輪廻と遡行【魔法少女ふるで☆りか】 (夢遊の残骸)
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回廊 【視点-美樹さやか】

成す術もなく過ぎ往く時間はやがて、己の無力さを際立たせるばかりで。

 

かつて女神の片棒を担いだ"人魚の魔女"は、今やただ一人の著しく一般的な魔法少女に過ぎない。

 

…魔法少女を一般的、と形容するのもまた、滑稽なんだけど。

 

そう僻んでも仕方ないよ、私。

 

等と自分に言い聞かせるけど、あの"女神を引き裂いた悪魔"に抗う手段は未だに見つかっていなくて。

 

一向に進まない戦局は次第に、私を沼のようなまやかしの平穏に浸からせるばかりだった。

 

…けれど。

 

「どうしたのですか、さやか。浮かない顔をしていますのですよ?にぱー☆」

 

深い青みがかった長い髪、私達の中では誰よりも幼く、その緑色のワンピースに赤いランドセルが際立つ。

屈託のない可愛らしい、あどけない笑みを宿す少女。

彼女は古手梨花、という。

ベベ…いや、百江なぎさの親戚らしく、彼女と一緒に暮らしている。

話し方も二人はどこか似ていて…というよりほぼ、瓜二つといっても良い。

だけど、時折見せる…やけに大人びた妖艶さすら漂わせる口調が、裏腹と黒さを感じさせる。

 

「あぁ…梨花。だいじょーぶなのだ!さやかちゃんは少し考え事でぼーっとしちゃいましたー…はいはいにぱー!にぱー!」

 

余りにも煌びやかなその笑顔が、お前も笑えと言わんばかりだったので。

私はあからさまに取り繕った笑顔で、彼女に応じた。

 

「引き攣ってんぞー、さやか。ッたく、ガキの相手もろくにできねーのー?」

 

杏子が私の頬を指先でぐりっと、軽く捏ねてから。

吊り目がちなその眼差しを私に向けて茶化す。

 

「なんだよー!じゃあアンタがやってみたら!」

 

と、特に不愉快に感じたわけでもないけど。

負けじと言い返せるのは、二人の間にある絶対的な信頼のお陰であり、ささいな喧嘩を装った単なる茶番劇。

 

「にぱー!梨花はさやかを慰めてやろーとしたのに、ツレねーよな!よしよし、お菓子買ってやろーかい?」

 

…経験があるからだろうか、はたまた…妹が居たからだろうか。

やけに子供相手が上手なものだから、私の対応を指摘してきた事に…妙に説得力を帯びた。

 

「お菓子ですか?嬉しいのです!キムチにするのです。」

 

キムチ。

 

変わった子だ。

 

…古手梨花。

 

私が知る世界線において…彼女は見た事も聞いた事もなかった。

 

魔法少女でもないのに私達の中にいつの間にか入り込み、仲良く和気藹々と日常を共にしている。

…それどころか、私達が魔法少女であることも認識しているし、

杏子やマミさんも"認識されている事を認識している"。

 

改編後、幾日を過ごしたけど…彼女が一体何者なのか。はたまた…ただの何でもない少女がたまたま、私達のコミュニティに紛れ込んでいるのか。

それすらイマイチ掴めていない。

正義の味方、美樹さやかこと私は…梨花に底知れない、得体の知れなさを感じていた。

 

「痛ッ…。ごめ…。…………。」

 

唐突に肩に走った、少々の衝撃。

誰かの肩にぶつかってしまったのだと、歩めていた脚を止めて…咄嗟に謝ろうとしたけど。

あぁ、その必要は感じない。

 

真横を通り過ぎるその横顔は目尻に影を宿し…艶やかとでも思っているのだろうか、気味の悪い口角は嘲笑を浮かべ。

耳には重たそうにぶら下がるひし形紫のアクセサリー。

ローズマリーな香りをふわりと漂わせて靡く、黒髪のストレートなロングヘア。

 

「あら…ごめんなさい、美樹さやか。」

 

私を執拗なまでに…小馬鹿にしきった、その声色。

 

…悪魔。魔なる者。叛逆者。

 

…暁美ほむら。

 

「…ッ。」

 

かつてまどかの為に何度も世界を遡行し、その果てにまどかが望んだ救済の選択肢を…引き裂き、破り捨て、閉じ込めた悪魔。

 

女神すら蹂躙してしまった、叛逆者。

 

私は彼女に打ち勝たなくてはいけない。

彼女は…敵だ。

 

けれど…彼女が蹂躙するこの世界の中で唯一、私だけが暁美ほむらの事を悪魔なのだと…知っているのに。

…何も。少しも…覆す事ができていない。

そしてその事実を、ほむらは嘲笑っている。

執拗に。しつこく。異常なまでの執念で。

口に出さなくても分かる。彼女はやたらと不必要な一言や、卑下の眼差し、侮蔑の表情を無力な私に手向けてくるんだから。

…絶対に許さない。

 

けれど、私は…弱くて、情けない。

 

…黒い感情がまた。

 

これ以上ほむらを呪っても、私には何の得もない。

寧ろあいつの思う壺だ。

 

「…ほむらとは仲が悪いのですか?さやか…。」

 

梨花の目つきは目尻を下げてうるうると。

ずるいってーの…。そんな顔を子供にされちゃあ、さやかちゃんも流石に誤魔化すしかないよね。

 

「ううん、気にしないで!オトナの事情ってやつ。」

 

「ほむらちゃんは悪い人ではない…と思うんだけどなぁ…」

 

「…変わった子だけどね。彼女。」

 

「んま、ほっとけば?なーんか、気味悪ぃし。あたしらが関わんなくても、アイツは十分強いしさー。」

 

「なぎさは嫌いじゃないのです!」

 

まどか、マミさん、杏子、なぎさ…皆が咄嗟にフォローするように各々言葉を紡いだ。

気を遣わせただろうか、申し訳ない。

 

皆には"仲が悪いだけ"と通しているけど、これじゃあ時間の問題かな。

 

"せめてあの子の前では仲良くしましょうね…"

 

所詮、悪魔。

自分が言った事も実行できないワケ?

 

…やっぱり気分が優れない。

先程から、梨花の事がやけに気になったり…ほむらにムカついてばかりだ。

 

「ごめん、さやかちゃん今日調子悪いかも!お茶会は一旦パスさせてもらおっかなー!」

 

「はぁー!?なんだよさやか!!」

 

「怒らないの、佐倉さん。…気分が乗ったら後からでも来ていいからね?」

 

「大丈夫?さやかちゃん…元気出して欲しいなって…」

 

マミさんの家で毎日のように紅茶をいただいているけど、今日はやめておこう。

…少し、自分を改めたい。

何を考えるべきか、どう戦うべきか…。

何を知るべきか。

 

一頻り皆に弁解と…後で行くかも、という保険をかけて。

私は帰路を辿る事にした。

 

 

…前方に見えるのは、憎たらしい黒髪。

 



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邂逅 【視点-美樹さやか】

「…転校生。…いや、今はもう違うんだっけ。…暁美ほむら。」

 

木々が連なり、通路脇には水路が流れる。

微かな風が吹けば、程々に行き交う人の中でも際立つは、さらりと靡く長い黒髪。

 

誰もがその光景を見て、美しいと喩えるだろう。

 

けど、私にとっては禍々しくさえ思えた。

 

「貴女から声をかけてくるだなんて。…私を沈める勝算は見つかったのかしら?美樹さやか。」

 

歩みをぴたりと止めたその後ろ姿。

僅かに伺える横顔は、口元…口角を上げて相変わらず嘲笑を浮かべる。

 

…私はかつて…とは言え体感的にはつい最近の事だけど。

きゅうべえに囚われ、終いには魔女化してしまった彼女の事を

 

救おうとした。

 

その為にいち早く、誰よりもほむらの為に動いた。

 

自負できる。

 

彼女が歩んできた壮絶で膨大な回廊を知ってしまった以上、自分が引き渡された使命が仮に失われようとも同じように動いただろう。

そう思える程に彼女を救わなくてはならないと、懸命に動いた。

 

その結果…彼女は裏切った。

否、私達を利用した迄に過ぎないのかもしれない。

そもそも私達なんて、蚊帳の外だったのかもしれない。

 

彼女はまどかの為に。

まどかだけの為に…その呪いよりも、憎しみよりも強い"愛"で、世界を改変した。

 

宇宙の存続すら、蔑ろにして。

 

…許しては、ならない。

 

如何に彼女が歩んだ回廊が辛く、儚いものだったとしても。

 

私はまどかの選んだ世界を、そして…大切な仲間、友人、想い人を…守らなくてはならない。

 

今やその使命を背負えるのは私だけだから。

 

「…やめてくれない?その気持ち悪い笑い方。」

 

「あら。笑みが漏れるのも仕方ないわ、貴女の無力な踠き様は私にとって滑稽なの。悪気は無いのだけれど。」

 

敵意と悪意がぶつかり合うばかりの、私達の関係性は…絶望的に、微塵も交わる事のない対極で。

 

…でも今は、そんな野暮ったい応酬を繰り返したい訳じゃない。

 

「古手梨花。…あの子は一体なんなの?あんたが仕向けたの?」

 

単刀直入に聞いてまともな答えが返ってくるとは限らないけど、早く切り出したかったもんだから、包み隠さずに言い放つ。

 

「知らないわ。この世界だって私が全てを担っている訳では無いから。どこに収束するかまで管理している訳ではないの。私はまどかを引き裂いて…其れに都合の良いように一部を触っただけ。どうだっていい事象には関わっていないわ。」

 

きょとんとした表情。まるでとち狂った人間を見るかのような冷たい眼差しで私に向けられた横目。

 

騙そうとしている素ぶりには感じられなかった。

 

「じゃああんたは…あの子の事を何だと思う?」

 

「今まで関わっていなかっただけで、彼女も元々魔法少女だったんじゃないかしら。私が触った場所が間接的な要因となって、関わりあうようになった…粗方、そんなところかしら。具体的な事は知らないわ。そもそも、興味すらないの。そんな愚問をわざわざ私に問いかける為に来たの?少しは器用になったかと思っていたけれど、相変わらずね。」

 

一言聞いただけでこの言われよう。

彼女の侮蔑は生半可ではないと、改めて気付かされる。

一々苛立つその言動も、今や半ば慣れてきている自分もまた、確かに在る。

 

「あたしもあんたも知らない存在だって事だね。…ま、それだけでも分かればいいかな。」

 

とにかく、ほむらが何かを企んで設置した分子では無さそうだ。

口を開けばまどかまどかとイカれた頭で呪文のように繰り返す彼女の事だから、興味が無いと言われても合点ではある。

 

 

「暁美ほむらすら知らない存在か!やっぱり古手梨花は不思議な存在だね!」

 

インキュベーター。

 

かつてはこの宇宙のエネルギー管理を担っていた者。

 

今や彼らは暁美ほむらの描いたデザインの上で踠き苦しむばかりの存在だ。

 

けど、こいつなら何か分かるかもしれない。

 

「きゅうべえ。あんたは何か知ってる?古手梨花について。」

 

「知らないよ。彼女がどういう存在なのか、何もわからない!僕だって知りたいくらいだ。そもそも、君達のただのお友達なんだろう?君達の方が詳しいと思ってたんだけど…違うのかい?」

 

突然現れておいて役に立たない白い塊が後ろ足で顔を引っ掻いて動物を気取っている。

 

「インキュベーター。邪魔よ。何しに来たのかしら。私達の会話を聞いたって貴方の身になるような情報は無いと思うけれど。」

 

ほむらはインキュベーターの事をとことん嫌っている。

その眼差しは私に向ける時より、酷く冷たい。

 

 

 

「君達は気付いていないのかい?」

 

 

急な言葉は、私とほむらの間に刹那的な沈黙を与えた。

 

「…何?」

 

続けろという意味合いをこめて。

私は一言、放つ。

 

ほむらもどことなく耳を傾けていたいらしく、大人しく横顔を硬直させながら目を細めた。

 

 

 

「古手梨花には膨大な因果が纏わり付いているんだ。恐ろしいくらいだよ!暁美ほむらや鹿目まどかと同じように…いや、それ以上かもしれないくらいだ!」

 

 

 

 

…淡々と彼が告げるその話の内容に、私は息を呑んだ。

その言葉が本当なら暁美ほむらに対抗できる手段として活かす他ない。

 

「彼女を魔法少女にする事ができたら、膨大なエネルギー回収が見込めるんだ!彼女に辛い出来事があったら、すぐに飛んでいかなくちゃ!」

 

そう言ってすぐ、インキュベーターは姿を消した。

 

とは言え、彼自身が脚を動かして去ったのではない。

 

暁美ほむらの手によって放たれたショットガンがインキュベーターの全身を破壊し、跡形もなく爆発四散しただけだ。

 

「…私の浅はかで適当な予想は、あながち間違いでは無かったのかもしれないわね。」

 

冷静に顔を傾けながら聞いていた彼女の横顔を改めて見ると、その瞳はギラリと鈍く輝きつつ…明確な殺意を抱き、静かに滾っていた。

 

「…やめなよ、あの子は関係ないんだから。」

 

極めて危険。彼女の脳裏に何が過ったのかなんてすぐに分かる。

あんた、普通じゃないもんね。

 

「まだ何も言っていないわ。…けれど、脅威になると感じたらその時は。」

 

…殺す、とでも、言いそうだ。

今のほむらは倫理や道徳…良心や秩序という概念から逸脱した存在。

まどかの存続の為ならきっと、他者の命なんて容易く奪える。

文字通りに、悪魔だ。

 

「させないよ。梨花がどのくらいの力を秘めているのか知らないけどさ。」

 

刹那、振り向いた彼女は素早く私の顎元へ顔を寄せる。

相変わらず靡く黒髪が…美しく、禍々しい。

その懐に入り込む素早さは人ならざる速度で、瞬間的だった。

 

「…その時は貴女も殺してあげる。」

 

彼女の人差し指が、私の顎をつうっ…と撫で上げる。

嬲り、小馬鹿にしたようなその仕草は…私の全身を筋張らせて、死すらも予兆させる。

 

怖い。そう感じる他に無い程に。

 

暁美ほむらの瞳の奥には、冷徹な殺意を孕んでいた。

 

「それも、させない。」

 

精一杯に告げる声は自分でも分かるくらい、露骨に震えていた。

それは…慄きでもあり、そして…武者震いでもあった。

 

一筋の不確定な淡い希望と、彼女に葬られるかもしれない恐ろしさが。

私の中で複雑に混じり合い、形容できない感情となって…ただただ私は震えていた。

 

 



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回想 【視点-古手梨花】

私には記憶がない。

 

幼くして両親を亡くしたらしい私は、古手の家系に近しい、百江家に引き取られた。

そして…現在に至るまで特に不自由なく暮らしている。

今の"両親"も、屈託ない愛情と優しさを与えてくれるし、勿論、いびられたり疎外感を与えてくるような事もない。

時々、"父"は娘相手とは思えない程の気遣いすら見せてくれるが、其れは…あくまで私は途中から家族の中に入ってきた訳なのだから、全く同じようにとはいかないのだろう。

…まぁ、私もその方がやりやすい。変に意識して、無理に肉親と偽られるくらいなら…慎重な優しさに身を委ねる方が…ドライな私には好印象だ。

上辺だけの取り繕いだけでは私にはどうにもならない事を、恐らく"両親"は理解しているのだし、其れで良い。

不満どころか、感謝すべき事だ。

 

…けれど。記憶がないのだ。

 

この回想も全ては"両親"から聞いたこと。

 

私の記憶ではない。

 

かろうじて本当の両親の顔くらいは思い出せるけれど、元の古手の家で何があったのか…どう育ったのか。

全く、覚えていないのだ。

 

医者達は口を揃えて、

解離性健忘

心因的記憶喪失

と私に告げた。

 

正直、今の私にとってそれが全てだ。

 

「気にしても仕方ない」

「考えてどうにかなる訳でもない」

「前向きに、未来を見つめよう」

 

薄く淡いその言葉は私にとって更に希釈されて聞こえる。

 

えぇ、今まさに洗濯機に注ぎ込んだ洗剤よりも何倍も何倍も希釈されているわ。そんな言葉なんて。

 

…思い出したいに決まっている。

 

自分が何者か分からずに生きていくなんて、その不安は底知れない。

 

「梨花!毎日毎日お洗濯、ご苦労様なのですー!」

 

「…えぇ、洗濯機を回すくらい…造作も無いわ。」

 

今日も私は疲れた。

学校では にぱー などと明るく振舞い、"年相応"を演じなければならないし、教師達は記憶喪失というパッケージで私を見ている。そこに悪意は無かろうと、無意識な傷物扱いは浅はかで軽薄。

同学年の子達ともどうにも話は合いそうにない。…きっとそれは私のせい。

周囲がやけにくだらなく、幼く、稚拙に感じる。

いや、正確には私が異常な迄に精神的年齢が高いのだ。

それ故に、辛い。私は別物なのだと、思い知らされるようで。

 

記憶もなければ年相応の思考をする事も叶わない私は、一体なんなのだろうか。

そんな思いが永遠と慢性的に続くのだろうか。

 

…けれど、嫌な事ばかりでもない。

 

放課後にいつも合流する"魔法少女達"との会話はとても良い。

彼女達は中学生、幾分年上かつ数々の戦いを経ているせいか彼女達の言葉はとても楽しい。

最初に…魔獣の結界とやらに巻き込まれた時は驚いた。そして…彼女達が戦う姿はより一層。

けれど、記憶をなくしたばかりの私にとって…受け入れられないものでもなかった。

そんな彼女達と居るだけで、趣を感じられる。

明るかったり、時にギスギスしたりするけれど。

屈託なく私を可愛がり、そして私の言葉に真摯に耳を傾けてくれる。

素敵な仲間だ。

 

…なのに、何故だろう。

 

"仲間"というものはもっと

 

うるさくて

 

暑苦しくて

 

もっともっと信頼できるもののような。

 

 

そんな人達を指す言葉のような、気がする。

 

 

…このままでは良くないのだ。

 

きっと、私は自力で求めなければいけない。

 

私の本当の姿を。

 

「…なぎさ。昨日のシュークリーム…まだ食べていなくて。冷蔵庫に残してあるの。」

 

「本当なのですかッ!?!?!?」

 

なぎさは甘い物が大好きだ。

シュークリームという言葉を放つと言うことを聞く生き物だ。

可愛らしい。そして…ただ可愛らしいだけではない。

彼女もまた、ひとりの仲間。かけがえのない…数少ない、私と真摯に向き合ってくれる…仲間。

 

そんななぎさが声を張り上げてシュークリームへの期待を示すと、"母"が台所から…何を叫んでいるの、と呆れた口調で告げた。

 

「なぎさにシュークリームをあげるわ。…その代わり…。」

 

「その代わり!?!?」

 

「…話を聞いて頂戴。」

 

「はいなのです!!」

 

0.1秒もかからずに彼女は即答した。何も考えていないのだろう。

 

簡単な子だ。

 

 

 

 

 

ーーーシュークリームを頬張る彼女をテーブル越しに眺めながら、私はぶどう酒を模したノンアルコール飲料の入ったグラスを口元に傾け、そのほぼジュース同然の味に舌を鼓む。

"両親"にこれだけはいつも飲めるように置いて欲しい…と我儘を言って、常備して貰っている。やはり変わった子だと思われているだろう。

 

「…やっぱり、私の過去には…何かあると思うの。」

 

私が切り出すと、なぎさはシュークリームを頬張ったまま、目をきょとんと見開いて聞き入る。

 

「魔法少女でもないのに…やけに、周りと違う。自覚しているわ。変わった子だって。まるで子供じゃないみたい。貴女達は数々の戦いの中で、凄まじい経験をしているのだから多少の違いは当たり前だろうと思うけれど…私はそうじゃない。」

 

「…その原因が過去にあると言うのですか?」

 

「えぇ、生まれつきだとは思わない。大体…記憶が無いだなんて。両親が亡くなったからって…何も覚えていなくて、何も思い出せないだなんて。おかしい。まるで…誰かにそう仕向けられているんじゃないかとすら思えてしまう。」

 

「突拍子もないのです。誰が何の為に?」

 

「分からないわ。勿論本当にただ、ショックで記憶を飛ばしたのかもしれない。けれど…」

 

なぎさはより神妙に。思考を懸命に巡らせながら私の目をじっと見つめて聞いている。クリームを唇につけたまま。

 

「クリームがついているわ。」

 

「? 記憶にですか?」

 

「其れは意味不明ね。貴女の口によ。」

 

「どこなのです?」

 

「ここ。」

 

上唇の左端を、自らの唇に指差して教えてあげると…なぎさはぺろっと舌を一周、円を描くように唇を舐めて。

 

「んー!!」

 

と美味しそうに笑みを見せた。

 

「…続けるわ。…以前、きゅうべえに魔法少女の勧誘を受けたの。覚えているかしら?」

 

「覚えていますです!何だか梨花にはすごく力があるだとか…」

 

そう。幾度かきゅうべえに魔法少女契約を提案された事がある。

勿論、仲間達…そしてなぎさも魔法少女な為、そのシステムや契約内容は粗方把握している。

その上で…記憶を取り戻したい、と願おうかとも考えたけれど。

とても私には務まらない…もしかしたら、それを機に仲間との関係性が変わるかもしれない…ただただ、今の生活そのものには不憫は無い…そう考えを纏めて、保留を選んだ。

彼女達は凡そ、通常の暮らしを送る人間と比べると短命だと聞いているし…容易に乗れる提案ではない。

 

その際に聞いた、嘘か誠か…私にはとてつもない量の因果、というものがあるらしい。

良く理解はしていないけれど…つまり、魔法少女になると相当な力を手にする事ができるときゅうべえは話した。

 

胡散臭い彼の事だ。ミスリードを誘発し、事実は異なっていて…そしてそれを指摘したところで後からとぼけられてしまう、なんて未来も懸念できる。

 

けれど…その因果の話が本当だとしたら。

 

それは決して先天的に纏わりつくようなものではないと、言っていた。

 

私に一体、何が起こったと言うのだろうか。

 

「…過去を知る事ができれば、それも…きっと分かる気がするの。何より、私が誰なのか。何者なのか。…思い出さなければ、いけない。絶対にそう。忘れたまま生きていくのは、御免なの。」

 

暫くの沈黙。それはなぎさが懸命に考え続ける時間。そんななぎさの返事を待つ私がノンアルコールを得る時間。

 

「情報収集…本格的に手掛かりを探したいのですね!」

 

「えぇ。なぎさが良かったら…手伝って欲しい。」

 

「勿論なのです!…でも、その先に何があるのかわからない以上、覚悟はするべきなのです。」

 

いつになく真剣な表情。シュークリームを食べ終えたなぎさはティッシュで口元を拭いつつ、注意深く告げた。

 

「…えぇ。そもそも両親を亡くしているし…あまり素敵な過去ではないと、思っているわ。」

 

淡々と胸の内を明かした私に、なぎさは再び笑顔を向けて快諾してくれた。

 

「梨花の為なら朝飯前なのです!役に立てるかは分からないですが、頑張るのです!」

 

「ありがとう…なぎさ。」

 

とは言え、何から手をつけたらいいかわからない。

けれど…隈なく、先ずは私の生い立ちや家系について…"両親"に改めて聞いてみよう。

何なら…私には離さない、事実がもしかしたらあるかもしれない。

その時には…なぎさにこっそり聞いて貰おうかしら。

 

…仲間というものはやっぱり、何より大事なのだと。

実感しながら私は…もう一つ、シュークリームを与えてしまうのでした。

 

 



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愛情 【視点-古手梨花】

「お母さん、聞きたい事があるの。」

 

私の真剣で硬い表情を見て、台所にてテレビの音声に笑みを浮かべつつお皿を洗っていた"母"が…その手を止め、蛇口を捻って水を止めた。

 

「どうしたの。」

 

その面持ちは不安げと呼ぶべきか…危機感を得ていると言うべきか。

私の傍になぎさもわざわざ寄り添ってくれている為か、目を丸くしながら…只事ではないと感じているようで。

タオルで手を拭きつつ、私の目線に合わせて腰を屈めてくれる。

 

「私の事について、はっきり教えて欲しい。もっと…知っている全ての事を。」

 

ただならぬ雰囲気を察したのか。母は私達をつれてリビングへと向かった。

 

長くなりそうだし…と、ココアと、ぶどう酒モチーフのノンアルコールを両手に抱えて。

…優しい。

 

 

 

「先ず梨花のお家の話でもしようかな。」

 

…息を飲む。"母"の表情は朗らかないつもの性格らしくない、どこか覚悟を決めたような清々しさを漂わせる。

 

「あたしも然程、詳しくないけど。古手のお家は代々、巫女だか女王だかの家系だなんだってね。それは神聖なものとして扱われていたみたいで。あたし達も本家と繋がっていないもんだから、よくわからないんだけどさ。ほんとに。」

 

なんとなく聞いた話ではある。御三家と呼ばれていた…だとか、"両親"もよく分かっていないようだから、断片的ではあるけれど。

 

「っていうのもさ。梨花の…本当の両親も、直接的には繋がっていない筈なんだよ。あたしらが聞いた話だとね。」

 

…? 古手、と名がついていても…そういうものなのだろうか?

複雑だとは聞いていたけれど、いまいちピンと来ずに首を傾げていると。

 

 

「…だってね、古手の本家は約70年前に、災害だかなんだかで滅びてるらしいのさ。」

 

「…何?なぞなぞ…みたいだけれど…。」

 

滅びている家系の子…にしては私は余りにも幼い。

複雑とは言え、難解すぎる。

 

じゃあ、私は一体。

 

「…そうだねぇ…だから、古手という苗の家系はいない筈なんだよ。あ、関係ない古手さんならどこかに居るだろうけど。」

 

………遂には居ない筈の存在だと言うの?

