鑢の呼吸、無刀の鬼狩り (磯野 若二)
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本編【完結】
第序話 上弦之参と虚刀流


この物語は下記ネタバレを含みますので、ご注意下さい。
・刀語(全十二巻と外伝一巻)
・鬼滅の刃(全二十三巻と公式ファンブック二巻)


明け方近く、夜空に明るさが混じり始める頃。列車の残骸が散らばる平野の中。

 

額に紅炎状の痣をもつ少年と猪頭を被った少年ーー竈門(かまど)炭治郎(たんじろう)嘴平(はしびら)伊之助(いのすけ)は、命懸けで戦う仲間を、ただ見ることしか出来なかった。

 

 

炭治郎たちの十間ほど離れた先で戦うのは、二人の戦士。

 

一人は、赤く色づいた刀を手に戦う焔髪の青年ーー煉獄(れんごく)杏寿郎(きょうじゅろう)

もう一人は、徒手空拳で戦い、右眼に上弦そして左眼に参と文字が刻まれた異貌の男ーー猗窩座(あかざ)

 

戦いは終始、猗窩座が優勢な形で進んでいた。

 

遠距離からの攻撃手段をもつ猗窩座に対し、杏寿郎は唯一の活路たる接近戦を挑む。

しかし猗窩座は拳法に秀でており、杏寿郎の猛攻を捌いて反撃。

杏寿郎は腕や胴に斬撃を与えているが致命傷には至らず、猗窩座は一瞬で傷を塞いで意に介さず、杏寿郎に痛打を与え続けた。

 

 

猗窩座は鬼と呼ばれる存在である。

鬼とは、桁外れの体力を備え怪力をもち、人を襲っては食らう化け物。

そんな鬼の中でも格別の強さを誇る十二の鬼の三番目ーー十二鬼月の上弦ノ参を拝する鬼が猗窩座だ。

 

 

鬼は不老不死に近い存在。日光に晒されるか、太陽の力を取り込んだ特殊な刀で首を刎ねる以外に死ぬことは無い。

ゆえに、たとえ技量が拮抗していようとも、傷つき消耗する人間と不死身に近い鬼とでは、絶対的に人間が不利である。

 

 

剣と拳、数十にも及ぶ応酬の末には、対照的な二人の姿があった。

肋骨は砕け内臓は傷つき、満身創痍な杏寿郎。

そして、無傷の猗窩座。

 

 

炭治郎も伊之助も、煉獄に死が近づいている事を感じていたが動けずにいた。

 

それは、自身の力量が桁違いに劣っており、戦いに加われば杏寿郎の邪魔になるだけだと実感しているからだ。

 

炭治郎も伊之助も、列車が大破し脱線するほどの激戦を経た直後であり、少なくない傷を負っている。

 

だが、たとえ万全の状態であったとしても、杏寿郎に庇われるだけだろう。

役立たずどころか、足手まといになる事は明白だった。

 

杏寿郎の助けに入りたくて仕方がないのに出来ない無力感。

二人は杏寿郎の戦いを見て歯噛みする事しか出来なかった。

 

 

「どう足掻いても鬼には勝てない。無駄なんだよ、杏寿郎」

 

 

猗窩座は、投降を促すように告げる。人間では絶対、鬼には勝てないと。

 

 

「俺は俺の責務を全うする!! 誰一人として死なせはしない!!」

 

 

しかし杏寿郎は、戦意を失うどころかむしろ滾らせて、猗窩座に構えをとった。

 

 

まるで引き絞られた弓のように、全身を捻じった構え。

それは、どんな体勢でも技を繰り出せる杏寿郎が初めてみせる、明確な攻撃の予兆だった。

 

 

杏寿郎の闘気が最大限に高まっているのを感じ取り、猗窩座は(いびつ)に笑った。

 

それは、百年以上も磨き上げてきた己の武に相対する杏寿郎への称賛でもあり。

同時に、ここで決着がつくことを確信する、悲しみを帯びた笑みだった。

 

猗窩座は非常に残念に思っていた。

 

人間は虫酸(むしず)が走り鏖殺したいほどに弱く劣った存在だが、稀に綺羅星のごとき強さを持つ者が現れる。

 

それは、鬼を倒して人々を守る組織である鬼殺隊の最上位剣士ーー柱と呼ばれる者たち。

 

煉獄杏寿郎という男は、炎の呼吸と呼ばれる戦闘技術を極めた炎柱だ。

心技体が極限まで鍛えられており、その実力は、猗窩座が百年以上鬼として戦い葬ってきた柱たちの中でも上位に居るだろう。

 

実力の違う相手、ましてや()()()()()()()()使()()に対し、ここまで善戦できた剣士を猗窩座は知らない。

 

杏寿郎の気迫に応えるように、猗窩座も真正面から迎え撃つように構える。

 

 

炭治郎と伊之助は、その時初めて、二人の姿を鮮明に捉える事が出来た。

それは両者が決着必至の攻撃を放つ前の、僅かな間。

 

目を離せば一瞬で勝負が決まるであろう刹那。血腥い決戦が終わる直前。

 

 

緊張の一瞬に水を差すように、()()は現れた。

 

猗窩座の背後上空より現れたものは、猗窩座の首に向かって一撃を振り下ろす。

 

どんな攻撃であるかは、あまりに速すぎて炭治郎たちには見えない。

 

炭治郎の優れた嗅覚や伊之助の人間離れした触覚でも接近を探知できなかったそれは、刃特有の鈍い煌めきが無い事から、辛うじて無刀の攻撃である事は知れた。

 

咄嗟に猗窩座が避けた為に、その振り下ろしは大地を割り、盛大な土煙を上げる。

 

 

「一旦退け、杏寿郎」

 

 

煙の中から、杏寿郎でも猗窩座でもない男の声が聞こえた。

その言葉を受けて、すぐさま杏寿郎は炭治郎と伊之助を守れるような位置に後退する。

即座に猗窩座が反撃したのだろう、辺りの土煙が払われる。

強い風圧に、炭治郎や伊之助も思わず目線を下げ、砂塵をやり過ごす。

 

 

「心配するな竈門少年、猪頭少年。俺もすぐに戦いに戻る」

 

 

自身の傷が深い事を自覚している杏寿郎は、回復を意識した呼吸を行いながらも視線を戦場から背ける事なく、二人を安心させる為に声をかける。

 

 

突然現れたにも関わらず杏寿郎が信頼を寄せる闖入者。

杏寿郎を心配するように見ていた二人は、彼の言葉につられて視線を戻す。

そして、そこで繰り広げられる奇妙な戦いを目にした。

 

 

味方と思われる闖入者の男は、鬼殺隊士に有るまじき恰好の青年だ。

 

上半身は伊之助と同じく裸で、引き締まった身体を晒している。鬼殺隊士に支給される袴こそ履いているが裾を絞っておらず、攻防に合わせ激しく靡く。

 

そこから覗く両足には鎧とも脛あてとも言い難い防具を履き、両腕には同様の手甲を着けている。

 

鬼殺隊の隊服は、雑魚鬼の爪や牙から身を守るなど、機能性に優れた防具だ。それをきちんと纏わず得物も持たずに、猗窩座に戦いを挑んでいた。

 

猗窩座の拳に対して、肘や掌で払う。

猗窩座の蹴りに対しては、技の始まりで流すか、威力を予期して受けずに避ける。

 

背中まで伸びた総髪が、猗窩座の攻撃の鋭さを表すように激しく波打っている。

 

 

男の方が猗窩座よりも頭一つほど高い長身であり、その分手足も長い。

間合いが違うにも関わらず、二人の戦いは演武のように淀みがなかった。

 

 

相手が交代しても、戦いは変わらず猗窩座の優位。

新手の男は攻撃する間もなく防戦一方だが、しかし傷一つなく攻撃をしのぎ続けていた。

 

 

「虫酸が走るな、貴様」

 

 

杏寿郎という強者に対して嬉しそうに戦っていた猗窩座が、苛立ちを浮かべて悪態をついている。猗窩座にとって闖入者は、戦いずらい相手なのだろうか。

 

 

「ーー(やすり)!!」

 

 

そして、男ーー鑢と呼ばれた青年の名を呼び、動きに支障が無い程度に回復した杏寿郎が戦いに加わる。

 

 

そこから先は、二対一の戦いとなった。

 

攻撃を杏寿郎が担い、防御を男が補う。

烈火のごとく攻める杏寿郎。それを助けるように鑢が動き、致命打を捌き続けた。

 

猗窩座は、連携を魅せる二人に最初は惑い手傷が増えたが、直ぐに戦いの流れに順応し、今まで以上に激しい攻撃を二人へと見舞う。しかし二人は危うい場面がありながらも対抗できていた。

一対二となった為か、戦いは猗窩座の圧倒的優位から微かに人間側へと天秤が傾く。それで十分だった。

 

死線が遠のいた事を炭治郎たちは確信する。

そこからの戦いは、朝日が差し込む瞬間まで激しく続いた。

 

 

陽光の存在に気づいた猗窩座が退く形で戦いが終わる。

口惜しそうな様子で日の差し込まない森へと消えていく猗窩座。

 

対峙した二人は、したくとも追撃が出来ずに見送った。

杏寿郎は満身創痍であるのに変わりなく、鑢は攻め手が無いうえに手足を覆う防具に罅が入っていた。

 

戦いが長引けば二人が負けるのは必至であるのが分かっているのだろう。

 

しかし二人は気を抜かず、平野を太陽が完全に照らすまで猗窩座が消えた方と睨んでいた。

 

 

太陽が昇り、戦いは引き分けの形で収束した。

杏寿郎は刀を収め、鑢は構えを解く。

 

 

「助かった、鑢」

 

「礼ならゆかり(・・・)に言ってくれ。俺はただ従っただけだ」

 

「そうか。相変わらず、御新造様には頭が下がる。それはそれとして、礼は受け取ってくれ」

 

 

言葉を交わしながら、二人は炭治郎と伊之助に近づいていく。

杏寿郎が炭治郎たちの前に立ち、鑢はその後ろで興味なさげに佇む。

 

 

「竈門少年、猪頭少年。…もう大丈夫だ!」

 

 

杏寿郎は二人を案じて声をかける。それが呼び水になったか、二人は涙がぼろぼろと零れた。

 

それは悔しさがあふれ出た証だ。

 

二人は目の前の戦いより一月前の下弦之伍の戦いを機に、全集中の呼吸と呼ばれる戦闘技術、その奥義を修めた。

 

全集中の呼吸とは、鍛えぬいた心肺から大量の酸素を取り込み、身体が熱くなるほどに肉体を強化させる技術と、その状態から繰り出される剣術の型を指す。

 

その奥義である全集中・常中は、四六時中、寝てる時さえ全集中の呼吸を保つ事。

 

それにより身体能力を爆発的に上昇させ、十二鬼月の一鬼、列車に巣食う下弦之壱を討つ事に貢献できた。

 

しかし、直後に現れた上弦之参には一矢も報いることも出来なかった。

 

鑢と呼ばれる男が増援として駆けつけなければ、杏寿郎を見殺しにしていた。

杏寿郎に申し訳なく、自分の弱さが恥ずかしくて情けなくて、色々な苦しさが胸に渦巻いていた。

 

 

「助けられた俺が言うのは心底恥ずかしいが、柱ならば後輩の盾になって当然だ。気にするな」

 

 

そんな二人の気持ちが分かるのだろう。杏寿郎は励ますように言葉を続ける。

 

 

「己の弱さ、不甲斐なさに打ちのめされてようと前を向け。歯を食いしばり心を燃やせ。竈門少年、猪頭少年。黄色い少年に竈門少年の妹。俺は君たちを信じている」

 

 

それは厳しくも温かい、炭治郎たちを励ます為の言葉。

鬼殺隊を支える柱になるであろう炭治郎たち、鬼である炭治郎の禰豆子を認めた証。期待を込めた応援である。

 

 

「これだけ派手に戦ったのだから、隠たちが駆けつけてくれる頃だろう。黄色い少年や君の妹含めて、今日は休みなさい。継子の話はその後だ」

 

「俺はこの後どうすりゃいい?」

 

「あとは任せてくれ。鑢は戻ってくれてかまわない」

 

「承知した」

 

 

杏寿郎と鑢の会話から程なく、隠ーー鬼殺隊の事後処理部隊が十数人、姿を見せた。

 

杏寿郎の指揮に従い、隠の四人が炭治郎たちをそれぞれ背負い出発した。

鬼殺隊に恩を感じ奉仕してくれる家、藤の花の家紋を掲げた最寄りの屋敷へと、治療の為に炭治郎達を運んでいく。

 

鬼殺隊の最高幹部の一人である杏寿郎、その満身創痍な姿に隠の誰もが動揺していた。

それを感じた杏寿郎は、隠の中で位の高い者に引き継ぎを行い、彼らを安心させるよう自身の屋敷へ(自力で)帰る事にした。

 

全身傷だらけでも問題なく帰っていく姿に畏怖する隠一同。それを見届けた鑢は、自分もさっさと屋敷へ帰る事に決めた。

 

 

「ああ、後はよろしくな」

 

「承知しました、鑢さま。後は我々にお任せください」

 

 

挨拶もそこそこに、鑢は駆けだした。一瞬で豆粒に見えるほどの距離を駆ける様は、地面に大きな亀裂を入れ、十二鬼月と死闘を演じ男とは思えないだろう。消耗しているように見えない。

 

 

「あの方は相変わらずだな。任務が終わるとすっ飛んで帰ってさ」

 

「家で御新造様が待っているんだ。仕方ない」

 

「確かに」

 

 

要領よく作業を進めながら、隠の幾人かが囁くように軽口を言い合う。

 

 

「鑢さまって有名なんですか?」

 

「お前、あの方を知らないのか」

 

 

年若い声の隠が尋ねると、噂話をしていた者たちが小声で驚く。

 

隠はみな、忍のように目元だけを露出した覆面だが、それでも訳知り顔なのが分かった。

隠の一人が、もったいぶったように言う。

 

 

「お館様の妹君が、鑢さまの奥方なんだよ」

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

野山を突っ切り風のように駆け抜け、炭治郎たちが一先(ひとま)ず運ばれた屋敷とは異なる藤花の家紋を掲げた家へと、鑢は向かった。

 

そこで目隠しをされ、隠に運ばれて自分の屋敷へと帰る。

 

鑢の妻は鬼殺隊を束ねる九十八代目当主、産屋敷耀哉の妹。

嫁いだとしても重要人物に変わりない。鬼に狙われる事を避ける為に、住まいは産屋敷本家と同様、厳重に秘匿されていた。

 

 

「なあ鑢、どんな鬼と戦ったんだ?」

 

 

背負われた鑢に気安く声をかけるのは、後藤という男。鑢と一緒に鬼殺隊の最終選別を受けた同期だ。

 

 

「今度は上弦之参だ」

 

「上弦之参!? 大丈夫かお前!?」

 

「おれは大丈夫だ。杏寿郎が戦っている中に不意打ちしたしな。だが一撃も入れれず防戦一方だった」

 

「・・・それでもすげえって。え、炎柱(えんばしら)様はご無事なのか?」

 

「傷だらけだけど五体満足だよ。自分の足で帰ってった」

 

「・・・そうか。少しだけ安心した」

 

 

二人だけしか聞こえない声量で喋りながら、後藤は一目につかないよう猫のように進んでいく。その先で新たな隠と落ち合い、鑢を受け渡した。

 

 

「じゃあまたな、鑢」

 

「ああ、また」

 

 

去り際に軽い挨拶を交わし、すぐ二人は別の道へと進んでいく。

幾度かの交代を経て、鑢はついに自分の屋敷へと辿りついた。

 

 

そこは迷い家めいた屋敷だった。

鬼に襲われぬよう、一年中狂い咲く藤の花が敷地を覆っている。

天然の生垣に囲まれたそこは、鑢と彼の妻、家政婦一人の三人だけが住む。

 

 

「帰ったぞ、とがめ(・・・)!!」

 

 

玄関の戸を開け、開口一番に帰宅を告げる。

 

 

「ご苦労だったぞ、七花」

 

 

奥から女の声が通った。

声の主より後、急いで駆けつけた家政婦に最低限の旅の汚れを落としてもらう。そして鑢は先の女の声の元へと速足で向かった。

茶の間をさっと抜け、奥座敷の襖をあけて中に入る。

 

するとそこには、美しい女がいた。

上質の布を用いた藤色の着物をまとう彼女は、銀糸のような艶めいた長い白髪を畳に垂らし、文机に背を向けて座り、目鼻立ちの良い顔ごと、鑢の方へ身体を向けていた。

 

この女性こそ、鬼殺隊当主産屋敷耀哉の妹にして、鑢七花の妻。

旧姓、産屋敷ゆかり。そして今は名を、鑢ゆかりと言った。

 

 

男ーー鑢七花は、別の女と思しき名前を口にしながら、ゆかりの方へと近づく。

そして膝を突き合わせる距離で正座をして、ゆかりに向き合った。

 

「して、どうだった? 先に鎹鴉から報告は聞いてるが、そなたの口から聞いてみたい」

 

「俺が着いた時には下弦之壱はやられてて、杏寿郎が上弦之参と戦ってた。そん中に割り込んで戦った」

 

「よく上弦之参相手に生き延びたものだ。相手の力量や血鬼術は分かったか?」

 

「鬼の膂力と拳法を併せて使ってくる相手で、杏寿郎一人では討伐は難しいかもしれない。構える時に変な文様が足元から地面に広がる程度で、血鬼術らしい血鬼術は見てないな」

 

「血鬼術は不明か。しかし、あの炎柱を圧倒するとは...。地面に広がる文様が糸口になりそうだが、他に何か気づいたところはあるか?」

 

「・・・強いて言えば、妙に勘の鋭い奴だったよ。俺の落花狼藉を紙一重で避けやがった」

 

「それは恐ろしい相手だな。それに、そなたとの相性は良くなさそうだ」

 

「ああ、あくまで俺の虚刀流は剣術(・・)だからな。剣士ならともかく、俺に負けずとも劣らない拳法使いの鬼じゃ分が悪い」

 

 

夫婦であるはずなのに家庭的な雰囲気は無く、参謀と兵士が交わすような会話が暫く続いた。

 

 

ある程度満足する報告が聞けたのか、ゆかりが七花に疲れを癒すよう促す。

 

正座を崩した七花は、入ってきた方向とは逆の襖、風呂へと繋がる方へと素直に向かっていく。

話の間に家政婦が湯船を準備したのだろう、奥座敷から風呂へと続く廊下には、うっすらと湯気が漏れている。

 

 

「そういえば、言うの遅れたんだが」

 

 

奥座敷から出る直前、思い出したように七花は立ち止まる。

そして、机に向かって書き物をしているゆかりへ、照れる事なく言う。

 

 

「愛してるぜ、とがめ」

 

 

それに対しゆかりは、ちらりと七花の方へ僅かに顔を向けた。

 

 

「ああ、私もそなたを愛しているぞ」

 

 

私の仕事がひと段落着いたら一緒に湯に浸かろうか、と何もかんじていないように言葉を続け、とがめはすぐに文机に向き直る。

 

