天界の僕、冥界の犬 (きまぐれ投稿の人)
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第1章 守られし、いとし子
天界の別れ


「ちょっと!! どういうことなのよ!!」

 

「も、……もうしわけ、」

 

「ふざけないでよ……っ、なんで!!」

 

「か、からだが、かってに……うごいて、って……アイタタタタっ!!

い、イシュタルさ、ま……そ、そこ傷口、」

 

「ばかっ!! アタシは許してないっ!」

 

「イタタタっ!!し、しぬ……!」

 

何かと戦が絶えない世界で、俺のようなヘタレが此処まで生きて来れたのは僥倖という他あるまい。思い返すと、平々凡々に生まれた筈なのだが、中々に激動と波乱に満ちた人生であった。ひょんなことから“とある王様”に仕えることになり、またひょんなことから“とある女神様”に気に入られ、結局彼らに振り回された人生であった。

だがそれも、こうして綴ると二行で終わってしまう程度のものである。後の世に分厚い英雄譚を残せる人間というのはすごいものだと改めて思う。

 

そんな俺のしたことなど、所詮神と王の機嫌取りに過ぎないが、生きていく為にそれはもう必死であった。少しでも粗相をすれば、気性の荒い彼らは躊躇なくこの首を飛ばすであろうことは明々白々であったので、死ぬもの狂いで胡麻を擦ったものである。

当然ながら、ひたすら主人に尻尾を振る男が結婚などできる筈もなく、生涯独身を貫く羽目になってしまった。ちなみに童貞ではない。断じて、ない。

 

心臓という名の人体の核を貫かれた俺が、何故即死せずにこうして悠長に喋っているかというと、たった今俺の上に跨り止めを刺そうとしている女神様の加護のおかげである。

それでも完全ではない。だらだらと流れ続ける血は、砂漠の乾いた大地に染みこんでいく。

 

「アンタはこの私、女神イシュタルの下僕(もの)でしょ!

なんで主人の許可なく死のうとしてるのよ!

 

「……い、いや、俺は……、人王ギルガ、」

 

「黙りなさい! 首を刎ねるわよ!」

 

「ぐええっ……ぎぶ、ぎぶ」

 

致命傷を受けて倒れた人間の胸倉を掴むという暴挙に出た女は、その艶やかな髪を振り乱しながら濡れた瞳で見上げて来た。眉を下げて縋るようなその表情は、男であればイチコロというヤツだ。しかも、上に跨られたままの体勢で、だ。

ナニかが即効元気になってしまいそうな光景だが、違う意味で逝きそうな俺にとっては冥途の土産ぐらいにしかならない。

 

いや待てよ、これはある意味で(逆)腹上死と考えられないだろうか。

ふむ、最期が(逆)腹上死と考えれば俺の人生も悪くは……。違う。だから俺はし、新品じゃねえよ。使用経験はある。記憶がないだけだ。

 

それにいくら際どい恰好をしてようとも、この女神様にそういう欲は持てない。

そういう目で見た瞬間に首を刎ねられそうだし、なんか連帯責任とか言って周りを巻き込みそうだ。大量虐殺ダメ絶対。

確かにこの女神はうつくしい。当然か、美を具現化した存在とかだったもんな。

美という武器を以て数多の人間だけではなく神々を虜にしたこの女神様は、何を血迷ったか普通の人間に他ならない俺を気に入ったという。そこから俺の人生は狂い始めた。

俺が今こうして死にかけているのも、何をトチ狂ったか女神を庇って受けた傷が原因なのだから。

 

「お、れがしんでも、ギルガメッシュ王が……」

 

「あんなのどーでもいいわよ! アタシは、……アタ、シは」

 

「ちょ、ちょっと、い、……イシュタル、さま……?」

 

「っ、うわああああん―――!!

なんで、死ぬのよ、だって、……なんで!」

 

民が生きれば国は生き、国が生きれば王は生きる。俺のような兵士はそこには入らない。民を守り王に傅く、そうして国の礎の1つとなり散っていくことが、兵士として在る理由であろう。そう思っていた筈なのだが、気が付けば傅く相手が増えていた。これは未だに摩訶不思議なことである。

 

「う……うう、だって、……言ったじゃない、アタシのことは、アンタが守ってくれるって」

 

「……いって、なっ……い」

 

すごく良い場面で申し訳ないのだが、全く記憶にない。

そう言っても聞く耳など持っていないだろうが、一応主張はしておこうと口を開くも、掠れた声しか出なかった。

 

ぼろぼろなんて可愛いものじゃない、ぼたぼたと落ちる大粒の涙が胸を濡らす。

気分で人を贄にしたり、惨殺したり、拷問したりと話題に事欠かない、気紛れで残酷な女神様が、まるで人間の少女の如く泣き叫びはじめたのだ。

 

静かに死を迎えたかったのだが、こうも喧しくされてはそうもいかない。しかしこれはこれで、良いものだ。一人寂しく死ぬものだと覚悟をしていた身にとっては、これ以上ない幸運である。これを言うとまた調子に乗って、何かをやらかすので心の中で呟くだけにしておこう。

 

「……」

 

「ね、ねえ? やだ、ちょっと! ねえってば!

アタシが、この女神イシュタルが、呼んでいるのよ!!

いつものように、名前を呼んで、ねえ……イシュタル様って、それで、傅いて、頭を垂れて、それで、それで―――!!」

 

その慟哭に、答える声はもう出なかった。

元々口は堅い人間であったが、物理的に硬くなっていく時が来たらしい。

どうやら人間の聴覚は最後の最期まで機能するようだと、どうでもいいことが頭を過る。

一刻一刻と薄らいでいく意識に、死が迎えに来たことを悟った。

 

恐れ多くもこれが最後だと思って、その白い頬を撫でる。最期ぐらいちょっと欲を出しても怒られないかな、と思ったのは内緒である。陶器のようにつるりとしていながらも、しっとりと柔らかな肌であった。女神に触れるのは、それが最初で最後のこと。

大きな瞳をさらに大きく見開いた女神は、くしゃりとその顔を歪めると、ぎろりと睨み付けて来たのだ。それが俺へと向けられたものか、それとも―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さない、」

 

 

「さない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさないっ!」

 

 

「ぜえええったいにっ、許すものですか!

あんな根暗のもとに下りるっていうのなら、こうしてやるんだからっ!!

―――この馬鹿あああああ!!」

 

 

 

 

 

 



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冥界の出会い

「―――!?」

 

 

何か恐ろしい声が聞こえた気がして、急き立てられるように目が覚めた。

むくりと体を起こすと、何かがおかしい。まず視界が低いのだ。

元々俺は身長が高い方であったので、かなりの違和感がある低さだ。

此処まで地面を低く感じるのは随分と久しい。

 

次になんか白い。何を言っているかわからないと思うが、俺もわからない。

とりあえず白いのだ。下を向いた自分の視界に、やけにふわふわとした白い毛がフェードインしている。何だろうと手を動かすが、その手も何かがおかしい。

まず指がない。丸に近い形をしており、拳を握った時と比べ物にならないくらい大きい。

 

「……!?」

 

まさかと思い立ち上がろうとして、失敗した。

それはそうだろう、四足歩行の生き物に突然二足歩行を強いるなど……。いや待て、まだ混乱しているようだ。四足歩行だと? 人間は二足歩行であった筈だ。

良くわからないままに丸い手に力を入れると、刃物そのもののような鋭い爪が現れた。

 

「わ、……わふっ」

 

いや『わふ』ってなんだ、と自分自身にツッコミを入れるがなんというか口の可動域が狭い。

まさか、本当に―――俺は人間ではなくなってしまったのか?

 

恐る恐る四肢に力を入れると、安定して起き上がることが出来る。

これは明らかに、あれだ。人間ではない体だ。だとすると何故、こんなことになっているのかを考えると頭が痛くなる予感がしたので、とりあえず歩いてみることにする。

 

真っ暗な場所だ。此処が所謂冥府なのだろうか。はじめて来た。

何せ死ぬのははじめてであるので、全く状況がわからない。

おどろおどろしい声と気配がするので、おそらくそうなのだろう。

慣れない体を動かしながら、ゆっくりゆっくりと歩を進める。

 

地面がやけに明るいなと思って、ふと足元を見た。

そして再び吃驚して思わず悲鳴を上げてしまったが、悲しいことにまた「わんっ」という犬のような声が出ただけであった。

 

なんと、片足を地面に付けるとふんわりと淡い光が灯り、離すと消えていくのだ。

その光は花のような形をしていた。砂漠の地にいたのでそう花を見る機会はなかったが、いつか本で見た蓮という花の形に近い気がする。光の花が咲くと、嗅いだことのない瑞々しい香りが一気に広がった。この場所にはあまり似つかわしくない香りであったが、混乱しまくっている俺の心を少し沈めてくれる。

 

暗闇を彩り、咲いては消えていく光と花がとても綺麗なものだから、ついつい地面を跳ねまわっていたが、ふと我に返り足を止めた。いい年の男が花で燥ぐなんて絵面がひどいにも程がある。

 

「なっ……な、な、」

 

しゃりん、という金属がぶつかるような不思議な音がしたかと思うと、足元の光とは別の薄明かりが姿を現す。それと同時に、“聞いたことがあるようでない”声が聞こえて、後ろを振り返った。

 

「お、……お花、だわ……」

 

がしゃん、と手にしていたランプのようなものが地面に落ちる。

ぺたりと座り込んでしまったそれの顔を見て、一瞬息をすることを忘れた。

すっぽりと被っていた赤い頭巾は、尻もちをついた衝撃でずれてしまっており、その顔が露わとなっている。あまりにも“かの女神”に似ているものだから一瞬意識が飛んだが、よくよく考えると目の前のそれは幼女だ。金髪のまだ幼い子ども。あの女神とは似ているが髪の色も目の色もサイズも違う。いや胸のサイズは同じ、いやこれ以上はやめておこう。

 

その幼女は大きな目を丸くすると、表情を輝かせた。

キラキラと星が散って見えたのは気のせいだろうか。

 

誤解が生じると俺の尊厳に関わるので先に言っておくが、俺は幼女趣味(ロリコン)ではない。断じてない。

悲しいことに今の俺は人間ではないので、ロリコンだったとしても色々と関係ない筈だ。少なくともそういう趣味は持ち合わせていない。だから、何の問題もないのだ。そう自分に言い聞かせて、恐る恐る幼女へと近づく。

 

「あ、あの……、あなたは、……だあれ、?」

 

傍まで来た俺を、不安げに揺れる瞳で見上げる。

赤いローブから零れる金髪といい、気弱な赤い目といい、これはなんかこう……。

狼になれそうだ。外見的にはもうなっているかもしれないが、精神的というかナニ的な意味で。

というか、獣なんだからちょっとばかり頬をペロッとしても許されるんじゃ……いや違う、俺はロリコンではない。違うんだ。

 

「くううん」

 

下らないにも程がある葛藤を頭の中で繰り返していると、思わず情けない声が出てしまった。

そんな俺に何を思ったのか、その幼女は俺のもふもふボディに抱き着いて来たのである。

幼女とは言え異性の体である。柔らかくて、毛並みとは違った意味でふわふわとしてて、なんだか良いにおいがした。そのにおいは、某王様とは違い女性経験が悲しいくらい薄い俺の動きを止めるには、充分な技であった。

 

「……っ、わふっ!?」

 

衝撃のあまり声を上げて固まった俺に、抱き着いたまま顔を上げた幼女はゆっくりと口を開く。

それが、さらなる追い打ちだとは思いもしなかったのだ。

 

 

 

「女神エレシュキガルの名のもとに、あなたに名を授けましょう―――」

 

 

 

―――はあああ!? どうしてそうなった!!

もし言葉を話すことができれば、全力でそう叫んでいただろう。

 

なんで? どうして、ほんとなんでそうなった? 突然の事態に頭が付いていかない。

まるであのイシュタル様のようだ。あの方も突発的にとんでもないことを言い出す癖があった。それに逆らえない俺は、ただ振り回されるだけで……。ああ思い出しただけで胃が……。

 

もしかして、俺が良からぬことを考えていたのと同時にこの幼女も何かを考えたのだろうか。

遠い目をする俺と、真逆の表情をした幼女―――女神エレシュキガルは、花が咲くように笑った。

 

 

 

***

 

 

 

―――KUR NU GI A(クル ヌ ギ ア)

 

それは『戻ることのない土地』または『不帰の国』と訳された、光なき箱庭である。

その場所は、とある豊穣の地の下かあるいは西方の彼方にあるとされ、生者を拒み死者を受け入れる“聖域”であった。

光を知らない暗く乾燥した世界は、天空神アヌの娘の1人エレシュキガルによって統べられている。

 

地上もしくは天空と比べてしまえば、地下の国はそれはもうひどい世界であろう。しかし冥界の住人にとって、静謐に包まれた世界は“揺り籠”だ。女主人であるエレシュキガルが守り続けるのは、生きとし生けるものがやがて辿り着く夜の眠りである。

 

からからと、細長い鳥籠にも見えるそれを手にして、エレシュキガルは自分の管理する地を見回っていた。冥界の地は彼女の体にも等しいもので、何処にいようと何か異変があればすぐにわかる。だからこの時それに気付くことが出来た。

 

「えっ ……こ、この感じは、」

 

外の世界を知らないエレシュキガルにとって、冥界の“つめたさ”は普通のことである。

つめたさを知る為にはあたたかさを、あたたかさを知る為にはつめたさを知らねばならない。一切の温度を許さない冥界において、エレシュキガルがそれを知ることは不可能に等しいのだ。それ故に、彼女は戸惑いの声を上げる。

何が起こったのかわからなかったが、それを認識した途端にエレシュキガルの胸にほわほわとした妙な感覚が宿ったのだ。知らない感覚にそれ以上を言葉で表すことは出来なかったが、体が溶けてしまうのではないかと不安になった。

 

「ど、どうしよう……って、そんなこと言っている場合じゃないわ」

 

ぎゅっと小さな手がローブの端を握り締める。

どうしようなんて、冥界の女主人が言うセリフではないのだ。

自分がしっかりしないと、とエレシュキガルは歩き出す。

彼女が感じた得体の知れない気配が出現したのは、冥界の最深部ともいえる場所であった。

冥界の主以外が立ち入ることは許されていない地に、一体何が起きたのかと足が早くなる。

 

そうして急いで駆け付けた先には、なんと……。

見たことがないくらい大きな“白い犬”と、その足元に咲く“白い花”があった。

 

「は、はわ……」

 

エレシュキガルにとってそれは、はじめてみる“花”であり“光”である。

神としてまだ“幼い”彼女は、やっと冥界を治められるようになったばかりで、外のものを全く知らない。常世の闇と、亡者のつめたさが彼女の全てであったのだ。

 

「……きれい、……きれい、だわ」

 

冥界に下りて来る死者から、外はどういう世界であるのか話だけは聞いていた。

豊かな恵み溢れる大地に、澄んだ川や海、青い空、燦燦と照る太陽……。

1つ1つの単語の意味は何となくわかっても、それがどういうものであるかを思い描くことは出来なかった。

 

「わふ」

 

「きゃっ! あ、あなたは……」

 

自分が尻もちをついたことにも気付くことなく、ただ茫然としているエレシュキガルの視界いっぱいに何かが映り込んだ。赤い模様のついた純白の体毛に、どこか間の抜けた顔は、狼ではなく犬のそれに近い。だが、そもそも生きている動物を見たことがない彼女は、はじめてみるそれから感じる“生気”と“体温”に、目を丸めるのが精いっぱいであった。

 

完全に硬直してしまいぴくりとも動かないエレシュキガルを、それは心配そうに覗き込む。そうして、ふんふんと鼻を鳴らしながら小さなその体に擦り寄ったのだ。

 

「ひっ……。あ、あれ……?」

 

はっと我に返ったエレシュキガルは、目前に迫った未知の生物に身を強張らせぎゅっと目を瞑る。すると次の瞬間―――。

 

もふん、と何かが触れた。

柔らかくて弾力のあって、あたたかいもの。

じんわりと染み入るそれに、思わず手を伸ばす。

 

「わ、わあ……」

 

指先が、ふわふわに沈む感触。

じんじんと指先から何かが伝って心臓がぽかぽかとする。

エレシュキガルの鼻を甘くて瑞々しい香りが擽る。再び白いそれを囲むように、白い花が咲き始めた。

 

「え、えっと、あの……。その、」

 

エレシュキガルは頭に浮かぶ大量の疑問を言葉にしようとして、失敗する。

なんで“生き物”が冥界にいるのか、なんていう“生き物”なのか、どこから来たのか、何をしているのか。どれから口にして良いのか、いやそもそも聞いても良いのだろうか、話しても良いのだろうか。そう思いながら、エレシュキガルはゆっくりと顔を上げる。

 

「……?」

 

黒々としたつぶらな瞳と目が合うと、それは少しだけ首を傾けた。

その仕草が、どうしたの?と問い掛けているようにも見えて、エレシュキガルはぎゅっと唇を噛み締める。

 

「……そ、そうだわ、えっと、私……エレシュキガルっていうの。

えっと、その、……あなたはだれなのかしら?」

 

胸の前で両手を握り、恐る恐るといった様子でエレシュキガルは問い掛けた。

するとその白いそれは、少しばかり視線を彷徨わせると―――。

 

「わんわふっ」

 

「え、ええと……わ、わん、……?」

 

エレシュキガルの言葉は通じているようだが、それの言葉は彼女には伝わらない。

冥界の主である彼女は、少なくとも冥界にいるすべてのものの言葉を聞くことができる。

しかし、何故か目の前の白いものの言葉は一切理解することができなかった。

言葉が通じていないのを悟ってか、悲しげに耳を垂らしたそれの姿に、エレシュキガルは胸がきゅっと締め付けられる感覚に襲われる。同時に、何とかして話したい、言葉を聞きたいという欲求が沸き上がって来た。

 

「そ、そうだわ……。あなたを、この冥界のものにしてしまえば……!

ええ、そう。それが良い……!」

 

エレシュキガルもまた、神に名を連ねるものだ。

少しばかり強引な手を使ったとしても、欲しいものは欲しい。

そしてそれを手に入れるための力を、彼女は持っている。

冥界という自分の領域にいるうちに、捕らえてしまおう。

彼女の目がキラキラと輝いた。

 

 

 

「女神エレシュキガルの名のもとに、あなたに名を授けましょう。

 

あなたの名は―――シャマシュ“ギガル”。

 

今日から私に仕えるのですわ!」

 

 

 

弾む声で歌うようにエレシュキガルは、それに名を与えた。

はじめての興奮のあまりに途中で噛んでしまった為に、彼女はシャマシュギガルと言ったが、正確には“シャマシュキガル”と名付けられたそれが、ぽかんとした表情を浮かべていることなど構わず、エレシュキガルは嬉しそうにその首元へと抱き着いたのである。

 

“生前散々振り回された女神”の顔によく似た女神に、勝手に名前を与えられ、勝手に仕えさせられることになったシュマシュキガル本人の声にならぬ阿鼻叫喚(さけび)など、はじめてのぬくもりを噛み締めるように堪能するエレシュキガルには届かなかった。

 

 

 

 

 



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彼岸のものへ

―――ギルガメシュ叙事詩

古代オリエント最大の文学作品であり、この時代によく見られた神が主体となり描かれる神話とは異なり、物語の主人公は1人の半神である。これを英雄譚とするか否かは賛否両論があるようだが、半分神の血が入っているとはいえ半分人間である彼を主人公として描いたそれは、最も古い物語の1つであることには変わりはないだろう。

 

十といくつもの粘土板に刻まれた物語の中に、1つだけ他とは違う話が存在した。

話の筋が他のものとは大きく異なるが為に、贋作かもしくはオマージュ作品か、それとも気紛れに書いた短編か、あるいは何者かが書き足したものか、などと世界中で散々議論が繰り広げられたようだが、結局謎のままである。

 

さて、突然ではあるが問題の粘土板に綴られた物語に目を通してもらいたい。

そうして、ぜひ知ってもらいたいのだ。とある男の、悲劇を―――。

 

 

 

 

 

愛と美の女神イシュタルは、戦・豊穣・金星・王権など多くの神性を司る、最上位の神々に匹敵するほどの信仰と権限を得た特異な存在である。そのために、神々は彼女を制御することができず、天界のみならず地上でも女神として、自分自身の思いのままに君臨していた。

 

しかし、そんな彼女の我儘極まりない振る舞いも、とある日からぱたりと姿を消した。

 

「あ、あー!! い、イシュタル様っ! あーっ!困ります!

わ、私は……っ、今、王に仰せつかった仕事をっ!!」

 

「黙りなさいっ! 良いかしら?

アンタはアタシの下僕なのっ! あんな奴のことなんか放っておきなさい!」

 

「え、ええ……。で、でも、王に知られたら、私の首が」

 

「はあ? なによ、アタシよりアイツの方が大事ってこと?

安心しなさい。アイツに取られるくらいなら、アタシがアンタの首もらってあげるわよ!」

 

豪華絢爛の文字を具現化したような城の長い長い廊下に、甲高い女の声と、戸惑った男の声が響いていた。

女神イシュタルは、男の腕を掴むとじっとりとした目で見上げる。

うっと言葉を詰まらせた男は、視線を彷徨わせるとがっくりと項垂れた。

 

男はこの国の王に仕える兵士であったのだが、王に付添ってこの女神に謁見をした際に大層気に入られてしまい、以来こうして付き纏われる日々が続いている。

 

「あ、あの……い、イシュタル様」

 

「なによ」

 

「そ、そのですね。どうか、どうかあと10分ほど待っていただきたいのです」

 

「はあ? アンタ、自分の立場をわかっているの?」

 

「も、申し訳ありません! ですが、あともう少しでお茶の時間になります。

以前イシュタル様がお気に召されていたお菓子も、焼き上がるかと」

 

「……」

 

「い、如何でしょうか……」

 

「……もよ」

 

「へ?」

 

「あ、アンタが焼いたものなら、特別に許すって言ってんのっ!

その代わり、紅茶も淹れなさい。寛容なこの女神の慈悲に平伏しながらね」

 

「あ、はい。あ、アリガトウゴザイマス……」

 

ふいと顔を背けたイシュタルに、たらたらと冷や汗を流した男がほっと胸を撫で下ろす。

以前王のためにつくったおやつを、イシュタルが勝手に摘まみ食いをしてこれまた気に入ってしまったことがあった。それからというもの、おやつの時間に現れてはそれを強請るので、予め用意していたのである。男が10分ほどの時間が欲しいといったのは、せめて手元の書類だけでも王に渡しに行かねばならなかったのだ。

 

「……アタシが呼んだら、すぐに来なさい」

 

「お、仰せのままに……イシュタル様」

 

深々と首を垂れた男に、満足げに笑ったイシュタルはこれまでに感じたことのない喜びを噛み締めていた―――。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、……ねえってば……」

 

天界の一角、彼女に与えられた輝かしい宮殿の玉座の前で、女神イシュタルは蹲っていた。

華奢な体に包まれるようにして、男の体が力なく横たわっている。

 

「う、……うう、なんで、……なんで返事、してくれないのよ、」

 

息絶えた男の体を、イシュタルは自分の領域へと連れ去った。

そうしなければ、あの憎き王によって埋葬されてしまう。

この男がいた証が雑踏に消えていってしまうことを、彼女は恐れたのだ。

自分の眷属として蘇らせるにも、魂が必要だ。

冥界へと下ってしまった魂を、再び引き戻すことができれば後は女神の力でどうとでもなる。しかし冥界はイシュタルと対をなす女神の領域であった。そして、その女神と犬猿の仲であるイシュタルには、冥界に関与することが出来ない。

 

「ぐすっ、ねえ……そろそろお茶の時間でしょ?

起きなさいよお……。ばかっ、ばかばかばかっ!

なんで女神庇って死んじゃうのよっ!ばかっ!

軟弱な人間の癖にっ、格好つけて……!

結局アタシを1人にしてどうすんのよっ!!」

 

男が息絶えてからというもの、自分の神域に引き籠ったイシュタルはただひたすら泣き叫びながらその亡骸をずっと胸に抱いていた。

彼女の神域に囚われた男の体は、腐敗することもなく、まるでただ眠っているだけのように綺麗であった。ただ1つ、イシュタルを庇ってできた“心臓の穴”はそのままとなっているが、これは彼女にとって男が捧げた“忠誠の証”のようなものだ。どうして消すことが出来ようか。

 

「なに?……誰か、来るわ。え、……これはっ……!?」

 

顔を上げたイシュタルは、涙に濡れた瞳をそちらに向ける。

何かが自分の神域を守る結界を引き裂いたのだ。

力ずく、という言葉が似合いのそれは、まるで怒りを叩きつけるような強引な力であったのだ。

イシュタルの嗚咽だけが唯一の音であった玉座の間に、一瞬にして戦慄が走る。

びりびりと宮殿の壁が揺れて、至る所に飾られた金ぴかの調度品が次々と床に落ちて砕けていく。

 

非常にゆっくりとした足取りで、それはやってきた。

感情を叩きつけるように、宮殿の破壊を繰り返しながら。

 

「う、うそ……。なんで? だって、此処はこのアタシの……」

 

その足音が、玉座の間に通じる扉の前で一度消える。

扉一枚を挟んで感じる気配に、イシュタルは目を丸めた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「―――シャマっ、シャマ!

どこにいるのだわ!」

 

死んでからも奉仕を強いられることになろうとは。とんだ人生だと肩を落としたのは一瞬であった。なんと素晴らしいことに、今度の主人は無茶ぶりをしないし、私用で俺の仕事を邪魔したりもしない。むしろ俺のことを気遣って、こうして散歩にも連れ出してくれるのだ。

日々人間としての尊厳を失いつつあること以外、問題はない。

今までの主と比較してしまうと、随分と可愛げがあるように見えて、俺が開き直るまでにそう時間は掛からなかった。

 

「はいはい、ここですよー」

 

しゃかしゃかとした足音を立てながら、呼ばれた方へと走る。

王の城で飼われてた犬が、大理石の床を走る時に立てていたのと同じ音だ。

自分の足音を聞く度に、本当に獣の体になってしまったことを実感する。

 

“シャマシュキガル”なんて大層な名前を与えられてから、俺はこの幼女と会話をすることが出来るようになった。

この幼女は、冥界の女神“エレシュキガル”で、なんとあの女神イシュタルと姉妹関係にあるという。これを聞いた瞬間、発狂しかけた俺の気持ちを察して欲しい。またあの悪夢の日々が繰り返されるのかと、頭を抱えて叫びたくなった。

 

「シャマっ」

 

ぴょん、と小さな体が飛び付いてくる。

人間に例えると5,6歳のサイズであろうか?

生涯童貞(どくしん)を貫いた俺には子どもがいなかったので、その辺は曖昧だがとにかく小さい。俺の体も子犬くらいの大きさだが、今のエレシュキガルなら乗せて走ることは問題ないだろう。いや、諸々の理由から上に乗せるのは避けたいものだ。幼女とはいえ、その、感覚がこう……。なんでもない、これは聞かなかったことにしてくれお願いします何でもしますから!

 

「やっぱり、あなたの傍は、あ、あったかいのだわ」

 

「……う、ううん、俺からすれば、此処が寒すぎるだけかと」

 

「そんなこと思ったこと、なかったの。

外の世界を知らない私にとって普通のことだったから」

 

エレシュキガルの部屋にあった鏡を覗いたが、今の俺は犬とも狼ともつかない生き物の姿をしていた。冥界を歩き回っても汚れ1つ付かない純白の毛に、不思議な赤い隈取がある以外は、特におかしいところはない……?

いやいや違う、そもそも人間から獣の体になっていること自体がおかしい。段々とこの体に慣れてきている自分がいることは否定しないが、果たして本当に良いのだろうか?