…私は確かに、此処に居るのに。

 

「その辺がねぇ、曖昧なんだよ。…辛かったらごめんね。言いづらかったもんだからさ、中々言えなくて…それも、ごめん。先に謝っておくよ。」

 

「…何?…私は、覚悟…できてる。」

 

言葉が詰まる。得体の知れない動揺は段々と、私の手を汗で湿らせる。

なぎさが優しく…その手を握ってくれた。

息を飲んだ私の動揺に気付いたのだろうか。

 

「…梨花の両親も含めてさ。梨花の家系は皆…早死にしてるんだよ。…つまり梨花のおじいちゃん達も。…ひいおばあちゃんが、さっき言った災害で亡くなったんじゃないか…って言われてるんだけど、どうにも親戚もはっきりわかんないみたいでさ。ってのも語り継ぐ前に…若くしてお亡くなりになっちゃってるからだと思うんだ。何十年も経ってるし、風化するとは思うけど。」

 

淡々と語る母は、そこまで話すと…大丈夫?とだけ、問い掛けてくれた。

私は…無言で頷く事しか出来ずにいた。

 

「梨花の両親についてはね…悪い人達ではなかったよ。上品な人達で。…でも、梨花には当たりが厳しかったみたい。特に…そのお母さんはね。だからあたし達はなるべく、特に優しくしようって思って暮らしてるよ。…まぁ、元々優しいんだけどさ。ね、なぎさ。」

 

先程与えたシュークリームを頬張りながら、頷くなぎさ。

 

「ご両親が亡くなった子が居るって親戚中で連絡があってさ。近い家系とは言え、年に一回顔を合わせる程度さ。見舞いにだけは行っておこうって…行事がてら、梨花の入院する病院に向かった訳。…そしたら…記憶がないって言うし…引き取る家も決まってないだなんて言うんだよ。大人達は醜いもんさ。…それで梨花に何度も何度も会いに行くようになって…情かもしれないねぇ…私達は梨花を引き取りたい、って…思うようになった。周りからはかなり反対されたけどね。」

 

…今だけは、改めて感謝しなければならないと思った。

申し訳ない程に…私はこの"両親"に恩を着ている。

 

「だって話せば話す程、可愛いんだもの。…それに、やっぱり古手の血かねぇ。…とても神聖に思えたのさ。なんだかよく分からないけど、それはお父さんも感じていた。哀れな目に合わせてはいけない、って…不思議だよねぇ。」

 

…照れ臭い、けれど。涙が目頭から浮かび上がるのがわかる。

 

血も繋がっていない私を受け入れ、そして愛でてくれる事の希少さ、情の深さ。

 

私は幸運なんだと、改めて実感させられる。

 

「結果、梨花は良い子…ちょっと変な子だけど。賢くて賢くて。なぎさとも仲良くしてくれて。平穏ながら刺激的な毎日だよ。ね、なぎさ。」

 

「はいなのです!」

 

「だから。…ま、もっと慣れた頃にはちゃんとお母さんって呼んで。ちょっと気を使ってるの分かってんだよ?梨花!」

 

と…相変わらず清々しく名前を呼ぶ"母"はとても格好良かった。

 

 

「大した事は教えてあげられなかったけど。こんなもんだよ。気になる事はある?」

 

恩と感謝に満ちる私は…しばらく目を擦りながら。

 

「…私が住んでいた場所は…どこ?」

 

とだけ。聞いておいた。

 

「詳しい場所はわからないよ、直接家に行った事はないからさ。…ただ、鹿骨って言ってたよ。旧興宮?だったかね。」

 

「ありがとう。」

 

その後…"母"の想い出話や馴れ初め…なぎさとの思い出等を。時に談笑を交えながら…私は、どこか胸を締め付けられるような。

慈悲深い愛情に身を委ね…そして。

そろそろ寝る準備をしなくちゃね、と席を立った"母"に向かって

 

「ありがとうございます。」

 

と、深々と。今だけは敬意を前面に頭を下げた。

 

「…それが"ありがとうお母さぁん♡すきすき♡"になるまで、梨花をしっかり面倒みなくちゃね。」

 

そう告げる"母"は満面の笑みだった。

 

 

 

 

ーーー私はなぎさとの部屋に戻ると…すぐにスマホ内のメモに清書を始めた。

 

家系

女王

鹿骨

旧興宮

病院

災害

 

気になったワードの一覧だ。

…女王か何かと言われている家系。

何より大きな手掛かりは鹿骨、旧興宮という地名。

そして…家系を滅ぼした筈の、災害。

そこで本当に滅びたのなら、私は一体どの家系の者だと言うのだろう。

…そもそもそんな事を調べても、私が何者なのか…具体的にわかるのだろうか。

 

…例えその先に成果がなかったとしても。私は私の正体を知るために…動かない訳にはいかなかった。

 

そんな私を見てなぎさは

 

「程々にするのですよ!」

 

心配そうに…されど慰めるように。眉を下げながら案じてくれた。

 

「えぇ。…忘れないうちに書き留めておいただけ。少し調べたらすぐに寝るわ。おやすみなさい。」

 

きっと今の私の笑顔は…晴れやかだ。

 



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哀悼 【視点-古手梨花】

旧興宮。

 

鹿骨市鹿骨中央という区域の別称らしい。

 

何十年も前にその地名は変わって、鹿骨市内の地域は鹿骨北、鹿骨南…等、非常に分かりやすい地名になったみたい。

 

…旧興宮駅はローカル線かしら。此処からのアクセスを踏まえると新興宮駅行きになりそうね。

 

そんな事を考えながら…私はスマホ越しに興宮の街並や、施設情報。

土地柄を眺めていた。

 

けれど…やはり鹿骨、旧興宮…と分かっても。

 

私の家がわかる訳でもなくて。

 

うーん、と一息漏らしながら私はメモアプリを開いた。

 

…そうだ。災害。

 

災害が合った事が分かったとて、私の知りたい情報にはきっと辿り着けないだろうとは思う。

 

けれど…少しでも、何かを思い出すきっかけさえ、せめて。

 

そんな藁にもすがる懇願を抱きつつ、"鹿骨 災害"と調べてみた。

 

 

 

 

 

 

竜宮新聞社

 

雛見沢大災害から約70年…数々の不審点と消えぬ傷跡、鬼隠しの謎とは

 

1ヶ月前

 

 

 

 

雛見沢大災害。

 

…雛見沢。

 

その文字を確実に見たことがある。

 

「ひな、み、ざわ。」

 

音読してみると…なぎさが寝惚けて はい と返事した。

あなたは百江なぎさでしょう。

 

…多分。…いや、間違いない。

絶対だ。私は雛見沢という言葉を口にした事がある。

確信すら持てる。そのくらい、私はこの言葉に馴染みがある。

 

…少しだけ、何かに近付いた気がしたものだから…私はそのニュース記事を迷わず、タップした。

 

 

 

雛見沢大災害から約70年…数々の不審点と消えぬ傷跡、鬼隠しの謎とは

 

犠牲者約2000人、約70年前に発生した雛見沢ガス災害。

当時、駆けつけた自衛隊が目の当たりにした光景は、余りにも悲惨だったという。

山のように搬送車へ積まれた遺体、死後硬直によって異質な表情を浮かべたそれらに吐き気を催した隊員は少なくなかった。

 

それは鹿骨市雛見沢(現:鹿骨市鹿骨北)という寒村集落での出来事だった。

村人のほぼ全員が死亡し、唯一の生存者であった女子学生もまた、間も無くして死亡している。

 

(中略)

 

そんな大災害が恐れられた理由は他にもあった。

この地域では年に一度、綿流し祭という催し事が開かれていたのだが、その日に毎年、殺人事件が起こっていた。

その猟奇的かつ、未だ未解決の殺人事件は当時、鬼隠しなどと銘打ってメディアの興味を強く惹き…

 

(中略)

 

 

 

 

…私はこの事件を、知っている。

 

…知っている…!!

 

ドクン!ドクン!と胸が高鳴るのが分かる。

 

スマホを握る手がガクガクと震え…呼吸すらも荒くなる。

 

気が狂いそうだ。落ち着こうにも落ち着けない。

 

私は今"思い出している"

 

何を思い出しているのかは分からない。

 

けれど、確実だ。

 

"身に覚えがある"んだ…!!

 

漠然とした記憶の再起に冷や汗が止まらない。

 

これが動悸と呼ぶべき現象だろうか、私はとても平常とは思えない精神状態に陥っている。

 

分かる…!

 

鬼隠し

綿流し

雛見沢

大災害

殺人事件

 

心当たりがある。具体的には分からない。70年も前の事が何故思い当たるのか、分からない!

けれど、確実に!

私に深く関係しているんだ…!

そう、脳が警笛を鳴らしている!

 

 

 

 

雛見沢大災害から約70年…数々の不審点と消えぬ傷跡、鬼隠しの謎とは

 

そしてガス災害が起きた当日も"殺人事件"は起きていた。災害最中の事故とはとても言い難い現場だったと言う。

殺害現場は古手神社と呼ばれ、雛見沢の人々が崇め奉る聖なる場としての役割を担っていた。

その境内付近にて神社関係者の少女が腹部を著しく破損し、野鳥に貪られた見るも無残な姿で発見されたのだと言う。

とてもガスの仕業だとは思えない、明らかな殺人事件。その犯人や目的は70年経った今も判明しておらず…

 

 

 

 

 

 

ねぇ。

 

…古手、神社。

 

私の中の確信は、確定に近付きつつある。

 

この記事が本当なら…いや、仮に作り話だとしても。

 

私に。少なくとも古手には確実に関係している。

 

何より。古手神社関係者の殺害…それも災害と同時に。

 

…母に聞いた話だ。これだ。これだ!

 

これが私のひいおばあちゃんの死因に違いない!!

 

災害時に亡くなった、と言われているひいおばあちゃん…

きっとこの少女が…。

 

…少女。

 

若くして亡くなっている、とは聞いたけれど。

 

子供を産んでいなければ、勿論、代は続かない筈。

 

…?

 

確実に、確実に…関係ある筈なのに。

 

事実に辿り着けないもどかしさが私に焦燥感を与えていた。

 

少女にも関わらず、出産していた…?

 

其れは流石に考え辛い。冒涜的で、インモラルが過ぎる。

 

殺されたのはひいおばあちゃんに当たる訳ではない、と考えた方が辻褄が合う。

 

けれど…この災害で亡くなったのは恐らく、間違いないだろう。

 

私の家系的にも、先祖に神社の存在があっておかしくない。

 

寧ろしっくり来るくらいだ。

 

 

…行きたい。

 

古手神社を、見てみたい。

 

気付けば深夜12時を回っている。いつもならとっくに寝ている時間だ。

 

けれど…私はとても寝れるような状態ではない。

冴えきった目はギンギンに開き、脳はアドレナリンを噴き出している。

 

記憶が取り戻せるかもしれないんだもの。

 

もう少しだけ、夜更かしを許して欲しい。

 

そう考えながら…検索欄に古手神社と、入力しようとした矢先。

スマホの画面上部に現れたバナーと、振動。

 

夜遅いのに。

 

…美樹さやかから、メッセージが届いた。

 

"梨花、もう寝てるよね?ごめん!見る頃には朝かな。ちょっと話したい事があるから明日、別の所で一旦待ち合わせない?"

 

…急だった。

 

…現実に引き戻される。記憶は逸早く取り戻したいけれど、今、私には仲間だっている。そう焦らなくても、冷静に確実に情報を集めて分析していけばきっと、私なら記憶に辿り着ける筈だ。

大体、12時を過ぎても起きているのはマズい。

 

私はさやかからの連絡を機に、一先ずの中断を選択し。

 

"わかったけれど、何の話?"とだけ返して布団の中へ。

 

"起きてんの!?お子ちゃまの癖に!!会ったら話す!"

 

と自分から送ってきた癖に雑多な返事が返ってきたところで…アドレナリンが冷めてきたのか、私の瞼は段々と閉じられていくのでした。

 



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採光 【視点-美樹さやか】

「コーヒー飲めないんだ?やっぱりお子ちゃまだなぁ、梨花は。バニラフラペチーノ、抹茶フラペチーノもあるけど。どれにする?」

 

「苦いのは好きじゃないのです…ボクはアイスティーにするのです!」

 

昨日きゅうべえから聞いた言葉。

目の前の少女、古手梨花に纏わる膨大な因果。

彼が根も葉もない嘘をつくとは思えない。そんな生き物ではないのだ。

彼には感情がないらしい。目的の為にTODOをこなすだけのプログラムのような物。

その為に感情を利用する狡猾さを持っているけど、今となっては暁美ほむらの存在がある以上、出過ぎた嘘や詐称は行なってこない筈。

 

梨花の力は一体どれほどの物なのか。因果とやらを測る能がない私には知りようもない話だけど、もしその"膨大"さが暁美ほむらを上回る…いや、少なからず抵抗できる程度さえあれば。

彼女を仕留めるチャンスくらいは作れるかもしれない。

 

現状、マミさんや杏子、それになぎさは暁美ほむらの正体を知らないし…私の話をどれくらい鵜呑みにしてくれるかも分からない。そもそも…どんな戦いになるかさえ分からない状態だ。彼女達はキーパーソンには成り得ない。今のところは。

まどかはそもそも円環を引き裂かれた存在。彼女が魔法少女になってしまうと…いざ円環の女神と重ね合わせようとしても、上手くいかない可能性がある。その時、私には手立てが残されてないだろう。

 

すると…今の私にとって最も重要なのは、古手梨花。

 

その出で立ちも分からないのに、まどかやほむら同等の因果を持つとされている梨花が、今一番…気にしなきゃいけない存在。

 

けど。彼女もまた一人の人間だ。

そう易々と魔法少女になって一緒に戦え、とは提案できない。

それどころか…下手に魔法少女になると、暁美ほむらの標的になりかねない。

 

…難しい問題だけど。

 

結果的にまどかを再臨させることができれば、再び宇宙の改変が行われる筈。

その結果…私やなぎさはまず、円環の理に導かれる。

きっと、ほむらも。

マミさんや杏子はきっと、戦い続けているんだと思う。

 

でもその時、梨花がどうなるのかが分からない。

 

どうなるのか分からないのに、梨花に戦えだなんて…言えない。

 

だからこそ、彼女の事を知ろうと思った。

 

まどかの再臨、そして再改変を目指す私だからこそ、梨花が改変後にどうなるのか…大凡でも良い、知っておかなくちゃいけない。

 

そう、思った。

 

「さやか?はいなのです。さやか!」

 

「あ"!ごめんごめん。ありがと、梨花。」

 

「相変わらずぼーっと、しているのです。…話って何なのですか?気になっているのです。」

 

先に受け取ってくれていたらしい、私のバニラフラペチーノを差し出してくれた梨花は、呆然としていた私に向けて怪訝さを匂わせながら空席を探して辺りを見回す。

けれど、背が小さい為か視界が悪そうだ。背伸びをして頑張っている様子。

 

「まぁまぁ慌てなさんなって。梨花、あそこ空いてるよ。さっさと座っちゃお!」

 

「Go!なのです!」

 

走る素振りで手を振りながら、しっかり周りを気遣ってゆっくり歩く梨花。私もそれにつられて、歩幅を狭めて小刻みに早歩き。ひと時の戯れだ。

 

そのノリもすぐに終わり、二人は落ち着いて席に座り、私はバッグを膝上に。彼女はランドセルを椅子下の荷物置き用ネットに強引にねじ込んだ。

 

「昨日は眠れた?夜遅くに送ったから、起こしちゃったかもって…やらかしたーって思っててさ。」

 

「構いませんのです!ちょっと調べ物をしていただけなのです。にぱー…」

 

「調べ物?」

 

すぐに本題を切り出しても味気ないかと思って、昨夜…意外にもすぐに返事がきた事を思い出し紡ぐ。

すると梨花はどことなく苦笑を交えたような"にぱー"を見せた。

なんて事ない表情だけど、何となく引っかかってしまった。粗方宿題か何かの話かと思っていたけど。

問いかけ直すとあからさまに、彼女は困惑を示すように眉を下げた。

 

「えっと。後で話すのです!」

 

「え、なんかごめん!言いたくないなら無理にとは言わないよ?」

 

「…気が向いたら話すのです。」

 

気まずい雰囲気を予感して私は焦ったけど。彼女が言葉と言葉の間に置いた暫しの休符は、嫌悪や不快感ではなさそうで。

どちらかと言うと、迷い…のような。そんなニュアンスに見えた。

不思議な存在、古手梨花のことだから…もしかしたら何か抱えているのかも。

とは言え…今話すべきじゃないと、彼女が判断しているのだから無理に探るべきではないし。

そもそも私が話したいと切り出した側。多分、梨花はそれも兼ねて遠慮してるんだろう。

賢い子だ。

 

「んじゃ、あたしが先に話そうかな?って言ってもさ。大した話じゃないんだけど。」

 

「そうなのです。気になっているのです。さやかがボクと話したいだなんて。怪しいのです…」

 

そう言って梨花は目を細めて私をジト目に見つめる。

私は少女を誘拐する変質者じゃない。

 

「襲っちゃうのだー!」

 

「わぁー!」

 

明らかに怖くなさそうに驚いたフリをする梨花。

一頻りの茶番をさておき、私は切り出す。

 

「…手始めに。梨花の事をもっと知りたいんだよね。」

 

「? 急なのです。」

 

そりゃそうだ、急に知りたいだなんて…口説き文句みたいで滑稽だろう。

 

「ていうのもさ、あたしはある事をしようとしていて。それは詳しくは言えないんだけど…ルールを乱す奴が居るんだよ。本来在るべきものを破壊して、自分の思い通りにしたいが為に動く…嫌な奴。」

 

「…具体的に分からないと何とも言えないのです。」

 

「まぁまぁ聞いてよ。そんな悪者を正義の味方、さやかちゃんが一発!お見舞いしてあげよっかなーって考えてる訳。」

 

「喧嘩は良くないのです…」

 

梨花はよく分からない話を聞かされて首を傾げてはいるものの。

自分なりに何かを思考してくれているみたい。

眉をしかめながら私の目を見つめてくれている。

 

「だけどね。簡単な話でもなくて。それをやってしまうと…周りもやっぱり、変わっちゃうんだよね。もしかしたら、梨花も変わっちゃうかもしれない。」

 

私の言葉に反応して。梨花が咥えていたストローが…その中で吸い込まれる飲料の流れを止めた。

 

「その時、梨花がどう変わるのか分からないんだよ。あたし…梨花の詳しい事、あんまり知らないからさ。だから、それを実行する為に…もしくは、実行して良いのか、ダメなのか…考える為に。梨花の事を知りたいんだ。」

 

明らかに梨花はその表情を変えた。

ストローから唇を離し、両腕をテーブルに寝かせて置き。

私の目をじっと見つめている。

その梨花の目は…うん。絶対この子、私より年上でしょ…ってくらいに。

疑問、疑念、憶測、推測、真意を探り、其れが正か悪か見定める。

そんな…圧迫感すら漂わせる…眼差し。

 

暫く…その視姦にも近い眼差しに気圧され気味に見つめ返していると。

 

梨花は漸く唇を開いた。

 

その瞬間。

 

彼女の唇の動かし方、眼差し…つまるところ、面持ち。

手振り、仕草…何もかも。

少女の其れとは思えない立ち振る舞いに見えた。

 

 

 

「…私も。私の事を知りたいの。聞いてくれるかしら?さやか。」

 

 

 

やっぱり、この子は得体が知れない。

 

そして。その変貌した後の古手梨花は。

 

"悪魔"に似た何かを帯びていた。

 

「…聞かせて。梨花。」

 

何故だろう。

この胸の高鳴りは…彼女への畏怖と。

それ以上に何故か、期待を煽られていた。

 

悪魔と相対した時の様に。

 



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内情 【視点-古手梨花】

さやかの眼差しは、話すにつれて…鋭く、熱意のこもった其れだった。

 

抽象的ではあったけれど。何かを成し遂げようと模索するその口ぶりと、私にも関係している話…と聞かされた事。

 

そして、私の事が知りたいと…距離を詰めて来てくれた事。

 

彼女は真摯だ。

分かりやすいようで繊細。

単純なようで気難しい。

生真面目で、愛に深い。

 

特に彼女を深く知る訳でもないけれど、其れは日常から分かっていたことだ。

 

何をしようとしているのかは分からない。

だけど、自分を知ろうとする私にとって

彼女の告げる内容は、何処と無く魅力的だった。

 

何か得られるものがあるかもしれない。

 

何か知っているのかもしれない。

 

そんな希望と好奇心を与える言葉。

 

今の私は、私の関わる全ての話に貪欲で。

ギラギラとその探求欲を滾らせている。

 

彼女の張り詰めた空気感はきっと、その内容こそぼかしてはいるものの…魔法少女間の何かを指しているのだろう。

彼女達は私の因果とやらを把握しているのだろうか。

それもまた、不明瞭。

だけど…。もし魔法少女と私に、何かしらの結びつきがあるのだとしたら。…そもそもそんな奇特な存在に関わっている時点で、私には何か…魔法的な、異常事態が関わっているのではないかとすら思わざるを得ない。

私は不審な存在だ。記憶もなく、年齢不相応に不自然な精神構造。

…もしかしたら。と、さやかの面持ちを見て…期待をただただ煽られた。

 

それに、未だ魔法少女の皆には私の事情を話していなかった。

色眼鏡をかけられて、居場所を失うのは嫌だったから。

けれど、その浅はかで稚拙な思考回路は

彼女にはきっと無いだろう、そう…感じる。

 

「私には記憶がないの。」

 

「両親を亡くして。そのショックで記憶を無くしただなんて、診断されているわ。」

 

「解離性健忘。心因性記憶喪失。」

 

「だから、私も分からないの。」

 

彼女は目を丸くしたり、言葉の合間に息を飲んだり。

目を細めて、視線を泳がせたり。

 

「今も自分の事を調べているの。昨日の調べ物も其れね。…教えられる事なんて些細よ。」

 

「貴女達ももしかしたら、気付いているかもしれないけれど。"まるで子供じゃない"こと。記憶がないこと。なぎさの家に引き取られたこと。そこで大した不自由なく、生活していること。」

 

「…そのくらい。ごめんなさい、さやか。何も分からないの。」

 

「いや、ありがとう。辛い事を聞いたね。」

 

「気にしないで頂戴。自分から話したようなもの。」

 

さやかの表情は分かりやすい。

驚愕に始まり、動揺。

そして…何かを頻りに考えて、またいつものように呆然と。

思考に耽っているみたい。

 

申し訳なさそうに告げたその唇は物思いを示してぎゅっと、硬く閉じられている。

 

何を長々と考えているのだろう。

その身振りは、私の事情を聞いて困惑している訳では無さそうで。

まるで探偵よろしく、バニラフラペチーノへと視線を落とし、その容器の側面を指先でとんとん、と小刻みに叩いている。

 

 

「記憶は。」

 

唐突に。さやかが切り出す。

 

「何?」

 

急かす。彼女の口から何が告げられるのか、気になる。

 

 

 

 

 

「記憶は…いつから、無いの?両親を亡くした瞬間?」

 

 

 

 

 

 

私は思考を巡らせた。

 

私は病院で目が覚めて。

 

…うん、そうだ。

 

此処までは記憶はない。

 

病院で…えっと。

 

私は…

 

今の"両親"と何度か…

 

話した筈。

 

…話した記憶はある?

 

…この時点の記憶は?

 

…?

 

私は…退院した筈。

 

その時の記憶は?

 

…?

 

…どうやって百江家に?

 

引っ越しは?

 

どんな経路?

 

…。

 

此処も記憶に無いみたい。

 

正確に…記憶を開始したのはいつ?

 

…?

 

…なぎさの家。

 

なぎさの家で…百江家で。

 

宜しくお願いします、と。

 

そして…"両親"に迎え入れられた、記憶。

 

そこが私のスタート地点だ。

 

「…なぎさの家に来た瞬間、の筈。…でも、これ…」

 

「…それ、梨花の両親が亡くなってから時間が経ってる…よね?」

 

「…そうね。結構。…病院で目を覚ました筈なの。でも…記憶は、見滝原に来てからの記憶しか。」

 

「……………。」

 

それから二人は沈黙を続けた。

 

そういうもの、と言われれば仕方ない。

所謂、心因性記憶喪失の状態がじわじわと戻るのであれば。

…けれど。

 

「梨花が記憶を失った理由って。」

 

そう告げられて…ハッと息を呑む。

 

頭に強い衝撃を受けたかのよう。

 

胸に針が刺さったかのよう。

 

全身に電気を流されたかのよう。

 

 

 

 

「…本当に、両親を亡くしたせい?」

 

 

 

 

 

その通りに。

 

記憶を失ったキッカケと、私の記憶のスタート地点が…違う。

 

私の不審点だ。

 

ただただ平凡に暮らしていた。

 

記憶を失ったと、嘆いていた。

 

霧がかかったかのように、病院での出来事やその間の出来事が思い出せない自分が居た。

 

確かにその経験を経ている筈なのに。

 

両親を亡くした事が記憶喪失の原因ではない可能性。

 

其処に私は…非常に興味をそそられた。

 

何かの手掛かりのような気がしてならなかった。

 

そして…何より。

 

さやかの面持ちは…慈愛に満ちた、俯瞰の眼差しだった。

だが其処には多少の、困惑だろうか。

眉を下げ苦笑を交えるぎこちなさも伺える。

 

「…ねぇ、私の何かを知っているの?…これは…一体何だと言うの?」

 

「今はまだ、言わないでおくよ。…あ、梨花の事は何も分からないよ。でも、記憶を無くした原因は…もしかしたら。」

 

「教えて!お願い!」

 

私は必死だった。店内の喧騒に紛れてはいるものの、周囲の客は子供が騒いでいるなと言わんばかりに冷ややかな眼差しを此方へ向けた。

 

「…待って。…まだ、説明できない。説明できる頃に…ちゃんと言うから。」

 

…焦れったい!何を隠す事があると言うのだろうか。

そう言いたかったけれど、さやかの表情は真剣で…思い詰めていて、真っ直ぐで。

 

頑なだな、と感じさせられた私は…とりあえず落ち着く事にした。

かなり、不服だけれど。

 

「…待つわ。いつまで待ったらいいの。」

 

「うーん、多分あたし次第。」

 

腹が立つ。

 

「何か、魔法に関係する事?魔獣の仕業?」

 

「しーっ!違うからあんまり魔法だとか言わないでよ!」

 

せめてヒントでも。

そう焦る私にさやかが大人の対応。

確かに大声で魔法がなんだと真剣な顔で話していたら…私は気狂いだと思われるだろう。

 

「大丈夫。焦らないで。いつか教えなきゃいけないと、思うから。」

 

「…?…わかったわ…。」

 

何やら意味深な口ぶり。…彼女の問題と、私の問題はどこかで交差しているのだろうか。

教えてくれない理由すらも不明瞭で…もやもやとした気持ちは晴れなかったけれど。

新しい可能性を感じられただけで、一歩…進めた気がした。

 

きっと不満露わであろう私を見兼ねて…

 

「そろそろ行きますか。マミさんの家。」

 

そう告げながらさやかが席を立とうとした時。

 

 

 

「珍しい組み合わせね。」

 

さやかと同じ制服を着た、長い黒髪の女。

その耳元には紫に光沢を帯びたアクセサリー。

不気味に吊り上がった、口角。

 

…暁美ほむら。

 

彼女の目は、猟奇的だ。

 



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柴灯 【視点-美樹さやか】

梨花の記憶喪失の不審点。

 

両親を亡くしたショックで失われた記憶が、再始動したのは別のタイミング。

 

私の主観ではその理由に思い当たりがある。

 

というか…ほぼ確信的。

 

勿論、その情報は梨花の"正体"に直接繋がるものではないかもしれないけど…何かの手掛かりにはきっと、なり得る。

 

そんな事を考えながらも。梨花に今その事実を告げても、理解が得られるか不安だし、そもそも今伝えたところですぐに動ける訳でもないから、私の推測を伝えるのはまだにしておいたけど。

 

そろそろマミさんの家が恋しくて腰を上げると…聞こえてきたのは。

 

悪魔の声。

 

あぁ、気味が悪い。

 

気付けば暁美ほむらの使い魔が店中の隅にて、その不気味な容姿を蠢かせている。

 

…聞かれたみたい。

 

「引き裂かれたのは秩序かしら。それとも、後悔と犠牲かしら。」

 

そう告げた悪魔は、私を見下す。

あいも変わらず、憎悪を含んだ…ドス黒い瞳で。

さっき私が話した内容への言及だろう。…犠牲…か。

彼女にとってはそうかもしれない。

幸福な結末では無かったと思う。

それでも…今のこの世界は、イカれてる。

 

「引き裂かれた物が例え後悔や犠牲でも…。その犠牲の元に数多くの存在が、救われた。…あたしを含めて。その救いすらも…そして世界すらも台無しにする心算?」

 

睨む。

問い掛けても何の意味もない事は分かっている。

所詮単なる威嚇に過ぎない。

案の定、ほむらは鼻で笑いながら

 

「救う程の価値があるのかしら、世界に。」

 

と。この世界そのものを。

人類を。

生命を。

嘲笑い、侮辱し、憎悪し、冒涜する。

悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。悪魔。

 

悔しいんだ。

親友が選んだ尊い選択を…踏み躙って、破滅を招く…悪魔が、憎いんだ。

 

 

 

 

「喧嘩は止めるのです。」

 

 

 

 

 

…私は悔しさに震えていた。

…悪魔は私への卑下に浸っていた。

その間の静寂を見計らったかのように。

意外にも口を開いたのは梨花だった。

 

「あら。ごめんなさい。変な話をしてしまったわね。…貴女には関係のない話よ。」

 

隈と窶れの伺える目元は目尻を上げながら。

虚妄の笑みを築き梨花に向けられる。

 

 

 

 

「…なら、尚更。私の前でそんな話をすべきでは無かったわね。不愉快だわ。…ほむら。」

 

 

 

なんて空気なんだろう。

元はと言えば私とほむらが醸し出した筈だけど。

…梨花はほむらとは…面識こそあれど、殆ど会話した事はない関係の筈。

私達が目の前で夢中に訳の分からない話をした事がそんなに苛立ったのだろうか。

…それとも、思う節があったのか。

 

梨花はその辛辣な口調と共に。

…口角を上げ、ドス黒い瞳で。

悪魔を睨みつけた。

 

先入観からだろうか。

確かに膨大な因果を宿しているような。そんな、圧を醸し出す。

普通じゃ、ない。

 

「怖い顔。"まるで悪魔"ね。」

 

…告げる悪魔本人は、何を思ったのだろうか。

腰を前に折りつつ、梨花に顔を寄せながら。

梨花の顎を4本の指先で支え上げ、瞳を見据える。

 

暫しの対峙。

何故か私は蚊帳の外だ。

見つめ合う二人の間に、一体何が流れているのか。

私は鳥肌すら立てながら。呆然と見守っていた。

 

 

 

「にぱー!」

 

 

 

 

…唐突な満面の笑み。

狂気すら宿すその変貌。あからさまに"子供を演じた笑み"に目を丸くしてしまうのは、悪魔も私も同様らしい。

 

「ほむらはおままごとが上手なのです!楽しかったのですー!ところでさやか、マミの家に行くのです?ほむらも来るのです?」

 