七花から表情は伺えなかったが、微かに赤くなったゆかりの耳が、白い髪からわずかに見えた。

それを見た七花は、嬉しそうな様子で先ほどより僅かに足を遅めて風呂へと向かった。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

鬼の真祖ーー鬼舞辻無惨を滅する大きな物語の、ある一幕。

本来の歴史から外れた、外典と言えなくもない話。

血風格闘剣花絵巻の始まりは、鑢七花と猗窩座の戦いから。

 

ーーーーーーーーーーーー




この度の話は、ここまで

七花が、ゆかりをとがめと呼ぶ理由は何か。
拳法使いである七花が、自分の技を虚刀流なる剣術と称するのか。

それは別のお話として、ひとまず、虚刀流と猗窩座の話はおわりである。


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第壱話 産屋敷息女と虚刀流

産屋敷ゆかりという少女には、前世の記憶があった。

転生したゆかりは、しかし、その記憶や経験を活用せども、誰にも秘密を打ち明ける事なく生きてきた。

それは、特異な身上が誰にも理解されない事を恐れるより、もっと別の意図があった。

 

すなわち、自分と同様に前世の記憶をもつ者がいて、それが前世の知り合いであった場合。

周囲が敵ばかりの前世。その事を打ち明けるには危険が大きいと判断した。

 

()()()()()()()()()()()()が生まれ変わっていたとしたら、どのように対するべきか。

ゆかりは、前世で関わりをもっていた者について思い、頭の片隅に置いている。

 

杞憂とも言える憂いが現実になったのは、月夜が照らす藤襲山での事だった。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

「皆さま、今宵は最終選別にお集まりいただきーーー」

 

「なあ、()()()だろう? ()()()も生きてると思ってたんだ!!」

 

 

ゆかりの言葉を遮り、集まった少年達の中から一人が歩み寄る。

他より頭一つ高い、六尺近い身長の少年。腰に差した刀が、この場にいる誰よりも似合わない男。

 

 

ゆかりという少女が初めて見る顔であり、彼女の前世において最も縁深いであろう男だった。

 

 

「私は産屋敷ゆかりと申します。失礼ですが、どこかでお逢いしましたか?」

 

 

説明の中断されたにも関わらず、ゆかりは微笑を浮かべたまま自己紹介をし、会話を終わらせようとした。

それは、私はあなたと全く関係のない赤の他人である、と周知させる意味がある。

 

その言葉を受けて、少年は一瞬、言葉を噤む。

その間に、同じ場に居た、ゆかりの兄が説明を引き継ぐ。

 

藤の花が一年中狂い咲く藤襲山にて、鬼を閉じ込めている。

最終選別の合格条件は、その山に入り、一週間生き抜く事。

 

ゆかりの兄が説明を続ける中でも、少年はなお、ゆかりに言いより続ける。

 

 

「お前、いい加減にしろ!!」

 

 

別の少年ーー後藤が、自分勝手な行動をとる少年を諫める為に腕を強く引くが、びくともしない。

案内役の二人と背の高い少年の声だけが響く場は、彼のせいで次第に険悪な雰囲気を帯びていく。

 

 

ここにいるのは案内役のゆかりたち兄妹。

そして、鬼殺隊の最終選別を受けるために集まった二十人近い少年少女たち。

 

 

彼らは厳しい修行を経て最終選別の候補者となり、各々が固い覚悟でこの場に臨んでいる。

そんな中で軽薄な態度をみせる背の高い少年は、酷く悪目立ちしていた。

 

 

「では、いってらっしゃいませ」

 

 

兄の説明が終わったころを見計らい、他人行儀で当たり障りのない対応をしていたゆかりが、少年を含めた最終選別参加者に声をかける。

 

 

それが開始の合図となった。

 

 

山への入り口は二本の柱が立っており、其処に括りつけられた注連縄のようなものが、境界を示すように山を囲っている。

 

集まった少年たちが、長身の少年を乱暴に押しながら、飲み込むように群れをなして進んでいく。

 

此岸と彼岸の境を超えるように、少年たちが山の中へと入っていった。

 

先ほどの少年は、半ば無理やり山の中へと歩かされながらも、ゆかりの顔を見続けていた。

けれど、ゆかりは態度を変えず、その少年を見送っていった。

 

 

少年達が山に入ってから半刻経ち、ゆかりは密かに息を吐く。

 

 

おそらく、あの少年は前世の顔見知りであり、因縁の相手であろう。

ゆかりの前世における父の仇の息子。いずれは殺すと決意し、それを果たせなかった男。

 

 

容貌などは変わっても、男の雰囲気は変わっていなかった。

だがゆかりは、その容貌、仕草、言動ともに前世と大きく様子を変えている。

 

 

ーーなぜ(ゆかり)をとがめだと思ったかは解らない。

ーーけれどあやつが、私を()()()だと確信する材料はない。

 

 

そう考えを巡らすゆかりに対し、兄が心配の言葉をかける。

 

 

「ゆかり、無理をしなくていいんだよ」

 

「ありがとうございます、耀哉兄様。初対面の方に親しげに話しかけられたのは初めてで。驚いただけですよ」

 

先ほどのひと悶着に対し心配しているであろう、とゆかりは解釈した。

 

余計な詮索はされまいと、今までとがめは猫を被って生きてきた。剥がれそうなそれを苦も無く直して、何でもないように返答した。

 

 

言葉を聞いた兄は、しかし、微笑みを浮かべつつも浮かない顔だった。

 

 

「そうかい。なら今は構わないよ」

 

 

この場の出来事でなく、もっと別の、更に奥深くの事情を見通しているかのような様子。

ゆかりは内心不安を抱えながらも、心配し過ぎですよと微笑を浮かべながら、話を終える事にした。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

産屋敷家は、表向きは千年続く家柄の名家である。しかしその正体は鬼殺隊を支える一族だ。

彼らは毎日が多忙であり、それは子供たちとて例外ではない。

 

 

父母から子供たちへの厳しい教育。産屋敷の人間としての習慣を(こな)したり、時に名代(みょうだい)として役目を任される事もある。

 

 

最終選別の終了まで七日ある。その間、ゆかりは、多忙な中で誰にも悟られぬよう、ふと物思いにふける事が多くなった。

今まで深く考えようとしなかった、自分の前世についてである。

 

 

 

前世のとがめーー容赦姫(ようしゃひめ)と名付けられた彼女は、日本近世、東北の大名の娘として、生を受けた。

 

奥州の顔役とも呼ばれる名家に生まれた容赦姫は、年端もいかない頃、家族全員親戚含めて喪う事になる。

 

 

それは、容赦姫の父が全国に戦火を広げるほどの大乱を起こし、その責を一族郎党が命を以て償ったからである。

 

 

父の助けや己の才気によって逃げ延びる事ができた容赦姫は、己が家族が処刑される様を其の目で見た。そしてその後、復讐の道を歩む事を決めた。

 

容赦姫ーーとがめと名を変えた女は、仇である幕府将軍家に近づく為、己の持てるモノは全て利用した。

男だけの武家社会。実力だけでのし上がれる事のない世界の中、女身一つで出世を狙い、政争を起こし多くの屍を築き、一つの組織の長になる程に身分を高めた。

 

更なる地位ーー次期将軍の御用人となるため、奇策の一手として利用したのが、容赦姫の父の頸を刎ね終戦に導いた大乱の英雄ーー父の仇である。

 

 

狡兎死して走狗煮らる、とは異なるが。

大乱の終結後、家族もろとも島流しの刑に処され、そこで死した大乱の英雄。

 

亡くなった父の汚名を雪ぐことを餌に、とがめは仇の息子(しちか)を用心棒に雇った。

 

 

そして彼を連れだって旅をする事、約一年。

旅の目的もほぼ完遂、とがめの策略の大詰めに入った霜月。

幕府の監察官に素性が露見した結果、とがめは処される事となった。

 

 

復讐の道半ばに倒れた人生であったけれども、とがめはその結末に満足していた。

 

 

とがめの人生は、復讐と血に塗れた茨の道だった。

だが、とがめは仇の息子ーー(やすり)七花(しちか)と愛し合うようになった。

 

たった一年だけれども大切な思い出を胸に、彼に手にかける事なく死ぬ事ができた。

幸せな人生だった。

 

 

七花は、彼女の全てを好きだと言った。

 

 

憤怒の炎で真っ白に染まった髪も、野心でぎらぎらと光る眼も綺麗だと七花は言った。

 

 

鬼女と恐れられるほどの才気を真の当たりにしても、流石だ恰好良いと七花は褒めた。

 

 

復讐の為に多くの命を奪い、仇討ちーー七花自身の殺害を止められないほどに怒りに狂った馬鹿な女の本音を知っても、旅路の果てに自分の死が待っている事を理解したうえで、それでも七花はとがめを愛し続け、共に歩んだ。

 

 

彼女は人より言われた事がある。お前を好きになる奴はこの世にいない、と。

死んで当然と自他ともに称された女を、表も裏も本音も全て愛した男が、鑢七花であった。

 

とがめの前世は血腥い修羅の道あったが、七花という、愛する人にもたらされた幸せを胸に刻んで死んだ。

 

だが彼女は地獄に落ちる事なく、遥か彼方の日本に生まれ変わる事となる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

彼女が再び生を受けたのは、日本近代。明治後期と称される時代の東京である。

莫大な財を持つ産屋敷家の娘として生を受けた。

 

とがめは己が前世とも呼べる記憶を有し確固とした人格を宿している事を、赤子のころより自覚できていた。

 

自身の状況を知覚できた当初は、さすがに驚いた。

だが直ぐに落ち着き、周囲に不審がられない程度に急いで状況や時勢を知った。

 

 

その結果として、二つの重大な事実があった。

 

 

一つは、仇である()()将軍家が日本の歴史の中に影も形も無い事。

 

 

そして、とがめの知る日本の常識から外れた、鬼なる存在である。

 

 

産屋敷家は、鬼殺隊と呼ばれる政府非公認組織を指揮し、支える為に存続してきた。

 

産屋敷家の存在意義とは、悪鬼滅殺。

 

日本に巣食う鬼たちを滅して無辜の人々を守り、真祖ともいえる原初の鬼ーー鬼舞辻無惨を滅する事にある。

 

 

鬼とは空想の産物に非ず、実在する化け物である。

怪力を持ち、人外の異形を備え妖術を操り、人を襲って食らい成長する怪物。

そして、日の力がなければ滅する事が出来ない、ほぼ不老不死とも言える存在である。

 

雑魚とも称される鬼であろうと、身体を粉みじんに刻まれても血肉さえ食らえれば確実に無傷の状態で復活するだろう。

 

その存在を滅する方法は二つのみで、日光に晒すか、日の力を取り込んだ鉱物によって作られた武器ーー日輪刀で頸を刎ねるしか方法はない。

 

 

産屋敷家は、日輪刀を手に戦う鬼殺の剣士を育て、支える為に存在する。

歴代当主は皆聡明である。さらに兄であり次期当主である耀哉は、先見の明をもつ麒麟児だ。

 

そんな家に生まれたとがめは、父母より厳しくも優しく育てられ、兄を支え、産屋敷家の一員として鬼殺隊を支える一助を担っていた。

 

 

前世の未練とも言える家鳴将軍家(かたき)は存在せず、今世には自分を愛してくれる家族もいる。

 

 

愛が深ければ深いほど、失った時の悲しみや怒りは大きくなる。

復讐に人生を捧げるほどに愛情深いのが、とがめ(ゆかり)である。

 

 

前世の事を完全に割り切るのは難しいけれども、産屋敷ゆかりとして家族を愛し産屋敷家の女として生きてきたつもりだ。

 

 

だがゆかりは、七花が生まれ変わったのを知り、自分の判断に悩んでいた。

 

 

ゆかりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

前世で見せた七花の力量は素晴らしきものだ。

しかしそれは、世間から隔離された環境の中で、二十年近くも鍛錬に費やして培われたもの。

 

彼に刀剣や武器の類を扱う才能は無い。

その無才を引き継いで転生したならば、鬼殺隊の剣士になれたとしても日輪刀が振るえず、死ぬ可能性が非常に高い。

 

 

非常識な存在に対し生身で戦う剣士たちの中で、生を全う出来る者は極々僅か。

ほとんど全ての剣士たちが、戦いの中で鬼に敗れて死に、あるいは食われた。

 

 

もし、前世の実力を十全に発揮できるならば、刀を振るえない七花を鬼狩りにする手段は存在する。

 

だが、死地に追いやるような真似は出来ない。

 

産屋敷の人間ではなく、とがめ(ゆかり)という一人の女として、愛する男を死なせたくは無かった。

 

 

最終選別については、剣士候補者を育て上げた指導者ーー育手(そだて)から報告は受けている。

 

孤児であるため苗字は変われども、七花という名の候補者が居り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()との評価を、ゆかりは知っている。

 

鬼殺隊には剣士や育手などの他、後方支援や事後処理を担う(かくし)と呼ばれる役職もあるが、それに就かせる気も無かった。

 

 

最終候補に残れるのであれば、市井の中に生き、鬼と遭遇しても逃げ延びる事も出来るだろう。

なれば、持てる力を駆使して七花を鬼殺隊から遠ざけるだけだ。

 

藤の花の家に奉公するもよし。

千年続く由緒正しき家柄の産屋敷家。その力を以て良き就職先を斡旋するもよし。

七花は純真な男だ。悪いようにはされないだろう。

 

 

鬼殺隊の益を損なう行為は越権や背信とも言える。厳しい罰は覚悟の上。

 

 

最終選別が最初で最後に相見(あいまみ)える機会だとしても、例外はない。

 

 

愛する者が幸せに暮らせるならば良い。己の気持ちなど、どうでもいい。

 

 

とがめという下らない女の事を忘れて、ゆかりのいない七花の幸せを生きてほしい。

 

 

ひっそりと、強固な覚悟していたゆかり。

そして最終選別が終わる七日後、彼女は再び七花と会う事になる。

 

ーーーーーーーーーーーー

最終選別開始から七日後、早朝。

 

最終選別合格者は三名。

うち二人は隠を志願した為、剣士となるのは一人のみ。

 

それが、七花だった。

 

その姿は、合格者の中で一番みすぼらしいものだった。

 

上半身はほぼ裸。戦いで破れたか、ぼろ布のような衣服を纏っている。

そして、最初は腰に帯びていた刀を梱包するよう厳重に蔓を巻いて抜けないようにし、子供が長枝を引きずるように持っていた。

 

 

それはまるで、とがめと七花が旅を始めた頃の姿と被って見えた。

 

 

既視感に襲われながらも、ゆかりは兄と共に最終選別後に必要な務めを果たしていく。

 

まずはじめに、合格者の帰還を祝い、迎える挨拶。

 

そして、隊服の支給の為、身体の寸法を計測。

 

次に、鬼殺隊内の階級ーー十あるうちの最下級である(みずのと)を入れ墨として刻む。

 

また、連絡等の諸々で必要な鎹鴉(かすがいがらす)を支給。

 

最後に、剣士に新規で支給される日輪刀、その原料となる玉鋼を選ぶ事となった。

 

 

選別前と変わって、滞りなく進行する。

 

 

「では、あちらから、刀を造る玉鋼を選んでくださいませ」

 

 

ゆかりはそう言って、設置した机に置かれた二十個近い鉱石を見やる。

 

鬼を滅し、己の身を守る刀の鋼を選ぶ。

 

大切な儀式が始まる場で、七花は初めて口を開いた。

 

 

「おれは、刀を握ることができない。おれが足止めしてる間に、こいつらに首を斬ってもらった」

 

 

その言葉に、驚く者は誰一人いなかった。

残りの合格者はみな、七花の戦い方を知っているのだろう。初耳であるはずの耀哉は驚く様子も見られず、ただ微笑みながら見守っているだけだ。

前世の無才を知るゆかりはそれを考慮しており、驚く事はなかった。

 

 

けれど、それから続く言葉に、ゆかりの心は揺さぶられる事となる。

 

 

「鬼殺隊で死ぬやつが多いのは知っている。だけど、刀を振るえなくて癒えない傷が増える事になっても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()があっても、おれは鬼と戦い続けるよ。それがゆかりの為になって、それがおれの幸せだからだ」

 

 

「ゆかりは昔は、ひょっとしたら今も、自分を自分勝手で自己中心的で、死んでも治らない馬鹿で愛想を尽かされても当然と思い込んでいるかもしれない。」

 

ーーそれでもおれは、そんなあんただからこそ、あんたに惚れている。

 

 

それは、他人が聞けば意味が解らないだろう。気が狂っていると思われても仕方がない。

言い寄った女を偏見で語って、脈絡もなく告白する言葉。支離滅裂である。

 

 

ーーわたしは愚かな女だけれど、それでも。

ーーわたしはそなたに、惚れてもよいか?

