ヤザンがリガ・ミリティアにいる (さらさらへそヘアー)
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置き去りにされた獣

反ザンスカール組織、リガ・ミリティア。

もともとは各コロニー群間で腐敗し弱体化した連邦政府に対抗する為、

或いは連邦の助力無しに宇宙戦国時代を乗り切る為の神聖軍事同盟だった。

しかしサイド2で興った新興宗教マリア教を核とした『ガチ党』が、

マリアの慈愛と『奇跡』…そしてギロチンの恐怖で勢力を伸ばすにつれて

神聖軍事同盟リガ・ミリティアはガチ党の脅威に対して機能しだす。

機能不全に陥っている地球連邦は、

もう歴史の表舞台に立って世界を主導する立場を永遠に失ってしまったが

それでも連邦に属する全ての者が腐敗しているわけではない。

一部の軍人、政治家、官僚は恐怖政治と横暴な侵略を繰り返すガチ党勢力に対抗する為、

リガ・ミリティアに対して資金援助、兵器・人員の横流し、

領域侵犯のお目溢し、アジト・工場の提供…etc…

独自に協力をしそれぞれの戦いを開始していた…。

 

そして、リガ・ミリティアの得た新たな助力の中に…

半ば忘れ去られ放置されていた連邦の軍事関連施設に、

過去のとある罪状から冷凍刑に処されていた

連邦軍人の提供というものがあった。

それが、これから始まるザンスカール戦争の運命をどう変えるのか…。

この時はまだ誰も知る由もないことだった。

 

 

 

―――

 

――

 

 

 

 

「オリファー!そこで引く奴があるか!

ビビるんじゃない!戦場ではビビった奴から死ぬぞ!」

 

「く…!すみません隊長!」

 

リガ・ミリティアのMS訓練場…辺境の小さな連邦軍基地から提供された演習場で、

2機のジェムズガンが低出力の模擬ビームライフルで戦っていて、

それを何機かの同型機が眺めている。

その戦いは一方的だ。

肩に亀の甲羅模様のエンブレムを刻んだジェムズガンが、

もう一方のジェムズガンの攻撃を誘う。

 

「もっと踏み込め。どうせ当たりゃあせん!

お前の攻撃などわけもなく捌けるんだ。心配せず本気で来い!」

 

「…いきます!」

 

隊長と呼ばれた男の野獣的な男臭い声には多分に挑発的な抑揚があった。

それを短くない付き合いになってきたオリファー・イノエは理解した。

ややカチンときて、それなら…とばかりに無遠慮にビームサーベルを抜刀した。

振りかざすことはせず突きの形でバーニアを吹かす。

 

「はっ!いいじゃないか。そうだ、殺気を漲らすぐらいで丁度いいんだよ貴様は!」

 

サーベルも模擬戦用に低出力になっていはいるが、

それでもコクピットに直撃すれば下手をすれば大火傷だ。

だが、隊長機の外部スピーカーから聞こえる男の声は嬉しそうですらある。

 

「隊長…お覚悟!」

 

「甘いってんだよ!」

 

オリファー機の刺突が空を突く。

バーニアの補助無しに関節をバネのようにし力学的に完璧なタイミングで跳躍した隊長機は、

MSの脚力だけでオリファー機の腕を踏み台にする。

 

「なんだってぇ!?」

 

そんな無茶苦茶な。

オリファー・イノエは思わずトレードマークのメガネをずり落っことしそうになりながら、

そして自機の頭部を思い切り蹴り上げられた衝撃で本当にメガネを落とした。

 

ドシィーンというけたたましい音を響かせてジェムズガンが倒れ、

そして蹴り上げた隊長機は見事に着地していた。

コクピットハッチを開けて2機の訓練を観ていたジェムズガン達…

その内の1機のパイロットが涼やかな女の声で叫んだ。

 

「隊長!ちょっと、やりすぎですよ!」

 

コクピットから乗り出した女の姿は長身で、パイロットスーツから覗く肌は浅黒い。

しかしその顔立ちやスタイルは十分に美女というに相応しいものだ。

 

「マーベット、なんだ彼氏の心配か」

 

隊長機から揶揄する返答がきて、

それを周りのジェムズガンもヒュー!等とわざとらしく乗っかってくる。

だがマーベットは慣れたものだった。

 

「違いますよ!ジェムズガンの頭がひしゃげたでしょう!

人間の怪我は放っておいても治るんですからね!」

 

MSはそうはいかないでしょう!

そう続けたマーベットの剣幕に思わず周りの訓練生達も野次を止めた。

勿論、マーベットの発言が照れ隠しなのは言うまでもなく皆見抜いているが…

取り敢えずその剣幕のままに

野次を飛ばした者の所に来られてしまったら恐ろしいのだと男達は尻窄みだった。

それに、取り敢えずマーベットの言は的を得ている。

ゲリラ組織であるリガ・ミリティアは基本、貧乏だ。

世界に冠するあのアナハイム・エレクトロニクスもバックボーンについてくれているが、

それでも表立って堂々と資金を回せない以上豪勢に金は使えない。

現代では雑魚の代名詞たるジェムズガンだって修理費用は激安とまではいかない。

 

「そうカリカリするな。訓練はこういう実戦形式でないと体が覚えん。

貴様らの上達具合を見りゃジェムズガンの修理代くらい安いもんだ」

 

しかしヤザンはあくまで費用がかさむ訓練をバカスカ行う。

これまでもこうだし、多分今の発言から思うにこれからもこうだろう。

 

「しかしですね隊長…!」

 

「スポンサーを納得させるくらいの費用対効果は出してみせるさ。

いいから今は黙って訓練に集中しろ。…よし、余計な考えばかりしてる貴様だ!

次、マーベット!来い!」

 

「う…しまった…」

 

マーベットは小声で唸った。

 

「来ないなら俺から仕掛けさせて貰おうか!」

 

「うわっ…ちょ、ちょっと隊長!きゃあ!」

 

慌ててコクピットハッチを閉めたマーベット。

2分後、オリファー機の横に同じように倒れ伏すことになるのだった。

 

こうしてザンスカールが本格的に建国されるまでの期間、

リガ・ミリティアのパイロット候補生達はMS隊総隊長の地獄の訓練を潜り抜けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

リガ・ミリティアの秘密工場兼アジトの一室で、

やや形式の古い据え置き型コンピューターとにらめっこしているメガネの男。

地獄の訓練を突破し今では立派なヤザンの右腕となったオリファー・イノエだ。

そんな彼の元に事務仕事を押し付けた

彼の敬愛し畏怖する上官がコーヒー片手にやってきた。

 

「どうだオリファー。人選は進んでいるか?」

 

「…ええ、お陰様で。隊長のお陰でデスクワークの訓練までこなせてます」

 

金髪のリーゼント頭の隊長からコーヒーを受け取りちびりと口をつけたオリファーが愚痴る。

 

「言うな。俺は他にもやらなきゃならんことがある。

MS隊統括なんて言えば聞こえはいいが…実態はただの尻拭いと雑用だ。

チッ、こんなゲリラ組織やってられん」

 

実際、彼の仕事は多い。

MS隊の訓練、パイロットの人材発掘、

リガ・ミリティアが独自に進めているMS開発計画のテストパイロットを多く務め、

技術部との意見交換にも忙しい。

過去、大小様々な規模の作戦に幾つも従事した経験から

何人ものジン・ジャハナム(リガ・ミリティアの首領。何人もの影武者がいる)とすら

作戦会議を共にしたこともある。

 

「隊長が昔いた組織…ティターンズでしたっけ?」

 

「あぁ」

 

「俺も歴史の授業で習いましたよ。連邦の精鋭部隊だったんでしょう?

やっぱリガ・ミリティアとは違うんですか?」

 

「当たり前だ。やってたことには多少問題があったが、腕っこきは集まっていた。

それをサポートする整備士も施設も一流…金も湯水のように使えたもんだ」

 

やや眉をしかめて隊長が金のオールバックを掻き上げた。

 

「へぇー…羨ましいですなぁ。あの連邦にそんな時代があったなんて、

テキストには載ってますがやっぱ本物を見ないと疑ってしまいます」

 

「その本物に訓練をつけてもらったんだ。泣いて喜ぶんだな!」

 

粗暴で獰猛な、だが男らしい笑い。

 

「ティターンズ大尉…ヤザン・ゲーブル、か。

教本にも載ってる歴史の生き証人に訓練つけてもらってるなんて…

未だに信じられませんよ」

 

「ハンッ!どうせ教本には30バンチ事件とかしか載っていないだろう?

くだらん嫌味を言ってる暇があったらさっさとリストを見せろ。

候補は絞れたんだろう?」

 

「はい、コチラです」

 

軽く頭をはたかれたオリファーはそんな事に意も介さない。慣れっこだ。

それにオリファーの言葉に嘘は無い。本当に信じられない程彼は嬉しいのだ。

70年程前、確かにティターンズは歴史に残る残虐事件を起こしたのは

後世の者たるオリファーは知っているし、ティターンズのホロコーストは許せない。

だが、今の世代の人間にとって

1年戦争やらグリプス戦役やらは過ぎ去った歴史の1ページでしかない。

冷凍睡眠から目覚めた若いままの当事者が目の前にいてもその罪を糾弾する気にはなれず、

寧ろ歴史に残る大戦争の経験者として一軍人として尊敬の念を抱いてしまう。

犠牲になった過去の人間には申し訳ないが…とオリファーは思いつつ、

やはりヤザンに尊敬と憧れを抱かずにはいられない。

それに、ヤザンの実年齢は

リガ・ミリティア最年長であるロメロ爺さんの84歳を超えて91歳なわけだが、

冷凍刑のお陰で老化の止まっていたヤザンの肉体年齢、精神年齢はオリファーと同年代だ。

戦い盛りの男が軒並み戦死してしまっている宇宙戦国時代の今、

二人は貴重な同性同年代のMSパイロットだ。馬が合う。

紙媒体にリストアップしていた最終候補生の一覧を隊長…ヤザンに見せた。

 

「ふむ……」

 

浅黒い顎を軽く擦り目を通す。

 

「リガ・ミリティアの秘密主義にはうんざりだな。

スコアは閲覧できても個人情報は全部閲覧不可とは。

これじゃあ男を集められん」

 

ヤザンの溜息にオリファーも苦笑する。

 

「そうですが仕方ありません。潜んでいる民兵組織ですからね、うちらは。

情報漏洩は普通の組織以上に死活問題なんですから。

それに今は女だって戦う時代なんですよ」

 

「女は腹がでかくなれば戦線離脱を余儀なくされる。

それに女の日なんざがあるのも面倒だ。

定期的にピルが必要になってちゃゲリラには尚更向かんだろうが。

MS戦が主流の現代じゃ、女の体を使う殺しも中世ほど役に立たんしな」

 

ヤザンは相変わらず女子供が戦場に出るのを嫌う。

特に、薬物の安定供給がなければ全日戦闘可能とならないという

女の月のものシステムにヤザンは不満があるらしい。

オリファーはまたも苦笑するしかない。

 

「抵抗組織のリガ・ミリティアでそんなこと言ってられませんって」

 

「まぁな。…仕方ないか…実際に会うまでのお楽しみにしておこう。

それに、確かにスコアは優秀だからな。

よし、上位20名に集合の通達をだしておけ。

明朝10時に集合。時間厳守。遅れた奴は落選だ」

 

翌日、時間通りに集まった新設予定の精鋭部隊、シュラク隊のメンバー候補を見て

ヤザンとオリファーが愕然としたのは言うまでもない。

 

「オリファー…貴様…」

 

「いやいや!ヤザン隊長もご存知でしょう!?

狙って女ばかり集めたわけじゃありませんよ!全部リガ・ミリティアの秘密主義が悪い!」

 

整列しているシュラク隊候補生から見えない物陰で、

ヤザンとオリファーは軽く言い争い状態に突入していた。

 

「俺は知っている。が、マーベットに勘ぐられても知らんぞ」

 

オリファーの肩が揺れる。

 

「じ、自分は隊長の指示で人選を行っただけであります!」

 

「なんだと?貴様、俺に責任転嫁しようというのかぁ!?」

 

ヤザンが受け持った訓練生の中でもマーベットは一目置く女パイロットだ。

平時は気立ても良く温厚で良識的。

男を立ててくれる良い女だが、怒ると結構怖い。

ヤザンですら稀にたじろぐ迫力を発揮する。

オリファーとマーベットは、

ヤザンの訓練に参加して出会いそこで意気投合し恋人となったわけだが、

訓練生時代にオリファーに悋気を発揮するマーベットを多々見ている。

ヤザンとて巻き込まれなくてもいい夫婦喧嘩には巻き込まれたくないのだ。

 

二人は、あまり候補生を待たせてもイカン、

と言うことで言い争いも程々に皆の前に出る。渋々だが。

 

「…ようこそ地獄のキャンプへ。

貴様らは見事に俺のおメガネに適って新型で構成される新設部隊の候補生となった。

俺はMS隊統括のヤザン・ゲーブルだ。

さて…まだ貴様らの顔と名前も一致しておらんが…

全員、後ろを見ろ」

 

整列している美女達は、強面の上官に促され背後を見る。

そこには、彼女らと同じように並ぶジェムズガン達。

 

「全員、MSに搭乗。これより実機訓練に移る」

 

ヤザンの宣言に女達の端正な顔がギョッと歪む。

 

「えっ!?」

 

「いきなり、ですか?」

 

皆、顔を見合って口々に驚くがそれをヤザンの怒声が遮った。

 

「ごちゃごちゃ言っとらんで乗るんだ。

今からお前らの腕前を見せてもらうぞ…!

いいか、シュラク隊は普通の部隊じゃない。

精鋭部隊を期待されているんだ。だから新型も与えられる。

俺が創設と訓練を受け持つ限り、醜態は許さん!

貴様らしっぽりと扱きぬいてやるぜ。

俺より搭乗が遅れた奴はすぐに荷物をまとめて帰ってもらう」

 

言うや否や、ヤザンは走り出してさっさと自分の乗機へ駆けていく。

慌てたのは候補生達だ。

面くらいつつも上官同様走り出した。

 

「イキナリこういうことする男なのね!まったくもう!」

 

大人な女の雰囲気を持つジュンコ・ジェンコ。

 

「なにアイツ!あんなのが私達の上官になるわけ!?」

 

集った美女らの中で一番豊かなバストを誇るマヘリア・メリル。

 

「典型的なパワハラ男って感じじゃない!やな感じだわね!」

 

黒いおかっぱヘアが特徴的なコニー・フランシス。

 

「でも、ああいうタイプっていざとなると頼りになる系じゃない?」

 

赤みがかったオレンジ色のポニーテールを持つ褐色肌のケイト・ブッシュ。

 

「うそっ!あんたあんなのがタイプなの?」

 

ケイトよりも短く色もよりオレンジに近い髪のヘレン・ジャクソン。

 

「…まぁ好みは人それぞれだよ」

 

やや癖のあるブロンド美女、ペギー・リー。

他にも十数名の女性が彼女ら同様にMSに向かって駆けていた。

個人用ウィンチワイヤーで昇降し飛び乗った所でヤザンの声が響く。

 

「よぉし、どうやらこの時点で脱落する者はいないようだな。

さて…貴様らの訓練だが……俺の後ろに森が見えるな?

そこで実戦形式で揉んでやる。

禁じ手は何もない。森に着地した時点で開始だ。ついて来い!」

 

バーニアを吹かし背後の森へ滑空するヤザン機。

 

「ヤザン隊長!チーム編成は!」

 

後を追って同高度を滑空するジュンコが聞くが、それを聞いてヤザンはせせら笑う。

 

「貴様ら全員対、この俺だ」

 

その通信に候補生の女達は一瞬、何を言っているのか理解が追いつかない。

 

「お一人で、私達全員を相手にする、と?」

 

ジュンコに続いて、以前の現場でも一緒で彼女と付き合いの古いヘレンが

不機嫌を声にのせて言った。

やはりヤザンは嘲笑うかのように返事をする。

 

「そうだ。貴様らのようなろくに実戦経験もない女の相手など俺一人で充分だってんだよ」

 

男の傲慢がありありと見える。

男女差別的な思考を隠しもしない、侮蔑的な上官。

最悪だ。

候補生達は皆そう思った。

 

「お言葉ですけど、私達実戦経験あります。今は戦国時代なんですよ?」

 

ジュンコが言う。

 

「俺から見れば無いも同然だ。

素人(アマチュア)は黙って俺の言うことを聞いてりゃいい」

 

プロのプライドを持っているジュンコは何かを言いかけて黙った。

ヘレンがまた彼女に変わって返事を投げてよこす。

 

「…分かりました。そこまで仰るなら、精々隊長の相手を務めさせて頂きます…!」

 

荒々しい気性のヘレンは、レバーを潰すのかという程自分の手に力が籠もるのを感じた。

この第一印象最悪の上官を叩きのめしてやる。

候補生達の意識は早速統一されていた。

 

 

―――

 

――

 

 

 

結果を言えば、ヤザンの過信かと思われた大言壮語は自信過剰でもなんでもなかった。

純粋に現実の戦力差を言っていた。

彼女らが味わったのは『恐怖』だ。

死の恐怖を味わった。

森を巧みに利用したヤザンは10機以上の候補生達を手球にとった。

ミノフスキー粒子が濃くレーダーが効かないその森では有視界で戦闘をするしかない。

ダメージ判定を受けると機体のその部位は機能を停止する。

まず候補生達は足を徹底的に狙われた。

堪らずに飛んで空に逃げれば目立つその機を

ビームライフルが恐ろしいくらいの正確な射撃で襲う。

射線を見て仲間がヤザン機がいると思われる場にくれば既に姿はなく、

背後からジェムズガンの膝裏をビームサーベルで切り裂かれた。破損判定。機能停止。

ジェムズガンが膝から崩れ落ちてオートバランサーが辛うじて踏ん張った。

そして、

 

「ハッハッハッ!手篭めにしてやるよ!」

 

ヤザンは男の獣性を全開にして女に襲いかかる。

動けなくなった女の服を引きむしって犯すように、

ジェムズガンのコクピットハッチを敢えて徒手で殴りつける。

揺れる機体。

本当に訓練かと思うほどの殺気。

やがて眼前の全天周囲モニターが歪んでいき、装甲がひしゃげたことを視界から理解する。

 

「ひ、ひぃぃ!」

 

ガァン!という重低音と共にハッチを引っ剥がされたその候補生は、

迫るMSの鋼鉄の拳を見てそこで失禁して白目を剥いた。勿論、拳は寸止めされる。

ヤザンの戦いぶりは終始こんな有様で、

候補生達にわざとトラウマを植え付けるような非常に凶暴なものだった。

見る人が見れば非難の声があがるだろうことは確実だ。

 

「フン…MSの発展が操縦性を快適にしたが、

お陰でこんなヤワな奴らもMSを乗りこなせる。

耐G性能も向上し過ぎて…MSもまるでオモチャかシミュレーターだ」

 

1年戦争を知るパイロットから見れば、この技術の発展は快適であると同時に物足りない。

実戦での無茶な機動も吐きそうになるほどのGを感じないのは、

ある意味で戦いの中での命のやり取りを陳腐にしているとヤザンには感じられた。

それに、そのMSの発展が女達を容易にパイロットにしてしまう。

この女達の中に真の戦士と呼べる者が果たしてどれだけいるだろうか。

 

訓練開始から30分後、死屍累々といった有様の森の中で、

ヤザンはこの女達の中で何人が残ることが出来るのか、と苦々しい顔だった。

リガ・ミリティア全体として見れば残って欲しいが、

ヤザン個人としては全員さっさと脱落してもらいたい。

マーベット・フィンガーハットという存在があるが、あれはヤザンの中では稀有な例だった。

自分の扱きに付いてきたレアな女だ。

 

(戦場に女はいらん)

 

かつて、パプテマス・シロッコを取り巻いていた邪魔な女達を思い出し、

そして次に自分の部下を葬ってくれた女パイロットを思い出す。

 

(女が戦場の主役になる時代などと…。

よくも俺をこんな時代に取り残してくれたものだ…気に入らん。

しかも俺を凍らせた上層部連中は皆寿命でくたばっているときたもんだ…クソッ)

 

女子供が戦場にいるのが普通の宇宙戦国時代。

戦場を汚されたような気がしてヤザンは気が滅入ってくるのだった。

 



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潜む獣

軌道がよれて、まるで生きた人間の疲労困憊時のような千鳥足…

ではなく千鳥ブースターで薄汚れたジェムズガンが演習場に着地する。

膝関節のシリンダーが軋み、ぐらりと膝が折れて突っ伏しかけた上体を支えるために

身の丈15m程の鋼鉄の巨人は咄嗟に両の腕を突き出していた。

そんな有様の最初の1機に続き、そのような疲労とダメージが滲み出ているジェムズガンが

2機、3機…6機続いて同じように着地した。

着地すると同時にコクピットハッチが開いてパイロット達が転がるように出てくる。

皆が皆、それぞれタイプの違う美女で、中には若年過ぎて美少女と呼べる者もいる。

が、その彼女ら全員が疲れのあまり酷い顔をしていて、

ノーマルスーツから覗く黒いインナーは汗でびっしょりと湿っているし、

疲れていながらも美しい顔に浮かぶ汗も艶かしさがある。

駆け寄ってきていた整備士連中も見惚れる。

だがそんな色ボケた雰囲気をかき消す獣がブースター音高らかにやって来た。

美女らの乗る6機のジェムズガンの後ろから、最後の1機…

側頭部にアンテナとバルカンポッドが増設され、

肩部アーマーにタートルエンブレム入りの隊長機が疲れを見せずに颯爽と着地する。

 

「整備兵ッ!全機に推進剤の補給!アポジのチェックもだ!」

 

隊長機から聞こえるヤザンの声に、美しき訓練生達はもう悟ったような諦めたような顔だが、

言われた整備兵達はギョッとなってお互い顔を見合わせた。

 

「隊長!まだ出るんですか!?もうパイロットも機体もボロボロですよ!

こいつら潰れちまいますよ!!」

 

そう発言した壮年の整備士を

ブレード付きジェムズガンの首がぐるりと回って薄緑のゴーグルアイが見つめた。

次の瞬間ハッチを開けて上半身を覗かせたヤザンが生の肉声で叫んで返した。

 

「潰すんだよ!そっちはそっちの仕事をしてくれりゃあいい!」

 

「もう日も暮れます!」

 

「夜間訓練に突入する!悪いが付き合え!明日整備連中全員におごってやる!」

 

ヤザンの太っ腹な言いようにツナギ服を油で汚した男達から歓声があがる。

 

「ははは!おごりもいいですが俺達ぁジュンコさん達のファンもいるんですよ!

見ちゃいられませんって!程々に頼みますよ」

 

「なら見るなってんだ!関節も頼むぞ!」

 

レーションの乾いた肉を乱暴に齧りながら言うヤザン。

パイロットは整備士に命を預けているようなものだから、

ヤザンも整備士達には幾分丁寧な物言いをするし気も使う。

だが、

 

「ヤザン隊長ぉ…その…トイレ行きた――」

 

部下のパイロットにはその限りではない…。

未熟な訓練生となれば尚更だ。

マヘリアがオープンしたハッチにもたれ掛かりながら言いかけた時、

 

「なんのためにトイレパックがあるんだ!それで済ませろ!」

 

8時間ぶっ通しの戦闘機動訓練でさすがのヤザンも体が熱いらしく、

鍛え上げられた上半身を剥き出しにし腰にノーマルスーツの上半分を垂らして怒鳴った。

 

「ええー!横暴ですよ!私達嫁入り前の乙女なのに!!」

 

引き締まったヤザンの半裸に

眼福とばかりに目を奪われる美女達だが文句を言うのは止めはしない。

マヘリアに続いてケイトやヘレンもぶーぶーと文句を垂れる。

しかし初対面時のような険悪なムードは無く、どこか予定調和的な長閑な雰囲気さえあった。

 

「だったらパイロットなんざさっさと辞めるんだな!

実戦になったらトイレ休憩時間など敵は待っちゃくれんぞ!

文句を言う暇があったら胃に何か入れておけ」

 

ヤザンの言うことは正しいと彼女らも分かってはいる。

実際、この地獄のブートキャンプに来る前の赴任地でも

何度かトイレパックを使う機会はあったが、

できるならそんな事態は避けたいのが乙女心だ。

それに、一回の戦闘でこんな長時間に及ぶことはそうそう無く、

トイレパックをここまで使用したことは彼女らも無い。

つまり、すでにトイレパックはパンパンなのだ。

 

「うぅー…ヤザン隊長!もうトイレパックはいっぱいなんですよ!」

 

自分の排泄量(お通じ事情)を悟られそうで非常に言い難かったが、

ケイトは正直に事情を告白する。

勝ち気な彼女も、さすがに頬を赤らめていた。

が、ヤザンはやはりというか歯牙にも掛けない。

 

「そうか。ならノーマルスーツの内側にクソとションベンが纏わりつく感覚を味わっておけ。

良い機会じゃないか!ハッハッハッハッ!」

 

なんとも愉快そうにこの男は笑うのだった。

乙女の恥じらいを賭けての必死の告白は見事に散った。

 

「鬼!悪魔!セクハラ野郎!!」

 

ケイトは赤ら顔で叫んだ。ヤザンは笑って流すだけであった。

 

「ヤザン隊長!チェックOKです!」

 

整備士長の男が大声で告げる。それは女パイロット達への死刑再執行時間の合図だ。

ジュンコは大きなため息をついて思わず整備士長へ訴えかけた。

 

「ちょっと!もうちょいゆっくりでいいのに!」

 

「すみません!ちんたらやってたら隊長に整備班がどやされるんで!

まわせーー!道を開けろ!ジェムズガンが出るぞ!」

 

整備班はさっさと仕事を終えて去っていき、

交代するように誘導員が間髪入れずに出てきてマーシャリングでパイロットを導く。

優秀なようで結構なことね、とジュンコは二度目のため息をついた。

 

その日、小休止を挟みながらも7機のジェムズガンの稼働時間は20時間を記録した。

関節パーツが総取り替えになったのは言うまでもないことだった。

 

 

 

―――

 

――

 

 

 

 

そのような訓練を潜り抜けてシュラク隊は結成された。

20人いた候補生は1週間のうちに6名にまでその数を減らしたが、

それからは数を減らすことなく皆がヤザンの訓練に齧りついた。

 

「戦場でお前らと敵として相対した時、俺はお前らを女と侮らん。

貴様らは立派に兵士だ。認めてやる」

 

()()の日、ヤザンが彼女らに送った簡素な祝辞は彼女らにとって最高の褒め言葉だ。

ヤザンのことを女への偏見と横暴が服を着て歩いているような男だと思っていたからこそ、

ヤザンが自分達に送ったその言葉がいかな意味を持っているかを理解していた。

だが、そのお涙頂戴のお言葉でもって「はいさようなら」というわけではなかった。

 

そのままシュラク隊の総隊長にはヤザン・ゲーブルが当たること発表されて、

シュラク隊隊員となったジュンコ達は嬉しいやらげんなりやら、少し複雑な気持ちだ。

しかし、自分でも意外だがどうも嬉しい気持ちの方が上回るのは各隊員が共通していた。

シュラク隊達も、ヤザンがどういう男かを少しずつ理解していて、

いわゆる男気とか侠気とかいうものを身内に対しては発揮するタイプの男だと知ってからは

随分付き合いやすくなっていた。

彼は、実は面倒見の良い性格をしているのだ。

何より少なくともリガ・ミリティアでは、

パイロットとしての腕前は右に出る者はいないどころか並ぶ者がいないし、

意外なことにパイロット以外の仕事も卒なく熟す。

 

年の近い逞しい男は、宇宙戦国時代の昨今、死に絶えてしまってそうそう見かけない。

やはりどれだけ鍛えてもシュラク隊達は女で、

こういう魅力的なオスの側にいるのは生物としての女の本能が満たされ充足する。

 

「私は隊長より、オリファー副隊長の方がタイプだわ」

 

そう言っていたジュンコ・ジェンコだが、

彼が既にマーベット・フィンガーハットという恋人がいると知ってからは

きっぱりオリファーへの色目はなくなった。

オリファーへの未練がさっさと消えてしまったのはやはりヤザンがいたからだろうか。

 

「あーあ…副隊長の方が優しい旦那になってくれそうだったのに。

やっぱ良い人にはもう恋人いるわよね…残念」

 

「でも、ヤザン隊長も家庭に入ったら意外と良いパパになりそうじゃない?」

 

ある日、MSのコクピット周りの調整中に漏らしたジュンコの恋の愚痴に

ケイトが白い歯を見せながらちょっと笑って言う。

それを聞いてジュンコははたと思った。

 

「…ケイトってさ――」

 

思えば、ケイトはあの野獣のような男と初対面の時から結構好感触な発言と態度が多い。

 

「ん?」

 

ケイトが整備班に提出するチェック表に記入しながら生返事。

 

「やっぱ隊長がタイプなの?」

 

「な、なんでよ!んなわけないじゃん!」

 

チェック表を滑らせて落とし、

はははっと笑って手をひらひらさせているがケイトの頬と鼻っ面はちょっと赤い。

そしてケイトのその反応を見てヘレンの片眉がちょっと曲がったのを

付き合いの長いジュンコ・ジェンコは見抜いた。

 

(…ヘレンも?…意外と…ヤザン隊長マークしてる奴、多いのかしら)

 

まぁ女だてらにパイロットなどやりたがって、しかもあの野獣の扱きを耐え抜いた女達だ。

人を見る基準に強いか弱いかを重要な指標とする性質があるのだろう。

特にヘレンやケイトはどちらも普通の女より強気で勝ち気で、

戦うことを好む所のある(つわもの)な女だ。

ああいう如何にも強い男に惹かれるのも仕方ないのかもしれない。

 

チラリと20歩程向こうでジェムズガンを見上げながら

オリファーと真面目な顔で話し合っているヤザンを見る。

 

「ふーん…まぁ、応援はしたげるわよ。がんばんな」

 

ケイトとヘレンを見比べてにやりと笑うジュンコ・ジェンコの顔は少し悪どい。

 

「あ、あたしはそんなんじゃないから」

 

ヘレンはそそくさとコクピットにこもってチェックに逃げて、

ケイトも落としたチェック表を拾ってさっさと整備班のとこに逃げていった。

 

 

 

――

 

 

 

 

オイ・ニュング伯爵が音頭を取っているV(ヴィクトリー)プロジェクト。

その一つの成果である新型MSガンイージのプロトタイプが形となって花開き出した。

ヤザンがテストをし続けていた1機目に続いて

2機目もロールアウトし既に稼働データを収集しているとのことだ。

いよいよザンスカールMSへの対抗馬が本格的に動き出すということだ。

ヤザンはシュラク隊の訓練開始前は

ガンイージのテストの為に地球と月を往復する生活をしていて、

ザンスカールの目が地球にも光りだした最近では危険な行為でもあるし何より多忙過ぎた。

なので最近はヤザンは地球に留まっており、

今回の最終調整でも月に赴いたのはシュラク隊だ。

ヤザンの代理として彼女達がプロトガンイージのテストパイロットを引き継いだのだった。

そもそもガンイージは真っ先にシュラク隊に配備される予定なのだから

理に適った派遣だろうと思えた。

 

「くそッ…ザンスカール程の熱意が連邦に欠片でも残っていればな…。

ザンスカールはもうゾロアット以上の新型を作ってるって噂もあるのに

うちらはまだジャベリン以上の主力がいない」

 

月からの暗号化された報告を受け取りながらヤザンは毒づく。

ガチ党がザンスカール帝国となって以来、帝国の快進撃は続いている。

サイド2周辺の自治コロニー郡(実質、独立コロニー国家郡)は尽くザンスカールに敗れ、

月に首都を移した地球連邦は政府も軍もろくに動かない。

ザンスカールのやりたい放題であった。

 

(連邦は生きながら死んでやがる。これじゃあ存在する意味がない!)

 

かつて身を置き、世話にもなった連邦軍。

凍らされた恨みもあるが、ある程度の愛着はあった。

その成れの果てをまざまざと見せつけられるのはなかなか()()ものがある。

 

「…俺を凍らせた連中は、なかなか目の付け所が良かったのかもしれん。

女が戦場に出張り、古巣は病み衰えて無様を晒す時代…。

それをじっくり見せつけられる俺の身にもなってみろ。

俺への懲罰としては良い選択じゃないか…えぇ?そうは思わんか、オリファー」

 

月からの暗号文書をオリファーへ投げてよこす。

そんな上司を見、文書を受け取りながらオリファーはいつものように苦笑した。

往時の連邦を知り、そこの第一線で活躍を続けたヤザンだ。

余人には分からない怒りや悲しさがあるのだろうとオリファーにも分かる。

 

「…お気持ちお察しします。報告書も芳しくないんですか?」

 

「いや、こっちは芳しい。既にガンイージは8号機までフレームは完成したとある」

 

「っ!え…そ、そいつは凄い!予定より3ヶ月も早いですよ!?」

 

オリファーは文書へ急いで目を通すと、ヤザンの言う通り…

早まったスケジュールでガンイージの生産が始まるとのことだ。

 

「俺が戦闘データを集めたんだ。当然だな」

 

ヤザンの鋭い目には自信が満ちている。

ヤザンという男はいつもこうだった。

 

「今月中にセント・ジョセフから稼働データが送られる。

そうすりゃ地上でも伯爵がV型を軌道に乗せてくれるだろう。

いよいよ堂々と反撃できるってもんだ」

 

リガ・ミリティアの主力MSは未だにジェムズガンだ。

ジェムズガンを上回るMSとしてジャベリンがいるにはいるが、

一部連邦軍基地が協力してくれているとはいえジャベリンは連邦の正規主力機。

旧式のジェムズガンと違って横流しは難しく、

リガ・ミリティアはあまりジャベリンを所持していない。

未だに田舎の警備等でちらほら見かけるヘビーガンなどは

もはや戦力的に論外の骨董品だ。

 

(…俺が尻を預けた最新機達も、

俺が寝こけている間に好事家しか興味を示さん年代物のガラクタ(アンティーク)になっちまった)

 

1年戦争やデラーズ紛争、グリプス戦役でも体感していたが、

改めて人間の技術の日進月歩に舌を巻きながらも、

来たるべき反撃の時を思いヤザンは自然と獰猛な微笑みを浮かべていた。

 

 

 

――

 

 

 

 

MSが揃わないレジスタンスが足踏みし、連邦が相変わらず惰眠を貪っている内に

ザンスカール帝国の地上侵攻の速度が加速度的に増した。

原因はゾロだ。

ゾロは、ゾロアットを地上侵攻用に改修した機体で、

傑作機ゾロアット同様地上で目覚ましい戦果を各地で挙げていた。

腕部のビームシールドらしき代物はビームローターと呼ばれる新技術で、

ミノフスキー粒子の効果によって

推進剤を消費せずに半永久的に大気圏内飛行を可能とする恐ろしいモノだ。

技術部の人間がやや興奮気味に

 

「つまり分かりやすく言うとですね!高出力のビームサーベルを高速回転させると

その下方にミノフスキー粒子の立方格子が生成されて

ミノフスキーエフェクトが物体を押し上げるんですよ!」

 

とか言っていたがヤザンは技術畑の人間ではないので話半分に聞き流していた。

が、とにかく革新的な技術なのはベテランパイロットであるヤザンにも分かる。

ヤザンとてあのビームローターが、旧世代のヘリのローターと同じ原理とは思っていない。

記録映像を見たが、ゾロの空中制御は非常に滑らかで小回りが利いていた。

あれではジェムズガンは勿論、ジャベリンでさえ空戦で後手に回るだろう。

特に戦略的に見てゾロの航続距離は脅威そのもの。

一度、ザンスカールのゾロが出撃すればパイロットの体力さえ保てばゾロはどこまでも飛び、

空から急襲してくるのだ。

ビームローターだけで飛べば速度と高度はいまいちでも推進剤も消耗しないのだから、

まさに場所を選ばない神出鬼没が可能になる。

 

「宇宙では衛星軌道上にザンスカールの艦隊が集まっていますしね…。

資材を次々に集めて、一体何を作るのやら…奴ら、完全に調子に乗ってますよ」

 

報告を入れるオリファーの顔は苦々し気だ。

簡素な執務室の安物の椅子の背もたれを軋ませながらヤザンは頭の後ろで腕を組む。

 

「そりゃ調子にも乗るだろうぜ。連邦もうちらもこの体たらくだからな」

 

Vプロジェクト総責任者オイ・ニュング伯爵と、

その補佐役としてヤザン隊から派遣してやったマーベット・フィンガーハットは…

今現在必死に欧州各地のリガ・ミリティアの秘密工場を巡っている。

月からのガンイージのデータを元にしたVプロジェクトの要である『ガンダムタイプ』のMSは、

ザンスカールへの防諜対策としてパーツごとに生産工場を変え、

形式番号すら分かり難い捻ったものにして鋭意製作中である。

パーツを回収しガンダムタイプ(ヴィクトリーガンダム)の中心ユニット…コア・ファイターの簡易テストを行いつつ、

大型トレーラー『カミオン』でガンダムタイプをヤザンの元まで運ぶ。

そして月からガンイージを運んでくるシュラク隊と、

地上のヴィクトリーを運用するヤザン隊とが合流して、

そこでようやくリガ・ミリティアの本格的なMS運用作戦は開始するのだ。

 

だが、いい加減ストレスが限界だ。

ずっと教導だの会議だの地元勢力との交渉だのに引っ張られていたヤザンは、

命のやり取りに飢えているし何よりザンスカールにやられっぱなしなのが気に食わない。

コールドスリープから目覚めて数年。

最初はこの時代に戸惑い、

MSの操縦感の違いや情勢、価値観の変化具合についていくのに精一杯だったが…

そこは流石に天性の野獣、ヤザン・ゲーブルだった。

1週間と経たぬ内に時代に追いつき、馴染んだ。

それからは身に秘めた圧倒的な経験と闘争本能を発揮して

気付けばあっという間にリガ・ミリティアの幹部扱いだ。

 

「ラゲーンが落とされて、ザンスカールは地球にも橋頭堡を作っちまった。

衛星軌道で作ってるのも気になるしな…

ガンイージとヴィクトリーを待っている余裕は無いかもしれん。

いざとなりゃジェムズガンでも仕掛けるぞ。覚悟しておけ、オリファー」

 

その言葉にオリファーも頷く。

 

「幸い、俺の注文した()()の開発は間に合ったからな。

技術部連中にはまたおごってやらなきゃならん」

 

「連邦の払い下げ品も手に入れやすくて改良も簡単だって言ってましたし、

おごらなくていいんじゃないですか?隊長の懐も苦しいでしょう」

 

「金なんざ持ってても使う機会はこれぐらいだからな」

 

「まぁ、そのお陰で俺もしょっちゅう御馳走になっちゃってありがたいですけど」

 

オリファーがわざとらしくヤザンの前で両手を合わせる。

こいつ、とヤザンは軽く笑った。

 

「伯爵の許可は取り付けてあるんだ。隠れて逃げてるだけなんざ性に合わん。

我が物顔のベスパに吠え面かかせてやるぜ…」

 

ヤザンが手に持った資料に写る、MSの身長以上の砲身を誇る長得物のビームライフル。

そしてゾロアットのビームストリングスの技術をごっそり盗用させてもらって改良した、

短い柄の電撃ワイヤーロッド。

 

ヤザンが発注したアレ…。

それは彼がグリプス戦役時に愛用したフェダーインライフルと海ヘビだった。

ティターンズのMSの多くが使い回した非常に優秀なガブスレイ用ライフルと、

ヤザンの愛機ハンブラビの特徴的な兵装であるそれらは、

民間企業や小金持ちですら旧式のMSをまるごと買えてしまう現代では

一武装を入手するのは容易だった。

現代技術で手直しすれば現役復帰できる程保存状態の良い物も多く、

レジスタンス技術部が当時の使用者ヤザン・ゲーブルの意見を存分に入れて改良した結果、

フェダーインライフルⅡ、海ヘビⅡとして2つの武器は現代に復活し生産が始まっている。

ただの旧式の現代レプリカだと笑うなかれ。

使い心地もそのままにリバイバルされたこの武具が、野獣の手に渡った時…

ジェムズガンでさえ恐ろしい敵に化けることをまだザンスカールは知らない。

 

ザンスカール帝国の軍隊であるベスパ。

その地上侵攻の先遣隊である精鋭部隊イエロージャケットと言えば

『ベスパのイエロージャケット』として多くの人間に恐れられる兵士だった。

彼らは苦もなく地上を蹂躙し続けたが、

ヨーロッパのとある地区に侵攻した途端にその快進撃が止まることになる。

 

そこには獣が住んでいた。

悍ましい速度で地球を蝕む蜂は、藪に潜む獣に食われているらしかった。

 



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蜂を囚える獣

シャッコーの宇宙でのテストは別のパイロットがやっていたそうですが当SSではクロノクルさんがやっていたと思って下さい。


地上でのテストは危険だと兵らに口々に言われた。

ラゲーン基地のファラ司令にもやんわりと中止を勧められた。

基地司令ファラ中佐が言うには、

 

「宇宙でのシャッコーの試験は立派に務めあげたのだから、

中尉はもうラゲーンにシャッコーを無事運んでくれただけで責務は果たしたと言えよう。

テストはこちらのパイロットが引き継ぐので中尉は本国に戻ったら如何かな。

女王様には、ファラがまたお目にかかれるのを楽しみしているとお伝え願えれば嬉しい」

 

という事だった。

ファラ司令の口振りは、クロノクルが聞いた噂が本当らしいことを疑わせる。

地上軍が芳しくないという噂だ。

腹芸などできないクロノクルはファラに素直に聞いた。

 

「やはり情勢は良くないのですか?

ラゲーンから南西…オクシタニー方面…兵達が〝獣が潜んでいる〟と」

 

オクシタニーとは旧世紀で言うとフランスの南…スペインとの国境の地域で、

ラゲーンはドイツのミュンヘンの宇宙世紀時代の名である。

クロノクルの言い様にファラは自嘲気味に笑う。

 

「ふっ…くだらん噂だよ。兵というのは意外と迷信深い所もあってな。

古い言い伝えではその辺りにジェヴォーダンの獣伝説とかがあって…

それで兵達が余計に怯えている。

…それにオクシタニー以外の地域への侵攻は順調だ。

西方から北、東に至るまで私の軍団は

ザンスカールの版図を広げマリア主義の教えを広めている」

 

「しかし南西だけは停滞しているのでしょう?

実際、オクシタニー方面でゾロの編隊が2部隊行方不明…、

討伐隊は散々な様子で逃げ帰ってきたとお聞きしましたが」

 

ファラの無表情がやや崩れた。

不機嫌が眉間に見て取れる。

 

「だからこそだ。

中尉には大事を取ってヨーロッパでのシャッコーの試験を中止して貰いたい。

本国には私から事情を説明するので心配は無用だ。

現在、ラゲーン基地でもジェヴォーダンの獣討伐計画は進行中で、

以前とは違う本格的な獣退治部隊を派遣する。

どうしてもシャッコーのテストをしたいなら獣退治まで待つがよろしかろう」

 

ファラにとっては女王の弟から軍団苦戦中の嫌味とも掣肘ともとれるクロノクルの発言だが、

一番の問題は女王の弟に()()()が起きてしまうことだ。

クロノクルに何かあったらファラは出世コースから外れるどころかギロチン送りだろう。

だが、クロノクルはただ手柄を立てて皆に…特に姉に男を示したいし、

それに純粋に友軍の役にも立ちたかった。

なので善意でこう進言した。

 

「シャッコーは優秀な機体です。その獣退治に、私も加えて頂きたい。

シャッコーの地上でのテストにうってつけでしょう。

必ず役に立ってご覧にいれます」

 

ファラは内心で天を仰ぐ。

なんと面倒な事になってしまったのか、と。

その後、何度も何度も20分近く似たようなやり取りをし、

散々ファラはクロノクルを制止してようやくこの青年は思い留まってくれたようだった。

 

「そこまで仰るなら…分かりました。

まずはシャッコーのテストに集中します」

 

「…それがいい。

どうしても中尉本人がテストをするというなら…まずは獣のことは忘れなければ。

中尉はシャッコーのテストだけに集中してくれ。

そちらの任務も大事なのだから、ベスパのイエロージャケットらしく頼む」

 

 

――

 

 

 

そういった事があって、シャッコーはカサレリア方面の空を飛んでいた。

ポイント・カサレリアは森が広がるだけの地帯で特筆すべきものない。

カサレリアにほど近い都市ウーイッグに関しては

レジスタンスの影響が浸透しているのではとベスパは疑いを持っており警戒しているが、

このカサレリアにはこれといった施設は見当たらず安全地帯であり、

新型のテスト飛行にはもってこいだというラゲーン上層部の判断であった。

 

このMS…シャッコー。

こいつはベスパのイエロージャケットの象徴機となるのを期待されてもいるし、

テスト中のプロトタイプということもあって

黄色味がかった鮮やかなオレンジで全身を染め抜いていて目立つ。

無駄な装飾や装備は無く、

洗練された丸みを帯びた装甲で身を覆うこのMSはスマートでヒロイックな機体デザインだ。

頭部も、ガンダムタイプを意識したのか2本の黒いアンテナブレードがVの字に配置され、

複合複眼式マルチセンサーの土偶のような鋭い目、

ガンダムタイプそのものの口部等もあって、

なかなか整った容姿を持つMSだった。

兵器は見た目も大事だ。

それによって敵を威圧もできるし、味方の鼓舞もできる。

女王の弟がイエロージャケットとガンダムタイプの両方を意識したMSに乗るというのは、

非常に象徴的な意味合いがあると言える。

 

「シャッコーは良い機体だ。宇宙では良好だったが、地上でも良いじゃないか」

 

性能も良い。

ビームローターで飛行を続けているが感触は極めて良好。

シャッコーは優れた汎用性を持っていることがもう分かる。

シャッコーはザンスカールのMS開発部にも象徴としてだけでなく、

純粋に戦力としても期待されている機体だ。

ゾロアット以降、それに代わりうる優秀な次世代量産機の目処が立っていない今、

シャッコーにそれの原型となって欲しいと期待を一身に背負っている。

ザンスカールに対し執拗な抵抗運動を展開しているリガ・ミリティアが、

最近ザンスカールの優秀なMSに対抗し得るMSの開発に成功したという噂もある。

 

(次期量産機のきっかけ作りが出来れば…女王の弟としての仕事ぶりに皆満足するだろう。

これで、ジェヴォーダンの獣退治もやってのければ…!)

 

そしてシャッコーだけでなく、

この赤い髪の純朴そうな青年にもとてつもない重圧が掛かっている。

ザンスカールの女王の実弟。

何でも卒なく熟す彼だが、周りはそれでは納得してくれない。

大手柄が一つや二つではなく、もっと必要なのだ。

それだけ活躍して当然だと皆は思っているし、

この生真面目な青年もそうでないとダメなのだと思っていた。

 

「…ん?」

 

少し考え事をしていたクロノクルの視界の端…

シャッコーのモニターに光点が見えた気がした。

 

「中尉!見えましたか!」

 

隣を飛ぶヘリ…ゾロの飛行形態から通信が届く。

ファラからクロノクル護衛を言いつけられているガリー・タン少尉だ。

 

「少尉も見たか。…サバト少尉はどうか?」

 

もう1機の僚機に確認をとると、

 

「自分も見ました。あれは噴射光でしょう」

 

やはり同意した。

 

「全員が見たならば見間違いではないな」

 

「えぇ。小型の航空機です。この辺りは民間機の飛行ルートから大きく外れていますから、

飛行機雲もバーナー光も見えるはずがありません」

 

「…この辺りにもレジスタンスが潜んでいるのかもしれん。あの航空機を捕獲する」

 

「捕獲でありますか?しかし、シャッコーのテストは?」

 

「テスト相手に丁度よいということだ」

 

シャッコーの目…ザンスカール製MSの最大の特徴である猫目(複合複眼式マルチセンサー)が見開く。

真っ赤なセンサー光に走査線が走り、高速で離れゆく航空機を捉えた。

 

 

 

 

 

 

「あれは…パラグライダー!?

しかもこんな所にベスパがいるなんて聞いていませんよ、伯爵!」

 

コア・ファイターの操縦桿を握り締めながらマーベットは通信の相手に文句をぶつけた。

ポイント・カサレリアは静かで牧歌的な森で、戦火の足音は遠くにあった筈だった。

その証拠に呑気に民間人がパラグライダー等で空を漂い遊んでいるのだが、

その平和な空でオイ・ニュング達はこそこそ試験飛行をする予定であった。

が、カサレリアの空にベスパがいる。

 

「私だってこんな田舎にベスパが来るなんて思わなかったのだ。どうにか振り切ってくれ」

 

「簡単に言ってくれちゃって…!

吹き上がりが悪くて…ジョイントコアがだめで…!」

 

通信距離はそう遠くない筈だがベスパのMSがミノフスキー粒子を撒いているのだろう。

音が掠れ始めている。

予定通りの性能が出ていればコア・ファイターの機動力はゾロのヘリ形態(トップターミナル)を振り切るのは容易い。

だがやはり各地で別個に生産したパーツを、

カミオン(大型トレーラー)で移動している最中に組み立てての一発目の飛行ということで、

カタログに無い不調が出まくっている。

本来はその不調を洗い出すための試験飛行なので

完成時の質を高めるためにも膿出しは寧ろ望む所なのだが、

そのテスト中にベスパに遭遇してしまったのは不幸としか言いようがない。

トラブルが命取りになる。

 

森の中で、双眼鏡からハラハラとマーベットの様子を伺っている

少年と老人も認めるコア・ファイターの不調っぷり。

 

「やられちゃいないよ!」

 

「マーベットはよく持ってる」

 

「あんな機体で良く飛ばしたよね」

 

「こんなところに誰がベスパのイエロージャケットが来ると思う!」

 

「…パラグライダーらしいの…見えなくなっちまった」

 

少年…黒髪でややタレ目、鼻っ柱が強そうな悪ガキ風味の彼はオデロ・ヘンリーク。

見たこともないオレンジのMSやゾロ、コア・ファイターが掻き乱した風に煽られ

流されていったパラグライダーの心配をしている辺り心は優しい。

老人は頭頂が禿げ上がって側頭に白髪を残すのみ。

顔は皺深くいかにも老爺で、名をロメロ・マラバルといった。

カミオンの昇降台に昇って固唾を呑んで見守る二人を、

これまた地上からリガ・ミリティアの面々が見守っていた。

 

「ロメロ!武器の2つ3つはセットしたが、マーベットはこちらに来てくれるかな!」

 

伯爵が老人に叫ぶと、ロメロは「どうですかな~?」と首を捻るばかり。

思わしくないようだ。

オデロ少年が、まるで他人事じゃないか!と叫び憤慨を顕にしていた。

 

「伯爵、もう1機だすか?」

 

ちょび髭と丸メガネが特徴的な老人が増援を提案する。

この老人、オーティス・アーキンズは本職はメカニックであり、

また牧師の資格も持っている多才な男でパイロットの真似事もできる。

リガ・ミリティアはレジスタンス組織であるためこういう変わり種も多いのだ。

オーティス老の提案を、伯爵はやや考えてから首を横に振る。

 

「オーティスが出るというならだめだ。

エンジンのスペシャリストが潰れたら誰がヴィクトリーの面倒をみるんだ」

 

「しかし…このままじゃマーベットが」

 

「うむ…だが、ロメロの口振りじゃもう少しもちそうだからな。

マーベットはもつんだろう!ロメロ!」

 

伯爵が再度、昇降台のロメロ爺さんに尋ねるとロメロは頷いた。

 

「ええ、さすがはヤザン隊です!のらりくらりと上手く躱してますわい!」

 

その言葉を聞いて、伯爵は満足気な顔となる。

 

「ならそのまま凌いでもらおう。後少しで()()が来る予定なんだ。

随分焦れている様子でな。一人で来るそうだ…無茶な男だよ…はっはっはっ」

 

笑った伯爵の様子が全てを物語っていた。

そして、この状況でも自信あり…といった風の伯爵の表情を見て

何かを悟った周りの者も緊張した面持ちが幾分気楽なものへと変わっていた。

 

「誰だよ、誰が来るっての!?1人の迎えが何になるのさ!笑っちゃってる場合かよ!」

 

呑気さを見せ始めた老人達とは違い、オデロは相変わらず必死に叫んでいた。

まだリガ・ミリティアの野獣のことを知らない少年少女達が

未だ焦っていたのはしょうがないことだった。

 

 

 

 

 

 

コア・ファイターのマニューバがもたついて見えるが、

それはマーベットの巧みな緩急をつけた動きのせいだった。

もたついた…と見えた次の瞬間には鋭いカーブを描いて刺すような軌道を描く。

 

「くそっ…あの白い戦闘機、速度はそうでもない筈なのに思ったより速い!」

 

クロノクル・アシャーは、モニターに表示された計器画面を見ながら悪態をつく。

コア・ファイターと、自機であるシャッコーの現在の飛行速度は大差ない。

すぐに追い詰められると思ったが、

コア・ファイターの動きはデータ上の速度以上に体感速度が速い。

そう思えた。

 

「なかなか手練のようだな…尚更捕獲せねばなるまい。

なぜこんな玄人が田舎の空を飛んでいたのだ…何かある!」

 

護衛のガリー機とライオール機を回り込ませて、自らが追い立てる。

いくらマーベットがリガ・ミリティアのエース級だとしても乗機は不調のコア・ファイター。

そして相手はゾロ2機と新型のシャッコーで、しかも乗っているクロノクルは

操縦技術においてザンスカールで充分エースと呼ばれる腕前を誇る。

女王の弟というだけの男ではない。

 

「逃さんぞ…ガリー、サバト!そのまま回り込め!」

 

執拗に追い回してくる2機のトップターミナルと1機のMSにマーベットも辟易してきていた。

 

「まったく…しつこい男は嫌われるわよ!」

 

ヤザン隊を名乗ることが許されている身としてはこんな所で終われない。

それに、マーベットはヤザンの訓練の方が余程恐ろしいと今この瞬間も思えている。

しかしそうは思えても危機的状況を脱していないのには変わらない。

 

「よーし…狙い通りだ…良いぞ、少尉」

 

白い戦闘機に応援を呼ばせぬ為にばら撒いたミノフスキー粒子が通信を阻害している。

クロノクルはコクピットで叫ぶが、それは部下には届いていないのは彼も承知だ。

捕獲命令や連携はもっぱらシャッコーの手信号だ。

護衛との連携がやり難くなってしまうがそれは仕方がない事で、

宇宙世紀を生きるものの宿命だ。

 

シャッコーが威嚇射撃を数度繰り返し、徐々に予定のポイントまで追い込む。

クロノクルは現場での指示も優れていた。

 

「上をとった!そのまま捕らえさせてもらう!」

 

戦闘機の進路をゾロが塞ぎ、

シャッコーがスラスターを吹かすと一気に戦闘機の上方を抑える。

 

「しまった!逃げ場が!?」

 

このままダメ元で2機のトップターミナルの間を強行突破してみるしかない。

 

(蜂の巣にされそうだけど…!やるしか!)

 

マーベットが意を決して操縦桿を握りしめたその時、突然に眼前のゾロが爆発した。

 

「なに!?」

 

「なんだと!!?」

 

マーベットとクロノクルが奇しくも同様に驚愕する。

ゾロの爆発はビームローター部だけであったようで一応まだ原型は保っているが、

ビームローターから少しコクピットよりの部位が吹き飛び激しい炎を吐いて墜落していく。

 

「ライオール!?」

 

親友であるサバトが落下していくのを見てガリー・タンは叫んだが、

すぐに彼も同じ末路をたどった。

 

「うわああ!?」

 

閃光が走った。

強力なビームライフルの狙撃だった。

それがビームローター基部を撃ち抜き、周囲のパーツを溶かして破壊された。

本来なら即座に作動するインジェクションポッド機能は、

強力なメガ粒子の干渉と爆破の影響で機能が死んだ。

火が周り、コクピットまでが燃焼する。

 

「あああ!うわあああ!ラ、ライオール!!」

 

ビームローターが吹き飛び、

ガリー自身も火に包まれてろくに操縦も出来なくなれば当然墜落するしかない。

彼は親友の名を叫びながら何がなんだかも理解できずに、

そのまま大地に打ち付けられて今度こそ機体は爆発して消し飛んだ。

 

「森の中からの狙撃!?」

 

クロノクルは咄嗟に動く。

狙撃されていると判断すれば、すぐに動かなければ二の舞だ。

もはや白い戦闘機などに構っていられない。

 

「罠だったのか!誘い込まれた…!!?」

 

ビームライフルの2射で大体の狙撃場所はサーチしたがまだ詳細な位置は掴めない。

 

「ミノフスキー粒子も充分な濃度撒いているんだぞ…!

こうも正確な狙撃は遠距離から出来るはずがない!」

 

3撃目がくれば特定出来るというのにその3撃目は来てくれない。

 

「私が3撃目を待っているのを知られている…!おのれ…どこだ!どこにいる!」

 

自分が見透かされているのを悟ってクロノクルは憤り、

大まかに割り出した位置へ試作ビームライフルを乱射した。

ビーム粒子の光が森を焼き、爆発の轟音と共に木々が吹き飛んでいく。

瞬間的に同胞2人を葬った姿見せぬ敵が今も自分を狙う恐怖を噛み殺して、

クロノクルはシャッコーのターゲットサイトの真ん中目掛けて引き金を引き続ける。

 

その時、

 

「なっ!?今度はなんだ!?」

 

突然、クロノクルの目の前が真っ暗になった。

正確にはクロノクルの、ではなくコクピット内の全天周囲モニターが真っ暗だ。

 

「ECMか?いや、違うぞ…なぜ見えない!機器に不調はないのに…!

なに!?モニター眼前にポリエステルとナイロン素材…!?布が覆っているのか!」

 

クロノクルは大慌てだ。

次から次に予想外が起きて彼の頭脳の許容範囲がいっぱいいっぱいとなっていた。

シャッコーのコンピューターが自動でモニターの自己診断を行い、

パイロットに解析結果を知らせる。

それはシャッコーの目を布が覆い隠している事実を告げていた。

 

 

 

 

 

 

カミオン隊に告げられていた合流ポイントに単機で向かっている真っ最中、

射撃音とブースター音、そして光が見えた瞬間に

ヤザンはジェムズガンを全力で走らせた。

森の中を地を這うように滑空させ木々の幹を巧みに縫うように跳んできたのだ。

そしてすぐに絶好とはいえない狙撃ポイントについて手に持つ長大な得物…

フェダーインライフルで戦闘濃度のミノフスキー粒子の中いとも簡単にゾロを討ち取った。

この時代、ジェネレーターにビームを直撃させると核爆発が起きる。

足を止める為に動き回るゾロのビームローターを狙い、

そして当然のようにヤザンは当ててしまうが普通はそんな真似は無理だろう。

 

(コア・ファイターに構い過ぎたな…動きが読みやすい。

墜落しての爆発なら近くにいるはずのカミオン隊にも影響はなかろう)

 

墜落直下にいた。などという不幸でもない限りは伯爵達は無事だろうと判断し、

ヤザンは続けて見慣れぬ新型のオレンジ色MSに狙いを定めたその時…

 

「なんだ…?パラグライダー?新型に覆いかぶさりやがった!」

 

そのMSの頭から右肩にかけてばっさりとパラグライダーの布が絡む。

パラグライダーを操っていた人間がばたばたと藻掻いていた。

遭遇戦でこの森は急遽、戦場となった。

そういう戦場では民間人が巻き込まれるアクシデントはままある。

 

「ガキがぶら下がっているだと!?チッ、邪魔な…!いや、使えるかもしれん!」

 

ジェムズガンのゴーグルアイのピントが引き絞られて捉えた画像には、

年若い少年らしき人物が必死になって新型MSの装甲にへばりついている。

ヤザンは凶暴な男だが好き好んで民間人の殺傷はしない。

元連邦軍人の責務として(一応、出向という形でリガ・ミリティアに来ているがもはや形骸だ)

一般市民は助けられるならば助ける。

もっとも…救助不可能と判断すれば諸共に葬るのも吝かではないのが彼なのだが。

 

「いいぞぉ…小僧、もう少し新型に絡まっていろよ…!」

 

すぐにヤザンはフェダーインライフルを担ぎ直して、

隠れ潜んでいた森からスラスター全開で飛び出す。

新型に旧式で接近戦を挑む千載一遇の好機と、ヤザンは見て取ったらしい。

 

その間にもシャッコーが腕を振り回し、少年のパラグライダーを引き裂いていく。

 

「うわぁぁっ!うわっ!わぁぁ~~~!」

 

シャッコーの胸部装甲にへばりつく少年が叫ぶのも無視し、

クロノクルは自由になりつつあるシャッコーの目を見開いた。

真っ赤なツインアイに闖入者の正体がはっきりと映し出された。

 

「子供…!?子供がこんなもので目眩ましを!

こいつもゲリラということか!?」

 

次から次に起こる時には起こるものだ。

クロノクルの思考が目まぐるしく回る。

 

この少年をどうするか。

ゲリラと思しきことから殺すのか。まだ子供なのに?

一瞬で僚機を失った。まだ狙われている。敵は強い。

テスト機体を失うわけにはいかない。

女王マリアの弟として、姉の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ。

だが自分は無様にもトラップに引きずり込まれたかもしれない。

この子供を盾にできるか?

目的のためなら手段を選ばない非道のゲリラなら一緒に攻撃してくるのでは。

自分は誇り高きザンスカール軍人で敵とはいえ子供なら保護して然るべきなのでは。

 

クロノクル・アシャーは優しい気質を持っていたし生来生真面目であるから、

迷いがぐるぐると脳内を巡り、しかも明確な答えが一瞬で導き出せなかった。

迷うこと数瞬。

それだけあれば戦場では充分だった。

 

「っ!!」

 

センサーが熱源反応の急接近を叫んでいることに僅かな間、気付けなかった。

 

「ジェムズガン!!?」

 

クロノクルは防塵マスクの内側で息を呑む。

モニターいっぱいに映るジェムズガンの薄緑のゴーグル。

格下の旧式MSのセンサー光ですらクロノクルには不気味に見えた。

反射的にシャッコーを急速後退。

 

「フハハハ!随分簡単に懐に入らせてくれる!」

 

高笑いとともにジェムズガンが逆手に持つフェダーインライフルを振りかぶる。

まるで銃身を握りしめライフルの尻で相手を殴ろうとしているかのようだったが、

その銃床からビームサーベルが出現しシャッコーへと襲いかかる。

 

「そこからビームサーベルが!?こ、この旧式が…!その程度!」

 

クロノクルは退がりつつも大腿部からサーベルを取り出して迫るサーベルを切り払った。

ジェムズガンが旧式だったからこそ、

クロノクルと新型のシャッコーの反応の良さでサーベルを切り払えたが、

もしヤザンがもう少し質の良いMSに乗っていればここで勝負は決まっていただろう。

 

「ああああっ!?うわあああ~~っ!!」

 

シャッコーの装甲から叫び声があがる。

この場にはもう1人、人間がいた。

彼は、ただの少年とは思えない程粘り強く装甲に引っ付いていたが、

突然ジェムズガンが迫ってきたことにさすがの彼もびっくり仰天で、

しかもシャッコーが急にバックしたものだからとうとう滑り落ちる。

 

(そんな…僕は、こんなとこで死ぬの…!?シャクティ!)

 

少年、ウッソ・エヴィンが絶望の表情で落下して、

その時に心で叫んだ名はいなくなった両親のものではなく、

憧れのウーイッグのお嬢様の名でもなく、

共同生活者であり妹のような存在の少女の名であった。

心でシャクティの名を叫んだ直後、ごちんっという鈍い音がウッソの後頭部からした。

 

「あいてっ!!」

 

落下ってこんな早く地面につくのか。

あの高度から落ちて頭をぶつければ頭蓋骨が砕けるなり脊髄がやられるなりで

意識は一瞬でもっていかれると思っていたのに、案外転んだだけの時と似てるな。

 

ウッソはそう思ったが、どうにも地面に落ちたのではないらしいと気付いた。

 

「モ、モビルスーツが受け止めてくれたの!?」

 

ウッソは大きな鋼鉄の掌の上に転がっていたのだった。

 

(あの状況で落ちる僕を無事に受け止めるなんて…!この人、凄いぞ!)

 

ジェムズガンのゴーグルは少年を一瞥することなく、

 

「小僧!死にたくなければ指にしがみついてな!」

 

MSから響いた声にウッソは慌てて指示通りに全力で指に抱きついた。

 

(この人、戦う気!?僕を手のひらに乗せたまま!?)

「うわぁぁ!!!」

 

猛烈な風圧がウッソを襲う。

クロノクルはその様を見て、怒った。

 

「子供を盾にしようというのか…!そうであろうな!

そんなガラクタでは、このシャッコーに勝つためにはそうせねばなるまい!

卑劣なゲリラの考えそうなこと!」

 

退がっていたシャッコーが、

切り上げたサーベルを戻しそのままジェムズガンへ斬りかからんとし今度は急速前進。

 

(そのでかいライフルのサーベルはリーチがあるが、懐に飛び込んでしまえば!)

 

ようはビームスピアだ。そうクロノクルは判断した。

槍は剣よりも射程のある恐ろしい武器だが、掴みかかれる距離までくれば剣が極めて有利。

距離を急激に詰め返してくる新型MSを見て、ヤザンは笑う。

何から何まで自分の思う通りに動いてくれる敵だ、と。

 

「素直だな!いい子だ!」

 

ヤザンはフェダーインライフルを相手へと投げつけるように捨てた。

 

「うっ、こいつ!?」

 

サーベルを振り上げた瞬間に眼前に突然物を投げられれば、

それを切り捨ててしまうのが人の心理だろう。

それにビーム刃を発生させたままのライフルをそのまま身で受けるのは危険過ぎた。

切らざるを得なかった。

そして、当然その巨大なライフルは爆発した。

MSの爆発程ではないが、目前でライフルが爆発したのだから結構な振動が機体を襲う。

視界もセンサー切り替わりの僅かな間、曇る。

その瞬間に、機体に妙な振動と音が伝わった。

爆発の振動ではない。

何か、硬いものが…装甲と装甲がぶつかったような振動であり音だ。

 

(破片か?)

 

クロノクルがそう思った瞬間だった。

 

「ぐあああっがあ゛あ゛ああっっ!!!?」

 

猛烈な痛みが彼を襲う。

痛みなのかどうかすら理解できぬぐらいのショック。

寒気すら感じる程の灼熱が彼を焼いた。

体が、人間がこんな動きをするのか、という程度に跳ねて痙攣する。

 

「海ヘビを喰らいな!」

 

海ヘビが接続されたことによる『お肌の触れ合い通信』が

ヤザンの声をクロノクルの耳にクリアに届けるが、もはやクロノクルに意識は無い。

ヤザンはライフルを捨ててから僅かにバック。

少年を抱える左手を引き庇うと同時に即座に右腕内に格納していた海ヘビを展開し、

そして敵コクピットの装甲ど真ん中に海ヘビの牙を食らいつかせた。

 

ビームストリングスを盗用して改良した海ヘビは、

〝本来5本のワイヤーが放射状に射出されるのを一本に束ねたもの〟と言って良い。

ビームストリングスは放射状故に命中させ易く、

ゾロアットに標準装備されている程使い勝手が良いが、

ヤザンらが活躍した時代…

この手の武器はムチ状であったりして癖があり命中精度に難があった。

ベテランしか使いこなせなかった武器なのだった。

だが、その分コンパクトにまとまっていてどんなMSでも隠し持つ事が出来た。

ヤザンはビームストリングスを取り回しやすい形に先祖返りさせ、

そして束ねた分威力も向上を見た。

クロノクルはビームストリングス5本分の電撃を一箇所に食らったのと同じ。

 

敵の新型をなるべく無傷で得る事を画策したヤザンはすぐに電撃をOFFにしたが、

それでもパイロットは瞬間的にボイルされ、

命の危険があるレベルにまで火傷を負わされていた。

 

「フッ…、思いがけず良い手土産もできたな」

 

ぐったりと動かなくなったシャッコーとクロノクルを見て、

ヤザンは獣染みた凶悪な笑みを浮かべていた。

 



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蜂を駆る獣

現代では誰もが知るポンコツMSジェムズガン。

それが今日ほど頼もしく見えたことはない。

オデロ少年は目を輝かせて、

カミオンから打ち上げられた信号弾を目指して滑空し降りてくるジェムズガンを出迎えた。

いつの時代も、()()()というのは戦争の善悪や悲惨さを別として、

単純に戦う者のカッコ良さに惹かれる。

それは闘争と切っても切れない縁を持つオスの本能がさせているのかもしれない。

 

「すごい!すごいよ!どんな人が乗ってるんですか伯爵!」

 

興奮状態にある少年らを苦笑いしながらオイ・ニュングは答える。

 

「ああ、見ての通りだ。旧式でザンスカールと渡り合えるリガ・ミリティアの最大戦力さ。

ただ――」

 

ちょっと女子供が嫌いだから気を付けろ。

そう続けようとしたオイ・ニュングの言葉は

ジェムズガンのスラスターが巻き起こす風圧に掻き消された。

 

「すっげぇ!ねぇ、顔見せてくださいよ!ねぇ!」

 

ぴょんぴょんMSの足元で跳ねる少年2人…

オデロとウォレンをこの男が歓迎するわけもない。

わざと脚部スラスターを強め、その風圧で2人を転がして除けた。

「わぁあぁっ!」と叫びゴロゴロ転がっていく少年らを見つめている

ジェムズガンの外部スピーカーが不機嫌な声を張り上げる。

 

「伯爵!いつからカミオン隊はミドルスクールになった!」

 

オイ・ニュングは苦笑いを止めて物哀しい表情で抗弁する。

 

「仕方がないだろう。ラゲーンを焼け出されたこの子達を放っておくことも出来なかったし、

それに働き者だ。手伝ってもらっている」

 

「各地の秘密工場を巡っていたカミオン隊は、

戦災孤児などいちいち拾って戦争やる気だってのか!」

 

「我々だって人手が足りないんだ。我慢してくれ隊長」

 

使えるものは何でも使う。

それがリガ・ミリティアだ。

そうしなければ日の出の勢いのザンスカール帝国には抵抗できないのが現実だった。

そういう逼迫した事情をヤザンとて知ってはいる。だがそれとこれとは話が違う。

頭に来るものは来るのだから仕方がない。

 

「…この子達を矢面に立たせるつもりはない。あくまで手伝いだけだ。

分かるだろう…?隊長」

 

「…」

 

ジェムズガンから忌々しそうな舌打ちだけが静かに聞こえる。

 

「ふん…まあいいさ。ガキの面倒は拾った奴がしっかり見てくれりゃあな。

………受け取れ、土産だ」

 

「そうらしいな」

 

完全に着地したジェムズガンが右手のオレンジのMSを放り投げ、

左手の少年をある程度の気遣いと共に放り投げた。

 

「うわ、わわっ!」

 

少年が転げ落ちる。

 

「なんだ。隊長も子供を拾ってきたんじゃないか」

 

オイ・ニュングがわざとらしく驚いてみせた。

勿論、彼は戦闘の様子を観察していたので知っているのだが、

先程文句を言われた反撃だ。

 

「拾った子供の面倒は拾った奴が見る…

ということはこの少年は隊長が面倒見てくれるということかな」

 

コクピットからワイヤーで飛び降りてきたパイロットが、

無言のまま伯爵を睨みつけた。

 

「…あぁ、いる間はそうしよう。だが、このガキはもうお役目御免だ。すぐに突っ返すさ」

 

売り言葉に買い言葉なのは明らかだが、浅黒肌で厳しい顔付きの金髪男は了承した。

 

「戯言は終わりだ。本題に入るぞ、伯爵」

 

「そうしよう」

 

年の差はあれど、互いにリガ・ミリティアの重要ポストにいる人間。

隊長ことヤザン・ゲーブルと伯爵ことオイ・ニュングは対等な戦友という間柄に近い。

文句の言い合いも意見のぶつけ合いの延長に過ぎない。

 

「なにはともあれ、よく迎えに来てくれた。

隊長がいなければマーベットがどうなっていたか分からん。

それに…」

 

両手を差し出してヤザンを歓迎したニュング伯爵は、

彼を労い肩を叩きながら地面に転がるオレンジのMSを見、言葉を続ける。

 

「ベスパの新型らしいな。これは大収穫だ」

 

ヤザンも仏頂面のままニュングの視線を追って新型を見る。

そして自分に駆け寄ってきた色黒長身の美女を見つけると、

 

「マーベット!挨拶は後回しだ。パイロットはまだ生きているかもしれん。

抵抗する力は無いだろうが、油断せず引きずり出せよ」

 

その女…コア・ファイターから降りてきて

一目散にヤザンへ駆け寄ってきていた部下に命を飛ばす。

「はい!」と威勢よく返事をしたマーベットは銃を片手に煙上がるMSへと駆け上ると、

まだ電撃の残り香で熱々の開閉レバーパネルに触れて

 

「あちっ!」

 

軽い火傷を負っていたりする。

 

「当たり前だ!海ヘビが直撃した装甲だぞ!」

 

マーベットも久々にヤザンに会ってややテンションが上がっていたらしい。

珍しいお間抜けなミスをやらかしてヤザンに叱責されているのは微笑ましい。

バツの悪そうな笑顔をしながらマーベットはベスパ新型MSのコクピットを開けると、

そこには()()()()の敵パイロットが死んだように転がっていた。

一目見て死体だ、と思ったマーベットだったが指先が微かに動いているのを見て

どうやらまだ生きているらしいと理解した。

 

「まだ生きてる…レオニードさん、こっちへ来て!早く治療すれば助かるかもしれない!

オデロとウォレンも手伝って!引き上げるわよ」

 

カミオン隊の老人衆の1人、医師のレオニードを呼び寄せ若者2人にも援助を乞う。

少年2人は、憧れの感情を抱いたパイロットに無碍にされて仏頂面だったが、

それでもテキパキと救助活動に勤しむのだから逞しい。

オイ・ニュングが目をかけるだけはあった。

何故か、流れでヤザンに連れられてきた少年も手伝うことになったのは置いておく。

 

 

 

 

 

 

カミオンの荷台に載せられたシャッコー。

リガ・ミリティアの面々は今、トロトロ運転で現地の少年…

ヤザンが空で拾ったウッソ・エヴィン氏の厚意によって彼の家まで移動していた。

そこで僅かだが食料補給等をさせてくれるらしい。

目指す秘密工場まではもう暫く掛かるのだから

僅かでも水や食料、医療用品の補給は嬉しい。

虫の息のベスパパイロットの治療も、一応はせねばならないので薬は有り難い。

昨今の地球事情…、

特にこんな辺鄙な所に住んでいる不法移民には提供してくれるその全てが貴重品の筈で、

しかもこの平和な森に戦争を持ち込んだ原因であるリガ・ミリティアを嫌っても当然。

だと言うのにこの少年はヤザンのことを命の恩人と見て好意的に接していた。

 

補給の間に折角捕獲した新型の解析やら整備をしていて、

ヤザンは老メカニックのオーティスの肩に肘を置いて色々と尋ねていた。

 

「どうだ、その新型のダメージは」

 

「機体そのものは大丈夫だ。

エンジンも機体フレームも堅牢だし、しかも拡張の余地まである。

ハードポイントに対応しようって試みじゃないかな…汎用MSとして良いアプローチだ」

 

オーティスの慧眼にヤザンが軽く口笛を吹いて感心した。

 

「さすがはスペシャリストだ。

ろくな設備無しの1時間かそこらのチェックで敵さんの新型をそこまで見抜くのか。

尊敬するぜ、オーティス爺さん」

 

「褒めても何もでんぞ。

悔しいが良い出来だな、こいつは…うちらのVも負けちゃいないが。

しかし…コクピットの電子系は取っ替えなきゃならん所がちらほらある。

このプラグもだめだし…ほれ、これも使えん。

チップも替えなきゃいかんなぁ」

 

「元は同じサナリィだろう。

今日中に使えるようにしてくれよ。ジェムズガンじゃこの先やっていけないんだ。

期待してたV型もコア・ファイターがこの調子ではな…」

 

「無茶言わんでくれ。パーツそのものはカミオンじゃ作れんのだ。

工場に着けば何とかなるが…それか、隊長が乗ってきたジェムズガンを部品取りにすれば」

 

「バカを言うな。今は動けるMSはこいつだけなんだぞ」

 

そんな2人の会話が聞こえていたのか、

カミオンの助手席からひょこっと顔を出したウッソ少年が彼らを見て言った。

 

「ありますよ!僕の家に行けば、少しぐらいそういうパーツあります」

 

森に不法移住して隠れ住んでいる一般市民が何故持っているのか。

オーティスとヤザンは互いに怪訝な顔を見合わせた。

 

 

 

――

 

 

 

 

端的に言うと、ウッソ・エヴィンはただの不法移民ではなかった。

何らかのスペシャリストの両親の元に生まれ、

しかもかなり幼い頃から英才教育を施されたとても特殊な…

悪く言ってしまえば歪な家庭環境で育った少年だった。

一昔以上前にゲームセンターに設置されていた臨場感抜群のリアルシミュレーターと

当時話題になった電子遊戯筐体を複数台所持し、

しかもそれに手を加えてより軍のシミュレーターに近づけたMSシミュレーターさえあった。

また、エヴィン氏の自宅地下は旧時代の役場のデータバンクに地下道で繋がっていて、

そこからケーブルを引き自宅から情報を閲覧…高度な学習までしていたのだった。

 

「両親は、今はどこにいるのかは知りません。こっちのシャクティもです」

 

言いながらウッソは褐色肌の美少女の頭を数度撫でた。

ウッソがパラグライダーで楽しそうに空で戯れていたのを遠目に見守っていたこの少女は、

パートナーが戦闘に巻き込まれたのをばっちり目撃し、悲嘆に暮れていたのだった。

シャクティ・カリンは今も半泣きべそで無事戻ったウッソの腕に抱きついてる。

こんな辺境の森で子供2人だけで支え合って生きている。

その光景を、ヤザンは何とも言えぬ表情で眺めていた。

 

「…両親はお前にかなり特殊な訓練を施している。

軍の訓練もかくや…と言わんばかりの高度なものだ。

それを課すお前の親もだが、熟しているお前もかなり特殊だな…だが――」

 

こんな()()()()家庭環境を提供する親の正体を知りたいヤザンだったが、

ウッソとシャクティの口からは大した情報は得られなかった。

分かったのは、とにかく彼らが只者ではないということだけだ。

 

「1年戦争からこっち…人間は飽きもせず戦争をし続けているんだ。

…こんな家庭もでるだろうさ」

 

それきりヤザンはウッソの家庭環境について感想を述べることは無かった。

だが、伯爵や老人達は、物悲しい感情が顔にまで滲んでいる…そういう顔だった。

長く続く戦乱の歴史を常識として育った世代は、この時代に疲れているのかもしれない。

 

「小僧、チップとプラグはどこだ?」

 

しんみりな老人達を差し置いて、

老人達よりも前に生まれていた実年齢最年長の若々しきヤザンは

ごそごそとウッソの家の棚を漁りだす。

 

「小僧じゃありません。ウッソです!」

 

少しムッとした顔でウッソは言い返したが、

素直にヤザンが求める物が眠る棚を教えてやるのだから純朴だった。

 

「ほう?見ろ、ロメロ。この規格はコア・ファイターに使えるんじゃないか?」

 

純朴少年の訴えを流しながらも家主の許可を得たヤザンとロメロ、そしてオーティス達は

次々に使えそうなジャンクパーツを発見しホクホク顔となっていた。

リガ・ミリティアの老人達は切り替えが早く、

そして自分達の非情さを知りながらもその道を突き進む事ができる。

だからレジスタンスなぞ出来るのだ。

 

「どうですか?父さんのコレクション、使えそうですか?」

 

少年がちらちらとヤザンの顔色を伺い、何かを期待しているかのような目で見る。

言葉からもそれは充分匂っていた。

 

「ん…そうだな。使える。でかしたぞ、小僧」

 

この少年がまだ親を恋しがっているのは年齢的にも仕方がないだろう。

ヤザンは乱暴にウッソの髪をわしゃわしゃと撫でる。

ヤザン・ゲーブルという男は、隊の指揮官を永く務めていた男だから、

人の心の機微というのには理解がある。

特に、女心は無理解甚だしい(或いは敢えて無視する)が

男心にはかなり理解があって融通も利くのは軍隊という男社会で生きてきたからだろう。

だからか、少年が自分に何を求めたのかも正確に、そして素早く分かっていた。

ヤザンは、この子供らが温かな家庭というものとは縁遠い生活を…

不幸ではないからと受け入れているらしいのを見て哀れには思わない。

もっと悲惨な生活もあるとヤザンは知っているが、

ヤザンの腕は半ば無意識に少年へと伸びていたのだった。

 

「あ…、へへ…」

 

少年はかなり嬉しそうな様子で、やはりヤザンの予測が当たっていたようだった。

だが、ヤザンでなくともこの年頃の親無し子が何を求めているのかは分かるだろう。

 

「でも…小僧じゃありませんよ。ウッソです」

 

しかし、少年はそこを訂正するのは忘れなかった。

 

 

 

――

 

 

 

 

その日は、窓も締め切り音を殺してウッソ宅で一晩を明かす事となって、

重傷で意識不明の敵パイロット

(シャッコーのコンピューターも一部破損してパーソナルデータ閲覧不可)も

彼の家で有り合わせの薬品で治療をした。

医師のレオニードがいたからそれでも命を取り留める事が出来たが、

敵パイロットは本来ならば死亡していたであろう重傷で放置していても動けない。

なのである程度の目処がたってからはシャクティが看護を代わって行っていた。

ベッドにはベスパのパイロット、ソファーにウッソとシャクティ、

敵が目覚め抵抗する万が一に備えて床に毛布を敷きヤザンが寝転び、

カモフラージュして隠した外のカミオントレーラーにはその他の連中が寝ていた。

そんな夜…。

 

「きゃあぁぁ!!」

 

寝静まっていた所に響いてきた空気を切り裂くようなビームローター音に、

まだ10歳にもなっていない少女スージィが悲鳴を挙げて泣き叫んだ。

 

「スージィ!静かにしろって!ばれちまうだろ!」

 

オデロとウォレンが必死に宥めるも、

ゾロの爆撃で故郷と家族を失った少女のトラウマはそう簡単に消えてくれない。

ヤザンとウッソ達が小屋から飛び出し、それとほぼ同時にカミオンで寝泊まりしていた組も

バタバタと起き出して皆が警戒態勢に移っていた。

 

「オデロ!さっさとそのガキを黙らせろ!バレないとも限らんのだぞ!」

 

「わ、分かってますよ!けど…泣けちゃうのはしょうがないでしょ!」

 

ヤザンの怒号に、オデロは(あんたの声の方がデカイよ!)と思ったのは内緒だ。

 

「すごい数だな…3、4………12、13…おいおい何機おいでなんだ?

かなりの大編成だ…ベスパめ、なんのつもりだ」

 

茂みに身を隠しながら取り出した小型双眼鏡で空のヘリをつぶさに観察するヤザン。

これ程の数ともなると、さすがのヤザンもジェムズガン1機でどうこうする気は起きない。

 

「あっちの方はウーイッグですよ!あいつら、まさかウーイッグを爆撃する気じゃ…」

 

ウッソも着の身着のまま飛び出してヤザンの隣で、空を征く威容に息を呑んでいた。

ウッソに答えるようにカミオンの昇降台からニュング伯爵が言う。

 

「都市の爆撃だけにあんな大部隊を使うとは思えんな…。

他に狙いがあるんじゃないか…ん…?見ろ、全機がウーイッグに行くわけじゃなさそうだ」

 

伯爵の指摘通り、数機のゾロはカサレリアの森上空をゆっくりと周回し、

サーチライトまで照らしてしきりに辺りで何かを探しているように見えた。

かれこれ10分以上、7、8機程のゾロはずっと探索を続けていて、

森に潜むヤザン達は息を殺して身を潜め、その様子を見ていた。

そしてヤザンは気づく。

 

「…ゾロの周回ルート…そうか。奴ら、シャッコーを探していやがる」

 

「あの新型をか?こんな夜間に大部隊を派遣してまで探すほどの新型なのか?」

 

いつの間にか後ろに来ていたロメロ爺さんがふがふがと言う。

 

「……さぁな。大事なのは新型か…ひょっとしたら、その中身か」

 

ヤザンはちらりと小屋を見る。小屋の中で眠るあの敵パイロットを。

 

「見ろ…相当なしつこさだ。奴らかなり必死だぜ」

 

ビームローター音を響かせ

いつまでも夜の空を旋回する忌々しい光景を見ながらヤザンは短く舌を打ち、

そしてガタガタ震え嗚咽を押し殺して今も泣いているスージィを見る。

次いで互いに抱き合い怯える子供達を見た。

ウッソも、そして彼の腕を握るシャクティも酷く不安そうな顔だった。

 

(…別に、だからという理由(わけ)ではない)

 

誰に言い訳するでも無く、何とは無しに自分にそう言い聞かせながら、

だがヤザンの心には確かな闘争心が湧き上がっている。

生まれついた己の凶暴性を解放するのに

良い思案が浮かんだに過ぎないのだ、とヤザンは心で独白し、

ゾロの群れに対抗できそうなMSの姿を思い浮かべていた。

 

「…ロメロ爺さん、シャッコーの電子系、直っているな?」

 

「んぁ?あぁ、そりゃ直したが…一応の応急処置だぞ」

 

「動くんだな?」

 

「…分からん。まだ試運転しとらんからな」

 

「ぶっつけ本番か…まぁいい。シャッコーを出す。全員離れていろ」

 

一瞬、ヤザンが何を言っているか理解できず

ロメロは普段のとぼけた顔を更にとぼけたものにした。

 

「おいおい、爺さんがそんな顔すると本当のボケジジイに見えるぞ。止めたほうがいいな」

 

「う、うるさいわい。儂より年上の若作りジジイが!

あっ、待たんかヤザン!死ぬようなもんだぞ!」

 

「えっ?ヤザンさん!?無茶ですよ!」

 

ウッソは驚愕しつつ彼を止めようと手を伸ばし、

ロメロも制止しようとするもそれらを無視して既にヤザンはカミオンに向けて走っていた。

 

「なんだ、どうした!?」

 

その一悶着に伯爵が眼下へ声を飛ばした。

 

「伯爵!シャッコーで出るぞ!全員さっさと離れろ!」

 

「な、なんだと?隊長!今出るのは自殺行為だ!」

 

「奴ら引き上げんぜ!このままじゃ見つかっちまうかもしれん!

狙いがシャッコーなら、このまま奴らを引きつける!」

 

「ヤザン!」

 

ヤザンの姿はもうシャッコーの丸みを帯びたコクピットへと吸い込まれていた。

小さく唸って伯爵は急いで昇降台から飛ぶように降りて皆に退避を命じる。

 

「皆、離れろ!隊長がシャッコーで出る!」

 

「ヤザン隊長だけで!?初めて動かす敵のMSでですか?

そんな…私もジェムズガンで出ます!」

 

喧騒に気づき、マーベットも急ぎ駆け出していたが、

 

「まだすっこんでいろ!フェダーインライフルも無いジェムズガンじゃ足手まといなんだよ!」

 

猫目を見開き赤く輝かせたシャッコーのコクピットから野獣の如き肉声が飛ぶ。

ゆっくり起き上がるシャッコー。

開いたハッチから上半身を覗かせたヤザンが、

 

「マーベット、俺が出てから5分後に出ろ!ゾロ連中は引き付ける。

お前は背後からやれ!」

 

最低限の言葉で命令を飛ばすとマーベットは口惜しいそうに、だが静かに頷いた。

シャッコーのハッチが閉じ、左腕を空にかざす。

腕から特徴的なビーム投射音を響かせてビームローターが展開されると、

オレンジのMSは悠然と夜空へと舞い上がった。

月明かりに照らされたオレンジが、美しく輝いた。

 

 

 

 

 

 

「いい調子だな。さすがだ…オーティス、ロメロ」

 

シャッコーのコクピット内でヤザンは唸る。

老人達の良い仕事っぷりが、シャッコーを動かしてみてよく分かる。

だが、それとは別にしてもベスパの新型はご機嫌な性能であった。

 

「ジェムズガンとは段違いだぜ。こいつなら…」

 

スラスターを吹かし夜空を敢えて派手に飛び回る。

慣らし運転も兼ねているが、何よりゾロの目にとまるのがヤザンの目的だ。

 

「…来たな」

 

雁首揃えて土偶目の巨人がぞろぞろとこちらへ寄って来るのが分かる。

ヤザンは心の中で舌舐めずりをし片目だけで笑っていた。

 

「クロノクル中尉!無事だったのですか!」

 

通信で喚くゾロは、明らかにシャッコーを味方と誤認しているようだ。

そうか、あの赤髪のパイロットの名はクロノクルか…と半ばどうでも良い情報を得ながら、

ゾロらの堂々たる無警戒っぷりをヤザンは侮蔑的な感情で眺めていた。

 

(間抜けめ!素人なのか!?)

 

夜間であろうとMSのモニターには

人間の目に適した明度に映像処理されて投影されている筈で、

MSの挙動から別のパイロットが乗っているのは明らかだろう。

機体識別が未だにザンスカール所属であるとはいえ、

それを見抜けないのは迂闊の誹りは免れないだろう。

火器管制のカーソルを合わせロックオンし、シャッコーの腕を持ち上げ引き金を引く。

その一連の動きには一切の迷いも淀みも無い。

殺すことが日常の一部になっている根っからの軍人・戦士・兵士の動きだった。

ヤザンは容赦無しくガラ空きのコクピット部へ

出力を絞ったビームライフルを叩き込む。

 

エンジンのIフィールドが崩壊することなく

コクピットブロックだけに焦げた風穴が空いた先頭のゾロが、

力なくグラリと後ろ向きに倒れてそのまま大地に吸い込まれていった。

 

「中尉!?反逆するのですか?」

 

ざわつき、慌てた様子のゾロ達が離散してシャッコーを囲むように動き出した。

 

「遅いんだよ、間抜け共が」

 

ヤザンの目には敵のそれらの反応の全てが緩慢だった。

ゾロの機動力や運動性の問題というよりも、

パイロット達の驚愕や迷い、躊躇が反応を鈍くしているようだった。

それに反してシャッコーは迷いなく、離散したゾロの1機へと猛然と突っ込んだ。

 

「わぁ!?」

 

狙われたゾロがビームライフルを乱射するが、

ビームローターを盾代わりに突っ込むシャッコーは防御態勢を取りながらも

肩部スラスターやミノフスキークラフトを巧みに使用し、

左右上下にブレるように細かく動きながら突っ込んでくる。

ただの全速力突撃ではなかった。

 

「当たらない…!?う、うわああ!?中尉っ!!やめっ――」

 

ビームライフルは一発もビームローターにさえ当たらなかった。

そのゾロの言い切らぬ内に、

シャッコーのビームローターが胴体前部…コクピットを削り取ってしまった。

パイロットは肉片一つ残っていないだろう。

 

「反逆だ…!」

 

「女王の弟が…!?」

 

「違う…別のパイロットが乗っている!」

 

ゾロ達がようやくに確信する。

もはやシャッコーは完全に敵だとベスパのパイロット達の意識は切り替わった。

だが、それは野獣の如き男に対してはやはり遅すぎる。

獣狩は、周到な準備と慎重な足運びが合わさって初めて成功するが、

初手から意表を突かれたゾロ隊は既にペースを(ヤザン)に握られていた。

 

「ようやくやる気になったようだが…やはり遅いな!そこだ!」

 

シャッコーの低出力ビームライフルが連射されると、

またゾロの1機が機体の深部までは響かぬ程度に蜂の巣にされて

火と煙を吐いて落下していった。

 

「こ、こいつ!あっという間に3機やられた!」

 

「くっ、シャッコーの性能はまだこちらも把握していないんだ…!」

 

「囲め!無力化して捕獲する!」

 

全速の戦闘機動に入ったゾロ達が四方を囲もうと飛び、

出力を絞ったビームライフルでシャッコーの手足へ狙いを定めるのがヤザンには分かった。

 

「コクピットを狙っていない…ハッ!この俺を捕らえるつもりか?フフ…ハッハッハッ!」

 

ヤザンは余剰出力たっぷりのシャッコーのスラスターをフルスロットルで加速させ、

一気に上昇しそのまま宙返りを描く。

鋭い軌道による宙返りが月夜の空に航跡雲(ヴェイパー)を引いていた。

そのままの勢いで、

囲むゾロの射撃を尻目に1機の後ろ首筋目掛けて〝延髄蹴り〟を見舞ってやると、

ゾロの後頭部がひしゃげバックパック上部までが大きく歪みメインスラスターの火が止まる。

 

「ぐっ、うぅ!!?」

 

第2世代MSのコクピット・ショックアブソーバーでも

打ち消しきれない衝撃にパイロットが唸る。揺さぶられ視界が定まらない。

その隙をヤザンは見逃さなかった。

そのまま背後に取り付き、ビームサーベルによって一瞬でゾロの両足を切断。

羽交い締めにする。

 

「あ、あぁ!?は、はなせよ…この!」

 

「貴様には盾になってもらうぞ」

 

触れ合い通信から聞こえるゾロのパイロットの声は怯えに震え、

シャッコーからの声は殺意と自信に溢れるもの。

対象的な二つの声はそのまま両者の行く末の明暗でもあった。

 

「く…人質とは!」

 

先程までのような低出力ビームでは

盾にされたゾロを貫通してシャッコーにまでダメージを届けるのは難しい。

出力を高め過ぎてはゾロ共々シャッコーのジェネレーターをビームで破壊する可能性がある。

そうなればMS2機分の核爆発が起きる懸念があった。

迂闊にはビーム兵器が使えない。

 

「ならばッ、格闘戦で…!」

 

猛るゾロが、光刃を抜刀して袈裟懸けに迫る。

 

「そうだ…!サーベル戦を仕掛けてこい!戦闘は楽しまなくっちゃなァ?」

 

囲まれての射撃戦という圧倒的不利を封じるための人質だ。

格闘戦ならば例え10対1であろうとヤザンは負ける気がしなかった。

右から回り込むように1機。左から1機。

下方に滑り込んでくるのが1機。

これはビームサーベルではなくライフルを構えている。

 

下のゾロが空を滑るようにしながら上方のシャッコー目掛けビームを猛射し始めると、

ヤザンは即座に盾にしたゾロをそいつに思い切りよく蹴り落としプレゼントしてやる。

落下するゾロにビームは命中し装甲が穴だらけになっていくが、

やはり核爆発が怖かったらしく貫通はしない程度の威力でしかない。

敵パイロットが核の誘爆も恐れず全開の出力だったら危なかったが、

そうはしないだろうというヤザンの目論見は最初からあった。

 

「狙いが甘いから必要以上にビビるんだ、貴様らは!」

 

笑いながら、ヤザンは射線上一直線にならんだゾロ2機にビームライフルを叩き込む。

先程や眼下のゾロとは違い、今度は高出力のビームだ。

盾にされた脚無しのゾロ、結果的に仲間だけを撃ってしまったゾロ、

その両機をメガ粒子は容赦なく貫いた。

2機は見事にエンジン以外を撃ち抜かれて猛火に包まれて爆散した。

 

それとほぼ同時に、右からの1機の刃をビームサーベルで受け止める。

激しいスパークがモニターを焼かんとし、

シャッコーの複合複眼式マルチセンサーの保護カバーがオートで下りる様は、

シャッコーが目を細めているかのように見えた。

 

「もはや捕獲はせん!仲間達の仇をとらせてもらう!」

 

瞬く間に、次々と友軍が葬られていく恐怖に屈しそうになりながらも

怒りを沸き立たせてゾロが来る。

左から迫るゾロがビームサーベルを居合気味に振り抜いてくるが、

それはシャッコーのビームローターで遮られる。

シャッコーの左右両方で激しい閃光がほとばしった。

 

「いくら新型のシャッコーだろうと…このままゾロで挟み撃ちにすれば!」

 

ベスパのパイロットが息巻く。

息を合わせ2機のゾロが出力をさらに上げると、

左右両腕で踏ん張るシャッコーの腕が軋み悲鳴をあげだしたが、

 

「まだ支えられるか…この機体、気に入ったぜ」

 

中々にシャッコーは粘る。

ジェネレーターのパワー自体はゾロと大差無い筈だが、

シャッコーのフレームや関節部が強靭であった為に、

結果、ゾロよりも強く素早い。

2機のゾロ相手に押し返せはしないが競り負けてもいなかった。

 

「力比べはもう充分だ。いい慣らし相手になってくれた事には感謝してやるよ」

 

「なっ!?シャッコーの肩がっ!」

 

2機のゾロが「勝てる!」と見込んだその時だった。

シャッコーの右肩アーマー先端の突起がスライドし、

迫り上がって回転…自在継手のフレームアームが第3の腕(隠し腕)のように動き出す。

シャッコーの右肩にはビームガンが仕込まれていたのだ。

自陣営のMSとはいえ新型の隠し武器を末端のパイロットが知りようもない。

驚愕したゾロパイロットは、その表情のまま

シャッコーの隠し武器(2連ショルダービームガン)にコクピットを焼かれてこの世から消えてしまうと、

主を失ったゾロはビームサーベル同士の鍔迫り合いから脱落し落下し森に消えた。

 

シャッコーの首が左方(ビームローター側)のゾロへ向くと

その狐目を見開き真っ赤な目を顕にして敵を凝視する。

 

「…っ!」

 

クロノクル探索隊ゾロの最後の1機であるそいつは、

自軍MSの象徴たるそのセンサーアイを見、初めて〝怖い〟と思う。

複合複眼式マルチセンサーに睨まれ、人間狩りを仕掛けられる地上の人間達の恐怖を、

今初めてこのパイロットは味わっていた。

 

(これが、狩られる恐怖…!)

「あ、あああ!か、母さんっ助け――」

 

恐怖でレバーを握る手が強張る。

ゾロの動きが引きつった。

それと同時にシャッコーの右腕に握られていたビームサーベルが、

薄っすらと光刃を投射しながら素早く的確にゾロのコクピットへと当てられた。

パイロットは母の姿を思い浮かべ、

虐殺していった人間達の亡霊を見ながら消し炭へと変わっていた。

 

「こいつで最後か?」

 

敵パイロットにそんな思いが去来した事など、

この男(ヤザン)は知ったことではない。

次の敵の姿を求め、シャッコーが目を見開いたままに周囲をセンサーで探査する。

モニターに映る、飛ぶゴマ粒の姿。

コンピューターが画像を拡大すると、そいつはどうもヘリコらしい。

ウーイッグ方面から新たに数機の機影がこちらへ迫るのが見えた。

 

(ウーイッグ方面のゾロがこちらへ回ってきた…光を見たか)

 

ゾロを何機か爆発させたその爆炎光を見たのだろう。

まだまだ戦いたい気分ではあるが、シャッコーの操作系にはまだ不安がある。

ゾロを蹂躙したヤザンではあるが、

これでもシャッコーが操作に対してまだ鈍い所があると感じられた。

 

「…まぁいい。こいつならばまだいけそうだからな」

 

ビームライフルのエネルギー残量を確認しながら

ヤザンが改めてトップターミナルへ視線をやったその時…

 

「ん?…爆発しただと?…そうか、マーベットめ。俺の獲物を横取りしやがった」

 

森から放たれた幾筋のメガ粒子の光が、トップターミナルを貫いていた。

ゾロが、ヤザン達の戦闘に注意も持っていかれていたとは言え見事な奇襲だ。

核爆発が起きていないことからきちんとエンジン直撃は避けているらしい。

ヤザンの命令通りに、きっちり5分後に動いた事も評価できる。

ジェムズガンと只のビームライフルでそういう事をやってのけるマーベットは、

やはり流石にヤザン隊であった。

部下の良い腕前に「横取りしやがった」という言葉に反してヤザンの顔は嬉しそうである。

が、マーベット単機でこの敵機撃破は速すぎる。

厳しく仕込んだとはいえ、マーベットは今ジェムズガンに乗っている筈だ。

 

「…また光った。2機目か。フェダーインライフルも無しにこの撃破速度は…。

マーベットが俺以上の腕前に突然なったとは考えにくい。

む?あれは…ゾロの周りをうろちょろする噴射光?

コア・ファイターか?誰が援護している」

 

いざとなれば乱入する気で、

森林に潜むジェムズガンと空戦をしているコア・ファイターとゾロらの戦闘を見守る。

 

「コア・ファイターが掻き回して、マーベットが援護だと?

あんな腕利きがいるとはな。……………まさか、な」

 

あっさりと増援のゾロを全滅させてしまった戦闘の立役者は、

明らかにあのコア・ファイターだった。

ヤザンの脳裏には特異な生活を営んでいた、

あどけない笑顔の少年の姿が浮かんでいた。

 



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獣の時代

ポイント・カサレリアの森林地帯に進軍してきたゾロ隊は全て撃退できた。

が、その後、ちょっとした一騒動があった。

見事な動きを見せていたコア・ファイターに乗っていたのはやはりウッソであったり、

そのウッソがコア・ファイターで勝手にウーイッグへ憧れのお嬢様を助けに行ったり、だ。

 

見事な戦いっぷりを披露したウッソだったが、

ウーイッグで住民がゾロの機銃でハンティングのように虐殺され、

大量の爆弾で吹き飛ばされ燃やされ、

水を求めて川を埋め尽くす赤黒い人の群れを見て冷静さを失ったようだ。

直撃弾を受けて爆破、四散する…ということだけは回避できたが、

ウッソのコア・ファイターはエンジンをやられて街に墜落。

そこを住民とレジスタンスに救助されていた。

 

ヤザンのシャッコーが駆けつけた時には、主力はあらかた引き上げた後で、

ヤザンは残った数機だけを始末。

後は街の探索を行っていた。

そして、地下から這い出てきたウッソとウーイッグのお嬢様…カテジナ・ルースを発見する。

その時にヤザンは2人の口から上記の事を聞いたのだった。

ヤザンは怒った。

 

「貴様…!コア・ファイターを勝手に持ち出して!!」

 

「あ、うっ、うぅ…」

 

少年の胸倉を掴み、持ち上げる。

少年…ウッソは真っ青な顔になって

真の意味で野獣の如き形相になった男の視線を受け止めていた。

とても受け止めきれてはいないが。

慌てたのはカテジナ・ルースだった。

 

「ちょ、ちょっと!こんな子供に何をそんなに凄んでいるんです!

それが大の大人の男のやること!?」

 

ヤザンの血走った目がギロリとお嬢様へ向けられた。

今度はカテジナが「ひっ」と小さな悲鳴を漏らし、

抱っこしていた赤ん坊に縋るように抱きついた。

カテジナを無視し、ヤザンは怒り釣り上がった目で睨み、言う。

 

「いいか!あれは子供が振り回していいオモチャじゃない!!

人殺しが仕事の兵器なんだよ!!それを貴様!子供如きが…!

エレカのように乗り回して何を考えている!

戦闘機1機風情でゾロの大編隊に勝てると思ったか!」

 

「あぁ、あ、ぐ、ご…ごめん、なさ、い」

 

ヤザンが力を込めるとウッソの体は更に持ち上がり、そして首が絞まる。

苦しさもあるが、それ以上にウッソは怖かった。

大人の本気の怒りを生でぶつけられたのは初めてだった。

 

「歯を食いしばれ…!修正してやる!!」

 

「…っ!」

 

あっ、と口を開いたカテジナが、止める間もなくヤザンの鉄拳が少年の頬を殴りつけた。

少年の体が木の葉のようにすっ飛んで転がる。

 

「ウッソ君!?何をするんです!あなたって人は最低の大人よ!!」

 

「さっきから貴様は何なんだ…部外者の女がいちいちしゃしゃるな!

見たくないならさっさとどこにでも行けばいい」

 

「な、なんなの…!?さっきからあなたの物言いといい、態度といい!

大体、大人のあなた達が勝手に戦争を――あっ!?」

 

ヤザンの裏拳がカテジナの頬をしたたかに打つ。

カテジナは一瞬、己が何をされたか理解できずにいた。

カテジナはウーイッグのお嬢様だ。

父は商才があって実家は裕福。

特区として地球連邦政府の保護下にあり、

街全体が腐敗はあれど豊かだったウーイッグの中でさえ指折りの資産家だった。

殴られたことなど無い、名実伴ったお嬢様だった。

正確に言えば、ウーイッグが焼かれる直前に父の浮気を糾弾した際、

口論の弾みで頬をはたかれたが、それでもこんな強烈ではなかったし、

叩いた当人である父は狼狽えて逆に謝る始末でとても男らしさは無かった。

 

「俺は今、このガキと話しているんだ。

次にきゃんきゃん喚いて邪魔をしたら裸にひん剥いて放り投げるぞ」

 

「なっ…」

 

カテジナは羞恥や怒りで顔を真っ赤にし、

己の頬を抑えていた手で体を庇うように自分の体を抱き、そして口を噤んだ。

ヤザンは未だに転がるウッソに再び視線をやると、

よろよろと少年は立ち上がるところだ。

 

「ふん…丈夫だな。…痛いか?」

 

「は、はい…」

 

「生きているから痛む。下手をすれば貴様は死んでいたんだ。

………わかるな?」

 

「はい…」

 

賢い子供だ、と思いながらヤザンは続ける。

 

「後でフライトレコーダーを回収できれば分かることだが…。

ウッソ、貴様…何機堕とした?」

 

「あ、相打ちで…1機です…そ、その…

赤ん坊を抱えていた、お、女の人を…こ、殺した…ゾロを」

 

カテジナが抱いている赤子は、どうやらその時の子らしい。

さっきからヤザンの怒号に怯えてか、ずーっと泣いていて喧しいことこの上ないが

赤ん坊の仕事は泣くことだというのはヤザンも知っていることだった。

 

「ゾロを堕とした……そのパイロットは死んだろうな。

死ぬのを承知で引き金を引いたんだろう?

お前は自分の意志で戦闘機に乗りウーイッグにまでわざわざ来て、そして人を殺した」

 

「っ!」

 

ウッソの脳裏に、撃ち落としたゾロから辛うじて這い出てきたパイロットの姿が思い出された。

爆撃した当人が、爆撃された街に落ちてきてどうなるか…。

それは火を見るより明らかだ。

ベスパのパイロットは、

ウーイッグの住民とレジスタンスに撃たれ、そして瀕死になった所をリンチにあって死んだ。

墜落したコア・ファイターのキャノピー越しに、ウッソはボロ雑巾のようになって死んでいく

パイロットの姿を湧いてくる涙と共に見ている事しか出来なかった。

それが思い起こされていた。

 

「もうガキ(無垢)じゃいられん。

お前は、殺さなければ殺される世界に自分から来たんだ。

ようこそ戦場へ、とでも言ってやろうか?

もう貴様は兵士になっちまったのさ」

 

「そ、そんな…!僕は、戦争なんかしたくありません!へ、兵士なんか…兵士になんかっ!」

 

「兵士でなけりゃ、ただの人殺しだ」

 

「あっ………………う、う…あぁ…!」

 

ハッとした顔をし、

直後に青い顔になった少年の瞳からポロポロと涙が溢れて、体が震えていた。

 

「…ベスパの人間狩りと同レベルになりたくなきゃ、真の兵士になるんだな…ウッソ。

でなけりゃ獣以下のクズに成り下がる」

 

それきり、ヤザンはもうウッソを叱責しなかった。

コア・ファイターを1機潰されたが、あれはカミオン隊に既に予備が1機あるし、

各地の工場でもう量産が始まっている。

実戦データを得るためにカミオン隊に先行配備されただけで、

そのデータも後で回収可能だろう。

シャッコーでの偵察の際に見つけたコア・ファイターの残骸は、

ウッソの腕前のお陰だろう…上手い堕ち方をしたようで原型は保っている。

問題はないだろう。

あるとすれば、目の前の少年のメンタルと、そして腕前だ。

弱くて問題なのではない。明らかに優れ()()()()()

戦場になった街に1機のコア・ファイターで突撃し、

無数の敵がいる中で1機を堕として自分は生き延びている。

どれだけ脅威的なことか言うまでもないだろう。

 

(強すぎる…こいつは、新兵に有りがちな人殺しのトラウマなんざ抱えんだろう)

 

ヤザン自身には殺しのトラウマなんて経験は無かったが、

数多くの新兵を見てきたヤザンだからこそ分かる。

潰れる奴と、潰れない奴。

ウッソ・エヴィンは明らかに後者だった。

 

(シミュレーターを弄っていたからといって、いきなりの実戦でああも動けるものか!

コア・ファイター単機でゾロ大部隊に飛び込み…1機撃墜とは…。

この小僧…アムロ・レイの再来だとでもいうのか)

 

連邦時代、広報で読んだアムロ・レイ。

ティターンズ時代、ジェリド・メサ達から聞き…

また自分も最上の獲物として追い求めたZのパイロット、カミーユ・ビダン。

ジオンの赤い彗星。

ニュータイプと呼ばれるパイロット適正に特別優れた者達は、

皆、いきなりMS等に乗り込んで戦果を挙げたという伝説がまことしやかに囁かれている。

 

(ニュータイプか…)

 

あの木星帰りの面白い男もそうだったらしいという噂は聞いたことがある。

過去に思いを馳せつつ、泣きじゃくる少年へヤザンは乱暴にタオルを投げつけた。

 

「鼻水面は見てるこっちが不快だ。拭け」

 

「は、はい…」

 

それから1時間程…カミオン隊が廃都ウーイッグにやってくるまで、

ウッソは瓦礫に座って泣いていた。

その横に、ヤザンはずっと何も言わず座って静かに少年を見ていたが、

ウッソとは反対側のヤザンの横にカテジナが腰掛け、

彼女の胸に抱かれている赤ん坊が延々と泣いているので

ひたすら泣いた子に挟まれなければならなかった。

 

(なんだこれは…新手の拷問か…?

この女、ガキを連れてさっさとどっか行けばいいものを!)

 

この時、オリファーやマーベット、シュラク隊の面々がこの場にいたら、

非常に珍しいヤザンのげっそり顔を見られただろう。

さすがのヤザンでも、泣く子はどうしようも無かった。

 

 

 

 

 

 

(姉さん…助けてよ…マリア姉さん…体中が痛いんだ…焼けるように熱いよ…姉さん…)

 

クロノクルはずっと夢うつつの中にいた。

体中が燃えるように熱く、指一本さえろくに動かない。

けれど、今のクロノクルは身動きできない事を嘆く余裕もない。

とにかく四六時中、彼は体中を襲うむず痒いような痛みに耐えねばならなかった。

そんな、苦痛に満ちた夢うつつの中で、クロノクルは歌を聞いた。

 

(あぁ…姉、さん…姉さんの…歌、だ…いるのかい…姉さん…来て、くれたの?)

 

こんな場所に、弟を見舞いにサイド2で女王をやっている姉が来てくれるわけがないのだが、

そんな当たり前の事も今の錯乱気味のクロノクルには分からない。

 

「う…姉さん…マリア姉さん…………ぐっ、うぅ…」

 

寝返りを打つことも出来ないクロノクルが、呼吸荒く呻く。

熱を持ち、爛れたクロノクルの額に柔らかで華奢な手がそっと添えられた。

 

「ね、姉さん…来て、くれたんだ……姉さん…」

 

朦朧とするクロノクルには、その温もりに覚えがあった。

間違いなく姉、マリアのものだった。同じ温もりだった。

触れられているだけで優しさが伝わってくる、そういう手だった。

そこに来て、姉が口ずさんでいた歌までが聞こえて、

クロノクルの心はすっかり昔に戻っていた。

フォンセ・カガチに見つかる前…

貧しくとも、姉と自分と…姉が生んだ何処の馬の骨とも知れぬ男との子と、3人の生活。

その生活は、温かで幸せだった。

慎ましやかで、優しい日々だった。

姉は姪を出産してから占い師としてメキメキと頭角を現して、

娼婦という辛い仕事から抜け出せて、貧しいながらも確かな幸せがあった時代。

 

「姉さん…その歌、もっと…歌ってよ……俺、好きなんだ、それ…ひなげしの――」

 

クロノクルから痛みが引いていく。

歌と、添えられた手が彼の苦しみを吸い取ってくれるようだった。

顔中に浮かんでいた脂汗も引き、クロノクルの苦悶に満ちた顔はすっかり穏やかになって

静かな寝息までたてて深く眠ってしまった。

 

すぅすぅと、寝息をたてて眠りだした敵パイロットを見て、

手を添えていた少女シャクティは安堵した表情だったが、

すぐに怪訝な顔になって宇宙から来た侵略者たるベスパパイロットの顔を見た。

 

「…この人……お母さんの歌を…知っている?」

 

クロノクルだけではなく、シャクティもまた

彼の顔を見、触れていると何故か懐かしいものが心の奥からこみ上げてくるのを感じたが、

 

「シャクティさん、どうかな…やっこさんの様子は」

 

カミオン隊の医師レオニードが小休止を終えて戻ってきて、

そのこみ上げてくる何かは霧散して消えてしまった。

 

「あっ、はい。落ち着いています……今、寝ました」

 

「おお、本当だ。随分穏やかに寝ているな…私の時はもっと容態が悪かったのに。

シャクティさんは看病の達人かもなしれんなぁ。ははは」

 

「いえ、そんな…ウッソと2人でずっと暮らしてましたから…少しは手当も出来るってだけです」

 

優しい少女はくすりと笑って、席をレオニードに譲りながら尋ねた。

 

「あの…ウッソは、無事なんでしょうか。ウーイッグからはまだ戻らないんですか?」

 

「あぁ、追っていった隊長から合図があったみたいだよ。

ベスパが撒いたミノフスキー粒子のせいでまだ通信できんから、詳細は分からんが…

信号弾の色は〝安全〟だと言っているから、きっと大丈夫だ。

私とシャクティさんはお留守番で、カミオン隊がウーイッグまで迎えに行く」

 

「…そうですか」

 

シャクティの顔がやや曇った。

ウッソは、リガ・ミリティアの大人達が来て変わり始めている。

人の心の動きに、ウッソ以上に敏感なシャクティにはそれが分かった。

とくに、あの粗野で恐ろしい人…

ヤザンと出会ってしまったのが良くなかったのだと、シャクティには思えた。

 

(ウッソ…戦争に囚われては嫌よ…無事に戻ってきて)

 

素朴な美少女シャクティにだって願望や欲望はある。

いつか親に戻ってきて欲しい、というのもその願望の一つだ。

その時のため、戻ってくる親への目印としてヤナギランを植えている。

だが何よりも彼女が真に望むことはいつでもたった一つだった。

ウッソと一緒にカサレリアで暮らし続ける事…それだけがシャクティの願いである。

 

 

 

――

 

 

 

 

その後、カミオン隊と合流したヤザンとウッソらはウーイッグで探索を行った。

成果は、合流予定だったボイスン工場長の焼け焦げた遺体と、

コア・ファイターの残骸から回収した戦闘記録だけだった。

男泣きに泣く伯爵だったが、

ボイスンが死んで悲嘆にくれてもザンスカールに勝てるわけではない。

ボイスン達がウーイッグに集い果敢に抵抗運動をして見せたのも、

Vタイプを生産している旧世紀の車工場跡地から目を背ける為。

足を止めることなど、リガ・ミリティアの連中はとっくに出来ない所まで来ているのだ。

その事は、ウーイッグを故郷とするカテジナ・ルースには当然伏せられた。

ヤザンが、カミオン隊の皆にそういう風に提案すると、

 

「…そうだな、私達もあまり迂闊なことを言わないよう気をつける」

 

オイ・ニュングも同意した。

民間人に全てをさらけ出し、バカ正直に話す必要は無い。

寧ろ、抵抗運動を美しいものとして宣伝し、

後ろめたい、隠すべき暗部は隠す…それが伯爵の仕事の一つでもあった。

全てはザンスカールのギロチンに対抗する為…大事の前の小事ということだった。

 

このまま旧車工場にまで行って他方面から集う仲間と合流し、

Vタイプを完成させて月から来るシュラク隊を待つ…という予定なのだが、

 

「あの…少し家に寄らせて下さい。シャクティにも、色々言わないといけないことがあるし…」

 

すっかり落ち着いたウッソ少年が嘆願した。

 

「元よりそのつもりだ。

一旦、君の家に寄ってから工場に向かう。

レオニードだって、ベスパのパイロットだって置いたままだしね。

まさか、ウッソ君の家で引き取ってくれるわけじゃないんだろう?」

 

伯爵の冗談まじりの言葉にウッソは慌てて両手を顔の前で振る。

 

「こ、困りますよ、そんなの」

 

「ははは、冗談だよ。レオニードを引き取ってもらっちゃ、我々が困るしな」

 

既に、ウッソは伯爵の冗談にも苦笑するだけの気力が戻っていて、

初めて人を殺した人間のメンタルではない。

やはりウッソは特別(スペシャル)過ぎる。

談笑する2人を見て、ヤザンは難しい顔となっていた。

家を焼け出され、故郷を失ったカテジナも流れでカミオン隊に付いてくることとなり、

一行はウッソ宅まで、再び隠密のトロトロ運転で向かうこととなった。

 

「伯爵…森を探索していたゾロ隊が1機も帰還していないのは

ラゲーン基地も把握しているはずだ。

新手が来る可能性がある…空からの目に気を付けろ」

 

どっかと助手席に腰掛け、足を投げ出しているヤザンが

ウーイッグの破壊された食料品店からガメたソーセージを貪りながら言う。

 

「まったく、隊長が暴れすぎるからだ。はしゃぎおって」

 

木々の間を見事な運転さばきで抜けていくオイ・ニュング伯爵が、

ヤザンへじとりとした視線をぶつける。

 

「うるさいんだよ。ああでもせにゃ、あの場は危なかっただろうが」

 

「……カテジナさんから聞いたぞ。ウッソ君を殴りつけたそうだな」

 

「当然だな。あのガキ、コア・ファイターを玩具代わりだ」

 

「玩具にできてしまうのだな、あの子は。

隊長…ウッソ君は…………スペシャルなのか?」

 

お互いフロントガラスの向こうの景色へ目線を向け続けながら会話をしていたが、

そこで初めて伯爵がヤザンへ視線をよこした。

ヤザンは、ソーセージを食う手を止めて

シャッコーの簡易整備を老人と一緒にさせているウッソ少年の顔を思い浮かべる。

 

「…あぁ、スペシャルだ。奴は…ニュータイプかもしれん」

 

「ニュータイプ、か。昔に、そういう連中がいたとは聞いている。

隊長は、ニュータイプと会ったことがあるのか?」

 

「ある」

 

「どういう人間なんだ?」

 

「変わらんさ。奴らも殺されれば死ぬ人間だ。…だが――」

 

そう言っているヤザンだが、

彼の脳裏に去来するビジョンは不可思議なエネルギーフィールドに包まれて

あらゆる攻撃を弾きビームサーベルを有り得ない距離まで伸ばしてくるZガンダムの姿。

 

「―少しばかり、化け物的な力を発揮する時がある。

バリアーもない機体でビームを弾いたりな。

戦う分には…やり甲斐がある人種さ」

 

伯爵は、なんだそれは…と言いつつヤザン流の冗談かと思い笑うが、

すぐにヤザンが冗談を言ったのではないと悟って顔を引き攣らせた。

ごほんっ、と咳払いを一つし伯爵は気を取り直す。

 

「それで、どうするんだ?」

 

「なにをだ」

 

「ウッソ君だよ。我々の仲間に引き入れるんだろう?

隊長の話が本当なら、

昔に隊長を手こずらせたニュータイプが味方になれば心強いなんてものじゃない。

この戦争にも勝ち目が見えてくるぞ」

 

「……」

 

ヤザンの、肉を食う手がまた止まった。

今度は真っ直ぐ前を向いたままオイ・ニュングは続ける。

 

「逃す手はない、隊長。あの子は強力な戦力だ。

綺麗事を言っていられる程、リガ・ミリティアに余裕はない」

 

無言のままヤザンは肉を食うことを再開した。

伯爵も静かにヤザンが食い終わるのを…というより意見を述べてくれるのを待つ。

 

「……ウッソは、自分から戦場に来ちまったんだ。

このまま戦場に残るか…去るか…後はあの小僧が自分で決めればいい」

 

「隊長…私はこれから酷いことを言う」

 

伯爵はそう前置いて、いつもの温和な仮面を外し眉間に皺が刻まれた険しい顔で続けた。

 

「……ウッソ君をこのままなし崩し的に巻き込もう。

隊長ならあの子を引っ張ってこれるのではないかね?

あの子は我々の中では一番、隊長に懐いているように思う」

 

「ハンッ、ふざけろよ。ただでさえ女子供が戦場に多くて参っているんだ。

俺が率先してスカウトするわけがないだろう!」

 

ヤザンは不機嫌そうに声を荒げた。しかし、だが――と続ける。

 

「――あいつが自分の意思で兵士になると…

そう決めるなら俺が面倒を見てやるさ。

あんたにもそう約束しちまったからな」

 

ヤザンは薄く笑ってそう告げた。

 

既に、あの少年にはヤザン流に諭すだけは諭した。

人殺し、という行為についてどう向き合うか…

それはもう後はウッソ・エヴィン次第だとヤザンは考えている。

兵士になれば殺人は正当化されると言いはしたが、

博愛主義者や人道主義者に言わせればそんな事は無いだろうし、

ウッソが「別に正当化されなくてもいい。逃げたい」と言って逃げ去ってもいい。

開き直って知らんぷりでも構わない。

彼の人生だ。好きに生きればいい。

特にリガ・ミリティアは軍隊ではない。

軍人でなければ戦場に立つ責任も無いのだ。

 

ヤザンとて、人殺しの罪科を説きはしたがその実、

彼自身戦場での殺し合いについて、全く良心の呵責はない。

欠片もない。

戦場に出る奴は殺し殺されて当然で、

寧ろ戦場とは殺しのスキルを磨き抜いた戦士達の一生の華舞台であり、

そういう戦士を殺すのは良心の呵責云々どころか達成感すらある。

戦士ならば戦場の空気に心躍らなければ嘘だ。彼はそう思う。

ヤザンにとって問題は、

あの少年が兵士の…戦士の心構えも無く戦場に立ち敵を討ったことなのだ。

戦場に立つ者は戦士でなくてはならない。

戦う心の無い者は寧ろ消えてくれとすら思っている。

 

だが、子供であろうとシュラク隊やマーベットのように女であろうと、

もし…自分の意志で戦場に立つ兵士・戦士たらんという心を持ってヤザンの元に来るなら、

そいつの面倒は死ぬまで見てやる。

ヤザン・ゲーブルとはそういう男だった。

 

伯爵は溜息をつく。

どうやら、ヤザンがウッソ・エヴィンを率先して説得することは期待できない。

 

「…ウッソ君の心一つ、か。願うしかないな」

 

「フッ…戦場に子供が来るのを願う大人か。俺達は随分上等な大人だな、伯爵?」

 

「笑ってくれていいよ、隊長」

 

今は、酷い時代だった。

 



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獣の安息 その1

ラゲーン司令ファラ・グリフォン中佐の顔色は優れない。

光加減次第で紫にも鮮やかなピンク色にも見える艶やかな髪で彩られた美貌も、

どこか影がさしていて彼女の運気そのものが陰って衰えているようなイメージを与える。

 

「私が…ギロチンにかけられるというのか?」

 

会話相手は、カイラスギリー艦隊はタシロ・ヴァゴ大佐より派遣された

アルベオ・ピピニーデン大尉であった。

肩にかからない所で切り揃えられた真っ黒なセミロングヘアで、

オールバックにされた前髪から漏れて垂れた一房の前髪が特徴的な色男であるが、

一見して軽薄そうな彼だがその内側はベテランパイロットとしての闘志と、

人並な野心を備えた傑物でもある。

 

「それは小官には分かりかねます。

…が、オクシタニー方面での戦線の停滞…、

ラゲーン爆撃作戦での10機近いゾロの損失…、

加えて、クロノクル・アシャー中尉の新型テスト中の失踪。

タシロ大佐の耳には勿論、サイド2(本国)にも報告が届いておるようで。

女王陛下はお心を痛めている、と」

 

ピピニーデンは軍属らしく無表情を貫いているが、

腸が煮えくり返りそうな程の怒りを秘めている。

ファラ・グリフォンの司令としての手腕の不手際よりも、

クロノクル・アシャーと新型を失った事への怒りが大きい。

なにせ、ピピニーデンはクロノクルの士官学校時代の先輩であり、

女王の弟として取り入ろうとする輩や敬遠する輩とは違って

純粋に先輩後輩関係を築けていた友人だったのだ。

ピピニーデンは、純真なクロノクルをかなり可愛がっていた。

今回、宇宙からメッセンジャー・ボーイとしての役割も自ら進んで買って出ていて、

生存は半ば絶望的な弟分の復讐も目的であった。

 

「…クロノクル中尉については、引き続き探索を続けている。

シャッコーの残骸も何も発見されていないのだから、希望はあろう」

 

言っていて、ファラもかなり苦しいと自分で理解している。

その顔に覇気はない。

反対に、ピピニーデンの顔には怒りからくる覇気が漲っていた。

 

「既に、中尉とシャッコーが連絡を絶ってから1週間です。

生きていても無事ではありますまい」

 

「…」

 

聡明で雄弁、女傑であるファラが俯いて何も言い返せない。

サイド2はアメリア政庁の女王の耳にまで失態が届いているのだとしたらもはや絶望的だ。

 

「タシロ・ヴァゴ大佐よりの命令は先程お伝えした通り。

ラゲーン基地の指揮権は一時的にゲトル・デプレ副司令に移譲されます。

ファラ中佐は急ぎ宇宙(そら)へ上がり、本国へお戻り下さい」

 

ファラの表情が相変わらず冴えない。

 

「…しかし、ラゲーン基地には打ち上げ施設が揃っていない。

今から建設を開始しても、本国に戻れるのは2ヶ月後と思って貰いたい」

 

ピピニーデンの片眉がやや嫌味に釣り上がって言う。

 

「悠長なことを仰らないで頂きたい。

大佐はすぐに戻れと仰っておいでだ。中佐はすぐに戻れるよう努力を尽くすべきでしょう」

 

「勿論、私も昼夜問わず突貫工事の陣頭指揮をとって建設を急がせる。

だが、ラゲーンの貯蔵物資も決して潤沢ではないし、まずは徴発から始めねば――」

 

そう言うファラの言葉を切って、ピピニーデンが今度は口角の片側だけを緩く上げた。

 

「アーティ・ジブラルタルにはマスドライバーがあります。

それを使えば、中佐は数日後にはアメリア政庁に着いているのではないですか?」

 

「ジブラルタル…?しかし、あそこは…かつてジオンさえ手を出さなかった中立区域だ。

宇宙引越公社のマスドライバーを、頼み込んで使わせてもらえと?」

 

ファラは、驚愕しつつも悲壮感と諦観を滲ませた貌であった。

ジブラルタルのマスドライバー台は思想や陣営を問わぬ人類の宝として、

宇宙世紀を生きる者にとっては手を出さぬのは常識であった。

永世中立を掲げる宇宙引越公社によって運営されており、

そこに手を出せば世界中から総スカンを食らうのは容易に想像できる。

 

「そういう事になるでしょうな。

マスドライバーを使うというなら我が隊が中佐をジブラルタルまでお送りしますが、

その後は中佐がご自分で交渉をする事になります」

 

そういうことか、とファラは察した。

1年戦争でも中立を保ち続けたアーティ・ジブラルタルを獲れと言っているのだ。

それも「自分で交渉しマスドライバーを分捕ってこい」ということは、

つまりファラの責任で永世中立地帯を占拠せよと言っているに等しい。

しかもそれを正式な命令に含めず、ピピニーデンに匂わすように提案させるというのは、

あくまでファラの独断で貴重なマスドライバーを占拠させようということらしい。

成功しても失敗してもファラ・グリフォンの独断暴走で片付けるつもりなのだろう。

 

(…失態を重ねた私に、最後に奉公せよ…ということか。

或いは、これを成功させればギロチンだけは免れるのかもしれん)

 

ファラは、その無体な非公式な命令をもはや受け入れた。

だが、彼女の忠実なる副官メッチェ・ルーベンスはファラ以上に憤慨の念を燻ぶらせている。

メッチェは金髪と端正な甘い顔を持つ美青年であるが、

今その端麗な顔は負の感情から歪んでいた。

尊敬し、そして1人の女性として愛する上官を庇いたい一心でメッチェは抗弁しだす。

 

「大尉!その命令はあまりに…!

ファラ様は、この地上で宇宙からのろくな支援も無いまま良く欧州を攻めています。

地球降下作戦の初期段階の成功は間違いなくファラ様の功績で――」

 

「よいのだ!メッチェ」

 

だが、その抗弁はファラ本人に止められた。

 

「初期段階の功績は私自身誇るものだが、その後の失態も間違いなく私のもの。

一つ二つの失敗ではないからな…無能の烙印は免れんよ…」

 

「ファラ様…」

 

ファラとメッチェの視線が悲しく交じる。

それをピピニーデンは冷たく見つめて、

 

(ふん…分かっているじゃないか。ギロチンの家系の女狐め。

所詮、お前はギロチンパフォーマンスと美貌でタシロ大佐に取り入っただけだったのさ。

当初は私も、あなたのことを大した人だと思ったが…

化けの皮が剥がれればこんなものなのだろうよ。

この調子ではギロチンの家名も金で買ったという兵の噂も本当かもしれんな)

 

心の底では上級士官を侮ること甚だしかった。

だが、ファラ・グリフォンという女は烙印を押される程の無能ではない。

それどころか有能と謳われるだけの才感があって、

ピピニーデンの思う通り当初は誰もが彼女の鮮やかな手腕に良い意味で驚いたものだ。

その才媛が、今では絞り出す言葉からも力を失っていた。

 

「済まなかった、大尉。命令は了解した。

私が引越公社を説き伏せてみせるよ。

だが、私がしくじって宇宙へ帰れなければそれはそれで本国も困るだろう?

交渉には協力して貰いたいものだな」

 

〝交渉〟とは無論、荒事込みである。

 

「…分かりました。それぐらいは協力させて頂きます。

では、ジブラルタルへの出立は明朝になりますので、ご支度の程をお願いします」

 

ピピニーデンが、内心でどう思おうとも形式張った見事な敬礼を返すと、

ファラは陰鬱さを滲ませる表情でピピニーデンを見た。

 

「ああ、大尉」

 

退室しようとするピピニーデンへ、ファラが声を掛ける。

 

「はっ」

 

「大尉は、私を送り届けた後…クロノクル中尉失踪の原因究明と探索に乗り出すのだろう?」

 

「無論です。その為に私は来たのですから。

我がトムリアット隊(ピピニーデン・サーカス)はシャッコー及びクロノクル中尉探索の為、

裁量の拡大を許されて独立戦闘部隊となっているのですよ」

 

ピピニーデンが胸を張って答えた。

お前に出来なかった事が私には出来る…そう態度で言っていた。

 

「ならば、苦汁をなめた先達として一つ大尉に忠告をしておこう」

 

ピピニーデンの整った眉と目が、ピクリと僅かに曲がった。

 

「…まぁ、そんな顔をせず聞いておいたほうが得だぞ?

大尉は地球は初めてだろう?覚えておくといい…。地球には、獣が住んでいる」

 

「ケモノ…?」

 

「そう、野獣だよ。オクシタニーの物の怪…。

ジェヴォーダンの獣だ。

シャッコー探索隊を全滅させた手腕…獣しか考えられん。

ジェヴォーダンの野獣がこちらに出向いて来ている可能性もある…気を付けろ」

 

あぁ、とピピニーデンも納得した。

兵らがそんな噂をしていたのを発着場で耳にしていた。

 

「それならかえって手間が省けるというものです。

その獣退治も、このピピニーデン・サーカスがやってのけてご覧にいれますよ。

サーカスは、獣の調教も得意としていますからね」

 

ピピニーデンの勇ましい口振りに

ふふっ、と短く笑ったファラは退室していく大尉を静かに見送った。

 

「甘く見ている奴は、獣に食われてしまうよ…?大尉」

 

メッチェにすら聞こえぬぐらいの小さな声で、ファラはそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

ウーイッグからそう遠くない辺境部カリーン。

旧時代には大規模な車両工場が構えられていて、

周辺にも従業員やその家族の住居をはじめ

様々な関連施設があって相当な規模であった工業地帯だが、

今では見る影もなく落ちぶれてただ廃墟が点在するだけの閑散とした森でしかない。

しかし、その旧車両工場の一部は密かに復旧されて地下には大規模な工廠がある。

リガ・ミリティアが復活させ拡張した

その秘密地下工場に東欧中に散り展開していたカミオン隊が集結していた。

 

当初は、リガ・ミリティアの規模を知らない戦災孤児組とウッソ達は、

「リガ・ミリティアってこんなにいたんですか!」と驚いていたが、

今では忙しなく動き回る多くのレジスタンス達に慣れて混じって働いていて、

ウッソはヤザンの元で本格的なMS訓練すら始めていた。

 

そう、ウッソもここにいた。

カサレリアに残るという選択肢もあったのに彼はここに着いてきていた。

彼がどういう心で、

そしてシャクティにどういう言葉をかけて家を旅立ったのかはヤザンは知らない。

それはウッソとシャクティ2人だけの事だ。

だが、真剣そのものの顔で真っ直ぐにヤザンの目を見て、

 

「僕を連れて行って下さい」

 

と、そう言った少年を、ヤザン・ゲーブルは短く「あぁ」とだけ答えて了承したのだった。

シャクティが、酷く悲しそうな瞳でウッソを見つめ、

そしてヤザンにはウッソへのものとは対照的な

忌避するような視線を投げかけていたのは、ヤザンも覚えている。

 

 

 

本来ならば、シャクティ本人もウッソも…

シャクティ・カリンはカサレリアの森の家で留守番をし、

ウッソの帰りを待つつもりだった。だが…。

 

「いやだ…いやだよ、姉さん!俺は、姉さんとは離れない!」

 

様子がおかしいベスパのパイロットが

シャクティのことを姉と呼んで離れたがらなくなってしまった。

ようやく少しは動くようになってきた大火傷の体を無理やり動かして、

赤髪の青年が薄褐色肌の美少女に抱きつくという様は…

少し、というか大分皆を動揺させた。

あらゆる事に適応する強靭な精神を持つウッソも、

 

「ちょ、ちょっと!あなたは大人でしょう!?

シャクティはまだ子供で…!あっ、こら!は、離れろよこいつ!

僕のシャクティから離れろ!くっつきすぎだぞ!」

 

幼馴染の少女に抱きつく包帯だらけ男を引き剥がそうと躍起になったりしていた。

異質で異常な光景であった。

見ていた他の連中も呆気にとられ、

マーベットは「こいつ、ロリコン趣味ということなの!?危険だわ!」と

思わず首を絞め落とそうとする程で、

オデロとウォレスはとっさに背後にスージィを庇い、

「こ、怖いぃ…」とスージィは彼らの後ろで震えた。

常に控えめで自己主張せず、

また博愛精神溢れるシャクティもどうすれば良いのか分からずかなり困惑していたが…

しかし、この騒動でウッソが「僕のシャクティ」と言ってくれた事に対しては、

年相応の少女らしく顔を赤らめて、

後にウッソも言ってしまった事を思い出す度頬を染めるという心温まる一幕もあったのだが。

それはともかく…。

 

様子がおかしすぎるため、

程なくしてこのベスパのパイロットの特殊性癖等ではないと皆も気づき、

医師のレオニードに説明を求めた。

レオニードの診立てはこうだった。

 

「…恐らく、強いショックを受けたことによる記憶喪失の類だろう。

シャクティさんを姉と呼ぶのは…きっとシャクティさんが彼の姉に似ているのではないかな?

