灰色の世界に囚われた少女 (ひばりの)
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イタリア編
第1話


 世界が、いろんな色が、私から離れていく。

 

 私は抗うことも出来ずに、一人居場所を失くした。

 

 世界から拒絶されて、私には何も残らなかった。

 

 あんなに心から安らいでいたことが、温かく感じていたことが、まるで最初から儚い夢や空想の幻でしかなかったかのように――

 

 全てが、私のもとから跡形もなく消えていった――………。

 

 "空虚"という二文字がまさしく相応しいと言うように、見下ろした自身の両手の中は、空っぽだった。

 

 頬を伝ってボロボロと地面に零れ落ちる生暖かな液体に、絶望感を感じた。私にはすでに頼ることも、縋ることもできない。

 

 ああ、"孤独"なんだって、"独りぼっち"なんだって、自覚してまた雫が溢れる。

 

 恨みも憎しみもない。ただ、悲しかった。

 

 

 ――ねぇ、どうして? 私が一体何をしたの?

 

 ――これ以上、私をそんな"目"で見ないでッ――――!!

 

 

 

 

 私を見る目の色が変わった、世界からの目に急に怖くなった。

 

 どんなに目を瞑っても、耳を塞いでも、堪えるように歯を食い縛っても、世界が怖い目で私を見る。突き刺さるその視線が、さらに私の恐怖や自虐心を煽る。

 

 

 ――やめてッ! 私は何も悪くない!!

 

 

 もう、こんな怖い世界にいるのは嫌だ。こんな理屈もない理不尽な恐怖に震えたくない。こんなに無様に脅えて、ちっぽけな自分なんか要らない。

 

 このまま自分なんて、灰のように消えてなくなれば――……。

 

 そう思った時、ふと体が軽くなったような気がした。

 

 最後に感じた温もりは、優しく私だけを包んで、そうして私から世界を消した。

 

 これが"天罰"というものなのか――…… その罰は、果たして誰への贈り物だったのか……――

 

 答えが浮かぶ前に視界が眩んで、灰色の景色が白へと化していった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 久しぶりに感じる、温かい感触が私の体を優しく包んでくれる。気持ちいいなって素直に思っていると、自分がまだ思考していることに不意に疑問が浮かんだ。

 

 クエスチョンマークと共に、意識して目をパチリと開けてみる。…………あ、開いた…… 目が……。思いもしないことに内心驚いていると、視界に映った高くて朱色っぽい天井の色に、意識が現実の方へと向く。

 

 よく見れば、白い天井に赤っぽい光が反射していて朱色っぽく見える。光の感じからして、その正体は日光。赤っぽいってことで、今が夕暮れ時なのだと密かに悟った。

 

 冷静になって自分の現状を把握すれば、フカフカで大きなベッドの上に寝そべって、さらにフカフカで肌触りのいい暖かい布団に体を包まれていた。

 

 そして私は冷静につっこむ。………どこなの、ここは?

 

 どうやらシャンデリアなんてついているとても豪勢で素晴らしい部屋に、私は今現在進行形でいるらしいが、体を起こして辺りを見回すけどどれもこれも目にしたことのない初めましてのものや風景ばかりで、私はまた数回目を瞬かせた。

 

 思いも寄らない自分がずっと寝ていた部屋の広大さに、思考までが呆気に取られてしまって、私はベッドの上でしばらくそのまま固まっていた。

 

 思考が無事復活を果たして、ふと窓の外を見ればまだ空が朱色に染まっていたのでそこまで長く固まってはいなかったと安堵すると、そこに再び思考を遮るように部屋の扉が静かに開いた。

 

 途端に体をビクつかせて、私はその扉の先を凝視する。そこに顔を出したのは、やはり見知らない男の人の顔だった。

 

「あれ? もう起きてたのか?」

 

 その金髪の男の人は、布団を顔の前でギュッと握りしめて、その顔を蒼白にさせる私に向かって、そんな陽気な声を出すと扉を閉めてスタスタと私のいるベッドに近づいてくる。

 

 だんだんと近くなる彼との距離に、近づいてくるその顔に、私は声にならない悲鳴を上げた。

 

「――――――ッ!!」

 

 すぐ後ろの壁まで下がって身を縮こませるそんな私のもとに、謎の彼はすぐに近づいてきて、大きな手をスッと伸ばしてくる。そうして俯く頭を、その手に優しく撫でられた。

 

「――――え……?」

「そんなに怖がらなくても、安心しろ。オレはお前の味方だから」

 

 み、かた………?

 

 なぜだか、その言葉だけで心が軽くなったような気がした。その証拠に、ギュッと握りしめていた手の力が自然と緩んでいた。

 

 驚いてまた呆然としている私に、その男の人は話かけてくる。

 

「無理するな。何があったかは知らねえが、もうこれからは一人じゃねえし、辛い思いはさせない。何か抱え込んでんなら、もういっそ吐き出しちまえよ」

 

 名前も知らない、初めて会ったにも拘らず、彼はまるで私の心の全てを見通すかのようにそう言って、脅える私を励ましてくれた。

 

 そんな彼に、私もなぜだか安堵すると共に、久しぶりに感じる温かい感情に一気に肩の力が抜けた。そして、ああは言ってくれたものの、私は見知らない男の人の前で盛大に大泣きしてしまった。緊張で突っ張った糸が切れて下へ垂れるように、私の視界を濁して涙がどんどん溢れてきて、雨のようにシーツに染みを作ってはその範囲を広げていった。

 

 けど、そんな無様な泣き面をした私を侮辱することも憐れむこともしないで、彼は私を支えてくれていた。そんな彼の優しさに、私は素直に安心できた。私という"存在"を真正面から認めてくれた彼を、私もすんなりと受け入れていたんだろう。

 

 豪快に泣いた後は、さらに夕陽が傾いていく一方で、私はひとまず落ち着いた心身を確認して、目の前の彼にお礼を言った。

 

「あの…… ありがとう」

 

 私がそう言ったら、何が可笑しいのか、彼はケラケラと笑って片手を振った。

 

「よせって、そんな畏まらなくたっていい。お前も今日からこのファミリーの仲間なんだからよ。素のままで気楽にいろ」

 

 な? と返事を求めてくる彼に、私は気になって彼に尋ね返した。

 

「…………"ファミリー"?」

「おっと、まだ説明してなかったな。んじゃ、今するか」

 

 彼の方がひとつ頷いて、一旦腰を私のいるベッドへと落ち着かせると、彼はおもむろに私へひとつひとつ話し始めた。

 

「じゃあまず、"マフィア"とは何だか分かるか?」

「マフィア………?」

 

 説明の第一歩にその単語は驚愕だった。ここイタリアで、その組織の名を知らないものはいないと思う。もちろん私も、噂程度にはその名を聞いていた。

 

 その問いに対して私が彼に分かるように首を縦に振ってあげると、続いてこう詳しく話してくれた。

 

「マフィアはひとつとは限らず、さらに幾つかの組織にグループ分けをして構成されているんだ。例えば、ひとつの国ん中にさらに市や町があったりする、そんな感じで、マフィアには無数の"ファミリー"が存在しているんだ。

 そして、お前が今日から入ったのはキャバッローネファミリー。そしてオレは、ファミリーの10代目ボス、ディーノだ」

 

 最後にそう自分の名を言ってくれた彼、ディーノさんは、私の目を正面からじっと見据えて、そうして微笑んだ。

 

「だから、お前の世話はオレが責任持って見るからな。心配ならいらねえぜ。これからよろしくな」

 

 鳶色の澄んだ綺麗な瞳に、思わず見惚れてしまう。こんなに安心出来たのは、たぶん生まれて初めてなんじゃないかな――……。

 

 そう思う半面、正常に回っていたハズの思考がふと違和感を覚える。

 

 ――――? あれ……? 何だろう、この靄がかかったような不思議な感覚……… 私は、一体――?

 

 そこに、ディーノさんの声がまた聞こえてくる。

 

「それで、ずっと『お前』っていうのもアレだから、そろそろ名前を聞きたいんだが――」

「――――ない……」

 

 ディーノさんが言い終わらないうちに、そんな僅かな声が間に入る。けど、聞き取れなかったようで、ディーノさんは聞き返すように私の俯く顔を下から覗いてくる。

 

「………私…… 分からない……… 自分の名前……………」

 

 今にも消え入りそうな、そんな微かな声で呟いて、上からはディーノさんの強張った声がふと洩れてきた。

 

 だけど私は彼に構わず、己の思考だけに意識を向けていた。

 

 その感覚は、一言で言うなら"不思議"――…… かな……。思い出そうとすればするほど、白い靄のような何かが思考を妨いでくる。そして私は、自分のことさえ何ひとつ思い出せない。まるで(それ)が、"記憶"を思い出してはいけないと暗に警告しているかのように、私の思考はそこで痛みにより働きを中断する。

 

「――ッうあぁ…… だめっ………!」

 

 その呻き声は、襲ってきた痛みによるのもではなく、私の中の本能が"記憶"を思い出さないように、必死にそんな声を漏らしていたんだと思う。

 

「おいッ、大丈夫かッ!?」

 

 意識のどこかで、ディーノさんのそんな声が聞こえてくる。私を心配してくれているんだろうその声は、とても焦っているようだった。そんなに取り乱すほど、今の私の姿は滑稽なものなのかなと、どこかで冷静に自嘲している自分がどこかにいた。

 

 痛みが少しして収まると、私の息は少し上がっていた。その様子を見て、傍らにいるディーノさんが気を遣って背中を摩ってくれている。

 

「わ、私……… 私は、一体…………」

「落ち着け。無理に思い出す必要はない。オレはお前に苦しんでほしくて、ファミリーに入れたんじゃねえんだ。そんな面するのはやめてくれ……」

 

 ディーノさんもまた苦い表情で私を見てそう懇願してくる姿に、私も取り乱しすぎたと反省して深く深呼吸する。そして落ち着くと、お詫びの言葉を彼に告げた。

 

「ごめん………」

 

 素直に謝ったのに、なぜか額を小突かれる。地味な痛さに思いっきり眉を顰めると、こんなことを言われる。

 

「だーかーら、笑えっつってんだろ。そんなしんみりした情けねえ面したまんまだと、許してやんねーぞ?」

 

 ………なるほど。確かに私は彼の言葉を丸切り無視して、彼にそのままの情けない面で謝ってしまった。彼が怒る(というか拗ねてる?)のも道理がある。

 

「うん、ありがとう。ディーノさん」

「ああ、その調子だぜ。"さん"がなけりゃ、さらに褒めてやるとこなんだがな」

「………分かった、ディーノ」

 

 笑顔で私が彼に応えれば、彼の方も笑顔で私の頭を撫でてくれる。私もそれにはなんだか安心出来るので、特に抵抗もなく受け入れたのだった。

 

「素直にいうこと聞けたいい子には、ご褒美してやんねえとな。腹は空いてねえか?」

 

 お腹……? 言われてみれば確かに…… と、その時私のお腹が素晴らしい音色を立てて空腹だということを告げた。広い部屋に十分響き渡るその音に、私も無意識に顔を赤らめ俯いた。素直になんてなるんじゃなかった……。

 

 案の定隣のディーノからは腹を抱えて笑われている。失敬だな。レディーの失態はイタリア紳士なら誤魔化(フォロー)してみせるものでしょう。………知らないけど。

 

 膨れっ面になって彼を睨めば、喉の奥で笑いを堪えながらもマフィアらしからぬ優しい微笑みで、

 

「なぁ、"(アカネ)"っていうのはどうだ?」

「アカネ……?」

「ああ、お前の新しい名前だ。ずっと"お前"って言われんのも嫌だろ? だからオレとアカネが初めて会話したこの時間の思い出として、お前は今日からアカネだ。どうだ?」

 

 私にそう意見を求めてくる彼は、その顔に微笑みを湛えながらも真剣な瞳をしていた。きっと彼なりに、一生懸命考えてくれたんだろう。私たちがこうして出会うことの出来た今を、窓の外から見える茜色に染まった空を眺めて――――

 

 初めましてにも拘らず、脅える私を宥めて、泣き崩れる私を何も言わずに支えてくれて、怖がらないように優しく微笑みかけてくれる。そんな彼が私のためと思って考えてくれた名前を、拒む理由なんてどこにもない。

 

 今日から、私は(アカネ)――心中でそう呟けば、自然と心が跳ね上がる感覚がした。

 

 ベッドの上に座ったままでいる私に、するとディーノが腰を浮かして、カーペットの敷かれた地面に膝をつく。

 

「では、アカネ姫。お手を」

 

 そっと差し出された右手に、にわかに顔が紅潮してしまう。これはつまり、エスコート。記憶を失くしてしまってはいるけど、戸惑う感覚に全く経験のないものと知って普通に焦った。それにディーノみたいなカッコいい男の人にされたら、余計に取り乱してしまう。

 

 時間は少しかかったものの、ディーノの差し出してくれた手を、私は彼とは似つかないとても小さな手で取った。その際にディーノからは小癪に笑われたが、真っ赤な顔で言い返したところでさらに笑われてしまうんだろうなと思い至ってやめた。これ以上恥はかきたくない。

 

 そしてディーノのエスコートにより、私はベッドから立つと、彼とそのまま二人で部屋を後にして行った。

 

 でも、今なら分かる気がする。マフィアの一ボスであるディーノが、記憶を失くした私を救ってくれたこと、優しくしてくれたことの意味が――……。

 

 ここはマフィアの世界。彼がしてくれたことの全てが"綺麗事"ではないと知って、私はそのことを知ったならば、その時は彼に対して何を抱くのだろう。

 

 私がそれを知るのは、もう少し先の未来の話――――

 

 

 




@設定


茜(アカネ)

銀髪、水色の瞳、推定12歳の小柄な少女。
身長は130cm〜140cmの間とちっちゃい。小5〜小6あたりの見た目年齢。

自分の個人情報、過去に関する記憶を一切失くしている。言語や学力については特に問題なく、自分が話す言葉がイタリア語であることやここがイタリアであることは認知している。


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第2話

 夜が更けた頃、夜空には雄々しく満月が浮かび上がり、月光が寝静まった世界を安らかに照らし出す。

 

 自室の窓からその月明かりを一人眺めていたディーノは、ある人物へ電話をかけた。

 

 数回コール音が鼓膜に振動を伝えた後、目的の人物が電話に出た。

 

『なんだ、ディーノ? そっちはもう深夜じゃねーのか?』

 

 出だしから挨拶もなく時間帯の確認なんかしてくる己の師に、ディーノは苦笑を洩らして応える。

 

「よぉ、リボーン。そうなんだが、話してえことがあってな。ちょっといいだろ?」

『ああ、いいぞ』

 

 ディーノの問いに、電話の相手――リボーンも、早々に話の内容に察しをつけ彼にそう返した。さすがは自分をここまで育て上げてくれた恩師だと、ディーノも内心で密かに微笑んだ。

 

『ディーノ、まさか例の件について何かあったのか?』

「ああ、そうだ。言われた通り、少女の方はこっちで無事引き取った」

『そうか、でかしたぞ。またオメーには我儘聞いてもらって、すまねえな』

 

 珍しく彼が素直にお礼を言ったことに、ディーノは少し驚いたが、また小さく笑みを零して言葉を返した。

 

「いいって。オレもお前らには貸しがあるからな。これくらいは気にすんな」

『そうだな。オレたちは同盟組んでんだから、これくらいは当然のことだな』

「お前はもう少し謙遜するということを知りやがれ」

 

 やはりいつもの調子である師に、溜め息が混った苦笑が洩れる。ディーノが電話越しにツッコミを入れたところで、脱力する彼とは反対にリボーンは声のトーンを落として聞いた。

 

『そんで、一体何があったんだ?』

 

 すぐ話を戻した彼に、ディーノもハッとなって適当に相槌を打つ。そして少し間を置いて気を取り直すと、ディーノは例の内容を語った。

 

「昨日の夕方頃、その少女が目を覚ましたんだが、そいつ…… 自分に関する一切の記憶がねえみてえなんだ」

 

 そう告げると、電話越しに空気がピンと張ったのを、ディーノは経験で悟った。しばらく待ってみると、リボーンが窺うようにもう一度尋ねてくる。

 

『……"記憶"がか? それはつまり、その少女は記憶障害っつーことか?』

 

 その問いに、ディーノは短く肯定した。

 

『チッ…… この件、やはりあいつが言った通り一筋縄じゃあいかねーようだな』

 

 そんな呟きが電話越しに洩れてくるが、今のディーノの意識は、今頃用意した部屋のベッドで安眠しているであろう少女へと向けられていた。

 

 そんな彼の思考のことなどは梅雨知らず、リボーンはさらに情報を集めようと話を進めていこうとする。

 

『じゃあ、その少女が目覚めた後も、これと言った情報は聞き出せてねえんだな』

「ああ、あの様子じゃあ当分は話題に挙げねえ方がいいかもな」

『……そうか。だが、あまり長くも待ってやれねえかもな。日本(こっち)でもそのことが国際新聞やニュースに大々的に取り上げられているぞ。"チェネーレの怪奇事件"なんて凝ったネーミングでな』

 

 チェネーレとは、イタリア語で"灰"を意味する。そのことを聞いて、ディーノも一度呟いた後、思わず苦笑を洩らした。

 

「チェネーレの怪奇…… か。確かにな」

 

 ディーノがその事件のことを知ったのは、つい最近のことだった。

 

 某日、イタリアのとある小さな村での出来事が新聞に載っているのを、ディーノは朝食を取るついでにたまたま見ていた。その内容は、確かに奇妙奇天烈なものであった。

 

 簡素に言えば、小さな村は壊滅したのだが、その原因が地震や火災などによる"災害"の類ではなく、その村は村の面影すら残らず、村の一帯が全て"灰"となっていたのだ。その村にあった田も家も土地すらも、細かな"灰"一色となって、その村は謎の壊滅を遂げたのであった。

 

 ここまででも奇妙な出来事であるが、さらに驚くのは事件当時その村には"一人の少女"以外誰一人村人がいなかったことである。そして、その唯一生存を確認出来た少女こそ、ディーノが引き取った例の記憶喪失の少女――アカネである。

 

 ディーノは事件のことを思い出して、また胸が小さく疼いた。

 

 彼女とあの部屋で初めて接触した時のことが脳裏に過ぎり、言葉にならない感情が彼を締め付ける。

 

 ついに堪えきれなくなり、彼は電話越しに切り出した。

 

「なぁ、リボーン。無理も承知の上で頼む。アカネをしばらくオレのファミリーで面倒見させてくれ」

 

 それを聞いた電話越しにいるリボーンが、にわかに眉根を寄せたのを想像する。

 

『"アカネ"っつーのは、例の少女のことか。恐らくお前がつけてやったんだろうな』

 

 今の自分の心情とは異なり、電話からはそんな呑気に納得しているリボーンの声が聞こえてくる。鋭いな、とディーノも密かに己の師を畏怖した。

 

『だが、そいつの世話はこっちで見るハズだ。それに、オメーの方も暇じゃねえハズだぞ。どうしてわざわざ手のかかることを自ら引き受けようとするんだ?』

 

 リボーンのその質問は最もである。ディーノもキャバッローネのボスとして、任務は部下たちの倍以上ある。子守りなんてしている暇など本来ならないハズであり、それなのにどうしてまた自ら厄介事を引き受けようとするのか。

 

 その問いに、するとディーノはこう答える。

 

「……ただ、心配なんだ。あいつのオレに脅える目を見て、放っておけなくなっちまったんだ」

 

 本来ディーノも少女の身柄を保護次第、彼らの指示通りに日本へと送ろうとしたのだが、少女が自分を見た途端にその小さな体を震わせ、自分に脅え切った姿に、彼もそれを思い直した。今のままでは、彼女は世間の目に圧されて、また逆に自分を苦しめてしまうだろう。そう思えば、彼は少女を見捨てられなかった。

 

 自分もまだ詳しくは知らないが、居場所も自分のことさえもその手に失くしてしまった少女を、これ以上苦しませたくはなかった。そしてその強い思いが、ディーノを突き動かせたのだった。

 

「アカネ自身、まだいろんなことに整理がついてねえと思うんだ。だからまずは落ち着かせてやりてえ。イタリア(ここ)にいれば、思い出すことも少なからずあるかもしれねえしな。その他にも、語言や文化の違いがある。急なのも、この土地で生きてきたあいつには辛いことがあるだろう。だからリボーン、そっちへアカネを送るのは――…… 一週間ほど待ってほしい」

 

 その言葉の本心は、少しでも胸に抱え込んだトラウマを克服して、少女には笑顔でいてほしいから。ディーノは自身の最大限の力で、少女を幸せにしたいのである。

 

 そんなディーノの必死な言葉に、電話越しで聞いていたリボーンは告げる。

 

『お前の言い分も分かるが、オレじゃあ判断はしかねる。あいつに聞いてくれねえとな』

 

 それを聞いて、ディーノの表情は苦くなる。今回の件については、いつも素直に同意してくれる彼も頷いてはくれないかもしれないのだ。

 

 その時、電話越しのリボーンの顔がにわかに笑みを湛えたような気がした。

 

『一週間なら、オレが説得してやってもいいぞ』

「!」

 

 リボーンはいつものように鼻で笑うと、彼の頼みを引き受けてくれたのだった。

 

 ディーノもやはり恩師には感謝し切れず、今は電話越しで精一杯彼に感謝の旨を伝えた。

 

「本当にサンキューな、リボー……」

『んじゃあ、これで借りは返すってことでいいな』

「あっ! テメェはくそっ……!」

 

 やはり今回も恩師にしてやられた師弟のディーノであった。

 

 その後、フライトなどの変更項目を確認し終え、ディーノからの通話を切ったリボーンは、一人だけの室内でポツンと呟く。

 

「記憶喪失の少女か…………」

 

 予想以上に難解な今回の事件に、リボーンもこの際冗談など言えなかった。多大な村人の安否不明、今後イタリアの治安に大きな影響が起こりかねない今回の事件の鍵となるのは、やはり記憶を失った少女であろう。

 

「任務から奴が帰ってきたら、早速報告しておかねえとな」

 

 そう呟いてパジャマから着替え、リボーンは朝食を取りに行くのであった。

 

 

 



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第3話

 "マフィア"と聞いて、正直不安がないワケではなかった。

 

 周りはみんな黒いスーツにサングラスの厳つい顔した大人たちばかりで、彼らの気迫に私は気圧されっ放しだった。夕食の味なんて、碌に分からなかったと思う。

 

 そんな私の緊張を解きほぐしてくれたのは、やはり彼だった。

 

「ホラ、ナイフとフォークはこうやって持つんだぜ」

 

 慣れない道具の使い方を、隣に座って分かりやすく教えてくれるディーノ。慣れた手つきでビーフを一口サイズに切り、その欠片を私のたまたま開いていた口へと放り込む。

 

「……………自分で食べれる」

 

 私はそう小さく抵抗して、少し強引に彼の手からそれらを奪う。なんだか子供扱いを受けているようで、嫌だったから。私、子供じゃないもん。

 

 ディーノがやれやれと言った感じで、隣で苦笑しているのがなんだか癪で、少しムキになって荒い手つきでビーフを切る。カチャカチャ煩い音が辺りに響くのも気にしないで、切り分けたビーフをフォークに刺したのだけど、なかなか上手く持ち上げることが出来ない。

 

「銀は子供にはちと重すぎるんじゃねえですか、ボス」

「こ、子供じゃないもんッ……!」

 

 また子供扱いされたとムキになって、思わずそう叫んで振り返れば、眼鏡の恐い顔をした髭面のおじさんがすぐ後ろに佇んでいて、彼からはまさにマフィアの器と言えるものを感じた。

 

 真っ青な顔になって私がすっかり怯えきっていると、そこに落ち着いたディーノの声が間に入ってくる。

 

「こいつは部下のロマーリオ。そんなに怖がるな、っていきなりは無理だろうが、慣れてくればどこにでもいるような髭面オヤジだ」

「おいおい、それフォローになってるんですかい?」

 

 彼らの会話にどうしていいか分からず唖然としている私は、同時に彼らの仲の良さに感情が少し揺らいだ。なんだか複雑な心境だった。

 

 私がつまんなそうな顔をしていたのか、気づいたディーノが「しまった!」みたいな顔を浮かべて、咄嗟に言い訳のような言葉を並べたくっている。……なんだか、また子供扱いを受けてしまったように思えるのはただの考えすぎ、なのかな。

 

「うーん、確かに少し重いかもな。そこまでは考えられていなかった。すまん」

 

 別に気にしてないのに、ディーノは私にそう言って謝って、別のものと取り替えようとしている。

 

「いい。平気だから、返して」

「強がるなよ。そのうち落とすぞ?」

 

 落とさないもん、って言いかけた時にタイミング悪く手が滑って、刺していたビーフの欠片ごとフォークが手から離れて絨毯の上に落ちた、というか刺さった。真紅の高そうな絨毯の上に、ビーフのフォークがグッサリ。……やってしまった。

 

 綺麗な絨毯の上に傷と茶色い染みを作ってしまい、この世の終わりを見たかのような顔をする私とは反対にディーノはケラケラと笑っていた。

 

「ほーら見ろ。言わんこっちゃねえ」

「………………」

 

 こればかりは返す言葉がなかった。一目で見て分かるほどの高価な絨毯と床が、私が落としてしまったビーフと銀のフォークによって台無しになってしまったのだ。謝ろうにも、動揺でなかなか言葉が口から出なくて、何も見つからない。

 

 その時、頭にふと感触を覚えて視線を上げると、私の頭にディーノの大きな手があった。

 

「これに懲りたら素直に言うこと聞け、なっ」

 

 その顔は、マフィアらしからぬ温かい微笑みを湛えていて、私をまっすぐに見つめていた。その笑顔から直に伝わる彼の包容力に、私もあっさり頷く他なかった。

 

 

 

 

 

 朝、目が覚めるとベッドから身を起こして、覚めやらない目を腕で大雑把に擦る。

 

 辺りを見渡せば映り込む綺麗な装飾の施された部屋に、一瞬ここがどこなのかと寝ぼけてしまったが、昨日の一端を思い出してもう一度辺りを見回した。今日からここが、自分の部屋になる。私一人の個室にしては広すぎる空間に少したじろぐ。だけど、自分に新たに居場所が出来たことが素直に嬉しかった。

 

 ベッドから降りて部屋を出れば、業務服をピシッと着こなした侍女らしき女の人が扉の前で待っていて、普通に驚いた。この人、一体いつからそこに佇んでいたんだろう……。なんて疑問に思っている間に、彼女に導かれて洗面所へと案内された。彼女から使い方などについて説明を細かに受けながら身支度を整えて、次に向かったのは昨晩夕食時に赴いた大広間の部屋だった。

 

 侍女の人が扉を開ければ、ディナーテーブルに並んだ朝食と、優雅にティーカップの中身を啜って新聞を読むディーノの姿があった。

 

「おはよう、アカネ。昨日はよく眠れたか?」

 

 新聞から顔を上げてこちらを見てにっこりと微笑む彼に、私も軽く挨拶の言葉を返して、朝食を取るため席に着く。そこはちょうど新聞を読んでいる彼の隣…… 恐らく意図してのことなんだろう。パンを手に取り食べていると、新聞に目を通しながらディーノが言った。

 

「今日はこの屋敷内を見て回るついでに、軽い知能と身体検査を受けてもらうからな」

「検査…?」

「ああ、ファミリー加入時には、お前の個人情報やら諸々が必要なんでな」

 

 ディーノは言って、新聞のページをまたひとつ捲った。

 

 彼の言葉に、私は返事をすぐには返せなかった。私の情報(データ)を集めたいとはいっても、私には生前の記憶が一切ない。情けないことだけど、こればっかりはどうしても思い出せなかった。――というのは言い訳で、本当は思い出したくないのかもしれない。知りたくないのかもしれない。自分の過去。

 

 正直あまり気も乗らなかった。検査という名目で強引に私の情報を漁られることが、内臓をグチャグチャにえぐられるような気分で不快だった。そんな私の心中を見通してか、ディーノが私の頭に手をポンポンと置く。手から伝わる彼の体温が、程よくてふっと安心が湧いた。

 

「誰も無理にとは言ってねえだろ? 辛くなったらすぐにオレに言ってくれて構わねえからさ」

 

 彼は私に甘すぎると思う。私が知らないだけで、私をファミリーに入れるということは簡単なことではないんだろう。それなのに辛くなればやめてくれてもいいなんて、自分が後に辛くなるというのにこの人は他人に優しすぎる。きっとマフィアの中でも、彼のような馬鹿なお人好しは他にいないんだろう。

 

 それでも、私が記憶を失くして尚挫けないでいられるのは、きっと彼のおかげなんだろう。甘いその言葉が、私をいつも元気づけてくれる。

 

「まぁ、検査といってそんなに深く考え込む必要はない。身体検査や質問に軽く答えてもらうだけだ。ところで、アカネはジャッポーネは知ってるか?」

 

 彼が心配ないというのなら、心配いらないんだろう。私があれこれ考えたところで彼が考えていることなど到底知れない。だからそのことは一旦保留にした。そして打って変わって彼の口から出た話題に、私ははてと首を傾げた。

 

 聞いたことくらいならある。東洋の国のひとつ、ここからは飛行機で何時間もかかる遠い島国。

 

 どうして彼が今、その国のことについて私に確認してくるのか、私は訝しんだ。それが顔に思わず出てしまっていたのか、ディーノがパッと手を離してこう言った。

 

「ジャッポーネの寿司は美味いぞ。いつかアカネにも食べさせてやりてーな」

 

 新聞の記事を適当に漁りながら言った言葉は、遠回しに私に何かを告げていたような気がした。いつか私は、彼といられなくなるのだろうか――…。

 

 そんな馬鹿みたいな疑問が、頭を掠めた。

 

 

 

 

 

 

 キャバッローネファミリーとは、かなり巨大なマフィアのひとつであるらしいと分かった。

 

 朝食を済ませて、今はディーノと約束していた通り屋敷内を二人で歩いて回っているんだけど…… 回廊を歩いていて、私は彼に右手を取られている状態。……どうして、手を繋いでいるんだろう。

 

「ん? そりゃあもちろん、アカネが迷子にならねえように、こうやって手ぐらいちゃんと繋いでねえと」

 

 …………気のせい、かな。何の後ろめたさもなく彼がそう言ってのけて、普段の調子に笑いかけてくるのがなんだかムカつく……。

 

 余計なお世話だと言うように彼の手から無理矢理自分の手を離すと、私はそのまま一人で先に進んで行く。

 

 私に置いて行かれて、その場にポツンと佇んで行き場のない手を彷徨わせていたディーノは、私のそんな後姿を見て苦笑を洩らしていたらしい。

 

「フッ…… 強がりな姫ってわけか」

 

 ディーノがそんなことを呟いていたなんて知ることもなく、その後追いかけようとした彼が部下に引き止められていたなんてことも、この時の私が知る筈もなかった。

 

 

 

 

 

 

「…………迷った……」

 

 まさかの言ったそばから迷子になってしまった。左右に永遠と続く廊下を見て、絶望に似た思いに苛まれる。

 

 内面で暴走していた気持ちがだいぶ落ち着いてきたところでディーノのいるだろう後方をふとチラ見してみたら、案の定これだ。ディーノに見捨てられた………… 私が置いてきたのか。

 

 こんな迷路みたいなところに一人なんて、パニックと不安でどうにかなりそうだ。ここはディーノの所有する屋敷の中だから安全ではあるんだろうけど、さっきから人一人も通らないし、仮に誰かが通ったとしても、話しかける勇気なんてとてもない……。

 

 途方に暮れていると、遠くにある突き当たりから誰か…… 複雑の人の声が聞こえてきた。男の人たちがボソボソと何かを話し合いながらこちらに向かってくるのが分かる。

 

 その低いトーンの声に、足音に、胸が圧迫されて息苦しくなる。心臓がバクバクと耳元で鳴るようにうるさい。

 

 怖いッ――――……。

 

 今の私にはその感情が頭いっぱいに侵略していて、竦んだ足はもう立っていることもままならない。

 

「ディーノ…………」

 

 

 

 

 

 

 ディーノは屋敷中を駆け回り、少しの間に忽然といなくなってしまった少女を捜していた。

 

 言った矢先にこれだとなんとも言えない表情をして、ディーノは廊下を駆け回っているのだが、これがなかなか見つからない。ここがどこなのかも、ディーノ自身よく分かっていなかった。そして自身の長年頼りにならない勘を使って、とりあえずディーノは一人で先を進んでいた。

 

 そこに救世主の如く、たまたま部下の三人とディーノは廊下ですれ違った。

 

「よー、ボス。どうしたんだい、そんな切羽詰まった感じで」

「人を捜してんだ。お前ら、こんくれーの銀髪の小さい奴を見なかったか?」

「はぁ…… どうだったかなぁ」

「ああ、そういやぁ、そんくれぇの見たことねえ女の子が向こうの廊下の隅で蹲ってたぜ」

 

 最後の奴が言った言葉に、ディーノは一も二もなく少女のもとへ駆け出して行く。

 

「アカネッ」

 

 突き当たりを曲がって、少し距離のある廊下の隅に蹲って両耳を押さえている少女の姿に、ディーノは思わず息が詰まる。

 

 震えて、か細い声で自分の名前を呼ぶ少女は脆く、儚い存在であることをディーノは改めて認知した。

 

 少女にそっと近づいて、慎重な手でその頭を撫でてやる。

 

「ディーノ……?」

 

 俯いていた少女が、自分の手の感触におずおずと顔を上げ、半分涙目で自分を見上げる。その顔はどこか安心しているようで、ディーノにはそのことが少し嬉しく、切なかった。

 

 膝を折って屈むと、ディーノは少女の目を見て謝る。

 

「ごめんな。もう絶対、お前をひとりにはさせねえから」

 

 強い意志の籠った眼差しを向けると、少女は彼に小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 形だけでもいい。誰かにそばにいてほしい……。

 

 どんな理由がそこにあろうと、今の私にはそれだけで十分なの。

 

「もう絶対、お前をひとりにはさせねえから」

 

 私の目をまっすぐに射抜いて、ディーノはそう言ってくれた。

 

 私にはもったいないくらいまっすぐなその言葉は、きっと彼の決意。私に向かってではなく、自分に対しての、何かの強い思い。

 

 それでもいいよ。貴方がそれで私のそばにいてくれるなら、私は見なかったことにしよう。誤魔化そう。そうして、形だけの笑顔を貴方に返した。

 

 二人で手を繋いで、検査をする医務室に連れられて来た。

 

 いろんな設備が充実している中、私はベッドに寝かせられる。

 

「大丈夫だ、アカネ。ずっとそばにいてやるからな」

 

 私を安心させるように、手を握ったままディーノが言葉をかけてくれる。

 

 鳶色の、切ない瞳がこちらを見つめていた。

 

 彼の声援に応えてあげることもできずに、医師から麻酔を打たれて、私の意識はそこで堕ちた――……。

 

 

 

 

 

 

 身体検査を終えて、未だにベッドの上で眠っているアカネの姿を微笑ましく眺め、愛おしく寝顔を眺めているところに中年の医師に呼ばれ、名護惜しくも隣の部屋まで移動する。

 

 扉を閉めて、浮かない顔をする医師に、ディーノは訝しく思いその医師に尋ねる。

 

「どうした? アカネの体に何か問題があったのか?」

 

 ディーノが緊迫した面持ちで医師に問うと、首を振って医師は答える。

 

「いいえ、体には支障はありません。しかし、予備に測ってみた炎の測定値がですね……」

 

 医師が言うには、炎の属性、炎圧量、純度の三つの点で専用の機器で測定してみたらしい。

 

「しかし、どれも測定不能と出たのですよ……」

「!?」

 

 医師の言葉に、ディーノは耳を疑った。掴みかかる勢いで、ディーノは医師に何度も訊き返す。

 

「おいッ、それは本当なのかッ!?」

 

 しかし、医師もどうしようもないという風に首を振るだけである。

 

 死ぬ気の炎とは、生命エネルギーを超圧縮して可視することが可能な炎である。大体の者はリングを通して炎を灯し、一般人のような炎圧の微弱な者でも必ずしも体内に持っている生体のエネルギーなのである。

 

 しかし、それが機械を通してみても測定出来ないとなると、それはどういうことなのか。

 

「アカネ様は…… 恐らくは短命かもしれません」

 

 医師の言葉に、ディーノは自分の考えていたことが正しいのであると知り、絶望した。

 

「そんな………… 嘘だろ…… ッ、クソッ!」

 

 収まりようのない憤りに、強く拳を握り締める。

 

 何故だろうか。居場所も記憶も失くしてしまった少女に、不幸はどうして彼女を取り込もうとするのか。

 

 暗がりの部屋に、二人の男の影はその後もしばらく話し合っていた。

 

 

 



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第4話

 あれから起きたのがしばらく経ってからで、先にディーノと昼食を済ませて午後から知能の検査へと向かった。

 

 いい歳した熟女の女の人に数枚の用紙を渡されて、書かれている問題に答えろと無難に言われた。最初は学力調査ってところらしい。机を用意されて、一緒に渡された鉛筆を手に取ると紙面に回答を書き込んでいく。

 

 ディーノは少し離れたところで私の背中を見守ってくれて、書き込みが終わるとすぐに近づいてきて声をかけてくれる。

 

「お疲れ、アカネ。出来はどうだ?」

「う〜ん、この子なかなか賢いみたいね」

 

 彼の声に応えたのは、検査を担当してくれる女の人。採点早ッ。

 

 採点済みの解答用紙を覗き込んで、ディーノが大声をあげる。

 

「うおッ! オール100点ッ!」

「すんごいわよねぇ、意地悪して結構難易度高くしておいたのにぃ」

 

 …………今聞こえたのは気のせいにしておこう。

 

「良くやったな、アカネ」

 

 満点を取ったので、ディーノがご褒美にか頭を撫でてくれる。こういう風に撫でられるのは別に嫌いじゃない。

 

「ボス、あんたより頭いいかもしれないねぇ」

「なっ、うるせえなッ」

 

 にわかに頬を赤くして、ディーノが女の人をそう一蹴する。……ボスなのに頭悪いの、この人。

 

 咳払いをしてディーノが女の人を急かすと、女の人はやれやれという風に肩を竦めて、椅子に座る足を組み直す。

 

 私の目の前に座っている女の人は、少し真面目な顔つきになって私の目を鋭利に射抜く。

 

「んじゃ、次は質問に答えてもらうわね。あなたのお名前は?」

「…………アカネ」

 

 私の返答に、女の人はチラとディーノの方を見て、すぐに私の方に向き直ると質問を続ける。

 

「……それは、本来のあなたのお名前かしら?」

「………………」

 

 どう反応していいか分からない。この名前はディーノが私にくれた名前で、たぶん…… 彼女が望んでいる答えではない。

 

 そのことを彼女も早いうちに察してくれたのか、早々にその質問を切り上げ、代わりに別の質問をしてくる。生年月日、血液型、家族のこと、故郷のこと、それから、私自身のこと――……。

 

 だんだん頭が割れるように痛くなるけれど、どうにか堪えてできる限り女の人の質問に答えた。ディーノが心配して何度も声をかけてくれたのは嬉しかった。だけど彼の言葉には頷かず、彼の目を見ることはやめておいた。私の折れない姿勢を見て彼は諦めたように、ゆっくり私のそばを離れてもとの位置に戻っていく。彼は親切でしてくれたのに…… 少し申し訳ないことをしてしまった。

 

 女の人の方は彼とは違い、私の様子に気づいていても気にせず次々に質問を投げてくる。彼女の判断は正しいんだろう。同情なんてしていたら、そんなのどれくらいの時間を浪費するだけだろうか。

 

 たまにクイズのようなとんちんかんな質問が出されて話が脱線するも、一通り作業を終えて女の人は力を抜いて背凭れに深く背中を埋める。

 

 ざっと50問くらい質問されただろうか…… 私も少し疲れた。背凭れのない丸椅子に座っているから力を抜くことはできないけど、枯れた一息を吐いた。――と、ふと力の緩んだ私の背中に何か温かいものが触れる。見ると、ディーノの腕が私の背中を支えてくれていた。

 

 咄嗟に彼を見上げると、彼が微笑んで見つめてくれていた。その表情で、私を労わってくれている。もしかして、お疲れ様という代わりにこうして背凭れになってくれるのかな……。まぁ、少しは助かる。

 

 彼と触れる部分はいつも温かく感じる。記憶のない以前にも、きっと感じたことのない温もりだ……。少しだけ、彼に頼っておくのもいいかなと思った。

 

 恐らく先程の質問がびっしりと書かれた、私の回答が既記させれている紙の紙面にしかめっ面を露骨にする女の人に、ディーノがどうだと尋ねている。女の人はディーノに目線も配らず、じっと紙を睨んだまま応える。