 

 

だけど、ゆかりにとっては。七花の命を以ての脅迫である。

そして何より、とがめが散り際に放ったの言葉に対する、生まれ変わっても愛を誓うことを示す返答だった。

 

 

前世のとがめは言った。弱き者が強き者に噛みつくための、命と魂を削る方策が奇策だと。

これはある意味、七花からゆかり(とがめ)に対しての奇策である。

 

 

そしてそれは、効果を発揮した。

 

 

七花を鬼に関わるもの全てから離し、安全なところで幸せにする方法ばかりを考えていた。

それが一気に頭から追い出され、溢れた感情や言葉の意味が頭の中をぐちゃぐちゃにかき回す。

 

 

自分を愛してくれて、そして自分も七花を愛している。

 

 

封じていたはずの気持ちが耐え切れず、人形のように笑みを湛えた顔がくしゃりと歪みそうになる。

 

 

「それでは皆様、これからの流れを説明致します」

 

 

絶妙な時機に、ゆかりの兄ーー耀哉が声を発する。

 

七花以外の全ての目が向けられ、ゆかりの変化を目にする者はほぼいなくなった。

 

 

「隠を志望される皆様は、これから任務に就くための説明を続けます。

剣士となられる方には別途必要なものがございますので、玉鋼を選んでいただいた後、別所に移動してもらいます」

 

 

剣士の方への説明は任せたというように、耀哉はちらりと、ゆかりに視線を送った。

 

本来の段取りにない流れは、耀哉の独断だろう。

二人きりになれる場を提供してくれた意図をくみ取り、普段の平静さを取り戻したゆかりは、内心驚きながらも頷く。

 

 

そして改めて、ゆかりが七花に、口を開く。

 

 

「鬼を滅殺し己の身を守るための鋼を、選んでくださいませ」

 

ーーーーーーーーーーーー

 

最終選別合格者の儀式が終わり、ゆかりの案内を経て、七花は、藤襲山の近くにある藤花の家紋を掲げた屋敷へと案内される。

 

 

誰にも声が聞かれないであろう奥の部屋に通された二人は座布団に座り、互いの顔がよく見える距離で、改めて会話を交わす。

 

 

「…どうやって私のことに気付いた?」

 

「そうだな。なんというか、何となくとしか言いようがないな」

 

「そうか」

 

 

人形のように固い微笑みを浮かべていたゆかりの顔に、初めて感情の色が宿る。

呆れるような、照れるような複雑な表情だった。

 

前世において、とがめと七花は旅をしていた。

それは、四季崎記紀という刀鍛冶が残した千本のうち、最高の十二本を集めるための旅。

戦国の時代、四季崎の刀の所持数が国の力を示すと言われた伝説の刀の、完成形である十二本を集めて幕府の威光を盤石にする為の旅。

 

その旅中で出会った刀鍛冶ーー四季崎記紀に言われたことがある。

 

 

人が刀を選ぶのではなく、刀が人を選ぶのだと。

 

 

それに(なぞら)えるならば、四季崎記紀に作られた刀ーー七花がとがめ(ゆかり)を所有者として選んだと言えるだろう。

たとえ生まれ変わっても愛する人を気づくのに理由など無い、が正解なのかもしれないが。

 

 

「はじめに言っておくが、私がそなたに捧げられるものは無い。精々この身体だけだが、病弱で、十年生きていられるかもわからない」

 

「おれは、とがめの愛があれば十分だ。ゆかりの為に生きられる事より、価値のあるものはない」

 

 

産屋敷家は莫大な財をもつといえど、当主でもないゆかりに出来る事は少ない。

更に産屋敷家の人間は、鬼舞辻の呪いというべきか、三十年も生きられない。

身体は脆く、成人を過ぎると不治の病が必ず発現し、痛みに苦しみ死ぬ。

 

それを説明したうえでもなお、七花は鬼殺の剣士になるという。

ゆかりに止める術は無かった。観念したゆかりは、実務的な話を進める事にした。

 

 

「そなたは前世と同じく、刀を振るう才能が全くないのだな」

 

「ああ、槍とか薙刀もふくめて、これっぽちもない」

 

 

ああ言ったけど、おれはとがめの役に立てる剣士になれるのかなと落ち込む七花に、ゆかりは案ずるなと返す。

 

曰く、頭の中に、そなたの日輪刀を造るための設計図は描けている。

それを書き起こすのに時間が必要だから、その間に、七花には行ってもらうところがある、と続けた。

 

 

「そなたには日輪刀をうつ刀鍛冶たちの里に行ってもらう。紹介状は先に運ばせるから、紹介された刀鍛冶に、()()()()()()()を作ってもらえ」

 

「また、ゆかりと離れ離れになるのか」

 

「今後の為だ。我慢せい」

 

 

刀を振るう才能の無い男に刀をうつ。

矛盾した命令よりも、ゆかりと離れる事に考えが傾き、落ち込む七花。

 

ゆかりが叱咤しながらも、嬉しさでつい顔をほころばす。

 

 

「・・・それに、暫くすれば一緒に暮らせるようになる。嫌というほど顔を見ることになるぞ?」

 

「おれはゆかりを見飽きる事はないよ。ずっと見ていたいくらいだ」

 

「っ、隠を玄関で待たせているんだ。さっさと行け!!」

 

 

真正面から行為をぶつけられ恥ずかしくなったゆかりは、追い出すように七花を急かす。

七花は気が乗らないようにのっそりと立ち上がると、隠が待つ玄関へと歩いていく。

 

 

そんな七花の背中に、ゆかりが声をかける。

 

「それから、二人きりの時だけだが、とがめと呼んでもよいぞ」

 

 

え、と七花は振り返る。

 

 

七花は最終選別中、とがめと呼んだのがまずかったと考えていた。

よって、ゆかりと呼んでいたが、どういう事だろうかと困惑していた。

 

 

「そなたと私が生まれ変わったぐらいだ。他の者が転生してもおかしくはなく、危険を回避する為に今世の名前を呼ぶのは当然。だが、そなたにとがめと呼ばれるのは、その、愛称みたいで心地よいからな」

 

 

七花に顔を向ける事なく、ゆかりは言い切った。

 

 

「では、またな」

 

「ああ。今度会う頃には、あんたは八つ裂きになっているだけだろうけどな」

 

「ちぇりお!!」

 

 

突っ込みで七花の背中に拳をぶつけるゆかり。先ほどのやり取りも含め赤さの残る顔を見れて、満足した七花。

 

そして互いに噴き出す。

 

前世で、愛称や口癖を決めようと他愛ない会話をした事を思い出したからだ。

 

そこから七花は速足で玄関へと向かい、ゆかりは筆を執って紹介状を書くことにした。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

隠に背負われ、何度か運び番が交代されて、連れていかれる事少し。

七花は刀鍛冶の里、その里長の屋敷へと案内されていた。

 

 

「ワシが君の刀を打つ鉄地河原鉄珍や。里で一番小さくて一番偉いのがワシ。畳におでこ着くぐらい頭さげたってや」

 

「よろしくお願いします」

 

「素直でええ子やな。おいで、干菓子をやろう」

 

 

ゆかりの顔に泥を塗るわけにはいかないと正座をして頭を下げる七花。

それを、里長である鉄地河原以外の同席する者すべてが不審な様子で見据えていた。

 

 

里長に刀を打ってもらうのは、鬼殺剣士の最上位ーー柱などの実力が認められた者たちだ。

 

それを、先ほど預かったゆかりからの紹介状ありとは言え、新人が刀を打ってもらえるのは異例。ゆえに懐疑的にもなるし、面白くないと感じるのも道理である。

 

 

「刀を握れないと書いてあったが、それで最終選別に合格して剣士になるとな。早速、庭に出て力を見せてくれや」

 

 

そう促され、七花は里長の屋敷にある大きな庭に設置された、七花の背丈ほどに高い大岩の前へ連れてこられた。

 

 

鬼の頸は岩より硬いものもざらにいる。それを斬れるのが鬼殺の剣士としての第一条件といえる。

大岩の前に案内された七花はしかし、慌てることなく構えをとる。

 

 

両足とも横に向けて、大きく腰を落とす。

六尺近い身体をちぢこめるようにし、その上で胴を思い切り捩じって、大岩に対し背中を向ける。

岩から遠いほうの手を拳にし、もう片方で包み込むように開く。

 

 

虚刀流・四の構え、朝顔。そこから繰り出される一打。

 

 

「虚刀流四の奥義ーー柳緑花紅(りゅうりょくかこう)

 

 

その技は鬼相手に使いどころが限られる技。

ゆえに、虚刀流の七つある奥義の中で、人に見られ結果的に鬼に伝わっても困る事は少ないだろう。

そして奥義の中でも一二を争うほどに常識外の力を発揮する妙技。

 

 

背中を見せるほどに捩じっていた胴を一気に戻す。

その勢いで大岩に振りかぶった拳は、しかし触れるか触れないかの距離で止められる。

 

砲台から放たれた砲弾のような勢いで大岩に放たれたそれは、岩を表面から割るのではなく、()()()()爆散させた。

 

見物していたのは、里長と側近が数人、護衛たる鬼殺の剣士が数人。合計十数名近く。

その中で、術理を見抜けた者は一人もいなかった。

 

 

里長の鉄地河原鉄珍が感嘆の声を漏らす。

その他の者は、事実と理解が追い付かず混乱するばかりである。

 

 

「これは面白い子やな。()()()の言った通りや」

 

 

ゆかりからの紹介状が届くより先に、隠を通じて、ゆかりの父である鬼殺隊当主から送られた文を思い返す。

長を含めた里の皆を労う言葉の中に紛れた、一つの依頼。

 

ーーゆかりが刀鍛冶に、とある剣士を紹介するだろう。

ーーその時は、里長に刀を打ってもらいたい。

 

予言めいた言葉の真意は、まさにこれだったかと里長は理解する。

驚きふためく周囲に指示を出して、直ぐに七花の日輪刀製作にとりかかるのだった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

普通、日輪刀は十日から十五日で完成する。

だが、七花の日輪刀は、三十日もかけて作られた。

 

その()の姿を、産屋敷本家の別邸の一室にて、ゆかりと七花は出来栄えを確認していた。

 

 

「兄ばかりでなく、まさか父にも感づかれていたとはな。口添えのおかげで早くに仕上がったのだから文句は言えんが」

 

 

上手く感情を隠していたつもりだったが、最終選別も含め、家族には御見通しだった事を、ゆかりは今知った。

前世の享年すら父より上だったのに、年の功とは何だったのか。

恥ずかしさやら悔しさやら嬉しさやらで、微妙な表情をしていた。

 

 

だが目の前の()()に対しては、七花も同様に、驚いてはいないようだった。

 

 

その日輪刀は、普通に連想する刀とは別の代物。真逆どころか、刀ですら無い。

 

言うなれば、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石を主に作られた、手甲と脚甲。

 

指から肘を隈なく覆う手甲と、同じく指から膝までを覆う脚甲。

西洋の板金鎧とも違う造りは、異彩さを放っていた。

 

 

設計方針となったのは、前世の記憶。

 

とがめと七花が蒐集しようとした十二本の刀の一振り、賊刀(ぞくとう)(よろい)

西()()()()()()()()()()()()()()()()。関節可動部は言うに及ばず、金属同士も別の部位が隠しており、隙が一つもない完全防御を体現する鎧であり、()()()

 

賊刀は継ぎ目が刃になっていて、使用者は傷一つつかないまま、体当たりするだけで相手をなます切りにできる代物であった。

 

 

だが、そこを踏襲した訳ではない。

 

 

重要なのは、隙間なく身体を覆う機密性。

 

虚刀流の振るう刃ーー手刀や足刀を隈なく覆う事を目的にし、なおかつ、その機動力を損なわせない事。

 

七花が折れず曲がらず良く切れる刀である。それが前世も今世でも不変であるのならば。

七花という名刀に対して悪鬼滅殺の刃を(めっき)する事で、彼を鬼狩りにする事ができる。

 

前世にて蒐集した賊刀を検分したとがめは、その構造を良く覚えていた。

ゆかりは、それを元にして設計図を描いて里長の参考に渡した形だ。

それを里長は、分野違いも甚だしいにも関わらず、わずか三十日で完成させた。

 

 

「さて、早速任務だ」

 

 

今回、ゆかりから七花に与えられたのは、先遣隊を送り込んで鬼殺の剣士を送り込み、鬼殺ならずと報告があった場所へ向かう事。

癸ーー最下級剣士である七花を、増援として送り込む任務。

 

 

「今後は鎹鴉から任務を言い渡されるが、それは鬼殺隊当主からの命であり、その意思を汲む私の命令であると心してかかれ」

 

「承知した」

 

 

一月の間、修行ばかりに明け暮れていた七花は、早くゆかりの役に立ちたいと、いきり立つように()()()を装備する。

 

すると七花が日輪刀を身に着けた途端、その色が変わる。

鈍色から赤とも僅朱とも言えない、まるで鑢のような色にじんわりと染まっていく。

 

日輪刀は色変わりの刀とも呼ばれる。

それは、ある程度の剣術を修めた者が新品のそれを握ると、各々の呼吸の型の適正を示すように刃の色が変わるからだ。

 

その逸話を知るゆかりが、剣術の才能が無い七花の日輪刀の色が変わった事に内心驚きながらも、伝えるべき言葉を彼に伝える。

 

 

「その前に四つ、誓ってくれ」

 

 

一つ。悪鬼は必ず滅せよ。

二つ。自身の身体を守れ。

三つ。鎹鴉からの指示を守れ。

 

 

「これは、そなた自身の地位を高めて自由に振る舞えるようにすると共に、私の評価を高め、私自身の策を展開しやすくする事に繋がる。あくまで隊士たちは、産屋敷家を慕って従ってくれているのだからな。当主でない私の言に、正当性も説得力もない」

 

 

ゆかりは前世と違い、七花に同行する事はできない。弱点になる事は必至である。

軍師でもあった前世の経験を存分に発揮する為、七花には無謀とも言える任務を与え続けるだろう。

 

そしてーー

 

 

「最後の四つ目。そなた自身を守れ。これは、理由を言わんでもわかるな」

 

「合点承知。おれはあんたの大切なものを守る為に、刀を振るう。とがめの愛する」

 

「そうだ。必ず、生きて帰ってきてくれ」

 

 

七花が存分に力を振るえるよう、彼の心のよりどころを守るため。

ゆかりは産屋敷家に縁ある屋敷にて指示を出し、七花という刀を振るう事となった。

 

 

それで会話を締めたが、二人が離れ離れになったのはわずか二日である。

 

ゆかりに与えられた産屋敷家別邸に七花が帰ってくる。

救援に向かった癸の剣士が、傷無く刀を持たずに異能の鬼を滅したと報告があがり、鬼殺隊で噂が広まるのはすぐだった。




◼️こそこそ噂話
神職の一族である母が、自分の娘をゆかりと名づけました。

ゆかり
→紫(ゆかり)
→ムラサキ科の花の一つ、瑠璃唐草(るりからくさ)(ネモフィラ)
→花言葉「あなたを赦す」
→容赦姫

ネモフィラは明治時代に日本へ伝来した花だそうです。
それを見たゆかりの母が明るい陽だまりに自生しているこの花を見て、どうか暖かな光の中で人生を歩んでほしいと考えた事が由来の一つです。


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第弐話 育手と虚刀流、そして

夕暮れの産屋敷家別邸が一つにて。其の玄関で二人の男女が仲睦まじく話をしていた。

 

 

「それじゃあ、いってくるよ」

 

「ああ、上手くいくよう祈っている」

 

 

男ーー七花は、任務に出発する為に屋敷から出ていく。

女ーー産屋敷ゆかりは、どこか心配げに見送った。

 

 

「元の鞘に収まるといいが…」

 

 

今回もまた過酷な任務を七花に与えた。だが七花ならやり遂げられると信頼している。

ゆかりの気がかりは、任務の後、彼自身の育手ーー師弟の縁を切ると言った者と会う事に関してだ。

 

最終選別時、育手からの手紙には()()()()が最終選別を受ける旨が書かれていた。

だが最終選別を終えて七花の日輪刀が出来上がるまで一カ月の間。

一度、七花は育手に会いに行き、そこで大喧嘩となり、勘当じみた扱いを受けた。

 

孤児である七花に名字は無い。

自身の名字を与えるほどに思い入れのある弟子に対し、その時なにがあって絶縁を宣言したか。

 

七花から相談を受けたゆかりは、理由を察していくつか策を講じた。

結果に結びついて七花の憂いを晴らすことになるのか。

七花の為になるよう物事が進んでほしいと思いながら、ゆかりは屋敷の中へと戻っていった。

 

ーーーーーーーーーーーー

任務を言い渡されたのは本日昼過ぎ、ゆかりと久方ぶりの再会を果たした時。

任務先が七花の育手のいる山と近かった為、七花は急遽、育手に会おうと思い立った。

 

今回も異能の鬼と戦う事になったが打ち勝ち、その足で育手のいる山へ向かう。

 

落石が多く斜面も急な見通しのきかない中を、すいすいと駆け上っていく。

次第に懐かしい景色が目に飛び込んでくる。

それは山の中腹にある、ぽっかりと空いた広間。綺麗な断面を晒す岩に寄り添うように建てられた掘っ立て小屋に、七花の育手が住んでいる筈だ。

 

戸のように垂れた(すだれ)をめくり中に入ると誰も居なかった。

 

最終選別を機にここを巣立ってから一月以上経ったが、その頃よりも物が少なくなっている。

敷いていたはずの畳も外され、火鉢や布団すらも無くなって、板の間が物寂しく見えた。

まるで人が住んでいないような雰囲気。だが、土間の竈を見るに火を使った名残がある。

 

まだ人が住んでいる証だ。だが、ゆかりの推測も合わせれば、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

七花は小屋から出ると、また山に入る。

そこで適当な太さの枝を見つけると、手刀で斬りおとす。

 

素早く小屋の方まで戻ってきた七花は、それを、すぐそばにある岩の傍に突き立てる。

地面に突き立てて、土を抉る。(すき)のように枝を用いて穴を掘っていると、後ろから怒鳴るように声をかけられた。

 

 

「お前、何をやっている!! そこから離れろ!!」

 

 

聞き覚えのある声。

見知った人に話しかけられた事に気づくも、あえて無視して掘り続ける。

 

 

「やめろと言ってるのが聞こえんのか!?」

 

 

埒が明かないと、声の主は七花を力づくで止めようと腰に抱きついた。

引きはがそうとするが、びくともしない。

しばらく力を籠め続けたが無意味と悟り、声の主は七花に対し、距離を少しとる。

 

それは、刀を振るう為の間合い。

 

左の腰に下げた刀を、鞘付きのまま器用に左手で抜く。

右腕は肘から先が無い為、鞘を投げるように振って抜き放つ。

蒼く色づく刃を七花に向け、震える声で最後の通告をする。

 

 

「掘るのをやめろ()()!! さもなくば斬る!!」

 

 

左手で持つ日輪刀の切っ先を七花に向ける。

それにすら反応せず、黙々と掘り続ける七花。

 

彼に向かって、大上段で斬りかかる。

 

刀身が七花に触れる寸前。

 

まるで最初から声の方を向いていたかと思うほどの速さで七花が振り向き、刀身を片手で摘んで動きを止める。

 

変則的な白羽取りを以て、己に向けられた()()()をちらりと一瞥する。

鬼の形相だと思っていたが、今にも泣きだしそうにも見える声の主――伴田左近次に向けて、言葉を放つ。

 

 

「これを、あんたに見せたかったんだ」

 

 

そういって身体をずらし、掘られたばかりの穴を見せる。

一尺ほどの深さにあったのは、布で巻かれた小さな包み。

 

 

「これが、(ながれ)の遺書だと思う」

 

 

七花が会ったことは無い筈の、伴田の弟子の名を口に出す。

 

その言葉を聞き、一瞬硬直する伴田。

だが、穴から除くそれの柄が今は亡き弟子にあげた羽織の柄と同じものとわかり、力が抜けたように膝を着く。

左手から日輪刀を零すように地面に置く。

そして這いながらゆっくりと穴に近づき、たどり着く。

 

振るえる左手で包みをもち、穴の傍に座った己の膝に乗せる。

ますます震えが激しくなる左手で、丁寧に包みを開いた中にあったのは、見覚えのある筆跡で遺書と書かれていた。

 

 

(ながれ)…」

 

 

七花はその様子を見て、ゆかりの推測が正しかったことを確信した。

 

鬼殺の隊士は命懸けである。その為、親しき者への遺書を残す者が多い。

そのほぼ全てを産屋敷家で預かっているが、数年前に死んだ伴田の弟子、伴田流のものは預かっていなかった。

 

 

ーー書いてない事も考えられる。だがそれよりも、どこかに隠されている可能性が高い。

 

 

七花の相談を受けて、ゆかりがまず口にしたのはそれだった。

七花は腑に落ちる思いだった。隠し場所といえば、育手の小屋に不自然に立つ石碑に何かがあるだろう。

 

そう思い、真っ先に石の元を掘ったが、目当ての物を掘りあてる事ができた。

 

月明りの下、伴田は嗚咽を零しながら遺書を読んでいるらしい。

それを確認した七花は、邪魔しないようにと、音を立てず小屋の中に戻った。

 

ーーーーーーーーーーーー

それから一刻ほどして、伴田が戻ってきた。

目元は真っ赤に腫れている顔を改めて見る。

 

総白髪の短髪に、皺だらけの顔。

最終選別後に合った時よりも痩せこけていたが、顔は憑き物が落ちたように穏やかだった。

 