 

「ねえ、シャマ」

 

「はいはい、なんでしょう」

 

そんな緩々な口調でも、睨まれたり怒られたりしない幸せを噛み締める。

生前はという表現が正しいのかはわからないが、王だけではなく女神に対して毎日毎日最上級の敬意と気を遣っていたので本当に苦労したものだ。

何度も言うが、小さな粗相が胴体と首の離婚原因となる世界だ。

必死で所作を憶えたのだが、所詮俺は庶民あがりの兵士だ。彼らの無茶ぶりにすべて応えろというのは無理がある。

 

「あ、あの……ね。そ、そろそろお昼寝の時間なのだわ」

 

「時間、ああ、そういえば……」

 

死者にはもう時間という概念は存在しない。

あるのは静かな眠りだけ、それだけが冥界の全てである。

何故だが良くわからないが、俺は眠りには就かなくて良いようだ。

 

女神エレシュキガル曰く、俺は彼女の眷属のような存在となったらしい。

だから彼女の神域といえるこの冥界でのみ、俺は自由に喋ることができる仕組みだ。

彼女は俺に“傍にいるように”命じた。それだけだ。

 

ついさっきまで人間だった俺にとって、昼夜もない冥界は正直気が滅入る。

慣れてしまえば感じなくなるのかもしれないが、風呂も、食事も、睡眠も取らない生活は死んでいるのと同じだ。だからこそ、俺は恐れ多くも“とある提案”をこの女神様にぶつけたのだ。

 

『あのー、エレシュキガル様』

 

『……」

 

『え、エレシュキガル……さ、さま?』

 

『……なのだわ』

 

『へ?』

 

『その呼び方、……嫌なのだわ』

 

『え、えっと』

 

『た、確かにあなたは私の眷属だけど……。でも、その、……』

 

『う、ううん……』

 

『ご、ごめん、……なさい、私、……。あなたと、も、もっと仲良くなりたいっ』

 

頬を赤らめながら両手の人差し指をくっ付けて、チラチラと見上げられた挙句にそんなことを言われて、NOと言える男がこの世にいるだろうか。もしこの体が人間であれば、胸を押さえてしゃがみ込んでいたところである。胸だけではないかもしれないが。

 

こういう時すぐに言葉が出てこないのが、悲しいかな経験のない男の末路である。

黙り込んでしまった俺に、小さな女神が泣き出すまで時間は掛からなかった。

 

『う、うあ、……うわあああんっ! ご、ごめんなさいい……!』

 

『なっ! ちょ、ちょっ、』

 

『わたし、わたし、あなたを困らせたいわけじゃくて……う、うう』

 

『わ、わかった! わかりました!

じゃ、じゃあ、こうしましょう!!』

 

もっふもふの俺の胸に顔を埋めて泣き出した女神に、慌てふためくことしかできない。

情けないということなかれ。幼女とはいえ、女性の泣き止ませ方など知るわけがなかった。

毛に染み込むその涙が何故かとても悲しいものに感じて、必死に頭を回す。

女神が望んでいることが、何となくわかった気がした。

きっと、おそらく友のような“対等な関係”が欲しいのだ。

 

『貴方は俺の願いを叶える。俺は貴女の願いを叶える。

それで、えーと、貴方と俺は同じです!』

 

同じってなんだ、同じって。

もっとこう格好の良い言い方がある筈なのに、こういう時に限って出て来ない。

頭を抱えたくなる衝動を堪えて、恐る恐る女神を見下す。

 

『同じ、……』

 

『も、申し訳っ! め、女神である、貴女にこの言い方は……!』

 

『いいえ、いいえ!

私は、……それを望みます。だってずっと、』

 

―――欲しいものだったから。

そう呟いた女神エレシュキガルは、濡れた瞳のまま笑った―――。

 

 

 

 

 

「それじゃあ、お昼寝しましょうか“エレさま”」

 

冥界のものとなった俺は、絶対的な存在である女神の名を気軽に呼ぶことは許されない。

例え彼女が許したとしても、その制約は変わらなかったようで、他の呼び方をしてもそれが言葉になることはなかったのだ。彼女自身もそれを知らなかったようで、目を丸くした後また泣き出してしまった。

 

ぼたぼたと落ちていく涙を見ていると、なんかこういたたまれなくなるので、何か手はないかと考えた果てに出てきた言葉が『エレさま』であった。我ながら単純なネーミングセンスであることは自覚している。

 

それでも、ぱっと顔を輝かせたエレさまがあまりに嬉しそうに笑うから、これで良かったのかもしれない。

 

「行くのだわ、シャマっ!」

 

『さっさと行くわよ、―――!』

 

一瞬だけ浮かんだ“違う顔”は今、どうしているのだろう。

いやどうもしていないだろう。

彼女にとっては、雑兵1人命を落としただけのこと。

またあの城に入り浸って、次のお気に入りにちょっかいを出しているのかもしれない。

 

何はともあれ、次なる犠牲者に心の中で合掌しつつ、次なる主と共に歩き出したのであった。

 

 

 

 

 




今回はシリアスめな感じでした。
次から視点が変わる予定です。
なぜ一介の兵士である主人公が王や女神のお気に入りとなったのか、少しずつ明かされていくかと。そして個人的にもっとギャグを入れたい。


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沈まぬ太陽

光を知らぬ地の底の女神となって、どれほどの時が流れただろう。

天空神アヌの娘の1人として生を受けたわたしは、本来であれば天界の高位の女神として名を連ねる筈だった。でも、結局冥界に落ちたわたしを迎えに来てくれるものはおらず、ずっとずっとひとりぼっちで、この暗い世界を治めていく他に術はなかった。

 

冥界に送り出された死者は、死霊として生き続けるか、深い眠りに就くかのどちらかである。

わたしは彼らに選択肢を与えるけれど、どちらを選んだとしても冥界の住人として迎え入れることに変わりはない。

彼らは冥界で過ごすうちに、“生”と結びつく行動を忌避するようになっていく。彼らが“食物を知らず、飲み物を知らず、穀物の奉納を受けず、御酒を飲まない”のは、きっとわたしがそれらを知らないから、冥界に影響された彼らもまた同じになっていくのだろう。

 

こうして、わたしの世界は完成していった。

ほんの一部を除いて神ですら出入りの叶わない、生あるまま下ることを絶対に許さない一方通行の閉鎖都市は、わたしの心そのものであったのかもしれない。

 

「エレさまー、エレさま、お散歩の時間です」

 

冥界の女主人としての仕事を除けば、わたしはずっと部屋に閉じ籠って膝を抱えて、生まれた頃にほんの僅かだけ見た光の世界に思いを馳せていた。冥界が嫌いなわけじゃない。冥界に落とされたことを恨んでいるわけじゃない。でも。

 

 

―――わたしだって、わたしだってまだ死んでいない!

 

―――わたしだって、一度くらいは陽の光に触れたい!

 

 

そう叫ぶ心をいくら押し殺そうとしても、死なない光がまたわたしを苦しめる。

こんなことならいっそ、この冥界で生を受けたかった。

光を知らなければ、わたしはこんなにも苦しい思いをしないでいられたのに。

 

「エレさま、みつけましたー!」

 

「っ!?」

 

すぐ近くで聞こえた声に顔を上げると、視界いっぱいを白が埋め尽くす。

この世界にはない純白の色を目にした途端、胸からこみ上げて溢れ出した熱が体全体へと流れていき、わたしの冥界色の思考を押し流して、あっという間に忘却の彼方へと連れ去っていく。本当に不思議だ。そうすると、埃っぽいベッドの上で膝を抱くわたしの頭上から、一筋の光が差したように、ぱっと目の前が明るくなる。

 

「しゃ、」

 

―――シャマシュキガル。

冥界の最深部で見つけたこの不思議な存在は、まるで陽の光のようにわたしの心に入って来た。はじめ見た時は、いいえ、今でも、わたしなんかが触れて良いのだろうかと、わたしなんかが言葉を交わしても許されるのだろうかと思うほどの異端な存在。

 

黒い瞳に見つめられて、ふと思った。

“これはわたしが求めていた存在”であると。

 

同時に、冥界の女神の勘がこう告げた。

“もしかしたらこの異端は、冥界の主として消し去らねばならない存在であるかもしれない”

“今のうちに排除しておかねば、後々後悔することになるだろう”

 

「シャマっ!!」

 

「えっ、エレさまっ、と、突然なにをっ!?

ちょ、ぎ、ぎぶぎぶっ、」

 

あの日を、わたしは決して忘れることはないでしょう。

心を殺し続けて来たわたしが、はじめて冥界の女主人(わたし)を殺した日なのだから。

だって仕方ないじゃない。欲しくて欲しくて欲しくて欲しくて、堪らなかった陽の光が、目の前に差し込んだんだもの。だから、これは、これだけはわたしのもの。誰にも奪わせはしない。わたしだけのお日さま。

 

「ぐえええっ、よ、ようじょのちから、つ、つよい……。

なるほど、こ、これが……ほんとうの、ちょく、そう、か……」

 

大きなその体に顔を埋めると、頬を擽るふわふわとした毛と、ふわりと香る、甘いにおいと知らないにおい。甘いにおいは足元に咲くお花の香りで、知らないにおいはわからないけれどなんかぽかぽかとする香り。

ぎゅっと抱き締めれば、胸がぽかぽかとして指先までそのぬくもりが伝わっていく。

 

この子は、冥界(わたし)の―――冥界の太陽(シャマシュキガル)

生まれた頃に見た、あの太陽よりも優しくて、あたたかな、わたしだけの太陽。

 

「ちょ、……ほんと、はなし……てえええええっ!」

 

絶対に、絶対に離さないのだわ!

そう呟いて、ぎゅっとわたしの太陽を抱き締めた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

―――時は、神と人間が混在する時代。

神は人間に力や知恵を授け、時に栄華を、時に滅びを与えた。

人間は、神を崇め、神を崇拝し、神と戦った。

 

ウルク第1王朝のルガルバンダ王と、女神リマト・ニンスンの間に生まれし子ギルガメッシュ様が、主神エンリルに王権を授けられ、このウルクの地に栄華という大輪の花が咲く。

 

王の役目は、国の統治の他に“人と神とを繋ぐ”ことであり、天と地、神と人の間に立ち、神の声を人に伝え、人の声を神に伝える。即ち国民にとって、王の言葉は神の言葉なのであった。

 

しかし、今、王は“自らの言葉で神に怒っている”。

王のご乱心はすぐに国中を巡り、表面上は平静を装ってはいるが、人々は皆何かよからぬことが起きているのではないかと戦々恐々としていた。

 

「王はどうなされたというのか」

 

「わからん。あの側近の者の姿も見えぬし、先の戦いで何かあったのかもしれんな」

 

ウルクの兵たちの間でも様々な憶測は飛び交っていたが、王に忠実な彼らは決して多くを口にすることはない。それは私も同じで、例えどのようなことがあろうともこの身を王に、そして国に捧げる覚悟はできている。だから余計な詮索は不要というわけだ。

 

しかし今日の城はやけに静かだ。いつもの賑やかさが一切ない。

そういえばあの賑やかさは何が原因だったか……―――。

 

城内の見回りでもしながら、少し前の日のことを思い出してみることにしよう。

言っておくが暇だからではない。いつもとは様子の違う静かな城に、調子が狂っているだけだ。断じて、手持ち無沙汰だからではない。

 

『―――ちょっと! アンタ、命令される相手を間違えてんじゃないわよっ!!』

 

『う、うわあ!? い、イシュタル様、ど、どちらにいらっしゃったのですか……心臓に、わ、悪いです』

 

『は? アンタの目は節穴なのかしら?

この金星と美の女神の輝きが、アンタの目に映らないっていうの!?』

 

『う、映ってます映ってますから、は、はなれてください、眩し過ぎてしんでしまいます……!!』

 

ああそうだ、そうだった。

年齢層の広い兵士の中で、青年といえる年の男が1人いた。

年若い男など数多くいるが、その中でも目立つというか、異質であったのですぐに思い出せた。

 

何が異質であったかというと、まず第一にその顔を誰も知らないことがあげられるだろう。

“顔を晒してはならぬ”という王からの命を受けているらしく、何時如何なる時でも顔を隠していた。他のものたちは、“顔にひどい傷がある”だの“見せられぬほど醜い顔をしている”だのと、散々ああでもないこうでもないと言い合っていたが、私はどうも違うのではないかと思っている。

 

王もそしてかの女神も、造形の醜いものを態々近くに置くだろうか?

うつくしく価値のあるものを好まれる王と、うつくしく面白いものを好まれる女神が、たかが1人の兵士に執着する理由として考えられるのは、真逆のことなのかもしれない。

 

いつぞやからこの城に頻繁に訪れるようになった女神は、何がどうしてか知らぬがずっとあの兵士に張り付いている。あんなにも直接女神の神気をあてられたら、人の体などすぐに弱ってしまうだろうに……。そもそも、本人は気付いているのだろうか。

 

 

 

『ほお……。下僕風情が随分偉くなったものだ』

 

 

 

兵士の後ろから伸びて来た手が、その頭を鷲掴んだ。

びくりと兵士が飛び跳ねる勢いで驚くが、頭を掴まれてしまっては身動きが取れないようだ。

 

一定の階級以上の兵士のみが通ることの許される渡り廊下に、その玉声が響き渡る。我らが王の声は、天地のみならず地の底にまで届くのではないかと謳われている。単にお声が大きいというわけではなく、それほどよく通る声だということだ。間違っても声がデカいと言ってはいけない。

 

『……っ!? ひっ、ひええ、お、おうさま、何故ここに!?』

 

『なぜ、だと? 此処は(おれ)の城よ。何処にいようとも、我の勝手であろう。

っというか貴様こそ、何故ここにいる』

 

『それは、その……』

 

『ちょっと、触んないで頂戴!』

 

女神は兵士の腕に自らの腕を絡めると、そのまま自分の方へと引き寄せる。

何とも男冥利に尽きる光景だが、当の本人はこの世の終わりだと言わんばかりの悲鳴を上げている。それを情けない男だと、笑うものはいないだろう。

 

凄まじい剣幕をしたかの女神とかの王に挟まれ、その顔色は窺えないものの、察するにこの世の終わりの顔をしているに違いない。あのような顔で睨み合う神と王に挟まれたら、私でも粗相をする自信がある。

 

『ご機嫌よう、ギルガメッシュ王。

気分が変わったわ。アタシへの貢ぎ物、コレで勘弁してあげる』

 

『ふん、そのようなものを欲しがるとはな。

強欲にも程があると思うが? 女神イシュタルよ』

 

『別に良いじゃない。有象無象の1つもらったって困りゃしないでしょ』

 

女神イシュタルが司るのは、主に戦いと破壊そして豊穣である。

この女神がウルクに降臨した時は、それはもう荒れに荒れた。

見目麗しくまさに美の女神といった風貌でありながら、神としての慈悲と残忍性を備えた気分屋の女神様は好き勝手に振舞いはじめたのである。

はじめはあのギルガメッシュ王さえも、相手が女神ということで様子を見ていたが、悪化していく“我儘”に耐え切れず、1日を待たずして堪忍袋の緒がブチ切れたのだ。

 

『ええいっ! 貴様にはもう神殿を与えておろう!

それでも尚、足らぬとほざくか……!』

 

『ふん。神殿くらいで何よ。アタシが欲しいものは、ちゃんと言った筈よ!

それを無視して勝手に寄こしただけでしょう!?』

 

『知らぬな』

 

女神イシュタルが都市神となったウルク市内には、大きな2つの聖域がつくられた。そのうちの1つを“エアンナ”と名付け、その地区一帯が女神イシュタルの神殿となっている。

 

これは女神が豊穣の加護を授けるかわりに、と要求したものであると聞いていたが、女神の話だと違うらしい。

 

『しらばっくれないで! あの日から言っているでしょ!

アタシが本当に欲しいのは―――って、何言わせてんのよっ!』

 

『い、イシュタルさま、あ、あのそろそろ、』

 

『うるさいっ! うるさいっ!

大体アンタが、こんなヤツにいつまでも尻尾振ってんのが悪いんじゃない!』

 

『え、ええ……。いやあの、そもそも私が仕えているのは、』

 

『ふははははっ! 残念だったな、女神よ。

いくら貴様でも手に入らぬものはあるようだ』

 

『そんなの関係ない! アンタを殺しても手に入れてやるんだからっ!』

 

『い、イシュタル様、お顔が、お顔がこわ……』

 

『……っ、!』

 

『え? ええ、い、イシュタル様?』

 

たださえ美人が怒ると迫力があって恐ろしいものだが、美の女神でもあるイシュタル様の怒りはそれはもう怖い。ただ聞いているだけの私にも戦慄が走るくらいだ。

 

だがしかし、女神の様子がおかしい。もしかして今の言葉に傷付いた、なんてあるわけがないか。普段からの振る舞いを見てもそんな繊細には……。

 

『この馬鹿っ!!』

 

『あ、あれイシュタル様―! ど、どちらへ!』

 

女神はふいっと顔を背けると、あっという間に姿を消してしまった。

その名を呼ぶ声は、戸惑いと不安一色だ。気持ちは良くわかる。かの女神の機嫌を損ねれば、瞬き1つのうちに晒し首の出来上がり、だ。

 

『ふふ、ふははははっ!!

いやいい、いいぞ、我が下僕よ!!

実に愉快よなあ……』

 

『お、王様、あの私、何か粗相を』

 

『いいや、逆よ逆。

ふむ、我は今実に機嫌が良い。どれ貴様に褒美でもやろうか』

 

『ほ、褒美……? いやだから私は何もして』

 

『供をしろ。出るぞ』

 

『あ、ああ……ま、待ってください……王!

なんで誰も俺の話を最後まで聞いてくれないの……!』

 

心底愉快だと言わんばかりに高らかに笑った王は、女神を追い駆けようとする兵士を引き留めて供をするように命じる。王の命とあっては、従わぬわけにはいかないのが兵士というものだ。仕方なさそうに肩を落としながら、その兵士は王の背中を追って行った―――。

 

 

 

しん、と静まり返った廊下に差し掛かると、そんな賑やかな記憶が蘇って来る。

王様と女神様と、兵士という何とも不思議な組み合わせだが、いつもこの城の何処かでそうやって会話をしていた。正直アレが会話と言って良いかはわからないが。

そういえば、ここ数日女神イシュタルの姿も兵士の姿も見ていない。

 

一体いつから見ていないだろうと、首を捻る。

先日の戦いでは姿を見たので、それ以降からか。

だからやけに静かに感じたのか、漸く納得がいった。

 

「……?」

 

静かになった原因を把握すると、一層辺りが暗く感じられる。

その所為かぞわりと背筋に寒気が走った。

妙に嫌な予感がする。此処にいてはいけないと、本能が警鐘を打ち鳴らし始めたのだ。

しかし、それでもだ。もしこの予感が当たっているのならば、城の警護を任されている身としては放っておくことは出来ない。震える足を懸命に動かして王の間近くまで見回りを終えたが、予想に反して何もなかった。良かったと、胸を撫で下ろして、来た道を戻ろうと踵を返した。その時。

 

「っな!!……があっ!?」

 

振り返ってみたものは、一閃の光のみ。

一瞬の浮遊感の後に視界が高く舞い上がって、地面へと落ちた。

何があったのだろうと思って、周りを見渡しても首が動かない。

そうしているうちに段々と視界が暗くなって、それで―――。

 

 

 

「遅い! 遅い遅いっ!! 下僕の分際で、いつまで我を待たせる気だ!

……はあ。全く、この王である我の手を煩わせようとは大した人間よ」

 

 

「だが仕方あるまい。飼い犬の管理も主である我の責務であろう。

どれ、この我が直々に迎えに行ってやるとするか。

精々己が身の幸運に噎び泣きながら、寛容なる我に平伏するが良いぞ!」

 

 

 

 

 

 




―Q&A―
時間の都合上個別にコメントを返信することが叶いませんでしたので、多かった質問の回答をこちらに記載させて頂きます。ネタバレも含みますので抵抗のある方はスルーをお願いします。


Q:なぜこの時代のエレシュキガルとイシュタルが英霊と同じ容姿をしているのか?

A:これにつきましてはFGO編まで進行することができれば、はっきりと明らかになる予定です。
今現在は、はじめの方に仄めかしてある程度なので、その部分はアマテラスの毛並みに免じてふわふわさせておいてください。お願いしますほんとなんでもしますから……!


Q:なぜエレシュキガルが幼女なの? 趣味なの?

A:趣味です。いや嘘です。実は上記の質問とも少しだけ関係があるのですが、ちょっと時間軸が違っております。イシュタルが掛けた“とある呪い”が影響し、主人公が降りたのは過去の冥界ということです。


最後に言い訳となりますが、こんなに多くの方に読んで頂けるとは思っていなかったもので……。説明不足ですまない……。コメント本当にありがとうございました!
これからもスナック感覚でコメントとかしてくれると大変嬉しい。


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天命に抗うもの

かつて人間であった頃、俺には100を超える仲間がいた。

年齢はそう変わらなかったこともあり、自然と打ち解けていった。

今思うと、同じにおいを感じたからなのかもしれない。

何万といるウルクの兵士たちの中で、彼らは掛け替えのない同志であったのだ。

 

とある日、仲間の中に“裏切者”が出た。

その者はすぐさま捕らえられ、尋問に掛けられる。

俺はただ絶望した。それは一番付き合いの長い友であったからだ。

彼は潔く罪を自白し、俺たちのもとから去って行った。

 

一度解れてしまった糸を、いくら繕おうとしても無駄であった。

1人、また1人と、去って行く仲間に、何と言葉を掛ければ良かったのか。

 

最後の1人が、申し訳なさそうな、でも晴れやかな顔で去って行った時。

俺は引き留めることも責め立てることもせず、『卒業、おめでとう……』と涙ながらに呟くしかなかったのだ―――。

 

 

 

 

 

「う……うう、最悪な夢見た、」

 

冥界に来てからというもの、どうも夢見が悪い。

その大半が某王様とか某女神により、犬の如く扱われていたあの時代のもので、おかげで此処に来て何千いや何万かもしれない時間が経とうとも、その顔を忘れることはなかった。

 

だが今日は違う。よりによって人生最悪のトラウマを掘り出されたのだ。

あれから俺は男の友情も、いや仲間すらも簡単に信じることは出来なくなった。

裏切者とは、即ちハサミである。組織という布を、友情という糸を、あっさりと切り捨てる酷いヤツである。『たとえなにがあろうとも友情は不滅』と語り合ったその口で、告げられた別れの言葉は、今も憶えている。

 

ぐぬぬ、余計なことを掘り起こされたと、埃っぽいベッドの上でごろりと寝返りを打つ。

 

「ん……」

 

「ふあっ!?……そそそそ、そーだった、忘れてた」

 

寝返りを打った先に待ち受けていたのは、ドアップの“美少女”の顔である。

はじめて出会った時に、思わず『やだ、この幼女将来有望すぎ……』と内心で思わず口元に手を当てたくらいだ。美幼女が、美少女に進化しただけで、俺の心の中では毎日お祭りが開かれている。

 

あの女神様と顔がそっくりなだけに、いつあの過激な罵詈雑言が飛ぶようになるのだろうかとドキドキしていたが、エレさまはどれだけの時間が過ぎてもエレさまのままであった。こういうと、語弊が生じるので先に行っておくが、そのドキドキは決してそういう意味ではない。断じて、ないのだ。

 

「エレさまー、エレさま、起きてくださいー」

 

「ん、んー、……いや、なのだわ、」

 

「だめですよお、折角時間を決めたんですから。

ちゃんと守ってください!」

 

「……いや」

 

「ああ、だ、だめです、困りますー、エレさまー!」

 

時間という概念のない冥界の生活は、想像以上にキツいものであった。

朝と昼が存在しなければ、夜という概念は消失する。月も星も太陽もない、まさに常夜の世界といったところか。

そんな世界に缶詰となった俺は、精神が擦り減り発狂するのが先か、順応力が開花し慣れるのが先かのチキンレースに白旗を上げて、ついにエレさまに泣きついた。

 

普通の人間であったので、神の力だとか魔術だとか良くわからない為に表現に困るが、なんかとても頑張ってくれたらしい。手渡された少し歪な形をした“懐中時計”とやらは、エレさまと俺が出会った瞬間を“ゼロ”として、時を刻み始めた。ウルクでは、太陽や月の傾きで時間を読める学者がいたが、此処ではこの時計が学者の代わりを勤めている。これが神の力かと、とても感動したものだ。

 

「シャマ、……お願い……」

 

「あっ、はい。仰せのままに」

 

薄らと開かれた瞳は、まだ眠たげでとろりとしていた。

そもそもいくらペット扱いとはいえ、(オス)と同衾するなんてどうかと思うんだが。いや、今更か。悲しいことに、もうすっかり慣れてしまったし。というかこの体は、オスで良いのだろうか。確認しようにもなんかこう、抵抗を感じてしまって未だに体の性別は不明である。

 

すっかり寝入ってしまったエレさまを、これ以上起こそうとするのは色々とマズい気がするので、一足先に起きさせてもらうことにする。

すっぽりと体から頭に被せられた毛布から鼻先を出して、ベッドから這い出るとじめじめとした埃っぽいにおいが鼻を刺す。今日も良い冥界日和である。

 

エレさまの成長に伴うように、俺の体も大分大きくなった。

この体の成長のピークはわからないが、エレさまを乗せて悠々と走れるであろうサイズには変わりはない。前にも言った通り、乗せたら色々と問題が生じるので絶対に乗せないけど。

 

ベットから飛び降りて、とん、と軽やかに着地を決める。

さて今日は何をしようか、と前足を一歩出した。

 

「―――っ、!?」

 

「わっ!?」

 

がばっと後ろで大きな音がしたので、驚いて振り向く。

そこには半身を起こした状態で、大きく目を見開いたエレさまがいた。

ただならぬ様子に、どうしたのだろうと俺の鼓動も早くなる。

エレさまは焦点の合わぬ目を何度か動かすと、あっという間に立ち上がり俺の傍へと降りて来た。

 

 

 

「シャマ。———シャマシュキガル。

 

良いかしら、良く聞いて頂戴。

 

これから言うことは、冥界の女主人エレシュキガルとしての言葉です」

 

 

 

いつもの柔らかい口調とは違う、凛としたそれは冥界の主としての声であった。

その言葉を聞き終わった時、ずしりと体が重くなり、何か鎖のようなもので縛り上げられたような感覚に襲われる。

 

「え、……エレさま……?

ど、どうなさったのです?」

 

「時間がないわ。アナタは私の言葉を守っていれば良いの。

“例えなにがあろうとも、絶対にこの部屋から出てはいけない”」

 

「……っ」

 

「約束よ、私のシャマ」

 

わけがわからず戸惑う俺の目をじっと見上げたエレさまは、ふと微笑んだ。

女神の微笑に相応しい気品に溢れたそれに、やはりこの方は冥界にありながらもその生まれに相応しい存在なのだと実感する。

 

呆然とする俺の首に、その腕を回したエレさまは、いつものようにぎゅうと抱き着いて来た。

暫くするとゆっくりと離れていき、もう一度だけ「約束よ」というと部屋を出て行ってしまったのだ。

 

「ええ……」

 

エレさまの起床から部屋を出るまで、あっという間過ぎて頭が追い付かない。

とにかく、何か大変なことが起きたのだろう。

ああやってエレさまが意味深いことを言って、部屋を出るくらいには。

 

エレさまの、冥界の女主人の眷属となったらしい今、俺に出来ることは部屋をウロウロとするだけである。ご主人様の言うことは絶対であるし、神の力を込めて命じられた言葉に逆らうことは出来ない。

 

そうして歩き回っているうちに、何処かでジャラジャラという音が鳴っていることに気付いた。

俺が足を止めると、その音もぴたりと止まる。

俺が歩き出せば、その音も鳴り始める。

まるで見えない首輪でも付けられたような気分だ。

試しに部屋を出ようとしても、首に巻き付く何かが邪魔をして出ることが出来なかった。

 

ずっとそうしていてもただ俺の首が締まるだけであるので、ベッドへと戻ることにする。

くわあ、と欠伸を1つすると、不思議なくらいあっさりと眠気は訪れるのだ。

つい先ほどまで寝ていたエレさまが残していったぬくもりの、と表現すると色々と誤解が生まれそうだが、あたたかさが残る布団の上で俺は丸くなった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

生者の立ち入りを拒む冥界の大門番―――ネティ。

人を食う河(フブル川)の渡し船の人―――フブル。

冥界の女主人に仕える彼らは、揃って困惑していた。

 

「だ・か・ら、言ってるでしょ。

アタシは最愛の姉に会いに来ただけよ。

姉妹なんだからそんなに警戒することないでしょう?」

 

「で、ですが、いくらイシュタル様であっても、そう易々とお通しするわけにはいかないのです。

エレシュキガル様が来られるまではどうか、どうか……!」

 

「下がりなさい。このアタシが直々に行くって言ってるのよ!」

 

「イシュタル様。ここは冥界の地です。

全ての権限は貴女様ではなく、冥界の主エレシュキガル様のあるのですぞ」

 

「そんなこと、わかっています!

アタシはただ……“落とし物”を拾いに来ただけよ。

アイツが下手なことをしない限り、こちらも何もしません」

 

「左様ですか……。

ではイシュタル様、今ここに“冥界の掟”を示しましょう」

 

冥界の住人でもある彼らは、暗い色のローブを深々と被っている為にその表情すら窺えない。

一段と低くなったネティの声に、イシュタルは眉を顰めた。

 

「我が名は、ネティ。

エレキシュガル様の命により、冥界の門を守護せし者。

我が女神と対なる存在、天界の女主人イシュタルに門を開くかわりに、冥界の掟の実行を宣言する」

 

「……っ!」

 

「どうされますかな、イシュタル様。

掟を受けることは、貴女様にとってこれ以上ないほどの屈辱を味わうことになりましょう。

恐れ多くも私としましては———」

 

「良いでしょう」

 

「……今、何と?」

 

「……っ、良いって言ってんのよ!