「……………。」

 

流石の悪魔も無言だ。呆気に取られているのだろう。

とてもじゃないけど私もついていけていない。頭がおかしくなりそうだ。

 

「来ないのですか?寂しいのですー!それじゃあ、また会いましょうなのです!にぱー!」

 

そそくさとランドセルを荷物入れから引き出した梨花。

ネットがブチッ!と一部引きちぎれ、外側へ垂れている。

 

彼女なりに場を和ませようとしているのか。

はたまた刺々しいまでの皮肉と、受け取るべきだろうか。

どちらにせよ、梨花がほむらに苛立ちを抱いたのは間違いない。

 

私は確かに視認した。

あの目は…まともじゃない。

悪魔も、梨花も。

私には分かる、狂った対峙だったと。

 

私の手を勢い良く掴んだ梨花の手の平は。

この寒い季節にも関わらず、滲むような汗を帯びていた。

 

 



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恢弘 【視点-古手梨花】

「梨花!なんかムカついてる!?ごめん!」

 

コーヒー店から急ぎ足に抜け出した私は、さやかを連れて強引に早歩きを進めた。

釈然としない苛立ち。例え難い、戦慄。

暁美ほむらの眼差しは、私にそんなネガティブな感情を強く、強く…与えてくる。

 

「貴女じゃないわ、謝らないで。」

 

彼女の事は大して知らないし、関わりも薄い。

魔法少女ながら、さやかの一味と集団行動を取る事はなく、それどころか…小馬鹿にしたかのような、あの目で私達を見定める。

他の魔法少女が言うには彼女はとてつもなく強いらしいけれど。

そんな事はどうでもいい。

私はあの目が嫌いだ。

他者を見下し、信用せず、憎み、蔑むような。

殺意にも似た、濁りを極めた眼。

 

…私とよく似た眼。

 

卑下と嘲笑を含んだ眼差しを向けられた、安直な苛立ちは勿論。

その眼差しの粗悪を、鏡のように自覚させられて、自分の擦り切れた醜悪さを目の当たりにさせられるような。突きつけられたような。

…不愉快な、眼。

 

「どうしちゃったの?」

 

漸く脚を止めた私に、気遣うようなさやかの声は少々上擦っている。

 

「…貴女が"一発お見舞いしたい"のは、彼女ね。」

 

「…………。」

 

この沈黙は肯定と見做すべきだろう。

 

「何故かも分からないし、それが正しいかも勿論、分からないわ。けど、私も同じ気持ち。あくまで私的な感情だけれど。何の話かさえ掴めない、でも…貴女達の間にある絶対的な亀裂ははよく伝わった。」

 

あくまで感情的な意見だ。

内容も分からなければ口を挟む術がない。

個人的に。独善的に。思考を開示しただけの時間。

 

「私みたいね、彼女。…醜い。」

 

「…さぁ?梨花の事はまだよくわからないよ。何とも言えないかな。ここだけの話、アイツは大嫌い!だけどね。」

 

私の苛立つ理由をどことなく察したのか。

はたまたとりあえずは落ち着けと言いたいのか。

いずれにせよ、私の頭をぽんぽんと、優しくあやすさやかの手は暖かい。

 

「人の陰口なんて良くないかもしれないけどさ。…でも、梨花があたしの肩を持ってくれるのは、嬉しい。ありがと。」

 

…別に貴女の肩を持ちたくて苛立ったのではないわ。

と、口に出すとからかわれてしまう未来が見えた。

 

 

「…改めて、私の事が知りたい?」

 

「え?うん。知りたいっていうか、知らなきゃいけない。」

 

「………。」

 

変わりたい。

暁美ほむらのような醜悪な眼差しを、もうしたくない。

周囲を見下し、呆れ、俯瞰し、そして…信用もできずに自信を失う自分は改めて、嫌いだ。

その為にも私は…辿り着きたい。

本当の自分に。

 

「私も物凄く、知りたいの。」

 

完全に信じ切っている訳ではないけれど。

美樹さやかの事は尊敬している。

親しみやすい先輩として。

戦いに身を投じる魔法少女として。

 

「利害が一致しましたなーっ?」

 

…私が切り出す前に、察したのだろうか。

さやかは私の頭に手を置いたまま、腰を折りつつ歯を見せて笑みを向けて。その顔を寄せる。

 

「…手伝ってくれる?」

 

「役に立てるかは分からないけど、出来る限りは。ま、これでもあたし…正義の魔法少女だし?」

 

…いつもはヘラヘラしてる癖に。時々、彼女が見せる慈愛は…格好良い。

 

「この美樹さやかが!お守りしましょう、お姫様。」

 

その笑みは、夕暮れの猩々緋を浴び。

彼女の頬に差す陽と影は、

どんなストロボよりも、煌びやかに思えた。

 

「ありがとう。」

 

ここ最近の私は、人に感謝をしてばかりだ。

 

 

 

「昨日調べていた事を話しても良いかしら。」

 

「うん、聞かせて。」

 

夕焼けに染まる通路の傍に、点々と設置された街灯が…その光を点け始める。

 

「私が元々住んでいたとされる場所を"母"から聞いたの。」

 

さやかが左手にぶら下げて持っていたバッグを右手に持ち替えると、彼女の肩の影が私の顔を差す夕陽を一瞬、遮った。

 

「鹿骨、旧興宮…今は鹿骨中央と言うみたい。」

 

「聞いたことないなぁ。」

 

「その鹿骨市と言う場所で…昔、災害があったの。…いや、厳密には…災害と、連続殺人事件。」

 

遠くで子供達の騒ぐ喧騒が聞こえる。

公園でもあるのだろうか。賑やかな騒ぎ声。

 

「…雛見沢ガス災害。…雛見沢連続怪死事件。はたまた、鬼隠し。そんな風に呼ばれているみたい。」

 

「物騒だね。怖い話?」

 

一々茶化す彼女の癖も、今は悪くない。

もう、とだけ一言挟んで。

 

「その連続怪死事件は綿流しのお祭りという行事の晩に。毎年誰かが死に、誰かが消える…という内容ね。その事件の最後に当る殺人の現場の名前が。」

 

顔向きは変わらぬものの、その目線が横目に向けられた。

 

「古手神社。」

 

「…ふーん?」

 

さやかの表情は驚き、というよりは…面白そうと言わんばかり。

その感嘆詞は無関心を示すものではなく、話の続きを待ち侘びるもの。

 

「それと…私には記憶が無い上に、一連の事件は70年程前。なのに…凄く"身に覚えがある"の。雛見沢。ガス災害。鬼隠し。綿流し。絶対に聞いた事があるわ。関わった事があるとすら、言える気がする。」

 

「…70年前なのに?」

 

「えぇ、おかしな事を言っていると思うのも…無理はないわ。私の主観の話だから、伝えようもないけれど。でも、言い切れる。私は其れを知ってる筈なの。」

 

難しそうに眉をしかめながら。

さやかは暫く遠くを見つめ。

そして。

 

「あんたの事だから、あたしは梨花を信じるしかないかな。」

 

恐らく疑念も過ったのだろう。

それを振り払ったかのように、私に顔を向けて言ってくれた。

 

「ありがとう。」

 

もうすぐでマミの家に辿り着く。

その前に。

 

「…行きたいの。」

 

「…えーっと、ひな?」

 

「雛見沢。今は…鹿骨北、と言うみたいだけれど。…それと、特に古手神社に行きたいわ。」

 

「ひなみざわ、ね。…面白そう!旅行なんて小学校の修学旅行以来行ってなかったよー。久しぶりだわぁ!」

 

「旅行では無いけれど…。…来るつもり?」

 

「え?行かなきゃお守りできないじゃんか。」

 

誘うつもりが、既にその気だったなんて。

彼女らしくて…漸く私は笑みを取り戻した。

 

「なんか青春って感じだねー!」

 

「遊びに行く訳では無いのだけれど。」

 

巴マミ宅に辿り着く頃には、暁美ほむらと対峙した際に私を襲った不快感が、どこかへ息を潜めていた。

 

…仲間。

 

その言葉の意味を何となく、改めて…知れた気がする。

 

いや。思い出せた…と言うべきなのかもしれない。

 

遠くに茂る街路樹から、ひぐらしのなく音色が微かに聞こえたような気がした。

 

 



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解錠 【視点-古手梨花】

朝陽が昇り間も無くして。

 

厚い手袋を以ってしても顔に伝うは冷たい寒風。

 

先程まで抱いていた眠気もどこかへ消え去り、暖かだったペットボトルの紅茶はいつの間にかぬるく。

 

かつて飲み込んだ際に体内を通る熱さは失われていた。

 

 

記憶喪失、そして…私自身が誰なのか探している事を、さやかに伝えてから数日経つ。

なるべく早くに鹿骨へ行きたいと、焦る気持ちを露わに思いを告げると彼女は、土日月で2泊3日を提案してくれた。

…月曜日はサボる、という事になるけれど。

彼女曰く、一日くらいいいでしょ!との事だ。

私も特に学校は好きではない…というか、どちらかと言うと嫌いだ。

 

一日休んででも記憶を僅かでも取り戻せる可能性が上がるなら。

彼女が其れで良いと言うのだから、私は感謝を告げて付き合って貰う事にした。

 

それから今日まで。できる範囲での調べ物はしてみたものの、現在の鹿骨市の情報にはイマイチピンと来なくて。

アクセス情報や小規模な商業施設に関しての物ばかり。特に目ぼしい情報は見つからなかった。

70年前の情報は勿論、あの記事くらいしか詳細はなくて…。強いて言うなればやはり、古手神社の記事に書かれていた物々しい情報くらいだろうか。

かつて祭具殿と呼ばれ、儀式行事に使う神具が保管されていた…だとか。神社なのだから、そういった側面もあるだろうとは予想できる。

 

気になったのは、"オヤシロ様"なるものが祀られていたらしい事。

この単語もまた、私の心を揺さぶる何かである事は間違いなかった。

 

とは言え70年前に滅んだ地区だ。

オンライン上にも情報が少なく、鹿骨市全体も過疎化が進んでいるようで情報不足な印象を持った。

 

兎にも角にも、直接出向かなければ大きな釣果は得られない。

そう感じつつ私は"両親"、なぎさにも伝えた。

 

鹿骨に行きたいと。

 

不安そうに。そして行くなら私達も…と心配を募らせていたけれど。

…もし、記憶が判明した時…その記憶が余りにも凄惨、あるいは醜悪だったら。

その傍らに"両親"は居て欲しくない。

私の口から打ち明けるまで、保留できるようにしたい。

その懸念を正直に告げる事で、納得を得た。

さやかの付き添いもある、と告げると幾分安堵の笑みを浮かべつつ。

その後日には母は鹿骨警察署の電話番号と、スタンガン、防犯ブザーに鹿骨地区の地図を用意してくれた。

何から何まで世話をかけてしまって申し訳なさを感じつつ、この上ない程の感謝をひたすらに告げて。

 

そして今日。車での送迎まで面倒を見てもらった。

ありがとう、と何度言っても足りなかった。

そんな"両親"のお陰で、脚を運ぶ日が漸く来たのだけれど。

 

"10分遅れる"

 

余裕のないそのメッセージは無論、さやかからだ。

 

そして今、待ち合わせ時間から15分経過した。

 

アクセスが悪く、鹿骨から雛見沢までも距離があるそうなので早く出ようと纏めた筈だけれど。

少し、早過ぎただろうか。

 

「ごめん!お待たせしました!」

 

ハァハァと息を荒げながらホームに走り込んできたさやか。

…走ってきたの?

 

「構わないわ。にぱー。」

 

私は満面の笑みを作…らずに。

寒さに凍えて硬い表情のまま にぱー を与える。

 

「…遺言書かなきゃ。」

 

粗方寝坊でもしたのだろう。大した時間でも無いし、乗り換えの都合上見滝原を出る時間が遅れても最終的に乗る便は変わらない。

一部ギリギリだから、急がなくてはならなくなるけれど。

 

実際は大して怒っていない。

さやかは宿を調べて予約してくれたり、私に付き合ってくれる身でありながら尽力してくれた。

 

私が貴女を許しましょう。

 

 

 

ーーー乗り換えるに連れて少なくなる乗客。

それに伴い車窓から伺える景色の緑と白が増える。

 

「すっご。建物ないよこの辺り。」

 

「そうね、不便そうだわ。」

 

などと会話を挟みつつ、私もなんだかんだで旅行気分で。

持ってきたお菓子をいくつか摘みながら、さやかと交換して味を比べたり、佐倉杏子のプライベートを聞き出したり。

遅れた罰として車内飲料を奢らせたり。

楽しい時間を過ごした…けれど。

 

新興宮駅へ着く時刻が近付くにつれ、そわそわと。落ち着かない自分が居た。

不安、期待、怖い、楽しみ。

複雑に絡み合う喜怒哀楽が私を混乱と焦燥に導いていた。

すると、ぐったりと背凭れに身体を預け目を閉じて仮眠に身を投じていたさやかが目を開け、時刻を確認し。

 

「大丈夫だよ。」

 

と…曖昧な言葉を放った。

 

「何が?」

 

私はそわそわしていた自分が恥ずかしくなり、普段通りを気取ったけれど

 

「…なんでもないよ。」

 

見透かしていると言わんばかりに年上の余裕を見せつけ微笑む彼女は、より一層…私の恥ずかしい感情を煽った。

 

ーーー"次は新興宮 新興宮"

 

小さくドキッと胸が高鳴った。

 

本当に乗客は少なくて。私達以外は殆ど居ないと言える。

 

降り立ったホームもちらほらと人影はあるものの、見滝原周辺の駅とは比べ物にならない。

 

改札を抜けて駅構内から出ると見えた街並みは

 

どこか古臭くて、未発展な印象。

 

建物の彩りは総じて淡く、その背丈も小さい。

 

少し歩けば 鹿骨中央1丁目 と書かれた標識が目に付いた。

 

「ここが鹿骨かー。レトロって感じだね。」

 

「そうね。見滝原とは大違いだわ。」

 

「うっわ!こうやって見るとやっぱ…少なッ。」

 

さやかが少ないと驚きながら見つめていたのはバス停の時刻表。

鹿骨北停留所行き。

1日に3本。…圧巻だ。

…とは言え、その停留所は厳密には鹿骨中央内だ。

鹿骨北エリアはガス災害後、数十年閉鎖されており、ガスが引き危険性が失われてからも暫くは立ち入り禁止だった。

そしてそれが解かれたのも10年程前らしく。

現在では完全なる廃村、人は誰一人として住んでいないとのこと。

つまり…鹿骨北に用がある人間はほぼ居ない。強いて挙げるなら役所関係者や区域管理の関係者くらいだろう。

1日に3本でも仕方ない。

 

…そして、鹿骨北…勿論、古手神社までのアクセスは、ない。

 

スクワットでもしておけば良かっただろうか。

 

…バスが来るまで30分だ。さやかの遅刻があっても尚、前倒しにスケジューリングし過ぎただろうか。

バスの間隔が空きすぎる為、余裕をもって置きたかったけれど…。

いざ30分を待つ時が来ると、少し面倒さを感じた。

 

「…いいね、人が居ないのも。」

 

ベンチに座るさやかがその両手を座位置に置いて。

右脚を左の太腿に組めば、立ったままスマホを眺めていた私に顔を向けて問い掛ける。

 

「そうね。嫌いじゃないわ。」

 

鹿骨北停留所から古手神社があるであろう位置の距離をマップで測る。

…中々。それも、恐らく誰かが管理してはいるであろう区域とは言え長い間放られた場所だ。

整備された道のりとは言い切れない。

 

「これから三日間、ほむらの顔を見なくて済むって思ったら…心が凄い軽いわぁー。」

 

ただの険悪な仲であればこの言葉は、醜く陰湿に聞こえただろう。

彼女と暁美ほむらの関係性は、単なる不仲では無いのだと思い知らされた…先日の出来事が瞬間、頭に横切る。

 

「悪魔だなんて、言われてしまったわ。」

 

私と似たような目の癖に。

 

「………。ね。」

 

あぁ、フォローは無し。

その点に関してはさやかも同感みたい。

…そうね、認める。

 

退屈に30分を過ごすのも大変。

スマホを一旦仕舞った私は側にある自販機へ向かい、自分用のホットココアと…さやかの為のホットミルクセーキを購入し。

片方を、手渡した。

 

「さっき、奢らせてしまったから。」

 

「…え。遅刻の罰では…?」

 

「…ミルクセーキは嫌いなのですっ…?」

 

私は便利なシステムを作ったものだ。

こうして年相応を気取り上目遣いになれば誰もが言うことを聞く。

 

「怖。」

 

…そうでもないみたい。

 

そんな馴れ合いに興じながら…私はさやかの隣に座る。

両手でホットココアの缶を持ち暖を取りながら。

待ちくたびれたさやかの吐息が白い煙となって、寒気の中で漂い消える。

 

「見滝原より全っ然寒いね。」

 

「北上したようなものだから。当たり前だわ。」

 

「ミルクセーキ様々だわー。」

 

その後、敢えてだろうか。

私達は記憶の話…暁美ほむらの話、古手神社の話。

それらには、触れなかった。

 

 

 

「…来たね。やっとだよー…。待ちくたびれたってーのー!」

 

「バスの中は暖かいかしら。」

 

鹿骨北停留所行き。

 

…もうすぐだわ。

 

もうすぐ。

 

 



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祭場 【視点-古手梨花】

私達をここまで運んできたバスが車庫へと駐車する為に、バックの音声を鳴らしている。

 

バスの暖房に慣れてしまった身体は外に出た途端、寒村地域の冷たい風に鳥肌を立てた。

 

「さっむいなぁ…」

 

「仕方ないわ。何なら此処で待ってる?」

 

「…何も無さすぎて地獄だよ。地の果てまでお守りしましょう、お姫様。」

 

辺りはこの小さな停留所以外、何もない。

雑木林、剥がれた狭いコンクリート道。

停留所も人が居ないのだろうか、恐らくバスの運転手さん一人しか今のところ居なさそうだ。

 

古手神社の位置情報はどうにか確認できたものの、徒歩での経路は途中、不明だ。

というのも、マップ上において鹿骨北は廃村。一部の道しか認識されていないようで。途切れている箇所が何箇所もある。

 

「…行きましょう。」

 

「ん。」

 

先程までは度々言葉を挟み、談話に耽りつつ窓から景色を眺めていたというのに。

私もさやかも、バスを降りた途端から口数が減った。

…私は、どこか息の詰まるような緊張感のせいで。

さやかは、単純に寒いのか。はたまた私の様子に合わせているのか。

それとも、歩くのが面倒で億劫になっているのか。

 

収穫がなくたって、良いとすら思える。

古手と名のつく神社を訪れるだけでも幾分、自分の中で何かが変わるような気がする。

そんな希望と…不安は相変わらずで。

 

勿論、だらだらと歩く訳にもいかない。

街灯等もある訳が無いし、この季節は陽の沈みが早い。

帰れなくなったら…廃村で野宿だ。

隣の騎士様は魔法少女とは言え、頼りない。

 

せかせかと歩み始めた私に…さやかが問いかけた。

 

「…どんな結果が待っていても、後悔しない?」

 

「…分からないわ。けれど、後悔する結果になっても…私は構わない。」

 

「今よりもっと、苦しくなるとしても?」

 

「えぇ。」

 

さやかの目元が見えない。

その前髪が俯き気味の目元を覆い隠す。

 

「…どうしたの、改まって。私はもう後戻りはできない。する気も無いわ。」

 

「…いやさ。」

 

さやかは笑みを取り戻しつつ、応えた。

その笑みはどこか。

…哀しそうに。

 

「そうやって真実を求めた結果、絶望に身を委ねたヤツが居たなぁ…って。思い出してさ。」

 

「…その結果、あたしは救えなかったどころか…裏切られて。でも、アイツはきっと裏切るだとか…そんな風に考えてすら無かったんだろうなぁ。」

 

「やっぱ馬鹿だわ。あたし。…そんな事を思い出してるとさ…もしかしたら梨花も」

 

「心配ないわ。」

 

さやかの手を、握り締めた。

強く。強く。

 

「寒いわね。カイロ代わりに使わせて頂戴。」

 

彼女は繊細だ。

 

奔放を気取っているけれど。

 

「…ありがと。」

 

…カイロにされてそんなに嬉しいの?

 

握り締めたさやかの手が僅かに。

ぎゅ、と強められて…握り返してきた。

 

やはり頼りない騎士様だ。

貴女と其の裏切り者…まぁ、粗方誰だか予想はつくけれど。

其の間に何があったか、未だ教えられていないのだから。

其処には口を挟まないけれど、明言できるわ。

絶対に裏切ったりしない。

する訳がない。

一応これでも、信じているんだから。

貴女も私を信じてくれないかしら。

 

…だなんて言えなくて、手を握り続けるに留めておいた。

 

道のりは段々と木々や雑草が目立ち始める。

 

かつては白い塗装のガードレールだったのだろうか、錆びに錆びた柵状の物が道路の傍に目立つ。

鳥の鳴き声、木々を揺らす風。

ひび割れたコンクリートが小さな瓦礫のよう。

倒れた電柱や何も描かれていない朽ちた看板。

 

「痕跡は未だ残っているわね。」

 

「ね。…不気味。」

 

そこそこに角度のついた坂道は私達の脚に負担を与える。

 

暫く歩けばその通路らしきものの塗装がなくなり、土が靴を汚す。

左右から伸びた草がはみ出して、行く手を阻みたがっているようで。

 

さやかの言う通りに不気味な…かつて人里ではあったものの、今は忘れ去られたかのように朽ちたその光景は、不穏な空気にすら思えた。

 

…遠くに川のせせらぎだろうか。

水の流れるような音色が微かに聞こえる。

 

歩みを進めるにつれて。

 

その音が…近くなる。

 

あれは。

 

「梨花!水車だよ!回ってるわー…」

 

「………えぇ。」

 

何十年もの刻を経ても尚、川の流れに身を任せて回り続けていたのだろうか。

緩やかに回転し続けている水車が水飛沫を小さく立てて、波紋を起こす。

 

…眺めれば眺める程。

 

胸の奥がざわつくのは、何故だろう。

 

「…悲しい場所だね。」

 

「そうね。村人が全員、亡くなった場所だもの。」

 

「そりゃそっか。」

 

二人で見つめる水車は。

繰り返し、繰り返し、何度も何度も…廻っている。

廻っている。

 

少々歩みを止めて眺めていたけれど。

 

「…これじゃ観光だよ。まだ遠いんでしょ?行こ。」

 

「あぁ…ごめんなさい。」

 

いつの間にか離されていたさやかの手が、私の肩をぽん、と叩いた。

夢心地のような。呆然とした意識からふと立ち直り、私は彼女の隣へ再度歩む。

 

拓けた道の左右には点々と、古びた家屋の残骸が見受けられる。

骨組みこそ残っているものの、蔓や草に蝕まれていた。

 

程なくして…その家屋の残骸も段々と減ってきた頃。

 

遠方にて白がかった山が目立つ。

広めの更地と、その傍にある大きめのプレハブじみた造形。

 

ざわめきが増す。

 

「なんか広いスペースだね。何だったんだろう、コレ。」

 

「…少し見ても構わないかしら。」

 

「…お。うん。」

 

この土だらけのスペースと、家屋に比べると一回り大きい建造物は

景色の中で一際目立っていたけれど。

何より、私は…。

 

私はつい最近まで。

 

ここに居たような、気がして。

 

何故だろう。

 

此処は賑やかな場所だったような。

 

気がする。

 

漠然と。

 

歩み寄る足元には雑草が茂る。

 

その建造物は間近で見れば見る程に、懐かしい。

 

…その玄関と思わしき場所に近付く。

 

「気をつけて。」

 

さやかが注意を促しながら、気味悪がって腰を引き。

怪訝そうにその建造物の入り口に近付く。

 

「なんか書いてるね。」

 

かつては戸があったのだろうか、大きく口を開いた入り口の傍に…表札じみた長方形の板。

 

二人で其処に書いてあった文字列を、読み上げる。

 

 

 

 

 

「雛見沢分校」

 

 

 

 

 

「へぇー、分校だって。」

 

「梨花?」

 

 

 

 

 

内装を眺める。

 

階段は崩れ

 

所々に草が生え

 

下足入れだろうか、いくつかが穴開きになったまま…錆びついて赤茶色を帯びている。

 

ガラス片や土、石に混ざって下足入れのドアにあたる部分が、数枚落ちている。

 

シューズだろうか。

 

茶色に染まった数足が乱雑に、散らばっている。

 

数十年の時を経て朽ちたせいでもあるだろう。

 

それに加えて野鳥が遊んだ形跡として、羽根がところどころに見受けられる。

 

殆どは埃を被っていて…その色合いは全体的に茶色と灰色。

 

「さやか。」

 

「ん。」

 

「…危ないから、其処に居て。」

 

「っえ?ちょ、ちょっと梨花…危ないって。」

 

抑えられない。

唯成らぬざわめき。

頭の中でぐるぐると、この光景の本来の姿をイメージしている。

確か、もっと。

階段は手すりが、あって。

えっと。

 

中に入るのは危ないと、分かっていても。

 

探究心とも呼び難い、得体の知れない衝動が滾る。

 

「慎重にね。」

 

さやかが心配しながらも側についてきてくれている。

天井が崩れでもしたらひとたまりもない。

それでも。

 

ガラス片を靴で踏み付けると、ぱりん、かちゃっ…と不愉快な音。

 

…ただ単に中を調べたいだけじゃない。

 

あの下足入れが。

 

異常なまでに気になる。

 

大股に一歩ずつ、バランスを崩さないように…何かの瓦礫や破片を踏み付けながら。

 

一直線に下足入れに向かう。

 

 

此処だ。

 

ある一つの箇所が、どうしても気になるんだ。

 

その箇所はノブが外れて閉まったまま。

 

開けようとしても摘む所がない。

 

「さやか。顔を背けて頂戴。叩くわ。」

 

「叩く?此れを?」

 

「えぇ、多分…反動で開くわ。」

 

「…開けたいんだね、わかった。」

 

そう告げて、顔を背けたさやかは自らの両手で臨時マスクを象る。

 

私も…目を細めながら、顔を背け。

左腕を鼻と口に押し当てつつ、右手を強く握り。

 

ガンッ!と。

 

右手の側面を下足入れの扉に叩きつけた。

 

「ッ、けほっ!けほっ!」

 

「ッ、ちょ、やば、けほっ!」

 

案の定、勢い良く…尋常ではない量の埃が舞い散る。

 

暫く二人で咳込み、片手を振って埃を退けながら…お互いに腰を軽く折って苦しんでいた。

 

それでも確認できた音。ギィ、と音を軋ませて開いた下足入れの扉。

 

埃と錆びの香りが鼻をついて不愉快。

 

「けほっ…………。」

 

小さく咳込みながら…恐る恐る中を覗き見る。

ネズミでも出てきたらびっくりしてしまうから。

 

…その中には、埃を被った上履きがあった。

 

動悸が私を襲う。

 

咳き込んだせいではない。

 

"見覚えがある"

 

小さめの上履き。

 

当然、汚れに汚れて燻んでいるけれど…そんな事もどうでも良くなる程に。

私はその上履きに興味を強く惹かれている。

躊躇はなく。ゆっくりとその上履きのかかと部分に指を忍ばせ、左と右の両方を指先で摘み。

 

そして、下足入れから取り出す。

 

先端は…赤だ。

 

埃を払ってしかと確認する。

 

間違いなく赤色だ。

 

そして。カビついて茶色に染まり汚れたかかと部分を…指先で幾度か擦る。

汚れてしまったって構わない。

 

擦る、擦る。幾十年の汚れは伊達じゃなく、頑固にこびりついている。

 

剥がれていく汚れの中から、現れた文字は。

 

 

 

 

 

 

 

左足に

 

"ふるで"

 

右足に

 

"りか"

 

 

確かに、そう書いてある。

 

 



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斎場 【視点-古手梨花】

 

何故だろう。

 

私の名前が書いてあるのは。

 

そのボロボロに、穢れきった上履きは

 

何を示しているのだろう。

 

この土地に私が関係している事自体…直感的な予測だと言うのに。

 

 

 

心の何処かで願っていた。

 

私の過去は何の苦難もなく

 

平凡に日常を過ごした結果

 

両親を亡くしてしまった、単なる一つの不幸に過ぎないのではないかと。

 

その影響で人格に異常を障しただけに過ぎず、私は只の平凡な人間なのではないかと。

 

そう、少しだけ…願っていた。

 

私の中の不安は、これだ。

 

