問題児? 失礼な、俺は常識人だ。 (怜哉)
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問題児が異世界から来るそうですよ
異世界? ははっ、またまたそんな......まじ?


『問題児? 失礼な、俺は常識人だ』のリメイク版的ななにかです。
久々に『問題児? 失礼な以下略』を読みかえしたんですけど、中高時代の黒歴史見返してるみたいでめちゃくちゃ恥ずかしかったです。でもなんか「エタらせないよ♡」とか言っちゃってたのでせめて改訂はしようかと思いまして。


 

 

 

 

 桜舞い散る、春うらら。

 暦は四月。朗らかな日差しと柔らかな風に心を耕し、そして花粉(春の脅威)に殺意を覚える日本の春。

 

 まぁ別に花粉症でもなんでもない彼としては、ただただ暖かくなったことに対して心安らぎ、つい一週間前から始まった華の高校生活への夢と希望で胸いっぱいだった。

 

 

 

 ────そう、だった。さっきまでは。

 

 

「離せっ! 離せっつーのジジイくそ野郎!! ちょ、まて、力強すぎ...!? た、助けてお母さんーーー!!!!」

「良いではないか〜良いではないか〜、あはははは〜」

 

 

 とある片田舎の河原にて。

 なんとも奇妙な神隠しが遂行された。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 今起こったことをありのまま説明するぜ。

 

 せっかくの何も無い土曜日、天気もいいし散歩するかー、とか思って河原を歩いてたら見知らん老人に話しかけられて突然拉致られ、なんか変な光に包まれたと思ったら上空何千メートルかに放り出されてた。

 

 何を言っているのか俺にも分からない。

 とりあえず寒い。春の日差しどこいった。

 

 

「やははははは!!! すっげぇなオイ! 世界の果てが見えやがるぜ!!」

 

 

 己に降り掛かった理不尽に、諦めという感情で対抗している自由落下の最中(さなか)

 吹き付ける暴風の轟音をものともしない大声量が、俺の耳に届いた。

 男の声だ。この上空何千メートルでパラシュート無しスカイダイビングをしているというのに、何とも楽しそうな、男の声だ。

 

 落下の風圧に首を持っていかれないように気張りながら、声のした方を向いてみる。

 金髪の、学ランを着込んだ男。黒髪の、上品そうな服を着た女。茶髪の、スポーティな格好の女。三毛猫。

 俺以外でスカイダイビングしているメンツは、その三人と一匹らしい。

 

 あいつら誰だよ、とか。なんで俺こんな冷静なんだろ、とか。そもそもなんでスカイダイビングしてるん俺、とか。

 そんなことが頭をよぎりきる前に、俺たちは湖へと着水した。

 

 

 

「し、信じられないわ!まさか問答無用で引きずり込んだ挙句、空に放り出すなんて!」

 

 湖から這い上がり、服に染み込んだ冷水を搾っていると、近くからそんな怒鳴り声がした。

 さっき見た、黒髪の女だ。

 服はずぶ濡れ。体にピッタリとくっついている上に透けている。とてもえっちだ。三度見くらいした。

 

「右に同じだクソッタレ。場合によっちゃその場でゲームオーバーだぜ。石の中に呼び出された方がまだ親切だ」

 

 黒髪濡れ濡れえっち女とは逆隣りから、さっき上空でも聞いた男の声。

 さっきの嬉々とした声音とは違い、黒髪濡れ濡れえっち女同様、怒りが込められているように思う。

 こちらも濡れ濡れスケスケだが、男のスケベシーンに需要はない。

 強いて言えば、ずいぶんとしっかりした体付きだなとは思いました(ガッツリ見た結果)

 

「...いや、石の中もダメだろ。普通に死ぬぞ」

「俺は問題ない」

「んな身勝手な」

 

 男に素朴な疑問をぶつけつつ、俺は周りを見渡す。

 俺の後方には、これまたさっき上空で見たスポーティな服装の茶髪の女が、三毛猫を抱えて座っていた。

 例に漏れず、濡れ濡れスケスケだ。

 うーん、えっち。えっちのバーゲンセールかよ。やっぱり三度見した。

 

「...ここ、一体どこなのかしら」

「さぁな。まぁ世界の果てっぽいのが見えたし、どこぞの大亀の背中とかじゃねぇか?」

 

 投げやりに答える男は、水の滴る前髪を掻き上げつつ、言葉を続ける。

 

「とりあえず確認しとくが、お前らもあの妙な手紙を受け取ってここに?」

「そうだけど、まずは“オマエ”って呼び方を訂正して。私は久遠飛鳥よ。以後気を付けて。それで、そこの猫を抱き抱えてる貴女は?」

「...春日部耀。以下同文」

 

 俺を囲むようにして会話する三人は、俺の理解できない話をしている。

 そもそも手紙ってのが分からない。俺は妙な手紙じゃなく、妙なジジイの手引きでここに来たはずだ。...多分。何も分かんないけど。

 

「そう。よろしくね、春日部さん。じゃあ次は貴方ね。黒髪で、変な肌着を着ている貴方」

「黒髪...ってことは俺だよな? 変な肌着?」

 

 言われて自分の服を見てみると、なるほど確かに。着ていたYシャツが濡れて、肌着が透けて見えている。

 

「“変な”肌着ってのは心外だ。これのどこが変だと」

「でかでかと『成仏』なんて書いてあるもの、変と言わずに何というの?」

「最先端ファッションだ。時代が俺に追い付いていないんだ」

「そう。狂人なのね。近寄らないで。それじゃあ最後に、そこの金髪の──」

「悪かった。自己紹介はさせてくれ、頼む」

「仕方がないわね。早くして」

 

 肌着一つで狂人認定された上に嫌われたっぽい。悲しい。相手が結構な美人なだけに余計悲しい。でも俺泣かない。俺強い子。

 

佐久本(さくもと)燈也(とうや)だ。よろしく」

「ええ、よろしく、狂人さん。じゃあ最後。金髪の、野蛮で凶悪そうなそこの貴方は?」

 

 俺が何したってんだバーローめ!!

 

「見たまんま、野蛮で凶暴な逆廻十六夜です。粗野で凶悪で快楽主義、と三拍子揃ったダメ人間なので、用法と用量を守った上で適切な態度で接してくれ、高圧的なお嬢様?」

「そう。取扱説明書をくれたら考えてるあげるわ、十六夜君」

「ハハ、マジかよ。今度作っとくから覚悟しとけ」

 

 アレは名前で呼ぶのか...。

 ちくせう、終いにゃ泣いてやろうかな。

 ...いや、狂人認定は覆らないどころか今後の逆転もままならなくなりそうだ。やめとこ。

 

「.....で? 呼び出されたはいいけど、なんで誰もいねぇんだ?」

「そうね。呼び出した本人がいない、というのはどういう了見なのかしら」

 

 互いに険悪な雰囲気を醸し出していた二人は、揃って周りを見渡す。

 呼び出した本人、ってのが分からないが、さっきから少し離れた草陰に見え隠れするウサ耳らしい影が気にはなっていた。

 相当にデカいウサ耳だ。耳の大きさから推測するに、体は人間ほどあるかもしれない。おそらく珍獣だ。ぜひ捕まえたい。

 

 逆廻や久遠もそちらをチラチラ気にしてるし、二人も気付いているんだろう。

 そしてなにより、この場ではその二人の存在が強すぎて、俺と春日部の影は薄くなっている。ウサ耳も、きっと二人に注意が向いていることだろう。

 好機だ。俺はそろりそろりと、ウサ耳の後ろに回り込む。

 

「仕方ねぇ。細かいことは、そこに隠れてるやつに聞いてみるか」

「あら、貴方も気付いていたの?」

「当然。かくれんぼじゃ未だ負けなしだぜ? そっちの二人も.....おい、佐久本のやつはどこ行った」

「...? あら、ほんと。彼、一体どこに.....」

 

 

「ギニャァァアアア!! 黒ウサギの素敵耳がぁあああ!?!!?」

「捕ったどぉお!!!!」

 

 珍獣ハンター燈也とは俺の事よ(ドヤァ)

 

 

 * * * * *

 

 

「ありえない...ありえないのですよ...黒ウサギの純情が汚されてしまいました...」

 

 てっきり巨大ウサギ(色違い)だと思っていた生物は、ウサギの耳を携えた美少女だった。

 まぁそれはそれで巨大ウサギより全然珍獣だったから、そこらの(つた)で手足縛って木に括り付けた上でいろいろ物色した。

 さすがに十八禁的なことは久遠と春日部の目があったので出来なかったが、ウサ耳を弄り倒してみたり、ウサ尻尾をコネコネしてみたり、湖で捕れた魚の素焼きを食べさせてみたり、なら生ならどうかと刺身にして食べさせてみたり、と十分に遊ん.....生体を調べれたので、満足して解放したわけだ。

 

「お前の純情が散ったのは残念極まりないが、さっさとお前の知ってることを話せ」

 

 黒ウサギ、と名乗った項垂(うなだ)れるウサギ人間を前に、逆廻は高圧的に話を促す。

 

他兎(たにん)の耳や尻尾をあれだけ好き勝手しておいて...ま、まぁいいデス。それでは、皆様。定例文で言いますよ? 言いますよ? さぁ言います! ようこそ“箱庭の世界”へ! 我々は皆様のようにギフトを与えられた者だけが参加できる『ギフトゲーム』への参加資格をプレゼントさせていただこうかと、この箱庭に召喚いたしました!」

 

 箱庭。なんか実験場みたいな名前だな。

 それに今、このウサギは『箱庭の世界』と、そう言った。

 それじゃあまるで、ここが俺のいた世界とは異なる世界だと言っているようだ。

 

「既に気づいていらっしゃるでしょうが、皆様は普通の人間ではございません! その特異な力は様々な修羅神仏から、悪魔から、精霊から、星から与えられた恩恵でございます。『ギフトゲーム』はその“恩恵”を用いて競いあう為のゲーム。そしてこの箱庭の世界は強大な力を持つギフト保持者がオモシロオカシク生活できる為に造られたステージなのでございますよ」

 

 神、悪魔、精霊。

 漫画やゲームの中でしか聞いたことのないような存在達が、ごく当たり前のように羅列している。

 人知を超えたモノから授けられた恩恵。ギフト、か。

 それならまぁ、確かに覚えがないこともない。他人には無い才能を、俺は持っている。少しスポーツが出来るだとか、ちょっと勉強が得意だとか、そんなレベルではない稀有な才能だ。

 俺が勝手に“超能力”だなんて呼んでいたソレが、黒ウサギの言う“修羅神仏等から授かった恩恵”とやらなんだろう。

 

 ...軽く頭がどうにかなりそうだが、割って入った久遠の声が、トリップしかけた俺を引き戻す。

 

「まず初歩的な質問をいいかしら。貴女の言う“我々”とは、貴女を含めた誰かなの?」

「YES! 異世界から召喚されたギフト保持者は、この箱庭で生活するにあたって、数多とあるいずれかの“コミュニティ”に必ず属していただきます」

「嫌だね」

「属していただきます! そして『ギフトゲーム』の勝者は、ゲームの“主催者(ホスト)”が提示した商品を手に入れることができる、というシンプルな構造になっています」

「はい。主催者って?」

「様々ですね。暇を持て余した修羅神仏が“試練”と称したギフトゲームを主催している場合や、コミュニティが力の誇示のために展開しているギフトゲームなどもあります」

「なるほどな。それで、チップは? 自分の“恩恵”ってのを賭けなきゃいけないのか?」

「それもまた様々です。ギフトを賭けたゲームももちろんございます。しかし、全てのゲームで己の才能をチップにしようという者はそう多くはありません。極めて少数と言えるでしょう。そこで一般的には、金品、土地、利権、名誉、そして人間などを賭けるのデスよ」

「へぇ、人間も。つまり何だ。そのギフトゲームってのは、この世界の法そのものだと思っていいのか?」

「基本的にはそのような捉え方で問題はないかと。ギフトゲームとは別にキチンとした法律も敷かれていますが、ギフトゲームでカタをつけた方が早いは早いですかね」

 

 黙って聞いていると、そりゃあもうスムーズに話が進んでいく。

 理解できないことはないが、頭が追い付かない。とりあえず異世界に転生したって時点で処理の限界だ。

 てか、なんでこいつら普通に現状受け入れられんの?

 

「さて、皆さんを召喚を依頼した黒ウサギには、箱庭の世界における全ての質問に答える義務がございます。が、それらをすべてを語るには少々お時間がかかるでしょう。ここから先は我らのコミュニティでお話しさせていただきたいのですが.....よろしいですか?」

「その前に一つ、俺の質問に答えろ、黒ウサギ」

 

 ここで待ったをかけたのが逆廻だ。

 彼の顔から、先ほどまでの軽薄そうな笑顔がなくなっていることに気づいた黒ウサギは、構えるようにして聞き返す。

 

「.....どういった質問です? ルールですか? ゲームそのものですか?」

「そんなのはどうでもいい。腹の底からどうでもいいぜ。ここでオマエに向かってルールを問いただした所で何が変わるでもねえんだ。世界のルールを変えようとするのは革命家の仕事であって、プレイヤーの仕事じゃねえ。俺が聞きたいのはたった一つ」

 

 

 

「この世界は、面白いか?」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 諦め。

 それは時に、非常に重要となってくる。

 そう、例えば。例えば、『妙な老人に捕まって大空に放り出されて湖に落ちてびしょ濡れになって珍獣ウサギ人間を捕獲してた結果「ココ異世界ネ! メッチャ面白イ世界ヨ!」って言われた時』とか。

 

 

「紹介するのですよ、ジン坊ちゃん! こちらの御四名様が.......あれ? 十六夜さんは?」

「十六夜くんならさっき『ちょっと世界の果てを見てくるぜ』って言ってあっちに行ったわよ?」

「どっ、どうしてその時黒ウサギに教えてくれなかったのですか!?」

「『黒ウサギにはナイショだぜ』って言われたから」

「嘘ですよね!? 実は面倒だっただけなのでございましょう!?」

「「うん」」

「oh...」

 

 

 とまぁ、一通りコントを見せつけられ、黒ウサギが赤ウサギになって疾走していった数分後。

 俺はジン坊ちゃんとやらに連れられて、箱庭の中のとある喫茶店で紅茶を啜っていた。

 

「あら、意外と美味しいじゃない」

「ほんと。それにとってもいい匂い」

 

 女性二人はここの紅茶に大変満足しているらしく、柔らかい笑顔を浮かべていた。

 かく言う俺はと言うと、訝しげに店のメニュー表と睨めっこをしている最中だ。紅茶の味が分かるほど舌も肥えてないしな。

 

 ここが異世界だ、ということは嫌でも理解させられた。

 周りを見れば、いわゆる獣人といった種族や、謎の動力で水を吐く噴水など、『異世界だから』以外では簡単に説明のつかないことが起こりすぎているのだ。

 そして、この文字。

 メニュー表に限らず、そこらの看板にも書いてある文字は、少なくとも俺は見たことのない文字だ。けれど、俺はその文字を何の不自由もなく読めている。おそらく言葉も日本語じゃないんだろう。

 何か特異な力が働いている、と言われた方が楽になってきた。

 

「皆さん、まだ召喚されたばかりで落ち着かないでしょう。ある程度のことは黒ウサギの方から聞いているとは思いますが、何か聞きたいことなどはありますか?」

 

 諦めたと言いつつも真剣に現状把握に努めていた俺の耳に、まだ声変わりも終わっていない少年の声が届いた。

 ジン・ラッセル。黒ウサギからは「ジン坊ちゃん」と呼ばれていた、黒ウサギ達のコミュニティの(おさ)らしい。

 子供がトップなんてあまり信じられないが、ここは異世界。俺の常識はまず通用しないと思った方がいい。もしかしたら、このジンくんも俺の倍は生きているのかもしれないし。

 

「じゃあ、とりあえず俺から質問いい?」

「はい、どうぞ」

 

 律儀に手なんか挙げてみて、俺はジンくんから許可を貰ってから再度口を開く。

 

「まず前提の確認なんだけど、この世界じゃ“コミュニティ”ってのに入らなきゃいけないんだって?」

「そのような法はありませんが、コミュニティに属さないということは死に直結すると考えていただいて結構だと思います」

「なるほど。んじゃ次。俺たちをこの“箱庭”に呼んだのは、ジンくんや黒ウサギが入ってるコミュニティなんだよな?」

 

 まぁ俺は多分、久遠や春日部、逆廻たちとは別口だろうけどな。

 

「はい。僕たちが皆さんをお呼びしました」

「それで、無一文な上にこの世界の知識もほぼない俺たちを、自分らのコミュニティに入れてあげよう、と。つまりはそう言ってるんだよな?」

「は、はい.....」

「じゃあ、ここからは質問だ。『才能を持つ者を呼び寄せよう』だなんて、なんでそうなった?」

 

 そう言うと、ジンくんの視線が少しずつ下に下がっていくのが分かった。

 明らかに動揺している。額に脂汗までかいてるし、手も震えている。

 

「ただの親切心だなんてのは、残念ながら俺には信じられない。ジンくんたちに何のメリットもないからな」

 

 子供へ詰問してるみたいでちょっと罪悪感もあるが、そこははっきりさせなきゃいけないところだ。

 まぁ俺の予想としては、『藁にもすがる思いで外界(そと)から戦力を呼び寄せなければ、今後コミュニティの存続すら危うい』ってとこだろうと思う。まぁ、単に戦力強化要員として呼ばれた可能性もあるけどな。

 しかし、ずっと黙っているジンくんを見るに、前者で正解な気はする。

 

 俺たちを上手く誘導して自分たちのコミュニティに入れてしまおう、と。

 そんな魂胆がバレそうになって焦ってしまったのだろうか。完全に下を向いてしまい、言葉の出なくなってしまったジンくんに代わって、聞き覚えのない野太い声が割り込んできた。

 

「そこから先は私が説明しましょう、御三名方」

 

 トラ。

 そう表現するに相応しい風格を担った男だ。

 ピシッとタキシードなんて着ているが、その程度では隠せないほど臭い。

 

「ガルド...!」

「黙れ、“ノーネーム”の小僧。箱庭の恥晒しが。まさか俺を呼び捨てにするとは驚きだ」

 

 ガルド、と呼ばれた男は、眼光を鋭くしてジンくんを射抜く。

 久遠がティーカップを置いてガルドを見やった。

 

「あなたは?」

「失礼。私はこの地域を治めているコミュニティ《フォレス・ガロ》がリーダー、ガルド=ガスパーです」

 

 どこで習ってきたのか、なんとも不気味な紳士風を装ったトラ野郎は、ジンくん率いる“ノーネーム”というコミュニティについて、事細かく説明してくれた。

 コミュニティの名前、そして旗のブランドについて。“ノーネーム”の過去の華々しい栄光。そして、魔王の襲来。“ノーネーム”の転落。

 

 気になるワードが何個かあったが、今のところは黙っていよう。

 別に今すぐ知る必要はない。後でゆっくり聞けばいい。

 

 

「“ノーネーム”に入ったところで何の得があるわけでもない。そこで提案です。皆様、私のコミュニティに入る気はございませんか?」

「ないわね」

「右に同じく」

「以下同文」

「にゃあ」

「三毛猫も『ねーわ。それはねーわブ男が』って言ってる」

「随分と口の悪い猫だな」

 

 つーか名前は三毛猫なん? どういうネーミングセンス。

 ちょっと引いた目で春日部を見ていると、拳を握りしめたガルドが声を震わせて聞いてきた。

 

「...理由を、理由を教えていただいても.....?」

「簡単なことよ。私は裕福な家庭も約束された将来も、およそ望みうる全てを捨ててここに来たの。それをたかが一地域を支配して満足しているだけの貴方に、それも組織の末端として迎え入れてやるだなんて言われて魅力的なわけがないでしょう?」

 

 置いたティーカップを再び持ち、話は終わったとばかりに紅茶を啜る久遠。

 そんな彼女に続き、春日部も理由を口にした。

 

「私はぶっちゃけどうでもいい。どのコミュニティに入るとか、ほんとに興味ないから。私はただ、ここに友達を作りにきただけ」

「あら、じゃあ私が春日部さんの友達一号に立候補してもいいかしら」

「...うん、いいよ。久遠さんは」

「飛鳥でいいわよ」

「分かった。じゃあ、飛鳥。飛鳥は、私の知ってる子たちと違う気がするから大丈夫。なろう、友達」

「やった♪」

 

 キャッキャと手を握りあい始めた少女二人に倣って、俺も拒否理由を言ってみる。

 

「俺より弱いやつの下に付きたくない」

 

 俺の言葉がトドメだったのだろう。

 ピチピチだったタキシードを軋ませ、ガルドは激昂する。

 

「この.....この小僧共が!!!!」

 

 人間の外面(ガワ)を破り捨て、ガルドはその体をトラへと変貌させた。

 トラだトラだと思っていたが、まさか本当にトラになるとは驚きだ。

 狼男ならぬ虎男。元の世界ではお目にかかれなかった珍事を前にして──俺は少し楽しくなった。

 

「.....喧嘩はダメ」

 

 俺たちへ襲いかかろうとしたガルドは、春日部により簡単に押さえつけられる。

 トラはトラでも、動物園のトラだったようだ。野生の強さには程遠い。

 前にロシアで野生のトラと闘ったことのある俺が言うんだから間違いない。

 

 そこからは酷いものだった。

 押さえつけられたガルドに対し久遠が尋問をかけ、ガルドの非道が晒される。聞いていて気分の良いものではなかったし、特に興味もわかなかったが。

 しかし、久遠はそれに腹を立てた。そんな彼女の取った行動が、《フォレス・ガロ》とのギフトゲームだ。

 

 

 

「なんであの短時間に《フォレス・ガロ》のリーダーに喧嘩を売る状況になってるのですか!? しかも日取りは明日!!? 敵のテリトリー内で戦うのですか!!!? 一体どういう心算があって──ちょっと聞いているのですか!!!!?」

 

「「ムシャクシャしてやった。今は反省してます」」

「黙らっしゃい!」

 

 

 軽快なハリセンの音と、ケラケラという逆廻の笑い声が響く。

 

 ああ、なんだか面白いことになってきた。

 

 諦めて現実を受け入れてしまえば、これ以上面白い現実(こと)もない。力を持て余してたのも事実だし、与えられた機会を楽しんでみるのもいいだろう。

 

 

 ただまぁ、なんだ。

 俺は逆廻たちと違って問題児なんかじゃないからな。

 

 




黒歴史不可避で泣いた。
評判良ければ続けます。


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逃げるは恥だが役に立つ

黒歴史爆発しすぎてて書いてて心がしんどい。
でも中二心が刺激されてちょっと楽しい。

そんな第2話。


 

 

 

 

 

《フォレス・ガロ》とのギフトゲームが決まり、一通り黒ウサギのお叱りを受けたあと。

 

 ジンくんを先に《ノーネーム》の本拠地へ帰らせ、俺たちはギフトの鑑定をしてもらう為に《サウザンドアイズ》というコミュニティを目指していた。

《サウザンドアイズ》は、箱庭全域に精通する巨大商業コミュニティらしい。黒ウサギの話では、コミュニティのメンバーは何か特別な”瞳”を持っているとのこと。この近くにあるという支店にいる幹部にギフトの鑑定をしてもらえば、明日のゲームで自分の力を正しく引き出せる様になるようだ。

 

 まぁ、自分の力は自分がよく知ってるわけで。

 正直俺は...というか、俺たち四人は全員、ギフト鑑定とやらにあまり乗り気ではない。

 

「うちは時間外営業は行っておりません。おかえりください」

 

 青基準の生地で、女神っぽいものが向かい合って描かれている割烹着を着た女に、俺たちは門前払いをくらった。

 しかしまぁ、時間外営業は良くない。別に自分のギフトなんて分からなくてもいいし。

 そう思い、憤る黒ウサギを引っ張って《ノーネーム》の本拠とやらに向かおうとして──黒ウサギから一歩離れた。

 

「いやっふうううううつううつうううううううううう!!!! 久しぶりだな黒ウっサギぃいいいいい!!!!!」

「ぴぎゃあぁあああ!??!!?」

 

 店内から文字通り飛んできた何かに、黒ウサギが吹っ飛ばされる。

 面白いように転がっていった黒ウサギと飛んできた何かは、その勢いを殺すことなく近くを流れていた川に落ちた。

 

「...なぁ店員。この店ではああいうドッキリサービスをやってるのか? なら俺も別バージョンで頼む」

「ありません」

「なんなら有料でも可」

「やりません」

 

 逆廻はあれをやられたいのか。

 普通に背骨とか痛そうだけど。

 

 と、川の方から、黒ウサギの怒声と共に、例の飛んできた何かが飛んでくる。

 それは綺麗な放物線を描き、そして逆廻に足蹴にされた。

 

「ちょっ、正気かおんし?! 飛んできた美少女を足で受け止めるやつがあるか!!」

「それが俺だ」

 

 鳩尾へだいぶいいのをもらったにも関わらず、何か──和装の自称美少女は、まるでダメージを負ったように見えない。

 自称美少女は、一つ息をついてパンパンと服の汚れを払う。

 そういえば、黒ウサギと共に川へと落ちたはずの自称美少女は、全く濡れていない。彼女の特殊な能力なのだろうか。

 

「貴女は? この店の人?」

 

 一連のやり取りに呆れたようにため息を吐いて、眉間の押さえた久遠が自称美少女へと話しかけた。

 自称美少女は久遠を見るなり、そのちんまりとした胸を張る。

 

「ん? ああ、その通り。《サウザンドアイズ》の幹部様で白夜叉様だよ、ご令嬢。仕事の依頼なら、その発育の良い胸をワンタッチで引き受けてやるぞ?」

「引き受けません」

 

 馬鹿なことを言い出した自称美少女の超大手コミュニティ幹部様に、割烹着の店員が素早くつっこむ。

 

「まあ、立ち話もなんだ。上がるがいい、黒ウサギに童共。なに、店は閉めるが、私の部屋なら問題あるまい? のぅ?」

 

 そう言って笑う白夜叉と、それに従って白夜叉の部屋へ上がろうとする俺たちを、割烹着の店員が憮然な顔をして睨み付けていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「さて。では改めて自己紹介をしようかの。私は四桁の門、三三四五外門に本拠を構えておる《サウザンドアイズ》幹部、白夜叉だ」

 

 白夜叉の私室だという、店の奥に広がっていた武家屋敷の一室にて。

 手元で扇子を弄りながら、白夜叉は不遜に言い放つ。

 

 不遜とは、言い換えればデカい態度ということだ。

 ともすればジンくんより幼く見える幼女にそんな態度をとられれば、キレるか、もしくは和むかの二択だろう。

 しかしながら、目の前の幼女にはそんな感情は抱けない。

 

 彼女は、俺たちとは格が違う。

 

「はい。質問」

 

 そんな彼女に臆することなく、春日部が挙手する。

 

「よい。なんだ?」

「外門って何?」

 

 聞き慣れない単語への質問に、白夜叉ではなく黒ウサギがウサ耳をピンと立てて答える。

 

「箱庭の階層を示す外壁にある門ですよ。数字が若いほど都市の中心部に近く、同時に強力な力を持つ者達が住んでいるのです。因みに私達のコミュニティは一番外側の七桁の外門ですね」

 

 ああ、なるほど。

 木の年輪や玉ねぎみたいな感じか。

 

「バームクーヘンみたいな?」

「まぁ、ざっくり言ってしまえばそんな感じじゃの」

 

 なにその例え。オシャレじゃん...。

 

「して、ここは七桁外門。おんしが例えたバームクーヘンで言うところの、一番外側の皮に位置する外門だ」

 

 そう言って、白夜叉はどこからともなくバームクーヘンを召喚する。

 いや、本当に召喚した。もしくは錬成だ。何も無いところから突然バームクーヘンを錬成しやがった。等価交換って知ってっかお前。

 

「そして、私がいる四桁以上が上層と呼ばれる階層だ。その水樹を持っていた白蛇の神格も私が与えた恩恵なのだぞ?」

「へぇ?」

 

 白夜叉の言葉に、逆廻が好戦的な笑みを浮かべる。

 逆廻がぶん殴ったという白蛇がどの程度の強さなのかは知らないが、神格を与えた、ってのはどういう意味なのか。

 その言葉が本当であれば、目の前の少女は、ただの蛇を神にまで伸し上げることのできる存在というわけだ。

 

 なにそれ怖い。

 

「つーことはお前、あの蛇より強いのか?」

 

 普通に恐怖を覚えた俺と違い、逆廻は好奇心を抑えられない様子で前のめりに聞いた。

 

「もちろんだとも。私は東側の“階層支配者(フロアマスター)”だぞ? この東側では並ぶ者のいない、最強の主催者(ホスト)だ」

 

 それを聞いた逆廻、久遠、春日部の動きは早かった。

 息を揃えて一斉に立ち上がり、白夜叉へと一歩詰め寄る。

 

「最強? へぇ、そりゃあ景気がいい」

「つまり、ここで貴女を倒せば、最強の座は私たちのもの、ということよね?」

「.....現状からの一発逆転。これを逃す手はない」

「ちょ、御三人様?!」

 

 さらに白夜叉へとにじり寄る問題児三人組と、それを必死に止めようとする黒ウサギ。

 そんな彼ら彼女らの姿を、俺は何も言わずに見ていた。

 それを白夜叉に気付かれ、声をかけられる。

 

「ふむ。血気盛んなこやつらとは違い、おんしは落ち着いておるの。私が怖いか?」

「ん? ああ、怖いよ。すごく怖い。絶対に争いたくない」

 

 気負うことなく、俺は本音をぶちまける。

 少女に怯えているというのは実にみっともない話だと思うが、しかしそれが現実だ。今戦ったところで、確実に負ける。つーか死ぬ。絶対に(・ ・ ・)。今は戦っちゃダメだ。

 

「なんだよ佐久本。お前、つまらねぇ奴だな」

「アホか。つまるつまらないの次元じゃない。お前だって分かんだろ。白夜叉は強い。文字通り桁が違う」

「その程度で引くってのがつまらねぇって言ってんだよ」

「負けるのが分かってて勝負挑んで死ぬ方が、俺にとってはつまらねぇよ」

 

 トゲトゲしい言葉の横行に黒ウサギがヒヤヒヤしていると、白夜叉の口からクツクツと笑い声が漏れた。

 

「よかろう。では小僧ら、そして少女たちにも。私から選択肢を与えてやる」

「選択肢?」

 

 苛立たしげに眉根をひくつかせる逆廻を扇子で制し、白夜叉はスっと細めた瞳で俺たちを射抜いた。

 

「今一度名乗り直そう。私は”白き夜の魔王”──太陽と白夜の星霊・白夜叉。おんしらが望むのは、試練への”挑戦”か? それとも、対等な”決闘”か?」

 

 そう言うが早いか。

 世界は一瞬の間に流転した。

 

「なっ───」

 

 不遜な態度を崩さなかった逆廻の口から、驚愕に染まった声が、留めきれずに溢れ出る。

 そんな逆廻に負けず劣らず、久遠も、春日部も、そして俺も。脳がイカれたと錯覚するくらい、人生最大級の驚愕に見舞われた。

 

 桁が違う? 何を寝ぼけたことを言っていたんだ俺は。

 目の前の少女は、俺の...俺たちの定規で測っていい存在じゃない。

 

 正真正銘、最恐の化け物だ。

 

 

「.....参った」

 

 重々しい沈黙が場を支配する中、逆廻が両手を上げる。

 

「降参だ、白夜叉。これだけのものを見せてくれたんだ。今回は大人しく試されてやるよ」

 

 試されてやる。

 なんて傲慢で、どこまでプライドの高い奴なんだろう。

 しかしそれは魔王を満足させるには十分な言葉らしく、白夜叉は笑いを堪えている。

 

「く、くくっ.....よかろう。して? ほかの童達も同様か?」

「.....ええ。私も試されてあげる」

「右に同じ」

「...まぁ、“挑戦”ってことなら」

 

 悔しそうにする久遠や春日部と、しぶしぶ白夜叉の“挑戦”を受ける俺。

 一連の流れを心臓が飛び出る思いで見守っていた黒ウサギが、ホッと胸を撫で下ろす。と同時、烈火の如く怒った。

 

「も、もう! お互いにもう少し相手を選んでください!! 階層支配者に喧嘩を売る新人と、新人に売られた喧嘩を買う階層支配者なんて、冗談にしても寒すぎます!! それに白夜叉様が魔王だったのは、もう何千年も前の話じゃないですか!!」

「何? じゃあ元魔王ってことか?」

「はてさて、どうだったかな?」

 

 はぐらかすように笑う白夜叉の声をかき消すように、遠くの山脈の方から、甲高い獣の鳴き声が響いてきた。

 その声にいち早く反応したのが春日部だ。

 

「今の声...初めて聞いた」

「ふむ、あやつか。ちょうど良い。今回おんしらに課す“試練”、あやつに任せようかの」

 

 そう言って、山脈に向かってチョイチョイと手招きする白夜叉を、逆廻が睨む。

 

「オイ。お前が俺たちを試すんじゃねぇのかよ」

「言っただろう? 今のおんしらにはあやつがちょうど良い」

 

 白き夜の魔王(自分)が相手をするには、お前たちは実力不足だ。

 そう言われたような気がして...というか事実そういう意味合いで言ったのだろう白夜叉に、逆廻は一つ舌打ちをする。

 しかし、そんな逆廻の気持ちを払拭するかのように、春日部が歓喜の声を上げた。

 

「あれ...もしかして、グリフォン!?」

 

 山脈の方から飛来している、まだ米粒ほどの大きさに見える何か。

 常人離れした視力を持っているのか、春日部にはアレがなんなのか、その目にしっかりと写っているらしい。

 グリフォン。鷲の上半身と獅子の下半身を持つ、伝説上の生物。

 珍獣ハンターを自称している俺だが、さすがにグリフォンは専門外すぎる。珍獣ってより幻獣だしな。

 

「ほう? おんしには見えるか。如何にも。あやつこそ鳥の王にして獣の王。"力""知恵""勇気"、全てを備えたギフトゲームを代表する獣だ」

 

 そう言っている間にも、グリフォンはとてつもない速度でこちらへと向かってくる。

 風を纏い、五メートルはあろうかという巨躯を誇る、空と陸の王。

 そんなグリフォンが、俺たちの前へと降り立った。

 

 目を輝かせる春日部へと自慢げに鼻を鳴らした白夜叉は、ぱんぱんと二度柏手を打った。

 すると、一枚の羊皮紙が突如として現れる。

 

 

『ギフトゲーム名"鷲獅子の手綱"

 

 プレイヤー一覧:逆廻十六夜、久遠飛鳥、春日部耀、佐久本燈也

 

 ・クリア条件 グリフォンの背に乗り、湖畔を舞う。

 ・クリア方法 “力”“知恵”“勇気”いずれかでグリフォンに認められる。 

 ・敗北条件 降参、またはプレイヤーが上記の勝利条件を満たせなかった場合

 

 宣誓。上記を尊重し、誇りと御旗と主催者ホストの名の下、ギフトゲームを開催します。

 “サウザンドアイズ”印』

 

 

 逆廻の手に渡った羊皮紙には、そう書かれていた。

 これが噂に聞くギフトゲーム、その契約書的なものなのだろう。

 

 ...あれ? ガルドにゲームを取り付けた時点ではこんなの出てこなかったけど、その辺大丈夫なん?

 

 俺が疑問を抱いていると、春日部が勢いよく手を挙げた。

 

「はい、私がやる」

 

 その声は俺たちに有無を言わせず、春日部はずんずんとグリフォンへ近付いていく。

 その目はまるで、欲しいものを見つけた子供のようにキラキラと輝いていた。

 

「大丈夫か? 生半可な相手には見えないけど」

「大丈夫、問題ない。すぅ.....。はじめまして。春日部耀です」

 

 グリフォンの体が僅かに跳ねる。

 幻獣である自分と言葉を交わすギフトは確かに存在するようだが、その数が多いわけではない。

 夢のあるギフトだと思うが、『動物と言葉を交わす』だけなわけがないよな、きっと。

 逆廻の異常な身体能力、久遠の支配の力。これらに比肩するギフトが、まさか動物と話せるだけだなんて、とてもじゃないが思えない。

 さっきガルドを押さえつけた膂力。身のこなしも、格闘技をやっているような動きではなく、どちらかと言えば野生のそれだった。

 

 そんな俺の考察をよそに、春日部は慎重にグリフォンへと語りかける。

 

「私を、あなたの背中に乗せてほしい。私と、誇りをかけた勝負をしませんか? 私が負けたら...あなたの晩ご飯になってもいい」

「ちょ、春日部さん!?」

「正気でございますか!?」

「黙れ。おんしらは下がっておれ、手出しは無用だ」

 

 白夜叉の是非を言わせぬ冷たい声に、久遠と黒ウサギは押し黙る。

 そんな二人を見届けた白夜叉がおもむろに手を一振りすると、湖畔に鳥居の様な門が現れた。

 

「そこからグリフォンの背に乗り、山脈を一周する。最後まで振り落とされなければ、おんしの勝ちとしようかの」

「分かった」

 

 短く頷き、春日部はグリフォンの背に乗った。

 春日部とグリフォンが何度か言葉を交わしたあと、なんの合図もなく、突然に“挑戦”が始まった。

 

「...へぇ。グリフォンって空を駆けるんだな」

 

 もう米粒ほどの大きさに見えてしまうほど遠くへ行ってしまったグリフォンを見て、俺はなんとなしに呟いた。

 あれだけの図体を持っていながらどうやって飛ぶのかと思っていたが、なるほど。大気を足場にして、まるで地上を駆けるかのように飛ぶのか。

 

「春日部さん、大丈夫かしら...」

 

 久遠の心配そうな声を聞きつつ、俺は春日部の勝ちを確信する(・ ・ ・ ・)

 俺は山脈の向こう側へと隠れてしまったグリフォンと春日部の姿を追いかけた。

 実際に見えているわけではないが、それでもだいたいの場所は分かる。もうすぐ山脈から姿を現す頃だろう。

 

「あ、見えましたよ!」

 

 黒ウサギが声を張る。

 その言葉通り、山脈の陰からグリフォンと春日部と思わしき米粒みたいな影が見えた。

 グリフォンはこれが最後の試練と言わんばかりに急降下や急上昇、更には錐もみ回転をしながら飛行している。

 

 右往左往、縦横無尽。ジェットコースターなんて目じゃないくらいの動きをするグリフォンだが、ゴールである鳥居との距離は着々と縮み、そしてとうとう鳥居を抜ける。

 

「やった!」

 

 久遠の歓喜の声が響く。

 黒ウサギも春日部の無事を喜び、そして胸を撫で下ろした。

 そんな安心も束の間。ゴールして気が抜けたのか、春日部がグリフォンの背から落ちる。

 

「っ!」

「待てお嬢様。まだ終わってない」

 

 落下する春日部を受け止めようとした久遠を、逆廻が止める。

 春日部の体が地面に激突する──その前に、春日部は大気を蹴って宙を歩いた。

 

「なっ.....」

 

 驚嘆の声をあげたのは黒ウサギだった。

 それもそのはず。ついさっきまで、春日部は空を飛べるそぶりなんて見せていなかったのだ。

 それが今はどうだ。まるでグリフォンのように、空気を蹴るように宙に浮いている。

 落下するはずだった体はゆっくりと、階段を降りるかのように地面へと着地した。

 

「やっぱりな。お前のギフトは『他の生物の能力を手に入れる』能力なのか」

「違う。これは友達になった証」

 

 珍しく、春日部は間髪入れずに逆廻の言葉を否定する。

 あまり違いは無いように思うが、春日部にとっては重要な部分なんだろう。

 それはそうと、だ。

 

「白夜叉。これは俺たちの勝ち、ってことでいいのか? それとも、春日部以外も今のやつをやんなきゃいけないのか?」

「いんや。春日部耀のクリアはおんしらチームがクリアしたと同義。つまり...此度のギフトゲーム、勝者は《ノーネーム》である」

 

 ピクリ、と俺の眉が上がる。

 が、そんなことは誰も気にしない。春日部の勝利を喜び、祝福している。

 

「そうです! 勝利の報酬に、白夜叉様に皆様のギフト鑑定をして頂きたいのですが.....」

「げっ...よりによって鑑定か...。専門外も良いところなのだが.....ふむ。《ノーネーム》の門出となる日だしの。ちと贅沢だが、これを与えよう」

 

 パンパンと白夜叉が柏手を打つと、俺たち四人の前に一人一枚、四角形のカードが現れた。

 さっきから白夜叉さん柏手でいろいろやりすぎ。柏手万能説出てきたなこれ。

 

「それは...ギフトカード!!」

「お中元?」

「お歳暮?」

「お年玉?」

「お年賀?」

「ち・が・い・ま・す!! というかなんで皆さんそんなに息がピッタリなんですか!? それは顕現してるギフトを収納できる上に、各々のギフトネームが分かるといった超効果な恩恵です!!」

 

 興奮気味に騒ぐ黒ウサギを他所に、俺たちは各々自分のギフトカードとやらを確認する。

 

 

 コバルトブルーのカードに逆廻十六夜・ギフトネーム“正体不明(コード・アンノウン)

 

 ワインレッドのカードに久遠飛鳥・ギフトネーム“威光”

 

 パールエメラルドのカードに春日部耀・ギフトネーム“生命の目録(ゲノム・ツリー)” “ノーフォーマー”

 

 

 チラッと覗き見た感じ、それぞれのギフトはそんな感じだった。

 久遠と春日部は分かる。名前そのまんまの能力だったし。

 逆廻のは分からん。名前から推測すらできない。チート野郎め。

 白夜叉や黒ウサギも、逆廻のギフトカードを見て驚いている様子だ。

 

「それで? 佐久本のギフトはどんなんなんだよ」

 

 自分のギフト名に満足気だった逆廻が、俺へと標的を変える。

 正直あまり他人に見せびらかすものではないと思うが、今回ギフトカードを手に入れられたのはゲームをクリアした春日部のおかげだ。

 なら、その春日部が属する《ノーネーム》には俺のギフトを見る権利がある。

 

「ほれ」

 

 みんなに見えるようにカードを前へ向ける。

 俺の手元へ降りてきたダークパープルのカードには親切にも、見やすい白色の文字でこう書かれていた。

 

 

 

 佐久本燈也・ギフトネーム“星の王権”

 

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

「いやはや。面白い童共がきたものだのぅ」

 

 自室に用意された熱いお茶を啜りながら、白夜叉は先程の出来事を思い出す。

 

 黒ウサギが異世界から呼んだ四人の高ランクギフト保持者。

 少女二人は、非常に強力なギフトの保持者だ。磨けば光る原石。七桁外門ではほぼ敵無しと言えるだろう。

 

 そして、少年二人は──異質だ。

 

「“正体不明”...全知であるラプラスの紙片をもってして知り得ないギフト、か」

 

 黒ウサギによれば、水神を拳一撃で沈めたという。ギフトを無効化するギフト、では黒ウサギに匹敵する身体能力が説明できない。

 

 もう一人は───

 

「何用だ」

 

 思考を打ち切り、姿勢は変えずに声だけを張る。

 誰もいないはずだった。が、白夜叉の声に応じる形で、一つの人影が、白夜叉の前に現れる。

 

「悪いな。店前の店員は面倒そうだったから黙って入ってきた」

「フン。乙女の部屋に無断で立ち入るとはけしからん。用件を言え」

 

 口調とは裏腹に、白夜叉に怒りはない。

 むしろ、白夜叉の心中に渦巻くのは喜びの感情だった。

 

 かつてこの箱庭を縦横無尽に暴れ回った“白き夜の魔王”相手に、部屋に入られるまで気取らせない気配遮断能力。

 それだけで、暇を持て余していた自分を楽しませるには十分だ。

 

「じゃあ、担当直入に言う。白夜叉、コミュニティの作り方を教えてくれ」

「.....なに?」

 

 耳を疑う。

 彼には《ノーネーム》というコミュニティがあるはずだ。まさか、その《ノーネーム》をもう抜けるというのか。

 

「黒ウサギから聞いた。逆廻たちを喚ぶ為のギフト、お前が用意したんだってな? なら分かるだろ。俺は《ノーネーム》に喚ばれた人間じゃない」

「ほう?」

 

 確かに。

 自分が黒ウサギへと与えたギフトで召喚できるのは三人。一人多いわけだが...余分の一人は、目の前の少年だったわけだ。

 

「しかし、おんしは《ノーネーム》に」

「入った覚えはない」

 

 少年はきっぱりと言い放つ。

 

「ガルドにも言ったけど、俺は、俺より弱いやつの下につくつもりはない。いや、違うかな。そもそも、誰かの下につくつもりなんて毛頭ないんだ」

 

 だから自分のコミュニティが必要だ、と。

 少年はそう言い放った。

 

「明日のゲームには出る。全力で勝利に貢献する」

 

 少年が全力を出せば、今頃鬼化しているであろうガルドが相手でも、問題なく勝つことができる。

 

「.....。あい分かった。おんしは巻き込まれただけだしの。明日のゲーム、勝つことができたなら、おんしのコミュニティを立ち上げてもよいぞ」

「白夜叉が作ってくれるのか?」

「階層支配者の権限だ。おんしのコミュニティ設立を、箱庭の中枢へと記録する。コミュニティの名と旗を考えておけ」

「ありがとう。恩に着る」

 

 一礼し、少年は部屋を去る。

 

「《ノーネーム》の連中には、おんしが意図的に誤解させたままであろう。説明は自分でしろよ」

「...分かってる」

 

 その言葉を最後に、白夜叉は少年の居場所を掴めなくなった。

 ここへ来た時同様、気配を絶ったのだろう。

 ここ《サウザンドアイズ》支店は、白夜叉にとって全ての事柄が有利に進むように創られている。にも関わらず、まだ敷地内にいるはずの少年の気配を、白夜叉は追うことができない。

 

 全く、並の相手であれば暗殺し放題ではないか。

 そう内心で思い、お茶を一口啜った白夜叉は静かに空を見上げる。

 紫色に染まった空では、十六夜の月が怪しげに輝いていた。

 

 

 

 




だいぶ設定変えちゃった。
感想とかクレメンス。


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味わうのは勝利の美酒か

それとも敗北の苦渋か。


 

 

 

 

 

 “フォレス・ガロ”とのギフトゲーム当日。

 街中で色んな人達に声援を受けて、俺たちはガルドの指定したゲーム場へと辿り着いていた。

 

 街中の住人から「ガルドを倒してくれ」と言われるくらいには、ガルドは無能な地域支配者だったらしい。まぁ人質で脅してできた組織なんてそんなもんか、と思いつつ、俺は柔軟体操を始める。

 

「あの.....佐久本さん...」

「ん?」

 

 屈伸をしていると、隣から黒ウサギに声をかけられた。

 その声はどこか震えているように思えるが...まぁ勘違いとかじゃないだろう。

 

「昨日のお話なのですが.....」

「本気だよ。覆すつもりはない」

 

 シュン、とウサ耳をへならせる黒ウサギ。

 昨日の話、ってのは俺が“ノーネーム”に入らないという話。そして、新たに俺と“ノーネーム”の間で執り行われるギフトゲームについてだ。

 

 “ノーネーム”に入らない。

 これはずっと決めていたことだ。自分のコミュニティを設立して、俺を箱庭に送った(と思われる)じじいをぶん殴る。

 

 俺と“ノーネーム”の間で執り行われるギフトゲーム。

 これは、今回のガルドとのゲームを絡ませたゲームだ。

 ゲームの内容は『どちらが先にガルドとのゲームをクリアするか』。つまりはゲームクリアのタイムアタック勝負で、その勝利報酬は『“フォレス・ガロ”の所有する土地』。

 コミュニティを設立したとして、そのコミュニティを構える場所がないのでは格好がつかない。なら“フォレス・ガロ”をぶっ潰して、その土地をそっくりそのまま貰っちまおうって魂胆だ。

 土地の所有権云々とかその辺は、今朝方に白夜叉から許可を得ている。

 

「フン。“ノーネーム”に入んねぇって聞いた時は、魔王にビビって逃げんのかと思ったぜ」

「ぬかせ」

 

 挑発的な逆廻の言葉を流し、俺は準備運動を終えた。

 

「そろそろ久遠と春日部が出て三十分か。黒ウサギ」

「...YES。あと十三秒でございます」

 

 そう。今ここに久遠と春日部、ついでにジンくんの姿はない。

 今回の“フォレス・ガロ”とのゲーム、俺は久遠たちより三十分遅れでスタートすることにしていた。いわゆるハンデというやつだ。

 

「余裕だな。お嬢様達が三十分以内にクリアするとは思ってなかったのか?」

「それはない」

 

 断言する。

 そう言い切るだけの根拠が俺にはある。

 

 ...残り五秒。

 

「へぇ...? 理由は?」

「簡単だ」

 

 ...二秒。

 

「俺には少し先の未来が視える。それだけさ」

 

 スタート。

 

 俺は地面を蹴り、跳ぶようにしてガルドのいる場所へと向かった。

 

 

 

 

『ギフトゲーム名“ハンティング”

 

 ・プレイヤー一覧 久遠飛鳥

 春日部耀

 ジン=ラッセル

 佐久本燈也

 

 ・クリア条件 ホストの本拠内に潜むガルド=ガスパーの討伐。

 ・クリア方法 ホスト側は指定した特定の武具でのみ討伐可能。指定武具以外は“契約《ギアス》”によってガルド=ガスパーを傷つける事は不可能。

 ・敗北条件 降参か、プレイヤーが上記の勝利条件を満たせなくなった場合。

 ・指定武具 ゲームテリトリーにて配置。

 

 宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、“ノーネーム”はギフトゲームに参加します。

 

 “フォレス・ガロ”印』

 

 

 * * * * *

 

 

 地面を粉砕する脚力で跳んだ燈也が見えなくなったころ。

 十六夜は思考に耽っていた。

 

「未来視の話が真実だとして、加えてあの身体能力。...“星の王権”、か...。黒ウサギ、アイツの恩恵に心当たりはないか? 前に似たような恩恵を見たことがある、とか」

 

 それを聞いた黒ウサギは一瞬脳内の記憶をさらい、そして否定する。

 

「...いいえ。星の所有権を意味する恩恵であれば存在しますが...強い弱い関わらず、神や幻想種との混血でもないただの人間が持てるものではありません。それに、“王権”では“所有権”とは少し意味合いが違ってくるかと」

 

 まぁ“正体不明”なんてものよりよっぽど分かりやすいのですが、とは心中で留めておく黒ウサギ。

 

「“星の王権”。言葉の通りに捉えるなら、ヤツの正体は“惑星を丸々一つ治める王”ってことになる。かの始皇帝を始め、歴史上のどんな人物も、どんな国家も、世界を治めるなんてことはできていない」

 

 世界、要するに地球を統一したというのなら、それは正真正銘空前絶後の大偉業だが...そんなことが本当に可能だろうか?

 ...いや、今重要なのはそこではない。

 

「...面白ぇ。もっと俺を楽しませろ!」

 

 ああ、全く。この世界は本当に俺を退屈させない。

 

 十六夜は獰猛に笑う。

 元いた世界では久しく味わえていなかった感情。

 未知と対面する高揚感を、十六夜は確かに感じていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「GEEEEEEYAAAAAAAaaaaa!!!」

 

 “フォレス・ガロ”の居住区本拠である屋敷から、凄まじい咆哮が響く。

 

 この居住区は、本来であればレンガ造りの洋風な街並みだったのだろう。しかし今は《鬼化》だかなんだかをしてしまった植物に覆われ、森と言っても過言じゃないような風景になっていた。

 

「ちっ。遅かったか...?」

 

 さっき一瞬だけ視えた“未来”。

 そこには、どデカい虎の前で大量の血を流している春日部の姿があった。

 

 “ノーネーム”に入らないとは言っても、春日部たちが嫌いなわけじゃない。むしろ好きの部類に入るだろう。

 そんなやつらを見殺しにはしたくない。

 

 屋敷に辿り着く。

 気配を消し、空いている窓から屋敷内へ侵入した。

 

 春日部と、ガルドっぽい気配は三つ隣の部屋から感じる。

 だが、久遠とジンくんの気配は感じられない。死んでしまったか、そうでなければ屋敷の近くにはいないのか。

 どちらにせよ、早く春日部を助けなければ。

 

「どーせ指定武器ってのも春日部とかが持ってんだ、ろ!!」

 

 セリフを言い切る前に、俺は春日部とガルドのいる部屋の扉を蹴破る。

 木屑となった扉の陰から、春日部と、そして白い虎の姿が見えた。

 そして...床一面に広がる、赤い血の海。

 

「GEEEEEEYAAAAAAAaaaaa!!!」

 

 爪先を赤く染めた虎は、俺を視認して再度吼える。

 空気が震えるのを肌で感じ取りながら、俺は一歩踏み出した。

 

「GEEEEEY──」

「うるせぇ」

 

 それは、ただの言葉だ。

 久遠のように強制力を持っているわけでも、言葉が物理的な殺傷力を持つようになる能力を使ったわけでも、特に殺気や威圧を込めたわけでもない。

 

 ただ当たり前のこととして、虎はその場で制止する。

 

「...とー、や...?」

「ああ。悪いな、間に合わなかった。大丈夫そうか?」

 

 傷付いた春日部のそばで膝を付き、容態を診る。

 出血量が問題だ。普通の人間ならとっくに死んでる量だろ、これ。すげぇ生命力だな。これも春日部の恩恵の力か。

 

「大丈夫...じゃ、ないかも。凄く、痛い。泣きそうかも」

「分かった。とりあえず寝とけ。あとは俺がなんとかする」

 

 そう言うと、春日部は力なく瞳を閉じる。

 死んだわけではない。ただの気絶だろう。

 春日部の傷を癒しつつ、近くに転がっていた銀製の剣を拾う。

 

「──さて、虎」

 

 春日部はもう助かった(・ ・ ・ ・)

 次にやることは明白だ。

 

「お前の命、ここで差し出せ」

 

 

 

 

 

 

 

 ギフトゲーム名 “ハンティング”

 

 ・勝者  久遠飛鳥

 春日部耀

 ジン=ラッセル

 佐久本燈也

 

 

 

 * * * * *

 

 

 ガルドとのゲームが終わってから五日が経った。

 

「ふぅ。まぁこんなもんだろ」

 

 額にかいた汗を、首にかけているタオルで拭う。

 

 俺は今、元《フォレス・ガロ》の本拠だった屋敷を改修していた。

 とりあえず屋敷を包んでいた樹の根を除去し、気に入らない内装を変え、所々にこびり付いていた汚れを落として、必要な家具をそこらの樹を材料に自作する。

 

「鬼化だかなんだか知らねぇけど、無駄に多いし硬ぇんだよな、あの根っこ」

 

 一応人が住めるまでには整理した屋敷の二階のテラスから、眼下に広がる居住区を見下ろす。

 丸五日かけて屋敷は綺麗にしたが、居住区はまだまだ手付かずだ。家具を作る材料を得るために一部伐採したが、そんなものは全体の一割にも満たない。

 もういっそ、全部更地にしてしまおうかとも思ってしまう。

 一から造った方が楽そうなんだよなぁ。牧〇物語とかどうぶつ〇森みたいで楽しそうでもあるし。

 

「ワシならあの辺に牛小屋建てるな」

「おっ、気が合うなー。あっちは果樹園がいいな」

「同意」

 

 いいね、夢が広がる。

 高校生活に未練はあるが、自由気侭な自給自足の生活も.......おい待てバカ。

 

「ワシ、レタスとか育てたい」

 

 何故にレタス。美味しいけど。

 ...いや、そうじゃなくて。

 

「おい、じじい」

「どうしてお前がここに居る? ふっふっふ、気になるか少年。気になるに決まってんだろクソじじい! ふはははは、それはな少年、神のみぞ知る、だ。ふざけろぶん殴るぞテメェ!!」

「一人で何やってんのお前」

「シュミレーション。小僧との会話の」

 

 .....やっべぇ。腹立つわー、このじじい。

 

「この際、なんでお前がここにいるのかはどうでもいい。お前が俺を箱庭(ここ)に飛ばした。そうだな?」

「逆にワシ以外だったらなんだ、って話だけどな」

 

 どこから取り出したのか、クソじじいは真っ白な椅子に腰掛け、湯気の立つ紅茶を啜る。

 

「神、ってやつでいいのか。お前の存在は」

「そうなるなぁ」

「なんで俺を箱庭(ここ)に飛ばした」

「ただの暇つぶし。人間で遊ぶのは神の特権だぞ? 覚えとけ、人間」

 

 ...あ?

 

「テメェ何様だ。()が高ぇ」

「神様だ」

 

 (ガルド)に言い放った時とは違い、ありったけの殺意を込めた俺の言葉。それに対し、じじいの言葉には威圧が乗る。

 言葉と言葉のぶつかり合い。俺たちを中心にして大気が震え、屋敷が軋む。

 

 たっぷり十秒ほど睨み合い、そして同時に弛緩した。

 

「...ふん。せっかく直した屋敷が壊れちゃ堪らねぇ。テメェを殴って従属させんのはまた今度だ」

「ふはは。面白いことを言う。いいぞ、やってみろ。神は常に退屈だ」

 

 そう言って、自称神の老人は再び紅茶を飲み始める。

 

 ...正直なところ、今ここでやり合いたくなかった。

 屋敷が壊れる、ってのも嘘じゃない。が、それ以上に...

 

「ちっ。箱庭ってのにはどんだけ化け物が蔓延ってんだよ」

 

 風で掻き消えるような小さい声で、俺はボソリとこぼす。

 

 強過ぎる。

 白夜叉と同じだ。今の俺とは格が違う。どう足掻いても勝てやしない。

 

 こんなことは初めてだ。

 前の世界で「勝てない」と思ったことは一度もない。...まぁ、「逆らえない」って思った相手なら二人いるけど。

 それはともかくとして、この世界に来てから早くも「勝てない」相手が二人もできた。.....いや、二人とも人間じゃないから“何人”って数え方が正しいのかは知んないけどさ。

 

 

 けど、このじじいはいつか絶対ぶん殴る。

 そう固く誓い、俺は晩飯の買い出しへと向かうことにした。

 

 

 帰って来てから俺を襲う不条理な不可思議など、今の俺は知る由もない。

 

 

 * * * * *

 

 

 元“フォレス・ガロ”本拠、つまり現俺のコミュニティ本拠から最寄りの商店街。

 ここでは元の世界同様、金銭での売買も行われている。が、ここはギフトゲームという第二の法が敷かれている世界、箱庭。当然、食材をかけたギフトゲームも存在する。

 

「今日のゲームの景品はコレ! 産地直送、レタスだよー!」

 

 八百屋の店主が声を張っているのが見える。

 ふむ...今日はレタスチャーハンにすっか。米は昨日三キロ勝ち取ったし。

 

 そう思い、八百屋へと足を向ける。

 日々趣向を変える商店街の各ゲームだが、そのほとんどは運に頼ったものが多い。ちなみに、米を勝ち取った時のゲームはじゃんけん三本勝負だった。

 運に頼るゲームなら俺に負けはない。多分。

 じゃんけんなんて今まで負けたことねーし。おみくじも大吉以外引いたことねーし。宝くじを買えば一等当たるし。まぁ宝くじは五回連続で当てた辺りから購入禁止にされたけどな。

 

 今日の八百屋のゲームは丁半(ちょうはん)博打だった。

 特に気負うことなくゲームに参加し、問題なく新鮮なレタスを勝ち取る。

 

 あとは卵とウインナーが欲しいな。

 そう思い、近くでそれらが売っている場所を探すために辺りを見回す。

 すると、食材ではなく見知った人間を一人見つけた。

 相手もこちらに気付いたらしく、歩く方向を俺の方へと変えた。

 

「よぉ。五日ぶりじゃねぇか、佐久本。元気にやってるか?」

「まぁそれなりだな。お前らの方はどうよ、逆廻」

 

 互いに声が届く範囲まで近付き、挨拶する。

 スイカほどの大きさのものを包んだ風呂敷を二つ持っているところを見るに、逆廻も買い出しの途中だろうか。

 

「...なんだ佐久本、レタスなんか持って。お前、料理とかすんの?」

「少しはな。俺のお母さん、あんま料理得意じゃなかったから。そういうお前は? それスイカか?」

「ん? まぁ料理も出来るが、こいつは食材じゃない。金髪ロリ美少女を手に入れるための鍵だ」

「おっ、事案の香り」

「ヤハハハ!」

 

 笑ってないで否定してくれませんかね...。本当に事案なのかしら。

 

「詳しい説明は省くが、ちと五桁のコミュニティとゲームをする必要が出てきてな。そのための挑戦権がこいつだ」

「へー」

「そんでその勝利報酬が金髪ロリ美少女」

「なるほど」

 

 分からん。

 が、まぁ事案ってわけじゃなさそうだ。

 

「てか五桁のコミュニティて。いいなー、俺も遊びたい。ちなみになんてコミュニティ?」

「“ペルセウス”」

「.....それはまた」

 

 ペルセウス。

 確か、メデューサ退治の半神英雄、だったか。

 神話に特別詳しいわけじゃないから知らないことの方が多いが、メデューサ退治の話くらいなら知っている。

 そんな偉業を成したペルセウスの名を冠するコミュニティならば、相当に強大なコミュニティなのだろう。

 

「手を貸してやろうか?」

「それには及ばねぇよ。俺たちだけで十分だ」

「ちぇ、つまんねぇの」

「まー、“ペルセウス”って言ってもリーダーはペルセウス本人じゃない。その子孫で、しかも完全に名前負けしてる雑魚だ」

「えー...んー、じゃあいいや」

「ヤハハ、だろ?」

 

 それに、と逆廻は言葉を続ける。

 

「今回のは俺たち“ノーネーム”の問題だ。お前に首突っ込まれるといろいろ面倒だし、何よりうぜぇ。引っ込んでろ」

「それは正直すぎるだろ」

「だが事実だ」

 

 言葉の端々に角はあるが、逆廻の言い分は正しい。

 他コミュニティの問題に勝手に首を突っ込むのは、迷惑甚だしいだろう。あっちから救援要請でもきてたら別だけどな。

 

「春日部はもう動けるのか?」

「ああ。傷は綺麗に塞がってたし、肉食ってたら復活したよ」

 

 逆廻の視線が鋭くなる。

 大方、春日部の傷を癒した俺の恩恵についてとかなんだろうが...今逆廻に付き合ってやる意味はない。

 軽く視線を流し、ヒラヒラと手を振る。

 

「なら良かったよ。んじゃ、俺は夕飯の準備があるからこの辺で。みんなによろしく伝えといてくれ」

「ああ。またな」

 

 またな、と言いつつも俺を見つめる逆廻。

 背を向けて歩き出しても、まだ視線を感じる。

 

 まさかあの野郎、そっちの趣味ってことはないよな...。

 

 些か不安を抱きつつ、俺は卵とウインナーを求めてその場を去った。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 卵とウインナー、ついでに調味料をいくつか買った俺は、自分の本拠へと戻ってきていた。

 

 元々は何十人という料理人たちがいたであろう広い厨房で、買ってきた食材を並べる。

 

「さて。まずはとりあえず米を───」

 

 ドゴォォォオン!!!

 

「──炊く前に掃除からかな、今日も」

 

 突如響いた爆発音を聞き、ため息を漏らす。

 ここ三日、毎日のようにこの爆発音は鳴り響いている。

 理由は単純。ここが襲撃されているのだ。

 

「オラァ!! 出てこいや小僧ォ!!!」

 

 ガラの悪い声が聞こえる。

 今日は...エントランスの方か。今朝綺麗にしたばっかりなんだけどな。

 再度ため息をつき、しぶしぶ声のした方へ向かう。

 三十秒ほど歩き、俺がエントランスに辿り着くと、本拠の玄関の木造扉が木っ端微塵に吹き飛ばされていた。

 未だ破壊の埃が舞うエントランスの中央では、複数の武装した獣人たちがこちらを睨み付けている。

 

「よぉ、ガキィ...。今日こそお前に引導を渡してやる」

 

 リーダーでもある狼男が、俺へ殺意と共に言葉を投げてきた。

 それを体験するのも、これで六度目だ。

 

「あのさぁ。おっさんたち、そろそろ飽きたりしないワケ? もう六回目だろ、このやり取り」

「うるせぇ!! さっさと俺らとゲームしやがれ!!!」

 

 三度目のため息をはく。

 

 始まりは三日前。

 本拠の改修をしている時に、このおっさんたちが俺のコミュニティを攻めてきた。

 憶測だが、彼らは“フォレス・ガロ”の後釜を狙っていたのだろう。

 ガルド・ガスパーが率いた“フォレス・ガロ”は、ここら一帯で幅を利かせていたコミュニティだ。そのコミュニティが無くなったため、陰でコソコソやっていた奴らが表に出てきたのだろう。

 そこで“フォレス・ガロ”の領土を全部ぶん取った俺は邪魔だと判断し、消してやろうと思ったんだろうが...それを俺が返り討ちにした。

 

「分かった。分かったから。んで、今回のゲームは?」

 

 一度の敗北では飽きたらなかったのか、その日のうちに再戦を申し込んできた彼ら。即返り討ち。

 翌日も懲りずに攻めてきた彼ら。また返り討ち。

 ならば夜襲はどうだと俺が寝静まったことを確認して乗り込んできた彼ら。それも返り討ち。

 

 そんな感じで、彼らは一日に二回はうちに挑んでくるようになった。今朝もきたんだよ、こいつら。

 毎度屋敷を破壊するのはやめてほしいが、毎回修繕費+ゲームの勝利報酬を頂戴してるからまだ許している。

 

「ふん、そう余裕ぶってられるのも今のうちさ...今回は完全に運頼りの対等戦、じゃんけんで勝負だァ!!!」

「さーいしょーはグー」

「あ、え、ちょっ...まっ?!」

「じゃーんけーん」

 

「「ポン(ッ!!)」」

 

 俺がグー。

 相手がチョキ。

 

「はい俺の勝ち。んじゃあエントランスと扉の修繕費、それから銀貨五枚置いてってね」

「ちくしょぉおおおぉぉおおぉお!!!!!」

 

 うるせぇな。

 

「くぅっ...!! 覚えてろよ、“ヨグソ・トース”!!!!」

 

 金の入った皮袋を投げ捨てつつ、獣人のおっさん達は逃げ帰っていった。

 皮袋を拾い、中身の金額を確認する。

 ...うん。まぁこんなもんだろ。

 きちんと金額を確認した後、俺はギフトカードから箒を取り出す。

 散らばった木片を掃いて集め、こちらもギフトカードから取り出したチリトリに、そのゴミを入れる。

 

「玄関は明日直すか...。つーかあれだな、そろそろあのおっさんたちのコミュニティ潰すか」

 

 すぐに収まるだろうと思っていたが、三日も続くとさすがにウザイ。

 今までは屋敷の改築を優先してきたが、その改築も終わった。いやまぁ、たった今玄関壊されたんだけどさ。

 とにかく、優先事項が終わったんだから、後回しにしていた事にも手を出すべきだ。

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、その後すぐに相手の獣人コミュニティをフルボッコにした。

 

 

 

 

 

 

 総資産を全て奪い取り、事実上コミュニティを壊滅させたあと。

 さぁ夕飯の支度の再開だと意気込んで本拠へ帰ってきた俺を待っていたのは───既視感アリアリの神の気まぐれだった。

 

「箱庭世界以外の世界も見てみたくなぁい?」

「みたくなぁい」

「見たくなぁい?」

「いやみたくなぁい」

「見ろ」

 

 妙な光が俺を包む。

 これはあれか。俺が箱庭にくる直前に包まれた光と同じやつか。そうなのか。

 

「バカヤロウ離せクソじじい!! ぐっ...?! 相変わらずなんつー馬鹿力...!! た、助けてお母さァん!!!!!」

「良いではないか〜、良いでないか〜」

 

 俺は無力だ。

 

 

 




苦渋でした、残念でした。
パッパと次行くよ、次。


あ、それとオリ主くんのコミュニティ名は“ヨグソ・トース”になりました。
特に深い意味はありません。ありません。ありませんったら。


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カンピオーネ
出会いは突然に、そして理不尽に訪れる


新型肺炎怖すぎますが、、、


 

 

 

 

 

 照りつける太陽。

 頬を撫でる風には砂が混じっており、たまに目に入って死ぬほど痛い。

 

「えー、あー.....えくすきゅーずみー?」

「? Bimirin」

「なんて???」

 

 道行く男性に声を掛けてみても、返ってくるのはよく分からない言語のみ。英語じゃないみたいだし...何語なんだろ。

 石造りの街並みに、あまり馴染みのない肌色の人々。さらに言語が通じない、となると、考えられるのは一つ。

 

 

 ここ外国だね、間違いない。

 

 

 * * * * *

 

 

 箱庭へ飛ばされた時と同様、じじいに取り押さえられながら謎の光に包まれてしまった俺が視力を取り戻すと、そこは大空の中だった。

 

 またか。

 

 意外にも落ち着いた心持ちで、俺は蒼い空を見つめる。

 こういう時は慌てふためくのが一般的なのだろうが、俺は違う。どうしようもないと判断したら“諦める”。

 と、いうのも。俺は運がいいのだ。それはもう異常なほどに。もう“幸運(それ)”が恩恵であると言っても過言ではないレベルで。

 そうなると、大概のことは放っておけばどうにかなってしまうのだ。ほら、箱庭言った時だって上空に放り出されたけどなんとかなったし。

 

「わぷっ」

 

 何か柔らかいものにぶつかった。

 これは...バルーン? 気球かな。

 

 とにかく、そんなワンクッションを経て、俺は水に頭から落ちた。

 ...いや、しょっぱ。これしょっぱ。塩水...海か、ここ。

 

 水面に顔を出す。

 水を払うように頭を振り、顔に付いた海水を手で拭き取ってから周りを見渡した。

 少し遠く。目測で五キロ先くらいに陸が見えるな。とりあえずそこまで行くか。

 

 目的地を決め、泳ぎだし、しばらくして陸に上がり、服を乾かし、近くにあった町へと足を運んだ。

 ここで冒頭に戻る。

 

「英語なら少しは話せるけど、それ以外のは無理だな...。どーしよ、マジで。てか俺夕飯食い損ねてるんだけど。腹減った」

 

 どうせ誰にも言葉は理解されないんだと思い、わりと大きめな声で独り言を呟く。

 すると、そんな俺の独り言に反応を示す声がした。

 

「どうした? なにか困り事か?」

 

 日本語だった。

 思わず、ものすごい勢いで声のした方へと顔を向ける。

 

「うおっ。ビビったなぁ...そんなに焦ってるのか?」

 

 気の良さそうな青年が、そこにいた。

 黒髪で、背は俺と同じくらい。顔付きはまだ少し幼く、成人はしていなさそうだ。高校生、といったところか。

 

「あー、いや。知らない土地で日本語が聞こえたんで」

「なるほどな。まぁ気持ちは分かる」

 

 うんうん、と頷く青年。いい人だ(確信)

 

「ちょっと護堂。そんなのに構ってないで早く来なさい」

 

 ひょこっと青年の後ろから出てきた、長い金髪の女。冷たい人だ(確信)

 

「分かった分かった。ごめんな、俺たちちょっと急いでんだ。こいつでメシ食ってくれ」

 

 そう言って、青年は紙幣を渡してくる。

 俺がそれを受け取ったのを確認すると、青年は手を振って駆けて行った。いい人だ(再確認)

 

 にしても。

 

「.....これ、何だろ」

 

 渡された紙幣を眺め、ぽつりと呟く。

 見たことのない通貨だった。ユーロやドルだったらまだ分かったんだが、見たことのない通貨のレートなんて分からない。日本円でいくらなんだこれ。

 

 まぁ、とりあえず一食分はあるとみていいだろう。

 なにせ、あんないい人がくれたのだ。これで何も食べれない、なんてことはないだろう。多分。きっと。そう信じたい。

 

 と、いうわけで。

 

「すんませーん、このリンゴくださーい」

「? Bimirin」

「ここの人たち、なんでさっきからそれしか言わないの?」

 

 十個くらいリンゴ買えた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 パサついてはいたものの、リンゴを丸々十個も食べれば腹は膨れる。

 食欲が満たされたから現状把握をしたいところなんだが、如何せん言語が通じない。小一時間色んな人間に話しかけてみたが、日本語を理解できる人はいなかった。

 

 ちょっと心の折れてきた俺は、さっき残ったリンゴの芯を餌代わりに、そこらで拾ったボロ釣竿で海釣りを始めた。

 リンゴの芯なんかで何が釣れるんだよ、と思いつつも暇で始めた釣りだったが、意外や意外。結構釣れる。楽しい。

 

 餌が無くなれば釣れた魚を餌にして、徐々に大きい魚をヒットさせていく。

 魚の名前なんかはさっぱり分からないが、とりあえず二十センチ台の魚が十数匹ほど釣れたところで、俺は釣り場を変えることにした。

 

「...あれ。なんで俺本気で釣りとかやってんだろ」

 

 ジェスチャーでなんとかボートを借り、沖まで出たところで、ふと我に返る。

 その頃にはもう五十センチを超える魚が網かごいっぱいになっていた。

 

 これで三日はいけるな。

 そう確信できる量を釣り上げ、釣りの熱も冷めてきた俺はボートを漕いで岸へ帰ろうとした。

 と、その時。

 

「.......? うおっと」

 

 海が大きく揺れた。

 それだけではない。

 遥か海底、目では捉えきれないほどの深さに、“何か”がいる。

 

 何だ、何がいる。

 サメやクジラよりもっと巨大で、強大な“何か”。

 微かに既視感を覚える気配と、肌を突くような圧力。

 これは───

 

「おーい!! お前ー! そんなとこにいると危ないぞー!!!」

 

 海底へと神経を集中させている俺に、そんな声がかかった。

 五感を強化していたからこそ聞き取れた、遠方からくる聞き覚えのある声.....あー、さっきの親切な日本人か。

 海底に意識を置きつつ、チラリと横目で声のした方向を見てみる。

 

 なんか豪華客船っぽいのがこっちにきてた。

 

「.....は?」

 

 砂の目立つこの土地ではあまりにも不自然極まる船に、俺は一瞬だけ意識が持っていかれる。

 そのたった一瞬。その隙をつくかのように、“何か”が弾けた。

 

「え、ちょ...!」

 

 津波、とは少し違うか。

 まるで海中で爆弾でも爆発したかのように、まるで火山でも噴火したかのように。

 俺の周囲の海水が、根こそぎ上空へと吹き飛ばされた。

 

 ボートなんかひとたまりもない。

 衝撃を受け、粉々に砕け散る。せっかく釣った魚もだ。

 空高く放り投げられた俺は空中で体勢を整え──宙に浮く。

 

「なんなんだ一体...」

 

 凡そ、地球上の生物が生み出せるエネルギーではなかった。

 少なくとも、俺はそんなパワフルな生物は知らない。それこそ、爆弾や火山なんかと比肩する超エネルギー。

 地図を塗り替えられるほどの力を奮う“何か”が、そこにいる。

 

「おーい! 大丈夫かぁー!!」

 

 未知へ対する若干の焦りと、多大な憤怒(・ ・ ・ ・ ・)

 そんな感情を込めて海面に睨んでいた俺に、再び声が届く。

 

 見ると、さっきの余波で少し流されてはいたが、ほとんど損傷のない豪華客船があった。

 甲板には二つの人影。親切な日本人と、冷たい金髪だ。

 

 状況から考えて、あいつらは海中にいる“何か”について知っていることがあるんだろう。

 ならば一旦合流して、“何か”について聞いてみようか。

 

 そう思った俺を、一つの暴力が襲う。

 

『Graaaaaaaaaaaaa!!!!!!!!!!』

 

 大気を震わせるような咆哮と、天に舞い上がる海水の竜巻。

 今まで見てきたどんな天災よりも凶悪で、明確な殺意が込められていた。

 ...思い出した。この既視感ありまくりの気配はあれだ。

 白夜叉やじじいからした神の気配、“神格”だ。

 

 白夜叉は正確には神じゃないっぽいが、この際そんなもんはどうでもいい。

 迫る竜巻を慣れない(・ ・ ・ ・)空中移動でなんとか避けつつ、豪華客船へと着地する。

 

「おい! 大丈夫だったか、お前!」

 

 さっきから安否しか確認してこねぇな、この親切な人。

 

「そんなのは放っておきなさい、護堂」

 

 そして相変わらず冷てぇな、この女。

 

 女の方を軽く睨んだあと、俺は親切な人に向き直る。

 

「さっきは金ありがとう。そんで、アレはなに」

「お、落ち着いてるんだな...お前、魔術師か?」

「.....まぁそんなとこ」

 

 全然違うけど。

 

「で? アレなに」

 

 クイッと顎で海をさす。

 荒れ狂う海面から、例の“何か”がちょうど顔を出したところだった。

 

 その姿は、伝承にきくような、いわゆる龍だ。

 

 屈強な山羊を思わせる巻いた太い角。

 体は蛇のように長く、青白い。

 海面からまだ全体が出ていないので分からないが、その大きさは三十メートルを超えるだろうか。

 竜巻を従え、明らかにこちらへと殺気をぶつけてきている。

 

「神的な何か、ってのは何となく分かるけど」

「...お前、魔術師なのにまつろわぬ神を知らないのか?」

「知らん。けどまぁ、まつろわぬ神、か。OK、理解した。アレをぶっ殺せばいいんだな?」

「何を理解したんだお前は?」

 

 馬鹿なの死ぬの? と言いたげな目線を無視して、俺はまつろわぬ神とやらを睨み付ける。

 そんな俺の態度に腹が立ったのか、やつの従えていた竜巻が一つ、豪華客船を襲った。

 それをまた飛んで避けようとする俺の前に、親切な人が立ち塞がる。

 

「うおぉぉおぉぉおぉぉぉおぉ!!!!」

 

 足場をしっかりと踏みしめ、腰を使い、彼は渾身の右ストレートを竜巻にぶつけた。

 気でも狂ったのか、そう思うより前に、彼の纏う空気が変わったことを知覚する。と同時、竜巻が人間の拳に押されて霧散した。

 竜巻に巻き上げられていた海水が弾け、雨のように降り注ぐ。

 

「エリカ!」

「分かってるわ!!」

 

 親切な人の呼びかけに応じ、冷たい金髪が飛翔する。

 いつの間にか装備していた細剣を構え、まつろわぬ神とやらへと立ち向かう。

 それに続き、親切な人までも、普通の人間では考えられないような脚力で飛び出した。

 

『GRAaaaAAaaAAAaaaaaAAAA!!!!!!!!!!!』

 

 交差する暴力と暴力。

 

 ...アレはダメだ、と直感した。

 

 女の方はまだいい。

 だが、男と神はダメだ。俺じゃ勝てない。

 彼らの打ち合いを数回も見れば、嫌でも分かる。

 

 あそこに混ざれば、今の俺は死ぬだろう。

 塵芥同然に屠られるだけならまだいい。眼中にすら入らないかもしれない。

 事実、今のアイツらには、俺の姿なんて写っちゃいないんだろう。

 

 常識人ぶってたわりには獰猛に笑い拳を奮う男と、獣のような咆哮をあげて一切を薙ぎ払わんとする神。

 

 ああ、なんて。なんて───

 

「──...うっぜェなぁ」

 

 食い締めた奥歯が砕ける音がした。

 怒りは体のリミッターを外すトリガーになるとは聞いたことがあるが、なるほど確かに。欠けたであろう奥歯から痛みは感じられず、全身の筋肉は軋みを上げるほどに唸っていた。

 

 ...いい度胸だ。

 神だか何だか知らねぇけど、俺を格下だと見くびったこと、骨の髄まで後悔させてやる。

 

「この俺を、無視してんじゃ、ねぇぇぇえええぇぇぇえ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 今ここに、小さな王は憤怒する。

 

 

 * * * * *

 

 

 カンピオーネは『覇者』である。

 天上の神々を殺戮し、神を神たらしめる至高の力を奪い取るが故に。

 

 

 カンピオーネは『王者』である。

 神より簒奪した権能を振りかざし、地上の何人からも支配され得ないが故に。

 

 

 カンピオーネは『魔王』である。

 地上に生きる全ての人類が、彼らに抗うほどの力を所持できないが故に。

 

 

 人類は、彼らに抗う術を持たない。

 元は同じ『ヒト』でありながらも、彼らはその枠組みを超越した。

 彼らに対抗しえる存在は、彼らの同胞か、神の使徒、もしくは神そのもののみである。

 絶対的勝者であり、人類の頂点に君臨する王者。

 人類が持つ“まつろわぬ神”への唯一の対抗手段であり、人類が抱える最大の腫瘍(災害)

 

 彼らは、人類の味方ではない。

 究極の快楽主義者だ。

 己の欲に応じ、食い、寝て、暴れる。

 

 人類にとって最凶の脅威である“まつろわぬ神”とどちらがマシか、と本気で考えたくなるような暴君。

 そんなカンピオーネの一角が、草薙護堂である。

 

 

 

 

 

 

 そんな魔王・草薙護堂は今──混乱していた。

 

「この俺を、無視してんじゃ、ねぇぇぇえええぇぇぇえ!!!!!!」

 

 突如として飛び出してきた、同郷の少年。

 多少は魔術を扱えるようだが、感じ取れた呪力は、隣の紅き悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)と比べても見劣りするようなレベルだった。

 

 魔術を使える半一般人。そんな認識だった少年が今───神の顔面にライダーキックをカマしている。

 

 

 

「なっ、はぁあぁあ!???!」

 

 護堂の口から、思わずそんな叫びがもれた。

 しかし、その声をかき消す轟音が大気を揺らす。

 少年に蹴りを入れられたまつろわぬ神が、海面へと叩き付けられた音だ。

 

 三十メートル級の相手を蹴り飛ばす、という中々に現実離れした光景を見せつけた少年、佐久本(さくもと)燈也(とうや)は、空中に立って満足気に鼻を鳴らす。

 

「さてさて、どうやってあの蛇野郎をぶっ殺すかな」

 

 軽いストレッチをしてみせる燈也を見て、紅い悪魔ことエリカ・ブランデッリは戦慄した。

 神を軽く蹴り倒す膂力もそうだが、何よりも、先程まで(・ ・ ・ ・)との(・ ・)あまりの(・ ・ ・ ・)変わり(・ ・ ・)よう(・ ・)について(・ ・ ・ ・)だ。

 

「(さっきまでは一般人に毛が生えたくらいの呪力だった...でも、今のアレは一体なに.....?)」

 

 神が叩き付けられたことにより、空へと上がった海水が降り注ぐ。

 濡れた髪が少しずつ重くなっていくのを感じながら、エリカは顔色を激変させて叫んだ。

 

「っ! ソレから離れなさい、護堂!!!」

 

 さっきまでは、確実に自分よりも格下だった東洋人。

 数秒前までは、自分と比肩する人類の中の上級者。

 

 そして今は──自分を遥かに凌駕するどころか、魔王にすら迫る圧力(プレッシャー)を放っている異端者。

 

 たった数秒。

 ゼリー飲料を飲み干すよりも早い期間で、鼠が虎へと進化した。

 

