖獣までもが憑依しているのかと。

 

「大地の聖獣の件、本当なんですか?」

「事実よ。貴方の深層にて別離不可能な程に混ざり合っているわ。彼が遺したであろう大地の檻も観測できていたわね、暗黒竜が受肉してしまうまでは」

「テスタ=ロッサが口にしていました。俺たちを蝕んでいた呪い、その大部分を檻に閉じ込めたとか何とか」

「緋の騎神を恨むのも筋違いかしら。クロスベルの混乱とエレボニアの内戦を掛け合わせても、第一相克すら起きなかった。大地の檻で黒の思念体を高位次元から下層世界に現界させるなんて不可能だったんだから」

 

結社の目的は既に教えてもらっている。

ヴィータさんは更に一歩踏み込んでいたらしいけれど。何しろ第一相克によって多少なり錬成された『巨イナル一』の欠片と、フェア・ヴィルングに取り憑いている黒の思念体を融合させた上で大地の檻へ閉じ籠める事により、幻焔計画の完遂と俺を蝕むイシュメルガの分体を滅ぼそうと考えていたのだから。

 

「こうなってしまった以上、結社と鉄血宰相は世界大戦を起こすでしょう。貴方が幾度も経験している通りに」

「――背後で七の相克を完遂させて、鋼の至宝を完全に錬成させる為に。巫山戯てる」

「計画に存在しないのは『焔を纏った怪物』ね。黒の思念体と融合したとしても、概念生物だからこそ『焔を纏えると思えない』もの。マクバーンでも取り込むのかしら?」

「困りましたね。不確定要因ですか」

「黄昏が起きる前に、その辺を解明しておかないと後手に回ってしまうわ」

 

ヴィータさんは顎に手を当てた。

解明できない事実を突き付けられた研究者の如く不満気に唸る。

真面目な会話によって、羞恥心など何処かへ消え去ったようだ。互いの肩と肩が触れ合う。視線を横に移動したら火照った美貌が。下げれば大胆に開放された谷間が。ヴィータさんの思考を邪魔させない為に、俺はぼんやりと正面を向き続ける。

 

「黄昏、ね」

 

この世界の事情は大まかながらに把握した。

帝国に与えられた二つの至宝と結末。騎神の存在と聖獣の現在位置。内戦の起きた意味と、世界大戦の裏で起こる熾烈な暗闘。たとえ今回の世界線でループを脱却できなくても、知り得た情報は次の輪廻で大いに役立つ。

魔女たちの献身さに感謝しつつも、何処までも利己的な思考をしてしまうフェア・ヴィルングに吐き気を催した。

 

 

「――――」

 

 

魔女が心配そうに見詰めているのを、俺は終ぞ気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「またせたわね、婆様」

「うむ。時間通りじゃな」

 

魔獣たちも寝静まる深夜。大森林に囲まれた魔女の里も例外ではない。誰もが朝日を待ち侘びる時間に、深淵の魔女は人知れずエリンの郊外を訪れた。

親しげに先客へ声を掛ける。

腕組みして待っていた魔女の長は肩を竦めた。

 

「あ奴が絡むとなると律儀になるのう、お主は」

「否定しないわ。でも、婆様も同じでしょ。『外なる神』もそんな婆様だから姿を現したと思うわよ」

「欠片も嬉しくないわ。そもそもお主、エマに余計な事を吹き込みおって。今日だけでどれだけ野菜を食べたと思っとる!」

「普段食べてないのだから足りてないぐらいね。好き嫌いはダメだって幼い頃に婆様から習ったのだけど?」

「妾は聖獣じゃからな。野菜など必要ないわ」

「屁理屈も年々増してきたわね。エマやフェアに迷惑かけないでよ?」

「お主にだけは言われとうないッ!」

 

子供みたいに地団駄を踏むローゼリア。

姿格好だけで判断するなら年相応の少女なのだけど、実際は八百歳を超える焔の聖獣なのだから常識など有って無いようなモノだと思う。

外なる神という怪物の存在を信じるぐらいに、この世は元来壊れているのだと確信できる。

 

「それで、フェアの睡眠深度はどうなっておったのじゃ?」

「極々微量だけど日々深くなってるわね。婆様の懸念通りよ」

「当たって欲しくなかったが、やはりそうか」

「外なる神の影響かしら?」

「さてな。邪神の考える事など妾たちに分かるはずもなかろう」

「悔しいけど正論ね」

「お主が傍におれば易々と乗っ取られる事もなかろう。エマとフェアには妾から誤魔化しておく」

「役得だと思って堪能するわ」

「同衾しただけで顔を真っ赤にするような生娘が強がるでないわ」

「ば、婆様も経験ない癖に!」

「露天風呂の光景は爆笑してしまったぞ」

「なッ。み、見てたの?」

「うむ。告白する瞬間もバッチリのう」

「婆様の記憶を抹消するしかないわねッ!」

 

ヴィータの持つ蒼い魔杖が火花を散らす。

大陸でも有数な強者の猛りを前にしても、ローゼリアは落ち着いた様子で嘆息した。紅い魔杖で地面を叩く。

 

「お主の猛りは昼間にでも受けてやる。その前に確認しておこうか。初代様の干渉はどうなっておる?」

「外の理も含めて解析したわよ。記憶を封じ込められるなんて失態、もう経験したくないもの」

「末恐ろしいの。僅か一週間足らずで、外の理を含んだ聖獣の精神操作を跳ね除けるとは。これで素直なら妾も安心できるというのに」

「そこまで難しくなかったわ。これから一年修行すれば、エマもできると思う。あの娘、才能だけなら私よりも上でしょうから」

「得意分野が異なるだけじゃろ。己を卑下する必要などない。フェアも気にしてないと言っておったぞ」

 

他でもない自分自身が許せない。

フェアに慰められても過去は変わらない。貴重な時間を無為に浪費してしまった。故に結社を辞める際、盟主へ絶縁状を叩き付けて、一目散にエリンの里へ戻ってきた。

一刻も早く彼の力となる為に。

一秒でも長く彼の傍にいられるように。

 

「で、そろそろ本題に移ろうかの」

 

ローゼリアは先を促すように目を細めた。

露天風呂の会話、湯船の中で震える掌、揺れ動く双眸。ヴィータは触れ合った指先の感触を思い出しながら口を開いた。

 

「婆様も気付いてる通り、限界に近いわよ」

「困ったものじゃな。フェアが彼処まで優しくされることに慣れておらぬとは。いや、他者の善意に拒否反応を覚えるとは。惨いとはこの事よ」

「それに、ループを脱却する為に周囲を利用する己の醜さに嫌悪感を抱いてる。このまま罪悪感との板挟みに合えば、取り返しが付かなくなるわ」

「此処から逃亡する日も遠くない、か。呪詛では生温い。最早冒涜じゃな」

「ええ。結社の目的、魔女の住処、帝国の過去を知れたのよ。後は自分一人でどうにかしようと思い至っても不思議じゃないわ」

 

フェアの心を縛り付ける盟主の呪詛を反芻し、ヴィータは奥歯を強く噛み締めた。

原初の女、原初の男。二千年前から続く宿命。永遠にフェア・ヴィルングを『茨の揺り籠』に封じ込めている。世界の為と、外の理から護る為と下らない理由で覆い隠して。

 

「なら、どうする?」

「エリンの里に留めておくのは愚策かしら」

「外に出すしかない、か」

 

喫緊の問題は二つだ。

未だに帝国の英雄であるフェアをどうやって隠すか。誰が付き添うか。他にも色々と考慮すべき事項は存在するものの、先の事柄をクリアできるなら無視しても問題ない。

 

「妾とお主しか初代様の干渉を防げないとするなら――」

「私が付き添うわ。婆様はエマへ修行を付けてあげないといけないし、エリンの里を長期間も空ける訳にいかないでしょ」

「仕方ないのう。選択肢など有って無いようなものか」

 

ローゼリアは苦虫を噛み潰したような表情で渋々ながら納得した。八百年待ち続けた存在を、己の手で護れないことに内心憤慨しているのだろう。

 

「黄昏まで残り約一年じゃ。エリンの里を出立するのは認めるが、遊んでいる暇などないぞ」

「当然よ。協力者を探し出したり、水鏡も確かめないといけないものね」

「ほう。心当たりがあると?」

 

ヴィータは自信満々に首肯した。

 

 

 

「任せて。フェアに負けず劣らずの武人を味方にしてみせるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 







い、一体何色の羅刹さんのことを言っているのだろうか??(震え声)



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三十九話 邪神策略

 

 

 

 

 

帝都ヘイムダルは活気に満ちている。

煌魔城の顕現、暗黒竜の再臨、眷族と化した住民による暴走。十月戦役に於ける狂乱を一身に引き受けながらも、併合したクロスベルから収奪した莫大な税金を投入して、日々喧騒に包まれながら復興に勤しんでいた。

カンパネルラはヴァンクール大通りに面するビルの屋上にぼんやりと佇んでいる。導力車や導力トラムの行き交う道路、未来を不安視しない無垢な民草、颯爽と歩きながらも嘲笑を浴びる貴族らしい派手な男女。エレボニア帝国の縮図らしい光景に、カンパネルラは微かに眉をひそめた。

 

「おい」

 

マクバーンは背後から声を掛ける。

火炎魔人の呼び掛けに、道化師は振り返らない。視線を下層世界に向けたまま、ゆっくりと口角を吊り上げてから答えた。

 

「おや。珍しいね、帝国に来るなんて」

 

踵を鳴らすマクバーン。

ポケットに手を突っ込みながら舌打ちした。

 

「惚けたこと口にすんな。俺をわざわざ呼びやがったのはお前だろうが。一体何のつもりだ?」

「そう殺気立たないで欲しいなぁ」

「俺の台詞だな、そりゃ。星辰の間で使徒に喧嘩売ったんだろ。お前らしくもない」

「君も気付いてるだろ。ボクと彼らは違うんだ」

「察しは付くけどな。敢えて訊いてやるよ。何がだ?」

「決まってるよ」

 

カンパネルラは普段と同じ表情で振り返った。

反転した身体は少年みたいで。中性的な顔に貼り付けた仮面はいつも通りで。なのに、背中に蠢いている漆黒の覇気は敵愾心を煽ってくる。

まるで帝国を蝕む呪いのように。

或いは玩具を弄る外なる神のように。

道化師は考える。そろそろ抑えられなくなってきたと。

 

 

「全部さ」

 

 

マクバーンが小さく目尻を下げた。

 

「ようやく認めやがったな」

「先に言っとくけど、君と殺し合うつもりなんて無いよ」

「はっ。お前自身の目的を達する為か」

「勘違いしてほしくないかな。ボクに明確な目的なんてないんだよ、君と違ってね。監視するべき対象と絶対に許せない対象が存在するだけさ」

 

要領を得ない台詞。其処に含まれる有無を言わせない感情の発露。飄々とした態度を溝に棄て、世界すら呪い殺しそうな憎悪を双眸に宿す。

別世界の存在と云えど。

結社最強の執行者と云えど。

塩の杭同様に世界を壊す特異点と云えど。

邪魔をするなら鎧袖一触にしてしまうぞと視線が訴える。

 

「大概おかしな奴だと思ってたが、此処まで異次元だとはな。お前も特異点って呼ばれる奴じゃねぇのか?」

「どうかな。ソレは昔に捨てたかもしれないね」

 

火炎魔人は思考を加速させる。

カンパネルラは『黒』くなっている。時折見せていた部分的な物でなく。マクバーンの性根を底冷えさせる程に。

判断材料は酷く少ない。そうだとしても、理解している事柄から取捨選択してしまえば、フェア・ヴィルングと盟主に関係していると容易に想像ついた。

内戦終結の夜、道化師はこう言った。

 

『彼を救えるのは君だよ、マクバーン。どうか助けてあげて』

 

本心だろう。願望に違いない。

フェアが救われる事を心から願っている。

此処までは考えた。一歩ずつ先に進もうか。

本性を見せた道化師。憐憫の視線を帝都市民に向けている。数日前に行われた使徒の会合。結社の行く末は遂に決定された。

ならば、己の希望が思考を曇らせていなければ。

 

「始まるのか?」

「よく気付いたね。少し驚いたよ」

「いい気味だ。見下しすぎだぞ、お前」

「こうなってしまうと、人間たちが虫螻に見えてしまうんだ。注意するよ。ありがとうね、マクバーン」

 

気安いながらも隔絶した意識。

そういえば、と根も葉もない噂を思い出した。

福音計画を主導した使徒第三柱、白面の異名を持つゲオルグ・ワイスマンを殺害したのは、教会の外法狩りではなく、カンパネルラなのではないかという流言である。

鼻で笑った巷説だったけれど、もしかしたら真実なのかもしれない。たとえ事実だとしても、マクバーンは道化師を責める気などなかった。

 

「何が原因だ?」

「ん?」

「来年から動く予定だった筈だ」

「あぁ、幻焔計画を奪取する事か。そうだね、ボクと盟主は最初から直ぐに始めないといけないってわかってたよ」

「最初?」

「内戦終結の夜に暗黒竜が再臨したよね。霊的な感染爆発も起きた。傍流ながら皇族の血を引くクロワール・ド・カイエンも極刑に処される。『黒キ聖杯』の出現条件は満たされた、満たされてしまったんだよ」

「ソイツは『黄昏』に必要な物だったな」

「鉄血宰相と地精による黄昏を食い止められないなら、ボクたちも幻焔計画の為に乗っかるしかないんだ」

 

道化師は忌々しげに呟く。

幻焔計画を主導できない苛立ちか。それとも、世界の終わりに手を貸す事か。多分だけど、どちらでもない。

誰の為の筋書きなのか。

誰の為に物語を早めたのか。

因果の書き手を冒涜するように吐き捨てる。

 

 

「誰も彼もが振り回されてる。吐き気がするよ」

 

 

カンパネルラでも届かない書き手なのか。

興味を唆られたが、それも一瞬の出来事だった。

 

「此処で何をしてるんだ!」

「大人しく手を上げなさい!」

 

ビルの屋上。唯一の出入り口。

錆び付いた蝶番から発せられる鈍い音に加え、約半年振りに聞いた声が執行者二人の鼓膜を揺らした。

見覚えのある黒髪。トールズ士官学院の制服。八葉一刀流中伝に相応しい太刀。既に鯉口は切られている。臨戦態勢。学生の領分を超えている実力の持ち主だが、マクバーンは自然体のままで『灰色の騎士』と『氷の乙女』に対峙した。

 

「久しぶりだな、灰の小僧。それに、ヴィルングの姉貴分だったか。お前らが束になっても意味ねぇよ」

 

二人は帝国でも有数の実力者だろう。一般人からしたら巨大な魔獣を容易く屠る『化け物』と定義できるかもしれない。

されど、火炎魔人とは天と地の差が存在する。カンパネルラを加えたら巨人と蟻だろうか。敵う訳がない。勝負にならない。それでも、正義感の塊であるリィンとクレアは、二人の執行者に歯向かうと確信できるけど。

 

「また、帝国で暗躍するつもりなのか!」

 

リィンは太刀を抜き放ち、一歩踏み込む。

何故かクレアは導力銃を構えたまま硬直している。

対照的な二人を前にして、マクバーンは表情を緩めた。

 

「さぁな。にしてもお前、いい感じに全身へ混じってきたな」

「早急に『贄』として覚醒させる為だろうね。黒の思念体も形振り構わなくなってきたか」

「答えろ。アンタたちが暗躍するつもりなら、俺は見過ごせない。ヴィルングさんの代わりに、帝国を護らないといけないんだから」

 

正義感だけではない。

使命感と義務感の板挟みにあっている。

尊敬する男から渡された『英雄』という肩書に囚われている。痛ましい。この後にも更なる苦痛と絶望が襲い掛かるというのに。

 

「俺たちに尋ねるのはお門違いだぞ」

「君が訊くべきは、隣にいる乙女さんだろうね」

「――何を言ってる?」

「慌てるなよ、灰の小僧。今は精々鍛えとくこった。否が応でも巻き込まれるんだからな」

「じゃあね。次に会う時までご機嫌よう」

 

余計な邪魔が入ってしまった。

無駄な騒動に乗じて、カンパネルラもいつの間にか元に戻っている。これ以上尋ねたとしても、適当にはぐらかされるだけだろう。

ならば最早、此処にいる意味など無かった。

焔と幻術の転移陣を起動する。足元に出現した紅い幾何学模様が、淡い閃光を発しながら乱舞していく。

 

「待って、ください――ッ」

 

硬直していたクレアが咄嗟に手を伸ばした。

導力銃を投げ捨て、縋るような面持ちで口を開いた。

 

「ヴィルングとは――。ヴィルングとは、誰なんですかッ!」

 

台詞の意味を理解できないマクバーン。

レクターから相談を受けていたリィン。

二人は双眼を見開き、氷の乙女を視界に収めた。

カンパネルラはその心中を察する。

全身をズタズタに引き裂かれながら。心魂を真っ二つに割断されながら。大切な思い出と記憶を土足で犯されながら、クレアはヴィルングという存在を手繰り寄せようとしている。

 

「恨むのなら、違う自分を恨むんだね」

 

どうしようもない。どうする事もできない。

忘れた方が幸せだ。

存在を認識しない方が幸福だ。

今、無理に嵌め込まれた世界の枷から抜け出した所で、フェアとクレアは敵対してしまう関係性なのだから。

 

「聖杯で待ってるよ、氷の乙女」

 

タイムリミットは残り一ヶ月。

誰もが『ニャラルトホテプ』の操り人形として、因果を書き換えられる地獄にて、三流の道化を演じるしかない。

起動した転移陣に包まれながら呟く。

 

「――今はまだ、演じるしかないんだ」

 

過ぎ去った結末に拘泥してしまう。

それでも『道化師』は前を向いていく。

約束だから。契約したから。借りがあるから。

 

「そうだよね、ゼーレ・デァ・ライヒナム」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

皇族の別荘であるカレル離宮。

帝都から僅か三十分の距離に聳え立つ。

都会の喧騒を忘れさせる風光明媚な場所だ。

五人の皇族の中で、アルフィン・ライゼ・アルノールは誰よりも好んで足を運んでいる。サンクト地区に所在する聖アストライア女学院の放課後にも、予定の詰まっていない休みの日でも、親友であるエリゼ・シュバルツァーすら連れずに、オリヴァルトが用意した数人の護衛と共に、飽きもせずにカレル離宮へ入り浸る。

 

「――――」

 

プリシラ皇妃は咎めた。

セドリック皇太子は邪推した。

オリヴァルト皇子は惻隠の情を示した。

 

「――――」

 

わかっている。理解している。

帝国の至宝と賛美されていても。

救国の皇女と尊崇されていても。

迷惑なのだと。面倒なのだと。煩わしいのだと。

それでも皇城に居たくなかった。帝都の光景を見たくなかった。緋の騎神から少しでも離れたかった。

思い出すから。連想してしまうから。

どうしようもない恋慕。抑えきれない寂寥感。彼とのやり取りを反芻するだけで涙が溢れる。胸に疼痛が走る。どうしよう。どうすれば。わからないなら逃げ出すしかない。遁走するしかない。許してほしい。心の弱い自分から逃げ場を奪わないでほしい。

 

「いつまで私を――」

 

ユミルで助力を願った。

月夜の草原で語り合った。

鋼都で騎士になって欲しいと懇願した。

帝都の上空で暗黒竜の討伐を成し遂げた。

交わる視線、紡ぐ会話、秘密を共有する悦び。

 

「いつまで、私は――」

 

囚われているのだろうか。

嫌悪を抱いている筈なのに。騙されていた筈なのに。それが正しい筈なのに。フェア・ヴィルングを愛したら絶対に赦されない筈なのに。

オルキスタワーで己を取り戻した時、彼のことを忘れようと思った。日常に戻れば忘却できるのだと信じた。無知な少女の盲信を嘲笑うように、いつまで経っても愛憎を繰り返してしまう。

 

 

「アルフィン」

 

 

背中に突き刺さる男性の声。

優しく、厳かで、尊敬している人の声だった。

一瞬で誰なのか理解した。エレボニア帝国内に於いて、彼女の名前を尊称無しで呼べる人物など極一部しかいない。振り返る。至尊の座に君臨する男が微笑みながら立っていた。

 

「お父様、どうして此処に?」

「決まっているだろう。そなたと話をする為だ」

 

ユーゲント・ライゼ・アルノールⅢ世。

母親や双子の諫言を拒絶できたとしても、実父であり皇帝でもあるユーゲントの言葉を無視するなど不可能である。

思わず目付きが鋭くなった。

護衛を下がらせた皇帝は苦笑する。

 

「そう心配するでない。そなたの拠り所を奪おうと思っておらぬ」

「お母様から頼まれたのでは?」

「プリシラから説得してくれと頼まれたのは事実だが、余にそのような意図は無い。そなたの気持ちも理解できる故な」

 

一拍。

 

「アルフィン、そなたも知っていよう。オリヴァルトの母親の事を」

「ええ。噂好きの侍女から聞きましたわ」

「――当時、余はアリエルを愛していた。帝都で共に暮らそうと結婚を申し込んだ。だが、アリエルは余の皇太子という立場を慮り、反発するであろう大貴族の暴走を予想して、アルスターでオリヴァルトと共に暮らす事を選んだ」

 

結果としてアリエル・レンハイムは死去する。

先帝の崩御が差し迫った頃、ユーゲントは結婚していなかった。宮廷では彼のアリエルへの想いと息子の存在は知れ渡っていた。

確実に次代のエレボニア皇帝となるであろう男の皇妃に、数多の貴族を差し置いて平民出身の女性が選ばれる。それは四大名門を始めとする大貴族にとって地べたを這いずる様な屈辱だった。

そんな中、四大名門の歓心を得ようとした貴族が猟兵を雇う。背筋を凍らせるような愚行を思い付き、そして容赦なく実行した。護衛として派遣していたミュラー・ヴァンダールの働きで息子は九死に一生を得るものの、アリエル・レンハイムは亡き人となった。

アルフィンはその血生臭い話を知っている。噂好きの侍女だけでなく、有象無象の貴族すら口に出さないだけで小馬鹿にする実話だからこそ、自然と耳に入ってきた。

 

「それが、どうなさいましたか?」

 

それは父親の隠すべき過去だろう。

実の娘に教えるような誇らしい事実でもない。

 

「フェア・ヴィルングは、アリエルに似ている」

 

ユーゲントは遠い過去を覗くように目を細めた。

 

「幾ら愛していても。一緒に居たいと願っても。時代、状況、環境、立場。離別しなければならない時も、遠くに離れた方が相手の幸せになる時だって有るのだ」

 

父親の言いたい事は把握した。

アルフィンを想っているからこそ遠くに追いやったのだと。黒緋の騎士は誰よりもアルフィンの幸せを願っているのだと。

首を横に振る。違う。違うのだ。

アルフィンは騙された。穢されたのだ。

 

「なるほど」

 

アルフィンの決壊した言葉の波濤を、ユーゲントは泰然と受け止めた。身体を掻き毟るような動作を繰り返す愛娘の肩に手を置いて、蒼穹の如き瞳を正面から見詰める。

 

「アルフィン、良く聞きなさい」

 

ユーゲント曰く、自分は今、愛憎を反転させられているらしい。彼の記憶を悪い方向に書き換えられているらしい。

信じられない。信じたくない。精神や記憶に干渉するなんて。理性の下す憎悪が虚偽で、本能の齎す愛念が真正だなんて。おかしくなりそうだ。いや、既におかしいのかもしれない。自分も、家族も、周囲の人々も、国民も、世界すらも。正常なモノなんて何一つ存在しない。

 

「三ヶ月前、魔女の長から聞いたのだ」

 

皇帝は囁く。

魔女の長から託された単語を。

別次元の法則すら掻き消す一言を。

 

 

『レウェルティ』

 

 

元に戻れと。

正常な思考へ回帰しろと。

ヴィータの解析した外の理。初代ローゼリアを凌駕する二代目だからこそ可能な術式。フェア・ヴィルングの希望と真逆の行為だとしても、ユーゲント・ライゼ・アルノールは余りにも救われない二人を幸福にしたかった。只でさえ苛烈な道を歩む皇女と騎士の手を繋がせたかった。

 

 

「あ、あ――」

 

 

アルフィンは膝を着いた。

両手で頭を抱える。口から嗚咽が漏れる。

思い出した。全ての記憶が蘇った。

そう、意図的に忘れていた記憶すら鎌首をもたげた。

 

「い、いや――ッ」

 

どうして。

どうしてなのか。

どうしてこうなったのか。

 

「イヤぁぁァァァァッッ!!」

 

忘れていたかった。

忘れていなければならなかった。

私はフェア・ヴィルングを憎んでいなければならなかった。

外なる神は言った。

フェア・ヴィルングを憎悪するようになれば、奴の輪廻を解いてやると。この世界線で本当の死を与えてやると。

 

「アルフィン、どうした!?」

 

ユーゲントが走り寄る。

大丈夫とも、心配しないでとも言えない。

今はとにかく襲い掛かる絶望に浸らせて欲しい。

アルフィンは想起した。

黒緋の騎士を愛していると自覚した。

暖かくて、幸せで、心の拠り所だった記憶を取り戻した。

つまり、それは――――。

外なる神は言った。

奴を思い出した時が最後、あの者は永遠に輪廻を繰り返すだろうと。永遠に原罪を償っていくのだと。

 

 

 

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

 

 

皇女の慟哭を眺めながら、深い絶望を吟味しながら、外なる神は人間の愚かさを嘲笑った。

 

 

 

 










ニャル「やっぱり人間って面白(リューク並感)」


二代目ローゼリア「予想していた展開と違うんじゃが!(白目)」













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四十話  皇子狂乱

 

 

 

 

七耀暦1205年6月10日。

エリンの里を出奔してから五日後、フェアとヴィータは満を辞して海上要塞を訪れた。約半年も正規軍相手に篭城を続ける難攻不落の城。本来なら底辺を這うような士気も、黄金の羅刹が総大将として君臨するだけで最高潮を維持していた。

時間は正午過ぎ。

方法は魔女の転移。

目的は絶佳の剣士を味方にする為。

自室へ出現した招かれざる客に対して、オーレリアは表情を一切変えずに歓迎した。右腕であるウォレスだけを残して、フェアとヴィータに相対する。帝国はおろか世界でも有数の強者が集った応接間は一種の異界と化していた。

基本的に羅刹と魔女が主となって言葉を交わしていく。

 

「ふむ、ある程度は理解した」

「聡明な将軍ならご理解頂けると信じてたわ」

 

ソファの肘掛けに身体を預けながら、オーレリアは口を開く。

 

「フェア殿は同じ時を繰り返している事。宰相殿と結社が手を組んで世界大戦を引き起こそうとしている事。大戦の裏で行われるであろう七の相克とやらもな」

「俄かに信じ難いですな。特に後者の二つは」

 

ウォレス・バルディアスが怪訝そうに細目を作る。

褐色肌の武人をチラリと見た後、白銀の佳人は視線を黒緋の騎士へ移動させた。

 

「確かに。フェア殿の謎は、その説明で大概納得できよう。二大流派の修得、実力の割に名前を知られていない奇妙さ、私の遥か上を行く操縦技術。全てに於いて辻褄が合うからな」

「しかし魔女殿、貴女の仰る未来予測は荒唐無稽に過ぎる」

「ウォレスの言う通りだ。妄想、或いは狂言と履き違えられても仕方あるまい」

「理解したのではなくて?」

「理解したとも。だが、納得しておらぬ」

 

肩を竦めるオーレリア。

ウォレスも鷹揚に頷いて同意した。

至極当然の反応だろう。理解できるだけ柔軟な思考の持ち主と云える。納得できなくても致し方なかった。

ヴィータは劣勢の立場でありながら、煽るようにクスクスと微笑んだ。

 

「あら、納得して頂けないなんて不思議ね。貴女の主君も同じ結末を見通している筈よ」

「ほう。面白い罵倒だな、それは。極刑に処されるカイエン公と私が通じているとでも?」

「薄青の髪色が似合う少女の事なのだけど」

「心当たりないな。ウォレスはどうだ?」

「生憎と」

 

動揺を見せず。

口調も普段と同じく。

能面のような顔付きで答える。

 

「そう。それでも構わないわ」

 

ヴィータは口角を吊り上げる。

微笑みから嘲笑へ変化していった。

想定の範囲内だと。

主導権を握るのは我々なのだと。

 

「私たちにとって必要なのは貴女たちだけ。あの娘、近い内に死ぬもの」

「なっ――」

「何を根拠に?」

 

鷲色の双眸を見開くウォレス。

オーレリアは腕組みしたまま小首を傾げた。

胆力の違いからか、多少なりとも有り得る事だと予想していたからか。下手な内容を口走れば叩き斬ると云わんばかりの殺意にも、ヴィータは素知らぬ顔で対応する。

 

「そうよね、フェア?」

「大罪人であるカイエンの血を継ぐ者として秘密裏に消されるでしょう。早ければ数日以内に」

 

貴族連合軍の総主宰。

偽帝に並ぶ最悪の売国奴。

カレル離宮に皇族を押し込めただけでなく、暗黒竜を蘇らせて、帝都ヘイムダルを滅ぼそうとした悪役。クロワール・ド・カイエンは帝都の夏至祭に合わせて極刑に処される予定である。

誰もが認める大罪人。特に絶滅の憂き目に遭った帝都市民の怒りは凄まじく、風の噂によれば一族郎党にも罪が及ぶかもしれないという。

淡々と告げられた言葉に、オーレリア・ルグィンは瞑目した。

 

「フェア殿の見てきた世界線か。魔女め、小賢しい真似を」

 

フェアの発言が真実かどうか。

オーレリアは確認する術を持たない。

本当に起こり得る事かもしれない。その可能性を視野に入れてしまう時点で、ヴィータの勝ちは確定していた。

 

「貴女が我々に協力してくれるなら、彼女を保護しましょう」

「交換条件という訳か。だが、此方も判断材料に欠けている」

「何を知りたいの?」

「あの方を保護できるほど強いのかどうか。特にフェア殿だ。貴殿の力量を確かめさせて欲しい。直ぐに、この場で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄金の羅刹と生身で対峙する。

宝剣ヴァニタスの柄を握り締める。お互いに自己流の構え。二大流派を己の物に昇華した証。何が原因なのか、他の世界線と比べても明らかに強くなっている。緊張から唇が乾燥していた。舌舐めずりする。

それを余裕と見て取ったのか、オーレリア・ルグィンは力強く間合いを詰めた。一歩だけ。されど達人の空間に踏み込むならば命取りにも繋がりかねない。

オーレリアでなければ斬り込んでいるのに。下手に攻め込んでも、反撃されて斬殺される未来しか思い浮かばない。理不尽の権化め。だから俺はコイツが嫌いなんだよ。常識外れにも程がある。

 

「ふむ」

 

オーレリアは黄金の闘気を纏ったまま、何かに納得するように首肯した。煌々と輝く紅い宝剣アーケディアで大気を灼き切りながら、野獣を彷彿させる獰猛な笑みを浮かべている。

問うべきか。無視するべきか。一瞬だけ悩んだものの、力を貸してほしいと懇願する立場である事を思い出した。不承不承ながら簡潔に尋ねる。

 

「何だ?」

「そなた、強いな」

「皮肉にしか聞こえないぞ」

「何を言うか。先程の話が真実だとして、僅か一年足らずでこの黄金の羅刹に並ぶなど。私が認めてやる。誇れ。そなたは強い」

 

実力と自負に彩られた力強い声。

それも当然か。鉄壁の海上要塞と云えど、約半年にも渡り、機甲兵と戦車を布陣とした正規軍相手に立て籠もっているのだ。

世間一般的に見れば敗軍の将だが、戦前から培われた名声は些かも落ちていない。

 

「こうして剣気を読み合うだけでも興奮する!」

 

いや、戦闘狂の度合いは強まっているかも。

 

「その割に隙を見せないな」

「一撃で決着を付けようとしているだろう。諦めよ」

 

周囲に張られた魔女による結界。

決闘の立会人は黒旋風と深淵の魔女。

そこそこ常識人であるウォレスさんは真面目な顔付きなんだが、この状況を作り上げたヴィータさんは不機嫌そうに腕を組んでいる。

うーん、怒ってるなぁ。

時間を掛けたくない。だから一撃で決めたい。

にも拘らず、隙が見当たらないんだ。剣気による読み合いは正しく互角。どうしたものか。決定的とまで欲張らないから。一瞬でいいから隙を見せて欲しい。本当に頼むよ。

 

「此処まで昂っているのだ。簡単に終わらせるなど許さぬ。私の欲求不満が解消できるまで付き合って貰うぞ!」

 

戯言、宣言、一喝。

オーレリアは停滞した状況を破壊した。紅い宝剣を担ぐ。踏み込む。躊躇いなく。兇猛な笑みを貼り付けて。瞬きする内に眼前へ近付いた。

振り下ろされる凶器。風と衝撃を撒き散らしながら迫る。当たれば即死。掠っても絶死。ならば受け止める。もしくは弾き返すだけ。

血流を加速させる。意識を切り替える。右脚に力を込めて。宝剣を振り上げる。衝突。拮抗したのは僅か二秒。やはりか。今回のループが始まってから一年、身体が出来上がっていないなど自明の理。足りないのは剣技で補う。

剣先で紅い宝剣を滑らせる。力の分散。成功。押し返す。

 

「さぁ、此処からだ!」

 

狂ったように哄笑するオーレリア。

上下左右、様々な場所から斬撃を繰り出す。

互いに動き回る。一箇所に留まらない。隙を突いて。対処して。戦技の恐ろしさに冷や汗を浮かべながらオーレリアの癖を頭に叩き込んでいく。

 

「――くッ!」

「剣技だけだと思うな」

 

空中に浮いた。見逃さない。

剣術を出せない位置だ。関係ない。宝剣を地面に突き刺す。柄を基点にして身体を回転。右足の爪先をオーレリアの腹部に抉り込ませる。

表情が歪んだ。ざまぁみろ。

結界の端まで蹴り飛ばす。漸く間合いを離す事に成功した。武神功を掛け直す。身体能力を向上させた。

オーレリアは口内に溜まった血を吐き捨てる。俺が二重武神功の荒波を制御している間、腹部に回復魔法を掛け、黄金の闘気を紅い宝剣に乗せて振り被る。

あの構えは覇王斬だ。知っている。何度も見た。数多の世界線でも、今回の戦闘でも。一言で表現すると飛ぶ斬撃である。有象無象を相手にするなら一撃必殺の戦技だが、強者相手なら牽制に用いるぐらいだろう。

 

「――は?」

 

目を疑う。驚嘆が漏れる。

斬撃ではない。黄金の光線。

長大で極太、威力も桁外れ。直撃したら死ぬと確信した。判断が遅れた。躱せない。防ぐしかないな。

宝剣の切っ先を地面へ向ける。一呼吸。集中。戦技に闘気を乗せる。同じ事だ。黒い靄を纏いながら裂帛の気合いと共に振り上げる。

戦技、冥王斬。

漆黒と黄金の光線が激突した。計らずも威力は拮抗している。込められた闘気の量も同一。ならば霧散する時機も同時だろう。想像通りに、黒と金の光線は轟音と衝撃を拡散させながら消失した。

眩い閃光。視界が明滅する。著しく落ちた視力に目を細めていると、オーレリアは戦闘狂特有の笑顔を貼り付けながら突っ込んできた。

 

「やはり、そなたは私の婿に相応しい!」

 

豪剣で唸らす剣士と思えない速度。時間にして一秒未満。化け物か。化け物だったわ。何を当たり前の事で驚いているんだ、俺は。

 

「勘弁してくれ」

 

正面から受け止める。

馬鹿力め。身体が折れ曲がりそう。地面がひび割れた。後手に回っている。どうしたものか。本当に勝ち負けが付くまでやり合わないといけないのだろうか。

 

「不満か?」

「当たり前だ」

「安心しろ。私は尽くす女だ」

「知らん。戦闘狂の嫁など御免だ」

「似た者同士だろうに。か弱い女が好みか?」

「知的な女性が好みだな」

「私はトールズ士官学院を主席で卒業してるぞ」

「そういう意味じゃない」

「眼鏡でも掛ければ良いのか?」

「はっきり言おうか。貴女が嫌いなんだ」

「問題ない。今は嫌われていても、いつか私を好きにさせてみせる」

 

男前過ぎるだろ。

性別間違えて生まれてきたな。

 

「さぁ、続きだ!」

 

犬歯を剥き出しにして吼えるオーレリア。

立会人へ視線を向ける。ウォレスさんは呆れていた。ヴィータさんは喜んでいた。どうやら戦闘続行の流れらしい。

羅刹の猛攻を回避しながら嘆息する。

 

 

 

「これだから戦闘狂は嫌いなんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日、深夜。

紅蓮に彩られた皇城バルフレイム宮。

目的地へ進む足音。少年の影が月夜に映える。

金色の髪を靡かせ、蒼玉の双眸を輝かせ、次代の皇帝であるセドリック・ライゼ・アルノールは皇族のみ立入可能な地下伽藍へ足を踏み入れた。

其処に佇むのは起動者を失った緋の騎神。契約者のアルフィンから二度と乗らないと宣言された超兵器は誰一人として扱えなくなり、こうして封印される事と相成った。

 

「――――」

 

慣れた手付きで明かりを付ける。

闇に隠れていた紅の巨人が光源に照らされた。

セドリックは声にならない感嘆を漏らす。古代の造形物と思えない美麗さ。皇族の血だけに反応するのも素晴らしい限り。神々しさすら感じる。視姦するように眺める。

セドリックは恍惚とした表情のまま破顔する。警戒心を抱かず、まるで自分の所有物であるかのように緋の騎神を撫で回した。

 

「いい加減、返事をくれないかな」

 

三月下旬から毎日の如く通っているというのに。

次代の皇帝が親しく声を掛けているというのに。

どうして緋の騎神は応えてくれないのか。何が不満なのか。生意気だ。帝国に於いて、二番目に貴い存在である皇太子がこうして逢いに来ているというのに。

 

「いつも言ってるよね。起動者である黒緋の騎士は行方知れず。アルフィンは搭乗しないって公言してる。このまま封印されていてもいいの?」

 

救国の皇女。馬鹿げた異名だと吐き捨てる。

彼女は運が良かっただけだ。何も凄くない。偉業なんて何一つ達成していない。未来の皇帝なんて言語道断である。

偶然にも遊撃士に助けられた。

偶然にも黒緋の騎士と出会った。

偶然にも第三機甲師団に担がれた。

偶然にも緋の騎神の契約者に選ばれた。

そうだ。アルフィンは幸運に恵まれただけだ。もしも自分だったら、双子の姉よりも活躍しただろう。御伽話に描かれる英雄みたいに。エレボニアの皇帝に相応しいと、誰もが認めるような英雄に成れていた筈なのに。

 

 

 

『エレボニア帝国も安泰だな』

『えぇ。皇女殿下のご活躍はまさしく救国の聖女と呼んで差し支えないかと』

『カレイジャスとパンタグリュエルを停戦させる剛腕さ。己の騎士と共に暗黒竜を討伐する勇ましさ。どちらも次代の皇帝に相応しい』

『逆に、皇太子殿下は震えていただけとは』

『お言葉ながら仕方ないのでは?』

『わかっている。だが、双子の姉君が内戦を終わらせようと奔走していたのだぞ。年齢を理由に庇うのは不適切だ』

『オリヴァルト殿下は如何ですか?』

『皇太子殿下より優れているのは間違いない。だが、あの方は自ら皇太子の地位を棄てた。余程の事でもない限り、皇位継承権を取り戻そうと思わんだろうな』

『やはり皇女殿下ですか』

『うむ。あの方こそ至尊の座へ腰掛けるべきだ』

 

 

 

盗み聞きした台詞が脳裏を過ぎる。

違う。違うッ。違うッ!

緋の騎神を何度も殴る。拳の皮が剥けても、少なくない血が流れても。苛立ちを解消する為に。好き勝手に批評する文官を想像で殴り倒す為に。

ふざけるな。揃いも揃って節穴共が。皇太子は僕だぞ。次の皇帝は僕なんだ。誰よりも尊敬されるべき存在なのに。どうして。どうしてだよ。どうして馬鹿にされないといけないんだよ!