知ってしまった時に、何か耐えられないような、悲しい出来事を思い出すのではないかと…懸念していた。

 

それでも、記憶が欲しかった。

 

覚悟した筈だった。

 

外を風の音がびゅう、と駆り立てるように響く。

 

「梨花…これって…」

 

さやかの声に応じる気力すら、ない。

 

明確に私の脳内に、海馬に、記憶に…データそのものが蘇ったわけではないけれど。

 

雛見沢、綿流し、オヤシロ様、雛見沢連続怪死事件、雛見沢ガス災害。

 

そして上履きが示す

 

"ふるで りか"。

 

どうして胸が苦しいんだろう。

 

どうしてこんなに締め付けられるんだろう。

 

どうしてこんなに

 

愛おしいんだろう。

 

ごめんね。

 

ごめんね。

 

ごめんね。

 

悪臭すら放つカビだらけの上履きを私は抱き締めた。

 

この胸へ、この腕の中に。

 

地面へと膝をつき屈む。

 

きっと私の足のサイズと同じだ。

 

確かめなくても、解る。

 

私のものだ。

 

きっと、苦しかっただろう。

 

きっと、悲しかっただろう。

 

きっと、悔しかっただろう。

 

きっと、怖かっただろう。

 

「梨花。どうして、泣いているの?」

 

「わからないわ。」

 

この事象の正体が掴めていないにも関わらず

 

私の感情は溢れんばかりの無念と懺悔に苛まれ、涙を流す。

 

 

 

 

押し寄せる感情を一頻り、静かに零しきって。

 

私はそのシューズを自前のタオルに包んでバッグに詰めた。

 

今や、たくさんの死者が出たこの土地を不穏に思わない。

 

私は間違いなく、此処に居たのだから。

 

 

 

 

 

 

「びっくりしたよ、急に…泣き始めるんだから。」

 

「ごめんなさい。」

 

「…何か、思い出せた?」

 

さやかは空を見上げながら。

その声色は母性を掲げて包容を感じさせる。

 

「いいえ。けれど…あれはきっと、私のもの。」

 

「…そっか。」

 

私ですら自分の言っている言葉の意味がわからないと思うけれど…尚更、彼女はわからないと思うけれど。

それでも彼女は思考を巡らせて暫しの間を置いてから、一言だけ返す。

 

「私は此処に居た、ということだと思うの。」

 

「70年前に?」

 

「…えぇ。」

 

「ふーん?」

 

仮に逆の立場だとしても、私が同じような事を言われたら…同じ反応をしていたと思う。

 

寧ろ、私も分かっていない。

 

「…一歩前進、かな。大きな手掛かりだよ。幸先いいんじゃない?」

 

意外にも彼女は私の言葉をいとも簡単に受け止めて。

至極前向きな言葉を私に投げかけた。

 

その意図は単なる励ましだろうか、それとも。

 

 

不思議なものだ。

 

先程までは見知らぬ土地と認識していた筈が、いざこうして…此処に私は居たのだと考え始めると。

どこか見慣れているかのような。故郷に戻ってきたかのような、そんな感傷すら抱かされる。

懐かしい景色、朽ち果てた故郷。

その姿は人々の死をもって退廃しきっていても尚、愛おしい。

 

分校だった廃墟を後にしてから暫く歩き続けた私達は、段々と鬱蒼と茂る林道を経てから…再び、広く拓けた道へと抜けた。

辺りに家屋の跡が段々と見え始める。

恐らくこの辺りに、古手神社への入口がある筈。

 

其処に何が待ち受けているだろうか、はたまた何も無いのだろうか。

 

私は静かに口を閉じつつ、注意深く荒れ果てた地面や周囲を観察する。

 

すると遠目に見えた大きな岩のモニュメント。

いや、きっとあれは鳥居と呼ぶべき。

 

「鳥居だわ。」

 

「…此処だね。長かったー…ヘトヘトだわ、あたし。」

 

「もう一息よ、頑張れる?」

 

「あ"ぁー…もちろん!」

 

色気のない疲弊を漂わせながらもさやかは両手で頬をぱふっ、と軽く叩いて気合を入れる。

近づくにつれて其の神社への入口が見えると。

 

「…梨花。」

 

唐突にさやかはその眉を寄せて顔を顰めた。

声色もまた切迫を思わせる低めの端的な口調。

 

遠目に神社と思わしき大きめの建造物が在るけれど。

入口と思わしき辺りの木々と草むらは茫々と生い茂り、そして…鎖とKEEP OUTの黄色いテープが何重にも張り巡らされている。

 

…明らかに異様な光景と危険を漂わせる場。

ガスの心配は流石に無いと思うけれど。

現に異臭等は全く感じない。

 

「バレやしないわ。行きましょう?」

 

「…違う。」

 

此処まで来て、私は引き下がれない。

立ち入り禁止区域だとして、万が一バレて怒られてしまうとしても、それでもこの中を知りたい。

そう思い強行突破を図ろうとするも。

 

「…此処、瘴気に満ちてる。しかも…此処だけだよ。まるで神社だと分かってて集まってるみたい。」

 

瘴気。

 

彼女達魔法少女の口から時折発せられる言葉だ。

 

彼女達の戦う魔獣とやらが放つものらしい。

 

瘴気を辿って彼女達は魔獣を索敵する。

 

魔獣というものは、そもそも人々の呪いが具現化し、生者を脅かす存在。

 

…確かにこの雛見沢に集っていてもおかしくはないのかもしれない。

 

「そんなに、一箇所に集まるものなのかしら。」

 

「…どうだろ。意味深な湧き方だけど。」

 

…私には魔獣と戦う術なんて、勿論ない。

 

単身で乗り込めばきっと、危害を与えられ…生きては帰られないかもしれない。

そう思うと背筋が凍る。

一際強く鼓動が高鳴り、顔が強張ってしまっている。

 

自分の為にさやかに戦いを強いるのは…心が痛む。

 

それに私を守りながらの戦いになるのだろう。

 

その負担は、戦いを知らない私にとって測り得ないものだ。

 

「どうする?あたしはやれるよ。」

 

大きく息を吸い吐きしたさやかの身体を光沢が包み込み、その足先から頭部までを煌びやかに閃光したかと思えば…彼女は騎士の持つそれのようなサーベルを手に。

魔法少女へと変貌を遂げていた。

 

「此処に記憶があるかもしれないんでしょ?…ビビってても仕方ないよ、梨花。」

 

「…けれど…貴女に戦わせても、私は足手まといだわ…」

 

思わず俯く。

自分の無力さと身勝手さが醜い。

 

「…あのさ。」

 

けれど、そんな私とは彼女は違った。

 

「守るって言ったじゃん?お姫様。」

 

私に向けられた笑顔はとてつもなく眩しくて。

この禍々しささえ漂う死の村に差す一筋の光は、余りにも優しくて、強くて、綺麗な其れだった。

 

「さ、行こ?」

 

差し伸べられた彼女の手を恐る恐る握ると。

 

私の手よりも幾分、暖かかった。

 

怖くない訳ではないけれど。

 

私は彼女の強さを信じ、そして…其処に確かに何かがあるのだと希望を強く抱いて。

彼女が鎖とテープを切り裂くなり、その間を掻い潜って…向かった。

 

古手神社へと。

 



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泥濘 【視点-美樹さやか】

 

その瘴気の濃さは、見滝原よりも濃ゆくさえ感じた。

 

今の私にとって、勝てない数では無いとは思うけど。今回の戦いは梨花を守りつつと成るだろう。

 

上手く立ち回れるだろうか、彼女に怪我の一つもさせたくはない。

 

梨花は着実に自らの記憶に関するヒントを手にし始めているんだ、此処で怪我でもさせてしまえば元も子もない。

…粗方、彼女の記憶が失われたキッカケについては予想はついている。

勿論、其のキッカケが分かろうと分からずとも、私も彼女もやる事は同じだ。

結局は記憶の中身が本題なのだから。

 

…かつて、此処に居た。

 

そう、梨花は話していた。

 

にわかには信じ難いけど、私は似たような存在を知っている。

 

時を何度も遡り、一人の為に膨大な時間と労力を費やした愚かな魔法少女を。

 

そして、悪魔を。

 

梨花がそもそもどういう存在なのか、何処で何を経て見滝原に存在しているのか、それを知らないから何とも言い難いけど、悪魔の叛逆なる改編を機に梨花の記憶喪失や時間軸のズレが発生したと考えれば腑に落ちる。

 

問題は何故、梨花なのか。

 

それと…その記憶の果てに、梨花は手を貸してくれるのか。

 

…今はただ、彼女の記憶を追いかけるしか無さそうだ。

 

その為にはこの正義の騎士様がお守りしなくては! っと。

 

暫く木々と草むらを歩めばそこには、朽ちながらも荘厳と聳える神社、間近に見る鳥居は思ったより大きい。

 

微かに茂みの中に確認できる石畳は、そこに足を乗せればガタガタと揺れて不安定に緩んだ土の中で傾く。

 

そして其の神社を取り囲むように湧く、禍々しい瘴気を纏った魔獣達。

 

「…居るね。やっぱり蹴ちらさなくちゃ調べれなさそう。」

 

「…気をつけて。私には何も出来ないわ。」

 

「あたしに任せて。その辺りに居てくれれば、戦い易いかも。」

 

私は梨花を鳥居の付近に留まるように促す。彼女は息を呑み、ゆっくりと後退りしつつ見守ってくれるようだ。

此方に気付いた魔獣達が、徐に顔を向けつつ歩み寄ってくる。

その内のいくつかが触手を蠢かせ始めた。

早速仕掛ける心算だね。

 

「今のあたしに敵うかな?魔獣さんっ!」

 

生憎、円環を経た私は単なる魔法少女より幾分、戦闘に長けている。

運の尽きだね、魔獣め。

 

先に仕掛けられる前に私が先手を取るべきだ。

素早さには自信がある。

 

あくまで後方はしっかり意識しつつ、私は魔獣の懐へ潜る。

一閃、二閃、三閃。

まるで魔獣なんて、スローモーションだ。機敏な私は素早くその剣を薙ぎ、横へ両断。次いで側の魔獣へと駆けては縦断、漸く周りを囲もうと動く魔獣に対し、回転を交えて一気に蹴散らす。

 

「連携が足りないんじゃないのっ!?」

 

続けて前方から群がって飛び掛かって来る魔獣達。

其の戦術は余りに短絡的。後方へ距離を取る為、空中に身体を投げ出せば脚を空へ向けて宙を返る。一回転した後に片膝と片手にて地面へ着地しては其処から幾つもの剣が地に刺さった状態で私を囲んだ。

 

その剣の柄を持つなり、一直線に投げる。右手、左手、右手、左手。

さながら舞うように、次々と魔獣へ向けて飛翔する剣達が其の禍々しい身体を貫き…、剣が無くなりかけては再度補填。

ハイペースに数を減らせている、このまま終わらせてしまえ。

 

とは言え、一筋縄ではいかないようだ。一部の魔獣達が触手を此方に飛ばして応戦を企てる。

 

けれど、私には見える。この程度の速さなら捌ききる事など造作もない。

 

補填した剣の一つを掴めば、きっと見守る梨花には視認すら出来ないであろう素早さにて。

目にも留まらぬ剣戟が粉々に散らした触手達がその場で砕けて消滅する。

 

叶うなら、この場を退けて欲しいけど。魔獣にそんな交渉は勿論意味を成さない訳で。

 

魔獣達の攻め手を華麗に排除する正義の切っ先は容赦なく、彼らの数を減らしていく。

 

だけど。

 

不意に聴こえてきたのは、言葉。

 

魔獣達の喚き声は散々聞いてきた筈。

 

其れはきっと何の意味も為さず、私達魔法少女にとって聞く価値のない、音。

 

…其の筈。

 

それなのに何故だろう。

 

彼らの言葉だけは、意味を持っているような。

 

そんな気がして、瞬間、手が止まった。

 

其れを見計らったかのように、奥に忍んでいた魔獣達が頭部に閃光を帯び、砲台の様な形状を浮かび上がらせる。

 

…もしかして、前線は此奴らを守る為の囮だった?

 

まずい。アレが光線だとすると後方まで守りきれないかもしれない。

 

「梨花!逃げて!やばいかも!!」

 

咄嗟に叫びながら私は奴らに一気に剣を投げつける。

 

一陣、二陣、三陣、四陣…間に合うだろうか。

 

後方を確認する余裕がない!

 

「…さやか!そいつ等…っ!!」

 

鬼気迫った声色だ。何を感じたのかは分からないけど、とにかく剣を放つ他ない!

 

幾つもの斬撃を投擲するも、砲台を浮かべた魔獣達がその閃光をより一層強めた瞬間。

 

眩しい程のフラッシュを帯びた赤黒い光線が一直線に此方へ向かってくる!

 

…梨花!

 

…私には治癒能力がある。

 

痛みも消せる、傷も治せる。

 

…梨花を守る事が、何より先決!

 

瞬間的な私の判断は、後方の梨花へと駆け寄りその背のマントを広げ。其処に魔力を賭しつつ、梨花の身体を覆うようにぎゅっと強く抱き締める事だった。

 

「くっ………ッ!!」

 

頼むから、持って…!

 

シールドの要領でマントはどうにか光線を防ぎつつも段々と其の光輝を失い赤黒く呪いの力に染まりゆく。

 

意地でも梨花は守らなくちゃ!

そう、強く決心すると共に、マントが剥がれても自らの身体にて梨花を守ろう、その為には痛みをも覚悟しなくてはと。

強く強く、梨花を抱き締める刹那。

 

私達を襲っていた光線が唐突に。

 

此方を避けるように二手に分かれて…擦り抜けていく。

 

「何…?!」

 

眩くも邪な呪いの閃光の中、私が横目に見つめた後方には。

 

…手だ。

 

いや、正確にはそのものは見えないけど。

 

明らかに、閃光を穿つ一点には手の形が浮かび上がり、私達を守るようにしてその箇所から光線を大きく分けていた。

 

「…………ッ?!」

 

其の得体の知れない現象に驚愕せざるを得ないものの、現にこの現象は私達に味方している。

何だかよくわからないけど、何かが…私達に付いてくれている!

 

一頻りの光線が放たれ白煙を噴き上げる一帯。

其れは此方の反撃のチャンスを示すものだ。

 

「…梨花!大丈夫ッ!?」

 

「えぇ!」

 

「よし!終わらせてくるッ!」

 

瞬間の隙も見逃せない。またアレを撃たれてはたまったものではないから。

此処で一気に畳み掛けて、仕留める!

 

突進の如く駆け抜け魔獣達の元へ。先程の攻撃はきっと渾身の一撃だったのだろう、動きが一層鈍い!

 

「トドメっ!」

 

次々と繰り出す斬撃、弾け飛ぶ彼らの四肢。

風を切り、空を唸る。

そして最後の4体に向けて一直線に、左から右へと…一閃!

 

 

 

 

 

 

 

 

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…ッ!?

 

 

 

 

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なんだ…?

 

…喋っているの?

 

 

 

 

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………!

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

…ッ。

 

 

 

魔獣達が何を告げたのかは、分からないけれど。

 

どうしてだろう。

 

泣いているように、聞こえた。

 

 

 

「…ごめんね。」

 

 

 

魔獣に同情するだなんて、私もヤキが回ったかな。

 

それでも、彼らもまた、元は人々の呪いから産まれたもの。

 

…私は一言だけ。

 

一言だけ、謝っておいた。

 

魔獣相手に胸を締め付けられるなんて初めてで。

 

何とも言えない罪悪感に苛まれるも。

 

吹き抜ける強い風が…勢い良く私達の頬を撫でた。

 

まるで慰めるかのように。

 

見守るかのように。

 

 

 

「…一時はどうなる事かと思ったよ。…怖い思いをさせちゃったね、ごめん…梨花。」

 

「とんでもないわ。ありがとう…。」

 

そう告げる梨花は安堵の表情ではなく。

 

どこか神妙そうな。釈然としない眼差しだ。

 

「どうかしたの?どこか怪我でもしちゃった?」

 

心配になり思わず問いかけるも、彼女は首を横に振り。

 

「…貴女一人じゃ、なかったような気がして。」

 

懸念を抱いた眼差しにて見つめてくる。

 

「…多分、あたし一人じゃなかったよ。それ以外は何も分からないけどね。」

 

…魔獣の攻撃から私達を守ってくれたあの…"手"。

 

其処には何も無かった筈なのに、明らかに手の形が光線を受け止め、弾くように退けていた。

 

…雛見沢はやっぱり、不思議で、神聖で、恐ろしい場所だ。

 

梨花にとっても、私にとっても。

 

「…もしかしたら、神様かもね?梨花がいい子だから守ってくれたのかな。なんて。」

 

そう、誤魔化すように不可解な現象を纏めようとしたけど。

 

「…そうね。」

 

梨花は意外にもそれを肯定し、

 

 

「オヤシロ様が見てくれていたのかも、しれないわね。」

 

と、付け足した。

 

空を見上げた梨花は…何かに思いを馳せるかのように。

木々のせせらぎにでも耳を傾けているのだろうか。目を閉じ暫く黙り込んだ後。

徐に私の顔を見つめ、

 

「仮にそうなら、お礼を言わなければいけないわね。」

 

其の笑顔は…どこか苦しそうで。

 

けれど…清々しそうでもあった。

 



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酩酊 【視点-古手梨花】

 

廃れたホテルだ。ベッドや家具の類は綺麗に整えてはあるものの、壁は何処となく色褪せており古びている。

窓から見える街並みも灯こそ伺えど、まばらな印象。

壁に埋め込まれたテレビモニターはさやかがチャンネルを変えた為、余り興味の湧かないバラエティ番組を騒がしく鳴らしている。

 

「えー?そんな訳ないっしょー。」

 

くだらない検証企画に対して、彼女はソファに横になり肘をつきながらお煎餅を口にした。

 

バリ、バリ。気味良く軽快に煎餅を砕く音は私の食欲をかきたてる。

 

 

あの後、私達は暫く神社の敷地内を見て回ったものの、建物内には施錠がかかっており入れず。流石に其の錠までも破壊する事は出来ずに。日が暮れる前に帰路を辿った。

 

誰か…いや"何か"に守られた経験は私の心を抉るような。安堵だけを与えてくれる出来事ではなく。

 

けれど。私は確実に雛見沢と関係があり、そして…大切な何かを忘れていて。其れが何なのかは未だ、漠然としているけれど、僅かながら其れに近付いているのだと実感はできる。

 

…きっと、辛いんだろう。

 

それらを知ってしまうと。

 

思い出してしまうと。

 

…此の思考は私に溜息を及ぼす。

そう結論づけては一旦の休息として。ベッドに腰掛けていた私はさやかの寝転がるソファのすぐ前に在るテーブルへ手を伸ばし、煎餅を手に取れば口へ運ぶ。

 

バリッ!バリッ!

 

思い切り噛み砕く。固めのお煎餅が歯に割られ弾けんばかりにその塩加減を味覚に与える。

 

演技じみた笑い声がテレビから流れる中、さやかと私はバリバリと咀嚼音を立てた。

 

そろそろ、汗を流したい。

 

散々歩いてくたくたに疲れてしまって、こうしてダラダラと部屋で過ごしているけれど。

汗にベタついたまま寝転がるのは、きっと不快だ。

 

「くだらないわ。」

 

どうせなら…美味しいものや美しいものが見たい。はたまた、物語であれば想像の余地もあり、楽しめるのだけれど。

 

「梨花は相変わらずだね。これとかは?これは?」

 

砕いた煎餅を口に含みながらもごもごと。

彼女がいくつかチャンネルを回して提案する。

 

「…此れがいいわ。」

 

あぁ、美味しそうだ。

ステーキ。

頬が緩む。

 

「うぁー、お腹空いちゃって見てらんないわ…」

 

「…そうね。ステーキにしましょう。」

 

「…晩御飯の話?」

 

「えぇ。」

 

早く、食べたい。

 

その為には早く温泉に向かわなくては。

 

「お風呂に行きましょう。煎餅でお腹を満たしていては勿体無いわ。」

 

「案外、食いしん坊だね。梨花って。子供っぽくて安心した。」

 

「…食欲に年齢は関係ないわ。」

 

恥ずかしいような気がしたけれど、仕方ない。

あれだけ動いてお腹が空かない訳もない。お昼ご飯も食べずに山登りをしたようなもの。

 

そそくさと着替えとタオル、化粧水等の類を持ち支度をする私を見兼ねて、さやかはテレビを消し、後を追うように支度を始める。

 

「ま、梨花とのお泊まりデートも早々無いことなんだし。贅沢させて貰いますかーっ!」

 

其の単語に少しの羞恥心を感じたけれど、何故か私は。

 

「そうね。」

 

とだけ、告げた。

 

今思えば、こうして友人と二人きりで生活、寝泊りをするのは初めての経験だ。半日の事かもしれないけれど。

 

…でも、ワクワクするような。

 

…どこか、懐かしいような。

 

そんな気がした。

 

 

 

 

 

「どうだった?今日という一日は。」

 

やはり然程人影はない。

 

利用する客層もきっと男性が多いのだろう。

 

湯船に浸かる私達の周りには誰もいない。遠目にシャワーを浴びる人影こそあれど。

 

「…私は雛見沢に。…あの分校に居たわ。きっと、という他ならないけれど。確信的ね。」

 

さやかは両手を岩場に広げ、後頭部を其の岩にあてがい斜め上に視線を泳がせながら。

 

「余計に訳分かんないってーの。」

 

と、半笑い気味に呟いた。

 

「奇遇ね。私もなの。」

 

「アンタが言い出した事でしょうに。」

 

そう言われても。私の曖昧な記憶の断片は余りにも不明瞭なものだから。

と、口に出して告げずとも彼女は理解してくれているだろうと感じる。

 

「…水車や、分校。古手神社も。…何故か懐かしかったの。凄く。」

 

「…へえ?」

 

「他には特に。…断片的過ぎて結びつかないわ。」

 

「ま、明日もあることだしさ?慌てなさんなって。」

 

横目に見つめる彼女は次に、目を閉じながら湯船の心地よさを噛み締めつつ、私の肩に手を軽くぽん、と置いた。

 

明日は鹿骨に関するデータが多数在るとされている資料館へ向かう。

 

…恐らく、ガス災害や鬼隠しに関しても具体的な事が分かると思う。

 

其処に私が望む内容があれば良いけれど。

 

…まぁ、古手神社の出来事だけでもお腹いっぱいな位だ。

 

特に何も得られなくとも、及第点だろうか。

 

 

 

 

「強いて言うなら。…あの魔獣達は…。いいえ、なんでも無いわ。」

 

 

 

 

徐に告げた言葉にさやかの手がぴくっ、と小さく跳ねる。

 

 

 

 

「…泣いてたね。」

 

 

 

「…やっ、ぱり、そうなのね。」

 

 

 

あぁ、さやかもそう感じたのなら。

 

きっと泣いていたのだろう。

 

魔獣の知識は浅いけれど、彼らは泣いているように。

 

嘆いているように、見えた。

 

深い、深い、森の奥で。

 

彼らもまた辛かったのだろうか。

 

人々の呪いはあそこまで、残酷に、永く、苦しく、残留してしまうものなのだろうか。

 

そして、何故私は彼らを見て

 

恐れや嫌悪よりも強く

 

慕うような。

 

憧れのような。

 

そして、罪悪感のような。

 

そんな微睡みを感じてしまったのだろうか。

 

其の正体が何なのか分からなくても。

 

私は彼らに

 

何か、酷い事をしたんじゃないかと。

 

…そう、謝らなければいけないのではないかと。

 

ごめんなさい、ごめんなさいと。

 

その文字列が離れない。

 

 

 

 

 

「いつまでも呪ってるのはさ。…多分、苦しい筈だよ。」

 

何を察したのだろうか、僅かな沈黙を経てさやかが口を開けば、浴場内の残響にて微量、余韻を残す。

 

「苦しい侭、呪い続けるよりも。其れを忘れて潔く眠った方がきっと、救われるって。」

 

そう告げる彼女は目を開いて天井を見据えた。

 

「勿論、そう考えない奴も居るけどさー。」

 

其の表情は、無表情と形容する他無かった。

 

「アンタももしかしたら、忘れた侭の方が良いのかもね。…っあはは。梨花は、一度決めたらブレないか。」

 

「何が言いたいの?」

 

その言葉はどこか不穏に聞こえる。

 

「…さぁ?あたしには何が良いとか悪いとか、結局の所わかんないや。意地になってるだけなのかも。」

 

「…?」

 

やけにセンチメンタルに。彼女は目を細め、思考に耽りつつ天井に呟く。

 

具体性のない話だ。

 

けれど、私は。

 

彼女の言葉に耳を傾けておこうと、湯船の水面にて映る灯を見つめた。

 

「…でも、梨花は裏切らないって言ってくれたし。…例え裏切られても私がやらなくちゃいけない事は変わらないんだしっ!」

 

バシャッ!