 

「う〜ん、ダメねぇ。自分に関する記憶だけが一切飛んじゃっているわ」

 

 案の定予想通りの女の人の言葉に、私は特に何とも思わなかった。だけど彼の方は違うようで、露骨に歯痒そうな表情を見せて、私の左肩を後ろから強く抱いた。

 

「……大丈夫だ。まだまだこれからだしな。なっ、アカネ」

「…………うん」

 

 私はそう、頷くだけにしておいた。彼には申し訳ないけど、根拠のない希望を告げられてもお節介でしかなかった。

 

 内緒にしているけど、私は過去にはこだわっていない。記憶探しなんて、本当はどうでもいいの…… だた、居場所があれば、私にはそれでもう十分なの。

 

 そう伝えたら、貴方は私に失望してしまうのかな――……。

 

 

 

 

 

 

 

 私とディーノはキャバッローネ邸の庭園に来ていた。身体と知能の検査を共に終えて、結構暇していたからディーノがここに連れて来てくれた。暇を潰せるならまぁいいかと思って、私は彼について来たんだけど、庭園にまでキャバッローネの権力とお金の力が凝縮されていてちょっと引いた。……ここはすごいっていうところなのか。

 

 とても手入れの行き届いた屋敷の庭園、草や樹々の葉が青々と生い茂っている。専門の庭師でもいそうな芸術品のようにキラキラした花壇や植木。キャバッローネっていうのは大きな馬って意味だから、それにかけているのか彫刻みたいに大きな馬の形をした観葉植物。屋敷内さながら、外見や庭も見劣りしないスケールだった。

 

 記憶を失くしてから初めて出た外界だったけど、自然豊かなところで思いの外安堵した。少々派手だけど。あんまり期待していなかった分、予想以上の外の景色に少しだけ見惚れてしまっていた。

 

 そこに、用意されていた真っ白なテーブルの方へと近づいてディーノが手招きする。

 

「アカネ、菓子もあるからここで一旦ティータイムにでもしようぜって……」

 

 彼の声が妙なところで詰まったのに気づかず、私は彼の存在をすっかり忘れて花壇の黄色い花に留まる白い羽の蝶に釘付けになる。

 

 目の奥を期待に膨らませる私を見てディーノが「餓鬼だせ」なんて呟いたことにも気づかず、私の視線は花と蝶に奪われていた。

 

「……蝶、好きなのか?」

 

 背後で問いかけられたことでようやく我に返り、その言葉に軽く頷き返す。蝶というよりは、自然に囲まれている環境が好き…… なんだと思う。そんな感覚があるんだ。拒絶するかしないかの極端な感覚。これはたぶん、以前の私がそうだったんだと思う。

 

 そう彼に伝えれば、特に感情もなく「そうか」とだけ返された。彼にしては素っ気ない返事だったけど、こういうのが普通の反応なんだって思って誤魔化した。

 

 白い羽が本体の呼吸に合わせて微かに揺れる。花の蜜を吸っているみたいだった。閉ざされた羽の模様にぼんやり視線を向けていた。だけど、急に頭が重くなる。

 

「……………」

「アカネ……」

 

 私の名前を呼んで、それだけだった。私の頭に自身の手を被せて、私の丸くなった背中を見つめているだろうディーノはそのまま押し黙った。彼が何をそんなに迷っているのかは私には分からないけど、恐らくは私絡みのことではないかと逡巡する。さっきの変な発言が、もしかしたら同情好きな彼に変な勘ぐりをさせてしまったのかもしれない。

 

 ここで私は何を彼に言ってあげるべきなんだろう……。私はそれほど器用な人間でもない。どう彼を安心させられるなんて、私には分からないんだよ。

 

 風がどこからか吹いてきたので、花が揺れて蝶が舞う。その時を見計らって、蝶に習うように私は立ち上がるとディーノの手中から離れた。

 

 いきなり立ち上がった私にディーノが少し驚いているけど、気づかないフリをしてまたうわべを繕ってみせる。

 

「私は…… 大丈夫だから。心配しなくていいよ」

 

 何に対しての言葉なのかは、私にも分からなかった。ただ、今を切り抜いておきたくて、うわべで取り繕ったの。

 

 飛んでいった蝶を追いかけるフリをして、今のディーノから距離を取る。

 

 ディーノの態度が、昨日とはまるで違うようにそばにいて感じた。柔らかい雰囲気の裏に細い釣糸を固く張って、慎重に窺うように彼は私に接してくる。何なんだろう、昨日は彼といてこんな変な違和感はなかった筈なのに……。

 

 そんな思考に気を取られていたから、私は油断していて、草の上の何かに思いっきり躓く。

 

「ッ!?」

「アカネッ!? 大丈夫かッ?」

 

 転んだ私に気づいて、すぐにディーノがそばまで駆け寄って来てくれる。柔らかく茂った草のおかげで傷を作ることはなかったけど、転んで痛くないことはない。

 

 一体何に足を取られたのかと足元を見れば、私が躓いたせいでひっくり返って手足をジタバタとさせていた。

 

「…………亀?」

 

 少し意外で、私は咄嗟に自分の足を引っ込める。なんでこんなところに亀が……。

 

 すると、ディーノが苦笑して、軽く怯える私にポンポンと肩を叩いてくる。

 

「大丈夫だ。いきなり驚かせたようで悪かったな。こいつはオレが飼ってるんだよ。名前はエンツィオ」

 

 ディーノの亀だというらしいそれは、主人の手に救われて無事に甲羅を元に返される。そのままディーノが亀をこちらへと差し出してきた。

 

「ん、ほらっ、お互いに自己紹介だ」

 

 ほらと言われても、また唐突でどうしていいか分からない。体は小さいけど、亀って思いの外迫力がある。

 

「ハハッ、そんな肩に力入れなくても大丈夫だぜ。ちゃんと躾けてあるからさ。それに、小せえ時は噛んでも痛くねえしな」

 

 その微妙な言い方はどう捉えたらいいんだろう……。それって結局は噛まれるかもしれないってことじゃない……。清々しい笑顔でそう言ってのけた彼に、正直引いてしまった。

 

 ディーノの押しに負けて、恐る恐る亀を両手に持ってみる。私の手の中に収まった亀は品定めでもするように、黄色いつぶらな瞳を私に向ける。

 

「えっと…… 私は、アカネ。……よろしく」

 

 こんな感じでよかったのかな……。亀の目に気圧されて思わず名前を言ったけど、この亀はイタリア語を理解できるのかがまず怪しい。

 

 そして少しして、亀がグェッみたいな奇妙な声を上げた。隣から急にディーノが頭を撫でてくる。

 

「おしっ、エンツィオとも仲良くなれたようだな。よかったな、アカネ」

「……………」

 

 …………過保護だ。彼のせいで、私の存在がイタイように思える。というか、今のどこに彼のいう要素があったのかとても知りたい。……もしかして、さっきのグェッとかいうアレ……?

 

 不可解な謎を私に残して、ディーノが先に立ち上がる。そして気遣うように、私へと手を差し伸べてくれる。

 

「立てるか? 転んだとこ、一応診に行くか?」

 

 見たところ怪我はないので、そう確認したんだろう。私はそれに首を振って、エンツィオを再び地面に下ろした。

 

「でも…… せっかくのお庭、滅茶苦茶にしちゃた…………」

 

 私が転んだから、擦れて千切れてしまった草や、ぺしゃんこに潰れてしまった白い花……。

 

 枯れた植物のように萎んだ顔をする私に、ディーノは屈んでそっと耳元で囁く。

 

「花はな、こう見えても強い。潰されたり光を遮られたって、自分の今ある力で、こうして何度でも立ち直ってみせる。生き残るために」

 

 ディーノの視線を送る先に目を向けると、潰れた筈の白い花が太陽に向かって必死に光を浴びていた。その姿が、私とはかけ離れていて素敵に思える。

 

 ……このひたむきな花のように、私も前に進めたら――……。

 

「だから、頑張るんだぜ。お前も。お前には支えてくれるファミリーの仲間がいるからな」

 

 ニカッと微笑んで、私の肩にそっとエンツィオを乗せた。この短い時間に随分私も慣れたようで、黄色いその瞳に小さな温もりを覚えた。

 

 彼らが背中を押してくれるなら、頑張ってみるのも悪くはないと思った。

 

「うん………――あっ」

 

 顔を上げたところに、私はそれを偶然見つけた。

 

 緑の草に埋もれる中、クローバーの群れにそっと目を細めた。

 

 私の様子に、目を追ってそれを見つけたディーノが柔らかな微笑みを零す。

 

「四つ葉のクローバーか……」

「うん」

「取ろうか?」

「……いい」

 

 手を伸ばそうとする彼を制止する声をかけて、私は瞼をそっと閉じる。

 

 次に目を開けた時には、ディーノがこちらを不思議そうに覗き込んでいた。

 

「…………何」

「ん、いいや。何かお願い事でもしたか?」

「まあ、ね」

 

 そう答えると、案の定訊かれる。ちなみに教えてあげる気は毛頭ない。

 

 少し不貞腐れたようにディーノが残念そうにして、私はそれを無視して肩のエンツィオを撫でる。亀の甲羅は冷たくて気持ちいいな。

 

「…………取らなくてよかったのか?」

 

 今更またなんの確認か、ディーノが立ち上がって訊いてくる。差し出された彼の手をこの時は素直に取りながら、彼に頷いた。

 

「うん。だってクローバーも、太陽を浴びて強くなれるから」

「そうか」

 

 そう言うと、貴方は私に太陽のような笑顔をくれた。

 

 

 



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第5話

 世界が冷酷無情だということを、彼は改めて思い知らされた。

 

 彼が少年の頃から、彼の生きる世界――マフィアとは、血に塗れた不条理で残酷な世の中だった。かつてはそんな世界の下で生きることが憎くて嫌で、仕方なかった頃がある。

 

 だから青年となった彼は、自分のように辛い思いをもう誰にもしてほしくなくて、覚悟して自身がファミリーのボスとなり、理不尽な世界の現状を変えようとした。

 

 だが、青年の努力も希望も、一人の少女には酷なものに過ぎなかった。

 

 何の罪もないまだ幼い少女が、なぜ膨大な悲しみを、その小さな胸に背負っていかなければならないのか。あまりにも非情ではないか。しかし、少女の辛さを自分では解ってあげられない。少女の抱える過去も、苦しみも、傷も、何ひとつこの手には掴んでいない。こんな自分が、知ったかぶったように慰めて、果たして少女のデリケートな心を癒してやれるのだろうか。そのことが、彼にはどうしようもなく歯痒いのであった。

 

 医師から残酷な宣告を告げられ、その時も自分は現実を受け入れたくはなくて、悟っても拒んで、目を背けた。これ以上、あの少女に悲しみを植え付けないでくれ。そう頼むしか、自分には為せることが見つからなかった。

 

 だが、彼が思うより、あの少女は自身の身の上をその幼さに反して理解しているようで、いつも冷静でいた。全てを心の内に締め付けて、世界にも冷淡な瞳を向けているようだった。そして自分にも感情を見せず、一線を引いていただろう。自分が慰めれば、少女は笑いながらも瞳の奥で他人に何かを言われることに鬱陶しそうにしていた。

 

 少女が心を開かないことに、彼は影でそっと溜め息を吐く。どうしたら、ちゃんと心を開いてもらえるのか。

 

 庭で二人でいた時、少女の背中に自分は何も言葉をかけてやれなかった。言葉が見つからなくて、つい素っ気なく返してしまったこともある。ボロボロな彼女の心には、どれほど傷に痛く沁みただろう。せめて何か一言声をかけてやるべきだったと思っても、後悔にしかならない。

 

 あの時、自分が少女に向かってかけるべき言葉は何だったのだろう。名前を呼んで、その後は……?

 

 こんなにも無力で、自分がファミリーに迎え入れたにも拘らず、何がボスだろうか。こんな自分は、ファミリーのボスには不恰好みたいだ。ふと、自嘲が洩れた。

 

 少女と共にいられる時間は限られている。キャバッローネファミリーのボスとして、これからどう少女と接していき、少しでもその傷を癒せてやれるかは、彼自身にかかっている。

 

 そして彼は、少女のあの庭での反応を見て、ある思案を思いついていた。これで少女の心が少しでも軽くなれば…… 仕事に追われながら、少女の笑顔のために早く終わらせようと彼は手を早めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ファミリーの一員となってこのお屋敷に住んで、もう三日が経った。新しい環境にも慣れて、少しずつ知識も増えてきた、そんなある日。

 

 依然記憶については戻らないままだけど、私は今の生活を十分満喫している。一昨日はキャバッローネの人たちが私のためにパーティーを開いてくれて、少し騒然とする空間に気圧されたりもしたけど、ディーノのフォローがあってファミリーにも溶け込めた。あの時の温かい気持ちは、きっと何があっても忘れられないだろう。

 

 この日は私が自室でエンツィオを肩に読書に浸っていると、部屋の扉がノックされて、別室で仕事をしている筈のディーノが顔を出してきた。

 

「……? ディーノ、仕事は?」

 

 私の問いかけに、ディーノは口元をニッと釣り上げて、大人独特の妖艶な笑顔を作って言う。

 

「もう片してきた。それよりアカネ、外に遊びに行かねえか?」

 

 ……一体なんだろうと思っていたら、また外に行こうというお誘いだった。相変わらず過保護なボスである。

 

「……いいよ。それより、帰って休んできたら?」

 

 きっと碌に休んでいないんだろう。彼のことだもの。構ってくれるのは嬉しいけど、無理はしないでほしいから。

 

 そう断れば、ディーノが落胆した様子で、でもどこか感動したみたいに涙ぐんだ。

 

「アカネ…… オレの体調を心配して、そんなもったいねえ言葉……」

「………………」

 

 私が人を労わるのが、そんなに珍しいのか。そんな感涙するほど、私は普段から風当たりが強いとでも言いたいのか。…………否定もしないけど。

 

「アカネと一緒に行きてえところがあるんだ。そうしたら疲れなんかも吹っ飛ぶからさ。なっ、どうだ?」

 

 やけに嬉々として提案してくる様子に、私も観念して潔く頷いた。こんなにも期待している彼の瞳を裏切るのは、さすがにちょっと心が痛む。なんか私じゃないとダメらしいし…… まぁ別にそこはいいんだけどさ……。

 

 かくして、今日の午後はディーノと出かけることになった。

 

 まぁ、彼のことだから、私を気遣って市街地の有名なところとかに連れて行ってくれるんだろうと思っていた。正直あんまり興味があるわけでもないし、ディーノの優しい気遣いに応えるだけで、そこまで期待はしていなかったんだ。

 

 午後になって、ディーノが車を走らせてとある場所に着いた。

 

「ッ…………」

 

 だけど、ディーノの気遣いは私の予想を遥かに上回って、空っぽだった胸の奥を熱く踊らせた。

 

「ここはな、自然公園っていって、いろんな花や植物が見られるスポットなんだ。お前、こういうのが好きなんだろ?」

 

 密かに背中がうずうずしている私の隣で、ディーノが確信をもったようにそう声をかけてくる。小癪なそのしたり顔に返すように、彼の足を思いっきり踏んでやった。少し心配だったことと言えば、私の身長はディーノの腰の少し上辺りまでしかなく、そんなチビな私の力では彼にちゃんとお返しできるのか、ちょっと心配だったけどいらないようだった。踵に重心を置いたら、ある程度は痛がってくれた。ざまーみろ。

 

 ディーノがすぐに謝ってきたので、それでもう許すとして、さっさと公園の中に入って行こうとした。

 

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 

 ゴソゴソしだしたディーノに待ったをかけられ、肩のエンツィオと訝しげに懐を探る彼を眺める。懐からそれを取り出した彼は私に近づくと屈んで、少し慣れていない手つきでそれを私の手首にかけてくれる。

 

「…………ブレスレット?」

 

 薄桃色の生地に白い花のワンポイントがついた、好みのブレスレットだった。

 

 デザインとして規則的に空いた小穴から吊るされたチェーンが、鈴の音のように涼やかに鳴る。

 

 目をぱちくりとさせて、これは一体何なのかと、こちらを見て微笑んでいる当事者の彼に視線で問う。

 

「へへっ、ちょっとな。さっきたまたま見た雑貨店でアカネに似合いそうだなぁって思って、買って来たんだ。お揃いだぜっ」

 

 そうにこやかに言って、自身の腕にもつけてあった黒地のブレスレットを私に見せびらかしてきた。花の代わりに、ドクロのワンポイントでキメてある。……君も大概餓鬼だな。

 

 彼の陽気さにはほとほと呆れさせられて、少し気分を害されながらも彼の手にエスコートされて、二人で自然公園の中へと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れただろ? なんか買ってくるから、そこのベンチで座って待ってろ」

 

 あれから二時間半が経って、大規模な公園内の半分を回ったところでついに私の足が限界に達した頃、ディーノが近くのベンチに半ば強制で私を座らせて、一人そう言って駆け出していってしまった。

 

 彼も疲れていないわけはないのに、彼一人で行かせてしまうのはさすがに申し訳なくて、一声かけようとしたらふと彼がこちらを振り返ってきて、

 

「寂しいなら、エンツィオに相手してもらえよ?」

 

 なんて余計なことを言うから、やっぱり知らんぷりしておいた。クソッ、いつまでも人を子供扱いして……ッ。

 

 ベンチの背凭れに背を預けながら、エンツィオを抱いてディーノが帰ってくるまでの暇を潰す。……別に彼に言われたからこうしているわけじゃないけどさ…… この辺りは植物も少ないし、人通りだってあんまりないから、飽きたんだ。

 

 誰に向かっての言い訳なのか、きっと疲れからの溜め息を吐き出して、私は時間の経過を待った。

 

 ディーノが戻ってくるまで、どこからか吹いてくる風に服の裾や髪を靡かせてエンツィオと一緒に涼んでいた。植物の葉っぱもサワサワと揺れて、静かな合唱を奏でている。しばらくはそれに耳を傾けていた。

 

 ……それにしても、ディーノ遅いような……。もう二十分も待ってる筈なのに、どこまで買いに行ってるのか………… まさか、この広い公園内で迷子には…… な、ないか。さすがに。彼だってああでも立派な一人の大人なんだし、それにファミリーのボスなんだし、問題ないよね……。

 

「………………」

 

 ベンチから、腰を浮かせてみる。……だってエンツィオが、そうしてほしそうに目で訴えてきたから…… ついでに散歩でもしてこようかな。ばったりディーノと会うかもしれないし……。

 

 その時―――― いきなり後ろからバッと手と口元を塞がれる。

 

 ハンカチを強引に口元と鼻に押し付けられて、次第に意識がぼんやりしてくる。睡眠薬か何か、ハンカチに染み込んであるのか……。

 

「ッ―――……」

 

 もう、ダメ………… 誰かは知らないけど、この力の強さではきっと振り解けないし…… それにもう意識がッ……。

 

 

 

 ディーノ――――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ア、カネ…………?」

 

 ループしていた迷子からようやく抜け出し、少女が自分を待っている筈のベンチへと戻ってきた。溶けて地面にポタポタと落ち始めているアイスを両手に、ディーノはその光景を目の当たりにして、言葉を失くした。

 

 大人しく待っている筈の少女の姿は忽然と消え、ベンチの真下には甲羅が裏返っている相棒のエンツィオが転がっている。

 

 しばらく事の事態が受け入れられず、我を失くして呆然と佇んでいたが、ハッとなって血が滲むほどディーノは歯を食いしばった。

 

「ッ……………!」

 

 アイスも投げ捨て、ディーノは後先構わず、ただひたすら少女の無事を祈って駆け出した。

 

 

 



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第6話

 遠い暗闇から、声が聞こえる……。

 

「…………どう……んだ……」

「本当に……」

「ああ………に、反応が……」

「……これで…………レなんぞ……」

 

 

 

 ――あっ…… あいつ……。

 

 ――まただ…………。

 

 ――……最低。

 

 ――この、人殺し。

 

 ――お前が…… 消えればよかったんだ。

 

 ――いなくなってしまえ…… お前なんか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは……――私の、記憶…………?

 

 そう受け入れるには、言葉にし難い思いが、悲しみが、私の胸の内を締め付ける。

 

 張り裂けそうなくらい後悔を知って、一旦目を瞑った。

 

 こうすれば、全て紛らわせるような気がして……。

 

 記憶にない思いは、流してしまおう――……。

 

 こうして目を瞑っていれば、また彼が助けに来てくれると、甘い薄い期待をしながら――

 

 まだ、複数の声がしている。全員、知らないおじさんの声だ……。何かをヒソヒソと話し合っている。生憎内容は聞き取れないけど…… 壁を挟んだ向こう側で話しているみたい。だから声が籠っているのか。そして私は、どこか分からない一面暗闇にいて、体の自由を奪われている状態。紐とガムテープで手足や口元を塞がれていて、どんなに足掻いても誰にも届かない現状。これはやっぱり、望み薄かな。

 

 無駄な抵抗は体力を消耗するだけなので、早いうちに諦めておく。起こることのない希望に縋るほど、子供でも愚かでもない。どうして私がこんな目に遭わなければならないのかは分からないけど、思いの外この状況下で冷静でいる自分に感心していた。

 

 もう、悟っているのかな。ここから、抜け出せないことを――助けなんて、待っても来ないということを――……。

 

 自分でも、知っていて悲しくなってくる。少しでも、期待していたいんだ。あの笑顔に、彼がまた笑いながら手を差し伸べてくれることに――……。

 

 やっぱり、自分は愚か者だったんだと、目の熱さを覚えて歯を食いしばる。

 

 ――……もう、何もかも嫌だ…… こんな気持ちになるのなら、私なんて消えてしまったら…………。

 

「――――すまん」

 

 息を切らして、壁の向こうから聞こえてくる、優しくて安心する声――……。

 

 無機質な重い音を立てて、外と隔てていた壁が取り除かれていく。そして知った。私が隔離されていたのは、普通車のトランクの中だった。だからゆっくりと、トランクの蓋が上に向かって開かれていく。

 

 眩い光と共に、待ち焦がれていた彼の姿が現れる―――

 

「ッ………… ディーノッ……」

 

 口のガムテープを剥がされて、堪えきれず呟いた。

 

 朦朧とする意識の中で、意識が途切れるまで、ディーノが強く抱き締めてくれたことだけを鮮明に覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アカネを無事に保護し、アジトへ搬送して行くのをディーノは見届けた後に、地面へと倒れ込む素知らぬ男たちに構わず問い質す。

 

「おい、聞いてんのか。てめーら、どこのファミリーのもんだ。どうしてアカネを攫ったりした」

 

 彼が名を挙げたその少女の前では決して見せることのない、普段の彼からはかけ離れた殺意の眼差しに、地べたの男たちは全員が慄いた。鞭を手に、己らと格差をみせつける巨大ファミリーのボスに、震え上がらない者はいなかった。

 

「ッ………… だ、れが…… キャバッローネの若僧なんぞに、情報を漏らす、か……」

「そうか」

 

 刹那、男の悶絶が廃棄された工場の空間に響き渡る。ディーノは数度己の武器で彼らの体を容赦なく痛めつけ、自白がないか様子を窺ってみた。

 

 しかし、ディーノの考えをこの男たちは遥かに超えて、狂気じみた眼を剥き出しにして呟く。

 

「ハァ…… ハァ…… おぉ教えてなるものかッ……。こ、これはっ…… 世界を手に入れるための、血眼になってようやく手に入れた情報なんだっ…………。お、お前らに渡すくらいなら………」

 

 カチャリと、身に覚えのある音を聞いて、冷静に事を見つめていたディーノもそうはいられなくなった。

 

「!? オイッ、待て! 何をする気だッ!」

 

 すかさずディーノが制止を呼びかけたが、すでに手遅れだった。

 

 銃声を奏で、次の瞬間ディーノの足元には血達磨の男たちの死体だけが横たわっていた。

 

 その悲惨な光景を一人その場に立って眺めて、彼の拳は急激にわなわなと震えだしていた。

 

「何なんだ、一体…… どうしてそこまでする必要があんだよ……」

 

 今更尋ねても、屍に答える術はないことは承知している。ディーノは歯痒い思いを押し殺し、しばらくした後に一人工場跡地を去って行った。

 

 



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第7話

 夕暮れ時、私は自室のベッドの上で静かに目を覚ました。

 

 あの日のように、オレンジ色の光が部屋を照らしていて、開け放たれた窓からは安らかな風がカーテンをふわりと揺らす。

 

 もう随分と見慣れた風景……――だと思ってた。だけど、あの時とは変わっていることが、ひとつだけ。

 

「ディーノ……」

 

 私の寝ていたベッドの近くに屈むように座って、静かな寝息を立てている。

 

 そう、あの時は私はひとりぼっちだったけど、今はこうして彼がそばにいてくれる。

 

 ずっとそばにいて、看病してくれていたのか、上半身をベッドの上に凭れかけて眠っているディーノ。初めて見る彼の寝顔は私よりも子供で、どうしてか微笑ましかった。

 

 あの後……――私が誘拐されてから、ディーノは何らかの方法で私の居場所を突き止めて、助けに来てくれたんだろう。私を攫った誘拐犯たちを捕まえて、そして今まで休みなく私のために動いてくれていたんだろう。そう思うと、彼に何もかも押し付けて、無理をさせてしまったと胸が痛むのは否めない。

 

 私は、彼に甘えすぎているのだろうか……。彼がいないと、私は何もできない気がする。生きることにさえも、価値を持たないと思う。私は、ディーノがいないとダメなんだ……。

 

 なのに、自分のためにこんな無茶をする彼を見ていたくはない。疲れてぐったりした、抱え込む彼の苦しい表情を見たくはない。矛盾している。全て私がそうさせているのに、そんなことを言うなんて、ただの子供の我儘じゃない。

 

 結局どうすればいいのかなんて分からなくて、心みたいに不器用な手で彼の頭に触れてみる。思いの外、さらさらしていた。

 

「…………ディーノ」

 

 名前を呼んでみて、彼が起きないことを知る。

 

 綺麗な寝顔に、どんどん感情が募っていって、私から彼を隠すように視界が揺らいでいく――

 

「う、ん………… ア、カネ……?」

 

 ディーノが起きたようだ。まだ焦点の合わない目で、ぼんやりこちらを窺っている。

 

「……おはよう、ディーノ」

 

 不恰好な笑顔を作ってみせる。もう夕暮れだというのに、この挨拶は変だっただろうか。

 

「アカネ…… ハッ。アカネッ! 大丈夫かッ!? どこか痛いとことかはないかッ!?」

 

 意識が覚醒したディーノは、すっかりいつものように過保護な彼に戻り、本気で私を心配してくる。嬉しいんだが、ちょっと肩が痛い。

 

 大丈夫だと無難に返して、一応落ち着いたところで彼から様々な情報を貰っていく。あれからもう二日が経っていたようで、多少は驚いた。ディーノがあれだけ心配してくれていたのも、少し分かった気がする。それでも過保護だが。そして、私を誘拐した犯人の男たちにやその動機についてはまだ解っていないとのことだった。

 

「……それにしても、どうして居場所が分かったの?」

 

 犯人グループのことよりも、そっちの方が正直気になっていた。あそこには犯人や私の居場所に繋がる手掛かりなどはなかったような気がする。

 

「ああ、それはな。こいつだぜ」

「……ブレスレット?」

 

 私の手首にかかった、ディーノから貰ったブレスレットを指して、ディーノがそう言った。

 

「実はな、その花の飾りの中心んとこに小型GPS発信機をつけておいたんだ。上手く仕込んであるから、探知機とか使わねぇ限りバレる心配はねえ」

「…………どうしてそんなの仕込んでたの」

「うん? そんなもん、もしアカネが迷子になった時のためにこうしとけば――って! いててっ! 冗談だっつうのッ! 悪かったからッ、やめろって! アカネ!」

 

 さっき、少しでも彼に情が移ったことを後悔した。最低だ。この偽善保護者が。……というか、それなら彼がお揃いのブレスレットをつけた意味はあるのだろうか。

 

 ディーノに一通り枕や布団やらを投げつけてやったところで、投げるものがなくなった私は、ベッドの上で一旦息を吐いた。そしてつい、俯いてしまう。

 

 いろんな気持ちや情報が私のもとへ押し寄せてきて、本当のところはどうしていいのか分かっていない。あの声も、音も、残像も、闇も…… きっと私の中に潜在している。なのに、居心地が悪くて、覗こうとする勇気が出ない。

 

 頭が、またグラグラしだす……。こんな時は、決まってディーノが大丈夫だと言って、私に手を伸ばしてくれるのに…… この時はなかった。すごく不安になった。

 

「――アカネ」

 

 どうして……… ディーノの声が、切なく聞こえる。どうしよう、私には何もできない――……。

 

 案の定、ディーノは私にどうしようもないような悲しい笑顔を見せて、私に触れることなく、耳元で囁いていった。

 

「――――」

 

 ――ねぇ、ディーノ。その言葉の真意は、貴方にとって何なの――?

 

 怒らないから、頑張ってこの胸に受け止めるから…… お願いだから、教えてよ――……。

 

 パタンと扉が重く閉ざされて、私の心もまた殻に閉じ籠もっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切だから、これ以上は傷つけたくないから、少女と距離を置いてしまうのは仕方ないことなのか――……。

 

 権力、裏切り、交戦、殺戮………… それらによってドロドロの血に塗れた自身の掌を見つめ、ディーノは自分でも何がしたいのか、分からなくなった。

 

 ただ、守りたいだけなのに…… 自分のように穢れてほしくはなくてそう願うだけなのに、こうすることが正解なのか彼には分からない。自分が少女に対して行った行為は、全て少女のためだったのかと疑う。自分は確かに少女を守るために考えて動いていた筈なのに、どうして結果はいつも残酷なものなのだろう。少女の笑顔を守るために取った行動が、何故あんな表情をさせてしまうのだろう。

 

 恐らく、あの少女にとって、自分は有害な存在でしかないのだろう。様々な事柄や結果が、ディーノにそう自身の存在価値を決めつけた。

 

 屋敷の廊下を歩いていると、窓から差し込む光の加減が弱まっていることにふと気づく。茜色の空が、次第に闇へと堕ちていく、その刹那――…… ディーノは覚悟を決めた。

 

「アカネ…… お前は、絶対に消させたりしねえからな。オレ以外の手で――」

 

 決意した一方で、どうしようもなく胸が痛むのは気のせいだろうか。

 

 まだ相手すら見つかっていないが、娘を送り出す父親の気持ちとはこういうものかと、ディーノは苦笑する。

 

 全ては、少女が幸せになるため――――そのためなら、もう二度とあの笑顔を見られなくなってしまっても、本望かもしれない。

 

 オレンジ色の空が闇と交じり合う刹那に、祈りを込めてディーノは目を瞑った。

 

 

 




これにてイタリア編が終了、短い(笑)
本当にシリアス多くて自分でも笑っちゃう。

はい、次話から第二章ですね。ボチボチ頑張りますよ。そろそろディーノの親バカスキルが本領発揮する、かな。


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ジャッポーネ編
第8話


第二章です。ここまで来たぞ、わーい。
第二章では10年後のあのキャラやあのキャラがわんさわんさと出ます。あの人が黒かったりヘタレだったり虐められたり(←します。はい。

では、本編スタート。


 あれから一晩休んだら体力も普通に戻って、いつもの平穏な生活に戻ることができた。

 

 ここに来てもうすぐ一週間が経とうとする頃になって、ディーノが唐突にこう言い放った。

 

「アカネ、ジャッポーネに行くぞ!」

 

 …………ここは、ボケにつっこむのが正当なのか。私、別にどっちも得意じゃないんだけどな……。

 

 肩にいるエンツィオにどうしようか目で相談し合っていると、そこに再びディーノの嬉々とした声が響く。無駄なくらい、今日はやけにテンションが高いな。

 

「実はな、ジャッポーネのある同盟ファミリーから、パーティーの招待状が来てんだ」

 

 なるほどと、彼が差し出した招待状の封筒を見て納得する。こういったイベントには、かなりお得意そうだから。ちなみに私はというとそれほどでもないから、彼のようにテンションが上がったりすることはないけれど。

 

「同伴者も連れてって問題ねえっつーことで、アカネも行こうぜ。なっ?」

「…………うん」

 

 大人たちのパーティーに、私みたいな子供を連れて行って平気なのかと少し心配だったが、彼の熱意にここで水を差しては悪いだろうと、仕方なく頷いた。年齢制限はなさそうだし、まぁいいだろう。それに、近頃ディーノの態度がどこかよそよそしいと疑っていたから、誤解が解けて何よりだった。

 

「んじゃ、早速ジェット機に乗り込むぞ!」

「えっ、ちょっと…… まだ何も準備してないんだけど」

「そうなんだがなぁ…… ここのパーティー開始時間にPM.6:00からって書いてあるだろ?」

「それが、何? 今はまだお昼の12時になったばかりで、って…………」

 

 今すぐジェット機に乗り込む必要はないだろうと、そう彼に伝えようとした間際に、彼が握っている招待状の紙面に書かれた大まかな内容を把握して、思わず固まってしまった。

 

 その書かれていた内容によると、パーティー会場はここ(イタリア)ではなく日本(ジャッポーネ)………… 強いて言えば、パーティーの開始時刻は日本時間でのPM.6:00――……。

 

「いやー…… 俺もすっかり時差のこと忘れててな……」

「…………それじゃあ」

「ああ、たぶん、もうあっちでパーティー始まっちまってる……」

「………………」

 

 一瞬の重い沈黙の後、早急に身支度等の用意を整えてディーノと共にキャバッローネ専用のジェット機へ乗り込むと、そうしてジャッポーネへと直行して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在、日本時間PM.10:30。

 

 あれからジェット機を飛ばして、今日中にジャッポーネに入国することができた。初めての外国は何もかも新鮮で、新しい景色ばかりで、右も左も分からない私にディーノが苦笑しながら先導してくれた。

 

 手続きを終えて空港を出て、そして招待されたパーティー会場へと向かっていく最中も、イタリアとは一変した異国文化と新鮮な街並みに目を奪われる。

 

「ホラッ、余所見してると危ねえぞ」

「あっ、うん……」

 

 人通りの多い道で、混雑に埋もれそうになる私をディーノが助けてくれる。そのまま彼と手を繋いで、踏み慣れない異国の歩道を進んでいった。

 

 澄んだ闇色の空を仰いで、点々と瞬く星の光に目を奪われながら、ふとディーノに問いかける。

 

「ねぇ、パーティー…… もう終わっちゃっているかな……」

「いや、どうせあいつらのことだからな。むしろこの時間帯あたりが本番じゃねーか? とりあえずはまぁ、心配いらねーさ」

 

 私にはイマイチ理解し難い彼の返答だが、とにかくは私の心配していたことは杞憂であるということで十分だった。大人っていうのは案外複雑なものだから、私は気づかないフリして触れないでおこう。

 

 スーツのポケットから例の招待状を取り出すと、封筒を睨みつけてディーノがふと零す。

 

「……つーか、内容がアレだしなぁ。嬉しいんだが、兄貴分として素直に喜んでやっていいのか……」

 

 何やらブツブツと唱えだしている。こういうのが大人の複雑さなんだろうか。社会に幻滅してしまいそうになる。

 

 彼の人間関係は私もよく知らないけど、自分の後輩に先を越されて、さすがの彼のプライドにも響いたのだろうか。私に鬱陶しく構ってばかりいるから、時期を逃すんだ。たぶん。でも30にもなって相手が見つからないのは、さすがにそろそろやばいだろう。

 

 そんな彼にも、チャンスとは平等に訪れるらしい。

 

「ディーノ」

「ん? なんだ?」

「大丈夫。今日のパーティーで相手を見つければ、きっと挽回できるから」

「…………余計なお世話だよっ」

 

 封筒の角で頭を軽く小突かれる。失敬な、私はこれでもちゃんと応援しているのに……。

 

 今日の結婚披露宴(パーティー)…… ディーノにも素敵な出逢いがありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タクシーを拾って、招待状に書かれたパーティー会場へ向かうと、ドームみたいな建物の前で車が停まった。

 

「うおっ…… まさかのドーム貸切かよ。こいつはまた派手だな」

 

 ディーノも隣で私と同じように驚いている。マフィアなのに、こんな世間に公にしちゃってもいいものなのかな……?

 

 とりあえず入るかと、ディーノに手を引っ張られて少し強引に中へと入っていく。外からも聞こえていたけど、ドーム内はまた非常に盛況のようだ。マフィアというあたり、周りはみんな黒服を着ているし、髭面の濃いおじさんばかり…… むさい…………。

 

「おー、だいぶ盛況じゃねーか。これは今回の主役を探し出すのは骨が折れるかもな」

 

 こういうのに随分と慣れているらしいディーノの方は、笑って会場内の様子を観察している。

 

 人混みに慣れていない私は、こんな密閉された空間で見知らない人たち(しかも大体は厳ついおじさんたち)といるなんて、耐えられそうにない……。やっぱり来なければよかった……。

 

 だけど、そうも言ってられず、ディーノの登場に周りが騒然としだす。ディーノはマフィアの中でも伝統ある巨大ファミリーのボスだから、ここでも普通に有名人だよねー……。

 

 すると、飲み合っていたおじさんたちが、突如群がるようにディーノのもとへと挨拶しにやって来る。各々でイタリア語やら日本語やら英語やらで会話して、厚い握手を交わしたりしている中、この状況にどう対処していいか分からず私はただひたすらディーノのスーツにしがみついていた。私も少しパニックになっていたから、彼のお荷物になってしまっていたなんて考える余裕もなかった。

 

「アカネッ、ちょっと待て、落ち着けって! ズボンがズレるだろ!?」

「ッ~~~~!」

 

 ディーノに注意されても、彼から離れることができない。今彼から離れたら、きっと死んでしまう……!

 

 そんな私たちのやりとりを見て、私の存在に今頃気づいたおじさんの人たちが、すると口々に言い合う。

 

「おや、そちらのお嬢さんは一体どなたでしょうな?」

「とても愛くるしい姫君で」

「もしや、ディーノ様の娘様でございますか?」

「ディーノ様が既婚者であられたとは、初耳でございますな」

「とすれば、奥様の方はどちらに……」

 

 何やら見事な勘繰りをされてしまい、ディーノがまた必死に彼らに説明している。彼も苦労するんだな。主に私のせいで。

 

 誤解を解くことには成功したようで、隙を見て私を連れて群れの中から脱出すると、会場の隅の方まで連れて行かれて何だろうと首を傾げる。

 

 私と真正面から目を合わせられるように屈んで、両肩を大きな手で抱いて、ディーノがどこか真剣さを帯びて私に問いかける。

 

「おい、何なんださっきのは。人混みが苦手なのは分かるが、あれじゃ身動き取れねえし暑苦しいんだよ」

「ズボンをズリ下げてしまったことは謝るが、あれは不可抗力だった。ディーノだって、私の苦手とすることをちゃんと理解している上での結果だった。よって今回の件に関しては私に否はないし、こうなった結果について後悔もしていない」

「お前な…………」

 

 正論を言ったまでなのに、どうしてそんなに肩を落とされるんだろう。

 

「ボスなら、ちゃんとファミリーをサポートして」

「……ああ、分かったよ。そんなにオレのもとから離れたくねえんなら、これからはお姫様抱っこで抱いて行ってやるよ」

「……私が悪かった………」

 

 目立つことは勘弁なので、さっさと彼に謝ることにする。それにしても、なぜお姫様抱っこのチョイスなんだろ…… 嫌がらせ?