 

 

「――アルフィンが、いるからか?」

 

 

アルフィンさえいなければ皇太子の地位は安泰。

アルフィンさえいなければ緋の騎神も手に入る。

アルフィンさえいなければ、全てが上手く行くというのに。

 

 

 

「アルフィンさえ、いなければ――――」

 

 

 

 

セドリックの右眼は黒く澱んでいた。

 

 

 

 

 

 

 










黒の騎神「俺も負けてられねぇ!」




緋の騎神「辛いです(号泣)」











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四十一話 盤上反則

 

 

 

 

 

七耀暦1205年6月15日。

エリンの里を出奔してから十日経過した。帝国内外に複数の拠点を構えたり、結社と宰相へ対抗できるように協力者を確保したり、黄金の羅刹と引き分けた反省から鍛錬に勤しんだりと忙しない毎日を送っている。

宿場町ミルサンテに作った拠点内で、俺とヴィータさんは例の少女と対面した。クロワール・ド・カイエンの姪にして、正統なカイエンの血筋を引く『盤上の指し手』である。

 

「改めまして。ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンと申します。軟禁状態から助けていただき大変感謝しております」

 

清楚な顔付き。絹のような薄青の長髪。

敵の一挙手一投足を見逃さないと云う鋭利な雰囲気を醸し出しながらも、同性異性問わずに容易く心へ侵入するような蠱惑的な言動で周囲を惑わしていく。そんな少女。精神面さえ一般人でなければ、鉄血宰相と互角に渡り合える智慧の持ち主。

形式上の感謝を軽く流す。何しろ相手の言い分を全て無視して連れてきたのだから。ほとんど誘拐である。

 

「カイエン公に連なる者として軟禁されていたのは把握しているわ。いつ頃からなの?」

「約十日前からです。時間に換算すれば230時間前から。それまでは皇女殿下が庇ってくださっていたのですが――」

「皇女殿下に何か遭ったのか?」

「やはり貴方も知らないのですね。これは当てが外れました。三ヶ月前に喧嘩別れしたと云う風説は本当なのでしょうか?」

 

相変わらず、人の神経を逆撫でる女だな。

今回の世界線だと初対面だが、どうやら既に嫌われているようだと理解した。皇女殿下を誑かした不忠者としてか。それとも肌に合わないと一目で看破したからか。

安心してほしい。俺も苦手だから。気が迷っても手を出そうとか思わないから。

 

「――――」

 

右のこめかみが少しだけ痙攣した。

気を利かしてくれたのか、ヴィータさんが再度追及する。

 

「いいから答えなさい」

 

チラリと此方を一瞥したミルディーヌ。

双眸の奥に潜むのは不満か、或いは憤怒か。

それでも顔色一つ変えず、首を静かに振った。

 

「いえ、詳しい事は何も。特に理由もなく休学する事になりましたから。その後直ぐに帝国政府の役人を名乗る方々が女学院に訪れたのです」

「成る程。そのまま軟禁されたと」

「皇女殿下は、具合が悪かったりしたのか?」

 

そうであって欲しい。

病気や風邪なら医者に任せておける。

 

「春頃からでしょうか。少しでも時間が出来たらカレル離宮を訪れてましたよ」

 

帝都近郊にある皇族の別荘地か。

何故だ。何かあるのか。顎に手を当てて考える。

可能性の一つとして、御家族と仲が悪くなったとか。いや、無いな。直接お会いした時の印象からして、両陛下とアルフィン殿下の親子関係は良好そのもの。なら皇太子殿下と一悶着あったか。不仲を焚き付ける貴族たちは、三ヶ月前に粛清してきた筈なんだが。

 

「理由はわかるかしら?」

「帝都にいたくないと呟いていました。クロチルダさんなら、皇女殿下のお気持ちを理解できるのでは?」

「――嗚呼、そういう事」

「だからこそ信じられません。貴方と皇女殿下が喧嘩別れしたという風説なんて。クロスベルで何か遭ったのでは?」

 

質問という体を成しているだけだ。

険しい双眸と表情から確信していると判断する。

勿論、初代ローゼリアと交わした契約や皇女殿下に心底から嫌悪された件、邪神に囚われた女性を殺害した事は把握していない筈だろうけど。

俺はソファの背凭れに体重を預け、ミルディーヌを睥睨する。

 

「訊いてどうする。君に関係ないだろ。皇女殿下に愛想尽かされたのは紛れもなく事実だよ」

「知らないでしょうね。貴方の活躍を耳にする度に嬉しそうな表情をしていたなんて。貴方が雲隠れした後、人が変わったように物静かになってしまったなんて」

「君こそ知らないみたいだな。俺は平民だ。どんなに功績を積み上げようとも平民なんだよ。皇女殿下の傍にいるだけで迷惑を掛けてしまう」

 

そうだ。迷惑を掛ける。

隣にいるだけで罪深いのだ。

輪廻に巻き込む。危険な目に遭わせる。

だから離れる。忘れてもらう。嫌ってもらう。

アルフィン殿下が幸せに過ごせるなら、緋の騎神すら惜しくない。

ミルディーヌは眉間に皺を寄せた。口許がピクピクと痙攣している。何か言おうと口を開き、これ見よがしに嘆息した。

 

「切り口を変えましょうか。どうして私が近い内に殺害されるかもしれないという出鱈目を吐いたんですか?」

「なに?」

「カイエンの血筋を抹殺する可能性があるから保護するなんて詭弁も良いとこ。確かに一ヶ月ほど軟禁されるでしょうが、叔父の極刑さえ終われば無事に解放された筈です。どのような未来を予測した所で、一族郎党皆殺しという結果に辿り着かない」

 

そう、と平坦な声で続ける。

俺という存在を赦さないように睨み付けながら。

 

「フェア・ヴィルングという極大の特異点を考慮しなければ」

 

ヴィータさんが息を飲む。

俺は聞き飽きた物騒な単語を無視した。

簡潔に、端的に、ミルディーヌへ尋ねる。

 

「辻褄が合わなくなるのか?」

「えぇ。貴方さえ存在しなければ、計算に含めなければ、クロチルダさんの仰っていた世界大戦まで未来予測できます。それに、十月戦役の結末も大きく変わっていましたよ」

「黒の騎士は存在せず、オーレリア・ルグィンは帝国西部で暴れ回り、暗黒竜も復活せず、緋の騎神による活躍劇すら無かったと言いたいんだろ」

 

これぐらいで充分だろう。

数多の輪廻に於いて、九分九厘の確率で辿る内戦の過程を思い出す。自力で立て直した第三機甲師団と第四機甲師団による巻き返し。アルフィン殿下を擁立したカレイジャスとトールズ士官学院生徒の活躍。皇太子殿下を人質に取ったカイエン公の逮捕。ルーファス・アルバレアとギリアス・オズボーンによる電撃的な和解。クロワール・ド・カイエンの極刑も存在しない。終身刑で済んでいる。

ミルディーヌは口許に手を当てる。驚愕と納得を含んだ表情を浮かべる。まるで化け物でもいるかのような眼で凝視した。

 

 

 

「貴方、ループしてますね。それも一度なんかじゃない。同じ時間帯を何度も」

 

 

 

ヴィータさんの右人差し指が微かに動いた。魔力を高めている。眼前の少女を排除すべき脅威だと認めたらしい。

 

「フェアから事前に教えてもらっていたけど、正直信じられないわね。どうして彼の秘密に気付いたのかしら?」

「必要な情報と周囲の環境を数値化して、世界という方程式に代入した結果、唯一当て嵌まるであろう事実を導き出しただけです」

「――貴女、私の代わりに使徒も務まるかもしれないわね」

 

驚嘆した様子で呟く深淵の魔女。

高まっていた魔力は霧散していた。

ホッと一安心する。今殺されると困るんだ。

 

「去年から出現していたバグは、やはり貴方でしたか。ループする存在なんて反則もいい所です」

「俺たちの持つ情報を全て教える。その上で未来を予測してほしい」

「クロスベルの件も教えてくださると?」

「必要ないだろ」

 

淡々と断る。

何も悩まずに一蹴した。

ロゼやヴィータさんに話した。それは必要だったからだ。彼女たちと協力関係を構築するのに必須な対価だったからだ。

あの時の判断を間違っていたと思わない。

アルフィン殿下にはありふれた日常の中にいて欲しい。それが俺の我儘だとしても。傲慢な願いだったとしても。

いざとなれば簡単に棄てられる俺の命よりも、アルフィン殿下の命は重たいのだから。比較すらできないほどに大事な命なのだから。

 

「お願いします」

 

ミルディーヌは頭を下げた。

お調子者の声音ではない。慇懃な態度。心の底から頼んでいる。それでも答えない俺を見て、ソファから腰を上げる。テーブルの横に移動して、徐ろに膝を着いた。

 

「どうか、お願いします」

 

土下座だった。

泣きそうな声で教えてほしいと懇願する。

正直、困惑した。人物像が合致しないからだ。以前の輪廻で、リィンやオーレリアから聞いた飄々とした少女と考えられない必死さだった。

何がそこまで駆り立てるのか。

真実を知りたいだけか。それとも叔父の犯した出来事から罪悪感を覚えているのか。もしくは、庇ってくれたというアルフィン殿下に恩義を感じているのか。

 

「――――」

 

只の探究心なら相手にしなくていい。

罪悪感に苛まれているなら利用するだけ。

しかし――。

アルフィン殿下が関わっているなら無碍にできない。

 

「フェア、貴方は散歩してきなさいな」

 

助け舟を出してくれたヴィータさん。

悪いようにしないからと耳許で囁かれた。

数秒だけ悩み、此処にいても仕方がないかと立ち上がる。

 

「任せます」

「任されたわ。遅くならない内に帰ってくるのよ」

「はい」

 

まるでお母さんだなと考えて――。

お母さんって何だっけと頭を捻りながら。

俺は湖畔の畔に建てられた拠点から外へ出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一悶着有ったものの、ミルディーヌは土下座を解いた。スカートに付着した汚れを手で払う。お騒がせしましたと深く謝罪。流石は良家の娘と納得する優雅な動作でソファへ腰掛ける。

 

「皇女殿下への恩義かしら?」

「勿論、あの方への恩義もあります」

 

含みのある回答だった。

誘導尋問かと疑いながらも問い掛ける。

 

「他にも何かあるの?」

「私の推測ですが、構いませんか?」

「ええ。それを聞いてから私たちの情報も教えるわ」

「ヴィルングさんを特異点とするなら、アルフィン殿下も特異点ですよ。畏れ多い話ですが、私の盤上に含まれない、バグに似た存在へと変貌しています」

 

塩の杭、火炎魔人、黒緋の騎士。

いずれも外の理に通ずる例外中の例外。

結社でも、教会でも、魔女の里でも、彼らを『特異点』と呼称している。世界の常識や法則を逸脱した存在として。女神の創造した世界に対する脅威として。

神羅万象を操る『外なる神』に対抗できるとしたら彼らだろうが、どうして只の皇族まで特異点化してしまうのか。

 

「変貌したのは、いつ?」

「明確になったのは内戦終結の夜ですね」

「兆しはあったの?」

「内戦から一ヶ月ほど経った時ぐらいからです」

「だからこそ聞き出したかったのね。フェアと皇女殿下が仲違いしたであろうクロスベルの出来事を」

 

その通りです、と首肯するミルディーヌ。

 

「フェアは、あの子は皇女殿下を巻き込みたくないと考えているわ」

「酷く不器用な方だってわかってます」

「――そう。なら良いわ。教えてあげる」

 

胸が痛むけど。

嫉妬から腹立たしくなるけど。

アルフィンの無事に関係するなら、ミルディーヌに教えても問題ないだろう。フェア・ヴィルングにとって、アルフィン・ライゼ・アルノールという少女は誰よりも大事な存在だろうから。

1200年前に起こった至宝の激突、魔女と地精の亀裂、結社の目的、鉄血宰相が齎そうとしている黄昏、世界大戦の裏で行われるであろう七の相克。そして『外なる神』の存在。なるべく要点を絞って説明した。

ミルディーヌも心得ているのか、説明の途中で疑問を挟まず、常人なら到底信じられないような情報を頭蓋の中に叩き込んだ。

一通りの情報を開示した後、質問と返答を繰り返して、ミルディーヌは閉じていた双眸をゆっくりと開いた。

 

「クロチルダさんは、ヴィルングさんのループを追体験しているんですよね?」

「あくまで数千回、それも大事な部分だけね」

「御本人は最低でも一万回以上、二年間を繰り返してるなんて。自我を保ってられるなんて信じられない」

「恐らくだけど、全ての記憶を保有している訳じゃないと思うわ。次の輪廻に必要な情報を取捨選択しているんじゃないかしら」

「意図的か、それとも誰かの介入に因るモノか」

「婆様と私は『外なる神』が妖しいと踏んでいるけど」

「可能性は最も高いと思います。どこか釈然としませんが」

 

ミルディーヌは下唇を噛み締める。

如何に鉄血宰相に比肩するような盤上の指し手である少女でも、邪神に関連する事柄まで捌き切れないようだ。仕方ない。指先一つで人間を何万回もループさせるような常識外れの存在なのだ。盤上に置こうとした所で、既存のルールを好き勝手に変えられるだけ。

 

「喫緊の問題は、来月に迫った『黄昏』をどうするかですね」

 

あれ、と小首を傾げるヴィータ。

 

「来月?」

「来月でしょう」

「え、と。どうして?」

 

黄昏が起きるのは七耀暦1206年7月。

フェアの経験したループで明らかになっている。

これは不変だ。絶対の目安。だからこそ今、必死に協力者を集めている。世界の破滅を食い止める為に、フェアのループを終わらせる為に。

にも拘らず、ミルディーヌは来月に黄昏が起きるのだと断言した。

 

「黄昏を起こす必要条件として二つの事柄が考えられます。一つは暗黒竜の出現。もう一つは皇帝陛下の暗殺未遂」

 

フェア自身は『何故か』覚えていないようだが、二回ほどトールズ士官学院による暗黒竜の討伐を手伝っていた。

時期として来年の七月。帝都の夏至祭、その最中に。基本的に前後しない。その功績を以て、トールズ士官学院の面々は皇城の祝賀会に呼ばれるのだから。

 

「季節、時期、夏至祭という可能性も考えられますが、大きな事例として暗黒竜の復活と皇帝陛下の暗殺未遂を主軸に置いた際、この世界線だと来月になります」

「確かに暗黒竜は復活したわ。でも、皇帝陛下の暗殺未遂が起きると限らないでしょ。犯人と目されるアッシュ・カーバイドはラクウェルで不良の真っ最中よ」

「皇族、もしくは皇家の血を引く者が死ぬという条件だったら?」

「――カイエン公の極刑」

「ずっと疑問でした。何故、叔父の極刑を伸ばすのか。帝都の夏至祭に合わせる必要なんてありません。獅子戦役の再現かと考えましたが、あの鉄血宰相がそのような姑息な手を使うとも思えませんでしたから」

 

辻褄は合っている。

断言できないが、少なくとも条件は一致する。

 

「急がないといけないわね」

「はい。恐ろしいのは他の世界線と異なり、黄昏とやらが長引いてしまう事でしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンタ、何者だ?」

「私の名前はベリル。旅の占い師よ」

「占い師だと。馬鹿を言うな。アンタは――」

「駄目よ。簡単に口に出したら駄目。誰が見ているか、誰が介入してくるか、私にも見通せなくなってしまうわ」

「なら、どうして『ここ』にいる?」

「貴方を蝕む因果が複雑に絡み始めたから」

「何が言いたい」

「結論を急いでしまうのは貴方の悪い癖ね。安心しなさい。私は味方よ。千載一遇の好機を見逃さないように忠告しに来たの」

「まるで初代ローゼリアみたいな事を言うな」

「あんな聖獣と一緒にされても困るけど。私は違うわ」

「何が違う」

「良くお聴きなさい。貴方は四つの存在を内包している。それは気付いているわね?」

「ヴィータさんから教えてもらったよ。4、4、1、1で混ざり合ってるって」

「大凡の察しは付いてるのかしら?」

「黒の思念体、邪神、大地の聖獣、初代ローゼリアじゃないのか?」

「違うわ。全然違う。黒の思念体と大地の聖獣しか合っていない」

「待て。初代ローゼリアは違うとして、邪神も違うのか!?」

「当然でしょ。『外なる神』が一個人に内包されるわけないわ。大いなる存在は遥か高みから糸を垂らしているだけ」

「なら、何が混ざってるんだ?」

「考えなさい。見つけ出しなさい。約束の刻までに正解へ辿り着かなかったら、貴方に待っているのはバッドエンドよ」

「またループするっていうのか、望む所だ」

「現状維持に過ぎない結末をバッドエンドと呼ぶの?」

「――――」

「因果は巡っている。貴方は進んでいる。成し遂げなさい。『彼女』と『彼』もそれを望んでいるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 







裏設定の一つ。


フェアのイメージソング→心よ、原始に戻れ(曲名だから大丈夫ですよね??)



ベリル「皮肉が利いてるわね」










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四十二話 聖杯取引

 

 

 

 

例年より早い梅雨明け。

時間にして夕刻。初夏の陽射しに顔を歪める。

約三ヶ月振りに訪れた帝都近郊の都市トリスタ。都会過ぎず、それでいて田舎臭さを感じさせない雰囲気の良い街並み。駅構内はおろか、士官学院の生徒で賑わっている商店街も何一つ変化していなかった。

学生時代の思い出に浸りながら。額から頬に伝う汗を拭いながら。前生徒会長は母校へ続く道を踏み出して、目を見開いて固まっている男子生徒を発見した。

 

「お久しぶりです、トワ会長!」

「もう会長じゃないんだけどな、わたし」

 

トワ・ハーシェルは頬を掻きながら苦笑する。

自慢の後輩。十月戦役の戦友。クロウ・アームブラストを取り戻してくれた恩人。様々な関係性を持つ男子生徒、リィン・シュバルツァーへ片手を挙げた。

 

「久しぶりだね、リィン君」

「卒業式以来ですか。驚きましたよ。てっきり見間違いかと」

「え、そう?」

「はい」

「わたし、大人びたかな。身長伸びたかな?」

「い、いや。身長は伸びてないんじゃないかなぁと」

 

気の利かない後輩に対し、頬を膨らませるトワ。間合いを詰める。距離にして10リジュ。平坦な胸の前で握り拳を作り、如何にも怒っていますと表現した。

夕焼けに彩られた年若い男女。恋人に間違えられても不思議ではない状況と環境。周囲の人々が微笑ましそうに見守る中、トワはリィンの胸を叩きながら抗議する。

 

「もうっ。これでも1リジュ伸びたんだよ!」

「本当ですか!?」

「――ごめん、少し盛ったかも」

「えぇー」

「でも伸びてるから。まだ成長期だから!」

 

地雷を踏んだかもと後悔する灰色の騎士。

後輩の呆れた表情を見て、トワは冷静さを取り戻した。顔を赤くしながら咳払い。我を忘れてしまった。反省しよう。反省こそ大事。大人の女性こそ反省すると聞く。

 

「リィン君、ちょっと時間ある?」

 

笑顔で首肯したリィンと共に、近くの喫茶店へと足を踏み入れる。

初夏の不快感を忘れさせてくれる清涼さ。見覚えのあるテーブルや椅子の配置。珈琲の匂いに懐かしさを覚えた。

トリスタの街を眺められる窓際の席に腰掛ける。学生時代に通い詰めた店だ。メニュー表も見ずに注文を終える。

一瞬の静寂を経て、リィンは口火を切った。

 

「大陸を巡る旅は終わったんですか?」

「ううん。実はまだ半分も巡ってないんだ」

「北回りでしたよね」

「ジュライからノーザンブリア経由で回ろうとしたから北回りだね。レミフェリア公国まで足を伸ばそうとしたんだけど、予想外の物を見つけちゃって」

 

喉が乾いた。注文した珈琲で口を潤す。

当時を思い出して、背凭れに掛けてある鞄を優しく撫でた。もしもコレをあの人に見せたら、どういう反応をするだろうか。想像しただけで胸が熱くなる。

偶然だと一笑するか。それとも外の世界に想いを馳せるだろうか。トワは後者だった。だから旅を中断して帰ってきた。

 

「そうだ。Ⅶ組の皆は元気にしてる?」

 

話題を変える。

リィンは嬉しそうに頷いた。

それぞれの道を歩み始めた仲間たち。得意分野を伸ばして。元々抱いていた夢を追い掛けて。心機一転と云わんばかりに職を変えて。胸を張って再会できるように。

旧友の現状を語るリィンは眩しいぐらい格好良かった。心の底から仲間を信じている。成長を確信している。嫌味は無く。嫉妬もなく。誰もが好い男だと褒め称えるような青年に成長していた。

 

「クロウも元気にしてますよ」

「本当?」

「今は海上要塞に詰めています。オーレリア将軍が率いる貴族連合軍の残党を討伐したら、帝国政府から恩赦を貰う手筈になっているかと」

「そっか。安心したよ」

「でも、アンゼリカ先輩は――」

 

アンゼリカ・ログナーは実家に監禁されている。

帝国正規軍と貴族連合軍の戦闘に無断で割り込んだ挙句、黒の騎士を危うく戦死させるかもしれないという大失態を犯したのだ。四大貴族の息女だとしても許される範囲を超えていた。

本人は覚えていないと頑なに否定したが、確固たる証拠を突き付けられて意気消沈。罪を認めるしかなかった。判決は禁固刑。だが、最終的に中立へ鞍替えしたログナー侯爵と、初めから貴族連合に深入りしていなかったハイアームズ侯爵の嘆願によって、実家の地下牢に幽閉される事と相成った。

限りなく軽い罰なのは、カイエン公爵の犯した罪と比較した結果である。煌魔城の顕現と暗黒竜の復活、帝都に大災害を齎らした近年稀に見る大罪人のお陰といっても過言ではない。

四大貴族の息女と云う肩書を重じて、トールズ士官学院を無事に卒業したとされているが、十月戦役終結時に事実上の退学処分を受けていた。

 

「勿論、アンゼリカ先輩の仕出かした事が事実なら仕方ないと思います。ヴィルングさんも概ねその通りだと仰ってましたから」

 

リィンの台詞から、トワは三ヶ月前を想起する。

鋼都ルーレに立ち寄った際、折角だからと面会した。ジョルジュ・ノームやクロウ・アームブラストからも励ましてやれと、肩を押されたのも理由の一つだった。

無惨にやつれたアンゼリカ。時おり聴こえる不気味な幻聴に心を蝕まれ、満足に眠れていないのだと自嘲していた。面会終了間際、情緒不安定に陥ったのか唐突に号泣した。犯した罪を覚えていないと。どうか信じて欲しいと。縋ってくる友人の痛ましい姿に、心優しい少女は眉間に皺を寄せてしまった。

 

「アンちゃんなら大丈夫だよ、リィン君」

「トワ会長は面会したと聞きました。どうでしたか?」

 

満面の笑顔で力強く断言する。

 

「うん、元気そうだったよ!」

 

灰色の騎士はホッと胸を撫で下ろす。

仲の良かった先輩の朗報に一安心したようだ。

トワも内心で安堵した。嘘を吐いた甲斐が有ったと。真実を教えなくて良かったと。時間を無駄にしなくて済んだと。

 

「それよりも」

 

無邪気に問い掛ける。

 

「フェア君が何処にいるのか知ってる?」

「トワ会長って、ヴィルングさんと知り合いなんですか?」

「あれ、リィン君に話してなかったかな。フェア君とわたしは幼馴染みだよ。フェア君が帝都からパルムに引っ越すまでだけど」

「知りませんでした。ヴィルングさんも教えてくれませんでしたから」

「意外と鈍いからね、フェア君。わたしがトールズ士官学院に在籍していたことも知らなかったと思うんだ」

「有り得そうですね、それ」

「いつの間にか皇女殿下の騎士になって、帝国史に載るような英雄になっちゃうから驚いたよ。帝都で遊んでいる頃は、武器とかも握らないような人だったのになぁ」

「そういえば、ヴィルングさんも趣味は天体観測だと話してましたけど」

「うん、わたしも影響されちゃってね。小さい頃は毎日二人で夜空を見上げてたっけ。楽しかったなぁ」

 

彼は常々口にしていた。

大海原の先に何が有るのだろうかと。ゼムリア大陸の外には何が待ち受けているのだろうかと。知りたいと。行ってみたいと。絶対に叶えたい夢なのだと。

最初は理解できなかった。この人はおかしいと考えていた。怖い。寒い。気味が悪い。信仰心を汚泥で覆われるような感覚。恐怖した。狂気に包まれていると思った。

結果、時間が経つに連れて。

創造主の存在を疑うようになって。

トワ・ハーシェルは女神の枷を脱した。

 

「実は――」

 

リィン曰く、フェア・ヴィルングは春頃から魔女の里に滞在していたらしいが、三週間前にヴィータ・クロチルダと出奔してしまったとのこと。

 

「エマちゃんも居場所はわからないんだね?」

「エマのお婆さんなら知ってるらしいですが」

 

はてさて。どうしたものか。

珈琲で眠気を飛ばしながら思案に耽る。

広大な帝国領内から人一人見付けるなんて、砂漠で一粒の砂金を発見するのと同義。まさしく無理難題。そして至極無茶。想像するだけで頭が痛くなる。

 

「そうだ、俺からエマに伝えましょうか?」

 

リィンからエマへ。

エマから魔女の長へ。

魔女の長からフェアへ。

多少不安だが、好意は素直に受け取るべきか。

 

「ありがとう。お願いできるかな?」

「はい。今夜にでもエマに連絡しますよ」

 

責任感に長けたリィンだ。

他者の願いを蔑ろにするなど有り得ない。

トワは鞄から古い石を取り出した。表面に白い粉が付着している。化石だ。猿型の魔獣にも、下手したら人骨かもしれないと邪推してしまいそうな形の遺骸だった。

 

「これは?」

「ノーザンブリアで見つけたの」

「化石、ですか」

「そうだね。博物学者に見せてもよくわからない代物って言われたんだけど。フェア君なら多分わかるかなぁと思って」

「ヴィルングさん、化石に詳しいんですか?」

「ううん」

「ならどうして?」

「ほら。ここ見てよ、リィン君」

 

化石の裏側。

白い粉を拭った表面。

其処に書かれてある見知らぬ文字。

 

「――初めて見る文字ですね」

「だよね。でも、わたしは知ってるんだ」

 

言語学者すら匙を投げた不思議な文字。

トワ・ハーシェルは知っていた。当たり前だ。

何しろこれは――。

 

 

 

 

「これは、わたしとフェア君で作った文字なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラ湖の畔で一人佇む。

沈んでいく夕陽。刻々と黒くなる空。

閑麗で、艶美で、都雅な三日月が顔を覗かせる。

紅いペンダントを掌で転がしながら、ミルディーヌの台詞を反芻する。

アルフィン殿下は大丈夫だろうか。

両陛下のお膝元だから問題ないと思うけど。

歯痒かった。落ち着かなかった。傍にいられないなら、アルフィン殿下の与えてくれたペンダントだけでも返すべきか。ロゼの魔力と加護も封入されているから、最低限の御守りとして活用できるだろうしなぁ。

魔女の転移に頼るのも申し訳ないけど、ヴィータさんに頼もう。ミルディーヌ曰く、黄昏まで時間が無いのだから。

――刹那。

吐き気を催すような薄気味悪い空間に引きずり込まれる。嘔吐感を意地で堪えた。明確な敵意は感じられないが、本能は一瞬一秒でも早く抜け出したいと絶叫している。

深呼吸を挟む。強制的に自らを落ち着かせた。周囲を見渡す。夕陽も、星空も、ガラ湖すら消失している。深海の如き闇。まさに暗黒の世界だ。

 

「やっと見つけましたよ」

 

聞き覚えのない声。

背後を取られている。油断したな。

万が一を考慮して得物へ手を伸ばす。柄を握り締める。これで安全を確保した。後は相手の出方を伺うだけだ。

 

「誰だ?」

 

端的に質問する。

 

「聖杯騎士団に属する者です」

 

声音だけでも胡散臭い。

苦手とする類の人間である。

口八丁手八丁で騙そうとしてくる輩に、会話の主導権を渡すなんて愚の骨頂に過ぎる。取り敢えず煽ってみよう。少しでも怒れば儲け物だと期待しながら。

 

「意外だな。七耀教会の狗が何の用だ?」

「これは手厳しい。我々に何か恨みでも?」

「無いな。だが、特別仲良くする義務も見当たらないんだよ。アンタたちと違って、空の女神を信じてないんでね」

「噂に違わない人ですねぇ」

「それはどうも」

「振り返っても大丈夫ですよ。敵対する意思はありませんから」

「こんな吐き気のする空間に、問答無用で引きずり込んだ奴の口走っていい台詞じゃないな」

「なるほど。聖痕の齎す力に拒絶してしまう体質ですか」

 

煽動は無意味か。

欠片も動揺していない。七耀教会に属する人間なら激怒しそうな単語にも、涼しい声音のまま返答してくる。この胆力、冷静さ。従騎士や正騎士と思えない。

警戒しながら振り返る。

 

「アンタ、守護騎士か」

「えぇ。聖杯騎士団副長、守護騎士第二位『匣使い』トマス・ライサンダーと申します。以後お見知り置きを」

 

初めて相対する男だった。

淡い煉瓦色の髪を後ろ首で纏め、高級そうな丸眼鏡を掛けている。仕事に忠実そうな堅い服装とは裏腹に、軽薄な印象を相手に与える微笑みという不審さの塊。どうしたもんか。一言で表現できない。嘆息したくなる程に不思議な男だった。

 

「フェア・ヴィルングだ」

「黒緋の騎士と名乗らないんですか?」

「その異名は捨てている」

「おやおや。そうなんですねぇ。つまり、緋の騎神も放棄したと考えてよろしいのですか?」

「好きにしろ。元々アレは皇女殿下の物だ」

「これは驚きましたね」

「あ?」

「皇女殿下を見捨てるのですか。七の相克とやらに巻き込まれて、皇女殿下が命を落としても構わないと?」

「――それは」

「緋の騎神は、契約者と起動者に分かれていると聞きました。七の相克に於いて、それがどのような結果を齎すかわかりません。それでも、最悪を想定して動いた方がよろしいのでは?」

 

確かにその通りだ。

否が応でも戦闘に巻き込まれるだろう。

それでも無理なんだ。アルノールの騎士と云う称号を剥奪された俺では、アルフィン殿下を守護する権利さえ持ち得ないのだから。

――いや、ちょっと待て。

トマス・ライサンダーへ強い眼差しを向ける。

 

「一応訊くぞ。どうして、緋の騎神が契約者と起動者に分かれていると知っている?」

「調べましたから」

「残念だな。知っているのは数人だけだ。俺はその全員を把握している。無闇に言い触らすような人たちじゃない」

「ほう?」

「加えて、緋の騎神、その特異性は古代の文献にも殆ど記されていない。黒の史書とやらにもな。幾ら聖杯騎士団でも調べられるはずがない」

「――――」

「誰から聞いた?」

 

該当するのは八人。

誰が情報を漏らしたのか。

鉄血宰相の陣営は考えにくい。七耀教会と不仲らしい魔女も除外して問題ない。なら残るは皇帝陛下と皇太子殿下、そしてミルディーヌだけだ。

クロスベル戦役時、リィンから聞いている。黒の史書と云う古代遺物にも、緋の騎神に関する記述は異様に少なかったと。

 

「やれやれ。降参です」

 

トマスは両手を上げた。

 

「意外と頭も切れるようですねぇ」

「どうも。口を割る気はなさそうだな?」

「情報提供者の素性は勘弁してくれませんか」

「別に構わないぞ。おおよその見当は付いてる」

 

もしも俺とヴィータさんが訪れる事さえ予期していたなら、事前に聖杯騎士団と取引していてもおかしくない。入手した情報を流す代わりに、身の安全を保証してくれと求めるのは至極当然の準備だろう。

アレほど必死だった理由も察した。

アルフィン殿下と俺を仲直りさせたくて、必要な情報を得ようとしたのだろう。やはり甘いな。別の世界線に於けるリィンから聞いた通りだ。

 

「アンタは、どこまで知ってるんだ?」

「情報提供者から聞いたのは四つだけです。エレボニア帝国に存在したとされる二つの至宝とその結末、結社と鉄血宰相が行おうとしている計画、黄昏を起こすのに必要とされる条件、七の相克と緋の騎神の特異性。あの方はフェア・ヴィルングの秘密について、何も口を割りませんでした」

 

一拍。

 

「だから、取引しませんか?」

 

トマス・ライサンダーは告げる。

約一年前、ゼムリア大陸全土の霊脈が短時間だけ極大に活性化したらしい。教会関係者全員が恐れ慄く中、膨大な霊子情報はエレボニア帝国のとある箇所に一瞬で流れ込んだ。即ち『第六機甲師団の詰所』へ。それは以前、俺の所属していた機甲師団だった。

 

「その後、貴方は直ぐに正規軍を除隊。アルゼイド流の門を叩き、僅か一ヶ月ほどでレグラムからも姿を消した。内戦の最中に頭角を見せ、復活した暗黒竜を緋の騎神で討伐するに至る。果たしてこれは偶然でしょうか?」

 

私はそう思えません、と自己完結するトマス。

 

 

 

「フェア・ヴィルングの秘密を教えてもらえるなら、聖杯騎士団は貴方に味方しましょう。取引に応じてくれますか?」

 

 

 

 

 









アンゼリカ「あははは、ゼムリア大陸以外の場所なんてある訳ないだろう。信じてしまうなんて可愛いなぁ。そんな戯言を、私のトワに吹き込んだのは一体誰なんだい?」


トワ「は?」(迫真)





トマス「いやー、想像以上に見つからないもんですねぇ。人手が足りないかもしれないんで、守護騎士をもう一人呼んでも構いませんか?」


アイン「は?」(迫真)







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四十三話 生生世世

 

 

 

 

 

七耀暦1205年7月19日。

曇天に覆われた帝都ヘイムダル。

人々の狂乱へ水を掛けるような夕立ちだが、鉄血宰相の演説によって熱狂の渦に叩き込まれた帝都市民は、数時間経過してもヴァンクール通りにてデモ行進を続けている。

皇城バルフレイム宮の一室からその様子を猊下する。冷めやらぬ狂気。膨れ上がる敵意。冤罪を掛けられたカルバード共和国は災難だなと場違いにも苦笑した。

 

 

「ヨコセ、ヨコセ」

 

 

昨日の午後一時。クロワール・ド・カイエンの極刑が滞りなく執行された。予定通りに。鉄血宰相の思惑通りに。

半年以上前に暗黒竜は復活してある。皇族の血も流れた。鉄血宰相と地精の悲願である『巨イナル黄昏』が始まるだろうと身構えた。他の世界線と同様なら、時同じくして帝都ヘイムダルも大混乱に陥る筈だったのに。

何も起きなかった。恐ろしいまでに静寂だった。

まさか必要条件を間違えていたのか。黄昏に必要なのは時間だったのか。来年の夏至祭でなければ発動できないんじゃないかと議論を重ねている最中、ドライケルス広場にて鉄血宰相の演説が始まった。

 

 

「我ノモノダ、スベテ」

 

 

帝都並びに帝国を滅ぼそうとした首謀者を極刑に処した。彼らの背後には、カルバード共和国が存在していた。泥沼の内戦を利用して、エレボニア帝国を滅ぼそうと暗躍していた証拠が見つかったのだと。

帝国臣民は激怒した。無知な大衆の恐怖と激情を煽る鉄血宰相の思惑通りに、誰もが闘争心を剥き出しにして拳を振り上げた。

カルバード共和国の愚か者を懲罰しろ。思い知らせてやれ。奴らを赦すな。意気軒昂な雄叫びをあげて。邪魔する人々を売国奴と口汚く罵った。

 

 

「アァ、心地ヨイ」

 

 

これからどうなるのか。

既に『巨イナル黄昏』は始まっているのか。

ロゼは言った。意志の統率を終えたなら、後は周辺諸国と戦争を起こして闘争で満たすのみ。始まった可能性も視野に入れるべきと。

ミルディーヌは言った。意志の力だけで周辺諸国を敵に回すなど到底不可能。軍事力が足りていない。もう一騒動あるだろうと。

果たして正解はどちらなのか。

判断できなかった。答案を用意できなかった。

だからこそ俺は――。

 

 

「楽しい催しでもあるまい。さっさと席に着きたまえ。互いに忙しい身の上だ。あまり時間的余裕などないぞ」

 

 

こうして鉄血宰相と対峙している。

 

「これは失礼致しました」

 

鉄血宰相の自室ではない。

客人を接待する為に用意された応接室で。互いに協力者や部下を連れず。武器も用意せずに。自らの身体と精神だけで相対していた。

壁に掛けてある美しい絵画。帝国らしい、厳粛とした雰囲気を醸し出す家具と調度品。特別な地位に属さない平民なら、一生掛けても買えないだろう高級そうなソファに腰掛ける。

テーブルの上に置いてある紅茶入りのカップを尻目に、明確に敵対する事になった帝国政府代表へ頭を下げた。

鉄血宰相は僅かに眦を細める。

 

「ほう。これは意外だ。未だに慇懃な態度を続けるとは。君と私は敵対関係に有る。敬語を使う必要などあるまい」

 

確かに。その通りだと思う。

だが、俺は鉄血宰相を嫌いになれなかった。

初対面の印象は今も変わっていない。

怖い。逃げ出したい。関わりたくない。それでも溢れ出るカリスマに屈服しそうになる。まるで古くから付き合いのある友人みたいな視線に親近感を覚える。数多の世界線でエレボニア帝国を超大国の地位にまで押し上げた、平民出身というハンデを押し除けた稀代の宰相として心底から尊敬していた。

 

「例え敵対するとしても、私は貴方を尊敬しています」

「――そうか。君にそう言ってもらえるのは嬉しい限りだな」

 

鉄血宰相は一瞬だけ相好を崩した。

 

「正直な話をすると、君が招待に応じると思わなかった。久方振りに驚くという感情を味わったものだ。敵の罠だと考えなかったのかね?」

 

十時間前。陽が昇り始めた早朝のこと。

近郊都市リーブスの拠点にて、今後の動きをどうするかと協議していた俺達の元へ、カンパネルラ経由で届けられた招待状には日時と場所、そして直訳すると一人で来いという挑発的な文章が記載されていた。

差出人は鉄血宰相ギリアス・オズボーン。仲介人はカンパネルラ。誰がどう考えても罠だと気付く人選であった。

勿論、全員が泡を喰ったように反対した。

ロゼは一笑に付して。ヴィータさんは俺の身体を掴んで。ミルディーヌは危険過ぎると目尻を吊り上げて。トマス・ライサンダーまで、この情勢下で敵城へ赴くのは大馬鹿者だけですと冷笑した。

だけど、わかっているけど。

俺は行くべきだと思ったんだ。

行かなければ後悔すると感じ取ったんだ。

 

「敵の罠だとしても、この状況下に於いて貴方と会話する意味を重視したので」

「意味か。特に無いと言ったらどうする?」

「ご冗談を。我々に残された時間は少ないと仰ったのは貴方ですよ」

 

俺以外の協力者は配置に付いている。

万が一帝都で大混乱が起きた際、誰がどのように動くかも数日前から検討済み。多数の魔女やリィン達も動く手筈を整えてある。

極論すると、俺がいなくても問題なかった。

だからこそ鉄血宰相の誘いに応じた。

反対してくる知恵者に対して、不透明な現状を打開する為に敵情視察してくるだけだと我儘を押し通した。

鉄血宰相は鷹揚に頷いた。

紅茶を口に運び、唇を湿らせてから。

 

「よろしい。それでは本題に入ろうか」

 

鼓膜を震わす低い艶のある声音で先手を取った。

 

「黄昏の件ですか」

「そのような些末事、道端に棄てておけ。本命はまさしく別にある。無論、君たちにとってそうでないかもしれんが」

「待ってください。まさか貴方は――」

「危惧した通りだとも。気付いていなかったとは驚きだ。君の作り出した陣営とその行動を俯瞰すれば、黄昏の先に有る『七の相克』まで辿り着いていると判断するのは実に容易い」

 

心臓が鷲掴みされる感覚を久々に味わった。

怪物め、と内心で罵倒する。

容易いものか。可能なのはアンタだけだろうに。

 

「知っていて、見逃していたのですか?」

 

声を震わせないように。

表情を変えないように。

迫真の演技で冷静に問い質す。

 

「四ヶ月前、君に教えた筈だぞ。フェア・ヴィルングの好きにさせろと皇帝陛下から勅命を受けているとな」

 

ソファを揺らして立ち上がる。

限界まで開かれた双眼に殺意が満ちる。

帯剣していたなら迷いなく抜いていたと確信できた。

 

「馬鹿げてる。貴方は帝国政府代表として、あくまで皇帝陛下に忠誠を捧げたまま、この国を破滅に追い遣ろうとしているのか。あのような怪物を生み出そうとしているのか!」

「ふむ。成る程、そういう結末に至るのか」

 

敵は、俺の非礼を咎めなかった。

敵は、悲しげな眼で窓の外を眺めていた。

 

「君の知る未来だと、イシュメルガは『巨イナル一』と融合を果たすようだな」

 

黒の騎神イシュメルガ。

その分体とやらは俺に混じっていると聞く。

絶対悪の結晶。人の生んだ業。鋼の聖女が滅ぼしたい相手。最近、特に頻繁に話しかけてくる存在Yの事だろう。

融合したから悍しくなるのか。それとも元々似た造形なのか。脳裏を過ぎる醜い怪物の姿。どちらにせよ、アレは人が制御できるような代物じゃない。

ソファに座り直して、無意味と知りながら忠告する。

 

「あの怪物は世界を壊すでしょう。誰の手にも負えない。まさしく神だ。宰相閣下、貴方も後悔するはずです」

「必要な事だ」

「世界を壊す事が?」

「違うな。鋼の至宝を再錬成する事がだ」

「同じでしょう」

「今はわからなくていい。君もいずれ気付く」

 

自嘲しながら断言する鉄血宰相。

彼の双眸に宿るのは同情心だった。

それが何故なのかわからなくて。

それでも無性に腹が立ってしまって――。

 

「平行線ですね」

「そのようだ。私と君は立場はおろか、物事の視点も大きく異なっている。我々の道が交わるとしたら、一体何処になるのだろうな」

「まるで禅問答だ」

「東方より伝わった言葉か。何故知っているのかと訊くのは無粋だな」

 

やはり気付いている。

神算鬼謀の持ち主だからか、それとも誰かから聞いたのか。

驚愕する事実でもないと心を落ち着かせる。情報さえ渡せば、ミルディーヌでも到達した領域なのだから。鉄血宰相ギリアス・オズボーンなら独力で辿り着いても不思議ではなかった。

 

「さて。そろそろ時間も押している。有意義な時間を過ごさせてもらったよ。君にお礼をしなければならんな」

 

鉄血宰相は朗らかに言った。

 

「永劫輪廻の脱却を手伝えと言うつもりなら先に断っておこう。私もこれ以上、そちらに手間を割くわけにいかなくてな」

 

気安い口調で。気高い声音で。

まるでこれから出掛けようと誘うみたいに。

何を要求すべきか。はっきりしている。黄昏の起こる条件。黄昏が起きた際の混乱。そして何故、皇帝陛下が現状を黙認しているのか。

知りたい事は山ほど存在する。

なのに、それらが無意味な問いなのだと心の何処かで認識していた。

 

「これをやろう」

 

テーブルの上に『鍵』を置いた鉄血宰相。

どことなく見覚えある形だった。具体的に云えば内戦終結時からクロスベル戦役に赴くまでの三週間、毎日のように使用していた大事な鍵だった。

 

 

「決断したまえ、フェア・ヴィルング。安易な逃げ道を用意するな。不退転の覚悟を抱け。必ず成し遂げると誓うのだ。そうでなければ、そうしなければ君の目的は永劫に達せられん」

 

 

鉄血宰相は立ち上がった。

後ろ腰で手を組みながら激励する。

それはまるで叱っているみたいに。迷える仔羊を先導するみたいに。自分と違う決断をして欲しいと希求しているみたいに。

余りにも優しい声音に思考が止まった。

鍵を受け取る。傷付けないように仕舞った。

 

「まさか、貴方に発破を掛けられるとは」

 

思わず苦笑すると、鉄血宰相は破顔した。

 

 

 

 

「君が私を尊敬してくれているように、私も君を尊敬しているのだよ。一人の人間としてね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ていた。

深く深く。長く長く。

楽しかったのか。悲しかったのか。

喜んでいたのか。苦しかったのか。

覚えていないけれど。思い出せないけれど。

幸せだったと思う。

幸福に包まれていたと思う。

きっと人生を反芻していたのだ。だから、何度振り返っても、幻のようにその手に掴めないのではないか。

この十五年、様々な出来事があった。その中にはとんでもないような事も、至極当たり前な事も含まれていて、自分の人生はひどく緩急のついた物なのだと自嘲する。

最近は急すぎて。疲れていて。

誰かを愛する故に感情を捨てたのだ。

果たしてそれは誰だったのか。どんな人物だったのか。月夜の草原に散らばった無数の思い出を集めていく。

一つ一つ大事に胸へ仕舞って、鼻腔を擽る懐かしい匂いに気付いた。

幻想か。錯覚か。夢で構わない。幻視した物でも充分だ。漸く会えたのだから。彼となら地獄の業火で焼かれても笑っていられるのだから。

 

「――フェア」

「ご無沙汰しております、皇女殿下」

 

あれ。おかしいな。

想像を遥かに超える明瞭な返事に小首を傾げる。

朦朧とする視界を酷使して、周囲を見渡した。皇城に与えられた自室。現実と夢想。覚醒と睡眠を繰り返していたアルフィン・ライゼ・アルノールは、部屋の中央に設置してあるキングサイズのベッドで横たわっている。

愛する男は傍にいた。

ベッドの横で椅子に腰掛けている。

無意識の内に手を伸ばそうとした。甘えたくて。触れたくて。温かさを感じたくて。それでも、自らの罪を回顧した瞬間、名残惜しくも手を引っ込めた。

 

「どうして、此処に?」

 

期待を孕んだ疑問の声。

フェア・ヴィルングは静かに言い切る。

 

「皇女殿下にお会いする為です」

「そう。フェアから訪ねてくれるなんて、今日は好い日だわ」

 

嬉しかった。歓喜に酔いしれた。

何を話そう。何を話題にしようか。

悩んだのは数秒だけだ。

最初に彼へ伝える言葉と感情は決まっていた。

 

「ごめんなさい」

 

涙は出なかった。

嗚咽すら漏れなかった。

それでも万感の想いを込めた。

通じているだろうか。伝わっているだろうか。

最低だと罵って。嫌いだと中傷して。罵詈雑言を浴びせた。たとえそれが、アルフィンの受け入れた愛憎反転の結果だとしても。彼を罵倒して拒絶したのは真実その通りなのだから。

それに――。

フェアを愛していると自覚したから。心の拠り所を取り戻してしまったから。彼は永遠に輪廻を繰り返してしまうだろう。未来永劫、終わりなきループに囚われてしまった。謝っても許されない罪。それでも、アルフィンは謝罪以外に赦しを乞う方法など知らなかった。

 

「謝るべきなのは、私です」

 

フェアは瞼を閉じたまま口にした。

オルキスタワーで起きた真相を。初代ローゼリアから教示された内容を。数ヶ月の内に変化した情勢を。淡々と。泰然と。意図して感情を打ち消しながら。

 

「認めたくありませんが、私は何処か輪廻脱却を諦めていました。今回は無理だ。なら次だ。今回も無理だった。なら次だと。いつかは、やがていつかはと。そんな風に先延ばしにしていました」

 

だから貴女を巻き込みたくなったと。

両膝の上で握り拳を作りながら告白した。

アルフィンは瞠目する。蒼穹の瞳に希望の輝きが舞い戻った。膨れ上がった悦びからベッドの中で打ち震えた。

今し方、聞いた言葉を吟味する。

フェア・ヴィルングと一緒にいるだけで、アルフィン・ライゼ・アルノールも終わらない輪廻の渦へ巻き込まれるらしい。悲しくない。恐ろしいなんてとんでもない。つまりそれは、愛する人と永遠に過ごせると云う事に他ならない!