 

唐突に立ち上がるさやかにぶちまけられたお湯が顔にかかる。

 

目を閉じるけれど、特に身体を跳ねたりはせずに済んだ。

 

目元を指先で拭き上げ、再び瞼を開けると。

 

「どんな記憶であっても、どんな過去であっても。あたしは梨花を救ってみせる。悪魔になんて、ならないで済むように。」

 

独り言のように告げる彼女が、此方に手を差し伸べる。キリッと締まる眼差し。水面が反射する灯に頬が揺られてより一層、煌びやかだ。

 

「大事な仲間だからね。」

 

相変わらずマイペースに言葉を紡ぐ彼女が、何の話をしているのか結局わからなかったけれど。

 

その全貌が見えなくても。

 

私が抱く絶望や不安なんてきっと、彼女なら。

 

 

 

 

金魚掬いの網のように、軽くぶち破ってくれそうな。

 

そんな不確かな確信を抱かせてくれた。

 

「そうして頂戴、正義の騎士様。」

 

差し出された其の手の平に、私は指を揃えて手を預ける。

 

お風呂で暖まったせいか、はたまた。

 

彼女の手の平はとても、熱い。

 

 



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生命 【視点-古手梨花】

 

鹿骨歴史資料館。

 

田舎町にしてはやけに大きく、其の造形も立派に煉瓦仕立てで物々しい。

けれど、人の出入りはやはり少ないようだ。入場口には特に客の影は伺えない。

受付に佇む中年の男性は物珍しそうに私達を見て。

 

「何処から来たんだい。」

 

そう、嗄れた声で訛りを滲ませつつ、告げた。

 

「見滝原です。」

 

さやかが告げると、その男性はどこか嬉しそうに。

 

「都会の方だねぇ。どうしてまた此処に。社会勉強かい?」

 

と、笑みを見せながら告げる。

 

「ボクは…まぁ、そんな所なのです。」

 

さやかがすぐに答えなかった1秒間の沈黙を経て私は口を開いた。

 

「そうかい、偉いね。ゆっくり見ていっておくれ。…気分が悪くなったりしたら、声をかけてくれて構わないよ。」

 

男性は眉を下げながら優しく、"忠告"してくれた。

 

その口ぶりから察するに、楽しい場所とは決して言えないだろう。

寧ろ。

 

入場した私達は案内マップを前に佇む。

 

「広そうね。順路になっているようだし、せっかくの機会だわ。全体を回りましょう。」

 

「オッケー。…静かだね、此処も。」

 

「そうね。観光客なんて、余り居なさそうだもの。」

 

声のトーンを落とし気遣いながら会話をしても、微かに残響する。

その声に混じり、二人の足音がこん、こん…と館内に響く。

地元の人間が訪れるような場所でもない。かと言って観光客も中々居ないのだろう。

 

恐らく二人きりの館内は、恐ろしい程に寂寞を纏い。

まるで誰も寄せ付けたくないとでも言わんばかりだ。

 

傍らには江戸時代の書物や刀等が飾られてある。

甲冑がガラス越しに此方を見つめているようで、落ち着かない。

 

其れ等にも勿論、趣はあれど、目的ではない。

一瞥する様に眺めつつ、其のゆっくりとした二人の歩みは進み往く。

 

「…なんだか、様相が変わってきたね。…あ、ねぇ…梨花。オヤシロ様だって。…何々…?ふんふん。」

 

さやかが足を止めつつ指を指したのは祭具殿なるものに保管されていたらしい、鍬や神楽鈴。

いわゆる神具であろうか。

 

其のガラスに貼り付けられた説明パネルによると、古手神社に存在していた祭具殿に保管されていた物らしい。

 

…やはり、どこか懐かしく。

 

まるで私も扱ったことがあるかのような、錯覚。

 

古手の血筋故だろうか。

 

恐らくかなり古い物であろうにも関わらず、損壊は特に見受けられない。メンテナンスがしっかり成されているのだろうか。

 

じっくりと隈無く観察してしまう私を尻目に、さやかは沈黙を経て他の箇所にも目を向ける。

 

「…此れ。あたしも、なんか知ってる。…アイアンメイデン、だっけ。怖…。」

 

彼女が見つめる其の拷問具は、仏を象ったようなフォルムの箱だ。

人が入れる程度の大きさで、内側には針が無数に敷き詰められており、その扉を閉めると同時に中の人間を損壊するように設計されている。

 

「…道理で、あの男性が心配する訳ね。」

 

其のグロテスクな説明文に苦笑する私達は、案外…まじまじと其の造形を眺めていた。

 

続けて歩みを進める。

只ならぬ雰囲気を感じながら。

此処には凄惨な歴史が飾られてある事をしかと、覚悟して。

 

次いで私達の目を奪った一角には

 

 

雛見沢連続怪死事件

 

 

と書かれている。

 

 

未だに犯人不明の連続怪死事件について。

其の具体的な内容こそ余り記述はされていないものの、鬼隠しという逸話との関連性についてが言及されていた。

 

誰かが死に、誰かが消える。

 

其の胡散臭く気味の悪い事件はやはりどこか聞き覚えがある。

 

ざわざわと、胸の奥で蠢かれるような、気味の悪さを帯びて。

 

「…実際に起きた事だもんね。…単純に馬鹿馬鹿しいって、言えない所がまた…。…怖。」

 

目を細めてにわかには信じ難いと言わんばかりに、怪訝を漂わせるさやかが其の文字列に飽きたのか、歩み始めるも。

 

「…あぁ、ごめん。もう少し読んでたい?」

 

奔放ながらも細かな気遣いを見せる其の愛嬌に。

私は彼女に信頼を置いているのだと、改めて気付かされる。

 

「ありがとう。大丈夫よ。」

 

けれど、わざわざ口に出す程、私は愛嬌が良くない。

…今は。

 

その理由は視界の先に見える一室と、その入口上部の壁に貼り付けられた文字列。

 

 

雛見沢大災害

 

 

…私が欲しい情報があるとするならば。

 

恐らく、此処だろう。

 

私の先祖が関係している、災害。

 

…私が居た…と思われる、雛見沢を消滅させた、原因。

 

分校の中で見た上履きを思い出す。

 

ふるで りか。

 

私があの場所に居た事を示す証。

 

「行きましょう。」

 

「ん。」

 

相変わらず静寂に包まれた館内は、私達を取り囲み監視しているかのようにすら、感じられた。

 

 

「…ッ、酷い…。」

 

さやかが嗚咽交じりに漏らす。

 

ブルーシートに覆われた人型。

 

トラックの荷台に詰め込まれた、大量の遺体。

 

遺体と遺体の隙間からはみ出す、機能を失った他の遺体の腕。

 

死後硬直だろうか、不自然に手指を歪にしたまま虚空を見つめる、"元"有機物。

 

蝿に集られた、液体に汚れた遺体と思われる鎖骨から胸元にかけて。

 

そんな、見るに耐えない凄惨な…生命の終焉達が、写真として…残されていた。

 

 

 

…苦しかった、だろう。

 

…怖かった、だろう。

 

そう、彼らの瀬戸際を想像しただけで…頭が重くなり。

 

胸を抉るように、悲痛を与えられる。

 

きっと。

 

きっと…私に関係する人間も。

 

否、もしかしたらこの写真の何処かに。

 

…思考を巡らせれば巡らせる程に。

 

無力を思い知らされる。

 

確実に、私に関係している筈なのに。

 

彼らを、忘れている。

 

忘れてはいけない筈なのに。

 

忘れている。

 

…私は。

 

罪人だ。

 

何分、その写真を眺めていただろうか。

 

気が遠くなるような。心の中に広く風穴が開いたかのような。

 

この感情は。

 

虚無と、罪悪感だ。

 

 

 

 

「梨花。」

 

私の頬をさやかが指で拭う。

 

その感触は湿り気を帯びていた。

 

 

 

「…ごめんなさい。」

 

告げた謝罪は。

 

さやかにでもあり。

 

彼らにでもある。

 

それ以上、視線を写真に向けても…私は心を締め付けるばかりかと。

そう考えては次に目を向ける。頭の中で、凄惨な写真が未だ…こびりついている。

 

…あぁ。

 

 

 

雛見沢大災害 被災者一覧

 

 

 

散々、覚悟を決めているつもりだったけれど。

 

やはり、いざ目の当たりにすると…躊躇が過ぎる。

 

後戻りできないような、気がして。

 

それでも。

 

思い出さなくてはならない。

 

少しでも彼らの事を思い出したい。

 

知りたい。

 

そして、自分が何者か。

 

其れに近付く為には、避けては通れない。

 

其の無機質な文面に、私は目を向けた。

 

戦うように。

 

敵を見据えるかのように。

 

 

 

 

 

 

富竹ジロウ(本名不明)

昭和58年6月19日、村内にて自殺。

鷹野三四

昭和58年6月19日、山中にて焼死体として発見。

入江京介

昭和58年6月21日、診察所内で自殺。

知恵留美子

昭和58年6月22日、雛見沢大災害の避難中に事故死。

 

 

 

…過ぎる。

 

眼鏡をかけたタンクトップの男性。

 

 

 

…過ぎる。

 

どこか妖しい金髪の女性。

 

 

 

…過ぎる。

 

眼鏡をかけた、お医者さん。

 

 

 

過ぎる。

 

…学校の、先生。

 

 

 

「梨花?」

 

案じているのだろうか、さやかに声を掛けられる。

私は、其れすらもどうでも良いと思える程に、動悸を高ぶらせて、緊張している。

冷や汗が、手の平を湿らせているのが、分かる。

…私は、やっぱり、知っている。

 

 

 

「この人達を…知っているの…!!!!」

 

 

 

竜宮礼奈

昭和58年6月22日、雛見沢大災害にて死亡。

 

 

 

愛嬌の良く、可愛らしい…ベレー帽の似合う女の子。

 

 

 

北条沙都子

昭和58年6月22日、雛見沢大災害にて行方不明。

 

 

 

お嬢様口調が憎たらしい、同居人。

 

 

 

園崎詩音

昭和58年8月27日、収容先の病院にて自殺。

 

 

 

とある姉妹…双子の妹。

 

 

 

…みんな、みんな。

 

仲間だ。

 

…私の大切な、仲間だ。

 

 

 

前原圭一

昭和58年6月22日、雛見沢大災害にて死亡。

 

 

 

…私を救ってくれた、大事な…唯一無二の。

 

 

 

ヒーローだ。

 

 

 

 

 

 

 

「みんな、死んでしまったの…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

せっかく、思い出せた。

 

ようやく、思い出した。

 

けれど、あなた達は。

 

もう、いないのね。

 

どうして。

 

どうして。

 

どうして。

 

どうして。

 

どうして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

古手梨花

昭和58年6月21日、神社にて他殺。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…ああ。

 

私も

 

死んでるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

苦しい、動悸が止まらない、私は、死んでいる、仲間も、死んでいる、みんな、私の、周りの、人は、死んで、いる、無い、居ない、無、消失、遺体、灰、私は、死んだ、死んでいる、死、死。

 

怖い、死にたくない、もう死んでる、じゃあ、今の、私は、この、私は、誰、何。

 

 

 

 

 

 

 

 

「梨花。」

 

 

 

抱き寄せられる。

 

…やけに喉が渇いている。ひゅーっ、ひゅーっ、と喉から切れかけた息が鳴る。

血の香りがする、錆びた鉄のよう。

冷え切った手指、全身から熱を奪われたかのよう。

鼻から、血が出ているみたいだ。

そのせい、みたい。

震えていた。

髪がぐしゃぐしゃで、指に何本も、絡みついている。

目が染みる、渇いた眼球が痛い。

 

「…落ち着いて。」

 

 

 

さやかだ。

 

 

 

あたたかい。

 

 

 

冷えきった私の身体を抱き締めて、暖めてくれている。

 

 

 

「…あんたは此処に居る。あたしが証明する。」

 

 

 

…少し、痛い。

 

 

 

………。

 

 

 

段々と、整ってきた息遣い。

 

収まり往く恐怖。

 

彼女は、私にとって、今、安堵である。

 

 

 

「…ありがとう…。」

 

 

 

力が出ないけれど。

 

私はさやかの背に手を回して、寄せた。

 

…体温を感じる。

 

私は、"居る"。

 

………私は。

 

生きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

園崎魅音

昭和59年8月27日、入院先の病院にて行方不明。

 



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英霊 【視点-園崎魅音】

 

 

「みんな、はじめるよ。」

 

トランプをくばる。

 

ひぐらしのなくお外は、うるさい。

 

でも、まっしろなお部屋の中は、いつも、いつも、いつも、静かだ。

 

 

「れなのぶん。」

 

だれもいない、このお部屋の中は。

 

「さとこのぶん。」

 

まいにち、まいにち。

 

「りかちゃんのぶん。」

 

しずかで、しーんと、していて。

 

「あ、しおんのぶん。」

 

さびしい。

 

「…けいちゃんのぶん。」

 

とても。

 

とても、とても、さびしい。

 

ぎしぎし、ぱいぷの音が、する。

 

べっどは ふかふかしているのに。

 

「だいふごうにする?」

 

ここはきょうしつだ。

 

みんなと部活をしている。

 

たのしいんだ。

 

いつもどおり。

 

 

 

 

 

 

「園崎さん。あなたしか居ないんです…あなたにしか…知らない事がある筈なんです…!」

 

とらんぷをとったけいちゃんは、てふだがわるいみたい。

 

おじさんのかちかな。

 

「あなたが辛いのは分かります…私だって同じ気持ちです!たくさんの仲間を亡くした…ッ!もう、戻ってこない…ッ!」

 

おっと、れなのちょうしだね。

 

まけないよ。

 

「だからこそ…ッ!あいつらの無念を晴らしたいんです…ッ!!」

 

あぁっ、りかちゃん…しれっとあがり?

 

ゆだんできないねぇ、

 

「お願いしますッ!!園崎さんッ!!思い出してくださいッ…!!」

 

おぉ、さとこもぬけがけ。

 

こうなったら、ほんきをだすしかないね。

 

「あなたの言葉が必要なんですッ…!!」

 

うるさいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

…部屋の中が、おれんじになってきた。

 

もうすぐ、ごはんかな。

 

 

 

…ほんとは しってるよ。

 

みんなしんだってこと。

 

わたしだけ、いきていること。

 

 

 

 

 

 

すきだったなぁ、けいちゃん。

 

みんな。

 

もどりたいなぁ。

 

 

 

 

 

「…願いを叶えてあげようか?」

 

かぜがびゅーっと吹く、まどに。

 

しろくてまるいのが、居た。

 

「君の願いを一つ、叶えてあげる代わりに。魔法少女として戦って欲しいんだ。」

 

「たたかうのは、嫌だなぁ。」

 

「世界にはたくさん、魔獣が溢れている。奴らを倒すために君の力が必要なんだ。その代わりに一つ、なんでも願いを叶えてあげるよ。」

 

「ほんと…?」

 

たたかうのは、もう、いやだけど。

 

ねがいが叶うのなら

 

わたしは。

 

「…どんなことも?」

 

「勿論!寂しいならたくさん、仲間を作ればいいじゃないか!誰からも好かれるようにだってできるよ!人気者にもなれるよ!」

 

………そっか。

 

「ほんとに、なんでも?」

 

「あぁ!なんだって叶えられるよ!」

 

 

 

うーん、っと。

 

じゃあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"みんな"といっしょに。

 

ずっと、ひなみざわに

 

いれたら、いいなぁ。

 

ひなみざわをみんなで、まもるんだ。

 

だって、わたしは…、ぶちょうだから。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…それが、君の望みかい?」

 

「…うん。」

 

 

 

まぶしい。

 

ちかちかする。

 

ねがいがかなうのかな。

 

そうだと、いいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「契約完了…っ、え。」

 

「どこに行ったんだい?」

 

「全く、わけがわからないよ。」

 

 



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抱擁 【視点-美樹さやか】

気が付けばいつも、誰かを救いたいと踠いていた。

 

例えば、恋慕を寄せる彼に。

 

例えば、親友に。

 

例えば、かけがえのないパートナーに。

 

例えば、大嫌いな悪魔に。

 

救いたい、と。

 

いつも、いつも。

 

考えていた。

 

 

 

けれど。

 

私が手を差し伸べた所で、其の手は疾うに。

 

ぐちゃぐちゃで、千切れそうな程に脆く見えたとしたら。

 

きっと。

 

掴んでもらえないんだろうね。

 

 

 

ぼんやりと眺めるホテルの室内。

 

殆ど言葉も交わさずに帰ってきたせいで、喉が締まったような息苦しさを感じる。

 

けど、容易に口を開いて良い状況でもない。

 

何より彼女が必要としているのは、思考する時間だろうから。

 

「…あたし、お風呂行ってくるわ。」

 

心配でもある。

 

彼女と眺めた凄惨な災害資料の内容もさる事ながら、彼女の心が凄まじい勢いで…ズタズタに切り裂かれる瞬間を目の当たりにしたんだ。

 

…何をしでかすか、分からない。

 

けれど。

 

彼女が私を見つめ返した時、彼女を信じようと…そう、思えた。

 

梨花の目は確実に、私を見つめていたから。

 

「えぇ。…行ってきて。」

 

何処か申し訳無さそうに。

 

もしくは失態を晒したとでも思い込んでいるのだろうか、梨花は伏し目がちに応答する。

 

…思い詰めなければいいけれど。

 

 

 

 

古手梨花、かぁ。

 

まさかあんな見ず知らずの女の子が暁美ほむらへの対抗馬になるとは思えなかった。

 

…最初は。

 

けど、よく分かる。

 

彼女が膨大な因果を纏っている事。

 

彼女の眼差しは"悪魔"の其れより深く深く、黒く。

 

そして、鋭い。

 

此の土地、雛見沢とやらにかつて居たのだと言われても…きっと、虚言や妄言にしか聞こえない筈が。

どうしてこんなに信じたくなるのだろう。

 

…そして、彼女が何者なのか。

 

どうして、知りたいんだろう。

 

そんな風に彼女の事ばかりを…まるで初恋の思いを馳せる際の様に、只管に詮索する内心はやけに神妙だ。

 

冷静な彼女があれだけ取り乱して得た記憶は如何なる物だろう。

 

其れはどれ程、残酷だろう。

 

其れはどれ程、哀しいだろう。

 

私には未だ分からないけれど、彼女が打ち明けてくれる事を心待ちにしながら。

 

「きもちい。」

 

深めの湯船に肩どころか首元まで浸かり、湯煙の舞う星空を眺めた。

周囲にはやはり、他の客も居ない。

湯船の熱と僅かなとろみを帯びた水質が肌に心地良く染み渡る。

仮にも歩き回ったし、身体は疲れているみたいだ。

昨日は戦闘だってこなしたし。

 

星空の中をチカチカと点滅する小さな閃光が進む。

…久しく乗ってないなぁ、飛行機なんて。

 

 

もう、乗る事も無いけど。

 

 

夜風はやたらと冷たく私の頬を凍らせんばかりにゆっくりと吹く。

湯を纏った指と手の平で両頬を温めようと、自らの顔を挟む。

 

「…何?其れ。」

 

其の瞬間、真横から聞こえた声は疲弊を露わに低めに吐息を交えるも。

何処か嘲笑を帯びて愉快そうだ。

 

…彼女の笑顔が見れるのなら、少々間抜けだって構わないや。

 

あんたの痛みが少しでも、笑顔に変わるのなら。

 

…そんな梨花の表情は、口角を僅かに上げた微笑。

 

随分と…いや、誰よりも

 

彼女は大人っぽく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いた?」

 

「えぇ。漸く。」

 

其れなら、良かった。

彼女の表情と先程よりは幾分、鮮やかだ。

暗く淀んで悩み苦悶する表情ではない。

 

「…さて。何から話せば良いかしら。」

 

ふぅ、と湯煙に交える白い溜息を吐きながら彼女は湯船に身を沈める。

 

「綺麗ね、星空。」

 

「…本当に。」

 

見滝原の空は都会のスモッグに覆われて星空の光輝が私達に届かない。

其れと比べると、此処から見える星々の煌びやかなスパンコールは絶景とさえ称して良い。

 

「さっき、飛行機が飛んでたんだ。」

 

「…そう。」

 

冷たく吹く夜風が今は気持ち良い。

心配が安堵と感傷へと変わったからだろうか。

 

隣からは彼女持参のシャンプーの香りだろうか、甘い香りが外気の無機質な嗅覚に際立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…私も、飛んできたの。1983年から。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

其の言葉は余りにも突拍子も無くて。

 

あぁ、きっと凡人なら"にわかには信じ難い"と表現するんだろうけど。

 

…あんたと過ごした時間で分かる。

 

其の言葉が事実であろう事を。

 

「私は此処、雛見沢で。何度も何度も…えぇ、数える事を止める程に。繰り返し続けたの。同じ時間を。…何度も、何度も。」

 

「私には友人が居た。…いえ、友人と呼ぶには生易しい程に。愛おしく、尊く、何よりも熱く滾る仲間。」

 

「だけど…私は死んでしまうの。殺されてしまうの。」

 

「…ある一人の呪いによって。決まった日に必ず…殺されてしまう。」

 

「生き返ったのは何千回目かしらね。同じ時間、同じ経験を繰り返していた千年の魔女に…白馬の騎士様が私に手を指し伸ばしてくれたの。」

 

「彼は言ったわ。」

 

 

 

 

「運命等、金魚すくいの網よりも薄く、容易く破れるのだと。」

 

 

 

 

 

「お陰で私は力を手に入れたの。魔法でも何でもない…強力な、仲間という力を。」

 

「…そして、私は。」

 

「"呪い"に打ち勝ったの。」

 

「仲間と共に。」

 

 

 

 

 

 

 

 

…そっか。

 

道理で悪魔と似た目をしている訳だ。

 

…似てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしも知ってるよ?…何度も何度も同じ時間を繰り返した悪魔を。」

 

そう切り出すと梨花は目を微かに見開きながら息を飲んだ。

分かる。

ごくりと小さく喉を鳴らしたのが。

 

 

 

「そいつはね。たった一人の女の子の為にずっとずっと。同じ時間を繰り返したんだ。あんたと、一緒だね。」

 

「…だけど、必ず女の子は救われないんだ。絶対に、殺されてしまう。…"呪い"によって。」

 

「悪魔さんはどうしても勝てなくて。仲間を作る事も出来なくて。一人でずーっと、頑張ってた。」

 

「…畏敬、すべき程に。」

 

「其の結果、女の子は"呪い"を無くすために自らを犠牲にして…消えちゃったんだ。」

 

「…悪魔にとっては悲しい事だよね。」

 

「其れに耐えられなかった悪魔は。」

 

 

 

 

 

 

「…世界ごと、作り変えちゃったんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「女の子は呪いを消し去った事すら忘れて、元の姿すらも忘れて…。」

 

「でも。悪魔は其れで大満足なんだってさ。」

 

「…そんな悪魔を救いたくて。」

 

「…誰より、悪魔の元に駆けつけて。」

 

「そして。裏切られた間抜けな駄馬の騎士さんがーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…貴女ね、さやか。」

 

「そ!」

 

 

 

湯煙に包まれる空間にて響く笑い声は。

 

互いをやっとの事で初めて認識できた喜びだろう。

 

漸く其の実態が把握できた事への。

 

そして、此れも何かの運命だろうかと思わせる程に

 

皮肉な巡り合わせである事への自嘲でもあるのだろう。

 

何より彼女の表情は

 

今迄のどんな表情よりも。

 

魅力的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目ね、私。騎士様に何度も守られるだなんて。」

 

「しかも今度は駄馬の騎士様だよ?…正義を掲げているだけで、何の役にも立てないんだー…本当に。」

 

「…本当に駄馬ね。」

 

そう告げた彼女がふと。

 

美しい蒼みがかった紺色の長い髪、結われた先にて揺らめかせては此方に寄る。

 

「有難う、さやか。」

 

…ああ。

 

鼻先にて、いい匂いがする。

 

 

 



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方法 【視点-美樹さやか】

 

古手梨花が語る内容は、本当に突拍子も無く。

 

されど、やけに悪魔の紡いだ遡行と似通っていて。

 

けれど、悪魔とは決定的に違う事が在り。

 

彼女は運命に打ち勝っている。

 

…世界を捻じ曲げた悪魔とは違って。

 

彼女が歩んだ千年以上の廻廊は如何に苦痛だったか想像だに出来ないけど。

 

彼女の眼がとてつもない因果を示す理由として、これでもかと言わんばかりに説得力に満ちていた。

 

語らう時間は余りにも早く過ぎた。

風呂場から脱衣場まで。廊下でも、エレベータでも。

 

そして、部屋へ戻っても。

 

ずっと、ずっと、彼女の話に耳を傾けた。

 

時折余談を交える彼女の瞳は活き活きとしている。

まるで無垢な子供の様に。

 

過酷な死や、仲間の発症を語る彼女の表情は苦悶に眉を顰める。

まるで腹を裂かれたかの様に。

 

勝利を手にした武勇伝を誇る彼女の声色はいつに無く明るい。

まるで気丈な英雄の様に。

 

 

其れに応えるように。

 

私も暁美ほむらが悪魔になった経緯を語らう。

 

彼女がまどかに救われたこと。

 

まどかは救われなかったこと。

 

ほむらが頑張って頑張って

 

とてつもなく、頑張った事。

 

其の結果。

 

まどかは魔法少女への救済を願い、女神となった事。

 

そして、其の女神を引き裂き

 

悪魔が此の歪な世界を作り上げた事。

 

 

 

あたしも人の事は言えないな。

 

こんなにも突拍子の無い話を口走っている時点で、気狂いだと思われても仕方ない。

 

其れでも。

 

古手梨花は真摯に私を見つめ

 

聞き入ってくれていた。

 

自分と重なるところがあるから、だろうか。

 

其れとも、此の世界への興味だろうか。

 

 

 

 

 

「…で、問題は。」

 

「…そうね。」

 

「…粗方、あんたが1983年から年を取る事もなく未来に来ちゃったって事。そして…其の未来の世界線、つまりは此処が…あんたが運命に打ち勝った未来では無くなっている。って事だね。」

 

「えぇ。…私が死んだ世界の、未来ね。」

 

「…皮肉。」

 

「とてもね。…未来に飛ばされてしまったキッカケは、ほむらの世界改編。何故私が…と、言いたいところだけれど…暁美ほむらと似たような時間の遡行を経験した人間なんて、私と彼女以外に居ないもの…きっと。…選ばれるべくして選ばれた、と言っても過言では無いかしら。」

 

「…流石に其の現象の詳細は分かんないけど。キッカケについては多分、其れで合ってる。」

 

状況が整理できた。…だけど。

 

「それで。私が元の世界に戻る方法は。」

 

「分からない、と。」

 

溜息交じりに梨花は呆けた。

 

「どれだけ、過酷なのかしらね。私の運命は。」

 

遂にはベッドに向かいその小柄な身体をぼんっ、と放り投げてクッションに弾む。

 

疲れているだろうし、気が滅入っているだろう。

 

途方も無い戦いを終え、勝ち取った未来が無かったことになっている未来。

 

正気を保っていろ、と言う方が無理がありそうだ。

 

それでも彼女は一度取り乱したものの、今はこうして冷静に盤面を整理している。

 

…流石は千年の魔女。

 

「まぁまぁ、此の世界の居心地が悪いのはあんただけじゃないよ?…あたしも同じ。」

 

「…私の過去は知れたでしょう?…此れ以上、私には何もできないわ。」

 

嫌気が指しているのか投げやりに呟く梨花に向けて。

 

「…暁美ほむら次第かな。あんたの目的も、あたしの目的も。」

 

切り出した私の顔を見て目を細める梨花は怪訝そうに

 

「あの腹立だしい悪魔と戦えと言うの?」

 

と、馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりだ。

 

「…強要はしないよ。」

 

暗に伝える。何も魔法少女になれとは言わない。

共に立ち回って欲しい、其れだけ。

 

 

 

「此処までされておいて、断れる訳が無いでしょう。駄馬の騎士様。」

 

 

 

何故だろう。静かに、ぶっきら棒に言い放って梨花は背中を向けた。

 

「…ありがとう。…あんたの大好きな騎士様みたいに…きっと、手助けになってみせる。だからあんたも…少しだけ、手伝って。」

 

不機嫌そうな梨花は背を向けたまま

 

「えぇ。」

 

と。淡白な即答を吐いた。

 

 

 

 

 

…彼女の"願い"を使えば暁美ほむらを倒せるかもしれない。

 

けれど、梨花には。

 

…元の"勝ち取った"未来へ戻って欲しい。

 

そう、切実に思う。

 

其れ程に彼女の努力が尊い事。

 

彼女の仲間が尊い事。

 

彼女の勝利が尊い事。

 

全てがひしひしと、私には伝わっている。

 

…悪魔を救おうとした時と同様に。

 

 

 

 

 

あいつの努力は尊い。

 

あいつの想いは尊い。

 

でも。

 

あいつの選んだ選択肢は、余りにも。

 

……………。

 

あいつの気持ちが、分からないワケ、無い。

 

寧ろ、間違ってない。

 

……………。

 

それでも。

 

女神が選んだ決意もまた。

 

畏敬なる程に。

 

尊い。

 

 

 

 

 

時々、見失いそうになる。

 

悪魔の残酷な改編は

 

宇宙すら崩壊させかねない世界を築き上げたけど。

 

…もしかしたら、彼女には。

 

世界を壊す権利があるんじゃないかと。

 

そう思わせる程に。

 

ほむらは苦しんだ。

 

円環を経て彼女の全てを観測できた私には

 

身を焦がす程に、伝わっている。

 

女神の尊さも

 

悪魔の尊さも。

 

天秤にかけられずに居る心が

 

片隅にこびりついている。

 

固形化した血塊の様に。

 

剥がそうとすれば傷口を開き

 

血を垂れ流して、再び固形化する。

 

…あぁ、痛い、痛い。

 

…未だに頭の何処かで

 

断頭台に向かう彼女を見掛けたら

 

命に替えてでも、止めるだろう…と。

 

想う。

 

其れ程に悪魔の"愛"の力は

 

深い。

 

 

 

…梨花の"仲間を信じる"力は

 

其れ程に深いだろうか。

 

 

 

 

 

私の"正義"の力は

 

其れ程に…強いだろうか。

 

 

 

 

 

 

抱き締めた千年の魔女は

 

小さく、小さく

 

震えていた。

 



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灯篭 【視点-美樹さやか】

暁美ほむらの夢を見た。

 

彼女の愛は余りにも深くて。

 

畏敬すべきとも呼べる程の

 

私がかつて抱いた恋慕など

 

塵も同然の、深々しい愛。

 

 

 

認めたくないけれど、私は彼女を尊いと思った。

 

真摯なる崇高な彼女の愛は、きっと誰もが歪で禍々しいとさえ感じるだろう。

 

…私は、それでも。

 

彼女の愛は、何にも代え難いとさえ感じた。

 

彼女の努力。

 

想い。

 

疲弊をひた隠し只管に戦った、強さを。

 

 

守りたいと。

 

 

助けなくちゃ、と。

 

 

彼女が"くるみを割った"時、そんな想いで心が溢れかえった。

 

憧れているのかもしれない。

 

世界さえも巻き込む程の彼女の愛の深さに。

 

彼女がそれだけ、人を愛せる事に。

 

痛みを失った私には、きっと真似できないだろう。

 

代償を求めた私には、きっと理解できないだろう。

 

彼女の気持ちが解っても、彼女の強さの意味を知る事は

 

ないだろう。

 

だからこそ。

 

 

あの時、溢れかえった気持ちはとてつもなく…

 

慟哭と焦燥と

 

高揚に滾った。

 

小さく醜い私でも、神の片棒を担げる事が嬉しくて。

 

彼女の救済の一端を担える事が、幸せで。

 

…何の理由もなく彼女を助けたりしない。

 

私にはそれだけの、理由と意味が合った。

 

…今となっては、

 

其の願望が叶わない事が余りにも憎々しい。

 

私の描く彼女の救済と、彼女自身が望む悍ましい独善的な世界は

 

余りにも、掛け離れていた。

 

勿論、正義なる私は全魔法少女の為にも彼女を止めなければならない。

 

…じゃあ、仮に。

 