土間から板の間にあがり火鉢がすっぽり入りそうな距離を開けて、七花の前に正座する。

そして深々と土下座をした。

 

 

「七花。すまなかった」

 

 

頭を深々を下げたまま、伴田はぽつぽつと話を始めた。

 

自身は鬼に家族を殺され、その恨みを胸に鬼殺の剣士になった事。

怪我を機に衰えを自覚し、鬼に食われる前にと剣士を引退し隠となり、隠を勤め上げた末に育手になった事。

そして、孤児を拾い、伴田(ばんだ)(ながれ)と名付け、十年近く育てた事。

流に己の技の全てを教え、鬼殺の剣士となった弟子が死んだ事。

 

 

「私が、流を殺したと思っている」

 

 

流は任務の中、鬼に殺された。

だが、そもそも私が技を伝授しなければ、流が死ぬ事は無かった。

鬼が憎いあまり目が曇り、無垢な子供を唆して鬼に差し出し、命を奪ったのだと。

 

流が死んでからは、剣士であった頃に稼いだ金で供えものを墓標――最終選別参加の条件として流に両断させたものーーに捧げ、残った育手への禄には一切手を着けずに生きてきた。

 

死んだ流に対し、どう詫びればいいのか。

切腹を決意する寸前に紹介されたのが、七花だった。

 

 

七花は、鬼が出ると噂のたつ山に棲んでいた孤児で、派遣された剣士により保護された。そして、比較的近くに済んでいる伴田の元に、一時的に預けられる事になった。

 

剣士や鎹鴉からの説明を受けた伴田は、これは流への供養となる機会だと思った。

 

流を死なせた己の技は受けつかせず、隠としてーー鬼が襲ってきても正しく逃げ切る術を教えて身体を鍛え上げる。

 

そしてその子供が鬼に食われることなく幸せに長生きできれば、流への供養となるのではないか、と。

 

一時預かりだった七花を正式に預かり、剣士にさせる事を建前に全集中の呼吸を覚えさせるための修行を課した。

 

自衛の為に刀の振り方だけは教えたが、幸か不幸か、七花は剣才が無く、身につかなかった。

 

しかし予想外な事に、孤児であり食に困っていただろう七花は何故か身体が大きく、何故か独自の全集中の呼吸を会得していた。

そして著しく成長し、たった一年で全集中の呼吸・常中を会得した。

 

伴田にとって都合がよかった。

これで、七花は剣士にはなれずとも、隠になる。

隠になれると確信して最終選別に七花を送り出し、己は腹を切る前の身辺整理を始めた。

 

ところが、最終選別で七花は鬼殺の剣士となったらしい。

それでは、何の為に自分は七花を鍛えたのか。また己の弟子を殺すのか。

 

絶望や自責などのさまざまな感情がない()ぜとなり、最終選別後に会った時は七花に対して勘当を言い渡したという。

 

 

「だが、私の考えは間違っていたようだ」

 

 

流の遺書には、伴田への恨み言は一つもなく、感謝の言葉しかなかった。

 

親に捨てられ何も無かった自分に、伴田左近次が持っている全てをくれた事。

鬼殺の剣士となって人々を守ることができ、剣士である事を誇りに思っている。

最後に、たとえ自分が死んだとしても、己を責める事なく、幸せに暮らしてほしい。

 

師匠ではなく父として慕っている伴田左近次へ、と締められた遺書。

 

 

「…なんで遺書を隠してたか何だけどさ」

 

 

七花がここで、改めて口を開く。

 

 

「本当はたぶん、死ぬつもりが無かったんだよ。あんたに教わった技なら、鬼に殺されるはずはないって」

 

 

だから遺書を隠した。

やがては伴田の作り出した呼吸の型の代名詞として、柱となって引退するまで人々を守り続ける。

 

そう誓ったからこそ、書いてみたはいいが、遺書を隠してたのではないか。

 

そう七花が問いかければ、伴田は顔をくしゃりとゆがめた。

そうしてせき止めていた涙があふれ出すのを見て、七花は思った。

 

こうあってほしいと、流は望んでいたのかもしれない。

敬愛する、家族同然の師匠に、どうか自分の為に苦しまないでほしいと。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

夜もだいぶ更けたころ合いとなり、七花は小屋から出る事にした。

 

 

「引き留めてすまないが、七花。お前に二つ頼みがある」

 

 

ひとまず涙も収まった伴田が、七花にお願いをする。

 

 

「お前が剣士になる事を止めはせん。しかし、鬼を滅する事が出来ると、私に示してほしい」

 

 

技を教えずとも、一年も寝食をともにした弟子。

安心して送り出せるようにと願いを口にする。

 

それを受け、七花は小屋の外にある広間にて、虚刀流の技を見せた。

 

 

「虚刀流――『雛罌粟(ひなげし)』から『沈丁花(じんちょうげ)』まで、打撃技混成接続」

 

 

二百七十二の多種多様な技が、伴田の為に振るわれる。

硬い鬼の身体すらも穿てるであろう技の勢い、冴え。

 

育手は現役時代、階級の高い者が多い。ゆえに七花の技量がよく分かった。

彼の技と日輪刀を見て、大丈夫だと安心したように微笑んだ。

 

 

「現役時代の私よりもずっと強いのだなお前は。…それから最後の願いだが、お前に伴田の名字を名乗らないでほしい」

 

 

二つ目の願いは、七花を勘当した時に放った言葉と同じ。だが、その意味は真逆。

 

 

「私はお前を見ずに、歪んだ目で流の事ばかりを見ていた。だから、お前に伴田の名字を与えたのは、私の自己満足――呪いのようなものだ」

 

 

「お前には新しい名字で生きてほしい。それが私からの願いだ」

 

 

曇った己の目を磨き、過ちを正してくれた弟子。

そして、刀の間合いよりも近い距離で、身を削るように戦うであろう剣士

 

 

「新たな名はそうだな。…()()()なんてどうだろう」

 

 

いや失礼、これは冗談だと言う伴田に対し、その言葉を聞いた七花は大声を出して笑った。

己はしちか、という名前と虚刀流の技だけをもって生まれ変わった。

 

まさか、とがめと出会う事で大切なものを思い出し、伴田と出会う事で前世の姓を再び名乗る事が出来るとは予想外である。

 

 

「いや。おれは今日から、鑢七花と名乗る事にするよ。いい響きだ、しっくりとくる」

 

 

その言葉に、伴田は初め驚いたが、七花が本気で喜んでいると知り、破顔した。

 

 

月が師弟を照らす中、新たな任務が鎹鴉から言い渡される。

それを聞いた七花は山を出ていき、その姿が見えなくなるまで伴田は見送っていった。

 

疾風のように現場へ急行した七花は、今にも食われそうな隊士を鬼から守り、完膚無きまでに滅した。

隊士からの礼の言葉もそこそこに、七花はゆかりが待つであろう屋敷へと戻る事にした。

 

そして明け方、産屋敷家が別邸の一つに到着する。

 

 

「よくぞ帰ってきたぞ七花。その様子だと、問題ないようだな」

 

「ああ、またゆかりに助けられた」

 

「日頃のそなたの献身には及ばんよ。そなたが行動したからこその結果だからな」

 

 

隠を労った後、玄関先で抱擁しあいながら報告し合う二人。

七花を背負ってきた隠がまだ敷地内にいるにも関わらず、堂々といちゃつきながら、七花とゆかりは屋敷へ戻っていった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

ーーこれでよかったんだよな。(ながれ)

 

 

七花はふと、最終選別直前の夜の事を思い出す。

普段であれば伴田も寝付いている時刻に起きた当時の七花は、外に誰かの気配を感じて寝床を出た。

 

そして小屋の外にいたのは、岩の前にいる人影らしき何か。

両足と左手を喪い、抉られたような顔面の傷が目立つ、一人の少年の姿。

 

それに害を感じなかった七花はぼうっと眺めていた。そんな彼に少年は頭を深々と下げる。

 

 

まるで、自分の代わりに伴田左近次を宜しく頼むと言いたげなように。

 

 

それに対し頷いた七花に対し、安心したようにふっと消える少年。

 

きっと、あれが流だったんだろうと七花は改めて思った。




※今回出てくる人物は、鬼滅の刃の前身ともいえる「鬼滅の流」の登場人物がモチーフです。


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第参話 下弦之肆と虚刀流

鬼舞辻無惨の血を分け与えられ、人から鬼という化物と成る。

 

人を食らえば食らうほど力を増す鬼。

成りたての鬼が五十を超える人を食らうと、身体に異形を備える。

何十本も生えた腕、十尺を超える身体、蛇の如く自在に動く舌など。

異形の鬼となり手強さに拍車がかかる。

 

そこから更に五十人、合わせて百人以上を食らえば、超常の技ーー血鬼術を身につける。

 

血鬼術を操る鬼ーー異能の鬼と呼ばれるそれは、鬼殺の剣士といえども、下級が対すれば餌にしかならない。

中級や上級の剣士でも命を懸けて挑まなければ、まず勝てない。

 

 

その強さから鬼舞辻に気に入られた鬼は、その血を多く下賜され、桁外れの強さを得る事が出来る。

 

鬼舞辻みずから選別した、異能をもつ十二の鬼。それが十二鬼月である。

 

最初の任務から二年が過ぎた頃、七花が十五歳の時。

彼は初めて、十二鬼月と対面する事となった。

 

 

暗闇に有象無象の気配が潜む異界。深い森の中だった。

 

とある森に人影がある、と噂がたった。

そこを通り抜けようとする者はおろか、近づく者すら消えるのだという。

 

十名近い隊士が送り込まれ、そして連絡が途絶えた。

ゆかりは、ただちに七花を援軍として送る事に決めた。

 

 

人の手が入らない森は、入り口というものが存在しない。

それなのにぽっかりと、人ひとりが通れる大きさに拓けていた。

 

明らかに誘われていると知ってもなお、七花はそこから森へと入るしか無かった。

隊士たちの生存は絶望的だが、生き残っている可能性が僅かにでもあるのなら、助けなければならない。

 

 

ゆかりの命令を胸に、七花は森へと一歩足を踏み入れる。

 

 

その足が接地した直後、地表から突然、突き出てくるものがあった。

槍のように尖ったそれは、勢いも合わさり人間を突き殺すには十分な威力。

 

それを、踏み足を引いて半身ずらして避け、手刀で断ち切った。

切っ先を失っても伸びる勢いを落とさないそれは、天井の木々にぶつかって動きを止めた。

 

仄かな月明りに照らされてそれは、木の根のようにも、干からびた人の腕のようにも見える。

そして切断された切っ先は、さらさらと僅かな風に溶けるように崩れていき、そして消えた。

 

血鬼術か、と思う間もなく横からも攻撃が迫ってくる。

今度は迎え撃つことはせずにやり過ごし、速足で森の中を駆け入っていく。

 

その背中を追うように、次々と鋭い攻撃が迫ってくる。

四方八方から迫ってくるそれは、どれも木の根や枝のように見えた。

 

森全体が敵意をもって襲いかかってきているようである。

逃がさないとばかりに向かってくるそれを、時に切り払い、時に身体を滑り込ませるようにして避けながら、七花は森の奥へと足を進めていった。

 

そして七花は奇妙に開けた場所に出た。急に攻撃が止んだ。

 

そこは、お椀をひっくり返したように空間が広がっている。

面積は三十坪ほど。木々が密に茂って周りを覆い、枝葉が硬い壁や天井を作っていた。

 

そこにぽつんと、人影があった。

月光が零れる程度にしか注がぬのに、何故か姿がくっきりと見えた。

 

 

見かけは若い女。

森に似つかわしくない豪奢な襟巻と臙脂色の着物を身に着けている。

 

だが髪は骨のように朽ちた白で、そこから異形の瞳と角が二本覗く。

瞳が特に異様で、白目であるべき個所は血のように赤く染まり、黒目があるべき箇所は白く濁っている。

 

そして、その左の(まなこ)には、下肆、と刻まれていた

 

 

ーーいいか七花。鬼は人を食らうほど力をつけるが、その中でも格別の恐ろしさを誇るのが十二鬼月。十二の鬼だ。

 

ーー見分ける()()は簡単だな。瞳に必ず数字が刻まれている。

 

ーーそなたの実力を疑うわけではないがしかしーー。

 

 

 

ーー出会ったなら、一旦退く事を頭に置け。初見で戦うには荷が重い相手だ。

 

 

 

そんな言葉を思い出しながら、その鬼と対峙する。

 

 

()()()()()、そもそも剣士ですらない者が私に歯向かおうとは笑わせてくれる」

 

 

十二鬼月の十番目、下弦之肆が待ち構えていた。

 

 

「面白い剣士が現れると聞いて待ってみたが、拍子抜けだな」

 

 

そういって、下弦之肆が、()()()()()()()()をぬらりと見やった。

手足を太い枝に穿たれ、木の根で締め付けられた男たちが十名。

 

樹木の壁に埋め込まれるように捕らえられていたのは、鬼殺の剣士たちだった。

 

 

「柱になれるほどの鬼狩りが助けに来る、と聞いて待ってみたが独活(うど)の大木のようだ」

 

 

言い終わらないうちに、天井や地面から三十を超える木の槍が、七花に向かって伸びていく。

七花が道すがら相手どった数よりの倍以上。

槍衾のように隙間なく襲いかかるそれらは、しかし七花を貫く事はなく、同士討ちするように互いを打ち合った。

 

 

「おれが独活の大木なら、あんたは何なんだ」

 

 

先ほど居たところから横に一丈離れた場所に、七花は避けていた。

 

 

両脚をつま先立ちにし、手刀を頭への防御に回して肘を突き出した構え。

柔軟な横の動きを可能とするのは、虚刀流が六の構えーー鬼灯(ほおずき)

 

 

肘の攻撃で槍を何本かへし折り、道を開いて逃れた七花。

 

 

そしてすぐさま構えを変える。

 

 

両足を前後に配置し今にも駆けだしそうに見える構えは、縦方向への動きを得意とする。

虚刀流七の構えーー杜若(かきつばた)

 

 

お喋りに付き合いきれないとばかりに、目にも留まらない速度で上弦之肆へと向かっていく。

 

 

「虚刀流ーー薔薇(ばら)!」

 

 

その勢いのまま、前蹴りで鬼の頸を穿とうとしーー地面から生えてきた巨大な木の壁に阻まれる。

下から上へと吹き上がるような勢いに負けたか、大きく七花は後ろへと飛ばされる。

そしてその場所をすぐさま木の刺突が追いかける。

 

 

「ははは、確かにすばしっこいが()()()じゃないな! 逃げるのは得意だがいつまで持つかのう?」

 

 

そこからは、まさに鬼ごっこだった。

木の槍がひたすら追いかけ、七花が避け続ける。

上弦之肆は一歩も動かず、憐れな獲物を甚振るように、ただひたすら血鬼術で以て七花を追いかけていた。

 

 

「逃げてるだけでは勝てんぞ!」

 

 

やがて空間が木の槍に覆い尽くされる。

 

 

七花は血鬼術による木の槍によって生まれた、鬼の死角になる位置にいた。

そこは偶然にも、鬼殺の剣士が磔にされていた場所の付近である。

 

 

「ーー鑢さま。すみません」

 

 

まだ息があった隊士が、命を振り絞るようにして謝る。

自身が七花をおびき出す為の餌になったことを、心の底から後悔するような声音だった。

 

「気にするな。俺が必ずーー」

 

「見つけたぞ? そこか」

 

 

鬼の声がすると同時に、木の槍がまっすぐに伸ばされていく。

周囲は木の槍に囲まれて逃げる事は出来ない。

 

 

 

 

どすん、と重たい物を突く音が響いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

「あっけないものだな」

 

 

鬼は嘲笑った。柱でもない鬼狩りなど怖くないものだと。

 

 

先に倒した十人の鬼狩りもそうだった。

 

 

鬼の頸に刃を届かせる事はできず、しかし粘る事だけは一丁前だった。

結局は十二鬼月に反撃する事も叶わず敗れたが、それでも目には絶望の色を宿す事は無かった。

 

 

それがなぜか癪に障り甚振るように身体中に穴をあけた。

磔にされてもしかし、目の光が絶える事は無く、虎視眈々と挽回を狙っているように見えた。

 

 

戦いの最中、自身を鼓舞するように彼らは吠えた。

鑢さまに助けてもらった命、尽きるまで戦う事は止めない、と。

 

 

皆、声を揃えて奮起するものだから余計に苛立ちが増した。

だから戯れに、鑢という名の鬼狩りが来るまでは男たちを生かす事にした。

 

 

鑢という剣士が現れるか男たちが失血死するかというところで、都合よく当人は現れた。

日輪刀と同じ材料で出来た鎧をまとい、()()()()で戦う男。

 

 

下弦之肆は、その姿を見て酷く苛立った。

 

鬼舞辻に気に入られて十二鬼月となっても、そこで終わってはならない。

力を蓄え鬼狩り達を滅ぼす事が十二鬼月の存在意義。

だが自身を含めた下弦の六鬼は、鬼狩りの柱と呼ばれる実力者に狙われては討たれ、常に顔ぶれが変わる。

 

 

真祖の血を多く与えられた上弦六鬼、その参番目に重なって見えたせいだろうか。

 

鬼殺隊の柱に狙われ滅される下弦の鬼と違う。

百年近くも生き、多くの柱たちを返り討ちにした上弦の鬼たちを思い出させるからか。

刈られる下弦之鬼とは違い、上位者たる上弦之鬼を思い出させるからか。

 

下弦之肆は、七花に対して不快な気持ちを感じていた。

 

 

「さて、食らうとするかーー」

 

 

老若男女、人それぞれに味わいが異なる。

だが強い鬼となるには、ただの餌ではなく極上のものーー例えば、鍛え抜かれた剣士などを食らうのが良い。

 

鑢と呼ばれる男は、単騎で戦いながらも、今まで戦った剣士の中で最も長く生き延びた鬼狩りだ。

それから先に食そうかと思い、目の前で頼みの綱が断たれた雑魚どもの顔を拝みながら食らおうかと思考を巡らせる。

 

そして一歩、踏み出そうとした直前、頭上から声がかけられる。

 

 

「その頃にはあんたは八つ裂きになってるだろうけどな」

 

 

その声は、先ほど殺したはずの鬼狩りのもの。

軽い口調で放たれた言葉と裏腹の、重い一撃が上弦之肆の頸を襲った。

 

 

「な、なにが」

 

 

落ちていく上弦之肆の首。

彼女の視界には、反転した世界の中に、自身の身体と血鬼術で生まれた樹木の槍が塵となっていく光景。

そして、牢獄のように固められた天井と、そこに刻まれた大きな罅が見えた。

 

 

天井すべてに広がる割れ目は、人の足跡らしき穴を中心に広がっていた。

 

 

「なぜお前が生きている!? なぜ死んでいない」

 

「いなして上に跳んだだけだよ」

 

「な、」

 

 

男を貫いたはずの場所を見れば、磔にされた隊士の脇の傍を、木の槍が貫いている。

その木の槍は、途中から折れて壁に刺さり、辛うじて穴を空けていた。

 