 

「フッ…… 素直に謝れることは偉いぞ」

 

 久しぶりに、ディーノからポンポンと頭を叩かれる。無性に、嬉しさが胸に染み込む……。

 

「俺もちゃんとサポートするから、アカネももう少し頑張ってくれ。いいか?」

 

 覗き込んでくる鳶色の瞳は、光沢があって、ここに来て今まで見てきた街や景色の光の中でも一番輝いていて、綺麗だった。

 

「うん………… さっきは、その、荷物になってごめん……」

「お荷物だなんて、別に思ってねえよ。強いて言うなら、躾のなってないペットを同伴してきたくれーかな?」

 

 ……それは、彼の肩の上にいる動物のことを言っているのか。私のことではないと思いたい。

 

「って、イテッ! よせって、エンツィオ! 噛むなッ、お前のこと言ったんじゃねぇってーのッ!」

 

 彼の肩の上で話を聞いていたエンツィオが、私と同じことを思ったのか、主人の首に容赦なく噛みついている。つい口が滑ったディーノは、ちょっとだけ涙目になってエンツィオを説得している。こんなので大丈夫なのかな、キャバッローネ……。

 

「あっ、いた! ディーノさん!」

 

 するとそこに、聞き慣れない声が少し遠くから聞こえてくる。

 

「って、だだ大丈夫ですか!? ディーノさん!? なんでエンツィオに噛まれてるのー!?」

「つ、ツナッ…… 悪いがちょっと取り込み中で…… か、紙とペンはどっかにねえか……?」

「早まらないでくださいよーッ!?」

 

 ディーノと知らない男の人が、何か話してる。ディーノより若そう…… それからどう見ても、ジャポネーゼだよね……。

 

 ニホンゴが皆無な私には、彼らが会話している内容がこれっぽっちも理解できない。だから彼らから少し離れたところで、現状をぼんやり眺めているしかない。それにしてもディーノ、ニホンゴ話せたんだ……。なんか意外……。

 

 男の人の助けで無事にエンツィオから解放されたディーノは、私の聞き取れないニホンゴでまたその男の人と会話をしだした。

 

「ありがとな、弟分」

「いえいえ、ディーノさんも相変わらずですね……」

「それよりよかったぜ、態々主役からお出ましになってくれるとはな」

「えっ?」

 

 何やら呆然としている男の人と、なぜかしたり顔のディーノ。一体あの男の人に何をまた碌でもないことでも言ったのやら……。

 

 すると、ここに来る前に買ってきた白の薔薇の花束を男の人に向かって差し出す。……ちょっと待って、その花束一体どこから出してきたの。

 

「Felicitazioni vivissime! 先越されちまったぜ、ツナ」

 

 ご結婚おめでとう…… そっか、この人が新郎なんだ。気持ちは分からなくないけど…… ディーノ、笑顔が引き攣ってる……。

 

 後輩に抜かれたことがやっぱり彼でも少し悔しいんだなと一人で納得しながら、新郎の男の人の方に目を向けてみる。すると、彼は白い薔薇の花束に感動するどころか、戸惑いながらディーノの顔を窺っていた。

 

「え、えと…… ディーノさん……」

「えぇ遠慮すんなってっ! お前たちはお前たちで幸せにやっていけ! つ、つーか、別にオレは焼いてなんか……」

「ディーノさん、誤解してるようなんですが…… これ、オレの結婚パーティーじゃないですよ」

 

 彼らの会話が今まで噛み合ってないというのはなんとなく分かっていた。すると、男の人が言い放った何かの言葉に、ディーノが急に固まってしまった。

 

「………………はっ? え、じゃあ誰の……? まさか、恭弥かッ!?」

 

 いきなり喰らいついたディーノに、男の人がビクビクしながら首を振る。

 

「ちち違いますッ! 雲雀さんじゃありませんよ! そんなのオレたち招待されるわけないじゃないですか!」

「そ、そうか…… じゃあ一体誰なんだ!? 獄寺かッ、山本かッ!? そういやヴァリアーもボンゴレ名義になるんだよな!? XANXUSかッ、それともスクアーロかッ!? もしや大穴でリボーンッ……!?」

「ディーノさん、落ち着いてぇー!!」

 

 両肩を抱かれてガクガクとディーノに揺さぶられている男の人が、不憫で仕方ない。そんな様子にも気づかず、必死な様のディーノの方がもっと残念……。顔はイイのに、独り身な理由(ワケ)がよく分かる。

 

「オメー舐めてんのか、ディーノ」

 

 その時どこからか男の子の声が降ってきて、本当にディーノの真上から降ってきた。ディーノは下敷きになって、軽く痙攣しちゃっている。わ、私は何も見なかった……。

 

「り、リボーンッ! お前どんなところから出てきてんだよ! つーか、さっさと降りろ! もう赤ん坊じゃないんだから、ディーノさんが下敷きにッ……!」

「落ち着くまでこのまま意識ぶっ飛ばしてた方がいいだろ。この空気読めねえヤローが。今日はせっかくあいつの晴れ舞台だっつーのに、あの問題を積んで来やがって」

 

 ディーノの背中から下りて、私と同い年くらいの男の子はボルサリーノの帽子を被り直した。それを見て、慌てて男の人がディーノに駆け寄って具合を診ている。私も少し心配だけど、こんなハードボイルドな人たちの間を掻い潜ってディーノの容態を見に行くなんてできない。彼のことだから、大丈夫だと信じておこう。

 

 そんなハードボイルドな同い年の筈の男の子は、ディーノの容態など気にも留めない様子で、彼を診ている男の人に声をかける。

 

「おい、ツナ」

「ん?」

 

 男の子が顎で示した先には、エンツィオと共に避難していた私が立っていた。

 

「えっ…………」

「オイ、お前」

 

 ッ………!? イタリア語!? この子、何者……!?

 

 男の子の掛け声に度肝を抜かれて、呆然としてしまっていると、男の子がさらに話しかけてくる。

 

「オレの名はリボーン、巷では名の知れた最強のヒットマンだ。お前は確か、アカネだろ?」

「えっ、君…… どうして、私の名前…………」

 

 こんがらがる頭に、初めましての人にさらに名前まで知られているなんて思考が追いつかなくて、どうしていいか分からず半ばパニックになっていた。

 

「ッんの、オイコラッリボーン! 痛ぇだろうがッ! 久しぶりに会ったってのに、何すんだよッ!」

「でぃ、ディーノ……!」

 

 男の子に追い詰められていた私に、救いの手が現れる。背中を抑えてまだ痛そうにしているけど、無事にディーノが意識を取り戻したようだ。心配している男の人を押し退けて、何やら男の子に文句を言っている。

 

 悪態をボロボロ吐くディーノとは裏腹に、男の子の方は余裕たっぷりにしたり顔を見せつけている。これじゃどっちが大人か子供か、区別がつかない。

 

「オメーが余計なこと言うからだぞ。戸籍上まだ11歳のちんちくりんなオレじゃどんなイイ女見つけたところで籍入れられねえくれーのこと、脳天ぶち抜かねえと解んねーか?」

「すすすまん! なんか悪かった!!」

「り、リボーン…… 場所、場所を考えてッ……!」

 

 玩具の拳銃……? なんかを取り出して、男の子は再びニホンゴで残りの二人に何かを伝えている様子。やっぱり、いくら聞いてもちんぷんかんぷんだ。

 

 その後、恐らく男の人の方が彼を説得したんだろう。男の子が懐にそれを収めたところで、話の筋がまた私へと戻される。三人の視線が突き刺さる中、栗毛の優しそうなあの男の人が、目線を合わせるように私の前まで来て屈むと、にっこりと微笑んで話しかけてきた。

 

「えぇーっと、アカネちゃんだよね? 初めまして、オレは沢田綱吉。会えて嬉しいよ」

 

 少し片言ながらも、丁寧ではっきりしたイタリア語で挨拶されて、私は差し出された彼の手を握り返すどころか、失礼にも相手の顔を凝視してしまった。

 

「…………えっと、オレの顔に何かついてる?」

「いえ…… あの…… えぇと…………」

 

 緊張する…… 心臓がドクドクってうるさい。それに、以前の出来事がまた頭を掠めて、全身が震え出してくる…………。

 

 知らない手、知らない顔、知らない人…… 知らない、見に覚えのない感覚――……。

 

 暗闇に近い、窮屈な空間に囚われて、いろんな目が私を異様に見てきて、それがどうしようもなく怖くて恐ろしくて、私は―――……。

 

 



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第9話

 竦む肩に、ポンと手が置かれる。

 

「大丈夫だ」

 

 ……ディーノだった。私の後ろに回って、相手に緊張する私をサポートしてくれるようだ。

 

 まだ強張る体をゆっくりとほぐすようにして、ディーノがそう声をかけてくれる。それに私はハッとなって、相手の顔をもう一度まっすぐに見つめ直してみた。

 

「落ち着いて、いつものお前らしくいろ。こいつらはオレと同じで、お前のことを大切に思ってくれる仲間だ」

 

 ディーノの言葉に騙されたと思って、思いきって相手の目を見つめてみる。

 

 男の人は、まっすぐで温かい微笑みを、私に向けて魅せてくれた。

 

 彼の包容に負けて、口から思わず言葉が洩れてくる。

 

「アカネ…… です……。よ、よろしくお願いします」

「ハハッ、うん。よろしくね、アカネちゃん」

 

 いつの間にか彼と繋いでいた手が、ディーノみたいに大きくて、あの時のように安心した。

 

 こんな積極的なことをして、自分でも自覚して顔が赤いのに、そこにディーノがさらに追い打ちをかけてくる。

 

「よく出来ました」

「…………うるさいっ」

 

 睨みを飛ばしたけど、大して相手にされなかった。私も男の子のようにヒットマンでも目指そうか。

 

 私と彼のやりとりを、傍から他の二人に見られているのもなんだか落ち着かないので、もう遠慮もやめて私は気になることを彼らにひとつ、訊いてみる。

 

「あの、さ…… サワダ…… ワサダ……?」

「ああ、みんなツナって呼んでるから、ツナでいいよ」

「……ツナ、その…… 初めて会うのに、まるで以前から私のことを知っているような口振りなのは…… どうして?」

「えっ!? いやっ、それは……」

 

 二人共、会ってもいない私のことを知っている風にして、しかもディーノがくれた名前まで知っているなんて…… 怪しい。それにこの反応は、一体何を隠そうとしているんだろう……。

 

「ア、アカネちゃん。気を悪くしないで聞いてほしいんだけどさ、オレたちが君を知っているのは、そこのディーノさんが文通で毎回アカネちゃんのことを自慢して……」

「わぁぁあああッ!? ツナッ!! それアカネに言うなッ! オレのトップシークレットだぞッ!!」

「ディーノさん…… そこで日本語喋っちゃうのはずるいですよ」

「つーか、日本語に変えたところで大体は感づかれてるぞ。お前」

 

 三人がまたニホンゴで何やら話し込んでいる。でも…… そんなのはもう関係ない。

 

「…………ディーノ」

「ギクッ。いや、アカネ…… 待てよっ。話せば解るから、なっ?」

 

 今はもう、彼の笑顔には騙されない。ヒットマンになんてならずに、今もうここでエンツィオを使って全てを終わらせよう。

 

 じりじりと逃げていくディーノに、私も手にエンツィオを構えてじりじりと歩いていった。すると横からいきなり邪魔が入ってくる。

 

「まあまあ、お二人共落ち着いて! 今日はせっかくのあの人の晴れの舞台なんですから!」

 

 ツナが間に入ってきて、いいところだったのを呆気なく邪魔される。あと少しだったのに……。

 

「助かったぜ、ツナ……」

「ディーノさんもしっかりしてください。女の子に何ビビっちゃってるんですかッ」

「はッ!? い、いや別にビビってねえさ!」

「答えが怪しすぎます。もう、パーティーでもオレに花束なんか渡してくるし…… 相変わらずのドジっぷりですね……」

「いいや、今回ドジッたのはテメーだぞ。ツナ」

「は?」

 

 ディーノがさらに挙動不審になったと思えば、落胆していたツナが男の子の言葉にポカンとしだした。何この茶番みたいな展開…………。

 

「新郎新婦の名前も書かずにボンゴレ名義で招待状を出せば、誰だってお前のことだと勘違いするぞ」

「あれ? そうだっけな―…… 招待状なんて書き慣れてないから、どう書いていいのか分かんないんだよなぁ」

「ツナ…… オメーは馬鹿かッ。ボンゴレのトップが手紙のひとつも書けねえでどうすんだ。近頃はパソコンのキーをポチポチ押すだけで碌に字も書かねえんだろ。ここはひとつ、中坊の頃の初心に還ってみるか?」

「結構ですごめんなさいやめてください」

 

 ツナが、男の子に向かって急に腰を折った。い、今…… 大人が子供に頭を下げているという衝撃的なものを見た、気がする……。な、何が起こっているの……? 私は何も見ていない……。

 

 ジャポネーゼの会話がオンパレードで、混乱の中後ろへ引き下がっていると、足が縺れて後ろにいた誰かにぶつかって、ついでに私はそのまま地面に転んでしまった。

 

「ってぇな。どこ見て歩いてんだよッ」

 

 イタリア語で、相手にそう怒鳴られた。

 

 銀髪、凄んだ眼、ギラつくピアス、ジャラジャラのアクセ、着崩したスーツ………… この人、ヤバイッ!!!

 

 恐怖に固まって言葉も出ない私を依然睨んでいるヤバイ人の隣から、聞き取れない言語…… ニホンゴで誰かが話しかけてくる。

 

「おいおい、獄寺。こんなちっせぇ女の子相手にマジになるなよなぁ」

「うるせぇ、山本。別にこんな餓鬼相手にマジになんねぇっての。つーか、オレが言いてえのはよぉ……」

「あっ、獄寺君に山本」

 

 ツナがまたニホンゴで、私とぶつかった男の人と黒髪の男の人に声をかけている。……まさかの、知り合い……?

 

「10代目! お探ししましたよ! 一人で身動きを取るのは危険ですとあれほど……!」

「や、ここボンゴレが貸し切ってるドーム会場だし……。それにほらっ、リボーンも付いてるから平気だって。獄寺君」

「り、リボーンさんがお伴されていましたかッ……! それなら安心ッスねッ!」

 

 私を怒鳴った時はイタリア語だったのに、ツナになればニホンゴで対応している……。

 

 私の目の前では私とぶつかったあのヤバイ人が、ツナにヘコヘコ頭下げている光景が見えるような…… あれかな、幻聴か幻覚……。私、ニホンゴ分からないし、きっとそうだ。私は何も見なかった。

 

 そんな銀髪のヤバイ人に向かって何を思ったのか、ディーノがその人の肩を掴んで、少し強引に自身の側へと引き寄せる。

 

「オイ、獄寺。お勤めご苦労サマだが、何か言うことはねえのかよ?」

「あぁ? んでテメーまで来てんだよ、跳ね馬。ボンゴレじゃねーだろうが」

「そっちから招待して来たんだ。来るのが礼儀ってもんだろ。それにオレんとこ以外の同盟ファミリーも、どうせわんさか来てんだろ?」

「そうですね。キャバッローネ、ジッリョネロ、シモン、トマゾ…… いろいろ招待しちゃってますね」

「まぁ、それはさて置いといて…… さっきアカネにぶつかっといて、何か言うことはねえのかって聞いてんだ」

「アカネ……? 誰だそりゃ?」

「おっ。もしかして、さっき獄寺とぶつかって、そこで転んだままの女の子のことか?」

 

 背中に何かをぶら下げているジャポネーゼの男の人の言葉をきっかけに、するといきなり全員の目が私に向けられる。……!? な、な、何ッ!? 何話してるの、この人たち……!?

 

「ご、獄寺君! アカネちゃんになんてことしてるの! 早く謝ってッ!!」

「えぇええッ!? こいつッスかッ!? つーかッ、こいつがオレにぶつかって来たんであって、オレのせいじゃね……」

「あっ? なんだ? こんないたいけな少女に、テメェは事の罪なすりつけようってか。ちょっと表出るか、獄寺」

「獄寺、早く謝っとけ。さもねえとディーノが場所構わずに仕掛けて来るぞ」

「往生際悪りぃーのなー、獄寺」

「うるせぇぞ、山本ッ!」

 

 視線を外されたかと思えば、今度は修羅場……!? ディーノの雰囲気が、なんだかさっきとまるで違うような…… 会話が盛り上がっているという証拠なのかな……。なんて考えていたら、銀髪のヤバイ人がこっちに向かって来るじゃない……! なんでッ……!?

 

 彼は私のもとまでやって来ると、膝を折って目線を合わせて、流暢なイタリア語で私に一言。

 

「す、すまなかったッ!!」

 

 …………何が、なんやら……。

 

 周りがうんうんと頷く中で、頭を下げたヤバイ人を見て、一人状況に追いつけなかった。

 

 とりあえずディーノによって再び立ち上がった私は、転んだ時についた服の汚れをひとまず払う。白だから、汚れが目立たないといいけど……。

 

 服の心配をしていたら、銀髪の人が私をジト目で見てきた。その目には私へのとてつもない恨みが込められていそうで、迂闊に目を合わせられない。同じ銀髪なのになぁ、この人苦手……。

 

「つーか、こいつ一体何なんですか……? 全ッ然見たことねえ顔なんスけど……」

「そういやぁ、オレも初めてみるなーって思ってた」

「ああ、この子はね……」

 

 ツナが二人に何か言おうとしたところで、ディーノがふといきなり私の頭を掴んで、私には聞き取れないニホンゴで彼らに何かを告げる。

 

「こいつは、キャバッローネの庭に咲いたフィオーレ…… 期待のホープってわけだ。名前はアカネっていうんだ。よろしく頼むな」

 

 たぶん、私の紹介あたりをしてくれたんだと思う。紹介を終えた後、彼らに向かって普段のようにニコッと笑いかけていた。

 

「……あれ? ディーノさん、それってちょっと話が違うんじゃ……」

「いいや、違わねえぜ」

 

 何かを発言したツナに、すかさずディーノが言葉を返している。ツナはその後何かを考え込むようにして、少しして何かを理解したようにディーノに頷き返した。

 

「……ねぇ、ディーノ」

「んっ?」

「頭、そろそろ重いんだけど」

「えっ? あぁ、悪いな。ちょうどいい高さにあったから、つい」

 

 苦笑して、いつもの笑顔を浮かべた後でディーノが頭から手を離した。

 

 これですっきりした…… けど、どうしてなのか満足しない。

 

 周りも私たちの会話に苦笑する中で、その時またもや知らない声がする。

 

「クフフ…… みなさん、お揃いのようで。何やら楽しそうですね」

「あっ、骸」

 

 霧を掻い潜って出てきたのは、ニホンゴを話すイタリア人らしきオッドアイの男の人だった。

 

「あのさ…… 態々幻覚で霧を作ってからのラスボスみたいな感じの登場、いる?」

「クフフ…… 分かっていないのですね、沢田綱吉。術士にとって登場の仕方とは……」

「長くなるから割愛だぞ」

「ちょっと待ちなさい、元・アルコバレーノ!」

「その呼び方、やめろ。殺るぞ」

「だから君たち場所を考えてからお互いに挑発してくれるかな!?」

 

 あの霧の人の登場で、また騒がしくなって来た…… と思ってまた憂鬱になっていたら、霧で隠れていたそれが露わになって、私は胸を撃たれた。

 

「あれ……? ところで骸、クロームは一緒じゃないの?」

「僕の可愛いクロームでしたら、慣れないお酒にダウンしてしまい、今は彼女の友人たちと別室にて休憩を取らせています」

「あぁ…… そ、そう」

「ん? アカネ? どうした、なんかいいもんでも見つけたか?」

「…………うん、見つけた」

 

 冗談混じりに聞いてきたディーノの問いに、私は至極真面目に答えたつもりだった。一瞬ディーノが拍子抜けた声でこちらを見た気がする…… 気のせいだ。

 

 私がさっきからジロジロ見ていたから、あっちも私に気づいたようで、イタリア語で話しかけてくる。

 

「ほぉ…… 見かけないお嬢さんですね。どちら様でしょうか」

「……初めまして、アカネです」

「! ア、アカネが初めて自分から名乗った……!?」

「アカネ、ですか……。一日の中でほんのひとときにしか拝むことのできない、まどろみのような茜空…… その年齢にして掴みどころのない貴女には、お似合いの名です」

「……ありがとう」

 

 お礼を言うと、変な声でその人が笑った。……あっちではそういう笑い方が普通なのかもしれない。

 

「その髪型、面白いね」

「……それはどういう意味でしょうか」

「素敵ってことだよ」

「「「!?」」」

 

 率直に言ったら、彼ではなく周りがなぜかざわめきだした。全部ニホンゴで何を言っているのかは聞き取れないけど…… なんかちょっと引かれてる……? なんで?

 

 男の人も少し驚いたような顔をして、その後はすぐに笑みを湛えて私に返した。

 

「クフフ、そうですか……。ありがとうございます。この髪型の素晴らしさが解るとは、その歳にしてよく出来たお嬢さんだ」

「骸ーッ! それ以上アカネに近づくなぁーッ! テメーなんぞにアカネは渡さねえからなッ!!」

「えっ、ちょっとディーノ……!?」

 

 彼との話の途中にディーノが引っ張ってきては、男の人にニホンゴで何かを叫んでいる。こんなディーノ、イタリアで一緒にいた時は見たことがなくて、びっくりした……。

 

 ディーノによって私と離された男の人は、ツナたちとニホンゴで何かを話していて、彼らに何を言われたのか蹲って急にクフクフと連呼しだした。様子を見ようとしたら、そこにディーノから肩を掴まれて止められる。

 

「ディーノ?」

「いいか、アカネ。あいつは危険な奴だから、あいつだけには何があろうと絶対に近づくんじゃねえぞ」

「えっ、だけどあの人…… 絵本で見たパイナップルの妖精さんにそっくりだし……」

「はっ? …………そ、それでもだ。あいつは絵本の妖精とは違って、悪い妖精なんだ。火柱で人を炙るし、毒蛇を出すし、鴉で人を喰わせる奴だ」

「でも、ディーノがくれた名前を褒めてくれたし……」

「――ッ、それでもダメだッ!」

 

 結局、ディーノの言い包めに乗せられて、ついその時は頷いてしまった。お陰で妖精さんとはその後話すことは叶わなかった。残念……。

 

「ハーハハハッ! 極限に楽しそうではないか、諸君ッ!」

「わっ、お兄さん!」

「笹川了平…… これのどこが一体楽しそうなのですか?」

「お前以外の奴らは結構楽しんでるぞ」

「……クフン」

 

 お腹も空いてきたから、ディーノと一緒に何を食べるか料理を眺めていると、またニホンゴが飛び交ってきた。私はニホンゴ分からないし、料理を選ぶことに専念しよう。

 

「あっ、お兄さん。この度はご結婚おめでとうございます。ディーノさんたちもイタリアから遥々お祝いに来てくれましたよ」

「オオーッ、そうか! 極限に嬉しいぞーッ!」

「ブッ! 新郎って、お前だったのかッ!?」

「……ディーノ、汚い」

 

 口に含んでいたグラスの中身を、ディーノがいきなり吹き出したので冷静に咎める。料理につたらどうしてくれるの。幸い料理は無事だったけれども、また今度は何だろう……。

 

「どうした、跳ね馬! 極限に顔色が悪そうだぞ!」

「いや…… オレちょっと抜けるわ……」

「ムムッ、どうした? 極限に体調でも悪いのか? なら我が相棒の我流で治療してやるぞ!」

 

 男の人が懐から何か箱のような小さいものを取り出して見せた。何だろうと、ディーノの手に引かれながら覗き込む。

 

 サッと今度は指輪のようなものを指に嵌めて、手を握る。すると、その指輪から黄色いピカピカした炎みたいなのが吹き出して……――――!??

 

「お、お兄さん! こんなところで炎を出さないでくださいよ!」

「ムッ、沢田。しかし……」

 

 ツナが男の人に慌てて何かを注意しているみたい。

 

 私も前にいるディーノの背中にくっついて、彼にすぐそこにある危険を報せる。

 

「ディーノ…… あ、あれ…… か、火事……」

「ん? ああ…… 死ぬ気の炎か。あの炎は大丈夫だから、アカネ」

 

 炎の色を見て、何か納得したように私に向かって微笑むディーノ。何が大丈夫と言うんだろう。人の指輪から火が出ているというのに……。

 

「そういえば、アカネは見るのは初めてか」

 

 ディーノがポツンと呟いた。まぁ、黄色い炎を見るのは確かに初めてだしなんで黄色いのってツッコミはあるけど、どうしてそんなに冷静でいられるの、ディーノ? 私の反応、正しいよね?

 

 ちょっとよそ見をしていたら、いつの間にか炎は消化されていた。誰かが見つけて消してくれたんだろう。男の人の手が濡れてなかったけど…… ハンカチとかで拭いたのかな?

 

「ど、どうなっているの……?」

「ハハッ、すげぇよなっ。ちょっとした手品ってところだぜ」

 

 ディーノにクシャと頭を撫でられ、機会があれば教えてやるとそう言ってくれた。

 

 その時、ディーノと話していると男の人が気づいたようで、また何か大きな声で言っている。うるさいな…。

 

「オオッ、ニューフェイスか。もしや極限に跳ね馬の娘かッ!?」

「笹川、さすがに極限の意味が分からねえよ。つーか、違げぇから!」

 

 やいのやいのと騒ぎ立つ二人の大人たちに四苦八苦してツナが間に入ろうとしていた、そんな時だった。

 

「ちょっと、あんた!」

 

 どこからか、女の人の声がする。綺麗なドレスに身を包んだ黒髪の人がヒールをツカツカと鳴らして近づいてきた。もちろん、ニホンゴだから何を言っているのかはさっぱり。

 

「オオッ、極限にオレの花嫁ではないか!」

「何ワケ分かんないこと言ってんのっ」

 

 女の人が新郎の男の人に近づいて、無愛想に何かを言ったかと思うと相手の頬を遠慮もなく引っ張り上げた。

 

「ちょっと目を離した隙にどっか行っちゃって、私にどれだけ探す手間かけさせるのよ」

「ふ、ふまんふまん……」

「ま、まあまあ、二人共穏便に……」

「沢田、あんたこんなところで何ぼけっとしてんのよ。ヘラヘラしてる暇があったらさっさと京子にプロポーズしてきなさい。あんたたち中学からどんだけ進展ないと思ってんのよ」

「えぇー!? いきなりなんかダメだしー!?」

 

 大人たちが騒いでいる。もう夜も深いっていうのに、大人はまだまだ元気だな。私の肩にいるエンツィオはもうおねむらしい。微かに地響きのような安らかな寝息が聞こえてくる。

 

 ここで、今まで黙っていたあのヤバイ人が、我慢ならずに勢い良く拳を握り締めて言い放った。

 

「つーかよ! なんっで10代目を差し置いてこんな芝生野郎が先に結婚なんかしたりすんだよ! オイッ、芝生頭!」

「ムッ、それは極限にオレが先にプロポーズを決めてしまったからだ!」

「堂々と答えてんじゃねーよ! なんだよ、そのこっ恥ずかしい内容はよぉ!」

「極限に素晴らしいことではないかッ! タコヘッド!」

「あんたは羞耻心とか知ってなさいよ、馬鹿ッ!」

「わぁああッ! もうやめて口論しないでよぉ!」

 

 大人たちには大人たちの世界がある。私は外からそっと見ておこう。

 

 12時を報せる鐘の音が会場内に響き渡るも、気にする大人たちは誰もいなかった。

 

「じゃあ、ツナ。オレたちは先にホテルに帰らせてもらうからな」

「え? は、はいっ。ディーノさん、それじゃあまた……」

 

 ……ううん。たった一人、寝落ちしてしまった私をおぶって、ディーノが会場を後にして行った。

 

 



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第10話

 目が覚めると、視界が一気に朝日の光に包まれる。あまりに眩しくて、目を擦って視覚を覚ます。すると、知らない天井の模様が見えた。波打つようなベージュ模様。よく見渡せば、室内も身に覚えのない。不意にカーテンの開いた窓へ目をやると、知らない外界の景色が映った。キャバッローネ邸は大きな森林に囲まれた場所にあるから、どの部屋からも青々とした樹々が見える。けど、私の目に映るのは、沢山のビルが立つ都市部の光景…… ということは、少なくともキャバッローネ邸には戻ってきていないみたい。

 

 自分が寝ていたベッドを見下ろすと、隣でエンツィオがまだ寝ていた。甲羅から出てきていないから、よく分からないけど。寝ていたら悪いし、顔を出してくるまでそっとしておこう。

 

 とりあえず、うーんと伸びをしていると、コンコンと部屋のドアがノックされた。

 

「オレだけど、アカネもう起きてるか?」

 

 ディーノの声。ベッドから下りて、ドアに近づいて中から開けてあげると、いつも通り少し寝癖が残った髪のディーノがにこやかに笑っていた。

 

「なんだ、まだパジャマかよ」

「おはようが、そこは先じゃないの。さっき起きたばかりだもん」

 

 彼の第一声へのツッコミに、ディーノは改めておはようと挨拶してくれた。……頭は撫でなくてもいいだろう。

 

「どうだ、こっち来てからの体調は?」

 

 と、いつものように訊かれたので、別に問題ないと無難に答えた。でも、ディーノが今言った言葉が少し引っかかった。

 

 こっちに来てから…… ああ。そういえば、昨日からディーノの知り合いのパーティーで、ジャッポーネに来ているんだった。寝ぼけてて、ちょっと忘れていた。

 

 ディーノにそのことを確認したら、彼からはなぜか苦笑された。

 

「ああ。あれからアカネ寝落ちして、オレが予約しておいたこのホテルまで運んできたんだ。あっ、お前のことは女性のホテルマンに任せたからな。昨日はよく眠れたか?」

 

 昨日のパーティーで、夜に免疫のない私はどうやら途中で寝落ちしてしまったらしい。そんな私に気を遣って、ディーノはせっかくのパーティーを抜けて早いうちにホテルに戻ってきたとのこと。また彼には、余計な面倒をかけてしまった。

 

 こうしてまた私に気を遣っているけど、他人のためにこんなに笑顔になれる彼の気が心底知れない。

 

「ん? なんか浮かねえ顔してんな。なんだ、添い寝してほしかったか?」

「!? バッ…… そんなワケないッ……!」

「ハハッ、声から動揺しまくりじゃねえか。もっと素直になっとけよ。甘えられんのは子供の特権だぜ」

 

 わしゃわしゃと頭を掻き回してくるディーノに睨みを利かせて、フンッとそっぽを向く。別に拗ねてはいないが、ディーノがあまりに私を子供扱いするのが気に食わない。

 

 そんな彼の方は、頭を放してくれたものの、懲りずにクックと喉の奥を鳴らし続けている。……うざい。どうして朝からこんなに上機嫌なの。

 

 …………まさか。

 

「ディーノ」

「なんだ?」

「……ようやく、相手が見つかったんだ。昨日のパーティーで……」

「……いや、別に見つかってねえけど、なんでそんな子の晴れ姿を見守る保護者みてぇにしてんだよ。アカネ……。言っとくが立場逆だからな?」

 

 なよなよしく私に話しかけるディーノはやっぱり変わらないディーノだと、内緒で肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 今日もどこかへ出かけるらしく、ホテルを後にしてディーノと車に乗り込む。タクシーじゃなくて、なんか車内が部屋みたいに大きくて黒い車だった。

 

「へいっ、お客さん、どちらまで」

「遊んでんじゃねーよ、ロマーリオ」

「へへっ、さっさとバレちまったようだぜ。ボス」

「えっ、ロマーリオ…?」

 

 運転席を覗き込むと、無精髭のロマーリオが運転していた。「よっ、アカネ嬢」と彼に気前よく挨拶されたのでそれに応える。ロマーリオまでこっちに来ていたとは…… 何かあるのか。この車は、一体どこかへ向かうというのか。何やらただならぬ予感がする。この衣装然り、妙な緊迫感然り、恐らくこの後に何かあるんだろう……。

 

「ディーノ」

 

 ぼんやり窓の外を眺めていた彼を呼んで、率直に尋ねてみる。

 

「どこに向かうの?」

「ん? んー、まぁ、知り合いんとこだ」

 

 言葉を濁す辺りが、なんか怪しい。私の彼に対する疑心暗鬼は深まるばかりだった。

 

「……何、この服」

「これは古来よりジャッポーネで着られるジャッポーネの民族衣装だ。着物(キモノ)って言うんだぞ」

「へぇー……」

 

 ピンクの花柄。出かける前、ホテル員を呼んでまで着させてもらった。なんか窮屈だし、歩きにくいし、靴は木でできててガラガラ鳴るしうるさいし歩きにくい。これが昔のジャッポーネの衣装……? 変わってる。

 

 でもディーノは私の姿を見て、相変わらずのご丁寧な保護者面で笑っている。

 

「似合ってるぞ。アカネ」

「うん。ディーノは、似合わないね」

「うっせ。知ってるわ」

 

 あっさり似合わないと認めた。自覚があるのは素晴らしいことだよ。私がそう言ったから、ディーノは拗ねちゃってまた窓の方にそっぽを向けた。ついでにロマーリオとエンツィオにまでからかわれている。

 

 こんなのを着て、これから一体どこに向かうのかと、内心緊張と期待の入り混じった気持ちで構えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 着いた先は、地下アジトだった。

 

 組織の名前は『風紀財団』というらしい。またジャッポーネマフィアらしい漢字並べで。

 

 そこに変な髪型の、草を口に咥えた律儀な男性が加わって、私とディーノは地下アジト内を進んでいく。ちなみに、ロマーリオはお留守番らしい。

 

「恭さんとの面会は長らくしていませんでしたね。跳ね馬ディーノ。ところで、失礼ながらそちらのお嬢さんは……?」

 

 草の人がディーノを通して伺ってきた。ちなみに本名は草壁らしい。もう草でいいと思う。

 

「こいつは、ちょっとした事情でうちのファミリーで預かってる奴だ」

「ほぉ。そうですか。オレはてっきり隠し子か何かだと思って、式に恭さんをお呼びしないとは何たる不始末だと、キャバッローネを疑いましたよ」

「お前の恭弥へ注ぐ忠誠心が10年分倍増したことはよく分かった」

「仰せの通り」

 

 こちらもニホンゴで話されているから意味はさっぱり。草の人、一応イタリア語は話せるようで、一応どころかペラペラだった。ドン引き…… じゃなくてびっくり。さっき軽く挨拶されて、人がいいのは分かった。だけど、草咥えてる人がハイスペックとか意味分からないよ。

 

 花が咲き誇る襖の部屋の前に着いた。先に草の人が、中を伺う。

 

「恭さん、跳ね馬をお連れしました」

 

 …………。中から返事はない。誰かいるの……?

 

 と、襖が吹っ飛んだ。草の人が巻き込まれて、地下なのに庭の池に飛び込んでいった。

 

 …………え?

 

「跳ね馬? 呼んでないけど」

 

 中から声がした。見ると、襖があったところに、着物の人が佇んでいた。ジャポネーゼ。その佇まいと容姿から一目瞭然。まるで日本人形のように、凛々しく花のある人だ。鋭い吊り上がった瞳が、漆黒の色に染まってディーノを射抜く。

 

「……また来たの。咬み殺されに」

 

 何を言ってるか分からないけど、その人の手には最初からか、鋭い光を反射する金属棒が固く握られていた。

 

 慄く。人形のような容姿からは不似合いな殺意の隠った気配が、ディーノの隣にいる私にまで届いて、全身を突き刺す。思わず彼の背に隠れる。

 

 その時、見られた。確かに漆黒の瞳と目が合った。

 

「相変わらずだな。恭弥。せっかく家庭教師がどうしてるか見に来てやったってのに、えらい挨拶だな」

「……うるさい。彼が招いても、僕の許可は下りてないよ。不法侵入者は咬み殺す」

「まーまー、落ち着け落ち着け。お前の好きな日本酒の土産もちゃんと持ってきてやったんだから、これで手を打とうぜ」

「…………フン」

 

 怒っていた彼が、急に武器をおろした。ディーノの説得が成功したみたいだね。恐らくはさっき厳選してきた日本酒ってところだろう。

 

 生命の危機が去ったところで、男の人の視線が再び私へと向けられる。

 

「…………で、そこにいる小動物。跳ね馬の隠し子かい」

「お前の部下にも言われたわ、それ……」

「…………」

 

 ずっと無愛想な顔が、眉間を寄せてムスッとした。ムスって…… 子供みたい。

 

 ディーノがその男の人に私のことを説明しているみたい。時々彼にじっと見られるもの。その視線がなんだか居た堪れなくて、小動物のようにディーノの背中に隠れる。

 

 あの人の目…… なんだか観察するようで、それに不思議な眼差しで射竦めるから、苦手だ。

 

「アカネっていうんだ。よろしくしてやってくれ」

「よろしくじゃないよ。群れてるね。咬み殺す」

「酒割るぞ?」

「…………」

 

 再び武器を構えた男の人の動きが止まる。ディーノは余裕を見せてしたり顔をしている。……何やってるの、この大人たち。

 

 なんだかんだで、広い室内に入室を許可された。イタリアでは見ることのない日本家屋独特の雰囲気。素敵だ。なるほど、この服装を選んだ意味が解る。

 

 ディーノの隣に座らされて、二人の大人たちの話を聞く。……って言っても、ニホンゴ、分からない。

 

 つまらないとボヤいていると、どこからか鳥が羽ばたいてきた。一羽の黄色い小鳥が、あろうことかジャポネーゼの男の人の黒髪の頭の上にポスンと乗った。鳥の巣……!?

 

 私がある意味衝撃を受けていると、ディーノが何を勘違いしたのか、名案を閃いたとでもいう風に男の人に話しかける。

 

「なぁ、恭弥。お前の小鳥、アカネに貸してやってくれよ。ここでじっとさせてるのもつまらねえだろうから」

「嫌だ」

「酒投げるぞ?」

「…………」

 

 ピチチ、と黄色い小鳥が羽ばたいてきた。私の頭の上にも乗る。私の頭は鳥の巣じゃないよー。

 

 慣らし方に手間取っていると、初めて黒髪の男の人が話しかけてきた。

 

「気が散るから、君は外に出てって。哲を付き添わせるよ」

 

 イタリア語で、普通に淡々と言ってきた。「Si」としか、碌に返せなかった。しゃ、喋れたんだ……。ていうか、感じ悪っ。

 

 さっきの草の人がいつの間にか万全になって控えていたので驚く。やっぱりハイスペックだ。そして話の邪魔になるからと、私は部屋から追い出されました。

 

 




10年後雲雀さん来たワーイッ♪

主人公の雲雀さんに対する印象は一般的です。普通は感じ悪って思いますよね。でも雲雀さんはそこがいいんですよw(作者の個人意見です)


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第11話

どうしても草壁さんを不憫に書いてしまうw


 草の人が付いて、風紀財団の地下アジト内を巡る。私の手にはヒバードという名の黄色い小鳥。『校歌』っていう歌が歌えるんだって。すごい。インコみたい。

 

「みーどりたなびくー」

 

「変な歌だね」

「あ、アカネ嬢…… それはぜひ恭さんの前では、たとえ口が裂けても呟かないでください」

「?」

 

 後ろの彼に、そんなことを忠告された。なぜか顔が真っ青。風邪かな? さっき池に飛び込んだから…… 私は大丈夫だから、休憩した方がいいんじゃ……?

 

 そう思って、廊下を歩き回るのはやめて、その場に腰を下ろして庭の鑑賞に移る。ジャッポーネって感じの趣きのある庭園に、気持ちがほっこりする。カンッ、て竹の音が面白い。

 

「…………あなたも座れば?」

 

 私なりの気遣いで、頑張って声をかけてみた。

 

「いえ、私は大丈夫です」

「風邪なんでしょ。無理しない方がいいよ」

「は?」

「え?」

 

 キョトンとされたので、キョトンとする。二人でキョトンとしてしまった。肩のヒバードが小さく鳴いてる。

 

 ……しばらくして、草の人の方が咳き込んだ。

 

「い、いえ…… 風邪は引いておりません。お気遣い、ありがたく受け取っておきます」

「えっ、咳き込んでる……」

「いや、こちらは違います……」

 

 どうやら噛み合わない会話が続く。面倒くさいから、先に折れたのは私だけど。辛くなったら勝手に休むでしょう。強情な人に、私は別に粘り強くない。

 

「(……確か跳ね馬の証言では極度の人見知りだと聞いたが、そんなこともないように見える。彼の働きで、彼女の心が次第に開いているのか? いや、この少女は……)」

 

 難しい顔をしだした草の人が、ずっとこっちを見ているので視線がくすぐったい。私の髪に何かついているのか……? ポンポン触ってみるけど、あんまりよく分からない。

 

 私の挙動に草の人が気づいて、すみませんと謝ってきた。変な人だ。ジャッポーネも、ジャポネーゼも、みんなおかしい。でも、面白い。

 

 その後、いろいろな経過があって、草の人との談笑が意外に弾む。彼が話すのは、ほぼあの感じ悪い人の話ばかりだけど。確か名前は…… 忘れた。やっぱりジャッポーネって変わってる。

 

「恭さんは孤高に立つ人でしてね。誰かと群れたがるのを極端に嫌うのです。昨晩の笹川氏の披露宴でも……」

「そうそう、それ」

「はい?」

「いえ、何でも…… それで?」

「へい。恭さんは同窓生の誼みとして披露宴にも珍しく参列したのですが、笹川氏がサプライズだと言って、恭さんに祝辞を言わせようと奮闘しましてですね。恭さんを無理矢理マイクステージに立たせて、恭さんも内心でだいぶ腸を煮え繰り返らせておりました。私も終始ハラハラしましたよ。結局、祝辞の文面も用意してませんから、溜め息を吐くだけで恭さんは舞台から下りましたけど…… 笹川氏にはもう少し自重してほしいところがあります。例えば……」

 

 …………あれ? いつの間にか、草の人の愚痴に付き合ってない? 私……?