屈辱ですって!? ふざけないで!

アタシはね、屈辱という屈辱はもう散々味わったわ!

大体こんなじめじめした薄暗い冥界(とこ)に、このアタシが来ること自体屈辱よ、ほんっと屈辱極まりない!! もう此処まで来たんですもの、どんなことだってしてやるわよ!!

死んだからって諦めてたまるものですか!!」

 

冥界へ通じる最後の門の前に立った、天界の女神は凄まじい形相で冥界の守護者を睨み付けた。ぎりりと奥歯を噛み締めて、吼えるように叫ぶその姿にネティとフブルは目を丸くする。たださえ感情の起伏が激しい彼女の怒りは、一度火が点いてしまえばそう簡単に止まらない。その怒りの儘に叩き付けられる神気は、此処が冥界でなければ揃って地に膝を付いていたであろう程だ。

 

イシュタルに気圧されながら2人の守護者は、顔を見合わせた。

実はイシュタルが冥界を訪れたのはこれが初めてではない。

彼らの記憶では、“この女神らの父親が開いたとある宴”を切っ掛けとして何度も足を踏み入れている。だがこの冥界で絶対の存在であるエレシュキガルが、イシュタルを受け入れることはこれまで一度たりともなかった。よって、7つの門はイシュタルを拒み続けたのである。

 

「それでは、イシュタル様。どうぞお覚悟を―――」

 

本来であれば、1つ門を潜る度に“冥界の掟”は科せられる。

しかしイシュタルは、強引に門を抉じ開けて此処まで来てしまった。

はじめは彼女の姉神に対して、ちょっかいを出しに来たのだろうと思われたがどうも様子が違う。

―――女神は“本気”らしい。ならば、とネティはイシュタルを見据えた。

 

冥界の女主人に仇なす可能性のあるものとして、扱わねばならない。

それが彼の、冥界の大門番としての役目であるのだ。

 

「貴女様も“冥界の掟”について、ご存じであった筈。

それなのに此処まで来られたということは、相当な覚悟があると―――」

 

「どうでも良いわ。さっさとして頂戴」

 

イシュタルは、2人を睨み付けながらそう吐き捨てた。

その表情の中言い知れぬ焦燥感が垣間見えて、ネティは目を細める。

“今の女神イシュタルを、エレシュキガル様に会わせてはならない”

さもなければ、冥界の崩壊を招く恐れがあると彼の勘が告げていた。

 

ネティは、エレシュキガルより賜った力を発動させる。

彼は拒むものだ。女神イシュタルの存在を拒み、妨げるもの。

だが相手は自分よりもずっと神格の高い女神である。

“掟”を“全て”適応させるにはまず彼女の守りを剥ぎ取らねばならない。

天界の女神の衣を剥ぎ取るなど、冥界でなければ決して許されぬ行為であろう。

だからこそ意味がある。この冥界の主は一体誰であるのかを、思い知らせるのだ。

 

ネティの力により、イシュタルに与えられた守りを全て消し去った。

これにより『冥界入りを成す時は綺麗な着物を着てはならない』とする掟は1つ果たされたことになる。

エレシュキガルの名の下に定められた“掟”は、冥界に入ろうとする者ならば守らねばならない“法”である。法を1つでも破ると二度と外の世界に戻ることを許されない。

たとえ、どんな高位の神であれ例外はないのだ。

 

「なによ、これくらい。大した事ないじゃない」

 

一糸まとわぬその姿は、恥じるところを知らない。

闇ですら隠すことの出来ない白き四肢に、ギラギラとした瞳は、冥界に最も相応しくない存在であることを示している。

 

ふん、とイシュタルが鼻を鳴らしたその時であった。

―――ばしゃんっ! と水が跳ねるような音がしたかと思うと、イシュタルの頭から泥のようなものが降り注ぐ。

 

「きゃあっ!! な、なんなのよこれ……!」

 

「……無様ね、イシュタル。無様な格好だわ。

でもあなたにはとてもお似合いよ」

 

「アンタっ……! 出たわね。この泥棒猫(ぬすっと)……!!」

 

「盗人? アナタ何を言って」

 

「返しなさいよ。早く!!

どうせ傍に置いているんでしょ、わかっているんだからっ!」

 

「だから、何を言っているの?

私はあなたから何も盗ったりしていないわ」

 

「嘘だっ!! なら、今すぐ見せてみなさいよ。

アンタの宮殿の隅々まで探してやる……!」

 

いつの間にか開かれていた扉から、赤いローブを頭からすっぽりと被ったエレシュキガルが姿を現した。彼女は、嫌悪丸出しの瞳でイシュタルを睨み付けると、ぎゅっと唇を噛み締める。

イシュタルとエレシュキガル、天界と冥界を統べる彼女らは姉妹ながらも互いをひどく嫌悪し合っていた。故にこうして顔を合わせたのは、生まれてから今に至るまで数回しかない。

 

イシュタルは冥界の泥に穢された自身の体を厭うことなく、エレシュキガルに怒鳴り付けた。

唐突にぶつけられた罵声にエレシュキガルは目を丸くしていたが、ふと何かを察したように、一度視線を地面に移した。

 

「……。そう、……そうなのね。

あなたが態々冥界にまで下って来た理由、わかってしまったわ。

だって、忌まわしいことにわたしとアナタは―――だもの」

 

「なら、さっさと返せ……!

返さないのなら、冥界ごと消し去ってやるっ!」

 

「帰りなさい。イシュタル。私はアナタに用はありません」

 

「っ!! アンタ、」

 

「……お下がりなさい!!」

 

「っく、……」

 

「誰がっ、誰が返すものですか……!!

アナタにはわからないでしょうね、だっていつだって光に触れられるのですもの。

私は、私は何も触れられない。何もない、冷たい世界しか知らない。知らなかった!!

アナタは私とは逆。恵みに溢れた地、光差す宮殿、心を向けてくれる存在、全部全部持ってたじゃない!!

でも、良いの。そんなことはもう良い。

私はたった1つ、私だけのものを手に入れた。

だから―――今、アナタが大人しくこの地を離れるのならば、手出しはしません」

 

「それで、……アタシが、引き下がるとでも……っ」

 

「……。そうね。そういう意味では、アナタのおかげかもしれない。

だってアナタが取り溢してくれなければ、きっと今も私は暗い闇の中にいたでしょう」

 

「ふざけんな! それがアンタの使命でしょう!?

この冥界で、その(かいな)に亡者を抱き続ける。

それがアンタの女神としての運命なのよ!

そりゃ、天界の女神として高位の座を約束されていたアンタが、冥界へ“堕ちた”ことは同情してあげても良いわ。そんなに“使える召使”が欲しいなら、良いのを望むままに送ってあげる。

だから、あんな“ポンコツ”必要ないでしょう!? 早く、早く返せ―――っ」

 

「っ……―――!!」

 

揺れる、冥界の地が脈打っている。

エレシュキガルが、イシュタルと言葉を交わす度に、段々と強くなっていくそれに、ネティとフブルは顔を蒼くした。微弱な振動がはっきりとした脈動へと変わる。

 

イシュタルが、“その言葉”を吐き捨てた。

ぴたりと脈動が、止まる。

 

しん、と静まり返った世界は、時を忘れたようだ。

俯いたエレシュキガル。息を荒げるイシュタル。

 

イシュタルが再び唇を動かそうとして―――。

 

 

 

 

 




誤字脱字報告ありがとうございます!
本当に助かります。ヌケが多くて本当にすまない…。
さて、まだ謎はありますがエレシュキガルの想いは大体こんな感じです。次からイシュタルの話になる予定です。


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欲しかったもの

じゃらり、と手足に付けられた枷が音を立てる。

白い服を着た屈強な男たちに周囲を囲まれながら、それは神殿に足を踏み入れた。

女神の為にと用意された神殿は、彼女の権力を示すように、彼女のうつくしさを示すように豪華絢爛で壮大である。

目が痛くなるほど白い石の床を、それはぺたぺたと歩いていく。

頭からすっぽりと被せられた上質な布は、それの顔を隠し、それの視界を奪っている。

 

それらは神殿の祭壇前で、一斉に膝を付くと女神に祈りを捧げ始めた。

 

 

 

―――われ汝に祈る。ああ、淑女の中の淑女、女神の中の女神よ。

 

ああ、イシュタル、あらゆる民の女王よ。

 

ああ、支配の冠をいただくあらゆる神力の所有者よ。

 

礼拝堂も聖所も神聖なる土地も汝に注意を払う。汝の肖像のなきところなし。

 

ああ、われに御目をそそぎたまえ、わが淑女よ。わが祈りを聞きたまえ―――

 

 

 

一心に捧げられる言葉は、荘厳な響きとなり音色となる。

地に付かんばかりに頭が下げられ、再びしんとした静寂に包まれた。

 

 

 

「私は夕べの女神イシュタル、暁の女神イシュタル。

 

最高の統治者として天界の門を開くイシュタルである。

 

私を奉り崇める者たちよ、約束のものを此方へ」

 

 

 

ぱっと弾けた光と共に、その女神は降臨する。

それでも彼らは顔を上げることなく、ただ頭を垂れるのみ。

許可なく面を上げることは許されていない。

もし、思いの儘に女神の姿を目に収めようならば、この神殿に大量の血が流れることになるだろう。

 

うつくしい赤い刺繍が施された布が、ふわりと動く。

じゃらりと枷を打ち鳴らしながら、それは声のする方へと歩き始めた。

 

「止まりなさい。他の者は下がりなさい」

 

女神の御言葉に、それはぴたりと足を止め、白い服を着た屈強な男たちは神殿を出て行く。

女神の御前では呼吸すら命懸けの行為であり、女神の機嫌によっては呼び出しただけで血が流れることになるのだ。淡々とした短い儀式であったが、神殿を後にする者たちの額には汗が滲んでいた。

 

「さて、と。アンタがアイツの“大切なもの”ね。

ふん、いい気味だわ。今頃アイツどんな顔してんのかしら。

ふふふっ、想像しただけでゾクゾクしちゃう!」

 

「……」

 

「ああ、そうね。アンタの発言は許してあげるわ。光栄に思いなさい。

でも余計なこと言ったらすぐに黙らせるから」

 

「……んです、」

 

「なにか言ったかしら?」

 

「大切なものなんかじゃないんです」

 

「このアタシに嘘を吐くの? 殺すわよ。

それに違うならなんでアンタが此処に連れて来られたのかしら」

 

「……」

 

「まあ、アンタのことなんてどうでも良いわ。

今からアンタはアタシの贄よ。

でも、安心なさい。すぐにどうこうするつもりはないから。

このアタシを袖にして追い払ったアイツが、無様に懇願してくるまで生かしておいてあげる」

 

「女神様、イシュタル様、どうか言葉を聞いて下さい。

……私は、決して……王の大切なものでも、何でもないのです。

ですから、私を贄と選んだところで貴女の望みは叶わないでしょう」

 

「はあ? アンタ、アタシが間違ったと言いたいの?」

 

「いいえ、いいえ。そんなことはありません。

貴女様の成すことに間違えなどありはしない。

ですが、……私は全てを失いました。もう大切なものなどないのです」

 

イシュタルの前で跪いたそれは、深々と頭を垂れた。

その声は悲痛に濡れていたが、そこに彼女に対する畏怖はない。

それどころか女神イシュタルを前にして、何か他のことに心を向けているのだ。

もちろん彼女がそれを許す筈がなかったが、態々生かして連れて来させたのには意味があったので、苛立ちをぐっと堪えると同時に少しばかりの興味を持った。

 

女神を前にした人間たちは揃って震え上がり、上擦った声で聞こえの良い言葉をただ羅列する人形となるだけだ。だから、イシュタルは人間に飽きかけていた。

そんな中で出会った、とある存在に彼女は心を惹かれていた。

一等輝きを放つうつくしい人間を一目見ただけで、欲しいと思ったのだ。

それには神の血が混じっていたものの、完全なる神であるイシュタルからすれば人間の領域である。

 

輝かしくうつくしいものを好むイシュタルは、その存在を手に入れようとして、極上の贈呈品や権力を誇示して誘惑しようとしたが、全て失敗に終わった。これは彼女にとって、かつてないほどの屈辱であった。その存在が目を向けているものがあることに気付いてしまったのも、女神の怒りをさらに激しいものとした。

 

煮え滾る怒りの中で、イシュタルは“とある方法”を思いつく。

 

 

“アレの一番大事なものを奪ってしまおう”

 

“すぐに泣きついて来るに違いない”

 

“そうしたらアレの目の前で殺してしまえば良い”

 

“アタシを怒らせたことを後悔して、アタシのものになる筈だ”

 

 

そう考えたイシュタルは、国王のみならず国民にもこう告げた。

 

 

 

『3日以内に国王のもっとも大事にしている人間を差し出さなければ、私はこの国を1日で滅ぼすであろう』

 

 

 

女神イシュタルの気性の荒さは、国中が知っていることである。

やるといったらやる女神であることを、国中が恐れているのだ。

 

そうして3日目ぴったりに捧げられたそれに、イシュタルは喜んだ。

あの王も、女神イシュタルを恐れている。だとすれば、自分の思い通りになる時が近いと思ったのだ。

その喜びは欲しいものを手に入れるそれではなかった。

自分の思い描いた通りに事が進むこと、女神イシュタルの高揚はそこにあったのだ。

 

だから今、目の前にいる贄などイシュタルにとってはただの餌であった。

真の獲物が釣れるまで適当に飼っておけば良い程度の、どうでも良いもの。

そんなどうでも良いものの言葉に、イシュタルが耳を傾けたのはほんの気紛れであったのである。

 

「女神様、……私はもう希望を失っているのです。

絶対の信頼を置いていた人間の裏切りを皮切りに、1人また1人と姿を消しました。

私は、1人取り残された。私はもう大切なものなどありはしない」

 

「だああっ!! 面倒くさいわね!!

うじうじしてんじゃないわよ男の癖に!

贄じゃなければ即効でその首を刎ねていたところだわっ!」

 

「酷いんです。だって、“女神イシュタルにも誓う”って言ったのに、あっさりと反旗を翻して。そこに友情なんてなかった。私は騙されていたんです……ううう」

 

「全くもう、なんでこのアタシがそんな辛気臭い話聞かなきゃならないのよ。

そんなどうでも良い奴ら放っておきなさい、どうせ全員死んだって話でしょ?

あーやだやだ。人間なんてすぐ死ぬように出来てるんだから、アンタもすぐに後を追えるわよ。いっそ追わせてあげようかしら」

 

生命の生き死には、自然の流れだ。

女神にとってそれはうつくしくも、愚かしいものであり、彼女のような高位の神ですら覆すことが出来ないもの。そんな生命の流れを、ただの人間が嘆くなど無粋にも程があるとイシュタルは眉を寄せた。

それに、今すぐその流れの1つとなってもおかしくない立場の贄が、他人の不幸を嘆く様こそ愚かしいの一言であった。

 

「情けない顔してんじゃないわよ。

……アンタには、アレがいるでしょう?」

 

「アレ……?」

 

「あのバカよっ、憎きギルガメッシュのヤツよ!」

 

「王様は、王様ですから。もうとっくに。

ううう、そうやって皆して俺を置いていくんだ……」

 

わあっと泣き出したそれを、イシュタルは心底鬱陶しそうに見下げた。

戦いと破壊を司る女神が一等嫌ったのは、“うじうじ”と“根暗”である。

もしもこの布を被った男が贄でなければ、既にその首はなくなっているだろう。

欲しいものを手に入れる為だ、と珍しく働いた理性がイシュタルを引き留めていた。

 

「鬱陶しい! ああ、ほんっと鬱陶しいわ!

そんなに嘆く暇があるんだったら、命ある間アタシの下僕として働きなさい」

 

「……げぼく」

 

「なによ、文句あんの?」

 

「いいえ、ありません。むしろ今の私に相応しい……」

 

女神イシュタルは、あまりの苛立ちに適当に発した言葉であった。

布の男は、あまりの絶望感に自暴自棄となり発した言葉であった。

 

まさかその言葉たちが、イシュタルと男の運命を変えることになるとは思いもしなかったのである。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

アタシは女神イシュタル。豊かなる前兆を授ける為、光満ちた天界へ生まれ落ちた尊い存在。

最高の女神として誇らかに歩を進めるものであり、天界を破壊し地上を荒廃させる力を持つものである……。

 

そんな口上が、“つまらないもの”でしかなくなったのは、いつからであっただろう。

 

あの根暗な姉は、アタシを“恵まれしもの”と呼んだけれど、アタシは決して“満たされては”いなかった。思う儘に振舞う代わりに、荒んだ大地に豊穣を授ければ人間たちは喜び勇んでアタシを奉る。最高位に近い存在として君臨するこの力を以てすれば、なんでも出来たから、少しオマケでも付けてあげると、何千万もの信仰が寄せられる。

 

はじめはただ気持ち良かった。でも、すぐにそんな快楽には飽きた。

 

「い、イシュタル様っ! ふ、服はちゃんと、お、お召しに」

 

「煩いわねえ。このアタシの体の何処に文句があるのかしら?

言って御覧なさい! その首刎ねてやるわ」

 

「ひえっ、そ、そんな恐れ多い……」

 

「あら、もしかして……。あるのは興味の方かしら」

 

「っ!? なっ、ないです!!

女神様に対してそんな、絶対ありません!!」

 

「……全力で否定されると腹立つんだけど」

 

小汚い下僕を神殿に置いてから、少し時間が過ぎた。

気紛れで下僕とした贄は、神殿内で好きにさせることにした。

まだ死なせるわけにはいかないので、毎日運び入れられるアタシへの貢ぎ物を分け与えると、蒼い顔をして調理部屋へと飛び込んでいった。普通の神殿には神殿に仕える料理人がいて、それが料理を運んで来るのだけれど、ついこの前うっかり殺してしまったから今はいない。だって仕方ないじゃない。あの時はイライラしてたんだもの。

 

贄は貢物のパンとビール、果実や肉などを使って料理をつくりあげた。

女神に捧げるのに全然相応しくない、粗末で単純な料理であったけど渋々口にするとこれが案外……。お、おいしかったなんて言っていないわ! ただ、その少しなら食べてやっても良いかなって思った程度よ。

 

でもそれから、アタシの身の回りの世話をさせるようになったことは認めましょう。気分で誘惑してみても、慌てふためくのにちっとも靡かないのが、また腹が立つところだけど。

 

「ちょっと、アタシに黙って何処に行くつもり?」

 

「へ?」

 

「そんなに暇ならアタシの部屋でも掃除しておきなさい!」

 

「え、ええ……。イシュタル様の脱ぎ散らかした……ぱ、じゃなくて、そ、そのお召し物だらけじゃないですか」

 

「だからちゃんと片付けておきなさいって言ってんでしょ!!」

 

「あ、はい。仰せの儘に……」

 

ちょろちょろと動き回るそれは、嫌でも目に入ってしまう。

別に何処で何をしていようともアタシの知ったこっちゃないし、逃げ出したらお仕置きすれば良い話だから、どうでも良いのだけど。でも、アタシの手を煩わせることには変わりないし、面倒だし便利だから傍に置いといた方が使いやすいでしょう。

 

ひらひらと布を靡かせてアタシの部屋へと向かっていったソイツの後ろ姿に、はあと溜息が零れる。

 

 

 

歩く度に一々鳴るじゃらじゃらとした音。

―――はじめは、首輪に付いた鈴のようだと思っただけだった。

 

頭のてっぺんからつま先までを隠す布。

―――はじめは、別に何とも思っていなかったしそれで良かった。

 

 

 

全部アタシの気紛れから始まった。

それなら、これから先もただの気紛れでしかない。

だってアタシが欲しいと思ったものは―――。

 

「ねえ、ちょっとアンタ。脱ぎなさいよ」

 

「ふあっ!?」

 

「煩い! 殺すわよ!」

 

「ヒエッ」

 

「良いからさっさと脱ぎなさいって言ってんの。

このアタシの言うこと聞けないっていうの!?」

 

「えっ!? そ、その、あ、あのイシュタル様、私は、その、は、はじめ」

 

「鬱陶しいその布っ切れ、さっさと取っ払って頂戴!!」

 

「あっ、はい」

 

ぐだぐだと煩いソイツの胸元を掴み上げると、やっと観念したように首を上下に振った。

そのついでに邪魔な布を掴み剥ぎ取ると―――。

 

「ちょ……!」

 

「……ふうん。そう。アンタ、今日からそのままでいなさい」

 

「で、ですが王には」

 

「はあ!? アンタ馬鹿あ!?

アンタはアタシの下僕になったの。

つまりアンタの王はこの女神イシュタルってこと! おわかりかしら?」

 

「アイタタタッ! く、くびし、しまってます……!

しまってます、イシュタル様……!」

 

欲しいと言ったものを手に入れないと気が済まない性分であることは、自覚している。そして、手に入れた後は途端にどうでも良くなる性格であることも、まあ知っている。

でもそれの何が悪いのか、さっぱりわからない。一瞬でもこの女神のものになれたことは、他の何にも替えることの出来ない“光栄”でしょう。

 

だからコイツもどうせ飽きてしまう存在に決まっている。それにアタシが本当に欲しいものが手に入れば、あっという間に興味は尽き果てるのだろう。

 

「あと、これもいらない!

アタシの下僕なら、こんな美的センスの欠片もないものぶら下げておかないで頂戴」

 

「むっ、むりですって!! それは、やめっ!!

とれるっ、手首ごと……イタタタタッ!」

 

どうせ飽きる玩具ならば、飽きるまで散々遊んでやれば良い。

そうと決まれば、この趣味の悪い布も枷も全部剥ぎ取って、仕方ないからアタシが新しいものを与えてやれば良い。

 

そう思って、コイツを毎日毎日毎日弄り倒して……。

そうしてやっと、念願“だった筈”の日が訪れた―――。

 

 

 

 

 




―Q&A―
時間の都合上個別にコメントを返信することができかねますので、多かった質問の回答に関しましてはこのように回答させて頂きます。ネタバレも含みますので抵抗のある方はスルーをお願いします。


Q:エレシュキガルのシャマシュキガルに対する呼び方が所々違うのは何なの? 伏線なの? ミスなの?

A:初めの命名の部分は、今後の穴となる部分ですので放置で大丈夫です。
そしてそれ以外はミスという罠。グダグダで本当に申し訳ないと思っている。
ご指摘ありがとうございます……!



次は主人公視点で、ただのヘタレだけではないことを証明してもらおうかと。
視点がバラバラで時系列がわかりにくいかと思いますが、そこはギル様という大取に繋げてもらう予定です。決してギル様に丸投げするわけではないんだ。


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追憶より来る

前回までの一切の記憶を無くすと、シリアス風な話が読めます。
シリアス風な話がお好きな方は、一時的な記憶喪失となることををお勧めします。


とある日から、俺は絶望に打ちひしがれる日々を送っていた。

朝起きて挨拶を交わしていた友の姿は無く、抜け殻のベッドだけが残されている。

朝目覚める度にそれを見て、“ああ、本当に、いなくなってしまった”と実感する。

ウルクの誇り高き兵士として、共に笑い、共に泣き、共に苦しみを分かち合った、掛け替えのない友よ、何故、何故……裏切った。

 

肩を落としながら1人で歩く廊下は、すごく広く感じられる。

窓から差し込む爽やかな朝日だけが、唯一俺に差し込む光であった。

そうして長い長い廊下を歩いていると、何やら楽しそうな声が近付いて来る。

 

―――聞き覚えのある男の声と、年若い女の声であった。

 

声が近付いて来るにつれて、俺の心臓は嫌な音を立て始める。

まさか、そんな……。嘘だろう。やめろ、やめてくれ。これ以上は耐えきれない……!

 

気が付けば、俺は駆け出していた。

何処に行くかなんて考えられなくて、衝動の儘にひたすら走る。

走って、走って、走って、そうして……。

 

「うわあっ!?」

 

落ちた。すとん、と。それはもう綺麗に。

どうやら俺は、見張り台の上まで来ていたらしい。

あまりのことに真っ白になった頭では、何も見えていなかった。

どん! と体が地面とぶつかる衝撃と、痛みで俺の意識は遠退いていったのである。

 

 

 

「―――、てしまえ―――」

 

「いや―――、王に知られたら―――」

 

「だがこのままでは―――女神が―――」

 

「―――仕方あるまい―――」

 

 

 

がちゃん、と大きな金属音がして、手首と足首にひんやりとした感覚がした。

ゆっくりと目を開けると、つるりとした大理石の床が見えた。

どうやら自分は、床に倒れ込んでいるらしいと体を上げようとすると、がしりと頭を押さえ付けられ固い床に頭をぶつける羽目になる。

がん!と走った痛みに、意識が完全に覚醒を迎える。

 

「な、んだ……? んんっ!!」

 

声を上げようとすると、布のようなものを突っ込まれて強制的に黙らされる。

くぐもった声で抗議をしても、決意を宿したような固い目は揺らぐことは無い。

一体なんだっていうのか。もしかして、俺は誘拐でもされるのか?

だが何故、いやもしかしてこれは……。あぶれものである俺を隔離しようとしているのか。

そうか、それなら仕方がない。もう足掻くことは辞めよう。

 

「目が覚めたか。すまない、……これもウルクの為なんだ……!」

 

「女神のお望みだ。……悪く思うなよ」

 

「だ、だけどよ、ほ、本当にやるのか?

王は一切の手出し無用と仰せだ」

 

「何を今更。……覚悟の上だ。

どちらにせよ俺たちは切り捨てられる側だからな。

女神に抗えば問答無用で国ごと消える。

王に抗えばせめて家族は助かるかもしれん。

……国を守るのが我が使命。だが最後くらいは家族を守って死にたい」

 

「そ、そりゃあ、そうだが」

 

「良いから手伝え。見つかる前に出るぞ」

 

「お、おう……」

 

頭上で繰り広げられるワケのわからない話をぼんやりと聞き流す。

この時の俺はもう何もかもがどうでも良かった。ただ絶望感だけが胸を満たしていた。

連れられるがままに、女神イシュタルの神殿に辿り着くと何となく察しは付く。

 

俺はこれから生贄となり女神へと捧げられるのだろう。

 

今までに何人もの人間が動物が、生贄としてこの神殿に運び込まれ、誰一人として帰らなかった。

ついに俺の番が来たのだ。ある意味この綺麗な体は女神への供物としては相応しいのかもしれない。

ああ、そう思うと、これもまた神の思し召しであるのだ。

俺はこの日の為に、今までずっと苦しんで来たのかもしれない。

 

ならば俺は、救われるのだろうか。

女神イシュタルによって―――。

 

神殿までの道のりの中、俺は少しの希望を胸に宿していた。

 

 

 

 

 

「なにぼけーっとしてんのよ!

手が止まっているわ、やる気あるの!?」

 

「わっ!? す、すみません……イシュタル、様!」

 

ばしゃと、顔に掛けられた水は、程良くあたたかい。

金でつくられた桶に張ったお湯を、イシュタル様が足で蹴り上げて俺に引っ掛けたのだ。

顔に掛った水を拭い、『何故俺は、今女神イシュタルの部屋で彼女の足を洗っているのだろう』と遠い目をする。しかしまた意識を飛ばすと第2波を喰らう羽目になりそうなので、懸命に手を動かすことにした。

 

金の桶のお湯に、輝かんばかりに白いおみ足をつけてもらう。

そしてシルクの布で拭うと、つるっつるの肌に丁寧にオイルを塗って、爪を立てないように揉み解す。

広い広いベッドに広がる白いシーツの上に座った女神様は、満足げに俺を見下ろした。

 

それにしても、足1本、いや指1本とっても、半端ではない造形美である。

当然と言えば当然なのかもしれない。イシュタル様は女神で、さらに美を司る存在なのだから。

 

「あーあ、アタシもう疲れちゃったわ。

そろそろ天界に帰ろうかしら」

 

「ほんとですか!?」

 

「なに嬉しそうな顔してんのよ。

アンタも来るのよ」

 

「へ?」

 

「馬鹿ねえ。アンタはアタシの下僕なんだから。

ご主人様の世話をするのは当然です」

 

「あ、あの……い、イシュタル様?

ぎ、ギルガメッシュ王のことは……」

 

「もうどうでも良いわ。

そうねえ、いくら綺麗でもアレは観賞用よ。

それに―――」

 

「……だ、だめですよっ!

諦めちゃダメです、イシュタル様!」

 

「はあ? なんでアンタにそんなこと」

 

「だ、だって、ずっと想って待っていたじゃないですか!