 アレは人の領域にはない。

 エリカの本能がそう告げている。

 

「『ソレ』だぁ? モノ扱いかよ...あのデカブツの次はあの女ぶん殴ろうかな」

 

 そんな不穏な呟きは、突如吹き荒れた暴風によりかき消される。

 常人では吹き飛ばされてしまいそうな暴風に乗せられ、水の(つぶて)が燈也を襲った。

 が、その悉くは燈也によって叩き落とされる。

 

『Grrr...』

 

 呻く声が聞こえた。

 風が音を遮断する中で、しかしながらその場の全員にはっきりと届く、獣の唸り。

 その声の主は、ついさっき燈也に蹴り飛ばされたまつろわぬ神だった。

 

「なんだ蛇公。あんまダメージ入ってなさそうだな」

 

 ボキボキと指の関節を鳴らし、燈也は神を見据える。

 神もまた、燈也を見据え──否、すでに攻撃は始まっている。

 それにいち早く反応したのは、草薙護堂だった。

 

「下! 海だ!!」

 

 護堂の叫びより一瞬早く、海水がうねりを上げて燈也に襲いかかった。

 それを勘に頼って空へと逃げた燈也に、更なる追い討ちがかかる。

 

「な、はぁ!?」

 

 燈也の口から思わずもれる、驚愕の声。

 それも仕方のない事だと、その場にいた者であれば言うだろう。

 

 未来視という異能を持つ燈也にとって「未来とは決まりきったことか」と問われれば、ノーと答える。

 予測(予知)し得ない出来事が起こる、なんてことはザラだ。

 

 そも、燈也の未来視は完璧ではない。狙った未来が視えるわけでもなければ、少しのエフェクトで未来は簡単に覆る。

 今回は前者だ。未来を視るよりも早く、その未来は訪れただけのこと。

 ならば予想もできなかったのか、と言われれば頷くしかない。

 しかし、これは燈也が甘かったのではなく、()が規格外過ぎたのだ。

 

 一体誰が予想できようものか。

 うねった海水が(かたち)を成し、明らかな自律意思を持って襲いかかってくるなどと。

 

『GRAAAAAAAAAAaaaAAAaAAA!!!!!!!!!!!!!!』

 

 現れたモノは、怪物と称して余りある異形だった。

 蛇の頭、獅子の上半身、鷲の下半身。尾にはサソリの様な鋭利な針がある。

 全長は十メートルを超えるだろうか。生みの親であるまつろわぬ神ほどではないにしろ、それは巨体と言って不足ない。

 

「あれは...!」

 

 そんな珍妙な生物に見覚えでもあるのか。

 エリカは目を見開きつつ、その視線を一瞬だけ護堂に移す。

 

 そんなこと知る由もなく、燈也は目の前の化け物への対処を考えることで頭がいっぱいだった。

 

「(足場作って回避、間に合わない! ぶん殴る、力溜める時間がない!)」

 

 少しでも足掻こうとさらに上空へと逃げてみるが、蛇の頭は燈也との距離を詰めてくる。

 回避を諦め反撃する決意を固めるが、それも遅い。

 

 空中で為す術を失った小さき王は、蛇の口へと吸い込まれていった。

 

 神の期待に応えるために......否、神の意志を罷り通すために、貌を成した怪物は咆哮する。

 その声は大海を震わせ、大空を駆け巡った。

 勝利を謳う咆哮は世界に響き、力の誇示へと役割を変える。

 

「ちっ! 次、こっち来るぞ!」

 

 空に君臨する勝者が次に目指すは、海上の魔王。

 身体をしならせ、その尾の針を護堂へとぶつける。

 

 同郷の者が死んだことを嘆く暇など与えてはくれない。

 怪物の生みの親であるまつろわぬ神は、余裕の現れなのか、静かに護堂を見据えていた。

 容赦の欠片もない所業に、護堂は腹が立つほどの既視感を覚える。

 

「神ってやつはどいつもこいつも...!!」

 

 友人でもなければ要人でもない、知人と言えるかどうかすら怪しい関係だった少年の死に、護堂は少なからず思うところがあった。

 怒りは力へと変換される。

 

 もはや船の役割を果たしているとは思えない木片を足場に、護堂は怪物へと立ち向かう。

 迫る鋭利な針を、護堂は避けようとはしなかった。

 かといって体を貫かせるわけではない。針をギリギリまで引き付け、そして両腕を使ってその針を捕らえる。

 

「うぉらぁぁぁばぁぁぁぁあ!!!!!」

 

 気合一閃。

 捕らえた尾をぶん回し、怪物を海面へと叩きつける。

 

 ウルスラグナより簒奪せしめた権能の一角、牡牛の化身による剛力だ。

 先のまつろわぬ神との戦闘時から使用していた怪力を遠慮なく振る舞い、巨大な怪物をねじ伏せるその姿は、まさしく覇者のそれである。

 

 しかし、相手もそのままでは終わらない。

 ダメージは確実に受けているようだが、大人しく倒れてはいなかった。

 巨体を起こし、再び護堂へと襲いかからんとする。

 

 ──が。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 護堂の口から困惑した声があがる。

 エリカは言葉を失い、まつろわぬ神は僅かに目を見開いた。

 

 彼らの目の先にあり、彼らを驚愕させたもの。

 それは────

 

 

 

「チックショウ...! あー、クソがッ...喰われんのは初めてだ、気分が悪い」

 

 

 悲鳴すら上げられずに爆散した怪物。

 そしてその中から現れた、死んだと思われた少年だ。

 

 

「おう、糞神風情。俺はやられた分はやり返す性分なんだが...お前はなんだか不味そうだなぁ」

 

 苛立たしげに濡れた前髪を掻き上げた燈也(怒れる王)は、神への懲罰を執行する。

 

 

 

 

 




新型肺炎に負けず、自粛期間も頑張って投稿していきたいと思います。
是非応援してください。お願いします。


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未定は未定であって決定ではない

調子に乗って即投稿。
サブタイに意味はありません。


 

 

 

 

 

 海が荒れる。

 観測史上類を見ない大津波がイラクのとある港町を襲い、自然界では有り得ないような突風が絶え間なく駆け巡った。

 

 空が狂う。

 つい数時間前までは穏やかだった青空は今や雷の跋扈する黒雲に覆い尽くされ、雨のように落雷が降り注いでいる。

 

 

 まるで世界の終わりのような光景に、もはや人間の立ち入る隙はない。

 神に祈り、嵐が過ぎ去る待つか、死を受け入れるしかないだろう。

 

 

 

 そんな阿鼻叫喚の爆心地にて、彼は雄叫びを上げていた。

 

 

「オラァぁァアアァぁあああ゙あ゙ア゙ア゙!!!!!」

 

 拳を振るう。

 その拳は山河を砕き、星を揺るがす一撃だ。

 そんなものをモロに喰らえば、例え相手が神であろうともタダではすまない。

 

『GA.....!!!』

 

 短い苦悶の息。

 三十メートルもの巨体が後ろに反れ、海へと倒れる。

 

「はっ、はっ、はっ.....」

 

 彼──燈也は、海に浮かぶ元・豪華客船だった木片を足場にして海上に立った。

 そんな燈也の息は切れている。

 

 燈也にとって、『息が切れる』というのは初めての経験だった。

 元の世界に於いては唯一最強の生命体として君臨し、敗北も恐れも知らない存在だった。

 

 最強無敵だった自分が苦戦する相手、まつろわぬ神。

 最初は『自分より強い』ということに腹を立てた燈也だったが、今では不思議と高揚感のようなものを感じている。

 

「...そこの貴方」

 

 もはや海水なのか汗なのかも分からない髪に染み込んだ水分を払っている燈也に、女性の声がかかる。

 燈也をして『冷たい金髪』と評された、エリカ・ブランデッリである。

 

「あん? んだよ、今忙しい」

「協力しなさい。あの神を打倒するわ」

 

 エリカの声は震えていた。

 無理もない。相手は、決して『ただの人間』と扱ってはいけない存在なのだ。

 カンピオーネではないにしろ、それに比肩する実力者。

 絶対に有り得ないことではあるが、事実目の前にいるのは『魔王』と評するべき存在である。

 

「協力ぅ? 結構だ、俺一人で殺る」

「それは不可能よ。ええ、絶対に」

「.......」

 

 断言するエリカを、燈也は不審がる。

 幸い、神はまだ立ち上がって襲いかかる気配はない。

 耳を傾ける時間はあるし価値もある、と燈也は判断した。

 

「理由は」

「...あの神の名は《ティアマト》。ナンム、タラッテーとも呼称される、アッカド神話に登場する原初の海の神よ」

 

 曰く。

 顕現しているまつろわぬ神は、アッカド神話...つまりメソポタミア神話に登場する女神である。

 混沌の象徴であり、万物の母であり、始まりと終わりの女。

 

 燈也を飲み込んだ怪物は、ティアマトにより生み出された十一の怪物が一、バビロンの竜として名高い聖獣《蠍尾竜》らしい。

 

「彼女は神々の指導者であるマルドゥクによって討伐されるけれど、それは完全なる『死』ではなかった。彼女はその身を世界の基とし、万物の母として存在し続けたのよ」

「つまり何が言いたい?」

「ティアマトは『不死』の属性を持っている、ということ。殺しても死なないわ」

 

 不死。

 ふむ、と燈也は考え込む。

 

「それは、あいつを細切りにして食っちまっても蘇るってことか」

「.....正気?」

「わりと」

 

 俺を食ったのは別の化物だけどな、と付け加える。

 それを生み出したあのティアマトって神を食って今回は怒りを収める、と燈也は決めているのだ。

 

「...そう、狂人にも程があるわね。でも、あの巨体を全て食べてしまうより、ティアマトが復活する方が早いと思う」

「...なるほどな」

 

 エリカの言い分に、燈也はとりあえず納得を示した。

 それを受け、エリカは軽く安堵の息をはく。

 

「で? お前は不死を殺す方法を知ってんのか」

「え、ええ。護堂の──我が王の力があれば」

「.....王?」

 

 ピクリと反応を示した燈也に、エリカは少しだけ得意げになる。

 この世界で神に対抗する力を持つ王と言えば、神殺しの魔王のことを指す。常識だ。

 その魔王に仕えている身となれば、それなりの誇りを持つは必至。

 それ以前に、自らの主を誇りたいというちょっとした子供心が働いたのかもしれない。

 

 その「王」という単語が、燈也にどう捉えられるのかも知らずに。

 

 しかし、今は状況が状況だ。

 まぁ今はいいか、と燈也は頭を振る。

 

「護堂の力でティアマトの不死性を封印するわ。でも、それをするのに少し準備の時間が必要なの。だから貴方に頼むわ。ティアマトの注意を引き付けておいてちょうだい」

「.....俺に囮になれっつってんのか」

「悪く言えばそうね」

 

 存外話の通じる相手で、エリカには余裕というものが生まれていた。

 恐れを忘れ、まるで対等であるかのように...いやむしろ、魔王の仲間である自分の方が上であるかのような態度を取ってしまった。

 言葉からだけでは測れないソレを、燈也は感じ取る。

 

 が、ここでキレるほど燈也も子供ではない。

 平時であれば、無視するなり威圧するなりはしただろう。

 しかし、今はそんな場合ではない。

 見れば、倒れていたティアマトが身体を起こし始めている。

 そんな事をしている場合ではないことくらい、燈也にも分かっていた。

 

「.....分かった。とっとと準備とやらを終わらせて、その封印とやらをやってくれ」

 

 返事を聞く前に、燈也は宙を駆けた。

 準備がどれくらい掛かるのかは知らないが、エリカの口振りからはそこまで長時間を要する感じはしなかった。

 長くて十数分といったところか。

 

『GRAAAAaaaaaaaaa!!!!!!!!!!』

 

 その巨体が動くだけで津波が生まれる。

 その津波を避けることは、空を駆ける燈也にとっては容易だ。

 しかし、エリカ達への被害を考えると無視もできない。

 

「ふんっっっっっ!!!」

 

 燈也の右ストレートと津波が衝突する。

 力比べは燈也の勝ち。津波は爆散し、海水の雨が降り注ぐ。

 

「おら、こっちだデカブツ!!」

 

 手頃な木片を拾い、ティアマトの顔面へと投擲する。

 今ティアマトの瞳に写っているのは燈也だけだ。

 なら、その燈也がエリカ達と反対方向へと向かえば、自然とエリカ達から注意は逸れる。

 

『GrAaaaAAaaaaaa!!!!!!!!!!』

 

 咆哮が凶器となって燈也を襲う。

 ティアマトの従える竜巻の一柱が呼応するようにうねり、そして貌を成した。

 

「チッ」

 

 竜巻が変貌したのは、巨大な蛇。

 いや、蛇というにはあまりに似つかわしくない立派な角が頭部に一対聳えている。

 その蛇は、燈也へ吐息を吐いた。

 無色透明な空気ではない。紫に染まっている、毒々しいものだ。

 

「毒、だよな。やっぱ。溶解性か」

 

 その息に触れた木片が、まるで熱せられた飴細工のように溶けていく様を見て、燈也は再度舌を打つ。

 毒に負けるとは思わないが、かと言ってくらえばどんな支障をきたすは分からない。

 己の力を過信すれば痛い目を見る、と燈也の勘が告げていた。

 

「なら」

 

 触れずに本体をぶっ潰す。

 そう思い至るは必然で、至ったからには即行動が燈也の信条。

 毒は海中には届いていない。

 それを見た燈也は、海へと飛び込んだ。

 

 が、そう上手くことが進まないのが世の常だ。

 毒の下を抜けるかどうかというところ。角のある蛇にあと少しで拳が届くかというところで、燈也は蛇より巨大な尾に薙ぎ払われた。

 

「ガボッ...?!」

 

 水中で不意打ちに近い打撃を受け、燈也の口から空気がもれた。

 いくら規格外な存在といえど、燈也のベースは人間だ。

 水中で酸素を完全に失ってしまえば、その生命は掻き消える。

 

 そうなる前にどうにか海面に出ようと、燈也は水中に足場を作って上へ跳ぶ。

 若干毒を吸い込んでしまう位置に飛び出たが、溺死するよりは希望があると躊躇はしなかった。

 

「がァッ...!! はっ、はっ...はっ...!!」

 

 海面に顔を出し、空気を吸い込む。

 毒も微力に吸い込んでしまうが、背に腹はかえられない。

 

「(さっきのは...ティアマトの尻尾か。クソ、完全に油断した)」

 

 頭を振り、次に打つべき手を模索する。

 

「(毒はまだ大丈夫だ、手先がちょっと痺れるくらい。つっても、溶解性だけじゃなくて麻痺性もあんのは予想外だ。大量に吸い込むのは危険。だったら...)」

 

 と、燈也はもう一度水中へと潜り込んだ。

 次はしっかりと周りを見回し、攻撃がないことを確認する。

 

 拳を握り、海面を見据える。

 そして、一度目を閉じ意識を集中させ...拳を振るった。

 

 山河を砕く一撃は、その拳圧でさえ海を割る。

 底から押し上げられた海水は、爆発したかのように天へと昇る。

 その際生まれた暴風により、毒の吐息は四方へと霧散した。

 

「っしゃオラァ!!!!!」

 

 作戦が成功したことによる歓喜、そして攻撃に転じるための気合。

 両方を兼ね備えた雄叫びは、すぐに勝利の咆哮へと進化する。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ...!」

 

 角のある蛇をその拳で撃ち抜き、燈也は亡骸の上に立つ。

 息を切らせる燈也は、しかし闘志を絶やさない。

 射抜くようにティアマトを睨み、そして跳躍する。

 

 燈也の居なくなったあとの亡骸は、暫くすると元の竜巻へと姿を戻し、そして緩やかに四散した。

 

 それを尻目に確認した燈也は、ティアマトへと迫るために宙を蹴る。

 時折襲い来る竜巻や水柱を薙ぎ、避け、打ち砕き、燈也はティアマトとの距離を詰めていく。

 十分にティアマトへと近付いた燈也は、海面を殴って水の壁を作り出した。相手から自分の姿を(くら)ませるためだ。

 

「死なねぇっつっても痛みは感じるんだろ!? なぁ、原初の女神サマ!!」

 

 死角に回り、海を割る一撃でティアマトの巨体を殴り飛ばす。

 再び海に伏したティアマトを空から見下ろしつつ、燈也は内心で感心していた。

 ティアマトの頑丈さや屈強さにではない。己の力についてである。

 

「(力を寄越せ(・ ・ ・ ・ ・)とは言ったけど、まさかここまでとはなぁ。正直驚きだ)」

 

 グッ、パッと手を握って開き、力の加減を再確認する。

 以前、それも数時間前までとは比較にもならない力がそこには宿っていた。

 劇的という言葉すら霞むほどの強化だが、その力を振るうのに違和感は感じられない。元から備わっていたものかのように、自然と燈也に馴染んでいる。

 

「(《星の王権》、か。正体は分かってっけど、効果はまだまだ未知数ってとこだな。極めりゃ、白夜叉やあのクソじじいにも勝てるか?)」

 

 目の前の女神とは違い、どう足掻いても勝てないと燈也が判断した二人。

 恩恵を使いこなすことで、天上の存在にも手が届くかもしれない。そんな思いを抱き、燈也の闘争心がふつふつと煮え滾る。

 

 と、そこで変化が訪れた。

 

「──我は言霊の業を以て、世に義を顕す。これらの呪言は、強力にして雄弁なり!」

 

 まるで室内にでもいるかのように、どこからともなく護堂の声が木霊する。

 と同時、一振の黄金の剣がティアマトへと突き刺さった。

 

「準備とやらは終わったのか。案外早かったな」

 

 言いつつ、燈也は護堂の力とやらの考察を始める。

 

「黄金の剣...どっから出てきたかは知らんけど、あれが不死性を封印するための道具なんだろうなぁ。ってーと? もう不死性ってのは封印されてんのか」

 

 そんな間にも、無数の剣がティアマトを襲う。

 ティアマトは苦しむ素振りを見せるが、直接的なダメージはあまり大きくはない。

 

 護堂の扱う黄金の剣は、ウルスラグナ第十の化身、戦士の力。

 対する神の知識を明らかにすることで得られるその力は、神を切り裂く言霊の剣だ。

 その剣は、神の力を斬る剣。権能を一時的に弱体、もしくは封じることが可能になる。

 

「ボケッと見てるだけじゃないんだよ、なッ!!」

 

 あの剣では倒しきれない。

 原理は分からないが、燈也はそういう未来を視た。ならばあとは行動あるのみだ。

 

 上空から一気に攻め下り、ティアマトの額に拳をめり込ませる。

 

『GR、AaAAaaaaaAAAAa!!!!!!!!!!!!』

 

 それは咆哮なのか、それとも悲鳴か。

 どちらにしろ、燈也は今までにない確かな手応えを感じ取った。

 

「ナハっ、覚悟はいいか、デカブツ!!!!」

 

 好機とみた燈也は、ここぞとばかりに全力の拳打を打ち込む。

 死の概念があるのであれば、頭を潰せばいいだろう。

 そう思ったのか、額の一点集中で連打、連打、連打。

 一発一発が岩をも砕く拳撃を、百、二百...そして千と打ち込んでいく。

 

 もはや頭の原型など留まってはいない。

 獣のような呻きもなく、今まであった海のうねりも収まった。

 力を失った神は、しかし倒れることはなく。

 海面に立ちながらにして、その息を引き取った。

 

 ティアマトの死を感覚で感じ取った燈也は、最後に一つ、拳を振るう。

 その拳は神の肉へめり込んで、その肉を抉り取った。

 

「お返しだ、原初の海」

 

 そう言い、ピンク色の肉を口に放り込む。

 やられたらやり返す、喰われたら喰い返す。

 懲罰の執行を成した燈也は、その勝利にいたく満足し──そして、死んだ。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 俺──佐久本燈也が目を覚ますと、そこは白だった。

 

 場所の説明として「白」だけでは不十分なのかもしれないが、それ以外には何も無い。どこまでも続く白は、その無限とは裏腹に安らぎにも似た何かを感じさせてくれる。

 

「...って、どこだよここは」

 

 安らぎなんて感じてる場合じゃない。

 また知らないどこかへ放り投げられたのか、と辟易しながら、俺は周囲の確認のために立ち上がろうとする。

 神ティアマトとの戦闘で負った傷を庇おうとして...そしてやめた。

 

「...? 傷が...」

 

 治ってる。もう綺麗さっぱり治ってる。

 服装だけはチラホラと裂けてたり血で汚れたりはしていたが、見た限りでは外傷一つない。

 疲労感も感じられず、控えめに言っても絶好調というに相応しいコンディションだった。

 

「あら、お目覚め?」

 

 ふと、そんな声が聞こえる。

 幼い女の声だ。特徴的なくせに、掴みどころのない、不思議な高音。

 首だけ回して声の方を向いてみると、そこには声に似つかわしい少女がいた。

 白に包まれた世界で、これまた白い衣装を身に纏うその少女の容姿は、可憐と言って不足ない。淡い紫の髪は二つに結ばれているが、その毛先は腰をも越える。下ろしたら地面に着いてしまうんじゃなかろうか。

 

 後ろで手を組む少女は、まるで愉快なイタズラが成功したかのように、その口角を緩ませる。

 

「誰だこの美少女は〜、って思ってるわね?」

 

 自分で美少女とか言うやつ信用できない。

 

「そうねぇ...私のことは“ママ”って呼んでもいいのよ?」

 

 自分をママって自称する幼女とか信用できない。

 

「ここは生と不死の境界。あるいは、アストラル界、妖精境、幽冥界、イデアの世界。まぁ呼び方はいろいろあるけど、死の直前の世界、って捉え方で大丈夫だよ。極東風に言うと...三途の川の岸辺? みたいな」

「ろくでもねぇ場所ってのは分かった」

「あっ、やっと喋った!」

 

 組んでいた手を解き、嬉しそうに両手を前で合わせる、自称美少女ママ。

 美少女ママってなに。犯罪臭とかのレベルじゃないんだけど。

 

「それにしても無茶するよね〜。まさか神さまを食べちゃうなんて。ママびっくり」

 

 くるりくるりと回りながら、少女は優雅に旋回する。

 その様は氷上を舞うように鮮やかで、それでいて快活だ。

 

「神は天上の存在。強い弱いの話じゃなくて、存在規模(スケール)が違うの。それを食べちゃうだなんて、軽トラにスーパーカーのエンジンを積むようなものよ。そんなのパンクするに決まってるじゃない」

 

 人差し指を立てて言う少女の姿は、なんともあざとい。

 分かっててやってるんだろうか。分かっててやってるんだろうなぁ。美少女自称してるくらいだし。

 

「というかそもそも、生のお肉を食べちゃダメよ。ちゃんと火を通さなきゃ。それでお腹壊しちゃっても知らないからね?」

 

 そういう問題じゃなくね、って俺が言ったらダメなんだろうなぁ。

 

「まぁ、それはともかくっ。んんっ──おめでとうございます、佐久本燈也。あなたは見事、神殺しの偉業を成し遂げました」

 

 言って、少女は大手を振るう。

 それに合わせたかのように、背中が少し温かくなった気がした。

 何かが入ってきている...そんな不思議な感覚だ。嫌悪感はない。

 

「私はパンドラ。あらゆる災厄と一縷の希望をもたらす《全てを与える女》」

 

 ゆっくりと言葉を紡ぐ少女──パンドラ。

 そこには少女の明朗はなく、真なる神と言える気品があった。

 

「あなたは権利を得た」

「...権利?」

「ええ。神を殺め、神の宿敵となる権利を得たのです。始めましょう。愚者と魔女の落とし子を生む暗黒の生誕祭、神を贄として初めて成功する簒奪の秘儀を────なーんて、硬っ苦しい言い回しはここまでっ!」

 

 パンっ、と手を叩いたパンドラは、神々しさとも言える雰囲気を霧散させる。

 

「いいこと? 燈也。あなたは特別な存在よ。まぁ神殺しなんてやらかしちゃう子はみーんなヤンチャで選ばれた子ばっかりなんだけど...あなたはその中でもとびっきり。一つの星で、唯一の救いであり、代行者。下手したら神さまなんかよりずっとずぅっとすごいモノ」

 

 だからね? とパンドラは続ける。

 

「あなたの戦いは、本来ならこの秘儀を発動できるものじゃなかったの。護堂の手助けもあったからね。それでもあなたが権能を簒奪できるのは、星の思し召し。まぁ私が見てて満足する戦いだったからいっかなーって思ったのも事実だけどっ」

 

 どこまでも明るくニパッと笑うパンドラに、俺は理解しきれないなりの頷きを返す。

 暗黒の生誕祭、簒奪の秘儀。ここ最近、分からない単語が連発することが増えてきた。

 だがまぁ、さっき感じた温もりがそうなのだろう。権能の簒奪とか言ったか。勝者としての戦利品を得た、と思えばいいのか。

 相手の能力を奪う。箱庭風に言うと、勝負(ゲーム)に勝った俺は、相手の権能(恩恵)を貰い受ける、と。要するにそういうことだろう。

 

 選ばれた特別な存在云々の話は...まぁそれなりに理解できる。俺の話だしな。

 

「さて、楽しい時間が過ぎるのは早いもの。もうお別れよ」

 

 くるりくるりと回転し、元のように後ろで手を組んだパンドラは、こちらを上目遣いだ見つめてくる。あざとい、さすが美少女を自称する神、あざとい。

 

「最後に一つだけアドバイス。仲間を作るといいわ。そうね...護堂なんかいいんじゃない? 護堂はとってもいい子よ、頼っても大丈夫。というか頼りなさい? いくら燈也が特別でも、この先何が起こるかは分からない。未来はとても不条理で、ひどく儚いものよ」

 

 何なんだお前は、という前に。

 俺の意識はだんだんと白濁していく。

 

「安心して。あなたは祝福されている。まぁそれと同じくらい憎悪もされるでしょうけど...そこはファイトっ!」

 

 グッ! と両手の拳を握って若干前傾姿勢になるパンドラ、あざとい。さすが神あざとい。

 ふざける余裕もなくなってきた。

 意識が朦朧とする。視界が白に染まっていく。まるで三日徹夜した日に朝日を浴びたようだ。

 

「まぁここでの記憶って生き返ったら全部忘れちゃってるんだけどね〜。にゃははっ。頑張ってね、愛しい息子。その身に祝福があらんことを。寂しくなったらまたおいで。ママはいつでもあなたを見守ってるわ♡」

 

 神ってやつはどいつもこいつも...!

 

 煽る気はないのだろうが、結果として俺の怒りを買う言動を辞めないパンドラ。

 そんな彼女に一言文句を言ってやろうとするも...その前に俺の意識は深く沈む。

 

 

 

 

「さぁ、この分岐が辿り着くのは果たしてどちらでしょう。救済か、それとも壊滅か。どちらにせよ、あなたの幸福を願っているわ。ねぇ? 究極が一。あなたはもう、私の愛しい息子なのだから」

 

 そして願わくば、かの王に勝利せんことを。

 

 少女は笑う、愛し子の生誕に。

 魔女は哂う、輝かしき可能性に。

 

 

 

 かくして、新たなる王は君臨する。

 星の祝福と、魔女の期待を背負いながら。

 

 その身に宿す輝きは、誰よりも煌めき、そして泡沫だった。

 

 

 

 

 




オリ主くんの恩恵ってなんなんでしょうね?
感想や評価たくさんくれると嬉しいなって。嬉しくなって投稿速度が上がるかもしれないです。何卒よろしくお願いいたします。


《生命なる混沌の海》
メソポタミア神話における原初の海の女神ティアマトより簒奪した権能。詳細不明。


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アドレナリンを馬鹿にしてはいけない

 

 

 

 

 

 俺──佐久本燈也は魔王となった。

 

 

 そんな魔王な俺は、この世界にも日本があると聞き及び、じゃあ日本に行ってやろうじゃないかと意気込んだわけだ。俺日本人だし。

 ちなみに俺が迷い込んだ国はイラクだった。

 

 これから日本に帰るという護堂達と共に空港に行き、なぜか理解できるようになったクルド語で受付嬢に話しかける。

 

 

「日本に行く便に乗りたいんだけど」

「日本に出国ね。じゃあパスポート見せて」

「え"っ」

 

 

 詰んだ。

 

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 

「だからってお前なぁ.....自力で海渡ってくるやつがあるかよ」

 

 嘆息する護堂に対し、燈也はナハハと笑いを返す。

 飛行機に乗れず、如何なる交通機関を使っても日本に渡れなかった燈也は、仕方がないと海を泳いできたのだ。

 と言っても、何もイラクから海に飛び込んでインド洋を横断してきたわけではない。

 とりあえず色んな機関を出し抜いて韓国まで行き、そこから九州まで泳ぎ、後は新幹線に乗って護堂の元まで辿り着いたのだ。

 

「つーかさ、お前検問所は気配消すとかでスルーできたんだろ? どうせ不法入国するんなら空港でもそれすりゃ良かったじゃねぇか」

「? .......あっ」

「気付かなかったのかよ...」

 

 呆れたように言う護堂と、本気でショックを受けている燈也。

 とても世界中の呪術師魔術師奇々怪々共から恐れられている魔王とは思えない、平和的で日常的な光景だ。まぁ話の内容は違法極まっているが。

 

 

 そんな二人がいるのは、とある元古本屋。護堂の実家だ。

 日本に入国した燈也はとりあえず護堂の元を目指し、やっとこさついさっき辿り着いたのである。

 現時刻は朝の七時半。護堂は制服に着替えており、朝食を摂っているところだった。

 護堂の慈悲により燈也も朝食を頂くことになったのだが、護堂の妹である草薙静花にとっては意味不明極まりない。まぁ突如現れた英国淑女(悪魔)やそのメイドにも食事を振る舞う魔王の妹は、今回は護堂の女絡みではないという理由で渋々ながらも燈也を受け入れた。肝っ玉の据わった子である。実に魔王の妹らしい。

 

 

 

 さて、護堂と静花が学校に行くと言うので、燈也も草薙家を後にする。家主不在の家に居座るのはさすがに気が引けたし、ちょっと観光をしてみたいと思ったのだ。

 

 元々日本出身の身である燈也だが、ここが見知った日本であるかどうかはまだ分からない。何せ異世界だ、理不尽の塊に近い世界だ。現にまつろわぬ神とやらが跋扈しているではないかと警戒を強めていた燈也が半日ほど街を歩き回った反応は、

 

「ふーん、なるほどな」

 

 である。

 

 自由を謳う女神像も立っていなければ、果ての見えない防衛城壁があるわけでもない。至って普通の日本都市部だった。

 気になることは多少あったが、別に気にする必要はないと無視を決め込む。

 太陽も空高く昇り、たまたま目に付いた庶民派高級イタリアンのチェーン店に入る。虚無パスタとピザを注文した。

 デザートのミルクジェラートをゆっくり食べ、勘定を済ませた燈也は、次なる目的地を探して歩き出す。まぁ要するに行き先未定、気の向くままのさすらい散歩旅である。

 

 

 何気に初めて見る東京タワーをとある公園から見上げつつ、次は浅草にでも行ってみるかと地図を頭の中で広げた時。

 見知らぬ枯れ木のような中年男が、燈也へと声をかけてきた。

 

「はじめまして」

 

 胡散臭い。

 燈也の、その中年男へ対する第一印象はそれだった。中年男の顔には柔和な笑みが浮かんでいたし、物腰も柔らかだ。にも関わらず、燈也にとってその笑みは生徒の母親と不倫している途中の小学教諭のような笑みに見え、柔らかな物腰は世間を知らない夫人を罠に嵌める詐欺師のように見えたのだ。

 胡散臭い、ああ胡散臭い。

 そう思いつつも、燈也は返事もせずに男を見る。

 

「お初にお目にかかります、八人目の王、佐久本燈也様。私は正史編纂委員会に属する甘粕冬馬といいます。以後、お見知り置きを」

 

 一礼する甘粕と名乗った男から視線を外した燈也は、目だけを動かして周りを確認する。

 平日の昼間なこともあってか、先程までこの公園に人はほとんどいなかった。言い換えれば少しはいたのだが、今は完全に0。人っ子一人見当たらない。目の前の男が人払いでもしたのだろう。

 嘆息した燈也は、とりあえず甘粕へと体を向ける。

 

「なんだストーカー。早く用件済ませろ、俺も暇じゃない」

 

 嘘である。この男、めちゃくちゃ暇である。

 人間というものは面倒事を避けたがるもの。必要悪ならぬ必要嘘は存在するのだと燈也は持論する。屁理屈だ。

 しかしまぁ、嘘をついてでもできる限り接触を避けたいというのが燈也の本心だ。というのも、燈也が日本に入ってからというもの、常に監視の気配があった。手を出して来なければ無視し続けるつもりだった相手がわざわざ出てきたのだ。面倒事な気がしてならない。

 

「ひとまずはご挨拶を、と思いまして」

「そうかい。ならその挨拶は受け取った。んじゃな」

「お待ちください、王よ」

 

 頭を下げたまま、甘粕冬馬は言葉を続ける。

 

「ご挨拶と、少しばかりの確認がございます」

「確認だァ? んだよ」

 

 不機嫌そうながらも、特に威圧などはせずに燈也は甘粕の言葉を促した。

 拒絶はされていないと知り、甘粕の中にひと握りの安心が生まれる。

 

「七人目の王、草薙護堂様とのご関係についてです。彼の王と貴方は知り合いであると聞き及んでおりますが...敵対関係ではない、と認識してよろしいのでしょうか」

 

 甘粕、ひいては正史編纂委員会及び日本国内の呪術関係者が最も危惧していることが、王同士の敵対だった。

 敵対していなかったとしても、日本という島国に突如二人の魔王が顕れたことは由々しき事態だ。

 

 正史編纂委員会は、既に草薙護堂という魔王を担ぎ上げる準備を整えていた。万里谷祐理という日本屈指の姫巫女を遣わし、魔王に取り入ろうとしている。多少の不安因子があるとはいえ、ほぼ順調にことは進んでいると言ってもいい。

 しかし、そこに大きすぎる問題が転がりこんできた。それが、八人目の王が誕生したという特大速報である。

 今日本が担ぎ上げようとしているのは草薙護堂だ。しかし、それに新たなる王が腹を立ててしまったら。カンピオーネ同士の争いなど、小さな島国が滅んでしまうには十分すぎる終末戦争だ。

 

 幸いというかなんというか、草薙護堂本人にはまだ王として君臨するという欲望はない。とすれば、仮に佐久本燈也が王として君臨したがっているとすれば、委員会としては鞍替えも辞さないところだった。

 その場合は、草薙護堂を赤銅黒十字にでも丸投げすればいいと思っていたのだが...その考えは杞憂に終わる。

 

「別に、心配しなくても護堂のやつと争ったりはしねーよ。護堂に代わってお前らの王になる気もない」

 

 しっしっ、と右手を振りつつ燈也は答える。

 表情一つ変えようとしない甘粕だったが、内心は安堵でいっぱいだった。もし草薙護堂と佐久本燈也が敵対する流れになっていれば、自分の命すら怪しい。胸を撫で下ろしたい衝動をなんとか抑え込み、甘粕は再度一礼する。

 

 それを見届けた燈也は、今度こそ話は終わりだとばかりに踵を返した。

 目的地は浅草。もんじゃを食べようと腹を空かせる。

 そんな燈也の背中に、またもや甘粕の待ったの声が当てられた。

 

「最後に一つ、一応のご報告があります」

「あ?」

 

 二度も歩みを遮られたことで苛立ちを(あらわ)にする燈也へ、甘粕は淡々とした声を発した。

 

「近日中、この日本に危機が訪れます」

「危機ぃ?」

「《星なき夜の予言》というのはご存知でしょうか?」

 

 『彼の神が真の姿を取り戻す時、星なき夜が全ての空を覆い、世界は冥府へと誘われるであろう』

 天の位を極めた魔女、アリス・ルイーズ・オブ・ナヴァール。通称プリンセス・アリスの予言である。

 彼女の予言は百発百中。外れたことがない。

 

 その予言のキーアイテムであるとみられる物が、ここ最近で日本国内に持ち込まれたのだと甘粕は言う。

 そのキーアイテム...ゴルゴネイオンという単語を聞き、燈也が思い浮かべたのは護堂が持っていた蛇の描かれた小さな石碑だ。奇妙な気配を纏っていた呪具は、燈也の記憶に僅かながら留まっていた。

 

「世界が冥府へと誘われる...つまりは滅ぶってか」

「そういうことだと思われます」

 

 なんとも穏やかではない話だ。

 ふむ、と燈也は考える素振りを見せる。

 

「この話は、別の者が草薙様にもお伝えしています」

「ふーん...」

「現在、我らの王は草薙護堂様です。ですので我が国の危機に立ち向かう義務は草薙様にあり、貴方様にはございません」

「だからお前は引っ込んどけ、と。そう言いたいのか?」

「滅相もございません。私共がお伝えしたいことは、近いうちに神の襲撃がある、という予言についてです。実際に戦うかどうかは貴方様次第。まぁ我々としては、護堂さんと共に戦ってくれると勝率が上がって助かるのですが」

 

 意外に取っ付きやすいと感じたのか、甘粕の態度は徐々に軟化していく。

 相手の態度がフランクな分には特に苛立ちも感じない燈也は、ふむと再度考える仕草をした。

 

「分かった。まぁ状況によりけりって感じだが、その星なき夜とやらの予言の神が攻めてくるってんなら戦ってやる」

 

 そう言い残し、今度こそ燈也は歩き出した。

 世界の終わりがいつ襲ってくるのかは知らないが、今大事なのは浅草観光。もんじゃが燈也を待っている。

 

 

 * * * * *

 

 

 数日後。

 有り余る幸運(なんやかんや)で大金を手に入れた燈也は、護堂の家の近くのホテルを一室貸し切っていた。ここら一帯では一番背の高いホテルの最上階の部屋だ。

 寝起きの体に冷たい牛乳を流し込み、テレビを付ける。

 テレビには朝のニュースが流れていたが、昨日起こった立てこもり事件だとか、日経平均株価がどうとか、特に燈也の興味をそそるような内容の報道はない。

 そんなとりとめのないニュースをBGM代わりに、燈也は朝食でもあるコーンフレークを咀嚼した。

 基本的に朝は和食派の燈也だが、昨日たまたまコンビニでコーンフレークを見つけ、久しぶりに食べたくなったのだという。

 

「.....さて、そろそろかな」

 

 食べ終わった燈也はグゥーっと伸びをし、膝を叩いてから立ち上がる。

 窓から外を睨み付けるように視線をやると...遥か遠方、常人では視認できない程の距離に、一人の少女が舞い降りた。

 

 十歳やそこらの、とても幼い容姿の少女だ。

 日本の中高生が着ている制服のような衣服を身にまとい、頭にはまるで猫や犬の耳のようなシルエットのニット帽を被っている。

 髪は白銀に染まり、瞳は深い蒼。肌の色は白いが、それの与える印象は不健康なものに思える。

 

 あれは神だと、燈也の本能が告げていた。

 それと同時に、あれは自分の敵ではないとも告げている。

 

「(あっちは護堂がなんとかすんだろ。あいつが狙ってるゴルゴネイオンとかいうのも護堂が持ってんだし)」

 

 それより、と燈也は目を閉じた。

 ゆっくりと意識を落とし、周囲の気配を探る。

 

「(あの幼女女神の近くに護堂と...あとエリカか。少し離れたところにちょっと強い気配が二つあるけど、こっちはエリカと同等。人間だな。ん? なんだ、ゴルゴネイオンはそっちにあるのか)」

 

 燈也の頭の中には、ソナー画面のような図が浮かび上がっていた。

 周囲にある気配を検出し、大雑把な地図を構築する。

 

「.....きた」

 

 ふと、燈也は呟いた。

 燈也の意識の先は、ゴルゴネイオン。

 その近くに、燈也の《敵》が顕れた。

 

《敵》を感知した燈也はホテルの窓をこじ開け、そこから飛び降りる。

 数メートル落下したのち、宙に足場を作り、壁とほぼ直角に跳んだ。

 時速数百キロメートル。ジェットコースターよりも速く空を翔ける燈也が、ゴルゴネイオンの元に辿り着くのには数秒あれば十分だった。

 

 まるで隕石が如く、舗装されたアスファルトを撃ち砕く勢いで着地する。

 小規模なクレーターを作り出した燈也は、舞い上がった粉末を右腕の一振りで薙ぎ払う。

 

「よぉ。お前が俺の《敵》だな?」

 

 不敵に熾烈に大胆に。

 極東の島国の小さな街で、《敵》を見据えた魔王は悠然と君臨する。

 

 

 * * * * *

 

 

 時間は僅かに遡る。

 

 

 とある魔王の命令で呪具ゴルゴネイオンを奪取しにわざわざ日本にまで赴いたリリアナ・クラニチャールは、かつての顔見知りである万里谷祐理と対峙していた。

 

「ゴルゴネイオンを渡せ、万里谷祐理」

 

 威圧するように告げるリリアナの目は、酷く冷めている。

 そこに感情はない。ただ命令された通りに作業する、そう言わんばかりの目だ。

 そんな眼光を向けられた少女、万里谷祐理は一歩後退する。

 

「リ、リリアナさん...!? ダメです! これは今から封印しなければならないのです!」

「封印...? 貴女如きの封印が、神に通じるわけが無いだろう」

「それでも.....やらなければなりません!」

 

 リリアナにはどう足掻いても敵わない。

 そう分かっている裕理だったが、意地でもゴルゴネイオンを渡すつもりはなかった。

 

「(約束したんです...! 護堂さん達がアテナを足止めしている間に、私が封印すると!)」

 

 ギュッとゴルゴネイオンを抱きしめる裕理は、また一歩後ずさる。

 裕理の意志を感じ取ったリリアナは、仕方がないと嘆息する。

 

「分かった。ならば力づくで──」

 

 

「ふむ。そこな呪具、それは《蛇》か」

 

 

 ふと、そんな声がした。

 

「ッ!!!」

 

 心臓を殴られたかのような衝撃が、リリアナを襲う。

 (はじ)かれたようにその場を飛び退き、声のした方へと意識を向ける。それと同時に、愛剣であるサーベル、イル・マエストロの剣先もそちらに向けた。

 

「ほう? 嫋やかな乙女の手には似合わぬ武具だ」

 

 真剣を向けられているにも関わらず、声の主は不敵に告げる。

 若々しい男の声だ。よく通るその声は、まるで劇場にいるかのような仰々しさを感じさせる。

 

 そこで、ようやく裕理が声の主の姿を視認した。

 

「あなたは.....」

 

「よくぞ聞いた、乙女よ!」

 

 その白銀のマントを翻し、山吹色の髪を風に靡かせ、男は高らかに名乗りを上げる。

 

「我が名はペルセウス! 竜狩りの英雄、《鋼》を冠する神である!」

 

 なんとも仰々しい名乗りだ。

 だがそんなことは彼女らの頭には入ってこなかった。

 彼女達が理解し、そして恐れる事実はただ一つ。

 

「まつろわぬ...ペルセウス神...!」

「そんな...アテナのほかに、もう一柱...?!」

 

 人間にとって、それは紛れもない厄災だ。

 気分一つで国を滅ぼし、気まぐれで人間を蹂躙する。人間では太刀打ちできない、太刀打ちすること自体が間違いだ。

 そんな絶対の存在が今、目の前に顕現した。

 

「名乗りは上げた。次は、我が武勇を示す番だ! さぁ乙女よ、その呪具を────」

 

 何かが飛来してきた。

 突如鳴り響いた爆音に、神の言葉が遮られる。

 隕石でも降ってきたのかと思うほどの衝撃に、裕理は尻餅をつき、リリアナは顔を覆った。

 粉々になったアスファルトが舞い上がり、そして薙ぎ払われる。

 

 爆心地にいたのは、一人の少年だった。

 裕理やリリアナと変わらない年頃の、日本人らしき少年だ。

 少年はリリアナや裕理など気にも留めず、ペルセウスのみを睨むように見据える。

 

「よぉ。お前が俺の《敵》だな?」

 

 たったそれだけの言葉だ。

 その言葉に、少女らは畏怖を覚えた。

 その感覚を、二人は知っている。幼き頃から刻まれた恐怖の象徴──魔王の風格を少年に見たのだ。

 たじろぐ二人とは違い、ペルセウスは余裕を崩さない。

 一瞬だけ困惑に支配された彼だったが、そこはさすがの英雄神。自分に見合った相手が現れたことに喜びすら感じていた。

 

「キミは只人‪ではないな? そうか、当代の神殺し、その一人か」

 

 ゴルゴネイオンから意識を切り、対象を突然の乱入者へと向けるペルセウス。彼の目には、闘争心と呼んで然るべき感情が渦巻いている。

 

「如何にも! 我が名はペルセウス、《鋼》の英雄である!」

「! へぇ...ペルセウス。ペルセウスか。偶然にしちゃあできすぎだな」

 

 僅かに目を見開く少年は、すぐに腰を落として構えを取った。

 

「こっちも名乗っといた方がいいか? 蛇殺し」

「そちらの方が場が映えるであろう。尋常に名乗れ神殺し! その名乗りをもって、開戦の狼煙と成そう!」

 

 どこからか太刀を召喚し、構えるペルセウス。

 宣言通り、相手の名乗りを待つ姿勢を見せている。

 

「んじゃまいっちょ.....箱庭第七桁、2105380外門《ヨグ・ソトース》リーダーにして、神殺しが一角、佐久本燈也だ。よろしく頼むぜ、ペルセウス!!」

 

 言い終わるが早いか、魔王と神は激しくぶつかり合う。

 災害と厄災、神話の体現。人間の立ち入る隙など与えぬ激突が、とある下町で繰り広げられようとしていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「フハハハハハ! 良いぞ神殺し、それでこそ私が打倒すべき相手に相応しい!」

 

 ペルセウスの愉快そうな声が響き渡る。

 実に楽しそうな彼だが、その身は傷で溢れていた。

 白銀だった衣服は血と土で汚れ、マントは既に消失している。端正な顔には殴打された痕が残っており、痛々しいことこの上ない。

 さらに極めつけは、彼の左腕だ。あらぬ方向へ曲がったその腕は青紫に変色しており、すでに腕としての役割を果たしてはいない。

 そのせいで、彼の得意とする武具であり切り札でもあった弓は使用不可になってしまった。

 加えて、彼はヘリオスの神力──『太陽』に由来する不死性の能力をすでに一度使用してしまっていた。もはや後がない、そんな状態である。

 

「ハッ! 言ってろ蛇殺し、すぐに踏み砕いてやるよ...!」

 

 対する燈也もまた、満身創痍だった。

 切り傷が身体の至る所に刻まれており、中には黄色い脂肪や桃色の肉が覗いている箇所もある。

 血はだくだくと流れ、常人であればすでに死に至っている出血量だ。

 幸い四肢は繋がっているものの、疲労や失血で十全に動かせる状態ではない。

 そしてその中で最も致命傷になり得るものが、右胸の風穴だった。

 ペルセウスの左腕をへし折る際、代償として弓矢で穿たれたのだ。

 

 血で血を洗う壮絶戦。

 互いに瀕死手前でありながら、意地と根性で見栄を張り合っている。

 

「しかし神殺しよ、解せぬな。ああ、解せぬ。キミはなぜ、権能を使わない?」

 

 吐血を右手の甲で拭いながら、ペルセウスは燈也に話しかける。

 ペルセウスという神は、呆れるほどに見栄を気にする性分らしい。如何に自分が窮地に立たされようとも、その尊大な態度は崩さない。

 

「どォでもいいだろ、んなこたぁよ」

 

 燈也も燈也で、強気の姿勢を保ち続ける。

 燈也が権能を使わないのは、何も余裕の現れなどではない。単に『使えない』のだ。

 

「キミの権能は理解している。ああ、言われずとも“識っている”。その神格は《蛇》...そしてこの感覚は、海獣ティアマトだな?」

 

 ペルセウスという英雄は、バビロニア神話に於ける嵐の神王マルドゥクをルーツとする神だという説がある。

 マルドゥクは、新世代の神々に牙を剥いたティアマトに立ち向かった英雄神だ。創世神話の主人公たるマルドゥクは、その戦いにてティアマトとその仔たる魔獣達を討っている。

 その記憶があるのか、はたまた《蛇殺し》としての直感か。

 どちらにせよ、ペルセウスは燈也の宿す神格を見破っていた。

 

 だからこそ、ペルセウスは弓での攻撃手段を失ったことに若干の焦りを感じている。

 神話に於いて、マルドゥクはティアマトを討つ際、“弓矢で心臓を穿った”のだ。

 左腕を壊される際に苦し紛れで放った矢は燈也の右胸を貫通したが、それは心臓ではない。心臓を射抜く前に弓矢という武具を失ってしまった以上、神話の鎖による有利性は失われたと言ってもいいだろう。

 

「無駄口叩いてんなよ、色男。歯ァ食いしばってろゴラァ!!!」

 

 条件の不成立で権能を使えない燈也は、己を奮い立たせる意味で咆哮し、地面を踏み砕いて突貫する。

 互いに飛行手段は持ってはいるが、今やそんなことをしている余裕はない。故に、肉弾戦になれば回避はほぼ不可能。相手の攻撃を受け、流し、反撃するのみ。

 

 拳と剣戟の交差が暫く続いたあと、膠着は崩れた。

 燈也の剛拳がペルセウスの左頬を捉えたかと思えば、ペルセウスは受け流すように回転し、その勢いを殺さずに燈也へ凶刃を振るう。

 迫る太刀の腹を裏拳で払い、空いた胴へ震脚からの頂肘を見舞う。ペルセウスは後ろに跳ぶことで威力を殺すが、それだけではノーダメージともローダメージともいかない。内臓に届く衝撃を感じつつ、飛ばされる前に太刀を振るって燈也を斬りつけた。

 

「ガブァッ!!」

「っ、チッ!」

 

 耐えきれず吐血するペルセウスと、浅いながらも傷を負い血を流れさせられた燈也。

 互いに傷は負ったが、今回の競り合いは燈也に分があった。

 たった一つの有効打が、今の二人には死に直結する致命傷だ。

 

 民家を粉砕しながら飛ばされたペルセウスは、ふらつく足でなんとか立ち上がる。

 対する燈也も、足取りは千鳥に近く、その視界はボヤけてしていた。血が足りないのだ。動くたびに右胸から血が流れ出る。命が零れていく。

 いくら生命力が桁違いだといっても、血が無くなれば生き物は死ぬ。燈也も決して例外ではない。

 

「(...っ、早く...決着、つけなきゃ...)」

 

 痛みはすでに無い。

 右胸の風穴が違和感を感じさせるが、そんなことに構っていられるほどの余裕はなかった。

 

「う、ぉ、ぁぁあああぁぁぁぁあああぁあ!!!!!!!!」

 

 それは、獣の咆哮だった。

 無意識に出てきたその叫びは、燈也に力を与える。

 失われていく血を無視して、燈也は決死にペルセウスへと向かっていった。

 

「フ、フハ、フハハハハハ!!!! 良い! 良いぞ神殺し...いや佐久本燈也! 汝が蛮勇、汝が業! キミに英雄の資格はないが、この私に比肩する! だが負けぬ。私とて英雄、私とて神! 苦境に打ち勝ってこそのペルセウスだ!!!」

 

 震える足に鞭を打ち、ペルセウスも燈也へと向かっていく。

 そこに駆け引きなどはない。余計な思考の余地はない。

 五秒後の生存のみを勝ち取るために、両者は己が全てをかけて立ち向かう。

 

 衝突する拳と太刀。

 拮抗するかに見えたそれは、しかしながら長くはもたない。

 燈也の右腕が裂かれる。この撃ち合いはペルセウスの勝利だ。

 しかし────

 

「...ゴボッ.....ふ、ふは...見事だ、佐久...も、と.......」

 

 燈也の左腕が、ペルセウスの胸を貫いていた。

 心臓を穿った一撃は、さしもの神でも耐えきれない。

 粒子となり消えゆくペルセウスは、最期まで笑っていた。

 それこそが英雄のあるべき姿だと言わんばかりに、それこそがペルセウスがペルセウスたる所以だと示さんばかりに、彼は最期まで《英雄ペルセウス》で在り続けたのだ。

 

「.......っ、.............」

 

 消えゆくペルセウスへと、燈也は何か言葉を紡ごうとする。

 だが、それは叶わない。燈也の体はとっくに限界を超えていた。生きているのが不思議なレベルだ。

 戦闘が終わったことにより、徐々に痛みという感覚が燈也に戻ってくる。

 それらを押し殺し、燈也はペルセウスを見つめる。

 彼が消えゆくその瞬間を、燈也は虚ろな目で眺めていた。

 

 

 * * * * *

 

 

 燈也が目を覚ますと、そこは白の世界だった。

 

「ここは.....」

 

 見渡す限りの白に、燈也は既視感を覚える。

 今まで忘れていた情報が蘇ったことを認識するとほぼ同時。

 蘇った記憶の一片にある声が、燈也の耳を刺激する。

 

「あのさ、燈也。こんなこというのは何なんだけど、さすがに死ぬの早くない?」

 

 見覚えのある、少女のような女神。

 パンドラがそこにいた。

 

「.....パンドラか」

「ママよ、ママ。百歩譲ってお母様」

 

 相も変わらずあざとい女神から視線を外し、燈也は頭に手をやって考え込む。

 はて、自分はなぜこんなところにいるのだろうか? と。

 そして思い出す。さすがに死ぬの早くない? というパンドラの言葉を。

 

「...なるほど、また死んだのか」

「そっ。まぁ正確には限りなく死に近い瀕死、ってとこだけど〜。今回はペルセウス様を真っ向から打ち破ったし、儀式のお陰で完治できる。でーもっ。あんまり無茶しちゃダメよ?」

「生き返れるなら問題ないだろ」

「大アリだよぅ! 子供が傷付くところを見たい母親なんていないんだからっ」

 

 ぷんぷん、と口に出してしまうパンドラをどこか痛いものを見る目で見下ろす燈也。

 そんな彼の目に気づいていないのか、パンドラは言葉を続ける。

 

「でもまさか、あの竜殺し、《鋼》の神格を持つ英雄を倒しちゃうなんて! ティアマト様は竜、つまり《蛇》の神格。《蛇》は《鋼》に.......ない。だ.......す.....」

 

 パンドラの声にノイズが走る。

 ノイズが大きくなるにつれ、燈也を頭痛が襲った。

 この感覚を燈也は知っている。この白の世界から離脱する前兆だ。

 頭痛に耐えきれずに足元をふらつかせた燈也の頭を、パンドラが両腕で包み込んだ。

 

「つまり! 貴女は凄いってこと! 自慢の息子よ、燈也! これからもじゃんじゃん《鋼》を打ち砕きなさい!」

 

 何それ意味わかんない。

 薄れゆく意識の中、燈也はパンドラの言葉に首を傾げ続けた。

 

 

 

 




手抜きじゃないよ、ほんとだよ。
戦闘シーン描写するの大変だなって思って省いたわけじゃないんだからね。

ちなみになんですが、オリ主くんが使ってる『宙に足場を作る』ってやつ、あれはグリー(サウザンドアイズの鷲獅子)を見て勝手に習得した技術です。なんでもありかよなんて罵らないでください。『オリ主準最強』のタグ付けてるから許して...許して...


《勝利運ぶ不敗の太陽》
自称ペルセウスより簒奪した第2の権能。詳細不明。



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昔の人は言いました、そこに山があるからと

 

 

 

 

 

 

 燈也がペルセウスを殺めた翌日の真昼間。

 パンドラの儀式によって戦いの傷が全快した燈也は、ふらりと街を歩いていた。

 

「こりゃまた...護堂のやつもだいぶ派手にやったもんだな」

 

 街のあちこちに刻まれた戦闘の傷痕を眺めつつ、燈也は呟く。

 かくいう彼もペルセウスとの戦闘で結構な被害を出しているのだが、そこは棚に上げたらしい。

 昨日、街は混乱の最中にあった。アテナの仕業で全電力がストップ。およそ文明的な利器は使用不可となり、さらに民衆の不安を煽るように燈也や護堂達の戦闘音が響いていたのだ。

 幸い、全ての電子機器が使用できない状況であったため、街の外部にまつろわぬ神やカンピオーネ等の情報が出回ることはなかった。口伝てに広まる、という心配はまずない。神がどうだのといった話をそう易々と信じられるほど、現代人はロマンチストではない。

 

 神秘の秘匿だかなんだか知らないが、甘粕達は事後処理が大変だろうなと他人事ながらに思う燈也。全く他人事ではない。というか、護堂よりも燈也のせいで甘粕達正史編纂委員会は大忙しなのだ。

 護堂は破壊痕の規模こそ大きいものの、そのほとんどが人気の少ない場所だった。

 対して、燈也が戦場に選んだのはごく普通の住宅街。民家の破損や一般人の目撃者など、記憶記録を改竄する手間が多すぎる。

 

 そんなことは露知らず、やれやれ護堂の権能は大味すぎるな、などと呆れて見せる燈也。これが魔王、これぞ暴君。カンピオーネに相応しいエゴっぷりだ。

 

 そんな燈也はとある商店街へと足を運ぶ。昼食を摂るためだ。

 自分である程度の料理はできる燈也だが、昨日の今日で料理をする気は起こらなかった。今日は外食で済ませようと思い、外に出てきたのだ。

 久しぶりにハンバーガー食いてぇな、などと考えていた燈也の視界に、なにやら見覚えのある銀髪が写り込む。

 

「あれは...確か昨日の...」

 

 記憶を掘り起こし、その銀髪に該当する人物をサルベージする。

 この世界で燈也の知る人間などたかが知れているし、彼女ほどの人物は片手の指で数えるほどしか知らない。燈也が彼女を思い出すのには、さして時間がかからなかった。

 そしてその銀髪の彼女はというと、燈也を視認するが早いか、己に降り掛かった不幸を全力で嘆いていた。

 

「(佐久本燈也...!! 八人目の王!!)」

 

 魔王の脅威というものを、銀髪の彼女──リリアナ・クラニチャールは嫌という程知っている。

 気を抜けば死ぬ、と本気で思っているレベルだ。そしてそれは実際間違ってはいない。今まで彼女が応対してきた魔王は、人間を道具かそれ以下の羽虫程度にしか思っていなかった。

 故に、リリアナは苦渋する。主たる老カンピオーネの命令でもなく、ただ本屋に寄ろうと街をふらついていたばかりに災厄と巡り会ってしまった己の不運を強く呪う。

 

「っ、」

 

 言葉が出ない。

 一応道を譲って頭を下げてみるが、そもそも彼が自分を覚えているかどうかも怪しい。現にイタリアの王サルバトーレ・ドニは、何度も顔を合わせているリリアナのことを未だに覚えていなかった。

 魔王にとって、人間などその程度の存在なのだ。それはリリアナが大騎士であったとしても変わらない。どんぐりの背比べみたいなものだ。

 

 このまま何事もなく過ぎ去ってくれと心から祈るリリアナの願いが、天に届くことはない。

 

「あんた、昨日ペルセウスの近くにいたな」

 

 本当に燈也という魔王と関わりたくないのであれば、リリアナは彼に反応を示すべきではなかったのだ。

 何事もないように歩き、何も分からないという然で立ち去るべきだった。

 下手に敬意と畏怖を向けてしまったからこそ、燈也に声をかけられる羽目になってしまったのだ。

 

「...はっ。『青銅黒十字』が大騎士、リリアナ・クラニチャールでございます。八人目の王、佐久本燈也様」

 

 声を掛けられたのなら、それを無視するわけにはいかない。

 無礼の一つで壊されるのが己の命だけであれば安い方だ。下手をすれば『青銅黒十字』も、この街も、全て破壊されかねない。

 リリアナは本気でそう思っていた。

 

「ん、クラニチャールな。大騎士...ってーと、護堂んとこのエリカと同じか」

「はっ。エリカ・ブランデッリの属する『赤銅黒十字』とはライバルにあたる組織に属しております」

「なるほど...。クラニチャール、お前今から時間ある? ちょっと付き合えよ」

「えっ」

 

 リリアナが否定する言葉を待たず、燈也は歩き出した。

 ここで逃げ出したい気持ちは山々だったが、さすがにそんなことをすれば死はまのがれない。幸いというかなんというか、今日は一日オフだ。本当は執筆活動に勤しみたいと考えていたが、それは叶わぬ夢と散る。

 

 リリアナのことなど振り返ることもなく歩く燈也に、リリアナは渋々ながらも着いて行くことを決意した。

 

 

 * * * * *

 

 

 不安がるリリアナを引き連れた燈也が向かったのは、とある日本料理店だった。

 ハンバーガーが食べたいなどと思っていた燈也がなぜ日本料理店なんぞに足を運んでいるのか。答えはリリアナに気を使ったからである。

 

 個室に案内された燈也達は、すぐに注文を取りにきたスタッフに急かされるようにメニューへと目を通す。

 

「クラニチャール、お前昼飯食った?」

「いえ、まだですが.....」

「ん。じゃあこの『春の宴懐石コース』ってのを二人前」

 

 かしこまりました。恭しくお辞儀をした店員は、個室の扉を音もなく閉めながら退席する。

 

「急に連れてきて悪かったな。ここ奢るから許してくれ」

「いえ、そんな...王のご命令とあれば従う、それが我ら魔術師です」

 

 畏怖の対象と向かい合わせで座っている状況に、リリアナは酷く混乱していた。

 それをおくびにも出さない彼女は、年齢と似つかわしくないほどの修羅場をくぐって来ているのだろう。

 

 酒菜が運ばれてくる。

 燈也とリリアナの前にはお猪口が二個置かれており、二合の徳利の中には日本酒が注がれていた。

 

「そういやお前、酒は大丈夫か?」

「はっ、多少は...」

「じゃあ大丈夫だな。ほれ、飲め」

 

 リリアナのお猪口に注がれたのは、花陽浴(はなあび)。埼玉出身の吟醸酒である。

 魔王に酌をされるという理解不能な現実に、リリアナの思考はショートしかけていた。気絶してしまいたい、その方が楽だと思うほどに。

 

「んじゃま、とりあえず乾杯」

「か、乾杯.....」

 

 条件反射でなんとか乾杯するが、何も考えられない。飲んだ酒の味もよく分からなかった。

 特に酒に詳しいというわけではない燈也がテキトーに選んだ酒だったが、案外悪くはないものだ。それなりの人気もある。

 当たりを引いたな、と軽く感心していた燈也だったが、そう長く味わってはいなかった。

 

「さて、クラニチャール。お前を連れてきた理由だが...ちょっと聞きたいことがあってな」

「聞きたいこと、でございますか.....」

 

 まさか、とリリアナは構えた。

 リリアナの家系、クラニチャール家は長年とある魔王に仕えてきた家柄だ。その末子であり、現在その魔王の騎士として日本にまで赴いた自分に、新しい魔王が聞きたいこと。

 闘争を好む神殺しが求めるとこなどにロクなものなどない、そうタカをくくっていたのだが...その思いは少しだけ外れることとなる。

 

「この世界についてだ」

「.......は?」

 

 予想外にもほどがある。

 

「俺と同じ、神殺しの魔王ってのがほかにもいるのは知ってる。俺が八人目ってことは、護堂を含めて七人いるんだろ?」

「え、ええ、まぁ...」

「んじゃその七人...あいや、護堂以外の六人か。そのカンピオーネらの情報と、魔術結社? とかいうやつらの情報。赤銅だか青銅だかのやつとか、日本の正史編纂委員会とかいうやつ、そのほかにも主要な機関のもんは教えてくれ」

 

 指を折り、数を数えてみせる燈也に、リリアナは先とは別の意味で混乱していた。

 何を言っているんだこいつは、という混乱である。

 

「あとは、そうだな...そうだ、アリス。プリンセス・アリスとかいうやつの情報も欲しいな。百発百中の予言ってのが本当なら一回会ってみたい。それから...」

「お、お待ちください、王よ!」

 

 堪らず、リリアナは待ったをかけた。

 なぜ止められたのかが分からない燈也は、ん? と小首を傾げる。

 

「それは...それは、我が主と戦うために必要な情報なのでしょうか...?」

「我が主?」

 

 意味が分からない、という風に聞き返す燈也へ、リリアナは驚いたように顔を上げた。

 

「クラニチャール家は代々、とあるカンピオーネの騎士を務めております」

「ほう? それで?」

「そのカンピオーネの名は...ヴォバン。当代のカンピオーネの中では最古参にあたる、欧州の魔狼王、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン公爵でございます」

「へぇ、最古参」

 

 ヴォバンの名を聞いてなお、燈也の態度は崩れない。

 ヴォバンの名を知らぬ魔術関係者などいないこの世界ではありえないことだ。当代最凶と呼ばれる魔王は、他のカンピオーネと比べても絶大な力を持っている。

 

「んで? そのヴォバンってのが強そうってのは分かったけど、なんでそいつと俺が喧嘩せにゃならんわけよ」

 

 あっけらかんと、燈也はほざいた。

 

 てっきり燈也も最凶と名高いヴォバンに挑みたいと思っている、闘争を好む魔王だと。リリアナはそう思っていた。

 しかし、いざ話してみたらどうだ。戦闘に興味がないというわけではないだろう。そんなものは昨日のペルセウス戦を見れば一目瞭然。

 だが、闘争に積極的というわけでもなさそうだ。己に飛びかかる火の粉は払う、そういう精神の持ち主なのかとリリアナは再認識する。

 

 ──それは間違いだ。

 燈也は間違いなく王である。自分より上の存在を認めない暴君である。

 そんな彼がヴォバンに大した興味を抱いていないのは、単に戦う理由がないからだ。

 

「まぁいいや。じゃあとりあえず、そのヴォバンってやつの話から聞かせろよ」

 

 いつの間にか空になっていたリリアナの猪口に酒を注ぎながら、燈也は促す。

 魔王の命令に逆らう術など、今のリリアナは持ってはいなかった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 数時間後。

 

「お爺様ったらもうひっどいんですよぉ!? エリカが草薙護堂の愛人になったからってぇ! ヒック...私に公爵の愛人になれとかぁ!! 相手三百歳のおじいちゃんなんですよぉ!!?」

 

 ダーンっ、と抱えていた一升瓶を机に叩きつけるように置くリリアナ。

 その瞳は焦点もあっておらず、トロンという擬音が聞こえてきそうなほどに微睡んでいた。

 色白な彼女は顔の火照りも分かりやすく、暑いといってはだけさせた上着から覗く鎖骨付近まで真っ赤になっている。

 

 リリアナ・クラニチャールは泥酔していた。

 

「へぇ。まぁ愛に年齢は関係ないって言うじゃん?」

「そこに愛がないからこうして困ってるんでしょうが!!! あ゙あ゙〜...なんでお爺様は変な闘争心燃やしちゃったの...うぅぅ」

 

 怒り散らしていたかと思えば、次は泣き出してしまう少女を前に、燈也は落ち着いた様子でデザートのメロンを食べていた。

 リリアナがここまで泥酔しているのは、燈也にも原因がある。

 魔王との会食で緊張していたリリアナはペースを誤り、手元にある酒を次々と飲み干した。そして空になったその猪口に、すかさず燈也が酌をする。

 燈也にしてみれば気を利かせたつもりだったのだが、それも逆効果となってしまったのだ。

 

 リリアナの目が据わり出してから少しだけ後悔したものの、彼女の愚痴に付き合うのも悪くはなかった。なにせ、聞いてもいない情報が次から次へと零れてくる。おかげでヴォバンとクラニチャール家についてはおおよその事情を知ったわけだ。

 そして何より、この数時間で燈也は彼女を気に入った。

 

「ふぅん...なぁクラニチャール」

「グズ.....なんですか」

「要するにだ。お前んとこの爺さんは、お前に魔王の愛人になって貰いたいわけだろ?」

 

 だからこそ、リリアナの愚痴は燈也の闘争心へと火を灯したのだ。

 リリアナが恐れた事態へ、リリアナが招き込んでいるのである。

 

「まぁ.....そうです」

「よし。じゃあ決まりだ」

 

 メロンを食べ終えた燈也は、パンッと自分の膝を叩く。

 

「お前は俺が貰う。俺も魔王だ、文句は言わせねぇぞ」

 

「.......なんですって?」

 

 リリアナ・クラニチャールは混乱していた!

 

 

 * * * * *

 

 

 そうと決まれば話は早い。

 酔いとは別で顔を赤く染め上げたリリアナを引き連れ燈也が向かった先は、ちょうど下校時間に入ったばかりの私立城楠学院だ。

 

 部外者である燈也は本来立ち入ることのできない、というより立ち入る理由がない場所だったが、今は少しばかり急いでいた。

 

 正門を抜けた辺りから刺さり始めた周囲の視線を尽く無視し、護堂の気配を追って一年五組と書かれた標識のある教室のドアを無遠慮に開く。

 

「よう護堂! ちょっと話あんだけど」

「ちょ、佐久本燈也! 貴方は不躾と無礼の言葉を知らないのですか...!」

 

 快活な男の声と、酔いから醒めた女の声が教室に木霊する。

 明らかに学校部外者である二人の登場に、教室内ではどよめきが走った。

 

「と、燈也ぁ!? おまっ、なんで学校なんかに...まさかお前まで転校してくるってんじゃないだろうな!?」

「? あら、リリィじゃない。佐久本燈也と一緒だなんて、どうしたのかしら」

「.....っ!!」

 

 どよめきの中でも特に大きな声が一つ。七人目の王、草薙護堂の声だ。

 それに続くように彼の騎士であるエリカ・ブランデッリ、そして声も出せないほどに驚愕しているのが万里谷祐理である。

 

「転校だァ? ...それも面白そうだな」

「辞めろ! もう厄介事は辞めてくれ...! 俺のささやかで穏やかな学園生活をこれ以上脅かさないでくれぇ!!」

「酷い言われ様だ」

 

 ズカズカと教室に入り込み、護堂の前の席へと腰を下ろす。

 その席の所有者は近くにいたが、余りの恐怖に何も言えなかった。それもそうだろう。魔王だの何だのの前に、突然自分らの教室に学校部外者が我が物顔で入ってきたら、それは十分恐怖である。

 少なくとも、この教室の生徒達にとって燈也はいわゆる“不良”であり、恐ろしい存在に写っているのだろう。

 

 だが、そんなことを気にするような燈也ではない。

 彼の関心はただ一人、護堂にのみ向けられているのであって、周りの人間は全員モブだった。

 例外なのはエリカと祐理くらいだろうか。

 

 その二人はと言えば、突如現れた魔王に警戒の色を濃くしていた。

 特に祐理の警戒度が異様に高い。昨日の戦闘を間近で見たからだろうか、燈也をヴォバン同様恐怖の対象として見ている。

 

「まぁ聞けよ、別にお前に喧嘩売りにきたわけじゃないんだ。スジ通しにきただけだよ」

「スジ...?」

 

 訝しむような護堂に、燈也は笑って返す。

 

「ああ。日本の王はお前ってことになってっからな。この地で暴れるってなったら一応は報告しとかなきゃだろ?」

「暴れるって...まさかまたまつろわぬ神が来るのか!?」

「うんにゃ、違う。...ああいや、少し惜しい。放っておいたらそうなるな」

 

 チラリと祐理に視線をやった燈也は、含みのある言い方で護堂と机に肘を着いた。

 

「誤魔化すなよ。燈也、お前一体何をしようとしてんだ」

 

 真剣味を帯びる護堂の声音に、燈也は尚も笑みを崩さない。

 苛立ちを覚えてきたエリカの眼光に促されるように、燈也は己の目的を口にする。

 

「老王ヴォバンを狩る。手は出すなよ護堂、これは俺が売る喧嘩だ」

 

 祐理が白目を剥いてひっくり返った。

 

 

 * * * * *

 

 

 倒れてしまった祐理が起きるのを待ち、護堂は学校を出る。

 地平線の先に大きな太陽が赤く燃え、街を朱色に染め上げていた。

 

「ったく、燈也のやつ...自分勝手にもほどがあるだろ」

 

 嘆息しつつ、顔見知りの同胞を思い出す。

 何とも迷惑な話だが、自分の預かり知らぬ所で勝手に暴れられるよりはマシかと思い込む。あとは人のいない場所でやってくれと願うばかりだ。神殺しが一体何に願うのかは知らないが。

 

「まぁ、彼がやらなければ護堂がやることになっていた事ではあるわね」

「はぁ? なんで俺がほかのカンピオーネとやりあわなきゃならないんだよ。ドニじゃあるまいし」

 

 エリカの発言に、護堂は心からの否定をする。

 自分は平和主義者であり、決して戦闘狂ではないのだと言い張る魔王だが、今まで成し遂げてきた偉業からその言葉には信頼性の欠片もない。

 

 しかし、エリカが言ったのは「護堂が自らヴォバンに喧嘩を売りに行く」のではなく「護堂が喧嘩を売られる」もしくは「喧嘩を売らざるをえなくなる」ということだ。

 

「公爵の狙いは、恐らくアテナだったのでしょうね。でなければ、このタイミングで日本に来る理由がない」

「ならもう日本には用無しじゃないか。アテナは帰ったんだから」

「それがそうもいかないわ。かの公爵は、慈善活動から神を殺めているわけではないの。己が欲望を満たすため、争いを求めているのよ」

 

 つまり、とエリカは続ける。

 

「アテナという敵を失った今、次に公爵が標的にするのは...」

「.....俺、ってことになるのか?」

「その可能性が高いわ。もしくは──かの有名な四年前の事件、神招来の儀式を再度目論んでいる、ということも考えられる」

 

 ビクッ、と祐理の肩が跳ねた。

 ヴォバンが四年前に引き起こした神招来の儀式は、祐理も無関係ではない。生贄として捧げられた当事者の一人である。

 魔王の恐ろしさを植え付けられた出来事がフラッシュバックし、恐怖が込み上げてくる。

 

「...神の招来、なんて馬鹿げた真似ができるのか?」

「ええ。四年前はたった三十人の犠牲で神を地上に召喚した。数あるヴォバン公爵の悪行のうち、最も傷痕の新しいものとして賢人議会にも記録されているわ」

 

 そこには祐理だけでなく、リリアナも生贄となったはずだ。

 かの儀式を生き延びた者は少ない。類まれなる才能と幸運、そのどちらをも兼ね備えた祐理とリリアナだからこそ、なんの後遺症も遺さずに生還できたのだ。

 

「リリィが佐久本燈也のそばにいた。彼女の家系はヴォバン公爵に仕えていたはずだから...もしかしたら、佐久本燈也がリリィを老王から奪い取ろうとしているのかもしれないわね。とてもロマンチックだわ、リリィ好みのね」

「ロマンチックもいいけどな、個人的な理由で街を壊されたらみんなが迷惑するだろ。その辺、燈也のやつはちゃんと考えてんのか?」

「あら、護堂だっていざとなればお構い無しに破壊するじゃない。世界中に貴方の爪痕が残っているわよ?」

 

 嬉しそうに微笑むエリカに、護堂は返す言葉もなく言い淀む。

 護堂がカンピオーネとなってからまだ日は浅いが、彼が世界各地でやらかした破壊痕は多く、各地の呪術師達に畏怖の念を抱かせている。

 昨日のアテナとの戦いだって、民衆への被害こそ燈也の方が大きかったものの、単純な破壊行為であれば護堂の方が上だった。

 瓦礫の山と巨大過ぎるクレーター、どちらがマシかと聞かれればどっちもどっちだと甘粕の上司などはブチ切れるだろうが。

 

「護堂。今夜は帰らないと妹さんに伝えておきなさい」

「はぁ? なんでだよ、今日は静花が肉じゃが作るって息巻いてたんだぞ」

「残念だけれど、それはまた明日にでもお食べなさいな。いい? 護堂。貴方はこの地の王。ならば貴方は、彼らの闘いを見届ける義務がある」

 

 エリカにふざけた様子がないことを知り、護堂も彼女の言葉をしっかりと受け止める。

 彼にこの地を治めているという自覚などないし、事実治めてなどいない。君臨すれども統治せず、とも少し違う。護堂は今、どこにも属さないフリーの王だ。

 しかし、周りはそうは見てくれない。日本人たる護堂が、魔王となった後も日本に居座っている。その時点で、彼は自分の意志とは関係なく日本の王だと看做(みな)されてしまうのだ。

 

「それに、いざとなれば彼らの闘いに介入しなければならなくなるかもしれない。争いを諌める裁定者、貴方にはそういう役割もあるのよ。この国を海に沈められたくなければね」

 

 護堂は思い出す。

 古代フェニキアの神王。かつて共闘し、後に敵対した地中海最強の一柱であるメルカルト。彼は、自分への信仰を失った地中海の住民を、洪水によって島ごと滅ぼそうと企んでいた。そして事実、一つの島が沈められている。

 燈也とヴォバンの戦闘が苛烈を極めれば、そういった事態を招きかねない。何分小さな島国だ。その全てがとは言わないが、陸の割合が減るくらいのことは起こりかねない。

 

「はぁ...分かった、静花には連絡しておく。それで? どこに行けばいいんだ」

「ふふ、それでこそ我が主よ。行き先については...そうね。祐理、頼めるかしら」

「ふぇっ!?」

 

 突然話を振られてしまい、とっさに反応できなかった祐理は焦ったようにエリカを見る。

 

「貴女の霊視、頼りにしているわ。そうでなくても、編纂委員会の方でヴォバン公爵の居場所は掴んでいるのでしょう?」

「...委員会からそういった報告は受けていませんが...おそらく掴んではいるかと。そして...ヴォバン公爵のおられる場所について、心当たりがあります」

「ヘぇ? 話が早いじゃない、もう霊視していたのね」

「え、ええ...今朝方、夢のような形で視ました。必ずしも合っているとは限りませんが...」

「十分よ。貴女の霊視なら信頼できるわ。ねぇ? 護堂」

「ん、んああ、そうだな、うん」

 

 霊視がどうなどの知識に乏しい護堂は、正直言って何も分かってはいなかった。

 だが、祐理のことは信用できる。そう思っているのは事実だ。

 

「特等席から神殺し同士の戦闘を見ることなんて滅多にないことなんだから、しっかり見ておきなさい。今後敵になるかも知れない存在達よ」

「物騒だな。ヴォバンってやつは知らないけど、燈也はなんだなんだで話せるやつだ。最低限の良識もある。敵対なんて──」

「護堂。貴方の直感は信じるに値するけれど...この世に、絶対はないのよ」

 

 カンピオーネ同士が巡り会えば、争うか休戦協定を結ぶか、その二択しかないと言われている。

 互いが王として頂点に君臨しているのだから当然だ。この世に自分以外の王は要らないと考えている。

 積極的に争おうとしない護堂は例外中の例外、特異すぎる例なのだ。

 

「(温厚そうに見えても、アレは魔王。いつ護堂に牙を剥くとも分からない)」

 

 エリカは燈也を警戒していた。

 神殺しとなる前から神殺しに比肩する力量を持っていた、真性の化け物。その力は計り知れず、護堂であったとしても勝てる保証はどこにもない。

 

 せめて力の一端でも見極めたい。

 今回の観戦には、そんな理由があった。

 

「(護堂の言う通り、このまま護堂と友好な関係を築いてくれれば助かるのだけれど)」

 

 淡い希望を奥底に秘め、エリカはアリアンナへと電話を入れる。

 目指すは日本におけるヴォバンの居城。おそらく決戦の地となるであろう、破壊が約束されてしまった可哀想な建物だ。

 

 法定速度ガン無視で来た迎えの車に乗り込み、護堂達は魔王の決戦という現代の神話を覗き見に行くのであった。

 

 

 




作者は銀髪キャラが好きです。ポニテも好きです。故にこれは必然なのです(性癖吐露)

よろしければ感想とか評価など頂けないでしょうか。
高評価がいいです(傲慢)
よろしくお願いします。


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喧嘩はグーでやるべし

 

 

 

 

 

 陽の落ちた東京の街は、暗雲に見下ろされていた。

 夕方までの快晴はどこへやら。嵐の予兆を見せる黒雲は、時折紫電を走らせる。

 

 東京都内の某高級ホテルの一室に、彼はいた。

 

 彼は老人だ。顔中に刻まれた皺が、彼の培ってきた膨大な時を物語っている。

 だがその老人は、ただ耄碌し、余生を静かに過ごすだけの枯れ木ではない。

 その身なりは大学教授を思わせるほど毅然とし、闇夜に輝く白銀の髪は乱れることなくしっかりと撫で付けられている。豊かな髪とは裏腹にその髭は綺麗に剃られ、落ち窪んだ眼窩に特有のエメラルド色の瞳が妖しく光っていた。

 

 三百年を生きる最古の魔王にして、欧州で最も悪名高き魔王の中の大魔王。

 サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 かつて戯れに簒奪した位階と領地にちなんで、ヴォバン侯爵と呼ばれるバルカンの怪物だった。

 

 当代のカンピオーネとしては正真正銘最古の神殺しであり、神殺しとなった数年間の内に傭兵魔術師団の殲滅、『智慧の王』という老カンピオーネや神の軍勢との激戦といった様々な偉業を成し遂げた生ける伝説。

 

 彼の持つ経験、そして長年のうちに簒奪してきた数々の権能。

 それらを踏まえた事実として、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンはまさしく “最強” である。

 

 

 そんな災厄のいる部屋のドアが、ノックも無しに開かれた。

 

「爺さん。あんたがヴォバンだな?」

 

 招いてはいないが予期はしていた客人に、ヴォバンは壮絶な笑みを浮かべる。

 

「名乗りたまえ、少年」

 

 まるで大学見学にきた高校生へ声をかける教授のように、ヴォバンは静かに語りかけた。その裏に、訪れるであろう闘争への期待が込められている。

 名を聞かれた少年は臆することなく、むしろ溢れ出る闘志を愉楽の表情へと変えてヴォバンにぶつけた。

 

「佐久本燈也。あんたの愛人を奪いに来た」

 

 

 * * * * *

 

 

 時は少しだけ遡る。

 

 気絶してしまった祐理を看病する護堂やエリカと別れた燈也は、彼が借りているホテルの一室にいた。

 そこにはもちろんリリアナの姿もある。

 

「い、一体どういうおつもりなのですか!? 卿に喧嘩を売るなど自殺行為にも等しい行為なのですよ!?」

 

 彼女は先程から収まらない困惑と疑念をぶつける。

 彼女の中には、既に燈也への恐怖心はほとんどない。闘争を求め、周囲を顧みない非道な王ではないのだという認識を持ったからだ。

 

「どういうつもりも何もな。どの道戦うハメにはなってたと思うが?」

 

 備え付けの冷蔵庫から取り出したプリンを片手に、燈也はリリアナが何を焦っているのか分かっていないかのように答える。

 否、彼女が焦る理由は分かっていた。分かった上で、己の勝利を信じて疑わない燈也は全く気にしていないのだ。

 

 そして、ヴォバン来日の理由をリリアナから聞いていた燈也は、いずれは戦う(こうなる)日が来ると断言する。

 ヴォバンの来日理由は、例の《星なき夜の予言》の神。つまりアテナだった。

 そのアテナはつい昨日護堂が追い返してしまったし、彼女に応じるように顕現した別のまつろわぬ神(ペルセウス)も燈也が殺めている。

 獲物を横取りされたヴォバンは、新しく神を招来しようと企てた。祐理などの能力者を集め、生贄とすることでまつろわぬ神をこの地に喚ぼうと画策していたのだ。

 