 

「これ以上、私と一緒にいたら地獄に付き合わせてしまうかもしれません。貴女も輪廻に巻き込んでしまうかもしれません」

 

――それでも。

 

 

 

「私と、歩んでくれますか?」

 

 

 

フェアが右手を差し伸べた。

甘美なる毒。麻薬の如き誘い。

愛を知った少女に耐えられる筈もなかった。

 

 

 

「勿論。喜んで付き合うわ」

 

 

 

アルフィンはその手を握り締めた。

強く。固く。二度と離さないように。

永い時間を隔てても傍にいられるように。

 

 

 

 

「だって、私たちは一蓮托生でしょう?」

 

 

 

 

イチレンタクショウなら、それでいいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 










盟主「よくないんだよなぁ(激おこぷんぷん丸)」








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四十四話 狂言綺語

 

 

 

鉄血宰相から教えられた。

約一ヶ月前の出来事。皇帝陛下の説得とロゼの託した秘術によって、アルフィン殿下の愛憎反転は解呪されていたらしい。

クロスベル戦役から帰還した直後、どうしてロゼが罪悪感に押し潰されてしまいそうな面貌だったのか、遅まきながらもようやく理解した。

お人好しな彼女のことだ。恐らく我慢できなかったのだろう。当人の思惑を無視してでも。押し付けた善意と罵られても。余計なお世話だったとしても。俺とアルフィン殿下の齟齬を修正したかったのだと思う。

 

「半年も経っていないのに。酷く懐かしいわ」

 

にぎにぎと掌の感触を楽しみながら。

ニコニコと天女のように微笑みながら。

繋がれた右手を愛おしげに見詰める主君。

症状不明な昏睡状態で全身の筋力が落ちているにも拘らず、アルフィン殿下は身体を起こそうとしている。

畏れ多くも背中に手を回して、倒れ込まないように優しく支える。

 

「ご無理をなさらないで下さい」

「貴方の負担になりたくないの。早く動けるようにならないと」

 

笑顔の裏に隠された辛さ。

隠匿できていない全身の脂汗。

アルフィン殿下の気持ちは重々理解できる。

自らの身体と認めたくない非力さ。思い通りに動けない歯痒さ。俺も幾度となく味わった。理想の動作へ近付く為、隔靴掻痒な状態を乗り越えてきた。

それでも以前の俺なら、アルフィン殿下を止めていたと思う。正論を盾に。建前を前面に。俺のような存在が尊き御方を苦しめたくなかったから。

 

「――苦しいですよ?」

「大丈夫よ。他ならぬ私たちの為だもの」

「承知しました。ですが、今日だけは私を頼ってください。リハビリは明日からにしましょう」

「でも」

「私は此処にいますから」

 

アルフィン殿下は数秒だけ悩んで。

一理あると認めたのか、コクンと小さく頷いた。

 

「でも、このままで居させて。お願い」

「かしこまりました」

 

破顔一笑。可愛らしい。

約50リジュの隔たり。顔を僅かにでも動かせば口付けすら容易い距離だ。不躾ながらも御顔を間近で眺めてしまう。春頃にすれ違った時よりも痩せ細っている。

ズキンと。ナイフで抉られるような鋭い痛みが胸に走った。

オルキスタワーで覚悟を決めていれば。

初代ローゼリアの提案を断っていれば。

このような失態を犯さなかったかもしれないのに。

後悔先に立たずと言うが、まさしくその通りだと痛感した。

 

「あ、いや」

「どうしました?」

 

唐突に身体を捩るアルフィン殿下。

顔を真紅に染める。俺から隠れるように背後を向いた。口元を手で覆っている。チラチラと何度も此方を伺う仕草は、年頃の少女そのもので大変微笑ましかった。

 

「ね、ねぇ。一つ訊きたいのだけど」

 

声を震わせながら尋ねる。

 

「――私、匂わないかしら?」

 

なるほど。当然の疑問だ。

特に女性なら尚のことである。

アルフィン殿下の意を汲み取り、俺は即座に肯定する。

 

「少しだけ」

 

空気が凍った。

 

 

「嘘でも全然匂わないよって言うべきじゃないかしら!?」

 

 

アルフィン殿下は羞恥心を掻き消すように叫喚した。

不満気に肩で息をする。恨めしそうに涙目で睨み付ける。

年頃の少女らしい反応だった。

俺は心密かに安堵した。何故か。ほんの小さな違和感を覚えたからだ。邪神による干渉か。それとも目覚めたばかりだったからか。

 

「気にしなくても良いかと」

「うぅぅ。今更慰められても」

「アルフィン殿下の匂い、私は好きですから」

 

ピタリと。

動きが止まった。

 

「――ずるいわ」

 

絞り出すように恨み言を呟く。

 

「フェアって、女誑しでしょ」

 

風評被害である。訴訟も辞さない。

少なくとも女性を誑したつもりなどなかった。

今回の世界線が狂っているだけだ。明らかにおかしい。そもそも出会いが多すぎる。

オーレリアとクレアさんに関しては、恋人関係へ発展する必要条件を知っているけども。

 

「――――」

 

アルフィン殿下は唇を尖らしたままだ。

まるで小動物のように唸っている。威嚇のつもりだろうか。

下手な言い訳を口ずさんでしまえば、容赦無い叱責が飛んできそうである。

はてさて。どう答えたものか。

思考を加速させた瞬間、予想外の音に思わず身構えた。

鼓膜へ届いた扉の開閉音。大きさ、振動から判断してこの部屋だ。先ず間違いない。皇族の私室へ許可も取らずに無断で足を踏み入れるなど、御家族以外に決して赦されない愚行と言える。

アルフィン殿下を強く抱き締める。護るべき存在を胸に収めた。

誰が襲撃してきたとしても対応できるように、一瞬で身体を戦闘用へと変化させた。

 

 

「あれ?」

 

 

意外な人物が小首を傾げる。

姿を現したのは皇太子殿下だった。

帝国の至宝と称される未来の皇帝。双子の姉に負けず劣らない端整な顔立ち。お花畑で舞い踊る少女の如き可憐さは、エレボニア帝国だけでなく、周辺諸国にまで数多くのファンを生み出した。

皇族の一人。皇位継承権第一位の皇子。エレボニア帝国にて二番目に尊ばれるべき存在である。

なのに――。

俺は直感を信じた。

ベッドからアルフィン殿下を抱き上げる。後方へ跳躍。躊躇いなく抜剣する。

たとえ不敬罪と糾弾されても構わない。皇太子殿下を敵に回しても後悔しない。あの場でベッドから離れていなければ、アルフィン殿下を殺されていたと確信しているから。

 

「フェア?」

「まさか貴方が此処にいるなんて。これは予想外でしたね」

 

不安げに呼び掛けるアルフィン殿下。

対して、皇太子殿下は不服そうに呟いた。嘆息を挟む。明白な舌打ち。嫌悪感を含んだ双眸で鋭く睨んだ。

 

「この部屋へどうやって入ったのですか?」

「宰相閣下から鍵を渡されまして」

「僕たち皇族から許可を得ようともせず、アルフィンの部屋へ足を踏み入れた理由が苦々しくもそれですか」

 

これ見よがしに肩を竦める皇太子殿下。

肩口にまで伸びた金髪を左手で掻き上げ、困った人だと口角を吊り上げた。

蒼玉の瞳に宿る侮蔑の感情。余裕の笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。

隙の見当たらない歩き方だった。体幹も揺れ動いていない。明らかに武術を嗜んでいる。

だが、この短期間で可能だろうか。多く見積もっても半年程度の鍛錬だ。オーレリアに比肩する鬼才の持ち主でもなければ不可能だと思うのだが。

皇太子殿下は褐色に変質した左手を突き出した

 

「さぁ、アルフィンを返してください。皇太子である僕に剣を向けたことさえ、今なら特別に赦してあげましょう」

 

寛大な僕に感謝してくださいね。

断れば不敬罪。邪魔をすれば極刑に処す。

まさしく選ばれた人間だからこそ。

皇太子殿下だからこそ許される傲慢な物言いだった。

まるで暴君のように提案する『敵』へ向けて、俺は断固とした決意を以って拒絶した。

 

「お断りします。貴方に、アルフィン殿下は渡せない」

「騎士に選ばれたからと傲慢に成りましたね。この僕が、皇太子である僕が、下手に出て要求しているんだぞ。さっさと四の五の言わずに返せばいいんだよ」

「なら、隠している右手を前に出してください」

 

語気を荒げる皇太子殿下へ、冷静に告げる。

腰の後ろに隠してある右手を衆目に晒してみせろと。

俺の直感が正しければ。

感じた殺意が本物ならば。

瞳に過った憐憫と憤怒が真実ならば。

 

「この僕に指図するのか、君如きがッ!」

 

次代の皇帝は激怒した。

腹立ち任せに椅子を蹴り飛ばす。般若のように表情を歪めた。隠し持っていた短剣を構え、鋭利な切っ先を容赦なく突き付けた。

アルフィン殿下の息を飲む音。

皇太子殿下の奥歯を噛み締める音。

対立する双子の姉弟。片方は困惑していても、片方は狂気に満ちている。仄暗い部屋に不審と殺気が蔓延する。

息苦しさすら覚える異様な雰囲気を掻き消すように、俺は改めて力強く宣言した。

 

「私はアルフィン殿下の騎士です。主君の御命を脅かすなら、たとえ皇太子殿下でも敵として判断します」

 

皇太子殿下は短剣を翻す。

激憤に駆られたまま、近くの壁を真一文字に斬り付けた。

 

「アルフィンなんか護っても意味ないだろッ。只の皇女だぞ。僕は皇太子だ。君は、この僕の騎士になるべきだ!」

「アルフィン殿下より、私の主君に相応しい方などおりません」

 

腰に手を回すアルフィン殿下。

俺の胸に美貌を押し付けながら震えている。

怖いだろう。苦しいだろう。

だからこそ護らなければならない。

再び手を握ってくれた信頼に応える為にも。

 

「分からず屋が。君もアルフィンに惑わされた口か」

 

騒ぐ。

 

「そうだ、そうだよ。やっぱりだ。アルフィンがいるから駄目なんだッ。アルフィンさえいなくなれば、全て上手く行くんだ!」

 

喚く。

 

「折角さ、一ヶ月間も毒を盛ってやったのに。勝手に衰弱死してくれると思ったのに。いつまで経っても死んでくれないから、この短剣で殺してやろうと思ったのにッ!」

 

叫ぶ。

 

「理由なんて決まってるだろ。君なんて要らないからだよ。不必要なんだよ。いいや、違うな。存在するだけで害悪なんだ。帝国が混乱してしまうんだ。死んでくれないと困るよ。困るんだよ!」

 

嘯く。

 

「あぁぁぁあ、もう!!」

 

癇癪を起こした幼児。

責任転嫁する犯罪者。

頭を掻き毟りながら地団駄する。

皇太子殿下は狂人のように身体を痙攣させた。

 

「――セドリック、どうして」

 

無責任に焚き付けた人々のせいだろうか。

もしくは、邪神や黒の思念体による影響なのか。

確かなのは以前の面影など欠片も残っていない事。別人だと嘘を吐かれても、信じてしまいそうな程に変貌してしまった事である。

 

「――――」

 

我慢の限界だった。

いい加減にしろと思った。

皇太子殿下だろうと関係ない。

頭を殴って昏倒させる。斬られないだけ感謝してほしい。

アルフィン殿下へ掛かる負担、狭い室内で出せる限界の速度。二つの事項を考慮しても、皇太子殿下の間合いに入り込んで卒倒させるなど造作もない。一秒で事足りる。

 

 

「止まれ、フェア・ヴィルング」

 

 

――その筈だった。

 

「アレは」

「黒い球体?」

 

皇太子殿下の頭上に突如出現した漆黒の球体。

初めて見た物質に惑わされて、踏み込んだ右足を止めてしまう。

アレは流暢に喋った。正体不明な動力で浮遊していた。視力でもあるのか、紫紺の単眼が頻繁に明滅する。

 

「殿下、此処は諦めるべきかと」

「何でッ。アルフィンを殺さないと!」

「機会は幾らでもあります。引くことも肝要ですよ」

 

アレに操られているのだろうか。

手綱を握れているとお世辞にも思えないけど。

皇太子殿下の双眸は灼眼と錯覚してしまうぐらい血走っている。飼い主へ獰猛に噛み付く様子は、まるで檻から解き放たれた野獣のようでいて、調教師を無視して突き進む猛獣のようだと憐んでしまった。

俺は皇太子殿下の動向に注意しながら、新たな敵に詰問する。

 

「何者だ」

 

最大限の警戒心で。

何をされようとも対処できる構えで。

言葉少ない問い掛けに、漆黒の球体は笑い声をあげた。

 

「答えると思うかね」

 

傲慢な声音。軽蔑する視線。

浮遊する漆黒の球体は燦々と輝き始めた。

膨大な光量を全方向へ照射しながら高速回転していく。

 

 

「さようなら」

 

 

皇太子殿下を護るように展開された障壁。

全身の肌へ突き刺さる殺意と敵意、そして危機感。

後先考えずに戦技を繰り出せば、薄皮一枚の障壁なんぞ容易く破壊できる。突破できる。だが、八割の可能性で皇太子殿下も斬殺してしまう。

血生臭い結末となるだろうが、今更な話でもあった。アルフィン殿下に毒を盛り続け、挙げ句の果てに殺害しようとした存在が相手ならば、何一つ躊躇わず宝剣を振るえる。実の姉君であるアルフィン殿下さえいなければ、この場で今すぐ煉獄へ叩き落としてやると云うのに。

逡巡。故に、間に合わない。

歪な人形が虚空から出現した。パッと視認した限りで十体以上。漆黒の球体と同じく、人形の殻を割るような勢いで中から光が溢れ出している。

漆黒の球体や歪な人形を全て一撃で破壊しても無意味な結果に終わるかもしれない。現状の打破に繋がらないかもしれない。俺が助かっても、アルフィン殿下の安全を確信できないなら――。

 

「アルフィン殿下、失礼します」

「え!?」

 

宝剣を鞘に戻す。

了承を待たずに抱き上げた。

所謂『お姫様抱っこ』な状態である。

顔を紅潮させて狼狽するアルフィン殿下を尻目に、俺は窓ガラスを右足で蹴り破る。硝子が粉微塵になって乱舞する中、背後の脅威から逃れる為に跳躍した。外へ飛び出す。

瞬間――。

皇城全体を揺らす衝撃と、鼓膜を破りそうな爆発音が豪雨の中に轟いた。

爆炎と熱風は火傷するだけで済んだものの、爆風に乗った硝子の破片が背中に突き刺さる。数にして約二十数個。少しだけ痛い。だが安心する。これなら無視できる範囲だ。

アルフィン殿下が俺の首に手を回した。視線が交錯する。大丈夫だと頷いた。お互いに何を言うべきかわかっているから。

 

 

「来い、テスタ=ロッサ!」

「来て、テスタ=ロッサ!」

 

 

空中で声高に叫ぶ。

 

 

『応!!』

 

 

歓天喜地の雄叫びと共に、緋の騎神が転移した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆炎の晴れたアルフィンの自室。

家具は粉々に吹き飛び、カーテンは燃え落ちている。障壁から姿を現したセドリックは、煤に塗れた壁を何度も殴打した。

闇夜から現れた緋の騎神。霊子変換された契約者と起動者は、重力と常識を無視して、騎神の中へと吸い込まれていく。

 

「――どうして、なんだ?」

 

緋の騎神に相応しいのは僕だ。

次代の皇帝に相応しいのは僕だ。

誰もが同意する事実だろうに。世界が認めるであろう本来の姿だろうに。不思議だ。おかしいな。旧い世界を壊して、新しい世界を作る。誰も成し遂げた事のない偉業を達成する僕は、誰よりも優れた英雄なのに。

 

「どうして、僕に跪かないんだろう」

 

カレル離宮を覆う『黒キ聖杯』。

帝都ヘイムダル全域に現出した数千匹の幻獣。

絶え間無く飛び交う凶報に右往左往していた衛士隊の人間が、今更ながらにアルフィンの自室へとやって来た。

黒緋の騎士が本性を見せたと。

僕を傷付けて、アルフィンを攫っていったと。

顔色一つ変えずに虚言を吐くセドリックは、右腕を撫でた。

 

 

「あれ?」

 

 

何度も撫でる。

袖を捲って確認する。

綺麗な肌。在るべきモノがない。

 

「僕は、フェア・ヴィルングに斬られた筈なのに」

 

確かに怪我を負った筈なのに。

黒緋の騎士と互角に斬り結び、好敵手と認められた筈なのに。

 

「まぁ、いいか」

 

切り替えよう。目的は達成した。

 

「フェア・ヴィルングも大した事なかったかな」

 

黒緋の騎士だなんて。

帝国最強の剣士だなんて。

まさしく過大評価だと嘲笑った。

 

 

「まさかこの僕と互角なんてね」

 

 

 

 

 








ニャル「ほーん、やるやん」


黒の騎神「ヤベェ、やり過ぎた」



緋の騎神「おっしゃああああああ!!」










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四十五話 霊魂不滅

 

 

 

「殿下の保護を終えました」

「ご苦労。彼は無事なのかね?」

「えぇ。特に怪我も負っていません」

「私が尋ねているのは、フェア・ヴィルングの方だが」

「そちらでしたか。脱出時に半身火傷、背中に硝子の破片が数十個突き刺さっているぐらいでしょうか」

「良かろう。その程度ならば誤差の範囲内に過ぎぬ」

「しかし、閣下」

「何かね?」

「黄金の羅刹と肩を並べる、帝国最強の剣士に成長したフェア・ヴィルングに緋の騎神を渡しても良かったのですか?」

「無論だ。彼が起動者でなければ『巨イナル一』の再錬成は不十分な物となるだろう。聖杯の障壁すら突破できん。嘆かわしい事だが、セドリック殿下はスペアでしかない」

「我々の技術力を使っても、未だに半人前。躍り狂うだけの存在。古の血を覚醒させるしかありませんな」

「彼へ緋の騎神を渡したのだ。最早セドリック殿下の役割は半減している。性急に事を運ぶな」

「閣下、その件についてお耳に入れたい事が」

「皆まで言わずともわかっている。左手の件だろう。やはり外の理に通じているのか?」

「いえ。それが――」

「どうした?」

「我らが主の干渉だけです。外の理へ全く通じておりません」

「ほう」

「この件が終わり次第、急いで解析を進めようと考えております」

「好きにしろ。だが、セドリック殿下を壊すな。アレでも皇太子の地位を持つお方だ。皇帝陛下の頼みを無碍にできん」

「かしこまりました」

「後は楽しみに待つとするか、英雄の到着を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緋の騎神に搭乗するのは約半年振りだろうか。

片手の指でも数えられる回数しか乗っていないのに不思議と落ち着く。充満する独特の空気か。アルフィン殿下と共にいるからか。昂揚した意識が刻々と冷やされていった。

何から始めようかと考えて、複座である意味を思い浮かべた。

 

「アルフィン殿下、後ろの座席へお移り下さい」

 

俺に抱き付いたままのアルフィン殿下。

表現するなら対面座位か。冗談でもヤバいだろ。

俺はズボン。相手はスカート。

誰かに見られたら誤魔化せない状態である。騎神の中でも安心できない。何故か。搭乗者の姿は通信相手に映るからだ。要らない機能だろ、これ。

アルフィン殿下は首を横に振った。

 

「ううん。私はこのままで構わないわ」

「私が構います」

「大丈夫よ。フェアの邪魔はしないから」

 

確かに邪魔ではない。

騎神とは概念兵器の一種だ。機械の塊である機甲兵と異なり、両手両足を用いて忙しなく操縦せずとも、宝珠に翳した掌から起動者の意図を正確に読み取って動いてくれる。

アルフィン殿下に抱き締められていても、確かに動作や戦闘に支障は出ないけど、折角複座を用意してくれた過去の技術者を無視するのは如何な物かと。

アルフィン殿下は悲しげに微笑む。

 

「それとも、嫌だった?」

 

今更、降りろと言わない。

危ないとも、手伝うなとも。

アルフィン殿下も輪廻の渦に巻き込まれる可能性を孕んでいるのなら、まさしく俺たちは一蓮托生の存在なのだから。

 

「わかりました。戦闘になった際、振り落とされないように気をつけてください」

「ふふ。遠慮なくしがみ付くから安心して」

 

楽しそうだ。愉快そうだ。

双子の弟から一ヶ月間も毒を盛られ、短剣で殺されそうになったばかりなのに。世間の荒波に飲まれた大人ですら、一生引きずるかもしれない殺意と敵意を浴びたというのに。

どうも存在Xや存在Yの干渉を食らっていなさそうだから、純粋に精神面の成長を喜べばいいのだろうか。

 

『マァ、良イノデハナイカ』

 

搭乗席に鳴り響く厳粛な声。

最初よりも人間らしさを帯びた機械音声。

両手の宝珠を強く握る。言外に謝罪の意を込めながら再会を喜んだ。

 

「久し振りだな、テスタ=ロッサ」

『起動者ト再ビ話セル事、大変喜バシク思ウゾ』

「ごめんなさい、テスタ=ロッサ」

『契約者ガ謝ル必要ナド無い。全テハ狂ッタ因果ノ結果ダ。シカシ、ヤハリ落チ着クナ。我ノ契約者ト起動者ガ貴方達デ良カッタ』

 

再会の挨拶はこれで充分だろう。

詳しく話すのは現状を乗り越えてからだ。

眼下に広がる紅の帝都ヘイムダル。軽く視認しただけで三桁に及ぶ幻獣が至る所で猛威を奮っている。鉄血宰相が予め駐屯させておいた正規軍の機甲師団によって掃討されつつあるが、空中を漂う黒い靄霞から容易く復活してしまう為、このままだと鼬ごっこに過ぎない。

 

「戦闘に問題あるところは?」

『特二無イナ。限界マデ霊力モ溜マッテイル』

「あの黒い靄霞、何かわかるか?」

「恐ラク暗黒竜ノ遺シタ瘴気ダロウ。黒キ聖杯ト大地ノ聖獣ノ能力二因ッテ、無限ニ幻獣ヲ産ミ出シ続ケル筈ダ』

「聖杯とやらをどうにかするしかない訳だな」

『ウム。解決策ハ、ソレシカ無イダロウナ」

 

これが黄昏の始まりか。

逃げ惑う人々、応戦する軍人。

散乱する瓦礫、蔓延する火災。

大混乱が起きると知っていた。帝都全域を巻き込む事も。まさかこれ程とは。是が非でも世界大戦を起こすなら、少しでも国力を高めなければいけないのに。

七の相克に必要な所業なのか、これが。

鉄血宰相と地精、結社は何を望んでいるんだ。

 

『――――ア。――ェア!』

 

掠れた通信音が届いた。

テスタ=ロッサも気付いたらしい。

 

『起動者ヨ、映像ニ出スカ?』

「頼む。俺の知っている人だ」

 

視界の右端に映し出される深淵の魔女。

 

『――フェアッ。良かった、無事だったのね!」

 

必死に呼び掛けていたのだろう。

俺の顔が見えた瞬間、ヴィータさんの強張っていた表情が緩んだ。意図せずに溢れた安堵のため息は一際大きかった。

深淵の魔女は刺々しく口を開いた。

 

『明白な罠なのに突っ込んでいくし、聖杯が出現したのに連絡も取れないし、皇城付近を飛ばせておいたグリアノスも困り果てて戻ってくるし。無事だったのなら先ずは私に連絡しなさい!』

 

約束したでしょうと。

恐るべき剣幕で捲し立てるヴィータさん。

搭乗席に轟く数多くの文句、もとい正論な言葉に圧倒される。言い訳したい。だが、内容を誤ってしまえば更に傷口を拡げてしまいかねない。

そんな俺を見兼ねたのか、アルフィン殿下が間に割って入る。

 

「ヴィータさん、フェアを責めないでください」

『――ッ。これはこれは。皇女殿下、嫌いだと罵った殿方に抱き付くなんて、些か趣味が悪いのではありませんか?』

「内戦時、私たちと敵対したヴィータさんのお言葉と思えませんわね。簡単に鞍替えしてしまうなんて、大層趣味が悪いのではありませんか?」

『そもそもフェアに抱き付く必要性などありませんよね。後ろに用意してある席が見えないのかしら?』

「フェアが許してくれたのです。こうして抱き付く事も。それに、これは契約者と起動者である私たちの問題ですから、魔女さんにとやかく言われる必要ありませんわ」

 

言葉の応酬は熾烈を極めた。

見えざる剣で鍔迫り合いを行う二人。

片方は絶世の美姫で、もう片方は傾国の魔女だ。

 

「――――」

『――――』

 

最終的に通信越しで睨み合う。

ガンを飛ばす。メンチを切る。

緋の騎神は何も言わない。口を挟まない。静観を決め込んでいる。触らぬ神に祟り無しとでも考えているのだろうか。

俺が何とかするしかないな。

頃合いを見計らい、無理矢理割り込んだ。

 

「ヴィータさん、此方の詳細は後でお伝えしますから。何が起きたのか、何が起きているのかを教えてください」

 

真面目な口調で要望する。

流石は歴戦の魔女。思考の切り替えもお手の物。なるべく要点だけ掻い摘んで、判り易く説明してくれた。

ヴィータさん曰く、小一時間前から俺へ連絡を取らなくなったらしい。それは唐突で、一瞬の出来事だったと。やはり鉄血宰相の罠だったのかと歯噛みした瞬間、帝都ヘイムダルを包み込むように幻想的な鐘の音が響き渡った。

時同じくして、カレル離宮は黒キ聖杯へ変貌。誰かの差し金で発信された映像には、鉄血宰相を始めとして、彼の子供たちや結社の面々も勢揃いしていたようだ。

 

『私と貴族連合軍の兵士はパンタグリュエルを奪う為に行動しているわ。予定通りね。幻獣も第四機甲師団に任せて大丈夫でしょう、当面の内は』

「カレル離宮の方は?」

『羅刹殿と黒旋風、守護騎士二人、それとリィン君たちが向かっているわ。どうやらミリアム・オライオンが連れ去られているみたいよ』

「――おかしいですね。白兎は鉄血の子ども達では?」

『ええ、その通りよ。でも、確かに気絶した白兎を、いけ好かないレクター・アランドールが運んでいたわ』

 

何が起きているのか。

頭を掻き毟りたくなる。

帝都方面は問題ないと判断する。

深淵の魔女に加えて、機甲兵を操る貴族連合軍の兵士がいれば戦力的に十分。盤上の指し手であるミルディーヌ、十月戦役で紅い翼を指揮したトワがいるなら作戦司令部としても限りなく有効である。

憂慮すべきはカレル離宮方面だ。

如何に協力者の錚々たる面々が揃っていたとしても、鉄血宰相や結社の面子すら勢揃いしているなら苦戦は必至だろう。敗北も有り得る。特に火炎魔人と鋼の聖女がまずい。互角に相対できるとしたら俺とオーレリアぐらいだろうな。

 

『ヴィルングさん、聞こえますか?』

 

ミルディーヌの声だ。

アルフィン殿下の肩がピクンと跳ねる。弾かれたように顔を上げた。何か言おうと開口して、何も発さずに口を閉じる。

帝都の大混乱を終わらせてから話そうと思ったのだろうか。

 

「ああ、聞こえている」

『私の計算によると、この騒動は黒キ聖杯をどうにかしないと終わらないでしょう。帝都の幻獣も無限に出現すると考えて間違いないかと』

「テスタ=ロッサもそう言っていた。聖杯をどうにかするのが最優先事項だ。だから殆どの戦力をカレル離宮へ回したんだろ?」

『はい。オーレリア将軍に加えて、灰と蒼の騎神が肩を並べれば大丈夫だと考えたのですが、どうやら鋼の聖女も騎神を隠し持っていたみたいで』

『婆様曰く、銀の騎神らしいわ。自分で導いた起動者とか自慢してたしね』

 

おーい。何をやらかしてるんだ、ロゼ。

大地の聖獣の力を色濃く受け継ぐ銀の騎神は、二体の騎神を相手取って圧倒しているとか。起動者が鋼の聖女なら仕方ないと嘆息する。まさしく鬼に金棒、駆け馬に鞭、虎に翼といった所だ。

ジュノー海上要塞から極秘裏に転移してきたオーレリアとウォレスさん。彼らの機甲兵は海上要塞に放置されたままだ。魔女の協力者は数多く居るものの、機甲兵の莫大な質量を転移させるとしたらロゼやヴィータさんでもなければ無理らしい。

打開策が見当たらない。

更に、悪い報告は重なっていく。

 

『黒キ聖杯を四重の障壁が覆っているらしく、中へ突入する事さえ困難だと。ローゼリアさんと副長さんが協力しても、一つの障壁を突破するだけで限界らしいです』

 

だから、と続ける。

 

『ヴィルングさん、黒緋の覇王へ成れますか?』

 

暗黒竜を超越した存在。

騎神を別次元へと昇華した姿。

ロゼ曰く、上位空間に蔓延る神の如き力だと。

契約者であるアルフィン殿下は乗っている。俺も全身を焼かれる程度の痛みなら、わざわざ身構える必要すらない。

問題はテスタ=ロッサ次第だが――。

 

『我ハ問題ナイ。起動者次第ダ』

「大丈夫らしいぞ。いつでも覇王状態へ変化できる」

『有り難うございます』

 

ミルディーヌは嬉しそうに、それでいて恐ろしそうに感謝を述べた。

 

『婆様と私で解析した結果、覇王状態なら第三障壁まで破壊できるはずよ』

「障壁を破壊した後は、銀の騎神を食い止めればいいんですね?」

『そうね。二体の騎神で圧倒される現状、貴方に頼るしかないわ。フェアと聖女殿が戦っている隙を突いて、羅刹殿やリィン君たちを聖杯内部に送り込む予定よ』

 

初陣は暗黒竜だった。

慣れない機体で頑張ったと自画自賛する。

だが、艱難辛苦とは突如として襲い掛かる物だ。

黒キ聖杯の障壁を破壊した後に、結社最強の武人と名高い聖女が駆る、二体の騎神と戦っても優位に立つ銀の騎神を相手に一騎討ちしろとは。

苦境と裏腹に、身体が震える。

武者震いだろうか。浮き立つ想いを抑えきれない。

 

【私と貴様は同じだ】

 

オーレリアは言った。

我々は同じく戦闘狂なのだと。

鍛え上げた剣術を披露したいと思っていると。

 

【そうだろう、愛しき男よ】

 

一度だけ恋仲になった世界線。

俺はオーレリア・ルグィンを斬殺した。

荒れ狂う暴風雨の中、決壊したガラ湖の畔で。

確かに好きだったのに。優しく手を取り合ったのに。愛していると云っても過言ではなかったというのに。

理想と現実。運命と偶然。悪意と善意。

俺は容赦なく剣を振るった。

彼女は笑いながら刃を受け入れた。

死の間際、俺の輪廻を追体験していたヴィータさんに癒されて、壊れる寸前だった心を救ってもらった。

 

『起動者ヨ、行クゾ』

「そうだな、テスタ=ロッサ」

 

僅かに残る未練を振り払う。

テスタ=ロッサの機首をカレル離宮へ向けた。

 

 

「頑張って、フェア」

「はい。勝ちますよ、必ず」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨は止まない。

曇天に覆われたまま。

幻獣の雄叫びと人々の悲鳴が繚乱する。

 

「さて。宰相閣下はボクとの約束を守ってくれたみたいだね」

 

比較的被害の少ないサンクト地区。

周辺の避難民を受け入れるヘイムダル大聖堂の屋上に立ち尽くしながら、カンパネルラは上空を見詰めた。

一筋の緋い流星。契約者と起動者を取り戻した緋の騎神は、恐るべき速さで闇夜に緋の軌跡を描いていった。

それは鮮烈な彩りで。それは酷烈な輝きだった。

 

「頑張れ、ゼーレ」

 

応援するのは駄目だろうか。

拍手喝采を浴びせるのは異端だろうか。

運命の歯車は回り出した。因果は巡り出した。

此処から先は一直線だ。全ての苦難と焦燥は終焉を迎える。だからこそ道化師は見届けなければならない。

永劫輪廻の行先を。永劫回帰の未来を。

 

「ボクも頑張るからさ」

 

胸元から取り出した人骨らしき『化石』。

脈打つような異常さに目もくれず、カンパネルラは埃被った表面を袖で優しく拭った。浮かび上がる不思議な文字を愛おしげに見詰める。

良かったと安堵した。

まだ読めるみたいだと胸を撫で下ろす。

 

 

 

 

『魂の心臓』

 

 

 

 

確認するように文字を口ずさんで、カンパネルラは姿を消した。

 

 

 

 

 








ヴィータ「何で対面座位なんですかねぇ(ブチ切れ)」




緋の騎神「複座の意味とは一体」




黒の騎神「あれ、俺の分体って何してるの?」








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四十六話 比翼連理

 

 

 

 

 

黒キ聖杯へと変容したカレル離宮。

皇族専用の別荘地に相応しい風光明媚な光景は、訪れる者全てに嫌悪と吐き気を齎らす禍々しい大地へ変わり果てた。

中心に聳え立つのは巨大な黒い繭。孵化を待ち望む卵。鉄血宰相の言葉を借りるならば、巨イナル力を永劫のものとする為に用意された斎場か。

敵対勢力の大部分は黒キ聖杯内部にいる。連れ去られたミリアム・オライオンも。鉄血の子ども達だろうが関係なかった。仲間だから助ける。救い出してみせる。

時間的猶予など無かった。

一刻も早く突入しなければならない。

なのに――。

三桁に及ぶ結社の人形兵器群を相手取る黄金の羅刹と黒旋風。西ゼムリア大陸に於いて最強の猟兵団と名高い『西風の旅団』を、聖杯騎士団の誇る守護騎士二名が抑え込んでいる。

更に、鉄機隊三名。そして、彼女たちを指揮する伝説にして至高の武人が、リィン達の前に最後の門番として立ち塞がった。

ローゼリア曰く、銀の騎神の起動者は、紛れもなく槍の聖女リアンヌ・サンドロット本人だとのこと。

 

『――クソ』

「これが、槍の聖女」

 

銀の騎神が仁王立ちしている。

傷一つない造形に神々しさすら感じた。

右手に翳す巨大な騎兵鎗からは大瀑布にも似た脅威を。背中に生えた白銀の両翼からは御伽話に出てくる大天使を彷彿させた。

リィン・シュバルツァーは奥歯を噛み締める。

膝付いていた灰の騎神を立ち上がらせた。大丈夫だ。霊力は足りている。まだ戦える。特殊な鉱石で造られた太刀を構え、勝負はこれからだと気を張り巡らせた。

強敵だとわかっていた。

勝てるのだと自惚れていなかった。

それでも多対一。多勢に無勢である。加えて、蒼の騎神を駆るクロウ・アームブラストと共闘するなら、せめて互角に渡り合えるのだと信じていたのに。

 

『まだ戦うのですか?』

 

清廉な声には覇気と聖気が混在している。

いい加減諦めなさいと催促しているようにも、これ以上頑張らなくていいのだと心配しているようにも感じ取れる声音だった。

リィンは差し出された甘い蜜を振り払う。

 

「当たり前だ」

『このまま終われるかよッ』

 

意気軒昂なクロウと共に突撃する。

間合いを詰めるのに数秒と掛からない。

飛翔能力に優れる蒼の騎神が先行する。双刃剣を両手で振り被る。機甲兵すら膾斬りにしてしまう斬撃に対し、銀の騎神は騎兵鎗を薙ぎ払うだけで対応した。

鋭く重い一撃に弾き飛ばされる蒼の騎神。

クロウを受け止めている時間など無かった。

銀の騎神が刺突の構えへ移行してしまう前に、苛烈に攻め込むのみ。威力は度外視。ひたすらに速度を求める。選ぶべき型は明白。八葉一刀流、弐ノ型『疾風』。風の如き機動力を以て、対象に気付かれず斬り刻む。

槍の聖女は体勢を整えていない。

がら空きの胴体。致命的な隙。届く。斬れるッ。

 

『遅い』

 

刹那の夢想。

現実に引き戻される。

銀の騎神は、眼前へ突き出した自由な左手で神速の太刀を掴み取った。片手で成した白刃取り。厳密に表現するなら三本の指で太刀を受け止めていた。

斬撃の勢いを完全に殺して、全身へ伝播する衝撃を受け流す超高等技術だ。

有り得ない光景に目を疑うリィン。これは木刀ではない。鍛錬の最中ではない。これは真剣だ。死闘の最中だ。一歩間違えれば絶命するかもしれない状況なのに。

只人の域を超越した武神だからこそ可能な絶技に打ち震える。万里ほどに隔たる力量の差。圧倒的な経験値に裏打ちされた実力。

銀の騎神と槍の聖女に勝てるイメージが欠片も思い浮かばない。

 

『さぁ。お眠りなさい』

 

騎兵鎗が唸り声を上げた。

穂先が煌く。雨粒の隙間を貫くように迫る。

速い。疾い。躱せない。右腕を抉られてしまう。

空中で身体を捻るか。それとも右腕を失う事と引き換えに蹴撃を与えるか。時間稼ぎを主とするなら前者。一矢報いるなら後者だ。一瞬の思考。前者を選択。致命傷を避けて、フェア・ヴィルングの到着を信じて待とう。

回避できる可能性は一割弱。それでも決行する。

 

『させるかよッ!』

 

相棒が声高に叫んだ。

双刃剣を投擲。回転しながら闇夜を裂いていく。

完全な死角から放たれた一撃。如何なる強者でも躱せずに傷を負う、或いは回避に専念して大きな隙を生んでしまうだろう。

しかし、当然の如く騎兵鎗で弾かれた。最早驚かない。驚愕に値しない。相手は戦姫。長年の研鑽が生んだ戦の申し子。だからこそ、蒼の騎神は予想していたように追撃を仕掛ける。

担い手を失って上空で乱舞する双刃剣を掴み直した。刺突の構え。重力に逆らわない。新たに創造した奥義を解き放つ。

ヴォーパル・スレイヤー。

たとえ勝てなくても。

継戦能力を僅かでも奪えれば。

互角に持ち込めるほど弱体化してくれるなら。

 

『良い技です』

 

鋼の聖女は褒め称えた。

蒼の騎士が届いた高みを素直に称賛した。

ならば、此方も相応の力で応じましょうと。

太刀から離した左手で間合いを計る。騎兵鎗を握る右手に力を込める。黄金の羅刹を超える膨大な闘気が溢れ出した。

クロウは空中。既に奥義を繰り出す直前。一秒後に炸裂する。その未来を打ち消すように、銀の騎神は戦技にまで昇華した刺突を繰り出した。

シュトルムランツァー。

一瞬の交錯。なれど勝敗は決した。

蒼の騎神は吹き飛んだ。

銀の騎神は威風堂々と立っている。

 

『貴方たちでは届きませんよ』

 

静かに断言する鋼の聖女。

驕心か。それとも別の理由でもあるのか。

追撃を仕掛けない。敵を殺そうとしていない。

その証拠に、二体の騎神は満身創痍ながらも致命傷を負っていなかった。五体満足のままだ。無理すれば戦闘可能な状態に在る。

どうする。どうしたらいい。

今取るべき最善の行動を模索する。

無闇に攻め込んだとしても突破できない。霊力を無駄に消費するだけ。仕掛けるにしても何かしら策を用意しないと返り討ちに遭うのは明白だ。

黄金の羅刹と黒旋風が人形兵器群を駆逐するまで待つか。残りは凡そ半数。この速度なら十数分足らずで殲滅できるだろうが、生身の人間に騎神戦へ割り込めというのは――。

 

 

 

『いえ、どうやら私の負けですね』

 

 

 

槍の聖女は自戒するように呟いた。

嘆息して。肩を落として。忌々しそうに夜空を見上げた。

釣られるように、リィンも頭上へ視線を向ける。其処には太陽が有った。

 

『宰相殿の仰る通り、緋の騎神を完全に掌握しましたか』

 

闇夜に君臨する覇王。

カレル離宮一帯の温度を上昇させる絶大な熱量。

天高く戦場を見下ろす緋の騎神は、全身から迸発する黒い焔を纏いながら『黒キ聖杯』へと疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全身を駆け巡る地獄の業火。

気絶してしまえと囁く魂魄に怒鳴り返す。

激痛だけでは消し炭にならない。みくびるな。

我慢しろ。辛抱しろ。平常心を保て。

目を閉じる。荒い呼吸を繰り返す。折れそうな心を、挫けそうな肉体を、炎熱の重苦に負けないように変質させていく。

時間にして数秒。

徐々に痛覚が麻痺してきた。

これで平気だ。戦闘に差し支えない。行ける。

 

「――――」

 

アルフィン殿下は言葉を発さない。

我々に言語など不要だと証明するように、先程よりも力強く抱き締めてきた。俺の胸に可憐な顔を押し付ける。

黄金の美姫は止めてと静止しない。頑張ってと応援しない。無理しないでと進言しない。

それでも――。

幾万の言葉を費やすよりも遥かに伝わった。

アルフィン殿下の強い想いに当てられたのか、不敬と知りながらも主君の頭を優しく撫でる。目が合った。互いに微笑む。この方に祝福あれと切に願う。

 

「行きます」

 

周囲に乱立する幾千の刃。

黒い焔で創造した一種の概念兵器。

聖杯を守護するように展開された障壁に対し、一斉掃射しても無意味。障壁の耐久力を削り切る速さより、刻々と回復してしまう速度が上回っているからだ。仮に突破できたとしても第四障壁のみ。挙句、壊れた障壁も直ぐに復活するだろう。

だとすれば実行するべき策は一つ。

右手を挙げる。集え、と命令を下した。

途端、巨大な力の奔流が大気を断絶していく。

幾千の概念兵器を一つに収束させる。半ば無理矢理だ。暴れ馬を乗りこなすよりも難しい制御に悪戦苦闘しながらも、短時間で極大な剣を形成し終えた。

長さにして200アージュ。

幅広な大剣は今か今かと脈動する。

 

『起動者ヨ、準備できたぞ』

「思ったよりも短いんだが、行けるのか?」

『安心シロ。誰ヨリモ我ノ起動者ニ相応シイ貴方ガ作リ出シタ長剣ダ。必ズヤ聖杯ノ障壁ヲ貫クダロウ』

 

テスタ=ロッサのお墨付きも戴いた。

ならば後は予定通りに。迷う必要などない。ヴィータさんとロゼから提案された通りに、黒キ聖杯へ至る道を作ってみせようか。

獄炎の大剣を手に持つ。

熱い。太陽のように熱い。

騎神の掌を徐々に溶かしていく。

持っていられない。触っていられない。

なら、障壁を直接斬れないなら突き破るだけだ。

 

【――――】

 

突如として聖杯が蠢く。

声にならない悲鳴と共に四重の障壁を展開した。

危機感からか。敵愾心からか。

どちらでも構わなかった。

既にやるべき事は決まっているのだから。

覇王へ進化した緋の騎神が持つ膂力に物を言わせて、獄炎の大剣を真下へ向けて放り投げる。音速を軽く超越する速度。溢れ出した爆炎と衝撃の余波だけで、結社の人形兵器群を片っ端から粉砕していく。

 

【――――】

 

第四障壁に直撃する。粉砕した。

第三障壁を食い破る。微塵にした。

第二障壁と衝突する。細かく罅割れした。

 

「チッ!」

 

第二障壁を破壊できない。

暗黒竜の遺した瘴気が想定よりも多かったのか。それとも黒キ聖杯の意志に因るものか。罅割れた瞬間から再生が始まっていく。

第二障壁で一進一退の攻防を展開する。

振り下ろした右手から発する炎熱で、大剣の勢いは常時増しているというのに。その証拠に行き場を失った爆炎と衝撃は、聖杯の根本を炎の海へ変えているというのに。

 

『起動者ヨ、耐エロ』

「こうなったら我慢比べだな!?」

『ウム。此方ノ霊力ガ尽キル前ニ、一瞬デモ瘴気ヲ使イ果タサセテシマエバ我々ノ勝利ダ』

 

簡単に言ってくれるな。

騎神の出力を上げていく事と比例して、全身を蝕む痛みも加速度的に増大していく。如何に痛覚を麻痺させても、その対処療法を上回る勢いで痛撃が与えられてしまえば決壊するのも時間の問題だった。

噛み締めた下唇から血が流れ出す。顎を伝い、ポタリと落ちた。アルフィン殿下の金髪を汚してしまうと気付いた瞬間――。

 

「――――ッッ!!」

 

彼女の四肢が大きく跳ねた。

ビクンと。まな板に置かれた魚のように。

頭を振り回して。

俺の背中に指を立てて。

抑え切れない悲鳴を押し殺して。

まさかと目を開く。もしかしてと懸念する。

 

「アルフィン殿下、もしかして貴女も!?」

 

返事が無かった。

ひたすらに何かを耐えている。

確信した。気付いてしまった。この方も地獄の業火に焼かれてしまっているのだと。何故だ。どうして。俺だけが燃やされるなら問題ないのに。幾らでも眼を瞑ってやるのに。

テスタ=ロッサに覇王状態を解けと命じようとして――。

 

「だ、駄目よ」

 

アルフィン殿下は、笑った。

 

 

 

「――フェア、ちゃんと前を、見て。私は大丈夫だから。貴方と一緒なら、こんな痛み、幾らでも耐えられるから」

 

 

 

焚刑に処されながら笑っていた。

その覚悟と献身に心を打たれた。

俺を苛む煉獄の火など、まさしく微風に過ぎない。

 

「テスタ=ロッサ、全力で霊力を回せ!」

『待テ。銀トノ戦イハ、ドウスルツモリダ?』

「通常状態で何とかしてみせる。俺を信じろッ!」

『了解シタ。貴方ヲ信ジヨウ』

 

急上昇する激痛の波。

全身の血液が沸騰する。

四肢の末端から神経が壊死していく。

だからどうした。この程度で弱音を吐くな。

口内の血を飲み込んで、裂帛の気合いと共に猊下する。

一進一退を許さない。時間を掛けていられない。

膨張する体内時間、融解する自我意識。

その代償として得た力で、紫紺に輝く障壁を突破してみせる。

 

 

「いっけェえええええッッ!!」

 

 

想いは咆哮となる。

咆哮は紅蓮の焔を呼び起こす。

聖杯の雄叫び。死を理解したモノの最後の抵抗。

第二障壁は軋みを上げながら、それでも尚原型を保ち続ける。

言ってしまえばこの勝負、騎神の霊力と聖杯の宿す瘴気の鬩ぎ合いだ。

聖杯にも諍う術は残されている。一発逆転の機会は充分に存在している。

黄昏を孵化させようとする黒キ聖杯。

アルフィン殿下の献身に報いようとするフェア・ヴィルング。

 

【使え】

 

永遠にも似た一秒。

彼方から聞こえる男の声。

誰だか知らないが、有り難く使わせてもらう。

純度の高い霊力。右腕に全集中する。

 

「これで、終わりだッ!」

 

黒緋の覇王は砲台で。

その右腕を砲身として放たれた弾丸は、第二障壁を容易く貫通した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『蒼の深淵、貴様に一つ訊かなければならない事がある』