 

「あんた、自分の血鬼術で木の槍は生やせても、それで何を刺したかまでは分からないんだな」

 

 

七花が森に入ってから今まで、道すがら考えていた。

木の槍は、まるで仕掛けられた罠のように七花を襲ってきた。

 

 

何かを貫くまでは止まらず、逆に、人でなくとも何かを貫けば動きは止まる。

それは絡繰り仕掛けのようで、予め決められたような動作。

 

 

傍を通れば襲いかかってくるが、それだけ。

七花に止めを刺したと確信したようだったが、血鬼術で自らの視界を狭めている事には気づかなかったらしい。

 

 

目に見える範囲では、任意に木の槍を生やせる。

目に見えない所では、自動の槍の罠を仕掛けている。

 

 

七花の予想は、どうやら当たっているようであった。

その結果が、鬼の敗北である。

 

 

おそらくは、最初の前蹴りが当てるつもりも無かったと気づいていなかったに違いない。

 

待ち伏せているからには己の周囲に防御の備えがあると予想していれば、突然現れた壁を足場にして後ろに飛び交える事も七花には出来た。

 

 

攻撃が通らぬふりをして逃げ、鬼の死角を増やすように血鬼術を乱発させた。

後は隙を見て、弾いた槍を契機に七花自身の足場ーー血鬼術で生まれた木の槍を跳ね昇り一撃を決めればいい。

 

杜若の構えは、縦の動きを自在に操る。

それは平面的な限りでなく、立体的な動きも可能とする。

 

 

昇りつめた末に天井を足場にして放たれたのは、前方三回転かかと落とし。

天井に大きな亀裂を生むほどの()()を加えれば、その威力は三割増しとなる。

 

 

狼が花を散らすが如き、その技の名前はーー。

 

 

「ーー虚刀流七の奥義、落花狼藉(らっかろうぜき)

 

 

それが断頭斧のように、鬼の頸を落とした。

 

 

「い、嫌だ。死にたくーー」

 

「じゃあな」

 

 

散り際の一言も許さなかった。

七花は落とした首に容赦なく手刀を振り、鬼の頭を真っ二つに割った。

 

完全にとどめをさした証か、血鬼術で出来た木の空間は消滅し、あとは静かな森が残された。

先ほどよりもくっきりと見える月夜から、七花の鎹鴉が飛び込んでくる。

 

 

先ほどの木の槍を思わせる勢いで飛び込んできた鴉を除けて足を捕まえると、付近に待機させている隠を呼ぶように言いつけ、手を離した。

 

 

待機させていた隠が来るまでの間、七花は十名の隊士たちの隊服を破るなどして包帯擬きを作り、血止めの応急処置を施すことにした。

 

十名のうち、かろうじて半数は息があった。後は人事を尽くして天命を待つのみである。

 

 

「鑢さま、申し訳ありません」

 

「言ってる暇があったら身体を休めろよ」

 

 

安堵の涙をこぼす者もいた。脅威は去ったとはいえ、気を緩めてぽっくり逝かれては困ると七花は口にしながら、手当てを施していく。

 

 

そして隠たちがほどなく現れ、現場は慌ただしくなった。

七花に出来る事は何も無いため、上位の隠に最低限の引き継ぎを行ってから去る事にした。

 

そして夜通し走って帰り、ゆかりの屋敷で休んだ翌日。

鬼殺隊の本部へと、七花は呼ばれる事となった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

鬼殺隊の人員は、十の階級を与えられ、その階位に応じた難易度の任務に就く。

だが、功績を認められた者ーー例えば十二鬼月を討伐した者ーーは、十ある階級の最上位である(きのえ)よりも、更に上の位を与えられる。

 

それこそが柱。鬼殺隊最上位の隊士にして、最強の剣士である。

 

 

七花は、対面する男ーー産屋敷耀哉から、柱の説明を受けていた。

場所は産屋敷家の邸宅、鬼殺隊の本部である屋敷の一室である。

 

そこにいるのは、鬼殺隊の当主である耀哉と、七花だけである。

 

 

先の功を以て七花を柱とするならば、顔見せも兼ねた柱合会議に彼を呼ぶ筈である。

それを考えれば、二人きりというのは異常ともいえた。

 

 

「十二鬼月を倒してくれてありがとう。おかげで多くの人が救われる」

 

「…いや、いえ恐縮です」

 

「無理して敬語で話さなくても構わないよ」

 

 

 

そんなやり取りの後に、耀哉は要件を切り出した。

 

 

 

「今日、七花に来てもらったのは、柱のことだ。できることなら柱となって鬼殺隊を支えてほしいのだけれどーー」

 

 

ーー七花は柱にならない方がいいと、私は思っている。

 

 

七花は、その言葉に怪訝な顔をする。

先ほどの説明と矛盾するのではないかと。

 

 

「七花は、()()()()()()()()()力を発揮できる人間だと思う。だから、柱としてではなく、一人の鬼狩りとしてこれからも力を貸してくれると嬉しい」

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

それから七花は、柱を除いた最上位ーー甲の位をもつ隊士の一人として、産屋敷ゆかりの裁量によって与えられた任務を熟す日々を送る。

 

 

盲目の巨漢が、岩柱となった。

抜け忍の男が、音柱となった。

寡黙な青年が、水柱となった。

可憐な少女が、花柱となった。

 

 

その間、多くの人間が柱となった。

 

だが彼は、鬼狩りとなってから現役の間、鬼殺隊の柱になる事はなかったという。




■こそこそ噂話
下弦之肆の設定は下記の通りです。

名前:零余子(むかご)
血鬼術:樹木操作
名前の由来:能力の下準備として、己の血肉で作られた種子を撒く必要がある。
その種子が零余子のようであるから。

※血鬼術の設定は本作独自の為、タグとして独自設定を追加いたしました。


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第肆話 産屋敷家と虚刀流

実は、七花とゆかりは、同じ屋根の下で暮らす日は、そう多くない。

 

 

七花は柱でなくても多忙であり、任務に次ぐ任務で数日は家を空ける事が多い。

 

ゆかりはそもそも、産屋敷家の人間としての役目がある為に本邸に住んだ方が都合がよく、七花が任務で帰れない事が分かれば、そちらで寝起きした方が良いし実際にそうしている。

 

 

わざわざ隠の手を借りてまで別邸で二人で暮らす事は不便が多い。

 

 

しかしこれは、ゆかり達の父である九十六代目当主の親心である事。

柱並みの実力を持つ七花の心身の状態を最高に保つ意味合いも大きい。

 

 

逆に言えば、七花とゆかりが顔を合わすのは別邸である事が殆どであり、それ以外の場での邂逅は皆無と言えた。

 

これは、そんな例外とも言える時。

 

七花が鬼狩りとなってから約八年後。

 

鬼殺隊本部ーー産屋敷家の本邸での出来事である。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

その日、柱合会議が行われる庭とは別の、小さな庭の縁側にて。

七花は大きな身体を深く落とし、うなだれていた。

 

 

彼に向かって、上品ながらも駆けるように近づく足音があった。

 

そちらに顔を向けた七花は、距離が離れていても分かるほどに怒った表情をしている、ゆかりの姿を見た。

 

 

「ゆかり、俺・・・」

 

「七花。こたびは大層な失態だったな! どう挽回するつもりだ」

 

「・・・。」

 

 

柱合会議で七花が呼ばれた件について、七花は何を言葉を返す事が出来ない。

 

そのままゆっくりと近づくゆかり。一尺もないほどまでに歩み寄った彼女は大きく手を振り上げーー優しくぽんと七花の頭を叩いた。

 

 

「これでこの件の叱責は終わりだ。自分を責めるのを止めよ」

 

 

そう言って、慰めるように七花の横へと腰を下ろした。

 

 

七花が呼ばれた訳。

それは、上弦之弐と遭遇し、花柱ーー胡蝶カナエが殉死した事についてだった。

 

 

事の詳細は数日前、夜明けに近い夜中の市街地。

そこで花柱の胡蝶カナエ、その継子である胡蝶しのぶは上弦之弐と会敵した。

 

 

その鬼は異質だった。

頭から血を被ったような髪色。左眼に上弦、右眼に弐と刻まれた大柄な青年の姿。

にこにこと屈託なく笑い、穏やかな口調で話すさまだけは常人に見えるが、事切れた女を食いながらである事を踏まえれば、その悍ましさが更に増すであろう異常さだった。

 

 

生き残った胡蝶しのぶの言によれば、その鬼は対の鉄扇を得物としており、花柱であるカナエの攻撃を余裕そうに往なしながら戦っていたという。

 

 

七花が居合わせたのは偶然だった。

別の任務の帰りに戦闘の気配を感じ、向かった先で花柱と合流した。

 

柱ほどの実力者が二対一で戦っても、その鬼の顔色が変わる事はなく、笑みを崩さないまま彼らの攻撃を捌き続けた。

まるで鬼殺の剣士が、どのような攻撃をするのか、それを観察するように、その目は冷え切っていた。

 

 

そして明け方近くになると、戦いは呆気なく終わった。

 

七花は、先ほどとは大きく異なる速度の攻撃を受け、建物を倒壊させながら吹き飛ばされた。

 

そして花柱は、しのぶの目の前で血を吹き出し、倒れ伏した。

 

 

鬼の鉄扇に花柱の血が付着していた事から、それで斬られたのだろうと後から察した。

 

血鬼術らしい技を使うまでもなく、ただの身体能力だけで二人を圧倒してみせた鬼は、日の出前に忽然と姿を消したのだった。

 

 

七花が五体満足だったのは、偶然だった。

 

回避よりの防御を意識した型ーー六の構え・鬼灯であった為に、鉄扇の一振りを防ぐ事が出来た。

 

だがその代償に、七花の手甲は綺麗に割られ、噴き出す程に溢れる血を流すほどの切り傷を負った。

 

 

七花は傷が程ほどに癒えたのち、柱合会議に召し寄せられ、改めて報告する事となったのである。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

柱たちの認識として、上弦の鬼は柱三人分に匹敵するという。

 

百年ほど前に、当時の柱達が上弦の鬼と会敵し、相打ちとなりながらも討伐した記録からの憶測である。

 

故に、柱並みの実力者が二人と継子一人では力不足であり、負ける可能性が高い事は明らかであった。

 

それを踏まえれば、僅かながらも上弦之弐の情報を得、二人生還できた事は不幸中の幸いと言えない事もない。

 

 

その事から、柱合会議にて七花に罰が下った事はない。

 

だが、七花はこの件で大きく悩んでいた。

 

 

「あの鬼はさ、姉ちゃんにどっか似てるんだよ」

 

七実(ななみ)にか?」

 

「ああ。あの実力といい、戦い方といい、姉ちゃんを思い出す」

 

 

ここで言う姉とは、前世の七花の姉である鑢七実を指す。

彼女は、日本最強の存在だった。

 

初見の相手の技を再現する事が出来る観察眼を持っていた。

 

それは武芸だけでなく超常の技ーー爪を刃のように硬化して伸ばす忍法や、海や雪原を沈む事なく歩いて渡り重さを消す忍法ーーすらも再現する事ができた。

 

おそらく、全集中の呼吸・常中すらも、見様見真似で習得すると断言できるほどに精度が高い。

 

それだけが最強たる所以ではないが、実力としては、その姉を思いださずには居られないほどの強敵だった。

 

 

二人の前世にて、彼女は刀集めの壁として立ちふさがり、弱点である病弱さ、とがめの奇策と七花の新たな奥義を駆使して辛くも勝利を収める事ができた。

 

 

だが、上弦之弐はどうであろうか。

 

血鬼術も見せない其の実力は測る事が出来ず、七実の弱点である病弱さとは無縁であり、前世で見せたとがめの奇策ーー暗闇を作り出し明暗差による瞬きほどの隙を突く戦法が、闇夜で生きる鬼に通用する事はないだろう。奥義を含めた七花の技を見られた事も痛い。

 

 

七花は今世にて、鬼狩りとして多くの実践経験を積み、身体を鍛え上げてきた。

 

前世の自分より強くなった自負はある。だが、前世の姉との実力を埋めたとは断言できない。

 

そんな七花が、この先相手取る可能性もある上弦の鬼について、悩みや後悔といった気持ちを募らせる事も無理は無かった。

 

 

「安心せよ、と言えないのが心苦しいではあるが、策はある」

 

 

と、ゆかりは述べた。

 

 

「戦闘を見ていない私が言えた義理ではないが、その鬼に付け入る隙は存在するように思う」

 

 

ーーそなたは私の刀だ。振るうは私。

そなたは己が名刀である自負をもってくれれば、所有者として心強い事はないーー。

 

 

と、ゆかりは己の言葉が空元気ゆえの物である事を自覚しながらも、七花に前を向いてほしく言葉を紡いだ。

 

 

「・・・そうだよな。あんたの刀として、俺は立ち止まっちゃあいけないよな」

 

 

と七花は立ち上がり、ゆかりを見下ろした。

 

 

「やっぱりゆかりは、最高の女だな」

 

「言わずとも知れた事よ。惚れ直したか?」

 

「ああ。ただしその頃にはあんたは八つ裂きになっているだろうけどな」

 

「ちぇりお!」

 

 

座ったゆかりに、脛を殴られる七花。

いつもの調子を取り戻しつつある事に安堵したゆかりの耳に、幼い子供の声が聞こえた。

 

 

「ねえ、七花叔父様(おじさま)がいらっしゃるのだから、早くしないと遊んでもらえないじゃない」

 

「叔父様は忙しいし、叔母様(おばさま)とお話しされているし、邪魔をしては駄目だよ、くいな」

 

「本当はお兄様も遊んでほしい癖に我慢しちゃって。じゃあ私だけ行ってくる!」

 

「ああ、待ってよ! 僕も挨拶しにいくから」

 

 

そういって、現れたのは、産屋敷家当主の娘ーー三女くいなと、当主の息子でありくいなの兄である輝利哉(きりや)だった。

 

 

「ごめんあそばせ、叔母様、叔父様。ご挨拶がしたく参りました」

 

「お話中、失礼いたします。久しぶり故にご挨拶したく、参りました」

 

「邪魔などしておらぬぞ、輝利哉、くいな。顔を見せてくれて嬉しいよ」

 

「おう、久しぶりだなあ。まだおっきくなったんじゃないか」

 

 

七花はそう言って、乱暴にならぬよう気をつけながら、甥と姪を抱き上げ、両肩にそれぞれ乗せた。

 

 

二十歳を超えて成長は止まったとはいえ、七花の背丈は六尺八寸(約二○四センチメートル)あり、肩幅もそれなりに大きい。

 

四歳と三歳になる子どもたちを乗せるのに、何の不都合も無かった。

 

 

「きゃあ高い!」

 

「ぼ、僕はもう大丈夫ですよ! そんな歳じゃありません!」

 

「お前たち肩車好きだったじゃないか、遠慮するなよ」

 

 

と七花は、子どもたち二人が落ちぬよう腕を伸ばし支えながら、ゆっくりと小さな庭を歩いて回った。

 

七花の身長は、岩柱ーー悲鳴嶼行瞑よりは小さいが、次いで高い音柱ーー宇随天元よりも高い。

 

大きく筋肉がついていない為に細く見えるが頼りない訳はなく、やんちゃな性格のくいなは安心して大はしゃぎで、輝利哉も楽しんでいった。

 

 

産屋敷家は代々短命の一族である。それ故に当主たる父が子どもたちを厳しく躾ける。

 

無論、遊ぶ時間もあるが、たまに会う大きな叔父と会えば、こうして肩車してもらうのを、二人をはじめ其の姉二人も楽しみにしていた(末妹のかなたは大人しい性格の為か肩車は怖がる)

 

 

そんな様子を、ゆかりは温かい目で見ながらも考え事をしていた。

 

 

鬼殺隊の目的は、鬼を滅する事。だが、それに近づいている実感は微塵もない。

 

 

鬼殺隊の剣士が鬼を殺す事は、被害が出た後にある。

そして、五体満足のまま鬼を討伐する事が出来るとは言えず、敗れてしまい命を落とす事も珍しくはない。

 

 

産屋敷家の当主は皆、自身が地獄に落ちると覚悟し、鬼殺隊を指揮してきた。

 

最終選別により、子どもたちを鬼の手で殺させてしまう事を続けてきた。

心技体に優れた剣士を選別するために。

 

 

最終選別の場である藤襲山は藤の花に覆われているいるが絶壁に阻まれている訳ではない為、剣士にならず隠になるための棄権を認めている。

 

鬼殺の剣士を志す者は、鬼に身内を殺された復讐心から心身を鍛え、己と同じ悲しみを無辜の人々に味わせたくない思いから刀をとる。命を殉ずる覚悟を持っている。

 

 

それは、産屋敷の罪を消す材料には決してならない。

 

 

だからこそ歴代の当主たち、鬼殺の剣士たちは戦ってきた。

繋いできた命のために、積み重なる無念を晴らす為に。責任をもって。

 

 

ゆかりも、その思いを宿している。地獄に落ちる覚悟がある。

それと同時に、次代ーー目の前で無邪気に笑う子供たちに、責を負わせたくない思いが募る。

 

 

七花とともに考えた事がある。

なぜ自分たちは、この世界に生まれ変わったのだろうと。

 

 

原因は分からない。だが、理由は思い当たるものがある。

 

 

どうか、大切な人が幸せにいられるように。

理不尽な力が脅かされないように。

 

 

だからこそ、異質な自分たちは生まれ変わり、その力を発揮するため生きているのだと。

 

理論も何もない、それこそ荒唐無稽な話だけれども。

子どもを授かる事の出来ない病弱な身体だろうと関係なく、精一杯、命を懸けて鬼を滅せねば。

 

ゆかりは子どもたちと七花を見て、重ねて思うのであった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

花柱の殉死を契機として、柱合会議にて鬼殺隊当主より一つの提案がなされた。

 

それは、柱同士が一対一で剣を合わせる組打稽古(くみうちげいこ)

 

七花の報告を合わせ検討され、ゆかりから輝哉より打ち上げられたそれは、多忙な柱達の状況を鑑みて半年に一度の柱合会議と同時に行われる事となる。

 

本来は柱しか参加できない其れに、柱でない鑢七花も参加する事に不満を持つ柱もいたが、実力を目の当たりにして口を噤んだ。

 

しかし異議として申し立てられる事はなく此の提案は可決される事となった。

 

()()()()()において炎柱ーー煉獄杏寿郎が上弦之参との闘いの結末に変化が生じたのは、鑢七花と炎柱による組打稽古が一因であるが、それを輝哉が予期していたかは誰にも分からない。




■こそこそ噂話
七花について
身長:二○四センチメートル
体重:九二キログラム ※原作だと二十貫(約七五キロ)でしたが、BMI的に細すぎる為、増量しています。
趣味:鍛錬、稼いだ給料でゆかりに貢ぐ事

ゆかりについて
身長:一四四センチメートル
体重:三二キログラム ※原作だと八貫三斤(約三二キロ)でBMI的に細すぎと思いますが、病弱のため特に変化なし。
趣味:悪巧み、七花をからかう事(七花からの反撃も含め楽しんでいる)



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第伍話 鑢ゆかりと虚刀流

時は明治から大正へと移り変わった頃。

鑢七花、二十五歳。彼が鬼狩りとなってから十二年後、鬼殺隊の歴史は大きく動く事となる。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

炎柱と上弦之参の衝突から四カ月後、蟲柱が(あるじ)である蝶屋敷の玄関先にて。

ちょっとした諍いがあった。

 

 

「放してください! 私はともかく、この子はーー」

 

「うるせえな、黙っとけ」

 

 

蝶屋敷に所属している鬼殺の剣士ーー神崎アオイと、鬼殺の剣士ではないが蝶屋敷で働くおさげ髪の少女ーー高田なほが、身長が七尺近い筋骨隆々の大男に連れ去られようとしていた。

 

腕に一人ずつ少女を抱えて屋敷を出ようとする大男に、蝶屋敷で働く他の少女達が群がるように大男を止めにかかる。

 

任務の帰りに立ち寄った少年ーー竈門炭治郎は、少女たちから恐怖の匂いを感じ取り、大男から少女たちを助けようと飛びかかった。

 

 

「女の子に何をしてるんだ! 手を放せ!」

 

 

手荒い態度で強引にアオイ達を連れ去ろうとする男に、炭治郎は頭突きを食らわせようと突撃するが、音もなく躱される。

 

ここで炭治郎はようやく、相手が誰かを確認した。

 

袖の切り落とされた鬼殺隊の隊服を纏い、じゃらじゃらと飾りを身に着け、戦化粧を施した派手な男。

 

半年近く前、炭治郎が柱合会議で見かけた鬼殺隊の柱の一人ーー音柱・宇随(うずい)天元(てんげん)

 

 

「アオイさん達を放せ! この人さらい!」

 

「俺は任務で女の隊員が要るから、こいつらを連れていくんだよ!