 ヴォバンが求めているのは、血湧き肉躍る闘争だ。

 それを満たす為なら自らの世界を壊しても良いとさえ考えている狂戦士、それがヴォバンという魔王の性質だった。

 

「話聞く限りじゃ、お前だって万里谷祐理ってやつを傷付けたくはないんだろ?」

「そ、それはそうですが...」

「だったらこっちから仕掛けるしかねぇ」

「それはおかしい! まだ酔っているのですか!?」

 

 プリンを食べ終え、燈也はポットで沸かした温かいお茶を淹れる。

 リリアナの分も用意し、ついでにホテルに帰ってくる途中で買ったサクラ型の和菓子なんかも出した。いろいろと充実している部屋である。

 

「まぁそれ飲んで落ち着け、クラニチャール。ほら、菓子だ」

「甘味なぞで私を御せるとお思いか!」

「和菓子ガン見してやきゃかっこいいセリフだったのかもなぁ」

 

 ペリペリと包装を破り、燈也はその和菓子を丸々口の中に放り込む。

 その和菓子はサクラの形をしていた。サイズは原寸程度、少し遠くから見たら本物に見えてしまうくらいには精巧な作りだ。

 外のサクラの花を型どった桃色の部分は白あんに塗料を練りこんだ物で、中にはこし餡が詰まっている。いわゆる練り切りだ。

 燈也が聞く耳を持たないと諦めたのか、はたまた和菓子の誘惑に負けたのか。

 一本に束ねられた銀髪を跳ねさせていたリリアナは、大人しく机の前に座って茶と菓子を口に運ぶ。その顔は実に至福に満ちていた。

 

「さて、まぁ敵さんの居城に攻め入るのは日が暮れてからにするとして...まずは情報だな。敵を知り己を知れば百戦錬磨ってよく言うし」

 

 クシャッと和菓子を包んでいた透明な包装を握りつぶし、ゴミ箱へシュートする。吸い込まれるように黒い箱へと消えていった包装はすぐさま記憶から消え去り、視線をサクラの花弁をちょこっとハムっているリリアナへと向けた。

 片手で持てる小さな和菓子を両手で持っている辺り中々あざといなこいつ、などと思いながらも、燈也の思考はヴォバンの能力へとシフトしていく。

 

「クラニチャール。知ってる限りでいい、ヴォバンの権能を教えてくれ」

「んぐっ」

 

 急いで口の中の和菓子を飲み込み、ついでにお茶で潤いを取り戻したリリアナが改めて口を開く。

 

「侯爵の権能は五つ。《貪る群狼》、《死せる従僕の檻》、《疾風怒濤》、《ソドムの瞳》、《冥界の黒き龍》。いずれも詳細は定かではありませんが、強力無比な代物と言って良いものばかりです」

 

 何だかんだで、彼女は燈也がヴォバンと戦うための手助けをしている。

 それは思春期からくる祖父への反逆心か、それかヴォバンという狂老人の愛人にされる事へと不満か、あるいはそれらの境遇から自分を救おうとしてくれる王子様(笑)への冀望か。

 どれなのかは本人にすら分かっていないが、とにかく今のリリアナは大分饒舌だ。

 

「五つか...ちょっと多いな。海に引きずり込めれば勝率もあがるんだが」

 

 ほかに未知の権能があっても不思議ではない、というのが燈也の考えだ。

 相手が長年欧州の王として君臨してきているのなら、その程度のことは視野に入れるべきだ。情報とは力であり、それをいかに隠匿するかが自身の勝利への鍵となる。

 

 地図を取り出し、リリアナから聞き及んだヴォバンの滞在先に赤丸を書き込む。

 

「(海までの距離は...最短でも十キロくらいか。ちょっと遠いな)」

 

 なぜ燈也が海を戦場にしたがるのか。

 ティアマトから簒奪した権能の使用条件が関係してくる。

 その条件とは、彼の体の一部が海に触れていること。ただでさえ権能の数ではヴォバンに軍配が上がる。少しでも有利な条件で戦闘をしたいと思うのは当たり前だ。

 

 しかし、誘導することに拘ってしまうのもよろしくない。

 倒すことが最優先事項なのだから、そこを履き違えてはいけないのだと燈也は考える。二兎追うものはなんとやらだ。

 

「(誘導は「できれば」でいい。流れで海に出ることがあればラッキーとか、そのくらい)」

 

 そのほか、戦場になるであろう地の構造をある程度頭に叩き込み、リリアナから分かる範囲でのヴォバンの権能を学ぶ。

 その時点で、周囲は闇に包まれていた。

 ただ日が落ちただけではない。昼には見られなかった黒雲が、空を覆っている。

 

「さて、魔王対魔王の決戦にはちょうどいい天気だな。...クラニチャール、お前はここで待ってろ」

「なっ!?」

 

 燈也の意見に異を唱えようとするリリアナだが、それは燈也の続いた言葉によって阻まれる。

 

「さっき聞いた《ソドムの瞳》。俺にゃ効かんだろうけど、お前には致命だ。お前を奪いに行くのに、お前に死なれちゃたまらない」

 

 キッパリと言い放つ燈也は、ゆっくりと立ち上がった。

 今からヴォバンのいるホテルへと殴り込みに行くのだろう。

 

 そんな燈也の前に、リリアナは立ち塞がる。

 いや、立ち塞がるとは少し違う。

 リリアナはその場に跪き、燈也の行く手を塞いでいた。

 

「外出たいんだけど。そこどけ」

「.....それは出来ません、王よ(・ ・)

 

 王、と。

 燈也を呼ぶその呼称は、しかし今までとは意味合いが違った。

 それはリリアナの顔を見れば明らかで、彼女は決意を固めた、強かな表情で燈也を見つめる。

 

「──《青銅黒十字》、大騎士リリアナ・クラニチャール。只今を以て御身こそを我が件の主とし、非才なる身と忠誠を捧げます。我が主よ、私を...貴方の騎士を、御身のお側にお置き下さい」

 

 無言のままの燈也へ、リリアナは更に続ける。

 

「我が身は御身の剣。騎士として、主と共に戦う覚悟、そしてそれに足るべき技量を持っていると自負します」

 

 言葉に力が籠る。

 成り行きはどうあれ、彼は人間を...リリアナを助けるために立ち上がった。それなのに、自分だけが安全な場所にいることなど、彼女に耐えられるようなことではない。

 

 騎士として、剣を捧げるべき主を変えるというのは相当のことだろう。

 その覚悟を、騎士ではない燈也に計り知ることはできない。

 しかし、燈也の下す決断は一つである。

 

「分かった。着いてこい、リリアナ。狼狩りだ」

「っ、はっ!」

 

 

 * * * * *

 

 

「あんたの愛人を奪いにきた」

 

 ヴォバンの居城である某ホテルに赴き、守護していたアンデットを蹴散らしてヴォバンのいる部屋に殴り込んだ燈也は、不敵にそう言い放った。

 しかし、内心は穏やかではない。ヴォバンを見たその瞬間から、彼の警戒レベルは数段飛ばしで駆け上がっていた。

 

「(...おいおい。化け物かよ、この爺さん)」

 

 ペルセウス程度であれば、恐らくほぼ無傷で勝利を収められるだろう。

 そう燈也が確信するほどに、その老人は絶大だった。

 ヴォバンの瞳が、燈也の後ろに侍るリリアナを捉える。

 

「...ほう? どうしたクラニチャール、仇敵と共にいるようだが?」

 

 ヴォバンの言葉に、リリアナの肩が恐怖で跳ねる。

 しかし、今更逃げれなどしない。意を決し、目に確固たる意志を灯してヴォバンを見据えた。

 

「リリアナ・クラニチャール! 誠に勝手ながら、お役を返上させていただきます!」

 

 リリアナの宣言に、ヴォバンは意外そうな顔をする。

 

「...愛人を奪う...おお、なるほど、なるほど。つまり、貴様はこう言いたいのだな? 佐久本燈也。リリアナ・クラニチャールを、私の優秀な所有物である魔女を奪う、と」

 

 実に愉快そうに老人は嗤う。

 下等な存在を見る目で、燈也を見下ろす。

 

「──三流だ。が、しかし。その目はいいな、小僧。己の勝ちを信じて疑わない、愚直な目だ。戦士とは、王とはそうでなくてはならん」

 

 ククと笑うヴォバンは、数体の狼を召喚した。

 野生のものよりも二倍ほど大きな巨躯を誇る狼達は、剥き出した牙をチラつかせて燈也達を威嚇する。

 

「我々カンピオーネは、生涯の敵と見定めて戦い抜くか、不可侵の同盟を結ぶ以外にない。それでもキミは、私と事を構えるというのかね。このヴォバンを生涯の敵として人生を送ると? いや、我が敵となるのであれば、明日の日の目すら拝むこと叶わぬ。それでも、私に挑むか? 少年」

 

 ヴォバンの翡翠色の瞳が、一際強く輝いた。

 窓ガラスが強風に打たれる。ヴォバンの意思に呼応するように、天気が徐々に荒れてきているらしい。

 最凶の魔王に呑まれることなく、燈也は全てを跳ね返す。

 

「当たり前だ。お前程度に負けるようじゃ、俺は上へは登れない」

 

 確かにヴォバンは化け物だが、たかが化け物程度に負けてやるほど、燈也の目標は低くはない。

 彼は見てきたのだ。白夜叉という本物の“バケモノ”を。彼女に勝つことこそが燈也の目標なのだから、ヴォバン程度に手こずっている場合ではない。

 ヴォバン相手なら十六夜でも勝利を収められるだろう。そう確信した燈也の心には轟々と音を立てて炎が灯っていた。

 意識が深い海に落ちていく感覚。嫌悪感はない。視界が広くなり、思考がクリアになる。カンピオーネ特有の、闘争心に応じてコンディションが己のスペックを越えて優れていく現象だ。

 

 殺られる前に殺る。

 先制を仕掛けようとしていた燈也を、ヴォバンの一つの提案が止めた。

 

「吠えたな、小僧。その意気や良し。だが、ただ戦うのではあまりにつまらん。貴様にハンデをくれてやろう」

「ハンデ?」

「そうだ。普通に戦えば、私の勝ちは見えている。それでは面白くないだろう。これはゲームだ。ゲームには敗北の可能性というスパイスがなくてはならない。そうだろう?」

 

 ヴォバンの言い草に腹を立てる燈也だが、わざわざくれるというハンデとやらを突っ撥ねることはないと怒りを堪える。

 ハンデがなくとも勝つ気は満々だが、貰って損をすることはない。

 カンピオーネとは、強者でなく勝者だ。強い弱いの次元で彼らを語ることはできない。燈也もまた例に漏れず勝者であり、そうあることに執着している。

 要するに勝てば官軍なのだ。

 

「好きにしろ。どの道勝つのは俺だ」

「フハハ、その減らず口がいつまで叩けるか見物だな。...そうだな、ルールを設けるとしよう」

「ルール?」

「そうだ。ルールは簡単、夜明けまでに私は貴様を殺す。夜明けまで生き残れば貴様の勝ちとする」

「夜明けまでにあんたを殺したらどうなる?」

「まず有り得んが.....そうだな、それも勝利条件に加えるとしよう」

「よし、乗った」

 

 言うが早いか、燈也は全力で床を蹴った。

 神速という時間操作ではなく、純粋な速度でヴォバンに迫る。それは第三宇宙速度には及ばない。が、音速に匹敵する超速度だ。

 不意を突かれる形となったヴォバンはそれに反応できない。油断と慢心も相俟(あいま)って、ヴォバンは燈也の拳をノーガードでその身に受けた。綺麗なくの字に折れたヴォバンの体は、ホテルの壁を粉砕し、闇夜の彼方に消え去っていく。

 取り残された数匹の狼を屠りつつ、燈也はヴォバンを飛んで行った方向を睨む。

 本来なら、今の一撃でケリを付けたかった。が、しかし、そう簡単に事は進まないらしい。

 脊椎は完全にへし折ったし、胴はきっと繋がっていないだろう。山河を砕く拳をその身に受けたのだ、いくらカンピオーネといえども五体満足とはいかない。

 しかし燈也は確信していた。敵は健在であると。未だ燈也に降りかかる圧力が、ヴォバンが生きているという証拠にほかならない。

 

「先制は成功したけど...後を追うか」

 

 

 

 

 風穴の空いた壁へと歩む燈也の背中を、リリアナは呆然と眺めていた。

 

「(魔王の強さは知っていた。知っていたが...これほどか...!)」

 

 自分なりの覚悟を持って、彼女はこの戦いに臨んでいた。騎士としての忠誠を誓い、燈也()の剣となり、その王道を切り拓くと。そう思い、主の助力をするためにここまできたのだ。

 

 それがどうだ。王は強い。自分など足元にも及ばないほどに、最凶最古の魔王に正面から喧嘩を売れるほどに、強い。

 目の前にいるのは、正真正銘の“怪物”だ。

 

「(これでは、私の力など無くとも.....)」

 

 分かっていたはずだった。自分と彼らを(わか)つ谷は深く、聳える壁は高いものだと。それでも、自分は大騎士だ。欧州ではエリカと並ぶ若手最強を誇り、稀有な『魔女』の才能も持って生まれ落ちた。人間の中ではかなりの実力者なのだという自負が、彼女を突き動かしていた。

 しかし、現実は彼女の想像を絶していたのだ。谷は海よりも深く、壁は天よりも高い。決して越えられないモノがそこにはある。

 

 落胆し、絶望する。

 彼に自分の力は必要ないと、自分の入り込む余地などないと。

 

 そう気の抜けたように立ち尽くす彼女を、王は拾い上げた。

 

「ボサっとしてんな、リリアナ。さっさとあの爺さん追いかけるぞ」

「.....しかし、」

「しかしじゃねぇ。着いてくるっつったのはお前だろ。爺さんが召喚する狼やアンデット、あいつらの相手をしてくれ。俺は爺さんの相手をする」

 

 そういう燈也の目は、リリアナをしっかりと見据えていた。

 路傍の石を見る目ではない。リリアナという個人を見ている、意味のある目だ。

 そんな目に、リリアナは少しだけ救われた気がした。

 小さな自尊心を取り戻し、彼女は燈也の元へと駆ける。

 

「...ありがとう、ございます」

「何の礼かは知らねぇが.....まぁいい。ちょっとだけ目ぇ(つむ)ってろ」

 

 そう言い、燈也は深呼吸を一つする。

 燈也の言葉に素直に従うリリアナが目を塞いだことを確認し、燈也は言霊を紡いだ。

 

「《天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり》」

 

 嵐の夜に、極光が顕現する。

 瞼を瞑って尚、リリアナの目を焼く強い光が、夜の東京に降り注ぐ。

 

「もう目開いてもいいぞ」

 

 燈也に言われ、リリアナは両の目を開いた。

 白く焼かれた視界だが、徐々に光に慣れて回復していく。

 そんなリリアナの瞳に、光の正体が映った。

 

「これ、は.....」

 

 太陽と見間違うほどの光の先にあるのは、とある馬車。

 四頭の馬が引く、太陽の戦車である。

 

「乗れ。一気に爺さんとこまで行くぞ」

 

 馬車に乗り込み手網を握る燈也は、真っ直ぐ前だけを睨んでいた。

 燈也は直感しているのだ。見えこそしないものの、その先にいる老人が力を奮う準備をしていることを。その力が、己の想像を越える力を秘めているかもしれないということを。

 

「それでも、勝つのは俺だ」

 

 獰猛に嗤う燈也は、馬車にリリアナが乗り込んだことを確認した後、力強く手網を打った。

 

 

 * * * * *

 

 

「くっ.....」

 

 東京のとある港に沿って立ち並ぶ工業地帯。

 そこに、ヴォバンはいた。

 

 彼の体は五体満足であり、傷すら負っている様子はない。

 山河を砕く一撃を食らって尚も無事.....というわけでもないようだ。

 

「あの腕力...小僧の権能の一つか? 身体能力向上系の能力とは、地味だがしてやられた」

 

 ヴォバンは一度『死んだ』。

 星を揺るがすほどの一撃はヴォバンの体を貫通し、内臓から崩壊させていった。探せば、彼が飛んできた直線上のどこかに、彼の(ひしゃ)げた内臓や、千切れた手足が転がっていることだろう。

 ヴォバンの権能は強力無比だが、本人の防御力はそうでもない。神すら粉砕する燈也の拳をモロで食らってしまえば、当たり前のように死ぬ。

 

 そんな彼が今五体満足で立っているのは、権能の力によるものだ。

 

 彼が古代メソポタミアの地母神イナンナから簒奪した権能《冥界の黒き龍》。龍の不死性により、ヴォバンはその身が例え灰になったとしても復活することができる。

 しかし、その代償には大量の魔力が必要となる。消費した魔力が回復するまでに一、二ヶ月は要するというほどの大量消費だ。

 

 まさか初手から奥の手を使わされるとは思っていなかったヴォバンは、忌々しげに舌を打つ。

 油断、慢心。それらは確かにあったし、先達の王として持っているべきものだった。その考えは一度殺された今でも変わらず、ヴォバンの中には未だ慢心がある。

 だが、

 

「油断はせん。奴は《敵》だ」

 

《狩るべき獲物》ではなく、《倒すべき敵》。

 かの若き魔王は、現在をもって老王からそう認識された。

 

 嵐が吹き荒れる。

 ヴォバンの感情に呼応するように猛々しく、これより訪れる闘争を祝福するように荒々しく。夜の街を激しく襲う。

 雷鳴を率いた暗雲がより一層深くなった時、遥か遠方、西の方角より光が昇った。

 

「ほう...逃げずに来るか、小僧!」

 

 光の正体が《敵》のものであると直感する。

 そこにはもう、好々爺然とした老人の姿はない。そこにいるのは、狂おしいほど血と闘争に飢えた蛮獣だ。

 

 ヴォバンが目を凝らして見れば、それは光り輝く馬車だった。常人は愚かカンピオーネですら目視できる距離や光量では無いにも関わらず、ヴォバンは権能を用いてそれを可能とする。

 その馬車は空を翔け、真っ直ぐこちらへと向かってきていた。

 その速度は旅客機をも超えているだろうか。一条の光の矢となり、ヴォバン目掛けて飛来している。

 

 逃げずに立ち向かってくる精神。

 それはヴォバンを更に奮い立たせた。

 

「GRAaAAaaaaaAAAAa!!!!!!!!!!!」

 

《敵》に応戦するために、ヴォバンは己の力を行使する。

 ヒトの形は崩れ去り、その身は鼠色の体毛を持つ獣となる。三十メートルは越すかというほどの巨体は、まさしく狼王。彼の足元には、数十に及ぶ眷属たる狼が出現する。

 

「来い、小僧! その首、喰いちぎってくれるわッッッ!!!」

 

 

 おおおおおおおおおんんん──────...............

 

 

 獣の咆哮と風の音が木霊する。

 嵐の夜は、未だ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 




ヴォバン公爵、知れば知るほど強すぎて笑える。
というかカンピオーネみんな強すぎて手に負えない。もういっそみんなで箱庭に移住すればいい(神域の大乱闘スマッシュカンピオーネス)


《生命なる混沌の海》
メソポタミア神話における原初の海の女神ティアマトより簒奪した第1の権能。発動条件は『自身の体の一部が海に接していること』。能力詳細不明。


《勝利運ぶ不敗の太陽》
自称・ペルセウスより簒奪した第2の権能。
彼は自分のことを「ペルセウスである」と言い張っていたが、その正体は『ギリシアの太陽神・ペルシアの神王・ペルセウスという3つの神格を1つにまとめ上げたローマ神話の新興の英雄神』である。
その中で燈也が得た権能はギリシアの太陽神ソールの権能。
その権能は日輪の戦車を召喚するというもの。太陽の名を冠する4頭立て馬車は炎の轍を作り上げ、尽くを薙ぎ払う塵殺戦車である。
ちなみに、車内は超が付くほど快適らしい。
『天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり』



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昔の人は言いました、慢心せずして何が王かと

 

 

 

 

 

 おおおおおおおおおんんん──────.............

 

 風の狭間から、獣の遠吠えが流れ込む。

 

「狼...《貪る群狼》とかいう権能か」

 

 とうとう降り出した雨は燈也の肌へ触れる前に蒸発し、空に刻まれる炎の轍は雨が地上に落ちることを阻んだ。

 

 地上から見上げる空は、まさに天変地異のそれである。もうすぐ日付も変わろうというのに、空には日輪が如き輝きと、季節外れにも程がある大嵐が鬩ぎ合っているのだ。

 ある者は神に祈り、ある者はネットでの情報共有に精を出し、またある者はその神秘をただただ見つめた。

 

 恐怖と畏敬をその一身に受けながら、凡俗の思想など想像もしていない魔王達は、互いに威圧で牽制する。

 

 燈也の瞳が巨躯の狼を捉えた。

 全長は凡そ三十メートルといったところか。相手との距離はもう数キロもない。灰色の毛を逆立たせ、狼王は太陽を迎え撃たんと立ち上がる。

 

「ははっ、いいゼぇ! そのまま轢き焼きにしてやるよッ!!」

 

 日輪の戦車をさらに加速させ、燈也は狼王へと全力で応える。

 

 

 

 一方、馬車に乗り込んでいるリリアナはと言えば──案外快適な車内から外の風景を眺めていた。

 

「(.....私、本当に必要ないんじゃないだろうか)」

 

 せめて人間が相手であればと。ヴォバンに自分以外の騎士でもいれば活躍の場もあったろうにと。外の超常現象に目をやりながらふと思う。

 

 防音防振など生温い。外部で鳴り響く轟音はカットされ、例え戦車が一回転しようとも車内は僅かにしか揺れない。加えて暑すぎず寒すぎない絶妙な気温調整。ふかふかのソファにオプションで飲食物まで揃うという快適っぷり。

 縦横無尽に空を翔ける戦車のくせに揺れなどはほとんど感じらず、そればかりか車内は高級ホテルばりの設備とは、一体全体どういう原理なのか。リリアナの権能への謎がまた数段深まった瞬間だった。

 

「.....ココア、おいしいな」

 

 彼女の呟きが虚しく溶ける。

 

 

 

 

「GRAAAAAaAAaaaaaAAAAa!!!!!!!」

 

 狼の群れが戦車に群がる。

 一匹一匹が馬並の体躯を誇り、大騎士程度であれば互角に殺り合えるほどのスペックを持っている。

 小さな国であれば落とせそうなほどの軍勢が、日輪の前には塵も同然だった。

 

「オラァ!!!」

 

 巧みに手網を操る燈也は、狼の群れを戦車の炎で焼き尽くす。

 灰すら残さぬ日輪の炎が嵐で弱まる気配はない。むしろ、風に煽られてその規模を徐々に徐々に拡大させていっていた。

 

 戦車と狼王が接敵する。

 この一撃で決まることはないだろうが、無傷では終わらない。そう思っていた燈也だったが──その考えは覆される。

 

「なっ──!?」

 

 戦車がヴォバンによって横殴りにされる。そこまではいい。予想の範疇だ。

 しかし、そこからがいけない。

 戦車に触れるということは太陽の炎に焼かれるということなのだが、どういう訳か、戦車に触れたはずのヴォバンの腕は無傷だった。火傷どころか煤すら付いた様子もない。

 

「(超回復の権能でも持ってんのか!?)」

 

 蘇生紛いの回復力を有する権能の効果であれば、それはまだ説明が付く。

 確認のためにも、そして何より隙を与えぬためにも、攻撃の手を緩める訳にはいかない。

 再度、燈也は手網を振るう。

 

『無駄だッ!』

 

 カッ! とヴォバンの一喝により、戦車の炎が掻き消えた。

 炎が無くなってしまえば、それはただの空飛ぶ戦車だ。それはそれで十分有用性のある物だが、戦闘には向かない。炎のヴェールを失った戦車はヴォバンの獣の凶爪に襲われるが、そう易々と粉砕されるほどやわな戦車ではないらしい。引き裂かれることはなく、しかし耐えきることもなく。戦車は強く薙ぎ払われた。

 

「──っ、チッ!」

 

 どうにか墜落は間逃れた燈也だったが、さすがにこれには焦りが覗く。

 

「獣のくせに炎が怖かねぇのか、よ!!」

 

 手綱を振るい、燈也は戦車を走らせた。

 魔力を帯びた権能の炎は効かない。それは分かった。が、まだ確認していないことが一つある。

 

 再び炎を灯した戦車は、ヴォバンの周囲を縦横無尽に駆け巡る。

 こと速度において、燈也の戦車はヴォバンを上回っていた。しつこく飛び回る蠅の如く、付かず離れずを保つ。

 

『ちょこまかと...!』

 

 苛立ちを募らせるヴォバンに、燈也は一瞬だけ隙を見せた。ヴォバンから見て東、風上にあたる位置での出来事だ。

 あとになって、これが失敗だったとヴォバンは思う。冷静な彼であれば、燈也が意図して見せた隙だと理解し、隙なんて無くとも圧倒的な物量と破壊で押し切る強者たる姿を君臨させたことだろう。

 普段通りであれば乗らない状況であるにも関わらず、ヴォバンの体躯を砕いた先制の一撃と、積もり積もった苛立ちが甘い餌を逃させはしなかった。

 

 ヴォバンの爪が戦車を捉え、炎が掻き消える。

 引き裂かれこそしないものの、相手は全長三十メートルを越す怪獣だ。戦車は力負けし、深夜の工場へと叩き付けられる。

 さらに追い討ちをかけるヴォバン。瓦礫に埋もれた戦車を引きずり出すために、一歩前へ出た。

 それこそが燈也の狙いである。

 

「走れ!!」

 

 バシンッ、と馬の体を打つ手綱の音が響いた。

 応えるように馬は猛り、戦車に再び炎が灯る。

 そして、それがトリガーだった。

 全力を出した戦車はジェット機もかくやという速度で大空へと飛翔した。...否、空へと逃げた(・ ・ ・)

 

『しぶと────』

 

 後の言葉は、突如として現れた爆発音に阻まれる。

 暗闇を斬り裂く照破が昇り、鉄をも薙ぎ倒す爆風がヴォバンの身を襲う。

 ヴォバンの姿も、その声も。爆煙の中に消え去った。まともに喰らえば、凡そ生物の生き残れる衝撃ではない。まるで大型の火山が噴火したのかと間違うほど、そのエネルギーは莫大だった。

 

 燈也は、この工業地帯を知っていた。

 来たことはないが、対ヴォバンの戦場になるやもしれぬと地図の上で確認していたのだ。

 そして燈也がわざと薙ぎ飛ばされ、破壊した施設あったのは、大量の水素だ。その他にも色々なガスが、この工業地帯には存在している。

 

Any sufficiently advanced technology is(科学と魔術は) indistinguishable from magic(紙一重).」

 

 どこかで読んだことのある一文を、燈也は脳内から引っ張り出した。

 太陽の権能が効かないのならば、権能が生み出す副次的な災害をぶつければいいじゃない。

 魔術ばかりが頼みの綱ではない。使えるものは全て使い、格好はどうあれ勝利だけを渇望する。

 

 燈也の目論見は見事成功した。

 水素爆発は確かにヴォバンへダメージを与えたはずだ。

 しかし、どうにも燈也は落ち着かない。これで終わりではないと、燈也の勘が告げている。

 それを後押しするかのように、車内のリリアナが顔を出して叫んだ。

 

「まだです!!」

 

 その言葉の数瞬後。

 燈也を不可視の弾丸が襲う。

 

「っ、はッ...!」

 

 肺から空気が強制的にはじき出される。

 腹部へ被弾した不可視の弾は、燈也を貫くことはない。打撃としてのダメージを燈也に負わせた。

 突然殴られたかのような衝撃に見舞われた燈也は咳き込み、痛む腹部を片手で押さえる。

 

「ゲホッ...あ゙あ゙〜、畜生」

「佐久本燈也!」

 

 焦った表情でリリアナが燈也の元へ寄った。

 咳に血が混じっていることから、内臓がやられたらしい。普通の人間であれば致命傷だが、燈也はカンピオーネだ。その程度の傷なら自己回復で数分のうちに完治する。

 

「──なるほど、中々やる。敵を倒す為にはあらゆる物を利用する。貴様も王の末席に名を連ねる者ということか」

 

 未だ立ち昇る爆煙の中に、ゆらりと動く影が見えた。

 晴れた煙の先にいたのは狼ではない。人の形を成しているヴォバンだ。品の良い老紳士の姿を取るヴォバンは、裾に付着した埃を払う仕草をし、そのエメラルドの瞳を燈也へぶつける。

 

「ちっ、ゴキブリかよ、あの爺さん...!」

 

 何だか服も黒光りしてるしな、と悪態を吐く燈也。

 その表情には、もはや隠しきれない焦りが冷や汗という形で現れていた。どんな権能を使ったのか分からない。回復なのか、防御なのか。

 自身の視界すら阻む大爆発を起こしたのは失敗だったかと反省する。そのせいで、ヴォバンの権能を直接見る機会が一つ失われた。

 

 と、そこで。燈也は未来を視る。

 先程と同じ不可視の弾丸が、一、二...三発。それぞれ別の方向から襲い来る未来。

 それは燈也だけでなく、戦車の車内から出てきたリリアナをも捉える凶弾だ。カンピオーネである燈也は兎も角、生身の人間であるリリアナでは無事では済まない。

 

 不要と判断した戦車を還した。戦車はそこにあるだけで燈也の魔力を喰らう。ヴォバン相手に効果がない以上、出しているのは無駄でしかない。

 リリアナを抱えて地上に降りる。それを追尾するかのように飛来した不可視の弾丸は、全て殴って霧散させた。

 いくら不可視であるとは言え、風の流れなどからその位置を特定することは可能だった。しかし、ヴォバンという油断ならない大敵と相対している時に、そんなことへ意識を割いている暇はない。出来れば正体を見破り、対処法を確立させたいところだ。

 

「...リリアナ。今の見えない攻撃、あれなんだか分かるか」

 

 ゆっくりとリリアナを降ろしながら、燈也は周囲への警戒を怠らずにリリアナへ問い掛ける。

 複数の狼を召喚し、さらにアンデッドである騎士達も召喚するヴォバンは、その口角を獰猛に吊り上げていた。

 そんなヴォバンの騎士として勤めていたリリアナだが、かといってヴォバンのことをよく知っているわけではない。

 故に考える。カンピオーネからみたら弱者でしかないリリアナに出来ることは、燈也に唯一勝る知識の貯蓄を使い、考えることだけだ。

 

 生物を塩に変える魔眼、狼を召喚し自身も巨大な狼へと変身する異能、自らの手で殺した者の魂を捕縛し隷属させる力。ヴォバンが頻繁に使う権能のうち、そのどれもが不可視の攻撃とは結びつかない。

 で、あるならば。考えられるものは一つだけ。今も空を覆っている、大陸の神の権能だ。

 

「...恐らくアレは、《疾風怒濤》。風神の力による、空気弾ではないかと思われます。恐らくではありますが、その権能で先の爆発をやり過ごしたのではないでしょうか」

「空気弾...。ってこたぁ、対処法もクソもあったもんじゃないな。風の障壁も厄介だ。あの爆発に耐えられる強度ってんなら、下手すりゃ俺の拳も防ぐぞ」

 

 血の混じった唾を吐いて舌打ちし、燈也は苛立たしげにヴォバンを睨む。ヴォバンは、羽を毟った昆虫を眺める子供の様な、狂喜に溺れた表情で燈也を睨み返す。

 

 リリアナの推測は八割が正解だ。

 不可視の弾丸については、リリアナの言う通り。風で作り出した空気の攻撃なのだから、不可視なのは当たり前だ。

 そして後者も、だいたいは合っている。少し違うのが、ヴォバンが使った権能は二つあるということ。風での防御は爆発の全てを防ぎ切ることは叶わず、ヴォバンの左上半身は吹き飛び、その他にも多数の傷を負った。それでいて尚彼が健在なのは、イナンナより簒奪した権能の副次効果、竜蛇の《不死性》による超回復があったからだ。

 

 度重なる呪力の大量消費を経て、ヴォバンはここ数十年のうち最も疲労している状態だった。

 しかし、そんな様子はおくびにも出さない。余裕を見せる立ち振る舞いは覇者の風格を見せつけ、それは燈也の精神をじわじわと追い詰める。

 

「話し合いは終わりかね? では行くぞ、小僧。我が狼と死せる従僕。圧倒的数の暴力に、さて、貴様はどう立ち向かう?」

 

 まるで指揮者であるかのように、ヴォバンはその両手を振った。

 それに応え、大量の狼と実体を持った亡霊が蠢きだす。その数、総勢で百は優に越えているだろうか。一匹一匹、一人一人がリリアナと互角以上の力を誇る。

 加えて、嵐がさらに強くなってきた。日輪の戦車がない今、激しい横殴りの雨が燈也達の肌を打つ。

 

 それぞれを相手にしている余裕はない。

 まだ戦いが始まってから一時間と経っていないのだ。ここで体力を無駄にはできない。

 ならば、場を整えるしかないだろう。

 

「...捕まれリリアナ、走るぞ!」

「え?」

 

 了承を得るより前に、燈也はリリアナを肩に担いで駆け出した。

 

「ここで逃げるか...ふん、随分と興の冷めることをしてくれる」

 

 燈也が向かうのは、ヴォバンとは反対側。敵に背を晒すその姿は、ヴォバンにとって戦いから逃げる弱者に見えた。

 故に落胆する。久方ぶりの《敵》に闘志を燃やしていただけに、怒りすら湧いてきた。

 

「奴を捕らえよ。我が前に引きずり出せ」

 

 指示を出す。

 四足で地を駆ける狼が、逃げる燈也を追いかけた。速度で劣る騎士もその後を追う。

 いくらカンピオーネであっても、普通なら狼の速度には敵わない。二足歩行と四足歩行なのだから当たり前だ。

 神速でも使えれば話は違ったのだろうが、燈也は神速を使えない。狼との距離は徐々の詰まっていく。

 

「チッ。リリアナ、なんか中距離用の魔術とか使えねぇか! こう、魔弾みたいな!」

「つ、使えますが! 侯爵の狼にはほぼ無意味かと!」

「それでもいい! やってくれ!」

 

 わけも分からずに担がれていたリリアナは、効かないと分かりきった魔術を行使する。

 騎士として、リリアナは剣を使った近距離戦闘を得意としていた。故に飛び道具として用いる魔術はあまり得意ではない。弓という手段もあるにはあるが、燈也に抱えられている今の体勢からでは威力も制度も子供並に落ちてしまうだろう。

 

 案の定、リリアナが放った申し訳程度の魔術は数秒の足止めにしかならない。

 しかし、燈也にとってはそれだけで十分だった。

 数秒あれば狼に追いつかれる前に目的地へと辿り着くことが出来る。

 

「あれは...海!?」

 

 魔術を行使しつつも、リリアナは気付いた。

 海だ。深い闇の中でよくは見えないが、嵐に荒れ狂う海がそこにある。港のような場所だ。

 燈也の足は、まっすぐそちらへ向かっていた。

 

「ま、まさか...!?」

「そのまさかだ! 鼻つまんどけ、水が入るぞ!」

 

 顔を青くするリリアナを抱えながら、燈也は嵐の海に飛び出した。

 波の高さは優に二メートルを越えているし、そうでなくても夜の海は危険だ。

 正気ではない、とリリアナは覚悟し、目を強く瞑る。まだまだ冷たい海の水が、リリアナの肌を刺した。

 海中に潜った燈也とリリアナは、荒波に飲み込まれる。

 ろくに一定の位置にも留まれない昏い海に尋常ではない恐怖を抱くリリアナだったが、それもすぐに終わる。

 

 ピタリ、と。荒れ狂っていたはずの海水が静止した。

 そして、再びうねりだす。意志を持ったかのように、自然ではまずありえない海流がそこに生まれた。

 海流に乗せられ、燈也とリリアナの体が海面に出る。酸素を欲したリリアナの肺が、一気に大量の空気を吸い込んだ。

 

「ゲホッ、ゲホ...」

 

 少し水を飲んでしまったのか、リリアナが咳き込む。舌に付いた塩分を払う為に、唾液と一緒に外へ吐き出した。

 

「海水飲んだか。大丈夫か?」

 

 リリアナを抱く燈也が、少し心配そうに問いかける。

 

「ぇ...あ、ああ。はい、大丈夫です」

「ん、ならいい。濡れて寒いだろうけど、もう少し我慢してくれ。すぐにあの畜生共を片付ける」

 

 そう言った燈也は今、海面に立っていた。

 そして告げる。原初の海、混沌の女神から簒奪した権能を行使する、その聖句を。

 

「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》」

 

 ──瞬間、海が胎動した。

 

 ポコリ、ポコリ。巨大な泡のようなものか、海底から上がっている。

 燈也を中心に浮き出る泡は、ゆっくりと水面を揺らした。波紋は徐々に拡がり、そして蠢く。

 

 

 ヌルりと、それらは這い出てきた。

 形は辛うじて人型と言えるものではあるものの、明らかにヒトではない。ヴォバンの狼とほぼ同等の体格であり、色は最初こそ海と同じであるものの、形を成していくにつれて毒々しい紫の色が塗られていっている。

 波紋する海より、そんな何かが次々と這い出てくる。否、それは這い出てきたというよりも、

 

「...産まれ、て...?」

 

 あまりの光景に、リリアナの声が震える。

 召喚とも違う。たった今、新たにその生命は産まれ落ちたのだ。

 海を覆い尽くす勢いで、その生命は大量に誕生する。その数は、既にヴォバンの召喚した狼の倍はあるだろうか。

 

「征け、ラハム!」

 

 燈也が叫ぶ。

 それに応えるように、その人型の何か──ラハム達は、一斉に陸地へと駆け出した。

 

『Grrrrrr.....ROARRRRRRR!!!!!!!』

『GrAaaAaAAaaaAAAa!!!!!!!!!』

 

 ラハムと狼が激突する。

 数で勝るラハムが、その数で圧殺するのだろう。パンクしかけた頭でぼんやりとそう思ったリリアナの考えは、少しだけ外れる。

 

「たかが獣畜生が、俺の《仔》に勝てると思うなよ」

 

 ラハムと呼ばれた生物は、単純に強かった。

 ヴォバンの狼三匹がかりで、漸くラハム一体と互角にやりあえる。狼の三倍の強さを持っていながら、その数は狼の二倍だ。現状、狼達に勝つ術はない。

 しばらくして死せる従僕の騎士や魔女達も追いつくが、未だ増殖しているラハムの前に次々と駆逐されていった。

 

 圧倒的。その言葉が相応しい光景だ。

 

「なるほど。使い魔の召喚...いや、それは創っているのか?」

 

 声が響く。知性を含んだ声だ。

 燈也の睨む先にヴォバンの姿があった。余裕にも、悠々と歩いての登場だ。ふむ、と顎に手をやって考えている姿は理知的に写るし、何より彼は博識だ。本を読んで仕入れた知識ではなく、自らの経験によって得た膨大な知識。人々はヴォバンを『知的ぶった野蛮人』などと評することが多いが、それでも三百年という時間がヴォバンに与えた知識は計り知れない。

 

「どこぞの創世神でも殺したか。それにしては、わざわざ(ここ)まで逃げた理由がない。...海...創世の海、生命を産む母。確かイナンナの属する神話体系に、そのような神がいたか」

 

 かつてヴォバンが殺めたメソポタミアの豊穣神。金星、愛、戦い、そして美を司ったウルクの地母神イナンナ。別名をイシュタル。

 彼女と同じ神話に似た神がいたなと、ヴォバンは至った。イナンナの神格が告げているのか、それともヴォバンの勘か。それは分からないが、ヴォバンの推測は当たっていた。

 しかし、相手の神格を看破したところであまり意味はない。護堂の使う『黄金の剣』があれば話は別だが、対カンピオーネ戦において、神格の看破とは勝利とイコールにはならないのだ。

 それが分かっていてヴォバンが推察するのは、ただの趣味である。もしくは余裕の現れだ。

 

 そして、推察が終われば次は虐殺である。

 

「命を持って産まれ落ちたこと、後悔するがいい。嵐の獣よ」

 

 ギラリと翡翠色の瞳が輝く。

 するとどうだ。力と数の両方で場を制圧していたラハム達が、一瞬のうちに塩へと成り果てていってしまったではないか。

 

「ッ! バロールから奪ったとかいう、塩化の権能か...!」

 

 忌々しげに舌打ちする燈也。

 一応警戒はしていたが、まさかそのレンジが二百を越えてくるとは思っていなかったのだ。

 まだまだラハムは生み出し続けることはできる。新たに産まれたラハムがヴォバンを襲う為に陸へと上がるが、その瞬間に悉くが塩となってしまう。

 

「ッソが! 無制限かよ...!」

 

 絶えずラハムを生み出しつつも、そのどれもが陸に上がることすら叶わずに塩となる。これでは数を生み出してもキリがない。

 ならばやり方を変えよう。燈也は魔力の流れを調整し、産まれるラハムに変化を加える。その分生産性という点は大幅に落ちてしまうが、燈也は目を瞑る。

 

 燈也がひと手間加えたラハムは、先程よりも少しだけ小さくなっていた。全長凡そ百六十センチ。燈也の鎖骨あたりの背丈だ。

 そしてその新生ラハム達は、陸へと足を踏み入れた。

 

「ほう、我が魔眼が効かぬか。...小賢しい、呪力を纏わせているな?」

 

 魔眼は呪力を練るで防ぐことができる。リリアナがそう言っていたことを、燈也は思い出していた。

 生み出すラハムの内包する魔力を今までの数倍にまで跳ね上がらせ、塩化の魔眼への対策を取ったのだ。これで、ラハムはヴォバンの元まで辿り着ける。

 

「ふむ。ならばこれはどうか」

 

 ヴォバンが右腕を天に翳した。それに呼応し、暗雲に変化が訪れる。

 広範囲に拡がっていた暗雲が収束し、極大の雷が地上に降り注いだ。

 雷をまともに浴びたラハムは当然、周りで余波を浴びたラハムまでもが丸焼きにされる。

 

「天候操作か。雷まで操れんのかよ!」

 

 嵐を呼ぶとは聞いていたが、まさか雷までをも意のままに呼べるとは聞いていない。

 ヴォバンが長い年月を生きてきたのは伊達ではない。多彩という面では護堂が上かもしれないが、その権能の数の多さは目を見張るものがある。

 

 雷が燈也へと降り注いだ。

 鉄すら溶かし粉砕する落雷は、しかし燈也に届くことはない。

 燈也とリリアナを覆うように厚い海水の膜が、雷を海へと受け流したのだ。上手く誘電し、自分やリリアナが感電しないように注意する。

 

「やっぱり直接殴るしかないか」

 

 ラハムを生み出すことは止めず、しかし今度は燈也自身も前へ出る。

 リリアナは海の上に立てないので抱いたまま、燈也は軽く津波を起こしてヴォバンへの道を造った。

 

「やはり、貴様のその権能は海に接していないと使えない制約があるな?」

 

 言って、ヴォバンは再び巨大な狼の姿になった。

 津波よりも背の高いヴォバンは、流されないように足に力を込める。数メートルほど後ろへ流されたが、その程度だ。獣の筋力は人間の比ではない。

 しかし、津波によってヴォバンは狼や騎士の召喚を封じられた。召喚したところで津波に流されるか、もしくはラハムに駆逐されるだけだ。

 

 燈也は津波を受けても無事だった高台にリリアナを降ろす。

 何か言いたげなリリアナだったが、口を挟むことは阻まれた。今の燈也の目には、ヴォバンしか写っていない。

 リリアナを置いた燈也はヴォバンに迫る。津波の上を駆け、ラハムを伴いヴォバンに肉薄した。

 

『喝ッ!!』

 

 ヴォバンの威圧で、何体かのラハムが吹き飛ばされた。しかしそれだけ。怯む者などいない。

 

「その鼻っ面へし折ってやらァ!!!」

 

 気合いと共に、燈也は拳を振るった。

 風の障壁が作られるが、易々と砕いてヴォバンの顔面を捉える。

 

『ぐぅ...! 舐めるな、小僧ォ!!!』

 

 後ろへ傾いたヴォバンだったが、意地で体勢を立て直して凶爪を薙ぐ。

 燈也に当たる前に、燈也と凶爪の間に海水の壁が割って入った。爪は海水を抉り取るが、燈也には届かない。

 攻撃を防がれたヴォバンに、ラハムからの攻撃が入る。

 殴り、蹴り、噛み付いてヴォバンを襲う嵐の獣は、ヴォバンが体を震わせることで払い落とされた。

 その間に、燈也がもう一発拳を撃ち込む。その拳は胸を強打し、今度こそヴォバンを後退させるに至った。

 

 追い討ちを掛けようとした燈也だったが、言いようのない危機感に襲われて慌てて飛び退いた。

 すると、今の今まで燈也のいた場所に、横に流れる雷が通過する。

 

「クソが、自然の法則を守れっての!」

『それを捻じ曲げるのが王である』

 

 響くヴォバンの声と共に、またもや横凪の雷が燈也を襲った。

 横に流れる雷撃。その正体は、ヴォバンの権能の合わせ技だ。狼となったヴォバンは、その口から雷を吐くことが可能となる。だから横から横へと雷が流れるのだ。

 そんな不意に襲ってくる雷速に反応できるはずもなく、燈也にその雷が直撃する。

 

「ぐ、ぁ...!!」

 

 雷を受けてなお意識を保っているのはさすがカンピオーネと言えるが、決してダメージを負っていないわけではない。全身に火傷を負い、内臓も少し焼けてしまったようだ。放っておけばそのうち治るのかもしれないが、そんな暇をヴォバンが与えるはずもない。

 

『愉しい戦いであったぞ、小僧。ああ、実にな。感謝しよう、よくぞ我が渇きを潤してくれた。死して我が従僕となり、己が牙を剥いた相手が私であったことを呪い続けよ』

 

 ヴォバンの爪が、手負いで動けない燈也の胸を貫く。

 噴き出し舞う鮮血が、闇夜に咲く一輪の華の如く咲き乱れた。

 

 

 




...あれ? リリアナちゃんの活躍は?




《生命なる混沌の海》
メソポタミア神話における原初の海の女神ティアマトより簒奪した第1の権能。
海水を意のままに操り、そして海水から魔獣を生み出す能力。魔獣は魔力の続く限り生み出せるが、単体ではカンピオーネやまつろわぬ神相手では足留めになるかどうかといった程度の戦闘力。群れを成せばもう少しやれる。
人間相手であれば十分すぎる脅威であり、エリカやリリアナなど、大騎士クラスをもってしても苦戦するレベル。人間以上神獣未満の全く新しい生物。
また、“仔ども”の創造も可能。
権能の発動条件は『自身の体の一部が海に接していること』。

《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》



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つまり、死は始まりにすぎないのだ

 

 

 

 

 

「...さ──佐久本燈也!!!」

 

 リリアナが絶叫する。

 彼女の目線の先には、侯爵の爪に貫かれた主の姿がある。

 遠目でも分かった。あれば致命傷だ。カンピオーネだからという理由だけではもう助からない。

 

 堪らず、リリアナは高台を飛び出した。

 魔力を練り、『飛翔術』を使う。人間が扱えるうち最高速度を叩き出せる魔術を利用して、リリアナは主の元へ駆けつける。

 燈也が貫かれたその瞬間から波はほぼ引き、水深は約十センチ。くるぶし程の深さになっている。リリアナはアスファルトへ足を付けることができた。

 近付いて確信する。燈也は、その息を引き取っているのだということを。

 そして同時に、たった今、自分は単体でヴォバンの前に出てきているのだということだということを。

 

『...クラニチャールか。貴様の新たなる王は我が従僕となる。さて、貴様はどうする?』

「っ、ぁ.....」

 

 恐怖がリリアナの胸を締め付ける。呼吸がだんだんと浅くなり、過呼吸を起こしそうになった。

 

『貴様は比較的優秀な『道具』だ。魔女の才は稀有なもの。まだ貴様にはそれなりの価値がある。我が元へ戻るというのであれば、命だけは残してやらんでもない』

 

 ヴォバンの声が遠くに聞こえた。恐怖が五感にまで異常をきたす。

 リリアナにとって、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバンという男は恐怖の象徴だ。そも、カンピオーネという存在そのものが魔術師たちに取っては最恐の魔物なのである。

 カンピオーネとは、人類では決して倒し得ない『まつろわぬ神』を打倒し、その権能を簒奪することで強大無比な力を手に入れた者のことだ。その性格は往々にして尊大。争いを好み、まつろわぬ神と並んで世界の秩序を脅かす魔王。

 それは、西暦以前からの魔術師の常識だ。特にカンピオーネが密集するリリアナ達欧州の魔術師達は、物心ついた時からカンピオーネの恐ろしさを骨の髄まで教えこまれる。幼少期に抱く恐怖心は、日本におけるナマハゲの比ではない。

 そんな王達の中でも最凶最悪と名高い侯爵の前に敵対者として立つことは、死よりも深い恐怖と立ち向かうことと同義だ。

 

 恐怖で足は竦み、動悸がおかしくなる。今息を吸っているのか吐いているかのかすら分からない状態だ。

 

 しかし、リリアナは覚悟を決める。騎士として、リリアナはこれ以上不敬を晒す訳にはいかない。

 

 リリアナは霞む目で燈也を見る。

 とても短い間の主従ではあったが、自分から主だと仰いだ人物は彼が初めてだった。

 

「(...死ぬのなら、騎士として死ぬべきだ)」

 

 それが自分の本望であると、主に示す最期の忠誠であると。

 ゆっくりと息を吸い込む。呼吸を整え、決死の覚悟でヴォバンを見上げた。

 

「──お断り申し上げます!」

 

 言って、リリアナはサーベルを構える。彼女の愛剣、イル・マエストロだ。

 その鋭利な剣を、リリアナは逆手に持った。彼女の好む日本文化、ハラキリという自害をするために。

 ヴォバンに殺されれば、彼の《死せる従僕の檻》に魂を捕らえられてしまう。それは騎士として絶対に避けねばならないとリリアナは思った。

 故の自害。同じ死でも、ヴォバンの手駒になるくらいなら、と。目を瞑り唇を締め、愛剣を自分に向けて突き立てる。

 

 

 ...痛みは無かった。

 一種の興奮状態により痛覚が麻痺しているのかと思うリリアナだったが、それも違う。血の流れる、体温を失っていく感覚がなかった。

 

 恐る恐る、瞳を開ける。

 自分の腹を貫くはずだった愛剣の鋒は、僅か数センチほど自分に届いていない。

 その代わり、それは別のものを貫いていた。

 手だ。何者かの手が、鋒とリリアナの腹の間で貫かれている。

 

「っ、あ゙〜...ほんとびっくりした。お前さぁ、自殺とか巫山戯た真似すんなよ」

 

 リリアナの視界の外から、そんな声が届く。

 その声の主は、サーベルからリリアナを守った手を差し出した人物だ。

 リリアナより先にその姿を見たヴォバンは、狂喜に満ち満ちた、楽しくて仕方がないという笑みを浮かべる。

 

『クク...つくづく私を楽しませてくれるではないか』

「そうかよ。ならそのまま愉悦に溺れて死んじまえ、クソジジイ」

 

 ケッ、と吐き捨てるように、その人物──佐久本燈也は悪態を吐く。

 ゆっくりとサーベルを手から抜き、剣に付いた血を払った。

 手からは血が滴るものの、数秒でそれも止まる。もうしばらくすれば傷も残らないだろう。

 

「ぁ、さっ、さく...」

 

 リリアナは言葉が出ない。

 恐怖、決意、驚愕、歓喜、そして怒り。様々な感情が洪水を起こし、処理しきれなくなっていた。

 そんなリリアナを置き去り、燈也とヴォバンは再び闘志をぶつけ合う。

 

『一応聞いておこう』

「やなこった」

 

 サーベルを持った燈也は、そのままヴォバンへ飛びかかった。

 三十メートルの巨体に向かい、その蛮勇を示す。

 

『フハハハハ! 面白いッ! 嗚呼、面白いぞ、小僧!!!』

 

 十階建てほどの高さの怪獣は、その拳を燈也に向けて振るった。

 巨大であることは、それだけで強い。パワーや攻撃範囲が段違いに上がる。しかし、

 

「ハッ! 昔っから決まってんだぜ? 怪獣ってのは、最後は倒される運命なんだってよ!!」

 

 燈也は駆ける。

 迫る拳を潜り抜け、彼はヴォバンの足をサーベルで斬った。

 本来なら斬れるはずはない。ヴォバンの防御力がいくら低かろうと、魔狼と化したヴォバンの肌を、たかが人間の武具がそう易々と斬れるはずがないのだ。

 だが、サーベルには燈也の魔力が通っていた。血を吸ったのだ。武具の格はそれだけで上がる。いや、そうでなくとも燈也が無理やり引き上げる。

 イル・マエストロは今ここに、立派な神殺しの神具へと進化した。

 

「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》ッ!!」

 

 追い討ちをかけるように、燈也が聖句を謳う。

 くるぶしが浸かるほどだった海水は再び胎動し、嵐の獣ラハムが産まれる。その数、凡そ三百超。数の暴力でヴォバンを襲う。

 

『くっ...!』

 

 堪らずヴォバンは空へ飛んだ。

 その巨体を風で浮かし、燈也達から距離を取る。

 

「逃がすかよ!」

『逃げんよ』

 

 燈也は海流を作り出し、その海流を水柱のように空へ打ち出した。

 その海龍に乗りヴォバンを追いかける燈也へ、特大の雷が落ちる。雷は燈也と海龍へ衝突した。

 雷の熱により海水が蒸発し、湯気が発生する。一面を覆う白く深い霧の中で、ヴォバンは《ソドムの瞳》を行使することではっきりと物事を見ることができていた。

 故に驚愕する。燈也が未だ健在で、こちらに向かってきていることに。

 

『何ッ!?』

「舐めんなよ、クソジジイ!!」

 

 拳を振るう。それに続いて海龍がヴォバンに衝突し、結果ヴォバンの横腹を抉り取った。

 

『がは、っ......!!』

 

 滴る血を抑えるように横腹に手を添える。洒落にならない出血量だ。

 舌打ちし、再生を開始する。

 

 燈也が雷を防いだ手段は、燈也が海龍の中に身を潜めるというものだった。地上より昇るジェット水流は、雷を相殺するには十分な水量と勢いを持っていたのだ。そして失った分の海水は、すぐさま下から補給する。

 燈也の権能を封じたければ、海を干上がらせる他ない。太陽でも落とさない限り不可能だ。

 

 地上...否、海上に着地した燈也は、魔力を練る。

 そして再び聖句を唱えた。

 

「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たせ、満たせ、満たせ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》ッ!」

 

 胎動、そして誕生。

 産まれ落ちたのは、ラハムではない。また別の生物だ。

 海水が形創ったのは、中国に伝承されるような細長い竜だった。全長は八メートルほどあり、深い緑の鱗に体が覆われている。蛇を彷彿とさせる躰だが、その頭は獅子の形をしていた。

 それは産まれると、宙に浮かんだ。キッと上空のヴォバンを睨み、そして襲いかかるべく上昇していく。

 

 その竜の名はウシュムガル。神話になぞられて創られた、凶暴な竜だ。

 

 ウシュムガルはその鋭い歯と残忍な牙を剥き出しにし、ヴォバンの足に噛み付く。

 傷の治癒に気を取られていたヴォバンは、避けることなくその牙の餌食となった。

 

『小癪な!!』

 

 一瞬だけ表情を歪めたヴォバンは、風の弾丸をウシュムガルへ複数ぶつけたあと、蹴るように足を振った。

 それによりウシュムガルが海面へ叩き付けられ、その短い命を落とす。しかし役目は終えていた。母の期待に応えるべくその命を燃やしたウシュムガルは、無念なくその身を海へ還す。

 

「見たぜ、ヴォバン。あんたの『回復能力』」

 

 創られた魔獣達は、完全に受肉している。故にその死体は消えることなく、その場に残ったままだ。

 そんな仔ども達に心の内で謝罪しつつ、燈也はヴォバンを睨み上げる。

 

「納得がいった。最初の一撃も、さっきの爆発も。その能力で乗り切ったんだな? 外傷の治癒...いや、もしかしたら蘇生もできるのかもしれないな」

『ふん、だからどうした。我が権能を見破ったところで、貴様にそれを防ぐ手段があるとでも?』

「ない。...こともない」

『.....ほう?』

 

 治癒を終えたヴォバンが、興味深そうに見下ろす。

 燈也は海面に浮かぶウシュムガルの死骸の元に寄り、その頭を一撫でした。

 

「どんな致命傷を与えても、あんたはきっと回復するんだろう。あんたにとって、傷はほとんど無意味なものなのかもしれない」

 

 慈しむようにウシュムガルから手を離す。と同時、うねった海水がウシュムガルを海の中へ引き込んだ。

 ヴォバンは訝しんだ。今までほとんど手を止めることなく猛攻してきていた燈也が、今は何故か動こうとしていない。

 何か策があるのか。未知の権能が発動しつつあるのか。こちらを誘っているだけか。

 様々な思考が巡るが、答えは出ない。

 しかしその答えは、すぐに燈也の口から放たれる。

 

「けど、体内から蝕む毒はどうだ?」

 

 瞬間、ヴォバンの体に異変が起こる。

 

『っ、...? な、なんだ...これは、?』

 

 ヴォバンを襲ったのは、激しい目眩だ。

 視界がグニャリと歪む。まるで天と地がひっくり返ったかと思うほどほ酷い歪みだ。吐き気もしてきた。

 

『(毒、と、そう言ったか...!)』

 

 目眩と吐き気でまともに思考も纏まらないヴォバンは、どうにか直前の燈也の言葉を思い出していた。

 

 ヴォバンに毒が仕込まれたのは、ウシュムガルが噛み付いた時だ。

 ウシュムガルの体には、血液の代わりに猛毒が廻っている。その猛毒を、噛み付いた際にヴォバンの体内へ流しこんだのだ。

 

 最早宙に浮いていられなくなったヴォバンは、重力に従って落下する。

 それを狙い打ったように、燈也は左手で剣を、右手に拳を握った。ラハムを伴い、落下してくる魔狼へと刀拳を振るう。

 

『お、をお、おおおおおをおをおおをおおおおお!!!!!』

 

 しかし、ヴォバンもそれしきで敗けてやるほど甘くはない。

 咆哮し、群がるラハムを薙ぎ払う。弱っているとはいえ、三十メートルの巨体だ。そのパワーは計り知れず、ラハムに為す術はない。

 

「チッ、しぶといな!!」

 

 次々と生命が産まれ、死んでいく。

 そこに燈也は罪悪感を抱いていないわけではなかった。己の都合で“仔”を生み出し、そして死なせているのだ。思うところも当然ある。

 しかし、そんなことを言っていたら死ぬのは燈也自身だ。死なせないに越したことはないが、使わないという手は存在しない。

 

 感情を押し殺し、殺られた数の倍のラハムを産む。

 ラハムの総数はそろそろ五百に届きそうだ。一帯を埋め尽くす嵐の獣が、魔狼をジリジリと追い詰める。

 

『お、のれ...おのれ、おのれェい!!!』

 

 ヴォバンが叫ぶ。

 少しずつ、体を蝕む毒に抗体ができてきたのだろう。徐々に本来の動きを取り戻しているように思える。

 畳み掛けるなら今しかない。ラハムの数をさらに増やし、燈也自身も全力でヴォバンを攻撃する。

 

 しかし、ヴォバンを仕留めるにはまだ足りない。

 

『GRAAAaAAaaaaaAAAAa!!!!!!!!!』

「なっ!?」

 

 溜まりに溜まった猛りが、声に乗って夜の海を震わせる。

 目眩はなくなり、吐き気も消えた。まだ若干の倦怠感が体に残っているが、無視していいレベルだ。

 

 ヴォバンは跳躍する。

 高く、高く。やがて暗雲のすぐ下にまでヴォバンは達した。

 

『面倒だ、纏めて滅びよ!!』

 

 ヴォバンが空へ手を翳す。

 また雷でも降ってくるのかと警戒する燈也だったが...そんな次元ではなかった。

 

「は、ちょっ、まっ!? はぁ!?!???!?」

 

 燈也は酷く仰天し、狼狽した。

 それも仕方のないことだ。燈也の視線の先、ヴォバンの背後。そこに、有り得ない熱量を持った灼熱の劫火が顕現したのだ。

 太陽と見間違えるほどの大熱量。それが落ちるだけで、本州が真ん中からぽっかりと二つに別れてしまいそうだ。

 未だ上空高くにあるその焔は、それでも地上に尋常ではない熱波を届かせる。海水から軽く蒸気が上がるほどだ。

 

 かつてない焦燥が燈也を襲った。

 あれはダメだと、本能に言われるまでもなく分かる。あんなものが落ちてきたらタダでは済まない。

 

「あのジジイ、自分ごと関東を消すつもりかよ...!」

 

 燈也の目測では、あの天に浮かぶ劫火は数十キロのレベルでバカでかい。あんなもの、ヴォバン自身も避けられるはずがない、と。そう思った。

 しかし、ヴォバンにも考えくらいある。

 彼の第一の権能である《貪る群狼》は、ギリシア神話に登場するオリュンポス十二神の一柱でもあるアポロンから簒奪した権能だ。ゼウスの息子として様々なものを司り、主にアルテミスと対となる太陽神として信仰された彼だが、そんな彼の伝承に「地底深くで生まれた」というものがある。

 そこからきたのだろう。ヴォバンの持つ《貪る群狼》の能力の一つとして、一瞬で地中深くに潜り、移動できるというものがあった。

 ギリギリになってその権能を使い、炎から逃れる算段だ。

 

『諸共に燃え散れ』

 

 地獄の劫火の下降が始まる。

 全力で逃げても、今からでは間に合わないだろう。迎え撃つしか道はない。

 

「《天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり》ッ!! 乗っとけリリアナ!」

「し、しかし...!」

「しかしもクソもねぇ! 早くしろ!!」

 

 戦車を召喚し、リリアナへその車内に乗るように促す。

 あまり意味があるとは思えないが、無いよりはマシだと考えたのだろう。少なくとも、現在降り注いでいる熱波は防げる。

 強引にリリアナを車内へ押し込め、燈也は焦りに満ちた表情で空を見上げた。

 戦車を走らせることはしない。そんなことをしてもアレからは逃げられないし、燈也の近くにいた方が安全だからだ。

 

「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》!」

 

 聖句を唱えると、魔力が底上げされるのが分かる。

 ありったけを注ぎ込み、近海の海水全てを使って降下してくる劫火にぶつける気だ。

 そんなことをすればとんでもない規模の水蒸気爆発が起こるだろうが、関東が焦土と化すよりはマシかもしれない。少なくとも、水蒸気爆発程度ならば、戦車の中にいるリリアナや、カンピオーネである燈也は助かるだろう。無傷とはいかないかもしれないが。

 

「おおぉオォォオオオオおおォオオオ!!!!!!!」

 

 問題は、爆発が起こった後に劫火が消えているかどうか、である。

 消えていなかった場合、それは燈也とリリアナが灰も残さず燃え尽きる時だ。

 

 近海の海水をかき集める。

 とんでもない量の魔力が燈也の体から溢れ、海に浸透していった。額に青筋を浮かべ、過去の人生のうちで最も気張る。

 そうして地獄の劫火を迎え撃つ準備を進める燈也だったが、そこに横槍が入った。

 

「これ、は」

 

 気張りつつ、燈也は目を見開く。

 燈也の視線の先にあるのは、光り輝く黄金(こがね)色の大地と、夥しい数の黄金の剣だ。世界が上書きされ、輝く剣が舞う様を、燈也は知っている。

 

 それは、ウルスラグナの権能だった。

 かつて燈也の前でティアマトの《不死》を斬って見せた、あの黄金の剣。これを使える者は、現在この世には一人しか存在しない。

 

「護、堂ぉおおおお!!!!!!」

 

 燈也の叫びなど聞こえぬと言わんばかりに、黄金の剣達はヴォバン目掛けて飛翔していった。

 どこでその剣を操っているのか、護堂の姿も声も、燈也には聞こえない。

 

 黄金の剣はヴォバンを貫く。

 地獄の劫火、中国の炎神である祝融の権能は斬り裂かれ、効力を失った。劫火は消え去り、再び街に夜が訪れる。

 

「...ふん。邪魔が入ったか」

 

 上空から降りてきたヴォバンが、苛立たしげに言う。その姿は老人のものに戻っていた。

 この時ばかりは、燈也も同じ思いだった。

 

「初めて気が合ったな、爺さん」

 

 戦いに横槍を入れられたこと。それはヴォバンにとっても燈也にとっても腹立たしいことだった。

 しかし、燈也にとっては悪いことばかりでもないのが事実。実際、あの劫火が消え去ったことで助かってはいるのだ。

 

「...一応は謝っとく。すまない爺さん、今のは俺の知り合いだ」

「七人目であろう。私の権能を斬り裂いた...なかなか妙な権能を持っているとみえる」

 

 目を細め、未だ合間見えぬ若輩の同胞を思い浮かべる。

 しかし、それも長くは続かない。すぐに燈也が戦闘態勢に入り、魔力を練り始めたからだ。

 

「あれだけの呪力を消費し、まだそこまでの力が残っているか。存外、貴様は魔術の才があるのやもしれん」

 

 私とは違ってな、と加えるヴォバン。

 エメラルドの瞳が光る。

 

「良かろう。戦いの仕切り直しと行こうではないか。まだまだ私を楽しませ────」

 

 と、ヴォバンが牙を剥こうとしたまさにその時。

 水平線の向こうから、一筋の光が走った。海を輝かせる一条の輝きの正体、それは、

 

「.....刻限か」

 

 旭光だった。魔王の戦いの終わりを告げる日輪が、水平線からゆっくりと顔を出してきている。

 闇夜を払う朝日に僅かながら目を細めたヴォバンは、フンと鼻を鳴らした。

 

「此度の戦、貴様の勝利だ。忌々しいことではあるがな」

 

 ヴォバンは今一度燈也を睨み、そして翻る。

 

「久方ぶりに心躍る戦いであった。我が無聊を潤した貴様の技量、評価に値する。若き力も、存外侮れぬものよ」

「...はは、そりゃどうも」

「此度は私の敗けだ。だが次はない。次に(まみ)える時こそ、貴様の首を狩り取ってくれる。その時までにせいぜい腕を磨け、佐久本燈也。『上へ登る』のだろう?」

 

 そこで、ヴォバンは思い出したかのように呟く。

 

「...そうであった。クラニチャールは貴様にくれてやろう。代わりはいる」

 

 そう言い残し、ヴォバンは呆気なく去って行った。

 完全にヴォバンの気配が周囲から消え去った後、燈也は尻から崩れ落ちた。水の引いた港のアスファルトの上に、体育座りのようにして腰を下ろす。

 

「ふぅ.....なんっとか、生きてんなぁ...」

 

 ぼんやりと空を見上げた。

 そこには灼熱の業火はもちろん、先程まで犇めいていた暗雲すら綺麗さっぱりなくなり、曙光に照らされた紫色の空がある。

 地上には、原型が分からない程に破壊された港と工業地帯が広がっている。まさに天災、まさしく災害。これは復興が大変そうだと、燈也はどこか他人事のように考えていた。

 

「ご無事ですか、王よ!」

 

 一息ついていると、戦車から降りてきたリリアナが駆け寄ってきた。

 毅然としていた服装はずぶ濡れの泥だらけで、《妖精》とまで謳われた清廉さは見て取れない。

 

「なんとかなぁ...。いや参った、まさかあの爺さんがここまで強いとは」

「だから言ったではありませんか! 侯爵に喧嘩を売るとは正気の沙汰ではないと!」

「ははっ、ごめんごめん」

 

 正直な話、この戦いに置いて燈也は何度も死を覚悟したし、実際『一度死んだ』。それくらいヴォバンは強かったし、燈也の見立ては甘かったのだ。

 

「全く、これじゃあいつに『死ぬの早すぎ』とか言われるのも.....ん? あいつ、って...誰だ...?」

 

 首を傾げる。

 今の燈也には、パンドラの記憶はない。生と不死の境界を抜けた後は、彼女や境界での記憶は残らないのだ。何やら色々とアドバイスをする自称・カンピオーネ達の母パンドラだが、それはほとんど意味を為さないアドバイスだ。アドバイスされた側が覚えていないのだから。

 

「っ! それです!」

「どれです?」

 

 ピッ、と指を差してくるリリアナに、燈也は再度首を傾げる。

 何を言われているのか理解出来なかった。

 

「侯爵の爪に貫かれた時! 生き返るなら生き返ると言ってから死んでください!」

「そんな時間あるかよ。こちとら死んでんだぞ。胸貫かれて」

「時間くらいどうとでもするのが王の器量というものでしょう!?」

「んな無茶な」

 

 燈也が生き返れたのは、《生命なる混沌の海》の能力だ。

 ティアマトは竜。竜蛇の持つ《不死》の性質を燈也は持っていた。

 

 しかしこれは、本来であれば簒奪し得なかった能力だ。

 燈也がティアマト神の肉を喰らったが為に半ば無理やり簒奪する形になった半端の能力。パンドラの儀式を通した簒奪ではない故に、その不死は完璧ではなく、死体が原型を留めていなければ蘇生は出来ない。加えて、使用は一日に一度までとなっている。

 

 正確に言えばこれは《生命なる混沌の海》の権能ではないのだが、まぁ似たようなもんだと燈也は考えていた。

 

 

 ぐ〜、と燈也の腹が鳴る。

 

「...ふむ。腹が減ったな。リリアナ、飯食いに行くぞ。牛丼屋くらいならこの時間でもやってんだろ」

「あ、お待ちください王よ! まだ話は終わっておりません!」

 

 疲労からか、震える脚にムチを打ち、燈也は街の方へと歩き出す。

 後を追うリリアナは、分かった説教は後にしてやるから先に風呂に入ろう(意訳)と、朝日に照らされて輝く銀髪を跳ねさせた。

 

 

 * * * * *

 

 

 

「終わったみたいだな」

 

 燈也達から少し離れた場所。崩壊した工場の鉄塊の上に、護堂の姿はあった。

 戦いの最中にヴォバンの権能を《戦士》の力で斬り裂いた張本人だ。

 

「全く、エリカに言われた通り来ておいて良かったな。あんなのを街に落とされちゃ、たまったもんじゃない」

 

 先程の光景を思い出し、護堂は嘆息する。

『手は出すな』と言われていたが、あれは看過できる状況じゃなかった。炎が落ちて来る前に祐理が祝融の神格を視れたからこそ良かったものの、それが無ければ大惨事だったと護堂は本気で肝を冷やした。

 

 気疲れしたのか、護堂の隣では祐理がヘナリと座り込んでいる。

 そのまた隣で、エリカは先の戦いを思い出していた。正確には、燈也についてだ。

 

「(あのヴォバン侯爵相手に、たった一人でここまで...)」

 

《貪る群狼》、《死せる従僕の檻》。それらはヴォバンが最も使う権能であり、ヴォバンの象徴とも言える権能だ。

 ほぼ無限に湧き出る狼と、大量の従僕達。数で圧倒するヴォバンに対して、燈也が持っていた権能は相性が良かったと言える。

 互いに権能のタイプは大量殲滅と後方支援。莫大な力で全てを薙ぎ払うか、眷属らを召喚してそれらに戦わせる手法の権能だった。

 それでいて、燈也個人の力量も高い。今はまだ護堂と友好的であるからいいものの、もし敵対するとなれば計り知れない脅威となるだろう。

 

 カンピオーネ同士が巡り合った場合、そこにある選択肢は『休戦、もしくは不可侵協定を結ぶ』か『生涯の敵と定め争う』ことのみ。

 

 敵対は得策ではない。できるのであれば、このまま護堂の友人であってほしい。

 

 そんな願いを、エリカは昇ってくる太陽に祈るのだった。

 

 

 

 

 




だからリリアナちゃんの活躍はどうしたっつってんだよォ!!!(憤慨)(王同士の戦いだから是非もない)(リリアナちゃんは弱くないぞ)

てかヴォバン強すぎて笑ってました。どう考えても現状のオリ主くん1人じゃ勝ち目ないし。侯爵が本気出してたら負けてますよね確実に。やっぱ護堂くんはすげぇんやなって。


《生命なる混沌の海》
メソポタミア神話における原初の海の女神ティアマトより簒奪した第1の権能。
海水を意のままに操り、そして海水から魔獣を生み出す能力。魔獣は魔力の続く限り生み出せるが、単体ではカンピオーネやまつろわぬ神相手では足留めになるかどうかといった程度の戦闘力。群れを成せばもう少しやれる。
人間相手であれば十分すぎる脅威であり、エリカやリリアナなど、大騎士クラスをもってしても苦戦するレベル。人間以上神獣未満の新しい生物。
また、発動中は竜蛇の《不死》の性質も付与される。これは本来得られないはずだったものだが、燈也がティアマトの肉を喰らったことで半ば無理やり簒奪した。儀式を通しての簒奪ではないため、その不死性は完璧ではない。ヴォバンのように灰から再生するなどはできず、原型を留めていなければ生き返れない。また、1日に1度しか使えないという使用制限がある。
権能の発動条件は『自身の体の一部が海に接していること』。

《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》


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創世神と英雄神の次は創世神話の英雄神が来た件について

今週からは題名を改め、『最凶の狼王がこんなに丸くなるはずがない』をお送り致します(大嘘)


 

 

 

 

 

 ヴォバン侯爵との死闘が繰り広げられてから約三ヶ月が過ぎた。

 

 リリアナをサルバトーレ・ドニに付かせると言い出したリリアナの祖父へ物申す為に青銅黒十字へ殴り込んだり、その際にドニと決闘し辛勝したり、ついでにプリンセス・アリスを《ヨグソ・トース》に勧誘して断られたり、うっかりヴォバン侯爵と遭遇して殺されかけたり、日本に帰ろうとしたら途中で偶然にも羅濠教主と出くわして戦ったらボッコボコにされたり、なんやかんやで教主と仲良くなって酒飲み仲間になったり、リリアナとはぐれたり、リリアナを探していたら足を滑らせて何故かアストラル界に落っこちたり、酔って絡んできた神を返り討ちにしたり、時の番人に会って箱庭へ帰る方法はないか訪ねて「いや、知らんです」と言われたり、なんとか現世へ帰ってきたらそこはアイーシャ夫人の邸宅前だったり、ひょんなことから夫人に気に入られたり、逃げるように日本へと帰ってきたら先に日本に帰っていたリリアナに泣かれ、挙句一晩中説教をくらい、疲れて泥のように眠り──

 

「そんで、目を覚ましたらまつろわぬ神が降臨してたんだ」

「...まぁ、なんだ。怒涛がすぎるお前の人生には同情するよ」

 

 夕焼けに照らされる崩壊した街を眺めつつ、二人の魔王は熱いコーヒーを喉に流し込んだ。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 時は少し遡る。

 紆余曲折を経て三ヶ月ぶりに日本に帰ってきた燈也は、リリアナの説教を乗り越えて休息を取っていた。

 

 ここは燈也が貸し切っているホテルの一室だ。

 以前借りていた、草薙家近辺のホテルではなく、いくらか離れた場所のホテルだ。いくら友好的な関係であるとはいえ、カンピオーネ同士が近場に住んでいるのは些か問題があると言われた為に拠点を変えたのだ。

 朝方まで説教を垂れていたリリアナは隣の部屋で寝ており、そのまた隣の部屋には、リリアナの侍女であり《青銅黒十字》の魔女見習いでもあるカレン・ヤンクロフスキがいる。

 

 最近はアストラル界やらアイーシャ夫人邸やらと落ち着かない場所に居たため、やっと辿り着いた日本の拠点(仮)での睡眠は久々に得た快眠だった。

 

 もう昼過ぎだったが、日が昇ってから布団に潜った燈也には関係ない。

 むにゃむにゃと言葉として成立していない寝言を吐きつつ、惰眠を貪っていたのだが...突如として、大木をも揺らしそうな轟音がホテル全体を大きく揺らし、燈也の鼓膜をこれでもかと刺激する。

 

「ッ!?」

 

 堪らず飛び起きた燈也は、何事かと周囲を確認した。

 大きな揺れで家具がいくつか倒れていたが、それ以外に異変はない。

 直下型の地震でもきたのだろうか、そう思う燈也だったが、次の瞬間にそれは間違いだと思い知る。

 

 二度目の大振動がホテルを襲った。

 その振動に伴い、窓の外に僅かながら紫電が走るのを燈也は見た。

 そして極めつけは、ホテルの上空から漂ってくる圧倒的な気配だ。

 

「.....また面倒事かよ...」

 

 頭を掻き、のそりと布団から這い出た。

 寝間着から外着へと着替え、軽く髪を整える。この三ヶ月で、燈也は大抵の事では動揺しなくなっていた。故に、明らかな異常事態に見舞われているにも関わらず、その行動はどこか余裕を感じさせる。

 

 扉が勢い良く開かれた。

 

「お、王よ! ホテル上空に──」

「分かってる。慌てんな」

 

 血相を変えて部屋に入ってきたリリアナを嗜め、燈也は冷蔵庫を開ける。大量に買い込んだ缶コーヒーを一つ取り、蓋を開けた。

 

「リリアナも飲むか? ブラックだけど」

「ブラックは胃に優しいとは言えないので砂糖かミルクを入れることを推奨しますが今はそんな場合ではありません!」

「意外と余裕あんだろ、お前」

 

 ぐびっとコーヒーを呷り、カラになった缶を握り潰す。

 それをゴミ箱へと投げ捨てると、次は惣菜パンの袋を開けた。

 

「それにそのような粗雑なもの王の食事として相応しくありませんしというか何を呑気に食べているのですかあなたは!」

 

 もしゃもしゃとコロッケパンを咀嚼し、言葉が発せない燈也へリリアナは追い討ちをかけるように叫ぶ。

 

「神が! まつろわぬ神が降臨したのですよ!?」

 

 再び、大きな振動がホテルを襲った。

 

 

 * * * * *

 

 

 軽く食事も済ませた燈也は、リリアナを連れてホテルの屋上へと足を運んでいた。カレンには離れた場所へ避難するよう言っている。彼女では足手まといどころの話ではなく、戦いの余波のみで死んでしまっても不思議ではなかったからだ。

 

 まつろわぬ神がいるのはホテルの上空。顔を合わせるのであれば、そこが一番手っ取り早いと考えた。

 屋上へ登ると、そこには三つの大きな凹みがあった。ホテルを襲った大振動と同じ数だ。

 

「ったく、人の寝床に攻撃仕掛けやがって」

 

 若干苛立たしげに、燈也は言う。

 そしてそのまま上空へと視線をシフトさせた。空には灰色の雲が拡がっており、ゴロゴロと雲の中で雷が走っている。

 その中に、一つの影が見える。雷光が走る度に、そのシルエットは雲の中に写し出された。

 

「どこぞの雷神、ってのが妥当なところか。さて」

 

 ふぅ、と息を吐き、魔力を練る。

 そして目を見開き、雷鳴に負けないよう猛々しく聖句を唱えた。

 

「《天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり》!!!」

 

 辺りを焼く極光と共に、勝利を運ぶ日輪の戦車が現れる。

 戦車に乗った燈也は、リリアナに告げた。

 

「お前はここにいろ」

「.....承知、しました」

 

 そういうリリアナは、激しい無力感に苛まれていた。リリアナは決して弱くはないが、相手がまつろわぬ神ともなると話は違ってくる。分かっているが、それでも悔しいと。リリアナの言葉からはそんな悔恨が滲んでいた。

 それを感じ取った燈也は、先程の言葉に別の言葉を付け足す。

 

「あの雲ん中にいるやつをここに叩き落とす。お前はここに残って、落ちてきたアレと戦う準備をしとけ」

 

 そう言い残した燈也は、手綱を振るって戦車を空へと駆けさせる。

 それを見送るリリアナは、先程とは打って変わって高揚感に包まれていた。

 

 自分は必要とされている。王と戦うことができる。騎士として、それは幸福なことだった。

 高鳴る鼓動を原動力に、リリアナは準備を始める。

 燈也は“ここに”神を落とすと言った。ならば主戦場となるのはここ。このホテルの屋上ということだ。

 

「(相手は雷神。ならば、それに対応する術を仕掛けておく)」

 

 対雷用の術というものは少ないが、ないことはない。

 効果が期待できるもの、あまりできないもの。少ない術式の中からさらに選別し、場を整えたり必要な文字を描いたりして、リリアナはホテルの屋上を対雷神のフィールドへと作り替えていく。

 

 

 

 

 

 一方、空へと昇った燈也は、炎の轍を作りながら暗雲の中へと突入していた。

 時折襲ってくる雷を戦車で轢き潰し、目標である影に接近する。

 

「来たか、神殺し!」

 

 燈也の接近に気付いた影は、豪胆な声を上げる。

 その声に応じ、影の周りの雲がはけた。視界を阻むものか無くなり、影の姿が太陽の下に晒される。

 

 その姿は青年のものだった。黒い髪に、黒い瞳。髪は真ん中で分けられており、肩にかからないほどの長さで切りそろえられている。まるで日本人のような風貌だ。

 肌は白いが、そこに不健康さは微塵も感じられない。全身にバランス良く筋肉が付いているからだろう。

 渦巻きやグネグネとした曲線などの文様が施された服を着ており、その上からチョッキのような羽織を来ている。頭にはバンダナのようなものを巻いていて、耳には金色の耳飾りが煌めいていた。

 また、その右手には二メートルを越える大剣が握られており、その剣は雷を纏っている。

 

「その言い回し...なんだテメェ、最初っから俺狙ってんのか」

 

 まつろわぬ神のセリフに疑問を持った燈也が聞き返す。

 すると、まつろわぬ神は「うむ!」と傲岸な態度で答えた。

 

「見つけたのは偶然であるがな! たまには人間の世を見舞ってやろうと参ったのだが、貴様の気配を感じ取ったのだ! 噂はかねがね。幽冥界では大いに暴れ回ったそうではないか! 父上から聞き及んでおるぞ!」

 

 ふむ...?