 

 草の人の愚痴が止まらないところに、救世主が現れた。……いや、死神降臨、とでも言った方が当てはまる。

 

「……哲」

「――!? きょ、恭さ……――ガハァッ!」

「…………」

 

 冷めた目で、さっきの人が部下を見下ろしている。その部下である草の人は、死にかけの蝉みたいに身体がプルプル痙攣している。だ、大丈夫……?

 

 金属棒を仕舞った彼が、不意に私の方へ視線を向ける。いつの間にか服装がスーツになってるし。

 

「……君、付いてきて」

「……え?」

 

 少し警戒しながら、そう返事を返す。と、相手は何も返さないでスタスタと踵を返していく。……付いて来いって、こと?

 

 肩のヒバードが羽ばたいて、男の人の方に留まる。…………。

 

「きょ、恭さん…… 私も……」

「君は付いて来るな。群れるのは嫌いだ」

 

 大の大人の身体も竦みそうな殺意を込めた視線を投げて、彼は再び歩みを進めていく。後方からは弱々しい声で「へい……」と返ってきた。可哀想すぎる……。

 

 男の人の後に付いて、廊下を進んでいく。けど、ひとつ気になることがあった。

 

「……ディーノは?」

 

 思い切って尋ねてみるけど、無言しか返ってこない。……トイレかな。広いから迷子になってないといいんだけど。

 

 鉄製の扉の前までやって来て、彼が何やらポチポチやっていると、スゥーッと扉が開いた。和式の廊下が、開いた向こう側から最新式のような風貌に一変する。

 

 首を傾げつつ、男の人がそのまま進んでいくので追いかけると、そこに誰かが通りかかった。

 

「ん……? ヒバリか」

 

 女の人が通りかかった。ジャポネーゼではないのに、ニホンゴを話してる。だから何言ってるのかは分からない。様子見しておく。

 

「珍しいな。お前がここにいるとは」

「そのまま返すよ。君こそ何か用なの」

「オレはリボーンに文句があってきただけだ。お前は沢田にか?」

「そんなところだよ。送り迎えのついでに咬み殺してこようか」

 

 青髪の女の人が、首を傾げている。一体彼女に何を言ったんだろう? その女の人が、ふとこちらに気づいたようで、さらに目を丸めている。

 

「なんだ、その餓鬼は」

「沢田綱吉関係のダダ事らしい。君も耳にも入っているだろう。イタリアで起こった怪奇事件」

「!?」

 

 女の人の目付きが変わった。さっきとは違った剣幕で、私を睨んでくる。ディーノもいないし、この男の人に隠れるのは勇気がないので、身を縮ませるしかない。

 

「まさか、こいつがか……?」

 

 しばらくこちらを凝視して、女の人が零した。

 

「キャバッローネの情報網は、取引するには値するものだからね」

「跳ね馬!? ディーノが何か嗅ぎ回っているのか!?」

「ディーノ……?」

 

 キャバッローネと、彼の名前が上がって、思わず反応していた。なぜか、急に不安になったんだ。

 

 案の定、驚いた顔で女の人がこちらを窺う。この人も、ディーノの知り合いなんだろうか?

 

「彼は沢田綱吉に頼まれて、一端を担いでいたらしいよ」

「沢田か。あんな面倒事を請け負うとは、10年経っても変わらないな。あの馬鹿は」

「同感だよ」

 

 何かに頷いた男の人を見て、女の人が不意にまたこちらへ視線を投げてくる。さっきのような剣幕はなかった。淡白な表情で、イタリア語を話してくる。

 

「オレはラル・ミルチだ。何かあれば、沢田よりオレを頼ってこい。あの馬鹿面をぶっ飛ばすことはしてやる」

「は、はぁ……」

 

 凄いことを当たり前のように言ってのけた彼女は、その後スタスタと先に行ってしまった。

 

 彼女の姿が見えなくなると、男の人もさっさと廊下の奥を進んでいく。私もそれに付いて行くことしかできない。

 

 さっき、女の人と何を話していたんだろう……。ディーノのこと……。

 

 彼の背中が怖くて、聞けず終いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 着いたのは、豪勢な大扉の前。

 

 男の人は、ノックもなしに扉を開ける。入る前に視線を寄越して、「入れ」と暗に言ってきた。

 

 渋々入った大部屋の中には、彼が驚いた顔で迎えていた。

 

「ヒバリさん! ……と、アカネちゃん!?」

 

 すると、男の人がツナに近づいて、いきなり彼をぶっ飛ばした。えぇー!?

 

 ぶっ飛ばされたツナは、すごく痛そうに頬を押さえて、ヒバリさんに文句みたいなことを言っている。

 

「何するんですかいきなりぃ!? オレが何したって言うんですかー!?」

「……少しスッキリしたよ」

「ただのストレス発散ーッ!?」

 

 爽快に微笑んだ彼を見て、ツナがすごく声を張り上げている。なんだか、可哀想。

 

 手の物騒な物を仕舞った彼は、そうしてニホンゴ口調のままツナに何かを伝えた。

 

「僕も忙しいんだ。今日はこれで済ますよ。それで、跳ね馬の代わりに連れて来たよ。彼女」

「あっ、ディーノさんの代わりに…… ありがとうございます。ヒバリさん。それで、ディーノさんは……」

「………………」

 

 男の人が、急に私を振り返ってきた。その目は、感情の隠っていない、涼しい眼差しをしていた。

 

「後は彼に世話してもらいなよ。じゃあね」

「えっ、待って……!」

 

 咄嗟に彼の背中に投げかける。扉の前で、その人は止まってくれた。

 

「ディーノは……」

「いないよ」

 

 ここには、と呟いて、横目で彼は私に真実を突きつけた。

 

「彼は、イタリアに帰ったよ。君を置き去りにしてね。

 君は、彼に見捨てられたんだよ」

 

 何の感情にも囚われない無情な顔で彼は告げて、扉を閉めて行った。

 

 その瞬間、色が世界から消えていくような感覚を覚えた。

 

 




*補足

ラルさんが主人公に声をかけたのは、言動から察せる通り彼女も事件のことについて少し疑問に思っています。
嗅ぎ回っているまではいかずとも、情報を拾うのは裏の社会に長くいる彼女のモットーだと思いますから、当事者で鍵となる彼女と接してみたのです。
何かあれば頼れ=情報捜査と捉えてもらえばいいです。
ラルさん思考の補足でした。彼女に今後出番があるかは謎です。←


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第12話

 時は、少し遡る。

 

 風紀財団地下アジトの一室にて、二人の影は酒を交わしながら交渉していた。

 

 影の一人――凛とした居住まいで胡座をかき、(さかずき)に注がれた酒を慣れた手つきで優雅に飲む男、雲雀恭弥は、酒を酌み交わす男からの交渉に少し間を置いて答えた。

 

「嫌だ」

 

 襖は閉ざされ、光のほぼ遮断された薄暗い和の空間で、しばらく沈黙が続く。薄い襖を挟んだ庭園の方から、カコンッと鹿威(ししおど)しの鳴く音色が聞こえてくる。

 

 彼の学生時代の師と自賛するもう一人の男は、慣れない和の正装に肩を凝らしつつ、相手に分かりやすいように溜め息を吐いてみせた。薄暗い和室には不釣り合いな金髪(ブロンド)の髪を掻き上げた男――ディーノは、それでも依然鳶色の瞳に強い意志を宿していた。

 

「頼む。恭弥。どうかっ…… 土下座でもなんでも、オレにできることはやってやる。だから、どうかあいつのことを頼む」

「嫌だ」

 

 今度は空白を置かず、ディーノの必死な頼みにもあっさりと断りを入れた。

 

 少しの同情も情けも懸けない相変わらずな教え子に、ディーノも程々手を焼いた。10年、そんな長い月日を、よくこの男と師弟関係で結んでこれたと、我ながら奇跡に思う。これからも続くと思うと、嬉しいような、泣きたいような……。

 

 それはさてとして、頼みを聞き入れてもらえないのでは困る。ディーノは彼にも、少女のことを頼まれてほしかった。もし少女の身に何かあれば、この男なら必ず守り抜いてくれるだろう。それほど彼の腕を信頼していた。

 

 だが、肝心の雲雀の方は、このように一切請け負う姿勢は見せてくれない。ここまで強情とは、知っていてもさすがに手を患わせてくる。

 

 酒の杯には一切手をつけず説得に思い悩んでいると、盃を戻した雲雀が吐息を漏らして告げる。

 

「貴方の頼みは請け負わないよ。僕も忙しいんだ。子守りに相手をしてやってる暇はない。それに…… 僕自身には何のメリットもない」

 

 メリット…… その単語に、ディーノは咄嗟に答えを見出す。

 

「ある」

「…………」

「お前にメリットならあるぞ。それも、お前が世界中飛び回って探し求めている秘宝もんだぜ。どうする?」

 

 断言してみせた彼に、雲雀の動きが止まった。盃の一点に集中していた視線を、初めてディーノへと向けたのであった。

 

「…………それ、本当かい?」

「根拠はねえが、お前が探っている『この世の七不思議』。そして、アカネが関係する『チェレーネの怪奇事件』……――このふたつに繋がるものは、謎だ」

 

 "謎"―――どちらも、人々が血眼になって答えを探し求めているものだった。

 

「怪奇事件の方は、現在も進行形でイタリア警視庁が捜査にあたっている。未だに事件の生存者は見つからねえどころか、村人一人の死体も見つかってねえ。事件があった農村地域は、あいつだけを残して灰の一帯と化していた。警察は村全体を襲ったテロや村人総勢による心中の線で見ている」

 

 そのくらいの情報は、各国を飛び回っている雲雀の耳にも自然と届いている。それをすでに悟って、ディーノは話を続けた。

 

「この事件で注目点なのが、cenere……――灰だ。なぜ灰が村一帯に残っていたのか。その村は人里離れた山の中腹部にあったんだが、火事があればすぐに分かるはずなんだ。だが、火事の通報はなかった。それどころか着火の痕跡もねえし、建造物の燃え残りも一切ない。全て灰になっていた」

「高温度の火で炙られようが、必ず有機物の残骸は残るはず。だからその点について、その怪奇事件は怪奇と呼ばれる所以なんだろう。けど、それについては僕の専門外だよ」

 

 やはり――…… と、ディーノは確信した。例の情報は、彼にまで渡っていないのだ。自然と喉に潤いが増した。

 

「炎」

 

 微かに呟けば、盃に触れそうな口元がにわかな反応を示してみせた。急なブレーキに、中の酒はたたらを踏んで水面を揺らしている。

 

 炎とは、ただの科学的に燃やす性質を持った炎ではない。血液と同等に人体の中を巡る不可視の生命エネルギー。その存在を知る者はほぼ裏の世界の住人に限られるが、彼らは揃ってその生命エネルギーのことを"死ぬ気の炎"と呼称している。

 

「反応があったんだ。その村が廃滅する前に、強い炎の反応がな」

「――…………」

 

 この事件にも、恐らくは死ぬ気の炎が関係していると、ディーノは証言した。

 

 実はディーノも少女が関わる事件について、少女には悟られないように調査していたのだ。そして、調べるうちに強い炎の反応があったという情報を耳にしたのだ。

 

「……炎には、それぞれの属性があるのを忘れてはいないかい。そして、全ての属性の炎は一村をあんな形で滅ぼすような働きを持ち合わせてはいない。たとえ炎の複合でも不可能だ」

 

 死ぬ気の炎には七つの種類があり、それぞれにひとつの属性を持ち合わせている。しかし、事件に繋がるような性質の炎はどれにも当てはまらない。死ぬ気の炎は人体の活動エネルギーでもあり、一村を滅ぼすような大量の炎の消費は身体にも影響を及ぼし、何かの特殊な機器などを扱わない限りではリスクは非常に大きい。

 

 ディーノも長く裏の世界にいて、そのことは熟知している。そして、彼はひとつの可能性に気づいたのだ。

 

「だが、死ぬ気の炎以外の特性を持つ炎も、裏の世界では認知されているものがある。XANXUSの憤怒の炎、シモンの大地の七属性の炎、復讐者の扱う夜の炎……――そして、灰を操る炎を持つ者、または研究しているファミリーの奴らが密かにいるのかもしれねえ」

 

 そう考えれば、以前にあった誘拐事件もディーノには説明がつく。事件の当事者である少女を狙う目的も…… 故に、彼女の立場は相当危険なのだ。彼女を守ってくれる人間は一人でも多い方がいい。

 

「――……ねぇ」

「なんだ」

「……彼女は、炎を扱えるのかい」

「アカネは…… 無理だ。あいつの炎は……」

 

 専門の炎分析装置でも反応がないほど、微量な炎しかない。そして、少女の辿る運命は――……。

 

「……そう。なら、あとふたつ聞きたいんだけど」

 

 盃を盃台に戻し、雲雀が尋ねる姿勢を見せた。それは、彼の気を少しでも引けたという証拠。上手く言い聞かせれば、少女の力となってくれるかもしれないのだ。ディーノの気も引き締まる。

 

「どうしてあの()のことを、そこまで執拗に気遣うの。貴方は沢田綱吉に担がされただけなんだろ。彼女をさっさと沢田綱吉に引き渡せば、別に貴方には関係ない。自らあの少女のために動いて、貴方自身に利益は?」

 

 価値もない働きに時間を割くほどこの男も暇ではないことは、雲雀にも分かる。雲雀には到底理解に苦しむ。この男が、なぜ一介の少女のためにその身を削って働くのか。

 

「……利益なんて、考えてねえよ。ファミリーのボスとして、あいつの親代わりみたいなもんだ。もうあいつが独りで苦しむ姿は見たくねえ。だから、オレは……」

 

 少女にも、事件の前には家庭があった。両親がいた。今は、彼らの安否も分からず、少女は記憶がないながらも親のいない孤独を感じているだろう。自分はせめて、その胸に空いた孤独の穴を埋められる親代わりとして、少女の心を支えたかった。

 

「なら、どうして貴方で面倒を見ないの」

 

 雲雀からの二つ目の質問。ディーノのわだかまる胸の中核を突いた問いに、膝の上で作った拳がにわかに震える。ディーノが未だに未婚であることが問題でも、この問題に中立的な立場にいるからでもない。

 

「オレじゃきっと、アカネを守りきれねぇ……」

 

 心からの挫折の言葉。

 

 情けないことだが、自身では少女の心を救えそうにないと、ディーノは己の掌を見つめて何度も思い知らされた。裏の社会で生きる者として、幾人もの数え切れない尊いものを奪ってきた彼には――……。

 

「ふうん…… 自分じゃ賄いきれないから、草食動物たちに押し付けってわけか」

「押し付けっつーか…… まぁ、そうなるよな。ツナたちには申し訳ねえよ。でもさ、デリケートな問題はオレには向かねえっつーか、やっぱ不器用なんだよ。オレ」

「そうだね」

「なんかフォローくれよ……」

 

 ガクリと肩を落としたディーノだったが、教え子の口から続いて出た言葉に安心が湧いた。

 

「まぁ、考えておくよ」

 

 新種の希少な炎の情報であれば、雲雀の耳にも入れておきたい。それだけ炎にまつわる情報は、裏社会にて相当な価値がある。匣開発にまつわる一束の謎のヒントにもなれば、これ以上都合のいい話はない。

 

 だが、それだけで安々と踏み込むにも、雲雀には不満に思うことがある。

 

「――仮に、僕が欲するものとそぐわなかった場合、どう責任は取ってくれるの?」

 

 立ち上がり、雲雀は己の師を見下ろす形でその言葉を投げた。雲雀にも時間の余裕はないのだ。これだという決定的物証がなければ、動くことは拒まれるのだ。

 

 ディーノはそこに座ったまま立ち上がった彼に目もくれず、その瞳に覚悟の意思を灯して告げた。

 

「その時は………――殺してもらっても構わねえ」

「ワォ、太っ腹」

 

 ディーノのその返答に満足したのか、そんな調子のいい言葉を返して、雲雀は室内を後にしようとする。

 

 出て行こうとする雲雀に、しかしディーノは最後に鋭い眼差しを投げたのだった。

 

「だが、アカネを泣かせることがあれば、恭弥でも容赦はしねえからな」

 

 鳶色の瞳は、10年の間でも見せたことのなかった殺意を潜めて、雲雀を真っ向から見据えた。

 

「……へぇ、面白くなってきたな」

 

 さらに満足するように黒檀の猛獣のような眼を細め、雲雀は襖を閉めていった。

 

 一人きりの静まり返った空間で、ディーノはしばらく動かなかった。正しくは、動けなかった。用意された座布団の上で、慣れない正座という居住まいの正し方に、両足の痺れは絶頂だった。

 

 近くに部下がいないと何も為せない男は、薄暗がりの室内にて届かない謝罪を漏らすことしかできなかった。

 

「――ごめんな、アカネ」

 

 




ただ10話後の彼らの絡みを書きたかったのに、予想以上にシリアス……! ディーノさん重っ……!
事件の全貌を語るのはまだまだ先ですかね。
それより原作っぽいクール雲雀さんが新鮮で楽しいです。狂気、最高w


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第13話

 ツナから全ての事情を聞いて、ただ愕然とした。

 

 『チェレーネの怪奇事件』という事件の名前を、初めて聞いた。そんな事件があったなんて、初めて知った。

 

 どうして、ディーノは私に何も告げなかったの? どうして何も告げずに、私を見捨てたの……?

 

 ディーノにとって、私はそれだけの存在だったのだろうか。ただの取引の道具、それだけの認識で、上っ面の笑顔をくれたのだろうか――……。

 

 ……―――もう、何も考えたくなかった。

 

「――!? アカネちゃんッ!」

 

 ツナの手を振り解いて、部屋を飛び出した。

 

 何も知らなかった。甘えてた。

 

 マフィアは、噂通りの怖い世界(ところ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どこかも分からない場所で、一人きりで蹲っていた。

 

 薄暗い照明が、嫌に視界に突き刺さる。だから、世界を見ないように闇色に溶け込んだ。膝の上で組んだ両腕に顔を埋めて、世界の全てを拒んでみせた。

 

 胸にわだかまっていたものは、何だったんだろう……。

 

 

 

 

「Che cosa succede?」

 

 ――――どうしたの……?

 

 

 ふとどこからか、イタリア語が聞こえてきた。

 

 

 

「Tutto bene?」

 

 ――――大丈夫……?

 

 

 ――……下手なイタリア語の発音…… 誰だろう、こんな私に声をかけてくる人なんて……。

 

 ずっとしつこいから、ゆっくりと微かに顔を上げて、その人物の顔を確かめてみた。

 

「――!」

 

 その瞬間、息が詰まった。

 

 女の人が、こちらを窺って立っていた。――ううん、女の人なんかじゃない……。

 

「……パイナップルの妖精……」

「……えっ?」

 

 そう呟いたら、それを聞いていた彼女からは素っ頓狂な反応を返された。でも、私には気にならない。風も吹いてないのに、ユラユラと揺れるヘタ……。綺麗……。

 

 じっとヘタを見つめられて、妖精さんは照れたのか、よく分からない言語を発している。ごめんなさい。妖精さんの国の言葉は分からないの……。

 

「え…… あの、えっと…………」

 

 肩にかけていたバックから、ゴソゴソと何かを取り出してみせる。

 

「あっ…… あった………。食べる……?」

 

 そう勧められたのは、小さな袋のパッケージ。チラリと覗く中には何かがそれなりの数で袋詰めされている。

 

 私が首を傾げていると、少しオロオロした素振りで妖精さんがまた話しかけてくる。

 

「えっと…… 麦チョコ……」

 

 …………麦チョコ?

 

 妖精さんの世界のチョコレートかなと、興味本位で頷いた。妖精さんの世界にもチョコレートはあるんだなって、新発見だった。そして結構美味しい……。

 

 隣に座って一緒に麦チョコを食べている妖精さんは、私の様子を窺いながら、頑張って慣れないイタリア語で話しかけてくれる。

 

「私は、クローム髑髏……」

「…………」

「……貴女の、お名前は?」

「…………」

 

 名前を訊かれて、口元が引き結んだ。私に、彼女へ告げられる名前なんてない。あんな…… あんな人がくれた名前なんて、もう名乗る意味も義理もない。全部、偽り…… 嘘で固められた笑顔に騙されて、名前をくれて、愚かにも調子に乗って……。

 

 そう……。私はなんて愚かだったんだろう。身寄りがなくて、気持ちが不安いっぱいで、近くにいた知りもしない相手のことをあっさりと信用して、頼って、全部都合よく解釈して、それで最後にはこんなザマだ。簡単に信じるから、裏切られた。

 

 ディーノに、信じていたのに、裏切られた――……。

 

 その言葉を胸の内で自覚すると、鷲掴みにされたようにすごく胸が苦しい。痛い。辛い……。

 

 もう、このまま消えちゃいたいくらい――……。

 

「えっ……! ご、ごめんなさいっ」

 

 いきなり、隣にいる彼女から謝られた。どうして…… と、彼女の方へふと顔を上げてみる。

 

「ご、ごめんなさい。お互い何も知らないのに、いきなり名前を訊いちゃって…… お願いだから、泣かないで……」

「えっ……」

 

 驚いた。彼女の言葉で私は自覚した。私…… 泣いてる……?

 

 咄嗟に下を向くと、ボロボロと透明な、小さな粒の水滴が零れてくる。止め処なく、瞬きの度に両手の掌に落ちて、照明の淡い光を反射して存在を主張する。その雫にふと実感を持って、一気に頭を抱え込んだ。

 

 私の様子の急変に、隣の妖精さんはさらに困り果てているみたい。そんなに気を遣わなくても、妖精さんには関係ないんだから、放っておいてよ……。

 

「麦チョコ…… もうない……」

 

 パッケージを逆さにして揺すっても、チョコの欠片のひとつも落ちてこないことに妖精さんががっくりと落胆している。いや、お菓子で釣られても……。

 

 そうして泣き止まない私に、妖精さんは恐る恐るという風に、くぐもった声でそっと話しかけてきた。

 

「あ、あの…… 泣かないで…… 元気出して……」

 

 か細い声で、全然説得力がない。これじゃあどっちが元気がないのか…… それに、そんな言葉で涙が止まるほど心に刻まれた傷は浅くないの……。余計なお節介だよ……。

 

 そう言いたいけど、なかなか言葉にできない。

 

「あっ、ボス、呼んでくる?」

 

 ハッとしたように、問いかけてくる。私には全然伝わらないけど。ボスって、誰……?

 

 知らない人を呼ばれても困るので、とりあえずブンブンと首を振っておく。

 

「あなた…… 迷子なの?」

 

 今度は今更な質問をされる。少し調子が狂う。迷子だったら何なの。きっとあいつらに売買されたんだから、もう迷子も何でもないよ。

 

 そうだ――…… 私は、もう何でもない。

 

 世界から見捨てられた存在、いらない存在、意味のない存在。

 

 ……――なんで、私ここにいるんだろ………。

 

 溢れたものが、また熱を持って頬を伝った。

 

「泣か、ないで……」

 

 その時、白くて私より少し大きな彼女の手が、細い人差し指が触れてくる。

 

「ッ―――触らないでっ!」

「!」

 

 思わず叫んだ。

 

 咄嗟に顔を上げて睨みつけた私を、妖精さんはおっかなびっくりな顔で、氷固まったようにピクリとも動かずに見据えている。

 

 ――こんな風に、誰かを傷つけることしかできない。

 

「――大丈夫」

 

 誰にも迷惑ばかりかけて、私がいたから、ディーノも縛られて、だから最後にはあんな風に捨てられたんだ……。

 

 そう、自分に言い聞かせようとしてたのに――

 

「あなたは…… 一人じゃないんだよ」

 

 今度は私の肩が竦む。彼女のその言葉が、どうしてか胸に染み込んだ。

 

 どうして、そんなことが言えるんだろう。私は、独りだよ。誰が見たってそう思う。

 

 私は――孤独なんだ。

 

 だから、そんな無責任なことをどうか言わないで――……。

 

「あなたの瞳…… 昔の私と同じなの。寂しそう……」

「……?」

 

 不思議な感覚――……。

 

 彼女の言葉は、まるで私の心の中を見透かすようで……。

 

 動揺してるのか、胸が苦しい。呼吸が辛いくらい。

 

 そんな時に、彼女の話は私の耳にすんなりと入ってくる。

 

「――私も、事故に遭って、両親に見捨てられて、病院のベッドの上であなたみたいな瞳をしてた……――絶望したような、悲しい目……」

 

 彼女も、私のような境遇に遭ったという。

 

 おもむろに彼女の顔を見上げる。前を見据えた彼女の右目には、黒の眼帯――……。

 

 思わず、ゴクリと息を呑んだ。

 

「だけど、骸様が、私を見つけてくれた。だから、私は今もここにいられる。あの人のために――」

 

 生死の堺にいた彼女を、その人が救ってくれた。そうして彼女は今ここにいる。

 

 それは、彼女は運がよかったのかもしれないし、必然だったのかもしれない。その人と彼女が出逢うのは――

 

 じゃあ、私とディーノは……?

 

「事故で右目と内蔵を失くしてしまったけど、内蔵は骸様が補ってくれる。右目は…… 過去の私を切り捨てるために、新しい私になるためにおいてきた……。私も、ボスたちのように希望を持とうと思った……」

 

 希望……――そう言った彼女の左目には、何かの強い意思を掲げた眼差しをしていた。

 

「あなたも……」

「…………」

「あなたも、希望を持って。何があったのかは、私には分からないけれど…… 誰かがきっとそばにいるから――……」

 

 いるのかな。私にも、誰かが――……。

 

 前はディーノがそばにいてくれた。私を支えてくれて、安心できた。

 

 ディーノがいてくれたから、私は希望を持てた。

 

 でもそれは、ディーノにばかり頼っていた。

 

 自分のことも、過去も、全部に背を向けて、ディーノに甘えていた。ディーノにばかり押し付けていたかもしれない。

 

 私は、ディーノがどれだけそのことで苦しんでいたか、何も知らない。

 

 責任転嫁をして、彼を苦しめて、謝るのは私の方かもしれないとふと思った。裏切られても、見捨てられても、やはり彼にはたくさん迷惑をかけた。

 

 あの手の温もりを、もう一度信じたいよ……。

 

 ディーノ…… もう一度、貴方の声が聞きたいよ――……。

 

 



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第14話

本日二回目の更新です。


 チンと、ベルみたいな音がする。空間に響き渡る複数の声がして、身体が竦む。誰だろう。誰かがここにやって来たみたいだけれど、みんな知らない女性の声……。

 

「あっ、クロームちゃん!」

 

 こんなところを見られてショックなのに、誰かの明るくて活気な声が駆け寄ってくる。嫌だ、来ないでよ……。

 

 顔を見られないように、妖精さんの影に隠れて様子を窺っていると、近づいてきた人と何やら話している。私の分からない言語――恐らくはニホンゴ……。

 

「ハルちゃん……」

「お久しぶりですー! 奇遇ですね! お仕事から帰ってきたんですか?」

「うん…… ボスから伝達があって、さっきイタリアから」

「そうなんですか~。ハルたちはショッピング中に偶然ビアンキさんと出会って、久しぶりに女子会を開こうとお誘いされたんです。よかったらクロームちゃんもどうですか?」

「うん、考えておく……」

 

 妖精さんの声に対して、相手の女性の声はすごくハキハキとしてて、少し騒音なくらい。この声の人は一体どんな人なんだろうと、少し気になった。うるさい意味の方で。

 

 顔も知れない女性の人が、一方的に騒いでいる。そこに今度は別の女性の声が聞こえてくる。落ち着いていてとても澄んだ声だ。

 

「ハルちゃん! クロームちゃん!」

「あっ、京子ちゃん!」

 

 なんか連続でちゃんちゃんと言っている彼女たちは、こんなところで女子トークか、すごく盛り上がっている様子。ああ、うるさいっ……。

 

「クロームちゃん、どうしてそんなところに座っているの?」

「えっと……」

「はひ? そこにいるのは誰ですか?」

 

 ……ついに見つかってしまった。空気には成り損ねたみたい。結構自信あったのにな。

 

 存在に気づかれた私は、逡巡した後、視線に耐え切れずおずおずと顔を上げた。途端に好奇の目を捉えてしまった。知らない女の人たちがじっとこちらを覗き込んでいた。思いの外至近距離に吃驚して肩が跳ねる。

 

 と、私と目が合った彼女たちは、途端に柔らかな微笑みを湛えて、嬉々とした声を上げる。

 

「わぁ、可愛い女の子! 外国の子かな? でもすごく着物が似合ってるっ!」

「プリティーガールですぅー! ハル、思わずハグしたくなっちゃいます~!」

「……?」

 

 彼女たちが何かを言っても、私には何を言ってるのか分からない。意味が分からないので、反応もしようがない。だからじっとその顔を見つめていると、しばらく沈黙が続く。

 

「……日本語、分からないのかな?」

「そういえば、この子はクロームちゃんの連子さんですか?」

「ううん、たぶん…… 迷子の子」

 

 妖精さんが何かを言って、女性の二人の反応がなんか変。いきなり驚いた顔をしている。

 

「はひっ!? 迷子ですか!? こんな地下にですか!?」

 

 肩までのショートカットの黒髪ジャポネーゼがわたわたとしだして、隣にいる清楚な雰囲気のジャポネーゼにまあまあと落ち着かされている。コントしているのだろうか、彼女たちは。

 

「迷子なら、きっとここにいる人の誰かの子供だよね」

「うん」

「一体誰ですか!? こんな美人なお子さんを持つ人は……!? 獄寺さん!? 山本さん!? ま、ままままさかハルが知らない間にツナさんが他の女の方と……!?」

「は、ハルちゃん、落ち着いてっ」

 

 目をぐるぐる回している女の人、なんか怖いんだけど……。ジャポネーゼって、本当にワケ分かんないよ……。

 

「落ち着きなさい。ハル、そんなに大声をあげないの。相手が怯えるわ」

「はひっ、すみませんっ。ビアンキさん」

 

 彼女につられて私の頭までも混乱しているところに、大人っぽい女性の声。もうどんだけ多彩なの。と、その声の持ち主が二人の女性の間を通って姿を現した。女性の大人ボイスに見合った、とても綺麗な人だ。ジャポネーゼではなさそう。

 

 大きな袋を持っているその女性は、私を見てにこやかに、大人の余裕の微笑みを向けた。

 

「ごめんなさい。この子たちが騒いじゃって。私はビアンキ。あなたは?」

 

 イタリア語で話しかけられた。やっぱり、彼女はイタリアーナ……。

 

 名前を訊かれた。どうしよう……。

 

 私はまた、愚かなことをして、惨めな思いはしたくない。

 

 ふと、妖精さんと目が合う。私が無意識に、彼女に何かを求めてしまっていたのかもしれない。

 

 最初目が合った時は困ったようにしていた彼女も、すぐに私を真っ直ぐな目で見つめ返してくれた。

 

 ――大丈夫。

 

 頷いて、そんなことを言ってくれたのかもしれない。

 

 妖精さん――ありがとう……。

 

「…………私は、アカネ」

 

 再びその名前を口にすると、自然と口元が緩んだ。

 

 この名前は、やっぱり私の中では大切な…… ディーノがくれた命みたいなものだから。捨てることはできない。空っぽの私に、彼が授けてくれたものだから。

 

 妖精さんが隣で微笑んでいるようだった。

 

「アカネ、ね。素敵な名だわ」

「ハル今の聞き取れましたよ! この子はアカネちゃんですね! 名前もベリーキュートですっ!」

 

 名前を褒められて、自然と笑みが零れてしまう。

 

 そう…… 私にとっては唯一の宝物。

 

「ありがとう」

 

 ビアンキさんと妖精さんには伝わるように、お礼を口にした。私なりの誠意を込めてみた。

 

 通訳によって他の二人にも私の気持ちは伝わり、なんだかんだで女同士打ち解け合えるものがあった。

 

 ――と、そこに彼の声がする。

 

「―――クフフ、ここにいたのですか」

 

 一瞬心臓が止まりそうなくらい、ドキンとした。

 

「――! 骸様……」

 

 儚い彼女の声が、霧と共に現れた彼のことをそう呼んだ。

 

 妖艶な笑みを湛える口元からは、あの不思議で面白い含み笑いが零れている。

 

「お楽しみのところ失礼しますよ」

「あっ、確かパイナップルの人です!」

「……何か、三浦ハル」

 

 キッと睨まれて、ショートの彼女は何やら咄嗟に口を噤んでいる。

 

「何か用なの、六道骸」

 

 今度はビアンキさんが彼に何か話しかけている。どうしてバチバチと睨み合っているんだろう。因縁関係なのだろうか。

 

「毒サソリ…… 生憎貴女のお相手をする時間はありません。僕はちょっと、そこの少女に用があるのです」

 

 そう儚げに告げた彼と、不意に目が合う。

 

 目が合うと彼は、緩ませた唇からあの言葉を紡ぐ。

 

「彼女は、過日世界中を轟かせたかのイタリア怪奇事件――チェレーネの怪奇の重要参考人なのです」

 

 イタリア――…… チェレーネ――……。

 

 その単語で、大体の察しはついた。

 

 そして私は、得体のしれない悪寒に背筋が震えた。

 

 案の定、二人からは分かりやすい反応がある。ビアンキさんと、確かクロームさんという妖精さんだ。表情が見る間に険しくなっていく。なんだか、悪いことをしているみたいで居た堪れない。

 

「チェレーネ……? 何ですか、それ?」

「灰…… って意味」

「それってたぶん国際ニュースで見たことあるよ」

 

 よく分かっていない二人の方は、ニホンゴで質問しているみたい。

 

 恐らくあの妖精さんは、私を引き取りに来たんだろう。ツナの命令かな。

 

「――て、えぇ!? みんな地下駐車場(こんなところ)に何集まってんの!?」

「あっ、ツッ君!」

「ツナさぁんっ!」

 

 ――と思ってたら、そのご本人が登場。何やらモテモテである。

 

 どうやってこの場所にいると突き止めたんだろう。そんな疑問を持ちながら、みんなから話を聞き回っているツナの姿を見て、覚悟を拳に固めた。

 

「――ツナ」

 

 全員の話を聞いて何やら疲れきっている彼に強い眼差しを向ける。不思議そうにこちらを見据える栗色(ブラウン)の優しい瞳に、私は私の意思を伝える。

 

「これから、よろしくお願いします」

「アカネちゃん……」

「ねぇ、ツナ。私にできることなら、頑張るよ。これは、いろんなことへの償いだと思う。ディーノには、本当にたくさんの勇気をもらった。もう、目は逸らさないから」

 

 もう逃げないから、ちゃんと過去の自分にも向き合っていくから――

 

 またいつか、私に太陽の笑顔を頂戴。ディーノ。

 

 




もとは前回と一気に書こうと思ってたのですが、見切りいいかなと分割投稿しました。
前回書き忘れたことでもダラダラ書いてきます。←

アカネはクロームと所々似通っているところがあると思って書いてます。
口調も控えめで、「……」が多いキャラクターで、孤独感がある。
境遇が少し似ているから、絶対この二人仲良くさせたい!と躍起になりました。
クロームは書いてて本当に可愛いキャラだなぁと思いました。麦チョコw

アカネももっとキャラを出していきたいです。
なんか趣味がズレてるところとか。
それにしても、骸が予定外に活躍している気がする。
この際骸ルートを少し考えてみようかな。
……ギャグになるかも知れないw


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第15話

 港の海面が茜色の仄かな光に煌々と反射する頃、イタリアにて――

 

 夕暮れの夕景を屋敷の窓からぼんやり眺める金髪(ブロンド)の目鼻立ちの整った青年。業務用のデスクに頬杖をつくだらしない居住まいから、普段の凛然としたボスの立ち振舞は木っ端微塵だ。

 

 そんな男は、沈む夕焼けの景色を、果たしてどんな思いで仰ぎ見るのか――……。

 

 そこにコンコンと、軽快な音を弾ませて室内の扉が重く開く。

 

「おい、ディーノ」

 

 入室してきたのは、腐れ縁というかもう何十年もの長い付き合いにして最も信頼する部下のロマーリオだった。

 

 その男からディーノと呼ばれ、背凭れに凭れ座っていた彼は、不意に窓から視線を上げる。

 

「んぁ…… と、ロマーリオか」

 

 なんともボスという立場には似つかわしくない、だらけた声音だ。部下もその声を耳にして、思わず溜め息を吐きたくなった。

 

 頭を抱える部下の心情も露知らず、ディーノは入室早々どこかおかしな様子の彼に続けて声をかける。

 

「どうしたんだよ。お前がオレの名前を呼ぶなんて」

「今のお前さんからはボスの威厳なんざ微塵も感じられねえんだ。ボスがこんなんで、キャバッローネの名も廃るもんだ」

「オイッ。なんか知らねえけど、入ってきた早々喧嘩売ってんのか、お前」

 

 にわかに眉を顰めるディーノ。その不機嫌な形相に、部下もやれやれとかぶりを振る。己のボスの性質(タチ)は知っているが、それは彼の昔からの悪い癖でもある。

 

 ボスはいつでも目の前の状況を見据え、何事も冷静に判断しなければならない。ボスがこうも毎度のこと胸の内を揺さぶられるのはご法度だ。彼の判断で、今後の組織が左右されるというのに、その責任感がイマイチ足りていないのか。彼が選択を誤れば、沢山のシマの者が被害に遭うのだ。

 

 だが、肝心のシマの大将は、最近ずっとこんな調子だ。というのも、一人の少女のことが恐らく頭から離れないのだろう。

 

 つい先日――…… ディーノが同盟を組むボンゴレファミリーに預けた少女――アカネのことをまだ引きずって、重要な書類作業にもなかなか専念できない始末だ。

 

 暇があれば空を仰ぎ、溜め息と共に少女の名を呟くのだ。どこぞの恋する乙女だと言ってやりたい。もう30を過ぎたオッサンだぞ。

 

 ロマーリオが働かないボスに対し、こうして鬱な思いに浸りたくなるもの致し方ないというもの。

 

「そんなことより、電話だぜ。ボンゴレからだ」

「あぁ…… ツナか」

 

 ボンゴレの名前を出せば、途端に苦い顔になる。やはり少女のことで後ろめたさを感じているのかと、さすがにここまでだとロマーリオの気持ちも同情にも似つかわしく思える。

 

 ああなることはボンゴレとの取引で、ディーノにも仕方ないことだと解っている筈だ。だが、こうして自身を責めているのは、あの少女にそれだけ情でも湧いたというのか…… 親心というものが。

 

 どう言ってやるべきか迷い、この後にどうにでもなるだろうとさっさと踵を返す。

 

「……んじゃ、オレはこれで。ゆっくり話してこい」

 

 受話器をずっと握りしめたままの彼にそうひと声かけ、ロマーリオは部屋を退室して行った。

 

 ――ガチャリとドアが閉まり、そうしてしばらく沈黙が続く。

 

 ロマーリオが出て行き、受話器を握りしめたままのディーノは、手中のそれをじっと見据える。

 

 何か急用かもしれない。早く出てやらなければならないのに、耳に当てようとする受話器が震える。相手を待たせてはいけない。だが、受話器を持つ手に留まらず、全身に渡る微かな身震いに、ディーノ自身もどうしていいのか分からない。思考が一瞬フリーズする。

 

 ――そうして思い浮かぶのは、一人の少女の姿。

 

 その懐かしい姿を、咄嗟に頭を振り払って押し退ける。考えてはダメだと何度も思うのに、気づけば後悔やら罪悪感に苛まれるのだ。自分でもどう対処すればいいのか、こんなことは父親のこと以来…… もう何十年も心に抱いていなかったのに。

 

 もう、今更だ。自分は彼女に許され難いことをしてしまった。最初から、そうなる運命だった。だから自分は、取引上どうすることもできないのだ。こうなることは、致し方ない。

 

 あの少女に非道な行いをしてしまったが、これ以上自分といて少女に残酷を知ってはもらいたくない。

 

 だから、自分は――ああしたのだ。それが最善だと、ベストを尽くしたんだと思い込んで、寂しさや感じる痛切感を押し殺そうとした。

 

『――ディーノ?』

 

 ふと、受話器から聞こえてきた声に、ディーノの思考が引き戻される。

 

 懐かしい、少女の声。

 

 気づけば受話器をギュッと握り締め、耳元に押し付けていた。

 

 だが、行動とは裏腹に、言葉は微かな一滴も出ない。声すら掠れて、もう何日も水分補給を怠ったようにカラカラだ。

 