あたしが正義を捨てたとしたら。

 

暁美ほむらに賛同できるのだろうか。

 

将又、暁美ほむらに敵対できるのだろうか。

 

……………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女を憎みたくて

 

記憶を必死に保っている訳じゃ、無いのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…悍ましい悪魔との夢の中は。

 

やけに喉が渇く空間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう。」

 

あどけなさを残す古手梨花の声が聞こえる。

 

「おはよ。」

 

僅かに閉じ損ねたカーテンの隙間から朝陽が差している。

 

けれど室内は相変わらず暗く、遮光に包まれている。

 

たった一筋、眩しく輝くのは

 

古手梨花の頬。

 

 

 

「貴女も、嫌な夢を見たようね。」

 

 

 

「…お互いに。」

 

 

 

あぁ、憂鬱。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんたの寝顔が

 

悪魔の寝顔と

 

少し、似ていて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過ぎ往く車窓の景色の中、悪魔への嫌悪を募らせる。

 

子供じみた共感を貪る心理が今は我ながら鬱陶しい。

 

そう感じては口を紡ぐ。

 

 

 

"仲間"に恵まれた彼女が

 

悪魔に共感できる訳がないような。

 

…そんな気がして。

 

 

 

 

 

「…暁美ほむらは。」

 

唐突に切り出した梨花。

 

「私より、強いわ。」

 

どんな思慮を巡らせたのだろうか、彼女は思考回路の結果だけを告げた。

 

「…あたしは逆だと思うけど。」

 

運命を世界ごと捻じ曲げた悪魔よりも

 

運命に打ち勝ったあんたの方が、よっぽど。

 

そう思った矢先。

 

「…ほむらは。」

 

細めた眼差し。眉を下げて。

 

「1人で、戦っているのだから。」

 

…そう。

 

あいつは1人で戦って"いる"。

 

未だにだ。

 

何処の誰があいつを救おうとしても

 

関係なく、1人で突拍子のない世界を相手に

 

反旗を翻し、戦って"いる"。

 

あぁ、どうして。

 

嗚咽が出そうな程に過剰な苦しみと憤りを感じてしまうんだか。

 

…あたしは、無力だ。

 

少なくとも、悪魔にとって。

 

 

 

「けれど。」

 

…続ける梨花は私の目を見据えた。

 

「私は、仲間を信じる力を持っているから。」

 

…どうしてこう違うんだろう。

 

無力な私を信じ、尽力しようかとでも言わんばかりの

 

其の熱っぽい眼差しは

 

悪魔の強さとは真逆の強さであるかのように思えた。

 

暑苦しいとさえ思える程に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長く、長く。

 

沈黙と、思い出したかのような数往復の会話を繰り返し乍ら。

 

ガタン、ガタンと揺れる車内にて。

 

互いの経た唯一無二の思考を

 

ぎこちなく、擦り合わせ続けていた。

 

辿り着いた見滝原は何処か

 

やけに、鮮やかに思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「二人で学校を休むだなんて。…随分仲が良いのね。美樹さやか。そして…」

 

 

 

「古手、梨花。」

 

 

駅を出た私達の背に投げかけられた声は

 

相変わらず気味の悪い猫撫で声。

 

…悪魔の微笑を含んでいる。

 



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形相 【視点-古手梨花】

 

靡く黒髪、不気味に吊り上げた口角と。

 

隈の混じった瞼、人を卑下する眼差し。

 

私達の関わり合いに何かを勘付いたのだろうか、暁美ほむらの口ぶりはやけに挑発的だ。

 

自己をはっきりと取り戻した私は、面持ちが違うだろうか。

 

はたまた何の変化も無いだろうか。

 

輪廻の先に待ち受けた未来は成功を象った虚妄のようで。

 

くたびれた心に追い打ちをかける彼女は悪魔其の物で。

 

…彼女の遡行を知っても尚、私は彼女が苦手なようだ。

 

やはり彼女は私と似ていて。

 

何処かで他者を信じていなくて。

 

仲間に頼ることすら、できなくて。

 

かつての自分が繰り返した愚行を目の当たりにしているかのようで、苛立つ。

 

…それでいて。

 

彼女は仲間の力さえ、頼るどころか裏切り破り捨てて

 

自らの望む世界を手にした。

 

…瓜二つのようで、正反対の彼女を見据える。

 

…誰かの為に遡行を繰り返した彼女は。

 

自分の為に輪廻を繰り返した私にとって。

 

…信じられない程に、大きく、不可解で、強くて、狂っている。

 

今の私にとって。

 

 

 

「えぇ、私達は仲が良いの。…"悪魔さん"。」

 

冷たくあしらうように告げると暁美ほむらの口角は一層笑みを強めた。

 

「…そう。バラしたのね?美樹さやか。」

 

「何の事だか。薄気味の悪いあんたの其の微笑みを見れば、梨花だって勘付いちゃうってーの。」

 

さやかはあくまで顔を逸らし乍ら、目線を横目に彼女を睨んだ。

 

…二人の間に起きた事も、さやかが抱いた感情も。

 

私は憶測できる。

 

勿論、身を以て体感しない限り理解はできないかもしれないけれど。

 

…仲間を守りたい気持ちは、私にだって強く強く、確かに在る。

 

其の仲間が例え…

 

罪に手を染めたとしても。

 

「いいわ、古手梨花。貴女に何が出来る訳でも無いのだから、教えてあげる。…貴女の因果の原因を私は知っているわ。其の原因は解らないけれど。」

 

やけに意味深な言い方をする。

 

「古手梨花。貴女も時を繰り返したのね。其れも、私を超える程に。」

 

彼女が手の甲を空に向ければ、黒く濁った光沢を散らすオーブが其の禍々しさを見せつける。

 

長い彼女の睫毛が妖艶にパチリと瞬きを交えた。

 

「…それだけでは足りないわ。魔なる私と敵対するには、余りにも足りないわ。…似た者同士、仲良くなりたかったけれど。」

 

「御免なさい。悪魔と手を繋ぐ程、私は穢れていないの。」

 

「そう。」

 

挑発的な彼女の言葉さえ私は嫌悪に乗せて弾き出す。

干渉さえ許したく無いと言わんばかりに。

 

それに。

 

「…それに。私には騎士様が就いているわ。勧善懲悪の正義の騎士様が。だから、悪魔の囁きなんて効かないの。」

 

「あぁ、そう。」

 

愉快そうにほくそ笑む暁美ほむらはオーブを手の甲に仕舞い込み、背を向けた。

 

揺れる長い黒髪はやけに、美しい。

 

「其の騎士様も、貴女も。私の愛の前には余りにも小さいわ。」

 

モデルを気取った軽やかな歩みにて、暁美ほむらは吐き捨てる。

彼女の後ろ髪から香るローズマリーの甘ったるい香りが風に乗って鼻腔をついた。

 

「…其の愛が。」

 

彼女が脚を止める。

 

「私と、私の仲間の幸せを押し潰すのなら。」

 

まるで、空気と重力を世界が切り離したかのような静寂が辺りを包み込む。

冷たく、無機質にさえ感じられる私達と暁美ほむらの間の戰栗。

 

「…貴女を許さないわ。」

 

そう、告げる。

 

確固たる意志を以って。

 

「…仲間。…其の感情は愛よりも美しいのかしら。」

 

「えぇ。何倍も。」

 

「………そう。」

 

内心は晒さない。

 

彼女の抱いた愛が如何に大きく強大で、荘厳なる感情か。

 

計り知れないけれど。

 

私には言える。

 

否、言わなければならない。

 

死と不幸を運命に与えられていた私を奥底から引きずり出してくれた、彼らを思う気持ちは。

 

貴女の愛に負けてはならないのだと。

 

愚直であろうと。

 

言わなければならない。

 

其れが私の記憶であり、

 

 

答えでもある。

 

 

 

「…余りにも掛け離れているのね。貴女の時間と、私の時間。」

 

「えぇ。まるで似ていないわ。」

 

…運命を打ち破った私と

 

運命を捻り潰した彼女。

 

…彼女がいかに辛く苦しみを経たとしても。

 

私は。

 

 

 

…彼らと手にした世界を手放す訳にはいかないんだ。

 

 

 

…苦しい程に、彼女は。

 

 

 

私には無い愛を見せびらかすかのように。

 

「好きにしたら良いわ。此の世界は其の"愛"の元に在るのだから。何も怖くないもの。…喩え貴女でも。」

 

確信的な此方の無力を突きつけた。

 

「…貴女の幸せを破ってでも。私は…」

 

言いかけて留める。

 

「同じよ、古手梨花。…譲れないもの。」

 

言葉を紡ぎ切れなかった私を見かねてか。

 

彼女は矢継ぎ早に、告げた。

 

 

 

夕陽がやがて沈む頃。

 

さやかの溜息は、安堵を示すのか疲弊を示すのか。

 



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waltz 【視点-暁美ほむら】

 

いつ眺めても綺麗。

 

イチリンソウの咲く丘の上にて、私は今日も夜景を背に。

 

愛しい彼女の平穏を頭に浮かべて、ひとときの愉悦に浸る。

 

ああ、私は此の為に。

 

今こそ私の愛情は満たされている。

 

彼女を取り戻した感触を今も思い出す度に、涙さえ出そうな程。

 

見滝原の街並みは今日も鮮やか。

真っ暗闇を人々の暮らしが眩く光源として彩る。

 

夜風の香りは花々と草木と、人工的な排気の微かな香りだろうか。

 

冷たく吹く其れも今は心地良い。

 

白く濁る吐息を夜空に向けてふぅ、と吹いてみる。

 

サァ、と木々が其の葉を揺らしたであろう音が微かに耳を掠めた。

 

無限の様な時間を経て得た私の蹂躙は。

 

誰よりも、何よりも、尊い。

 

誰の邪魔も入らず、許さない。

 

私は悪魔であり、世界。

 

崇高な女神様も、私の愛には敵わない。

 

喩え。

 

彼女が逃げようと。

 

喩え。

 

彼女の意思さえ、奪おうと。

 

私は悪魔として。

 

彼女を"生かし"続ける。

 

其の崇高なる悪業こそ、私の正義。

 

 

 

「古手、梨花。」

 

 

 

…煙たい。

 

使い魔達が仕入れた情報も、雑多に断片的であった。

 

けれど、古手梨花に纏わりつく因果の原因は理解できる程度には、彼らも役に立つみたい。

 

幾十年も前の時間軸から、世界改編に巻き込まれたかつての遡行者。

 

…私以外にも遡行の経験がある人が居ただなんて。其れも…魔法少女でもないのに。

 

其の事実こそ荒唐無稽だけれど。

 

彼女にとってもきっと、私の存在…いえ、此の世界其の物が。

 

まさしく荒唐無稽、奇想天外かしら。

 

 

 

無垢な少女を装って、世界を恨むような眼差しで、まるで人ですら無いかの様な達観した俯瞰と卑下の笑みと声で。

 

此の悪魔に楯突く彼女は、余りにも

…目立ち過ぎる。

 

 

 

あの面倒な正義の味方とつるむくらいだもの。

 

…私には到底理解できない何かを持っていると考えてしまえば、何故かしら、苛立ちと憎悪さえ湧いてくるの。

 

…美樹さやかと、同様に。

 

 

 

 

 

…どうしてかしらね。

 

一番、貴女が嫌いな筈なのに。

 

貴女は、一番私を嫌っている筈なのに。

 

…貴女だけがはっきり、私を覚えているのは。

 

 

 

 

 

 

…誰かの為に願いを賭して、破滅へ向かう貴女が誰よりも嫌いだった。

 

…まるで、私の末路の様で。

 

…其の癖に、私の産んだ悪夢では。

 

誰よりも、早くて。

 

誰よりも、私に近くて。

 

誰よりも、理解していた。

 

其れまでは私の言葉に耳も傾けなかった癖に。

 

…嫌い、嫌い、嫌い。

 

貴女の独善的な救済なんて。

 

私には必要ない。

 

…見返りを望んだ己を憎む程。

 

彼女は無垢で穢れが無いのだもの。

 

見返りを望む事なんて、当然の事なのに。

 

…其れでいて尚。

 

今度は見返りすら求めずに

 

 

 

私に手を差し出した貴女が

 

憎い。

 

憎い。

 

安直だわ。

 

愚直だわ。

 

無知だわ。

 

気紛れが過ぎる。

 

…美しくなんて、ない。

 

理解、できない。

 

 

 

私には、無い。

 

 

 

私は、"其れ"を知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

疲労だろうか。

 

気付けば私は地にぺたりと座り込み膝に手を置き、空を眺めていた。

 

…私は。

 

見返りを求めていた。

 

鹿目まどかに愛されたいと。

 

…いや。

 

求めている。

 

けれど、諦めている。

 

今は何より、彼女が平穏を過ごせるだけで

 

幸せだから。

 

けれど。

 

もし見返りを得る事ができるのなら。

 

…世界が其れを許すのなら。

 

私は、こんな事をしなかったでしょう。

 

…滑稽な、世界。

 

悪魔の報復を受けた世界。

 

世界の罪、世界の罰。

 

私は征服者であり

 

裁きを下す者。

 

 

 

 

それでも貴女は。

 

未だ、私を救いたいのかしら。

 

 

 

…愛に狂って世界を壊した悪魔を。

 

 

 

それとも、殺したいかしら。

 

 

 

 

 

 

星が見える。

 

微かながら、点々と煌めく。

 

鈍いスパンコールの様で、薄汚れたような。

 

 

 

 

 

 

 

 

…今となっては特に深く関わる事もない、まどかの声を思い出しながら。

 

自然と上がる口角を奥歯で感じ。

 

星空を。

 

宇宙を。

 

粒子を。

 

真っ黒の中に浮く銀の庭を。

 

見据えた。

 

これで、良い。

 

これで、良い。

 

誰も私の側になんて

 

居なくて良い。

 

誰も私の事など

 

知らなくて良い。

 

まどかが笑顔になれるのなら。

 

…其れで良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そっか。あんたって、いつも此処に居るんだ。」

 

 

 

 

 

 

後方から澄ました声色。

 

 

 

…相変わらずね。

 

「転校生。」

 

今や其の立場では無くなった筈の呼称にて。

 

貴女は私に声を掛ける。

 

不思議と今は。

 

其れが貴重にさえ

 

感じる。

 



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partiality 【視点-暁美ほむら】

二人の間を吹き抜ける風は真冬の冷感を肌に当てがう。

 

嫌いな貴女への、冷めきった印象の様に。

 

愚かな貴女を、茶化す様に。

 

「想い出の場所だもんね。…此処。」

 

「知った口を利かないで頂戴。」

 

今更、何を話せば良いと言うのかしら。

 

塞ぎ込むように、私は丘上にて膝を抱え込み座り込んだ。

 

顔の下半分を埋め乍ら、眺めるは街灯り。

 

…あの辺りで、いつの日か。

 

貴女を殺そうとした記憶を思い出す。

 

何も知らずに

 

何も信じずに

 

何も気付かずに。

 

私を愚弄した貴女へ殺意を抱いた日を。

 

「…何をしに来たの?」

 

「さぁ?あたしだって、分かんないよ。」

 

そっと顔を傾けて彼女を見遣る。

 

横目に。

 

盗み見る様に。

 

…貴女は、相変わらず。

 

無垢に。

 

笑みを見せていた。

 

誰よりも眩く、愚かな心で。

 

「ただ、あんたと話がしたくて。」

 

「何の話をすると言うの?」

 

「…さぁ?想い出でも語り合おっか。」

 

「何も無いわ。貴女との想い出なんて。」

 

駆け巡る貴女の表情は。

 

嫌悪に満ちていて。

 

軽蔑に満ちていて。

 

…そして。

 

慈愛に、満ちていて。

 

月の灯りは半月を示す。

 

見上げる其れが満ちる頃、私は。

 

…どう、変わっているのだろう。

 

それとも、変わらないのかしら。

 

「あたしは、諦めてないよ。」

 

美樹さやかが切り出す言葉の真意を探り私は

 

「…何を、かしら。」

 

…そう、呟いてしまう。

 

「あんたを。」

 

 

 

 

 

 

「救う事。」

 

 

 

 

 

 

 

…美樹さやかの救済が指すのは。

 

私が導かれ鹿目まどかという名の円環と共に過ごす未来。

 

…私にとって、其れは。

 

「要らない未来だわ。」

 

「そうだね。」

 

やけに物分かりの良い相槌は相変わらず

 

私を突き刺すように。

 

 

 

 

 

 

「其れは、あんたの願いじゃなくて。

 

あたしの願いだからさ。」

 

 

 

 

 

 

 

背中に寄せられた彼女の背は。

 

少し筋肉質で、熱い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたに裏切られた事も。」

 

「あんたに嫌われた事も。」

 

「全部、どうだっていいんだわ。あたし。」

 

 

 

 

 

 

 

「知らないわ。貴女の思考回路なんて。興味が無いもの。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたを救いたくて。

 

あんたが、安らかに過ごせる場所を

 

作りたくて。

 

…ただ、その為に。"覚えてる"。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌い。

 

嫌い。

 

嫌い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたを助ける為に。

 

あんたを倒すんだ、あたし。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窺い知れない彼女の表情はきっと。

 

悪魔を相手に晴れ晴れと語っているのだろう。

 

愚直な正義を振り翳して。

 

身勝手な善意を振り撒いて。

 

独善的な感情を押し付けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

「重たいわ。退けて。」

 

「悪魔を背凭れにするのも、悪くないじゃん?」

 

「…話にならないわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貴女はどうして。

 

誰かの為に

 

其処までするの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人の吐息が夜空に舞い込み、混じり合う。

 

白く濁った、吐息。

 

彼女の髪の香りが、微かに鼻につく。

 

甘くもなく、苦くもなく。

 

ただただ、"美樹さやか"である事を思い知らせてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…梨花は、あんたに無い力を持ってるんだって。」

 

「其れは、仲間を信じる力なんだってさ?」

 

「あはは、胡散臭いよね。あの子。」

 

「でも、羨ましいんだ。」

 

 

一人で続ける彼女の声が、静かな丘にて小さく鳴る。

 

 

「あんたがあたしを信じない理由も、

 

あたしを殺そうとした理由も。

 

知ってる。」

 

 

 

「全部、見てきたから。」

 

女神の片棒を担った彼女は、そう呟いた。

 

「だからこそ。

 

あんたの理解を得ようだなんて、思わないよ。」

 

「あたしは、あんたを倒して。

 

無理矢理にでも連れてく。」

 

衣服の擦れる音。

 

背中に重たくかけられていた圧が離れる。

 

 

 

 

 

「…きっと、もうすぐだね。」

 

「あんたと戦うの。」

 

 

 

「…そう。貴女達に何が出来ると言うの。」

 

 

 

 

「さぁね。…でも。」

 

「全力で、殺し合おう。」

 

「悔いの無いように。」

 

 

 

 

 

 

 

胸元に走る鼓動。

 

目を見開いて彼女の姿を追うべく、振り返った先には

 

彼女は既に姿を消していた。

 

夜風は私の頬を、冷たく撫でる。

 

びゅう、と一際強く。

 



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現在 【視点-古手梨花】

 

交差点の信号を待つ最中。

 

人々の喧騒と大モニターから流れる喧しい広告がやけに賑やか。

 

パーカーのポケットに入れたカイロを握り締めて寒気を凌ぐ両手。

 

冷たい街中の時折吹く風の冷たさに鳥肌を立てるけれど、ぎゅっとカイロを握り締めて暖を取ればスマートフォンの操作も難無く。

 

油断すると指が悴む。此の動作の重要性をしかと思い知り乍ら私はバッグからスマートフォンを取り出した。

 

此の世界も案外、悪くない…そう思わせる程に人々と文化の進化を感じる。

 

まるで私が二人居るようで。

 

昭和の刻を経た本当の私と

 

改編に巻き込まれた即席の私が

 

二重に思いを有し、そして共存する。

 

「美味しそうね。」

 

舌を疼かせるケーキの画像を見つけては、パリティミラーにてさやかに映し出す。

 

空中に投影されたケーキの立体画像を見て彼女は

 

「おー?行こっか。食べに。」

 

あいも変わらず爽やかに、眉を上げ乍ら笑みを浮かべた。

 

交差点の信号が青に変わる。

 

ざわざわと人々の話し声が交わり合う中、私達は歩みを進めつつ。

 

「行きましょう。」

 

日がとうに暮れた街を。

 

歩き、耽る。

 

「素敵ね。此の世界。」

 

私にとって、余りにも突拍子の無い世界だけれど、此の世界が悪いとも決して思えない。

無論、私も…そして、愛しい仲間も。

雛見沢が滅び、亡くなった世界を好きになれる訳では無いけれど。

 

記憶を失っていた私を扱う人々の安直さや。

 

あの気持ちの悪い悪魔が此の世界の決定権の一部を握っている事や。

 

…私だけが、極めて異質に感じる事、が。

 

とても、居心地悪いけれど。

 

…彼女のように。

 

私を知ろうとしてくれる人が居る事。

 

"両親"やなぎさの様に。

 

無条件に私を受け入れてくれる人が居る事。

 

其れが例え

 

悪魔の改編によるものだとしても。

 

其れは、きっと。

 

 

 

 

 

「素敵、かぁ。」

 

気まずそうに。

 

正義の魔法少女は眉を下げて困惑を浮かべつつ、大モニターに目を向けた。

 

「…確かにそうかもね?…素敵過ぎる程。」

 

其の言葉の真意を知りたいと思っても。

 

其れ以上に、私は。

 

今彼女が思考を巡らせた"何か"をそっとしておこうと、判断した。

 

 

 

禁煙区域だと言うのに、柄の悪い女性の煙草が頭の真上を掠める。

 

「悪ィ!」

 

肩から垣間見える刺青の目立つ其の女性は一言、大きな声で心の籠らぬ謝罪を告げた。

 

 

 

「…撤回するわ。」

 

「あたしも。」

 

 

 

美樹さやかは屈託無く笑った。

 

私は溜息交じりに。

 

思わず、口角を上げた。

 

眩しい程にショップの灯りがギラギラと辺りを点灯させたり、照らしたり。

 

低音が痛い程に響く楽曲が鼓動の様に鳴らされる。

 

宣伝車のジャカジャカと愉快なBGMが通り過ぎ、其の楽曲をぐちゃぐちゃに散らかす。

 

私のどの記憶を辿っても、此の経験は無くて。

 

美樹さやかと過ごす時間を、新鮮に染める。

 

スカートがふわりと風に靡いて膝を擽るのが肌寒い。

 

「此の人達も、悪魔に改編されているのかしら。」

 

暁美ほむらがしでかした事柄は知っているものの、具体的には把握していなくて。

 

唐突で脈絡ない問い掛けかとは承知なものの。

 

ふと気になった私はさやかに告げる。

 

「あはは、あいつが担っているのは…此の世界の理の一部だけ。人や事象を変化させる力は無いよ。あんただって、あいつの意思には関係なく巻き込まれたんだしさ?」

 

「…其の理、って。何なのかしら。」

 

何処か清々しく。

 

彼女は眉を顰め乍ら、思いの外中々開かない自動ドアを前に、背を伸ばして身体を左右に傾ける。

 

「…女神の力の半分。…魔法少女の救い、其のもの…かな。」

 

「…よく、分からないわ。」

 

魔法少女の事を認識しているとは言え、余りにも抽象的で理解できない。

 

「…魔法少女はさ、元々…魔女になるもんだったの。…あぁ、魔女ってのは…ま、魔獣みたいなもの。」

 

…。

 

其の言葉の意味を整理した時。

 

途端に息が詰まる。

 

「…其れって…」

 

「酷い話だよね。敵を倒してたら、いつのまにか自分が"敵"になるんだもん。…其の理から魔法少女を救う為に。女神様は"願いを叶えた"。」

 

…計り知れない。

 

想像だにできなかった。

 

…自らの運命と戦って、仲間に縋ってようやく勝ち得た時間は

 

余りにも、貴重で。

 

其の経験を以ってして考える私の主観では

 

其の判断は余りにも。

 

狂気的な程に、神聖で恐ろしい判断だ。

 

「其の救済ごと女神様の力をもぎ取って…女神様の日常と笑顔だけを望んだのが、悪魔。…此の世界はどの理にも反した、不安定で不成立な世界ってワケ。」

 

…理解こそできないものの、想像は済む。

 

そして尚更。

 

悪魔の事が。

 

気味が悪くさえ感じる。

 

仲間の死、狂う様。

 

日常を失う工程。

 

何度も何度も見た私だけど。

 

何度目だって、苦しかった。

 

辛かった。

 

怖かった。

 

…嫌だった。

 

頭が、はち切れそうな程に。

 

だからこそ。

 

悪魔の行動がまるで。

 

輪廻に閉じこもっていた頃の私のようで。

 

気味が悪い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「8階だっけ?」

 

…あぁ、ふと思い出す。

 

ケーキが食べたいのだったと。

 

「えぇ。」

 

重力に逆らう瞬間のふわりとした感触と共に。

 

エレベータの上昇が進む。

 

中から伺える街並みはやはり、煌びやかで派手に輝いている。

 

隣で背を凭れたさやかがスキニーパンツの際立つ脚を組み合わせ乍らスマートフォンを弄ぶ。

 

「正義なんて、無いのかもね。意思の強さが物を言うってだけなんだわー、きっと。」

 

涼しい顔で告げる彼女は。

 

女神の片棒を担いで何を何処まで見たのだろう。

 

世界の何処迄を、知っているのだろう。

 

「SS引いた!」

 

唐突に目を見開いては、スマートフォンの画面に彼女は嬉々としていた。

 

…まるで無知な少女の様に。

 

彼女の頭の中をもし覗けたら。

 

私は其の時、発狂してしまいそうだ。

 

…其れ程に彼女は

 

繊細で 優しくて 慈愛に満ちて 正義に満ちていて

 

図太くて 乾いていて 前向きで

 

 

 

 

 

格好良い。

 

 

 

 

 

 

まるで、私と違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…だからこそ、あたし達は負けない筈だよ。」

 

「…そう、ね。」

 

「任せて。あたしもそうだけど…梨花が強い事。あたしは気付いてる。」

 

「…そう。けれど、頼りにさせて頂戴?駄馬の騎士様。」

 

 

 

エレベータのドアが開く。

 

 

 

「仰せのままに。」

 

 

 

 

私の手を取り先に一歩。

 

エレベータからフロアへと脚を踏み出した彼女は

 

振り返りつつ私の手を引いて。

 

あぁ、また。

 

相変わらずの笑みで私をフロアへと引き込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘いケーキは奢りかしら?」

 

「勿論!」

 

あぁ。

 

 

彼女も嬉しそう。

 



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廻廊 【視点-古手梨花】

「梨花ちゃんとさやかちゃん…二人きりで旅行に行ったんだよね?」

 

「古手さんと美樹さんって最近、やけに仲が良いわ。」

 

そんな仲間達の揶揄うような指摘に。

 

「そんな事無いのですよ?ボクはみんなと仲が良いのですっ、にぱーっ!」

 

取り繕った笑顔で応える。

 

「昨日は梨花にケーキを奢ったんだー。甘いものが好きだなんて、梨花はおこちゃまだー!」

 

「女の子は甘いものに目がないのです!」

 

極めて和やかに。愉快に。

仲間と談笑を交わしながら歩む帰路は何にも代え難い時間。

 

けれど。

 

今の私にとって、此の経験は。

 

"彼ら"との記憶を思い出させる苦味を含んでいた。

 

 

 

「梨花ばっかりずるいぞ?!あたしにも奢れよさやか!」

 

「なぎさも食べたいのです!」

 

「ざーんねん、さやかちゃんは金欠だから!それに…」

 

杏子やなぎさが楯突き抗議するのを尻目にさやかは眉を下げながら紡ぐ。

 

ふと。

 

香るのはさやかの衣類に纏わり付いた柔軟剤の香り。

 

それと、衣服の柔らかな感触。

 

そして、体温。

 

「梨花はあたしのお姫様だからさー?」

 

絡められた腕が私の胸元を締める。

 

彼女は比較的スポーティに骨格が良く、身長があり…締まっている。

幼い私とは対照的だろう。

気温の低い青空の下では、布団のように暖かく丁度良い。

 

それと。

 

後頭部には具合の良い枕が押し付けられている。

 

彼女をベッドにすれば安眠でもできるだろうか。

 

「お姫様ァ?何言ってんだか!!」

 

呆れたのか、はたまた怒っているのか。

杏子がぶっきら棒に告げると周辺を歩む鳩達が驚いてパサッ、と小さく飛び跳ねた。

 