彼にいくつかの問診をしてみたが、彼の言動はまるで幼い少年のようだ。

記憶の混濁に、退行の症状がある。

この症状がいつまで続くのか、回復の見込みはあるのか…。

残念だが、こういう症状は断言出来んのだよ。

明日治ることもあるし、1年、2年後かもしれん。10年…或いは一生かかるかもしれない。

根気よく治療するしかない」

 

そういうことだった。

困ったのはシャクティだ。そしてウッソも。

赤髪のパイロットを無理矢理シャクティから離して連れて行こうとすると、

大の男がわんわんと泣き出してしまうのだ。

それを見るとシャクティもついつい

 

「あぁ泣かないでください。えぇと……よ、よしよし…ほら、泣いちゃダメよ?

あなたは…男の子でしょう?」

 

宥め方はこれで良いのか?と戸惑いつつ宥めてしまう。

赤髪の包帯男は満足気であるのでこれで良いのだろう。

 

「…うん、姉さん。わかったよ…俺は男だもんな」

 

シャクティがそうすると赤髪の青年は泣き止んでニコリと笑うのだった。

ウッソはあんぐりとその様を眺めて、

そして心の片隅にモヤモヤとしたものが生まれるのを感じていた。

 

(ぼ、僕のシャクティだぞ…!)

 

ウッソはムスッとした顔で、幼馴染の少女に頭を撫でられている包帯男を見る。

包帯男…、――シャクティが聞き出した所によるとクロノクル・アシャー――の

扱いをどうするかはリガ・ミリティアの大人連中の判断に任せる事となった。

レオニードは、

 

「医者の見地から言わせてもらうと、クロノクル君はシャクティさんがいると安定する。

一緒に来てくれたほうが、今後のリハビリ的にも安心できる」

 

との理由でシャクティの同行を望んだ。

記憶の混濁もだが、クロノクルの肉体も重傷なのは変わっていない。

錯乱して暴れだしたりしたら、そのまま死ぬ可能性もある。

ヤザンもまた、違う理由から同行を望んだ。

 

「この退行化が演技なら、こいつの演技力は全く一流の俳優だな。

本当にこいつの精神がガキに戻っているなら

連れて行く意味などない…と言いたい所だがなァ。

クロノクル・アシャーという名は聞き覚えがある。

報道でも流れていた…覚えているか伯爵」

 

ヤザンはクロノクル・アシャーの名を知っていた。

ザンスカール帝国が建てられた時、世界中で頻繁にニュースになって流れていたし、

ヤザンはリガ・ミリティアの諜報部とも立場上意見交換する機会があった。

 

「クロノクル・アシャー…こいつはザンスカール帝国の女王の弟だ」

 

「そうか!どこかで聞いた名だと思ったが!」

 

伯爵も、目の前の精神をやられた男が女王の弟だと知って驚愕を隠せない。

他の連中もだ。

ザワザワと騒ぎ立てて皆が驚くのは当然だった。

建国の際の世界中継でもクロノクルの姿は映像に映っていたはずだが、

今のクロノクルはコクピットから引き上げた時には既に全身火傷で、

治療後は全身包帯男なのだから容姿から判別するのは難しかった。

そして、そう(王族)と分かってはシャクティにも協力を要請するしかないのがリガ・ミリティアだ。

女王の弟が記憶喪失と言ってもいい状態で手の内にあり、

シャクティを姉と誤認していて彼女の言いなりだ。

利用方法はいくらでもある。

クロノクル・アシャーには無限の使い道があり、その為にもシャクティ・カリンの力が必要だ。

 

「…分かりました。この人が…クロノクルさんの怪我が良くなるまでぐらいなら…」

 

たっぷり迷って、何度もウッソの顔色を伺った後に、

なんだかんだでクロノクルの容態が心配な心優しい少女は

渋々ではあるが同行を決意した。

ウッソが既にレジスタンスと共に行くと決意していたのも理由としてはあるだろう。

ウッソはシャクティのその決意をかなり複雑そうな表情で見つめていたのだった。

 

 

 

そういったてんやわんやがあって、今このカリーン地下工場にはウッソもシャクティもいた。

当然、クロノクル・アシャーも。

ついでにカテジナ・ルースもいる。

シャクティが、クロノクルのせいで

赤ん坊…カルルマンの世話に専念出来なくなってしまったので、

カテジナがカルルマンの世話をさせられている。

赤ん坊が好きではなかったらしく、最初はかなり嫌がっていたが

カテジナ以外誰も手が空いていないのだから仕方がない。

それでもシャクティは暇を見つけてはカルルマンの世話に加わってくれるので、

カテジナは不慣れな子育てを年下の少女の手を借りて熟していった。

だが、やはりカテジナは内心不満だらけだ。

 

「…こんな場所で、こんな子の面倒を…なんで私が」

 

そうぶつくさ言っている事が多いが、それをヤザンの前でも言うのでその度に、

 

「うるさい奴だ。大体そのガキを拾ったのは貴様だろうに…。

ならウーイッグの焼け野原にでも戻って暮らせ。

貴様の面なら娼婦の成り手ぐらいあるだろう。

黙っていれば顔と体だけはイイ女だからな、貴様は。抱くぐらいなら俺も相手してやるぜ?」

 

「…っ!またそんなことを!な、何てこと言うの、あなたって人は!本当に下品だわ!」

 

そういうニュアンスの嫌味とかからかいの言葉をいつも言われてしまう。

その度にカテジナは顔を赤くして、自分の体を抱いて庇って後ずさるのが恒例だった。

しかし、ヤザンに結構な力で頬をはたかれた事のあるカテジナが、

まだ懲りずにヤザンへ反論するのだから彼女も大したものなのだ。

 

「大体あなた達が、

レジスタンスの大人が守ってくれなかったせいでウーイッグは燃えたのよ!

あんな腐った大人だらけの街…燃えてよかったけど!

でも私はそのせいでこんな場所でベビーシッターの真似事なんて!」

 

大きな声でヤザンへがなりたてる。

彼女の背後では、カテジナに負けじと大泣きしているカルルマンもいる。

 

「…遭う度遭う度、喧しいコンビだ。

だが、萎縮せずにそれだけ吠えていられりゃあ大したもんだぜ。

貴様…見込みがあるかもしれん」

 

「な、何のよ!」

 

当たり散らすようにヤザンに大声をあげていただけなのに、

意外にも感心されてしまってカテジナは自分でもやや驚いていた。

何の見込みなのかは見当もつかないが、

一瞬、カテジナはヤザンの夜のお相手でも強要されるのかと思って

その有様を思わず想像してしまう。

ケダモノのように己に覆いかぶさって一心不乱に抱かれる様を夢想する。

令嬢である自分がケダモノが如き逞しい男に組み敷かれ、

官能小説ばりに愛され翻弄され女の嗚咽を漏らして弄ばれる。

カテジナの今までの人生の中で、このように何につけても自分の顔色を伺わないで、

寧ろ俺についてくれば良いと言わんばかりに

グイグイと引っ張ってくる野性味溢れる男はいなかった。

そんな男であるから、きっと女への愛し方も情熱的でワイルドなのだろう。

夜な夜な隠れて読み耽った官能小説に出てくる、貴婦人を弄ぶ逞しき色男のように。

妄想し、カァっと頬が熱くなって体が疼いたのを自覚した所で

ヤザンに声を掛けられて現実に引き戻された。

 

(ば、馬鹿なの?私は!なんて汚らわしくて、浅ましい想像を…)

 

「貴様はウーイッグでお嬢様をやっていたんだろう?学はあるな?」

 

「ひ、一通り教養は学んだけれどね…でも、だから何だというの?」

 

「ガキの世話だけじゃ物足りんのだろう?だからそうも不満を言う。

なら、俺が貴様に仕事をくれてやるよ」

 

ヤザンはそう言うとニヤリと笑って、

カテジナは頬を赤らめていた。

 

その日から、カテジナは

機密に当たらないヤザンの雑書類の全てを1人で整頓することになった。

それは紙とデータディスクの山であった。

重要性が低く優先順位低と判断された書類を、ヤザンはずっと放置していた。

軍隊という公的な組織ではなく、

また他に重要な仕事を多く抱えていつつも

秘書や事務の類の人材が無かったということで長年放置されてきた書類達だ。

オリファー・イノエがいた頃は彼に押し付けていた書類の山達でもある。

 

「…嘘でしょ…」

 

ヤザンの執務室に入ったカテジナは、

背中で泣くカルルマンと一緒に泣きたくなってきていた。

その日からヒステリックに地下工場内で叫ぶカテジナの姿は見られなくなった。

代わりに、隈をつくった顔で

フラフラとヤザンの執務室と食堂を行ったり来たりする彼女の姿が頻繁に目撃されたという。

 

ヤザンはのびのびと水を得た魚のように、

MS訓練にだけ精を出す事ができてとても機嫌がよくなったそうだ。

MSシミュレーター室からはウッソとマーベットの悲鳴が引っ切り無しに響くようになった。

 



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野獣という男

カリーンの地下アジトに籠もり、

カミオン隊は戦力を少しずつではあるが確実に増強させていた。

そんな時に、カリーンにリガ・ミリティアのスパイ達からの暗号通信が入る。

その内容は良いニュースと悪いニュースの両方であった。

 

「ヤザン隊長、どちらから聞きたいですか?」

 

カリーンで合流した他のカミオン隊から来た若手スタッフ、クッフ・サロモンが言う。

彼のトレードマークのカウボーイハットを見たヤザンが顔をしかめたのは、

きっとその衣装にあまり良い思い出がないせいだろう。

 

「クッフ、貴様はメカニックだろう。通信士の真似事などしとらんで整備をしろ。

シャッコーは注文通り仕上がってるんだろうな?」

 

クッフは肩をすくめながら陽気な声でヤザンへ返事をよこす。

 

「勿論っすよ!俺とストライカーが精魂込めてやりました!

あのヤザン・ゲーブルからの注文なんですから!

今は、ネスが最後の仕上げしてくれます。俺は暇になっちゃって」

 

暇だからというかは、クッフはヤザンのファンなのでここに報告に来た次第だった。

ヤザンは男連中からの支持が厚いのだった。

歴史的戦争の生きた英雄とまで見る者もいる。

 

「なら結構だ。…良いニュースから聞かせろ」

 

やや怪訝な顔のヤザンは促した。

クッフが言うにはこうであった。

○ヨーロッパのリガ・ミリティアを悩ませてきたファラ・グリフォンの左遷。

○月のシュラク隊が秘かにアルジェの空港に降下成功。北上し近々合流予定。

○量産が早期に軌道にのり余剰があったガンイージ数機を受領した連邦のバグレ隊が、

衛星軌道上に集まり巨大施設を建築中だったザンスカールの艦隊と交戦。

敗退したもののある程度の戦力は維持しての戦略的撤退であり、

また巨大砲台と思しき大規模施設にも痛撃を浴びせて建設を遅延させることに成功した。

 

とのことであった。

 

「上出来じゃないか。ヴィクトリー計画は取り敢えずは成功だな。

ガンイージは良い値段がつくぞ。連邦のタカ派にじゃんじゃん売りつけたい所だがな」

 

「そんなアナハイムみたいな事言わないで下さいよ」

 

「俺達のバックにはそのアナハイムがいる。

奴らは商人だ…金にならん事には熱を入れんさ。

ガンイージもヴィクトリーも量産と販売が本当の目的だろうしな。

戦国時代なんだ…これはヒット商品になるかもしれんぞ」

 

「…俺達はアナハイムの広告塔ってことですか?」

 

「それでザンスカールに勝てるなら文句は言わんよ」

 

リガ・ミリティアがガンイージとヴィクトリーを売り捌けば、

それは何割かがリガ・ミリティアの活動資金として直接懐に入り、

そして残りはスポンサーのアナハイムとサナリィが取る。

両企業は商人で、彼らが慈善や善意だけで協力してくれるわけもない。

ザンスカールへの抵抗も、ガチ党のフォンセ・カガチが金持ち連中を

「金品の不正な受け渡しがあった」として

大量にギロチン送りにした事への警戒心がさせている事だ…というのがヤザンの予想だ。

 

リガ・ミリティアのMS運用計画ヴィクトリー・プロジェクトも、

スポンサーから見た真の目的は販売計画でもあるのだろう。

汚いことだと思えるが、

それでベスパのMSに対抗できる新型を貰えるなら構わなかった。

 

「それで、悪いニュースはなんだ」

 

「はい、えぇと…リガ派のアイルランド連邦基地からです。

衛星軌道上のザンスカール艦隊から、地球に降下した部隊がいます。

バグレ隊が艦隊といい勝負出来たのも、その部隊が直前に地球に行ったからだと…」

 

「ほぅ?つまり精鋭が抜けたのか」

 

「そうらしいっすね」

 

「そいつらの降下ポイントは特定できているのか」

 

「いえ、そこまでは…」

 

報告を聞き終え、

ヤザンは今朝はまだ忙しくて剃っておらず少し生えてきていた無精髭を擦る。

暫し黙って己の顎を擦っていたが、それもすぐ終えてヤザンはクッフの肩を叩く。

 

「…近いうち戦闘になるな。クッフ、MSをいつでも出せるようにしておけよ。

こんなとこで油売ってないでさっさとストライカーとネスを手伝ってきな!」

 

「えっ、は、はい!」

 

追い出され、去っていくカウボーイハットの若者の背中を見つつヤザンは思う。

 

(この状況で地球に降りてくる連中だ。腕利きだろうが…さてどうする)

 

本当に重要な事項についての暗号通信は、

レジスタンスの他の連中すら通さずに幹部だけが受け取るようになっている。

今、この欧州でジン・ジャハナムの真の意図を知るのは伯爵とヤザンだけだ。

カリーンでVタイプの最終調整を終えた後、カミオン隊とシュラク隊、

そしてヤザン隊はポイントD.D.(ベチエン)で集結しラゲーン基地へ総攻撃を仕掛ける予定であるが、

しかし衛星軌道上の巨大砲要塞建設進捗具合次第ではそのまま戦力を宇宙に上げて、

宇宙のバグレ隊とも合流し巨大衛星砲の攻略をする事も考慮に入っていた。

 

(バグレ隊は当初の予想より頑張ってくれているからな。

こちらの戦力も思ったよりも整ってきた…、

これなら予定通りラゲーン潰しが出来るかもしれん)

 

カサレリアで手に入れた2つの戦力…

その内の一つである新兵(ウッソ)の上達具合も凄まじいし、

シャッコーの調整もヤザン好みになった。

Vタイプも、ヤザン、ウッソ、マーベットで仕上がったし、

シュラク隊もこちらに向かっている。

後は、ジン・ジャハナムのD.D.招集命令を待つばかりなのだ。

準備は出来上がりつつある…となればMS隊統括としての仕事はあらかた終わりである。

となると…、

 

「降下部隊…せいぜい楽しませてくれよ」

 

獰猛な戦士であり1人のパイロット、ヤザン・ゲーブルの顔がむくむくと鎌首をもたげてくる。

ヤザンは1人、部屋でほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

トラブルというのはいつでも起きる。

順調だと思っている時程起きると思えるのは不思議なことだ。

ザンスカールが順調だと思っていた地球侵攻がオクシタニーで躓いて、

エリート街道を歩んでいたファラ・グリフォンが失速したように、

順調だったリガ・ミリティア達にもそれは起こるものなのだ。

 

「なに?シュラク隊がベスパに捕捉されたというのか?」

 

執務室兼自室でカテジナと共に事務仕事を片付けていたヤザンの耳にトラブルが届く。

肩を揺らして息せき切るのはネス・ハッシャーだ。

短めのセミロングボブの金髪が活発な印象を与える女性で、

メカニックが主な仕事だが何でも熟す万能屋であり気の強さはシュラク隊にも負けていない。

リガ・ミリティアのスタッフの多数が曰く、「黙ってればイイ女」と言われるぐらいには美しい。

 

「はい!アルジェから北上中に、西南に進路をとっていたベスパと鉢合わせたみたいで!

現在、アヴィニョン近郊で戦闘中です!」

 

全力で走ってきたようで、ネス女史の息はまだ荒い。

 

「ベスパが西南に、だと?

オクシタニーで甚振ってやったのを忘れてまた出てきたのか。

アヴィニョンならオリファーに預けた旧モンペリエ隊は何をやっている!

俺があちらにいなくても、

ちょっとやそっとのベスパなら追い返せる程度には鍛えていた筈だが」

 

「オリファーさんもシュラク隊と合流して、戦闘をしつつカリーンには向かっているようです」

 

「オリファーもいながら、ガンイージを抱えるシュラク隊が北に逃げているのか!?

チッ、あいつら…何をやっていやがる!

相当な規模のベスパが相手なのだろうな?」

 

「詳細はミノフスキー粒子のせいで何とも…。

でも、大規模なのは間違いないようです」

 

「わかった。ネス、俺のシャッコーを温めておけ。すぐに出る!」

 

「はいッ!」

 

息荒いネスは、また全力の駆け足で部屋を飛び出して整備場へと駆けていった。

ヤザンがカテジナを見る。

 

「そういうわけだ。

俺は出てくるが…お前は俺が帰ってくるまでにこいつらを終わらせておけよ」

 

カテジナは、じとりとした目つきでヤザンを見返して言った。

 

「あら、そう。いってらっしゃい。また人殺しに行くのよね、あなたは。

そんなに戦争が――って何をっ!?」

 

カテジナが精一杯の嫌味と正論をぶつけようとしている最中、

カテジナの目の前でヤザンはさも当然といった風に黄色い派手なツナギを脱ぎ始めていた。

 

「あァ?これから出撃なんだ、パイロットスーツに着替えるんだよ」

 

「そ、そんなの分かるけど!私の前で着替えることはないでしょう!!」

 

「ここは俺の部屋だ!ギャンギャン喚くなよ!」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

怒鳴りながら着替えを順調にすすめるヤザン。

とうとう淑女の前でパンツすら脱いで裸一貫となる。

 

「~~っ!」

 

赤くした顔を白い両手で覆い隠すカテジナだが、

指の隙間からはっきりとヤザンの股間にぶら下がる男のモツを見てしまった。

ゴクリと、乙女の喉がなる。

 

「…カテジナ・ルース!」

 

「な、なによ!!」

 

突然、でかい声で名を呼ばれて、

カテジナは自分がヤザンのモノを盗み見てたのがバレたのかと思った。

 

「戦闘前は男ってのは滾るんだ…!わかるか?」

 

鍛え抜かれた浅黒い筋肉と黒光りするオスそのものをぶらぶらさせて、

ほくそ笑んだヤザンがカテジナに近づく。

どうも、ヤザンは彼女が興味津々に己のモツを視界に収めたのを承知していそうだ。

乙女の盗み見はバレていた。

 

「あっ、そ、それが…なに!?わ、私をどうしようっていうの!

それ以上近づいたら…ひ、人を呼ぶからッ」

 

「呼べよ。貴様が俺に手篭めにされるのを皆に見てもらうか?」

 

ヤザンがどんどん近づいてくる。

今、カテジナはデスク仕事をしていた為に当然椅子に腰掛けているのだが、

長身で裸のヤザンが座っている彼女に近づくということは、

カテジナの顔のかなり側にオスそのものが近づいてくるという事だ。

 

「…っ、あ、あの…ちょっと!じょ、冗談、でしょ……、あっ!?」

 

喉まで真っ赤にして顔を背け、離れようと仰け反った拍子にカテジナは椅子から転げ落ちた。

尻をさすりながら見上げると、天井のライトを背に浴びてヤザンが見下ろしている。

 

「なに、もう出撃だからな。手早くすませてやるよ」

 

屈んだヤザンが、ぐいっと男臭い顔を近づけてくる。

 

(え、こ、これ…うそ……、ど、どうしよう…!どうすれば!?)

 

カテジナが思わず目を瞑る。

そういえばあの本にもこんな風に無理矢理唇を奪われるシーンがあった。

少女はそう思い、

と、同時に唇に固い弾力が当たっていた。

他人の体温が、柔らかで水気の多い唇でもろに感じられ、すぐにそれは離れて消えた。

 

「ふっ、ハッハッハ!なんだ、貴様も思ったより乗り気か」

 

「っ!あ、あなたは…!よ、よくも人の唇を汚して!!」

 

カテジナが真っ赤な顔でゴシゴシと自分の唇を腕で拭う。

 

「怒るなよ!たかだがキスだろうが!」

 

「たかだか!?人のファーストキスをッ!」

 

「お前が本気で嫌がれば止めてやるつもりだったんだがなァ。

からかうつもりがつい、な」

 

そう言って笑いながらヤザンはもうカテジナから離れていた。

唖然とするカテジナを置き去りにして、もうその体をパイロットスーツで覆っていた。

カテジナの顔が恥じらいでの赤から、怒りの赤に変わっていく。

華奢な肩が震える。

 

「最低ッ!!最低な男!」

 

立ち上がり、片腕を振り上げたカテジナがヤザンの頬目掛けてビンタを…

 

「おっと」

 

食らわせられなかった。

細いその腕はしっかりとヤザンの逞しい手に握られ止められた。

 

「くっ…離して!」

 

「貴様の反抗心は嫌いじゃない」

 

「なっ、なにを…――っ!むぅっ!?」

 

そのまま腕を引き寄せられて、またカテジナの柔らかい唇が獣のような口に覆われた。

今度はさっきのような軽いバードキスではない。

男の舌が、乙女の舌を巻き取って貪っていた。

カテジナは目を白黒させて、必死に暴れたがそれもすぐに終わった。

そのままの態勢で壁に押し付けられて、

10秒とも20秒とも思える時間、そのままなすがままだった。

息苦しさを覚えて鼻で必死に息をするカテジナの呼吸音が艶めかしい。

 

「…っ、はぁ、はぁ…う……な、なんてことするのよッ…!傷物にされるなんてッ!」

 

2人の顔が離れた時、互いの口から細い唾液の橋が引かれていた。

男の顔を見るのに異常な気恥ずかしさを覚えるが、

カテジナは顔を背けたいのを堪えながらヤザンの目を睨み返している。

その様をヤザンは鋭く男らしく笑い、愉快そうに見ていた。

 

「いい子に待ってたらまたご褒美をやるよ!

こいつらは全部片付けておけ!」

 

書類の山を指して言い、すぐにヤザンは走ってモビルスーツドックまで走っていってしまう。

全く振り返らず走り去る所がこの男らしいと言えばらしい。

 

「…げ、下品で下劣な男…!あんなヤツ…、さっさと死ねばいいんだわッ」

 

すぐに開けっ放しになった部屋の扉まで駆け寄って、走り去った獣のような男の背中を見る。

カテジナがその背中を視界におさめると、

慌ただしく走り回る他のスタッフに紛れていた目当ての背の持ち主は、

さっさと廊下を曲がってしまって見えなくなった。

 

「あなたのような野蛮人は戦争でさっさと死ぬべきなんだわ!」

 

見えなくなった背中に精一杯叫ぶ。

 

「………………そうよ、死ぬべきだわ」

 

次いで吐き出されたその言葉は小さくそっと呟くもの。

カテジナは、温もりが残る唇をそっと指でなぞっていた。

 

 

 

 

 

 

「ウッソ、調子はどうだ」

 

「はい、Vガンダムはいい調子ですよヤザンさん」

 

長得物を右腕で担いだシャッコーが複合複眼式マルチセンサーで右を飛ぶ白いMSを見る。

軌道は安定していてフォーメーションの崩れが無い事を確認したシャッコーの左肩には

ブルータートルのエンブレムがプリントされているが、

それ以外にはパッと見オリジナルのシャッコーと変わらない。

右を飛ぶVガンダム2番機からの元気な返事を聞いてヤザンは満足そうに目だけで笑う。

ついで左側を飛ぶVタイプ1番機にも通信を入れる。

 

「マーベット機はどうか」

 

「大丈夫です。ミノフスキー・フライトも順調です。

やっぱりジェムズガンとは違いますね…快適そのものですよ」

 

各地に潜むレジスタンスからの光信号を狼煙のように伝え続けて連絡をするという、

まるで旧世紀の中世のような伝達方式で北上するシュラク隊の情報は得ている。

ナンセンスに思えるがミノフスキー粒子の影響で、

今も戦闘をしていると思われる当事者達からの連絡は受け取れないのだから仕方がない。

大分、戦闘予定区域には近づいているがまだ暫くは間がある。

なのでウッソは、マーベットに雑談がてら前々から気になっていた事を尋ねる事にした。

 

「あの、マーベットさん」

 

「どうしたのウッソ。緊張してきた?」

 

「いえ、そういうわけじゃないんですが」

 

そういうわけじゃないのね、とマーベットは一瞬呆れたように天を仰いだ。

改めて通信機向こうの少年の逸材っぷりに恐れ入る。

普通はベテランになろうとパイロットは戦闘前は緊張するものだ。

自分のように。

 

(やはり普通じゃない…スペシャルなのね。ヤザン隊長といいこの子といい…。

自分が弱いって錯覚しちゃうわよ、もうっ)

 

こう見えてもマーベットはヤザンの地獄の特訓を潜り抜けた猛者だ。

その自負もあるし、幾度かの実戦でジェムズガンでゾロを撃破した事もある。

もっとも…上司のように単機で撃破とはいかず、

パートナーのオリファー・イノエとタッグを組んでの撃破であったが、

それでも立派にエース級の働きだ。

ジェムズガン単機でゾロを巧みに1対1に持ち込んで次々に墜とすヤザンが化け物なのだ。

そして、今マーベットの隣にはもう1人、化け物候補がいる。

自信が無くなろうというものだ。

 

「なんでヤザンさんはシャッコーに乗るんでしょう?

Vガンダムと基本性能はどっこいどっこいでも、

ヴィクトリーは合体分離もできるし…

総合的に見ればこちらの方が性能は上って言えるんじゃないでしょうか?」

 

「あぁそれね。

…ウッソ、もし自分が苦労して作ったモノを嫌いな人に盗られて、

しかもそれを盗った人が見せつけるように使ってたら、あなたならどうする?」

 

「え?それは勿論…嫌な気分になります」

 

「それだけ?取り返したくない?」

 

ウッソは少し首を傾げた。

 

「そりゃあ、まぁ…取り返したいです。…そういうことなんですか?」

 

「そういうことよ、きっと。

隊長がシャッコーに乗ってベスパを派手に攻撃すると、

ベスパのイエロージャケットの意識は嫌でもシャッコーに向かう。

隊長に攻撃が集中すれば、私達の被弾率が下がる」

 

「ヤザンさんは…僕らのために?」

 

「さぁ?隊長はそういう事、何も言わないから。

でも、そんな気がしない?あの人なら黙ってそうしそうでしょ?

カラーリングも、ベスパの派手なオレンジイエローのままだしね」

 

マーベットはくすくす笑いながらウッソに同意を求めて、

 

「あはははっ、そうかもしれませんね。意外と優しい人ですし。

見た目は怖いですけど!」

 

少年も頷き、そして今度はマーベットは大きく笑う。

見た目が怖いのは誰もが同意することだった。

 

 

――

 

 

 

シャッコーと2機のVタイプは、太陽光降り注ぐ欧州の空を快調に飛ぶ。

今の時代、MSは輸送機を用いずとも推進剤を消費せずに延々と空を飛んで移動できる。

古いMSの常識を知るヤザンからすると、本当にこれは画期的な事なのだ。

今もその戦略的素晴らしさには感嘆を覚える。

 

「フフ…全く、艦や輸送機に命を預けなくていいとはな…これだけは良い時代だと思える」

 

カリーンから旧フランス領上空にまで変形も無しのMSだけで約2時間だ。

空の散歩レベルでこうなのだから、全く快適なサイクリングだとヤザンは思う。

 

「ヤザンさん、進行方向にミノフスキー反応です!」

 

Vタイプ2番機のウッソからだ。

 

「そうか。ならばもうすぐ光ぐらいは……ン?」

 

「あれは…」

 

Vタイプ1番機のマーベットも気付き、ヤザンが機体の速度を上げてウッソに言う。

 

「光が見えた。分かるか!」

 

「はい、戦闘中です!それもあれだけの光は…

少なくとも10機以上が入り乱れているんじゃないですか!?」

 

教え子の模範解答にヤザンは自然と口角が上がるのを感じた。

 

「そうだな、20はいる…良い判断だ、ウッソ。

ヤザン隊、行くぞ!太陽を背負って仕掛ける!」

 

丁度良い具合に太陽が高い。

ヤザンが叫びシャッコーを全速力で吹かすと、2機のVタイプもぴったりとそれに続いた。

ヤザン隊が獲物を求めて大空を飛翔していく。

長得物…フェダーインライフルⅡを構えたシャッコーの銃身が太陽光にきらりと光った。

 



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ジェヴォーダンの獣

戦場は少しずつ北に移りながら、しかし激しさを失わない。

見慣れぬ複数の新型MSを発見した時から、

ファラ・グリフォン護送任務は新型追撃に切り替わった。

新型部隊を追いたがるピピニーデンにファラも許可を出し、

追いすがるトムリアット隊と、

逃げるシュラク隊の砲火伴う迷惑極まりない追いかけっこが始まったのだった。

かれこれ追走劇は1時間以上になるだろう。

ピピニーデンは臍を噛んでいた。

 

「おのれ…ちょこまかよく動く!

あのカーキグリーンのMS…ジェヴォーダンの獣の部隊に違いないのだ!」

 

退いては撃ち、撃っては退く新型MS達の戦いぶりは、

勇猛果敢とは違って非常に鬱陶しく、また巧みでもあった。

味方は1機も墜ちてはいないが推進剤、ミサイル等の実体弾薬、

ビームバズーカにライフルのEパックの消耗が著しい。

間に割って入るようにチョロチョロしていたジェムズガン達は多く討った。

しかし消耗はしただろうが、肝心の新型はやはり1機も墜ちてはいない。

 

「戦慣れしている…しかも冷静だ。

ジェムズガン達の動きも、旧式とはいえ見事だな…このトムリアットに随分粘る」

 

今も、トムリアットの猫目のズーム映像には新型連中を庇ってか、

最後尾をゆくジェムズガンが数機残っていて散発的にビームライフルで威嚇してきていた。

 

「大尉!こちらのミサイルも弾切れです。これ以上の追撃は負担が大きすぎます」

 

「む…」

 

部下の女パイロット、ルペ・シノが駆るトムリアットのヘリ形態から射出されたワイヤー。

それの触れ合い通信にピピニーデンも「確かに…」と短く唸る。

ファラ・グリフォンの搭乗するリカールもいるのだから、

もう一度この場の最上級士官にお伺いを立てるべきだろうとピピニーデンは判断する。

ピピニーデンのトムリアットが悠々と空をいくリカールに取り付いた。

 

「中佐、最後のトムリアットも実弾は全て撃ち尽くしました。

これ以上の深追いは危険かもしれません。どうなさいますか」

 

「…確かに深追いしている。

だが戦闘前に既にラゲーンには連絡を入れてあるのだ…直に増援が来よう。

それに…大尉は撤退する気など無いのではないか?

ピピニーデン隊は独立部隊だ。

好きにするがいい…リカールは援護する」

 

「ふふ…それは有り難い。

それに増援に向かっているというワタリー・ギラ戦闘小隊…

彼の部隊と共闘できるのは楽しみですよ」

 

こうしている今も、トムリアットとカーキ色のMS達はビームライフルの撃ち合いをしつつ

欧州の空を北上しているのだ。

ラゲーンからワタリー・ギラの増援が来れば挟撃の形が整う。

 

「ではこのまま獣狩りを続行します!」

 

「ああ…私も大尉が獣を討ってくれれば本国への手土産が増えて嬉しくはある」

 

リカールの後部座席にゆったりと腰掛けながらも、ファラは必死である。

今がまさに追撃を止めるタイミングとしてベターだろうが、

多少の無茶は覚悟で追うだけの価値がある。

ピピニーデンの、クロノクルの仇への拘りに付き合うのは危険な賭けだが価値があるのだ。

 

自分のすぐ真上にはもうギロチンの鈴の音が響いている。

しかし、ここで新型部隊を撃破、ないし1機でも捕獲できれば…

その上でアーティ・ジブラルタルを占領できればファラの首も繋がるかもしれない。

 

「メッチェ、リカールはまだいけるか?」

 

「はい!お望みとあらば、どこまでも奴らを追ってみせます!」

 

どんな時も、リカールのパイロットを務める副官メッチェだけはファラの味方だ。

メッチェならファラの首が繋がる為にはどんな無茶もしてくれるだろう事は確信できる。

 

「…メッチェ、優しいな…貴公は」

 

メッチェだけが、今のファラ・グリフォンの支えだった。

男としても愛する副官の横顔を後ろ斜めから眺めていたその時だ。

轟音と共に最前列のトムリアットが1機、火を拭いた。

 

「何事だ!」

 

ファラの目には、追撃目標達からのビームライフルが当たったようには見えない。

 

「ビームライフルによる狙撃です!カーキグリーン共ではありません!」

 

メッチェが叫ぶ。

 

「チィ…ッ、敵の増援が早かったか!何故接近に気付かなかった!」

 

「申し訳ありません、敵は太陽光に紛れていて…うっ!?ファラ様、お掴まりを!」

 

大型モビルアーマー・リカールが急上昇を始め、ファラが思わずよろける。

 

「どうした!?」

 

「先程火を拭いたトムリアットの熱源が膨張しています!

敵は、恐らくわざとエンジンに攻撃をッ!」

 

「っ!全機に散――間に合わん!」

 

エンジンのIフィールドが崩壊し燃えゆくトムリアットの動力部が臨界を迎え、爆ぜた。

核の光がトムリアット隊と、

そしてファラ直属のゾロ隊の一部を巻き込んで空を白塗りに染める。

 

「ああ!?トムリアット隊が…!」

 

飲み込まれずに済んだピピニーデンがその光景に叫ぶ。

光に飲み込まれなかったのは、爆発したトムリアットから離れていた数機。

後方にいたリカールと直掩機のゾロ、ピピニーデン機、

そしてその側に控えていたルペ・シノ機であった。

 

「なんということだ…生きてはいるが、あれでは!

…クワン・リー、戦えるのか!?」

 

白色光が消え去ると、装甲の所々を焼け焦がせ煙を吐くトムリアット、ゾロらが現れる。

ピピニーデンは前方指揮を執っていた第3小隊長のクワン・リー機に急ぎ取り付く。

 

「ダメージはありますが…まだ戦えます!」

 

「いい、退け!後は私とルペ・シノが――っ!来た!」

 

ビームの光が幾筋もベスパの大隊を襲う。

核の光でセンサーの精度と運動性が落ちた所に、

一気にリガ・ミリティアの増援が突っ込んできていた。

 

「これではいい的ではないか!動け!」

 

鈍い動きの機から狙い撃ちにされている。

核爆発が至近であったとはいえ自慢のフォーメーションが早々に崩れ、

トムリアット達が次々に被弾していく。

逃げていた敵新型部隊も転進し、上方からのMSと共にビームライフルの嵐を見舞ってくる。

トムリアット達は必死に動いてそれらを何とか躱しているが、

至近弾を受けてメガ粒子の塵に装甲やキャノピーが焼かれていった。

 

「た、大尉っ!あれを!!」

 

「っ!まさか!?」

 

軋む機体を立て直し、人型へと姿を変えたクワン・リー機が指差す方向。

そこには、イエロージャケットカラーの

失踪した新型が赤目を剥いてこちらを凝視する姿があった。

長大なライフルを構えて強力なビームを連射し、

しかも恐ろしい精度でこちらの泣き所を狙ってきていた。

 

「シャッコーを!!レ、レジスタンスめぇ…!

クロノクルを殺し!我が軍の新型を奪い己のものとしたのか!!」

 

「うわあああっ、た、大尉ぃ!?」

 

「キッサロリアッ!!?」

 

シャッコーが引き金をひくと、また1機がジェネレーターを貫かれて核の光に消えていく。

キッサロリアはピピニーデンよりも年長のベテラン兵だったが、

それでも反応できずに撃ち落とされるのは、それが敵の実力の証明であった。

シャッコーの攻撃は正確で、そして冷徹であり容赦がない。

 

「私達のベスパのシャッコーで我々を襲うなどと!」

 

ピピニーデンもまたライフルで反撃をしているが、

鋭くも幻影のように揺れ動くシャッコーの軌道がピピニーデンを惑わしている。

 

「あ、当たらん…!あれがシャッコーの性能なのか!?」

 

回避運動をとりながらシャッコーのロングライフルがまた雄叫びを上げて光を放つ。

しかし今までの機と違い、ピピニーデンはそれを間一髪で避けるのだから彼はエースだった。

 

「威力がこちらのビームライフルよりも上か!無駄にデカくはないようだが!」

 

間一髪の回避では機体がメガ粒子の干渉で悲鳴を上げる。

 

(ビームローターでは防ぎきれんか!?)

 

クロノクルがそうだったように、ピピニーデンもまた長得物を見て射撃戦は危険だと判断。

ブースターを全開にし、急速に間合いを詰めることを望む。

構えるシャッコーの砲身がまた光った。

 

「ぐうぅッ、避けた!貰ったぁ!」

 

急激な回避運動にピピニーデンは奥歯を噛んで耐え、怯まず突撃する。

未だにライフルの構えを解かぬシャッコーの懐に飛び込むように、

トムリアットがビームサーベルを刺突しながら突っ込んだ。

だが、その刺突はシャッコーが倒れ込むように後ろ回転をすると、

シャッコーの胴体を掠るようにして空を貫いていた。

 

(避けられた!?読まれてい――)

「ぐあっ!?」

 

トムリアットを衝撃が襲う。

胴体の一部と頭部の半分が、シャッコーの尖った黒いつま先に削られてしまっていた。

 

(避けただけではない!?あのままブースターで回転を速めてッ、私を蹴っただと!)

 

「だが、体勢は崩れただろう!」

 

急速に上昇し、

オーバーヘッドキックの形から回復していないシャッコーへライフルを向け、放つ。

しかしシャッコーはその射撃を崩れた体勢から胴を関節から捻って横に飛んで避けてしまう。

 

「あの体勢から捻って逃げる!?

こ、こいつ…猫か虎でもあるまいに!」

 

柔軟に動くシャッコーの性能と、

そしてそれを可能とするリガ・ミリティアのパイロットの技量に

ピピニーデンが戦慄したその時…彼は自機の様子のおかしさに気付く。

 

警報(アラート)?なんだと!?い、いつのまに!)

 

トムリアットの片足が深く切り裂かれ脚部スラスターが死んでいた。

 

「回避と同時に私を切っていたというのか…!?」

 

シャッコーを見ると、

手にしていたロングライフルを逆手持ちにし銃床からサーベルの光刃を発振させている。

ロングライフルの尻からあのようなサーベルが出るのも驚きだが、

それ以上にいつサーベルを展開したのかがピピニーデンには分からなかった。

 

「回避と攻撃を同じタイミングで仕掛けてきた…こ、こいつは…ッ」

 

ピピニーデンの心に戦慄を超えた感情が生まれ始めていた。

シャッコーが目を見開いて血のように朱い目でピピニーデンを見つめている。

 

「ハァッ…!ハァッ…!ハァッ!」

 

パイロットスーツの内側が、嫌な汗で湿る。

ピピニーデンの頬にも額にも脂汗がじっとり浮かんでいた。

 

「クロノクルの仇なのだ…ここで終われん!」

 

ライフルを牽制がてら撃ち、

再び距離を詰めて今度は肩部から取り出したビームトマホークを振るう。

だがシャッコーは、ピピニーデンの重い一撃もロングビームサーベルで受け止めると、

そのままいなしてトムリアットの体勢を崩してしまう。

 

「グッ!」

 

各所のアポジを駆使しすぐさまトムリアットを立て直したピピニーデンが、

再度トマホークを振るう。

今度は下から逆袈裟の形で振り上げるが…。

 

「う、ぐ、うぅ…!私が…遊ばれているというのか!?」

 

またしても柄の長いサーベルで捌かれる。

諦めずに、ピピニーデンは何度もトマホークとサーベルの両方を使い連撃を繰り出すが、

その全てをシャッコーは長柄のビーム銃剣でいなし続ける。

まるで闘牛をあしらうマタドールが如くであった。

ピピニーデンの猛撃にも関わらずシャッコーは依然として無傷。

一方、彼のトムリアットは傷だらけである。

これがそのまま、シャッコーのパイロットと己の力量差だと彼は理解した。

ピピニーデン・サーカスとまで謳われた絶妙の技の全てが通じない。

彼の築き上げてきたプライドと自信が段々と崩れていく。

 

(兵達が恐れたジェヴォーダンの獣!…こいつが、こいつが!間違いない!)

 

シャッコーの恐ろしい程の野獣的な動きとプレッシャーは、

ベスパのイエロージャケットを翻弄したオクシタニーの物の怪という評がそのまま当て嵌まる。

シャッコーを駆っていることから、ファラ・グリフォンが予見していた通り

ジェヴォーダンの獣がクロノクル・アシャーを打倒した仇敵に違いない。

ピピニーデンは確信した。

 

「だ、だが…動けん…!どこをどうすれば奴を倒せるというのだ!」

 

そうとは分かっても、仇敵を前にしてもピピニーデンは動けなかった。

どのような攻撃を仕掛けてもそれが通じるとは思えなくなってしまっていた。

ピピニーデンが、目の前のケモノに全ての集中を掻っ攫われていたその戦闘…。

その間に、この空域のバトルは大きく状況を変えていたのに彼は気付けなかった。

 

「大尉ッ!!」

 

「っ!」

 

それに気付いたのは、部下ルペ・シノからの叫ぶような通信が入ったからだった。

ミノフスキー粒子で酷く掠れながらも、間近まで来た損傷著しいトムリアットが叫んでいた。

 

「ピピニーデン大尉!我が隊の損耗甚大!クワン・リーも見当たりません!」

 

「な、なんだと?この短時間でそこまで…何機が生き残っている!

クワン・リーは死んだのか!?」

 

「確認できていません!」

 

もはや損傷していないトムリアットはいない。

ルペ・シノ機も片腕と片脚の関節から先を喪失していた。

ビームを必死に避けつつ、ピピニーデンが確認する。

既にピピニーデン隊の残りは満身創痍のトムリアットが4機しかおらず…

ゾロ等は、先程爆散したのが最後の生き残りであった。

 

「く…ファラ・グリフォンのリカールはどうした!?」

 

「そちらまで気を回す余裕が――来ますっ!」

 

白いMSが見事な連携で2機のトムリアットを囲む。

 

「大尉、気をつけて下さい…!こいつら速いっ!!

この2機にトムリアット隊は殆どやられています!」

 

「うるさい!白い奴よりもシャッコーなのだ!

うっ!?…シャ、シャッコーめ…どこに行った!?」

 

僅かにルペ・シノと通信し、

そして部隊の状況を確認した僅かな間にシャッコーが視界から消えている。

この時、ピピニーデンは明確な恐怖をケモノに抱いた。

 

(く、くそ…やはり目を離してはいけなかったのだ!ルペ・シノが私の邪魔をするから!)

 

追い詰められたトムリアット2機が自然と背中を合わせてビームライフルで弾幕を張る。

もはやビームライフルしか射撃武器の弾薬はなく、

ピピニーデン機は頭部センサーの半分は抉られ、

胴体装甲も大きくひしゃげて片脚も動かない。

ルペ・シノ機も隻腕隻脚だ。

背中のバックパックからは煙が上がっている。

つまり両機ともにAMBAC(手足を使う姿勢制御)が満足に使えず運動性が大きく低下しているのだ。

背中合わせをする事で互いの死角を減らす苦肉の策だった。

 

「た、大尉っ、無駄弾を撃ちすぎています!」

 

「私に指図をするなァ!」

 

視界の端に、また墜ちていくトムリアットが見えた。

ここより更に上の空でも轟音が響いている。

恐らくリカールも、楽ではない戦いに追い込まれているだろう。

ピピニーデンの恐怖が増大していき、ビームライフルのトリガーを引く指も止まりはしない。

ひたすらに乱射しまくってしまう。

カーキグリーンのMS、白いMS、それらに囲まれつつあり、

しかもその者達にビームライフルが当たらない。

 

(こいつら全員が、何という練度だ!我がピピニーデン隊以上の…!

たかだが民間のゲリラ組織の分際で、こんな悪夢があってたまるか!)

 

「…っ、下!?大尉!」

 

「な!?う、うわああっ!!」

 

真下から巨大なビームサーベルを振り上げたのはシャッコーであった。

全力のスラスターで特攻のような速度で2機のトムリアットの間を引き裂いた。

咄嗟に残った脚の後ろ蹴りでピピニーデン機を突き飛ばしたルペ・シノ機は、

シャッコーの振り上げた銃剣で今度こそ両足を失った。

 

「ぐっ、ううう!?脚が…!こ、この惨状はっ!!あなたが撤退を見誤ったから!」

 

「撤退?撤退など!こいつはクロノクルの仇なのだぞ!」

 

ルペ・シノが抱く怒りは、上司であるピピニーデンにも向けられていた。

明らかに深追いをしたからの損耗だ。

あの時にさっさと退いていればこの強敵達とは出会わずに済んだ筈だった。

 

「シャッコーッ!私より強いなどとあって良いはずがない!!」

 

上空に突き抜けて行ったシャッコー目掛けて、

ライフルを連射し続けそのままピピニーデンのトムリアットは突っ込んでいく。

シャッコーはビームを巧みに避けながら、

向かってくるトムリアットを銃床の光刃を振りかざし待ち受けていた。

 

「大尉ッ!!」

 

ルペ・シノは舌打ちをする。ピピニーデンが冷静さを失っているのは明らかだった。

 

「錯乱して…、ならば失礼するッ!」

 

シャッコーが迫るトムリアットへと光刃を振り下ろす、その直前…

ルペ・シノが放ったビームがトムリアットの頭部を貫いてシャッコーへ迫った。

一瞬、シャッコーの目のシールドカバーが開き朱いセンサーが剥き出す。

それはまるでシャッコーが驚愕しているかのように見えた。

 

意表を突いたであろうルペ・シノの一撃は、しかしシャッコーに直撃はしなかった。

トムリアットの頭部がメガ粒子に貫かれ熱で膨張するその一瞬を感じ取ったシャッコーが、

それと同時に体をスライドさせていたのだった。

ルペ・シノの放ったビームの粒子が薄っすらとシャッコーの腕部装甲を焼いた。

だがそれだけであった。

 

「避けた!?化け物かこいつ!」

 

ピピニーデンの精神が追い込まれるだけの怪物なのだと、

ルペ・シノもまた納得してしまう。

頭部が吹き飛び、首から火を拭いたピピニーデン機。

火が胴体にまで回っていくと、インジェクションが起動してコクピットブロックを射出する。

ルペ・シノはすかさずそれをキャッチし、そして一目散に逃げ出した。

 

「やっていられないよ!エース3機と新型の群れに囲まれるなんてさ!」

 

上からはシャッコー、そして2機の白いMSは左右から着いて来る。

シャッコーが朱い目を不気味に光らせると同時に、

白いMSの緑のセンサーアイも冷ややかに光った気がした。

 

(…っ!このルペ・シノが…狩られる!)

 

自機を見つめる3対の冷たいセンサーアイにルペ・シノは心底ゾッとする。

 

「く…スラスターが…!!?」

 

煙を吹いていたバックパックが限界を迎えつつあるらしい。

全開にしたスラスター炎が掠れて黒煙を吹き出す。

トムリアットの速度が落ち、シャッコーが迫る。

 

ここまでか、とルペ・シノが観念しかけた、その時に救いの手は彼女に差し伸べられた。

レーダーに新たな熱源。

数機のMSらしき反応が急速に迫ってきていた。

きっとその反応はリガ・ミリティアの増援ではない。

何故なら、ルペ・シノを追ってきていた3機が急ターンして踵を返したのだから。

 

「た、助かった…の?」

 

ルペ・シノの体中に不快な汗が纏わりついてた。

こうまで死を意識した戦いは、彼女もかつて経験したことがない。

背後を見ると、残りのリガ・ミリティアのMS達も引き上げつつあり、

自軍と違いその撤退っぷりは非常に鮮やかで素早い。

はるか上空を見れば雲の隙間にリカールも見えた。

高機動と雲を活かして生き残ったのだろう。

さすが、ファラ・グリフォン中佐お抱えのパイロットというだけあって腕は良いようで、

火と煙に包まれながらも一応は無事。しかし…

 

「ベスパのイエロージャケットが…この有様なのかい…」

 

まさに惨憺たる有様である。

酷く掠れながらもベスパのラゲーン所属の周波数で呼びかける通信が聞こえてくる。

 

「ご無事ですか!中佐!中佐!聞こえますか!

応答を!こちらワタリー・ギラ!応答を願います、中佐!」

 

ミノフスキー粒子の戦闘濃度圏外にまでルペ・シノは来ていたらしい。

増援部隊から聞こえる低いだみ声に彼女は心底安堵していた。

公的記録に残る、ザンスカールの初めての本格的な敗戦であった。

 



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獣の安息 その2

ヤザン達の今回の戦いの目的はシュラク隊の回収だ。

故に、優勢に戦いを進めてはいても

敵の増援が確認された時点でヤザンは撤退命令を下した。

どんな罠があるかも分からず、つまらぬアクシデントで新型と部下を失いたくはない。

だが、ベスパの様子を見るに今の戦闘の後にベスパらも一頻り救助活動やらを行って、

さっさと兵をまとめてラゲーン方面へと撤退していったのが確認できた。

一安心ではある。

 

(…あの2人…中々面白い奴らだった)

 

安心すると腹が減る。

ヤザンは、自分の腹を満たしてくれた嬲り甲斐のあったベスパのパイロットを思う。

1人は、面白味のない戦い方をするが高いレベルで技量がまとまっていた。

そしてもう1人は…仲間のMSごとこちらを狙ってくるその精神性が気に入った。

 

「クク…次に遭うまで生きていてくれればいいがな…!」

 

悪人面で1人笑いながら、しかしさっさと次の思考に切り替える。

獰猛なパイロットからあっという間に冷静な指揮官としての顔となって考える。

 

(しかし…奴ら、いったいどこに向かっていた。

シュラク隊と遭遇したのは偶発的なものに見えたが…。

このまま南西に行けばあるのは……アーティ・ジブラルタル、か)

 

気にはなったが、

しかし、今はそれよりも隊を休息させてやりたかった。

シュラク隊達は長い追撃戦を凌いだ直後だ。

ベスパが追ってこないのを確認し

ヤザンはシャッコーの左手を親指を下に向けて立てて(ブーイングのようなジェスチャーで)全員に着陸の合図を送り、

リガ・ミリティアのMS達を手近な森へと着陸させる。

 

シャッコーが1。

Vガンダムが2。

ガンイージが6。

ジェムズガンが1。

全10機であった。

 

皆がコクピットハッチを開けて、互いの顔を確認して生存を喜びあう。

だが、

 

「オリファー、モンペリエ隊の生き残りは!」

 

リガ・ミリティアの戦力の核となるべき主力メンバーが全員生存する為の、

その生贄に捧げられた日陰者達がいる。

モンペリエ隊だ。

ヤザンがオクシタニー方面で活動していた頃にオリファーと共に所属していた隊で、

Vタイプの為にカミオン隊に向かったヤザンの代わりに

オリファーが指揮官となっていた旧式MS(ジェムズガン)隊だ。

オリファーが率い、指揮官であるオリファーもいれて9機がいたはずだが、

今ここにいるジェムズガンはオリファー機の1機だけだ。

ジェムズガンから姿を覗かせるオリファーは、問われ、俯き加減で答える。

 

「…彼らは、全滅です。皆、自分の仕事をしてくれました」

 

新型MSガンイージを主力に届けるためにヤザンの教えを最大限に実行し、

オリファーを除く全員が乗機のジェムズガンをシュラク隊の盾にして散った。

先刻の圧倒的有利と思われた乱戦の中で、

既に疲弊していたモンペリエ隊の残兵は生き残る事が出来なかった。

ゾロとは違うあの紫のMS達は、決して容易な相手では無かったということだ。

ヤザンはその報告を、眉間に深い皺を刻んで聞いた。

 

「…そうか。全員やられたか」

 

この場に生き残った連中は、

ヤザンとオリファー以外はジェムズガンのパイロット達を見知ってはいない。

だが、ヤザンとオリファーの表情を見れば良い人達だったのだと理解できた。

 

「すみません、ヤザン隊長。私達が捕捉されたばかりに…」

 

ジュンコ・ジェンコは、久しぶりに教官であり上司でもあるヤザンの顔を見れた嬉しさを殺し、

盾にしてしまった同志達の死を思う。

他のシュラク隊も、そしてマーベットもウッソも神妙な面持ちだ。

 

「こればかりは仕方がない。運が悪かったと思え。

……それに、モンペリエの奴らは美人の盾になれたことを喜んでいる筈さ。

奴らの死を悼むというなら今日は奴らのために酒でも呑んでやるんだな…。

あいつらも女と酒盛りが出来て喜ぶだろう」

 

ヤザンはいつもの調子でそう言い切った。

戦い抜いて死んだ者は寧ろ幸福だ。

彼はそう思っているから死者に魂を引っ張られはしない。

湿っぽい話は終わりだ、とばかりに

ヤザンはシャッコーの昇降機で飛び降り、そして皆を見た。

 

「それにしても、シュラク隊が全員くたばっていないようで安心だ。

勇んで死にかけているかと思ったが…良い戦いっぷりをするようになったな。

特に……ヘレン・ジャクソン!」

 

「ハッ!」

 

「突っ込むだけじゃ無くなったようだな。良い動きだった」

 

「ありがとうございます、隊長。

私達は全員、隊長にあれだけ鍛えられたんですから突っ込むだけでは能がありません。

せっかくの新型を壊して届けたら後が怖いし…ね?みんな」

 

ヘレンがくだけた様子で、軽いウィンクをしつつ笑ってメンバーに同意を求めると、

マヘリアが笑いながら頷いて

 

「そうそう!それよね、一番の理由は!」

 

陽気にそう言うと皆もそれに続いた。

ケイトもヤザンへ笑顔を向ける。しかし、

 

「隊長も元気みたいで安心しました…。

隊長は、あの…地上ではどうでした?」

 

その笑顔はあっけらかんとした明るいものというよりはどこか女を感じさせる。

普段の勝ち気でサバサバとした彼女らしいとは言えない、はにかんだものに見えた。

 

「…暫く会わん内に腑抜けたか?少し鍛え直す必要がありそうだなァ」

 

ヤザンがそう言うと悲鳴のような歓声のような叫びが女達から上がって非常に賑やかだ。

そんな調子で、暫くは皆、姦しく挨拶などをしていたが、

やがてケイトがヤザンの背後を見ながら言った。

 

「それにしても、隊長。見慣れないMSに乗ってますね。

そいつはわかりますよ。ヴィクトリーでしょ?隊長のあれもうちの新型なんですか?

なんだか、すごくザンスカールっぽいデザインですね」

 

マーベットとウッソ以外の者達が、

オレンジイエローの機体…シャッコーを見て首を傾げる。

ウッソが微笑みながら、ヤザンの代わりに説明しだす。

 

「あれはシャッコーといって、ザンスカールの新型MSです。

ヤザンさんがベスパから盗っちゃったんですよ」

 

ウッソの言葉にはどこか誇らしさが滲んでいるように聞こえる。

 

「ベスパから盗ったぁ!?うわー、さすがヤザン隊長…手癖が悪い!

…というか、あんたは……え?………うそ。

まさかこんな子供が2機めのヴィクトリーのパイロット?

マーベットの後部座席にいたとかじゃないわよね?」

 

「ち、違いますよ。僕は…ちゃんとあのヴィクトリーのパイロットです」

 

マヘリアが、シャッコーとウッソの両方に驚き、

そして少年の前で屈むとウッソの頭に白い手を優しく添えた。

シュラク隊が今度は少年へと群がりだす。

 

「ちょっと隊長!こんないい子どこから攫ってきたんですか?」

 

コニーが少年の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

「あんなに女子供は戦場に来るなって言ってたくせに!」

 

ヘレンも少年の頭を、コニーよりは乱雑に撫でまくる。

 

「坊や、あの白いのに乗ってたんだろ?良い腕じゃないか。

がっつり隊長に仕込まれたんだ?」

 

ペギーが優しくウッソの頭を撫で触る。

 

「…ちょいとペギー、今の言い方なんか卑猥じゃない?」

 

ジュンコも撫で回しに参加しつつ金髪の同僚へ軽口を叩く。

 

「少年をがっつり仕込む隊長…うーん……確かに、マズイ言い方だったかしら?」

 

等とシュラク隊が好き勝手にウッソの頭を弄ぶものだから、

ウッソの髪が大変なことになってしまっていた。

 

「ちょ、ちょっとお姉さん達!?や、やめてくださいよ~!

ヤザンさーーん助けてぇ!」

 

本気でどうすれば良いか分からないウッソは、

美女達にもみくちゃにされて身動きもとれていない。

ヤザンへ助けを求めるその声は割合、必死であった。

その様を微笑ましく見守っていたマーベットもいつの間にか意中の人…

オリファー・イノエの横に行って彼と久方ぶりの談笑などをしていた。

 

僅かな間、そんな部下達の交流の光景を眺めていたヤザンだが、

やがて皆に号令を下すとさっさと自らは休憩しだすのだった。

 

「ここで10分、小休止した後すぐに発つ。各自、用を済ませておけよ」

 

折れた木の幹に腰掛けたヤザンが、

サバイバルキットから取り出した携帯食を口に放り込みながら言った。

この男は隙あらばこうして胃に何かを入れている。

パイロットは体力勝負だ。空きっ腹では真価は発揮できない。

食べられる時に食べ、寝られる時に寝る…兵士にとって大事なスキルの一つだ。

頬張りつつ、隣に座ってきた少年を見る。

 

「…」

 

先程、シュラク隊にもみくちゃにされている時はそうは見えなかった。

だが、こうして一旦落ち着いてから改めて見ると、

ウッソの様子が普段と少々違うのが分かる。

 

「本格的な初陣を乗り越えた。

これはめでたいことだ…敵の死を気負って、そして自分の生の喜びに変えろ」

 

「ヤ、ヤザンさん」

 

歴戦のパイロットの逞しい男の手。

それが、少年の柔らかな頭をしこたま撫でる。

その感触は、先程女性陣達に撫でられるのとはまた違っていた。

柔らかではないが、頼り甲斐のある安心感や充足感をウッソに与えてくれていた。

少年の口が自然と動く。

 

「…でも、モビルスーツを撃つ度に…聞こえるんです」

 

「何が聞こえた」

 

「………………音です。

命が…まるで命そのものが砕ける、怖い音が……っ」

 

ウッソが自分の頭を両の手で抱えて呻く。

声と肩はやや震えていた。

 

「ニュータイプだとでも言うのか?そういう感性は俺には理解できん」

 

「…ニュータイプって、

人の革新だとか…新しい人類だとか、そういう昔にあったやつですか?」

 

この時代、ニュータイプは過去の遺物だった。

ニュータイプを求める声も、ニュータイプに期待する声も消えて久しい。

人々の誰もがニュータイプにパイロット特性以上の物を求めていない時代になっていた。

 

「そうだな。全部昔の事だ。

ニュータイプなんぞまやかしさ…そう思え」

 

「まやかしって言っても…でも、僕には…確かに聞こえるんですッ」

 

ヤザンは少し考えて、そして口を開いた。

 

「…………俺も機体越しにパイロットの姿なら見たことがある」

 

「えっ?」

 

その現象は、ウッソも度々経験したことがあったが、

ヤザンにとっては余り思い出したくないオカルト体験だ。

それでも、その話をウッソに開陳したのはその体験談が彼に活きると思うからだった。

 

「だが、まやかしだ。そんなもんに惑わされるな。

機体の動きから殺気を感じて予測するんだよ。

そうすりゃ、戦場で培った嗅覚が自分の感を鋭くしてまるで見えたような気になる。

そういう一種のランナーズハイに過ぎん」

 

「あの音が…姿が、脳内麻薬の興奮に過ぎないと言うんですか…?」

 

「実際は知らん。だが、そう思えと言っている。

幻聴や幻覚を自分の戦闘センスと経験が生んでくれたイメージだと理解しろ。

それを利用するんだ…ニュータイプなんてあやふやなものに頼って振り回されるな。

お前は、お前が培った技術と経験を信じろ。

それができりゃ、この先も戦場で生き残れる」

 

ヤザンがまたウッソの頭に手を乗せた。

 

「ヤザンさん…」

 

「生きろよ坊主。でなきゃ、貴様につぎ込んだ時間と労力が無駄になる」

 

「わッ」

 

少年の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱して撫でる。

とても雑だ。乱暴だ。

だが、ウッソは妙な心地良さを感じてなすがままになっていた。

 

(あなたが僕のために言ってくれているって…分かりますよ、ヤザンさん)

 

少年は、眠くなってしまう程の安心感をその手から感じていた。

 

 

 

 

 

 

ヤザン達がカリーンの地下工場アジトに無事戻ってから数日が経った。

その間、シュラク隊が記憶喪失と幼児化現象に陥った女王の弟に驚愕したり、

何故かカテジナ・ルースと初対面から

険悪なムードになってしまったりという事はあったがヤザンからすれば些細な事だ。

ラゲーンの地上ザンスカールも最近は大人しく、カリーンにも平穏な時間が流れている。

 

宇宙でもバグレ隊の頑張りに感化され、合流する連邦の一派が増えているらしい。

ますますバグレ隊が増強されていて、

最近ではやや誇張してバグレ艦隊と言われる程度の戦力規模になってきていた。

連邦軍の幹部で唯一危機感を持っていると噂される高級将校ムバラク・スターンも、

先の地上でのザンスカール敗北や

バグレ隊の奮戦を好機と見たのか活動を活発化させているとの情報もあるし、

地球各地やサイド2でのパルチザン運動も再燃しているとスパイの報告にあった。

建国から続いていたザンスカールの快進撃が本格的に曇りだしていた。

新興勢力の快進撃が暗礁に乗り上げると、全ての歯車が狂って皆がそっぽを向きだす。

 

ザンスカールからしてみれば最悪の流れだが、

リガ・ミリティアからすれば当然非常に良い状況になってきていると言える。

 

「ラゲーンは亀みたいに閉じこもったままのようで」

 

オリファーが、執務室(ヤザンの部屋)で書類にハンコを押しまくりながら気怠そうにヤザンへ漏らした。

実際気怠いのだろう…彼はずっとヤザンの手伝いで事務仕事をしているのだ。

この光景も久しぶりだとヤザンは思いつつ「そうだな」と短く答える。

 

「たった一戦で…なんというか風向きが変わりましたね」

 

「切っ掛けというのは何にでもあるものさ…」

 

オリファーにそう返したヤザンは、

自然と記憶の引き出しからオデッサ作戦やダカール演説が転がり出てきていた。

 

オデッサ作戦は言わずもがな、ダカールの日もまた宇宙世紀史に詳しい者は皆知っている。

ティターンズからしてみれば忌々しい事件であり、

正にグリプス戦役の流れを決定的に変えたターニングポイントだ。

()()()MSに乗っていたエゥーゴのエースパイロット、クワトロ・バジーナ。

彼が、エゥーゴが占拠した議会で、

ジオンの赤い彗星ことシャア・アズナブルであり…

またダイクンの遺児であるという正体を現して世にティターンズの不実を訴えた日。

あの、たった1日の出来事でティターンズは巻き返しが不可能となったのだ。

過去の歴史を見ても、たったこれだけで…と思うような切っ掛けで変わる流れというのは、

オデッサやダカール以外にも枚挙に暇がない。

 

「ザンスカールは燃え広がっている抵抗運動に苦労しているようだぞ。

ラゲーンも戦力の立て直しに躍起だろうが…、

宇宙でもタシロ艦隊が、バグレ隊と反乱運動に手を焼いている。

ムバラク艦隊の動きにズガンもピリついているだろうしな…。

そうそうラゲーンに増援は回せんだろう」

 

苦しんでいるザンスカールの様子が心底可笑しいのだろう。

かつての自分達(ティターンズ)と同じ轍を踏みそうだ、と口の中でクックッと笑うヤザンであった。

だが、そのように笑う男の事が気に食わない女がこの部屋にはいる。

 

「…他人の不幸が好きなようね?やはり下衆な男…ヤザン・ゲーブル」

 

カテジナ・ルースだ。

彼女は、ヤザン専用事務員に任命されてからひたすらにこの部屋で仕事に追われていた。

勿論、事務の合間合間に赤ん坊のカルルマンの世話もしていて、

ヤザンに言いつけられた事は多少の無理をしてでも熟していた。

それが出来なければ気に食わないヤザンに負けたような気分になる、

として彼女の生来の勝ち気と負けん気が仕事に対する義務感となっていた。

オリファーが合流した今も、カテジナの事務仕事は一向に減らない。

事務の助けが増える度にヤザンが己の分の事務仕事をしなくなるからだった。

 

「俺は他人の幸不幸に興味はない。が、敵の不幸は好きだと認めよう。

敵が不幸になりゃ、俺への幸福の分前が増えるというもんだ…ハッハッハッ」

 

ヤザン流のジョークにカテジナの細い片眉が歪んだ。

辛辣なカテジナの言葉に返したヤザンのそれは〝それがどうした〟と言わんばかりだ。

その堂々っぷりがカテジナの反感に繋がる。

だがその一方で、自らの醜い部分を受け入れ、悪びれること無く認められて、

常に胸を張っているこの粗野な男を羨望すると共に〝男らしい〟と思えてしまう。

そういう感情が彼女の心の隅に生まれつつあるのも確かだった。

理性で決して認めない…認めたくないカテジナだったが、

認めたくないという思いがある時点でそういう感情の発生を自覚している。

 

「あなたみたいな戦争する大人が積極的に不幸をばら撒いているのよ。

それで自分に幸せが舞い込むとでも思っているの?」

 

「戦争をするのは幸せさ。合っているな」

 

「あ、あなたは!民間人が巻き込まれているのよ!?」

 

「俺が巻き込んだわけじゃない。文句を言いたいならザンスカールに言うんだな。

こっちは出来るだけ民間に被害が出ないようにしてやっているんだ」

 

そう言いつつ、ヤザン自身

リガ・ミリティアが積極的に街に潜伏してゲリラ戦を展開しているのは知っている。

胸くそ悪いとも思っているが、ザンスカールの人狩りとギロチン…

そしてそれを正義にしているマリア主義にもヤザンは胸くそ悪い物を覚えている。

だからコラテラル・ダメージ(巻き添え被害)だとして割り切ってしまっていた。

そういう割り切りが出来るのもこの男であった。

オリファーが、はらはらした目つきで2人を見ている。

2人の口論は続く。

 

「民間人を巻き込んでいないつもりなの!?

ウッソ君はどうなのよ!あなたが兵士に仕立て上げたウッソ君は…!

今じゃ立派に恐い殺人者になってしまって!」

 

「クク…違うな、カテジナァ!」

 

「なにが!」

 

「ウッソは殺人者じゃない。戦争で人を殺すことを覚悟した奴は戦士だ。

覚悟した奴は、ガキだろうが女だろうが戦士になれる。

あいつや俺は敵とスキルを競い合って敵だけを殺す!

殺人者と、俺達兵士はそこが全く違うのさ」

 

「へ、屁理屈を…!同じでしょう!」

 

「俺達は戦争が終わりゃ人は殺さん。

殺人者は平和になってからが本領発揮だ。どこが同じだ?」

 

「そ、それも…屁理屈だわッ!

あんた達が人を殺して戦争を始めるから…世界中が不幸になっている!」

 

「…言っただろう?俺は兵士だ。

そして戦争を始めるのは兵士じゃない。政治家なんだよ。

知らん所で勝手に戦争が起きているから、

ついでに敵さんの兵士と殺し合いをさせて貰ってるだけさ。

戦争を終わらせられるのも政治家だ。

戦争をするなと言うなら俺達じゃなく、政治屋共に言いな」

 

今回の紛争の事ならフォンセ・カガチあたりだ、とヤザンは他人事のように言った。

敵が攻めてきたから抵抗しているだけだというその理論は、

理解は出来ても民間人のカテジナには納得し難いものがある。

 

「…ッ、あなたは全く話が通じないタイプなのね!」

 

怒りも顕に怒鳴る金髪の令嬢の迫力は、

同室で先程より肩を小さくして仕事をしているベテラン兵士のオリファーもたじろぐ程。

 

(…マーベットが怒った時より恐いじゃないか…ヤザン隊長はさすがだ…)

 

チラリと2人を見てから事務仕事に精を出すオリファーは、

怒髪天を衝く美女を軽くあしらっている隊長へ改めて尊敬の念を抱いていた。

 

「今更気付いたのか?…しかし、何をそんなにカリカリしとるんだ、お前は。

女の日のとでも言うのかァ?ピルでも飲んでこい!」

 

「ッ!ば、バカを言って!本当に破廉恥な男!!

あなたのような、女の兵士を侍らす品性のない軽薄な嘘つき男は死ぬべきでしょう!?

なんで生きて帰ってきてしまうの!?

大好きな戦争の中で野垂れ死んでしまえばいい!」

 

白い手を、いつぞやのように振り上げたカテジナ。

 

「ふん…、またかよ」

 

そして、それをいつぞやのようにしっかり掴んで受け止めるヤザン。

この行動はひょっとしたら予定調和になりつつあるのかもしれない。

 

「は、離して!」

 

「女を侍らすってのはシュラク隊か?ククク…そうか」

 

傍から見れば自分はパプテマス・シロッコと同じような事をしていたか、と

ヤザンは何だか可笑しくなってしまう。

彼とは気が合って、友人にも近い感覚をお互い持っていたからだろうか…

何とも嫌な影響を受けてしまったと埒もない事をふざけ半分に思う。

今、もしも自分の横にあの面白い男がいれば、

貧弱なリガ・ミリティアを己の才感と手駒で勝利に導こうと、

ゲーム感覚で大いに楽しんで戦争をしただろう。

或いは女王マリアを口説いてザンスカールを乗っ取ったかもしれない。

やることなすこと愉快で楽しい男だった。

 

そんな事を思って薄ら笑いを浮かべていたヤザンをカテジナはキツイ目で見ていて、

ヤザンの腕から逃れようと身じろぎを続けていた。

ヤザンはやや溜息を漏らしながら、

一応は部下達の為にも…そして自分の名誉の為にも弁護しておく。

 

「だが奴ら、ああ見えて腕はいいし心構えが出来てるんだ。我慢しろよ。

それにシュラク隊の人選はそこにいるオリファーがやった」

 

えっ?と思わず呟いてしまったオリファー。

思わぬ火の粉にオリファーはメガネ奥の瞳を点にしていた。

 

「しかし俺を嘘つき呼ばわりとは…さて、いつ嘘をついたか」

 

カテジナの目が一瞬動揺したように揺れる。

マズイことを口走った、というような顔付きだった。

 

「ン………見当もつかんなァ」

 

そう言いつつヤザンの顔には悪戯小僧染みた悪辣な笑みが浮かんでいる。

カテジナについた()を思い出したらしい。

 

「も、もう良いから離しなさい」

 

「ああそうか!そうだったな!

帰ってきたらご褒美をやると言っていたな!

約束したのにまだ褒美をやらん…これは確かに嘘つきだった。許せ」

 

「別に、ゆ、許す許さないという話じゃない!

まったく違うわ。勘違いしないで貰いたいわね」

 

カテジナの頬に薄っすら朱が差している。

その反応は充分にヤザンの戯言を真に受けていた、と雄弁に語っていた。

 

「帰還してからもう3日だものなァ?

ずっとアレの続きを期待していたんだとしたらそいつァ済まなかった。

この3日間、ずっと欲しがっていたとはな!ハハハッ!」

 

「だからっ!そうじゃないって言っているでしょう!

本当に人の話を聞かないんだから!

あなたの下劣な勘違いなのよ…!」

 

「お嬢様も大変だな?キス一つ気軽に出来んとは。

いつもそんなにイイ子ちゃんでいちゃァ鬱憤が溜まるばかりだぜ?」

 

ヤザンが掴んでいた腕を引き寄せてカテジナを抱き寄せる。

ウーイッグのお嬢様は男の腕から逃れる事をまだ諦めず、

忌々しそうにヤザンの目を睨みつけていた。

オリファーは我関せずと書類に没頭し次々に片付け続けていた。

捗っているようである。

 

「…次にまた私の唇を奪ったら、舌を噛んでやる」

 

「ほぉ?そいつは俺の舌か?お前の舌か?」

 

やってみろよ、と言ってヤザンはカテジナの口へ舌をねじ込んだ。すると…

 

「…ッ」

(本当に噛みやがった…やるじゃないか、カテジナ)

 

約束通り、ヤザンのベロは噛まれて鋭い痛みが襲ったが、噛み切られる程の力ではない。

彼の舌から少しの血が垂れてカテジナの唾液に混じって溶けていく。

ヤザンは自分の血を、まるで飲ますように女の舌に塗りたくった。

約束は守ると言わんばかりの前回よりも深く熱いベーゼが繰り広げられて、

ヤザンの胸を全力で叩いていた女の細腕からは少しずつ力が抜けている。

それが疲れからなのか、ただの諦めか、それとも別の何かなのか、

それはカテジナ自身にも分かっていなかった。

ただ、貪られれば貪られる程に…

男を知らなかった〝ウーイッグのお嬢様〟の秘められた肉体は

急速に花開いていくようだった。

 

オリファーは頭をガリガリと掻いて、小さくブツクサと何かを言っている。

あぁマーベット助けてくれ…という言葉だけは聞き取れた。

 

 

 

 

 

 

カリーンの地下工場の周辺は緑が豊かだ。

カサレリアの森ほどではないが、この森を散歩していると故郷を思い出せるからなのか、

素朴な薄褐色肌の美少女、シャクティは散歩を好んだ。

鼻歌などを歌いながらの散歩で、彼女はとても上機嫌に見える。

 

「ねぇウッソ…カサレリアには冬になる前に帰れるかな」

 

「どうだろうね。いつ帰れるかはザンスカール次第になっちゃうよ」

 

少女の隣にはパートナーの少年がいる。

 

「…早く帰らないと…その間にお母さんが戻ってきたらどうしよう」

 

「目印のヤナギランの種は持ってきたんだから…。だからこうして埋めに行くんだろ?

…あっ、シャクティ。カルルマンがぐずってる」

 

少女の背中には赤ん坊のカルルマンもいる。

今の時間はカテジナから交代してシャクティの担当であるからだ。

 

「姉さん、代わるよ!俺に任せて。赤ん坊は得意だ」

 

そして長身赤髪の青年、クロノクルもいた。

彼ら4人の周りをうろちょろしているハロと犬のフランダースもいるから賑やかだ。

姉と呼ぶ小柄な少女から赤ん坊を受け取って、

ウッソが大きな背中に抱っこ紐で括り付けてやる。

 

「あー、ウッソ、しっかり結んでくれよ。前のは緩かった」

 

「うるさいな…前のはあなたの包帯が緩んだからズレたんだよ」

 

「違うね。ウッソの結び方がまずかった」

 

「包帯だよ。だいたいまだ体中に包帯してる怪我人が外歩いてちゃおかしいでしょ…。

クロノクルさんはゆっくり寝てればいいんですよ!」

 

ウッソは、未だにこの記憶障害のベスパの青年を持て余している。

まず言葉遣いに迷う。

見た目は完全に年上なのだから敬語が出そうになるが、

クロノクルと話していると言動がまるっきり同世代の少年に思えてしまうから、

話している内についついフランクな言葉になってしまう。

そして思い出したようにまた敬語、と言葉遣いが安定しない。

それは奇妙なことだとウッソは感じた。

 

「もう大分良くなったからいいんだよ。

寝てるだけじゃ暇でしょうがない。

それにウッソと姉さんを2人きりにすると、きっと2人はキスとかしちゃうんだろ!?

そんなのダメだからな…」

 

包帯が幾らか少なくなって、顔の治療も順調なクロノクル青年(心は少年)が、

姉と慕うシャクティに抱きつきながらウッソを睨んだ。

ウッソの顔が赤くなり、シャクティの顔も赤くなった。

 

「そ、そんなことしないよ!なんでそうなるのさ!」

 

「だって2人はボーイフレンドとガールフレンドなんだからきっとそうなるんだ。

でも俺が認めない限り姉さんはまだまだお嫁さんにはならない。

残念だったなウッソ・エヴィン!」

 

クロノクルが笑う。

何故か勝ち誇ったように。

 

「姉さんはお前の為に家事なんかしないからな!

まだ姉さんは俺の家族なんだ」

 

照れてしまうウッソではあるが、

それでもこの記憶違いのクロノクルに言い負かされるのは癪だ。

だからこう言い返す。

 

「…シャクティは良く僕の為に料理も作ってくれる。

僕のパンツだって洗ってくれてるんだ!カサレリアでは殆ど一緒に住んでたよ!」

 

「ちょ、ちょっとウッソ…クロノクルさん相手にそんなムキにならなくても」

 

なんだか聞いてるシャクティも気恥ずかしくなってきて、

カサレリアに住んでいた時は当たり前過ぎたその家事の数々が照れ臭い。

 

「…う、うそだろ…?それって…もう新婚じゃないか!」

 

クロノクル青年がショックを受けている。

ウッソは勝ちを確信して、さっきとは逆に勝ち誇って笑ってやった。

新婚という単語にシャクティは赤い顔で俯いた。

 

「そ、そうだね。もう結婚してるみたいなもんだよ」

 

つい少年もそう言ってしまう。

聡明でスペシャルな訓練を積んだウッソとはいえ根は13歳だ。

言い合ったりケンカしたりすると突っ走って思い掛けない事をしでかすこともあるのだ。

 

「く…」

 

クロノクルはかなり悔しそうな顔になっていた。

泣きそうにも見えた。

 

「ね、姉さんは…姉さんと俺は2人きりで…、

たった2人の家族なんだ…!なのに、ウッソは俺から姉さんを盗ろうっていうのかよ!」

 

「ち、違うよ!盗ったりはしない!結婚したって家族は家族でしょう!?」

 

「姉さんは結婚して、ウッソと暮らすんだ!?お、俺を捨ててッ!

お、俺は…俺はどうすればいいんだよ!俺はっ!う…ぐッ…ううッ」

 

クロノクルが胸を抑えてうずくまった。

傷が疼いているのかもしれない。

情緒が不安定で傷も全快していないから、

感情を激発させてはいけないと医師のレオニードにも言われていた。

「しまった!」とウッソとシャクティは慌ててクロノクルの肩を支える。

彼はまだ簡単な散歩程度しか運動は許されていないレベルなのだ。

 

「だ、だからさ…違うよクロノクルさん!

僕とシャクティが…その…結婚するってことは、

僕とクロノクルさんが家族になって一緒に暮らすってことだろ?ね?」

 

ウッソの言葉にシャクティも乗る。

今は恥ずかしいとかそういう事を言っている場合ではない。

 

「そうよ、クロノクル…大丈夫。私は…姉さんはずっと一緒だから。

ウッソと…私と…カルルマンとあなたで暮らそう?」

 

クロノクルを宥めて安心させるのが最優先。

そう思ったシャクティは、クロノクルの頭を撫でながら、

ついでにカルルマンの背中も擦って2人を包み込むよう抱いて温かい声でそう言ってやる。

 

「う…ぐ…ぐ……ふゥ…ふゥ…うゥ、う…カ、カルルマンもかい?」

 

体中の痛みと感情の昂りからくる涙、汗で濡れたグシャグシャな顔を、

シャクティは一切嫌がらず躊躇いなく胸に抱きとめた。

 

「そうよ。みんな一緒に暮らしましょう」

 

「う、うん…いいな、それ……いいな」

 

クロノクルの呼吸が落ち着いてきて、顔に滲んでいた汗もひいてくる。

シャクティに撫でられると落ち着くというのは、ウッソも経験した事がある。

ウッソも、今は嫉妬よりも安心感が勝り…

そしてクロノクルに対して強い憐れみを感じ、彼の事を弱い存在なのだと思えた。

 

「じゃ、じゃあ…ウッソは…俺の……、

お、お兄ちゃんになって…くれるって、こと?」

 

「僕が…クロノクルさんのお兄さん?」

 

カルルマンとクロノクルの間に手を突っ込んで、

彼の背を擦りながらウッソは素っ頓狂な声を出していた。

シャクティが、ほんの少し照れを表情に浮かべながら少年を促す。

 

「ウッソ…」

 

「うん…分かってるよシャクティ。

………そうだよ。僕は、クロノクルさんのお兄さん?になる。

皆のこと…僕が守るよ。もちろんクロノクルさんも」

 

ウッソは強い瞳でシャクティ達を、クロノクルを見る。

クロノクルの、実年齢の割にあどけなく力も無い純な瞳がウッソを見返している。

赤毛の純朴な青年が、屈託のない笑顔を少年に返して、

 

「…じゃあ、俺も…ウッソと姉さんの仲、認めてやろうかな…ハハハ、アハハハ」

 

犬のフランダースにまで頬ずりされて心底嬉しそうな様子だ。

 

「ハロ!ハロ!クロノクル カゾク!ウッソ ノ デッカイ オトウト!」

 

ハロはいつまでも喧しかった。

 



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爪研ぐ獣達

ジン・ジャハナムのポイントD.D.召集令発動。

とうとうこの日が来たとオイ・ニュング伯爵は歓喜に打ち震えていた。

 

「宇宙で連邦が動いたお陰だ…我々の頑張りが…とうとう連邦に活を入れたのだ。

地球に打ち込まれたザンスカールの(くびき)であるラゲーンをようやく攻略できる…」

 

伯爵が言う通り、腑抜けていた連邦の…例え一部隊一艦隊とはいえ動いてくれたのは、

まさにリガ・ミリティアが全霊をもって活動したからだった。

レジスタンスのスタッフ達の士気を高める為にと揚々と語る伯爵。

 

「地球から奴らのギロチンを一掃し――ん?」

 

だが、そこに通信士が慌ててやって来て伯爵に新たな電文を手渡した。

 

「伯爵、緊急の追加暗号です…これを」

 

「うむ…」

 

この場ではニュング伯爵とヤザン隊長しか読めない特殊暗号であるそれを見、

読み進めていくのと同期して伯爵は表情を変えていった。

 

「―――これは…信じられん!ベスパがラゲーンを空っぽにしたのか!?」

 

伯爵の言葉にその場にいた皆がざわついた。

ざわつく観衆の中の1人、恰幅が良い老婆のエステルが大きな声で伯爵へと疑問を飛ばす。

 

「なんだい伯爵!どういうことだい。

ベスパが尻尾を巻いて逃げたっていうのかい?」

 

伯爵はエステル老だけでなく皆を見渡して、間を置いてから口を開いた。

 

「いや、違う。今から説明しよう。

皆、聞いてくれ…ラゲーンのイエロージャケット達が、

基地を空にして殆ど全戦力を率いて出撃したのだ」

 

更にスタッフ達がざわめく。

ザンスカールにとってラゲーン基地は地球侵攻成功の象徴でもある。

ザンスカールの兵員達は埃臭い片田舎と小馬鹿にしているらしいが、

衆目が見る所はラゲーンというのはベスパの勝利の証であったし、

少なくともザンスカールの上層部は

ラゲーンを一大拠点にするつもりであろうとリガ・ミリティアは見ていた。

だが、それは思い違いだったらしい。

 

「今朝、まだ陽も暗い早朝からベスパの大部隊が南西方面に出撃した」

 

伯爵の言葉に再び全員がどよめいて、

ヤザン隊のMSパイロットの面々も口を開く。

 

「南西…数日前に、私達が遭遇したのもそのせいだったんだわ…。

ヤザン隊長にあれだけやられて、また南西に出撃するなんて」

 

ジュンコが言う。

 

「やっぱりあの人達の目的は別のものだったんですね。シュラク隊じゃなかった…」

 

ウッソも言いながら、ヤザンの目を見ていた。

ヤザンが頷く。

 

「南西といやぁジブラルタルだ。そこが目的というのは有り得る話だな。

ラゲーンには宇宙(そら)への打ち上げ施設が不足しているし、HLVの類も保有していない。

もし奴らが今すぐ帰りたいならジブラルタルしかない」

 

推測が飛び交っていたが、

伯爵が皆を制すると静まった所で宣言した。

 

「そうだ。今、ヤザン隊長が言った通りだ!

ベスパの目的はアーティ・ジブラルタルの武力占拠にある!」

 

皆のどよめきは最高潮に達する。

ジブラルタルの武力占拠…。

それは宇宙世紀に生きる現人類にとって許される暴挙ではない。

宇宙開拓時代の始まりを象徴する人類の遺産であり、

今も宇宙と地球を繋ぎ双方の資源、財産、人…数々の輸送を行う実利を齎す至宝なのだ。

伯爵は強い口調で皆に言い続ける。

 

「このような暴挙を許してはならない!

ベスパは宇宙引越公社(PCST)に恭順要求を突きつけた。

人類の宝の首元にギロチンを突きつけたということだ!

既にベスパの大軍はアーティ・ジブラルタルに迫っていて、

引越公社は我々にコンタクトをとりベスパの侵略から守って欲しいと助けを求めている!

宇宙に帰りたい形振り構わないザンスカールから引越公社のマスドライバーを守れば、

リガ・ミリティアは一気に世界から強固な支持を得られるだろう!

そうすれば地球連邦の中から、さらに第2第3のバグレ、ムバラクが生まれる!皆、やろう!」

 

伯爵の声に応え、皆の間から歓声が挙がる。

多くの者が拳などを振り上げ、

士気が高まり大部屋の中は熱気立ちそうな程の気炎に満ちていた。

だが、ヤザンは独り腕を組んでその様子を極めて静謐な思考で眺めている。

 

(伯爵め…中々盛り上げ上手だ。流石だな。

煽り屋(アジテーター)でなければレジスタンスの幹部等やっていられんから当然か…。

しかし、気になるのはベスパ共の動きだ。

ラゲーンはザンスカールの地上最大の拠点だ…失えば地上で補給がきかなくなり、

リガ・ミリティア以下のゲリラ集団に成り下がるしか道は無い。

そんなことは奴らだって分かってる筈だというのに空き家にする…。

地球が欲しくはない、ということか?

ザンスカールはどこを目指している?

女王マリアは、この戦争の落とし所をどこに求めてやがるんだ)

 

ザンスカールの宇宙(そら)の支配領域が危ういものとなってきたから、

ラゲーンの地上戦力の全てを戻して本国の防衛と安定に使うつもりなのかもしれない。

だが、それにしてもザンスカールの動きは地球圏の支配を連邦から奪おうだとか、

圧倒的なMSの性能と迅速な領土拡大で宇宙戦国時代に終止符を打とうとか、

奪った地球の領土を取引材料に使って

サイド2の独立国家としての地位を連邦に完全に保証させるだとか、

そういう未来の展望すら無いように思える。

今回の動きは全く不可解なのだ。

世界中のさらなる反感を買ってまで、

そうまでしてアーティ・ジブラルタルを欲する意味がヤザンには分からなかった。

 

(ジオンの方がまだ分かりやすいぜ。ジオン(一つ目)共は独立と支配が目的だった)

 

野心や領土欲、闘争心からの戦争ならばヤザンは理解できる。

だがひょっとするとザンスカールは戦争での勝利すら目的としていないのではないか。

いかに連邦が形骸化していたとはいえラゲーンを取る為には相応の血が流れているし、

その後もザンスカールはラゲーンの増強を推し進めていた。

それをあっさり手放すということは領土欲は無いということだ。

 

ザンスカール(猫目)共の戦争目的は何だ…?

まさか、マリア主義で全人類を染め上げようとでも言うつもりか)

 

宗教狂いの考える事は理解し難く、

今その事をどれだけ考えようが答えは出せそうもない…。

取り敢えずはそう結論付けたヤザンは、

突然に目の前に降って湧いたジブラルタル戦へと意識を向けた。

今はそちらの方が余程大事なのだ。

 

「ラゲーンは背水の陣で来る…楽な戦いにはならんな」

 

リガ・ミリティアのパイロット達はその特性上、入念な作戦の打ち合わせが出来ない。

勿論、大まかな戦略行動はジン・ジャハナム達が念入りに計画を練っているだろうが、

秘密事だらけのゲリラ組織では重大な戦闘行動を知らされるのはいつだって突然だった。

伯爵やヤザンでさえ詳細な日時とかは知らされない事が多く、

それは最前線で部下達の命を預かるヤザンにとって大きな悩みの一つだ。

真なるジン・ジャハナムが切れ者であるのは認めるが、

言ってみれば最前線のパイロットは

行きあたりばったりにいつも付き合わされているようなもの。

意気上がるカリーンのリガ・ミリティアスタッフ達…

しかし、MS隊の者達の中に楽観な顔をしている者は1人もいなかった。

 

 

 

 

 

 

アーティ・ジブラルタルに一足先に向かったベスパに追いつき、

また現地で全力戦闘を可能にするためには輸送機を使った方が良い。

輸送艇による移動の方が推進剤も節約が出来るし、

MS単機で空を飛んで高速移動をするよりは輸送艇での方がやはり足は速い。

現代の第2期MSは単機による長時間の安定した空中移動が出来るが、

高速飛行という点ではそこまで桁違いの優秀さはない。

旧第5世代MSにその点では劣ると言えるが、

そもそも第5世代MSはハイエンドモデルで数機しか存在しておらず、

現在世界中で量産され存在している第2期MSとは注がれた手間や資金力の桁が違う。

それぞれに一長一短があり一概に比べられるものではない。

 

カリーンの地下アジトに駐留していたMS隊が飛び立って、

ポイントD.D.…つまりベチエンに来ると

そこにはかなりの数の旧式輸送機(ミデア)がエンジンを温めた状態で停まっていた。

 

(…ミデアとはな。何とも懐かしい御同輩の登場だ)

 

10mを超える巨大スコップを持ったジェムズガン達が整備した即席滑走路を歩くヤザンは、

ずらりと並んだ懐かしき黄色いオンボロ母鳥達の錆びた装甲を見て微笑んだ。

ミデア以外にも旧ベチエンの飛行場には所狭しと部隊が駐留していて、

各スタッフがこれまた所狭しと慌ただしく動き回っていた。

だがその中で異彩を放つのが軍服を纏う正規軍人である連邦からの人員だ。

精気溢れるはきはきとした動きを見せるレジスタンスと違って、

軍服組は非常にもさもさとしていて見るからにやる気がなかった。

 

「あんたらをジブラルタルまで運ぶロベルト・ゴメス大尉だ。短い付き合いになるが宜しくな。

搬入が終わり次第出られるようにはしてるぜ」

 

連邦の士官帽を雑に被った壮年の男性が古い輸送機のすぐ横で、

リガ・ミリティアの各部隊を出迎える。

カミオン隊、ヤザン隊、シュラク隊の中核部隊だけでなく、

各地の小アジトから来たMS隊、武装車両隊、航空隊もいて、

連邦の旧式MS隊もちらほら姿が見える。

各地から掻き集めたリガ・ミリティアの欧州方面の殆ど全部隊がここに集っていたのだった。

サポートスタッフの代表格であるオイ・ニュング伯爵とまずは握手をして言葉を交わし、

次いで戦闘スタッフ代表のヤザン・ゲーブルがその手を握った。

 

「リガ・ミリティアのMS隊統括ヤザン・ゲーブル大尉だ。

アイルランド隊の噂は聞いている。

給料泥棒の名の通りの働きではない事を期待している」

 

やる気のない顔で握手をしていたゴメスだが、

そのような不名誉な異名を言われてこめかみを一瞬だけピクリとさせたが、

しかし怒る素振りは見せていない。

 

「あんだと?お前さん、俺に給料泥棒って言ってんのか?」

 

「あんただけじゃない。世間の評判って奴を他の連中にも言っているつもりだ」

 

「はー、言いなさるねェ…けどな、俺達ァ連邦軍なんだ。

リガ・ミリティアだかゲリラだか知らんがあんたらに協力する筋はそもそもねぇのよ。

ジン・ジャハナムだかなんだから知らねぇがお願いされて来てやってるって忘れんな」

 

怒る気力も無いと言わんばかりの無気力さ。

ダラダラと物資の搬入やらをしつつシュラク隊の美女らにニヘラ顔で近づいて

無駄にスキンシップをとろうとしている連邦軍人達。

面と向かって罵声に近い事を言われて怒らぬ眼前の連邦軍人は、

温厚とかそういうのではなく只々怠惰で無気力でしかなかった。

ヤザンは、分かっていた事だが深い失望を覚える。

 

「…これが連邦の実態だったな。

バグレ隊が頑張ってくれているから、つい勘違いしてしまう。

しかし、ゴメス大尉…

あんたは俺達に協力するようアイルランド基地司令に言われているはずだ」

 

「チッ、そうだよ。だからこうしてこんなベチエンくんだりまで輸送機持ってきてやってんだ。

は~~あぁ…なーんで俺達が

これからドンパチやりだしそうなジブラルタルまで行かにゃならんのだ。

聞いたぜぇ?ザンスカールの大部隊が引越公社のジブラルタルに向かってんだろ?」

 

「ベスパの動きを掴んでおきながら連邦軍は動かんのか?

最近は連邦内でもザンスカールに対するタカ派が増えていると聞いたが」

 

「動くわきゃねぇだろ。

黙ってりゃ給料貰えて、うまいこと生きて定年迎えりゃ年金生活!

わざわざテメェから死ぬ危険性のある事するわけないってね!

そんなバカは一握りだけヨォ、ダハハハハッ!」

 

連邦軍人達が、侮辱されても怒る気力も無いほど無気力なのと似て、

ヤザンもまた怒る気力すら湧いてこない。

だが、それは深い失望故だ。

ヤザンは、しかし湧き上がる侮蔑的な感情を隠してゴメスに言う。

 

「…そうは言ってもやる事はやってもらうぞ、大尉。

今回の作戦の趣旨は分かっているな?」

 

冷ややかな目線と共に発せられたヤザンの言葉は自然と居丈高となっていたようで、

それを聞いたゴメスはその()()()()をエース故の傲慢と見ていた。

大層な溜息をつきながらニヤけ顔で臆せずにゴメスは言葉を返す。

 

「おいおい、若造よォ?ちったァ言葉遣いに気を付けな。

あんたはリガ・ミリティアのエースさんで、

しかも連邦から出向してる大尉らしいが俺も大尉だ。

年上の先任大尉には気を使うもんだぜ。

パイロットだからってデカイ面してもらっちゃ困るんだよ。

俺だって若い頃はAAAA(フォーアベンジャー)隊でブイブイいわせてたんだ。

アフリカじゃ地球にやって来た間抜けな木星野郎を

千切っては投げ千切っては投げの大活躍したもんよ!

敬意ってもんを払ってもらいてェなァ!」

 

輸送機の装甲板を拳で軽く叩くゴメスは、

そうやって年下だと思うパイロットを威嚇してやった。

ヤザンの目つきが変わる。

 

「ほォ?」

 

ヤザンは、勿論ゴメスの威嚇など歯牙にも掛けないし眼中に無い。

ヤザンの興味を引いたのは元AAAA隊という一節である。

 

「あんた、AAAA隊だったのか」

 

「おっ?目つきが変わったな若造。AAAA隊の名前を聞いてブルったか?

そうだぜ、俺ァ若い頃あの精鋭部隊にいたんだ。

どうだ恐れ入ったかよ!わっはっは!」

 

「ジェムズガンを使った実戦部隊…

俺もジェムズガンを使う時にはAAAA隊の戦闘記録を参考にさせて貰った」

 

「ってこたァ、おめぇさんが見た記録の中に俺もいたかもな!

勉強になったろヒヨッコ」

 

「そうだな。AAAA隊の動きはどいつもこいつも良かったよ。

最近の弛み切った連邦の中じゃズバ抜けていた。

…そういう事ならアンタに敬意を払わなきゃならんようだ」

 

ヤザンの顔は相変わらず不敵な笑みであったが、纏う空気が幾分柔らいでいる。

ゴメスも、ヤザンの顔付きやら言葉の強さから

さぞ喧嘩っ早い頑固な短気者と思っていたのに、

まさかこんな素直に称賛されるとは思わず、拍子抜けするどころか少し照れた。

 

「ん…わ、わかりゃいいのよ、わかりゃあな。

意外と話が分かる奴じゃねぇか…気に入ったぜ若いの」

 

「元AAAA隊のアンタがなんで田舎で輸送機のキャプテンをやってるんだ。

勿体ないどころの話じゃない…

MS隊の教官でもやって気合の入った後進を育てて欲しかったものだがなァ」

 

心底勿体ないと、そういう思いを込めた声色でヤザンは素直な感想を漏らした。

AAAA隊といえば、第2期MS時代以降の連邦では最強格と言って過言ではない。

コスモ・バビロニア建国戦争、

木星戦役、

そして宇宙戦国時代。

その全ての時代で、地球に降下してきた宇宙からの侵略者を撃退してきた連邦部隊。

それがAAAA隊であった。

彼らのお陰で、彼らの配属地域であるアフリカ地帯だけは不落の土地となっていた。

リガ・ミリティアとしてヨーロッパを主な活動領域にしていたヤザンも、

アフリカの連邦軍の噂だけは聞いていた程である。

 

ヤザンの言葉を受けて、ゴメスの表情が曇る。

 

「そりゃ、オメェ…今どきよぉ…軍全体を鍛え直そうとか無理な話なんだ。

俺だって昔は随分熱いこと言って何とかしようなんてして…

で、疎まれちまって今はこんな田舎でしがねぇ輸送機のキャプテンだ。

流行らねぇ事はするもんじゃねぇってな」

 

乾いた笑いを浮かべたゴメスの顔が、その時初めて軽薄で怠惰なもので無くなった。

壮年の、相応の顔には力の無い諦め…悟ったようなものすら滲ませる。

一瞬どこか遠くを見ていたゴメスは、

すぐにそんな気配を霧散させて、そしてヤザンに向き直った。

 

「あー、ヤザンっていったか。

連邦ではどこの部隊にいたんだ?腕っこきだし、やっぱアフリカのどこかか?」

 

ヤザンは笑って言う。

 

「ティターンズだ」

 

ゴメスが間抜けな顔になってトボけた声を出す。

 

「へっ?」

 

「その後…まぁ少し色々あったがね。

表向きの最終経歴はそこで終わりだ…俺はな」

 

「ティターンズって…へっ?

お前さん…変な冗談言っちゃいけねぇや。

あんな昔の愚連隊の名前使った部隊、今時ねぇって」

 

愚連隊、というフレーズにヤザンは思わず笑い、

そしてまだまだやる事があると

挨拶を切り上げてゴメスに背を向けて早足に歩き出していた。

去りながら、ヤザンはゴメスへと声を掛ける。

 

「ゴメス大尉!俺といればアンタの錆びたエンジンに火を着けてやるよ!

ジブラルタルへ俺達を無事届けてくれると期待しているぜ」

 

「あっ、おい待てよ!

…………行っちまいやがった」

 

スタスタと去るヤザンの背を見るゴメスは、軍帽を脱いで頭をガリガリと掻く。

 

「……ティターンズの…ヤザン・ゲーブル………。

ま、まさかな…。上官殺しのヤザン・ゲーブル、か?

いやいや!ハハハッどうかしてるな俺は。

ヤザン・ゲーブルが生きてたら90歳ぐらいのジジイだぞ?」

 

今は無気力な給料泥棒とはいえ昔とった杵柄。

熱心だった士官学校時代に習った戦史の授業を思い出すロベルト・ゴメスは、

軍帽を被り直してもう一度小さく笑った。

 

「…しっかし、あいつのあの目…近頃の連邦軍人にしちゃ、やけにギラギラと…」

 

久々に出会った、熱を秘めた連邦軍人。

もはや絶滅危惧種に等しいあの連邦のパイロットをもう少し眺めていたい。

昔失ったゴメスの熱が心臓の奥から鼓動と共に少しずつ湧き上がるのを

中年の軍人は感じていた。

 

「はぁ~~、嫌だ嫌だ…あんな目ぇされちまったら

俺も少しはやる気だしてやらにゃならんか。

らしくもねぇが……へっ、少しは面白くなってきたかもしれん」

 

笑ったゴメスのその顔は、

数年ぶり…下手をすれば十年以上ぶりの、どこか力に満ちているものだった。

 

 

 

 

 

 

旧フランスの上空をベスパの大軍が征く。

調整の完了した新型MSゴッゾーラに乗るワタリー・ギラ率いるゾロのMS大部隊。

同じく、調整が完了した新型メッメドーザを駆るルペ・シノ。

そのルペ・シノは、重傷を負ったピピニーデンから指揮権を引き継いて、

再編成されたトムリアット隊を率いている。

大気圏内用の戦闘機オーバーヘッドホークの航空師団もいるし、

地上ではドゥカー・イク率いるガッダール隊のバイク軍団がベスパのMS隊を追走していた。

まさに大軍団であった。

 

率いるは、ファラ・グリフォン中佐…ではない。

もはや彼女はラゲーンの司令ではなくなっていて、

彼女は…今はジブラルタル攻略軍団の副指揮官待遇である。

指揮官は、ラゲーン基地にて彼女の副官を務めていたデプレ大尉で、

これは全く屈辱的な…懲罰的な人員配置であった。

だがもうファラには抗う気力もない。

 

指揮能力に優れているが故に指揮官用MAと言えるリカールを未だに与えられているのは、

ファラの現状を不憫に思ったデプレの取り計らいであった。

ファラの腰巾着から抜け出し、いつかは彼女を追い落として基地司令に…

そういう野心を秘かに抱いていたゲトル・デプレ大尉であったが、

最近のファラの弱りっぷりをいざ目にすると、とても見下していい気になる事は出来なかった。

 

(あのファラ中佐がああも儚く見えるなんてな…)

 

今朝、タシロ・ヴァゴからの直接通信を受けた後のファラの姿を思い出すと、

趣味のキャラオケを楽しむ気も失せるというものだ。

御目付のピピニーデンが軍病院送りになったのを良い事に、

タシロ・ヴァゴの懲罰人事を一部見なかったことにし

ファラお抱えの腹心メッチェを付けてやったのもデプレだった。

 

現地改修を施しセンサー周りを強化したゾロ改に乗り、

そのヘリ形態のキャノピーから後方のリカールを遠目に見るデプレ。

 

「…あなたとは短くない付き合いでしたがね………宇宙に上がればタシロの処刑、か」

 

自分でもどう言えば良いのか判別し難い感情で、そう呟いていた。

 

 

――

 

 

 

そのリカールは、優れた飛行能力とボディの大きさを買われて

機体下部に大型コンテナを追装して空を飛んでいる。

ファラは、デプレが心配した通りにコクピット内で俯いていた。

 

(……〝私の数々の失態に、ピピニーデン隊の喪失まで加わった。〟

加わった………………ッ。加わっただと!?)

 

ラゲーンから出撃する直前に受けたタシロ・ヴァゴからの通信を思い出す度、

ファラ・グリフォンは美しい顔を歪めてしまう。

 

(ピピニーデンを独立部隊としたのは誰だ!

私の指揮下には無かったじゃないか!

ピピニーデンの動きに乗って賭けたのは確かに私だ!

だけど!私にはそもそも止める手立てがあったか!?)

 

リカールの後部座席で、ファラは己の顔を片手で抑えたのは

そうでもしなければ涙が出てしまいそうだったからかもしれない。

ファラは己の心が弱り乱れているのを自覚している。

それでも涙は零さないが、

そういう乱れた態度を漏らすのはリカールのコクピットにメッチェしかいないからであった。

 

「責任をとって、デプレの指揮下で

ラゲーンを捨ててでも総力で当たりジブラルタルを攻略せよ。

そして、占拠したマスドライバーで地上軍を暫時宇宙に上げよ…。

一体何なのだろうな、この命令は…笑えてしまうよ」

 

「確かにタシロ大佐の命令には不可解な点が見受けられます。

ファラ様…自暴自棄にならず、本国に連絡をとりましょう。

タシロ大佐が本国からの命令を曲解している可能性もあるのですから」

 

漏れる不満に、メッチェは恋人でもある上司を勇気付ける。

メッチェの気遣いの言葉は嬉しいが、やはりファラは諦めたように笑うだけだった。

 

タシロ・ヴァゴは自分をそこまで虐めたいのか。

そこまで嫌われていたのか。

いや、そうなのかもしれない…とファラは思った。

 

かつて、ファラ・グリフォンはその美貌からタシロ・ヴァゴに言い寄られた事がある。

「私に靡けば安全な後方で立身出世させてやる」と遠回しに言われて体を撫で回されたが、

当時既に佐官であったタシロの誘いを、

士官学校出たての美しき軍人はやはり遠回しに…

タシロのプライドにまで配慮した言い回しで断った。

その後、ファラ・グリフォンは己の実力と、

そしてギロチンの家名を上層部に利用されて出世を重ねていったが、

タシロ・ヴァゴからすればそれはきっと面白くなかったに違いない。

そこに遠因があるとすれば今回の事も一応は納得出来てしまうファラであったが、

 

(しかし、タシロが…いくら何でもそんな事くらいでこのようにおかしな命令を出すだろうか)

 

タシロの為人(ひととなり)を多少なりとも知るファラは、軍人的な思考ではやはりそれを納得出来ない。

少しずつ手を入れ増強してきたラゲーン基地を捨てて、

ベスパにとって一番資源が採れる(美味しい)地球の版図である欧州を捨てて、

ザンスカールは一体どういう長期的プランを見ているのだとファラも疑問に思う。

こんなおかしな命令を出してでも自分を惨たらしく扱いたいのか。

上層部には、私の味方をしてくれる者は1人もいないらしい。

ファラはそう思って、もはやザンスカールに自分の居場所は無いのだろうと考える。

 

(だが、それも当然か……女王マリアの実弟を……、

クロノクル・アシャーを失わせてしまったあの時から、もう私はザンスカールの鼻つまみ者)

 

自虐の微笑みが漏れる。

 

「メッチェ…私と一緒に…2人だけで、どこか遠くに―――」

 

ファラの湿った唇から紡がれたその声は、とても細くて小さくて、そして頼りない。

リカールのジェネレーターの駆動音とスラスター音、そして風を切る音が

そんな頼りない〝女の本音〟を掻き消す。

 

「…ファラ様?何か仰いましたか?」

 

リカールの操縦桿を預かるメッチェが、優しい声色と共にファラを見る。

ファラは、一瞬、先程の言葉の続きを声高に叫びたい衝動に駆られて、

そしてそれを抑え込んで愛する腹心へと言う。

 

「――何でもないよ、メッチェ」

 

言えば、きっとメッチェは戸惑いながらもファラに着いてきてくれるだろう。

メッチェとならギロチンの家系もザンスカールでの地位も、

マリア主義でさえも捨てて、どこででも生きていける。

ファラはそう思ったが、そうすればメッチェも自分もザンスカールのお尋ね者に転落する。

自分だけならば、十中八九処刑も決まっているのだからともかく…

愛するメッチェ・ルーベンスまでをも巻き込む事は出来なかった。

例え、メッチェ自身がそれを受け入れてくれてもだ。

 

(どこまでも行くしかないのさ…ギロチンの鈴から、私は決して逃れられない)

 

デプレ率いるジブラルタル攻略軍は、後もう少しで目的地へと到着する。

むざむざジブラルタルの占拠を見逃すリガ・ミリティアではないだろう。

第2期MS時代になって以降…最大の地上戦となるかもしれない戦いは目前だった。

 



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ジブラルタルで踊る獣達

宇宙引越公社のヨーロッパ総局長マンデラ・スーンは、

南ア系の祖先の血が色濃く現出していてガタイも良い。

表情にも精気と自信が漲っていて見るからに頼り甲斐のある雰囲気を持つ男だった。

その男がベスパから届いた突然の降伏勧告に驚愕した。

だが、驚愕しつつもそこまで本気であるとは信じてはいなかった。

 

「ここは、宇宙世紀の始まりを告げたと言っても過言じゃないマスドライバーがある。

マスドライバーは今まで人類の数々の資産を宇宙に上げてきた遺産だ…。

それがあるここに、ザンスカールと言えども手が出せるものじゃないさ」

 

虚仮威しだ、と秘書や上級職員達に強気を見せていた。

だが、その通信を受け取った数十分後に、

ベスパの大部隊がジブラルタル方面に侵攻中という話が、

他都市に出向していた引越公社職員から電話で飛び込んで来たのだから焦った。

 

(ベスパは本気だというのか!?)

 

かつてジオンでさえ接収は控え、連邦からも半ば独立してNGOとして活動している公社だ。

それを武力に物を言わせて占有しようという魂胆は、

逆に恐ろしいとマンデラは思った。

 

「彼らには常識も話し合いも通じないというのか…?だからこうも暴挙にでる…」

 

公社の中立性を保つとかそういうポリシーも踏み躙られるかもしれぬと悟ったマンデラは、

ならば…と対抗手段を打つことを決める。

かつての伝手を大いに使って、

反ザンスカール活動に身を投じた

ハンゲルグ・エヴィンにコンタクトを取ることを決意するのだった。

あらゆる記憶とコネを総動員し短時間でハンゲルグの使者とコンタクトを取れたマンデラは、

宇宙引越公社の重要地区の総局長に昇り詰めただけあってやはり特別優秀であった。

 

結果、リガ・ミリティアは動いた。

いや、その迅速さから元々ベスパの動きを掴んでいて動くつもりだったのかもしれないが、

とにかくリガ・ミリティアの動きは素早かった。

マンデラからの懇願という錦の御旗も手にいれたレジスタンスの動きは、

素早く、そして大掛かりであった。

 

人類の宝が今も尚生き続けているアーティ・ジブラルタルで、

リガ・ミリティアとザンスカールの地上軍の総力がぶつかり合おうとしていた。

 

 

 

 

 

 

「我々はザンスカールのベスパだということだ。

ガチ党のイエロージャケットだということだ。

アーティ・ジブラルタルをギロチンに沈めたくなければ、

宇宙引越公社のヨーロッパ局は今すぐにザンスカールに恭順を示せ!」

 

リカールからの女性の声で撒かれる大音量の宣言が、アーティ・ジブラルタルに響く。

空から、飛行船で商品宣伝をするかのように恭順要求の文句が垂れ流れて、

その騒がしさの中でゲトル・デプレ大尉は総局長マンデラと面会していた。

面会場所は宇宙引越公社が誇る広大な発着場のど真ん中である。

両者は互いに相対して、マンデラの側には秘書が…

そしてデプレの左右と背後には武装した6人もの兵隊がいる。

面会場所を囲むように3機のゾロさえ立っている。

 

「我々イエロージャケットは本気だ。

ベスパの大隊はジブラルタルを業火に沈める用意がある。

それを回避したくば直ぐにマスドライバーを開放し

シャトルで我々を宇宙に運んで欲しいものだな、マンデラ・スーン。

我々の試算では、ここの大型級シャトルなら我らが運んできた物資も人員も

数回のピストン輸送で運び出せる」

 

時間が惜しいのだよ、と

デプレは厭らしい笑みを浮かべて目の前の黒人男性を見下していた。

マンデラの額には青筋が浮かび上がりそうな程で、

スーツの裾近くで握られた左右の両拳は震えていた。

 

「よ、よくもそのような事を言えるものだ、イエロージャケットめ…!

公社の中立性を踏みにじれば、お前たちは世界を敵に回すのだぞ!?」

 

「ご助言感謝します、マンデラ殿。

では、さっさとシャトルに我が軍のMSを積むよう職員に指示を願おうかな」

 

デプレの厭味ったらしい笑顔が、マンデラの感情を常に悪い方向に刺激し、

マンデラは精一杯に虚勢を張って大声で張り上げた。

これらの押し問答はリガ・ミリティアが来てくれるまでの時間稼ぎとして必須で、

それだけにマンデラも必死に弁を奮う。

 

「断ると言えばどうなる!」

 

デプレは笑う。

 

「ベスパは頼んでいるわけではない。

これは命令だ…分かるだろうマンデラ・スーン。賢明になりたまえ。

ジブラルタルに展開したイエロージャケットは、もう公社の全施設の占領を終えたのだ。

占領したというからには貴君らはザンスカールの指揮下だ。

断るという事は命令違反となる。

命令違反という事は死ぬことになるなぁ」

 

「わ、我々を攻撃すればシャトルの操作もマスドライバー使用の注意点も…

全て君達が自分でゼロから学ばねばならんのだぞ。

年季の入ったマスドライバーの使用は細心の注意が必要だ。素人には使いこなせん」

 

「そうだな…それは困る。

君達が死ぬと我々が自分で色々とせねばならんから…面倒臭い。

だから素直に動いてくれないか、マンデラ…大切な部下達の命の為にも」

 

デプレが、背後のゾロを見ながら指を鳴らす。

するとゾロがビームライフルを公社の施設の一つに向ける。

ゾロのライフルの銃口に、縮退したミノフスキー粒子が収束して淡い光を漏らし始めていた。

マンデラは慌てた。

 

「や、やめろ!そんな事をすればもう後戻りはできんぞ!

私は君達ベスパの!ザンスカールの為も思って言っているのが分からんのか!」

 

「交渉において、〝あなた達を思って言う〟は常套文句だな…。

私達が悪役になってしまう心配は無用だよ、マンデラ・スーン。

…………もうなっているのだからな。

やれ!!」

 

「ッ!よせッ!!」

 

光が放たれた。

公社のビルの一つにその光が突き刺さり、そして猛烈な爆発がビルを消し飛ばす。

轟音が響き、炎が吹き荒れ、煙がどこまでも広がっていった。

マンデラも、秘書も、公社の全ての職員がその光景を唖然と眺めていた。

そのビルに詰めていた職員500名近く…、

一瞬で人命が500消し飛んで遺体さえも残らず死んでしまった。

絶対中立を謳った宇宙引越公社の職員が、である。

誰もが本気でやるとは思っていなかった。

それをやる事は、宇宙移民への冒涜であり

多大な犠牲の元に締結された南極条約を足蹴にすることだったからだ。

 

その光景を眺めるデプレの表情は狂喜的なものが滲み溢れて隠せていない。

後にはもう退けぬという絶望感と同時に、彼の心の中には

〝かつてジオンでさえ手を出さなかった聖域を汚してやった〟という

背徳の快感が確かに渦巻いていた。

絶大なる勢力を誇った往時の地球連邦と、それに対等に戦ったあのジオン公国ですら

手を出さなかった宇宙引越公社のマスドライバーを、今デプレは恫喝し蹂躙している。

デプレの開いた口から飛び出た声は興奮と快感に震え、瞳は歪んだ歓びで弧を描いていた。

 

「我々の本気を分かって貰えただろうか、マンデラ・スーン。

お前の頑固さが君の職員何百人かの命を消してしまったぞ?

だから我々は時間が惜しいと言ったのだ………。

理解したのなら今すぐにッ!シャトルをフル稼働させたらどうだね!

私達を宇宙まで送るのだ…マンデラ………くく、ふふ、ふ、ふふふふ」

 

デプレが漏らす怪しげな笑み。

マンデラはその醜い表情をとても見ていられなかった。

人の心の邪悪さが現れているようなその顔は正視に耐えないものだとマンデラは思う。

青い顔で視線を下げて、そして絞り出すような苦渋に満ちた声で「わかった」と返答した。

それだけしか、もうマンデラには出来なかった。

 

(甘く見ていた…ベスパの狂気を甘く見てしまっていた!

奴らは…マリア主義に染まった狂信者なのだ…!

私は…中立を失った愚かな局長として、歴史に名を残すのだろうな)

 

蒸発した職員達へ侘びながら、マンデラはザンスカールに頭を垂れる。

100年以上の独立を誇った宇宙引越公社の歴史に、

一瞬かもしれぬとしても確かにザンスカールに屈した事実が刻まれた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

その戦いは、宇宙世紀0153年、4月の後半に差し掛かった日…

時刻は昼が下って、太陽がオレンジに染まろうかという頃合いに始まった。

周囲を哨戒していたガッダール隊のバイク兵器ガリクソンが

無数の機影をキャッチしたとほぼ同時…、

レーダーに写った機影がすぐに濃いミノフスキー粒子によって消された。

濃くなりつつあるミノフスキー粒子の雲が迫ってくるとは、つまりはそういう事であった。

 

「すぐにファラ中佐に…いや、デプレ大尉に報告を!」

 

ドゥカー・イクから齎された敵機襲来。

推定数、およそ7の大型飛行物体。

ベスパはリガ・ミリティアが来ることを当然予想しており、

全機が直ちに迎撃に出られるようにはなっている。

 

「まだ5分の1も運び終わっていないというのに…リガ・ミリティアめ。

思ったより反応が早い…ワタリー大尉、出てくれ。

奴らを追い返すのだ」

 

既にゾロ改への搭乗を済ませたデプレから、

同階級であったワタリー・ギラへと命令が下るが、

ワタリーの乗るゴッゾーラはスピーカーで渋る。

 

「…リガ・ミリティアの戦力、侮るべきではありません。

ピピニーデン大尉もクロノクル中尉もやった相手です。

デプレ司令代理、トムリアット隊も出して頂きたい」

 

「ワタリー・ギラ戦闘大隊は今や30機を超えるゾロがいる。

しかも大尉は新型のゴッゾーラ…心配のし過ぎは臆病者になるぞワタリー。

ベスパの騎士道の求道者がそれではワタリー・ギラの名が泣くというものだ。

それにトムリアット隊のルペ・シノにはシャトルを守って貰わねばならんからなぁ」

 

デプレがゾロ改から打ち上げ準備に入っている大型シャトルを見守りながら、

ワタリーへと改めて出撃の命を飛ばす。

同格の大尉から大尉へと命令が来るというのは、

される側からすれば嫌な気持ちが混じるだろうものだが、

 

「…了解であります。

ワタリー・ギラ戦闘大隊、出撃だ!」

 

だがワタリーはそのような素振りも見せずにゾロ大隊を引き連れ飛び立つ。

次々と飛び立っていくゾロの編隊のその数は30機以上。

まだゾロは上半身(トップターミナル)下半身(ボトムターミナル)に分かれているので倍の数が空へ舞い上がっていた。

壮観であった。

それを見るデプレの垂れた目には誇らしさの光が浮かんでいる。

 

「まったくザンスカール帝国の威容であるな…!」

 

かつてこれ程の規模のゾロが空を覆うのをデプレは見たことがない。

彼の心を興奮が占めていき、

この大部隊のトップが己なのだと思うと得も言われぬ万能感が彼を襲うのだ。

 

「ふふふ…レジスタンス等、このデプレの大部隊にかかれば…!

来るなら来い…リガ・ミリティア!」

 

この威容を誇る地上軍が負けること等全く想像できないデプレであった。

 

 

 

――

 

 

 

 

ヤザンが全機へと通信を入れる。

 

「そろそろ敵に感づかれる…全機、気合を入れろ!

これよりミノフスキー粒子は戦闘濃度になる。

まともな通信はこれで暫くお預けだ。

何か言いたいことがあれば今のうちに言っておけよ」

 

ヤザンが慣れた手付きで各部をチェックしていく。

スラスターを軽く吹かし、シャッコーの複合複眼式マルチセンサーの調子の良さも上々だ。

 

「ゴメス!ハッチを開けろ!」

 

「おうよ!武運を祈ってるぜヒヨッコ!」

 

「ハッ、誰に言っている、ゴメス!手土産のリクエストはあるか!」

 

「そうだなぁ…。じゃあ宇宙引越公社の年間フリーパス頼まァ!」

 

「そいつは無理な相談だぜ、大尉。アンタと俺の財布じゃまるで足りんよ」

 

出撃前のこういう軽口をヤザンは好む。

そして、連邦という同じ旗を戴く者同士だからか、

それともゴメスという男の気質がヤザンと合うのか、

彼との軽口はかつて連邦時代の発進シークエンスを思い起こさせて

懐かしい感覚をヤザンに与えてくれていた。

 

「なら勝ってきな。そいつだけで我慢してやるよぉヤザン!

ハッチ開放ッ!いつでも出れるぜ!」

 

ヤザンは小さく「任せろ」と応え、そして部下達に檄を飛ばす。

 

「よぉし、出るぞ!

ウッソ、マーベット、両名は俺に続け!

シュラク隊はジュンコを頭、オリファーが殿ッ!」

 

「ハッ!」

 

「はい!」

 

「了解です、ヤザン隊長」

 

「腕がなりますな。モンペリエで事務仕事だけじゃなかったって見せてやりますよ」

 

上からマーベット、ウッソ、ジュンコ、そしてオリファーだ。

オリファーが普段よりも陽気な声色なのは、

ヤザンと一緒に出撃するのが久々なのもあるが搭乗機のせいでもある。

 

「おい、オリファー!ガンダムはまだ貴重品なんだ。

3番機を傷つけたら貴様の給料から差っ引いてやる!」

 

レジスタンスでゲリラ活動の貧乏組織とはいえ、

パイロットには中々の給金は出ているリガ・ミリティアであった。

出資者様様である。

 

「ええ?無茶言わんで下さいよ、隊長。あの規模のベスパを攻撃するってのに」

 

「なら気張っていけ。ヴィクトリーだからといって気を抜くな!」

 

ヤザンが言って、シャッコーが後部ハッチから大空へ飛び出す。

ミデアの腹からまろびでたオレンジイエローのMSに続いて、

左右のミデアからもガンイージ達が次々に飛び出て風を切る。

7隻のミデアと10機のMS達は雲海を下に見て、まだ眩い太陽光を受けてメタルを輝かせた。

 

「ヤザンさん、後ろに付きます」

 

ウッソのVタイプが右後方に、

 

「ウッソ、気をつけるのよ。前回とは規模が違うんだからね」

 

マーベットが言いながらV1番機をシャッコーの左後方に付けた。

 

「マーベットの言う通りだ、ウッソ。

今回の作戦は前の比じゃない。ビビるなよ!」

 

ミノフスキー粒子が濃くなっていくにつれ、通信がかすれていく。

ヤザンのかすれつつある声を聞いてウッソはしっかりと返事を返した。

 

「は、はい!」

 

「よし…いい返事だ。俺に続いて出ろ!」

 

ミデアの図体に隠れるようにしていた全MSが、

ヤザンの合図と共に母鳥から離れていく。

 

シャッコーを先頭にVタイプ2機が続き編隊を組んでヤザン隊と成し、

ヤザン隊の後方にガンイージ6機のシュラク隊がつく。

それらの最後方には3機目のVガンダムが陣取って全体を見守る。

10機の精鋭がスラスター光眩く速度を上げてミデアと護衛の航空機達を抜き去ると、

シャッコーが先頭を飛ぶミデアの艦橋へとサムズアップを作ってみせる。

艦橋の窓越しに、壮年の連邦軍人ゴメスが大きく笑っているのが見えた。

 

「フン、ゴメスめ笑ってやがる。

む………………見えたな…ゾロか。

ハハハッ、いいじゃないか!よくもまぁ数は揃えたな!

全機、ゾロを老いた母鳥に近づけてやるなよォ!

行きがけの駄賃にあいつらを食い散らかしてやりな!」

 

皆が威勢のよい返事をかすれつつも通信機越しに返し、

そして戦いの幕は切って落とされた。

 

シャッコーがフェダーインライフルを構えビーム光を瞬かせると、

続いて後衛組の3機のガンイージ達も担いでいたフェダーインライフルから砲火を放つ。

ゾロ達の射程距離外からの一方的な攻撃から戦闘は始まった。

 

「すごい数…あれだけのゾロは初めて見る」

 

マーベットも息を呑むゾロ軍団。

ゾロの数はざっと見ただけで30以上。

既にMS形態となって接近してきている。

こちらは10。

ミデアにはまだ味方MS(ジェムズガン)戦闘車両(空挺戦車)がいるが、

彼らはもう少し後に投下され展開する予定だ。

飛行高度もとれず速度もでない鈍足のジェムズガンは、

今展開してもらっては足並みが乱れる。

ゾロの30機程度は追い落とし、

引越公社ビルまで可能な限り接近してからがジェムズガン隊と車両隊の出番だった。

今はヤザン達だけで戦ってみせる必要があるし、

それにこれぐらいの露払いは10機でやってのけねば

リガ・ミリティア最強の実戦隊の名が泣くのだ。

 

何機ものゾロがビームの雨を避けるが、

何機かは火を拭いて落下し雲海に当たるとそのまま砕ける。

ヤザン隊とシュラク隊の一斉射撃を潜り抜けるゾロ達を見、

殿について戦場を見つつミデア隊を守るオリファーは小さく唸る。

 

「この高高度で良い動きをする奴らがちらほらいる…ベスパも本気だな」

 

唸りながらも冷静に分析していた。

そのファースト・コンタクトから数十秒もした頃、

ミデアだからこそ現在の高高度を維持できていたのだが、

敵味方含めてMS達は徐々に適正高度へと身を落とし始めていた。

ミノフスキーフライトやビームローターでの飛行では、

現在の高度では地球からの重力に抗しきれないし、

今の高度で重力に逆らい続けての空中戦ではブースターを使い過ぎる。

それは互いに推進剤の無駄な消費であるから

双方はミノフスキーフライトが高度を下げたがるのに身を任せた。

そして皆が雲に潜る。

モニターが白いモヤで包まれて、センサーが切り替わる一瞬視界を奪った。

だが、その一瞬に雲海の中に爆光が花開いて消えた。

 

全機が雲を抜けると、

シャッコーの銃口の先にいたゾロが空の藻屑となって四散する様を敵味方に見せつける。

 

「ヤザン隊長か!あの一瞬で1機堕とした…!」

 

ケイトは、ガンイージから想い人の戦いっぷりに称賛を送る。

その直後、センサーに熱源警報。

 

「っ!ゾロのミサイル!」

 

ケイトが燃えるような朱いポニーテールを揺らしながら

視線をシャッコーからゾロ達へとずらすと、

ゾロ隊がお返しとばかりにミサイルポッドの一斉射撃を放つ姿が遠目に見えた。

 

「う、うわっなんて数!?

避ければミデアがやられる…ならッ!」

 

ミサイルでモニターの前面が埋まる。

恐ろしい弾幕であった。

だが、ヤザンと3機のガンイージ、そしてオリファーのヴィクトリーが

示し合わせたようにフェダーインライフルの出力を最大にし、

そしてまた一斉に撃ち放った。

幾筋のメガ粒子砲が干渉し合って強力な電磁フィールドが起き、

メガ粒子のフィールドがミサイルを焼き払って消した。

同時に、ペギーが「隊長っ!?」と叫ぶ。

巨大な爆炎に突っ込むようにシャッコーが飛び出して、2機のVタイプがそれに続いていた。

爆発の温度が装甲の許容範囲に下がるのを、

ヤザンは野性的な感性で感じ取っているらしい。

炎を切り裂いて現れたシャッコーが

あっという間にゾロ達への距離を詰めて格闘戦に持ち込んだ。

その様子を見てヘレンがリップを付けた唇を軽く噛んだ。

 

「あ~!何よヤザン隊長!闇雲に格闘戦仕掛ける奴は二流だなんて言っておいて!」

 

ヘレン・ジャクソンとて生来の気質は殴り合い型だ。

隊名のシュライク…百舌鳥の気質に似合う中々の獰猛な女であったが、

その気質故にすぐに格闘戦に持ち込むのを訓練生時代にヤザンに散々に矯正されていた。

 

だが、そのヤザンは今ゾロの群れに飛び込んで隊列を千千に乱して乱戦へと持ち込んだ。

シャッコーの動きは実に活き活きとしていてパイロットが心底戦闘を楽しんでいるのが、

ヘレンだけでなくシュラク隊の他の面々から見てもすぐ分かる。

 

シャッコーがゾロを蹴り、

空で跳ねて左腕を奮うとビームローターが上方のゾロの1機を縦に裂いた。

裂きながら右肩の2連ショルダービームを撃ち、また別のゾロの右腕を撃ち抜いていた。

ヤザンは常に複数の攻撃モーションを繰り出していて、

しかも攻撃と回避を同時にするのだ。

シュラク隊の女達が翻弄されたその動きに、やはりベスパのゾロ達も良いようにされていた。

だがゾロ達もやられてばかりではない。

ビームライフルを乱射しながらサーベルを抜き、袈裟斬りを仕掛けてくる。

斜め後ろ、やや下から来るそいつを、ヤザンは視界に入れておきながら敢えて対処しない。

視界の端の反対から全速力で迫る白いMSを見たからだった。

ウッソがシャッコーの背を庇うようにビームサーベルでゾロの刃を受け止めた。

 

「ヤザンさん、後ろに来ますよ!?」

 

「貴様が仕留めろ!」

 

シャッコーとVガンダムの背が触れ合って、

高濃度のミノフスキー粒子散布内であっても両者の会話を可能にする。

ウッソは、初めて経験する大規模な戦闘の中で緊張を実感していた。

スペシャルの子とはいえ…、いや、スペシャルな子だからこそ

死にゆく命の砕ける音に恐怖して過呼吸になりそうな程の緊張を覚えていた。

だが、ヤザンの強い声を聞くとそれが和らいでいく。

極限状態である戦場でも、この強い男に守られているという実感。

それを今、少年は体感していた。

そして、そういう男が自分に敵を任せてくれた。

 

「はいっ!」

 

ウッソは応え、そしてヴィクトリーの脚を蹴り上げてゾロの股間を強打した。

マシーンとはいえ、男が見れば顔を顰める一撃。

ゾロが大きく体勢を崩して、

次の瞬間にはウッソのヴィクトリーがすれ違い様に

ゾロのバックパックをサーベルで切り裂いていた。

その動きを見た味方達は心の中で称賛を贈り、

対してゾロ達は恐怖する。

 

「ほら、どうしたぁ!動きがとろいよ!」

 

そうして恐怖で鈍った機をペギーがフェダーインライフルで狙い撃って、

それに競うようにしたマーベットが別のゾロをビームライフルで貫く。

 

「シュラク隊ばかりにやらせな――っ!きゃ!?」

 

貫いた矢先、そいつは真上から降ってきた。

見慣れぬゾロとは違うMSが真上からマーベット機の右肩を踏み潰す。

自機を踏んでいるブルーグリーンのMSが

バイザーだかヘルメットだかのような鏡面的なセンサーアイを光らせて、

右手に構えたビームサーベルでマーベットを狙っていた。

ヒヤリとした殺気が機体越しに伝わってくる。

 

「貴様らレジスタンスが反逆の象徴たるガンダムもどきなどを使うッ!!

地球連邦という体制に反逆しているのは我々だぞっ!?

真のガンダムなら、我々と手を組むはずだ!!

ガンダム伝説を穢し惑わすリガ・ミリティアは!

このワタリー・ギラが正す!」

 

ブルーグリーンのMS…ゴッゾーラがビームサーベルを逆手に持ち、

そしてそれを勢い任せに鋭く振り下ろした。

 

(や、やられる!?)

 

マーベットがそう思った時、

だがゴッゾーラはサーベルを振り下ろし切る前にマーベット機を踏み台にして跳ねる。

今さっきまでゴッゾーラがいた場所をビビットピンクのビーム光が強烈に貫いていた。

 

「クソッ!もう1機の白いMS!!こうも乱戦では仕留めきれん…!」

 

ワタリー・ギラが、右腕しか切り取れなかった白いMSを忌々しそうに見る。

ウッソのヴィクトリーが、片腕を喪失したマーベット機へと駆け寄るように飛んできて、

そして上のワタリー・ギラへと頭部バルカンを掃射するが、

威嚇程度でしかないそれはゴッゾーラのビームローターが全てを弾いた。

 

「マーベットさん!」

 

「ウッソ…助かったわ!」

 

右肩の付け根から火花を吹くマーベット機。

ウッソは戸惑った。

 

「ゴメスさんは見れていないの!?

早くハンガーを出してよ!」

 

ヴィクトリーは手足をやられたとしても、

上半身のトップ・リム(ハンガー)と下半身のボトム・リム(ブーツ)

そしてコア・ファイターが合体している特性上いくらでも替えがきく。

ゴメスの乗るミデアには替えのハンガーとブーツが積んであるのだから…とウッソは思うが、

 

「無茶を言わないの!

乱戦で、しかもミデア戦隊は雲の上よ?

私達は雲の下…見えるはずないでしょう!」

 

「じゃ、じゃあ早くハンガーを捨てて下さい!

火を噴いてますよ、マーベットさん!」

 

「この程度ならまだ大丈夫。落ち着きなさい!ウッソは私と一緒にあいつを――来たっ!」

 

「うわぁ!?」

 

ゴッゾーラが胴部の2門のビーム砲を連射しながら突っ込んでくる。

ブルーグリーンのMSの胴の向きを見、射線を読んで避ける2機の白いMS。

その見事な機動にワタリーは小さく舌打ちした。

 

「ガンダムッ!避けるなァァ!!」

 

コクピット内で独り怒声を張り上げながらゴッゾーラの大腿部装甲を展開、

内蔵マルチミサイルポッドから無数のミサイルが吐き出される。

そして自らもミサイルの群れにくっつくようにしてVガンダムへ猛烈と迫りつつあった。

 

「な…なんなんだこのシャッター頭っ!

自分が爆発に巻き込まれるのが怖くないの!?」

 

機械越しの気迫に、ウッソは気圧される。

 

「ガンダム…!呪われた名前は地獄に堕ちろ!!」

 

「くぅぅ!横からも!?」

 

ミサイルが次々に着弾しビームシールドのエネルギー場が揺れた。

同じタイミングで横一文字に迫るサーベルをウッソは咄嗟に光刃で鍔迫って止めるも、

しかし、更に同時にゴッゾーラのシャッター頭部バルカンが火を拭いて

ヴィクトリーの頭…メインカメラを撃ち抜こうとした。

だが少年は常人離れした()で機体をなんとか左方向にズラして直撃を避けた。

…のだが、

 

「ぐ、うぅ!?」

 

それでもヴィクトリーの右肩は撃ち抜かれていた。

装甲が砕かれ肩部モーターが爆裂して右肩が消し飛び、

爆破と射撃の衝撃がウッソを激しく揺らして少年は苦悶の呻きを上げた。

 

「とどめェ!!」

 

ワタリーが眉を吊り上げて叫び、同時にゴッゾーラの胴部ビームが展開する。

ビーム光が瞬いたかと思ったその時に、

 

「――ッ!ぬゥ!?」

 

今度はゴッゾーラの方がヴィクトリーのバルカンに露出した砲身を撃たれていた。

慌ててヴィクトリーから離れて被害を最小に抑えはしたが、

ゴッゾーラの左腋下のビーム砲は燃え上がって火花を吐き散らしていた。

 

「背を向けて…!逃げるか貴様ァ!?」

 

背を向けて逃げようとする白いMS。

その隙だらけで無様な逃げっぷりに、ゴッゾーラはビームライフルを構えながら怒りに燃える。

だが、またもヴィクトリーはワタリーの予想を超える動きを見せるのであった。

ヴィクトリーは破損した上半身ユニット(ハンガー)を切り離し、

パージしたままの勢いでハンガーそのものをゴッゾーラへとぶち当てた。

 

「なにぃ!?体を切り捨てただと!?」

 

その隙にウッソは残った下半身ユニットとコア・ファイターでボトム・ファイター形態となり、

さっさとゴッゾーラの射線軸から逃れたのだった。

しかしゴッゾーラは尚も追いすがろうとし、

 

「待てぇい、ガンダムッ!!うおっ!?ま、またコイツは…!!」

 

ハンガーを振りほどいたゴッゾーラが衝撃と共に吹き飛ぶ。

もう1機の、右肩無しのヴィクトリーのタックルが

ゴッゾーラの横合いを思い切りよく打ち付けていた。

吹き飛びながらワタリーは叫ぶ。

 

「ガンダムもどきがぁぁ!!」

 

「ウッソはやらせない!」

 

マーベットがビームライフルの引き金を引くが、

それはビームローターに遮られて機体には届かない。

マーベットは再度狙いを定めた。

 

「…っ、そこ!」

 

「片腕で私に勝てると思うか!」

 

もう一発放ったそれは、しかしまたもゴッゾーラに避けられて、

逆にライフルと胴部ビーム片割れの連射がマーベットのヴィクトリーを襲っていた。

マーベットも今度は躱す。

不意を突かれなければ、ヤザンに厳しく鍛えられた彼女ならば対処ができるのだ。

 

(…でも、不意を突かれた時点でペナルティものだわ!)