ずっとこの神殿で、外にも出ずに! 大人しく!」

 

「そ、それはその……って、アンタ、アタシのことなんだと思ってんのよ」

 

ぐーっと体を伸ばしたイシュタル様は、とんでもないことを言い出した。

通常運転と言えばそうなのだが、突拍子のないことに付き合わされては困る。

それに俺はウルクの兵士を辞めたわけでもないし、このままでは王よりも女神様を選んだことにされてしまう。そうなったら、どんな罰が待っているか……。想像しただけで手が震える。

必死の思いで、この飽きっぽい女神様をどうにか言い包めようと必死に言葉を探す。

 

もしギルガメッシュ王と、この女神様がくっ付いてしまったらそれはそれで、俺の胃は地獄のような苦しみを味わうことになるだろうけれど、このままずっと此処に缶詰というわけにはいかない。

 

 

 

―――ばしゃっ、

 

 

 

「ぶっ!?」

 

「ぷ、あっはははははっ!! 間抜けねえ」

 

再び引っ掛けられたお湯に、またもや俺は顔を拭うことになった。

イシュタル様のシルクのそれではなく、普通の布で顔を拭いていると小馬鹿にするような笑い声が飛んで来た。

 

「ひ、ひどいです……イシュタル様」

 

「アンタの魂胆なんかお見通しよ。残念だったわね。

アンタはもう逃げられないの」

 

「へ?」

 

「ふふん、ま、精々覚悟しておくことね」

 

「な、何かまた良からぬことを」

 

「何か言ったかしら?

ああ、もう足は良いわ。次は体をやって頂戴」

 

「い、イシュタル様……。

毎度言っていますが、ちょ、ちょっとそれは……」

 

「アタシの言うことが聞けないとでも?」

 

「ぐうっ」

 

己の体に絶対の自信を持つイシュタル様には、恥じらいというものはない。

ただ単に(げぼく)相手だからなのか、それとも通常なのかはわからないけれど、非常に困るのだ。何が困るって、そうナニがである。イシュタル様は気にせずとも、俺が気にする。

髪と足までは良いが、体となると流石にマズい。何がマズいって、そうナニがである。

 

とはいえ、ここまで綺麗過ぎると、高級なんてものじゃないレベルの“調度品”だ。

完成しすぎていて、俺のような人間ではとてもとてもそんな気持ちになれるわけがない。

かといって、『はい、じゃあお体の方やりまーす』なんて気軽に触れるわけがない。

もし出来る人間がいるのならば、触れているのは気だと突っ込みたくなる。

 

たらたらと冷や汗を流しながら、俺は必死に頭を下げて許しを請うた。

はああ、と深いため息を吐いたイシュタル様は、腕を組むと俺を見下げる。

 

「アンタにとっても、良い話だと思うけど?」

 

「な、なんの話でしょう……?」

 

「アタシのお供として、天界にあがる話よ。

もうアンタのお友達は誰もいないんでしょ?

今更何の未練があるっていうの? あの王様かしら?」

 

「そ、そりゃギルガメッシュ王のことは放っておけませんし」

 

「あら。奴ならアンタのことを綺麗さっぱり忘れて、楽しくやっているわよ?

ひっどいわよねえ、こーんなにも尽してくれる下僕を見捨てるなんて」

 

「……王は、生まれながらにして王ですから」

 

「ふうん? なら、アンタを裏切ったヤツらのことかしら?」

 

「……未練は、ありません。アイツらが、選んだことなら……。

俺は、……うう」

 

「はあ、そーいうトコよ。そ・う・い・う・と・こ。

いつまでもめそめそしてんじゃないわよ。

捨てられたなら、アンタも捨ててやれば良いじゃない」

 

「っそんな……。そんな、

―――そんな簡単に捨てられるものなんかじゃない!!」

 

そう叫んで、はっと我に返る。

ああやってしまった。とさっと血の気が引いたのを感じた。

深く抉れた傷口を何度も突かれたことにより、つい叫んでしまった。

女神様に向かってなんて恐れ多いことをしてしまったのだろう。

ああ俺の運命は決まってしまったと震えながらイシュタル様を見て、そして、固まった。

 

「え、ええ……!! い、イシュタル、さ、さ、さま……?」

 

「うえ、……」

 

「な、な、な、なんで!? な、なんで泣いて……?」

 

「なっ、ないて、なんか……ない!」

 

「え、だって」

 

「うるさい! うるさい、うるさい、うるさいっ!!

そもそも、アンタが……っ、うわあああん!!」

 

「お、おち、おちつ」

 

「だって、アンタが……怒るから……」

 

「お、怒ってません!! 怒ってませんって!」

 

ぽろり、ぽろりとそれが落ちていく度に、頭がどんどん真っ白になる。

泣き喚くイシュタル様に俺の頭も混乱しているようだ。許可も得ていないのに思わず立ち上がってしまったのがその証拠であろう。

 

形の良い眉が下がり、いつもは優雅に人を見下げている瞳からは次々に宝石のような涙が落ちていく。慌ててシルクの布で目元を拭うけれど、どんどんと激しさを増して零れてくるそれを受け止めるには足りない。

どうしたものかと、何度も布を折って涙を受け止め続けていると、その瞳が俺を見上げた。

濡れた瞳で見上げられるというのは、なんと扇情的なのだろう。

思考すら奪われる魅力を持ったそれが、突然キッとつり上がったかと思うと……。

俺の腰に、その華奢な白い腕が巻き付いたのだ。

 

「!?」

 

「ばああああか!! こういう時ぐらい男気見せなさいよ!」

 

「え? え、ええ……い、イシュタル様、ちょ、ちょっとこれはまず」

 

「うっさい馬鹿! アンタなんか、ただの布よ……!

光栄に思いなさいっ、このアタシの涙を拭えるなんて……!」

 

「あ、はい。私は布です」

 

感情の起伏というか、この女神様が求める行動がいまいちわからない。

下手なことをしたら首を刎ねられるという恐怖もあるが、その前に俺はその女性経験が……おっと、此処から先は誰にもバレてはいけないことになっているんだ。すまない。気にしないでくれ。

 

イシュタル様は、ぐりぐりと顔を押し付けてくる。

俺は布なのでそれは良いのだが、内臓が痛むくらいの強さでごりごりと来るものだから辛い。いや、俺は布なのでそれは良いのだが。

 

「ぐす……。アタシが相手してあげても良いわよ」

 

「え」

 

「アンタを、拾ってあげても良いって言ってんの!!」

 

「は、……はあ……?」

 

「なによ! その間抜け面!!

折角アタシが天へスカウトしてあげてんのに!!

もっと感極まって喜び噎び泣きなさい!」

 

「あ、ちょっと、さっきから全然話が噛み合ってな……って、あーっ!!イシュタル様おやめください……!桶の中で足バタバタされるとちょ、ちょっと、こま、困ります―――!!」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「どうか、お許し下さい……どうか、どうか……!

―――はっ!?」

 

延々とひどい悪夢を見ていた気がする。

飛び起きた体には汗が滲んでおり、何よりも心臓がはち切れんばかりに脈打っている。。

視界に広がる真っ白い毛に、再び悲鳴を上げそうになるが、そういえばもう人間ではないことを……。いやいや、まだだ、まだ諦めていない。そう体だけは、狼と犬を足して2で割ったような獣へと変化していたことを思い出す。

 

―――そう。俺は幼い頃から王に仕えていた。

その頃幾万人もいた召使いの中で、唯一の生き残りともいえる。

病や寿命で亡くなったものもいたし、戦いに巻き込まれた亡くなったものもいたが、王の怒りに触れて死んだものが多かったことは、暗黙の事実である。

そんな横暴で残酷な面もある王であったが、いつだってその存在に間違えはなかった。

例えどんな仕打ちを受けようとも、その苛烈なカリスマ性に国民をはじめ多くの者が跪いたのである。もちろん、俺もその中の1人であり、王からすれば多くの中の1人に過ぎない存在であろう。

 

全てが狂ったのは、あの悪夢の日からである。

いつも通り王に起床を告げようと、廊下を歩いていた。

そうして例の如く誘拐され、女神イシュタルへと捧げられたのだ。

 

どんな酷い仕打ちをされるかと思いきや、それほどの差異はなく今まで通りのことをしていれば良かったのでこれについては拍子抜けといったところか。

 

「あー……もう、」

 

運命が狂わされた最悪の日を、夢とはいえもう一度見させられたことにげんなりと気を落としながら不貞寝を決め込もうとした。この体なら何度でも寝れそうだと、くわあと欠伸を落とす。

 

 

 

「わっ、……じ、地震……?」

 

ぐらり、と視界がブレた。

 

それを感じた直後どん!という音と共に冥界が脈打った。

ベッドの上でも感じる微震と地鳴。壁がメリメリと悲鳴を上げている。

 

―――エレさまに何かあったのだ。

眷属という立場であるからだろうか、すぐに直感した。

 

急いで立ち上がり、駆け出す。

人の体とは比べ物にならないほど、この体は身体能力が高い。

まるで風になったような気持ちになりながら、部屋を一歩踏み出「ぐえっ!?」そうとして、押し戻された。

 

「ぐうう、わ、わすれてた……」

 

正確には、何故この部屋で寝ていたかの経緯をすっかり忘れた俺が、勢いよく飛び出した結果、見えざる首輪に首を絞められ、反動で部屋の中に放り戻されたというわけである。

 

「げほっげほ……。し、しぬかとおもった」

 

びたんと床に投げ出されたまま、はあと息を吐く。

もしこの場にイシュタル様がいたらそれはもう、愉快そうに高笑いをするだろう。

自分の阿保さを嘆くと同時に、その笑い声が脳に響いた気がして慌てて首を振る。

 

とにかく、此処を突破する為には首の鎖のようなものを何とかしなければならないらしい。

だがこれはエレさまの力によるものなので、眷属である俺に断ち切ることは出来ないであろう。

 

びりびりと響く、冥界の脈動はエレさまの“怒り”だ。

ごろごろと鳴る、冥界の地鳴はエレさまの“嘆き”だ。

どんどんと強さを増していくそれらに、俺の中の焦燥感も掻き乱される。

いかなくてはならない。そんな気持ちに急き立てられていた。

でも一体、俺はどうすれば―――。

 

 

 

『―――様、……様、』

 

 

 

焦りはしても、どうすれば良いのか考えが浮かばない。

べったりと床に体を付けながら、ぐるぐると頭を空回りさせていると近くで声がした。

目を動かして周囲を見回しても誰もいない。

ついに幻聴まで聞こえるように、と思った刹那、鼻先に何かが落ちて来た。

 

とんっ、と突き立ったそれを見る。―――剣である。

目の前に生えたそれを再び見る。―――やはり剣である。

 

「ひえっ!?」

 

俺の鼻先から小指の爪ぐらいの距離に落ちたそれが何かを、脳が理解するまで暫く時間を要した。

情けない悲鳴を上げながら、ぴゃっと後ろに飛び退く。

 

 

 

『おお…汝が』

 

『我らが慈母アマテラス大神の寵児(みこ)様……』

 

 

 

また、声が聞こえた。しかしその姿は見えない。

きょろきょろと周りを見渡すと、突き立った剣の上に白い何かが3つ現れた。

もふもふとした白い毛に、不思議な赤い模様は、俺と同じようなものだ。

だが種別が違う。細長い尻尾に、細い鼻、それは“ねずみ”の姿をしていた。

 

小さな3匹のねずみたちは、真直ぐに俺を見て交互に口を開いたのであった。

 

 

 

 

 




以下、最大のネタバレです。





あと2話で終わる予定です。
さ、最後まで付き合ってくれたって良いんだからね!

評価など下さった方、コメント誤字報告をして頂いた方々、本当にありがとうございます!
終わりが近いことに先立ちまして、これまでのお話の良かった点、悪かった点、もっと見たかった点、はっきりして欲しい点などをコメントにて募集させてください。これからの参考にさせて頂きます。
踏まれて伸びるタイプなので辛口でも良いよ!! むしろ踏んで!!
ただし間違っても物語の確信に触れる部分、たとえば、卒業式のシーズンですが主人公はいつ卒業するんですか?とか聞いてはいけない。いいね?


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太陽の裏側

今回は“大神”要素が多いので、原作を知らない方は読み難いかもしれません。
まずはふわりと読んで頂き、あとがきに記してある解説らしきものにお目通しを頂くとわかりやすいかも。


―――王よ、西の豊葦原の瑞穂の国を統べし王よ。

 

 

「……う、ううん……。なんですか、こんな夜更けに」

 

 

―――私は、日出ずる豊葦原の瑞穂の国の精霊 木精サクヤ姫

遥か遠き地にて国を統めし王に頼みがあり、この度顕現いたしました。

 

 

「……西の豊葦原の瑞穂の国というのは、我が国のことでしょう。

でも、日出ずる豊葦原の瑞穂の国というのは……?」

 

 

―――この地より、遥か東。

つまりは日の出る方向にある国……。

この地とも無縁ではない、神々が守りし国です。

 

 

「へえ……。それは興味深い。

ボクも行ってみたいです。気に入ったらもらっても良いですか?」

 

 

―――それは私の口からはどうにも言えないこと。

それよりも、あなたに頼みたいものがあるのです。

 

 

「……まあ良いでしょう。

遥か異国の地より来る神を追い返すなどと、無礼なことはできませんからね。」

 

 

―――感謝いたします。

かつて、星の海より襲来した魔のものを追い払うが為、我らが慈母、太陽神アマテラス大神は命を賭して戦いました。

その魔のものの封印は一度破られましたが、蘇りしアマテラス大神より再び倒されました。

アマテラス大神はその後、神々の国へと戻っていきましたが……。

“その力を継ぐもの”を残していきました。

 

 

「ふうん、それでボクに何をしろと?」

 

 

―――薄れゆく信仰、歪んでいく伝承により、アマテラス大神の子の存在は今危ぶまれています。

高貴なる神格はアマテラス大神と同化し、もはや神としての力は無いに等しいでしょう。

それでも我らにとっては、慈母の寵児(みこ)。神々のいとし子であらせられる。

故に、神として存在することは出来なくとも、人として生きて欲しい。

天の照る神が愛した“人間”として。

 

……話が長くなりました。

あなたに頼みたいことは1つ。寵児(みこ)を守ってもらいたいのです。

 

 

「……なんでボクに?」

 

 

―――(えにし)故のもの、と。

ここは“人類文明の揺りかご”と呼ばれし地。

神と人が共に生きる地である。

我が国で再び花開いた太陽神アマテラス大神の信仰は、力を持たぬ子にとっては……。

 

 

「……ま、良いでしょう。

国を治めるのにも飽きて来た頃です。

異国の神の子にも興味がありますし」

 

 

―――ありがとうございます。

それでは、明日、天が高く昇る頃。

我が花の前に参られよ。

 

 

「花、ですか。……ってあれ、もういない。

ひっどいなあ、頼み事するだけしてすぐ消えるなんて。

けど神様なんてそんなものですよね」

 

 

これはまだ、ギルガメッシュ王が幼き頃の話である

生まれながらに約束されていた“金の玉座”と頭に戴く“金の冠”に、かの王は格別な想いは抱かなかった。“王として生まれた我は、我であり王である”という、王としての根幹は、生まれながらにして成立していたのかもしれない。

 

幼いながらにしてウルクを治めるギルガメッシュは、絶大なる人気を誇り民からも慕われていた。

だが決して彼は驕ることはなかった。聖人君子を絵に描いたような性格で、誰に対しても礼儀と謙虚を欠かなかったのだ。

 

半神であり、高位神の加護を身に授かるギルガメッシュは、夢を良く見た。

それは予知夢であったり、預言そのものであったりと、未来に起こることを暗示させるものであった。

 

この日の夢は、遠い異国の地の神から“賜った”ものである。

異国の神の出現に流石のギルガメッシュも驚いたが、すんなりとサクヤ姫の言葉を受け入れた。

王としての器の大きさもあるが、彼自身の興味も後押しをしたのだろう。

 

 

 

 

 

「なーんだ。まだこんな時間ですか。さっさと日が昇れば良いのに」

 

夢から目覚めたギルガメッシュは、ずっとずっと時を待ち侘びた。

おかしな話だが、何故か無性に心が躍っていたのだ。

作物の実りを、花の芽生えを楽しみにする子どものように、ずっと。

そうして太陽が最も高く昇る少し前に、彼は城を飛び出した。

 

「……花。……これはまた、綺麗ですね」

 

城を出たギルガメッシュの頬を、淡い桃色の柔らかなものが擽った。

ひらり、ひらりと散るそれは小さな小さな花びらであった。

まるでギルガメッシュを誘うように、絶えることなく舞うそれは、控えめな甘いにおいがした。

何という花だろう、とギルガメッシュは花びらを指で摘まんだ。淡い柔らかさと、品のある甘さ、さんさんと降り注ぐ陽の光のもとに舞うその姿は、優美で目を奪われる。

 

「……!」

 

そうして辿り着いた先には、大きな木があった。

小さな桃色の花をたくさんつけたその木のもとに、それはいた。

 

ギルガメッシュよりも少し小さな子どもであった。

しかしその額に浮かぶ赤い模様と、纏う神気が、子どもが人の子ではないことを示していた。

 

「……」

 

「……」

 

はらはら舞い散る花の下で出会った2人は、ただじっとお互いを見つめ合う。

1人は推し量るような、観察の眼差しで。

1人はひたすら戸惑い、疑問の眼差しで。

 

「え、えっと、……だ、誰?」

 

「迎えに来ました。だから、ボクと行きましょう」

 

「へ? む、迎えにって……?」

 

「今日から、あなたはボクの召使いです。

えへへへ、一緒に遊んでくださいね」

 

「あの……っ!」

 

花びらだらけの髪にポアっとした顔は、愛嬌がある分間が抜けて見えた。

でもそれがこの子どもには似合っている気がして、ギルガメッシュは気に入ったと笑う。

そうして、穴が開くかと思うほど子どもを観察すると、手を差し伸べた。

目を白黒させる子どもが何かを言っていたが、彼の耳には聞こえていない。

がっしりとその子どもの手を掴むと、自分の城へと戻っていった。

 

 

 

2人の小さな背中を見送るように、その花はぱっと散り……。

やがて1本の枯れ木となった。

 

 

 

 

 

―――それから時が流れた。

 

子どもの額にある模様は、“信仰のあるもの”や“神気を持つもの”には見えてしまうらしい。

神と共に生きる国には、当然のことに神への信仰が存在する。故にウルクの民には、子どもがどのような存在であるかを推し量ることが出来てしまうのだ。

よって面倒なことにならないようにと、ギルガメッシュは“特別製”の布を織らせた。

そして、『絶対に顔を見せてはいけない』という言葉と共に子どもに与えた。

子どもが布を羽織ると、微弱な神気は完全に消える。そもそも子どもの力は、半神であるギルガメッシュよりも弱かったので、抑え込むことは簡単であったのだ。

 

異国の女神がそうしたのか、それともただ単に憶えていないだけなのか判断は付かなかったが、子どもに記憶は残っていなかった。このことはギルガメッシュにとっては非常に都合が良かったのである。

 

いくら力を持っていなかろうと、太陽神の子を召使いとして迎えるなど不敬にも程がある話だが、異国の女神は“人間”として“ギルガメッシュに預けた”のだ。

つまりはウルクの民として迎え入れたことになる。ならば、子どもをどう扱おうとも、ウルクの王であるギルガメッシュの勝手である。というのが、彼の解釈であった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「我が下僕よ、」

 

「はい、王様」

 

(おれ)には価値のない石ころだ。お前にくれてやる」

 

「お、王よ……。誠に恐れ多いのですが、」

 

「ほお、我に意見せんとするはこの口か」

 

「イタタタタっ、痛いですっ、さける、さけちゃう……!」

 

玉座に座し、貢ぎ物の中から適当な宝石を見繕うと下僕へと投げ渡す。

犬に餌をやるような気紛れな行動だ。

そうして、金糸で織り込まれた布を被った召使いが慌てふためく様子を見下ろす。

戯れに、その頬を掴み引っ張ると、愉快な悲鳴を上げて『やめてください』と懇願する。

召使いとして城にいれた下僕は、まあまあ良く働きはするがやはり“緩い”。

この我の御前で欠伸をするなど打ち首ものであろう?

まあ、飼い犬だと思えば愛いものであるが。

 

「王よ、今夜の宴は如何いたしましょう」

 

「……気が乗らん。我の部屋にてお前が酌をせよ」

 

「はい」

 

我に仕え、我に一身を捧げるもの。はじめは神の子を侍らすことに愉悦を感じていたが、それもすぐに消えた。コレを神と呼ぶには、あまりにも間が抜け過ぎている。

そのように腰の抜けた柔い男であるが、コレには人のみならず神をも惹き付ける何かを秘めていた。

 

「下僕よ。まさかあの女神の神殿へは近付いておらぬよな?」

 

「も、もちろんです……!

私のような人間如きが近づける場所ではありません」

 

「そうか、そうよな。

今後もしかと我の言葉を守るが良い」

 

「は、はい。王様」

 

我が守りを受けしこの“なりそこない”には、己を“人間”だと思い込ませた。

力を持たぬ神など、我からすれば人間に変わりはない。

しかし万が一のことを考えると、神々に近付けぬ方が良いだろう。

特にあのうっかり女神に気に入られでもしたら、我でも何が起きるかはわからんからな。

 

「して、何か変わりはあったか?」

 

「い、いいえ。王が気にされるようなことはなにも」

 

「ふん。……安寧とは実につまらんものよな」

 

我が寵愛を受けるに相応しい存在ではあったが、コレはこのまま飼っておいた方が面白い。

“記憶を失くし、行き場を失った己を手厚く保護した優しい王”に、精々その命尽き果てたとしても、我の傍に在れと命じてあるしな。その時の反応だと? もちろん、歓喜のあまり悲鳴を上げながら首を上下させておった。

 

「うん? 随分と情けない面をしておるな。

どれこの我自ら暇潰しに聞いてやろう。

余りある光栄に平伏して、我を称え、崇め、申してみるが良い」

 

「……申すまでが、長いです王様」

 

「フハハハハ、当然であろうこの我を誰ぞ思っておるか。

さあ我の気が変わる前に、疾く跪くが良い。でなければ……」

 

「あっ、はい。よろこんで!!」

 

星が流れるように頭を下げた下僕に、思わず笑みが零れた。

このように我が命に忠実ではあるが、その性根の脆弱が気に入らんところでもある。

その弱さに付け入ろうとする下郎が多くいたのだ。

 

夜遅くまで酒を飲み、夜が明けるまで言葉を交わすなど、どうして許されよう。

我を放って、そうこの我を放って……!

全員首を刎ねてやっても良かったが、もっと良い方法を思いついた。

“我に寄って来た女を不埒者らに嗾ける”と、あっという間に羽虫どもは散っていった。

あまりにも愚か過ぎて笑えもしなかったが、まあすっきりしたので良しとしよう。

 

「その目は……。

そうか、我とお揃いというヤツだな!

そうかそうか、実に愛い。良い、許す」

 

「……い、いえ、これは……その」

 

「フハハハハッ! 情けない顔をするでないわっ!

我は実に今機嫌が良いのだ。お前も飲め」

 

「えっ、い、いや私は……!」

 

「なんだ、(おれ)の酒が飲めぬと?」

 

「めっ、めっそうもないです! お、王様のお酒ならいくらでも……!」

 

思惑通りすっかり夜遊びをやめた下僕に、毎晩の我の酌を命じた。

暫くその目は赤く腫れていたが、言葉にしなくともわかる。

我に酌を出来る己が身の冥利に涙が止まらないのだろう。

従順な犬とは、愛いものよな。

 

 

 

 

 

それから数日経った日であったか。

ずっと前からこの我をものにしようと喧しかった女神が、ついに暴挙に出たのだ。

 

『3日以内に国王のもっとも大事にしている人間を差し出さなければ、私はこの国を1日で滅ぼすであろう』

 

女神の通達を聞いた我の怒りは、思わず城の一角を吹き飛ばしたほどだ。

むしろそれで済んだことに感謝をして欲しい。この国のものは我のものである。

これは自然の摂理にも通じる、至極当然の理である。

それにあの女神の性格はわかりきっている。

自分が気に入ったものは殺してでも奪い取るが、自分が飽きると甚振って捨てるのだ。

それだけでも腹立たしい話だが、あろうことか……“不埒者ら”がやりおった。

 

「……おい、我が下僕は何処ぞ」

 

「ぎ、ギルガメッシュ王……。さ、さあ見ておりませ……っ、ひっ」

 

我が目覚める時、必ず傍に在る存在が朝から姿を見せぬのだ。

それを異変と思わぬほど腑抜けた覚えはない。

この国で我に見えぬものはない。故に、下らぬことを考えた雑種らに、“生ある資格はない”。

 

腹の調子がおかしくなるほど腸が煮えくり返っていたので、あの愚女神の神殿の扉をぶち破ることにした。言っておくがこれは、下僕の為に態々この我が出向いたわけではない。

ただ、腹の虫がおさまらなかっただけだ。

 

「きゃああっ!! ちょっと、何すんのよ!

女神の住処よ!? 訪問の礼を尽くしなさいよ!」

 

「ほお? 我の下僕を盗み取り、かつ我に礼を尽くせと?

―――片腹痛いわ」

 

「無礼者っ……!」

 

「まだ己の立場が分かっておらんとはな。

此処まで愚かだとは思わなんだ」

 

「はあ? 何ですって……!」

 

目に力を入れて睨み付ければ、女神は我の怒りにたじろいだ。

だが我の怒りは加速するのみ。

顔を見た途端に濁流の如く押し寄せる、怒り、憎しみを解放せんが為、腰に差した剣を抜き放つ。

女神がさっと顔色を変えたがもう遅い。傲慢な女神を切り捨てようと構えた時であった。

 

「お、王様……! おやめください! どうかお静まりください!」

 

「む。……我が下僕よ、無事であったか」

 

「は、はい、私は何もされておりません……!

王よ、恐れ多くも……お願いがございます」

 

「ふむ。まあ、お前の言葉ならば聞いてやらんでもない。

良いだろう。申してみよ」

 

「女神イシュタル様の、お言葉に耳をお貸しくださいませ。

そもそも私が此処にいるのも、女神様が貴方様を―――」

 

「……黙りなさい」

 

「い、イシュタル様……?」

 

「そうね、はじめはアンタが欲しくてやったことだけど、もうどうでも良い。

アンタみたいな傲慢で、強欲で、この世の全てが自分のものだと勘違いしている馬鹿よりも、ポアッとしてる阿保面見てた方が心安らぐわ」

 

「え」

 

「待て。……イシュタル貴様」

 

「豊穣を司る女神として、今後のウルクの発展をお約束いたしましょう?

その代わりソイツ、寄こしなさい。アンタにももう二度とちょっかい掛けないから」

 

我の前に膝を付いた下僕を、女神が引っ張り上げる。

すかさず女神とは逆の手を引っ張れば、女神の力が強くなる。

その力に抵抗するために、さらに力を込めると……。

 

「ちょ……!? ち、ちぎれるうううううう!!」

 

「うるさいっ! アタシの下僕なら堪えなさいっ」

 

「黙れっ!……我が下僕なら堪えてみせよ!」

 

「や、やっぱ息ぴった……いたあああああっ!?」

 

 

我としたことが、我を失っていたようだ。

だが一度始めた争いを引くことは、敗北を認めるのと同義である。

『いっそのこと殺して欲しい』と下僕がしくしくと泣き始めるまで、我と女神の争いは続いた。

 

 

「ま、まっぷたつにされるところだった……。

お願いですから、仲良くしてください……。

私の身が持ちません……お願いです」

 

「……はあ。なっさけないわねえ」

 

そう“出来る限り仲良くして欲しい”とほざいた下僕を睨み付けたが、身を縮めて懇願する姿があまりにも哀れであったので、怒りが呆れに変わる。

どうやらそれは女神も同様であったようだ。

何となく争っていることが下らぬことに思えて、仕方なく女神の城への出入りを許すことで、決着が付いた。この我が随分と温い判断を下したものだと、我自身を自嘲する思いだが、下僕の情けない顔を見ていると色々面倒になっただけのこと。

 

「わあっ!! お、王様、女神様!!

城で喧嘩しないでください……!!」

 

「下僕の癖に、アタシに文句付ける気!?

だいたいね、アンタがはっきりしないからこうなってんでしょうが!!」

 

「ヒエ」

 

「貴様こそ、誰の下僕に向かって口を聞いている?