 燈也は考え込む。幽冥界、つまりはアストラル界で自分がしたこととはなんだったかな? と。

 時の番人には会った。この世界にとって異物である自分を排除しにくるかもしれないと思ったから、それなら殺られる前に殺っちまえ、と。結果としてはそんなことはなく、ただ一緒に茶を啜っただけだったが。

 その時は暴れてなどいない。稀に見る平和さだったと記憶している。

 で、あれば。ほかに考えられることは一つしかない。

 

「...あー。もしかしてお前、あの時の酔っ払いジジイんとこの息子か?」

「酔っ払いジジイとは言ってくれる! あれでも父上は偉大な方なのだぞ!」

 

 言い放つまつろわぬ神は、バーンと胸を張る。どうやら本当に偉大で自慢の父上らしい。

 そんなまつろわぬ神を前に、燈也は若干呆れる。燈也にとって、アストラル界で絡んできた彼の父とやらは、どこからどうみても酔っ払いであったし、暇だからと言って戦いを挑んでくるはた迷惑なクソジジイだった。アレの息子となれば、この厚顔無恥そうな態度も頷ける、と。

 故に決意する。さっさとこの戦いを終わらせようと。

 

「歯ァ食いしばれ、アホ息子」

 

 手綱を打ち、鏖殺戦車を走らせる。

 一気に日輪の戦車で轢き殺してやると、そういう勢いで突撃した。

 しかし。

 

「ふんッ!!」

 

 まつろわぬ神が大剣を振るう。

 燈也にも戦車にも届かない剣先だが、剣先の代わりに極大の雷が降ってきた。

 戦車を操り、それを避ける。大振りな一撃だったために辛うじて避けることは可能だった。

 

 だが、地上はそうもいかない。

 落雷した場所は火に包まれ、轟々と燃え盛る火の海となった。

 

「ちっ」

 

 目を見張る威力の雷に舌打ちし、燈也は警戒度を上げる。

 真っ直ぐ突っ込むだけでは雷の餌食だ。さて、どう攻め込むかとまつろわぬ神を睨む燈也だったが、次の瞬間にその視界がブレる。

 

「かハッ、!?」

 

 右頬が僅かに焦げていた。痛みも感じることから、そこを殴られたのだろうと推測する。が、信じられなかった。その攻撃が全く見えなかったからだ。

 戦車からは既に落ちている。どうやら殴られた時に飛ばされて落ちたらしい。すぐに空中に足場を作って体勢を整える。

 見えない攻撃に軽く混乱したものの、すぐにその正体を見破った。

 

「テメェ自身が雷になれんのか...!」

「いかにも! 我は父の権能()を携え、世を照らし人々を導く者! 雷鳴と共に、我が身は天を駆けるのだ!」

「そうかい。そりゃ大層なこった」

 

 そう言いつつも、燈也は既にその対処法を知っていた。

 それは、過去にも目で追えない超速度を誇る敵と戦ってきたから。サルバトーレ・ドニや羅翠蓮。彼らは燈也の知覚できる速度を遥かに越えた超速度を持っていた。そんな彼ら彼女らと拳を交え、そして生き延びた燈也は、その対処法をいくつか知っているのである。

 

「往くぞ神殺し! 我が至高なる武芸が剣や弓だけと思わぬことだ! 魔神をも下した我が拳、その身に喰らうが──」

「うるせぇ」

 

 燈也が拳を振り下ろす。

 その拳はまつろわぬ神の顔面へ綺麗に入り、まつろわぬ神はまるで落雷のように地上──ホテルの屋上へと落ちていった。

 

 知覚外の速度への対処法その一。それは──相手が最高速度になって目で追えなくなる前に叩く、という至極単純かつ原始的かつ脳筋なものである。

 ちなみにその二は“勘に頼る”で、その三はない。

 

 地上へ落ちたまつろわぬ神を追い、燈也もホテルの屋上へと着地する。

 そこでは突如として落ちてきたまつろわぬ神に驚いたリリアナと、頭からコンクリート製の屋上に突き刺さっている間抜けな姿の神の姿があった。

 

「ひは!! はかはかはひゅは、はひほろひ!!」

「.....なんて?」

 

 燈也が首を傾げ、リリアナもそれに倣う。

 コンクリートに突き刺さったままではろくに言葉を発することができるはずもない。本当にこいつは神なのかと、燈也とリリアナは訝しんだ。

 少しだけジタバタしたまつろわぬ神は、勢いよくコンクリートから抜き出る。

 

「ふはははは...中々やるな神殺し! それでこそ我が宿敵、父の仇だ!」

「ごちゃごちゃうるせぇやつだな。つーか別にお前の父ちゃん殺してはねぇよ」

 

 襲ってきたからボコっただけだという燈也。

 しかしそんなことを聞き入れる相手ではない。問答無用で、燈也を父の仇だと位置づける。

 その言動に、燈也は既視感を感じていた。

 

「...これあれだな。ペルセウスと似てるな、こいつ」

 

 不遜で傲岸。一々大仰で、良くも悪くも自分の道しか見ていない輩。

 それはかの英雄、かつて燈也が殺めたペルセウス神によく似ていると燈也は思った。

 その些細な呟きに、まつろわぬ神は反応する。

 

「ペルセウス! 東方の英雄か! 腕だけではなく目も良いらしいな神殺し! だが少し間違いだ、我は彼の英雄程度の英雄ではない! 創世の時代、地上に初めて降り立った英雄の中の英雄だッ!」

 

 雷鳴を轟かせ、高らかに言い放つまつろわぬ神。

 その姿を見て、燈也はうんざりとし、リリアナは天啓を得た。

 

「荒神の御落胤(ごらくいん)、民衆を導く指導者、暗黒の国を焼く(いかづち)の大火.....」

 

 ぶつぶつと、感情を失ったように機械的に呟くリリアナ。

 それを聞き、まつろわぬ神は大いに喜んだ。

 

「ほう! 我が神格を見たか、西洋の姫巫女よ! 良い! 述べよ! 我が名を! 我が誇り高き神格を! 我が許す!」

 

 促されるままに、リリアナはその神の正体を口にした。

 

「あなたは日本の極北、アイヌの地に誕生した英雄神...アイヌラックル!」

「如何にも! 我はアイヌの神! 荒ぶる雷、カンナカムイの息子にして、人間を導く者! 名高き最高の英雄、アイヌラックルだ!!」

 

 

「知らない名だな」

 

 名乗りを完全に無視した燈也の拳がまつろわぬアイヌラックルの鼻っ柱を捉えるまで、あと一秒。

 

 

 * * * * *

 

 

 結論を述べてしまえば、勝ったのは燈也だった。

 

 神すら恐れる当代最古の神殺しであり暴虐の化身、サーシャ・デヤンスタール・ヴォバン。

 イタリア最強の騎士にして(自称)世界で四番目の武闘家、サルバトーレ・ドニ。

 ヴォバンと並んで「当代で最も粗暴な神殺し」と言われる最強の武闘家、羅翠蓮。

 

 そんな化け物達と死闘を繰り広げてきた燈也にとって、今やマイナーな神など取るに足らない存在...とまではいかないが、拳を交えてきたカンピオーネ達と比べてしまえば、アイヌ最強を誇る神ですら劣ってしまう。

 加えて、リリアナが施した対雷神用の術式が面白いようにハマり、アイヌラックルは全力を出せない状態に陥ってしまっていた。そうなってしまえば、あとの結果は目に見えたものである。

 

 しかし、なんだかんだ言っても相手は神。

 いかに自分が不利な状況であろうと、そんなものは関係ないとばかりに暴れ回り、燈也を苦しめた。カンピオーネ達との戦闘経験が無ければ、殺られていたのは燈也の方だったかもしれないと思うほどに。

 その結果として、ホテルを始め、その周辺の街並は退廃した都市のように悲惨なものと化していた。

 騒ぎを聞きつけやってきた護堂が目を背けたくなるほどには悲惨で酷烈なものだったと言える。

 

 暗黒は消え去り、西日の照らす街並みは哀愁を漂わせていた。

 拠点だったホテルすらも戦いの最中に崩壊してしまい、こりゃやべぇやり過ぎたとさすがに反省の色を見せる燈也は、とりあえずコーヒーを啜る。

 

「...まぁ、なんだ。怒涛がすぎるお前の人生には同情するよ」

 

 魔王に励まされる魔王の背中は小さかったと、後にエリカは語った。

 

 

 * * * * *

 

 

 はてさて、そんなことがあっても魔王はいつだって魔王。

 一晩寝たら陰のあった表情も晴れており、とりあえず反省の証として復興費をカジノで稼いでくると言い渡米した。

 その際ロサンゼルスの守護聖人と一悶着あったものの、特に問題なく一国の国家予算レベルで荒稼ぎして世界経済に影響を与えたとかなんとか。

 目が回るほどの大金を渡された正史編纂委員会では金に目が眩んだ連中との内部抗争があったらしいが、そんなものは魔王たる燈也の知る由ではない。

 

 

 その後も、佐久本燈也という神殺しの魔王は世界各地で暴れ続けた。

 

 たまたま来日した羅濠教主に新たなる権能を引っさげて再戦を申し込み引き分け、後に教主に師事し神に届く武道を習得、教主と共に日本に再臨した斉天大聖を撃破(尚、羅濠教主との共闘のため権能は得られなかった模様)、教主の元を離れた後は唯一会った事のないカンピオーネである黒王子アレクの元を訪れ、なんやかんやあって勝負をする羽目になるが勝利、そしてまたもやヴォバンと遭遇して死にかけ、なんの因果かヴォバンと夕食を共にし、アイーシャ夫人の話題で何故か盛り上がり、運命の歯車が二個くらい壊れたのか「トーヤ」「デヤン」と呼び合う仲に、日本に帰ってからは面白半分で護堂の学校である私立城楠学院に転入、つかの間の青春を謳歌している。

 

 

 季節は既に秋に突入しており、木々の葉が深い緑から紅黄へと色を変えていた。

 

「なぁ護堂」

「ん? なんだよ」

 

 学校帰り、新しくできたタピオカ屋に行きましょうと言い出したエリカに連れられ、燈也、護堂、そしてリリアナや祐理、そして何故かカレンにエリカ専属メイドのアリアンナ、加えて護堂の新ハーレム要因である清秋院恵那という見る者が見たら腰を抜かす面々が、タピオカを片手に下校道を歩いていた。

 魔王が二人、タピオカなんぞを食べながら並び歩く姿は非常に異様なものだが、ここ最近は見慣れたものとなってきている。欧州の賢人会では「日本のカンピオーネはとても仲が良い、歴史上初の例だ」としている。

 

「俺さ、なんだかんだで戦ったことのない魔王ってお前とアイーシャさんだけなんだよな」

「.......俺は戦わないぞ?」

「えー」

 

 つかの間の青春、つかの間の平和を謳歌していた燈也だが、そろそろ飽きがきた。ヴォバンのように血湧き肉躍る死闘を求めているわけではないが、少し体を動かす程度の相手が欲しかった。

 

「ちょっとだけ! 十分くらいでいいからさ〜。俺権能ナシでもいいし」

「なんで俺がお前と戦わなきゃならないんだよ」

「このままじゃ体や勘が鈍っちまう」

 

 そこらの魔術師が聞けば奇声を上げて逃げ出しそうな会話だ。

 燈也は何も、相手を選んでいないわけではない。ヴォバンやドニ、アレクと戦えばゲームで終わらないし、羅翠蓮は実質的に燈也の師匠であってゲームの相手にはならない。アイーシャは戦闘向きではないし、アニーは闘争を望んではいなかった。かと言ってそこらの魔術師呪術師では相手にならず、人類最高峰の武闘家ならば文句はないが、そんな達人はその辺にゴロゴロ転がっているものでもない。

 故に護堂なのである。

 

「佐久本燈也。お控え下さい。魔王の遊戯は、人類にとっては災厄に等しいものです」

 

 護堂に強請るような視線を向ける燈也を、彼の騎士でもあるリリアナが諌める。

 彼女とて、燈也が護堂相手に本気になって殺し合いをするとは思っていない。本当に手合わせ程度の感覚で、修練の一環のつもりなのだろうことは分かっていた。

 だが、そのせいで発生する被害がゼロとは限らないということも知っている。

 ちぇっ、と不満そうに漏らした燈也は、残っていたタピオカを一気に飲み干した。

 

「神が降臨しろとは言わねーけど、なんか面白いこと起こんねぇかなぁ」

 

 その言葉がトリガーだったのかもしれない。

 言葉には力が宿ると、昔からよく言われてきた。俗に言う「言霊」というものだ。

 内心に留めておけばいいものを、燈也は不用意にも口に出してしまった。故に、その言葉には霊力が籠る。言霊から有を生み出さんがため、願望が現実の事象に影響を与えようとするがために、歯車が廻り始めた。

 

『「なんか面白いこと起こんねぇかなぁ」? よろしい、ならば転移だ。世界の危機でも救ってこい』

 

「は?」

 

 誰の声だったか。

 その場にいた八人全員に、謎の声が届いた。上から聞こえてくるような、下から聞こえてくるような。出処を掴まさせない、頭に直接響くような声だ。

 そして次の瞬間、燈也の足元が強く光る。

 

「うっわ何これすっげぇ既視感!!」

 

 燈也の焦ったような叫びという珍しいものを聞きつつも、突然の出来事すぎて誰もその場を動けない。

 眩い光に包まれた燈也は、その光が無くなった後、その場に残ってはいなかった。

 

「お、おい...? おい燈也!? どこいったんだよ! ...くそ、一体何が...!?」

「護堂! リリィもいないわ!」

「カ、カレンさんもですぅ...!」

 

 跡形もなく、影すら残さず。世界を股に掛けた若き魔王とその従者達は、忽然と世界から消え去った。

 

 

 




どうしても雷系の権能は持たせたかったんです...リメイク前のオリ主くんの象徴的な能力だったので...許して...。

さて次行こう次。
サクッと世界の危機でも救っとこ。


《魔を祓い轟けよ雷鳴》
アイヌの英雄神アイヌラックルより簒奪した第3の権能。詳細不明。


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Fate/Grand Order
白は潔白の証っていうのは嘘だよ


※この話は独自解釈、ご都合主義、こじつけ、無茶のゴリ押し等が多々含まれております。苦手な方はどうか気を付けてください。

前回、今までの倍くらいにまで増えるお気に入り登録数と上がる日間ランキングに反比例するかのように評価がだだ下がりしていったのを見て、意味がわからずに一生首傾げてました。


 

 

 

 

「...おや? ふぅむ、これは予想していなかった」

 

 

 遥か彼方、世界の理から外れた理想郷。

 色鮮やかな花々が咲き乱れ、柔らかな陽射しが射し込む白亜の塔。

 永遠に閉ざされた牢塔で、とある男が呟く。

 

 

「まさか、このタイミングで“彼”が介入してくるとは」

 

 

 心底驚いたという風に、男は僅かに目を見開いた。

 

 

「だが、これは僥倖だ。うん、僥倖僥倖。これで万が一も無くなった」

 

 

 うんうんと一人頷き、塔の窓から“外”を見透す。

 その目にあるのは、これから訪れるであろうハッピーエンドへの期待。星が導く人理の勝利。男がこよなく愛する『美しいもの』を生み出す者への祝福の色だ。

 

 

「“彼”の行いは星の意思。正常な時間軸から外れた特異点では抑止力(ガイヤ)は働かないと思っていたが...そうか、星の悲鳴を受信した異聞の干渉があったのか。外宇宙の存在の手助けなら、星の理は通用しない」

 

 

 それは憶測だったが、限りなく正解に近い推測だ。

 男は微笑み、楽園の端から星の意思を見守る。来たるべき未来(過去)で“彼”と相見えることを、男は心のどこかで愉しみだと思っていた。

 人間に興味のない男だが、“彼”は少し別らしい。

 

 

「この滅びゆく世界を、さて、キミはどう救う? 異星の王、究極の守護者(カウンターガーディアン)よ」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 既視感アリアリの謎光に包まれた燈也、リリアナ、カレンの三人は、気が付いたら大空の中にいた。

 

「ちょっ──」

 

 いち早く地上()を見たカレンの息が詰まる。

 落下による風圧も加わり、とても口が開ける状況ではなかった。彼女も魔女とはいえ、未だ見習いの身。突然で唐突な自由落下など、失禁していないだけで十分褒められる。失神はしたようだが。

 

 一方リリアナは、現状で適用できる魔術はないかと思考を巡らせていた。自分が助かるためのものではなく、カレンを助けるための手段を模索する。主である燈也のことは放っておくスタイルのようだ。是非もない、彼は自力で空を飛ぶ。

 

 そしてそんな燈也はと言えば、

 

「芸がない」

 

 まるで数泊したホテルの一室にいるかのような、妙な落ち着きをみせていた。さすが、三回目ともなれば慣れている。

 下からかかる風圧をものともせずに体勢を整えた燈也は、慌てることもなく聖句を唱えた。

 

「《天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり》」

 

 炎を纏った戦車が降臨し、一緒に落下していたミルクティーが蒸発する。

 失神してしまったカレンとリリアナを後ろの超快適空間にぶち込んだ燈也は、運転席で手綱を握った。

 

「さて...どこだ? ここ」

 

 旋回しつつ、燈也は眼下を見下ろす。

 そこにあったのは、荒れ果て干からびた大地。荒れた...というより、生を感じられない土地だった。草木の一つ、昆虫の一匹すらも見当たらない。

 遠くには岩肌の山脈、逆側には嵐の砂漠が見える。とても生命が生きていける環境ではない、そんな大地だ。

 

 このまま地上に降りるのもどうだろうとしばらく旋回を続けていた燈也だったが、そんな彼らを地上から登ってくる力の奔流が襲う。

 

「.....あ?」

 

 天を駆ける戦車は、ジェット機に迫る速度とジェット機を超える小回りを誇る。遠距離からの攻撃を避ける程度は他愛もない。

 危なげもなくその奔流を避けた戦車は更に速度を上げつつ、攻撃と思しき奔流の起点を正面に据えた。

 カンピオーネになったことで格段に上がった視力でそちらを睨む燈也。彼の視線の先には、一騎の騎馬の姿があった。

 

「人間か? あれ」

 

 こんな死んだ大地に生命があることに驚きつつ、燈也はじわじわと騎馬との距離を詰めていく。

 その際にも、ほぼ絶え間なく騎士がビームのような赤雷を飛ばしてきていることから、少なくとも友好的な存在ではないことを理解した。

 

「敵、って決めつけることもないけどな」

 

 言いつつ、燈也は戦車を飛び降りた。戦車は空を駆けたままであり、燈也が離れてもコントロールを失った様子はない。

 飛び降りた燈也は地上に着地し、間をおかずに騎馬へと接近した。

 騎士が赤雷を出す前に懐まで入り込み、突っ張りの容量で馬上からはたきおとす。

 

「ってェな、ンだてめぇ!!」

 

 地面を転がった騎士が吼えた。

 兜越しだからか多少くぐもってはいるものの、その声は少しだけ高い。

 

「何だてめぇってのはこっちのセリフなんだが。突然雷なんてぶっ込んできやがって。つーか赤い雷って何?」

 

 倒れる騎士を見下ろす形で、燈也は立つ。

 その構図に余計腹を立てたのか、騎士は赤雷を撒き散らしながら立ち上がった。

 

「黙れ! 叛逆者共の首が無いんだ、代わりにテメェの首を獲ってやる!」

「何言ってんだこいつ」

 

 叛逆者だとか、代わりだとか。燈也にとってはとんと話が見えてこない単語の羅列だ。

 しかしながら、分かったこともある。目の前の騎士は明らかに味方ではない、ということだ。

 

現地調査(フィールドワーク)は大事だ。その為には現地に詳しい奴隷(案内人)がいる。お前もそう思うだろ?」

「何言ってんだテメェ。ハッ、諸共に消し飛べ!」

 

 吼える騎士は、赤雷を纏った両手剣を、力任せに片手で振り回す。

 およそ剣技とは言えないそれは、有象無象にとっては暴力の顕現に写るだろう。実際、その騎士は強い。

 しかし羅濠の元で武芸を習得した燈也にとって、それは児戯に等しい稚拙な刃。型に嵌らないと言えば聞こえはいいが、そも、型とは技の集大。僅か一滴の水滴が大河になるように、先人達が長い時間と優れた才覚を持って築き上げてきた“型”は、粗雑な荒波を容易く破る。

 

 最小から最大を。

 僅かに踏み込んだ燈也は、左手の甲で剣の腹を撫でる。軌道が逸れた剣は、ぶつけどころを失った慣性と共に燈也の後ろに流れ、騎士の体を燈也へと近付けた。

 

「──フッ」

 

 短く息を吐いた。剣を払った手とは逆、右手を握る。

 両足を大地に根付かせ、足から腰、腰から肩、肩から腕へとその力を相乗させながら伝達していく。

 何倍にも膨れ上がった力が燈也の右拳に乗り、それは分散することなく騎士の体を打った。

 

「──────」

 

 声もなく、ただ肺から息が吹き出る音がする。

 鎧の上からでも十分にその威力は発揮され、騎士の体はまるで強打者に打たれたライナー性の鋭い打球のように、地面とほぼ並行な直線を描いて飛んでいく。

 

 だいたい四十メートルほど飛んだ騎士は、一度バウンドし、そこから更に二十メートルほど転がった。地面と鎧が擦れる度に砂塵が舞い、死んだ大地を抉り取る。

 常人ではまず生きていられない。人類最高峰の武芸者であっても生存は怪しい。そのレベルの攻撃を喰らった騎士は、だが、絶命することはなかった。

 

「──ぁっ、ガハッ、ぅ...!」

 

 吐血でもしたのだろうか。兜と鎧の付け根、首の辺りから血が流れ出す。

 窒息を間逃れるために、騎士は兜を取り払った。取り払ったというよりは胴の鎧に収納したと言うべき動作だったが、些細なことだと燈也は無視する。

 

 太陽の下に晒された騎士の顔は、血で染まっていた。吐いた血が顔面に付いているのだ。

 その為、詳細な顔相は分からない。分かるのは、血で染まって尚爛々と輝くエメラルドの瞳と、少し(くす)んだ金の髪色だけ。

 虫の息でも消えない、その瞳に篭った闘志。瞳の色も合間り、どうにもかの狼王を思い出してしまう。

 

 燈也は騎士に歩み寄り、転がる騎士を見下ろした。

 

「お前、なかなかいいな」

 

 久しぶりの実戦に、燈也は僅かではあるものの喜んでいた。

 しかも相手は強い。技は無く、粗雑の一言に尽きる戦闘スタイル。だが、有り余るセンスがその全てを超越せんと言わんばかりに荒れ狂っている。まるで野生の獣、それも人を喰らう猛獣だ。

 

「ヒューッ...! ヒューッ...!」

 

 犬歯を剥き出し、ままならない呼吸で苦しみながら、その瞳が(かげ)ることはない。『殺してやる』と、そう今にも聞こえてきそうなほどだ。

 本来なら、ここで殺しておいた方がいいのかもしれない。後々の禍根ななる可能性が高いし、この獣を飼い慣らすことは至難の業だろう。

 

 しかし、燈也がとった行動はそれとは全くの逆。即ち、騎士の回復であった。

 何処で学んできたかも分からない回復魔術を使い、騎士を癒す。傷は塞がり、その影響で騎士が体の動きを取り戻した。

 

「死ね!!」

 

 白銀だった剣が赤黒く染まり、その凶刃が燈也の首を狙う。

 岩をも斬り裂く剣を、燈也は片手で止めてみせた。騎士はまともに力を溜める時間もなく、今の一撃も全力の一閃ではなかったが、それでも騎士を驚愕させるのには十分すぎる。

 

「ナニモンだテメェ.....!」

 

 思わず、騎士は尋ねた。尋ねずにはいられなかった。

 自信の剣を受け止める者などそうそうおらず、加えて今の騎士は普段よりも数倍の強さを持っている状態だった。騎士に油断慢心がなかったと言えば嘘になる。だがそれでも、騎士が敵に回そうとした燈也という魔王は異質が過ぎた。

 

 問われた燈也はと言えば、余裕を持っていた。

 それは自分の優位を示す余裕であり、相手を萎縮させる余裕だ。絶対的強者、抗うことのできない存在。そんな自分を相手に想像させる。勝負は気から。そういう考えの下の態度だった。

 

「なに、ただの魔王様だよ。それで、そういうお前は?」

 

 新たなる異界での戦闘は、魔王の勝利で幕を下ろした。

 

 

 * * * * *

 

 

 リリアナ・クラニチャールは混乱していなかった。

 

 訳も分からず突然大空へ放り出され、よく分からないうちに空飛ぶ戦車の車内に放り込まれ、降りてみれば主である魔王が見知らぬ騎士を縄で縛っていようとも、彼女は混乱などはしなかった。

 王の奇行蛮行はいつものことだし、燈也とヴォバンが同じテーブルで食事を摂っているところをとあるテレビ中継でなんの前触れもなく突然目撃した時よりかは幾らかマシな事態だった。

 その代わり、脳の奥底から鈍い頭痛が襲ってくる。

 

「...どういう事態ですか、これは」

 

 こめかみを人差し指と中指で摘みながら、リリアナは問う。

 

「この円卓の騎士とやらが襲ってきたから返り討ちにした」

「ああ、はい。そうですか。円卓の。.....円卓の騎士!?」

「そこらの円卓の騎士と一緒にすんなよ、ガキ。オレは円卓最強の騎士、モードレッド様だ」

「叛逆の騎士!?」

 

 リリアナ・クラニチャールは混乱した。

 

 

 

 カレン・ヤンクロフスキは錯乱していた。

 最後の記憶は、眩い閃光に包まれて視界が奪われたこと。大空へ放り出された辺りはあまりの衝撃に記憶が飛んでいるらしい。

 視界が真っ白に染まったあと、目を見開いてみればそこは見知らぬ土地。見渡す限りの死んだ大地と、空に輝く惑星レベルの巨大な光輪。

 隣では主たるリリアナが、その主である燈也と縛られた見知らぬ騎士に何やらギャーギャーと物申している最中だった。

 

「えと.....?」

 

 とりあえず乱れたメイド服(日本製)を正し、主達の会話に耳を傾けてみる。

 

「円卓!? 円卓ってあの円卓ですか!?」

「応よ! 獅子王が率いるあの円卓だぜ!」

「いや、知らんけど」

「獅子王とはなんですか獅子王とは! リチャード一世のことではないのですかそれは!」

「はぁ!? テメェ、父上をそこらの王と間違えてんじゃねぇぞ! アーサー王に決まってんだろ!」

「いや、知らんけど」

「そんな...まつろわぬランスロットは数年前に確認されたという記述が賢人会の資料にはあったが、まさかまつろわぬアーサーやモードレッドまで...!?」

「なぁなぁ。こいつ、さっきから何言ってんだ?」

「いや、知らんけど」

 

 もうめちゃくちゃだったしぐだぐだだった。

 混乱を越え錯乱し、いっそ冷静になってきたカレンは、再度周囲を見渡した。

 

「.....()っついですねぇ...」

 

 気温五十度前後。肌を刺すような日差しがカレンの柔肌をゆっくりと焼く。

 

「お、カレン。目ぇ覚めたか。ほれ、水。飲んどけ」

 

 ギフトカードから水の入ったペットボトルを取り出した燈也は、それをカレンへと投げ渡す。

 突然飛んできたペットボトルをキャッチできず、一度地面に落としてから拾うカレン。その目は燈也への非難の色が浮かんでいたが、文句を口にすることはない。

 

 そんなカレンの目に気付きながらも無視した燈也は、パンっと響く柏手を打った。

 

「ほらお前ら、カレンも起きたしそろそろ行くぞ」

「...行く、とは?」

 

 リリアナが問う。

 こんな訳の分からない場所に引っ張りこまれて、一体どこに行くと言うのか。本当に分からなかった。

 

「とりあえずは円卓の騎士がいるっつー“聖都”だな」

「ハッ! お前らじゃ聖都には入れねぇよ!」

「お前人質にすればいけんだろ、円卓最強の騎士サマ」

「それこそ無理ってもんだ。なんたって、オレに人質の価値なんざねぇからよ! 残念だったな!」

「言ってて悲しくない?」

 

 まぁどうでもいいけど、と燈也は続ける。

 

「とりあえず、だ。まずは聖都に向かう。食料調達しなきゃなんねぇしな」

 

 言って、燈也は日輪の戦車を再度召喚する。

 納得のいっていなさそうなリリアナとある意味落ち着いているカレンを車内に乗せ、燈也は縛ったモードレッドと一緒に運転席へ乗り込んだ。

 

「それで、聖都ってのは...どっちだ?」

「教えねーよ」

「んー、あっちだな。ここから東の方」

 

 僅かに目を見開いてから沈黙するモードレッドの態度を答えと取り、燈也は戦車を走らせる。

 

「フン、勘は良いみたいだな。それともただの運か?」

 

 モードレッドが囀る。

 縛られながらも、その態度が軟化することはない。

 

「まぁ? お前はあの叛逆者共とは違う勢力らしいしな。あの尼野郎と一緒で、ハナっから殺されるこたぁねぇだろうよ」

「尼...野郎?」

 

 あまりの矛盾に疑問符を浮かべる燈也だったが、一々気にしても仕方がないなと頭の端っこに追いやる。

 

 

 

 

 

 空を走ること、数十分。

 燈也達の目の前には、巨大で荘厳な白亜の城塞が構えていた。

 

「あれが獅子王ってのの居城か...これまたデカいな。見栄っ張りめ」

「父上は壮麗だからな!」

 

 胸を張るモードレッドを横目に、燈也は手頃な位置に戦車を下ろす。

 荒野の中で異彩を放つ、純白の豪華絢爛な城塞都市。戦車から降りて数十メートルはある壁を見上げていると、一人の騎士がこちらへ歩み寄ってきた。

 黒い服の上にファーの付いた豪華な造りのマントを羽織り、白銀の篭手を両手両足に装備している、ブロンドの紳士然とした男だ。

 

「(.....強いな)」

 

 燈也をして、そう評価せざるを得ない。

 モードレッドも強かったが、目の前の騎士は桁が違う。正攻法で倒すのは難しそうだという、カンピオーネとしての勘が働いていた。

 

「はじめまして、異邦の者よ。私はガウェイン、円卓の騎士です」

「佐久本燈也だ」

 

 紳士然とした男は、やはり紳士然とした仕草で燈也へ語りかける。

 その最低限の返礼として、燈也は自らの名を名乗った。

 

「では、ミスター。王がお待ちです。どうぞこちらへ」

「はぁ!? 父上がこいつを!?」

 

 燈也を城塞の中へと促す騎士──ガウェインと、それに不信を抱くモードレッド。縛られた体をエビか何かのように跳ねさせ、自らの存在をアピールする。

 

「黙りなさい、モードレッド」

「アグラヴェインはどうした! あいつが、こんなやつの謁見を許すわけがないだろ!?」

「黙れと言っているんです。アグラヴェイン卿は、例の山の翁を捕らえている砦へと向かいました。これはアグラヴェイン卿の意思ではなく、王のご決断。反論は認められない」

 

 燈也の知らない人間を話題に上げつつ、ガウェインとモードレッドは話を進める。というよりも、モードレッドが窘められている感覚か。

 どちらにせよ、そんなものは燈也にとって関係のないこと。良いと歓迎されようが、悪いと拒絶されようが、決めるのは王たる燈也だ。

 

「会ってみようか、その獅子王...アーサー王とやらに」

 

 早く案内しろ、と燈也はガウェインを促す。

 それに応じたガウェインは、モードレッドから視線を切って燈也達に背を向けた。ついてこい、という意思表示らしい。

 

「お前らも来い。ここじゃ熱いだろ」

 

 そう言って、戦車からリリアナとカレンが下車した。

 振り向いたガウェインが一瞬目を輝かせ、ある一点を見て落胆し、そして再度紳士然とした自己紹介をする流れがあるのだが、カリバー案件なので割愛。

 

 

 * * * * *

 

 

 燈也、リリアナ、カレンの三人は、燦然とした王宮の廊下を歩いていた。

 射し込む太陽の光が反射し、白く輝く王宮。外界の荒野とは違い、緑や水が見られるそこは、まさに楽園の如く。目に映る悉くがひどく神秘的で、少女たちだけでなく、燈也の目すらも奪っていく。

 

 そんな風景を眺めること、十数分。

 長い長い階段を登り切ったその先に、一際清廉で潔白で、それでいて全てを拒むような、そんな広間が現れた。

 

「お待たせしました、王よ」

 

 まるで高次の世界をそのまま引き下ろしてきたような、厳格な場所。

 壁際には、全身を甲冑に包んだ騎士たちが鎮座している。ピクリとも動かない彼らは本当は置物なのではないかとすら思えるが、そこには確かな気配があり、張り詰めた空気の一部として機能している。

 

 そんな空間の中において、比類なき豪奢な椅子があった。豪奢とはいっても、広間との調和は測れており、嫌味な高級感は感じさせない。寧ろ、ただそこに在るだけで、その空間をより一際荘厳なものへと昇華している。

 下手な人間が座れば、たちまちその椅子の存在感に飲み込まれてしまい、周囲の目からも隠れてしまうかもしれない。そう思わせるほどの椅子だった。

 この厳格な空気を作っているのはその椅子である。そう言われても納得せざるを得ない光景ではあるが──椅子を超える神秘を纏った者が、そこにはいる。

 

「──ご苦労」

 

 一言、告げる。

 ただの労いの言葉だが、まるで言葉そのものが“重み”を持ったかのように、場へと重くのしかかった。

 ガウェインはその言葉を難なく受けるが、余波を喰らった少女たちはたまったものではない。神と対峙したことのあるリリアナはまだしも、カレンにとっては過呼吸を起こしかねない程の重圧だ。

 

 燈也達は、嫌でも理解する。

 彼の者こそが獅子王。この清浄なる城塞を支配する、偉大なるアーサー王であると。

 

「──よくぞここまで来た。歓迎するぞ、隷属者よ」

 

 鬣を思わせる甲冑を取り、アーサー王はその素顔を晒した。

 純白の鎧に身を包まれたアーサー王は、あきらかに女性である。語り継がれた伝記とは異なる性別。その事を気にする者など、今更いない。気にすることができないだけの理由もあった。

 

「──────あ?」

 

 場が移り変わったと、アーサー王と燈也以外がそう錯覚した。

 荘厳で静謐だった広間は、一変して死を思わせる煉獄と化す。

 

 その発端は、言うまでもなく燈也だった。

 彼の放つ怒りが。獅子王と比肩する重力となり、場を押し潰す。

 

「気を悪くさせたか? だが事実だ。貴公は万人の隷属者たるが故に、この時代、この特異点へと召喚された。そうだろう」

「ちげぇよ、何言ってんだテメェ。俺は“王”だ。誰にも隷属なんかしちゃいねぇ」

 

 言葉の大砲が応酬する。

 円卓の騎士であるガウェインやモードレッドですらたじろぎ、カレンに至っては白目を剥いてしまうほどの高火力の舌戦。

 女神たる王と、勝者たる王。彼らの言葉に込められた密度は、普通のそれとは桁が違う。

 

「ふむ。隷属者、という言い回しが気に食わないか。では言い方を変えよう。人理の守護者...は、かのカルデアにこそ相応しいか。であれば──」

「ごちゃごちゃとうるせぇな。佐久本燈也、箱庭第2105380外門《ヨグソ・トース》リーダー、神殺しの魔王。それが俺だ」

「...神殺しとは、私を相手に大きく出たものだ。以前に神を殺めた経験でも?」

「四回くらいな」

「...そうか...。では神殺し、佐久本燈也よ。改めて、貴公の来訪を歓迎しよう」

 

 若干微妙そうな顔をした獅子王は、気を取り直したかのように言葉を紡ぐ。多少言葉の圧は和らいだが、それでも彼女の言葉は一つ一つが厳格だった。

 

「歓迎される理由が分からん。...いやまぁ、こっちから押しかけといてなんなんだけどな」

 

 対する燈也も、言葉から棘を取り去り、体の力を僅かながらに弛緩させていた。今ここで戦う意思はなくなったということの証明なのだが...その程度の差異を理解できるのは、この場においては獅子王ただ一人。

 完璧な騎士と謳われたガウェインは、いつでも愛剣、転輪する勝利の剣(エクスカリバー・ガラティーン)を摂れるように気構えしている。

 

 それはリリアナとて同じことで、彼女は気絶してしまったカレンを支えつつも、いつでもイル・マエストロを抜けるように準備していた。

 

 しかし、そんな二人の思いは無意味だ。

 

「理由など言うまでもない。いずれこの世界は滅びる。有り得ぬことではあるが、魔術王との決戦もないとは言い切れぬ。だから私は欲したのだ。貴公の力を、星の願いたる貴公自身を」

「...待て。話が見えん。世界滅亡だとか魔術王だとか、もっと分かるように話せ」

「...? “星”から何も伝えられていないのか?」

「何も聞いちゃいねぇよ」

 

 不満そうに語る燈也へ、獅子王はふむ...と考え込む仕草をとる。

 

「特異点は、彼らの干渉が届かぬ断絶の間。であれば、それもまたありえる話だ。──では語ろう。人理の焼却と、その黒幕について」

 

 

 

 




獅子王は主人公の性質を履き違えています。


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もっきゅもきゅにしてやんよ

 

 

 

 

 

 

 結論を言ってしまえば、女神(獅子王)神殺し(魔王)は訣別した。いや、しかけた(・ ・ ・ ・)、という方が正しいか。

 

 

 獅子王の語りに耳を傾け、獅子王の所業を知り、人理の行く末を知った。

 その上でなお、燈也は獅子王の思惑を否定する。

 それは人理の未来を憂いたわけでも、魔術王の大偉業に憤ったわけでもない。言ってしまえば、燈也にとって人理など視野にも入っていないのだ。

 見知らぬ世界の、預かり知らぬ火事だ。進んで関わろうとは思わない。

 

 しかし、それを良しとしないのが獅子王だった。

 人理の保管者たる(予定)の自らを肯定しない者は、彼女の正義に叛する“悪”だ。

 故に、闘争が勃発するは必然の理。もとより、女神と神殺しが顔を合わせた時点でこうなることは決定付けられていたのかもしれない。

 

 分は、僅かながら燈也にあった。

 全力の技と、全霊の権能。神を屠り、天上を敗者たらしめる勝者(カンピオーネ)の渾身。その全てを使って、燈也は獅子王を押した。

 あと一歩。残り二秒もあれば聖槍を破壊できるかという刹那。

 魔王の泣き所とでもいうべき、従者たる生身の人間。リリアナとカレンが、その首筋に一閃の傷を受けた。薄皮一枚ではあるが、確かな傷だ。

 下手人は、壮絶を前に割り込むことすら出来なかったガウェイン──ではなく、無言を押し通していたフルアーマーの騎士たちだった。

 

 人質を取られた燈也は大人しく拳を下ろす。

 対する獅子王も、彼に追撃などはしなかった。代わりにリリアナたちを人質とした騎士たちを一掃する。

 

 

 一度訪れた空白。

 しかし、その空白に再び戦場が写し出されることはない。その前に、このままでは負けることを悟り、かつ非礼を詫びるという獅子王が槍を収めたのだ。

 ありえないことだ、とガウェインは目を見開いた。

 あってはならないことだ、とモードレッドは憤った。

 

 しかしながら現実として、燈也は獅子王に矛を収めさせた。

 燈也としても、無抵抗の相手を殴ろうという気はない。図らずも特異点そのものを破壊しかけた戦いは、ここに幕を下ろす。

 

 

 

 

 というわけで。

 

「どうにも、ここの飯は味気ない」

 

 燈也は今、食客として聖都に腰を落ち着かせていた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「どうにも、ここの飯は味気ない」

 

 食卓に並び、もしゃもしゃと皿に盛られたものを口に運び咀嚼する俺──佐久本燈也は、不満を隠すことなく打ち明けた。

 それもそのはず。俺は世界各国を巡り、その各地で魔術師だか宗教徒だかのと名乗る胡散臭そうな成金どもに、接待として各地の美味い飯をたらふく食わされてきたのだ。そんじょそこらの美食家並には舌は肥えていると言っても過言じゃない。

 そんな俺の前に、ほぼ毎日出される聖都の食事。それは、ポテトをマッシュしただけの、シンプルにシンプルを極めたものばかりだった。

 

 いや、一日で飽きるわこんなもん。

 

「そうですか? 生前から、ポテトにブレット、そこにエールとビネガーがあれば私は満足ですが」

 

 そうのたまうのは日中三倍ゴリラこと、ガウェインだ。

 毎日毎日、彼は律儀にポテトをマッシュマシュにしているらしい。そのポテトに拘る執念が怖い。

 同じくマッシュポテトを辟易とした表情で見つめるリリアナが、ふとした疑問を抱く。

 

「というか、なぜ円卓の騎士がジャガイモを...? この作物は南米のものでしょう。当時のブリテンには存在しないものだと思いますが...」

 

 それ以上はいけない(スプリガン)

 

「つーかよ、なんで騎士が飯作ってんだよ。コックはいねぇのか」

「何分、聖都の民は“聖抜”に選ばれた者しかいない。調理を生業としている者は限りなくゼロですし、何より我らも彼らも食事を重要視していないので」

 

 つまり、ろくに料理するやつがいないと。

 これは由々しき問題だ。俺の精神衛生上よろしくない。

 

「カレン。お前、明日から厨房入れ。メイドの本領だろ」

「私の本業は魔女なんですけどね。見習いですけど」

「安心しろ、カンピオーネ()付きって時点でそこらの魔女より上だ。なんなら俺の魔力の一つや二つ、供給()してやろうか?」

「謹んで遠慮します」

 

 相変わらず、このメイドは肝が据わっている。

 どっかの国で会った魔術結社の長は俺を見た瞬間土下座する勢いで平伏してきたってのに。度胸だけなら確実にその長より上だ。

 

 それはそうと、カレンには明日から厨房へ入ってもらうことになった。これで明日からの食事についてはひとまず大丈夫だ。そろそろノイローゼになりそうだったからな。芋しか受け付けない体にならなくてよかった。

 

「おや、明日の食事はそこの可憐な少女(レディ)が用意してくれるので? ありがたいことです。ポテト地獄にはさすがの私も飽きがきていたところだったので」

 

 ポロロン、と弦楽器を奏でるのは赤毛の騎士。名をトリスタンというらしく、盲目の弓兵だ。弓って言っても、武器は楽器だけどな。なんでも、音色を斬撃として飛ばすから弓兵なんだとか。意味分かんねぇ。

 

「ふん。食事など、王より魔力を拝受している我らにとっては不要なものだ。限りある資源の無駄でしかない」

 

 そう鼻を鳴らすのは、円卓の補佐官でもあるアグラヴェイン。眉間にシワの寄った彼は、俺への敵意を消さないまま、俺を食客として受け入れている。まぁ俺としてもそっちの方がやりやすいところもあるため、特に気にしてはいないのだが。

 

 しかし、彼の今の発言は些か頂けない。

 食事はエネルギー補給のためだけの行為ではない。美味しい食事は英気に繋がり、ここぞと言う時の底力にもなり得る。美味い飯、というのは案外侮れないものだ。うちのコミュニティにも優秀なコックの一人や二人は欲しい。

 カレンはほら、侍女だから。料理専門の子じゃないから。

 リリアナが作る飯も美味いけど、道を極めんとする本職のやつらには劣る。まぁリリアナは大騎士であり魔女。一般家庭より上の調理スキルを持っているだけで十分に凄いことなんだが。

 

「おい、アッくん」

「アッくんと呼ぶな」

「本物の“料理”ってやつを見せてやる、アッくん」

「アッくんと呼ぶな」

 

 袖を捲る仕草をし、俺は席を立つ。

 空になった皿を持って俺が向かうのは、この宮殿の厨房だ。九割は獅子王の食事を作るために機能しているというこの厨房は、どこから取り寄せたのかイマイチ分からない食材がたくさんある。海魔肉ってなんだろう、魚介類の何かなのかな。

 

 皿を水に付けた後、俺は食料庫を覗いた。

 海魔肉を初めとして、ゲイザー肉、スフィンクスの涙、フグ鯨などなど、見たことも聞いたこともないラベルの貼られた食材が並んでいる。なんだこれ、ロースバナナ? 肉なのかバナナなのかはっきりしろ。

 そんな奇天烈食材たちを一旦無視し、俺は見知った食材たちを引っ張りだす。

 

 俺が何をしようとしているのか。そう、料理である。それ以外だったらなんだってんだって話ではあるんだが。

 アッくんに本物の料理を見せるため、俺という一人のエセ美食家は立ち上がった。世界各国で味わった料理の品々、そこから学んだ俺の調理テクを見ろ。

 え? そんな自信があるんだったらお前が飯作れって? やだよ、人が作ったもん食う方が美味いもん。

 

 さて、まずはライトに。中東で屠った魔術結社がご馳走してくれたバターピラフを。なんでも数日前まで聖都にいたとある人物が大量に米を置いていったとかで、今聖都では米が有り余っているらしい。だってのに米を使った料理が出てこないというのは何事か。

 

「バターだけだとちょいもの足りねぇかな...鶏肉入れっか」

 

 バターチキンピラフに変更となった。微調整だ微調整。

 食材を切り、炒める。重要なのは火力だ。強火で豪快に!だけが料理じゃない。当たり前か。

 火を使いこなすことで、食材から溢れ出る美味さは段違いになる。ってフランス辺りの高級レストランの料理長が言ってた。

 

 

 

 暫くしてバターチキンピラフが出来上がり、それを意気揚々と食卓に運ぶ。

 

「ふっ、おあがりよ」

 

 俺はキメ顔でそう言った。

 

「おぉ! うまそーじゃねぇか、いっただっきまーす!」

 

 いつの間にか外回り()から帰ってきていたモードレッドが食い付く。熱いから気をつけろよ。

 

「ん、んっ! んめぇ!! なんだこれうめぇ! ポテト以外の味がする!」

 

 それ本当に褒めてる? 舌と頭がバカになってるだけじゃない?

 多少訝しんだが、モードレッドだけでなくトリ公や三倍ゴリラ、リリアナやカレンも美味いと言っているからきっと美味いんだろう。集団味覚オンチになった説は拭いきれない可能性ではあるが。

 

 アッくんも一口、スプーンで掬って口に運ぶ。

 

「...ふむ、悪くない」

 

 アッくんの悪くない頂きました。

 

「しかし」

 

 しかし?

 

「塩気が足りんな。あとひとつまみ、と言ったところか。それから鶏肉。焼く前に砂糖や酒を染み込ませると肉がパサつかない」

 

 ほあ?

 

「バターは多いな。もう少し少なくて良いだろう。ほかにも多々あるが...まぁ妥協点として“美味い”」

「ほ、っほぅ...?」

 

 何それ。お前美食キャラなの? じゃあ「食事など不要だキリッ」とか言うなし。

 てか普通に傷付いた。俺のプライドが傷付いた。

 

「待ってろアッくん、次の料理を作ってきてやる!」

「アッくんと呼ぶな」

 

 馬鹿野郎コノヤロウ! お前、俺はやるぞお前!

 

 

 

「魚介ラグーソース和えパスタ!」

「魚...これはタラか。ふむ、悪くない。しかしあと塩をもう一振り、生クリームは多いな」

 

「鮭ときのこのバターホイル焼き!」

「味を付けすぎだ。鮭本来の味を殺してどうする」

 

「真鯛の土鍋飯!」

「魚介が続きすぎだろう。これでは飽きがくるわ。それから砂糖を少々入れてみろ、王好みになる」

 

「かぼちゃプリン!」

「もう少し柔らかめが王の、ついでに私の好みだ」

 

 

 結構アッくんの舌を真に唸らせることはできず、俺は力不足を痛感せざるを得なかった。やっぱり食べただけじゃその味の再現は難しかったか...。

 

 ...あれ。なんで俺、こんなに一生懸命料理なんかしてるんだろう?

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 時は少し遡り、燈也と獅子王がドンパチ小戦争をカマしていた頃。

 

 山の民が隠れ住む村の一つにて、人理継続保障機関「カルデア」の一行は、村をあげての葬儀に参列していた。

 

 誰の葬儀か。犠牲になった村人達の葬儀だ。

 何の犠牲か。獅子王の軍勢による蹂躙の犠牲だ。

 

 湖の騎士に、悲しみの子。二人もの円卓の騎士...獅子王の騎士に襲われた村の被害は甚大であり、捧げる冥福の祈りも一つや二つではない。

 凄惨な現実を前に、カルデアのマスター──藤丸立香は奥歯を噛む。

 

 沈痛を浮かべる藤丸の隣で、身の丈を越えるほどの大盾を持った華奢な少女が、震えた声を絞り出した。

 

「どうして、ここまで...っ」

 

 彼女の声には、憤りと困惑の色が滲んでいる。

 無辜の民を躊躇いなく殺す獅子王やその騎士達へと憤りと、あのアーサー王がどうしてここまで“堕ちた”のかという困惑。いや、そもそもまだ少女には、これが本当にアーサー王の所業だと信じられず、また信じたくもなかった。

 

 俯く少女に、藤丸立香は拳を握ったまま声をかける。

 

「...行くぞ、マシュ。アトラス院に急がなきゃ」

 

 マシュ。そう呼ばれた少女は、唇を強く結び、藤丸の指示に従う。

 拭いきれない感情を胸に村を出ようとするカルデアの一行に、背中から声がかかった。

 

「よう、もう行くのか」

 

 声に反応し、藤丸は跳ねるように振り向く。

 同じくマシュも振り返り、そして驚愕の声をあげた。

 

「アーラシュさん! もう起きて大丈夫なのですか?」

「おう! 藤丸がくれた魔力と、藤太殿の美味い飯を食ったからな。怪我の方はもう全快したぜ」

「さ、さすが大英雄...」

 

 藤丸の呟きに、アーラシュと呼ばれた男は歯を見せて笑う。

 

「砂漠に行くんだろう? なら村のことは任せとけ! ──なんて大口は、さすがにもう吐けないか。失態を晒したばっかりだしな。だが、挽回は必ずする」

 

 英雄らしく、覚悟と闘志の篭った瞳。

 そんな目を向けられて、信用しない藤丸ではない。

 

「任せた、大英雄!」

「おう!」

 

 両者ともに親指を上げ、笑う。

 

「村の護衛も、任せとけとまではいわんが...今回は呪腕殿たちもいる。生き残ったやつらや、あの(・ ・)嬢ちゃん(・ ・ ・ ・)は何があっても守ってみせる。オレの命にかけてな」

自爆(ステラ)はダメだよ?」

 

 不穏な一言に釘だけさして、藤丸は山を降りた。

 

 藤丸と共に山を降り、アトラス院へと向かうのは、錚々たる面々だ。

 

 まず、マシュ・キリエライト。

 大盾を携えた少女は、こと防御力という面では最高だ。かの転輪する勝利の剣を防ぐほどであり、まだその真価を発揮していない...できていない状態。様々な脅威からマスターを守る者だ。

 

 サー・ベディヴィエール。

 円卓の騎士にして、銀の腕を携えた者。その銀腕は獅子王の騎士と対等に渡り合える実力を持っている。

 

 玄奘三蔵。

 言わずと知れた聖人。御仏の導きとかなんとかで無茶でもなんでも罷り通す、トップレベルの霊基を誇る色モノのサーヴァント。ぎゃてぇ。

 

 俵藤太。

 東洋のドラゴンスレイヤーにして、お米のお兄さん。彼の存在は餓死という概念を無くす。なお、ドラゴンスレイヤーとはいうものの、倒したのは平将門と大百足。むしろ龍神さまの救世主的なあんちゃん。

 

 

 そして、エドワード・ティーチ。

 カルデアにて藤丸に召喚された「海賊の象徴」。海賊といえば黒髭であり、黒髭といえば海賊。生前は敵味方隔てなく恐れられた非道の悪漢だが...今ではただの全方位オタク。美少女フィギュアのキャストオフが現在彼のマイブーム。

 

 さらに、ジャンヌ・ダルク。

 信心深く清廉で善良な少女。全てを慈しみ、何者も憎まず、己の辿った裏切りと死すら“罰と救済”であると受け入れる聖女──が、夏の魔法的なアレで開放感マシマシになった真夏の聖女。色々とふわっふわで能天気な、自称・マスターのお姉ちゃん。イルカ界のスタァ。

 

 

 以上、色モノに色モノを混ぜて、ひと握りの温情をまぶした混沌より混沌としているカルデア陣営。

 彼らが行く先は果たして絶望か、それとも救済か。少なくとも、荒れた大地はとりあえず海に沈むだろう(確定)

 

 

 

 * * * * *

 

 

 燈也たちが聖都に滞在し始めてから、早くも二週間近くの時間が過ぎ去った。

 

 何不自由のない生活を送りながら、リリアナは焦っていた。

 

「リリアナ様、紅茶をお持ちしました。...どこの茶葉かは分かりませんが」

「そんなものを出すんじゃない」

 

 文句を言いつつも、鼻腔をくすぐる爽やかなハーブ系の香りにあてられ、カレンの差し出してきた紅茶を啜る。

 

 時刻は夜。

 聖都の民は皆寝静まり、騎士達は交代で荒野を見張る、月夜に照らされた白亜の城塞。

 虫の音も聞こえぬ静寂な夜に、リリアナは怪しく輝く月と、謎の光輪を見上げた。

 

「.....はぁ」

 

 思わず、リリアナの口からため息が零れる。

 それは決して、闇夜に咲く月光の神秘に浸ったからではない。己の無力さを改めて思い知ったからだ。

 

 この聖都にきてから、リリアナは円卓の騎士を《見て》きた。

 彼らの目的はリリアナにとって褒められたものではないが、彼らの実力は本物だ。今のリリアナでは足元にも及ばず、彼女の宿敵であるエリカ・ブランデッリと共闘したとしても、恐らく敗北する。

 

「(それでも、王は彼らをも一蹴する)」

 

 ガウェインやトリスタンを見て「いや、あいつらつえーよ」などと言っている燈也だが、彼らの主たる獅子王をあと一歩まで追い込んだし、戯れで行われたvsガウェイン戦では何だかんだで燈也が勝利を収めた。

 

「(それに比べ、私はどうだ)」

 

 まつろわぬアイヌラックルを殺めた際には多少なりとも助力できたが、それ以外では全くと言っていいほど役に立っていない。

 それは仕方のないことだ。燈也が相手にしているのが神やら魔王やら英霊やらと、人の領域を大きく超越した存在たちなのだから、人の身であるリリアナが追いつけないのは当たり前。むしろ良くやっている方である。

 

 しかし、リリアナはそんな“当たり前”のことに思い悩んだ。

 

「.......はぁ」

「まったく。そんなに落ち込まないでくださいよ、リリアナ様。円卓の騎士殿たちに完膚無きまでに負けたくらいで。それに今日は一太刀入れられたじゃないですか」

「たった一撃だろう。しかも...負けたし」

「粛正騎士さんには勝てるようになってきたじゃないですか」

「勝率二割もいいところだろう。...今日は負けたし」

 

 聖都に滞在し始めてから約五日間、リリアナはのほほんと過ごしてきたわけではない。彼女なりに研鑽を積み、少しでも燈也の力になれるようにと努力してきた。

 しかし、その結果はあまり芳しくないらしい。

 

「私なんて粛正騎士さんにワンパンでやられるんですよ? ワンパン。剣すら使われずに。燈也様もおっしゃられてましたけど、あの粛正騎士さんたち、少なくとも一流魔術師の三倍は強いらしいじゃないですか。そんな相手に一太刀入れれたんだから、成長してますよ」

 

 落ち込む主をなんとか元気づけようとするカレン。

 だが、リリアナはそれに満足などしない。

 

「.....王は粛正騎士をワンパンしてたぞ」

「それは燈也様(カンピオーネ)がおかしいだけです」

 

 空になったリリアナのティーカップに新しく紅茶を注ぎ、呆れ混じりに答える。

 それでもリリアナは暗い顔をしたまま、虚ろな目で窓の外を眺めていた。

 

 

 リリアナは焦っていたし、病んでいた。

 生まれてこの方優秀の部類にいた彼女は、人生で最大の劣等感に苛まれて最高に病んでいたのだ。

 

 

 

「(...まったく)」

 

 弱りきっている主を見て、カレンは黙って息を吐いた。

 それは明確な“呆れ”だ。窓辺で死んだ目をしているリリアナに、隠しきれない呆れを抱いている。

 

「(本当に気付いていないのでしょうかね? ご自身がすでに、人の身を超えつつあるということに)」

 

 リリアナが相手取ってきたの粛正騎士。あれらは一体一体が並の英霊と同等の力を持つ、正真正銘“人の枠を超えたモノ”だ。そんなものたちを相手に、リリアナは少ないながらも勝利を収めている。

 そんなことは、所詮人の身でしかない魔術師には到底不可能なことなのだ。それが例えエリカ・ブランデッリであればほぼ不可能であり、彼女の父であるバウロ・ブランデッリや、羅濠の弟子である陸鷹化でさえ、粛正騎士に勝利することは困難を極める。

 

 燈也があまりにも簡単に粛正騎士を屠るものだからリリアナは勘違いしているようだが、粛正騎士とは本来、そんな相手なのである。

 

「(加えて、あの円卓の騎士...ガウェイン卿に一太刀入れた)」

 

 それで落ち込んでいる人間など、カレンからしてみれば本当に意味が分からない。

 

「(『俺の魔力を流してやろうか?』でしたっけ)」

 

 ふと、カレンは先日の燈也の発言を思い出した。

 あの時はノリで拒否してしまったが、リリアナが本人の自覚無しに急成長している理由は、もしかしてそれだろうかと考える。

 

「はぁ。カンピオーネとは、本当に理不尽な存在であられますね」

「まったくだ」

 

 結論こそ同じであるものの、根本が少しだけ違っている二つの溜息が空気に溶ける。

 カレンは更なる呆れを、そしてリリアナは更なる鍛錬を決意し、空に輝く十六夜の月を見上げ───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵襲ーッ! 敵襲ーッ!」

 

 

 

 

焦りを含んだ騎士たちの声と、警告音としての鐘の音が響く。

 

 

闇夜を切り裂く鐘の音が二つ(・ ・)と、目を焼かんばかりの太陽が聖都を覆った。

 

 

 

 

 

 



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世界を海で満たすのです!

 

 

 

 

 

 

 

 草木も眠る丑三つ時。

 そもそも眠る草木すら存在しない荒野にて、藤丸立香はとある城塞を見つめていた。

 

 この荒野において異様を極める、月夜に照らされた白亜の城。今から、藤丸たちが攻め込む敵地だ。

 

「.......ふぅ」

 

 一つ、息を吐く。

 ここから先は、一体いくつの命が落ちるのか分からない。今までも死地は経験してきたが、今回の侵攻はその中でも一番の大規模戦争だ。

 

「そう、これは戦争なんだ...」

「先輩、大丈夫ですか...?」

 

 不安げな様子で、彼の盾であるマシュ・キリエライトが声をかける。

 大丈夫だよ、と返答しつつ、藤丸は再度城を見た。

 

「全然大丈夫って感じじゃないよ、マスターさん」

 

 不安の消えない藤丸の顔を見て、一人の少女が声をかけた。

 薄いピンク色の、布面積の少ない服。サラサラな銀の髪が荒野を駆ける風に揺られ、背中には羽のような四枚の羽衣がたなびき、さらにその手には星型のステッキが。

 少女の名は、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。小学五年生の、現役魔法少女である。

 

「あぁ...まぁ、うん。ちょっとね。緊張はしてるかな」

『まぁ仕方ないってもんですよねー。なんといっても、今から始まるのは戦争ですから』

「ちょ、ルビー!」

 

 ステッキがしゃべった。

 

「と、とにかく! 頑張りましょうね、マスターさん!」

 

 グッ、とガッツポーズを取ってみせるイリヤ。

 なんとも可愛らしい小学生幼女だが、先日西の村に放たれた獅子王の宝具、聖槍による裁きの光を相殺した張本人でもある。

 令呪のバックアップがあったとはいえ、かの聖槍とやりあえるのだからその実力は本物だ。

 まぁ、限界を超えた宝具使用の反動で丸二日寝込んだのだが、それはそれ。世界最強の小学五年生ということで一つ。

 

 

 

 カルデアは今から、獅子王の領地に夜襲をかける。

 ギフトを受けた太陽の騎士が相手では昼も夜もあまり関係ないが、その太陽の騎士は初代ハサン・サッバーハが相手取ってくれるという。ならば、少しでも相手の隙をつけるよう、夜襲という奇襲作戦を取ることにした。

 

 そして、奇襲とは何も、夜襲だけではない。

 

 

「それにしても、キングハサンはまだかな...」

 

 いつでも攻め込める体制を整えているカルデア陣営が未だじっとしているのは、初代ハサン・サッバーハが来るのを待っていたからだ。

 彼がいなければ、門番であるガウェインを突破することができない。いや、不可能ではないのだろうが、限りなく困難だろう。

 しかし、早くしなければ、自分たちの存在が敵にバレてしまうかもしれない。そんな焦りが藤丸の中に生まれる。

 

 その時だった。

 

『──神託は下った。黒衣の羽は聖都を覆い、我が剣は汝の力となる』

 

「! キングハサン...!」

 

 どこからともなく下る声。

 姿は見えず、しかしその存在だけは溢れんばかりに感じ取れる。

 思わず声を上げた藤丸は、グッと拳を握った。

 

 ──時は来た。

 

「いくよ、みんな。円卓を...獅子王を、倒す!」

 

 

 * * * * *

 

 

 聖都内を警報が駆け巡ってからすぐ。

 そもそも睡眠を必要としないサーヴァントである獅子王の騎士は、即座に自らの配置についていた。

 

「状況は!」

 

 門前に着いたガウェインが声を張る。

 慌てふためく騎士の一人が、ガウェインの声で多少冷静さを取り戻し、敬礼して答えた。

 

「ガウェイン卿! それが、その、う、海が!」

「海? 海がどうしたというのです」

 

 いまいち容量を得ない騎士の報告に、ガウェインは問い返した。

 海などと言われても、ここはブリテン島ではない。周囲に海などあるわけもなく、騎士の報告は世迷いごとにしか聞こえなかった。

 

 そんなガウェインの認識は、数秒後には簡単に覆る。

 

 

 

 

 報告だけでは埒が明かないと、ガウェインは物見に登った。

 荒野を一望できる高台からは、本来なら死に絶えた大地が見渡せるはずだった。

 しかし、

 

「な、!? これは...!?」

 

 見開かれたガウェインの瞳に映るのは、ひび割れた荒野などではなく────太陽に照らされて真っ青に輝く、南国の大海原が広がっていた。

 

 これにはさすがのガウェインも動揺を隠せない。

 見渡し、目を擦り、また見渡す。状況は何も変わらない。夢でも見ているのかと錯覚するほどの超現実がそこにはあった。

 大海原に果ては見えず、惑星の形を表すように緩やかな弧を描いた水平線が揺らめいている。

 水位は非常に高く、城壁の僅か一メートル下。聖都の城壁がただの石造りであれば、水圧にやられて、聖都は今頃海に沈んでいただろう。

 

「これほどまでの水をそう簡単に準備できるはずが...まさか、我々全員を幻術に...? 宮廷魔術師殿クラスであればそれもまた可能だろうが...」

 

 生前では、腐るほど海を見てきた。

 だがそれは、決して良い思い出ではない。円卓の騎士にとって海とは、蛮族が攻めてくる(みち)でしかないのだ。

 それに現在、聖都には海戦の軍備はない。そもそも近隣に海の存在しない特異点。海戦に備えるなど、無駄極まる行為だ。

 

 幻術であれ本物であれ、獅子王陣営にとってこれは完全に奇を衒われた侵攻だ。門はガウェインが守るとしても、この水位では城壁を越えることなど容易い。ガウェイン一人では限界がある。

 

「...南にモードレッドの遊撃部隊を向かわせます。私の部隊は北へ向かいなさい。ああ、そこの貴方はアグラヴェインへの伝達を頼みたい。現状を、ありのまま報告してください。彼なら最善の指示を出すでしょう」

「はっ! し、しかしそれでは、門の守りがガウェイン卿だけに...」

(ここ)は私一人で十分です。早く行きなさい」

「は、はっ!」

 

 慌ただしく、騎士たちが群れを成して移動する。

 混乱の中にあるとはいえ、さすがは騎士。訓練された動きで、彼らは彼らの役目を果たす為に動き出した。

 

 正門の上で一人となったガウェインは、一つ息を吐く。

 ガウェインが睨む先の水平線には、未だ豆粒ほどの大きさにしか認識できない異教徒達の姿が見えた。

 ガラティーンの柄に手をかけ、敵を迎え撃つ準備をするガウェイン。

 そんなガウェインの横から、突如として声がかかる。

 

「ふぅん。これ、本物の海なんだな。どうなってんだ?」

 

 右手の指先でチョンチョンと海面を叩く少年──燈也は、ガウェインに一切気取られることなく、まるで最初からいたかのようにその場に現れた。

 

「...なかなか心臓に悪い登場の仕方ですね、燈也」

 

 表情や声音にはその焦りを一切出さずに、ガウェインは横目で燈也を見る。

 しゃがんでいた燈也が立ち上がり、ガウェインに答えることなく、先程までガウェインが見ていた方角を見据えた。

 ガウェインにはほとんど見えなかったが、燈也がその気になれば視力程度いくらでも底上げできる。

 

 そこには、とある海軍隊がいた。

 大型の船が六隻と、中小型の船が数十隻。大型の船には、それぞれ隊長格と思わしき人物が船首付近の甲板に立っている。

 さらに空には、翼の生えた獅子のような生物──スフィンクスが十数体飛んでいる。

 戦力だけで言えば一国をも相手にできるであろうものだが、相手が獅子王の円卓となれば少し話は違ってくる。良くて五分、といったところか。

 

「ん...? おい、ランスのやつ裏切ってんぞ」

「.....そう、ですか」

「なんだ、あんまし驚かねぇんだな」

「彼は、そういう男ですから」

「ふぅん」

 

 言いつつ、燈也は観察を辞めない。

 カルデア、という存在の話は聞いていた。人理を取り戻す為に奮闘する最後の希望。生きとし生けるものの救世主となり得る存在。獅子王とは違い、魔術王に戦いを挑む者。

 獅子王から得た断片的な情報ではあるが、それが燈也の知るカルデアの姿だ。

 

 もし燈也がこの特異点に来た時、モードレッドに会っていなければ。

 もし燈也が獅子王と袂を分かち、聖都を出て行っていたならば。

 そんな“もし”が一つでもあれば、燈也はカルデアの味方をしていただろう。しかしそんなもの、今となっては関係のないこと。今の燈也は、カルデアの味方ではない。

 

「勝てるのか?」

「勝ちます。それが、獅子王の騎士としての使命ですから」

 

 海軍隊は、今この瞬間も進軍してきている。

 何かしら魔力的なバックアップを受けているのか、その進軍速度は普通の船の何倍もある。その時速は100キロに迫っているだろう。

 すでに、ガウェインの目にもその姿はしっかりと捉えられており──それは同時に、ガラティーンの届く範囲(レンジ)であるということを意味していた。

 

「聖剣を使用する。下がっていなさい、燈也」

 

 擬似太陽の収められた柄を強く握り、鞘からその刀身を抜いた。

 白の刀身が揺らぎ、内包する灼熱が溢れ出る。ガウェインの前では、海が少しずつ蒸発していっていた。それほどまでのエネルギーが込められた剣を、ガウェインは腰付近で低く構える。

 

「叛逆者よ、我が聖剣の炎に焼かれよ」

 

 

「──出撃は(あた)わず」

「ッ、!?」

 

 その声にいち早く反応したのは、ガウェインではなく、燈也だった。

 弛緩させていた全身の筋肉に指令を飛ばし、いつでも動けるようにして臨戦態勢を取る。

 

 油断はしていなかった。

 構えこそとっていなかったものの、周囲への気は回していたはずだった。それこそ、虫一匹にだって反応できるほどに。

 

 それにも関わらず、突如現れた声は、燈也の目の前から聞こえてきた。

 

「太陽の騎士、ガウェイン。晩鐘は、汝の名を指し示した」

 

 声はする。確かにそこに存在する。

 しかし、誰もいない(・ ・ ・ ・ ・)。燈也にも、そしてガウェインにも、声の主の姿を捉えることができない。

 

「幽谷の淵より、生者を連れに参上した。粛正を驕る騎士よ、さて──首を出せ」

「ッ──!!」

 

 謎の圧力がガウェインを襲う。

 襲う悪寒を振り払うかのように、ガウェインは必死で剣を薙いだ。

 

 ガキィン! という金属音。剣と剣がせめぎ合う甲高い音が響く。

 

「なん...!」

 

 威力に負け、ガウェインの体が後ろに飛ばされた。

 ありえないことだ、とガウェインは内心叫び散らす。日中において、自分はほぼ無敵だ。燈也というイレギュラーも存在するが、この理はそう簡単に覆されるものではなかったはずである。

 それがどうだ。姿形すら見えぬ何者かに、自分は押し負けた。ありえない、ありえてはいけない。天に日輪が輝く限り、自分は不敗でなければなぬというのに。

 

「ガウェイン、右だ!」

「っ!」

 

 耽っていた思考に、燈也の刺すような声が届く。

 慌てて右に剣を振ると、再度火花が散り、そして飛ばされた。

 

「く、っ!」

 

 即座に構え直してみるも、敵の姿は見えない。

 そういった宝具なのかと考えてみるも、答えなど出なかった。ただ神経を研ぎ澄まし、風の変化で敵の位置を知ろうと試みる。

 

「おい、ガウェイン。カルデアのやつら、北の方から聖都に侵入したぞ」

「なに!? 叛逆者め...!」

 

 悔しそうに顔を歪めるガウェインを見て、燈也は動いた。

 無造作に、右手を上げて、下ろす。それは流れるように自然で、見るものにはなんの違和感も感じさせない、そんな動きだった。

 

 甲高い金属音が鳴り響く。

 

「ちっ」

「無意味。汝の技は我に通じず。そしてまた、我が剣は汝に向けられず」

「あ? 意味分かんねぇよ。俺とは戦わねぇってことか?」

「是。我が剣は天命を誤つ者にのみ向けられる。汝は天命そのもの。故に、汝の名を、晩鐘は指し示さず」

 

 舌打ちする燈也と、声のみを認識させる敵。

 何が起こったのか分からないガウェインは、ただ困惑した。

 そして問う。お前は何者だ、と。問わずにはいられなかった。

 

「我が名は無名。故に、名乗るべきものは一つ」

 

 空間が蠢いた。

 まるで空間そのものが萎縮しているかのように、何も無かったはずのその場所が、揺らぎ、ざわめく。

 

「山の翁、ハサン・サッバーハ。ハサンの中のハサンなり」

 

 死を告げる髑髏の仮面を携えた剣士が、そこにいた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 カルデア陣営は、ノリにノっていた。

 

「ホップ・ステップ・グレイトオーシャン! エンジョイえぇーんどぉ〜? エキサイティーングッ!」

「ついに最後まで言い切ったでごさるよあの聖女ww」

 

 イルカの軍勢が、無数の砲撃が、正確な矢が、数々の暗殺術が、空間を切り裂く剣筋が、よく分からない仏的拳法が、斬撃に特化した魔力砲が、城壁を守護する騎士たちを屠っていく。

 遊撃騎士モードレッドは逆方向、トリスタンとアグラヴェインの姿は見えず、ガウェインはキングハサンが抑えていた。今、カルデアを止められる者などいない。

 

「兵たちを倒したらどんどん防壁の内側にハシゴを降ろすんだ! 聖都の中に海はないぞ!」

 

 よく分からないままに何千という数の兵を束ねる総大将へとなってしまった人類最後のマスター、藤丸。

 及ばずながらも、持ち前の広い視野で指示を飛ばす。元一般人でありながら、今の彼には戦場が見えていた。

 

「防壁、六割突破! ハシゴも降ろし、聖都内への侵入に成功しました!」

 

 山の民である一人の兵士から、そんな報告が上がる。

 それを聞き、藤丸は一つ頷いた。

 

「ハシゴは死守! スフィンクスを防衛と運搬の二部隊に分ける! ハシゴで降りきれない人はスフィンクスの背に乗れ!」

「はっ!」

「ジャンヌと黒ひげは待機、海軍隊の指揮は任せた! ランスロットの隊は自由に動いてくれて構わない! それ以外の部隊は全員聖都へ入るんだ!」

 

 言って、藤丸自身も、マシュやほかのサーヴァントたちと共にスフィンクスの背に乗って聖都内部へ侵入する。

 藤丸と同じスフィンクスに、マシュ、ベディヴィエール、静謐のハサン。

 そのほかのスフィンクスに、アーラシュ、呪腕・百貌のハサン。イリヤは自力で飛翔している。

 

 俵藤太と玄奘三蔵は、歩兵と共にハシゴを伝い聖都に侵入していた。獅子王との決戦には少しでもサーヴァントの力が欲しいところだが、歩兵にも将は必要だ。

 大軍を率いた全面戦争の将という面で言えば、武将である俵藤太のほかに適任はいない。三蔵はついで。自称・藤太の師匠のため、彼に同行している。

 

 空を駆ける藤丸達は、歩兵とは比べ物にならない速度で聖都の玉座を目指す。

 このまま一気に獅子王の元へ飛んでいけないか? そんな思考が藤丸の中に生まれるが、そう簡単には進まない。

 

「───絶叫を奏でよ、『痛哭の幻奏(フェイルノート)』」

「っ! マスター!!」

 

 咄嗟にマシュが盾を構え、その盾を無色無形の刃が叩く。

 藤丸の首を狙ったそれらはマシュの盾に防がれるも、足場(スフィンクス)を狙った斬撃は防ぎきれず。絶命したスフィンクスは、力を失い落下する。

 アーラシュたちの乗っていたスフィンクスもやられたらしく、藤丸たちと同じように宙に投げ出されていた。

 

「立香様の着地は私が任されます」

 

 率先して藤丸を抱き抱えた静謐のハサンは、今は亡きスフィンクスの体などを利用して落下速度を緩め、軽やかに着地する。

 

「っ、ありがとう静謐! みんな、無事!?」

 

 常人からは考えられない切り替えの早さで、藤丸は次の思考を走らせていた。

 相手はトリスタン。獅子王の円卓において最も残虐で、ある種ガウェインよりも手強い男。

 大英雄アーラシュとも打ち合える腕を持つ彼を相手にどう立ち回るか。否、いかに手早く勝負を着けるか。落下した味方の配置、敵の位置、その他の戦況。その全てを考慮して、打つべき最善策を模索する。

 

 敵に援軍が来る前に討たなければ、敗ける。

 少なくない焦燥が藤丸を襲う中、動いたのはハサン達だった。

 

「ここは我らにお任せを。やつは──あの憎き赤毛の騎士だけは、我らが狩る」

 

 呪腕のハサンが、その髑髏の奥に明確な憎悪の澱みを浮かばせる。彼ら山の民にとって、トリスタンは獅子王以上の怨敵だ。彼らは初めから、トリスタンの首を狙っていた。

 

「ハサン殿たちだけでは厳しいだろう。俺も残るぜ。奴には借りもあるしな」

「否、それには及ばぬよ、アーラシュ殿」

 

 ゆっくりと右腕の封を取りつつ、呪腕はアーラシュの申し出を断った。

 

「アーラシュ殿は藤丸殿の護衛を頼みます。獅子王めの首へ、その一矢を」

「.....あい分かった。無茶はするなよ」

「ふはっ、それは無理な相談ですな。決死の覚悟でなければやつは殺せぬ。だが...無駄死にはせぬぞ」

 

 解き放たれた禍々しい呪腕・シャイターンの右腕が、その姿を太陽の下に現す。

 殺意と怒気。負の感情に満ち溢れたハサンを前にして、トリスタンは眉一つ動かさなかった。

 

「私は悲しい。貴方達だけでは私に敵わない。せめて、そこの大英雄たる弓兵を」

 

 トリスタンが言い終える前に、彼の側頭部を複数の小刀が襲う。

 そんな奇襲も幸を成さず、トリスタンの弦斬によりその全てを斬り落とされた。

 

『黙れ、外道が』

 

 怒りに満ちた声が響く。

 それは一つや二つではない。数十もの声が重複し、大気を静かに震わせる。

 

『疾く行け、馬鹿ども。貴様らの目指すところは、こんな雑魚の首ではないだろう』

 

 多くの声が聞こえるが、その姿は影すら見当たらない。

 気配を消し、暗殺者らしく、正々堂々死角を突くつもりなのだろう。

 藤丸は拳を握った。強く、強く。己の力不足を悔い、怒り、それでもなお前を向く。

 

「.......任せた!」

 

 駆け出す藤丸には、強い意志があった。

 何があろうと人理を取り戻すんだという、強い意志が。

 だから、彼は駆ける。ここでハサンたちを置いていくことで、ハサンたちに待っている未来を明確に想像しながら、彼は駆ける。

 悔恨がある、憤怒がある。だが彼は止まらない。止まれない。

 彼の肩に伸し掛る『人理』というモノは、それほどまでに大きいモノだ。

 

 断腸の決断をした藤丸の背に、トリスタンの冷えきった声が注がれる。

 

「悲しい。私は悲しい。簡単にここを抜けられるとでも? この私が、そう易々と貴方たちを見逃すとでも? その楽観的で頓馬的な考えを持っていることが、悲しい」

「させぬ!」

 

 妖弦を弾こうとするトリスタンに、魔物の腕が飛来する。

 さすがのトリスタンといえども、アレをまともに受ければ無事では済まない。仕方なく回避し、追撃に対処していると、すでに藤丸たちの背中は見えなくなっていた。

 

「クク、悠長に語っていた手前、藤丸殿らを逃がした気分はどうだ? トリスタン。さて、頓馬であったのはどちらかな?」

「...貴方たちを殺し、すぐに追えば良いことです。英霊であればまだしも、かのマスターは生身の人間。私が追いつけぬ道理はない」

「それは叶わぬ。貴様は藤丸殿たちを追えぬよ。なぜなら貴様は、他ならぬ我らの手によって、今日この場でその首を落とすのだから!」

 

 妄想心音、再来。

 呪腕を名乗るハサンが習得した奥義は、邪道の技だ。自らの力量を大きく超えた、神秘より掠め取った盗品。本物と反響し合う擬似心臓を造りだし、刈り取る。

 獅子王の恩恵を受けているトリスタンにとって、これは魔力で対処可能なものなのかもしれない。しかし、それは絶対ではないし、トリスタン自身、己の魔力で対処しきれるかどうかの判断はできていなかった。万が一、ということもある。

 加えて、トリスタンの感覚は呪腕の右腕に警鐘を鳴らしていた。呪腕の右腕に纏わりついた『死の概念』、それに似た何か。言いようのない脅威を、トリスタンは呪腕の右腕に感じていたのだ。

 

『あまり呪腕ばかりに構うなよ。私たちを忘れてくれるな?』

 

 短刀が、弓が、剛腕が。

 様々な攻撃が、四方からトリスタンを狙う。

 

 しかし、獅子王の騎士であるトリスタンは、その程度では慌てない。

 妖弦を鳴らし、音の刃でその全てをたたっ斬る。

 保有スキル『専科百般』の効果で、影達が振るう武器も武術も、全てがBランク以上にまで引き伸ばされていた。にも関わらず、トリスタンは眉ひとつ動かさず、それらを迎撃する。いや、彼に“迎撃している”という自覚があるのかすら怪しい。羽虫を払うことと、さして変わらないのかもしれない。

 だが、それで十分。ハサンたちの狙いは、そこにはない。

 トリスタンは逸話において、その身を幾度となく毒に侵されている。故に、彼には“毒”という明確な弱点があるはず。

 疑いもせず、その逸話に活路を見出したハサンたちは、愚直に時間を稼いだ。

 誰にも気付かれずに気配を消し姿を眩ませた静謐のハサンが、その身から毒を振り撒き、風に乗せてトリスタンの身を蝕む。

 

 今はまだ効果が出ていないようだが、いずれ。

 そんなハサンたちの希望が潰えるのに、さして時間はかからなかった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 黒髭ことエドワード・ティーチは、違和感を感じていた。

 

「.......なんだァ?」

 

 今は周りに誰もいないからか、普段よりも随分と引き締まった物言いだった。

 そんな彼が睨むように見つめるのは、海だ。

 海賊として一世代の頂点に登り詰めた黒髭は、そこらの海軍や漁師なんかよりも海について詳しいという自負がある。そんな彼をもってして、今の海の様子は違和感を感じさせる。

 

「(...これが宝具による海洋だからか? いや、さっきまではこんな感覚はなかった。突然現れた、この嫌な感じは一体.....)」

 

 低級霊である船員を使い、砲弾を白亜の城壁に叩き込みつつ、黒髭は思考に耽る。

 そして気付いた。違和感の正体は、海流であると。

 当たり前だが、ジャンヌによって呼び出されたこの海に海流はない。この海は単なる塩水の巨大水溜まりでしかないからだ。動物や船の動きで多少は揺れ動くとも、海流と呼べるものは発生しない。

 にも関わらず、今この海には、その海流が僅かながらに発生していたのだ。

 

「(水着ジャンヌ殿より上位の海洋支配。ジャンヌ殿の宝具が、その半分ほどの効力を丸々奪われたのだとしたら?)」

 

 黒髭に焦りが生まれる。

 海は彼のフィールドだが、それはあくまで海上での話。海そのものをどうにかされてしまっては、黒髭一人の力ではどうしようもない。

 黒髭の行動は早かった。

 

「ジャンヌ殿ー! 水着の性女殿ー!」

「今、何か字がおかしくなかったです?」

「気のせいでござるよぉ」

 

 デュフフ、と笑い、黒髭はおどける。

 これが彼の偽の姿──とも言いきれない、伝説の海賊が内包するキモオタの人格である。もはや二重人格レベル、とはアン・ボニーの談。キモいから死ねばいいのに、というのも彼女の談であり、相方であるメアリー・リードの談だ。

 

「そんなことより性女殿」

「やっぱりおかしいですよね? おかしいですよね? やっておしまいなさい、リース」

「キュァア!!」

「あっ、やめて飛んでこないで!! ちょっとマジでお前バーサーカーなんじゃねぇの!!?? マスターには変なビーム飛ばすしよォ!」

「残念ですが、貴方を弟にするつもりは毛頭ありません。生前からやり直してしてください」

 

 藤丸(ストッパー)がいない現状でふざけ続ける二人だったが、やがて黒髭が少し真面目な空気を纏うと、ジャンヌも大人しくリースたちを引かせた。

 それに一先ず安心した黒髭は、ジャンヌに質問する。

 

「ジャンヌ殿が喚び出したこの海。もしかしたらどこぞの誰かに利用され...いや、下手すりゃ海そのものを奪われる、可能性ってのはあるんでござろうか」

「? それは一体」

 

 どういう意味ですか?