 

ウッソも自分も、このブルーグリーンの新型MSにダメージを食らってしまった。

まずマーベットが右肩に貰ったから、

その動揺を突かれてウッソも被弾したのだとマーベットには思えた。

 

「あちらは逃げた…だが、そちらのガンダムはここで仕留める!」

 

ウッソ曰く〝シャッター頭〟が、特徴的なバイザーアイを光らせて再度迫る…

と見えた時、ゴッゾーラに対抗するかのような三連射がワタリーを襲う。

 

「―っ!今度は何だ…!――うぅ!?シャッコーか!」

 

オレンジイエローのMSが白いMS達とゴッゾーラを引き離すように割って入ってくる。

フェダーインライフルを右手に、ビームライフルを左に、

右肩からビームガンを露出しマシンガンのように交互に連射するシャッコーの弾幕が、

ゴッゾーラに攻撃の隙を与えずに回避一辺倒にさせる。

 

「く、くそ!」

 

ワタリーは青い顔で全力の回避運動を取り続ける。

一瞬でも回避以外に意識を奪われれば死ぬ…と、

ベスパの歴戦の騎士が確信する程の射撃であった。

 

猛射撃を仕掛けつつ、

シャッコーはマーベットのVタイプにフェダーインライフルの爪を引っ掛けた。

 

「マーベット、ウッソと一緒に雲の上でハンガー交換だ!

こいつは俺が貰う!」

 

「あっ、隊長!」

 

言うだけ言うとヤザンのシャッコーは敵目掛けて飛び去ってしまい、

有無を言わさずに会話は一方的に終わってしまった。

ガンダムに尋常ならざる気迫を見せていたブルーグリーンのMSは、

今はシャッコーと一緒に空のそこら中でスラスターの軌道を描いていた。

 

 

 

――

 

 

 

 

ジブラルタルの初戦はリガ・ミリティア優勢に推移していた。

ベスパのエース機、ゴッゾーラはシャッコーに追い立てられて、

まだ撃墜されていないまでも冷静な指揮やゾロへの援護が出来なくなり、

それがゾロ大隊が崩れる切っ掛けとなった。

手堅い陣形で相互をカバーしつつ損失を出さないで戦っていたシュラク隊の活躍もあったし、

ミデアにハンガーを射出してもらった2機のVタイプも戦場に舞い戻ると戦局は決まった。

 

「この数のゾロでもこちらがこうも押されるとは!

ゾロの時代は終わったという事か…。

だがデプレが最初からトムリアット隊をつけてくれれば…勝機もあったものを!

くそ、少しは同胞は宇宙(そら)に戻ってくれただろうが…ッ」

 

もはやリガ・ミリティアを殲滅・撃退する所ではないと見たワタリーは、

信号弾を撃ち全機へと後退を指示。

ゾロ大隊は多数を損失して公社ビル方面へと退いていくが…。

 

しかし素直に逃がしてくれるヤザンではない。

今回の作戦はベスパに占領された引越公社ジブラルタル局の解放なのだ。

このまま深追いしてしまった方が良いという判断で、

退くとなれば迅速に退くが、追うとなれば徹底的に追いすがり牙をたてる。

それがヤザン・ゲーブルであった。

シャッコーが、目を見開いて赤い光を明滅させてモールス信号の要領で全機へ合図を送る。

ヤザン隊、シュラク隊の全機はゾロ達と交戦しつつ、

戦場をマスドライバーの麓まで移動させていく。

 

追われるゴッゾーラとゾロ達は反撃しつつ転進する。

しかしMSの質が、リガ・ミリティアの新型達と比べると

ゾロでは劣るというのは既に露呈した事実。

攻勢衰えていない時は良かったが、

一旦勢いが失われるとゾロは老人の歯の如くポロポロと脱落していく。

ここに来てワタリーの焦燥も色濃くなってゆく。

 

「シャッコーの基本性能がこれ程凄まじいとは…!?

部下達を援護する余裕も与えてくれぬか!」

 

ゴッゾーラは、尚もシャッコーに食いつかれてもいるのだ。

シャッコーが目を赤く輝かせながら、バイザー頭の胴体目掛けて長大な銃剣を薙いて、

それをゴッゾーラは間一髪で避けながらまだ活きている胴部ビーム砲を見舞う。

しかし、

 

「また防がれた…!私の動きが読まれているのか!」

 

胴部ビームはシャッコーのビームローターで防がれてしまう。

ゴッゾーラとシャッコーはこのように一見して対等にやりあっていたが、

しかしシャッコーはゴッゾーラを防戦に追い込み…

しかも片手間に一対一(サシ)に割って入ってきたゾロの何機かを討ち取っていた。

ワタリーは、シャッコーからのプレッシャーに唾を飲むのも忘れて戦い続け、

必死にシャッコーをマスドライバーに近づけまいとしていた。

 

 

 

アーティ・ジブラルタルの中心部…

宇宙引越公社ビルが遠くに聳え立つのがヤザン隊の者達の目に映る。

太陽は海洋向こうの水平線に段々とその身を沈めだす時刻で、

鮮やかな夕陽がビル郡とマスドライバーを支えるヘラクレスの柱を照らし、

シャッコーのオレンジを鮮烈な朱へと染めていく。

 

押し込みつつあるリガ・ミリティア。

マスドライバーまでの接近を許しつつあるベスパ。

見れば、宇宙移民の財産を宇宙へ打ち上げ続けてきたマスドライバー・レールからは、

大型シャトルが加速して朱い空に吸い込まれていく。

それはラゲーン基地の主だった人材、資材等が満載してあるシャトル達だ。

最終防衛ラインを構築していたトムリアット隊、

そして引越公社の広大な発着場広場に待機していたデプレ直属隊とリカール。

皆の目にも押し込まれているゾロ大隊の姿が太陽光に揺らいで見え始めていた。

ルペ・シノが、新型のメッメドーザのコクピット内で地団駄を踏む。

 

「ここまで押し込まれた…!

デプレめ、言わんこっちゃないんだッ!!

私とトムリアット隊を出し惜しむからこうなる!!」

 

情熱的なラテン系の美貌を怒りに歪めて配下に叫ぶ。

 

「お前達!全員出るぞ!」

 

「しかし隊長、デプレ司令代理はマスドライバーを死守せよと!」

 

「聞いていられるか!中佐の腰巾着に言われたかないんだよ!

ワタリー・ギラ戦闘大隊を援護する!続け!!」

 

メッメドーザの稲妻のような猫目が妖しく輝く。

この紫色の新型MSはマッシヴな体格が見るからにパワーファイターを連想させるが、

両肩にビームローターを装備した事で両腕が自由になりつつ

大気圏での空戦軌道も非常に優れている意欲的なマシーンであった。

ゴッゾーラが既存技術を綺麗に纏め上げた新型MSならば、

メッメドーザは新たな可能性に挑戦した新型と言える。

 

両肩部のビームローターが展開し、甲高いローター音を響かせるメッメドーザ。

その派手な鶏冠で彩られた頭部の頬から多量の熱を排気する様は、

まるで殺気立つ闘士が気炎を噴き上げるようだった。

 

メッメドーザが速度を上げ、トムリアットの中隊がそれに続いて飛ぶ。

夕焼けの中、MSが次から次に火を拭いて爆散する様はいっそ美しい光景ですらある。

だが、その美しい光の中の一つ一つが命の終わりの光だと思えば、

その綺麗さは命の儚さそのものにも見えた。

 

「ワタリー・ギラ!生きているか!」

 

「メッメドーザ!?ルペ・シノが来てくれたのか!」

 

自在に地を走り、跳ねて空を鋭く飛びながら撃ち合うゴッゾーラとシャッコー。

その2機を中心にゾロとガンイージ、そしてヴィクトリー達は

今も目まぐるしい戦闘軌道を描きあう。

その戦闘域へと激しいビームの雨をばら撒きながらやって来た紫色のMSの群れが、

士気盛んにリガ・ミリティアのMS隊へと襲いかかった。

 

「以前の借りは返すぞ、ワタリー!」

 

ルペ・シノの声は既にミノフスキーノイズに掻き消されて伝わりはしないが、

それでも援軍を得たワタリー・ギラ戦闘大隊の動きには再び精気が宿っている。

ルペ・シノは上空、高めの高度から戦場を見渡しオレンジイエローのMSを探し、

メッメドーザの見開いた赤目はすぐに派手なカラーリングと戦い方をしているMSを見つけた。

 

「シャッコー……………いたなッ!」

 

意中の人を見つけ、ルペ・シノは美人と言われる部類の顔を猛禽類のように歪める。

ゾロやトムリアットのような、

片腕ビームローター機とは比べ物にならない空中の運動性を見せつけながら

メッメドーザが交戦する敵味方をジグザグに縫って抜ける。

 

「ゴッゾーラが抑えているのか!?…いや、違う。

シャッコーがワタリーの喉元に食いついている…!」

 

旗色は、ゴッゾーラが大分悪い。

ルペ・シノにはそう見えて急ぎ援護に…と思った所で邪魔が入る。

双方の実力が拮抗する戦場では何事も思い通りにはいかないのだ。

ゴッゾーラとシャッコーの決闘の場への道筋を塞ぐようにガンイージが立ちはだかっていた。

 

「こいつ!私の邪魔を出来ると思っている性根が気に食わないんだよ!」

 

精鋭ピピニーデン・サーカスの小隊長を務め、

今や精強な新型を受領したルペ・シノには自信が満ちているのだ。

リガ・ミリティアの新型とはいえ遅れをとるとは思えないルペ・シノは、

手始めにこいつからだ…と眼前のガンイージを襲撃する。

 

「どけェ、角無し!」

 

「紫色の奴ッ!隊長には悪いけど、頂きだねッ!」

 

メッメドーザの前に立ち塞がったガンイージのパイロットは

赤髪のポニーテールがトレードマークのケイト・ブッシュであった。

ヤザンばかりに大物を食われては直接の教え子であるシュラク隊の名が泣くとか、

決闘の邪魔をさせたくないとか、そういう理由はある。

だが一番大きな理由は、ガンイージはエース揃いだという証明の手柄を立て…

そしてヤザンに認めて貰うことであった。

ビームローターの基部を狙ってライフルを立て続けに放つケイト。

だが挨拶代わりのそれはルペ・シノに回避され或いは防がれるも、

しかしメッメドーザを襲うガンイージはケイト機だけでは無かった。

 

「ケイト、1人で無茶をするんじゃないよ!一緒にやるんだ!」

 

「ヘレン!」

 

ヘレン機がメッメドーザの背後からビームを食らわし、

 

「っ!もう1機か!」

 

急制動と高速を繰り返してルペ・シノは全弾を辛うじて避けた。

だが2機のガンイージは非常に見事な連携でメッメドーザに一歩も引かない。

それどころか、ルペ・シノは徐々に不利になりつつあった。

 

「これは…どういうことだ!私が、シャッコーにすら辿り着けず!

こんな角無しのガンダムのなり損ないに手こずっている!?

…ゴッゾーラはどうなった!」

 

シャッコーと正面からやり合っているワタリーが気になったルペ・シノが、

2機のガンイージの連携に苦しみながらもそちらの様子をチラリと見れば…

 

「ぐぅぅ…!ラ、ライフルが!

ゴッゾーラは、シャッコーよりも性能は上だった筈…これは獣と私の腕の差というのか!!」

 

ワタリーは構えていたライフルを両断され、

既に左腕も失っていてゴッゾーラは戦闘能力を著しく低下させていた。

ルペ・シノはもはや戦線の限界を感じる。

 

そんな時であった。

 

空から無数のビームが雨霰と降ってきて、

多数のトムリアットの装甲を焼き…そしてゾロが撃ち抜かれていく。

ゾロは既に大半が失われていた。

ルペ・シノもワタリーも驚愕し、叫んでいた。

 

「なんだ!?雲から!!」

 

「リガ・ミリティアの増援!?」

 

遥か上空のミデアから、ジェムズガン隊が飛び降りて、

地上のベスパ目掛けてビームライフルを撃ち続けながら落下してきていたのだった。

空を見たルペ・シノはゾッとした。

 

「なんて数だ…!」

 

ゴマ粒程の黒点が、夕焼け空に無数に浮かんでいる。

その数は30か40か…それ以上いるようにベスパの前線組には見えた。

ビームを放つジェムズガンは実は10機前後で、

残りの機影は実はダミーバルーンであるだなんて、

今のルペ・シノ達には見抜くだけの余裕はない。

 

「退くぞ!このままでは空のMSにシャトルがやられる!」

 

ワタリーのゴッゾーラが、大腿部のマルチポッドから信号弾を数発打ち出す。

その色パターンを見たルペ・シノは唇を噛んでいた。

 

「退くのか、ワタリー!?クソォ!!

シャトルをやらせるわけにはいかないという事か!」

 

ベスパ達が、シャッコー達へと各々にビーム等を放ちつつマスドライバー方面へと退きだす。

明らかに及び腰となった敵MS達を見て

ヤザン・ゲーブルは小細工の成功を半ば確信しコクピットでほくそ笑んでいる。

 

「そうだ…ダミーと気づく前にさっさと逃げろ…!

その間にマスドライバーのシャトルを仕留めりゃ…!

貴様ら(猫目共)もこっちと同じパイロット不足になりなァ!」

 

宇宙引越公社のシャトルを撃墜するなど普通は国際協定違反ものであるが、

そのシャトルがベスパに占拠されイエロージャケットを満載しているとなれば話は変わるし、

そもそも中立宣言をした地域での軍事活動は既に南極条約違反である。

そしてそれを先に破ったのはザンスカールだ。

しかも現在マスドライバーのレール上に迫り上がってきたあの大型シャトル達は、

イエロージャケット達はもちろんのこと、

武器弾薬、資源、MSのパーツ類まで積んであるのは明白。

そんなシャトルを撃ち落とすのに、ヤザンは欠片も良心が傷まないのだ。

ヤザンは笑いながら、

後退し始めたベスパのMSを1機、また1機と確実に削りながら

マスドライバー上のシャトルへ接近していく。

しかし援軍はリガ・ミリティアだけではなかった。

 

「ヤザンさん、後方に煙です!」

 

「なに?そちらにはリガ・ミリティアの戦闘車両隊が陣取っていた筈だが」

 

ウッソのVタイプがヤザンのすぐ隣に降り立って、

指からワイヤーを射出してシャッコーへ取り付けて言うとヤザンは片目を細める。

ジブラルタルの北、サンタマルガリータには

自分達より数テンポ遅れで降下した戦闘車両が後方を守ってくれている筈だ。

そちらから煙が上がるということは彼らに何かあったということだ。

ヤザンが、視線を北へと向けてジッと見る。

 

「……あれは黒煙か…それも一つじゃない」

 

間違いなくその煙は戦場で見慣れた色だ。鉄が燃える色。

それが無数に上がりだしていて、一瞬炸裂する光までが見えた。

 

「後方にもベスパの戦力がいた!オリファー!!」

 

シャッコーが脛のハードポイントに装着されていたポッドから信号弾を打ち出し、

殿を務め続けていた3機目のヴィクトリーを召集すれば

オリファー機は直様現れてウッソとは反対側へと着地した。

シャッコーの腕がその肩へ置かれ、

 

「オリファー、後ろの煙を見たか!」

 

「はい、何やら一悶着あったようです。自分が行きます」

 

「任せる!ウッソとマーベットを連れて行け!」

 

オリファーが「ハッ!」と威勢よく返し、ふざけ半分にヴィクトリーで軽い敬礼をしてみせると

同タイプのMSを2機引き連れ颯爽と飛び去っていく。

 

「これで後ろは片がつく…。

シュラク隊、一気にシャトルを叩くぞ!上のジェムズガン達の援護に当たるなよ!」

 

シャッコーの目の発光信号が〝全機突撃〟と言っていた。

シュラク隊の面々が獰猛に笑う。

 

「ようやくお許しがでたね!」

 

ヘレンが、オレンジの髪を掻き上げて言う。

 

「焦らされた分、たっぷりやらせてもらうよ」

 

ジュンコが、先導するシャッコーの背を見て蠱惑的に笑って言う。

 

「へへっ、私がヤザン隊長の後ろ頂きぃ!」

 

ケイトが嬉々としながら同僚を出し抜いてシャッコーのすぐ背後に陣取り、

 

「…は~、ケイトって…分かり易い子犬っていうかさ」

 

「ほんと、分かり易いよね」

 

「でもケイトの気持ちも分かるかもって、最近思えて来ちゃった~」

 

その様を見ていたフェダーインライフル装備の後方支援組3人、

ペギーとコニー、マヘリアはわざわざ触れ合い通信で姦しい冗談を言い合っている。

それ程の心的余裕がシュラク隊にはあった。

ヤザンに率いられると、彼女達の心の中の獰猛な部分がどんどん熱くなってくるのだ。

凶暴な獣に率いられると、羊達も狼へと変貌する。

今、まさにシュラク隊は狼の群れである。

 

ジブラルタル決戦の趨勢は既に決まったらしかった。

 



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死にゆく獣達は守るべき女達に

ジブラルタルの戦いの流れが決まりはしたが、

ザンスカールの目的は取り敢えず達成されそうではあった。

既に目標の半分は宇宙の静止衛星軌道上に待つタシロ艦隊の元へ届けられて、

残す大型シャトル便は3機。

これが打ち上げられればラゲーンの戦力は宇宙への撤退をあらかた終える事になる。

 

リカールの大型コンテナから全ての物資を運び出し終え、

ファラ・グリフォンもMAから降りてシャトルへと乗り込んでいく。

 

(メッチェ…)

 

ファラとメッチェだけしかいなくなったコクピット内で愛と言葉を交わし、そして別れた。

ファラは必死に、メッチェに宇宙へ着いてくるよう言ったが、

 

「いえ、私にはファラ様が宇宙へお帰りになるまでの護衛の任務があります。

マスドライバーに近づくレジスタンスを撃退してから、私も宇宙へ上がります」

 

そう言って彼はリカールに残り飛翔した。

物資が満載の大型コンテナから解放されたリカールは、

これでようやく身軽になって戦線へ復帰できる。

ワタリー・ギラやルペ・シノが苦戦しているのがここからも見える。

空からジェムズガンの群れが降ってくるのも見える。

北からやって来てくれたガッダール隊が唯一の希望だったが、

その進撃もサンタマルガリータで止められてしまっているのがリカールからは見えた。

艶やかな桃色の髪の女性がシャトルに乗り込んだのを確認したメッチェは、

ようやくリカールをマスドライバー上空から移動させて

迫りくるリガ・ミリティアへと機首を向けた。

 

搭乗口に消えていくファラ・グリフォンが最後までリカールを見ているのが分かる。

正直言えば後ろ髪を引かれる思いのメッチェ・ルーベンスであるが、

現状は、自分がここにいるかいないかで

シャトルの安全が左右される瀬戸際なのは明白でしかもリカールは強力な戦力だった。

となればやる事は一つだろう。

 

(…ファラ様、どうかご無事で。自暴自棄にならず、お命を大切にして下さい)

 

メッチェのファラへの愛と忠誠は、移ろいやすく儚い人の心の中では異色の強さがあった。

人には必ずこの世に運命の人がいると考える者は昔からいて、

浮気だとか破局だとかはそういう運命の人に会えなかったが故だというなら

メッチェとファラは運命の人同士なのだろう。

2人は互いに全てをさらけ出し受け入れて、一緒にいるだけで幸福だった。

戦乱の世でなければ…

ファラがギロチンの家系でなければ…

2人が軍人でなければもっと平凡な幸せを謳歌できただろうが、

2人がいかに愛し合おうが戦時の軍人であるが故に別れの時はくる。

シャトルを墜とさせない為には、メッチェとリカールが今ここに必要だった。

 

 

 

――

 

 

 

 

「2枚プロペラ!逃さないよ!」

 

ケイトは声を張り上げながらガンイージのバーニアを全開にして2枚プロペラ(メッメドーザ)を追う。

追う内に、自然とヤザンとは別行動になってしまったのを残念に思うケイトだが、

それは置いておいて猛る猟犬の如く敵新型を追っていた。

機数で断然有利なシュラク隊はケイトとヘレンと前衛を組み、

且つ支援としてフェダーインライフル装備のマヘリアでの小隊行動(スリーマンセル)で挑めば

エースが乗っているであろう新型をも追い込んでいた。

ヤザンの厳しい訓練をクリアし、

ここまで1人も欠けずに戦ってきたシュラク隊の腕前は伊達ではない。

だが、退いて逃げ、そして隙を見つけては

肩部メガ粒子砲の反撃をしてくるルペ・シノとメッメドーザも軽んじては怪我をする難敵だ。

 

「チッ…ちょろちょろしちゃってさ!」

 

メッメドーザの空中での運動性はずば抜けていて、

簡易ミノフスキー・フライトしか積んでいないガンイージでは空中戦で後手に回る。

宙空での自在の軌道を見せつけられてケイトも悪態をついた。

取り敢えずは援護機の強力なライフルを封じ込めたいらしいルペ・シノは、

そういう思惑で、メッメドーザを退いたと見せてすぐに取って返して1機へ突進させる。

ケイトが放った咄嗟のビームを薄皮一枚で躱しつつサーベルを抜き払った。

 

「私からやろうっての!?舐めるんじゃない!」

 

迫るサーベルをガンイージがしっかりとシールドで受け取め、

素早くライフルを腰へマウントすると仕返しとばかりにビームサーベルで斬り返す。

 

3機のガンイージの中で自分に狙いを定めたらしい新型の魂胆が、

まるで自分がシュラク隊で一番弱いと言われているようでケイトの癇に障る。

もともと熱しやすい気質の者が多いシュラク隊の中でもケイトとヘレンはその双璧だろうが、

戦う者…MSパイロットというのは得てしてそういう者が多い。

総隊長のヤザン・ゲーブルの激しさは言わずもがなだが、

しかし、激高しても尚脳裏の片隅に冷静さを住まわせておくのが真のエース・パイロットだ。

そういう意味で、ヤザンと違いまだシュラク隊にはエース部隊として青い所があった。

 

メッメドーザが肩のビームローターでサーベルを受け止め、

同時に肩からメガ粒子の火を吹くとそれを予測していたケイトはガンイージを急降下させる。

距離が離れれば仲間からの援護射撃を受けられる。

 

「よし…ケイトが離れた。これなら…、っ!?

あいつ…マスドライバーを盾にする気!?レールも関係ないってのかい!」

 

マヘリアのガンイージの、フェダーインライフルのトリガーにかけた指が止まる。

人類の資産であるマスドライバーを背に陣取ったメッメドーザの動きは狡猾だった。

万一にも外してマスドライバー・レールに当てれば目も当てられないし、

土台の岩山に当てても大崩落の危険性が高い…そう思うとどうしても引き金が引けない。

メッメドーザは悠々と背を晒して空を飛んで後退していき、

それを3人はろくな射撃も出来ずに追うことしか出来ない。

 

マスドライバーとその土台でもあるヘラクレスの柱の岩山がもう間近まで迫り、

その荒々しい岩肌を横目にMS達は激しいチェイスを演じる。

音速の壁こそ突破はしていないが、

航空機には出来ない柔軟な軌道を高速度で描く新世代MSの空戦は実に華々しい。

常人の反射神経では演ずる事叶わぬその機動戦は、

パイロットを有機的に補佐するマン・マシーン・インターフェイスという

新機軸の当代コンピューターの補助あればこそだが、

当たり前の話だが完全無欠ではない。

ミノフスキーノイズにより有視界戦闘を強いられるのはコンピューターも一緒で、

センサー外からの不意打ちには人間同様に弱い。

であるから岩陰から飛び出してきたゾロの攻撃であわや命を落としかけてしまうのだ。

2機のゾロがガンイージへとサーベルを振りかざし突進してきていた。

 

「ゾロが!?まだいたのか!うっ!?」

 

「ゾロの隠れ場に誘われたっての!?」

 

ヘレン機とマヘリア機が、

ゾロのサーベルをそれぞれ光刃やシールドで咄嗟に受けて難を逃れ

その場で巨人同士の取っ組み合いを始める。

だがケイトはメッメドーザの追走を止めはしなかった。

 

「あの程度ならヘレン達は切り抜けられる…。私はあの新型を!」

 

空を自在に飛ぶ新型の脅威もさることながら、

ケイトはあの紫の2枚プロペラに他の面々よりも拘っているらしい。

自分を狙ってきたというのも腹立たしいし、新型を仕留めれば金星でもある。

それに今ここで僚機の援護に気を取られては敵新型が踵を返して襲ってくるだろう。

 

案の定、2枚プロペラがこちらを急ターンで振り返り、

振り返り様肩のビームローターを基部ごと切り離しフリスビーのように投擲してきた。

どうやら基部のビーム発振機は薄い物が2枚重なっているようで、

両肩合わせて計4枚のビーム発振機があるらしい。

ビームローターが投擲されたにも関わらずメッメドーザの肩にはビームローターが健在だ。

ケイトは一発をライフルで撃ち落とす。

続けて2枚目の発振機が高速回転でケイトへと迫る。

 

「もう一枚!?」

 

ガンイージがビームを放つが、それは発振機には命中せずにビームローターに弾かれた。

 

「あっ!?」

 

「軌道がずれた!」

 

ケイトと、そしてメッメドーザのルペ・シノが同時に叫んでいた。

ビームローターが弧を描いて逸れていき、

両者が止める間もなくマスドライバーの柱を引き裂き、そして爆発してしまう。

 

「あぁ!!マスドライバーのレールが!!」

 

軋み、揺れたマスドライバー台を見てケイトは咄嗟にガンイージを滑らせていた。

ぽっかりと穴が空いたマスドライバーの柱に、

ケイトはガンイージの体をねじ込ませてMSの手足を支柱として微妙な角度調整をすれば、

マスドライバー台は正常な傾きへと正されていく。

精密な力調整をMSにやらせたのはさすがにシュラク隊の腕前ではあった。

並のパイロットであればコンピューターの助けを得ても、

こんな動きは咄嗟の判断では出来ないだろう。

 

「これは…壊しちゃならない!

これは、人類全部の宝だってこと、あんたらだって知ってるだろ!!」

 

ケイトだからこそ、シュラク隊だからこそ出来てしまう。

そして文化遺産を見捨てることの出来ない、

良くも悪くも一般人的な感性がケイトに致命的過ぎる隙を作る。

歴史的遺産を守るためとはいえ、戦闘中の敵が見逃してくれるなど有り得ないことだった。

メッメドーザが目を妖しく光らせてガンイージの眼前に漂っていた。

 

「ッ!」

 

ケイトが息を飲む。

 

「ふふ…素早い…それに良い腕だね。感動したわよ…。

マスドライバーのレールが壊れては

私達の仲間が宇宙(そら)へ帰れないからありがとうと言っておくわ」

 

ルペ・シノの笑みもメッメドーザ同様に妖しいもので、

サーベルの柄を取り出し薄っすらと光刃を出力する。

 

「あ、ああ…!」

 

それを見たケイトは己の運命を半ば察し、初めて僅かながら怯えを見せた。

だが少しでも生きる可能性を掴み取る為に、生き汚くも足掻いてみせる。

ガンイージの必死の頭部バルカンも、

頭部の射角届かぬに下方に体を滑らせたメッメドーザ相手には、虚しく空をきる。

メッメドーザの稲妻型に裂けた瞳が赤く輝いて上目遣いにケイトを凝視していた。

 

「っ…!」

(た、隊長っ!ヤザン隊長ッ!!)

 

口の中で、ケイトの歯がカタカタと鳴る。

まるでその怯えが見えているかのようにルペ・シノはコクピットで歯を見せてニヤけた。

 

「機体はそのまま…パイロットには死んでもらおうかねェ!」

 

メッメドーザのビームサーベルの光が、

ガンイージの全天周囲モニターいっぱいに広がっていく。

視界を強烈な輝きが覆い白く塗りつぶしていくのが、

死を間近に感じ取ったケイトにはスローで見えてしまうのが恐怖であった。

 

ガンイージは、その名の通りにガンダムタイプの簡易型(イージーver)であったのは

こういう状況では悲劇であった。

この機体は性能を維持したままにコストダウンを図った結果、

見事に戦闘能力を保持しつつ安価に仕上がって

簡易型とはいえミノフスキーフライトを搭載し

高出力なVと同タイプのB(ビーム)サーベル、Bシールド、Bバズーカにまで対応している。

索敵能力、スラスター推力、パワーウェイトレシオ(重力出力比)も及第点で、

まさにVガンダムのイージーverとしては破格の性能だった。

だが、簡略化されたのは合体機構だけではなく脱出機構までがガンイージには存在しない。

ベスパが高性能を維持しつつ脱出機能にも力を注ぎパイロットの生存率が高いのと裏腹に、

リガ・ミリティアは人命軽視ともとれる方針をとり…

その結果、短期間低コストで

ザンスカールMSに匹敵する安価なMSを作ることが出来ていたのだった。

 

だから、今ケイトは抵抗は勿論、脱出すら出来ない。

八方塞がりに陥っていた。

 

(いや…いやだっ!死にたくないよ!まだ私はっ!!あの人に…!)

 

多くの敵を殺してきたMSパイロットだと言っても、

ヤザンに厳しい訓練を課せられてそれを越えたと言っても、

いつか戦場で散る覚悟で戦ってきたとしても、

いざ死を目の前にして従容として死に就ける程出来た人間はそう多くない。

 

鉄と機械が焼ける音が僅かにケイトの耳に飛び込んだ気がして、

そして一拍の後に轟音が空気とガンイージを揺らした。

何が何だか分からないケイトは「っ!?」と声無き声で呻いて

事態を掴もうと恐怖に強張る脳を必死に動かす。

 

モニターを覆っていた白い光が失せている。

間近まで迫っていたサーベルに焼ききられたのだろう…

幾つかのモニターがかすれて砂嵐となってダウンしていたが、

活きているモニターが火を拭いて墜落していくMSを捉えていた。

墜ちていくそいつは、間違いなくさっきまで己を殺そうとしていた新型だ。

右腕を肩から、右足を腿の付け根から失い黒い煙と炎を撒き散らして眼下へ消えていく。

 

「な、なに…なん、で…」

 

薄っすら涙を浮かべ体中に脂汗と冷や汗を吹き出して、

ノーマルスーツのトイレパック機能に小水まで僅かに漏らしていたケイトが呆然としていると、

かすれたモニターに飛び込んできた猫目のMSが赤い目を剥き出してこちらを見ていた。

先の新型と同じくザンスカールの複合複眼マルチセンサーを持つMS…

だが、現れたそいつはさっきのとは真逆でケイトを心底から安堵させてくれる。

 

「シャ、シャッコー…」

 

「まだ生きているか!?ケイト!」

 

シャッコーが、指の付け根から射出したワイヤーで

コクピットハッチが爛れたガンイージへと触れ合って言っている。

その声は、ケイトが今最も聞きたかった声だった。

 

「チッ…返事がない…間に合わなかったか!?クソ!」

 

「た、隊長…」

 

「ケイト!?生きているならさっさと返事をせんか!

紛らわしいんだよ、マヌケが!」

 

ケイトの声は震えている。

らしくもなく、吹き出てくる様々な感情で理性が乱れていた。

ヤザンの男らしい声がガンイージのコクピット内に木霊して、それがケイトには心地いい。

 

「さっさと降りろ!貴様のガンイージはただの的と同じだ」

 

「で、でも…降りると言っても…ここから飛び降りたら…。

ここって…7、80mくらいありそうなんですが…」

 

ケイトは体まで震わせながら、何とか震える声で答えた。

パイロットがMSの昇降に使うワイヤーガンも精々30mくらいまでが限界だ。

いくらケイトが肉体まで鍛えられたパイロットと言っても

命綱無しにマスドライバーの鉄骨を延々と登り下りする度胸はさすがに無い。

そう思っていたら、気付けばシャッコーがガンイージに胴を擦り寄せるように組み付いていた。

シャッコーのハッチが開く。

 

「来い!」

 

「えっ、あっ…は、はい!」

 

ケイトは慌ててガンイージから飛び出し、

目の前に腕を差し出していた凶相の男の手を取る。

グッと身体を引き寄せられた。

 

「えっ!?」

 

「頭が邪魔だ!縮こまっていろッ!!」

 

ヤザンの股座にすっぽりと受け止められていた。

 

「あ、あの…っ、これはっ…ちょっとマズイのでは…?

隊長の、せ、戦闘の邪魔になっちゃいますし…」

 

頬を紅潮させ、尻をもぞりとさせたケイトが体を強張らせると、

 

「仕方なかろう!

もしウッソやオリファーがガンイージに乗ってても同じ処置をしたさ。我慢せぃ!」

 

確かに命には替えられない。

だが、ウッソはともかくオリファーがヤザンの膝上に抱えられて二人乗りで戦う様を思うと、

ケイトは思わず吹き出しそうになってしまう。

それにしても降ろして貰うまでの辛抱だ…とケイトは思うが(でも…)とも思ってしまう。

ずっとここにいたいと身体の奥の熱が言っているようで、

男とぴったりと隙間なく体を寄せ合う等彼女には経験がない事だ。

ケイトの全身は火を出しそうな程熱い。

 

「シャトルをやらにゃならんというのに…丁度貴様が見えたんでな。

先にこちらに来たら絶好の機会を逃した。

この始末はどうしてくれるんだ?アァ?」

 

「す、すいません…ヤザン隊長…」

 

「フン…、む…来た。フライパンだ!ケイト、悪いが降ろすのは後回しだ!

しばらくはそこにいなッ!!」

 

「え、このまま戦闘!?わっ!?」

 

ヤザンがフライパンと呼ぶのは、大型飛行MAリカールだ。

ウッソが呼び出した愛称だが、中々言い得て妙だとヤザンも思っている。

この空飛ぶフライパンと、片腕のゴッゾーラが執拗に妨害してくるものだから

ヤザンも中々ターゲットの大型シャトルを攻撃出来ないでいた。

勿論、ライフルで撃つ機会は幾つもあったが、

レール上でシャトルをビームライフルで堕とす事はそのままマスドライバーの破壊に繋がる。

シャトルの撃破は、レール上にいる時にコックピットを撃ち抜くか、

それとも空へ飛び立ちレールから離れた瞬間を撃つかだが、

纏わりついてくるリカールがそれを悠長に狙いを付けさせてはくれないのだ。

そうやって周囲で戦闘をしている内に窮地の部下を見つけた…ということらしい。

 

リカールが空から強力なメガ粒子砲を放つと、

シャッコーはそれを急激な加速と変則的なターンの繰り返しで軽やかに避けていく。

ケイトが呻いた。

 

「うっ…ッ!」

(これ…、ど、どうしよぅ…!)

 

急加速や急ターンによるGは軽く耐えられる。

だが、それはリニアシートにノーマルスーツを着て一人で座っている場合だ。

シートとスーツに仕組まれている磁力がベルト無しにパイロットをしっかりと座席に固定して、

そしてリニアシートの基部が衝撃を吸い取ってくれる。

グリプス戦役時代からあったその技術がより昇華されている現在では、

見ての通り女子供で耐えられる程耐G制御が成されているのだが

二人乗りという変則的事態ではGの掛かり方も大分話が変わってくる。

 

一人でガンイージを乗り回している時以上のGがケイトの体に掛かって、

より強力にヤザンの体へと乙女の体を密着させていた。

ケイトの顔は赤い。

 

「フライパンめ…良い動きをしているな…!ン?シャッター頭も来たか!」

 

チラリとヤザンを後眼で見れば、まるで意に介さず戦闘を行っている。

だが、ヤザンとていつも以上のGを受けているはずだったが、

この男はもっとMSがチャチな耐G性能の頃にもっと無茶な機動をしていた男だ。

寧ろこの圧迫感は懐かしいとすら考えていた。

 

(お、女を膝に乗せて…まったく気にせず戦えちゃうんだ…)

 

さすがはヤザンだと思う反面、少しは意識してもいいではないかとケイトは思う。

 

「んっ…」

 

またシャッコーが急制動を掛けてケイトの体が男の体に吸い付く。

ヤザンは変わらず戦い続けているが、ケイトには色々と問題が持ち上がっている。

いや、持ち上がったというより最初からそうだったのだが、

今、ケイトははっきりとその問題を認識してしまっていた。

 

(…ま、まぁ…戦闘中だし、ね。…戦っている男が興奮するの…仕方ない、けどさ)

 

ヤザンの、戦いの興奮で猛っている男の証が乙女の柔らかな双丘の谷に食い込んでいる。

男の証に合わせて変形し深くクレバスに押し込まれたケイトのパイロットスーツが、

はっきりとした亀裂を作って女の丸みを持つ丘を際立たせる。

 

「っ…ふ、…ぅ…」

 

シャッコーがヤザンの手綱に従って戦場を舞う度、

男そのものがパイロットスーツを食い破って

今にも自分の女の部分を貫いてくるのではないか。

まるでそう思わせられる程に食い込んでくる。

 

戦闘で興奮するのは何も男だけではない。

女とて同じだ。

 

試合直前の女アスリートが胸の先を屹立させる事があるように、

生き物として当然の反応がケイトにもある。

しかもケイトは今さっき死にかけて、種の保存の本能とも言うべきモノが活発化していた。

 

(これ…っ)

 

おかしな高揚が奥で疼いている。

先の戦闘でノーマルスーツのトイレパックは水気を帯びていたが、

ケイトはその水気が濃くなっているような気がして鼻も頬も真っ赤にする。

ヤバいなぁ、と独り心で呟いてまたヤザンを後眼で見ようとして、

 

「顔を動かすな!貴様の髪が邪魔だ!」

 

「ぁあっ!?」

 

赤いポニーテールが鼻先をちょろつくのをイラついたヤザンが、

ケイトを一瞥もせずに彼女の胸部を引っ掴んで脇腹へ押しのけた。

ヤザンは掴みやすい出っ張りを掴んだまでだが、

そこには女の膨らみがあってケイトは思わず女の声を出してしまっていた。

初めて他人に掴まれて変形する乳房の感覚にケイトは困惑し、

そしてその鮮烈な感覚を一生忘れられなさそうな自分にも困惑していた。

 

そんな乙女の葛藤露知らず、ヤザンはただ目の前の敵に舌舐めずりをするだけである。

 

 

 

――

 

 

 

 

片腕のゴッゾーラが黒煙を撒き散らしながらも、

ゾロのビームライフルを拾って果敢にシャッコーへ挑んでいる。

だがシャッコーは、ビームライフルをゴッゾーラの右方に巧みに撃ち分け牽制…

敵MSの動きを制限し戦闘をコントロールしてしまうのがヤザンの妙技だった。

急スピードで左に回り込んだシャッコーがゴッゾーラの腰に強烈な蹴撃を見舞う。

 

「うおおおッ!?」

 

今までの戦闘でもシャッコーから殴る蹴るを時折受けていて

ダメージがフレームに蓄積している。

ゴッゾーラの金属骨格が軋んで悲鳴を上げ、

コクピット間近への衝撃にワタリーも苦悶の声を上げていた。

それでもワタリーは体に染み付いた動きでMSを操作し、

コンピューターのオートバランスの助けも借りて

機体各所のアポジとAMBACで体勢を立て直そうとした。だが…。

 

「なに!?メインスラスターが死んだのか!?」

 

バックパックのバーニアが、今のシャッコーの蹴りで大きく凹み歪んでもはや点火しない。

オートバランスはバーニア込みの体勢制御を考慮していたから、

ワタリーはとっさに手動でゴッゾーラを立て直し転倒を防いだのだった。

しかし、シャッコーを駆るパイロットのような強敵相手にそれは致命的な隙だ。

友軍が健在ならばそういう隙を仲間がフォローしてくれるが、

もうベスパのイエロージャケットはボロボロだ。

メッチェのリカールは今もメガ粒子砲で援護をしてくれているが、

シャッコーはそれを避けきって尚ゴッゾーラに襲いかかってくる。

メッメドーザも姿を見かけず「墜ちたか…」とワタリーは眉をしかめた。

シャッコーが目を光らして、そしてヤザンが叫ぶ。

 

「頂きだなッ!」

 

シャッコーのビームサーベルが、ゴッゾーラの胸を貫く。

ジジジ、と嫌な放電音が響いて、ゴッゾーラは鉄の鎧の内側から焼かれて火を吹き上げた。

オートインジェクションが起動し、

ワタリーを乗せたポッドが射出されて遥か遠くへと転がっていく。

ヤザンはそのポッドを、後の憂いを断つ為にビームで焼き払うか、

それとも踏み潰してやろうと思ったその時…、

リカールがミノフスキーフライトの音を響かせて急速降下してきたのだった。

 

「なんだァ!?フライパンが突っ込んでくるだと?」

 

ビームを撃ちながら地面スレスレを速度を落とすことなく飛び、

そしてまた急上昇していくリカール。

シャッコーはその後姿へとライフルを撃ち込むが、

リカールは巨体に見合わぬ機動力で照準を絞らせない。

 

「衝突覚悟で突っ込んできたのか!面白いじゃないかッ!」

 

パープルのプロペラ野郎に続いてブルーグリーンのMSも仕留めた。

次はこいつの相手も良いとヤザンは思うが、

 

「――だが、今はシャトルをやらせてもらう!」

 

リカールに数発、再度威嚇射撃をしてからシャッコーは

マスドライバーのレール上を加速し始めたシャトルへと真っ直ぐに飛ぶ。

それを見たメッチェは眼尻を釣り上げた。

 

「そっちには行かせんッ!」

 

リカールは急旋回しシャッコーを慌てて追う。

そして機首の大型メガ粒子砲とビーム砲を叩き込みながら憎々しげな声を絞り出していた。

 

「チョロチョロと…!くそ…さすがはベスパのマシーンだが…!

それも今となっては忌々しいだけだ!!

ファラ様には近づけさせん!」

 

背を向けながら、

ゆらゆらとビームを避けつつ突き進むシャッコーにメッチェは焦燥を募らせていく。

 

(…ダメだ!リカールは加速力と火力には優れるが…

小回りがきかないリカールは運動性でMSに劣る!素早いシャッコーには当てられないか…)

 

実際、この大型飛行MAリカールは支援と指揮が主目的で

戦場のド真ん中で大立ち回りを演じられるMAではない。

そうこうしている内に、シャッコーが右腕に持つ長大なライフルを構えだした。

マスドライバーの大型シャトルがシャッコーの視界に捉えられたのだ。

 

「狙いは付けさせない!!

ファラ様をやらせはしないと言っただろう!ジェヴォーダンの獣め!!」

 

当たらない射撃に頼るのを止めたメッチェは、

リカールの大出力スラスターで最大限に加速。

一気呵成にシャッコーの背、目掛けて突っ込んでいく。

シャッコーの熱センサーが警報を叫んでいた。

 

「ヤザン隊長!後ろから!」

 

赤い顔をしながらケイトが警鐘を鳴らすが

「何ィ!?」とヤザンが言うと同時に機体に衝撃が走った。

本来のヤザンならば見落とさなかっただろうが、

シャトルの操縦席へ狙いを定めライフルの出力を調整しようとしていた事…

ケイトの頭が視界をやや狭めていた事…

そして背後から迫るフライパンが、今までの突進とは違い

本当に自機をぶち当てるつもりの突撃をしてきた事で軌道が読みきれず、

フライパンの体当たりがモロにシャッコーの背に決まっていた。

リカールのビームには充分注意しながらフェダーインライフルを構えていたヤザンは、

フライパンの予想外の〝特攻〟に面食らい、

その衝撃でフェダーインライフルを落としてしまっていた。

フェダーインライフルが、岩肌に叩きつけられて転がっていく。

 

シャッコーが、リカールのキャノピー横の胴体に挟まれて体が逆()の字に曲がる。

抜け出ようと藻掻いたシャッコーを見、

メッチェはそうはさせじとリカールの操縦桿を一気に倒す。

 

「逃さん…!このままリカールの加速力で…!」

 

「こいつ…!!俺を道連れにしようというのかァ!!?」

 

リカールが急旋回し、

ジブラルタルの岩山へと一目散に向かい出したのを見てヤザンの怒りの感情が吹き上がる。

リカールの加速が更に股座のケイトを自分へ押し付けてくるのも気にせずに、

ヤザンはコントロールレバーとフットペダルを押し込み真横へと()()飛んだ。

すなわち、横に見えた機首のキャノピーへと猛烈に迫ったのだ。

 

「死にたいなら貴様1人で死ねというのだッ!!」

 

シャッコーが腕を振り上げ、

そしてリカールのキャノピー目掛けて思い切り叩きつけた。

メッチェには、先程のケイトの時のようにやはり走馬灯の如くその光景をスローモーで見た。

迫る、オレンジイエローの鋼鉄の巨腕。

 

「っ!…ファラ様ッ!!」

 

メッチェの脳裏に桃色の髪を翻す美しい女の笑顔が浮かび、

そして次に瞬間にはシャッコーの手がその幻想ごとメッチェを砕いて肉塊に変えてしまった。

リカールの速度が緩んだのを感じ、ヤザンはシャッコーのバーニアを全開にすると、

シャッコーはスルリとリカールの枷から逃れて空へと身を逃した。

 

直後、主人を失ったリカールは岩山へと突き刺さり、

そして大型ジェネレーターが大爆発を起こしてキノコ雲をもうもうと立ち上らせる。

岩山が崩れ、マスドライバー・レールが振動で揺れていたが、

どうやら大崩落はしなさそうではある。そこはヤザンを安堵させてホッと息を吐いた。

その煙をシャッコーの赤い目が捉え、

そして直様その目は空へと向けられた。

 

太陽が沈み行き、まるで宇宙のように黒くなり始めた空に

シャトルのバーニア光が一条吸い込まれて消えていった。

 

「チッ…フライパンめ。俺にシャトルをやらせんとはな」

 

命をとしてシャトルを守り抜いた名も知らぬ敵パイロット。

シャッコーの腕で殴り潰す瞬間、

割れたキャノピーから見えたその金髪の若い男にヤザンは心の片隅で拍手を送っていた。

 



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獣の安息 その3

太陽は高くジブラルタルの海を煌々と照らしている。

だと言うのにその部屋はカーテンで締め切られ暗く、

その暗がりの柔らかなベッドの上で男と女が体中に蒸れた体液を迸らせて絡み合っていた。

健康的な肉付きと褐色の肌が汗で滑り、

赤いポニーテールが男の狩猟本能を刺激するように揺れる。

 

(イイ女だ)

 

ヤザンはそんな感想を懐きつつ女の弾力ある尻を掴んで腰を打ち付け続け、

その度に揺れる赤いポニーテールと乳房にヤザンは男の本能を昂ぶらせた。

 

「ッ…あっ……ん……ふッ、うゥ…………んッ………あ゛!」

 

女は手触りの良いシーツを力一杯握りしめ忘我し焦点もあっていない。

最初こそ少し痛がり、

乙女の証でシーツを赤く汚したが今ではそれも違う色の液で濁って撹拌された。

女は自分から腰を動かして男を迎え入れていた。

 

(部下に手を出すのはナンセンスだ。だが、こうも誘われちゃ断るのも野暮だろう?)

 

部下を抱くことに後悔は無い。

初々しく控えめながらしつこくセックスアピールを仕掛けてきたのはあちらさんだし、

ヤザンとてMS戦だけで発散しきれぬ溜まりに溜まったものはある。

これだけ良い女が据え膳で転がっていれば、それを食わぬのは男ではない。

 

「ぅあッ!…ふっ、うっっ!」

 

女が顔を枕に埋めて、尻を持ち上げて震える。

ヤザンは女の顔を掻き毟るように引き寄せて胸に抱いて言った。

 

「せっかくお前が慣れない誘いを仕掛けてきたんだ…恥はかかせんよ。

まだまだ貴様をよがらせてやる」

 

女…ケイトは紅潮しきった頬の上の虚ろに潤んだ瞳を瞬かせてコクコクと頷いた。

まだまだヤザンとケイトのベッドの上での実戦訓練は続く…という時に、

ヤザンの部屋を無遠慮に開け放った侵入者達がいた。

それぞれが酒瓶を片手に騒いでいて、

 

「ヤザン隊長ー飲みましょう」

 

「ケイトがいないんですけど、ひょっとして先飲んでまし…た…――え?」

 

「あっ」

 

「これは…あは、は…あちゃー」

 

酒気で赤ら顔だった端麗な顔を、違う意味で赤くして固まった。

部屋の中は、むわりとする男と女の臭いで満ちているのを

今更ながらジュンコ・ジェンコは気づいた。

が、当事者二人は気にせずに何度目かの再戦を始めて、

ケイトは首を振って呻きながら見るなと叫んだりもしたが直ぐに正気を失って男の下で喘ぐ。

ヤザンは端から気にも留めないで目の前の女を貪った。

言葉を失って、妙な雰囲気になってしまった観戦者達をギロリと一睨みして、

また眼下の女の汗で光る褐色の尻を鷲掴む。

 

「相手してほしけりゃ、そこで待っていな」

 

男が眼光鋭くそう言ったのを聞いて、女達はごくりと息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

ザンスカール領ジブラルタルは陥落した。

とはいえ、ジブラルタルがザンスカールの領土だったのは僅か10数時間の事であった。

残敵は掃討され、或いは散り散りになって逃げ去っていったが、

逃げ去る敵全てを追う程の力はリガ・ミリティアには存在せず、

また協力してくれた連邦軍も極一部である為追撃は形式だけで終わってしまった。

後々、逃げたベスパはゲリラ化し潜伏したり、

他都市へ流れ民間シャトルで宇宙に帰る者もいるだろうが、

それはもう仕方がない事として捨て置くことがリガ・ミリティア首脳陣の間で決定していた。

主戦場が宇宙へ移るのは目に見えていたからだ。

 

街と公社からはベスパカラーが一掃されて元の様子を取り戻しつつある。

だが、ザンスカールの物資と人員を満載したシャトルの殆どは

宇宙に上がってしまい帝国の目論見は達せられてしまったと言える。

宇宙引越公社が提供した打ち上げデータによれば、無事上がったシャトルは8隻。

2隻が乱戦の中で爆破炎上し墜落したが、戦略目的としては帝国の勝ちだろう。

 

しかし解放を喜んだ引越公社のジブラルタル局がリガ・ミリティアを受け入れて、

先の戦闘映像を世に公開したものだから帝国のイメージダウンは甚だしい。

今も、オイ・ニュング伯爵はマンデラと忙しく打ち合わせ等をしていて、

対ザンスカールへの抵抗運動に宇宙引越公社を引き入れるのはほぼ確実だった。

連邦に籍を置くゴメス大尉も、

ヤザンに活を入れられて燻っていた気力に火が着き始めていた所に

この激戦での勝利を目の当たりにし、

初対面での無気力無関心さが嘘のように働きだしている。

電話を専有し、

 

「そうだよ!戦艦でも巡洋艦でもいい!2、3隻寄越してくれよ!

アァッ!?いや違うだろうが!先に手を出したのはザンスカールだ!

奴らがさっきまで引越公社を占拠していたんだぞ!

…そうだよ!永世中立のジブラルタルをだ!動かにゃならんだろう!!」

 

何度も何度もどこぞの連邦基地に電話をしがなり立てていた。

このように実際のドンパチが終われば伯爵やゴメス、老人達の方が忙しい。

パイロットもMSの整備の手伝いや、戦闘で得た新たなデータから

モーションパターンの最適化やより洗練されたものにする入力作業があるが、

政治的な動きまで引き受けるオイ・ニュング等に比べるとやはり時間的余裕があった。

これにはリガ・ミリティアの戦力に直結するパイロットの心身を休ませる目的も当然ある。

だからパイロット達は負い目を抱くこと無く、

短い休みをそれぞれが満喫することを許されていた。

 

ウッソ少年も、余暇を得てジブラルタルを自由に彷徨く者の1人だ。

パイロット達はジブラルタル戦後、

ジブラルタルを救った英雄としてマンデラに直接面会し謝辞を送られていた。

それらの一連の会話の中でウッソは両親の事を思いがけず聞くこととなったのだった。

曰く、「君を一目見て、活躍ぶりとエヴィンの名まで聞けばすぐに分かった」との事で、

ハンゲルグ・エヴィンとミューラ・ミゲルとは浅くない知り合いが宇宙引越公社には多くいた。

かつてここで働いていたのだ。

 

そういうことがあり、ウッソはシャクティもおらず自由が利く身でもあるので

独り公社中を彷徨いて両親の事を聴き込んでいた。

 

(やった!父さんと母さんの事、知っている人がこんないるなんて!

マンデラさんは、二人はきっと月にいるだろうって!)

 

ホクホク顔のウッソは、

本局ビルのゲストエリアの廊下を走ってヤザンの部屋へと向かっていた。

大した用事ではない。

ただ、両親の情報を念願叶って得たという喜びを誰かと共有したかった。

共感し、喜びを噛み締められるならば誰でも良かったのだが、

身近なシャクティと同年代のオデロ達は

エステル婆さん達残留組と共にカリーン工場からこちらに向かってきている最中だ。

カリーンからジブラルタルに拠点を移すらしく大量の物資と来るのでまだ数日はかかる。

なのでウッソの足は自然とヤザンの元へと向かっていたのだ。

 

「ヤザンさん。ヤザンさーん」

 

高そうなドアを叩き、ブザーも押すが反応がない。

ウッソは首を傾げた。

 

「おかしいな。ヤザンさんは街に出てないってロメロさんも言ってたのに。

……ヤザンさん?いませんか?」

 

ドアに耳を当てる。

街を救ったMS隊のリーダーにあてがわれた部屋だけあって防音もしっかりしているらしく、

中から音は聞こえてこない。

と思いきや、ウッソの超人に片脚の先っぽを突っ込んだ身体能力は聴力も抜群で、

微かな音をその部屋から聞き取っていた。

苦しむような女性の声が微かに聞こえる。

 

(…?今のは…ケイトさんの声…?他にもいるの?)

 

聞き耳を立てて伺うウッソ。

ケイトのらしい苦悶の声が聞こえ、

他にも女性の…やはり苦しみ呻くような声が微量に耳に届く。

 

「…っ!こ、これって」

 

ハッと合点いき、ウッソはドアから飛び退いた。

顔が真っ赤になり鼓動が速くなる。

勉強家であり読書家であるウッソは色恋沙汰に関する知識も同年代より豊富だ。

ウーイッグのカテジナに恋慕し、

盗撮紛いの事までしてしまうくらいには異性への関心だって芽生えてきている。

だからヤザンの部屋から微かに響く女性の苦悶の声が、

()()()()()の声なのかもしれないと思考が結びついてしまった。

スペシャルだニュータイプだと言われても

思春期に入りつつある少年の好奇心は普通の人間となんら変わらない。

どきどきしつつウッソはまた、こっそりと扉に耳を当てた。

 

ヤザンの声が聞こえ、その直後にケイトの苦悶の声が聞こえる。

会話の内容までは分からない。

だが、荒く短い呼吸で言葉にならぬ嗚咽染みた声が聞こえる度に、

ヤザンに組み伏せられるケイトの姿を夢想してしまう。

 

(…あっ、い、今の…ヘレンさんの声じゃないの!?う、うわ…他にも聞こえるぞ…)

 

ひょっとしてシュラク隊全員と?

ウッソがごくりと唾を飲み込んだその時、

 

「ウッソ、どうしたんだ?盗み聞きなんて趣味が悪い」

 

「う、うわっ!?オリファーさん!?」

 

またウッソは扉から飛び退いた。

オリファーはそんな少年の様子を怪訝な顔で見ていた。

 

「んん?なんだ、本当に盗み聞きしていたのか?」

 

片眉をしかめてオリファーが言った。

彼は片腕で大きな紙袋を抱えていて、

その中をガサゴソと漁るとウッソへ何かを投げて寄越す。

「わっ」とそれを受け取ったウッソが見るとそれは天然素材のチョコレートだ。

 

「ヤザン隊長と酒でもと思ってな。街で買って来たんだ」

 

「貰っちゃっていいんですか?」

 

「あぁ、ついでに買っただけだしな。もうすぐオデロ達も来るから菓子も欲しがるだろ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「で…なんで部屋に入らず盗み聞きしてるんだ、ウッソ」

 

「えっ!あ、あの!それは…」

 

ヤザンの部屋の前まで来て、ウッソの目を見るオリファーはそのまま扉をノックした。

だが、やはりウッソの時と同じく部屋の中から反応は無かった。

 

「…おかしいな。隊長は部屋にいるはずなんだが。

シュラク隊も部屋にいないからてっきり隊長の部屋で先に………

って、なんだ。開いてるじゃないか」

 

そう言いつつオリファーは部屋に入っていく。

「あっ、や、止めたほうが――」と言いかけたウッソの制止も間に合わない。

 

数瞬の沈黙。

そして開いた扉の隙間から、よりはっきりと聞こえてくる女性の色気たっぷりの声。

オリファーは「鍵をしておいて下さいよ!」と叫びつつ走って飛び出てきた。

 

「……ウッソ」

 

「は、はい」

 

「お前、まだあんなの聞くのは早い!

ああいうのは1人を相手にして、愛し合った上での行為であってだな!

あんな複数を相手に、ましてや美人揃いのシュラク隊相手に

ベッドでも蹴散らすなんてのはさすがヤザン隊長だというもので…!

って、いやいや、違う。そうじゃない!

あー……その…とにかく、い、今は帰ろう。都合が悪い」

 

「そ、そうみたいですね」

 

さすがのオリファーも嫌な汗をかいていた。

メガネを掛け直し泳いだ目を隠してウッソの頭を軽く小突いた。

 

「いて」

 

「おい、ウッソ」

 

「な、なんですか」

 

「あんなのは普通じゃないんだからな?

もっと普通の恋愛を、お前はしろよ」

 

「わ、わかってますよ!」

 

「あと、興味があるのは分かるが…あんなのはシャクティに嫌われるぞ」

 

「しませんって!

オ、オリファーさんこそ、マーベットさんがいるのにあんな事したらダメですよ!」

 

「バカっ!す、するわけないだろう!」

 

したくても出来ないよ、と言いかけた言葉を飲み込んで

オリファーはウッソの手を引きヤザンの部屋から離れていく。

 

(マーベット1人だって持て余しているんだ……。それにしても…)

 

オリファーは思い返して静かに息を飲む。

引き締まりながらも女性的な丸みを持つ豊かな尻を、

髪を振り乱しながら男の腹の上で揺らしていたあられもない美女の姿を思ってしまう。

 

(ふぅ…まったく隊長はスゴイな)

 

オリファーは、その夜、マーベットと仲睦まじく過ごしたのは言うまでもない事だった。

また、ウッソ少年もその夜は幼馴染のシャクティの事を想いながら独り過ごすのであった。

 

 

 

――

 

 

 

 

その日、リガ・ミリティアの主要メンバーはジブラルタル海峡を見渡せる波止場に揃っていた。

ヒョコヒョコとどこかぎこちなく歩いている何人かのシュラク隊メンバーを見、

ウッソは思わず顔が赤くなってしまって

 

(ああいうの…初めてだと女性は違和感で歩くのおかしくなるって読んだことあるけど…)

 

つまり大人のお姉さんだと思っていたけど何人かはそうだったのかと思うと、

また耳年増なウッソは妙に鼓動が速くなってしまってそれが己の耳にも煩い程だった。

女性陣が、

 

「昨日はさぁ~、まっさかケイトが抜け駆けしてるなんて思わなかったけどね」

 

「うっ…。だ、だってさ……」

 

「酔った勢いでなだれ込んじゃってゴメンね、ケイト」

 

「まさか初めてがあんな乱痴気騒ぎの中だなんて思わなかったわよ!」

 

「私はジュンコはともかくコニーがもう済ませてたのがショック大きかったかな。

あんた、いつのまにそういう相手いたのよ!意外とやり手なのね。どこで見つけたの?」

 

「うるさいよ!あんたら!」

 

そういう風に姦しく騒いでいるのも、

昨日の生々しい声を聞いていると少年の心がざわつくのだった。

オリファーもどこか落ち着き無く咳払い等していて、

当事者の筈のヤザンは落ち着き払って我関せずの顔を決め込んでいて流石の図太さだ。

 

そんな騒がしい中、

潮風をびゅうびゅうと切りながら波を掻き分けて海上をやってくる船影が見えてくる。

 

「来たぜ来たぜぇ!クラップ級だ!」

 

一番喜んではしゃいでいるのはゴメス大尉。

クラップ級艦リーンホースが2隻のサラミスに曳航されてジブラルタル海峡に入る。

この宇宙戦艦がジブラルタルにやって来て、

人員もそっくりそのままリガ・ミリティアへプレゼントされるのだ。

その手柄は全くゴメスのものであるから、彼がここまではしゃぐのも当然だった。

オイ・ニュングも老人達も、

そしてウッソもシュラク隊もリーンホースを感嘆込めた瞳で見つめる中、

ヤザン1人がタグボート役のサラミスに目を奪われていた。

 

「フッ…やっこさんも健在か。俺も老け込んでいられんぜ」

 

一般的によく知られている宇宙艦艇としてのサラミスは宇宙世紀0070年代に就航し、

0060年生まれのヤザンの方が10歳ばかり年上だ。

しかし、ミデアといいサラミスといい自分とほぼ同年代の古株が最前線で頑張っているのは、

新世代への不甲斐なさを感じると共に誇り高くもあった。

もっとも…新世代の連邦側のマシーン共が不甲斐ないのは

偏に連邦政府の怠惰のせいであるので、ヤザンとしてはより一層複雑な面持ちではある。

 

(嫌って程世話になったが……

まさかサラミスが1G環境下でも稼働する日を目の当たりにするとはな)

 

細かいディテールは変わっているが、大まかは全く一緒だ。

カラーリングまでも見慣れたグレーとレッドのライン。

フと、まるで自分がまだ1年戦争の中にいるかのような懐古感がヤザンを襲う。

 

「老け込んでいられんって?そんな心配ないでしょう、た・い・ちょ・う?

昨晩、私達相手にあんな事しちゃってさ」

 

ヤザンの肩にヘレンがしなだれてもたれかかる。

彼女の唇にひかれたリップも、気のせいかいつもより艶めかしい。

 

「俺が1人で酒飲んでいた所になだれ込んできたバカ共はどこのどいつだ」

 

「私じゃないですよ。最初はケイトでしょ」

 

やかましいと小突かれて肩からどかされるヘレンは、

それでも嬉しそうに笑ってヤザンを熱い目で見ている。

そんな女の目線を切って捨ててヤザンは皆を振り返って大声で言った。

 

「全員、乗船準備!あの〝リーンホース〟が今日から俺達の寝床だ!」

 

皆の視線が、サラミスに曳航されるクラップ級艦に注がれる。

リーンホースはジブラルタルの陽に照らされて古ぼけた外装を鈍く輝かせる。

鋼鉄の老いた巨馬は波間に頼りなく漂うのだった。

 



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美女と野獣と少年少女

パァンという乾いた音がリーンホースの格納庫に響く。

忙しく動き回るスタッフ達が振り向き、

そこに居合わせたウッソとシャクティも何事だと音の発生源を見た。

皆、すぐ理解する。

ヤザンの頬を、久々に会ったカテジナが叩いたのだ。

いつもならば軽やかに避ける平手打ちを、

さすがのヤザンもイキナリ過ぎる出合い頭のそれを避ける事は叶わなかった。

なにせ、ヤザンを見るなり「あ…」と呟いて僅かに嬉しそうな顔をしたと思えば、

近づいてきたら豹変してボストンバッグを投げ捨ていきなりコレだ。

ニュータイプだってきっと躱せないないだろうとヤザンは思った。

ジロッとカテジナを見る。

 

「なんだァ?貴様、いきなりどういうつもりだ」

 

「ふ、不潔な男!女の匂いを撒き散らして!」

 

「んン?」

 

カテジナの怒りに染まった瞳の視線が

一瞬ヤザンの首筋の女の吸い口跡(マーキング)辺りを彷徨ってからヤザンの目を睨む。

ヤザンに負けないぐらいのキツイ目で男を睨み返すカテジナは、

いつもの恒例行事(ケンカ)とは違う殺気染みたものすら滲ませていた。

リーンホースの乗組員として連邦から合流した者らは目を丸くして固まり、

そのケンカ風景に目を奪われているが生粋のリガ・ミリティアメンバーは慣れたものだ。

「いつもよりは激しいな」等と軽口を言い合いながら作業の手を止めはしない。

だがシャクティはおろおろとしてウッソの肩をくいくい引っ張り「止めなくていいの…?」と

小さい声で心配そうにウッソに擦り寄っていたが、

ウッソは、僕らが出るよりヤザンさんに任せればいいとそれを制した。

ウッソが「慣れっこだよ」と最後に付け足せば、シャクティは複雑そうな顔で黙る。

ヤザンとカテジナは皆の反応を余所に続けていた。

 

「女の匂い…?あぁ、これか。こいつはペギーがふざけてつけやがったのさ」

 

首筋を指でトントンと叩きながらシレッとヤザンは言ってのける。

それを聞いたカテジナは、眉間に深いシワを刻み目尻を釣り上げてまた片手を振り上げた。

だが、今度のそれはいつも通りにヤザンに止められる。

 

「く…離しなさいよ!汚らわしい手で私に触らないで!

そんな…そんな、不潔な男なんてッ!」

 

「俺がどんな女を抱こうが貴様がピーチクパーチクと喚く理由になるのか?」

 

「そうよ!知ったことではないわ!ただ、私は女の敵を討ってやろうっていうのよ!」

 

「フッ、ハハハッ!女の敵か。

わざわざリガ・ミリティアに残って軍船にのこのこやって来て女の敵を殴りに来たのかよ。

さっさとリガ・ミリティアと縁を切ってウーイッグに戻ればいい。俺が嫌いならな。

そのチャンスはいくらでもあったし、ジブラルタルに俺が向かったのは勿怪の幸いだろう。

あの時に俺の面を拝まず去れる筈だった…違うか!?」

 

それに女の方から抱いてくれと言ってきたのだとヤザンが言えば、

カテジナはもう顔中を怒りで真っ赤にして〝襲いかかる〟という表現が似合うように暴れた。

余りに力一杯暴れるものだから、彼女の手首を押さえる手にも力が入ってしまう。

カテジナの細く白い手首に、

ヤザンの手形が痣になって残ってしまうのではないかという程に。

カテジナがヤザンの面に唾を吐きかけるが、

しかしヤザンは避けずにそいつを頬で受けて女の目を見つめた。

 

「お前のような下衆はいちゃいけないのよ!

女を力で抑え込んで…!女は男の言う通り動くオモチャじゃない!」

 

「誰がお前の意思を無視して貴様を動かした?

俺はいつでも貴様の意思を尊重してやったがな、カテジナ。

リーンホースに来たのも、誰がお前に頼んだ。

お前は自分の意思でここに来たのだろう?」

 

憤激するカテジナをヤザンは愉快そうにニタついて眺めていて、

それがカテジナにはより一層気に食わない。

キスマークを指摘されて狼狽え、

頭を下げて真摯に謝るならまだ可愛げがあるとカテジナは思うが、

確かにヤザンが言う通り自分がそんなことで満足したり不満を抱いたりする道理はない。

カテジナはヤザンの彼女でもパートナーでも伴侶でもないし、

なることを望んでもいないとカテジナは自分では思っている。

そんなことは理性と知性で分かるが、

カテジナの精神の根底はまさに烈女でありマグマのように熱く煮えたぎる激しいものがある。

その魂の奥底がカァっと熱くなって怒りを拭き上げてしまうのだ。

 

ヤザンの顔を久しぶりに見た時は自然と頬が緩んだ。

足も自然と彼の方へ引き寄せられて小走りで向かっていた。

だが、首筋のキスマークを見た瞬間に、

その烈女の面の煮えたぎる炎の心が前触れもなく爆発した。

してしまった。

カテジナの令嬢としての理性が止める間も無く激発したのだ。

リガ・ミリティアを去るチャンスも、ヤザンが言う通り存在した。

カテジナの能力ではゲリラ組織であるリガ・ミリティアの誰も

彼女を強く引き止めないのは彼女も分かるし、

それが癪だとも思いつつもいけ好かない連中と縁を切れるならそれも良いと一時は思った。

だがそれ以上に去り難い何かが彼女の心の中に凝り残る。

ヤザンの側にいると満たされる何かが、

ウーイッグの廃墟にはない。

きっと他のどこにもない。

あるのは、ヤザンの側だけだと精神のどこかで確信出来てしまっていた。

だから彼女は去れない。

自分の心の中にある理性で処理しきれぬ感情を目の前の男に…

原因であるこの男にぶつけるしか、まだ若いカテジナには方法は無かった。

 

「こ、このぉ…!はな、せぇ!下衆!」

 

「おいおい、今日はまた特段だな。俺を独り占めしたかったか?お嬢ちゃん!」

 

「ッ!!誰が!!図に乗らないで!!」

 

「俺が欲しけりゃ大人しいだけのお嬢様でいちゃ無理だな。

根性見せなよ、ウーイッグのお嬢様。

一兵卒から泥水すすって這い上がって、

俺の背中を守るぐらいになりゃあ俺も貴様を抱いてやるぜ、カテジナ。

シュラク隊の女どもは、皆そういう女なのさ。

奴らはイイ女だ」

 

「あ、あんたなんかに抱かれたくない!

よ、よくもそんな都合のいい妄想を恥ずかしげもなく!」

 

「そうかい。まっ、好きにしな。

本当に兵士になれとは言わんが、ようはそれぐらいの気概を見せろという事だ。

今までのように流れてなぁなぁで事を成すな!

デカイ流れにも自分の意志で抗ってみせろ!」

 

「ふん…!何よ、つまりあんたは私に逆らって欲しいの!?

マゾヒスティックな男なのね、あなたは!変態なのかしら?」

 

「フッ、クハハハ!否定はせん!

だが吠えるだけじゃなく行動で貴様の意地を貫けと言っている」

 

「私の、意地…?」

 

「そういう女は好きだ。そうなれよ、カテジナ」

 

いつも崩れぬ不遜な自信漲る笑みを浮かべカテジナを見る。

ウーイッグの令嬢の胸がドキリと高鳴った。

これだ、いつもこれにやられる。カテジナはそう思った。

そういう顔で見られて、好きという単語を叩き込まれるとカテジナの怒りが引っ込んでしまう。

いや、引っ込むというよりは怒りを上回る違う感情がそれを塗りつぶすのだ。

そしてそういう時は決まって体の奥が熱くなる。

 

「い、いつもそうやって…!話を…誤魔化しているわ!」

 

「そうだ。よく気付いたな。いつまでも子供の駄々に付き合いたくないからな」

 

「子供扱いして…!」

 

「まだ処女なんだろう?ガキだな」

 

「ッ!」

 

豊かながらまだ青く固い胸が男の大きくごつい掌の中でぐにゃりと揉まれて、

カテジナの体の奥の火が一瞬大きく燃えた。

 

「やっ!やめてっ!」

 

ヤザンへ殴りかかろうとし続けていた腕を、カテジナは初めて逃げに回して引っ込めた。

それを感じ取りヤザンも押さえつけていた手を離してやる。

手首を掴む男の枷から解き放たれて、彼女は己の胸を己の両手で守るように抱いた。

 

(ひ、人前で…!)

 

人前でなければその先も許したかもしれないということだ。

たったあれだけヤザンに胸をしてやられただけで、

カテジナは自分の女の膨らみの先端がジンジンと痺れるのを感じていた。

体は、どうしようもなくヤザンに抱かれたがっている。

彼に抱かれたシュラク隊のメス犬達に嫉妬し対抗したがっている。

 

「カテジナ」

 

「な、なに!?」

 

ヤザンが声の調子をワントーン落とし、

ニヤケ面も消して真面目に自分の名を呼ぶから思わずカテジナは心臓を跳ねさせた。

今の破廉恥な無礼を詫びようとでもいうのか、と

既に何日も何度もヤザンとやり取りをしたカテジナには

そんな事は有り得ないと理解しているのについそういう想像をしてしまう。

だが、

 

「全部終わっているんだろうな?」

 

「…え?…………な、何をよ!」

 

一拍、カテジナは何のことかと思考する。

 

「書類だよ。俺がジブラルタルにいる間もサボらずやっていたんだろうな」

 

「~~~~ッ!!!バカにして!!!それが大人の男がやること…!大人が!!」

 

赤い顔で肩を震わせるカテジナ。

その目に、何故か涙が滲んできて潤んでしまう。

わざとからかっているのだと頭の良いカテジナには分かった。

こんな粗野で女心を解さない野蛮人に惹かれ始めていると、

そう自覚しかけているカテジナはそんな自分を恥じて惨めに感じ、

その感情の高ぶりがカテジナの涙腺を緩める。

そういう忙しい感情に振り回される多感な年頃なのだった。

 

投げ捨てていたボストンバッグを引っ掴むとそれを間髪入れずにヤザンへ投げつける。

 

「私より書類が好きなヤザン・ゲーブル!くれてやるわよ!

人殺しの女兵士でも育てて抱いていればいいわ!」

 

ヤザンの顔面目掛けて投げられたそのバッグは簡単に受け止められ、

受け止められると同時にカテジナは走り去っていた。

 

あんぐりと口を開けてその修羅場を眺めているリーンホースの新参スタッフ達。

それと対象的に平常運転のリガ・ミリティアの古参達と、そしてヤザン。

カテジナから受け取ったバッグを開けて漁り、

1枚、また1枚とバッグ一杯の書類を取り出してのんびりチェック等を始めていた。

 

「フフ…これはこれは。やる事はやっているな、お嬢様。

完璧な書類だぜ」

 

「ヤザンさん」

 

事が静まり、ウッソがようやく場に出てくるとヤザンへ静かな口調で声を掛ける。

 

「ウッソか。お前が片想いしていたウーイッグのお嬢様は随分と激しい女だな」

 

「そうさせたのはヤザンさんでしょう…?もう…」

 

ジトリとした目でヤザンを睨むように見るウッソの視線をヤザンは笑って流した。

 

「ハッハッハッハ!そうか!そいつはスマンな。

あいつの反応が素直で面白くてなァ…ついついからかっちまう」

 

「よくないと思います、そういうの」

 

ウッソ少年が、少し頬を膨らませた仏頂面気味に言う。

 

「カテジナさんは…きっと、ヤザンさんの事が…その…好き、なんじゃないんですか?

なのに他の女の人と楽しくしているのを見せつけるのは…可愛そうだと思います」

 

焦がれていた想い人が他の男を好きかもしれないと思うのは少し辛いし、

これはウッソ少年の甘酸っぱい初失恋なのかもしれないが

カテジナを盗った男がヤザンなのだと思うと

ウッソはその失恋がそこまで苦いものとは思わなかった。

ウッソの隣ではシャクティも「ウッソと同意見」と言わんばかりの視線を投げ寄越している。

彼女から見ても、カテジナの激しい態度の中にヤザンへの恋慕を感じる。

 

「……フン、賢しく言うじゃないか小僧共」

 

ヤザンは少年少女が目で訴えかけるものを読み取ろうというらしい。

笑うのを止めて真摯に向き合っていた。

 

「………」

 

「………」

 

三人の視線が言葉無く交わり、

やがてヤザンの目線は自然とシャクティの瞳に引き寄せられ吸い込まれていく。

ウッソとシャクティの目の中に、子供故の純心だろうか…ヤザンは()()()を見た。

ウッソもであるが、特にシャクティだ。

黒い瞳は、まるで宇宙のように深くて広く、見つめる者を包むような優しさがあって、

その暖かさがヤザンには受け入れ難い。

寝たくもないのに寝かしつけてくる母親のようであった。

普段はおどおどしているくせに、

シャクティは只々静かに真っ直ぐに風貌恐ろしげな年長の逞しき男の瞳を見ていて、

そんな見つめ合いが数秒程続きヤザンは小さく笑った。

 

「…そうだな。確かにちょいとばかしやり過ぎたかもしれん。

後で謝っておくとしよう。これでいいか?シャクティ」

 

「え?あっ、は、はい」

 

ウッソではなく自分に語りかけたヤザンにおっかなびっくりした少女は、

今の包み込むような瞳が霧散していつものおどついた少女となっていた。

 

「えぇ?シャクティに言うんですか?僕じゃなくて?」

 

「お前の彼女に免じてそうしてやるってんだよ。

チッ…ガキのくせに見透かすような嫌な目をしやがって」

 

ヤザンの舌打ちに、シャクティは小さな肩を震わせる。

それに気付いたヤザン。

彼は女子供の喧しさが好きではないが

戦闘外であればそういう者らも無闇に怖がらせるような事はしない。

なので自然とフォローの言葉がヤザンから飛び出していた。

 

「………フッ、俺にとっては嫌な目だが…。

シャクティ…きっと貴様は良い母親になる。

ウッソのガキでも生んでやれよ。こいつ、喜ぶぜ」

 

「い、いきなり何言ってるんですヤザンさん!」

 

ヤザンの手が、ウッソとシャクティ二人の頭を乱雑に撫で回す。

喚きつつもウッソはこの男にこういう風に撫でられるのが好きだったが、

ちらりと横目で見るとどうも少年のパートナーの少女も当惑しつつ受け入れていた。

幼過ぎる頃に父を失ったシャクティは、大人の男にこうやって頭を撫でられた事はない。

あってもきっとそれは覚えていない。

だからか、シャクティは大きな手から頭髪を通して頭皮に染み入り、

脳まで通り越して思考の中央まで温かなモノに包まれるような感覚に酔う。

 

「わ、私…ウッソの子供…生めるでしょうか?」

 

その感覚に酔ったせいか、それとも先程の男と女の痴話喧嘩を目の当たりにしたせいか、

あるいは両方か…シャクティはついつい変な事を口走って隣のウッソを吹き出させた。

ヤザンはまたカテジナをからかう時のようなやや悪辣な笑みを浮かべた。

 

「生みたくなりゃ生めばいいさ。

男と女になるにはまだ早いが止めはせんよ…だが、まだお前らはガキだ。

避妊は確実にしろ。ガキがガキを生んでも育てられんぞ」

 

「…っ、そ、そうです、よね…」

 

「ヤザンさんっ!!?」

 

「ハッハッハッハ!」

 

最後に一頻りワシャワシャと二人の頭を撫でてから、

ヤザンは大笑いしながら「じゃあな」と書類満載のボストンバッグ片手に去っていく。

ヤザンの大笑いがリーンホースの格納庫に木霊して、

少年と少女は真っ赤な顔で互いを見合っていた。

 

「…い、行こう、か。シャクティ」

 

「う、うん」

 

耳まで赤くしながら、二人はまだまだ残っている搬入の仕事を手伝うのだった。

 

 

 

 

 

 

リガ・ミリティアの幹部連中は、

今まさに丁々発止とやりあって長卓を囲んでいた。

医師のレオニードが、オイ・ニュング伯爵に詰め寄られている。

 

「何度も聞くが…可能性は?」

 

「だから、1人での検査は確実性に欠けているんですよ。

あくまで可能性があるというだけだ。

もう1人血縁者のDNA検査が出来れば90%以上の精度がでますがね」

 

オイ・ニュングが深い深い溜息を吐く。

レオニードも、そしてロメロやゴメス、ヤザンもだ。

 

「…まさか、乗船前の免疫検査がこんな結果を出すとはな」

 

ヤザンが、レオニードの医療レポートをめくって該当項目を鋭く睨み、

ロメロ爺さんが唸る。

 

「う~~~む……クロノクル君と、シャクティさんが…まさかなぁ。

これが本当なら大した事になっちまうぞ…!」

 

宇宙艦船という閉鎖空間で恐いのは疫病だ。

もしも艦内で感染病が起きた場合、防ぐのも逃げるのも非常に困難であるから

搭乗予定の人員の健康診断は常識であり鉄則でもあった。

ジブラルタルシティに置いていくつもりであったクロノクルとシャクティ、

それにスージーやカルルマン達であったが、

全員がしっかりした施設で折角受けるのだからとついでに彼女らも受診していたのだ。

その結果…とんでもない可能性が提示されてしまっていた。

伯爵とヤザンが無言のまま険しい顔で見合って、また溜息をつく。

 

「…シャクティとクロノクルが血縁の可能性、か」

 

宇宙世紀のDNA鑑定技術であるから

比較検査対象数が不足していても検査結果にはかなりの精度があった。

レオニードの専門は遺伝子ではないが医師として知識はそれなりにある。

ジブラルタルの引越公社の協力を得られているのもあって、

大型医療施設とその専門医を使った上での検査結果なので信頼度は高い。

伯爵が抑揚を抑えた声で言う。

 

「…シャクティさんとクロノクル君が血縁者であるなら、

シャクティさんはザンスカールの女王の血縁者であるということだ」

 

ヤザンも頷いた。

 

「そういう事だな。だが、確定させるにはもう1人ぐらいの検査が必要なんだろう?」

 

「クロノクル・アシャーは女王マリアの唯一の家族という話だよ」

 

「つまり、女王マリア様の御血を拝借させて頂ければ結果はお出ましになるって事だな」

 

鼻で笑うヤザンだが、皆も同じ気持ちではある。

そんなことは出来もしない事だし、しなくてもかなり確度の高い情報である。

オイ・ニュングは再度大きく深い溜息をついて口を開いた。

 

「可能性が50%もあれば考慮するに充分過ぎるだろうな。

シャクティさんはクロノクル君と血が繋がっていて、

クロノクル君とシャクティさんは親子関係にはないとは確定している。

という事は、シャクティさんは女王マリアの娘なのだ」

 

伯爵が結論を出すと、特に反論も出ない。

医療レポートを卓上に投げ捨てて、ヤザンは椅子の背もたれに深くもたれた。

 

「王子様とお姫様が俺達の掌中か。

伯爵…あんたとジン・ジャハナムのやり方次第じゃ外交で決着が着くんじゃないか」

 

「そうはいかんだろう。

ザンスカールの女王はカリスマとヒーリング(奇跡)は恐ろしいが実権は無い。

カガチが和平交渉等跳ね除けるさ」

 

緊迫した空気が会議室を包み、

皆の衣擦れや咳払いまでが喧しい程に室内は静まり返っている。

そんな中、ヤザンが卓上に前のめりになって伯爵を見据えた。

 

「…一つ言っておこう、伯爵」

 

「なんだね隊長」

 

「シャクティまで使うのは俺は反対だ。

気に食わん。

ウッソだけで充分だろう。

これ以上ガキ共に戦争を引っ掻き回されたくないんだよ、俺は」

 

「…」

 

「あいつらはカサレリアの森で田舎暮らしが性に合っている。

シャクティはずっとあの森でウッソと暮らしていたんだ。

例え女王マリアが母親だとしても、ウッソがスペシャルだとしても…

あいつらは田舎暮らしがお似合いだ」

 

「やけにセンチじゃないか、隊長」

 

「才能に関わらず、生まれによらず、人は分相応が一番だろう?

俺の分相応は戦場での殺し合いだが…

ウッソ達は田舎者らしく田舎に引っ込んでるのがお似合いってこった」

 

ザンスカールの姫としてシャクティを利用すれば、

顔を出してメディアにも露出させるのだろう。

それがリガ・ミリティアの、ジン・ジャハナムや伯爵のやり方だ。

そうすればこの戦争がどういう決着を迎えようが、

戦後、シャクティ達はそのままじゃいられなくなる。

ザンスカールが負ければ敗戦国の姫として責任を負わされ戦争の憎しみの捌け口になる。

ザンスカールが勝てば女王の娘として統治者達の権力闘争の渦中に放り込まれる。

帝王学もなにも学んだことのない田舎娘が、いきなりそうなる。

それはヤザンから見ても面白い事ではなかった。

 

「シャクティさんが望んだら?」

 

「それはその時だ」

 

「ならば、私が彼女を説得すれば隊長も納得してくれるのだな」

 

「元マンハンター(マハ)局長の口の巧さの見せ所だな、オイ・ニュング」

 

元マハと揶揄されオイ・ニュングは苦笑う。

 

「フフフ…元ティターンズと元マハのコンビか…宇宙移民にとっては笑えんよなぁ。

今となっては過激なマン・ハントも行われていないが、

マハが最悪の名なのは変わらぬのだから今更善人面する気はないさ。

………………まぁ私も急ぎ過ぎる気はないよ。

抵抗運動は良い流れに乗っているし、

シャクティさんとクロノクル君を使わずに済むならそれに越したことはないんだ」

 

「…ジン・ジャハナムの判断次第か」

 

ヤザンは不機嫌そうに呟いた。

事がどういう展開を見せるにせよ、面倒事がまた一つ増えた。

それだけは伯爵とヤザンの確かな共通認識だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女王の娘がリガ・ミリティアにいるかもしれぬという深刻な議題で、

真面目な顔付きで皆がうんうん唸っている中、

その会議に出席していたゴメスは同じ深刻な顔をしていたが

1人全く違う事が気になってしまっている。

 

(ちょ、ちょっと待てよ…ティターンズって…ヤザン大尉は本当に…

ひょっとしてあのティターンズだったのか!?)

 

会議の最後にその疑問を投げかければ至極あっさりと「そう言ったろう」と肯定されて、

今更ながらゴメスは

ヤザンがコールドスリープによって現代に生きる歴史の生き証人だと知ったのだった。

その日からゴメスはしつこくヤザンと酒を飲みたがって、

ヤザンはその度、昔話をせがまれる事になる。

毎日のように夜遅くまでヤザンの部屋に居座るようになったゴメスは、

ヤザンと閨を共にしようと夜這いに来るシュラク隊の面々に

しかめっ面で見られて邪魔者扱いされるようになってしまうのはご愛嬌であった…

が、そんな事はシャクティの事と比べれば大した事もない事である。

 



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宇宙に帰ってきた獣

「すげー宇宙だぜ!」

 

「うわ…僕はじめてだよ。な、なんか恐いなぁ!

わっ!でも見てよ!あれ!すっごい光ってるよ!」

 

「ちょっとぉ!顎のせないでよウォレン!おーもーいー!」

 

「なんだお前ら宇宙初めてなのか。俺はサイド2生まれだからこんなの慣れっこだよ」

 

オデロとウォレンとスージィと、そしてクロノクルだ。

彼ら4人はMS格納庫(ハンガーデッキ)の小窓から外の真空を眺めていた。

戦時でなければシャッターは降りておらずこうして外の景色を楽しめる。

とは言っても、宇宙はどこまでも変わらない暗黒で

星々の瞬きもどれもこれも素人には違いは分からない。

ただ空気の綺麗なカサレリアで見る夜景の星よりもその輝きは鮮烈で、

どれを見ればいいのか分からない程の無数が光っていて

地球育ちの子供達にとっては新鮮な美しさだった。

 

そんな地球育ちの、クロノクルから見れば田舎者丸出しの地球人のはしゃぎように、

クロノクルは優越感を得て胸を張って笑っていた。

 

「見慣れてるなら頭引っ込めろよ!お前は無駄にデカイから邪魔なんだよな」

 

オデロがクロノクル青年の赤頭を押し込んで除けようとし、

クロノクルは「何すんだ!」とジタバタと悪態をつきながら抵抗した。

 

「これだから地球人は田舎もんって言われるんだ」

 

「なんだと、この頭イカれの唐変木」

 

「何をぉ…?俺のどこがイカれ頭だ!」

 

「実際そうだろうよ!」

 

「言ったなオデロ!」

 

「言ったさ、ウドの大木!」

 

「ちょっと止めなよ2人とも!もぉー!

クロノクルくんも大人になりなって!オデロと同じレベルでケンカしないでよ!」

 

クロノクルとオデロが互いの胸元を掴みだして、

それをスージィがぎゃーぎゃー喚いて止めて、

ウォレンは小窓の外の景色を写真で必死にパシャパシャしている。

そんな大変騒がしい子供らをそのまま放置して見逃す大人はここにはいない。

 

「コラァ!!邪魔するなら格納庫から出ていけ!!

客室とかトイレの掃除とか…色々あるだろう、お前ら!」

 

クッフがスパナを持って子供らの方へと床を蹴って宙を跳んでくる。

トレードマークのカウボーイハットの下の顔は怒り顔で、

「やばいぞオデロ!」と叫んだクロノクルに触発され子供らは脱兎の如く駆け出した。

一人クロノクルの赤頭だけが子供の群れの中でぴょこんと飛び出しているのが珍妙だが、

精神年齢はオデロら悪ガキと同水準なので息はピッタリなのであった。

 

「く、くそ…逃げ足はええ…」

 

クッフは追跡を諦めて、油で汚れたゴム手袋で鼻っ柱を擦り愚痴る。

 

「なんだってあんなガキ達がこのリーンホースに…。

一人は図体でけぇガキだし…」

 

そんな愚痴に、金髪おかっぱ頭の…見る人によっては美少女であるネス・ハッシャーが

実に分りやすい回答を用意してくれていた。

 

「しょーがないでしょ。密航してたんだから」

 

作業の手を止めずに大柄なストライカーが

 

「チェックが杜撰過ぎやしないか?」

 

言葉短く当たり前の疑問を提示すれば、

またネスが明朗に答える。

 

「しょーがないでしょ。正規軍じゃないんだから」

 

まぁ確かに、とストライカーは心の中で苦笑する。

良くも悪くも奔放な所がリガ・ミリティアにはあるが、

それは民兵組織でゲリラ組織であるので目を瞑って欲しい所だ。

 

「…そういえば、ネス。お前は通信士やってくれってロメロ爺さんに頼まれてなかったか?」

 

「ああ、あれは兼任してくれってさ。

必要な時はこっち手伝っていいんだって」

 

ネス女史はパイロット技能こそ優れていないが、それ以外の技能は抜群の万能選手だ。

砲撃手を務める事もできる。

無骨な整備一筋のストライカーは羨ましそうに唸ったが、すぐに話題は次に行く。

さっきの悪ガキ4人組だ。

 

「…それにしても、あいつらが乗ってるのが分かった時のヤザン隊長は凄かったな」

 

「ふふ…さすがの悪ガキ共も縮み上がってたよね。

クロノクルとオデロなんて抱き合って怯えてシャクティを盾にして…

アレはちょっと笑いそうだったけど、怒られてないこっちまで怖くなっちゃったもん」

 

ネスの軽口を受けてもストライカーは手を止めず、

シャッコーのコクピット周りの空気漏れのチェックを特に念入りにチェックしている。

オーティス老を除けば一番のベテラン整備士である彼は

慣れた手付きでシャッコーの宇宙対応化を進めていた。

ヤザンに最も信頼を置かれていて、

シャッコーを任せられているのが彼、ストライカー・イーグルだ。

余り陽気にはしゃぐタイプではなく口数も多くはない。

年齢も若手スタッフよりは一回り上であり老人達よりも圧倒的に若い30代半ばの中堅。

歳も近く実直で油の乗った働き盛りのストライカーは、

腕前だけでなく人格面でもヤザンに気に入られ、時折酒を酌み交わす仲でもあった。

 

「コンテナに詰め込んで地上に送り返せって…

あのまま本当にやりそうな勢いで怖かったなぁ」

 

ネスは言葉とは裏腹にどこまでも楽しそうに思い返している。

ヤザン達もそうだろうが、ストライカー達もあの子供らには呆れて溜息が出てしまう。

 

「まったくな…軍艦にあんな子供が乗るもんじゃないんだが」

 

「…一人はあきらかに大人だけど」

 

ネスの正確なツッコミにストライカーもクッフも、その他の整備スタッフも大笑いしていた。

 

 

 

――

 

 

 

 

「ヤザン大尉、当艦はこのまま静止衛星軌道上の要塞に向けていいのか?」

 

ロベルト・ゴメス大尉が艦長席に座し、その左右にオイ・ニュングとヤザン・ゲーブルがいる。

リーンホースの艦長に就任したゴメスが横に仁王立っているヤザンへ尋ね、

直後に二、三の指令をオペレーター達へ飛ばしていた。

 

「俺は戦闘指揮は執るが普段は伯爵だ。そちらへ伺ってくれ」

 

「いや、隊長。ここは私も宇宙での実戦経験が豊富な隊長に聞きたい。

ザンスカールのビッグキャノンはもう起動出来ると思うか?」

 

伯爵へ振ったのに直ぐに球が返ってきた。

 

「敵さんの建設事情は知らんよ。

だがバグレ隊は踏ん張っていて、

バグレ隊にビッグキャノンが使われた形跡は無いんだろう?

ならまだ撃てんのだろうさ」

 

連邦から分離し独自に協力してくれていたバグレ隊は、

多少の余力があった宇宙のリガ・ミリティアから

新鋭機ガンイージを数機、或いは十数機受領していてかなりの奮闘を見せていた。

見返りとして少しの金銭と宇宙空間での戦闘データを

セント・ジョセフの秘密工場に提供して貰っていて、

リガ・ミリティアとしては良い事尽くめなのだった。

ヤザンとオイ・ニュングがチラリと聞いた事によると、

ガンイージを更に宙間戦闘に適応化させた高機動型も戦線に投入する予定らしい。

 

だからといって時間的猶予はたっぷりだというわけにもいかない。

自分達が宇宙に戦力を上げたようにザンスカールも宇宙に集まっている。

ヤザンとしては急いでバグレ隊に合流しつつもビッグキャノン攻略にはまだ出向かず、

まずは地上戦だけしか経験していない連中を宇宙に慣れさせておきたいのだ。

機体の宇宙対応化は大前提として勿論だが

何よりパイロットが宇宙に溺れて討たれるというのは今までの戦争でも多くあった事だ。

 

「…なら、そう急ぐこともねぇかな。

どうするヤザン大尉?俺も含めて宇宙は久しぶりだったり初めての連中も多い。

ちょいとばかし慣らしといくか?」

 

同じことを考えていたゴメスにヤザンはニヤッと笑ったが、

前記のようにそうのんびりもしていられないとヤザンは思っている。

 

「いい考えだ。俺もそう思っていた。

…だが俺達無しでも静止衛星艦隊と五分五分にやり合っていたバグレ隊なんだ。

それはザンスカールだって理解しているだろう。

俺達という増援が宇宙に上がってきた今奴らも増援を派遣するって事だ。

宇宙艦隊のバグレ隊と合流して早いとこ演習をしたいがな…

それ程時間はとれんだろう。

少しでもやっておくか…直ぐに出るぞ。慣熟訓練を開始する!」

 

ヤザンの言にゴメスも伯爵も頷けば、それはもう決定事項となる。

直ぐにパイロット各員はMSに搭乗し

ヤザンのシャッコーと実戦形式で訓練となる…筈だったのだが。

しかし、整列したパイロット達を見渡したヤザンは一瞬見間違いかと思う。

思わず二度見し、そして長い金髪の女をジロリと見た。

 

「…なんのつもりだ、これは」

 

「あら、あなたが言ったんじゃない。ヤザン・ゲーブルの背中を守れるくらいの女になれって」

 

シュラク隊と同タイプのノーマルスーツに身を包んだウーイッグのお嬢様がシレッと言う。

一瞬、ヤザンは頭痛がしたように感じる。

だが、ヤザンよりも速くウッソが目ン玉をひん剥いてカテジナに驚いていた。

 

「なっ!?なにをしてるんですかカテジナさん!?

あなたはパイロットなんてやってないでカルルマンのお世話でしょう!?」

 

マーベットもウッソと口を揃える。

 

「そうよ!何を考えているの!

パイロットの数はそこまで足りないってわけじゃないし、

あなたには艦内でやって貰いたい事も多いわ。

戦闘スタッフばかりじゃ組織って成り立たないのよ。

後方サポートだって立派な仕事なんですからね」

 

オリファーやシュラク隊の者達は説得こそ2人に任せているが同じ呆れ顔である。

ヤザンは腰に手をあてて深い溜息をつきながらうつむき加減だ。

ヤザンの表情が伺えないのが逆に恐ろしいと皆は思うのだが、

当のカテジナは膨れっ面の知らん顔で

ウッソ達の言葉を流しているのだから始末に負えない。

 

「あの………カテジナさん。

パイロットなんていきなりやって出来るものでも無いですし、

そもそもこんなものに乗ってちゃいけないんです。

戦争にのめり込んで戦うような恐い人にならないでねって、

そう僕に言ってくれた事もあったのに自分から恐い人になろうっていうんですか?」

 

ウッソは一生懸命にそう言うが、

カテジナは長い金髪を右手で掻き上げて少年を見下ろし気味に言い返す。

 

「あなたはそれが自分で出来るスペシャルだって言いたいんでしょ?」

 

「ちっ、違いますよ!僕は――」

 

「いいの。分かっているわ、ウッソ。

あなたは確かに特別な子…小さい頃から特別な訓練を受けて、特別な才能があって…

何よりヤザン・ゲーブルに見初められて特別に鍛えられた。

シュラク隊の女達も…そっちのマーベットさんもね。

でもね…私だってあいつに鍛えられれば同じだけの事が出来る。

それに、シミュレーターは何度かやってみたから大丈夫よ」

 

カテジナはこっそりとMSシミュレーターまでやって今に臨んだらしい。

彼女はウッソだけでなく、シュラク隊も…そしてマーベットをも睨んで強気を滲ます。

だが、生半可な訓練を潜り抜けていないシュラク隊とマーベットは、

カテジナのこの発言にかなりムッと来るものがある。

ウーイッグの箱入り娘が、ろくなトレーニングも無しにいきなり宇宙訓練に参加するなど、

笑い話にもならず彼女達からすれば只々不愉快なだけである。

それこそヤザンではないが、「女子供はすっこんでいろ」と師譲りに思う。

しかしウッソもシュラク隊もその女子供なのは事実であり

「私だってやれば出来る」と言われてしまえば全面否定はし難い。

 

「ハァ…あのねぇ、お嬢ちゃん。パイロットは生っちょろい白い腕で務まらないよ。

隊長の秘書官紛いの仕事しかしてなかったんだろ?

少なくともさ、まずは体作りからしなきゃ話にならないよ」

 

ヘレンは内心で()()()()を言い出したお嬢様を見下しながら言うと、

カテジナはシュラク隊のエースパイロットにも負けぬ気迫で言い返すのだ。

 

「私がお嬢様に見えるのね。

その通りで学はあるのよ、ヘレン()()()()

だから少し勉強すればモビルスーツの事は大体分かったわ。

今のMSは昔と違って女子供でも操縦できるくらいにパイロットの負担が軽いんでしょう?

肝心なのは精神力とテクニックよ。

テクニックは直ぐにあなた達に追いついて…いいえ、追い抜いてみせるし、

心は誰にも負ける気がしないのよね」

 

「…おば、さん…?」

 

ヘレンとカテジナの視線が真正面からぶつかり合って、

誰の目にも明らかに火花が散っている。

ウッソも口を半開きにして顔面を青くしていき、

オリファー等はこの面子の中で最も気まずそうな顔をして居心地が悪そうだ。

 

「あら?気に障ったからしら、()()()()

 

「ッ!……言うに事欠いて、優しい顔してりゃ図に乗って……!上等だよ!小娘っ!!」

 

シュラク隊一、百舌鳥の名に相応しい好戦的な女は当然暴発した。

パイロットを侮辱するかのような数々の発言に、

少しばかり若いからといって

まだ20代前半の自分を年齢的に貶されてはヘレンは我慢が利かない。

ヤザンの前だというのも忘れてカテジナに飛びかかって襟を締め上げる。

 

「っ!こい、つッ!そうやってすぐに手をあげるわけ!?

あんたのような品のない女が…!なんでヤザンに抱かれてさ!」

 

「結局それなんだろ小娘っ!

惚れた男を振り向かせられないからって

パイロットの世界にいけしゃあしゃあと首を突っ込むな!動機が目障りなんだよ!」

 

ヘレンがカテジナの頬を打ち、直様カテジナはヘレンの頬を打ち返す。

 

「ヤザン・ゲーブルもあんたより若い私の方が抱き甲斐があるに決まっている!」

 

「私は抱かれててお前は抱かれてないんだよ!それが全てだろう!」

 

今度はヘレンの裏張り手が炸裂し、またも間髪入れずカテジナもやり返すのだから逞しい。

ウッソが慌てて二人の腕を掴もうとして、

そしてオリファーはいい加減に肝を据えて両者を止めにかかった。

 

「ちょっと二人共止めて下さいよ!

ヘレンさん!カテジナさん!!こういうのっておかしいですよ!」

 

「止めないか二人共!!余りに見苦しい醜態だぞ!!」

 

オリファーとウッソがカテジナを抑え、

他のシュラク隊がヘレンを抑える。

 

「ちょっと落ち着きなってヘレン!本当に小娘なんだよ!

まだ何も見えてないんだ!素人にキレてどうするのさ」

 

ジュンコが宥めるも、ヘレンはまさに怒った犬がグルルッと唸るようだった。

皆が縋るようにして沈黙を保つ男を見る。

この場を完全に収拾出来るだろうその男、ヤザンの肩が震えだして、

小さな声が「クックックッ…」と漏れ出していた。

 

「フッハッハッハッハッハッ!!」

 

顔を上げたヤザンは大笑いをしていた。

堪えきれないという風な笑いであった。

 

「隊長!?笑い事ですか!」

 

思わずマーベットが不機嫌な声で隊長へ訴えるが、

ヤザンはやはり愉快そうである。

 

「クククッ…ハッハッハッハッ…!あぁ、笑い事だ。こいつは可笑しい。

まさか、気概を見せろと言ってからこれ程早くパイロット志願とは俺も予想出来なかった」

 

カテジナ・ルースはいつもヤザンの予想の上を行く。

しかも唯の上ではなく、絶妙にズレて低空で上を飛んでいくのだから面白い。

ヤザンがのしのしと歩き、睨み合う二人の女の間に入った。

 

「ヘレン!」

 

「…はい」

 

ヤザンに呼ばれ、何とか怒りを飲み込んでヘレンは返事をするが、

全く不機嫌が隠せていない返事であるのは明らかだ。

だがそんなヘレンを見てもヤザンは薄く笑い続けていた。

 

「お前の怒りは当然だ。カテジナはパイロットを甘く見てやがる」

 

「はい!」

 

そこでようやくヘレンは暴れるのを止めてヤザンへと敬礼し向き直った。

しかし、

 

「だが、跳ねっ返りの新兵はどいつもこいつもこんな感じだ。

貴様らもかつてはこうだった」

 

ヤザンは単純にヘレンの味方をしてくれているわけでもなさそうだ。

 

「えっ、い、いえ…私はこんな馬鹿な女じゃありませんでした!男のために戦うなんて―」

 

「それの何がおかしい?

戦いなんてのは、所詮は食うため生きるため…惚れた女のため男のためにやるもんだ。

戦いそのものを楽しむのも、結局は全部生き物の本能さ」

 

「それは……」

 

ヘレンは抗しようとしたが、しかし訓練生時代に散々ヤザンにその点は仕込まれている。

曰く、戦いに主義主張も善悪も無い。

曰く、戦場は兵士の華舞台。

化かし合い撃ち合い斬り合い…それらのテクニックを競い合う競技会場が戦場なのだ。

 

そういうヤザンの価値観にシュラク隊も大分影響されているから、

ヤザンが言うことを真っ向から否定出来ないヘレンであった。

 

「切っ掛けなんてそう大層なものじゃなくても構わん。

肝心なのはその後だ」

 

悪人面にしか見えないいつもの笑みを止め、

真顔となってカテジナを振り向いて彼女の名を叫べば

カテジナは不貞腐れるのと喜んでいるのが綯い交ぜの顔をして低い声で応えた。

 

「カテジナ・ルース!」

 

「…なに?」

 

「切っ掛けは対抗心だろうがへそ曲がりだろうが何でも良い。

だが兵士となって戦うというならば俺のルールに従って貰うぞ。

…特に、俺の元でパイロットになろうというのならばなァ」

 

カテジナはヤザンの目を真っ直ぐに見る。

 

「望むところだわ」

 

「……本当に良いんだな?

貴様が嫌う、力で言うことを聞かす暴力機関の世界が軍人だ。

必要とあらばガキも兵士として使う。

例え民兵組織のリガ・ミリティアでもその根っこは変わらんのだぞ?」

 

「……えぇ、覚悟の上よ。

あなたの土俵で、その世界で私は意地を貫いて…あなたに認めさせてやる。

そうでもしなければ…私はずっとヤザン・ゲーブルに負けたような嫌な気分のままなの。

私を小馬鹿にし続けたあなたが土下座して〝抱かせてくれ〟って、私に言わせてやるのよ」

 

きっぱりと言い切って、挑むようにヤザンから目を逸らさない。

カテジナの切れ長の美しい瞳が野獣が如き男を射抜き続ける。

 

「わかった」

 

ヤザンがそう呟くと、シュラク隊もオリファーもウッソも少し驚いた。

だが、何となくそうなるのではないかという思いも一同は抱いていたのだ。

カテジナが、こうも皆に食いついて離さないのは唯の世間知らずのお嬢様には出来ない。

ヘレン・ジャクソンも、掴みかかられ叩かれた痛みに涙する事も臆することもなく

やり返してきた事については多少認めないこともない。

根性無しのお嬢様というだけではないらしい。

それに、日々〝恐い人〟のヤザンとケンカをしているだけでも、

確かに「心は強い」と自尊するだけはあるのだ。

 

ヤザンは極めて真面目な口調で彼女へ言う。

 

「今から貴様は俺が鍛えてやる。

MSの操縦の腕前も、兵士としての心構えもな」

 

カテジナの顔にパァっと僅かながら花が咲いた。

本人も気の強さ滲む真面目で頑固そうな顔でその言葉を受けたいらしいが、

どうも嬉しさを隠しきれていない。

 

(カテジナさんって…凄く顔に出る人なんだな)

 

観戦者であるウッソ少年は心でクスリと笑う。

 

「ええ、頼むわね」

 

少し上擦ったような声でカテジナが言うとヤザンがすかさず、

 

「口の利き方に気を付けィ!!」

 

「ッ!!」

 

大きな声でそう叫んでカテジナの肩が揺れる。

 

「貴様は既に俺の部下になったんだ。

俺は上官であり教官というわけだ。

戦闘中の俺の指示は絶対…命令違反は営倉入り。

事と次第によってはその場で俺が銃殺する…いいな?」

 

カテジナはキッとヤザンを見返して、負けじと声を張り上げた。

 

「わか――っ…は、はい!」

 

「よォし…まずは、パイロットを舐めた口で乏した責任だ。

このまま何もなしじゃシュラク隊も収まらんだろうからな」

 

いいな?と聞けば、カテジナも察して口をへの字に結んで頷く。

 

「良い覚悟だ。歯を食いしばれ……………ゆくぞ」

 

ゴッという鈍い音がしてカテジナの長い金髪が揺蕩う。

無論加減はしただろうが、

その衝撃でカテジナの華奢な体はGの軽い宙空を漂いウッソがそれを慌てて受け止めた。

女性に対して、それも憧れの女性が屈強な男に殴られたのは腹ただしいとウッソは思う。

酷いとも思った。

だが、ああまで場を掻き回して

女性パイロット陣を罵倒する形になってしまった事の禊は必要だと、

スペシャルの少年の抜群の頭脳は理解していた。

それに、ヤザンが殴るというのは…女子供としてではなく、

根性だけある頭でっかちのお嬢様から、プロフェッショナルの兵士への修正…

つまり共に戦場を歩む同志として迎え入れるという

一種の儀式的な意味もあるのかも、とウッソは自分の経験から考える。

 

(…カテジナさんは、きっとヤザンさんの〝面接〟に受かったんだ)

 

「カテジナさん…だ、大丈夫ですか?」

 

カテジナの顔が腫れる前に救急スプレーでもと思ったが、

ウッソの手はカテジナに遮られる。

 

「いい。ウッソ、離して」

 

「…はい」

 

ウッソの手を振り切ってヤザンの前まで自力で飛ぶと、

カテジナは慣れない敬礼でヤザンの前に立つ。

それをヤザンは薄く笑って受け入れた。

 

「…ヘレン、貴様も取り敢えずはこれで納得しろ。

他の者もだ。いいな!」

 

「ハッ!」

 

ヘレンが様になった敬礼を返し、それにシュラク隊もマーベットも続くと

「さて…」と徐にヤザンが口を開き皆をゆっくりと見回した。

 

「思わぬ時間を食った。

さっさと訓練を始めるとしよう……

オリファー、マーベット、貴様らはウッソを連れてシュラク隊と模擬戦。

カテジナ…貴様は俺がみっちりと扱いてやる。

何せ時間が無いからな」

 

そう言って笑ったヤザンの顔は、カテジナにとって見慣れた非常に悪辣なものだった。

 

 

 

――

 

 

 

 

シャッコーが不規則的で変則的な軌道と加速で宇宙に青白いスラスター光の軌跡を描く。

その軌跡は1機のMSを中心に描かれていて、

中心のMSは宇宙で藻掻き苦しんでいるように挙動が怪しい。

一目見て初心者と分かる動きのそのMSへ、シャッコーは容赦ない殴る蹴るを繰り返す。

 

「カテジナ!まずは自分の場所を把握しろ!

マシーンに頼りすぎるな!自分の感覚で位置を掴め!」

 

「…ッ!ぐ…う、うゥ…!!」

 

カテジナが駆るガンイージに衝撃が走る度、

ガンイージは錐揉み回転となってカテジナの平衡感覚を揺さぶった。

コクピットの耐G機能とショックアブソーバーがかなりパイロットを楽にしてくれている。

その筈なのに、嵐のように絶え間なく素早く動くモニターの星景色が彼女の視神経を侵し、

吸い消し切れぬ衝撃が耳石を微かに間断なく揺らして猛烈な吐き気を催させる。

 

「太陽を意識しろと言うんだ!」

 

ヤザンの声が通信機越しに聞こえ、直後にまたガンイージが揺れた。

ヤザンにMS越しに殴る蹴るの嵐を見舞われ続けて早くも2時間は経っている。

ヤザンは最初に言った通り容赦がない。

箱入りのお嬢様を戦場で使える兵士に

数日以内にはしてみせようという無茶をヤザンは本気でする気であった。

とにかく時間が無い。

いつザンスカール艦隊と戦闘をするかはベテランのヤザンにも断言は出来ない。

こちらの予定はビッグキャノン攻略戦であるが、

ザンスカールの増援艦隊と遭遇戦をする可能性や、

哨戒艇シノーペと遭遇する可能性も充分有り得る。

戦闘はいつだって唐突だ。

それこそ双方が予定通りに戦うという事態は大規模な会戦ぐらいだろうが、

それだってどんな不確定要素で早まったり遅れたり流れたりが起きるかもしれないのだ。

そういう事が起きる前までに、

ヤザンはカテジナが取り敢えずMSを意思通りに一通り動かせるようにはしておきたかった。

 

「返事はいらんぞ。口を開けば舌を噛み切る!

舌を噛み切って死ぬのはパイロットにとって最も恥ずべき事だ!覚えておけィ!」

 

そんな事を言われてもカテジナは吐かぬように耐えるのに必死で口を開く余裕もない。

ヤザンが言うことを理解しようとも脳も撹拌されてるかのような断続的衝撃の中では、

彼の言葉も脳に染み付かない。

1G環境下で迂闊に格闘戦を仕掛け核融合炉を爆発させた馬鹿者が、

その衝撃で舌を噛み切ってしまうという事故は第2期MS時代以降多発している。

第1期世代のヤザンでさえ、

まれにそういう事故が起きて死んでしまうパイロットがいたのは知っていた。

ジェネレーターが核爆発しやすい第2期の現代戦ならば

尚更考慮しなくてはならないのが噛み切り対策なのだった。

 

その事をカテジナはテキストで読んだとうっすら記憶の引き出しから引きずり出していたが、

とにかく今はそれどころではない。

必死に機体の立て直し己の平衡感覚を無理矢理にオーバーワークさせる。

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ…!」

 

常に襲う吐き気、目前に急速に迫る巨大な鉄の拳。

だがヤザンのシゴキは少しも緩む気配が無く更に2時間が経過する。

既にシュラク隊やウッソ達は一旦リーンホースへ休息と推進剤の補給に戻っても、

ヤザンのカテジナへの個人レッスンは続いていた。

 

「ぅッ…ぐっ、うッ……ッッ!こ、れ、ぐら…い!」

 

カテジナの喉まで込み上げる不愉快な酸っぱさを、

しかしウーイッグのお嬢様は気合で飲み込んでヤザンの猛烈な殴打の中でも

機体を直ぐに立て直してシャッコーと向き合うようになってきていた。

体中のアポジを無駄に吹かしまくってはいるが

何とか立て直したガンイージを見てヤザンはほくそ笑む。

 

「良い筋だな、カテジナ。案外貴様は本気で化けるかもしれんぞ」

 

「ハァッ…ハァッ…うっ、……ハァっ、ハァっ…あ、ありがとう、ございます…!」

 

たった数時間の初訓練で、カテジナの動きはまぁまぁ様になってきているのだ。

これはかなり驚異的な事と言えた。

本気で「こいつ、天賦があるかもしれん」とヤザンも思い始めている。

ウッソ程ではないが――ウッソは別格の化け物であり過ぎる――

カテジナにもまた空間認識能力に特別な才の片鱗があるのをヤザンは感じていた。

 

(…何よりも根性がある…真の意地っ張りだぜ、こいつは)

 

帰ったら少しは優しくしてやろうかとも思ってヤザンが目を細めたその時…

 

「ん?」

 

「はぁ、はぁ…ど、どうしたの…ヤザン隊長?」

 

シャッコーの猫目が宇宙の黒い海の遥か向こうに光を捉えた気がした。

ただの星の光ではない。

不規則に明滅し、揺れ動いていた気がしたのだ。

 

「…いや、見間違いか?…カテジナ、あちらに何か見えるか?」

 

「え…?いえ、何も……あっ、待って。何か…」

 

ヤザンは宙域のCG処理マップを呼び出して座標を確認すると、

シャッコーの目線の先には特にコロニー等も無い。

 

「……ここから近い人間の痕跡は…太陽電池衛星ハイランドか…だが方向が違う。

しかしカテジナも見たのだな?」

 

「ええ」

 

「……よし、貴様の今日の訓練の仕上げといこう。

偵察に行くぞ。着いて来い」

 

「わかったわ」

 

そう返答したカテジナの声には少し上擦ったような明るいものが混じっていて、

今までの猛特訓の疲労を感じさせない明るさがあった。

シャッコーがガンイージの手を握り、そして目的の座標方面へぶん投げる。

 

「きゃっ!?ちょ、ちょっと!」

 

「ハハハ!あくまで訓練なんだ。気を抜くなよ!」

 

投げられてガンイージが乱回転するがカテジナはMSを素早く今度も立て直してみせて、

やはり天賦を持つ者の成長速度をヤザンへ見せつけた。

 

リーンホースから離れだした2機のMSを追うように1機の白いMSが後方から来、

そして両機へと通信回線を開いた。

 

「ヤザンさん、カテジナさん?どこ行くんですか?

皆心配してますよ。そろそろ帰りましょうよ」

 

ウッソが二人を心配して様子を見に来たらしい。

ウッソも宇宙は初めてだろうに、既に飛び方は中々のものだ。

しかし、やはり宇宙慣れしているヤザンから見ればその飛び方は産まれたての子鹿と同じ。

だから、

 

「丁度いい。ウッソ、貴様も来い。

今から偵察に出る」

 

そうヤザンは判断し少年を半ば無理矢理に連れ出した。

それを見て「チッ」と極めて小さく舌打ちしたカテジナだが

その思惑は可愛気ある乙女心からのものらしい。

きっとカテジナはヤザンと二人で行きたがっていると賢しい少年は察しているから、

 

「あ、あの、僕は遠慮しておきますよ。お二人が偵察に出るってゴメスさんにも伝えないと」

 

そう言って気を使ったがヤザンはそもそもカテジナと二人で宇宙遊泳デート等の気は無い。

 

「貴様も飛び方がぎこちないぞ。いいから付き合え。

今はミノフスキー粒子も戦闘濃度じゃないんだ。通信で報告すりゃ済む」

 

「でも…」

 

「リーンホース、聞こえるか!今からウッソとカテジナを連れて偵察に行く。

…ああそうだ。すぐに帰る。前方の漂流物を調べに行くだけだ。

………分かったよ、無茶はさせん。思ったより心配性だな、ゴメス」

 

渋るウッソをよそにヤザンは「報告は終わったぞ」と笑い、

ウッソのヴィクトリーの手も掴んで放り投げてしまった。

 

「わぁ!?」

 

乱回転するヴィクトリーのコクピットで、ウッソは呆れつつも笑っていた。

 



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宇宙の暗がりで企む獣

シャッコーとガンイージとヴィクトリー。

その3機が偵察の末に発見したのは

コロニー内の居住施設の一部だったと思われる住居の残骸であった。

だが、ただの大きな漂流物(デブリ)というだけでは無さそうなのは確実だ。

シャッコーが複合複眼式マルチセンサーを走査させてスキャンをすれば

内部には複数の生体反応がゆっくり動いているし、

ウッソはそのデブリの割れた窓に人影が映るのを見ていた。

それにデブリにはぶら下がるようにしてMSが張り付いており、カテジナは

 

「…あれは……モビルスーツ?」

 

ガンイージを緑の大型MSへと無防備に近づけた。

だがその動きを遮るように、直後シャッコーがガンイージの肩を掴み止めた。

 

「カテジナ、迂闊に近づくなよ。MSの残骸をトラップに使うこともある」

 

「え…トラップ?」

 

「だが…まぁこの場合は大丈夫だろうがな。

いつでも感覚をシャープにしろという事だ」

 

「は、はい」

 

「…ウッソ、俺が先行する。お前はカテジナとここで待て。ライフルは構えておけよ」

 

「わかりました!」

 

何か言いかけたカテジナを置き、ウッソに任せてシャッコーが単身緑のMSに肉薄する。

常にセンサーは走らせているが頭のとんがった猫目のそいつは全く起動する気配も無い。

 

(…こいつはベスパのMSだろうが…見たことがないな。新型の事故か)

 

両手をバンザイのようにして漂流物に取り付いているベスパのMS。

そのコクピットハッチは開放されていて空っぽだ。

シャッコーは漂流物の外壁に

指の付け根から射出したワイヤーを貼り付けて外部音声をONにする。

 

「聞こえているな!中の漂流者!

俺はリガ・ミリティア所属MS戦隊統括官ヤザン・ゲーブルだ。

南極条約慣習法により人道的配慮に基づいて貴君らを救助する用意がある。

武装を解除し投降しろ!」

 

ヤザンはシャッコーのモニターの熱源センサーを油断なく見ていると、

やがて一人の熱源がのそりと動き出したのが見えた。

その熱源は壁際まで来ると、

 

「貴様らリガ・ミリティアは正規軍ではない!

なにが慣習法だ…!無法のゲリラ共になど…助けられる謂れは無い!

すぐに立ち去れ!」

 

オール状態の無線と触れ合い通信の二重で

実に頑固そうな声できっぱりとそう言ってきたのだ。

 

「ほォ…だが、虫の息の奴もいるようだが」

 

「我らは名誉の戦死の覚悟はいつでもある。

さっさと消えろ!」

 

「いい度胸だが、貴様のご同胞は同じように無駄死にしたがるのか?」

 

「無駄死にではない!私の部下に死に怯える腑抜けは一人もおらん!」

 

「貴様が隊長だと言うなら部下に死を強要するならば場面を考えたらどうだ。

隊長一人の意地に巻き込んで孤独に窒息死とは余りに無様な死に様だな?」

 

「貴様!!」

 

陰から飛び出したベスパの兵が対人用のハンドガンでシャッコーを威嚇する。

あまりに非力なその威嚇に何の効果も無い等、

互いに嫌というほど分かるのに相手は意地からそれをせずにはいられないらしい。

銃を構えるベスパのパイロットは確かに戦士としての矜持を持っているようだが、

戦士としての在り方はヤザンの考えるそれとは相容れない。

闘争心を萎えさせぬその男の心意気は買うが、

 

(…馬鹿な奴!生き延びるチャンスを自分からふいにしようと言うのか!?)

 

だがその行為は余りに頑固で向こう見ずだとヤザンには思えた。

そんな愚かと思える銃を構えるベスパの兵は、

投降を促してくるMSを見て言葉に詰まり動揺をしているようであった。

 

「…!シャッコーだと!?

く……そうか、貴様がジェヴォーダンの獣か!

我が軍に痛撃を与え続けるゲリラの英雄…忌々しい!

尚更投降などできるものか!!」

 

シャッコーのカメラが男を拡大する。

青筋を立てて怒鳴り散らすその男をからかうようにヤザンは笑った。

 

「クックックッ…そうかい、ならばそこで野垂れ死にな。

あのMSはリガ・ミリティアが頂いていくぜ」

 

「…ぬ、うぅ!勝手にしろ!ろくな性能も出なかったシロモノだ!」

 

「…フンッ」

 

鼻で笑い、ヤザンはシャッコーを廃墟から飛び立たせ、

そして放置されていたグリーンの大型MSへワイヤーを打ち込んで絡め取る。

そのままシャッコーのバーニアを吹かし去るのだった…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と思いきや、ヤザンは数m離れた所で…つまり直ぐに停まってシャッコーを振り返らせた。

それを見、残留していたベスパ兵は躊躇なく引き金を引き弾丸をMSへ見舞い退去を促す。

 

「さっさと去れ!」

 

しかし男の叫びも撃った弾もヤザンには届いていないのは明らかで、

ヤザンはこの男の要請になど最初から従う気が無かった。

 

「貴様の思い通りにしてやる義理はないんでな。

貴様が吠え面かく様を拝みたくなったよ」

 

「何だと!?」

 

男がもう一発銃を撃つ。

当たり前のようにシャッコーの装甲がいとも簡単にそれを弾いて、

そしてシャッコーは素早く左腕を腰に回すと

腕に掴んだ柄の先端を漂流施設へと撃ち込んだ。

廃墟が揺れる。

 

「ッ!?な、なんだ!」

 

シャッコーが握る赤い柄と、打ち込まれた〝(やじり)〟は

人間の目で間近で見れば分かる程度の超細径の高硬度ワイヤーで繋がっている。

ゾロアットで一人前になるザンスカール軍人たるベスパの男…

ゴッドワルド・ハインはそのワイヤーを良く知っていた。

ゾロアットのビームストリングスの鋼線と非常に良く似ている代物だ。つまり…。

 

「で、電磁ワイヤー!」

 

「そこは浮遊する微細物で満ちているからな。

放電現象が貴様らを適度にボイルしてくれるだろうぜ!

強情を張る貴様がいけないんだよ。

これも人道の配慮ってやつだ…感謝して欲しいものだな」

 

口の中で笑うヤザン。

大声で怒りの叫びをあげ銃を乱射する男を無視し

電撃ワイヤー・海ヘビを起動してその廃墟中に死なぬ程度の電撃をばら撒くのだった。

ヤザンが廃墟に海ヘビを使うのを見たウッソは

待機命令を守りつつも慌ててヤザンへと通信を入れ、

 

「ヤザンさん!?大丈夫なんですか?

ミノフスキー粒子は散布していないようですけど!」

 

出よう出ようと血気に逸るカテジナを必死に抑えながらヤザンを心配している様子である。

カテジナというじゃじゃ馬を抑えて良くやっていると

ヤザンもウッソの判断を秘かに喜び彼へ応えた。

 

「問題ない。漂流者は3名…ベスパだ。

ウッソ、そいつらを確保しろ。海ヘビで眠らせたが油断するな」

 

「えぇ!?生身の人間に海ヘビを使ったんですか!?」

 

「心配するな!ちゃんと出力は抑えてある。

もっとも…死んでいるかもしれんがな。それは抵抗したあいつらの自業自得だ」

 

「抵抗したんですか?この状況で?」

 

「軍人の意地という奴だよ」

 

せせら笑いながらヤザンがシャッコーを駆り、戻る。

その手に第1期MS並みに大きいトンガリ頭のMSを引きずりながら。

無事戻ったのを見たカテジナがホッと息を吐いたのを

装甲越しの接触通話でウッソは聞いて頬を緩めた。

ヤザンと接しているとウーイッグのお嬢様時代が嘘のような苛烈さをカテジナは見せてきて、

その様は余りウッソは好きではなかったが逆にお嬢様時代の優しい笑みを引き出すのも

少年が尊敬し懐いているヤザンという男だった。

安堵したカテジナがシャッコーの肩へいそいそと組み付く。

 

「ヤザン…隊長。そのMSは大丈夫なのですか?」

 

「ポンコツらしいが新型だ。持って帰っても無駄にはならん。

オーティスとストライカーに見せればこちらの戦力になるかもしれん。

ダメでも最悪部品取りに使える」

 

リガ・ミリティアは貧乏所帯でいつだって物資と金と人員は大歓迎だ。

ちょっとした散歩が良い拾い物をしたと笑うヤザンを見て、

次いで漂流廃墟へ向かったヴィクトリーの背を見ながら

カテジナはそれにしても…と思った。

 

「シャッコーとあのクロノクルといい、

その大きな緑のカブトムシといい…あなたって呆れた人ね、ヤザン」

 

よくもまぁ敵の物を分捕る男だとカテジナは評すれば、

そうだなとヤザンも肯定してまた笑った。

 

「俺の普段の行いが良いのだろうよ。良く道端に落ちているのさ」

 

「よく言うわよ、まったく」

 

「貴様ァ…口の利き方を忘れておるぞ。帰ったら折檻が必要か?」

 

「これは失礼しました、()()

 

こいつ、とヤザンが薄く笑った時に

ウッソのヴィクトリーが両手にぐったりした人間を3名抱えて戻る。

ウッソは少し慌てているようだ。

 

「ヤザンさん、怪我をして…死にそうな人がいますよ!酸素ももう無さそうで!」

 

「それで死ねばソイツの運が無かったまでだ。

だがまぁ、急いでやるとするか……死なぬ程度に加速して帰投する!」

 

 

 

――

 

 

 

 

「こりゃ驚いたな。また隊長はMSを拾ってきた」

 

ロメロ爺さんがすっかり抜け落ちた白髪頭をポリポリ掻いて感心するやら呆れるやらだ。

ストライカーもクッフもネスも無言で同意する。

 

「爺さん、ストライカー!その緑のカブトムシ、頼んだぜ!

ベスパの新型だ。上手くすりゃこちらの戦力になる」

 

シャッコーからワイヤー昇降機で降り、

ノーマルスーツを緩めながらヤザンが整備陣へと懇願すれば

 

「カブトムシねぇ…頭の先に二股角でもつけますか!?」

 

クッフがお調子よくそう言って皆は笑った。

ヤザンもだ。

そんな場には医師のレオニードも慌ただしい駆け足で飛び込んできていて叫んでいる。

 

「隊長!やり過ぎだぞ!これじゃクロノクル君の二の舞だ。

全員大火傷じゃないか…!」

 

「ぶつくさ言うなってんだ。

そうでもしなきゃその頑固者はデブリの仲間入りで死んでいた。

俺の優しさに感謝して貰いたいぐらいだよ…フッハッハッハッ!」

 

「遭難者に電撃を浴びせるなんて…まったく!」

 

「電撃は扱い慣れてる。そうヘマはせんよ」

 

「そういう問題じゃないぞ、隊長!みんな、手を貸してくれ!急いで医務室に運ばんと!

オデロ、そっちを!クロノクルは彼を頼むぞ。

ウォレンとスージィとシャクティさんは彼だ。そっとだぞ!」

 

担架に乗せ、子供らの助力を得ながら

レオニードは3人の重症患者に処置を施しつつ去っていくが、

整備班はバタバタとフル回転で降って湧いた敵新型の解析と調査に忙しい。

それに訓練帰りのカテジナのガンイージを見た整備兵は卒倒しそうな悲鳴を上げている。

 

「装甲がボコボコだ!!こんなの全とっかえしかないじゃないか!」

 

「今から取り替えるんだよ!急げ!」

 

「そんなこと言ってもオーティスさん!これじゃあオールの作業ですよ!」

 

「半日で済ませるんだ!明日にでもバグレ隊と合流するかもしれないんだぞ!」

 

「ストライカーさん、こっち見て下さい!」

 

「無理だよ!シャッコーのマニピュレーターも歪んでるんだ。

隊長殴りすぎだ!」

 

「ネス!さっさとそっちのハンガー開けろって!」

 

「うるさいよクッフ!自分でどかしゃいいでしょ!」

 

MS隊の任務後の格納庫は整備班にとって地獄の戦場である。

こうなるとさすがのヤザンも気を使って大人しく引き上げるしかない。

こういう整備兵達の雰囲気というのは一年戦争時の連邦も、

グリプス戦役のティターンズでも同じでヤザンはこの空気が好きだった。

もっとここに入り浸りたいがパイロットが整備の邪魔をしちゃ話にならない。

シャッコーとガンイージのダメージについては

心でペロリと舌を出して悪ガキのように謝ってさっさと立ち去るのだった。

 

 

 

 

 

 

リーンホースと僚艦のサラミス2隻。

一介のゲリラ組織としては過剰な戦力とも思えるが、

リガ・ミリティアの実態は今では反ザンスカール勢力の連合だ。

数年前までは正真正銘ただの過激派ゲリラ組織だったが、

近年は反ザンスカールの狼煙が次々に上がって勢い付いている。

本当の総戦力は真なるジン・ジャハナムしか知り得ぬが、

ヤザンや伯爵は少なくとも

リーンホース1隻、僚艦のサラミス2隻、

バグレ隊、そして連邦軍第1艦隊・通称ムバラク艦隊を把握していた。

バグレの艦隊規模は10隻の艦と30~40機のMS隊と聞いているし、

正規軍であるムバラク艦隊は

補給艦等合わせて30近い艦艇を所持しMSの数は100近いという。

つまりリガ・ミリティアは

今ではザンスカール帝国とまともに殴り合える力をつけつつあるということだ。

 

もっとも、ムバラク艦隊は積極的に連携行為を行ってくれているだけで

リガ・ミリティア所属ではない。

だが今まではフェイントのように艦隊を動かしてザンスカールを牽制しているだけだったが、

数日前には艦隊を直接動かしたという情報まであって非常に心強い。

狙いはサイド2内で最活発化した反ザンスカール運動の後押しだろう。

無敵と謳われるズガン艦隊も、ムバラク艦隊の動きを気にして

再結成した反ザンスカール・コロニー連合艦隊に対して思い切った動きが出来ていない。

 

ザンスカール帝国の大佐たるタシロ・ヴァゴは、

当然リガ・ミリティアの戦力の全容を知りはしないが

大まかには〝そのようなものだろう〟と推測している。

敵戦力を正確に推し量るその慧眼はさすがザンスカールの大佐という所であった。

その彼は今、

カイラスギリー艦隊旗艦スクイードⅠの豪華なディナールームで食事を楽しんでいた。

タシロの背後には、本物の薪で暖を取る暖炉がパチパチと燃えていてその贅沢さを物語る。

貴族のように無駄な華美を楽しむ彼の目の前の長卓。

その向こうに座る美女をジロジロと舐め回すように見ながら、

甘いアイスとチョコレートソースのデザートで舌鼓を打っていた。

 

(地上のラゲーン失陥も、本国の苦戦も大いに結構…。

私と私のカイラスギリーの存在感が増すというものだ)

 

こういう状況では、寧ろ己の出世の(いとぐち)となるとタシロ・ヴァゴは思っている。

タシロは優雅にスプーンでまた一口、とびきり上等の甘く冷たいクリームを口に運ぶが、

卓を共にする女性、ファラ・グリフォン中佐のアイスを掬うスプーンはかちかちと揺れていた。

 

「…どうだね、中佐。甘いアイスだろう?」

 

「……は、はい。

このような軍艦の中で、これ程美味しい嗜好品を楽しめるとは思いませんでした」

 

ファラの表情は冴えない。

美女の薄暗い薄幸の顔はタシロの欲情を誘うものだが、

今はまだその時ではないとタシロは滾りそうになる股間のものをグッと抑える。

 

「そうだろう?最後の食事だ…楽しむと良い」

 

「っ!」

 

タシロの言葉が暗に語るものにファラは一瞬目を大きくさせて言葉を失った。

 

「ぐ、軍法会議で…どのような判決が出ようとも私は受け入れ――」

 

正当な場で正当な判決を。

そうファラは言いたいが、喉と舌はこみ上げてくる恐怖で震えて上手く紡げない。

 

「会議?…そのようなもの必要ない。私が軍法会議だ」

 

「………っ」

 

俯いたファラの手は更に大きく震えてしまって、

中佐にまで昇り詰めた気の強い才女の怯えはもうとても隠せていない。

 

「ファラ中佐。君は漂流刑だ。

見届人は、そうだな……君と付き合いの長いゲトル()()にやらせるよ。

少しでも見知った者の方が君も安心だろう?」

 

「しょ、少佐…?」

 

「そうだ。君の尻ぬぐいで、彼は頑張ってくれたからな。

君の後任となってこれから色々動いてもらう」

 

これが理不尽というやつか、とファラは怯える心を塗りつぶすような怒りが湧いてくるが、

それも一瞬の事ですぐに萎えて怒りの炎は頼りなく吹き消えた。

もはや何もかもどうでもいい。

そう諦観したいのに、しかし広大過ぎる宇宙に独り放り投げられる恐怖を思うと、

どうしても死の恐怖が自分を襲ってきた。

メッチェの元に行きたい。

だが、それにしても方法はこのように無慈悲な物でなくとも良い筈だ。

即死を与えるギロチンの刃は、

実はとても慈悲があるものなのだとギロチンの家系の彼女は熟知していた。

それをショーに使うガチ党が悪いのであって、

ギロチンの家系は慈悲の家系なのだ。

その理論が、ファラ・グリフォンの…血塗られた己の血筋を肯定するせめてもの救いだった。

コロニーの広場で民衆の見世物になっても良い。

最後はギロチンの刃で一瞬で死にたいという願いは、

眼前の男タシロ・ヴァゴによって容易く打ち砕かれた。

 

「ゲトル()()は、条約違反をしジブラルタルを独断で占領しようとした男です!