我は言葉を交わすことを許した憶えは無いぞ」

 

「はあああ? なんでコイツと話すのにアンタの許可が必要なのよ!」

 

この我が恩情で許したとはいえ、我が物顔で我が下僕を扱き使う女神に何度と城が吹き飛んだことか。だがまあ、今まで無茶苦茶に暴れていた女神が、これでも随分大人しくなった。

 

豊穣を司る女神により、ウルクは実りの時期を迎える。

 

 

 

―――それが起きたのも、そんな時期のことだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

そこは、ウルクに次ぐという巨大都市であった。

世界を制するのはどちらかと、人々がこぞって噂をし合ったほどにウルクと肩を並べる可能性すら秘めていた王国であった。

 

 

―――煙る硝煙が、送り火の如く空へと伸びる。

 

―――瓦礫の山と化した、王の城と神々の神殿に傾いた陽が差していた。

 

落日を迎えた王国は、盛者必衰の理を体現したものでもなく、また神々による自然災害で滅びたものでもない。つい先ほどまで、燦燦たるその姿を以てこの地帯を治めていたのだから。

 

「ふん、他愛もない。

この程度で我がウルクに手を出そうなどと、この我に対する侮辱と知れ。

そしてその罪は、己らの血を絶やすことで贖おうぞ。

だが―――。それでも、まだ足りん。足りんのだ」

 

滅びた城の裏手に聳える高き崖より、見下ろすものが在った。

それは他でもない、ギルガメッシュ王である。

ぎりりと唇を噛み締めたかの王は、その(かいな)に抱いたそれに視線を映す。

 

 

くったりと、力無く項垂れたそれは―――命絶えし者であった。

 

 

女神イシュタルが天界まで連れ去ったそれを取り戻したギルガメッシュは、言い知れぬ胸の内を持て余していた。それは、彼にとってはじめて喪ったものであったから。

こんなことならば早く、あの不死の薬とやらを与えておくのであったと後悔するも、もう遅い。

その魂は今頃冥界へと赴いているだろう。

 

不思議とその心は凪いでいた。

怒りを超越した、怒りであったのかもしれない。

天界にてイシュタルからそれを奪ったギルガメッシュは、そのまま冥界へと乗り込もうとした。

しかしそれを止めたのは、女神イシュタルであった。

 

『……いくらアンタであっても、冥界に下ることは出来ないわ。

わかっているでしょ』

 

『我に不可能があるとでも?』

 

『あのね、アンタが変に暴れるとそれこそ冥界は完全に閉ざされてしまうの。

それだったらアンタがいっそ死んだ方が早い……って待て待て待て!

実践しようとしてるんじゃないわよ! 全く調子狂うわね。

アタシの話はちゃんと聞きなさい!』

 

『……なんだ。貴様の話を聞いている暇はない』

 

『アンタも大概ね。……アタシも人のこといえないけど。

良い? アタシはアタシの為にアイツを取り戻しにいくわ。

でももし、アタシがもし戻らなかったら……。アンタも来なさい。

“冥界の門は開かれている”筈よ』

 

『何故我が貴様の……。いや、この際仕方あるまい。

では我は―――下すべき裁きがあるのでな』

 

こうして女神イシュタルは冥界へと下り、ギルガメッシュ王は先の戦の相手であった国へと足を延ばしたのだ。イシュタルもギルガメッシュも供を連れることなく、単騎で乗り込んでいった。

その結果が、今、眼下に広がる光景である。

 

「……」

 

砂漠の乾いた風が、頬を髪を撫でて去る。

ギルガメッシュはじっと死顔(かお)を見下ろしながら、暫くそこを離れなかった。

 

 

 

「気が変わった。我はこれより冥界へ向かう。

だが決してお前の為ではない。我の為だ。

我は退屈と静寂を好まぬ。

それに……どうにも、待つというのは性に合わんからなあ!」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

寵児(みこ)様、みこさま。我らが慈母のいとし子よ』

 

『我らは子断神。退魔の力を以て魔を払う断神の子なり』

 

『ここは我らが領域に在らず、顕現できるのは我らのみ』

 

『故に我らが力は完全に在らず。しかしその鎖を断つことは容易い』

 

『どうぞ我らの力、とくとご照覧あれ!』

 

剣の柄に上った3匹の小さなねずみが、口々にそう言った。

小さな小さな体であったが、身の丈の幾十倍もある剣を力を合わせて持ち上げる。

そして彼らが剣を一気に振り下ろすと、ぱきんという割れる音にも似たそれが響き、ふと体が軽くなる。

 

『みこさま、今の御身では“筆”を扱うことは出来ますまい』

 

『だがご安心召されよ』

 

『我らが子断神、小さくともアマテラス大神の一部なり』

 

『―――時が来るまで、我らはみこさまと共に在る』

 

ぴょんと跳ねたねずみ達に、俺はただ目を白黒させるだけだ。

あまりに突然のことに言葉を無くした俺は、やっと我に返る。

 

「い、色々聞きたいけど……。

まずその“みこさま”っていうのは……?」

 

『御身はアマテラス大神のもの、初代アマテラス大神の御身にあらせられる』

 

「アマテラス……?」

 

『我らが慈母アマテラス大神は、天を照らす最も尊き御子なり』

 

「そ、それって……。たっ、太陽神っ!?」

 

思わず悲鳴交じりの声が零れてしまった。

太陽神といえば、神々の中でも最高位に位置する最も尊き存在で……。

ということは、散々“犬と狼が混ざったような獣”と表現してしまったが、も、もしかしてこの体は……。太陽神のものだというのか。

 

「でっ、でもそんな俺は、っていうかなんで俺!?」

 

『御身に宿る神力は途絶え、時間と共に消滅する筈であった』

 

『そうして御身は完全に人となり、人として死ぬ運命にあった』

 

『御身の力は、アマテラス大神へと返される筈であった』

 

「え、ちょ、ちょっと待って……!」

 

―――全然意味がわからない。

俺は、そう幼い頃からギルガメッシュ王に仕えて……。

その切っ掛けとなったのは、俺が親に捨てられて彷徨っていたのを王が気紛れで拾ってくれたのだ。

まだ話が通じる頃の王との出会いを、一度たりとも忘れたことは無い。

逆を言うと、ギルガメッシュ王に会う前の記憶は一切なかった。

 

『しかし、運命は狂いけり』

 

『高位の神に触れ、高位の神の願いにより、

萎み枯れる筈であった蕾が、花開いてしまわれた』

 

『その力は———生と死。

対なる力は、みこさまの運命を逆転させてしまった』

 

『即ち、神として生き、人として死ぬこと』

 

『そして、みこさまは“死んだ”―――人として』

 

『そして、みこさまは“生き返った”―――神として』

 

「……死、って、……。イシュタル様を庇って、の」

 

思うことはあった。

周りの人間が年齢を重ねていく中で、俺はギルガメッシュ王と同様に“一向に年を取らない”のだ。

ギルガメッシュ王のように神の血が流れる人間であれば、理由は付くけれども俺は普通の人間である。なのに、何故か老いない、死なない。

そんな俺に周りの人間は、王が“不老不死の薬”を求めたのはお前の為だったのかと言った。

しかし俺には、そんな薬など口にした記憶になかった。

 

「で、でも、た、太陽神なんて……!」

 

『我らが慈母アマテラス大神の子よ』

 

『天界の女神と冥界の女神の力の混じったみこさまの御身はもう』

 

『アマテラス大神の御許に還ることは許されぬだろう』

 

『されど、その貴き神位に使命に変わりはあらず』

 

尻尾や耳を動かしながら3匹のねずみは、そう告げる。

俺はただただ唖然と口を開けるしかできない。

俺が神様で、しかも神様の中でも高位な太陽神の……子?

真っ白な頭の中では氾濫した川の如く衝撃と疑問が押し寄せて来るけれど、固まった口では一言も発することは出来なかった。

 

 

 

―――どおおん!!

 

一段と大きく地面が轟いた。

大地がぱっかりと割れてしまったかのような、ものすごい轟音にはっと我を取り戻す。

そうだ、こうしてはいられない。エレさまのもとに行かなくては……!

魚のように口をぱくぱくとさせていた俺は、本来の目的を思い出すと急いで部屋を出て行った。

 

床に突き刺さった剣と、その上に乗る3匹のねずみを置いて。

 

 

 

『試練はすぐに訪れよう』

 

『神となった御身はまだ未熟』

 

『ゆめゆめご無理をなされるな』

 

 

 

勢い良く去って行った俺には、その3匹の言葉が聞こえることは無かった。

 

 

 

 

 




以下解説……?第1回目(とてもながい)
ネタバレ含むかもしれないので注意。


*初代アマテラス大神(白野威)
全盛期のアマテラス大神のこと。もふもふ。キリっとしてる。
ややこしいので初代と表記しました。
人々からの信仰MAXであった為に、つよい。ものすごくつよい。
ヤマタノオロチと死闘を繰り広げて死亡する。


*アマテラス大神
初代の生まれ変わり。もふもふ。ポアっとしてる。
人々の信仰心が薄れてしまい弱体化してしまった。
蘇ったヤマタノオロチと再び戦い、倒すことに成功する。
その後神の国へと帰るが、置き土産をしていく。


*王の下僕 / 女神の下僕(主人公)
卒業はしてないが本人曰くDTではないらしい。それってつまり……?
仲間全員に裏切られたという壮絶な過去を抱えており、未だにトラウマとして引き摺っている。だがそれを招いた原因は……。
ギルガメッシュによって拾われ召使い兼兵士として散々こき使われた挙句、天界の女主人に気に入られる。
誰一人まともに話を聞いてくれないのが悩み。


*シャマシュキガル / アマテラス大神の寵児(主人公)
アマテラス大神が残した置き土産。もふもふ。ポアっとしたヘタレ。
生まれながらにして神の力を持たなかった為に、サクヤ姫によって異国の地へと送られる。
彼を憐れんだ神々によって“神として死に、人間として生きる”ように運命づけられる。
微かに神の力は残っているものの、年々弱くなっていき、完全に消滅すればただの人間となる……予定であった。

イシュタルを庇い死亡する間際に、これでもかという程“生を司るものの神気”を注がれ、覚醒する。イメージ的にはやり過ぎた心臓マッサージ。心臓なかったけど。
これにより生者として冥界へ下りる。この時は半神半人って感じ。

同じく冥界の女主人に気に入られ眷属にさせられる。
本来神格としては主人公の方が上である為、眷属とすることは不可能であるが、冥界における絶対神はエレシュキガル他ならない。
その後ずっとずーっとエレシュキガルと冥界で暮らす内に、“死を司るものの神気”を取り込み、無意識のうちに人間として死亡する。

―――これにより、主人公の運命が逆転する。
日本の神々が望んだ『神として死に、人として生きること』から、断神が告げた『神として生き、人として死ぬこと』に変わる。こんなことになるとは、神々ですら想像していなかったに違いない。
……命名の際に名前を噛まれたり、時折名前の表記が間違っていたりしていた可哀想な神さま。ごめんね!


*木精サクヤ姫
日本のとある村の御神木の精霊で、ヤマタノオロチの邪気をも遮断する力を持っている。
ずっとアマテラス大神を守り導いて来た。
置き土産である主人公に神の力がないことを見抜き、断腸の思いで“縁のある異国”に送ることを決める。
これは、再びヤマタノオロチを倒したアマテラス大神に対する信仰が戻った為、力のない主人公がアマテラス大神を継ぐことは、彼に負担を強いるだけになるという考えと、またアマテラス大神への信仰が失われてしまうことを恐れての行動である。

【“縁ある異国”という表現は“シュメール人は日本人のルーツではないか?”という仮説より、そう表現しております。この話では、ウルクと日本が直接的ではなくとも、間接的に何かしら歴史上に関係していると仮定し進めていきますが、あまり物語には関わって来ませんので、裏設定ぐらいに思って頂ければ】


以上となります。おつかれさまでした!
とても長くなりましたが、今回は区切るよりもわかりやすいかと思いまして、全載せした次第です。何せ書いた人間が拙い為に、わかりにくいところや、辻褄が合っているのか? という部分があるかと思われます。何かあればズブリと突っ込んで下さい。

あと1話で終了予定です。


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授けられし天命

―――冥界が割れた日

後の書にそう記されたこの日は……。

 

あるものにとって別離を、

 

あるものにとって悲愴を、

 

あるものにとって喪失を、

 

あるものにとってはじまりを、もたらした―――

 

 

 

 

 

冥界を統べる女主人は激怒した。

そりの合わない妹が自分の領域に踏み込んで来たことよりも、何よりも彼女の怒りをかったのは、妹の目的にあった。———幼い頃よりずっと一緒にいた彼女の太陽(あいぼう)を、奪おうというのだ。これをどうして許せよう。口にするだけでも罪に当たるそれを、あろうことを妹イシュタルは、この冥界で宣言したのだ。

 

もはや、マグマの如く沸き立つ憤怒を堪える理由はない。

エレシュキガルの怒りは地鳴りとなり、エレシュキガルの叫びは地震となる。

冥界の住人たちは女神の怒りに畏怖し、こぞって(いえ)に閉じ籠った。

 

己が領域を犯し己が宝へと手を伸ばさんとする、略奪者に突き付けたるは“冥界の槍”。

 

 

 

天界より下りし女神は荒れ狂った。

そりが合わない姉が、己を歓迎することはないことは知っていた。

イシュタルとて“落とし物”を拾いに来たのであって、ちょっかいを出しに来たわけではない。

しかし彼女もまた気付いてしまった。彼女らは姉妹であり、1つを分た身ではないかといわれるくらいに近しい存在であったのだから。―――落としたばかりの宝石(コイン)を素直に返してくれれば良かったのに、この姉はそれを大切に胸にしまっていたのだ。

 

冥界の主の膝元(りょういき)で、彼女に牙を剥くことはどれだけ愚かなことかとは頭ではわかっていた。しかし、決壊したダムでは感情の濁流を抑えることは出来ない。むしろ、自分の領域で殺されるという“屈辱”を与えてやろうと、突き付けられた槍の切っ先を睨み付けた。

 

 

エレシュキガルは、残った理性で結界を展開する。

理性を削って睨み合う2人は、このままでは冥界諸共吹っ飛ばしてしまうだろう。

死者の静謐(ねむり)を守る冥界の女主人として、それは許されることではなかった。

 

「なんで。なんでなのよ、……アタシは、ただ、1つ欲しいだけ。

もっと価値のあるものだって、今までたくさん手に入れて来た。

なんで、……アンタなんかに邪魔されないといけないのよ」

 

「……。私だって同じです。

ただ1つを欲して、そのただ1つ以外与えられなかった。

だからそれをずっと、離さないようにこの胸に抱き締めて来た。

欲しいものを何でも手に入れて、最も残酷な手段で捨ててしまうアナタとは違う。

私ははじめて、花を見た、光を見た、ぬくもりを知った。全部全部、あの子から与えられたもの。大切なものを無くさないように、守るのは当然のことでしょう」

 

「いやよ、いやっ、絶対に嫌!!

アタシは認めない。……例えお父様から罰を受けようとも、アタシは取り戻す。

だって、だって、アレはアタシのものなんだから!!」

 

黒髪を振り乱して冥界の神気を打ち払い、真直ぐにエレシュキガルを睨み付けるイシュタルの言葉は、女神としてのものではなかった。

エレシュキガルはイシュタルを冷たく見据えた。しかしそれは決して彼女を嘲笑するものではない。“もしも逆の立場であれば、自分も同じことをして同じ顔をしているのだろう”。だからこそ、拒まねばならない。そして暫く冥界の門を閉ざしてしまおう。そう思ったイシュタルは、槍を掴む手に力を入れる。

エレシュキガルにとって太陽を奪われることは、何よりも恐ろしいことであった。

 

「度胸だけは一人前ね。いいわ、少しだけ遊んであげる」

 

「戦うからには手加減はできないわ。覚悟なさい!」

 

冥界への道を阻みし7つの門のうち、6つの門は開かれてしまった。よって残るはエレシュキガルの後ろにある1つだけ。万が一にでも最後の門を突破されてしまえば、中への侵入を許してしまうだろう。このイシュタルの目的は、エレシュキガルではない。

今もイシュタルの目は、エレシュキガルの隙を探している。攻撃の隙ではなく、冥界に入るための隙を伺っているのだ。

 

「……仕方ないわねっ、一気に決めるわよ……!」

 

長期戦になればなるほど不利であるのは明白であった。

だから、イシュタルは天界から持ってきた“秘蔵品(きりふだ)”をはじめからぶちかまそうとしたのだ。冥界を覆さんほどのイシュタルの神気が、満ちていく―――。

 

「っ、させない……!」

 

イシュタルが何をしようとしているのかを察したエレシュキガルは、それを阻止しようと地を蹴った……が。その爪先が地を離れることはなかった。

 

―――ぱきん、と脳に1つの音が響く。

それは何かが割れた音というより、金属が外れたような音であった。

エレシュキガルは、その音にぴたりと動きを止めた。その女神の顔は蒼白に染まり、赤い瞳が大きく見開かれる。

 

「え、えっ、う、……うそ」

 

「あら、随分と余裕じゃない。じゃあ遠慮なくいかせてもらうわ!!」

 

「あっ、しま……!」

 

目前に迫った、天界の鉄槌。

慌てて受け止めようとするも、間に合わない。

 

 

 

 

 

―――2神の間に、ぱあっと閃光が散った。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

手足を地面に付ける度に……じゃなかった。

前足と後ろ足を地面に付ける度に、様々な色の花が咲き誇る。

 

白一色であった花は、俺の涙ぐましい努力により色を付けることに成功した。

花を知らないエレさまに、沢山の花を見てもらいたくて必死に頑張った成果である。

 

驚いたことにこの花の色は、俺の想いや感情を表すものであるらしい。

簡単にいうと、俺の感性が豊かになれば、それだけ多くの色の花を咲かせることが可能ということである。

春を思い描けば淡い色、夏を思い描けば涼しげな、という具合に調整出来る。

四季という言葉すら知らない俺が、何故それらを知っていたかというと、冥界の住人の話を聞いているうちにイメージできるようになったから。勝手にその情景が脳に浮かぶのだ。まるで見たことでもあるように。

 

「冥界とは思えない感じになっているけど……、

エレさまも喜んでくれてるし、良いか」

 

エレさまは可愛らしい色を好んだ。特にピンク系統の花を出すと、頬を赤らめて喜んでくれる。だから俺も頑張った。何を頑張ったかって?

 

ピンクという色には、その一言では表せない様々な色味がある。

濃淡によって全然違うのだ。その調整をするために、俺は夜な夜な妄想に耽った。

何故かって? ピンク色を生み出す為である。察して欲しい。

イシュタル様の私室に散らばっていた、ぱん……じゃなかったお召し物を想像すると、淡い色のピンクになり、ギルガメッシュ王のもとを訪れるうつくしい女性たちのことを思い出すと、少し濃くなる。そうしているうちに気付いたのだが、俺は胸の大きい女性の方が……あっ、なんか寒気がするのでこの話はやめておこう。

 

そうしてありとあらゆる妄想を繰り広げているうちに、俺はピンクを極めた。

代わりになにか大切なものを失った気がするので、ついに俺は一皮剥けたということにしよう。これで晴れて俺は童貞ではなくなった。ずっとひた隠しにしていたが、今まで新品であったことは、潔く認めよう。でも、俺はもう、迷わない。

 

「なんてこと、考えてる場合じゃない……!」

 

頭を振ると、おどろおどろしい冥界の道をひたすらに駆ける。

はじめは迷いに迷った道であるが、もうすっかり慣れてしまった。

走って、走って、走って―――そして、エレさまの宮殿“ガンズィル”の方向へと向かった。

現在は仕事場として使用している宮殿は、イシュタル様の神殿よりは小ぶりであるが、エレさまらしいこだわりが散らばっている。俺が来てからは、花を飾ってあるので暗くてじめじめしていることを除けば、冥界の宮殿とは思えないほどだ。

 

門の内側の冥界の入り口近くに聳える宮殿に近付くにつれて、体にびりびりとした電流のようなものが流れる。ええと、神気というのだっけか。魔術師が持つ魔力と同じようなものらしい。

 

そういうのも全て一介の兵士には縁遠いものであった筈なのに、どうしてこんなことになったのだろう。……その原因を考えることを、脳が拒否した。

 

「……ん?」

 

じめじめした地面に、何かが落ちているのを遠くに見つけて目を凝らす。

暗闇でもわかるその“白い”なにか。もぞりと芋虫のように動いている。

なんだろう。少し警戒しながら近付いてみる。

恐る恐る近付いて行くにつれて、それが何であるか……わかってしまった。

 

人の体だ。だが、それは人のものではない。

黒っぽい地面を濡らす―――赤いもの。

その中心に、倒れこむそれは―――。

 

「いっ、イシュタルさま……!?」

 

慌てて駆け寄ると、ぴちゃりと足元の赤が跳ねた。

白い毛が赤く染まることも厭わず、鼻先を近付ける。

鉄の、匂いだ。あまりに濃すぎて鼻の利くこの体にはキツい。

反射的にこみ上げてくる“酸っぱい”唾を強引に飲み込み、そっとその体に触れる。

 

「い、イシュタル様……!! イシュタルさま!」

 

返ってくるのは、冥界の沈黙のみ。

普段が普段(にぎやか)である分、この方の沈黙は恐ろしい。

まさか、女神であるイシュタル様が……死んでしまった?

 

頭がその可能性を理解すると、途端に心臓が煩く跳ねる。

 

 

 

「う、うそ……だ、イシュタルさま……!

お、起きてください、……イシュタルさまあああああ!!」

 

 

 

泣きつくように、その細い体を揺さぶる。

体に残るあたたかな感触が、とても冷たく感じられた―――。

 

 

 

「……う、っさい、……わねえ……!

耳元で、喚かないで頂戴……!!」

 

 

 

ぎらり、と飛んで来た鋭い眼光。普段であれば怯えて縮まるところだが、今だけは俺を安堵させるものでしかない。良かった、……死んでいない。

だがか細い吐息や、威勢は良いが途切れ途切れの言葉に、胸を撫で下ろす余裕はなさそうだ。

早く治療をと思ったが、女神様の場合はどうすれば良いのだろうと慌てふためいていると、その目が一等大きく見開かれた。

 

「っ!? な……っ、な、な……な、」

 

「い、イシュタル、……さ、さま……?」

 

「な、……なにやっちゃってんのよお―!!」

 

「ひえっ」

 

まん丸な瞳に、俺の姿が映る。

痛みすら忘れた様子で突然そう叫んだイシュタル様に、びくりと体が揺れた。

 

「確かにアタシ言ったわよ? ええ、言いましたとも!

“アタシの犬におなりなさい”ってね!!

でも、違う……。そーじゃない!!」

 

「あ、あの……イシュタル、さま、お、おち、落ち着いてください……!

お体に、さわり」

 

「大丈夫よ、このくらい!! アタシを誰だと思っているの!」

 

「め、女神様です……。あ、あのイシュタル様、そもそもどうしてここに?」

 

「っ……!! べっ、べつにっ!!

アンタを、探しに来たんじゃないんだからっ!!」

 

「あっ、は、はい」

 

「大体ね、アンタがあんな馬鹿な真似しなければ今頃っ……!

こんな良い毛並みした犬に成り下がってんじゃないわよっ!!

このっ、もふもふの毛……! 剥いでやるっ」

 

「いっ、いたたたたたたた、や、やめてください。やめて……禿げる、禿げちゃう……!」

 

「うっさい!! 良いじゃない、アンタにお似合いよ!!」

 

「ひっ、ひどい……」

 

うつ伏せに倒れたイシュタル様は、その腕を伸ばすと俺の胸の毛を容赦なく掴んだ。

ぶちぶちぶちっ、と無慈悲な音が聞こえ、相変わらずの横暴さに涙目になる反面、いつものイシュタル様であることにどうしようもなく安心する。体は無事ではなさそうだが、死ぬほどのものではないらしい。

 

イシュタル様のお顔を最後に見たのはもう幾千幾万も前のことなのに、ちっともご無沙汰な気分はしないのは、俺の夢に毎晩のように出演してくれたからであろう。

 

「……はあ、まあ良いわ。

言いたいことは山ほどあるけれど、とりあえずさっさとこの陰気臭い場所出るわよ」

 

「え……?」

 

「何よその間抜け面。ただでさえ間抜けだったのにもっと間抜けになったわね」

 

イシュタル様は、いつにも増して刺々しい言葉を針の如く飛ばしながら、半身を這いずり起こす。そうして、あろうことか俺の胸に顔を埋めた。と表現すると、非常にロマンチックが止まらなくなるけれど、もっふりと沈んだその姿は非常に……、何とも言えない気分になる。

 

それよりも“ここを出る”とは、どういうことなのだろう。

眷属である俺は、エレさまがお許しにならない限り外の世界へ出ることは出来ない。

もしかして、エレさまに捨てられてイシュタル様に拾われたということだろうか。

もしそうであるならば原因は、いくら何をしても怒られないからといって、調子に乗ってのんびり緩々とし過ぎたことだろうきっと。

 

何にせよお役御免というのならば、仕方ないとイシュタル様の顔を見下ろした。

 

「え」

 

「な、なによ」

 

「い、イシュタル様……。

なっ、ななな、なんで……。

なんで、裸なんですか―――!?」

 

「うっるさいわねえ。くれてやっただけよ。

裸ぐらいで一々騒がないで頂戴」

 

「は、は、裸ぐらいって……! だ、だめですよ、め、め、女神様なんですから……!!

ちょ、ちょっと、まってください。た、確か此処に布が……!」

 

ギルガメッシュ王から授かった、金の刺繍のうつくしい布を“掘り出す”。

これは唯一俺が外の世界から持ち込んだものだ。エレさまに捨てられそうになったところを回収して、こっそり埋めて隠しておいた。まさか、こんな風に役立つとは思ってもいなかったが。

 

背が高い部類に入る俺が頭から被っても、地面に着く程に長く大きい布だ。

細身で、俺からすれば背の低いイシュタル様が身に着ければ、無事に体を隠すことが出来る。

確かに隠す体ではないかもしれないが、此処は俺に免じて大人しくしておいて欲しい。そう、俺はさっき成し遂げたばかりなのだ。

 

良く見るといつも綺麗に結われている……。いや俺がその御髪を毎朝丁寧に結い上げているのだが……。とにかく、艶やかな黒髪は解けてしまっている。

そして何よりも衝撃的なものを、目の当たりにしてしまい俺は一瞬正気を失った。

 

 

 

だって、イシュタル様の―――右腕と、左足の関節から先が……なくなっていたのだから。

 

「……い、いしゅ」

 

「叫ばないで頂戴。言ったでしょ? くれてやったのよ。

それよりもさっさとその布、巻くなら巻きなさいよ。

まあ、アンタがそんなに他の誰にもアタシの体を見せたくないって言うなら、協力してあげるわ」

 

「いや、そんなこといって」

 

「さっさとしなさい!!」

 

「あっ、はい」

 

無理やり引き千切られたような、ひどい断面であった。

あまり具体的に表現するとさっき引っ込んだ“酸っぱい”唾が、再びせり上げて来るのでそれ以上は言わないけれど。四足歩行のこの体に無茶を言うイシュタル様に、なんとか頑張って布を巻く。そしてそっと、そっと、イシュタル様を背中に乗せた。

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

「戻りましょう、イシュタル様!

このままだと不味いです。非常に、不味いです」

 

主に俺が。という言葉は情けなさすぎるので、“酸っぱい”唾と一緒に飲み込んでおく。

そうして片腕と片足を無くしたイシュタル様が、背中から落ちないように気を付けながら、冥界の門の外へと駆け出した。

 

 

 

 

 

「―――シャマ?」

 

 

 

 

 

ばちばちばちと、黒い雷のようなものが地を走った。

ばちん!!と大きな音を立てて弾けたそれは、イシュタル様と俺に一直線に向かって来る。

間一髪で大きく跳躍することで何とか避けられたが、よりにもよって―――。

 

エレさまと、対峙することになってしまうとは……。

 

「わわっ! え、エレ……さま、」

 

「シャマ。何処に行くの? ねえ、何処に?

あなたの居場所は此処でしょう。だって、あなたは私のシャマシュキガルなのだから」

 

「え、エレさま……? ど、どうし」

 

揺れる金色の髪、そして虚ろな赤い瞳は真直ぐに俺を見つめている。

その様子は明らかに……。いつものエレさまではない。

まさか、俺が言い付けを破ったから物凄く怒っているんじゃ……。

どうしようと、身を強張らせていると、上から高らかな笑い声が聞こえてきた。

 

「べーっだ。この下僕はアタシのものよ。

アンタみたいな根暗なオンナ、御免だわ。そうよねアタシの下僕?」

 

「えっ、ええ……」

 

「まさかアンタ、このアタシを袖にするなんて馬鹿なことしないわよねえ?