「じゃ、そんなお姫様と済ませたい用事があるから。あたし達は一旦。」

 

「またねなのですーっ!」

 

背中に受ける視線と…ひそひそと二人の関係を探るような言及が後方を騒がせていたけれど。

 

私とさやかは其の歩みを進める事に一切の躊躇も抱かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…例えば。」

 

「例えば?」

 

橙色に染まる空を。

 

真上に見上げながら…私は問う。

 

彼女は其の侭、スマホの画面に目線を与えた侭に返した。

 

「例えば、私が魔法少女になったら。私は…元の世界に帰れるかしら。」

 

此の世界に何の愛着も無いわけではない。

 

仮初に植え付けられた記憶なのかもしれないけれど、私の主観ではあくまで其れは事実で…過去に起きた事であり、思い出。

 

…"両親"やなぎさ、魔法少女達。

 

そして…貴女の事。

 

此の詰まる胸中を締め付ける程度には…大切に思ってしまっている。

 

されど。

 

私の本来の世界へ、本来の仲間達との日々へ戻りたいと願う気持ちは其れを遥かに上回る。

 

「…どうだろうね。単に世界を改編するだけなら、きっと梨花なら問題なく成し遂げるだろうけど。…あんたの話から察するに…幾つも存在する世界線の中からたった一つのルートに戻らなくちゃいけない。其れを叶える願いがどういうものか、あたしには想像ができないかも。」

 

淡々と。まるで日常会話のように告げるさやかの横顔は、真摯に…されど奔放に。

 

「元の世界に戻りたい、では成立しないのかしら。」

 

「…キュウべえどころか…此の世界が其の世界を認識していない以上。あんたが具体的に時間軸と世界線を操作できなくちゃいけないような。」

 

「…訳が分からないわ…、そんな事出来っこない。」

 

「うん、できない。此の世界を蹂躙する悪魔ですら其れに及ばないよ。きっと、其れができる存在は宇宙に居ない。」

 

頭がどうにかなりそうだ。

 

輪廻の経験こそあっても…私の其れは大半が羽入によるもの。

 

時間と世界線の操作なんて、できない。

 

「強いていうなら。」

 

さやかが徐に口を開く。彼女のスマホの画面は気付けば真っ暗だ。

 

「梨花が生存できた世界線が、どの未来に直通しているのかが分かれば。…此の世界を其の世界にシフトし尚且つ過去に戻る事ができる願いを叶える事で、きっと。」

 

「…そんな。貴女達の時間の事なんて、私には分からない。貴女達もきっと同様でしょう…。」

 

「…そうだね。余りにも、遠過ぎるわー…。昭和なんて、あたし達にとっては古だもん。」

 

「…全くよね。私にとっては…貴女達は未来人なのだし。」

 

二人の溜息が夕焼けに舞う。

 

ベンチの硬さにそろそろお尻が痛くなってきた頃合い。

 

さやかが立ち上がる。

 

ふわりと後ろ髪を揺らしてあいも変わらず透明感に満ちたシトラスミントの香りを纏って。

 

彼女らしくない、繊細な香り。

 

「後はあんたの記憶次第かな。梨花。」

 

「…どういう意味?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「例えば。ジャンヌダルクは梨花の世界では火炙りにされた?」

 

「…えぇ…?確か。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの人も、魔法少女なんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

想像だにしなかった。

 

魔法少女たるものの存在が、そこまで人類の歴史に影響しているだなんて。

 

けれど。

 

其れと此れと…何の関係があると言うのだろう。

 

「…魔法少女ってさ。世界線によって起こしてるアクションが違ったりするの。例えば、死に方。戦い方。其の経路。…色んな世界を見ちゃったあたしだけが分かる事。"円環"を知るあたしだけが分かる事。」

 

沈黙せざるを得ない。息を呑んで彼女の言葉を待つ。

 

其れと同時に私は…美樹さやかという存在の認識を改めている。

 

…彼女は単なる魔法少女でもなく。

 

ましてや、奔放で繊細なだけではないのだと。

 

…世界の始終を観測した、女神の遣いである事を。

 

今、改めて思い知らされる。

 

「…其れはきっと、魔法少女に限らず。人類の歴史の小さな小さな一つ一つが…きっと違う。」

 

「だからさ?…梨花が知っている"世界の出来事"と。あたしの知っている何百何千の"世界の出来事"を照らし合わせてみたら。…梨花の生存する世界の事が分かるかもしれない。」

 

「…無茶だわ。其れは余りにも途方もなくて…」

 

「不確かだね。…でも。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梨花。あんたの力が無くちゃあたしは悪魔を倒せない。」

 

「そして。あたしが居なくちゃきっと…梨花は戻れない。」

 

「だから。」

 

「やるしか無いよ、梨花。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心を奪われる。

 

彼女の目は…其れだけの経験を経ても尚。

 

無垢に希望を求めて戦おうとする、光沢に満ちた煌びやかな眼差しに思えた。

 

両肩に添えられた手指が余りに強く、そして。

 

美しい。

 

…私はつい。

 

数多の世界線と過去を観測した彼女を前にして尚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…仕方ないわね。」

 

 

 

千年の魔女として。

 

彼女に負けないように。

 

そして、仲間の元へ帰る為に。

 

 

 

 

「…これからは徹夜も余儀なしかしら。」

 

妖しく笑みを見せてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「頼りにしてるよ、千年の魔女さん。…此の世界を…変えて。」

 

抱き締められた彼女の体温はやけに、高い。

 



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生誕 【視点-古手梨花】

 

「…………。」

 

「……………。」

 

数多なる教材と歴史的資料を持ち寄った私と美樹さやかは、いつしか沈黙を築いて文字列に向かい合うばかりだった。

 

例えば縄文時代。

 

例えば戦国時代。

 

いや、他にも…日本史だけに留まらず世界史の分野にも手を広げたけれど。

 

「…無謀だわ。仮にも私は小学生なのに。」

 

「…ごめん。賢いもんだからてっきり、思い違いをしてたみたい。」

 

「…そもそも日本史だなんて、世界史だなんて、知らないに等しいの。私が習ったのは未だ"社会"だわ。」

 

「…あたしもさ、元々は大して勉強してたワケじゃないの…すっかり忘れてたわー…女神のカバン持ちだからって、付け上がってたかなー…」

 

詰まる所、私達は知識がなく…そして互いの世界の出来事どころか、自分の世界の事すら学習不足である事に気がつく。

 

そもそも私なんて、小学生なのだから…例え1000年の時を経たとは言え、学問に関しては其れ相応。

ジャンヌダルクの件に関しては何かの物語を経て微塵程度に記憶していただけ。

圧倒的に、私の世界との相違点とを擦り合わせる為の知識が私には無かった。…そして彼女もまた。

 

「魔法少女の関わっている事象でない限り、あたしもただの中学生だわー…頭が痛くなってきた。」

 

世界の始終に関わった彼女も所詮、他の事に関しては中学生と同等…否、彼女には悪いけれど、私と大差ないようにすら感じられる。

 

「…休みましょう。突発的過ぎたわ。」

 

溜息を交えながら図書館内の静寂の中、机に腕を寝かせて其処に側頭部を預ける。

彼女も同じ様に、私の真向かいにて腕と頭部を寝かせる。

 

向かい合った眼差し同士が憂鬱を示して交差する。

 

「…クレオパトラの死因は?」

 

「知るワケ無いでしょ…。」

 

「あの人も…」

 

「魔法少女ね。…無理だわ、覚えていない。」

 

「オクタウィアヌスに追い詰められて、自害した。此の書籍も、私の見た記憶も…そうなんだけど。」

 

「…オク…?その人に関しては聞いたことも無いわ。」

 

仕方のない事だけれど、自らの無知に自暴自棄気味に答える。

 

「市姫の死因は?」

 

「…其のお兄さんの事しか、習っていない筈だわ。」

 

「…比較ができないんじゃ進まないや。…ごめん、此の案はもしかしたら…。」

 

「御免なさい。」

 

そうして、再び2人の無言は暫く続く。

 

倦怠感と静寂、手詰まりによる切迫。

 

…それにしても。

 

 

 

クレオパトラ、ジャンヌダルク、市姫、なんて。

 

やはり彼女の言葉から察するに世界は魔法少女によって大きな変動を与えられてきたみたいで。

 

…当たり前のように私達が使っている此の言語や技術も、もしかしたら。

 

…魔法によって産まれたのではないかとすら、感じてしまう。

 

そして、此の感情さえも。

 

「私が分かる事があればいいのだけれど。」

 

「あったところで、其れが相違点につながるワケでも無いし…」

 

「…其れは言わない約束の筈。」

 

キリがないと諦めては元も子もない。

 

けれど、気分が滅入っても仕方のない現実が今ここに間違いなく存在している。

 

…私の生存する世界線の特定。

 

余りにも無謀で途方も無い挑戦は地道過ぎて、先の見えない苦行だ。

 

「…アンタが知ってる事かぁー…」

 

ショートヘアをさらりと目元から掻き分けた彼女が天井を向いて、指をとんとんと机に向けて優しくリズムを刻み弾く。

 

 

 

 

「雛見沢の歴史を…調べよっか。」

 

さりげもなく彼女は告げたけれど。

 

…冷静で、確実に聞こえた。

 

最も的確に私の知識量で此の世界と私の世界との相違点を洗い出せる方法だと、気付いた。

 

…仮にも私は雛見沢の巫女だったのだ、ある程度の歴史を知っている。

そして、滅ぶキッカケすら…"幾つも"知っている。

 

何より千年生きた小学生には其のくらいしか、知っている事が無かった。

 

「そうしましょう。」

 

途端に、力の入らない気怠い身体に急激にアドレナリンが這い回る。

突破口を見つけた私の情熱だろうか、唐突に冴え切った脳がバッ!と私の上体を起こす。

 

「おぉ!?…随分やる気だね、梨花。」

 

そう告げた彼女の微笑みは相変わらず朗らかで暖かい。

 

水色を宿したさやかの髪がふわりと此方の鼻腔を擽る、清涼感。

 

「…何も出来ずにウズウズしていたの。…役に立ちたいわ。私の希望を叶える為だもの。」

 

そうと決まれば話が早い。

図書館の資料を調べる為に私はタッチパネルへと歩みを進める。

 

ゆっくりと其の後ろを尾いてきた彼女が腕を此方の肩から鎖骨に巻き…体重をかけた。

 

「重たいわ。」

 

「失礼だってーの。」

 

タッチパネルへと淡々と文字を打ち込んでは検索結果を眺める私の顔…其の傍から顔を覗き込ませて画面を見つめるさやかの吐息が擽ったい。

 

「…近いわ、離れて。」

 

「調べ過ぎて怠いんだって。」

 

「知らないわ。お互い様でしょう?」

 

やはり彼女は私よりも体温が高くて。

 

暖房の効いた図書館内でも、若干の寒さを覚えていた私には…良いカイロ代わりになる事は紛れも無い事実。

 

 

 

検索後に幾つか関連のある資料を見つける事が出来たので、私は其の書籍へと向かう。

 

其の際に振り払うようにしてさやかを跳ね除けては

 

「あたしはあっちを見てくるー。」

 

と、やけに切り替えの早い彼女はそそくさと別の列へと消えゆく。

 

…そろそろ夕暮れ。

 

図書館が閉まるまでに…何か一つ、有力な情報を得たいところだけれど。

 

雛見沢の歴史なんて、国内規模で見てしまえば余りにも小規模で重要性が低い。

 

オンライン上にも大した情報が無いくらいだ。

 

期待値は薄いけれど…やれる事をやるしか。

 

該当した書籍を幾つか集めては、元いたテーブルに歩み寄り…それらを置いて見定める。

 

少しでも、"此の世界"の雛見沢を知れれば。

 

今日は其れで良い事にしよう。

 

其れ程に。

 

 

 

さやかと過ごす時間もまた

 

 

 

…大切で、心地好い。

 

 

 

 

「梨花ー?あたしが探してたヤツってどれだっけ?」

 

 

 

………駄馬の世話は面倒だけれど。

 

…嫌いでは、無い。

 

 



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烏 【視点-古手梨花】

記憶をなぞりながら、見つめる文字の群れにまるで集られているかのような疲弊。

 

目を凝らし続けたからだろうか、目の奥に鈍痛のような重たさを感じる。

 

雛見沢の歴史。

 

戦時中の出来事や風土に関する資料は洗いざらいに目を通したけれど、遡った記憶との相違点は大凡、無い。

 

彼処が滅ぶに至った経緯に関しても。資料館で確認したあのおどろおどろしい記録と同様。

 

ガス災害による村の壊滅。

 

…細かく目を通しても、私が知るカケラの一部と大差がない。

 

…ただ一つだけ、気になるとしたら。

 

 

 

園崎魅音の行方不明。

 

彼女は災害から生存している。

 

その後に行方不明となったのだけれど。

 

…私が殺された後。

 

何が起きたのか、誰がどうなったのか。

 

私は其処を観測できていない事に気付く。

 

つまり。

 

私は自分の死後を知らない。

 

…当たり前だけれど。

 

数々の輪廻を経てきたけれど、其の全てのカケラの死後を私は知らない。

 

…私は、園崎魅音の行方不明の理由を…知らない。

 

 

 

魅音。

 

人一倍、繊細で少女らしい一面を宿す"鬼"。

 

気前の良い立ち振る舞いと情熱的な内面。

 

…私たちの、部長。

 

 

 

何十年も経った今や、彼女の行方不明の理由も…其の結果も知ることなど到底出来ないけれど。

 

それでも尚、気になる事に他ならない。

 

 

 

 

 

…遠い、遠い記憶だけれど。

 

寒空を眺めながら回想に耽っていた。

 

いつか、この様に…いや、もっと冷たい雛見沢で。

 

彼女と雪だるまを作った。

 

村の話し合いの合間。

 

退屈を凌ぐ私を見かねて彼女は

 

一緒に…遊んでくれた。

 

 

 

 

見滝原の冬は未だ雪が降らないみたい。

 

「…此の辺りは、結構雪が積もるのかしら?」

 

「全然?道路が凍る程度だよ。…これまたどうしてそんな事を聞くの?」

 

「…なんでもないわ。」

 

 

 

クリスマスや年末に彩られ始めた公園の装飾が、真冬を示す。

 

其の傍らにて人々は其々に、日常の一コマを描いて歩む。

 

 

 

 

 

いつも。

 

"普通"が余りにも遠くて。

 

…それだけが欲しくて。

 

あんなに戦っていたのに。

 

 

 

 

 

「難しいわね。」

 

「…そりゃそうだよ。"たった一つの何十年も前の事"と"千年もの輪廻"を比較して…更に其の中の"たった一つ"を見つけ出さなくちゃいけない。…駄馬には此の位しか思いつかないんだわー…。」

 

「現存する情報だけでは無理があるわ。…それに、其の情報自体も正しいとは限らない。」

 

 

 

"古手梨花の契約"という目的があるのであろうけれど、それでも尚此処まで親身になり私の置かれた状況を打開しようと模索する彼女はやっぱり、格好良くて。

 

利用すれば良い物を、真正面から解決へと突っ走らんばかりで。

 

…彼女の性質だろうか。

 

…不思議と、疑えない。

 

 

 

 

以前の私なら、どうせ…とすぐに諦めて葡萄酒に手を染めていただろうか。

 

 

 

冷え切った手を

 

擦り合わせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーふるで りか。

 

汚れきったその上履きを履こうとは思えないけれど、一目で分かる。私の足のサイズとぴったりと合うのだろう。

 

雛見沢から持ち帰った其れを眺めながら。

 

迫る孤独と閉塞感に身を捩る。

 

 

 

吐き気。

 

 

 

頭の中に巡る 部活メンバーの顔 声

 

そして彼らの死

 

自らの死

 

腹を裂かれる感触

 

痛み

 

繰り返す、繰り返す、繰り返す、失敗。

 

 

 

 

 

 

 

暁美ほむらが 鷹野三四の 様で。

 

 

 

 

 

 

 

 

確実に阻害してくるであろう彼女の確固たる敵意と…決意が。

 

悍ましい。

 

不安だ。

 

 

 

 

 

 

腹痛。

 

ぐるぐると頭の中を這い回る嫌悪、苦痛。

 

気持ち悪い。

 

 

 

 

 

 

「梨花。」

 

一頻りの嗚咽を終えてお手洗いから出ると。

 

なぎさがあからさまに眉を下げて私を見つめる。

 

「…御免なさい、少し…具合が悪くて…」

 

心配させまいと紡いだ言葉を気にも留めず、彼女は私の頭を撫でた。

 

「…何と戦っているのかは分からないのです。でも。

 

独りで、抱え込まないで欲しいのです。」

 

 

「…ありがとう。けれど…大丈夫。」

 

…これは、見栄っ張りだろうか。

 

プライドだろうか。

 

それとも、不信?

 

それとも、諦め?

 

彼女に何を告げれば良いか分からず、唯只管に…大丈夫、と告げる事しか出来ずにいて。

 

見兼ねたのか。なぎさの淡い苦笑がくすり、と漏れた。

 

「言いたくないのなら、言わなくても良いのです。でも…なぎさは。」

 

「いつだって梨花の味方なのです!」

 

 

 

 

「家族、なのですから。」

 

 

 

 

…思い出す。

 

"過去という新たな記憶"に頭を支配されていたせいか。

 

"今の家族"がどれだけ私を想って、どれだけ私を救っているか…其れを私は、少しだけ…忘れていた。

 

其れは単に…私というイレギュラーの参入を世界が都合良く収束させただけの成り行きかもしれない。

 

其れでも関係ない。

 

彼女は、そして"両親"は。

 

紛れもなく私を…案じ、大事に思い、力になってくれている。

 

…その情と愛に私は、不信や壁を感じるべきだろうか。

 

…答えは、知っていた。

 

 

 

 

 

「ねぇ、なぎさ…此の世界が…偽物だとしたら。貴女は信じてくれる?」

 

なぎさは少しばかり目を細め、そして天井を二度程見上げたりと…悩んだ挙句。

 

「…ちゃんと説明してくれるなら、信じるのです。」

 

其の笑顔は取り繕ったものではなく。

 

優しさに満ちた、表情。

 

「…私も偽物で。此の世界も偽物で。…本当は…」

 

貴女と私は出会う筈もなくて。

 

 

 

 

そう告げようと、唇を合わせた瞬間。

 

 

 

なぎさの脚を啄もうとする、烏。

 

室内に烏が居る訳もないけれど…其れが何なのか、察しがつくと同時に。

 

私の背筋に冷たい、鋭利な恐怖と警戒が迸る。

 

…悪魔の使い。

 

黒翼と不気味な面に身を装う烏が彼女を今にも啄もうと嘴を尖らせている。

 

…生憎、彼女は気付かないみたい。

 

何か、そういう…魔法が働いているのだろうか。

 

暁美ほむらの能力を知る由も無い私には憶測しかできないけれど。

 

…私が語りかけた"事実"を暁美ほむらはどうやら、察しているみたい。

 

「…なんて。やっぱり今度にするわ。」

 

暁美ほむらの使いを尻目に…私は撤回を余儀なくされる。

 

「…梨花。」

 

不安だろうか、寂しそうに私の名を呼ぶ彼女に申し訳なく…そして、憤る。

 

"困った時は仲間に相談する"

 

彼と誓った言葉が脳裏に過ぎる。そして

 

其れを叶えられない現状が…胸をぎゅうっ、と締め付ける。

 

烏の使い魔達が姿を消した事で、少しばかり緊迫は薄れたけれど…私は未だ、其の胸元をどくん、どくんと強く跳ねさせていた。

 

動悸にも似た、苦痛にも似た、鼓動にて。

 

「其の時が来た時に。また話しましょう?おやすみなさい、なぎさ。良い夢を。」

 

自室に向かう私の背中になぎさの小さな声で

 

「おやすみなさい。」

 

と。見守るように、告げられた。

 

 

 

…やっぱり悪魔も私を、許さないみたい。

 

…アイツのように。

 

 



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静か 【視点-古手梨花】

 

ろくに睡りを得られずに私は早朝にて目を覚ます。

 

冷気の際立つ朝の香りがいつも味わう其れよりも凍てつく。

 

例えば、朝食の香りやシャワーの香り。

 

其れらが混じる事もなく、ただただ、室内の空気を鼻腔にて感じた。

 

勘の良い悪魔は私の起床すら察知しているだろうか。

虚ろなレムを繰り返したに過ぎない私の頭はぼんやりと、世界に繭をかけたかのようにしか、認識できない。

 

暫くは寝起きの夢現と戦うのだろう、未だ家族の誰も起きていない家の中を…ゆっくりと、徐に。物音をなるべく立てないように歩む。

 

卵を焼く"母"の調理の音が聞こえない、キッチンにて。

 

トースターに食パンを差し込む日常と呼ぶべき非日常が、何処か今日は特別な気がして。

 

不安と、杞憂と、少しの感傷に。

 

私は笑みを浮かべた。

 

 

 

奔放な貴女は今頃、未だ未だ寝ているかしら。

 

正義を翳す寝坊助さんの顔を思い浮かべる。

 

静かに。

 

静かに。

 

バターをパンに塗り付ける。

 

静かに。

 

静かに。

 

誰も気付かないように。

 

家の中で気を遣ってこそこそと過ごすのも癪に触る。

スマホの数字が示す未だ登校の刻では無い事実が胸を詰めた。

 

故郷を想い、貴方を想い。

 

そして貴女を想い。

 

早朝、すぐに膨れたお腹を一撫でして私は

 

玄関へと向かった。

 

 

 

雪と自然に囲まれたあの場所も

 

コンクリートと電子に囲まれた此の場所も

 

鳥のさえずる音色は変わらず心地良いみたい。

 

翼を強くバサバサと羽ばたかせる音。

 

ちゅん、ちゅん、と可愛らしく鳴き喚く音。

 

車の通りも少なく。

 

静かに。

 

静かに。

 

糸口の見つからない袋小路の中で。

 

頼れる貴女が寝ている時間の中で。

 

私はただ、彷徨う。

 

…憎むべき悪魔に、何かを馳せながら。

 

…同情だろうか。

 

…敵意だろうか。

 

…共感だろうか。

 

よく働かない頭の中は、やっぱり静かに。

 

 

 

 

 

辿り着いた交差点は登校に関係のない場所。

 

時間は未だ余裕がある。

 

…彼女と歩いた場所に来れば。

 

彼女と居た時間を思い出せば。

 

…何かを思い出せるような気がして。

 

…何かを、解いてくれるような気がして。

 

 

 

けれど、誰も居ない交差点にて。

 

ケーキの画像をパリティミラーに浮かべる。

 

また、食べたいと。

 

そんな思考に時間を委ねてみるのも、今はきっと悪くはない。

 

其れ程に。

 

思考回路はぐちゃぐちゃに散らかされて。

 

戻りたい、信じたい、助けたい、助かりたい、

勝ちたい、許したい、知りたい、憎みたい、

 

話したい。

 

願望と失望に脳を食い荒らされるような

混乱。

 

千年の魔女に突き付けられた未経験は、余りにも希少で…そして途方も無い程に、難解だ。

 

…私は。

 

勝ち得た世界へ、戻りたいだけだと言うのに。

 

 

 

 

 

交差点の信号が青を示すけれど、横断歩道を前に私は立ち竦むばかりで。

 

其の先には何の用も無く、ただただ交差点の中心へと眼差しを向けていた。

 

 

 

かつ、かつ。

 

時折人の歩行が聞こえていたけれど、其の中で一際目立つ足音が鳴り響く。

 

…其れは、聞き覚えがある音。

 

気怠く思いながら。

 

眉を顰めて振り向く。

 

嫌味な程に細く綺麗でしなやかな彼女の黒髪が。

軽快にふわりと靡いて、華奢な肩をすとんと撫でている。

 

二つに分ける癖のついた特徴的な後ろ髪が胸の脇から覗いた。

 

「イレギュラーの割に、やたらと私の邪魔をするのね。古手梨花。貴女に其の心算が無くても…悪魔の眼には目障りなのだけれど。」

 

一方的な言い草に鼻で笑って見せる。

嘲笑。其れは自分を取り繕う為に有効な、性悪な手段。

 

「貴女に巻き込まれたようなもの。…私は元の居場所に戻りたいだけ。目障りなのは貴女だわ。ほむら。」

 

無口な癖に、真意は真っ黒に饒舌。

 

私以外の全てを知った悪魔の卑下と侮蔑は相変わらず。

 

「申し訳無いけれど。」

 

そう、悪魔は切り出しながら。

 

 

 

カチャ。

 

 

無機質に鳴る金属音には聞き覚えがあった。

 

人の命を奪うに適した、鉛を放つ為の口を

 

コッキングする音。

 

"あの時"も、こうして突き付けられたかしら。

 

…私が何度目かは分からない死を突き付けられた時の、音。

 

やっぱり、貴女も同じね。

 

"アイツ"と。

 

 

 

「美樹さやかはともかく。貴女には何の愛着も無いの。…貴女が死んだって、消えたって…全くの躊躇も罪悪感も無いわ。…きっと。」

 

 

 

身近に死の可能性が迫っているのに。

 

どうして。

 

何も怖くないのだろう。

 

…慣れているの、かしらね。

 

皮肉な事に。

 

 

 

それとも。

 

 

 

 

ばさり、ばさり。

 

羽音の様な音が聞こえる。

 

 

 

「引き金を引いたって。私は負けないわ。」

 

「…?そう。死後に其の言葉を訂正して貰おうかしら。」

 

「貴女の愛が其の程度なら。私の勝ち。」

 

「…。抗う手段を持たない癖に、随分と勝ち気ね。」

 

側頭部に銃口が向けられる。

 

けれど、やはり怖くない。

 

「…だって、貴女。」

 

 

 

 

 

「殺意じゃないわ。其の眼。」

 

 

 

 

不思議と。

 

彼女の眼差しはかつて私に死を強いたアイツの眼差しとは

 

違ったから。

 

 

 

 

 

 

サーベルの剣先がほむらの銃口へと突き刺さる。

 

ばさっ、ばさっ。

 

マントが空を靡く音が遠方から私の元へと辿り着いた。

 

 

 

此れが私の力かしらね。

 

貴女が来てくれるような気がしてたの。

 

…信じていたの。

 

 

 

そんな貴女に微笑みかけるけれど。

 

貴女は怒りを露わに…悪魔を只管、睨みつけていた。

 

其の横顔は、冷気のように。

 

 

 

 

 

「…相変わらず。一々、突拍子が無いんだわー。…ムカつく悪魔さんの行動は。」

 

「そっくりそのままお返しするわね、愚かな正義の味方さん。」

 

睨みと嘲笑が交差する中、私は。

 

 

 

「待ってたわ。」

 

そう、"仲間"の横顔に微笑みかけた。

 

 

 

「…頼り過ぎ。」

 

怒っているような、其の声色とは裏腹に。

 

駄馬の騎士の口角は、上がっている。

 

 

 



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欠片 【視点-美樹さやか】

梨花に傷がつく前にたどり着けて良かった。

 

…とは言え、偶然の産物だけど。

 

暁美ほむらの所業を探る為に暇を見つけては付け回した甲斐があったもんだね。

 

空を彷徨いながら悪魔を探していたら、遠目に見つけた二人の殺伐とした様子。神妙な面持ち。交差点にて邂逅する不穏。…そして、突きつけられた銃口。

 

本当に突拍子もなく、前兆なく、彼女は実行する。

 

冷静なようで、滅茶苦茶にヒステリックで…大胆で、突発的。

悪魔を名乗るのも頷けるわ。

 

それにしても。

 

古手梨花こそ悪魔と呼ぶに相応しいかもしれない。

 

銃口を前に慄く事もなく、憮然と前を向く其の姿は死さえ恐れぬ死神のようで。

 

「ついてけないわ…あんた達には。」

 

そう、思わず本音が漏れる。二人とも訳が分かんない。

 

 

 

「…どけて頂戴、美樹さやか。」

 

「誰が。」

 

殺伐と。私と悪魔の目線は瞬間足りとも離れる事なく。

 

「…そう。」

 

静かに。彼女が目を細めて怪訝に口角を上げながら…。

瞳の奥を真っ黒に濁らせる。

光沢無く、淀んだ其れは。

 

…やる気だ。

 

そう察知した頃には彼女は、彼女の持つ銃口に突き刺したサーベルの剣先を跳ね除ける様にトリガーを引いていた。

 

 

 

パァン…!