あまり大権をお与えになるのは如何なものかと思います」

 

「………少佐だよ、ファラ。

それにおかしなことを言う。ジブラルタルの無断占拠は君の独断だよ。

君の責任なのだ…女王の弟を死なせたのも、欧州戦線で停滞を続けたのも、

永世中立の約定を違えて帝国の権威を失墜させたのも全て君のせいだ。

だからこその漂流刑なのだ。分かるかな?」

 

タシロは血のように紅いワインを片手で弄んで、そして唇を潤し微笑んだ。

その笑みは穏やかであったが欠片も優しさを感じない。

メッチェの優しい笑みをもう一度見たいとファラは思う。

 

「……分かり、ました…」

 

油断すれば目から涙が零れそうになってファラはまた俯く。

もうアイスの蕩けるような甘さも舌は感じてくれない。

ただその冷たさだけがはっきりとファラには感じられた。

 

 

 

――

 

 

 

 

儀仗兵が無機質な廊下に整列している。

30名程が礼服に身を包み実弾が抜かれた旧世代の飾り豊かなライフルを抱えていた。

宇宙服に身を包んだファラ・グリフォンが笑う膝を叱咤して歩を進めるが、

一歩一歩を意識しなければ千鳥足になってしまいそうであった。

2、3年ばかり副官を勤め上げ続けたゲトル・デプレ少佐が

複雑な表情で彼女の横を共に歩く。

 

宇宙の虚空に独り投げ出される漂流刑は、

宇宙世紀史上でも上位に位置するむごい刑といえた。

自分の吐息しか聞こえぬ静寂。

押し潰されそうな程に圧迫してくる無限の黒い暗黒景色。

徐々に衰弱していく自分。

飢餓。

窒息。

助けなど来ない。

広過ぎる宇宙で己は身一つで漂う。

運が良ければ、飢餓と窒息で死ぬ前に…

正気を失う前にデブリに直撃して瞬時に圧死できるかもしれない。

そういう想定外の事故だけが、

真綿で首を絞められるような忍び寄る死の恐怖から解き放ってくれる。

 

ファラの呼吸は荒い。

そんなファラの背へ、ゲトルは〝人道的な規定〟に基づいて

3日分の酸素ボンベと食料を背に括り付けてやる。

腰のパック内にはいざという時のナイフもある。

 

「…法により、腰には3日分の食料と酸素を付けました」

 

「……すまない」

 

ファラの声は泣きそうに震えていた。

 

「………」

 

ゲトルは何を言えばいいのかも分からないが、

何か声を掛けたかった。

だが、結局彼は元上司に何も言えやしなかった。

ファラが独り言のように呟いた。

 

「…ギロチンの家系が…ギロチンに掛けられてはお笑いだものな…。

ふ、ふふ……ゲトル…わ、私は………私は、こんなにも悪い上司だったろうか」

 

「それは…」

 

はっきり言って良い上司だったとゲトルは思う。

だが、彼自身の出世と、そして女に顎でこき使われるという事が男のプライドを刺激して、

ゲトルはファラ・グリフォンを毛嫌いしていた。

褒めたくもあるが、先のジブラルタル戦ではタシロの口添えがあったとはいえ

大暴れして彼女の経歴を傷つけ追い詰めた主犯格の1人なのは揺るがない。

 

「…」

 

「いや、忘れてくれ。…そうだ、これで、良いんだ。

お前の武運を祈ってやる気にはなれん……だが、お前は…こうならぬよう、気を付けろ」

 

「ファラ中佐…」

 

結局、ゲトル・デプレが彼女に送った言葉は終始形式張ったものだけである。

ミサイルの射出口に覚束ない手足でよじ登り、細く長い筒にファラは閉じ込められる。

重々しいハッチが閉じられて厳重に鍵を掛けられれば、

もう暗い筒から見えるのはずっと向こうの宇宙の暗黒だけだ。

 

「ファラ・グリフォン中佐に…礼!」

 

ゲトルの合図で儀仗兵の空のライフルがカチリと鳴り響けば、

射出口が高圧ガスでサイロ内のファラを虚空に向かって打ち出す。

そこでようやくファラ・グリフォンは

思いの丈の全てを叫んで世の理不尽を吐き出す事ができる。

 

「ッ!…く、う…クソおおォォォォォッッ!!!」

 

ファラ・グリフォンの孤独な叫びは、宇宙の真空に木霊することもなく虚しく消えていった。

 

 

 

――

 

 

 

 

「宜しかったのですか?確実に回収できるとは限りませんが」

 

ファラのいなくなったディナールームで、

タシロ・ヴァゴは今度は違う者をファラが座っていた席に座らせてアルコールを嗜む。

極上の香りを漂わせるウィスキーの友はやはり極上の生のサラミやハム。

趣味が良いと言えるが、戦時の前線司令の食事としてはやや豪奢に過ぎた。

タシロは問うてきた男を見る。

会談相手はスーツ姿でいかにもインテリ風の壮年の男性であった。

 

「問題無い。あれのノーマルスーツにもバックパックにも発信機は仕込んであるからな」

 

「しかしいくら素養があるからと、ああまでして中佐を手駒にしようとは大佐も恐ろしい方だ」

 

「サイコ研の君が太鼓判を押すものだからな。

それにファラは美しくもある。

が…少々彼女は頑固でなぁ…正攻法では私に靡いてくれなかったのだよ。

けれどレジスタンスが良いように動いてくれた。

邪魔な若い燕(メッチェ)も獣が始末してくれて感謝せねばならんぐらいだ」

 

タシロは片手でグラスを傾けて琥珀色の液の芳醇を鼻いっぱいに吸い込んで悦に入り、

そしてインテリは微笑んだ。

 

「確かにファラ・グリフォンは美しい。

脳波グラフの波形も実に整っています。

あと一歩…あと一歩で、彼女はニュータイプとして天然物になり得たと私は思うのですよ」

 

「切っ掛けは作ってやったよ。君の助言通りにね」

 

「はい。宇宙の広さと深みを知り、触れることがニュータイプの拡大に繋がる可能性がある。

きっとファラ・グリフォンは良いニュータイプになります」

 

「博士には期待している。スーパーサイコ研究所への支援は惜しまんよ。

後々、私があの老人を追い落とした後には君にも所長の席が待っている」

 

インテリの男は、いっそ爽やかに見える笑みを浮かべてグラスを掲げ、

タシロもそれに合わせて互いに目を弧にするのだ。

 

「乾杯」

 

阿漕(あこぎ)な真似をする者はいつの世にもどこにでもいて、

こうして上手い酒を飲んでいるものらしかった。

 



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野獣好きのバグレ

オイ・ニュング伯爵やヤザンが現在所属するリガ・ミリティアの基幹部隊は、

地上でカミオントレーラーを使っていた名残から今もカミオン隊と呼称される事がある。

他にも、そのまま〝本隊〟とか〝中核隊〟だとか、

現場指揮を執るMS隊統括官の名をとって〝ヤザン隊〟といわれる事もある。

彼らは正にリガ・ミリティアの戦力の要且つ中枢であり、

司令系統の中枢は所在不明であり続けるジン・ジャハナムで間違いないのだが、

リガ・ミリティアの実働部隊としての中核はカミオン隊なのは明らかだ。

その戦力は連邦の一個艦隊に相当するとも噂され確実に最高戦力であるのだ。

 

その最高戦力の要たる2大エース、ウッソ・エヴィンとヤザン・ゲーブル。

エースの片割れであり指揮官でもあるヤザンは

偵察任務を終えた後に他のパイロットに休息を与えると、

自分は「取り敢えずの調整が終わった」と整備班に言われるやいなや

休憩を切り上げて調整を受けていた鹵獲MSに飛び乗った。

ヤザンという男は非常にタフだ。

年中無休でMSパイロットをやれるのではないかという程に彼のタフネスは抜群だった。

タフな肉体に相応しく精神も疲れ知らずで、

過酷で凄惨な戦場のド真ん中であろうとヤザンの心は擦り切れる事はないだろう。

寧ろ生死の境目虚ろな、命がギリギリに追い込まれ輝き命の熱気を発する戦場は、

ヤザンの魂へ無尽蔵にバイタリティを注ぎ込む餌場であった。

ヤザンは戦場で輝き、燃える。

戦場で燃える為の準備ならばヤザンは余念が無いのだった。

 

「どうです、ヤザン隊長」

 

緑の大型MSの通信機からストライカーの声が良く聞こえる。

今は試運転中だ。ミノフスキーノイズは無く感度良好。

 

「良い仕事だぜ、ストライカー。

アビゴルは良い機体だ!これで漂流する羽目になった人食い虎は気の毒な奴だよ!」

 

「ハハハ、整備する奴の腕の違いですな、それは」

 

「違いない」

 

整備士のストライカーは普段は寡黙な仕事人だが、

決して陰険で冗談が通じないタイプではない。

こういう冗談も言ってヤザンと談笑することがある。

 

先の会話に出た〝人食い虎〟とは

無理矢理に救出したベスパ兵の1人、ゴッドワルド・ハインの異名だ。

海ヘビの電撃により今も意識不明で入院状態だが、

名前は彼らが所持していた認識票(IDタグ)によって判明した。

クロノクルの時よりも低出力でボイルした為、焼け焦げる事無く判別が出来た結果だ。

戦歴の浅いウッソとカテジナ以外は、ゴッドワルド・ハインの名を見て驚愕ものであった。

彼はベスパでも1、2を争う程に有名なエースパイロットであり、

〝人食い虎〟ゴッドワルドと言えばリガ・ミリティアのMSパイロットは皆知っている。

そのゴッドワルドと部下達は意識が戻り次第、

元マンハンター局の幹部オイ・ニュング伯爵が

マハ時代の尋問テクニックを存分に再活用して物を尋ねる予定で、

それを聞いたヤザンはゴッドワルドへ心で十字を切る程に気の毒に思う。

 

オイ・ニュングは今でこそ温厚で公平な初老の紳士だが、

伯爵の油の乗った現役時代のマンハンター局は

特別警察として地球へ不法移住した人間を家畜以下の扱いで正に()()()()()

余りの苛烈さと冷酷さ、非道さからマフティー動乱を引き起こした原因の一つと言われる程で、

そしてオイ・ニュングは最も悪名高い時代に22才…精力的にマハで働いていた。

ヤザンは過去、一度だけオイ・ニュングのベスパ兵への尋問を見たことがあるが、

本気になったオイ・ニュングの非情さはヤザンでさえ舌を巻く。

恐らくザンスカールの誰よりも拷問に長けているだろうとさえ思えた。

ベスパの人食い虎が屈強な男であればある程、

その心身を壊されてしまうのではないかと

他人事ながら心配にすらなるが今は取り敢えずもこのアビゴルのテストだ。

 

リーンホースの周囲を、MA形態になったアビゴルが高速で周回している。

ゴメスも伯爵もその様子を頼もしそうに眺めて、

外にヤザンがいるのもあって幾分リラックスしている様子だ。

 

「敵から頂いた新型はいい感じかな、隊長」

 

伯爵が温厚に言えばヤザンは陽気に返す。

 

「ああ、こいつはいい。

シャッコーも良かったがアビゴルも負けておらんぜ。

さすがはザンスカール印だな…良いMSを造る!

乗り心地はグリプス時代の可変型に近い。俺には向いているかもしれん」

 

「そうだろうな。

オーティスが言うには、

そいつはデュアルタイプといって第1期第3世代MSのコンセプトに近しいようだ。

ゾロシリーズの変形とは違って推力の一点集中で戦場に高速侵入…或いは離脱。

隊長にはピッタリだろう」

 

リーンホースの艦橋から良く見える真正面の宙域でヤザンは、

見せつけるようにアビゴルのスラスターを吹かして宙返り等をしている。

まるで童が紙飛行機で遊ぶが如くで、

誰から見てもヤザンが楽しげに遊んでいるのが分かった。

 

「伯爵、誰か上げてくれ。相手をさせたい」

 

ヤザンはアビゴルのテスト相手という名目の遊び相手を欲するが、

 

「皆が皆、君みたいにタフじゃないんだ。

カイラスギリーとの対決が間近に迫っているからゆっくり休ませてやってくれ」

 

オイ・ニュングはごく当たり前の気遣いを発揮し、ヤザンも特に異論無く同意する。

どうやら最初から本気では言っていないらしい。

 

「そうだな。仕方ない…一人遊びで我慢だな」

 

笑いながら宇宙を飛ぶヤザンだが、伯爵との通信に突如として割り込む者がいた。

 

「私でよければ相手してあげるわよ」

 

「んン?カテジナか?貴様、何故休んでおらんのだ」

 

聞こえてきた声の持ち主はカテジナ・ルース。

今はシュラク隊やマーベットと共に

女性寮で浮遊防止ベルトと毛布に包まれて寝ている筈だったが…。

 

「艦長!伯爵!シャッコーが動き出してます!」

 

ハンガーからの通信が再度割り込む。

カテジナが今どこにいるか、ヤザンや伯爵達はすぐに察した。

ゴメスがでかい声で「休むのも仕事のうちだぞ!嬢ちゃん、降りろ!」等と言うも、

どうやらカテジナには届いていないらしい。

シャッコーは歩を進めてハンガーの隔壁の前に陣取った。

 

「シャッターを開けなさい!ヤザンと訓練をするだけよ!」

 

「命令は出てないんだよ!カテジナさん降りなさい!勝手は許されんぞ!」

 

スピーカーで叫ぶシャッコーの足元でオーティスが窘めようとするが、

リーンホースの艦橋横にMS形態となっていたアビゴルが取り付いて笑っていた。

 

「わがままなお嬢様には俺がガツンとやっておいてやる!

いいからそのまま出してやれ。アビゴルのテストにも丁度いい。

それに隔壁を壊されちゃ敵わんからなァ!」

 

ヤザンがそう言えばゴメスもオーティスも、伯爵もやれやれと溜息をつきながら諦めた。

この教師にして教え子あり…という事らしい。

ヤザンとカテジナには似通った〝豪快さ〟が見え隠れするのを見て、

オイ・ニュングは秘かに微笑んで止めるでもなく場を見守り、

ゴメスがチラリと伯爵を見れば伯爵は肩を竦めながら笑って頷いた。

 

シャッコーの行く手を阻む隔壁がゆっくり上がっていく。

カテジナはニヤッと笑って、

 

「カテジナ・ルース、シャッコー。出ます!」

 

宣言し、ヤザンの愛機となっていたオレンジのMSで宇宙へ飛び立った。

 

(…シャッコーの中……あいつの匂い…)

 

シャッコーのスラスターがカテジナに適度なGを掛け、

その重さに心地良さを感じながらカテジナはコクピット内に満ちる男臭さに目を細める。

ヘルメットのバイザーは開け放たれていて、カテジナは鼻いっぱいに漂う臭気を吸い込んだ。

その香りに夢中になったせいか、

シャッコーのコンピューターが警報を発しているのに気付くのにワンテンポ遅れる。

 

「カテジナ!相変わらずのわがままだ!仕置きしてやらんとなァ!」

 

MA形態のアビゴルがシャッコーの直ぐ間近を高速で抜けて、

その衝撃でシャッコーが宇宙で転んでしまう。

 

「俺のシャッコーまで持ち出しやがって!」

 

ヤザンの指摘に、シャッコーを立て直しながらカテジナが言い返す。

 

「別にいいでしょう!あなたはそっちに乗り換えるんだから!」

 

反論しながらカテジナはセンサーに映るアビゴルを追う。

今は訓練中という事もあってミノフスキー粒子は薄い。

充分にレーダーで追えたが、

アビゴルの光点はあっという間にレーダー範囲ギリギリまで動いている。

凄まじいスラスター推力だ。

 

「はん!まったくお嬢様は何でもかんでも自分の物だと思うらしいな!

まぁいい、そんなに欲しけりゃくれてやるよカテジナ!

そのかわり存分に相手してもらうぜ!」

 

「ええ!」

 

そう返答するカテジナの表情は、これから訓練に臨むという固いもの。

だというのにどこか歓喜が滲むのは、

やはりヤザンから目当てのオモチャを貰えたというからだろうが…

恐らくそれだけが理由ではないだろう。

そういうカテジナを見て、ヤザンは思う。

 

(他の奴らが休んでいる間も時間を惜しむか…こいつ、本気だな)

 

本当にカテジナはウッソに迫りシュラク隊を超す気があるらしいと判断したが、

実はカテジナは腕前の上達以上に

ヤザンと共に在れる時間が嬉しいとまでは流石に察する事ができなかった。

 

(しかし、休むのも仕事の内なのだがな)

 

休まぬ自分を棚に上げて教え子を困った奴だと苦笑する。

その後、アビゴルとシャッコーのマンツーマン授業は

他のパイロットが目覚めるまで続くのだった。

 

 

 

――

 

 

 

 

リガ・ミリティアのバグレ隊。

元々は地球連邦軍の正規軍の一隊であったその隊は、

動かない連邦に業を煮やし独自に離脱、リガ・ミリティアに合流した志ある者達だ。

当初はその行動は連邦内の主流派(堕落した者達)に白眼視されていたが、

ガンイージを受け取りザンスカールのタシロ艦隊と良い勝負をしてみせてからは

徐々に他の艦隊からバグレ隊に勝手に()()する者が増えて、

今は半個艦隊近くにまで増強されていた。

 

そのバグレ隊が、整然と並んでリーンホースを出迎えていた。

 

「大層な出迎えだな」

 

ヤザンが伯爵の横で呟けば伯爵は少し自慢気に答える。

 

「それだけ私達が当てにされているという事だ。

なにせ、カミオン隊には君もウッソ君もいる。シュラク隊もな。

リガ・ミリティアの最精鋭さ」

 

おまけにジブラルタルの戦いは、宇宙引越公社の宣伝のお陰で世界中に知られていた。

その中心として活躍したリガ・ミリティア本隊は今や時の人なのだ。

 

「…サラミス級が6、クラップが4、それにあれは……アレキサンドリアだと?」

 

陣形を組むバグレ隊の中に予想外の艦船の陰を見てヤザンが驚く。

アレキサンドリア級の特徴である、

まるでジオンのムサイのような三脚が

増設されたブロックで隙間を埋められて一本の胴体となっていたが、

間違いなくアレキサンドリアの面影がそいつにはある。

ヤザンを使いこなした数少ない上官、

ガディ・キンゼーと共にヤザンにとっては印象深い艦だ。

 

「ああ、アレキサンドリア級ガウンランドだ。

あれには…ジン・ジャハナムが乗っている」

 

「………この方面のジン・ジャハナム…あのタヌキ親父か」

 

ヤザンは皮肉に笑いつつ伯爵へ視線を寄越せば、

何事かを察したオイ・ニュングは「そうだよ」と同じ様に皮肉気に薄く笑う。

ヤザンもオイ・ニュングもそのジン・ジャハナムが影武者のタヌキと知っているのだ。

2、3年程前に作戦会議の場で会ったことがあり、

その折ヤザンは彼と一悶着起こした事があって同席した伯爵が宥めたものだ。

 

「アレキサンドリアが奴の座乗艦とは悲しいな。

このリーンホースと交換して欲しいくらいだ」

 

アレキサンドリア級は、忌々しい上官だったジャマイカン・ダニンガンといい

タヌキ親父の偽ジン・ジャハナムといい、

あまり有能とは思えない男に使われる運命なのかと思ってしまう。

オイ・ニュングも同意見だが、そんなヤザンを見て苦笑するしかない。

 

「リーンホースの方が進水日は遅い。

こちらの方が性能は上だから我慢してくれ」

 

「冗談さ」

 

「わかっているよ。…時間だ、行こう」

 

そう言ってオイ・ニュングは艦橋を後にする。

「やれやれ」とブツクサ言いつつヤザンもそれに続き、

雑談を交わしながら二人はガウンランドへと向かった。

今からあの偽ジャハナムと会談して挨拶をせねばならない。

彼は本質的には悪人ではないし、

ああ見えて追い詰められると肝の座りようも立派な男なのだが如何せん普段は俗物だ。

ヤザンとオイ・ニュングも皆の手前、表立ってはタヌキ親父をたてて見せねばならない。

でなければジン・ジャハナムの影武者としての役割が死んでしまう。

 

リーンホースとガウンランドが接舷し

伯爵とヤザンがノーマルスーツで甲板に降りようとした時、

ウッソ・エヴィンがヤザンに待ったをかける。

 

「あの…ヤザンさん、伯爵」

 

「どうした」

 

ヤザンが返すと今正に甲板へ飛び出そうとしていたオイ・ニュングも足を止め振り返った。

少年は少しだけ口の中でもごもごっとして続ける。

 

「あの、僕も連れて行ってくれませんか」

 

ヤザンが軽く眉をしかめる。

 

「何故だ?」

 

「えぇと…その、

僕も一度リガ・ミリティアを率いるジン・ジャハナムという人とお会いしてみたくて」

 

ヤザンと伯爵が向き合って目で会話をした。

ウッソは説得を続けた。

 

「僕もリガ・ミリティアに入ったからには

見事な采配を続けるジン・ジャハナムさんにお会いしたいんです。

一度だけでいいんです。お願いします、ヤザンさん、伯爵!」

 

深く頭を下げて懇願する少年。

ウッソは憧れの人に会いたいと、そう言う。

しかしヤザンはマーベットやシュラク隊の面々からウッソの父の事は聞いていた。

 

「…ウッソ、別に隠す必要はない。

ジン・ジャハナムが父親かもしれないと思っているんだろう?」

 

「えっ!そ、それは」

 

なんで知っているんだという顔のウッソがヤザンをぱちくりと見る。

 

「マーベットからな…。

そういう場合は素直に頼め。俺とて意地の悪い妨害はせん」

 

「じゃ、じゃあ!」

 

しかしヤザンは「だが」と少年を遮った。

 

「今から俺達が会う相手は貴様の父親ではないと断言できる。

それでも来るか?」

 

「なんで断言できるんですか」

 

「貴様とは似ても似つかないからな」

 

フッとヤザンが笑う。

そんなに違う顔なのかな、とウッソは思い…それでも会ってみたいと思う。

自分の目で確かめぬ限りは一抹の希望は消えないらしい。

ヤザンもウッソの目の頑固な光を見て少年の肩へがばりと腕を回した。

 

「ならさっさと来い。俺もあいつとの面会は出来るだけ早く終わらせたいんだ」

 

「えっ、は、はい!ありがとうございます!」

 

こうして意気揚々とヤザンと伯爵と一緒にジン・ジャハナムに会ったウッソだが…。

 

 

 

 

 

 

 

結果を言えばヤザンの言う通り全く違った。

別人だ。

似ても似つかない。

小太りのその男…ジン・ジャハナムはぎゃんぎゃん喚き散らして艦橋のスタッフに怒鳴る。

部下の些細なミスで大騒ぎで、しかも他の者達にまで当たり散らしている場面を見、

ウッソはすっかりガックリ来てしまう。

 

「だから言ったろう」

 

ヤザンがそう言えば、ウッソは意気消沈して頷いた。

 

「あんなのは…僕の趣味じゃありませんよ…あんなのは」

 

親恋しい少年が、愛しい親に巡り会えたかもしれぬと糠喜ぶ様は見てて痛々しい。

会合もそこそこに偽ジャハナムを伯爵に押し付けた

ヤザンとウッソはガウンランドのレストルームにいる。

ウッソへチョコレートドリンクを奢りながらヤザンは、

 

「…貴様の親父はまだ生きていようが死んでいようが、

どちらにせよいずれ消息は掴める。

引越公社のマンデラも月が怪しいと言っていただろう。諦めるなよ?」

 

少年の頭を乱暴に撫でながら最後にやや強く背を叩いた。

ウッソが思わずドリンクを少し吹き溢すと、軽くヤザンを睨んだ。

 

「諦めませんよ。ちょっと…がっかりしただけで」

 

「そうだ。そうでなくてはな」

 

「それよりも…背中、痛いです。あと頭も」

 

「クックックッ、そりゃスマン」

 

いつ見てもヤザンの笑顔は悪人にしか見えないが、ウッソは思う。

 

(生きていようが死んでいようがって…まったくこの人は、

他人を慰めるのにこんな物騒な言葉を使って………けど――)

 

ヤザンが不器用にも、彼なりに慰めようとしているのはニュータイプでなくとも気付く。

心の動きがストレートに表に…顔と行動にでるヤザンのような人は、

心が何となく見えてしまうような人種(ニュータイプ)であるウッソには

ある意味付き合いやすいタイプなのかもしれない。

 

「さて、俺はビールでも頼んでくるか」

 

ヤザンが冗談を言いながら席を立てば

「ダメですよ、半舷上陸でもないのにアルコールなんて」と

少年が真面目に反応したその時だ。

 

「失礼します!」

 

ハツラツとした女性の声がレストルームに響く。

ヤザンとウッソが目を向けるとそこには様になった敬礼姿で背筋の良い女性が立っていた。

紫がかった短い青髪をオールバック風に後ろに流していて、

さばさばとしたいかにも女軍人といったナリの女性。

その女がやや緊張した面持ちでヤザンを見ていた。

 

「自分は連邦軍第168…ではなく、バグレ隊のユカ・マイラスであります。

リガ・ミリティアの、ジェヴォーダンの獣ヤザン・ゲーブル総隊長にお会いできて光栄です!」

 

リガ・ミリティアに合流したとはいえ、まるっきり連邦軍人丸出しのユカ・マイラス。

そんな若い女軍人を横目で見つつ、ヤザンは自販機から目当てのドリンクを取り出す。

 

「あぁ、ヤザン・ゲーブルだ。一応連邦軍所属だが…今はゲリラ屋だ。

固い挨拶は抜きにさせてもらうぞ」

 

「は、はい!休憩中に失礼しました。

あ、あの…ヤザン総隊長の噂はかねがね…!

その、それで総隊長殿が元ティターンズというのは…!」

 

「ふん…そんな噂まで広まっているとはな…

リガ・ミリティアの秘匿性はどこへいったんだ…?まったく…。

あぁ本当だ。なんだ?そんな事を聞きに来たのか?」

 

「い、いえ!あの、宜しければ握手等を!」

 

「ハハハッ!何だ貴様!俺のファンとでも言うのか?

面白い奴だな…俺もそれだけ有名になったということか」

 

「ええ!それはもう当然です!

ティターンズのヤザン・ゲーブルといえば連邦軍人ならば誰でも知っていて――」

 

ユカ・マイラスの語る口には熱があった。

ヤザンはやや呆れたようにキッパリと言い切る。

 

「忘れろ。ティターンズは連邦の恥部だ。

そしてそこに所属していた俺もな。

元ティターンズはグリプス戦後は戦争犯罪人になった者達なんだぞ」

 

「しかしそれはもう70年も昔の事です。

最近ではティターンズの言い分等も色々と再評価する向きも強く…

特にクロスボーン・バンガードが出てきた30年前からはそれが盛んでした!

ティターンズの精鋭ぶりは今の連邦から見れば栄光そのものです!

今…連邦にティターンズのような人達がいれば…

ザンスカールになどデカイ顔をさせないと皆も言っていますよ!

ほ、本物のティターンズに会えるなんて…!」

 

ユカは輝く目で熱弁を奮い、

これはダメだとヤザンは呆れる。

 

「…それで、俺はこいつと一服しているのだが…

まだ貴様のトークに付き合わにゃならんのか?」

 

「いえ、そ、そうでした。すみませんヤザン総隊長。

その、サインをいただけませんかっ」

 

堅物そうな女軍人がやや照れながら懇願してきて、

凶悪さに拍車をかけているヤザンの細い目が大きく開き、

思わずヤザンは口に含んだドリンクを吹き出しそうになった。

 

「サインだぁ!?貴様…俺が歌手か何かに見えるのか?」

 

二人を観察しているウッソも笑いを堪えているように見えないでもない。

自分で歌手と言っておいて何だが、ヤザンはかつてアレキサンドリア艦長ガディが

「ヤザンの改造制服はまるで歌手」と言っていた…と

当時の部下ダンケルとラムサスが大笑いしながら自分に報告に来たのを思い出す。

だがユカ・マイラスは当然そんな風に見ていたのではない。

 

「ち、違います。純粋にヤザン総隊長をパイロットとして皆尊敬しているんです。

仲間に頼まれてしまって…その…恥ずかしながら私も、私にも下さい!」

 

大量の色紙を差し出しながら頭を下げたユカ。

ヤザンの片眉とウッソの口が弧を描く。

ヤザンはジロリとウッソを見咎め、少年は慌てて口を塞いでいた。

 

「バカか貴様らは!腑抜けているようだな!…この後は合同訓練か。

俺が叩き直してやる!」

 

「ハッ!あ、ありがとうございます!総隊長直々のご指導、感謝いたします!」

 

ユカはパブロフの犬ばりの反射反応で敬礼をする。

 

「もう行け。さっさと貴様のお仲間共にも伝えろ!」

 

シッシッと追い払うようなジェスチャーで掌を1回振るうヤザンに

ユカはまたぴしりと決まった敬礼を返せば、

色紙の束を小脇に抱えて駆け足で去ろうとして

 

「おい、それを貸せ」

 

「え?」

 

ユカから1枚、色紙を奪い取ると極めて適当にサラサラとマジックペンを走らせた。

ユカの顔が花開く。

 

「あっ、ありがとうございますっ!」

 

「フン…1枚だけだ。後はかってにコピーでもしろ」

 

つっけんどんなヤザンを、少年が生暖かい目で背後から見ていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この後の合同訓練でバグレ隊はヤザンのアビゴルに滅多打ちにされるが、

バグレ隊の面々はとても嬉しそうだったのをウッソは知っている。

 



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ハイランドと野獣

シャッコーREは控えめに言って最高でした。特に足首、ビームローター…素晴らしい。このままザンスカールMSプラモどんどんふえろ~。ゲンガオゾREおいでませ~(祈祷)


カイラスギリー攻略を間近に控え、

実働するパイロットの主要メンバーを交えてリガ・ミリティアの幹部らが話し合っていた。

カイラスギリー艦隊ことタシロ艦隊は精強でもって知られ、

ザンスカールにおいては無敵のズガン艦隊に次ぐ精鋭部隊だ。

半個艦隊とはいえバグレ隊にとっては格上の相手なのは確かであったが、

曲り形(まがりなり)にもこれまでバグレ隊がタシロ艦隊とやりあえていたのは

バグレ隊が一撃離脱を旨とした建設妨害の〝嫌がらせ〟に終始していたからだろう。

タシロ艦隊がビッグキャノン組み立てを優先していたのもあるだろうが、

これはバグレ隊の状況判断と艦隊運動が見事だったと言っていい。

だが、それは裏を返せば正攻法ではタシロ艦隊撃滅は困難だということだ。

 

ゴメスが無精髭を擦りながら唸りつつ言った。

 

「真正面からやり合えば堕とせないこともない…だがこちらもダメージが大きい、と」

 

バグレのMS隊隊長ユカ・マイラスが頷く。

 

「はい。カミオン隊の皆さんが合流してくれたのでやろうと思えばやれるでしょう。

ですがその場合、主力が消耗し過ぎるのではと懸念があります。

カイラスギリーを堕としても

ズガン艦隊がサイド2にいてはザンスカールは強気を崩さないでしょうし…」

 

そう言うユカへ、オイ・ニュングが静止衛星宙域の航路図とにらめっこをしつつ口を開く。

 

「カイラスギリーは破壊ではなく奪おう。

そうすればこちらで使用することもできるだろうからズガン艦隊も撃滅できる。

サイド2への恫喝に使ってもいい」

 

伯爵の〝元マハは伊達に非ず〟な相変わらずの冷酷な提案に、

ヤザンは呆れたように鼻で笑いつつも頷いた。

 

「そうだな。伯爵らしい合理的な判断だ。

大量破壊兵器など気に食わんが、リガ・ミリティアの現状を考えればそれが妥当だろう。

万全のズガン艦隊とまともにカチ合えばこちらの負けだ」

 

偽ジャハナムがヤザンの発言に声を荒げて反応する。

 

「何を弱気な!それでもジェヴォーダンの獣か?ヤザン!

こちらは負け無しのリガ・ミリティアなのだぞ!

ジブラルタルで精鋭と言われていたベスパ地上軍を殲滅したではないか!

ズガン艦隊も我々の敵ではない!」

 

そうだろう伯爵!と元気よくオイ・ニュングへ同意を求める偽ジャハナムだが、

それはそっけない伯爵に簡単に否定されてしまう。

 

「そんなわけはありませんよ、ジャハナム閣下。

はっきり言ってしまえばベスパ地上軍はタシロ艦隊の分隊に過ぎんのです。

いわばタシロ艦隊はベスパ地上軍の本隊だ。

そいつらに真正面から挑めばほぼ引き分けると言っているのに、

本国を守るあのズガン艦隊はさらに強いのですよ?

それに…同等の被害を出せば民兵組織のリガ・ミリティアは回復力に劣る…。

ザンスカールが先にダメージから立ち直ってたちまち我らは追い詰められるでしょう」

 

つらつらと正論を述べる伯爵に偽ジャハナムは口をへの字にして悔しそうに唸る。

が、それで引っ込むのがこの男の良い所でもある。

喧しく口を挟んできはするものの、意外と聞き分けは良い男なのだ。

言い包められたタヌキ親父を笑いつつヤザンが「ならばどうする」と皆を見れば、

オーティス老が控えめに手を挙げていた。

伯爵が促す。

 

「太陽電池衛星が近くにあるだろう」

 

「これか」

 

ヤザンが宙域図の一点…衛星ハイランドを指差した。

 

「そう、それだ。ハイランドのマイクロウェーブをカイラスギリー艦隊に照射するのはどうだ?

周波数を変えれば人体に悪影響を与えられる。

頭痛と腹痛だらけにしてやれば戦争どころじゃないだろう」

 

さすがオーティスはメカニック上がりだけあって

すぐにそういう発想が浮かぶのは見事だった。

さらりと悪辣な策を提案するのもいかにもリガ・ミリティアの人材らしい。

タヌキ親父は「そうだよ!それだよ、見事だな君ィ!」と喜び同意しているのは

彼の根の単純さと陽気さが見えていっそ微笑ましい。

 

ヤザンとオイ・ニュングが互いに頷けば会議は決した。

そうとなればゲリラ組織であるすぐにリガ・ミリティアは動き出す。

この腰の軽さ…これがこの組織の恐ろしい所でもあった。

 

 

 

――

 

 

 

 

そういう経緯があって今リーンホースは単艦で太陽電池衛星ハイランドへ接近中であった。

太陽電池衛星は、本来ならばジブラルタルのマスドライバーと同じで不可侵の中立地帯だ。

ザンスカールが犯した過ちを、今度はリガ・ミリティアが犯そうというのだが、それは戦争だ。

それはそれ、これはこれ…なのであった。

だが運はリガ・ミリティアにあるらしい。

 

「レーダーに反応!下方10時です!」

 

レーダー員をやっていたネスが元気な声で告げた。

「拡大できるか?」とゴメスが言えば即座にネスから回答が来る。

 

「シノーペです。

ザンスカールの哨戒艇が…航路から予想するに恐らくハイランドから来た模様!」

 

それを聞いて艦長席で喚く男がいた。

 

「なにぃ!?先にザンスカールが来ていたということか!」

 

偽ジャハナムのタヌキ親父である。

ゴメスの席を奪い取ってその席にどっしりと座っていた。

艦橋スタッフ一同が「何故ここにいるんだ」という目でじとりと見るがタヌキ親父はどこ吹く風。

 

(どうせこの艦の方が無事に生き延びられる率が高いし、

カミオン隊の手柄が自分の指揮のお陰とも自慢できるとでも踏んだのだ)

 

そう推測するオイ・ニュングだが実際正しい。

ヤザンも喧しい彼を見るたびに舌打ちしつつ忌々しげに眺めている。

 

「…シノーペがハイランドに何をしに行ったのか確かめんとなァ?

伯爵、ヤザン隊を出すぞ!」

 

ヤザンはそう言うとオイ・ニュングの返事も待たずに艦橋を飛び出してしまった。

誰がどう見てもさっさと偽ジャハナムから離れたかったに違いない。

 

 

 

――

 

 

 

 

「各機、そういうわけだ!

シノーペは生きたまま捕獲する!」

 

ヤザンのアビゴルが見るからに元気良く宇宙の暗黒空間を掻き分けて進む。

高速のMA形態となったアビゴルの()()()には、

振り落とされまいと掴まる2機のMSがいた。

白いガンダムタイプと、イエロー・オレンジのベスパ機…ヴィクトリーとシャッコーだ。

アビゴルのMA形態をSFS(サブフライトシステム)代わりにし、

シノーペが逃げ切れぬ加速で急接近しようという試みである。

 

「ゾロアットはやっていいのでしょう?」

 

シャッコーのカテジナがヤル気まんまんに聞いてくるが、

 

「カテジナさん、あまり無理しちゃダメですよ?

実戦になったら訓練通りにいくってこと、あまり無いですから」

 

落ち着いた様子のヴィクトリーのパイロット、ウッソにやんわり窘められる。

カテジナの眉間に少しだけ皺が寄った。

 

「ウッソ…あなたっていつもいつも私にだけ妙に説教臭いのよ」

 

「ええ!?そ、そういうつもりじゃないんですよ。

僕は…カテジナさんが心配で」

 

「心配してくれるのは嬉しいけど、あなたは年下で、

過分なお説教はこちらのプライドが傷つくって分からない?

私だってやれるっていうのは今証明してあげる」

 

「す、すいません……やれるというのは分かっています。

だってヤザンさんといっぱい練習したんでしょう?

でも宇宙では地上以上にチーム戦なんだってオリファーさんも言っていたし…

そうなんですよね、ヤザンさん?」

 

カテジナの圧の籠もった口調にウッソはややたじろいで、ついヤザンに助け舟を求める。

だが、

 

「あと十秒もすれば射程圏内だ。

じゃれ合いは終わりにしろ!」

 

助け舟ではなく会話そのものを終わりにされてしまったが、

ヤザンにそう言われればウッソもカテジナもぴたりと黙る。

二人の若者の意識は途端に切り替わって、

鼓動が早くなり緊張感が高まるのに気分は妙に落ち着いていた。

緊張はすれど恐怖が心に無いのは、

それは一回り以上年上の ――実年齢は一回り以上どころではないが―― 頼れる上官が側にいるからなのかもしれない。

 

「シノーペのゾロアットが動く!先手を取る…ヤザン隊、行くぞ!」

 

「はい!」

 

「ええ!」

 

ヤザンが号令を掛けたのとほぼ同時に、

シノーペに係留されていた2機のゾロアットが一瞬、ふわりと宇宙に浮く。

ゾロアットが起動し、急接近してくる一群に即座にビームライフルを連射してくるものの、

その時にはもう一群は散開してバラバラになっていた。

ゾロアットのパイロットが驚愕する。

 

「1機の大型機じゃない!3機だ!」

 

「おい、どういうことだ!あれはベスパのMSじゃないのか!?」

 

急速に濃くなったミノフスキー粒子に叫びは掻き消されていき、

ゾロアット達は分けもわからないままに友軍機に襲撃されていた。

 

「通信周波数が違う!友軍ではないぞ!」

 

「あ、あれは…シャッコーだ!!ジブラルタルの悪魔が宇宙に!!」

 

シャッコーを見た途端ゾロアットの動きが恐怖に鈍る。

そのお陰もあって新兵のカテジナ相手には良い訓練相手となってしまっているが、

当然、ウッソのサポートが素晴らしいものがあったからだ。

 

「そこ!」

 

カテジナのシャッコーがビームの光をゾロアットの腕に叩き込み、

右肩がもげた所にウッソがサーベルで足を取る。

四肢をもがれたゾロアットは一瞬で戦力を喪失した。

 

「もう1機は!?」

 

カテジナが振り返った時、既にアビゴルは

ゾロアットを羽交い締めにしてビームカタールをコクピットに突きつけている所だ。

新型の練習相手にもならなかったらしいのは一目瞭然である。

シャッコーがアビゴルへ寄り、触れ合ってカテジナが尋ねた。

 

「そいつをどうするの?」

 

「今聞いたが、そのシノーペには、ハイランドに居住しているスタッフの家族が乗っている」

 

「人質というわけね…汚い奴ら」

 

「フッ…それを今からこちらもやろうと言うんだがな。

カテジナ。ウッソと一緒にシノーペを拿捕しろ。

パイロットは…そうだな。既に人喰い虎もいるし…あまりリーンホースに人質を増やしてもな。

抵抗しないようなら放っていい。俺はしばらくこいつを人質にしている」

 

呆れたような溜息をこれ見よがしにしてみせてから、カテジナはアビゴルから離れる。

指示通りにウッソと共にシノーペを囲み、そしてライフルをちらつかせて外に出るよう促すが

 

「わ、私達を解放せねばハイランドの子供達の身も安全ではないぞ!

脅しではない!今直ぐゾロアットを解放しろ!」

 

シノーペの艦長はもっともな事を言う。

頭の回転も悪くないし妥当な判断ができる男のようだが、

ヤザンはにやりと笑ってアビゴルの指のワイヤーをシノーペへ接続させた。

 

「何か勘違いをしていやがるな。

可能ならばハイランドのガキ共を回収したいだけで、

別に俺たちはそいつらが死んだって構わないんだぜ?

ザンスカール共が道連れに自爆した。ゾロアットが誤射した。言い訳はいくらでもある」

 

「ぐ…」

 

シノーペ艦長が言葉に詰まる。

 

「まァ、無理強いはせんよ。…そのまま殺してやるさ。

ハイランドの奴らには適当に言って、ザンスカールへの敵対心を煽っておくとしよう。

…カテジナ」

 

「ええ」

 

アビゴルに促され、シャッコーがわざわざ艦橋の前に出て大仰にライフルを構えた。

ヤザンの意図をある程度察したようだが、

見ているウッソは(この二人なら、いざとなったら本当に撃ちかねないぞ…)とハラハラだ。

 

「待ってくれ!!」

 

そこでシノーペ艦長は折れ、ウッソもホッとする。カテジナもだ。

通信の背後からは子供の泣き声が漏れ聞こえていた。

 

「わ、わかった…!撃つな!今直ぐにシノーペを廃棄する!」

 

艦長はガラス越しに両手を上げて、急いでハッチから顔を出す。

まともな判断が出来る、良心が死にきっていないベスパ軍人だったのは幸いだ。

でなければ、今頃は本当に最後のやけっぱちを起こして、

ヤザンとカテジナの手によって宇宙の塵になっていた所だろう。

2機のゾロアットからも、パイロット達が脅迫に屈して投降しMSを放棄すると、

ザンスカールの艦長、パイロットらへ、

手足のもげたゾロアットだけを供出してやって放り出してしまった。

手足が無いとはいえバックパックの推進剤も酸素も充分の筈で、

余程方向音痴でもなければ酸素が尽きる前に友軍エリアに辿り着けるだろう。

最低限の人道的配慮はこれでクリアした。後は彼らの運だ。

 

そう割り切るヤザンは、無傷のゾロアットを回収し(貧乏性のゲリラ根性が染み付いたらしい)

それをウッソに任せて一足先に母艦(リーンホース)へ帰らせる。

艦内には人質の子供達がいる事から、ウッソ辺りが接触には最適かとも思ったが、

ウッソの操縦技術ならば、不慣れな宇宙での単独行動もある程度平気だ…という考えだ。

ヤザンはアビゴルを小型艦に取り付けると、

そのまま艦外から操作しMSのコクピットと艦ハッチをボーディングブリッジで接続する。

コクピットから飛び出しハッチを開けると…

 

「…」

 

子供達が艦内の隅に寄り集まって震えていた。

 

「あー…リガ・ミリティアのヤザン・ゲーブルだ。お前達をハイランド衛星まで送り届けてやる」

 

明らかに怯えられている。

怯える子供の相手は、ヤザンのもっとも苦手とする事の一つ。

無能な上官と怯える子供は、野獣とは相性が良くない。

勝ち気で無礼で向こう見ずぐらいの生意気な(シャングリラ・チルドレンのような)ガキのほうが、彼としては接しやすい。

御しやすいかどうかは別として。

 

「あ、ありがとう、ございます…」

 

怯えた声で、この場で一番年長であろう少女が頷く。

 

「あ、あの…」

 

続けて少女が言う。

 

「なんだ」

 

「わ、私達を…殺すんですか」

 

「殺すつもりなら、最初からこんな回りくどいやり方はせん。方便だ。わかるだろう?」

 

「分かりますけど…」

 

分かっても、先の戦闘時のような事を言われては子供達は生きた心地はしないだろう。

しかも子供達は、ヤザンが、今しがたシノーペに取り付けた不気味な大型MSを駆って

圧倒的な強さでゾロアットを羽交い締めしたのをシノーペ内から見てしまっていた。

子供達の、まるで悪魔を見るかのような視線に

内心で毒づくヤザンはカテジナへ通信を入れる。

 

「カテジナ」

 

「なに?」

 

「代われ。シャッコーをシノーペにドッキングさせてガキ共の御守をしな」

 

「なんで私が子供の相手なんて!」

 

「アビゴルのパワーならシノーペごと引っ張れる。その方が速くハイランドに着くだろうが」

 

「それ、言い訳でしょう!」

 

「……任せたぞ」

 

「あっ、ちょ――」

 

通信を切る。

ヤザンは子供らに一瞥もくれること無くシノーペを飛び出して、さっさとアビゴルへ戻る。

一連の動きは無駄なく素早かった。

 

数分後、シノーペ内には

仏頂面で子供らの面倒を見るカテジナの姿があったのは言うまでもない。

カテジナは子供が好きではない。

無知を顔に貼り付けて歩いている癖に、妙に小賢しく大人に意見する。

図々しく、他人の領域に入ってくる。

赤ん坊などは、独りで何もできない癖に泣けば全て許される。

泣くのが仕事だと言う者すらいる。 ――赤ん坊なのだから当たり前だとは彼女も理性で分かってはいるが――

だが、カテジナ・ルースという女はまだ少女と呼ばれる年齢で17歳。

彼女自身、子供と大人の狭間を漂う難しい年頃なのだ。

カレル・マサリクの兄で…

この場にはいないが、ハイランド衛星の少年トマーシュ・マサリクと同い年。

まだ子供と言ってもおかしくはない。

そう考えると、カテジナの子供嫌いは

〝自分の中の子供的なものが嫌い〟という同属嫌悪に近い感性なのかもしれない。

 

「…お姉さん、地球人なの?」

 

「え?」

 

難しい顔でシノーペのパイロット席に座っていたカテジナに、背後から少女が話しかけてくる。

話しかけて来たのは、人質の子らの中で一番の年長と思われる少女。

青みがかった髪を短いサイドテールにした娘で、美少女と呼んで差し支えない容姿だ。

カテジナは愛想笑いを浮かべて応えた。

 

「そうよ。地球生まれの地球育ち」

 

「へぇ~、今どき珍しいのね」

 

「…そうかもね」

 

カテジナの一瞬の間には色々な感情がある。

今どき地球育ちというのは、つまり連邦の高官と繋がりを持てるエリート層だ。

だが、〝スペースノイドに羨まれるエリート〟というのはもはや数十年前も昔の感覚。

今では殆どのスペースノイドが地球育ちを羨まない。

時代に取り残されたエリート。

それが現代の地球生まれなのだ。

カテジナは、まるで自分がエリート(お嬢様)ぶっているようで地球生まれの肩書きを名乗りたく無かった。

しかし彼女の心の中には、自分はエリートなのだ…という優越感も少なからずあるのは確かだ。

自分の力じゃ何もできないお嬢様に思われたくはない。

だが、掃き溜めで彷徨く生まれ卑しい者達とも違う。

カテジナの心にはいつも複雑な感情が渦巻いているのだ。

ヤザンに対する感情もそうだ。

 

「ねぇねぇ」

 

「…何よ。今はシノーペの操艦中なの。余り喋り掛けないで。

あなたも宇宙で遭難したくないでしょう?」

 

「大丈夫よ。シノーペの操縦なんて私でも出来るんだから。

それに、外からあの…おっかない人がMSで引っ張ってるんでしょ?」

 

「…ふふっ、おっかない…そうね。それは当っているわ」

 

笑ったカテジナのその柔らかな表情を見て、

話しかけていた少女…マルチナ・クランスキーも少し微笑んだ。

姉のエリシャ・クランスキー(15歳)と年が近そうに見えて、積極的にカテジナと接している。

 

「お姉さん、美人なのにあんな怖い人を恋人にするの止めた方がいいわよ」

 

「っ」

 

カテジナは思わず操縦桿を明後日の方向に倒しそうだった。

 

「こ、恋人じゃないわ」

 

「そうなの?でも、すごく仲良さそうだったけれど」

 

「なんで私があんな奴」

 

「…」

 

利発な美少女は、やや吃りながら否定した金髪の美女の様子を見てニヤッと笑った。

 

「お姉さん、あんなおじさんの事が好きなんだぁ~」

 

「なっ!」

 

「きゃっ!?」

 

シノーペがやや傾いた。

マルチナが驚き、背後の客席では少年二人が「うわぁ」と叫ぶ。

そして、当然のように上方からシノーペを抱えて宇宙を泳いでいたアビゴルから叱責が来た。

 

「カテジナァ!なにをやっている!貴様はブースターだけ管理すれば良いと言っただろう!」

 

「わ、分かってます!」

 

「分かっているなら何故操縦桿を倒した!」

 

「…すみません」

 

「しっかりせぃ!!」

 

カテジナは頭を抱える。

 

(そうよ…今は触れ合い通信で、こちらの会話は丸聞こえじゃない…!)

 

つまり年少の少女に指摘され、動揺した先程の事も筒抜けなのだ。

野獣が、悪辣な笑顔を浮かべてこちらを見ている気がした。

カテジナは、己の頬が熱を持つのを自覚していた。

 



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獣の安息 その4

太陽電池衛星ハイランドは、地球のアジア方面に電力を送っていた大型太陽電池衛星だ。

送電できるマイクロウェーブの出力はかなりのモノを誇り、

アジアの人々の文明的生活を支えていたが、

地球に基盤を築きつつあるザンスカールに悪用されるのを懸念して送電は止められていた。

送電も止まり、公社の連絡船も絶えてはや一年。

ハイランドにも自給自足能力はあるが、

それでもコロニーや地球から輸入しなければ手に入らない生活用品も多い。

ハイランドの人々は、酸素さえ節約する生活を強いられてきた。

なので衛星基地に寄港し、リーンホースから幾らかの要望品を提供してやると、

ハイランド衛星の住人達は大変に喜び、協力を快諾してくれた。

 

「こんなに物資を頂けて…子供達も助けて貰って、

ここまでして頂いては一も二もなく協力しますよ。お任せください」

 

マサリク兄弟の父でありハイランドの責任者バーツラフ・マサリクは、

豊かなヒゲを親指で軽く弾いて任せろというジェスチャーをオイ・ニュングらに送るのだった。

このハイランドでリーンホース側も推進剤等の補給を行い、

その間、ウッソやオデロ達は鹵獲したゾロアットの色を白に塗り直したりの作業を手伝いつつ

ハイランドの子供達と交流を楽しんでいたようだった。

地球人であるウッソやオデロ達にとっても、

宇宙人のトマーシュらにとっても、双方の少年少女らの出会いは新鮮で、

地球に住んでいても宇宙に住んでいても同じ人間なのだと思える良い機会であった。

 

「えぇ!?ウッソくん、MSに乗っているの!?」

 

17歳のトマーシュ・マサリクがウッソの肩を掴んで驚愕した。

自分より4歳も年下の少年が、

今をときめくリガ・ミリティアのエースパイロットと知って衝撃を隠せない。

 

「そうだぜ!こいつ、こんな見てくれでもうちのエースなんだ!」

 

何故かオデロが胸を張ってウッソを自慢する。

 

「ちゃんと大人のパイロットがあれだけいるのに?」

 

エリシャ・クランスキーが目をパチクリとした。

オデロは少し鼻の下を伸ばしつつ彼女へ向き直り、また胸を張った。

 

「そおなんですよエリシャさん!

このウッソはね、大人顔負けのスペシャルって奴でね!

いやぁ~でもこんなでも意外とピンチになる事多いんすけど、

その度に俺が命懸けでサポートしてやってザンスカールを倒してんだ!な!ウッソ!」

 

トマーシュからウッソを分捕って肩をバンバンと叩く。

ウッソは「うげっ」と小さく苦悶していた。

 

「…感謝はしてますよ、オデロさん」

 

「ははは、そうだぜウッソ!そういう感謝の心ってチームワークには大事だよ!」

 

わははと笑うオデロを、ウッソはジト目で見ているが、

そういう目で見ているのはウッソだけじゃない。

後ろでウォレンとスージィ、それにシャクティが犬と緑のボールと赤ん坊と一緒にジト目だ。

 

「あたし達だって手伝ってんですけどー」

 

スージィが頬を膨らませ、ウォレンも腕を組んでウンウンと頷く。

危険なことをそもそもして欲しくないシャクティにとっては武勇伝でもなんでもない。

しかし、戦争の手伝いをしているウッソを助ける事は、ウッソの命を助ける事に繋がる。

シャクティは背中のカルルマンをあやしながら、

複雑な顔でウッソを見つめるしかできないのだ。

 

「オデロだけじゃないぞ。俺も義兄さんを手伝ってるんだ!

ヴィクトリーの整備だってさ、してるんだぜ!」

 

そして赤髪の青年がオデロと一緒にウッソを挟んで肩を組むものだから、

シャクティは色々な意味で尚更頭が痛い。

 

「クロノクル…やめなさい。戦争自慢なんか」

 

「うっ…ご、ごめんよ、姉さん」

 

批難がましく赤髪の青年・クロノクルにシャクティが言えば、彼はすぐにしおらしく肩を落とす。

その奇妙な光景を、ハイランドの子供達は目をパチクリとさせて眺めていた。

小声でマルチナがスージィへと尋ねる。

 

「ねぇねぇ、あれってどういうこと?」

 

「あー、あれね。クロノクルくんは戦争の後遺症で頭とか心がおかしくなっちゃって…

年下のシャクティをお姉さんって思うようになっちゃったの。大変だよね~。

でも悪い人じゃないし、慣れれば面白いんだよ!優しいし」

 

あっけらかんと子供の口で紡がれているが、戦争の悲惨さが生んだ狂った人…

それがクロノクル・アシャーだ。

そして、リガ・ミリティアの子供達は大なり小なり、

良くも悪くも戦争の狂気に順応し始めている。

実際、どんなコロニーでも躰や精神に戦争被害を被った人間は珍しくない。

クランスキー姉妹も、マサリク兄弟も、イエリネス姉弟も顔を顰めたが、

誰もが「そういう時代なのだから」と理解できてしまっている。

それが戦争がいつでも身近にある宇宙戦国時代であり、

この時代を生きる人々の感性であった。

 

しかめっ面でクロノクルを見ていたトマーシュだが、

その視線はやがて自然にとある人物に吸い寄せられた。

明るく、騒がしく集っている子供集団の脇を、チェックシート片手に通り抜けた女性だった。

長い金髪が無重力にサラサラ揺れて、

何とも言えぬ良い香りがふわりとトマーシュの鼻孔をくすぐった。

その女性は、トマーシュから見て自分と年齢が近しいように見えた。

美少女と形容できる彼女は、今、厳しい顔つきのガラの悪い男と話し始めていた。

 

「…ねぇ、ウッソくん。今の女の人…あの人もパイロットなのかい?」

 

見惚れて、どこか心非ずなトマーシュがウッソに問う。

その様子に、感の鋭い坊やであるウッソは心当たりがある。

 

「ええ、そうですよ。えーと…17歳だからトマーシュさんと同い年じゃないかな。

カテジナさんは、僕と同じ土地の出身で…今はパイロットをやっています」

 

「あんな清楚な人が…僕と同じ年で…もうパイロット」

 

清楚という単語にオデロが「プッ」と吹き出した。

 

「清楚ぉ!?あの女、ああ見えて凶暴なんだぜトマーシュ!

なんせ〝野獣〟ヤザン・ゲーブルの愛弟子なんだ!

それにヤザン隊長の女って噂もあるし、やめとけよあんな女!

隊長にぶっとばされちまうぞ!?」

 

オデロの言葉にウッソも苦い笑いしかできず、否定も肯定もできなかった。

だがフォローはいれる。

 

「ちょっと、オデロ。凶暴なとこはあるけど、清楚なのは合ってるだろ。

あのね、トマーシュさん。カテジナさんはウーイッグのお嬢様で、ヤザン隊長の愛弟子で…

だから清楚だけど凶暴なんだ。

でも…ちゃんと普段はお嬢様で…、綺麗で優しいお姉さんで…」

 

ややしどろもどろになりながら、初恋の人のイメージを守る為に頑張るウッソだった。

そしてそんなウッソの淡い優しさを、シラけた目で見る少女が背後に一人。

 

「ウッソ…あなた、まだカテジナさんのこと…」

 

「シャクティ!?」

 

「ウッソは戦争にのめりこんで、そして憧れのカテジナさんと一緒に戦えて…嬉しいのよね」

 

「ち、違うって、そうじゃないんだシャクティ。ぼ、僕はただ…カテジナさんの名誉の為にね?

だ、だって凶暴な人っていうオデロからの評価だけじゃあんまりじゃないか」

 

「…ふぅん?」

 

「いや、確かに初恋の人だったよ?でももう終わったんだ!本当だよ!

でもカテジナさんの事は、その…同郷で、優しくしてくれた本当のお姉さんみたいな人って、

そう思ってるんだよ!だから…カテジナさんへの好きって、尊敬とかそういう感じで…

シャクティへの好きとは違うんだ!」

 

賢いスペシャルな少年だが、こういう話題で、特にシャクティが絡むと冷静さを失いがちだ。

言葉を次々に重ねる中で、勢いに任せて割と大胆な事を言ってしまう。

こんなミスは以前もやったことだった。

ウッソの発言に子供達はニヤつきだし、シャクティも頬を染めた。

 

「あ…」

 

遠回しにシャクティが異性として好きと皆の前で言ったに等しいと、ウッソも気づく。

 

「おアツいねー!」

 

オデロがウッソの肩を引っ掴んだ。

 

「わぁ…素敵。二人ってそういう関係だったのね!」

 

恋に恋する少女、マルチナは目を輝かせてウッソとシャクティを見る。

 

「はぁ…!あんな目をするマルチナさんも素敵だぁ…」

 

その横でウォレンがマルチナを眺めて顔を赤くしている。

 

「そうか…カテジナさんって名前なんだ…。お嬢様、か。なんて…綺麗なんだろう…」

 

トマーシュの目線は相変わらずカテジナに釘付けだ。

オデロとウッソの話しは部分的にしか頭に入っていないようだった。

年上の少年少女らの姦しさに、ハロの耳を引っ張ったりしていたスージィは溜息を吐く。

そして隣で、頬を染めたシャクティとウッソを見て

腕を組んで頷いている赤髪の青年へ愚痴るように呟くが、その少女の顔は長閑な笑顔だ。

 

「ねぇークロノクルくん。こんなとこで戦争やってるのにさ、結構私達って平和だよね。

あんなふうに浮かれていられるんだから」

 

「ん?…そうだよな…でもこういうのって、何か良いなって…俺、思うよ」

 

「…ん~…かもね!ヤザンのおっちゃんに感謝だね…にひひっ」

 

自分達子供が軍艦で、割合のんびり過ごせているのは頼れる大人がいるからで、

そしてその筆頭格がヤザンであると意外と鋭い少女スージィは理解していた。

少女達の屈託のない笑顔は、

彼ら子供達の目の前に軍艦がある事など忘れさせてしまいそうな程牧歌的だった。

 

作業をする中で、そんな子供達の様子をちらちらと見ていたオリファーもマーベットも、

そしてシュラク隊の面々も…大人達はつくづく思い知らされる。

 

「なぁマーベット」

 

「…なに?」

 

物資コンテナを運びながら、オリファーはパートナーの女性へと声をかけた。

 

「ああいう光景を俺たちは守るんだ」

 

「ええ」

 

「子供って、いいよな」

 

「そうね。……なに?欲しいの?」

 

「え?」

 

パートナーから向けられた悪戯染みた笑顔に、オリファーの鼻っ面が少し赤くなっていた。

そしてシュラク隊の女性陣も、思うことは似たようなものだ。

いつ死ぬか分からぬ戦乱の世。

そして、最前線で戦い続ける精鋭部隊。

性の価値観は時代ごとに変遷するが、

今の世、女達の多くは男と愛し合い子を生むことを望む。

それは、きっとそう思わなければ人類はすぐに死滅してしまうからだ。

それぐらいのペースで人類は太陽圏中で殺し合いをしている。

人類の本能が絶滅を防ぐために愛し合わせているのだとしても、

それは素晴らしい事と思える。

 

「あー、私も子供ほしー」

 

ヘレンがつくづく、といった感じでボヤいた。

 

「戦争中にあたしらが妊婦になったらリガ・ミリティアの根幹が揺らぐわよ?」

 

ジュンコ・ジェンコが働く手を止めずに、相棒的パイロットへ相槌を打った。

笑ってケイトもそれに参戦する。

 

「あはは、そうだよね。

このタイミングでみんなが子作りしたら数カ月後にはシュラク隊は解散だわね」

 

「でも欲しいったら欲しぃ~!あんなの見てたらそう思っちゃうだろ!?ケイトもさぁ」

 

「はぁいはい。じゃあヤザン隊長(パパ)におねだりしてみなよ」

 

首をすくめてジェンコが言うと、ヘレンも悪巧みの笑顔を浮かべる。

 

「…ねぇ、ジュンコ。今夜あたしと一緒に仕掛けようよ」

 

「はぁ?」

 

「でさ…クスリすりかえて…穴も開けてさ…」

 

「バァカ!仕事しな!」

 

友人の頭をぽかりと叩いて、

笑っている他の同僚達にも発破をかけて猥談になりかけていた雑談を締める。

年端も行かぬ子供らが近くにいるのだから、

あまりこういう話題で盛り上がるのもどうかとジュンコ・ジェンコは思うのだ。

しかし…。

 

(子供か…そうだよね。私達にも、今は希望があるんだ)

 

戦況は思ったよりも好転している。

そして、多少…一人の男を共有するという倫理的な問題があるが、

シュラク隊には夜のパートナーを兼任してくれる群れのリーダー(強いオス)がいる。

 

(マーベットだけが、母親になれる可能性を持っているわけじゃない。

私達も…私だって………――ヤザン隊長との子供、か)

 

戦争で次々に命が消えていく。

だから、生き残った者は罪の意識を思うよりも前に、

時代を紡ぐ為に成さねばならない事があった。

 

「シュラク隊が雛鳥を生むためにもさ…今はこんなとこで腑抜けてらんないよ。

だろ?みんな」

 

「ま、そうだね」

 

ジュンコと皆は互いの顔を見て笑い、そして頼れる雄鳥の元へと駆けていった。

 



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誰が為に獣達は笑う

宇宙におけるザンスカールの制宙圏を確固たるものにしている衛星砲基地。

象徴としても、有無を言わさぬ暴力的実行力としてもその衛星砲は恐怖だ。

ギロチンに匹敵する、ザンスカールの暴威の象徴。名をカイラスギリーといった。

 

だがそれは完成すればの話である。

幸いというべきか、まだカイラスギリーは未完成であり

その建造率は80%であるとリガ・ミリティアの諜報部はみていた。

 

バグレ艦隊の妨害行為で建造は遅延したが、それでも完成は間近。

もはや一刻の猶予もないと判断したリガ・ミリティア幹部、オイ・ニュングは、

太陽電池衛星ハイランドのマイクロウェーブ作戦でもって、

カイラスギリー攻略作戦にGOサインを出したのであった。

 

増強されたバグレ艦隊と合流し、リガ・ミリティアの宇宙戦力は充分。

しかしザンスカール帝国とて無能ではない。

リガ・ミリティアの一連の動きを見抜き、

本国からも増援を出してカイラスギリー艦隊を増強していたのだった。

リガ・ミリティアの戦力はおおよそ艦船14隻、MSは50機程。

対するザンスカールのタシロ艦隊は艦船30、MS100前後。

艦隊と呼ばれる規模の戦力が、

宇宙要塞をめぐり真正面から衝突する事例は紛争続きの宇宙世紀史でも近年珍しい。

古来より城砦を攻略するには攻め手は3倍の戦力を用意スベシと云われるが、

リガ・ミリティアは寧ろ防御側の半分で挑もうというのだから

頭のネジが緩んだ過激ゲリラ組織と言われても仕方がないだろう。

 

今ここに、地球でのジブラルタル決戦に匹敵しようという

大規模宇宙戦が繰り広げられようとしていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしヤザンがこの時代にいなければ運命の歯車は大分変わっていたに違いない。

それは死ななくていい者が死んだり、死ぬべき者が死ななかったりだろうし、

起こるべき出来事が起きなかったり、或いは起きなくていい事が起きたりだろう。

辿るべき本来の運命と比べて、カイラスギリー戦が起きた日も大分ズレていた。

そして、それは如実に戦場に影響を与える。

 

「よく来たな。もう傷は良いのかな?大尉」

 

「はっ。お陰様を持ちまして」

 

地球で戦傷を負い、

本国で治療を受けていたアルベオ・ピピニーデン大尉がタシロへ敬礼を返し言葉を続けた。

 

「汚名返上の機会を頂きまして感謝の言葉もありません、大佐。

本国から受領したコンティオで、必ずやリガ・ミリティアに泡を吹かせてやります」

 

「コンティオ戦隊か。ピピニーデン・サーカスならば使いこなせようが…、

大丈夫なのかね?」

 

タシロは表情こそ動かさないが、声色には怪訝な色が混ざっている。

 

「やってみせます」

 

「ふむ…」

 

チラリと、手元のコンソールを打てばピピニーデン隊のデータがタシロの目に飛び込んだ。

地上で〝野獣〟にいいようにやられ錯乱気味にまで追い込まれたと…

そういう情報が上官であるタシロの手元にはあるから当然の心配だろう。

微笑みながらタシロはピピニーデンへ語りかける。

 

「リガ・ミリティアをこれ以上調子付かさるわけにはいかん。

ゲリラ共も何か策を弄するだろうが、

カイラスギリーと我が艦隊…そして本国からの君達がいれば難攻不落であろう。

ピピニーデン・サーカスの名に恥じぬ戦いを期待している」

 

「はっ!」

 

ピピニーデンが最初と同じく見事な敬礼で応え踵を返す。

そしてピピニーデンとルペ・シノ両名が退出していくと、

タシロは軽く「フン…」と鼻を鳴らして彼らの背を見送ると卓上の通信機を操作していた。

 

「私だ」

 

小さな通信画面の向こう側には、

いつぞやに会食を共にしたスーツ姿の品の良い初老の男がいる。

タシロの第一声を聞くとその男は、見る人に不快にドロつくイメージを与える笑顔を見せた。

 

『これは大佐。彼女の調整ならば順調ですよ』

 

「そうだろう?彼女は戦士だからな。だが投薬は程々にしておいてくれよ。

筋肉が付きすぎると抱き心地が悪くなる」

 

『羨ましいですなァ。あのファラ・グリフォンを思うがままに出来るなんて』

 

ククク、とタシロは口の中で笑った。

 

「博士…君にそういう欲求があるとは驚いたな。

それに、君だってある意味ファラの体を好きに弄くり回している」

 

『はははっ、ま…そうですな。お陰で良い実験が出来ています』

 

タシロと博士の付き合いは短くはないし、

それに互いにお世辞にも善人と言えない近しい精神性を有している人間同士だ。

野心家である点も共通点で、しかも互いの出世は互いの邪魔にならない他分野である。

だからタシロと博士はこのような軽口を叩き合う仲――気軽に言い合う冗談が、悪質なものであるので見てて気持ちの良い友情ではないが――であった。

互いの野心と人格が噛み合うからこそ、

彼らは共犯となって本国に内緒で色々な〝イタズラ〟にも精を出している。

 

「ピピニーデンだけではな。地上での醜態を見れば怪しいものだ。

私にはファラが必要なのだよ、博士」

 

『焦って調整不十分での出撃は損失となります、閣下』

 

「実戦に出せぬレベルなのかね」

 

『ファラ中佐の安定性にはまだ若干の懸念材料があります。

それとZMT-S29のサイコミュ・ソナー・システムとの同期にも課題が残っていますが、

それは補助機器でサポート出来ればと思っています。

例えば、見た目を彼女の精神と相性の良い物を使うと強化深度が高まるのではと…。

本人の趣味嗜好、人格や、人格形成までの諸事情…

家族との事、家柄、印象的であったり強烈である経験等ですな。

中佐は処刑人の家系ですから例えばグリフォン家の象徴である鈴です。

そういう手法は強化安定に繋がると、

過去にはあのフラナガン機関やオーガスタ研でも実績があるのですよ。

他にも、ファラ中佐にはご執心だった恋人がいたそうですから、

その者に似ている人物を側に置くのも安定性向上には良いかもしれません。

サイコ研の被検体の一人に整形と刷り込みで仕立て上げて―――』

 

「――あ~、………分かった。良い仕事を期待しているよ、博士」

 

長くなりそうな口上にタシロの眉が歪む。

やや間を置いて溜息を吐き出すのと同時にそう言って、さっさと通信を終えた。

気を取り直すようにタイを緩め、高級な卓の引き出しから手鏡を取り出す。

オールバックに塗り固めた黒々とした髪に櫛をいれた。

その、ねとりとした仕草と手鏡を見つめる視線からは彼のナルシストな性分が存分に見える。

そして強固な自意識も。

 

「ふふ…リガ・ミリティアか。愚かな連中だよ。

()()カイラスギリーの周りを蚊トンボのようにちょろつくに飽き足らず挑むだと?」

 

デブリ宙域に潜んでいるバグレ艦隊の動きには常に気を配っている。

だからタシロはその動きから彼らが決戦を望んでいる事を察していた。

 

「この要塞に正面から挑もうという気概だけは買うがな」

 

不敵に笑い櫛をしまう。

タシロ艦隊に敵は無いのだ。

いるとすれば…。

 

「ズガン艦隊…か」

 

今後の展望を思い再び笑う。

彼の描く未来図の中ではザンスカールの女王すらも彼の掌中の珠となる予定である。

そしてあの独り身の女王を…

独り寂しく褥を濡らしている熟れた美女を慰めてやりたいものだと彼は思う。

 

「リガ・ミリティアもフォンセ・カガチも、そろそろ御退場願いたいものだが」

 

政治的には強大過ぎる壁として立ちはだかる、老獪な怪人フォンセ・カガチ。

だがここでリガ・ミリティアを潰せば、

軍事的にはザンスカールの英雄ムッターマ・ズガンと並ぶことが出来る。

名さえ売れてしまえば反乱に同調する兵も増加するし、

本国から合流した増援部隊もそのままこちらの戦力に組み込む自信が彼にはある。

 

軍事力さえ握れば政治家であり思想家でしかないカガチは自分には勝てない。

それがタシロ・ヴァゴの青写真であった。

タシロは既にズガンとカガチ、そして女王マリアしか視ていない。

足元に迫りくるリガ・ミリティア等、路傍の石程度にしか視ていなかったのだ。

 

しかしそれも仕方がないのかもしれない。

この時点でタシロ個人が掌握する戦力はかなり強大なものになっている。

本国からのコンティオ戦隊とその分個艦隊。

地上から撤収してきたベスパ地上軍も一部受け入れてタシロ艦隊へと編成し直している。

カイラスギリーとてあと数日で完成であるし、

サイコ研も、例の博士を筆頭にかなりの数をタシロ派に転向させる事に成功していた。

サイコ研が誇るハイエンドMSも既にタシロ艦隊に提供させる事を確約させている。

タシロ・ヴァゴが野心と万能感を増大させるのも致し方無い事だった。

()()ファラ・グリフォンも掌中に収めた事も、彼を増長させるのに大きく買っていた。

タシロ・ヴァゴは我が世の春が間近に迫っているのだと微塵も疑っていないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「話があるのだけど」

 

カテジナが長い金髪を掻き上げながら、ベンチに座ってドリンクを飲むヤザンへ言った。

その男は、金髪のオールバックでありながら

タシロのヘアーのそれとは全く印象の異なる凶相で女を見上げた。

 

「なんだ」

 

「出撃まで後30分ってとこよね」

 

「今度の戦闘は規模がデカくなるぞォ。クク…ジブラルタル以上になるかもな」

 

何とも楽しそうに笑うヤザン。

人の生き死にが懸かっていようが、

それが戦闘技術を磨きあった兵士同士でヤり合うならスポーツと同じ…。

ヤザンは常々そう思っている。

試合前に高まる血潮と緊張感を、ヤザンは楽しんでいた。

 

「…はぁ。全くあなたって呆れた人よね。

あなたの部下が初陣しようって戦いが大規模になるかもっていうのに、

何か部下()に掛ける言葉でもあるでしょう?」

 

カテジナは座るヤザンを見下すようにしながら細い鼻をフンと鳴らす。

 

「なんだァ?俺にお優しい言葉でも掛けて貰いたくてわざわざ話しかけに来たのかよ」

 

「自惚れないで。一般常識を言っただけよ。

普通、()()()()上官ならそうするって」

 

「俺がそこらのまともな(つまらん)男に見えるか?」

 

「見えないわね」

 

「フッ…言ってくれるぜ。こちらだって()()()()新兵相手ならそうもしてやるさ。

だが相手がお前じゃな。そんな必要なかろう」

 

「…どういう意味?」

 

少女はムッとした顔で男を睨んだ。

 

「お前は俺と同じニオイをさせる奴ってことだ」

 

カテジナは睨んだままヤザンの言葉を脳で咀嚼し考える。

考えた結果、生まれてきた感情はやはりいつも通り二つの系統のものであった。

一つは、生まれと育ちの良い自分が

戦場で人殺しをする粗野な男と同類と思われた屈辱と怒り。

二つは、温室育ちの()()()()()な自分が、

逞しい戦士に認められたという大きな喜び。

 

「…っ」

 

カテジナの表情が何とも複雑に歪んだ。

怒っているような、笑っているようなもの。

破顔させて喜びたいのに無理やり意地になって怒っている…そんなへそ曲がりな子供の顔。

 

「だ、誰がアンタなんかと同じもんですか」

 

「同類さ。少なくともそうなりつつあるぜ、お前」

 

「…私はまだ戦場で人を撃っていないわ。何を根拠に」

 

ドリンクを飲み干したヤザンが、ぐしゃりと空の器を握りつぶしてダストボックスへと投げる。

 

「暇さえあればシミュレーターに乗っている。良い心掛けだ」

 

切れ長の瞳でヤザンを見ながら、少し頬を染めてそっぽを向いて言い返す。

 

「そんなの、あなたが言ったのよ。戦場で生き残る為にはトレーニングを欠かさない事って」

 

「ハッ!あぁ言ったな。けど見てりゃあ分かるんだよ。

兵士には色んな人種がいる。当たり前だが肌が黒いだの白いだのじゃない。

考え方だ…分かるな?」

 

カテジナは黙って上官であり先達の戦士のレクチャーに耳を傾けた。

沈黙を肯定と受け取ったヤザンは言葉を続ける。

 

「自分が死にたくないから引き金を引く奴と、

敵を殺したいから引き金を引く奴だ。

戦場にはこの二種類しかいない。

そして大部分が前者だが…俺はもちろん後者だ。

俺のような奴は決まって引き金を引く時、こういう顔をする」

 

そしてヤザンは己の片頬を釣り上げて見せた。

彼は笑っていた。

 

「シミュレーターでもそうなるのさ。実戦を想像して、同じ顔が出てくる。

カテジナ…お前、トリガーを引く時笑っていたぜ」

 

「私が…笑っていた?」

 

まるで自分が人殺しに快楽を覚える精神破綻者だと宣告されたようで、

その言葉は少女にとって大きなショックだった。

 

「あの顔は好きな顔だ。今のお前の匂いは嫌いじゃない」

 

だが、この男が続けてこう言うものだから少女のショックはまた違う毛色を帯び始める。

カテジナの顔はまた鋭く歪んだが、一方で鼻っ柱も頬も紅潮していた。

 

「な、何よ私の匂いが好きって…!そんな変態みたいなフェティシズムやめなさい!」

 

少女の言葉に今度はヤザンの眉が歪んだ。

そういうつもりで言ったわけでは無かったのだが、と男は口の中で笑った。

 

「別にいいだろう。匂いってのは本能だからな。

男と女ならそれを気にするのは当然だって事だ」

 

そしてこれ幸いにヤザンはいつものカテジナ虐め(からかい)癖が首をもたげてきていた。

案の定、カテジナの反応は素直で苛烈で面白い。

 

「お前の匂いを嗅いでいると滾ってくるンだよ」

 

目の前に立っている少女の手首を掴んで、座している己へ強く引き寄せる。

「あっ」と声を漏らしながらカテジナがヤザンと対面するように密着して座ってしまった。

カテジナの首筋に鼻を埋め、わざと大きな鼻息で深呼吸をしてやる。

カァっと少女の首まで赤くなって、冷や汗だか脂汗だか分からぬ汗でジトリと湿る。

カテジナの心臓は高鳴って体温が急激に上がっている証拠が、

しっかりと男に味わられてしまう。

 

「なっ、なにして…!――んっ」

 

しかも向き合い密着してしまった股間部も問題だった。

ヤザンの男のモノの丘陵が、少女の無垢な園を圧迫していたからだ。

そのでっぱりに自分の女の場所を押され、

思わずカテジナは変な声が漏れて咄嗟に口を閉じる。

 

「ははっ!貴様も滾っとるようだなァ!」

 

ノーマルスーツの上からカテジナの双丘を無遠慮に掴み揉み解す。

少女の口から隠しきれぬ女の声が漏れた。

 

「ちょ、っと…!なに、してるのよ!っ、んっ…!」

 

「貴様、緊張を解して貰いたかったんだろ?だからしてやっている」

 

「こんなの、っ、ふ…ぅ…頼んでいないわ…!」

 

金色の睫毛は伏せ気味になっていたが、それでもカテジナは強く男を睨んだ。

離れようと男の胸板を両手で強く押してもいた。

しかしそれは今一歩、本気の嫌悪が足りないで野獣の網から逃れきれないでいるのだ。

 

「あっ!ちょっと!?」

 

ヤザンの無骨な手がノーマルスーツのマグネットファスナーを乱雑に下ろすと、

カテジナの、思ったより着痩せする豊かな乳房が薄着のインナー越しに野獣に弄られる。

慌ててカテジナは男の手を掴んだが、やはり止めきれないのは腕力が足りないせいか、

それとも別の理由かは彼女には分からない。

だがニヤリと笑っている男にはその理由が分かっているらしかった。

 

「う、ぁ…や、やめ、て…!…っ」

 

突起を摘まれて乙女の背が跳ねた。

野獣の侵略は乳房より更に下へ伸びてくる。

白い肌を滑り、慎ましい臍を一周りし、数度その窪みを楽しまれて更に下へ。

カテジナはうわ言のように「やめて」と呟くが、頬は蒸気して熱い吐息が唇からこぼれた。

 

「…これ以上は、だめ」

 

必死に鋭い目を作って、鼻と鼻がくっつきそうな程に近い距離にいる男を睨む。

目はやや潤んで、淡麗な顔を赤くし汗で湿らせた様ではあまり説得力もないが、

少女は何とか野獣に意地を見せようとそう足掻いてやった。

 

「これ以上ってのはどんなだ?ンン?」

 

ヤザンは余裕たっぷりに、やはりからかうように悪辣に笑う。

この自信たっぷりな所を崩してやりたいと少女は思い、

しかしこの不敵な野性味に乙女の魂と無垢な肉体は絡め取られてもいた。

 

「っ、あぁ」

 

カテジナの顎が仰け反り背が反る。

彼女は初めて女の場所を男に(もてあそ)ばれていた。

熱を持ち、潤ったそこを男のごつごつとした指でまさぐられ、

開いた唇を男の口で塞がれた。

口内まで獣に跋扈される。

彼女の強固な意地が砕け散って霧散し、

白い波に呑まれそうになったその時、ヤザンは彼女を解放してやった。

小さなあえぎ声を漏らしながらカテジナは男の目を見ていた。

凶悪なその目からカテジナは目が離せない。

見惚れていた次の瞬間、獣が笑った。今度の笑いは豪放磊落なものであった。

 

「ははは!上も下も縮こまっとらんようだなァ!

やはり貴様は大した肝っ玉だぜ、カテジナ。

初出撃前にこんだけ盛れりゃ上出来だ」

 

「なっ…!」

 

カテジナは桃色の靄に霞みかけていた意識を正気に戻し、はっとし言葉に詰まった。

自分の痴態に全身を赤くし恥じて、次の瞬間には怒りを爆発させていた。

 

「わ、私を哂って…バカにして…!あなたって人は!下劣なケダモノよ!」

 

口づけ出来そうな距離にいながらヤザンの頬へビンタを見舞う。

きっとビンタが来ると予想がついていたヤザンは、

いつぞやのように簡単にその攻撃を捕捉して抑え込むとまた深くキスをして女を黙らせた。

 

「んん…!んむぅ…!んん~~~っ!ん、んん…!ん…っ、ん……」

 

今度のキスは長い。

カテジナの烈火は、絡みついてくるベロに掻き消されていくのが彼女自身分かる。

彼女は、扱い辛く面倒な自分を心のどこかで理解している。

だがその面倒な自分の扱いを、第三者に…この男に心得られているというのが、

カテジナには悔しいような、それでいて安心感があった。

 

「ん…んぅ……ぷは」

 

口が離れ、ほおけた顔になりそうな自分を叱咤し目の前の男を睨みつける。

男はいつものように悪人面で笑っていた。

 

「生きて帰れよ、カテジナ。そしたら続きをしてやるよ。今度は最後までな」

 

「……自惚れ屋。あなたなんかに、抱かれてやらないわ」

 

獣のオスとメスは互いに視線を交わらせ続けていた。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その1

それは突然の腹痛と頭痛から始まる。

カイラスギリーに駐留しているほぼ全ての人員が

猛烈な苦痛と倦怠感、激しい不安感や精神的混乱に襲われていた。

リガ・ミリティアのマイクロウェーブ照射が始まったのだ。

通常、マイクロ波は金属に大部分が反射されてしまうものだが、

ハイランドのマイクロ波は通常のマイクロ波と性質もやや異なり、

そのお陰で非常に強力な出力を誇る。

ミノフスキー粒子を応用したものらしいが、

とにかくその作用がウェーブの金属透過を引き起こし、

人体の表層部分よりも深部に強烈に作用するのである。

だから、艦船や要塞の厚い装甲に守られたベスパの者達も当然こうなるのだ。

 

「あ、開けてくれぇぇぇっ!!」

 

「次は…俺の番だぞ……っ、ぅぐ、おぉぉぉおおぉ!」

 

「貴様らっどけ!わ、私は士官だぞ!このトイレは私のものだ!!上官命令だぞ!」

 

「そんなの聞いてられる状況ですかってんだ!!」

 

格納庫から、廊下から、艦橋から、備蓄庫から、居住区から、

あらゆる場所から怨嗟の声が聞こえてきて要塞居住区のトイレは大盛況だ。

十数隻のカリスト級のトイレも勿論、

コントロール艦である巨大旗艦スクイードのトイレも人でごッタ返している。

トイレに辿り着けない者は緊急避難用の重装型ノーマルスーツを着込み、

そのトイレパックで用を足す者達もいたりもする。

下痢だけの話ではない。

嘔吐もだ。

当然、トイレも重装ノーマルスーツも間に合わぬ者も出てくる。

MSパイロット達は、優れたトイレパック性能を誇るパイロットスーツに身を包んでおり

その点で他の連中に対して勝ち誇った顔をしながら濁流のようなそれを垂れ流す。

しかし、それでもトイレパック機能の限界をすら超えてしまう者が既にいる状況。

第1種戦闘配置が宣言されているというのにMS搭乗率は未だ20%に届かない。

酷い有様だった。

ザンスカールが誇る新鋭艦、衛星砲要塞、それらの各所は排泄物と吐瀉物で汚れた。

まだ1G環境下ならばマシだったかもしれないがここは宇宙で、

しかもコロニーではない。

汚物はそこらを彷徨い、臭いは充満し、

突然全員を襲ってきた便意や吐き気を耐えてきた連中すらも、

いわゆる〝もらいゲロ〟でダウンしていった。

悪夢の連鎖が続く。

清潔感漂う新鋭艦が揃い「是非、配属先に」と望む者が後を絶たないと評判のタシロ艦隊は、

今日この日、たった一日で不人気No.1に輝く職場となったのだ。

 

「ぐ…う、ウォォ…ッ!」

 

敵に動きありとの報でスクイード1の司令席に座るタシロも、

普段の優雅さを失って脂汗を浮かべ席上で苦悶の呻きをあげている。

一瞬でも気を抜けば、ザンスカール軍大佐としての威厳を失う醜態を晒しかねない。

だからといって敵が迫る中、指揮席を空けるなどとても出来ない。

今、タシロは普段のダンディズムを投げ捨てて、

心の底からオムツを渇望している。

 

「お、おの…れぇぇ……リ、リガ・ミリティアの…仕業だな…!

なんと卑劣な、連中なのだ……!

み、皆に、戦闘配置を維持するよう、改めて…命令しろ…!うぐ!?ウォオオオ…」

 

「りょ、うっ、かい…パイロット…各員…第1種戦闘配置を…維持し…う、うぅ…!

し、司令…!だめです!とても、戦闘配置、維持できません…!あっ、あぁ!もうダメ!

申し訳ありませんっ、し、失礼します!」

 

タシロの命を何とか実行しようとした通信士の女性は、

女として、大人としての尊厳を保つ為に跳ねるように立ち上がって猛烈に駆けていく。

堂々たる命令違反だ。

だが、もはや誰も彼女を止めること叶わない。

 

「こ、こんな作戦は…ナンセンスだ!!」

 

目眩までしてきて、意識に黒い幕がちらちらと降りだしていたタシロは、

気力を振り絞って意識を保ち、括約筋を叱咤激励し、嘔吐感にも耐える。

無敵のズガン艦隊すら恐れぬ精強なるタシロ艦隊は、

今、取るに足らぬ筈のゲリラ組織の悪辣な策略によって未曾有の危機に直面していた。

 

 

 

――

 

 

 

 

そんな有様のタシロ艦隊の防宙圏内に急速に突っ込んでくる熱源がある。

ザンスカールの誇る新型デュアルタイプMS・アビゴル…というにはやや語弊がある。

アビゴルはザンスカールでは出来損ない扱いで、

必死にこれを調整し名誉回復させようとしていたテストパイロット、

ゴッドワルド中尉はテスト失敗による宇宙漂流の末にヤザンに捕獲される憂き目にあう。

だからザンスカール側は、このアビゴルの真価を未だ知る由もない。

アビゴルは、今リガ・ミリティアのエース機としてザンスカール(生みの親)に牙を向いた。

 

「…っ、マイクロウェーブの圏内に入った…!ウッソ、カテジナ、いいな!

後30秒でマイクロウェーブが消える!それまで糞を漏らさないよう気ィ張れよ!」

 

背びれに引っ付いているVガンダムとシャッコーへ檄を飛ばす。

ヤザンを襲う急速且つ強烈な身体不調に、彼の痩け気味の頬を脂汗が伝った。

 

「ぐ、うぅ…これ…強烈過ぎますよ!ヤザンさん!」

 

子供ながら超人的とすら言える身体能力を持つウッソですら呻き、

 

「…っ!ちょっと…ブリーフィングで聞いてたより激しいんじゃないの!?」

 

ウッソに劣るとはいえ

スペシャルの片鱗を見せつつある気丈なカテジナもヘルメットの中の顔を歪めていた。

 

「ぎゃんぎゃん喚くなよ!文句なら伯爵に言うんだな!」

 

触れ合い通信からは「まったく!」と悪態つく少女の声が響くが、

今回はその悪態にはヤザンも乗っかりたい気持ちがある。

 

(伯爵め…!話と違うぞ!)

 

帰ったら元マハ局長をとっちめてやると取り敢えず決めると更にフットペダルを踏み込む。

高速形態となっているアビゴルのスラスターが猛然と噴き上がり加速していく。

 

「う…!」

 

「ぐぅ!」

 

マイクロウェーブの苦痛にGまでがプラスされてウッソとカテジナは必死に嗚咽を耐える。

その中で、一人ヤザンだけが歯を僅かに見せて頬を釣り上げた。

拡大されたモニターの、それでも遥か彼方に映る星々と同じような光点を

ヤザンは獣的なセンスで直様見つけてしまうというのはひたすら脅威であった。

そして獲物を見つければ、

俄然元気となるこの男はマイクロウェーブの苦痛もまるで忘れたように溌剌だった。

 

「捉えた…!始めるぞヒヨッコ共!」

 

「ヤザンさん、敵が動いていませんよ!?」

 

ウッソも反則気味の上官の視力に食らいつき、彼に倣って敵を視た。

そしてワンテンポ遅れて、カテジナも頷いていたのだから恐ろしいスリーマンセルだ。

ウッソの言葉にカテジナは薄く笑う。

 

「まるで動けていない。ただの的にして下さいと言っているようなもの…!」

 

「機動兵器が機動を封じられてあのザマだ!叩ける内に叩く!

ウッソ、カテジナ…()()を仕掛けるぞ!!」

 

ヤザンが吠えるように命じると二人のスペシャルは力強く頷いた。

と同時にヴィクトリーとシャッコーが背びれから手を離す。

離れれば後はもうミノフスキー粒子が邪魔をして会話は出来ない。

意思疎通は互いの挙動を視て予測するしかなく、そしてそれを戦闘軌道の中でする。

アビゴルが敵MS群へ真正面から突っ込むと、

ザンスカールのMS隊と艦船は当然のように弾幕を展開したがそれは極めて鈍いものだ。

 

(やっこ)さん、相当苦しいようだな)

 

余りに情けない疎らな弾幕に、敵ながらヤザンは興醒めも良い所だ。

しかし敵は要塞を抱えながら数はこちらの倍。

単純な戦力では何倍だ…と愚痴りたくなるような差があるのだから、

このような作戦もビターな味ながら飲む必要があるのはヤザンにも分かる。

 

アビゴルを先頭に、三角形(トライアングル)を象るように白いMSと黄のMSが配置され、

ヴィクトリーとシャッコーの手にはそれぞれ〝海ヘビ〟が握られていた。

 

「敵を…トライアングルの中心に入れて…!」

 

ウッソが海ヘビの束ねられたワイヤーを解放しながら射出。

普段は一本の太く強いワイヤーとして使われる海ヘビが、

この時はビームストリングスのように扇状に拡散していく。

扇の両端はそれぞれアビゴルとシャッコーへと向かっていくように繊細な調節が必要だった。

 

「っ!このタイミング!ヤザンに合わせるのよ、ウッソ!」

 

そしてヴィクトリーと同時にシャッコーが、

やはり海ヘビのワイヤーを網状に散開させながら打ち出していた。

射出とコンマ秒差程度の誤差でアビゴルとヴィクトリーから飛んで来る

海ヘビのワイヤー(それ)を見事に受け取り、海ヘビの柄へと接続。

電磁ワイヤーのトライアングルが、高速機動のさなかに見事に完成していた。

ヤザンはこれを成した二人の年若い部下を誇りにすら思い、そして獰猛に微笑んだ。

 

(まさか、この技量の低下した時代にまたこれが出来るとはな…!

ダンケル、ラムサス!見ていろ…!俺達が産み出したクモの巣を派手に咲かしてやる!)

 

獰猛な笑みを浮かべながらも、己の性分に反して思わずセンチな事に思考が飛ぶ。

直ぐに霧散させたが、しかしそれぐらいヤザンはこの連携技に思い入れがある。

己の隊の陣形の外側スレスレを高速で駆け抜けようというヤザン隊の機動は、

ザンスカール兵達からすれば自分達をからかうように映る事だろう。

ビームストリングスという〝個人用クモの巣〟とでも呼べる電磁ネット兵器を持つゾロアット。

しかし、多数のMSが高速戦闘機動をしつつ同時に電磁ネットを展開する等という戦法は、

ベスパ兵をして出てきはしなかったらしいがそれも無理はないだろう。

ヤザンのクモの巣は、本来ならば曲芸飛行と呼ばれるジャンルに近い。

無茶なスキルが必要でリスクが大きい。

リターンもデカイが戦場でやるような事じゃない。

ヤザン隊の挙動の真意を直様見抜くパイロットはいなかった。

 

「ぐ…こ、こいつら…汚い作戦で…

俺たちをこんな目に合わせた挙げ句、こんな舐めた動きしやがって!

戦場で曲芸飛行だと!?」

 

「しかも、な、なんだよあのMS!シャッコー以外にも、ありゃうちらのMSだろうが!くそ!」

 

「リガ・ミリティアめ…!また俺達のマシーンを奪いやがったのか!」

 

「手癖の悪いゲリラ屋共が!」

 

突っ込んできたリガ・ミリティアに、

明らかに味方(ザンスカール)製の特徴を持つ緑の大型MSがいたのも彼らの正気を目減りさせていた。

無数のゾロアット達は、

猫目を見開き周囲を高速で飛び去ろうとする切り込み隊を撃ち落とそうと躍起であった。

ヤザンが哂い吠える。

 

「ハハハハッ!貴様らのビームストリングス(紛い物)とは一味違うぞ…!クモの巣を喰らえィ!!」

 

ヤザン隊の3機のMSが同時に電磁ワイヤーを起動。

激しい電流がビーム光のように鮮烈に宇宙の漆黒にトライアングルを描く。

 

「なんだ!?うっ!?」

 

「ビームストリングスか!?」

 

「がああああああ!!!?」

 

「うわぁぁあぁああ!!」

 

ゾロアット達が、真空に張られたクモの巣に絡め取られ見る見るうちに装甲が焼け爛れる。

ビームストリングスならば当世代MSのビームシールドで防ぐことも出来るが、

3機分のパワーとなると話は変わる。

クモの巣は3機分の出力の電流が張り巡らされた死の電磁ネットだ。

しかもそれだけではない。

ヤザンは、アビゴルの攻撃性能をみてクモの巣に更に一手加えられると踏んでいて、

全くの情け容赦無しに止めの一撃を加えるのだ。

 

「クハハハハハッ!!こいつも受け取りなァ!ハイパーボイルだ!」

 

アビゴルの背部射出口から機雷のような物がクモの巣にバラ撒かれると、

その無数の機雷の一つ一つが強力なビームネットを展開するのだ。

クモの巣が更に激しく輝いた。

クモの巣の電磁結界の中で発動したアビゴルのネットは、

さながら電子レンジの中で加熱されるダイナマイトだ。

クモの巣の電流は加速度的にMSの耐電撃性能を凌駕し、

その瞬間クモの巣に絡まっていた12機のゾロアット達は内部から破壊され爆発。

パイロット達はミンチより酷い状態となって鋼鉄の巨人ごと宇宙の塵になって消えていた。

あっという間の事である。

 

余りに印象的なカイラスギリー戦の本格的開幕であった。

マイクロウェーブ作戦で士気が悲惨な事になっているタシロ艦隊からすれば、

これは非常に大きな効果があった。

逆に、寡兵であってもリガ・ミリティア軍の士気はこのド派手な初手の勝利で鰻登り。

戦いの流れを、ヤザン隊だけで決定づけてしまうのだった。

 

ザンスカールの艦隊司令、タシロ・ヴァゴもこの光景を望遠カメラで見ていた。

マイクロウェーブが切られたのであろう…体調も僅かに回復していたが、

それでも額を幾筋の汗が伝い落ちて思わず呟く。

 

「…4小隊のゾロアットが…全滅…?3機のMS相手に、ものの数秒の接敵で、か?」

 

タシロの眼輪筋が僅かに痙攣した。

 

「最前線が突破されます!」

 

いつの間にか戻ってきていた女通信士が震える声で告げる。

 

(脆すぎる!)

 

タシロの額を流れる汗がまた一筋増える。

 

「コンティオ戦隊をシャッコーに差し向けろ!

あの一隊さえ仕留めればリガ・ミリティアの勢いは殺せる」

(いくらマイクロウェーブで弱らされたとはいえ、これでは余りに不甲斐ないではないか!)

 

シャッコーを駆るリガ・ミリティアの野獣。

ジェヴォーダンの獣。オクシタニーの物の怪。

地上の前線兵士らの話など尾びれ背びれが付き纏って過大になっている。

タシロは野獣の話を話半分で聞いていたのだが、事ここに至って真実味を帯びてきていた。

だが、味方の不甲斐なさに怒りは見せてもまだ動揺は見せない。

指揮官として動揺する姿を晒してこれ以上士気の低下を招くわけにはいかないのだ。

冷えてくる背筋を将官席の背もたれに押し込んで、タシロは正面大モニターを睨んだ。

 

 

 

――

 

 

 

 

ジャベリンの群れがゾロアットに襲いかかっている。

機体性能でいえばゾロアットが格上だ。

1対1ならばまずゾロアットに負けはない。

しかし、今ゾロアットは戦闘軌道(マニューバ)においてジャベリンに並ばれて、

反応も鈍いザンスカールのパイロット達はジャベリン相手に全くの互角だった。

いかな高性能機、傑作機といえどもパイロットが軒並み絶不調ならばこうもなる。

 

ジャベリンが高速で迫りビームサーベルで斬りかかる。

ゾロアットはそれを肩部ビームシールドで防ぐが、

ほぼ同時に横合いから襲ってきたジャベリンに、

機体名の由来でもある象徴兵器〝ジャベリン〟の切っ先に上半身を串刺しにされていた。

しかし次の瞬間に、その2機のジャベリンは

背後から放たれたビーム粒子にコクピットを貫かれ沈黙。

だが背後にはMSの影はない。

あるのは、不規則な軌道を描く〝カニのハサミ〟のような小型戦闘機と見紛う物体。

 

「この体たらく!ベスパがこんな旧式相手に同レベルに競うとは!」

 

高速でその戦闘フィールドに突入してきたのは、

まだあらゆる前線で確認されていない新型であった。

鮮やかなピンクの機体色と、肩の巨大な〝カニのハサミ〟が目を引く。

胴体の三門の強力なメガ粒子砲が火を吹いてさらにジャベリン達を消し飛ばした。

消し飛んだ隊とは別のジャベリンが直様背部のランスを引き出し、

ユニットジャベリンを射出し迎え撃つ。

だが、そのピンクの新型は軽やかにそいつを躱して真上に滑り込み、

ジャベリンが追撃しようと上を向いた瞬間に

()からのビームによってジャベリンは股下から焼き払われ虚空に消えた。

 

「ふふん…このショットクローはやはり良い。このピピニーデンに相応しいと思う!」

 

新型・コンティオを操るアルベオ・ピピニーデンは順調な滑り出しにほくそ笑んでいた。

有線式攻撃端末・ショットクローは両肩に装着するカニのハサミが如くの兵器だ。

見た目通り、敵を挟んでビームの牙で砕くことも出来るし

大型故に内蔵ジェネレーター仕込みのメガ粒子砲は強力でブースターの加速力も強い。

前時代の小型攻撃端末兵器・ファンネルやインコムが

MSの小型高出力化についてこれなくなった解決策が、攻撃端末の大型化(これ)である。

 

「大尉!6番機が上方2時方向にシャッコーの姿を発見!」

 

背部にショットクローを食いつかせて来た同型機…2番機を預かる副官ルペ・シノが告げる。

有線式攻撃機にはこういう使い方もあって、

ミノフスキー散布下での通信がスムーズにいかない現代では便利と言えた。

ルペ・シノの言葉にピピニーデンは笑顔を消す。

 

「よし!ここらのジャベリンは殲滅した…コンティオ戦隊続け!獣退治だ!」

 

「は!」

 

ピピニーデンが乗る隊長機に続き、7機のコンティオが颯爽と飛び去る。

後には無数のジャベリンの残骸が漂っていた。

コンティオ戦隊(ピピニーデン・サーカス)とてマイクロウェーブで調子は悪い。

だがその不調を、彼らは新型機の性能と巧みな連携で補っているのだ。

 

コンティオ戦隊の上方を何十もの大メガ粒子砲の光条が伸びていく。

 

後方から雨のような艦砲射撃が行われ、リガ・ミリティアの艦隊からもそれが行われる。

双方の艦長達が叫ぶように指示を飛ばし、本格的な艦砲の応射が始まっていた。

味方艦隊は勿論、最前線のMS隊を避けては撃ってはくれているが、

一度戦闘が始まれば作戦通りの規則正しい動きなど土台、夢物語。

時間が経つにつれ、戦闘が激しさを増すにつれミノフスキー濃度は右肩上がりとなる。

レーダーも通信も出来ず、敵味方認識が利かぬ熱源センサーと視界頼りの戦闘。

科学力の粋を極めた兵器の数々で中世期以前の原始的戦闘をする。

これこそが現代MS戦である。

 

後方から自機を飛び越えて粒子を撒き散らし敵を蹴散らす艦砲射撃を、

MSパイロット達は巧みに避けつつスピードを落とすことなく敵機方向へ邁進していく。

ザンスカールもリガ・ミリティアも、互いに陣形を食らい合う乱戦へと移りつつあった。

 

乱戦エリアから後方、リガ・ミリティア側の旗艦リーンホースからゴメスががなり立て叫ぶ。

 

「弾幕薄いぞ!回避運動しつつ打ち返せ!」

 

船体を揺らす衝撃にトレードマークの連邦士官帽が少しずれる。

そんな事も気にせずにゴメスは小さな悲鳴を上げた砲撃手を叱咤した。

 

「情けない声出すな!男ならネスを見習え!」

 

妙な叱咤で名を出されたネス・ハッシャーが間髪入れず異議を唱える。

 

「女ですけどぉ!!?」

 

しかしネスの魂の籠もる異議はさらりと皆に流された。

 

「ゴメス艦長!?カリストに撃ち負けとるようだが!!?」

 

艦長席にふんぞり返っていた偽ジャハナムは、今では背を丸めて時折揺れる艦にビクつく。

眉も情けない八の字になっていてすっかり小さくなっていた。

ゴメスはジャハナムをちらりとも見ずにやはり怒鳴るように答えた。

 

「あっちの方が性能も鮮度も上でしてね!こっちのオンボロじゃ仕方ないでしょうよ!

火線を集中させろ!味方とタイミング合わせるんだよ!」

 

「な、なぁゴメス艦長!敵の動きが段々激しくなっとらんか?

もうマイクロウェーブから立ち直ったのかぁ!?」

 

またもジャハナムが震えた声で悲鳴を上げるようにそう言ったが、

今度はそれに答えたのはゴメスでなくオイ・ニュングである。

これ以上ゴメスの指揮を邪魔されるのはたまらないと、

彼がジャハナム(狸の置物)の相手をする事にしたらしい。

 

「将軍!あんたは影武者とはいえジン・ジャハナムの名を預かっているんだ!

見事な指揮をしろとは言わんが、せめてどっしり構えていたまえ!

私と同じように大人しくして!プロの邪魔をしちゃいかん!」

 

「う、うぅ…」

 

艦橋の直ぐ側でまた激しい光りが灯る。

と同時にコンピューターが再現する轟音が響いてくるから偽ジャハナムは気が気でない。

伯爵は薄い溜息をつきつつも偽ジャハナムにまた声をかける。

 

「皆あんたを実は頼りにしているんだよ、将軍!

いつも元気一杯で偉そうにふんぞり返るあんたの姿は、結構皆好いとるんだ!

しっかりしてくれ。皆が不安になってしまう」

 

「う…そ、そうかな?」

 

「そうだよ!さぁ胸を張って!」

 

「…う、うむ。こ、こんな感じか?」

 

狸の置物が垂れたお腹を伸ばして胸を張った。

いつもなら目障りなその光景も、少し滑稽な彼の姿は戦いの緊張感を和らげてくれる。

ネス・ハッシャーが笑ってヤジを飛ばす。

 

「そうそう!そんな感じ!いつもみたいに無駄に偉そうにして!ほらぁ!」

 

その言葉に他のクルーも思わず笑ってしまっていた。

偽ジャハナムが赤い顔になってネスへ怒鳴る。

 

「無駄に偉そうだぁ!?な、なんだとー!」

 

「さっきまで青い顔だったのに今度は赤くなってる!」

 

またクルー達から笑いが漏れた。

「コイツぅ!」と偽ジャハナムが腰を浮かせて怒った時、また至近弾の衝撃が艦を揺らすと、

彼は転びそうになって悲鳴を上げて肘掛けにしがみついていた。

ゴメスも大口を開けて豪快に笑う。

 

「ははははは!しっかり座っていて下さいよ将軍!

これからもっと激しくなるんだからなぁ!」

 

ゴメスの一言で皆から笑顔は消え、

そしてまた引き締まった表情で皆がコンソールを叩き出す。

 

(…しかし、あの狸の置物も…実は無いよりはマシなのかもしれねぇな)

 

褌を締め直すには良い切っ掛けだったし、皆の気力も見ようによっては再補充されている。

無精髭を擦りながらゴメスはそう考える。

切っ掛けをくれたもう一人の男、伯爵を見てゴメスは頷くように軽く頭を下げた。

 

「狸の置物を化かしてくれましたね、伯爵。感謝しますよ」

 

「あの男も悪い男じゃないんだ。役に立とうという一生懸命さはある」

 

「そのようで。だからああいう全力のリアクションが出て、なかなか励まされます」

 

ゴメスとオイ・ニュングは互いの目を見て頷いた。

カイラスギリー戦はまだまだ始まったばかりである。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その2

「姐さん!奴らの動きが戻ってきてる!」

 

ペギーがジュンコのガンイージに取り付いてそう言った。

ジュンコ・ジェンコは、トリガーを引くことを止めることなく努めて冷静に返す。

 

「マイクロウェーブ照射が終わって大分経つから、もうじき奴らも立ち直る頃だ!」

 

タシロ艦隊は精鋭揃いだ。

醜態を晒そうとも、そのリカバリーは早いのは明白だった。

収束させたフェダーインライフルでまた1機、

ゾロアットをビームシールドごと撃ち抜くと夜空よりも暗い暗黒に炎の華が開いて消える。

 

(呆気無く死ぬものね)

 

命の終わりはもっとドラマチックだと思っていたけれど、

戦争に参加するようになって命とは呆気無く終わるものなのだと痛感した。

だからこそ命は大切にしたい。

死にたくない。

ジュンコ・ジェンコは他者に死を強要することで、己の生を紡ぐ。

ペギーとマヘリアが、〝三段撃ち〟の要領で

ローテーション撃ちをし射撃の隙を無くしてくれる。

シュラク隊のフェダーインライフルは

恐ろしい威力と精度でゾロアットを次々に火花に変えていった。

順調に敵を掃討していく中で、

マヘリアが自機を射撃体勢のままアポジで平行移動させ指揮官(ジュンコ)機の肩に肩をぶつけた。

 

「姐さん、すごい速さでこっちに来る連中がいるよ!」

 

熱源が急速に接近中。

そのスピードはゾロアットよりもずっと速い。

ペギーも、音の振動が自機に伝わってマヘリアの触れ合い通信は受け取っている。

素早く熱源センサーを読み取ったが正確な機数は分からない。

 

「大型の1機…?モビルアーマーかも」

 

「あの光…!下方、10時方向…!」

 

「あっちのフィールドにはブラボー隊がいたはずだけど」

 

ペギーの言葉には「あの光点は味方かもしれない」という心配があるように思えたが、

ジュンコの決断は早かった。

ブラボー隊はジャベリンで構成された隊で、ゾロアットよりもスラスター出力は低い。

ゾロアットより速いとセンサーが言っている時点でブラボー隊ではない。

 

(あの速さで動くMSは味方ではヤザン隊長のアビゴルだけ……敵ということ!)

「敵だ、撃ちな!」

 

ジュンコが言えば、ペギーもマヘリアも迷いなくフェダーインライフルを構えた。

そして躊躇わずにトリガーを引き斉射。

通常のビームライフルよりも強力で弾速も速く、

貫通力ならビームバズーカを超えるフェダーインライフル。

今ではリガ・ミリティアのMSが多く装備しており、

フェダーインライフルを装備すればジェムズガンの小隊でさえ

ザンスカールMSと良い戦いが出来るほどだった。距離を詰められなければ、の話であるが。

 

シュラク隊の放ったフェダーインライフルの長距離攻撃。

斉射すれば戦艦の主砲をゆうに超えるパワーとなって迫りくる光点を貫かんとする。

しかし光点は、メガ粒子の光が迫る寸前に離散して、

7つのスラスター光となって更に速度を上げてこちらへと迫った。

 

「7機!?」

 

「あいつら新型だよ!」

 

ペギーとマヘリアが忌々しいという口ぶりでそう言った。

言いつつライフルで予測射撃を敢行しているが尽く外されるが、

急に散開されれば凄腕パイロット集団でもそう簡単に当てられないものだ。

特に、的が今までの敵よりも速ければ。

シュラク隊の中で最も百舌鳥に相応しいと評されヤザン的な獣のセンスに秀でるヘレンは、

その7つの機影の、複雑且つ連動した有機的機動を見て眉を歪め吐くように言う。

 

「ジュンコ達の狙撃を避ける…良い動き。エース隊だね、不足はないよ!」

 

ヘレンのガンイージがいきなりフルスロットルで飛び出し、

敵新型に競うようにランダムで鋭い軌道で距離を詰めていった。

 

「ヘレン、()調()()に乗るんじゃない!相手のペースに嵌るな!」

 

コクピットでジュンコが大声を上げるも、当然このミノフスキー濃度ではそれは独り言だ。

ヘレン機は通常のライフルを連射しながら、戦隊のうちの1機を狙っているようだった。

それが付き合いの長いジュンコには分かる。

ジュンコは絞ったフェダーインライフルで連射しつつ他の新型を牽制し、

ヘレンが1対1で標的とやり合えるようにしてやりたかったが、しかしそう上手くはいかない。

ガンイージに引き金を引かせようとしたその時だった。

 

「っ!?なに!?」

 

突然横から現れた〝巨大な爪〟にフェダーインライフルが噛みつかれた。

 

「こいつ!」

 

叫んで、ジュンコは半ば反射的にサーベルの(発振機)を握りしめたが、

だがその瞬間に〝爪〟もビームの牙で砲身を引き裂いていた。

「この!」と忌々し気に言って、ガンイージがビームサーベルを振るうもそれは空を切る。

頭部バルカンで追撃をかますも、

数発は当たったが〝爪〟はチョロチョロと動いて直撃を避けていた。

 

「…これは…!」

 

戦場を素早く見渡すジュンコ。その脳裏にヒヤリとしたものが走っていた。

シュラク隊を遠巻きに囲む躑躅(つつじ)色の新型達とは別に、

同じ躑躅色の無数の〝爪〟達が乱舞しているのだ。

ペギーが舌を鳴らす。

 

「囲まれたのか…」

 

ガンイージの熱源センサーが真っ赤になってアラートを連発する。

四方からメガ粒子砲の嵐がシュラク隊に撃ち込まれた。

 

「ああ!?」

 

ペギーのガンイージの腕が消し飛ぶ。

胴にもビームが迫るが、コニーは歯を食いしばってスラスターを全開にし

ガンイージの胴をひねれば、無茶な機動でガンイージは何とかそいつを躱してくれた。

しかし、急にガンイージの挙動が止まる。いや、止められたようだった。

 

「脚が!く、くそ!」

 

〝爪〟が脚に噛み付いてペギー機を引っ張る。

「こんなものっ」と焦りが浮かぶ声色で、爪を引っ張りつつ無理矢理にブースト。

質量と推力の違いで当然ガンイージが引っ張り合いには勝つが、

爪の反対方向に加速する為に動きの予測はされ易い。

巧みに〝爪〟…ショットクローを操るルペ・シノはほくそ笑む。

 

「もらったよ」

 

ペギーのガンイージに狙い澄ましていたルペ・シノのコンティオ。

その胸部メガ粒子砲が雄叫びを上げる。

強烈な粒子光を放ってペギーのガンイージに突き進む熱線が、

まるでスローモーのように他のシュラク隊には見えていた。

 

「ペギー!」

 

その時最も近くにいたマヘリアが叫びながら、ペギー機のバックパックを己から撃ち抜く。

爆発がペギーのガンイージを吹き飛ばす。

コクピットを狙っていたルペ・シノのメガ粒子は、

ペギー機の下半身を消滅させる事には成功したが、

食いついていた〝爪〟までが共に消し飛んでしまった。

かなり際どい助け方だ。死んでいる確率も高く、生きていても相当の負傷は追うだろう。

戦力は削れたが己の手で殺し切ることが出来なかったルペ・シノは唇を薄く噛む。

 

「仲間を撃つ事で助けた…咄嗟にそこまで出来るか!やるねぇ!」

 

乱回転して飛んでいったガンイージの上半身を捨て置いて、

しかし、とルペ・シノは尚も不敵に微笑んだ。

 

「このコンティオのショットクローは2基あるんだよ!」

 

もう1基のショットクローを、邪魔をしてくれたマヘリア機へと猛スピードで突っ込ませる。

爪の間に展開されたビームサーベルがマヘリア機を突き刺す。

ガンイージの右肩が根本から抉られ、小さな爆発がそこで巻き起こった。

 

「あぅっ!!?」

 

コクピットまでその損傷は響きマヘリアの右腕と右太ももを、激しい火花が焼いていた。

 

(く、そ…危なかった…!ヤザン隊長のシゴキが無ければ反応できなかった!)

 

あの血反吐吐く訓練に、マヘリアは今心底感謝している。

コクピット狙いの際どい攻撃をスレスレで躱すのは、

ヤザンが最も力を入れた訓練項目の一つ。

MSが小型化した現代、胴部狙いの攻撃はその殆どがコクピットのダメージに…

延いてはパイロットの負傷に直結する。

そしてジェネレーターを誘爆させて核爆発を起こさない為にも

パイロット狙いの攻撃は頻度を増す。

MSの手足も勿論狙われるが、パイロットと比べれば致命傷足り得ない。

MSの手足は一朝一夕で作れるが、パイロットの育成はそうはいかず、

「金と時間がもったいないだけだ」と顔を背け気味に言っていた姿は、

ヤザンには内緒だが女心がくすぐられるとシュラク隊で騒いだものだった。

しかし、コクピット狙いの攻撃による振動で、打撲、裂傷、摩擦傷、火傷etc…

それらで乙女の柔肌を傷つける容赦ない訓練は今思い出しても恐ろしいものだが、

そのお陰で今自分は生きているとマヘリアは痛感出来るのだから幸いだ。

 

「あの隊長に、結局女の一番大事な血まで流されるなんて想像もしなかったけど…。

ぅ、ぐ…今夜もめいっぱいイイこと教えて貰うんだから…死んでられないのよ!」

 

独り軽口を叩きつつ痛む足で必死にフットペダルを踏み込み、

痛む腕でレバーを引きつつコンソールを打ち込む。

推進剤にまで引火するダメージでない事を祈りつつも、

マヘリアは推力を落とすことなく損傷したガンイージをちょこまかと動かし続けた。

ルペ・シノはまたも唇を軽く噛んだ。しかしその咬合力は幾分強まっているようだった。

 

「また仕留めきれなかった!?こいつら…ちょこまかと!!4番機、私に合わせろ!」

 

ショットクローを手近な僚機に取り付けて接触通信で挟み撃ちに引き込む。

2機のコンティオがダメージ著しいガンイージの前後を、

まるで獲物が弱ったかを確認するハゲタカのように観察し、そして時折ライフルを放つ。

 

「…っ!今度は二人がかり!?しつっこい!」

 

マヘリアも火を吹くガンイージで必死に避け続けるが限界は近かった。

メインカメラで周囲の仲間の様子を伺えば、誰も彼もが苦戦の真っ只中。

ガンイージと比べて性能差は一目瞭然だ。

カニのハサミを使う新型は脅威の一言で、未だシュラク隊が戦死者を出さず粘っているのは

やはりヤザンとのサバイバルの経験が生きているのだろう。

シュラク隊の誰もが、勝つための戦闘から

〝敵エース部隊の足を止める〟為ののらりくらり戦法に切り替えているのだった。

ヘレンだけは未だ五体満足だが、

それ以外のシュラク隊は既に四肢を幾らか喪失しAMBAC能力を低下させている。

 

(自分達は料理されている)

 

シュラク隊の誰もがそう思ったが、

敵のエース部隊をここに貼り付けていれば

他の戦域の仲間が楽になるのだから彼女らは諦めずに抗い続けていた。

ジュンコがガンイージの残った左腕でシールドを展開し、

残された射撃武器である頭部バルカンで必死に牽制を繰り返しつつ心で叫んでいた。

 

(…っ、た、隊長…!)

 

射撃トリガーを引いてももはやバルカンは出ない。

コンピューターが〝EMPTY〟の文字を赤く明滅させていた。

真正面から迫ったメガ粒子砲がビームシールドに直撃し機体が大きく揺れた。

モニターの一部の映像に砂が走って機能を消失していく。

 

「なんて威力だい!このままじゃ…一矢も報いれないのか…!?」

 

時間を稼ぐだけで全滅だなんて、そんなのはエース部隊を期待されたシュラクの名が泣く。

エース部隊同士の激突なのだ。

敵が新型だからって一方的に殲滅されるのは、教官でもあるヤザンの名にも泥なのだ。

 

「こんなとこで終わるもんか!」

 

ジュンコには生きる意味があった。

死に急ぐようなことはしない。

絶対に生き延びて、そして子を生んで母親になってみせるのだと女は意地に魂を燃やす。

それは執念だ。

 

7機のコンティオは未だ無傷。

その戦闘は圧倒的にコンティオ戦隊のものだった。

しかし隊長たるピピニーデンは己の隊に不甲斐のなさを感じるのだ。

 

「…えぇい、どういうことだ!こちらが攻め続けているのだぞ!

奴らはこっちに手も足も出ていないというのに何故仕留めきれん!」

 

安全策をとって、オールレンジ攻撃が出来るショットクローで〝囲い漁〟を選択した。

遠近両用こなせるショットクローで敵部隊をかき乱し、

コンティオ達本体は安全な場からビームライフルとメガ粒子砲でショットクローを()()する。

 

(本命の野獣退治の良いトレーニングだと思ったが、こんな雑魚にここまで手間取っては…)

 

ピピニーデンにもまた、シュラク隊と同じように焦りが浮かんでいた。

 

「ジャベリン共よりはガンイージは手強いと理解していたが、

…もしや、リガ・ミリティアのシュラク隊とはこいつらか?」

 

ザンスカールの諜報部から齎されたリガ・ミリティアのデータ。

そこには〝野獣〟ヤザン・ゲーブルが率いる

ガンイージで構成された精鋭部隊の名があったとピピニーデンは記憶している。

 

(だとすればこいつらはリガ・ミリティアの準エース部隊ではないか)

 

ベスパとしてはエース部隊とはヤザン直率の〝ヤザン隊〟である。

嘘か真か、リガ・ミリティアお得意の噂戦法か、

ヤザン・ゲーブルとは約70年も前に存在したという

連邦軍の伝説的部隊ティターンズの戦闘隊指揮官のヤザン・ゲーブルと同じだという。

その情報を得た時、

ただの同姓同名の者にそういう噂を付与して

噂を流布したのだとベスパの誰もが思ったが当たり前だろう。

ヤザン・ゲーブルが生きていれば90歳を超える老人であり、

生きていてもおかしくない年齢だがとてもMSパイロットは務まらない。

いくら対G性能が上がっている現代でも、MS戦に老体が付いてこないのだ。

だが、老体を薬物投与や機械化で補えば老人でもMS戦は不可能ではなく、

万が一にもティターンズのヤザン本人の可能性はあるし、

一度本人と手合わせしたピピニーデンは野獣の強さを知っているから可能性は感じた。

そしてその可能性があるのなら、

シュラク隊はティターンズのDNAを受け継ぐ隊だとピピニーデンは思う。

 

「しかし、ジェヴォーダンの獣が本当にあのティターンズの残党ならば、

ザンスカールの前に立ち塞がるのは悪名高きティターンズの残光なのだ!

私達ザンスカールの正義をベスパが示せる良い機会ということだろう。

ティターンズの薫陶を受け継ぐ悪しき連邦の残り香はこのピピニーデンが一掃する!」

 

眼前のMS達がシュラク隊ならば手柄首かもしれぬと思えた。

そう思って見ればこのMS隊の粘り強さも納得できるというものだ。

 

「フフフ…!全機焦るなよ…このまま包囲網を堅持すれば葬れるぞ!」

 

「大尉、敵は消耗しています。ここは一気に殲滅した方が良いのでは?」

 

ピピニーデンの横にまで来ていたルペ・シノが、

コンティオの肩を擦り寄せて言った。

ピピニーデンは副官をたしなめる。

 

「焦るなというのだ。手負いのネズミに噛まれても面白くなかろう」

 

「しかしシャッコーが私達の狙いです。

今、フルにショットクローを使いすぎると隊の者も消耗してしまいます。

有線式クローの連続使用は負担が大き過ぎます」

 

そう言われてピピニーデンは「む」と小さく唸った。

確かにコンティオのショットクローは非常に強力だ。

ケーブルが届く範囲であれば戦場の好きな位置に配置でき、

遠距離から近距離まで奇襲強襲何でもこなせる。

過去、遠隔兵器に必要とされた『ニュータイプ』という才も要らず、

誰でもオールレンジ攻撃が出来るスグレモノだった。

が、それだけに操作が複雑で、自在に使いこなせるのはピピニーデンとルペ・シノのみ。

地上でベテランの隊員を多く失ったピピニーデン・サーカスの追加パイロットは優秀だが、

戦闘中のショットクローの長時間使用は操縦の負担となっているのだった。

ピピニーデンは副官の進言に一理あると頷いた。

 

「…確かに3番機以降の動きが悪くなってきたかもしれん。

よし、ルペ・シノ…一気に仕留めるぞ」

 

「はっ!」

 

ルペ・シノのコンティオが離れると同時に隊長機が信号弾を撃ち出して、

宇宙に二色の光が瞬いた。

その途端、コンティオ戦隊が行動パターンを急変させる。

シュラク隊も勿論気付く。

 

「なに?」

 

「動きが変わった…!」

 

弾も切れ損傷が深まったジュンコ機を拾い上げたケイトが、

ジュンコを庇うようにライフルでなけなしの牽制をし続け、

ジュンコのガンイージは残ったシールドで懸命にケイトの死角を防御する。

ジュンコは決して自分を見捨てろとも言わぬし、ケイトも言わせない。

互いに生き延びてみせるという執念がシュラク隊には根付いており、

野獣から受け継いだ極限生存者(サバイバー)のしぶとさがそこにはある。

 

パターンを変えたコンティオがビームライフルと胸部メガ粒子砲を絞り連射しつつ突っ込む。

5機が突撃パターンとなり、2機が支援の形だ。

コンティオ戦隊の先陣を切ったのは、

ピピニーデン・サーカスの生え抜きであり叩き上げの副官ルペ・シノ。

彼女は肉感的な唇を舌舐めずりで濡らして目を見開き、

それはコンティオの複合複眼式マルチセンサーと連動し心通わすが如くであった。

 

「今度こそ仕留めてあげるよ…ふふ」

 

ほくそ笑むルペ・シノに率いられたコンティオ達がスラスターを眩しく噴かし踊るように翔ぶ。

 

「く、そぉ…!」

 

リップを塗った唇から血が滲む程にジュンコは噛み締める。

いよいよその時が迫っていた。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その3

ザンスカールの新型相手にはガンイージは既に力不足。

それがまざまざと見せつけられて、シュラク隊はコンティオ戦隊にただ嬲り殺されるのみ。

そう思われたその時にコンティオ達とガンイージ達の熱源センサーが同時に叫んだ。

熱源の正体は緑色をした高速の大型戦闘艇…のように見えるデュアルタイプMSと、

そいつ(アビゴル)をSFSがわりにするヴィクトリーとシャッコーであった。

 

「ヤザン隊!!」

 

シュラク隊の誰と言わず、

リガ・ミリティアのエース・イン・ザ・ホールの名を歓喜を湛えて叫んでいた。

もっとも…誉れ高きヤザン隊の一角を〝金髪のお嬢様〟が務めているのは気に食わないと

シュラク隊の殆どのメンバーは思っているのだが、今この場においては別の話だ。

シュラク隊がこの増援を呼び込めたのは…この増援を待てたのはただの偶然ではない。

いずれ味方が来てくれると信じ、ひたすらに生き延びることに執着したからだ。

だからこそ味方が危機に気付き、そして最強の切り札(ジョーカー)が手札へと回ってきた。

 

猛烈な速度で迫る第1期第4世代MS級(全高22m程)の大型MS・アビゴルの巡航形態の背から、

颯爽と2機のMSが飛び降りてビームライフルを猛然と撃ち込んでくる。

特に激しい殺意に満ちていたのは意外にもヴィクトリーであった。

ボロボロのガンイージ達を見て、ヴィクトリーのパイロットの少年は怒りを心に満たす。

 

「っ!よくもお姉さん達を!みんな、みんな大切な人達なんだぞ!!」

 

「ヴィクトリー!?突っ込みすぎよ!」

 

ヴィクトリーの挙動には経験の浅いカテジナでさえ違和感を覚える程だ。

ウッソの取り乱し様は、ガンイージの姿が1機足りない事による。

初めて身近に戦死者が出たかもしれないと思うと、ウッソの心を怒りと恐怖が支配するのだ。

ヤザンに、戦場のなんたるかを暇を見つけては仕込まれていたウッソは、

今までは努めて冷静に戦火を潜り抜けてこれたが、

それも身近な人が戦いの中で死んでいないからだろう。

今、ウッソはようやく仲間の死を肌身に感じていた。

 

「…っ!な、なんで…なんで1機足りないんだ!誰だ…誰がいないんだ!」

 

「フォーメーションを崩すだなんて!?ヤザン、ウッソをどうするのよ!」

 

カテジナがアビゴルを見れば、

巨体を揺らす緑のMSは3つの眼を発光させてカテジナへと命じる。

 

「あぁもう!私に子供の御守りをしろっていうの!?」

 

慌ててヴィクトリーの後衛へ付き突っ込むヴィクトリーに追随するシャッコー。

一方でウッソは仲間の死に恐怖しながらも、

いや、していたからこそ半ば忘我の境地でMSを動かしていた。

この少年の真骨頂は考えるより先に動く肉体と言えるだろう。

直感が少年の体を動かすから、それはニュータイプの才能を遺憾なく発揮できるという事だ。

 

「お前達が!!」

 

ヴィクトリーのビームが、回避行動に移っていたコンティオへ吸い込まれるように刺さる。

その様を見たルペ・シノは恐怖を覚えてしまう。

 

「なんだ今のは!」

 

まるで撃った先にわざわざコンティオが移動したかのような完璧な予測射撃。

他のコンティオも同様の様子で、猛然と迫る白いMSに恐怖を感じているようだった。

ウッソは尚も乱射しつつ、敵から撃たれるビームはかすりもしないでコンティオへ迫る。

他のコンティオらの攻撃やら妨害は、

ヴィクトリーの死角を的確に補うシャッコーが

その全てを未然に防ぐのだからヴィクトリーはもう手が付けられない。

コンティオの迎撃は当たらず、

なのにヴィクトリーの雑なように見える乱射は

面白いようにコンティオへと命中するという一方的なものになりつつあった。

 

「う、うあっ、あああ!?来るなぁ!」

 

ベスパの年若い男が叫んでいた。

3番機の右手、頭、左足をヴィクトリーのビームが吹き飛ばし、

そして、まるで特攻するかのようにコンティオ目掛け加速していくヴィクトリーに、

3番機のベスパ兵はガンダム伝説の恐怖を感じる。

「母さん」とその男が叫んだ時には、

ヴィクトリーの光刃がすれ違いざまにコクピットを刺し貫きメガ粒子が男を分解していた。

有利がひっくり返され始めている。それも簡単に。

ピピニーデン・サーカスの古参兵の喪失と、

ショットクローの連続使用による疲労の弊害も如実に顕れだしていて、

先程まで敵を完封していたというのに

3機の増援でピピニーデン・サーカスの連携はズタズタに寸断されてしまった。

しかし最も大きな要因は、新手の3機が化け物級の腕前を誇ることだろう。

 

「っ!ガ、ガンダムとでも言いたいのか!!ふざけるな!!」

 

ルペ・シノが怒りで恐怖を塗りつぶしてヴィクトリーへと迫り返す。

背を向けていたヴィクトリーの背後から、

ゾロアットとは段違いのスラスター速度でルペ・シノは光刃を突き立てた。

絶対の命中を確信した、ドンピシャのタイミングだとルペ・シノの経験は語ったのに、

しかしヴィクトリーはひらりと宙返りをしてそれを避けた。

そして頭上からサーベルで突刺しようと白いMSは殺気が籠もる腕を振り下ろす。

 

(この動きは、野獣のものだろう!ケモノめ…白いMSに乗り換えた!?)

 

驚愕に顔を引きつらせたルペ・シノだが、彼女もまた猛者だ。

ウッソが師の動きを真似た結果、

ルペ・シノは以前シャッコーがこの動きを披露したのを覚えており死を免れた。

残っていた肩のショットクローの爪を回転させ、

背後にサーベルを発振して鍔迫って既の所でそれを防ぐ。

 

「なんて奴!」

 

「怖いだろっ!怖いだろう!?戦うのって怖いんだよ!!」

 

ヴィクトリーが更に強く押し込んでくるのをルペ・シノは必死に支え、

機体同士が擦れる程に鍔迫り合いを演じているのだから互いの声が耳へ届いていた。

ルペ・シノがやや素っ頓狂な声を上げて白いMSを見上げる。

 

「今のは何!?子供の声だっていうの!?」

 

「っ!お、女の人!?」

 

一瞬の驚愕がヴィクトリーとコンティオの手を止めてしまった。

ルペ・シノは戦場に子供がいる事に。

ウッソ・エヴィンは、戦っている相手もまたシュラク隊と同じように妙齢の女性だった事に。

戦場を動かす運命の歯車というものの得体の知れぬ不気味さを二人は感じた。

そしてすっかり乱戦となっていたこの戦域で目ざとくその隙を見つけた者がいる。

コンティオ戦隊のピピニーデンであった。

 

「あの動き…白い奴に野獣は乗り換えたということか?

それにしてもルペ・シノめ、良い具合に白い奴を引きつけてくれた。

白いMS…蘇ろうとするガンダム伝説はそのまま地獄にいてもらいたいな」

 

コンティオのFCSが白いMSを狙う。

乱戦を上手く立ち回り、己がフリーになったその時にそれをやるのは、

偏にピピニーデンの立ち回りの上手さだった。

しかし、やはり上には上があるものだ。

ピピニーデンのコンティオの真上からメガ粒子の光が降ってきて、

ピピニーデンはコンピューターのアラートを聞いて反射的に身を引いていた。

 

「ヴィクトリーを狙って俺の相手はしてくれんのかァ!?

そんなガキよりかは俺が楽しませてやるさ!」

 

「っ!?」

 

緑色の巨体が上から降ってきて、逆さまのMSの顔がモニターいっぱいに広がる。

ザンスカール製特有の猫目をした、不気味な三つ目がギョロリとコンティオを睨んだ。

 

「隊長機だな…暇なら俺が遊んでやるってんだよ!」

 

「わ、私がこうも簡単に懐を許した!?こいつ…もしや!」

 

急速後退するコンティオを、アビゴルはからかうようにして間合いを変えずにピタリと追う。

 

「シュラク隊を嬲ってくれた礼だ、逃さんぜ…!

敵の新型がどの程度かも見せてもらうぞ!」

 

追い縋るアビゴルが腕部のビーム砲を巧み撃ち込む。

その砲火は激しいように見えて巧みにコンティオの関節を狙っているように思えて、

ピピニーデンは手首のビームシールドでそれらを弾いていく。

 

(私は全力で跳ね回っているのだぞ!?何故こうも手足を狙える!)

 

ビームシールドで防がねば今頃ダルマになっているだろう。

ピピニーデンの軌道を完全に読み、執拗に手足をもごうとしてくるのは恐ろしい事だった。

 

「こ、この動きは…ガンダムに乗っているのではない!?

オクシタニーの物の怪は二匹いるとでも言うのか!?」

 

本体は防御に手一杯になりつつあるが、

それでもピピニーデンは反撃を諦めずにショットクローを飛ばす。

新型の肩から切り離れていくソイツを見てヤザンは記憶の中の兵器と直様合致させた。

 

「インコムか!」

 

ティターンズ時代、ヤザンは幾つかの新型のテストパイロットを依頼された事もあり、

その中にはギャプランに乗った縁でオーガスタ研からの要請もあった。

結局、ティターンズの戦局が悪化するにつれて

ヤザンには試験機のテスト等をしている余裕もなくなった為に立ち消えた話だったが、

そのリストの中に『G-V』なる有線式遠隔兵装搭載機があった。

その新型兵装の名がインコムだ。

ニュータイプが使用するサイコミュ兵器ファンネルのオールレンジ攻撃を、

オールドタイプでも再現してやろうという野心的試みの兵器と言われていた。

そのインコムの子孫と呼べる〝カニのハサミ〟が、

ヤザンの知るそれとは比較にならぬ速度でアビゴルの左右に回り込んでビームを吐き出す。

ビームの威力もまたインコムとは桁違いである。

 

「なるほど、伊達にデカイわけじゃないようだが…!」

 

だが、ヤザンにとっては小さくちょろつく小型端末の方が目障りに思える。

大きな分、コンティオのショットクローはパワフルな威力と機動力を持つが、

ヤザンの目には映りやすくもあり、

端末の挙動から〝ハサミ型インコム〟が次に何をしたいのかが何となく察せるのは、

まことに彼の異名の野獣の名に恥じぬ野性的感性だった。

 

「虚仮威しだな!」

 

ヤザンは哂いながら断じる。

 

「こいつは後ろに目でもついているのか!?」

 

ピピニーデンのオールレンジ攻撃を、

とても大型機とは思えぬ急制動で回避し続けるアビゴルは

とうとうショットクローの動きに慣れてしまったようだった。

躑躅色のハサミの動きの先回りをしてコンティオ本体目掛けて突進。

だがコンティオ戦隊の隊長を務める男はそれを予測しているのだ。

 

「しかしそう来るのは予想の内なのだよ!」

 

コンティオの正面火力は凄まじい。

胸部に三門のメガ粒子砲があるが、これは3本のビームを収束して爆発的火力を実現する。

今までは連射していた胸部ビームを、

ピピニーデンは既に充填収束し獣が罠に飛び込むのを待ち構えていた。

コンティオの胸部の砲門が火を吹くまさにその時に、

ヤザンもまた敵機のやりたい事を読み切り既にアビゴルを次の動きに移していたのだ。

 

「クク…この動き、あの時のトムリアットか?正直さが変わらんなァ!」

 

スロットルレバーを引き倒しながらヤザンは嘲笑う。

コンティオの強力な火線の上に、既にアビゴルの姿は無く、

ピピニーデンは消えゆく緑の大型MSの姿をとくと拝んでやろうと思っていただけに狼狽えた。

 

(っ!?あのタイミングで避けられた!!)