アンタはアタシにその尻尾振ってりゃ良いのよ。さ、還りましょ。

こんなとこ二度とごめんだわ」

 

腕と足から血を滴らせながらも、いつもの調子でそう言い放ったイシュタル様は、エレさまに向けて舌を出した。すると、微かに震え続けていた地面がどん!とまた音を上げる。

 

「シャマ、シャマシュキガル……」

 

「はっ、はい。エレさま」

 

「あなたの主はだあれ?」

 

「は、はい……。エレさまです」

 

「うっわあ……。そこまでするう?

強制的に首輪付けて飼い慣らそうなんて、ひっどい女!」

 

「……いやそれは、イシュタル様もかわら」

 

「ねえ! 」

 

「はいっ!」

 

「アンタ、どっちが良いの?」

 

「へ?」

 

「この暗いじめじめとした女神と、このアタシどっちが良いって聞いてんのよ」

 

「な、な、なんで……?」

 

「シャマ……」

 

「ちょ、エレさま……! そ、そんな目で見ないで……」

 

たださえ、いつものおどおどとした感じを払拭したエレさまに恐怖を感じているのに、さらにイシュタル様が煽るから、2人に挟まれている俺の心臓と胃が悲鳴を上げている。

 

「ちょ、ちょっと、待ってください……!

俺、何がなんだか……」

 

「理解しなくて良いのだわ、シャマ。

あら、いやだわ。何故そんな“汚らわしい”ものを背負っているのです?

さっさと捨てて、そうだ、お茶の時間にしましょう?」

 

「……え、エレさま、さっきから様子が」

 

「あーあ。“振り切れちゃった”みたいね。

このままじゃアタシだけじゃなくて、アンタもやばいわよ」

 

「ふり、きれた……?」

 

「よっぽど、アンタに執着していたってことよ。

全く。下僕の癖に次々と……!」

 

「いった、いたたたたっ!! だ、だから、背中の毛を、掴まないで……!」

 

イシュタル様の様子には変わりはないが、その声に滲む焦りは隠せていない。

このままだと冥界は崩壊するかもしれないわ。そう言ってイシュタル様は、黙ってしまった。

というかこの状況、もしかしてイシュタル様が余計なことを言って、エレさまがブチ切れてしまったのでは? それなら俺はとんだとばっちりということになるが……。

 

「―――逃がしません。

此処は私の領域、逃げられると思うな……!!」

 

「わっ、わ……!」

 

飛んで来る無差別な攻撃を何とかして回避する。

今まで無傷でいられているのは、ひとえにこの体のおかげであろう。

しかし、当然ながら、そんな付け焼き刃で太刀打ち出来る相手ではなかった。

不意を打って放たれた黒い雷が、俺の腹に直撃する。

きゃん!!と情けない声を上げて、地面に転がった俺の背中からイシュタル様が落ちた。

 

慌ててイシュタル様に駆け寄ると、迫って来たエレさまの前に立ちはだかる体勢となる。

 

「どいて、シャマ。殺せないじゃない」

 

「正気に戻ってください、エレさま……!

此処はあなたの領域、此処であなたに敵うものはおりません……!」

 

「ええ。ええ、そう。此処は我が領域……。

だからこそ“のこのこ”とやって来た、そこの女神に罰を与えねばならないのです」

 

「ばっ、罰なら、もう……充分です!」

 

「いいえ、シャマ。それはあなたが判断することではありません。

良いですか? その女神イシュタルは、このわたしからあなたを奪おうとした重罪人。

冥界の女主人エレシュキガル自ら、裁かねばならない」

 

「お……、俺は、エレさまの眷属です……。

何処にもいきません。ですから、どうかイシュタル様を外へ……!」

 

「……。良いでしょう。

ただしその女神の罰を、あなたが代わりに受けなさい」

 

「……う、……わ、わかり」

 

目の前に佇む、冥界の女主人に俺は必死に頭を垂れて懇願する。

イシュタル様が何をしたかわからないけれど、俺のしていることも勝るとも劣らない重罪なのだろう。主人に逆らい、主人の言う罪人を庇うなど、あってはならないことだ。

だけれども、このままイシュタル様を見捨てておくことは出来なかった。

そんな俺に、エレさまはそう吐き捨てる。永い間一緒にいたけれど、聞いたこともない、冷たい声であった。

 

 

 

「―――ほお、随分と愉快な恰好をしているではないか……我が下僕よ。

どれその顔、(おれ)に良く見せてみよ」

 

 

 

自信と余裕に満ち溢れた声は、いつだってブレることを知らない。

これまた久しぶりに聞いた声であるのに、全然懐かしさは感じなかった。

開かれた7つ目の扉の前で、腕を組んで堂々と立つ―――ギルガメッシュ王は、俺を見てにやりと笑う。王の言葉に、悲しいかな永年の習慣が反応した。脊髄反射的な速度でその言葉に従うと、機嫌良さそうに赤い瞳は細められた。

 

「お……おう、さま……!? あ、あなた様まで、な、なぜ、此処に……?」

 

「なに、ちょっとした散歩よ。

ふむ。……間抜けな顔だと思っておったが、さらに間抜けになりよって。

だがまあ、そうさな。お前らしい顔である。故に我は許そう」

 

「は、……はあ、」

 

「……。目覚めてしまったものは、仕方あるまい。

お前が我の下僕であることに、変わりはないのだからな。

精々犬の如き忠誠をこの我に向け、今後とも我に仕えるが良い」

 

至極当然だというように、俺を犬扱いし、間抜け扱いした王に、腹が立つより先に言い知れぬ安堵がこみ上げてくる。何だかんだ言って、俺は王のことを信頼しているらしい。

そしてイシュタル様といい、王様といい、なんで冥界入りしているのだろう。

 

「ああ、なんてこと……!

罪深きものが、また冥界に……!」

 

「ふむ。貴様、地の底の女神か。

我の下僕が世話になったな」

 

「……誰のですって? あなたも私から、その子を奪おうとでも?」

 

「ふん。貴様が我から、下僕を奪ったのだろう。

―――疾く失せよ。今の我は機嫌が良い。

それで貴様の罪を特別に許してやろうではないか」

 

「何を言っているのかしら。

この冥界を統べるのは、この女神エレシュキガルです。

出て行くのはあなたたちの方……!」

 

ぱきり、ぱきりと……地面が泣いている。

虚ろな目は、もはや何処も見ていない。

時折俺を見ては、シャマと呼び掛けて、手招きするエレさまは狂人のようにも見えた。

 

「……愚かなものよな。

この我が寛大な許しをやろうと言っているのだ。

頭を垂れるのは、貴様の方であるが……。

貴様がその気なら、それも良かろう」

 

「人間の王如きがっ、ふざけないで!!

冥界の審判者(かみ)は、このわたしだと言っているでしょう!!

さあ……冥界の赤雷(さばき)を受けよ!」

 

地の底の女主人が手を掲げると、冥界の雷が“招かざる者”へ降り注ぐ。

ギルガメッシュ王はやれやれと首を振ると、腰に差した剣を引き抜く。

天界の女神であるイシュタルですら敵わなかった女神を相手に、どうしてそんなに余裕でいられるのだろう。王は、半神であるが人間の王だ。少なくともこの場所で、勝算などありはしない。

 

「地の女神、エレシュキガルが命じます。

あなた方はこの冥界に不必要だわ。

さっさと去りなさい……!!」

 

「フハハハハハッ!! 冥界見物のついでだ。

どれ、我の城でも建てるか。なあ、我が下僕よ」

 

「え、……ええ、お、王様もうちょっとこう、緊張感大事にしましょうよ」

 

道理で静かだと思ったら、後ろのイシュタル様は気を失ってしまったようだ。

再びその体を背負うと、冥界の雷を薙ぎ払った王様が不敵に笑う。

自分で言った通り非常に機嫌が良いようだ。だが、俺を見ないで欲しい。笑顔の王様とか逆に怖い。そして、無表情のエレさまもとても怖い。

 

「そう、そうなのね。みんな、みんな私から……。

良いでしょう。ならば、教えてあげる。わたしの本気思い知りなさいっ!!」

 

「……ぐっ、」

 

ぱきり、ぴきりと、さらに地面が震える。

エレさまの怒りに呼応するように、その力が高まっていく。

それは暴発という表現がぴったりと当て嵌まるだろう。

膨れ上がる力に、流石の王も呻いた。神の力に中てられたのかもしれない。

 

 

 

「こうなったら、みんな……消してやるのだわ―――!!」

 

「え、エレさま―!?」

 

 

 

叩き付けるような叫び声と共に、煮詰まったエレさまの感情が吐き出される。

その瞬間―――ばきばきばきっ、と嫌な音が聞こえた。

慌てて周囲を見ると、エレさまの丁度背後に地割れのような罅が出来ていた。

雷のようにジグザグに走るそれに、誰も気付いていない。

やはりこの体は、人間の時よりも聴覚や嗅覚に長けているらしい。

 

 

 

「何よ何よ何よ、なんで、あなたのような存在が、背に庇われているのよ。おかしいじゃない。だって、だって、私が、私が先に見つけたんですもの。私、そう私だけの―――!!」

 

 

 

ぶつぶつと紡がれる言葉はまるで呪詛のようだ。

沸々と煮えたぎっていくそれは、やがて爆発の時を迎える。

 

「え……?」

 

「な!?」

 

「む、これは……!?」

 

だが、その力が放たれることはなかった。

 

―――ばきっ!!

岩が砕け散るような、何か固いものが割れたような轟音が響く。

度重なる地鳴りで、悲鳴を上げていた地面がついに限界を迎えた瞬間であった。

 

ぱかりと割れた地面。

傾いていく、その体。

気が付けば、俺は駆け出していた。

 

「っ、待て……!! 行くなっ!!」

 

目を見開いた王の、驚愕の顔を見たのはこの日が初めてであった。

常に“余裕綽綽”を浮かべるその顔が歪み、その手が伸ばされる。

 

俺はこの日初めて―――王に背いた。

伸ばされた王の手に、イシュタル様を預けると、エレさまの方へと走る。

 

そこからは、全て無意識のことであった。

しかし、エレさまを“助けなければ”と一心に願ったことだけは憶えている。

 

気が付けば、そう、俺は口に“大きな筆”を咥えていて、筆先を(くう)に付けると“左上から右下へと2回波打たせた”。すると、突如太い蔦が出現し、割れた地面に落ちていくエレさまの体に巻き付いた。反対方向の蔦の先を咥えると力いっぱい引き上げた。

 

不敬な表現だが、魚釣りの要領で蔦を引くと上手いこと反動で、エレさまの体が浮き上がる。

ぽーんと弧を描いて、ギルガメッシュ王の傍に落ちたエレさまは、目を白黒させている。

その目は、先ほどのような虚ろなものではなく、いつもの穏やかで優しい光を宿していた。

 

「シャマっ!!」

 

ぱきり、と後ろでまた音がした。

エレさまを釣り上げた反動は、俺にもやって来る。

引っ張り上げて前のめりになった俺の体は、踏ん張りが利かず、広がったその穴に呆気なく落ちて行ったのである。

 

「っ!!」

 

伸ばされた2本の手を、短い俺の手は掴むことは出来ない。

最後に見たのは―――涙を溢すエレさまと、ひどく動揺を浮かべた王の顔であった―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――落ちる。

 

 

 

 

――落ちる。

 

 

 

 

―落ちる。

 

 

 

 

落ちる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冥界のその奥の世界は、どんな世界なのだろうか。

内臓が浮き立つ気持ち悪さと、まるで空を飛んでいるかのような不思議な爽快感を感じながら、ただそう思った。

 

ただの一介の兵士であった筈だったのに。

ただの王の召使であった筈であったのに。

どうして、こんなことになってしまったのか。

 

だが―――悪くはなかった。

王にも女神様方にも、散々振り回された気はするけれど、嫌ではなかった。

 

ただ心残りがあるとすれば、そう……ただ1つ。

俺も、……“仲間”になりたかった。

 

もしも、太陽神アマテラス大神が……本当に、いるのならば……。

どうか、どうか―――“話を聞いてくれて”、“慈愛に溢れ”、“無茶ぶりをしない”―――そう、聖女のような女性と出会わせて欲しいものだ。そうすれば、どんな運命であっても乗り越えられるであろう。

 

完全に闇に包まれた世界で、俺はただ一心にそう祈りを捧げたのであった。

 

 

 

 

 

耳の奥で“ワン!”という鳴き声が、聞こえた気がした―――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

闇が、ふと晴れた。僅かに明るくなったことで視界が戻る。

目の前には―――冥界の空よりも少しばかり明るいが、やはり淀んだ空が広がっていた。

冥界を闇と表現するならば、此処は……なんだろう。

薄暗く、おどろおどろしい世界であることには変わりないが、あの静けさはない。

それどころか、何か良からぬものが蠢いているような……。落ち着かない感じがした。

 

体の下には固い地面を感じたが、じめじめとしたものではなく“良く乾いている”。

 

「わん! わふ……?」

 

『此処はどこだろう』と呟こうとしたのだが、実際に口から出たのは犬のような鳴き声だけであった。人の言葉を話せないということは、此処は冥界ではないことは確かだ。

俺が今まで言葉を交わせていたのは、エレさまの力があってこそなのだから。

 

「……くうん、」

 

仰向けとなっていた体をごろりと地面に横たえ、顔を上げると―――。

冥界の門よりも、さらに巨大な黒い門が聳え立っていた。

もしかしてまた別の場所に、と思い自分の体を見る。

 

純白の白い毛に覆われた体は、再び小さくなっていた。

エレさまにはじめて出会った時よりもまた、一回り小さい。

 

「……」

 

あまりのことに呆然として固まっていると、ふと影が差した。

小さな影であった。ぱっと顔をそちらに向けると、“赤紫”と目が合う。

 

「……」

 

じっと、ただじっと俺を見て来るその瞳は、ガラス玉のようだ。

イシュタル様とエレさまがどちらかというと可憐な顔立ちであったのに対して、それは美麗な顔立ちである。だが、女神様方とは違い、その表情は一切変わることはない。

 

じわりと、汗が浮かぶ。ここは逃げるべきなのだろうか。

そう思って体を持ち上げようとしたが、ぽふりと体に走った軽い感触にぴたりと動きを止める。そちらを見ると、なんとその小さな手が俺の体に触れていた。

 

淡々と触れているように見えるが、その手付きはどこかぎこちない。

慣れない手付きで、恐る恐るといった様子で撫でるその―――幼女に、俺はそれ以上動くことは出来なかった。

 

 

 

 

ひたすら背中や、頭、腹を撫でられながら、ふと思う。

―――彼女こそが、俺の聖女なのだろうか。

 

 

 

 

もし、もしもそうだとするのならば、この話はハッピーエンドが約束されるだろう。

この将来有望な子どもの成長を楽しみにしつつ、のんびりと余生を楽しめるのだから―――。そしていつか、俺の願望は果たされることになるだろう。

 

 

眠気に包まれていく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えたのである。

 

 

 

 

 

 




以下、あとがき(ネタバレ含む)





おつかれさまでした!

改めまして、当作品『天界の僕、冥界の犬』をお読み頂きありがとうございました!評価や、コメント、誤字脱字報告をして下さった方々、本当に感謝しております。



【続きを書くかわからないので、以下に脳内設定をぶちまけておきます】



*この話でイシュタルが倒れていたのは、主人公を探す途中で力尽きたからです。
片腕と片足で、必死に探し回っておりました。イシュタルの視点から見ると、主人公の登場はお日様の如きものであったかと思います。


*王様の出番が少ないのは、最終的に王様の話に戻って来ることを想定してのことです。エルキドゥやシドゥリとの話も、おそらく此処に入るかと。なのでだいぶ控え目にしてあります。唯一ちゃんと真相を知る存在なので、気軽に出せないのもある……。


*此処までの話は、まだ“人間であった主人公”を中心に書いたものです。
アマテラス大神を継ぐ力は持ち得なかった主人公ですが、その代わり神々に愛されやすい特性を持っております。裏ステータスという感じで。
その特性が裏目に出て、イシュタルやエレシュキガルに気に入られ、半神であるギルガメッシュも気に掛ける存在となってしまい、結果神として目覚めることになります。

ただ歴史上“神に愛された”とされる一部の人間たちが、あまり碌な目にあっていないのと同様に、主人公も神に巻き込まれていきます。
人間として生きる予定であった主人公にとって、突然神となることはあまりに重いこと。だから、これから天命により“神となる為の試練”が課されていくことになるでしょう。

その試練とは、ありとあらゆる時代の世界を渡り歩き、様々な縁を紡ぎ、人々に幸せをもたらすこと。そして、時が満ちた時、主人公は太陽神として完全なる目醒めを迎える。といった感じです。

“愛され、守られる立場”から、“愛し、守る立場”へと成長していく、主人公の軌跡はちょっとした英雄譚にもなるのではないかと思います。
ただし、これらは世に出ることはありません。何故ならば、それはあくまでも“写しの世界”であるから。とにかく、史実にはなり得ないとだけ思って頂ければ幸いです。



最後となりますが……。
コメントを募集しておきながら、個別返信が出来ず申し訳ありません。
1つ1つ大切に目を通させて頂いております。次の参考にさせて頂きますので、本当に本当にありがとうございます!


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第2章 神と人との狭間
影との出会い


―――ケルト神話

アイルランドやウェールズで伝承されてきた神話であり、「アイルランド神話」と「ウェールズ神話」に分けられており、それぞれ4つの物語群で構成されている。

 

その中の1つ。アイルランド神話のアルスター物語には、語られざる物語が存在した。

裏の物語として研究が進められたが、話の筋が他のものとは大きく異なるが為に、贋作かもしくはオマージュ作品か、それとも気紛れに書いた短編か、あるいは何者かが書き足したものか、結局その真相に辿り着いたものはおらず、日陰ものとなった。

 

さて、突然ではあるがアルスター物語をもとにした“二次創作”とまで言われた、この物語に目を通してもらいたい。

 

そうして、ぜひ知ってもらいたいのだ。とある神の、試練を―――。

 

 

ケルト・アルスター伝説の戦士にして女王として描かれる、スカサハは、いつ生まれいつ死んだのか不明のままである。影の国の女王でありながら、門番としても絶対的な力を以て君臨する予言者であり武芸者という、存在そのものがチート級どころではない彼女の傍には、

白い犬が在ったという。しかし、犬は“その書物のみに登場する”ため、その存在を知る者は限られている。

 

そして、白き犬が、彼女の配下であったのか、眷属であったのか、それとも飼い犬であったのか、それを知るのは、女王と、犬のみであったのだ―――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

年中体が湿っているようなじめじめが無くなり、何処となくすっきりした気分である。

相変わらずどんよりとした暗い空のもとだが、湿気がなくなっただけでも大分楽だ。

冥界にいた頃はすっかり慣れていたので、苦とは思っていなかったが。

いつか青空の下で、爽やかな風と共に草原を走ってみたいものである。

 

「……」

 

「……」

 

さて、この状況はどうすれば良いのだろうか。

突然現れた―――もしかしたら突然現れたのは俺の方であったのかもしれないが―――幼女は、相変わらず俺の全身を弄っている。と表現すると、なんとも夢溢れる感じになるが、残念なことに罪悪感を伴うのでやめておく。美幼女に弄られて悪い気はしないが、流石に年齢対象外である。なので、ひたすら戸惑うばかりだ。

 

紫色のドレスを地に広がらせ、しゃがみ込んだ幼女の声をまだ一言も聞いてはいない。

エレさまもはじめはこのような背丈であったが、良くお喋りをしてくれた。

というか今まで自己主張の激しい方々と一緒にいたので、何を話して良いかわからない。というか話せない。正直気まずい。いや俺は今人間ではないのだから、気まずさを感じる必要はないのかもしれないけれど……。

 

うんうんと考えていると、不意に幼女は立ち上がった。

 

「……?」

 

そうしてさっと踵を返すと、すぐ近くにある暗い森へと走って行ってしまった。

何だったんだと首を傾げながら、俺も立ち上がる。

此処に来た時から感じていたが、なんか良からぬ気配が渦巻く場所だ。

殺気立っているというか、落ち着かないというか。

冥界のあの静けさが恋しくなってくる。

 

目の前の門は、開く気配はない。

巨大な門の向こう側は見えないが、行く必要はないだろう。

とはいえ、この場所でじっと寝ているのもなんか落ち着かない。

 

「わん!」

 

よし、と呟いた声は、犬のそれに変換されるのがなんともムナシイ。

そうして俺は、幼女が向かって行った方へと行ってみることにした。

鬱蒼と茂る森は死者や生者区別なく拒むような、不気味さが見えない壁を作り出している。

幽霊とか亡霊とか死者とかが普通に出そうだ。どれも同じか。

 

足元に咲く花々だけが、唯一俺の心を和ませてくれる。

もしここで『わっ!!』と驚かせられたなら、俺は呆気なく死ぬ自信しかない。

何時何が襲ってくるかもわからない中を、びくびくとしながらも歩く。

生い茂る暗い色の草を掻き分けて、真直ぐに進んでいくと―――。

 

森の奥深くに、その姿を見つけた。

 

何をしているのかは背を向けているのでわからないけれど、太ももに掛かる程に長い髪がふわりふわりと揺れている。来る道中に見かけた木々のどれよりも太く高い大木の前で、幼女は大きく手を広げる。ぶわりと広がったのは、魔力か、それとも俺の体毛か。

大木が彼女に応えるように、その枝を伸ばした。

 

「……!」

 

くるりと、身を反した幼女は俺の存在に気付いてたのか、じいと此方を見つめる。

先ほどは光の加減で赤紫に見えた瞳は、艶やかな赤に光っていた。

空から注ぐ暗澹とした光……と言って良いのかわらからないが、木々の間を掻き分けて差し込む。陰影のみで構成されているかのような、そんな世界に凛と佇むその姿は……まるで、影の女王様のようだと思った。

 

ぽかんと口を開けながらその光景を目にしていた俺は、つかつかと此方へと歩いて来た幼女に気付くのが遅れてしまった。

俺の目の前に立った彼女は、その手を差し出す。

差し出された手の上には、……何か、黒くて丸いものが乗っていた。

それは、イシュタル様が気紛れで料理を作った時に生み出された、とてもセンスに溢れた逸品にそっくりである。破壊を司る女神様は、料理も破壊するのかと戦慄したものだが……。舌に蘇って来た“苦い思い出”と、ずいっと差し出されたそれに、冷や汗が止まらない。

 

「……」

 

無表情でそれを差し出す幼女は、何を思ったか俺の口元にそれをくっ付けた。

特別変な匂いはしないものの、丸くて黒い塊に齧り付く勇気はない。

たじろいで身を引いたのが、悪かった。幼女はもう片方の手で俺の顎を掴むと、その姿に不釣り合い過ぎる力で口を抉じ開けて来たのだ。そして、あろうことかその黒い塊を丸ごと突っ込もうとしたので、慌てて口を閉じようと顎に力を込めた。

これにより、勢い余って黒い塊にがぶりと齧り付いてしまったのだ。

 

……シャク、という感覚と、じゅわりと流れ込んで来た液体に、思わず目を瞬かせた。

 

「……!?」

 

林檎である。炭の塊のようなそれは、紛うことなき林檎の味がした。

外見詐欺にも程があるが、これはもしかしたらこの世界の林檎なのかもしれない。

そうであるなら、目を瞑れば全てが解決する。

ずっと冥界にいた俺は“食べる”という行為自体が久しぶりであった。

その為に、一度口にし出すと止めることは出来ない。

噛み砕くことにも、舌を動かして飲み込むことにも、染み込むような甘味も酸味にも、人間であった頃には感じなかった『幸福』を感じて、思わず頬が緩む。

 

がぶがぶと食べることに夢中になっている俺は、それが幼女の掌の上に乗ったものであることをすっかり忘れていたのである。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

あっという間に姿を消していく“影の実”たちを、ただその子どもは見ていた。

次々と胃に収まっていく実を、望むがままに与える。

 

子どもにとって、それは意味のない行為であった。

何故ならば、子ども―――スカサハは、“知らなかった”のだ。

影の国に生まれ落ちた彼女は、生まれながらにして支配者であった。

女王として君臨する彼女の周りにあったものは、無機質な配下と、つめたい城それだけだ。

 

門の前に“落ちていた”“白い塊”に触れたのも、ただの気紛れであった。

それが己の命を狙うものであるのならば、即座に切り捨てれば良いだけ。

ふんわりとしたそれに、自分の手を沈める。さらさらとした毛が束となって生えており、ボリュームたっぷりな純白が、すっぽりとスカサハの小さな手を包み込んだ。

 

白い塊の耳がぴくりと動き、黒いつぶらな瞳がじいと彼女を見つめる。

スカサハよりも小さなそれの“白い体”に、“薄ら”と赤い模様が浮かんでいるのがわかる。

血でも出ているのかと彼女は、頭や首、背中や腹、そして尻尾に触れたが、特に怪我をしているわけでもなさそうだ。

 

ならば、何故しょぼくれた顔をしているのだろうと、スカサハは考える。

そして思い付いた。精気に溢れた生き物が弱る理由は“空腹”であろう。

影の国は、豊かな実りとは無縁である。だから、食料に出来るものは限られている。

 

女王たるスカサハが望めば、影の国は彼女に従う。

彼女が、その手に取った“影の実”は白い塊に与えられた。

 

「……」

 

自分の手から、その実を食べる“白い塊”を見下げて、彼女は……。

はじめて表情を崩して、“微笑んだ”。

 

「……名は、」

 

ぽつりとスカサハの形の良い唇が動いた。

ぴたりと白い塊が動きを止めて、彼女を凝視する。

 

「……たかが獣に、語る術は持たぬか」

 

えらく高圧的なもの言いであったが、幼いながらもスカサハの持つ王たる風格に良く似合っていた。

 

「私の配下となるには、些か間抜け面だが……。

ふむ。ちょっとした余興にはなろう」

 

スカサハは片手をその額へと翳す。

目を閉じて何かを唱えると、彼女の周りに“不思議な文字”が現れた。

光り輝くその文字は、くるりとスカサハの周りを回ると、その白い体に吸い込まれるように入って行った。

 

 

 

「―――お前に“ルグ”の名を与えよう」

 

 

 

ルグと名付けられた、それはぽかりと口を開けた。

それは、あまりにもデジャヴを感じさせる彼女に、衝撃と絶望の淵に叩き落されたからであったのだが……。もちろん、それをスカサハが知る由もない。

 

 

 

これが、影の国の女王スカサハとの出会いであった。

 

 

 

 

 




以下、私情込みの言い訳(それなりにながい)





前回で中途半端ではありますが一応区切りですので、終了させて頂くことにしておりました。
しかしちょっと事情が変わりまして、可能な限り続編を投稿していこうと思います。
場違いかもしれませんが、一言残させてください。


さっくりと説明しますと、長期的に入院予定でしたのが不思議と回復しまして、様子見となりました(最近流行りのやつではない)。

この話を投稿したのも、自由なうちに何か残しておきたいと思ったことがきっかけです。大体一週間を目安に投稿を開始しました。
期間が決まっているのにも関わらず、曖昧な終わり方をしてしまったのは、私の力不足と、この話を書くこと自体もそうですが、読んで下さった方に反応を頂けたことがすごくすごく嬉しくて、綺麗に終わらせたくないと思ってしまったからです。

いつ更新が止まるかわからない状況ですので、続編を投稿するのは止めておいた方が良いかなとも考えたのですが……。どうしても書きたい話もありますので、こうして投稿した次第であります。
読んで頂けている方々には申し訳ない話でありますが、もしよろしければこれからもお付き合い頂けると幸いです。

後書きが私情ばかりとなってしまい、申し訳ありません。
次からまたいつものテンションで投稿予定です。


コメントにてご指摘やご意見頂けたことに関しまして、順次修正を行っていきます。もっと罵ってくれて良いんだからねっ!