 

案外、銃声というものは軽い音を鳴らすものだ。

だけど、其の衝撃は此方のサーベルを握る肩に軽く痛みを覚える程度には強い。

 

弾丸に弾かれたサーベルを離すまいと、握り締めながら身を反らせる。

 

彼女に"盾を握る時間"を与えてはならないと知りながら。

 

「…このッ…!」

 

死にものぐるいの一瞬、身を反る勢いに任せてもう片腕にてサーベルを具現化し、直ぐに投擲。

 

狙うは彼女の身体では無く、盾。

 

知り尽くした二人の攻防。

 

彼女も勿論、自分の活かすべき能力と其の能力の欠点と隙をよく理解していて。

 

そして…私が確実に其れを防ごうと動くことすら、分かってる。

 

彼女が盾に手をかける仕草こそフェイク。

 

其の証拠に彼女の手にはフラググレネードが握られていた。

 

彼女が銃火器に長けているのも私はしっている。

 

そんな爆発物に痛手を負うつもりはない。

 

彼女が放ったグレネードから咄嗟に離れる。素早く、脚力に力を注ぎ込んで。

 

真下で起こるであろう爆発から梨花は逃げ切れている。問題無い。

 

素早く下半身をひっくり返し、剣戟を交えながら降下する。

 

逃げる隙も、盾を触る隙すら与えない様に。

 

斬りつける。思い切り!

 

「早いわね。あいも変わらず。」

 

やけに余裕を帯びた彼女の声が

 

響く。

 

禍々しく刃を回転させて、四方に鎌を携える球体が彼女の両手から一つずつ…鋭く空気を切り裂いてびゅん、と飛び交う。

 

其れを視界に入れる頃には、私の腕は酷く血を噴き出していた。

 

咄嗟に迸る激痛を抑える為に魔力を注ぎ込む。

抉れた血肉の滴る二の腕に。

 

…彼女はヒステリックだ。

 

…戦闘の技術は無いと勘繰っていた。

 

………容赦も躊躇も失った今の彼女は

 

本当に、悪魔なのかもしれない。

 

私は痛みを消すことしかできないけど、それが一番強い事を知っている。

 

痛みのない攻撃と加虐は余りにも冷徹で、迷い無く。

 

遂行できるものだ。

 

「…そうね、貴女ってそういう人。」

 

やけに落ち着いている声色に苛立つけど、私は黙って後方へとステップを踏み距離を取る。

 

思った様に動かない両腕が足手纏いだ。

 

いっそのこと、切り落としてしまった方が戦えるだろうか?

 

そんな思考に耽りつつ。

 

風のように此方へ飛翔し向かう悪魔の黒翼が羽を散らして朝方の青空を汚した。

 

「しまっ…ッ!!」

 

余りにも早すぎる。いや、彼女が早いのでは無い。

 

案の定、時間だ。

 

痛手を負った僅かな時間の合間に彼女は時間を飛び越えて私の喉元を切り裂いたのだ。

 

私が其の事実に気付いた頃。彼女の白く長い指にはやけに煌びやかに刃を研いだナイフが握られていた。

 

…あぁ、今は痛みを消しているから…苦痛ではないけど。

 

…目の前を。

 

焦点の真下から吹き出した鮮血が気持ち悪い。

 

 

 

 

 

「貴女にとっては致命傷でもないでしょう?」

 

…目を見張る。

 

彼女の眼差しは。

 

悪魔の其れだ。

 

 

 

私の真っ赤な返り血にて彼女の白肌に悪趣味なデコレートが施される。

血塗られた彼女のきめ細やかな頬にびたりと。

 

私は驚いていた。

 

此処まで、悪魔が悪魔に振り切っているとはね。

 

…心底ムカつく。

 

 

 

 

 

 

身体が力を失い倒れていく。

 

伸ばした指先は悪魔の顔へ届かなくて。

 

…ふわりと宙に浮いたような…

 

死はこんな感覚だろうか。

 

 

 

…やたらと呆気ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなぼやける視界の中。

 

 

 

「美樹さやか。…さよなら。」

 

表情こそ伺えないけど。

 

あんたはきっと冷徹に私を見下しながらトドメを刺そうとでもしているのだろう。

 

 

 

救いたかった。

 

…他の誰でも無い、あんたを。

 

 

 

 

私があんたにしてきた事を、償いたかった。

 

あんたの気持ちを少しでも知りたかった。

 

あんたの苦痛を少しでも除きたかった。

 

…全部、全部。

 

あんたの全部を…私は見てしまったから。

 

 

 

そして。

 

 

まだ覚えているから。

 

…あんたを助けよう、って。

 

助けたい、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「させないわ。悪魔。」

 

呆気なく喉を裂かれた私に感知できた其の聴覚上に発生する音声は、恐らく古手梨花の声だろう。

 

聞き覚えのある金属音は…サーベルの音だろうか。

 

 

 

やめなよ、あんたに何ができるの。

 

そう告げたくても開いた喉は血を垂れ流すばかりで声の周波数を奏でるには至らない。

 

 

 

「そう…。私が本当に仕留めたいのは元々、貴女よ。古手梨花。…好都合だわ。逃げもせずに足掻くだなんて。」

 

 

 

あぁ。

 

梨花。

 

逃げて。

 

 

 

そう、告げたくて。

 

薄ら浮かぶ梨花のシルエットに手を差し伸ばした刹那。

 

 

 

 

 

 

虹色に煌めく空間が二人を包む。

 

懐かしいような、新鮮なような。

 

…此れは。

 

 

 

 

 



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gemini【視点-古手梨花と暁美ほむら】

 

さやかの喉元から飛び散る鮮血に目を見開いた。

 

噴く。

 

舞う。

 

余りにも無惨に、唐突に。

 

瞬間的に彼女の懐に潜り込んだ暁美ほむらが切り裂いたさやかの傷口から、見計らっていたかのように。

 

真っ赤な血色がコンクリートにびたりと、痛々しく其の血痕を叩きつける音が微かに聞こえた。

 

彼女の身体から力が抜けて行くのが側から見ていてもよく分かる。

 

私は。

 

彼女に守られている。

 

守ってくれると信じている。

 

 

それなら。

 

 

彼女の劣勢を目の当たりにしてするべき事は?

 

全身に冷や汗を帯びる。

 

悪魔の所業を此の儘、見届けるだけ?

 

…いいえ。

 

違うわ。

 

其れを私は望まない。

 

…命が惜しくない訳でも。

 

…ただ蛮勇に足を踏み込むのではない。

 

 

 

…今、騎士様を救えるのはきっと。

 

私しか居ないわ。

 

 

 

恐怖や畏怖に負ける程

 

今の私は弱くない。

 

 

 

 

鼓動が高鳴る。

アドレナリンとストレスに全身の筋肉に硬直剤でも打たれたかのようだ。

 

そう意を決して。

項垂れる彼女を庇うべく駆けつけた。

彼女のサーベルを片手に持って。

 

「させないわ。悪魔。」

 

「そう…。私が本当に仕留めたいのは元々、貴女よ。古手梨花。…好都合だわ。逃げもせずに足掻くだなんて。」

 

暁美ほむらの嘲笑を見届ける中。

 

私は彼女へ。

 

できる限りの素早さで。

 

 

 

斬りつける。

 

 

 

私の騎士様を傷つけた、大いなる罪と。

 

其の、罰。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺意じゃないわ。其の眼。」

 

そう古手梨花に告げられた。

 

時折、私よりも悪魔に相応しい様な。

 

小さなこの子の視線が悍ましい。

 

悪魔の尊厳を踏み躙ろうとするだなんて、きっと貴女も悪魔か其れ以上に。

 

…虫唾と形容すべきだろうか。歯痒いような、負の感情。

 

何もかもを知り尽くした筈の私の前に存在する未知。

 

…そんな私に敵意を剥いて抗い、何もかもを見透かしたかの様に生意気。

 

まるで、私が人を殺めた事がない事を知るかの様。

 

命すら、惜しくないのだろうか。

 

此れ以上、私達に関わるべきではないと…どうして分からないの。

 

誰も彼も、どうしてそうやって首を突っ込むの。

 

そんな銃口にすら怯えない彼女に私は内心、劣勢を感じる。

 

こんなにも圧倒的に世界を手にしているのに。

 

 

 

…切り裂いた"正義"の喉元は、案外薄く。

 

美樹さやかの、発する筈では無かったであろう音が鳴る。

 

声帯から、反射的に。

 

通常の人間なら、きっと即死だろうけれど。

 

魔法少女…其れも痛みを失える貴女なら、此れでは死なないわ。

…其の確信が、私にはあった。

 

…いいえ。

 

其の確信がなければ…私は…。

 

 

「させないわ。悪魔。」

 

「そう…。私が本当に仕留めたいのは元々、貴女よ。古手梨花。…好都合だわ。逃げもせずに足掻くだなんて。」

 

 

 

銃口にすら怯えない少女を前に私は、拘束でもするべきかと思考を巡らせる。

 

戦闘においては彼女に負ける訳も無いのだから。

 

いざとなれば、無理にでも止める。

 

私への干渉を。

 

此の世界への干渉を。

 

そして…私の…"あの子"への愛を邪魔させないように。

 

 

 

 

…けれど。

 

やっぱり、貴女は悪魔の名に相応しいかもしれないわね。

 

古手、梨花。

 

 

 

 

私との違いを感じた。

 

幼く、腕力こそ低いであろう古手梨花の其の一薙は

 

余りにも…躊躇が無かった。

 

 

 

反射的に。

 

必死に。

 

全身に戦慄を走らせながら、私は盾を構える。

 

 

 

金属音が鳴らす高音域が喧しく、鼓膜に響いて瞬間的な耳鳴りを起こした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「繰り返す!私は何度でも繰り返す!同じ時間を何度も巡り、たった一つの出口を探る!」

 

 

閃光の様にチカチカと。

 

 

「貴女を、絶望の運命から救い出す道を!」

 

 

流れ込む。氾濫する激流の様に。

 

 

「約束するわ…絶対に貴女を救ってみせる!何度繰り返す事になっても…ッ!!」

 

 

此れは。

 

 

「貴女を…!!」

 

 

…女神に成る前の少女と。

 

 

「守ってみせる…ッ!!」

 

 

…悪魔に成る前の。

 

ほむら。

 

 

…暁美ほむら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傷ついた少女に涙を流す悪魔が居た。

 

世界の終焉を見せつけられても尚、諦めずに遡行する彼女が居た。

 

正義の騎士様のデリカシーの無い言葉に傷ついたほむらが居た。

 

守りたいものが出来て嬉しそうにはにかむ暁美ほむらが居た。

 

そして、其れを守れずに愕然とする貴女が居た。

 

其れでも尚。

 

何度も何度も

 

繰り返す貴女がいた。

 

傷とさえ呼ぶに相応しく無い…麻痺しそうな程の暗闇の中で、鬱屈を紛らわし死闘を繰り返す…

 

たくさんの、貴女。

 

たくさんの、世界。

 

たくさんの…。

 

欠片。

 

 

 

そして。 

 

 

 

 

 

今日まで何度も繰り返し。

 

傷つき苦しんできた全てが。

 

まどかを思ってのことだった。

 

だからもう今では。

 

痛みさえ、愛おしい。

 

此れこそが人間の感情の極み。

 

希望よりも熱く、絶望よりも深い物。

 

 

 

 

 

 

「…愛よ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ。

 

たくさんの、愛。

 

深く、深く、深く、深く、深く、深い。

 

抜け出せない程に深い、愛。

 

 

…私が余り知らないもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「捕まえた。」

 

 

 

 

 

何秒間だったのだろうか。

 

もし、此の情報を一つずつ回想したら。

 

何時間かかっただろうか。

 

唐突に。

 

一気に。

 

畳み掛けるように流れ込んだ、数多もの彼女の記憶。

 

見た、聴こえた、感じた、情報。

 

彼女の心の中にある、事実。

 

過去。

 

そして現在。

 

 

 

 

 

…………………………………………………。

 

……………… ………………  ………………。

 

 

 

 

 

 

古手梨花の死体が見えた。

 

烏に啄まれ、血を散らし。

 

腸を啄まれてロープのように嘴に振り回される、遺体が。

 

 

 

 

 

古手梨花の自殺が見えた。

 

自ら頭部にナイフを突き刺して

 

目を剥いて気を違える、彼女の狂宴が。

 

 

 

 

 

古手梨花の決意が聴こえた。

 

 

 

戦おうとする意志が

 

こんなにも美しく神々しく、

 

運命さえも覆すほどの力が在る事を

 

…私は知った。

 

だから私は、貴方と共に戦おう…!

 

何度でも…先の未来に辿り着くまで…ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友人だろうか。

 

とある青年が、ベレー帽の少女を殴り殺す様を見て

 

溜息混じりに傍観する彼女が居た。

 

自らの死を知りながら、永遠と時を彷徨う少女が居た。

 

日常に憧れながら…ただただ、茫然自失を過ごす古手梨花が居た。

 

青年の振る舞いに希望を見出す事が出来た、千年の魔女が居た。

 

そして、また殺される貴女が居た。

 

其れでも尚。

 

何度も何度も

 

繰り返す貴女がいた。

 

痛みとさえ呼ぶに相応しくない…無さえ癒しの様な生き地獄の中で、助けを求める事も出来ずに踠く…

 

たくさんの、貴女。

 

たくさんの、世界。

 

たくさんの…。

 

輪廻。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして。

 

迎える事が出来た7月1日に。

 

微笑み乍ら。

 

何もかもを、許す事が出来る

 

貴女が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私達は百年にも及ぶ戦いに遂に打ち勝った。

 

だからこそ。

 

私の夢だったプール遊びに

 

皆で来る事が出来た。

 

其れは細やかな夢だけれど

 

こんな一日を得る為に気の遠くなるような日々を放浪した

 

だからこそ分かる

 

平凡に思える何気ない日々が

 

何よりも深い幸せなのだと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かにそう語る彼女は

 

本当に。

 

…本当に。

 

幸せそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めた、と形容すべきだろうか。

 

我を取り戻したかの様に、気付いた頃に。

 

私達は。

 

ただ、ただ。

 

見つめ合っていた。

 

 

 

動悸を伴う息遣いと

 

驚愕に満ちた眼差しが伺える。

 

そして其れはきっと、私もでしょう…。

 

互いに。

 

見つめ合っていた。

 

 

 



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パラドクス 【視点-古手梨花】

 

早朝。行き交う人々も居ない。

 

静寂を微かに切り裂くのは、私達の呼吸。

 

冬の寒気に真白の吐息を浮かべ。

 

大きく目を見開いたほむらの表情を見るに、彼女もきっと。

 

私が貴女の過去を、遡行を、記憶を見た様に…貴女も私の過去を、輪廻を、カケラを…見たのでしょうね。

 

悪魔に告げる言葉なんて、見つかるわけもない。

 

いえ。

 

貴女は。

 

「…此れじゃ、貴女が悪魔だなんて

「喋らないで。」

 

告げる私の言葉を跳ね除けるかの様に。

 

私の肩を押して突き飛ばす、ほむら。

 

 

 

貴女を憎むべきだと。

 

貴女を敵なのだと。

 

そう思っていた。

 

そう思わなければ、ならなかった。

 

 

 

…けれど。

 

貴女は仲間なんかじゃない。

 

私に何をしてくれる訳でもない。

 

其れでも。

 

貴女は。

 

幸せになる権利があると。

 

客観なんて、どうだって良くなる程に。

 

私の主観は貴女には幸せになる権利があるのだと。

 

そう、感じてしまった。

 

生々しい、感触。

 

貴女の感情。

 

まどかへの畏敬と、恩義と、愛。

 

其れは狂気的で、執拗で、異常で、感情的で、

 

でも、私にはよく分かる。

 

彼女を救いたくて繰り返した気持ちが。

 

 

 

…其れも。

 

貴女は、己の力で彼女を救い出した。

 

…此の世界をも犠牲にする程の

 

大きな大きな力を自ら、手に入れた。

 

其の遡行を以って。

 

 

 

誰かに救いを求め

 

仲間を信じ続けた私の力とは

 

異質。

 

いえ。

 

厳密には私には何の力も無いような、ものだわ。

 

貴女と比べたら。

 

 

 

其れ程に貴女は

 

本当に

 

本当に

 

頑張ったのね。

 

 

 

大半の時間を、諦めと呪いに費やした千年の魔女は

 

全ての時間を女神へ捧げ尽力に努めた貴女に

 

…劣る、ような気がして。

 

 

 

でも、でも。

 

「私は、貴女の気持ちが分かるわ。私だけは…!」

 

 

 

 

 

 

 

暁美ほむらの黒髪は、美しく靡く。

 

…彼女がかつて結っていた癖が、其の髪には未だ残っている。

 

 

 

 

 

 

「…分からないわ。」

 

「………っ、え」

 

「貴女は仲間に助けを求めた。其の結果、信頼を得て…共に戦って。宿敵を打ち破った。運命に勝ったの、貴女は。」

 

「………あ、貴女は…其れを…!」

 

「私は仲間に助けを求めた事もあったけれど、誰も信じてはくれなかったわ。何度も何度も。何度も何度も何度も。あぁ、そもそも仲間なんて私には居なかったのかもしれないわね。其処の正義の騎士さんも、他の魔法少女も。…私はまどかを助ける為にどれだけ尽くそうと、どれだけ戦おうと誰の協力も得られなかった。だから…利用したの。"仲間"を。

いい?貴女は仲間を信じ続けた。私は仲間を信じられなかった。寧ろ、信じてもらえなかった。」

 

「貴女は"仲間"と運命を"打ち破った"。」

 

「私は"1人"で運命を"捻じ曲げた"。」

 

「…勘違いしないで頂戴。貴女の過ごした輪廻と私の過ごした遡行はまるで違うの。単なる共通点は"繰り返した事"だけ。…不愉快だわ。」

 

 

 

 

立て続けに。

 

静かで落ち着いた彼女の声色の裏腹には、余りにも複雑に拗れた感情が幾つも幾つも渦巻いているのだろう、矢継ぎ早に紡がれた言葉達は直情。

 

 

 

…私はどうしたいのだろう。

 

今更、悪魔に敵意を向ける事を躊躇しても。

 

私の雛見沢へ戻りたいという願望は叶えられる訳でも、捨てられる訳でもないと言うのに。

 

目の当たりにした彼女の真実と記憶は、私にとって…

 

「尊いと、思うわ。」

 

「…………そう。」

 

「貴女と私は確かに、同じようで違うのかもしれないわ。…共感でも同情でも無いの。…仲間に救って貰える未来があるのだと、希望と事実を知った私だから言える。其れすらも投げ出して…貴女は手段を見出した。私にとっての大きな力である…"希望"も"絆"も不要にして。…貴女は彼女を救い出した。…"愛"で。」

 

「……………。」

 

「…貴女の其の"愛"を。私は叛逆だと、咎められない。」

 

「…悪魔だなんて、思えない。」

 

 

 

 

 

 

「…けれど、今は…。引いて。貴女もご存知の通り、私は"仲間"を信じているの。貴女と今は戦いたくないわ。」

 

 

 

 

 

 

「…どうかしてるわ。」

 

 

 

 

 

 

 

そう告げる彼女は背を向けて。

 

肩から其の背中の倍以上に広がる黒翼を広げ、翔ぶ。

 

風圧に片目を閉じ乍ら、彼女の背が朝焼けに向けて小さく成り往くのを見届けつつ…ふわりふわりと、舞う漆黒の羽に目を奪われた。

 

…彼女にあんな事を言ったって。

 

何も変わらないのに。

 

…私は何が目的であんな風に…。

 

…彼女に取り入って敵対を解こうとした?

 

…彼女の叛逆を止めようとした?

 

 

 

…違う。

 

…話したかった。

 

 

 

私は未だ嘗て会ったことの無い、境遇の似た彼女に伝えたかった。

 

…彼女にはまるで違うと言われてしまったけれど。

 

…私は。

 

彼女が悪魔だと思えないと。

 

貴女は悪魔等ではないと。

 

其の所業から犠牲や弊害が発生するとしても尚、

 

貴女は悪いのでは無いと。

 

伝えたかった。

 

其れは、私が未だ所詮人間だからかもしれない。

 

 

 

 

 

ねぇ。こんな時。

 

貴方だったらどうするのかしらね。

 

 

 

 

圭一。

 

 

 

 

 

 

 

…彼の顔を思い浮かべると、やっぱり私は雛見沢にどうしても戻りたいと…決意の感情を奥から取り寄せた。

 

 

 

其の為には…あの"悪魔"さんもどうにかしなくてはならないわね。

 

そして其の悪魔をどうにかする為には。

 

「さやか…!しっかりして…っ。」

 

貴女の力が必要なの。

 

…信じてる。

 

だからどうか。

 

負けないで。

 

 

 

焦る手元に苛立ち乍ら、急いでスマートフォンに指を走らせる。

 

…こんな時ばかり、頼って御免なさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…もしもしィ?珍しいじゃん?あんたから通話だなんてーーー」

 

「古手梨花よ。助けて。さやかが倒れたの。…お願い。」

 

 



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鹿と后 【視点-古手梨花】

眠りに身を賭す貴女は、どんな夢を見ているのかしら。

 

其れとも、何も見ずに只々暗闇の中で身体の治癒を進めているのかしら。

 

悪魔にやられた傷は、貴女の信頼する彼女の手によって塞がれている。

 

「何かあるとは勘づいてたけどさ?…アイツが敵で、さやかとあんたは共闘関係で。…そんだけしか教えてくんねェの?」

 

…話せば長くなる。其れに、突拍子もない内容だ。

 

…端的に伝える事なんて、出来そうにない。

 

ぶっきら棒に見えて杏子は、不満そうに眉を吊り上げて機嫌を損ねたように表情を変えるも…其れ以上は言及してこない。

 

静かなさやかの部屋の中に、静かな寝息を微かに立てる彼女と棒付きの飴を咥えて私から目を逸らす杏子。

 

…彼女に打ち明けたとして、信じてくれるだろうか。

 

…彼女を巻き込んでしまって構わないのだろうか。

 

そう思慮が巡ると胸が締め付けられるような、覚えのある鬱屈が閉塞感を呼び寄せる。

 

「さやかとも梨花とも、ある程度付き合いは長い筈なんだよ。」

 

窓に視線を向ける彼女が突然、呟くように切り出した。

其の真っ赤な髪は艶やかで、頬はきめ細やか。

けれど、彼女がどんな眼差しでそう告げたのかは私からは伺えない。

 

「でもさ。」

 

「…さやかとはずっっっと昔から居たような気がするのに。」

 

 

 

 

 

 

 

「お前は違うんだわ。」

 

 

 

 

 

 

 

漸く確認できた彼女の面持ちは、疑念を示すのかと思ったけれど…やけに慈愛を含んだ微笑だった。

 

「上手く話せなくて御免なさい。」

 

ありのままにそう告げる他無かった。

 

優しいんだ。

 

杏子の事なんて、よくは知らない。

 

けれど、ふと投げ掛けた冗談に対するレスポンスも、彼女を揶揄うように告げた皮肉に対する反応も、稀に送るメッセージに対する返信も。

 

そして、今まさしく私が上手く言葉を紡げないのを見兼ねる態度も。

 

彼女は、私に優しい。

 

理由さえ分からない。さやかに対する其れとは違った優しさは、信頼度の大小によるのか、其れすらも解らないけれど。

 

「…いいよ。理由があるんだろ。」

 

夜の曇天の間を差す月光を見つめつつ彼女は、寛容を示した。

 

「貴女は、私に優しいのね。」

 

安直に思った事を告げる。

 

貴女は一見、感情的でガサツな癖に利己的で、残酷な人に思えるけれど。

 

誰より優しくて、慈愛に満ちている。

 

そして自惚れで無ければ…其れは特に私に対して顕著だ。

 

「…どうにも、年下の女の子には弱くてさ。」

 

窓に目を向ける彼女の表情はやはり窺い知れない。

 

何かを回想しているのだろうか、暫く…其の飴を舐める口内の動きを止めているようで。

 

…私が年下である事が、彼女の優しさの原因。

 

彼女の事を深く知らない私にとって、貴重な一つの情報となった。

 

其処から何を予想できるわけでも無いけれど、きっと魔法少女たるもの…何かを抱えてはいるのだろう。

 

彼女が私に深く問い詰めないのだから、私もそうするべきだと感じた。

 

だから二人は共に唇を閉ざす。沈黙と、時折びゅうと吹く風の音が外で微かに聞こえる。

 

さやかの眠りを妨げぬように、橙色の微かな灯りのみで照らされる室内にて。

 

静かさの中、二人で其の眠れる騎士様へと視線を向ける。

 

深い傷を負った癖に、呑気な笑みを浮かべながら睡眠に耽る彼女が余りに無頓着で滑稽で。

 

「なんで笑ってんだ?こいつ。」

 

くすくすと二人で笑い合った。

丁度同じ事を考えていたものだから。

そして、其れに杏子も気付いたようで…さやかを起こさないように息を殺しながら、悪巧みのように笑みを零し合う。

 

図太いものね。

喉を裂かれておきながら、こうしてすやすやと幸せそうに寝息を立てられるのだから。

 

…其の共感覚的な愉快が、私の心の張り詰めを少しだけ緩和してくれた。

頬から力が少し抜けて、楽になったような。

 

一息深く吐いて、私は口を開いてみる。

 

「…何十年も前からやってきたの。」

 

「………?………お前がか?」

 

「そう。」

 

ぽかんと口を縦に開きながら、暫し眉を下げた後に…彼女は私に問いかけた。

 

端的に、肯定の一言を告げると…神妙そうに彼女は眉を顰めつつ…

 

「で?」

 

と、続きを催促した。

 

彼女の立場になればきっと、私も同じ様に反応するだろうか。

 

良く分からないし、その話の信憑性すら計り知れないけれど、一旦はその全貌を聞き出したい。

 

…きっと、そんな反応。

 

「…私は…」

 

 

 

 

 

 

 

美樹さやかから聞いたことはなるべく伏せつつ。

 

私が私である事を忘れていた事。

 

私が私である事を思い出した事。

 

そのために私がした事。

 

私の正体と、其の経験。そして…其れに伴う私の"因果"の大きさ。

 

そして…私が目指す"帰還"。

 

私に関しての事を彼女に打ち明ける。

 

言葉が足りないかもしれないし、きっと受け入れ難い内容だとは思う。

 

…けれど、慈愛の深い彼女はきっと。

 

 

 

私が言葉を紡ぐ度に彼女はやっぱりぶっきら棒に、

 

「はぁ?」

 

「へぇ?」

 

「ふーん?」

 

等とガサツに相槌を打っていたけれど、話が進むにつれて真摯に私を見つめたり、時折視線を落として伏し目がちになったりと。

 

半信半疑の眼差しというよりは…困惑のような、それと同情のような。

 

分かり易い反応を示していた。

 

「…その為に、ほむらと戦わなくちゃいけないワケ?」

 

「…えぇ、全ては私からは話せないけれど、きっとそうなるわ。その辺りはさやかに聞いて頂戴。…ほむらのことに関しては、私よりもさやかの方が知っているのだから。」

 

さやかの許可なく、彼女の目的や過去を明かす訳にもいかなくて。

 

…杏子が何処まで聞かされていて、何処まで知っているのか解らないけれど、きっと彼女は"此の世界の事"しか知らないと思うから。

 

私から話すのはやめておいた。

 

 

 

「…にしたって。"本当のお前"の話し方…」

 

「…ほむらに似てんだな。」

 

唐突に紡ぐ彼女の言葉にきょとんと目を見開いた。

 

そういえば、こうして素の私で貴女と話すのは確かに初めての事だけれど、脈絡なくそう言われるとは思わなくて。

 

…そして、ほむらの遡行を知らない筈の彼女に似てると言われてしまった事に…彼女の第六感的洞察力の優れを感じてしまった。

 

やっぱり第三者から見ても私達は似ているのだろうかと。

 

複雑な気持ちに苛まれてしまう。

 

けれど、杏子はニヤリと口角を上げつつ其の八重歯を際立たせながら。

 

「食いなー?」

 

と、スティック状の駄菓子を私に放り投げた。

 

其の行動が瞬間的に理解できずに彼女を見据えたけれど、彼女の満面の悪戯な笑みが…眩くて、粋なものに見えて…真実の一部を曝け出した私の実態を歓迎してくれている、ように感じられる。

 

「いただきます。」

 

お腹が空いていたので、私は遠慮なく…其の封を開けた。

 

…あぁ、投げたりするから、端がほろほろと砕けている。

 

けれど。

 

只の駄菓子がやけに美味しく感じられた。

 

 

 

 

「もも。」

 

「…?これはめんたい味…」

 

「…あぁ。そうだね。」

 

 

 

……………?

 

……………。

 

 

 



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