 そう言い切る前に、異変は目に見えて生じ始めた。

 

「これは...波?」

 

 ジャンヌや黒髭の乗る船が、一度大きく、縦に揺れた。

 クジラでも召喚したのかとジャンヌを見る黒髭だったが、当の聖女は心当たりがないと首を振る。

 次いで、先程よりも大きな揺れが来た。とても大きな波が、まるで意志を持ったかのようにうねりを上げる。

 

「こいつぁ一体...」

 

 不気味なものを感じた黒髭が呟く。

 それとほぼ同時、ジャンヌの感知に何かが引っかかる。

 

「っ! 気を付けて、何か...きます!!」

 

 ジャンヌの警告からほとんど間を置かず、海面が弾けた。

 大きな水柱が上がり、弾けた海水が霧のように辺りを包む。

 

「チィ!」

「皆さん! 無事ですか!」

 

 黒髭の舌打ちと、ジャンヌのよく通る声が霧の中に響く。

 叫び声がする部隊は大丈夫だ。被害もあるだろうが、全滅はしていない。問題は声が途切れた部隊だ──と、そこでジャンヌは目を見開く。黒髭も同様だ。

 彼らの目先。霧の中に浮かぶのは、一つの影だった。

 普通の影ではない。未だかつて見た事がないような、巨大なシルエット。アン女王の復讐号(クイーンアンズリベンジ)の五倍、いやそれ以上はあるかという巨躯だ。そんな、規格を無視した影が、そこにいた。

 

 しかし、彼らが真に驚いたのは、その影の巨大さ故ではない。

 それも十分に驚愕に値するものだったが、それを上回る出来事が起こったのだ。

 

 

 響く晩鐘と、舞う告死の羽。生をもぎ取る無謬の信仰。

 恐怖の塊であるが故に神々しささえ感じさせる“ソレ”は、巨躯の怪物を一撃の元に絶命させた。

 

 

『──生あらば、そこに死あり。死をもって汝らの救いとせん』

 

 圧倒的な『死』。肌を刺すような重圧。

 それらを感じさせる髑髏の仮面が、霧の中にはっきりと写し出されていた。

 

 

 



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働かざるもの、勝者足り得ず。

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 藤丸らが城壁を越える少し前。

 燈也は、興味本位で髑髏の剣士とことを構えることにした。

 

「山の翁、ハサン・サッバーハ」

 

 たった今告げられた剣士の名を、燈也はゆっくりと復唱する。

 燈也の直感は言っていた。「今すぐ逃げろ」と。「“ソレ”はダメだ」と。

 それと同時に、カンピオーネの本能が吼えていた。「戦え」と。「こいつは強者だ」と。

 

 理性と本能。

 せめぎ合う二つは、僅かながら本能に分があった。

 

 いつの間に俺は戦闘狂になったんだ。そう自らを嘲笑した燈也は、次の瞬間には獰猛に目を輝かせていた。

 

「天命だかなんだか知らねぇがよ。俺は今、アンタと戦うことに決めた。付き合えよ、山の翁」

「あまりに無益。我らが争うことに一切の意味なし。汝の(きっさき)が刺すべきは我でもなければ、獅子王でも、ましてカルデアでもない。汝は、惑星(ほし)の行く末を案じる者。『我ら』と同じであるように見えて、その実『我ら』とは全く異なる者。なれば──」

 

 言い切る前に、ハサンは無銘の大剣を造作なく振るった。

 剣の腹と燈也の拳が交差し、火花が散る。

 

「ペラペラペラペラ、うるせぇぞ。俺はお前と戦う。天命だとか無益だとか、んなこた全部下らねぇんだよ」

「──なるほど」

 

 ボゥ、と。髑髏の奥に蒼い炎が宿る。

 共に、可視化するほどの絶大で純粋な死のオーラが、ハサンから溢れ出た。

 

「承知した、代行者よ。汝がそう望むのであれば、我が剣をもって汝に試練を言い渡す。これは遊戯に非ず。汝が罪のささやかな贖罪と知れ」

 

 無造作に無銘の大剣を構えたハサンは、続けざまに言葉を紡ぐ。

 

「その力の真髄。異教の神力。汝が武勇を、我が前に示せ」

「言われなくとも」

 

 笑みを崩さないまま、燈也は魔力を練り上げる。

 ぶつかり合う両者の気。大気は震えない。海も静かなものだ。

 両者のオーラは絶大でありながら、異質なまでの静けさを持っていた。

 

 そんな異界とでも言えるような空間で、ガウェインは何も出来ずに立ち尽くす。

 

「(...なんだ、これは.....?)」

 

 冷や汗が止まらない。心の底から震えが溢れてくる。

 最優の騎士とまで謳われた自分が、今日この場においては塵芥と化していた。何もできない。間に入れば、羽虫が如く払われる。

 圧倒的な恐怖と、膝をつきたくなるほどの無力感。生前ですら感じたことのない悔しさを、ガウェインは噛み締めることすら出来なかった。

 ただ、圧倒される。打ちひしがれる。目の前の超常たちを、ただただ見つめるしかできない。

 

 

 

「フッ────」

 

 そんな超常の片割れ、燈也は、一息でハサンとの距離を詰める。

 懐に入り込み、肘打を一撃。関節をしなやかに使い、己の筋力以上の膂力をはじき出す。

 

「愚か」

 

 だが、その攻撃はハサンに届かない。

 直前で大剣を挟み込ませ、防いだ。と同時に、燈也の足元から蒼い炎が上がる。

 舌打ちしながら燈也は引いた。ただの魔術であれば燈也に効きはしないが、あれはそんなモノじゃない。幽谷の炎、命を燃やすものだ。燈也であっても、あの炎を受けて無事でいられる確証はなかった。

 

 一度体制を立て直し、再度襲撃する。

 無数のフェイントを混じえ、さらに速度も上げる。

 殴打、殴打、殴打。

 一撃一撃が岩をも砕く拳撃を、無数に放つ燈也。だがその全てが、ハサンには届かない。

 いや、正確には届いている。確かにハサンの胴体を捉えている。しかしながら、まるで効いていないのだ。

 

「ちっ、バケモンめ」

 

 自分の攻撃が効いていないことを悟った燈也は、一度距離を取る。

 ハサンが攻撃を防いでいるということは、燈也の攻撃は全くの無意味ではないのだろう。しかしそれは微々たるもので、決定打は疎か、目に見えるかすり傷にすらなっていない。

 

「──一つ、訂正せねばならぬか」

 

 ハサンが口を開く。

 いや、仮面の奥に本当に顔があるのかすら怪しいのだが。

 

「んだよクソ髑髏」

「汝の技は我に届かぬ、と言ったな。それは我の誤りであった。汝の武術は、我に届く刃となる」

「ぬかせ。一つも効いてねぇクセによ」

 

 悪態をつく燈也は、一度構えを解いた。

 それは油断でも、戦闘放棄でもない。次の手を打つための準備だ。

 

「汝の武術は見た。なれば次は、汝が奪いし異教の神の力を奮え。異教とはいえ、神は神。よもや無力とは言うまい」

「るっせェな。焦んなよ、今見せてやる」

 

 大剣を足元に突き刺し、待つ姿勢をみせるハサン。

 相手の全力を真っ向から受けて立つその姿を気に入ったのか、燈也は心底楽しいといった様子で、歯茎が見えるほどに笑う。

 すぅ、と一つ息を呑み、深く自分の中に沈む。表情とは裏腹に、燈也の頭の中は常に冴えていたし、冷静だった。

 

「《古の大火、天上の眩燿(げんよう)》」

 

 静かな声だが、どこまでもはっきりと紡がれる言葉。

 神々より簒奪した権能を行使するためのトリガー、聖句だ。

 

「《鳴る神は降臨し、天地を焚く霹靂とならん》ッ──!!」

 

 突如発生した光が、ハサンとガウェインの瞳を焼く。

 それからたったの一瞬すら経たず、一条の光がハサンを襲った。

 

「むぅ...!」

 

 今まで鉄壁を誇ったハサンの体が、宙に浮いた。

 そこに追い討ちをかけるように、一条だった光は十に、百に、千に。そして万に届くほど、正に無数の攻撃がハサンの体を撃つ。

 

「──シャアッ!!」

 

 だが、一方的な惨状に黙っているハサンではない。

 初めて発せられる、気の入った声。その声に比例するように、剣筋は更に速く、鋭くなる。死を与える大剣は、目視すら難しい光を捉えた。

 

「なっ、!?」

 

 斬られた光は、なんということか声を上げた。

 光は一瞬で海上にまで後退し、その正体が浮かび上がる。

 その光の正体。それはハサンも、そしてガウェインも予想していた通りのもの。

 未だ眩い発光を続けているものの、光は人間の形を型どっていた。

 言わずもがな、それは佐久本燈也だ。全身から光を放ち、斬られた左肩を右手で抑えた少年の姿がそこにはあった。

 

「.....おい、なんで今の俺(・ ・ ・)を斬れる?」

 

 深々と刻まれた傷から血は出ていない。

 それもそのはず。今の燈也は、生身ではない。

 

 アイヌの英雄神アイヌラックルより簒奪した、第三の権能。その一端。

 自らの体を雷へと変質させる権能だ。

 

 そんな雷と化した体を、ハサンは斬った。

 

「無論──」

 

 驚いた様子もなく、ハサンはゆっくりと問いに答える。

 受けた傷は確かにあるが、そのダメージなど感じさせないほどに余裕を含む声音だ。まるで、彼には痛みという概念がないのではと思えてしまう。

 

「汝が何に化けようとも、汝は汝。つまり《生者》である。であれば、我に斬れぬ道理なし」

「ちっ、師匠と似たようなこと言いやがって」

 

 ちなみに燈也の師匠(羅濠教主)はこう言った。『雷だろうが霧だろうが、そこに存在するのなら殴れる』。あまりに理不尽だ。

 その言葉通り、燈也は彼女にフルボッコにされた。

 

「けどまぁ、雷の速度に着いてくんのは楽じゃねぇだろ」

「楽ではない。だが、苦でもない。汝の溢れんばかりの《生》を感じ取るは容易なり」

「そうかい。ならこっちはどうだ」

 

 言って、燈也は海を軽く足で叩く。

 そう、今燈也が立っているのは海上だ。故に、第一の権能の発動条件を満たしているのである。

 

「《母なる海の潮騒は、絶えず蔓延る生命の産声。満たし、溢れ、騒乱せよ。これなるは原初の狂騒、遥か渾沌の秩序なり》」

 

 海が胎動した。

 うねるように海が揺れ、海底付近で《仔ども》が産まれ落ちる。

 

「...ほう」

 

 唸るハサン。

 彼は、新たなる生命が産まれたことを確かに感じた。

 

「これは召喚の類に非ず。真に生み出すか。原初の御業、権能を名乗るに値する」

 

 瞳が蒼く、怪しく光る。

 だが、ハサンに動きはない。ただゆっくりと、新たな生命を見定める。

 

「悠長なこった。こいつを見て、まだその余裕を保てるか?」

 

 再度、海が胎動する。

 それをもって、一つの命が完全に誕生した。

 

 海面が、爆発したかのように弾かれる。

 大量に上がった水飛沫が霧となり、辺り一帯を覆った。激しい豪雨に見舞われた時のような、少し先すら霞んでしまう。

 その中に、一つの影が浮かび上がった。

 巨大な影だ。海上に現れている分だけで、数十メートルはあるか。聖都すら呑み込みそうな、巨大な影。

 その首は、七つに(わか)れている。一つ一つが意志を持ち、獰猛な性格の持ち主だ。

 

「喜べ、山の翁。こいつは俺の《仔ども》の中でも特に強い。そして何よりデカい。名をムシュマヘ。どうだ、可愛いだろう?」

 

 なにが可愛いものか、とガウェインは心中叫び散らす。

 

「さぁさぁ、暗殺者さんよ。この巨体を相手にどうやって──」

 

 言い終わる前に、燈也は身震いした。

 寒気が襲ったのだ。背筋を駆け巡る「恐怖」という名の寒気が。

 反射的に、塩水の球体を防御壁として展開する。

 

 燈也に、攻撃は向けられなかった。

 静けさが場を支配する。その静けさは燈也の焦りに拍車をかけ──

 

「(...静か、すぎる?)」

 

 声が聞こえない。たった今誕生した、仔どもの産声が、聞こえないのだ。

 バッ! と燈也は天を見上げる。その目線の先には、ムシュマヘの頭があるはずだった。否、確かにそこにはムシュマヘの七つの頭があった。

 

 ──重力に従い、落下してくる七つの頭が。

 

「.........は?」

 

 思わず、燈也の口から声が漏れる。

 理解ができない、脳の処理が追いついていない。

 あまりの出来事にフリーズし、呆けてしまう。

 

「憐れ」

 

 地の底から響くような、厳格な言葉。

 その言葉の意味すらも、今の燈也の頭には入っていない。

 

「汝が創る者であるならば、我は壊す者。死を贈る者なり」

 

 首斬りの下手人たるハサンが、城壁の上で大剣を足元に突き刺す。

 そこには怪物を斬ったという驕りすらない。ただ死を与えた。告死の剣を振るっただけ。

 

「生あらば死あり。死をもって、汝らの救いとせん。故に──首を出せ」

 

 冠位の名は、伊達ではない。

 

 

 * * * * *

 

 

 生命が産まれ、そして散る。

 戦場とは須らく死の渦巻く場ではあるが、今の状況は少しだけ異様だった。

 

『kraaAAaaAaaAAaaaa!!!!!!』

 

 万を越える人型の魔物、燈也が創ったラハムが、たった一人の老人へと襲いかかる。

 が、

 

「屍を晒せ」

 

 たった一刀の元に、百を超えるラハムが骸と化す。

 一対万。象が蟻を踏み潰す様は度々比喩として挙げられるが、それを上回る、個による群の蹂躙が行われていた。

 

「ちっ。どうなってんだ、あのじじいは」

 

 数秒ほど放心していた燈也だったが、すぐに戦略を立て直した。

 とは言っても、有効打などありはしない。数で足留めするしか、今は方法が思い付かなかった。

 しかし、それも長くは続かない。ハサンの実力が高いことに加え、魔獣補充に限りが見えてきたのだ。

 

「(ざっと、あと百万くらいなら創れる。だがそれだけ。単純計算で、奴が千回剣を振るえば全滅させられる)」

 

 千回剣を振るとは、決して容易なことではない。だが、山の翁にとって苦ではないはずだ。それを悟った燈也は、背中に嫌な汗が流れるのを感じる。

 

 燈也の創る魔獣の原料は海水だ。

 魔獣の体積と同等の海水を使って生み出している。

 燈也の魔力が底を突くことはそうそうない。だが、海水には限りがある。

 実際、先程から目に見えて水位が下がってきていた。まだまだ余裕はあるが、ハサンの蹂躙を目の当たりにすると悠長にはしていられない。

 

「一か八か...やるっきゃねぇか」

 

 頬に一筋の冷や汗を垂らした燈也は、覚悟の表れとばかりに、三度深呼吸をした。

 目を閉じ、ゆっくりと息を吸い、吐く。

 それをもって、燈也の覚悟は決まった。

 

「おい、ガウェイン!」

 

 戦いに割ってはいることも、逃げることも出来ずにいたガウェインへ、燈也は声を張った。と同時、雷速でガウェインの傍に行く。

 

「その剣貸せ。ちょっと突っ込んでくる」

 

 言って、立ち尽くすガウェインから鞘ごとガラティーンを奪い取った。

 何を、とガウェインが呻く前に、燈也はラハムの間をぬってハサンに接近する。

 まさに疾風迅雷。誰の目にも留まることなく、一秒にすら満たない時間でハサンに肉薄する燈也。

 雷と化した燈也がハサンの胴を穿とうとする、その刹那だった。

 ハサンの瞳が蒼く灯る。

 

「愚か。あまりに、愚か」

 

 言葉と共に、ハサンの大剣は振るわれた。

 百のラハム共々、雷である燈也の首を一振りで両断する。斬られた燈也は声すら出せずに、ハサンの後ろへと斬り飛ばされた。

 ハサンの剣は、概念ですら斬り裂く。雷であろうと、燈也は斬られ、命を絶たれたのだ。

 

 

 

 そう、たった一度、命を絶たれただけ。

 

「愚かはそっちだ、クソ髑髏」

 

 両断されたはずの燈也が、日輪の剣を一閃する。

 完全に、ハサンの知覚外からの一撃。太陽のエネルギーを内包した剣は、ハサンの左半身を斬り裂く。

 

「うぉ...!」

 

 さしものハサンですら、死者から攻撃されるとは思ってもいなかったようだ。灼熱に焼き切られたハサンの左半身は、地面に落ちる。不思議なことに鮮血が散ることはなかったが、燈也の手には確かな手応えがあった。

 半身を切り落とした程度で燈也は止まらない。ガラティーンの力を無理やりに引き出し、真名解放もせずにその灼熱を放出する。

 

「燃え散れ!!!」

 

 業火が上がった。

 太陽が如き炎熱が、ハサンと、斬り落とされたハサンの半身を包む。

 

「おぉおおぉぉぉおお!!!」

 

 ハサンは片手で剣を振るう。吼えることで自身に喝入れし、ガラティーンの灼熱を斬り倒す。

 だが、切り離されたハサンの半身はそうはいかない。業火に焼かれ、その形を炭へと変え、そしてそれすらも燃え散った。

 

 半身の焼失。

 これはいかなる英雄であろうと、豪傑であろうと、そして神であろうとも致命傷だ。

 最期の足掻きでガラティーンの炎を斬った。それは凄まじい執念であり、異常なタフネスである。

 

 

 敵ながら天晴(あっぱ)れ。

 今まで屠ってきた神々にさえ示さなかった敬意を、燈也はハサンに表す。

 ハサン・サッバーハは強かった。燈也がここまで苦戦し、畏れ、そして何より心の底から戦闘行為を楽しんだのは、それこそ対神や対魔王(カンピオーネ)以来だ。

 渇きかけていた心に十分すぎる潤いを与えてくれた相手。今までで一、二を争う強敵であったハサンを看取ろうとし──異様な気配に見舞われる。

 

「ッ、!?」

 

 ほぼ反射で飛び退いた燈也の左肩から右横腹にかけて、一筋の傷が走った。

 幸い傷は浅く、致命傷には至っていない。

 

「(なんだ、新手か? どこだ? この傷は刃物...剣か? 槍か? どこから狙われている?)」

 

 全身の毛が逆立つほどに警戒心を高め、燈也は低く構える。

 周りに視線をやるも、目に見えるのは動かないガウェインくらいなものだ。ほかには何もなく、また姿を消す相手が現れたのかと思い感覚を研ぎ澄まし───

 

「(──あの髑髏野郎はどこいった?)」

 

 ゾクリと、氷のような冷たいものが燈也の背筋に走った。

 そしてそんな燈也に呼応するかのように、“ソレ”はゆっくりと、這い寄るように現れる。

 

「見事なり」

 

 燈也の背後から、(おごそ)かな声がした。

 まるで冷水でもかけられたかのように燈也の心臓が飛び上がり、全身を警鐘が駆け巡る。

 聖句を唱える暇もない。無理やり一瞬だけ雷化して、転げるようにして背後の“ソレ”から一気に何十メートルも距離を取る。

 それでも尚、燈也の中から警鐘が鳴り止むことはない。

 

 目を見開き、驚愕に染まった顔で“ソレ”を見る。

 ありえない。そう断言する頭を否定するように、“ソレ”はただただ悠然と、そして堂々と立っていた。

 

「汝は我に示した。汝が力、神すら屠るその武勇を。故に、汝の試練はここに満たされ、同時に我が晩鐘も次なるモノへと向けられる」

「な、にを」

 

 言っているんだ。

 そう言葉が続く前に、“ソレ”──半身となったハサンは、燈也の言葉を遮るように、最初から聞いてなどいないという風に、語り続ける。

 

「見よ、代行者よ。世界を繋ぎ止める彼の楔が今、解き放たれるぞ」

 

 ハサンの視線が、その意識が、自分から外されたことを燈也は察した。

 だが、その隙をつくことなど、最早燈也にはできない。そんな気力が起きてこないのだ。

 故に、ハサンの意識の先にある方向...聖都の中心へ視線を向ける。

 

 

 

 

 ────聖槍、抜錨。

 

 黄金に近い、白亜に煌めく光の障壁。

 善を取り込み、悪を拒絶する、獅子王が築きしヒトの標本。それが今展開され、そして────

 

 

 ────突如降ってきたピラミッドと謎の光線によって破壊される。

 

 

 

 

「...なんなんだ、ちくしょう」

 

 理解の及ばない超常を見せられた燈也は、小さく呟く。

 獅子王の計画はある程度知っていた。敵対勢力として、カルデアや山の民だけではなく、エジプト領の神王(ファラオ)がいることも知っていた。

 

 だが、ここまでは聞いていない。

 聖槍を発動させることは人類史を救うことであるとしか聞かされていないし、獅子王の敵がここまで規格外な存在であるということも、燈也は知らなかった。

 

「汝には罪がある。『無知』...否、『知ろうとしなかった』、という罪である」

 

 消え去った光の障壁の残滓を見ながら、燈也はハサンの言葉に耳を傾ける。

 

「汝は知らなければならなかった。獅子王の真意を、神王の展望を、カルデアの覚悟を。それを知り得なかったのは、汝の怠慢である。汝は己の欲に従った。それを悪とは言わぬ。だが、怠慢は罪である。働け、愚か者め」

 

 所詮、対岸の火事。自分が満たされれば、この世界がどうなろうと関係ない。

 そういう思いは、確かに燈也の中にあった。だからこそ一度は獅子王と戦ったし、今はこうして獅子王の敵と戦っている。

 強者との、心を震わせるほどの戦いをしたい。だから前情報はいらず、事前の対策を立てないことで強敵をより強敵たらしめる。そんな愚かな我欲のためだけに、燈也は全てを放棄した。

 

 それが全て間違いだったとは燈也自身思っていない。

 だが、こうして実際に関わっている以上、これはもう対岸の火事などではないのだ。

 

 故に、燈也は恥じる。

 獅子王や円卓の騎士を屠ったことで浮かれていた自分を。もっと楽しい戦いがしたいという建前で「知る」という努力を怠った自分を。

 

 これが本当に対岸の火事であるのなら。静観し、その観戦を愉しむだけであるのなら。「知ろうとしなかった」ことは罪にはならない。

 だが関わるのであれば、最前を尽くすことが何よりも重要であり、燈也の義務だったのだ。

 

「汝の罪を認めたか? 己の檮昧(とうまい)さを胸に刻んだか? ──ならば行け、代行者よ。二度と、同じ誤ちを犯すことは許さぬ。怠慢は大罪であると知れ。次はない」

 

 そう言い残し、ハサンは霧のように消え去った。

 燈也の感知能力を全力で展開してもきっとハサンは見つからないし、見つけたところで燈也に為す術はない。

 いや、というより、それより優先すべきことが今はある。

 

 

「ほらガウェイン。剣、返すな」

 

 鞘に収めた太陽の聖剣をガウェインに返した燈也は、ゆっくりと聖都の内側へ向かって歩き出す。

 光の障壁すらない今、獅子王の元へ向かうのは、雷化してしまえば一瞬だ。しかし燈也はそれをしない。「知る」という行為は、何も「他人に聞く」ことが全てではない。「考える」ことも重要だ。

 玉座まで、徒歩でおよそ一時間ほど。深く考えるには足りないくらいだが、時間が無いよりはマシだ。

 先に聖都内部に侵入したカルデア陣営が獅子王を討つのではないか、という心配もあったが、直後にそれはないと確信を得る。断片的ではあるが、未来が視えたからだ。あと一時間は、獅子王は無事である。

 

 

 山の民と聖都の騎士が刃を交える戦場の只中を、燈也は考え事をしながら横断する。

 戦場においてそんな無防備な輩は格好の的だが、燈也に襲いかかる凶刃も弓矢もない。

 その場にいる誰もが、燈也という存在を認識できずにいたのだ。

 あの白夜叉でさえ見失う燈也の本気の気配遮断能力を破れる者など、この特異点全体をみても、誰一人として存在しない。

 

 

 * * * * *

 

 

 獅子王、アルトリア・ペンドラゴンは、ほぉと息を吐いた。

 

「我が聖槍の外装を破るか。ついに本気を出したな、エジプトの王」

 

 崩れ去る光の障壁を眺めながらも、アルトリアに焦りはない。

 彼女にとって、ファラオ・オジマンディアスは難敵だった。しかし、障害にはなり得ない。

 聖槍の外装が剥がされたとはいえ、そのためにオジマンディアスは持てる魔力を使い切った。こちらが撃った聖槍の極光は防がれたらしいが、エジプト領土の崩壊は時間の問題だ。

 

 あとは、自分の騎士達が異教徒を討つか、たとえ抜かれたとしても自ら手を下せば良い。

 

 残る問題は──

 

「獅子王」

 

 声がかかる。

 玉座の前に跪く、一人の少女。異界の魔王が引き連れてきた騎士である。

 

「どうした、リリアナ・クラニチャール」

 

 リリアナ・クラニチャール。

 彼女こそ、アルトリアが抱える問題の一端である。

 

 彼女自体が問題なのではない。

 正確に言うと、彼女の主たる異界の魔王、佐久本燈也こそが悩みの種だった。

 燈也の力は、全力のアルトリアに匹敵する。先程見た巨大な生物も、燈也が出したものだという。リリアナからそれを聞いたアルトリアは、畏れを越えて呆れたものだ。

 もし燈也が、自分達に牙を剥くことがあれば。カルデア側に助力したとすれば。それは聖槍の崩壊を意味する。今のアルトリアに、カルデアと燈也を同時に相手取る力などない。というより、燈也一人に殺られてしまうだろう。

 

 燈也が敵になることだけは避けたいという神らしからぬ感情を抱いたところで、リリアナから再度声が投げかけられた。

 

「例のカルデアという者たちについてですが、つい先程、この王城に侵入したとの報告がありました。サー・モードレッドは討死なされたようです」

「そうか」

 

 リリアナの持つ情報は、偵察に行ったカレンと、リリアナが放った使い魔から上がってくるものだ。

 カレンや使い魔の見た情報が、念話等の魔術でリリアナの元に集まる。向かってくる敵以外に興味のないカルデアが相手であれば、偵察などは楽な仕事だった。

 

「我が王、佐久本燈也についてですが」

 

 ピクリ、とアルトリアの眉が動く。

 それに気付かないリリアナは、言葉を続けた。

 

「サー・ガウェインと共に敵の騎士と思われる者と交戦。のちに、敵騎士と我が王は姿を消しました」

「.....なに?」

 

 姿を消した。しかも、敵と同じタイミングで。

 それは不味いのでは? と考えるアルトリアに、更に報告があがる。

 

「敵の撤退を見届けた後、こちらに向かってこられるものだと思われます」

 

 なるほど、と頷くアルトリア。

 姿を消したというよりは、見失ったという方が正しいのか。そう思い、安心したように瞳を閉じる。

 

「して。貴女なぜここにいる? 主の元へは行かぬのか」

 

 これは警戒や探りなどではなく、ただの疑問だ。

 リリアナの仰ぐ王は自分ではなく、燈也。ならリリアナが居るべき場所はここではなく、燈也の傍であるはずだ。

 

「...我が王は、強い」

 

 先程までの事務的な声音から、打って変わって感情的な声になる。

 どこか震えた声で、リリアナは続けた。

 

「正直なところ、私が傍にいると邪魔になるのです。現に、獅子王と対峙した際は、私やカレンが人質となったことで勝利を掴み損ねた」

「貴様らがいなければ私が負けていた。そう言いたげだな?」

「恐れながら、それが事実でしょう」

 

 確かに、とアルトリアは思う。

 顔や仕草に出したりはしないが、あの時邪魔が入らなければ、負けていたのはアルトリアの方だ。

 

「故に、私はここにいるのです。受けた恩義を返すため。我が王にとって最善と思われる行動をするため。微力ながら、貴女をお守りします、獅子王」

 

 自分に自信があるわけではない。

 モードレッドすら退けたカルデアという敵に対して、自分にできることがどれだけあるか。もしかしたら何もできないのかもしれない。

 だが、何もしないわけにはいかない。

 それは自信云々以前の話だ。受けた恩を返さぬのは騎士として許されないし、なにより主である燈也の顔に泥を塗る行為であると、リリアナは思っていた。

 

 燈也からの指示はない。しかし、これが今自分にできる最善だ。最も貢献できるであろう行為だ。

 だからリリアナは獅子王を守るために妥協も出し惜しみもしない。だが──

 

「(全ては、我が王の御心のままに)」

 

 斬れと言われれば、獅子王にだって剣を向ける。カルデアに与することだって厭わない。

 そういう覚悟を、リリアナは密かに固めていた。

 

 

 

 




その凄まじい剣技や即死にばかり目が行きがちだが、実は「戦闘続行EX」は“山の翁”の保有するスキルの中でも極めて特異なもので、これは例えどれ程の深手を負い、肉体が半分消し飛んだとしても五体満足時と同様の能力を発揮できるという、通常の戦闘続行とは次元の違う、「生きているのか死んでいるのかさえ分からない」とも形容される異常な能力である。


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因縁あるところに果報あり

なにこれ?


 

 

 

 

 

 

 藤丸立香は、赤面していた。

 

「もうすぐ獅子王のいる玉座に着きます、マスター!」

「う、うん...!」

 

 彼の盾である少女、マシュ・キリエライトの声が聞こえる。

 ついでに彼女の吐息が顔に、ついでにマシュマロが右腕に押し付けられていた。

 

 結論から言おう。

 藤丸立香という健全な少年は、マシュ・キリエライトというデンジャラスビーストに、お姫様抱っこされているのである。

 

「あ、あのマシュ? ちょっとだけその、密着が密で...」

「口を閉じてください、マスター! 舌を噛みますよ!」

 

 聞く耳など持たず、主を抱える少女は王城の長い階段を駆け上がる。

 

 

 なぜ、立香がマシュにお姫様抱っこなんぞをされているのか。

 それは単純明快。ただの人間である立香の足に合わせていては、獅子王の元へ辿り着くのに時間がかかってしまうからだ。それで手遅れになってしまっては目も当てられない、ということになり、厳正なるじゃんけんに勝利したマシュが立香お姫様抱っこ権を奪取したのである。

 

 ガウェインが追ってくる様子も、アグラヴェインが出てくる気配もない。前者はキングハサンが、後者はランスロットがどうにかしてくれているのだろう。立香たちはそう予想していた。

 二人の強力な仲間に心の中で頭を下げつつ、立香は階段の先を睨むように見つめて、対獅子王戦の簡単なシュミレートを行う。そうしないと煩悩に押し潰されそうだったとかではない。決してない。

 

 現在、階段を駆け上がっているのは六人。

 立香とマシュ。

 そして、古代ペルシャの伝説的な大英雄、アーラシュ。

 歴史に名を刻む万能の大天才、レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 円卓の騎士にして獅子王を討つ者、ベディヴィエール。

 現役小学生にして現役魔法少女なオタク気質女児、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。と、愉悦型自立魔法ステッキ。

 

 たった一人の王を相手取るメンバーとしては過剰と言わざるをえないが、相手は女神にまで召し上げられた神秘の塊。

 正直なところ、この過剰に見える戦力でさえ不足がある。

 

「(もし、あの聖槍を至近距離で撃たれたら...)」

 

 立香の額に冷や汗が浮かぶ。

 前回は、何十kmも離れたところから飛来した聖槍の光に対抗するため、イリヤの限界を超えた宝具開放に加えて令呪二画のバックアップを施した。

 そこまでして、ギリギリ相殺できた程度。そんな聖槍が至近距離で放たれればどうなるのか。正直、想像もできない。

 マシュの覚醒があったとはいえ、それで耐えきれるかは分からない。

 立香はマシュを心から信頼している。しかし信頼しているからと言って、それはマシュの防御が破られないという理由にはならないのだ。

 

「(聖槍が放たれる前、速攻で勝負を決める...!)」

 

 獅子王の前に出た瞬間に即座攻勢に出る。

 先手必勝。やられる前にやる。戦術とも言えない脳筋寄りの作戦ではあるが、実際、それが勝利に一番近い。そのことを立香は経験として知っていた。

 

 

 階段を駆け上がる。長い、長い階段だ。

 道中に敵の姿はない。不気味なほど静かな階段だが、障害がないわけではなかった。

 

『むむっ! トラップ系の魔術発見しましたー!』

 

 先頭を走る...否、先頭を飛ぶ魔法少女、イリヤの持つステッキが陽気な声を発する。

 

「ルビー! 解除!」

『はいはーい! 破壊しまぁっす!』

「解除って言ったよね私!?」

『解除も破壊も大差ないですよー』

 

 ルビーと呼ばれたステッキは、どういう原理かクネクネと身を捩よじらせる。

 みょんみょんみょん、などという効果音と共に発せられた魔力の波が、設置されていたトラップ系の魔術を破壊した。

 それを見た後続を走るダ・ヴィンチが、ひゅー! と賞賛を送る。

 

「凄いなー。さすがは《魔法》のステッキだ。今のトラップ魔術は天才である私も解析出来なかったっていうのに!」

『いーえー? 今のは万能型魔術礼装であるルビーちゃんにも解析できませんでした』

 

 ポロッと、なんとも軽い調子で重要そうなことを零す愉悦型魔術。

 それにはさすがのダ・ヴィンチちゃんも「ふむ?」と首を傾げる。

 

「解析できないのにトラップだと判別したのかい? 君は」

『まぁルビーちゃんは直感Aなので』

 

 実際、ルビーは先程のトラップ魔術を解析できていない。それどころか、その魔術に対しての知識が全くと言ってよいほど存在しなかった。

 どんな大魔術であれ、魔法の域に達した御業であれ、マジカルルビーという魔術礼装(カレイドステッキ)はそのほとんどの魔術を“識っている”。

 そんな彼女が知らない魔術。それは非常に高度な魔術であるのかと聞かれれば、実はそういうわけでもない。

 構造自体は単純かつ粗雑。ルビーが少し魔力を過剰に注いだだけで破壊できてしまうほどに貧弱。良くて時計塔の「エリート」レベルの強度だが──

 

『(あんな術式、どの平行世界にも存在しないはずなんですよねぇ...)』

 

 第二魔法の真似事、というのは少し誇大ではあるものの、それに近い性能を持っているのが、彼女らカレイドステッキだ。

 平行世界に散らばる「情報」を知り得る能力。その膨大な知識の海を攫っても、先程のような魔術形態は一つたりとも見当たらなかった。

 

 まぁ、今回のカルデアの相手は西暦を刻み始めてから生まれたifの女神。本来有り得るはずのないモノ。ならばイレギュラーもあるものなのだろう、とルビーは軽く流す。

 カレイドステッキ・マジカルルビーという人工精霊は、自分さえ楽しければそれで良いとする愉悦型魔術礼装の擬似人格だ。正直、未知の魔術形態なんぞに興味はないため、スルーという選択肢を取るのは必然でもあった。

 

『まだまだありますよ〜! バンバン破壊っちまいましょう! 斬撃(シュナイデン)!!』

「それ私の技名(セリフ)ー!!!」

 

 玉座での決戦まで残り数分。

 いい感じに、彼らから緊張感が抜けていく。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 ぴくり、と少女の眉が動く。

 ゆっくりと立ち上がった少女──リリアナ・クラニチャールは、細かな所作にも揺れ動く銀髪を靡かせ、玉座への入り口へと振り返った。

 

「カルデアの者がくるか」

「...はい。設置していた妨害魔術の陣が破壊されました」

 

 並の魔術師程度であれば十分に足留め、あるいは仕留めることさえ可能なリリアナの術式が破壊された。

 今そんなことをしてまでこの玉座を目指す者など、カルデアをおいてほかに無い。

 

「あと数分とせずに、彼らはここにたどり着くでしょう」

「ふむ、そうか」

 

 緊張した面持ちで愛剣の柄に手をかけるリリアナとは違い、獅子王は落ち着いていた。

 カルデア如き、という油断がある。自分が負ける材料がない、という慢心がある。獅子王、アルトリア・ペンドラゴンにとって、カルデアはそう大した脅威ではない。

 こちらの目的を話した上で、納得するのなら受け入れる。立ち塞がるのなら殺す。聖槍が完成しつつある今、獅子王にとってはどちらでも良かった。

 

「そのカルデアの陣営の中に、お前の主はいるか?」

「我が王、ですか? いえ、いらっしゃらないかと。もし我が王がカルデアに助力しているのであれば、大人しく階段を上がってくるなどせずに、外からこの城、ひいては聖槍ごと獅子王を葬りにくるでしょう」

「...貴女はアレだな。ところどころ不敬だな」

「いえ、そんなそんな。私はただ事実を申し上げたまでです。カンピオーネは非常識、これ常識です」

「ふぅむ」

 

 まぁ良い、と一度目を閉じる獅子王。

 そしてその目を開いた数秒後、玉座の扉が盛大に吹っ飛んだ。

 

「おっ。思ったより脆かったな、この扉」

 

 崩れた扉の向こう。砂塵の舞う奥から、青年の声が聞こえてくる。

 声の主はアーラシュ・カマンガー。どこにでもいそうな好青年然とした彼は、砕け散った扉の瓦礫を飛び越えて玉座の間に立ち入った。

 

『いやー、さっすがですね大英雄! 弓の一矢で鉄製の扉木っ端とか。正直引きます』

「やっぱり英雄さんってすごいよね、ルビー。ヘラクレスさん(バーサーカー)も鉄くらいなら小指で壊しちゃうんだろうなぁ」

「イリヤちゃんのヘラクレスへの信頼度は狂信的だねぇ。ちなみに私も鉄を破壊するなんてちょチョイのちょい、おちゃのこさいさいさ! 弓だって私が魔改造すれば鉄の扉を壊せるようになるもんね!」

「レディ、そこは張り合うところではないかと」

 

 青年に続いて、空飛ぶ魔法少女と喋るスティック、どこぞの絵画で見たことのあるようなないような美女、銀色の騎士も現れる。

 次いで、騎士のような格好をした少女と、その少女の抱えられた少年も玉座の間に入ってきた。

 

 彼らのことを、リリアナはある程度知っている。カレンの報告や使い魔を通した映像で、多少ではあるが、彼らの戦い方も知っていた。

 故に、リリアナでは彼らに勝てないことも判っている。如何なる奇跡が重なろうとも、今のリリアナの実力では敵わない。

 だが、それで逃げていては、彼女の主たる燈也の顔に泥を塗る。

 負けるとしても、戦いの最中で。燈也がそれを望む望まないに関わらず、それはリリアナの、騎士としての覚悟だ。

 

 しかし、リリアナとてここで簡単に死んでやるつもりもない。

 正攻法で敵わないのであれば、搦手で。

 幸い、この場には獅子王がいる。リリアナが一人で戦わなければならないというわけではない。

 

「──アルトリア...いや、獅子王、アーサー・ペンドラゴン!」

 

 リリアナの手に力が籠る中、敵方の少年、藤丸立香が声を張る。

 彼の目は獅子王を捉えており、それ以外はほとんど目に入っていない様子だった。ここでの最大の脅威は獅子王なのだから、それは当然といえば当然なのかもしれない。

 そんな立香の言動に若干の憤りを覚えつつも、リリアナは静かに戦闘の準備を始める。

 

 立香の作戦擬きは、既に全員に伝えてあった。

 獅子王が動く前にアーラシュやイリヤ、ダ・ヴィンチが攻撃を仕掛け、獅子王の体勢が崩れたところをついて、ベディヴィエールがトドメ。

 そんな簡単にことが進むわけはないと思っているが、かといって他に有効な作戦を思いつくわけでもなく。失敗したら、そこからは各々が柔軟に対応する。下手に立香が指示を出すより、歴戦の英傑たちに任せた方が有利に進むこともある。

 立香の役目は、要所要所で的確な指示を出すことだ。一から十までではなく、そのうちの二、三ほど。それが指揮塔、マスターとしての役割だ。

 

 視線で合図を出し、いざ作戦開始だというその瞬間。

 玉座に深く座った獅子王が、立香たちよりも先に口を開いた。

 

「──答えよ」

 

 名を呼ばれた獅子王は、ゆっくりと言葉を下す。

 冷徹に、冷酷に。人の心を忘れた──あるいは、初めから知らなかった彼の王の言葉に、温もりと呼べるものはない。ただただ無機質で、平坦で、それ故に冷たい。

 

「答えよ。お前たちは何者だ。何をもって私の前に立つ」

 

 言葉に重力があるかのような錯覚。

 その場の空気そのものが竦み上がるかのように張り詰める。

 

 その場の誰もが、動きを止めた。止めてしまった。

 格上の存在を前にして、一歩踏み出すことが出来なかった。

 

「お前たちは私を呼ぶ者か。お前たちは私を拒む者か。最後の人理、カルデアのマスターよ。汝は、何をしにこの果てへ至った?」

「そんなものは決まってる。俺は...俺たちは、人理を救うためにここにいる!」

 

 歴史に名を刻む英雄ですら押し黙る状況で、それでもなお、人類最後の希望は立ち向かう。

 

「──人理を救うことと、私を殺すことは同義だ。残念だ、カルデアのマスター。お前は、聖槍には選ばれない。...奴に選ばれる可能性はあるがな」

「...?」

 

 ぼそりと呟かれた最後の言葉に首を傾げる立香たちだったが、すぐにそんな余裕はなくなった。

 獅子王が玉座から立ち上がり、槍を握ったのだ。

 

「貴様は、悪の魂は、私の理想都市には不要だ。故にこれより、円卓を解放する。死ぬがよい、最新のヒトよ」

 

 玉座の間の壁が消え、代わりに“果て”が顔を見せる。

 今も尚、エジプト領を侵し、消し去る“世界の果て”。その対極こそが獅子王の白亜城、『最果ての槍』が根を張るこの場所だったのだ。

 これには、さすがのカルデア陣営も声を失った。どこかで聞いた未知の出来事ではない、実際に目の前に横たわる『終わり』。その『終わり』にて楔を構える女神。

 圧倒的な現実、圧倒的な格差。誰もが何も口答えできなくなる中で、藤丸立香だけは震える膝に力を込めた。

 

「分からない。なんでお前は世界を閉ざすんだ、獅子王!」

「理由か。ヒトはいつでも理由(それ)を知りたがる」

 

 短い嘆息の後、獅子王は再び言葉を紡ぐ。

 

「私が世界を閉じるのは、人間(お前たち)を残すためだ。ある者の大偉業によって、この惑星の歴史は終了する。人理は焼却され、人類史は無に帰される。だが、それは私の存在意義に反する」

 

 ふと、獅子王は虚空を見つめた。

 

「(...以前にこの話を聞いた男は、『くだらない』と一蹴したな)」

 

 自身の正義を否定される。それはヒトであれ神であれ、嬉しいことではない。

 

 神は──アルトリア・ペンドラゴンは、人間が好きだ。彼らなくして、自分の存在は保たれないから。

 だから彼女は、人間に永遠を与える。悪を成さぬ魂、悪を知ってなお穢れぬ魂。善に飽きぬ魂、善の自覚無き真の魂。

 そういった『残るべき、正しいもの』を収容する理想都市。女神アルトリア・ペンドラゴンにとっての絶対的な善。

 

 ──彼女はそれを、理解して欲しかったのかもしれない。

 彼女の正義が、同じ円卓を囲んだ同胞にすら理解されないのは、悲しいことだ。

 彼女の自由が、惑星に選ばれた王に否定されることは、悔しいことだ。

 

 ならば、ヒト。

 自分が躍起になって守らんとしている人間という種族が相手であれば、あるいは理解してくれる。

 そういう思いが、獅子王に『対話』という手段を取らせていた。

 目の前の人間は“悪”だ。それは彼女の中では覆らない事実ではあるが、それでも、彼女は心のどこかで期待した。

 

 そして、その結果が──

 

 

「そんなものは標本と同じだ。お前は間違っている、獅子王!」

 

 

 ──誰にも理解されぬ孤独の再確認であった。

 

 

「──...そうか。ああ、そうか。お前たちも、私を否定するのだな」

 

 そこに“感情”というものはない。アルトリア・ペンドラゴンの精神構造は、完全に神霊のソレへと昇華されていた。人間の価値観など、とうの昔に無くしている。

 

 ...はずだった。

 

「お前たちが私を否定するのなら、私もお前たちを否定するまで」

 

 無機質でありながら、その言葉に微かな揺らぎが生まれた。

 

 王にはヒトの心が分からない。そうかもしれない。彼女は《王》であり続けたのだから。

 人間の価値観など消失した。確かにそうだ。神々にとって、矮小で愚かな人間の価値観などゴミにもならない。

 

「いずれ死ぬもの。もう死ぬもの。命の限りを嘆くものたちよ」

 

 だが、そこに“心”がないわけではないのだ。

 思考できる。会話もできる。であるならば、そこには心が生まれる。

 他人(ヒト)の心は理解できないかもしれない。人間とは見方そのものが違うのかもしれない。

 しかし、そこには確かに心がある。彼女の夢見た理想がある。

 故に、

 

「終わりだ、人間。我が庇護の元に──砕けよ」

 

 聖槍は、抜錨される。

 

 

 * * * * *

 

 

「くっ...! ヨナタンの弓よ! 鷲よりも疾く、獅子よりも強き勇士の器よ!」

 

 リリアナの持つ白銀の弓から、複数の弓矢が穿たれる。

 神の身にすら傷を付ける青白い神秘の灯った矢は、しかしながら空中で軽々と撃ち落とされた。

 

「筋は悪かない。だがまだまだ未熟だな、嬢ちゃん!」

「チッ!」

 

 接近戦は不利、むしろ獅子王の聖槍に巻き込まれると判断したリリアナは、すぐにサーベルを弓に変質させていた。この世界にきてから、何故か突然《イル・マエストロ》を長弓に変質できるようになっていたのだ。

 彼女の主、燈也曰く「よく分からんけど多分俺のおかげ」。

 

 理由はよく分からなかったが、相手は神殺しだ。気にするだけ無駄だと理解は諦めた。

 しかし、攻撃の幅が広がるのはリリアナにとっても喜ばしいことだ。剣技に加え、トリスタンをはじめとした複数の騎士たちから弓術も習っていたリリアナは、早速新たな己の力を使っていた。

 

 結果は、あまり芳しくない。

 遠・中距離からの狙撃で獅子王の援護をしようとしたのだが、彼女の弓は尽く空中で撃ち落とされる。

 

 舌打ちし、リリアナは忌々しげに相手を見た。

 先程からリリアナの弓矢を撃ち落とす、敵の狙撃手。大英霊・アーラシュ。爽快な青年は、うっすらとその白い歯を見せながら、正確無比な弓術を惜しげも無く披露している。

 

 アーラシュが持っている弓は、そう特別なものではない。大英雄が使っている武具なのだからそれなりの神秘が篭ってはいるが、それだけ。下手をすれば、《神斬り》の偉業を成して、燈也によって霊格を上げられたリリアナの《イル・マエストロ》と武具としての格は同等程度なのかもしれない。

 しかしながら、そこから放たれる矢の威力は桁が違う。

 

 はっきり言って、この時点でリリアナに勝ち目はない。弓という土俵において、アーラシュという存在は絶対だ。彼と打ち合える者など、過去現在未来においても数えるほどしか存在しない。

 加えて、

 

「いくよルビー! 斬撃(シュナイデン)!!」

『いつもより三割増でシュナイってまぁっす☆』

 

 魔法少女などという巫山戯た存在、イリヤとルビー。

 見るからに世界観の違う装飾である彼女らは、色々な意味で無視できるものではなかった。

 魔力isパワーだとでも言わんばかりに、魔力そのままでぶん殴る(ぶった斬る)戦法を取るイリヤ。

 リリアナにとって、魔力とは術式を介するからこそ効力を発するものであるのだが、そんな常識をあっさり覆す存在が魔法少女だった。

 

 遠・中距離の競り合いでは、リリアナに分はない。

 だったら得意な接近戦で、といけるほど、獅子王はリリアナの存在を考慮などしていなかった。

 現状、リリアナに打てる手は何も無い。というより、もう全て打っている。

 

 英霊二基を相手取れていることは上々と言えるが、互角かと言われればそうでもない。

 どちらかが本気を出せば、リリアナは簡単に潰れる。

 そうならないのは、単に獅子王が強いからだ。

 

「フッ──」

 

 聖槍が振るわれる。

 盾の少女が守るが、それだけでは足りない。マシュごとベディヴィエールが薙ぎ払われ、ダ・ヴィンチの万能ですら全能の前には蹂躙される。

 格が違うのだ。英霊でしかない彼らと、神霊に達した獅子王では。

 マシュや立香たちの援護のために、アーラシュやイリヤは常に気を割いている。それが、リリアナがアーラシュやイリヤという強敵を前にして未だ立っていられる理由だった。

 

「(正直、舐めていたな、私は)」

 

 カルデアの実力を、ではない。獅子王の実力を、だ。

 燈也に負けたという事実が獅子王の力を霞ませていたが、獅子王は決して弱くなどない。むしろトップクラスの実力を持っている。

 燈也というデタラメな存在を計りにしてしまったから、リリアナの獅子王への評価は実際よりかなり低かった。

 

 主の意向次第では獅子王に弓を引く?

 無理だ。弓を引く前に殺されてしまう。

 

 リリアナ自身、獅子王の思惑にあまり好感は持てない。どちらかといえば否定、つまりカルデア側の意見と合致する。

 本来であれば、リリアナは獅子王を止める側に立っていただろう。己の正義感を掲げ、成すために。

 それをしないのは、燈也が獅子王に味方しているから。

 

 ──それが、リリアナの大義名分。主に全ての判断を任せた彼女の言い訳だった。

 

「おっと、よそ見か?」

 

 獅子王の戦闘を一瞬でも眺めてしまったリリアナに、風を切る弓矢が飛来する。

 慌てて回避しようと身を捻るが、遅い。アーラシュの弓はリリアナの右肩の肉を抉り、鮮血が上がる。

 

「ぐ、ぅ...!」

 

 痛みに顔を歪めたリリアナは、乱れた思考をどうにか調律し、《イル・マエストロ》を弓から(サーベル)へと変質させる。片腕が使えなくなった今、弓は使えない。持っているだけ無駄だ。

 飛び道具の無くなったリリアナに、続いて三本ほど弓矢が襲う。

 リリアナは剣で受けるようと試みるが、片手で振るう剣に出来ることは限られていた。右肩の負傷で動きも鈍る。一本は何とか払ったが、残る二本が左腿、左脇腹に突き刺さった。

 

「ぐ...ぁああッ!」

 

 焼けるような痛みが走る。

 もはやどこが痛いのかも分からない。熱いのに、寒い。だくだくと流れる血が、リリアナから体温を奪っている。

 血溜りが潔白の円卓を染める。徐々に失われていくリリアナの顔色。立っていることすらままならず、リリアナは前のめりに倒れた。

 

 致命だ。放っておけば、数分とせずにリリアナの命は消える。

 そんなリリアナを横目で見やった獅子王は──

 

「ふむ」

 

 特に、変わることなどなかった。

 強いていえば、一度に相手取る敵数が増えて面倒だ、と言ったところだろうか。

 獅子王にとってリリアナは配下ですらない、協力者の下僕。生き死ににもそこまで興味はない。

 否、もしこれが円卓の誰かであったとしても、獅子王の態度は変わらなかっただろう。彼女の望みは聖槍の完成。善なる人類のみを補完した理想郷の実現だ。

 その目的が達成されるのであれば、どんな犠牲も厭わない。と言うよりも、彼女にとって犠牲と呼べるものなど一つもなかった。

 

「面倒だ。聖槍の光を持って、貴様らを蹂躙する」

 

 それは神故の傲慢か。

 自覚の有無はともかく、他人に理解して欲しいという思いがあった。

 それにも関わらず、彼女は他人を──自らの同胞である円卓の騎士ですら、道具としか見ていなかったのだ。

 円卓の騎士はそれを理解した上で獅子王に付き従っていた。獅子王を止めようとする同胞を斬り、偽りとはいえ聖地の人々を屠り、罪人の名を背負って燃える人理に沈む覚悟をしてまで、彼らは獅子王に付き従った。

 

 

 ──しかし、リリアナは...彼女の主は、そうではない。

 

「其は空を裂き地を繋ぐ嵐の錨───」

 

 聖槍を掲げ、世界を揺るがす魔力を収束していた時。敵を射貫くように見据えていた獅子王の視界がブレ、強い衝撃と共に暗転した。

 

「な、にが...?」

 

 そう声に出したのは、獅子王ではない。

 一部始終を見ていた立香が漏らした声だ。

 

 否。『見ていた』とは少し違うかもしれない。

 彼の目には、『聖槍を振り上げた獅子王が、突然顔面から床にめり込んだ』という結果しか映っていなかった。

 

 獅子王は立ち上がらない。あの化け物じみた女神が、地面に倒れ伏している。

 明らかな異常事態だ。警戒するなと言う方が無理というもの。慌てて周囲を見渡すが、立香には何も見つけられない。

 生身でそれなりの修羅場をくぐってきた立香の危機感知能力はなかなかのものだ。そんな彼をして、「ヤバい」という警鐘がガンガンに鳴り響いていた。

 

「みんな、気を付け──」

 

 衣服に施された魔術礼装、場合によっては令呪すら切る準備を整えつつマシュたちに声をかけようとする立香は、そこで押し黙る。

 舌を噛んだわけではない。もっと本能的な、獅子王を上回る純粋な恐怖が立香を、そしてその場全員を押さえつける。

 

 

 “ソレ”は、立香たちのすぐそばにいた。

 あまりにも自然な異物、溶け込みすぎた違和感。森の中に聳える高層ビルのような存在でありながら、誰もそれを不自然だと思えなかった。

 

 “ソレ”はリリアナのそばにしゃがみこみ、彼女の傷をゆっくりと撫でる。それだけで、致命傷だった傷は痕も残らず消え去った。

 傷は消えたが、血は元に戻っていないのだろう。リリアナは顔を青くしたまま、その瞳は閉じられたままだ。そんな彼女を静かに抱きかかえた“ソレ”は、全てを見下ろすように口を開く。

 

「覚悟はいいか、負け犬」

 

 神殺しの言葉が、世界の果てを揺るがした。

 

 

 

 




もう自分が何書いてるのかも分かんなくなってきたけど、とりあえず勢いだけで書いてみた。見切り発車じゃ限界があるって昔学んだはずなんだけどな...おかしいな...。


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英断か愚断かは結果が出てからじゃないと判断できない。

 

 

 

 

 

 

「覚悟はいいか、負け犬」

 

 そんな言葉を聞いて、獅子王はようやく自分の身に起こった出来事を把握した。

 後になって襲ってきた後頭部への痛みを堪えつつ、獅子王はフラフラと頭を床から引き離す。

 

「ゲホッ...!」

 

 一度立ち上がろうとして、失敗する。足に上手く力が入らないようだ。

 もう一度、今度は膝に手を付きながら立ち上がった。

 

 なんとか立ち上がり、獅子王は声のした方を見る。

 そこには少年が立っていた。どこにでもいるような、普通の少年。

 しかし、彼が普通でないことを、獅子王は身をもって知っている。

 

 獅子王──女神ロンゴミニアドが最も恐れ、警戒した相手。

 それが彼、佐久本燈也という神殺しの魔王だった。

 

「な、ぜだ...!」

 

 脳でも揺らされたのか。痛みに加えて歪む視界に苦しみながらも、獅子王はなんとか言葉を発する。

 彼女が倒れたのは、燈也の仕業だ。目で見えたわけではないが、今この場において、神たる彼女にダメージを与えられる存在は彼しかいない。

 

 なぜ、彼が自分を攻撃したのか。

 獅子王が聖槍を完成させて世界を閉じようとも、それは燈也には関係のないこと。事実、燈也は獅子王の思惑を「くだらない」と断じたが、阻止しようとはしていなかった。

 なぜ今になって自分に反旗を翻すような行為を取るのか。獅子王は、それが疑問だった。

 顔を苦痛に歪ませながら問う獅子王に、燈也は眉一つ動かさずに答えてみせる。

 

「理由か? まぁ何個かあるが、第一はお前が俺を敵に回したからだ」

「て、き.....? なん...!」

 

 心当たりがないと、獅子王は余計に疑問を膨らませる。

 そんな獅子王に、次は睨めつけるように鋭い視線をぶつける燈也。それを受け、獅子王は黙るしかなかった。

 

「リリアナを、俺の騎士を殺そうとしただろ」

 

 燈也の目線が一度、抱くリリアナへと向けられる。

 つい先程まで、放っておけば死んでしまうような重症を負っていた少女だ。血で汚れてしまった髪をひと撫でしてから、燈也は獅子王に背を向ける。

 

「カレン」

「は、はいぃ!!」

 

 アーラシュによって破壊された扉の陰から、メイド服に身を包んだ少女が声を上擦らせながら現れた。

 

「リリアナを任せた」

 

 言って、燈也はとある聖句を唱える。第二の権能、《勝利運ぶ不敗の太陽》を顕現させる聖句だ。

 眩い光と熱が玉座を覆う。その中心に現れた馬車に、燈也はカレンとリリアナを押し込んだ。

 馬車はそのまま走り出し、宙に浮く。そして玉座を見守るように、上空を旋回し始めた。

 

「さて」

 

 十分な高度にまで馬車が達したことを確認した燈也は、再び獅子王へ、そしてカルデアへと視線を移す。

 あまりの急展開に身動きが取れなかったカルデア陣営だったが、ここにきてようやく“構え”を取る。

 

「獅子王はあとでぶん殴るとして、だ。まずはこっちの落とし前からだな」

 

 そう言った燈也は、視線をアーラシュへとロックする。

 燈也が玉座に着いた時には、既にリリアナは倒れていた。故にリリアナが負傷した瞬間を燈也は見ていなかったが、彼女が受けていたのは矢傷だった。そして、この場において弓を扱う者は、パッと見渡した限りただ一人。アーラシュだけである。

 

「別に恨み言を言うつもりはない。これはまぁ、戦争だ。リリアナのやつもお前らを殺す気で戦ってただろうし、お互い様ってやつだ」

 

 けどな、という言葉と共に、燈也の姿が消える。

 

「やられたらやり返すのが俺の性分だ」

 

 不意に、アーラシュの背後から声がした。ついさっきまで、崩れた扉の前にいた少年の声だ。

 

「アーラシュ!」

「アーラシュさん!」

 

 焦った立香と、マシュの声も聞こえる。

 そんなことを認識すると同時に、アーラシュの腹部へ強烈な痛みが走る。見れば、拳大ほどの風穴が、綺麗にポッカリと空いていた。

 

「カフっ...!?」

 

 アーラシュの口から血が滴る。

 優れた千里眼()を持つアーラシュですら、燈也の姿を捉えることは出来なかった。攻撃されたことですら、された後にしか知覚できない。

 

「(ち、くそ...ここにきて、こんなやつがでてくるか...!)」

 

 スキルを使ってなんとか意識と命を支えるアーラシュは、顔を苦痛に歪ませながらもなんとか立っていた。

 アーラシュの視線を受けても、燈也に思うところなど何も無い。リリアナのやられた分を返してやっただけだ。すでにアーラシュへの興味は失せている。

 

 報復を終えた燈也が次に見据えるのは、ようやく視界の焦点が合ってきた獅子王だ。

 

「リリアナは放っておけば死んじまう傷だった。にも関わらず、テメェは助けるどころか、諸共に消し去ろうとしたな?」

 

 一歩、獅子王へと足を踏み出す。

 よほど力が篭っているのか、踏み出した足は床を陥没させ、城を揺らす。

 

「もう聖槍は完成するから。世界を閉じてしまえば問題ないと、俺が追って来れないから安心だとでも思ったか?」

 

 そんなことは無い。

 獅子王にとって、燈也がリリアナのことでここまで怒ることは予想外だった。彼は自分と同じように、配下にそこまでの情はないと見ていたのだ。

 

 しかし、それが間違っていた。

 初めて戦った時、燈也はリリアナやカレンを人質に取られて拳を下ろした。その時点で、しっかりと察しておくべきだったのだ。

 燈也は、神殺しまで成し遂げた大罪人は、仲間というものに執着があるということを。

 そう思った獅子王は、ギリと奥歯を噛む。

 

「ああ、それとな」

 

 さらにもう一歩、燈也は踏み込む。

 次は魔力まで込められており、肌を刺すような圧が獅子王をよろめかせる。

 

「俺は逃げ腰の負け犬に味方してやるほど、優しくはねぇ」

 

 三歩目。

 その踏み込みで、再び燈也の姿が掻き消えた。

 

 一瞬目を見開いた獅子王は、すぐに槍を正面へ突き刺した。

 見えずとも、これはきっと攻撃である。ならば先程と同様、正面から突っ込んでくるのではないか。

 そういう憶測の元に槍を突き、そしてそれは見事的中する。

 

 聖槍の穂先が燈也の眉間を捉えた。否、燈也が自ら突っ込んできたという方が正しい。

 見えなかった燈也の姿が、一瞬だけ可視化する。刹那の時間だったが、獅子王の目は確かに『眉間を貫かれた燈也』の姿を見た。

 故に勝利を確信し──そして顔面を襲う痛みと共に後方へと吹き飛ばされる。

 

「ガハッ...!」

 

 玉座にぶつかり、背中にも激痛が走る。

 

 訳が分からない。

 なぜ自分が吹き飛ばされているのか。

 そして顔を上げてみれば、そこにある無傷の燈也の姿。

 訳が、分からなかった。

 

「立てよ、負け犬。それとも、俺に立ち向かうこと()諦めるか?」

 

 圧倒的な力量差が、そこにはあった。

 

 

 * * * * *

 

 

 藤丸立香は、その場を動けずにいた。

 突然現れた、謎の人物。外見や言葉から、自分と同じ日本人ではないかと思わせる少年は、見たところ立香と同じくらいの年頃に見える。

 

「あれが...佐久本、燈也.....?」

 

 立香の口から、少年の名前が漏れた。

 なぜ立香が燈也の名前を知っているのか。それはランスロットが彼に教えたからだ。

 真に警戒するべき相手であり、下手をすればキングハサンでも手に負えないかもしれない、神殺しの魔王を自称する少年がいる、と。

 

 神殺しの魔王。

 なるほど確かに。彼は間違いなく、神を手にかけることができるだろうと、立香は確信した。

 その根拠は、今目の前で繰り広げられている惨劇だ。

 

「ハァ...ハァ...ハァ.....!」

 

 傷だらけになり、槍を床に突き刺し支えにして、やっと立っている獅子王。

 ついさっきまでこちらを圧倒していた女神が、今はたった一人の少年にそこまで追い込まれていた。

 

「なんだ。チキンのくせに、案外粘るな」

 

 そんな少年の声が、酷く冷たく響く。

 燈也は、玉座から上空十メートル程度のところに浮いていた。

 かろうじて人型は保っているものの、彼の体はヒトのそれとは全くの別物になっている。

 眩い閃光と、時折地面や宙に迸る紫電。

 

 彼の体は今、電気となっていた。

 

「...なんなんだ、アレは」

 

 ダ・ヴィンチが呟く。

 確かに、電気を纏う者は幾人か見てきたが、電気そのものになる者は初めて見たと、立香は同意に似た意見を返した。

 

『違う、違うよ、藤丸くん。アレはそんなチャチなもんじゃあない』

 

 カルデアから通信を通して燈也を観測したロマニが口を挟む。

 何が違うのか分からないという立香に、ダ・ヴィンチが補足した。

 

「今までキミや私たちが見てきた、いわゆる雷使い、電気使いの類は、魔力を使っていたり、電気を生み出す武具を使ったりしていただろう?」

 

 言われてみれば、そうだった気がしないでもない。

 

「でも俺、魔術とか疎いし、よく分かんないよ」

「そんな立香くんに朗報だ。アレは、魔術じゃない。魔術が施された武具、ってオチも無しさ」

「え?」

 

 思わず、立香の口から声が漏れる。

 では、今まさに獅子王へと落雷した彼は、一体何なのだろうか。

 

「彼は間違いなく電気...いや、かみなり、と言った方がいいだろうね、アレは」

 

 ダ・ヴィンチの頬を汗が伝う。

 口元は笑っているが、内心は決して穏やかではない。

 

「ロマニ、そっちの解析は?」

『多分キミと同じさ、レオナルド。なんてこった、さすが難易度EXの特異点だと笑えばいいかい?』

 

 ロマニが多少軽口を叩くが、それは余裕があるからではない。

 むしろ逆だ。笑うしかない、という状況を前にしているにすぎない。

 

 結局、雷となってしまった佐久本燈也とは何なのか。

 焦らされた立香は、我慢ならないという思いを顔に出す。それを見たダ・ヴィンチは、ふぅと一度息を吐いてから打ち明けた。

 

「アレは、魔術とは格が違うんだ。万能すら上回る神域。つまり──権能さ」

「権、能...? いや、でもそれって、神霊とかが持ってる、神霊にしか使えないものなんじゃ...?」

 

 立香の疑問は当然だ。

 権能とは全知全能の発現。可能不可能の話ではなく、「そうする権利があるからそうする」という理不尽極まる神代の法である。

 立香の知る権能は、ギルガメッシュの宝具である『乖離剣エア』の時空流の発生くらいか。つまりは、あの英雄王と同程度の力を、佐久本燈也という自称神殺しの魔王は行使しているのだ。

 

「ランスロットは彼のことを『神殺し』だなんて言ってたが...いやはや、あれじゃあ『神』そのものじゃないか」

 

 雷とは、神鳴り。

 太古は雷は神が鳴らしていると信じられており、雷とは神そのものだった。

 そんな雷に変質することのできる彼は、神であると言っても過言ではないということだ。

 

『女神VS神殺しとか、なにそれチョー面白そう! って思ってましたけど...女神対神とか、それただの神話大決戦じゃないですかヤダー』

「それどっちもあんまり変わんなくない!?」

『何言ってるんですかイリヤさん! 変わりますよ! 何かが!』

「曖昧!」

 

 ルビーが軽口を叩く。これは余裕がある証拠だ。いや、別に神同士の戦いに首を突っ込んでも生き残る自信があるとかではないのだが、基本彼女は道楽的に生きている。そういう、ある種大きな器があるからこその余裕だった。

 

「しかしまぁ、考えようによっては好都合だ。不幸中の幸いというか、僥倖というか。うん。ラッキーだね、これは」

 

 圧倒される女神を見ながら、ダ・ヴィンチは言った。

 その言葉に、マシュが返す。

 

「ラッキー、ですか?」

「ああ、そうさ。私たちだけでは、あの女神を倒せるという確証はなかった。もしかしたら全滅していたかもしれない。そこに現れた、女神を一方的に屠る神殺しくん、ときたもんだ。このまま彼が獅子王を倒してくれれば、この特異点は修復される。だって聖杯は、立香くんの手にあるんだからね」

 

 そうなればカルデアとしては万々歳さ、とダ・ヴィンチは言うが、そう簡単に事が進むとは考えていない。

 燈也が何を考えているのか、そして一体何者なのか。佐久本燈也という人物について、カルデアは何一つとして有益な情報を持ち得ていない。

 彼が魔術王の陣営である、という可能性もある現状で、何もかもを楽観視できるほど能天気ではなかった。

 

 

 と、ここでロマニが慌てた口調で声を届ける。

 

『え、あ!? ま、まずいぞ!』

「どうしたのドクター? ワイバーンでもきた?」

『神話の再現みたいな現場にいてそんなに慌ててないなんて藤丸くんは大物だなぁ...ってそうじゃない! ガウェインだ! ガウェインがそっちに向かってるぞ!』

 

 

「『エクスカリバー、ガラティーン』!!!!」

 

 ロマニの忠告から一秒もせず、灼熱の炎波が玉座を貪る。

 鉄すら溶かしてみせる劫炎は、カルデアごと燈也を襲った。

 

「っ! 先輩、皆さん! 私の後ろに! 『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!!」

 

 慌ててマシュが宝具を展開する。

 決して崩れぬ白亜の城は、太陽の炎ですら防ぎきる。覚醒したマシュの堅牢さに深く感心する立香だったが、すぐに別の思考へとシフトした。

 

「ロマニ! 佐久本燈也は!?」

『えぇ!? な、なんでまた...!』

「いいから! 生きてるか、生存確認だけでも──」

 

「舐めんな、あの程度の火力で誰が死ぬかよ」

 

 そんな声と同時に、立香たちとガウェインの間へ燈也が現れる。

 雷化は溶けておらず、見たところ外傷はないように見えた。

 

 燈也はじっとガウェインを見つめ、またガウェインも燈也を睨む。

 

「燈也...! なぜ貴方が王と戦っている!? 貴方は我々に協力していたのではないのですか!」

「事情が変わった。俺は考えたんだよ、ガウェイン。足りねぇ頭で、それなりにな」

 

 燈也とガウェインの対話。

 それは、立香たちカルデア側にとっては意外すぎる展開だった。

 燈也は雷だ。雷の速度、雷速は光速の三分の一程度。秒速にして約十万キロメートルほどだ。

 光よりは遅いが、それでも知覚できるような速度ではない。故に、燈也は不意をつかれない限りはほぼ必ず先手を取れることになる。

 やろうと思えば、一秒と待たずに攻撃を与えることができるはずなのだ。ガウェインがいくら硬いとはいえ、雷速で何度も殴られてはタダでは済まないだろう。

 それをせずに、燈也はガウェインと対話するという選択肢を取った。それは、ガウェインとはまだ明確な敵対関係ではないということなのか。

 

 深まるカルデア側の疑念など知りもしないまま、燈也は言葉を続ける。

 

「あの髑髏野郎は建築王がどうとかも言ってやがったが、そっちは知らん。俺が考えるべきは、獅子王とカルデアのことだ」

 

 右手から人差し指、中指、薬指の三本を立てた燈也は、そのうち薬指を降ろす。

 そして、人差し指を左手で握った。

 

「まず、カルデアだ。こいつらとは全くと言っていいほど絡んじゃいなかったが...こいつらは、戦う者だ。人類史が燃えただかなんだかは知らねぇが、人理ってのを取り戻すために立ち上がった戦士。そうだろ?」

 

 くるりと振り返った燈也は、カルデア...藤丸立香という最後のマスターに確認を取る。

 その問いかけに、立香は──

 

「違う」

 

 否と答えた。

 

「確かに俺たちの戦いは人理を救うものだ。けど、そんなのは結果でしかない」

「...へぇ?」

 

 立香の答えに、燈也は興味深げな目を向ける。

 

「俺は、俺が死にたくないから立ち上がった。後輩を、マシュを救いたいから戦うんだ。人理とか、そういうのも確かに救うべきなのかもしれないし、救いたいとも思う。でも、俺は俺のためにしか行動できない。そんなただの一般人だ」

 

 キッパリと、まっすぐに燈也の目を見てそう答える。

 マシュは驚いたような顔を、ダ・ヴィンチは「ひゅ〜!」とおどけた様子を、ベディヴィエールは納得と覚悟の篭った目を、アーラシュは優しい笑みを、イリヤは在り方の少しだけ似ている兄を思い浮かべたはにかみを。それぞれが、立香の答えへ反応を示す。

 

「ふはっ。いいな、お前」

 

 そして燈也は、そう小さく笑った。

 

「つーわけでガウェイン。カルデアのマスターは、自分の生を諦めなかった。力はないが、もがいて、運命に抗おうとしてる。俺はそんなやつが好きなんだよ。そういうやつは強いからな」

 

 そして、と次は中指を握る燈也。

 

「対する獅子王だが...あいつはダメだ。逃げやがった」

「逃げた、だと? 我が王が?」

 

 疑念と怒り。

 いわれのない誹りを受け、ガウェインは我が事のように腹を立てた。

 

「ああ、そうだ。あいつは逃げたんだよ。魔術王とかいう、全ての元凶から」

「ふざけるな! 我が王は逃げてなどいない! 魔術王が人理を焼却するのであれば、可能な限り人類を救おうとした! 最悪の中の最善を選び──」

「それが逃げだっつってんだ」

 

 ピシャリと、ガウェインの言い分を遮る燈也。

 彼は今もガウェインをまっすぐに見据えている。

 

「可能な限り人類を救う? 最悪の中の最善? 何言ってんだテメェ。んなもん、魔術王との戦いを避けたやつの言い訳だろうが」

 

 そこで、燈也はガウェインと対峙してから初めて、獅子王へと視線を向ける。それに誘導されるように、ガウェインの目線もそちらへ移った。

 

 酷い傷だった。

 潔白だった鎧はほぼ砕け、数えることすら億劫な火傷や打撲の痕。だらりと下ろされた左腕は、おそらく折れているのだろう。端正な顔にも裂傷があり、血がツーと流れている。そして一番酷いのは、右横腹に空く風穴だった。

 

 生きていることが不思議な状態だ。さすがは女神、といったところか。

 そんな獅子王の無惨な姿を見て、ガウェインの頭に血が登る。

 

「貴、様ァアア!!!!」

 

 本来円卓では適用されないはずのギフト。『不夜』が、今は発動している。獅子王が円卓を解放したと同時に、ギフト無効化の縛りもなくなったのだろう。天に輝く日輪は、屋根の無くなった玉座の間を明るく照らす。

 それは、ガウェインが十全の力を出し切れるという証拠だった。

 

「オォォオオォォォオオオオオオ!!!!!」

 

 ガウェインの咆哮が空気を揺らす。

 

 ガウェインは判っていたはずだ。如何に普段の三倍の力を持つ自分でも、燈也には勝てないということを。

 先のハサンとの戦闘を見て、彼はそれを確信したはずだった。

 にも関わらず、ガウェインは燈也に挑む。

 それは無謀であり、愚かな行為だ。負けの見えている戦いに、大した策もなく身を投じる。普段のガウェインであれば、絶対に冒さない暴走であった。

 

 しかし、ガウェインにも退けない理由がある。

 

 かつて正しかった(・ ・ ・ ・ ・)この特異点に到達した獅子王により召喚された、円卓の騎士たち。二人を除いて全員が召喚されたが、偽りのリチャード一世を倒したあとに残ったのは、たったの五人だけだった。

 

 騎士らは、リチャード一世に屠られたのではない。

 確かにリチャード一世と自称していた者は怪物だった。強力なギフトを持つ獅子王の騎士ですら一体一ではまず勝ち目がなく、獅子王をして犠牲なくしては勝てないと言わしめるほどに。

 

 だが、リチャード一世に殺された騎士は、一人もいない。

 円卓の騎士を殺したのは、ほかでもない。獅子王の騎士となった、ガウェインたちである。

 獅子王を止めようとした円卓の騎士を、獅子王の騎士は斬った。

 そして自らの身を犠牲にしてリチャード一世を倒す礎となった獅子王の騎士──ガウェインの妹、《不浄》を授かり、その心を壊してしまったガレスを、ガウェインは斬った。

 

 もう、後には退けない。

 ここで退いてしまったら、今までの行為が全て無駄になる。

 同胞を斬った痛みが、妹を殺した覚悟が、無辜の民を傷付けた罪が。全て、全て。

 

 故に、ガウェインは剣を握る。

 獅子王さえ無事ならば...聖槍さえ健在ならば、獅子王の目的は達成される。達成されなければ、ガウェインたちは何のために戦ってきたのかが分からない。

 決死の覚悟だ。死しても怨念で止めてみせる。

 

 自らの全てをかけたガウェインの死闘は──二秒で終わる。

 

「その覚悟はかってやる。お前はきっと強いよ、ガウェイン」

 

 ガウェインの腹部が、弾け飛ぶ。

 雷速の重さを付加した一撃が、かつて日中最強を誇ったガウェインの鉄躯を穿ち、屠ったのだ。

 言葉もなく光の粒子となって消えゆくガウェインに、燈也は目を向けることはせずにそう言った。

 

「さて獅子王。ガウェインは消えたぞ。さっき下の方でアっくん...アグラヴェインは見たが、あいつは今ランスロットと戦ってるはずだ。お前を守る騎士は、もういない」

 

 紫電を撒き散らしながら、燈也は獅子王を睨む。

 獅子王を倒すのは、簡単だ。

 

 

 つい数週間前にはほぼ互角の戦いを見せていた燈也が、今では獅子王を圧倒している。もちろん、最初の不意打ちヘッドショットが効いているということもあるが、それ以上に、この結果には燈也の成長という側面がある。

 

 今の佐久本燈也という存在は、些か不完全だ。

 燈也自身は知らぬことだが、彼の持つ《星の王権》という恩恵(ギフト)は、最強を討ち滅ぼす力(・・・・・・・・・)だ。最強を討ち滅ぼすのだから、その力は最強でなくてはならない。

 しかしながら、燈也はその力を使う機会に恵まれてこなかった。平和な時代に生まれ、彼自身が特異点となって何か大きな問題が起こるということもなかった。まぁ一度だけ惑星存亡の危機が訪れたことがあったが、その時は《星の王権》という力が開花しただけ。使い方を学ぶには、燈也のいた世界は平和すぎた。

 

 しかし、箱庭を経て、神を殺め、この特異点に到達した今は違う。

 日々の中に、常に成長する刺激がある。ここにきて、燈也は日に日に成長し続けているのだ。

 

「歯ァ食いしばれよ、女神」

 

 燈也は拳を握る。

 立っているのがやっとであるように見える獅子王に、トドメをさすつもりなのだ。

 このままいけば、決着は一秒と持たずに着くだろう。満身創痍もいい所な今の獅子王など、一発殴ってやれば崩れる。

 

 それはダメだと、ベディヴィエールが声を上げた。

 

「お待ちを、佐久本燈也。神殺しを名乗る少年よ」

 

 今まさに踏み込もうとしていた燈也の動きが止まる。

 

「...なんだ、テメェは」

「我が名はベディヴィエール。円卓の騎士です。そして...獅子王が倒すべき敵だ」

「...?」

 

 言葉がおかしい、と燈也は不審がった。

 獅子王の敵、というのであれば分かる。だが、獅子王が倒すべき敵、とは一体なにか。

 

「すみません、立香。貴方たちにも黙っていたことですが、獅子王...我が王が、彷徨える嵐の王へと変貌してしまったのは、愚かな私の罪なのです」

 

 ベディヴィエールは語る。

 伝承とは異なり、聖剣の返還を『三度目ですら躊躇った』、己の罪を。

 

 そして、ベディヴィエールは今日この時のために、千五百年という永遠にも思える時間を、たった一人、生身の体で放浪してきた。

 それはおよそ、人間に耐えられる所業ではない。ベディヴィエールは聖剣を持っていたため老化は止まっていたが、それは肉体に限った話。魂は摩耗し続け、すり減っていく。

 

 そんな彼の、旅の目的。償うべき罪が目の前にあるのだから、お前は手を引け、と。

 ベディヴィエールは、遠回しながらも、燈也にそう言っていた。

 

 ベディヴィエールの思いを聞いた燈也は、多少不満そうなため息を漏らした後、自身の雷化を解く。

 

「別に、俺が獅子王を殺さなきゃいけない理由はないしな。お前のその忠義に免じて、譲ってやる」

「ありがとう、ございます」

 

 ベディヴィエールの義手が輝き出す。

 どこまでも気高く、高潔に、最果てすら照らす、星々の息吹を束ねた黄金の極光。

 その輝きは、立香たちの知る光量を遥かに超えている。命を、魂すら燃やすほどの、尊い光。

 

 銀腕の正体、約束された勝利の剣、エクスカリバー。

 星の内部で結晶・精製された最後の幻想。

 

 かつて獅子王が振るった最強の聖剣が、今、本来の所有者たる《騎士王》へと返還される。

 

 

 

 




ここまでぐだぐだしといて最後はちょっと駆け足気味なFGO時空第6章編、完。
何話か幕間的なの挟んで7章突入します。長いね。


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幕が下りるとどうなる?

知らんのか、幕間が始まる。


 

 

 

 

 

 

「説明を、求めてもいいかな?」

 

 張り詰めた声音でそう言うのは、ロマニ・アーキマン。現カルデアの指揮官を務める医者だ。

 そんなロマニの目線の先にいるのは、三つの人影。

 

 魔女見習いのメイド少女、カレン・ヤンフロクスキ。

 今はまだ気絶している剣の妖精、リリアナ・クラニチャール。

 そして、神殺しの魔王を名乗る少年、佐久本燈也だ。

 

「説明か。何が聞きたい? 答えてやるよ」

 

 彼らがいるのは、カルデアの管制室。

 レイシフト用のコフィン等が設置されている、人理救済になくてはならない場所だ。

 なぜそんな場所に燈也たちがいるのか。少し時間を遡る。

 

 

 

 ベディヴィエールによって聖剣の返還が成された後、すぐに特異点は崩壊を始めた。

 ベディヴィエールの振るった聖剣によって、聖槍が破壊されたからだ。

 

 立香やマシュなどのカルデアに所属している者たちは、時代からの強制退去を。アーラシュや、外で戦っている玄奘三蔵や俵藤太のような野良サーヴァントは、座への帰還を。

 それぞれが、それぞれの場所へ帰っていく。

 

 そんな中で、燈也やリリアナ、カレンはどこにも消えることなく、特異点に留まり続けていた。

 というより、彼らは強制的にこの特異点に引きずり込まれたのだ。帰る方法など分かりはしない。

 

「あの爺さんが何かしら手を出してくるって思ってたんだがな」

 

 瀕死の獅子王と少しだけ言葉を交わしたあと、上空を旋回していた馬車を呼び戻す。カレンは無事だが、リリアナはまだ目を覚まさないようだ。血が足りていないのだろう。また大怪我のショックからか、熱も出ているようだ。

 

 例え世界が崩壊しようが、燈也はどうにかできる気がしていた。根拠は何一つとしてないが、事実、無事に箱庭なりどこなりに帰還できただろう。

 しかし、ここにはカレンと、傷付いたリリアナがいる。

 彼女らを連れて無事に乗り切ることは、ほぼ不可能だろうと感じていた。ただの勘ではあるが、燈也の勘はよく当たる。

 

 さてどうしようかと悩む燈也の目に、とある残滓が映りこんだ。

 それは、人類最後のマスター、藤丸立香の残滓だ。カルデアへと帰還したはずの立香だが、まだ完全ではなかったのだろう。

 漂う残滓が、どこかに消えていく感覚を視る。あれは、過去に燈也が三回経験したものと、もしかして似ているのではないだろうか?