「あ、か…… ねっ……」

 

 どうして、少女が電話に出ているのか。自分に電話をかけているのか。少女を裏切り、見捨てた最低な自分に――……。

 

『あっ…… ディーノだ。よかった……』

 

 受話器からの声は、幼さ故にあどけなく耳に聞こえる。あっちでも、どうやら元気のようだ。

 

 安心と同時に、ふと胸にわだかまる寂しさ。

 

 気付かれないように押し殺し、普段の彼らしく少女に電話越しで話しかける。

 

「アカネ…… その、どうしてお前が電話に? ツナは?」

『私がツナに頼んだの。ディーノと話がしたいって』

 

 ディーノの息が詰まった。少女の言う話とは…… 自分が裏切ったことへの文句か、罵倒か、何であろうとディーノは覚悟していた。嫌われることは分かっていた。こうして直接言われることは思っても見なかったが、その方が自分にも見切りをつけることができるだろうと、ディーノは覚悟の上で受話器に耳を澄ませる。

 

『……ディーノ、ごめん』

 

 少女の言葉に、目を見開いた。思わず椅子から立ち上がるほど、その言葉はディーノにとって意外な一言だったのだ。

 

 何故、少女が自分に謝罪する。悪いのは自分の方だ。酷いことをしたのも、傷つけたのも、全部自分がしたのだ。なのに、謝られる部分が一体どこにあるのいうのだろう。

 

 わなわなと震える受話器から、依然少女の声は聞こえ話は続く。

 

『ディーノがいなくなって、気づいた。私、ずっと甘えてた。記憶がなくて、独りが不安だからって、甘いディーノに縋ってばかりいた。でも、ディーノから離れてくれて、やっとそのことに気づいたんだ。自分の間違いに。人にばっか頼っちゃダメだよね。私もこっちで頑張るから……』

 

 か細い声が、さらに小さくなって聞こえなくなる。

 

 しかし、一旦呼吸を落ち着かせて、少女の声ははっきりと電話越しのディーノに告げた。

 

『もう自分を責めないで、ディーノ』

 

 それからしばらく、少女の声はしない。

 

 ……正直、ディーノにはワケが解らなかった。

 

 嫌われると思っていたのに、突き放されると思っていたのに、少女は自分を許していた。どうなっているのか、ディーノには解らない。

 

 ただ、少女からの言葉で、胸の中を侵略していたモノは、吹っ切れているように思えた。

 

 自分はただ、この手で傷つけるのが怖かった。それで傷つける前に、自ら少女から離れた。それはただ、少女から逃げていただけだ。

 

 自分に失望する顔を見たくなくて、ファミリーのボスに何ともたる情けないことをしてしまったと、歯痒さだけが心に染みる。

 

「……謝るのはこっちだ。アカネ、面倒見切れねえで、お前から逃げて、本当にすまねえっ……」

 

 自分が謝ることを見越していたのか、どうせ賢い少女のことだ。

 

『別に。ディーノがそっちでちゃんとやれてたら、それでいいよ』

 

 明るく素っ気ないいつも通りの声が、鼓膜を突いた。

 

 フッと、口元が緩んでしまうのも致し方ないだろうか。

 

 ふと頬を伝った生温かいものに、悔しくも未熟だったと悟った。

 

「ありがとう…… アカネ――」

『あっ、それっ……』

 

 急に受話器越しの声がどもる。なんだろうかと、じっとあっちからの出方を待つ。

 

『…………こっちの台詞なのに……』

「……は?」

『っ――…… だから』

 

 さらにゴニョゴニョと口を濁し始め、聞き取りにくいながらも少女の深呼吸が聞こえてくる。なんの準備だろうか。そんなに重大な宣告でもあるのか。まさか体調関連か――ディーノがハラハラと心配になる中、全ての憶測がその瞬間に杞憂となる。

 

『――ありがとう。名前をくれて、笑顔をくれて、ディーノといて楽しかったよ。……だから、また…… ディーノたちに会いに行っていいかな……?』

 

 ディーノの脳裏には、想像に容易い少女の火照った顔が浮かび上がる。

 

 受話器越しで、密かにクスリと漏らしてしまったのは彼女には内緒にしたい。

 

 やはり親代わりとして、少女を娘のように可愛く思えてしまう。

 

「ダメだ」

『――!?』

 

 少し意地悪が過ぎただろうか。ガーンッという効果音がどこからか聞こえてくることもない。

 

「女の子が裏の社会を彷徨くのは危ねえだろ。今度の休暇にジェット機ぶっ飛ばして会いに行ってやる。待ってろ、な」

 

 開いた窓から広がる茜空に向かって、ディーノは久しぶりの清々しい笑顔を魅せた。

 

 



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第16話

ちょいと日常パートを迷走。


 某日早朝、お天気お姉さん曰く、今日の天気はお洗濯日和の快晴。

 

 そんな清々しいお天気の日に、並盛小学校の校門前に、一台の車が停まった。

 

 朝日を跳ね返す黒い車体、威厳を放つ大型高級車のドアが小気味いい音を立てると、外側へと開かれる。

 

 登校してきた生徒たちの視線を一気に集め、黒ずくめの男たちに迎えられる。まるでドラマのワンシーンのような、優越感咲き誇る光景…… 第三者視点から見れば。私にしたら反吐が出そう。ああ、出て行きたくない……。

 

 一生のお願いでもいいからどうにかならないのかと、同伴者の彼にチラと視線で尋ねてみる。

 

「んだよ。さっさと出て行きやがれ」

 

 広い車内の一角に腕組みをして座る獄寺氏に一蹴され、あんな恥ずかしいシュチュエーションの中新しい学校に登校しなければならないことに……。

 

 みんなからの好奇な視線があるのに、その中をリムジンから降りて歩いていくだなんて…… 死ねそう。卒倒してそのまま逝けちゃいそうだよ。

 

 でも、ツナが心配だからって、こんな通学にさせられたし、すごく不安な顔されて断りきれなかったし…… なんかディーノの手前もあるんだという。どうしてディーノなのかは知らないけど、ディーノの名前を出されたら弱いのにっ……。

 

 結局、おずおずと車から降りることに……。さもないと同伴の彼が一応は保護者なのに所構わずボムを着火させようとするんだもん。

 

 ジャッポーネのランドセルと言った変わった通学鞄を背負って、何回か深い呼吸を繰り返して、竦む足で車から降りる。

 

 ……ゔっ。視線が痛い。メンタルへの殺傷力が半端ないよ。

 

 途端に突き刺さる刃に必死に堪えていると、その後ろから降りてきた獄寺さんにぶっきらに声をかけられる。

 

「オラッ、何ぼやっと突っ立ってんだ。さっさと行くぞ」

 

 しみじみ思う。どうして同伴してくる人が彼なのか。よりによって一番悪態吐く嫌味そうな彼なのか。どんな基準でこの人を選抜したの。ツナ、本当に心配してくれてるのかな。すごく疑っちゃうよ。

 

「たくっ、んでこんな餓鬼の送り迎えなんざ…… 10代目もこんな奴に気ィ遣いすぎなんですよ……」

 

 彼に指摘されておずおずと歩き出した私の後ろに付いている獄寺さんは、余程子守りに不満なのか、耳にタコもいいくらいに不平不満をネチネチと零している。別に本人の前で態々言わなくてもいいじゃない……。

 

「オイッ、勘違いすんなよ。10代目のご指示だから仕方なくてめぇの面倒見てやるだけだ。山本辺りは朝っぱらから何か用事で、オレぐれーしか手の空いてる奴がいなかったんだ。10代目の命令じゃなけりゃ、てめぇなんざそこいらの野良共にくれてやるんだからな」

 

 …………ああ、本当ツナは何考えてるんだろ。なんで山本さんにしてくれなかったの。この人ヤダ。もう怖い、ヤダ。誰かこの人を保護責任放棄で逮捕してってください。いろいろ言ってるけど、彼もただ暇でツナにちょっと頼まれただけでしょ。可哀想な人。

 

 どうしてこんなことになったのか、つい先日のことを思い出してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 ツナがまとめる"ボンゴレファミリー"というところに引き取られてから、数週間が経った頃。

 

「よし。合格だ」

 

 リボーンからかなり上から目線の言葉をいただき、無事合格発表を受け取った。

 

「おめでとう! アカネちゃん!」

「ありがと。ツナ」

 

 見守ってくれていたツナから祝福されて、少し背中がむず痒い。そこに腕を組んだ小さめの影がやって来る。

 

「なかなかの上達ぶりだぞ」

「ムッ。リボーン……」

 

 私と歳も変わらないくせに、気取っていつも黒服を着ている。そのボルサリーノの下に見える僅かな含み笑みを睨みつける。

 

「リボーン。もうちょっと言い方とかあるだろ」

「ちゃんと褒めてるつもりだぞ。この短期間によくやったんじゃねえか。ガキにしてはな」

「リボーン!」

 

 ……なんだろう。ムカムカするのか、イライラするのか。

 

 ちょっと賢いからって、いっつも上から目線で、見下すようなこと言って…… こんなのが家庭教師なんてやだ。でも、ツナたちは仕事があって時間がないみたいだし……。

 

「いや、本当にすごいよ! アカネちゃん! 全然分からなかった日本語をこの短期間でマスターするなんて!」

 

 ……まぁ、頑張ったよ。漢字も簡単なものはちゃんと書けるようになった。

 

 ディーノのファミリーにまた迎え入れてもらえるように、頑張るって決めたから。

 

「ツナはイタリア語覚えるのに何年かかったんだっけな?」

「うっ、うるさいっ、リボーン!」

 

 ツナが真っ赤になりながら肯定する。それもいろいろ問題あるよね。ボスとして……。

 

 どうしてこんなことになってるかというと、あの後ツナからこう言われたんだ。

 

 ――オレはただ、アカネちゃんを保護したくて、事件のこととかは二の次というか、だから記憶のこととかはゆっくりでいいよ。オレもディーノさんも急いでないから。アカネちゃんのペースで、ここで気持ちを落ち着かせてね。

 

 

 ――包み込むような笑顔に微笑まれて、少しホッとした。安らぎの場所ができた。少しずつでも自分に向き合っていいって言われて、余裕ができたんだと思う。

 

 ツナやいろんな人たちが支えてくれて、ここまで来れた。……不覚ながらリボーンにも。

 

 でも、記憶の方は、まだイマイチ……。

 

 私の様子を見て察したのか、ツナが横から明るく話しかけてくる。彼も大概お人好しなんだよね。どうしてこうも人のマフィア像を崩すのが上手なんだろう。

 

「アカネちゃんさ、頭もいいし、学校に行ってみない?」

「……学校」

 

 日本の学校に、か……。

 

 過去の私もきっと学校には通っていた筈……。

 

 なのに、どうしてだろう。全然胸にときめくものがない。

 

 それどころか、ふと胸に募る重たい気持ち……。

 

「興味ない?」

「…………」

 

 ツナの誘いに、どう答えればいいか分からない。

 

「何言ってやがる、ツナ。ジャッポーネは義務教育制度だぞ。アカネに拒否権はねえ。こいつが嫌がろうがさっさと学校に連れてってやれ」

 

 流れていた沈黙をブチ壊したのは、リボーンの皮肉な言葉の数々だった。このっ、ニヒル口めっ……!

 

 

 

 ――……思い出していたら、もう教室の前に着いちゃった。

 

 恐らく担任の先生である年増の女性の人と打ち合わせのような会話を終えると、教室のドアの前に佇んで呼吸を落ち着かせている私にイタリア語で彼がそっと一言。

 

「オイッ、ヘマしてオレに恥をかかせんじゃねーぞ」

 

 応援どころか、彼自分のことしか考えてないしー。

 

 さらにはプレッシャーという睨みを利かされ、溜め息しかもう出ない。もう帰ってよぉ……。

 

「今日は新しいお友達が来ますから、みんな仲良くしてね」

 

 担任の促しで、渋々とドアを開けるしか致し方ない。最後まで睨まないでよ、獄寺さん。もう誰かこの人追い出してよー!

 

「さぁ、アカネちゃん。クラスのみんなにご挨拶して」

 

 また担任の声がする。ちゃんと日本語は聞き取れる。隣から私に話しかけて、獄寺さんとは大違いで、緊張する私にそっと笑かけてくれる。

 

 この感覚が、安心だろうか。

 

 ザッと教室を見渡すと、私と先生以外が椅子に座って、席に着いている。みんなの視線が、私という存在に集中して、それぞれの印象を眼差しに込めて見据えている。

 

 ……居心地が悪い。

 

 どうして動悸が激しくて、喉がすごく渇いて、顔が俯いて、視界が霞んでいくの……?

 

「っ、ぁ…… あっ………」

「アカネちゃん?」

 

 ――やっぱり、世界は怖い。

 

 




リボーンと獄寺とはどうしてか睨み合うw
主人公のタイプを考えればね、ちなみに笹川兄貴のタイプも苦手でしょう。
そして雲雀さんが苦手で、割と骸との相性がいい?主人公は私の書くキャラクターの中でも変わってます。変な娘ですw
まぁ、みんな変だけどもw
ハルとは女性同士で馴染みやすい。
うーん、性別の差ってすごい。


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第17話

「おはようございます、10代目!」

 

 朝日が昇る頃、地下アジトの廊下に響き渡る騒音。この時間帯はまだ寝ている者が大半だ。にも関わらず、獄寺隼人は事務用の黒スーツに着替え、向かいの廊下から歩いてくる己のボスに小学生顔負けの元気な挨拶をかける。

 

「あっ、獄寺君。朝早いね。おはよう」

「10代目こそ、お早いご出勤で、お勤めご苦労さまです! もし何かおありでしたら、この獄寺隼人に何なりとお申し付けください!!」

 

 敬礼ポーズ付きで朝から隣室迷惑もいいところである。獄寺は普段見せることはない笑顔を満面に、朝日の眩しささえ凌ぐほどの晴れやかなスマイルを、唯一己の最も信頼する長には見せてその誠意を示す。

 

「あっ。本当に? 実はね、ちょうど獄寺君に頼まれてほしいことがあったんだ」

「何ですと!?」

 

 獄寺は思わず自身の目を疑った。

 

 今や他を圧倒する地位と権力を持った巨大マフィア・ボンゴレファミリーの10代目後継者――沢田綱吉の思いの外いい反応にしばし獄寺の目は瞬きを繰り返す。

 

 というのも、彼のそばに10年と長い年月の間仕えてきたが、その10年間にこれといって頼りにされた記憶は獄寺にはなかったのだ。代理戦争後もいろいろあったが、死ぬ気の到達点に到達した彼に拳で敵う者などいなかった。現れる刺客などはもとより10代目後継者の沢田綱吉を標的にしていたが、全てその標的である沢田綱吉が一人で返り討ちにしてしまうのだ。家庭教師・リボーンの調教もとい教育の賜物か、今ではその恩師に匹敵するほどの実力を備えた彼は、それでも信念だけは真っ直ぐで自分と出会った頃と何ら変わらず"誰も仲間を傷つけたくない"と青いことを言っている。

 

 彼の自称右腕と謳う獄寺も、10年前と変わらない彼の甘さに時たま心配にもなるが、他のファミリーの奴らになんと言われようが彼こそ自分が10年も慕ってきたボスなのだ。自分はこれからも彼に忠誠を捧げ、支えていけばそれでいい。馬鹿にする奴らはコケにしてやればいい。

 

 そんな獄寺の中で神化する存在の10代目こと沢田綱吉が、態々腹心の部下の自分に頼む用とは何か。重大任務に獄寺の胸の期待は高鳴る一方だ。

 

「じゃあ、お言葉に甘えようかな。期待してるよ。獄寺君」

 

 そうふわりと笑った笑顔が微かに含む何かを湛えていたことを、感涙の思いに前が見えない獄寺が知る由もなかったのであった。

 

 

 

 

 

 チッと舌打ちをするのは、これで何回目だろうか。ついでに溜め息も吐き出す。と、急に煙草を咥えたくなる。

 

 だが…… と、獄寺は周りをチラと確かめてみる。

 

 現在地点は小学校の校舎2階。廊下とはいえ煙草を吸うのは衛生的に大変よろしくない。場所を弁えて、子供たちの前で吸うわけにはいかないだろう。昔の自分だったらところ構わずの姿勢だっただろうが、二十歳(はたち)も過ぎ、多少のマナーは守るようになった。10代目の右腕として、それくらいのことは弁えておくことである。

 

 しかし、今の自身の立場に獄寺は満足できない。何故、自分が子守りなどしなければならない。己のボスが与えてくれた任務を遂行するのは当然のことであるし、光栄なことだ。別に10代目に不満があるわけではない。

 

 ただ、ただと、獄寺は己の内で苦悶する。

 

 獄寺を悩ますのは、たった一人の少女であった。

 

「アカネちゃん!?」

 

 ふと担任の女教師が叫ぶ。ハッとして教室に駆け込むと、その少女が教壇の床に倒れていた。うつ伏せの顔は髪に隠されて、その表情は見えない。

 

 またなのか、と獄寺の脳裏には、あの日の忌まわしい記憶が蘇る。

 

 思考が一瞬フリーズすると、獄寺はそれをすぐさま振り払うように少女のもとに駆け寄り、小さな身体を抱き上げて保健室への廊下を進んで行った。

 

 

 

 

 半時間も経ったが、少女の意識は未だに戻らない。ベッドの上に息もないほど静かに眠る少女を見て、獄寺は額に脂汗を浮かべた。

 

 事前に沢田綱吉から少女の身体的問題について一通り聞いていたが、まさかこんな時に倒れるとは、緊張からの急激なストレスだろうか。彼女はもとから過剰な人見知りであったのを獄寺も耳にしている。あんな大人数の前では、少女にかかる圧力(プレッシャー)は大きすぎたのか。

 

 本当に面倒のかかる餓鬼だと、少女から一時も目を離さず獄寺はぼやく。

 

 少女の顔色はどんどん悪化していく一方だ。悪い夢にでも(うな)されているのだろうか。これ以上起きる気配がなければここより病院に運んで診てもらった方がいいと判断し、獄寺が端末を取り出し席を離れようとした。

 

 だが、ふと背中に感じる気配。殺気。

 

 すかさず振り返れば、そこには殺風景な学校の保健室の風景があるだけ。先程背中に突き刺さった違和感は、気のせいだったのか。

 

 と、獄寺が気配を探ろうとする間もなく、少女が悪夢からもがくような唸り声を上げた。

 

「……ぁ、やめ…… 違う…… わたし、は……っ」

 

 その蚊の鳴くような声に、獄寺の息が止まる。まるでその場の時が止まってしまったかのように、身体が微動だにしない。

 

 ふと脳裏に過ったのは、あの人とピアノの音色に包まれた温かい記憶。

 

 優しいメロディーは、彼女の人柄を表すように獄寺の思い出に奏でられている。

 

 目の前にいるはずの少女の姿が、次第に霞がかって遠のいていくようだ。

 

 さらりとシーツの上に流れる銀髪が、その背中が、自分に何も伝えず背中を向けて去る母親の背に、どことなく似ていて。

 

 どうしてか幼い自分には、いつもその背中が悲しそうに見えて。

 

 後悔はしている。全ての事実を義姉から聞かされた、今でも。

 

 あの頃の自分は、何も知らなかった。無垢で純粋で、綺麗なものしか見えていなかった。だから結果的に、彼女の何も解ってやれなかったのだ。

 

 あの微笑みに隠れて、痛む胸をどれだけ苦しめていたか。

 

 そして自分がいたから、彼女を余計に苦しめ、縛った。自分の存在がなければ、彼女は僅かな生涯の中でも惜しみない道を通っていたかもしれないのに、その希望全てを自分という存在が遮っていたのだ。

 

 そう、あの時も自分のせいで――……。

 

 そう思うと、獄寺は過去の思いを未だ振り切れなかった。

 

 だが――

 

 "あなたは両親に祝福されて生まれてきたのよ"

 

 未来の義姉から伝えられた、信じられない言葉。最初はもちろん戸惑った。あの直後に起こったモスカ騒動に、動揺は紛らわせていたが。

 

 だが、今はあの言葉を素直に聞き入れないほど、自分はもう愚かではない。

 

「っ…… の、こんのチビッ…… クソッ……」

 

 未来の義姉に言われた通り、あれから心当たりのある場所をがむしゃらに探したところ、手紙は見つかった。自分の父親が彼女に送り続けたという手紙(ラブレター)が。

 

 ぼんやりと霞がかかって浮かぶ、母親の笑顔。その表情は確かに、自分と同じ分の幸せを感じてくれていた――

 

 その時、獄寺は悟ったのだ。

 

 過去も経緯もどうあれ、自分は母親に心から愛されていたのだと―――

 

 縛り付けていたとしても、獄寺自身がどう思っていても、彼女は一人の子を身籠った幸福な母親として、その息子を宝物のように大切にしてくれた。

 

 ピアノを弾いていた繊細な指は、きっと幼い自分をそう思って包み込んでくれていただろう。

 

 そうして獄寺はこの10年間、一人きりの場所で散々になるまで脳細胞を使い切り、結局答えを見出せないままここまで来ていた。

 

 それは、今でも己の浅はかさを後悔しているから。

 

 しかし、見切りをつけようがつけられまいが、大事なものが彼の中で変わることはない。儚い記憶の中の思い出は、獄寺の中でこれからも生涯尊く守られ続ける。

 

 自身を奮い立たせ、獄寺は覚悟を強く持った。

 

「しっかりしやがれよっ……! クソチビッ! オイッ!」

 

 目の前の母親似の少女と、正面からぶつかり合ってやる。

 

 今度こそ、彼は向き合うことにした。かつてのように逃げるのではなく、曲がりなりにでも受け止めてみせると、そう覚悟を決めたのだ。

 

 それはただ、かつての誤解によっての過ちを繰り返さないため。ただ、それだけ。

 

 あの頃は、たまに家にやって来るピアノ好きな人だと、碌に名前も知りはしなかった。

 

 渇く喉が獄寺の意思を邪魔する。でも、ここで伝えなければ自分はいつまで引き摺るつもりだ。声が枯れようが声帯が張り裂けようが、獄寺はもう挫けなかった。

 

「アカネッ!!」

 

 そう名前を叫べば、少女が一瞬自分に意識を止めてくれたように思えた。

 

「逃げるんじゃねえッ! 聞けッ! いいかっ、一度見失って逃げたらな、引き返すなんてできねぇんだよ! んなもん、怖すぎて、ハンドルとか利かねえんだ! だから、後悔する前に落とし前ってのはつけるもんなんだよ! てめぇ自身が振り返らねえように! 何もなくなった後じゃ遅せえんだよっ!!」

 

 悪夢に魘される少女の肩を掴んで溜め込んでいた文句をぶち吐けば、少女の瞼が静かに開いていく。その双眸には年頃の少女らしく純粋な眼差しがあった。

 

 獄寺が少し息を落ち着かせたのも束の間、少女が零れ落ちるように呟いた。

 

「――――誰……」

 

 




獄寺視点の回でした~。
難しかった。でも書きたかった。ただ獄寺がアカネ(のストレートロングな銀髪)を見て母親を思い出してグアァッ!とか悶絶しているところを書きたかった。
相変わらず意地悪いな。私。

その他には、獄寺はやっぱり母親のこと振りきれてないだろうな、という部分を。
ちょいマザコンっぽいなという節がありそうななさそうな獄寺氏でありますが(作者の偏見です)、やはり彼の過去の経緯からして手紙と事実を語られて「そうかよ」でもないから…… 10年経ってもこう思ってるかな、かなぁと。
確か獄寺の誕生日に母親は事故死して(ここはあやふや)、誕生日プレゼントを届けようとしていましたよね。
それだけでも結構酷だと思います。自分にプレゼントを届けるために事故死してしまったのは獄寺もずっと引き摺ってそうと、本編の文章でカッコつけて説明不足だった部分を補いました。
作者の説明不足、申し訳ない。

でも、こんな過去があった獄寺には共感できるので私も好きになりました。
じゃなきゃただの爆弾魔じゃないですか(笑)
隠し弾のカルロさん話もめちゃ好きです。カルロさんいい人すぎじゃないですか。正直、あの時の挿絵は彼と獄寺を書いてほしかったですねー。カルロさんみたいぃー。


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第18話

雲雀さんの18!ww
でも今回登場なし(残念)


 誰…… 誰が………。

 

 全てが灰と化した場所に、私だけがひとりぼっちで座り込んでいた。土地さえ、粉々の灰のように崩れてしまいそうなほど、脆い場所。

 

 どうして私、こんなところにいるんだろう……。

 

 ひとりぼっちで、こんな侘しい世界の真ん中にいるの……?

 

 それに――…… この景色、どこかで―――

 

 その時、悪魔の囁きがそっと告げた。

 

 "素晴らしい。なんて美しい世界の終わりなのだろう。真の世界の終わりは、これ以上に美しいのだろう"

 

 背後から、そんな悍ましい声がする。全身が硬直して、後ろを振り返れない。瞬きのひとつも返せない。

 

 世界の、終わり……? 世界が終わるなんて、そんなこと……。

 

 "君に手を差し伸べて正解だったよ。小娘でも、この星の輝きある野望に見事貢献された"

 

 気配が、ふと立ち上がったような気がする。

 

 "   "

 

 聞きなれない単語が聞こえた。

 

 もう覚えていないけど、かつての私の名前だったのかな――……。

 

 "では、また会おう。その時は、君たちにも素敵な世界を見せてあげよう"

 

 ――その言葉を告げて、男は消えた――

 

 ――――世界は、私一人になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「………誰…… あの、男の人……」

「はっ……?」

 

 虚ろげに、そう微かに零した私を、獄寺さんが半ば呆けた顔で窺っている。でも、それも気にならないくらい、夢の内容に気を取られていた。

 

 はっきりと鮮明に覚えている。枯れ果てた、灰一色の世界。謎の男が言っていた"世界の終わり"――……。

 

 世界が終わってしまうのだろうか。どうして……。

 

 あの男…… どうして私のことを知っていたの。

 

 男が最後に言った言葉が、ずっと頭から離れない。

 

「おいっ、お前、まさか記憶が――」

「……夢で」

「はぁ!?」

 

 解らない。何も。記憶がない私には…… 何も……。

 

「っ…… とにかく! クソチビッ! てめぇ今すぐ教室戻ってちゃんと自己紹介して来い! できねえなら晩飯抜きだっ!!」

「えっ……」

 

 こんな時に、どうして自己紹介…… そういえば、ここはどこだろう。ベッドの上……? どうして私、寝てたの?

 

 確か並盛小学校に編入してきて、クラスのみんなに挨拶しようと教壇に上がって、自己紹介しようとしたところで倒れて――…… って……。ああ、なるほど。大体の経緯は察した。

 

 確かに獄寺さんの言う通り、早いところ戻らないとまずい。迷惑かけちゃったし。でも獄寺さん、クソチビって…… 何それ。自分がちょっと背高いからって、何その差別。酷い。大人のくせして背は高いけど差別して。誰かいないの、ここ。誰かいたいけな少女の心に精神的暴力を振るったことでこの人を逮捕してください……。

 

「お前、オレが言ったことちゃんと聞いてねのかよ……」

「……そういえば、獄寺さん、何か叫んでたような…… かなり熱狂的に」

「あ゛ぁっ!! もう何も言うなッ! 次なんか吐きやがったら果たすッ!」

「えぇーっ!?」

 

 なんでなんで!? ダイナマイト構えられてるのッ!? そういえば、獄寺さんはマフィアの世界ではスモーキン・ボムという異名で恐れられていて、ってそんなことは別にどうでもよくて、怖いっ! 獄寺さんじゃなくてダイナマイトが! お願いだから仕舞って……!

 

「そんなこと言われたって…… どうせ無理だよ……」

「なんでそう思うんだよ」

 

 今からまた教室に行ったって、同じことを繰り返してしまいそう。そんな理由くらい、決まってる。

 

「……怖い」

「…………」

 

 ポツリと呟いた言葉は、重い空気に沈んでいった。獄寺さんが髪をクシャクシャ掻きむしっている。

 

 学校なんて、私にはまだ無理だったんだ。あの時は、ちょっと浮かれてただけ……。

 

「イケるだろ」

「……?」

 

 頭上から、獄寺さんがそう零した。

 

「今のてめぇは、一人じゃねえだろ。10代目にリボーンさん、ファミリーの奴らに…… 今はオレがついてやってんだろ」

 

 ふんぞり返って、彼はその言葉を私に叩きつけた。一瞬、この人は何を言ってるんだろうと思ってしまった。こんなことをいうのは誰なんだろうと。あの獄寺さんが、そんなこと思ってくれてるなんて――……。

 

 不覚ながら、ディーノがくれた言葉のようで、安心してしまった。単純だな、私。

 

「一人なんて思って自暴自棄になってんじゃねえぞ。チビのくせして。チビは何も考えず能天気にいやがれ。たくっ」

 

 獄寺さんは翠の瞳を合わせてくれないまま、そう唾を吐き捨てるように呟いた。

 

 その後、アホ牛とは大違いだな、と何やら愚痴を連発している。

 

 よく分からないけれど、それだけで十分だった。

 

「……ありがとう」

「は、はぁあ!? 何勘繰りしてやがんだ! さっきのは全部10代目がオレにああ言えと命令をくださってたんだよ! 自惚れんじゃねえぞ! 果たすぞ!!」

 

 ……私より、獄寺氏の方が単純そうだ。

 

 

 

 

 

 

 クラスに戻り、私が来て静まった教室全体を見渡す。

 

「……さっきは倒れて、迷惑かけてごめんなさい」

 

 教室に入ったら、最初に謝った。何の反応もなくて、両足が竦んでいる。それでも、怖気づいてはいられないから。こんなままじゃディーノと顔を合わせることなんてできないから。

 

 私も、強くなりたい。

 

 大丈夫。そばには獄寺さんがいる。辛くても、私には帰る居場所がある。だから、失敗しても大丈夫だと思えた。失敗するを前提で考えるのはどうかと思うけども。

 

 でも、自分から動かないと何も変わらない。

 

「沢田茜です。これから、よろしく」

 

 クラスのみんなに、そう名前を名乗った。みんな相変わらず反応してくれないけど、とりあえず噛まなかった……。

 

 パンチがあまりに弱かったのか、教室は静まり返ったまま、何とも言えない空気に包まれる。いつの間にか「ここは軽はずみに口を開いちゃいけない」という暗黙のルールまでもが成立していて、一向に重たい沈黙の中、真っ青な顔で打開策を必死に絞り出していると、廊下で待っていた筈の獄寺さんが急にドアを開けて教室に乱入してきた。

 

「餓鬼共! このちんちくりんが今年最大級の度胸見せてやったんだぞ。オレはな、不本意ながらこいつのフォロー役までも10代目から任されてんだ。つーわけで、仲良くしねえ奴からぶっ飛ばすぞ!!」

 

 この人、保護者のくせに子供(クラスメイト)を脅しにかかったー!!

 

 金槌で叩かれたようなショックの中、担任の先生から退室願いを申し出されているただのチンピラな獄寺さんは無視して、教室の方に向き直る。案の定、獄寺さんの乱入でポツポツと騒ぎ出していた。ここからどう出ていこう……。

 

「あ、あの」

 

 私の発言で、クラス中の視線が集まる。やっぱり怖い。いろんな目に見られて、囲まれているみたい。そんな幻覚を覚えてしまうほど、身体が怯えている。

 

 でも、負けない。昔の私とはもう違う。変わりたい。僅かでもいいから、ここから一歩踏み出すんだ――

 

「日本に来てから、見えてなかったものがたくさん見えるようになった。いつも人の背に隠れてばかりいた私だけど、ここなら変われる気がする。日本人って、変だけどみんな優しいから……。それに、日本文化も私は好き。着物とか、畳の和室とか、校歌って変な歌を歌う黄色い鳥とか、グリーンティーはちょっと苦手だけど…… 日本や日本の学校、あとみんなのこととか、もっと知りたいと思ってるから、その、お友達になってください……」

 

 ……これでよかったのかな。

 

 横目で獄寺さんがあんぐり顔になってる。余計に不安になるからやめてっ……!

 

 心の中で羞恥に叫びまくりたい。と、静かな教室にふと椅子が床に擦れる音がする。その音がした窓辺を見ると、眼鏡を掛けた女の子がこっちを見て立っていた。

 

「日本語、上手だね。私、クラス委員長の島田(しまだ)(さき)。分からないこととかあれば遠慮なく聞いてね、沢田茜さん。よろしく」

 

 女の子は自己紹介をして、にっこりと笑った。その笑顔を見て、今までに感じたことのなかった胸の熱さを覚えた。

 

 湧き上がる感情を胸の内で噛み締めていると、拍手の音がひとつ、ふたつと聞こえてくる。ハッとして再び教室を見渡すと、それは教室全体に広がっていて、胸の熱さを堪えるなんてもうできなかった。

 

 どうしていいのか分からなくて、わたわたとしながらドアの近くに立つ獄寺さんに救いの手を期待する。でも、あの獄寺さんが私の期待通りのことをしてくれる筈もなくて、気取った風に私に手なんか振るとさっさとその場を退室していってしまった。

 

 




獄寺もツナに会う前はぼっちだったので主人公の気持ち解ってやれると思います。たぶん。


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第19話

日常パートといいつつ、あんまり日常っぽくなかった。


 その日、会議室の空気は一味違っていた。沢田綱吉は大仰な溜め息を吐いて、テーブルの前でピンと背筋を伸ばし佇む男に話しかける。

 

「今回の騒動で学校とPTAと教育委員会から苦情が殺到しているんだけれど、君の意見はないのかな。獄寺君?」

 

 にっこりと包み込むような笑顔に微笑みかけられ、獄寺の気は一瞬緩む。しかし、一瞬でその笑みが禍々しく黒い靄のようなものに包まれると、獄寺はそのまま全身が硬直した。

 

 10年も付き従ってきたボスであるが、いつの間にこのような笑顔で人を陥れるスキルを習得していたのかと、右腕ながら全身が総毛立つ。

 

 しかし、せっかく供述するチャンスをいただいたというのに怖気付いたままではいられない。何か喋らなければ!

 

「10代目! 今回の不祥事に至っては理由があるんです!」

「へーえ? 小学校の至るところで問題起こして校舎の一部を大破させる理由って、一体何かな?」

「うぐっ……!?」

 

 無言の圧倒的な圧力に、獄寺は今にも押し潰されんばかりだった。それも自身が信頼を持って服従するボスからの冷めた目線と高圧的姿勢となれば、忠誠を捧げた主に一言でも反論するなど、彼的に至難の業。禁忌を犯すようなもの。ここ10年の年月の中で、彼の忠犬っぷりは残念ながら改善されることはなかった。

 

 現在も悪化の一方を辿るばかりの獄寺だが、この時は珍しく…… といっても負け惜しみのように弱々しく、衰弱死間際の犬のように吠えた。

 

「いや、その、それはクラスの餓鬼たちがやかましくて、多少チビボムを……」

 

 獄寺は口籠る。だが、次の瞬間には炎の鉄槌が振り落とされていた。

 

 小さいからといって火薬物の不当な持ち込み、まして肝も据えてない子供たちの面前でホイホイ着火させるなど、学生時代の散々なトラブルと青春を共にしてきた沢田綱吉は、何度と痛感した。横暴で無茶苦茶で、尽力を尽くしてもその収集のつかなさに現実逃避したくなる現在を。

 

 彼が脳内で青春のトラウマに花を咲かせている傍で、獄寺は気を強く持って本来の仕事である報告を告げる。

 

「し、しかし、それだけじゃないんです! ここ数日間あのチビの面倒を見てきて、ちゃんと手応えはありました。あのチビは、確実に敵の目に睨まれてます」

 

 不便ながら充実した学校生活を送る少女の周りを密かに嗅ぎ回る気配を、獄寺は彼女の背中を見守る最中(さなか)、薄々だが察知していた。恐らく、少女が倒れた時の視線と同一人物だろう。

 

 学校という閉所的な空間でご丁寧にも尻尾を出してくるとは、獄寺も腕が鳴る。上手く相手を誘き出しひっ捕まえてくれば、他の守護者たちの良き手本となり、何より10代目からの信頼も独占できる。

 

 ――と、脳内で算段を組み立て、指示もないのに単独行動を働いた結果、今回の不祥事に至ったのである。

 

「おかしいなぁ…… フゥ太のランキングで獄寺君は保父さんに向いているランキング1位だったから、イケると思ったのになぁ」

「10代目ー!? まさかオレを選抜したのはそんな理由だったんスかー!?」

 

 ランキング。それは過去、マフィア界で的中率が桁違いとして有力な情報源のひとつだった。何でもランキングの星と交渉することで情報が得られるらしく、どのマフィアも喉から手が出るほど欲した人材。それがランキングフゥ太だった。

 

 だが、10年前に彼の守護者の一人が起こした暴動事件により、まだ幼かった彼を巻き込んで能力は消滅してしまった。年月が流れた今では彼はボンゴレファミリーに加わりつつ、もうマフィアに追われることのない平和な日常を過ごしている。

 

 その能力が健在だった10年前のランキングをよく覚えていたものだと、獄寺は相変わらず彼だけには頭が上がらないのであった。

 

「んー、まぁ、獄寺君の秘めたる力をこの機会に解禁させようかと」

「オレの秘めたる力ってなんスかッ!?」

「獄寺君の潜在意識に隠れた母性本能をこうくすぐって」

「10代目はオレに一体どんな期待してんスかぁー!!?」

 

 そう言われると本当に自分が隠れ子供好きなのではと疑ってしまう。この歳でロリコンか、と過去の悪循環から抜け出せない獄寺の隣で、彼らの会話に挟むように剽軽な声がした。

 

「つーかさ、あん時って確か雨降ってなかったか?」

「山本!」

 

 今まで会話に参加せず会議室のテーブルでスポーツ雑誌に目を通していた山本が、爽やかな笑顔を湛えてそんな発言をしてみせた。

 

 確かに…… と、二人はそんな気がしないでもなかった。雨が降ればランキングはデタラメになってしまうのだ。ホッと胸を撫で下ろす獄寺の近くで、ボスの沢田綱吉がつまらなそうに小さく舌打ちしたのを、表向きは誰も見ていない。

 

 気を取り直して、会議室の中を見渡した沢田綱吉はほとほとメンバーに呆れたように告げる。

 

「まあ、こんな事態になったんだから、人選の交代は仕方ない。対処はこっちで何とかするから、とにかく獄寺君はしばらく勝手な行動禁止。ダイナマイト所持禁止。あと外出禁止。煙草も禁煙」

 

 最後のはあからさまに付け足しただろう。しかし今は反論できるほど、彼の立場は有利ではなかった。

 

「で、人選交代なんだけど、今この場にいるのはオレと獄寺君に山本、ランボにあとクロームか」

 

 先程会議室を見回して確認したままのメンバーだ。広い会議室にたったの五人。ボスの沢田綱吉を含め、守護者は八人いる筈だ。そしてボスの家庭教師を務める男も普段は参加する筈が、今日は不在だ。

 

 そのことに気づいて、山本と獄寺はそれぞれに呟いた。

 

「今日は小僧見ねえのな」

「ヒバリと骸の奴らは顔合わせたくねーとか言って毎度パスすっからどうでもいいッスけど、んにしてもリボーンさんまで…… つーか、芝生頭、あの野郎どこ行きやがったんだ?」

 

 睨みを利かせながら、会議室内を無造作に見回す。しかし獄寺の視界には芝生頭の「し」ひとつも見当たらない。それどころかここ数週間、あのアホのアホ面を見ていない気がする。

 

 彼らの呟きを聞き逃さなかった沢田綱吉の話では、彼の家庭教師は個人的な事情でこのアジトから離れているという。少年からは詳細を伏せて告げられたが、超直感を持つ彼には大体のことは解っていた。不安など言ってられず、彼がいなくてもきちんと組織をまとめようと、快く送り出していったのだった。

 

 そのことを脳裏にふつふつと思い出しながら、続いて笹川了平の行方について守護者たちに報せる。

 

「お兄さんは…… 新婚旅行って言って、ちょっと世界の果てを見てくるって、それっきり」

 

 先月入籍した、想い人の大切な兄である彼の幸せを思って、その場のお茶を濁そうとしたのだが、効果は特になかった。

 

「……10代目、なぜあの馬鹿をお止めにならなかったんですか」

「いや、考えたんだけどね、オレらに二人の幸せを止める権利はないと思って」

「……真っ当な正論ですが、10代目、止めるべきです。あの極限バカは原始人並みのバカな頭なんです」

 

 ただの他人事ののろけ話で幕を閉じたのだった。

 

 

 

 通話を切り、会議室に集まってから小一時間ほど経過したところで、彼らは本題の保護者役について討論することにした。

 