 

そして狼狽えるのと時を同じくしてコンティオのセンサーがけたたましく鳴り響き、

己の主(ピピニーデン)へと警鐘を鳴らす。

 

「っ!?うわぁ!?」

 

しかしコンティオの警告虚しくアビゴルのビームが真下から左腕左脚を薙いだ。

手足が爆破する衝撃に揺れて隙を晒す隊長機の危機。

それを察したコンティオの5番機がシャッコーとヴィクトリーの相手を仲間に託したようで、

横合いからアビゴルへ茶々を入れるという良い忠誠心と判断力を見せつける。

 

「2対1に持ち込もうというのは褒めてやるがな…!」

 

ヤザンもある程度はその判断を称賛するも、肝心の隊長機はこの瞬間行動不能なのだ。

2対1にはなり得なかった。

そのコンティオは〝ハサミ〟を飛ばし、

腕と胸のビームでアビゴルの動きを封じようという健気さを見せたが、

しかしアビゴルは己へ向かってくるショットクローへ、

身をひねりつつ自ら飛び込んだのは5番機の予想を上回った。

 

「もう手品の種は視えているんだよ!」

 

目にも留まらぬ…とはこのことだった。

アビゴルは外側頸部()からビーム発振機を2本取り出し接続すると、

一本の長い鞘へと伸縮させて光り輝くメガ粒子の鎌を振り回す。

 

「こういう時、(サイス)というのも悪くはないな!」

 

自機の前後に陣取ろうとしたコンティオのハサミを、両刃のビームサイスの一閃で始末。

そして介入してきたコンティオ5番機へ頭頂(トサカ)を向ければ鋭い光が飛び出し、

ビームキャノンが真っ直ぐにコンティオを貫いて真空に大輪の火花が瞬き消えた。

間髪入れずアビゴルが振り向き三つ目を見開いて、赤い目でピピニーデンを見つめる。

 

爆炎の光を背負って不気味な影に染まるアビゴルの光る目は、

ピピニーデンに死の予感を与えるには充分な威圧であった。

ピピニーデンが先の一撃から立ち直るその僅かな時間に、

時間を稼いでくれた部下は消滅していた。

 

「そうか…ヤザン・ゲーブル…!貴様は、そ、そこにいたということか!」

 

そしてピピニーデンは確信する。

シャッコーにでもなく、あの白いMSにでもない…本物の野獣はアビゴルの中(ここ)にいた。

 

「き、貴様は…貴様は…!私がここで仕留めるのだぁぁ!!」

 

以前の醜態を晒した地上での戦い。そして今。

湧き上がってくる恐怖を必死に噛み殺しピピニーデンは戦士たらんと吠えて立ち向かう。

堂々たる巨体で迎え撃つ緑のザンスカール・マシーンは、

鎌を携え血の色の三つ目を爛々と輝かす死神に相違なかった。

 

左半身焼け爛れるコンティオが胸部ビームを撃ちつつ抜刀。

サーカスと謳われる複雑な軌道を描いて死神に挑んだが、

そのスピードとキレは半分の手足では見るも無残なものでしかない。

獲物を仕留める至上の快楽がヤザンの脳内を駆け巡り、野獣は笑った。

 

「フハハハハッ!墜ちろォーーーーッ!!」

 

パイロットの猛き哂いが滲み出るようなアビゴルの凶悪な目がコンティオを冷たく見据え、

光るサイスとサーベルが交差した一瞬の煌きの直後、

ガクンッとコンティオが揺れて血が吹き出るように腰から炎が吹き上がる。

真空に炎は掻き消されたが続けて起きた爆発がコンティオの下半身を吹き飛ばした。

 

 

――

 

 

 

ヤザン隊とコンティオ戦隊の交戦は数分。

10分にも満たない。

コンティオ戦隊の敗因は少しの不幸な、或いは迂闊な要素はあった。

パイロットの負担になるショットクローを真っ先に使い過ぎたのも、

コンティオ戦隊を疲労させたのは確かだ。

また、シュラク隊の粘りがその疲労を更に増やしたのもある。

しかしそれでも本国の期待を一身に受けたコンティオ戦隊が、

僅かな時間でヤザン隊に無残な敗北を喫したのは弁解の余地もない事実であった。

 

「…っ!こんなバカなことがあるか!

坊や、せめてあんただけでも!!」

 

白いMSとやり合っている最中に、

気付けば半数となっているコンティオ戦隊にルペ・シノはかつてない屈辱と恐怖を抱く。

だがルペ・シノは、ヤラレっぱなしは性に合わないと

ほぼ捨て身の形でヴィクトリーへと迫り一矢報いる事を望んだ。

 

「このお姉さん…!僕ごと死のうっていうの!?」

 

ウッソがビームライフルでコンティオへ狙いを定め、

そして撃った瞬間にルペ・シノは射線軸上へ残ったショットクローを滑り込ませる。

 

「ハサミが!?」

 

ヴィクトリーのモニターが爆発光で掠れ消える。

 

(っ!ここは、トップリム(ハンガー)を捨てて…!)

 

ウッソは追い込まれたようで追い込まれてはいないのだ。

緊急脱出を考え実行するだけのクレバーさが、

怒る少年の片隅にはあるのはやはり彼がスペシャルだからだろう。

しかしウッソはその必要も、結果的になかった。

何故なら、爆光に紛れてビームサーベルで迫るコンティオの腕を

シャッコーのサーベルが叩き切っていたからだ。

続けて斬り上げるように返された二撃目を避けるのは

さすがピピニーデン・サーカスの副官ということだった。

 

「っ、外した…!」

 

「カテジナさん!」

 

「チィ!?なんなんだこいつらは!どいつもこいつも…強い!」

 

己の技量で切り抜けられた危機だが憧れの令嬢に助けてもらえた喜びは大きい。

ウッソの声に喜色がまじり、ルペ・シノの声は苦々しい。

そしてカテジナがコクピットで漏らした独り言には、

 

「アハッ!見ていたのでしょうヤザン!私にもこの程度の芸当出来るのよ!」

 

かなり激しい歓喜が含まれていた。

振り向かせたい(意地を見せたい)男へ輝く私を見てくれと言わんばかりにバイザーの中の顔は笑っている。

少女は眠っていた天性の才能の蕾を確実に花開かせ始めていて、

ヤザンの言う通りカテジナという女は敵を殺そうとする時に笑える女なのだった。

敵を殺す時に笑える女なのはこのルペ・シノも同様だったが、

カテジナとは対照的に彼女の顔は暗く沈むものだ。

こうなっては是非もない、とばかりにルペ・シノは即座に踵を返す選択をせざるを得ない。

 

「私の腕が劣ったわけじゃない…今日は厄日だったと思いたい」

 

戦域を見渡せば隊長機も喪失されていたが、

ルペ・シノのコンティオのセンサーは友軍の脱出ポッドの信号を捉えていた。

 

「ピピニーデン!?悪運の強い私達じゃないか、まったく」

 

悪態つきつつソイツを回収してから、ルペ・シノは残った僅かな部下へと撤退を命じる。

ピピニーデン機はアビゴルに胴切りをされていたが、

コンティオは背後から首の付根に乗り込むような構造であったのが幸いだった。

ルペ・シノの言う通り彼女自身共々悪運の強い男なのは間違いない。

しかしそれが彼女達の今後を幸福にしてくれる訳ではない事は明白だった。

 

(…ピピニーデンも私の経歴もこれまでだな…)

 

コンティオの本格的初戦を泥で飾ったピピニーデン・サーカスの未来は、

身内同士で出世争いを繰り返すザンスカールでは破滅を約束されたも同然だった。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その4

タシロ艦隊は、リガ・ミリティアのマイクロウェーブ作戦から何とか立ち直っていた。

しかし立ち直るまでの間に艦隊は深刻な被害を受けてしまい、

既にリガ・ミリティアと同等近くにまでその数を撃ち減らされていた。

これでは全くリガ・ミリティアの作戦通りだ。

 

「艦隊戦で押し込まれているだと…?このタシロ艦隊がか?」

 

タシロ・ヴァゴは司令席で臍を噛む。

常に無数に瞬く鮮烈な爆光が、明らかにこちら側で輝く事の方が多いというのは、

つまりそれだけ味方陣営で爆発が多く起きている事だ。

味方の被害が大きいという事だ。

タシロはまた眼輪筋をひくつかせながらクルーへ問う。

 

「…コンティオ戦隊はどうなっている」

 

艦橋クルーの一人が一瞬言葉に詰まって答えた。

 

「ミノフスキー濃度が濃く状況が掴めません。

ピピニーデン大尉からは何の信号弾も出ておらず――…あっ、今、信号弾を確認!

これは…コンティオ戦隊のルペ・シノ中尉からです!」

 

「続けろ」

 

待ちきれず、タシロは部下へ言葉を促した。

願わくばこの戦況を好転させてくれる内容であることを祈って。

 

「……わ、我、敗北セリ…です!」

 

「っ!」

 

しかし期待は裏切られ、タシロの拳が強く握られて…そして震えた。

このまま戦っているだけでは押し切られるのは時間の問題。

タシロも大佐まで登り詰め艦隊司令等やっている男だからそういう戦術眼はある。

幸いなのは、まだリガ・ミリティアの艦隊とMS隊がこちらの本隊まで距離があるという事で、

本隊とは即ち、カイラスギリーと接続されているスクイード1(この艦)の事である。

そう思えばタシロの決断は早い。

 

「…カイラスギリーを射撃準備に入らせろ」

 

静かに、しかし確かな口調でタシロは皆に告げると

クルー達は皆一様にギョッとした目で司令大佐を見た。

その中の一人が控え目に異論を唱える。

 

「しかし大佐、カイラスギリーは建造率90%を超えるとはいえまだ未完成です」

 

「もう撃てるのだろう?」

 

「ですが今の状態での発射は冷却機能にも問題があり、砲身に負担が――」

 

そう言ったのは技術士官の男だったが、しかしタシロはもう決断しており決意は変わらない。

 

「今使わずにいつ使うのだ。

このままではリガ・ミリティアがここまで来る…。

来るのを待ってカイラスギリーをプレゼントしてやれとでも言うのかね、君は?」

 

タシロに尚も意見する者…というよりは確認をする者がまだいる。

真新しい少佐の階級章を付けた士官、ゲトル・デプレであった。

やや垂れ目な見た目と、喋り方からも厭味ったらしい男と思われがちだが、

実際厭味な男でタシロ艦隊の者達からも評判はいまいちであるが

タシロは今ではこの男を副官として置いていた。

ゲトルは声のトーンを落とし、タシロの耳にだけ入るように注意し尋ねる。

 

「タシロ大佐、しかし今この状況でカイラスギリーを使うのは味方諸共になりますが」

 

「前衛がいるうちに使わねばリガ・ミリティアが要塞に取り付くのだから仕方あるまい。

そうなっては取り返しがつかん。カイラスギリーならば本国(アメリア)すら狙えるのだぞ?

女王の御身を危険に晒すわけにはいかぬよ」

 

それ(本国狙い)をするつもりだったタシロが言うから、その言葉には重みがある。

それにザンスカールは女王マリアに心酔する新興宗教国家であるから、

女王の為…と言われてしまえばどのような非道行為も正当化されてしまう。

ゲトルの垂れ目も一段細くなって上官の目を見返した。

 

「…よろしいのですか?」

 

「致し方ないと言っている。カイラスギリーが陥落するよりはマシである。

…が、撃つ時には味方前衛は照準からずらすよ。…当然だろう?

ずらしはするが、きっとリガ・ミリティアの妨害があるだろうからどうなるかは分からんがなぁ」

 

「大佐、それは…」

 

「ここは戦場だよ、少佐。不幸は起きるし、不幸は敵のせいだ…だろう?」

 

タシロの目はどこまでも酷薄だった。

しかしその目を見てもゲトル・デプレの心は動かされない。

自分は切り捨てる側にいると思うだけで、彼の心は随分と楽になっていた。

 

(出世とはそういうものですからな。そうでしょう?ファラ中佐)

 

切り捨てられる側の末路の恐ろしさだけは、

己で体験したくないとゲトル・デプレは心底思うのだった。

 

 

 

――

 

 

 

 

MS戦で有利に立っている。

艦隊戦でも押し始めていて、どうやら勝てるかもしれないと偽ジャハナムは思う。

 

「わははは!見ろ、我が軍優勢!いやぁ実に手に汗握る戦いだ!なぁ諸君!」

 

作戦開始当初は青い顔でビクビクしていた狸は、

今ではふくよかなお腹を張って艦長席にふんぞり返っている。

立派に狸の置物をやっていた。

非常に分かりやすい手のひら返しに、

ゴメスを筆頭に艦橋クルーは皆「仕方のない…」という

在る種の温かみある視線を投げかけている。

だが、狸のおっさんの反応は戦況の推移の目安にもなっていた。

彼がふんぞり返っているという事は自軍有利という証拠だ。

意外と戦場の気勢を感じ取るセンスはあるのかもしれない。

ゴメスはまだ顔に緊張感を浮かべているが、

体の力をやや抜いて密かに溜息などついて緊張を若干解す。

 

「よぉし、このまま足並み揃えて撃ち続けろ!

敵は後退しつつあるぞ!」

 

クラップ達のメガ粒子砲が、弾幕の薄くなったカリスト級に徐々に突き刺さり始めている。

遠方カメラがカリストの砲台が消し飛んだのを捉えてクルー達から歓声が上がる。

 

(いける…カイラスギリーを落とせるぞ)

 

ゴメスも、そしてオイ・ニュングもそう希望を抱き始めた時に、

その戦域全体にいる者達は全員妙な違和感を感じ始めていた。

戦場の景色が変わってきている。

勿論、戦局が変われば景色も変わるのだが、

もっと大きな戦場の背景が違ってきている気がするのだ。

「ん?」と小さな声を漏らし、ゴメスはオイ・ニュングへ尋ねた。

 

「妙じゃありませんか、伯爵」

 

「……ゴメス艦長も感じるか」

 

「ええ、何をどう、と言われると良く分からんのですが」

 

ゴメスに言われオイ・ニュングが要塞を拡大表示するモニターをジッと見ていた時である。

背後の艦橋出入り口で喚く声が聞こえてきた。

クルーが、無理やり入ってこようとする誰かを止めていた。

 

「ちょ、ちょっとダメだよ!今は戦闘中なんだ!早く部屋に戻って!」

 

制止されてているのは小柄で素朴な少女であった。

背負う赤ん坊、カルルマンの場違いな泣き声が艦橋に響く。

 

「お願い!ウッソに、ウッソに知らせて下さい!」

 

シャクティの必死な声も響いていた。

艦橋スタッフは怒ったり窘めたりで彼女を抑えているが、

シャクティの側では子供の心を持った赤髪の大のオトナが

〝姉〟と一緒に騒いでいるから余計に面倒事となっていた。

 

「姉さんが入りたがってるんだから入れてよ!子供の可愛いわがままじゃないか!」

 

「お前は子供じゃないだろ!?」

 

スタッフが声を荒げてツッコム。

クロノクルは不本意だとばかりに顔面の中央にシワを作って反論するのだ。

 

「子供だよ!姉さんの弟だろうが!」

 

「それは…まぁ、あ~、そうなんだが…でもダメ!ガタイが良いからダメだ!」

 

「なんだその理屈は!じゃあ姉さんだけでも入れてくれよ!」

 

「子供は危ないからダメなんだって…」

 

「じゃあ俺だけでも入れてくれ!ガタイが良いから子供扱いしないでいいんだろ!?」

 

スタッフは頭をがりがり掻きながら助け舟を艦長らに求めだした。

 

「あー、もう!艦長、どうにかしてくださいよ!!」

 

騒ぐクロノクルの横でちょこんとしつつも慌てた雰囲気を存分に出すシャクティ。

普段は大人しいこの少女が、

いつまでも引き下がらず必死な様を見てゴメスも伯爵も顔を見合わす。

そして試しにゴメスが怒鳴ってみた。

 

「ガキの遊び場じゃないんだぞ!!戦闘中なのが分からんのか!!」

 

シャクティもクロノクルも一瞬、肩を震わせてビクつき、

シャクティにおぶられているカルルマン等は怯えて激しく泣き出した。

偽ジャハナムが「うるさーーい!!さっさと追い出せ!!」と、

冷静に怒ったゴメスと違って本気で怒鳴ったせいでカルルマンに余計火が付いた。

偽ジャハナムも、他の面々も思わず耳を抑える。

失敗だったとゴメスは無精髭を雑に掻いた。

 

「あちゃぁ、こりゃまずったな。カルルに悪いことしちまったが…シャクティさんよ。

こんなとこに今来るってのは非常識なのはお前さんの方だぞ」

 

己の非を指摘されシャクティは申し訳無さそうに俯いたが、

それも一瞬のことで直ぐに顔を上げて必死にゴメスとオイ・ニュングに訴えかけだした。

 

「あの!ウッソが…!ウッソが危ないんです!」

 

どういう事だ?とゴメスは首を捻る。

しかし直後、艦が揺れてゴメスは艦の指揮へと戻っていく。

シャクティの事はオイ・ニュングへ任せる事としたようだ。

伯爵がゴメスから場を預かって少女へ優しい声色で語りかける。

 

「シャクティさん、どういう事なんだ?落ち着いて話してごらん」

 

「悪意を持った光…!恐ろしい光が…命を終わらせてしまう光が…!あぁ!」

 

シャクティは己の言葉にどんどん追い詰められているように見える。

どんどんと褐色の肌が青みを増して血の気が引いていくのがオイ・ニュングには分かって、

これは只事ではないとその時に確信できた。

そしてウッソが前に言っていた

「シャクティは僕よりも勘が鋭いんです」という言葉も同時に思い出される。

 

「何か見えたのか!教えてくれシャクティさん!

君が正確に感じたものの正体を言ってくれないと、皆を…ウッソ君を守れないぞ!」

 

伯爵が小さな肩を揺すり、

カルルマンの首までガクガクと揺れそうになって慌ててクロノクルが姉の背から赤子を奪う。

カルルを抱いてあやすクロノクルの横で、

シャクティは懸命に正気を保って大モニターを指差した。

 

「あれです…あれが、恐ろしい事をしようと…!」

 

大モニターに映るのはザンスカールの巨大衛星砲。

ネスが小さい声で「そりゃ確かに完成したら恐ろしい事するだろうけど」等と言っているが、

きっとそういう事ではないのだろうとオイ・ニュングは理解する。

 

(スペシャルのウッソ君が、自分以上だというシャクティさんがこう言うのだ。

絶対に何かある………もしや、もしや…ビッグキャノンは…)

「ゴメス艦長、ビッグキャノンの映像をより拡大できるかね?」

 

「…おい、ズームだ!」

 

オイ・ニュングに返事をするより早く部下に命を飛ばせば、

カイラスギリーがより精細にモニターに映し出されて、

巨大な粒子加速器から砲身へカメラがゆっくり移動していき…そしてゴメスが気付く。

粒子加速器に微かな光が灯り、

その光がカイラスギリーの化け物染みた機構を伝って砲身へと注がれていたのだ。

それはここまで望遠カメラを拡大しなければ気付け無い程に淡い光であり、

しかもそこまでの拡大映像ならば徐々にカイラスギリーが動いているのが分かる。

ゴメスの眼が見開かれて、恐ろしい予測がベテラン連邦士官の脳細胞へ警鐘を鳴らす。

 

「ビッグキャノンが徐々に動いている?

そうか…!さっき感じた違和感は、要塞が…動き出してやがったんだ!」

 

その言葉には命令は含まれていないが伝えたい事をクルー全員に確かに伝えていた。

ネス・ハッシャーがカメラから得たデータを元に手早く光コンピューターに演算をさせて、

そうすればあっという間に答えは得られた。

 

「敵要塞砲が少しずつ砲身をこちらに向けています!

急速に高まりつつある巨大熱源も確認!

間違いありません!ビッグキャノンが稼働しています!!」

 

ネスの焦った声にオイ・ニュングも顔を青くして表情を強張らせ、

ゴメスの声にも僅かな震えがあった。

 

「か、完成していたのか!」

 

「いや…完成していたのなら我々が近づく時点で撃ったはずだ。

ザンスカールめ…恐らく未完成の状態で撃とうとしている」

 

「撃てる状態ではあるという事か…しかし乱戦になってンですよ?

とてもあんな大砲撃てんでしょう。味方ごと吹き飛ばしちまう」

 

「ゴメス艦長…敵はギロチンのザンスカールだ。奴らは味方ごと敵を撃つ…そういう連中だよ」

 

オイ・ニュングの見解に、またゴメスは唸った。

 

「…撃ちますかね?」

 

「そう見るのが妥当だろう」

 

伯爵の見解にゴメスは舌打ちをし、そして偽ジャハナムはまた青い顔で背を丸めている。

オイ・ニュングが小さな肩を震わす少女へ優しく声をかけ労う。

 

「…しかし、シャクティさん、良く気付いてくれた。

この後は大人の仕事だ。ウッソ君の為にも、全力を尽くす。

だから今は、さぁ部屋に戻って…あぁ、ノーマルスーツは着なさい」

 

最後に、万が一の為だよ、と付け足してやると、

シャクティとクロノクルは艦橋スタッフに連れられようやく艦橋から出ていってくれたが、

伯爵は改めてシャクティのニュータイプの素養を確信し驚嘆と感謝の念を彼女へ送る。

 

(…女王マリアの娘、か。

やはり〝ヒーリングのマリア〟の異能は、彼女に受け継がれているのかもしれない)

 

ニュータイプがヒーリングまで出来るのか…そんな論は今までの時代で出た記録は無いが、

オールドタイプが進化したのがニュータイプならば、

ニュータイプもまた進化し次の段階を示してもおかしくはない。

人はニュータイプの次の段階へ目覚め始めているのではないか…

そうオイ・ニュングは思ったが今はそんな事を論ずる時でも無いし考える時でもない。

気を引き締め直した伯爵の横で、ゴメスが矢継ぎ早に大声で言い出す。

 

「MS隊に気付かせなきゃならんぞ!信号弾、放て!

艦に残ってるMSを伝令に出してガウンランドに知らせろ!

うちらが一番早く気付いたろうからな!」

 

「パイロットがいませんよ!」

 

通信士の誰かがそう叫んだがゴメスは歯牙にもかけない。

 

「メッセンジャーボーイをやらせるだけなんだ!動かせる奴なら誰でもいい!

手が空いてる奴にやらせりゃいいだろ!」

 

ゴメスの野太い声が艦橋中に響いて、

否が応でも戦況がまだ余談を許さぬのだという事を偽ジャハナムは理解できてしまう。

 

「あぁ…あんなデカイ大砲撃たれたら…こんなオンボロ艦は…終わりだぁ…!

な、なぁ、伯爵!大丈夫だよな…?我らにはヤザン隊がいるんだ…。

きっとビッグキャノンも発射前に仕留めてくれる…そうだよな?」

 

「…あぁ、きっと…そうだよ」

 

偽ジャハナムにそう返すオイ・ニュングだったが、

しかし心ではそれも難しいと考えてしまっている。

 

(戦況はこちらが有利に傾きつつある…

だが、まだとても艦隊を抜いてビッグキャノンに取り付ける程には…)

 

確かに有利に傾きつつある。しかし、それは本当に徐々に、という程度なのだ。

ザンスカール艦隊は未だ算を乱す事なく健在であり、

このまま攻めていけば勝機は見えるだろうが

短時間で突破し衛星砲を破壊するとなると話は全く変わる。

撤退するにしても纏まって逃げてはビッグキャノンの餌食だろうし、

散り散りに逃げてはザンスカールの追手に各個撃破されるだろう。

ゴメスも伯爵も、他の面々も、その顔色は決して良くはなかった。

 

 

 

――

 

 

 

 

損傷激しいシュラク隊を母艦へと帰し、ヤザン隊は快調に敵を撃破していく。

ヤザン隊は、引き続き先頭切って敵を打ち倒さねばならない義務のあるエース部隊だった。

しかし敵のエース部隊と思しき新型部隊(コンティオ戦隊)を破ってからは

取り立てて困難な敵ともぶち当たっていないから、

ヤザン隊は敵を倒すのと並行して流されたペギーのガンイージを探索していた。

 

「早く、早くこいつらを倒さないと…!ペギーさんが危ないんだ!邪魔をしないでよ!」

 

ウッソは手早く高効率にベスパを屠っていくが、それは漂流中の仲間を思っての事。

仲間の為ならばどんな敵の命も容易く奪うのは戦場では極めて正しい。

 

(…良い傾向だが、13歳でこうなれるとはな。元々の才能と環境もあるにはあるが…)

 

ゾロアットを無慈悲に始末していくヴィクトリーを見ながら、

ヤザン・ゲーブルは己の領域に子供を引きずり込みつつある現実を思う。

それはもう一方の僚機にも言えることだ。

 

「己の意思も無く!ただ宗教に狂って戦争をしているあなた達は死んで当然なのよ!」

 

カテジナ・ルースも、ウッソと同じく躊躇いの欠片も示さずベスパを〝処理〟していく。

カテジナとてまだ17歳。

ティーンズ(10代)であり、世間一般からすれば紛れもない子供の範囲内である。

ハイランドでの遭遇戦から、そしてこのカイラスギリー戦においても、

カテジナは水を得た魚のようにめきめきと上達をする。

正に今、この瞬間も彼女は成長しており成長率で言えばウッソでさえ舌を巻くだろう。

かつてヤザンが嫌った女子供が、

こうもスペシャルな存在であるのを証明するのは皮肉であった。

 

(…〝女子供に頼るなんざエゥーゴも底が浅い〟か…。

ふん…今の俺の姿はエゥーゴよりも酷いもんだ)

 

かつて、Zガンダムを駆るカミーユ・ビダンに戦場で言った戯言が思い出された。

正に女子供を己の部下として鍛え、そして引き連れ回し敵を撃たせている。

それは浅ましい事だと思う心もあるが、その一方でヤザンはどうしようもなく楽しい。

戦場のお荷物である女子供が、己の手で戦士に変わっていくのが楽しいのだ。

その点ではシュラク隊やマーベットも同じ存在である。

 

「底が浅いのも悪くはないぜ…ククク。撤回するよ、カミーユ・ビダン」

 

まだこの宇宙のどこかで生きているかもしれない、あのニュータイプへと呟いた。

 

ザンスカールのMS達を蹴散らし続けるも次から次に湧き出てくるゾロアットに、

いい加減ウッソもカテジナも辟易し始めていたが、

ただ一人ヤザンだけは疲労を感じさせずより一層心を漲らせる。

この精神と肉体の圧倒的タフネスにはスペシャルの年少者も敵わない。

だがこれでも、エース揃いとなっているヤザン隊のお陰で戦況は圧倒的有利…

等ということにはなっていないのだ。

寧ろ、これだけヤザン隊が奮闘しても戦況は拮抗状態にようやくなるかという所で、

ここ以外の戦闘フィールドでは良くて対等。

悪くすれば、立ち直ったザンスカール軍に盛り返されて崩れる戦隊もいた。

 

「ヤザンさん!また敵の新手です!」

 

だからこうもなる。

ジャベリン隊を破った戦域から、派手に暴れるヤザン隊の元へ次から次に来てしまうのだ。

カテジナは湯水の如くの増援と戦う度に動きを洗練させていくが、

それでもさすがに挙動の節々に疲労を感じさせる。

 

「これだけ私達がやっているのにどういうことよ!

ベスパって畑からとれるとでも言うの!?」

 

状況報告がてら愚痴まで飛ばしてくる少女に、

ヤザンは彼流のジョークで張った気を和らげてやるのだ。

 

「知らなかったのか、カテジナ?女の子宮畑に男が種を蒔けばガキが実るのさ」

 

「…最低なセンスね」

 

シャッコーの猫目が、何やら冷たい視線となってアビゴルを見た気がしたが気の所為だろう。

そんな事をしている間も3人は戦果をどんどんと挙げていくが、

だがパイロットが疲労を見せるほどに連続戦闘をしていれば、MSの方にも問題は起きる。

即ちエネルギー切れである。

ヴィクトリーがビームライフルを発射したその時、

力無い収束音と共に薄いピンクの発光が銃口側で瞬き儚く消える。

替えのマガジン(Eパック)もつきもはや継戦は不可能だった。

 

「弾切れ!?こんな時に……っ、エネルギーCAPもダメなの!?」

 

必死にコンソールを叩くウッソだが、

何をどうしても縮退ミノフスキー粒子は底を付いてしまっている。

モニターのデータ群を見れば既に冷却材から推進剤までがイエローゾーンであり、

それもレッドゾーンすれすれの所に突入していた。

無いものねだりをしようと、無い袖は振れないのだ。

 

「っ!こちらもだわ」

 

それは似たようなエネルギーゲインのシャッコーも同様だった。

それにウッソは激昂した為に弾薬の消費が激しくて、

カテジナの方は苛烈な性格がMSの操作にも顕れており、

弾薬消費やMSの関節疲労が通常より割増であった。

シャッコーのビームライフルの砲身などは爛れ始めている程だった。

 

その一方でヤザンはというと、激しい性格と戦いぶりがイメージであるが、

思ったよりも戦い方はクレバーなものである。

相手の弱みを素早く見つけ攻めたり、引き際を弁えたり、と冷静さを失わなず、

激しさの中にも常に冷静さが同居した戦士であった。

グリプス戦役時には彼も乱射癖があったが、

それも補給乏しいリガ・ミリティアで矯正されていたりと…、

ヤザン・ゲーブルは弛まぬ練磨によってパイロット技量の低下した現代戦であっても、

腕を鈍らせる事無く技量を向上させて臨んでいる。

おまけにアビゴルのジェネレーターパワーはVガンダム達のおよそ1.5倍。

節約してメガ粒子を撃っていればその分長く戦えた。

 

「貴様らはバラ撒き過ぎだ。仕方あるまい…退くぞ!」

 

ヤザンの言葉にウッソは悲壮な顔となる。

 

「そんな…!まだ、ペギーさんが!」

 

「MSも人も消耗したまま探索と戦闘を同時にしちゃあ二次遭難が起きる。

残念だがしょうがない」

 

「そうですけど…でも!ペギーさんが間に合わなくなって――!」

 

「だから尻に帆を掛けてリーンホースに帰るんだよ。

補給が済んだらすぐに再出撃だ!分かったな!」

 

「…っ、は、はい!」

 

ヤザンも強い口調で強気を見せてはいるが、

あれだけ手塩にかけて育てた部下(ペギー)を見捨てたくは無い。

ペギーの生命維持装置がどれだけ持つかも分からない今、

焦りは人並みにあるがそれはおくびにも出さない。

それが指揮官という人種であると彼は理解していた。

これ以上ゾロアットが現れる前にさっさと帰還しようと3機がした時、事態は急転する。

 

「…?あれは…力…?力を溜め込んでいるの?」

 

「どうした?!」

 

カテジナが瞬き続ける光球達の向こう側に鎮座する巨大衛星を見て違和感を得る。

ペギーの事で頭がいっぱいのウッソは、

シャクティの〝声〟を受け取る事すら気もそぞろで出来ておらず、

結果的にウッソよりもカテジナは早く違和感を感じていたのだ。

やはりこの少女にもまた宇宙時代に適応した才能が目覚めかけているらしい。

ここもまたウッソと同じ可能性を持ったスペシャルと言えた。

ヤザンへカテジナは答える。

 

「ヤザン、衛星が…動いている!」

 

「なんだとォ?まだあれは未完成で……いや、光だと?稼働してやがるのか!?」

 

「ほ、本当だ…何か、すごく嫌なものを感じる…!

恐ろしい悪意の塊…!あの、ピリピリした重圧は…アレから…!?」

 

ヤザンも遠目に、巨大な物の怪が身に纏う淡い光を見た。

そしてウッソは目ではなく、その暴虐の光が溜め込み始めて憎悪を感じ取っていた。

巨大な2基の粒子加速器と、長大な槍のようにも見える砲身に薄っすらと光の線が走る。

衛星砲が纏い始めた光の線は、粒子加速器から砲身へと次から次に伸びていき、

まるでエネルギーを砲身に送り届けるように見えるのだ。

その時ウッソが言った。

 

「ヤザンさん!リーンホースからの信号弾ですよ!

リーンホースへ退けって…?やっぱりビッグキャノンの事!?」

 

信号弾だけでは細かい伝達は出来ない。

発光パターンが告げるのは母艦への緊急退避の言葉だけだが、

それを今の状況で聞かされればどういう判断になるかは明白だ。

 

「使おうというのか!?まだ味方が戦っているんだぞ!」

 

残弾が万全ならこのまま突撃し破壊を試みても良いが、今はヤザン隊も消耗してしまった。

舌打ちをしつつヤザンがアビゴルを変形させ、

ウッソとカテジナを背びれに掴まらせて一端戦場を離脱…

しようと思った時、ウッソがまた口を開く。

ニュータイプ的な感性が口を開かせていたらしい。

 

「…っ!ペギーさん!?ヤザンさん、今ペギーさんの声が!」

 

「なに?…聞こえたのか?俺の方は何も拾っとらんが…カテジナはどうか」

 

「いえ、通信は拾えていないわ。

第一、こんなミノフスキー粒子が撒かれた状態じゃ無理に決まってる」

 

確かにそうだ。

そんな事はベテラン兵であるヤザンどころか、宇宙世紀に生きる者全員の常識と言える。

だから戦闘が終わるのを待って後、

ミノフスキー濃度が下がってから救助信号を探すのが常の動きでもある。

だがウッソは違うと尚も言う。

 

「本当です…聞こえたんですよ!ペギーさんの声でした!

行かせて下さい、ヤザン隊長。ダメならば…せめて僕だけでも!」

 

一瞬ヤザンは考え、そしてウッソの提案を即座に拒否する。

 

「ダメだ!」

 

カテジナはヤザンの判断を当然だと思う。

エネルギーも切れ、敵衛星砲要塞が動き出している今に

生きているか死んでいるか分からぬ味方に構っている暇はない筈だと、カテジナもそう思う。

何故か、ヤザンの拒否の言葉を聞いて自然とカテジナの頬は緩んでしまっている。

この少女は自分以外の女が見捨てられたのが嬉しいのだ。

カテジナ自身は何故自分が小さく微笑んだのかまだ理解しきってはいないが、

それはカテジナのヤザンへの独占欲の発露である。

だがその仄暗い喜びはすぐに裏切られる事になるが、

とりあえずはウッソが怒りと悲しみを綯い交ぜにした声を出し、涙まで出そうになっていた。

 

「ヤザンさん…!!?で、でも…」

 

ウッソはペギーを見捨てるのかとヤザンの言葉を強い否定の心理で受け取っていたが、

それは違うのだとすぐに理解した。

 

「弾切れの貴様が行っても、ペギーを拾えた所でろくに守れん。

それにベスパはビッグキャノンをアイドリング状態にしたんだ!

アビゴルのスラスターパワーなら貴様らのMSより速いし、俺にはまだ弾があるからな…!

俺が行く!貴様らはさっさと母艦へ戻れ!」

 

ヤザンは常々こう言っている。ニュータイプなどまやかしだ、と。

ニュータイプと呼ばれる人種が直感力に優れ、

空間認識能力に稀有な才能を持つ者が多いのはヤザンも既知の事であるが、

心を通わすとか宇宙に魂を溶け込ますだとか、

超能力を発揮するだとかのオカルト的なものは信じていない。

信じてはいないが、

残念ながらヤザンはニュータイプがまさにオカルト現象を起こす所を目撃していた。

そのせいでZガンダムを仕留め損なっただけでなく、

こちらが撃墜されて危うく死にかけたのも今では良い思い出だが、

とにかく信じてはいないがニュータイプ的な者の言葉や能力はある程度認めている。

それに、何よりも部下がこうまで真剣に言うのだから隊長として受け止めねばならない。

 

ウッソは、ヤザンが自分の言葉を信じてくれた事に一瞬喜び、

そして直ぐにそれが迂闊で危険な発言だったと鋭敏な少年の頭脳は知る。

言うにしても、このタイミングは悪かった。

小隊の内、2機が弾薬切れを起こしていれば自然、こうなってしまうのは当たり前だった。

かと言って、巨大衛星砲が動き出した今戦場全体が焼き払われてしまうかもしれないのに、

ペギーを放っておくことはとても出来ない。

仲間一人の為に味方全体を危険には晒せないが、ヤザンだけならばやる価値はある。

それにヤザン自身、分の悪い賭けとも思っていない。

悪いタイミングであったが、同時にこのタイミングしかなかった。

 

「でも!ヤザンさんを一人でなんて!」

 

「ヤザン!?何を言っているの!?もうきっと死んでるわよ!」

 

ウッソとカテジナが喚いているがヤザンの「命令だ!」という一喝で黙らせ、そして言う。

 

「俺一人なら間に合うと言っている!ウッソ、声はあちらからしたんだな!?」

 

「はい!」

 

「よし。…二人は帰ったら補給を済ませてすぐに再出撃!

オリファーとマーベットが出られるようなら二人も連れて来い!

ビッグキャノンは止めなきゃならん!Sフィールドで合流するぞ。いいな?」

 

「母艦への帰還命令を無視して現場で合流する気?

それにペギーを回収できても、足手まといを抱えたまま戦おうっていうの?」

 

かなり不満気なカテジナの棘のある言葉。しかしその指摘は中々正しい。

 

「現場判断だと、帰ったらゴメスに言っておけ!

ペギーの事はパイロットだけ回収すりゃいいだけの話だ。

今は対G性能も大分良いからな…多少は二人乗りもいける。前にもケイトで実験済みだ」

 

疑問には答えてやるヤザンだが、それにしても時間が惜しい。

こうしている今も、ゆっくりと、ゆっくりと…

カイラスギリーは砲身に集める光を増大させ、太く長い砲身を戦場へと傾けていた。

 

「お喋りは終わりだ。各機、予定通り行動しろ!いいな!」

 

「はい…お気をつけて!」

 

ウッソは隊長を見送る決意をしたが、カテジナは尚も喚き噛み付く。

シャッコーでアビゴルを羽交い締めにしようかという勢いで、実際に組み付いて縋る。

 

「ヤザン!私も連れていきなさい!」

 

少女のしつこさに、とうとうヤザンが「やれやれ」と小さく溜息をつく程だった。

 

「二人乗りが気に障ったかァ?わがままなお嬢ちゃんだぜ」

 

「…わ、わがままなんて!」

 

「ヘソを曲げるな。貴様にはご褒美を用意していると出撃前に言ったはずだが…?」

 

ヤザンのその言葉のニュアンスに妙な色香を感じ、カテジナの心臓が少し高鳴る。

 

「それは…こ、こんなとこで言うことじゃないでしょう…!」

 

「貴様をよがり泣かせて一晩中抱き続けてやると言ってるんだ。

フハハハ!楽しみにしておけよ!」

 

「っっ!こ、こいつは…!頭の中はずっとそんな事ばっかりなの!?」

 

ヤザン流のジョークに頬を赤らめると同時にシャッコーの操作も甘くなる。

その隙にアビゴルはシャッコーを力任せに振りほどくと、

そのままの勢いでヴィクトリーへとシャッコーを投げつけた。

 

「っ!ちょっと!!」

 

「ダメですよ、カテジナさん!急がないとビッグキャノンを止められませんよ!」

 

アビゴルからしっかりとシャッコーを受け取ったヴィクトリー。

しっかりとシャッコーの抑えながら無理やりにブースターを吹かせ連れて行く。

 

「ウッソ!?離して…!」

 

「ここで駄々をこねたって時間が無くなるだけです!

ペギーさんだけじゃなくヤザンさんだって危なくなるでしょう!?

今の僕らは足手まといで、だから補給しなきゃでしょ!」

 

「っ、…く!」

 

シャッコーを投げると同時に飛んでいたアビゴルは、

既にスラスター光をみるみる小さくして去っていってしまう。

カテジナはその後姿を苦々しく眺め、肉感的で瑞々しい唇を深く噛む。

ヤザンが自分以外の女の為に命を掛けるなどという事を考えると、

それだけで実に不愉快な感覚に脳が襲われるのだ。

だが、カテジナとてこれ以上の足掻きは本当に〝わがまま〟だと自分で分かる。

 

「…帰投する!ついてきなさい、ウッソ!」

 

怒鳴るように言ったカテジナの剣幕が機体越しに見えるようだった。

いや、実際に見えたのかもしれない。

ウッソとはそういうニュータイプ的な少年であるからそうなのだろう。

素直にヤザンの言葉に従いだしたカテジナを見、ウッソは押し黙る。

シャッコーがリーンホース方面へ飛び出したのを見るとそのまま彼女に付き従うのだった。

 

(ヤザンさん…ペギーさんを連れて帰ってきて下さいよ。もし帰ってこなかったら…)

 

――帰ってこなかったら、僕はどうなるんだ?

こんなにヤザンさんの事が好きなカテジナさんはどうなってしまうんだ?――

 

少年は、今までとても想像もしなかった…

出来なかったあの頼もしく逞し過ぎる上官の死という未来に、かつてない恐怖を抱いた。

その恐怖は、目の前で憎悪の力を無尽蔵に溜め込む怪物(カイラスギリー)が与えてくるものよりも尚大きい恐怖だった。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その5

2機のMSがリーンホースへと着艦し、

ゲートが閉まるとほぼ同時にストライカー・イーグルは駆け出した。

クッフ・サロモンや他の整備士達もそれに続く。

コクピットをブロックごとスライドさせ、

ヴィクトリーのキャノピーから顔を出したウッソが大声で先頭の男へ声をかけた。

 

「ご苦労さまです、ストライカーさん!補給頼みます!

なるべく急いで下さい!ヤザンさんが、隊長が一人で戦ってるんです!」

 

普段は無口のストライカーだがこういう時まで無口ではない。

 

「隊長が一人で!?わかった!特急でやってやる!

シャッコーも補給だけで良いんだな!?」

 

たった今ヴィクトリーの隣で設備に脚を固定し、

ハンガーデッキに身を預けたイエロー・オレンジのMSにもストライカーは大声で聞くと、

そのパイロットはコクピットから身を乗り出して怒鳴るような音量で返してくる。

 

「そうよ!こっちも急いで!!」

 

「わかった、クッフをいかせる!」

 

怒りの感情が見え隠れするがそれを必死に噛み殺している…

少女の態度はそういうものに見えた。

ストライカーはサムズアップを作ってからクッフの肩を軽く押して急かすと、

押された年下の同僚はいつもひょうきんさを滲ませる軽薄な顔を

〝まずいものを見た〟とでも言うようなしかめっ面にしている。

 

「お嬢様はちょいとご機嫌ナナメのごようすで…」

 

「隊長に怒られたんじゃないか?ま、いいじゃないか。

大分、大人な態度を勉強できているよ。

隊長は俺達整備士(メカマン)を大事にしてくれるから、ルース嬢ちゃんも真似てんだろう」

 

「もっと隊長を真似てほしいなぁ…」

 

「あれでも先月までMSに乗ったことのないご令嬢だったんだ。大したもんだと思うがね。

俺達も負けてられんぞ…あんな若い娘が頑張ってるんだ。ほら行って来い」

 

「はいよ」といかにも気怠げな声で生返事を返すクッフだが、

整備の腕はストライカーに次ぐモノを持っているしやる事はちゃんとやる男だ。

そそくさとシャッコーに取り掛かったが、

近づくなり一目でシャッコーの脚関節部に違和感を感じる。

メカマンの直感のままに装甲を開いて関節のシリンダーを見れば声なき悲鳴を心であげた。

 

「うわ…一回の出撃で交換だよ!これじゃ補給だけで済まないぞ!

もうちょい大切に使ってあげてくれよ、ルースさん!」

 

近寄って見れば他も酷いものだ。

右肩の〝隠し腕〟のビームガンも、そしてライフルも砲身がくたびれているし、

ビームシールド発振機も交換が必要だろう。

シャッコーはヤザンの乗機であった事もあり自分も良く整備をしたものだったから、

クッフとしてはヤザンへの尊敬の念も合わさってシャッコーに愛着があった。

その彼からしてみれば年若い少女のMSの乗り回しっぷりには思う所がある。

カテジナは携行ドリンクをストローで流し込みながらギロリとクッフを見る…というよりも睨む。

 

「悪かったわね…けれどこっちだって必死だったの!

でも今は口より手を動かして!補給だけじゃダメなら尚更時間が無いのよ!!」

 

カテジナ・ルースの獅子のような迫力。

この少女は今、戦場に残してきた上官の事で頭も心も一杯で余裕は無かった。

ヤザンからは「整備士は大切に」と教えられているしそれを実践しようと努力もしているが、

だからといって常に教えを実行出来るとは限らない。

職人気質も多く怒鳴られ殴られを多く経験してきたクッフも、

そして隣のMSハンガーデッキで整備に邁進するストライカーもギョッとなる程だ。

 

「は、はいっ!」

 

思わず背筋を伸ばしたクッフは「おっかねぇ」と呟いてせっせと手を動かしだし、

他の整備士の面々も駆け寄って大急ぎで摩耗部品の交換と相成った。

そして整備士達の間で、カテジナ乗機のMS整備担当になるのを

〝ハズレくじ〟と呼ぶようになるのだがそれはまた別の話だ。

 

そんなタイミングで再びゲートの方が慌ただしくなる。

回転灯と警報が周囲にゲート開放を知らせて、直後に二重扉が重々しく開いてく。

外部モニターを見ながら整備士の一人が叫んだ。

 

「Vタイプ、2機!帰ってくるぞ!スペース開けろ!!」

 

当世代の小型MSなら10機まで収納できる格納庫が一杯になってきて、

そこら中を慌ただしさ倍増となって整備スタッフが駆け回る。

今ほどの整備士の言葉にウッソとカテジナは、携帯食を口に頬張りながら互いを見た。

 

「Vタイプって事はオリファーさんとマーベットさんですよ!」

 

「これでヤザンの要望を満たせる。すぐ出るわよ、ウッソ!」

 

その発言が聞こえてかMSの足元から、

コクピットの二人へとストライカーが大声を張り上げた。

 

「直ぐには出さんぞ!シャッコーの脚のシリンダーは一本交換だ!

それにオリファー機とマーベット機も補給させてやれ!後10分かかる!」

 

「10分!?遅い!!ヤザンに何かあったらどうするっ!!5分で済ませて!」

 

カテジナががなり立てながらグッと身を乗り出し、

傍から見ると今にもコクピットから落ちそうでウッソははらはらする。

ウーイッグ時代からは想像もできない姿で、言葉遣いもお淑やかとは程遠い。

 

(…ひょっとして、カテジナさんってこういう面も素なのだろうか)

 

口の中に残るぱさついた携帯食を、

ドリンクの残りで流し込みながらウッソは埒もない事を考えていた。

 

「シャッコーをもっと大切に乗ってくれれば5分で済んだんすよ!ルースさん!

最低でも7分は貰いますからね!」

 

クッフも同僚の援護射撃をして時間の延長は已む無しと訴えていた。

やり手のメカマン二人に言われてはカテジナとしても引き下がるしかないが、

だがその顔はやはり凄い剣幕で、鳶色の瞳を釣り上げてクッフを睨んでいる。

「ひぃ」と小さな声でクッフは怯えて、彼の作業速度はまた増したようだった。

 

そんな事をしている時に、

更に隣の整備ハンガーデッキに身を固定させたVタイプが来る。

そして機体固定と同時にコクピットブロックをスライドさせて

キャノピーから上半身を覗かせたのはオリファーだ。

ヘルメットをパイロットシートに投げ捨てるように放って汗だくの顔をタオルで拭って言う。

 

「さっきの信号弾だが、ビッグキャノンが動いてるって本当か!?」

 

「本当ですよ!」

 

ウッソがすかさず返事をした。

いつの間にか機体を固定して補給を受けるマーベットも、

コクピットの縁に腰掛けながらパイロットスーツをヘソ半ばまで下げ、

涼を求めつつウッソとカテジナへ視線をやっていた。

視線を感じてそちら側をチラリと見たウッソは、

マーベットの褐色の肌が汗でテカって

薄着の白いシャツがその肌に張り付いているのを見てしまう。

一瞬、その色気にドキリとしたが、すぐにもっと大事な話へと軌道を修正する。

 

「ヤザン隊長の姿が見えないけれど」

 

マーベットの言葉にはカテジナが返した。

 

「まだ戦場よ…!流れたペギーを探しながらベスパと戦っているの!

ヤザンが、あなたとオリファーさんを連れて来いって…。

ビッグキャノンが動き出したから、前線を突破してそちらもどうにか対処しないと…!」

 

金髪の少女が親指の爪を噛みながら紡いだ言葉にオリファーとマーベットが目を丸くした。

 

「ペギーの事も驚きだが、まだまだベスパのMS隊は元気いっぱいだぞ!?

それを突破するってぇ!?」

 

そう言うオリファーに、今度はウッソが返す。

 

「ヤザンさんの命令ですよ。少数精鋭で突破するみたいです。

急がないと、ヤザン隊長もペギーさんも危ないし…

それに艦隊の皆もビッグキャノンでやられちゃいますから」

 

ウッソが補給を終えたVタイプのチェックに入りながら言う。

シートに座り、マシーンの最終チェックを慣れた動きで熟していく。

その横ではシャッコーの関節ブロックが交換されカテジナが動作確認に余念がない。

現場は滞る事無く流れていき止まることはない。

オリファーはマーベットを少し見てからウッソへと向き直って

「勿論それは良いが…」と了承しつつ言葉を続けた。

 

「それならシュラク隊もいた方がいいだろう。

ペギー以外はまだ戦え―――って、ひょっとしてあのボロボロのは…」

 

10機まで収容できるハンガーの半分を占拠する

ボロボロのガンイージを見て二人の返事を待つまでも無く納得した。

 

「二人の様子からすると、どうやら一応全員無事なんだな」

 

「はい、ヤザンさんのお陰で。でも、皆さんとても連戦は出来そうもないですから…」

 

「よし、わかった…こちらの補給も丁度終わった所だ。

俺達がそちらに付いていくから先導してくれ!」

 

オリファーが足元の整備士達にハンドサインを出してから素早くシートへと戻っていく。

ヴィクトリーの目に緑の光が灯り背を固定ラックから切り離すと、

呼応したようにマーベット機とウッソ機もそれに続いた。

そしてカテジナもハッチを閉じて、シャッコーの赤い目を光らせる。

 

『ヤザンとはSフィールドで合流予定よ』

 

シャッコーのスピーカーがカテジナの声を響かせた。

オリファーはヘルメットを被りながら

同じようにスピーカーで少女へ返すもその声は珍しく固い。

 

『〝隊長〟だ。

公私混同にそこまでリガ・ミリティアは煩くないが隊長には敬意を示せよ、ルースさん』

 

『…失礼しました。オリファー()()()

 

素直に言い直してはいるがカテジナの言い方はやや素直ではない。

当て付けるように副隊長を強調していたのは年相応の跳ねっ返りの顕れだろう。

 

オリファー・イノエという男は、

リガ・ミリティアでも最も長くヤザン・ゲーブルと()()()()いた人物だ。

MS隊の総隊長がヤザンならばオリファーは副隊長である。

ネズミのようにこそこそと潜伏活動していた時からヤザンを副官として支え続けていて、

シュラク隊創設にも彼と共に尽力していたし、

ヤザンの〝地獄のMS訓練キャンプ〟の一期生でもあった。

であるからオリファーの、

ヤザン個人への尊敬と忠誠心という奴はリガ・ミリティアでも群を抜くものがある。

仮に、ヤザンが「ザンスカールへ乗り換える」等と言ったら

事と次第によってはオリファーは彼に付いていくだろう。

それぐらいにはヤザンを慕う男であった。

 

ヤザンが強烈で個性的なカリスマで部下をグイグイと引っ張り、

副官であるオリファーが模範的で気が利くフォローで穴を埋め下から支える。

そういう名コンビでもあったが、

当初のシュラク隊のメンバーがある程度そうだったように、

今のカテジナのようなじゃじゃ馬達の指導と制御はヤザンの仕事だった。

気の強い個性的な跳ねっ返り娘達を、

ヤザンは彼女らを更に上回る個性を発揮して

彼女らを時に叩き潰し、時に泥水を啜らせ、時に鞭で打ち、そしてたまに飴をやる。

そうやって見事に〝調教〟して来たわけだが、それはとてもオリファーには出来ない事だ。

オリファーが無能というのではなく単に向き不向き、という奴だ。

だから余りにも我が強すぎるカテジナの相手は、はっきりいってオリファーは持て余す。

彼はどちらかというとマーベットやトマーシュ、ウォレンのような

優等生タイプを導くのが上手い性分であった。

 

(…う~む。この娘は…やっぱり相当だぞ…まいったなぁ。つくづくヤザン隊長は凄いな…。

やっぱり俺はマーベットで精一杯ですよ、隊長)

 

面と向かって注意した事に対する反発を示されて、

オリファーは表向き威厳いっぱいに受けて立ったが内心はそういうものだった。

 

「ヤザン隊長…こんなユニーク揃いの連中残していってもらっちゃ困りますからね」

 

コクピットの中で一人呟いたオリファーのそれは誠に切実な情緒に満ちていた。

 

 

 

――

 

 

 

 

4機のMSが戦場を切り裂くナイフのように突出していく。

彼らのスラスター光は彗星のように尾を引いて、鋭くベスパの陣形へ穿っていった。

 

「なんでそう邪魔をするのさ!

このままじゃ、ビッグキャノンで皆死んじゃうかもしれないんだぞ!お前達だって!」

 

ウッソのヴィクトリーが、手にした長物…メガビームキャノンを薙ぐように撃てば、

見事に立ち塞がるゾロアットをメガ粒子の中に消していった。

ウッソは先頭に立って突き進みながらも取り回し辛い長物を巧みに使っている。

 

「物干し竿…良いみたいだな。ハイランドは良い物をくれたよ」

 

「設計が30年前のものだから不安だったけど、基礎が優秀なら何年経ってもいけるものね」

 

「そりゃあマーベット、ヤザン隊長を見ていれば分かるだろう」

 

オリファーの軽口にマーベットは唇の端を持ち上げる。

 

「ふふ、そうね。ヤザン隊長は物干し竿よりうんと古いんだった。つい忘れちゃうわね」

 

「どこにでも順応して逞しく生きる人だからなぁ、あの人」

 

優秀な物は時代を超える、という事らしい。

オリファーとマーベット、そしてカテジナは

同じ長物でも使い慣れたフェダーインライフルを撃っているが、

ウッソが旧式のスマートガンを使っているのは単純にフェダーインライフルの在庫切れ故だ。

一番の年少であるウッソが信頼性の低い未知の旧式兵器を使っているというのも、

これもまた単純にウッソの腕が一番良いからだった。

ヤザンの弟子であると自他共に認められている現状。

そしてスペシャルであると評される程の才能も相まって

ウッソ自身も〝物干し竿〟をあてがわれたのに異論は無かった。

 

「ウッソ、雑魚相手に弾を使いすぎないのよ?

こいつらは無視して今はSフィールドを目指さないと!」

 

ヴィクトリーの横でシャッコーも黒い長物のトリガーを引きつつそう言えばウッソも頷く。

 

「はい!行きましょうカテジナさん!」

 

ウッソとカテジナ、オリファーとマーベット、それぞれの連携は抜群である。

特にオリファーとマーベットのコンビネーションは、

二人のプライベートの深い付き合いもあってか相当に息が合う。

まるで熟年夫婦のように言葉も無く阿吽の呼吸で互いをカバーし合う様は、

連携技の模範となるべき姿だった。

ウッソとカテジナのチームプレイも優秀だ。

こうしている今も、ウッソがベスパMSの眼をバルカンで潰した瞬間に

シャッコーがコクピットをビームサーベルで串刺しにする様は流れ作業のようにスムーズだ。

しかし彼ら年少組の連携はあくまでヤザンを基幹としたもので、

ヤザンを含め三人での連携こそが〝ヤザン隊〟に選抜されたウッソとカテジナの真骨頂で、

自然、そういう風にヤザンとの訓練で身についていた。

しかし個人技を見れば、もはやウッソには勝てないとオリファーもマーベットも確信できて、

カテジナを見ても最低でも同等レベルにまで並ばれているように思う。

 

(スペシャルな才能…2週間が私達の2年間と同じという事…。

これが、私達がオールドって事なのかしらね…)

「ベスパの動きは頑なね…奴ら、ビッグキャノンの射線から逃れる算段があるのかしら…?」

 

自分も若いと思っていたが更に若くどこまでも伸びる若々しい才気に、

大きな期待と少しの妬ましさを覚えつつもマーベットは思考を重大作戦へと向ける。

ベスパがキャノンの同士討ちを恐れていない理由を探るよりも、

いち早くヤザンの待つSフィールドへ向かうのが先決だと、

そうマーベットは思い直し操縦レバーを握る手に力を込めた。

 

1機のゾロアットがオリファーのライフルに撃ち抜かれる。

3機のゾロアットがウッソのスマートガンに纏めて葬られ、

続けて回り込もうとした1機がビームシールドにざっくりと胴を抉られて爆発。

1機のゾロアットがマーベットにコクピットを鋼鉄の拳で潰される。

ゾロアットがシャッコーに蹴り飛ばされ、

纏められた所に肩部ビームガンを撃ち込まれ巻き込み2機、爆散。

 

襲い来るゾロアットを何度も何度も返り討ちにし、4機のMSは快進撃を続けていった。

あと僅かで合流ポイントに到着する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何の問題も無くSフィールドに着き、そこでアビゴルと合流する予定だったのだ。

しかし、何事も予定通り行くとは限らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アビゴルの姿はそこに無かった。

フィールド上のどこを索敵しても、誰のセンサーにも引っかかる物は無かった。

 

「ヤ、ヤザンさん…!」

 

ウッソは必死になってモニターに写るあらゆるデータに目を通す。

見落とした熱源はないか。

見落とした動体反応はないか。

しかし見落としなど何処にも無かった。

 

ここは戦場だった。

常に予想外が起き得る、命と死が交差する領域であった。

 

「い、いない…?ヤザン…!どういうことなのよ!ヤザン!!」

 

カテジナの震えた叫びが、シャッコーのコクピット内に虚しく木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲虫を思わせる巨大なフォルム。

緑色の大型MSアビゴルが、高速巡航形態となって戦場を疾駆する。

目的は漂流する部下の回収であるが、それが成功しても失敗しても

直ちに成さなければならない重大ミッションが緊急に発生した。

 

〝起動した巨大衛星砲の破壊〟

 

それを成功させなければ、どう転んでもリガ・ミリティアは致命傷を被る。

そして一度致命傷を負ったら民兵組織であるリガ・ミリティアはもう立ち直れない。

横流し行為による支援と補給では回復力には限りがある。

巨大なスポンサーは存在しているが彼らはあくまで陰ながらの提供者であり、

表立って湯水の如く支援は出来ない。

それをしてしまえばザンスカールが彼らの尻尾を握って堂々と報復・粛清行為に及び、

スポンサー達は皆ギロチン送りになってしまうだろう。

 

だから巨大衛星砲は止めなければならないし、

それを成功させる可能性を1%でも上げるためにヤザンは少しでも敵を減らす。

 

「行きがけの駄賃だ!墜ちなァ!」

 

アビゴルの側面(腕部)と背中から()()が飛び出し、

メガ粒子のカッターが鋭く撃ち出される。

行く手を阻むゾロアットが2機、コクピットにメガ粒子カッターをめり込ませて沈黙した。

その戦闘行為はまさに行きがけの駄賃だ。

ウッソが示した方向へ脇目も振らず邁進し、その進路上の敵だけをヤザンは攻撃している。

 

(…チッ、大分ベスパの方に流されている…!)

 

結果的にヤザンは単騎で敵陣に深く切り込む形となってしまい、

とうとう突出気味のカリスト級巡洋艦までがアビゴルの射程圏内となっていた。

ザンスカール軍は1機で突撃してきたアビゴルに集中的に攻撃を加えてきている。

自分達が舐められているという思いもあって、

ただ1機に自陣で暴れられて無事逃げおおせられたとなればそれこそ沽券に関わる。

しかもそれをしているのはどう見てもザンスカールの特徴を有するMSなのだ。

リガ・ミリティアの手癖の悪さは既にベスパ全体の良く知る所で、

奪われたMSにそのような好き勝手を許せば己らの士気にも大きく影響するだろうから、

彼らのアビゴルへの攻撃は熾烈であった。

 

絶え間なくアラートを告げるセンサーの輝きが反射し、ヤザンの目を薄い朱で彩る。

半分はそのセンサーを頼りに、そして残りの半分は〝気配()〟を頼りにして

ヤザンはアビゴルの速度を落とすことなく全身のアポジをフルに活用し砲撃を避け続ける。

 

――Beep!Beep!Beep!

 

けたたましい電子音がアビゴルのバイオコンピュータから響き続けてヤザンをイラつかせた。

 

「うるさいんだよ!コイツは!」

 

警告を発してくれるコンピューターへ理不尽に怒鳴りつけながらも、

操縦レバーとフットペダルに神経を集中させる。

嗅覚を研ぎ澄ませる。

頼るべきは己の経験と〝鼻〟の良さだ。

 

カリスト級からヤザンを出迎える為の無数の迎撃ミサイルが盛大に吐き出される。

機銃も、小型メガ粒子砲台も、

アビゴルの蛮勇に魅せられ引き寄せられるかのように砲の先を向けた。

 

「俺を落とそうというのか!?ハハハハ!」

 

もはや主砲級のメガ粒子砲の射角の届かぬ内側へと獣は入り込んだ。

小粒なビームなどアビゴルのビーム砲を兼用する頭部ビームシールドが弾いてくれるし、

実弾の機銃も掠る程度ではハイチタン合金ネオセラミック複合材は貫けない。

ザンスカールが開発した新合金は今ではヤザンを守る鎧となっている。

直撃させれば話は別だが、カリストの機銃はついぞ野獣を捉える事は出来なかった。

 

嵐のような弾幕を吐き散らしハリネズミとなったカリスト級へ、

アビゴルは猛烈な勢いで迫ると機首になっている頭部ビームを返礼として見舞う。

フルチャージならば一撃でデブリを薙ぎ払うアビゴルのメガ粒子がカリストの胴を貫いた。

 

「ククク…!クッハッハッハ!!」

 

MSの装甲を己の肌のように感じる。

肌一枚、際どい所をビームとミサイルと弾丸(バレット)が擦れていく感覚に酔いながら獣は笑った。

胴体から火を吹きながらもビームを撃ち返すカリスト級に、

ヤザンはさらに二撃三撃をくれてやれば、

とうとうカリストは沈黙し全身から爆炎を垂れ流し

最後には内側から艦橋を爆散させて巨大な炎の塊になって四散した。

 

カリストの爆発から延びる炎が、周囲に展開していたMS隊をも飲み込んでいく。

ヤザンはその輝きを心底可笑しいとでも言うように、哂いながら見つめていた。

辛うじて誘爆を逃れたゾロアット隊はその光景を悪夢のように見守るしかできず、

仲間を貪る炎を見るゾロアットの猫目はどこか怯えてさえいるような錯覚に陥る。

 

「な、なんて奴だよ…!」

 

「あいつは、あ、悪魔か…!」

 

そのベスパ兵達の手足は強張り、追う責務があるというのにフットペダルを踏み込めない。

ゾロアット達は、去りゆくアビゴルを唖然と見送るしかなかった。

 

そんな無茶な切込みをもう二、三度繰り返し、

そしてとうとうアビゴルの三つ目は目的の漂流物を捉えた。

 

「見つけたぞ!ガンイージ!」

 

手足がもげ、バックパック部を喪失したダルマ状態のガンイージ。

なるほど、これ程の損傷ならばAMBACは勿論、

各所のアポジも機能停止しているだろうとヤザンを納得させる。

 

アビゴルの三つ目がまたギョロリと周囲を見渡す。

複合複眼式マルチセンサーの探査モードで念入りに索敵をしつつ、

未だにスパークしているガンイージの胴部を、アビゴルの大きな腕がそっと抱えた。

 

「ペギー!」

 

触れ合い通信がヤザンの声を届けている筈だが、数瞬待ってもガンイージから反応は無い。

ヤザンはもう一度彼女の名を呼んだ。

すると、

 

「う…隊、長…?」

 

力無い女の声が確かにそこからした。

パイロットの声に力が無いという事は、負傷が著しいか…

それとも生命維持装置のトラブルかというのが相場だが、

しかし自分を隊長と認識したのだから

酸素欠乏症の心配はまだ無いだろうとヤザンは判断できた。

 

「そちらの状態はどうだ。ハッチを開けて出てこれるか?」

 

「う…は、はい。大丈夫です…」

 

「よォし、ならばさっさと出てこい。ここは戦場のど真ん中でなぁ?

チンタラされたらこちらが危ない」

 

「っ…は、はい!」

 

孤独な遭難の中、救助に来てくれただけでどれ程嬉しいか。

それは漂流を経験した者にしか分からないだろうが、

地球の海山での遭難も恐ろしい苦難と孤独が待ち受けているというが、

それが無限に続くという謳い文句すらある宇宙の深淵に放り出されての遭難となると、

その恐怖と孤独感はどれ程だろうか。

しかも、自分を迎えに来てくれたこの男は戦場を掻き分けて来てくれたらしいとなれば、

歓びは筆舌に尽くし難い。

 

ペギーは、救急パッドで仮初めの治療を施した太腿を叱咤し動かす。

宇宙世紀の軍事救急パッドはノーマルスーツの破損から起きる酸素漏れも補修できるが、

ペギーの太腿の傷はかなり深く、また脇腹や胸部にも大判の救急パッドを貼っつけていた。

つまり、中々の負傷を彼女は負っていた。

 

(ヤザン隊長…!来てくれたっ、来てくれた…!)

 

動くのも億劫だった体を動かして、もどかしいとばかりに慌ててコックピットを飛び出た。

 

「うわっ」

 

勢い余り慣性で飛んでいくペギーはくるくると宙を漂って、

パシッと鋼鉄の巨掌が彼女の体を受け止めた。

その大きな大きな手は鋼鉄だというのに彼女には何故か優しく、柔らかに感じられる。

 

『しつこく生きていたな!さすがは俺の部下だ!褒めてやるよ、ハッハッハッ!』

 

アビゴルの掌が、彼女の愛しい男の声を伝えてくれる。

ペギーはアビゴルの指に縋り付くようにしてしなだれていたが、

すぐにアビゴルにコクピットに押し込まれる。

そこにはペギーが一番縋りたかった男が不敵な笑みで待ち受けていた。

 

「ほぉ?武勲を刻んだじゃないか」

 

ペギーの体を軽く触って、

診るなり開口一番がそれだったのは如何にもヤザンらしいとペギーは思う。

 

「…嫁の貰い手、この体じゃ…どうなんでしょうね」

 

「ハハッ!そんな心配ができりゃあ今直ぐは死なんなァ!

安心しろよ、誰も貰わんなら俺が貰ってやる」

 

「………!」

(やはり、この上官(ひと)はこう言ってくれる)

 

クスリと微笑みながらペギーも、冗談めかしてこう返す。

 

「でも、隊長の女になってもどうせ私一人じゃないですよね?」

 

「フッハッハッ!言うな!今更だろうが。黙って座ってるんだな」

 

ヤザンの膝の間に少し大きめの尻が無理やり押し込まれて、

男の手がヘルメット越しに数度頭を優しく叩くとペギーの体にグッとGがかかる。

小さな苦悶を上げるがそれでもヤザンは速度を緩めないし、

ペギーもそれでどうこうと文句を言わない。

 

「悪いがこのまま衛星を叩く!」

 

「…ぐ、う…ビ、ビッグキャノンが…完成してたんですか…!?」

 

Gのせいで傷の痛みが全身に回るが、

それでも痛みを感じる程度ならば今直ぐに命に影響する怪我ではない。

この痛みは生きている証で、ペギーは痛みを喜ばしいものとして享受していた。

 

「完成しちゃいない。だが撃てるらしいな。

奴ら、味方諸共俺達を薙ぎ払うつもりでいやがるらしい」

 

「ベスパのやりそうな…こと、ですね」

 

「痛むか?」

 

アビゴルの速度を緩める気はあまり無いのだが、

それでもヤザンは部下の傷んだ体を労ってはやる。

 

「いえ、この程度…お気になさらず。っ、た、隊長に抱かれた時の方が痛かったですから」

 

「フン…初めてであの程度で済んだのは俺に感謝しても良いぐらいだ。

まぁいい…随分余裕があるようだからな。なら遠慮はせんぞ」

 

「…っ、どう、ぞ…!」

 

ペギーの了承を得て、アビゴルが颯爽とこの場を離脱しようとしたその時に、事は起きる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――リィン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音が聞こえた。

 

「…なんだ?」

 

踏み込みかけたフットペダルから足を離す。

戦場の遥か遠く。ある一点を、ヤザンはモニター越しにジッと見た。

ペギーは首を傾げて彼へ視線を寄越す。

 

「隊長?」

 

ペギーが言うが、ヤザンはただ一点を見、そして神経を研ぎ澄ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――リィィン、リィン

 

 

 

 

 

「鈴の音、だと?」

 

モニターのずっと向こう。

星々が瞬く暗黒の空から、鈴の音が確かにヤザンの耳に届いていた。

 

「っ!ペギー、掴まっていろ!」

 

「え?な、何にですか!?」

 

言うやいなやヤザンがアビゴルをブーストさせ急上昇した。

次の瞬間には、先程までアビゴルがいた空間を猛烈なビームの嵐が通過していた。

 

「え!?ビーム!?ど、どこから…!」

 

掴まれと言われたので横座りとなって

ヤザンのノーマルスーツの胸部を両手で掴む形となったペギーが、

虚空から猛烈な速度で迫る光点に気がついた。

勿論、ヤザンもだ。

 

「また新型!?」

 

ヤザンが半ば無意識に拡大した映像を見てペギーがうんざりと小さく叫ぶ。

映るのは見たこともないモビルスーツで、

戦闘を好むヤザンでも今の状況で未知の新型と遭遇するのは御免被りたい所であった。

 

「チッ…ここでベスパの新型がまた増援に来るだと…!?奴ら、大盤振る舞いだな!」

 

まるで雷鼓を背負う魔神の如きMS。

アビゴルの望遠カメラが補足したその姿は、逞しい四肢、くすんだ灰色と緑のカラー。

ザンスカール特有の複合複眼式マルチセンサーは鋭く、

額にはアビゴルのように3つ目のセンサー・アイがあったが、

しかしその三つ目は鈴を模したかのように丸みを帯びている。

だが最も特徴的なのは、

その背部に古く日本の島で持て囃された芸術絵画〝風神雷神図屏風〟の

雷神が背負う〝雷鼓〟に似たバック・ウェポンを装備している事だろう。

 

「今のビームは、あの〝背負いもの〟からか…!

装甲が一部剥き出しのようだが、あいつも未完成でここに来たという事か?」

 

ヤザンも一目でその〝背負いもの〟の脅威を認識したが、

見れば新型の腕や脚、頭は内部機構が部分的に見えているように思う。

 

「それだけベスパも必死なんでしょう。

…っ、未完成品をどんどん戦場に投入してくる、なんて…

ぐ、ぅ、あ、焦っている証拠だと思いますよ」

 

アビゴルのGに苦しみながらもペギーが予測の回答をヤザンに与えるが、

ヤザンはそれに返す事も無く回避に神経をすり減らす。

アビゴルがまた不規則な軌道を描く高速で宇宙を跳ね回って、

敵新型が猛射するビーム嵐を装甲スレスレに潜り抜けていく。

 

「っ!チッ、ゾロアットまでおいでなすったかァ!」

 

ヤザンの視界の端にチョロつく赤いMS達。

蚊蜻蛉のように群れ、そして新型の助成を受けてアビゴルを猛追してくるのは厄介だった。

だが、ヤザンも…そして追うゾロアットのパイロット達も思いがけぬ事が次の瞬間に起こる。

 

 

――リィィィ、リィン

 

 

鈴の音を撒き散らしながら、

背負う雷鼓から雷槌を雨のようにバラ撒けば

アビゴルを追わんとしていたゾロアット達までが雷のようなビームに貫かれて四散したのだ。

 

「味方ごと撃った…!ベスパはこんな()()()ばかりか!?」

 

ヤザンが忌々しいというような声を上げ、ペギーも嫌悪をはっきり浮かべた顔となる。

戦場で見境なく暴れる狂犬のように言われる事もあるヤザンだが、

彼には彼なりのポリシーがある。

無抵抗の民間人や、良識ある味方を攻撃する事はしない。

だが急速に迫りつつある新型は一切の躊躇を見せなかった。

これはヤザンから見ても異常な事だった。

迫る新型MSの中で女がケタケタと笑っている。

 

「ふふふふ、ははははは、あははははは!

見つけた、見ぃつけた…ここにいた…ケダモノがここにいた…あはは、ふふふ…。

ダメだよ、そいつは。私の獲物なんだからねぇ」

 

鈴を至る所につけた女が笑い、

その度に鈴が揺れてリィン、リィンと不気味なぐらいに澄んだ音色がそこら中に響く。

不思議なことにその音色はコクピットを越え、MSの装甲を越え、宇宙の真空に鳴り響いた。

女のその瞳にはおよそ正気とも思えぬ光が爛々と輝いていたのだった。

 

「タシロも気が利く男じゃないか。

試作品(ゲンガオゾ)の履き心地を野獣で試してイイダなんて…

ンフ、フフ、フ、太っ腹なのは嫌いじゃないよ」

 

アビゴルの熱源センサーが追うのもやっとの猛烈なスピードを落とすこと無く、

そして直角かと思える程の鋭角の急カーブを繰り返してどんどんアビゴルへと距離を詰める。

鈴の女…かつてファラ・グリフォンだった女が叫ぶように大笑いをすると、

プロト・ゲンガオゾがそれに応えて三つの眼を開眼し再び激しく雷鼓を打ち鳴らした。

轟音と共に雷槌が迸る様は、

まるでゲンガオゾがこの世に生まれ落ちて上げる産声のようだ。

 

 

三つ目の雷神。

三つ目の死神。

それぞれが放つ赤い眼光が殺気を纏って交わる。

 

それは予期せぬ出会いだった。

しかし、いつか必ず起こる運命の出会いでもあったのだ。

 

 

敵も味方も、何事も予定通り行くとは限らない。

 

 

ここは戦場だった。

常に予想外が起き得る、命と死が交差する領域であった。

 

 

 

獣達(戦場の犬達)が跋扈するこの戦場を、圧倒的な憎悪を貪り溜める巨大な魔獣が睥睨している。

カイラスギリーが発射態勢を整えるまで、もう間もなくである。

 



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宇宙の魔獣・カイラスギリー その6

タシロは戦況の推移を一見冷静な風体で見守っていた。

しかしその冷静さはどこか見下すように冷たい雰囲気を醸し出しており、

冷静沈着というよりは冷酷非情の指揮官という印象を皆に与えてしまっている。

 

(私は負けるわけがない。そんな事はありえんのだ。

リガ・ミリティアの倍の艦隊。強力無比な要塞。そして、ファラ・グリフォン。

これで負けるなどと………あるわけがないのだ)

 

タシロの独白は、冷静に己の状況を顧みての自信というのとは少し違う。

それはまるで自分に言い聞かせるようなモノであった。

 

タシロ・ヴァゴはザンスカール帝国においては非常に貴重な軍団指揮者だ。

大佐という階級であるが、帝国の軍事面において実質No.2である。

現代は、宇宙戦国時代とは呼ばれる混沌の時代で、

コロニー群(サイド)が連邦の枠組みから勝手に独立し、自治化。

そしてそれぞれが軍備を整え目先の利益を求め小競り合いを繰り返す有様である。

戦力を纏めて軍団とし、それを指揮し、

大局的な動きでもって隣国を制する事が出来る組織は殆どいない。

皮肉にもギロチンのザンスカールだけがそれが出来ていたのだ。

惰弱を極める連邦政府と連邦軍には出来ない事をザンスカールは成せていたからこそ、

ザンスカールはわずか2年でここまで強力な帝国となっていたのだった。

フォンセ・カガチの優れた政治的才覚、ムッターマ・ズガンの軍事的才能、

そしてマリア・ピァ・アーモニアのカリスマが結びいたからこその成果で、

そこには恐怖政治と胡散臭い神権政治がチラついていたが、

確かに民衆の熱狂的支持もあるのだ。

 

建国の立役者の一人、ムッターマ・ズガンは、

宇宙戦国時代において希少となってしまった優秀な将軍(軍事的指導者)であった。

そして、このタシロ・ヴァゴもまた希少な将軍であり、

ザンスカール帝国がサイド2周辺の反発勢力を抑えつつ

地上侵攻にも乗り出せたのはズガンとタシロの双璧がいたからだった。

 

俗に〝シャアの反乱〟と呼ばれる騒乱終結以後、

シャア・アズナブルを最後にして、連邦軍からも反抗組織からも、

多くの将兵を纏めて組織的に運用できる軍事的指導者は姿を消して久しい。

時代の節目に時折そういう者が現れては乱を起こし消えていくが、

乱の規模はどれも小さく、とても戦争と呼べる規模ではなかった。

戦いの規模が縮小するにつれMSの個人技に重きが置かれるようになれば、

自然と将官級の軍人の仕事は事務仕事ばかりとなる。

今の連邦を見ても、高級士官はただ政治家や官僚とパイプを繋ぐ癒着力だけが必須技能で、

戦場での状況判断能力や指揮能力を持った将校等、片手で数える程しかいないのだ。

ザンスカールのズガンや連邦軍のムバラクなどは、

現代最後の将軍と呼んでも過言ではない存在で、

タシロ・ヴァゴもまたその〝将〟の範疇にぶら下がる男であるから、

ザンスカール首脳部はタシロが失態を犯そうとも簡単に切るに切れない。

 

「…右翼の弾幕が薄くなってきている。上に展開しているMS小隊を右翼に回せ。

本隊からカリストも1隻、そちらに回してやれ」

 

戦場の至る所を映す荒れた静止映像混じりのカメラを忙しく見渡し、

不利になるフィールドを見つけては補強していく。

防御を厚くし、後もう少しリガ・ミリティアの猛攻を凌げばカイラスギリーは起動を果たす。

それまでの辛抱だ。

 

(そうだ…私ほどの軍人をそうやすやすと切ることは出来んさ)

 

改めてタシロは己に言い聞かせた。

だが、言い聞かせるという事は、つまり根底では自信が揺らいでいるという事だ。

 

地上での失態の殆どはファラ・グリフォンに押し付けたし、

この戦に負けたとしてもラゲーン地上司令部から拾い上げた

ゲトル・デプレに責任を押し付ける手筈は整ってはいる。

ジブラルタルで引越公社のビルを吹き飛ばしてくれた実績が役立ってくれるだろう。

だが、それでも…カイラスギリーを失ってしまっては、

今度ばかりはタシロはお咎め無しとはいかないとは彼自身薄っすらと理解している。

寧ろカイラスギリー失陥を契機に、

〝クロノクルMIA(戦闘中行方不明)事件〟、〝ジブラルタル領域侵犯且つ敗北〟、

〝カイラスギリー建造遅延〟等の全てが蒸し返され、再び責任追及される可能性が高い。

ムッターマ・ズガンは自分の野心を見抜いているかもしれず、

煙たがっている素振りがあるからして油断が出来ない。

切れる尻尾は多ければ多い程安心できるが、

しかし切る尻尾がとても足りないのはタシロにはストレスであった。

そう考え込みつつの指揮は、傍から見ればさぞ熟慮した慎重な指揮に見えたろう。

ゲトル・デプレが、己が〝トカゲの尻尾〟でしかない事など思いもせず、

副官としての立場に胡座をかいて悠々と上司と言葉を交わしだす。

 

「大佐、カイラスギリーに続いて…アレまで投入するとは。良ろしかったのですか?」

 

「…何がだね」

 

「ファラ・グリフォンです。

サイコ研の博士達からは、乗機共々実戦にはまだ早いとお達しがあったと聞いていますが」

 

「アレは能力段階では既に実戦レベルなのだよ。もともと素質があったからな。

機体とて問題があるのはザンネックの方で、ゲンガオゾは起動試験はクリアしている…。

パイロットもMSも懸念があるとすれば安定性だが――」

 

ゲトルを横目で見据え、タシロは鼻を鳴らしつつ流暢に続けた。

 

「リガ・ミリティアの侵攻がこちらの予想よりも時間を掛けてくれたお陰で、

スクイードへの搬入が折角間に合ったのだ。

ザンネックとのリンク調整を後回しにしても、ここらで使わねば勿体ないだろう?

事実、私の予想通りファラの出番が来たではないか」

 

スクイードの望遠カメラが、大モニターの端に激しく瞬く遠方の戦域を映す。

そこにはミノフスキー粒子の影響によってぶつ切りに乱れた映像の中で、

目まぐるしく戦う2機のザンスカール・マシーンの姿があった。

挙動から怒りの感情が滲み出ていると感じられる程に激しく、

且つ素早い二つの光点がランダムな光の軌跡を描いて、

映像のそれは一種のアートのようにタシロとゲトルには思える。

MS操縦技能は一応有している両軍人だが、特にパイロットとして優れているわけでもない。

彼らの凡人的な動体視力と直感力ではとても正確な様子は分からないが、

とにかく試験中に行方不明となっていた試作重MSアビゴルを奪ったゲリラのパイロットは、

新型試作MS(ゲンガオゾ)を駆るファラ・グリフォンと対等に争えているのだけは理解できる。

 

「…宇宙の虎が掛かりきりになっていた割に失敗作と言われていた筈ですが…

まさかアビゴルがあそこまで戦えるなんて。

…やはりあれに乗っているのは()()〝野獣〟という事でしょうか」

 

「ふん…ティターンズのヤザン・ゲーブルその人だ、

とかいう与太話に君も踊らされるのかね?ゲトル少佐。

私の副官が噂に振り回されるようではなぁ…とても務まらんよ、少佐」

 

「い、いえ、私は兵達の噂を言ったまでです。自分は信じてはおりません」

 

タシロの冗談とも厭味ともつかない物言いにゲトルが慌てて弁解すれば、

タシロはそれを見て厭らしく、道化を観て冷笑するかのように目を弧にした。

 

「見ていたまえ。今、私のファラが旧世代の遺物(ティターンズ)の亡霊を葬ってくれるさ。

……いつまでも、老人共にしゃしゃり出て貰っては我々新世代が困るからな」

 

ヤザン・ゲーブル。

そしてフォンセ・カガチに、ムッターマ・ズガン。

タシロは己の眼前で壁となっている老人達を思い浮かべては、

秘かに奥歯で歯軋りを鳴らすのだった。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

三つ目の雷神が戦場に雷槌を放てば、鮮烈な雷光が宇宙の暗闇を煌々と照らした。

艦隊と艦隊とがメガ粒子をバラ撒き合い、MS達が互いを爆殺し合う輝きは美しい。

星々と太陽の輝きに負けぬ程に命が砕ける輝きは虚幻の美に満ち、

そしてその綺羅星の中で悪鬼の如き2機のマシーンは互いを殺し合っていた。

 

「ははっ、ははははッ!

このゲンガオゾよりも図体がある割に、よくもちょこまかと私から逃れる!」

 

「っ!背中の奴は時間差で撃てるというのか…!面白いオモチャだ!」

 

ゲンガオゾのバックエンジンユニットから撃ち出される五筋の強力なビーム。

それはユニットに組み込まれている

5基の3連装マルチプル・ビーム・ランチャーによるものだが、

これは実に多彩なモード切り替えを誇る。

今しがたヤザンに見舞った、

5基を時間差発射させる事によるビームマシンガンの如き怒涛の連射。

次に、出合い頭に使用した網の目のように広範囲を無差別に焼き払うシャワー(拡散)ビーム。

他にも、15発同時発射によるハイメガ級の極大ビーム。

それら強力で多彩なビーム射撃は、

全てが変速・拡散域が調節可能なV.S.B.R.(ヴァリアブル・スピード・ビーム・ライフル)であるのが尚更脅威を増加させる。

モーションも、射撃部の機構変形や位置も変化する事無しに、

ビームの連射速度、攻撃範囲、

そして撃ち出されるメガ粒子そのモノの速度や面破壊力、貫通力…

全てが変わるのだから回避は至難であった。

ヤザンでさえも華麗に完全回避とはいかない。

 

「チィ…!これがヴェスバーという奴か!」

 

アビゴルが高速の鋭く切り裂く貫通性ヴェスバーを避ければ、

その回避先に低速・低収束の面破壊性ヴェスバーが機雷のように()()される。

 

(っ!こいつ!)

 

宙に投げ出された猫のようにアビゴルのボディを捻らせると、

装甲をチリチリと焼くほどの際どい場所を低速ビームが通過した。

剛健なアビゴルのフレームが軋みそうな程の動きは、

同乗しているペギーへ存分に痛みを齎して彼女は小さく呻いているも、

悪いが今はそれは二の次であった。

が、二の次にしているつもりだがやはりヤザンの動きにはキレが無い。

 

「俺の動きを読んだというのかァ!?」

 

故にゲンガオゾに読まれた。

口内で小さく舌打ちをしつつヤザンはアビゴルの頭部ビームを幾らか撃ち返してやるが、

それらの出力は絞られており弾幕重視の牽制でしかないのは明白で、

それはアビゴルのビーム残量が心許ないが故のなけなしの工夫だ。

しかしその弾幕もゲンガオゾは嘲笑うかのようにそれらを悠々と躱しきる。

ヤザンに苦しそうにしがみつくペギーは、

自分が上官の重荷になっているとはっきりと自覚するのだった。

 

「た、隊長…私に、構わず…、っ、はぁ、はぁ…ぐっ」

 

「黙っていろ!」

 

肩で息をするペギーを黙らせ、またアビゴルの身を撚ってアクロバットを決めれば、

その肢体を掠めてビームの嵐が通過していった。

 

(くそ…撃ち合いは分が悪すぎる!

格闘に持ち込んで一気に仕留めるか…!?いや、ペギー()保たん…!)

 

〝ペギーも〟という事はそれ以外にも保たないモノがあるという事で、

それは連戦が祟ろうとしているという事だ。

アビゴルは巨体に恥じぬパワーを誇り、その出力や推力は段違いだ。

第1期第4世代、ZZガンダム(ハイエンド・マシーン)級の出力をそれよりも遥かに軽量化したボディで叶えており、

単純なパワーは当代のMS達の中でも現状、No.1と言える。

大型パワータイプMSはパワフルにスラスターを使っての一撃離脱戦法や、

強力なメガ粒子砲を使っての一掃攻撃等、

とにかく〝垂れ流す〟戦法を得意とする傾向にあり、それはアビゴルも同じ。

つまりはエネルギーの消耗が早い。

強力なスラスターパワーを誇るという事はそれだけ早く推進剤も消費するのは当然だった。

 

「ペギー…!あと5分、我慢しろ!」

 

ヤザンが言えば、ペギーは歯を食いしばり頷いた。

今はここまでとヤザンは判断せざるを得ない状況で、

これ以上の戦闘は己にただひたすらに不利だった。

 

〝機を見るに敏〟

 

ヤザンという男は攻め時も退き時も逃さない嗅覚を持っている。

衛星要塞を部下達だけに任すのは一抹の不安が無いと言えば嘘になるが、

部下達とて既に一端に育てたという教育係の自負もヤザンにはある。

 

「離脱する!歯を食いしばっておけ!」

 

ゲンガオゾから、毛細血管状に広がるビーム流がアビゴルの肩部装甲を吹き飛ばした。

アビゴルの巨体が衝撃に揺れるも、しかし損傷は極めて軽微。内部機構にダメージは無い。

各部アポジをフルに噴射させ続け、

回避行動を取りながらアビゴルを高速形態へと変形させていく。

それを見咎めるように、その時ゲンガオゾのセンサー・アイが鋭く光った。

 

「っ!逃げようというのかい!!

女の誘いを断るだなんてぇ…ッ!そんな無礼が許せるものか!!」

 

ファラが叫ぶのと呼応し、ゲンガオゾのコクピット内に鈴が鳴り響く。

ゲンガオゾの放つビームの矢衾を、

高速形態となったアビゴルは背後を見せつつも巧みな旋回軌道で致命傷を避けていく。

コンピューターの警告音は鳴り止まず、執拗に赤い明滅を繰り返していた。

フットペダルをベタ踏みするだけでなく、

速度にも緩急を付けてヤザンは必死に背後から迫る殺意をいなす。

 

「まだついてくるだと!?

あの新型のスピードは変形したアビゴル並みだとでも言うのかァ!!」

 

アビゴルが逃走に全スラスターパワーを使っているのに、

背後の新型機は未だ追いすがってくるというからヤザンも驚きを隠せない。

しかし猛るヤザンの脳の隅の冷静な部位の脳細胞は、

計器データから僅かずつだが追跡者を引き離しているのを読み取った。

 

(ならばこのまま…!)

 

逃走は不可能ではないと判断し、逃げの一手のヤザン。

そして追うファラ。

アビゴルとゲンガオゾは激しい追走劇を演じ続けた。

 

「まだだ…まだまだいかないでおくれよ、ヤザン・ゲーブル…。

アンタはまだここで私と踊らないとさ…?ね?ふふふ、ふ、ふ」

 

ねとりと纏わってきそうな蠱惑的な声で怪しく呟くファラ。

くすり、くすりと笑いながら女は男を追う。

()()()()気配が背後から襲い続ける不愉快にヤザンの顔も歪む。

オールドタイプであるヤザンだが、圧倒的な野生の本能が彼にそういった感覚を匂わせた。

 

「不愉快な感覚だ…こいつは…ニュ、ニュータイプだとでも言うのか…!

チぃッ、味方にもニュータイプがいれば敵さんにいてもおかしくはないがな!」

 

戦場のプレッシャーというものを味わうのは久しい。

この感覚は冷凍睡眠から目覚めて以後、味わう事の無かったモノで、

しかし冷凍刑となる前には戦場でまま経験した感覚で寧ろ懐かしさすら僅かに去来する。

それを考えると、やはり彼が生きた本当の時代…

グリプス時代の戦場はおかしなレベルの戦場だったと言っても過言ではないだろう。

MS戦法が確立。連邦内でもMS教導隊が組織されモーションが次々に更新・最適化され、

右を見ても左を見ても、一年戦争とデラーズ紛争を生き延びたベテランが闊歩し、

ニュータイプと呼ばれるパイロット適格者も、ヤザンが知るだけで

アムロ・レイ。クワトロ・バジーナ(シャア・アズナブル)。ハマーン・カーン。

そしてパプテマス・シロッコとカミーユ・ビダン。

強化人間も入れればもっとヤザンは名を挙げることが出来るが、

つらつらとこれだけの名が挙がるのは恐ろしい事だった。

 

(まさかこんなレベルの敵にまた会えるとはな!)

 

そしてヤザンの感覚ではこの敵は〝グリプス級〟であると思えた。

こちらが万全ならばこの出会いを歓び楽しみたい所だが、

現状では背後のマシーンとの遭遇はただただ面倒なだけだ。

ヤザンは、高速形態のアビゴルを戦闘機のように

ロール、ヨー、ピッチとを使い分けて迫るビーム嵐の直撃を避け続けて、

その様は戦闘機が円舞をしているようにも見えるが、

ヤザンのそれは荒々しさに満ちてまるでフラメンコのように情熱的だ。

 

「えぇい…!ビーム・ネットがまだ残っていれば…!」

 

本来はこういう時の為の足止めのネット機雷を、初手で攻撃に使ってしまったのも手痛い。

コクピット内に再現された合成音が、

至近弾の轟音を鳴らし聴覚からヤザンへ警告すれば、

アビゴルの装甲にまた一条のメガ粒子が掠り焼けて溶ける。

ゲンガオゾのハイテクノロジーの測距装置と照準装置がアビゴルの機影を捉えつつあり、

ファラの引き金にかかった指がうずうずと小躍りしているのは彼女の心境そのままだろう。

 

「ははは、踊れ踊れ…あぁ上手いじゃないか…ケダモノのワルツだ…うふふふ。

メッチェの相手はお前にして貰いたいんだよォ…踊るんだ…!私の腕の中で!!」

 

ファラの瞳孔がモニターの中で乱舞するアビゴルに釘付けになっている。

彼女は瞬き一つせずに、

猛烈な速度で眼前を疾駆する緑のマシーンを食い入って見つめていたが視界の端に写る

相対速度差からコンピューターが自動計算したデータがファラを苛立させる。

 

「逃がしゃしないと言ったろ!」

 

バックエンジンユニットの加速を加味しても、このままでは徐々にアビゴルに差を開けられる。

今、食い付けているのはファラの操縦技術と、

何よりヤザンが何かに気を取られ続けているからだというのがファラには分かった。

パイロットの昂りを感じ取るサイコミュ・マシーンが三つの瞳が紅く開く様は、

まるでMSの目が血走っているようにも見えて凶相そのものであった。

 

「そういう事か…!他の女を膝に乗せて私と踊ろうとしたぁ!?

そんな不貞を!!女に恥をかかせるのかお前はァァァァ!!!!」

 

憎悪を一瞬で燃え盛らせて、その感情をビームへと乗せて一気に放つ。

今までのからかい甚振る攻撃ではない。

激高に駆られての殺意の一撃だった。

 

「ぐっ!?ペギー、舌を噛むなよ!!」

 

「…っ!」

 

男に必死にしがみつき、無言でコクコクと頷くペギー。

コクピット内をレッドアラートの点滅が覆っていく。

ゲンガオゾのヴェスバーが、アビゴルの背中を抉った。

爆発が起き機体が揺れる。

アビゴルのメインスラスターがダウンしていく。

 

「ペギー…悪いがここでやらざるを得んッ!覚悟だけはしておけ…!」

 

ヤザンはもはや覚悟を決めるしか無い。

部下を思い遣っての逃走はもはや無理だった。

背中がスパークしているアビゴルではもう逃げ切れないと瞬時に判断すれば、

ヤザンはアビゴルを瞬間的にMS形態へと変じて、一気に突撃した。

急激な慣性がパイロットへとかかり、ペギーが呻く。

彼女の傷を覆う救急パッドに滲む赤が濃くなっていき、

彼女の息も間の短い荒さを増すが、それでもヤザンはもうそれに構ってやれない。

 

「っ!向かって来たか!!はははっ!!

そうだよ!そんな女は捨てて私に来い!!」

 

急激な変形とターンを決めたアビゴルを見てゲンガオゾが歓喜に震える。

嵐のようなビーム弾幕をすれすれに掻い潜ったアビゴルが

ゲンガオゾの懐へとその巨体を滑り込ませた。

剛腕で殴り込むように、

敵MSのボディへと拳を突き立てんとするアビゴルの手でビームカタールの光が煌めく。

 

――バチッ

 

激しいメガ粒子のスパークが2機のMSの間で輝いた。

飛び散る破壊エネルギーを秘めた粒子がMSの装甲を小さく焼いていく。

 

「仕留めきれんか!!いい腕をしてやがる!」

 

必殺の間合いだった斬撃はゲンガオゾのビームサーベルが止めていた。

ファラが愉快の感情に表情を崩す。

 

「ははっ!!そういう声か!思ったよりいい男じゃないか、ヤザン・ゲーブル!」

 

「っ!?また女だと!!」

 

「うふふ…!そうさ、私は女さ…一緒にイイ事をしようじゃないか…!」

 

右手で鍔迫るゲンガオゾだが、

これが搭載予定のビームメイスであったならヤザンは致命傷を負っていたかもしれない。

だがそれは現状、ファラにしても無い物ねだりでしかない。

ゲンガオゾは空いた左手にビームサーベルの柄を握ると、

素早い二刀流で逆袈裟をアビゴルへ仕掛ける。

迫るゲンガオゾの左腕を目ざとく見つけたヤザンがそれを咎める。

 

「させるか!」

 

「っ!」

 

身を退くでなく、寧ろ体全体をねじ込むようにタックルを食らわすとゲンガオゾの体が浮く。

バックユニットを含めてもパワーはゲンガオゾが僅かに劣り、

また機体重量も軽量コンパクトにまとめられた分、アビゴルに格闘で押し負けがちだ。

その一瞬の隙がエース同士の攻防では極めて重要だった。

 

「貰ったァ!!」

 

アビゴルの片腕が、襟から取り出したビームサイスを2本接続の本来の大鎌ではなく、

片刃の小型鎌で展開し高速で振り下ろす。

 

(…!この殺気…!ふふ、アハハハッ!)

 

だがファラはアビゴルが腕を振り下ろす寸前にヤザンの殺気から軌道を読んだ。

ゲンガオゾを急速に落下させて下へ滑れば、

アビゴルの鎌はゲンガオゾの肩を掠めただけであった。

足元からアビゴルを狙うゲンガオゾのバックユニットにメガ粒子の輝きが灯る。

後、コンマ数秒以内にはそれは放たれる筈だったが、

 

「ッ!?ぐぅ!!」

 

しかしヤザンはそれだけではない。

ヤザンの追撃が照準を大いに狂わす。

下へ潜ったゲンガオゾを踏みつけるように己も直下へと高速で降りて、

大きな足を腹に見舞えばゲンガオゾが更に下へ弾き飛んだのだ。

 

(蹴られた!?)

 

弾き飛ぶと同時にゲンガオゾから5連ヴェスバーが虚空へ伸びた。

アビゴルがまたゲンガオゾへと迫る。

距離を空けてはアビゴルが不利になると、ヤザンは理解していた。

 

「戦場でこうも女にうろちょろされるのは鬱陶しいンだよッ!!死にな!!」

 

「くぅ!?あはっ!あははは!ヤザンっ、やっぱりイイよぉ!!」

 

ファラをまた振動が襲う。

アビゴルが両手に持つビーム刃の光に目を取られる余り、

またアビゴルの蹴りを食らってしまう。

ビームサーベル光をまやかしに使ったヤザンにまんまとしてやられたが、

その程度ではファラも負けはしない。

ゲンガオゾの機体もまだ質量攻撃を二度食らっただけだ。

勝負はまだまだ圧倒的にファラのものだった。

 

「手癖の悪い足だ…お仕置きしてあげないとねぇ!!」

 

「っ!背負いものがッ!!?」

 

ゲンガオゾのバックエンジンユニットは合体分離機構を備える。

分離し、ブースターで加速させる事でそれ自体が質量弾頭となれる。

本来はこれもサイコミュ制御によって自在の軌道をみせるのだが、

調整が甘い試験段階では思ったようにファラでも操れないのはヤザンにとって幸いだ。

単純な突撃機動で真正面からアビゴルに迫るだけだったが、

ヤザンの意表を突いたのは間違いない。

先の幸運とは逆に、格闘戦を逃したくないアビゴルを突っ込ませていたのは不運と言えた。

今度はヤザンが衝撃に揺らされる。

バックユニットがアビゴルの頭に直撃し、センサーの一つと頭頂砲がひしゃげた。

 

(ダメージは…!右目と頭部ビームキャノン!?チッ!)

 

ほぼ本能でダメージを確認すれば、

身体に染み付いた戦場の癖が勝手に機体を持ち直してくれる。

しかし、

 

「はァァァっはっはっはぁーッ!!」

 

普通ではない笑い声を響かせた雷神がサーベルを両手に突っ込んできていた。

 

「こ、こいつ!」

 

ヤザンはアビゴルのスラスターを直感的に全開にし逃れようと試みた。

だがその時に己にしがみつく女から「カハッ」という掠れた声が聞こえ、

ヘルメットの内に赤い点が張り付くのが嫌でも視界に入ってしまった。

 

(…!)

 

戦場で生き残る為にはある程度の味方の損害は許容の内。

部下も仲間も皆、戦いの中での死など日常の一コマであったが、

しかしそれでも目の前で部下が瀕死の喀血などすれば、

ヤザンの足先がフットペダルを踏み込むのをコンマ秒以下で躊躇ってしまった。

 

「私との戦いでッ!!他の女に気を取られるなと言ったろう!!!」

 

ファラが二刀流を振り切り、

アビゴルの両足が宙を舞う。

 

「なんだとォ!!?」

 

「私から気をそらすからそうなる!」

 

いつの間にかゲンガオゾの背に戻っていたバックユニットが、メガ粒子を湛えて光る。

その瞬間に、二人の戦いに異変が起きる。

二人の戦場の後方…タシロ艦隊本隊辺りで派手に信号弾が光ったのだ。

 

「…なにぃ…?すぐ戻れというのか、タシロ!

私とメッチェが、こいつと踊ろうというのを邪魔するなんて…!」

 

背後の光信号に気を取られて意識を反らしたと同時に、

上方からのビームの連射という横槍までが入ってゲンガオゾの邪魔をした。

 

「っ!タシロ以外にも私の邪魔をする!?」

 

ゲンガオゾがそちらを向けば、

そこにはオレンジイエローのMSが長物から怒涛のビームを撒き散らしていたのだった。

 

「シャ、シャッコー!!!シャッコーだとぉ!!?」

 

ファラは声を荒げた。

彼女にとって、そのMSは忌まわしき存在だ。

シャッコーが行方不明になってから彼女の人生の転落は始まったのだ。

そして、愛しいメッチェを叩き潰したMSでもある。

 

「あ、ああああっ!?お、お前!お前はっ!!」

 

ゲンガオゾが狂ったようにシャッコー目掛けてビームを撃ち返し始めて、

しかしそれらの狙いは酷く精彩を欠くものだ。

 

「く…!何なのよ…その弾幕っ!MSレベルのものじゃないでしょう!」

 

カテジナはそれらをアポジの華麗なステップで避けていき、ビームシールドでいなして散らす。

だが、精彩を欠いていてもゲンガオゾとファラの脅威は極めて高い。

未だ未熟なカテジナにとっては、それは猛攻と呼ぶに相応しい。

見る見るうちにシャッコーは被弾していくが、辛うじてカテジナは致命傷を避け必死に反撃。

 

「お前はメッチェの血を啜って生きるモビルスーツだ!!

シャッコーの首は刎ねなければならないっ!

首を刎ねればもうお前の幻影に脅かされることもなぁぁいッ!!!」

 

ゲンガオゾは射撃精度だけでなく、回避も鈍くなってきている。

ファラの錯乱が始まっていた。

カテジナとファラは互いにダメージを追う泥沼の如き射撃の乱打戦の中に落ちていき、

そして、そんな醜態を手負いの獣の前で晒すとはこういう事だった。

 

「カテジナめ…!いいタイミングで来やがった!後で可愛がってやらんとなぁ!」

 

ヤザンは凶悪に笑いながら、両足を失いながらも残ったスラスターで猛烈に寄り、

そして大鎌を薙げばゲンガオゾの両腕の肘から先が呆気無く失われる。

 

「っ!こ、こいつら…!く、ぐぅぅぅぅ!!

ヤザン…シャッコーっ!お、お前達は…お前らはぁぁ!!!

ぐぅ、ああぁぁぁ、す、鈴の、音が…聞こえない…!聞こえないよ…助けてっ、メッチェ!」

 

ゲンガオゾのコクピット内で、ファラの付けたサイコミュ・デバイス()が音色を止めていた。

急造の調整品の限界か、或いは戦闘の衝撃での破損か、

どちらにせよ機体もパイロットも、その装備品も調整の甘い試作品の域だったらしい。

狂ったようにビーム・ランチャーを連射しまくり、

シャッコーとアビゴルのセンサーが焼き付きそうな雷光を放ったゲンガオゾは、

その閃光を目眩ましとしカテジナとヤザンを捨て置いて一目散に戦場を離脱して行く。

 

「逃げるの!?…なんて足の速い!」

 

背を向けて急速に小さくなっていく敵MSへ、

カテジナはフェダーイン・ライフルの狙撃を何発か見舞ったが

当然のようにそれらのビームは背を向けたままのゲンガオゾはひらりと避けて、

まるで何事もなかったかのようにとうとうセンサーからロストする。

小さく舌を打つカテジナだったが、今は敵を追い払えただけで良しとすべきと彼女も分かる。

 

「ヤザン!」

 

そして追い払った敵に等もう興味がないとばかりに

脇目も振らず破損著しいアビゴルへ寄った。

 

「カテジナ…貴様、ビッグキャノン叩きはどうした」

 

そうヤザンに言われるも、カテジナは予想していたとばかりに胸を張って答える。

 

「そっちはウッソ達がやっているわ。今頃、ビッグキャノンに取り付いている筈よ」

 

「なるほどな。通りで敵さん、慌てて逃げていったわけだ。

その様子なら、オリファーとマーベットは予定通り合流できたようだな」

 

「ええ、予定外はあなたの合流失敗だけよ」

 

カテジナのその言葉に少々棘がある。

ヤザンは苦笑した。

 

「許せ。戦場は予定外だらけなんだよ」

 

「だから!そんな女捨てておけばよかったのに!」

 

既にシャッコーの接触センサーでアビゴルの機内の様子はある程度認識している。

コクピット内に二人分の人間大の熱源があるのは分かっているから、

ペギー救出は成功したのだろうとは予想できた。

その上でカテジナは批判しているのだった。

実際、ペギーが死んでいたら

流石の彼女もその件については内心でどうあれ口を噤んだだろう。

またヤザンは口の中で小さく笑う。

 

「オリファーにさぞわがままを言ったんだろう?

単独で俺を捜索するなどという無茶だ…半ば命令違反か?」

 

「最後にはきちんと納得させた。問題ないわ」

 

「フッ…まぁいい。今回ばかりはお前の跳ねっ返りに助けられた」

 

会話をしながらもシャッコーの手を動かし続けるカテジナ。

両足も喪失し、背部スラスターも半分死んでいるアビゴルは、

既に自力移動が困難となりつつあるからシャッコーの手助けがあるとありがたい。

なにせ推進剤もビーム(縮退メガ粒子)もすっからかんなのだ。

とはいえシャッコーもまた短時間ながらゲンガオゾと激しく撃ち合い、

既に機体はガタガタではあるものの、それでもアビゴルよりはましであった。

 

「ふふん…そうよ。そういう風に素直に感謝できるのは良い事よね」

 

声だけでいい気になっているのがありありと伝わる。

シャッコーに抱えられながら、アビゴルの中でヤザンは、

肩で息をし意識を朦朧とさせているペギーをようやく労ってやれていた。

息はまだある。

母艦で治療を受ければ、直様の復帰は難しいだろうが死にはしないだろう。

秘かに安堵し、カテジナへも釘を刺しておくのを忘れない。

 

「カテジナ、だがオリファーの命令にどうせ頑なに抵抗したんだろうから

俺が個人的に貴様に罰を与えてやる」

 

「は…?な、なによそれ?私はきちんとオリファーを言い負かしてやったんだから!」

 

だから命令違反ではないという事らしい。

 

「リガ・ミリティアは正規軍じゃないからある程度自由は利く…だがなァ!

総隊長の俺や、副隊長のオリファーに戦場で逆らうのはご法度なんだよ。

そんなのが繰り返されたら戦場での連携も作戦も無くなるだろうが」

 

「私が来なかったらヤザンが死んでいたかもしれないのよ!?」

 

「だからその功績も考慮してやるさ」

 

「…じゃあどんな罰だというの?」

 

「今晩は優しくは抱いてやらん…というのはどうだ?ハハハハ!」

 

「っ、ま、またそうやって人を馬鹿にする…!」

 

今回の戦闘はヤザンでさえ肝が冷える場面が幾らかあった。

こうして部下と軽口を叩く時が、ヤザンにとって一番安らぐ時でもある。

だが、贅沢を言えばここで軽口叩きあう部下や仲間はやはり男がいいとヤザンは思うのだ。

女も悪くはない。

良い女を欲するのは男の本能で、そういう女を抱けば男としての充足が得られる。

しかしヤザンにとって、やはり心の底から肩を抱き合う仲間は男であって欲しかった。

女と男ではどうしてもセクシャルな問題が良くも悪くも間に横たわって、

それがヤザンの求める仲間意識に一点、汚れを垂らす。

男同士女同士の恋愛も時折あるにはあるが、それはレアケースでまた別の話に過ぎない。

そういった価値観はもうヤザンという人間の感性の問題で、

男同士で馬鹿な話をツマミに酒で盛り上がりたいと思うのと似ているかもしれない。

 

「…光だ」

 

「ええ。…ウッソ達が上手くやったみたい」

 

アビゴルのバックモニターに、

断末魔のように白い光の柱を吹き上げたカイラスギリーが映っている。

誰もいはしない虚空に、溜めきった憎悪の破壊光を吐き出して、

いくつもの爆光に包まれていくカイラスギリー。

恐らく、オリファー達の攻撃によって暴発を誘発されたのだろう。

巨大砲台というのは見た目に反して繊細な兵器だから、

些細な攻撃でそういう事も起こり得る。

 

あの幾つもの爆発光はカイラスギリーそのものの爆発か、或いは近縁の艦船の爆発か。

何れにせよ、本隊が陣取っていたであろう場であの規模の爆発が起きているのなら、

もうこの戦いは完全に決まったようなものだろう。

 

「ウッソかオリファーか、マーベットか…。今回はあいつらが大金星だな」

 

ビッグキャノン阻止を堅実に達成させた功労者の部下を思ってヤザンは微かに笑い、

どうにかカイラスギリー攻防戦は良い結果に終わりそうだとようやく思えていた。

 



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魔獣の牙の折れる時

木星戦役以来の大規模宇宙戦、カイラスギリー攻防戦。

数時間に及ぶ戦闘はリガ・ミリティアの勝利に終わる事となった。

会戦結果を見れば、双方が失った艦艇やMSの数はほぼ同程度であるが、

ザンスカール帝国は倍の戦力と要塞で敵を迎え撃った上での敗北であるから、

撃墜対被撃墜比率(キルレシオ)を鑑みれば帝国は大敗と言える。

日の出の勢いのザンスカール帝国が、

ジブラルタルから続いて大規模戦闘に連敗したのは世界中に衝撃を与えた。

 

会戦終盤には艦隊を押し込み接舷戦法を仕掛けたゴメス艦長が、

タシロ艦隊旗艦スクイード1に白兵戦を仕掛けるまでに及び、

なんとその最新鋭艦を分捕るという荒業を成功させるに至る。

タシロ司令は張子の虎のファラ・グリフォンを最後の切り札と思っていたらしいが、

そのファラは帰還時には半ば錯乱状態にあり、

またゲンガオゾも両腕を失っていた事からエースとして機能をしなかった。

そしてタシロを恐怖させたのは、まさに無双の活躍をする白いMS…

リガ・ミリティアのVタイプの1機だった。

次々に本隊を固める精鋭のMS隊が撃破されていき、

まるでその様は連邦のガンダム伝説の再来を見ているようであった。

タシロの冷徹な顔が一気に崩れ豹変する。

 

「こ、こんな事が…!こんな事が起きるというのか…!

ガンダムだ!ガンダムを堕とせーーッ!!何をしている!ガンダムを撃ち墜とさんかー!!」

 

「タシロ大佐!もはやカイラスギリーは陥ちます!

このスクイードも既に食料区までゲリラが乗り込んでいるのですよ!?早く退艦を!!」

 

ゲトルを始め、複数の側近で席にしがみつくタシロを引き離そうという風景は、

中々面白い見世物であったことだろう。

 

「ぐ…!は、はなせ!まだ!まだカイラスギリーは陥ちない!

スクイードを渡すな!!徹底抗戦せよ!!最後の一兵まで銃を取るのだ!!」

 

「こんな所であなたと心中など!!司令は混乱しておられる!失礼!」

 

「ごふっ!?」

 

側近の誰かが、もみくちゃの中でタシロの腹を強打するとそのまま担げば、

皆、脱兎の如く駆け出して、司令部はその機能を完全に喪失。

残存する他の艦艇もMSも指示系統を失って混乱を極めた。

 

「スクイード2がカイラスギリーから離脱するぞ!?」

 

「スクイード1が墜ちた!?タシロ司令が戦死だって!?」

 

「なんだ!撤退なのか!?」

 

「我、未だ抵抗戦力を保持!抵抗を許可されたし!!」

 

「だめだ!本隊が壊滅したらしいぞ!」

 

「あの光、カイラスギリーが墜ちた!爆発するぞ…!全機撤退せよ!!」

 

ベスパのMS隊は、現状を正しく認識する事も出来なくなり、

それぞれが現場での判断を余儀なくされて、

一隊が撤退を始めると雪崩を打って戦線は崩れた。

こうしてタシロ艦隊は、

象徴的な要塞と新大型旗艦双方を奪取されるという手痛い敗北を喫したのだ。

 

 

 

帝国の被害は実数以上に名誉的な意味でも甚大と言えて、

目に見える以上に帝国のダメージは大きい。

元々、地上での敗戦を受けて燃え上がっていた反ザンスカール運動の炎が、

その敗戦を更なる薪として燃え滾ってしまった。

 

親ザンスカールであった独立コロニー国家のマケドニア・コロニー等が音頭をとって

サイド2内からさえあからさまな離反者が出る始末だ。

しかもカイラスギリーは損傷したものの発射可能な状態で奪取されたらしいという情報も、

帝国幹部陣の顔面を蒼白とさせた。

今やザンスカール帝国の勢いは、建国当初の物と比べ物にならない程鈍ったのだ。

とはいえ、そもそもザンスカールのMSの質も量も他のスペースコロニー軍を圧倒している。

今回のカイラスギリー戦でも多数の新型が猛威を振るったように、

その生産力と技術力は脅威の一言で、

また士気の低下も女王マリアのカリスマが問題を解決してしまう。

狂信者化されている多数のベスパ兵は頑強な精神で尚健在であり、

今も世界の何処かではマリア教の信者は数を増やしているのだ。

 

連邦軍が本気になって動き出せば、

宇宙軍だけで10以上の艦隊を持つ連邦は帝国を物量で圧殺できるともっぱらの評判であり、

それは実際正しいだろうし、

リガ・ミリティアはその連邦軍を動かしたくて抵抗運動を煽っている。

しかし敵も味方も、民間人でさえ知っているこの時代の常識がある。

〝連邦軍は動かない〟というのはもはや動かしようもない事実だった。

リガ・ミリティアがこれだけ戦勝を喧伝しても、

連邦軍はムバラク艦隊以外は欠片も動く気配を見せず、

軍人としての責任感のある連邦兵はもはや皆ムバラク艦隊かバクレ隊に合流したから、

これ以上は連邦軍の活動は無いと証明されたと皆思っている。

眠れる巨人は眠ったままであった。

 

まともに帝国に太刀打ち出来、かつ積極的に動く勢力はやはりリガ・ミリティアだけ。

そのリガ・ミリティアも、連戦連勝とはいえ無傷ではない。

特にカイラスギリー戦では少なくないMSを失い、主力パイロット達も多数負傷した。

 

「カイラスギリーな…すぐには撃てんぞ。修理が必要だな、こりゃ」

 

とはロメロ爺さんの言葉。

カイラスギリーの砲撃を頼りにしていた感のあるリガ・ミリティアとしてはこれは手痛いが、

しかし修理すれば使えるのだし、砲撃能力を喪失していても宇宙要塞としての機能はある。

 

「だがこのカイラスギリーは基地としても素晴らしい。

月の同志とも連携が取りやすくなるし、ここは一大拠点になれる」

 

オイ・ニュング伯爵はカイラスギリー要塞をリガ・ミリティアの最前線基地とする事を決定。

基地機能の拡張も、リガ・ミリティアの手によって積極的に行われる事になるが、

それと平行して必ずやらなければならないのが主力の立て直しであった。

 

「アビゴルもシャッコーも、ここまでダメージを受けたらリペアにはパーツが丸ごと必要です。

ザンスカールMSの規格は主にサナリィ系ですから、

簡単な修理なら我々でも出来ますが、パーツ交換となると…」

 

メカマンのリーダーをやっているストライカーが渋い顔で言うと、

ヤザン達パイロットの顔も曇る。

無理を承知で、ヤザンはまたストライカーへ嘆願する。

 

「正直、ヴィクトリーやガンイージよりも良いMSなんだ。

特に俺と相性がいい。何とかならんか」

 

何度かVタイプやイージータイプにも乗った事はある。

ガンイージのテストにはヤザンも参加していたのだから当然だ。

悪くないMSだが、それでもザンスカール製の方が洗練されていて、

何よりもヤザンの嗜好に合致し、痒い所に手が届くMSなのは皮肉にも敵のMSだった。

ストライカーも、リガ・ミリティアの要であり、尊敬するパイロットの要望は叶えてやりたい。

しかし、やはり無い袖は振れない。

 

「戦場で、出来るだけベスパのMSのデブリは拾ってるんです。

そこから使えそうなのをパーツ取りはしてますが…」

 

「難しいか?」

 

「ええ…そうなります。

特にアビゴルは大型の特殊機ですから…ゾロアットの残骸からパーツ取りが出来ません。

一応、今回確認された敵の新型の残骸は一式拾えましたから

あのピンクのカニMSは復元出来そうですがね」

 

回収した残骸から引き出したデータから判明したそいつの名はコンティオ。

状態の良いパーツを拾い集めたとはいえ、

そこからコンティオを組み立てられると豪語するストライカー率いる整備陣は、

さすが節操なく何でもやってみせるリガ・ミリティアの誇る凄腕整備班だ。

敵の兵器は自分のもの、と言わんばかりである。

ヤザンがリガ・ミリティアに参加してからそういう事への貪欲さが、

他のメンバーにも伝搬したようにも見える。

 

「あいつらか…悪くなかったが…」

 

桃色のハサミを振り回す敵新型を思い出せば、まぁまぁの敵だったという印象が蘇っていた。

アビゴルと比べると目劣りするかもしれないが、

それでも今更Vタイプに乗るよりはマシかもしれないとヤザンは思う。

 

「シャッコーはどうなの?」

 

ヤザンの横で話しを聞いていたカテジナもそこに交じって言った。

ストライカーはやはり難しい顔だ。

 

「シャッコーもきついな。

フレームは丸ごと無傷なんだが、傷んだパーツをイージーので代用しているからな。

純正品が無いから段々とカタログスペックが発揮できなくなっている。

設備のあるところでオーバーホールして…こっちの系列のパーツに組み直したい所だ」

 

そう、と小さい声でカテジナも顔を曇らせた。

問題は多い。

総隊長のヤザンも、激戦を制したものの部隊の有様には決して楽観視出来ない。

 

「隊長、やはり月で補給と休養、取らせちゃもらえませんかね」

 

オリファーが腕を組みながら提案をする。

ヤザンもそうしたいのは山々だ。

 

「だが敵は待っちゃくれんぞ。うちら以外にも前線を支えられる戦力があればな…。

交代して休ませて貰いたいがそうも言ってられんだろう」

 

自分達の置かれている状況は良いものではない。

勝っても勝ってもこっちはジリ貧だ。

マーベットもポツリと言った。

 

「せめて、連邦軍が動いてくれれば…」

 

その言葉を聞いてウッソが素直に疑問を呈する。

 

「ムバラク艦隊ってのが、動いてくれているんじゃなかったんですか?」

 

「動いているが、サイド2周辺での偵察に終始している。

ムバラク・スターンって人はさすが名将と呼ばれるだけあって慎重だよ。

まっ、考えなしに突っ込まれて各個撃破されるよりいいんだけど…

もうちょい積極的に動いて欲しいよな」

 

オリファーがウッソに答えつつも不満を滲ませる。

ジュンコも同意の不満だったようで、その言葉を継いで言った。

だがその不満は恐らくリガ・ミリティア全員の共通項だろう。

 

「お陰でペギーもマヘリアも入院が必要な程にやられたわ。

コニーだって手傷を負った。

…すみません、ヤザン隊長。シュラク隊ばかり負傷者を出してしまって」

 

「そいつはお前のせいじゃない。

…元々シュラク隊にはいつも戦線の要を支えてもらっていたからな…無茶がたたった。

お前達のお陰で俺が最前線で考え無しに暴れられていたんだ。

感謝こそすれ、お前たちが謝るような失態じゃない」

 

シュラク隊は、ヤザンの言葉通りいつも縁の下の力持ちをしてくれていた。

攻め手はヤザン隊。守備のオリファー隊。

シュラク隊は、時に攻め手、時に守り手のサポートを行い、

遊撃隊的な性格の万能のサポート隊だったのがシュラク隊で、

その使い勝手は非常に良かった。

だからヤザンの方こそ内心ではシュラク隊に申し訳なくも思う。

いつも華を譲って貰っているようなものだったからだ。

 

「そう言って貰えると、マヘリア達も浮かばれますよ」

 

ケイトが明るい顔でヤザンに言えば、ヘレンが「まだ死んじゃいないでしょ」と笑って言う。

こういう縁起でもない冗談も、生きていればこそ叩けるというもので、

シュラク隊の面々も命懸けで、戦場でペギーを拾ってくれたヤザンには恩義を深めている。

それに頼られるのも嬉しいものだ。

 

「ヤザン隊長になら酷使されても構わないですけど…

シュラク隊も実質戦力半減ですし…やはりそろそろ本格的な補給は欲しいですね。

ガンイージじゃ敵の新型に対抗しきれません。

月の工場ではこちらも新型を用意してるってんでしょう?尚更、月行きは必要です」

 

ジュンコが真面目な顔でそう締めた。

パイロット達も、メカマン達も皆頷く。

そのように現場チームが全員で唸っている時に、ハンガーにやって来た者がいる。

 

「皆ここにいたか。丁度いい、聞いて欲しい事がある」

 

白髪の目立つ逞しい老人、オイ・ニュングであった。

チラリと見て、ヤザンが軽い口調で彼を出迎える。

 

「どうした伯爵。連邦でも動いたか?」

 

「ほお、耳が早いな隊長」

 

「…なんだと?」

 

半ば冗談で言った事だったが、どうやら当たっていた事にヤザンも他のパイロットも驚いた。

マーベット等、大きい声でもう一度オイ・ニュングへ尋ねる程だ。

 

「それ、本当なんですか伯爵!?とうとう連邦が!?」

 

「ああ、サイド4がな。駐留艦隊を動かしてくれたぞ!

あそこは30年前のコスモ・バビロニア建国戦争を経験しているし、

あの木星戦役の英雄、

キンケドゥ・ナウの出身地でもあるから危機意識が比較的高かったのだと思う。

動いてくれたよ!」

 

パイロット達の顔が明るくなる。

伯爵の声もいつもよりは抑揚に富んで陽気さがあったのは、やはり嬉しいのだ。

ヤザンもニッと笑ってオリファーの肩等を組んで相棒を揺さぶる。

 

「やったな…とうとうムバラク艦隊以外も動いた。

これで帝国も他の艦隊から完全に目を離す事は出来なくなった…!」

 

「はい!俺達のやってきたこと…無駄じゃありませんでした…!」

 

大きく笑いながらオリファーも上司の肩を抱き返す。

地上で、廃墟に隠れ、森に隠れ、隠れネズミになって泥にまみれたのは無駄ではなかった。

もともとムバラクの名は高かったし、その艦隊は宇宙戦国時代でも有名で、

有事の際には動く実働部隊として知られていたムバラク艦隊以外が動いたという事情。

これは非常に大きな事だ。

ヤザンの言う通り、これでザンスカール帝国は

ムバラク艦隊以外の動向にも注意を払う必要性が出てきたからだ。

 

「フロンティア・サイドというと…昔のサイド5か。

ルウムの連中め、根性残していたか!ははは!」

 

笑うヤザンを見るウッソもカテジナも、つられて笑っている。

それぐらいに、ここまで喜ぶヤザンというのはレア物だ。

 

「うっれしそうだねぇ、隊長と副隊長」

 

ヘレンが、見てるだけでこっちも幸せとでも言うようにやはり笑顔で二人を見るが、

それは他のシュラク隊も、そしてマーベットも同じ。

整備班までも男臭く騒いで抱き合って喜びだしていて、

整備士の中にはどさくさ紛れで

シュラク隊やカテジナに抱きつこうとして()()()()()る者までいたのは、

こういう場面ではただただ微笑ましい。

オイ・ニュングも皆と心を同じくして笑い合っていたが、

やはり彼は指導者だから機を見て大きな咳払いをすればその場を収め、こう言った。

 

「本来ならば、この機を逃さずに私達カミオン隊も動くべきだが、

ジブラルタルからこっち、ろくに休むことも出来なかった。

フロンティア艦隊が動いてくれている間、私達は月に向かおうと思う」

 

ジュンコが期待に満ちた目で「月ってことは…」とその言葉の続きを待つ。

伯爵が頷く。

 

「そうだ。セント・ジョセフで、月のリガ・ミリティアの支援を受けられる猶予が出来た。

受領予定だった新型もそこで受け取る事になった。

各クルーはそこで半舷上陸も出来るぞ」

 

そこでまた歓声が起きた。

だが、ヤザンもオイ・ニュングもそれを咎めはしない。

寧ろ、ここまで碌な補給も休養もなく、常に最前線で命を張っていたのだから、

この程度許されなければ嘘だろう。

皆、一様に「都会で遊べる!」「命の洗濯だ!」「貯まったクレジット使い果たすぞ!」

等と大騒ぎをするのだった。

マーベットもオリファーをヤザンから取り返して手を持って共に喜んでいるが…。

 

「あれ?」

 

しかしオリファーは2年以上も付き合っている恋人だからパートナーの様子に気付き尋ねた。

 

「どうしたマーベット。半舷上陸だというのに随分控え目な喜び方じゃないか」

 

「だって、ねぇ…セント・ジョセフって事はあの人がいるでしょ?」

 

マーベットは苦笑いを返し、少し言い淀む。

 

「あの人…あぁ、先輩か」

 

そして思い至ってオリファーも同じような顔になった。

シュラク隊にもみくちゃのされて共に喜び、

今はシュラク隊がヤザンに向かってカテジナと取り合いを始めた為に解放されたウッソが、

意味有りげに苦笑う二人へ興味を抱く。

 

「お二人にも苦手な方がいるんですね」

 

「あぁウッソ。うーん…そうね…悪い人じゃないんだけど。ちょっと過激というか」

 

困った顔のマーベットが、その者をどう評したものか迷っているようだ。

 

「どんな方なんです?」

 

温厚で常識人なマーベットが少し苦手という人物にウッソは逆に興味が湧き更に聞くと、

今度はオリファーが、やはり少し困った顔で言ってくれる。

 

「そうだなぁ。…技術者として超一流だよ。リガ・ミリティアのMS開発には全部一枚噛んでる。

あと、それ以外にも破壊工作とか…

俺達リガ・ミリティアがゲリラ屋とかテロリストって言われる所以ここにあり!って人だな」

 

「テロリスト…ってなんだか物騒な人ですね」

 

「実際、そういうちょっと過激な人だ。

ウッソもセント・ジョセフの工場に着いたら注意した方がいいな」

 

「ヤザンさんよりも過激なんですか?」

 

やや心配そうにウッソが言えば、マーベットとオリファーはプッと軽く吹き出した。

 

「ある意味そうだな。

ヤザン隊長に真正面から噛みつける女性はあの人ぐらいじゃないか?」

 

ウッソの顔がさらに神妙となる。

そして恐る恐るその名を尋ねれば…。

 

「うわぁ…僕も気をつけます。なんて方なんです?」

 

「ミューラ・ミゲルという人だよ」

 

「…ミューラ?…え?」

 

ウッソは言葉を失い、しばし唖然となってしまう。

 

「どうしたの?ウッソ」

 

「まさか知り合いか?」

 

マーベットとオリファーの言葉はまさにドンピシャというやつだ。

点となっていたウッソの目が、次の瞬間には見る見る大きくなっていた。

 

「そ、その人の事!もっと教えて下さい!!」

 

「ど、どうしたの急に」

 

「その人!ミューラ・ミゲルって僕の母ですよ!同じ名前なんです!

きっと…僕の母さんなんですよ!」

 

マーベットに縋り付くように必死の視線を向けてくる少年に

マーベットとオリファーは言葉を失い、互いの顔を無言で見合わせていた。

 



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ラビアンローズでの獣の夜

接舷し白兵戦を強行したリーンホースの損傷は激しい。

敵旗艦を仕留めた金星は偉大だが、

もはやセント・ジョセフまで満足に航行出来るレベルですら無く、

修復よりも新造する方が安く済む…という損傷具合だった。

物無し金無しのリガ・ミリティアだが、

さすがにこの状態のリーンホースならば解体もやむを得ない。

一方で、奪取したザンスカールの大型新鋭艦スクイード1のダメージは軽微だ。

ただ、この新鋭艦にも問題がある。

汚いのだ。

リガ・ミリティアの作戦のせいであるが、その内部は汚物だらけで見れたものではない。

白兵戦を行ったことでそこに血肉もある程度加わって、内部の凄惨さは酷い。

宇宙の海を征き、長時間変動の無い決まった人員達を押し込める閉鎖空間たる宇宙船は、

清潔さを保つのも非常に重要な事だ。

クルーの精神的なストレス、感染症などにも直に影響する。

それはコロニーも同じ。

宇宙に暮らす者は、伊達や酔狂で綺麗好きなわけじゃない。

そうしなければ命に関わるから清掃には気を使うのだ。

だが、その弊害というか、

そのように完璧にコントロールされた清潔空間で生まれ育つ人間…

つまりコロニー生まれコロニー育ちが人類の多数派になってくる事で、

記憶障害を負う前のクロノクルのように

地球の自然環境(土の匂いや風)に対して魅力を感じない世代が多くなり、

地球の魅力や価値が低下してしまうという思わぬ結果をも生んでいた。

 

「とはいえ、このスクイードは綺麗にしてやれば充分使えるぞ。

修理も少し必要だが、

リーンホースを解体してその資材を使えば船の魂という奴も受け継がれるんじゃないか?」

 

戦闘ダメージでボロくなったリーンホースの艦橋でオーティス老がそう提案すれば、

ゴメスは宇宙の海の男らしくそれを喜んだ。

 

「そいつはいい!リーンホースは形を変えて生きるってわけだ!

オーティスさん、あんた艦に生きる男のロマンってやつを分かってるな!」

 

艦長も喜んでいるのだから解体と修復は即座に行われる手筈が整って、

それらの作業によって多少の時間のロスとなるがそれは致し方ない事だった。

担当するのはドック艦、ラビアンローズⅣとそのスタッフ達。

ラビアンローズ級といえばアナハイム・エレクトロニクスを象徴する艦として有名で、

これは「リガ・ミリティアのバックにいる存在の一つにアナハイムがいます」と

宣伝しているようなものだが敗戦直後の今はザンスカールもそんな事に気が回らない…。

少なくともアナハイム本社はそう判断して手助けをしてくれるらしい。

 

リーンホース以外にもバグレ艦隊の殆どの艦が修理が必要で、

リーンホースは実質リガ・ミリティア軍の総旗艦的な艦であるから優先して貰えるらしいが、

ラビアンローズの修理は順番待ちの満員御礼、千客万来、商売繁盛…といった所。

またカイラスギリーの修復にもこのラビアンローズは活躍してもらう予定でもある。

 

「いやぁザンスカールのスクイード…良い船ですね。

ただクリーニングが大変でしたよ。トイレのタンクまで溢れかえって…おっと失礼」

 

修理と清掃の間、ラビアンローズの食堂を借りて食事中だったリガ・ミリティアのスタッフに、

アナハイム職員がそう漏らして嫌な顔をされたりしたりという小出来事もあったが

2~3日でリーンホースの〝転生〟は完了したのだった。

そしてその数日の間、ラビアンローズの別ブロックではやはり小出来事があった。

 

それは居住区画での事。

 

 

――

 

 

 

オデロ率いる子供組…ウッソ、シャクティ、ウォレン、クランスキー姉妹、

それにマサリク兄弟の弟の方…カレル達は皆で食堂での夕食を終えて引き上げる途中だ。

この一行にスージィとクロノクルがいないのは、

 

「いつもシャクティはカルルの世話で大変だから、たまにはさ!

ウッソとのんびりお食事しておいでよ~」

 

「そうそう。姉さんは艦内の炊事洗濯掃除に大忙しで、

下手したらパイロット以上に忙しいんだから息抜きは大事なんだ。

義兄さんとデートしてきなって!」

 

そういう事があって、スージィとクロノクルの精神年齢同程度コンビは

ハロとフランダースと一緒に自室でカルルの世話をしている筈だ。

 

(母さんの事もあんなに聞けたし…結局シュラク隊のおねえさん達も皆無事だったし…

なんだか、事がうまく運びすぎるってちょっと怖いな。

…でも、それもきっとヤザンさんが体を張ってくれているお陰なんだ。

あの人がいなければ、今回の戦いでもペギーさんとマヘリアさんは危なかった。

僕もヤザンさんみたいに、皆を守れる強い人になりたい…

そう思うのは、やはり僕が男って事なんだろうか)

 

今回の大会戦での勝利や、念願の母の情報もある程度知れたりで、

ウッソはその言葉に甘えてシャクティと二人でディナーを楽しんでいたが、

食堂でオデロ達と出会いその帰り…というわけであった。

取るに足らない雑談を交える子供達。

何という事もない、特別ではない時間。

戦争がなければ日常風景の一コマでしか無いそれは、

ウッソにも彼以外の子供らにとっても黄金よりも尊い。

和気あいあいとした長閑な空気すらそこにはあった。

ただ、彼らの会話内容がMSの性能だとかパイロットの強さのランキングだとか、

どこそこのコロニーでまたギロチンが行われたとか、

あの人の家族もベスパの人狩りにやられたらしいとか、

そういう戦争にまつわるものばかりなのは、これはもうそういう寒い時代という事だった。

そんな中でもシャクティだけはウッソ相手にカルルマンがゲップが上手になったとか、

夜泣きが減ってきたとかそういう話題で、

戦争関連の話からウッソと共に遠ざかろうとしているのは健気に見える。

とにかく、そのように子供らではしゃいでいたわけだが、

その中には一行と仲の良いトマーシュ…マサリク兄弟の兄の姿は何故か無かった。

 

「カレル、トマーシュの奴どこ行ったんだ?もうこんな時間なのに飯も食わずに」

 

「兄さんなら、ヤザンさんに何か頼まれたみたいで手伝い終わったら食べるって」

 

その時はそれで終わったのだが、

一行が子供達にあてがわれた客室へと向かう食堂からの帰りの廊下道で、

角を曲がった拍子に先頭を歩いていたオデロが急ブレーキを掛けた。

どしん、とオデロの背中に玉突き事故を起こす子供達。

 

「イテテ…なんで急に止まるんだよオデロ」

 

「ばかっ…!シー…っ!」

 

「むぐ」

 

鼻を打ち、抗議の声をあげたウッソの口をオデロが塞ぐ。

皆が小声で「なになに?」「どうしたのよ」「誰かいるの?」と廊下の角から頭を出し覗けば…

 

「…あれ?兄さんだ」

 

カレルの言う通り、そこには「忙しいから」と皆と食事を断ったトマーシュがいた。

しかも彼の目の前には金髪の美少女、ウーイッグのカテジナ・ルースの姿もある。

()()()()()への関心が高く、

なおかつ頭の回転が速いオデロはすぐに察しウッソの口を塞いだのだった。

そしてオデロの行動と表情を観察した他の子供らも、

宇宙戦国時代をしたたかに生きているだけあって察しが良い。

小綺麗な箱を後ろ手に隠し、頬をやや赤らめしどろもどろに、

時に上擦った声を出しながらカテジナに話しかけるトマーシュの姿は

一目で「そういう気なのだ…」と教えてくれる。

 

「あ、あれって…兄さん…ひょっとしてカテジナさんを?」

 

「おい声をもっと小さく!気づかれちまうだろ…!」

 

「うわぁ~…あの真面目なトマーシュが?信じらんないけど…

でも、確かにハイランドじゃあんなお嬢様ってタイプいなかったし…

トマーシュの趣味ってああゆーのなんだ」

 

カレル、オデロ、エリシャが興味津々に覗きつつ感想を漏らす。

ウッソとシャクティは「こんなの良くないよ」とか「良くないと思う」とか言いつつも、

やはり彼らと一緒に陰からトマーシュの恋の行方を見守っている。

 

「トマーシュが持ってるアレ…ラビアンローズの売店で売ってたスノードームだ」

 

「あっ…あれ私も欲しかった奴だ。可愛いのよね」

 

「…エ、エリシャさんはあんな感じのが好きなんですか?