「聖杯騎士団の総長とあろう方が、このような事態に悠長な。帝都ヘイムダルの大混乱を知らないのですか?」

『無論知っているとも。だからこそ今なのだよ』

「――これだから。それで、フェアのいない内に何を訊きたいのかしら?」

『話が早くて助かる』

「勘違いしないで。取引相手だから許してるだけよ。人道や人権など無視して、己の教義を最優先する七耀教会が決して油断ならない相手だと知っているもの」

『犯罪組織の最高幹部だった貴様に人道を説かれるなど片腹痛い。だがまぁ、些か誤解があるようだな。我々は協力できるはずだ』

「平行線ね。教会と魔女は相容れない。特に、フェアを害そうとしているなら尚更よ」

『なら、貴様も気付いているのだな?』

「――――」

『トマスの言葉なら本当だぞ。約一年前、ゼムリア大陸全土の霊脈が極度に活性化した。リベールの異変、碧の大樹などと比べ物にならない規模の霊子情報も一点に流れ込んだ。どちらも一瞬の出来事だ』

「膨大な霊子情報が、第六機甲師団の駐屯地に収束したのも聞いているわ。それがどうかしたのかしら?」

『惚けるな。貴様も調べた筈だ。そして、気付いたのだろう。その霊脈の活性化は、ノーザンブリアを崩壊させた塩の杭発生時と酷似しているという事に』

「偶然よ」

『歯切れが悪いな。偶然という言葉で片付けていい代物でもあるまい。故郷を塩の大地に変貌させても構わないのか?』

「だから、フェアを連れて行こうというの?」

『封聖省のお偉方は、フェア・ヴィルングを異端審問に掛けるのだと張り切っているよ。法王猊下も同じくな』

「死刑確定の拷問裁判ね」

『是非は問わんさ。それで救われた命も有る』

「――塩の杭発生時と酷似していようと、フェアにその兆候は見られないわよ」

『だが、可能性は内在しているぞ。超大国と化したエレボニア帝国で塩の杭が発生したら、その混乱と被害はノーザンブリア異変を大きく凌ぐ。人的被害、経済規模の縮小、巡り巡って中世の暗黒時代に逆戻りするやもしれん』

「遠回しに言うのね。教会のトップたちはこう考えているのでしょう。これ以上、我々の教義を脅かす存在など赦されないと」

『だろうな』

「あら、認めるの?」

『認めるとも。其処まで狭量ではないさ』

「殊勝ね」

『魔女に褒められるとはな』

「それで、下らない質問も終えたなら――」

『まぁ待て。そう急かすな。私も危ない橋を渡っているのだ』

「危ない橋?」

『気にしなくていい。此方の都合だ』

「だから、いい加減に」

 

 

 

 

『ゼーレ・デァ・ライヒナム。貴様は、これを人名だと思うか?』

 

 

 

 

 

 








ニャル様「聖女とやら、SAN値チェックの時間だオラァ!」









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四十七話 狐死首丘

 

 

 

 

七耀暦1205年7月19日。

クロスベル市上空を疾走する二隻の特殊飛行艇。

曇天に覆われた帝都ヘイムダルと異なり、雲一つ存在しない月夜の中、光学迷彩とステルス機能を展開した状態で針路を西へ向けている。

飛行艇の名を『メルカバ』と云う。守護騎士全員に与えられる代物。飛行アーティファクト『天の車』を機関部に活用し、エプスタイン財団の近代導力技術供与によって作成された飛空艇である。

行先は混迷極める帝都ヘイムダル。

既に三人の守護騎士が現地へ赴いているが、封聖省の枢機卿は万が一を考慮して最強の切り札を投入した。

飛行艇側面に『壱』と書かれたメルカバへと乗り移ったワジ・ヘミスフィアは、逆立ちしても敵わない上司へ声を掛ける。

 

「今の通信相手、もしかして蛇の人間では?」

 

通信を終えたばかりの女傑は、艦長席に腰掛けながらニヒルな笑みを浮かべる。

 

「厳密には蛇の人間だった、だな。今でもその名残は有るがね。五月中旬に離脱しているよ。確認も取れている」

「蒼の深淵ですか」

「そうそう」

「今、例の男の近くに居るはずでは?」

「その通り。だから他言は無用だぞ」

 

爽やかな笑顔で返されて、ワジは反論せずに首肯する。

これでも長年の付き合いだ。経験則から培われた危機感と、騎士団全体に共有されている暗黙の了解に唯々諾々と従う。

即ち。

アイン・セルナートが破顔した時は是が非でも逃げるべし。

アイン・セルナートが上機嫌な時は万難を排して逃亡すべし。

 

「封聖省のお偉方が黙っていませんよ」

 

それはそれとして、釘を刺しておく。

 

「バレなければ問題あるまい。わざわざ解析される危険性を犯してまで、秘匿通信を使ったのだからな」

 

教会の独自暗号技術を用いた秘匿通信で。

異端審問確定のフェア・ヴィルングに関わる深淵の魔女と連絡を取るとは。

不良騎士と名高いワジでも流石に目眩がした。

 

「危ない橋を渡りますね。いくら総長でもクビが飛びますよ」

 

物理的に。

教会の威信にかけて。

尤も、鋼の聖女と互角に渡り合えるかもしれない女傑、もとい暴れ回る生粋の猛虎に、誰が首輪を掛けるのかという致命的な問題を無視すればの話であるが。

 

「それは楽しみだな」

「相変わらず戦闘狂ですね」

「失礼な奴だ。守護騎士総出で私のクビを殺りに来るのだろう。多少なり心躍るのも仕方ないと思わんか?」

「ノーコメントで」

 

手綱を握る努力は怠らないでくれと。

吼天獅子の異名を持つバルクホルン卿と、副長であるトマス・ライサンダーから頼まれているにも拘らず、責任感を虚空の彼方に放り投げたワジは肩を竦めて明言を避ける。

苦労しているんだろうなぁと他人事のように構えていたが、いざ自分の番になってしまうと腹部から痛みを感じた。

ケビンに任せれば良かったと酷く後悔する。

 

「つまらん」

 

鼻を鳴らすアイン・セルナート。

額に皺を寄せて、煙草の吸い口を噛んでいる。

これ以上は不毛だ。話を変えよう。

背中を駆け巡った寒気と、純粋な好奇心から問い掛ける。

 

「蒼の深淵と何を話されたので?」

「例の件だ。魔女の予想が我々と一緒なのかどうか確かめたくてな」

 

アインは美味しそうに煙を吐き出す。

トントンと灰皿を鳴らして、流れ作業のように煙草を咥える。

紫煙が一筋の糸のように流れていった。

ブリッジに立ち込める独特の臭いを嗅ぎながら、ワジは上司の破天荒さに天を仰いだ。

冗談かと期待したのだが、どうやら本当らしい。

去年の一件。塩の杭発生時と酷似する現象。その中心人物と目されるフェア・ヴィルング。七耀教会が掴んだ極秘情報である。

まさしく門外不出。ノーザンブリア異変を連想させる情報が表沙汰になってしまえば、西ゼムリア大陸は大混乱に陥ってしまう。

只でさえ一杯一杯の状況。

これ以上の混沌など誰も望まない。

無秩序な状態はいずれ破滅を生むだろうから。

だが――。

ワジは腕組みしたまま推測する。

封聖省のお偉方にバレたら破門確定の危険を冒してまで、わざわざ手に入れた情報としては余りに弱すぎるのではないかと。

聖杯騎士団を束ねる総長なら、更に一歩進んでいてもおかしくない。

 

「それだけではないでしょう」

「当然だ。代償と対価がかみ合っておらん」

 

アインは煙草を灰皿に押し付ける。

気付けば、吸い殻が死体のように積み重なっていた。

 

「本命は別に在りますか」

「知りたいか?」

「総長のご判断に任せますよ」

 

どちらかと問われれば、知りたいと答える。

フェア・ヴィルングに関する事柄だろうから。

特務支援課の面々を苦しめた男。

クロスベル独立の道を険しくした男。

未だ出会った事のない敵に対して、ふつふつと敵愾心が湧いてくる。

十割近い私情。偏った思考。依怙贔屓と蔑まれても否定できない。

それでも、ワジは内心を隠した。

聖杯騎士団総長の考えを伺っていないからだ。

 

「お前らしいな。責任は負いたくないか」

 

紅蓮の双眸が貫いた。

心底まで見透かされるような感覚に襲われる。

ワジは意図的に視線を外して、ぼんやりと外を眺めながら答えた。

 

「語弊がありますね。背負う必要のない危険から離れているだけです」

「虎穴に入らずんば虎子を得ずとも言うだろう」

「君子危うきに近寄らずとも言います」

 

前例に倣って東方のことわざで言い返すと、アインは愉快そうに哄笑する。機嫌を良くしたのか、新しく煙草に火を付けて、上方に勢いよく煙を吐き出した。

 

「そう怖がるな。今から話すのは、あくまでも私の推測。仮説に過ぎんさ」

「聞くだけでしたら」

 

言葉少なめに先を促すと、総長は意外な問いを投げ掛けた。

 

「女神の元へ、と口にした事はあるか?」

「ええ、勿論。誰もが口にする言葉だと思いますけど」

「そうだな。教会関係者だけでなく、信心深い者でなくても必ず一度は口にする言葉だ」

「それが何か?」

 

眉を曇らせるワジ。

アインは嫣然と笑った。

 

「不思議だと思わないかね?」

「と言うと?」

「我々は、この世界を女神が創造した唯一の物だと信じている。大原則の教義としている。そもそも疑問に思わないような思考システムとなっているわけだ」

 

ワジの脳裏に過ぎる近年の研究結果。

外洋を進む船舶や飛行船が、いくら行けども同じ海域や空域を突破できないという謎の現象。科学的に、そして物理学に説明できない。袋小路だと判明した世界は、逆説的に女神の実在を裏付ける根拠となっている。

つまり、思考の放棄。

説明できない現象を空の女神に押し付けているだけ。

 

「悪魔や天使などが住まう高位次元を認めているものの、別世界の存在を赦していない」

 

誰あろう七耀教会が赦していない。

空の女神を奉ずる組織であるが故に。

 

「なら、死した魂は何処に行くのか」

 

脚を組み、天井を見上げるアイン。

ワジは立ち昇る紫煙を目で追いながら咄嗟に答える。

 

「女神の元へ――。いや、そうなると」

 

不自然な所で言葉を切ると、アインは淡々と続きを口にした。

 

「矛盾が生じてしまう。空の女神が創造したのがこのゼムリア大陸だけだとするなら、死んだ魂の行き場など何処にも存在しない事になる。まさか空の女神に吸収されるわけもないだろうしな」

「総長はどうお考えで?」

 

一拍。

 

 

「死した魂を回収、調整、管理する外部機関が存在するのだと見ているな」

 

 

それこそが、ゼーレ・デァ・ライヒナムだと。

半分以上も残っている煙草を灰皿に置いて、アインは感慨深く呟いた。

一瞥すれば人名に思える言葉の羅列。だが、総長の提示した仮説を元に訳してみると、なるほどなと納得の言葉が口から漏れた。

死者の魂。

それを収納する存在という訳だ。

 

「古代遺物、にしては強力過ぎますね」

「我々教会関係者からしてみれば、まさしく『想定外の奇蹟』という奴だな」

「塩の杭と同じ――」

 

反射的に目を見開く。

点と点が一直線に繋がった。

ノーザンブリア大公国を崩壊させた塩の杭は、想定外の奇蹟と呼称されている。ゼーレ・デァ・ライヒナムもまさしく同じ代物なのだとしたら。

そして、塩の杭を連想させる今回の事態に関係有るとしたら。

 

「気付いたか?」

「フェア・ヴィルング」

「その通り」

 

我が意を得たりとばかりに首肯するアイン。

 

「では、彼が死者の魂を吸収していると?」

 

一個人に赦される能力だろうか。

神の存在を脅かしかねない権能だ。

そもそもアインの仮説が正しいのなら、フェア・ヴィルングは人間と呼べない何か。古代遺物、或いは想定外の奇蹟が擬人化した存在に近い。

 

「どうかな。所詮、私の仮説に過ぎんさ」

 

アインは真面目な相貌を崩して、煙草を吸うことに熱中している。

 

「意外と当たってるかもしれませんよ。それに自信も有るんでしょう。わざわざ蒼の深淵に話すぐらいには」

「可愛げのない奴だな」

「総長のお陰です」

 

正に薫陶の賜物だと。

感謝していますと頭を下げる。

アインは鼻で笑い、モニターへ視線を移した。

 

「去年の一件、塩の杭を連想させて話してみたが釣られなかったからな。自説を披露する羽目になってしまった。聡明な女だよ、蒼の深淵は」

 

流石は蛇の使徒へ登り詰めた魔女だ。

アイン・セルナートと論戦を交わせる者など、そうそういない。教会関係者でも片手の指で数えられる程度だろうか。

そんな女性が付き従うフェア・ヴィルングを想像しただけで、ワジは眉を曇らせた。

 

「そんな女性が想いを寄せる男なんて、厄災のタネにしかならないと思いますが」

「同感だな」

「あれ?」

 

鷹揚に頷いたアインへ、ワジは小首を傾げる。

 

「どうした?」

「総長はフェア・ヴィルングに好意的だと思っていましたよ」

 

瞬間、アインは顔を歪めた。

不味そうに煙草を吸い、灰皿へと放り投げた。

紅い目を細める。僅かに殺気を含んだ眼光は檻から解き放たれた野獣のようだった。

 

「冗談はやめてくれ。興味の対象にしているだけだ。好きか嫌いかで尋ねられれば、嫌いと断言するさ」

 

此処は賛同の一手だ。

背中に奔った寒気を無視。ワジは冷静を装った。

 

「気が合いますね」

「クロスベルでやらかしているからな、奴は」

 

当然、それも有る。

ランドルフ・オルランドの嘆き悲しむ様子は、直接見ていなくても想像できた。最強の猟兵になるべく育てられた偉丈夫の怒り狂う風貌さえ。

結束の固い特務支援課は引き摺られるだろう。

世界の危機だけに我慢できたとしても、事態が収拾してしまえば、大切な人を失ったランドルフの殺意は行動へ移行する筈だ。

クロスベルの英雄である彼らが殺人犯に成り下がる展開は、必ずや阻止しなければならない。

だからこそ、ワジ・ヘミスフィアは帝国行きを希望した。

フェア・ヴィルングを秘密裏に抹殺する為に。

 

「もしも『想定外の奇蹟』なら、大厄災を起こす危険性も高いという事。一刻も早くアルテリア法国へ連れて行くべきかと」

「――そうだな」

 

アインは吐息を漏らして、脚を組み直した。

 

 

 

「始まりの地で異端審問するしか無いだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同日同刻。

使徒用位相空間、星辰の間。

厳粛とした空間は静寂に包まれている。

使徒に用意された台座より、数段高く設置された巨大な柱。最高幹部よりも上位に君臨する存在の為に造られた祭壇である。

道化師の要望から降臨した盟主は、円台に置かれている物体を見て、嬉しそうにコクンと頷いた。

 

「よくぞ見つけてくださいましたね、カンパネルラ」

 

盟主は魂の心臓と書かれた化石を受け取り、愛おしそうに表面を撫でる。ドクンドクンと脈打つ化石も、何処か嬉しそうに鼓動を早めた。

カンパネルラは片膝を付いて、仰々しく頭を下げる。

 

「勿体なきお言葉」

「ヘイムダル大聖堂の地下はどうなっていましたか?」

「始まりの地を模倣した空間なら、ボク達の予想通りにカレル離宮の地下へ転移していました。大聖堂地下は、見事に岩盤で覆われていましたよ」

「では、気付かれていませんね?」

「はい。更に奥深く、岩盤の下に封印してある空間は手付かずのままです。盟主の計画通りに事態は進んでいます」

 

それは結構、と首肯する盟主。

彼女の双眸は道化師を眺めているようで、全く違う部分へ向けられている。帝都ヘイムダルの近郊に佇む、皇族の別荘地であるカレル離宮へ。より具体的に表現するなら、銀の騎神と対峙するフェア・ヴィルングへ。

 

「緋の騎神は起動者を取り戻しました。これで幻焔計画、及び永劫輪廻計画も終演へと導ける事でしょう」

 

満足気な盟主と裏腹に、苦笑する道化師。

酷く苦労したと嘆息する。

とある条件を糧に鉄血宰相を巻き込み、皇女を巻き込みたくないと尻込みする黒緋の騎士の背中を押して、どうにかこうにか緋の騎神へ乗せる事に成功したのだ。

二千年前から変わらない彼の性格に、憧憬の念を覚える。同時に、少しだけ嫌気が差したのは内緒である。

 

「黒の分体も協力しています。銀の騎神とも互角に渡り合えるでしょう」

 

悪意に目覚めた本体を打倒する為に。

帝国の歴史を牽引する狂信者を破壊する為に

誰が悪いのか。どうしてこうなったのか。

答えは決まっている。

人間の強欲、悪意の連鎖。それに付け込んだ『外なる神』の悪戯心に因る物だと。

 

「カンパネルラ」

 

化石を懐に仕舞い込み、盟主は幾分か低い声音で名前を呼んだ。

 

「はい」

「気付いているでしょうが、七耀教会も動き始めています」

「承知しています」

「ゼーレを彼らの手に渡してはなりません。異端審問をさせてはなりません。2000年前の過ちを繰り返してしまう事になるのですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むかしむかし。

誰の記憶にも存在しない太古の帳。

 

女神は言った。

私は空を、貴方は地を司るのだと。

 

道化師は言った。

止めた方がいい、大いなる存在に目を付けられてしまうと。

 

魂の箱は言った。

それが人々の願いなら、この身を捧げようと。

 

 

 

そして――。

 

楽園の箱庭に『外なる神』が舞い降りた。

 

 

 

 

 

 








盟主「――――」←脈打つ化石にウットリ。



カンパネルラ「ヤバいのでは?」←少し怖い。








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四十八話 粒粒辛苦

 

 

 

 

 

 

黒キ聖杯を覆っていた第二障壁は破裂した。

フワフワと空中を漂う障壁の破片。赤黒い花弁が舞い散る光景を他所に、衝撃力を残していた獄炎の長剣は第一障壁にまで罅を入れる。

壊せるか。貫通できるか。

だが、緋の騎神と俺自身に限界が訪れる。

テスタ=ロッサは騎内に溜め込んでいた霊力の枯渇が原因で。

起動者の俺は体組織を崩壊させるような想像を絶する激痛が理由だった。

黒緋の覇王から通常の騎神状態へと戻った。全身を蝕んでいた激痛が消失した途端、獄炎の長剣は泡沫のように霧散した。

一対一ならば黒キ聖杯に完敗したといえる。

追撃する余力なんて無かった。空中に浮いているだけで精一杯。一時的に麻痺させていた痛覚をゆっくりと復活させながら、事態の行く末を見守るしかなかった。

だが、俺とテスタ=ロッサは役目を果たした。

第四から第二障壁まで粉砕したのだから。風光明媚だったカレル離宮周辺は字面通りに炎の海と化したけど。見るも無惨な光景だけど。全力を出した結果だ。致し方ない被害だ。どうか大目に見て欲しい。

残る第一障壁はどうなったか。

結果だけを記すなら、ロゼの秘術とライサンダー卿の聖痕による力で無理矢理にも極小規模な孔がこじ開けられた。

間髪入れずに魔女の転移術を発動。あらかじめ選抜されていた人々が障壁の孔から聖杯の中へと侵入した。

黄金の羅刹、黒旋風、千の護手、吼天獅子、蒼の騎士、更にリィンを重心に据えている士官学院の者たちが青白い光弾となって、この事態を引き起こした面々へ殴り込みに行った。

決して過剰戦力だと思わない。

黒キ聖杯内部で待ち構えていると予想されるのは死から復活した猟兵王、ルーファスを筆頭とした鉄血の子供たち、火炎魔人や告死線域といった結社の執行者。いずれも常人の想像を超越した強者である。

突破できるか。

正直、難しいだろうと判断する。

少なくとも可能であると断言できない。

オーレリア・ルグィンが本気の火炎魔人を食い止めない限り、全滅の可能性すら有り得る。あの戦闘狂なら嬉々としてこの困難も乗り越えそうだけど。肺に気を付けろと忠告しておいたから、あの女なら予想に反して良い勝負をしそうである。

 

 

『久し振りですね、フェア・ヴィルング』

 

 

意識を切り替える。

対峙するは白銀の騎神。

起動者は一騎当千もかくやな鋼の聖女。

その声音は非常に固かった。

まるで酷く緊張しているかのように。

馬鹿な。

鋼の聖女はリアンヌ・サンドロット本人。俺が尊敬している歴史的偉人の一人。常勝不敗の軍神である。

故に有り得ない。

俺と向き合うだけで緊張するなど、獅子戦役終結の立役者を馬鹿にしている。

 

「ご無沙汰している、鋼の聖女。此処からは俺が相手しよう」

『覇王でなく。ゼムリアストーン製の武具すら持たずに。この私が駆るアルグレオンに相対できるとでも?』

「手も足も動く。何も問題ない。いや、貴女さえ良ければ、いつぞやの月下の草原みたく『稽古』を付けてくれると有り難い」

 

内戦時と比べて、俺は強くなれているだろうか。

千回を超える死を以って、聖女の兜を割れた時から多少なりとも成長できているだろうか。

剣術を極めた。

膂力は鍛えた。

戦う理由も増えた。

光の剣匠を相手にしても互角に渡り合えると自負できる。本気の火炎魔人にもある程度なら相対できると推測する。

白兵戦なら。騎神を使用しない戦闘なら。

ヴィータさん曰く、鋼の聖女は獅子戦役の時から銀の騎神を駆っているらしい。年月にして約二百年以上、起動者で在り続けている。

この明確な差を決して無視できない。

用心に用心を重ねて相対しなければならない。

 

『戯れ言を』

 

聖女が吐き捨てる。

壮麗な美貌を強く歪めた。

 

『あの現象は、断じて、稽古などと呼べる代物ではない!』

「結果的に俺は一年近く修行を前倒しできた。どこからどう見ても、非常に有意義な稽古だったと思うんだが」

 

正直、月下の修行が無ければ、今回のループは去年の時点で無惨に終了している。

鋼都ルーレ奪還作戦時、オーレリアに惜敗していただろう。黒竜関侵攻作戦時も黄金の羅刹に敗北していたに違いない。

たとえ羅刹の戦闘を乗り越えたとしても、暗黒竜の復活で絶死する。明言できる。武器も持たず、徒手空拳で暗黒竜と渡り合えたのは、間違いなく鋼の聖女のお蔭である。

 

『ーーやはり、貴方は狂っている』

 

聖女は視線を伏せた。

悍ましい生物と目を合わせないように。

 

「あんな人の言葉を気にしたら駄目よ。ね?」

 

アルフィン殿下が胸板を軽く小突いた。

正面から抱き着いたままの主君を表情を見て、安堵すると同時に危惧する。リアンヌ・サンドロットを『あんな人』と蔑視する妖艶な笑みの裏に、黒い何かが潜んでいそうな気がしたからだ。

アルフィン殿下の言葉に首肯で返し、テスタ=ロッサを戦闘状態に移行させる。

 

「否定しない。よく言われるからな」

『気味が悪い。気分が悪い。ええ、私にこのような感情を抱かせたのは貴方が二人目です。故に聖女ではなく、唯の人間として、私は貴方に告げましょう』

 

一拍。

 

 

『ーー消えろ、悪魔。此処に貴様の居場所などない』

 

 

侮蔑を込めた一言。

憎悪を孕んだ口上。

心臓を貫く言葉に、俺は嘆息する。

まさか悪魔と称されるなんて、大層嫌われたな。

慣れ親しんだ視線だ。

肩を竦めて受け流そう。

忌避される程度なら、もう、微笑んでいられるから。

 

「フェア」

 

アルフィン殿下が俺の名前を呼ぶ。

優しく。穏やかに。親身になって。

何を尋ねたいのか、何を知りたいのか。

彼女の立場で考えれば、容易く予想できる。

だから頷く。

端的に返答する。

 

「後で詳しく話します」

「いいえ、それは良いの」

 

宝珠に翳してある俺の右手に、アルフィン殿下の左手が重なった。

 

「殿下?」

「私たちは一緒よ。ずっと、どんな時も」

 

ギュッと握り締められる。温かいと感じた。手放したくないと思った。どうかこの人は、誰よりも幸せになって欲しいと願った。

 

 

――――許されない、と誰かが泣いた。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

――――思い出せ、と誰かが天を仰いだ。

 

 

世界は滅びる。

無辜の怪物によって滅びる。

呆気なく。例外なく。まるで救済のように。

それを食い止めたくて。

繰り返される輪廻から解放されたくて。

俺はこんなにも頑張っているというのに。

 

 

――――嘘を吐くな、と誰かが手を挙げた。

 

 

二重冠を戴く、長身痩躯の人物が笑う。

燃える三眼と黒翼を備えた異形の存在が泣く。

円錐形の顔のない頭部に、触手と手を備える流動性の肉体を持つ怪物が怒った。

暗い暗い闇の帷。多種多様な貌を持つ存在が周囲に満ちていく。敵意と好意、怒号と歓喜。様々な感情を向けられながら、俺は――オレは、古い鏡を眺めていた。

そうだ、これは鏡だ。

生まれたばかりのオレだ。

いつか両手足を引き千切られて、内臓を引き摺り出されて、胴体は入れ物にされて、それでも尚、誰にも奪われなかった権能によって死者の魂を受け入れた姿が有った。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

嗚呼、歌が聞こえる。

うたが聞こえる。

ウタがキコえル。

ウたガきこエる。

うタガキこえルンだ。

 

 

「やぁ、こんばんわ」

 

 

そして――。

『あの時』と同じく、讃美歌に包まれる。

『あの時』と同じく、道化師に邪魔される。

全てが過去をなぞっていた。

どこか懐かしかった。

できるなら眠ってしまいたい程に。

浸かっていたい。幸せだったあの頃に。綺麗に整えられた箱庭の中で、無邪気に遊んでいたあの頃に。

 

「こうなるだろうなァと思っていたけど、案の定だったね」

 

でもそれは赦されない。

オレに安息など烏滸がましい。

子守唄を振り払い、目を開ける。

黒く染まった道化師が、眼前にいた。

緋の騎神テスタ=ロッサの中に浮かんでいた。

オレには見える。

きっと、オレと彼女だけに見えている。

道化師の背中から生えている巨大な蝙蝠の翼を。

 

「心臓の封印を解いたからかな。それとも、先代の聖獣が暴れているのか。いや、その両方かな。ゼーレ、君はどう思う?」

 

停止した時間。

微動だにしない空間。

太古、箱庭を稼働させた権能は健在らしい。

懐かしい顔を見た。

何一つ変化していない容貌に苦笑する。

 

「両方だよ、イブ」

「そっか。心臓は彼女に渡してあるよ」

「構わない。オレが持っても仕方ないからな。両手足は?」

「見当は付いてる。ただ、七耀教会の狗が見張っているから」

「苦労を掛ける。ごめんな」

「ボクに謝られてもね。君が謝罪すべき相手は別にいるだろう?」

「聖獣に関してなら、本人も納得済みだよ」

「そうだとしてもさ。次に会う時は謝っておきなよ」

「善処する」

「君ねぇ。さては反省してないな?」

「してるって。人間の傲慢さ、宗教の陰惨さ、未来の不透明さ。全ての見通しが甘かった。たとえ、ニャラルトホテプ様の策謀だとしても」

「あんなのに様付けなんて要らないよ」

「イブ、あのお方は――」

「ゼーレ、彼女に何か伝言でもあるかい?」

「まぁ、良いか。彼女には、ありがとうと伝えてくれ。エーデルワイスを届けてくれてありがとうと」

 

道化師は昔と同じように微笑んだ。

 

「きっと彼女も喜ぶよ」

「今でも恨まれてそうだけど」

「考えすぎさ。あの時、あの瞬間、ボクらは全てを間違えた。君だけの責任じゃない。ただ君が、その権能のせいで嫌われていただけだよ」

「お前は優しいな、相変わらず」

「そうでもないよ。ボクは人間を見捨てた。彼女は人間を傍観した。君は、君だけは、人間の味方になった。だからこそ、こうなっているんじゃないか」

「立ち位置の問題だよ、それは。オレだって、お前の立場なら人間を見捨てるさ」

「――ゼーレ、人間が好きかい?」

「好きだよ」

「ボクは嫌いだ」

「知ってるよ」

 

繁殖する人に苦言を呈していた。

箱庭の管轄を是が非でも拒否した。

だって、彼は、■■=■■■■なのだから。

オレも彼女も仕方ないねと苦笑した。彼の奔放さを許可した。

 

「でも、今だけは人間に感謝するよ。こうして君とお話が出来ている理由は、人間の業に因る物だからね」

「マッチポンプみたいな物だけどな」

「否定しないよ。でも、結果はご覧の通りさ。黒キ聖杯の出現、黒緋の覇王による炎上、皇女と交わされる睦言。これだけの事象が重ねれば、邪神様が君に、フェア・ヴィルングに干渉するのは自明の理だった」

「そうだな」

「ボクは永劫輪廻計画を進める。彼女は、君の遺物を護る。漸くだよ、ゼーレ。ボクたちの誤りを正す事ができるよ」

 

全てを間違えた。

何もかもを履き違えた。

善を悪と断じて、悪を善と呼称した。

 

「空は女神に」

「地は箱舟に」

 

道化師と右の掌を合わせる。

遥か昔、永遠の友情を誓った時と同様に言葉を紡ぐ。

 

『そして貴方は時空の中に』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オーレリア・ルグィンは紅い宝剣を握り締める。

その姿はまさしく自然体で。

普段通りの佇まいにて火炎魔人と相対する。

呼吸の頻度は正常だ。

筋肉の弛緩も正常だ。

化物と対峙しながらもいつも通りを崩さない。

細胞の一つ一つが歓喜している。

研ぎ澄まされた武人としての本能が警鐘を鳴らしている。

傍らに誰もいない。

僅か独りで怪物と向き合う。

誰もが苦言を呈した。褐色の副官さえも。

それでもオーレリアは彼らを先に行かせた。

鉄血宰相を止める為に。

誰にも邪魔される事なく、火炎魔人と会話をする為に。

 

「お目当て通り、アンタが残ってくれるとはな。先陣を切った甲斐があるってもんだ」

 

既に、マクバーンの髪色は蒼緑から白銀へ変化していた。全身を駆け巡る赤い刺青は彼の放つ禍々しい雰囲気をより強く後押しする。

結社最強の魔人は赤黒く染まった双眸に喜びの感情を張り付かせ、大気を焼き尽くしそうな黒炎を放ちながら口角を釣り上げた。

 

「ほう。私に何か用でも有ったのかな?」

「惚けんな。アンタも俺に聞きたいことがあるんだろ。そう、例えば、フェア・ヴィルングの事でな」

「何故、と問うのは無粋か。そなたの言う通りだよ、火炎魔人。私には尋ねたいことが山程ある」

「話が早ぇな。あの紆余曲折野郎にも見習わせたいぐらいだ」

 

精悍な顔付きに笑みを貼り付ける。

誰と比較しているのだろう。

敵の情報を知る好機かもしれないが、わざわざ尋ねるほどでもなかった。

マクバーンが鼻を鳴らす。口火を切った。

 

「で、何を聞きたい?」

「結社はフェア・ヴィルングについて、一体どこまで知っている?」

「はっ。答えは人それぞれだ。一しか知らない奴もいれば、全てを網羅している奴もいる」

「そなたは?」

「俺か。俺はーーどうだろうな」

 

首を傾げるマクバーン。

 

「全てを知っている気はするが、何一つ理解していない気もする。そんなところだ」

「同感だよ、火炎魔人」

 

あの男はまるで蜃気楼のようだ。

陽炎のように揺蕩っているだけで、もしかしたらフェア・ヴィルングという存在など、この世の何処にも存在していないと思わせるような、そんな男だ。

 

「結社はフェア・ヴィルングを、どうするつもりだ?」

「さぁな。知らねぇよ。俺の管轄外だ。先に言っておくが、使徒の奴らも明確な答えを持ってねぇぞ。アイツに関する事象は盟主とカンパネルラに一任されているからな」

「良いのかな、そんな簡単に教えても」

 

驚くべき口の軽さ。

想像の遥か上を行く。

自由奔放だと喜ぶべきか。

それとも此方を惑わす為と疑うべきか。

 

「仕方ねぇだろ」

 

マクバーンが後ろ首を掻く。

 

 

「盟主から言われてんだよ。オーレリア・ルグィンの質問には、出来る限り答えるようにってな」

 

 

 

 

 

 

 








カンパネルラ=イブ

フェア=ゼーレ


この作品は閃の軌跡Ⅳまでの設定を使用しています。
創の軌跡、及び黎の軌跡で判明した新しい設定は適用されません。
どうかご了承下さい。


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四十九話 宣戦布告

 

 

 

 

銀の巨人と緋の巨人が衝突する。

大地を揺らし、天空を割り、衝撃は空間を伝播していく。

前者の携える騎兵槍は、まるで彗星の如く煌びやかで。後者の構える拳は、まさに武芸の極みを体現した威圧感であった。

 

「凄まじいですね、これは」

 

トマス・ライサンダーは眉間に皺を寄せる。

眼前で行われる埒外の戦闘。蒼と灰の両者を容易く捻じ伏せた銀に対して、武器すら持たずに競り合う緋。最早、守護騎士の誇る『聖痕』を使用したとしても届かないであろう戦力を垣間見て、自分達の想像が酷く甘かったのだと痛感する。

騎神と云う超常の存在が齎らす被害は、カレル離宮を廃墟に、周囲を更地へと変貌させた。

轟音が鳴り響く中、トマスは周囲を見渡す。

誰も彼もが息を飲み、騎神同士の戦いを見守っていた。語らず、動かず。戦闘など以ての外。状況が良くも悪くも変わるとするなら、それは銀と緋による騎神の戦いが決着を迎えるか、或いは黒キ聖杯が消失するか、巨イナル黄昏が発動するか。そのいずれかだと思われる。

 

「長殿、貴女の予想は?」

 

傍らに立つ魔女の長へ尋ねた。

元来、魔女と教会は敵対関係にある。ここ数年の話ではなく、数百年以上にも及ぶ不変の事実である。

こうして並び立つだけでも、過去の教会関係者からしてみれば驚天動地の光景だろう。腰を抜かして口を半開きにするか、もしくは異端者だと口から泡を飛ばして糾弾するか。

しかし、巨イナル黄昏の発生を食い止める為に、封聖省の上層部は魔女との協力が必要だと判断した。ならば、聖杯騎士団の面々も過去の遺恨を水に流して協力しなければならない。

 

 

――――たとえその関係性が、どうしようもなく『一時的なもの』だとしても。

 

 

「有利なのはリアンヌ、銀の騎神じゃろうな」

 

ローゼリアは奥歯を噛み締めながら答えた。

そうだろうなと心中で首肯する。

緋の騎神は得物を持っていないからだ。

槍の聖女を相手にして、本来の得物である剣を持たずに徒手空拳で抗っているからだ。

誰がどう見ても、銀の騎神が優勢だと判断するに違いない。

 

「それは得物の差に因るものですか?」

「無論それも有ろうが、根本的な差異は他に存在する」

 

一拍の間を挟み、トマスは口を開いた。

 

「成る程。鋼の聖女が事実リアンヌ・サンドロットなら、貴女の仰る通りに獅子戦役以前より銀の騎神から認められているなら、起動者となった年季が異なりますね」

「如何にフェアと云えど、その差を埋めるのは難しかろう。更に得物を持っておらぬからな。本来なら緋の騎神など瞬く間に一蹴されておるじゃろう」

 

トマスは二体の巨人へ視線を向ける。

――刹那、銀の騎神から神速の刺突が放たれた。

空間にさえ孔を開けそうな鋭い一撃だが、フェアの駆る緋の騎神は僅かに屈むことで回避してみせる。頭上を掠める穂先を尻目に、間合いの内側に滑り込んだ。速い。巧い。前傾姿勢を保ったまま流れるように拳打を繰り出す。

しかし、鋼の聖女は慌てない。

零距離で打ち出された数多の拳を、巨大な騎兵槍を手足の如く操って捌いた鋼の聖女は、そのまま得物を振り抜いた。轟音を背景に横薙ぎした。

跳躍して躱す緋の騎神。

適正の間合いを取る銀の騎神。

なんともはや。トマスは目を細めた。

蒼と灰の騎神も全身全霊で戦っていた。

鋼の聖女も褒めていた。

だがそれは、絶対的強者の余裕が生み出した称賛だった。

緋の騎神は違う。

黒緋の覇王に成らずとも、霊力が枯渇している状態でも、武器を持たなくても、結社最強の武人が操る騎神相手に善戦できている。

それは異常だ。

それは有ってはならない事態だ。

異端者であり、特異点でもあるフェア・ヴィルングが此処まで強いなど、まさしく空の女神エイドスに対する冒涜である。唾を吐く事実である。

トマス・ライサンダーは唾を飲み込み、右手を握り締めた。

 

「私の目が正しければ、徒手空拳でもそこそこやり合えていますが?」

「安心せい。妾の目も同じじゃ。リアンヌが本気を出しておらぬのか。何か心乱される出来事でも有ったのか。わからぬ。わからぬが、それでも有利なのはリアンヌじゃろう」

 

法王猊下曰く――。

最善の未来は相打ち。

次善の未来はフェアの死亡。

最悪の未来は結社とフェアが手を結ぶこと。

教会上層部はフェア・ヴィルングの死を切望している。

何故か。

答えは簡単。

この世界線から、フェア・ヴィルングという最大級の特異点が消失するからだ。

輪廻を繰り返すのはフェア本人だけ。残された世界線の住民は何一つ失うことなく、フェアという特異点が消失した世界は変わらずに時を進めていくだろう。

七耀教会はそう結論付けた。

異端審問が行えなくても構わない。異なる世界線に問題を押し付けてしまうのも仕方ない。

塩の杭に酷似した特異点など切除するに限る。不要な存在だ。

フェア・ヴィルングが苦痛に苛まれているなど歯牙にも掛けない。空の女神を信じない異端者が苦しむなど当然である。

むしろ煉獄の最奥で永遠に焼かれてしまえ、とさえ封聖省のお偉方は考えているだろう。

 

「フェアを援護してやりたいが、此処まで超高速で動かれるとな。リアンヌの気を引くことも無理であろう」

「では、このままなら敗北しかないと」

 

それは困る、と歯噛みしたトマス。

聖杯騎士団総長の命令に反してしまう。

彼女は何かを確信した。

故に、フェアの死を容認していない。

故に、フェアの身柄を頑なに求めている。

エレボニアを建国した初代アルノールが言い残したとされる『約束の刻』関連だと推測するが、確証は無い。全く異なる可能性も有る。

いずれにしても、トマスは聖杯騎士団副長だ。

上司の命令は守らなければならない。

無事に任務を遂行しなければならない。

その為に、数ヶ月前、フェアを匣の中に閉じ込めて確認したのだから。

二隻のメルカバがカレル離宮に到着するまで、是が非でもフェアに生き延びてもらわなければ、トマス・ライサンダーの任務は失敗に終わってしまう。

 

「いや、そうでもなかろう」

 

打開策を模索するトマスに、ローゼリアは冷然と告げた。

騎神から小さな魔女へ視線を移す。

焦燥を心の奥に封じ込めながら、トマスは淡々とした口調のまま訊いた。

 

「何か策でも?」

「起動者と契約者が搭乗しておる。霊力さえ戻れば武器を造れる筈じゃ。槍でも、弓でも、剣でものう」

 

武器創造。

緋の騎神が誇る唯一無二の特性。

千の武器を持つ魔人という異名の由来である。

契約者であるアルフィン・ライゼ・アルノールの魔力を触媒にしているのか。それとも『アルノールの血』に触発された結果なのか。

 

「覇王に成らずとも武器を錬成できるとは」

「それでようやっと互角、もしくは劣勢を僅かなり押し返す程度。勝てると断言できぬ。口惜しいがのう」

 

フェアは勝てなくていい。

時間を稼いでくれるだけで構わない。

アイン・セルナートが到着するまで。

リィンたちが鉄血宰相の思惑を打破するまで。

この場でリアンヌ・サンドロットを押し留める。結社最強の武人を足止めする。それ以上もそれ以下も認めない。

トマスは人知れず胸を撫で下ろす。

ローゼリアの予想が当たっていると仮定する。騎神に詳しい彼女の推測を聞き、トマスの取るべき行動は決定した。

 

「本当ですか?」

「隙さえ出来れば、妾も援護しようと思うが」

「いえ」

 

意気揚々と口を挟む。

魔女の意識を騎神から聖杯騎士へ移す為に。

 

「長殿、失礼ながらお尋ねします。貴女は本当にフェア・ヴィルングに勝ってほしいと思っているのですか?」

 

わざと神経を逆撫でする言葉を紡ぐ。

数瞬間、静寂が二人の間を包み込んだ。

ローゼリアの持つ紅玉の杖から火花が散った。不気味な破裂音が断続的に木霊する。瞳孔が縦長に細くなっていくのに比例して、人間特有の気配は小さくなっていった。

カン、と甲高い音が響く。

それは杖の石突で地面を叩いた音だった。

 

「――忘れるでない、若造。妾と貴様らは元々敵同士だった事を。不用意な発言はお主の寿命を縮めるぞ」

 

引っ掛かった。

これで良いとほくそ笑む。

 

「勿論ですとも」

 

トマスは素知らぬ顔で口を動かす。

 

「しかし、長殿。貴女と聖女は非常に親しい間柄だったとか。現に、銀の騎神へ導いたのも御自分だと仰られていましたよね。協力関係を結んだ魔女の長殿は信用していますが、多少なり疑念を抱いてしまうのも致し方ないことかと」

 

心にも思っていない言葉の数々。

面の皮の厚さに自分の事ながら辟易する。

ローゼリアは鼻を鳴らして、苦々しく答えた。

 

「莫迦にするな。昔の話じゃ。今の妾は、二代目ローゼリアとして巨イナル黄昏を止めるために立っておる。リアンヌに加勢するなど有り得ぬ」

「なら、良いのですが」

 

トマスは僅かに納得していない感じを装う。

本物の役者と比べれば拙い演技だと自覚する。芸術の造詣が深い人物が見れば、容易く看破されるだろうと自嘲する程に。

幸か不幸か、ローゼリアはコロリと騙された。

これ以降は騎神の戦いを注視しながらも、どこかでトマスに意識を傾けていた。

警戒心ではなく、不愉快だから。

猜疑心ではなく、不機嫌だから。

上手くいったと思った。

後はタイミングを図るだけだと安堵した。

フェア・ヴィルングを異端審問にかければ、この混沌とした情勢を打破できると信じて、アイン・セルナートの到着を待ち侘びた。

 

 

 

はてさて。

彼らは一つ勘違いしていた。

致命的とさえ表現できる思い違いだった。

空の女神を奉ずる『教義』に囚われていた故、世界の中心は自分達であるという固定観念を払拭できなかった故、教会関係者は最後まで正解に手が届かなかった。

――つまり、それは。

 

『フェア・ヴィルングの死亡した世界線は、彼らの信奉する女神によって圧殺されてしまう』というあまりに空虚な事実に、誰一人、辿り着けなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銀の騎神が巨大な騎兵槍を振るう。

風を練り上げて、音さえ置き去りにして。

並の武人なら目視できない絶死の一撃。

数百年の研鑽が生んだ刺突に対し、緋の騎神は素手で対応していく。穂先を躱す。肉薄して、騎兵槍の柄を押し除ける。最小限の動作で、最低限の負傷で、緋の騎神は劣勢を跳ね除けようとする。

有り得ざる光景だ。

騎神の中にも『格』が存在する。

『黒』を筆頭に、『金』と『銀』が一歩引いて並び立ち、『緋』が追随して、『蒼』と『灰』、そして『紫』が最弱に列席する。

起動者の技量によって、格の差を覆すことは事実可能である。極論、灰の騎神が黒の騎神に打ち勝つことも不可能ではない。起動者同士の実力に、達人と素人の差が在ればの話だが。

銀の起動者はアリアンロード。

緋の起動者はフェア・ヴィルング。

前者は二百年以上も起動者である。

後者は起動者になって僅か一年にも満たない。

アルグレオンは本来の得物を有している。

テスタ=ロッサは武器を何一つ持っていない。

本来なら瞬殺されて然るべき。

だが、十数分経っても決着は付いてなかった。

悪夢だと断定したい。何かの間違いだと絶叫したい。どうして押し切れないのか。何故この状態で抗えるのか。

沸騰しそうな激情を、アリアンロードは必死に沈静化させる。彼女は歴史上でも稀有な武人だ。神槍の呼び声高い偉人だ。故に思考を止めず、信じ難い現実を直視する。

 

『流石だ、鋼の聖女』

 

黒に汚染された化物が口を開いた。

低い声が鼓膜を揺らすだけで嫌悪感に苛まれる。

初めて出会った時から気に食わなかった。イシュメルガに似た雰囲気を感じ取り、ドライケルスの晩年を思い出して、それだけで殺意を覚えるに至った。

 