継子じゃねえ奴は胡蝶に許可とる必要もない!!」

 

「なほちゃんは隊員じゃないです! 隊服着てないでしょ!」

 

 

蝶屋敷で働く少女の一人、おかっぱ頭の寺内きよの言葉に、じゃあいらねとばかりに、音柱はなほを炭治郎たちの方へ放りなげた。

 

危なげなく彼女を抱きとめた炭治郎は、怒りを露わに音柱へと啖呵を切る。

 

神崎アオイは鬼殺隊の隊員である事は間違いない。

 

家族を鬼に殺され鬼殺隊の最終選別を突破できたが、自身の意思とは裏腹に、鬼に対し恐怖から立ち向かう事が出来ず、己を恥じ責めていた。

 

それでも自身に精一杯できる事があるなら、と蝶屋敷で一生懸命に働く姿を知っている炭治郎からすれば、看過できる事ではない。

 

無神経にもほどがあると憤っていた。

 

 

「アオイさん達の代わりに()()()が行く!」

 

 

そう炭治郎が言い切る前には既に、彼の仲間が宇随を囲んでいた。

 

 

「アアアアアアアアオイちゃんを放してもらおうか」

 

 

柱の左側の竹垣に、大男にびびりながらも立つ黄色い髪の少年ーー我妻(あがつま)善逸(ぜんいつ)

 

 

「俺は力が有り余っている! 行ってやってもいいぜ!」

 

 

柱の右側の竹垣で構える猪頭巾の少年ーー嘴平(はしびら)伊之助(いのすけ)

 

 

頼りになる炭治郎の仲間たちが、無頼の輩に見える柱に立ち塞がった。

だが宇随はそれに臆する事もなく一瞥し、彼らの言葉を切って捨てた。

 

 

「だいたい、()()()()()()()()()()()()()

柱の継子としての役目も考えてねえどころか、そもそも煉獄はこの事を知ってんのか?」

 

 

それでも無理やり連れていくのは許せないと言い募ろうとした炭治郎たちの所に、一匹の鴉が舞い降りた。

 

黒い羽に一筋の銀羽が目立つ鴉。

それは、階級(きのえ)・鑢七花の連れる鎹鴉だった。

 

その鴉より、宇随に向けて言葉が放たれる。

 

 

「御館様ヨリ提言アリ!

竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助ヲ任務二同行サセヨ。

コノ件ハ炎柱・煉獄杏寿郎モ許可シテイル!」

 

 

その言葉を以て、あっさりと宇随は抱えていたアオイを返し、炭治郎たちを任務に連れていく事を了承し、連れだって出発する事となった。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

音柱、炎柱の継子たちが合流し任務に向かった事を、七花は帰って来た鎹鴉より報告を受けた。

正確には、御館様や炎柱に掛け合って本件をまとめたゆかりが、その報告を受け取っていた。

 

連続任務を終え休息を取る七花は、甥や姪に仕事をある程度引き継ぎ暇を持つ事のできたゆかりの膝枕に寝そべりながら、口を開いた。

 

 

「なあ、俺が増援に行った方がよくないか?」

 

「言ったであろう。宇随の任務は鬼の捜索が大きな課題となる。

そなただと目立って調査に支障が出る。それに、竈門炭治郎が大切な役割を果たすとな」

 

「竈門炭治郎、ねえ」

 

 

七花は拗ねたように、ゆかりの膝上で寝がえりをうつ。

 

 

「そうむくれるな。そなたが鬼殺隊に大きく貢献している事は、誰もが知っている」

 

 

ゆかりがこの十年、七花に背負わせた役目は二つ。

 

一つは、鬼殺隊の戦力維持向上を目的とした、討鬼への援護及び撃破。

 

七花が鬼殺隊に入隊する前より、剣士の質は徐々に低下していた。

これは志の低い隊員が増加したというより、若い芽が成長しきる前に刈られ続けてきた為だ。

 

鬼殺の剣士になる為には厳しい修行に耐え、最終選別を突破しなければならない。

 

そもそも訓練を満了できる資質をもつ者は多くはなく、最終選別により其の数は更に減る。

そして任務により、命を落とす者が多くいた。

 

産屋敷家では、藤の花の家紋を掲げる家を筆頭に、多くの情報網から鬼の行方や推定される強さを測り、それを任せられる階級の隊士を派遣し、鬼を討つ作戦を取っていた。

 

だが、鬼が出たという事は即ち被害が出た後ーー鬼が人を食らい強くなっている証。

電信技術が日本に普及して久しく其の情報伝達力は素晴らしいものだが、それすら凌駕する頻度で鬼が人を食らい、想定外の力を備え、鬼殺隊士たちを屠る事もある。

 

また、一番の要因としては血鬼術の厄介さがあるだろう。

 

七花が討伐した鬼の一例として、笛の音で神経を狂わせ、血鬼術による狼で相手を襲う鬼がいた。

 

勘働きで笛の音が届く前に耳を塞いだ七花が、足刀で血鬼術の狼と異能の鬼を切り捨てた事で早期に決着がついたが、一般の隊士では初見殺しの血鬼術を前にしては、どうしようもない事もあるのだ。

 

故に七花は、言葉通り日本中を駆け回り、隊士たちの援け、手に負えない鬼を討伐してきた。

 

前世の七花がそうであったように、実戦を経て大きく実力を伸ばす事が多々ある。

たとえ七花に助けられたとしても其れを枷とする事はなく、戦いを糧に成長する隊士が多かった。

 

それもあってか、半年近く前の那田蜘蛛山の戦いでは、派遣した隊士の一党が散り散りになるという危機はあったものの、柱が応援に来るまでに持ちこたえ、生き残る剣士も大勢いた。

 

 

「だけどよ、肝心の無惨を発見したのは俺じゃないし」

 

 

ゆかりが七花に任せた役目の最後が、鬼舞辻無惨の捜索である。

 

鬼舞辻無惨の手を介してのみ、鬼は一様に人から化け物へと変えられている。

 

産屋敷家の見解はそうであった。

 

狂犬病が感染するように、鬼に咬まれ手傷を負いながらも生き延びた者が、鬼になったという例はない。

鬼となった者の素性を出来る限り調べてみても、共通する項目はなく、それこそ老若男女問わず鬼となっている。

 

過去の記録も参照し、鬼舞辻無惨を探し出し討伐すれば、鬼の被害は止まるであろう。

その為、鬼殺の剣士の中で最も身軽であり、無尽蔵の体力を持ち、柱に匹敵する実力をもつ七花を遣わせていた。

 

だが鬼舞辻無惨の居場所や正体を掴む事は出来ず十年。

今年に鬼殺の剣士となった竈門炭治郎の手により、鬼舞辻無惨の尻尾をとらえる事に成功したのである。

 

 

「鬼舞辻無惨は鬼の始祖だ。あの多様な血鬼術をもつ鬼たちを考えれば、是非もない」

 

 

と、慰めか謝罪か分からぬ気持ちで、ゆかりは七花の頭を撫でる。

 

ゆかりと七花は、血鬼術の恐ろしさを知っている。

あれは前世で相対した忍びの頭領たちに匹敵するほどに危険だと。

 

前世の刀集めの旅。十二本の刀を蒐集する中で出会った忍たちは、人の身でありながら、おそろしい能力を有していた。

 

 

四尺ほどの女子どもから七尺近い大男まで、姿形や顔、声や仕草まで自在に変える事の出来る忍がいた。

 

鉄鎖に刀を繋げただけの武器で、一つの関を完膚鳴きまでに破壊する忍がいた。

 

物体の残留思念を読み取る事の出来る忍がいた。

 

他者の身体を乗っ取り、何百年も生きてきた忍がいた。

 

そして、自身の身体に別の人間の身体をつなげ、忍法含め其の人間の能力を自分のものとする忍がいた。

 

 

どの能力も脅威であり、忍法という名ながらも血鬼術に近いほどに非常識な力ばかりだった。

 

 

「竈門炭治郎の報告によれば、鬼舞辻無惨は人に化けて人に溶け込んでいたという。

それに、己の情報が洩れぬよう、遠隔操作で鬼どもを自決させる事が出来るのだ。」

 

 

追う者たちにとって、これほど厄介なものはない、とゆかりは呟く。

 

 

「だが鬼舞辻無惨の影を見つける事が出来た。おそらく、年内にも大きな動きが現れるに違いない。そなたの働きもようやく報われるというものだ」

 

「だけど、とがめ」

 

 

と、七花は外の方へと向けていた顔を正面に戻し、ゆかりの顔を真正面から見つめ、髪に、そして頬に手をやった。

 

綺麗だった。

初めて出会った時は人形のような、美しくも作り物のような印象の少女だった。

七花と出会ってから年々美しさを増し、日本一の美女だと臆面なく言える女性へと成長した。

床へと垂れた髪は絹のような艶やかさがあった。

 

だがそれは、光の加減によっては燃え尽きた灰の色のようにも見えた。

そして其の顔色は、前世が見慣れた姉の顔色ーー死病に侵され、明日枯れるかもしれない者のそれだった。

 

成人を境にゆかりの体調は悪化し、今では家政婦の手を借りねば日常生活に支障をきたすほどに病は進行している。

 

 

「案ずるな、七花」

 

 

言わんとしている事を悟り、ゆかりは微笑みを返した。

 

 

「必ず、私たちの悲願は果たされる。それを喜んでくれると、ありがたい」

 

 

そういって、互いの熱を確かめるように、ゆかりは唇を七花のそれに合わせた。

 

ーーーーーーーーーーーー

 

そして鬼殺隊に吉報が巡った。

 

音柱・宇随天元。

階級(ひのと)・竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助。

そして、竈門禰豆子。

 

彼らを中心とした活躍により、上弦之陸を撃破。

味方側は重傷なれど、後遺症無く復帰可能。

 

犠牲なく上弦の鬼を討伐したことにより、鬼殺隊は新たな局面を迎える事となる。

 

 




■こそこそ噂話
ーー遊郭潜入前、藤の花の家紋の家にて

「宇随さん、あの鎹鴉は鑢さんのものですが」

「ああ、そうだが」

「どうやって煉獄さんや御館様に話をつけてくれたのでしょう。
俺たちが宇随さんに会う事を想定してたんですか?」

「あれは鑢の野郎より、ゆかり様の慧眼や采配によるものだろうよ」

「ゆかり様、とは」

「お館様の妹君で、鑢の奥さんだよ」

「宇随さんって、鑢さんて人への態度が悪いっすね」

「あいつは無礼な奴だからな。俺に向かって"もっと鎖とか巻き付けないと忍ぽくなくて地味"とかぬかしやがって」

「いや、鎖を巻き付けてる忍なんている訳ないでしょ・・・」

「(伊之助、茶菓子を頬張っている最中)」


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第陸話 上弦之弐と蟲柱、そして

七花への印象。

・岩柱→自身より長く鬼狩りを続けており敬意をもっているが、どこか危なっかしさを感じており、自分でも分からないが案じている。

・音柱→世間ずれした感覚に戸惑う事もあるが、力量は認めている。

・水柱→力量を認めているが、話した事はない為、特別好印象というわけではない。

・風柱→なぜ柱にならないと憤っているが人それぞれである為、少しもやもやしている。

・蟲柱→複雑な心境。(姉の死に関連して)

・炎柱→一人で洗練された独自の呼吸を編み出した実力者だとみている。

・蛇柱→恋柱と仲良く話している現場を多々目撃しており、内心穏やかではない。

・恋柱→ゆかりとの馴れ初めに浪漫を感じており、好印象。

・霞柱→鬼に襲われ死に瀕していた自分たち兄弟を救ってくれた恩人。


上弦の陸を撃破してから三カ月後。

 

またも驚くべき知らせが、鬼殺隊全体に流れた。

 

日輪刀を作る刀鍛冶たちの里を上弦の鬼が襲撃し、それを柱たちが討伐。

 

上弦之伍、撃破。

討伐者、霞柱・時任(ときとう)無一郎(むいちろう)

当人は重傷だが後遺症なく復帰可能。

 

上弦之肆、撃破。

討伐者、恋柱・甘露寺(かんろじ)蜜璃(みつり)、階級(きのと)・竈門炭治郎および階級(つちのえ)不死川(しなずがわ)玄弥(げんや)、竈門禰豆子。

当人らは重傷だが後遺症なく復帰可能。

 

襲撃の際、何人もの刀鍛冶の命が失われ、施設への被害も甚大であり、里の移転も行われた。

手放しに喜べる話ではない。

しかし本事件より鬼の禰豆子が太陽を克服した為か、鬼の被害がぴたりと止んだ事もあって、鬼殺隊の少なくない人数が鬼との戦いの終結を想像した。

 

そして鬼の出没・被害が収まったと判断されてより、緊急柱合会議を経て柱稽古が執り行われる事となった。

 

 

音柱・宇随天元による基礎体力向上訓練。

 

霞柱・時任無一郎による高速移動の稽古。

 

恋柱・甘露寺蜜璃による地獄の柔軟訓練。

 

蛇柱・伊黒(いぐろ)小芭内(おばない)による太刀筋矯正。

 

炎柱・煉獄杏寿郎による呼吸法の応用技術の習得。

 

水柱・冨岡(とみおか)義勇(ぎゆう)による防御、受けの心得の伝授。

 

風柱・不死川実弥(さねみ)による無限打ち込み稽古。

 

そして、岩柱・悲鳴嶋(ひめじま)行冥(ぎょうめい)による筋肉強化訓練。

 

鬼殺隊の歴史の転換点、鬼との最終決戦を予期した、鬼殺の剣士ほぼ全てが参加する事となった柱稽古。

 

しかしそこには、蟲柱・胡蝶しのぶ。

そして階級甲・鑢七花の姿は無かった。

 

 

柱稽古が始まってから約二月。

 

 

鬼舞辻無惨の鬼殺隊本部・産屋敷本家襲撃を皮切りに、最終決戦は幕を開けるのだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

血鬼術により、鬼舞辻無惨の隠れ家ーー無限城へと強制的に連れ込まれた鬼殺の剣士たち。

 

そのうちの一人、蟲柱・胡蝶しのぶは窮地に立たされていた。

 

 

「うーん此れで五回目。毒はもう尽きてしまったのかい?」

 

 

水に満たされた大きな部屋の中、女の鮮血と死体が散らばる、木橋の上。

しのぶが対するのは、上弦之弐ーー童磨(どうま)

 

頭から血を被ったような不気味な容貌の鬼は、多くの鬼を葬ってきたしのぶ特製の毒を食らっても死ぬ事はなく、徐々に速度を上げて解毒し対応していた。

 

しのぶは小柄な為か、鬼の頸を刎ねるほどの膂力が無い。

 

それを補う為、鬼を殺す毒を開発し、それを打ち込む為の剣技を編み出して力を高め、柱となった。

 

それが全く効果を発揮せず、(あまつさえ)え、童磨の血鬼術の一端である凍てつく血霧を吸い込んでしまい肺胞が傷つき、全集中の呼吸が苦しくなるほど追い詰められていた。

 

 

ーー最後の手段はある。しかし、それに縋る前に全身全霊で相手を倒す。

 

 

その意気込みで、しのぶは技を繰り出した。

 

蟲の呼吸・蜻蛉(せいれい)の舞い、複眼六角。

 

大量の毒を打ち込む六連撃。しかしそれも無駄に終わる。

六撃全てを打ち込まれても損傷はない。傷も毒も一瞬で完治する。

 

 

「いやあ本当に早いねえ。今まで会った柱の中で一番に早いかもね」

 

 

そう余裕そうに呟く童磨。そして、攻撃に集中しているしのぶが察する事も出来ない速さで鉄扇を振るおうとした。

 

このままだと致命傷を負いかねないしのぶ。

その彼女を救うように、童磨の攻撃を妨害するように。

新たな鬼狩りが戦場に現れた。

 

 

虚刀流、木蓮。

七の構え・杜若から放たれた飛膝蹴りが、無限城の壁を突き破り、鉄扇を振ろうとする童磨の首へと向かっていく。

 

 

突如現れた新手に対応せざるをえず、童磨は虚刀流の技を叩き落とすように振るう。

 

脚甲を両断せんばかりに振るわれる其れを、空中で迎撃する。

木蓮を繰り出した足とは別の足にて、虚刀流、鷺草(さぎぐさ)ーー上方から袈裟懸けに振り下ろされる蹴りを放ち、身体のひねりで鉄扇を回避しながら童磨の腕を凪ぐ。

 

曲芸じみた動きを想定していなかったのだろう。

童磨は鉄扇をもつ腕を折られ、しかし片方の腕で斬りつける。

しかしそこには、闖入者も、胡蝶しのぶも居なかった。

 

 

「この動き、見覚えがあるなあ。もしかして、()()()の鬼狩りかい? 今夜は本当に、珍しい事が起こる」

 

 

そうして、胡蝶しのぶを抱きかかえて安全圏へと避難した七花を眺めた。

 

 

「鑢さん、どうしてーー」

 

「動くな。あんたじゃ、あいつの相手は出来ねえよ」

 

 

そう言って七花はしのぶを降ろし、改めて童磨に向き直す。

 

 

「たしか四年前か。手ごたえが奇妙だったから、もしかしたと思ったけど、本当に生き残っていたんだねえ。それに、()()()()()()()()()()柱にでもなったのかい?」

 

 

そう微笑みながら話しかけた。

 