 

 燈也は三度、世界を渡っている。ついでに言うなら、アストラル界にだって行っているし、アイーシャ夫人に巻き込まれて妖精卿の通廊を渡ったりもしている。

『世界・時代を渡る』という感覚は、燈也の身に刻み込まれていた。

 

「ま、やってみなきゃ始まんねーよな」

 

 そう言って、燈也は出しっぱなしにしていた馬車の運転席へと飛び乗る。

 一度降りていたカレンを再度中へ放り込み、燈也は手綱を振るった。

 

 狙うのは、微かに残る立香の残滓。その向こう側。

 次元だかなんだかの計算は燈也には分からない。だが、不可能を可能にしてこその燈也である。

 

「しっかり捕まってろよ、カレン。あとリリアナをちゃんと抑えとけ」

 

 切れないように、しかして逃さないように。丁寧かつ力強く、立香の残滓を手繰り寄せる。

 僅かに繋がる時空の穴を見つけ、無理やり押し開き、そして──

 

 

 

 

「目を開けば、そこはまさに新世界だったってわけさ」

 

 と、燈也は軽々しく時間旅行の真相を口にする。

 いや、キャメロットは特異点であって特異点ではなかった。聖槍の出現により、あの時代、あの領域は完全に世界から切り離された異界だった。

 そんな場所から、レイシフトの残滓だけを頼りにカルデアへと到達する。そんなことは、万能であるダ・ヴィンチですら不可能な所業だ。

 そんな不可能を平然と可能にしてみせる目の前の少年は、カルデアにとって十分すぎるほどに脅威だった。

 

 得体の知れない燈也へ、立香が一歩前へ出て話しかける。

 

「やぁ。はじめまして、とは少し違うかな。俺は藤丸立香。このカルデアでマスターをやってる者だ」

「せ、先輩!?」

 

 立香の行動に、マシュが思わず声を上げる。

 マシュだけではない、その場にいたロマニを初めとするカルデアの職員や、数人の英霊たち。全てがギョッとした様子で立香に注目した。

 

「まぁ、ちゃんと喋んのは初めてだしな。俺は佐久本燈也だ。よろしく、立香」

 

 意外にも、燈也は朗らかに立香の挨拶へと応えた。それどころか手を差し出し、握手まで交わしている。

 これにはカルデア側も、そしてカレンも驚いた。

 

「じゃあ、燈也でいい?」

「ああ、いいぜ。それで立香、お前は何を聞きたい?」

 

 周りの反応など何処吹く風。

 立香はその化け物じみたコミュ力から、燈也は立香への興味から、互いにテンポよく会話を広げていく。

 

「それじゃ、まずは燈也の目的からかな。俺が聞いてた話じゃ、キミは獅子王の味方だったんだろ? どうして獅子王を裏切ったの?」

「それは違うな。俺は元々獅子王の味方じゃない。俺はお前らと戦うために聖都にいたんだ」

「俺たちと?」

「ああ。まぁもう少し細かく言えば、獅子王を狙って城を攻めてくる強者と、ってことになるな。獅子王や円卓の騎士共とは一回戦ってたから、今度は別のやつと戦いたかったんだ」

「じゃあ、なんで最後は獅子王と戦ったの?」

 

 周囲を置き去りに、二人の会話は横行する。

 

「髑髏野郎に言われたんだよ。考えて行動しろ、ってな」

「髑髏野郎?」

「あー、なんつったか。ハサン・サッバーハだったか? 大剣持った、髑髏の仮面をした大男。お前らの味方だったんだろ? ガウェイン襲ってたし」

「あっ、キングハサンのことか」

 

 ポン、と立香は手を叩く。

 そんな立香を見た燈也は、ニッと笑って続きを話す。

 

「そんで考えた結果が、魔術王を倒すことだった。だから俺はここに来たんだよ。魔術王と戦おうっつーお前ら、カルデアのところにな」

 

 全ての元凶と言われた魔術王。

 人理を燃やされようが燈也には関係のないことではあるが、燈也はこう考えたのだ。

『魔術王ってむちゃくちゃ強ぇんじゃね?』、と。

 

 かつて白夜叉から一時的にでも逃げた男とは思えない、なんとも好戦的な思考。やはりカンピオーネとして、日々思考が侵食されていっているのだろう。今の燈也であれば、相手が白夜叉であっても笑いながら挑み、そして完膚無きまでに敗北する。

 

 危険なほどの闘争心。

 現世であれば忌避されてもおかしくない燈也の思想だが、数々の英雄と契約し、共闘してきた立香にとって、そんな燈也の闘争心など見慣れたものだった。

 

「じゃあ燈也。キミは、俺たちの仲間になってくれるってこと?」

「ま、そう捉えてもらって構わねぇよ」

「そっか。それじゃあよろしく頼むよ、燈也」

「おう」

 

 かくして、神殺しの魔王は、人理を取り戻すための戦争へと身を投じることとなった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 燈也たち一行がカルデアに留まってから、二日が経った。

 その間に、燈也がカルデア中の戦闘自慢な英霊たちと片っ端から戦うなどというネロ祭が如き宴が開催されていたのだが、長くなるので割愛。

 

 燈也の奔放さと暴れ具合にさすがのロマニやダ・ヴィンチも「ぴえんこえてぱおん」などと口にし始めた頃、リリアナは目を覚ました。

 

「...ん、ぁ.....?」

 

 重い瞼を上げ、ボヤける視界が得る情報を鈍く回る脳で解析する。

 リリアナの視界には、青白い壁があった。いや、リリアナが仰向けに寝ていることから、彼女が見ているのは壁ではなく天井なのだが。

 清潔感のある壁だなぁ、などとぼんやり考えるリリアナの耳を、凛とした声が刺激する。

 

「目を覚ましましたか」

 

 決して柔らかくはないが、真摯。どこか緊張感を持たせるような、そんな声だ。

 リリアナがそちらを見てみると、そこには一人の女性が立っていた。

 赤い軍服のような上着に、黒のミニスカート。白いストッキングと、これまた白いブーツを履いている。淡く渋い紅色、日本語でいうところの御所染の長い髪は後ろで三つ編みにされ、それを一つの円にするようにして纏めていた。

 人体ではまずありえないはずの赤目でリリアナを一瞥した女性は、リリアナの額に触れ、瞼の裏を観察する。

 

「ふむ。ほぼほぼ完治と言って良いでしょう。ミス・クラニチャール、こちらを。カルデアで開発された貧血に効くサプリです。三錠飲みなさい」

 

 そう言い、サプリとコップに入った水を差し出す女性。

 訳が分からなかったが、とりあえず従わなければ酷い目に遭うかもしれない、という謎の警鐘に駆られ、リリアナは大人しくサプリを飲んだ。

 

「よろしい。それではもう少し横になっていなさい。大事を取ってあと半日はベッドの上です」

 

 カルテのようなものを取り出し、何かを書き記す女性。

 そんな女性に、リリアナはおずおずと質問した。

 

「あの...ここは一体...? 貴女は誰なのですか?」

「ここはカルデア。人理継続保障機関フィニス・カルデアです。細かく言えば、その中の病室の一つになります」

 

 カルテから目を外し、女性はリリアナに向き合った。

 その強い瞳はリリアナを萎縮させるが、やはり恐れといった感情は抱けない。女性の持つ“優しさ”と、彼女の纏う張り詰めたような雰囲気とがせめぎ合っているのだろう。

 

「私の名はフローレンス・ナイチンゲール。失血で気を失っていた貴女を治療していた、ただの看護婦です」

「はぁ、なるほど、クリミアの天使ですか」

 

 もはや驚きなどない。伝説の騎士王(if)や円卓の騎士が、《英霊》などという上位の存在として現世に蘇った様を見てきたリリアナは、もはやその程度で驚くことなどない。

 ふっ、私も肝が据わってきたものだな。などと内心で呟いてみるリリアナに、女性、ナイチンゲールは語った。

 

「天使...? ふふっ、おかしなことを言うのね」

「とか言いながら何を貴女はそんな巨大な注射器を取り出しているのですか!?」

「これですか? これは栄養剤です。これを打てば三日は飲まず食わずで生きれます。まぁ、実際に食事から栄養を摂った方が良いのだけれど、仕方がないわ」

「何が仕方がないのですか!!!」

「あまり興奮しないで。貴女には血も、栄養も足りていないのだから」

「ついさっきサプリを飲んだでしょう! ひっ...!? い、いやっ、やめ...!? そ、そんなに太いもの入るわけが.......アッ────!!!」

 

 

 

 数時間後、リリアナの体はとても元気になった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「よっす。起きたんだってなぁ、リリアナ」

 

 酷い目に遭ったとシクシク泣くリリアナにそう声を掛けるのは、リリアナの主、燈也だ。

 急遽開催されたネロ祭擬きはまだ続いているものの、その合間を縫ってリリアナの見舞いにきたのだ。

 

「...佐久本燈也」

 

 ぐずっ、と鼻を啜るリリアナは、大粒の涙が溜まった目で燈也を見る。

 ちなみにだが、今ここにナイチンゲールはいない。先程ネロ祭で負傷者が出たため、そちらの治療に向かったのだ。

 ナイチンゲールがいないことを確認したからこそ、燈也はリリアナの病室に現れた。

 

 キャメロットにいた時から今までずっと寝ていたリリアナに、燈也は軽く現状の説明をする。

 まぁ説明とは言っても、一応の目標となった魔術王打倒と、それに伴うカルデアへの助力。その二つだけだ。特に時間がかかるような内容でもない。

 

 すぐに説明を終えた燈也は、カレンが用意したであろうリリアナの見舞い品である果物に手を伸ばしつつ、世間話でもするように会話を始める。

 

「二日も目ぇ覚まさねぇからちっと心配したぞ。俺の騎士なら、血くらい五秒で作れ」

「人間の限界を知ってください、王よ」

 

 燈也が自分のことを心配してくれていた、ということに若干喜びつつ、リリアナは答える。

 と同時に、リリアナは自分のことを酷く情けなく思った。

 魔王の騎士たる自分が、このような体たらく。配下の不出来は、そのまま王の恥になる。

 燈也の顔に泥を塗ってしまったと、リリアナは深く落ち込んだ。

 そんなリリアナの心情を悟った燈也が、ポンとリリアナの頭に手をやる。

 

「ま、あんま気落ちすんなよ。お前が負けたアーラシュな? 俺も昨日戦ったけど、ありゃ強ぇ。ギフト持ってる円卓の騎士とでも互角くらいにはやりあえるんじゃねぇかな、アレは」

 

 正確には、リリアナが戦った特異点のアーラシュと、カルデアで召喚されたアーラシュとでは若干違いがあるのだが、性能という面ではほぼ同じだ。

 

「それに、負けるのは恥じゃない。そこから何も学ばず、変わろうとしないことが恥なんだ。なんでこうなったのかしっかり考えて、そんで次は負けるな」

 

 リリアナの頭に置いた手を少し下げ、額を軽く(はじ)いて笑う燈也。

「あう」と弾かれた額を抑えながら燈也を睨むリリアナは、唇をギュッと結んでから頭を下げる。

 

「王の顔にこれ以上泥を塗らぬよう、命を懸けて精進します」

「そんな固くなんなよ。けどま、俺の騎士ってんなら、円卓くらいは倒してもらわねぇとな?」

「王の命令とあれば、必ずや」

「だから固くなんなってのに」

 

 燈也は再度デコピンをしようとするが、頭を下げているリリアナの額は弾き難い。という理由で、ちょうど良い位置にあったリリアナのツムジを弾き、踵を返す。

 

「気楽にやれとは言わねぇけど、あんま固すぎても成長の妨げになるぞ。柔軟にな」

 

 そう言い残し、燈也は病室を後にする。

 燈也が向かうのは、シュミレーションシステムで作り上げられた古代ローマ帝国の街。

 時の皇帝、ネロ帝の誇る黄金宮殿の庭園...の上に、ネロ帝より後世の皇帝によって建てられた闘技場(コロッセオ)にて、ネロ祭は開催されているのだ。

 

「次は誰が相手なんだろうなぁ」

 

 まだ見ぬ英傑に心躍らせ、燈也は闘技場へと向かう。

 その足取りは軽く、燈也の心が満たされていることを如実に表していた。

 

 

 燈也がカルデアに来て、今日で二日。

 男子三日会わざれば刮目して見よ、とはいうが、たった二日での燈也の成長は目覚ましい。

 よく食べ、よく寝て、よく戦う。

 成長する条件を十二分に備えているのだ。

 

 人類最後の砦、ここ以外はすべて燃えてしまったというから、一体どれだけ悲惨な場所かと思っていたが、燈也の予想を良い意味で越えて、カルデアの設備は整っていた。

 蛇口を捻れば水やお湯が出るし、施設の隅々まで掃除が行き届いているうえ、食料も良いものが揃っている。さらにその生活環境を維持するために日々家事に勤しむ英霊も多数存在していた。心を充実させるには十分すぎる下宿だ。

 

 加えて、ここには歴戦の戦士たちが大勢いる。

 修羅神仏と比べてしまえば見劣りするかもしれないが、それでも彼らは世界に名を刻んだ英傑だ。中には神の血を引く者であったり、武の究極に至った者だったりも存在するため、燈也であっても油断すればフルボッコに遭う。

 さらに純粋な“武”ではなく、特殊な力を持つ者も多い。

 ほとんどの魔術が効かないはずであるカンピオーネの体を蝕む呪術や、正面から突き破ってくる魔術。ある条件下では絶対の力を振るう者や、世界の理から外れた力を内包する者。

 

「俺を一回でも殺せる奴が、あと何人出てくるんだ?」

 

 これほどの猛者たちと心いくまで戦える環境。

 たった二日ではあるが、燈也の心はとても満たされていた。

 

 

 そんな燈也の前から、とある女性が歩いてくる。

 以前燈也が闘技場で対戦し、辛勝を収めた相手だ。

 

「...そうだ。あいつに一つ、頼んでみるのもいいかもなぁ」

 

 燈也の口端がいやらしく上がった。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 遠ざかる燈也の足音が完全に聞こえなくなってから、リリアナはボフッ、とベッドに身を投げ出す。

 安静にしていないとナイチンゲールから何を言われるか分からない、ということもあるが、今はただ、考える時間が欲しかった。

 

「...私は弱い」

 

 再確認するかのように自ら口に出し、顔を強ばらせる。

 人間というカテゴリーでみれば、今のリリアナは化け物だった。その力は、ライバルとして双璧をなしていたエリカ・ブランデッリを優に超えている。護堂の《少年》の加護を受けたエリカとでさえやりあえるだろう。

 それでも、英霊という存在を相手に、リリアナは手も足も出なかった。

 リリアナが戦ってきた英霊は皆、サーヴァントの中でもトップクラスの戦闘力を持つ者たちだった。そんなものを相手に生身で勝てという方が無謀なのだが、キャメロットにおける戦闘では、あまりに醜態を晒しすぎた。

 

「(王の騎士たる私がこの体たらく。もっと強くならなければ)」

 

 しかし、一体どうやって?

 強くなりたいとは言うが、言うは易しというものだ。師と呼べる存在もいない現状で、リリアナがこれ以上急激に強くなることはない。それはリリアナ自身が一番よく理解している。

 

 武芸を極める? それとも、魔女の力を? あるいは、全く別の能力を身に付けるか?

 

 レベルアップの選択肢はいくつか存在する。

 しかし、あれもこれもと欲張れるほど、リリアナは多才ではない。しかし一つの道を極めると言っても、極地に至るは至難の業だ。ソレに生涯を懸ける人物すらいるのだから、飛躍的な成長、というものはあまり見込めないだろう。

 

「(最も成長できそうなのは、やはり『新しい力』か...)」

 

 リリアナは、剣術や弓術、魔術における才能を持っている。

 剣は同世代トップクラスと言われ、魔女の才もあった。それらにおいて一定以上の力量を持つリリアナがてっとり早く成長する方法。それは、無を有に変えるというものだろう。

 八十点を九十点にするより、0点を五十点にする方が楽だ。

 

 しかし、その『新しい力』とは一体なんだ?

 一口に『力』と言っても様々だ。

 

「(今の私に無く、尚且つ有用性が見込めるものは...舞空術、転移・高速移動系、剣や弓以外の武具の扱い方...)」

 

 リリアナに思い付くものといえば、その程度のものであった。

 あまりに突飛な能力はリリアナの手に余るし、かといってリリアナが思い付くようなものではたかが知れている。

 飛行も移動術も武芸も、できるのであればそれに越したことはない。しかし、リリアナにそれを学ぶ術がない今、もっと別の能力の開発を進める必要があった。

 

 今リリアナが必要としているのは、『今の自分にない能力の入手』であり、『それを自分一人、もしくは燈也の手助け込みで身に付けられる』ことである。

 燈也に教えてもらう、という選択肢はリリアナの頭から真っ先に弾き出された。というのも、かつてリリアナが燈也に師事のようなことをしようとした際、燈也はほとんど全てを燈也自身の感覚で教えてきたのだ。

 

 リリアナは決して感覚派とよばれる天才型ではない。

 確かに天才ではあるが、彼女は理屈でもって強くなる。

 

 そのことを考慮した結果、リリアナは一つの結論を出した。

 

「.......。あれ? もしかしてこれ、詰んでいるのでは...?」

 

 出てしまった結論を払うように頭を振るリリアナ。

 そんな彼女がいる部屋の自動ドアが、自動であるにも関わらず勢いよく開け放たれた。

 

「話は聞かせてもらった」

「何も話してはないです」

 

 突如として乱入してきた女性の闖入者に、リリアナはどこまでも平坦で抑揚のない返事をした。

 そろそろ心臓に毛の一本でも生えてきたのかもしれない。

 

 嫌な予感がしたから反射的に全てを拒絶、否定しようとしたリリアナだったが、そんな彼女の防壁など軽く粉砕して、その闖入者は胸を張り呟く。

 

「ふむ...なるほど、悪くない。かといって『良い』というわけでもない、か。これを英霊とやりあえるまでにしろとは、彼奴も無茶を言う。しかしまぁ、これはこれで育て(イジメ)がいがあるというものか」

 

 深い真紅の瞳をスゥッと細めてリリアナを分析した闖入者は、音もなく歩き出す。

 女性の身なりはシンプルすぎるものだった。長い小紫の髪に、装飾を限界にまで省いたほぼ全身タイツな衣装。はっきり言って、リリアナの目には、彼女が変質者として写っている。

 変質者チックな女性の接近。リリアナの警戒レベルが上がるのは自然なことで、リリアナはあと一歩女性が踏み込んで来たら迎撃用の魔術を発動する気でいた。

 ジッと女性を睨みつつ魔力を練り、さらにイル・マエストロも掛布団の中に召喚する。

 

「警戒は良し。だが甘い、遅い。今お前は、十二回は死んだぞ?」

 

 そんな声が、リリアナの頭上から聞こえてきた。

 一瞬リリアナの体がベッドの上で跳ね、慌てて上を見上げる。

 リリアナの目の先では、一瞬前まで床を歩いていたはずの女性が、天井に両足を付けて立っていた。

 さらに彼女の手には、リリアナが召喚したイル・マエストロが握られている。

 

「ほう、この細剣は中々な業物だな。造りは些か粗雑だが、込められた神秘は神話の時代のものと並ぶやもしれぬ」

 

 そういう女性に、リリアナは魔術を発動した。

 四方から雷撃が飛び出し、女性に向かっていく。しかし、それが女性に届くことはない。

 

「弱いな。子供の魔術にも劣るぞ、小娘」

 

 その子供には、神代の、という言葉が前に着く。

 神代に生きた魔術を使える子供であれば、確かに今のリリアナよりは強い魔術を発動させられるかもしれない。時代が違う。

 

 しかしリリアナにそんなことを知るすべはなく。

 ただただ揶揄されたと憤るが、かといって無策に追撃を仕掛けることはしない。そんなことをしても結果は変わらないと分かっているからだ。

 

 今自分に出来ることは何か。どうすればこの変質者から逃げられるか。

 必死に思考を巡らせるリリアナに、女性はフッと笑い、そして問いかけた。

 

「そう慌てるな、魔王の騎士。私は、貴様と戦いにきたわけではない」

 

 そう言っても簡単には信じようとしないリリアナへ、女性は呆れることなく言葉を続ける。

 

「お前は弱い。それは分かっているな?」

 

 突然何を、と訝しむリリアナだったが、女性の言ったことはリリアナが悩み続けている種でもある。

 何か罠でもあるのか、とも疑うが、女性がリリアナを殺すつもりなら罠を張るより直接攻撃した方が確実だ。罠という線を完全には排除できないものの、限りなく0に近くはある。

 

 恐る恐る肯定の意を示すように頷くリリアナへ、女性は何故か満足げに鼻を鳴らした。

 

「私が貴様を(しつけ)てやろう。お前に私の弟子たちほどの見込みはないが、なに、そのようなものは小事だ。お前が死んでも、私はお前を強くしてやる。さて、小娘。魔王の騎士を驕る力無き者よ───力が、欲しいか?」

 

 

 闖入者──影の国の女王・スカサハは、妖艶な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 




あと1話か2話くらいパパっと幕間とかイベント的なやつやってから7章入ろうと思います。


あとオリ主くんの第3の権能について書いてなかった気がするので、とりあえずここに書いておきます。

《魔を祓い轟けよ雷鳴》
アイヌの英雄神アイヌラックルより簒奪した第3の権能。
雷を呼び、自身の体も雷へと変質させることができる能力。体の一部だけを雷化させることもでき、また自身の権能以外の雷を浴びればそこから魔力を得ることもできる。対雷神・雷を操る者にとっては天敵となり得る能力。
雷を雨のように降らせることもでき、対軍などの殲滅戦ではこちらを使用する。ただし、護堂の山羊の化身のような力で自分の権能による雷を弾き返された場合にはしっかりダメージを負う。

『古の大火、天上の眩燿。鳴る神は降臨し、天地を焚く霹靂とならん』


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生きているなら神様だって殺せちゃうeyes

どうなってしまうんや


 

 

 

 

 

 

 

 俺──佐久本燈也がカルデアに来てから、早一週間が過ぎた。

 

 すぐに第七特異点だかに行くものだと思っていたのだが、そういうわけではないらしい。なんでも特異点の特定が終わっていないのだとか。

 それに加え、つい数十分前に立香が「始まるね、お祭り(イベント)が...!」とかなんとか言って微小特異点にレイシフトした結果漂流(ドリフト)したらしいが、まぁ些細な問題だろう。スカサハやクーの兄貴も付いてるしな。

 まぁ、半泣きになりながらスカサハに引きずられて行ったリリアナのことは多少心配だが、なんとかなる気はしているし大丈夫だろう。多分。俺は、かわいい従者には旅をさせる系主人なのだ。

 

 

 

 

 とまぁそんなこともあってロマニやダ・ヴィンチらが慌てふためく中、俺は食堂でカレーを頬張っていた。

 

 

「ふーん、カレーにブロッコリーって案外合うんだな」

「まあ、カレーに合わない...もとい、カレーに染まらない食材を探す方が難しいだろうな」

 

 野菜たっぷり栄養満点なカレーに感心している俺の正面から、カルデアの調理人の一人であるエミヤがそう言ってくる。

 確かに、魚介でも山菜でも、多分ゲテモノ系でもカレーには染まっちゃうんだよなぁ。カレーつえぇ。

 

「.....?」

 

 野菜カレーに舌鼓を打っていると、ほんの一瞬ではあるが、不意に異質な感覚に襲われた。

 感覚、とはいっても第六感レベルの話だ。なんの根拠もないただの勘だが、俺の勘はよく当たる。

 

「(...刃物を突きつけられたような感じなのに、殺意や敵意とは違う。緊張感...てのも違うな。なんだ、これ?)」

 

 手は止めず、周囲に意識を飛ばす。

 現在食堂にいるのは、カルデアの子供サーヴァントと、その世話を焼くケモ耳弓兵、キュケオーンの魔女、闇堕ち聖女、薄幸っぽいJK、とそこまで多くはない。その誰もが俺に興味を抱いている気配はなく、皆カレーなりキュケオーンなりを食べている。

 

 ...いや、今一人食堂に入ってきた奴がいるな。

 

「今日はカレーか...。コック、オレにも一皿くれ」

 

 そいつは、俺のすぐ近くに腰を下ろし、エミヤにそう要求する。

 エミヤは「了解した」と告げ、厨房の方へと下がってしまった。

 

「...........」

 

 じっと、というほどじゃないが、軽くそいつのことを観察する。

 和服の上に赤い革ジャンの様なものを羽織った女だ。東洋人らしい顔立ちで、艶のある黒髪は肩口辺りで切りそろえられている。

 

 一見すると、少し珍しい和洋折衷な服装以外は取り立てて注目することのない少女、という印象。まぁこいつもサーヴァントなのだから、それなりに特殊な能力もあるんだろうが...さっき俺が感じた異質な感じはしない。

 こいつもハズレか...と判断しかけたところで、和洋折衷女がこっちを見る。

 

「おい。さっきからじろじろと、なんだお前」

 

 特にじろじろ見た覚えはないが、女にとっては少々気に障るものだったらしい。

 一言すまないと言えば済む話だし、とりあえず形だけ謝罪しておくかと思ったところで、先程の異質な感覚が再来する。

 

「.....お前の目」

 

 感覚の元を辿ると、それは和洋折衷女の黒い瞳に行き着いた。

 髪色と同じで、これまた東洋人らしい黒目。だがその中に、薄らと青色も混ざっているようだ。

 その目が綺麗だとか、そういう話じゃない。その目に違和感がある。普通の目とは違う何かがある。

 

「は? オレの目がなんだよ」

 

 苛立たしげに、トゲのある言葉を向けてくる女。

 そんな女の目は、だんだんと青色に染まっていく。それに応じるように、俺の中で警鐘は大きくなっていった。

 

「待たせた、カレーだ。...なんだ? この空気は」

 

 不安を拭う為にも、とりあえず和洋折衷女に攻撃(ちょっかい)をしかけてみようかと思い始めたころ、エミヤがカレーを持って登場した。

 俺が和洋折衷女に手を出そうとしたことを察したのか、エミヤは俺に目線を向けてくる。

 俺がエミヤの問いかけるような目線を無視していると、先に和洋折衷女が口を開いた。

 

「そこの変なやつがオレの目がどうとか言ってきたんだよ。お前アレか? ナンパ的な。残念、そういうのは間に合ってるんだ」

 

 別にナンパじゃないが。そういうのは俺も間に合ってんだよ。

 不満げな視線を和洋折衷女に送っていると、エミヤが「ふむ...」と思案顔になる。

 

「...目、というのは、彼女の魔眼のことか?」

 

 そんなエミヤの発言に、和洋折衷女は「あー...? そういう」と呟く。

 

 魔眼? ってアレか。石化の魔眼的な。

 この前()った紫髪の女に、確かそういう能力を持ってる奴がいたはずだ。

 俺はカンピオーネの体質?的な魔術無効が働いて全く効かなかったが、普通の人間ならあの瞳に睨まれただけで石になってお陀仏らしい。

 

「キミの魔眼は少し特殊で、しかも強力だ。そも、キミのそれは魔眼とは違うわけだが...まぁ似たようなものだろう。その特異性、強力性に彼は興味を持ったんじゃないか?」

 

 俺は何もしてないのに全てを解説してくれるエミヤまじエミヤ。本当によくできた執事だな。家事も完璧だし、ウチ(ヨグソトース)にもこんな万能執事が欲しい。

 

 ダメ元でエミヤをカルデアからヘッドハンティングでもしてみるか、と俺の思考が少しズレたところで、和洋折衷女から声がかかった。

 

「...ああ。よく見たらお前、最近話題の神殺しじゃないか。なんだ? さいきょー無敵の神殺しサマは、オレの瞳に興味津々か?」

 

 カレーを食べるために取ったスプーンの先を俺に向け、和洋折衷女は意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「まぁ、そう言われればそうだな。俺はお前の魔眼に興味津々だよ」

「お、おう...そう真っ直ぐに返されるとちょっとアレだな、引くわ」

 

 なんだこいつ。

 

「まぁいいや。それで? お前のその特殊で強力な魔眼ってのは、一体全体どういう能力なんだ?」

 

 俺に少しでも警戒させた能力。

 気にするな、という方が無理な話だ。

 

「あー...あんま他人(ヒト)に言うもんじゃないんだけどな。まぁいいか。オレの瞳は、モノの死を視るんだ」

「モノの死を視る...?」

「ああ。例えば...そうだな。お前、何か壊れても構わない物とか持ってないか?」

 

 壊れても構わない物...ああ、確か鬼化した樹の枝をいくつかギフトカードにテキトーにぶち込んどいたな。それでいいか。

 

「ほい。これでいいか?」

「ああ、構わ...なんだそれ、普通の木の枝じゃないな」

「分かるのか? 吸血鬼だかなんだかに鬼化された樹だ。そこらの金属なんかより頑丈だぞ?」

「吸血鬼、ってお前...」

 

 何故か引き気味の和洋折衷女に「いいから早くしろ」という催促の目を向ける。

 

「まぁ視えないワケじゃないし、いいか。じゃあ──」

 

 和洋折衷女はそう言いながら、懐から果物ナイフのような刃物を取り出し、樹の枝を凝視する。

 そしてゆっくりと。特に力を込めた様子もなく、まるで豆腐を切るかのように、樹の枝を果物ナイフで両断した。

 

「.....は?」

 

 思わず、呆けた声が俺の口から漏れた。

 俺が気を取られたのは、俺でも切るのに結構な腕力とコツを必要とする鬼化した樹をいとも容易く両断したということ──ではない。

 

 女によって両断された、鬼化した樹の枝。それが、ただの(・・・)木の枝に(・・・・)戻っている(・・・・・)という(・・・)ことだ(・・・)

 

「...なんだ、今の。鬼化っつー概念を切ったのか?」

「ちょいと違う。殺したんだよ。枝ごと、その鬼化とかいうやつをな」

 

 言って、女はナイフを仕舞い、カレーを食べ始めた。

 

「モノの死を視る...なるほど、視るだけじゃなく殺せるのか。モノの弱点を視てるのか? それとも、死っていう概念をモノに付与してる? ...いや、違うな。そのモノに存在する死を視覚化してる...さっきの言葉通りの意味なのか」

 

 ということは、恐らく“モノ”の対象には生物も当てはまるはずだ。

 不死身相手にはどうなるか分からないが、少なくとも俺の“死”は視えているだろう。だって俺、何回か死んでるからね。

 自らの“死”を視られたが(ゆえ)の、さっき感じた違和感。そう考えると納得がいく。

 

「なぁ。そのモノの死ってのはどういう感じに視えてんだ?」

「んぁ? 線だよ。死の線が視えるんだ」

 

 線...。なるほどな、だから切断なのか。

 その線に沿ってナイフを入れれば、対象は死ぬと。

 

「...いいなぁ、それ」

 

 それがあれば、どれだけタフなやつが相手でも瞬殺できる。雷になった俺の速度についてこれるやつなんて早々いないし、一撃必殺と言っても過言じゃない。

 

「ちなみにだが、佐久本燈也。いくらキミとか言えど、彼女の持つ《直死の魔眼》は取得できないぞ?」

「あ? なんでだよ。その和洋折衷女にできて、俺にできないことがあっか」

「両儀式だ」

 

 和洋折衷女の自己紹介を聞き流し、俺はエミヤを見る。

 別にキレてるとかじゃない。俺には取得できないと言い切る理由が気になっただけだ。

 

「《直死の魔眼》は《魔眼》と銘打ってはいるが、厳密には超能力に分類されるものだ。その超能力を操るには、先天的な資質が不可欠。キミは魔術の才能に溢れてはいるが、超能力の資質はない。違うか?」

「超能力? 魔術とは違うのか、それは」

「超能力は魔術や魔法、人外の力などを介さずに超常現象を起こす力のことだ。超能力者にとっての超能力は、私達にとっての呼吸と一緒で『できて当然』のもの。教えを請おうというのも不可能だ。キミは他人に『どうやって呼吸をするのか』を教えることができるか?」

 

 長ったらしい説明だな。

 だがまぁ、だいたいは理解した。努力すればどうこうとか才能が眠っている云々じゃなく、産まれた時からできるか否か、ってことか。

 いかに俺とて、初めから無いものは作れない...こともないが、理屈すら分からんものはさすがに無理だ。

 

「...あれ、じゃあ《魔眼》ってのはなんなんだ。石化の魔眼とか、ああいうのも超能力ってやつになるのか?」

「簡単に言ってしまえば、眼球を弄って外界に働きかけられるようにしたものが《魔眼》、といったところか。ライダーのキュベレイ...石化の魔眼は、神の呪いによるものだ。神によって弄られた彼女の眼球は《魔眼》に該当する」

 

 神々の呪い...権能による作用とかか? それならデヤンの《ソドムの瞳》も《魔眼》になるのか?

 まぁどっちにしろ、そう簡単に《魔眼》を手に入れることはできないらしい。いや、手に入れることはできるんだろうが、低ランクのものを習得したところでなんの意味もない。どうせ習得するなら、役に立つものがいい。

 

「なんだろうな...視ただけで殺すとか?」

「そんな物騒な魔眼、習得できたとしても習得するな。それと早く食事を済ませたまえ、カレーが冷めるだろう。お残しは許さないからな」

 

 オカン、わりとガチめに睨んでくるやん...。

 

 

 * * * * *

 

 

 俺が《魔眼》について考え始めてから一週間ほどが経った。

 その間、突如発生したチェイテピラミッド城なるものを攻略し、ドリフトから帰ってきた立香と共にサンタなチビ邪ンヌと冒険に出るなどしたが、まぁ些細なことだろう。

 ブレイブな小竜娘より先にチェイテピラミッド城を攻め落として魔王ごっこしたのが楽しかったくらいか。

 

 そうこうあって、俺たちはついに第七特異点なんちゃらかんちゃらにレイシフトする準備が整った。らしい。

 

 

 そんな連絡があったのは、まだ目覚まし時計も鳴らないような早朝だった。

 

 

「ふぁ、あ...」

 

 借りている部屋から管制室までの道を歩きながら、俺は口を大きく開け、酸素を脳に送り込む。

 

「だらしがないですよ。王たる者、常に威厳に溢れていなければ」

 

 俺の二歩ほど後ろを歩くリリアナから、そんな注意をされる。

 こいつはそういう、威厳だとか貫禄だとかを気にする奴だ。俺が少しでも威厳尊厳を損なう行為をしようものなら、母親の如く文句を付けてくる。

 

「俺はそこらの王とは違うんだ。その他大勢みたいな模倣的な王の行動を、俺がするとでも思ったか?」

 

 などとテキトーに反論しておき、その後の小言は右から左。

 正直、貫禄云々には興味がないのだ。日頃の行いを見て俺を舐めてくる奴は一発殴って分からせる。俺はそういうスタンスで行きたい。楽だし。

 

 そうこうしているうちに、俺たちは管制室の前へ辿り着いた。

 自動ドアを潜り、エレベーターのようなもので下に降りる。

 管制室の中に入ると、そこには忙しなく作業をするスタッフ達と、ロマニ、ダ・ヴィンチの姿が。加えて、立香、マシュ、そしてスカサハと沖田総司、ヘラクレスの姿もある。

 

「おーおー。影の国の女王と大英雄に挟まれたら、かの有名な新撰組の人斬り隊長はずいぶんとちゃちく見えるなぁ」

 

 本人達には聞こえない程度で軽く笑い、俺は彼らに近付いていった。

 俺にいち早く気付いたのはロマニだ。

 

「あ、おはよう燈也くん。すまないね、こんな朝早くに」

「まったくだ。昨日はちと寝るのも遅かったし、寝不足気味だぜ。ほら見ろ、クマができてる」

「うん、今日も元気そうだね」

 

 話を聞けヤブ医者。

 まぁ俺にクマなんてものはできないんだが。三日三晩程度ならぶっ通しで戦い続けられることは師匠との特訓で実証済みだ。

 そんなことはどうでもいいか。

 

 ロマニに続いて立香達も挨拶をしてくるので、軽く「おう」とだけ返す。

 リリアナは律儀に頭まで下げて挨拶してるが...なんだ? なんか緊張してる? ...あぁ、スカサハがいるからか。スカサハのやつ、リリアナにどんな修行させたんだよ。無人島だかにドリフトして帰ってきてから、リリアナのやつスカサハの姿を見るだけで震える体になっちまってんだよな。

 

 一通り挨拶も終わったところで、再びロマニが口を開く。

 

「一応、たった今ブリーフィングは終わったところだけど...最初から聞くかい?」

「いや、いい。長くなりそうだしな。行先は古代メソポタミアだったか? 昨日ダ・ヴィンチから聞いた。さっさと行くぞ」

「そうなのかい? 分かった、それじゃあみんな、コフィンの準備はできてる。いつでもレイシフトできるよ」

 

 ロマニに促され、決意に満ち満ちた表情の立香と、どこか不安げなマシュがコフィンに入り込む。スカサハ、沖田、ヘラクレスも続き、リリアナも空いているコフィンに入る。

 

 ちなみにだが、俺とリリアナはレイシフト適正があった。しかも相当の高ランクで、だ。

 残念ながらカレンには適正がなく、まぁ仮にあったとしても特異点は危険すぎるので、カレンはカルデアで待機ということになっている。

 

「ダ・ヴィンチ。リリアナの存在証明、頼むぞ」

 

 リリアナの入ったコフィンを見つめ、そばにいたダ・ヴィンチに言う。言わなくてもこいつはやってくれるだろうが、念のためだ。

 

「まっかせて! 天才の名にかけて、彼女の存在証明はしっかり受け持とう」

 

 胸を張る変態を信じ、俺も俺で準備を始める。

 俺は今回、というか時間旅行の際、レイシフトという手段は取れない。というのも、レイシフトする過程で使われる技術等を、俺の体は弾いてしまうのだ。

 レイシフト適正はあったが、レイシフトはできないとかいう矛盾が起きている。

 

 そこで俺が取る手段が、「レイシフトする立香達に自力で着いていく」だ。

 

「《古の大火、天上の眩燿(げんよう)。鳴る神は降臨し、天地を焚く霹靂とならん》」

 

 聖句を唱え、肉体を雷へと変質させる。

 

 レイシフトという技術は、人間を疑似霊子化(データ化)して目的の時間座標へ送りこむ。なら、電気になってそのデータに着いて行けばいいじゃない、という考えだ。

 これを考えた時にはダ・ヴィンチから「一周どころか、五周くらい回ってバカ」と本当にアホを見る目で見られたものだ。そんでチェイテピラミッド城に行った時に実際にやってみせたら、もっとアホを見る目で見られた。

 

『燈也くん、準備はいいかい?』

「OK。俺はいつでも行ける」

 

 マイク越しのロマンの問いに答え、意識を集中させる。気を抜いたらデータ化した立香たちを見失うからな。そうなったらそもそも時空渡航ができないか、もしくはどこともしれない時間軸にドリフトしてしまう。

 まぁそれならそれでその時代を楽しむんだが。どうせ俺が原因で特異点発生して立香たちが来ることにはなるしな。

 けど今回ばかりは、何がなんでも立香たちに着いていく。

 

『アンサモンプログラム、スタート。霊子変換を開始します』

 

 機械音声が流れる。

 古代メソポタミア。神々が跋扈していたという神話の時代。

 そんなもの、心躍らないわけがない。

 

『レイシフト開始まで、三、二、一...全行程、完了(クリア)。第七グランドオーダー、実証を開始します』

 

 今の俺の力を試すには十分すぎる舞台だ。思う存分、楽しんでやろう。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 神殺しの少年が、時空を渡る。

 一番難しいのは、データ化した霊子に合わせて時空の“(あな)”に飛び込むこと。

 逆に言えば、そこ以外はほとんど難しいものではない。

 データの送信先さえ把握できれば、彼は一人で先行してでも時空を渡れる。

 

「(先に行って安全確認でもしてやるか)」

 

 次の舞台は神代。レイシフトした先に神がいました、という理不尽も考えられないわけではない。いくらサーヴァントが付いているとはいえ、それは立香があまりにも危険だ。

 

 ...というのは建前である。

 もし仮に神がいたとしたら、まず先に戦うのは自分だと。誰にも横取りはさせないという意志の元での考えだった。

 

 まだ見ぬ強敵を期待し、心を踊らせ、少年は立香たちのデータを追い越して送信先であるメソポタミアにアクセスする。

 

 

 

 人類最後のマスターを置き去りに突き進んだ燈也を待ち受けていたもの。それは神ではなかった。

 

「...ほう? 貴様が例の神殺し...予言の王(・ ・ ・ ・)か」

 

 玉座に深く腰を下ろし、万物を見下しながら鎮座する、不遜でありながら神聖な男。

 世界最古の王、英雄の中の英雄王が、不服げに君臨していた。

 

 




式の目はとりあえずアニメの演出引用しました。


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力とは、パワーだ(キメ顔)

あけましておめでとうございます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 報告書に目を通していた時のウルク王、ギルガメッシュが、ふと顔を上げる。

 

「...? いかがなさいましたか、王」

 

 その様子を訝しんだシドゥリが、ギルガメッシュにそう問い掛ける。

 

「...なに、星見の者共がようやく動き出したのでな」

 

 そう言ったギルガメッシュは報告書をわきに置き、玉座の肘掛けに肘をついて不満げに眉をひそめた。

 誰が見ても明らかに、今の英雄王は不機嫌だ。

 

 そんな王の態度に疑問を拭えないシドゥリは、再度問い掛けるかどうかを悩む。下手に質問してこれ以上機嫌を損なわれては敵わない。

 現状を踏まえるとギルガメッシュが怒りに狂って暴れることは無いだろうが、それでも絶対はない。王の気分一つで国は滅びるのだ。

 

 シドゥリが黙ってギルガメッシュを見つめていると、突如として宮殿内に轟音が響いた。

 突然のことに肩を跳ねさせたシドゥリと違い、ギルガメッシュはますます不機嫌そうな表情である一点を見つめている。

 ギルガメッシュの視線を追うようにシドゥリが目線を移すと、そこには見慣れない格好の少年が一人。

 

 もしや敵襲かと構えるシドゥリや他の臣下等を制するように、ギルガメッシュの声が響く。

 

「...ほう? 貴様が例の神殺し...予言の王か」

 

 神殺し。予言の王。

 ギルガメッシュが何を言っているのか、シドゥリたちには分からないが、王が識っているのであれば問題はない。あとは王の指示を仰ぐだけ。王の言葉を聞き逃さぬように、いつでも動けるように、シドゥリたちは気を張り詰める。

 

 場の視線を一身に浴びる少年は、何も臆することなく、ギルガメッシュの目を見る。

 

「ギルガメッシュか。なんだお前、ちょっと雰囲気変わったか?」

 

 軽い調子でギルガメッシュに言葉を投げる少年に、シドゥリが憤る。

 

「なんですかその口の利き方は。この方は──」

 

「良い、シドゥリ。こやつの多少の不敬は許す」

 

 ギルガメッシュがシドゥリを諌める。その事実にシドゥリのみならず、他の臣下たちにまで動揺が走った。

 彼の王は暴君だ。今でこそ落ち着いて賢王として君臨しているものの、その本質は変わりはしない。ましてや、彼の言う「雑種」から自分に対する無礼など、許すわけがなかった。

 

 突如として現れた珍妙な少年は、ギルガメッシュにとって「雑種」ではない。そういう認識が臣下たちに刻み込まれる。

 

「さて、神殺しよ。貴様、今更何をしにウルクに来た?」

「んなもん決まってんだろ。神と戦いにだ」

「ふん。建前でも『人理を救いに』とは言わぬか」

「俺が人理なんてもんに興味が無いこと、お前なら知ってんだろ」

 

 王と少年の言葉の応酬に、臣下たちは唖然とする。

 謎の少年が王と対等レベルで話していることに驚きを隠せなかった。

 

「まぁ良い。神と戦いにきたというのなら好きにしろ。ついでに外の魔獣共を屠れ」

 

 話は終わりだと言わんばかりに、ギルガメッシュは再び報告書へと目を落とす。

 そんなギルガメッシュに、燈也は質問した。

 

「そういや、俺は立香たちと一緒の座標にレイシフトしたはずなんだが、全然来ないなあいつら。ギルガメッシュ、お前何か知ってるか?」

「カルデアのマスターか? それであれば、ウルクの防御壁に阻まれて別の場所に放り出されたのであろう。貴様はその防御壁を突き破ってきたがな」

 

 報告書から目を離すことなく、ギルガメッシュは問いに答える。

 それを聞いた燈也は「そっか」と短く返し、ギルガメッシュに背を向けた。

 

「んじゃ、俺は立香たちが来るまでテキトーにこの街で過ごさせてもらうわ。このままここにいるとお前と戦うはめになりそうだしな。ああ、そうだ。さっき言ってた魔獣とやら、気が向けば狩っといてやるよ」

 

 右手を挙げてヒラヒラと振りながら、燈也は玉間を去る。

 燈也の姿が完全に見えなくなってから、シドゥリはギルガメッシュに問いかけた。

 

「...よろしかったのですか?」

 

 あの無礼者を放置して、という問い。

 ギルガメッシュは次の報告書を手に取りつつ、シドゥリに返す。

 

「今はやつの相手をしている場合ではない。あの神殺しと事を構えるとなれば、我も本気で挑まなければならぬ。そうなると世界が終わる。我と神殺しの戦いで破壊され尽くすが先か、女神共に蹂躙されるが先か。どちらにせよ、我はそれを望まない」

「...あの少年は、王と同等の力を持っている、と?」

「業腹だがな。遠い未来、カルデアに赴いた英霊の我にエアを抜かせ、それに耐え切るどころか、エアに対抗してみせた男だ。認めざるをえまい」

 

 シドゥリの言葉がつまる。

 ギルガメッシュと並び立つ者など、彼女はたったの一人しか知らなかった。ギルガメッシュは絶対の存在であり、彼と並び立った一人の(人形)は神々の使徒。その二人と並び立つ存在など、もはや神くらいしか思いつかない。

 ギルガメッシュが口にした「神殺し」という言葉。読んで字のごとく、あの少年は神を殺めたのかと。そう思い至ったシドゥリの頬を、冷や汗が流れる。

 

「シドゥリ、やつのことは一旦忘れろ。アレはジョーカーが過ぎるが、何、この我が見事、やつの手綱を握ってやろうではないか」

 

 不遜に笑うギルガメッシュに、シドゥリは少しの笑みと礼で返す。

 そして自分のやるべきことに取り掛かろうとする中で、シドゥリは先のギルガメッシュの発言について考えていた。

 

「(...はて。じょうかぁ、とは一体...?)」

 

 シドゥリの疑問は尽きない。

 

 

 * * * * *

 

 

 ジグラットを後にした燈也は、とりあえず拠点を探すことにした。

 野宿もできないことはないが、雨風の凌げる建築物が欲しい。

 建てることも視野に入れ始めていた燈也に、一人の兵士らしき男が駆け寄ってきた。

 

 男の言うことには、現在使われていない建物があるので寝泊まりするならそこにするように、とギルガメッシュからの伝言があるとのこと。

 ギルガメッシュの施しを受けることに関しては特に思うところのない燈也は有難くその建物を使わせてもらうことにした。

 

 兵士の男に『三女神同盟』を含むウルクが置かれている現状の説明を受けながら案内されること数分。

 ジグラットの比較的近場に、その建物はあった。

 

「では、私はこれで失礼します」

「おう、ありがとな」

 

 燈也の案内という仕事を終えて、兵士はジグラットへと帰っていく。

 次の仕事をしに行ったのだろう。勤勉なことだ、と燈也は軽く感心した。

 とりあえず、燈也は建物の中を見て回る。

 この建物は元々家族が住んでいたのか、それなりに広い作りとなっていた。部屋が五つに、リビング、キッチンもついている。机や椅子といった最低限の家具も揃っており、生活はできそうだ。

 ただ、トイレと風呂はない。どちらも市街の共同のものを使え、ということだろう。

 

「ま、風呂はギルガメッシュがいいの持ってんだろうし、夜にでも神殿の中探してみるか」

 

 椅子を手に取り軽く振り、ほこりを落としてからそこに座る。

 

「リリアナや立香たちを探しに行くのは...まぁ今はいいか。スカサハやヘラクレスもいるんだ、ほっといても死にゃしねぇだろ」

 

 それよりも、今の燈也には気になることがある。

 この時代に来てから、燈也はとある“神性”を感じていた。まぁ神性だけならいくつか転がっているような時代ではあるのだが、その中でも一際燈也が意識を向けた存在。燈也が無視できない“神”が一柱、この時代には顕現している。

 

「(前は勝てなかった(・ ・ ・ ・ ・ ・)からな。リベンジマッチ、ってことになるのか。ちっと気合い入れ直さねぇとな)」

 

 この時代における特異点修復の難易度を予測した燈也は、ふぅ、と息を吐く。

 来たるべき死闘への高まりを胸に秘め、燈也は思考を変える。

 

「(とりあえず、あいつ(・ ・ ・)以外に脅威になりそうなのは...ああ、南の方に強い気配があるな。この感じは神か。...中々強いな。ヘラクレスとスカサハが共闘しても互角...いや、ギリ勝てないんじゃないか? 沖田やマシュもいるし勝負は始まってみなきゃ分からんが...まぁ俺が出ればなんとかなるし、大した問題じゃないか)」

 

 あいつ(・ ・ ・)と共闘でもされたらさすがにキツいかな、などと考えつつ、燈也は更に気配の探知へと意識を落とす。

 が、その結果はあまり芳しくないようだ。

 

「(.....ダメだ。大気中の魔力濃度が濃すぎてウルク(この街)から離れてる気配は上手く掴めない。ちょこちょこ神性っぽいやつも感じるけど、位置も正確には補足できないな)」

 

 ほかにも神々は数柱顕現しているのだが、燈也がちゃんと感知できたのは二柱だけ。それだけその二柱が強大な存在であるということだ。

 とりあえずはその二柱を警戒するとして、それ以外に感知できる存在のことについて考える。

 

 ウルクから見て北側の大地。

 その方角に、数えるのも馬鹿らしくなるような気配を、燈也は拾った。

 

「(『魔獣』が攻めて来てるって話だったが...こいつら、その辺のワイバーンより断然強そうだな。サーヴァントでも油断したら殺られるレベルってところか)」

 

 何より数が多いことが厄介だ。

 魔獣一頭一頭になら完勝できても、数千数万の大軍でこられると、いかに英霊とて一筋縄ではいかない。

 

「そうだな。とりあえず、頭数を揃えるところから始めてみるか」

 

 燈也自らが出て魔獣を殲滅させることも可能だが、それは些か面倒だと燈也は感じている。一方的な蹂躙に、燈也の心は踊らない。

 しかしながら、魔獣を無視し続けるとウルクが沈む可能性もある。そうなると、魔術王とやらに辿り着けなくなるかもしれない。リリアナたちがこの街に来ることも想定し、安全を確保するための手は打っておくべきだ。

 

 ...とまぁ、それらしい理由を挙げることはできるのだが、燈也の行動は刹那的な快楽を求めた結果であることが多い。

 この場合、燈也は「やってみたい」という好奇心でとある行為に及ぶ。

 

「...多分、こんな感じの魔法陣で良いはずだ」

 

 カルデアでも何度か試そうとし、いろいろとタイミングが合わずに実行できていなかった儀式。

 奇天烈な紋様の魔法陣をササッと床に描き、魔力を通す。

 

 過去に偉業を成し遂げた英雄の召喚。

 英霊(サーヴァント)の分霊を現世に呼び出す神秘。

 

「さて───『告げる』」

 

 燈也の声が静かに響く。

 

「『汝の身は我が下に、汝の剣で我が王道を切り拓け。星の導きに従い、この意、この理に従うならば応えよ』」

 

 燈也の詠唱も魔法陣も、本来のモノとは違う。

 それもそのはず。この召喚は聖杯を介さない。燈也自身が魔力炉となり、英霊を呼び寄せる役割を果たしている。

 そして燈也が描いた魔法陣は、『根源』へ接続するための、正真正銘の『魔法陣』。

 故に、ただの英霊召喚より更に高度な技術が必要となるわけだが...燈也はそれを難なくこなす。こと魔術の才において、燈也はカンピオーネ最高の位置にある、とはヴォバンや羅濠の談だ。最古参の魔王二人によるお墨付きは伊達ではない。

 

「『誓いを此処に。我は常世を統べる者。汝の野望は我が剣に、汝の命運は我が盾に』」

 

 深く、深く。言葉と共に魔力も場に満ち、ここではない『根源』へと(・・・・・・) 浸透していく(・・・・・・)

 

「『──抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ』」

 

 極光が生まれ、そして消える。

 膨大な魔力が徐々に収束し、二つの(・ ・ ・)人型を成していく。

 

 過去、或いは未来において偉業を成した英雄の姿が今ここに───

 

 

「──.....なんじゃ? わし、『神滅の刀』読むのに忙しかったから召喚に応えなかったはずなんじゃが? じゃが?」

「ふむ。何らかによる強制召喚、ですか...。この私を無理やり引きずり出すとは無礼千万。よぅし殺せー!!」

 

 

 * * * * *

 

 

 時間は少しだけ進み、燈也の英霊召喚が成功してから数分後。

 

「そんなこんなで、俺がお前らの(マスター)、佐久本燈也だ。こうべを垂れてつくばえ」

 

「なんじゃお主ぶっ殺されたいのか?」

「ぶっころですね」

 

 燈也と英霊達は対立していた。

 

「まぁ反抗的な態度は元気の証だ。そこは多少は多めにみるとして...そもそも、お前ら誰だよ」

 

 椅子を持ってきた燈也は自分だけ座り、自分が呼び出した英霊に問いかける。

 本来であれば英霊のステータスは召喚者(マスター)に開示されるはずだが、燈也にはそれが見えない。

 

「ふん...マスターでも(・・・・・・)ない貴様に(・・・・・)、わざわざ教えてやるとでも思うてか?」

 

 黒い軍服のようなものの上に赤い外套を羽織った黒髪の少女が、不機嫌そうに燈也の問いに答える。

 

 この少女の言う通り、燈也は彼女らの正しいマスターとは呼べない状況にあった。

 というのも、燈也が行った英霊召喚は、本来のものとは似て非なるもの。正規の召喚とは些か異なる点も出てくる。

 その最たるものが、『令呪の有無』だった。

 

 燈也の質問に答えた人物とは別の、もう一人。

 こちらはやけに露出度等が高い改造着物の上に軽い鎧を装備した、長い白銀の髪を持つ女。彼女が口を開く。

 

「確かに、我々を召喚したのは貴方なのでしょう。私の中に、貴方の魔力(もの)を感じます」

「なにそれ助平な言い方じゃのぉ...」

「お黙りなさいうつけ」

 

 隣の少女を睨んだあと、燈也へと視線を戻す。

 

「しかし、私は貴方の呼び声に応じてはいない。それはそこの大うつけも同じでしょう。さらに、今の貴方には令呪がない。貴方は我らのマスターではない、というのが結論です」

 

 キッパリと言い切った女を見て、燈也は満足げに笑った。

 

「ふぅん...なんだお前、殺すだのなんだと言ってっからただの戦闘狂かと思ってたが、少しは考えられるんだな」

「だとすれば何か?」

「いいや? ただ、余計欲しくなっただけだ」

 

 燈也は椅子から立ち上がり、言葉を続ける。

 

「お前らが俺をマスターって認めねぇのは分かった。なら、こういうのはどうだ? お前ら二人と俺とで戦って、勝った方が主、ってのは」

「お主バカじゃろ。そんなん、わしらに利が無いわ。取引にすらなっとらんぞ」

「そうでもないさ。お前らにも願いの一つや二つあるだろ? それを叶えてやる」

「願いを...じゃと? お主が?」

 

 黒髪の少女が訝しげに燈也を睨む。

 ただの人間であればすくみ上がるような目線を向けられてなお、燈也の『俺が上だ』という態度は変わらない。

 それに対し、黒髪少女のフラストレーションはどんどん溜まっていく。

 

「気に食わんな、信用もできん。.....そうさな、わしを受肉させてみよ。話はそれからだ」

 

 少女からすれば、無理難題を押し付けて困らせたいだけの話。

 大口を叩く小僧を突き放し、その後の展開によっては殺して座に還ろうという考えだ。

 しかし、相手は燈也である。

 

「先に願い叶えてやるのはアレだが...まぁいい。ほれ、こんなんでいいかよ」

 

 無造作に、まるで呼吸をするが如く自然に。故に不自然なほどの軽薄さで。

 黒髪少女を構築していたエーテル体が、肉の身体を手に入れていく。

 

「「.........は?」」

 

 これには黒髪の少女のみならず、白銀の女も間の抜けた声を出した。

 その様子に満足したのか、燈也は軽く笑う。

 

「感謝しろよ? その体、神獣並の性能にしてやったから」

 

 ただの受肉ではなく、強化した上での受肉だと。

 燈也の言葉が真実であることを、黒髪の少女は身をもって実感する。

 少女の頬を汗がつたる。驚異と恐怖、そして好奇心。それらを詰め込んだ視線を燈也へと投げた。

 

「...お主、何者じゃ?」

 

「言ったはずだぞ。俺は王だ」

 

 

 * * * * *

 

 

 ところ変わって、ウルク市北壁の外周部。

 ウルクを襲う未曾有の危機を半年間食い止め続けてきた魔獣戦線の最前線に、見慣れぬ三人の姿があった。

 その三人は二組に別れており、女二人に男一人という構図。女二人が壁側で、男がそれに対する位置、つまり魔獣側に背を向けて立っている。

 

「...ふぅむ...正気ではないな、あれは」

 

 北壁守護の要として身を粉にして働いてきたギルガメッシュの英霊が一基、レオニダスが呟く。

 

 ことの起こりは数刻前。ギルガメッシュからの伝令があると聞いてみれば、今からそちらに向かう者共は自由にさせろ、とのこと。

 訳はよく分からなかったが、ギルガメッシュが好きにさせろというのなはそうさせるまで。自分達に被害が及ばない限り、レオニダスは動かないと決めている。

 

 しかし、手は出さぬとしても気にはなるというもの。兵士達へ的確な指示を出しつつ、三人から意識は離さないようにしていた。

 

 指示、とは言っても、普段ほど多くはない。

 というのも、今までの猛攻が嘘であるかのように、魔獣の侵攻が一時的に止まっているからだ。

 何かに怯えているように後退りまでする始末。

 理由は言わずもがな燈也であり、レオニダスたちもなんとなくでそれを察していた。

 故に、燈也たちから意識を離せない。

 

 

 

 

 そんな注目を浴びていると知ってはいるものの気にも留めない燈也は、同じく衆目を無視する二人の女に声をかける。

 

「それじゃあ、勝負内容の確認だ。『()』対『お前ら()』の、なんでもありのガチンコ勝負。互いに相手を気絶、屈服させれば勝ち。ああ、お前らの勝利条件には『俺の殺害』も加えといてやる。これでいいよな?」

 

「よかろう」

「私も異論ありません」

 

 女二人が頷き、内容が成立する。

 その瞬間、死合(ゲーム)は開始された。

 

 

「では、死に晒せぃ」

 

 黒髪の少女が告げると共に、少女の手元に銃が出現する。

 何のためらいもなく引き金が引かれ、一発の銃弾が燈也の眉間を目指し放たれる。

 

 通常の人間では反応不可。脳天をぶちまけて終わりだ。

 しかし、

 

「へぇ?」

 

 燈也はとっくに、英霊すらも超えている。

 

 迫りくる弾丸を前に燈也は軽く笑い、そしてデコピンの要領で弾丸を打ち返した。

 

「チッ」

 

 少女は舌打ちし、一歩横に体をずらす。

 燈也にはじかれた弾丸が頬の薄皮一枚を掠め取った。

 

「弾を指ではじくとか」

 

 久々に味わう肉の痛みも合わさり、多少眉をひそめながら燈也を睨む。

 敵意たっぷりの視線を浴びる燈也は、なおも笑みを絶やさず少女を見下す。

 

「開始の合図も待たずにぶっ放すたぁ、お前もなかなかだな」

「これは戦じゃろうが。『よーいドン』で始まる殺し合いなんぞなかろう」

「そうだ。よくわかってんじゃねぇか」

 

 

 そう話している間に、少女は次の手を打つ。

 

 先ほどと同じように、虚空から銃が出てきた。

 一や二ではない。その数、実に十二丁。空に浮くその全砲門が、燈也へと向けられる。

 

「放て」

 

 少女の指示を受け、全ての銃が発砲を開始する。

 十二の銃弾が燈也に向かって飛んでいくが、一つとして燈也には届かない。

 十二発全ての弾を、先と全く同じように指ではじき返した。

 

 今度は黒髪の少女だけではない。銀髪の女にもはじかれた弾が飛来する。

 

「フン、これもはじくか」

 

 ボヤきながら、少女は手元の銃を盾にして弾を防いだ。

 銀髪の女も、召喚した槍で自分へ向かってきた弾を叩き落す。

 

「一人ではダメか。おい白いの。お主、何ができる?」

「白いのって。私のクラスはランサーですので、以後そう呼ぶように」

「呼び方なぞどうでもよいわ。ランサー...ということは、槍か?」

「槍も刀もイケますよ、不敬者」

「セイバーの適正もあるのか? じゃあビーム出せるじゃろビーム」

「剣から光線が出るわけがないでしょう。貴女やはり、うつけですね?」

「アルトリア先輩が言っとったもん! セイバー採用面接で絶対聞かれる必修技術だって言っとったもん!」

「もんってあなた.....っ!」

 

 ぐだぐだし始めた黒髪少女と銀髪──ランサーの間に、一発の魔力弾が打ち込まれる。

 いくらふざけていたとはいえ、彼女らは英霊。飛び退くかたちでその攻撃を避け、即座に戦闘態勢を整える。

 

「無駄話もいいが、ボサっとしてっと瞬殺すんぞ」

 

 腕を組んだ燈也がそう言い放つ。

 そして自身の前に魔法陣を二つ展開させ、少女へ氷の礫を、ランサーへ炎の球を放つ。

 が、放たれた氷の礫は空中で銃弾に砕かれ、炎の球は槍に屠られた。

 

 弛んだ空気を締め上げるように、少女たちの眼光は鋭くなる。

 そこに油断も慢心もない。当然だ。相手は未知数の敵。道理すらもねじ曲げる難敵である。

 

「この程度の魔術は通じないか。なら威力と数を増やそう。耐えろよ、英雄」

 

 燈也が言い終わると、彼の背後、上空に至るまで、無数の魔法陣が次々と展開された。

 数えるのもバカらしくなるような多数の砲門。その一つ一つに、先の氷や炎の五倍程度の魔力が込められている。

 

「.....いやぁ、これは出し惜しみしとる場合ではないのぉ」

 

 頬に流れる冷や汗を感じながら、少女が呟く。

 チラリとランサーの方を見たあと、一度ため息をついてから魔力を解放する。

 

「是非もなし。我が宝具を以て打ち砕かん」

 

 魔力が膨れ上がると共に、少女の周囲に銃が召喚される。

 次々と増える銃は数で言えば、燈也の魔法陣を超えるほどだ。

 

「へぇ? いいね、それじゃあ俺も増やそうか」

 

 燈也の宣言通り、魔法陣の数も目に見えて増えていく。

 砲門の数は共に数千。

 多大な撃ち合いの火蓋を切ったのは、少女の方だった。

 

「──喰らえ、これが魔王の『三千世界(さんだんうち)』じゃあっ!!」

 

 数千丁の銃による一斉掃射。

 かの騎馬隊を退けたという偉業から昇華された宝具が、燈也に向けて放たれる。

 

 対して、燈也の魔法陣も発動した。

 飛来する銃弾を正確に撃ち落とすという、余裕とも呼べる精密さを披露する燈也の背後から、気配を消していたランサーが迫る。

 

「バレバレだよ」

「っ、!!」

 

 燈也の脳天を貫かんとランサーが突き出した槍は、燈也が少し体を捻っただけで避けられ、さらに燈也の蹴りがランサーの左腹に直撃する。

 綺麗にカウンターを食らったランサーは吹き飛ぶが、それにより出来た燈也の死角を狙って少女が接近し、銃を鈍器のように振るう。

 が、それも燈也が気付かないわけがない。

 振り向きざまに左手の甲で銃を受け、少女に至近距離で魔術による炎弾を叩き込む。

 

 その隙にランサーが接近して返り討ちに、また少女が銃からビーム擬きを出して燈也を襲うもはじき返されて少女自身が被弾。ランサーが槍を投げ、それを燈也がはじいている間に刀を持ったランサーが燈也に斬り掛かろうとするも、直前で炎の柱に襲われて失敗。そしてまた少女が───

 

 というふうに、ランサーたちは燈也を攻めきれない、攻めても返り討ちに遭う状況が続いていた。

 さすがの英霊といえども、何回も反撃を食らっていてはダメージも大きくなるし、こうも攻撃が通用しないと気疲れもする。

 

 ついに少女が膝をつき、ランサーもなんとか立っているだけで足が止まる。

 二人からの猛攻が止むと、燈也が煽るように口を開いた。

 

「おいおい、その程度かよ英霊。そっちの銃使いはあの織田信長だろ? 第六天魔王が聞いて呆れる」

 

 燈也の見下した物言いに少女──織田信長とランサーは奥歯を噛む。

 目の前の男が只者ではないことは分かっていた。しかしここまでやるとは、予想外もいいところだ。

 だが、信長もランサーも、ただ予想外だからといって簡単に諦めるような性格ではない。

 特に織田信長は手段を選ばない。非道であろうが、泥臭かろうが、自らの命を燃やそうが。かの第六天魔王は勝利を求める。

 

「──命が惜しくば疾く失せよ、白いの」

 

 よろよろと立ち上がった信長が呟く。

 いきなり逃げろと言われたランサーは、はいそうですかと逃げ出すわけもなく。訝しげに信長を横目で見る。

 信長の言葉を聞き取った燈也も、静かに信長を見つめた。

 

 視線を集めた信長は、フッと笑いながら己の魔力を──宝具を解放する。

 

「我が往くは神仏衆生が無尽の屍。三界神仏、灰燼と帰せ! 我こそは第六天魔王波旬、織田信長なり!!!」

 

 咆哮と共に、世界が塗りつぶされていく。

 乾いた地面は灼熱の焦土に、晴れ渡った空は夕焼けよりも赤く。

 パチパチという、炎のはじける音がする。燃えるものも無い空間で、世界ごと燃やさんと拡がる焔。

 人の命を絶つ魔、善を屠る悪。波旬の炎が、神仏を喰らわんと燃え盛る。

 

「うははははは! 燃えよ、燃えよ! 我が業火に抱かれ逝くが良い!」

 

 高らかに笑う信長の服が燃えていく。

 服だけではない。手が、足が、胴体が。信長の体が炎に包まれ、焼けていく。

 それに驚き、そして逃げ遅れたランサーの顔に苦渋が満ちる。

 

「っ、織田信長、噂通りの大うつけでしたか...!」

 

 信長と同様、ランサーの体も炎に包まれていた。

 この宝具は無差別に生物を襲う。神性、神秘を持っていない相手であればただ熱いだけで済む程度だが、ランサーはそうはいかない。彼女は立派な「神性持ち」だ。

 

 そしてそれは、燈也も同じ。

 神を殺め、その権能を簒奪した燈也には、少なからず神性が宿っている。

 それを感じ取ったからだろう。

 諸刃の剣である第二の宝具を、信長が開帳したのは。

 

 炎が燈也を覆う。

 神秘の塊のような存在である燈也の身を焼く灼熱の炎。轟々と燃え盛るその中で、燈也の姿がユラリと揺れ動く。

 

「なるほど。『その程度』と侮ったさっきの言葉は訂正しよう、天魔」

 

 陽炎の奥から声がする。

 それは、信長の高笑いを止めるには十分な材料だった。

 

 そしてその瞬間をつき、ランサーが信長に肉薄する。

 ランサーは信長の宝具によって確実なダメージを負い、消滅の危機にあった。元凶たる信長を排除しようとするのは当然といえば当然の流れだ。

 だが、それは叶わない。

 

「お前を侮った詫びと、同じ『魔王』と呼ばれるよしみだ。ちょっとばかし、俺の本気を見せてやるよ」

 

 燈也の瞳が紅く輝く。

 発光する瞳は、信長ではなくランサーを捉えた。

 と同時、ランサーの視界が一変する。

 

「なっ!?」

 

 驚愕に染まった声が漏れ、思わず立ち止まる。

 ランサーは信長にあと一歩で槍の穂先が届くかという位置に居たはずだ。それが、今は信長から何十メートルも離れた位置に居る。

 その代わり、燈也が信長に肉薄しているのをランサーは見た。

 

 燈也が信長を顔面を殴りつける。

 燈也の拳は山河を砕く一撃だが、手加減でもしたのか、殴られた信長の頭蓋は原型を留めている。

 それでも、信長が受けたダメージは決して少なくない。数メートルほど飛ばされ、うつ伏せに倒れ込んだ。

 

「む、意識くらいは刈り取るつもりだったんだが...まぁ殺しちまうよりマシか」

 

 意外そうに呟く燈也は、倒れ伏す信長に近付き、その頭を掴んで持ち上げる。

 

「く、っ.....!」

 

 信長が苦悶の声を上げるが、その目から光は失われていない。

 ギラギラと獰猛に輝く瞳に応えるように、更なる業火が燈也を、そして信長を襲う。

 だが、その烈火も信長の肉を焼くだけで、燈也には届かない。

 

 信長の体は燈也によって非常に頑丈に造られたものだが、それゆえに(・・・・・)、神秘を燃やす炎は今の(・ ・)信長を苦しめる。

 全身をほぼ火傷し、もはや体を動かすだけで痛みが走る。指先などに至ってはもう痛みすらも感じられない。

 

「限界か。ランサーってやつもだいぶしんどそうだし...とりあえず、この結界を消しちまおう」

 

 軽々しく、そんなことを口走る燈也は、懐からダークパープルのカード、ギフトカードを取り出した。

 あらゆるギフトを収納できる紙片から、とある《恩恵(ギフト)》を顕現させる。

 

「...や、り.....?」

 

 ソレを見た信長が、掠れた声を出す。

 信長が表現した通り、燈也が顕現させたソレは、槍だった。

 全長約一メートルほどのその槍は、その穂の中ほどから上が存在しなかった。そういう造り...というわけではない。へし折られたような痕があり、およそ槍としての機能はない。せいぜいが鈍器程度だろう。

 

 そんな折れた槍を、燈也は片手で振り上げる。

 その瞬間、あるいはソレが顕現した時から、この勝負は終わっていた。

 

「───《果てを刻め》」

 

 世界が、終わる。

 

 

 




ワンピースクロスオーバーやってみたい気持ちがある。


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報連相はしっかりしろとあれほど...

三が日を過ぎてからの記憶がない(約二ヶ月ぶりの投稿)(投稿が遅すぎる)(反省して精進しろ)


 

 

 

 

 

 

 

「我が王! ご無事でしたか我が王!!」

 

 燈也が北壁で暴れ、魔獣の進行が一時停滞してから二日後。

 一日は大人しくしていた魔獣たちにも活気が戻り、良くも悪くも日常を取り戻していたウルクの街中で、そんな危機迫った甲高い声が轟いた。

 

 声の主は、リリアナだ。

 ウルクに張られた防御壁によって隔たれた燈也とリリアナ。

 どうにかこうにかウルクにまで辿り着いたリリアナは、ギルガメッシュに会いに行くというカルデア一向と別れ、燈也を求めて街中を駆け巡った。

 臣下として王を一人にするなどあってはならない、王は今どこにいるのだろう、ちゃんとご飯は食べているだろうか、またそこらの名も分からぬ魔獣や果実を摘み食いしてはいないだろうか、ああ王、我が王よ...と眠れぬ夜を過ごしたリリアナは、ようやく見つけた燈也の姿にテンション爆上がり。旅行から帰ってきた飼い主を視認した忠犬のように、一つに束ねた艶やかに輝く銀髪を揺らして燈也に駆け寄る。

 

 対して、燈也はといえば。

 

「おう、遅かったなリリアナ」

 

 わりと淡白である。

 まぁ燈也はとある権能の作用(・・・・・・・・)でリリアナの無事を把握できていたし、当然といえば当然の反応だ。

 そんな燈也の前に辿り着き、リリアナは一度息を整えてから再度問いかける。

 

「ご無事でしたか我が王。不摂生な生活を送ってはいませんか? というかきちんとした寝床は? 歯はちゃんと磨いていますか?」

「どういう質問だそれは。たった二日三日会わなかっただけで不摂生もクソもあるか」

「いいえ、王は私が目を離すとすぐに健康に悪いことをします。この間だって、たった二日、私がスカサハ様に拉致されている間に食事を疎かにしてどこぞの特異点を占拠していたではありせんか」

「いやあの時はサンタアイランドでちゃんと飯食ってたから。お菓子とか」

「お菓子は食事には含まれません! ちゃんとバランスの取れた食事をなさってください! やはり王には私が付いていないと───」

 

「うぉいマスター、酒買ってきたぞ酒! 食料も大量じゃ! 今宵は宴待ったナシじゃろ!」

「葡萄酒、大変気に入りました。干し肉との相性がとても良い。ところでこの干し肉、なんの肉なんでしょうね? 店主に聞いても目を逸らされるだけで教えてもらえなかったのですが」

「ゲイザー肉らしいぞ」

「ゲテモノ!? でも美味いからヨシ!」

 

 

 リリアナの小言を遮るように、騒がしい話し声がする。

 思わずそちらを見たリリアナの目に、二人の女の姿が映る。

 

「...あれは、サーヴァント...?」

 

 こちらに近付いてくる、明らかにこの世ならざる者達。

 漏れ出る魔力もそうだが、なにより二人の服装が、彼女らがこの時代の者ではないことを物語っている。

 本来英霊など生涯で一度見れるかどうかというレベルだが、カルデアなどという英霊のビックリ箱を見てきたリリアナにとって英霊など珍しくもない。

 では何がリリアナの気を引いたのかといえば、彼女らの一人が口にした「マスター」という言葉と、やけに親しげな口調。

 しかもそれが自分の主に向けられているらしいとなれば、気にならないわけもない。

 

 そんなリリアナの様子に気付いてか気付かずか、燈也が軽く口を開く。

 

「ああ、英霊だ。俺が召喚した」

 

 軽く言う燈也に、リリアナは唖然とした目を向ける。

 というのも、リリアナは知っているのだ。その身をもって、英霊召喚というものの困難さを。

 

 忘れもしない。あれはリリアナが、スカサハに毎日のように殺されかけていた頃。

 連日の恐怖(看護師の治療を含む)と疲労から「英霊とか召喚できれば生き残れるのでは?」とトチ狂い、ダ・ヴィンチに相談して英霊召喚を試みたところ、普通に失敗したどころか、「他人(英霊)を頼ろうとは、弛んでいるぞ小娘」とスカサハのシゴキが更に過剰になったのだ。

 故に、リリアナは英霊召喚にあまり良いイメージがない。全部師匠が悪い。

 

 加えて、自分の知らないところで燈也の従者が増えていたことに、どこかショックも受けていた。

 リリアナは半年以上、アストラル界や影の国等異界へのドリフトなどによる時空の乱れやら概念の相違やら云々も含めると一年近く、燈也の騎士として仕えてきた。たかが十数年しか生きていないリリアナにとって、一年とは大きな時間だ。また、その一年の内容が濃すぎた。去年までの人生全てと秤にかけても釣り合うほどに。

 今のリリアナにとって、燈也という主は自分の全てだ。燈也に仕えるために、文字通り血反吐を吐いてきた。

 また、燈也は自分を必要としてくれていると思っていた。わざわざ最古参の大魔王に喧嘩を吹っ掛けてまで自分を求めてくれたのだ。そう思わない方がおかしい。

 

 だからこそ、リリアナは燈也との間に、ただの主従よりも強固な『絆』のようなものを感じていた。自分には彼が必要で、彼には自分が必要なのだと思い込んでいた。

 燈也がサーヴァントを求めるのは納得できる。王が強い臣下を求めるのはリリアナも推奨するところだ。

 しかし。しかしである。自分の知らぬところで、見知らぬ者が、燈也(我が王)の従者となり、しかも親しげに隣を歩いている。

 微妙な精神状態にある思春期なリリアナの心がザワつくには、過度とも言える状況だった。

 

「.....佐久本燈也、説明してください。今、私は冷静さを欠こうとしています」

「何言ってんだお前」

 

 

 とまぁ、そんな具合にリリアナの心は荒波を立てるが、燈也はそんなこと気にする素振りも見せず、初見の臣下達に互いを紹介する。

 

「おい二人とも。ちょうどいいところにきたな。こいつがリリアナだ。リリアナ・クラニチャール。生まれた時代はともかく、俺の『仔供(こども)』としてはリリアナが最年長だからな。しっかり敬えよ」

 

 燈也に背を押され一歩前に出たリリアナを、鎧着物と軍服を着た女二人が覗き込むように見る。

 多少萎縮し、「あ、え、あの」などと言葉を詰まらせるリリアナに、女二人は意外そうな声をあげる。

 

「ほぉ? この小娘が、マスターが一番信頼しとるとかいう家臣か。...なんじゃ、想像と違うの。もっとこう、ゴリラみたいな魔人がくるかと思っとったんじゃが」

「確かに、とても可愛らしいですね。あのマスターが『俺の右腕』だなんていうので少しビビ...いえ、仲良くなれるか心配でしたが、これなら大丈夫そうです」

 

「...信頼してる...? 右腕...?」

 

 

 リリアナの心に平穏が訪れようとしている。

 

 

「いや、もしかしたら変身するかもしれんぞ。『光栄に思うがいい! この変身を見せるのは、貴様らが初めてだ!』とか言い出すかもしれん」

「どこのフリ〇ザ様ですか」

「ネタ分かるのかおぬし」

 

「?????」

 

 

 リリアナは置いてけぼりをくらっている。

 

 

「うるせーぞお前ら。あー...リリアナ。そっちの赤黒いやつが織田信長で、白いやつが上杉謙信だ。お前も日本文化が好きなら知ってんだろ?」

「第六天魔王と軍神!??!? 戦国SAMURAI!!!??」

 

 

 リリアナの心に別の荒波がうねり散らした。

 

 

 * * * * *

 

 

「では改めて。私は長尾景虎。越後の軍神などと超絶かっこいい異名もありますが、よければ景虎、もしくはお虎とでも呼んでください。よろしくお願いしますね、リリィちゃん」

「ふはははは!!遠からんものは音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! わしはこそは第六天魔王、織田信長なりッッッ!!! ...え? 自分で第六天魔王とか言うの恥ずかしくないのか? 厨二乙? あっはっは、バカにするなら処すぞ」

 

 ところ移って燈也の下宿。その大部屋。

 往来で立ち話もなんだろうとここまで帰ってきた一行は、改めての自己紹介と休息のために腰を落ち着かせていた。

 部屋の中央に鎮座するテーブルには所狭しと酒や料理が並び、上座に燈也、順にリリアナ、景虎、信長と座っている。

 

「よろしくお願いします、御二方。私はリリアナ・クラニチャール。王の剣です」

 

 さっきまで「えっ、ノブナガ女? いやアーサー王だって女だったんだ不思議は...いやいやあるだろう。不思議すぎて逆に不思議じゃないまである。あれ? それなら問題ないのでは? むぅ...これがcool Japanというやつか...」などと軽く錯乱していたリリアナだが、今では普通に笑顔を浮かべられるまでに回復していた。その笑顔に闇を感じたとは信長の談。なんでも生前の家臣達を思い出したとかなんとか。闇深い、さすが織田家闇深い。

 

 

「さて。それじゃあリリアナとも合流できたことだし、明日から行動し始めっぞ。とりあえずは南の神でも会いに行こう」

 

 焼いただけの肉を頬張りつつ、燈也は言い放つ。

 燈也に倣いリリアナ達も食事を始めつつ、話が始まった。

 

「南の...? 神イシュタルには会いましたが、その女神でしょうか?」

「イシュタル? ってあれか、イナンナっつー豊穣神。たしかデヤンのやつが昔殺したとか言ってたな」

「はい。ただ人間の少女を依代にした降臨のようで、まつろわぬ神ほどの脅威ではないかと」

「なるほどな。それじゃあ多分、そいつは南にいる神じゃない。南のは人間なんて混じってない、純度百パーセントの神性だ」

 

 どこから取り出したのか、フォークとナイフで上品に食事を進めるリリアナ。

 酒を浴びるように飲んでいた景虎と、肉を頬張っていた信長も口を開く。

 

「生前は神なぞおるわけあるかと散々愚弄したもんじゃが...いたんじゃなぁ、神」

「そりゃあいるでしょう。私、毘沙門天の化身ですし」

「厨二乙」

「よぅし殺せー!!」

 

 ドッタンバッタン暴れる武将達を無視しつつ、燈也は酒に手を出し...直前でリリアナに止められる。

 

「んだよ」

「貴方はまだ未成年でしょう。飲酒は禁じられています」

「真面目か? いやお前は真面目か」

「褒め言葉と受け取っておきます。それより王よ、南へは我らだけで? カルデアの者は連れていかないのですか?」

「ああ、立香たちはどうせギルガメッシュのやつにこき使われるだろうからな。それに、アイツらに俺の楽しみは渡さねぇよ」

 

 スカサハやヘラクレスがいれば、神との戦いも多少は楽になるかもしれない。

 だが、そんなもの燈也が望むわけはない。より心躍る闘争を求めて、燈也は一人で神と戦いたかった。

 燈也の好戦的な意見に呆れつつも、リリアナは進言する。

 

「分かりました。ただ、挨拶程度はしておいた方がよいかと。皆、特に藤丸立香は、王のことを心配していましたから」

「心配? 俺をか?」

 

 まさか自分が心配されていたとは思わなかったのだろう。

 本当に意外そうにしたあと、からからと笑いだした。

 

「まさか他人に、しかもただの人間に心配されるとはなぁ。いや、立香はもう“ただの”ってレベルじゃないか。分かった、出る前に顔くらい見せとくよ」

 

 水を一杯飲み干し、燈也は愉快そうに表情を緩めた。

 

 

 この後、ギルガメッシュが燈也と同じ下宿を藤丸たちにも与えて結局合流することになり、信長と沖田がわちゃわちゃしたり、夜になり顔を出したギルガメッシュの英霊・源義経(牛若丸)を見た景虎が無駄にテンション爆上げさせて二人して高笑いしながら夜の魔獣首狩り大会を開いたり、間違って酒を飲んだリリアナが酔ってスカサハへの不満を本人の前でぶちまけてしまいシバかれたり。

 まぁいろいろあったが、些事なので割愛。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 プチ宴会が開かれた翌日。

 藤丸たちは朝早くに仕事があると言って羊農場へ向かっていき、昼前頃になって燈也たちも出発の準備を整えていた。

 

「よぉしお前ら、もう出れるか?」

「問題ありません」

 

 燈也の確認に、リリアナが返事をする。

 それに遅れて、景虎が大荷物をえっちらおっちら運んでくる。

 

「おい虎、お前それ何持ってんだよ」

「何って、もちろんお酒ですとも! 道中お酒がきれたらどうするのですか」

「どうするって.....このアル中大名め」

 

 呆れつつ、燈也は景虎の持っていた大量の酒をギフトカードへと収納する。

 

「おおっ。便利ですねぇ、それ。魔術ですか?」

「まぁそんなもんだ。そういや信長は? あいつどこ行った?」

 

 軽く流し、姿を現さない信長の名を出す燈也。

 リリアナも景虎も、信長の所在は知らない。二人してキョロキョロと周りを見渡していると、遠くから歩いてくる信長の姿を見つけた。

 

「織田信長! どこに行っていたのですか! 集合時間はとっくに過ぎていますよ!」

 

 リリアナが叱りつけるように声を荒らげる。

 そんなリリアナの叱責を、前世から叱られ慣れてきた信長は笑って受け流す。

 

「いや〜、すまんすまん。厠に行っとったら遅れたわ」

 

 乙女...というには些か血生臭い前世を歩んできた信長だが、それにしても女性に有るまじき発言をする。

 さらに注意しようとするリリアナと、この程度は許せとまともに取り合わない信長。

 それを諌めるように、景虎が口を挟む。

 

「おやめなさい二人とも。主の前です。リリィちゃん、そのうつけに説教するのは時間の無駄ですよ」

「厠くらい許さんか。...いや、厠で乙ったおぬしは怖くて行もせんのか! うわはははは! すまんすまん!」

「意味も脈絡も分からないですし景虎ちゃんはトイレとか行かない! とりあえず殺せー! にゃーっ!!!」

「そのフレーズ古いわ!! 今どき売れない地下アイドルでもそんなこと言わんぞ!」

「ええいうるさいぞぐだぐだ大名ども!!!」

 

 ギャーギャー騒ぎ散らす三人へため息をもらし、燈也は視線を外す。

 鳴り止まない喧騒をシャットアウトし、燈也は聖句を唱えた。

 

「《天を翔けるは我が威光。我は常に空に在り、全ての勝利を掴む者なり》」

 

 見る者の目を焼く閃光の後、日輪の戦車が降臨する。

 かの赤兎馬にも匹敵するであろう、神獣である四頭の馬を見て、先程まで騒いでいた景虎が関心を向けた。

 

「ほぅ。良い馬たちですね、放生月毛に勝るとも劣らぬ駿馬と見ました」

「空飛んだり炎纏ったりするから俺の馬の勝ち」

「空飛んだり炎纏ったりするのはもはや馬ではないのでは? 景虎ちゃんは訝しんだ」

「神獣ってのはそんなもんだ」

 

 景虎の反応に満足した燈也は、軽く地面を蹴って御者席へと飛び乗る。

 

「お前らもさっさと乗れ。神狩り、今日中に片付けんぞ」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

《勝利運ぶ不敗の太陽》

 大英雄ペルセウスを自称する神から簒奪せしめた、太陽神ソールの権能だ。

 ソールはローマ神話の神だが、古代ギリシアではヘリオスと同一視される。燈也が召喚する太陽の戦車は、ヘリオスが乗っていたとされる御者だ。

 その戦車は古代ギリシアにおいて「太陽である」と信じられていた。

 そのせいか、戦車は『太陽と同じ質量と強度』を持ち、その内部はほぼ異界と化している。

 どれだけ縦横無尽に動き回っても戦車の中では揺れもしないのはそのためだ。現世とは隔絶された空間であり、神の御者ということで、紅茶や菓子などのたいていのものは揃うという充実っぷり。めちゃくちゃ便利である。

 

 

 そんな余人禁制の御座では現在、ガールズトークが繰り広げられていた。

 

「うまっ、この茶うまっ。え、これほんとにリリアナが()てた茶? 南蛮人なのにこんなうまい茶点てたのか?」

「ジャパニーズカルチャーは一通り習得済みですので。琴も弾けます」

「お茶も良いですがやはり酒! リリィちゃんも飲みましょうよぉ」

「未成年飲酒は犯罪です」

「えー! 昨日は飲んでたくせに!」

「あれはっ! あれは事故です私の意思じゃないんです本当です信じてくださいごめんなさいお師匠様ごめんなさいごめんなさい...」

「あっ、これもしかして地雷?」

「地雷っていうより闇じゃろ。あの全身タイツに何されたんじゃこやつは」

 

 ガールズトークが繰り広げられていた!