『数百年に及ぶ研鑽、尊敬に値する』

 

馬鹿にしているのか。

まさか本気で称賛しているとでも。

アリアンロードは心底下らないと吐き捨てる。聞くな。返事するな。煽動に乗るな。刮目すべき点は他に有る。信じられない点は別に有る。

覇王状態で空になった霊力が復活していた。未だ僅かに感じ取れる程度。待機状態の騎神なら至極当然の回復だが、聖女と銀の騎神は非現実的な光景に絶句した。

 

「アルグレオン」

『有り得ません。超高速戦闘を行いながら、霊力を溜めるなど。たとえ黒でも不可能な所業です』

「ならどうやって――」

『まさか黒から力を取り戻したのか。それでも不可解。フェア・ヴィルングに纏わり付く影の仕業だと仮定すれば、まだ』

「いずれにしても武器を創造する筈です。アルグレオン、私たちも出し惜しみしません。第二形態へ」

『承知しております』

 

巨イナル黄昏の先に起こる『七の相克』にて、黒の騎神を滅ぼす為に用意していた切り札。誰にも明かしていない秘中の秘。銀の騎神が色濃く受け継いでいる大地の聖獣の能力を、爆発的に向上させる攻防一体の第二形態は、まさしく『進化』と呼ぶべき成長である。

本当は使いたくない。

黒の騎神に知られたくなかった。

だが、長年の経験から培われた危機感が警鐘を鳴らした。

第二形態へ移行しなければ敗北すると。

七の相克が始まる前に脱落してしまうと。

許せない。妥協できない。

相克を勝ち上がり、黒を滅ぼすのはリアンヌ・サンドロットの使命なのだから。

 

「獅子戦役時とは比べ物になりませんね」

 

緋い巨人の周囲に浮かぶ深紅の剣。数にして数十本。その一つを力強く掴み取る。煌々と輝く紅い直剣は、まさに太陽の如き存在感を放っていた。

 

『リアンヌ、油断なさらぬよう』

「勿論です」

 

第二形態へ進化したとしても油断できない。

黒緋の覇王へ昇華する前に、両手足を引き千切るつもりで戦わなければならない。

騎兵槍に力を込めて、眼前を見据える。

――瞬間。

 

『呪い』がエレボニア帝国全土に満たされていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、始めましょうか」

 

オスギリアス盆地の中心。

旅の占い師は両手を広げて、声高に叫ぶ。

 

「昏き終末の御伽噺を」

 

天を仰いで、外なる神に宣戦布告する。

 

「黒き神を撃ち落とす英雄譚を!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 








フェア・ヴィルングが死亡する。
      ↓
天敵の消えた外の神が好き放題する。
(もしくは七耀教会が黒く変質する)
      ↓
箱庭がグチャグチャに荒らされる。
(全ての人間が同時に玩具にされる)
      ↓
可哀想だし、先に世界そのものを潰しちゃお。
(フェアの存在しない世界だからニャル様も興味なし)






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五十話  真実に潜む偽り 前

 

 

 

 

 

唐突に申し訳ないが、俺は空の女神を崇拝していない。崇拝どころか、存在さえ否定している立場である。

空の女神などまさしく空想の御伽噺であり、弱い人間が作り出した妄想の産物に過ぎないと唾棄している。

誰が視認したというのか。

誰が確認したというのか。

祈りを捧げるだけ時間の無駄だ。

変わらず、救われず、絶望するだけだ。

そう宣言できる。

胸を張って言い切れる。

相手が聖職者だろうと関係ない。

だが――。

果たして、いつ頃から『そうなった』のか。

幼少期を思い出そうとして愕然とした。

俺の過去は虫食いだらけだった。確実に記憶している事はトワ・ハーシェルと行った天体観測、クレアさんとの物見遊山ぐらいだ。

他の記憶は乱雑に消されていた。無作為に削られている。隣人との何気ない会話、何十回も目に焼き写したであろう風景は、まるで自我を持っていない赤ん坊がナイフを持って適当に切り刻んだように穴だらけであった。

故にわからなかった。

俺はいつから空の女神を敬わなくなったのか。

その答えを教えてくれたのは、他ならぬトワ・ハーシェルだった。

彼女が見つけ出した化石。微かに脈動する気色悪い物体には、俺とトワで作り出した文字が刻まれていた。

『魂の右目』と書かれたそれを手にした瞬間、俺は思い出した。それは夥しい輪廻のとある一幕。七耀教会の狗に捕らえられ、総本山であるアルテリア法国にて異端審問を受けた記憶だった。

 

 

「やはり裏切ったか、トマス・ライサンダー」

 

 

前触れなく暗黒の世界に覆われ、身体の節々に違和感を覚えた時、直ぐに現状を把握した。トマスが裏切ったのだと。

俺は顔を顰めて、舌打ちして、嘆息した。

この場面で敵対しても得られるモノなんて何も無いだろうに。

匣に囚われる直前、呪いの風を目視した。

銀の騎神が動きを止め、紅黒い華が荒野と化したカレル離宮に咲き誇り、テスタ=ロッサが絶句していた事を踏まえてみると、何が起きたのか自ずと感じ取れた。

世界を終焉に導くとされる『巨イナル黄昏』が始まったのだ。

リィンたちは鉄血宰相を止められなかった。

いや、そもそも巨イナル黄昏とは『回避できる事象』ではないのかもしれない。俺が七耀暦1204年8月にループした時点で、既に確定された未来なのかもしれない。

これからどうしようか。

黄昏の次に起こるのは『七の相克』だ。

鋼の至宝を再錬成する為に行われるバトルロワイヤル。アルフィン殿下の為にも勝ち残るつもりだが、その果てに黒の騎神を討ち滅ぼしたとして、俺は終わらない輪廻を脱却できるだろうか。

外なる神は赦してくれるだろうか。

もしも目が覚めて、七耀暦1204年の夏にループしていた場合、俺はこのか細い自我を保てられるのか。

正直、自信など無かった。

 

「ヴィータさんの予想が正しければ脱出できる筈だ。でも――」

 

暗闇の世界に独りで立ち尽くす。

テスタ=ロッサはおろか、俺に抱き着いていたアルフィン殿下も存在しない。指定した単体だけを匣の中に閉じ込めるとは、聖痕の力を侮っていたようだ。

女神由来の能力に対する拒否反応からか、刻々と身体が重くなっていく。手足の痺れが酷くなっていく。動ける内に匣を壊そう。それぐらいなら造作もない。

匣から脱出して。

七の相克を勝ち抜いて。

黒の騎神イシュメルガを滅ぼして。

 

そして――。

 

そして――――。

 

そして――――――――最初から、全てやり直すと思うと、心が欠けそうになる。

 

 

【救われたいのか?】

 

 

聞き慣れた声に首を振る。

もういい。

救われなくていい。

幸せなんて望んでいない。

それは只の我儘だ。分不相応な願いだ。

明日なんて要らない。

未来なんて価値が無い。

 

 

【終わりたいのか?】

 

 

聞き慣れた声に小さく頷く。

そうだ。

その通りだ。

終わらせたいだけだ。

永遠に続く輪廻を、終わらない地獄の旅を。

それは我儘だろうか。分不相応な願いだろうか。

 

 

【そんな事はない。貴殿は立派だ】

 

 

眼前に出現した円形の黒い炎。

煌々と点滅する一つ目に、四つの歪な口。

想像を超える異形の姿だが、俺はソレが何か理解した。

 

「お前が、黒の思念体か」

【如何にも。貴殿に纏わり付いていた黒の思念体である】

 

四つの口が蠢き、エコーの掛かった言葉を紡いでいく。全身から黒い炎が燃え盛る。中央の巨大な眼は激しく膨張と収縮を繰り返していた。

慣れない人間なら失神してしまいそうな禍々しい威圧感に加え、女子供なら吐き気を催すような光景を見せ付けられた。

俺は少しだけ拍子抜けする。

黒の思念体とはこの程度なのかと。

鉄血宰相が懸念して煩虜した個体にしては、鋼の聖女が仇敵だと宣言した存在にしては、どこか慈愛を感じさせる。

 

【だが、貴殿の想像するモノと僅かに異なる。私は黒の分体であり、黒の思考システムそのものである】

「つまり、お前が本体なのか?」

【否。私は黒の騎神の主導権を失った存在だ。口惜しくも、正確に表現するならば黒の分体となるであろう】

 

そういう遠回しな発言は辞めてくれ。

お世辞にも頭が良いと言えないんだから、俺は。

 

「悪いが、信用できないよ。大体だな、お前はどうして、どうやって顕現してるんだ?」

【その怪訝は予想していた。その疑問も当然である。私はこれから貴殿の過去と未来を話す。それを充分に吟味してから、私を、私たちを信用するかどうか決断してほしい】

 

それは詐欺師の常套手段だろうが。

最終的な判断を相手に任せる事で、到底有り得なさそうな内容であっても信じ込ませる。

何度も見てきた。幾度も経験してきた。

それでも俺は頷いた。首肯して、先を促した。

 

「信用云々は置いておく。だから――」

【どうやって顕現しているのか。理由は三つ存在する】

 

一つ。

 

【貴方があの方の思惑通りに、緋の騎神の起動者であるから】

 

二つ。

 

【貴方が手に入れた化石により、私の中に巣食っていた闇が解けたから】

 

三つ。

 

【貴方が外界から完全に切り離された『匣』に収容されて、空の女神も、黒の本体も、邪神さえも視認できないから】

 

以上であると口を閉じた黒の分体。

こめかみが痙攣する。

助走をつけて殴っても赦されるかな、コイツ。

テスタ=ロッサの起動者であるからというのは多少なり納得できる。黒の思念体も、そもそも黒の騎神の思考システムだからだ。関連性が有るんだろうなと汲み取れる。

問題は『化石』だ。トワから譲り受けたモノ。二人で作った文字で『魂の右目』と刻まれたモノ。どうしてそれが黒の分体と関係しているのか。

得心がいかない。

 

 

「混乱するのも仕方ないがのう。先ずは妾たちの話を聞くことじゃな」

『我ガ起動者ノ時間モ限ラレテイル。手早ク済マセル事ヲ提案スル』

 

 

意識が激しく揺さぶられた。

新たに増えた聞き慣れた声に困惑する。

黒の分体の左右に顕れたのは見知った者たち。

ロゼをそのまま成長させた姿。妙齢の女性らしく腰に手を当てて、初代ローゼリアは不敵な笑みを浮かべている。

テスタ=ロッサは片膝をついた状態で、歴戦の戦士のように鎮座していた。

 

「おいおい、頭がおかしくなりそうだ」

 

額を右手で押さえる。

初代ローゼリアはクスクスと表情を緩める。

懐かしい姿に心弾ませるような、そんな微笑みだった。

俺は身構えた。

半年前に遭遇した初代ローゼリアを思い返す。控えめに評しても佳い女と言えなかった。他者の努力を鼻で笑い、囃し立てて、物笑いの種にするような女だった。

この違いは何だろうか。

俺を取り巻く前提条件が脆く崩れ去っていく。

 

「久し振りじゃのう。いや、素面で言葉を交わすのは初めてか。厄介なことよな。半年前は失礼したのう」

【焔の聖獣よ、貴女のせいではない。アルスカリを始め、誰にも予期できぬ結果だ。あの程度で済んだと喜ぶべきである】

『言動自体ハ大キク変ワッテイナカッタガ』

「戯けッ。何でお主は騙されておったんじゃ。妾があのような意地悪をするとでも!?」

『ウム』

【否定できない。アルスカリも、貴女の性格は陰湿で外道だと表現していた】

 

ため息を溢すローゼリア。

黄金色に輝く長髪を手で梳きながら自嘲した。

 

「アルスカリか。懐かしい名前じゃのう」

 

知らない名前。

聞いたこともない名前。

――いや、本当にそうだろうか。

何処かで耳にした覚えが有る。

内戦時、温泉郷ユミルの地で、蒼の魔女から。

俺を知っているのかと尋ねた。

返ってきた言葉には雑音が走っていたけど、それでも――。

 

 

頭の奥からブチっと音がした。

 

 

「俺は初めて聞く名前なんだが」

『アルスカリ・ライゼ・アルノール。我ガ起動者ニモ理解デキルヨウニ言ウナラ、エレボニア帝国ヲ建国シタ男ノ名前ダ』

 

へぇと生返事する。

生憎と歴史は苦手分野だった。

初代皇帝陛下はそんな名前だったのか。

ロゼやヴィータさんなら知っているのかもしれないけど。

 

「初代アルノールか。知らなかった。そんな名前だったんだな」

【既にこの世界から失われた名前である。文献にも遺されていない。悲しい事だ。彼こそが王であった。彼こそが救世主であった】

「それは晩年の事じゃろう。妾が知るアルスカリは優柔不断で、泣き虫で、唐変木で、誰よりも無駄に我慢強い輩であったよ」

『我ガ聞クニ、貴女ハ初代アルノールヲ愛シテイタラシイガ』

「だ、誰から聞いた!?」

【事実だ、緋の騎神よ。私も大地の聖獣から聞き及んでいる。こっぴどく振られた事も。聖獣も恋するのだと驚いた記憶を持っている】

「ぐぬぬぬぬッ!」

 

顔を真っ赤にして歯軋りするローゼリア。

 

「大地の奴めッ。誰にも言うなと念を押しておいたというに!」

『残念ダッタナ、ローゼリア』

【聖獣よ、落ち着け。そして怒るな。理不尽である。私と緋の騎神だけでなく、全ての騎神がその情報を知っているのだから】

「ほわぁっ!?」

『ウム。ソノ通リダ』

【貴女も知っていよう。大地の聖獣は存外口が軽い事を。アレに秘密を握られた時点で、貴女の落ち度である】

「なっ、こっ、ふざっ――!」

 

秘密を暴露された羞恥心からか、ローゼリアは言葉にならない声を発する。握り締めた拳はワナワナと震え、憤怒から紅蓮に染まった表情は今にも極大魔法を放ちそうだ。

話についていけない。

完全に置いてけぼりである。

『外』と比べて、匣の中の時間は酷く緩やか。匣の中で一時間が経過したとしても、外の世界で流れた時間は僅か数秒足らず。トマス曰く、匣に長時間居るだけで精神崩壊してしまうから、そんなに便利な能力でもないらしいけど。

 

「同窓会なら他所でやってくれ。手早く済ませるんじゃなかったのか?」

 

いずれにしても、外でアルフィン殿下を待たせている。無駄な時間を浪費するのは、彼女の騎士として許容できない。

俺の辛辣な台詞に対して、黒の分体は激しく明滅した。

 

そして、超特大級の爆弾を放り込んだ。

 

 

【これは失礼した。八百年振りに思考能力を取り戻した上、アルスカリの転生者と言葉を交わしているのだ。柄にもなく舞い上がっていたと認めよう】

 

 

――――――――は?

 

 

「は?」

 

テスタ=ロッサが続ける。

 

『言葉ノママ受ケ止メテ欲シイ、我ガ起動者ヨ。貴方ハ初代アルノールノ転生者。彼ガ予言シタ生マレ変ワリダ』

 

ローゼリアが肩を竦める。

 

「その反応は知らなかったようじゃな。二代目も終ぞ言い出せなかったか。無理もあるまいて。外なる神の言葉を真実そのまま受け止めるなど不可能な話よ。二代目は慎重居士な奴じゃからな」

 

黒の分体が抑揚なく言葉を発する。

 

【真実を伝えた邪神の思惑は未だ判明しない。二代目ローゼリアの選択は正しいものと判断する】

 

おいおいおいおい。

何をさも当然のように話してるんだ、コイツら。

俺みたいな凡人が初代アルノールの生まれ変わりだと?

俺みたいな平民がエレボニア帝国の建国者の生まれ変わりだと?

有り得ない。

馬鹿馬鹿しい。

それはどんな喜劇だよ。

それはどんな悲劇なんだよ。

帝国民を、皇族の方々を愚弄している。

 

「おい、待て。少し待ってくれ。俺が初代アルノールの生まれ変わりだなんて、そんな、有り得る訳ないだろ!」

『起動者ヨ、事実ダ。貴方コソ、我々ガ待チ望ンダ存在。アルスカリ・ライゼ・アルノールノ魂ヲ受ケ継イダ者ダ』

【心から信じなくとも、いずれ理解できる】

「難しいことかもしれぬがな、今は飲み込め」

 

三者三様の台詞に、俺は言葉を失う。

真実がどうであれ、彼らは信じ込んでいる。

フェア・ヴィルングが、アルスカリ・ライゼ・アルノールの転生者だと。生まれ変わりだと。魂を受け継いだ者だと。

今すぐ声高に否定したい。絶対に違うと宣言したい。

でも、彼らの妄信を覆す証拠が無かった。

説き伏せるのは後にしよう。今すべきは聞き流す一手だ。

 

「わかった。わかったよ。仮に俺が初代アルノールの転生者だとして、その事が俺の輪廻に影響しているのか?」

「無論。そもそもお主が2年間を繰り返しているのは、アルスカリを始めとした全ての存在が選択を間違えたからじゃ。この妾も含めてな」

『我ガ起動者ヨ、初代アルノールヲ責メナイデ欲シイ。彼ガ存在シテイナケレバ、大崩壊後、コノ世界ハ燃エ落チテイタ筈ダカラダ』

【順を追って説明しよう。質問はその後に頼む】

 

一拍置き、黒の分体は語り始めた。

 

【だが、先に伝えておく。私たちとて全てを知っている訳ではない】

 

黒の視線がテスタ=ロッサへ向いた。

 

【私とコレは騎神の思考システムである関係上、大崩壊以前の出来事を自ら知覚したと言えないからである。故に焔の聖獣を呼んだ。彼女は大崩壊より前のアルスカリを知っているから】

「妾とて詳細は知らぬがな。一つ確かなのは、アルスカリは空の女神様と面識が有り、深く愛されていたという事ぐらいか」

「――空の女神に愛されていた」

 

身の毛がよだつ内容に吐き気を覚える。

やはり俺とアルスカリは別物だ。

空の女神に愛されるなど、全身全霊で拒否する。

 

「やはりお主たちは似ておるな」

 

ローゼリアは白い歯を見せた。

視線を空に向ける姿はどこか痛ましく、郷愁を感じさせた。

 

「アルスカリもそんな反応をしておったよ。七至宝に関しても同様に嫌悪感を示していた故な」

【アルスカリはこう言っていた。七至宝はこの世に不要な存在だと。出来る事なら全て破壊したいと】

『並々ナラヌ憎悪デアッタ。ソノ理由ハ終ゾ教エテ貰エナカッタガ』

「贖罪なのだと口にしていたな」

 

アルスカリは二面性の有る人物だったのか。

空の女神に愛されながら、その愛を拒否して。

空の女神に愛されながら、七至宝を憎悪して。

どうしてかな。

貴方の気持ちがよくわかるのは。

 

【ともかく。アルスカリは大崩壊以前より活動しており、大崩壊後は焔の眷属と大地の眷属を纏め上げ、聖獣の力も借りてエレボニア帝国の礎を築いた】

『鋼ノ至宝ヲ別次元ヘ封印シテ、巨イナル器トシテ我々ヲ作成シタ』

「アルスカリの驚嘆すべき点は、その解決策を即座に提案した事よ。地精の連中に巨大な騎士人形を造らせて、妾たち魔女に巨イナル一の力を分割させて器に封印させた。迅速に鋼の至宝をどうにかできたからこそ、直後に発生した『大厄災』を乗り切れたのじゃからな」

 

便宜上、妾たちは『焔の厄災』と呼んでおるとローゼリアは付け加えた。

 

【この大厄災は二代目ローゼリアも知らない。皇帝家が所有する黒の史書にも記載されていない。誰も気付かない因果の外、即ち『外なる神』が齎した厄災だ』

『ソレハ赤黒イ焔ノ塊ダッタナ』

「復興を始めたヘイムダルの地に唐突に顕れて、全てを燃やしおった。全て、全てじゃよ。文字通り何もかも灰にしたのじゃ。人も、木々も、大地も、空も」

【誰もが諦めた。空の女神さえも匙を投げた】

「聖獣である妾は認めたくないが、空の女神様は人間に対して失望しておったのじゃろうな。滅びるならそれまでだと。地精と魔女も大厄災の前に膝を折った。恥ずかしい話になるが、諍いもせずに膝を屈したのじゃよ」

『ソンナ時、初代アルノールハ立チ上ガリ、七ノ騎神ト共ニ焔ノ厄災ヲ鎮めた』

【詳細は省く。何故か。どうして焔の厄災を鎮められられたのか理解できないからだ。アルスカリは苦笑していた。運が良かったのだと。だが、結果として私たちは生き残り、外なる神を抑えた】

「外なる神はどうしても殺せず、妥協案として封印することに相成った。口惜しい事じゃがな。今となっても腹立たしい限りよ」

『鋼ノ至宝カラ最モ力ヲ供給サレル緋ノ騎神、つまり我ヘト封ジタ』

【此処まではいいだろうか?】

 

首を横に振りたい。

話に着いていけないからだ。

一旦整理する。

アルスカリ・ライゼ・アルノールは大崩壊後の世界を纏め上げて、空の女神さえ傍観した焔の厄災を撥ね退けて、大厄災を齎した『外なる神』を緋の騎神へ封じた。

想像を絶するほど優秀な人物だったらしい。

そんな偉人の転生者と知らなければ、手放しで褒め称えたいぐらいに。

 

「良くないけど、質問は後でするよ」

 

黒の分体が歯をギチギチと鳴らした。

 

【結構。本題は此処からである故に】

 

 

 

 

 

 








初代ローゼリア「お主のことが好きじゃ!」


アルスカリ「ごめん。無理」


大地の聖獣「うっわぁ。皆に話したろ」









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五十一話 真実に潜む偽り 後

 

 

 

 

 

 

【何はともあれ、大崩壊後の混沌とした世界を生き残り、間髪入れずに飛来した外なる神も封印した。世界を救ったアルスカリは調停者として讃えられ、皆に望まれて長となり、晩年には王として君臨した】

 

指導者として人々を纏めた。

調停者として聖獣と眷属を融和した。

もしも俺が同様の偉業を成し遂げたとして、膨大な人の群れを統制できるだろうか。二つの至宝を喪失した民草に希望を与えられるだろうか。

考えるまでもない。

絶対に無理だ。

いや、そもそも民衆の上に立とうなんて望まないだろうけど。

 

「その表情、懐かしいのう。覚えておるよ。アルスカリもそんな顔だったからな。人の上に立つなんて絶対に嫌だと駄々を捏ねておったよ」

 

ローゼリアは苦笑する。

右のこめかみを揉みながら目を細めた。

 

「妾たちが頼み込み、ようやく首を縦に振った程じゃ。柄じゃないと口をへの字に曲げて、夜中の内に逃げ出した事も数知れず。大地の奴も呆れておったよ。まぁ、それでも敬愛されていたがな」

 

その通りだとテスタ=ロッサも頷く。

 

【順風満帆だった。だが、アルスカリは死ぬ前に言い残した。それは遺言のようであり、懺悔のようであった。酷く憔悴した様子で、息も絶え絶えになりながら幾度となく何かに謝り、うわ言のように繰り返した。私は、私たちは全て間違っていたのだと。再び繰り返されるのだと】

「自らの転生者がいつの日か現れる。その者は空の女神を信じず、緋の騎神を駆けて、天を見続ける者だと口にして、アルスカリは役目を終えたのじゃ」

 

全てとは何か。

間違えたとは何か。

何を繰り返すというのか。

彼らも仔細は聞かされなかったようだ。詳しく尋ねる前に、アルスカリ・ライゼ・アルノールは息を引き取ったらしい。

だが、ローゼリアは大凡ながら予想できると豪語した。

 

『初代アルノールノ遺言ヲ聞イタノハ我ト黒ノ騎神、ローゼリア、アルグレスノミ』

【アルスカリの遺言に従い、私たちはそれぞれが最善を尽くそうと誓った】

「とは言え、妾たちの役割は生前にアルスカリが決めておった。焔の聖獣である妾は己の魂を二分し、割合の多い方をテスタ=ロッサの中に封入したのじゃ。焔の神を監視して、場合によっては鎮める為にのう。それには妾が最適解じゃ。理由は言わずともわかるじゃろう?」

 

たとえ無謀な次善策だとしても。

焔の至宝を見守る為に遣わされた存在、灼獣ローゼリアならば『焔の神』を監視して、あわよくば暴走した時に鎮撫できると踏んだのだろう。

可能かどうかは議論するだけ無駄だ。

少なくとも、彼らの中だと最も高い可能性を有している。

 

『我モ同様ノ役割ヲ仰セツカッタ。故ニ、皇城ノ地下深クニ鎮座シタノダ。封印ガ解ケテ、ローゼリアモ鎮メルノニ失敗シタ時、焔ノ神ガ暴レ出シテモ地上ノ被害ヲ減ラス為ニ』

「ふん。大地の奴だけは素知らぬ顔で日々を過ごしておったがな」

 

鼻を鳴らすローゼリア。

秘密を暴露された怒りからか、それとも元来仲良くないのか、大地の聖獣に対する敵愾心が台詞の節々から溢れていた。

 

【焔の聖獣は昔から言葉足らずである。誤解ないように補足しよう。大地の聖獣には特別な役目が有ったのだと】

 

黒の分体は瞳を明滅させる。

赤黒い焔を生き物のように揺らした。

どうやら何かに不満を覚えた時、異形の姿を激しく動かすようだ。今回の場合だとローゼリアに対してだろう。

 

「口の軽い獣の癖に、なーにが海の近くだと落ち着くから遷都しようよ、じゃ。一匹で海底に潜り込んでおれ馬鹿者が!」

『後学ノ為ニ教エルガ、二匹ノ聖獣ハ酷ク仲ガ悪イ。アルグレスニ会ウ機会デモアレバ気ヲ付ケル事ダ、我ガ起動者ヨ』

 

当の本人は気付かずに愚痴を溢し続けていた。

テスタ=ロッサは暢気に忠告してくる。

黒の分体は膨張と収縮を荒々しく繰り返しながら一喝した。

 

【話を戻す】

 

緩慢な空気が引き締まった。

 

【焔、大地、緋の騎神、それぞれに役割が与えられた。当然ながら黒の騎神にも。私の役目は『七の騎神の纏め役』であった。もしも他の騎神が暴走した場合に於いて、それを鎮静化させる、或いはどのようにして解決するかを決定する使命を帯びていた】

「黒の騎神は調整役として、非常に高い知能を与えられた。妾が丹精込めて作った、まさしく傑作とでも呼ぶべき高度な思考システムを搭載したのじゃよ。うむ、まぁ、大地の奴には到底できぬ神業よな!」

『我ハ地下深クデ鎮座スル代ワリニ、黒ノ騎神ガ他ノ五体ヲ統制スル。ソウイウ規約ダ。誰モ反対シナカッタ。黒ノ騎神ナラ任セラレルト皆ガ頷イタ程ダ』

 

じゃがな、とローゼリアは顔を顰めた。

 

「結果として、それが良くなかったと言えよう」

【アルスカリが死した後、二百年間、私たちに変化などなかった。アルノールの血脈は代々受け継がれていき、エレボニア帝国も少しずつ発展を遂げていった】

 

俺が馬鹿だからかな。

なにも問題ないように思えるけど。

アルスカリの子孫は皇帝の地位を約束された。

大崩壊と焔の厄災を乗り越えて、エレボニア帝国は時を重ねる毎に興隆していった。

それらは素晴らしいことじゃないのか。

俺の疑念を察したのか、黒の分体は気まずそうに同意した。

 

【貴殿の考える通りである。それらは素晴らしい事だ。称賛に値する。私も誇りに感じていた。だが、人間の齎らす眩い光景を見守り続けた結果、ふとこう思ってしまった】

 

 

――――羨ましいな、と。

 

 

【それは愚かな嫉妬であり、下らぬ憎悪であり、場違いな羨望であった。一瞬の思考だ。一秒後には泡沫のように消えた。だが、それは私の思考システムに致命的な『悪意』を生じさせてしまったのである】

「人間なら誰もが併せ持つ悪性と善性じゃ。他の騎神とは隔絶する高度な思考システムを持った黒の騎神は、人間と同じように悪意と善意の二面性を得てしまったのじゃよ」

【私は自らを善性だと思わないが、理解しやすいようにそう呼称しよう。悪性と善性に分かれてしまったが、百年にも及ぶ主導権争いは私の優勢だった。百年の果てに悪性を抑え付け、それから数年も経てば完全に消滅させていただろう】

 

黒の分体は忸怩たる想いを隠さずに告げた。

何事も無ければ、私が勝ち残っていたのだと。

 

『ダガ、悪性ハ賢カッタ』

 

テスタ=ロッサが吐き捨てる。

 

「狡賢いが正しかろうな。悪性は巨イナル一から漏れ出す呪いに指向性を持たせ、一点に凝縮させたのじゃ。結果、呪いの塊である『暗黒竜』が生まれた」

【貴殿は暗黒竜について知っているかな?】

 

概要だけなら、テスタ=ロッサとロゼから聞き及んでいる。

約九百年前、帝都を死の都へ変貌させる暗黒竜が生まれた。時の皇帝陛下は仮の都としてセントアークに落ち延びた。それから約百年後、ヘクトル1世が緋の騎神を駆使して帝都を奪還。暗黒竜の討伐に成功する。けれど暗黒竜の血を浴びて、緋の騎神は穢れた存在に堕ちてしまった。

 

【結構。貴殿の知る通り、暗黒竜はヘイムダルを死都に変えた。そして、人々を眷属とした。彼らの持つエネルギーは悪性に吸収され、私たちの力関係は互角となってしまった】

「最悪なことに、穢れてしまったのはテスタ=ロッサだけではなかったのじゃよ。焔の神も、そして妾も等しく呪いに汚染されてしもうた」

【悪性の目論見通り、絶大な力を誇る緋の騎神は穢された。封印してある焔の神と焔の聖獣も。悪性は計画を完遂した。即ち、呪いと同化した悪性は穢れた緋の騎神から『七割以上の能力』を強奪したのだ。七の騎神の力関係も、私たちの主導権争いも逆転された】

 

暗黒竜が生み出されただけで。

テスタ=ロッサが穢れるだけで。

全てを覆されて、堅牢な土台が崩壊したのか。

皮肉だなと口許が緩んだ。

緋の騎神は能力を奪われた。

焔の聖獣と黒の善性は汚染された。

恐らくだが、緋の騎神に高度な思考システムを搭載しなかったのは、こうなる事態を避ける為だったのだろう。

『巨イナル一』と最も強い繋がりを持ち、更に焔の神を宿したテスタ=ロッサの思考システムに悪意が目覚めてしまえば、もう誰にも止められなくなるから。

まぁ、黒の悪性がその危惧を現実にしてしまったわけだが。

 

「悪性は焔の神と結託して、善性と妾を取り込みおった。屈辱であったよ。この妾を、創造主である妾を嘲笑う悪性に対して、何度己自身を消滅させようと考えたかわからぬ」

【だが、焔の聖獣は踏み止まった。アルスカリの為に】

「ふん。アルスカリの転生者なぞ、あやつと同じく泣き虫で、唐変木で、我慢強いだけの男だと予想できたからのう。たとえ面倒でも、妾が傍にいてやらねばならぬと思っただけじゃ」

『ソウイウ言イ方ト性格ダカラ、初代アルノールニ振ラレタノダロウナ』

「喧しいわッ!」

 

食い気味に咆哮するローゼリア。

聖獣のこめかみには青筋が浮かんでいた。

 

「妾は聖獣じゃぞッ。誰よりもあやつを支えたのにも拘らず、よくわからぬ普通の女子に絆されおって。あんな薄情な男、妾の方から願い下げじゃな!」

 

そうか。そうだよな。

子孫を残したという事は、アルスカリにも妻がいたのだ。誰かを愛したのだ。子供を作り、そして血を次代に繋げた。人間として、生物として当たり前の事を成し遂げた。

その一点だけはとても羨ましいと感じた。

 

【焔の聖獣は放っておく。昔から酷い癇癪持ちだからだ】

「癇癪持ちではないわ!」

【兎にも角にも、数百の年月を経て、私と焔の聖獣は悪性に蝕まれた。だが、完全には取り込まれなかった。邪魔だと考えたのだろう。放棄したいと考えたのだろう。私と焔の聖獣による無駄な抵抗に、悪性は根気負けした】

 

少しだけ同情した。

未来が暗くても、希望が見えなくても。

数百年に渡って抵抗を続けるのは、非常に困難だと俺は知っているから。

 

『我ガ起動者ヲ監視スル為ニ、我ガ起動者ノ行動ニ関与スル為ニ、悪性ハ己ノ分体ヲ取リ憑カセタノダ』

「本来なら喜ぶべき事じゃが、妾たちは数百年以上も呪いのプールに浸かっていたような存在じゃからな。まともな思考回路などない、かつての暗黒竜に等しい存在であったよ」

【貴殿には迷惑を掛けた。だが、運命は私たちに味方した。トワ・ハーシェルなる者が齎した化石には、極限まで濃縮された呪いを拡散させる権能があったらしく、こうして悪性の支配下から脱する事ができたのだから】

「あの化石は空の女神様と同格な、この世界の根幹を担う神の残骸じゃろうな。ゼーレ・デァ・ライヒナムとかいう冥府の神の遺物であろう」

【以上が、私と焔の聖獣が貴殿に取り憑いた経緯であり、八百年の歳月を経て、自己を取り戻した理由である】

 

 

 

彼らの過去を聞いた。

俺の前世とやらを把握した。

内容を吟味して、検討して、熟考した。

辻褄は合っていると思う。

否定できる部分など見受けられない。

考慮すべき中身だ。

心に留めておくべき事柄だ。

それでも、鵜呑みにしていいのだろうか。

 

「過去はわかったよ。なら、未来に関してはどうなんだ?」

 

俺は馬鹿だ。

阿呆で、間抜けで、凡愚だ。

数え切れないぐらい二年間を繰り返して得たモノなど、エレボニア帝国でも有数の腕っ節ぐらいというお粗末さである。

だから間違えた。

半年前、アルフィン殿下を酷く傷付けた。

一人で考えて、それが最善だと決め付けて、結果として主君の心に深い疵を遺した。一生掛けても赦されない傷害を与えた。

鉄血宰相に感謝すべきだな。

己の馬鹿さ加減を教えてくれたのだから。

――間違えずに済んだ。

幸いにも、俺のような暗愚と比較できない明晰な頭脳を持つ者たちを知っている。機知に富んだ魔女たちと同じ目的を有している。

足りないならば任せよう。

彼らの言葉を信じるべきかどうか、その決断はロゼやヴィータさんに委ねよう。

故に聞き出す。

判断材料を一つでも増やす為に。

過去を学んだのなら、次は未来について知るべきだ。

 

「アルスカリは何を間違えたのか。そして、俺の輪廻を終わらせる為に何をすべきなのか。教えてくれ」

 

ローゼリアは深紅の双眸を見開いた。

一拍挟んで、お日様のように微笑んだ。

アルスカリではなく『俺』を見ながら破顔した。

 

「それで良い。アルスカリも一人で全てを成し遂げておらぬ。大地の奴から手を借りた。妾も協力した。色んな存在から助力を得た。お主もそうすれば良いのじゃ」

 

俺の成長を喜ぶように声を弾ませる。

誰もが振り返るような美しい笑みを携えて、ローゼリアは問いに応えた。

 

「妾たちの間違い。それは恐らく『焔の神』を殺さなかった事じゃ」

『――ウム。我モ同ジ答エダ、我ガ起動者ヨ』

【アルスカリの絶望、再び繰り返されるという発言から推測して、私もその考えに同意しよう。焔の神を殺さなかった事。封印に留めた事。これが私たちの間違いだったのだ】

 

彼らの台詞を反芻する。

焔の神を殺さなかったのではなく、誰にも殺せなかったのではないのか。

 

「お主の言う通りよ。妾たちはどうやっても焔の神を殺せなかった。アルスカリでさえも、手傷を負わせるだけで精一杯だった程じゃ」

『騎神ノ力モ、焔ノ厄災ニハ無力ダッタ』

【だが、焔の神を殺さなければ、邪神は赦してくれないだろう。この世界の存続を認めてくれないだろう。フェア・ヴィルング、貴殿を同じ二年間に捕えているのは、焔の神を殺す手段を探させる為だと予想できる】

 

確かに存在Xは、邪神はこう言った。

――探せと。

人形を探せと頻繁に語り掛けていた。

俺を英雄にさせるためじゃないかと推察していたが、まさか焔の神を殺害する唯一の方法が騎神なのだろうか。

待て。結論を急ぐな。

どんなに理路整然としていても考えを止めるな。

 

「でも、どうしてそんな回りくどい方法を取っているんだ?」

「外なる神の思考など誰にもわからぬよ。じゃがのう、お主が輪廻に囚われている理由など、これ以外に考え付かぬのじゃ」

【貴殿にとって茨の道はまだまだ続くだろう。焔の神を完全に殺害する方法は皆無に等しい。アルスカリも、私たちも見付けられなかった。神殺しなど想像できない。だが、貴殿は探し出さなければならない。私たちの出来なかった事を成し遂げなければ、貴殿は輪廻から脱却できない】

 

黒の分体が歯切れを悪くして口にした。

どうやら俺が落ち込むと思っているらしい。困難な未来を想像して、気落ちするのではと心配しているらしい。

安心してくれ。

俺は歓喜している。

希望に満ち溢れている。

事実は違うかもしれない。

輪廻を終わらせられないかもしれない。

でも、進むべき道を発見した。

酷く険しい筈だ。苦難に満ちている筈だ。

一歩前進するだけで命を落とす過酷な旅になるかもしれないが、それでも『本当の意味で死亡できる道』を見付けたのだから。

 

『焔ノ神ヲ殺セレバ、我ガ起動者ノ望ミ通リ、フェア・ヴィルングトイウ存在ハ完全ナル無ト化ス。ソシテ、我々ハ約束ノ刻ヘ至ルダロウ』

 

テスタ=ロッサの言葉に耳を傾けないまま、俺は両足に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

フェア・ヴィルングは駆け出した。

匣から脱出して、目的を達する為に。

嬉しそうだった。幸せそうだった。

輪廻から解放されて死ぬことだけを願いながら。

彼は傷付いた体躯に鞭を打ち、これからも苦難の道をひた走っていく。

その痛ましい背中を眺めながら、黒の分体は嘆息した。

 

【教えてくれ、焔の聖獣。私が悪意にさえ目覚めなければ、フェア・ヴィルングの苦難は緩和されていただろうか?】

「どうじゃろうなぁ。妾にもわからぬよ」

 

ローゼリアが淡々と答える。

 

【彼の敵はあまりに強大だ。黒の騎神に焔の神、邪神さえ敵に回るかもしれない。七耀教会も特異点排除に動くだろう。輪廻を脱却するなど不可能に近い。輪廻を越えたとしても、彼は絶対に幸福を掴めない。にも拘らず、何故、フェア・ヴィルングは諦めないのだろうか?】

「どうじゃろうなぁ。妾にもわからぬよ」

 

ローゼリアが滔々と答える。

 

【やはり、私は愚かな思考システムである。彼のことを羨ましいと思ってしまった。何度挫けても立ち上がる強さを羨望してしまった。アルスカリに似ている姿を見て憎悪してしまった。だが、私は望もう。私は願おう。どうか、焔の神を殺して安らかに眠ってほしいと祈ろう。これは果たして傲慢だろうか?】

「どうじゃろうなぁ。妾にもわからぬよ」

 

ローゼリアが飄々と答える。

 

【焔の聖獣よ、貴女はまさか――】

 

棒立ちで同じ言葉を繰り返す聖獣に対して、黒の分体は嫌な予感を覚えた。

間違いなく呪いは霧散している。

黒の分体と焔の聖獣は悪性の支配から逃れた。

ならばどうしてと疑い、高度な思考システムを持つ故に正確な答えに辿り着いた。

 

――ローゼリアは巨イナル一の呪いだけでなく、別次元の存在による干渉も受けていたのだと。

 

赤黒い焔を揺らして、警戒して、次の瞬間に黒の分体はこの世から消失した。箱庭世界から完全に姿を消した。

 

 

「どいつもこいつも何故気付かぬのじゃ。何故こうもころりと騙される。妾が愛してるのはアルスカリだけじゃ。今も昔ものう」

 

 

ローゼリアは顔色一つ変えずに立ち尽くす。

黒い霞を四肢に纏わせて、黒の分体を捕食しながら昏い空を仰いだ。

零れ落ちる涙が頬を伝う。

色褪せない記憶が脳裏に過った。

 

――ローゼリア、俺を頼んだよ。どうか助けてあげて欲しい。

 

 

「外なる神よ。ニャラルトホテプよ。これで良いのじゃろう。こうすれば、アルスカリにもう一度会わせてくれるのじゃろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 








ローゼリア「もう一度で良いからアルスカリに会いたい」←邪神の巫女。


大地の聖獣「こんなのと同じにされたくないんだけど」←アルスカリの親友。









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五十二話 嚆矢濫觴

 

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

七耀暦1205年6月30日。

超級の特異点と目されるフェア・ヴィルングと無事に取引を交わしたトマス・ライサンダーは、僅か二時間の睡眠を経て、隠れ家全体に鳴り響く通信機器によって無理矢理覚醒させられた。

寝台から身体を起こし、欠伸を一つ。

眼鏡を片手に、寝ぼけ眼を擦りながら受話器を取る。

早朝四時半。鶏も鳴いておらず、太陽さえ顔を覗かせようか足踏みする時間帯に、相手の迷惑も考えずに通信を試みようとする人間など限られている。

トマスは受話器を耳に当てる前から、通信相手が誰なのかを正確に把握していた。

 

「総長、今何時だと思ってるんですか?」

 

開口一番、上司だろうとお構いなく不満を漏らした。

聖杯騎士団の総長に君臨するアイン・セルナートは快活に話し出す。

 

『トマス、今から話すのは秘中の秘。守護騎士の中でも数人しか知らない極秘事項だぞ。時間なんて気にしている場合か。おい、聞く前から顔を顰める奴があるか』

「顔を顰めるだけで済ませているんです。感謝してほしいぐらいですよ。それにわざわざ秘匿回線を使うとは。総長、封聖省のお偉方にまた小言を言われますよ?」

 

教会独自の秘匿回線。

結社の星辰ネットワークへ対抗する為に造られた模索品である。エプスタイン財団と共同で研究及び試作しているらしいが、その辺は何だか酷くあやふやである。

いずれにしても気軽に扱える代物ではない。

 

『構わん。小言ぐらい幾らでも吠えさせておけ』

 

アインがこれでもかと胸を張っている姿を想像したトマスは、思わずため息を溢そうとして、慌てて堪えた。

 

「よくそれで異端認定されませんね」

『傲慢な彼らとて、そう簡単に私を切り捨てる判断などできまい。蛇はおろか特異点も排除していない状況だからな』

「貴女は切り捨てられないでしょうが、私たちのような一介の守護騎士は異端認定されますよ」

『笑わせないでくれ。一介の守護騎士というのは字面からして矛盾しているぞ。お前たちは聖痕に選ばれたんだ。女神の遺した秘蹟に適応した者たちだろう』

「貴女がそれを言いますか。私たちと総長の聖痕など比較にならない。純粋な出力だけで判断しても、貴女単独で守護騎士全員を十秒と掛からずに殺害できるでしょうに」

 

いや、五秒も必要ないだろう。

あの時は模擬戦だったから十秒要しただけで。

守護騎士第一位。聖杯騎士団総長。『紅耀石』の異名を持つアイン・セルナートは間違いなく最強の一角であり、七耀教会が誇る最高の切り札でもある。

彼女は苦笑しながら、部下の発言を否定した。

 

『大袈裟だよ、トマス。お前は昔から物事を大きく捉えるという悪癖が有る。気をつけたまえ。それはお前の命取りになるだろう』

「――承知しましたよ、総長殿」

『おーい、ため息が隠せてないぞー?』

 

おっと。

こいつは失礼。

無意識に嘆息してしまったみたいだ。

アインとトマスは長い付き合いである。

互いに総長、副長という役職を得る前から交友関係を持っていた。十年は軽く超えているだろう。それでもわからない。わかろうと努力して、その決意は呆気なく散った。人間を超越した化物の思考など、凡人であるトマス・ライサンダーには到底理解できなかった。

 

「それで、このご時世に秘匿回線を用いて連絡を寄越すとは、アルテリア法国で政変でも起きましたか?」

『阿呆。それならもっと喜んでいるさ』

 

意図して話を変えると、アインは小気味良く笑いながら乗ってきた。

総長は空気を読める女なのだ。しっかりと読んでいるにも拘らず、それはそれとして、空気をぶち壊す事に快感を覚えるという悪癖を備えているだけで。

 

「でしょうね」

『事態はもっと単純かつ明快だ。法王猊下が遂に決断なされた。最大の特異点を、フェア・ヴィルングを始まりの地で異端審問に掛ける。もしくは塵一つ残らないように抹殺する。私としては、異端審問に掛ける方を優先したいがな』

 

 

問い。此処で通信を切ったとしても赦されるでしょうか。

答え。赦されるはずもありません。異端審問行き確定です。

 

 