お、俺で良ければ買ってあげれるけど!?」

 

「え?オデロ君が?でも…あれ結構な値段してたし…悪いわ」

 

「ちょっとオデロもエリシャさんも声が大きいよ…!見つかっちゃうじゃないか…!」

 

「わ、悪ィ」

 

「う…ごめんねウッソくん」

 

最近、ほんの少しだけ良い雰囲気になってきているエリシャとオデロを嗜めるウッソ。

さっきと立場が逆転しているし、それにウッソも結構ノリノリのようだ。

無理もない。

なにせ友人のトマーシュが狙う女性は、

カサレリアに隠れ住んでいた頃からの初恋であり憧れの令嬢なのだから。

それに実はウッソ少年には人にあまり言えない趣味…

ウーイッグ時代のカテジナを盗撮するというやや危ない趣味があり、覗き魔の才能はある。

もっと正当な理由を言えば…何よりも現在のウッソにとってカテジナ・ルースという人は

『尊敬する人』の恋人になるべき人だという認識だった。

あの人とカテジナという組み合わせだからこそ、

ウッソはカテジナへの想いを断ち切って素直に彼女の恋路を応援する気になれたのだ。

加えて、共に戦ってきてカテジナ・ルースがただのお嬢様でない事も分かってきた今、

トマーシュではカテジナを御しきれないだろうとも容易に予想できた。

温厚で誠実な人よりも、強引なまでの男らしさで捻じ伏せる…

それぐらいがあの女性には丁度いいし幸せになれるのだと頭の良いウッソには理解できる。

ニュータイプ的な感に頼らずとも分かる事だった。

 

「あ…」

 

シャクティが()()を見て呟く。進展があったようだ。

トマーシュの差し出した小綺麗なスノードームを、

カテジナはソッと押し返すようにしてトマーシュの胸へ突き返していた。

そして少し大きな透る声でハッキリと彼へ告げた。

 

「好意は嬉しいけど、私、あなたを男として見れる気がしないの。

まだお互い知り合って間もないけど…それが分かるわ」

 

ガックリと肩を落とすトマーシュに、カテジナは一言「さよなら」と告げて足早に去る。

廊下の陰に潜むウッソ達にまで届く、凛とした声だった。

あちゃぁ、という顔のオデロとウォレン。カレルもだ。

友人の失恋を、好奇心から覗いてしまった事に罪悪感を覚えるも今更だ。

何も見なかった事にして立ち去るのが大人の選択肢であり、優しさだろう。

ウッソやシャクティ、クランスキー姉妹はこのまま立ち去ろうとしたのだが…。

大人びた彼らの中にも、心も健やかで年相応且つ行動派の者がいた。オデロだ。

 

「気を落とすなよ、トマーシュ。だから俺は最初に忠告したじゃないか。あの女は駄目だって」

 

「っ!なっ!オ、オデロ!?」

 

エリシャが止める間もなく慰めに飛び出したオデロが、トマーシュの肩を組む。

仕方なくオデロに続きぞろぞろと皆が神妙な面持ちで現れる。

皆、トマーシュとは目が合わせづらいのだった。

 

「カレルも…それに皆まで!?の、覗きだなんて趣味が悪いじゃないか!」

 

トマーシュの言葉はもっともだが、オデロはあっけらかんと謝罪する。

 

「悪い!最初から覗こうと思ったわけじゃないんだ。

飯から帰ったら、たまたま居合わせちまってさ。

でもさ、お前も悪いと思うぜトマーシュ。だって廊下で告白なんてさぁ!」

 

「う…」

 

確かに公共の場で不用心だったと思い返すトマーシュはやはり気を使える好青年だ。

 

「僕だって最初からこんな場所で言うつもりじゃなかったんだ。

でも…この、突っ返されちゃったけど…スノードームを買ってさ…

どうやって渡そうかって考えながら歩いてたら

カテジナさんと思わずこんな所で遭遇しちゃって…しかも、いつもより…何だか綺麗で」

 

「つまり勢い任せかよ。ひゅ~青春だねぇ。情熱のままにこんなとこでなんてさ!」

 

「茶化すなよオデロ!カレルの前だぞ!?」

 

怒った表情で抗弁するトマーシュだが、

フラれた現場をこういうお調子者に茶化されるというのは割と心が楽になると実感できる。

ウォレンもウッソも「トマーシュさんにはいずれ良い人ができる」等と言って慰めて、

クランスキー姉妹もやはり辛辣なダメ出しと共に慰めてはくれていた。

友人というのは良いものだ。

そのまま皆で子供部屋へ帰ろうという空気だったのだが…。

 

「ところでなんでカテジナさんはこんなとこにいたんだろう」

 

ウォレンが素朴な疑問を投げかけて、オデロとウッソはハッと気付く。

 

「確かに変だな。カテジナさんの部屋って…シュラク隊の人達の隣だったよな?」

 

「…そうだね。T字路を挟んで向こう側がおねえさん達。こっち側には…僕らの部屋と…」

 

ウッソの言葉を、まるで思考が読めるかのようにシャクティが引き継いだ。

 

「もっと向こうに行けばオリファーさんとヤザンさんの部屋…」

 

「あれ?カテジナさん、あっちの男部屋の方に歩いてったよね?」

 

またまたウォレンの素朴な疑問。素朴故に爆弾を投げかけてしまう。

その時点で、ウッソは少し顔を赤くした。

いつぞやの、宇宙引越公社ジブラルタル局での、

シュラク隊とヤザンの一幕の()()()を聞いてしまったのを思い出したからだ。

だからその話題を逸らすように言った。

 

「も、もういいんじゃない?

カテジナさんだってパイロットの仕事でオリファーさんと話でもあるんじゃないかな?

さっ、もう皆帰ろ――」

 

皆を部屋に引き上げさせようとした時には、

オデロが悪童の笑みを満面に浮かべて旧世紀の泥棒のように忍んで駆け出していた。

 

「オデロ!」

 

「だって気になるだろー!?」

 

ウッソとトマーシュが飛びかかりオデロを羽交い締める。

 

「人のプライバシーを堂々と覗こうとするんじゃない!

僕のことは許しても、彼女にそんなことしたら許さないからな」

 

「そんな事言っちゃって~。お前だって気になってンだろ!?

興味津々だろ?カテジナさん、性格はあれだけど見た目はイイもんなぁ~。

今頃、ヤザン隊長の部屋で…にひひ」

 

オデロの、健全な青少年であるが故のトマーシュの心の隙をつく巧妙な悪の誘惑。

トマーシュの手が一瞬緩んだ。

その隙を逃すことなくオデロが駆け出す。

 

「しまった…!」

 

「うわっ!ま、まったく…オデロってこんな時ばっかりヤル気だして!」

 

慌てて追う2人だが、ターゲットのオデロは廊下の角を曲がった次の瞬間に…

 

「な!?戻ってきた!?」

 

「えぇ!?」

 

とんぼ返りで戻ってきたのだ。当然、衝突して3人はずっこける。

賑やかな男子3人を、クランスキー姉妹とシャクティの女子3人がやや冷めた目で見たが、

ウォレンとカレルは慌てながらもマイペースに全員の後に続くのみと色々と個性が出る。

一瞬、痛みを耐えるように鼻をさすりながらも、その手を口に持っていき皆に沈黙を促し、

オデロが廊下の向こうを指差した。

「んん?」と男子2名が顔を覗かせ、そしてちゃっかり女子3人も足早に駆け寄って参加。

そして衝撃の光景を少年少女らは目にする。

それは、ある意味で見たいと密かに望んでいた光景だった。

 

「っ!!!」

 

「…ぇ!?」

 

「うわぁ…っ」

 

「す、すごい…」

 

「あれが…大人のキス…なんだ」

 

壁に押し付けられたカテジナが、

背の高いワイルドな風貌の男に唇を奪われている。

無論、ヤザン・ゲーブルがその御相手だ。

皆、覗き見は良くないと理解しているのだが視線が釘付けになってしまう。

顔を紅潮させ呼吸も荒くなるが、バレぬようにその呼吸さえも押し殺そうと皆必死だった。

普段は強気で誰もがおっかなびっくりに触れる棘の美女が、

男に組み敷かれ為す術もないように唇を貪られている光景は

思春期の少年少女達には刺激的過ぎた。

ごくり、とエリシャとマルチナの姉妹が喉を鳴らせる。

シャクティもだ。

そして3人の少女の顔の側には、共に覗く共犯者である少年の顔がある。

エリシャの側にオデロ。

マルチナにはウォレン。

シャクティにはウッソ。

最近はエリシャもオデロが自分に好意を寄せてくれている事を意識し始めていたから、

この場面はかなり興奮を伴った。

そして言い寄るウォレンを袖にし続けていたマルチナでさえ、

興奮した空気にあてられ初めてウォレンを異性として意識してしまっていたのは、

ウォレンにとっては思わぬ棚ぼただろう。

シャクティは言わずもがな。

()()()()()()()に、少女達は食い入るように大人のキスに魅入っていた。

 

耳を澄ませば粘液が擦れ合う音までが廊下に微かに響く。

そしてその合間にカテジナの鼻にかかった吐息までが聞こえる。

 

「あ、あのウーイッグのカテジナが…あんなふうになっちまうのか…」

 

普段は、あんなおっかない女有り得ない等と言いふらすオデロでさえも、

今のカテジナの色香にはあてられる。

 

「カテジナさん、腕抑えられてるけど…あれって無理矢理、なのかしら…。

と、止めたほうが…いい?」

 

「でも、あんまり嫌がっている顔には見えない、けれど」

 

エリシャの疑問にシャクティは小さな心臓を高鳴らせながら何とか答える。

次の瞬間、ヤザンはカテジナを掻き抱くようにして引き寄せ、

そのまま乱雑に己の部屋へ招くが、それは招くというより放り投げるという感じだ。

丁重に女性を扱うべし、という恋愛雑誌のセオリーとは真逆であったが、

それでもそういう扱いをされて貞操の危機にさらされている筈のカテジナは騒いでいない。

何か文句らしき言葉を甲高い声で喚いているが、決して大声では叫んでいないのだ。

危機を感じ、他人を呼ぶ気がまるで感じられない。

 

ヤザンはカテジナを開いた扉から自室へ放り投げると、

彼の鋭い目を廊下の角へ向けた。即ちウッソ達の隠れる角だ。

 

「こっから先の見物料は高いぜ、ガキども」

 

少年達の肩がびくりと揺れた。

直様転進し、戦略的撤退を…と思った子供達だがもう遅い。

 

「そんなに見たけりゃ見せてやってもいいがなァ?」

 

言いつつ、上半身をはだけた特注の黄色い改造制服姿のヤザンが、

引き締まった胸筋も顕にズンズンと覗き魔集団へ迫る。

まだ見つかっていないと思っている後ろの少年少女は慌てて逃げようとするが…

ヤザンのその言葉に「え!?」と反応してしまったオデロとウッソが肩を掴まれる。

 

「ちょっとヤザン、さっきから通路で誰と――…え?

ウ、ウッソ?ちょ、ちょっと…なんで他の子達まで…シャクティも!?」

 

カテジナが、少しはだけたパイロットスーツ姿も妖艶に、

ひょこっとヤザンの部屋から覗いてきて騒動の正体を見た。

 

「っ!ト、トマーシュ!あなた、つけてきたのね!?さ、最低!

フラれた腹いせにストーキング!?どういうこと!」

 

「えっ!ち、違うよ…!僕は!」

 

カテジナは先程の逢瀬を見られたと覚った羞恥と、怒りからの赤い顔で喚きだし、

そしてあらぬ誤解を受けたトマーシュは慌てて首を振るも分が悪い。

だがヤザンは少年らの肩を持った。

 

「その程度許してやれよカテジナ。別に減るもんでもない」

 

「馬鹿言わないで!わ、私は…男とくれば肌を晒すような安い女じゃないの!」

 

そう言った時、カテジナの脳裏によぎったのは両親の姿。

父は仕事にかまけて家庭を蔑ろ(ないがしろ)にし、愛人と共に仕事場に入り浸り。

母は夫が家に帰らぬのを良いことに情夫を作り、とっかえひっかえ。

最後には浮気相手と共に資産の一部を持って行方をくらませた。

浮気とは即ち、自分の家庭の温かでささやかな幸せを破壊したものであり、

カテジナは心に決めたパートナー以外に肌を晒すのを憎んですらいる。

 

「俺は言い寄ってくる女なら受け入れてやるがね」

 

カテジナは浮気をするような人間は男女関係なしに嫌いだが、

不思議とヤザンは別腹になっているのは恋は盲目という事だろうか。

或いは、ヤザンのは浮気云々という次元ではなく、

野生の獣的な、動物世界のハーレムとでも認識して半ば諦めているのかもしれない。

 

「それはヤザンの性根が腐っているからよ。

私が矯正して、私しか見えないようにしてあげる。

…さっさとそいつら、追い払って」

 

子供達へ鋭い視線を向けてくるカテジナの迫力は、

先程キスを受けて蕩けていた女とはまるで別人だ。

以前までのカテジナならば、子供達によって興が削がれたとして

さっさと立ち去っていただろうが、今はヤザンとそういう事を()()()と決めてここに来たのだ。

つまり、正直言えばカテジナも疼いている。

機嫌の悪さを全面に出しながらも、ヤザンの部屋の扉を乱暴に閉めて籠もってしまった。

ヤザンが軽く溜息を吐き、

そしてわがままな愛猫を見るように笑ってからウッソ達へ向き直る。

 

「ったく、出歯亀やがって。まぁ戦場では殺し合いとセックスは日常茶飯事だ。

貴様らの年代なら尚更興味もあるか……後学の為に見物させてやっても良かったがな。

お姫様があの調子だ。悪いが見学会は中止だ、小僧ども」

 

なんなら参加させて手取り足取り教えてやって、

教え子を一人前の男にしてやっても良かったとすらヤザンは思ったのだが、

さすがにパートナーの許しもなく強行するような事はしない。

 

「あ、あはは…そ、そうっすよね」

 

オデロが作り笑いをしつつも、非常に残念無念な気配を立ち昇らせて頭を掻いた。

仮にヤザンの今回の夜の御相手が、

性にオープン過ぎる尻軽だったならばオデロとウッソ…

ひょっとしたらシャクティ達をも巻き込んでとんでもない事が起きたかもしれない。

ホッとしたような惜しいような、二律背反の思いが少年らの心に去来していた。

そんな少年達を見ながらヤザンが、そういえば…と切り出す。

 

「…いいか!避妊はしろよ。特にウッソ!」

 

「えっ!は、はい!」

 

思わずウッソは一歩飛び出して敬礼でもしそうな返事を大声で返す。

 

「シャクティはまだ11歳だ!万が一妊娠したら母体が危険になる。分かるな!?」

 

「はい!!」

 

ウッソと、そして巻き込まれたシャクティも首まで紅くする。

 

「オデロ、貴様もだ。前に出ろ!」

 

「は、はいぃぃ!」

 

ヤザンに威勢よく呼ばれ、ウッソのように飛び出して背筋を伸ばした。

そして更に一歩近寄ってきたヤザンに、ウッソとオデロはさらなる戦慄を味合わせられる。

 

「っ!うっ!!!」

 

「いぎっ!?た、隊長ぉ…っ!?」

 

青い顔で震える少年達。

ヤザンはむんずと、握り潰す勢いでウッソとオデロの股間を掴んでいた。

エリシャもシャクティも顔を赤くしつつショッキングなその様子を眺める。

 

「くく!いっちょ前にしやがって!…エリシャ、シャクティ!」

 

「は、はい」

 

「な、なんでしょうか…」

 

次は自分たちも何かされてしまうのだろうか。

好意を寄せる男の子の前で、

こういった野蛮な洗礼をされるのは清らかな乙女的に御免被りたい所だった。

だがヤザンは少女らには触れることなく、オデロ以上の悪童染みた悪い笑顔を浮かべた。

 

「貴様ら苦労するかもしれんなァ。こいつら、なかなかのモツを持ってやがる!」

 

「いぎっ!」

 

「う、うぁ!」

 

ははは、と笑いながらまたヤザンが少年達の股間を握り直せば

ウッソもオデロも悶絶しそうになる。

エリシャとシャクティは先程よりもっと頬を赤くして顔を伏せた。

少年らの股間を解放してやると2人はホッとした安堵の顔を見せ、

今度はトマーシュが顔を引き攣らせた。

ヤザンはトマーシュと肩を組み、そして顔を近づけて不敵に笑う。

「自分も股間掴みをされるのか」と

トマーシュは密かに股間に力を入れ備えるもそれは不要だったようだ。

 

「悪いなトマーシュ。あの女は俺が頂く」

 

「え…そ、それは…」

 

「女が欲しけりゃ強くなれ。弱い男は、獲物は全部掻っ攫われるぞ。覚えておけィ!」

 

失恋で落ち込んでいる暇があったら己を磨け。

ヤザンはそう言っているらしい。

 

「っ、は、はい」

 

トマーシュは、一見気丈に振る舞ってはいるが泣きたい気分であった。

生まれて初めて一目惚れをし、

そして勇気を振り絞って想いを伝えればキッパリと断られたばかりで傷心は免れない。

だが彼は、その暇もなく友人に慰められ、

そしてその慌ただしさのままにヤザンの強い言葉を掛けられて反射的に頷いていた。

 

「トマーシュ、お前は女を見る目はあるぜ。

ありゃ男次第でイイ女になる…まだ青い果実だがな。お前が惚れるだけはあるんだよ。

だから、お前も良い男になるんだな…そうすりゃイイ女が向こうから貴様に寄ってくるさ」

 

「そう、ですかね…」

 

「そうさ。自分を磨け、トマーシュ。

お前が望むなら今度、月でいい店に連れてってやってもいい」

 

「え…」

 

生真面目なトマーシュといえど17歳の青春盛り。

太陽電池衛星などという窮屈で閉鎖的な場所で暮らしていただけあって、

相応に異性への関心は高まっていて、

特に今はカテジナが目の前で性的接触(キス)をしたのを目撃してしまったのだから、

トマーシュの瞳には甘い誘惑への強い興味が浮かんでいた事だろう。

少年の瞳に宿った光を見抜いてヤザンは笑う。

 

「ハハハ!ま、そういう年頃だ。俺だって覚えがある。

今日のところはお前の負けだ…俺に譲れ。

そして、貴様がもっといい男になってまだカテジナに気があるなら…口説いてみろよ」

 

俺から奪ってみせろ。そう発破をかけられる。

さっきまでは、トマーシュの心の中にはフラれた悔しさとか、

目の前で片想いの少女の唇を奪われた事などで、ドロドロとした物、

屈折した物が渦巻きかけていたのだが、不思議とヤザンと話しているとさっぱりしてくる。

こういう男になら、好きな女を取られるのも悔しくはあるが納得は出来た。

悔しいのは変わらずに悔しい。しかしそれは泣き寝入りする悔しさではない。

闇討ち等で仕返しするのではなく、正々堂々正面から復讐…いや、見返したい。そう思う。

 

「…いいんですか?僕のほうが、若いですから。

すぐにカテジナさんに見合う男になりますよ。

あなたは僕より、一周り以上も上で、あなたは僕より先に年取ります」

 

実を言えば一周り(12歳)どころではない年上のヤザンだが、

それはさておいてトマーシュは温厚で実直だが、負けん気や闘争心の強さも秘めている。

ザンスカールへの憤りからハイランドを飛び出し、

こうしてリガ・ミリティアに付いてきている事からもそれは分かる。

あのヤザンの目を見返しながら啖呵を切って言い返したのだった。

そしてそれをヤザンは喜ぶ。

 

「その意気だ。いい面してやがる。やれるものならやってみろ、ってとこだな。ハハハ!」

 

待ってるぜボーヤ。背を見せながらそう言い残し去るヤザン。

後には、尊敬の念やら競争心やらを掻き立てられたトマーシュと、

そして桃色の思考と感情に心を掻き混ぜられた二組の少年少女が残される。

 

「ヤザン隊長…怖いけど、かっこいいな…」

 

「ぼ、ぼく、今度…隊長の言ってたお店…連れてってもらおうかな」

 

「ええ…ウォレンさん、マルチナの事好きだったんじゃないの?」

 

「い、いや…社会勉強というか…」

 

カレルとトマーシュは、マイペースにそんな感想を言い合っていた。

 



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女獣達

ラビアンローズは戦艦の大規模な改修や補給まで出来る拠点ともなれる。

となればその巨大さはかなりのもので、

また改修中の乗組員を寝泊まりさせる為にも快適且つ充分な居住性を誇っていた。

また、アナハイム社が社員の福利厚生の為に充実させている各種娯楽設備も備えている。

リーンホースの改修中、そのクルーはラビアンローズの居住ブロックに部屋をあてがわれ、

それらの娯楽施設も快適な居住性も味わう事が許されていた。

既に、クルー達の心は月面都市での半舷上陸に向けられウキウキと心踊っているが、

その大イベントの前の前哨戦としては充分過ぎる骨休めだ。

 

リガ・ミリティアの戦力の要と言っても過言ではないMS隊統括のヤザン・ゲーブルには、

高級士官に使用される部屋が割り振られている。

防音もしっかりしていてプライバシーも守られ、そしてベッドも広く柔らかで、

つまりカテジナ・ルースという生娘が女に生まれ変わるに充分な部屋だということだ。

 

シャワー上がりでウェットな長い金髪が高級なシーツの上に広がり、

男が女に被さって口内を蹂躙し合っている。

一頻り女の舌と歯茎を味わい唾液を交換しあった後、男は挑発的な笑みを浮かべて言う。

 

「今頃、ガキどもはお前が俺に抱かれて女になるとでも想像してるだろうな」

 

「っ!」

 

紅潮していたカテジナの美貌がさらに赤くなって、

言葉に詰まりつつ潤みながらも鋭い目で男を睨んだ。

 

「俺の部屋に入る所を見られたんだ。言い訳がきかんよなァ?

あいつらの前で〝今からこの男と初めてのセックスをします〟と宣言したようなものさ」

 

くっくっ、と笑いながら言葉で攻める。

見るからにサディズムに才がありそうなカテジナだが、

こうして攻められ始めると存外脆く、また肉体は疼き喜ぶ。

それをヤザンに見抜かれていた。

この女はサドとマゾの両刀というよりは、

よりマゾヒスティックな面で悦びを得る…そういう風に野獣に躾けられてしまっていた。

 

「く…っ、あ、あなたは黙って私を抱いていればいいのよ…!

どうせ人を殺すか、女を抱くことぐらいしか才能がないのでしょう!?」

 

ヤザンはニヤッと口角を釣り上げる。

 

「そうかい。なら、そうさせてもらおう」

 

「っ!ケ、ケダモノ…!ん…!あ…あっ、あぁ…っ!」

 

粗暴な男に見えて、雌を壊さぬように丹念に解すのを忘れない。

先の戦闘での()命令違反のペナルティで乱暴に抱くと言いはしたが、

やはり初めての女にはある程度気遣いはしてやった方が良い…という事らしい。

令嬢とはいえ自分で慰めてたり、幾度かは目の前の男に胸を揉まれたりもしたが、

こうまで本格的に愛されるのはカテジナにとって当然産まれて初めてだった。

ひたすらに翻弄される。

 

「ん…んぁ…っ…ふぅ、っ、あっ…」

 

この男の掌に転がされてると、この男(ヤザン)に悟られたくなくて声を抑える。

それを悟られれば、どうせこの男はまた勝ち誇って不敵に笑うに違いないと少女は思う。

いい気にさせたくなくて、漏れそうになる声も、

勝手に動きそうになる腰も足先も、動き出さぬよう筋肉を強ばらせた。

 

「あっ!」

 

しかし少女は簡単に女の声を上げさせられる。

未経験の少女にどうこうできるような体験ではなかった。

敏感な所を舌で嬲られ、思わず高い声が漏れてしまうのを止めようがない。

快楽の沼に墜ちつつある若い肉体は、カテジナの意思を裏切り始めている。

カテジナは目の前の景色が揺らぐのを感じる。

耳に届く色々な音、声も遠くになって不確かなのに、水音だけはやけにハッキリと届く。

ぴちゃぴちゃという音は、キスか、或いはもっと別の場所からか。

カテジナの背がしなり、女の曲線が艶かしく脈動した。

 

「やめっ、て…そこ…」

 

無遠慮に少女の秘密の場所を暴き立てる男の頭を、白い腕で抑える。

 

「っ!…ぅ、あっ!ああ!」

 

力を入れても無駄だった。

嫁入り前の令嬢が決して晒してはいけない奥まで見られてしまうし、

それどころか滑る何かがそこを這う。

圧倒的な雄が雌の股座に顔をうめて、雌がよがらされている。

 

「ばか!ばかばか!や、やめなさい!やめて!

っ!あ!あぁ…おねが、い、だから…あ…あ、ん…こんなの…ダメ…」

 

今までの人生経験では有り得ぬ羞恥にカテジナの理性は壊乱した。

いい気にさせたくない。

主導権を渡したくない。

確かにそう思っているはずだが、この男に翻弄され、支配されるのが酷く心地良い。

度を越えた恥がカテジナの肉体の奥底に熱を焚べる。

癖になりそうだ、とカテジナは一瞬思ってしまったのに更なる羞恥心と興奮を覚えた。

彼女の理性は(ヤザン)を打ち据え従えたいと考えているのに、

彼女の精神と体はこの男に隷属し、所有されたがっているのが彼女自身分かる。

己の恥ずべき心に負けまいと必死に男を睨みつけるが、

(まなこ)の芯まで性愛に犯され頬は紅く染まっていれば迫力などある筈も無かった。

それどころか今のカテジナが男を睨みつけても、

それは男の情欲を刺激する手助けでしかない。

 

(だめ…やっぱり、こいつに…勝てない。私はこいつに…モノにされてしまう)

 

少女はとうとう認めてしまう。

そして認めた瞬間、カテジナの心は様々な束縛から解き放たれていくのだった。

ウーイッグで現状に不満を持ちながらも甘んじていた無力な自分。

両親を愚かと見下しながらも、その庇護下で苦労知らずに育った自分。

子供を戦わせようとする恐ろしい老人達の巣窟たるリガ・ミリティアと、

そこに保護を求めるしか出来なかった自分。

見下したその全てに受け入れられなかった、世間知らずの無知蒙昧な自分。

そして、そんな中で自分を一人の女として見、戦士としての活路を見出してくれた男。

この男はどこまでも一人のカテジナ・ルースを求めた。

それがどうしようもなく嬉しく、心満たされる。

一度認めてしまえばもうカテジナの肉体と心は蕩けていき、

もはや棘の鎧で心を武装する事も出来ない。

カテジナの魂は、既に野獣の爪と牙で丸裸にひん剥かれていた。

 

「ああっ!」

 

ケダモノへ屈服するかのような屈辱的な姿を晒されて、

白い太ももを割り開かれて男が侵入してくる。

痛みを思う間も無い。

カテジナは必死に男にしがみつき、逞しい背に爪痕を残す。

ラビアンローズの爛れた夜のさなか、カテジナは男を受け入れ女になった。

その夜から、丸一日、カテジナとヤザンの姿を見たものはいない。

今までの自分を消し去りたいと言わんばかりに、カテジナは貪欲に男に愛される事を望み、

そしてようやくカテジナにこびり付いていた憑き物が落ちたのだった。

 

彼女らの姿をオイ・ニュングとゴメスが再発見したのは、2日後の食堂である。

 

「ん?彼女、あんな落ち着いた雰囲気があったかな?」

 

「…さぁ?女は目を離した隙に蛹から蝶になりますからな」

 

剣呑なものを大なり小なり常に孕んでいたカテジナ。

それが、霧散した…とまでは言わないが、和らぎ、そしておおらかになったように感じる。

カテジナの持っていた攻撃的なオーラとでも言うものが、

圧力はそのままに余裕と懐の深さを身に着けつつあるようだと、

人を見る目のあるニュング伯爵は感じたのだ。

 

「ヤザン隊長はあんなお嬢ちゃんまでうまく乗りこなしたらしいですな。

全く大した人ですよ。同じ男として尊敬しちまいますね。ハッハッハ!」

 

ゴメスの豪快な笑いに、彼の言いたいことを何となく察した伯爵は曖昧に頷くのだった。

 

 

その日、ヤザンの部屋担当の清掃員の悲鳴が

ラビアンローズに秘かに木霊していたのを誰も知らない。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

改造艦リーンホースJrの処女航海は実に快適だった。

アナハイムの腕前は流石の一言で、

ラビアンローズスタッフによる清掃と改造はほぼ完璧だったと言える。

僅か3日という突貫工事ながらも、これといった不備や欠陥も見当たらず、

戦力は勿論居住性すら旧リーンホースを圧倒的に上回る結果となった。

さすがは船体の8割がザンスカールの新鋭艦だと、敵国の技術力を褒めずにはいられない。

MSも艦船も、帝国の基礎設計の素晴らしさは認めざるを得ないだろう。

それほどに良い艦として生まれ変わっていた。

 

出航にあたってバグレ艦隊のユカ・マイラスMS戦隊長が、

見事な敬礼をMSにさせ隊総出で見送ってくれたのは壮観だった。

今の時代では早々見られるものではない。

さすがはヤル気のあった連邦正規軍出身者は違う。

 

道中、これといって敵とも遭遇せずに済み、

月面都市に付くまで、リガ・ミリティアの者達にとても安穏とした時間を与えてくれる。

まさにリーンホースJrの基本性能を確かめるのに絶好の航海日和と言えた。

 

また、パイロット達にとってもこの平穏は良かった。

シュラク隊などは、たとえばここで敵に襲われでもしたら

怪我をおして出撃してしまうような連中だから、

敵影無しの報告には総隊長のヤザンも胸を撫で下ろす。

 

「なんか…カテジナの嬢ちゃんも落ち着いてきたね。

最初のつっけんどんのハリネズミ具合がかなりマシになってきてる」

 

そう評したのはヘレン。

元気一杯のシュラク隊の無傷三人娘は、現在食堂で昼飯を突っついていた。

ペギー、マヘリア、コニーは今もベッドに括り付けられて静養中だ。

コニーはそこまで重傷ではなかったし、

ペギーとマヘリアも既に命が危ない段階はとっくに越えているが

休める内に休ませておく…という(ヤザン)の判断だった。

 

「…あれ、きっとヤザン隊長と寝たんだ。

態度にも余裕あるし自信もある…何より歩き方がちょっと不自然だったし」

 

ケイトがそう返したのは、自分にも覚えがあるからだ。

良い女を抱く。良い男に抱かれる。

良い…とは唯単に容姿に優れている者、という事ではない。

自分の心をガッチリと埋め尽くし満たしてくれる者という事だ。

そういう者と一夜だけでも経験し過ごすと、人はガラリと変わる事がある。

ジュンコも複雑な微笑みを浮かべて首を縦に振った。

 

「ラビアンローズで私達を相手してくれなかったあの日だね…きっと。

隊長もまぁ節操なく…あんな女に手を出して。私達みたいな良い女を囲っておいてさ」

 

それでも口調には陰険なものが無いのはシュラク隊員の性根の良さ故だろう。

 

「…今晩、私仕掛けるから」

 

ケイトが意を決した顔で宣言すると、ヘレンが「おっ」という顔で食いついた。

 

「まさか、当たり日?」

 

「入院中のペギー達には悪いけど、だってカテジナに先越されたくないしね。

ちょうど今日あたりドンピシャだから」

 

そう言うケイトをジュンコが羨ましがった。

 

「…はぁ…とうとうケイトも覚悟決めちゃったか」

 

「あんたも決めちゃいなよ」

 

ヘレンが気軽に言うものだからジュンコの片眉が曲がる。

 

「ヘレン、あんたねぇ…妊娠するしないをそんなアルバイトの面接みたいに言わないで。

タイミングがまずければ戦争中にお腹大きくなって…

いざとなって戦えないって事になるのよ?」

 

「だーいじょうぶだって!だって結構私達押してるじゃん。

コロニー連合艦隊もムバラク艦隊も動いてるんでしょ?

しかも今回、私達はカイラスギリーだって奪った。この艦もね」

 

ウィンクしつつ「イケるって」と敢えて気軽さを強調するかのようなヘレン。

ジュンコは苦笑してしまう。

まだまだリガ・ミリティアとザンスカール帝国との戦力の差は大きい。

一見、有利に傾いて見えるのは連邦軍のお陰で、

既に形骸とはいえ、やはり隠然たる勢力は大きい。

 

「私達みんな、隊長にお腹大きくして貰って仲良く除隊?笑えない」

 

実際、正規軍では女兵士の任務期間中での妊娠に、(させた方)(した方)にも罰則が規定されている事もある。

所属隊の上官判断や時代にもよるが、多くの場合、女兵士の妊娠は望まれない。

金と時間をかけて訓練した者が戦線離脱を余儀なくされるのだから当然だろう。

その点、リガ・ミリティアは融通がきくが、やはりマズいものはマズいのだ。

 

「背水の陣ってやつよ。そうなる前にザンスカール倒しちゃおうよっ」

 

グッと握り拳を作り笑うヘレン。

まだまだ予断を許さない状況なのを分かっていて、

敢えて茶化すようにしているようだった。豪胆な女といえる。

シュラク隊の特攻隊長でありムードメーカーでもあるヘレンは、

やはり百舌鳥の名にもっとも相応しい傑物だとジュンコは思う。

そんなヘレンを見ながらジュンコは優しく微笑み、そしてつくづく言った。

 

「あんた、長生きするよ」

 

「そりゃあね!隊長のお陰で生き残るコツ掴んだし。

ねぇーそんなことよりさ~。一緒に隊長の子生もうよ~親友だろー?」

 

気軽に、まるで同じバッグを買おう、とでも言う雰囲気で女の一大事を語る親友に苦笑する。

 

「あー、もう。そんなとこで友情を主張しないでよ…ケイトも何とか言ってやって」

 

「私は無理強いしないよ?ライバルは少ない方がいいからね」

 

いっそ清々しい微笑みを見せてそう言ったケイトの瞳は、涼しげでありながら力強い。

 

「あきれた…皆、この先の戦いの事ももうちょい考えてよ…」

(この調子だと…本当に急いで決着つけないとベビーラッシュが先に来ちゃうかもだね)

 

そうは言っても、先日、マーベットとの雑談の中で、

パートナー(オリファー)との子作りを真剣に考えていると言っていたマーベットの件もある。

ザンスカールを打倒できれば、その戦いの中で死んだっていい。

当初はそう考えていたジュンコ・ジェンコだが、いつの間にか自分も戦後の事を…

平穏な田舎にでも引っ込んで赤ん坊に乳をあげる光景を夢想してしまっていた。

 

「…それも一つのモチベーション…かな?隊長に相談してみようかしら」

 

「しようしよう」

 

「止めはしないけどさ」

 

ニコニコと頷くヘレンと難しい顔のケイトの2人を眺めながら、

この昼飯時だけでもう何度目か分からない溜息をついてジュンコは鷹揚に笑っていた。

 

 

その時からセント・ジョセフまでの航海中のヤザンの非勤務時間帯(オフ時間)において、

シュラク隊の面々は

まるでカテジナのヤザンへの接近を妨害するように

カテジナを訓練に誘ったり食事に誘ったりしつつ、

代わる代わるにヤザンの元に押しかけて例の事をせがむ有様だった。

さすがのヤザンも呆れ顔だったというが、

結果、嫌な顔をしつつもカテジナとシュラク隊の交流は深まったのだから、

物事というのは何が幸いするか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わぁ」

 

子供達の感嘆が重なって響く。

窓に張り付き、迫りつつある月面都市の眩さを目に焼き付けようとしていた。

あの無数の光点の一つ一つが活力漲る脈動する命の輝きだ。

戦場で見かける恐ろしいまでの鮮烈な光とは、根本から質が違うと思える子供達の感性はさすがだった。

 

セント・ジョセフは、現在の連邦の首都でもあり有名な月面大都市フォン・ブラウンと比べると構造も規模も違う。

フォン・ブラウンは大クレーターの中をすっかりそのまま都市にしてしまっているが、

セント・ジョセフは超巨大な天然洞穴を利用するような形で造られた都市である。

都市の全容は月の大地に埋もれて大半が伺えないが、

出入り口の採光システムを兼ねる巨大なガラス防壁から見える都市の一部は圧巻だ。

壮観な光のレリーフにも例えられて、観光の名所として一部の人には知られている。

 

「綺麗…」

 

「すごい…あの光が全部都市の明かりって事なんだ…あそこに、母さんが」

 

「宝石たくさんの宝箱みたい…あっ、見て見てクロノクルくん!

ガラスの向こう、でっかい建物!」

 

「ほんとだなぁ!あんな高いビルどうやって作るんだろ」

 

ウッソにぴたりと擦り寄りながらシャクティが呟き、

2人の横ではいつもの凸凹コンビが騒いでいた。

ハロもフランダースも、クロノクルにおぶられるカルルも気の所為か楽しげだ。

狭い窓に所狭しとクロノクルとスージィが頬を窓に貼り付けて熱視線を外に送っている様は笑いを誘うが、もはやその姿にウッソもシャクティも慣れてしまって安心感さえある。

 

「…あんな大きな街にリガ・ミリティアの秘密基地があるのね」

 

初めて見る月面都市の遠景に目を奪われながらも、

シャクティが声を上げればウッソが明朗に答えてくれる。

 

「いや、本当はセント・ジョセフの隣にある…

あっちの少し小さなクレーターに秘密基地はあるんだって。

ザンスカールに見つからないようにセント・ジョセフの港に入港して、

それから秘密のパイプラインを通ってホラズムの工場に入るんだ。

どこにザンスカールの目が光ってるか分からないからね」

 

「ふぅん…最近はザンスカールも下火だって伯爵も言っていたけど…

やっぱり月もまだ危ないの?」

 

「セント・ジョセフでもフォン・ブラウンでも、

以前は堂々とベスパの秘密警察が歩いてたらしいけど…今はさすがに減ったってさ」

 

「フォン・ブラウンって連邦の首都よね?そんなとこでもザンスカールが強いんだ…」

 

「そうだね。ザンスカールって…マリア主義ってやっぱり強くて怖いよ。

宗教は人の心を簡単に支配してしまうから、

連邦の政治家や軍人の中にも隠れ信者とかスパイがまだいるって事じゃないかな。

その人達が帝国の連敗で表立てなくなっただけで、まだまだ油断できないと思う」

 

年不相応なウッソの冷静な見通しっぷりは、さすがハンゲルグとミゲルの教育の賜物だ。

シャクティはこんなウッソと幼い頃から接しているけれど、

こういう話をしている時のウッソはあまり好きではない。

そういうのが大事な話だと理解はしていても、

世の中で一番大事なのは、大切な人の隣で過ごし、

木々と土と風の匂いの中で愛する人々と地に足をつけた営みをする事だとシャクティは信じているから、余計に政治や軍事だのといった話に興味が持てない。

シャクティの興味はいつだってウッソへ最大限向けられているのだ。

 

「…あそこに、ミューラおばさんがいるのね。…ひょっとしたら、ハンゲルグおじさんも」

 

ウッソの顔を見れば、節々から嬉しさが溢れているのが分かる。

シャクティの鋭い洞察力は人の心を筒抜けにしてしまう程だ。

それはシャクティがウッソ以上のニュータイプだからに他ならない。

 

「どうかな。母さんはともかく、父さんはきっといないよ。

今まで会った人達も皆、

口を揃えたように〝ジン・ジャハナムという御人は忙しい〟の一点張りだったから。

分かりやすい都市にはいないで動き回っているんだと思う」

 

ウッソは努めて平静にそう返した。

それは、今もカサレリアの森に母が帰ってきてくれると信じているシャクティや、

戦争の中で家族を失ったオデロ達、同世代の仲間の心情を思っての事だ。

 

「いいのよ、ウッソ。喜んで。折角会えて喜ばないなんて、それは間違ってる」

 

シャクティが優しく、たおやかに微笑んでウッソの手を握れば、ウッソもギュッと握り返す。

 

「うん」

 

シャクティの温もりを掌を通して感じる。

地球のカサレリアに2人で隠れ住んでいた時、

その手を握っても安心感はあれど胸が高鳴る事はなかった。

しかし、ヤザンと出会ってから…悪影響か好影響か、

今では妹分の少女と触れ合うと秘かに胸が高鳴ってしまう。

気を抜けば今も顔が赤くなりそうだ。

だからウッソは慌てて心の中で違うことを考える。

 

(…母さんだけじゃない。ホラズムの工場に行けば、新しいMSも手に入るかもしれない。

戦力が増強できれば、シュラク隊のおねえさん達も…マーベットさんも…

ヤザンさんだって、あんな危ない目に合わずに敵を倒せるんだ)

 

そうすれば――

 

少年は思った。

 

「皆で生きて…こんな馬鹿な戦争、終わらせなきゃ」

 

黙ったまま、ウッソはシャクティの小さな手を強く握った。

少女は締め付けられる己の手の感触を喜んで受け入れ、

さりげなくウッソに半歩近づいて頬を彼の肩に触れさせる。

ウッソとシャクティの隣では、今も凸凹コンビとハロ達が騒いでいた。

 



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獣爪は月で研がれる

月の都市セント・ジョセフ・シティにはベスパの手が伸びている。

故にベスパの秘密警察や工作員も都市にはいるにはいるが、今では反ザンスカールの風潮が強くベスパ兵は肩身が狭く脅威度は低下していた。

反対に、リガ・ミリティアの艦艇が入港すると熱心なファンや報道陣が歓声と共に出迎える。

宇宙引越公社のマンデラがあらゆる手段を講じて熱心に宣伝したせいもあり、リガ・ミリティアの世間に対しての存在感と肯定感は今ではかなりのものだ。

たとえ一過性のものだとしても、民衆への人気と周知度は連邦を圧倒的に上回る。

リガ・ミリティアは今、時代の寵児であった。

そしてそれと敵対するザンスカール帝国は、ジブラルタルでの暴挙の映像の拡散もあって不人気っぷりは日に日に加速している。

ザンスカール本国は、必死にその暴挙を一指揮官(タシロ派閥)の暴走と喧伝しているが、マリア主義でもない多数の民衆に浸透するにはまだまだ時間が必要だった。

 

徐々にムーブメントになりつつあるパルチザン(反ザンスカール運動)

蠢動するムバラク艦隊。

本格的に帝国と敵対し、領域を侵すフロンティア艦隊とマケドニア連合艦隊。

フロンティア艦隊が動いた事で、未だ動かぬ連邦軍へも帝国は神経質になって注視せねばならない。

タシロ・ヴァゴ司令が宰相フォンセ・カガチに責任を追求され、また麾下のタシロ艦隊が立て直しに追われ機能不全に陥っている今、無敵と謳われるズガン艦隊ですらそれらの対応で手一杯であった。

 

そういった出来事が連鎖してリガ・ミリティア中枢戦隊であるカミオン隊にようやく余裕が生まれた。

彼らは念願の月での補給にありつけたのである。

問題なくセント・ジョセフ・シティの港へと船を着け、半分を艦に残し、そして降りることを許された者達はいくつかの小チームに分かれて別行動をとり、オイ・ニュング達はホラズムの作戦会議室へ。

ヤザン達パイロット組及びメカニック組は格納庫へ。

そしてウッソを除く子供達は、一部大人スタッフ達と一緒にセント・ジョセフで自由行動だ。

 

「久しぶりね、ヤザン。

懐かしい人達も多いけど、初めましての人も結構いるようね。

ようこそテクネチウムへ。ここがリガ・ミリティア最大の拠点、ホラズムよ」

 

セント・ジョセフに隣接する小クレーター内の地下。

そこへ秘密のパイプラインを通ってやってきたヤザン一行を出迎えたのは、長い金髪の癖っ毛を持つ中年手前と思しき女性だった。

少々やつれ気味ながら美しいと形容するに足る女性で、もっと若ければさぞ男達が言い寄ってきただろう事は想像に難くない。

ヤザン一行の中から、その女性へ向かって弾けるように駆け出した者がいた。

オリファーはぎょっとして一瞬止めようかと思ったが、それをヤザンが素早く制する。

飛び出し、駆け出したのはウッソだった。

 

「母さん!」

 

出迎えた女性は、駆けてくる少年を驚愕の表情で受け止めた。

 

「ウ、ウッソ!?ウッソなの?なんであなたがここに…!」

 

女性の名はミューラ・ミゲル。

コードネーム、テクネチウムこと秘密工場ホラズムの責任者であり、この地で造られるリガ・ミリティア製MSの産みの親にして、ウッソの母その人であった。

 

「母さん、母さん…!本当に、母さんだった!」

 

ウッソの瞳から涙が数筋流れ落ちる。

泣きじゃくりまでしなかったのは、ウッソの精神がまた少しタフになっているという事だ。

母離れの一歩目は既に始まりかけているが、それでもまだ母恋しいのには違いない。

ウッソは、鼻いっぱいにミューラの匂いを吸い込んだ。

何年ぶりかに嗅いだ母の匂いだ。

何年経っても、月にいても変わらない母の香りだった。

母の胸に顔をうずめるウッソを見守りつつ、ヤザンは突然の息子の登場に戸惑うミューラの名を呼んでから、少し神妙な顔で言った。

 

「ミューラ。工場の事は俺もオリファーもある程度知っている。

ここの事はいい。今は…その坊やの面倒を見てやるんだな」

 

「隊長…あなたは――」

 

ウッソと自分が親子なのを知っていたのか、と聞きかけて、しかしその前にヤザンが答える。

 

「途中から薄々と勘付いただけだ。

貴様らが親子と確信したのはついこの前さ。

まさか、カサレリアで拾ったガキがお前の子とは思わなかったぜ。

なにせ、あの小屋にはコイツの家族写真一つ無かったからな」

 

念のいった事だ、とヤザンはエヴィン夫妻の証拠隠滅の手際を皮肉気に褒め、そうされたミューラは後ろめたそうにやや視線を落とすと、少しばかり声のトーンを落としてヤザンの皮肉に抗う。

 

「…この子に何も残さなかったわけじゃない。

こんな時代でも強く生きられるようにしてあげたかっただけ」

 

「別に貴様の教育方針に文句をつけるわけじゃない。

俺のガキでもないし、それにウッソはいつだってお前らに会いたがっていた。

愛情は注いでいたって事だろう?たとえそれがテロリストの歪んだ物でもだ。

愛情のある親なら、今ウッソが何を望んでいて、貴様が母親としてどうしなくちゃいけないかは分かりそうなものだが」

 

ミューラ・ミゲルとヤザン・ゲーブルの付き合いはかれこれ4年近い。

2人はその付き合いの中で一度たりとも男と女の空気をまとったこともなく、その関係は仕事上のビジネスライクなものに終始していた。

心の奥底では、ミューラとヤザンはお互いの相性が良くないと理解していたのだろう。

ミューラ・ミゲルという女は、目的のためには手段を選ばないタイプだった。

民間人を巻き込んでしまうような破壊工作…下手をすれば民間施設そのものを標的にするような工作も、大義名分(己の正義)があればやってのける女だ。

そしてヤザンは、ティターンズ時代からたとえ命令であっても無力な民間人を攻撃するのを嫌う。

反りが合うわけがない。

もしミューラ・ミゲルが、戦場で工作を仕掛けて、それが原因でヤザン本人、或いはヤザンの部下や仲間に被害が及べば、きっとヤザンはミューラを殺すだろう。

かつての上官ジャマイカン・ダニンガンのように。

だが幸いというか、ミューラ・ミゲルはジャマイカンとは違って賢い女だった。

虎の尾を踏むようなヘマをしでかす事もなく、ヤザンとは一定の距離感を保ち続け、共に新型MSの開発に尽力し続けることが出来たのだ。

Vガンダム、ガンイージ等はその成果である。

 

ミューラは、ウッソの頭を撫でながら少しだけ申し訳無さそうな顔で皆を見回した。

 

「…そうね。ここはあなたの言葉に甘えます。

あなた達に見せたいMSは、第4格納庫よ。

ミズホから機体のレクチャーはしっかり受けておいて。

今日中にあなた達には乗ってもらって調整をしておきたいから」

 

「テストパイロットにやらせていないのか」

 

「最初はベテランにやらせていたのよ。

でも、他の方面の戦線にそのパイロットを取られてしまってね。

引き継いだ娘達も悪い腕じゃないけど…女の身体能力のテストじゃ、野獣が満足するかどうか保証できるわけないでしょう?」

 

言いながらミューラはウッソを連れて奥の部屋へ引っ込んでいく。

去る親子を眺めながらヤザンは舌を打った。

 

「チッ、また女のパイロットか」

 

隣でオリファーが苦笑いつつ相槌を打って、更に隣ではマーベットが眉をひそめる。

 

「あら、女じゃいけませんか?」

 

しかしマーベットの言葉の抑揚には冗談めかした雰囲気がある。

彼女もヤザンとの付き合いはそこそこ長い。

過敏になり過ぎる事無く冗談で済ませられる間柄だった。

 

「今更もう文句を言う気も起こらんよ。女の時代だからな。

だが、気に食わんもんは気に食わんのさ」

 

女が強い時代、というだけではなく、単純に戦乱が永く続き男が死にすぎた弊害でもある。

宇宙世紀は、100年近く続く戦争・紛争をいい加減にしろというレベルにまで来ている。

ここらで戦乱に終止符を打たねば、冗談でもなく誇張でもなく人類は衰退し滅ぶ道に入るだろう。

滅ばぬまでも確実に文明は衰退する。

既にその兆候は出ているのだ。

連邦軍とザンスカール以外で、小型の第2期MSを主力に使えている組織はいない。

独立コロニー軍の9割は旧世代の大型MSが主力なのだ。

ヘビーガンならまだマシで、下手をすればギラ・ドーガやジェガン、ジムⅢまで引っ張り出している組織もあるという。

また、勢いに乗っているザンスカール(サイド2)以外のサイドでは、使用しているコロニーそのものが劣化し維持も難しくなりつつあるとも聞く。

腐敗した連邦にリーダーシップを期待出来ぬのなら、他の何者かが強力なリーダーシップを発揮して人類をまとめねば、今の文明のレベルを維持するというのは難しくなるだろう。

 

ザンスカールが、恐怖政治とギロチンを使わぬ国であれば、連邦に代わってザンスカールに地球圏を支配して貰うのも悪手ではない。

何時ぞやかに、オイ・ニュングがぽつりとそう漏らしていたのをヤザンは覚えている。

 

そのような事を考えながら歩いていれば、いつの間にか目的の第4格納庫は目の前だ。

既にゲートは開放されていてズラリと並んだ見慣れぬ機体達が彼らを出迎えた。

 

「え?あれって…」

 

歩く内、いつの間にかヤザンの隣に陣取っていたカテジナが並ぶ機体を見て驚きの声を漏らす。

他の者達も同様でヤザンすら少し驚いていた。

 

「あれは…シャッコー!?

シャッコーを量産したっていうのか!?」

 

ズラリと並ぶ数機のグリーンカラーのMSは、その言葉通りザンスカール製MSの特徴を持っていたのだ。

細かいディテールは違うが、パッと見、それは間違いなくシャッコーと同系列のMSだ。

 

「角は一本…足首の構造も変わってる。でもそれ以外は…」

 

「あぁ。カラーリング以外は殆どシャッコーと同じだ」

 

唸り、緑の一つ角のシャッコーを眺めるヤザンとカテジナ。

シャッコーを良く知る両名が並んだ機体をしげしげと観察していると、メガネをかけた水色の作業服姿の女性が足早にヤザンらへ駆け寄って来た。

 

「お久しぶりです、隊長」

 

「ん?ミズホ・ミネガン…だったな」

 

「え…は、はい!私なんぞの一介のメカマンを覚えていて下さって嬉しいですよ、隊長」

 

メキシコの支部(タンピコ)に行くのではなかったか?」

 

そう言うとミズホは驚いた顔を見せる。

まさか自分のような端っぱの一メカニックとの雑談を覚えているとは思わなかったのだ。

ヤザンという人は整備士とパイロットの顔を覚えるのは人一倍早い。

 

「その予定でしたが、

新型の開発にかかりきりで殆どのスタッフがタンピコ行きは無しになったんです」

 

そこで興味深そうに、ストライカーが集団の中から一歩前へ出てくる。

 

「ガンイージをブラスタータイプへ簡易改修するだけって話が、一から新型を造る事になったって…アイツのことか?」

 

ミズホは頷いた。

 

「そうです。隊長が使ったシャッコーのデータがあまりに優秀で、ミューラ先輩がフレーム(基礎構造)を見直そうって言い出して…。

シャッコーから取れたデータを元にガンイージをフレームから改修していったら、ほぼ新造の別機体になりましたってオチです…あはは」

 

そう言ったミズホの顔は笑いながらも引きつっていた。

ミューラというのはこういう無茶を良くやる人だ。

天才的かつ独善的な部分があって、一度天啓を得てしまうとスタッフが眠る深夜だろうが疲労困憊の完徹明けだろうが皆にその閃きをフィードバックさせる。

そして有無を言わさず突貫作業に入ってしまうのだ。

ミューラ・ミゲルが忌避される先輩であるのはこういう所にも由来する。

リガ・ミリティアの次期主力としてガンブラスターへの改良だけで済む筈が、突然、殺人的短期間で新型量産機を1機種7機造らされたホラズムの開発スタッフには同情してもし足りない。

だがそんな事はお構いなしにストライカーは矢継ぎ早にミズホへ質問を飛ばす。

 

「ってことはあれは一応ガンイージの改良型なのか…ガンイージの面影は皆無だな。色ぐらいか?」

 

「その通りですけど、内部は意外とガンイージと共通パーツが多いですよ。

ま、パーツまで一から新造する余裕が無かったってのが主な理由なんですけどね…。

でもお陰でガンイージは勿論、Vタイプとも部品は互換性がありますから整備性は良好です。

フレームと装甲と…幾つかの武装が新造ってことになりますね」

 

熱心に頷きながらストライカーはミズホの説明に耳を傾ける。

ストライカーもまた、ヤザンと共にシャッコーと関わる事が多かったから愛着もある。

そのシャッコーの面影が色濃いあの新型達への興味は強い。

 

「そうか。俺はカミオン隊の整備主任だし、あっちでデータを見ても?」

 

「ええ、どうぞ。行って下さい。私は隊長達に説明を続けますので」

 

普段は無口で武骨なタイプのストライカーが、まるで童子のようにそわそわとMSの診断コンピューターへまっしぐらだ。

そんなストライカーを目だけで見送ったヤザンがミズホへ尋ねる。

 

「あいつの名は?」

 

()()・シャッコーです」

 

「リガ…リガ・ミリティアのシャッコーってこと?安易ね」

 

カテジナの感想は的を得ていた。

確かに、と皆も思ったがそれぐらいシンプルな方が分かりやすいというものだ。

それに、ホラズムの技術者連中にとっての本命はリガ・シャッコー(シャッコー量産型)ではなく、更に隣の格納庫ブロックに鎮座する()()()()新型MSだった。

 

「リガ・シャッコーも私達の苦心の作ですけど、ミューラ先輩の一番の目玉はあっちのドックにあります」

 

ミズホに先導され、パイロット達が隣の格納庫へと移動していく。

 

「あれが完成したのか」

 

その目玉商品について、ある程度はヤザンも知っていた。

それのプロトタイプのテスト期には、既にヤザンは最前線で激戦の中にいたからテストには参加出来なかったものの、ミューラは独自の伝手で元連邦の凄腕パイロットにテストパイロットを依頼したらしいが、詳細は不明であるのはいかにも秘密主義のゲリラ組織、リガ・ミリティアらしい。

ミズホは振り返ること無く、歩きながらヤザンへ返した。

 

「ええ、とうとう完成しました。

リガ・シャッコーのせいで少し遅れてしまいましたけどね…。

隊長には是非、乗り心地を試して貰いたいとミューラ先輩も言ってましたよ」

 

ご覧ください、とミズホも胸を張ってそのMSを披露した。

ハンガーに固定されている2機のVタイプ。

ヴィクトリーガンダムとは違い、青のカラーリングが主張していて、何より目を引くのは胸部から襟を通り、背後に突き出るような〝Vの字〟である。

 

「形式番号LM314V21、V2ガンダムです!

我らがリガ・ミリティアの象徴たるフラッグシップ機ですよ!」

 

おぉ、とパイロット達から小さな歓声が湧き上がる。

しかし、ミズホが喜んでもらいたいMS隊統括のヤザン・ゲーブル隊長の反応はいまいちだ。

 

「あれ?喜んだり驚いたり…しないんですか?」

 

「そう言われてもな。見た目が玩具のようなVタイプの新型としか分からん。

例の…ミノフスキー・ドライブは搭載しているのだろうな、というのは分かるがな」

 

「それですよ!ミノフスキー・ドライブ!

半永久機関ですよ!人類史に名を刻む大発明なんですよこれは!

リガ・ミリティアが潜伏地下組織でなければ、今が戦時中でなければ!連邦高官も各メディアも各コロニー代表も呼んでの大々的セレモニーで発表すべき大発明を我らは成し遂げたんですよ!?

ヘリウム3と一度反応させれば、ジェネレーターから発生する電力を直接推進力にし、以後は推進剤不要でIフィールドの斤力を任意方向に発生させ続けます!

これは機体に推進剤を貯蔵する必要も無いという事で、しかもロケット燃焼と違い――」

 

「あー、もういい。わかった」

 

ヤザンがいかにも面倒そうに掌を一回()()()かせた。

 

「え」

 

「俺達はパイロットだ。技術畑の話は最低限で良い。

そういうのはストライカーにでもしておいてくれ」

 

「…わかりました」

 

見るからにしょんぼりした様子で、ミズホはとぼとぼと機体の足元まで一行を誘導。

コクピットへのウィンチを降ろすと、皆へ分かりきった事を尋ねる。

 

「では、早速乗ってみますか?」

 

「フン…ようやくか。YESだ」

 

パイロット達は待ってましたとばかりに皆が勇猛に微笑んだ。

ヤザンがオリファーを呼び寄せ、彼の背を叩きつつ共に駆け出すと、当たり前のように2人は2機しかないV2へと向かう。

残されたシュラク隊の3人…

ジュンコ、ヘレン、ケイトとそしてマーベットとカテジナは互いに見合って肩を竦めた。

きかん坊にフラッグシップのテストは譲ってやるらしい。

 

「じゃ、あたし達はあっちのリガ・シャッコーってことね」

 

「しかたないわね。ああいう男だし」

 

マーベットにカテジナは気軽に返しつつ、シュラク隊らと共に軽い駆け足で先程の格納庫へと回れ右。

ミズホはレシーバーから館内放送で皆に新型機が動き出す旨を周知。

各作業員も慌てて動き出した。

 

『ミズホ、折角シャッコーの量産型があれだけあるんだ。5機じゃ勿体ない。

俺とオリファー相手に模擬戦形式でやらせろ。

テストパイロットとやらはどこにいる』

 

既にコクピットに収まってスピーカーで足元の女整備士へ要求を飛ばすヤザン。

なんとも迅速極まる動作だ。

カメラアイを琥珀色に光らせる青い新型を見上げ、ミズホは大きな声で怒鳴るように返した。

 

「フランチェスカとミリエラですね!今呼んできますから先に上がってて下さい!

第1演習場が使えます!」

 

ミズホに言われ、迷うこと無くV2の脚を大型エレベーターへと運んでいくヤザンとオリファー。

地球に降りる前はホラズム(ここ)でヴィクトリーとガンイージの試作機の更に試作機レベルの機体に関わっていたのだ。

古女房の実家ぐらいにはスイスイと歩ける。

 

『よォし…2人か。これでシュラク隊とマーベット、カテジナで2対7…面白くなりそうだ。

オリファー、久しぶりに俺達がヒヨッコをもんでやるとしようぜ』

 

『そううまくいきますかね…なにせこちらも新型ですよ?』

 

『貴様なら触れば分かるだろう。ヴィクトリーと基本周りは同じだ。

それに奴らだって新型なんだ…慣れてないのはお互い様さ』

 

V2は掌をグーパーと握り開きを繰り返し、頭部を360度回転させたりと、

一見奇妙な行動を繰り返しているがこれも立派な動作チェックだ。

 

『…確かに。

マーベット達も腕を上げてますけど、こちらも負けていられませんな、隊長。

隊長の足を引っ張らないよう気張らせてもらいます』

 

『フッ、その意気だ』

 

軽口を叩きあいながら2機の新型マシーンが軽快に脚を進める。

その挙動は軽い。

ヴィクトリーも軽さが売りではあったが、このV2は更に軽快で、これだけでヤザンはV2の運動性の凄まじさの片鱗を感じるのは流石ヤザン・ゲーブルだ。

 

(コイツは…良い機体だぜ。しかし、やはり俺にはガンダムタイプはしっくりこんな)

 

過去の因縁に、コクピットで独り自嘲的な笑みを浮かべ、ヤザンはV2のレバーを押し込んだ。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

数ヶ月前か、或いは数年前か。

久しぶりに見たような光景がそこには広がっている。

リガ・シャッコーがくたびれたようにして演習場に隣接する仮設ハンガーに着陸し、膝をつく。

鋼鉄が擦れる事が響いて火花が散る。

コクピットハッチを蹴飛ばすように開いてカテジナ・ルースが顔を出し、怒鳴った。

 

「推進剤とライフルへの補給、頼む!」

 

慌ただしく整備士連中を指揮しているミズホと、早速現場入りして手伝っているストライカー、クッフ、そしてロメロ爺さん達。

7機のリガ・シャッコーは引っ切り無し補給に降りてくるが、

いきなりこれ程に雑で激しい訓練に担ぎ出されても未だに脆い関節シリンダーやモーターにガタは来ていない。

同じような激しい訓練をジェムズガンやジャベリンでやった時には、同じ訓練時間で3回は何らかのパーツ交換が発生していただろう。

合体変形機構を持つヴィクトリーや、コストダウンを図ったガンイージもそこまで堅牢な作りではない。

やはりパーツ交換が1回は発生したと思われるが ――ヴィクトリーならばブーツやハンガー交換―― このリガ・シャッコーはそれが一度もないのは、やはり基礎構造がダンチに堅牢なのだ。

シャッコーのフレーム設計の優秀さがここでも証明された形になったといえる。

 

ロメロが年の割にハッキリした呂律でカテジナへ怒鳴り返した。

 

「カテジナさんは後3分まってくれぃ!まだジュンコの補給が終わっとらん!」

 

「こっちの補給が先だ!スコアで押し負けてるって見て分からないの!?爺さんは!」

 

「誰が爺じゃ!見て分かっとるわ!順番は待て!」

 

「おーい爺さん!こっちの補給もしてってさっき言ったのにまだぁ!?」

 

カテジナに続いて急かしてくるのは、カテジナの数十秒前に仮設ハンガーに着陸したフランチェスカ・オハラ。

ホラズムでリガ・シャッコーやガンブラスター、ヴィクトリーの追加装備型の試験を担当していた2名のパイロットのうちの1人だ。

オレンジ掛かったセミロングウルフが活発なイメージを醸し出し、褐色の肌と翡翠色の瞳のカラーバランスはその活発なイメージをより顕著にさせるが、実際にフランチェスカは活発でボーイッシュな女だった。

初対面の老人に対しても一切の物怖じも遠慮もなく注文を飛ばしていた。

 

「ぬぁー!そっちにはクッフがいるじゃろが!」

 

油で汚れた手にもったスパナでテンガロンハット男を指差せば、その男も怒鳴り返す。

 

「無理っす!こっち手一杯!」

 

ロメロは薄くなっている頭髪を引き抜かんばかりに白髪頭を掻き毟った。

 

「まぁったく!爺をこき使うな!」

 

「そんな年でこんな可愛くて若い女に頼られるなんて果報者でしょ」

 

「かぁー!口の減らん新入りじゃ!隊長にもっとしごいてこらえ!」

 

「へへー、そんなの望む所ってね」

 

ロメロをからかうようにしていたフランチェスカの顔が緩む。

ヤザンとのこの激しい模擬戦を、彼女は寧ろ喜んですらいた。

 

ブースターの音高らかにジュンコ機のリガ・シャッコーが飛び立っていき、

今も演習場領域でヤザンに食らいついている仲間の援護に向かい、

そして入れ違って次のリガ・シャッコーが補給を求めて着地する。

 

『フラニーはヤザン総隊長のファンだからね。爺さん、そんな叱り方じゃそいつ堪えないよ』

 

集音センサーでさっきの会話を聞いていたのだろう。

着地したパイロット、ミリエラが笑いを含みながらスピーカーで言えば、ロメロは忌々しそうにリガ・シャッコー達を見上げて「ふん!」と鼻息荒くも黙ったまま作業に没頭しだした。

相手をするだけ無駄だと悟ったらしい。

 

「あっ、撃墜判定…」

 

フランチェスカ・オハラ…愛称フラニーが、ふらふらと演習場に力無く着地したヘレン機を見ながら呟く。

フラニーは悔しそうに瞳を歪めたが、

 

「…さすが…ティターンズのヤザン・ゲーブル…すごい」

 

続けて吐き出した呟きにはひたすら感嘆と尊敬が滲む。

パイロットのバイタルが許す限り、無補給で全力戦闘ができるV2ガンダム。

フラニーだけでなく、整備士連中も新型を乗りこなすヤザンの動きに見惚れていた。

たった1機で戦局を左右する…そんな夢物語は、

ミノフスキー・ドライブとヤザン・ゲーブルならば叶う…その場にいた皆はそう感じていた。

 




リガ・シャッコーはリグ・シャッコーとほぼ同じです。
イメージとしてはV-MSVのリグ・シャッコー(グラスホッパー隊仕様)。


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妖獣の足音

リガ・ミリティアがセント・ジョセフに入港して幾許かが経った。

その事は既にニュースとして全世界にばら撒かれている。

隠密行動が出来ずそのデメリットは大きいが、世間を味方に付けている証拠でもあるし、補給物資の調達も各機関への協力関係の打診もスムーズだ。マスメディアを邪険には扱えなかった。

大衆へのパフォーマンスも必要であると、伯爵は〝真なるジン・ジャハナム〟からも指令を受けていて、そしてそれは活躍の中心にいるカミオン隊の役目であるとも言い渡されていたからだ。

メディアの相手は専ら伯爵が引き受けてくれているが、機密は守るとしても写真や映像が撮られるのを遠方からでも許可すれば少々の情報は漏れてしまうのは避けられない。

 

ベスパの諜報員(スパイ)は数も少なくなり、よりコソコソと活動する事を余儀なくされているが、それでも大きな都市に存在している。

スーツ姿の男女がまるでカップルのように港を彷徨いているが、それはよくよく見れば訓練された者の佇まいであった。

彼らのかける厚手のフレームのメガネは、ズーム・録画機能も通信機能もある代物。

今をときめくリガ・ミリティアの艦を、遠くのドック越しでも良いから拝もうと集まった野次馬の中から、時に服を変え髪型を変え時刻を変えて監視を続けていた。

 

そして、その監視者達はきちんと己の仕事を全うできるだけの能力があった。

ドックの周りを子供連れ10人程度のグループが歩いている。

珍しくはない。

今はこの港には観光客や子供連れの船好き、ミリタリー好き等が多いからだ。

しかし、そういった子供達は皆首を伸ばして屋根付きドック施設の隙間からリーンホースJrが見えないかと無駄な努力をしていたりしているものだが、そのグループの子供達は明るい顔で騒いでいながらもドックにはさして興味もなさそうだったのだ。

では艦を見たがる大人に率いられた何らかのスクール集団かと言われればそれも違うだろう。

大人達は皆、時折キョロキョロと周囲を警戒していた。

大人達の警戒のしようはさり気ない。

しかし確実に彼らが警戒しているのが、経験上スパイには分かった。

 

(…そういえば、リガ・ミリティアは子供達を使う非情の組織ではないか)

 

そしてそれを思い出せば、その集団がリガ・ミリティアのメンバーである確率が彼らの中で跳ね上がる。

映像データを仲間内で拡散、周知し、人員を増やしてその子供達をマークしていると、何とミドルスクールにも届いていいなさそうな幼気(いたいけ)な少年少女までがいて、しかもその中の褐色の少女はずっと赤子をおぶらされているではないか。

 

「リガ・ミリティアめ…なんて奴らだ。あんな小さい子供達をぞろぞろと…少年兵にでも使うつもりか」

 

「それならまだマシかもしれんな。ひょっとしたら…人間爆弾に使う可能性もある」

 

「…あぁ、聞いたことがある。

旧世紀、中東の紛争辺りでは積極的に使われたそうじゃないか。

リガ・ミリティアならやりかねん」

 

「一見、笑顔を浮かべて従順に大人に従っている…これは洗脳だろうな。

あのテロリスト共なら何をやっても不思議じゃない」

 

監視者達はそう言って忌々しげに顔を歪めた。

ギロチンと宗教洗脳のザンスカールではあるが、彼らにも彼らなりの正義と倫理観がある。

彼の価値観ではリガ・ミリティアは民衆を騙し扇動し、悪辣な権謀術数を用いる悪魔のような首魁ジン・ジャハナムが率いる、平然と民間を盾にする冷酷なテロ集団である。

ギロチンのザンスカール…テロのリガ・ミリティア…そのどちらも真実の一端を含んだ評価なのが、正義と悪は表裏一体という事だろう。

 

 

 

――

 

 

 

 

「ゲトル中佐。セント・ジョセフに潜らせている諜報員達からこのような報告が」

 

「見せろ」

 

暗号電文が出力されたペーパーを作戦参謀の若きキル・タンドンから受け取り、それに目を通すのはタシロ・ヴァゴ司令の副官であったゲトル・デプレ中佐だ。

彼は今、本国で査問委員会に掛けられているタシロ大佐に変わって一小艦隊を預かる司令代行という立場になっている。

本国に大佐と共に敗走した彼は、地上での宇宙引越公社ビル爆破の責任を追求されたが、それを不問にしタシロ大佐へ肩代わりさせるかわりに、タシロ派閥を纏めカガチに忠誠を尽くすよう求められていた。

ゲトルはそれを二つ返事で了承し、そしてカガチの狗として新型戦艦を中心とした少数ながらも強力無比な戦力を預けられていたのだ。

しかし、その一方で未だにタシロとも連絡を取り繋がってもいる。

ゲトルはタシロの密命でカガチに乗り換えているのだった。

カガチを油断させ、カガチの足元を掬うためのカガチ派への転向。

それを、誰からも小物としか思われていない、侮られているゲトルだからこそ上手く熟せる。

上官達の様々な不幸が己の幸運となって、ゲトル・デプレは不可思議な出世を遂げていた。

 

そして当然、そういった腹芸を、ゲトルはタシロへの忠誠心からやっているわけではない。

ゲトルの本心は、タシロとカガチとの間を渡り泳ぎ、機を見て勝ち馬に乗ることだけだった。

誰からも小物と思われているゲトルは、やはり小心者の鬱屈した小さな野心家であった。

 

「…オイ・ニュングは月のセント・ジョセフを最後に姿をくらましている。

やはりあの付近にリガ・ミリティアの拠点があるのだな」

(…ファラ・グリフォンですら、とうとう地球では捕らえられなかったオイ・ニュング…。

邪魔ったらしいコバエめ。引越公社を抱き込み、メディア戦術まで展開する小賢しさ…。

ファラが地球で奴を始末していれば、こんな面倒な事にはならなかったものを)

 

現在、彼の艦隊〝モトラッド艦隊〟はカイラスギリーへと向かっている。

これは、カガチとズガンが、いつでも本国を狙い撃てるカイラスギリーをそのままリガ・ミリティアの手に委ねておくのは危険と判断したからだ。

リガ・ミリティアがカイラスギリーを修復してしまう前に、必ず何とかする必要があった。

しかしズガン艦隊とその他の艦隊は、フロンティア艦隊、マケドニア連合艦隊と未だにやりあっていて動けない。

だからこのモトラッド艦隊を遊撃艦隊とし自在に動ける手駒にしつつ、少数ではあっても極めて危険なMSとパイロットを所属させたのだ。

それは、バグレ艦隊とカイラスギリーを殲滅するに足るモノ達である。

小心な野心家が、己の器を越えた自由裁量権と戦力を預けられたという事だ。

 

「…間もなくカイラスギリーのリガ・ミリティア艦隊と接敵する。

総員、第二戦闘配置から第一戦闘配置へと移行せよ。パイロットはコクピット待機。

……キル・タンドン、例の4人…仕上がりはどうか」

 

ゲトルがキル・タンドンへと確認すれば、若き作戦参謀も少々悪人染みた笑みを浮かべた。

 

「ファラ・グリフォンとザンネックは安定しています。

またアルベオ・ピピニーデンとルペ・シノも精神状態は良好であります」

 

「かつてのピピニーデン・サーカスも今や強化人間となって私の指揮下…。

ふふ…ファラ・グリフォンといい…哀れなものだが、人間落ち目になればあんなものだろうな。

…戦場での監視役にはブロッホ少尉だったか?」

 

「はい。少尉ならば充分に役目を果たしてくれるでしょう」

 

ゲトルは静かに、そうだな、と呟き微笑む。

そして心の中で独り言葉を続けていた。

 

(ふふふ…ファラ・グリフォン…オイ・ニュングの件は貴方の尻ぬぐいですが、それでもあなたには感謝していますよ。

あなたが失態を重ねたから私に陽の光が射したのですからね。

そしてここでも、あなたは私のために働いてくれる…感謝してもしたりませんなぁ。

貴方の、パイロットとしての力でカイラスギリーを再奪取、もしくは破壊した後は…このまま月でオイ・ニュングを始末してみせましょう。

そうすれば、私は一躍、英雄だ…かつての、あの憧れの…美しくも邪魔だった上官が…こうして私の立身の踏み台になる。

人生とは面白いものですなぁ…く、くくく)

 

自分を良いように使うタシロもカガチも、一気に超えて女王に近づくチャンスかもしれない。

ファラ・グリフォンの時はそれが出来たのだから、一度起きた事は二度目も無いとは言い切れない。

〝二度ある事は三度ある〟とも古来言われる。

ゲトルはそう思ってしまい、そして彼がいくら小物とはいえ、チャンスと思えたそれをむざむざ()()にする程無欲な男ではない。

幸運にまみれた上官越えを経験してしまい、今、武力を持った小物な野心家はまことに危険で甘美な罠に陥りだしている。

一家庭人として見れば、まだ善良で常識的であったゲトルだが、今では甘美な罠に堕ちてそういった美点も汚れつつあった。

化学反応が起きてしまっていた。

その結果幾分によっては、この分不相応な欲望に飲まれた小人物は、後に大きな災いとなって月を襲うことになるだろう。

一度起きた事は二度目も無いとは言い切れない。

ジブラルタルで永世中立の引越公社ビルを爆破したような凄惨な事件だって、愚か者がいれば何度だって起きるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

バイク戦艦アドラステアの格納庫。

そこには幾つものMSが稼働状態で佇んでいる。

ベスパのメカマンにとって多数の〝タイヤ〟が並ぶ光景は異様で、またその搭載機の中に一際異彩を放つマシーン達がいた。

まずはゲンガオゾ。

以前は欠けていた装甲が万全となり、背の〝雷鼓〟もサイコミュシステムの調整は、新たなパイロットとの同調がなされている。

登録パイロット、ルペ・シノ。

彼女はゲンガオゾのコクピットの中に赤子の人形を持ち込んでいて、それに向かって何かを囁いていた。

 

「あぁ、またあの坊やに会いたい。会いたいね…。

そうしたら…あの坊やは私の子宮の中に宿ってくれるんだ。

あんなスペシャルな子供がいたら母親をやるのもきっと良いものさ。

あぁ坊や…お母さんはここにいるんだよ…」

 

ルペ・シノは赤子の人形に頬を艶やかな手つきで擦る。

ルペ・シノが思うのは戦場で出会った無垢な少年の事だけだった。

戦場という血で血を洗う、女でいられないあの狂気の空間で、彼女に母親であることの希望を教えてくれた少年。

出会っただけで、その希望をあの少年は教えてくれた。

だからもう一度出逢えば、あの少年は今度は自分の女の宮殿に戻ってきてくれるに違いないとルペ・シノは思い込んでいる。

ルペ・シノにとって、MSの装甲越しに一度声を交わしただけのあの少年は天使のように昇華されて魂に張り付いていた。

 

そんなルペ・シノのゲンガオゾの前方には2機の大型マシーンが巨大なクレーンに吊るされている。

胴体だけでMSを超える巨体であり、胴体下部は長い長い蛇の尾のようで、東洋の龍のようなモンスター的外見である。

鋼鉄の怪物はその尾をタイヤのように丸めて腹に抱え込み、物言わず静かに眠っていた。

その怪物…緑色と橙色の同型機は名をドッゴーラといった。

緑の1号機ノーマルタイプにはブロッホ少尉。

橙の2号機サイコミュ試験機にはピピニーデン大尉。

量産が叶えば連邦軍を全滅させられるとベスパの開発陣が太鼓判を押すMAで、ドッゴーラ1号機パイロットのブロッホはコクピットの中で忙しくチェックをしつつ、艦橋のキル・タンドンと通信もしていた。

 

「強化人間達ですが、暴走の危険性はないのですな?作戦参謀」

 

「ブロッホ少尉。サイコ研の技術力を信じてもらいたいものです」

 

「しかしファラは以前、精神を著しく乱し敵前逃亡をしたとか」

 

「それはサイコミュ・デバイスの不調による一時的な錯乱が原因と判明しているのですよ。

既にその問題はクリアされて何ら問題はありません」

 

「信じていいのでしょうな」

 

「無論です」

 

通信機越しにキル・タンドンは自信たっぷりにそう言い切ったが、無論嘘だった。

ゲトルにさえ嘘を言っている。

ファラ・グリフォンはともかく、ピピニーデンとルペ・シノに関しては短期間での強化処置であるから無理が祟っている。

既に自我の4割までが壊れたのをサイコ研は確認しており、脳組織に直接埋め込んだデバイスがなければ命令もろくに聞けない有様だった。

搭乗機の性能もあって、それはまるで爆弾だ。

カガチがそんな爆弾をゲトルのモトラッド艦隊に押し込んだのは、つまりはその程度の信頼度しかないという事なのかもしれない。

〝兵器〟としての信頼度は低いが、その破壊力と爆発力はただ捨てるのは惜しい…「爆発するなら、精々カイラスギリーのバグレ艦隊か、それともカミオン隊を巻き込んで派手に爆発してくれ」…そんなカガチの願いであろうか。

 

「…了解です」

 

不満を隠すこともせず、ブロッホは厳つい顔に険しいシワを浮かべて作戦参謀との通信を切り、そして即座に監視対象の強化人間達へ通信チャンネルを開いた。

 

「ルペ・シノ中尉、ピピニーデン大尉、ファラ中佐…調子はどうです」

 

監視対象であり不出来な人形として内心見下しているものの、階級は全員上だ。

最低限の作法を守って彼らに声をかけるが、返事はそっけないものが返ってくるだけだった。

ピピニーデンは「問題はない」と機械的に答え、ルペ・シノは「今日は私の子がよく泣くんだ…きっと坊やには会えないね」等と訳の分からない事を宣い、ファラ・グリフォンはただ笑っているだけだった。

 

(…人形どもめ。戦場は…貴様らのようなモルモットや女子供がしゃしゃる場所じゃない。

俺のような…男の戦士の為の場所なのだ)

 

ブロッホは直様通信を切断し、思い切り舌を打つ。

 

(こんな狂った人形どもの面倒など、どうしてこの俺が…貧乏クジというヤツか。

戦場であのヤザン・ゲーブルと遭えるかもしれないというのだけは救いだがな)

 

ブロッホの楽しみは、内心では尊敬するヤザン・ゲーブルとの邂逅だ。

味方として彼に教えを請いたい所であったが、敵ならば敵で楽しみは別にあった。

女子供への蔑視といい、戦場での楽しみ方といい、ブロッホという男は昔のヤザンの気質に似ていた。

ただヤザンとブロッホで決定的に違う所も多い。

柔軟性や頭の回転の速さや、それに投げ捨てるべき時にプライドを投げ捨てられる…そういう思い切りの良さだろう。

ヤザンは生き残るために無様であろうと惨めであろうと、そんな境遇を受け入れられる。

だからリガ・ミリティアという民間ゲリラ組織が貧乏な小規模所帯の時から、こそこそと汚い仕事で食い扶持を稼げた。

ブロッホは少々プライドが高すぎて頭の固い所があるように見受けられた。

 

「ヤザン・ゲーブルは月に行っただろうからカイラスギリーには残っていないだろうな…なら今回は人形共に精々暴れてもらうかな」

 

ドッゴーラの計器類のオールグリーンなのを確認しつつ、ブロッホは独りニヤつく。

監視役などと言っても、撤退タイミングや攻撃対象を提案するだけであり、今回のような、ただ暴れるだけの任務ならば手綱を放りっぱなしにするだけで良いから楽だとブロッホは思う。

 

そんな手綱を握るべき暴れ馬達…ルペ・シノはぶつぶつと子供への愛を語り、ピピニーデンは電池が切れているように見開いた目で虚空を見つめながら沈黙したまま。

そして、最後の1人…ファラ・グリフォンもやはりルペ・シノと似た症状を発現させているのだった。

 

ファラはゲンガオゾをルペ・シノに譲り、今は円盤のような異様な大型サブフライトシステムの上に鎮座し、静かにアイドリング状態になっているMSの中にいた。

それはまるで、旧世紀の極東の島国に大量に存在していた〝蓮の花に座すブッダ像〟のように厳かである。

アビゴルのようなトンガリ帽子頭の意匠を受け継いだ濃紫のマシーンの胸の奥で、パイロットのファラは独り静かに笑っていた。

 

「ふふ…ふふふ…鈴の音だ。綺麗だねぇ、メッチェ。

この音が聞こえる時は、お前は側にいてくれるから…だから好きだよ。

しかし、カイラスギリーの艦隊退治か。今回はつまらない戦いになる…しかしこのザンネックの初陣とテストには丁度いいかもしれん」

 

呟き笑う。

しかしファラ・グリフォンはルペ・シノやピピニーデンとは既に別の領域の完成度へと至っていた。

妖しい精神と共に、かつての〝ファラ司令〟のような冷静な思考を取り戻しつつあった。

彼女がブロッホに明確な返事を返さなかったのは、単にモヒカン頭の少尉殿を小馬鹿にしていたからで、相手にする気も起きないというファラだった。

 

「ザンネックの盾には、ゲンガオゾとドッゴーラにやって貰えれば…このザンネックに敵はない」

 

リィン、という鈴の音が女の耳飾りと額飾りから美しく響いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウッソの月での日々は穏やかで充実していた。

母と再会してからは寝食を共にして昔のような家族生活をしているし、幼馴染の少女と共にウーイッグとは一味違う初めて見る本格的大都会で一緒にショッピングなどを楽しんで、先日などはついにファーストキスなどを経験してしまった。

相手は勿論、シャクティ・カリンだ。

デート中、話題がヤザンのものになり最初は上官のパイロットとしての腕前やMSの話題で、次いでプライベートでは意外と優しくて面倒見が良いとかの話で、そしてヤザンの派手な女性関係の話題となって、いつかの生々しいカテジナの一件を話題としてしまい、ウッソとシャクティの心理が淡い色恋に傾いた時にウッソは妹のように思っていた幼馴染の少女の横顔を見てときめいた。

シャクティの頬も紅くなっていたのを見て、その時周囲に人気の無かったことからつい勢い付いてしまったのだった。

唇が離れた時、「あ…」と呟き水気のある口元を抑えるシャクティの仕草に、ウッソは不覚にもまた心ときめいた。

それからは互いに口数も少なって、しかししっかりと手を握り合って街を散策したが、帰ってきた時にはお互い、いつものようになれたとウッソは思う。

少なくともそう見えるよう必死に頑張ったのは確かだ。

 

ウッソの見た所、どうもオデロやウォレンも皆の目を盗んで、それぞれエリシャ、マルチナと密会をしているようだ。

しかし、恋慕する少女達との逢瀬を重ねつつも、少年達同士でも新型MSの調整や訓練の合間にバカ騒ぎをする良き時間がある。

ウッソ・エヴィンの今までの短い人生の中でも最も充実した日々だったかもしれない。

尊敬できる大人と、大好きな母と、恋い焦がれ触れ合いたいと思える少女。友人達。

シャクティもまた、同世代同性のクランスキー姉妹やスージィと良き関係を築き始めているし、クロノクルとカルルマンとは本当の家族のようになってきている。

カサレリアの森の土と動植物と触れ合う日常にこそ戻るべきとウッソもシャクティも思っているが、こういう充実具合も悪くはなかった。

 

そんなウッソの月での主な仕事はやはりパイロットだ。

母とヤザン、シュラク隊とオリファー、マーベット、カテジナ達と、日夜、協議したり試行錯誤を繰り返してV2やリガ・シャッコーのモーションデータをより洗練していき、微々たる問題点も洗い出していく。

そして改善し、また試験と訓練。

パイロット達もモビルスーツ達もより洗練させていく。

 

戦力を急激に増加させるカミオン隊…しかし問題点がないわけじゃない。

 

「ミューラ、このアビゴルの修理が出来ないってのは確かか」

 

格納庫でV2のミノフスキー・シールドを調整するミューラ・ミゲルの元にやってきたヤザンが、診断機に寄りかかりながら不満気に彼女に言った。

ミューラは視線をV2に向けたまま、手を休めることなく「そうよ」とそっけない返事を投げてよこした。

ヤザンの薄い眉がひん曲がる。

 

ホラズム(ここ)でも直せんのか」

 

「出来ないことはないけれど…。

両脚も無くなってるし、内部機構にもガタが来ているから、修理のレベルじゃなくなるわね。

あなた程の人がここまでの状態に乗機をされるなんて、相手はよっぽどバケモノだったのかしら。

今は特殊機のアビゴルをわざわざ作り直すよりも、リガ・シャッコーの追加生産とV2の完成度を高める方が優先なのよ」

 

「なら、シャッコーはどうして直した」

 

「あれはリガ・シャッコーのオリジナル機だし、拡張性と互換性があるからよ。

アビゴルなんて、殆ど全部の部品が特注じゃない。

性能が良いのは認めるけど、今のリガ・ミリティアにはあんな使い回せない金食い虫に構ってる余裕は無いわ」

 

相変わらずミューラは冷たい物の言い方をする女だった。

ヤザンの鼻から溜息が漏れ、リーゼント頭を手で一度擦る。

 

「やれやれ、じゃあアビゴルはここでスクラップかよ。

お気に入りだったんだがな」

 

「あなたにはV2があるでしょう」

 

「あれは気にいらん」

 

「…どこがかしら?」

 

そこでようやくミューラが視線をヤザンへ向けた。

自分の渾身の傑作機を気に入らないと言われた技術屋の顔は少し険を帯びる。

 

「性能は申し分ないがまずは配色だな。あれじゃあガキの玩具だぜ。

次に、何よりもガンダムタイプの顔が気に食わんよ」

 

己の生涯最高の傑作を、自慢の性能とは全く別ベクトルから〝オモチャ〟とけなすヤザンに、ミューラはムッとした顔で早い口調で捲し立てた。

 

「V2は自由と解放の旗持ちよ。象徴なの。

白は清廉と純血、平等…青は自由と、地球の空、海、川、湖…調和と解放。

黄色は太陽の光と勝利。

そしてガンダムフェイスは、弾圧への反抗の精神が宿るガンダム伝説にあやかっていて、

全てに意味があり、そして性能は現行機種を圧倒的に引き離す隔絶したものを持っている。

リガ・ミリティアの大義を示す概念としてのMSなの。

間違いなく歴史に残る、MS開発史観の大転換となるべきマシーンよ。

あなたこそ子供じゃあるまいし…我慢なさいな」

 

こんこんと説明を受けてもヤザンの表情は明るくはならない。

 

「ほぉ…そんな大層な意味をこじつけたか。ご立派だな」

 

「あなたはリガ・ミリティアを導くMS隊統括で、同時にエースパイロットでしょう?

さっさと納得してちょうだい。

あなたがV2に乗らないなんて、そんな非合理的な事は許されないわよ」

 

「チッ…そんな事は分かっているんだよ」

 

思い切り顔をしかめてヤザンは渋々といった様子で納得した。

最初から納得はしていたのだろう。

今回のアビゴルの件は、一応ダメ元で…といった所である。

 

「だがアビゴルもスクラップにするだけじゃ芸があるまい?」

 

「それはそうね。最初からアビゴルはバラして使える所は再利用する予定よ。

あのジェネレーターとビームキャノンなんかは、そのまま大型キャノンに化けそうだし…。

ご希望ならビームサイスもあなたのV2に搭載してあげましょうか?」

 

「そいつはいいな。せめてもの気休めだ。

他にもビームネットと海ヘビも頼むぞ」

 

「海ヘビならもうV2の腰に付けてある。

ビームネットは…まぁ考えておいてあげますけど私も忙しいから、次の戦闘までに間に合うか分からないわね」

 

ミューラ・ミゲルがヤザンと話す時、その口調はいつだって妙に高圧的だった。

しかしそれはヤザンも悪い。

相性が良くないと理解し合っている2人は、自然と口調が挑発的だったりになりがちなのだ。

 

「確かにな。モビルスーツだけじゃなく、捕虜の尋問も忙しいんだろう?」

 

「…」

 

ミューラの目がやや鋭くなり、黙ったままヤザンを見据える。

ヤザンは冗談を言うような雰囲気でその鋭さに悠然と切り込んでいく。

 

「パイプラインを通してここに持ってきたのはシャッコーとアビゴルだけじゃないからなァ。

リーンホースに捕らえていた人食い虎…ゴッドワルド・ハインとその部下達もここに移ったってな。

あいつらは元気か?」

 

「ええ。まだ生きているわよ?会いたいの?」

 

「会ったら、その有様を見て貴様を殺すかもしれん。止めておこう」

 

ミューラ・ミゲルは極めて優秀なMS技師というだけでなく、ザンスカールの諜報部がマークする冷酷なテロリストでもある。

MS開発から破壊工作、殺人、何でもござれだ。

当然、拷問も…である。

情報を引き出す為なら、軍が条約で禁ずるあらゆる非人道的な尋問を実行する事を厭わない。

ゴッドワルド・ハインとその部下達も、MSの仕事が終わった後のミューラによって、その〝尋問〟を受けているだろう事は想像に易い。

ゴッドワルドは厳しい訓練を積み、相応の覚悟を抱いている屈強な軍人だ。

そういうのも想定の内だろう。

だが、それはヤザンから見ても気持ちの良いものではない。

オイ・ニュングの拷問程度ならばヤザンも戦争の暗部として受け入れているが、ミューラの拷問は度を越すのだ。

屈強な軍人であればあるほど、果たしてゴッドワルドが人間の形をどこまで保っているのかが気掛かりだった。

憐れにも思う。

 

「…やり過ぎれば無駄な恨みになるぜ、ミューラ・ミゲル。

一思いに殺すのも慈悲だ」

 

「引き出せそうな情報を全部出せたら勿論そうするわ。

でも、まだまだ話せる事がありそうだしね…彼。

これも正義の勝利の為よ、隊長」

 

「…お前と話しているとティターンズの連中を思い出すな」

 

ヤザンは吐き捨てるようにそう言ったがミューラは少しも動じない。

 

「過去の伝説的精鋭部隊の人達に(なぞら)えて貰えるなんて光栄ね」

 

やはりミューラは顔色一変えずに冷たく言い放った。

こういう女であった。

息子のウッソには愛情を見せるものの、それすらも教育の合理的判断の一つではないかとすらヤザンには見える事がある。

結局、今の一連の会話にしても彼女が感情を動かしたのはV2への不満を言ってやった時だけなのだ。

ヤザンでさえ、ミューラ・ミゲルを恐ろしい女だと思う。

 

そして、このようなミューラと話していると、いつだってだんだんとヤザンは苛立ってくるのが分かった。

恐らくミューラ・ミゲルもヤザンと長時間会話をしていると不快なのだろう。

攻撃的口調が目立ってくると悟ると、双方どちらともなく自然と会話が終わりになるよう仕向ける。

今回はミューラからである。

 

「ゲーブル統括、話はこれで終わりでよくて?」

 

「うん?…あぁ、そうだな。終わりだ」

 

「それじゃあ、忙しいから失礼するわね」

 

ミューラはそれきりV2のミノフスキー・シールドのチェックに没頭し、ヤザンのことなどいないよう扱っていた。

フン、とヤザンの鼻が鳴る。

 

(冷たく、お高い女…か。同じお高く留まっても、カテジナの方が可愛気がある。

…よくもまぁ、こんな女からウッソのような聞き分けの良いヤツが生まれたもんだ)

 

遺伝子のイタズラというヤツをヤザン・ゲーブルは感じていた。

 



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這い寄りし妖獣

「っ、うぐ、おぇっ」

 

ボーイッシュな美少女、フランチェスカがヘルメットの中で嘔吐く。

全天周囲モニターの前方から高速で迫るV2ガンダムが、リガ・シャッコーのコクピットを金属の拳で殴打すれば嘔吐いた少女は更に激しく揺さぶられ「う、うわぁっ!」などと叫んだ。

この時代のMSのG耐性や衝撃制御の性能は、女子供さえMSでの戦闘を可能にする程優秀だが、執拗にコクピットを殴ってくる相手にはやはり辛い。

 

「こ、このぉ!」

 

フランチェスカは慌ててMSにサーベルを振らせたが、それは虚しく空を切る。

彼女の目の前にいたはずのガンダムタイプのMSは、リガ・シャッコーを殴り抜いた体勢のままにミノフスキー・ドライブの斤力と圧倒的なアポジによって高速の平行移動を行っていて、既にそこはもぬけの殻。

 

「わああ!!?」

 

リガ・シャッコーがまた揺れた。

背中からV2の蹴りがバックパックに刺さり、リガ・シャッコーは高速で月の重力に落ちていく。

だが激突はしない。

リガ・シャッコーのオートバランサーが機体を持ち直してくれる。

パイロットはフットペダルを吹かすだけで後はバイオコンピューターがある程度の曲芸飛行は熟してくれた。

 

「く、くそぉ…V2、速すぎだって…!え!?どこ!?」

 

全天周囲モニターに機影無し。

熱源センサーに反応有り。

 

「っ!そこ!」

 

振り向き様に、模擬戦用に出力調整されたビーム・ピストルの早撃ちを敵へ見舞うフラニー。

しかし既にそこにいた敵は、フラニーのその動きを知っていたかのように回避していた。

敵が笑う。

 

「良い反応だが!それは所詮機体性能だ。頼りすぎだな、フランチェスカ!」

 

「わ、わぁあっ!?っ、うっ、ぐ、ゲェぇ!」

 

回避しつつ突進してきたガンダムの蹴りがリガ・シャッコーのコクピットに命中。

嘔吐きつつも中身を撒き散らすことなく耐えていたフラニーは、最後の特大の衝撃にとうとうヘルメット内に半ばまで消化できていた朝飯をぶち撒けた。

「Biiiii…」という無情の機械音が模擬戦の終わりを告げる。

当たり前だが、フランチェスカの完敗だ。

6時間休み無しのチーム訓練と、その後の2時間の個人訓練の中で、彼女が教官…ヤザン・ゲーブルに一矢報いる事が出来た回数は0回だ。

 

酸っぱいもので口元を汚し、不快な感触に濡れる端正な顔面を歪めながらフラニーは唇を薄く噛み、直後に気の抜けたように笑った。

 

「はは…あ~、強ぉ…。これが、ヤザン・ゲーブルなんだ」

 

倒れたリガ・シャッコーの中でフラニーは心底満足気な溜息を漏らしながら、モニター向こうから自分にビームライフルを突きつけてくるガンダムを見上げていた。

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

「ねっ、隊長!隊長のティターンズ時代の話、今度こそ聞かせてください!」

 

フランチェスカは今日も元気よくヤザンの周りをウロチョロしている。

彼女の引き締まりながらも女性らしいラインを持つ尻に、ぴょこぴょこ揺れる犬の尻尾でも見えていそうだ。

ついでにオレンジ色の跳ねるセミロングヘアからは、見える人には犬の耳も見えるかもしれない。

まさに犬気質のフラニーは、飼い主に構って欲しいワンコロとなっていた。

 

「喧しいやつだ。俺の昔話なんざ聞いてる暇があったらシミュレーターでもやっていろ」

 

「先達の経験談は貴重でしょう?」

 

「参考程度にしておくんだな。ロートルの言葉は話半分で聞いとくもんだぜ」

 

「隊長はロートルなんかじゃありません!現役バリバリじゃないですか」

 

フラニーがヤザンの腕をとってくっつく。

薄い眉毛を歪めて軽く睨むヤザンだったが、彼女のこんな行動は既に何度目か…数えるのも馬鹿らしいくらい繰り返されている。

 

「暑苦しいンだよ。離れろ」

 

「いいじゃないですか、減るもんじゃないし」

 

フランチェスカのそんな積極的過ぎる様子を、シュラク隊達はそれぞれの感情がたっぷり籠もった目で眺めている。

 

「あんな強面のどこがいいのかね。フランチェスカって趣味悪いわよ」

 

「それをあたしらが言っても説得力ないんだな、これが」

 

ジュンコとヘレンが、ハンガーデッキの片隅のコンテナに腰掛けながらドリンクを啜っている。

 

「私は別にあの顔に惚れたわけじゃないからね」

 

「じゃああのフラニーもそうなんでしょ」

 

「隊長の良さは、一緒に背中を預けて戦わないと分からない。

フラニーのお嬢()()()はまだまだ隊長の本当の良さを知らないのよ」

 

わざわざちゃん付けを強調して彼女のおぼこい部分を揶揄するジュンコのその言葉に、にんまりとヘレンが笑う。

 

「いつの間にか、結構ジュンコもホの字じゃないのさ」

 

「そりゃ、命預けて、助けられて…ベッドの上でもあれだけ満足させられてればね…それで惚れない女っているのかしら」

 

「おっ、見なよジュンコ」

 

ヘレンが顎で方向を示し、ジュンコがその先へ視線を誘われれば、そこにいたのは金髪の令嬢。

またまたヘレンがにんまりと笑った。

 

「カテジナお嬢様のご登場だよ。見ものだね」

 

シュラク隊の年若い新参(フラニー)は可愛いと言えば可愛い。

フランチェスカ・オハラは分かりやすいサバサバとした性格をしているし、容姿もその性格の通りこざっぱりとした美形で、男女問わず見る人に好感を与えやすい。

シュラク隊の先輩であるジュンコ達への敬意も、その言動からは見られるし、新型のテストも任せられ、且つシュラク隊に抜擢されただけあってパイロットとしても良い。シュラク隊好みの人材だ。

しかし、フラニーの態度にはありありと、非常に分かりやすいヤザンへの好意があるから、パイロットとしては兎も角、女としてはシュラク隊達は心にモヤつくものがあった。

これ以上ライバルが増えるのは御免被りたいが、自分達も1人の(ヤザン)をシェアしてるから、「お前はダメ」とは強く言い辛いのだ。

だがこれ以上ヤザンの女が増えれば自分達への〝分前〟が減る。由々しき事態だ。

宇宙戦国時代真っ盛りの今、強いオスは希少であった。

だが、いくらヤザン・ゲーブルが強壮なオスであろうと体は一つなのだからシェアには限界がある。

そんなヤザンを見つめる金髪の令嬢。

 

「…」

 

黙ったままジトつく視線でヤザンと、そしてその腕に絡みつこうとするオレンジ髪の女を見つめていたがやがて嫌味ったらしく口を開いた。

 

「もう新しい雌犬を手懐けたのね?」

 

フン、と鼻を鳴らすカテジナは髪を掻き上げながら、背の高いヤザンを下から見下すように言えば、それがまた何やら可愛らしく、ヤザンは口の中で静かに笑いながら言い返した。

 

「俺もなかなかだろう?俺という奴はブリーダーの才能でもあるのかもしれんなァ」

 

「わっ」

 

言いつつヤザンはフランチェスカの肩を抱き寄せる。

それはまるで見せつけるようだ。

さっきまでは鬱陶しそうに邪険にしていたが、カテジナが絡んできたものだから面白がってついこうした。

フランチェスカは褐色の頬を少し赤く染めてヤザンのなすがままである。

カテジナへの()()()()()()にでもされているのかもしれないフランチェスカは少し哀れだが、ヤザンはこの肉付きの良いボーイッシュな女に性的魅力を感じないと言えば嘘になる。

ヤザンとて、むこうから嫌われていて、且つ己も興味がなければ魅力を感じない女にこういう事はさすがにしない。

 

一瞬、カテジナの鋭い目尻が釣り上がる。

だが、ここでカテジナも成長という名の変化を見せるのだった。

 

「…ふぅん…ま、いいわ。たまには摘み食いもしたくなるでしょうから」

 

明らかに目と声に怒気は込められている。

しかしカテジナは幾らかの余裕を見せたのだ。無理をしての虚勢かもしれないが、それでも虚勢を張れるだけの余裕と自信が芽生え始めていた。

これにはヤザンも悪人面の三白眼を少し見開いてカテジナを見呆けて、そして思わず聞き返した。

 

「なんだと?」

 

「摘み食いよ。その女との事。私以上じゃないって、抱けば分かる事でしょ」

 

カテジナの言い様にヤザンは小さく口笛を吹いた。

 

「驚いたな。あのキャンキャン喚く小娘はどこにいったんだ?」

 

「もう小娘じゃない」

 

「ハハハ!そうだな。確かにもう処女じゃない」

 

その言葉にカテジナの眉が不機嫌そうに歪んで、そして少し彼女の頬が紅くなる。

聞いていたフランチェスカの頬もそうなったのは、二人の会話を聞いて()()を想像したからだろうか。

だが、照れる以上にフランチェスカは不愉快だった。

目の前の金髪の御令嬢の、女としての余裕が気に食わない。

フランチェスカ(あんた)じゃヤザン・ゲーブルを分捕る事はできない…まるでそう言われているみたいだったからだ。

フランチェスカとて女である。

サバサバしていようが、ボーイッシュであろうが、女だてらにパイロットをやっていようが間違いなく女だった。

だからこうも喧嘩口調になって会話に割り込むのも仕方がない事だろう。

 

「ふーん、じゃあさ…問題ないってことだよね。今晩は、隊長はあたしのもんだ」

 

ヤザンの言葉には我慢をしてみせたカテジナだが、自分の後からリーンホースのMS隊に入ってきて好みの男を分捕ろうとしてみせる後輩女には同じ態度ではない。

…ハズだが、不気味なくらいニッコリと優しげに笑って後輩女を手招きした。

 

「面白い事を言うのね、あなた。こっち来なさいな。そういえば、まだちゃんと挨拶をしていなかったと思うから、よろしくといきましょうよ」

 

「…へ?」

 

そうだったかな?と思いつつも、確かに思い返してみると彼女の着任挨拶は目まぐるしい忙しい最中で行われた。

クルー全体への挨拶はデッキで済ませたが、個々への挨拶は順次、空いた時間で行っている状況で、確かにカテジナの番はまだだった。

喧嘩を売ったつもりが、そういう返しをされて少々拍子抜けながら、フランチェスカは素直に手招きに応じた。

それが甘かった。

 

――パンッ

 

乾いた音がして、そして段々とフランチェスカの頬がジンジンと熱くなった。

 

「な…」

 

フランチェスカが、自分が何をされたかに気付いたのは2秒か3秒経った後だ。

カテジナは冷たい笑顔でフランチェスカの頬を平手打ちしていた。

 

「とち狂ってお友達にでもなりにきたのかい?」

 

「ッ!コイツ!!」

 

カッとなって拳を作りカテジナに殴りかかろうとするフランチェスカ。

ヤザンはそれをいつでも止めることが出来る距離にいながら、だがほくそ笑みつつ止めない。

あっという間に取っ組み合いとなるのは当然だ。

遠巻きに見ていたシュラク隊のジュンコとヘレンも、まるで好きなスポーツ中継を観戦でもするような笑顔を浮かべてコンテナに深く腰掛け眺めている。

ヘレンなど、寧ろ自分も参加したそうに「やれー!そこだ!」などと野次を飛ばしていて、そんな騒動だからあっという間に人垣が出来るのは当たり前だ。

ハンガーデッキ中の整備士も集まり、やがて他のシュラク隊メンバーまで観戦に来て…ケンカなど娯楽の一種でしかない戦場の人間達はこんな事さえ楽しむ。

だが、乱痴気が過ぎれば娯楽も罰せられる。

そんな事は戦場生活が長いヤザンは充分知っている事だった。

 

「息抜きにはこういうのも必要だがな…おい!そろそろゲームセットだ!!」

 

カテジナとフランチェスカが同時に繰り出したビンタだか爪立て引っ掻きだかを、ヤザンはしっかりと左右の手で受け止め、女同士の戦いの終わりを宣言した。

それを見て、野次馬連中も「ここまでか。いやー見ものだったな」とか「キャットファイトって生で初めて見たぜ」とか好き勝手言って解散しだし、ジュンコとヘレン達も「ちぇっ、これからがいいトコだったのにね」「バーカ、あれでいいのよ。アレ以上やったらパイロット潰れるでしょ」「止めるタイミングどんぴしゃだね、隊長は」「そりゃ、本人も慣れてるでしょうからね。ケンカ(ああゆうの)」とまぁ、対岸の火事とばかりに他人事である。

 

「……ふぅー…!…ふーっ!」

 

「…っ、はなし、てよ!」

 

小綺麗な金髪が乱れ、顔に幾筋の引っかき傷を作ったカテジナ。

もともとくしゃくしゃ気味だった癖のあるオレンジ髪をさらにボサボサにし、右目に少しの青あざ、唇の端から流血のフランチェスカ。

両者鼻息荒く、腕をヤザンに捻じりあげられながらも互いを睨み合っている。

ヤザンはやはり愉快そうに微笑みながら、だが声だけはいっちょ前に怒ってみせた。

 

「いい加減にせんか。ゴメスが騒動を聞きつけるまでやり合うつもりかよ。やっこさんが来たら修正の鉄拳と始末書もんだぜ?その点俺は優しいもんだ。今のうちにやめとくんだな」

 

でないと俺も監督不行き届きで目玉を喰らう、と最後に悪戯小僧のようにヤザンは笑った。

 

「…ふぅ、ふぅ…ヤ、ヤザン隊長が…そう言うなら…」

 

肩で息をしつつフランチェスカは頷く。

もちろん、カテジナを強く睨んだままだが。

一方のカテジナも、

 

「…ふん!分かったから…離しなさいよ」

 

負けじとフランチェスカを睨みつけながらヤザンの手を振りほどくと、お次にヤザンを睨みながら突然に言いだした。

 

「今夜は開けときなさい。この責任はとってもらうから」

 

「俺がか?」

 

「当然でしょう?元はと言えば貴方が()()()()()煽ったからなんだから」

 

カテジナがそう言うと、フランチェスカも「あぁ~、まぁ…確かに」と控えめに呟きつつカテジナの言に乗っかって頷いていた。

ヤザンは痩けた頬を指で軽く描きながら、とぼけるように考え込むフリをしたが、もちろんそんな事でカテジナは話を流してはくれない。

一度食いついたら離さないのがカテジナという女だ。

 

「だから、今夜は貴方が私を慰めるの。いいわね?」

 

「あっ、じゃああたしもその権利があるって事だろ?ですよね、隊長!」

 

元気よくフランチェスカが手を挙げるが、それをカテジナは心底嫌そうに見つつ口を開く。

 

「なんであんたまで。後から来たんだから遠慮しなさいよ…!だいたい、あんたがヤザンに付きまとうからこうなる!」

 

「先に唾をつけた奴がエラいって誰が決めたんだよ!女の戦いに後も先もないね。男心と秋の空って、昔は言っただろ。お前みたいな女は男に飽きられるのがオチってね!」

 

「…ッ!どっちみちあんたが惨めになるだけよ、フラニー()()()。あんたみたいなガサツな女…私に勝てるわけがない」

 

「めでたいねぇ…その言葉、そっくり返すよ。温室育ちのお嬢様じゃ隊長みたいなワイルドな男には最後まで付き合えない。あたしみたいなのが一番いいんだ」

 

カテジナがフランチェスカのパイロットスーツの襟元を掴み、そしてフランチェスカも掴み返す。

ヤザンは呆れつつ、また笑った。

()()()()()は嫌いじゃない男だったが、それでもいい加減にしろ、といったところだ。

 

「仲良しなのはわかった。だからもうそろそろ本気でやめておけ。殴り合って腫れ顔の女を抱くのは流石に萎えるぜ。二人共、今夜俺の部屋に来い。〝仲直り〟させてやるよ」

 

また女二人の細腕を掴んで無理矢理引き剥がすと、ヤザンは二人の尻肉を掴むように叩いて二人を後押しし、距離を置かせる。

 

「このケンカは俺預かりだ。決着は今夜、俺が見届ける。いいな!」

 

ヤザンがこうまで言ってようやくこの場は収まったが、カテジナとフランチェスカの鼻息は荒いままに去っていった。ご丁寧に、最後は睨みの一瞥をくれながらである。

ヤザン・ゲーブルは溜息をつくが、それでも心底楽しそうに見えるのはこの男の性分が存分に見え隠れした。

 

「隊長、さすがに煽りすぎましたね」

 

ヤザンの後ろからジュンコが愉快そうに声を掛ければ、ヤザンも苦笑して頷いた。

 

「こりゃ責任をとらんとな」

 

「私らも参加しても?」

 

ヘレンがニヤッと笑って割ってくる。

だがヤザンは「ダメだ」ときっぱりと拒絶する。

 

「え~?なんでですか!新人贔屓だ!」

 

「ちゃんとローテーションは組んでいるだろうが。それに、今日は後輩に譲ってやれよ。カテジナがヘソを曲げると面倒なのはお前らももう知っているだろうが」

 

「むぅ…まぁそうですけど」

 

ジュンコも少し頬を膨らませた。

シュラク隊の中では一番大人な女であるが、こういう表情もヤザンの前ではするようになっていた。

 

「聞き分けがいいな?だからお前は好きだぜ、ジュンコ」

 

ジュンコの細い顎を軽く摘んで持ち上げ、瞳を射抜きながら言う。

何度も抱かれているとはいえ、照れるものは照れる。ジュンコは少し頬を染める。

 

「それって都合の良い女って言ってます?」

 

「男が惚れるイイ女って事だ」

 

後ろでヘレンが口笛など吹いて軽く茶化しているし、遠くから整備士の何人かは心底羨ましそうに…だが尊敬の眼差しでその場を取り仕切る男を見つめていた。

普通の男には出来ない事を平然とやってのけるこの野獣は、男から見ても羨望と嫉妬と尊敬の塊なのだ。

戦場では冷酷な狩人であり、プライベートでも粗野であるくせに、男女問わず身内へは気遣いも出来れば女への口説き文句など時に詩的で紳士的でもある。

戦場でもプライベートでも撃墜スコアには事欠かないというのは、何とも羨ましい限りだろう。

背後からヘレンがヤザンに胸を押し付けるようにしなだれかかり、耳元で囁くように懇願しだす。

 

「じゃあ…明日はうちらって事でいいですか?」

 

「明日はマヘリアとコニーだろう」

 

「隊長なら4人でも5人でも相手できるでしょう。部下のケアも上司の義務ですよ?」

 

諦めてくださいね、と最後に締めて足早に去っていくジュンコとケイトの背を見送りながら、ヤザンは何度目かの溜息を吐く。

整備士達は、その溜息の何とも贅沢な事に内心血涙を浮かべながら作業を続けていた。

 

 

 

 

 

 

―――

 

――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

順風満帆に物事を進め始めていたリガ・ミリティアに、特大の衝撃ニュースが突如舞い込んだ。

そのニュースはとてつもない凶報であった。

折角奪取し、ビッグキャノンを修理し、要塞化も施していたカイラスギリーが爆発四散したという特大のバッドニュース。

しかも駐留艦隊もラビアンローズⅣもカイラスギリーと運命を共にしたというから、これは先だっての勝利の余韻に水を差した。

誰もが、当初はその情報を正しいものと思えず、何度も何度も確かめてしまった程である。

 

「全滅って…バグレ艦隊の皆さんもですか?あのユカ・マイラスさんも!?」

 

ウッソにとっては、顔も知り言葉も交わした友軍の初めての大量の戦死でもある。

ここ数日の母との暖かな邂逅も消し飛んでしまいそうだった。

ショックは大きいようで顔を青くしている。

ウッソ以外の大人達にとってもそれは似たようなものだった。

ホラズムのブリーフィングルームに集められた主要メンバーは、皆緊張感ある顔で視線と言葉を交差させている。

喧々囂々というやつである。

その中でも、現地リーダーのミューラと、客分のリーダーである伯爵と、そしてヤザンを中心にその話し合いは進行していく。

伯爵が言う。

 

「とにかく詳細が分からないんだ。

なにせ、監視衛星に映った大きな閃光と、漂流していたバグレ艦隊の生き残りの証言と戦闘記録だけなんだよ」

 

伯爵のその言葉にウッソは食いついた。

 

「なら、なんで皆死んだって分かるんです!?

まだ生きている仲間がいるかもしれないじゃないですか!

現に、救助できたバグレの人がいたんでしょう!?すぐに増援を派遣すべきですよ!」

 

「一応、偵察は既に出している。…それに救助というがあれは偶然だ。

漂っていたジャベリンを拾えただけだし、パイロットは酸素欠乏症で聞き取れた情報も断片的で…そんな不確かな映像と証言だけでも状況が最悪なのが分かる。

既にバグレ艦隊が壊滅した公算が大きい今、こんな危うい状況で主力を危険に晒すわけにはいかん。各個撃破だけは避けなくては」

 

「そんな…」

 

ウッソの唖然とした様子は他の者達の代弁でもあった。

復帰し、リハビリがてらの訓練に参加し折角調子を取り戻しつつあったマヘリア、ペギー、コニーの顔からも笑顔は消えている。

シュラク隊やカテジナだけでなく、ヤザンさえもその顔はいつもより更に厳しいものとなっていた。

 

「とりあえずは、分かっているだけの情報を教えてくれ、伯爵」

 

ヤザンに言われオイ・ニュングは頷いた。

伯爵がその優れた情報収集能力と判断力で出した当座の結論としては、バグレ艦隊は以下の状況であったと思われる。

 

○何の前触れも無く、あらゆる電子機器に引っかかる事無く、強力な赤いビームにカイラスギリーの起動試験中のコアエンジンを正確に撃ち抜かれ要塞は爆発。

○大爆発によって集結していた艦隊は甚大なダメージを受け、生き残った艦艇もその赤いビームに次々狙撃され、反撃どころか補足もままならず全艦艇轟沈。

○生き残ったMS隊の残党は、母艦が全て墜ちた事から逃走も諦めざるを得ず、狙撃方向に向かってイチかバチかの反撃を試みたが推進剤切れでそれも叶わず。MS達の航続距離以上の遠距離からの精密狙撃と予測。

○そこに巨大なMAとMSによる攻撃を受けてMS隊も壊滅。

 

そういった情報をオイ・ニュングは淡々と皆に発表し、そして同時に監視衛星の映像と、拾ったジャベリンのコンピューターから引き出した戦闘記録映像を上映した。

皆、固唾を呑んでそれに食い入る。

 

「…映像の劣化もあってか、ろくに見えん…。だが速いな」

 

ヤザンはがっかりしたように言い、ウッソも同意見だ。

 

「あまり参考になりませんね。…でも、大型の水色のとオレンジ色のは同型機かな…?」

 

「そう見えるな」

 

オリファーが頷く。

 

「あの長いのは尻尾だとでも言うのかしら…?センス悪いけど…厄介かもしれないわね」

 

続けてマーベットが言えば、ヤザンもオリファーもウッソも頷いた。

 

「ん?…今のは…ヤザンと私が追い払った新型…?」

 

カテジナがそう言うとヤザンも「そうらしい」と賛同する。

映像は、大型の水色のマシーンが迫り、画面いっぱいが水色で埋まった所で終わった。

 

救助されたパイロットは、その最後の襲撃によって破壊し尽くされたMSのパイロットだった。

彼は一方的に蹂躙された恐怖と宇宙漂流等からPTSDを発症し、また酸素欠乏と肉体の10分の1程を炭化させながらも、必死に情報をカミオン隊に持ち帰った。

現在、集中治療室に入ってはいるが助かる公算は極めて低いと見られる。

命懸けで最後の仕事を全うしてくれたのだった。

 

「分かっている中でも、ろくに交戦も出来ず一方的に攻撃されてバグレ艦隊は全滅した。

簡単に言えばそういう事だな?伯爵」

 

「そうだな」

 

冷酷なまでに冷静に会話をしているヤザンとオイ・ニュングだが、事の深刻さは誰よりも理解していた。

ジン・ジャハナムの筋書きの元、2人が力を併せて政戦両略の車輪となって、ザンスカール包囲網を構築し、リガ・ミリティアそのものの力も増大させてきた。

しかしたった今、その包囲網の一角が消滅し、こつこつと増やしてきたリガ・ミリティアの貴重な艦隊の一つが全滅してしまった。

あれだけ苦労して奪取したカイラスギリー。それによるズガン艦隊撃滅も叶わぬ夢となってしまった。

心の弱い者なら、やってられるかと絶望し投げ出してしまうような、そんな凶報である。

 

「バグレ艦隊全滅のニュースは、ベスパは喜々として世界に流すでしょうね。

そうすればリガ・ミリティアに吹いていた追い風なんて一瞬で散らされます。

世間なんて付和雷同そのもの…それにもともと地力は帝国が圧倒的に上なんですから」

 

ミューラの言うことは一理も二理もあるだろう。

リガ・ミリティアは常に勝利し続ける事で、なんとか世間を味方に付けていた。

本当ならば一回の敗北も許されない。それでようやくザンスカールとは対等に渡り合える。

そういう薄氷を踏むような戦争を、リガ・ミリティアは続けていたのだ。

リガ・ミリティアの有利など、所詮はそんな砂上の楼閣だった。

 

「とにかく、ジン・ジャハナム閣下も計画の大綱を変更するかもしれん。

それほどの大打撃だ。

月での戦力拡充計画はより重要になったから、ここの防備も厚くせねばな」

 

伯爵の言葉にミューラは頷きつつも異を唱えた。

 

「でもここは連邦の首都がある月よ?

いくらベスパでも、月面を襲ってこれ以上連邦を刺激したくは無いはず。

それに、ホラズムの秘密工場が簡単に発見されるとも思えない」

 

「常識で物を考えてはいけないな、ミューラさん。

ベスパはやるよ。

ジブラルタルでの事を思い出してみたまえ。

ひょっとしたら…セント・ジョセフも巻き込んで無差別攻撃をしてくるかもしれんのだ」

 

「やりかねんな」

 

ヤザンも首を縦に振り、ミューラの顔にも暗いものが挿す。

確かにベスパにはそういう恐ろしさはある。

だからリガ・ミリティアも〝目には目を〟でこうまで形振り構わぬ攻撃工作をするのだから。

 

「ミューラ、俺のV2はいつ調整が終わる?」

 

「あと2日といったところね。貴方が色々と注文をつけるから、少し時間がかかっている」

 

「ウッソのV2は出せるんだな?」

 

「えぇ、あの子は素直にマシーンを受け入れてくれるから」

 

ミューラの口調には少しばかり、注文の多いヤザンへの非難と息子への自慢が滲む。

しかしそんな事は眼中になく、ヤザンは難しい顔でポツリと言った。

 

「あと2日か…何もなきゃいいがな…。ウッソに気張ってもらうしかない」

 

万が一があれば、未だ全快ではないペギーあたりからリガ・シャッコーを分捕って出撃するという手もある。

だが、やはりベスパにホラズムが発見されず、何もないのが一番望ましい。

望ましいのだが…ヤザンもウッソも、何とも嫌な予感がしてしまっている。

そして、そういう嫌な予感というのは往々にして当たるものだった。

 

このブリーフィングより23時間後…ホラズムに緊急避難放送が響き渡る事になる。

 



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妖獣と踊れ

ミノフスキー粒子が漂い、通信機器が封じられる事の多い宇宙世紀時代…人の目による監視網や偵察はまさに軍事上の命綱だ。

また軍事が関係無くとも、民間のシャトルの航路点検等でも人の目が欠かせない。

大きなデブリがあれば報告と除去が必要だし、海賊だって時折出る。

だから月への航路…セント・ジョセフ航宙路上にも幾らかのシャトルとモビルワーカーが定期的に通るし、その時はリガ・ミリティアの偵察ゲリラも民間シャトルに成りすまして偵察をしていた。

そのリガ・ミリティアの偵察隊は、今、少々ピリついていた。

 

「…なぁ聞いたろ。バグレ艦隊がやられたって噂」

 

「聞いたよ。でも、カミオン隊がタシロ艦隊を蹴散らしたって話が昨日の今日だぜ?

ザンスカールが流した嘘に決まってるさ」

 

偵察の男は嫌味に笑いながら快調にシャトルを操作し続ける。

そこへ民間シャトルが発光信号を送りながら、ゆっくりと遠くを航行するのが見えた。

 

「おい、見ろよ。何か言ってるぜ」

 

「なになに………へへっ、〝リガ・ミリティア二武運在レ〟だってさ。俺たちも人気者になったもんだ」

 

「だな。この調子なら、ザンスカール打倒も目前だぜ」

 

「……ん?なぁおい、あの光…」

 

「もう見たよ」

 

「あのシャトルのじゃない。あっちだ」

 

「あ?」

 

「何か紅い光が―――」

 

彼らの言葉をその後二度と紡がれる事は無かった。

彼らにエールを送った民間シャトルもまた、二度と誰にも目撃される事はない。

 

 

――リィン…リィン…

 

 

透き通った鈴の音だけが、誰もいなくなった暗黒の航路に響く。

迫りくる妖獣の足音は誰の耳にも届かない。

モトラッド艦隊は何者にも気取られる事なく、粛々とセント・ジョセフへとひた迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは頭痛と、頭の中に響く鈴の音から始まった。

シャクティの背におぶられるカルルが大泣きをし、ほぼ同時にシャクティが軽い頭痛と不快な感覚を訴えた。

そして、ウッソもまたシャクティの横で微かに響く鈴の音を聞いたのだ。

 

「…鈴の音?これは…幻聴、なの?」

 

「鈴…?ウッソ、それ…私も聞こえるわ」

 

泣くカルルマンをあやしながら、シャクティはやや悪い顔色でウッソの自問に答えた。

 

「シャクティも…?」

 

子供達が寝静まった子供部屋の中で、皆を起こしてはいけないと気を使った二人はカルルを伴い廊下へと出る。

それに気付いたハロも続いて部屋を出て、3人と1機はホラズム基地居住区を静かに歩きながらカルルをあやし続けるが、一向に泣き止む気配はなかった。

 

「…どうしたんだろう。カルルの泣き方、普通じゃない」

 

「とても不安そう…苦しんでいる。何かの病気かしら」

 

「ハロ、カルルの診察を」

 

飛び跳ねながら、ハロは目からスキャンレーザーを出したり口から聴診器のような何かを出してカルルマンのおでこに貼っつけたりしているが…。

 

「ハロ!カルル ゲンキ!ドコモ イジョーナシ!」

 

機械的な診断ではそういうことらしい。

ウッソとシャクティは生活力逞しく簡単な医術も知っているし、また都会育ちと比べて遥かに人間の観察力等も優れているが、それでも分からない事はある。

まだまだ10代の前半なのだ。

 

「母さんに聞いてみよう」

 

「ミューラおばさんに?でも、忙しいんじゃないかしら。悪いわ」

 

「そうかな。…そうかもしれないけど、きっと診てくれるよ」

 

子育て経験がある身近な人といえばウッソの母だ。

ウッソは泣くカルルに少し慌てているのか、医師レオニードという選択肢がすっぽ抜けていたが、レオニードの専門は小児科医ではない。

子育て経験談の方が医師より優ることもあるから、そう間違った判断でもないだろう。

母の部屋…この時間ならまだ格納庫でMSを弄っているだろうか…3人と1機が歩きだした時、またシャクティが足を止めて額を抑える。

 

「っ…また、鈴の、音……ウッソ、何か……何かが、月に…」

 

「シャクティ?大丈夫かい?シャクティ!」

 

カルルマンの泣き方もより酷くなっていく。

ウッソがシャクティの肩を抑えて、幼馴染の顔を覗き込んだその時であった。

 

 

 

 

 

 

ホラズムの秘密基地が揺れた。

凄まじい音。

振動が基地全体を揺らす。

基地内の照明が、短い間隔で明滅を繰り返した。

 

「なっ、なんなの!?」

 

天井からパラパラと小さい埃が降り、とっさにウッソはシャクティとカルルマンに覆いかぶさって庇う。

 

先程の大振動とは別に、今度はやや小さな揺れが頻発。

ウッソ達以外にも、次々に居住区の部屋から皆が口々に予測を並べ立てながら飛び出した。

 

「なんだ!!」

 

「こ、攻撃か!?」

 

「工場のジェネレーターでもぶっ飛んだか!?普通じゃないぞ!!」

 

施設内に赤色の非常灯が点灯し、館内警報が鳴り響く。

廊下のそこらはあっという間に走る人だらけとなった。

オデロもエリシャも、そしてクロノクルもスージィも慌てた様子で廊下に飛び出して、そしてウッソ達を見かけると安心したように駆け寄ってくる。

 

「お、おいウッソ!無事だったか!姿が見えないから心配したぜ!!」

 

「姉さん、い、いまのは一体なんだろう…!怪我はない!?」

 

「カルルがすごい泣いてる…!どっか打ったの!?」

 

ほぼ同時に口を開く皆を、シャクティは「私達は大丈夫だから」と宥めつつもホラズムを襲う振動と爆音に身を竦ませる。

 

「こ、これって…ホラズムが攻撃されてるんじゃないの!?」

 

オデロが半ばパニックになりかけて言う。

ウッソもそれが正解だろうと悲愴な顔となって叫んだ。

 

「とにかく、ここにいちゃダメだ!避難経路は覚えてる!?オデロ!」

 

「お、覚えちゃいねぇよ!一度見ただけだぜ!?」

 

「私、覚えてる…こっちよ!」

 

エリシャが先導をきって皆の誘導を開始。

慌てる大人達を掻き分け、或いは共に避難を試みるが、ウッソは彼らとは真逆の方向に駆け出した。

 

「どこに行くの!?ウッソ!」

 

シャクティが慌てて幼馴染の少年を引き留めようとするが、ウッソは少し視線を寄越しただけで歩みを止める事は無かった。

 

「僕は格納庫に行ってみる!敵襲なら、誰かが出ないと!事故でも、MSなら対処の役には立てる!

シャクティはそのまま皆と避難するんだ!いいね!!」

 

「ウッソ!」

 

「オデロ!クロノクル!シャクティを頼んだよ!」

 

「あぁ、わかった!気をつけろよウッソ!」

 

「義兄さん、任せてよ!」

 

オデロとクロノクルの力強い返事は、ウッソの心に良い安心感を与えてくれる。

こういう友人が、仲間がいるからウッソは大切な人を後ろに残し、行けるのだ。

 

「通して!通してください!」

 

逃げ惑い混乱する人の波を掻き分けてウッソは走る。

走りながらウッソは思い出す。

以前の戦闘から帰投したヤザンが、敵の新型を〝鈴の音の奴〟と言っていたのだ。

 

(ひょっとしたら、ヤザンさんも聞いたのかもしれない…!もし、同じ奴が来てるのなら…!)

 

きっとこの爆発は事故なんかではない。

ウッソは、ここに至って今回の騒動を敵襲と確信し始めていた。

 

「ここだ、ここを曲がれば…格納庫が……――あぁっ!?」

 

息せき切って駆けてきて、ウッソは目的地に到着した。

しかし、そこで見たのはまさに惨状である。

 

「か、格納庫が!う…く、空気が、漏れているの!?そんな規模で基地が壊れるだなんて…!」

 

びゅうびゅうと施設内の空気が流れていく。

慌ててウッソはヘルメットをかぶりバイザーを上げて、素早く周囲を確認。

整備士達が大慌てで損傷した壁にトリモチガンを吹き付け、火と空気漏れを防ぐ為の緊急シャッターを順次降ろしていく。

陣頭指揮をとるストライカーを見てウッソは幾分、心を落ち着かせた。

 

「ストライカーさん、何事なんです!」

 

「敵襲だ!分かるだろう!ホラズムのEブロックが吹き飛んだらしい!隔壁は直に閉める!取り敢えず格納庫が半壊程度で済んで御の字だな」

 

「半壊って…!MSが半分くらい瓦礫に埋まってますよ!?」

 

「だから半壊なんだろう!いいからついて来い!V2二番機は無事だ!」

 

瓦礫と衝撃によって歪んだ整備クレーン。

倒れたガンイージ。そして、マイナーチェンジのガンブラスター。

引火してしまっているMSパーツ。

整備班が必死に消火作業に追われている。

ライフルやキャノンのEパックに引火すれば中のメガ粒子がとんでもない惨事を引き起こすかもしれない事は、宇宙世紀の者なら子供でも分かる。

クッフもロメロ爺さんも走り回っている事から、どうやら整備兵スタッフの多くは無事らしい。

 

「ストライカーさん、ヤザン隊長のV2一番機は…!」

 

「ありゃあダメだ!隊長の一番機は大きなのが直撃しちまった!!」

 

MSの装甲は敵からの攻撃に耐えられように…少なくともそれを目指して作られている。

中には装甲を限界まで落として軽量化を目指すMSもあるが、V2はフレームから外部装甲に至るまで手間と金を賭けてあり、まさに新世代の万能機を標榜している名機だ。

敵との格闘戦も想定内だし、宇宙での高速戦闘をこなすのだから様々な方向からの無茶な衝撃にも耐えられるよう作られている。

だが、それでも巨大な質量が一点に負荷をかけてくれば装甲は凹むし、フレームは歪む。

特に起動状態にないMSは、コンピューターが衝撃負荷を受け流す、いわゆる受け身動作をとってはくれない。

もろに衝撃が機体にかかってしまう。

それがこの結果を招いた。

鋭く大きな瓦礫がヤザン機にのしかかり、見ただけで分かる程に胴体もウィングバインダーも歪ませていた。

ウッソの顔が曇るが、それ以上に今は気になる事がある。V2一番機に乗るべき人の安否だ。MSは直せばいいが、人は簡単にはいかない。

 

「…そ、それで母さんや隊長は!」

 

「隊長ともミューラ工場長とも連絡がつかない!シュラク隊ともだ!まさか崩落に巻き込まれて全滅なんて想像もしたくないが…きっと連絡通路が潰れただけだと祈っててくれ」

 

よりにもよってヤザンその人と、多くのエースパイロットと音信不通に陥っている。

 

「そんな!」

 

「今はそれよりもお前だ、ウッソ!とにかく宇宙(そら)に上がってくれ!スタッフの中には赤いメガ粒子を見たってやつもいる。だとしたら、きっとバグレをやった奴らかもしれん!」

 

歪んだ顔で臍を噛んでいたストライカーは直様ウッソの背を強めに叩く。

そしてウッソもすぐに思考を切り替えた。

 

(…そうだ、僕が…僕が今やらなければいけないんだ!ヤザンさん達が出られるまで、僕がせめて時間を稼がないと!じゃないと、シャクティが…母さんが危ない!)

「分かりました!V2を出します!」

 

「おう!頼んだ!」

 

「任せたぜ、ウッソぉ!」

 

「やってみますクッフさん!」

 

他の整備士達からも声がかかる。

今すぐに出られるのはウッソだけで、しかもウッソはヤザン肝いりのスペシャルなのだから皆の期待値も高い。

普通、ティーンズの少年がこうも期待を一身に受けては萎縮か、或いは調子に乗りそうなものだがウッソにはどちらも無い。

あるのは、ただ皆を守りたいという思いと、そしてヤザンの教え子の一人として先生(ヤザン)不在時に醜態を晒した等と思われたくないからだ。

 

「今やらないと、帰ったらヤザンさんに怒られちゃうもんね…。僕が…やるんだ!」

 

一目散にウッソは走る。

母のMSへ。

V2二番機。奇跡的に小さい瓦礫がぶつかるだけで済み、状態はほぼ万全だ。

 

「ウッソー!MSを瓦礫から掘り出すのはこっちでやっておく!お前はさっさと出てくれ!」

 

クッフが叫び、出撃ハッチを開放。

ウッソは起動させたV2でサムズアップを作り、軽快にMSの足を動かした。

モニターの端で、走り回る皆を観つつ巧みに避けて歩く。

 

「ウッソ・エヴィン、でます!」

 

「どうぞ!」

 

クッフのGOサインが出、そして後に続く仲間達の為に最低限の瓦礫を蹴ってどかし、ギリギリ開いたといった感のある歪んだハッチをこじ開け、動かない昇降機を尻目にブースターで昇っていく。

その間も基地を振動と爆発が襲う。

 

「頼む…!頼むよ…、まだ当たらないで!きっとまだ、敵は正確な位置は分かっていないんだ!だから、まだ気づかないで!」

 

祈るようにV2を上昇させていく。

ミノフスキー・ドライブの、静かながら凄まじき加速。

これならば昇降機下にブースターの熱と衝撃が行ってしまうのを気にすること無く機体を全開の速度にできた。

リガ・シャッコーやガンブラスター達には出来ない芸当である。

ぐんぐんと上昇していくV2の望遠モニターに、未だ開かぬ地上開閉ハッチが映りV2のコンピューターが警報を鳴らす。

 

「っ!ゲートが開いてないの!?く…すみません、皆さんの基地、壊します!」

 

ウッソの判断は早い。

即座にビームライフルを構え、そして的確な連射で重装甲のゲートを撃ち抜いた。

宇宙(そら)はもう目の前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月面から幾筋のピンクのメガ粒子が鮮やかに飛び出し、そしてそれに続いてV2の青白いブースター光が暗闇空に糸を引いた。

ウッソはマシーンが索敵をするより早く、己の目と感性で敵を探し始めている。

そして直ぐに眼下に広がる月面都市の異様に気が付いた。

 

「あ、あぁ!!?街が!セント・ジョセフが…燃えている!!」

 

岸壁に覆われていたセント・ジョセフに幾つもの大穴が空き、そして強固なガラスドームの内側では急速に減りつつあるだろう酸素が燃え盛るビル郡に薪を焚べている。

大穴からは今も建物、車、動植物、それらの残骸、そして人、人、人…それらが猛烈な勢いで外へと吸い出されていた。

 

「あんな大穴…!セント・ジョセフの人達が皆、皆死んでしまう!」

 

ウッソはとっさにセント・ジョセフへ救助に向かいたい衝動に駆られるが、だが、ウッソに植え付けられつつ後天的な本能がそれを止める。

それは戦士の本能であった。

ヤザンに仕込まれたそれが、ウッソをセント・ジョセフに向かわせない。

そして、その事が結果的にウッソを助けるのだ。

 

「敵はいない…側にいないってこと!?やっぱり、超遠距離からの攻撃――っ、光!?」

 

赤い光。

血のようにドス黒く紅い光点がウッソには見えた。

セント・ジョセフとホラズムのクレーターの中間地点へ向かって真っ直ぐに突き進む超高速の紅い矢。

矢が突き刺さる。

そして猛烈な爆発が巻き起こり、セント・ジョセフとホラズムを繋ぐ地下道が消し飛んだ。

 

「~~っ!!や、やっぱり…超遠距離からのビーム狙撃!街ごとホラズムを狙っているんだ!」

 

――リィン

 

――リィン…リィン、リィ、リィ…

 

「またっ!?狙撃が来る!!」

 

鈴の音が響いた。紅い矢が、暗黒の空を引き裂いて月の大地を穿つ。

その一射はセント・ジョセフに吸い込まれた。

岸壁を貫き、強化ガラスドームを溶かし、都市の各ブロックの封鎖を始めていた大型隔壁を融解させ、都市の中心部で大爆発を起こし紅蓮の業火を撒き散らす。

セント・ジョセフは地獄になっていた。

炎に満ちて、次々に引火し誘爆し、あらゆる外壁が壊されていき、真空の只中に一つの月面都市が丸ごと投げ出されようとしている。

 

「なんで!なんでそんな事するんだよ!関係ない人達を!!なんでそんないっぱい殺すんだ!!!」

 

ウッソは叫び、V2のフットペダルを踏み込んだ。

V2のミノフスキー・ドライブが、パイロットの少年に呼応するように呼気を吐き出し、Vの字のバインダーから余剰エネルギーを放出する。

旧来のMSには到底真似できないノーモーションからの超加速で、未知の狙撃主へ一気に迫ろうとするのだった。

だが、そう簡単には何事もいかないのは世の常だ。

ウッソを迎え撃とうという紅い矢がV2へと狙いを定め迫る。

 

「そうだ…僕を狙え!もうセント・ジョセフにも、ホラズムにも撃たせない!」

 

ウッソの拡大する意識が、砲撃モーションをとる未知のMSを幻視させた。

〝皿〟に座する紫紺の大型MSが、斬首刀のように禍々しい巨大な砲をV2へと向ける。

 

――リィン

 

「鈴の重圧…っ!来る!」

 

その瞬間ウッソはV2を遥かに上昇させれば、一瞬前までV2があった空間を紅い奔流が駆け抜けた。

その技はまさにスペシャルにしか、ニュータイプにしか出来ない芸当だ。

鈴の音を聞くと同時にウッソは殺気を肌に感じていた。

ウッソは恐ろしきスペシャルの少年だが、それでもやはり敵もまた恐ろしい物の怪であった。

 

「えっ!?」

 

避けた先に、息つく暇もなく禍々しき紅い光が迫っていた。

 

(…!!避けた先に、もう撃っていたの!?――っ、直撃する!!どうする、どうするんだウッソ!)