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ひび割れた殻

人の好みなど千差万別であろうけれど、優しくて、包容力があるというのは大きなキーポイントとなるだろう。

例え間違いを犯しても、一度受け入れ、正しき道へと諭し導いてくれるような、そんな器の大きさ……も大事であるが、とりあえず今は俺の話を最後まで聞いてくれるヒトが良い。

そしてなにがとは言わないけれど、大きくて柔らかいヒトが良い。

 

これらのイメージを具現化した存在、そう―――聖女様だ。

俺は慈母アマテラス大神に聖女様を望んだ……筈であった。

 

 

 

「きゃんっ!」

 

「……情けない声を出すな。

まだまだ序の口だぞ」

 

「そ、……そんなこと言ったって」

 

「ふん。このスカサハが、お前の柔い牙を研いでやろうと言っているのだ。

例え首を捥がれようとも、噛み付いてみせよ」

 

「わわっ」

 

何で俺は今、不気味な赤い色をした槍の先を向けられているのだろう。

事の発端は……と語りに入りたいところだが、発端も何も、何故か勝手に名付けられ、主となったスカサハ様に首根っこを掴まれて、とある部屋に放り込まれたのだ。

 

丁度遊び相手が欲しかった。とのことだが、俺の知っている幼女の遊びとは違う。これは戦闘民族の子どもの遊びだ。いや、戦闘民族の子どもがどうやって遊んでいるのか知らないけれど。

 

横殴りの雨の如く繰り出される突きを、目を回しながらもなんとか回避“できるわけがない”。槍先が皮膚を掠り、白い毛に血が滲む。

 

「避けることしか出来んのか、獣として無能だな」

 

ぜえぜえと息を荒げながら、くるりと槍を回して遊ばせるスカサハ様を見る。

背筋を伸ばし乱れなく立つ姿は、一輪の花のようだ。

じいと俺を見下げたスカサハ様は、はあと息を吐くと槍をしまう。

 

「―――飽いた。所詮はこんなものか」

 

勝手に連れて来られて、勝手に槍を向けられて、勝手にそんなことを言われても、困る。

そう言いたかったけれど、何故かずくりと胸が痛んだ。

言葉を聞くに、失望されるほど期待はされていなかったようだが、俺にはもう興味が失せたらしい。凍てついた眼差しが、俺を見下げる。

 

「お前の牙も、爪も、飾りだったというわけだな」

 

まるで槍で心臓を貫かれでもしたような、鋭い痛みと鈍い重さが俺の胸を抉る。

重い重い威圧感に気圧されたのか、それともその言葉が致命的だったのか、折角話せるようになった言葉が、出てこない。

 

わかってはいた。スカサハ様が、何を望んでいるのかを。

此処で奮起し、立ち上がり、牙を剥き爪を立て襲い掛かる気概を、見たかったのだろう。

だけれども俺は、牙や爪だけではなく、言葉すら出せなかった。

ただただ視線を下げることしか、出来なかったのだ。

 

「……去れ。

戦わぬものに、名は不要だ」

 

そんな俺を見る目は、どんな色をしていたのだろう。

感じたことのない胸の痛みに、俺は蹲るだけであったのだ。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

神々の庇護のもとに育ち、王の守りを受けて成長したその男の持つ爪牙は、あまりにも柔く、脆かった。太陽神の力は持たない分、その性質を一段と濃く受け継いだ子どもは、守られることに長け、“殺し合い”を知らない。

ウルクでは兵士として戦場に出ていたが、王の采配により前線には立っていなかったのだ。

 

一対一の戦いも知らなければ、本気の殺気も知らない。

彼は、この時はじめて味わう“恐怖”に打ちひしがれていたのだ。

スカサハの氷の眼差しもまた、彼に追い打ちを掛ける。

 

「……なんで、こうなったんだろ」

 

ぺたりと床に顎を付けた体勢で、ルグは呟いた。

彼は、聖女云々を除けば、今まで何一つ望んではいなかった。

ずっとあのウルクで、王の傍に仕えられれば良いと思っていたからだ。

 

「……」

 

ふと、気付く。それは“何故だろう”と。

―――ギルガメッシュ王に、忠誠心はあった。

しかし、この身を全て懸けられるほどのものであっただろうか。

―――ウルクという国が、とても好きだった。

しかし、この身の全て捨てられるほどのものであっただろうか。

 

そしてそれは、冥界の女主人エレシュキガルの眷属となった時も同じである。

ただ“つくられた居場所”に座っていただけなのだと、彼は気付いてしまったのだ。

 

「……これじゃ、俺」

 

―――飼い犬(ペット)じゃないか。ルグはそうぼそりと、呟く。

 

今までそのようなことは言われてきたが、ちっとも気にもしていなかった。

居心地の良いぬるま湯の中で、飼い主からの寵愛を受けて生きてそして死ぬ。

その生き方を否定はしないが、本当にそれで良いのだろうかと、はじめて自分の生き方に疑問を抱く。

 

その疑問のままに“今までの自分”を思い返すと、それがとても恥ずかしいもののように思えて。

あまりの自己嫌悪に、ルグは頭を抱えた。

 

次々に頭に甦る記憶は、負の連鎖となり自分を責めるものでしかなくなっていく。

そうして蹲ったままルグは、いつの間にか眠りに落ちていったのであった―――。

 

 

 

 

 

―――ルグは夢を見た。

 

赤い隈取のある大きな大きな白い狼の夢だ。

狼は、大きな黒い手のようなものと、戦っていた。

手のようなものは、とてつもない禍々しい気を纏っていて、“よくないもの”“倒すべき敵”であるとルグにもわかった。

 

狼は背中に太陽そのもののような鏡を背負い、剣を振るい、勾玉を飛ばす。

目に追えない速さで攻撃を繰り出して、何やら筆のようなもので何かを描きながら、狼は敵を追い詰めていく。

 

―――かみさまだ。とルグは呟いた。

 

今まで色々な神に触れる機会はあったが、これほどまでに胸にこみ上げる熱い衝動を感じたことはなかった。その姿を目にすること自体が、尊いことのような、感動とはまた違う、言葉では言い表せない感情がどんどんと溢れてくる。自然と息が零れ、ぽかぽかとしたぬくもりに、そっと目を閉じた。

 

『さァさァ 皆さん! ちょいとこいつを見てくんなァ!

天の國からやってきた、お天道サマの御尊神 大神アマテラスさまの御尊容だィ!』

 

「わっ」

 

『なァーんてな! ひっさしぶりの口上だ、忘れちまったかと思ったが、案外憶えてんじゃねェか!』

 

「だ、だれ……?」

 

砂粒のような大きさをした緑色の何かが、ぴょんとルグの鼻先に降り立った。

そうして驚いたルグの顔を見て、にやりと笑って胸を張る。

 

『よっ、お前さんがあのお調子モンの子ども―――チビ公かァ。

オイラは全国行脚の旅絵師……じゃなかった。

“天道太子”イッスンさまだィ!』

 

「て、てんどう……?」

 

『なんでェ、チビ公喋れんのかァ!?

あのアマ公は口を開きゃ、“わん”だの“くうん”だのしか言わなかったのによォ。

ちったァ賢い頭してんじゃねエか!

顔はアマ公にそっくりな阿保面だけどなァ』

 

「え、アマ公って、もしかして」

 

『あそこで戦ってんのが見えんだろォ?

お前の親、アマテラス大神のことでィ。

オイラは、天道太子―――神サマに付いて回って、こうして絵にその活躍を写し取るのさァ。人間サマから忘れられちまうとな、神サマってのは弱っちまうんだ。

だからオイラのような名のある絵師が面倒見てやってんだィ』

 

「……」

 

聞けば、このイッスンという人間の爪くらいの大きさの“子ども”は、アマテラス大神と共に旅をした仲だという。神の眷属でも配下でもなく、相棒として、旅路を絵に記録し、人へとその貴き行いを伝える橋渡し役であった。

そうして神の信仰を守り支えていくのが、イッスンの一族“コロボックル”の使命だという。

 

『なンだ、なンだァ? しっけた面しやがって。

もっとこう、ポアっとした顔しろってんだ。

その方がお前にゃお似合いだぜェ?』

 

顔を曇らせたルグに、イッスンがそう声を掛けるとルグの黒い瞳から、ぽろりと涙が一粒零れ落ちた。イッスンはぎょっとして、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

 

『……なっ、なんでェ!! 泣くんじゃねえよィ!!

お天道サマが泣いちまったら、世の中真っ暗になっちまう。

ったく、仕方ねェ! 親子揃って世話が焼けるぜ。

話してみろィ! このイッスンさまが聞いてやらァ!』

 

「……俺、……突然、……太陽神の子って、言われて、でも、何がなんだかわからなくて……」

 

『あー、そりゃそうだろなァ。

神サマっつーのは人間の道理に置き換えられるもんじゃあねェ。

神サマとして生まれ、人間サマとして育ったお前さんにゃ、複雑な話だろうよォ』

 

「知って、いるの……?」

 

『当然だろォ! オイラは、最後の最後までアマ公に付き合った天道太子サマだ!

アマ公について知らねえコトはねえよォ』

 

「……俺……どうすれば良いの、かな」

 

『どうすれば良いの、だァ?

生ぬるいこと言ってんじゃねえよォ!!

それでもアマ公の子どもかァ!?

違ェだろ!? お前は、どうしたいんだィ?』

 

「俺……?」

 

『そりゃあそうだろォ?

神サンだからって、何かしねえといけねエ決まりはねえ!

アマ公を見な! ありゃ、とんでもねえお人好しで、お調子もんだがな……。

守りてえモンの為なら、あんな馬鹿でかい“妖怪”にだって、たった1人で喰らい付くのさァ!!

たとえ、みんなの心が離れても、ずっとずっとああやって1人で戦い続けて来たんだィ!』

 

「……っ」

 

『はあ……。なァ、チビ公。

お前の守りたいモンって、何だ?』

 

「……守りたいもの」

 

『神サンたちは、力のねえお前が“守られる”ようにって、そりゃもう過保護なほど力をやった。

でも、違ェだろ? アマ公の子であるお前が、そんな大人しくしてる筈がねェ!

今だって、疼いてる筈だぜェ!

お前の中の、親譲りの“好奇心”っつー厄介なモンがよォ!』

 

「……!」

 

『何うじうじしてんだ。そんなんじゃお国が湿気っちまうぜ。

あのなァ、とにかく噛み付いてみりゃ良いだろォ!

問題ねェよ、太陽神アマテラス大神の子なら、体も丈夫に出来てやがるし、腹だって壊すことはねェ!』

 

「……う、うん」

 

『ったく、(アマ)ちゃんだなァ。甘公かってんだ。

ぼろぼろになるまで噛み付いてみろって。

そうすりゃ、神サンも根を上げてお前に力を返すだろうよォ」

 

「え?』

 

『いいや、何でもねェよ。さあさあ。さっさと行きなァ!

オイラたちの旅は終わっちまったが、お前の旅はこれからだろォ』

 

「旅……。旅なのかな、これ。

俺何もしてないけど」

 

『これからすりゃあ良い話じゃねエか。

チビ公、お前はまだ“チビ”だ。

いろんなモンを見て、聞いて、感じりゃ、お前の心も決まるだろうよォ。

それに、お前はオイラたちより広い世界を見れるンだ。良いねエ、幸せモンさ!

ま、何だかんだ言って、ポカポカ陽気の呑気な神サンが守る国が一等良いけどなァ!』

 

「……そう、か。そう。わかった気がする」

 

イッスンの言葉を聴きながら、ルグはたった1人で戦い続ける狼の背中を見る。

“守りたいもの”は何かという問いに、すぐに答えを出すことは出来なかったが、1つだけ心の奥から湧き上がって来た想いがあった。

 

それと同時に、ぱっと目の前が開けた。

視界が鮮明となり、世界が輝いて見えたのだ。

 

『おお、一丁前にいい目しやがって!

ったく、あんま心配かけんじゃねエぞ、なあ……アマ公?』

 

『―――わんっ!』

 

最後に聞こえたそれは、聞くヒトによってはただの犬の鳴き声に聞こえるだろう。

ルグには、その声がとても優しく柔らかいものに聞こえて、また1粒ぽたりと落ちた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

ぱっと目を開けると、いつもよりもクリアな世界が飛び込んで来る。

勢い良く体を起こした俺はまず、自分の体に驚いた。

此処に来て薄くなっていた“赤い隈取”が、濃くはっきりとしている。

それは今まで俺自身が、あの方を信じていなかった証拠でもあった。

 

「……。信じるものにしか見えない、この模様……。

やっぱり、俺は馬鹿だったんだな」

 

―――“なんで?”、“どうして?”、“わからない”……。

今までそう聞けば誰かが答えてくれた。

俺はただ頭を空っぽにして、返された答えを呑み込めば良い。

 

―――“俺の言葉を誰も聞いてくれない”

それは当然だ。だって、聞く意味がないのだから。

俺はただ口を開けて、下された命令を素直に咀嚼すれば良い。

 

従者(おれ)なら、それで良い。でも、寵児(おれ)なら、それは嫌だ。

 

脳内で、あの気高き白い背中が甦る。

とくり、と心臓が音を立てた。

 

俺もあんな風になれるのだろうか。

今は、まだ守りたいものとかわからないけれど……。

でも、わかりたいと思う。

 

生まれてはじめて、俺は自分の足で歩き出した気がした。

 

 

 

 

 




一皮剥けてしまった主人公の話でした。


頂いたコメントのあたたかさに号泣した。
あなた方がアマテラス大神だ……!

改めて前回のあとがきを見返すと、やだ…こいつ重病人なの?死ぬの? みたいな感じですが、全然元気です。外傷的なものなのでめっちゃ元気。
ただ、そう“不運”と“踊”っちまったんだよ…。


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芽生えのとき

スカサハ様の居城は、機能性を重視して造られている為とても複雑な構造をしている。

所々にとんでもなく凶悪なトラップが仕掛けてあったり、とんでもなく兇悪な顔をした配下がいたりと、とても刺激的だ。トラバサミに足を取られそうになった時は、心臓が大爆発を起こし掛けたが、スカサハ様が首根っこを掴んで引っ張り上げてくれたので、何とか無事であった。

 

迷路に迷い込んだ気分になりながらも、スカサハ様のもとへと向かう。

何となく居場所がわかる気がするのは、契約が結ばれているからだろう。

 

短い足を懸命に動かしているが、一向に辿り着けない。

早く大人の体になりたいものだと、溜息が出る。というか、そもそも人間の体に戻ることが出来るのだろうか。四足歩行も悪くはないが、色々不便だ。特に恋人と触れ合う時がこう、右手が動かないとちょっと、……いや何でもない、惚気ただけだ。

 

―――ばああん!と、何かが吹き飛ぶ音が聞こえたのは、その時であった。

はじめはすごく吃驚したのだが、この城内は普通に“敵”が出現するらしい。

理由までは教えてくれなかったが、とにかく廊下を歩くだけで敵とエンカウントし、戦闘が起きることが稀ではないらしい。どんな城だ。

 

「す、……スカサハ様―?」

 

音が聞こえた方へと向かう。多分大広間の方だろう。

城の中でも一番大きな部屋で、スカサハ様のこだわりが詰まった素敵な部屋だ。いろんな意味で。そんな存分に宴が出来そうな広い広い一室では、とても素敵な宴が開かれていた。

 

グロテスクな形をした魔物たちは、スカサハ様を狙って送り込まれて来るようで、 そんな“異物除去(おそうじ)”もスカサハ様の仕事らしい。

 

ぺたぺたと肉球をうまく使いながら中へと入っていく。もう爪を鳴らして歩くことはしない。これは簡単なように見えて、ちょっとしたコツがいるのだ。今から教えるので、ぜひやってみて欲しい。静かに歩けた時の感動を分かち合おう。ではまず肉球を用意して―――。

 

「ぶっ!?」

 

顔面からの衝撃に、俺の体は容易く吹き飛ばされる。

何が起きたのかと慌てて立ち上がると、目の前が真っ暗であった。

顔に異物感を感じて、ぶんぶんと首を振るも全く取れない。何かがこうぎゅううと張り付いているようである。

 

「……はあ、全く何をしておるのだ」

 

「いったあ!!」

 

べりい、と乱暴にその何かが剥がされる。

剥がしてくれたのはありがたいけれど、俺のふさふさの毛が何十本も犠牲となったのだ。

人間でいうと、髪の毛を掴んで思いっきり引っ張られた感じである。かなり痛いので、ちょっとやってみて欲しい。ただし禿げても自己責任で、どうぞ。

 

「弱者め、……去れと言ったであろう」

 

じんじんと痛む頭皮を抑えていると、呆れを含んだ冷たい声が上から降って来た。

見上げると、腕を組んで俺を見下げるスカサハ様の姿がある。

覚悟を決めて来たのは良いが、本人を目の前にすると腰が引けてしまう。

ああだから俺はいつまで経ってもヘタレなんだ。そうだ、どんなに気合を入れて準備しようとも、本番で萎えてしまっては意味がないじゃないか。

 

「す、スカサハさま……!

どうか、俺にもう一度チャンスをお与えください……!

俺は忘れていたんです。自分に、戦う術があることを……!」

 

「ふん。そのような未熟者を、何故私が相手をせねばならぬ?」

 

俺がスカサハ様に従う理由はない。そしてもうスカサハ様も俺を従える意味を失くしている。

よって、俺が此処にいる意味もないし、スカサハ様を見返す意味もない。

だけど、俺の中に目覚めた何かが“このままでは終われない”のだと言っていた。

 

従者(おれ)は、何を言われても、どんな感情をぶつけられても、何も思わなかった。

ただ自分よりも高位な存在に膝を付いて、頭を垂れるのみ。

来いと言われれば行くし、去れと言われれば去る。

そこに俺の意志は含まれない。そう、ただの傀儡だったのだ。

 

「……俺はもう、逃げない。

気付かせてくれた貴女に誓わせて欲しいんです」

 

答えは、実にシンプルだ。

自分が負けても、相手が喜ぶ姿を見て、喜んでいたのが今までの俺だった。

俺にとって勝負なんてそんなものでしかなかった。

でもはじめて、負けて悔しいと、あの方に顔向けが出来ないと思った。負けたというか、勝負にすらなってなかったけれど。

とにかく、たった1人で戦い続けたあの白い背中を思い浮かべると、このまま何もせずに去ることはどうしても出来なかったのだ。

 

じっと、スカサハ様を見据えると、スカサハ様も俺をじっと見る。

暫くそうしていると、ふうと息を吐き出したスカサハ様は、その口元を緩めたように見えた―――。が不意にその瞳が鋭く輝いたかと思うと、俺の後ろに視線を映した。

 

どおん! と轟音と共に壁が砕け散り、慌てて飛んで来た破片を躱す。

 

「わっ、」

 

「どうやら、……邪魔が入ったようだな」

 

半ば転げ回りながら破片を避けていると、がしりと首の裏を掴まれて、ずりずりと運ばれる。

一体その小さな体にどんだけの力を秘めているのだろう。幼女に首根っこを掴まれる絵面もそうだが、スカサハ様の身長が足りていない為に、背中が床に擦り付けられて地味に痛い。擦られるならもっと別のところが良かったですはい。

 

「お前の覚悟、見せてみろ」

 

「え」

 

「いくらでも飾り立てられる言葉などいらぬ。

戦うことを望むのならば、力で語るが良い」

 

「ちょ、さ、流石にこれは……無慈悲っ!?」

 

ぶんと視界が揺れて、気が付けば俺の体は宙を舞っていた。

思いっきり投げられたのだと気付くも、もう遅い。

目の前には、“真っ黒な球体”があった。

 

球体には赤い模様が入っており、得体の知れない不気味さがひしひしと伝わってくる。

生きている気配はしない。生き物ではないのだろうか、それとも何かの卵だろうか。

いずれにせよ、これは”いけないもの“だと直感した。

 

見れば見るほど、ぞわぞわとしたものが背中を這う。

すると突然、その丸い球体から突如2本の腕が生えた。

その腕は流線形を描いて落ちていく俺を、片手ががっしりと掴む。

 

「うわっ!」

 

球体の大きさは、大人が両手を広げても余るほどである。

そしてその大きさから生えた腕は、巨人の如く太く大きい。

今の俺の体ではなすが儘に掴まれるだけだ。

いくら片手であっても、小さな体の俺を林檎のように潰すのは容易いことであろう。

 

「はっ、はなして……!」

 

ばたばたと身を暴れさせても、さらに力を込められるだけだ。

それでも、まだ諦めるわけにはいかない。

唯一自由に動かせる首をぐぐっと動かして、手に齧り付く。がぶ―っ!と思いっきり牙を立てると、変な固い感触と共にふと手の力が緩んだ。

その隙にするりと抜け出すと、何とか床に着地出来た。

 

「なるほど。少しは牙の使い方を思い出したようだな」

 

いつの間にか傍にいたスカサハ様が、視線をあの黒い球体に向けたままそう言った。

手にしていた朱の槍をくるりと回すと、再び伸びて来た腕を切り裂く。だが、傷口はすぐに再生してしまい、その後のスカサハ様の攻撃も同様であった。

 

何よりも最悪なことに、敵の攻撃は全て俺に向けられている。

だから俺が逃げ回っている間に、スカサハ様が攻撃を行う形になってしまっている。言わば囮役だ。いやそれは良いのだけれど、違う意味でマズい。非常にまずい。冥界での不摂生が祟ってか、今の俺の持久力は最低値なのだ。

 

「……すっ、スカサハさま……」

 

「わかっている」

 

もう無理です……!と言おうとしたが、先にスカサハ様から返事が来た。

心が通じ合うとはこのことか、とちょっとした感動を覚えていると、どすんと背中に重みが走り思わず足が縺れてしまう。慌てふためきながらもなんとか体勢を整えると……。

背中に感じるな、なにか柔らかな感触に頭がパニックに陥った。後ろを振り返ると、スカサハ様が俺の背中の上で優雅に横座りをしていたのだ。

 

「え?、え?……。な、な、なんで?」

 

「うん? 場所を変えるのだろう? お前が私の足となれ」

 

「……ううん? だ、だってスカサハ様が走った方がはや」

 

「このような、か弱き幼女(おんな)を走らせようと?

お前は、化け物に怯える哀れな私を置いていくのか?」

 

「なにそれじょうだ……。と、とんでもございません!

仰せの儘に……うう」

 

情けないというなかれ、覚悟とは命あってのものなり。

ちゃきりと首元に突き付けられた槍先に、俺は走る速度を上げる。

だが俺もまだ幼体の身で、しかもたださえ自分で走るだけでもギリギリなのに、重りを乗せて走るなんてとんでもない。とはもちろん言えず、黙々と足を動かす。

 

球体は浮かびながら追いかけて来て、時折その腕を無造作に振るう。

鞭のようなそれをぴょんぴょんと避けると、スカサハ様がばっさりと断ち切ってくれる。

迷路のような廊下をひたすら走る。この時一番きつかったのは、敵の攻撃でも走り続けることでもない、スカサハ様の手で仕掛けられた罠を回避することであった。

 

「うっそ!? な、なんでこんな絶妙な位置にトラバサミ……!」

 

「ふふん、天才的だろう?

何も考えず突っ込む能無しには丁度良いのだ」

 

「俺のような?」

 

「お前のような」

 

「ひっ、ひどい、って、

わわっ!? 矢!? 何処から矢が……?」

 

「探せ。でなければ、此処で死ぬのみ」

 

「……俺は、何と戦っているんだろう」

 

そんなこんなで文字通り命懸けで走る俺は、全く気付いていなかった。

息苦しさを忘れ風の如く駆け抜ける自分にも、足元に咲く花にスカサハ様が手を伸ばして

いたことにも―――。

 

 

 

 

 

なぎ倒されていく城の壁だが、不思議なことにすぐに直ってしまう。

敵に破壊された箇所はすぐに修復され、何事もなかったかのようだ。

やっと廊下を走り抜けると、階段前の広い踊り場に出る。

そのまま入口のある階へと向かう為に、階段を降りようと足を踏み出した。

しかし、後ろから追って来た黒い球体が、ぽーんと飛んだかと思うと、俺たちの前へと立ち塞がったのだ。先回りをされてしまい、これでは足を止めざるを得ない。

 

「出口は1つではなかろう」

 

「……!」

 

上から聞こえて来た声に、はっとして視線を前に向ける。

今いるのは城の上層階だ。廊下には窓がなかったが、階段の横にはガラス窓があった。

迷っている暇はない。ガラスはきっと痛くて、この下には何があるかわからないけれど、それでも飛び込むことに意味がある。そんな気がした。

 

「よ、よし……!」

 

さっと体の向きを変えると、深く息を吸い込み、駆け出す。窓ガラスに頭突きをすれば、呆気なくガラスは砕け散った。勢いを殺さずに、そのまま飛び出す。

 

一瞬だけ見えた景色は綺麗とは言い難かったが、視界の端に流れる赤紫の髪は、とてもうつくしかった。

また内臓がぐわりと浮き立つ感覚に襲われた。迫り来る地面というのは中々恐ろしいものだが、それでも何とか着地を決める。

 

「それにしても、私の攻撃が通用しないとは……。

あれはなんだ……?」

 

「……あれは、神様かもしれないです」

 

「神だと? ……だが神と呼ぶには、あまりにも」

 

地面に降り立ったというのに、一向に俺の上から退こうとしないスカサハ様の問いにそう答えた。といっても根拠など無く、先ほど飛び掛からされた時に直感したことを言っただけだが、何か引っ掛かることがあるらしい。

 

考え込んでいるスカサハ様を背負いながら、再び開始された攻撃を頑張って避けていた。

どうやら、このスカサハ様はマイペースのきらいがあるようだ。何故俺の出会う女性はこう……いや寒気がしたのでやめておこう。

 

「しまっ……!」

 

ついつい後ろに気をやってしまっていた俺は、全力で振るわれた腕に反応することは出来なかった。

すかさず、スカサハ様が迎撃をしてくれたがその槍先が腕を貫くことはなかった。

どういうわけか、今度は攻撃すら通らなくなっていたのである。

―――しまった、と思った瞬間に体は動いていた。

火事場の馬鹿力でスカサハ様を振るい落とすと、思いっきり体当たりをかます。

不意打ちに成功したのか、抵抗なくスカサハ様の軽い体が宙に舞った。

 

「なっ……」

 

「きゃんっ!」

 

巨人のような大きな手で繰り出された平手打ちは、容赦なく俺を吹っ飛ばした。

暗褐色の地面を滑りなんとか止まったが、全身を砕けたような痛みが襲う。

もしかしたら、それは渾身の一撃であったのかもしれない。骨は折れていないようだが、直ぐに起き上がることは出来なかった。

痛みに呻くことを通り越してただ息を詰める。地面に蹲る俺を背にして、スカサハ様は槍を振るい続けているが、ダメージを与えられていないようだ。

一体どうすれば良いのだろう。敵の攻撃は段々と激しくなっていく一方で、此方からの攻撃は一切通らない。

 

「っ、」

 

余裕で攻撃を捌いていたスカサハ様も、ついに遅れを取ってしまう。

一段と早い動きで振り下ろされた拳によって、殴り飛ばされてしまったのだ。

体に鞭を打って起き上がると、地面に伏せたスカサハ様のもとへと駆け寄る。

 

「スカサハ様……!」

 

「ぐう、……今のは、効いた」

 

殴打された際に唇が切れたのか、スカサハ様の頬には血の跡があった。

大きな傷は負っていないが、直ぐには起き上がれないだろう。

俺はスカサハ様の前に立ち、すぐ近くまで接近していた手に噛み付く。

やはり大したダメージは与えられなかったが、敵は一度その手を引っ込めた。

 

ふと、スカサハ様が落とされた槍が目に入る。

考えている余裕はなかった。早くスカサハ様のもとに届けなければと、それを口に咥えようとすると、なんとぱっと槍が光り始めたのだ。眩しさと驚きに思わず顔を引くと、槍が光を放ちながら浮き上がる。そして、その槍は俺の背中へと張り付いた。

 

「へ? な、なにこれ……!?」

 

背中に張り付いた槍は、取ろうとしても届かない。

何が何だか理解出来ずわたわたとしていると、再び敵の拳が此方に向けられた。

 

「逃げろ!」

 

後ろからそう声が聞こえたが、俺の足は動かなかった。

それは恐怖からではない。覚悟を決めたから。

二度とこの人の前で、足を竦ませる姿を見せたくはなかったから。

 

「ぜ、……絶対、逃げるもんか……!」

 

一発喰らっただけなのに、こんなにも全身が痛い。

出来ることなら逃げ出してしまいたいくらいだ。

でも、それはやめるって決めた。少しでも近づきたいから。

 

高々とその黒い手が掲げられた。

圧し潰そうとでもしているのだろう。

巨大な手が影をつくり、スカサハ様と俺を覆う。

ああ、“真っ暗な世界”だ。

 

そして、迫るその手が勢い良く振り下ろされた……。

せめて最後まで目を開けていようと、大勢を低くしてそれを睨み付けた時である。

 

 

 

『―――闇が全てを覆うとも忘れてはならぬ。

闇を祓う光明の暖かき温もりを』

 

『―――祈りは力なり、力は祈りなり』

 

『―――しかし、今の御身に光明は宿らぬ』

 

『―――祈りなき身に、力は宿らぬ』

 

 

 

ぴたりと時が止まった———。

真上に迫っていた手も、スカサハ様も動きを止めた世界で、俺だけが動いていた。

 

 

 

『―――今は断つが良い。

太陽たる御身が振るえば 呪いは祝いへと姿を変える。

思い描くのだ、断つべきものを、守るべきものを』

 

 

 

『―――さらなぬ力を求めるならば“幸”を集めよ。

それはやがて祈りとなろう』

 

 

 

暗闇の世界に、不思議な声だけがこだまする。

懐かしいような知らないようなそれは、ゆっくりと俺にそう語り掛けると言葉を切った―――。

 

 

 

 

 

生ぬるい風を感じて、はっと我に返る。

今のは何だと思う暇もなかった。

 

「―――ルグっ!」

 

はじめて耳にする、焦りを含んだ声は誰かのそれを思い出す。ああ守らなくては、と自然と体が動いた。

 

“断つ”。思い出すのは、子断神が振るったあの剣だ。

“一閃”。ブレることない横一文字を思い描けば、後ろの槍がかたりと揺れた。

すると朱の槍は、俺と一心同体となったように動き始める。

振り下ろされた掌に風穴を開け、切り裂いたのだ。

 

今度の攻撃は通用したのか、大きく後ろに仰け反った球体へと、止めと言わんばかりに槍を投げ飛ばす。見事にど真ん中をぶち抜いた槍によって、それはごろりとひっくり返った。

 

「……今のは。いや、……それよりも倒したのか」

 

足を引き摺りながら、傍にやって来たスカサハ様は球体を見上げる。

どうやら足に怪我を負ってしまったらしい。

だがスカサハ様は気にする様子はなく、険しい顔をふと緩めると俺の方を見た。

 

「……守られたのは、初めてだ。

よもやお前にそんな力があるとは」

 

そういうと、スカサハ様は少し視線を逸らすと、何かを言おうとした。

 

「っ!?」

 

「スカサハさま……! あぶないっ」

 

やはり倒していなかったのだ。

もしかしたら、この球体は……無敵なのかもしれない。少なくともこの場所では。

ならばスカサハ様と俺に勝ち目はないだろう。

 

今までとは比べ物にならない速さで接近して来たそれを、避けるよりも先に、先ほどのようにスカサハ様を突き飛ばした。

 

「っ、」

 

「ぐう……、く、くるしい……、」

 

片足を痛めるスカサハ様は踏ん張りが利かなかったようで、そのままうつ伏せに倒れた。

俺はまた黒い手にがっしりと掴まれ、今度はぎりぎりと締め上げられる。

気道を締められ、呼吸が出来ない。苦しさに喘ぐと、首を絞める手の力はさらに強くなる。

がりがりと爪で引っ掻いて抵抗するけれど、それも段々と弱くなっていく。

 

視界が薄れていく中で、眼下の黒い球体がぱくりと割れたのがわかった。

口にも見えるその内部は、ぐるぐると闇が渦巻いており、嫌な気配が満ち溢れていた。

だらりと身を宙に垂らした俺には、もう成す術はない。

黒い腕によって俺は、ぽいとその中へと投げ入れられたのであった―――。

 

 

 

 

 

「―――うおっ!? び、びっくりしたぜ。

白い、犬コロ? なんだよ、驚かせやがって。

あー、お前のせいで魚が逃げちまったじゃねえか。

おい、大丈夫か? おい!」

 

 

 

 

 




すっごく今更ですが……。
この話の主人公は大変ヘタレなDTです。
そんな主人公が神様として成長していくお話となる予定ですので、まだまだヘタレというか精神的に幼く情けない一面が目立ちます。

主人公の卒業が先か、成熟するのが先か、それとも話が終わるのが先か…。
真実はいつも1つ…!