「一応尋ねますよ。本気ですか?」

『当然だとも。それとも君は反対かね?』

「ええ、反対です。確かにフェア・ヴィルングは現状だと最も危険な特異点であり、その凄惨さは塩の杭を遥かに凌ぐかもしれません。ですが――」

『彼と敵対した場合、結社の進める巨イナル黄昏をどうするのかと危惧しているのだろう?』

「魔女と手切れになる上、文字通りエレボニア帝国の全てと敵対することになります。先ずは蛇の計画を食い止めてからでも遅くないかと」

 

予想される敵対勢力は二つ。

身喰らう蛇と鉄血宰相の子飼いたちである。

たとえこれから協力者を増やした所で、どんなに甘く計算しても勝ち目は薄いだろう。誰がどう見ても旗色が悪いのは誤魔化せない。

枢機卿連中は何を考えているのか。

フェア・ヴィルングを異端審問に掛けようとした場合、恐らく七耀教会はエレボニア帝国の全てを敵に回す。

協力関係を築いた魔女。

黄金の羅刹率いる貴族連合の残党。

リィン・シュバルツァーを重心とするⅦ組。

共に巨イナル黄昏を止めようとした同志を何食わぬ顔で背中から撃つ教会関係者に対して、敵愾心を燃やすは必然。それぞれ三竦みとなり、誰も幸せに至らない未来へ行き着くだろう。明確なバッドエンドだ。

トマスは翻意を促した。

だが、アインは静かに告げる。

 

『いや、遅い。致命的な遅さだよ、トマス』

 

それでは間に合わないのだと断言した。

 

「そう判断する根拠は?」

『古の教えであり、法王猊下の決断さ』

「世界が滅びるよりも特異点排除に動くと」

『上層部がそういう決断を下すのも仕方ないさ。彼らにとって大事なのは信徒ではなく、信徒を集める為の教義なんだからな。どうだ、彼らからしてみれば実に理に沿った判断だと思わんかね?』

 

今いる信徒を守るのか。

信徒を増やせる教義を守るのか。

どちらが大切かなど、人道上の観点を除けば、教会関係者にとって議論する必要もない二者択一であった。

教義を絶対とする者からしてみたら、僅かに逡巡するだけで空の女神に対する背信だと騒ぎ立てるだろう。

それはもう変えられない価値観だ。

 

「なるほど。法王猊下を始めとした上層部の方々は始まりの地にて、私の匣に収容されることで世界の滅びを回避するつもりなのですね」

『察しがいいな。その通りだ。この世界の法則に適用されない場所、魔女や結社の単語を借りるなら外の理だな。それが渦巻く聖地なら、お前の匣を連動させることで世界崩壊の影響を受けないと判断したわけだよ』

「生き残るのは教会関係者のみと」

『守護騎士の我々も収容人数に含まれているぞ』

 

実に下らない。

反吐が出そうだ。

 

「従順な狗は死んでも離さない。当然ですね」

『まぁ、そう卑屈になるな。お前は世界の滅びを確信しているのだろうが、特異点を排除した後に蛇の計画も阻止すればいいだけだろ?』

「エレボニア帝国全てを敵に回しつつ、蛇と相対するなんて御免です。モノの見事に擦り潰されますよ」

『たとえ私が全力を出しても、最終的に力負けするだろう。物量の差というモノは絶対だ。しかしなぁ、トマス。いずれにしても私たちの取れる選択肢は限られているんだよ』

「と言うと?」

 

アインは数秒間黙り、辿々しく答える。

 

『仮にだね。魔女やフェア・ヴィルングと協力したとする。巨イナル黄昏を乗り越えて、結社の企みを阻止したと仮定しよう』

 

あの紅耀石が。

傍若無人な女傑が。

慎重に言葉を選んでいる。

今日は雪でも降るんだろうなぁ。

徐々に明るくなっていく晴天を眺め、トマスはしみじみと思った。

 

「私としては充分に実現可能な未来だと思いますが」

『否定しないよ。私も実現可能だと考える。だがな、特異点を野放しにしていた場合、確実に世界は滅びる。いや、違うな。そうだね、無かったことにされるのかな』

 

一秒。二秒。三秒。

静寂に包まれた隠れ家にて、トマスは誰に見せる訳でもなく首を傾げた。

 

「申し訳ありません、総長。仰られてる意味が解りかねます」

『理解できないか。無理もない。総長を継いだ者が口伝として遺してきた、まぁ言い伝えみたいなものだからな。私とて飲み込むのに時間が掛かったよ』

「法王猊下は知っているのですか?」

『知らないだろうな』

「おいおいおい、おーい!」

 

眼鏡を握り潰して、声を荒げる。

流石に洒落にならない。嘘だと言ってくれ。

アイン・セルナートなら秘匿回線を無断に使用しても咎められないだろうが、七耀教会を統括する法王猊下にそのような重大情報を隠匿していると発覚した時、十中八九その罪禍は聖杯騎士団全体に浸透するだろう。

 

『言った筈だぞ。これは聖杯騎士団総長に就いた者が口伝として遺してきたと。文字通り門外不出なのさ。ああ、大丈夫だとも。トマスの意見は聞かなくてもわかる。法王猊下に、七耀教会に対する裏切りじゃないかと危惧しているんだろう。まぁな、否定できんよ。一種の謀叛だからなぁ、これ。でも、法王猊下が相手だからこそ伝えられんのだ』

 

トマスは目頭を押さえる。

匙を投げるように嘆息した。

視線を窓の外に遣る。刻々と明るくなっていく。今日は晴れだ。雲一つない快晴だ。聖杯騎士団の誰もが知っている。アイン・セルナートが勝手気儘に動く日は晴天で間違いないのだと。

誰だよ、もうすぐ七月にもなるのに雪が降るとか考えた奴は。

 

「浅学な私には理解できかねます」

『気にしなくていい。君も総長になればわかるだろうさ』

「遠慮しておきます」

『だろうな、うん。私としても総長の地位を手放すつもりなどないよ。親友との約束も有るしな』

「貴女は生涯現役でしょうね」

 

死んでも暴れそうで怖い、と心中で付け加える。

 

『その為にも、お前には特異点の捕獲という極秘任務が与えられた』

「それが秘中の秘ですか」

『決行日時は黄昏の開始時。対象はフェア・ヴィルングのみ。たとえどのような状況だろうが、お前の匣に隔離しろ。全力を尽くして構わん。その為に守護騎士を更に二人派遣する。私も現地に向かう予定だ』

「――そうして頂けると助かりますね。黄金の羅刹と張り合うなど、私には荷が重すぎますから」

 

宝剣を片手に。

鍛え上げた四肢だけで。

守護騎士第一位と張り合える武人、それが黄金の羅刹である。一つの時代に、戦乱渦巻く時代に必ず一人は現れるとされる、人間の限界を超越した存在である。

帝国中興の祖である『ドライケルス・ライゼ・アルノール』もその一人だろうと七耀教会は推察している。

 

『女傑の相手なら任せたまえ。彼女が相手なら、久し振りに全力で聖痕を発動しても咎められんだろうからな』

「やめてください。貴女と羅刹殿だけなら構いませんが、周囲一帯にどれほどの被害を与えてしまうことか」

『吼天の爺さんにも同様に止められたよ。人の事を災害に喩えてな。下手したら守護騎士にも死人が出るとか言われたぞ』

「死人だけで済めばいいですが」

『やれやれ。人を厄災の種みたいに。ケビンといい、お前といい、最近は生意気な部下が増えて困るよ』

「厄災そのものでしょう、貴女は」

 

自己都合で動き回り、暴れれば手が付けられず、誰彼構わず巻き込んでいく姿は、控えめに表現しても厄災だろうに。

アインは一頻り哄笑した後、人が変わったように黙り込んだ。沈黙は十数秒と続いた。吐息一つ聞こえない。

 

「総長?」

 

アレでも女性だ。

とある遊撃士を想う乙女らしい。うぇ。

厄災と揶揄されて傷付いた可能性も、そう、幻獣が蟻一匹に負ける事と同じぐらい有り得るのだとすれば、謝罪するのも吝かではない。

謝った瞬間、無理難題を吹っ掛けられる未来が見えるけど。

 

『なぁ、トマス』

「何でしょう」

 

アインから名前を呼ばれ、内心ビクビクしながら応える。

 

『聖杯騎士団総長に就任する者は、騎士団創立以来一つの例外もなく、同時期に任命された守護騎士全員を一度に抹殺できるほどの強者が選ばれている』

 

無茶振りはやめてくれ。

一発芸も勘弁してくれ。

そんな聖なる祈りが空の女神に届いたらしく、全く違う話題を振ってきた。

 

「存じてますよ」

『今世は私だ』

「自慢ですか?」

 

アイン・セルナートの超人的な強さは誰よりも知っている。

一対一なら鋼の聖女にも、黄金の羅刹にも、火炎魔人にも、フェア・ヴィルングという特異点が相手でも勝てると即答する程度には精通している。

故に自慢された所で、はいはいそうですねと肯定するだけだ。

 

『違う違う。むしろ逆だな。私は、歴代総長は己を卑下している。自分自身を中傷している』

 

言葉を失うトマスに、アインは完全なる善意から忠告した。

 

 

『覚えておくといい、トマス。歴代総長の、私の持つ聖痕は【女神の遺した秘蹟に反応しない紛い物】である事をな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は進み、七耀暦1205年7月19日。

黒キ聖杯に覆われたカレル離宮。

空を仰げば、星の光を通さない漆黒の海が広がっている。周囲を見渡せば、この世の何もかもを焼却する黒焔の大河が流れている。

数分前に巨イナル黄昏は発動した。

大地の聖獣が食い止めていた呪いは、エレボニア帝国全土へ拡散していった。

少しでも直感に優れた人間なら、呪いの風を目視できただろう。人間の闘争本能を刺激して、大衆を一つの目的に誘導させられる黒い風は我が物顔で吹き荒れる。

地獄だ。もしくは煉獄か。

およそ人間が住める環境ではない。

そんな魔境を彩る数多の無機物と有機物。

上空に漂う二隻のメルカバに相対するのは、白銀の巨船『パンタグリュエル』である。

前者には蒼の聖典が、後者には蒼の深淵が守護者として仁王立ちしており、空中で火花を散らしている。

まさしく一触即発の中、アイン・セルナートは煙草に火を付けて、ゆっくりと紫煙を吐いた。

アルテリア法国より急行した聖杯騎士団の総長は眼前に佇む特異点に対して、素直な感想を口にする。

 

 

「いやはや。驚いたよ、フェア・ヴィルング」

 

 

彼女が到着した時、フェアは『匣』に封印されていた。

まさしく想定通りだった。次に魔女の長を牽制して、黒キ聖杯に突入した二名の守護騎士を回収して、異端審問を行う為にアルテリア法国へ帰還するだけだった。

最悪のタイミングで裏切った七耀教会に対し、魔女の長は烈火の如く激怒していた。憤怒に身を任せ、罵詈雑言を連呼しながら、終局魔法を乱射する有り様であった。

緋の騎神は沈黙したままだったが、その契約者であるアルフィン・ライゼ・アルノールは異質な雰囲気を放っていた。

アインは鷹揚と頷いた。

フェア・ヴィルングによる世界の崩壊を防げると確信した次の瞬間、彼を閉じ込めていた匣は内側から完全に破壊された。

時間が停止する。

誰も彼もが目を疑う。

匣から現実へ舞い戻ったフェアは呼吸を整えながら純白の宝剣を握り締める。紅耀石の定めた間合いの内側に遠慮無く踏み込んだ。

それは挑発であり、誘惑であった。

 

「トマスの匣を破壊する手段を、貴様は持っていない筈なんだがな」

 

聖痕を顕現させるか。膨大な魔力を行使するか。騎神のような巨大な力で強引に粉砕するか。

代表的な破壊方法はこの三つだろう。

極大な特異点だとしても、フェア・ヴィルング単体の力は限られている。彼単独で匣を突破する力は持ち合わせていない。

 

「まぁ、考えても仕方ないか」

 

アインは煙草を無造作に放り投げ、法剣の柄に手を掛ける。

計画通りに事が進めば万々歳だったが、それは泡沫の夢に消えた。ここから先は実力行使だ。黄金の羅刹や黒旋風が黒キ聖杯より帰投する前に、フェア・ヴィルングを無力化して捕まえなければならない。

故に出し惜しみしている場合ではなかった。

 

 

「トマス、ワジ、聖痕の解放を許可する。全身全霊を以って特異点奪取に――――」

 

 

 

『待ちたまえ』

 

 

 

低く艶の有る声が響いた。

様々な映像で聞いた特徴的な声だ。

誰もがその声の引力に惹きつけられた。

アインは舌打ちする。

第三者の介入は予期していたが、まさか巨イナル黄昏を発動した直後に干渉してくるとは。油断も隙もない。どうやら帝国宰相を甘く見ていたらしい。

ここまでか、とアインは肩を落とす。

法剣の柄から手を離して、新たな煙草を咥える。

 

「鉄血宰相。何の用かな?」

 

緩やかに、或いは薄皮を剥ぐように崩壊する黒キ聖杯から現れた鉄血宰相はふてぶてしい笑みを浮かべていた。

真横に直立する黒の騎神と同等の存在感を放ちながら、ギリアス・オズボーンはさも当然のように提案した。

 

 

 

「幸か不幸か、各勢力の長が一堂に会しているのだ。このまま別れるのも些か勿体ない。短い時間とはいえ、会合を開くというのはどうかね?」

 

 

 

 

 








凡百の守護騎士が宿す聖痕→女神の秘蹟に対応する代物。

総長に成り得る者が宿す聖痕→女神の秘蹟に対応しない紛い物。




リアンヌ「ド、ドライケルスの横を確保しないと!」→乙女。

オズボーン「リアンヌはフェアの横で良かろう」→唐変木。

リィン「――――――――」→原作通り、贄にされている。








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五十三話 談虎色変

一話で納め切れませんでした。
次回もこの会談が続きます。すみません。


 

 

 

 

 

 

白銀の巨船『パンタグリュエル』。

全長約250アージュにも及ぶ超弩級飛行戦艦。

内戦時には貴族連合軍の旗艦として活躍。内戦終結後は帝国政府によってラマール領邦軍から没収され、皇室に御座艦として献上された。

エレボニア帝国最大の貴族が建造した飛行戦艦だからか、艦橋や貴賓区画は戦艦内部だと思えない程に豪華な内装で飾られている。

正直やり過ぎだと思った。

金の使い所を間違ってるだろと嘲笑していた。

だが、俺は即座に掌を返す。

クロワール・ド・カイエンに感謝しよう。

『空飛ぶ宮殿』の異名を誇るこの戦艦こそ、アルフィン殿下を迎い入れるに相応しい。

 

「アルフィン殿下、あまり無理をなさらず」

 

会議室と命名された部屋に集う要人たち。

それぞれの勢力、その代表者が多種多様な表情を浮かべたまま顔を突き合わせている。

魔女からはロゼとヴィータさん。

地精からはギリアス・オズボーン。

結社からはリアンヌ・サンドロット。

教会からはアイン・セルナートとトマス。

決起軍からはオーレリア・ルグィン。

帝国の今後を左右する会合らしく、鉄血宰相の強い要望でアルフィン殿下も参加する事になった。

当然ながら俺は反対した。

アルフィン殿下の体調が心配だったからだ。

セドリック皇太子殿下による毒漬けの日々。一ヶ月にも及ぶ寝たきりの生活。双子の弟から受けた仕打ち。どれほど楽観的に判断しても、アルフィン殿下は心身共に衰弱している筈だ。深く傷付いている筈だ、

だが、この御方は微笑みながら了承した。

 

「心配性ね。私は大丈夫よ、フェア。貴方がこうして近くに居るのだから」

 

アルフィン殿下の背後に立つ。

いざという時は主君の盾になれるように。

治療したばかりの背中がズキズキと痛んだ。

会合が始まる直前にガラスの破片を抜き取り、応急処置として包帯を巻いた。軍医からしこたま怒られた。頼むから安静にしてくれと。普通の人間なら気絶する怪我だぞと。

アルフィン殿下はそんな俺の右手をずっと握ってくる。治療中も、今も。実在を確認するように何度も力を込めて。

 

「体調に異変が生じましたら直ぐにご報告を。医者を用意させております。そうだな、将軍?」

 

左側に視線を遣ると、オーレリアが首肯した。

 

「勿論だとも。凄腕の医者を連れ込んでいる。皇女殿下の容態についても、既に部下を通して伝えてあるさ」

「感謝します、オーレリア将軍」

「勿体なきお言葉」

 

アルフィン殿下に恭しく頭を下げる黄金の羅刹。どんなに傍若無人な化物であっても、ルグィン伯爵家の歴とした現当主である。

皇族の方々に対する忠誠心は人並み以上に持っている。エレボニア帝国の行く末を誰よりも案じている。

この戦闘狂と交わせる話題なんてそれぐらいしかないけど。

 

「にしても、フェア殿は皇女殿下の心配ばかりだな。黒キ聖杯で火炎魔人と一戦交えた私に労いの言葉など有ってもいいだろうに」

「貴女には必要ないだろ。焔も吸い込んでないようだしな」

 

火炎魔人と初めて干戈を交えて五体満足。更に後遺症無し。火傷の痕はちらほら視認できるのの、それさえも医療系の魔法で綺麗に消せる程度の代物だ。

改めて化物だと認識する。

オーレリアは顎に手を当てて口を尖らした。

 

「ふむ。信頼の証と受け取るべきか、もう少しか弱い女を演じるべきか。悩みどころだな」

「まだ諦めてないのか」

「無論だ。そなたを私の婿とする。これは決定事項だぞ」

「フェア?」

 

アルフィン殿下が振り返る。

繋がったままの右手がメチャクチャ痛い。

 

「将軍の妄言です。無視で構いません」

 

右側の椅子に腰掛けているヴィータさんが便乗する。揶揄するような笑みは、まさしく誰もが想像するような悪女そのものであった。

 

「三十路を越えているのだもの。将軍閣下が焦るのも仕方ないわよねぇ」

「幾度となく混浴しておきながら手も出せない生娘らしい挑発だ。可哀想にな。魔女とは自己を省みない生き物なのか?」

「フェア?」

 

アルフィン殿下が振り返る。

新しく握り締めた左手が痙攣していた。

 

「ヴィータさんはタオルを巻いておりました。裸など見ておりませんとも。誓って本当です」

「混浴したのは事実なの?」

「嘘か本当かを問われるなら事実です」

「へぇ。ふーん。そう。そうなんだ」

 

痛い痛い痛い。

冷たい視線が何よりも痛い。

心をグサグサと抉ってくるんだが。

 

「奥ゆかしいと表現してもらえるかしら。ほとんど初対面の人間に、私の婿になれと強要する女性と根本から違うのよ」

「善意から忠告しておこうか、魔女殿。恋愛とは先手必勝だぞ」

「嫁に行き遅れた貴女が言うの、それ!」

「私に相応しい男がいなかっただけだ。フェア殿を婿に迎えればそれで良い」

「歳の差を考えなさい!」

「たった10歳の差だ。これでも嫁入り修行は済ませてあるとも。料理も得意だ。魔法薬ばかり作ってある魔女殿と違ってな」

「料理ぐらい作れるわよ。それもフェアが好みそうな庶民的な物をね」

「なるほど、それもそうだ。フェア殿は平民だからな。貴族派よりも庶民派な食べ物を好むのは必然か。感謝するぞ、魔女殿」

「あれ。敵に塩を送ったの、私!」

 

口論を交わすオーレリアとヴィータさん。

本当にやめて欲しい。

羅刹の婿になるつもりなんて欠片も無い。

ヴィータさんの想いに応える権利もない。

フェア・ヴィルングという男は『俺だけの義務』として、焔の厄災を齎した神を殺さないといけないのだから。

 

「宰相閣下、そろそろ始めましょう」

 

鋼の聖女が口火を切る。

俺を射抜く視線の中に、特大の侮蔑が含まれているのは気のせいじゃないんだろうなぁ。

 

「鋼の聖女に同意する。我々が会合に参加したのは人質を取られていたからだ。二人が解放された今、時間を無駄にするつもりなどない」

 

誰よりも早く賛同するアイン・セルナート。

彼女たちが会談に参加した理由は『千の護り手』ケビン・グラハムと『吼天獅子』バルクホルンが人質に取られたからであった。

どうやら『猟兵王』ルトガー・クラウゼルたちに敗北したらしい。リィンとクロウを最下層に送り届けなければならなかったとはいえ、中々に無茶をしたようだ。流血こそ少ないものの、聖痕の発動によって体力を著しく消耗していた。

 

「貴様は黙っておれ、紅耀石。妾たちを裏切っておいて」

 

ロゼが吐き捨てるも、紅耀石は鼻で笑った。

 

「長殿、貴女の無知を責めるつもりなどないが、聖杯騎士団とは実働部隊に過ぎないんだよ。もしも、万が一、八百年で培われたという古臭い文句でも言うつもりなら封聖省のお偉方に直接伝えてくれ。迷惑だ」

「――ようほざいたな、狗如きが」

「婆様、落ち着いて」

「安心せい、妾は落ち着いておる。冷静でなければ、教会の狗など殺しておる。平静でなければ、この席に腰掛けておらぬ」

 

今にも終極魔法を放ちそうだ。

瞳孔は猫のように細くなり、全身から漂う魔力には雷と炎が迸っている。たとえ紅杖を使用せずとも、パンタグリュエルを内側から破壊できるのだと言外に叫んでいる。

ヤバいな、これ。

憤怒は収まっていない。

むしろ時間が経過するに連れて、憤激は加速しているように思える。

俺は気にしていないと告げた。

むしろ匣に囚われたお蔭で、輪廻を脱却できるかもしれない方法の一つを知れたのだから。トマスの手を握って感謝したいぐらいだ。

しかし、ロゼは油断していた己自身が赦せないのだと奥歯を噛み締めた。ヴィータさんも激怒していたが、祖母の様子を見て、逆に落ち着いたと嘆息していた。

 

「総長殿、何故あのタイミングで裏切ったのでしょう。魔女殿や羅刹殿を敵に回して、貴女たちに利益など無さそうですが」

 

聖女の問いを、紫煙を吐き出しながら答える。

 

「はっ。蛇の人間に教えると思うか?」

 

結社と教会は不倶戴天の仇敵。

どんなに好意的に解釈しても好敵手止まり。

一蹴された鋼の聖女を守るように、鉄血宰相が口を挟んだ。

 

「おおよそ見当が付く。特異点の排除だろう。黄昏による世界の崩壊よりも、フェア・ヴィルングという特異点の切除を重んじた。それだけだ。違うかね、騎士団総長」

「さてな」

「将軍に倣い、私も善意から忠告しておこうか。フェア・ヴィルングに手を出すのはやめておきたまえ。誰も幸せにならん」

「善意の忠告、感謝する。法王猊下に伝えておこう。だがな、鉄血。お前たちこそ何もわかっていない。何一つ理解していない。その男を放置したら後悔するぞ」

 

俺を指差すアイン・セルナート。

異端審問を思い出して、身体が少し震えた。

確かになぁ。

黒の分体や初代ローゼリアの言葉が事実その通りなら、俺はアルスカリ・ライゼ・アルノールの生まれ変わりであり、焔の厄災を齎した神を殺さなければならず、尚且つ邪神に赦しを乞わないといけない男なのだから。

誰がどう見てもヤバい。

唯の軍人として生きていた俺なら、絶対に関わらない類の人物だな。可哀想に。ひどい目に遭って。そんな同情と憐憫で記憶に蓋をして、まさに他人事として、その存在を人生の隅っこに追いやっていたに違いない。

 

「フェアは私の騎士です。排除などさせません」

「話を聞く分に、どうも貴様らはフェア殿を何処かへ連れて行こうとしたらしいな。排除とは単なる殺害ではなく、異端審問に掛けようとしたのだろう?」

 

アルフィン殿下は聖杯騎士団の総長を睨み返す。

オーレリア・ルグィンは莫大な闘気を一点に集中させ、アインへ放射した。

常人なら泡を吹いて気絶する裂帛の気合だが、紅耀石は涼しい顔で受け流している。吸い切った煙草を灰皿に捨て、珈琲を口に含む様子は目を奪われるほど様になっていた。

 

「死刑確定の拷問裁判か。悪趣味この上ない所業じゃな。空の女神が知ったら嘆くじゃろう」

「悪趣味なのは同意するがね。今回は正当性を有している。実際にその男は異端だからな。そうだろう、フェア・ヴィルング。貴様は空の女神を信じていない筈だ」

「嫌悪してるよ。空の女神も、七耀教会も」

 

何を信じるのか。何に好意を持つのか。

どうして七耀教会にそれを決められなければならないのか。

異端審問に掛けられた世界線で、アインは言っていた。フェア・ヴィルングは、ただその場に存在するだけで周囲に不幸を撒き散らす獣なのだと。

自殺防止用の猿轡を嵌められた。

麻酔もなく、四肢を鋸で切り落とされた。切断面に杭を埋め込まれた。去勢された。目をくり抜かれた。鼻を削がれた。耳を燃やされた。内臓を掻き回された。それでも『始まりの地』という特殊な場所と、アイン・セルナートの聖痕による能力で生き続けた。死を賜ることなく、拷問を受け続けた。

その拷問に意味はない。

彼女らは何も訊かなかった。

ただ甚振る為に。苦痛を与える為に。

だから、それは拷問と呼ぶべきかわからない。

恐らくそれは数ヶ月以上続いた。

暗い地の底で。

叫ぶ声すら枯れて。

目の奥から血が流れなくなって。

ふとした瞬間に七耀暦1204年8月へ舞い戻っていた。

 

「聞いたな、皇女殿下。貴女の騎士は空の女神を信じておらず、挙げ句に嫌悪している。このままその男を庇うなら、心苦しい限りだが、七耀教会は貴女も異端認定しなくてはならなくなるぞ」

 

そうだ。

あの時も言っていた。

クレアさんを異端認定するぞと。

彼女のお腹には子供がいた。俺とクレアさんの子供だ。二人を護る為に着いていった。拷問なら慣れていたから。

 

 

「馬鹿にしないで。私たちを、侮辱しないで」

 

 

アルフィン殿下が円卓を叩く。

振動は弱々しくも、ハッキリと対面へ届いた。

深窓の令嬢、可憐なお姫様。

そんな印象を抱いていたのか、紅耀石は目を見開いて固まっていた。それは懐かしい物を思い出すような顔付きだった。

 

「異端認定してもらって構いません。どうぞご勝手に。私の方から法王猊下に手紙を出しても良いですよ」

 

――だから。

 

 

「だから『私たち』の邪魔をしないで」

 

 

誰も言葉を発しない。

呼吸音だけが会議室に木霊する。

異端認定を恐れないアルフィン殿下の醸し出す覇気に呑まれている。

ロゼとヴィータさんは頬を掻き、オーレリアは腕を組んだまま微動だにせず、紅耀石と匣使いは気まずそうに視線を逸らした。

 

「――――」

 

鋼の聖女だけが何かを言い掛けた。

端正な顔立ちを隠す白い兜の奥に、果たしてどのような表情を浮かべていたのかわからない。しかし、その隙間から見える瞳には優しさが溢れていた。

 

「皇族の方を異端認定するなら、黄昏がどういう結末を迎えるにしろ、帝国と教会の協力関係は白紙化する。覚えておくといい」

 

静寂に包まれた会議室に火花が投じられた。

放り込んだのは鉄血宰相である。

リアンヌ・サンドロットの左隣に着席していた鉄血宰相は、アルフィン殿下の口上を吟味するようにピッタリ十秒間、目を瞑っていた。

目を開けた瞬間に口の端を吊り上げる。

俺の勘違いじゃないなら、鉄血宰相は聖杯騎士団を嫌っている。敵対しているからか。邪魔されているからか。有り得る。至極真っ当な理由だ。しかし、生半可な嫌悪感ではない。まるで家族の仇のように忌み嫌っている。

同様にアイン・セルナートも悪意を含んだ笑みを浮かべ、敵意を剥き出しにした。

 

「貴様がそれを言うのか、鉄血。既に有ってないようなものだと思うが。それともこう言いたいのかね、帝国と教会は友邦関係にあると」

「巨イナル黄昏を主導したのはこの鉄血宰相ギリアス・オズボーンである。帝国の総意ではない。勘違いされても困るな」

「詭弁だな」

「事実だとも」

 

一拍。

 

 

「それにな、『詭弁』とは騎士団総長の為に有るような言葉だろう。違うかね、アイン・セルナート」

 

 

空気が凍る。

鉄血宰相は破顔したままだ。

騎士団総長は表情を消した。

 

「ほう?」

 

凍てついた声。

錆びついた感情。

まさに一触即発の雰囲気。

だが、帝国の宰相は淡々と言葉を紡いでいく。

 

「騎士団総長が、誰かを異端と責め立てる。まさしく滑稽だ。実に虚しく、ひどく愚かで、誰も救われない。笑い話にもならん」

「――私を、私たちを憐れむつもりか」

 

 

鉄血宰相は鼻で笑った。

アインがロゼにしてみせたように。

 

 

 

「憐憫を抱いてもらえるとでも思うのか。笑わせないでくれたまえ。騎士団総長が、他者を異端と蔑むなど筋違いだと嘲笑っているのだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 












ルトガー「会談なんて興味ねぇなぁ」

ウォレス「艦長代理の仕事があるので」

マクバーン「カンパネルラの野郎、どこに行きやがった?」

地精の長「参加するなと言われた(泣)」



黒の騎神「あれ? 俺の分体、完全に消えてない!?」

リィン以外のⅦ組「ーーーー」←気絶中。




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五十四話 百錬成鋼

 

 

 

 

アインの反応は目を細め、俯くだけだった。

鉄血宰相の言い分を全面的に認めたのだと判断できる。

守護騎士第一位は、聖杯騎士団を率いる総長は、七耀教会の尖兵、古代遺物の回収と教義に反する異端者の殲滅を第一目的とする組織の長であるにも拘らず、誰かを異端と蔑む権利など有していないのだと。

要するに、アイン・セルナートこそが異端者であるということだろうか。

馬鹿な。それでは矛盾する。

この女は疑う余地なく聖痕を宿している。

異端審問の時に見たのだ。背中から浮かび上がった深紅の紋様を。全長三メートルにも及ぶ巨大な聖痕を。

ケビン曰く、それは守護騎士の誰よりも高い出力を誇る代物。模擬戦にて、他の守護騎士全員を僅か十秒足らずで粉砕したという究極の一。

誰よりも空の女神に愛されし者。誰よりも空の女神から恩恵を授かった者。それが聖杯騎士団の総長だ。

だが、鉄血宰相はアイン・セルナートこそ異端者だと暴露した。当の本人も否定せずに歯噛みするだけだった。

辻褄が合わない。

どう考えても相反する。

頭のよろしくない俺では、どんなに考えても答えを導き出せそうになかった。

 

「――ふっ、話を戻そう」

 

爆弾を回収しようともせず、鉄血宰相は視線を前方に戻した。

 

「カルバード共和国と違い、帝国は民主主義を採用していない。国家の暴走だとしても、その咎を受けるのは為政者のみ。即ち私だ。皇帝陛下と国民に罪はない」

 

政治の事はわからない。

俺は経験したことしか理解できない。

鉄血宰相の言う罪と罰の所在など実に曖昧だ。

これから起こる大規模な戦争。

エレボニア帝国による全世界同時侵攻。

ゼムリア大陸の大地を闘争の渦で覆い尽くし、結果として『焔を纏う怪物』が降臨してしまう。

今なら理解できる。アレは黒の騎神イシュメルガの悪性と焔の神、そして『巨イナル一』が七の相克を経て再錬成された姿なのだと。

あの化物は世界を滅ぼす。

戦争で疲弊した各国を蹂躙する。

誰も生存を赦されず、誰も未来を赦されない。

だから。

罪はなくても、罰は受ける。

咎はなくても、誅を受ける。

帝国民だろうが共和国民だろうが、遍く等しく平等に。世界大戦の果てに在るのは、灰すら残らない焼却された箱庭だけだ。

 

「その国民を、世界も含めて滅ぼそうとしている人物の言葉と思えませんな。そこまで帝国を想っているなら、皇族に忠誠を誓っているなら、何故黄昏を引き起こしたのかお聞きしたいのだが」

 

オーレリアが横槍を入れる。

翻意を促すわけでなく、単純に理由を知る為に。

鉄血宰相は珈琲で喉を潤してから極めて端的に答えた。

 

「必要だからだ」

 

ギリアス・オズボーンは黒の騎神の起動者だと聞いた。

起動者には様々な恩恵が与えられるらしい。獅子戦役で活躍したリアンヌ・サンドロットが生きているのも、生前から銀の騎神という巨イナル一の欠片に選ばれていたから。ロゼが言うには、本当に一度死から甦り、そのまま不老の存在になったとか。

十月戦役、貴族派と革新派による内戦の開始を告げる運命の銃声。クロウ・アームブラストの放った宿命の一撃。それは鉄血宰相の心臓を的確に射抜いた。

俺は何度も阻止しようとした。

阻止できた世界線はおおよそ二割。殺害された世界線は多く見積もっても八割程度。その中で、帝都ヘイムダルの群衆に紛れ込み、ギリアス・オズボーンの死体を間近で注視する機会に何度も恵まれた。

確認した。幾度となく確認した。

左の胸を撃ち抜かれている。

孔が空いている。煉瓦が見えている。

ショック死する傷痕。失血死する流血の量。

助かるはずのない鉄血宰相の遺体を運んだことさえある。

しかし、彼は何度も甦った。

内戦を終わらせて、貴族派を解体して、クロスベルを占領した。救国の宰相として元気に姿を現した。

奴は不死身なのだと畏怖した。

とはいえ、何事にも理由は有る。

ギリアス・オズボーンは黒の起動者だった。

リアンヌ・サンドロットと同様に、クロウの銃撃によって死亡した後、不死鳥よろしく死を克服したのだろう。

此処までは良い。

鉄血宰相は騎神の起動者である。

その事実は俺にとって納得のいく答案だった。長く長く胸につかえていた疑問が氷解していく気持ちを味わった。

だが、黒の騎神の起動者なら話は別だ。

悪性だけが残った抜け殻。

焔の神と同化した呪いの指揮者。

俺が輪廻を越える為に殺さないといけない、まさしく仇敵の起動者だと知り、だからこそ新たな疑念が生じた。

僅か数時間前、皇城で対談した時、鉄血宰相は言っていた。

――必要な事だ。

決意を胸に、意思を瞳に携えて。

一言一句同じ。

込められた想いも一緒。

忘れない。忘却するには早すぎる。

そこまでして鋼の至宝を再錬成しなければならない理由とは何なのか。

それを知りたくて、口を挟まずに耳を傾けた。

 

「今からでも止めたらどうかしら?」

「無理を言うな、魔女よ。既に歯車は回り出している。もう誰にも止められんよ。それに、貴様も薄々気付いているだろう。結社、教会、魔女、地精、どの立場の人間にしても、巨イナル黄昏は避けて通れない試練なのだとな」

「否定しないわ。様々な策を弄しても、巨イナル黄昏は止められなかった。そうね、不自然なぐらいに」

「誰もが望み、誰もが拒否する。それが巨イナル黄昏という舞台の本質だ。まぁ、終わってしまえば笑い話にもならない瑣末事だろうがね」

 

自嘲するギリアス・オズボーン。

鋼の聖女は何も言わず、騎士団総長は眉間に皺を寄せていた。オーレリアは椅子に背中を預け、ヴィータさんは小さく頷いていた。

そんな中、会議室に満ちる魔力を減衰させたロゼが、やれやれとため息を溢した。

 

「暖簾に腕押しじゃな。地精の人形に成り果てておらぬようじゃが、意見を変えるとも思えん。その頑固さ、妾の旧い友人にそっくりよ」

「魔女の長殿にそう言われるとは光栄だ」

「ローゼリア、この人は――」

「落ち着きたまえ、鋼の聖女。此処には皇族の方がいらっしゃるのだ。節度の無い行動は慎むべきだろう」

 

立ち上がろうとする鋼の聖女を片手で抑え、鉄血宰相は静かに諭した。座りたまえと促して、アルフィン殿下に頭を下げる。

そのどちらにも親愛の情を内包しているように感じ取れたが、俺の気のせいだろうか。

鋼の聖女と鉄血宰相に深い関係性があると思えないけど。

 

「黄昏を止めたいのであれば、世界の崩壊を防ぎたいのであれば、このギリアス・オズボーンを打倒するほかない。いずれ行われる七の相剋に於いて黒の騎神を滅ぼすしかない。そうだろう、フェア・ヴィルング?」

 

視線が交錯する。

帝都の駅で遭遇した時、怖いと思った。

黒緋の騎士という異名を捨てた時、敵わないと諦めた。

だけど今は違う。

俺は越えなくてはならない。

鉄血宰相という壁を突破しなければならない。

丹田に力を込める。視線に想いを乗せる。

長い言葉は要らない。

飾った台詞も必要ない。

ただ一言、将来の好敵手に淡々と告げる。

 

 

「ええ、私が貴方を倒します」

 

 

ギリアス・オズボーンは鷹揚に頷いた。

嬉しそうに。面白そうに。

そして、感動するように自然な表情で笑った。

 

「良い目だ、黒緋の騎士。強くなったな」

「貴方のおかげです。この御恩は忘れません」

「気にしなくて良い。多少なり打算も含んでいたからな。そう教えた筈だ。後はまぁ、皇帝陛下にお喜びしてもらう為でもある」

 

もしかして、とふと思った。

皇帝陛下が俺を気に掛けてくれるのは、俺がアルスカリ・ライゼ・アルノールの転生体だからなのかもしれない。

『黒の史書』とかいう、アルノール家に伝わるエレボニア帝国の過去と未来を記す古代遺物から知り得たのだとしたら、ここまで温かく見守られる理由として充分だろうから。

 

「宰相、一つお尋ねしてもよろしいかしら?」

「勿論ですとも、皇女殿下。何を知りたいのですかな?」

 

アルフィン殿下の問い掛けに、丁寧に応対する鉄血宰相。口調、視線、動作、服の着こなし。改めて視認して、その気品溢れる姿に感心した。

平民出身だと信じられない。

実は貴族の生まれでした、と告白された方が腑に落ちる。

凡人でしかないフェア・ヴィルングよりも、ギリアス・オズボーンの方が調停者アルノールの生まれ変わりに相応しいだろうに。

 

「会合を開いた理由です。貴方はもう意思を曲げるつもりがないのに、こうして私たちと言葉を交わしている。どうしてなのかしら?」

「的を射る意見、感謝します。やっと本題に入れますからな」

「本題?」

「七の相剋をいつ始めるのかを決めるつもり?」

 

オーレリアとヴィータさんの発言に対し、鉄血宰相は首を横に振る。

 

「慌てなくても、七の相剋は始まる。大地と連動する形でな。魔女なら前兆に気付く筈だ。本題は別だとも」

 

会議室を見渡して、威風堂々と言い放つ。

 

 

「そう、本題とは七耀教会の処遇だ」

 

 

アインが顔を顰め、トマスは身体を強張らせた。

鉄血宰相はそちらを一瞥した後に、円卓の上で手を組み、粛々と言葉を紡いでいく。

 

「そもそも会合を設けるつもりなど無かった。巨イナル黄昏は幕を上げた。誰も後戻りできん。話し合いの時間はとうの昔に過ぎ去った。だが、それでも七耀教会の暴走を看過できない」

「暴走とは片腹痛いな。私たちは世界の為に動いている。今までも、そしてこれからも。フェア・ヴィルングは危険だ。蒼の深淵、貴様も知っているだろうに」

「彼は塩の杭にならないわ。私がいるもの」

「塩の杭よりタチが悪いぞ。その男は世界の要であり、世界の腐敗だ。魔女に何ができる。いざという時、その男を殺せるのか。お前たちには何もできまい」

 

アルフィン殿下が繋いだ右手に力を込めた。

俯くように視線を向ける。

主君はコクンと一度だけ頷いた。

意思は伝わった。想いも受け取った。

異端審問の記憶に膜を張り、アイン・セルナートを睥睨する。

 

「紅耀石、何が望みだ?」

「私たちの願いは一つだ。貴様を異端審問に掛ける。それだけだ。――そう、それだけだ」

 

アインは深呼吸した。

悍ましい生き物を眺めるような双眸で。

痛ましい化け物と対峙するような相貌で。

それでも一歩も引くことなく、俺たちは向かい合った。

 

「よく考えろ。貴様も気付いている筈だ。貴様が暴走したとして、誰を最初に殺めるのかを。皇女殿下だ。魔女たちだ。己の大事なモノを失う覚悟があるのか?」

「――あるとも」

 

切っ掛けをくれたのは鉄血宰相。

覚悟を抱かせたのはアルフィン殿下。

二人の見ている前で恥を晒すなど御免だ。

 

「もう逃げない。もう迷わない。そう誓った」

「その覚悟が『全ての元凶』だったとしても?」

「俺はアルフィン殿下の傍にいる。たとえ悲劇を齎すとしても。俺は、黒緋の騎士だから」

「救われないぞ、誰も。誰一人、救われない」

 

アイン・セルナートは独白するように呟く。

確かにそうかもしれない。

邪神が怒り狂う。身体を乗っ取る。誰かを傷付ける。決して有り得ないと断定できない。可能性の高い未来だと判断すべきだ。

更には焔の神が反撃してきて、周囲の人を巻き込むかもしれない。

それでも、俺は黒緋の騎士であることを選んだ。

 

「忠告はした。フェア・ヴィルング、もしも心変わりしたならアルテリア法国を訪ねるといい。いつでも迎える準備はできている」

 

行くぞ、トマス。

アインは副長の首根っこを掴み、立ち上がる。

心変わりしない俺を憫笑したアインは、部下の尻を蹴り飛ばしながら退室した。度重なる聖痕の使用により、体力を著しく擦り減らしていたケビンとバルクホルン卿を連れて、アルテリア法国へ帰還するのだろう。

誰がアルテリア法国になんぞ行くか。

お金を大量に積まれても拒否してやる。

『始まりの地』。

空の女神が生まれたとされる場所なんて、思い出しただけで吐きそうになる。

 

「七耀教会は手を引いたと見るべきかしら。黄昏からも、フェアからも」

「さてな。油断しない方が良かろう。七耀教会上層部は狂信者の集まりだ。フェア殿を付け狙う可能性は高い筈だ」

「ふん。清々するわ。無能な味方は有能な敵よりも始末に負えんからのう」

 

ヴィータさんは忌々しそうに出口の扉を睨み、オーレリアは不敵に笑って、ロゼはまるで子供のように舌を出して威嚇していた。

この人、本当に八百歳なのだろうか。

野菜全般が苦手だったり、孫娘であるエマに頭が上がらなかったりと良い意味で人間臭く、また実年齢よりも余程幼く見えるのだけど。

 

「宰相閣下はこれが目的で?」

 

鋼の聖女にとって心揺さぶる出来事ではなかったらしい。姿勢を崩さず、口調を歪めず、鉄血宰相に尋ねた。

 

「魔女たちが教会の裏切りを赦しても、彼らの足並みは狂うだろう。十把一絡げにする好機だ。教会が手を引いても確実に戦力を減らせる。どちらでも構わなかった」

「恐ろしい男じゃのう、お主は」

「褒め言葉として受け取っておくとしよう、魔女の長よ。さてと、どうしたものか。思いの外、七耀教会の件が早く片付いたな」

「珍しいわね。鉄血宰相が予想外なことに驚くなんて」

「フェア・ヴィルングの成長は予想外だった。答えを出すのにもう少し時間が掛かるとばかりな」

 

一拍。

 

「嗚呼、なら最後の取引といこうか」

 

想定していなかった言葉に、思わず訊く。

 

「本題は教会の暴走では?」

「その通り。この会合の本題は、七耀教会の暴走を受け入れるのか、それとも拒絶するのか。それを君に問うものだった」

 

だが。

 

「佳い返事を聞かせてもらった」

 

故に取引をしようと。

勿論、君たちにとっても悪い話ではない筈だと前置きする。

聞くだけなら問題ない。

視線で続きを促すと、鉄血宰相は何食わぬ顔で言った。

 

「先程、耳にしたかもしれないがね。私たちはリィン・シュバルツァーを預かっている。本来なら奴を『贄』として地下深くへ封じておくつもりだったのだが――」

「まさか解放するとでも?」

 

ギリアス・オズボーンはふてぶてしく笑い、続けた。

 

 

「そのまさかだとも。解放しよう。二週間後、フェア・ヴィルングと皇女殿下が皇城バルフレイム宮に来てくれるのなら、という条件を飲むのであれば、だが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めのエレボニアに種を植えた。

繋いだクロスベルで醜く芽吹いた。

騙ったウロボロスを華の海に変えた。

終いのクトゥルフは無情に摘み取った。

 

故に、この物語の行き着く先は初めから一つに定められていた。

 

 

 

 

 

 








蒼の深淵「フェアったら立派になって!」←後方姉貴面。


鉄血宰相「今のフェアになら、リィンを任せられる」←後方父親面。


リアンヌ「絶対にやめた方がいいです!」←後方母親面。










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結  クトゥルフ編
五十五話 拳拳服膺


 