「獄寺君は謹慎処分、オレはリボーンも不在でここを離れられないから、誰か代わりに行けそうな人、いない?」

 

 沢田綱吉が促すように挙手のポーズをしてみせるが、誰一人反応しない。そこで山本から確認していくことにする。

 

「オレも行きてーのは山々なんだけど、例の偵察と書類がたんまりなんだよ。悪い、ツナ」

「そ、そっか……」

 

 山本の人の良さなら問題なく任せられるが、具合が悪いようだ。彼にはボンゴレと敵対するとあるファミリーの偵察を任せている。人体実験をしている疑惑がある凶悪マフィアのため、偵察は数度に渡って慎重に行われていた。

 

 元々は沢田綱吉も彼に保護者役を任せようとしたが、その件で山本の代わりに獄寺に付かせたのだ。案の定、町の消防隊を連れ込む大騒動となった。

 

 終息の後は、町の秩序であると豪語し、尚且つ自分の守護者の一人である雲雀恭弥に、散々に蹴られ殴られした。「守護者のミスはボスのミスだろう。そもそもあんなトラブルメーカーを人選したのはどこの誰だい」と正論を叩きつけられ、散々に詰問された。沢田綱吉のトラウマの1ページに、新たな歴史が刻まれていった。

 

 これらの出来事を踏まえて、彼だけには絶対にこのことを頼めないだろうなと、内心では酷く肩を落としていた。

 

 哀愁に浸りつつ、脱線気味な話をさっさと進めようと、続いてはテーブルについてずっと大人しく話を聞いていたクローム髑髏に伺ってみる。

 

「私は……」

「クロームはアカネちゃんとも仲良いし、女の子同士で気軽に話しやすいいし、どうかな?」

 

 クロームもかなりの適役だと思う。霧属性を扱う彼女なら、獄寺のように問題を起こすことはまずないだろう。

 

「いい、けど…… 明日はダメ……」

「えっ?」

「……京子ちゃんたちと、ケーキバイキングに行くって約束があるの」

 

 もぞもぞと落ち着きなく話すクロームに、女心を悟れない男子たちはしばらく空いた口が塞がらない。

 

「け、ケーキ……」

「ハハハッ」

「ふ、ふざけてんのか! てめぇ、髑髏! 勤務中に私情挟んで来やがって……!」

「ふざけてなんか、ない」

 

 彼女の真っ直ぐな目に、たじろいだ獄寺だが、再び言い返そうとするとそれを先に沢田綱吉が制した。

 

「そっか、分かったよ」

「10代目!?」

 

 獄寺は思わず彼の方に振り向いて、瞬きを繰り返す双眸で見た。あんぐりと開いた口からは、彼が言わんとすることが大体想像できる。

 

 笹川京子の名前を出されれば、絶賛10年間も片思い中の彼は弱い。本人は未だに隠しているつもりだが、さすがに獄寺も感づいている。大方自分が止めたせいでクロームが明日ケーキバイキングに来れず、そのことを笹川京子に知られて女の子に気も利かない器の狭い男と蔑まれるかもしれない、と神経質になって今回は許したのだろう。こっちの方が私情挟みまくりの気がするが、冗談抜きで彼の母親の影響で名前しか特に進展のなかった彼の恋路に、忠犬の如く主人に同情したくなる。

 

「ボス…… ありがとう」

「って、ちょっちょっ! 何しようとしてるの、クローム!!」

「え…… お礼のキス……」

「てめっ! 10代目から離れやがれよ! このキス魔女がッ!」

 

 すかさず二人の間に獄寺が入り、それを阻止する。それを見て、クロームは少々戸惑いがちに二人に話した。

 

「でも、イタリアではキスもお礼や挨拶の内だって…… キスしておけば誰とでも仲良くなれるからって、骸様が……」

「てめぇは骸教信仰者か何かかよッ!!」

 

 これは本格的に骸をどうにかした方がいいと、会議は議題を逸れて骸の対策案を立てるところにまで流れていた。

 

「ところで、ランボがなんか干しぶどうみてーになってるんだが、どうかしたのか?」

 

 山本が、テーブルに突っ伏して衰弱死間際のランボを横目に尋ねる。

 

「ああ、ついさっき10年前から帰ってきたんだよ。たぶんあっちのビアンキに元彼と間違われてあれこれされたんだと思う」

「いいのか、医務室連れてかねーで?」

「うーん、微かに意識はあるみたいだし、雷に対抗できるんだからビアンキのポイズンもたぶんイケるんじゃないかな?」

「10代目…… さすがにアホ牛も死にます……」

 

 幼少期の経験(トラウマ)があり、獄寺もさすがにこの時はアホ牛に同情した。珍しいものを見たと、他三人も物珍しげに眺めている。

 

 獄寺がランボを医務室に運んで行ったため、会議室にはたったの三人ぽっちになってしまった。それでも会議はまだ終わってはいない。

 

「それで、アカネちゃんの保護者役についてだけど……」

 

 すでにここにいるメンバーには全員確認済みだ。となれば、ここにいない守護者に頼む他ない。

 

「骸は…… あいつに任せたら、それはそれで心配だな……」

 

 一も二もなく、普段の変質的な態度とボスからの信頼の無さで、霧の守護者はあっさり外されたのだった。

 

 そして、頼める人が他にいない状況にまで陥ってしまった。どうしようと、彼は大仰に頭を抱える。

 

 ディーノにも任された手前、彼女の身の安全を万全にしておくのは優先事項だ。外国からの留学生であり、事件の重要参考人である彼女を監視の目もなく外には送り出せない。

 

 さらに近頃は敵の目もあるようで、入江ほどではないが彼の胃も近頃は不調を訴えていた。ディーノからは事前に誘拐の件など聞かされていたが、それでも大船に乗ったつもりで任せてください!と申し出たのは自分自身からだ。もし少女の身に何かあれば、責任問題どころではないだろう。誰も予想にしなかったあの少女に過剰に執着するキャバッローネのボスとの仲に亀裂どころか、同盟廃棄なども十分にあり得る。もし跳ね馬のいるキャバッローネを敵にでも回したりすれば、と想像するだけで鳥肌が立った。

 

「なら、僕が行ってきてあげるよ」

 

 そんな折、入口から突如聞こえた声に、一寸の光が差し込んだように思えた。

 

 この男は、一体何を考えているのだろうか。

 

 そこに佇んでいた意外な人物に戸惑うも、彼に一か八か賭けてみるしかなかった。

 

 



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第20話

 気がつけば、一人ぼっち。

 

 冷え切った教室に、暖かい太陽の一筋が差し込む。それは私の遠く目の前にあって、いつだって届かないもの。

 

 いつからか、こんなにも慣れてしまったんだろう――……。

 

 幸福に餓えて、どうしたらいいのかも分からずに、いつも目を瞑るだけ。自分の世界の殻に閉じ籠って、苦しみや淋しさを耐えるだけ。

 

 そんなことが、私の理性を唯一保てる安全装置だった。

 

 

 ――けれど、彼は、そんなことお構いなしだと吐き捨てるかのように、錆び付いた安全装置のストッパーを壊した――――……。

 

 

 

 

 教室にフラフラとやって来た矢先に、こんなことを面と向かって告げた。

 

「僕が君の記憶を覚ましてあげる」

 

 最初は、いきなりのことに理解が追いつかなくて、目が廻るようだった。それに相手の迫力に、意識がぶっ飛ぶ半ばだった……。

 

 

 

 少し前に、私は人より体が弱いことをツナから聞かされた。自分ではあまり自覚がなかったけれど、運動は避けた方がいいなんて深刻に告げられてしまった。

 

 ツナには出来る限り迷惑をかけたくないし、私も運動にはあまり自信がない。はっきり言えば苦手分野だ。だから、運動場で行われている授業は一人欠席した。

 

 私は今、一人教室の隅でひっそりと過ごしていた。特に何をするでもなく、ただじっと席に座って、退屈を忍んでいたところだった。

 

 すると――

 

 いきなり教室の後ろのドアが開いて、そこには真っ黒なスーツを着たその人が立っていた。

 

 まるで悪魔か死神のように恐ろしく凄んだ黒檀の両目を、表情を失くした私に向けて。

 

 ………確か、ディーノの……。名前は…… 雲雀恭弥……。

 

 しばらく呆気にとられて、強張った表情で相手を見つめているしかなかった。何せ、この人の登場は予想外すぎて、運動場を一周走るより心臓の負担が大きい。

 

 どうして、彼がここにいるんだろう。今朝から獄寺さんを見ないけど、まさか――……。

 

 過った不安は、彼の発した言葉で現実になった。

 

「獄寺隼人が謹慎処分になったから、代わりに君の面倒を見ることになったよ。沢田茜」

 

 まるで、その声は人の反応を探るように、重々しく発せられて、黒檀の瞳は射抜くように遠くから私を見据える。

 

「…………」

「子守りは面倒だけど、丁度良かったよ。君には直接聞きいておきたいことがあったからね」

 

 あの一言を捨て去って行った日以来、音信不通だったのに、いきなり教室に現れたと思ったら、この人は何なの――? その腹底に見え隠れする目的は、一体何なのか。上辺だけの微笑みを向けて、彼は淡々と話を進める。私が思うところも、彼には全てお見通しらしい。ディーノの師弟だとしても、この人には気を許せない。

 

 光の加減で影に覆われたその表情は、裏の世界の冷酷さを思わせるようで、ただの子供の私には、得体の知れない怪物に脅えることしか出来ない。

 

「――けど、確か君には以前の記憶がない。僕が聞きたいのは、そこなんだよ。君が失くしてまった記憶」

 

 何の躊躇もなく、表情も変えず、唐突に彼はそこに触れてきた。でも、薄々はそうじゃないかとも思ってたから、動揺はしない。そんな私の姿は、彼の目にどう映るのか。不敵な笑みが漏れた。

 

「僕が手伝ってあげるよ」

「……?」

 

「君たちの、記憶探しに――――僕が君の記憶を覚ましてあげる」

 

 目を丸くするしかなかった。そんな提案がまさか彼の口から出てくるなんて、聞き間違いじゃないかって自分の耳を疑うしかない。

 

 態々こんなところまで来て、私に協力するという彼の思惑なんて、私には想像もつかないけれど――……

 

 彼に初めて返す言葉は、少しの間もなく、はっきりしていた。

 

「要らない」

 

 そう返せば、彼からの返事は不満な表情。

 

 予想していたけど、こんな相手を不機嫌にさせておいて、ビビらないはずがない。正直、言ったそばから後悔してる。殺気が……。

 

 でも、これ以上干渉もされたくはなかったから。

 

「……あなたの手なんか借りない。余計なお世話」

「ただの小動物と思っていたけど、僕の嫌いな気質(タイプ)だ。生意気」

「あなたにそんなこと言われる筋合いない。私の記憶に干渉しないで」

 

 屈することなく言い返したら、彼はさらに言い返すこともなく、口を閉ざしてじっと私の顔を見据えるだけ。よくわからないけど、ここで目を逸らしたら負ける気がする。

 

「このまま何もしないでいるのかい」

「……何が」

「自問自答してみたらいい。弱虫な君は、記憶を探すなんてはなから思っていないだろう」

 

 ――どうして…………。

 

 冷静でいようとしたけれど、力んでいた指先が少しずつ震え出してきた。まるで、彼のその一言に動揺しているかのように。

 

 そんなことはない。そう何回も自分に言い聞かせる。

 

 だって、ディーノとの約束じゃない。こっちで頑張ってみせるって、そう彼にコード越しに伝えた。次に会えた時には、本当の私を彼に見てもらえるように。

 

 そのために、私なりに一生懸命に頑張っているのに、この人は何を言っているの?

 

 教室に静かな靴音が響く。その音に意識が現実に返る。つい考え込んでいたみたい。このままじゃ、相手の思う壺だ。

 

 表情を窺うと、大人の余裕を振りまいたその人は、その眼差しこそ変わらず獲物を竦めるように鋭かった。目だけが笑っていない。殺気さえ感じるほどの威圧感。どんな思いで構えていても、引けをとってしまいそう。

 

「否定するなら止める気はない。けど、くだらない意地でこれ以上君自身を陥れない方がいい」

「っ…………」

 

 言い返そうと口を開いたのに、言葉を失くしてしまった。やっぱり相手が悪すぎるのかもしれない。

 

「顔が真っ青だね。本当の君は、そんな風に内心怯えてばかりいる。自身の感情をコントロールするのに必死で、周りは愚か何も見えていない。君の言う記憶探しは、今後もお先真っ暗な闇の中」

 

  違うって、彼の言葉を否定したいのに、出来ない。それは彼が怖いからじゃなくて、彼の言っていることは正しいから。

 

 思えば、彼は、最初にあった時から私を見ていた。疑り深いような眼差しを向けて――……。

 

 

 あの時の気持ちに嘘はない。

 

 けれど、彼の言うとおり、真実に怯えている私がいる。記憶を探すと、同時にいつも不安になる。

 

 もし、記憶を取り戻したら?

 

 本当の私は、また彼らに受け入れられるのかな。ディーノは、変わらず私を笑顔で迎え入れてくれるだろうか。

 

 そんな保証はどこにもない。

 

 私は、また見捨てられるのが、たまらない。

 

「……あなたの言うとおりかもしれない。本当の私は、綱渡りを渡れない。怖くて足が竦む。リスクを遠ざけて、スタート地点からずっと止まったままなのかもしれない」

 

 結局、認めてしまうしか、相手に返す言葉がみつからなかった。はいはいと認めてしまう私は、相手の思惑通りなのかもしれない。そう考えると不服だ。こんな人の掌の上で踊らされているなんて認める気はない。

 

「だけど、あなたが思うように簡単なことじゃない。……正直、このまま記憶を探すのは絶望的。あなたには、きっと(わか)ってもらえないけれど……」

 

 頑張ってきたのは、私だけじゃない。私のために、いろんな人たちが動いてくれている。ツナや彼のファミリーの人たちにはもちろん、たくさん迷惑かけてる。そんな彼らの気持ちにも応えたいのに、思い出すことはひとつもなく、彼らの頑張りを無駄にしてしまう。その度に私も自信を失くして、記憶探し(トレーニング)どころじゃなくなってる。

 

 ツナもそれを見通したのか、最近はそのことについてあまり触れてこない。彼はとうに諦めてしまったのかな……。

 

 涼しい顔の彼に、私の今までを何も知らないのに、軽く思われたくはない。急に出てきた人に、何が出来るって言うの?

 

「どうでもいいよ。そんなことは」

 

 簡単にそう言ってのけた。

 

「それが手に入れ難いものほど、燃えるからね。ただあの草食動物たちが無能だった、それだけのことだよ。草食動物に草食動物のやり方があるなら、僕には僕のやり方がある」

 

 最初は何を言っているのか、私にはスケールの大きい話に思えた。けど、その黒檀の瞳の奥に密かに宿る野望に、彼の本気の熱意を見た。彼も決して状況を甘く見ているわけじゃないことは伝わった。

 

 彼が何を目論んで、私にこの話を持ちかけているかはわからないけど、彼なら記憶を取り戻してくれるんじゃないかって、根拠のない期待が湧いた。

 

「……本当に、記憶を返してくれるの?」

 

 騙されたと思って、賭けてみてもいいと思った。利用されることにはもう慣れた。彼は普通の大人と違って変な気回しをしなくて口が正直で態度がでかくて良心を知らないだけで嘘はつかない。そこだけは信頼出来ると思う。だから、私も頷こうとした。

 

「無理だね」

 

 しーんと冷めた教室の空気を痛感したようだった。

 

 ちょっと待って、話が違う!

 

「記憶がどうこうより、まずは君自身の問題だ。偽りのない意志表明を示すのなら、僕は君のために手を貸してあげよう」

 

 話は一転した。彼の方も私を100%信用しているわけじゃないらしい。当たり前だけれども。

 

 彼は私に覚悟を見せろと言う。偽りのない本物の意志を。あの性格上手間は省きたいんだろうし、これが証明に一番手っ取り早いのはわかる。

 

 でも、覚悟なんてたいそれたことを示す方法なんて一介の少女が知るわけない。

 

 いつまでもうじうじ考えていると、業を煮やしたのか、彼はひとつ重々しい溜息を吐いた。

 

「ヒントをあげる。君は、自身の殻を抜け出せていない。親の餌に頼るばかりで自身は巣の中で甘えていることしか出来ない雛鳥ってところだ」

 

 ……ヒントも何も、馬鹿にされていることはわかった。

 

 それでも彼が求めるものがわからない。彼を睨んだところでそんなのわかるわけないか。

 

「……わからない。はっきり言ってよ」

「はっきりしてるよ。むしろ簡単なことだ」

「……ふざけてるの?」

「僕も茶番は嫌いだよ」

 

 相変わらず淡々とした言葉で、何を考えているのかさっぱりだ。会話が疲れる。

 

 彼がふざける性格じゃないのはわかってる。何か彼の言葉の中にヒントが欲しかった。少しでも答えに近づきたくて、でもやっぱり相手が悪い。

 

 チャイムの音をきっかけに、今まで彼の肩で大人しくしていたのに、ふと翼を広げて飛び回り始める。チャイムに驚いたのか、それにしては悠々と教室を飛び回ってる。ヒバードだった。また音の外れた校歌を歌ってる。

 

 ふと、先程の彼の言葉が思い浮かぶ。

 

 私が雛鳥なら、親鳥は……。

 

「――――ディーノ……」

 

 ふと脳裏に沸いたその人の名前を呼べば、彼は満足そうに微笑む。

 

 その反応は、どうやら答えに一歩近づけたようだ。

 

 

 でも、どうしてだろう。

 

 胸騒ぎが治まらない――……。

 

 ディーノがこのことにどう関係してくるのか。どんどん顔が青ざめていくのがわかった。

 

 

 

 

 

「私に、ディーノを忘れろって……?」

 

 

 

 自分でも驚くほど、か細い声で、震えていた。

 

 けれど、私の回答は彼を満足にしていないらしい。

 

「違う。跳ね馬だけじゃない。君を縛る全てのものから自分の意思で抜け出してみなよ」

 

 彼はまた淡々と言った。

 

 私を縛るもの――――

 

 彼の言葉は想像に難くない。けれど、それを手放すのは、あまりにも大きなものを失うことだった。

 

 私には、その覚悟は辛すぎて、それを背負うには重すぎる。

 

 それは、何もなかったあの時の私に温もりと笑顔をくれた人たちだから――……。

 

 その恩を仇で返すような真似は、私には出来ない。

 

 出来ない――……ッ。

 

「その程度の覚悟で簡単に取り戻せるものじゃないことくらい、君にも解るはずだよ」

 

 けれど…… 彼の言うとおり、このままでもいけない。結局また変われない。ここで決意しないと、私はこれからもこのままなのかもしれない。

 

 情けないままで、いいはずがない。

 

 彼についていけば、私は変われるかもしれない。

 

 けれど…… それは一度彼らを、みんなを裏切る行為――

 

 

 

「――いつまでそうやって逃げる気だい?」

 

 いつまでも逃げられるなんて思っていない。逃げていても、いつか手遅れになるかもしれない。

 

「君は一度堕ちたんだ。再び巣から落ちたなら、次は上手く飛べるはずだよ」

 

 そんなことなら、私はあんな約束をしなかった。

 

「――――恭弥、さん」

 

 だから、私は約束を果たしに行く。

 

「私は私の居場所を失くさない。絶対に捨てない。だからここに置いていく。そしてまたここに戻ってくる」

 

 いつか貴方に「おかえり」って、その胸に飛び込めるように。

 

「ふうん」

 

 ディーノ――

 

「生意気だね。でもまあ、悪くないよ」

 

 待っててくれる?

 

 

 

「ひとつ言い忘れたけど」

 

 教室を出る際、ふと立ち止まる。そう言うと、一瞬の間に私の視界を何かが横切る。

 

「学校を出れば沢田綱吉との取引は無効。君の身の保証はしない。それでも行くかい?」

 

 いきなりのことで、最初は息さえままならなかった。自分の首元を見れば、すぐにでも私の喉を掻っ切りそうな武器(トンファー)があった。

 

「場合によっては僕の手で君を殺す。僕をがっかりさせるようなことがあればね」

 

 器官を圧迫するような感覚が、私への殺意を示してる。彼は殺すと言ったら殺すだろう。虚言はない。本当に子供だろうが、彼は容赦ない性質だから。

 

 ここで終わってしまったら、もうディーノには会えない。何も伝えられないまま、終わってしまうかもしれない。

 

「あなたが探っていることが何にしろ、それが解明されない限り私は人質ではなく、あくまで交渉人としてあなたと行動する」

 

 動じることはない。いつもの私であればいい。

 

「君に直接交渉してよかったよ」

 

 彼の牙から免れた。詰まっていた息が一気に吐き出される。やっぱり相手が悪過ぎる。

 

「合格点はまだあげないけどね」

 

 ここからは何があるかわからない。この選択が正解なのかも私にはわからない。

 

「……ケチね」

「……ちなみに、発言も減点対象だから」

「テストとか試験とか赤点とったことないから、安心して」

「へぇ…… 期待しておくよ」

 

 けれど、引き返す選択肢はもうなかった。

 

 



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第21話

お久しぶりです。久々の投稿です。ここでは多くを語らないので本編をどぞ。


「何見てんだ、ツナ」

「あでっ!」

 

 どこからともなく降ってきた強烈な一撃に、沢田綱吉は椅子から転げ落ちた。

 

 先程まで自身の事務室で職務をこなしていた彼は、その衝撃と共に聞こえた馴染みの声に、蹴られた後頭部をさすりながら振り返った。

 

「リボーン! お前、いつ帰ってきたんだよ!?」

 

 床に膝をつくツナを見下ろしていたのは、彼の家庭教師であるリボーンだった。外出用のコートも脱がず、ブリーフケースを片手に立っていた。

 

「ちょうど今だぞ。案の定、オレが留守にしてる間にいろいろやらかしたみてーだな。ダメツナ。全くおめーは、家庭教師がいねえと何にも出来ねえ奴だな」

 

 その情報は一体どこから得てきたのやら。

 

 帰ってくるなり飛び蹴りにダメ出しとは、相変わらずスパルタな奴だ。ただ自分を蹴るために真っ先にここへ駆けつけたのなら、ツナは今すぐここで泣ける自信があった。

 

 彼がいない間のことは、ボスである自分に全て任されていたので、今回の結果は自分の判断ミスや監督不行き届きだ。リボーンから責められても全て言い返せない。

 

 しかし、こんな仕打ちはあんまりだと思う。しかも「案の定」とは。今日の飛び蹴りはやけにキレッキレだったが、もしやコイツは、こんなことを見越してスタンバイしていたのだろうか。もう何も考えたくないと思った。

 

 家庭教師に言い返せない悔しさを押し殺して、ツナは立ち上がる。多少フラつくも、椅子の肘掛けを支えに立ち上がり、少年の視線を追う。彼が目を留めていたのは、業務卓の上に置かれた数枚の写真だった。

 

「何だこれは」

「へへっ。懐かしいよね。引き出しの奥に入ってたんだ。そういえばいつかハルに押し付けられて、忙しくて引き出しに仕舞っておいたけど…… オレらの中学生時代の写真」

 

 時期は、恐らく代理戦争後のものだろう。

 

 雪合戦、お正月、卒業式、お花見、花火大会……。みんなと過ごした楽しい時が、形として一枚一枚に残されている。とても嬉しいことだった。

 

 ツナは、その一枚を手に取る。並盛中学校の校舎がバックに、銀世界と言うにはゴチャゴチャとした風景が広がっている。

 

 ダメダメな中学生の自分は、謎の大雪玉に命中して悲惨な表情をしていた。獄寺は敵陣にも関わらず身を乗り出して心配してくれて、その後ろでハルも顔を真っ青にしている。山本やランボたちには笑われて、途中参加の炎真たちからは驚かれ、そして、想い人の笹川京子とは、お互いに笑い合った。

 

 懐かしい一枚を手に、つい本音が零れる。

 

「オレ、みんなとする雪合戦、大好きだったんだ。もちろんみんなとの思い出は、どれも楽しくて大切だけど、雪合戦って、友達がいないと出来ないじゃん。オレ、雪合戦一緒にやるような友達は今までいなかったから、メチャクチャだったけど、みんなとバカ騒ぎするこの時間がすごく楽しかったよ。もう大人になって、忙しくなって、そんなこと出来なくなっちゃったけど……」

 

 寂しさが残るが、それが大人になったということかもしれない。楽しいことばかりではない。

 

 でも、それがあるから乗り越えられる。それが自分を強くさせる。だから戦おうと思う。守るために。

 

 思い出に縛られないよう、ここで割り切ろうとしていた。今の自分は、沢山の守りたい人たちがいて、伝統あるボンゴレの後継者なのだ。

 

 しかし、彼の家庭教師は、そうは思っていなかった。

 

「そんなことねえだろ。あいつらならいつだって揃ってお前のバカに付き合ってくれるぞ。お前のファミリーだからな」

 

 ボルサリーノから覗く瞳は、"ボンゴレ"としての自分ではなく、ただのダメな大人を見守る眼差しだった。

 

 ――そうだ。大人になっても、変わらない。

 

 それが、ファミリーという絆だ。

 

「……うん。またみんなで雪合戦できたらいいよな。アカネちゃんも一緒に……」

 

 少女の名を不意に口にすると、彼は続く言葉もなく押し黙った。

 

 その様子は、胸を締め付けるような感情を押し殺すように。写真を見つめる彼の瞳は、先程とは一変して、どこか悲しげに映る。

 

「リボーン」

 

 トーンの下がった声に、呼ばれた本人は無言だった。目深に被ったボルサリーノから、じっと彼の姿を捉え、言葉を待つ。

 

「間違ってないかな…… オレ……」

 

 弱音が漏れた。

 

 彼のこんな発言は日頃あることだが、この時は違った。彼の家庭教師も、すぐに注意することはせず、教え子の言葉に耳を傾けた。

 

「こんなはずじゃなかったんだ。オレは、ただ…… あの日の新聞の一面を見た時、まだ会ったこともなかったあんな小さな子が、これから茨の道を一人で歩いていく姿が、すごく寂しい気がして――……」

 

 事件のたった一人の生還者である少女。しかし彼女の存在は、真実を欲する大人たちにとって、唯一(・・)の手(・・)がか(・・)()という『道具』でしかない。

 

 この先、少女の背後には事件の面影が付きまとう。世間からの様々な目が、未熟な少女の繊細な精神(こころ)に傷跡を残すだろう。

 

 少女の心を守るには、少女の側にいてあげること。

 

 そうしてツナは、決意した。

 

 あの子一人がこれから背負うくらいなら、わがままだと言われても構わない。その役目を、自分にまかせてもらいたいと。

 

 誰かが不幸になることを、ツナは誰よりも望まなかった。

 

 隣りで話を聞く少年も、呆れるくらい、そのことを解っていた。

 

「まあ、ディーノさんの負担にならないなら、無理に日本に来てもらわなくても、アカネちゃんが暮らしやすいイタリアでいいとは思ったんだ。ディーノさんとはもう10年の付き合いだから十分信頼できるし、部下が付いてれば頼れる人だから」

 

 同盟関係であるキャバッローネのボスである彼なら、少女を組織などに利用するような真似は絶対にしないだろう。10年間の関係を経て、ディーノの人柄はよく知っているし、お互いにファミリーを引っ張る者として、信頼し助け合える仲だ。

 

 イタリアにあるボンゴレ本部に直接少女の保護を指示することもできたが、ツナはふと心配になった。

 

 主に組織の裏で暗殺に携わる面々と一般人の少女が共同生活できるのか。

 

 言わずともクレイジーな集団だ。一介の少女相手にどこまで手加減してくれるだろうか。

 

 通常は不機嫌そうな強面で、口を開いたかと思えば肉か酒かドカスで炎をぶっ放してくる暗殺部隊のボスに、いちいち大音量の艶やかキューティクルロン毛隊長やら理解不能な王子理論をお持ちの金髪ティアラやらそいつと仲がいいのか悪いのか微妙なカエルを被ったかのナッポーの弟子や話の最後には結局金だと言う元赤ん坊(アルコバレーノ)に変なトサカが増えた小指のオカマととにかく影が薄いヒゲオヤジ………… と、ザッとメンバーを上げてみるとこうなる。

 

 ツナはすぐさま首を振り否定した。

 

 ないないないないないない。

 

 キャバッローネのボスも、体質がドジであるという難点があるが、天秤にかけるなら遥かに少女の身は安全だ。部下が付いていれば何ら問題はないので目を瞑ったのだ。

 

 彼女の身を引き渡す吊橋に同盟を選んだのは、そういうことだった。

 

「――けど、例の誘拐事件で、あの子の身柄をイタリアに置いておくことは、危険だった」

 

 ディーノから聞かされた、誘拐事件。改めてその単語を口にすると、身体が冷え切ったように感じた。

 

 アカネを攫った組織の実態も、その目的も未だ不明なままだ。あれ以来音沙汰はなく、彼女の周囲は大人しい。

 

 しかし、忘れてはならない。

 

 それは、一時(いっとき)の平和でしかないことを。

 

 彼女の存在は、マスコミや警察組織など、あの事件に関わる者が、喉から手が出るほどに手に入れたい人材。

 

 事件の唯一の当事者なのだから。その存在は、十分に貴重価値がある。

 

 その事件に終止符が打たれない限り、少女は常に標的となる。

 

「オレが最初に頼んだせいで、ディーノさんにも、背追い込ませてしまったし……」

 

 少女の身をイタリアにおくのはリスクがある。少なくとも、イタリアから遠く離れた日本なら、身をくらましやすく、自身も近くで少女のことを見守れると思ったからだった。

 

 そのための橋渡しをディーノに頼んだが、予想外にディーノの母性本能が花開いていてツナも驚いた。彼の人柄の良さはよく知っているが、あそこまでの領域にいかれたらツナもさすがにドン引きだ。

 

 しかし、そんな二人の絆を引き離してしまったようで、ツナは申し訳ない気もした。

 

 少女の安全を考えれば、仕方ないのかもしれない。互いにボスとして活動範囲は決まっている。ディーノがずっと日本にいられるわけはなく、辛い判断だが、これが最善な方法だった。

 

 この親バカめ、と思うところも多々あったが、ここまで重症にしてしまったのも自分が根源で、少女のことで彼を不安にさせてしまっているのも事実だ。

 

 自分を信頼して任せてくれた彼の思いも、少女の気持ちも裏切らないように、ツナは自分にできる配慮は精一杯しようと決めていた。

 

「オレは、事件のことをアカネちゃんに背負ってほしくない。子供時代の思い出って、大切だから。今を大事にしてほしいんだ。もし記憶が戻ったとしても、事件の真相をあの子が知ってしまったら、そのことをこれからもずっと抱えていくことになる。そんなの…… 残酷だろ」

 

 決意とは裏腹に、人の心は複雑で。

 

 ツナは少女の背中を見る度、自身の中の思いが揺らいでいた。

 

「オレがやってることは、ただのお節介なのかもしれないって、思う時があるんだ。アカネちゃんの意思は、ここにはなくて、いつも遠くを見つめてる」

 

 時間がかかっても、ツナは少女を巻き込むことを避けたいと思っている。記憶を取り戻すことも、間接的に事件に関わることだから、無理にさせたくはなかった。

 

 けれど、少女が奮闘する姿を見れば、その思いも告げられないまま、心にもない言葉をかけている。

 

 どうしたいのかがわからない。気づけば暗闇を迷走するように、彼女の強く思うものと自分の願いが分岐点となり、次の一歩が踏み出せない。

 

「……なぁ、リボーン、お前はどう思うんだ?」

 

 最終的にいつも家庭教師に助けを求めてしまう。10年も経って大人になって、情けないなと思う。傍から見れば大人が子供に頼る絵は屈辱的でしかないが。

 

 やはりリボーンがいなければ自身はダメダメなんだと、苦い声が漏れる。

 

 そんな頼りになる少年からの返事は……。

 

「クドクドしててうぜーな」

「なぁーッ!? クドいって……! こっちは真剣に悩んでるんだぞ!? もっと真面目に考えてくれよ! イタリア帰りで気が抜けてるんじゃないだろうな!?」

「んなわけねーだろ。オレを誰だと思ってる。今日も銃の腕はキレッキレだぞ。なんなら、今ここで披露してやるぞ」

「すいませんでしたごめんなさい」

 

 ツナは潔く腰を折った。10年で彼が学んだことのひとつである。

 

「お前のいいてーこともわからなくねぇ。だが、事はそう上手くいかねえぞ。お前が一番そのことを解ってんじゃねえのか」

「……うん。何が一番の最善策なのか、オレじゃ見つけられない。だから、リボーン……」

 

 昔のように教えてほしい。また自分を正しく導いてほしい。

 

 かつて、選ばれし7人(イ・プレシェルティ・セッテ)として晴れのおしゃぶりを守りし赤ん坊(アルコバレーノ)だった彼ならば、また自分を変えてくれるような気がした。

 

「ツナ」

 

 名前を呼ばれて、ゴクリと息を飲む。

 

 リボーンはテーブルに目を向け、一輪の花が飾られた花瓶に目を向ける。

 

 それを、さっと掴み――

 

 ツナの顔面に向けてぶん投げる。

 

「――って、なんでだよッ!! なんでいきなり花瓶投げてくんだよーッ!?」

 

 ビタビタになった格好で、ツナは投げた本人に物申す。

 

 本人は全く悪びれていない様子だが。

 

 こっちは一応マフィア界の重鎮・ボンゴレX世(デーチモ)なのだが。それなりにお偉いさんなのだが。解せぬ。こんなのただの理不尽だ、と彼の流した涙は、絨毯の上にボタボタと落ちていく。

 

「少しは頭を冷やしやがれ。冷静考えることも出来ねえ奴に教えてやることなんかねーぞ」

 

 リボーンの言うように、たしかにここ最近は必死になりすぎて、周囲の変化に目を向ける余裕のない自分がいたかもしれない。

 

 そのことを自覚して、彼の握り拳に力が加わる。

 

「リボーン…… お前の言う通りだ。オレ…… 事件のこととか、アカネちゃんを巻き込まないために、自分が出来ることを果たそうと必死で、全然余裕とかなくて……」

「お前は周りを見渡しすぎて、優先するべき順序が見えてねえんだ。ちゃんと見てねえと、失くしちまうぞ」

 

 優先するもの…… それは――――

 

「迷うな、ツナ。ディーノがどんな思いでお前に託したか、あいつのためにも忘れるな」

 

 彼の脳裏には、一人の男の姿が過る。

 

 ああすることでしか、少女から離れることが出来なかったんだろう――……。

 

 自分が忘れてはいけないんだ。

 

 ツナは強く思った。

 

 彼らの願いを、信じて自分に託してくれたことを。

 

 なら、今からでも遅くないかもしれない。ふりだしから、少女と本当に向き合って行こうと、ツナは顔を上げた。

 

「リボーン…!」

「だが、焦りは禁物だぞ。オレたちの想像以上にデリケートな問題かもしれねえからな。オレらが目指すべきことは、最善じゃねえ。どれだけの犠牲を出さずに済むかだ」

 

 少年の発言を上手く捉えることが出来ない。

 

 犠牲、とは。

 

 彼の超直感が警鐘を鳴らし始める。

 

 リボーンはぶらさげていた革の(ケース)から、それを取り出すとツナへと投げ渡した。

 

「土産だ」

 

 それだけを告げられ、目を通す。

 

 数枚の書類と参考資料の内容に、ツナは衝撃を受ける。それは彼の超直感を持ってしても、想像もしないことだった。

 

 事は、終結を迎えたあの頃から動き出していたのかもしれない。

 

 誰の目にも記憶にも残らず、そして今、終わりを迎えようとしている。

 

 そのことに、彼らは気づくのが遅すぎた。

 

 かつて自分たちの目を巧妙に欺いた、あの男の存在を。

 

 最早、マフィア間の問題でも、世界的事件でもないことに、彼らはまだ気づかない。

 

 ツナの脳内に、警報が鳴り響く。

 

 その音が、次第に彼の冷静さを失わせた。

 

「どういうことなんだよ……?」

 

 彼の視線が凝視する先、資料の中に広がる背景。

 

 見覚えがある。枯れ果てた土地。とても人が住めるような環境ではない。

 

「イタリアじゃない…… 7年前の怪奇事件……?」

「ああ、オーストラリアの西部で起きた事件だ。人気(ひとけ)のない大人しい土地で、犠牲者もいねえみてーだ。自然火災でもあったかと、当時は特に大きく取り上げられなかったが……」

 

 その後の環境の変化が、あまりにも異常だった。そして全く同じような事例が、ここ近年では世界の各国で起きていた。どれも規模は小さかったが、テロの可能性が出てくると国家への注目が高まり、いつしか機密事項として扱われ、また国家組織で内偵されるようになった。

 

 しかし、チェネーレの怪奇が世に広まると世界中のメディアが注目したのをきっかけに、国家機密情報も次第に筒抜けとなった。札束を前に、黙々と情報取引が行われていたのだ。

 

 そうして巡り巡って、イタリアに滞在していたリボーンにも情報は伝わった。彼の場合は、自身のコネや殺し屋としての看板の影響が大きかったが。

 

「アカネが関わる事件と共通点もある。ここ10年で、似たようなことが、州を問わず世界のあちこちで起きてるみてーだ。中でも、行方不明者を出したのは今回が初めてだ。この事件の裏には、何かの大きな陰謀で繋がってる」

 

 話に耳を傾けるが、ツナは身震いを覚える。自分には到底想像出来ない、恐ろしい野望が背景に立っているようで、その衝撃は受け止めきれないものだ。

 

 しかし、自分が怖気づいてはいられない。

 

 事件の重大な局面に立たされているのは、年端もない少女なのだから。

 

 その闇から、自分が少女を守らなければ――

 

「アカネちゃん……」

 

 また、胸がざわつく。

 

「失礼しますッ、10代目ッ!!」

 

 そこに、タイミングを見計らったように扉が叩かれる。余程急いでいたらしい。中からの返事も待たず、部屋に現れた獄寺にツナは驚きの反応を返した。

 

「獄寺君!?」

「どうした。獄寺。つーか、アカネの監視に付いてるはずのお前が、どうしてここにいるんだ?」

「い゛っ!? リリリボーンさんッ!? いつお戻られに……!?」

「そそそその、獄寺君は朝からビアンキの顔を見て体調崩しちゃって、代わりにヒバリさんに……」

 

 さすがに保護者役が問題を起こして、騒動の後学校側から追放されたことは、口が裂けても言えなかった。

 

 すると、リボーンの目つきが変わった。

 

「ヒバリだと?」

「10代目! そのことですが、先程学校側から連絡がありまして、ヒバリとアカネの姿が見当たらないとのことです」

 

 獄寺の報せに、彼の超直感が告げていたのはこのことかと、ツナは自分の判断が愚かだったことに気づく。

 

 彼の家庭教師は、もっとも早くこのことを感づいていたようだが。

 

「おい、ツナ。ヒバリからアカネの面倒を見るっつって、任せたのか?」

「う、うん。たまたま人がいなかったから、ヒバリさんに…… 珍しく自分から引き受けてくれたから、つい」

「つい、じゃねーよ」

 

 ズガン!