ウッソの生来の機転とニュータイプ的なパイロット適正、そしてヤザンに仕込まれた獣の生存本能が少年の指を自動(オート)で動かす。

 

V2が超高速で飛びながらクルリと回転するといきなり背を敵に向けた。

普通ならば有り得ない行為であり、自殺行為そのものだがV2の機構とウッソのセンスが融合した時、それはV2ガンダムの最強の〝技〟となる。

 

(余剰エネルギーをメガ粒子にして垂れ流すなら、これが出来るはずだ!)

「光の翼よ!!」

 

ミノフスキー・ドライブを高出力で使用する時、背部ウィングバインダーからは推進力に変換しきれなかった余剰エネルギーがメガ粒子となって放出される。

本来の目的からすれば欠陥でしかないその現象を、ウッソは見事に自分の武器へと変えた。

 

V2の背から溢れた莫大なメガ粒子の光が、寸前まで迫っていた邪悪な紅い矢を弾いた。

光り輝く翼が、ドス黒き紅い光を裂き、散らす様は異様な程に美しい。

光る翼を広げたV2を止めることは紅い矢でも出来はしない。

 

「ハァ…!ハァ…!…なんて敵だ…V2のセンサーが全く届かない、見えない所から…こうまで正確に撃ってくるなんて…、けど…このまま…!」

 

先程幻視した〝皿の上のトンガリ頭〟の、異様に長い砲身を抱えた姿を思えば接近戦は明らかに苦手にしているはずだ。

あんな長物は取り回しは最悪に違いない。

古今、そういう相手への対策など決まっている。接近戦だ。

 

――このまま一気に詰める

 

それがウッソのシンプル極まりない作戦だった。

ウッソの頬を嫌な汗が伝い落ちていく。

ウッソをもってしてもそれは至難であり、薄氷を踏む思いの連続だ。

紅い矢がまた来る。

だが、それをウッソは避け、そしてフェイントのように先読みで撃たれていた二射目、三射目も、やはりウッソは光の翼で凌いでみせれば、どうやらトンガリ頭のMSはV2を撃ち落とすのを諦めたようだ。

もはや紅いビームはV2を狙わず、セント・ジョセフとその周辺のクレーター郡を狙うことを再開してしまった。

 

「しまった…!敵の狙いが僕じゃなくなった!?だけど……っ、見えた!」

 

ウッソのニュータイプ的な視野ではなく、己の目とV2のモニターアイがとうとうソイツを捉えた。

まさに幻視した通りの異形。

アビゴルの意匠とやや似たトンガリ頭。

ザンスカール特有の猫目。

大皿の上にどっしりと立つ大型のMSは、そのパープル色の配色さえ禍々しい。

 

紫紺のMSが猫目を開き、真っ赤な目でチラリとV2を見やるがそれも一瞬。

すぐにそいつは手にする大型のキャノンを遥か彼方…セント・ジョセフ方面へと構え直した。

 

「やめろぉぉ!!」

 

阻止せんとV2がビームライフルを連射する。

だがそのビームは敵に当たる直前に霧散して掻き消えてしまった。

 

「バリア!?なら…!」

 

サブスラスターも全開にV2は皿の上のマシーンへと迫り、そして抜刀して斬りかかろうとしたまさにそのタイミングで、V2の直下から巨大なモノが高速で迫り上がってくる。

 

「なに!?下なの!?」

 

巨大質量がV2を圧潰せんとしたが、ウッソの反射神経がその速度を上回った。

ウッソの驚異的な反射神経と先読みに付いてくるV2の追従性があったからこその回避である。

そして今度は横から。

 

「っ!また!?」

 

横から猛烈な勢いで〝尻尾〟が薙いでき、またもウッソはそれを避けきった。

そして尚も皿の上のMSへと迫り、そして斬りかかる。

紫紺のMSの半月状の肩部にビームサーベルがしっかりと食い込んだ…かのように見えた。だが…。

 

「弾かれたの!?」

 

光るリングを湛え始めた半月状の肩がビームサーベルを弾いていた。

そしてメガ粒子を通して触れ合った2機のMSは、互いにその声を聞く。

 

「ふふ…やるじゃないか!」

 

「お姉さんの声!?女の人が戦っているの!?」

 

「ヤザン・ゲーブルじゃないのは残念だが…ずいぶん若い声だねぇ、坊や。

いいさ、あいつが来るまではお前で遊んであげるよぉ坊や!!」

 

「な、なんなんだこの人は!」

 

ウッソはトンガリ頭の肩の光に危機を感じ、そしてV2に身を引かせた。

それは正しい判断だ。

次の瞬間には、光った半月から溢れた粒子は破壊エネルギーになって、散弾のようにV2を襲う。

 

「そんな所からビームがでるのか…!」

 

これにはたまらず、流石のウッソも距離をとるしかない。

だが眼前のMS相手に距離を取るのは悪手だとは理解しているウッソは、何とかしてこの距離を維持したい。

しかしそれも叶わない事である。

V2のセンサーが背後と上、双方から迫る大きな熱源を捉えていた。

 

ターコイズブルーの龍のようなマシーン。

オレンジ色の龍のようなマシーン。

その2機がV2を襲う。

 

「さっきのやつ…邪魔をするというならぁ!!」

 

「どこを見ているのさ坊や!」

 

「ぐぅ!?」

 

ドラゴンのように長い尾をなびかせる大型MAにビームライフルを向けた瞬間、下に回り込んでいたトンガリ頭が胸部ミサイルを猛射。

V2はそれをスレスレで避ける。

だが、避けた方向は奇しくも2機のMA、そしてトンガリ頭のトライアングルの中心点。

 

「誘い込まれた!?」

 

奇しくも、ではない。それはトンガリ頭の誘導であった。

 

「ハハハハッ!そらそら…!逃げ回ってご覧、坊や!」

 

「っ、うぅ!!?つ、強い…!」

 

長大な尾に無数のビームキャノンを搭載した2機のドラゴンの猛烈な射撃。

如意宝珠型ビーム砲と呼ばれるそれを10基、テールビームカノン2基、そして腕部ビームガンが2基。

ハリネズミが如くのビームキャノンだらけで、しかも長い尾をしならせて射角を一点に向けることすら出来る。

 

まさにビームの嵐だ。

しかしウッソはそれをビームシールド、光の翼、そしてビームサーベルまでも使って辛うじてだが防ぐ。

トンガリ頭…ザンネックを操るファラ・グリフォンは不気味且つ妖艶に笑いながら、凌いでみせた少年を褒め称えた。

 

「ドッゴーラと私の包囲網を……フフフ、やるじゃないか、坊や…!

でも、こっちもそうそうお前と遊んであげられない。

やれ、ゲンガオゾ!!!」

 

「っ!!?」

 

ビームの嵐を切り抜けた先…そこにはかつてファラが搭乗し、ヤザンを苦しめた悪鬼雷神が待ち受けていた。

驚愕するウッソに、三つ目の雷神はこれ見よがしにイカヅチをバラ撒いて迫るのだった。

 

「あはははは、はは!!その声、あの時の子なんだろう!?やっぱり私の所に帰ってきてくれた!!

待っていたよ、私の赤ちゃん!!さぁ私のお腹に帰っておいで!!!」

 

ゲンガオゾをファラより貰い受けたルペ・シノ。

過度な強化を短期間で受けた彼女は、もはやその心は壊れてしまっている。

だが、そのお陰でルペ・シノはゲンガオゾを使いこなせる。

ファラ程ではないとしても、ゲンガオゾの完成度が高まり、またサイコミュもルペ・シノの脳波パターンサンプリングに調整されているから、その強さは驚異的なのは変わらない。

 

「う、くぅ…こんなことでは!!」

 

V2の肩をゲンガオゾの雷が掠める。

しかしウッソはV2を巧みに捻らせて、またビームシールドとサーベルでビームを切り払うというとんでもない芸当をやってのけ、しかもライフルでドッゴーラへ反撃すら叩き込んでいる。

それは正しく、ルペ・シノとファラが眼を見張る程の神業と呼べた。

 

「あっははははは!私の赤ちゃん!!やっぱりこんな素敵な子が私の赤ん坊なんだろう!?ねぇファラ・グリフォン!」

 

「ふ、ふふ、フフフフ…そうだよルペ・シノ。お前の坊やだ…私が獲ったりはしないから安心おしよ…」

 

まさに古代神代の鬼子母神の顕現である。ウッソは冷や汗を背中いっぱいにかきながら、ひたすらに猛攻を凌ぐ。凌ぎ続ける。

だが蒼き小鳥の反抗的な態度は、2機の邪鬼を酷く怒らせたか、或いは喜ばせた。

ザンネックとゲンガオゾの複合マルチセンサーがカッと開いて、血のように赤い眼でV2を見つめる。

その発光は合図だったのか、ほぼ同時に上下から巨大な龍が殺到した。

 

「っ、またこの尻尾付き!?この連携…この人達、厄介だ…!――ぐぅぅぅぅ!?」

 

ビームは全て間一髪で避けているウッソも凄まじいが、それでも龍の尻尾――ドッゴーラのテイル・アタックがとうとうV2を捉える。

激しく機体が揺れた。

 

「わはははは!強化人間共の仕上がりは上々…ふん!リガ・ミリティアの新型め、俺の敵ではないわ!」

 

ドッゴーラ1号機のパイロット、ブロッホは勝ち誇ったように厳しくニタつき、そして2号機のパイロット、アルベオ・ピピニーデンは黙したままに肩で笑う。

 

「あっはっはっはっはっ!さぁ母さんのお腹の中に帰ってこぉい!!」

 

そして捻じれに捻れた愛でもって迫るルペ・シノのゲンガオゾは、2機のドッゴーラを率いて濃密なビーム弾幕をV2へ見舞う。

猛攻に次ぐ猛攻であり連撃。ウッソの凌ぎもジリ貧のように見えた。

 

「ま、まだまだぁ!」

 

それでも掠る程度にしか被弾しないウッソもまたバケモノであり、敵から見れば白い悪魔の再来そのものだ。

しかしそれでもウッソは決定的勝機を掴めないでいる。

実を言えば先程から龍のようなMAに対しては、何度かの必殺の間合いを掴んでいた。

だが、その度に狙いすましたかのようにファラ・グリフォンが小出しにしてくる肩部ビームの連射が妨害するのだ。

 

「ふふふふ…!」

 

しかも気付けばザンネックはまたも遥か遠くへと逃れ、そして再び恐ろしきザンネック・キャノンで狙いすませば、ウッソに悪寒が走る。

それは己へ向けられた殺気ではない。

 

「ッ!やめろー!!」

 

「見えた見えた…坊やが飛び出してきた気配を辿れば…そぅら、そこにいる。

ご覧よ、坊や…坊やを助けようと巣穴から飛び出してくる命の光…」

 

――ブゥゥゥン

 

不気味な収束音がザンネックの両肩に光輪を戴かせ、光輪は不気味な輝きを血が脈動するかのようにザンネック・キャノンへと送り込んだ。

さながら、それはカイラスギリーのミニチュアである。

宇宙に憎悪を撒き散らす、カイラスギリーの怪刃の直系こそがこのザンネックなのだ。

 

叫びながらウッソはそれを阻止せんとミノフスキー・ドライブを更に高めたが、だが、それは龍を従えた雷神が許さない。

 

「邪魔をっ、するなーー!!!」

 

「あんたは私だけを見ていればいいんだよぉ!」

 

ルペ・シノの叫びに呼応するかのように、ドッゴーラがまるで〝雲〟を吐き出してV2の視界を遮っていく。

二匹の巨大な龍が雲海を泳ぎ、それを睥睨するかのように雷鼓を背負う雷神。幻想世界から飛び出してきたようなバケモノが、ザンネックへの道を閉ざしてしまう。

 

「雲!?こんなものぉ!虚仮威しなんかにー!」

 

ウッソは苛立ちながら雲をライフルで撃ち抜く。しかしそれは唯の目眩ましではない。

メガ粒子を湛えた爆発性の〝雷雲〟であり、大型のダミーバルーンなのだ。

 

「っっ!!爆発!?でも――!」

 

だがウッソはその大爆発の中へと身を躍らせる。光の翼とシールドで自分を包む即席バリアを作って真っ直ぐに雷雲を突き進む。

その様はまるで黒く雷雲を独り飛ぶ光の鳥だ。

光の鳥は、2匹の邪龍に真っ直ぐな光の矢となって立ち向かう。

 

「…っ、抜けた!これでさっきのやつを――」

 

雷雲を抜け、蓮華座に居座る悪鬼を討たんとする。

だが、少年の熱き思いはそこで閉ざされるのだ。

雷神が再び、少年の道を閉ざした。

 

「あは!あはははは!私のぉぉぉぉ、赤ちゃぁぁぁん!」

 

「しまった!?」

 

ザンネックを止めたい一心がウッソの視野を狭めたのか。ゲンガオゾのビームメイスが、真上からV2へと突き刺さる。

V2のシールドとゲンガオゾのメイス…双方のメガ粒子の反発が起き、激しくスパークした。

そして、そこへ間髪入れずゲンガオゾは直近からマルチプルビームランチャーをフルパワーで撃ちまくれば、V2のシールド発生装置は悲鳴を上げた。

だがウッソは迷うことなく即座にV2を回転させると、光の翼でゲンガオゾのビームの嵐を()()、そして高速回転でも己の位置も敵の位置も寸分違う事なく、そのスピードを殺さぬままに鋭く()()()

 

「なぁ!?私のっ!赤ん坊がぁ!私の夢がなぜそうも私の手を振り払うっ!!こうも母が手を差し伸べているのだぞ!なぜっ!!!」

 

「僕はあなたの夢にはなれませんよ!!僕は誰の道具でもない!お母さんをやりたいなら、自分で子供を生んでそれでやってくださいよ!!!」

 

「あんたはぁ!私のだと言っているだろぉぉぉぉ!!!」

 

仰け反ったゲンガオゾが、驚くべき速さで状態を立て直す。

それは執念だ。

怨念がゲンガオゾを包み込み、まさに怪物へと変じさせているのがウッソには視える。

 

(…!だ、だめだ!やすやすと突破はできない!あのトンガリ頭を止めるのが、間に合わない!!)

 

ウッソの脳裏に恐ろしき未来のヴィジョンが映る。

想像もしたくないヴィジョン。

燃え盛るホラズム。

爆発と業火の中で消し飛んでいく、シャクティ、母。

友人達、仲間達。

そして恩師たる男。

 

ウッソが歯ぎしりをした、その時だった。

それは起きた。

 

「っ!ルペ・シノ!避けろ!!!」

 

ファラ・グリフォンは心眼の中で遠くホラズムの命を視ていたが、その中から恐ろしく速く、そして力強い命がケダモノの姿となって駆けるのを視たのだ。

そしてそいつは有り得ない速度で…まるで、眼前でゲンガオゾに組み伏せられている恐ろしく速い新型に劣らぬ速さでコチラへと駆けてきた。

ホラズムとV2の双方を注視していたからこそ、ファラ・グリフォンは味方への忠告はワンテンポ遅れてしまったが、それでも間に合うはずだった。

 

「避ける!?」

 

だがルペ・シノの脳にファラの言葉がサイコミュを通して響いた時、ルペ・シノは不愉快そうに叫んだ。

 

「何を避ける!私はもう、この子を()()()()寸前なんだ!!

邪魔をするでないよファラ・グリフォン!!

ここで、あんたを私を腹の中へェェェェェェ!!!ッ!?な――――っ!!!!」

 

ルペ・シノが猛然とビームメイスをV2へ向けた時、ルペ・シノはこの世から消滅していた。

ルペ・シノは己に何が起きたのか、理解すら出来なかったろう。

ファラからの忠告を正しく理解するだけの理性が彼女に残っていなかったのは不幸だった。

「あっ」とウッソが呟く。

少年の悲壮に満ちていた顔が、年相応に綻んだ。

 

「よぉ、ウッソ。一人で良く持ちこたえたな。褒めてやるぜ!」

 

「ヤザンさん!!!」

 

ゲンガオゾのコクピットをビームで貫いた、もう1機のV2。

ウッソが最も頼りに思う男がそこにはいた。

 



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獣と龍と

「隊長!ダメですって!」

 

「ウッソが一人で気張っているんだぞ!ここで出なきゃ俺の沽券に関わる!」

 

整備長のストライカーが止めるにも関わらずヤザンはヒビさえ入ったキャノピーに飛び乗ると、V2一号機に火を入れた。

ヤザンの性格を知るストライカーは、もう止める事は出来ないと悟りつつも、それでも必死に食いついた。

尊敬する男をこのように危険な状態になったMSに乗せるなど、整備士としてのプライドに関わるし、何より一人の友人としてさせたくない。

 

「あんな瓦礫が無防備に直撃したんですよ!

そんなに歪んだフレームじゃミノフスキー・ドライブの圧力が上がったら耐えられません!

他にもどんな不具合が出ているか…!他のMSででてください!

リガ・シャッコーはまだ空いてます!」

 

「敵は姿を見せない狙撃野郎だ。

それがどれ程とんでもない距離からの攻撃か分かるだろう、ストライカー。

リーンホースが出れない今、V2の機動力とフライトレンジでなきゃ敵の前にすりゃ行けんぜ!

こいつが必要なんだよ!」

 

V2が上体を起こしていく。

そうする事でよりハッキリと、リガ・ミリティアの自慢の最新型MSは見るからに痛々しいのが分かった。

無残な程に、脇腹から襟、そしてウィングバインダーまでの装甲が歪んでいるのが見える。

 

「隊長!!お願いです、降りてください!!

あんたの沽券だって言うなら、隊長の行為は俺の沽券に関わるんだっ!!」

 

「許せ、ストライカー!今度奢ってやる!」

 

「隊長!!!」

 

今にもV2の足にすがりつきそうなストライカーを、クッフを筆頭とした何人かの整備クルーが全力で止める。

ストライカーのガタイは良いものだから、クッフらも必死だ。

 

「メカニックは離れろ!V2、出るぞ!」

 

ウッソが通った道をヤザンもゆく。

もう一人前と認めてはいるが、何をどう言ってもやはりまだ子供だ。

ヤザン・ゲーブルは、あんな子供一人に全てを押し付けて知らん顔をするような、そういう情けない大人でいたくはなかった。

 

(ガキに俺達(大人)の尻拭いをさせるなんざ、赤っ恥もいいとこだぜ…!)

 

起動画面の自己診断プログラムさえが、少なくない項目でレッドを示し、今すぐの整備分解を要求している。

それでもヤザンはMSに活を入れて飛び立たせるのだ。

 

「ウッソ、俺の分を残しておけよォ…!」

 

二羽目の鳥が巣より飛ぶ。

だが、この二羽目は見た目は同じでもまるで中身が違う。

この鳥は獣だ。

敵の臓腑までを食い破ろうというケダモノであった。

 

――Piii!Piii!Piii!

 

飛んだだけで全天周囲モニターの片隅に表示されている計器類が真っ赤な金切り声を上げている。

IFマニホールドゲージ、回転トルク、MDメガ粒子排出率…全ての数値がおかしな事になっているのがひと目で分かる。

しかしそれでもヤザンはフットペダルをベタ踏みし、グングンと加速を続けた。

エンジンの異音がコクピットチャンバーに響く。

 

「…チッ、やはりこの距離じゃコイツに乗って正解か…!」

 

ギシギシと悲鳴を上げ続けるV2一号機を叱咤し続けながらヤザンはコクピット内で悪態をついた。

他のMSならば…たとえ最新機のリガ・シャッコーであろうと下手をすれば推進剤が切れてしまう程の距離を、すでにV2は飛んでいるのだ。

しかも通常加速ならば時間もかかる。

ウッソの救援と、ホラズムの防衛という意味で、ヤザンは傷んだV2を起こすしか道はなかった。

しかし無理をした甲斐はあったというものだ。

 

「光…!見つけたぜ!」

 

ヤザンが猛禽類のようにほくそ笑む。

月上空、暗闇の宇宙に次々と咲く光の華は、間違いなく戦闘の証。

望遠モニターでも点のように小さいが、見たことのある雷神が如きマシーンが、V2のシールドに食いついて動きを止めているのがヤザンには分かるというのは、ニュータイプ的な感覚の接続や幻視ではなく、もはや戦闘経験と野性的センスによる(なんとなく)という奴で、ニュータイプや並のエース達からしたらそれこそニュータイプ以上に理不尽で強力なセンスであった。

さらにV2を加速させ、モニターの赤いアラームが激しくなっていく中で、ヤザンはV2のFCSが敵機を捉えると同時に引き金を引く。

 

「間抜けめ…!迂闊に戦場で機動兵器の足を止めるとはなァ!!」

 

ビームは真っ直ぐにゲンガオゾの腹を貫き、そのパイロット(ルペ・シノ)の肉体をこの世から瞬時に消滅させてしまった。

あまりにも性急で鋭い急襲は、ルペ・シノがウッソに執着し過ぎたのもあり、強化された人間に攻撃を察知させさせぬ程であったのだ。

 

「よぉ、ウッソ。一人で良く持ちこたえたな。褒めてやるぜ!」

 

「ヤザンさん!!!」

 

実際に二人は会話を交わしたわけではない。

ミノフスキー・ドライブ粒子は戦闘濃度まで高まっているし、ワイヤーで接触通信をしている余裕もない。

だが二人はMS越しに互いの笑う顔を見た気がした。

そして、

 

「ベスパの奴らめ、相変わらず良いセンスのMSを出してくる!

ウッソ、貴様はあの皿乗りをやれよ…!俺はこちらで我慢してやる!」

 

直ぐにヤザンは二匹の龍へと襲いかかった。

いつもならば()()()()()強敵は真っ先に貰い受ける所だが、今の自分ではそれは難しいとヤザンは理解している。

ゲンガオゾを討ち、1秒の間もなく踵を返してドラゴン(ドッゴーラ)へと向かったヤザンを見、ウッソも師のその動きから己の役目を理解する。

 

(僕はこのままあの鈴の音をやる!そういう事ですね、ヤザンさん!――…え?)

 

理解し、今にもキャノンを発射しようとするザンネックへ向かう寸前に、視界の端で見たV2一号機の様子にウッソは一瞬、円筒操縦桿を握る手が緩んだ。

 

「そんな!?ヤザンさん、その機体!」

 

ヤザンのV2の脇から背部にかけて明らかに損傷があり、しかも左側ウィングバインダーからは不安定なメガ粒子が多量のスパークと共に垂れ流れている。

いつ引火するかも分からず非常に危険な状態といえた。

 

「そうだ、そうだよ!ストライカーさんが言ってたじゃないか!V2一号機はダメだって!

なんで、ヤザンさん!…っ、クソ!僕は何を喜んでいるんだ!」

 

ウッソは喜んだ自分を殴りたい衝動に駆られ、そして次の瞬間、頭をブンブンと振って忙しく思考を切り替えていった。

理性のコントロールは、幼き頃からハンゲルグとミューラに教え込まれている。

 

(あれしか方法は無かったって事だろ、ウッソ!なら、一秒でも速く決めるしかないんだ!)

 

確かにヤザンの選択は最善手だ。

この驚異的な4機のマシーン相手には、自分一人では詰みであった。

最速で増援に駆けつけるにはコレしか無く、またウッソでも同じ方法をとったろう。

実際、ヤザンが並の機体で駆けつけていれば時間的猶予は有りえず、ウッソは今頃宇宙の塵になっていたはずだ。

 

「鈴の音の奴…!さっさと沈めぇ!!」

 

ウッソはビームライフルを連射しつつザンネックへと立ち向かう。

 

「はん…私に向かってくるのは坊やかい。

なんでだい、ヤザン…なんで私に来ない?

腹ただしいねぇ、坊やを私に差し向けるなんてさ!」

 

ファラは一人唇を噛んだ。

求める男が折角目の前までやって来たというのに、彼は自分に見向きもせずにブロッホとピピニーデン(くだらぬ人間)にうつつを抜かすのは許せない事であった。

 

「ただのビームがこのザンネックに効くはずがないだろう?」

 

噛み締めていた唇を歯から解き放ち、薄っすらと笑う。

赤い唇がファラの美しい顔を血のように彩っていて、その美しさはいっそ魔女のようでもあった。

ザンネックは回避行動すらとる必要はない。

ザンネックの〝大皿(SFS)〟は単独による大気圏突入・離脱能力、1G環境下での長時間高速飛行、そして強力なIフィールドすら搭載されているのだ。

宇宙世紀の技術の進歩は恐ろしいもので、その飛行能力は大気圏内ではマッハを凌駕し、防御性能では並のビーム兵器を寄せ付けない。

ファラ・グリフォンは笑う。

 

「ははははは!そうら三日月のブーフゥが笑っているよ!

ザンネックの鈴が坊やのお友達を狙っている!!

ヤザン!!お前が来ないからこうなるのさ!!」

 

ザンネック・キャノンの収束はなされ、赤い閃光が迸るとV2の視界を赤いフラッシュが覆い尽くした。

ホラズムを確実に狙う最悪の一撃が放たれたが、しかしウッソはもう動じなかった。

ヤザンが道を開いてくれた今、それへの対処は既に理解できているのだ。

 

光の翼(これ)ならば!」

 

V2の両肘を思い切り背部へと押し、腕部シールド発生機となっているその肘先をウィングバインダーへと近づけ、そしてシールドを形成するIフィールドへと光の翼のメガ粒子を()()()()()

そうすることで背の翼を前面へと引っ張り込み、展開する。

それは安定していないメガ粒子の激流であるが故に、莫大とはいえ収束したザンネック・キャノンの威力に抗えるのだ。

 

「っ!チィ!?坊やァ、可愛いよ…!健気に守って、そんなに自分から殺されたいか!」

 

収束された一筋の赤い閃光は、光の翼の濁流によって散らされて、月表面に新たな無数のクレーターを作り、そして上空にそれた残りの赤い筋は無限の暗闇に消えていってしまった。

ファラは不機嫌な顔となって、邪魔者を先に始末してやろうとターゲットを再度切り替える。

先程からコロコロとターゲットを変え一貫性がないように見えるが、それは強化の弊害による不安定さではなく、寧ろクレバーさの現れだ。

その時々で、目標に固執せずに狙えるモノを狙い、撃滅する。

それが今のファラ・グリフォンであった。

 

「ふふ…!この一対一でこの私に勝てるものか」

 

「く…この気配が、あのお姉さんからのものなの!?これが…プレッシャーって奴なんだ…!」

 

ザンネックの装甲を徹して、ウッソに染みてきそうな妖しき圧力に少年はすっかり気圧されるが、それでも退く事など有り得ない。

オーラによって巨大にさえ見えてきたザンネックに少年は立ち向かう。

 

「ヤザンさんがあの尻尾付きを抑えてくれている間に…決めてみせる!」

 

「来なよ、坊や!」

 

ザンネックの目が煌々と赤く光る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蛇だか龍だかの巨大なMAがトグロを巻く。

そして一気に巨体を伸ばすとその加速のままにヤザンのV2へと襲いかかる。

 

「こちらの新型は損傷しているだと?

なるほどな…強化人間の砲撃はかなり役に立っているらしい!」

 

先にピピニーデン機をけしかけて様子見と洒落込んでいるブロッホは、唇の片側だけを釣り上げて笑う。

様子見のお陰でドッゴーラのマルチセンサーは、既にリガ・ミリティアの新型の泣き所を見て取った。

胴体にもバックパックにも装甲の凹みがあり、しかも左側ウィング型ブースターと思しきユニットからは損傷の火花すら散る。

 

「クククッ!バックパックの左ブースター…すでに火を吹いているじゃあないか!

欠陥機でこのドッゴーラに勝てるものかよ!」

 

長大な尻尾を高速でしならせ、その高速運動中に10基のビーム砲を乱射した。

10連射のビーム砲とは通常ならばそれだけで通常のMS数機分の弾幕となるが、そこに縦横無尽の鞭のような動きが加われば並のパイロットならば驚く内に死んでいるだろう。

だが、

 

「な、なにぃ!?」

 

仕掛けたブロッホの方が驚き、そして空恐ろしさを感じていた。

 

「弾幕に自分から向かって、避けるだと!!」

 

破損状態の敵新型は弾幕に自ら飛び込むと、あっという間にブロッホの懐に迫ってみせた。

 

「貴様ぁ…!こ、この俺を舐めるなよ!」

 

強気に言うブロッホだが、その岩のような鼻筋には冷や汗が吹き出して流れる。

ドッゴーラは通常兵装としてビームサーベルを持たないが、腕部のビームガンをIフィールドによって留めることで即席のサーベルを形成できる。

両腕からの二刀流で、向かってくるガンダムタイプを迎え撃つブロッホ。

片腕のサーベルを振りかざし、もう片腕のサーベルは深く引いて突きの体勢。そして両刃を高速で見舞うのだ。

 

「そこだ!」

 

「ハッハッハ…!まるで子供の間合いだな!」

 

振り下ろされるサーベルを、ヤザンは光刃同士の一瞬の鍔迫り合いで捌き流し、突きの一撃は脇腹を少しばかりずらしてスレスレに避け、次いで手首をがっちりとアームロックをしてしまう。

そして機体が触れ合ったのを幸いにヤザンは皮肉たっぷりに相手を挑発すれば、案の定相手(ブロッホ)は怒りを見せた。

 

「子供だと!?この俺に対して!」

 

「フハハハっ!」

 

「…っ!こ、この機体、小さいくせしてこのドッゴーラを抑え込むパワーなのか!?」

 

「伊達に新型じゃないんだよ!」

 

ドッゴーラの腕を締め上げ軋ませる。

ブロッホは長い尾と空いている片腕でV2を捉えようとするが…。

 

「くっ、ちょこまかと!」

 

巧みにそれらを避けるV2。

ブロッホも下手をすれば自機のコクピットブロックを潰してしまうからビームも使えず、殴打狙いの攻撃はどうしても甘く、そのような狙い方では野獣が如き男は殺れはしないのは当たり前だった。

 

「図体は死角だらけだなァ!ハッ!貰ったぜ!」

 

勝ち誇り、ヤザンがV2にビームサーベルを逆手で構えさせ、一気に胴体に突き刺そうとした…その時。

 

「っ!なに!?キューブだと!」

 

ヤザンの視界のずっと端…もはや後方とすら思える角度から迫る〝物体〟をヤザンは捉えて、そして一瞬にしてその場から飛び去る。

〝物体〟は四角い立方体のそのベスパオレンジのブロックキューブ。

そいつの、ヤザンへの空振りの体当たりは、ブロッホのドッゴーラにしこたま命中した後に、まるで意思を持っているかのように再度V2を追跡しだす。

 

「ホーミングするブロックというのか!あの色…もう一機の尻尾付きの仕業のようだが…」

 

ノーマルな人間の視野を遥かに上回るヤザンがグリグリと目玉を動かしてモニター中を確認すれば、その四角い立方体はそこらの宇宙に浮かんで、そしてやはり意思を持ってヤザンを追跡してくる。

攻撃とは相手の意表を突くことが最も重要で効果的だ。

今、ヤザンが不気味なブロック達による包囲網から逃げ回っているのは、このブロックがどういう挙動をし、そしてどういう攻撃をしてくるのか、というのを見極めたいが為。

虚を突かれるのは最も避けるべきだった。

 

「ちょろちょろと!」

 

軽く舌を打ちながらヤザンが独り毒づく。

ヤザンが虚を突かれるのを嫌ったように、自分がされて嫌なことをするのが戦場だから、ヤザンは相手の意表を突いて一瞬で間合いを詰めてビームサーベルをコックピットに突き立てる…その寸前までいった。

絶好の勝利の手を潰されたのだから多少なりともイラつきはする。

しかもベスパオレンジの大型MA本体までもヤザンに纏わりつけば、中々思うようには戦わせてもらえない。

 

「…感じる…!お前の存在を感じるぞ!私の全身をピリつかせる獣の吐息だ…!!お前なのだろう、ヤザン・ゲーブル!」

 

ヤザンをイラつかせるMAのパイロット、アルベオ・ピピニーデンは、目を見開いてモニターに映るガンダムタイプを凝視し、今までの寡黙さが嘘のように饒舌となって気分を高揚させてていた。

ベスパオレンジのドッゴーラが、長い尾をたなびかせながら高速でヤザンへ迫る。

その様は黒い海を掻き分けて進む龍か蛇そのものだ。

 

「その軌道の素直さは見覚えがある…あの時の曲芸師か!?」

 

ベスパのピピニーデンサーカスと言えば多少はリガ・ミリティアにも知られていた名物パイロットであり前線指揮官であるし、ヤザンは何度か交戦した経験から巨大MAを駆るパイロットをずばり当ててみせた。

 

「ならば!」

 

そうくると敵の挙動の癖を思い出してやれば戦いはぐっとこちらに傾く。

ヤザンは右にフェイントのビームを放ち、そして敵が回避するより前にMAの斜め前へとビームライフルの先撃ち。

 

「っ!?ヤザン!!くはははははっ!やはり恐ろしい奴!しかし私ももう以前とは違うっ!!」

 

ドッゴーラの尾の付け根に吸い込まれていったV2のビームが、だが当たる直前に虚空を貫いた。

 

「なんだァ!?バラけた!」

 

さすがにヤザンもそれには少し驚く。

ドッゴーラが胴部と尾を切り離し、そしてトカゲの尻尾切りの如く離れた尾はグネグネと動いて、まるで別の生き物のように蛇行運動で宇宙を泳ぐと、その直後に爆発するかのよに勢いよく尾がバラバラになったのだ。

ヤザンもある程度は(あのブロックは尾から切り離したパーツでは)とあたりをつけていはしたが、まさか尾の全てのブロックが分解し、それぞれが動き出すとは思わない。

 

「サイコミュのオールレンジ攻撃…!」

 

敵にとってはハエのように不愉快かつ不規則な高速軌道で、ドッゴーラ達とブロックによる包囲網の網の目を掻い潜り続けるヤザンは巧みに無数のブロックの体当たりを掻い潜り続ける。

 

「フン…ただ目立つだけのデカイ箱が追尾するだけかァ!?

手品の種が割れればくだらんもんだぜ!

曲芸師から手品師に鞍替えしたところでなぁ!ハハハハハッ!」

 

V2を包囲し、高速の体当たりを敢行し続けるブロックを一つ、また一つと撃ち落とし、切り落とす。ファンネル全盛期を潜り抜けたヤザンであるからこの程度の芸当はわけもない。

ピピニーデンはその目を歪な弧にしてモニター越しにヤザンを睨む。

 

「ドッゴーラのビットを撃ち落とす…!?ぬ、ぅぅぅ!私の動きを読むなぁ!!」

 

「お前の動きは素直だと言ったろう!!」

 

まるで会話の疎通が成っているかのように互いにコクピット内で言葉を漏らす。

 

「私は!私は生まれ変わったのだよ!私はすでにニュータイプのはずだ!

なのにティターンズの亡霊如きが…ニュータイプの真似事をするのは不愉快だ!

貴様は古びた地球人のはずだろう!そうでなくてはならないっ…だから、私の動きを読むのは間違っているのだ!」

 

ブロックビットを高速で左右上下から突っ込ませる。

ドッゴーラの腕部ビームを猛射する。

ミサイルを龍が吐き出す。

次々とピピニーデンは攻撃を繰り出してその手を休める事をしない。

ヤザンを常に後手後手に回し、防御一辺倒にしたいという思惑。

そして未だ100以上浮遊するブロックの包囲網を徐々に狭めて、V2の動きを物理的に制限していく。

 

「ふふっ、そうだよ!その姿だ!

貴様はそのブロックビットの包囲網の中で、檻の中のケダモノのように死んでいきたまえ、ヤザン・ゲーブル!」

 

ピピニーデンは笑い、しかしヤザンもまた不敵な笑みを崩してはいない。

 

「こんなくだらん事が貴様の狙いか、手品師(ペテン師)野郎め。

ネタ切れの手品師にゃこのあたりでご退場って所だな!このV2の機動性なら突破は…――ッ、なに!?」

 

その時V2が大きく揺れた。

サブモニターに表示されるメッセージはエラーを吐き出し、機器の警告灯に赤が灯る。

ヤザンの戦場の眼(経験と勘)はピピニーデンの包囲網の出口への道筋を即座に見抜き、しかもピピニーデンを殺す道筋までをも野生の勘は嗅ぎ取っていた。

本能が勝ちへの手順を示せば、後は徹底的にカラダに染み付かせたパイロットの反復操作がヤザンを勝手に動かした。

そして後はその道筋を臭いを辿る猟犬の如く駆け抜けるだけ…その筈だったが、そこでV2に無理をさせた事が祟る。

左ウィングバインダーが吹き飛んだ。

内部から噴き上がってくる圧倒的エネルギーに、ダメージを負った機構が耐えられなかったのだ。

 

「くっ、とうとう来たか!」

 

損傷を負った初陣で酷使されたV2は健闘したと言えたが、それでも、またもあと一歩で敵を仕留め損なう。

しかも今度は己が敵の攻囲を突破する道筋までが消え失せていて、ヤザンの経験と勘を持ってしても再度の突破口の発見は未だならない。

制御を失いかけたV2を素早く立て直した技量だけでも称賛ものだったが、ヤザンはそのまま左バインダーの全エネルギーをカットし、そして左側だけを各部アポジで持ち直させてバランスを保ち戦闘機動を続行してみせた。

 

(パワーを上げると機体が傾く!クソ…!一気に包囲網を抜けるのが難しくなりやがった!)

 

だが今のV2が発揮できるスピードも小回りも大きく限界を落としたものだから、ヤザンの苦しさは並ではない。

そしてそこに態勢を立て直したブロッホの青きドッゴーラまでもが再度去来すれば、ヤザンを襲うビームの嵐はより密度を増した。

 

「強化人間め、クックックッ、いい仕事をしたじゃないか」

 

「ブロッホ!?私の獲物を横取りしようだと!?」

 

突如乱入したもう1機のドッゴーラに、ピピニーデンは敵意を剥き出す。

ヤザンを追い詰めるブロックをサイコミュで操りながらも、ピピニーデンはドッゴーラの胴部をブロッホ機へ擦り当てるようにしてわざと追突。

そして接触通信でがなり立てる。

 

「私の獲物だぞ!!」

 

「く…!た、大尉、なにを!?

私の邪魔をするのですか!!」

 

「私の獲物だと言っている!貴様は私のアシストをしていればいい!」

 

(に、人形風情が…!!)

 

ブロッホのこめかみに青筋が浮かぶ。

そのまま怒りに身を任せてピピニーデンを攻撃してやろうかという思考すら刹那、芽生えるがブロッホは実直な軍人でもある。

怒りを唾と共に飲み込んで、己の任務を強く思い起こす。

 

「っ…わ、分かりました…では、私は支援に徹します。

大尉にお任せします!」

 

大人しく一歩引き、青いドッゴーラは距離を置いて漫然とした支援砲撃へと移行。

ピピニーデンはそれを満足気に見て、そしてヤザンのV2へと迫る。

ブロッホは唇を噛み締め、(馬鹿め…!二人でかかれば確実に倒せるものを!)そう思いつつもそれを見送れば、橙のドッゴーラがけたたましくV2へと激進し、そしてブロックによる包囲を確実に狭めながら、ヤザンを檻から逃さぬようビームガンで逃げ道を塞ぐ。

今、ピピニーデンは最高に気分が良い。

己に酔う。

 

「はははははっ!翼のもげた小鳥のようじゃないか、そのMSは!

これが!これが正しくあるべき姿なのだ!

私は貴様に負け続けて栄光を失ったが、ここで貴様を仕留めて再び私は名誉を手にする!」

 

ピピニーデンの感応が宇宙を漂うスウェッセムセルに乗り、そしてピピニーデンの指令を正しくブロック状のビット達へと伝達すれば高速でV2へ殺到するのだ。

上、下、右、左、そして前後までも、ヤザンの視界全てが巨大なブロック共に埋め尽くされる。

 

「舐めるなよ!俺がこんな積み木遊びでバテると思うのかよ!」

 

その瞬間、ヤザンはV2を()()した。

トップリム、ボトムリム、そしてコアファイター。

 

「ちぃぃ、そうか、リガ・ミリティアの白い奴はそういう小細工をする!」

 

「フハハッ!合体分離はもともとこっち(ガンダム)の専売だからなァ!」

 

「包囲をすり抜ける!!?」

 

ヤザンはブロック達が一斉に動くのを待っていた。

包囲が広く散開していれば、MSよりも直線的な軌道を取らざるを得ないファイター形態ではすぐにブロックに捕捉されるだろう。

トップリムもボトムリムも、今の時代はミノフスキーコントロールとバイオコンピューターの補助によって非ニュータイプでも近距離ならば脳波コントロールによる無線操作が出来るが、それでも複雑な挙動には限度がある。

ブロック達が一斉にV2に向かってきたからこそ、その僅かな隙間を見出して、V2は()()()なって狭間をすり抜けられたのだ。

 

「後ろか!」

 

ドッゴーラの背後でそのまま高速合体、直後にビームライフルで威嚇したヤザンは、ドッゴーラが振り向くより速くその場を移動する。

 

「片翼でよくも動く!そこだ!」

 

ピピニーデンの脳内にニュートリノ的な刺激が走り、敵対者の殺気を受信し、そして動きを予知する。

予知した先へとブロックビットを差し向け、牽制。

ヤザンはブロック群に追われながら再度加速して、一頻りその宙域を飛び回り回避に務めると、今度は青いドッゴーラへと踵を返す。

 

「ヤザン・ゲーブル、こちらに来たか!

この俺の方が与し易いとでも思ったのかよ!」

 

ブロッホのドッゴーラが雷雲型のバルーンを吐き出し、そしてその身を後退させながら射撃を撒き散らす。

 

「その速さでは、もはや脅威ではない!

あのヤザン・ゲーブルの首は俺のものだ!!」

 

向こうから来たのだから、これはピピニーデンからの横取りにはならない。

ブロッホにとって伝説のティターンズのエースパイロット、ヤザン・ゲーブルはある種憧れの人でもある。

その首級を上げて大金星とすれば、まさに一生の誉だ。

しかし、V2は軌道を一気に下げて瞬時に下降してブロッホの射線から消え失せて、(消えた!)と、そう思うほどの急激な直角下降だった。

 

「し、しまった!ピピニーデンのビットが、俺のバルーンに!!」

 

そしてその挙動に対応出来なかった巨大なビット達は、そのまま高速で雷雲バルーンへと突撃し、そして派手な爆発を引き起こす。

 

ピピニーデン(人形)め!ビットの制御もろくにできんのか!

何のための強化人間か!

くそっ、センサーが……ヤザンはどこだ!!」

 

四散しないまでも、爆炎に突っ込んだ幾らかのビットは火を噴き上げ小規模な爆発を繰り返しながら炎の隕石となってブロッホ機へと降り注ぎ、その熱源センサーを妨害してブロッホを大いに焦らせる。

V2は下降したのだから、という意識がブロッホの視線を下へと向けた。

だがヤザンは既にドッゴーラの下面を通り抜けて背後へといたのは、このマシーンの長所でもある長い尾がもたらす死角に沿って滑ったからだ。

 

「まずは一匹…もらったァ!!」

 

「っ!?う、後ろ――っ!!!」

 

ビームの熱線がブロッホという人間の物質を、短い断末魔の後にこの世から粉微塵に消滅させて後には彼の痕跡は何も残らない。

だがヤザンはそんな戦果は前菜であると言わんばかりに即座に視線を滑らせて動いた。

 

「次は貴様だ、ベスパカラー!」

 

「ブロッホがやられた!?

ビットまでがあんなに巻き込むとは、役立たずのオールドタイプが!

ブロッホめ、死ぬなら一人で死ねばいいものを!!」

 

だがまだビットの残りはざっと50以上。

ドッゴーラの長大な尾の全てのブロックを脳波コントロール可能なブロックビットとしてあるピピニーデン機は、往時のファンネルに比べれば的も大きくもっさりした動きしか出来ない。

だがそれでもその遅さを補って余りある〝数〟と、そして多少の爆発に巻き込まれようとも無事に稼働する堅牢性があった。

その無数のビットを操作してみせるピピニーデンも、やはりこの時代に相応しい強化人間といえた。

 

「その機体も限界だろう!」

 

V2の左バインダーから漏れるスパークがより大きくなっているのを見て、ピピニーデンは僚機をやられようとも変わらぬ自信を堅持している。

 

「やはり遅くなった!貴様の動きが見えるぞ、ヤザン!!」

 

宝珠ビーム・ガン付きのブロックビットを左右に散らし、牽制。

ちょろちょろ小蝿のように動き回るヤザンの動きを制限し、そのままビームの連射で片を付ける。そういう目算だ。

ヤザンはコクピットを貫かれて沈黙する青いドッゴーラを盾としつつ、その尾を引っ掴むと、それをV2のパワーでもって力任せに投げつける。

無論、その方向はピピニーデン機。

 

「邪魔ァ!!」

 

ピピニーデンがトリガーをベタ押しすれば、ドッゴーラは己に蓄えている攻撃的兵器の全ての火力を解放する。

恐ろしい弾幕だが、V2が消耗しているようにもはやドッゴーラも消耗している。

ミサイルも弾薬切れを起こし、長々と分離し単独行動していた宝珠ビーム付きのブロックビットはもう縮退メガ粒子残量は雀の涙だった。

飛んでくるデカブツの残骸を殲滅せしめるパワーは既に無く、ベスパカラーのドッゴーラはテールノズルに尾を引かせて迫る大質量を回避せざるを得ない。

そして案の定というべきか、回避方向には既にV2が待ち受けていた。

 

「そうくると思ったぞ!」

 

しかしピピニーデンとてヤザンとの戦いは初めてではない。

しかも以前よりも彼の反応速度も強化されていて、予知紛いの事までやってのけるから、ヤザンの動きは折込済みだった。

既に小脇に構えられたドッゴーラの右腕のビームガン砲口からはサーベルが形成されている。

 

「死ねぇ、ガンダム!!」

 

そう叫ぶピピニーデンの顔は、あのヤザンを上回ってやったという優越感と、強化された己のパワーを実感しての万能感を存分に浮かべて、人の愉悦的感情が剥き出された邪な笑みに見えた。

宇宙世紀に生きる者なら誰もが知るガンダムと、そしてそのMSを駆る伝説的組織ティターンズのエース、ヤザンという、その凶悪なコンビネーションを自分は超越したのだ。

そういう歓びがピピニーデンをより昂ぶらせて、そしてその視野を狭窄にする。

 

(っ!…ま、待て!なぜ、なぜだ?なぜガンダムの下半身が無い!?ヤザンは私に何を仕掛ける!?)

 

だから今更に気付く。

ガンダムタイプの下半身が無い。

ヤザンは操縦桿のトリガーをうずうずとした様に一度、二度と素早くなぞり、そしてほくそ笑みながら引き金にセットし、待つ。

 

「ウッソ、帰ったら貴様にも一杯奢らにゃならんな…!」

 

今度の戦闘では愛弟子(ウッソ)の得意技を多く借りて、そしてそれが無ければ勝つのは難しかったとヤザンでも思う。

 

(あいつの手癖の悪さは大したもんだぜ!)

 

次々に奇想天外な戦法を編みだす柔軟な思慮と発想は、ヤザンの舌も大いに巻くものだ。

そしてそれをヤザンは手放しに称賛していた。

戦いとは相手の意表を突いた者が勝つ。

 

ドッゴーラの真下から、高速でV2の下半身(ブーツ)が突進してくるのがピピニーデンの意識の隅に映る。

 

「し、下か!!」

 

ピピニーデンは反応してみせ、そしてドッゴーラを素早く引いた。

瞬間、ドッゴーラの鼻先をかすめるボトムリム。

だがそれを待っていたように、ヤザンは引き金をひいた。

 

「いい子だ…やはり素直だぜ」

 

ニヤリと口の端を釣り上げて、獣が駆るガンダムの銃口からビームが解き放たれる。

 

「っっ!!!」

 

光が迫るイメージがピピニーデンには見えて、そして死の恐怖を感じ取った彼の本能は意識を超えて咄嗟に指を動かす。

緊急脱出装置が雑に起動され、ベイルアウト。

ドッゴーラのコクピットブロックの装甲が弾け飛び、そしてイジェクションポッドがまろびでた。

 

直後にはドッゴーラはボトムリムと一緒に猛火に包まれ、そして宇宙の黒に一点の華となって拓いて消える。

コントロールを失ったドッゴーラのビット達はそのまま月の重力に従って次々に落下。

完全にその脅威を失った。

 

ヤザンは勝った。

 

だが、相変わらずV2のコクピット内をレッドアラートが赤く照らし、そして不愉快な電子音が奏で続ける。

代償は支払う必要があった。

 

――ミシリ…

 

そういう嫌な音が、ヤザンのヘルメット越しに聞こえた。

次の瞬間、ヤザンのV2もまた、ドッゴーラのように炎に包まれていた。

 



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妖獣の爪痕 その1

ファラ・グリフォンは遊んでいた。

必死になって自分に立ち向かってくるあどけない無垢な精神が、敵MSのマシーンの体内から感じられて、彼女は一層楽しかった。

だから、自分の護衛である2機のドッゴーラの気配が消えたのを感じた時には大層怒りを顕にしたのだ。

 

「ピピニーデンとブロッホが墜ちた…?

ルペ・シノといい…奴ら、存外使えん…!

しかしここはヤザンと坊やが一枚上手だったと思えば悪い気はしない…フフッ」

 

今もV2のビームライフルは次々にIフィールドで弾かれ、それでもサーベルで切りかかってくるガンダムの()()()を見てファラは微笑んだ。

 

「可愛いよぉ、坊や…そうさ、このザンネック相手じゃお前は敵じゃあない…」

 

圧倒的に隔絶した操縦テクニック差でもなければ覆しようもない優劣がそこにはあった。

ウッソとファラ程の僅差の腕前の差であれば、MSの性能差によって勝敗は揺らいでしまう。

実体兵器が頭部バルカン程度しかないV2では、たとえリガ・ミリティアが誇るフラッグシップ機といえども分が悪い。

相性も悪かった。

ザンネックは専用SFSに強力なIフィールドを搭載し、また肩の粒子加速器は強力な反発力を発生させるから二重の対ビームバリヤーがあるも同然で、光の翼を直撃でもさせない限りその突破は難しい。

だがいかに天才のウッソといえど、ファラは隙の大きい攻撃(光の翼)を狙い当てられるような容易さを持つ敵ではなかった。

つまりウッソが持つ有効打はビームサーベルと、そして腰部フロントアーマーに隠し持つ機雷だけだ。

 

「こちらの動きが読まれてるの!?」

 

瞬発的な加速と減速を繰り返して光の翼をはためかせ、フェイント交じりで前後上下左右(360°)の月の空を自在に機動するV2。

たとえ相手がニュータイプであろうと翻弄できるだけの超スピードで、ウッソはザンネックをサーベルで捉えようと試み続け、そして虎の子の機雷まで撒いてザンネックに一太刀…と思ったがその思いは実らない。

ウッソの言う通り、ザンネックのパイロットはまるでウッソの動きを見通しているかのようだった。

 

「く…!せめてリーンホースかホラズムから、ブーツを射出して貰えれば!」

 

ウッソが臍を噛む。

ビームに対しておよそ完璧な防御を誇る眼前の皿乗りのMS(ザンネック)に対する攻略法として、ウッソが真っ先に思い浮かんだのはヴィクトリーの余剰ハンガーとブーツを質量兵器として撃ち込む事だった。

しかし先だっての砲撃によって基地機能が死に、リーンホースすら出撃不能となっている今では望むべくもない。

 

「坊や、次はヤザンと一緒に私の所においで。

そうしたら一緒に遊ぼうよ、ねぇ…坊や。

うっふふふ…お楽しみはまだまだ先…とっておかないとね」

 

ザンネックの粒子加速器が光ると、拡散するメガ粒子が弾けてV2を襲う。

当然のようにウッソはその全てをかすりもせず避けきるが、ビームの煌めきに一瞬視界を奪われた瞬間にザンネックは、その僅かな間に遥か彼方へと後退していた。

 

「逃げた…?…それもそうか。

あいつ以外は皆ヤザンさんにやられちゃったんだから」

 

殺気の波動を鈴の音に乗せてくるベスパのマシーンがその音を鳴り止ませて、そして大きく退いたという事は、もうあの恐るべき砲撃は()()来ないと思って間違いなかった。

ここで仕留めきりたい怖い敵ではあるが、今の自分ではあの敵を倒しきれないとふんだウッソは追撃の選択をとることはない。

牽制をし、残心をしつつも去る敵を見送る。

 

「また会おうじゃないか、坊や…」

 

ウッソの頭の中にそういう声が響いた気がして、ウッソは疲労困憊な様子を見せて息苦しさを感じたのか、ヘルメットを脱ぎ、パイロットスーツの襟元も緩め、深く息を吸い、吐く。

 

「冗談じゃないよ」

 

少年は一人、呟いた。

恐ろしい敵を追い払えた事に安堵しつつも、倒せなかった事には一抹の不安がある。

またギロチンそのものの、あの超長距離キャノンを持った敵が来るという恐怖が、今後はリガ・ミリティアを襲い続けるのだ。

遥か遠くに光点となって消えゆくMSのスラスター光を見送って、ウッソは(出来ればもう二度と会いたくない)と、そう思ったが、そういう訳にはいかないだろうとも確信していた。

 

「…今は、そんなことよりヤザンさんだ!」

 

メットをかぶり直し、襟元を締め切ってウッソは再び強く操縦桿を握った。

ファラ・グリフォンとの戦いは激しいものでとても余所見をする余裕も無かったが、それでも今ヤザン・ゲーブルが敵を倒したという事はウッソは半ば確信する。

敵の気配というものが消え失せていたし、親しい人の危機に際してウッソのようなスペシャルなニュータイプは ――或いは赤の他人や、果ては敵であろうとも―― 命の砕ける音や断末の意識を受け取ったりをしてしまうが、ヤザンがそういう類の発信をしていない事にウッソは一定の安堵をしていた。

V2の優れたモニターとセンサーの索敵を駆使して、静寂を取り戻した月の空を見渡す。

 

「あの龍みたいな奴」

 

すぐにウッソはドッゴーラの残骸を見つけて、そして微笑む。

自分が尊敬し、そして憧れすらある戦士がこうして強くあるのだという証拠を見つけるのは少年心に嬉しい。

 

「龍の残骸が1機…2機目……あんなに尻尾がバラバラに…?

あいつ、尻尾をあそこまで細かく分離させる事が出来たのか…。

そして…あれは…三つ目の奴。

…ヤザンさんはどこに…………えっ、あ、あれは――!」

 

沈黙したドッゴーラ2機と、そしてゲンガオゾ…それらのほど近い月面に、ウッソを仰天させる光景があった。

 

「V2一号機…!!」

 

下半身を失い、所々から火を噴き上げているV2一号機が小さなクレーターに落着していたからだ。

視覚的に、人型の下半身が無いというのはそれだけで痛々しく無残だが、しかも母が熱く語っていたV2の白い装甲も抜けるような空の青も黒く焦げて燻る。

V2の象徴とも言えるVの字の〝翼〟も片方が根本から爆散して抉れていた。

ウッソは心臓が嫌な高鳴りをして、そして背中が瞬時に冷えていくのを感じる。

脳の奥が重くなってジンジンと痺れるようで、思考がバラバラになっていきまとまらない。

思考を差し置いて、本能が反射的にウッソを動かしてV2を加速させていた。

とにかくいち早くヤザン機に駆けつけたい一心であった。

 

「ヤザンさん!!」

 

V2一号機の側に強行着陸し、慌ててキャノピーを跳ね開けて飛び降り、そして今も燃える一号機に向かって駆け出す。

手には備え付けの消火剤噴霧器を握りしめ、パイロットスーツの腰部推進機を思い切り吹かして跳ぶ。

 

(大丈夫、大丈夫だ!だって…僕がニュータイプだっていうなら、まだヤザンさんの死なんて感じていないんだ!)

 

メガ粒子がエンジンのIフィールドを崩壊させて初めて核爆発が起こる当代のMS達だが、純粋な燃焼でもエンジンが小規模爆発を起こす可能性はいつだってあった。

既に大学に通用する論文すら書けてしまうレベルに聡明なウッソがそれぐらい気付かぬはずはないが、今はそんな可能性を埒外に投げ捨てる程ウッソは懸命だった。

 

「ヤザンさん、ヤザンさん!ヤザンさん!!」

 

涙目になりながらも、熱くなった開閉ハッチを殴るように叩き、そして引き出されたキャノピーに纏わりつく火炎に必死に消火剤を撒き散らす。

硬質偏光材で薄暗いキャノピーの向こうにいる人影は鮮明には伺えないし、ひび割れもあってより見え辛いがグッタリと動かないのは分かった。

 

「起きてくださいよ!ヤザンさん!」

 

ウッソはなおも必死に叫ぶ。

ウッソにとってヤザンはただの上官とか教官とか、人生の先達者とかそういう範疇の男ではない。

母ミゲルをしてニュータイプの天啓を得て生んだ子と言わしめる、まさに生まれながらのスペシャルであるウッソは、物心ついた時には既に利き腕の矯正、ナイフ投げや受け身の訓練、自然の中でのサバイバル技術、頭脳面ではミドルスクールに相当する年齢の前から連立方程式まで解き、初歩的なミノフスキー物理学まで履修し…そういうスパルタ教育を施されてきた少年だ。

天賦の才とハイクオリティな教育が合わさったウッソは、自然の中で育った事もあって純朴で真っ直ぐな子に育ったが、心の何処かでは他所の一般的大人に対して、「あぁこの人もきっと理解し合えないし、学ぶ所は無い人だ」と、そういうある種の諦めのような見下しの心が、僅かに在った。

それは決して大人を取るに足らないくだらぬ存在と卑下するものではなかったが、一線を引いて深く交わらず、また頼るような事もなかった。

シャクティと二人で自立して生活していたウッソは、既に両親ですらも ――心は甘えたがっていたが―― 必要としていなかった。

そんな短い人生の中で、突然現れたヤザン・ゲーブルという男は、カテジナにとってもそうであったが、ウッソにとってもまた今までに無いタイプの男だ。

真実の姿がテロリストであろうと、表面的には紳士的で、人当たりが良く、物腰柔らかな、…そういうハンゲルグが父親であり身近な男の大人だったから、ヤザンのような野性的で、そして男臭い人物は新鮮だった。

苛烈で、強権的で、物怖じせず言い淀まず、物事の解決には腕力が一番だとでも思っていそうな、ウッソが好む冒険小説にでも出てきそうなむくつけき戦士のような男。

カテジナへの淡い恋心とは違う、初めて「僕もこうなりたい」と思わせた〝憧れ〟という感情を抱かせる大人の男。

「まだまだこの人にはここが敵わない…」と、そう思わせてくれる男がヤザン・ゲーブルという人だった。

 

「ヤザンさん、あなたはこれぐらいで死なないでしょう!?

死ぬはずありませんよ、だから、起きてくださいよヤザンさん!!」

 

震える指で外部ロックの解除ボタンを押す。何度も押す。

大きく歪んだコアファイターのコクピットフレームが、不快な金切り音を出してギリギリと駆動しても、なかなかキャノピーは開かない。

その間にも折角鎮火した炎はまたぶり返して内部からモビルスーツを焼いていく。

 

「ヤザンさん!」

 

ウッソがキャノピーフレームを蹴りつければ、その拍子にキャノピーフレームが軋み隙間が出来て、そこにウッソはすかさず手を突っ込んで踏ん張る。

指先がギシッという振動を聞いて、次の瞬間キャノピーが滑ると中から煙が吹き出て霧散した。

遮るものが無くなれば、そこには意識を手放すヤザンの姿があった。

引火したヤザンのノーマルスーツへと、ウッソは残りの消火剤を全部ぶちまけて、そして飛び込むようにヤザンにしがみつき肩を揺する。

 

「ヤザンさん、起きてくださいよ!!」

 

出血などは見当たらないが、彼のノーマルスーツの半身、その表面には焦げがある。

高熱で炙られ続ければ熱が伝導して内部を焼くことはままあったし、炎を完全に防ぐなど出来はしない。

穴が空いての致命的な空気漏れなどが見当たらないのはかなり幸いであったろう。

 

「う…」

 

「ヤザンさん!?」

 

反応があった。

そう思って嬉々としたウッソの首元に、目覚めたと同時にヤザンの強烈な首掴みが炸裂する。

ギラギラとしたケダモノのような目つきがウッソを睨むように見ているがウッソはすぐに察した。

 

「ヤ、ヤザンさん、ぼ、僕です、ウッソ…です、よっ!」

 

ギリギリと締め付けてくる手の力がふっと抜ける。

 

「…ウッソ、か。

すまん、許せ。…ちょいとばかし、嫌な起き方に似てたもんだからな」

 

「い、嫌な起き方…?」

 

「昔、シャングリラ・コロニーで拾われた時にな」

 

ハンブラビのイジェクションポッドを、シャングリラチルドレンに拾われたのは幸か不幸か。

いや、彼らに拾われなければ死んでいた可能性は大きいのだから、やはりあの子供達は命の恩人と言うべきだろう。

だが今はそんな思い出話等に馳せる時ではないと、ヤザンは軽く頭を振ってウッソを見る。

今度のその目つきは鋭いながらも仲間に見せる優しさを取り戻した、いつものヤザンの目であった。

 

「昔話はまた今度してやるよ。

今は、…くっ、ウッソ、少し手を貸せ」

 

すぐにウッソは手を伸ばし、その手を掴み体を何とか起こすヤザン。

ウッソは「あっ」と小さく叫ぶ。

 

「あ、脚が!」

 

「脚も折れてるし、どうもノーマルスーツの内側も焼けているな。ヒリつきやがるぜ」

 

「すぐに治療します…!」

 

メディカルキットに手を伸ばしたウッソの手をヤザンは制する。

 

「ノーマルスーツはべつに空気漏れも起こしとりゃせんのだ!

そんなのは後回しでいい…、すぐにここを離れるぞ!

一号機はいつ爆発するか分からんぞ!」

 

「は、はい!」

 

慌ててヤザンの肩を抱き支えて跳ぶウッソ。

二人は転げるようにして慌ただしくV2のコクピットへ雪崩込んで、そしてヤザンはどっかとシートへ座り込んだ。

 

「俺の大きさじゃ後ろのスペースはちとキツイ。ここはもらうぞ」

 

「それは別に構いませんよ。けど、僕は後ろでもいいですが、その体じゃ操縦は…」

 

「お前が操縦しろ。俺はお前の椅子代わりになってやるって事だ」

 

「えぇ!?ぼ、僕がヤザンさんの膝の上でガンダムを動かせってことですか!?」

 

「仕方なかろう!つべこべ言ってないでさっさとしろ!

まだホラズムが無事か分からんのだぞ!」

 

「え?で、でも奴らは撤退して…」

 

「奴らが陽動か本命かは分からんが、あいつらの戦力があれだけとも思えん。

連邦のお膝元で暴れるんだ…奴らだってもっと戦力を用意しててもおかしくはない」

 

「っ!そ、そうか…そうかもしれません!

僕らはおびき出された!」

 

「しかしおびき出されてやらにゃ、あの超長距離砲で俺達は全滅だ。

V2で奴らをとっとと始末して、そしてトンボ返りで基地を守りに帰る…そのつもりだったが、俺としたことがこのザマだ。

後はウッソ、貴様に頼らせてもらう」

 

ヤザンの膝の上で手早くV2を再起動させて、ウッソは直様帰路につく。

ヤザンの一際立派なモノがノーマルスーツ越しにも少年の尻で感じられて、同性故のその不快さや気恥ずかしさ、そして同性だからこその羨望などもほんの少し感じるが、今はとにかくそれどころではない。

それが聡明な少年には理解できているし、ヤザンが〝頼らせてもらう〟と、そう言った時にほんの一瞬見せた…ウッソへの申し訳無さと、恐らくはヤザン自身へ向けた怒りが同居した表情を見て、ウッソは口元を勇ましく引き締める。

 

「任せてください!

僕が隊長の分までやってみます!」

 

「そうだ、その意気だ!」

 

フットペダルを踏み込む。

人間二人をシートに押し付けるGが機体にかかり、焼けた背中に二人分の重力がかかればヤザンは声なき声で呻く。

ヤザンがシャッコーやアビゴルでやってのけた二人乗りとは、少々勝手が変わってくるのだ。

ヴィクトリーやV2はコアファイターがコクピットであるから、全天周囲モニターのリニアシートと比べるとパイロット保護機能が劣る。

対ショック、対G機能で劣っていて、初めて乗った時にはウッソでさえ「パイロットを大切にしていない」と感じた座り心地であった。

ウッソとてそれは分かっているが、ヤザンに気を使ってスピードを落とせばそれこそ取り返しがつかない事になるかもしれず、またヤザンの思いを踏みにじる事にもなるから、ウッソは構わず加速し続けるのだった。

 

「ヤザンさん、後少し、後少し…我慢してください!」

 

「気にするなと言っている!

お、お前が俺の心配など100年早いんだよ…!

俺を不死身と、思え…っ、殺されたって死ぬもんか!」

 

そう憎まれ口を叩くヤザンだが、さすがにヘルメットの内側で、痩け気味の頬を脂汗が伝っている。

そんな強がりの様子を教え子に見られてないポジショニングなのは、正直今のヤザンには有り難い事だ。

 

「っ、見えました!

やっぱりベスパはホラズムを直接叩くつもりなんですよヤザンさん!」

 

「ありゃ戦艦か!?

タイヤ付きの戦艦が地面走って…、タイヤが空を飛んでいるだとぉ!?」

 

一年戦争とグリプス戦役、そしてハマーン戦争など様々な戦争・紛争を経験したヤザンでも見たことがない珍妙な光景がそこにはあった。

真ん中をくり抜いた大きなタイヤの中に乗り込んだMS(ゲドラフ)が地と空を自在に駆けて、そして大型戦艦(アドラステア)がハリネズミのようにビーム機銃をばら撒きながら()()()で走る姿。

そして、それらの攻勢を巧みに捌いているリガ・シャッコーとガンブラスター達。

 

「シュラク隊がうまいことやっているようだが…!」

 

「あいつら、もう退き始めてるみたいに見えるけど…」

 

ウッソがそう指摘した通り、リガ・シャッコーの一撃を受けて爆散したタイヤ乗りのMSの姿がちらほらと見受けられて、そして巨大なハリネズミのバイク戦艦は少しずつ燃え盛るセント・ジョセフ・シティから離れようとしていた。

既にかなりの戦いがここでもあったのが一目瞭然であった。

 

「…セント・ジョセフとホラズムが…!」

 

ウッソの声が震える。

既に砲撃によって大被害を被っていた月面都市は、見る影もない程に破壊しつくされていた。

ホラズムの大クレーターだけでなく、セント・ジョセフの洞穴までが完全に崩落し、そして剥き出しになったビル群はまるで巨大なローラーに轢き潰されたように圧潰している。

 

「まさか…あの戦艦のタイヤで轢きやがったのか!

連邦の膝下でこうまでやる…チッ、やはりザンスカールってのはイカれてやがる。

だがそれ以上にこうまで舐められる連邦が情けないにも程があるぜ…!」

 

下手をすればセント・ジョセフの生き残りは一人もいない。

そう思える程の破壊っぷりであり、そしてその惨状を前に何も出来ていない連邦政府と軍へ、ヤザンは何とも言えぬ感情を抱いていた。

 

「な、なんで、あいつら…!あいつら!

なんで関係ない人達を、ああも簡単に殺せるんだ!」

 

V2ガンダムの左目に狙撃用の眼帯スコープが下り、そしてウッソの腕もあって通常のビームライフルでもかなりの距離からの精密狙撃を可能とする。

躊躇なくウッソがトリガーを引けば、鮮烈なピンクのビーム光が真っ直ぐとタイヤを駆る黄色いMSを貫く…かと思われたが、それはタイヤによって弾かれて散る。

 

「効かない!?

あのタイヤ、ビームを弾くの!?」

 

一条の光がまたV2から放たれる。

二条、三条と光の矢は次々に放たれて、その全てをタイヤは弾く。

 

「ウッソ、怒りは良いカンフル剤だ。

だが、敵をやる時にゃクレバーさを脳の片隅に残しておけ!

リガ・シャッコー達の動きを見ろ…すれ違いざまに中のMSを狙うんだよ!」

 

「は、はい!」

 

ヤザンが指差した先では、確かにシャッコー達はタイヤと真正面からやり合うのを避けて横へ横へと回り込んでいる。

背後に頼るべき師がいるのはウッソに大きな安心を与えてくれたし、そしてこの教え子は師の教えを乾いたスポンジのようにぐんぐんと飲み込むからこの課題はもはやクリアされたも同じだった。

次に引かれたトリガーが、銃口からビームを放ち、そして今度のそれは確実にタイヤの隙間を塗って黄色いMSを貫く。

タイヤが内側から炎を伴って破裂するようにして吹き飛んで、それを切っ掛けとして本格的にベスパ達は後退を始める。

 

「逃げていく!」

 

「行かせておけ!

こっちも被害が大きい…深追いをしてこれ以上の怪我をしてもつまらん!」

 

「はい…!」

 

月の大地を抉るように巨大なタイヤを轟かせて、巨大戦艦とタイヤ乗りのMS達が整然と走り去っていく。

リガ・ミリティアの全機がV2の周りへと集ってきて、走り去るザンスカール帝国を憎らし気に見送るしかなかったが、既にリガ・シャッコー達の意識は半分程がバイク戦艦から反れていたのが直後の通信で分かる。

リガ・シャッコーの中からノーマルのシャッコーが飛び出て、そしてV2の肩に手を置いた。

 

「ウッソ!」

 

ウッソの名を呼ぶカテジナのソプラノの声がV2のコクピットで反響した。

 

「カテジナさん、無事だったんですね」

 

「無事に見える?散々よ。いいようにやられた。

それで、どうして1機なの!?ヤザン隊長は!」

 

「隊長は――」

 

言おうとして、それを遮って背後の男が代わりに返した。

 

「ここだ」

 

「ヤザン!?なんでウッソのV2に?」

 

「見りゃ分かるだろう。やられたんだ。

ウッソに拾ってもらったのさ」

 

「ヤザン隊長が…やられたって…て、敵はそんなに!?」

 

「ブリーフィングでまとめて後で教えてやるよ。

ところでオリファーはどうした」

 

「っ!そ、そう、それをこちらも報告しようと思って…!

基地の損害は見ての通り甚大で、詳細は不明。

何人死んだか、行方不明か、とにかく詳細はすぐになんて分からないわ。

オリファー副隊長、ジュンコ・ジェンコ、ヘレン・ジャクソンは被弾。

救護班に拾ってはもらえて…あと、他にも…たくさんあり過ぎて…と、とにかくヤザン、早く降りてきて!」

 

カテジナの言葉に、思わず焼け付いた背を浮かしてヤザンが鋭い三白眼を見開いた。

 

「オリファーもやられただと!

生きているのか!?」

 

「全員、生きてはいるけど、重傷よ」

 

ヤザンの浮いた背がまたシートに沈み、どこか安心したようにヤザンは深く息をつく。

 

「…そうか。まぁ生きてりゃどれだけでもやり直しがきく。

フッ…しかし、隊長と副隊長が揃って被弾とは、かっこがつかんな」

 

愚直るようなその呟きに、カテジナよりも早くウッソが口を開いた。

 

「そんなこと!

オリファーさんも、ヤザン隊長も、誰より体を張って皆を守ったってことでしょう!」

 

まるで自分のことのように怒る少年。

それをヤザンは少々複雑な面持ちで眺めて、そしてウッソの白いヘルメットに手を添える。

 

「俺やオリファーは指揮官だ。

指揮官の一番の仕事は最後まで生きて責任をとることだ。

部下(貴様ら)を生かして帰るにしても、隊長が真っ先に死んでちゃそれもできんからな。

死ぬ指揮官は三流さ」

 

「でも…だったらヤザンさんはやっぱり一流でしょう!」

 

生存能力に誰よりも長けるヤザンは、その理論でいえば超一流だとウッソは思うし、その評価は正しいと何故かウッソの方こそが胸を張る。

尚も言いすがってくるウッソの頭を軽く小突いて止めたヤザンは、少し気恥ずかしさが在ったのかもしれない。

 

「さっさと帰るぞ。

俺は怪我人なんだ…早いとこ頼むぜ、ウッソ」

 

「あ…は、はい」

 

余りにも元気にがなり立てていたものだから忘れがちだが、少年は椅子代わりにしていた師が大怪我を負っているのを思い出す。

可能な限り振動がヤザンへ伝わらぬようにと、気遣いに満ちる操縦でV2を滑らかに下降させていった。

 

出迎えてくれるホラズム基地は、詳細な位置が掴めなかったのであろう…ベスパの無差別攻撃とローラー軋轢によってクレーターの地形が変わるほどだったが、それでも地下施設の一部はまだ無事だったらしい。

既にホラズムのスタッフ達が救助作業やらに精を出し始めているのが遠目に分かった。

 

「報告したい事がたくさんあり過ぎて、だと?チッ…この後の反省会を思うと、頭が痛い」

 

ポツリと言ったヤザンの言葉。

今までウッソが聞いた事のないテンションの呟きは、少年の心に深く残る。

間違い無く重傷の範疇に入る怪我を負ったこの男は、どうも帰ってもすぐに休息を取れぬらしい。

ヤザン・ゲーブルという男がどれだけの苦労を背負い込んでいるのか、その一端を少年は見た気がした。

 



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妖獣の爪痕 その2

セント・ジョセフの虐殺と後に言われる戦い。

大規模とは言えない戦力同士のぶつかり合いだったが、その内を覗き見れば凄まじい戦力が揃っており、そしてそれに伴う被害も凄まじく、歴史的に見ても大きなターニングポイントに繋がる戦いと言えた。

ザンスカール側は大型MA(ドッゴーラ)2機、ハイエンドMS(ゲンガオゾ)1機、そして最新型SFSアインラッドと共にそれを駆るゲドラフを5機喪失。

 

対して、ザンスカールの攻撃によって被った被害は、協力都市であるセント・ジョセフ壊滅。

秘密基地ホラズムの半壊。

リーンホースJrが瓦礫に埋もれて小破、及び掘り出すまで使用不能。

そしてMSの被害は分かっているだけで…

V2ガンダムが1機、大破。

リガ・シャッコー3機が中破。

ガンブラスター1機が大破。

ガンイージが1機、大破。

ジャベリンが5機、撃墜、完全に四散。

その他、様々なMSが出撃すらままならず破壊され、艦船の予備パーツや物資、人員を喪失。

 

はっきりいって、もはやホラズムはリガ・ミリティアの一大拠点の地位から転落した…それ程の大ダメージだった。

復旧を目指すよりも、新しい基地建設を目論む方が手っ取り早いかもしれない。

様々な被害は勿論、その中でもリーンホースJrのクルーの多くに衝撃を与えた思わぬ損害が他にもある。

それは、尋問していたゴッドワルド・ハインの脱走によって引き起こされてしまった。

 

 

 

――

 

 

 

 

ザンネックの砲撃から立て続けに起きたアドラステアの襲来。

その大混乱の中で、施設の電力が一時停止した際にゴッドワルド・ハインが脱走。

ミューラ・ミゲルによる苛烈な拷問の中で、顔面のパーツや爪やら皮膚やらを剥がれていたゴッドワルドだったが、持ち前の体力と、そしてミューラへの凄まじい恨みで憔悴した肉体を強力に動かした。

次の鎮静剤を打たれる直前にホラズムが混乱に陥ったのも、良い具合に鎮静剤の効果が最も薄くなる頃合いになってくれていた。

運は大いにゴッドワルドに、ザンスカールに味方したのだ。

電灯もろくにつかなくなり明滅する施設内。

叫び走り回る人々。

誰も包帯だらけのゴッドワルドに気付かない。

銃を奪い、そして混乱する施設内を彷徨き…、

 

「ミューラ・ミゲル…!俺の恨みを知れ!!」

 

「…ゴッドワルド!?」

 

悪運極まってミューラはゴッドワルドと邂逅してしまった。

ゴッドワルドに欠片の躊躇もあろうはずもなく、爆発で揺れて煩い地下基地の中、誰にも気取られずに銃声が鳴り響く。

出合い頭にふらつく腕での発砲は、ゴッドワルドの狙いを荒くした。

頭と心臓を外れて、ミューラの腹と腰を銃弾が幾つも貫いて、彼女は血を吹き出して倒れればようやくスタッフ達はそいつに気付く。

 

「捕虜が脱走したぞ!」

 

「ミゲル博士が撃たれた!」

 

「こっちに人を回せ!」

 

ゴッドワルドとしては、そのまま倒れたミューラの脳天にトドメの弾丸を2、3発撃ち込んでやりたかったが、彼女が血を出して倒れ込んだ光景は彼の心を幾らか安んじて、そのお陰で彼は〝逃走〟という選択肢を思い出せたし、ミューラの命を結果的に助けた。

 

「はぁ…はぁ…!お、俺は…死なぬぞ…!い、生きて、帰る…!

人食い虎のゴッドワルド・ハインが…こんな、所で…死ねるかよ…!」

 

追手から逃げ、明滅する暗い廊下をひたすらに走る。

体を酷使する内、体のあらゆる所の傷が開いて血を流し、剃り取られた鼻や頬の傷も開いてしまえば彼の見た目はまさにホラー映画さながらの血だらけの包帯男だった。

そんな男と、薄暗い廊下でばったり出会った子供達がいればどうなるか。

 

「きゃあああああっ!!!」

 

マルチナの叫び声が廊下に響き、そしてウォレンが咄嗟に前に出て庇うが、

 

「マルチナさん!?う、うわ!お、おばけぇぇぇ!?」

 

やはり悲鳴を上げた。

だがゴッドワルドもまた外面はともかくも内心は取り乱していた。

 

「子供達がこんなに!?

リガ・ミリティアはこんな子供まで利用するのか!!」

 

銃を向けて威嚇しつつ、ゴッドワルドは驚きと怒りで叫ぶ。

 

「どけ!殺す気はな―――」

 

そこで気付いた。

ゴッドワルドの目に映った赤髪の男。

ザンスカールの者ならば、ベスパの軍人ならば誰もが知る男だった。

 

「なっ!?ク、クロノクル・アシャー!!

クロノクル中尉!!生きていたのか!!」

 

MIA(戦死扱い)として本国で発表されていた女王の弟とまさかの再会であった。

シャクティとオデロが、包帯男の言葉で勘よく察する。

 

「この人、ベスパの軍人だわ!」

 

「生きてる人間って分かりゃこんな奴!」

 

飛びかかろうとしたオデロに、ゴッドワルドは素早く弾丸を一発叩き込む。

 

「うわぁぁあっ!?」

 

「オデロ!?おまえ、よせよ!!」

 

オデロの脚をかすめた銃弾。

今度はクロノクルその人がゴッドワルドへと組み付いた。

 

「っ!中尉!な、何をする!!

貴様、裏切ったのか!!女王の弟が!」

 

「女王だとか何とかって!そんなの知るか!

よくもオデロを撃った!よくも姉さんに銃を向けた!」

 

「何を言っている!?」

 

助けてやろうとした男に襲われ、しかも言っている事がさっぱり理解できない。

クロノクル・アシャーの姉といえばザンスカールの女王マリアだが、今、クロノクルは小柄な褐色の少女を見て姉と言わなかったか?とゴッドワルドを混乱させた。

そして一つの結論に達する。

 

「中尉!リガ・ミリティアの拷問で心を壊されたか!?

或いは洗脳か…!く…、黙っててもらうぞ!」

 

「うぐっ!?」

 

銃床の重い一撃がクロノクルの脳天を打って殴り飛ばす。

 

「クロノクル!」

 

シャクティが倒れるクロノクルに駆け寄ると、ゴッドワルドはまたも発砲して今にも総出で飛びかかってきそうな子供達を威嚇する。

 

「ガキ共と騒ぐのはもうたくさんだ!

そこでじっとしていろ…次は当てる!おい、貴様は来い!」

 

「きゃあ!」

 

ゴッドワルドは、足元に倒れるクロノクルに駆け寄った少女の髪を掴み上げると、そのまま少女…シャクティに銃を突きつける。

 

「来ればこのガキか、追ってきた貴様らの誰かが死ぬぞ!

いいな、追ってくるな!そしてこんなテロ組織からさっさと抜けるんだ!!

次にお前達に会ったら…俺は絶対に貴様らを殺してやる!!」

 

恨み骨髄のリガ・ミリティアだが、そこに所属する子らまで恨みたくないとゴッドワルドは思う。

むしろ、このように幼い子供達をゲリラ兵士に育て上げようというリガ・ミリティアの大人達こそ、末代まで祟るべきだと、ゴッドワルドは疼く顔の傷を抑えながら強く思う。

 

「女…!格納庫まで案内しろ!」

 

「わ、私、知りません」

 

「そうか」

 

頷いて、ゴッドワルドは足元のクロノクルの首へ脚をのせた。

 

「言わないならクロノクル・アシャーの首をへし折る」

 

「っ!…で、できないはずです。

だって…クロノクルは…あなた達の女王様の弟なのでしょう!」

 

「元々戦死扱いの男だ。ここで本当に殺してやった所で誰が知る!?

もうザンスカールは彼は死んだものとして全てを動かしている!」

 

シャクティの顔がその狼狽っぷりを存分に伝える。

自分を姉と慕い、ウッソを兄とも思い、カルルマンを弟とも可愛がる純朴な青年を見殺しになど出来ない。

皆に心で何度も謝り、それでもウッソかヤザンならば、たとえこの男がMSで脱走しても何とかしてくれるかもしれないと、少女は一縷の望みをかけて包帯男を案内する決意を固めた。

 

「こ、こっちです…」

 

「よし」

 

ゴッドワルドは慎重に、慎重に辺りに目配せをし、そしてしっかりとシャクティを人質にしながら歩を進める。

 

「よし…いい子達だ…そうだ、俺を見逃せば…害は加えん」

 

ゴリっと銃口がシャクティの頭に押し付けられれば、隙を伺うトマーシュも動けない。

そのまま緊迫した状況が続いて、子供達には為す術もなく睨み合っていると、一際大きな振動が基地を襲って、そして廊下を薄暗く照らしていた非常灯が消えた。

 

――ガァーンッ

 

という銃声が響いて、そして皆が咄嗟に身を屈めると、数瞬、辺りは不気味に静まり返る。

ジジ…と電灯が鈍い音をさせて非常灯にまた火が灯った。

 

「あっ…い、いない!シャクティ!!」

 

「に、逃げられちゃった!」

 

子供達が口々に言い、慌てふためくが、その中でトマーシュだけが比較的冷静であった。

 

「エリシャ、オデロを連れて早くシェルターに!

ウォレン達は、クロノクルさんを頼むよ!」

 

「トマーシュは!?」

 

「俺はこの事を他の人に知らせてくる!」

 

矢継ぎ早に言って駆けていくトマーシュ。

オデロは痛む脚を引きずりながらエリシャに支えられ、口惜しそうに見送るしかない。

 

「…くそっ」

 

「今はダメよ、オデロ。脚、結構血がでてる…!」

 

「分かってるよ!」

 

分かっているから悔しいのだ。

それはエリシャにも分かる事だった。

 

「とにかくさ、今は…俺達はちゃんと生き延びる事が先決で…って!?」

 

スージィに支えられながら起き上がったクロノクルは、頭をぶんぶんと振って霞む思考をクリアにさせると、間髪入れずに一気に走り出したから、オデロもスージィも驚いた。

 

「クロノクルくん!?」

 

「おい、クロノクル!!」

 

走り去る背にかけられる声に振り向かずクロノクルは応える。

 

「姉さんがさらわれたんだ!

トマーシュばかりに任せてられない!!」

 

「ダメだよクロノクルくん!ダメだって!!」

 

「スージィ、カルルマンを頼むぞ!

フランダース、ハロ、姉さんを必ず連れ帰ってやるからな!!」

 

身体能力は大の男そのもののクロノクルだ。

スージィの止めるのも間に合わず、脱兎の如くの速さで薄暗い廊下の暗がりに消えていってしまう。

 

「ど、どうするのオデロ!?」

 

ウォレンがあわあわとリーダー格の少年に言うが、もうオデロにだってどうしようもないのだ。

 

「あのバカ!!くそ、追いかけるぞ!!」

 

だがどうしようもなくたって、オデロという少年は一度舎弟分だと認めた者を見捨てる事などできない。

戦災孤児だからこそ、仲間という者を誰よりも大切にする少年であった。

びっこ引きつつも必死になって赤髪長身の弟分を追い、そしてそれをエリシャは支えた。

 

「ウォレン、皆を頼むぞ!

カレル、マルチナ、分かってるな!

皆のためにも勝手な動きはするなよ…特にスージィ!」

 

「わ、わかったよ!」

 

不安そうな気弱な顔でウォレンは頷き、

 

「うー…じゃあ絶対クロノクルくんを連れて帰ってよ!オデロ!」

 

ふくれた頬でスージィも辛うじて頷くのだった。

そこで皆と別れて、何とかオデロは片足で走るようにして格納庫へ向かう。

無論、不自由な片側はエリシャが支え続けながらだ。

 

「す、すまねぇエリシャさん…君まで…その、巻き込んじまってさ」

 

「いいのよ、オデロくんって一人だと危なっかしいし…ちょうどよかったかも」

 

こんな事態だというのにオデロは少し頬を赤くして、胸をときめかせてしまうが、すぐにそんな甘ったれた自分を心で殴りつけるが、実を言えばエリシャも同じだった。

年頃の、しかも日頃好意を見せてくる少年と、こうも密着すれば心臓は高鳴ってしまうが、彼女もオデロと同様、そんな時じゃないだろうとそれを消し去る。

 

「走れるかい、エリシャさん」

 

「やってみる。合わせるから走って!」

 

まるで二人三脚のように二人は必死になって走った。

シャクティと、そしてクロノクルの命がかかっていると思えば、もはやティーンズの異性への気恥ずかしさだなんてのは二人には無い。

暗く、そして揺れる長い廊下を、二人は汗水垂らして走り続けて、そして時折躓きながらもようやく目的地へと着く。

格納庫は既に目ぼしいMSは飛び立った後らしく、まともなMSは1機も無い。

あるのは潰れたガンイージ、ジャベリン、Vガンダム…そして人、人、人。

人の潰れた肉片がそこら中に転がって、オデロとエリシャはこみ上げる吐き気を必死に耐える。

戦争というものを見慣れているオデロでさえ、一瞬血の気が引く光景で、オデロがエリシャを見れば、案の定彼女は涙まで浮かべて必死にこみ上げるものを耐えていた。

オデロが少女の背を優しくさすって、そして二人は何とか吐き散らす事もなく血と油の臭いがする格納庫を進む。

そして…。

 

「あれだ…!拾ったベスパのMS…コンティオってやつに乗り込んでる!」

 

幾らかの破片で所々凹んでいるものの、無事らしいコンティオを調べているゴッドワルドをとうとう見つける。

このコンティオは、以前の戦いで拾ったパーツから再生されたもので、機体調整も不十分な組み立てただけの代物だ。

しかもザンネックからの砲撃によって多くのパイロットが負傷、或いは道を塞がれてそもそも格納庫に到着出来ない事から、こうして起動可能ながらも無人で放置されていた。

 

「ど、どうするのオデロくん」

 

「どうするったって…!

そ、そうだ、エリシャ…そのトリモチガンをとってくれ!」

 

格納庫から飛び出したであろう工具キットの残骸の中に転がる緊急接着剤(トリモチ銃)を見て、オデロは無いよりはマシとそいつを構えてエリシャにも一丁渡すと、そろりと5階建て相当の高さの整備ハンガーへ近づいた。

と、その時だった。

 

「オデロ、あれ…!」

 

「ええ!?」

 

エリシャがこっそりと指差した先…オデロ達の行き先にはコンティオへと繋がる整備ハンガーの影に潜む人影がいるのだ。

コクピットへと項垂れたシャクティを押し込む包帯男・ゴッドワルドの様子を観察している赤髪の男は、紛うことなきクロノクル・アシャーだった。

そしてあの様子では、ゴッドワルドはシャクティを気絶させたらしいのも分かる。

 

「あ、あのバカ…一人で挑むつもりかよ…!

も、もうちょい待てよ…はやまるなよぉ…!」

 

「急がないと、オデロ!」

 

「分かってるって!エリシャ、反対側に回り込めるか…!」

 

「一人で大丈夫なの!?」

 

「忍び足で行くんだ、もうどうとでもなるって!

俺が飛び出したら、包帯野郎は俺がやるから、エリシャはコクピットをトリモチで塞いでくれ!」

 

「頼むぜ!」と一言だけ最後に言い、シッシッと払うような仕草でエリシャへ早く行くよう促すと、「何よそれ!」と少女は無礼なジェスチャーに小声で抗議の声を上げたが、すでに少年は少女に恋する思春期の顔を完全に消して、リガ・ミリティアのゲリラ兵士の顔となっていた。

そしてその横顔に、エリシャの胸の方こそが今度こそときめいて、一瞬頬が赤くなるもすぐに慌てて目を逸らす。

今はそれぞれがやるべきことがあるのだ。

 

エリシャは瓦礫の影を巧みに移動し、そして半ば崩れそうなデッキに脚を踏み出せば、ギシ…と実に不安な音がする。

オデロもオデロで、ゴッドワルドの視界に入らぬよう、音を立てぬように這い進むのは酷く気を疲れさす作業だ。

しかも、様々な要因で整備ハンガーは今にも崩れそうな場所がままある。

そしてこのハンガーは5階建て相当の高さとくれば、恐怖は()()()()であった。

 

「あっ」

 

と、小さな声を発しつつオデロは顔を青くした。

ゴッドワルドがコンティオの首の付根からとうとうコクピットへと飛び入ったからだった。

 

(やばい!)

 

思うと同時にオデロはもう隠れても無駄とばかりに身を起こし、そして走った。

だがクロノクルもまた同じくして走り出していた。

 

「クロノクル!?待てよ!!」

 

「あぁもう!えい!」

 

破れかぶれだと、オデロとエリシャはトリモチガンをMSへとぶっかけてやったが、それはコンティオの猫目の一部と首元を汚すだけでしかない。

コンティオのハッチが閉まる寸前、クロノクルが無理矢理に飛び込んだのがオデロとエリシャには見えた。

そして銃声が聞こえ、一瞬、赤いモノが宙を舞ったが、それでもクロノクルは中にいるパイロットへとまたも組み付いたようだった。

トリモチを発射しながら駆け寄るオデロとエリシャ。

コンティオの中から男達の怒号が聞こえた気がして、だがすぐに静かになって、そいてハッチが完全に閉まってしまう。

 

「クロノクル!!おい、開けろ!開けろよ、この野郎!!

シャクティとクロノクルを返せ!!」

 

コンティオの首の装甲をガンガンと叩きながら、声高に叫ぶ。

もっと言ってやりたい事があるのだ。

 

「危害は加えないっていったじゃないか!!

さっさとシャクティを解放しろ!クロノクルを返せって!!」

 

しつこく殴りつけるうち、なんと律儀に機内のゴッドワルドからは返答があった。

 

『害は加えん。この娘には私の人質を続けてもらう。

クロノクルに関しては、元々こちらのモノだ…交渉の余地は無い。

…少年、離れねば命の保証はせんぞ…!』

 

コンティオの目に火が灯る。

 

「っ!オデロ、危ない!!」

 

エリシャが咄嗟に叫び、そしてコンティオにしがみついているオデロ目掛けて跳んだ。

コンティオのジェネレーターが唸りをあげ、そしてゆっくりとMSの鼓動は速く、強くなっていく。

複合マルチセンサーがくわっと見開かれ、周囲を凝視し、そして整備ハンガーを邪魔だと言わんばかりに手で払えば、オデロとエリシャは崩れていく整備ハンガーに必死にしがみついた。

 

「エ、エリシャ!」

 

「オデロ…!」

 

二人は互いの手をしっかりと結び、そして段々と歪んで倒れる整備ハンガーから逃れようと駆けて、駆けて、駆けた。

壁際のハンガーまでは崩れることなく、何とかそこへ転がり込んだ少年と少女だが、もう二人には何も出来ることはなかった。

転がる際に切ったのだろう頬から血が流れて、そんなものを気にせずオデロは叫ぶ。

 

「誰か、誰か止めてくれ!そのコンティオはベスパが乗ってんだ!

シャクティが、クロノクルが乗ってるんだ!!」

 

このような大惨事の中では、子供達も騒動のド真ん中に放り出されるもので、そして皆が必死にあらゆるモノに抗っていた。

しかし、少年の叫びは機動兵器の駆動音に掻き消され、そして尚も崩落が続く基地では誰もがそれを聞く余裕が無かったのだった。

 

 

 

 

――

 

 

 

そういう事が襲撃の中で起きていた。

 

「なるほど…カテジナが言っていた通り、盛り沢山だな」

 

ゴッドワルドに負けず劣らずの包帯だらけにされたヤザンが両肩を竦めてやや戯けて見せる。

 

「…すみません、隊長。

その話をもう少し早く聞けていれば…みすみすコンティオを取り逃がす事も…!」

 

フランチェスカが実に悔しそうに歯軋りをし、見れば他のパイロット達も同じようなものだった。

だが、あの大混乱の中、必死に未知の戦力相手に戦っていたパイロット達に、突発事故的なコンティオの脱走など止めようもない。

 

「誰のせいでもない」

 

それを理解しているヤザンはきっぱりと言った。

皆と同様やはり傷だらけで、松葉杖をつくオイ・ニュングは顔面を空いた手で覆いながら口を開く。

 

「手酷いな…ここまでとは。これは立て直しに苦労するぞ」

 

「戦いは勝ち負けと殺し殺されの繰り返しだ。こんな事もあるさ」

 

オイ・ニュングとヤザンは政戦両面の現場トップだから、深刻な事態に直面しても士気に影響せぬよう、敢えてこのようにさも軽い感じの会話をしたようだった。

決死のオデロが持ち帰ったその報告は、生き残ったリガ・ミリティアの面々を大きく驚愕させ、そして心胆寒からしめて、それは指導者であるオイ・ニュングも実は同じだ。

シャクティが姫であることを最大限利用する前に、帝国に奪還され、そして帝国までがシャクティが姫であると気付いては逆にこちらが追い詰められるからだ。

女王マリアの一人娘など、幾らでも政治的利用が思いつく存在であり、一代にして国家を築いた名宰相フォンセ・カガチならばあらゆる利用を思いつき、そして実行するに違いない。

艦船に人を入れる際、そのメディカルチェックは基本中の基本であり、そして簡単な医療検査でシャクティと、女王マリア、そしてクロノクルとの遺伝的繋がりはバレる。

オイ・ニュングは包帯が巻かれた頭をゆっくり振って、そして大きな息を吐いた。

ウッソを散々に利用しておいて、利用できるモノは何でも利用する伯爵らしくも無く、子供をなるべく闘争に利用したくないだなどと、ヤザンとウッソへの配慮を優先した事が彼女の利用を躊躇わせて、そしてそれが仇になったらしい。

 

(勝つためならば、汚い大人だなんだと誹りを受けるのも覚悟の上だったはずだ。

地球連邦警察機構(マンハンター)でそんな事はいくらだって経験してきたというのに…まったく私らしくない)

 

シャクティがザンスカールの姫で、そしてそれをリガ・ミリティアが保護しているとさっさとマスメディアや政府機関に公表していれば、シャクティの意思を無視して幾らでもストーリーなど捏造出来る。

実際、かつてオイ・ニュングは地球不法居住者を摘発する為に何度でっち上げのカバーストーリーを用意してやったかしれない。

オイ・ニュングの得意分野と言えた。

悪逆非道のザンスカール帝国のギロチンが嫌になって、リガ・ミリティアに保護を求めたとか、民衆が喜びそうな美談を創るなど簡単な事だ。

 

(そして、逃げた姫とそれを守る幼馴染の少年騎士…実に分かりやすくロマンチックな物語だ)

 

それをすれば、確実にウッソとシャクティは一躍時の人となって世界中に顔も名前も知れ渡る事になるだろう。

そして、そうなったらもう一生脚光を浴び続けるしかない。

その後の人生をゴシップに捧げ続ける事になるが、そうすることで今のリガ・ミリティアが有利に傾き、そしてザンスカールのギロチンを打倒できるならば安い出費。

そうオイ・ニュングは考える。

それぐらいには政治的勝利に貪欲で、そして情け無用になれる策謀家であったし、そうでなければマハの要職など出来はしない。

 

そういった事を考えつつ、この侮れぬ老紳士は同時に他の思考にも脳細胞を振り分けていたのは、やはり猛威を奮った時代のマハの重役であり、そしてリガ・ミリティアの重要幹部の面目躍如といった所か。

 

(襲撃から数時間は経ったというのに、連邦政府の対応はやはり鈍い。

未だにどの政府関連のメディア媒体で襲撃の公表すら無いというのは、つまりそういう事か)

 

リガ・ミリティアでも一二を争う策略家の頭脳が冷徹に回りだしていた。

蓄えられた顎髭を撫でさすりながら沈思にふける。

 

(セント・ジョセフとグラナダはそう遠くないし、ニューアントワープ市とアナハイム市ならもっと近い。

その気になれば我々とベスパとの交戦中にも駐留部隊は駆けつける事は出来たはずだ。

市民からも通報はあったろうに…未だにパトロール隊一つ寄越さないとはな。

フォン・ブラウンからは遠いから静観とでも言うなら…連邦はルナリアンからも見捨てられる事になるぞ…高官達は分かっているのか?

…やはり、以前の蹶起と合流が連邦の最後の絞り汁だったのだろうか。

だとすれば…もはや連邦に活を入れるというリガ・ミリティアの基本方針そのものを考えねばならぬかもしれない)

 

出すだけのモノを出し切らせたのなら、残るモノはどれだけの組織規模があろうとももはや絞りカス。

身も蓋もない言い方をすれば、出すものを出したならもう用無しという事で、むしろ自力で動けぬぶよぶよと肥った老体には消えてもらった方が世界がすっきりする。

宇宙戦国時代を鎮める力は、連邦政府にも連邦軍にも完全に無いと見切りをつける良い機会かもしれぬともオイ・ニュングは観想した。

 

(例えば…シャクティさんを帝国に奪われたなら、それをいっそ利用し、そのまま女王マリアと旧交を温めてもらって、そこから宰相カガチの分断にもっていく…。

それが出来れば…ガチ党のギロチンを排除したザンスカールならば…逆に今の時代では必要とされるのではないか。

マリアの求心力は素晴らしいものがあるし、肥大し腐敗しきった老国では出来ないことを、年若い国家だからこそ出来る事もある。

そうだ…問題はガチ党なのだ。

だから、シャクティさんを最大限使えば…ザンスカールを国内から変容させる事は出来るのではないか?)

 

まだオイ・ニュングの頭の中だけで温めている新方針。

彼自身、固めきれていない考えだが、その新しい考え方には天啓のような閃きも感じていた。

ヤザンやウッソにばれれば間違いなく反発を買うだろうし、それにジン・ジャハナム達とも話し合ってみねばならぬが、多くのジャハナムにとってリガ・ミリティアの最終目標はギロチンの打倒であるから、そう色の悪い返事は寄越されない気はするものだが、オイ・ニュングが漠然と考え始めたニュー・プランが、現実味を帯びるのには、もう少しの時が必要だった。

 

建設的思考をしつつ、センチメンタルに流された失態も悔やむという器用な真似をする伯爵だが、〝悔やむ〟という方面では伯爵以上…特にウッソ・エヴィンの焦燥はベクトルも違えば桁も違ったのは当然だ。

そしてウッソという少年は、頭が良い割に感情と本能で走り出す性分も多々あるのは、ある意味、汚い事を考える大人とは真逆の純粋さともとれた。

 

「どこへ行くの、ウッソ!」

 

走り出そうとしたウッソを、マーベットが押さえつけ、そしてまだ抗おうとする少年を抑えなだめるのにミリエラもフラニーも加わる。

 

「シャクティがさらわれたって事でしょう!!

クロノクルだって、一緒に連れて行かれちゃったってオデロは言ったんでしょう!!?

母さんだって撃たれて…それで、なんでジッとしいていろって言うんです!!」

 

「気持ちはわかるけど、でも一人でいったって何も出来ない!

分かっているでしょう!?

こちらの被害も大きくて、今はリーンホースも動かせないのよ!

オリファーも、シュラク隊だって怪我人だらけで、ヤザン隊長でさえ大火傷を負っているのに奴らを追うなんて不可能よ!!」

 

今の状態は最悪にも思えるが、それでも不幸中の幸いと言えるだろう。

主力メンバーに死人がでていないのは、とんでもなく強運であった。

もっとも、不幸中の幸いであっても間違いなく痛みはリガ・ミリティアにある。

例えば、オリファー・イノエは片腕の切断已む無しとの診断が出たし、ジュンコ・ジェンコも片目を失明した。

現代技術ならば義手も義眼も、人体機能を補えるレベルのものがあるが、それでも短期間でのパイロット復帰は絶望的だ。

瓦礫に巻き込まれて、ゴメス艦長も今は治療室送りとなっている。

包帯だらけながらも今も会議に参加しているヤザンという男が、とんでもないタフネスを持っているバケモノであった。

 

「俺なら別に今すぐだってMSを動かせるがな」

 

鼻で笑いつつ、冗談めかしてそう言うヤザンを、キッとした目でマーベットは睨む。

 

「隊長が特別製なだけでしょう!

本当なら、隊長にだって安静にしていて貰いたいぐらいですよ!」

 

背中から右腕、右太腿の裏にかけてレベル2度の火傷であり、また左脚もポッキリと折れていたが、ギブスで強固に固定して松葉杖も使わず立っているヤザン。

ウッソへ言った「不死身だ」という妄言もあながち間違いでは無いのかもしれない。

 

「マーベット、いい加減放してやれ」

 

ウッソの目をじっと見ながらヤザンが言えば、ようやく少年は解放された。

ヤザンの目を見つめ返す少年は、もう暴れはしない。

 

「ウッソ」

 

「はい」

 

「俺と伯爵で、すぐにシャクティとクロノクルの救出作戦は考えてやる。

だから、とにかく今はお前も休め。

それに…ミューラの見舞いだってしなきゃならんだろう」

 

「それは…」

 

「ミューラは生きている。

シャクティだって、クロノクルだって生きている。

さらわれただけだ。

生きてるなら、どうとだってやり直せるとさっき言ったな?」

 

「…はい」

 

「ならそういう事だ。

安心しろよ。この俺が助けてやるってんだ。

いずれ必ず助け出してやる」

 

ウッソの拳が強く握られ震えるのをヤザンは静かに見た。

一拍置き、ウッソの目を真っ直ぐに見つめながらヤザンは言う。

 

「どんな手を使っても…何をしても助けたいってか?」

 

「………………はい。僕の、大切なパートナーです。

クロノクルだってもう家族みたいなものですから」

 

ふっとヤザンが微笑んだ。

 

「そうか。なら、俺も使える手は何でも使わせてもらうぜ。

構わんな?ウッソ」

 

その言葉にウッソは目をパチクリとさせ、上官の人相の悪い目を見た。

 

「ミューラを叩き起こしてもう一働きさせるってことだ」

 

ざわつく室内。

今も面会謝絶のミューラ・ミゲルに何をさせようというのか。

ケイトが声をあげる。

 

「無茶ですよ隊長。

ミューラ先輩、手術を終えたばかりですよ!?」

 

「あいつはやり手のテロリストだ。

この程度の死線幾度となく潜り抜けている。

それに息子の頼みだ…聞くだろうぜ。

母は強し、だ。ハハハハハッ!」

 

呆れた、というよりも所謂ドン引きという顔で皆がヤザンを見る。

そもそもはわがままを言いだしたウッソのせいだが、それでも言い出しっぺのウッソも顔を青褪めさせていた。

重傷の母を無理矢理働かせると言われれば、世の子供らは皆同じような反応をするに違いない。

 

「か、母さんになにさせようっていうんですか!?」

 

「別に肉体労働をさせるわけじゃない。

車椅子の上で点滴繋げながらMS修理の陣頭指揮をさせるだけだ」

 

それを無茶って言っているんでしょう、とマーベットが小さくぼやく。

 

「そう言うな。

多少の無茶でもしなけりゃ、そもそもタイヤ戦艦に追いつく事も出来んし、追いついたってろくに戦えん。

お前達もあのバイク共の戦力規模を見ただろう?

V2級のMSがどうしたって複数必要になるんだ」

 

「V2が…複数?

今からV2を作らせる気?」

 

カテジナも頭を傾げた。

直前の戦いで、ヤザンのV2は失われたのは既に皆知っている。

 

「墜ちる寸前、俺はコンピューターが吐き出していたエラーメッセージをざっと見ている。

V2が火を吹いたのはウイングバインダーで、ミノフスキー・ドライブじゃない。

ひょっとしたらミノフスキー・ドライブは、載せ替えで使えるかもしれん」

 

よっぽど運が良けりゃぁな、という言葉は出さずに飲み込む。

ヤザンとしては非常に楽観的かつ希望的観測に過ぎる見方と言えたが、それだけ直様の追撃は無理があるという事のアピールかもしれないとカテジナは思った。

 

「使えたとしたら、どの機体に載せるの?

特別に開発されたフレームじゃなきゃミノフスキー・ドライブの出力には耐えられないのでしょう?

シャッコーのフレームでも、ミノフスキー・ドライブの最高出力には耐えられない」

 

次世代機のベース機だけあって、シャッコーは一際しっかりとした骨組みと、そして拡張性を有しているが、それでも今の完成度のミノフスキー・ドライブでは荷が勝ち過ぎる。

これが、試験機に搭載したという完成度が遥かに未熟なドライブならば耐えられただろう。

そんな疑問をカテジナがぶつければ、やはりヤザンは明朗に答える。

 

「戦場に、ちょうどいい立派なモノが転がっているだろうが。

あの三つ目野郎さ」

 

ニヤッと笑うヤザン。

カテジナもウッソも、そしてマーベットもケイトも、その他の面々も…いい加減、ヤザン・ゲーブルの手癖の悪さは嫌というほど知っていた。

戦場のあらゆるモノを利用し、サバイブする力はずば抜けている男だから、そういう目端も利くのだろう。

 

「コクピットだけをキレイに抉ってやった甲斐があったな」

 

半死人を叩き起こし、そしてV2のエンジンと、そして戦場に斃れる三つ目のハイエンド・ザンスカールマシーンを組み合わせる。

それが出来れば、即席のV2級MSの完成だ。

同じサナリィ規格なのだから共通点も多いのは、既にシャッコーとガンイージで分かっている。

だからといってそれが絵に描いた餅なのは確かだが、そんな絵に描いた餅を実現でもさせる強運が無ければ、シャクティとクロノクルを取り返すなど土台無理な話。

これは、確かにヤザンの一つの賭けだったが、戦艦まるまる一隻(リーンホース)をたった数日で改修してみせたリガ・ミリティアの技術陣ならば、条件次第で勝つことも不可能ではない賭けでもあった。

 

「ウッソ、祈っていろ。

うまくいくかどうかは、お前の母親にかかっているという事だ」

 



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獣達の胎動

「大丈夫ですか?ミューラ先輩」

 

ひび割れたメガネを掛け、頭にも腕にも包帯を撒いたミズホ・ミネガンが、青い顔をしながら車椅子に乗る女に声をかけるが、その女・ミューラは笑っていた。

 

「大丈夫なわけないでしょう?

でも、やるしかない。

無茶な事だけど、今の状況を少しでも良くする為には…悪くない手よ」

 

腰を撃ち抜かれて、すっかり動かなくなった下半身を車椅子に預け、今も苦しい呼吸を吸入器で補う。

食べ物を受け付けない胃のせいで、栄養チューブから点滴を受けっぱなしだった。

だが、ミューラ・ミゲルはそれでも叩き起こしてきたヤザンの案に乗った。

そして、生き残ったスタッフを掻き集めて、生存者の探索と基地の修理と並行しつつ、月面に転がっていたV2と、三つ目のベスパのMSを回収した。

それが、今目の前にあるマシーンだ。

 

「…ZMT-S28S・ゲンガオゾ、か。

ベスパの基礎工学力は、やはりこちらの先を行っている…。

凄まじい性能だわ。

ミノフスキー・ドライブが無ければ、V2でもポテンシャルは格下なのね…悔しいけど、あそこで研究が出来たら…なんて想像はしてしまうわね」

 

ゲンガオゾの頭部に搭載されたバイオコンピューターに繋がる幾つもの端子ケーブルが、暗号化された機体情報を次々にミューラへと告げる。

控えめに言ってもMS工学の分野では天才であるミューラにかかれば、この程度の暗号化はわけもない。

スラスラと情報を読み取っていった。

 

「…コクピット周りにはサイコフレーム。

機体制御全般にサイコミュが使われている…。

登録脳波サンプリングはルペ・シノ。

背中のバックエンジンユニットは強力な追加ブースターでもあり、しかも一種の遠隔端末にもなる。

ビームサーベルは柄が長く、伸長する。

高度なIフィールド形成能力を持ち、ビームメイスとなって意図的にビームスパイクを伸縮させる…面白い兵器だわ」

 

長さも自在、サーベルとメイスの瞬時切り替えも出来るのは格闘戦を得意とするヤザンとの相性は良いかもしれないとミューラは考える。

 

「ゲンガオゾはサイコミュによってパイロットの反応をほぼ反射的に動きに反映できる。

つまりこのMSのフルスペックを発揮するためにはパイロットはニュータイプでなくてはならない。

……困ったわね、ヤザンにはニュータイプ的資質はないというのに。

いっそのこと、資質があるウッソか、カテジナさんにこの機体を充てがうのも有りかも…――」

 

時にニュータイプ以上の勘の良さを見せる癖に、ニュータイプ的特性は無いという検査結果があるのだから、ヤザンという男はある意味でウッソ並にスペシャルな存在だ。

しかしゲンガオゾがサイコ・マシンである以上、それの搭乗者はニュータイプが望ましく、今、リガ・ミリティアが抱えているパイロットでその素質があるのはウッソとカテジナだけだとミューラは見ていた。

実際、カミオン隊がホラズムに到着した折、戦績の良いパイロット陣は皆サイコミュ適正試験を受けたが、その結果で芳しいものを出したのはウッソとカテジナだけであり、そしてウッソの成果はずば抜けている。

ヤザンはウッソ並の戦績を残している癖に、サイコミュ適正は0…即ち完璧なるオールドタイプとして太鼓判が押されていた。

その事について、ヤザンは既に慣れたものだったらしく、

「俺にはニュータイプ特性なんて必要ない…色々な意味でな。

フッ…まぁ、そういう事なんだとよ」

等と笑いながら嘯いていたのもミューラの記憶に新しい。

その時のヤザンは何か遠くを見ていたようで、普段とは違うひどく優しい顔だったようにも見えたのは、彼にも他人に言わない秘められた過去が幾つもある事を伺わせて、大人なミューラはそれ以上何も聞きはしなかったし、別にヤザンとプライベートでは全く気の合わないミューラにとってはどうでもいい事なのであった。

 

うんうんと唸って考え込むミューラは、重傷患者のくせにやけに活き活きとしているように見えるのは、やはり彼女の天分は技術者であり仕事人だからだろう。

例え自分が死んだってやりたい事(仕事)を優先するタイプでもあるから、リガ・ミリティアなんぞで我が子を放ってテロリストをやってられたのだ。

 

「いえ、ダメね。

カテジナさんではニュータイプの資質がまだ未知数だし、ウッソにこんな敵のマシーンを与えて何かあっても困る」

 

彼女がそう思うのは、やはり母親としてのエゴなのだろう。

ウッソの才能はカテジナよりも強く、そして不安要素のある機体はヤザンに押し付けたい…そう思っている節があり、それは少々独善的であったがある種の母の愛ではある。

 

「やはり単純に操作に対するレスポンスを徹底的に敏感にして、バイオコンピューターの同調深度も上げるのが手っ取り早いかしらね…。

コクピットはライフルで穴が空いているから全取り替えでいいけど…全身の各所にある制御系統のサイコミュは除去している暇はない。

もっと時間があれば、面白い改造を出来そうなだけのポテンシャルがこのMSにはあるのに…猶予がないのが悔やまれるわね」

 

そうなのだった。

とにかく今は時間が無い。

ミューラ・ミゲルの脳内のプランでは、既にこのマシーンとミノフスキー・ドライブが深く融合した結果が浮かんでいる。

もともとミノフスキー・ドライブとの相性が考えられているV2のトップとボトムのパーツを使い、強固なゲンガオゾを素体として組み込んでいく。

変形・合体・分離機能は当然失われるが、その分、ゲンガオゾのフレームが良い堅牢性を生み出してくれるだろう。

ゲンガオゾをたっぷりの時間で改修出来れば、きっとその姿はV2のフォルムに近いザンスカールMSといった趣になるに違いなかった。

 

(ヘッドセンサーは、ゲンガオゾの三つの複合マルチセンサーを使えば安価に、短時間で高性能なものにできる…そして私達リガ・ミリティアの象徴であるガンダムの要素を組み入れて…。

そうね…そうしたら、純然たるガンダムタイプのレイアウトとはズレるから、カラーリングもV2本来の青と白に拘らなくても良い。

多少威圧的デザインになるでしょうから、むしろ解放者としてのイメージカラーはウッソのV2にだけ担わせて…ヤザンが乗るこちらには、圧制者を砕く者としての、破壊者としてのカラーをイメージさせても面白いかもしれない)

 

MSを造る者はそのデザインに至るまで計算し、思いを乗せて世に送り出すというのは以前にもヤザンに語った事で、だからミューラはそういった方面にまで思考の腕を伸ばすのだ。

例えばティターンズのイメージカラーである濃紺と濃紫。

あの色は、連邦からの独立を半ば果たしているザンスカールにとっては痛烈なメッセージになるだろう。

ティターンズブルーは、現代でもスペースノイドを裁く存在としての強烈なイメージカラーだから、サイド国家としてはその色だけで不吉なものだし、そのパイロットがヤザン・ゲーブルというのもまた因果を感じて面白い。

ミューラは、技術屋としてそんな想像の翼をどこまでも広げていくが、そこまで考えてそれを消して()()と正気にかえる。

 

(今は、ゲンガオゾにミノフスキー・ドライブを積んで、そして調整するだけで精一杯だわ)

 

ウッソが涙ながらに懇願してきた光景を思い出して、自分の悪癖を心の奥底にしまい込む。

重傷の母を働かせてしまう事への申し訳無さと、そしてそんな事をしてでも助けたいシャクティへの想い。

それはミューラの母性に訴えかけ、そして魂を揺さぶるものだったから、こうしてミューラ・ミゲルは鎮痛剤を大量投与して己に鞭打ち働いている。

 

しかも、ミューラとミズホを筆頭とする技術スタッフ達は、ゲンガオゾに並行してシャッコーにまで手を加えていた。

それは、ヤザンが言った「V2級が最低でも3機必要」という要請からだ。

 

ゲンガオゾから吸い上げたデータに目を通しながら、ミューラはミズホに任せていたシャッコーの方へと車椅子を動かす。

 

「ミズホ、交代をお願い」

 

「はい、ではゲンガオゾのOS解析が終わるまでは、こちらを担当します」

 

「ええ」

 

ゲンガオゾの隣の整備ハンガーデッキにはシャッコーが佇む。

内部のジェネレーターを、3()()()のミノフスキー・ドライブと換装し、そして細部を見直している真っ最中だ。

エンジンクレーンのチェーンに繋がれ、吊り上げられているミノフスキー・ドライブをまじまじと見ながら、ミズホはミューラに言った。

 

「それにしても、良かったんですか?

予備の、ラス1のドライブを使ってしまって。

セカンドVに使っていた未完成品だから、パーツ取りにしか使えないって先輩言ってたじゃないですか」

 

V2一号機と二号機に使われた2基のドライブ。

その他にも、実を言うとドライブは存在した。

真っ先に稼働に漕ぎ着けた、いわば試作ミノフスキー・ドライブであり、それを搭載した試験型Vガンダムの名は便宜上セカンドVと名付けられていたが、セカンドV(そいつ)でテスト飛行を重ねながら各種データを取り、真にミノフスキー・ドライブに相応しい外殻(V2ガンダム)を拵えていき、さらにその後にV2のボディにドライブを積み、今度はそれの練磨に精を出した。

ミノフスキー・ドライブはそういう連鎖の中で完成度を高めていったのだ。

今、シャッコーに積もうとしているのは、その最初の一歩の試作品である。

V2に積んだ物が完成度90%だとしたら、試作品は50~60%といった所であり、最高出力も安定性もその完成度に比例するが、その状態でもセカンドVは出力をフルにすると空中分解の可能性が常に付き纏い不安要素が大き過ぎた。

それ故のシャッコーフレームという選択で、シャッコーの強度ならばフルドライブにしても空中分解は起こらないという計算が出ている。

 

「確かに初期のデータ取りに使っていた半端者だけれど…それでも無いよりはマシでしょう。

一応はV2の巡航速度に追いすがれるようにはなる筈よ。

V2とゲンガオゾと、そしてシャッコー…この3機で小隊を組めれば、戦いは段違いに楽になる」

 

「半分以上、私達のお手製じゃないってのが悔しいですね」

 

「そこはザンスカールを認めるしかないわね。

でも、主機は全部こちら側の物に置き換わるんだから、負けっぱなしではない」

 

「そ、そうですね…ゲンガオゾとシャッコーを洗練させるのは私達ですし!

負けてないですよね!」

 

何度も首を縦に振って己を鼓舞するミズホを見て、ミューラも微笑んだ。

こういう風に己を納得させ鼓舞するのは大事なことだった。

ミズホはさっきよりも明るい表情で、手に持つ改修計画書をぱらぱらと捲る。

 

「両機ともこの計画通りで良いんですよね」

 

「ええ。

バイオコンピューターとミノフスキー・コントロールによる遠隔操作は、精度も距離もいまいちだからいらないわ。

ゲンガオゾのバックエンジンユニットは、有線式の準サイコミュに変更で構わない。

レンジは短くなるけど、リレー・ケーブルにそのままサプライ機能を付けてしまえば、遠隔射撃でも無尽蔵にランチャーが使えるし精度もミノフスキー・コントロールより上…インコム方式を使わない手は無いわね。

今の技術水準ならそれができる」

 

リレー・インコムにエネルギーサプライ機能を付ける等、現代技術をもってしても実践出来るのはミューラ・ミゲルなど極限られていているが、その鬼才っぷりは実にさり気ないもので、何も増長した所が無いのは流石と言えた。

 

「それに、どうせヤザンがほぼ専属パイロットになるのだし、あの人はスペシャルと言ってもオールドだから無線式よりは相性が良い筈よ」

 

そうミューラが言えば、ミズホも微笑んでその話題に乗る。

 

「先輩がよく言う、〝野獣〟って奴ですね」

 

ミューラ曰く、野獣。

まさに65年前にティターンズのサラ・ザビアロフが評した通りの異名がここでもまかり通っていた。

オールドタイプでありながら、ニュータイプ的な感覚を〝野生の勘〟で持っているという説明不能な理不尽さと、そして靭やかな肉体、鋭く強い風貌etcを全てひっくるめて、野獣。

これ以上ヤザン・ゲーブルという為人を的確に表す言葉は他に無いだろう。

ミズホの軽口に、ミューラも笑いながら頷く。

 

「そう、野獣よ。あの男は。

ニュータイプなんて概念が必要ないくらいに、純粋に強い。生物として強い。

原始的な強さなのよ、彼」

 

「そんな野獣殿のご所望は…フェダーインライフルに海ヘビ…またですか」

 

「扱い慣れた武器が良いと言うのだからそうしてやって。

ゲンガオゾの出力には大分余裕があるし、他にも希望の武器があれば搭載してもいいわよ」

 

「はい。希望とっておきますね。

でも、エアーズ市の研究所がインコムのデータを提供してくれて助かりましたよ。

バックエンジンユニットのインコム化が捗ります」

 

「…確か、エアーズがニューディサイズの〝ペズンの反乱〟事件に巻き込まれた時のだったかしら?」

 

「そうそう、それです。

なんとインコムを史上初、実戦投入した時のデータですよ!

こんな貴重なものを、よくうちにくれましたよぉ~感激です!」

 

「あそこは今も親アースノイドが多いっていうから、それかもしれないわね」

 

「ティターンズのヤザン・ゲーブル本人が、リガ・ミリティアにいるって本格的に広まってきたみたいですからね」

 

お互い、雑談を交えつつも手は忙しく動いていた。

ホラズムの開発陣も、ミューラとミズホは助かったものの、他の主要なメンツは軒並み死んだか入院の為に凄まじく人手不足だったし、リーンホースJr所属のストライカーやクッフ達は戦艦の修理に忙しい。

しかも、今はウッソとヤザンからせっつかれていて納期もかつかつ。

手を休める暇などなく、機材の上に置かれたコーヒーには一度も口が付けられていない。

もっともそれはミズホだけで、ミューラに至っては物を口に運べる状態ですらない。

ブラックな現場どころの騒ぎではなかった。

 

「…シャッコーの左肩も、右肩仕様にするんでOKです?」

 

「そうよ。試作型ドライブの力場制御が使えるようになるから、かえって左肩だけの大型アポジはバランスが悪い。

左右肩部はどちらも簡易マニピュレーター式の隠し腕に換装します」

 

「もっと派手にぱぁーっと改造しちゃいたいですね。

肩と背中しか仕様変更が無いのは寂しいですよ」

 

「シャッコーもゲンガオゾも、それだけ完成度が高いという事ね…。

それにクライアント(ヤザン達)の納期を守るのが最優先よ」

 

「はぁい」

 

このように、一見して愉しげに話しながらの気楽な作業にも見えるが、それは大きな間違いだ。

二人と、そして作業可能なスタッフ達は、このまま長時間に及ぶぶっ続けの作業で2機の機体の修理と改良を完了させる事となるが、その成果はしっかりと結実するのは流石だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミューラ率いる技術スタッフが長時間の缶詰めをしている間に起きた事が幾つかある。

 

医務室は人で溢れかえっていた。

廊下にまで簡易布団を敷き、そこも人でごった返す様はちょっとした野戦病院状態だ。

ヤザンは替えの包帯を貰うついでに、そこで入院しているシュラク隊の面々を見舞い終え、そして寝泊まりする分には平気…というレベルに損壊している自室にまで帰ってきた。

と、そこで不思議なものを見る。

自室前の扉の前に二人の少年が土下座をするように座り込んでいたのだ。

 

「…」

 

それを無視し、土下座の少年二人を跨いでヤザンは己の部屋の扉を開けた。

 

「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」

 

「そりゃないでしょ、おっちゃん!」

 

少年…トマーシュとオデロは急いでヤザンの脚にすがりつく。

 

「あぁ゛?」

 

野太い声と共に、ギロッという音が聞こえてきそうな視線が背の高い男から降ってくる。

少年達を軽く睨みながら、ヤザンは敢えて不機嫌そうな声色を強調する。

 

「何の用だ。

俺は忙しい。特に今は、半端じゃなくなァ。

くだらん用事だったら許さんぞ」

 

今言ったことは誇張なしに本当の事だった。

体も、本来ならベッドに括り付けられ安静にしていなければならない状態でヤザンは動き回っていて、そして彼の仕事を次々にこなしていた。

まず事務仕事を一手に引き受けてくれていた副隊長、オリファーの離脱は手痛く、全ての書類を ――カテジナに手伝わせながら―― 行っている。

他にも半壊状態のシュラク隊の新しいフォーメーションも考えねばならないし、ミューラ達に任せている機体のチェックもパイロットとして義務である。

MS隊統括としては他の機体も全て見ておきたいし、一見無事に見えるパイロット達の心的ケアもせねばならない。

こうした大被害の後は、ベテランの中にさえPTSDを発症する者もいるのだ。

そしてその中で暇を見つけて、オイ・ニュングと時間を擦り合わせてシャクティ救出作戦の煮詰めもしているし、オリファーなどの一線級パイロットの離脱の補填を含め、今後の大方針の話し合いをしたりもしている。

ミューラ・ミゲルばかりに無理をさせているわけではない。

ヤザン・ゲーブル自身も身を粉にして動き回っていた。

 

こうして話を聞いてやるだけでも随分心が広い対応だと、ヤザンは自分で自分を褒めてやりたい気分である。

 

「あの…」

 

オデロがタレ目に強い意思を宿して何事かを言い出そうとして、

 

「ダメだ」

 

言い出す前にヤザンが出鼻を挫いた。

 

「ぇえ!?」

 

思わずズッコケそうになるオデロとトマーシュ。

 

「まだ何も言っていませんけど!?」

 

トマーシュまで素っ頓狂な声になって抗議したが、ヤザンは冷たいまでに冷静な口調で返した。

 

「パイロットにしろと、そう言うんだろう?」

 

「っ!」

 

少年らは心をずばり当てられて言葉に詰まった。

だがすぐに気を取り直してヤザンに嘆願する。

 

「そ、そうです!俺達をパイロットにしてください!」

 

比喩表現ではなく本当に床に額を擦り付けてオデロが言えば、ヤザンは声のトーンを落として尋ねる。

 

「ダメだと言ったろう」

 

「何でですか!

ウッソは俺達より年下なのにあんなに頑張ってるのに!

若いからってのは理由になりませんよ!」

 

「年齢は、正直言えば問題じゃない。

問題は経験年数だと言ってるんだよ、小僧ども。

ウッソは一桁の年齢からMSシミュレーターを続けていて、俺達と合流した時には新兵どころの腕前じゃなかった。

いきなりベテラン格の技術を持ってたんだ。

即戦力だったのだから、すぐに採用も当たり前だ」

 

「う…」

 

余りにも当たり前の事を言われて、また言葉に詰まる。

だがすぐに反論要素を見つけて、トマーシュが食いついた。

 

「じゃ、じゃあカテジナさんはどうなんです!

あの人は元々ウーイッグのお嬢様で、シミュレーター含めてまるで経験なんて無かったですよ!」

 

「あいつか…確かにな」

 

意外なほど素直にヤザンは認めてやや考える素振りを見せて、これは取っ掛かりになるとオデロとトマーシュは少し目を輝かせた。

しかし、

 

「だがカテジナは、俺にMSに乗せろという前にパイロットの訓練室に忍び込んで勝手にシミュレーターをやっていたのさ」

 

今までオデロもトマーシュも、子供達が知らなかった事実が明かされて、二人の少年は面食らった顔をする。

 

「えっ!?」

 

「あ、あのウーイッグのお嬢ちゃんが、そんな自主トレしてたのかよ!

意外と体育会系だったのかぁ?」

 

オデロの面白い例え方に思わずヤザンの頬が緩む。

 

「んん?はっはっはっ!そうかもしれんな。

カテジナって奴は意外と現場系が肌に合っている。

根性のある女さ」

 

「つまり、隊長は…僕達も自分である程度鍛えてからなら話を聞いてくれるって事ですよね」

 

「…そうだな…そういう事だが…。

お前達は何でパイロットをやりたいんだ」

 

「それは…」

 

少年二人にとってその質問は、自分の弱さというか、コンプレックスに似た物を曝け出さなければならないクエスチョンだから少し答えるのを躊躇ったが、僅かな間の後自分からそれを説明し始める。

まずはトマーシュだ。

 

「単純に、今回の戦いでいっぱい人が死んで…シュラク隊のお姉さん達だって大怪我したって聞いたからです。

こんな時に、男の僕が何もしないでいるのは、単に僕のプライドの問題なんです。

……それに、かっこいいとこ見せてカテジナさんを振り向かせたいじゃないですか」

 

「なるほどな」

 

素直で良い意見だとヤザンは思う。

ヘンテコな正義感やら大義やらで戦争をやられるよりは、余程オスとして素直な闘争理由には好感を持つのがヤザンだった。

 

「貴様はどうなんだ、オデロ」

 

「………俺は、俺は…自分が情けなかったんだ…!

目の前でシャクティとクロノクルが連れてかれちまって……なのに、俺はトリモチガンなんか持っちゃって、MS相手に何も出来ないでさ…。

約束したんですよ!

ウッソにも、〝お前が留守の間はシャクティ達を守ってやるよ〟って言って…。

スージィにだって、絶対クロノクルを連れて帰るって約束したんだ。

もう今までみたいに後ろで弾込めしてたり、整備手伝ったりだけじゃ、自分が情けなくて…!