その言葉に、しのぶは改めて七花の前身を見やり、気づいた。

 

彼が羽織るのは、藤色の羽織。産屋敷家の人間がよく身に着けていたもの。

そして彼の腰から垂れるのは一房の白い髪。遺髪と思しきもの。

 

 

「そうそう君に聞きたい事があったんだ。なんで君は鬼狩りを続けているんだい? ()()()()が死んで、君はもう鬼狩りを続けている理由なんてないだろうに」

 

 

そう、言葉を続けた。

 

 

最終決戦の始まりは、鬼舞辻無惨が産屋敷本家に強襲をかけた時。

 

その場に居たのは、鬼殺隊九十七代目当主ーー産屋敷輝哉。その妻、産屋敷あまね。

そして、現当主の妹にして七花の妻ーー鑢ゆかり。

 

 

鬼舞辻無惨の襲来を予期していた産屋敷輝哉は、自らの命を囮にした作戦を計画しており、あまねは夫と運命を共にすべく同行。

作戦の成功率を上げるためと父母に連れ添うつもりだった輝哉とあまねの娘たちーー長女ひなきと次女にちかを言い負かし、自身が足止めに最適だとして、ゆかりは鬼殺隊本部に残った。

 

そして作戦ーー鬼殺隊本部である産屋敷家本邸全体を爆破させて鬼舞辻無惨を足止めし、協力者である鬼の珠世が特効薬を鬼舞辻無惨に見舞う。

珠世を吸収し薬を分解する為に足止めをくらう無惨に対し、集結した柱たちが攻撃を打ち込もうとしたところで無限城へと転移させられ、戦端は開かれたのであった。

 

 

「君は鬼に憎しみがあるわけでもない。恩があったかもしれない女は自爆して木っ端微塵だし、わざわざ自分の命を棒に振ってまで、鬼狩りを続ける理由があるのかい?」

 

 

ーーただでさえ短い命を無駄に散らすような馬鹿な事をした女なのに、それでも君は情を持っていられるんだね。素晴らしい愛だよ、と。

 

童磨は栄養価の高い女を優先的に食って、力を蓄えてきた。

その中には鬼殺の剣士であった者もいる。

食った者から読み取った記憶をもとに、童磨は感動するように声を漏らす。

 

 

その言葉に、しのぶは激しい怒りが沸き上がる。

この鬼は、触れてほしくない人の心を逆撫でするような、無神経な言葉で知ったように口をきく。

 

 

この鬼に殺された者の中には、しのぶの目の前で殺された者のように、ただ幸せに生きたかっただけの者も多かったはず。

それなのに、この鬼は自分勝手な理屈で人を食い殺し、これが救済だど宣うほどに厚顔だ。

 

鑢七花という鬼狩りの事を、しのぶはよく知らない。

姉が童磨に殺された時に居合わせた、しのぶと同じように生き残った者の一人。

 

ーーそして、最愛の妻の為に鬼狩りとなり、柱ならずとも鬼殺隊を支えた剣士。

 

そんな彼を侮辱するような言葉に思わず立ち上がりーー。

 

 

「本当に、ゆかりは馬鹿な女だよ」

 

 

と怒りを微塵も感じさせない言葉を口にした七花に、思わず上げた腰が止まった。

 

 

「ゆかりは自分の寿命が短いのは承知のうちだった。だから、家の事なんて放っても良かったんだ。家に縛られなくても良かったんだ」

 

「だけどよ。それなのに()()()は、幸せそうに笑うんだ」。

 

 

と、七花は力の抜けた姿で佇んだままだった。

 

 

ーー可哀想に。

 

 

と童磨は嘘くさい涙を流す。

 

 

「愛する人を失って悲しいんだね。自暴自棄になる事はないよ。今日で鬼狩りは全員死ぬんだ。すぐに君も楽にしてあげよう」

 

 

そう童磨は続け、しのぶが感知する事の出来ない速度で七花に駆け寄り、その首を落とそうとした。

 

 

童磨の敗因は、二つの事に気づけなかった事。

 

 

七花は無気力に佇んでいるのではなく、虚刀流零の型・無花果(いちじく)という構えを取っていたこと。

 

そして、彼の羽織った着物の襟から覘く胸元に、痣がある事を。

 

 

童磨はおそらく初めて、勘に頼って防御の構えをとった。

 

両腕を頸元で組み、後ろへと跳ねる童磨。

その腕を抉るようにへし折って千切れさせ、頸を中ほどまでつぶす掌底が、童磨に打ち込まれた。

 

虚刀流・一の構えから繰り出される、虚刀流の技で最速を誇る掌底。

 

虚刀流一の奥義ーー鏡花水月。

 

それが童磨に致命傷を与えんとしていた。

 

前回相手どった時、目にしていた技だったからだろう。咄嗟に防御が間に合った。

 

童磨の血鬼術である呼吸殺しの凍てつく血霧を、吸う間もなく技を放たれたのでは効果がない。

 

己を殺しうる可能性がある相手。

それを認識した時、童磨は七花相手に初めて血鬼術を使う。

 

血鬼術、霧氷(むひょう)睡蓮菩薩(すいれんぼさつ)

 

木橋を割り、飛沫を上げながら君臨する氷の大仏。

部屋を埋めつくさんばかりの氷の像が、部屋を凍てつく血煙で満たし、その巨体からは想像もつかない速さで攻撃を行い、七花を葬るだろう。

 

 

刹那の速度で大仏の手刀が振り落とされる直前、童磨は七花の声が明瞭に聞こえた気がした。

 

 

「ーー虚刀流最終奥義、七花八裂(しちかはちれつ)!!」

 

 

像に向かって、拳が放たれる。

それは像ではなく、その後ろの童磨の頸に威力が伝わった。

弾けるように、童磨の頸が千切れる。皮一枚でつながっている事が奇跡だった。

何が起こった、という間もなく大仏の手刀が打ち下ろされ、盛大に飛沫と木橋や死体の破片が舞う。

 

またしても勘に救われた童磨は、上からの衝撃が襲い掛かる。

完治した筈の両腕を掲げて防御した筈が、天井を足場にした前方三回転かかと落としによって断たれる。

 

後ろに下がろうとしたが、腰から下が動かない。

正確には、腰から真っ二つに胴体が切断され、下半身が置き去りになっていた。

 

 

そして追撃とばかりに双掌が肩に打ち込まれ、服ごと上半身の皮膚がはじけ飛ぶ。

 

予想できず味わった事のない激痛に思わず動きが止まった童磨に対し、頸を刈り取らんとする蹴りが、死神の鎌のように童磨の頸を狙った。

咄嗟に出した氷の槍を何本を叩き折り、頸を半ば斬り裂く。

 

鬱陶しいとばかりに、先ほどの掌底が童磨の顔面へと叩きつけられ、顔面を抉り貫通する。

 

そして間を置かずに放たれた貫手が、完全に童磨の頸を穿ち、その首を落とした。

 

 

上弦之弐は、ここに敗北した。

 

冷静に、あるいは冷徹に。

客観的に相手を見据え、情報を最大限に引き出して、自力で完膚無きまでに圧勝する戦い方をする童磨。

 

自分の命すらも他人事のように見据え、様子見をし先手を譲るような戦い方が、おそらく唯一の付け入る隙であったのだろう。

 

 

時間にすれば一分とかからず、戦闘を終えた七花。

 

 

その胸元ーー心臓の位置には、とある痣があった。

それは一見すれば家紋か、もしくは刀の鍔に見えるかもしれない。

 

 

七つの花弁をもつ花と、それをぐるりと丸く囲む円環の蛇。

 

 

それは七花と、とがめ(ゆかり)を暗示するものだと気づける者は、誰一人としていない。




■こそこそ噂話
各奥義の独自解釈

・二の奥義、花鳥風月
牙○零式。コークスクリューブロー。貫通力による攻撃力強化と「防御不能」を体現する貫手。全身を捩じる筋肉の最適な連動が必要な事から、良きものを羅列した”花鳥風月”を連想し命名

・三の奥義、百花繚乱
剣士殺しの蹴撃。アニメでは膝蹴りで表現。達人ほど技の起こりや動きが見えず惑わされ、その蹴りの予測が百様に見える事から百花繚乱と命名。

・六の奥義、錦上添花
超至近距離で放たれる横版のホワイト○ァング+ワンインチパンチ。アニメでは肩への双手刀として表現。必殺の一撃をさらに重ねることから、錦上添花と命名。


・最終奥義 七花八裂
虚刀流の一から七までの奥義を、一瞬と呼べるほどの短い間に連続で繰り出す。
その組み合わせは7!=5040通りもある。
童磨への攻撃は、4→7→6→5→3→1→2の順で行われた。


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最終話 鑢の呼吸、虚刀の鬼狩り

鬼殺隊新本部となった屋敷の一角には、()()()()()()の輝利哉と、その姉妹全員が詰めていた。

 

協力者の鬼・愈史郎の血鬼術により、彼の血鬼術の札を身に着けた(かすがい)(がらす)と、視界や音が共有可能となった。

無惨の隠れ家である無限城の内部を、遠方の鬼殺隊本部から覗き見ることができる。

これにより、高さも奥行きも果て無く続く無限城の内部を地図に書き起こし、各隊士や鬼たちの居場所を把握。

鬼の真祖、鬼舞辻無惨を討つための助けとなるよう働いていた。

 

そんな中、ふいに一人の手が止まる。

産屋敷耀哉の四女、くいな。

彼女たちの父母は今夜、鬼舞辻無惨を討つために命を落とした。

そして、同じく愛していた叔母も。

 

この日が来る事は覚悟していた。

悲しみを理由に立ち止まっている暇は無いと分かっている。

理性とは裏腹に胸の痛みが鎮まることはなく、呼吸するたび燃え上がるように心を苛んだ。

 

この地図作成の技能にしても、空間認識能力に優れ地図作りが得意な叔母の直伝。

ゆかりとの授業、遊んでもらった記憶。

ふいに()()が脳裏に蘇り、涙が零れ落ちてしまう。

 

 

家族の思い出が止めどなく溢れ、胸の痛みがさらに酷くなった。

 

 

「くいな」

 

 

と、動けないくいなの手に、誰かの手が添えられた。

はっと手の伸びる方を見やれば、右隣には彼女の姉ーー長女ひなたが寄り添っていた。

人形のように整った顔にはーー家族にしか分からないーー押し隠した悲しみとくいなを心配する感情が見えた。

 

それは一瞬のことだったのだろう。

 

いつの間にか、ひなたは自席に戻って地図を書き、次々と来る情報を整理しお館様(輝利哉)に報告していた。

しかし冷たかったくいなの手には、ひなたの暖かさが残っている。

かなたは姉の優しさに涙を(こら)えながら、再び筆を動かし作業に戻る。

 

一人で戦っているのでは無い。

 

血を流しながらも鬼たちと戦う隊士たちがいる。

その陰で懸命に働いている者がいる。

一丸となって鬼殺隊の無事と勝利を願う者たちがいる。

そして、鬼を滅し人々を守るために命を賭した者たちがいる。

 

改めて思い出せばこそ、身体が自然と、()すべき事を為していた。

 

 

時刻は丑三つ時。戦況は佳境を迎えている。

 

 

新上弦之陸、撃破。

討伐者一名。

階級甲・我妻善逸。

当人は重症により一時戦線離脱。

 

 

上弦之参、撃破。

討伐者二名。

水柱・富岡義勇、階級甲・竈門炭治郎。

当人らは重症により治療優先。応急手当の後、無惨討伐に参戦。

 

 

上弦之弍、撃破。

討伐者二名。

蟲柱・胡蝶しのぶ、階級甲・鑢七花。

階級甲・嘴平伊之助、階級丙・栗花落カナヲと合流し無惨討伐に参戦。

 

 

上弦之壱、撃破。

討伐者五名。

岩柱・悲鳴嶼行冥、風柱・不死川実弥、炎柱・煉獄杏寿郎、霞柱・時透無一郎、階級丁・不死川玄弥。

 

時透無一郎と不死川玄弥は治療のため一時戦線離脱。

悲鳴嶼行冥、不死川実弥、煉獄杏寿郎は無惨討伐に参戦。

 

柱たちが集結し、鬼舞辻無惨を討とうと刀を振るっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

鬼舞辻無惨は、千年生きてきた中でも最大の苛立ちを感じていた。

 

無惨の計画に綻びが生じたのは、鬼殺隊本部である産屋敷家の本邸を見つけ出し、当主を殺そうと乗り込んだ先での事。

 

無惨は、太陽を克服した鬼・禰豆子の居場所を知るために、鬼殺隊当主を吸収し記憶を読み取り場所を探ろうと考えていた。

 

本部にいたのは瀕死の当主とその妻。そして当主と同じく死にかけの女。

己を散々邪魔してきた鬼殺隊の当主が弱りきった病人である事に、驚き、憐れみ、見下しながらも、自身の目的を果たそうと無惨は鬼殺隊当主に近づいた。

 

だが、聞くつもりの無い当主の言葉に耳を傾けてしまい。

その妻や当主の妹の言動や演技に謀られ、屋敷に仕掛けられた罠に気づけず。

当主の目論見通りに罠に嵌り、謎の血鬼術による血肉の杭の足止めを受け、裏切り者の鬼・珠世の特攻により彼女謹製の人間化薬を食らう羽目になった。

 

無惨を脆弱な存在(人間)に戻そうとする毒薬を分解するため、無限城に籠ったはいいが解毒の際に体力を大きく消耗。

回復を図るため、無惨に近づいてきた鬼殺隊士を捕食しようとしたが、柱ーー筋骨隆々の二刀流の剣士ーーに阻まれ、それも叶わなかった。

 

その柱は無惨に傷をつけるほどの剣才は無かった。

しかし素敏(すばしっこ)い動きで撹乱し、苦無や爆薬などの狡い小細工を用いて弱い隊士たちが逃げる時間を稼いでいた。

それだけでなく、他の柱たちが到着するまでの時間、一人で無惨の足止めをしていた。

 

毒使いの柱。

無刀の鬼狩り。

目敏い少女剣士。

二刀流の猪頭。

 

次々に現れる鬼狩りたちが、無惨の攻撃を蠅のように掻い潜り、効きもしない斬撃を与えてくる。

殺傷範囲にいるのに殺害できない。

その苛立ちが徐々に、無惨から冷静さを失わせていた。

 

そして猗窩座を倒した柱と、一番の誤算である耳飾りの鬼狩りが戦いに加わった。

耳飾りの剣士は日の呼吸を使い(こな)すまでに成長していた。

忌々しい縁壱(ばけもの)には劣るものの、柱に近い実力を以て無惨を斬り体力を奪い続ける。

 

用意した数合わせの雑魚鬼も全て討ち取られ、上弦の鬼すら討伐された。

 

それだけでなく、異常な髪色の柱や縞羽織の柱も参戦したことで、それらを降した筈の鬼ーー無限城を司る新上弦之肆・鳴女ーーが敵の支配下に置かれている事を知る。

 

 

感覚を共有する無惨に対し、呪いにより偽る事ができない配下の鬼から、虚報が流された。

敵の操り人形になったのならば、無限城を操り無惨を陽の下に投げ出す事も可能だろう。

無限城は難攻不落の城ではなく、砂上の楼閣と言える不安定な物へと成り果てた。

 

ゆえに、珠世の作ったであろう鬼に支配された鳴女を処分せざるをえず、結果として無限城は崩壊。

月が照らす街中に転移した両者は、互いに心身を磨り減らす消耗戦を続けた。

 

 

無惨の腕が、片腕三丈(さんじょう)を超えて伸び、柱たちを襲う。

腕は鋭利な鉤爪が満遍なく生えており、返しの付いたそれは肉を切り裂くだけでなく、傷口をずたずたにしながら肉を抉るだろう。

 

それだけでなく、体表全面に不規則多数にある口は瞬間的に多量の空気を吸排し、対する者を引き寄せ押し崩す。

 

たとえ無惨の腕を掻い潜れたとしても、その先には、背中から九本、太腿から各四本の計十七本の細い管がうねり、接近した者を切り刻もうとする。

 

高速の生体鞭二種と、体勢を崩す不可視の風。

 

それらに晒されながらも、鬼殺隊の柱たちは間一髪の距離で避け、攻撃を続けていた。

 

 

「吸息したぞ! 派手に動け!」

 

 

観察眼に優れた二刀の剣士ーー音柱・宇随天元の言葉に、ぎりぎりで柱たちは攻撃を凌ぐ。

 

水柱・冨岡義勇の剣は無惨の攻撃を全てなぎ払い、岩柱・悲鳴嶼行冥の技は間合いの広い技を以て自身を守り、崩れつつある仲間を庇う。

 

 

風の呼吸・(はち)の型、初烈(しょれつ)風斬(かざき)り。

蟲の呼吸・蜻蛉の舞い、複眼六角。

炎の呼吸・()の型、煉獄(れんごく)

 

 

俊足の柱たちが、一撃離脱の戦法で相手に傷を与える。

 

 

無論、柱たちとて無傷ではない。

 

紙一重で避けねばならぬ事も多々あり、身体中が傷だらけだ。

 

ならびに、無惨の攻撃には、生物にとって猛毒である自身の血が含まれており、(かす)めただけでも致命傷になる。

 

だがそれも、珠世謹製の解毒薬が提供された事で症状が緩和され、戦い続ける事が出来ていた。

 

 

力の及ばない隊士たちは無限城崩壊に巻き込まれた仲間を救う為に奔走し、無惨に一矢報いる事のできる隊士は、協力者・愈史郎の"目くらましの札"を身体に貼り付け、密かに攻撃を与え続けている。

 

 

圧倒的な身体能力を誇る鬼の真祖・鬼舞辻無惨に対し、鬼殺隊は互角以上の戦いを繰り広げられていた。

 

 

象と蟻ほどの戦力差があるはずなのに押されている。

何かがおかしいと無惨が感じた時には、戦況は無惨の不利に傾いていた。

 

彼は当初、自身の異変に気付かなかった。

珠世が無惨に食らわせた人間化薬に隠れ、第二の薬として、無惨を衰えさせる"老化の薬"が混合されており、寿命に換算して一万年近く老いている事に気付けていなかった。

 

 

故に、それに気づいた時、彼は迷わず逃走を選択した。

 

身体を千以上の肉片に分裂して逃れようとするが、第三の薬"分裂阻害"に阻まれ断念。

 

隙を晒すのも構わずに溜めを作り、柱たちに身体中をなます切りにされながらも、最大威力の攻撃ーー体外放電を行った。

 

未知かつ最速最大の一撃を受けて、柱たちは弾き飛ばされ気絶。

"目くらましの札"により姿を隠していた者たちも一網打尽に倒した。

 

余裕があれば、瀕死の鬼狩りたちの息の根を止めたかっただろう。

だが一厘でも死の可能性があるならば、それに固執する理由はない。

 

 

第四の薬”細胞破壊”で予想外に損傷していた事もあり、全力で遁走を図る無惨。

 

 

その背中に、一つの銃弾が撃ち込まれる。

そして打ち込まれた部位から木の幹が生え、無惨を地面に繋ぎ止めた。

 

 

ーー血鬼術・静爛(せいらん)風樹(ふうじゅ)