 

 

 

七耀暦1205年8月4日。

運命の夜に『巨イナル黄昏』が発動してから約二週間が経過した。鉄血宰相の巧みな演説、帝国政府の発表した情報、闘争を煽る黒い風。全てが一つの終着点に辿り着くように統制されていた。

即ち、エレボニア帝国の齎す世界大戦である。

巨大な闘争の渦にて七の相克を果たす。それだけの為に、世界の全てを巻き込んだ大戦争が間近に迫っていた。

本来なら七耀暦1206年の9月1日に発令されるヨルムンガンド作戦だが、今回の世界線だと凡そ半年以上も早く前倒しされるだろう。

ミュゼやヴィータさんが奮闘しているものの、期限までに周辺諸国を対エレボニア帝国として纏め上げられるかどうか。

世界中の人間が未来に絶望しつつ、それでも一筋の希望だけを頼りに足掻く中、俺はアルフィン殿下と共に皇城バルフレイム宮へ招かれた。

鉄血宰相の誘いだ。断るなど出来ない。彼の真意を少しでも理解するに越したことはない。なによりも黄昏の贄とされているリィン・シュバルツァーの解放という条件があまりに魅力的すぎた。

彼はトールズ士官学院の要であり、帝国内にて灰の騎士として英雄視されている武人であり、そして起動者の一人でもある。救出するに不利益など見当たらなかった。

緋の騎神から降りて皇城へ足を踏み入れた瞬間、可憐ながらも怒気に溢れた声が響いた。皇城の玄関口、豪華絢爛なシャンデリアの下で仁王立ちしていたプリシラ皇妃は、アルフィン殿下を問答無用で自室に連れていった。

今頃はお説教されているのだろう。

アルフィン殿下の助けを求める視線に気付くも、プリシラ皇妃から皇帝陛下がお待ちですよと機先を制されてしまう。ならば謝罪だけでも口にしようとしたが、そんな暇も与えないと言わんばかりに、アルフィン殿下は補殺場へと送られる家畜のように皇城の奥へ引っ張られていった。

一人寂しく残された俺はクレアさんに引率された。

無言で皇城内を歩き、10分足らずで皇帝陛下の私室に着いた。

皇帝陛下がお待ちです。

案内ありがとうございました。

そんなありふれた言葉を交わして、私室の扉をノックしようとした瞬間、クレアさんは言った。

「貴方は、私の大事な人なのですか?」と。

俺は能面のような表情で返した。

「それはきっと、貴女の勘違いですよ」と。

その後の事はよく覚えていない。

ただ、クレアさんの泣きそうな顔だけが脳裏に焼き付いていた。

 

 

 

「随分と久しく感じるな、ヴィルング卿」

「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じ上げ奉ります」

「相変わらずだな、そなたは。堅苦しいのは止すが良い。この場にいるのは余とそなただけだ」

 

皇帝陛下が苦笑いを浮かべた。

ソファーの背凭れに身体を預けている様は、尋ねなくとも疲弊しているのだと推察できた。テーブルを挟んで視認するだけでも、半年前と比べると明らかにやつれておられる。

アルフィン殿下にセドリック殿下、誰にも止められない激動の時代、破滅に向けて邁進するエレボニア帝国、その全てを背負い、受け止め、それでも統治者として前を向かねばならない皇帝という立場は想像を絶するような重責なのだろう。

その一つになっている俺が同情するなど、皇帝陛下に対する非礼の極みか。

俺は腰を折り、丁寧に頭を下げた。

 

「はっ。しかし、陛下の御一存で貴族の末席を預かった身の上としては、今後礼儀作法を改めて然るべきかと」

「今の余は娘の選んだ騎士と交流を図りたい一人の父親に過ぎぬよ。アレはどうも昔の余に似たらしくてな。心配なのだ、あのお転婆娘が」

「父親として、ですか?」

「皇帝として考えるなら、アルフィンに心配などない。時おり暴走してしまう部分に目を瞑れば、アレは余よりも優れた統治者となるだろう。しかし、娘として見れば話は変わる。幾つになろうとも余と妃を心配させる悩みの種なのだ」

 

やれやれと肩を竦める皇帝陛下。

至尊の座に君臨する方を悩ませる大元、それはフェア・ヴィルングに他ならない。

自然と背中に冷や汗が流れた。

過去の行いを後悔していないものの、此処は誠心誠意をもって謝罪するしかない。それが帝国臣民として当然の行いだからだ。

 

「二週間前は申し訳ありませんでした。事情が有ったとはいえ、アルフィン殿下を攫うような大罪を」

「謝罪は必要ない。妃に対してもだ。余から伝えてある故な。むしろ、救ってくれた事を感謝しなければなるまい」

「殿下の騎士として当然のことをしたまでです」

 

皇帝陛下は首を横に振る。

それだけではないと言葉を続けた。

 

「セドリックも迷惑を掛けたようだからな」

 

やはりか。

陛下はセドリック殿下の状態を把握していた。

衰弱していたアルフィン殿下の様子が脳裏を過った。非礼だと知りながらも眉間に皺が寄った。一呼吸置いてから口を開く。

 

「皇帝陛下、皇太子殿下のご様子は如何なのでしょうか?」

「端的に言えば芳しくない。日に日に酷くなっておる。ヴィルング卿、そなたはどう思った?」

「正直、以前の皇太子殿下と同一人物だと思えませんでした。何者かに操られているのか、それとも自我を書き換えられたのか」

 

可能性として高いのは、セドリック殿下の近くに現れた謎の球体だろうか。正体不明の動力で空中に浮き、単眼を明滅させていた。

ロゼ曰く、地精の連中かもしれぬとのこと。

アルフィン殿下に行った事を鑑みれば許せる道理など欠片も無いが、無理に操られているのだとすれば事情も変わる。

 

「誰もがそう疑うが、事実は違うのだ」

 

皇帝陛下は苦々しく否定した。

 

「つまり、アレが皇太子殿下の本性だと?」

「皇室の悪い部分を受け継いだのだろう。修羅の血だ。敵対者を赦さず、実の姉に対しても無慈悲に手を掛ける。そんな修羅の血が目醒めた」

 

嘆息。

 

「本来なら目醒める筈は無かったのだがな」

 

偽帝オルトロス。

獅子戦役にて獅子心皇帝に敗れた男もまた、セドリック殿下と同じく修羅の血に目醒めた皇族の一人だと皇帝陛下は言った。

 

「劣等感に苛まれ、将来を悲観し、双子の姉を嫉妬する状況で『黒』の放つ悪意に囚われた。無理もなかろう」

「ご無礼ながら、止めようとなさらなかったのですか?」

「止めることは容易かったが、現状よりも酷くなるのは明白であったのだ。宰相とも話し合い、セドリックの件は彼らに任せた」

「一歩間違えば、アルフィン殿下は殺されていたのですよ」

「わかっておるとも。そなたの言いたい事は痛いほどに理解しておる。それでも、現状が最も『マシ』なのだ」

 

数秒間、互いの視線が交わった。

何回か言葉を飲み込む。

紅茶を一口だけ含み、気分を落ち着かせる。

俺が幾度に渡る輪廻で多数の未来を知っているように、皇帝陛下も古代遺物によって帝国に起こり得る未来を把握している。

だからこそ、セドリック殿下の暴挙を止めなかったのだ。仕方なかった。今が最も恵まれた世界線だと自覚しなければならない。

己を納得させる為にも皇帝陛下に確認する。

 

「それは、黒の史書に因る結論ですか?」

「そうとも。やはり知っていたか」

「エレボニア帝国の過去から未来、その全てを記述している古代遺物だと」

「七耀教会には、そう言い伝えられているそうだな」

「違うのですか?」

「厳密にはな。エレボニア帝国の皇位を継いだ者だけがーーいや、その中でも一握りの者だけが知っている」

 

即ち。

 

「黒の史書は、古代遺物ではない」

 

目を白黒させる俺を見兼ねたのか、皇帝陛下は穏やかに問い掛ける。

 

「古代遺物の定義を知っておるか?」

「『早すぎた女神の贈り物』とも呼ばれる、古代ゼムリア時代に作られた遺物だと聞き及んでいます」

 

女神の贈り物というだけで寒気がする。

七至宝といい、碌なものを寄越さない空の女神を信奉する奴らの気が知れない。七耀教会など最たる例だ。

 

「黒の史書は古代ゼムリア時代に作られた遺物でなければ、空の女神に関連する物でもない。七耀教会は教義の破綻を防ぐために古代遺物と断定しているのだろうが」

「女神にも関連していないと。七至宝でもないということですか?」

「余も『時の至宝』だと思った時がある。即位して直ぐの頃だな」

「左様ですか」

「五ヶ月ほど前か。魔女の長殿に遠目ながら確認してもらい、判明した。黒の史書は外の理で作成された書物であると」

「何故、そんな物を皇室は所有されているのでしょうか」

「さてな。初代アルノールは渡されたと記述している。黒の史書、その一頁めに自らの血で刻まれてあった」

「どうして、血だとおわかりに?」

「不思議な事に、今もなお赤く輝いておるのだ」

「ーー1200年も」

「恐らくな」

 

絶句した。

それは果たして『血』と呼べるのだろうか。

1200年も輝く血文字など不吉以外の何物でもない。それがフェア・ヴィルングの前世、アルスカリ・ライゼ・アルノールの遺した血文字なら尚更だった。

 

「外の理で作成された物だとしても、エレボニア帝国の過去と未来を記した史書である事は間違いない。未来を知った余は深く絶望した。諦めたと言い換えてもよい」

「だから、鉄血宰相に全てを委ねたと」

 

それは逃避であり、妥協策であったのだろう。

未来が変えられないのであれば、世界を巻き込む終焉が訪れるのであれば、誰か優秀な者に任せる他ない。

たとえ結末が同じだとしても、そこに至る過程に少しでも救いを求めるなら最も現実的な手段だと思う。

 

「百日戦役はおろか、十月戦役も史書に記載してある通りに進み、内戦は無事に終結した。皇城に戻った余は愕然とした。史書の記述が変わっていたからだ」

「良くある出来事、ではないですよね」

「今まで一度も起こり得なかった現象だ。黄昏へ至る道筋が書き換わっていたよ。宰相の思惑通りに」

 

書き換わった部分は、セドリック殿下とアルフィン殿下に関する一文だったようで、結果として両名とも生存するような内容に変更されていたらしい。

 

「故にセドリックとアルフィンについても、宰相に一任した。余が動いてしまえば、より事態は酷くなる。それは一ヶ月ほど前に痛感していたのでな」

 

どんな状態であろうとも、両殿下が生存する未来ならばそれに賭けようと考えたからだと。

鉄血宰相もその意見に賛同して、セドリック殿下とアルフィン殿下を注意深く監視していたのだとか。

 

「一月前と仰られると、アルフィン殿下の事でしょうか。愛憎反転の呪いを解呪したという」

「アルフィンから聞いたのか?」

「はい」

「そうか。ヴィルング卿の決意と覚悟を無駄にした余はまさしく愚か者よな。善意と悪意は紙一重というが、一歩間違えれば取り返しのつかない事をしでかしてしまった」

 

皇帝陛下に非はない。当然、ロゼにも。

邪神の施した呪いだ。俺を嘲笑う外なる神に騙されたに過ぎない。誰が気付く。誰が抗える。人の善意に付け込んだ邪悪の意志を考慮するなど不可能だ。

アルフィン殿下を苦しませたのは、俺の愚かな決断である。

 

「そんな事はありません。悪いのは私ですから」

「年頃の娘を想ってくれるのは父親として嬉しい限りだが、統治者たる皇帝としては厳しい事を言わざるを得ぬよ」

 

皇帝陛下はため息を溢した。

紅茶を飲み干し、視線を窓の外に向ける。曇天とも晴天とも言えない中途半端な暑天を冷ややかな笑みで見下した。

 

「どうなさいましたか、陛下」

「いや、気にせずとも良い。それよりも、これから必ず起こる『七の相克』について話そうか」

「はっ」

「そなたも知っていると思うが、七の相克とは鋼の至宝を再練成する為にある。その果てに待つのは世界の終わりだ」

「重々承知しております」

「うむ。恐らく他の六体を取り込んだとしても、黒の騎神には勝てぬ。それも知っておるな?」

「遥か昔、緋の騎神から力を奪ったと聞き及んでおります。陛下、それも黒の史書に書かれていたのですか?」

「詳しい事は宰相から聞いておる。緋と黒の関係についても」

 

何でも知っているな、鉄血宰相。

地精と協力関係にあり、黒の騎神の起動者なら知っていて当然なのだろうが、何処か釈然としない部分が存在する。

そう、あの男は知り過ぎなのだ。

まるで過去や未来を覗き見たかのような知識量とさえ云える。

 

「黒の史書には、黄昏の顛末はどのように書かれているのですか?」

「わからぬ」

「わからぬ、とは?」

「見たことのない文字で記されているのだ。余とて遊んでいた訳ではない。世界各地の文字と照らし合わせてみたが、どれ一つとして該当しなかった」

 

厄介な。

書かれていないなら諦められるが、読めない文字だと足掻きたくなる。

成る程、それを見越しての事か。

解読できない文字を与えて、それを必死に解こうとする人間を遥か高みから嘲笑う邪神の姿が目に浮かんだ。

 

「見知らぬ文字ですか。それも外の理に通ずる」

「未来は定まっているが、それを知るのは外の存在だけよ」

「嘲笑っているのでしょうね、私たちを」

「かもしれぬな。所詮我らは一己の人間でしかないのだ。笑われようとも、足掻くほかあるまい」

「御意。誠にその通りかと」

 

今回の輪廻がどのような最期を迎えるにしろ、邪神に一矢報いてみせる。それが、アルフィン殿下を地獄のループに巻き込んだ俺のせめてもの抵抗だった。

勿論、可能なら今回の輪廻でケリを付けたい。

初代アルノールでも成し遂げられなかった焔の神を殺害して、邪神の興味を喪失させ、この世界の存在を赦してもらう。そうすれば俺は本当の死を賜われる筈だから。

焔の神を殺害する方法は全く見当も付かないが、皇帝陛下の仰る通り、矮小な人間でしかない俺たちは足掻くほかない。

力強く肯定する俺を見て、皇帝陛下は表情を綻ばせた。

 

「話を戻そうか。黒を斃すのは最後にせよ。六体の騎神を集結させねば、黒の騎神を打倒するのは不可能だ」

「陛下、もしも黒を斃せたとしても鋼の至宝は錬成されてしまいます。それは大崩壊後の混乱を再現するだけだと愚考いたしますが」

 

ロゼも頭を悩ませている。

たとえテスタ=ロッサと俺が勝ち残ったとしても鋼の至宝は最錬成される。七の相克が始まる以上は、どのような道筋を辿ろうとも最終的にその結末に至るだろう。

『巨イナル一』と称される物がどういう形で顕現するか、それはわからない。黒の騎神が相克に勝利すれば俺の記憶する化け物になるだろうが、黒以外の騎神が勝利した先に待つ『巨イナル一』は見たことがない。

いずれにせよ。

再び封印するにしても問題を先送りするだけ。それでは1200年前と何ら変わりない。打倒するにしても、相対するそれは二つの至宝が融合した力の塊である。

ヴィータさん曰く、鋼の至宝が最錬成された瞬間を狙い、黒の思念体と共に大地の檻に閉じ込め、現実世界に顕現した後に滅ぼそうとしたらしい。

だが、大地の檻は既にない。内戦最後の夜に、俺とテスタ=ロッサの呪いを抽出する受け皿になったからだ。

ロゼとヴィータさんは諦めずに方法を模索しているが、頭の悪い俺はお手上げ状態だった。

 

「その通りよ。黒の悪意をうまく取り除けたとしても、残るのは『巨イナル一』と呼ばれる力の塊だけだ。帝国はおろか、世界も滅びてしまう」

「故にわかりませぬ。黒の史書に記載されているとはいえ、帝国を愛している宰相閣下がどうして黄昏を引き起こしたのか」

「宰相には宰相なりの勝つ見込みがあるのだろうよ」

「黒に打ち勝つ秘策が、鋼の至宝をどうにかできる方法があると?」

「余も詳しく聞いておらぬ。何しろ宰相は黒の騎神の起動者だ。下手な事を口にしてしまえば、黒に聞かれてしまうやもしれぬ」

「なるほど」

「その点、そなたなら問題あるまい。その首飾りも役立ったというものよ」

 

皇帝陛下が俺の首元を指差す。

其処には緋いペンダントが有る。

形は六角柱。大きさは7リジュ。色素は濃く、仄かな温もりを持つ皇室伝来の宝。魔都クロスベルへ赴く前に、皇帝陛下とアルフィン殿下から下賜された大事な首飾りを手に取り、その煌めきに目を細める。

 

「これですか。ロゼが言うには、獅子心皇帝が身につけておられたと聞きましたが」

「それは邪な物を跳ね除ける力を有しておる。獅子心皇帝の遺言には、皇位を継いだ者が身に付ければ真価を発揮するとあった」

「それほど大事な物であるなら、皇帝陛下にお返し致します」

 

慌てて首飾りを外そうとする俺を、皇帝陛下は穏やかに押しとどめた。

 

「よい。そなたが持っておれ」

「しかし——」

「既にそなたへ譲った物だ。返せという方が無粋であろう。至らぬ皇帝と言えど、余とてそこまで狭量ではない」

「いえ、ですが——」

「そなたも強情者だな。その忠義心は喜ばしい限りだ。故に嘘偽りなく答えてほしい、ヴィルング卿」

「御意。私に答えられる質問であるなら」

 

元より皇帝陛下に対して、虚偽を述べた事などない。

たとえ俺が初代アルノールの生まれ変わりだとしても、皇族の方々に対する尊敬の念は些かも失われていないのだから。

 

「それが光り輝いた事はあったか?」

 

記憶を探り、該当する事柄を思い出した。

 

「有りました。クロスベルのとある遺跡にて」

「やはりか」

「如何なされましたか?」

「余の台詞を思い出すとよい。その首飾りは皇位を継いだ者が身につければ真価を発揮する。つまりは『アルノールの血を持つ者』でなければ光り輝く事などあり得ぬ。たとえ魔女殿が加護を与えたとしてもな」

 

言葉を失った。

皇帝陛下は微笑んでいる。

どこまでご存知なのか。俺が初代アルノールの転生者だと知っておられるのか。少なくとも皇族に関係する人間なのは確信しているだろう。

ロゼの加護も把握しているなら、五ヶ月前にロゼと対談した時から知っていたということになる。だから俺に対して格別の温情を与えてくださったのか。

わからない。

何を言って良いのか、それさえもわからない俺は無様にも口を開け閉めするしかできなかった。

 

「安心するが良い。余はそなたを信頼しておる。口にしないならば、何か理由があるのだろう。その程度は理解できるとも」

「皇帝陛下に隠し事など帝国臣民として有るまじき行いだと承知しております。しかし、迂闊に口にすれば『外の存在』による介入を許すかもしれないと」

「魔女の長殿がそう仰ったか?」

「御意。皇帝陛下を騙す意図は御座りませぬ」

 

巨イナル黄昏の起きた二日後、ロゼにだけ打ち明けた。

フェア・ヴィルングは初代アルノールの生まれ変わりなのかもしれないと。

焔の聖獣は考え込み、無闇に公言してはならないと忠告した。それが事実かどうかはさて置き、前世に囚われてしまえば歩むべき道を間違えるかもしれないからと。

 

「頭を上げよ、ヴィルング卿。余は気にしておらぬ。そなたの忠誠、想いは理解しておる。我ら皇室を慮っておる事もな。有り難い事よ」

「勿体なきお言葉」

「赦せ。余は確認せねばならなかったのだ。そなたが、アルノールの血を持つ者である事をな。緋の騎神に選ばれた時点で半ば確信していたが、万が一もあった故な」

「アルフィン殿下の騎士になる為に箔が必要だからでしょうか?」

「いや、そうではない。そなたに伝えねばならない事が有ったのだ。初代アルノールが言い遺したとされる、大地の聖獣が眠る墓所の在り処を」

 

大地の聖獣は死んだ。

カレル離宮に出現した黒キ聖杯にて。

墓所と呼ぶべき場所は明白だと思うが。

 

「大地の聖獣は黒キ聖杯内で死んだ筈では?」

「確かに逝去したであろうな。巨イナル黄昏が起こった故、それは間違いあるまい。しかし、聖獣の眠る場所は異なる。予め定められた墓所にて待っておる筈だ。そなたと緋の騎神を」

 

テーブルに差し出された一通の封筒。

手に取る。中には一枚の紙が入っていた。

大地の聖獣が眠る墓所、その場所が記されているのだろうか。

出来るかぎり早く訪れた方が良いだろうが、先ずはロゼやヴィータさんに相談してからだな。俺が本当にアルスカリ・ライゼ・アルノールの転生者なら敵対しないと思うが、初代ローゼリアの件がある。警戒して損はない。

 

「ヴィルング卿、頼む。どうか、帝国に未来を」

 

まるで哀願するような。

まるで懇願するような。

世界最大の帝国を統治する者に相応しくない弱気な発言でありながら、エレボニア帝国の行く末を誰よりも案じる仁君に相応しい声音だった。

 

 

「お任せください、陛下」

 

 

 

 

 












アルフィン「お母様に3時間も二人きりで怒られた(泣)」

オリヴァルト「残当」

プリシラ「ぷんすか!」




セドリック「僕が帝国最強の剣士だ!」






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五十六話 千客万来

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月20日。

エレボニア帝国のみならず、ゼムリア大陸西部全ての国家と組織が忙しなく蠢めく最中、『身食らう蛇』にて道化師の名を冠する美少年——カンパネルラはレマン自治州を単身訪れていた。

大陸中央部に位置する其処には『遊撃士協会』の総本部が存在しており、また、導力革命の父であるC.エプスタイン博士の名を有する導力器関連の研究開発機関『エプスタイン財団』本部も所在する。近隣には七耀教会の総本山であるアルテリア法国という都市国家まで有する。たとえ著名な猟兵団や暗部組織といえども手を出せない聖域と化していた。

ゼムリア大陸の中でも一際異質な自治州にて、カンパネルラはとある人物と待ち合わせ中だった。約束の時間まで残り一分と少し。周囲を見渡す。昼間だというのに酷く暗い。会合場所を間違えたかなと自嘲する。

遊撃士協会の保有する訓練場、その最奥に広がる人の手も及ばない原初の森。鬱蒼と生い茂る樹々は、中天に差し掛かる太陽の光さえ悉く遮断していた。

 

 

「ほう。本当に来ていたとはな」

 

 

誰もいない筈の森林に女性の声が響いた。

オーレリア・ルグィンに比肩する濃密な戦気。芳醇な血の匂いを放出する法剣。火を付けたばかりの真新しい煙草。七耀教会の狗として有名な聖杯騎士団の総長、アイン・セルナートが無造作に近寄ってくる。

聖杯騎士団の総長と人知れず密会していると結社の面々に知られたら、確実に使徒や執行者から糾弾される。星辰の間で弾劾裁判が開始されるだろう。それでも盟主のお願いなら仕方ない。盟主の願いとは、それだけで危ない橋を渡る理由となる。

 

「ボクは約束を守ることを信条としていてね」

 

カンパネルラは巨木に背中を預けながら、悠然とした体勢で結社の宿敵を出迎えた。

アインに対する敵意は存在しない。当然だ。カンパネルラにとって、敵とは外なる神以外にいないのだから。

 

「戯れ言を。道化師が一丁前に信条を語るなよ」

 

鼻で笑われる。

アインの口から吐き出された紫煙が樹々の隙間を昇っていき、やがて空気の中へ消えていく。

 

「おや、ご挨拶じゃないか。ふむふむ、目の下に隈ができてるね。寝不足かい?」

「人を見る目は無いようだな。人々の嗤いを取る道化師として致命的だと思うが」

「寝不足じゃないなら欲求不満なのかな」

「下らない。死にたいのか?」

「怖い怖い。そんなに周囲へ当たり散らしていたら、大事な遊撃士さんもいつか愛想尽かすんじゃない?」

「アレに手を出したら『本気を出す』と伝えてある筈だ」

「はいはい。別に興味無いから安心していいよ。ボクは君の恋路を応援してるんだ」

 

感情を込めてそう嘯く。

さも恋のキューピッドのように。

正直な話、アインとトヴァルが晴れて恋仲になろうと、無様に破局しようとどうでも良かった。トヴァルの人脈を警戒する結社の人間は一定数いるものの、盟主と道化師が推し進める計画に影響を及ぼすとは考えられない。

カンパネルラの捉えどころのない言動に対し、アインはコキッと首を慣らした。

 

「一々癪に触る奴だな」

「それが道化師ってものだからね」

「その道化師さんが、私に何の用だ?」

 

アポイントを取るのは簡単だった。

私欲を抱かない聖人君子だけで組織を構成するなど不可能だ。聖杯騎士団とて例外ではない。絶対の教義で団結を保つ組織にも穴は必ず存在する。

とある従騎士を洗脳して、その上司である正騎士を傀儡にして、目当ての人物に手紙を届けるだけでいい。結社の人間はおろか、七耀教会の人間さえも知らないような聖杯騎士団総長に関する機密事項を記しておけば、こうやってのこのこと現れるのだから。

カンパネルラは巨木から背中を離して、アインと正面から向き合う。その双眸は『黒く』輝いていた。

 

「七耀教会に忠告するよ。フェア・ヴィルングを決して異端審問に掛けるな。盟主を『本気』にさせたくないなら」

「笑止だな。アレを野放しにしていたら世界が終わるんだぞ」

 

アインは吸い終わった煙草を放り投げた。

道化師の物言いに苛立ちを覚えたらしい。

カンパネルラの想定よりも幾分か早い。只の演技か、それとも鬱憤が溜まっているのか。黄昏の起きた夜、鉄血宰相に言い負かされたと聞くが、もしかしたらその一件が尾を引いているのかもしれない。

自然は大事にしようか。

アインの投げ捨てた吸い殻を燃やしながら、カンパネルラはため息を吐く。

 

「これ以上、事態をややこしくしたくないんだ」

「貴様らのふざけた計画を優先しろとでも言うのか?」

「ボクと盟主の計画は君たちにも有益だと思うけどね」

「有益かどうかは私が決める」

 

あくまでも厳格に突き放すアイン。

新しく咥えた煙草に火を付け、美味しそうに煙を吐き出した。

永劫回帰計画の全容を説明しても良いのだが、盟主の許可もなく他人に公言するのは如何な物だろうか。

もしも盟主が拗ねてしまえば厄介至極。世界の管理を放棄したら万事休す。ご機嫌を取ろうとしても無意味だ。その頃には世界は崩壊して、新たな世界線へ移っているのだから。

仕方ない。

カンパネルラは頬を人差し指で掻きながら、聖杯騎士団総長の心を揺さぶる言葉を発した。

 

「暖簾に腕押しか。強情だなぁ。そういうところはゼーレにそっくりだ」

「何を——」

「何をって、君は知っているだろう。聖杯騎士団総長が代々口伝で遺している、忌わしく受け入れられない真実を」

「——何故、貴様がそれを知っている?」

 

煙草の灰がポトリと地面に落ちた。

 

 

「全て知っているとも。君の持つ聖痕は、女神が与えた祝福じゃないことを。聖杯騎士団の歴代総長全員がゼーレ・デァ・ライヒナムの齎した聖痕を得ている異端者だってこともね」

 

 

瞬間、アインは法剣を抜いた。

疾く鋭い斬撃が背後の巨木を切断した。

甲高い風切り音と共に、轟音が鳴り響く。

一般人なら痛みも感じず安らかに。達人と称される強者さえ反応できない速度。まさしく神速と呼んで差し支えない一撃を喰らったにも拘らず、カンパネルラは涼しげな表情で棒立ちしていた。

得意の幻術ではない。視認して回避しただけだ。

今のやり取りで充分だったのだろう。

アインは眉間に皺を寄せながら、法剣を握り締めるだけで動こうとしない。

仕方なく、カンパネルラは笑ってみせた。

 

「いきなり斬り掛かってくるなんて野蛮じゃないかなぁ?」

「黙れ。知られたからには消すのみだ」

「無駄だよ。人間如きじゃボクには敵わない。ゼーレの加護を得ていたとしても、それは彼の権能の一部でしかない。到底及ばないよ、ボクには」

 

冷たく言い放つ。

淡々と事実のみを口にする。

アインが聖痕を全解放したとしても、勝敗は変わらない。

ゼーレの加護を宿していると言っても、人間に耐え得る許容限界量を超える事は有り得ない。女神の聖痕を一だとした時、ゼーレの加護は十を超えているだろう。それでも、人間と外なる神には埋めようのない絶対的な格差が存在する。

 

「貴様は、道化師じゃないな?」

 

生唾を飲み込むアイン。

法剣を握る手は微かに震えている。

 

「道化師だとも」

 

カンパネルラは嗤う。

 

「1200年以上、滑稽に踊り続けているんだ。ボクほど道化師に相応しい存在はいないって自負するぐらいだけどね」

 

聖杯騎士団総長は目を見開く。

唇の端から煙草が地面へ滑り落ちた。

 

「まさか——貴様が『イヴ=ツトゥル』か?」

 

へぇ、と瞠目する。

 

「あれ、その名前は知ってたんだ。予想外だな」

 

己の正式名称を耳にしたのは久方振りだった。

盟主やフェアはともかくとして、只の人間から名前を呼ばれるなど初めての出来事。神の名を口にする非礼に怒るべきなのだろうが、素直に驚嘆してしまった。

 

「堕ちた神が犯罪組織にいるとはな」

「まぁ、堕ちた事は否定しないよ。事実だしね」

 

堕ちたと云うよりも、堕とされたと云うべきか。

——女々しい。

苦しい言い訳だなと冷笑する。どんなに言葉を変えたとしても、邪神に対抗する力を失ってしまったのは事実なのだから。

 

「道化師に名前を変え、犯罪組織で暗躍する目的はなんだ?」

「さっきも言ったろ。フェア・ヴィルングの旅路を見届ける為さ」

「つまり、フェア・ヴィルングがゼーレ・デァ・ライヒナムなのは真実ということか」

「そう、彼が君のご主人様だよ」

「笑わせるな。あんな輩が私を従えるなど誰が認めるものか!」

 

激昂すると同時に、アインの背後に浮かび上がる見慣れた紋様。ゼーレの遺した聖痕だ。大地と深く結び付くソレは、七耀教会に於いて抹殺すべき『異教者』の証であった。

 

「だから、異端審問に掛けると?」

「そうだ。私はアレを否定する。否定しなくてはならない」

 

誰よりも強靭な聖杯の騎士は、空の女神とは異なる神の加護を受けている。

なんとも皮肉めいた話だ。

場末の笑い話にもなりはしない。

同情などしない。自業自得だからだ。

約1200年前、ゼーレ・デァ・ライヒナムを異端審問に掛けなければ、そもそもこんな事態にならなかったのだから。

 

「それが歴代総長の悲願でもある。いずれにしても、フェア・ヴィルングを野放しにしていたら世界は滅びるのだからな」

「それは否定しないけどね。でも、異端審問を断行したらどうなるか、君たちは知らない」

「なに?」

 

約1200年前。

カンパネルラは間違えた。

空の女神も、ゼーレさえも。

誰一人として真実に辿り着けなかった。

しかし——。

外なる神が舞い降りる原因、異端審問という邪神降臨の儀式を行ったのは他ならぬ『七耀教会』である。

 

「太古、君たちはゼーレを『悪魔』であると定義した。七十七柱の悪魔を束ねる『魔王』だと。女神を冒涜する存在として異端審問に掛けた」

「法王猊下しか知らない御伽噺な筈だがな。いや、イヴ=ツトゥルなら知っていて当然か」

「その結果がこの有様だよ。荒野と化した箱庭、閉ざされた未来、終わらない輪廻。あまつさえ君たちは異なる世界線で異端審問を行った。これ以上は『彼ら』を呼んでほしくないんだ」

「彼らだと?」

「気付いたかな?」

「待て。貴様の言葉が真実なら、このゼムリア大陸には——」

 

その通りだと首肯する。

 

「そうだよ、やっと気付いたのかい?」

 

一拍。

 

 

「この箱庭の世界には、君たちの教義を塗り潰す『来訪者』が『六体』も存在しているということに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月20日。

リィン・シュバルツァーを奪還してから約二週間が経過した。

鉄血宰相から譲り受けたリィンの姿は、控えめに表現しても人間だと思えなかった。学生服はボロボロに朽ちて、白髪は逆立ち、紅い瞳は爛々と輝きながら昏かった。発する声は動物のようで、以前のリィン・シュバルツァーを連想させる部分は何一つ無かった。

黄昏の贄として蝕まれていたリィンの自我を取り戻したのは他でもない、彼と絆を育んできたトールズ士官学院Ⅶ組の面々だった。

俺は何もしなかった。

ただ遠くで眺めているだけだった。

彼らの諦めない心、希望を抱いて前に進む活力に終始圧倒されていた。

リィンを連れ戻してくれてありがとうございますと感謝されたが、俺の行ったことなど皇帝陛下と会談しただけである為、胸を張って誇ることもできない。

彼らは魔女の里にいる。

休養を終えた後、どうするのか。

それはトールズ士官学院のⅦ組次第だ。

オリヴァルト殿下とヴィクターさんがいるなら道を踏み外す事も無いだろう。俺たちに協力してくれるなら心強いが、たとえ敵対しても文句は言わない。

 

 

「早く出てこいよ、占い師」

 

 

白銀の巨船パンタグリュエル。

全長250アージュに及ぶ超弩級飛行戦艦。

巨イナル黄昏に対抗する連合軍の旗艦として、エレボニア帝国南部に広がるリベール王国との交渉を控えた今、国境沿いで待機している。

アルフィン殿下が就寝した事を確認してから、俺は甲板に上がった。手すりに腰掛け、夜風にあたる。何も考えずに夜空を見上げていると、忘れられない気配を近くに感じた。

視線を下ろす。

一秒前まで誰もいなかった場所に、黒を基調としたドレスに身を包んだ黒髪の女が立っていた。悪くいえば胡散臭そうで、良くいえばミステリアスだろうか。この独特な雰囲気は忘れようもない。約二ヶ月前に遭遇した旅の占い師だ。確か、ベリルと名乗っていた。

 

「あら、気付いていたの?」

 

占い師は楽しそうに微笑んだ。

クスクスと、まるで幼い子供のように。

 

「アンタの気配は分かり易いんだよ」

「わざわざ甲板に来てくれるなんてね。皇女様の傍でも良かったのに」

「冗談は止せ」

 

論外だと吐き捨てる。

 

「アルフィン殿下をアンタに会わせるなんて不忠の極みだ」

「酷い言い草だわ」

「事実だろう」

「辛辣だけど、否定できないわね」

 

顎に手を当てて、小首を傾げる様は年相応の振る舞いだ。陰気そうな目許を除けば、顔立ちは端正と呼んでいい部類に入る。

だが、俺は気を許すことはない。

初めて遭遇した時から気付いていた。

この女は旅の占い師なんかじゃないと。

 

「何の用だ、占い師。また忠告に来てくれたのか?」

 

何か悪い予感がする。

この化け物には一刻も早く御退散願おう。

実力行使は最後に取っておく。何が起きるかわからないからだ。

俺から用件を尋ねると、ベリルは一歩近付いてから口を開いた。

 

「言伝を頼まれてきたのよ。貴方ね、■■■■■の所にいつ行くの?」

「■■■■■?」

「あぁ、コレは失われた言葉だったわね。大地の聖獣の墓所にいつ行くのかしら?」

「どうして知ってると尋ねるのはお門違いか?」

「ええ」

「初代ローゼリアの件が有る。無闇に行くのは危険だ」

 

ロゼも賛同した。

聖獣の墓所を訪れるにしても、時を見計らった方が良いと。呪いによってエレボニア帝国の全てが活性化した現在、幻獣や悪魔の出現しそうな場所に単身で乗り込むなど危険が過ぎると。

テスタ=ロッサは大丈夫だと太鼓判を押していたが、話し合うに連れて、自信無さそうに口数を減らしていった。

曰く、大地の聖獣だから何かヘマをしているかもしれないとのこと。

 

「大丈夫よ。大地の聖獣は貴方の味方だもの」

「言い切るんだな」

「彼、待ち侘びてるわよ」

「それがアンタの罠とも限らないだろうが」

「どうしてそう思うのかしら?」

 

どうしてだと。

理由なんて一つしかない。

また一歩接近するベリルの肩を掴む。

その場に押し留めながら、絶対の自信を持って断言する。

 

 

「アンタ、人間じゃないだろ」

 

 

姿形は紛れもなく人間だ。

恐らく素材も人間と同じだろう。

だが、一目見た時から確信していた。

この女は人間とまるで異なる種族なのだと。

 

「ふふ、正解よ」

 

ベリルは笑う。

満面に喜色を湛える。

俺から二歩離れ、目を細めながら種明かしした。

 

「私は旅の占い師であり、外からの来訪者」

「邪神と同じか」

「心外だわ。私をこの箱庭世界に呼んだのは、貴方なのに」

「俺が?」

「まぁ、無意識でしょうけど」

「記憶にないぞ」

「でしょうね。私が来た時には絶命していたし。でも、安心してちょうだい。私は味方よ。貴方の父親に仕えているようなものだから」

 

ノイズが走った。

酷い耳鳴りがする。

脳を鑢で削がれる感覚を紛らす為に顔を右手で押さえ、よくわからない単語を訊き返した。

 

「ちち、親?」

「どうしたの?」

「ちちおやって、なんだ?」

「ああ、そこからなのね。なら質問、貴方の母親は?」

 

ははおや?

ちちおや?

わかる。理解できる。

それは家族だ。生みの親だ。

家族とはなんだ?

必要か。否、不必要だ。

俺に親はいない。

生まれた時から存在しない。

ちちおやとはなんだ。

ははおやとはなんだ。

いや、遥か昔、俺を抱き上げてくれた人が——

 

 

————頭の奥でブチっと音がした。

 

 

「だから——ちちおやとか、ははおやとか、そんなもの」

「貴方の故郷は?」

「帝都だ。帝都ヘイムダル」

「何地区?」

「は?」

「だから、何地区出身なのかを訊いてるのよ」

「————」

 

あれ?

 

「答えられないわよね。だから言っているのよ。大地の聖獣に会いに行きなさいって。彼が教えてくれるわ」

「俺に、おや、なんていないぞ」

 

ベリルが俺の肩を掴む。

倒れそうになる俺を支えて、占い師はこう言った。

 

 

「えぇ、フェア・ヴィルングに両親は存在しないわ。だって、貴方は————」

 

 

 

 

 

 





 

焔の聖獣は泣きながら哄笑する。
 


くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ しゃめっしゅ
にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん
 
 

焔の聖獣は泣きながら手を伸ばす。
 
 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ しゃめっしゅ
にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん






大地の聖獣「だーから、早く来いって言ってるのに!」





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五十七話 咫尺天涯



近いところにいながら、その距離がまるで天の果てに感じるように、なかなか会えないこと。


 

 

 

 

 

 

夢とは残酷だと思う。

或いは無慈悲だと感じる。

逃れられない罪を幾度も見せ付けてくる。

黒キ聖杯が出現した夜、クレア・リーヴェルトはミリアム・オライオンを見殺しにした。本物の妹のように可愛がっていた少女を、上司である鉄血宰相に命じられたという免罪符を盾にして、彼女の死から目を背けた。

白兎の少女はリィンを庇った。

大地の聖獣による鋭爪は一撃で充分だった。

鮮血が散る。斬られた髪が飛ぶ。

服は破け、小さな体躯は宙を舞った。

それは必要な事だった。巨イナル黄昏を引き起こす為には、呪いを抑えている大地の聖獣を殺さなければならない。

聖獣とは女神の遣わした高次元の存在。この世界の物理兵器では傷一つ付けられない。故に、ミリアム・オライオンはその姿を剣に変えた。女神の創造物を斃すのに必要な概念兵器である『根源たる虚無の剣』に。

リィンは絶叫した。

我を失い、純白の大剣を掴んだ。

呪いに犯された大地の聖獣を斬り伏せた。

クレアは黒キ聖杯の中層にて、その痛ましい光景を見届けた。仕方ないと言い訳して。鉄血宰相の望む事だからと自己正当化して。

だが、心の奥底ではわかっていた。

私は後悔している。

たとえ鉄血宰相の命令だとしても、反旗を翻すべきだったのではないか。ミリアムを死の運命から救い出すべきだったのではないか。

そんな、どうしようもない考えが脳裏を巡っている。過去は変えられない。天真爛漫なミリアムは戻ってこない。

だから夢を見る。

忘れないように悪夢を見続ける。

私の罪を、常に自覚する。

それだけが、クレア・リーヴェルトに許された贖罪の証だから。

 

————なら、もう一つの夢は何だろうか。

 

悪夢と並行する幸せな光景。

壊れた心を癒す妄想じみた何か。

巨イナル黄昏が始まってから頻繁に見るようになった。原因はわからない。意図も不明だ。ただ流れ込んでくる。まるで正しい選択を取っていたならば、今頃はこんな幸せを享受できていたのだと誇示するように。

——誰かと腕を組んで散歩している私。

——誰かとその日の夕飯の相談をする私。

——誰かと同じベッドに入り、睦言を交わす私。

クレアは笑顔だった。

満面の笑みで誰かを見つめていた。

素直に羨ましいと思った。妬ましいと感じた。

幸せな光景に対して、ではない。

隣を歩く『誰か』を認識できている違う自分に対して、どうしようもないほどの羨望を抱いた。

名前もわからず、顔も見えない。

私は、この男性を知っている筈なのに。

ミリアムを見殺しにした代償ならば受け止める。クレアに幸せになる権利などないから。だが、このもどかしさは、胸に痞える違和感は半年も前から覚えるものだ。

ならば関係ないのだろうか。

その誰かを探していいのだろうか。

顔も、名前も、存在すらも認識できない誰かを。

 

——きっと、私は求め続ける。

 

そして、目醒める。

目尻に溜まった涙を拭い、身体を起こした。

地平線から覗く朝日は眩しく、クレアは誰かにプレゼントされた抱き枕に顔を埋めた。

 

——嗚呼、私はこんなにも、弱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月24日。

皇城バルフレイム宮の一角に用意された、選ばれた人間のみに入室が許される帝国宰相室。『鉄血の子供たち』と呼ばれるクレア・リーヴェルトとレクター・アランドールは、その数少ない選ばれた人間に含まれる。

前者は鉄道憲兵隊の少佐。

後者は帝国軍情報局特務少佐。

唯ならぬ肩書きを有する若人たちは各々の軍服に身を包みながら、帝国政府代表として敏腕を振るうギリアス・オズボーンに敬礼した。

 

「クレア・リーヴェルト少佐、只今帰還いたしました」

「クレアとは帰りの列車で偶然会ったんでね。時間も勿体無いし、報告は一緒でいいよな?」

 

対照的な二人の言動。

方や品性方向。方や傲慢無礼。

ギリアス・オズボーンは目くじらを立てない。書類にサインする手を止め、椅子の背凭れに身体を預けながら鷹揚に頷いた。

 

「構わんよ。聞こうか」

 

重厚な威圧感。

波濤の如き闘気。

こうして対峙するだけで屈服しそうな感覚に、レクターはいつまで経っても慣れそうになかった。

こんな化け物に対し、面と向かって宣戦布告した黒緋の騎士はどんな胆力をしてるのか。怖いもの知らずにも程がある。

 

「では、私からご報告致します。帝国正規軍の拡充は、事前に定めていた動員計画の通りに推移しております。今月末にも陸軍機甲師団は、二十三個師団にまで拡張される見込みです。兵力にして110万人超。士気も高く、前線兵士の訓練も順調に進んでおります」

 

エレボニア帝国では先日『国家総動員法』が可決された。国民徴用令を筆頭に、労務統制、物資統制、貿易統制、金融統制、資金統制、言論統制が敷かれ、超大国と化していた帝国の莫大な国力は全て軍事力に注ぎ込まれるようになった。

結果として、僅か一月足らずで三十万人の新規徴兵を行い、あまつさえ彼らに支給する物資も不足なく供給されている。

周辺諸国は恐怖に慄いているだろう。

世界を飲み込むのに充分な軍事力もそうだが、国家総動員法という有り得ざる『悪法』の存在を許容している帝国人に対して戦慄しているに違いない。

クレアの溌剌とした報告に、鉄血宰相は疑義を挟む。

 

「君の目から見て、徴兵された者たちは使い物になるかね?」

「正直に申し上げれば、まだ時間が掛かるかと」

「複数の師団長からは準備万端、いつ開戦しても問題ないという報告が来ているが、君たちはどう思うかな」

 

そいつらは阿呆かとレクターは口内で罵る。

たった一ヶ月の訓練で、戦争に耐えられる兵士が出来上がれば誰も苦労しない。机上の空論にさえ成りはしない。

顔を顰めるレクターと違い、クレアは生真面目に答えた。

 

「現状の練度ですと、前線に特攻して肉壁になるだけだと推察致します。新兵をそのように扱えば、誇りある帝国正規軍の沽券に関わります」

「では、訓練に必要な時間は?」

「最低でも、あと三ヶ月は有するかと」

 