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新たなる絆

『ううーん……。

どうしたもんかなあ、コレ』

 

黒い球体にぱくりと食べられ、これはもう死んだだろうと覚悟したのだが、どうやら俺はまだ死ぬ運命にないらしい。……というと少しは格好良い感じに聞こえると思う。聞こえなかったらアレだ。個人差ということで。しかしどうも格好が付かないのは、今現在の体勢が原因だろうか。

 

“気が付いたら見知らぬ部屋にいた”という状況には、もう突っ込まないことにする。悲しいことに慣れてしまった。いろんな意味で、破天荒な王様や女神様方に鍛えられた成果だと思って欲しい。

 

『起きない、よな……』

 

ふわもこでもふもふな極上の毛皮の上に“青い頭”が乗っている。

腹に感じる重みは、幼犬である俺にはそれなりに辛いものだ。

あのギルガメッシュ王やイシュタル様でさえ認めたこの毛並みを枕にしたら、至高の眠りが約束されていることだろう。自慢の毛であると同時に、自分で堪能することが出来ないことがすごくつらい。

 

ベッドの上で丸くなった俺の腹を枕にしている不届き者の顔は、此方に向いているのでよく見えた。長い群青の髪に白い肌。その目は閉ざされているものの、形の良いパーツがベストポジションに配置されているのはわかる。

 

『それにしても、またまた幼児か』

 

今までの主を思い返すと、ギルガメッシュ王にはじめて会ったのは“少年”の時で、イシュタル様は“少女”の時だ。エレ様にスカサハ様、そしてこの子どもは“幼児”といえよう。

実年齢と外年齢が一致しているかは別の話として、俺の主平均年齢低すぎないだろうか。

 

この際何度でも言うが、幼児には微塵も興味がないし、俺の最近のブームは胸の大きい女性である。何故こんなにいろんな所に飛ばされているのかはわからないけれど、もうちょっと俺の希望を聞いてくれても良いと思う。

 

「う……」

 

そんな下らなく大事なことを考えていると、子どもが身じろいだ。

そろそろ目覚めが近いらしい。子どもがごろりと寝返りを打つと、その頭の動きに合わせて俺の内臓が動く。体つきを見るに、この子どもは男だろう。それなら、態々目覚めを待つような優しさは必要ない。そう思って子どもの頭の下から、体を抜こうとした時である。

 

『いっ!? イタッ!!』

 

ぎゅうう、とその小さな手が俺の尻尾を握り締めたのだ。

しかもまた幼児とは思えぬ力で、ぎゅううっと。

俺が普通の犬であったならば、胴体と尻尾がおさらばしていたのではないかと思うほどの怪力であった。

 

『やっやめてええっ! 千切れるっ、千切れちゃうっ!!』

 

きゃうんっと情けない悲鳴を上げながら、のたうち回りたいけれど、回れない苦しさに耐える。ばたばたと蛇の如く体をうねらせていると、煩いと言わんばかりに子どもの顔が歪み、ゆっくりとその瞳が開かれた。

 

―――ルビーだ。

ギルガメッシュ王のそれよりも色味が明るく、無邪気さを残した瞳は、ルビーそのものをはめ込んだようであった。

 

「……」

 

『……』

 

ぱちぱち、とゆっくりとその目が瞬くと、長い睫毛がふわりふわりと羽ばたく。

 

「……くわああ、よーく寝たぜ。

何だお前も起きたのかよ」

 

ぐっと伸びをした子どもは目を擦りながら欠伸をすると、俺の方を見た。

そうして、ぱっと目を輝かせたのだ。その表情があまりにもエレ様の“とある時”の顔と似ていたもので、反射的に尻尾が丸まり腰が引ける。

 

「昨夜は暗くて見えなかったが、お前イかす模様してるじゃねえか!

それ良いな。何の模様なんだ?」

 

『え?』

 

その言葉に首を傾げたと同時に、ぱっと視界が白んだ。

ふと見ると部屋にある窓の外から、光が入って来ているのである。

夜の帳を取り払っていくその光は……。

俺にとって随分と久しい―――太陽の光であった。

 

『ひっ、光だ……っ!!』

 

ベッドのすぐ横に窓があったので、窓辺に手を置いて覗き込む。

人間の肉眼で太陽を見るなど自殺行為にも等しいことだが、この目を通して見るそれは今までに見た何よりもうつくしかった。

 

「おーい、突然どうしたんだよ。

何か良いモンでもあるのか?」

 

後ろに回った子どもが不思議そうに問い掛けて来たが、幾千、幾万、幾千万年ぶりに浴びる太陽のぬくもりに浸っていた俺の耳には入らない。

 

「……? なんだよ、何もねえじゃねえか」

 

『わかってないなあ、この太陽のすばらしさたるや……!

ああ……湿ってじめじめした地面でも、何かヤバい色した空でもなく、青い空に輝く太陽……。

ああ俺は、この光が欲しかったのかもしれぬ……」

 

「どうした、犬コロ? お前もしかして……腹減ってんのか?」

 

『うう……。感動を腹減りと勘違いされるとは……。別の意味で泣ける』

 

「そんじゃ、釣りでも行くか?

今日も良く晴れそうだしなっ」

 

『やったー太陽最高っ』

 

噛み合っているようで噛み合っていない会話からすると、相手に俺の言葉は通じていないらしい。

俺の耳には自分の言葉が聞こえているのだが……。エレ様との契約が切れて、スカサハ様と契約するまでの間は、自分の言葉は全て犬のそれに変換されていた。だというのに、一体どうしたのだろう。

 

「よーし、そんじゃあ外行くか!

そうだ……お前、名前なんてーんだ?」

 

『ううん、……どの名前言えば良いのかなあ』

 

「空から落ちて来たっつーことは、神さんの遣いか何かか?

でもお前からは神気は感じねえんだよな。

それに、間の抜けた顔してやがるし……」

 

子どもは俺の首根っこを掴み上げると、くるりと自分の方へと向ける。

そうしてまじまじと俺の顔を見ると、ぶつぶつとそう言った。

いくら幼犬の体とはいえ、子どもの体と比べるとそれなりの大きさはあるのだが、こうも軽々と持ち上げられてしまうとその怪力を認めざるを得ない。片手で、しかも指2本で俺の体を持ち上げる剛力は、一体何処から来るのだろう。

 

「“犬コロ”だと、その辺のと変わらねえしな……」

 

うーん、と首を傾げながら俺の顔を覗き込む子どもを、俺もじっと見る。

太陽の光を受けて輝く白い肌と、赤い瞳は、中々に綺麗だ。これがもし女性であったならば、喜んで尻尾を振って付いて回るのだが……。残念なことに、男で幼児である。この残念さはギルガメッシュ王と並ぶ所があるな。というか、少年時代の王はあんなにも……。いやいや、王の性根は今も昔もちっとも変っていない。敢えて言うのならば、少年の頃の方が愛嬌があったということにしておこう。

 

「エオフだ」

 

『……はい?』

 

「なんかわからねえが、閃いた!

お前はエオフ! 今日から俺の……相棒だ!」

 

『あ、……あいぼう……!』

 

―――相棒。何処か懐かしい響きだ。

そう、かつて俺には親友という相棒がいた。

何時如何なる時も切磋琢磨し合い、共にギルガメッシュ王に仕えて来た掛け替えのない存在であった。……その話はもう良いって? そんなこと言わないで聞いて下さいお願いします。

ま、まあ何が言いたいかというと、俺にとって相棒とは、何時如何なる時も裏切らない同志のことを指すのだ。だから、この子どもが俺を相棒にするというのならば、それなりの覚悟を持ってもらいたいのである。

 

首根っこを掴まれ、ぶらりとした体勢のまま名付けられ、相棒とまで呼ばれてしまった俺は、なんだか複雑な気分になりながらも、わくわくとしている自分がいることに気付いていた。

きっとこの子どもの相棒になることは、とっても楽しいのだろう。俺の勘がそう言っていたから。

 

「俺はセタンタってんだ。よろしくな、エオフ!」

 

にかりと笑ったその顔は、おひさまのようにキラキラと輝いていた。

主従関係ではなく相棒として結んだ契約(きずな)は、こそばゆくもあたたかなもので。

きっと俺は力強く『わんっ!』と鳴いたのだろう。

 

『セタンタ、頼むからずっと、ずっと相棒でいてくれよ!』

 

―――頼むから、今はなき友のように俺を置いていかないでくれ!

そう哀願(ねがい)込めて、俺は新しい相棒(セタンタ)に言うと、何故だか彼は照れたように笑った。そして、ぽぽんと、何かが軽く弾けたような音がしたかと思うと、淡い桃色をしたピンクの球体が俺の目の前に現れたのである。

 

『わっ! な、なに……これ』

 

その玉の真ん中には、“幸”という文字らしきものが書いてある。

はじめはそれが何なのかすらわからなかったが、次第に“幸福”の“幸”であることがなんとなくわかった。そういえば、“さらなる力を求めるならば、『幸』を求めろ”と誰かに言われたっけ。もしかして、コレがそうなのだろうか。

 

「エオフ? どうした? とっとと行くぜ」

 

『あっ、待ってセタンタ……!』

 

その玉は、ふと桃色に光るとそのまま消えてしまった。

なんか良くわからないけれど、これで良かったのだろうか?

そうこう考えていると、いつの間にかセタンタは服を着替えて、手に釣り竿を持っていた。

釣り竿といっても、その体に合わせた小さめのサイズであったので、中々可愛らしい感じになっている。

 

とん、床に着地を決めた俺は、迷うことなくその背中を追い駆けたのであった―――。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「―――消えた」

 

はじめから存在しなかったように、消えてしまった。

吹きかけた息によって消えた、蝋燭の灯のように。

 

「……」

 

ただの犬だ。しかも、爪牙を持たぬ、獣というにはあまりにもお粗末な犬。

そのようなもの、この地では何の役にも立たず塵と消えゆくのみ。

その弱さは、生まれ落ちてからずっと女王として、門の守護者として、ここに在る私を苛立たせるものでしかなかった。

 

「……ルグ」

 

気紛れに与えた名を口ずさむものまた、気紛れでしかない。

その名をつけたのも、そうただ気紛れに触れたあたたかさが“光”を連想させたから。

だが実際は、甘い、甘い、未熟な子犬そのものであった。

一瞬にして失せた興味に、犬もまた引き下がった。

 

「……まだ、甘い。だが」

 

未だじくじくと痛む腹を擦る。はじめて、守られた。しかも何回も。

腹に頭突きをされて突き飛ばされるという、何とも荒っぽい守り方をしてくれたものだが、悪くはない。血気盛んなケルト……。いや、この国の番犬には相応しいともいえよう。

主に牙を剥く獰猛さがあった方が、好みである。

 

「ふむ。……確か、冥界には番犬がいると聞いたな。

―――ケルベロスと言ったか」

 

ぐっと手に力を入れると、切れていない“契約”が形となり姿を現す。

ルグ、などと生ぬるい名前よりも、もう少し血生臭い名にしておけば良かったかとも思ったが、アレはアレで不思議なほど似合う名であるので、良しとしよう。

 

「良いか、ルグ。お前の主スカサハが命じよう。

お前が“強靭な牙”と“鋭利な爪”を手に入れ、それらを以て“血の味を憶えた時”……。

我が元へと戻ることを許す。……ただし」

 

脳裏に浮かんだ間抜け面に、ふと笑いがこみ上げる。

 

 

 

 

 

「私の気は、そう長くないぞ」

 

 

 

 

 




相棒ゲットだぜ!
ということで、やーっと旅が始まります。


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迷いの森

天より照らす陽を受けて、緑溢れる大地を駆ける。

そういえばこの場所は、何処なのだろう。

セタンタは大きな城に住んでいたけれど、もしかしてギルガメッシュ王のように、身分の高い人間だったりするのだろうか。

 

城を、街を、走り抜けて森へと向かう。頬を掠める風はとても爽やかで心地良い。

ああなんて良いところなのだろう、と短い四肢を動かしていたのだがいくつか気付いたことがあった。

まず、すれ違う人々の顔が暗いのだ。

それも1人や2人ではない、ほぼ全員である。

そして、これは細かいことなのだが、熟しきった林檎が無数に地面に転がっているのが見えた。すごくおいしそうなのに、すごくもったいない。

これは何かワケありだな、と俺の中の直感が珍しく働いた。

 

『でもなあ……たとえなにかあったとしても、俺よそ者だし、それに言葉話せないし』

 

「おーい!! 待ってくれ! エオフ!」

 

『うん? あれ……』

 

そのようなことを考えながら走っていた為、気にもしていなかったのだが、そういえばセタンタの姿がなくなっていた。遥か後ろから声を投げられ、ぴたりと足を止める。

すると、群青の髪を靡かせながらセタンタが傍へと駆け寄って来た。

 

「はあ、はあ、あー……つっかれた……。

エオフ、お前……足、速えなあ……」

 

『……?』

 

「風みてえに走ってくから、驚いたぜ……。

まさか俺よりも……うんと速えヤツがいるとは、流石俺の相棒だなっ!」

 

『そ、そうかな……。そう言われると、なんか照れる』

 

人間の時は特別足が早かったわけではないので、もしかしたらこの体の恩恵だろうか。

地面に座って首を傾げる俺に、息を切らせたセタンタがにかりと笑った。

 

「そうだ……! エオフ、今から競争しようぜ!」

 

『へ?』

 

「此処から、この森を抜けた先にある川までな!

勝った方が負けた方の言うこと、何でも聞くってのはどうだ!

良いか? 良いな。それじゃあ……行くぜっ!!」

 

『ちょ、ちょっと、おい! セタンタ!

お前それ、反則ううう!!』

 

セタンタは、突然勝負を仕掛けて来た!……のは良いんだが、言うだけ言って駆け出すのはどうかと思う。しかも勝った方が言うこと聞くって、俺喋れないんだけど!

まず勝負におけるマナーは、“一通り人の話を聞いて”からじゃないとフェアじゃない。

 

ん?あれ? もしかして、セタンタも人の話を聞かない部類……。いやいや、そんなことはない。俺の相棒に限って絶対にない。第一俺は犬だし、犬相手に1から10まで説明する人間はいないだろう。それにそれに、俺も話を聞いてもらえるように努力するって誓ったのだから、諦めるわけにはいかない。

 

『でもスタートのタイミングは合わせよう、な!?』

 

足を縺れさせながら、セタンタの背中を追い駆ける。

花畑の広がる道を抜け、森へと入ると……思わず足を止めた。

道が3つに分かれているのだ。正面、左、右に道があり、その先もまた同じような景色が広がっているので、どうも先が見えない。まさか1本道ではなかったとは。……1本取られた気分である。

 

『セタンタ―っ!』

 

呼び掛けても、小さな背中は一向に見えない。

先に行ってしまったのだろうか。

当然ながら土地勘もなにもないので、分かれ道を1つ1つ覗き込んでみるが、さらにその先でまた道が3つに分かれている為、今見えるだけでも12通りの道があることになる。

何かおかしいと思いながらも、とりあえず適当に道を進んでみることにした。

 

『……、なんか……においがする。

なんだろう、血……っぽいような?』

 

青々とした草花の匂いに混じって、鉄のようなにおいが鼻を擽る。

例え形だけだったとしても一応は戦場を経験している身であるので、そのにおいは知っていた。背の高い草を掻きわけて、そのにおいのする方へと恐る恐る向かう。

がさがさと草を割っていくと、ぱっと視界が開けた。

 

『……木、?』

 

中央に大きく佇む1本の木が、姿を現した。

天高く伸びる高木はその幹も立派で、固そうな樹皮には縦に割れ目が入っている。

濃い緑色の葉は、先端の尖った細長い形をしていて少し痛そうだ。

一本の枝の両側に葉が付いた独特の形をしていて、所々に赤い実が付いているのが見えた。

ぷっくりと熟したその赤い実は、なんだかおいしそうである。

そういえばスカサハ様にもらった“あの林檎だと認めたくないけれど、味は林檎のような実”を食べて以来、何も口にしていない。というか、ギルガメッシュ王のもとを離れて以来ロクなものを食べていないような気がするのは気の所為ではない筈である。

 

実は高い場所にあるので、普通にジャンプしても届かないだろう。それなら、頭突きでもして木を揺らすかと、頭が痛い考えに辿り着く。

そして覚悟を決めると、ええいままよとばかりに地を蹴った———。

 

「うおっ……!?」

 

『わわっ!? に、にんげん……!?』

 

勢い良く飛び込んだ先には人間がいた。

全く気付かなかったのだが、木の下で座り込んでいたらしい。

それはもうすんごい吃驚して緊急停止を試みるも、それは心の中だけで終わった。

急に止まるなんて高度な機能、俺には存在しなかったようである。

 

『ぶふっ!?』

 

見知らぬ人間に頭突きをかますことだけは避けようと、体を捻った結果……。

鼻先からその人間の腹部に突っ込むことになった。俺のこの地味な努力を誰か褒めて欲しい。

 

―――ねとり、と生温かな何かを感じると同時に、先ほど感じた鉄のにおいが猛烈に鼻を突き刺した。

 

『な、なんだ……?』

 

鼻先に触れるその嫌な感触から逃れるように、ばたばたと藻掻く。そうして勢い良く頭を上げた瞬間であった。

 

『うえええっ!? に、にっがっ!!

なんだこれっ、めっちゃにがっ!?』

 

舌いっぱいに強烈な苦みが広がり、ぐわりと体中が熱くなる。鼻先を上に持ち上げた時に、歯の隙間からそれが入って来たらしい。

 

苦い。とにかく、にがい。

 

「っ、おい、大丈夫かっ!」

 

とてつもない苦さであったので、舌を出してぺっぺっと飲み込んだそれを吐き出そうとしていると、上から声がした。顔を見る余裕はないけれど、ひどく焦った男の声である。

ということは、俺は男の胸に飛び込んだということだろうか。なんということだろう。

その声の主は、別の意味で気分が悪くなってきた俺の顔を覗き込む。

 

『……くそ、……コイツも顔の良い分類の男か……』

 

「飲み込んじまった、のか?

……ああくそ、最後に、悪いことしちまったなあ」

 

『な、なにこれ、なんなのちょうにがい……!?』

 

「すまねぇな、わん公。

……今オタクが飲み込んだのは、俺の“血”だ。

たっぷりと“毒”の入った、最高の逸品だぜ。美味いだろ」

 

『はああっ!? な、な、なんだってー!?』

 

ちょっと気取った言い回ししてんじゃねえよこのイケメンが、と罵声を浴びせたくなるのをぐっと堪える。イケメンだからこそ許せるものがあると、イシュタル様の言葉が頭を過ったのだ。だがこんなとばっちり過ぎる死因はごめんである。全力で拒否させてもらいたい。

しかもなんで俺が、この野郎の胸の上で死なねばならんのだ。それだったらちょっと薄いけどイシュタル様とかエレ様の……。止めを刺されそうなのでやめておこう。スカサハ様も以下同文だ。

 

「……」

 

『……』

 

「……」

 

『……』

 

「い、いやいや、なんで死なないんですかねえ!?」

 

『え、こわい。なんでそんな怒られ方しないといけないの』

 

無言で見つめ合う俺と見知らぬ野郎の間に、一陣の風が吹き荒れた。

野郎は、心底不可解だというように俺に掴み掛って来たのだ。なにこれ理不尽。

 

「……オタク、もしかして毒耐性とか持っちゃってる系?

まさか俺の特製品が効かないとか?」

 

『その“うわ、コイツめんどくせ”みたいな顔やめて傷付く』

 

大して確認もせず勢いのままに飛び込んだ俺も、まあ悪い。

そこは認めよう。自分の悪い部分を認めるのが真の男だと、“朝から晩まで背中を付け狙われた挙句刃物を持ち出されて脅されたことにより、何故か愛が芽生えたとほざいた”同志の1人が言っていた。ちなみにその後無事に卒業を迎えたらしい。この件について俺はまだ納得がいっていない。

 

話が脱線したが、俺の非はそこだけなのだ。

ダイブした先は野郎の血まみれの胸で、しかもその血には毒が含まれていて、さらにそれを俺は飲み込んでしまったとか、一生のトラウマ……いや、人生で5本の指に入るであろうトラウマでしかない。

 

「瞳孔の白濁なし、手足の痙攣もなし、嘔吐もみられない……。

完全に効果ねえな……オタク。なにモンだ?」

 

『っというか、お兄さんこそ大丈夫なんですかねえ』

 

大体予想が付いているので絶対に下に視線はやらないけれど、胸から大量に血を流している。傷口からは毒が入っているだろうし、この野郎こそ死んでておかしくはないだろう。

 

緑色のフードをすっぷりと被っているが、俺の位置からだと顔がはっきりと見える。

ギルガメッシュ王のような派手さはないけれど、充分にというか腹の立つほど良い顔立ちをしていた。

 

「……まあ、何にせよ。無事で良かった」

 

軽いノリの男かと思いきや、ぼそりと呟かれたその声は心からの安堵が含まれていた。

重みを感じるその言葉に、何か深いものを感じて思わず口を噤む。

 

「見たことがねえ顔だが、オタクも森の住人かい?

悪いねえ。森、汚しちまって。

許してくれとは言わねえ。でも、頼むからこの先の村にはちょっかい掛けないでくれると助かるんだが……」

 

『別に怒ってないし、……まあ死ぬほど苦かったけどさ。

それよりも、手当しないと』

 

普通に話しているようにみえるが、顔色は青白く、声に力が感じられない。

こうしている間にも、その呼吸は段々とか細くなってきているのがわかった。

 

いくら初対面の野郎とはいえ、目の前で死なれるのは御免だ。

どうにかしようと周りを見回すと、少し離れたところに金色に光る丸いものが目についた。

それはとても美味しそう……じゃなかった。とても神々しい。『あれなら何とかなるかもしれない』だなんて、自分でもよくわからない勘が働いたのはその時であった。俺でもわかるくらいの“力”を秘めたそれなら、もしかしたらと思って金色に輝くそれに駆け寄ると、それは“桃”であった。

 

すごくすごく美味しそうではあるけれど、仕方ないから今回は譲ってあげよう。

うむ、仕方のないことだ。でも、ちょっとだけ毒見、いやいや齧りかけを渡すなんてそんな。

 

「なんだ……戻って来たのかよ。

村娘をナンパするのは好きだが、犬相手じゃねえ……。

ちなみにオタク、メス?」

 

『お、おまえ……この期に及んでそれかよ……!

もう怒った! これでも食らえっ!』

 

「なっ……。ふぐっ!?」

 

我慢に我慢を重ねて運んだ桃を渡す前に、そんな失礼なことを言われて腹が立たないわけがない。なので、その憎たらしい口目掛けて桃を突っ込んでやった。

果汁を絞って傷口に塗りたくってやろうかとも思ったが、それは桃に失礼であるのでやめておく。

 

「むぐっ、……なんだこれ!?

めっちゃ、うま……っ」

 

『そうだろうそうだろう、これでマズいとか言ったら……!!』

 

「ワン公、アンタこれどこから採って来たんだ?

この森に桃なんてなかった筈だぜ?」

 

『うん? そこら辺に沢山落ちてると思うんだけど……』

 

野郎が首を傾げても可愛くもなんともないけれど、その動きにつられて首を傾げてしまうのはこの体の性なのかもしれない。

“見渡す限り何処にでも”とまではいかないけれど、点々と同じような金色の光が見えるので、見当たらない筈がない。

 

『うーん……。もしかして、俺にしか見えないってヤツなのかな?

何か本格的に、人間を卒業したような……。いやまさか卒業する前に卒業したとかそんな』

 

「おい、……おい、ワン公!

聞いてんのかよ」

 

『な、なんだよ。どうせお前にはわからないやい。

俺だってなあ!!一度で良いからギルガメッシュ王みたいに、綺麗可愛いお姉さん方に囲まれてみたかったんだよ……!』

 

「うおっとぉ! な、なんだよ急に吠えるなって……!」

 

『そうだよ、いつだって寄って来る異性は……動物のメスだけよ!!

まあそりゃあ可愛い動物にモテることに不満はないけど、違うそうじゃない……!』

 

「ほら見てくれよ。すっかり治っちまった!

まあ荒っぽい食わされ方だったけど、一応オタクのおかげってことになるだろ?」

 

『わあああっ!? なんてものを見せるんだ……!?

うう、折角見ないようにしていたのに……』

 

ぼろぼろに破れていた布を取り払い、赤い何かで真っ赤に染まった胸元を見せて来たのだ。

傷口が治ったといったが、赤い塗料の所為でもう何が何だか良くわからない。具体的に言うと全年齢という穴を抜けてしまうので、詳しく聞かないで欲しい。

とまあ、こんな感じで流れのままに人助けをしてしまったのだが、そろそろセタンタを探しに戻らなければ。治ったなら良かったな、じゃあ。と背を向けようとすると……。

 

「ちょっと待った!!」

 

『ギャン!?』

 

ぐいっと尻尾を引っ張られ、前に倒れ掛かりそうになった俺は抗議をしようと後ろを振り返った―――。

 

……それにしても何故皆尻尾を引っ張るのだろう。そろそろ千切られそうでこわい。

 

 

 

 

 




血の味(物理)
この主人公、建てられたフラグに全力で蛇行しながら突っ込んでいくタイプである。
話の進行が遅くてすまない。次は視点が変わる予定。
そしてそろそろ女の子出したい…!
以下、呟き





そろそろアマテラス、チビテラス(主人公)のスキルとか宝具を考えたいこの頃。
主人公が宝具使う時はもう、アマテラス(全盛期)が出てきて大暴れすれば良いと思うよ!もう慈母1人で良いんじゃないかな……!


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