 

 

それは、無惨と柱たちの決戦場より後方から飛来したもの。

周囲を一望できる高い建物から狙撃をしたのは、風柱・不死川実弥の弟ーー不死川玄弥。

 

鬼を食らう事で一時的に鬼となれる彼は、上弦之壱の一部を食らった事で凶暴化し、今の今まで取り押さえられていた。

だが、無惨の弱体化によって間接的に鬼の狂化が解かれ、戦線に戻る事ができた。

 

しかし、この血鬼術を放てるのは一度きり。

彼の中の鬼の血は薄れてなくなり、人間に戻る。

全集中の呼吸が使えない彼は戦線に立つ事が出来ない。故に。

 

 

「時任さん、後は頼みます」

 

 

悔しさを言葉にのせて託す。体力を消耗していた彼は卒倒した。

それに続くように、戦線に復帰した一人の柱が無惨に相対する。

 

 

霞の呼吸・()の型、移流(いりゅう)()り。

同じく伍の型、霞雲(かうん)の海。

 

流れるような一撃に次いで、高速の細かい連撃が無惨を切り刻む。

 

打ち込まれた木に身体を拘束され、打ち払おうにも体内を蝕む木の根に動きを封じられた無惨は、霞柱・時任無一郎の攻撃を無防備に食らう。

 

赫刀を発動している時透の剣はかなりの痛みを与えたが、無惨は奇しくも斬撃により束縛を逃れた。傷口が開き満身創痍である時任から逃れようとするが、別の追撃が、それを許さない。

 

 

雷の呼吸・(いち)の型、霹靂一閃・神速。

花の呼吸・()の型、(べに)花衣(はなごろも)

蛇の呼吸・参の型、(とぐろ)()め。

恋の呼吸・()の型、懊悩(おうのう)(めぐ)る恋。

獣の呼吸・捌の型、爆裂猛進(ばくれつもうしん)からの(ろく)の牙、乱杭(らんくい)()み。

 

 

岩柱に庇われた者たちがいち早く回復し、攻撃を見舞う。

 

 

二度目の放電を放ち、再び追手を退ける無惨。

それでも、神や仏は許さないとばかりに、三度目の追手が現れる。

 

 

虚刀流最終奥義、七花八裂・改。

そして、日の呼吸・拾参(じゅうさん)の型。

 

 

異端といえる無刀の鬼狩り、鑢七花。

無惨を追い詰めた日の呼吸の再来、竈門炭治郎。

 

連撃の最高峰とも呼べる隙間ない致命打の数々。

それが、弱った無惨に浮き出た古傷ーー数百年前に無惨を追い詰めた日の呼吸の使い手が遺した傷跡ーーに余す事なく叩き込まれる。

 

 

それが最後のひと押しとなったのだろう。

 

無惨は活動を止め、そして差し込む陽の光に、ゆっくりと灼かれて死んだ。

 

誰かの思いを知ることも出来ず、知ろうともせず。

そして誰かに思いを継ぐ事も出来ないままに、無惨はこの世から消えた。

 

ここに、鬼との戦いは集結。

鬼殺隊の勝利をもって、千年を巡る鬼舞辻無惨との因縁は晴らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

夜明けの太陽の下、戦場に残る鬼殺隊の皆は涙を流し、叫びが込み上げる。

だが、これで終わりではない。柱を筆頭とした怪我人の救護に、現場の事後処理など、やるべき事は多々あった。

慌ただしくなる界隈の中で、最初に気づいたのは炭治郎だった。

 

 

「あれ、鑢さんはどこに?」

 

 

激戦で疲労困憊ながらも、炭治郎は一人の鬼狩りの姿を探した。

 

 

彼は炭治郎の恩人の一人だった。

 

煉獄杏寿郎とともに、無限列車の戦いで上弦之参から命を救ってくれた。

 

その縁があって杏寿郎の継子になった際、修練の中で鑢七花の技ーー七花八裂を伝え聞き、それが技を繋ぐ日の呼吸の拾参の型を発見するための手懸りとなった。

 

そして最終決戦では、無惨の放電攻撃から炭治郎を庇ってくれた。

 

鑢七花は鬼殺隊随一の体力を誇ると聞くが、そんな彼でも、最終決戦を経た今では疲労で動けない筈だが、一番近くにいた炭治郎の付近に姿は無かった。

 

薄れる意識の中、隠の後藤の叫び声から、七花が鬼殺隊旧本部へと走り向かっている事を炭治郎は知った。

しかし限界に達しており、どうする事も出来ずに気絶してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

前身傷だらけの半裸の男が、夜明けの街、野原、山の中を走り抜けていった。

 

男ーー鑢七花には、痣が発現している。

痣とは、全集中の呼吸・常中の効果を超えて、寿命を前借りするように身体能力を飛躍させた者の印。

痣を発現させた者は、齢二十五までに死ぬという。

 

そして七花の年齢は、今年で二十五になった。文字通り、一刻の猶予もない。

その中で彼は、愛する者が居た場所で人生を終えたいと考えていた。

 

 

刀は鞘へ。あるべきものは、あるべき人のもとへ。

 

 

そして彼は、爆発によって更地となった産屋敷旧本部ーー鑢ゆかりが命を賭した場所へと辿りついた。

爆薬は屋敷に万弁なく設置されており、当然ながら人が隠れられる場所はどこにも無い。

希望も一縷の望みも何も無い。その事に七花は乾いた笑いが込み上げてきた。

 

ゆかりが以前、言った言葉が頭によみがえる。

私たちは四季崎記紀によって存在しえたのだと。

 

まるで用済みだとばかりに何もない景色を見て、七花はなんともいえず一人で笑うしか出来なかった。

 

 

四季崎記紀とは、前世において、七花ととがめ(ゆかり)が出会い旅をする切っ掛けとなった十二の刀ーー完成形変体刀の製作者である。

 

戦国時代に生まれた彼は、完成形含む千本の刀を打ち、ばら撒いた。

その刀の所有数で国力が決まるとさえ謳われ、実質、戦国を支配していた四季崎記紀。

彼は優れた刀鍛冶であると同時に、占術師の家系に生まれ未来を予知する凄腕の占い師でもあった。

 

予知能力を以て日本という国の滅亡を知った四季崎の一族が、日本滅亡の歴史を改竄(かいざん)する為に生み出した最高傑作が、四季崎記紀という人間だという。

 

 

前世と今世では、日本の歴史に異なる箇所があった。

 

前世において、戦国時代を終結させたのは、四国から日本を治めた旧将軍であった。

今世において、戦国時代を終結させたのは、尾張に生まれた魔王に、後を継いだ太閤だった。

 

前世において、旧将軍なき後、家鳴将軍家が尾張に幕府を開いた。

今世において、太閤なき後、徳川将軍家が江戸に幕府を開き、明治に入り東京へと名を改めた。

 

前世において四季崎記紀という人間が、今世に生きていたという証拠はない。

だが、四季崎家の人間は、確かに今世に生きていたという。

 

 

今世。千年前の平安時代。

 

鬼舞辻無惨の呪いにより無惨の血筋はほぼ断絶し、とある神主の助言により命を長らえた一族が産屋敷家である。

 

その神主の名は四季崎といい、その神主の娘を娶り産屋敷家は生まれた。

つまり産屋敷家の人間には、四季崎の血が流れている。

 

 

今世の四季崎が、前世の四季崎と類似する点はいくつかある。

 

 

四季崎の血を引く産屋敷家当主は、勘働きという形で予知に近い未来を見通せる事。

 

 

産屋敷家の記録によれば、日輪刀の技術は件の神主より伝えられたものである事。

 

刀鍛冶の里のとある家には、燃料を必要とせず、戦国時代に製作されてから三百年以上稼働する六腕の戦闘用絡繰り人形ーー縁壱零式が受け継がれているという。

 

これは前世において戦国時代に四季崎記紀に製作された、太陽電池で稼働する四足四腕の戦闘絡繰り人形ーー完成形変体刀が一本である微刀(びとう)(かんざし)ーーに酷似している。

 

 

同じく刀鍛冶の里では、記憶の遺伝といわれるものが伝わっている。

先祖の記憶が遺伝し、自身が初めて刀を作る時に同じ場面を見た記憶がある、経験した事のない出来事に覚えがある、といった事例が多々あったという。

 

前世において、完成形変体刀が一本ーー毒刀(どくとう)(めっき)ーーは、四季崎記紀の意思を最も強く宿し、担い手の意識を乗っ取り四季崎記紀の人格が復活する事もあった。

意識・経験・記憶の遺伝という点において、肖似(しょうじ)していると言えるのではないか。

 

 

人間に近い知能を持ち人語も話す(かすがい)(がらす)を産屋敷家で育成しているが、前世において動物を介して意思疎通や会話を行う技術が一部で伝わっており、七花もそれを目撃している。

 

四季崎記紀の関与を肯定するには説得力に欠けるが、否定するには(わだかま)りが残るといったところ。

 

 

今世の四季崎が、何を考え鬼殺隊の誕生に寄与したかは不明である。

しかし鬼ーー鬼舞辻無惨が今世の歴史における修正点だとするならば。

四季崎記紀が千本の習作を以て作った最後の刀であり、歴史を改竄するための刀ーー虚刀(きょとう)(やすり)と、その担い手を誕生させたと考えるのは、不自然であろうか。

 

 

そう、戯言としてゆかりが話していた言葉を、七花は思い出す。

 

だが、千年前の四季崎の思惑など知った事ではない。考えるだけ面倒だと七花は思う。

それより七花は、愛する人を偲びたかった。

 

七花の心には、愛する人を失った悲しみや後悔がある。

しかし、愛する人の思いを胸に戦い貫いた武人(かたな)としての達成感もある。

 

自分はあくまで、自分の為に戦った。

愛する女(ゆかり)の願いーー鬼を倒し家族を呪いから解放する事ーーを叶えられた。一人の男としてこれ以上ない愛の証と胸を張ろう。

前世において、呪いともいうべきしがらみで復讐の道を歩んだゆがめを思えばこそ、たとえ独りよがりな自己満足でも、強くそう思う。

 

ーー花たるもの、散るは覚悟の(こころ)あり。

ーー花の最後は見事と思え。

 

己の名前に準えて散り際の一言を考えようとしたが、下手くそなそれに思わず笑いながら、腰を落とす。

 

 

するとふいに、桜の薫りを感じた。

元を辿るように顔を向ければ、そこに懐かしい顔が見えた気がした。

 

 

腰まで伸ばされた白い髪。

小柄な身体を着物で包み、整った顔には気の強そうな瞳が輝く。

 

つい昨日離れたばかりだというのに懐かしく思うのは何故か、七花には分からなかった。

 

 

そのまま薫りに(ひた)るように、七花は目を瞑る。

 

 

ーーたとえ裂かれる時があろうと、それは刹那のことであり。

ーー愛は運命(さだめ)永遠(とわ)に変える。

ーー地獄が永遠(とわ)に続くとしても、ただただ、それに寄り添うのみ。

 

 

七花は疲れもあってか、そのまま静かに意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

時は大正から百年を過ぎた頃。現代と区分される時代の日本にて。

 

本国最高齢を記録した産屋敷(うぶやしき)耀利哉(きりや)の元に取材が来ていた。

 

彼は取材に来た者に対し、舞踊が長寿の秘訣と端的に言った。

取材者は、運動こそが長寿の秘訣と単純に締めた。

 

本当の意味は、産屋敷家だけが知っている。

それは、彼が幼少期に数度見た、舞いのような武の姿。

亡き叔父が世に出し、たった一人のために振るった剣の型。

 

当時は鑢の呼吸と呼ばれたそれは、失伝や未伝の技もあり大きく形を変えたが本来の名前を付け直され、舞踊として産屋敷家や他家に嫁いだ輝利哉の姉妹を通じて伝わっている。

 

虚しい刀の流れと書いて、虚刀流。

 

唯一無二の真実であり絶対であるものが歴史ならば。

人が歴史だと言う者がいた。

 

人の知る歴史は嘘かもしれないが、人の知る人の生は嘘ではない。

虚しい刀の流れとは言えども、ゆかりと彼女を愛した七花の人生は(まこと)のものとして、確かに語り継がれている事を、産屋敷の人らは覚えている。

 




■こそこそ噂話
・不死川実弥の血鬼術
不死川玄弥が鬼化した際の血鬼術名は(私が知っている範囲だと)不明ですので、独自解釈で設定しました。

血鬼術名:静爛風樹(せいらんふうじゅ)

※静(相手を拘束して静かにさせる)
爛(内側から爛れるような痛みを発する)
風樹(風にのる弾丸とそこから生える樹木)
風の呼吸・参の型、晴嵐風樹をもじって名前を勝手に考えました。

・「鬼滅の刃」世界の四季崎が、なぜ鬼殺隊に関与したか
世界にまたがる大戦において、鬼舞辻無惨(正確にはその細胞)が兵器として利用され、制御しきれず日本が滅亡する未来をみた為。
鬼舞辻無惨が蘇生した命であり誕生を予知することが出来なかった為、後手に回り、それが鬼殺隊の設立に関わった。


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余話【不定期更新】
余話 ちょこれいとの話


2021年2月14日は、イベント「鬼滅祭オンラインーアニメ弐周年記念祭ー」が開催される日です。
その縁もあり、余話を投稿しました。
今後も不定期に更新していければと思います。


「とがめー、ちょっといいか」

 

 

そう言って、男は部屋に入ってきた。

文机に向かって座る女性に近づきながら、抱えていた風呂敷を解き、包まれていたものを彼女に差し出した。

男の声に振り向いた女性は、渡された直方体の箱に書かれた文字を口に出して読む。

 

 

「ちょこれいとくりいむ、か。菓子なら茶を用意せねばな」

 

 

「ああ座っといてくれよ。俺が淹れてくるから」

 

 

と、男は女の手に土産のそれを握らせて、早足で台所へと駆けていく。

 

全く(せわ)しない奴だと、女性は小言めいた口調で言う。

しかし、その顔に不快な感情は全く無い。嬉しさに笑みを浮かべていた。

 

女ーー鑢ゆかりにとって、男ーー鑢七花から贈り物を貰うのは珍しい事ではない。

 

七花は、鬼殺隊という組織に属する人間だ。

鬼殺隊は鬼と呼ばれる化け物を倒し、無辜の人々を守るための私設武装組織。

鬼殺隊を指揮する産屋敷家が運営するそれは、滅私奉公めいた目的からは想像に反して、給金という形で所属する隊員に報酬が支払われる。

 

最下位の隊員でも、人並み以上の金を得る事が出来た。

七花という男は、入れ替わりの激しい組織の中で十年近く最前線で働いてきた古参。

柱という幹部を除いた最上位の隊員である為、その稼ぎは怖ろしいまでに多い。

 

育ち故に本人の生活は質素なものだが、妻であるゆかりに対しては例外で、珍しい贈り物を買う際に金に糸目をつけない。

 

このように贈り物を貰う事は珍しくなかったが、この贈り物自体は大変珍しいものだった。

 

熱で溶けたか、苦いような香ばしいような独特の芳香が漂う。

甘い匂いから察するに菓子の類。

 

箱を空ければその正体は分かるものだが、せっかくなので敢えて開けずに想像を膨らませていた。

 

 

「待たせたな。もう開けたか?」

 

 

「いいや、まだだよ。一体どんなものが想像もつかぬ」

 

 

「俺も実際に食ったわけじゃないけど、すげえ美味いらしいぜ」

 

 

と、七花は嬉しそうに笑いながら、お茶が注がれた湯呑を茶托に載せ、ゆかりの元に置く。

彼は食に対する関心は薄いが、人づてに評判なものはそれとなく覚えていて買ってくる事が多い。これもその例に漏れない。

 

一言断りを入れて、箱の側面を押すようにして開く。

中身を見ると、包装紙に包まれた丸い物が見えた。

それを七花と自分に三個ずつ分けて菓子皿に置く。

 

彼と同時に個包装された包みを開けば、こげ茶色で艶々(つやつや)としたものが現れた。

小豆餡のねっとりとした質感とも、黒糖飴の薄っすら透けるような質感とも違うそれを一口かじる。

 

少し融けてはいるが硬めの薄い皮は、ぱりぱりとした食感で苦くも香り高い。

その中には白くて甘い、ねっとりとした餡ーー生くりいむが一杯に詰まっていた。

 

 

「・・・これは美味しいな。七花はどうだ?」

 

 

「苦くて甘い。あと喉が渇く」

 

 

「そうか」

 

 

と、彼の素朴な感想に笑いながら、七花と同様に茶を啜った。

 

 

ふう、と誰からともなく吐息を零す。

 

 

「なんかそれさ、()()()()で人気だとか。元は舶来品らしいけど、向こうじゃ身体にいい()(もん)みたいだぜ」

 

 

その蘊蓄(うんちく)に相槌を打ちながらも、知らずにゆかりは笑みを深めた。

 

彼女は特別、珍しい物や高価な物に惹かれはしない気質だ。

彼女の実家ーー産屋敷家は素封家(そほうか)でそれらにも縁があり、特にゆかりは()()()と呼ばれた()の頃は豪華絢爛な品々を集め身に着けたりと気持ちに慣れがあった。

 

彼女にとって喜ばしいのは、純粋に七花が、彼女の為にと一心に品を選んでくれた事だ。

 

直接口には出さないが、七花は常日頃からゆかりの身を案じている。

産屋敷の人間は、代々、呪われていると言えるほどに薄命だ。

男子は一人を残して兄弟早死にする事はざらにあり、女子も十三歳までに嫁がせ名字を変えなければ病気や事故で早世する。

 

おそらく、ちょこれいとに関しても効能を気にして買ったと、その雰囲気から断言できる。

病で身体が弱く、産屋敷家の役目以外で外出することが難しい彼女に対し、気晴らしになるようにと明るい話を振っているのも見てとれた。

そんな気遣いが彼女には嬉しかった。

 

 

「他の店には餡に酒精が練り込まれたのがあるらしいけど、こっちのが美味そうだから買ってきたんだ」

 

 

そう言って、茶をぐいと飲んでは再び注いで飲む。

 

昔から変わらないのか、七花が下戸らしく、辛いものや苦いものには慣れていない。

(茶は割と高価なものを使っている為にぐびぐびと飲める)

 

おそらく彼の舌には、くりいむの甘さよりも、ちょこれいとの苦みが残っているのではないか。

そう思った時、ふと悪戯心が芽生え、彼にそっと近づいた。

 

 

七花、と声をかけ振り返らせると、その口に己の舌を忍ばせた。

 

そのまま数秒、時が止まったように二人は動かなかった。

 

 

「・・・どうだ。甘いか」

 

 

「いや、まだ苦い」

 

 

「馬鹿者。そこは甘いと言っておくのだ」

 

 

欲張りな奴めと呟きながら、ゆかりは七花の肩に手をやった。

 

 

 

 




■対象こそこそ噂話
・日本へのチョコレートの歴史
1797年、長崎にて伝来の記録が残る。
1899年(明治32年)、森永製菓よりチョコレートクリームを製造販売。
明治36年に博覧会に出品され、森永のチョコがさらに有名になったとか。


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