俺達の家も仲間もぐちゃぐちゃにしてくるベスパの奴らを、どうしても俺の手でぶん殴ってやりたいんだよ!」

 

「後方支援も整備も大事な仕事だ。

それで情けないって思うのはストライカー達に対して無礼な事だぜ、オデロ」

 

怒るようでも無く、叱るようでもなく、ただ静かに諭すようにそう言うヤザンの顔はいたって真面目であった。

 

「あ…そ、そういうつもりじゃなくて、俺…!」

 

「フッ…まぁ貴様らの言いたい事は分かった」

 

そこで野獣は顔を柔らかく崩す。

彼にとって、少年らの決意は中々に好きな部類だったらしい。

 

「こっちだってオリファーとジュンコの離脱は確定だからな。

マヘリアもペギーも前の怪我の影響でまだ勘を取り戻しきれてない。

正直、腕のある奴がパイロットに志願してくれるのは有り難い話だ」

 

子供の前だから少し話をぼかしたが、カミオン隊以外のMSパイロットでいえば死亡率はもっと高い。

部隊設立時のメンバーが全員死んでいる隊だって珍しくない中で、シュラク隊とヤザン隊は凄まじい生還率を誇っているのは、偏に隊長であるヤザンの働きであった。

 

「とにかく、俺は未熟者を戦場に立たせるつもりはないし、教えてやれる時間も無い。

パイロットをやりたけりゃ自分で鍛えてからもう一度来い。

テストぐらいは見てやるさ」

 

それを聞いた少年達の目は爛々と輝く。

そういう言質を取れば、後は遮二無二実行に移すだけだ。

 

「じゃ、じゃあシミュレーター使っていいんですね!?」

 

「俺は別に許可はせんぞ。

やりたきゃ勝手にやれ。

…ただ、基本的に訓練室はパイロット以外立入禁止だ。

見つかったら殴られて放り出されるぐらいの覚悟でコソコソやることだな」

 

そう聞いた途端、少年らは走り出した。

その背を見ながらヤザンは一人呟く。

 

「あいつらも良い目をしやがる。

化けるかもしれんな」

 

ヤザンのその予感は後々当たる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは部下のケアの一環だ。

求めてくる部下に応えてやるヤザンは、ケイト、コニー、フランチェスカと部屋を回って一戦交えて女共の溜まった鬱憤を晴らしてやる。

だが忘れてはならないのは、ヤザンも軽くはない怪我を負っているという事で、なのにパワフルに女共を抱いてやるヤザンのバイタリティは凄まじいの一言だった。

今回のように凄惨な戦いの後は、男も女も皆肌の温もりを求めがちだったし、何より、怪我の後遺症で不調を自覚しているらしいペギーとマヘリア等の求愛は熱心だった。

まるで自分を捨てないでくれと縋る子犬か子猫だとヤザンには思えた。

そして、気の強さでもシュラク隊達をも凌駕し、純粋な腕前でも凌駕しつつある金髪の令嬢もその一人だ。

 

「ん…ぅ…あっ…」

 

カテジナの部屋で、背中にも脚にも痛々しい包帯を巻いた男が引き締まった腰を女に打ち付けていた。

女は当然カテジナで、長い金髪をじとり湿ったシーツに広げて男のなすがままだった。

 

「ふぅっ、っ、んっ、…あっ、あぁぁっ!」

 

男と女の汗が飛び散って、カテジナの長い手足が男の背に絡むと、男は短く苦悶の声を挙げたがすぐに押し殺して構わず女を抱き続ける。

 

「はぁ、はぁ…ん……ん…っ、ん…はぁっ、はっ、はっ」

 

強く、冷たい印象すら与える時のある高飛車な美少女の切れ長の目が融けて、男の背に重い傷があるのも分からなくなる程に沼に沈み、愛してしまった粗野な男と必死に愛を確認していた。

それは、セント・ジョセフの人々の死のイメージがカテジナの頭の中に流れ込んできて、脳裏に聞こえた死の叫びを忘れたいが為だ。

男との愛で〝死〟を塗り潰したいが為だ。

そして、元気ハツラツに戻ってきたとはいえ重傷を負っているこの男が、やはりいつ死ぬとも知れぬ戦いのサガに取り憑かれた戦士と知って、そいつとの確かな愛のカタチが欲しかったからでもあった。

だから、少女は男の手管に何度も高みに追いやられて理性を崩されていても、〝生〟を胎内に取り込もうという本能で()()を嗅ぎ取った。

カテジナが何度目かの高みに至って、忘我の中で女の奥を収縮させると、男の果てるのを感じ取る。

まだまだ男女の事の経験は薄い少女は、駆け引きとかそういうのではなく、まさに本能でそれを欲した。

 

「…っ、抜いて…今日、危ない…っ、か、ら…っ」

 

熱に浮かされつつ男の耳元で拒絶を呟く。

だが、カテジナの長い脚はしっかりと男に絡んで離さず、抜き去ろうとする男を逆に奥へ奥へと導くようだった。

言葉と行動の矛盾は、そのままカテジナの精神の表層の強さと、心の奥底の愛の強さのぶつかり合いだったろう。

備品のスキンなどとうに使い切って、それでもヤザンに事をせがんだのはカテジナで、それに応えてやったのもヤザンだ。

女パイロットは薬物で月の物をコントロールするのが一般的で、そうしていれば妊娠の回避も出来るものだが、それでも100%ではないし、しかもきちんと服用していなかった場合は当然話は変わる。

そしてカテジナは最近、ヤザンとの事に及ぶつもりもあるというのにそれを服用しておらず、その行為はヤザンにもシュラク隊の同僚の誰にも秘密のルール違反だった。

それはカテジナ自身、論理的な説明が出来ない衝動だった。

飲まきゃダメだと思っても、体が、本能が服用を拒否して、しかも授かる可能性があると自覚すればするほどヤザンと肌を重ねる歓びは増した。

 

「だめ…いやよ…あんたの子なんて、生んでやらないから…」

 

言いつつ、決してこの雄を逃すまいとカテジナの本能が叫んで、むしろ自ら迎え入れて、一番奥深くで〝生〟を受け取ってしまった。

じわりと温もりを感じる。

女の奥深くで、生命を感じる。

 

(私は…孤独じゃない)

 

「…最低よ」

 

全身を紅潮させて汗だくになった少女は、男の全てをくれとせがんで受け入れて、心底満たされた心で必死に嫌悪の言葉を吐き出して呟く。

腕で隠しているカテジナの顔は、きっと幸せそうなものだったに違いない。

少女は荒い息の中で、生命の鼓動を己の胎内から聞いた気がした。

 



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雷獣再臨

ザンスカールのモトラッド艦隊。

それは異常な出世を遂げているゲトル・デプレ中佐が指揮を執る、バイク型大型戦艦を中核とする最新艦で構成された精鋭艦隊である。

月の主要都市の殆ど全てに潜伏させていた諜報員だが、その中でもセント・ジョセフからの情報は確度が高い。

そういった公算を元にその都市へ向かえば、ファラ・グリフォンが強化されたニュータイプ能力でリガ・ミリティアのエースの存在を看破した。

いよいよもって確信したゲトルは、精鋭の強化人間部隊を先行させ、逆方面からの攻撃を命令。

それは陽動でもあるし、ザンネックを始めとする超精鋭達であるからいざともなれば本体にもなれる攻撃力を有していたから、作戦は完璧なる挟み撃ちでもあった。

結果、セント・ジョセフと、その周辺に潜んでいたリガ・ミリティアを炙り出す事に成功し、その戦力を叩くという金星を挙げた。

そのゲトルは最新鋭戦艦アドラステア級旗艦の司令席で踏ん反り返って、「私は偉いのだ」とでも顔に書いてありそうな満足顔で笑いながら副官と談笑しているところであった。

 

「ファラは良い出来のようだ」

 

そう言うゲトルにキル・タンドンが頷く。

 

「はい。サイコ研の一番の傑作と言っても差し支えないでしょうな」

 

「だがルペ・シノとピピニーデンはな……あの体たらくは一体なんなのだ?中尉」

 

じとりとゲトルのタレ目が、サイコ研からの出向技術士官であるキル・タンドンを睨むが、タンドンは気にするふうでも無く冷徹を貫く。

 

「あれは敵がこちらを上回っただけの事です。

今までの戦闘記録から見ても、リガ・ミリティアにはヤザン・ゲーブルの他にもそれに匹敵するエースの存在が確認されています」

 

「フム、2機の白い奴か」

 

「そのうちの1機を堕としたのですから、こちらが強化人間とマシーンを失っても安いものでしょう。

ピピニーデンの言葉を信じるなら、あのティターンズの亡霊を堕としたのです」

 

「…まぁそうではあるが」

 

ドッゴーラの脱出ポッドが持ち帰ったデータを見ても、ドッゴーラ達の相手はあのヤザン・ゲーブルであり、そして最後にメインカメラに映ったその姿から、敵新型のガンダムタイプが炎に包まれて墜ちていったのは見て取れた。

死んでいて欲しいが、爆散まではしていないからどうなったかまでは確証を持てないわけだが、それでも無傷ではないだろう。

重傷でも負ってくれれば、長期間の戦線離脱は有り得る。

 

「ふっふふ、まぁいいさ。

私の勝ちには変わりはないのだ。

しかも、死んだと思われた〝人食い虎〟が、とんだ()()まで持って帰ってきたのだから笑いが止まらんよなぁ。

クククククク…〝姫〟か………我が世の春とはまさにこういう事を言うのかな?なぁタンドン中尉」

 

ニタっと笑って中尉を見れば、相槌程度に彼も笑ってみせる。

クロノクルと姫の確保を報告した時の、あの老人の慌てふためく様は何とも愉快だった。

普段は全く顔色一つ変えぬ老妖怪が、間違いなく一個の生き物なのだと知れた瞬間だ。

 

「帰れば、私は女王陛下から直接十字勲章を授かるのは確実だな」

 

今時作戦におけるゲトル・デプレの残す仕事は後一つ。

それは〝姫〟と〝王弟〟の為に安全に、確実に本国へ帰還する事。

とは言ってもそれはもう半ば成ったようなもの。

今更リガ・ミリティアの艦の船足では、こちらの最新鋭戦艦アドラステア級の足には追いつけないのは明白。

肝心要の連邦軍ですら怒りより恐怖が勝ったか、未だ動きを見せないのだから帰還は楽なものだ。

そうゲトルは高を括っていた。

だが…。

 

「ん…?おぉ戻ったかファラ中佐。ご苦労だった。

貴官の働きには、宰相閣下もご満足の事だろう」

 

春爛漫というゲトルの心に釘を刺す存在が、艦橋のスライドドアの向こうから現れる。

本日の功労者、ファラ・グリフォンその人が艦隊司令へと敬礼をしてみせれば鈴の音が従ってリンと鳴る。

 

追撃を警戒し、思い切り迂回し別ルートから帰ってきたファラは、艦隊と合流したのは今しがたであった。

ニヤけた顔でそう労ったゲトルは至極満足そうで、そしてそれは当然だった。

かつて頭が上がらない上官だった美しき女軍人を部下にし、新型のMS・MA・戦艦を受領し、そして次々に()()()()()を成功させているという偉業。

ジオン公国のギレン・ザビですらしなかった、永世中立地帯であるジブラルタルを攻撃…宇宙引越公社本部ビルを破壊してザンスカールの恐ろしさを世界へ見せつけた。

地球連邦政府本部のお膝元である月面で、その傘下にある月面都市セント・ジョセフを壊滅させ、そこに巣食うリガ・ミリティアを撃破…連邦の権威を失墜させた。

しかも、ファラ中佐と、そして機体を喪失しながらも生きて帰ったピピニーデンの報告では、敵の新型であるガンダムタイプを1機撃墜し、他にも多数の新型を撃ち落とす事に成功した。

ゲンガオゾとドッゴーラ2機を失った事を差し引いても、余りある戦果だ。

まさにゲトル・デプレ中佐は負け知らずであったが、それはタシロやカガチの思惑と、そして彼にあてがわれたファラの存在が大きいのだが、果たしてそれに気づけるだけの器量と冷静な思考は今のゲトルには無い。

 

「フフ…えぇ、宰相もお喜びでしょうが私としては、ひたすら女王陛下の御為に戦い続けているのですよ、ゲトル中佐」

 

ファラの指摘に、ゲトルは内心ドキリとした。

自分が功名心ばかり先立って、実権を持つ宰相の心に適うよう動いているとでもズバリ言われた気分だった。

 

「む、無論、私とてそうだとも。言うまでもない事だろう?」

 

慌てて取り繕う。

しかし元部下のニヤケ面を眺めるファラの顔は、まるで心の奥まで見透かしているかのような、嘲笑うが如くの微笑みのようにも見え、一方でゲトルになど興味がないとでも言うような酷薄な笑みでもあった。

美人がそういった笑顔をすると、逆に恐ろしさを際立たせて、浮ついているゲトルの心胆を一瞬寒くした。

 

「…何かね?ファラ中佐。まだ用があるのかな?」

 

笑むばかりで何も言わずこちらを見つめてくる元上司に気後れすまいと、威厳を保つ為にも尚更厳しい顔と口調でゲトルが言えば、やはりファラはくすくすと微笑みながら口を開く。

 

「ゲトル中佐は艦隊司令として重責に心砕いておられる」

 

「…う、うむ」

 

「であればこれは司令職にあった私からの助言であります。

フフ…勝ち続けるというのは毒なのですよ、司令。

勝利の美酒に酔いしれる今こそ、兜の緒を締めるがよろしかろうと進言致します。フフフ…」

 

慢心しようと負ける要素が無い、と言い返してやろうとしたゲトルだったが、しかしファラの気配に圧されて出かかった言葉は潰された。

 

「獣が坊やを連れてやってくる…!獣というのはしつこいもの…。

あの新型の速さなら、執念深いケダモノならば私達の喉元までやってくるのですよ、司令」

 

「追撃が来る、と?

だ、だが…ゲリラの新型は先の戦闘であなたが――」

 

ファラ・グリフォンの気迫に飲み込まれて、ゲトルは思わずかつてのような…彼女が未だ上司であるかのような口調で返してしまうが、誰もそれをおかしく思わないのがゲトルとファラの()()()()()の差異と言えた。

ファラは妖しく微笑み続ける。

 

「奴らは〝姫様〟にご執心だ…必ず来る。

それに、あのヤザン・ゲーブルがあの程度で死ぬものか。

悪いことは言わない、ゲトル中佐…私のアドバイスを聞いてみるがいい」

 

ゲトルは冷や汗を一筋垂らしながら頷けば、ファラもにこりと笑った。

 

「この艦には例のテスト機が積んであったろ?」

 

言うファラは、今度はゲトルではなく傍らのキル・タンドンへと向き直っている。

 

「テスト機…?サイコミュ試験機の事ですか?

しかしあれは…サイキッカーの思念波増幅を目的にしたサポート機で、ろくな戦闘力はありませんが」

 

「それでも構わん。

野獣の鼻と、坊やの目を逸らさなきゃ無事に逃げ切れないからねぇ。

私達が大事な積荷を女王陛下にお届けする為にも、切らなきゃならない尻尾は切る…」

 

「…尻尾?」

 

今、言葉を返したのはゲトルだ。

切られる尻尾とは何なのか。

ひょっとして自分の事か。

よからぬ想像がゲトルの脳の片隅に浮かんでは、それを瞬間的に消し去ったが彼の背筋の温度がまた一段下がる。

張り付いたようなファラの笑顔はひたすらにゲトルの高揚を奪い去っていくのだ。

 

「フフ、フ、フフフ…追ってきてくれるんだろう?

逃げる女を追うのは男の役目なんだからさ…フフフフ」

 

「…」

 

クスクスと笑うファラの眼に、まるで自分は映っていないようだとゲトルは思わされて、ゴクリと息を呑む。

ファラは、未だにゲトルを圧倒的に上回る精神的強者だった。

 

 

 

 

 

 

 

――

 

 

 

 

 

 

ホラズムはどこもかしこも突貫作業だらけだ。

機体の修理と改修も…施設の修繕もそうだし、リーンホースJrの瓦礫からの()()と修復もであった。

その間、気が焦るウッソが脱走もせず独断専行をしないで良く待ったのは褒めてやるべきだろう。

そんなウッソはというと、今、ヤザンとカテジナと一緒に、見た目だけはまぁまぁに綺麗になった格納庫に集っていて、この場にはオイ・ニュングもいた。

腕をギプス固定されたロベルト・ゴメス艦長がややふらつきながらリーンホースJrのタラップから降りてくるのも見える。

 

「よぉお前さんがた!

全員無事みたいでホッとしたぜぇ」

 

ゴメスが明るい声で、無事な方の手を振ってヒョコヒョコ近づいてくると、すかさずヤザンが笑って言った。

 

「あんたは無事じゃないみたいだな」

 

「ヤザン隊長はどういう体の作りしてやがんだ?

若さって奴か…羨ましいねぇ丈夫でよ!」

 

「ぬかせ。俺のほうが年上だ」

 

「戸籍上ってだけだろうが。

まぁいいや、えぇとだな…本当に行っちまうのか?

リーンホースは後半日もありゃ出港できる状態にまで持っていけるんだぜ?

俺もぴんしゃんしとるし、艦も一緒の方が色々と作戦の幅は広がるだろ」

 

つまりは引き止めにやってきたらしいが、今回の作戦がオイ・ニュングの認可済みと知っているからそう強くは出ない。

遠回しのゴメスの心配は有り難いと思えたウッソだが、表情は固く、うんとは言わない。

 

「すみません、ゴメス艦長。

今回は僕のわがままで…お先に出させてもらいます」

 

周囲へ山程わがままを言った。

そういう自覚はウッソにはある。

申し訳無さそうな表情を浮かべて、それでも決意の固い瞳は揺るがなかった。

 

「どっちみち、急ぎだって言うなら私達だけで行く方が速いのだし。

あのバイク戦艦がサイド2(ザンスカール本国)に着いてしまったら、シャクティを助けるのも、もっと難しくなるわ」

 

あの騒動と混戦の中でも傷一つ負っていない悪運っぷりを披露したカテジナが、意外にもウッソ寄りの発言をしてやるとウッソは少し驚いたようだが、すぐに嬉しそうな顔となっていた。

 

「あ、ありがとうございますカテジナさん。

一緒に付いて来てもらってしまって…ほとんど僕のわがままなのに」

 

「いいのよ。好きな人の為に命を賭けるっていうの…嫌いじゃないし、気持ちは分かるから。

それにあなたって年の割りに分かったような顔して、割りきってみせたりするの…正直気持ち悪かったから、こうやってわがままを見せてくれたのは安心する。

今の君の方が好きよ?ウッソ」

 

ヤザンがペギーを助けた時などは非難染みた事を言っていたカテジナだが、今はウッソとシャクティという事で自分の愛と無関係なのが彼女に包容力と余裕を与えているらしい。

数時間前まで思う存分、男に愛されていたのも深く関係しているだろう。

長い金髪をかきあげながら()()()と笑ってみせたカテジナの余裕ある顔に、少年がどきりとするのも仕方ない色気がそこにはあった。

今は明確にシャクティへの想いを自覚しているし、そういう異性的な意味での発言で無いと分かっていても、やはり初恋のお姉さんに「好き」等と言われると一瞬胸は高鳴ってしまうのを非難する事は誰にも出来ないだろう。

一瞬どきりとして、しかし「気持ち悪かった」とも言われた事に複雑な顔となったウッソを差し置いて、見送り係のオイ・ニュングが言った。

 

「全員、ミューラからのマニュアルには目を通したな?」

 

パイロット達が頷き、ウッソは申し訳無さそうな表情に戻って言う。

 

「あの…母さんは大丈夫なんですよね?」

 

「ああ、そのマニュアルを作ってから倒れるように寝ている。

レオニードが命に別条はないと断言してくれているから大丈夫だ。

………君のお母さんは意識を失う寸前言っていたよ。

シャクティさんを助けろ、だそうだ」

 

言われるまでもない事だと、パイロット達の顔には燃える意思が見えて、特にウッソは力強く頷いた。

 

「あの混乱では敵の艦の数さえ正確には把握できていない。

充分気を付けてくれ。

…彼らを頼んだぞ、ヤザン隊長」

 

オイ・ニュングもこの追撃戦の危険さは理解している。

本来ならGOサインを出すべきではない。

だがシャクティの重要性と、リガ・ミリティアの強大なエースであるウッソの心情も考慮すれば多少の無茶は飲み込むべきだった。

それに、ウッソの手綱を握れる頼れる大人のパイロットがいるという安心感が伯爵にはある。

伯爵とヤザンの視線が交差し、ヤザンが頷く。

 

「よぉし、ヤザン隊出るぞ!」

 

MS隊総隊長の力強い声がデッキに響き、それだけでその場にいたリガ・ミリティアのスタッフ達の心を〝頼もしさ〟で満たすのは、やはりヤザン・ゲーブルは天性の現場指揮官だ。

味方であればこれ以上頼もしい男はいない。

どのような苦境にあっても溌剌とし、不利にあってもへこたれる事なく、しつこく足掻き続けてくれる…そういう男がリーダーだと付いていく部下は安心だったが、敵からすれば最悪のハイエナだ。

どれだけ撃退しようと痛めつけようと、諦める事なく獲物と見定めた敵を襲い続ける獣は、ザンスカールからしたら〝おぞましい〟とさえ見える。

ヤザンの声を合図に一斉に動き出した現場で、特に素早い年少のパイロット二人組だが、それより速いヤザンが昇っていくワイヤーガンの半ばでゲンガオゾの装甲に脚を引っ掛けて蹴り上がりコクピットへ転がり込んだ。

ハッチが閉じ、エンジンが唸る。

 

『ゲンガオゾ、出るぞ!メカニックは全員離れろ!』

 

一瞬、ゲンガオゾの三つの複合マルチセンサーが開いて赤光に輝くと、すぐに保護カバーをおろせば薄目から紅蓮の妖光が漏れているようで不気味でさえあるが、その不気味さと恐ろしい()()は、パイロット同様に味方である今は心強い限りだ。

ゆっくりと逞しい脚を踏み出し、

 

『セカンドシャッコーはカテジナ・ルースで出る!』

 

『ウッソ、V2ガンダムいきます!』

 

それにV2ガンダムとシャッコーが続く。

主を獣へと換えた雷神が黒い空に舞っていき、それに付き従う2機のMSがスラスターの光を宇宙に描いた。

 

『新型の乗り心地はどう?ヤザン』

 

ミノフスキー濃度はクリアで通信は快調だ。

カテジナの声ははっきりとヤザンの耳へと届いた。

 

『…得体の知れない力を感じる…気に入らん。

だが、それ以外はご機嫌だな』

 

その言葉は、ある意味で最大級の褒め言葉にも似る。

かつてヤザンのお気に入りだったハンブラビと同じ感想を抱いたこの男は、このMSにハンブラビの匂いを嗅ぎ取ったかもしれない。

だがそんな今の発言をミューラが聞けば、また頭を抱えるだろう。

ヤザンのニュータイプ特性は0。

これはヤザンが冷凍刑に処される前と、そしてホラズムでの最近の検査の両方で証明されている。

だというのに、ヤザンはサイコ・マシンのパワーを感じてみせているという事だ。

人間の奥底の闘争本能とか、獣性とか、ニュータイプ的センスとは違う第六感とか、そういう原始的パワーでサイコミュを肌で感じ取る…ニュータイプの定説を揺らがすような男で、科学者泣かせと言えた。

 

『昔抱いた女とよりを戻した…そんな感じだぜ。

具合の良いじゃじゃ馬って所か、こいつは』

 

『……なにそれ。下品な例えね』

 

『フッハッハハハッ!そうか、そいつァすまんな!』

 

呆れ半分、嫉妬半分。

カテジナの反応はそんな所だ。

だがヤザンは、MSにさえ嫉妬してみせる少女の可愛らしい悋気をせせら笑いながら機体を更に加速させていた。

ゲンガオゾの肩と胴の付け根辺り…背部の肩甲骨にあたる箇所に増設された下向きの小型変換器(オートコンバーター)と、改造されたテールスカート裏のメーンスラスターから、推力に変換し損なったメガ粒子が放出されると、それは彗星の尾のように伸びていくが、それはまるで羽虫の羽ばたきの如く不快な振動と明滅を繰り返すものだった。

シャッコーにも背中のメーンスラスターの左右やや上に、やはりゲンガオゾと同じような下向きのオートコンバーターが増設されて、そこから下方に向かって不安定で細切れなメガ粒子が放出される様は、V2の翼状の光とは違い、まるで昆虫の〝翅〟だ。

上向きのウイングバインダーから伸びるメガ粒子がまるで鳥の翼のようにも見えるV2の〝羽〟とは視覚的にもそいつは違って、ザンスカール製特有の機体デザインと、オートコンバーターの翅という組み合わせは、ゲンガオゾとシャッコーをより生物的なマシーンに見せて、2機はまるで蟲の巨人だ。

急拵えのゲンガオゾと、そしてセカンドVの未完成品を積んだシャッコーでは、その不安定さが〝翅〟という形で顕れているが、だが、その速さは紛れもなくミノフスキー・ドライブそのもの。

3機のドライブ搭載機は快調に宇宙の空にスラスター光を引きながら飛び続ける。

ゲンガオゾとシャッコーの速さは、正統マシーンであるV2にも食らいつけるスピードで、バックエンジンユニットという追加ブースターを持つゲンガオゾに至ってはまだまだ余裕を見せていた。

 

『全機、気を抜くなよ』

 

かれこれ数十分は何事もなく高速飛行を続けていて、いい加減緊張も緩みそろそろ退屈に陥るかというタイミングで、ヤザンは部下達へ忠告を発した。

最初のうちは緩むに任せて、そして間もなく警戒ポイントだという時点でそういう事を言い出してくれるヤザンは、誠に戦いの抑えるべき要所という物を心得ていた。

常に緊張していては弓の弦もすぐに切れる。

適度に緩ませてこそ弦は強く長持ちするのだという事をベテラン指揮官は良く理解していた。

最初の20分ばかりの緩みは、良い意味でウッソとカテジナの緊張を解き、昨夜の疲れを少しばかりとはいえ癒やしてくれていた。

 

だが、その緩みもヤザンの言葉で消えていく。

緊張を取り戻し、ウッソもシャクティを助けるのだという決意を、改めて強く意識し始めて十数分後。

パイロットとしてのコンセントレーションが高まるタイミングとしてはほぼ理想的なその時に、ウッソらの視界に件のバイク戦艦が映りだしたのだった。

通常の戦艦やMSの速度ならば、条件にもよるが月からサイド2までおよそ3日程の距離。

そこをヤザン隊の3機は、最も遅いシャッコーに速度を合わせて飛んで、それでも尚極短時間で先行していた敵艦隊に追いつけてしまう。

まさに既存のMS戦史の常識を覆す驚異的な速度であった。

 

『視えた!』

 

ウッソが叫んだ。

誰よりもその接敵を心待ちにしていたのもあって、その発見にも人一倍敏感であった。

 

逃げ去ったバイク艦隊の航路を割り出したオイ・ニュングの予想通り、敵艦隊は最短距離をひた進んでいたらしい。

戦艦の航跡が光の線となってパイロット達の目にしっかりと映った。

 

『伯爵の予測通りか。

全機、速度を一旦落とし可能な限り密集。フォーメーションを維持しろ!』

 

ヤザンの指示に従って、高速飛行中にも関わらず即座に機体が接触するギリギリまで詰め寄る3機。

だが従いながらもカテジナが率直に疑問を述べた。

 

『速度を落として密集すると敵の砲撃が来た時に一網打尽にされるんじゃないの?』

 

『数を誤認させて、出来るならデブリに見せたいという事だ。

小綺麗な隊形のまま突っ込めばMSが来ましたと宣伝するようなもんだ。

それに俺達ならば砲撃が来る前に散開できるからな』

 

そうだろうカテジナ、と言われれば、砲撃が来る前に勘付いて避けろという無茶な注文も、カテジナの心に妙に浮ついた感情がちらついて悪い気はしない。

なるほどと思わされて、そのまま飛ぶこと数秒。

確かに未だに敵艦隊の動きは鈍い。

 

『ミノフスキー粒子はまだ戦闘濃度になっていない。

敵が気付く頃にはこちらは奴らの懐の中って事…。

成程ね…ミノフスキー・ドライブの使い方ってこういうものなのね』

 

本来は外宇宙への人類の進出の為の技術だが、ミノフスキー・ドライブの速度と航続性能による少数精鋭での無補給・高速の重要拠点(本陣)切り込みは確かにドライブの真骨頂と言えた。

その戦略の恐ろしさは、地上でゾロによって証明されている事であり、V2達はそれを宇宙で展開できるという事だ。

半素人の域のカテジナも納得の戦略的怪物MSであった。

ドライブの超高速でも、ミノフスキー粒子を撒かずに接近すればレーダーがこちらを捉えるだろうが、その正体を掴むのに数瞬でも迷いが生じてくれれば、それは戦場では大きなアドバンテージとなる。

速度を落とした今でもヤザン隊は充分に速く、もう間もなく敵味方の火器は火を吹くという段階であったが、しかしわざわざ速度を落としたのは、本格的にやり合う前に二人の若い部下に聞いておきたい事もあったからだった。

 

『ウッソ、カテジナ、ミューラが言うにはお前達にはニュータイプの素質があるそうだ。

俺はあんなまやかし信じちゃいないが、勘の鋭さって奴はあの手の人種の得意技なのも確かだ。

シャクティやクロノクルが、どの艦に乗っているか分かるか』

 

ヤザンの急な問いかけに、えっ、と小さく呟いてからカテジナが答える。

 

『私は…感じられない。

第一、見つけたい相手を感じ取れる力なんて、そんなのおとぎ話だわ』

 

カテジナは、ヤザンの期待に応えられない事を残念がったようでテンションを下げたトーンでそう言ったが、彼女も寝た男(ヤザン)の影響を受けてか、先の戦いでセント・ジョセフ・シティの多くの市民の死を感じ取ったにも関わらずニュータイプというモノに対して懐疑的だ。

だが、己は信じていない割にヤザンはそれを他者に対してまで強要はしないし、寧ろ視野を広く持って使えるものは何でも使えと…そう彼が思うのはベテラン兵士であり教官役を多くこなしたからかもしれないし、幾人かのニュータイプと接した過去の経験から彼自身の思考を柔軟にしたようでもあった。

それに、グリプス戦役時代と違い、U.C.0153年現代はニュータイプというものが科学的にある程度解明されていて、オカルト的なものがやや薄れていたのも一役買っていただろう。

 

『そう邪険にする事もない。あるってンなら使ってみろ』

 

『……分からないわ。

何だが、ざわざわと胸騒ぎみたいな、そういう嫌な気配は艦隊(あそこ)からするけれど』

 

『ウッソはどうか』

 

ヤザンが部下の少年に問う間にも敵艦隊の光源が近づいてくる。

暗闇の宇宙であるからその光点との距離を目視で測ろうというのは少々無茶があるが、ヤザンは経験と、そして圧倒的な原始的感覚(ワイルドセンス)で接敵が近い事を嗅ぎ取って、マシーンが告げるよりも早く敵との相対距離を掴んでいた。

開戦は近い。

 

『…何か、大きな…圧力のようなものが、あそこを覆っていて…シャクティを掻き消してしまっている…。

ヤザンさん、この気配…あの〝鈴の音〟かもしれません』

 

ウッソは不安気にそう言ったが、ヤザンは年若い部下の不安を吹き飛ばすようにニヒルに笑う。

 

『ククク、まぁいいさ。どの道そんなもんに頼り過ぎるのも逆に毒になる!

まやかしに囚われ過ぎるなよ!頼るのは己のセンスだ!

ニュータイプは自分のスキルの一つに過ぎんという事を肝に銘じておけ』

 

結局は、野獣にとってのニュータイプ能力への評価はそこへ落ち着く。

ヤザンにとってニュータイプは人と心を通わす人類種の革新ではない。

ただ、空間認識能力が他人より優れ、故に人の気配を遠方だろうと鋼鉄の装甲越しだろうと感じ取る才能に過ぎず ――それはMS戦においては非常に重要なアドバンテージだが―― それはヤザンからすれば手先が器用とか、筋肉が付きやすいとか、そういう人間の個性の範疇でしかなかった。

 

(最後にモノを言うのは、自分の才能と経験の複合をどれだけ磨き抜いたか、だ)

 

そう思うから、ヤザンはニュータイプや強化人間を恐れはしないし拘りも持たない。

が、当然相応の警戒心は抱きはする。

 

『ウッソが〝鈴の音〟の気配を感じ取ったかもしれんという事は、向こうも気付いたという事だ。

砲撃に気を付けろ!』

 

警戒心と共に、ヤザンの闘争心のギアも一段上がる。

 

『どの艦にシャクティとクロノクルがいるのかが分からん!

当初の予定通り戦艦の脚を殺す!

俺がまずは仕掛ける。後に続け!』

 

『はい!』

 

『了解!』

 

再度、ゲンガオゾのブースターが唸って速度を上げる。

レーダーに映る高速の異物として、ベスパもヤザン達を認識しているはずだ。

警戒度が跳ね上がったその証拠に、急速にミノフスキー濃度が上昇していく。

〝鈴の音〟の感知能力ならばレーダーより早くこちらを捉えてキャノンの迎撃の一発二発でも放ちそうなものだが、それが無い事に多少の違和感を感じつつもヤザンはMSを駆け続ける。

 

(…砲撃が来ない?〝鈴の音()〟はいないのか?

なら燻り出してやるぜ)

 

ヤザンの口角が緩く上がった。

ゲンガオゾが主に呼応する。

 

背のバックエンジンユニットが高速度で射出され、ケーブルの尾を引き、リレーインコムを経由する度に軌道を変えながらターゲットへと迫る。

まるでバックエンジンユニットそのものが可変MAのように単独攻撃時のフライトモードへと可変。

そしてターゲット達の前方へと回り込み、ヤザン隊よりも一足先に5連装ヴェスバーの猛射を仕掛けた。

拾ったコンティオのデータと、そして月都市エアーズからのインコムデータを元に、鬼才ミューラが仕上げたバックエンジン・インコムは実にスムーズな滑り出しを見せる。

そして実に良いタイミングで敵達はミノフスキー粒子の濃度を上げてくれているから、バックエンジンユニットが高速で回り込んでいるのを察知するのは大分遅れるに違いなかった。

ミノフスキー粒子がヤザンの〝悪戯〟を隠してくれる。

宇宙に咲く徒花がチラチラと開いて散った。

バイク戦艦の群れが派手にビーム機銃を撒き散らし始めたのが視え、そして数秒遅れて艦砲射撃がそちらへと集中的に放たれて、こちらへの攻撃は申し訳程度で回避は素人でも出来る。

 

「フッ、ハハハハ!成程なァ、これがオールレンジ攻撃の感触か。悪くはない!」

 

囮としては重畳な働きっぷりにヤザンが笑う。

敵の意表を突き、そして本体はドライブの爆発的な加速力で一気に戦艦に肉薄すれば、ヤザンの、ノーマルスーツの下は包帯だらけの傷んだ肉体を重々しく圧するGが襲った。

「ぐゥッ」と漏れる声。

ヤザンでさえ一瞬苦悶する程の加速が襲う。傷だらけの体ならば尚更だった。

現代機の耐G性能でもこれであるから、この加速を第1期MSで行ったら即ペシャンコになってお陀仏だろう。

だが、ヤザンから漏れた苦悶は、言ってみれば女子供でも操作可能な現代機の圧に慣れた故の油断だった。

彼からすれば、全力の機動戦を行った時にはこの程度のGは別に珍しくもない。

かつては、エースと呼ばれる人種の間では、Gを耐え凌がんと奥歯を噛み締め砕く事すらままある事だ。

 

「…っ、こいつは具合がいいな…!」

 

心地いい圧迫に加え、パイロットの行きたい所に一瞬で連れて行ってくれる機体の速度、制動。

ヤザンの中の獣が疼いた。

フットペダルを踏み込む。

ヒリヒリとした圧がヤザンの傷ついた肉体を痛めつけてくるが、その痛覚すらヤザンにとっては友邦であった。

この感覚こそが戦闘なのだと、手負いの獣は嬉しそうにほくそ笑む。

そんな主の意を汲みとって、ゲンガオゾが怪物的加速を断行し、V2とは違う蟲の翅染みた光の翼をはためかせる。

それは幻想的で美しいV2の姿とは全く異なり、敵を捕食せんという呑食の殺意を振り撒く物の怪であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アドラステア級ラステオ。

それはネームシップたるアドラステアから続く名誉ある2番艦であり、それを任されているのはバイク戦艦の考案者であるドゥカー・イクであった。

月面作戦を成功させ、意気揚々と引き上げていくモトラッド艦隊は、バイク戦艦の圧倒的武威と戦果に心を必要以上に熱くし、自分たちを鼓舞していたように思えた。

それは、連邦政府のお膝元である月面都市を徹底的に破壊した行為が、これから何を引き出してしまうかを誰もがどこか不安気な心持ちで考えてしまうからだ。

 

〝連邦の本格的報復が恐ろしい〟という事だ。

だが、連邦軍が全面攻勢に打って出ることは有り得ないというのは、この時代、誰も彼もの認識でもある。

今回のベスパの攻撃作戦は、月面のリガ・ミリティアの一大拠点を叩くと同時に、連邦の腐敗が何処まで浸透しているかを探るつもりでもある。

 

「…フォン・ブラウンに動きはあるか?」

 

ドゥカー・イクが、副官であり、アドラステア所属のMS戦隊の隊長を務めている褐色の美女、レンダ・デ・パロマに確認をとれば彼女は首を横に振る。

 

「そうか。まさか連邦がここまで腑抜けていたとはな」

 

「はい。想像以上に連邦は軍も政府も腐敗しています」

 

「私達が望んだ以上に連邦は酷い有様だ。

こうまでくると、敵でありながら惰弱と醜態っぷりは目に余る。

…これでは地球圏の秩序が乱れるのも当然ではないか」

 

ドゥカーがそう呟く様は、敵を嘲るというよりも憤慨しているようだった。

そもそも、連邦政府がしっかりと地球圏の手綱を握っていれば宇宙戦国時代など幕が上がる事はないし、ザンスカールが勃興する事もなかった。

 

「…戦争とは酷いものだよ。

だが、その戦争のお陰で私のバイク乗りの楽園は現実味を帯びてくるのだ。

もはや正義なき連邦から命と愛の象徴たる地球を解放し、世から腐敗を一層する。

世界に正しき愛を満たす果てに、清浄なるバイク乗りの楽園が誕生すれば、それは幸せな事だ」

 

だからこの戦争は正義だ。

ドゥカー・イクが、いっそ爽やかな顔でそう言うとパロマも強い笑顔で深く頷く。

だが、その会話が聞こえてしまっていた艦橋クルーは頭の上に幾つもの疑問符を浮かべては内心で首を傾げざるを得ない。

同胞たるベスパ兵達にも奇妙がられるのがドゥカーとパロマだ。

深い信仰と過激な思想に身を委ねるベスパ兵達ですら、この似た者同士の二名は理解し難かったが、それでも高い階級を持つのだから従うのは軍人の宿命だった。

 

ドゥカーとパロマは今すぐバイクについて熱く語り合いたい所だったが、今は任務中だと襟を正して顔を固くさせる。

しかし二人の目線は熱く交わりあっていて、両者の心はどこか違う世界へと飛び立って…いや、二輪で走り去っているようだったが、二人の世界に行きかけた所でつんざくような電子音が彼らを現実へと引き戻す。

 

「何事だ」

 

ドゥカーが言うと直様クルーが返す。

 

「レーダーに反応。4時方向より接近物です」

 

「MSか?」

 

「…それが、少し変なんです。

反応もMS級程度の小規模なもので、しかも速すぎます。MSの速度じゃありません。

おまけにミノフスキー粒子も散布しておらず、レーダーにも明瞭に映っていて…」

 

レーダー士も頭を悩ませ言葉に詰まる。

思考を戦いへと切り替えつつあったドゥカーだが、口の中で唾を飲み込み少しの緊張を解すと、やや深めの息を吐く。

 

「ならば隕石かデブリだろう」

 

「デブリにしても少し速すぎますよ。

それに当艦隊に真っ直ぐに向かって来ているように見えます」

 

クルーの言葉にドゥカーとパロマがまたも互いの顔を見合ったが、今度のそれは軍人然としたもので、そこに()()()世界は存在しない。

 

「確かに妙ではあるが、コロニーのゴミではなく戦闘デブリならば加速している物もある」

 

そこまで言うとドゥカーは整えられたクリーム色の口髭を一撫でし、だが、と続けた。

 

「警戒するに越したことはない。

第三…いや、第二戦闘配置発令。すぐに偵察を出せ。

接近物体を確認し、艦隊を横切る可能性があるなら破壊を――」

 

まぁまぁに無難な指示に落ち着いたドゥカーだったが、その指示は再度の警告音で遮られる事になった。

 

「――今度はなんだ!」

 

「っ!物体が急加速!?これは…っ、やはり機動兵器!?

しかしこんな速さ…っ、MAだってここまでは!まるで赤い彗星だ!」

 

常識の何倍かの速度の接近物体に、クルーは思わず戦史における最速の代名詞の軍人の異名を叫ぶ。

 

「間もなく有視界距離!」

 

「総員第一戦闘配置!ミノフスキー粒子散布!

4時方向に各砲座照準合わせ!」

 

急速に戦いの空気が立ち込める艦橋で、レンダ・デ・パロマは火がついたように駆け出していた。

最新鋭戦艦アドラステアの強力無比な機銃網とメガ粒子の砲塔が即座に起動し、迫りくる敵を迎え撃たんとした。

だがその時。

 

「っ!11時より熱源!」

 

クルーの報告がドゥカーの思考回路に軽度の一撃を見舞った。

 

「なんだと!?逆方向から!?

回り込まれた…!いや、待ち伏せだとでもいうか!」

 

言うやいなやメガ粒子の光が、高速で接近する機影とは逆方面から迫る。

無数のビームが横合いから殴りつける豪雨のように艦隊を襲った。

艦隊規模のメガ粒子の弾幕が、突然に暗黒の空間から湧き出たようにも思える。

 

「艦隊が我らの進路に待ち伏せていたのか!?

ありえん!サイド2への航路だぞ!!」

 

自ら(アドラステア)がバラ撒いた戦闘濃度のミノフスキー粒子の傘。

その傘の下を潜って、人知れずに回り込んでいたのはゲンガオゾのバックエンジンユニット。

そいつの放つ圧倒的なヴェスバーの嵐は、その宙域に小規模な艦隊が潜んでいると錯覚させるには充分な脅威だ。

 

「ぐぅぅ!?」

 

「うわああ!!」

 

ラステオの船体が振動を襲いドゥカー達を揺する。

無数のビームがラステオに直撃したのだ。

しかしラステオは揺れはしたものの無傷であり、それはアドラステア級がIフィールドを搭載した鉄壁艦であるからで驚異的タフネスであった。

すぐさまラステオは艦隊がいる(と思われる)方向へと反撃を仕掛けるが、それには全く手応えはない。

そして、そのような無駄弾を撃っている間に高速の機影が直ぐ側まで来ているのは当たり前の事だったが、それは敢えてドゥカーの思考から放棄された存在だった。

アドラステア級の鉄壁を支えるのはIフィールドだけではない。

通常の軍艦の何倍もの数の優れた防空機銃が、接近する機影を近寄らせないと踏んでいたからだった。

だが、それは甘い認識だったとドゥカーは身を持って知る事になる。

 

「っ!敵MSが、だ、弾幕を突破っ!?」

 

「なに!?」

 

まさかの事態だ。

シミュレーションでも実戦式のテストでも、アドラステア級の弾幕を無事に踏破したものはいない。

無敵と謳われる練度を誇るザンスカールの最精鋭、ズガン艦隊のトップガン達ですら太鼓判を押す精度と密度、威力を誇る対空防衛網なのだ。

だが次の瞬間、船体がまた大きく揺れた直後…ベスパ達が良く知る猫目だかキツネ目だかの機体が、機銃の嵐を縫って艦橋の前に現れていた。

 

「あ、あぁぁ…!ラステオの対空網が破られた!!」

 

「Iフィールドの内側に入り込まれた!!」

 

「う、嘘だろ…!ありゃ、ゲ、ゲンガオゾだ!!」

 

誰かの悲壮な声が、戦闘中の喧騒の中で妙にスッキリと艦橋に響く。

そいつは先の戦闘でロストした筈の友軍機。

ゲンガオゾはバイク戦艦の艦橋を、手を伸ばせば届きそうな距離で睨んでいた。

ベスパのクルー達が尻餅をつきそうな程に驚愕し、その顔を恐怖に染めていく。

 

「友軍機がなんでこちらに銃を向け――…っい、いや、ゲンガオゾは墜ちたはずじゃ…!」

 

「バカな、ルペ・シノ大尉か…!?

生きていて…裏切った!?」

 

「そんなバカな!コクピットを撃ち抜かれたのはしっかり記録にあるんだよ!」

 

「ゲンガオゾの性能じゃ、あ、あんなスピードが出る筈もない!」

 

「…ぼ、亡霊!」

 

「化けてでやがった!ひ、ひぃぃ!」

 

口々に恐れが漏れでて止まらない。

軍人というのは存外迷信深い者も多いから、失われた筈のゲンガオゾが真っ赤な三つ目でギロリと睨んでくる様は中々に彼らには堪えるらしい。

だが、

 

「狼狽えるな!

センサー手、熱源は捉えているのだろう!?

相手は亡霊ではない!リガ・ミリティアは敵機を利用するゲリラだと忘れるな!」

 

艦長のドゥカー・イクだけは冷静さを失っていない。

部下達を叱咤し、現実を直視させる。

だが、同時にその冷静さは、いっそ幽霊でも見た方がマシだと思える事実もドゥカー・イクに告げていた。

 

(だが、常識外れの速度で近づいたのは確かだ…!

リガ・ミリティアめ、ゲンガオゾにどんなトリックを仕掛けた!)

 

「対空砲火!ゲンガオゾに集中!

リシテアと合わせて火線を集中!十字砲火に敵を追い込むのだ!

モトラッド艦隊は腹が弱いと気取られぬ内に腹を合わせろ!

MS(レンダ)隊の発進はまだなのか!!」

 

ドゥカー・イクの指示がまるで聞こえたかのようにゲンガオゾは笑った。

複合マルチセンサーの保護カバーの下部だけをスライドさせたそのタイミングが、まるでゲンガオゾを凶悪に笑わせたかのようで、艦橋クルー達は皆息を呑み、そして指揮官であるドゥカー・イクの要望にはとても応えられない旨を伝えざるを得なかった。

 

「格納庫ハッチが潰されています!

MS隊、発艦できません!!」

 

艦の形状からある程度は察せられるとはいえ、ゲンガオゾは速攻によって既にラステオの腹をへしゃげさせていたらしい。

先程の大きな揺れは、その破壊作業故だったのだ。

 

「リシテアと連携がとれません!リシテアも同じ様に超高速のMSに襲われて…!」

 

クルーの誰かがそう言った次の瞬間にはゲンガオゾは眼前から姿を消した。

スラスター光と、そして背から溢れさす不安定なメガ粒子光の残像を残して消えたのだ。

 

「光を残して、消えた…!?」

 

艦橋をいつでも潰せたろうに、だがゲンガオゾはそれをせずに笑って消えた。

そこにきて、冷静なこの艦長もとうとう背筋が凍る。

 

「艦橋を潰さんとは…!!い、いつでも我々など捻り潰せるとでも言いたいか!」

 

ドゥカー・イクのその予想は的中する。

時が進むにつれ、ラステオの艦橋を被害状況報告という名の阿鼻叫喚がうるさく響く。

 

「対空砲、3番、5番、6番、9番、沈黙!

っ!続けて20番、22番、…っ、うっ、あぁぁ!30%が沈黙っ!」

 

「ミサイルランチャー全基使用不能です!」

 

「メインスラスター被弾っ!」

 

横に揺れ、縦に揺れ、報告も舌を噛みそうな中、クルー達は良くやっていた。

 

「…っ」

 

耐ショック姿勢でも激しく体が揺れる中、ドゥカー・イクは大型モニターから友軍の様子を見れば、他の友軍艦もなかなかの有様だ。

ズタボロの歴戦の勇士といった体で、バイク戦艦達はハリネズミの如くの対空砲火を尚も乱射しているが、部下の報告の通り連携は既にズタズタに引き裂かれていた。

 

「砲撃手は何をやっているか!」

 

「速すぎて捉えられません!」

 

ラステオの35基という対空ビーム砲の数は、過去の名艦達と比べても質を含めて抜きん出ている。

だがハリネズミとも形容されるその圧倒的対空砲火は、更に恐ろしき怪物となって還ってきたゲンガオゾに届いておらず、その数を着実に減らしていた。

 

「艦長!ラステオの脚が遅くなっています!陣形の維持が困難です!」

 

その報告はドゥカー・イクをさらなる驚きと恐怖に陥れ、そして冷静さを削いでいった。

 

「ラステオがやられるというのか!?

このバイク乗り魂が形になった艦が墜ちるわけが!」

 

「敵は、どうやらゲンガオゾだけじゃありませんっ!

こ、これは――」

 

「報告は明瞭にせんか!」

 

「敵は全く静止しないんです!とてもこの速さじゃ確認なんてとれませんよ!」

 

敵の全機…即ちヤザン隊の面々は、隊長の教えを守って常に機動し続けているのだ。

それこそが機動兵器の真骨頂であり、そしてミノフスキー・ドライブの恐ろしさであった。

だが、当たり前だがこちらが速く動けば敵を見るこちらの視界も速く流れていく。

半端者が超高速で動き回っても、それは己の視界も定まらずに自分の速さに翻弄されるばかりとなるが、この常軌を逸した機動戦を展開するのがヤザン、ウッソ、カテジナだというのなら話は別だ。

 

「ちぃぃ!」

 

あらゆるセンサー系が四方八方から熱源の接近と離脱を告げて、接近を告げる電子音はもはやただ喧しいだけだった。

そしてレーダー系は敵味方双方が散布したミノフスキー粒子によって当然のように使えない。

光学センサーでは、リガ・ミリティア機と思しき敵機は目測する事すら出来ていない。

時折、艦橋のミラーから視える敵の残像は、絶えず動き回っていて、こんなものはエスパーでなければとても銃座で捕捉は出来ない。

正確な機数は不明だが、少なくとも大部隊ではあるまい。

だが、襲ってくるその全てが、この途方も無いスピードの持ち主であるのは明白だった。

 

「あぁ!ラ、ラステオの脚が…止まる!」

 

クルーの悲痛な叫び。

無双の火力と防御力を誇るアドラステア級が、いともあっさりと機動力を奪われていった。

ドゥカー・イクの渾身のプレゼンテーションは女王マリア直々の謁見さえ許可され、そして宰相カガチにも認められた超弩級戦艦アドラステア級。

それはドゥカーの夢の第一歩とも言うべき魂の具現化であったが、それは地獄より舞い戻り、そして敵となったゲンガオゾによって阻まれつつある。

彼の鼻下に蓄えられた髭面が酷く歪んだ。

 

「お、おのれ…!やはり宇宙空間では…!

このバイク乗り魂を象るアドラステアの真価が発揮できん!!

二輪を発揮できる大地があれば…このような醜態をさらすわけもないのだ!」

 

指揮席の腕置きを強く叩いたドゥカー・イク。

それは負け惜しみのようだが、実際正しい側面もあった。

アドラステア級の火力と防御力は凄まじい。

特筆すべきは船体下部に堂々と聳える超巨大タイヤだ。

その威容通り、全てを踏み潰し蹴散らす超硬度を誇り、ヴェスバーだろうとハイメガキャノンだろうと弾く。

核爆発に耐え、タイヤだけならばコロニーレーザーにすら耐え得るとのテストデータもある代物だった。

船首の巨大ビームシールドはこの時代の艦船の標準装備であるが、先程実演してみせた通り、アドラステアはそれに加えて船体にもIフィールドを備えている。

核をも凌ぐ装甲、遠距離からのビームはIフィールドで弾き、そして近接を仕掛けようという蛮勇者には35基の対空ビームが襲ってくる。

まさに鉄壁。

しかし、嵐のような防空網を突破して我が物顔で好き勝手に切りつけてくる者がいたとすれば、話はまるで変わってくるのだ。

そして今、そういう者が目の前に現れていた。

そいつは(ベスパ)からMSを何度も奪い、そしてその度にザンスカールに痛撃を食らわせてくるケダモノだ。

 

「クククク、フッハッハハハッ!裸に剥いてやる!」

 

超高速で突っ込むようにアドラステアの砲塔に着地し、踏み潰したゲンガオゾの機内で獣が笑っていた。

艦内ブロックのどこに囚われのお姫様がいようとも、ヤザンにとっては幾らでも手の出しようはあるのだ。

追い詰めすぎて敵がシャクティに手を出すという可能性も、この際消している。

シャクティの存在が大事なのはお互い様だが、より重く認識しているのはザンスカールの方に違いないのだから。

 

「こいつで終わりだ…!」

 

ゲンガオゾが跳んだ。

呟くヤザンの脳波サンプリングに従って、ゲンガオゾのバックエンジンユニットが高速で巻き戻り、金属の摩擦音と共に背に帰ったバックエンジンユニットが、エネルギーチャージを済ませて敵艦のスラスターを狙い澄ます。

ヤザンに殺す気は無い。

だと言うのに彼の笑顔は闘争心に満ちて、凶悪の一言だ。

この一撃が決まれば敵艦隊の機動力は実質喪失される。

 

その時だった。

 

 

 

 

――ヤザンさん!

 

 

 

 

ウッソが己を呼ぶ声が聞こえた。

 

「っ!後ろからだと!?」

 

ゲンガオゾの背後から迫る悪意をウッソの声が教えてくれれば、ヤザンは反射的にゲンガオゾのオートコンバーターをはためかせた。

背面跳びのようにしなったゲンガオゾの背…バックエンジンユニットを擦るように赤い粒子が通り過ぎていく。

 

「鈴の音は…この艦隊にいなかった!?

艦隊を餌に俺達をおびき寄せたっていうのか!」

 

回避しつつ遥か遠くの虚空を睨んだヤザンだが、次の瞬間には彼の獰猛な三白眼は見開いて、赤い砲撃のその先を見届けて()()()とした。

 

 

 

 

 

 

 

紅蓮の光矢は真っ直ぐに、バイク型強襲巡洋艦リシテアを貫いたのだった。

 

(なにィ!?誤射か!?)

 

猛烈に火を吹き上げ内部から破裂していく敵艦を見て、ヤザンはそういう感想を微かに脳細胞の片隅に浮かべたが、だが違ったと直ぐに彼の理性が間違いを訂正する。

 

「っ!違う…鈴の音め、誘爆を狙いやがった!」

 

鈴の音の主…ファラ・グリフォンは、機影すら全く確認できぬ程の遠方からの超ロングレンジの狙撃によって、リシテアのエンジンをピンポイントで狙撃し核融合炉のIフィールドを崩壊させてみせた。

それはまさに神業と言う他無い超絶の技と言えた。

 

ヤザンはゲンガオゾを急速に離脱させる。

高速戦闘の真っ只中では友軍に意志を伝える手段は極めて限定的だ。

手練のヤザンですら、二人の若い部下がこの危機を察して逃げに徹してくれるのを願うしかないが、それでもオールドタイプの自分よりもニュータイプ的なウッソとカテジナならば…という期待は常にある。

 

リシテアがドス黒い赤の火球と化したかと思うと、次の瞬間にはその宙域を白い閃光が覆い尽くした。

 



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妖獣の手のひら

Vガンダム30周年にこそっと投下
ゲンガオゾのHGかRGかMGが出ますように…


白く染まる戦場から三つの彗星が飛び出すと、それらは唖然とした様子で眼下の異様な爆発を眺める。

三つの彗星とは、無論のことゲンガオゾ、V2、そしてシャッコーであるが、その内の1機、カテジナの駆るシャッコーだけがワンテンポ遅れて脚を少しと、そしてオートコンバーターが焼けただれていたが、リガ・ミリティアの誇るエース部隊・ヤザン隊だからこそ、損害がこの程度で済んでいる。流石の一言だった。

 

「…っ!シャクティっ!!」

 

V2を核爆発から逃しつつも、今すぐにその爆炎に分け入りそうになるウッソが悲壮に叫ぶ。

実際にそうしたい衝動が溢れ出て、V2が突っ込む素振りをみせたが、V2の腕をゲンガオゾがしっかりと抑えていた。

 

「落ち着けウッソ!」

 

「なんで落ち着けるっていうんです!あ、あそこにシャクティがいたら!!」

 

ウッソは年不相応な才幹と落ち着きを持っている少年で、最近はヤザンもすっかりそんなウッソを一人前のパイロットとして認めていたから、年相応に取り乱すウッソは逆に新鮮味があった。

しかし、そんな年相応なものの発露は今はマズかった。

 

(そうだったな…ウッソ(子供)達には、シャクティがザンスカールの姫である事は――)

 

大人の中でも、シャクティとクロノクルに本当の血縁関係があるという事実は、オイ・ニュングが機密情報に指定した為に極一部の者しか知らない。

カミオン隊の中ではオイ・ニュングとヤザン、そして乗艦の際に健康診断をしたレオニード。

リガ・ミリティア全体では、ジャハナムの右腕であるウッソの母ミューラと、そして真のジン・ジャハナムにしてウッソの父ハンゲルグしか知らないのだ。

 

「あそこにはシャクティはいない!」

 

ヤザンは内心で舌打ちしながらも言った。当然、ウッソの返しも予想はつく。

 

「なんでそんなこと!断言できるだなんておかしいですよ!」

 

「断言できるんだよ!

奴らにとってシャクティは、万が一にも傷はつけられん存在なんだ!

この艦隊を囮に使ったという事は、敵はシャクティを別ルートから運んでいる!」

 

そこまで言ってやれば、ようやくウッソのV2が大人しくなる。

 

「傷つけられない存在…?」

 

機密事項ではある。

しかし、大人達以上に…誰よりもシャクティの側にいて、これからもそう望むであろう少年には()()()()を知る権利と義務があるだろうし、しかもザンスカールの手に渡る事が半ば決定付けられてしまった今となっては、隠し立てを続けるのも虚しい努力だった。

マリアは未婚の女王であるから、お涙頂戴のカバーストーリーが完成し次第、シャクティは姫として大々的に喧伝されるだろう。

その時、ザンスカールの公共放送から真実を知るのと、今、味方から教えられるのではショックの差異もある筈だった。

ヤザンは決断する。

 

「いいか、良く聞けよウッソ。

シャクティはザンスカールの姫だ!

女王マリアの実の娘なんだよ!

あのクロノクル・アシャーは、シャクティの叔父だ」

 

「な、なにを――」

 

ウッソは一瞬、ヤザンが何を言っているのか解らなかった。

 

「――ヤザンさん、何を言ってるんです!?」

 

「ニュータイプの貴様なら、解ってみせろ!

俺がその場凌ぎのデマカセを言っていると思うか!?」

 

「っ…!そんなのって!そんな事って!なんで…そんな事っ」

 

「黙っていた事はすまないと思っている。後で殴られてやるさ。

だから今は、昇った血を下げてみせろ!このままじゃ鈴の音のカモだぞ!」

 

殴られてやると言ったのは、子供らを利用し続けるスレた大人の代表としての責任感もある。

お肌の触れ合い通信から聞こえ続ける声の持ち主は、そういう大人の男だったから、ウッソの心にまで安心感を与える。

今まで、そんな大事なことを黙っていたのには確かに憤りを感じるが、それには理由があって、そしてヤザンは自分達の事を思ってそうしていただろうし、そうでないとしても退っ引きならない〝大人の事情〟という奴があったのだろう。

大人の事情で子供を振り回すなとは常々思うウッソだが、それが理解できてしまうのもウッソ・エヴィンだったし、何より彼はヤザンが好きだった。

少年が息を呑み込んで、そして深く長く息を吐いたのが、ゲンガオゾのコクピットにまで触れ合い通信で伝わって来る。

 

「落ち着いたのなら、さっきの狙撃の意味も解るな!?

鈴の音の奴は俺達が視えている!すぐに離脱するぞ…!カテジナ機の足がやられている。

このままじゃ、俺達は良い的って奴だが、今ならまだ少ないダメージでやり直せるんだ!」

 

「…っ!解っているつもりです!」

 

戦場でのそういうやり取りは隙であって、そしてそんなものをいつまでも見逃すファラではない。

赤い光が火花のように瞬いて散った次の瞬間、またも強烈な狙撃がヤザン隊を襲う。

 

「っ!チィ!?」

 

隊の中心を切り裂くように紅い砲撃が這っていき、咄嗟に散る三人。

パイロットがスペシャル…或いはそれに近しいエース級であり、そしてそのパイロットの反射反応を、すぐさま動きに反映できるドライブ搭載MSという組み合わせだから出来た事だ。

たとえ機動力に特段進化した今世代MSでも、虚空の闇から突然降って湧く超々ロングレンジからの狙撃など、普通は躱せるものではない。

だが、避けたはずの赤いビームは、吸い込まれるようにベスパの艦を貫いた。

多くのメインノズルをヤザン隊にやられていながらも、残ったサブスラスターを酷使して必死に逃げようとしてそのリシテア級は、しかも、またメインジェネレーターが狙われていて、撃ち抜かれた拍子に巨大な核弾頭となってこの世から消滅してしまった。

 

「また!?な、なんなのよ…これは!」

 

カテジナが思わずヒステリックに叫んだのは、頭の奥底に、まるで〝命が砕けるような音〟が甲高く響いたからでもあったが、それ以上に敵の砲撃が腹立たしいと感じたからなのは、さすがに負けん気の強いご令嬢だった。

理不尽とも思えるぐらいのピンポイントアタック。

めきめきと頭角を現し、いっそ不気味で薄気味悪いとすら思った真のスペシャル・ウッソ少年ですら、こうも上手くできまいとカテジナは思う。

それぐらいの理不尽な攻撃だったが、その理不尽さに叫んだのはなにもカテジナだけではない。

戦闘能力の大半を喪失したラステオの艦橋で、ドゥカー・イクとレンダの二人も悲愴と怒りを綯い交ぜにした顔で恨み節を吐き出していた。

 

「これはどういう事か!なぜ…なぜだ!」

 

「少佐、これは…明らかに友軍を狙っています!」

 

「ファラのザンネックは…私達の艦隊ごとガンダムを葬ろうというのか!!?」

 

「ゲトル・デプレか、それともファラの策かは分かりませんが、味方を見殺しにする程度ならばまだしも、私達を爆雷代わりに積極的に撃つ!こんな背信行為!!」

 

試作サイコミュMSのリグ・リングによって、ファラの思念を受信、増幅させて、敵のスペシャルの認識能力を誤認させるという、ファラの策。

ウッソの高いニュータイプ能力が仇となったが、そもそもこんな芸当が出来るのも、ファラ・グリフォンというやはり規格外のスペシャルがいたからで、そしてそれを活かせるマシーンもザンスカールには存在したから、ウッソ程のスペシャルを騙し果せた。

 

「こんな所で、味方に殺されては私達の夢は…バイク乗りの楽園の夢はどうなる!」

 

死んでたまるか、という強い思いを顔面いっぱいに滲ませてドゥカーは叫ぶ。

バイク狂いの狂人という側面もあるが、ドゥカー・イクは優秀なパイロットであり指揮官で、そして女王の御前でアドラステア級のプレゼンさえさせて貰える程に忠義と信仰心を持つベスパの軍人でもあった。

そんなドゥカーをして、(このままリガ・ミリティアに投降でもしてやろうか)という思いさえ、一瞬ではあるが去来する。

しかし、今更リガ・ミリティアに投降したとて、この恐ろしい狙撃から助かる道もない。

 

「…!このままでは…死んでも死にきれん!」

 

指揮席の腕置きを力いっぱいに叩くドゥカーを、レンダも、そして部下達も同じ思いで口惜しそうに見る。

 

「生きて帰れたら…必ずやこの事は女王陛下にご報告させてもらうぞ、ゲトル!!」

 

未だに女王とザンスカールへの忠誠心はある。だが、決定的にガチ党への信頼は揺らいだ。というのも、ゲトル・デプレが失脚したタシロからカガチ派閥へと乗り換えたのは、ベスパの者ならば誰もがもはや暗黙の了解で知っていた。

だがこのままでは恐らく、ここが自分達の墓場となる。

それを悟っていたドゥカーだが、リガ・ミリティアの3機の怪物が急速に場を離れていくのを見て、「命を拾った…」と安堵の息を吐く。

しかし、ドゥカー・イクの表情は尚も暗い。

 

(いくらなんでも…まさか味方がこうまで腐っていたとは)

 

味方の背を平気で撃つような者達と、これから先も轡を並べて共に同じ道を征く事など出来ない。

ドゥカーもレンダも、この時に心に秘めたモノを抱く事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウッソ、シャッコーを右から支えろ!

両側から俺達で押さえれば、今のシャッコーのドライブでも速度は出る!

戦域を全速力で離脱する…!撤退だ!」

 

「くっ…、はい!」

 

心が苦しかろうとウッソ・エヴィンは、戦場において正答を導き出せる男で、隊長の要望に完全に応えてみせる。だからこそヤザンは、ウッソを、戦場に於ける同等の戦士として既に見ていた。

3機が組み合って、同時にミノフスキー・ドライブを噴かす。

V2、シャッコー、そしてゲンガオゾのバインダーから漏れ出す光の粒子が溶け合って、3機はまるで一つの彗星のように光の尾を引いて宇宙を飛んでいく。

 

(シャクティ…!ごめん、ごめんね、シャクティ!待っていて…絶対に迎えに行くから!)

 

ウッソの明敏な思考は、あの鈴の音の大敵が、自分のニュータイプ能力すら利用してここに誘い出したのだと理解していた。

確かに進路予想をしたのはオイ・ニュングとヤザンだが、自分のニュータイプ的な勘も、こちら方面で良いと告げていた。論理的にもニュータイプ的にも、今回は鈴の音に上を行かれたというのがウッソには分かる。

血が滲みそうな程に唇を噛み、操縦桿を握る手すら震える。

ウッソは悔しかった。

初めて自分が無力に思えたし、大切だとは思っていたシャクティが、自分の予想よりももっとずっと大切な存在だとも理解させられる。彼女がいなくなり、即座の救助が無理と分かった今、ウッソは身も心も裂けそうだった。

そんなパイロットの煤ける思いを反映させるようなV2の去り様を、遥か彼方の宇宙の海で、一人揺蕩うザンネックが心眼で見送っていた。

 

「うふふふふ…やはり速い。いい判断だよ、坊や。そしてヤザン…!

姫様はそこにはイやしないって、もう気付いてしまったんだねぇ。そうか…坊やにとって姫様はそんなにも大切な人かい?あははは!

もう少し私と遊んでくれてもいいのに、ヤザンも坊やも…なかなか私に夢中になってくれないのは嫉妬しちゃうじゃないか。ふふ…、まぁこんな遊びは手慰み程度…うふふ。

……さて――」

 

ペロリと、ファラ・グリフォンは蠱惑的な唇を舐める。

 

(ゲトルの奴は乗せやすくていい。これで、戦場に咲く徒花はもっと多く、もっと綺麗に咲き誇ってくれる。これでいい…もっと、もっとだよ…。メッチェ…お前の所に、もっと送ってあげるからね)

 

味方の中にすら不和をばら撒いて、そしてもっと多くの者に踊ってもらいたい。

それが今のファラ・グリフォンの願い。

そしてその中の、その中心にヤザン・ゲーブルと坊や(ウッソ)がいてくれれば、きっとメッチェがいない今生でも自分は楽しめるはずだ。

 

「独りは寂しいものね」

 

ファラ・グリフォンは、独り、鈴の音を響かせてザンネックの胎内で笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

優秀なリガ・ミリティアの諜報部からの情報と、戦場で会敵したヤザンやウッソからの情報を擦り合わせていけば、恐るべき敵エースの〝鈴の音野郎〟の正体もいつかは判明する。

あの恐るべきMSに乗っていたのは、失脚し消え去ってくれたと思っていたザンスカールの処刑人、ファラ・グリフォン中佐その人だ。

ファラ・グリフォンは、リガ・ミリティアが追撃してくるであろう逃走路を予測してみせた。

そして、未完成の試作サイコミュMSの、思念波受信機能だけを使って、ニュータイプのウッソをも欺いた。

ファラ・グリフォンの、ラゲーン司令時代にも恐れられていた女傑っぷりは、何も陰ってはおらず今も尚激しく燃え上がりカミオン隊の脅威だった。

それを今回の一見でカミオン隊の面々は理解する。

ブリーフィングルームで、ヤザンとオイ・ニュングは、お世辞にも明るいとは言えない雰囲気の中で、重苦しく言葉を交わしていた。

 

「ラゲーン時代から、俺達の悩みの種だったファラが、またこうやって俺達の壁になるとはな。

しつこい女だぜ」

 

どの口が言うのだという表情で、伯爵がヤザンを呆れて見る。

 

「さんざんしつこくラゲーンのベスパの喉元に食いついていた男が言うセリフかね?」

 

ヤザンは「はンっ」と短く笑ってそれを流した。

 

「問題は、ウッソくんだ。今回の失敗で焦らなければいいのだがな」

 

「あいつは頭がいいが、無鉄砲でバカなとこもある。

見張りをつかせたって、頭がいいから出し抜きやがるだろうしな。

想定しておいた方がよさそうだ」

 

「…脱走するかな?」

 

オイ・ニュングの問いに、ヤザンがうなずいた。

 

「するだろうな」

 

「まいったな…マケドニアとフロンティアの連合艦隊が、ズガン艦隊に負けたってその日に。

悲報凶報ってのは続くものなのだな」

 

オイ・ニュングとヤザンが暗い顔をしているのは、これも大きい。

無敵のズガン艦隊と謳われる、ザンスカール帝国の主力艦隊は伊達ではなかったという事だった。

フロンティアサイドから駆けつけた義勇軍と、マケドニアコロニーを中心としたサイド2の反ザンスカール軍は、ズガン艦隊との決戦に大敗を喫したとの情報も、リガ・ミリティアのスパイ達からもたらされていた。

これでリガ・ミリティアは世間的には三連敗となって、世間人気は急速に冷めていくだろう事は簡単に予想できた。

第一にカイラスギリー爆散。

第二にセント・ジョセフの戦い。

第三に、このフロンティア連合艦隊の敗北。

一と三については、リガ・ミリティアの主力は関わっていないから、リガ・ミリティアの負けだと囃し立てられれば「そうではない」と皆言いたいだろうが、そういう風説の流布の情報戦はリガ・ミリティアだって散々仕掛けた事だ。

ザンスカールに言わせれば、ズガン艦隊こそが戦力の要たる主力で、それ以外の敗戦は大した事など無いぞと言いたいに違いないのだ。

 

「相手はズガン艦隊だ。ま、仕方ないさ。

しかし、撤退する連合艦隊は少しでも生かして、俺達の方に合流させにゃならんぞ。

フロンティアはともかく、マケドニアは元々が反ザンスカールというだけで、リガ・ミリティアにも良い顔をせん連中だからな。

あんな奴らでも抵抗運動(レジスタンス)には欠かせんし、今回の敗戦で本格的にうちらの傘下にねじ込めるかもしれん」

 

「わかっているよ隊長。だから悩みもする」

 

「後は、大きな勝利をここらで一回…ってとこだな。スポンサーはお冠だろう?」

 

「…ああ」

 

綺麗にまとまった灰色の頭を、伯爵は気怠げに掻き揃える。

 

「危険だが、やはり動くしかないか。

…隊長の傷も癒えていないというのに申し訳ないが、やってくれるかね?」

 

皆、忘れがちだが、こう見えてヤザンは背に重度の火傷を負っていて、片足は折れている。

本来ならMSの操縦などしていい容態ではないが、ヤザンの強い生命力はそんな事実を笑って吹き飛ばす力強さを持っていた。

 

「人手不足なんだ。泣き言なんざ言ってられん。

…オデロとトマーシュはどれぐらい仕上がっている?」

 

しれっと少年パイロット候補二人の様子を尋ねるヤザン。

少し前、ヤザンはオデロとトマーシュに「鍛えてやる時間は無いが自主練をしろ」と、端的に言えばそのような事を仄めかしたが、オデロとトマーシュは夜な夜なシミュレーター室に潜り込んで勤しんでいたのは、大人達の知る所だった。

正直に言えば、リガ・ミリティアは少年兵だろうと何だろうと、使えそうなものは何でも使いたいゲリラ組織なのだから、少年二人にはさっさと強くなって貰いたかった。

 

「オリファーが空いた時間に見てくれていたのは、隊長も知っているんじゃないのか?

お陰でなかなか良い仕上がり具合だよ。

…今も、片腕になったばかりだというのに、君にばかり働かせるのは悪いと…シミュレーター室で二人の教導をしている」

 

宇宙世紀の現代なのだ。よく効く痛み止めも豊富だし、質の良し悪しはともかくとしてナノマシンだとか義手だとかも事欠かない。

それでも重傷で動き回るのは推奨されないというのは、実に当たり前のことだったが。

 

「そうか…オリファーがな。…奴も苦労性だ。怪我をした時ぐらいゆっくり休めばいいものを」

 

「無理だろう。なにせ生粋の〝ヤザン隊副隊長〟だからな」

 

伯爵に言われて、ヤザンはにやりと笑った。

ラムサスとダンケルに叩き込んでやった魂を、どうやらオリファーはしっかりと継承していた。

 

「なら、最後の仕上げに俺が見てやるか」

 

「そんな時間があるのかね?」

 

「無いなら作るさ。

ザンスカールの首都に空襲をかけようってんだぜ?戦力は一つでも多く整えんとな。

それにカテジナの時も、結局は見てやることになったんだ。

こうまでやる気を見せたなら、奴らも見てやらければ不公平というもんだろう」

 

ジン・ジャハナムの暗号指令を元に、オイ・ニュングとヤザンがスパイスを加えた次なる一手。それは、逃げ散る連合艦隊残党を、ズガン艦隊が追撃することで生じるザンスカール本国の隙をついた上での強襲だ。

ザンスカールは、サイド2を完全に盤石な支配圏にしたいから、多少本国が手薄になっても、この機を逃したくはないはずだった。

そういうズガン艦隊の心理をついているから、一見無茶な首都空襲は成功の確率は低くはない。無論、高くもないが。

それでも、これをやることで敗戦の世間体を取り繕えるし、マケドニアコロニーに大恩を売れるのは間違いない。そういうジン・ジャハナムの思惑が透けて見える。

 

それにしても、とヤザンは溜息をつきながら愚痴るようにして伯爵へ言う。

 

「俺も随分、少年兵とか女兵士に慣れたもんだ。

気づけば戦場は女子供だらけで、今じゃ俺がせっせと女子供を戦場に送っているなんてな。

……ハッ!慣れってのは怖いぜ。俺達はろくな死に方ができんよなぁ伯爵」

 

「あぁ全くだな」

 

この二人が共に行動を共にするようになってから、幾度となく交わされた同じ話題だ。

人とは慣れる生き物だから、互いに自分が汚い大人だという事を忘れない為の、確認の儀式という意味合いもあるのかもしれない。

深く長く息を吐いた後、オイ・ニュングは端末を弄って様々なデータを見比べつつ、ヤザンに最後の確認をする。

 

「――では、この手筈で行く…という事でいいのだな、隊長」

 

ヤザンの首が縦に振られたが、どこか嫌々といった雰囲気があるのが珍しい。

きっとこの悪辣な知恵者の伯爵は、自分の経歴をしった上でこの作戦を立てたのだろう。それはきっと、経験値故にそれが出来ると踏んでの事だろうが、ヤザンは「嫌がらせをして、遠くから眺めて楽しむ気か」と言ってやりたい所だ。

愚痴るような口調で、伯爵へと返す。

 

「作戦立案の最終決定権はあんたにある。それに、ウッソへの責任を果たすためにはな…仕方ないさ。やれやれ…、アメリア侵入の為とはいえ、俺がガキと一緒に()()()()()なんぞに化ける羽目になるとはな」

 

一家言あるリーゼントヘアを雑に撫で上げて溜息を吐き出す。

因果というものを感じずにはいられないヤザンだった。

 



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害獣侵入

これ以上はワガママを言っていられない。

ウッソはそう思っていた。

それは一種の強迫観念で、半身(シャクティ)を失っているウッソの心は追い詰められて、正常な思考が霞んでいる。

冷静になって考えられれば、シャクティはザンスカールの姫なのだし、リガ・ミリティアにしても身柄の奪還は重要事項だから、カミオン隊は動いてくれるはずだ。

しかし、シャクティを助けたいという強すぎる一途さが、ウッソの〝考えるより早く体が動く〟という性分に火をつけた。

 

(ヤザンさんも、オリファーさんだって…シュラク隊のお姉さん達も、みんなみんな大怪我をしている。なのに、ヤザンさんは、大火傷を負ってるのに僕の無茶なお願いを聞いてくれて…)

 

怪我を押して出撃してくれて、無い時間を捻出してくれて、カテジナ・ルースさえ巻き込んで強行したシャクティ救出作戦は、見事に敵に見抜かれていた。

 

(それでも、僕がもっと…シャクティみたいに、もっと強く感じ取れれば見抜けたはずなんだ!僕が中途半端なニュータイプだから、だから、あんな撒き餌に引っかかっちゃって!)

 

少年がの歯がぎしりと鳴る。

これ以上ヤザンに負担を掛けず、シャクティを見事に救出してみせる。

だからごめんなさい。そう心で仲間達に謝罪をし、ウッソは整備班の人気が少なくなる頃合いを見計らってコアファイターまで隠密かつ迅速に突き進む。

途中、小脇に抱えるハロを遊泳させて「ハロハロ!コッチ コッチ コーイ!」などと騒がせつつ囮とし、ウッソは目当てのコアファイターまでたどり着く。

そしてキャノピーを開き飛び乗ろうとして、

 

「あっ!?」

 

キャノピーの内側でどっしり座る人物を見て固まる。

 

「ヤ、ヤザンさん」

 

「よぉウッソ。月夜の散歩か?」

 

厳しい顔が、とても凶悪に釣り上がり笑うと、ウッソ少年の頬を冷や汗が伝った。

 

「そ、その…あ、あは、あははは、そ、そうですね。ちょっと…散歩に」

 

「ほォ?リガ・ミリティアの最高軍事機密…ミノフスキードライブ搭載のV2コアファイターで、ザンスカールの首都まで一人で散歩に行くわけじゃないよな?」

 

「ぅ!?」

 

ズバリと図星をさされ、ウッソの頬を伝う冷や汗が増えていく。

この人の野獣的感性と人生経験値を、分かっていたつもりでまだまだ甘く見ていたとウッソは観念する。

少年の幼い諦念顔を、獣が如くの凶相の瞳がジロリと睨んだ。

 

「脱走に、機密の持ち出し……軍隊なら銃殺もんだ。この民間組織のリガ・ミリティアでも、最低でもここで貴様を一発()()といく所だがな…。

こっちはこっちで、救出作戦で必ず助けてやると大言吐いて、まんまとファラ・グリフォンにしてやられた落ち度がある。

後は、そうだな…。シャクティが女王マリアの娘という事を、ひた隠しにしていた事もだ。

貴様に殴られてやると言った手前……互いにチャラだ」

 

「ヤザンさん…」

 

「お前にとって、シャクティがどれ程大切なのかは、これまでの事で少しは理解しているつもりだ。

…だがそれは、貴様とはベクトルが違うが、俺達リガ・ミリティアの大人にとっても同じでな。

だから、一人で焦るな。俺達も、すぐに次の矢を考えているんだ。

お前一人で駆け回るより、俺達と走る方が速い。たとえお前がスペシャルなニュータイプでも…一人じゃどうにもならん事もある」

 

ニュータイプが持つ可能性と、所詮一生物に過ぎないニュータイプの限界。そのどちらもヤザンは見てきたから、ウッソを一人で放り出したりはしない。

ウッソの目が伏し目がちに泳いだ。

 

「だからな…ウッソ。すぐに次の手に移るぞ」

 

「え?」

 

すぐにオデロ達を呼べ、とヤザンの顔が悪どく微笑し、ウッソはそんな野獣の顔を驚いたように見つめたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にこんな方法で大丈夫なんですかぁ?」

 

「喚くなよ!どっちみち無茶は承知だ。俺達はゲリラ屋なんだぜ…。利用できるもんは何でも使わなきゃなァ?特に、ガキを使えば大人は油断するもんだ」

 

ぶつくさと言うオデロに、後部座席にふんぞり返るヤザンが粗野に言い返す。

 

「ガキを戦争に使うのは、クソ喰らえだってポリシーどうしたンですか…」

 

「そうも言ってられん状況になったって事だ。さっき説明しただろうが」

 

「シャクティがお姫様だってんでしょ?そりゃザンスカールの奴らのトコにいるのがヤバいってのは、俺でも分かりますよ!でも隊長だってまだ怪我治ってないし、それにスージィ達までサイド2に連れてくって―――」

 

「お前達は覚悟の決まったガキどもだ。もうただのガキ扱いはせん」

 

ヤザンにそう言われ、子供達は複雑な顔を見せた。

子供ながら戦争慣れしているから、戦争の道具として使う…と非情で冷酷な宣言をされたとも見えるが、ヤザンという男の性分を幾らか理解している子供達だから、これがヤザン流の称賛というエッセンスが強いのは分かった。

年齢関係無しに、『自分の人格が認められた』と思えた。

それに、確かにここにいる子供の誰もが、爆発音や銃声如きで身が竦んで動けなくなるような事はないし、皆が銃座の操作だの、弾込めだの、そういう事を手伝えてしまう。

スージィとて、いつの間にかトラウマだった、ベスパのビームローターの音を克服して、戦場でも友や味方の為に動き回れていた。

戦争は最低の人殺しで、その手伝いは人殺しの手伝いだが、そんな事は分かっていても、これは生存競争なのだ。綺麗事で生きていければ、きっとそれは幸せなのだろうが、ヤザンが言った通り「今はそれどころではない」のだ。

ヤザン自身、まだ火傷やらの傷が癒えておらず、本来なら入院すべきところを、レオニードや伯爵が呆れる程の生命力で今もこうして現場を仕切っている。常に鉄火場であるのが、リガ・ミリティアという組織であり、宇宙戦国時代で生きるという事なのだ。

 

「…ガキでも、強さと覚悟があるなら、戦場で俺の前に立ち塞がれば敵だし…味方になるなら戦友だ」

 

子供達には、ヤザンのその言葉が自分達に向けられたものであるよりも、まるで自分に言い聞かせているような色を感じ取る。子供というものは、皆が感受性豊かでまるでニュータイプのように人の想いを感じる時がある。

だからか、ことさら明るくスージィがその言葉に乗っかってはしゃいで見せる。

 

「わーい、おっちゃんに秘密任務のメンバーに選ばれちゃった!ねぇ~カルルー、フランダース、戦友だってさ!私達も立派にお仕事できてるねぇ!」

 

「ちょっと、スージィ静かにしないと…またヤザン隊長に怒られるよ!?あっ、マルチナさん、こっちの席の方が眺めいいですよ?」

 

「ありがとう、ウォレンくん。姉さんもこっちの席にする?」

 

「えぇと、う、うん、ありがとマルチナ。…でも、ちょっと…さすがにリラックスし過ぎじゃないかしら?いいのかな…」

 

操縦席のオデロの隣には、副操縦士としてトマーシュも座していて、ヤザンの隣にはウッソが所在なさげに座っていた。さらに後ろの席には、クランスキー姉妹とスージィ、赤ん坊のカルル、おまけに犬のフランダースという、リガ・ミリティアの子供達が総出であった。

ヤザンとオリファーの試験をある程度くぐり抜けてきたオデロとトマーシュはともかくとして、ヤザンがこういう人選をして秘密任務に旅立っているのは驚きだった。ウッソでさえ予想しなかった。

 

「アイネイアースに、鹵獲したゾロアット…後はボロボロのガンイージ。

戦力らしい戦力はゾロアット一機で、僕が言うのもなんだけど子供だけでザンスカールの首都に行くなんて…無茶じゃないかな」

 

トマーシュも、今にも握っている操縦桿の手が震えそうになる。それぐらいには不安だった。

アイネイアースとは、太陽電池衛生ハイランドのマサリク一家達が、自力帰還の為に衛生の資材を使って自作したハンドメイド艇だ。

だから当然MS運搬能力は無い。

そのアイネイアースに、無理やりMS2機をワイヤーで括り付けて、ヤザン御一行はアメリアまでの旅程をこなす。確かに無茶だった。

 

「ジャンク屋一家…。一家か……うん、なんか悪くないよな、こういうの」

 

杜撰な作戦のようにも思えて心配はある。あるが、それを思いすぎても仕方がないし、これ以上の代案を即座に出せと言われて出てこないのだから、取りあえずはこれがベターなのだ。

それに、この疑似家庭とでもいうべき雰囲気は、ウッソは嫌いではない。ここに大切なシャクティがいれば、それはもっと良いものだろうとウッソは思う。

小さなウッソの呟きは、騒がしいオデロやスージィ達の喧騒に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリアに近づくにつれ、警備は厳しくなる。

前線では正規兵が踏ん張っているザンスカールだが、首都の警備ともなると学徒兵の割合も増えてきて、その内情の厳しさを伺わせた。

彼ら学徒兵に与えられていたMS〝シャイターン〟は、未熟な少年兵達でも充分な火力を発揮できる砲撃機で、全身に備えたメガ粒子砲からハリネズミのような弾幕を展開できた。

だが、隕石への偽装だとか、そういう対策もしないで、正規の航路をよたよた飛ぶオンボロ宇宙船を見て、シャイターンにのる学徒兵達がのんびりとした空気さえまとって検問によってきたのだから、シャイターンの真価など発揮できるわけもない。

 

「ふーん、ジャンク屋か。このご時世に、随分大変だな」

 

「あぁそうなんだよ。見て分かると思うが…この子達を食わさにゃならなくてなぁ。親戚の子もいるんだが、生き残った大人はオレだけでよ!ったく戦争ってのはジャンク拾いには都合がいいけどよォ。羽振りいいのはデカい業者だけで、俺みてぇな零細は本当に商売上がったりだぜ。あんたらザンスカールだろ?早いとこ、連邦なんちゅー既得権益貪ってる豚は潰してくれよ!ジャンク拾うには困らんが、戦争戦争で、この子らの親も死んじまって……せっかく捕まえた若い女房もよォ…イングリッドってんだが、こんないっぱいの血の繋がってない子供達の親はやってられんって逃げちまってさァ!冷てェ女だぜ!…見てくれだけはいい女で、具合も最高だったんだぜェ?へへへ、写真見るかい?」

 

踏んだり蹴ったりだぜ、と目を血走らせてがなる野卑な男の迫力に、学徒兵のニコライはたじろいだが、見せてもらった写真に写るのは確かに美しい女で、もろに彼のタイプでありニタニタ顔でバジャックの猥談に耳を傾けていた。

背後から、彼らの上官たるノマイズ・ゼータがのそりとやってきて、確認していた書類を少年へ渡すと、シッシッと少年を追い払うと代わりに相槌を打つ。

 

「ゲゼ・バジャックさんね。確認はとれたよ。行って良い。サイド1のシャングリラだなんて、随分遠くからご苦労様でした」

 

戦場漁りというハイエナ行為で得たであろう自軍のMSを見ても、ノマイズは軽蔑するでもなく、時代の寒さというものを思うと寧ろ、このうだつの上がらないであろう無精髭のジャンク屋を気の毒に思う。

 

「へへ、この子ら食わすためにゃ、ちょいとぐらいの出張はわけないぜ。それに、うちのガキ共も、こう見えてなかなか仕事仕込んでるんだぜ?…このMSってよォ、あのゲリラどもの新型なんだろ?今をときめくザンスカール様なら、結構な値段で引き取ってくれるって、回収業者の間でも噂なんだよ。で、実際どうなんだ?アメリアはやっぱすげぇのかい?」

 

片足が悪いのか、片方だけを引きずるようにしているし、日頃から深酒もしているらしい。

鼻っ面に少々赤いものがこびりついた赤ら顔で、ごろつきのように笑ったバジャックに、ノマイズは肩をすくめて愛想笑いを浮かべる。

 

「いやぁ、今はどこも不景気さ。…ザンスカールの首都だって、サイド1より多少マシ程度だと思うがね。状態のいいゾロアットと、ゲリラのMSだけど…押収されちまう可能性だってあるぞ…。まぁあんたらの幸運を祈ってるよ」

 

「押収か…そいつは俺の交渉術の見せ所だな。あんがとよ。あんたらザンスカールさん達にも、グッドラック!ハイル・ザンスカール!へへへ!」

 

「ありがとう。アメリアには連絡は入れておいてやるから。…あとは酒は控えろよ。こんなたくさんの子の面倒見なきゃならんのだろう」

 

「へへへ、酒はやめられませんや」

 

ノマイズとバジャック(ヤザン)のやり取りを、子供達はポカーンと眺める。

その様が、余計に子供達を無邪気に見せていたのかもしれない。

MSの操作系が全く反応せず、また書類データや許可証の類も不審な点は見られなかった事から、検問はあっさりと終わった。

もう少し入念なチェックをすれば、MSがすぐにでも動かせるようになる状態であるとか、ジャンクショップの許可証も古いくせに期限の記載だけが妙に新しいだとか、そういう不審点にも気付けただろうが、そういう細かい部分から目を逸らさせてしまうのは、ヤザンの手管が一枚上手だったということだ。

ザンスカール兵がいなくなったアイネイアースで、スージィが「は~」と感心したように言った。

 

「おっちゃん、演技派じゃん!こんな事できる人だって思ってなかった!」

 

オデロも深く頷く。

 

「いやぁ人ってさ、才能ってやつは一つじゃねぇんだな!隊長って、戦争なきゃ死んじまう人種かと思ってたけど、意外と兵士以外もやれンじゃないの~!さっきのイングリッドって人の写真、カテジナさん?金髪に見えたけど…俺にも見せてよ!」

 

赤ら顔のメイクを乱雑にこそぎ落としながら、ヤザンはギロリと少年少女達を睨んだ。

だが、ギョロリと見ながらも怒鳴ることはない。

オデロに「ほれ」と古ぼけた写真を投げ渡して、崩した髪を整える。

 

「昔とった杵柄ってやつかもしれんな」

 

「え!?ヤザンさんってジャンク屋だったんですか?」

 

後ろの方で「ひゅー、ツインテールの可愛い子じゃん!」「これって本当にヤザンさんの昔の奥さん!?年の差婚ってやつかな!」「道理でカテジナさんに手を出すわけね」などと勝手に盛り上がるオデロ連中は放っておいて、今度はウッソが目をぱちくりしながら言った。

ヤザンの片眉が上がる。

 

「そういう時もあったって事だ。ティターンズが戦後どういう扱いだったか、知らんお前じゃなかろう」

 

ある程度のインテリならば、ティターンズだったという意味を察する事は容易い。

ウッソも、なるほど、と漏らして首を縦に振る。

苛烈な残党狩りを生き延びる為には、火星にまで逃れたティターンズ残党もいたという資料も、ウッソは読んだことがある。ジャンク屋に扮する等は、まだまだ序の口なのかもしれない。

 

「ちなみに、このジャンク屋の許可証は本物だ。名前と期限だけは修正してあるがな」

 

「へ~~!じゃあバジャック・ジャンクショップってとこもあるんですか?」

 

今度はウォレンが首を突っ込んでくる。

普段は気弱なくせに、こういう野次馬根性はオデロにも負けない。

 

「チッ、うるさいガキどもだぜ。話はここまでだ。いいから休めるうちに休んどけよ!これからも、油断はできんのだぞ!貴様らもこれぐらいの演技は出来るだろうから、この任務に連れてきてんだ!ヘマしたら船から放り出してやる」

 

クランスキー姉妹にまで渡り歩いていた写真をぶんどって、ヤザンは喧騒を終わらせる。

あわわ、と口を抑えて引っ込んでいくウォレンに続いて、次々に少年達は後ろへとすっこんでいく。子供達もまた慣れたものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も、二、三程度、トラブルとも言えない予定内の警邏との接触はあったが、そのどれをもヤザンと子供達の演技の連携で波風立つことなく潜り抜けていって、とうとうアメリアは目の前にそびえる。

 

「これが…ザンスカールの首都」

 

トマーシュが感慨深気に言った。

 

「当たり前だけど普通のコロニーだな」

 

そう言ったオデロに、後ろの方からエリシャが呆れたように「当たり前でしょ」と突っ込んでいたのは微笑ましい。

 

「気を引き締めろ。港から入るぞ」

 

わざと伸ばした無精髭面を、薄っすら赤いメイクで再度彩ったヤザンが言えば、皆の顔が引き締まって、そしてその直後に自分の役割に相応しいトボケ顔へと変わっていく。

 

「くくく…全員、良い俳優になれそうだな?」

 

ヤザンが愉快そうに笑ったが、ウッソはヤザンの目を見ながら小声で尋ねる。

 

「でも、首都の港でしょ?今までのようにはいかないんじゃないですか?審査も厳重でしょうし」

 

「心配するな。()()が来る」

 

「えんご…?」

 

次!と叫ぶ入管の声がして、信号が青に変わると、ヤザンはアイネイアースを静かに滑らして、今までの警邏達をだまくらかした見事な演技が披露される。

子供達も、既に堂に入った演技であり、しかもどこか楽しんでいる様子さえある。

その雰囲気がまた貧乏で苦労していながらも、冴えない中年オヤジを支える明るい子供達…といったファミリー像をうまく描いて、入国審査官達の顔もついつい綻ばせる程には高いクオリティを持っていた。

 

「…積み荷はMSか。一応、簡易検査は受けとるようだが……正式な審査には数日はかかるから、それまで待機してもらいますよ」

 

審査官がそう言った時、ヤザンことゲゼ・バジャックの顔が豹変する。

 

「お、おいおい、待ってくれよ!借金の期限が迫ってんだ!ここで借金取りと会う約束してんだよ…!今日にでもある程度返さないと、うちの子を質にとられちまう!引き取る業者に連絡いれて、引き取ってもらうだけなんだぜ!?なんでそんな何日もかかるんだよ!他のコロニーは半日もかからねぇのによ!」

 

「あァ?あんたの借金なんざこっちは知らないよ。物が物だし、規則なんだから待ってくれなきゃ!うるさく言うと押収しちまうぞ!」

 

入管の顔が、「…またか」というふうに呆れたような、不愉快なものへと変わる。

こういう難癖をつけてくる入国希望者など、それこそ年がら年中、何千何万と見ていてもはや飽き飽きしていた。

 

「そ、それだけは勘弁してくださいよ!た、頼んます…!なら、せめて入国許可証だけでも先にくだせぇ!そしたら、事情説明して返済待ってくれるかもしんねぇし!」

 

「ダメダメ。あんただけ特別扱いするわけにはいかないんだ。審査が通ったら、入国許可証は出してやるから、そしたら軍の直轄工場へ連絡とってやるって」

 

ウッソもオデロもスージィも参加し、援護する。

涙を流して、「あたし売られちゃうの?」とマルチナ達少女組が喚いて、そんなの嫌だ家族は一緒だと少年組が泣く。

そして、そんな子供達の肩を抱いたヤザンが、「ふがいねぇ父ちゃんでスマン!」とか言いながら涙して、かと思ったらヤザンとオデロが「そんな甲斐性なしだから母ちゃんに逃げられんだろ!ダメ親父!!」と怒鳴り「言ったなバカ息子!」と言い返したヤザンが、本当に殴り合いまで始めたから、入管連中も泡を食った。

 

「ま、待て待て!落ち着きなさい!こんな場所でみっともないと思わんのか!!子供も見てるじゃないか!」

 

次から次にザンスカールの衛兵達まで駆けつけて、皆でバジャック一家の暴れん坊二人を羽交い締め、なだめる。

女性兵士は、泣きじゃくる娘達に必死に優しい声をかけていたりと忙しい。周りの入国監査待ちの、無辜の入国者達までが騒ぎ出して、やれ「さっさとしろ!」だの「可哀想じゃない!ちょっとくらい融通してやんなさいよ!」だのと大声でまくし立てる。

場が騒然としてきて、いよいよ収拾がつかなくなりそうになって、現場のお偉いさんが「面倒なことになったなぁ…」と気怠げに漏らした時、事は起こった。

 

 

 

――Beeep!Beeep!

 

 

 

「なんだ!?」

 

突如鳴り響いた警報に、皆の動きが止まる。

警報に続けて、今度は館内放送が鳴り響く。

 

『空襲警報…空襲警報…これは訓練ではありません。これは訓練ではありません。市民の皆さんは直ちにシェルターに避難を――』

 

そういう事らしかった。

 

「なんだと!?ここはザンスカールの首都だぞ!首都のアメリアが空襲を受けるのか!?」

 

「市民の皆さんは、今すぐシェルターに!伍長、今すぐ誘導を!」

 

「皆さん、慌てないで!慌てないでください!」

 

騒ぎが大きくなる中、ゲゼ・バジャックは凄まじい剣幕で入管のお偉いさんに詰め寄っていく。

 

「見ろ!あんたがチンタラしてるから!これでもう娘は売り払われちまうよ!あ、あんたの、あんたのせいだァ!これでシェルターにまで押し込められちまったら…もっと期日がおして、きっと娘全員と今生の別れになっちまってよォ…!」

 

全くそれどころじゃなかろう、と入国審査官も兵士達も思うが、とにかく凄まじい剣幕で、目はまさに殺人者のそれであり、入管の誰もが後ずさる。

空襲警報というトラブルも起きたし、さっさとこんな奴との関わり合いを断ちたい。そう思うのが人情というものだろう。

 

「あぁもう!分かったから落ち着きなさい!取りあえず入国許可証だけは出してやる!だから今はあなた達もさっさと避難しなさい!」

 

ミミズがのたくったような雑な文字だが、確かに現場責任者のサインが刻まれた許可証が、投げつけられるようにしてヤザンの胸に押し付けられる。

心の奥で、ヤザン達はほくそ笑んで、バジャック一家は奥へ促されるままにさっさと他の市民達とシェルターへ誘導されていく。

 

数度、振動と轟音が港に響いた。

 

「わぁ!」

 

「きゃああ!!」

 

「だ、大丈夫なんだろうね、君ぃ!」

 

市民が慌てる度に、兵士達が皆をなだめて、必死に誘導する。

そんな中で、小規模なジャンク屋ファミリーにいつまでも注意を払い続けるのは難しい。

人混みに飲まれて、いつの間にか群衆の中に消えていったジャンク屋達は、既に兵達の預かり知らぬものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャクティは、小綺麗な若葉色のワンピースに身を包み椅子に座っていた。

母親と会わせるからここで待つように言われ、いかめしい顔の黒服の男と結構な時間、部屋閉じ込められていたが、自分の扱いはどこまでも丁寧だ。

ここに連れてこられるまでの間、少女は様々なことを聞かされた。

自分がザンスカールの女王マリアの娘であること。

自分を姉さんと呼び慕ってくる、哀れな戦争被害者であった敵パイロットのクロノクルが、己の叔父であること。

カサレリアには、危うい勢力拡大活動(反連邦運動)に娘を巻き込まぬ為と、恐らく備えているであろうシャクティの異能を、カガチ(恐ろしい人)に利用されぬ為という、苦渋の決断で行かせていたこと。

カサレリアの母と父は、ザンスカールが雇ったエージェントであったこと。

戦争の混乱で、エージェント達との連絡が断たれ、娘を失ってしまったこと。

すべてが衝撃的であったが、聡明で、敏い感覚も持つシャクティには、実のところ心の片隅で思い当たってしまう事が多々あった。

奥底に抱いていた違和感とズレが、聞かされた話でピタリと噛み合ってしまう感覚があって、それがまた少女の心を追い詰める。今までの思い出は虚飾だったのか、と。

思考がぐるぐると渦巻いていた時に、扉がガチャリと音を立てた。

 

「え…マ、マリアおばさん…!?あ、あなたが…お母さん…!?」

 

部屋に入ってきた妙齢の女性を見て、シャクティは呟いた。

母親と会わせてあげる、と言われたが、現れたのはカサレリアの家に飾ってある写真に写る〝マリアおばさん〟だ。赤ん坊の頃の自分を抱いて微笑む、優しそうな叔母。少なくとも、ウッソの両親からはそう聞かされていた。

 

「私の、私の本当のお母さんは、カサレリアのお母さんです…!ヤナギランを一緒に育てていた、お母さんです!クロノクルだって、私の叔父さんだなんて、そんなの嘘っ!あなたは…、あなたは…!」

 

違う違うと頭を振ってしまうシャクティは、些か平常心を失っていたせいもあって意固地だった。

それというのも、彼女の優れた感性が、パートナーの少年の気配が少しずつ近くに来ている事を感じ取っていたせいでもあるが、眼前の女性からとても暖かなモノが流れてきて、少女の心は一層逆立った。

 

(嘘よ…こんなの、全部おかしい!ウッソ…助けて!私…頭がおかしくなりそうよ…!ウッソ…ウッソが近くに来てくれている…!ウッソの側にいきたい!)

 

戦争という狂気に巻き込まれ、嘘で塗り固めてこようとする悪い大人に囲まれて、しかもここには見知った人は誰もいなくて、そしてシャクティはまだ11歳の田舎育ちの素朴な少女だった。混乱もしようというものだ。

シャクティにとって確固たる真実は、人生という時をずっとウッソと共にカサレリアで過ごしてきたという事だけ。それだけは決して揺るがない彼女のアイデンティティであった。

だから、その気配を嗅ぎ取ったのなら、それはシャクティの確実な安心が側に来ているという事で、何よりも優先すべき事だ。

 

「あぁ、シャクティ…!そうよ…私はマリア。でも、あなたの叔母ではない……。もう、近衛の者から聞いたのでしょう?許してとは、言わないわ。でも…あの時の私は、あなたを守るために、あなたを手放すしかなかった。でも今なら…今の私の立場なら、あなたを守ってあげられる。せめて、あなたぐらいは」

 

マリアが一言一言を発する度に、シャクティの心に暖かな波動が染み入るのが実感できてしまう。しかしその暖かさが、カサレリアの母との思い出を凌辱していくようだった。

 

「いや…!」

 

マリアが差し伸べた手を払って、シャクティは駆け出す。しかし、扉の前には黒服が陣取るし、そして背後からもう一度、暖かで、そして必死な呼び声が聞こえてシャクティの脚は止まる。

 

「まって…!お願い、待ってシャクティ!あなたは、その小さな身体で戦場にいたのでしょう?ずっと独りで…。網膜、声紋、DNA…データは全て見ました。でもね…あなたを一目見た時から、あなたが娘だって分かったのよ」

 

母を名乗るマリアが、シャクティを背後から抱きしめた。

その瞬間、言葉だけでも伝わってきていた温もりが、少女の小さな体の隅々にまで行き渡る。

 

「元いた所に戻りたいというのは、戦場に戻りたいという事よ。お願い…ここにいてシャクティ。あなたを守らせて。今度こそ…」

 

「…」

 

「色々な事…話したいわ。あなたの事も、クロノクルの事も。…弟は、今は病院で治療を受けています。一緒にお見舞いに行きましょう。あなたが、ずっと敵地でクロノクルを守ってくれていたんですってね」

 

振り向き、女の顔を見る。弟を思う優しい顔だった。娘を思う慈愛の顔だった。家族を思う、情け深い顔だった。

 

「………クロノクルは、無事なんですね」

 

家族と出会った。

シャクティは心で確かにそう感じていた。

ウッソの気配の元へと今すぐに飛んでいきたいが、それでも今はもう少しだけ、シャクティはこの女性の所にいたいと思えた。

親子は、数年ぶりの対話の時間を得たが、その時間もそう長くは続かなかった。

互いに言葉を紡ぎ始めて十数分後、窓の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた時、少女は椅子を蹴って脇目も振らず走り出していた。

今度はマリアも、そして警備の黒服も止める間もなかった。それぐらいに突発的で、そしてシャクティは素早かった。もはやそれは本能だった。

 



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女王と野獣

空襲は一瞬で、襲ってきたのはやはりリガ・ミリティアだったがあっという間に首都防衛隊に蹴散らされた……放送でそう喧伝している。

そういう事だから、あの空襲警報から少し経った今では警報は解除されて、一般市民達は平穏を脅かすリガ・ミリティアへの悪態をつきつつ街を闊歩していた。

そんな民衆の中に、ジャンク屋一家も混じっている。

 

「伯爵達はいいタイミングだったな」

 

殴られ跡の治療をスージィから受けつつ、ヤザンはウッソ達と笑い合う。

オデロはエリシャから頬の治療をされていたが、腫れ具合は明らかにオデロの方がでかい。

 

「いちちっ、いたッ、ちょっとエリシャもうちょい優しくやってくれって!」

 

「男でしょ!我慢しなさいよ!」

 

「隊長も、もうちょい手加減してくれていいでしょ!まったくあんな殴らなくたってさ!」

 

ニヤッとヤザンは口の端を持ち上げた。

 

「お前だって俺を殴れてスッキリしただろうが。それに、あんだけよくも好き勝手言ってくれたなァ?」

 

「え、えぇ!?あれは…え、演技に決まってるでしょ!」

 

あの騒動の中で、オデロは「じこちゅー男」とか「短気野郎」とか「悪人面」とか言いつつ、父・ゲゼとの喧嘩を()()()いたわけだが、半分以上は普段言えなかった言いたいことをぶち撒けたのではないか…という疑惑が一瞬で仲間内で持ち上がっていた。

指摘されてオデロも引きつって笑って誤魔化す。

暫し睨んでいたヤザンだが、彼もすぐに再び笑って、オデロの額を小突きながら口を開く。

 

「まぁいい演技はしてたぜ。生意気なガキを演らせりャ、お前の右に出る奴はおらんな!」

 

「でしょう!」

 

鼻っ柱を自慢気に掻きつつ、胸を張るオデロ。

そんなオデロを、どこか羨ましそうに眺めるのは他の少年達で、ウッソもその一人だった。

ウッソは、オデロ達と違って親を失ってはいないが、関係が希薄だったという点では彼らよりも愛情に飢えているし、大人からの承認欲求も内心ではある。殆どの大人が尊敬できないから、心底では実は大人を見下している面もあるのだが、尊敬し、敬愛できる大人ならばウッソは寧ろ〝甘えん坊〟な一面が出てくる時がある。

そんなウッソにとって、ヤザンは言うまでもなく、両親を除いて最も甘えたい大人だった。

ヤザンに認められ、共に戦場を駆けるヤザン隊の名誉まで貰っているのは、ウッソにとって大きな心理的アドバンテージだ。

 

「それにしても、援護ってのは空襲(あれ)の事だったんですね」

 

だから、こうやってヤザンの気をこちらに向けてくるのも、少年の可愛らしい悋気なのかもしれない。

 

「あぁ。シャッコーなら、ドライブの加速で、ちまちました強襲なら安全に出来る」

 

「シャッコー…じゃあさっきのはカテジナさんが?」

 

「そういうことだ」

 

めきめきとパイロットの才能を伸ばすカテジナは、今ではシュラク隊の面々をも超え始めているから、今回の大役に抜擢されたのもカテジナだった。

ミノフスキードライブ搭載機の超高速は、正直に言えばシュラク隊メンバーでは持て余すだろう。先の空襲の迅速さは、間違いなく並のエースを超えた光るものを予感させる。

長年、シュラク隊らの教官を務めたヤザンとしては、ぽっと出の少女に生徒が軒並み抜かされて少々悔しくもあるが、それだけカテジナの才能が突出している証拠だったし、その才能を見出したのもある意味でヤザンだ。

なかなか複雑な思いがそこにはあったが、「さて…」と切り替えて、ヤザンは皆を路地裏に招き入れてから、これからを伝えなければならなかった。

市民に紛れ込む事は成功したが、ここは敵地だ。油断などできない。

 

「伯爵の予想では、シャクティがいる場所は二通り考えられるそうだ…。宮殿もあり得るが、公的には女王は独り身で当然子供もいない。だからいきなり宮殿には招かず、まずはどこかで匿って、それから顔合わせだのをしてから…機を見て姫という事を周知していく可能性だ。…まぁ、こちらが妥当な線だな。ウッソ、お前の勘ではどうだ」

 

話を振られ、ウッソの顔が少し曇る。

というのも、このニュータイプの感覚という奴を利用されて、ファラ・グリフォンに一杯食わされたとウッソは思っているからだ。

実際には、伯爵やヤザン達の、大人達の駆け引き読み合いの末の事だったが、ウッソは自分がもっと優れたニュータイプだったら、まんまと誘い込まれる事など無かったと思ってしまう。

 

(たとえば…僕より優れているシャクティなら…きっと分かることが出来たのではなかろうか)

 

そう思うから、ヤザンにニュータイプ的な感覚を告げるのは躊躇われた。

言い淀んだウッソを見て、そんな感情を、ニュータイプとは真逆の感性でヤザンは見抜く。

 

「ビビるな。(スキル)ってのは何度も失敗して磨けばいいと、前も言わなかったか?こっちも()()()は付けているんだ。お前のスペシャルな勘に全部を頼ってるわけじゃない。気張らず言ってみろ」

 

「……は、はい。…あの、あっちの方角…あの建物の方に、シャクティの気配のような、そういうのを感じます」

 

「ほお…なるほど。宮殿ではなく、あの安アパート街の一角…つまりは後者の可能性か、やはりな。…お前がそう感じれたなら、今頃はシャクティもこっちに気づいているかもしれん。お前の言葉を借りれば、〝シャクティはウッソより、そういう感覚に優れている〟……そうだな?」

 

「はい」

 

フッ、とヤザンは薄く笑った。

 

「意外と近い。運が向いているようだなァ…!」

 

時間をそうは置かずの、二段構えの空襲がもうじきある。

度々アメリアで騒乱を起こすことで、ヤザン達の動きをアシストするという狙いだが、それを繰り返せば当然だがザンスカールも対応に本腰を入れるし、首都をカトンボに飛び回られるのは帝国の威信に関わる。怒りも凄まじい事になるだろう。

危険度が大きいからこそ、ドライブ搭載機であるシャッコーを、手足のように動かし始めているカテジナが自陣営にいるからこそ出来た強襲作戦だった。

だが、それもニ度目までが限界というのは、事前のブリーフィングで伯爵と決めた事だ。

ズガン艦隊が、マケドニア連合艦隊の追撃を取りやめて戻ってくる時間や、本国に帰還済みと思われるモドラッド艦隊の再出撃も考慮すれば、二度目の空襲がチャンスと同時にタイムリミットでもある。

 

「様子を見たい…早速行くぞ。…お前ら、適当に雑談しながら付いてこい。その方が怪しまれんからな」

 

言うと、一行はぞろぞろと、そしてだらだらと歩き出して、そしてリクエスト通りに振る舞って見せるのは流石だった。

 

「あ~~お腹すいたァ!ねぇー、お兄ちゃん~、今日の夕飯はさ、ビーフシチューにしようよ」

 

「ばっかだな、お前。オヤジがそんなもん食わせてくんねーよ。どうせ今日も固いパンだぜ。なァ、カレル」

 

「だよね~…父さんったら、稼いだって全部酒に使っちゃうんだから」

 

「だから新しい母さんにも逃げれちゃうのよ。ほんとダメ親父っ!」

 

トマーシュの弟のカレルや、マルチナまでが素晴らしい演技で、父への嫌悪感という奴を丸出しで言って見せて、ヤザンを感心させたが同時に「勘弁してくれ」とも思う。

 

(こいつら…また調子に乗りやがって)

 

リクエスト通りだが、大声の雑談を通りすがりに聞く通行人達からの、自分(ヤザン)を見る目が少々厳しい。

 

「うるせーぞ!ガキども!あんまギャンギャン喚くと、飯抜きだからなァ!」

 

「わぁ~~っ!とーちゃんが怒った!ごめんさなぃ~!」

 

しかしヤザンも悪ノリしつつ、スージィが大袈裟に喚いてエリシャの陰に隠れる。そうやって細い裏通りを練り歩き、そして子供達を睨み、怒鳴りつけつつ素早く周囲の様子を見て取った。

 

(黒服の男が二人…女が一人…。向かいの二階、窓際にも黒服)

 

この寂れた裏通りには場違いなスーツ姿の者が複数名。

ヤザンの鋭い目と視線がかち合っても、黒服の方が目線をそらすのは、子供に怒鳴り散らすようなゴロツキな中年男性との無用なトラブルを避けたいからだろう。

 

ビンゴだ。

 

そう思い、安アパートの前を通り過ぎていく、その最後。視線の端に車が映った。

やたら高そうな黒塗りの高級車両で、リムジン型のエレカ。

こんな下町の裏通りにあるのがおかしいくらいの代物で、ヤザンの思考に一つの予感が走った。

 

「アメリアの下町に…こいつは厄介なタイミングかもしれん。……女王がここに来ているかもしれんぞ……俺は裏に回ってみる。お前らはここで玄関を見張れ」

 

ヤザンが、ウッソに聞こえる程度の小声で言うと、ウッソの目が僅かに見開かれる。

もしも女王マリアが丁度面会に来ているとすれば、このタイミングでのシャクティ奪還は少々困難だろう。

 

「おい、おめーら!」

 

ヤザンが、黒服達に見せびらかすようにして子供達に怒鳴った。

 

「父ちゃんはな!ちぃっとばかし酒買ってくるからよォ!ここで待ってろ!いいかぁ!悪い大人に気ィつけて待ってろよ!ふらふらとどっか行くんじゃねぇぞ!てめぇらは大事な働き手なんだからよ!」

 

「悪い大人ってのはオヤジだろ!また酒かよ!クソ親父!俺のことなんて金稼ぐ道具程度にしか見てねぇんだろう、どうせ!オマケに、下の子の世話全部押し付けやがってさ!」

 

「ガキは黙って親の言う事聞いてろってんだ!クソ息子!」

 

オデロとのやり取りも大分スムーズで、そして迫真の喧嘩だろう。

チラリと見てきていた黒服達も、まるで溜息でもつきそうなしかめっ面で、飲んだくれのダメ親父ことヤザンを一瞬見た。

ヤザンは、演技もあるだろうが未だに骨折の治りきらない片足で不自由さを存分に発揮し、ふらふらと千鳥足で歩く。そして残された子供達は、安アパート前の玄関前の階段に座り込み、あるいは細い道で犬のフランダースやハロと堂々と戯れだすのだった。

それを黒服達は、ただ当たり前の光景として受け取っているようだったが、そのうちの一人が

 

「あ~…君達。身分確認させてくれ…市民IDの提出を頼む。…………サイド1からのジャンク屋、ね。うん…入国許可証を確認した。……居てもいいが、スマンが、そこに座り込むのはやめてくれないか。となりの階段にしてくれ………大変だな」

 

事情は全部見ていたので、そうやってやんわりと移動させた。

だが、そこで終わりだった。

それ以上は見咎める事もなく、安アパート近くで戯れる子供達を目溢した。

 

(シャクティ…君を近くに感じるよ…。でも、ここには君のお母さんがいるんだね、シャクティ…。君がここに残りたいと言うなら、僕は…)

 

安アパートを見る目に、思わず力が入る。

スージィが、ウッソの視線を遮るようにして身をねじ込んで、そしてウッソの顔を両手で包んだ。

 

「ちょっとちょっとウッソ…ダメだよ。それじゃあバレちゃうかもだよ…!もっと楽ぅーな顔して」

 

「あ、う、うん…そうだね。ごめん」

 

ウッソの頬をむにむにと摘んで、スージィがにこりと笑いかけると、ウッソもつられて笑顔になる。こういう事は、この爛漫な少女にしかできない芸当だった。

隊長から待てと言われたのだ。ならば待つのが、兵士となった己の使命だと、ウッソの歳不相応な信念が宿る瞳は強く光っていた。

 

さてこれから事態をどう動かすかと、ウッソも子供達も、ヤザンの動きに細心の注意を払おうとしたその時だった。

事態というのはこちらの都合お構いなく、どんどんと二転三転するものらしい。

玄関の扉を開け放って、目当ての少女が飛び出てきたのだ。

 

「っ!!シャ、シャクティ!!!?」

 

「…!ウッソ!ウッソ!!」

 

少女はスカートを翻して、一目散にパートナーたる少年の胸へ飛び込んだ。

驚いたのは、ウッソやオデロ達だけではない。

表を警護していた黒服達もだ。

 

「ひ、姫様!!?なぜその子供達と!!お前ら、何者だ!!」

 

そこら中から、身辺警護の黒服達が湧くように駆け寄ってきて、それだけの警備が敷かれていた事にウォレンなどは面食らっていた。

 

「う、うわわ!いっぱい出てきた!」

 

「黒いのが隙間からうじゃうじゃと!ゴキブリかってーの!!」

 

あっという間に囲まれて、そしてシャクティを皆で守るように囲む。その子供達を、さらに黒服達が囲んで、そこに二重の人の輪が出来上がる。

 

「お前達、何者だ!姫様と面識のある子供達が、こうも都合よくここで集まっているなんて不自然が過ぎるぞ!」

 

黒服の一人が銃を構えながら言うと、トマーシュが些かも怯むことなく口答えをしてみせた。

 

「さっき入国許可証を見せましたよ!そちらの人に!」

 

話を振られた黒服は、やや慌てたように仲間の黒服達を見て何度もうなずく。

 

「あ、あぁ確かに確認した。普通の入国許可証だったが」

 

「…もう一度見せなさい!いいか、おかしなマネはするなよ…!それと、そちらの少女をこちらに渡してもらおう。そうすれば悪いようにはしない。…本当にただの偶然というせんも、まぁ無いではないからな」

 

わかりましたよ、と不貞腐れながらオデロとトマーシュが互いのポケットを確認したりを繰り返し、しきりに無い無いとジェスチャーをしているのは、これは明らかな時間稼ぎだ。

 

「あれぇ~!?さっきはあったのに!ねぇあんたも見ましたよね!?入国許可証!」

 

「何をしている…!早くしなさい!本当にしょっぴくぞ!」

 

「えぇい、もういい!全員逮捕し、姫様を確保しろ!」

 

待ちかねた黒服が、とうとうウッソ達へ実力行使を試みようとした瞬間、

 

「ち…!シャクティがこうも向こう見ずに動くとはな!忘れてたぜ…意外と強情で突拍子もない奴ってことを!だが、まぁこいつをかっぱらってくる時間はあったからな!」

 

路地裏からヤザンが舞い戻った。

が、己の身一つではない。がっしゃがっしゃとけたたましい足音を響かせて、作業用ウォーカーマシン・通称〝プチモビ〟に跨ってやってきたのだ。しかも口にはチキンなど咥えて。

 

「あはははっ!父ちゃん、どこからかっぱらって来たんだァ!?」

 

ふざけて演技を続行しつつ、オデロが驚きつつ笑って、仮初めの父を歓迎する。

 

「プチモビだ!こ、こいつら、抵抗しようというのか!」

 

「やはりただの偶然ではない…!拘束しろ!!」

 

「う、うわーーー!?」

 

黒服は咄嗟に銃を抜いたが、プチモビが手に持つパイプにぶん殴られて、その銃弾は明後日の方向に飛んでいく。銃撃音だけが裏路地に響いた。

 

「く、くそ…所詮ただの作業用だ!落ち着いて対処し――どっわぁぁ~!!?」

 

「くはははは!プチモビ風情でも、使い方次第では人だって殺せるんだ!どけどけェ!」

 

鈍重な民間作業用とは思えぬ、素早くも精密な動き。

黒服をいっぺんに三人も持ち上げて、路地裏の寂れた商店にぶん投げれば、いかつい男達は薄汚れたショッピングのガラス壁に盛大に突っ込んでいく。

咥えていたチキンをとうとう食い終えながらの〝ながら運転〟で黒服達をちぎっては投げちぎっては投げの、圧倒的な強さを見せつけていた。

 

「まずいな…マクダニエルのバーガーの方がマシだったぜ」

 

グルメ評までしつつ、プチモビのミニバーニアで背後の黒服の尻を焼き払って、「あちゃちゃちゃっ!!」と狼狽える黒服を消火栓へと蹴り飛ばす。

 

「すっげー!やっぱあの人、何乗っても強ぇな~~!」

 

「プチモビって、あそこまで戦えるんだ…!」

 

「やっちゃえ、おっちゃーーん!」

 

オデロ達も思わず拍手喝采したくなる程の強さだ。

ヤザンが乗ると、ただの工事現場のプチモビ程度でもあれ程心強く思える。

黒服達も、暴れまくるプチモビに辟易し、これにはたまらんとお手上げ状態だ。

 

「な、なんだコイツ!!本当にただの作業用か!?こんな動きするプチモビは見たことがないぞ!」

 

「ただのチンピラじゃない…!まともに相手にするな!操縦者を殺せ!」

 

「子供を生かして捕まえるんだ!情報は子供に吐かせりゃいい!」

 

それを皮切りに、次々にヤザンそのもの目掛けて発砲を繰り返すが、プチモビは関節を軋ませながらも小さなバーニアで複雑なダンスを踊るかのような軌道を描いて、銃弾はパイロットにまるで当たらない。

 

「とろいんだよ!その程度の狙いじゃ―――んん!?…く、くそ!こいつは…ガス欠か!!」

 

燃料切れだ。

警告灯が忙しく点滅し、メーターはすっからかんとなっていた。

ウッソらを残してきた方で喧騒が聞こえたヤザンは、昼飯時で人気のなかった近場の工事現場に忍び込んだはいいものの、燃料メーターの確認までする余裕は無く、兎に角急いで物色を開始した。

小腹が減っていたので、現場作業員が戻ってきて食べるつもりであったのだろうチキンを掻っ払いつつ、操縦桿のロックがかけられていないプチモビを探し、急いで操縦桿近くの装甲板を引っ剥がし、配線直結でエンジンを動かして……そしてウッソ達の所へ舞い戻ったのだ。

そういうわけで、止まってしまったプチモビの操縦席に銃弾がしこたま撃ち込まれてしまったが、ヤザンはもちろん直ぐ様飛び退いて、黒服目掛けて逆に襲いかかる程度には獰猛な狂犬だった。

 

「ハハハハッ!久しぶりにこういうのも悪くないな!!」

 

本当にまだ片足が折れていてくっついておらず、背中やら腕やらにも結構な火傷がまだあって…治療中の怪我人なのか?とウッソですら疑問に思えてくる動きだ。喧嘩に慣れきっている。

良いタイミングのギブスキックで、黒服を複数人巻き込んで転倒させて、その隙を見逃さずカミオンの少年少女は、銃を使わせまいと黒服達にそれぞれが殴ったり石を投げたり蹴ったりだ。

すっかり乱闘騒ぎになってしまい、それでも子供達の大人顔負けの喧嘩殺法と、ヤザンの手練れじみたストリートファイト戦法は、プチモビ戦で疲弊した黒服を圧倒しそうではあった。

だが…。

 

「ここだ!あのガキ共だな!?全員動くな!拘束する!!」

 

「まずい!!警備隊の増援だ!!」

 

トマーシュが叫んだ。

黒服達が増援を呼んでいた、或いは銃撃音を聞きつけたか。

駆けつけた首都警備隊が、警備エレカに乗りながら小銃を構えて駆け寄ってくる。

それも一台ではない。ニ台、三台と続けてだ。

 

「動くな!撃つぞ!!」

 

警告が聞こえたが、ヤザンと子供達は構わず走り去ろうとしたが、走るマルチナの脚を、倒れていた黒服が掴めば、マルチナは「きゃあ!?」と派手に転ばされる。

 

「マルチナさん!?」

 

ウォレンが駆け寄ろうとし、

 

「構わん、撃て!!」

 

倒れた子供に銃を構える警備隊。

そこに、今更ながら、女王マリアが悠長に扉を開けて、乱闘現場の迫力に鼻白いでいるのを見たヤザンが、落ちていた黒服の銃を引っ掴むと、転がるようにしてマリアへ寄ると、そのままマリアを羽交い締めにし、まさに獣のような怒声で吠えた。

 

「全員動くな!!!」

 

瞬間、皆の手が止まる。

プチモビや、乱闘騒ぎで見せた、彼自身楽しんでいると分かるような、どこか小ざっぱりとしたコミカルな剽軽さは完全に消え失せていた。

ヤザンは、殺気放つ凶相でマリアの頭に銃を突きつけ、そして捻り抑えたマリアの腕を更に捻ってやって、女の口から苦悶の喘ぎを漏らさせる。

 

「この女の顔に見覚えがあるだろう!警備共!!」

 

場の空気が一瞬で変わり、そしてヤザンに抑えつけられる女性の顔を見た警備隊は、やがてその顔色を蒼白にしていく。

 

「あ、あれは…まさか、女王陛下!?」

 

「そんな…なんで、こんな場所に、女王陛下が!」

 

「に、似ているだけじゃないのか…!?」

 

「いや、あ、あの顔…見間違えるはずがない!俺は恩寵の儀で、最前列で陛下の顔、見たことあるんだぜ!間違いなく陛下だよ!」

 

マリアを捕らえたままに、じりじりと後退していくヤザンは、その足で子供達に合流して、そして皆でゆっくりと退がっていく。

ウォレンも、マルチナに肩を貸しながらすぐさま退くが、シャクティは思わずヤザンへと震えた声で言った。

 

「あ、あの…ヤザンさん、その人は――」

 

「分かっている…お前の母親だってンだろ。殺しはせん。だが…おい、マリア…娘のためだ。少々我慢してもらうぜ」

 

「は、放しなさい…!女王と知ってて、こんな狼藉をするなんて…!」

 

「あいにく女王陛下に対する礼儀なんて、スクールで教えて貰ったことはないものでな。それに、女王だなんだと言ってるが、俺にとっちゃただの女と変わらん…くくく、雌の匂いが濃いぜ、お前さん」

 

「なっ!?」

 

マリアの頬に朱が差して、妙な気恥ずかしさが込み上げてそれきり口を噤む。

その間も、ヤザン一行は少しずつ警備隊との距離を空けていく。

 

「よォし…いい子だ。貴様ら銃を下ろして隅に投げるんだ…次は床に腹ばいになれ!さっさとせんと、女王陛下のキレイな顔がふきとぶぞ!!」

 

忌々しそうに警備隊が憤るが、それでも彼らはヤザンの剣幕を見ると「本当にやりかねない」と、そこに狂気を見て取れてしまって、全員が為す術もなく言う通りとなった。

だが、ここを切り抜けても、このままいつまでも同じ手段で港まで行けるとは、ウッソ達には到底思えなかった。

 

「…どうするんです、ヤザンさん!」

 

「ウッソ、今何時だ」

 

「え?な、なんです、こんな時に」

 

「いいから、今は何時だ!」

 

「標準時間でなら、もうすぐ昼の1時ですけど…!」

 

「…もうじき、二度目の空襲がある。その時がチャンスだ。そうしたらとにかく港に向かって走るぞ、いいな!」

 

「わかりましたけど、でも…シャクティ…!君は、君はどうするの?本当のお母さんに、やっと会えたんだろ?ここに残ってもいいんだ」

 

ヤザンが警備隊を威圧する傍らで、ウッソは幼馴染の少女の手をしっかり握りながら、目を見つめて言う。

あれ程焦がれたシャクティだが、いざ実母と邂逅したシャクティを見れば、その表情と雰囲気からは満更でもないのだという感情は察せられた。

ウッソという少年はそれぐらいの洞察力はある。

月で、母のミューラと再開した時は、自分も幸福と充足で心が潤ったが、血を分け合った家族というのは、やはりそれだけ特別なのだと思い知れたのだ。

 

「ウッソ…」

 

「月でさ…母さんと会えた時に、やっぱりお母さんって、特別なんだって思ったんだ。本当のお母さんの元にいるのが、やっぱり子供にとっては自然な事だって思う」

 

ここには実の両親を失ったオデロもウォレンもスージィもいるが、それは承知でそう説得した。

寧ろ、友人達のそういう悲劇を知っているからこそ、まだ親のいる者はそれを大切にすべきとウッソは思うし、そしてオデロもスージィも、力強い瞳でしっかりと頷いていた。

 

「そうだぜシャクティ。母さんは大切にしなきゃ」

 

「そうだよ。生きていれば、私達とはまたきっと会えるから。だから、ここに残ったっていいんだよ?」

 

そんな暖かな言葉を交わす子供らを、ヤザンはマリアに銃をごりごり擦りつけながら溜息など吐いてチラリと眺める。

 

(…まったくウッソの奴、情に流されやがって…!誰よりもシャクティを欲しがっているのは貴様だろうが。こちとら、シャクティを奪還するためにこんな苦労をしてんだがな…!ここでシャクティが残ると言った所で、俺はそんな青臭い友情物語に手は貸せんぞ…―――いや、そうとも限らん。そうさ…!俺としては、究極的に言えばザンスカールが勝とうがリガ・ミリティアが勝とうがどちらでも構わんのさ。シャクティをここに残せば、ザンスカールが勢いづいて、戦争が世界中で続くなら、そいつは俺にとってご機嫌なんだ。ふん…こんな小娘、どうとでもしろってんだ)

 

ヤザンはそんな言い訳じみた事を思っていたが、しかし人質をやらされているマリアは違う。

子供らの、真心籠もる会話を耳にし、そしてシャクティが心底安堵しているのを見て、この子達はシャクティの大切な人で、そしてきっとこの野卑な野蛮人もシャクティを守ってきた大人なのだと知れた。

 

(…特に、あのウッソという子。シャクティ…あなたにとって、とても大切な人というのはその子なのね。でも――)

 

――だがこの男は、娘と一緒にいるのに本当に相応しい男なのだろうか。

 

いきなり銃を突きつけられ、女性の尊厳を無視するような無礼な事を言われ、今も人質にされて、それでもマリア・ピァ・アーモニアという人は慈愛の人だった。それに、今こうして自分を人質にとっているのも、この子供達の為なのだろうとは予想できる。

だからヤザンに対する怒り等の負のイメージは小さなもので、大きな感情はただ娘の心配であった。

後はというと、怒り以上に小さな所に、ヤザンの横暴さを〝男らしさ〟と感じる心で、それはヤザンの人外の嗅覚が指摘した通りに、どこまでも己に染み付く雌の本能でもあった。

 

マリアは、若い頃からの苦労人だった。

今の時代では珍しくもないが、マリアとクロノクルも孤児であり、実の姉弟と分かっていて、二人手を携えて人身売買にも会わずに生きていけただけ運が良かった。

そんなだから、マリアは学業に励むこともできず、サイド1のアルバニアで、付け焼き刃の占い師をして何とか食っていたが、それでも困窮した時は、幸いにして美しかったマリアは時折、体を売っていた。

弟のクロノクルだけでも、せめて真っ当な人生を送らせてやりたくて、学費を工面する為に売春も増えてしまい、しかも売春相手と肌を重ねるうちに性愛に流されて、それを本当の男女の愛と信じて男に尽くしてしまう情の深い女でもあったから、ろくでもない男に引っかかっては捨てられてマリアは常に男に泣かされてきた。そんな金で大学などに行きたくないと、クロノクルは〝姉の心弟知らず〟と言わんばかりに反発し、ストリートギャングとつるんで薬物の売買にまで手を出す始末。

そんな生活を続けていれば妊娠するのは当然で、そしてその頃からマリアは不思議な力に目覚めたのだ。

それは、癒やし(ヒーリング)の力。

占いも、今までの確率論と話術で行うものから一変し、本当に相手の心や少し先の未来を読んだかのように的中させた。

そのうちに、癒やしと占いを信奉する者が増えて、お布施のような物まで集まりだして、裕福とまではいかなかったが、赤ん坊のシャクティと、汚い世界から足を洗い仕事を手伝うようになってくれたクロノクルとで、慎ましくも暖かな三人家族だった。

思えばその頃が一番幸せだったのかもしれないが、全てはフォンセ・カガチと出会った事で変わってしまった。

マリアの噂を聞きつけたカガチは、その力と慈愛のカリスマを、己の政党の躍進の足がかりとした。

シャクティを手放したのも、カガチの魔手から逃すためだし、優しくも弱い心を持っていてとても戦う人ではなかった弟のクロノクルが、軍人などを志したのも、老獪なカガチに対抗する力を蓄えるためであるし、マリア一家は裕福になるのと引き換えに、暖かでささやかな幸せというものを失っていた。

それでも、マリアが女王としてギロチンのガチ党と組んでいるのは、カガチの政治力があれば己の癒やしを世界に広げて、騒乱続きの地球圏を平和に出来ると信じているからだ。自分のような肌を売って泣く貧乏で不幸な者がいなくなる世の中にできると信じているからだ。

〝愛と慈悲が世界を救う〟と本気で信じているのがマリアであり、人は善性の生き物であるとも確信する慈愛の女王でありながら、娼婦としての経験により雌としてこれ以上ない程に熟れながら男運に恵まれない女…それがマリア・ピァ・アーモニアだった。

 

「私に銃を突きつける貴方」

 

マリアが毅然として背後の男、ヤザンへ言う。

 

「貴方は…こうまで闘争の炎を漲らせて何を望むのです。こんなやり方では、子供達を守れはしません。むしろ危険に晒してしまう。怒りと戦いの心は、憎しみを呼び寄せて血を流させる…こんな事はおやめなさい」

 

「なんだァ?貴様…状況が分かっているのか?この俺に、ここで説教垂れようってンなら、一昨日来いってなとこだぜ」

 

「頑なにならず、受け入れる心を持つことです。そうしなければ、他者と心を通わせ理解し合う事などできません」

 

「くくくくっ、理解し合うだと?クハハハハハッ!こいつはいい!おめでたい脳みそしてやがるな、アンタ。なるほど納得だ…こんなイカれた教団の女王に祭り上げられてる哀れな女だと思っていたが、貴様自身、祭り上げられるだけの理由があったようだな…!」

 

片目を引き攣らせて、銃をわざとマリアへ押し付けるヤザンに、ウッソとシャクティやオデロ達も、思わず言葉を失ってハラハラと見守っていたが、それは周囲の警備隊も近衛の黒服達も同じだった。

ウッソ達でさえ、凶悪な犯罪者が、可憐な女王を凶弾で弑しようとしているとしか見えないのだから、ザンスカール兵達から見れば、もはや一刻の猶予もない切迫した状況というわけだ。

 

「教えといてやるよ、マリア。世の中にはな、愛だの何だのを求めていない奴も一定数存在しているのさ。この俺のようにな」

 

「それは貴方が愛を知らぬからです」

 

「ほぉ?なら貴様が教えてくれるとでも言うのか?」

 

「もちろんです。私の言葉に耳を傾けていただければ――」

 

「そういう時は相手の流儀に合わせるものだぜ。俺は言葉など信じん。体で示して貰おうか」

 

「っ!」

 

わざと耳元に密着するかのよう囁き、そしてマリアの脇腹から指を這い上がらせ、乳房の輪郭をなぞって頂きへと指先を滑らせていく。

それだけでマリアの背がしなって、言葉を止められた。

 

「クックックッ…どうしたマリア?女王様ともあろう女が、たったこれだけの愛で腰砕けか?」

 

「は、破廉恥な…!こんなのは、あ、愛ではありません…!」

 

「こういう愛もあるって事だろう」

 

娼婦として性に熟れておきながら、シャクティを生んで以来、そういう事とはとんとご無沙汰だったマリアであったが、忘れ去りたかった()()な熱が女の器官に生まれたのを本能で分かる。

 

「ちょ、ちょっとヤザンさん!?」

 

ようやく実母かもしれないと理解できてきたシャクティが、母を口説くような行為を咎めるように慌てて、そしてウッソやオデロなどは(また女をからかう悪い癖だ)と表情をコミカルに歪ませた。

ヤザンは、カテジナの時もそうだったが、性格の激しさ云々よりも、融通の利かない生真面目な人間程からかいたがる性質(たち)があるのは、既にリガ・ミリティアの人間なら誰もが知る。

 

「ヤザンさん…そんな事してると、いつかカテジナさんに刺されますからね」

 

ウッソが言ったが、この少年が言うと妙な説得力と迫力があるのは不思議だ。

 

「ヤザン隊長~、今そういう冗談はちょっとヤバいですって!見てくださいよ連中のあの顔!捕まったら絶対殺される…!」

 

オデロまで口を抑えて顔を真っ青にする程、ヤザン達の動きに合わせて一緒に動く遠巻き連中の怒りが伝わってくる。

だがヤザンは、こういう場面でも強気は崩さない。

 

「ハッ!ビビるな!戦場ではビビったやつから死ぬぞ!」

 

「ここは戦場…なのかなぁ?」

 

スージィがどこか呑気な疑問を呈する。

なんだかんだと子供達もある程度の余裕があるのは、やはりヤザン・ゲーブルという男が味方としてこの場にいるからなのだろう。

殺気渦巻く怒りの現場だが、マリアには相変わらず銃が密着していて、場は膠着状態を続けた。

 

(ちぃ…まだか!?いい加減時間稼ぎも限界だぞ…!!伯爵め、何かトラブったってのか!?)

 

すでに計画の第二段階開始時間のはずだったが、二度目の空襲はまだ起きない。さすがにヤザンの頬にも、隠せぬ焦燥の汗が一筋流れた。

そして最悪なことに、人質になっているのが女王だなどと知らぬ一台の警備エレカが通りの角から一気に走り寄ってきて、仲間が手こずっているという認識だけで一人が発砲した瞬間、場は動いてしまった。

 

――ダダダッ、ダーンッ

 

小銃から数発の弾丸が吐き出され、ヤザンの表情が少々歪むと共に「ぐっ!?」という苦悶が漏れ聞こえた。

 

「バカ!よせ、女王陛下がいるんだぞ!!」

 

「え!?へ、陛下が!?う、撃ち方やめーー!」

 

応援の警備達は慌てて射撃を止めたが、既に引き金は引かれた。

だが弾丸は、マリアにもシャクティにも、ウッソ達にも当たることはなかったのは、彼らには幸いだったろう。

ヤザンが、瞬間的に彼女らに覆いかぶさって、マリアも子供達も押しつぶす格好で這いつくばらせたからだった。

だがヤザンは巨漢でもなんでもない。

カバー出来ぬ範囲は、ウッソやオデロやトマーシュが、年下連中達を庇っていたのは見事な男の仕事をしたと言えた。

 

「あ、貴方は…私を盾にするのではなかったのですか!?なぜ…私を庇うのです」

 

驚いたのはマリアだ。

あれだけ野蛮に脅しをかけ続けて、自分にセクシャルハラスメントまで働いた無礼千万な男が、自分を守ってくれていた。

もっとも、ヤザンとしては人質というのは生きていてくれなければ意味がないから、本当の射撃があった時はこうして庇うのは予定調和に過ぎないし、いくら何でもシャクティの実母を、娘の眼の前で盾に使って死なすのは少々目覚めが悪い。それだけだった。

 

「…!血が…!」

 

組み伏せられる拍子にヤザンの背に回ったマリアの手が、べとりとした生暖かい液体で濡れて、さすがに闘争に疎いマリアでもそれが血である事はすぐに理解した。

マリアの心と肉体の奥が熱くなったのは、男が自分を庇ったからというだけではない。

最大の理由はもっとも単純で、そして浅ましい。

逞しい雄が、女の自分を押し倒した。それに尽きた。

マリアの鼓動が、まるで初めて男に抱かれた時のように高鳴ってしまう。

すぐ間近に、ハンサムとは決して言えぬが、どこまでも男らしく鋭いケダモノのようなヤザンの顔がある。

マリアは、野獣のように光る雄の眼光に吸い寄せられて、目が放せなくなっていた。

 

「あ、貴方の、名は―――」

 

思わず聞こうとしたその時に…大きな音と振動が場の全てを揺らした。

 

ズズズ、ズ、ズ…―――

 

アメリアが揺れる。

一度目の空襲とは違い、本格的な攻めを感じさせる爆発音までが響いた。

 

「来たか…!全員、走れ!!!」

 

ヤザンが叫ぶと同時に、蜘蛛の子を散らすようにしてウッソ達が駆け出す。

女王を誤って射撃したという衝撃に加わって、コロニーに響く爆発音まで轟いては、警備隊達も少々のパニックは妥当な所だが、彼らが口々に状況の確認を求めたりするうちに、慌てながらも再度銃を構えた警備兵に、犬のフランダースが一気呵成に飛びかかって牙を立て、そしてハロが立体映像のヴィクトリーやガンイージをそこらの宙空に投射。

パニックは一気に加速し、兵達はMSの映像に射撃をしたりと大慌てだ。

肩を少々撃たられたらしいヤザンだが、撃たれたダメージなど感じさせぬ生命力を見せつけたヤザンは悪辣に笑ってみせ、

 

ボール(ハロ)犬っころ(フランダース)め、いい仕事しやがるぜ」

 

直ぐ様立ち上がって、マリアなどほっぽっといて駆け出そうとする。

が、そこでマリアが、己でも良くは分からぬ内に反射的に手を伸ばし、彼の裾を掴んだ。

一瞬、忌々しげにマリアを睨んだヤザンだが、その目を見て〝なぜ自分を止めたか〟を理解して、再びほくそ笑んだ。

 

「この傷はお前の国の兵士がやったのだから、貴様のせいだなマリア。こいつは駄賃に貰っておくぞ」

 

「…っ」

 

女の瞳に情欲の火が仄かに揺らめくのを見抜いて、別れ際に唇を奪ってから走り出す。

 

(私は……私は、こうも女であるの?……シャクティ)

 

マリアは、己が娘よりも男へと先に手を伸ばしたのが、自分でショックだった。信じられなかった。

自分の中の浅ましい女が、こうも強く残っていた事に驚き、動揺し、去りゆく娘を止める資格が自分には無いと錯覚してしまった。

走り去っていくシャクティとヤザンを、母と女とを揺れ動く眼差しで見送るしかなく、シャクティは一度だけマリアを振り返ったが、ウッソの手をしっかり握ると、それきりもう振り返らなかった。

 



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