それでも最低限だろう。

軍人としての心構えである精神教育、軍人らしい敬礼と歩行を学ぶ制式訓練。射撃訓練、手榴弾訓練、催涙弾体験訓練、後は一糸乱れぬ行軍ぐらいだろうか。

これだけ訓練しても、戦車や軍用飛行艇には太刀打ちできない。

彼らの末路を想像するだけで、レクターはため息を溢しそうになった。

 

「海軍はどうか?」

 

帝国陸軍に比べ、その規模は小さい。

予算も少ない為に保有しているのは第一艦隊と第二艦隊のみ。だが、テティス海の制海権を奪ってしまえば、いつでもカルバード共和国本土を奇襲できる。

大地の竜作戦に於ける戦略性の高さから、現在急ピッチで小型艦を中心に増やしている。民間船も多数徴用して、海兵師団を運ぶ輸送船へと改造を施していた。

 

「第一艦隊の練度、士気は申し分ないかと。第二艦隊は小型艦の建造に遅れが出ている為、今暫く時間が掛かります」

「造船所の爆破テロか」

「はっ。下手人は既に捕らえてあります。背後関係は洗っている最中です」

「情報局は何か掴んでるかね?」

 

上司の視線を受け、レクターは首を横に振る。

 

「各国の情報機関なんかも調べたけど、これといった証拠は出てこねェ。俺の勘だとカルバード共和国だと思うが、まぁ現状の帝国を妨害したい輩なんてごまんと居るからな」

 

何しろ一国で世界を征服しようとしている。

味方は皆無。敵は自分以外。

このような状況に陥った帝国政府は無能の烙印を押されるべきなのだが、帝国人は相も変わらずに鉄血宰相を信奉しているのだから笑えない話だった。

 

「ふむ。憲兵隊を増員しておこう。造船所だけならまだしも、戦車と機甲兵の工場を爆破されてしまえば動員計画に支障が出かねん」

「承知しました。部下に通達しておきます」

 

クレアは敬礼して、一歩後退した。

彼女の報告は終わったのだと判断したレクターは苦笑混じりに口を開いた。

 

「こっちは特に問題ねェなァ。帝国各地の反戦感情は殆どゼロだ。戦意十分。むしろ早く開戦しろって感じ。自国のことながら気味悪ィぜ」

「戦争とは外交の一種でしかない。本来なら忌避されるべき物だが、闘争の呪いに包まれた帝国ならこうも成ろう」

 

前半の台詞は本音だろう。

戦争なぞ愚か者のやる事だ。

昔ならいざ知らず、機甲化の進んだ現代で戦争を行えば、得られる利益よりも損失の方が遥かに大きくなる。赤字で済めば御の字。最悪、国家の屋台骨がへし折れるほどの損害を被るだろう。

その事実を理解しながらも、鉄血宰相は大地の竜作戦を推し進める。七の相克とやらを完遂する為に。

 

「おっさんの目論見通りか?」

 

レクターは噛み付くように尋ねる。

鉄血宰相は机の上で手を組み、不敵に笑った。

 

「相克を行うのに都合が良いのは事実だな」

「あっそ」

 

適当に返して、視線を逸らす。

何とも表現しづらい空気の中、クレアはそういえばと小首を傾げた。

 

「クロスベルはどうなのですか?」

「帝国領に編入されてから日が浅いからな。情報局特製のプロパガンダを流してるが、どうにも効果が薄くて困ってる。黒月と共和国が邪魔してやがるんだろうよ」

「ロックスミス機関ですか」

「そう、それ」

 

共和国の国家元首ロックスミスが設立した情報機関。大統領直属の機関として帝国軍情報局に勝るとも劣らない予算と人員が与えられており、情報戦を制する為に、クロスベル市の水面下で幾度となく争っていた。

 

「クロスベルはルーファスに任せてある。問題なかろう」

「あの麒麟児さんでもクロスベルが安定するのは年末にもつれ込むかもって話だけど、どうすんだ?」

「ルーファスが手を焼く事態ともなると、特務支援課が元気に動いているか」

「ああ。始末するなら準備するけど?」

「これもルーファスの良い経験となろう。情報局は手を出さなくていい」

 

昨年末、特務支援課が成し遂げた偉業を思い起こす。

クロスベル市解放作戦を成功させ、レクターにもわからなかった一連の黒幕の正体を暴き、最終的には人工的に造られた至宝に打ち勝ったのだ。

 

「アイツらを甘く見ない方がいいぜ」

 

あくまで善意のつもりで忠告する。

心の底では吠え面かけばいいのにと思いながら。

 

「わかっているとも。彼らが数多の壁を乗り越えてきた将来有望な若者だとな。それでも——」

 

確信を持って、鉄血宰相は告げる。

 

「このギリアス・オズボーンを打倒する可能性が有るとすれば、黒緋の騎士ぐらいだろう」

「灰色の騎士様はどうなんだよ」

「未熟に過ぎる。今のままでは期待できんな」

「相変わらず厳しいこった」

 

実の父親と思えない台詞に顔を強ばらせる。

いや、息子相手だからこそ厳しいのだろうか。

辛辣すぎる評価は期待の裏返しと受け取ることもできる。リィンからしてみれば迷惑なことこの上ないだろうが。

 

「——黒緋の、騎士」

 

隣でクレアが低く呟いた。

見慣れた同僚の姿に、レクターは眉を顰める。

半年前からだろうか。クレア・リーヴェルトがフェア・ヴィルングの名前と存在を認識しないようになったのは。

彼女にとって最愛の存在だった筈だ。弟みたいなものですと否定していたが、レクターからしてみればもどかしくて仕方なかった。

お似合いの二人だと思った。言葉巧みに嗾けてしまえば、翌日にでも結婚するんじゃないかと邪推してしまうほどに。

なのに——。

喧嘩ではない。

記憶の改竄にしても稚拙に過ぎる。

残った可能性としては、七至宝のような超常現象に因る認識の阻害だろうか。レクターの優れた勘も、それがほとんど正解だとお墨付きを出している。

しかし、己に宿った特異な能力で答案を導いたとしても無意味だった。本当に七至宝が関与しているなら、レクターに解決方法など無いのだから。

無力感から唇を噛み締めるレクターと裏腹に、鉄血宰相は悠揚迫らぬ態度で言葉少なく述べる。

 

「リーヴェルト少佐、任務帰りに申し訳ないが、ラマール州南西部に向かって欲しい」

「ラマール州南西部、ですか」

「猟兵らしき怪しい人間を見たという報告が相次いでいてな。東部に駐屯している第八と第九師団にも既に伝達してあるが、鉄道憲兵隊の方が迅速に動けるだろう」

「第八と第九師団が動いているなら、妙日中に解決するのではありませんか?」

「かもしれぬな。だが、高位猟兵が動いているとなると厄介だ。造船所の件もある。此処は君に動いてもらえると助かる」

「了解しました」

「アウロス海岸道に出没すると聞く。吉報を待つ」

「はっ。それでは失礼致します!」

 

教本に載りそうな敬礼を後に、クレア・リーヴェルトは部屋から立ち去った。生真面目な彼女のことだ。その足で帝都駅へ向かい、ラマール州行きの列車に乗るのだろう。

足音が遠ざかった事を確認したレクターは沈黙を破った。

 

「どういうつもりなんだよ。ラマール州に高位猟兵なんていねェぞ。それともなにか、情報局にもない情報でも持ってんのか?」

 

赤い星座は結社に協力している上、西風の旅団も七の相克が開始されるまで大人しくする約束だ。それら以外の猟兵団が帝国内で活動しているという報告は一切ない。

もし仮に高位猟兵がラマール州を根城にしていたとしても、一個師団の兵力だけでお釣りが出るだろう。

わざわざクレア・リーヴェルトを動かす理由などない。

レクターは机を叩いた。何が目的なんだと問い質すも、彼の気迫など微塵も届いていないのか、鉄血宰相は涼しげな表情で答える。

 

「私はキッカケを与えたに過ぎんよ。乗り越えるのか、逃げ出すのか。それを決めるのはクレア本人だ」

「アイツが脆い事は知ってるだろ」

「知っているとも。ミリアムの件でより脆くなってしまった事もな」

「だったら!」

「クレアに必要なのは時間でも、ましてや慰めでもあるまい」

 

その通りだ。

ミリアムを見捨てたという罪悪感と、愛する人を認識できないという矛盾によって、遅くとも数ヶ月以内に彼女は壊れてしまうだろう。

 

だから——。

 

 

「後は、黒緋の騎士に任せるとしようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七耀暦1205年8月25日。

リベール王国との交渉を無事に終えた翌日、俺はテスタ=ロッサに搭乗して、ラマール州南西部に単身出向いていた。

皇帝陛下から戴いた封筒に、この地に聖獣の墓所である霊窟が築かれていると記載されていたからだ。

緋の騎神に乗っているとはいえ、単独で動くのに反対する人々も当然ながら存在した。アルフィン殿下を筆頭に、ヴィータさんやミルディーヌたちである。

アルフィン殿下は私も連れていけと抱き着いて離れず、ヴィータさんは万が一の為にも魔女が同行するべきだと譲らず、ミルディーヌは危険かもしれない場所に一人で飛ぶ込むなんて馬鹿なんですかと蔑んでいた。

 

「アルフィン殿下たちに悪いことしたかな」

『ソウ嘆クナ、我ガ起動者ヨ。仕方ナイ事ダ。大地ノ聖獣ハ酷ク人見知リスル。他ノ人間ガイテハ姿ヲ顕サナイカモシレナイ』

「聖獣でも人見知りするんだな」

『マァ、大地ノ聖獣ガ特別ナダケダ』

 

いずれにしても。

単身でも特に問題なかった。

飛行艇に到達できない高高度を移動すれば、帝国軍の哨戒網に引っ掛からずに済む。現に飛行艦隊はおろかレーダーにも感知されず、アウロス海岸道にまで辿り着けた。

そして、捜索すること一時間。目的の物を見つけた。

 

「テスタ=ロッサ、あれか?」

『ウム。見覚エノアル霊窟ダ。アレデ間違イアルマイ』

 

大地の聖獣がいるとされる霊窟は、まるで何者かから隠れるようにして聳え立っていた。にも拘らず、緑色に明滅しているのはどういう理由だろうか。

 

「墓所っていうよりは、祭壇だな」

『慧眼ダナ。1200年前ハ祭壇ダッタ』

「何の為の?」

『ソレモ大地ノ聖獣ガ教エテクレル筈ダ』

 

緋の騎神を霊窟の近くに着陸させる。

近くで視認すると、霊窟の入口は大の男が通れる程度の大きさしかなかった。ぱっと見た感じ2アージュほどだろうか。

全長20アージュを誇るテスタ=ロッサが進入するのは物理的に不可能である上、断行したら霊窟そのものが崩壊してしまう。

墓所が破壊され、嘆き悲しむ聖獣の姿が目に浮かんだ。

騎神から降りる。

頬を撫でる夏の潮風が心地良い。

風に靡く髪を片手で押さえながら悩む。

テスタ=ロッサを此処に放置していいものかと。

 

「我ガ起動者ヨ、安心スルガ良イ」

 

緋の騎神は落ち着いた様子で続ける。

 

『地下ニ広イ空間ガアル。大地ノ聖獣モ其処ニイルダロウ。後デ転移ヲ使イ、呼ビ出シテクレレバ良イ』

「わかったよ。後で呼び出す」

 

霊窟の扉に手を掛けて、そして——。

 

 

 

 

「——緋の騎神に、黒緋の騎士。どうして貴方が、此処にいるの?」

 

 

 

 

懐かしい声音に釣られて、反射的に振り返る。

クレアさんが導力銃を片手に、呆然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 









大地の聖獣「陰キャです。どうぞよろしく」











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五十八話 因小失大

 

 

 

 

 

 

 

「それは此方の台詞です、リーヴェルト少佐。貴女ほどの軍人がこんな寂れた場所に何の用でしょうか?」

 

俺は霊窟の入り口に凭れ掛かる。

無表情を保ちつつ、抑揚の無い声音で尋ねた。

 

「————」

 

クレアさんは微動だにしない。

瞬きはおろか、呼吸さえも止めている。

静止した彼女は俺の名前を呼ぼうとせず、得物である導力銃を突き付けようともせず、まるで地面に縫い付けられたように硬直していた。

当然だ。そうでなければ困る。

焔の聖獣に頼んだのは他ならぬ俺だからだ。

クレア・リーヴェルトは、フェア・ヴィルングという存在を認知できない。互いを視認できる距離にいたとしても、彼女の美しい紫紺の双眸には俺の顔が黒く塗り潰されている筈だ。

 

「皇城でお会いした時も思いましたが、無口な方なんですね」

 

三週間前、皇城で声を掛けられた時は驚愕した。まさか自力で認識操作を解いてしまったのかと動揺したが、特に俺を知っている様子もなく、短い問答を交わすだけで済んだ。

ロゼ曰く、巨イナル黄昏において緋の騎神及びその起動者は極めて重要な因子である。それらがかろうじて認知されているだけに過ぎず、フェア・ヴィルングという存在を認識できないのは変わっていないだろうとの事。

 

「————」

 

クレアさんは一歩後退った。

導力銃を持つ手は小刻みに震えている。

寒さからか。恐怖からか。

単純に疲労からかもしれない。

三週間前と比べても顔色は悪く、頬はこけて、倦怠の影が瞼を覆っている。控えめに表現しても健常者と思えない顔付きだった。

対共和国侵攻作戦である『大地の竜』作戦が刻々と迫っている以上、クレアさんの所属する鉄道憲兵隊の業務内容を考慮すれば、言わずもがな多忙極まる身の上だろう。

満足な休養を取れていないだけならいいのだが。

尤も、たとえ他に要因が有るとしても、既にクレアさんと袂を分かった俺に出来るなどなにもなかった。

 

「——ッ!」

 

クレアさんは踵を返した。

俺が何かを言う前に、脱兎の如く逃げ出した。

走り去る音を耳にしながら、俺は青く彩られた空へ視線を向ける。白い岩で形成された自然の屋根から射し込む陽光に少しだけ目眩を感じた。

 

『我ガ起動者ヨ、追ワナクテ良イノカ?』

 

最早聞き慣れた機械音声、無機質なそれが耳朶をくすぐる。

テスタ=ロッサなりの気遣いなのだろうが、俺は軽く頭を振った。

 

「仕方ないだろ。クレアさんを巻き込む訳にいかない」

『巻キ込ミタクナイ、カ。成ル程、契約者ヨリモ大事ナ女性ナノダナ』

 

いや、単に鈍いだけかもしれない。

 

「優劣を付けてる訳じゃないよ。ただ、クレアさんには今までのループで何度も迷惑を掛けたからな」

 

二人の違いは僅か一つ。

邪神に目を付けられたかどうかだけ。

アルフィン殿下は『外なる神』に関心を持たれてしまった。わざわざ取引を求められるほどに。その取引自体に俺が関与しているとしても、邪神はアルフィン・ライゼ・アルノールを一己の生命体として認知したといえる。

アルフィン殿下は第三者から当事者に変わった。いつ何時『外なる神』の悪意に晒されるかわからない立場になった。

何があろうとも傍で護らなければならない。

それが、大切な主君を終わらない地獄に誘ってしまった俺の責任であった。

 

『我ハ人間ノ全テヲ理解シテイナイガ、迷惑ダト直接言ワレタノカ?』

「言われてないけど、クレアさんは優しい人だから」

『察スル、トイウモノダナ』

「死なせた事がある。俺を助ける為に、拷問されて廃人にさせてしまった事も。クレアさんのあんな姿を見るぐらいなら、俺を忘れてくれていた方がマシだ」

 

俺は拷問されるのに慣れている。

ループで幾度となく体験したからだ。

肉体的な痛みなぞ我慢すればいい。歯を食いしばれば耐えられる。そもそも痛いと感じるのは最初だけ。時間が経つにつれて痛覚は消えていく。いつしか慢性的な眠気に襲われるようになり、気付けば心臓は動きを止めていて、物言わぬ骸に成り果てている。その程度の物だ。

だが、他人が拷問されている光景は直視できなかった。

激痛に絶叫する声。助けを求める声。数多の獣に犯される声。赦しを乞う声。身代わりになった事を後悔する声。死を欲する声。喉が潰れて、それでも嘶き、絶望と失意から廃人となり、昏い目を携えて息を引き取るクレアさんの姿などもう見たくなかった。

今度は、正気を保てる自信がなかった。

 

『廃人カ』

「どうした?」

 

テスタ=ロッサは片膝を付いて、まるで俺と視線を合わせるような前屈みの状態となり、事務的に言葉少なく言った。

 

 

『アノ娘、一月モ経タズニ廃人トナルゾ』

 

 

は?

 

「——まさか、そんな訳ないだろ」

 

騎神の冗談を素気無く一蹴する。

こんな話題じゃなかったら笑ってやるのに。

むしろ反射的に怒鳴らなかった俺を褒めてほしいぐらいである。

 

だが——。

 

『間違イナイ。我ガ起動者ニ対シ嘘ヲ述ベル理由ガナイ』

「確かに体調は悪そうだったし、これからより一層忙しくなるだろうけど。そもそも、巨イナル黄昏が始まってから廃人になる事なんて一度も無かったぞ」

『体調デハナイ。ヨリ根本的ナ話ダ。気付カナイカ?』

 

どういう意味だろうか。

口振りからして拷問や尋問の類ではない。

思考が疑問に追い付かず、答えを出せない俺を見兼ねたのか、テスタ=ロッサは静かな口調で続けた。

 

『アノ娘カラハ人間ニ必要ナ物ガ、生キル為ニ最モ大事ナ物ガ欠ケテイル』

 

即ち。

 

『闘争トイウ概念ソノモノガ、アノ娘カラ喪失シテイル。我ガ起動者ヨ、思イ出シテ欲シイ。クロスベルデ貴方ハ何ヲ決断シタノカヲ』

 

そんなもの、わざわざ思い出すまでもない。

初代ローゼリアの提案を飲んだ。アルフィン殿下とクレアさんを地獄に付き合わせない為に、飲む以外の選択肢はなかった。

結果として、アルフィン殿下は深く傷付いた。もしかしたらあの一件のせいで、邪神に興味を持たれた可能性さえある。許されざる大罪だ。鉄血宰相の後押しがなければ、俺はアルフィン殿下の手を再び握れなかったに違いない。

だが、クレアさんの件は間違っていないと思う。

愚かにも他者の心を独断で組み換えた挙句、身勝手な幸福を望むことが傲慢の極みだとしても、それこそがクレアさんを巻き込まない最善の一手だと焔の聖獣も太鼓判を押していたのだから。

本当にそうだったか?

脳裏を過ぎる疑念の声を振り払うように、俺は初代ローゼリアの言動を思い返した。

 

 

——あの小娘なら大丈夫だと思うがな。良くも悪くも普通すぎる。勿論、油断できぬが。それにあの娘に宿っているのは混沌ではなく闘争じゃ——

 

——イシュメルガに関与したくないが、致し方あるまい。闘争を掻き消そう。お主の存在価値を無にする。そうすれば近寄ってこん——

 

 

聖獣の発言を反芻して、ようやく気付く。

巨イナル黄昏が開始された夜、黒の分体たちに教えられた事が真実なら、クロスベルで遭遇した初代ローゼリアは呪いに蝕まれた状態だった筈だ。

つまりは正気でなく、黒の騎神に加勢する存在だったと考えられる。それらの条件を加味して、初代ローゼリアの言葉を改めて吟味してみると、奇妙な点が複数浮かび上がってきた。

待て。

落ち着け。

冷静になれ。

この世界線で廃人になるとしても、輪廻に囚われなければ大丈夫じゃないか。

咄嗟にそう考えてしまう自分を殴りたくなった。馬鹿野郎が。このループで全てを終わらせると鉄血宰相に誓ったばかりだろうに。

俺の下した選択によって、幸せを掴み取るべき女性が廃人になったままで良いのか。人間らしい生活を送れない状態にしても後悔しないのか。

愚問だ。

悔やむに決まっている。

 

「テスタ=ロッサ、どうしたらいい?」

『生キルノニ必要ナ量ノ闘争ヲ戻ス他ナイナ』

 

間を置かずに解決策が返ってきた。

喪失してしまったなら補充してしまえという単純な解法だが、それが可能か不可能なのか、出来るとしてもどうやって補填するのか、俺には皆目見当も付かない。

 

「戻せるのか?」

 

先ずは実行可能なのか問うと、テスタ=ロッサは首を捻った。

 

『巨イナル黄昏ニヨリ、帝国全土デ闘争ノ渦ガ巻キ起コッテイル。何モ問題ガ無ケレバ、アノ娘ニモ闘争トイウ概念ガ供給サレテイル筈ナノダガ』

 

そうなる事を見越して、テスタ=ロッサは今まで口を噤んでいたと言う。己の起動者、つまり俺を不安にさせないために黙っていたらしい。

呪いの中心地たるエレボニア帝国のみならず、ゼムリア大陸全土に波及した膨大な闘争に身を投じていれば、クレア・リーヴェルトは喪失してしまった『生きる為に闘う力』を早晩取り戻すだろうと踏んでいたから。

その予測が正しいと仮定した場合、有り得ざる事態に発展した原因は自ずと限られていた。

 

「黒の騎神が絡んでいそうだな」

『ウム。十中八九、黒ノ仕業ダロウ。アノ娘ヲ使ッテ何カ企ンデイル可能性モアル』

 

邪神に負けず劣らず、黒の騎神も碌なことをしないな。巨イナル黄昏が発動している現状、エレボニア帝国に限ってしまえば『外なる神』よりも黒の騎神の方が厄介なのかもしれない。

 

「とにかく、黒の騎神をどうにかしないといけないのか」

 

厄介だなと舌打ちした瞬間、突如禍々しい気配を感じた。背中を走る疼痛に自然と身体が強張る。

気配は北西。距離にして3セルジュ強か。

岩石で形成された屋根へと跳躍する。右手に宝剣を携えながら北西へ視線を向けると、其処には天高く聳える漆黒の光が出現していた。

光の柱の周囲では紅い稲妻が絶え間なく閃くものの、天地を切り裂くような雷鳴はついぞ聞こえなかった。

自然現象ではない。

人為的な物だとしたら規模が大きすぎる。

 

『強イ闘争ノ力ヲ感ジル。黒ノ仕業ダナ』

 

テスタ=ロッサの侮蔑を含んだ声が聞こえる。

誰の仕業かさて置き、無視する訳にもいかない。

場所とタイミングから考えて、クレアさんに無関係とも思えなかった。

 

「クレアさんに関係あるかもしれない。確かめてくる」

『待テ、我ガ起動者ヨ。一人デ行クツモリカ?』

「地図が正しければ、黒い光の根元には深い洞窟がある。騎神が入れるような場所じゃない。危なかったら直ぐに呼ぶ」

『承知シタ』

 

緋の騎神をこの場に残し、俺は黒い光へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

今すぐ遠くへ逃げなければならない。

そんな強迫観念に背中を押されて、果たしてどれほど走り続けただろうか。

悲鳴をあげる肺と心臓に鞭を打ち、縺れそうになる足を叱咤して、クレアはがむしゃらにアウロス海岸道を駆け抜けた。

導力銃を仕舞うことも忘れて、行く宛もなく疾走を続けた。

 

「ハァ、ハァ、ハァ——ッ!」

 

現役の軍人と思えない体力の無さ。

酔い潰れた人のような覚束無い足取り。

情けなくて、勝手に嗚咽が漏れてしまう。

右手で乱暴に涙を拭うと、通行止めの看板が目に入った。アウロス海岸道の終点。この先は危険な魔獣が多数出没すると聞く。休めばいいのに、身体は勝手に動き出した。

どうして脇目も振らずに逃げているのか、それさえ理解できないままに。

 

「私は、ただ閣下の命令通りに!」

 

クレアは鉄血宰相の命令に従い、ラマール州で暗躍しているという猟兵の痕跡を探していた。

猟兵という立場上、彼らは付近の街や村で寝泊まりしない。治安維持を目的とした警察相手なら絡まれても返り討ちにできるだろうが、正規軍という巨大な武力には太刀打ちできない。故に人気の無い場所、たとえば山岳や森林、もしくは峡谷などで野営するのが猟兵の常識であった。

今回も例外ではない。

クレアは早朝から動き出した。五感全てを研ぎ澄まし、そこに経験と推測を加え、人の痕跡を探し出す。

慣れてしまえばそれほど難しい事ではない。

焚火や足跡、また狩りの跡も重要な手掛かりになる。魔獣や獣と異なり、人間が狩りを行えば必ず何かしらの痕跡を残す。そこから得た情報を元にして、野営している場所、人数、練度を導き出すだけだ。

昼までに複数の痕跡を見つけよう。

そう息巻いていたが、太陽が中天に差し掛かる時間になっても猟兵の残痕は何一つ見つからなかった。

何かがおかしい。途方に暮れたクレアは、アウロス海岸道で頻繁に出没するという鉄血宰相の言葉を思い出した。地元の人間もよく通る道を猟兵が使うわけないと頭から追い出していたが、何も痕跡が発見できない以上、クレアは藁を掴む想いで海岸道へ足を向けた。

——そして、出会った。

緋の騎神と黒緋の騎士に。

 

「なんで、どうして」

 

奇妙な建物の扉を開けようとしていた黒緋の騎士が緩慢な動きで振り返った。

その相貌は黒く染まっていた。まるで黒色のペンキで無造作に塗り固められたように。姿形もはっきりしないのに、低く艶のある男の声だけが鮮明に海岸道へ響いた。

尋ねたいことが山ほどあった。

三週間前、皇城バルフレイム宮で聞けなかった事を問おうとした瞬間、クレアは身を翻して逃げ出していた。

理性は踏み留まれと命じているのに、本能は足を止めるなと警鐘を鳴らしていた。黒緋の騎士と対峙するなど無謀極まりない。一刻も早く、1アージュでも遠く離れろという『誰かの声』に従い、クレアは魔獣の屯する獣道を進み続け、そして辿り着いた。

 

「洞窟?」

 

高さは4アージュ。

幅は導力車が通れる程度。

太陽の光が届かない洞穴は、まるで新月の夜のように薄暗い。声の反響具合から推測するに、2セルジュ以上に渡って空洞が続いているだろう。

わざわざ意味もなく洞窟に入る趣味などない。

クレアは身体を反転させ、元来た道を帰ろうとした。

 

 

『ヨコセ、ヨコセ』

 

『我ノモノダ、スベテ』

 

『アァ、心地ヨイ』

 

 

脈絡もなく、声が聞こえた。

この世全ての悪意を凝縮したような不気味な声に囁かれたクレアは即座に耳を塞いだ。

洞窟の壁に身体を預け、目を強く瞑る。

どうか幻聴であってくれと空の女神に祈った。

 

 

『ヨコセ、ヨコセ』

 

『我ノモノダ、スベテ』

 

『緋モ、アノ者ニ眠ル緋イ死モ』

 

 

だが。

祈りは容易く裏切られた。

黒い煙が全身に纏わり付く。

気付けば足下に紅蓮の華が咲いていた。

 

「どうして、足が勝手に——!」

 

身体が言うことを聞かない。

一歩一歩、ゆっくりと洞窟の奥へ進んでいく。

黒い煙が肉体へ染み込む度に、耐え難い頭痛に襲われる。脳に直接針を刺されたような痛みの時もあれば、金槌で思いっきり殴られるような痛みの時もあった。

何が起きているのか。

この薄気味悪い声は誰なのか。

一体私はどうなってしまうのか。

一つとして理解できないまま、クレアの意識は朧げになっていく。

 

「——嗚呼、どうして私は忘れていたのか」

 

ただ、彼女は笑っていた。

頭が割れそうな痛みに耐えながら破顔した。

これが走馬灯なのだろうか。様々な記憶が蘇ってくる。

小石に躓き、地面に倒れたクレアは愛する男の顔を思い出して微笑んだ。

 

 

「————ごめんね、フェア」

 

 

 

 

 

 

黒の思念体は、人の無様な足掻きを嘲笑った。

 

『我ニ使ワレルコト、光栄ニ思ウガ良イ』

 

 

大地の聖獣は、人の強い抵抗を褒め称えた。

 

【良くやった、小さき者よ。流石はアルスカリの愛した女だ】

 

 

 

 

 











蒼の騎神「黒と緋の強い気配を感じる」


緋の騎神「近クニ灰ト蒼ガイルナ」


黒の騎神「こんなところに大地の聖獣がいるとか、俺を選んでくれた起動者から何も聞いてないんですけどォォォォ!!」









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五十九話 鎧袖一触

 

 

 

 

 

 

噛み付いてきた魔獣の大群を道すがら全て一撃で屠りつつ、3セルジュ強を数分で走り終えた俺の目に飛び込んできたのは、絨毯を彷彿させる大量の紅い華だった。

既視感のある光景。火炎魔人に焼かれた記憶が蘇った。

巨イナル黄昏が発生すると、何故かエレボニア帝国の各地で咲き乱れる紅蓮の華。名前をプレロマ草という。幻の至宝に接続する端末のような物だとケビンから教わった。

 

「これは、多すぎるな」

 

プレロマ草の厄介な部分は霊的な結びつきから空間を歪める働きを持ち、上位三属性の発現だけでなく、幻獣や悪魔などの高位次元の存在を現界させてしまう点に尽きる。

一つ生えているだけでも不吉なのに。

辺り一面を覆い尽くす量に顔を顰める。

幸いなことに上位三属性が働いているだけで、今のところ幻獣や悪魔は顕現していない。放置すれば必ず厄介事に繋がるだろうが、群生するプレロマ草は一旦棚上げする。

 

「クレアさんは——洞窟の奥か」

 

洞窟の奥へ探知を伸ばす。

プレロマ草による影響なのか普段よりも気配を感じ取りにくい。僅かに『視える』のは倒れ伏している女性と黒く蠢く何かのみ。

白銀の宝剣に付着した魔獣の血糊を振り払い、洞窟へ足を踏み入れる。

壁にびっしりと咲いているプレロマ草が光源となっている為、洞窟内部の視界は決して悪くない。煌々と輝く紅い光は不気味だが、これは好都合だった。

ヴァンダール流やアルゼイド流だけでなく、高名な流派なら中伝に至る過程に於いて、視覚だけに頼らない戦闘方法を学ぶ。リィンが言うには、八葉一刀流は特に『眼』を大事にしているらしい。

八葉の剣聖に届かないにしても、俺とて帝国の二大流派を修得した身。たとえ暗黒の世界に身を置いても澱みなく歩けるだろう。

だが、黒く蠢く何かの正体が判明しない以上、視野を確保できるに越したことはない。

宝剣ヴァニタスを握る手に力を込める。

地面に生えたプレロマ草を踏み潰しながら駆け抜ける。時間にして一分足らずで1セルジュ弱を踏破した。

そして、二つの影が目に映った。

 

「クレアさんと、アレはまさか——」

 

クレアさんは俯せに倒れている。

遠目から確認するだけでも、彼女の服装に乱れは見当たらない。

目の届く範囲で血痕一つ視認できない事から、クレアさんが昏倒した原因はやはり外傷ではなく内側から何かされたと推察するべきか。

微小ながらも肩が動いている。生きている筈だ。

胸を撫で下ろす。未だ安心できないものの、生存を確認できただけで身体の強張りが解けていく。

吐息を一つ溢して、クレアさんの奥で咆哮する化物に視線を移した。

 

『ァァァァアアアアッ!!』

 

それは俺にとって見慣れた怪物だった。

ヨルムンガンド作戦が発令され、ゼムリア大陸西部を中心とした世界大戦が佳境に入ると、必ずオスギリアス盆地の上空に出現する破壊の権化。全長にして百アージュを軽く超える。

騎神を連想させる上半身に、蛇に似た巨大な軟体生物が何匹も犇めき合う下半身。全身には赤黒い焔を纏い、200万人に及ぶ帝国と共和国の軍勢を一撃で焼失せしめ、クロスベル全土を融解させていた。

この怪物の出現こそ、俺のループに於ける事実上のタイムリミット。

この化物が顕れてしまえば最期、大陸に安寧の場所などなくなる。

実際、ゼムリア大陸東部に逃げた俺も呆気なく殺された。まるで子供が遊び半分で小虫を潰すように。純粋な悪意と無邪気な行動。絶対者に相応しい身勝手な力の行使は、ゼムリア大陸に住む人間を瞬く間に滅ぼした。

 

『何故ダ、何故貴様ガ此処ニ居ル!』

 

今ならわかる。

アレは焔の厄災と巨イナル一、そして黒の思念体が融合を果たした姿だったのだと。外なる神と鋼の至宝が統合されたなら、世界を容易く滅ぼすのも納得である。

さりとて。

眼前で吼える怪物は実に矮小だった。

姿形こそ顕現したイシュメルガそのものだが、その規模は百分の一にも満たない。全長も3アージュ弱だろう。

この程度なら騎神がいなくてもどうにかなるな。

 

『■■■■■、貴様ハ死ンダ筈ダ!』

 

怪物は何かに大喝している。

どうも俺に気付いた様子はない。

只の誘いか。それとも罠か。

刹那の間に迷い、考え、決断する。

今が好奇。躊躇わず踏み込むべきだ。

右足に力を宿す。皮靴が地面を掻いた。

 

『残滓ニ過ギヌ貴様ガ、何故コノ檻ヲ扱エル!』

 

怪物が洞窟の深部へ焔を放った。

今だ。己の背中を押す。

地面を右足の裏で蹴った。

疾駆する。己の出せる最速に至る。

一秒も経たずに怪物の間合いへと踏み込んだ。

顔を背けたくなるような焔の熱量を無視して、最高速を保ったまま流れるように宝剣ヴァニタスを袈裟斬りに振るう。

甲殻を穿ち、無機質な肉を断つ。

斬撃は入った。このまま振り抜く。

 

『人如キガァァアアアッ!』

 

だが、甘くない。

肉質が一瞬で変化した。

硬い。重い。

このままでは振り抜けない。

退け。無理は禁物。仕切り直す。

肩口を斬り裂いた宝剣を抜くと、赤黒い焔が苛烈さを増した。

伝わる熱量に眉を寄せる間も無く、イシュメルガの下半身を支える蛇が鞭のようにしなる。五匹の内、二匹が大口を開けて接近する。

 

「舐めるな」

 

肉薄する蛇の首を一太刀で斬り落とし、後方へと跳ぶ。クレアさんを左腕で抱きかかえ、猛追してくるもう一匹の蛇を両断した。

 

『人ガ、傀儡如キガ調子ニ乗ルナ!』

 

焔が指向性をもって襲い掛かる。

一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ。

数こそ脅威。だが、その速度は緩慢の一言。

オーレリアの戦技、ヴィータさんの魔法、ロゼの放つ終局魔法の方が何倍も恐ろしかった。

焔の塊を白銀の宝剣で一つずつ捌いていく。

その度にプレロマ草へ火の粉が飛び散り、燃え移った焔が舐めるように別の華へ這っていく。

プレロマ草が猛火に晒されるのは一向に構わないのだが、イシュメルガの放つ焔を全て捌き終えてから頭を悩ませる問題が浮上した。

クレアさんをどうしようか。

気絶したままの彼女を放り出せば果たしてどうなるのか。考えるまでもない。焼死、もしくは大火傷を負う。その前に起きたとしても身軽に動けるかどうか未知数。危ない賭けだ。実行に移そうとさえ考えられない。

やはり抱え続けるしかないな。

戦闘に支障は出るだろうが、今のイシュメルガは結社の執行者レベル。凡そ『痩せ狼』と同等か。この程度のハンデが有ったとしても敗北は有り得ない。

 

『コノ檻サエ無ケレバッ』

 

悠長に時間を掛けていられない。

生きていると分かっていても、クレアさんの容態が心配だ。一刻も早くロゼに診せないと。

イシュメルガが何を企んでいたのか。

どうして此処で実体化しているのか。

訊きたい事は山程あるが、それは置いておく。

 

「我慢してくださいね、クレアさん」

 

先に謝っておこう。

胸などを触らないように抱え直す。

直後——。

三つの焔が接近した。

一つでも掠ってしまえば人間を炭化させる熱量を秘めているが、俺には通用しない。黄金の羅刹や光の剣匠、雷神にも届かないだろう。

一閃して払い除け、そのまま返す刀で、焔を隠れ蓑に強襲してきた三匹の蛇を斬り伏せる。これで全ての蛇の首を刎ね飛ばした。

イシュメルガを視認する。

下半身を支える二匹の蛇は活発に動き、蛇らしく長い舌を出して挑発してくる。

どうやら切断しても時間経過で復活するらしい。

やはり長期戦は面倒だ。

一刀の下に沈めるほかない。

 

『我ヲ滅セルト思ウカ、傀儡如キガ』

「悪いが、お前なんかと話している時間は無いんだ」

 

白銀の宝剣を構え直す。

呼吸を整え、意識を切り換えた。

血を活性化させる。

全身を闘気で覆った。

意図的にリミッターを外す。

——武神功。

さらにもう一度。

——武神功。

身体強化の重ね掛けは推奨されない。

寿命を縮めるとオーレリアは苦言を呈した。

そのようなリスク、死を希求する俺には関係なかった。二重武神功により荒れ狂う身体を無理に押さえ付け、イシュメルガへ狙いを定める。

 

『ヨコセ、ヨコセ』

 

『我ノモノダ、スベテ』

 

『貴様ガ持ツ権能モ、スベテ我ノモノダ!』

 

甲殻の硬さは覚えている。

肉質の変化も織り込み済み。

焔と蛇の妨害を踏まえた上で宝剣を振るう。

 

——皇技、冥神剣。

 

神速を以って間合いを詰める。

蠢く蛇を断ち切り、激昂する焔を弾く。

一呼吸の間に白銀の斬線が四回刻まれる。

横に一閃。縦に一刀。斜めに二振り。

瞬く間に、イシュメルガを八等分する。

まだ安心できない。

ここから蛇のように再生する可能性もある。

斜めに斬り下ろした宝剣の切っ先を地面へ向け、手首を返し、黒い靄を纏いながら裂帛の気合いと共に振り上げた。

漆黒の光線を放射する。長大で極太。八個に分割されていたイシュメルガの肉体を、欠片の一つとて残さずに消し飛ばした。

 

「ハァ、ハァ、ハァ——ッ」

 

二重掛けした武神功を解く。

無理した反動からか肩で息をしてしまう。

左腕に抱えたクレアさんへ負担が及ばないよう配慮したとはいえ、数秒の多重武神功と一回の皇技で息を荒げるなど修練不足だな。

呼吸を整えながら、付近を見渡す。

天に伸びる黒い光柱、洞窟の至る所に生い茂っていた紅いプレロマ草、イシュメルガの放出していた禍々しい気配、そのどれもが確実に消滅していた。

疑問は多く残っているが、クレアさんを無事に救出できただけでも良しとするか。

身の危険は去ったと断定。宝剣を背中に戻す。

 

「洞窟を出て、テスタ=ロッサを呼ばないとな」

 

大地の聖獣を訪ねるのは後日だ。

一日ぐらい遅れても問題ないだろう。

ミルディーヌの予想だと『七の相克』と『大地の竜』作戦が開始されるのは約四ヶ月後。帝都の復興、ノーザンブリア侵攻、軍事力の増強、クロスベル領の安定など。それら全て解決するのが年末になると計算したらしい。

 

「さてと」

 

クレアさんを両腕で抱き上げる。

四肢に異常なし。胸の動きも穏やか。

どうやら皇技の負担は最小限で済んだようだ。

プレロマ草が消えたことで折角の光源は失われてしまったが、凸凹の足場に気を付けさえすれば特に問題ないだろう。

踵を返して一歩踏み出す。

直後、背後に妙な気配を感じた。

 

 

【良くぞ来たな、アルスカリ】

 

 

荘厳な声に敵意は無い。

クレアさんを揺らさないように振り返る。

 

「アンタが——大地の聖獣か?」

 

質問の体裁を成していたが、確信していた。

眼前に佇む四足歩行の獣こそ大地の聖獣だと。

全身を覆い隠すような緑色の霞を帯同し、外敵から身を守る為なのか、身体のあちこちに金色の角が生えている。最も目を引くのは背中の円盤だ。不思議な紋様の刻まれたそれは、あくまでも目測に過ぎないが直径5アージュを軽く超えているだろう。

全長10アージュにも及びそうな巨体を俯せにして、大地の聖獣はまるで日向ぼっこする猫のように寝そべっていた。

 

【如何にも。我が名は■■■■■。——ふむ、アルスカリにも通じぬとはな。やはり喪われているのか】

 

大地の聖獣は残念そうに笑う。

元より期待していなかったようで、悲嘆の色は些かも感じられなかった。

見た目に反して人間らしい感情の発露だ。

初代ローゼリアよりも親しくなれそうだと好印象を抱いた瞬間、気を失っているクレアさんを抱擁したままだと思い出した。

 

「こうして会えたのに悪いんだが、また後日にしてくれないか」

【その娘が気になるのか。安心するが良い。特に大事ない。直に目を覚ます筈だ】

「わかるのか?」

【無論だ。我は大地の聖獣。肉体と物質を司る大地の至宝を見守ってきた存在。魂と精神を弄るだけしか能の無い『焔』とは違う】

「でも、俺のせいでクレアさんは闘争という物が無くなっている。それをどうにかしないと」

【それも解決した。皮肉にも、黒のお陰でな】

 

大地の聖獣曰く、黒の思念体が操作する『闘争を煽る呪い』には限界が有るらしい。一個人に狙いを定めて呪いを注ぎ込んだとしても、完全に操る事などできない。人だけでなく、生物なら誰しも保有している闘争という感情は『諍う力』でもあるからだ。

故に闘争の概念が欠落している稀有な存在——クレア・リーヴェルトならば容易く操れる。そう考えた黒の騎神は、クレアさんに己の一部と膨大な呪いを注いだ。

 

【呪いの大部分と黒の一部は、我が大地の檻に閉じ込めて実体化させた。アルスカリならば討滅してくれると信じていた故な】

「なら、クレアさんはもう大丈夫なんだな!?」

【うむ。人間が本来持ち得る量の闘争は残したからな。二度と黒に操れる事もあるまい。小さき者故、過信は禁物だが】

 

俺は何度も頭を下げる。

ありがとう、ありがとうと。

俺の馬鹿な過ちを正す機会をくれた大地の聖獣に感謝するも、彼は俯せのまま首を横に振った。

 

【気にせずとも良い。感謝も不要だ。我は切っ掛けを与えたに過ぎぬ。黒の一部を討滅したのはそなた自身。その娘を助けたのもそなたの力あってこそ】

 

それに、と重々しく続ける。

 

【我々が遺した不始末を、そなた一人に押し付けている。出来ることならより多く手助けしたかったのだが、生憎と霊窟から離れられない身の上なのでな】

「離れられないなら、どうして此処にいるんだ?」

 

矛盾してないか。

そう尋ねると、大地の聖獣は小さく嘆息した。

獣らしい長い首を持ち上げ、拒否感を含む視線を地上へ向けた。

 

【我が墓所の近くに多数の人間が現れた故な、避難してきたのだ】

「そういえば、人見知りするとか言ってたな」

【この洞穴は霊窟の奥に繋がっている。霊場も同様に接続されている。地上の人間が立ち去るまでこの奥にいるつもりだったのだが、黒の気配を感じたのでな。こうして入口近くまで足を運んだ次第だ】

「いや、入口まで1セルジュもあるんだけど」

 

洞口と表現するには暗すぎる。

緑色に鈍く輝く大地の聖獣がいるからこそ無明の闇になっていないのだか。

どうも名前の通りに地下深く好むようだ。

人見知りの激しい聖獣は心底嫌そうに表情を歪める。

 

【何を言うか。地上まで1セルジュしかないのだから、此処も入口と呼べるであろう】

「えぇ。どんな暴論だよ」

【暴論か。焔の聖獣と同じ事を言うのだな、アルスカリ】

「やめてくれ。ローゼリアは苦手なんだ」

【我も苦手だ。いや、嫌いだな】

「知ってるよ。黒の分体から聞いた」

【ほう、焔の聖獣は何か言っていたか?】

「口の軽い獣だとかなんとか」

【成る程な、未だにあの件を恨んでいるのか。陰湿な焔らしい。アルスカリよ、感謝するぞ】

 

楽しそうに目を細める大地の聖獣。

俺は何となく気になった事を問い掛けた。

 

「アンタは、俺をアルスカリと呼ぶんだな」

【当然だろう。そなたはアルスカリなのだから】

「俺が初代アルノールの生まれ変わりなのは黒の分体から聞いたよ。でも、今の俺にはフェア・ヴィルングっていう名前があるんだ。そっちで呼んでくれないか」

【ふむ。そなたの言い分は尤もだが】

 

大地の聖獣は一度言葉を切り、首を振った。

 

【申し訳ないな。断らせてもらおう】

 

一拍。

 

 

 

【その名前は『外なる神』が付けた忌み名だからな】

 

 

 

 

 

 

 












蒼の騎神「なんか勝手に第一相克が始まったんだが?」


緋の騎神「なんか勝手に灰と蒼が相克を始めたんだが?」


黒の騎神「なんか俺の想定と異なる動きが出てきたんだが!?」








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