 

「ヒィィィッ!!? うぅ撃つことないだろおおぉぉぉ!?」

「リリリリボーンさん…… ご冗談キツいッスよ……」

 

 彼らが恐怖を刻まれている間にも、事態は動いている。

 

 ボルサリーノの縁で大人しくしている相棒のカメレオンを通信端末に変化させ、リボーンはある人物に連絡を図ろうとする。

 

「ヒバリにアカネを渡しちまったら、どうなるかわかんねーぞ」

 

 その言葉を吐き捨て、彼は一人部屋を後にする。

 

 ふと空を見上げれば、雨雲が差し掛かるところだった。

 

 



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第22話

 日本から遠く離れたイタリアでは、夜明けを迎えていた。

 

 遥か向こうの西の空から朝日が昇る光景を、その遥か上を飛行するヘリの中から望むことになるとは、数時間前の自分なら想像もしなかったことだろう。なぜなら、つい先程まで日本(ジャッポーネ)の学校で漢字の読み書きに苦戦していたのだから。

 

 自身の右側にある窓から、寝起きのようにぼんやりと風景を眺めている自分が、心底不思議に思う。

 

 ……いや違う。そうじゃない。

 

 意識を覚ましたアカネは、自身の左隣で腕を組みうたた寝する男のことが解せない。

 

 こっちは連れ去られてから、狭い機内での8時間に及ぶ退屈を凌いでいるというのに、隣の男に関してはお構いなく目を閉じてご就寝だ。

 

 この状況の中、そこまで安定して寝られることが羨ましいが、彼にはもう少し状況を考えてほしいと言いたい。言ってしまえば、自分を放っといてあんたが寝るな!的なことを言いたい。

 

 この際、彼の足を踏んづけてやろうかとも思ったが、前でヘリの操縦を任せている男に忠告された。

 

 地を這うようなか細く小さな声で「恭さんが寝ている時は、たとえこの機体が敵の襲撃によって墜落しそうになっても絶対に大人しくしていてください。叫び声なども控えていただきたい」と、鬼気迫る剣幕で言っていた。一体何があったんだろう。

 

 頭でわかっているが、そう言われるとむしろやりたくなる衝動がある。アカネも好奇心旺盛なお年頃だ。本能にまかせてみたいこともしばしばあったりする。

 

 けれど、起きた彼が暴れて墜落するという事態は避けたいのでやめておいた。それよりも、敵の襲撃に遭うかもしれないという草の発言の方が気になる。このヘリは襲撃されるかもしれないのか。さっそく彼女のホームシックが発動した。これが最後の朝日になると思うと、子供とは思えない悲壮感が漂ってくる。

 

 ヒバリの頭で丸くなっていた彼の鳥が、朝日を浴びて校歌を歌い出す。全く自由な鳥だ。

 

 それを聞いて、彼も起きたようで。

 

「ふぁーあ……」

 

 間の抜けた欠伸を漏らす。

 

 彼の飼う鳥は、鶏的な役目を担っているのだろうか。

 

 隣にいる少女が白い目を剥き出しにしてこちらを見ていることを、寝起きの彼が知ることはないだろう。

 

「……哲、着いたの?」

「おはようごぜえやす。恭さん。まもなく目的地に到着する予定ですので、もうしばらくおやすみくだせぇ」

「ふーん……」

 

 まだ少々寝ぼけているのか、ぼんやりとした目で窓の外を見やり、そして不意に隣の少女を見やる。

 

「…………」

「…………」

「…………おはよう」

「…………」

 

 二人が視線を絡めると、自然と無言が続く。沈黙にふと違和感を覚え、少女が思いきって挨拶をかけるが、雲雀は気にする素振りなく視線を窓へ戻した。

 

 こうなることは薄々わかっていたが、彼女のイライラは募るばかり。こんな相手に自分は何を気を遣っているんだろう。その怒りは彼女の脳内で膨らんでいった。

 

 その当人の方は、まるでそんなことに気づくこともなく、まして気にかける様子もない。

 

「恭さん。ボンゴレから緊急通信が入ってます。どうされますか?」

 

 前の男が寝起きの男の声色を伺うように尋ねる。機内から外の様子を見ていた彼は、その報せにふと湧いた人物の名を零した。

 

「沢田綱吉……」

 

 特に興味を示すこともなく、案の定だが通信を拒んだ。その指示には従うものの、草壁はそっと聞き返す。

 

「よろしいのですか」

「うん。放っておいても勝手に動いてくれるだろう。問題ないよ」

 

 雲雀にも、この駆け引きは瀬戸際にあると思っていた。強引だったことは否めない。しかし、組織を統治する彼にも、時間は限られる。

 

 そして、遅かれ早かれ、この少女は――……。

 

 

 

「恭さん!」

 

 部下の呼び声に、思考を止める。何事かと、視線だけを前に向ける。

 

 何度も男の名を呼んだのか、息を切らしながら草壁は告げた。

 

「目的の上空にいるはずなのですが、どこにも見当たりません」

 

 わけのわかんないことを告げる彼に、レーダーの故障ではないのかを確認する。離陸する直前に点検しておいたというので、問題はないのだろう。

 

 少し考えて、その答えに雲雀はたどり着く。

 

「哲。いいよ。ヘリを下げて」

「……わかりました」

 

 草壁にはイマイチ彼の考えが読めなかったが、己の尊敬するボスを信じてその言葉に従う。

 

 そうして数分後に、ヘリはその地へと着陸した。

 

 




※第18話の序盤の台詞を変更させていただきました。すみません。


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第23話

 遥か空に遠のいていくヘリの機体が見える。青のキャンパスに浮かぶ一点を見上げて、少女はゆっくりと目を閉じる。

 

 再び瞼を開けば、視界に広がる世界に立ち眩みがした。あまりにも、今までに見てきた世界とは違いすぎて。

 

 まるで、絵本の世界の中に飛び込んだようだ。あの日に彼の家の広い庭園で、仲良しの亀と寝転んで読んだ、妖精が住む幻想世界そのもののように。

 

 そんな自分をいつも見守ってくれていたのは、もう思い出の中でしか会えない、大切な人。

 

 けれど、今自分のそばにいるのは、あの人ではなくなってしまった。

 

 あの人とは全く違う、けれどあの人とは自分より過ごした時間が長くて、自分が知らない時間をあの人と過ごした人。そして、どんなに思っても、その時間を知ることは自分には出来ないだろう。もしかしたらあの人にとって、自分より大切に思う存在である男……。

 

 そんな男と、二人きりだけのこの現状に不満を隠すことはしない。

 

 もとよりこの男に苦手意識を持つ彼女だが、彼のことを思い出すとまた別の感情が無意識に彼女の中へ流れ込んでいく。

 

 約束を果たすためでも、この男について来ることは危険だとわかっている。簡単に信用出来ない男だ。そして向こうも、こちらに気を置くことは一切しないだろう。自分の存在は捨て駒でしかない。邪魔だと思われたら、そこで消される運命だ。

 

 最初から、自身の行く末に碌な結果は期待していない。

 

 この男の言葉で、何もしないより動くべきだと一歩を踏み出した。

 

 そうして自分は今、この景色に出会った。

 

 最初から何も期待してはいなかった。

 

 けれど、今までの長旅に、これから先のことを考えると疲労した少女の身には、唯一の救いだった。

 

 だからこそ素直に嬉しい。こんなところは、年相応の子供らしいと自身でも思う。

 

「綺麗……」

 

 返事が返ってくることは期待していないが、この思いを少しでも共有したいと思った少女の細やかな思いだった。

 

 隣に佇む男の様子は、相変わらず眉のひとつも動かないので、何を思うのか皆目見当がつかない。

 

 その男は、目の前の光景に直面してもさして驚くことはない。ただぼんやりと眺めているだけ。

 

 すると、固く閉じていた口が不意に開く。

 

「綺麗だと思うかい」

 

 何げなくと思われるその言葉に、渋々ながらも頷く。何を聞きたいのか。この男の考えることが、幼い彼女にはさっぱりわからない。

 

「10年前も、この景色を見た者は語ったという。まるで、新世界を切り開いたようだとね」

 

 普段の彼からは想像もしないような言葉が飛び出してきて、なぜだか鳥肌が立つ。ゾッとするでもないが、なんとなくただならない空気を人間の本能的に感じたのかもしれない。

 

 隣で佇む男に視線を逸らして、アカネは自身の足元に目を向ける。

 

 そこには当たり前のように自分の小さな足が見える。その足が踏みしめる地には、青々と生い茂る青草の群れと、その中に埋もれてしまいそうなほど小さくしたたかに咲く野花たち。少し視線を上げれば、遠くに見えるのは青葉に染まる樹木たち、遥か遠くにそびえる緑の峰々。

 

 草花の自然が広がる大地の彼方に、どこまでも続く大空が重なる。どこまでも青く澄み渡る青空、その大きなキャンパスに白い雲が並列して流れていき、燦々と輝く一輪の太陽が世界の全てを映し出してくれる。

 

 ポンっと空に虹の橋が架かったり、草花の陰から妖精が今にも姿を見せそうである。

 

 本当に自身が絵本の中の世界にそのままトリップしたような心地だ。

 

 彼の言葉を借りれば、ここが『新世界』なのかもしれない。まだ少女の頭には、イマイチ納得するものがないが。

 

 そして、ひとつ、少女には大きく納得出来ないことがある。

 

 ここが本当に例の事件があった場所なのか――……?

 

 事件の背景は、土地が枯れたように、あまりにも痛ましいものだったと聞いている。

 

 アカネは戸惑いながら、先程までは感じなかった不思議な感覚――違和感に、自身の身体を抱き寄せる。

 

 自分が感じているこの不気味なものは、なんなのだろう。その答えを探るように、自分たちしかいない空間を見回してみる。

 

 それとなしに男を見上げると、目が合うこともなく、彼の頭に乗った一羽の鳥に目がいく。鳥も窮屈そうに、この世界に馴染めていないようだ。彼の頭の上で大人しくしているばかり。

 

 考えるほどに頭は混乱していく。少女がすんなりと諦めた時、その隣に立つ男からは再び言葉が零れた。

 

「まるで夢物語のような話だよ。この目で見るまではね。もしかすれば、在るのかもしれない。何が起きてもおかしくはない世界になってしまったからね」

 

 その声音からは、なんとも言えない。全く腹の中が見えない男だ。

 

 だが、その言葉の裏には、彼のどんな思いがあるのか。悦びか、哀しみか、憎しみか――

 

 それとも――――?

 

 何にも動じないこの男が、こんな風に興味を惹くものとはなんだろうか。

 

「君だったら、どうなんだい。沢田茜」

「……何が?」

「始まりがあるとしたら、君はそれをどう終わらせるのか。始まりがあれば終わりがあるように、全てを犠牲にして記憶を取り戻した君は、自身の物語の終止符に何を刻むだろうね」

 

 ――あの人なら、その答えを知っていたかもしれない。

 

 記憶を取り戻すこと。それは、アカネとして記憶のない時を過ごしてきた彼女の世界に、どんな衝撃を与えるのか。革命か、自滅か。

 

 それは全て、これからの自分次第。

 

 少女もそのことを覚悟して、小さな拳を固く握り締める。

 

 ここまで来たなら、もう引き返すわけにはいかないから。

 

 

 

 アカネは空を見上げる。

 

 彼の豪邸の庭で、彼と彼の愛亀と過ごした思い出が記憶に蘇る。

 

 不意に懐かしさが込み上げた。

 

 叶わないのはわかっている。でも、望むことに罪はないから――……。

 

 少しでも、希望を手繰り寄せられたら――……。

 

 同じ空の下にいる貴方に、少しでもこの想いが届くのかな――――?

 

 ディーノ…… 会いたい……。

 

 

 

 

 そんな折、足音が聞こえた。

 

 隣の男が動いた気配はない。

 

 アカネが視線を戻してみると、視界には二人以外の人物の姿が映り込んだ。黒服に身を包んだ男たちの姿が、彼女の翠玉の瞳に映り込む。

 

 嫌な予感がして、胸騒ぎを覚える。

 

 案の定、男たちの集団が近づいてくると、すぐに周りを囲まれた。

 

 ある一定の距離を保って、謎の男たちは、警戒と敵意を剥き出しにしている。正確には、隣にいる男へただならぬ気を向けていた。

 

 その証拠に、彼らが手にする銃の狙いは、全て男の方へと向けられている。

 

 集団の中の一人が、するとイタリア語で男に向かって叫んだ。

 

「ボンゴレファミリー、雲雀恭弥か」

 

 男の名前を知っている。とすれば、疑いなくマフィアの者だろう。

 

「ボンゴレ…… 違うけど、そういうことにしといてあげるよ」

 

 不服そうに、しかし話が絡まるのは御免だと渋々そうに雲雀は答える。

 

 見知らぬ男の方は、雲雀になぜか必要以上の警戒心を持って銃を構えている。

 

「お前か、校内に潜入していたファミリーの奴にここまで来るように指示したのは」

 

 男の発言に、雲雀より先に隣で聞いていた少女の方が反応する。

 

「どういうこと?」

 

 彼女が声を上げるが、雲雀はその声を無視して男の質問に答える。

 

「そうだよ」

「……何が目的だ」

「君たちとここで話がしたくてね」

 

 どうやら向こうの方も、雲雀の意図がわかっていないようだ。話が自分を置いて進んでいく中、アカネはじっとその様子を見守るしかない。

 

 依然男たちの警戒が高まる中、雲雀の口から出てきたのは、ここにいる誰もが思いもしなかった言葉であった。

 

「ここにいる沢田茜をあげる」

 

 瞬間、空気が凍ったのは言うまでもない。

 

 冗談かと、最初はその場の全員が思った。が、本人の目を見れば、冗談などこれっぽっちも言っていない。アカネにとっては、残酷なほど雲雀の目が本気を物語っていた。

 

「なッ…… 何が目的だッ!?」

 

 掠れた声を上げて男が聞く。男の持つ銃口が、雲雀へと標準を定めると、今にも頭蓋骨を撃ち抜こうとしていた。

 

 だが、雲雀はそれを前に一切動じない。それを見て、男たちの方が動揺し始める。彼らにもこの男の思考が読めないのだろう。と、彼らの問いに淡々と返すように雲雀は自身の目的を告げた。

 

「彼女を渡す代わりに、君たちの知る情報を全て吐いてもらおうか」

 

 静かに佇んで、漆黒の瞳をスッと細めた雲雀の視線に射抜かれたように、男たちが一瞬たじろいだ。

 

 その僅かな変化を、雲雀が見逃すはずがない。

 

「彼女の存在が、喉が出るほど欲しかったんだろう? 彼女がイタリアにいる間に、ディーノの目を盗んで誘拐するほどだ。マフィア社会の中でも巨大組織のキャバッローネを敵に回しても、匣兵器すら手に届かない弱小マフィアが、ただの一介の少女を狙う理由が、是非とも知りたくてね」

 

 男たちの正体が、やはりあの時自分を攫った奴らだと知り、あの時の恐怖を思い出して小さな足がぶるっと震えた。

 

 アカネを誘拐した仲間が、あの後口封じに拳銃自殺したことで、組織の母体までは掴めなかったのだろう。恐らくディーノのことなら、少女に精神的負担をかけたくなくて一切その話は伏せていただろうが。

 

「ボンゴレを、裏切るのか……?」

「何言ってるの? あんなのに僕が従うとでも」

 

 ボンゴレとは、あくまでVGを預かっている関係だと雲雀は捉えている。

 

 少女を預かっているのも同様のことだ。最初は面倒だと思っていたが、上手く利用すれば、雲雀にとっても存在価値がある。

 

 

「……いいだろう。取り引きしてやる」

 

 男がすんなりと条件を飲んだ。

 

 雲雀も上機嫌に言葉を返す。

 

「そう。あと、ひとつ言い忘れていたけど――」

 

 カチャリ、と聞き慣れない金属音。それは呆然と彼らの会話を聞いていた少女の耳元で聞こえた。

 

 アカネの眼前には、紫の炎を煌々と纏ったトンファーが突き立てられてあった。

 

「彼女の生死は、僕が握ってることを忘れてもらったら困るな。もし無駄話が続くなら、彼女は殺すよ」

 

 熱く滾る炎を前にして、これが男の殺意と思うと、喉の奥からは何も出てこない。

 

 少女を預かる時、跳ね馬から少女の身を守ってほしいと告げられた。

 

 それはつまり、敵からの脅威から少女を守るということ。

 

 雲雀自身が少女に手を下すこととは、例外だ。

 

 二人の様子を見ていたマフィアたちも、一人の男のただならぬ空気に、彼の考察通り隙を見て突くつもりだったが、微動だにすることすらできなくなってしまった。

 

 この男は、偽りなく自分らの標的である少女を殺すだろう。相手は、あのボンゴレの中でも最強だと謳われる守護者だ。その腕に狂いはない。

 

 最悪のケースを踏まえて、下手に合図を送ることは出来なくなってしまった。そして、今は彼が言う通りに、全ての事の真実を打ち明ける他はないだろう。

 

 

 

 かつては一万の部下を従えたマフィアは、マフィア同士の紛争で大半の部下を失くし、多くの財を失い、敗北した。

 

 その後、自分たちの組織形態を維持するために、他の巨大組織下で働いたが、実質は支配下にあり、組織は弱小の一途を辿った。

 

 いずれは組織は衰退し、存在は抹消され、組織の捨て駒とされていくことを恐れた者たちは、ある計画を立てた。

 

 このマフィアの世界で、至高の戦力である炎と匣の開発を、気の遠くなるような月日をかけて地下組織を作り、特定の人員を集めて人知れず研究を始めた。

 

 自分たちの組織を再びこの裏社会に立ち上げるために、原動力となる炎の開発に力を注いだ。

 

 少ない財を注いで開発されたのは、敵の位置情報を探れる優秀な炎探知機だった。周囲の敵を認識するだけでなく、持ち主の炎の性質など、正確な情報を探知することが可能である。

 

 探知機のデータをもとに、次は兵器の開発に進もうとした矢先、探知機に不可解な反応があった。

 

 どの属性でもない炎の反応。最初は故障かと思われた。だが、その直後にイタリア全土でチェレーネの事件が報道され、組織の直感が確信した。

 

 これは自分たちの未来に革新をもたらす、新種の炎の反応だと――

 

 

 

 

 

 ――これが、男たちが語ったことだった。

 

 彼らが開発したという探知機がどれほどの性能なのかは知れないが、その炎と事件の関わりは深いだろう。

 

 恐らくこの少女とも深く関わることだ。

 

 しかし、そうなれば、ディーノがあの時語ったことと矛盾する。彼らが嘘を吐いたことも考えられるが、もうひとつの可能性が、雲雀の頭にあった。

 

 

 裏社会を知り得ない少女には、彼らの話は重すぎて、吐き気がするほど不愉快だった。それでも話を聞くうちに、以前よりは自分の記憶に近づいたような気がした。

 

 ディーノも、こんな世界をずっと渡り歩いているマフィアの一人であると、そう思うと少女の胸は複雑だった。

 

「さあ、そいつと交換だ」

 

 話終えた男たちが、自分たちの目的であるアカネにギラリと目を光らせる。血走った目に睨まれて、再び足が竦んだ。

 

 これからどうするのかと、アカネは隣でじっとする男に目を向ける。

 

 不意に風が吹くと、銀色の長い髪が視界を流れて、男の表情が見え隠れする。

 

 アカネはその瞳に、身が凍りつくほど冷笑を浮かべた男を見た。

 

 首にあてがわれていたトンファーが、スッと降ろされた。

 

「何してるんだい」

 

 男が告げる。

 

 

 どうして――……。

 

「早く行きなよ」

 

 私が何をしたの――……。

 

「君には用が済んだ。彼らのところに行きなよ」

 

 ウソツキ――……。

 

 

 

「僕のそばにいると、死ぬよ」

 

 

 

 その一言が、少女の中の熱い感情を一気に滾らせた。

 

 胸の内にじっと堪えていたものが、一気に爆発する感覚だった。

 

「騙したのッ……!」

 

 必死の形相で男を睨む。

 

 しかし、雲雀は全く相手にしなかった。

 

「さあね。僕に跳ね馬と同じ期待を持つことは間違っているよ」

 

 その微笑みは、どこまでも冷酷であった。

 

 

 

 全てが、男に仕組まれていたことに気づいた。

 

 最初から、自分は餌としてこの男に利用されたのだと、今更だったことにやり場のない怒りが込み上げる。

 

 悔しい。悔しい。悔しい……!

 

 

 

 

 

 

 ――聞こえるかい。

 

 

 どこからか、優しい響きの声が聞こえた。

 

 頭の中に直接響くようだ。

 

 

 ――さあ、力を解放する時が来た。

 

 

 声は告げる。

 

 少女には、その声を信じるしかもう何も残っていない。

 

 あの日からの出来事が、走馬灯のように流れ、全ての思いが涙となって溢れた。

 

 

 

 

 

 ――私は、いつも君を見ているよ。

 

 

 

 

 

 

 

 澄み渡る空に、羽ばたく鳥は跡を濁さなかった――――

 

 




更新が遅れて申し訳ありません。ペースアップしたいです。リボーンのキャラマイド楽しみです。


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第24話

 同じ空の下、青い芝生の大地を踏みしめた男は、右も左もわからない土地で、気持ちだけが焦るように辺りを行ったり来たりしていた。

 

 そんな男の姿に、男の後を追う者たちはどうしていいか困り果てた。

 

「ボス。いい加減どうするか判断してくれよ。そんなんで正気か?」

 

 部下のロマーリオは発言した。その声でディーノは男へ振り向くと、またでこの皺が増えた顔を見て、自分がすべきことを思い出した。

 

「すまん。取り乱しちまった。ボスがこれじゃダメだな」

 

 申し訳なさそうに頭を下げて部下たちに謝る。その表情は苦笑いだったが、心中穏やかではないことを彼らは言わずとも察していた。

 

「焦る気持ちはわかるが、気持ちだけが動いても仕方ねえさ。ボスとして、使える駒は使っとけ」

「ロマーリオ……」

 

 言い方は悪いが、彼らなりに頼りない自分を宥めてくれていることがわかる。

 

 彼らの前に立つ自分がこんな調子ではダメだと深く深呼吸をする。自分に喝を入れ、ボスとしてディーノは声を上げた。

 

「よし。みんな手分けしてアカネたちを捜してくれ。何かあればすぐオレに報せるんだ」

 

 部下たちにそれぞれ指示を出した後、すぐさまディーノは駆け出した。

 

 隠しきれない焦りと早まる鼓動は、彼の思考を単純にさせる。ただただ少女のことが心配で、頭がいっぱいいっぱいだった。

 

 少し遡ること、キャバッローネのアジトで事務作業に追われていたディーノのもとに、一本の電話があった。

 

 相手は、つい先日会ったばかりで、すでに日本に帰国した彼の師であるリボーンだった。

 

 ディーノが電話に出ると、リボーンは前置きもなく唐突に内容を話し始めた。その声から普段の余裕はなく、早急に動くべき用件であることが伝わる。

 

 そして用件の内容を聞かされ、電話越しにディーノは青ざめた。

 

 彼らに預けていた少女、アカネが連れ去られたという。何よりも驚くのは、彼女を連れ去った人物が、自分が慕う雲雀恭弥だということ。

 

 ディーノも半信半疑だが、雲雀が何を考えて行動するかは予測がつかない。師の予測通り本当にイタリア(ここ)に来ていることさえ根拠はないが、ディーノの中には一抹の不安があった。

 

 自分の中の違和感をたどって、ただの勘違いだと思いたくて、足の動くまま駆け出す。

 

 視界に広がる草原はどこまでも続いた。ディーノの息も徐々に荒くなる。電池が切れたおもちゃのように、不意にピタリと立ち止まると、噎せ返るような内側からの熱さに激しく咳き込んだ。

 

 中腰になり膝に手をついて、少しずつ息を整える。それでも時間は待つことなく、喉がはち切れそうだった。

 

「広ぇな……」

 

 不意に出たつぶやきは、次の足が進むのを拒んだ。石のようにこの場から動かなくなった彼は、額から流れる汗が鼻筋を伝って落ちるのをぼんやりと見つめた。

 

 この現状が自身がやって来たことの今までの結果だとしたら、なんて情けないんだろう。

 

 何が正しいのかはわからない。どうすればリスクを避けられたかは、あとにばっか考える。

 

 そうして失ったものも、得られたものもあった。

 

 ……今からでも、間に合うだろうか?

 

 気づけば、また足が動いていた。

 

 その一歩が、希望を求めて先へと進んだ。

 

「アカネ……」

 

 本音は会いたかった。しかし、本来ならば少女に会うわけにはいかない。そんな矛盾は踏み出す一歩を震わせた。

 

 ただ少女の無事を願い、あてのない道を踏む。彼にはそれだけでいいと思えた。この行為が杞憂でも。彼女の為にできることができたなら。

 

 更に、彼女を捜す他にも、気になることがある。ここへやって来た時から、気がかりではあった。

 

 彼らの視界を覆うように境界線の彼方まで広がる青々しい草原。以前リボーンが資料を見せてくれたが、実際にこの目で見ると現実味が違う。

 

 ディーノの頭は混乱したが、すぐに気を落ち着かせる。考えはまとまらないが、取り乱している場合ではない。優先するべきは、少女の身の安全。今はまだ片隅に留めておいて、境界の彼方まで無心にただ走り続けた。

 

 それから数分後、どれだけ走ったかわからなくなるくらい遠くまで来た。しかし人影はどこにも見当たらない。仲間からの無線からの連絡も未だなかった。

 

 もしかすれば、本当に杞憂だったかもしれない。酸欠の頭に、ふとそんなことが浮かんだ。リボーンからあんな報せを受けたが、雲雀がアカネを連れてここに来ている根拠もなく、彼の深読みかもしれない。

 

 自分を育ててくれた師の勘を信じたいが、弟子のことを悪く思いたくなかった。腐っても自分の初めての弟子であり、あれでも義理堅く長い付き合いで案外いいところもたくさん知っている。

 

 少女のことを、何かあってもきっと責任を持って守ってくれるはず。彼の腕なら問題はないだろう。

 

 そうして、ゆっくり立ち止まった。不意に風を感じたくなって、目を閉じる。

 

 膝まで伸びている青草が揺れるのを閉ざした視界の中で感じる。

 

 少しずつ、いつも通りの自分に調子が戻ってきたように思う。

 

 ――――刹那、静かに吹いていた風が敵意を纏うように吹き荒れ出す。

 

 視界が開けないほど風が脅威を増す中で、なんとか持ち堪えて状況を確認する。

 

 一瞬だけ見えた視界に、光と巨大な球体が映り、視界が一層眩しくなった。

 

 



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第25話

 ディーノの視界には、先程とは全く異なる光景が映っていた。

 

 視界が真っ白になった後、広がっていたはずの清々しい草原風景が、雲隠れしたように忽然と消えていた。

 

 そうして、ディーノの視界に映る光景は、一風して悲壮感を漂わせる枯れた土地の姿だった。

 

 一瞬の出来事に、さすがにディーノも平常心など皆無で唖然としていた。

 

「どうなってんだ……?」

 

 ポツンとつぶやいたその言葉に返すように、遠くから聞き覚えのある声がした。

 

「そこで何してるの?」

 

 その声は落ち着いているというより、どこか落胆しているトーンだった。

 

 すかさず反応して振り返ると案の定、ディーノの鳶色の瞳には、見慣れた男の姿があった。

 

「恭弥!」

 

 声で反応すると、視線だけをこちらに向けた雲雀は普段通り男に呆れたように淡々と応える。

 

「思っていたより随分遅かったね。まあ、いいよ」

 

 独り言のようにつぶやくと、ふとその声音は感情が入るように低くなった。

 

「ところで、貴方の部下はどうしたの? まさか貴方一人で?」

「いや、お前らを捜すのに手分けしてこの辺りを回ってたんだが」

「何してんの、死にたいのかい?」

 

 自身の体質を理解していないディーノには、彼の怒りの沸点がまるでわからなかった。

 

 そんなことよりも、雲雀に問い詰めなければいけないことがある。この男がここにいるならば、恐らくすぐ近くにいるはずだ。

 

「アカネはどこだ!?」

 

 猛風が吹き荒れる中、すると雲雀はある方向へと彼の視線を導いた。

 

 そこに、ひとつの小さな影が、灰色の炎の渦の中心に佇んでいる姿をこの目で見た。

 

 信じて疑わなかったそれは、ディーノにはあまりにも衝撃的で、彼の中で保たれていたはずの心は、一点から強烈な攻撃を受けて全体にヒビが広がっていった。

 

「どうしてだよ……」

 

 この目に映るものが、全て嘘であってほしいと、ディーノは縋るように唇を震わせた。

 

「アカネッ……!」

 

 

 

 世界が残酷であることを知っていた。

 

 だからこそ、この世界を変えたいと、脅える少女に手を差し伸べた。

 

 けれど、自分が変えたかったのは、こんな形だっただろうか――……。

 

 

 

「どういうことだ!? 何があった!?」

 

 受け入れ難い状況に、そして自分自身に苛立ちが隠せず、そんな自分とは対照的に冷静に状況を見つめる雲雀に事の事態を問い詰めていた。

 

「何って、見ての通りだよ。彼女は恐らく"覚醒"した」

 

 雲雀の目は、それを見て全てを悟ったように、困惑するディーノへと視線を向いた。

 

「思い出したんだよ。過去を」

 

 それまでのことをこの目で見ていた雲雀は、確信を秘めてその言葉をディーノに告げた。

 

「過去を…… まさか、記憶が戻ったのか……? だが、どうやって……。それに、あの炎は……」

 

 不安定な気持ちが途切れ途切れに言葉を紡ぎ出す。ディーノは再びその目で真実を見つめた。

 

 鳶色の瞳に窺える感情は、彼が普段少女に見せていた穏やかなものとは一変していた。

 

 守っていたのもが、あっさりとこの手を離れていくような、寂寥と絶望が視界を真っ黒に染めていく。

 

「あの炎のことは明確にはわかっていないけど、あれだけ強大な性質を持っているなら、本人への負担も相当だろうね」

 

 雲雀の言う通り、炎々と燃え上がる灰色の炎は、一目見てその性質が異常であるとわかる。彼らがいる一帯にとてつもない威力の風を巻き起こし、その炎は収まりを見せるどころか、勢いは増していく一方だ。

 

「だが、アカネの死ぬ気の炎は……」

 

 その先の言葉が出てこなかった。言葉にすると、改めて少女の存在が儚く思えるから。

 

「当たり前だよ。こんなイレギュラーな炎、普通の測定器なら見つけられるはずがない」

 

 知れ渡る死ぬ気の炎と性質が全く異なるのか、なんとも言えないが測定器の反応がなかった原因と言えるかもしれない。

 

「っ…… アカネッ……!」

「やめておいた方がいい」

 

 ディーノがここへ来る前に雲雀がこの目で見たことも踏まえると、不用意に近づくことは出来ないほど危険な炎だった。

 

 そのことをディーノにも諭すように、雲雀は静かな声で告げたのだ。

 

「あれだけの炎を体内に維持するには、それに伴う代償が必要になる。炎の炎圧(エネルギー)に、持ち主の身体が耐えられるようにね。炎の封印には、恐らく彼女の記憶が南京錠の役目になるしかなかったんだよ」

 

 雲雀の説明に、ひとまず納得したディーノは、ふと間を置いてから吠えるように言った。

 

「待て。それはそうなんだが、そこじゃねえだろ! オレが来るまでここで何があったんだよ!? つーか、どうしてアカネを攫うような真似をお前が――」

 

 次々に飛んでくる質問攻めに、雲雀も嫌気がさしながらも淡々と語った。

 

「貴方に頼まれた後、こっちでも探ってみたんだよ。そうしたら、面白いことがわかった」

 

 風に踊る大粒の炎の粒子を、漆黒の瞳に映し出す。

 

「どうやら、これだけじゃなかったようだね。赤ん坊から聞いているかもしれないけど、このことは世界各国で前例がある。ただ、小規模で犠牲者もいなかったことから表舞台には出て来なかっただけで、その脅威は年々増していった。その結果が、今回のイタリアでの一端だっただけに過ぎない」

 

 雲雀は過去に起こった事件を洗ってみたが、それでも真相にはたどり着けなかった。ならば、当事者たちに当たってみれば、何かヒントがあるかもしれないと、今回の案件をきっかけに再び少女と接触したのだ。

 

「彼女と接触すれば、漏れなく潜入してた彼らも付いてくるから、こうしておびき出したんだけど、ハズレだったよ。組織の母体も、炙り出す前に邪魔されたし」

「彼ら……?」

 

 近くに部下がいないことで思考機能が回らないマフィアに、雲雀はかける言葉もない。

 

「はぁ……。彼らっていうのは、以前に沢田茜を攫った組織の奴らのこと。ちょうど貴方の足元辺りにいるだろう」

 

 そう言われ、ディーノは視線を足元に下げる。

 

 言われて気づいたが、手にある感触を不思議に思い、それをそっとかきあげる。

 

「これは…… 灰……?」

「文字通り土に還ってしまってるけど」

「なっ……」

 

 自分の解釈が本当に正しいのか、ディーノは困惑気に目線を、雲雀と自身の手に向ける。

 

 雲雀が見た光景とは、少女の身体がいきなり炎に包まれると、自分を除く火の粉に触れた男たちが、次々と奇声を上げあとも残さない灰へと朽ちていった。

 

 その光景は、まるで事件の背景そのもの。

 

 雲雀は、少女と炎がこの事件に密接に関係することが証明され、満足気に口の端を緩めた。

 

「人種を灰化する特性に、事件後の背景も気になるけど、あれをどうにかしないとね」

 

 炎を放出し続ける少女に外からの声は届かず、下手に触れることも出来ない。

 

「だからって、こんな横暴なやり方で、もしアカネに何かあればッ……」

「最初から鴨の予定だったけど、手段としてまだ見捨てるつもりはないさ。奴らに持って行かれた後は、彼に位置を頼む予定だったからね」

 

 雲雀につられ上空に目をやると、彼の頭上をグルグルと飛び回る小さな鳥が黄色い翼を広げていた。

 

 なんだか話を逸らされた感が否めないディーノは、噛みつく勢いで雲雀に言い返す。

 

「お前のやり方はアカネが傷つくだけじゃねえかッ!」

「そもそも、彼女を見捨てた貴方が言えることなの。本当に勝手だね。僕の手で、彼女を消してもいいと許可したのは貴方だろ」

「ッ…… そんなことを許可した覚えはねえ! 何かあれば、それはボスであるオレの責任だ。オレを殺して構わなかった……!」

 

 この状況下で、部下がいないコイツと話しても無駄だと判断した雲雀は、再び目の前で起こる出来事の情報収集に集中する。風が吹き荒れる中で、視覚でわかることは限られるが、僅かなヒントの中でどれだけその先を読めるか。

 

「大丈夫だよ」

 

 いつにもない、穏やかなトーンでそう告げた。その声色に、ディーノは開いた口を塞ぐのも忘れて雲雀に振り向く。

 

「きっと近くで見ているさ」

 

 ふと影がかかる顔に、不穏な笑みが零れる。

 

「僕なら、捕まえた獲物を野放しにはしない」

 

 猛獣の一面を露わにした男は、不意に空を見上げた。この風の影響か、天候にも雲行きの変化が見え始めていた。

 

 そろそろこの場を離れなければ、この使えない男を連れている現状も厳しい。再び何が起こるかもしれない今、目の前の少女を手放すかは究極の選択肢だ。

 

 ――――と、その直後だった。

 

 

 

「見事だよ」

 

 不意に聞こえた男の声は、この風の中で不思議とすんなり耳に入ってくる。そして、以前に聞き覚えのある声であった。

 

「ボンゴレ雲の守護者、雲雀恭弥君。代理戦争で戦っていた頃は、強敵だろうと正面から突っ込んでいく軽率な戦い方をしていたが、君たちに授けたVGも有効に使いこなしてくれているようじゃないか」

 

 鉄の帽子に、マスクの男は、ふと彼らの前に現れた。

 

 男のこの場に合わない格好に、ディーノの脳裏に過去の戦闘の記憶がふつふつと蘇る。

 

「お前は、まさか……」

「誰」

 

 間髪入れず雲雀の口が疑問を投げつけたことに、ディーノは言葉が詰まる。信じられないと言うように、真顔で立つ男を見やる。この男の性格上、碌に人の顔など覚えなさそうだ。

 

 一方で、湧き上がる炎の火柱を背に二人の眼前に佇む男は、雲雀からの問いにピエロのような感情のない声で笑った。

 

「おやおや、すっかり自己紹介を忘れていた。すまないね。では、改めて」

 

 ひとつ軽い咳払いをして、男は告げた。

 

「私の名は、チェッカーフェイス」

 

 「以後、宜しく」と、その後に付け足す。

 

 その名を聞いて、確信を得る。一変して彼らの顔つきが変わった。

 

 チェッカーフェイスとは、10年前に勃発した戦闘において、元凶と言える男の名だった。

 

 あれから忽然と姿を消し、何の音沙汰もなかったが、何故10年後に再びこうして現れたのか。この男が今度は何を企んでいるのか。何にしても、この男と敵対することになれば、一筋縄ではいかないだろう。

 

 ディーノたちが警戒を張る中でも、男は気にかけない様子で淡々と話を続けている。

 

「こうして表に顔を出したのは何年ぶりだろうか。あの日のことが、まるで昨日のことのように鮮明に思い出されるよ。君たちも、元気そうだね」

 

 代理戦争の出来事を思い出したのか、喋る口が一方通行する男に、雲雀はイライラを隠さず男の話を遮る。

 

「ねえ。君と話したいのは、そこじゃないんだけど」

「アカネの身体から出るあの炎は、一体なんだ。あれも死ぬ気の炎の亜種なのか」

 

 男たちから投げられる問いに、杖をついた男はやれやれと言う風だった。全て自分の予想通りだ、とでも言いたげに、鉄の帽子の男は態とらしい態度で、一言こう告げたのだった。

 

「この星を守る為に生まれた炎だよ」

 

 




代理戦争では二人とチェッカーさんは顔合わせしてないはず。。合わせてても雲雀さんなら忘れていそうだけどね!


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第26話

 ……――――!

 

 

 

 遠くから、誰かの声が聞こえる。

 

 すごく、懐かしい声で、優しい声。

 

 なのに、どうして、心は悲しみでいっぱいなんだろう。

 

 どうして、この声は届かなかったの――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある村の、赤煉瓦の小さな家に、私は生まれた。

 

 とても貧しい家庭で、農業を営む父と、内職をする母と、そしてたった一人の姉と、家族四人でそれなりの生活を送っていた。

 

 村は特に過疎化が進んで、農業をする人たちは減っていく一方で、村には困窮が続いた。だから村の人たちも、お互いに助け合って生活を凌いでいた。

 

 手を引かれるままに姉に外へ連れ出された時、家の前で野菜の籠を持った母が、村の人にペコペコ頭を下げるところをよく見かけた。

 

 こんな普遍な生活が、当たり前のように続くんだと思ってた。

 

 ――――あの日までは――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げる。青い空に点々と白い雲が漂う。雲が流れるように風が吹く。

 

 そうすると、伸びた髪が躍るように空中をなびいて、風を感じられた。

 

 こんな風にぼんやりするのは日課だった。特にすることもないから。

 

「何してるの?」

 

 顔を上げると、こちらを覗き込む大きな瞳。蒼色の瞳が、空の色と被る。

 

「何も」

「そう?」

 

 あっさり答えると、こてんと首を傾げられた。何も話すことがないと思った私は、すぐに首を戻す。

 

 一瞬の沈黙の後、後ろで何を思ったのかは知らないけど、私の隣へとやって来てそこに腰を下ろした。今度はなんだろうと、横目で彼女を見る。

 

「目を離すといつもこうしてるよね。お母さんがお外にいるなら、みんなと遊びなさいって」

 

 ニコニコと笑う表情は、私の答えをじっと待っているようだ。

 

「こうしてる方が好き」

 

 正面に向き直ると、私は淡々と返す。

 

 そんな私を見て、隣でケラケラと笑う。

 

「――――は、変わってるね」

 

 なんて言うと、不意に立ち上がった。思わず私も視線を移す。

 

 そこには、そっと差し伸べられた手があった。

 

「行こう! おねえちゃんがついてるから」

 

 その笑顔が、大空を照らす花のように眩しかった。

 

 その手に誘われたら、嫌でも手を取るしかない。

 

 肩までの短い髪が、淡い香りを纏って揺らめく。心地のいい香りが、ベールを纏ったように空っぽだった心を安らかにしてくれる。

 

 その温かい手に導かれるままに、田畑一色の道を一緒に走っていく。

 

 私より少し背の高い背中を、いつも頼もしく思って、前だけを見つめるその姿は憧れで――

 

 

 

 私の、たった一人のおねえちゃんだった――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寒さが厳しくなる、冬半ばのこと。

 

 この日は特に、肌寒い日だった。

 

「残念です」

 

 白衣を着た男の人が、無機質な声を放った。なんて冷たい声なんだろう、と背筋が震えた。

 

 同時に、父の泣き叫ぶ声が鼓膜を突く。この時、こんなに取り乱した父を見たのは初めてだった。

 

 その向かいに正座をして座る私は、静かに涙を溜めながら、目の前の布団に横たわる冷たくなった身体を、呆然と見ていた。

 

「お母さんっ……」

 

 いつも無駄に元気に笑っている姉が、私の隣で、今日だけは顔を皺くちゃにしながら泣き崩れていた。

 

 母が、死んだ。

 

 もともと身体が弱くて、家から出ることも少なかったけれど、続く寒さに母の容態は急変して、すぐに医者を読んだけれど間に合わなかった。

 

 医者の肩にしがみつく父の姿を見て、私は虚しさしか感じられなかった。どうもがいても、この身体が再び温もりを宿すことはないとわかっている。やるせなかった。

 

 眠る母の顔を見れない私は、俯いて嗚咽を堪えるしかなかった。

 

 残された私たちは、これからどうなってしまうのだろう。

 

 運命を狂わすように、扉の閉まる音が冷えた空間に響いた。

 

 

 

 

 

 

 案の定、我が家の生活は一変した。

 

 一人消えてしまうだけでも、こんなに虚しいものなんだと思った。

 

 あれから父は、最愛の人を失くしたショックから仕事を一切しなくなった。無理もないと思う。もう家でおかえりと言う声も、料理を作って待ってくれる姿も見られないのだから。

 

 コップを片手に傷心に浸る父の背中を大目に見て、私と姉は学校へと通った。

 

 途中にも、近所の人と顔を合わせると、この上なく可哀想なものを見る視線を感じた。

 

 母親を亡くして可哀想な姉妹だ、とずっと後ろ指を指された。

 

 生前は母と仲良くしていたおばさんたちも、手の平を返すように私たちから距離を置いた。

 

 でも、学校に着けば、以前と変わらない生活があった。

 

 先生も同級生たちも、気を遣ってくれたのか、何も触れずに授業が始まる。

 

 けれど、それでも傷が癒えることもなくて。

 

 そんな時、隣にいてくれた人は姉だった。

 

「大丈夫。おねえちゃんがついてるからね」

 

 どんな時でも自分を犠牲にして笑っている姉の言葉が、胸に深く残った。

 

 私と違って、明るい姉にはいつも周りにたくさんの人たちがいた。みんな姉と楽しそうに輪を作って、その輪を遠くで見つめていた。

 

 姉とは正反対に、私は口下手だから。

 

 そんな姉の下に生まれた私は、誰とでも打ち解けられる姉を見て育ってきた。

 

 こんな自分に劣等感は感じたけれど、妹という肩書きのおかげで、みんなに慕われる姉に誰よりも愛されていることが優越感として、私を保っていられた。

 

 だから、いつも姉のそばで、ただじっとしていた。

 

 そうしていれば、何も問題ない。このぽっかり空いた穴も、おねえちゃんがなんとかしてくれると思っていた。

 

 けれど、現実は頭で考えるより、ずっと残酷なことだった。

 

「どこ行ってたんだッ!?」

 

 家に帰るなり、父の怒号が待っていた。

 

 強烈な酒の匂いが鼻を突く。

 

 あれ以来、父は荒れた。

 

 毎日のように酒に溺れ、仕事にも手をつけなくなった。

 

 そして、やり場のない憤りを、私たちに当たり散らした。

 

「学校だよ、お父さ……」

「うっせえ! 寄るな!!」

「キャアッ!」

 

 姉が怒鳴る父を宥めようと接すると、まるで蠅を払うように無下に扱われた。

 

「おねえちゃん!!」

 

 大人の拳に殴られて、床に蹲る姉のもとに駆け寄る。

 

「どいつもこいつも、俺を見下しやがって……!」

 

 これが理不尽なんだと、恐怖に直面する中でそう悟った。

 

 私たちが、何をしたというの? どうして、母を奪われなければならなかったの? 神様は、なんの気紛れで、私たち家族を選んだの?