 

 

 ヘラったリリアナもすぐに立ち直り、自分で点てたお茶を一口啜る。

 一度落ち着いたところで、リリアナは真剣な面持ちで英霊二騎に向き直った。

 

「さて。昨日はいろいろと騒がしく、詳しいことを聞けませんでしたが」

「騒がしかったのは酒飲んでボロ出してシバかれてたおぬしと、遮那王と二人して大量の獣の生首持ってきた軍神(笑)じゃろ」

「沖田とかいう剣士と貴女の方が騒がしかったですよ。というか(笑)はやめなさい」

「軍神(厠乙)」

「推して参る!!」

「参るな軍神(狂)!!!」

「リリィちゃんまで!?」

 

 姦しいとはこのことだ。

 

「最後まで黙って話を聞きなさいこの戦国大名!」

「戦国大名を悪口みたいに使うな」

「このうつけと同じ括りにしないでください」

「いいから黙って聞けと言っているんだ!!」

 

 この時リリアナは決めた。

 ああ、この二人に対して、偉人に対する礼儀や畏敬、ましてや敬語はいらないな、と。

 まだ何も話は進んでいないし何なら始まってすらないというのに疲れきってしまったリリアナは、再度お茶を啜る。

 一息ついたところで、ようやく本題に入った。

 

「...単刀直入に聞く。貴女たちは、王に忠誠を誓っていると思っていいんだな?」

 

 これが、リリアナが気になっていたことだ。

 英霊とは本来、召喚者に対して叛逆できないようになっている。令呪という強固な縛りがあるからだ。マスターに令呪がある限り、英霊は逆らえない。まぁそれも絶対ではないのだが。

 しかし、昨日リリアナが確認した限りでは、燈也に令呪の発現は見られなかった。それはつまり、目の前の英霊という爆薬が二騎も、何の縛りもなく解き放たれていることを意味している。

 

「貴女たちは大名...一国の王とも言える存在だった方々だ。そんな方々が、何の見返りもなしに我が王に仕えているとは思えない。何か裏がある。そう考えるのが自然だ」

 

 このことは今朝方、燈也にも確認していた。

 リリアナの心配を受けた燈也は「罠があるなら殴り壊す。陰謀があるなら蹴り倒す。謀反するなら叩き潰す。それが王ってもんだ」と、王者としての振る舞いを宣言した。

 ならば、リリアナは燈也を信じるのみ。

 

 しかし、信じることと何も行動を起こさないことは同義ではない。

 王の手を煩わせることなく問題を処理することも、右腕たる騎士の務めである。リリアナはそう考えていた。

 故に、リリアナは警戒を怠らない。歴史に名を刻む血に濡れた武将二騎が相手でも、今のリリアナであれば刺し違えることくらいはできる。

 

 静かに魔力を練り、いつでもイル・マエストロを抜けるよう気を張る。

 殺意とまではいかないが、敵意にも似た威圧を受けた信長は、目を丸くさせたあと、高らかに笑いだした。

 

「ワッハッハッハ!! 裏ときたか! あの化け物相手に罠をしかけよと!」

 

 膝を叩き、心底愉快だと声を上げる信長。

 予想だにしない信長の言動に、リリアナは吠える。

 

「なっ! なぜ笑う! やはり何か...」

「リリィちゃんが心配しているようなことは何もありませんよ。いや本当に」

 

 盃に酒をトプトプと注ぎながら、景虎は続ける。

 

「私たちは既に一度マスターへ反旗を翻し、負けています」

「それも完膚なきまでにな。いやはや、生前含め、あそこまでの大敗は初めてじゃ」

「貴女、生前はわりと負けてますけどね」

「(最終的に)勝てばよかろうなのだァァァァァッ!!」

「畑に棄てられ、カビがはえて、ハエもたからないカボチャみたいに腐れきってますね、貴女の根性」

「なぁ軍神、おぬし意外と平成に詳しくない?」

「? なんのことです?」

 

「すぐに話を脱線させるなぐだぐだ大名ども!!!」

 

 イル・マエストロが煌めいた。

 

 

 * * * * *

 

 

「話を戻すぞ」

 

 一悶着あったものの、再び席に付いたリリアナ、信長、景虎の三人は、それぞれお茶やら酒やらを手にしながら話を再開する。

 

「一度反旗を翻した、と言ったな?」

「ああ。召喚されたその瞬間にな。令呪もなしにマスターを自称されても納得いかんかったからの」

 

 悪びれもなく、信長は言い放った。

 その態度にリリアナは若干眉を顰めるが、我慢して続ける。

 

「佐久本燈也に負けたことは分かった。だがそれは、今後貴女たちが佐久本燈也を裏切らない、という保証にはならない。下克上、とは貴女たちの時代の代名詞のようなものだろう」

「代名詞かどうかは分かりませんが、我らがマスターを裏切ることはありません」

「その理由を、根拠を聞いているんだ」

 

 酒を呷る景虎へと、リリアナは鋭い眼光を突き付ける。

 

「マスターの圧倒的すぎる力を目の当たりにしたこと。そして、我らがマスターの...彼の“仔ども”となったからです」

「“仔ども”...?」

「...おや? リリィちゃんは知っているはずでしょう? マスターの権能を」

 

 “仔ども”という単語に引っかかったリリアナに対し、景虎、そして信長も不思議そうに首をかしげる。

 燈也のことで自分より詳しい素振りをみせる二人に多少の不愉快さを覚えつつ、リリアナは説明を求めた。

 

「佐久本燈也の権能は知っている。だが今まで“仔ども”などというものは聞いたことがない」

「ふむ...。ま、マスターの説明不足じゃろ」

 

 茶を飲みきった信長が新しい茶を点てながら、リリアナに目線を向けることなく話し始める。

 

「“仔ども”は、言葉通りの意味じゃ。マスターの権能...なんといったか、海がどうとかというアレ」

「...『生命なる混沌の海』」

「そう、それじゃ」

 

 リリアナの呟きを拾い、信長は続けた。

 

「その混沌の海の権能の一つ、とか言っておったのぉ。神話になぞり、十一体の魔獣を創る、じゃったか」

 

 そこて点て終えた茶を啜り始めた信長に代わり、次は景虎が話し始める。

 

「我らはマスターに負けたあと...正確には信長は戦う前でしたが、とにかく。我らはマスターにより、受肉させられました」

「受肉させられた?」

「はい。肉の身体を授けられたのです。それもただの人間のソレではなく、遥かに優れたモノとして」

 

 それは受肉というよりも“創造”に近い、と景虎は語る。

 

「これは、親子盃よりも固い契りです。もちろん、令呪よりも。『そういうモノ』になってしまったのだから仕方ありません。我ら()マスター()に逆らえない」

「ま、親子云々の前に、どうやってもあの化け物に勝てる気がせんしの」

 

 どこから取り出したか、金平糖を数粒口に放り込んだ信長が、呑気な顔で付け加える。

 そして、リリアナにとって聞き捨てならないことも口走り始めた。

 

「そんでまぁ、序列というか。わしら“仔ども”の中で最も上の存在、まぁ“筆頭仔ども”とでも言うべき者が貴様じゃ、リリアナ。わしらはお前にも従うよう、マスターから言われておる」

 

「...........は?」

 

 

 リリアナは呆けた。

 

 

 

 




話が進まないのは全部妖怪のせい(古い)(責任転嫁)

もうちょい後になるかもなんですけど、羅濠教主とかカンピ作品キャラとオリ主くんとの絡みをちゃんと書くべきだなって思いました、まる
そのうち閑話休題?幕間?みたいな感じでその辺軽く書こうと思います。


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理不尽な死に苦しむみんなを助ける憩いの場への誘い

押忍!(伝われ)


 

 

 

 

 

 

 戦車内でガールズトーク(偽)が繰り広げられている中、燈也はその内容を聞き取りつつも首は突っ込まず、まっすぐに南を目指していた。

 

 時速千キロを超える速度をたたき出す戦車は、炎の轍を刻みながら空を駆ける。

 人の足では数日かかる道のりを数十分で駆け抜け、燈也の目は広大なジャングルと、その奥に鎮座する神殿のようなもの、そしてその近くに突き刺さっている巨大な斧を捉えていた。

 

「なんだあれ、神具か? アテナん時の石ころメダルよりやべぇ感じすっけど」

 

 神殿のような建築物の頂上に鎮座するモノを見て、燈也は呟く。

 それは、三メートルほどの巨石だった。ただの巨石ではない。質が違う。ウルク程度であれば一瞬で灰燼に化せる程の大質量だ。

 

 そして、それよりも燈也が警戒するのは、隣の斧である。

 神性や魔力といった面では神殿に鎮座する巨石の方が上回るだろう。しかし燈也の本能(権能)が、あの斧こそが最も危険だと警鐘を鳴らしている。

 

「...嫌な感覚だな。強い弱いじゃなく、相性が悪そうだ」

 

 そう呟く燈也の口元は軽く緩んでおり、言葉とは裏腹にこれから訪れるであろう戦闘を楽しみにしていることは明らかだ。

 と、そんな燈也が乗る戦車の前に、複数体の翼竜が現れた。

 

「恐竜? おいおい、いくら神代っつっても恐竜はねぇだろ、さすがに」

 

 言いつつ、戦車の速度は一切緩めずに翼竜の群れへと突っ込み、轢き散らしていく。

 その光景は飛行機に激突してしまった渡り鳥のよう。為す術なく轢かれ、焼かれ、吹き飛ばされていく翼竜。権能という災害の前にはいかに恐竜といえども無力だ。隕石にでも当たったと思って諦めるほかない。

 

 数十にも及ぶ翼竜を障害ともせずに突き進んだ燈也は、ジャングルの奥地に聳える神殿へと辿り着く。

 神殿の周りは広い範囲で更地になっており、戦車を着陸させるには丁度よい。

 軽く旋回した後、燈也は戦車を着陸させ、戦車の現界を解いた。

 すると当然、戦車内にいたガールズは足場を失い、地面へと落下する。

 

「っ、つつ...おいマスター。乙女にこの雑な扱いはどうかと思うんじゃが。じゃが!」

 

 尻から落下した信長が燈也に抗議し、景虎も同じように非難の目を向けるが、燈也はそんなものには取り合わない。

 二人を無視し、リリアナに声をかける。

 

「“仔ども”について、そこの二人からちゃんと聞いたな?」

「...はい。大枠は理解しました」

「ならいい。...いや悪かったな、言ってなくて」

 

 燈也がリリアナを“仔ども”にしたのは、キャメロットに入ってすぐの頃だった。

 した、とは言っても、当時の燈也に権能を発動させている自覚はなかった。

 “仔ども”なんてものが創れると自覚したのは、カルデアに来てしばらく経ったあとだったのだ。権能にはまだまだ未知の領域があるのだと痛感した、と燈也は語る。

 

 強くなりたいと願うリリアナの想いに応えようとでもしたのか。燈也が意識することなく、リリアナとの間にパスのようなものが繋がった。だからこそ、リリアナは粛正騎士相手に少ないながらも勝利を収めることができていたし、スカサハとの修行でも死ななかった。

 

 自分の体の変化にリリアナが気付かなかったのかと言われれば、その通り気付かなかった。

 というのも、燈也が意識して権能を行使していたわけではないためだ。

 リリアナの体は、信長達のように突然“仔ども”になることなく、時間をかけてゆっくりと、少しずつ昇華されていった。

 じわりじわりと変質していく様は、修行により少しずつ強くなっているのと似た感覚に陥らせる。

 故に最近までリリアナも、そして元凶たる燈也も、リリアナの体の変質に気付かなかった。

 

 

 とまぁそんな経緯があり、燈也はリリアナへの説明を忘れていたのである。報連相はしっかりしろとリリアナに怒られた。

 

 

 

「まぁんなこたぁどうでもいいんだ」

「どうでもよくはありませんがね」

 

 開き直った燈也へ非難の目を向けるリリアナだが、燈也はそれを受け流す。

 

「構えろお前ら。あいつら、そろそろ待ってはくれねぇぞ」

 

 リリアナへの謝意などすでに無く。

 今の燈也は、ある一点...もとい、一柱しか見ていない。

 

「ハーイ! 彼の言う通り、体がウズウズしてもう待ちきれまセーン! なんででしょうね? 今までにない感覚デース!」

「私も昂ってるぜぃ。ジャガーの本能...いや、神としての本能かにゃ。んー、『そういうもの』なのかにゃあ...」

 

 神殿の入口に立つ、二つの影。

 南米を思わせる赤を基調とした装飾を身に纏った金髪の女と、虎だかジャガーだかの着ぐるみを着た奇妙な生物。

 どちらも神性を持つ、神の座に君臨するモノ。

 特に南米風の女は、燈也が今まで戦ってきたまつろわぬ神と同等か、それ以上の神性を誇る。

 

 二柱の存在を前に、燈也という神殺しはただ笑う。

 そんな燈也とは対照的に、リリアナ、信長、景虎は冷や汗を垂らしていた。

 

「...おい。アレ、ヤバいじゃろ」

「ええ。かなりヤバいですね。特にあの長身の女性...アレは勝てない」

 

 一騎当千の英雄とは思えない弱気な発言だが、本物の神を前にしてしまえば人間も英霊も変わらない。そこには越えられない壁が隔たっている。

 

「王の言う通り、構えなさい、二人とも。アレは神。理不尽な天災だ。彼らの気分次第では、一秒後、私たちが生きている保証もない」

 

 まつろわぬアイヌラックルと一度対面しているリリアナには些か気持ちの余裕がある...わけがない。

 むしろ、信長たちよりも恐怖していた。それはリリアナの力量云々の話ではない。荒ぶる神の脅威を、その身をもって知っているからこその恐怖だ。

 

 

 神たる女が口を開いた。

 

「まぁ、アナタたち...そこのキミが何者でも問題ありまセーン! 立ち塞がるのであれば戦うまで。ルチャドーラとして正面から正々堂々、叩き潰してあげマース!!」

 

 大手を振るい、大輪の笑顔を咲かせ、戦意を撒き散らす。

 その姿はまさに戦闘狂。これから起こる戦いを心から楽しみにしている。

 それは、神の宿敵たる魔王も同じだった。

 闘志を迸らせる神を前に、燈也の闘争心も募っていく。

 

 神と魔王が視線を交わし、まさに今激突しようかとしたその瞬間。

 二人の間に、思わぬ横槍が入った。

 

「ニャーっハッハッハァ! 私を忘れてもらっちゃあ困るにゃあ、お客人! 密林の化身、大いなる戦士たちの化身! このジャガーマンを」

 

「うるさいデース!!」

「リブレッ!?」

 

 女神の華麗な裏拳がジャガーの顔面に決まった。

「痛い...あれは痛い...」とは信長の談。リリアナや景虎もドン引きだった。それほどまでに綺麗にめり込んだ。

 

 そんな二柱のじゃれあいを見て多少戦意を削がれた燈也は、一つ息を吐き、一歩下がる。

 

「...あいつも色々混じっちゃいるが、一応神。つっても、あの女神と()るには邪魔だな」

 

 呟き、ふとリリアナへと視線を移した。

 

「リリアナ。お前、やれるか」

 

 とんでもないことを言い出した。

 ギャグのような存在とはいえ、相手は神。それを理解した上でリリアナへ問いかける燈也に、景虎が意見する。

 

「待ってくださいマスター! あのジャガーマンというゲテモノ、となりの女性よりはマシかもしれませんが、それでも十分すぎる脅威です! リリィちゃんだけでは危険すぎる! 戦えというのなら神性持ちの私や、対神性に特化した信長含めた三人で──」

 

「黙れ。お前には聞いてない」

 

 リリアナを心配して声を上げた景虎に対し、燈也は睨み付けるようにして威圧する。

 主の眼光に景虎は黙るしかなく、唇を噛んでリリアナを見た。

 リリアナであれば分かっているはずだ、と。相手との力量差を考えれば、単騎で挑むのは無謀であると分かるはずだ、と。

 リリアナはそんな景虎の視線を受けつつも応えることはなく、燈也に向けて声を放った。

 

「.....佐久本燈也にとって、あのジャガーマンを名乗る神は、障害なのですね?」

「ああ、そうだ」

 

 燈也の答えを受け、リリアナは決意を固めた。

 膝を付き、忠誠の意を示しながら、リリアナは告げる。

 

「承知致しました、我が王よ。貴方の道を妨げる石を、貴方の騎士として、このリリアナ・クラニチャールが取り除いてまいります」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「ほう...? ずいぶんとナメてくれるじゃあないの」

 

 折れた鼻骨を無理やり治しながら、密林の化身(自称)、ジャガーマンが言う。

 不本意にもギャグ要員としての地位を築いてしまった彼女(ジャガー)だが、その実力は偽りではない。

 波長の合う人間の体を借りた擬似顕現で、その神性は確かに劣化していた。もともとが邪神の分霊ということもあり、神霊クラスの中では下級のものだろう。

 それでも、神は神。人間はおろか、並のサーヴァントでは手も足も出ない実力差がそこにはある。

 

「ククルん。あの小娘は私が貰うわ。異論は認めない」

 

 ククルん、と呼ばれた女神は、些か意外そうな顔をしつつも、大人しく一歩下がる。

 彼女にも、ジャガーマンの屈辱が分かるのだ。

 分をわきまえぬ、矮小な人間の愚かな行動。人を愛する神でさえ、不敬を許すわけではない。

 

 神としてのプライドもあるジャガーマンは、多少ながら腹を立てていた。

 

 

 

 対して、リリアナは落ち着いていた。

 今までの地獄のような...否、地獄であればまだマシだったような特訓の日々。それらを経験し、生き延び、確かな成長を勝ち取ったリリアナには、それなりの自信があった。

 

 まつろわぬ神が相手では分が悪い。

 カンピオーネが相手では勝ち目がない。

 

 しかし、人の身を依り代とした、不完の神であれば。本領の半分も発揮できない神であれば、リリアナにも勝機がある。

 そしてなにより、リリアナは任されたのだ。王から、騎士として。

 そうであれば、リリアナ(騎士)はその期待に応え、期待以上の成果を上げるほかない。それが忠誠である、とリリアナは考える。

 

 

 

 両者、互いに前へ出る。

 

 一方は、誇りを掲げ。

 一方は、忠義を胸に。

 

 ギラギラと光る野生の獣瞳と、真っ直ぐに相手を射抜く秀麗な蒼瞳が交差する。

 

「覚悟はいいかにゃあ? 人間。私はバリバリの肉食獣(ジャガー)。本来なら勇者の心臓しか食べないわけだけれど、それはそれ、これはこれ。行くぞ、小娘。喰われる覚悟は十分か?」

 

「食べられる気はありません。ジャガーマン。佐久本燈也の騎士たるリリアナ・クラニチャールが、我が剣を以て、主の王道を切り拓きます」

 

 張り巡らされた緊張感の中、先に動いたのはジャガーマンだった。

 一足でリリアナとの距離を詰め、棍棒を振り下ろす。

 

「死ねニャァ!!」

 

 気合一閃。

 初手で繰り出された振り下ろしは、しかしリリアナに軽く避けられる。

 空振りした棍棒はそのまま地面へと激突し、地面を割った。

 

 ただの一振の威力ではない。

 筋力では敵わないなと思いつつ、できた隙を狙ってリリアナが剣を振るう。

 が、ジャガーマンはそれを棍棒の柄で防いだ。常人には到底真似できない、柔軟すぎる体捌き。やはり一筋縄ではいかないと神霊への認識を再確認しつつ、リリアナは追撃する。

 

「甘い甘い! そんなへなちょこ太刀筋でよくもまぁあんなビッグマウスを叩いたもんニャ! ネコ科にとってネズミはおやつ兼おもちゃ! つまりはそういうことだニャー!!」

 

 リリアナの剣を(ことごと)く防ぐジャガーマンは、余裕の笑みとセリフを並べる。

 ジャガーマンは一度大きく剣を弾き、その間に後ろへ跳躍して距離を取る。

 逃げたわけではない。

 十分な距離を得たジャガーマンは、棍棒を持つ右手以外の三肢を地面へ付け、低い姿勢を取った。

 

「カッ飛ばすゼ」

 

 グッと地面を掴み、蹴り抜き、まるでロケットかのようにリリアナへ接近する。

 俊敏B? あれは嘘だ。

 そう言わんばかりの、音を置き去りにした突進がリリアナを襲い、リリアナの体に風穴が──

 

「───.....にゃ?」

 

 素っ頓狂な声。ジャガーマンのものだ。

 ジャガーマンは確かにリリアナの胴を穿った。手応えもあった。

 だが、リリアナからは悲鳴どころか、血の一滴ですら流れてこない。

 妙だ、と思ったジャガーマンの背後から、凶刃が迫る。

 

「うわっと!?」

 

 間一髪で攻撃に気付いたジャガーマンは、地面に這い蹲るようにして回避し、大きく跳躍して距離を取る。今度は攻撃の予備動作ではない。身に迫る危険から逃げたのだ。

 

 回避した先で即座に体勢を整える。そんなジャガーマンの被っている着ぐるみの首から上が、ぼとりと落ちた。

 ジャガーマンの首筋には一筋の傷がある。凶刃を回避しきれず、着ぐるみと皮一枚斬られていた。

 

「うわー、まじすか。今の何、ぜんっぜん見えなかったんですけど」

 

 斬れた首筋を抑えながら、凶刃を振るった相手──リリアナを見る。

 神に一太刀を入れたことに喜びもせず、かといってチャンスを逃したことに悔しさを滲ませることもなく、リリアナは静かに剣を構えていた。

 

 リリアナがやったことは、幻覚系の魔術に軽くルーン文字を付け加えた応用だ。

 相手の認識をズラして姿を眩ませ、実体を持った分身体を作り出す。

 ほかにもいろいろとした工程を挟んでいるのだが、簡単にいうと“身代わりの術”だ。

 

 簡単に言うが、決して容易な術ではない。

 リリアナが、スカサハのしごきから生き延びるため、文字通り血反吐を吐きながら習得した超高等技術だ。

 

 キャメロットの頃からその片鱗は見せていたが、今のリリアナは人の身を超えている。

 

 

 

 

 

 そんなリリアナの戦いを見て、景虎と信長は唖然としていた。

 

「な...なんですか、アレ...?」

「そこらの英霊よりあの小娘の方が断然強いんじゃが!? 英霊より人間の方が強いとかそれなんてFate!?」

 

 さすがは歴戦の大名といったところか。

 わずか数分の戦闘でリリアナの技量を測った二人は、その実力に驚嘆する。

 

 リリアナは、以前とは比べ物にならないほどに強くなった。

 燈也の権能の効果も確かにあるのだろうが、それ以上にリリアナの努力による成長が大きい。

 その成長は、燈也のため。王の騎士としてあり続けられるよう、リリアナは懸命に努力した。

 そして何より、リリアナを強くたらしめたもの。それは、『生き残る』という意思。

 

 スカサハという修行ジャンキーにより、リリアナは常に生命の危機に晒されていた。

 ある時は魔獣の蔓延る樹林に。またある時は怪物の住まう海原に。そしてまたある時は神獣の眠る天空に。自室で眠っている時でさえ、夢の中にまで入り込んできたスカサハにいたぶられる。

 

 ただの人間と侮っていた弟子が、蓋を開けてみれば叩けば叩くだけ伸びる素質を持っていた。それを知ったスカサハは、歴史に名を刻む大英雄でさえ死にかけるような試練をリリアナに与え続けた。

 

 気を抜けば死ぬ。そういう環境に晒されていたリリアナは、文字通り死ぬ気で生き延びた。

 その結果、リリアナは異様な成長を遂げたのである。

 

「ちゃんと見とけよ、お前ら。リリアナは──俺の剣は、強いぞ」

 

 

 * * * * *

 

 

 リリアナの胸中は、ひどく穏やかだった。

 完全な神ではないとはいえ、相手は神霊。ヒトの手が届く相手ではない。

 そんな強敵を前にしても、リリアナに焦りは一つもなかった。

 

「(以前なら、ここまでやれていないだろうな)」

 

 青銅黒十字のリリアナとして、祖父や魔王たちの言いなりになっていたままであれば、ここまでの強さは手にしていなかっただろう。

 だが、まだ足りない。燈也の騎士として、彼の隣を歩む者として、この程度では止まれない。

 

 目の前の神霊を倒し、更なる高みへ。

 そう意気込むリリアナだが、ジャガーマンとてこのまま簡単にやられる気はなかった。

 

「すこーし舐めすぎたかにゃ〜」

 

 そう言い、切り落とされた着ぐるみを脱ぎ去る。

 ジャガーの下から出てきたのは、黒い洋服だった。黒スキニーに、黒シャツ。黒のコートを羽織る姿は、現代のマフィアを思わせる風貌だ。

 

「本気でいく。もう、私を止められるとは思わないことね」

 

 そしてそれは、ジャガーマンが本気になったことの表れでもある。

 

 

 ジャガーマンの姿が消えた。

 目にも止まらぬスピード、というやつだ。

 燈也と女神以外の視界から消えたジャガーマンは、先程よりも数段上がった速度でリリアナへと強襲する。

 

「っ、く!」

 

 猫の手のようなフォルムからいつの間にか(なた)に姿を変えていたジャガーマンの得物が、リリアナの肌を裂いた。

 斬られたのは右腿。致命傷ではないが、軽い鮮血と、リリアナの苦悶の声が漏れる。

 

 油断した。

 リリアナは己の慢心を悔やむ。気持ちを切り替えてすぐにジャガーマンへ反撃すべくサーベルを振るうが、すでにそこにジャガーマンはいない。

 どこに行ったのかと視線を巡らせるリリアナに、今度はジャングルの方から木が、時速百キロ程度で飛んできた。ジャガーマンがジャングルまで移動し、投げたのだろう。

 

 大木とはいかないが、全長十メートルを超える木だ。

 速度もあいまり、当たれば人間の体などひとたまりもない。それは“仔ども”に昇華されたリリアナでも同じことだ。

 

 後ろにステップを踏み、回避する。

 だが、木の弾丸は一発では終わらない。二本目、三本目と、次々に飛来してくる。

 そんな木の雨をなんとか避け続けるリリアナだったが、そこに生まれた隙に、ジャガーマンがつけ込む。

 

「背中がガラ空きよ、小娘!」

 

 鉈がリリアナの背中を裂き、まるで翼でも生えたかのように赤い血が舞った。

 リリアナの顔が苦渋に滲むが、今度は声は上げない。すぐに回復系の魔術を行使し、傷口を塞ぎ始めた。

 その間もジャガーマンの追撃が続くが、イル・マエストロを振るい、防ぐ。

 

 数回刃が交わったあと、リリアナの傷が完治した。

 血は多少失ったが、仕方がない。体を捻ってジャガーマンの振るう鉈を避け、一度距離を取ろうと後ろに跳ぼうとし──そこで気付いた。

 

「これは...」

 

 リリアナとジャガーマンの周囲が、密林になっていた。

 先程ジャガーマンが投擲してきていた木々が原因かと思い至り、再びジャガーマンへと目線を向ける。

 が、そこにはもうジャガーマンの姿はなかった。

 リリアナがジャガーマンから目を離したのは、時間にして一秒以下。その隙に、ジャガーマンはリリアナの視界より消え失せた。

 

「わははははは! ジャガーの本領こそは密林でこそ発揮されるもの! 上から攻めるゼ?」

 

 どこからか、調子の戻ってきた様子のジャガーマンの高笑いが響く。

 密林の陰に身を隠し、得物を狙う野生の狩り。ジャガーマンは、自分の土俵に敵を引きずり込んだことで、多少勝った気になってきていた。

 

 そんな余裕とも呼べるジャガーマンの宣言を聞き、リリアナは構えを解く。

 

「お? 諦めるかよ小娘。今なら、土下座して謝れば腕の一本くらいで許しちゃる」

 

 ジャガーマンの提案に、リリアナは少しだけ笑った。

 

「密林こそが貴女のテリトリーか。なるほど」

 

 言うと同時、リリアナの握るイル・マエストロが淡い輝きと共に変形した。

 サーベルとさほど形状は変わらない。だが、確実に違う。

「突き」に特化したサーベルから、「斬る」ことに特化した形状──刀へと姿を変えた。

 

 腰を少し落とす。そして魔剣、もとい妖刀を鞘に収めたまま、腰付近に構えた。

 

「おぅおぅ、居合でもするつもりかぁ〜? そんな実戦向きじゃない技術に頼っちゃあおしまいよ。てことで死ねニャァ!!」

 

 最後の悪足掻きだと嘲笑うジャガーマンは、先の宣言通り、上から攻めた。

 とはいえ、それは奇襲に該当する。「上から攻める」という発言が本当かブラフか分からなかった以上、何も宣言が無い場合よりも余計に混乱するからだ。

 凶刃がリリアナに迫る。頭蓋を両断せんと振り下ろす、その瞬間。

 眩い輝きが、ほんの一瞬ではあるものの、ジャガーマンの目を焼いた。

 

「コプッ.....」

 

 リリアナの頬に血が伝う。

 本人の血ではない。ジャガーマンの血だ。

 何をされたか分からないまま、ジャガーマンは地に伏した。

 

「居合【閃光】」

 

 立っているのはリリアナだ。

 彼女の師が名付けた技の名を呟き、先程まであまり開いていなかった口を動かす。

 

「密林...いや、障害物が多く視野の効かない場所、というのが正確か。そのような場所を自身の本領としているのは、貴女だけではない」

 

 そう言うリリアナは、刀を払い、納刀する。

 

「密林での奇襲など、何度も経験した。気を抜けば死ぬ環境で、奇襲への対策は最優先事項。ジャガーマン。貴女は確かに強い。正面から戦っていたら、もっと苦戦しただろう」

 

 地に伏したジャガーマン。その上半身(・ ・ ・ ・ ・)を見下ろし、リリアナは宣言した。

 

「奇襲で決着を付けようとした。それが貴女の敗因だ」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「お疲れさん。よくやったな、リリアナ」

 

 木々が突き刺さる即席のジャングルから出てきたリリアナに、燈也は労いの言葉をかける。

 燈也たち側からは、リリアナとジャガーマンの決着は見えなかった。

 ただ木々で遮られた領域の中から光が漏れ出たと思ったら、その後すぐにリリアナが出てきたのだ。

 

 正直、景虎や信長には何が起こったのか分かっていない。

 

「あの珍獣を倒したのですか?」

 

 分からないので、聞いてみた。

 景虎の問いに対し、リリアナが答える。

 

「ああ。胴から真っ二つにしたら、さすがに消滅した」

 

 あっさりと答えるリリアナに、景虎、そして信長も唖然とする。

 二人からみても、ジャガーマンは強敵という認識だった。そんな相手を倒したというリリアナへ対し、二人は彼女への認識を改める。

 

 と、そんなことをしているうちに、即席密林が吹き飛んだ。

 なんの比喩でもなく、爆撃機でも襲撃してきたのかと思うように、悉くが吹き飛んだのだ。

 再び更地となったそこで、女神が笑う。

 

「アッハハハハ! すごい、素晴らしいデース! まさかジャガーマンを倒すなんて!」

 

 仲間を倒された者とは思えない、心からの歓喜と賞賛を送る女神。元々ジャガーマンを仲間とは思ってなどいなかったのだろう。

 狂気を纏う女神を見て、リリアナの頬を冷や汗が伝う。

 

「羽毛ある蛇...炎をもたらす文化神...南米の神、ケツァルコアトル...!」

 

 霊視でもしたのだろう。リリアナが呟く。

 生と不死の境界、アカシャの記憶の存在しないこの世界で、どのような原理で“視た”のかは不明だが、リリアナは確かに目の前の狂神の真名を視た。

 

 それを聞き、燈也の口角が上がる。

 

「“蛇”に“炎”か。なんだか親近感を感じるな」

 

 可視化し、辺りに魔風を生じさせるほどの魔力を迸らせながら、燈也は一歩前へ出た。

 

「ここからは俺の喧嘩だ。お前ら、邪魔すんじゃねぇぞ」

 

 

 

 

 

 




なんて?(リリアナの魔改造について理解が及んでいない模様)(なお作者)


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パワーインフレは賛否両論だけど王道

 

 

 

 

 

 人間とは、とても脆く、醜いものだ。

 

 水が無くなれば朽ち、食料が減れば争う。

 他人の犠牲無くしては生を謳歌できぬ獣。かの英雄王をして、そう下される弱者が、人間という種だ。

 

 とてもとても弱い生き物。

 そんな人間の、ささやかな成長。絶望を前に、如何なる試みを見せるのか。

 弱く醜い人間が、自らの力で生をもぎ取る。そんな結末を、神──ケツァルコアトルは、心から願っていた。

 

 

 * * * * *

 

 

「箱庭第七桁、2105380外門《ヨグソ・トース》リーダー。神殺しが一角、佐久本燈也だ」

「南はアステカ! 南米からちょーっとウルクを滅ぼしに来たお姉さん、ケツァルコアトルデース! よろしくね?」

 

 ただの人間であれば倒れてしまいそうな魔力と殺気を撒き散らし、魔王と女神は対峙する。

 両者とも、ゆっくりと歩み寄っていた。緩やかな動きを止めることなく、会話を続ける。

 

「ちなみに神殺しクン。あなた、戦いはお好き?」

「ああ、大好きだ。相手が強ければ強いほどワクワクするね」

 

 膨大すぎるエネルギーが渦巻き、実体化する。

 リリアナや景虎、信長でさえ、気を抜けば害されそうだ。

 

「ワーオ! 私もよ、神殺しクン! あなたくらい強い相手だと武者震いしちゃいマース!」

「ははっ、気が合うなァ南米の神。ま、俺ら(カンピオーネ)お前ら(神々)ってのは本能レベルでライバル視してるらしいし、そういうのもあるのかもな」

 

 まるで、街中で旧知の友人と出会った時のように。

 魔王と女神は、笑いながら、とうとう残り数歩の距離まで詰め寄った。

 

「それじゃあ──」

「ああ、それじゃあ──」

 

 手を伸ばせば相手の肩に触れられる距離。

 そこまで来て、今まで吹き荒れていた魔風がやむ。

 嵐の前、津波の前兆。異様な静けさが場を支配する中、両者はより一層愉悦に染まり、

 

「──始めまショウ!」

「──始めるか」

 

 幕が上がる。

 

 膨大なエネルギーが収束し、一気に爆発した。

 互いの拳が大気を裂き、相手の頬へと打ち込まれる。

 

 両者同時に放った開幕の拳撃は、腕のリーチの差でわずかにケツァルコアトルに軍配が上がる。

 互いに後方へと吹き飛ぶが、燈也の方が遠くまで飛ばされた。

 ダメージも、燈也の方が大きいだろう。だが。

 

「ナハッ、いってぇなこの野郎!」

 

 笑いながら立ち上がる。

 鼻骨にヒビが入り、血管も切れたはずだが、そんなものは数秒もあれば完治する。カンピオーネの中でも桁違いの回復力だ。

 対するケツァルコアトルも、鼻血を拭いながら、心底楽しそうな笑顔で構える。

 

「アハハッ! ムーチョムーチョ(もっと、もっと)! 楽しみましょう、この戦いを!」

 

 戦いを通して分かり合う悦び。

 闘争を好む女神は、燈也という強き人間の存在に心から歓喜する。

 一度離れてしまった距離を、今度は時間を置かず、互いに一足で詰めた。再び拳が交わり、パァン!と何かが破裂したような、乾いた音が響く。

 その後も何回も拳同士をぶつけ合い、相殺する。

 

「すごいパワーね、神殺しクン! 私と張り合える人間がいるなんて、お姉さん感激デース!」

 

 何十度目かの相殺を経て、ケツァルコアトルは一度大きく後退した。

 パワー負けしたのではない。このまま続けても何も進展がないとふみ、態勢を立て直すための後退だ。

 そんなケツァルコアトルを追うことなく、燈也は口を開く。

 

「は、よく言うぜ。まだ本気じゃないだろ、お前」

「おや? 分かるの?」

「当たり前だ。混ざりけ無しの神がこの程度のはずがねぇ」

 

 燈也の言い分に、ケツァルコアトルは感心した。

 今のケツァルコアトルは、英霊という劣化存在に成り下がっている。

 もちろんそこらの最上位サーヴァントより強力な力を持ってはいるが、それだけ。サーヴァントという枠は超えているものの、“蜘蛛”とでも戦えるケツァルコアトル本来の権能は、十全に発揮されていない。

 

「ああ、本当に残念だわ。貴方とは生身で殴り(語り)合いたかったデース」

「あ? どォいう意味だそりゃ。本気は出さねぇってか」

「いいえ、違うわよ神殺しクン。私は本気。今出せる全身全霊を、貴方にぶつけマース!!」

 

 言って、ケツァルコアトルは再び踏み込んだ。

 今度は手ぶらではない。後退した先に置いていた翡翠剣を手に取り、振るう。

 ケツァルコアトルが武器を取ることは、『殺し合いに武器など不要』と主張する彼女の趣向から外れている。

 それでも、ケツァルコアトルは武器を取った。ルチャという外付けの技術では勝負がつかないと判断したからだ。

 

「肉弾戦の次は剣で勝負か? いいぜ、乗ってやるよ!」

 

 ケツァルコアトルに対し、燈也も武器を取る。

 どこぞで学んだ(盗んだ)投影魔術を行使し、ケツァルコアトルの持つ翡翠剣と姿形は同じものを投影した。

 エミヤのような劣化模倣にも及ばないただの投影魔術によるもので、時間が経てば消滅してしまう使い捨てのただの石器。それでも質量はあり、燈也が扱えば立派な武具となる。

 

 剣が交差し、火花が散った。

 パワーではケツァルコアトルに分がある。単なる力押しでは負けると判断した燈也は、技術で勝負することにした。

 

 相手の力を上手く流し、体勢を崩して蹴りを入れる。

 剣で勝負などと言っておきながら足を使うことは邪道だが、そんなものを気にする燈也ではないし、ケツァルコアトルも気にしない。

 

「ワオ、technical!! 八十点をあげちゃいマース!」

「テメェの定規で測ってンじゃねぇぞ!!!」

 

 蹴りでは決定打にはならない。

 攻撃を受けてなお余裕を見せるケツァルコアトルに、燈也が吠えた。

 常人には見えすらしない剣戟を繰り返し、互いに少しずつ傷が生まれる。

 受けた傷はすぐさま癒える燈也と、燈也の剣術では致命傷を与えられないケツァルコアトル。力比べと同じく、こちらも延長線だ。

 

「チッ」

 

 燈也は一つ舌打ちし、手法を変える。

 翡翠剣をケツァルコアトルに投げつけ、自身は一度後退し、魔力を練る。

 踏み込もうとするケツァルコアトルの足元から土が盛り上がり、ケツァルコアトルを覆った。が、一瞬で粉砕される。

 続けて、ケツァルコアトルの眼前に突然炎が現れた。が、頭突きの要領で掻き消される。

 次は不可視の障壁が何重にもなりケツァルコアトルの前に立ち塞がった。が、拳一つで霧散させられる。

 

「ダンプカーかよ...!」

 

 あらゆる妨害を跳ね除ける様に羅濠の影を思い出しながら、燈也は瞳に魔力を流す。

 燈也の瞳が紅く輝き、今まさに翡翠剣を燈也へ振り下ろそうとしているケツァルコアトルの姿を、その視界に捉えた。

 瞬間、燈也とケツァルコアトルの場所が入れ替わる。

 

「おや...?」

 

 不可解な出来事に一瞬呆けるケツァルコアトル。

 その一瞬で、燈也はケツァルコアトルを蹴り飛ばした。

 ギリギリでガードするも、勢いに負けてケツァルコアトルが吹き飛ぶ。数十メートルもの距離を飛んだケツァルコアトルを見て、燈也は尋常ではない魔力を練り上げ始めた。

 

「クソが!」

 

 心底悔しそうに叫びつつ、聖句を紡ぐ。

 

「《古の大火、天上の眩燿(げんよう)。鳴る神は降臨し、天地を焚く霹靂とならん》!!!」

 

 権能の行使。

 それは、この戦いに置いて、燈也が禁じていたものだ。

 相手が本気を出さない、ないし出せないのであれば、自分も権能は使わない。戦いを楽しむという過程で自分に縛りつけた枷を、不本意ながらも解き放つ。

 

「ワーオ! それが貴方の本当の(パワー)? 素晴らしいネー!!」

 

 地殻を揺るがす燈也の一蹴をまともに喰らったにも関わらず、ほぼ無傷なケツァルコアトルは、心の底からの笑みを浮かべる。

 先程よりも壮絶な戦いを予期し、自分もそれに応えようと(りき)んだところで、左脇腹に衝撃が走った。

 

「な───」

 

 辛うじて出た声も置き去りに、またもやケツァルコアトルが吹き飛ぶ。

 攻撃を受けたと知覚し、ケツァルコアトルの神殿に激突せんとする前に、ケツァルコアトルは上空へと方向を転換させた。

 否。させた、という表現は正しくない。再びケツァルコアトルの体を衝撃が襲い、無理やり打ち上げられたのだ。

 

 苦痛に顔が歪む。

 上空三十メートルほどまで上昇したところで、またもケツァルコアトルに衝撃が襲いかかる。

 今度は一撃だけではない。何十、何百と重なる衝撃だ。

 地上へ降りることも許されず、空中でサンドバッグ状態となる中、痛みに耐えながらケツァルコアトルは目を見開く。

 自分を襲うのは、ほぼ間違いなく燈也の攻撃であると分かっていた。ならば反撃を試みなければ。

 そう思ったところで、ケツァルコアトルの顔面が僅かに凹むほどの衝撃が彼女を襲い、そのまま地面へと激突した。

 

 クレーターを作ってしまうほどの威力で落下したケツァルコアトルは、痛みからすぐに動けない。

 手を地面につき、なんとか立ち上がろうとしたところで、背中に何かが落ちてきた。

 

「ぐぅ...!!」

 

 苦悶の息が漏れる。

 わずかに痺れる体に鞭を打ち、地面を殴りつけた反動を使い立ち上がった。

 そしてすぐに後退。神殿の元まで下がり、構える。

 知覚外からの襲撃。考えてからでは反応できないということだけは理解したケツァルコアトルは、目を閉じた。

 

「っ! そこデース!!」

 

 視界を封じることで他の五感を敏感にし、音や風の流れなどから攻撃を察知したケツァルコアトルは、身をかがめる。

 すかさず頭上にアッパーを繰り出す...が、虚しく空を切るだけ。燈也に当たることはない。

 

 否。当たってはいたのだろう。

 しかしそれがダメージになることはない。

 

「俺の速度に対応してくるかよ」

 

 燈也がケツァルコアトルの視界から消えてから、初めて声がした。

 慌ててそちらを見るケツァルコアトルの目に、眩い光が映り込む。

 

「それがアナタの権能()...全開の姿、ということかしら?」

 

 ケツァルコアトルが見た光。雷光。

 人知の及ばぬ領域に踏み入れた権能を感じ、ケツァルコアトルは改めて気を締める。

 

「ま、そうだな。俺の力、その一端だ」

「それは...ハハ、想像以上デース」

 

 魔術ではない、神にも匹敵する力を見せつけ、それを「一端」と言い放つ燈也に、さすがの女神も背中を冷やす。

 人間は弱い。稀に強者が産まれても、神を脅かすほどの存在は強者の中でもさらに一握り。生前に刃を交えた神々すら彷彿とさせる圧力など、人間が持っていい領域を越えている。

 闘争への愉悦を抱えるケツァルコアトルだが、燈也という存在はその域を越えていた。

 

「一つ、聞いてもいいかしら?」

 

 超越者たる燈也に、ケツァルコアトルはどうしても確認したいことがあった。

 本来なら戦闘に対話など必要ないが、燈也はケツァルコアトルに答えることにした。

 

「言ってみろ」

「その上から目線、イラつくわ。...アナタ、そんな力を手に入れて、これから先どうするつもり?」

 

 人間は弱い。故に、強者を頼る。

 燈也は圧倒的な強者だ。三女神同盟をたった一人で瓦解せしめる力を持っている。

 しかし、それではいけない。たった一人の力で困難を打破してしまうことは、弱い人間達になんの成長も与えない。

 それどころか、自ら考えず、努力もせず、全てをその強者に委ねるようになる恐れもある。

 

「どうするっつってもな。俺はただ、上を目指して戦うだけだ」

「上? アナタより強い存在なんてほとんどいないと思うけれど?」

「いるんだよ。世の中には強ぇやつが山ほどな」

「そう。それは...恐ろしいわね。ではアナタは、なぜ上を目指すの?」

「二つ目の質問だ。けどまぁいいさ。なんで上を目指すかって? そんなの決まってんだろ。俺より強いやつ、偉ぶってるやつが気に食わない。俺は“王”だからな」

 

 ギルガメッシュは、賢王たる強者だ。

 青年期は手の付けられない暴君であったが、今は違う。彼はどんな手を打ってもウルクが無くなると知ってなお、個の力ではなく、民の力でウルクを守り続けている。だからこそ、ケツァルコアトルは一瞬でウルクを消し去るだけの力を持っているにも関わらず、未だウルクを攻め落としていない。

 強者の元で、弱者が努力し、成長する。これこそが女神・ケツァルコアトルの求める繁栄だ。

 

 佐久本燈也は、覇王たる強者だ。

 彼は個としての圧倒的な力を持つが、他を寄せ付けず己の力だけで道を切り拓き、己の欲求のみを満たす。また、彼の根本は悪である。魔王を名乗っていることもあるが、善性の頂点に君臨するケツァルコアトルにダメージを与えていることが何よりの証拠だ。

 悪性の強者による傲慢で、弱者が弱者のまま終わる。それは女神・ケツァルコアトルが望まぬ未来だ。

 

「(これは、楽しんでいる場合ではないわね。彼を放置していたら、人間はさらにダメになるかもしれない)」

 

 愛する人類の未来のため、燈也というバグは剪定しなければならない。

 

 ほとんど思い込みのような推論。だが、善神である彼女の本能が告げる警告。

 己の神格に従い、ケツァルコアトルは半ば無理やりに権能を引きずり出した。

 

「一撃でケリをつけマース!!」

「ハッ、言ってろ!」

 

 ケツァルコアトルが魔力を練り上げ、大地すら焼かんとする熱風が駆け巡る。

 対して燈也も紫電を散らし、さらに雷雲までをも引き連れてきた。

 

 

 

 地上に降りた太陽と、神威を振り撒く雷電。

 天変地異と言って不足ない異常を前に────リリアナ、景虎、信長の三人は背を向けて逃げ出していた。

 

 

 

「いやいやいやいやいやいや!!??!? 無理じゃろコレ、無理じゃろコレ!! 死んでしまうんじゃが!!!」

「神霊がこんな化け物だなんて聞いてないですよ! すいませんでした! 毘沙門天の化身だとかイキっててすいませんでした!!」

「黙って逃げろ! 佐久本燈也が神相手に本気を出したらここら一帯跡形もなく吹き飛ぶぞ!!」

 

 熱風に背中を押され、ついでに焼かれながら一目散に爆心地から逃げる三人。

 そんな三人の背後で、今までにない爆発が起こった。とうとう天災がぶつかったのだろう。

 そう思うよりも先に、三人の背中に爆風が襲い、体が宙に浮く。が、上手くバランスを取り着地。さらに足の回転数を上げて加速する。

 

「どこまで逃げればいいんですかこれ!」

「分からん! 少なくともジャングルからは出るぞ!」

「それってどのくらいじゃ!? あっ、リリアナが魔術使って先に行きよった! ズルいズルい! わしも銃に乗っちゃお」

「ちょ、待ってくださいよ二人とも! 足場が悪くて馬じゃ走れないんですから! ...え、本当に私だけ置いていかれた? そんなー!?」

 

 再びの爆風で景虎が飛ばされるまで、あと二秒。

 

 

 

 逃げ惑う従者を顧みることなく、彼女らの王たる燈也は全力を振るう。

 それに対し、ケツァルコアトルもまた権能を振るっていた。

 

「過去は此処に!」

 

 雷の雨に撃たれながら、太陽は輝きを灯す。

 明らかな大技。その予備動作を前に、燈也は雷を飛ばすだけしかできない。下手に近付けば、如何に雷の身体とて焼かれてしまう。

 故に、燈也も必殺の大技で決める準備を始めようとしていた。

 

「現在もまた等しく、未来もまた此処にあり! 風よ来たれ、雷よ来たれ!」

 

 もはや雷など彼女には届かない。全てを燃やし尽くす炎は、さらに激しさを増す。

 

「太陽には太陽で、っていいたいところだが...このままじゃ星の方がもたないかもな」

 

 余波ですら数千度に及ぶ熱波を魔術壁で防ぎつつ、燈也はギフトカードから一つの武器を取り出す。

 

 それは、白銀に輝く槍だ。

 とはいえ、その槍は中程から折れてしまっている。元々は二メートルを越える大槍だったのだろうが、今では一メートル程度。およそ、槍としての性能はないと言える。

 

 だが、内包する力は圧巻の一言。

 神秘の込められた輝きが、太陽の熱と拮抗する。

 

「《果てを刻め》」

 

 短く、燈也が下す。

 瞬間、閃光が周囲を覆った。ケツァルコアトルの太陽すらも飲み込む輝きは、直ぐに晴れる。

 直後、燈也やケツァルコアトルの周囲に広がっていたのは、炎と雷に焼かれた大地ではなくなっていた。

 

 白。どこまでも続く純白の世界。

 天も地も存在しない。最果ての新天地。

 

「敢えて言おう。《聖槍は健在なり》」

 

 世界が閉じた(・・・・・・)

 これこそが『塔』の在り方(能力)

 最果てにて輝ける槍は、表にも裏にも属さない。生命から隔絶された世界(・・・・・・・・・・・)を顕現させる。

 

「これは...」

 

 宝具発動のために溜めていたケツァルコアトルが混乱した。

 たった一瞬ではあるものの、身を襲う不可思議に目を見開く。

 だが止まらない。すぐに意識を燈也のみに移し、再び宝具開帳のための魔力を練り上げる。

 

「明けの明星輝く時も! 太陽もまた、彼方にて輝くと知るがいい!」

 

 白き世界に太陽が昇る。

 世界ごと灼き尽くさんと燃え盛る。

 

 対して燈也も、槍を構えた。

 

「ねじ伏せろ」

 

 

 

「──『太陽歴石(ピエドラ・デル・ソル)』ッ!!!」

「──『虚構に煌めく夢幻の塔(ロンゴミニアド)』」

 

 

 

 海すら干上がらせる灼炎と、世界を繋ぎ止められるほどのエネルギーが、正面から激突する。

 

 

 ✿ ❀ ✿ ❀ ✿

 

 

 大絶滅ですら引き起こせる大爆発から逃げ果せたリリアナ、信長、景虎の三人は、唖然としていた。

 それもそのはず。密林ごと地球上から消え失せようとしていた直前で、燈也やケツァルコアトルの周囲の世界が閉ざされたのだ。

 

 結界が張られた、などというものではない。

 文字通り、爆心地一帯がこの世界から隔絶されたのだ。

 

「佐久本燈也...」

 

 リリアナの口から声が漏れる。

『こちら側』からでは『あちら側』を観測できない。燈也が勝ったのか、負けたのか。そもそも無事なのか。それすらも分からない状況だ。

 

「な、なんだったんじゃ、さっきのは...?」

 

 信長も、つい先程まで天変地異の中心だった空間を見つめる。

 まるで全てが幻だったかのように消え失せてしまったが、自らが負った火傷や余波で燃えてしまった密林が、先程の出来事は全て現実だったことを知らしめている。

 燈也が化け物なことは重々承知していたが、ここまでイカれた存在だったとは思っていなかったのだろう。畏怖とも羨望とも違う、呆けた虚ろな色が目に浮かんでいる。

 

 その場に景虎の姿はない。彼女は二人に置いていかれたのだ。

 今頃、燃え朽ちた密林の中で一人、信長と似たような感想を抱いていることだろう。

 リリアナや信長に、景虎を気にかける余裕はない。リリアナは燈也の安否を気にしており、信長はただただ呆けていた。

 

 そんな二人の背後から、聞き覚えのある声がした。

 

「おいお前ら、呆けてないでさっさと帰るぞ。腹減った」

 

 バッ、と振り返る。

 そこには、彼女らの主がいた。

 

「王よ! よくぞご無事で!」

 

 リリアナが燈也に駆け寄った。

 心配そうに燈也の全身を見回すが、リリアナが心配するような傷はどこにもない。無傷とはいかないが、それは軽傷に見える。

 

「化け物にもほどがあるじゃろ、お主。いや、同じ括りにしては、化け物共が憐れかの」

 

 あれだけの攻防を繰り広げておきながら、疲れはおろか、ダメージもほとんど負っているように見えない燈也に、信長が呆れすら超えてしまった感想をこぼす。

 

 燈也の無事をしっかりと確認したリリアナが、確認するように燈也に問う。

 

「あの女神、ケツァルコアトルに勝ったのですね?」

「当たり前だ。本当は権能無しで勝ちたかったけどな。さすがに厳しかった。悔しいぜ」

「神殺しの魔王、マジパない。わしも魔王とか呼ばれとるけど、普通に格が違くないかの」

「あんな満足に全力も出せない神に負けてられるかよ。本物はもっとすごいぞ」

「マジか。生前あれだけ神はいないとか言っとったし、なんならバカにしてきたんじゃが。わし、恨みかって狙われたりしない?」

「それならそれで構わねぇさ。全部返り討ちだ」

 

 軽口を叩きつつ、燈也は二人に背を向ける。

 

「ああ、そうだ、信長。虎があっちに転がってるから拾ってこい。多分気絶してる」

「えー、なんでわしが。めんどいのう」

 

 文句を言いつつも、大人しく指示された方向に向かう信長。召喚した銃に乗り飛ぶ姿に、燈也は「器用なもんだ」と感心する。

 そして信長が去ってすぐ、燈也はリリアナを見た。

 

「背中の傷はどうだ。けっこうバッサリいかれてたろ」

「問題ありません。回復系の魔術も行使したので、痕も残らないかと」

 

 そうか、と短く返し、しっかりとリリアナを見ながら口を開く。

 

「お前は強くなったな」

「は、え、あ、ありがとうございます...」

 

 まさか褒められるとは思っていなかったリリアナが言葉につまる。

 

「けど、まだだ。もっと強くなれ、リリアナ。神とでも戦えるくらいに強く。お前は“俺の剣”なんだ。そのくらいやれるだろ?」

 

 俺の剣。

 そう言って貰えることに、リリアナは心から歓喜する。

 騎士として、これ以上ない言葉だ。

 

「...はい。王が、そう望まれるのならば」

 

 傅き、忠誠を示す。

 それを見た燈也は満足そうに笑った。

 

 王が自分を必要としてくれている。こんなに嬉しいことはない。

 祖父や王達に駒として扱われてきた人生で、お前が欲しいと言ってすくい上げててくれた人。心から崇拝する主に報いるため、リリアナは今後も努力を惜しむことはないだろう。

 

 ただ、まあ。

 二度とスカサハとの修行だけはしたくないというのが、リリアナの本音だった。

 

 

 ✿ ❀ ✿ ❀ ✿

 

 

 

 ウルクから北の大地。

 杉の森の奥地にて、とある青年然とした者が、ふと南に目を向けた。

 

『どうした。何かあったか』

 

 女性らしき声が、青年に問いかける。

 声の主の姿は、青年からは見えない。声だけ届く状況に、特に違和感も覚えることなく、青年は返事をする。

 

「...ええ。南の神の気配が消えました」

『ふむ? 何か企みでも始めたか』

「いえ、そうではないかと。あの女神の気配は完全に消滅しました。加えて、神とは違う、この強烈すぎる気配...。正体は不明ですが、何者かに負けたようです」

『何!? あの羽毛ある蛇がか...? にわかには信じられん。ヤツは阿呆のようだが、実力は底知れぬものがあった』

「ええ、ボクも信じられない。なのでボクは、一度様子を見てきます。障害になるようであれば、排除してきましょう」

 

 そう言って歩き出す青年の背に、女性は声を投げる。

 

『羽毛ある蛇は、下手をすればわたしより強い。その女神を屠ったというのなら、お前でも一筋縄ではいかないだろう。無理はするなよ』

「はい」

 

 女性の心配に、短い返事と軽い笑みで返した青年は、宙に浮く。

 そして、時速数百kmはある速度で飛び出した。

 

「(...まただ)」

 

 飛び出してすぐ、青年は胸を押さえる。

 痛みがあるわけではない。ただ、言いようのない感情が押し寄せてきているのだ。

 それがここ最近、何度も青年を襲っている。

 具体的には、カルデアからのマスターらと接触したくらいからだ。

 

「(何なんだコレは。まるであの男(・ ・ ・)のことを考えた時のような...いや、それとはまた別種だ。安心、不安、期待。ボクは───)」

 

 青年は、あの男(・ ・ ・)と呼ぶ相手に対し、“会ってはいけない”という不安のようなものを抱えていた。そちらは、まだ理由の分かる本能だ。

 

 しかし、こちらは違う。

 この数日で何度も味わったこの感覚は、本能は、根本から違うのだ。

 

「(──ボクは、一体誰に“会わなければならない”と思っているんだ?)」

 

 

 

 

 




聖槍《虚構に煌めく夢幻の塔》
ロンゴミニアド

女神ロンゴミニアドより簒奪(強奪)した『最果てにて輝ける槍』。燈也曰く、「第4の権能」。
ベディヴィエールにより破壊されたものであり、その能力はほとんど失われていたが、燈也が手にすることによって修復、進化を遂げた。某ハロウィン城で拾った聖杯の欠片も組み込んでいるとかなんとか。
元々2m以上あった槍は中程から折れており、全長1m程にまでなっている。見た目はただの「折れた槍」。それゆえに槍としての攻撃力はほぼ皆無で、そのまま振るえばただの鈍器としてしか使えない。
だが、聖槍としての本質は未だ健在。表と裏を繋ぎ止める楔としての能力を持ち、「表にも裏にも属さない」という属性の応用で虚構世界を構築し、あらゆる世界から隔絶される。
世界を構築してしまうほどの極大エネルギーを放出することもでき、その全力全開の一撃はワールドエンド級。
構築された虚構世界はあらゆる世界から隔絶されるため、抑止力などの力も及ばない。よってギルガメッシュの『天地乖離す開闢の星』も全力で放つことができてしまうという欠点を持つ。


余談だが、カルデアにてギルガメッシュ(青年期)と戦った際、この聖槍を行使したために全力の『天地乖離す開闢の星』を放たれた。聖槍の一撃はそれすらも相殺することが可能だそうだが、激突の余波に虚構世界が耐えられず消失したという。
世界の崩壊により、ギルガメッシュの霊基は耐えきれず消失。再召喚する羽目になったとロマニや藤丸に愚痴を言われたそう。
なお、燈也も無事ではなく、瀕死の重症を負い、驚異の回復力を持ってしても全治に一週間かかった。ほとんど死に体だったくせに一週間で完治する辺り、やはりキチガイか。


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親子というものは、嫌なところだけ似るものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 燈也とケツァルコアトルの戦い。

 終わってみればものの十数分程度だった死闘は、燈也の勝利で幕を下ろした。

 

 爆風に吹き飛ばされ、木に頭をぶつけて気絶していた景虎を回収し、燈也たちは日輪の戦車で空を駆ける。

 戦車の御者は燈也ではない。リリアナが、緊張した面持ちで手網を握っていた。

 その隣で、燈也がどこか上の空な表情で、戦車の扱いを指南している。

 燈也曰く、いずれ必要になる、とのこと。

 

「とりあえずは今教えたことが全部だ。ま、こいつらは頭がいいからな。御者の言うことはちゃんと聞くし、そんな気負わなくても大丈夫だ」

「分かりました。...ところで王よ。この方角は、ウルクから多少逸れているように思いますが?」

 

 先程から抱えていた疑問を、リリアナは燈也へと伝える。

 

「ああ、それなら問題ない。ちょっと寄りたい場所があってな」

 

 そう言う燈也は、リリアナとも、進行方向とも違う方角を見ていた。

 

「おいリリアナ。見てみろよ、アレ」

「はい?」

「女神だ」

「はい!?」

 

 なんでもないように告げられた仰天ニュースに、リリアナの手元が狂う。

 超高速で駆けていた戦車が安定を失い、アクロバット飛行に移行する。

 

「おいリリアナ。落ち着け。たかが女神に動揺しすぎだ」

「い、いやしかしッ!」

 

 先の戦闘で神の力を改めて実感したリリアナは、慣れない運転の緊張も相まり、手綱を握る手の汗が止まらない。

 

「安心しろ。テキトーに威嚇しといたから多分寄っては来ねぇよ。女神っつっても、ありゃ混ざりものだ。喧嘩しなくていい」

 

 興味無さげに、燈也は女神から視線を切る。

 しかし、アクロバット飛行から安全運転に戻ったことに一先ず安堵の息を吐いたリリアナは、その女神から視線を外してはいなかった。

 

「.......王よ」

「なんだ」

「女神が近付いてきています」

「は?」

 

 完全に女神から意識を外していた燈也は、本気で疑問だという声を出した。

 それと同時、円形をした飛行物が戦車に激突し、そして跳ね返される。

 

「〜〜〜っ! いったぁ!?」

 

 自滅する形で悲鳴を上げた女神は、目にうっすらと涙を浮かべつつ、燈也に向けて人差し指を差す。

 

「アンタね! この私に向かって不躾に殺気なんか放ってきたのは!」

「そうだが」

「悪びれもなく!?」

 

 騒がしいやつだ、と嘆息する燈也は、女神に対してあまり関心を抱いていないようにみえる。

 これは意外だと、リリアナは訝しんだ。

 神殺したる燈也は、神との戦いを好む傾向がある。目の前の女神──イシュタルも、混ざり物とはいえ神は神。燈也の心が踊るには十分だと思っていたのだが、当の本人にはあまり戦う意思が伺えないように感じる。

 

「勝てねー相手に喧嘩売んな。力の差くらい分かるだろ」

「はぁ!? 意味分かんないんですけど! 勝てるわよ、この私が人間相手に負けるとでも!?」

「分かった分かった。失せろ、駄女神。今はお前の相手をする気分じゃない」

 

 狙ってか、天然か。

 燈也は女神イシュタルの逆鱗を蹴り上げる勢いで挑発していく。

 そんな挑発にプライドの高い女神が反応しないわけもなく、全身をわなわなと震わせて怒りのままに叫んだ。

 

「あっったまきた!! いいわ、そこまで言うのなら望み通り、獣のエサにしてあげる!」

 

 天舟(マアンナ)を構え、魔力の矢を放つ。

 神獣にすら傷を付け、人間ではまず耐えきれない攻撃だが、それが燈也に届くことはない。

 その前に、日輪の戦車によって弾かれたのだ。

 

「なっ!?」

 

 イシュタルの驚いた声が漏れる。

 悔しそうに歯を食いしばり、続いて魔力の矢を十発ほど同時に撃ち込むが、それらも全て戦車によって防がれた。

 

 燈也の所有する第二の権能、《勝利運ぶ不敗の太陽》。

 ローマ神話に登場する太陽神ソール。この神は古代ギリシアにおいては太陽神ヘーリオスとされ、彼が跨ったとされているその戦車は、太陽と同一視されていた。

 つまり、日輪の戦車は太陽そのものなのだ。太陽と同程度の質量、また熱量を持っている。

 これに攻撃を通そうとするのならば、惑星を傷付けるほどの超々高火力な攻撃をぶつけるか、太陽に対する強い対抗・特攻属性を持つ攻撃を放つしかない。

 

 それでも諦めず、イシュタルは魔弾を撃ち込み続ける。

 そんなイシュタルを横目に、燈也は空を見上げていた。

 

「なぁ、リリアナ」

「え、あはい。何でしょう」

 

 女神の猛攻を受けているにも関わらず、平然とした様子で話しかけてくる燈也に困惑しつつも、リリアナは返事を返した。

 

「あの空の輪っかみたいなやつ。確かキャメロットにもあったよな」

 

 じっと空を見上げる燈也は、そんなことをリリアナに問う。

 今の状況と一体何の関係があるのだろうかと訝しながらも、リリアナは主の問いに返答する。

 

「在りました。ダ・ヴィンチ女史によれば、此度の人理焼却の首魁、ソロモン王に関係するものだと」

「ソロモン、か。神から知恵を授かったとかいうイスラエルの王...その知恵ってのは、文字通り人智を超えたモンだったんだろうな」

「は、はぁ」

 

 突然何を言い出すのかと思えば、全く別の方向へ意識をそらす燈也に、リリアナは再度困惑する。

 そんなリリアナの様子を見てか、燈也は軽く笑った。

 

「あの光の輪。ありゃ何かしらの魔術だろうな。あるいはそれに限りなく近い宝具か。しかも星を滅ぼせるだけの...いや、それでもあまりあるくらいのエネルギーを内包してやがる。あんなもん落とされたら、さすがに俺らも無事じゃすまねぇぞ」

「な、」

「しかも、だ。あの光輪は『分からねぇ』」

「分からない、ですか...?」

「ああ。大抵の魔術は、少し見れば解析もできるし模倣もできる。イリヤの持ってたクソステッキ、アレに組まれた《魔法》だって、解析の糸口くらいは見えた。もう暫くあのクソステッキを弄り回せば十分解析できるだろ」

 

 にも関わらず、と言いながら、燈也は悔しげに天の光輪を睨み上げる。

 

「アレはよく分からねぇんだ。俺の聖槍やギルガメッシュの乖離剣でも太刀打ちできるか分からねぇレベルの魔力だってのは分かる。けど、あの魔術式の意味が分からない。複雑過ぎて効果すら読めねぇ。もっと近寄って...触れられるならもうちょい解析のしようもあるんだろうが...」

 

「いつまでも無視してんじゃないわよ!! いいわ、ええ、もういい。こうなったら全力全開、私の宝具をブチ込んであげるから!!」

 

「(つーかそもそも、何でアレを落とさねぇ? 最後の特異点まできたんだ、ソロモンもカルデアを無視できなくなってるはずだろ。だったら、アレを落とせば一発で解決だ。あんな魔力、仮に攻撃魔術じゃなかったとしても、落としただけでカルデアは終わりだろ。そうすりゃ何の障害もなく、目的を果たせるはず...いや待て。そもそも、ソロモンの目的ってのは何だ? 人類が気に入らない、生命そのものが気に入らない。その程度だったら、カルデア云々関係なく、あの光輪を落とせばそれで終わりだろうに)」

 

「こ、この後に及んでまだ無視するかぁ!? 撃つからね、本当に撃つんだからね!?」

 

「(生命...人理の焼却は単なる手段、目的達成のために必要な通過点。人理を焼却した先で、生命の絶滅以外に得られる利益はなんだ? ...まさか、まさか魔力か? 人理を完全に、文字通り焼却しきったわけじゃなく、昇華。聖槍みたく魂の補完だけじゃなく、その魂を魔力として変換・操作することで得られたものが、あの光輪...? だとしたら、あの光輪がもたらす現象ってのは一体───)」

 

「うがあぁぁぁああ!!! ブッ潰すッ!!! マアンナ、ゲートオープン!!」

 

「うるせぇ」

 

 何やら宇宙空間と時空を繋げ始めたイシュタルへ、燈也は雷を落とす。

 頭に血が上っていたイシュタルはその攻撃を避けることができず、しっかり丸焦げにされた。だが、混ざっていても神。雷一発程度でダウンするほどヤワではない。

 

 ───ので、追加で数発の雷撃を叩き込み、さらに戦車で轢き倒した。

 

「キュッ」

 

 空気が抜けるような声をもらし、ボロ雑巾のようになったが、それでも生きているイシュタルを褒めるべきだ。

 リリアナは墜落していく女神にそっと合掌し、改めて手網を握る。

 

「あー、クソ、考えても分からねぇなコレ。何かしらのピースが足りねぇ。チッ」

 

 最後までイシュタルに興味を示さない燈也を見て、リリアナは本気でイシュタルに同情した。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 その後、戦車は神代の空を駆け抜け、海岸に着地した。

 暖かくな潮風が頬を撫で、緩やかな波が寄せては返す。とても世界の危機とは思えないほどの、穏やかな光景。

 そんな海をじっと見る燈也は、無言で何かを考え込んでいた。

 

 燈也の様子を少し離れた場所で見ながら砂遊びをしていた信長が、彼女の隣で燈也を見守っているリリアナへと問いかけた。

 

「我らがマスターは一体何をしとるんじゃ」

「...分からないが、何か意味があるのだろう」

「意味があるのは分かっとるわ。あの男が意味もなく海なんぞ眺めるわけがなかろう」

 

 砂の山にトンネルを開通させながら、信長は言う。

 そんな信長の隣で異様に精巧な砂の城を建設していた景虎が、信長に反論する。

 

「マスターだってたまには感慨にふけることもあるでしょう。それかほら、神代の海から採れる塩はどんな味かな、とか」

「ハッ。どこぞのアホ虎じゃあるまいに」

「斬りますよ」

 

 槍を構えた景虎に、信長は銃を召喚して相対そうとする。

 二人のじゃれ合いは放っておくことにしたリリアナは、ふと自分の考えを口にした。

 

「バビロニア神話には、ティアマトという女神が登場する。原初たる女神、海水の神だ。その神は、佐久本燈也が最初に殺めた神でもある」

「ほう? ならば、何かの縁を感じたのか、マスターは」

「マスターが殺したという神は、こことは違う世界線の神なのでしたね。それならば、もしかすると“ソコ”に...」

「ああ。ありえるだろうな。この時代の神ティアマトがいる可能性、というものは」

 

 一つの時代に、同一の神性が二つ。

 その神性が引き合っている。そういう可能性はゼロではないと、リリアナは考えた。

 

 それは、間違った見解ではない。

 引き合ったかどうかはさておき、燈也はこの海に眠るティアマトを見に来たのだ。

 

 一切視線を逸らさず海を見つめる燈也は、僅かに眉間に皺を寄せる。

 

「(...確かに“いる”。けど、なんだ? 眠っているというより、これは...封印の一種? 魔術の類だな)」

 

 権能によってペルシャ湾を丸ごと支配下に置いた燈也には、その海中で起こっていることは、意識すれば手に取るように分かる。

 遥か海底に“いる”女神を、燈也は明確に感じ取っていた。

 

「(神を封じ込めるほどの魔術...ギルガメッシュか? いや、あいつは封印なんて真似はしないだろうな。じゃあマーリン? あるいはほかの神、三女神同盟とかいうやつの誰かがやったか? ...あー、いや。今のギルガメッシュなら封印とかいう防御に回っててもおかしくないか)」

 

 犯人の目星を付けようと考えた燈也だったが、それは無意味だと切り捨てる。

 大事なのは、誰がやったかではない。

 

「(やろうと思えば、封印を解くことくらい楽勝だ。が、その後が問題だな)」

 

 以前燈也が戦ったティアマトは、不死の特性を持っていた。ティアマトに勝ちきれなかった原因の特性だ。

 今の燈也は、あらゆる魔術を使役できる。不死殺しの魔術でも、燈也は即興でも習得可能だった。

 しかし、その不死殺しが、果たしてどこまで通用するのか。残念ながら本物の不死を相手に試したことがないため、「確実に殺せる」という確信が持てずにいるのだ。

 

 ギルガメッシュが防衛に注力し、全力を出せずにいる以上、燈也が負ければウルクは終わる。

 というより、同じ相手に同じ手で二度も勝てないなど、燈也自身が許さない。

 

「...ま、悩むのは俺らしくねーか」

 

 燈也はカンピオーネだ。勝てる勝てないで神との戦闘を避けることは、彼の本能に反する。

 魔術が通用しないなら、その時はその時。別の方法を戦いながら模索すればいい。

 正直ウルクの安否などどうでもいい燈也は、とりあえず一戦交えてみるかと、ティアマトの封印を解こうとしたその瞬間。

 

「少し待ってもらおう。彼女の眠りを醒ますのは、些か早い」

 

 不意に、声がした。

 突如現れた声に、リリアナと、殺し合って(じゃれあって)いた信長、景虎の三人は、警戒し武器を構える。

 そんな三人を手で制しながら、燈也は声のした方へと視線を向けた。

 

「よぉ。ずっと見てるだけかと思ったら、出てきたのか」

「チッ、気付いていたのか。気配は消していたはずなんだけどね」

「そりゃテメェ自身の気配だろ。そんなデカい魔力炉なんぞ持ってたら嫌でも分かる」

「キミの従者たちは気付いていなかったみたいだけど?」

「あいつらはまだまだだってこったな」

 

 燈也の視線の先、空に浮いていた声の主が、軽やかに砂浜へと着地する。

 その姿を見たリリアナが、より一層の警戒を示した。

 

「貴様、エルキドゥ...!」

「知っておるのかリリアナ!?」

「誰が猿好きの三面拳リーダー格だ」

「どうして今のでリリィちゃんはネタが分かるんですか?」

「ツッコめるってことはお主も分かったのかアホ虎」

 

 三人の始めた漫才をスルーし、エルキドゥと呼ばれた人物はリリアナに応える。

 

「久しぶりだね、魔女。この間はしてやられたよ。まさかあんな技を持っていたなんて」

「やはり知っておるのかリリアナ!?」

「もういいですから。少しは空気を読みなさい、バカ殿」

 

 ノリが過ぎる信長を視界から消したリリアナは、キッとエルキドゥを睨む。

 殺気すら篭った視線を笑って受けたエルキドゥは、燈也へと意識を移した。

 

「はじめまして、異郷のマスター。僕の名は───キングゥ。始まりの女神、ティアマトの息子だ」

 

 エルキドゥと呼ばれたにも関わらず、自らをキングゥと名乗った青年は、軽くお辞儀をしてみせた。

 キングゥの名乗りに困惑をみせるリリアナとは違い、燈也は別の点に疑問を抱く。

 

「キングゥ...ああ、怪物の司令塔か。だったらなんで止める? お前にとっちゃ、ティアマトが目覚めるのは願ってもないことだろ」

「こちらにも色々と事情があってね。まぁ、私情なわけだけど」

 

 やれやれとキングゥは肩を竦めながら漏らす。

 そんなキングゥを二秒ほど見つめた燈也は、封印の解除を止めた。

 

「ま、お前が言うならティアマトは後回しにしてやる。前座...は、南の神で済んだか。まぁティアマトはメインディッシュだ。残りの三女神同盟とやらで遊んでおくさ」

「そうしてくれ。特に冥界の女主人。彼女の支配する冥界には、特殊な権限がある。南米の神を屠ったお前でも楽しめるだろう」

「特殊な権限? ...へぇ、楽しみにしとくぜ」

 

 燈也の返答に満足したキングゥは、再び宙に浮いた。

 十メートルほど上昇したキングゥに、燈也が言う。

 

「キングゥ。お前、俺のとこに来る気はないか」

 

 ピクリと反応し、上昇を止める。

 数瞬固まり、そして返答した。

 

「...それも面白そうだけれどね。お断りしておくよ。僕は“母さん”の子供だ」

「ハッ、そうだわな。つーか、簡単に自分の親を裏切るやつだったら、この場で殺してたところだ」

「ははっ、それは命拾いをした。キミに勝てるビジョンは全く見えないからね」

 

 言いながら、キングゥはさらに上昇する。

 キングゥの背中に、燈也は再度声をかけた。

 

「けどまぁ、覚えとけ。その気になったら、お前は俺が面倒見てやるよ」

 

 その言葉に返事をすることなく、キングゥは彼方へと飛び去っていく。

 キングゥの姿が完全に見えなくなってから、燈也はリリアナたちの元へと戻った。

 

「ウルクに戻るぞ」

 

 たった一言だけ告げて戦車を召喚する燈也に、リリアナが問いかける。

 

「よろしかったのですか?」

「あ? 何が」

「あのキングゥというものの言う通りにすることがです」

 

 燈也という王は他人の言葉に左右される存在ではない。

 唯我独尊。己の行動は、例え周りの迷惑になるとしても遂行する。そんな性格だと思っていたし、今までだってそうだった。

 だから、キングゥの懇願に応えた燈也を訝しんだのだろう。信長や景虎でさえ、燈也に疑念の目を送っている。

 

「構わねぇよ。別に、今どうしてもあの蛇と()らなきゃいけないわけじゃねぇしな。ほかの神共がどの程度の強さかは知らねぇが、遊んでやるのも面白そうだし」

「意外ですね。マスターは『んなの関係ねぇ! ブッコロブッコロ!』って感じの人だと思っていました」

「ま、普段ならそうだわな」

 

 景虎の指摘に、間違ってはいないと言う燈也は、けど、と言葉を続ける。

 

「俺は、俺の“仔供”の願いなら聞き入れる。まぁキングゥは俺の“仔”ってわけじゃねぇんだが...何だろうな? ティアマトの神性のせいなのか、俺はあいつを引き入れたいって思ってんだわ」

 

 それは、王の気まぐれ。

 リリアナ然り、二人の英霊然り。キングゥもまた、王に目を付けられただけのこと。

 

「...分かりました。王の御心のままに」

 

 王の行いは、善悪を問わず絶対だ。彼こそが正義であり、過ちすらも王道となる。

 燈也こそを唯一の()と定めたリリアナらは、彼の気まぐれに大人しく従う。

 

 己の臣下の忠誠を当たり前のように享受する燈也は、来る女神との抗争に僅かながらの期待を寄せていた。

 願わくば、血湧き肉躍るような、心の踊る戦いを、と。

 

 

 

 

 ───深い深い大海の奥底で、醒めない夢に囚われ眠る《悪》が胎動したことなど、知る由もなく。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 “母”のいる神殿へと戻ってきたキングゥは、ため息を吐いた。

 

「(...なんで、僕はあいつを止めたんだろうね)」

 

 あいつ。異郷のマスター。

 彼は、どういう手段かは分からなかったが、ティアマトの眠りを覚まそうとしていた。

 ティアマトを目覚めさせ、旧人類の殲滅、人類史のリセットを成そうとしているキングゥにとって、ティアマト復活を妨げることは不都合しかない。

 

 なぜ止めたのか。

 自問してみるも、その答えはすでにある。

 

『戻ったか』

 

 神殿の奥底から、他を萎縮させるような声が響く。

 姿はない。だが、あちらはこちらを捉えている。

 

「ええ。ただいま戻りました、母上」

 

 偽りの母へ、貼り付けたような、柔和な笑顔で応えてみせる。

 

『それで、どうだった』

「はい。アレは...まずいですね。南米の神、ケツァルコアトルが倒されたのも納得、といえる。神をもねじ伏せる天災、といった感じでしょうか」

 

 率直な感想だ。

 自分はおろか、話し相手の“母”も敵わないだろう。

 あちらが本気で行動し始めるとしたら、対抗できるのは“ティアマト”だけ。キングゥは燈也を直接見て、そう直感した。

 

『お前にそこまで言わせるか...』

「しばらくは冥界の女神に向かうように仕向けましたが、あちらが我々に矛先を向ける前に聖杯を奪取したいところ。だが、今はまだ機ではありません。最大限の警戒が必要ですが、決して焦らぬよう」

 

 意外と短気な母に釘を刺す。

 

 なぜ、あの時、ティアマトの復活を阻止したのか。

 それは、母の願いを叶えるため。

 

「(この愚かで哀れな怪物に、せめてもの救いを)」

 

 キングゥは行動する。

 不遇に立たされた母に、内心では見下している怪物に、僅かでも祝福あれと。

 

 

 * * * * *

 

 

 ペルシャ湾を後にし、数分の空の旅を経て、燈也たちは今朝方ぶりのウルクへと舞い戻ってきた。

 

「いやー。この街を出たのが今日の出来事だなんて思えんな」

「濃かったですからねぇ。イベントが」

 

 今も尚魔獣からの襲撃を受けつつ、そんな雰囲気は欠片も見せない市場の繁盛の中で、信長と景虎はしみじみと今日という日を振り返る。

 神を、合計で三柱も相手にした。

 普通に考えて意味が分からない。

 

「お前たちは戦ってすらいないだろう。何を疲れきった顔をしているんだ、だらしのない」

「リリィちゃんは厳しいですねぇ。いえまあ? リリィちゃんと言う通りではあるんですけど」

「神と遭遇するだけで普通は気疲れするわ。このキチガイ魔女め」

「歴史に名を刻む英霊が“普通”で良いわけがないだろう。それに、佐久本燈也と共に生きるとはこういうことだ。諦めて早々に慣れろ」

 

 三人の会話を聞いていた燈也は、うんうんと頷いた。

 リリアナも随分と逞しくなったと、心から感心する。

 

「それじゃあリリアナ、お前、明日から魔獣共の相手な」

「...は?」

 

 精神面、技術面。

 その両方で、燈也も目を見張るほどの成長を遂げたリリアナ。

 彼女に更なる成長を与えるため、燈也は指示を出す。

 