 

 誰も答えなんてくれない。

 

 けれど、どんな理不尽も、姉は笑って受け止めた。

 

「大丈夫だよ。一番辛いのはお父さんだから、私たちががんばろう」

 

 いつだって、姉は気丈に明るく振る舞った。

 

 姉の強い意思とは裏腹に、父の暴力はさらに激しくなる一方だった。

 

 父の変化に、周りも次第に足音を立てていった。

 

「あそこの家…… 父親が……」

「まあ、可哀想に……」

「でも、母親があんなことに…… 仕方ないんじゃ……」

「うちはあんまり関わりたくは……」

「うちも……」

 

 いつからか、近所から孤立していった。

 

 学校でも、逃げる場所はなかった。

 

「見ろよ。あいつまた……」

 

 クラスメイトが指差す。教室の隅にじっとしている私を見て、みんながヒソヒソ噂を立てる。

 

 どんなに平然としていても、身体中に残る痣は隠しきれなかった。

 

 ただ、他人からの蔑むような視線に耐えるだけで精一杯。助けなんて誰も呼べない。信頼する姉さえも――

 

 姉は、私よりずっと酷かった。

 

 私が父に殴られると、自分のことよりも必死になってくれた。

 

 ――私をいくらでも殴っていいからッ!! お願いやめてッ!!

 

 姉の友人たちが、姉のその姿を見て、いつも心配していた。

 

 そして、隣にいる私を見て、どこか冷めた視線を投げつけた。

 

 だから私は、唯一の姉から離れられなかった。

 

 そうして父の家庭内暴力は、日に日にエスカレートした。

 

 誰も止められなかった。誰も止めてくれなかった。

 

 姉が父に足蹴にされる光景を、じっと堪えて眺めているしか出来なかった。

 

 耐えられなかった。

 

 でも、私に出来ることなんて何もない。

 

 余計なことをして、さらに姉を傷つけるんじゃないかと、そう思うと全てに目を逸らしたくなった。

 

 気がついたら、外に逃げていた。

 

 薄暗くなった夜の道に、人影は見えなくて、裸足で一人歩いていく。

 

 このまま自分はどこへ向かっていくんだろう。そんなことをぼんやり考えて、足が進んでいく。

 

 もう、どうにもならないと思った。

 

 こんな苦痛が、いつまで続くんだろう。もう涙も枯れていた。

 

「どこへ行くのかな? お嬢さん」

 

 暗闇の先から、声が聞こえた。

 

 いつの間にか、そこに人がいた。

 

 こんな時間に人がいることも驚きだけど、薄っすら見えるその人の格好が、この辺りの田舎風景に浮いて異色だった。

 

「……誰」

 

 絞り出した声が、夜の田園に虫の音のように響く。

 

 男は飄々と答えた。

 

「しがない旅人だよ。あるものを求めて世界を回っているのさ」

 

 旅人だと告げる男の身なりは、とてもそうは見えなかったけれど、私が疑う間に男は間髪入れず言い放った。

 

「私も、愛するものを失い、生きる意味だったものも奪われた、悲しき生命だ」

 

 仮面の下から表情は窺えないけれど、男の声はどこか真実味があった。

 

 だから、思わず反応していた。

 

「何が言いたいの?」

「よければ、君の力になりたいと思う」

 

 一目見て、ピエロのようだと思った。この男も、道化のように仮面を被って人を欺くのが得意なのだろう。

 

「共に、この世界を壊さないか――?」

 

 

 

 

 

 

 

 夜も更けた頃に、私はようやく家に帰ってきた。

 

 冷え切った家の中は、やけに静かで寝静まっていた。

 

 あの後、姉は大丈夫だったかと、奥の部屋へと様子を見にいく。

 

 途中、父のいびきが聞こえた。どうやらもう寝ているらしい。少し安堵した。

 

 そうして、奥の部屋を覗き込んだ。

 

 部屋は暗いけれど、窓からの月明かりがなんとか視界を開けてくれる。

 

 そこに、見慣れた人影があった。

 

「お、ねえ…… ちゃん……」

 

 待っていたのは、(むご)い現実。

 

 嘘だと、言ってほしかった。

 

 どうして神様はいつも裏切るんだろう。

 

「嫌だ……」

 

 天井から首を吊る頭は、内臓を吐き出して、いつも笑っていたあの面影は、どこにもなかった。

 

「嫌…… なんで、どうして……」

 

 血走る眼が、どんな思いで最後を迎えたかなんて、想像も出来なかった。

 

 その目の淵に、ひっそり溜まった涙の意味も。

 

 床に落ちていた紙には、姉からの最後のメッセージがあった。

 

 

 

 ――――ごめんね。

 

 

「おねえちゃ…… ぁ、イヤアアアァァァぁぁああああッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は特別なんだと、自惚れていた。

 

 自ら何かをしなくても、おねえちゃんがそばにいたから。自分は恵まれた存在なんだと、そうやって言い聞かせて、逃げて、蓋を開ければ何もこの手にはなかった。

 

 おねえちゃんがいたから、私は私でいられた――

 

 最初から長い夢だったように、周りの景色は一変した。

 

「――あんたのせいだッ! あんたがいたから、あの子はずっと苦しんで……」

 

 姉を失った友人たちは、揃ってやるせなさを噛み締めて、私を恨んだ。

 

「どうして、あの子だけが……」

 

 姉が苦しむ姿を、そばで見てきたんだろう。私の前では、いつも笑っていた。おねえちゃんとして、精一杯がんばってくれていたんだと、今になってやっと気づく。

 

「――人殺し」

「お前が死ねばよかったんだ」

 

 全てが姉を亡くして、否定的な目で私を見る。

 

 その目には、滲み出る殺意があったと思う。

 

「消えろ」

 

 

 

 

 おねえちゃんを失って、私は―― 何――……?

 

 

 全てを悟って、もう引き返せないことに悲しみだけが膨らんでいく。

 

 ただ、もう解放されたかった。

 

 それは、望んではいけなかったこと?

 

 

 

 

 

 男の声が、記憶の断片に蘇る。

 

 

『君が望むなら、力を与えよう』

 

 

 

 

 

 ――――それなら、私は望む。世界を変えて。このドロドロに腐った心を解放してくれるような、まっさらな世界を私に見せて――……。

 

 

 

 さようなら、おねえちゃん――――……。

 

 




ついに物語の中枢に触れましたね。
ギャグの中にシリアスが組み込まれてるのが好きなのですが、がっつりシリアスは難しいですね。シリアルが書きたいですね。

もう少しお話は続くので胃がもたれない程度にお楽しみください。


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第27話

 男は告げた。

 

「この星を守るために生まれた炎だよ」

 

 二人の男たちには、この現状を見ても男の言葉は理解し難い。

 

 この星を守るとは、全てを灰にして消し去るあの炎に、守るとは一体どのような意味なのか。

 

「どうあれ、君が事の元凶で間違いないようだね」

 

 雲雀の言葉に、男は答えない。それは否定しないと捉えられるのか。どちらにしても、ディーノには他に聞いておかなければならないことがある。

 

「チェッカーフェイス! 何を企んでいる!? どうしてアカネを巻き込んだ!?」

 

 間髪入れず次から次へと質問を重ねる。男を睨みつける視線の奥には、隠しきれない殺意を滲ませて。

 

「ディーノ君。少し落ち着きたまえ。確かに私から彼女へ接触を図ったが、全てを望んだのは、彼女自身だ」

 

 苦味を含んだ笑みを浮かべた彼は、諭すようにディーノへと述べた。

 

「私はあくまで力を与えたまでだよ」

 

 腕を広げ、この現状を誇らしげに見据えている。ディーノには、男の仮面の下の表情がそう見えたのだ。

 

 この男の話に乗せられてはいけない。自分が冷静になって、少女を助けなければ……。ディーノは呼吸を整える。

 

 依然滾る炎の渦が、まるで泣き叫び助けを求めているように見えた。ディーノの胸は軋むように痛んだ。

 

「こんなことをして、何が目的だ」

 

 真っ直ぐな意志を持って、男に言った。

 

 男の魂胆を暴き、少しでも少女を救う道を開くために。

 

「そのことだが、やはり君たちに話す必要はないだろう」

 

 しかし、ディーノの思惑を見透かすように、男は頑なに答えない。

 

 このまま男の口が開かなければ、最終的には実力行使か。そうなればリスクは格段に上がり、また少女を巻き込む可能性がある。

 

 ディーノが他の思案を捻り出そうとする隣で、仲間の男はそんなこと最初から知ったことではないという風に、己の武器を構え始める。心なしか、その目には期待が膨らんでいる。この男、どこまで自分勝手なんだと、ディーノはほとほと呆れた。

 

 やはり自分が上手くやらなければ……。

 

「オレからも頼むぞ」

 

 男たちのもとに、この場に似合わぬ子供の声がした。

 

「ちゃおッス」

 

 その声と共に年端もいかない子供が、突如三人の男たちの前に現れた。その年齢に見合わず、黒のスーツにボルサリーノを被った子供は、この場の全員の知り合いであった。

 

「うおっ! リボーン!?」

「赤ん坊」

 

 ホログラムで現れたリボーンは、ディーノの端末から現れたものだった。一体いつの間に取り付けていたのか。ディーノは一人恐怖していた。

 

「リボーン場所取りすぎ!! オレ半分しか映ってないし!!」

「その声はツナか!」

 

 ハッと顔を上げると、本人が言う通り身体真っ二つにしか映らないボンゴレの王者。その姿がどこか自分に勇気をくれると、ディーノは思った。

 

「あっ! ディーノさん! すいません! オレがマヌケなばっかりにアカネちゃんを……!」

「いや、ツナには任せっぱなしで感謝してるぜ」

「そうだよ。結果こうして上物が釣れたことだし」

「お前は黙ってろ、恭弥」

 

 こんな時に、やいのやいのと会話が弾むどころではないと、リボーンはツナに制裁を加える。ホログラムなのでディーノや雲雀には当然触れられないのだが「なんでオレだけー!?」とツナのツッコミが炸裂する。

 

 気を取り直して、一部始終を空気を読んで静観していたチェッカーフェイスは、ひとつ咳をした後口を開く。

 

「これはこれは、リボーン君に沢田綱吉君。久方ぶりだね。相変わらず面白い人たちだよ」

 

 あくまで平行線に話をするつもりなのか。かつて自分たちを利用し圧倒的力を持つ相手だが、こちらからいくしかないとリボーンは腹を括った。

 

「チェッカーフェイス。単刀直入に聞くぞ。お前の目的はなんだ。おしゃぶりが安定した今、お前の役目は終わったはずだ。今度は何をやらかす気だ」

 

 あの頃の自分を思い出したのか、立体映像上から伝わる最強の殺し屋としての迫力や殺気が、この場にいる誰しもが感じた。

 

 だがリボーンには、チェッカーフェイスにとってはこの程度のものとわかっていた。仮面越しの表情は、ピクリともしていない。

 

 まるで労わるかのように、チェッカーフェイスは語り出す。

 

「かつて、トリニセッテのためにその身を挺し戦ってくれた君には、心から敬意を表している。しかし、これは私個人の事情であり、そう容易く教えられることではない」

 

 その言葉は、男に束縛されていた過去をフツフツと思い起こした。

 

「おめーは、いつもそうだな」

 

 この場にいれば、迷いもなく銃を取り出していただろう。

 

「チェッカーフェイス! お前はお前がしてきたことがわかってるのか!? そうやってリボーンたちを苦しませて、今度はアカネちゃんまで……!」

 

 リボーンの異変に誰よりも早く気づいていたツナは、かつての戦いを通して、忘れていた胸の痛みを思い出した。

 

 死んでもいい覚悟で、どんな局面でも自分の心を動かす言葉を教えてくれて、第一に生徒のことを考えてそうして自分を育ててくれた。

 

 今でも大切な恩師であり、家族だ。

 

 ツナは立ち上がる。

 

「オレは、お前がやってきたことを許さない。お前の勝手でまた誰かを傷つけるなら、ボンゴレを捨ててでもオレはお前と戦う覚悟がある」

 

 少女を救う意思と、男を倒す意思を固めた炎がリングに灯る。

 

 たとえ規格外の力に立ち向かおうとこの男を倒すと、彼の炎は死を覚悟したのだ。

 

 そこに横からの制裁が飛ぶ。

 

「バカツナ。カッコつけてるが、おめー今ホログラムだぞ。戦えるわけねーだろ」

「ハッ……! しまった!!」

 

 急に恥ずかしくなったツナは、あわあわと炎を仕舞い、ダメツナ特有の落ち込みタイムを展開する。鬱陶しく思ったのか、雲雀に邪魔だと文句を言われる始末だ。

 

 そのマヌケな行為が、リボーンの張り詰めた思いを緩和していたことは、彼らも知る由はないだろう。

 

「君たちには、ほとほと笑わされるよ」

 

 ピエロが仮面の下から嗤う。空気を読むのが道化師ならば、壊すのもまた彼の役目である。

 

「綱吉君。以前にも言ったが、私を倒そうなんて無謀なことだ。しかし、君の確固たる意志はしかと受け取ろう」

 

 10年前にも魅せられた彼の瞳から感じる真っ直ぐで芯がある意志に、一目置くところがあった。故に、彼がアルコバレーノの筆頭候補として相応しいと考えたのかもしれない。

 

「たまにはいいだろう。昔を語るのも――」

 

 こんな気分になるのも、大空の彼の魅力なのか、単に自身が老いぼれたのか。

 

 仮面の下がじわじわと蒸れるのを感じながら、自分の脳裏に蘇る記憶をたどっていく。

 

「私はあることを果たすために、再び人柱となる人材を探していたのだ。彼女もまた、腐敗したこの世に反旗を翻し立ち上がった一人さ」

 

 人柱――――その単語は、ボンゴレたちにあまりにも荒んだ過去を蘇らせる。

 

「チェッカーフェイス……! トリニセッテの管理からお前は手を引いたはずだろ!?」

「その通りだよ。だがまあ、聞きたまえ」

 

 男は否定することもなく、相手を静止し話を続けた。

 

「10年前――――…… 代理戦争に決着が着き、この世界も永遠に救われた。トリニセッテから解放された私は、そうして10年という時間を退屈に過ごした。トリニセッテの管理に追われていた頃より余裕が出来、ふとこの地球と向き合うために世界を旅し、感傷に触れた……」

 

 期待し胸を躍らせた旅は、しかし彼が想像した景色とは違ったものだった。

 

「世界を見つめて、私は痛感したのだ。それは、発展を遂げた社会の陰に埋もれた欠陥…… 大都市が繁栄する一方で困窮する未発展都市、機械科学が普及する中で犠牲となる自然、大人達の抗争の狭間で苦しむ子供達――…… トリニセッテは安定したが、この星はいずれこのままでは破滅する。全ては身勝手な人間の手で――」

 

 脳裏には、かつて自分の手で守ってきたはずの景色が、朽ちるところまで枯れた地となっていた。

 

 自分がトリニセッテのために犠牲にしてしまっていたものは、想像以上に大きかった。形は維持出来たが、中身は腐敗し穴だらけだ。

 

 自身の弱さや甘さを痛感したようだった。

 

 かつての仲間との約束を、果たすことの出来ない自身への怒りが、再び彼の中に火を灯した。

 

「私にも、愛する者や信頼たる友がいた。しかし、永い年月が経ち、私が愛した全ては土に還り、私だけがこの孤独な世界に取り残された」

 

 気の遠くなる日々を淡々と生きてきて、いつしか疑問を抱いた。

 

 やがては自分も地に堕ち、この地球上に自分たちの種族が存在しなくなれば、この星はどうなってしまうのだろうか。一体誰が、この星を守る使命を果たしてくれるだろうか――

 

「この星は、全てを捨て駒にしてきた私の最後の砦―――― 君たちに容易く奪われてしまうのは本望ではない。かつて告げた通りこの星を守ることこそ、私の使命であり、今は亡き同胞たちへの弔いでもある」

 

 壊されてしまうなら、自らその手に終止符を打とう――……。

 

 まるで機械仕掛けのように、感情の欠けた目は告げる。

 

「最後に答えは出た。それこそが、世界(・・)のリ(・・)セッ(・・)()である」

 



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第28話

 灰一色の砂漠と化した地で、謎に包まれた事件の全貌が解き明かされようとしていた――

 

 その地に、またひとつの足音が鳴る。

 

 その胸に、秘めたる決意を宿しながら――――

 

 

 

 

 

 

 

 誰もが、男の語る内容に意識を向けていた。彼らの前では常に凛と振る舞う男の声音は、どこか複雑な心情を帯びて彼らの耳に触れた。

 

「リセット、だと――?」

 

 ホログラムでこの場に加わるリボーンが発言する。

 

 その仮面に再び笑みを湛え、男はコクリと頷いてみせる。

 

「そうだ。この世界のリセット――説明すれば、この星に生存する万物全てを取り払い、美しく保たれた地球だけが残される――」

 

 ひとりとなった男には、もうこの術しかなかった。

 

 全ては、この星に命を受けたため―― 残酷ではあったが、亡き同胞たちの願い。その為に感情を殺すのは造作もないことだ。

 

「つまり、人類を皆殺しにするつもりか」

「そのための炎だよ。君たちが灰の炎と称したものは、混濁した世界を一掃し、肥料となり、この地に再び芽を宿す為―― その芽となる種を求め、私は今日まで世界を巡り探し続けた」

 

 その種こそが、アカネという炎の性質を存分に引き出すのに適材であった。世界を巡り、彼女ほどこの扱いの難しい複雑な炎と相性の良い人材はいない。

 

 話の途中、我慢ならずにディーノは男のそばまで寄りその胸倉を掴んだ。

 

「ふざけるなよ! てめぇ! そんなことのために、まだあんなにちいせえアカネを駒のように利用しやがってッ……! アカネは玩具じゃねえんだぞ!?」

「ちょっ、ディーノさん!」

 

 驚いたツナが慌てて引き止めようとするが、自身がホログラムであることをすっかり忘れていた。隣にいるリボーンも同じくホログラムであり、彼を止められず、生身でこの場に立つ雲雀が頼りだが、彼の性格上止める気はないだろう。戦う雰囲気ではないので、この状況でも眠そうに欠伸している。

 

「そんなことか…… 私にしてみれば、横から入ってきた君たちこそ、神経が狂っていると疑うがな。ある日突然この星に生まれ、我が物顔でこの星を牛耳り手玉にした。私の宝を汚し、全て奪っていった」

 

 その言葉でハッと我に返るように、ディーノの手は力なく男から離れた。

 

 憎むべき相手を、彼が生まれながらに持つ良心が揺する。自分に比べれば、今までに見てきたものや守ってきたものの重さが違う男に、ただ一方的に責めるのが正しいことなのか。

 

 理不尽だらけのこの世の中で、種族も違い、彼なりの苦難を乗り越えてこうした結果なんだろう。かつての自分の面影が重なる。そう思うと、なんとも言えなくなってしまった。

 

「どうして、アカネだったんだよ……」

 

 何故運命は彼女を選んだのか。たとえ彼女じゃなかったとして、この世界にいる誰かが犠牲となっていたんだろう。どうすればよかったなんて、誰にも計り知れないことだ。

 

「恐らくそれは彼女の過去と密接に関わる。彼女にもプライバシーがあるので、私の口からはここまでにしておこう」

「アカネの過去――……」

 

 自分と出会う前の、自分には知り得ない少女の過去――――

 

 なんとなく少女の存在が遠くなるような気がした。

 

「おめーの言う世界のリセットがされたとして、地球上の生物が滅べば、トリニセッテはどうなるんだ」

「そのことに関しては問題ない。リセットとは言ったが、トリニセッテを管理する者がいなければこの星は滅びる。故にトリニセッテに携わる者たちには、例外として残ってもらうことになるがね」

 

 トリニセッテを野放しにしてしまえば、世界は機能しなくなる。そうなれば元も子もない。

 

 恐らくあの炎は、トリニセッテを所持する者には効果がない…… あの時雲雀だけが灰化せず、この場に残っていた辻褄が合う。あちこちに浮かぶ球体で、彼も防御していたはずだが。

 

 少女を中心に、炎の柱は出力を上げていった。その勢いは、世界を飲み込むほどに――……。

 

 燃え滾る炎は、男の覚悟を象徴するようであった。

 

「あの戦いを通して、君たちにならこの星とトリニセッテを預けられる。そんな気がしたのだよ。あの子と共に、この星を導いてやってくれ……」

 

 この星が正しく導かれるのなら、男は命さえ惜しくないと言う。

 

「お断りいたします」

 

 男たちが息詰まる中、そこに現れたのは、儚くもその瞳に巫女(シャーマン)としての確固たる意志を持った少女だった。

 

 凛とした鈴の音のような透き通る声に反応したツナは、反射的に声の主の名前を呼んだ。

 

「ユニ!!」

 

 10年前より背も伸び、先代のアルコバレーノのように大人びた姿を見せる少女は、正装を纏い混濁としたこの場にたった一人で現れた。

 

 群青の瞳は、彼らを見て微笑んだ。

 

「お久しぶりです。みなさん」

 

 その表情は、年相応の嬉しそうな微笑みをしている。

 

 リボーンは、彼女の瞳に巫女としての考えがあることを見抜いていた。

 

「ユニ、どうしておめーが」

 

 その姿に、彼女の祖母であるルーチェの面影が重なる。虹の呪いを受けていた頃、彼女は命を削っても巫女として人のために善行を貫いた。そしてユニにも、その血が流れている。

 

 最悪は命を懸けることも覚悟しているのだろう。だが、それを彼女の祖母は喜ぶのか。

 

 リボーンの心情は複雑に少女の行く末を見守る。

 

「星のお導きにより、一連の事は把握しています。チェッカーフェイス。私は貴方の意志に反対します」

 

 ユニの宣言に、静観していた男たちの動揺が広がる。

 

 幼さの抜けない一介の少女が、脅える姿もなく仮面の男に反論したことに驚くが、何よりあどけない容姿とは裏腹に纏われた威厳は、彼らが想像するよりも凛々しく美しい姿だった。

 

 真っ向から少女に見据えられる男は、その仮面の下に具合の悪そうな口を作り、物申す。

 

「セピラの子孫、ユニよ。ここは君の出る幕ではない。己の種族の使命を知ることもなかった君には、本来の地球の美しさを知る由もないだろう」

 

 淡々と告げられる内容は、切実であった。この男が、誰よりもこの星を愛し必死に守ろうとしたかは、巫女の胸に深々と突き刺さる。

 

 そうして、巫女は語るのだった。

 

「チェッカーフェイス…… この星は、今まで貴方が守ってきました。たった一人で、心を殺して、この星が向かうべき未来へと、その身を捧げてくれました」

 

 唯一の同種であった先代も、彼のそばにいて支えてあげることは出来なかった。そして彼の心は凍ってしまった。誰もそのことに気づいてあげられない。

 

「そのために貴方だけでなく、たくさんの命が犠牲となりました。数多の罪なき血が流れ、人々の死に脅える声が聞こえます。彼らの無念は、世界が生まれ変わろうと消えることのない事実であり、この星の爪痕です」

 

 深く残った痕は消えることはない。彼が今までに抱えてきた苦しみも、嘆きも、孤独も――

 

 彼を救えるとしたら、自分の言葉だけ。

 

 ユニは、巫女としての祈りを心に込めて告げる。

 

「この星は、もう貴方だけのものではありません」

 

 今の彼女にも、守っていくものがある。自分を救ってくれた彼らへ、そして記憶の中の母が教えてくれたこと―― 

 

 未来へと繋ぐために母が託した想いを、彼女もまた後世へと伝える役目がある。

 

「貴方はもう解放されるべきなのです。誰も貴方を責めることはありません。全ては彼らが決めることなのですから――」

 

 彼にとっては辛い選択だが、彼の命もまた永遠ではない。いつやって来るかもわからない終わりに、きっと不安を抱えている。

 

 行く手を探すその手を、ユニは両手で包み込み、そっと語りかける。

 

「全ての命は平等で尊いのです。命が輝いているからこそ、この星は美しいのだと私は思います。チェッカーフェイス、貴方の命も私たちの砦です。どうか貴方の命まで、犠牲に捧げないでください」

 

 その瞳には、純粋な光と切望が映っていた。心から、少女は自分に語りかけていることが、チェッカーフェイスにも伝わっていた。

 

「どうか―― 信じてください」

 

 その言葉は、以前より聞き覚えがあった。

 

 

 

 "どうか、彼らを信じてあげて――――"

 

 

 

 

 あの時、彼女の思いに答えてあげていれば、世界はどう変わっていたか――

 

 知ることはもうありえない。

 

 しかし、今この手が未来を教えてくれるなら、掴んでみたいと純粋に思える。

 

 過ちは、もう繰り返すことではないだろう――

 

 

 

「ふう…… やれやれ」

 

 態とらしい溜息を漏らし、その暑苦しい仮面を剥ぐ。その下から現れた川平は、ふと笑みを浮かべ、ズレ落ちた眼鏡をカチャリと直した。

 

「参ったよ。やはり敵わんな。巫女の子よ……」

 

 彼女が自分の前に現れた時から、どこかで負けを予感する自分がいたが、案の定である。

 

 しかし、この笑顔を再び曇らせてしまうくらいなら、自らが引くべきであろう。

 

 唯一の友を見捨ててまで変えることのなかった自分より、彼らに託すことで新しい可能性が生まれる。そこにかけてもいいだろうと、何の根拠もない期待が膨らんでいる。不思議なものだ。

 

「そう言ってくれるなら、是非とも見せておくれ。君たちの美しい世界をな」

 

 ボンゴレに問いかける。一度は戸惑う様子を見せたが、その瞳はしっかりと自分を見て頷いてくれた。

 

「私も―― 意識の底で、誰かにそう言ってほしかったのかもしれない」

 

 この地球上で、ずっと孤独を感じていた。誰も信じられなかった。

 

 しかし、彼らの言葉で、肩の荷がおりた。異端である自分を肯定してくれる存在がまだいてくれたことに、安堵している。

 

「すまなかったね。今まで――」

「いいえ、これで両方和解ってことでいいですよね」

「ユニたちと一緒に、いつか世界を平和にすると誓う。アカネを早く解放してくれ」

 

 チェッカーフェイスの暴走は止められたが、灰の炎のシールドに守られた少女を助けなければいけない。あのまま体内の炎を放出し続けるのは危険である。

 

「――すまないね、と言ったろう…… こればかりは私にもどうしようもない」

「!?」

 

 予想もしない男のしおらしい返答に、耳を疑う。

 

「どういうことですか?」

「私は力を与えてやったまで…… 全ては彼女の感情次第。私には彼女を止めてやることも出来ない」

 

 希望のない言葉に愕然と為す術もなく、少女の炎が一面を焼き尽くす光景を見つめる。

 

「そんなっ……」

 

 言葉も出ないその光景に、男の口がこう動いた。

 

「私が思うに、彼女の過去は相当な闇だよ。今ここであの子を救えたとして、生きるという選択を与えられた彼女の闇はこの先も消えることはないだろう」

 

 幼い頃に受けた傷は重い。その傷を背負って一生を生きていくのは、果たして少女に幸せなのだろうか、と――

 

「この場凌ぎて助けてやるのは、あの子をより苦しめてしまうかもしれないよ。全てを忘れて散ってしまう方がいっそ楽かもしれないね。死体も残らないし」

 

 今のアカネは茫然自失の状態。このままなら、安楽死に近い状態で眠らせてやれる。

 

 その意見も一理あると、リボーンは言う。中途半端な意思で彼女を助けるのは彼女のためにはならない。

 

 しかし、それでは少女を見殺しにしてしまう。どれが最善なのか、ツナには苦しい判断だ。このまま押し黙るしかないのか……。

 

「オレは、そうは思わねえ」

 

 静かな声でそう告げたのは、ディーノだった。

 

「過去がどうあろうと、人の(タマ)で代えられるもんじゃねえだろ。これからの生き方次第だ。一人でも見ている奴がいれば、花は咲く。オレは絶対に、アイツを見捨てたりしねえからな」

 

 中坊の頃の自分も、そんなことを考えた。自分に何が出来るんだろう。父親のように組織を引っ張るなんて無理だ。ここにいない方が――……。

 

 だけど、ファミリーの奴らがいつもそばにいてくれたから―― 失敗も困難も一緒に乗り越えられた。

 

 そんな存在が一人でもいれば、いつかまためいっぱいの花を咲かせられる――――

 

「しかし、あの炎に触れるのは勧めんよ」

「ゔっ……」

 

 忘れていたが、あの炎は溶かすように人を原形もとどめず灰にしてしまう特性…… 不用意に近づけば命取りだ。その上、今のディーノには周囲に部下がいないため、リスクも跳ね上がる。

 

 万事休すかと思われた。

 

「ディーノさんの炎は、大空です。大空は全てに染まり、調和して包み込んでくれます」

「……! ユニ……!」

 

 自分にその声をかけてくれたのは、ユニだった。

 

 大空は、全ての炎の特性を調和し、相殺する。その可能性にかけることが出来るかもしれない。

 

「かつての大空のアルコバレーノとして、私も一緒に行かせてください。必ず、アカネさんを救いましょう」

 

 ユニの申し出に、ディーノは迷った。あの炎の中に飛び込むのは少なからず危険であるからだ。アカネと年も変わらない彼女を危険に巻き込みたくはない。

 

 しかし、リボーンは見かけによらずあっさりと彼女が行くことを許可した。彼だけが行くのは頼りないからと。全く腹の中が読めない男だ。

 

 時間もない。迫るタイムリミットに躊躇する間もなく、少女を救出するため立ち上がるのだった。

 




そして次回最終話――


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最終話

 長い長い夢心地――――

 

 

 

 

 

 そこにあったのは、美しくも残酷な灰色の世界。

 

 全てを飲み込んでしまったその世界に、私という唯一の存在が異常に思える。

 

 どこを見渡しても、人の姿一人も見えない。あれだけ緑に溢れていた村の面影すら消え失せてしまった。

 

 生命のひとかけらも見えない――…… そんな背景に、ただ一人の私は、水と油のようにこの世界に交わることなく浮いた存在で――

 

 どこからか吹く乾いた風が、灰をすくって運んでいくと、それが頬を掠る感触がゾッと背筋を凍らせた。

 

 

 

 

 

『どうしたんだい?』

 

 

 ――あの男の声が聞こえた。

 

 まるで頭にあの男が潜んでいるかのように、虫唾が走るくらい近くでその声は聞こえる。

 

『全ては君が望んだことだろう?』

 

 諭すように男の声は告げる。

 

 そう―― 私が――……。

 

 この景色を、全てを白紙にすることを、この世界に一人とどまることを望んだのは、偽りない私の意思だ。

 

 あの日から―― 母を亡くした悲しみから、父から受ける暴力から、村の人たちの非難の目から、痛みを堪える日々から、光だったあの人を追い詰めてしまっていた事実から、絶望から―――― 何もかも逃げ出して、解き放たれたかった。

 

 ごめんね、おねえちゃん――…… あなたを失望させてまで願ったことなのに……。

 

 捨てきれない感情に、心がグチャグチャに掻き乱れる。

 

 もう誰も傷つける人はいない。ここにいれば心はもう苦しまない。あの時の絶望的な日々に比べたら、なんて素晴らしいんだろう。

 

 けれど、そんな世界は満ち足りているのかな――

 

 

 

 じんわりと、視界がぼやけて、目が熱くなる――……。

 

 

 

 

『なんだか、悲しい……』

 

 

 孤独(ひとり)は、寂しい――……。

 

 

 世界にぽつんと取り残されて、こんな私でも悲壮感を感じてしまう。

 

 

 誰か、いなかったのかな……。

 

 こんな私を、たった一人でも認めてくれる人が――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――アカネ…………。

 

 

 

 

 

 視界も耳も塞いだ暗闇に閉じ込められた私の下に聞こえてきたのは、微かな声だった。

 

 懐かしくて、優しい響きを奏でて、安心する。

 

 

 何か―― 大切なことを忘れてしまっている気がする――……。

 

 

 

 視界を開いても、そこには誰もいない。

 

 けれど、たしかに声は聞こえる。

 

 

 

 誰かを探しているの――?

 

 誰を――……?

 

 

 

 そんな期待を込めてみるけど、結局は無駄だと思ってしまう。

 

 何度も思い知らされた。

 

 世界に私は要らないと。

 

 邪魔者が嫌われるのは自然なことだから。

 

 この感覚も、きっといつか消えていくから、大丈夫――……。

 

 

 

 

「――――光は、いつもそばで見守ってくれています」

 

 頭に声が響いた。

 

 女の子のようだった。

 

 そっと視界を開くと、すぐそこに見知らない女の子がいた。

 

 灰色の単調な世界に、小さな女神が舞い降りてきたような、神秘的な輝きをまとった子だった。

 

 微笑みを向けて、彼女は私に語りかける。

 

「世界は光に満ち溢れています。あなたはまだそれに気づいていないだけ――」

 

 この世界にも光は在るんだと、藍色の瞳は荒んだ心に呼びかけてくる。

 

「どうか、忘れないでください。あなたのそばで光を与えてくれる人たちのことを―― あなたがいなくなって、悲しむ人たちがいることを……」

 

 女の子の周りにあった神秘的な光が、私を包み込む。微かだけど、温かい――

 

 世界が一変して、明るく見えるようだった。

 

 

 

 

 …………――――――アカネ!

 

 

 

 

 今度はちゃんと聞こえた。

 

 

 あなたは、誰――?

 

 

 

 

 

 

 ――――アカネちゃん!

 

 

 ――――オイッ! クソチビ!

 

 

 ――――アカネちゃん……。

 

 

 ――――アカネちゃん!

 

 

 ――――はひ! アカネちゃん!

 

 

 ――――クフフ、お嬢さん。

 

 

 ――――アカネ、アカネ。

 

 

 ――――沢田茜……。

 

 

 ――――ちゃおッス。アカネ――

 

 

 

 

 いろんな人の声が頭に流れてくる―― 不思議――……。

 

 

 

 

 

 ――アイツが呼んでるぞ。

 

 

 

 最後に聞こえた声が呼びかけてくる。

 

 心なしか頭がイライラする……。

 

 

 アイツって、誰なのよ……。

 

 

 

 ――――ボスがお呼びだぜ。アカネ嬢。

 

 

 

 今度はまたおじさんの声――……。

 

 ……みんな、知っているような気がする。

 

 ボス――……。

 

 

 

 ――――アカネ…… アカネッ!

 

 

 また、あの声だ。

 

 どうして、思い出せないの……?

 

 

 

 ――――届いてくれッ……! 頼むッ…… 戻って来てくれ、アカネ……!

 

 

 

 

 たくさんの声に混乱する頭に、いつしかの記憶が浮かんでくる。

 

 あの人と…… 庭に咲いていた四つ葉のクローバーに、そっと願いを込めたんだ――――

 

 

 

 

 

 

 この場所で、一緒にがんばろう。光をくれる人たちがいるから――

 

 

 

 

「ディーノ――――」

 

 

 

 その名前が、自然と零れた。

 

 

 忘れてしまっていた。光がいてくれたこと――……。

 

 

 

 ディーノ――……。

 

 

 

 忘れていて、ごめんね。

 

 

 ありがとう。

 

 

 優しい光をくれて―― それを教えてくれて――

 

 それだけで、十分だよ。

 

 

 だからね、不安な顔はもうやめて。

 

 貴方は、ファミリーのボスでしょう?

 

 

 

 

 ――――さようなら、ディーノ――……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見ているかい、セピラよ」

 

 灰色の雲のカーテンに覆われていた空に、次第に光が差す。その美しい蒼色を魅せる大空を見上げ、尊い友へと呼びかける。

 

「君が望んだ未来は、そう遠くないかもしれないよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南向きに規則正しく並んだ窓から外を見れば、茜色の空が見える。もう夕暮れ時だ。こんな時間になるまで自分は布団に寝て、一体何をやっているのか。

 

 ――そこに、部屋の大扉が開く。

 

 彼女が目を向けると、一人の男の姿が。いきなりのことに、頭が真っ白になる。そのまま男が入ってくると、鳶色の男の目と目が合った瞬間、手に力を込めて言った。

 

 

 

 

「…………誰――?」

 

 

 その声色に警戒と明らかな恐怖心。空色の瞳に朱が混じり、睨むような目つきで彼女は男を見据える。

 

 その言葉を浴びせられ、彼は一瞬表情が強張る。頭ではわかっているが、こうして突きつけられると胸に刺さる。

 

 しかし、自分が物怖じしてはいけないと己を殺して、ベッドの上に小さくなっている少女へと歩み寄る。

 

 最初はたしかに警戒されたが、ひたすら平常心を取り繕って、そして彼女が怯えないよう目線を合わせるようにそばへとしゃがむ。

 

「オレは、ディーノ」

 

 そう言って笑えば、彼女の警戒も多少は緩くなったようだ。固まった表情を次第にほぐして、そっと彼の名前を唱える。

 

「ディーノ……?」

「ああ、そうだ。そしてお前は――」

 

 名前を読んでくれたとこが素直に嬉しくて、ディーノはニカッと微笑む。

 

 頷いた後、言葉を続けようとすると、意識とは裏腹に先の言葉が詰まる。

 

 一度彼女から目を伏せると、息を整えてもう一度少女を正面から見つめる。

 

「アカネ」

 

 少女の反応は、ある意味予想通りで、そして彼を落胆するもの。

 

 それでも、また少女のそばで見守りたいと思ったから――

 

 たとえその選択が愚かであっても、真実を彼女には告げないと決めた。そうして包み隠して、丸ごと少女を守ろう。

 

 彷徨う少女の手をとり、そっと唇に重ねる。

 

「おかえり、アカネ――」

 

 

 

 茜色の空の下――…… すれ違った記憶の中で、再び交わる二人の運命は残酷で儚く、美しく咲いた――――

 

 




これにて完結です!お疲れさまでした!


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