「魔獣共との戦争。魔獣軍も人間軍も、相当な数同士で殺しあってる。こんな機会はそう無いぞ」

「は、はあ...?」

「牛若丸やレオニダスには俺から話を通しておく。お前は、この戦争で大軍の指揮、軍略を磨け」

「軍略、ですか」

 

 屋台に並ぶ果実を流れるように取る燈也と、これまた流れるように代金を払うリリアナ。

 熟練夫婦か、と茶化す信長に、騎士ですから、と平たく返す。

 

「戦場にはあの牛若丸と、スパルタのレオニダスがいる。それに信長や虎も、相当優れた大将だ。個としての戦闘力はお前の方が上かもしれねぇが、統率力って面じゃあまだまだ劣る」

 

 種まで食らい、手に着いた果汁を魔術で出した水で洗い落としながら、リリアナへと視線を向けた。

 

「学べるもんは全部学んでこい。今後、お前が軍を率いることもあるかもしれないからな」

「はっ。かしこまりました、我が王。リリアナ・クラニチャール、身命を賭して、使命を全うして参ります」

 

 道中ということもあり、膝までは付かないものの、頭を下げる。

 お堅いのぉ、と呆れる信長に、燈也は目を向けた。

 

「つーわけで、お前らも戦線に出ろ。リリアナの指導、任せたぞ。ついでにお前らも修行してこい」

「お任せくださいマスター。リリィちゃん魔改造、自らの更なる精進、やってみせますとも!」

「わしらがするまでもなく魔改造されとるけどな、この魔女」

 

 わりと乗り気を見せた景虎は、フンスと意気込む。

 

「王はいかがなさるのですか?」

「ちょっくら冥界で遊んでくるわ」

 

 何とも軽い調子で、神の領域に殴り込むという燈也。

 もはやその程度で驚きはしないが、多少心配にはなる。

 

「大丈夫ですか?」

「誰に言ってる。俺はこんなところじゃ負けねぇよ」

 

 ヒラヒラと手を振り、余裕だと言ってみせる。

 その言葉に裏などなく、本当に問題ないと確信しているのだろう。未知なる冥界への不安どころか、苦戦するかもしれないという権限とやらを楽しみにしている。

 弱きを無視し、強きを屠る。無意味な殲滅は行わず、強者との闘争こそに心を踊らせる。

 これこそが王、真なる勝者の在り方だと、燈也は確信していた。

 

「黄泉の國へ自ら進んで赴くうえに笑っとるぞ、このマスター」

「子は親を選べないというか...いやぁ、もう面白いですね、ここまでくると。今後、彼の覇道に付き添えるのが楽しみです」

「ま、それもそうじゃな。神に弓引くなど慣れたもの。受肉したこともあり、我らにも伸び代はあるしのぅ。わしが当主でないことは残念至極じゃが...神々すらも退け、天下...いや、天上か? 世を統べる大魔王、その覇道を歩む一人となれるとあれば、退屈だけはするまいて」

 

 もう呆れることにも疲れてきた。

 そう言わんばかりに、二人の英傑は薄く笑う。

 

 

 この先待ち受ける、神々すらも嘲笑う遊戯。その渦中に落ちることすら厭わない。

 子は親を選べないと彼女らは言うが、子は親に似る。

 戦乱の時代を走った英傑らの笑みは、(燈也)と似たような、獰猛さを含むものだった。

 

 

 ───やめてほしい。問題児の匂いしかしないぞこの三人。

 

 面白半分で面倒事を誘い込みそうな問題児共を見て、リリアナは傷んできた頭を抱えた。

 

 

 

 




もはや何が書きたいんだか()


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例えば、ベルトコンベアのような人生

 

 

 

 

 

 

 ジャガーマン、ケツァルコアトル、イシュタル、キングゥ。

 バビロニアを震え上がらせている根源のうち、約半数の災厄と対峙、討伐した日の翌日。

 ウルクにある燈也の居城、兼カルデア大使館にて。

 

「いつからここはカルデアと併用になったんだ」

 

 燈也は不満げにそう言った。

 

 以前、というか昨日まで、この建物は燈也たちに宛てがわれたものだった。にも関わらず、気が付けば「カルデア大使館」などと名付けられ、彼の居城は事実上瓦解したのである。

 

 機嫌を損ねた魔王を、カルデアのマスター、藤丸立香が宥めに入る。

 

「まぁまぁ。燈也もカルデアの仲間なんだし、ここは仲良く...ね?」

 

 あの英雄王やファラオとでさえ友好関係を結ぶ人類最強クラスのコミュ力オバケは、魔王が相手であっても物怖じしない。

 チッ、と舌打ちし、まぁいいかと燈也も不満を表情から消す。

 

「まぁいい。それで? お前らどこ行くんだよ」

 

 何やら荷物を背負っている立香に聞いた。

 

「ちょっと不倫調査にね」

「平和か?」

「そんなことありません! 浮気は重罪、断固断絶すべき悪です!!」

 

 やけにやる気と殺意を持ったマシュが、ふんすと意気込む。

 何をそんなにやる気になっているのか分からないが、まぁ頑張れと適当にカルデア組を見送り、燈也も居城、もといカルデア大使館を出る。

 

 リリアナたちはいない。

 彼女らは、すでに北壁の戦線へと出向いている。

 燈也は早速冥界へ──といきたかったが、そうも言っていられない事情があった。

 そう、冥界への行き方が分からないのである。

 一応、神代は冥界と現世が繋がっているというので、ウルク近郊の地面を片っ端から抉っていったのだが、冥界への道は開けなかった。

 

「(ま、分かんねぇなら無理して行くこともあるまいて)」

 

 冥界に興味はあるが、何が何でも行きたいかと聞かれればそうではない。

 機会があれば行ってやるか。そう思い、とりあえず暇潰しに市場でも冷かそうと街に繰り出したわけである。

 

 

 いくら燈也が人の上に君臨する王とはいえ、ある程度のルールは守る。

 意味もなく他人の物を壊したり、気晴らしに通行人を恐怖に貶めたり。そういうことはやらないのが燈也だ。

 この辺の倫理観は彼の母の教育の賜物と言えるだろう。もし彼の親がロクデナシであったり、彼が一人で生きてきていたのなら、今頃燈也のいた世界は滅びていたかもしれない。世紀末的な意味で。

 

「おっちゃん、パン二つ」

「あいよ! それじゃあ巫女の銀二枚だ!」

「ふざけろじじい。ぼったくりもいいとこだ」

「なんだい、じゃあ巫女の銀一枚でいいよ!」

「店ごと潰すぞくそじじい。その十分の一で寄越せ」

 

 この時代の金銭価値はよく分かっていない燈也だが、勘でぼったくられていることは分かるらしい。

 世界が滅びようって時に商魂逞しいものだと感心しつつ、軽く怒気をぶつけて安くパンを入手した。曰く、相場の五分の一程度にまで値下げされたらしい。パン屋の店主は震えていた。

 

 ジャムやマーガリンなどというものが存在しないこの時代。パンをただ齧るだけでは味気ないので、別の店で加熱調理された肉を買い、パンに挟む。

 やっぱ魚より肉だわと自分の好みを再確認していると、ふと、薄暗い路地裏に目がいった。

 

 特段、目立ったもののない路地裏だ。

 整理されてはいるものの、綺麗でも汚くもない、普通の路地裏。

 その中に、ホームレスのような姿をした、小汚いローブを纏った老人が一人。これもまた、魔獣による侵攻の影響もあり、この街では珍しくない。

 だが、何かが燈也の気を引き付ける。

 

 じっと路地裏を見つめ、次第に老人へと視線が向かう。

 不躾ではあるが、自身の行為は全て正義であると考える燈也に、相手に失礼だという認識は一つもない。

 

「──何用か」

 

 燈也の視線に耐えかねたか、老人が口を開いた。

 老人とは思えぬ、力と意志の篭った声。その声を聞き──彼の内なる力を感じ、燈也は自分の引っかかっていた原因を突き止めた。

 

「.....なんだ。久しぶりじゃねぇか、髑髏野郎...!」

 

 獰猛に口端を釣り上げ、一気に魔力を解放する。

 それだけで、周囲の建造物は吹き飛ばされ、地面には亀裂が走った。

 周りにいた人間もタダでは済まない。皆一様に飛ばされ、恐怖の滲む目を燈也へと向ける。

 

「控えよ、代行者。汝はまだ、己が使命を理解しておらぬか」

「してるさ。俺の使命は、テメェみてぇな強者を叩き潰すことだよ!」

 

 言うが早いか、燈也は老人──山の翁、ハサン・サッバーハへと間を詰める。

 腹部に拳を叩きつけ、ハサンを後方へと殴り飛ばした。

 否、ハサンは自ら後ろへ飛び、拳の威力を殺したにすぎない。

 

「──愚かなり。汝が蛮行、貴様を選んだ星も嘆いているだろう」

「星だなんだは関係ねぇ。俺の行動は、俺の意思で実行される」

 

 型を構え、まっすぐにハサンを睨む燈也。

 

 燈也は、勝者(カンピオーネ)である。

 彼は、自分の敗北を許さない。相手が誰であれ、勝つことを本能で追い求める。

 一度負けているハサンへの再戦は、燈也が心から望む願いだ。

 故に、相手が今戦うべき存在でなくとも、目の前に現れたのならば見逃しはしない。

 

「我に汝と争う意思はない。以前にも話した通り、それは汝の成すべき偉業にあらず」

「分からねぇ野郎だな。俺が戦いたいと思った。ならそれは、俺の成すべきことだ。俺の願いの下の行動は、ほかの何者にも左右させない」

 

 燈也が踏み込む。

 ただ突っ込んだわけではない。気配を薄め、ずらし、かつフェイントも無数に取り入れた。

 武芸に秀でたスカサハにも通用した攻撃だが、ハサンはそれにすら反応する。

 どこからか現れた大剣の腹で燈也の拳を防ぎ、そのまま横に一閃し、燈也を下げさせる。

 

「やる気になったか」

「...やはり愚か。貴様は、まだ罪を犯し続けるか」

 

 ローブを脱ぎ去ったハサンは、その髑髏と、漆黒の鎧を太陽の下に晒す。

 瞳の奥に青白い炎が灯る。ハサンも、敵を斬ることを覚悟した。

 

「罪だ? ほざけよ。(勝者)こそが正義だ」

「傲慢である。思い上がるな」

 

 またも燈也から仕掛け、数撃の衝突が起きた。

 拳と剣が交差するたびに衝撃が生まれ、空気の刃となって周囲を破壊する。

 ここまでは以前と同じ。燈也の攻撃が、ハサンに届かず、通じず、拮抗する。

 

 ──はずだった。

 

「むぅ...!?」

 

 ハサンの声に苦痛の色が見えた。

 燈也の拳が、ハサンに届いている。確かなダメージを、幽谷の暗殺者に与えている。

 

「──鳳雛登門、鳳眼穿廉」

 

 燈也が呟く。

 秀麗さすら感じさせる滑らかな動きは止まらない。

 

「鳳爪掏心、飛鳳墜落、丹鳳朝陽、金鳳亮翅、郡鳳連環、雄鳳千斤」

 

 水の流れのように放たれた掌打であごを打ち抜き、両手の掌で胴を穿つ。肩を手刀で抉り、腹を切り裂いた。

 

「鳳翼天象、鳳龍陰陽、鳳凰双飛、大鳳無天」

 

 掌打、掌打、掌打、掌打。

 風のように気ままに揺れ、岩のように重く響く。

 その様は正に武芸。芸術と呼べる美しさを兼ね備えた一連の動きが、死神の命を刈り取らんと咲き乱れる。

 

 飛鳳十二神掌。

 羅濠が最も得意とする武芸であり、武林の至宝とも言うべき秘芸。

 神々すら食い破るこの絶技を、燈也は完璧に繰り出した。

 

 全ての型を出し終えたところで、ハサンの体が浮く。

 その隙を逃すわけもなく、地面を抉るほどの踏み込みと共に、両手の掌を打ち込んでハサンの巨体を突き飛ばした。

 

「あの頃の、お前に敗けた時と同じだと思ったか」

 

 家屋に突っ込み、瓦礫の下敷きになったハサンを見下ろし、燈也は言う。

 

 

 再三になるが、燈也という王は己の敗北を許さない。

 あらゆる才能に恵まれた燈也は、大抵のことはできるため、普段は努力というものを全くと言って良いほどしない。自分の好きなように振る舞い、快楽を求めて生きている。

 そんな彼でも、努力というものを知らないわけではなかった。

 とは言っても、知ったのはごく最近のことではあるのだが。

 

 

 最初は、羅濠教主に敗けた時。

 正確には二度目の戦いで引き分けた後からではあるが、彼女の元に弟子入りという形で潜り込み、ひたすらに試合をする(殺し合う)ことで、戦闘の中で彼女の武芸を習得した。

 

 次は、初代山の翁に敗けた時。

 カルデアという戦士の宝庫に流れ着いたが幸いと、あらゆる英霊たちと武を競い、その戦闘の中で己の武芸に磨きをかけた。

 

「立てよ、暗殺者。この程度でへたばるタマじゃねぇだろ」

 

 修行などではなく、戦闘の中で成長する理外の獣。

 カンピオーネらしいといえばらしい、燈也なりの努力で、彼は確かな成長を見せていた。

 

「ォォ.....」

 

 それは苦痛による小さな悲鳴か、はたまた見下されたことへの怒りの吐息か。ハサンの喉から、僅かな声が漏れ出た。

 それに伴い、彼の昏い瞳の奥に蒼き炎が燃え盛る。

 

「いいぜ、それでこそだ」

 

 ハサンが立ち上がったことに満足し、同時に一足でハサンの懐まで潜り込む。

 漆黒の甲冑に掌を当て、内部に響くよう打ち抜いた。

 

「ォ...ォォオ!!!」

 

 常人であれば内臓をぐちゃぐちゃにされ、最低でも吐血の一つはしてしまう一撃。

 それを受けて、ハサンは怯むこともなく、大剣を一閃する。

 

 追撃を試みていた燈也だが、その一閃を避けるためにあえなく後退。

 完璧に避けたと思い、再度攻め込もうとしたところで、体の数箇所に僅かな痛みがあることに気が付いた。

 脇腹、腕、そして首筋。その他にも数箇所、浅い切り傷が刻まれている。

 

「チッ。相変わらず見えねぇな。たった一振で数撃の斬撃...なんだ? どこぞの農民か?」

 

 多次元からの攻撃か。それとも真空波の要領か。

 まぁ普通に考えたら後者だろうなと考え、そこで思考を一度切り替える。

 切り傷程度であればものの数秒で完治するが、油断すれば五体満足ではいられない。攻撃方法がどうあれ、アレは自分の命を狩り取れるものだ。そう敵の実力を再確認し、さらに気を引き締める。

 

「シャァッ!!」

 

 ハサンがもう一度大剣を振るう。

 随分離れているというのに、それでも不可視の斬撃が燈也を襲った。

 

「クソが、しゃらくせェ!!」

 

 見えない以上、不可能ではないだろうが、避けることは困難。

 それならばいっそのこと喰らってしまえと、燈也は全身の筋肉を強ばらせる。

 魔力も通し、鉄より硬くなった体で、燈也は踏み込んだ。

 掌を握り拳に変え、荒ぶる稲妻をその拳に宿し、中段から突き上げる。

 

 対するハサンも、それを迎え撃たんと大剣を上段に構えた。

 青黒い炎を纏った一振が、生を両断するために振り下ろされる。

 

 

 二つのエネルギーが衝突する、その寸前。

 

 

「───そこまでだ」

 

 

 一つの声が、割って入った。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 勝てる。

 俺──佐久本燈也は、そう確信した。

 

 確かに目の前の髑髏野郎は強い。

 だが、俺はそれを越えた。

 

 俺が放とうとしているこの中段突きでは決着はつかないだろう。

 それでも、その後であれば。

 相手は大振りの一撃。放った後は必ず隙ができる。そこをつく。

 密かに聖句を唱え始める。知覚できない速度で、その生まれた隙をつき滅多打ち。さらに切り札たる聖槍もある。

 

 勝ちへの道筋が見え、そこから油断が生まれないように気を締めた。

 隙が生まれるかどうかは、この一撃を超えた先にある。油断して斬られては元も子もない。

 魔力を拳に集中させる。聖句を唱え始めたせいか、魔力の一部が雷に変質したが問題はない。

 

 絶対に勝つ。

 強い意志と共に繰り出した稲妻の鉄拳は、髑髏野郎にも、そいつが持つ大剣にも、届くことはなかった。

 

「───そこまでだ」

 

 声が聞こえる。

 それと同時に、俺の目の前には無数の、視界を覆い尽くすほどの花々が咲き乱れた。

 大剣と衝突するはずだった拳も空を切る。

 視界が埋められ、行き場を失った自分の拳すらも目視できなくなった。

 

「ッ、!?」

 

 突然現れた花を拳に纏った雷で払おうとするも、雷が出ない。

 いや...出てはいる。けど、出た瞬間から霧散し、それが花に変わっていっている。

 髑髏野郎の姿も見えなくなった。気配も、この花から溢れる魔力が邪魔をして上手く探れない。

 内心で舌打ちし、俺は一旦気配を消した。それでも「生の気配がした」とかなんとか言って髑髏野郎に位置を特定される恐れもあるため、常に移動し続けて奇襲を避ける。

 そして、こんなことをしでかした奴の名を叫んだ。

 

「どォいうつもりだ、マーリン!」

 

 髑髏野郎の攻撃を警戒し、そして相手を探しながら、この元凶だと考えられる夢魔も探す。

 勝負の邪魔は許さない。それが例え味方側の英霊であっても変わらない。

 

『キミたちの目的は、“希望”同士で潰し合うことではないはずだ』

 

 四方からマーリンの声が響く。

 声の出処が分からない。そこからマーリンの居場所を特定することは不可能だと諦めた。

 

『グランドアサシン。キミは藤丸くんのためにこの時代へ来た。ならば、断罪の為の剣はまだ抜く時ではない』

 

 これは幻覚なのか。

 そう考えたが、否定する。いくらマーリンといえど、たかが魔術でしかない幻術が俺をこう長く捉えられるはずもないからだ。

 

『そして佐久本燈也。キミは快楽主義の人でなしだ。強き者との戦いに目が眩んだんだろうけど...抑止力の意志とは別に顕現した今の彼は、冠位として万全とは言い難い。それを討ったとして何になる?』

 

 ...は?

 

 思考が一瞬だけ止まった。

 万全じゃない? 本気じゃないってことか?

 全力を出せない相手に勝って嬉しいのかと、そう問われた気がした。というかそういう意味だろう。

 その質問に答えるなら、答えはノーだ。いくら勝てばよかろうとは言えど、相手が本気でないなら意味は無い。全力の相手を踏み潰してこそ、勝利の甘美はあるのだから。

 

『分かったら、今は剣を収めなさい。戦う相手は別にいる』

 

 その声を最後に、色鮮やかな花々が霧散した。

 視界が戻り、そこにはボロボロになった市場の跡地がある。

 そしてその中に、白い魔術師の姿もあった。

 

「気は鎮まったかい? 燈也くん」

 

 張り付けたような笑顔で、マーリンが問うてくる。

 そんなマーリンを無視し、俺は軽く辺りの気配を探った。髑髏野郎の姿が見えないので、どこかに潜んでいるのではと勘繰ったからだ。

 

「ああ、彼ならばもういないよ。元々、彼にキミと戦う意思はなかった。多少頭に血が上っていたようだけれど、大人しく引いてくれた」

 

 テクテクと、マーリンは軽い足取りで近付いてくる。

 確かに気配はないが、相手は神出鬼没の暗殺者。俺が把握できていないだけで、まだいるかもしれないと思い、警戒だけは解かない。

 そうしながらも、俺はようやくマーリンへと目を向けた。

 

「...おい。さっきの話」

「万全とは言い難い、という部分かな?」

 

 近くまで来たマーリンが足を止め、俺の問いに答える。

 

「まあ、冠位の性質と言うべきか。グランドの資格を持つサーヴァントは、人類の滅びなどを救うために存在するモノなんだ。それは即ち、人類の危機にのみ力を振るうことが許された存在。でも今回、彼は個人の意思でこの時代に干渉してきた。そうするには、冠位としての資格を捨てなくてはならないんだ」

 

 冠位サーヴァント...カルデアの資料室でチラッと見たことはある。

 通常のサーヴァントよりも一つ上の器を持って顕現する、その時代最高峰の英雄たち。

 その資格を捨ててこの時代に来たというのなら、髑髏野郎の霊基は弱体化していた、ということになるのだろうか。

 

 ...クソが。

 前回苦戦した相手を追い詰めて、そのことに気分良くなっていた自分が馬鹿みたいだ。

 それどころか、弱体化した相手に手傷まで負わされた。これでは本調子のあいつと戦ったところで、前回と似たような結果になるだけだろう。

 実戦を重ねて強くなった気でいたが、そうではないのだと冷水をぶっかけられた。

 

「クソッタレ」

 

 吐き捨て、この場を去るために歩き出す。

 まだ足りない。もっと、もっと戦わなくては。

 戦線に出てもいいが、魔獣如きでは経験値として物足りない。やはり、冥界へ行く必要がある。

 

 神との戦闘を経て、強くなってやる。

 そう誓いのようなものを立て、俺はウルクの街を出ることにした。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「.....ふぅ」

 

 燈也が市場を去った後、マーリンはため息を漏らした。

 呆れではない。心労からくるため息だ。

 

「(いやぁ、危なかった)」

 

 立香たちが不倫事件を追っていると聞き慌てて逃げた先で、マーリンは先の戦場を目にした。

 ハサンと燈也。カルデアが勝利するために欠けてはならないピースが殺しあっていたのだ。焦らないはずがない。

 

 そしてもう一つ、マーリンが疲れた原因がある。

 

「バレなくて良かった、本当に」

 

 燈也についた一つの嘘だ。

 いや、嘘ではない。嘘ではないのだが、それでも燈也を騙したことに違いはない。

 

「(冠位の資格を捨てたところで、霊基は冠位のものとそう大差はない。つまり、山の翁は弱体化なんてしていない)」

 

 冠位の資格を捨てたことで、グランドアサシンとして万全でないと言えなくもない。今のハサンはただのアサシンクラスのサーヴァントなのだから。

 しかしそれでも、ハサンの強さは損ねられてなどいない。

 

 ではなぜ、マーリンは燈也を騙すような真似をしたのか。

 そんなもの、戦闘を辞めさせるために決まっている。

 

 燈也はマーリンの指摘通り、快楽主義者のきらいがある。

 そんな燈也が快楽を覚える瞬間は、強者との戦闘──ではない。

 その先にある、強者から勝利をもぎ取った瞬間だ。

 ならば、相手に勝利しても嬉しくない、という状況を作ることが燈也に戦闘を辞めさせる条件。

 

「(バレたら不死身の私も殺しそうだからなぁ、あの王様。あ〜、くわばらくわばら)」

 

 マーリンが予見する、この時代最大にして最後の敵。

 それを打倒するためには、カルデアだけでは全く足りない。

 少なくともハサンか燈也、そのどちらかは絶対に必要だとマーリンは考えていた。

 

 要するに、互いが互いの保険なのだ。

 もし片方が敵に通用しなくても、その場合はもう片方がどうにかする。

 最悪の展開としてどちらの攻撃も通じないことも考えられるが、そうなっても自分の本体と本気になった“英雄王”ギルガメッシュ、そしてハサンと燈也がいればどうにかなると思っている。

 

 冠位級が二基と、最強クラスのサーヴァント、そして神殺しの王。

 そこにカルデアも合わさってくる。

 これだけ揃ってどうにもならないなら、もう潔く諦めた方がいい。

 

「さて。それじゃあ私も──」

 

「いました! 先輩、容疑者マーリンさんがいました!」

「げ、何この惨状...」

「どうせマーリンが悪いです。マーリン、死すべし」

「フォウフォウ!!」

 

「──逃げるとしようか」

 

 その後、とっ捕まったマーリンはマシュに本気で怒られ、さらに市場崩壊の容疑者としてギルガメッシュの前に引きずり出された。

 消滅の危機にあって本気で焦ったと、余計なこと(人妻関連)はこの顕界中はもうしないと誓った。三日後には破られる誓いだった。

 

 

 

 

 




解釈合ってるか不安だな冠位。

どうでもいいですけど、久しぶりにFGO開いたらよく分かんないスキル追加されてたし、レベル上限上がってたしで混乱しちゃいました。とりあえず水着なぎこさん欲しいな。


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蝶の羽ばたきどころかジェット機の噴流のようなものでも変えられない調和もある

 

 

 

 

 

 

 

 燈也がウルクの街を出てから、早数日が経った。

 その間、ウルクでは大小様々な事件が巻き起こり、カルデアやリリアナたちが奔走、各事解決していったが、犠牲もあったという。

 特に大きな被害は、魔獣戦線における要であるレオニダスの敗退。

 燈也の留守を察知したキングゥがこれ幸いとウルクを攻め、堪え性のなかった魔獣たちの母が出張ってきたことが原因だ。

 

 偉大なる英雄の死を悲しむ暇もなく、生き残ったギルガメッシュのサーヴァントやマシュ以外のカルデア陣営サーヴァント、そしてリリアナたちは崩れ去った魔獣戦線の士気復活を。立香、マシュ、マーリン、アナはギルガメッシュの王命に従いクタの街へ天命の粘土板を探しに、各自役目を果たすべく行動していた。

 

 

 

「さて、小さな町とはいえ目的の粘土板を見つけるには少々広すぎる。幸い魔獣は入ってこないし、手分けして探すとしよう」

 

 数日かけてクタの街に到着したカルデア一向。

 人の気配はおろか、生き物の気配がない街の中心で、マーリンがそう提案した。

 

「あ、い、いえ。私は先輩のサーヴァントなので、先輩と離れるわけには...」

「大丈夫だよ、マシュ。時間も惜しいし、手分けしよう」

「で、ですが...」

 

 それでも心配だと割り切れないマシュに、マーリンは笑いかけた。

 

「なぁに、心配ない。藤丸くんにはコイツが付いている。見かけによらず、やる時はやる奴さ」

「フォウー!」

「こらこらキャスパリーグ。やる気は伝わったから、私をその肉球で叩くのはやめなさい」

 

 明らかな意志を持つフォウくんの行動に「やはりこの子は知性が...?」と訝しむ立香だったが、それはさておき。

 しぶしぶマシュが折れたため、立香、マシュ、マーリン、そしてアナは手分けして粘土板を捜索することとなった。

 

 とはいえ、街はそれなりに広い。

 四人で手分けをしたところで、そう簡単に見つかるものでもなかった。

 

「どこにあるんだろうなぁ、王様の粘土板」

「フォ、フフォウ」

 

 無人になった民家の釜の中や屋根裏など、一見絶対に無さそうな場所まで目を通す。あの王様に常識は通じない。

 と、傍若無人な賢王のことを思い浮かべていると、もう一人の、最近行方不明である傲岸不遜な修羅王のことを思い出した。

 

「あの燈也に限って神隠しに遭った〜、なんてことはないと思うけど」

「フォウフォ、フォフォウ(特別意訳:神殺しが神隠しに遭うとか、なにそれオモロい)」

 

 ゴルゴーンの襲来時、もしも燈也がいれば。そうすれば、レオニダスも死なずに済んだかもしれない。

 そういう思いも立香の中には確かにあるが、それは自分たちにも言えたことだ。というよりむしろ、立香は己への悔恨の念が強い。

 

 ゴルゴーン襲来当時、カルデアはギルガメッシュと共にペルシャ湾へ調査に赴いていた。

 王命で仕方がなかったとはいえ、ただの調査に、マシュ含め英霊を四人も連れていく必要はなかったと、強く後悔している。

 元々魔獣戦線への参加はギルガメッシュにより認められていなかったが、それでもウルクにスカサハ、ヘラクレス、沖田という特大戦力を残していれば、また結果は違っていたかもしれない。

 今回は前回のような惨劇を少しでも避けるため、スカサハら英霊をウルクへ置いてきた。

 

 

 そして燈也の事に関しては、何よりも心配が勝っていた。

 燈也が召喚した英霊曰く「「アレを心配するだけエネルギーの無駄」」らしいが、いくら強かろうと心配なものは心配だった。お人好しも過ぎれば不敬であり、突き抜ければ笑いが出てくると燈也や古代王らは語る。

 

 ここにはいない仲間であり友人だと思っている魔王のことを考えながら、立香は街を進む。粘土板は見つからない。さらに奥へ、奥へと歩を進め───

 

 気が付けば、薄暗い地下にいた。

 

「──.....へっ、?」

 

 ふと我に返る。

 自分は階段らしきものを降りた記憶もないのに、どうして地下なんかにいるのだろうか。そう疑問に思うと同時に、言いようのない寒気にも襲われていた。

 

「ここって.....」

 

 そも、民家の地下室とは思えない光景が広がっていた。

 冷たい岩肌に、遠くまで見通せない闇。寒々しさを感じさせる地下空間に、立香は恐れという感情を抱く。

 急いで帰らなければ。

 そう思い、振り返る。

 

「っ、うわぁ!!?」

 

 きっと階段があるはずだと思い振り返った先で、目と鼻の先に人がいた。

 しかも、ただの人とは思えない。生気を感じないのだ。

 驚き、後ずさる。が、後ろは崖となっていた。逃げ場がない。

 

『──なぜ、生者が冥界にいる...』

 

 呟くような、底冷えする声音。

 立香の爪先から頭までを見て、その生気を感じられないモノは呟いた。

 

「め、冥界!? ここが...!?」

 

 慌てて辺りを見渡してみれば、確かに全てから生気が感じられない。

 この世ならざる空間。そう呼ぶに相応しい場所だった。

 

『我らは殺された』

『尊厳もなく祈りもなく、ただ打ち棄てられた』

 

 最初は一体だけだったモノが、気が付けば数十、数百にも及ぶ郡になっている。

 これにはさすがの立香も恐怖した。当たり前だ。ゴーストなどならば見慣れたものだが、これはそういった類と似て非なるもの。冥界に蔓延る怨念だ。生者である立香は、本能から全てに恐怖してしまう。

 

『笑いに来たのか?』

『奪いに来たのか?』

『逃げて来たのか?』

『どれも許されない』

 

 ヌッと、生気無きモノの手が立香に伸びる。

 

『温かな息など、温かな肉など──』

 

 

「オラどけゴラァ!! 魔王様のお通りだ!!!」

 

 群の後方が吹き飛んだ。

 生気の感じられない空間で、やけに躍動的に吹き飛んだ。

 

「この声...!?」

「フォウ! フォフォウ!(特別意訳:魔王だ! 魔王が来たぞ!)」

 

 数百もいた生ならざるモノどもは、ものの数秒で半分以上が崖下に落ちて行った。

 その後も嵐は止まらない。大規模な魔術をぶつけるでもなく、一体一体を丁寧に、かつ高速に。殴り、蹴り、弾き飛ばしていく。

 十数秒もすれば、生ならざるモノの群は壊滅していた。

 

「チッ、ほんとにキリがねぇなこのゾンビども」

 

 転がっていた死体を足でどかし、嵐の正体──魔王、佐久本燈也は息をついた。

 

「燈也!!」

「あ? ああ、立香か...立香?」

 

 嬉しそうに燈也へ駆け寄る立香と、その立香の存在に疑問を抱く燈也。

 が、そんな彼らの再会を待つほど冥界の住人は温厚ではないらしい。

 

『許さぬ...許さぬ...』

『生ある者など不要』

『我らと共に...』

 

 つい先程燈也がなぎ飛ばした数とほぼ同等の死者たちが、虚ろな目を生者たる二人に向ける。

 燈也は舌打ちし、またも数秒で何百もの相手を下した。

 その様を見た立香は唖然とし、敵を薙ぎ払ったばかりの燈也へ問いかける。

 

「...え、っと...燈也。今までキミは何をしてたの?」

「あ? 何ってお前、戦ってたんだよ」

「ずっと冥界で...?」

「いや? 冥界に入ったのは昨日だな。入口見つけたまではいいんだが、あのゾンビどもの相手をしてるうちに一日経っちまった」

 

 心底ウザイ。

 そんな顔をして、燈也はギフトカードから取り出した水を飲む。

 その水を立香に投げ渡し、燈也は話を続ける。

 

「冥界に入る前はなんかめちゃくちゃデケェ牛っぽいツノ生やした山みてぇな奴と戦ってた。あれが噂にきく天の牡牛なのかもな。二日くらい戦い続けて、あとちょっとで倒せるって時に消えちまったけど。あれ、どっかに召喚された風だったけど、どこに召喚されたんだろうな」

「フォウ.....」

 

 呆れたような目を向ける小動物。

 小動物に呆れられる魔王とはこれ如何に、と思わなくもない燈也だったが、まぁいいかと流す。フォウのことは下等生物とは思っていないし、何なら同等レベルの扱いをしていた。本能で「こいつまじヤバくね?」と理解しているらしい。いつか戦ってみたいとは思うが見た目小動物と戦いたがる魔王もどうよ、というのが小さな悩みだとかなんとか。

 

「冥界には何か用事があって?」

 

 こっちもこっちで大変だったけど、あっちはあっちで大変だったんだなぁ。そう軽く思った立香は、水を一口飲んだ後にそう問う。

 

「ああ。ちょっくら女神と戦いにな」

「女神、って...冥界にも女神がいるの!?」

「なんだ、知らなかったか? 三女神同盟とかいうやつの一柱らしいぞ。古代バビロニア、メソポタミア神話の冥界の女神っつったら、まぁエレシュキガルだろうな」

 

 立香にとって衝撃の事実を次々打ち込んでいく燈也。

 今まで三女神同盟だと思っていたゴルゴーン、南米の女神、そしてイシュタル。その他にさらに一柱追加されてしまい、何が正しいのか分からなくなってしまっていた。

 

「そんで? お前はなんでまた冥界なんかにいるんだよ」

 

 少し考え込んでしまっていたところに、次は燈也が質問した。

 立香は一度思考を切り、燈也の質問に答える。

 

「俺は...正直に言うと、よく分からない。クタの街で天命の粘土板を探してたんだけど、気付いたらここに...」

「フォウ!」

 

 同意するようにフォウも声をあげる。

 

「なんだそりゃ。俺があれだけ探してようやく見つけた冥界に偶然入れたとか」

 

 生まれてこの方絶対的な信用をおいてきた自分の直感を疑いたくなりそうだ、と燈也は呆れる。

 

「ん? じゃあお前、帰り方も分かんねぇの?」

「うん、まぁ、恥ずかしながら」

 

 地殻に縦穴を開けて冥界入りした燈也と違い、立香は空間の捻れのようなもので冥界にきた。立香単独で帰ることはできない。

 

「俺の開けた穴はちと遠いしな...普段なら俺の戦車でひとっ飛びなんだが、今は使えねぇし」

「使えない?」

「ああ。冥界に入ってから、権能が使えなくなった。魔術もだ。まぁ使えないこともないんだが...」

 

 言って、燈也は手のひらにバスケットボールサイズの火の玉を出す。

 

「これだけの火球を出すのに、ウルク一つ焼き払えるくらいの魔力が必要なんだ」

「サラッととんでもない魔力出してきたな...」

 

 やはり規格外な魔王に、さすがの立香も引く。

 そして魔術がほとんど使えないのに冥界で一日戦い続けて無事な魔王に、さらにドン引きした。

 

「つーわけで、どうするよ立香。ちと時間はかかるが、俺の入ってきた穴から地上に出るか?」

「.......」

 

 立香は悩む。

 地上ではきっと、マシュたちが心配しているだろう。それを考えると、少しでも早く戻るべきだ。

 

「...ちなみに、その穴までどのくらいかかりそう?」

「そうだな...まっすぐ向かえば、まぁ半日ちょいってところか」

 

 問題はこれだ。

 穴まで戻るということは、立香が地上に上がったあと、燈也はまた同じ道を通って女神と戦いに行く。そうなると、燈也という大戦力が地上に戻るのが、一日程度遅れてしまうことを意味する。

 それは避けたい、と立香は考えた。

 女神ゴルゴーンが再びウルクを襲うまで、あとどれくらいか分からない(・ ・ ・ ・ ・)。準備が整い次第再び攻めるとエルキドゥ...もとい、キングゥが宣言したらしいが、それがいつになるのかまでは明言されなかったらしい。

 燈也の冥界下りがどの程度の時間を要するかは想像できないが、一日、いや一時間でも早く帰ってきてほしいのが立香の思いだった。

 

 地上に戻り仲間に無事を知らせるか、それとも燈也が地上へ戻る時間を早めるために行動すべきか。

 前者を選べば、燈也の帰りが遅くなる。

 後者を選べば、カルデア側に心配をかけるだけでなく、クタで待つマシュ、マーリン、アナが、自分を見つけるまでウルクに戻らないかもしれない。

 二つに一つ。どちらが最善かを必死で考える。

 

「ああ。リリアナとかにならパスが繋がってっから、俺から一方的な念話ができるぞ。こっちからは送信できても、あっちからのは受信できないやつ」

「よぅし、冥界下りへ出発だー!」

 

 憂いを無くした立香は、冥界遠征を楽しむ方向に切り替えたという。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 場所は変わり、ウルク北壁。

 女神ゴルゴーンの侵攻で半壊した壁を背に、リリアナはウルクの兵士たちの指揮をしていた。

 

「いやぁ、リリィちゃんは筋が良いですね。教えたことをすぐに吸収していく。すでに軍略Cくらいはあるでしょう。まあ? 私の教え方が上手いこともありますけど?」

「自意識過剰乙」

「事実ですしおすし」

 

 リリアナの指導者として壁の上から戦況を見渡していた景虎と信長は、いつも通りのやり取りをする。

 

 この二人とリリアナを合わせた三人は、先日のゴルゴーン侵攻の際の最功労者だ。

 突然戦場に現れたキングゥを、景虎が大怪我を負いながらも単騎で抑え。そして対ゴルゴーンをリリアナと信長が務めた。

 カルデアの一行はギルガメッシュと共にペルシャ湾へ調査に出向いており、マーリンとアナも別の王命があったために戦場には不在。牛若丸と弁慶は非番だったために戦場へ来るのが遅れた。

 

 ゴルゴーン戦にはレオニダスも加勢したが、女神の魔眼からウルクの街を守り、消滅。

 この一件、レオニダスの敗退を、リリアナは「自分の力不足故の失態」と捉えたらしい。気にするなと景虎も信長も声をかけたが、生真面目なリリアナは今までに増して奮闘するようになった。

 

 故に、リリアナはレオニダスの分まで戦場で働くようになったのだ。

 

 

 

「「────!」」

 

 

 もはや教えることの少なくなってきたリリアナの采配を眺めている彼女らの脳内に、とある声が響く。

 

『冥界で立香拾った。とりま立香と一緒に冥界の神ぶん殴ってくるから、あとよろしく。カルデア側にも伝えといてくれ。クタってとこにマシュとかもいるから、そっちもな』

 

「こ、こやつ、脳内に直接...!」

「念話の類ですかね...? 予兆とか全然ないですし、その割に妙に強い魔力使って送られてきましたし...心臓に悪い」

「というか、しばらく連絡もないと思ったら、マスターのやつ冥界におるのか。死んだのかの」

「あの化け物は殺しても死なないでしょう」

 

 数日ぶりの主からの生存報告に、軽い様子で対応する二人。

 アレは何があっても、仮に死んでも死なない。そういう、ある種の信頼にも似た確信を持っているが故の反応だ。

 

「さて。それでは私は藤丸くんの件をスカサハさんにでも報告してきますよ」

 

 そう言い、景虎は北壁の上から飛び降りる。

 スカサハは現在リリアナの指揮下にあり、ちょうど休憩中のはずだ。本人は「休息などいらん。戦わせろ」と煩かったらしいが、さすがに半日ぶっ通しで戦い続けたら疲労も溜まっているだろうからと、リリアナに半ば強制的に下げられていた。

 

「スカサハさん」

「東方の軍神か。お前も戦いに参加しに来たのか?」

「いえ、私はまだ先日の傷が癒えていないので。リリィちゃんからも今は休むように言われています」

「ふむ...どう思う? 軍神よ。我が不肖の弟子は、些か慎重...いや、臆病になりすぎてはいまいか」

 

 不服そうに、スカサハは前線で指揮を執るリリアナを見る。

 それに苦笑しながら、景虎は言葉を返した。

 

「臆病なのは良いことですよ。そういう者が最後まで生き残り、偉大な功績を遺すものです」

「そうか...あいや、そういうものだな。無謀な勇気は死を招く。どれだけの猛者であれど、引き際を知らぬ者は早死しやすい」

「ええ。ですから私も、そして貴女も。今はきちんと休むべきです。魔獣たちの母との決戦へ、万全の状態で望むためにも」

 

 まぁ、一番休んで欲しい少女が中々休んでくれないことが、景虎の悩みでもあるのだが。

 

「ああ、それはそうとスカサハさん。貴女に、我が主から言伝を頼まれていまして」

「何? あの神殺し、ウルクへ戻ってきておるのか?」

「あ、いえ。念話っぽいものが飛んできただけで、本人はウルクにはいないです。今は冥界にいるとかなんとか」

「相変わらず自由よな、彼奴は。カルデアにいた頃も、勝手に微小特異点に赴き、自分都合で特異点を肥大化させていたものだ。藤丸や、ドクターロマンとかいうカルデア最高責任者も頭を抱えていたぞ」

「あはは...いやはや、我らが預かり知らぬ頃の話とはいえ、マスターがご迷惑をお掛けしました」

「まあ、一緒になってサンタアイランドでサンタ狩りをした儂も儂だが」

「私の謝罪を返してください」

 

 違うそんな話をしにきたんじゃない。

 ふと本題を忘れそうになった景虎は、息を一つ吐いて本題を出す。

 

「マスター曰く、藤丸くんは今、マスターと共に冥界にいるそうです。そのことをクタにいるマシュさんたちにも伝えてほしい、と」

「...なに? 藤丸も冥界にいるだと?」

「はい。まぁ、死んでしまったわけではないでしょう。スカサハさんたち、藤丸くんのサーヴァントが今も尚現界しているのですから」

「.....いや、仮に藤丸が死んだとしても、儂らサーヴァントは現界し続けることが可能だ。直接的な魔力供給はカルデアから来ているからな。だから儂らの存在では藤丸の生死を判断できん」

「なんと。ははぁ...いや確かに、藤丸くんは普通の人間ですものね。我らがマスターと違い、複数の英霊を使役するには魔力が足りていない」

 

 深刻そうに眉にシワを寄せるスカサハだが、それとは対照的に、景虎は特になんの心配もしていなさそうに語る。

 

「ですがまぁ、大丈夫でしょう」

「? 一体何を根拠に...」

「マスターが一緒なのです。もし死んでいたとしても、マスターがどうにかしてくれますよ。冥界の神を殴りに行くとか言ってましたし、脅して藤丸くんを生き返らせる、くらいのことはやらかしてくれるんじゃないですかね?」

 

 あっけらかんと言ってのける景虎に、さすがのスカサハも数瞬押し黙る。

 確かに佐久本燈也という存在は規格外に過ぎるが、それはさすがに盲信しすぎではないかと疑った。

 

 だがしかし、立香が死んでいようといまいと、それをどうこうできるのは今同行している燈也のみ。

 どの道、立香の件は燈也に任せるしか手はないと割り切り、スカサハは立ち上がる。

 

「我らが敵は異形の女神だが、はてさて。どちらが怪物なのかは議論が必要なところだな」

「怪物具合でしたらマスターの圧勝でしょう。ゴルゴーンくらいなら余裕で倒せますよ、多分」

「ははっ、まったく。恐ろしい男だ」

 

 軽口とはいえ、影の国の女王に「恐ろしい」と言わしめる魔王は、やはりこの時代のどんな存在よりも怪物なのだろう。

 

「さて...リリアナ!!」

 

 よく通る声を大にして、スカサハはリリアナを呼んだ。

 戦場の中でも、これだけの大声はリリアナの耳によく届く。

 

「? なんですかお師匠様。貴女を出すのはまだ先だと先程から...」

「いいや、儂は一度ウルクを離れ、クタに向かう。儂抜きでも問題ないな?」

「え? ...ああ、先程の佐久本燈也からの伝言ですか。ええ、大英雄ヘラクレスや沖田総司もいるので、魔獣程度であれば問題はないかと」

「良し。では、何があっても儂らが帰るまで持ち堪えよ。いいな?」

 

 そう言い残し、スカサハはクタに向けて疾走し始める。

 みるみる間に小さくなっていく師の背を見送ったあと、リリアナは再び戦線へ視線を戻した。

 

「何があっても持ち堪えよ、か」

 

 簡単に言ってくれる。

 もし再びゴルゴーンが現れたら、彼女らでは決定打に欠ける。加えて、魔獣の数も、今の何倍にも膨れ上がっていることだろう。

 

 そもそも、ゴルゴーンとはメデューサ、ステンノ、エウリュアレという三姉妹の総称だ。

 であれば、以前現れたゴルゴーンとは別に、あと二柱の《怪物ゴルゴーン》がいる可能性もある。

 

「(先日攻めてきたゴルゴーンは邪眼を使っていた。であれば、アレは末の妹メドューサ。それならば、確率は低かろうと、理論上倒すことも可能だろうが...)」

 

 問題はもう二柱。

 ゴルゴーン三姉妹のうち、もっとも有名なのはメドューサだろう。しかしそれは、とある英雄によって『倒されたから』有名になったようなものだ。

 そして、残った二柱。ステンノとエウリュアレは、不死とされている。

 故に彼女らは討伐されず、可死のメドューサだけが殺された。

 

「(魔眼だけでも厄介なのに、そのうえ不死の神が二柱...佐久本燈也がいても、同時に攻めてこられては死傷者無しの勝利とはいかないだろう)」

 

 まぁ、それは最悪の場合だが。

 リリアナの予想する最悪の場合、女神三柱に加えて、キングゥという強敵を相手にすることになる。そうなると、燈也抜きではまず勝てず、燈也がいれば勝てるだろうが全員無事かどうかは怪しい、というのがリリアナの見解だ。

 

 しかし、そうならない可能性だってもちろんある。

 例えば、「ゴルゴーン三姉妹が一つの神性として看做され、一つの器に収まっている」という場合。

 その場合、確かにゴルゴーンは強敵かもしれないが、神話上で『打倒可能』と証明されているメドューサも含まれている以上、倒せる可能性も生まれてくる。

 それならば燈也抜きでも足留め程度ならどうにかなるし、燈也がくれば勝ちが見えてくるだろう。

 

「(それに、ゴルゴーンが三つの神性を持つ一柱の神なのだとしたら、ヘラクレスがいれば対応できるだろう)」

 

 一説によると、ゴルゴーンはギガントマキアの際に、ギガンテスの味方としてガイアにより生み出されたとされている。

 そのギガントマキアの際に、神々が殺せなかったギガンテスを殺したのが最強の英雄たるヘラクレスだ。

 ヘラクレスがゴルゴーンを討伐した、という話は聞かないが、ギガンテスを殺した神話を持つヘラクレスならばどうにかできるかもしれない。

 

「...可能性を模索するのは良いが、考えすぎて今を蔑ろにしては本末転倒だな」

 

 あらゆる事態に対応するためには、思考を止めてはいけない。

 だがそれ以前に、現状を維持、または改善できなければ、そもそも未来の話など考えても意味が無い。

 

 今やれることを精一杯果たそう。

 改めて意志を固め、リリアナはウルク兵へ次の指示を飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔王の冥界下り

 

 

 

 

 

 

 

「立香。お前、『イシュタルの冥界下り』って知ってるか」

「? いや、ごめん。正直神話とかあんまり...」

 

 イシュタルの冥界下り。

 メソポタミア神話があまり知られていない日本で育った立香には馴染みのない話だ。

 

「まぁ要約すると、イシュタルが冥界に挑んで、ボロっカスに返り討ちに遭う話だ」

 

 いつか見たギルガメシュ叙事詩を思い出し、テキトーに立香へ説明する燈也。

 立香もまた、ふーん、と半ばテキトーに聞く。

 

「まぁ今はあんなでも、当時のイシュタルは強力な神性だった。それがボロ負けした理由。冥界の支配者エレシュキガルがそれを上回る存在だった、ってわけじゃない。理由は七つの門だ」

「七つの門」

「ああ。冥界の最深部に行くまでに、七つの門を通らなければいけない。ただその門な、関税がかかるんだ」

「関税」

「イシュタルの場合、装備や権能をひっぺがされた」

 

 如何に強力な神として君臨していようと、その強さの源を奪われては赤子も同然。こと冥界において、冥界の絶対的君主であるエレシュキガルの前には、如何なる神であっても無力に等しかった。

 

「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。そういう教えが記された話なわけだ」

「それはちょっと違う気がするなぁ」

 

 まぁとにかく、と燈也は区切る。

 

「神なんぞ踏み潰してナンボな俺でも、このルールには従わざるを得ない。ルールごと壊そうかとも思ったが、冥界に入った瞬間権能を封じられた。このルールだけはどうにもならないらしい」

「なるほど」

「そこで、だ」

 

 燈也は目の前に聳える建築物を見上げる。

 

「何を捨てればこの門は開くんだろうな」

「そんなの俺が知ってるわけないじゃないか」

 

 燈也と立香は、第一の門にて立ち往生していた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 堅牢な門の前に佇むこと数十分。

 何度か燈也が全力で門を壊そうと試みたが、結果は傷一つ付けられないというものだった。

 ならばやはり神話になぞって進むしかないとなったまでは良かったのだが、ここには神話とは違って門番がいない。なので、何を払えば門を通過できるのか、という話になった。

 

 一つ目の門でイシュタルが取り上げられたのは王冠だった。

 しかし、燈也も立香も、王冠なんぞ被ってはいない。ならば帽子ならどうだと、燈也が昔し〇むらで購入した帽子をギフトカードから取り出してその辺に捨ててみるも、門はうんともすんとも言わない。

 

「普段身に付けてるものじゃないといけないんじゃない?」

「ふむ...なら装飾品繋がりで、この指輪なんてどうだ」

「あれ? 燈也、指輪なんかしてたっけ?」

「最近付けたんだ。メリケンサックの代わりになると思って」

「だったら普通にメリケンサック投影しなよ」

 

 まぁ、燈也の指輪には魔力を蓄積する効果もある。

 短期間しか装着されていないとはいえ、カンピオーネの魔力を蓄積した指輪はそんじょそこらの魔石を上回る。

 価値にして、現代魔術師が数千万円程度なら払うレベルの指輪を、門の前に投げ捨てた。

 

 しかし、門は開かない。

 

「じゃあ燈也の権能とか」

「バカ言うな。貴重な権能を捨てるほどの余裕はねぇよ。つーか仮に捨てるとしてどうやるのこれ。そうだな...俺の権能より、生贄って方が神への税っぽくないか。つーことでフォウ」

「フォ!?!? フォウ! フォォウフォウフォウ! フォウフォフォウ!!」

「あ? んだとこの野郎やるか?」(動物会話A取得済)

「二人とも落ち着いて...あとフォウくんを捧げるのは却下」

「まぁ俺も別に本気じゃねぇよ、半分くらいは。そうだな...権能は無理だが、そのガソリン材ならいけるか?」

 

 試しに大量の魔力を無意味に放出して、魔力を捨てたと言えなくもない状況を作り出してみるも、やはり門は開かない。

 

「ちっ、なら服はどうだ」

 

 バッ、とヤケクソ気味に、燈也は上着を脱ぎ捨てる。

 普段から筋トレをしている立香よりも優れた筋肉を持ち、男である立香ですら美しいと思える上裸の姿が晒された。

 

 それでも、門は開かない。

 

『ちょっ──!?』

 

 ──が、門は声を発した。

 

「おい、今こいつ喋ったぞ。服だ。服捨てれば先に進めるんじゃないか?」

「えぇ〜? ほんとでござるかぁ〜?」

「うるせぇいいから脱げ」

「フフォウ...」

 

 燈也の瞳が紅く染め上がり、かと思ったら立香の上着は燈也の手に握られていた。

 何をされたか分からない。超スピードとか、そんなチャチなもんじゃあない...! と軽く立香は戦慄する。

 

 立香の身体も、一般的な青年から比べると非常によく鍛えられている。

 腹筋は割れ、所々残った傷痕が男らしさを引き出す要因となっていた。

 

『ぇ、うえぇ!??』

 

 かくして、第一の門は開かれた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 第一の門辺りから死人が湧いてこなくなったこともあり、門を抜けてからは燈也が立香とフォウを小脇に抱えて疾走していた。

 魔術による身体強化もほとんど使えないとはいえ、燈也の身体は人類最高峰の英雄さえ凌駕する身体能力を誇る。人一人獣一匹抱えていても、自動車並のスピードは出せる。

 

 程なくして、燈也たちは第二の門に辿り着いた。

 

「第二の門の税は確か耳飾りだったな。まぁ服でいいだろ」

「服って言っても、もうズボンくらいしか残ってないけど」

 

 立香にはズボンのほかにマフラーもあるが、これを取ったら魔力過多で立香は生命活動を維持できなくなる。

 それはできないため、立香が払える対価はズボンくらいしかなかった。あとは靴くらいだろうか。

 

「全裸でも構うか。どうせ誰も見てないんだぞ」

「それでも人間としての羞恥心くらいはあるよ? 俺は」

「俺に羞恥心がないみたいな言い方するじゃねぇか」

「あるの?」

「仮に人目があったとしても見られて困る体じゃねぇし、全裸になることに羞恥心はない」

「これだから王は...」

 

 以前、カルデアにて真っ裸でワインを煽っていたギルガメッシュを立香は思い出す。

 恥じる部分などない、至宝の肉体美だといいのける全裸王は、物理的に輝いていた。主にどこが、とは言わないが。

 上裸でさえ恥ずかしいと思う現代日本男児な立香とは違い、燈也は遠慮なくズボンに手をかけ───

 

『ま、待つのだわ!!』

 

 門に止められた。

 

「やっぱり喋るぞこの門。意思があるのか? 門そのものが門番ってことか?」

 

 無機物であるはずの門が喋ることに対しては大した驚きをみせることなく、燈也はズボンから手を離す。

 それに安堵の息を漏らした門は、言葉を続けた。

 

『露出狂? もしかして露出狂なの?』

「あ? 別に好きで脱ぐわけじゃねぇよ。ただ税として服を脱ごうとしただけで。理由もなく露出して興奮する類の変態と一緒にするな」

「傲慢な王は誰も彼も...」

「フフォウ...」

 

 そういえばオジマンディアスもマントを羽織っていただけで、基本は上裸だなぁ、と立香は古代王を思い出した。

 絶対的な力を持つには、何か人として大切なものを捨てなければいけないのかもしれない。「何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない」という言葉を体現しているのは神話ではなく王たちだ。

 

『ちょっと目を離した隙にとんでもないやつが入ってきたのだわ...』

 

 門なのに頭を抱える姿が見えた、と立香は語った。

 門はコホンと咳払いする。

 

『第一の門はびっくりして開けちゃったけど、次はそうはいかないわ。この門は、魂の善悪を問う、公正にして理性の門』

「人の上裸みて焦った声出したのに理性とか」

「燈也、しっ!」

 

 魔王の口を塞ぎ、門に続きを促す立香は、やはり勇気ある者なのかもしれない。

 

『本来であれば、生者として冥界に堕ちてきた時点で、アナタたちを冥界の底に落としています。ですが七門の試練を受けるというのであれば、その答えを見定めるのが冥界の決まり』

「七門っつっても、もう一つ目は服脱いでクリアしちまったけどな」

「燈也、ステイ!」

「フォウ!」

 

 フォウを燈也の口付近に押し当て塞いだ。

 フォウも燈也も不服そうな顔をするが、話が進まないと立香は無視する。

 

『七門では問答を行います。第一の門は...まぁ突破してしまったのだからよいでしょう。ここからが本当の七門です。それでは、コホン.....こーたーえーよー』

「ふぁんふぁふぉいふ(なんだこいつ)」

「フォフォウ...(特別意訳:これだから神は...)」

 

『財の分配は流動なれど、相応の持ち主は一人なり。地にありし富、その保管は持ち主に委ねるべし。であれば、相応の持ち主とは──』

「俺」

『二択である。財を預けるのに相応しいのは、天の神イシュタルか、地の神エレシュキガルか。どちらなりや?』

「俺」

『二択である』

 

 フォウを退かし燈也が回答するも、どうやら違うらしい。

 ギルガメッシュと似て非なる王の感覚。ギルガメッシュが「この世の財は全て我のもの」とジャイアニズムを謳うのに対し、燈也は「俺以外にも財の持ち主はいるが、勝者全取りが真理。つまり勝って奪えばよかろうなのだ」とプレデター的思想を持つ。

 

 しかしまぁ、二択に絞られてしまえば二択で答えるほかない。燈也の思想的には真の持ち主とやらに勝利して奪えば自分が真の持ち主なのだから、自分の前の持ち主が誰であろうと構わない。

 

 話が逸れた。

 

 燈也は先程の問いを思い出し、ふむと考える仕草を取る。

 

「地にありし富、か。なら、答えは地の神、エレシュキガル」

『よーろーしーいー』

 

 まるでクイズ番組のような正解音が響いたあと、門が開かれる。

 それを悠々と潜ったのち、燈也は呟いた。

 

「おい。まさかとは思ってたがこの七つの試練、チョロいぞ」

「思った」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 その後、残る五つの門を、燈也たちは無事に突破した。

 どれもこれもがイシュタルとエレシュキガルの二択。しかも問いの前置きであからさまエレシュキガルの方が良いと言っているため、途中からは何も考えずエレシュキガルを選び続けていたらサラッと最深部まで辿り着くことができた。

 

「なんだ? エレシュキガルってそんなにイシュタルに対抗意識燃やす神だったか?」

「なんか分かんないけど、『あいつだけには絶対に負けられない』っていう意志を感じたよね...」

 

 燈也が冥界入りしてから最初の門に辿り着くまでに一日以上かかったが、第一の門からここまではほんの一時間程度しか経っていない。

 道中死人どもが湧いてくることもなく、燈也は十分な休息を取れていた。まぁ、もともと疲労など微々たるものだったが。

 

 だが、本当に厳しいのはここからだ。

 燈也の権能は封じられたまま、魔術も効率が最悪すぎて多用はできない。立香に至っては神霊と戦う力を持っていない。

 

「あ! あそこ、何が広場みたいになってる!」

 

 七つ目の門を越えてすぐ、立香が少し先の広場を指さした。

 確かに、今までの通路とは違い、多少は整備された空間だ。見方によっては祭壇と言えなくもないが、神の御所にしては質素すぎる気もする。

 

「...気ぃ締めろ、立香。来るぞ」

 

 風が吹く。

 酷く冷たく、そして荒々しい魔風。

 

『七つの試練を乗り越え、よくぞ辿り着いた』

 

 魔風の中心に、巨大な影が生まれた。

 やがて風が収束し、形作る。

 約十メートルほどの全長。

 カルデアが巨大エネミー《ガルラ霊》と呼称するそれに酷似している。

 

 その姿を視認した瞬間、立香は膝を着いた。

 急激な気圧、そして気温の低下。生命活動の限界に近い環境に晒される。

 そして何より、噎せ返るほどの濃厚な“死”。恐怖を越えた絶対の摂理。

 絶望とでも呼ぶべき感覚が立香を襲う。

 

 一方、燈也はといえば。

 

「──らァ!!」

『GYAaAAaaAAA!!??』

 

 とりあえず飛び蹴りをかました。

 

「フォウ!?」

 

 フォウが思わず声を出すような、鮮やかな飛び蹴り。

 エレシュキガルは綺麗に吹き飛んだ。

 

 ふわりと着地し、燈也は吹き飛んだエレシュキガルへと手招きのような仕草をする。

 

「おら、立てよ冥界の女神。その程度で倒れてんじゃねぇぞ」

 

 なんだこいつ。

 立香とフォウは何度目になるかも分からない呆れを抱いた。

 

 

 * * * * *

 

 

 エレシュキガルは困惑していた。

 

「(え、なに? なんなのだわ? どうして私、倒れているの?)」

 

 とりあえず威厳を込めた登場と会話を、と意気込んで巨大なガラル霊の姿をとったら、気付いたら吹き飛ばされていた。

 頬が痛むことに気付き、攻撃されたのだと理解する。

 この冥界で、主人たる自分が知覚できない攻撃。なんだそれは?

 混乱しているためか、立ち上がらないエレシュキガルに、男の声が降り注ぐ。

 

「おら、立てよ冥界の女神。その程度で倒れてんじゃねぇぞ」

 

 挑発するような言い草と仕草。

 その不敬極まりない男を、エレシュキガルは知っている。

 死の王国である冥界に無断で入り込んできた生者。神殺しを名乗る不遜な変質者。

 

『佐久本、燈也...!』

 

 男の名を叫び、エレシュキガルは立ち上がる。

 人類最後の希望、カルデアのマスターに興味があって殺さずにいておけば、その付属物が想像を絶する不敬者だった。

 憤慨し、槍を召喚する。

 

『汝が不敬、死すらも生温い。深淵へと叩き落とし、その存在を消し去ってくれる!』

「やってみろ、引きこもりの女神風情が」

 

 片や、怒りを抱え。

 片や、享楽に殉じ。

 思いの篭った槍と拳が交差する。

 

 

 * * * * *

 

 

 藤丸立香は逃げていた。

 それはもう、全身全霊で逃げていた。

 

「無理無理無理無理無理!!!」

 

 叫ぶ立香の背後で、何度目になるか分からない爆発が起きる。

 その余波に飛ばされ、立香は転倒した。が、すぐに立ち上がってまた走る。

 

 燈也が神と戦う姿を見るのは、これで二度目だ。

 だが、以前とは違う。以前──女神ロンゴミニアドと戦った時は、反撃の余地すら与えない一方的な展開となっていた。

 しかし今回は、拮抗しているように見える。

 

 赤雷を纏った光の槍と、ただの拳がぶつかり合い、地を抉る衝撃波が生まれる。

 冥界の女主人が持つ武器が脆弱なのか、燈也がイカれているのか。明らかに後者だと判断しつつ、立香は必死に走る。

 

「フォウ! フォウフフォー!!!」

 

 立香の肩でフォウが叫んだ。

 再度、衝撃波が立香の背中を押す。

 

 距離にして百メートルと少し。

 ようやく体が浮くような暴風圏から抜け出した立香が振り返る。

 

 立香の目線の先で繰り広げられる魔王と女神の戦いは、確かに拮抗していた。

 

 

「ダラァ!!」

 

 気合一閃。燈也の拳が槍の穂先を捉え、赤雷が散る。

 四方に霧散しかける赤雷を燈也が集め、それで得た魔力を使い傷付いた体を癒す。

 これではエレシュキガルの魔力切れが先に訪れそうなものだが、長年槍檻に溜め込んできた魔力を解放しており、魔力切れの心配はほぼない。

 そして解放された魔力で再び光の槍を振るい、燈也がそれを拳で打ち砕き、赤雷から魔力を徴収する。

 先程からこれの繰り返しだ。

 

『なんなの!? なんなのだわ!? 貴方どうして、雷を浴びても無事なわけ!?』

「魔王だからな!!」

『ワケわかんないのだわ!!』

 

 正確には無事ではない。が、効きにくいことは事実。

 燈也の権能が完全には封じられていないことが原因だと考えられるが、エレシュキガルはそんなものを知るはずもなく。

 電撃がダメなのならばと、次の手を打つ。

 

 鐘を鳴らす。地の底から恐竜の骨のような形をしたモノが燈也に喰らいつくも躱され、燈也の繰り出す掌打連撃に耐えきれず消滅した。

 槍を地へ突き刺す。地の神たるエレシュキガルの名に従い、石柱のようなものが地面から生え燈也に襲いかかるも、蹴りの一つで砕け散る。

 

 常識を逸した人間に、エレシュキガルは恐怖すら覚えた。

 

「(っ、ダメ、ダメよ私。メソポタミアを救うためにも──こんなところで負けてはいられないのだわ!)」

 

 出力を高め、槍を振るう。

 

『押し潰してやろう!』

 

 石柱の数を増やし、鐘を鳴らして恐竜の骨を数体召喚する。

 普段であれば難なく防げる攻撃だが、今の燈也は全力には程遠い。

 砕き、いなし、躱す。しかし徐々に、エレシュキガルの手数が上回ってきた。

 

「っ、チッ」

 

 捌ききれなくなった石柱が燈也の体を打つ。そこに恐竜骨が襲いかかり、強靭な顎が燈也を捉えた。

 

「こなくそ...!」

 

 何とか防ごうと手を前に出すも、力及ばず。

 潰されることだけは免れるも、恐竜骨の上顎を抑えた両腕は耐えきれずに損傷した。

 蹴りで下顎を砕き圧殺を逃れるも、両腕はもう使い物にならない。

 普段の燈也であれば数十秒で完治するはずだが、今はそうはいかない。

 カンピオーネの中でも異常と言わざるを得ない燈也の回復力の源は、《生命なる混沌の海》によるもの。不死性の延長線だ。これが今十全に発動していないため、普段のようなバカげた回復力はない。

 

 両腕を失うことは、掌打を繰り出す燈也にとって戦力の大幅な減退を意味する。

 だがその程度、燈也は気にしない。

 

「やってくれたなァ!」

 

 飛び出し、エレシュキガルに接敵する。

 歩法や気配遮断を用い、エレシュキガルからはまるで瞬間移動でもしたかのように見えた。

 

 反応する間もなく、エレシュキガルの頭部に蹴りが入る。

 巨体が吹き飛び、祭壇に新たな疵が刻まれた。

 

 

 怖い。痛い。

 戦闘などほとんどしてこなかったエレシュキガルは、手負いでも気圧されることなく突っ込んでくる燈也に、逆に気圧された。

 だが、負けられない。こんなところで終われない。

 怖くても、痛くても。己の使命を全うするために。

 

『っ、』

 

 痛みを堪え、立ち上がり。

 

『.....するな...』

 

 槍檻の魔力を解放し、叫ぶ。

 

『私の──エレシュキガルの初めての意志、最後の願い...邪魔だてするするな、人間風情が──.....ッ!』

 

 輝きを増す槍を、高らかに掲げ。

 

『私は作る! どの世界にも負けない、死の国を!!!』

 

 振り下ろす。

 

『ナム・アブズ・グガルアンナ!!』

 

 赤き雷光が、昏い冥界を照らした。

 今までとは比にもならない極大エネルギーが迸る。

 

 

 明らかに宝具級の一撃。

 神霊の宝具はまずい。さすがの燈也でも危ないと、立香は声を上げる。

 だが人間の声量など、地殻すら変貌させる超威力の前には届きなどしない。

 

 槍の穂先から射出された雷光は揺らぐことなく、燈也を飲み込む。

 爆風が巻き、岩埃が舞った。

 地殻ごと吹き飛ばす威力を前に、十分な距離を取っていたはずの立香でさえ、雷の放つ熱に焼かれながら十メートル近くも飛ばされた。

 これでは人間どころか、そこらの幻想種ですら生き残れない。

 

 

 だが、相手は魔王だ。

 

 

「──は、学べよ女神」

 

『な、!?』

 

 勝ったと思った。骨すら残らないと思った。

 あとは無力なカルデアのマスターを処理するだけ。そう、思っていたのに。

 

 エレシュキガルは失敗したのだ。

 自身の最大出力とはいえ、今まで効いていなかった雷に頼ってしまったこと?

 否。エレシュキガル最大の失敗は──

 

「ひれ伏せ、女神風情が」

 

 ──魔王と正面から戦ってしまったことだ。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 燈也の蹴りがエレシュキガルの脳天を打ち、戦いに決着が着いてからしばらく経った。

 余波で飛ばされた立香は頭を打ち気絶。命に別状はなさそうなので、そのまま放置している。フォウはその付き添いだ。

 砕けた両腕に魔力を流し回復させ、それもほぼ完治してきた頃。

 

「.....殺せばいいのだわ」

 

 気を失っていたエレシュキガルが目を覚まし、開口一番で放った言葉がこれだった。

 巨大なガルラ霊の姿から、燈也がいつか見たイシュタルと似たような容姿。違うのは、その髪の色。黒髪のイシュタルと違い、黄金に輝いている。雰囲気は少し柔和...というか根暗そうな印象を受ける。

 

 吹き飛んだ立香とフォウが戻ってくるまで少し休もうと腰を下ろしたところにこの言葉を掛けられ、燈也は気まぐれに答える。

 

「別に殺してもいいけどな。お前が殺せと願うなら、あえて殺さない」

「...あなた、とことん性格が悪いのね。ひねくれまくっているのだわ」

お前()には言われたくねぇよ」

 

 なんとか起き上がれる程度には回復したエレシュキガルだが、この状態で燈也に挑むほど身の程を知らないわけではない。

 燈也の腕は完治している。こちらはまだ起き上がれる程度で、ろくに槍も振るえない。

 勝てない。そう思った。

 

「.......私は、間違っていたのかしら」

 

 エレシュキガルの口から、ポツリと漏れる言葉。

 負けを認め、さらに弱気になった気持ちから溢れた本心。

 

「自分の楽しみも、喜びも、悲しみも、友人も...何もないまま、気の遠くなるような時間、死者の魂を管理してきた」

 

 自由気侭に天を翔ける自分の半身を見上げ、羨みながら。

 それでも、これが自分に与えられた使命だからと。

 

「ずっと独りでこの仕事をこなしてきた私の努力は...間違って、いたのかしら」

 

 顔を下に向け、声には更に暗さが滲む。

 そんな様子に、燈也はため息を吐いた。

 

「ンなもん知るかよ」

 

 敗北を喫しても殺されなかったからか、エレシュキガルは燈也へ期待していた。

 もしかしたら、彼は自分の努力を褒めてくれるのではないかと。

 自分を殺さない燈也に優しさを見たのか。それとも、過去に喫した唯一の敗北を思い出し、当時の愛情を燈也に重ねたのか。

 

 間違いだ。

 燈也がエレシュキガルを殺さないのは、本当にただの気まぐれだ。

 ここで神を殺しても権能が手に入らないことは、前回のケツァルコアトル戦で判明している。それならば、別に何がなんでも神を殺さなければならないわけではない。

 燈也の今回の目的は、実戦経験を積んで経験値を稼ぐこと。それ以上でも以下でもなく、それ以外に興味などない。

 

 立香が立ち上がったのを視認し、燈也も立ち上がる。

 

「嘆くだけで、羨望するだけで、行動に移さなかった。その時点でテメェは負け犬だ」

 

 生真面目に課された使命を全うするだけなど、燈也の知る神ではない。

 彼らは自由だった。己の使命、神格、存在意義。その全てを自覚しながら、己の誇りを捨てることなく、だが欲望には忠実に。

 その在り方は魔王(カンピオーネ)も同じだ。だから争う。本能で「あいつは自分の自由を妨げる敵だ」と感じ取る。己の誇りをぶつけ、我儘を押し通すために。勝者全取りだ、敗者に慈悲はない。

 

「うじうじ悩むな、根暗神。テメェも神だってんなら、やりたいことは力で勝ち取れ」

 

 いつか、愛した()を得るために三大神を脅したように。

 

 

 

 

 燈也は歩き出す。

 もうこんなところに用はないと、立香の方へと足を進める。

 まるで、かつて愛したあの神のように。一切の躊躇もなく、迷いのない足取りで。

 

 待って。待ってくれ。

 私を置いていかないでくれ。

 

「いか、ないで.......」

 

 女神の小さな囁きは、冥界の暗黒に溶けていく。

 

 そしてまた、冥界に静寂が訪れた。

 

 

 

 




相変わらず描写が下手くそすぎて泣いちゃうな。


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魔王の帰還

 

 

 

 

 

 

 

 

 燈也が冥界に入る大穴を空け、潜った頃。

 

「神殺しが冥界に入った」

 

 鮮血神殿にて、キングゥは呟いた。

 

 海辺で燈也と会合してから、キングゥは常に燈也の気配を追っていた。

 これは燈也にも気付かれているだろうが、それでも燈也の動向が分からないよりはマシだと考えて。

 

 数日前にウルクを出て、ウルクからそれなりに離れた場所で神獣と戦っている時に、キングゥはウルクを攻めた。

 ちょっとウルク側の戦力を削ってやろうと前哨戦のつもりで仕掛けたのが、母が出張ってきて、かつ怪我を負わされた時にはどうしたものかと頭を抱えたが。

 

『時が満ちたか』

 

 キングゥの悩みの種であるなどつゆ知らず、母──魔獣母胎ゴルゴーンは起き上がる。

 

「傷はもうよろしいのですか? 母上」

『フン。攫ってきた人間どもを喰らっていればすぐに治ると言っただろう。もう問題ない』

「次世代の魔獣(仔ども)たちのためにも、人間(苗床)を喰らうのは最小限にしてもらいたかったのですが」

『みみっちいことを言うな。人間なぞ、ウルクを落とせばいくらでも手に入る』

 

 そもそも、とゴルゴーンは続ける。

 

『最も警戒していた南米の女神めは死んだ。やつを屠った者が、今は冥界に赴き、女主人を討とうとしている。かの冥府の主であっても、無事では済むまい。さて、これでは次世代の魔獣の必要性はあるや否や』

 

 どこか愉快そうに笑う母は、その神すら斬り裂く凶刃が自分の喉元にも突き付けられているということに気付いていないのだろうか?

 内心でため息をつきつつ、キングゥは気を改める。

 母の我儘は今に始まったことではないし、過ぎてしまったことに何を言っても始まらない。

 

「準備を整え、明日、ウルクを落とします」

 

 難易度は高い。

 だが、今を逃せばゴルゴーンではウルクを落とせない。

 

 決意を固め、キングゥは準備を始めた。

 

 

 * * * * *

 

 

 マシュ、アナ、マーリン、そしてスカサハは全力で駆けていた。

 

「マーリンさん! ウルクの様子は!」

「うーん...まだ大丈夫だけれど、交戦は始まっているね。ゴルゴーンやキングゥはまだ動いていないみたいだ」

 

 駆けながらマシュが叫び、マーリンがそれに答える。

 

 マシュたちが走っているのは、マーリンがウルクの危機を視たからだ。

 スカサハと合流し、何となしにウルクへ千里眼を向けてみれば、大量の魔獣を引き連れたキングゥとゴルゴーンが視え、焦ってウルクへ引き返しているのである。

 

「我が不肖の弟子を始め、佐久本燈也めのサーヴァントらや、ヘラクレスに沖田、牛若丸に弁慶までおる。如何に女神であろうと、そう簡単に落とせる布陣ではない」

 

 そう言うスカサハだが、足を止めることはない。

 前回は自分の不在中にしてやられ、決して小さくはない犠牲を払った。

 また、今回は敵も本気で来るだろうと思っている。一度撤退してからの再侵攻だ。準備が整ったからこその行動だろう。

 

 サーヴァントであるスカサハらが全力で走っても、ウルクまでは半日以上かかる。半日以上全力疾走していてはさすがのサーヴァントでも疲労が溜まるし、疲労した状態でどれほどの戦力になるのか。

 着いてみなければ分からないが、行かないよりはましだろうと、更に速度を上げる。

 

「おぅい、待ってくれ。私はそんなに速く走れない」

「体を鍛えろ魔術師。我々は先に行くぞ」

「そんな! サーヴァントはいくら鍛えても生前以上にはなれないんだぞぅ! え、本当に置いていくのかい? 待ってくれアナ!」

「うるさいです、この非力マーリン」

「辛辣!」

 

 マーリンは置いていかれた。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 ウルク北壁では、緊張が走っていた。

 

「ついに来たか」

 

 遠くに見える軍勢を見据え、リリアナが呟く。

 今朝から魔獣達の侵攻がなく、気構えはしていた。だがいざその時がくると、緊張の一つもする。

 

 狙ったのかどうかは定かではないが、スカサハがウルクを離れてから一日も経たずの侵攻。マシュたちもいない中、大きな戦力の不在中に攻めてこられるのは甚だ痛い。

 

「何があっても持ち堪えよ...完全にフラグだったじゃないですか、お師匠様」

 

 嘆息し、改めて敵陣を確認する。

 数は万はいるか。こちらは先日のキングゥ襲来に加え、謎の衰弱死を迎える者もおり、総数は三千程度。数で圧倒的に負けている。さらに、魔獣相手に最低でも三人かかりでようやく対等、優位に進めようとすれば五人は必要だ。ウルク兵に文句を言う訳では無いが、戦力差は絶望的としか言いようがない。

 

 だが、負ける気はさらさらない。

 

「総員、隊列を組め!」

 

 リリアナが声を張り、統率された動きで兵たちが列を成す。

 

 リリアナにここまでの数を纏めるカリスマはない。それは当人が一番理解している。

 しかし、軍を引き連れる者に必要なものは、カリスマなどという先天的な才能だけではない。

 リリアナは今日まで奮迅し、実績を積み重ねてきた。リリアナの指揮により助かった命もある。小さな体で奮闘するリリアナの背に憧れを持った者もいる。

 

「決戦だ。将軍の言葉を思い出せ。死ぬことは許さない! 全員、生きて我らが勝利を見届けろ!!」

『オォオオオオ!!!!!』

 

 リリアナにカリスマはない。だがそれでも、彼女の努力は、今は亡きレオニダスという守護神の後釜は、死にゆく運命を背負った人々を照らす太陽となっていた。

 

「アレも一種のカリスマではあるが...スター性、と言った方が良いのかのぅ」

「リリィちゃんは努力の子ですからね。頑張る女の子は尊い。これ、万物共通の真理ですよ」

 

 マスターが見たら喜ぶだろう。

 立派な将として成長したリリアナに、感慨深い目線を送る。

 

「さて」

 

 そのうち一方、織田信長が、火縄銃を召喚して飛び乗った。

 

「準備は上々...とは言い難いか」

「まぁ、大丈夫でしょう。不思議と負ける気はしません」

「奇遇じゃな。儂もじゃ。ま、儂らが負けても、そのうちマスターがどうにかするじゃろうて」

 

 スゥー、と銃に乗ったまま、信長は進む。

 

「それでは景気付けに、それと頑張ったリリアナへの褒美として、この戦をどデカい花火で彩ってやろうかの」

 

 ウルク兵の隊列よりさらに前。上空から魔獣たちを見下ろしながら、信長は火縄銃を召喚する。

 宙に浮く火縄銃は、一挺、また一挺と増え、上空を覆っていき、そして──

 

「放てぇい! 開戦じゃあ────ッ!」

 

 

 ──数千挺の銃口が、一斉に火を吹いた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 人類と魔獣の決戦が始まってから少し経った頃。

 冥界では、燈也と立香もまた走っていた。

 

 こちらは別に、ウルクの危機を察知したからなどではない。

 冥界という世界があまりに陰鬱としており、早く地上に出たいと燈也が勝手に走っただけだ。

 ただの人間である立香は当然燈也に追い付けるわけがないので、彼は担がれている。普段サーヴァントに着地を任せたり遊びでヘラクレスなどの肩に乗っている立香は、担がれることに対しては慣れたものだった。特に不自由なく担がれ、むしろ居心地が良さそうに、冥界の不思議な鉱石などを眺めている。

 

「...あの不思議鉱石、売ればいいQPになるのでは...?」

「お前ら以外世界滅びてんのに、まだ貨幣に価値があるのか。怖いな、貨幣社会」

 

 そもそもレイシフト先の鉱物は持って帰れないだろう、と燈也は訝しむ。もしそんなことが可能ならば、カルデアは魔力不足なんかに陥っていないし、地下栽培園なども造られていない。

 鉱石、QP稼ぎで思い出したのか、ふと立香は抱いていた疑問を口にした。

 

「そういえば、燈也って投影魔術使えるんだっけ?」

「あ? まぁ使えるが...なんたって急に」

「いや、昔エミヤに宝石剣投影してもらって一稼ぎしようとした時に断られたの思い出して」

「卑しいな、人類最後の希望」

「えへへ。それで、燈也もエミヤみたいに時間経過で消えない宝石剣作れる?」

 

 言われて、以前見たエミヤの固有結界『無限の剣製』を思い出す。

 魔術の深奥だなんだの言われる固有結界だが、その使用自体は燈也も可能だ。王の才能は留まる所を知らない。

 だが──

 

「無理だな。ありゃエミヤ専用だ。俺の作ったもんは、ありったけの魔力を注ぎ込んでも数日しか持たねぇよ」

 

 以前試してみた直死の魔眼同様、燈也にも不可能はある。

 固有結界は使用者の心象世界を世界に上書きする魔術。これを燈也が使用したところで、エミヤとは全く別の心象世界が広がるだけだ。

 

「そっか、残念。もし作れるようになったら教えてよ」

「...ま、使えるようになったらな」

 

 本当に残念そうに嘆く立香に、呆れ声で返す。

 

 

 ───この時は誰も知らない。燈也という大王(・ ・)が持つ特異な恩恵、《星の王権》というものの本当の異常性を。

 

 

 * * * * *

 

 

 

「っ、無理はするな! 傷付いた者のいる隊は一旦引け! 決して個人で相手取ろうなどと思うな!」

 

 リリアナの怒号が飛ぶ。

 統率力は声の大きさに依存すると言う英雄もいるが、その点ではリリアナは優れていた。彼女の綺麗な高音は、戦地であってもよく届く。

 戦局を見ながら、リリアナ自身も魔獣と対峙し、屠っている。

 その数、凡そ五十程度。開戦から一時間ほど経っているとはいえ、指揮官でもある彼女がそれだけの数の魔獣を倒しているのは異常だ。

 リリアナが前に出すぎているのではない。前線が魔獣の猛攻を防ぎきれず、自陣の中腹程度まで攻め込まれているからだ。

 

「織田信長の初撃である程度数を削ってもこれか...!」

 

 焦りが生まれる。

 前線ではヘラクレスを始め、沖田や牛若丸、弁慶などのサーヴァントも善戦している。それでもなお覆らない戦力差。

 数の差は理解していたつもりだが、それにしても厳しい状況だ。

 

「随分と苦しそうじゃないか、魔女」

 

 さらに一体、魔獣を屠ったところで、上空からリリアナへ声がかけられた。

 不意に届いた声の主を、リリアナは警戒を高めながら見上げる。

 

「キングゥ...!」

 

 艶やかな翡翠色の長髪を風に靡かせ、こちらを見下ろしている人物の名を忌々しく叫ぶ。

 彼が参戦してくることは当然予期していたが、魔獣にさえ苦戦している現状での登場は望んでいなかった。

 

「はは、随分と嫌われたものだね。お前の主とは対照的だ」

「黙れ!」

 

 飛翔術を駆使し、キングゥの立つ宙にまで接近する。

 だが、それは黄金の鎖によって阻まれた。

 

「お前のあの技...こちらの意識を混濁させるあの音は厄介だ。それに、今はお前が指揮官なんだろう? だったら先に潰させてもらう。少しくらい遊んでやりたかったが、こちらには時間がなくてね。あの化け物が帰って来る前に、母さんの願いを叶えてやらなければ」

 

 地上に戻ったリリアナを見下しながら、キングゥは追撃を試みた。

 基本性能で、キングゥはリリアナに勝っていると確信している。彼女を殺せば王の怒りを買うことは必至だろうが、それより先に“ティアマト”を目覚めさせれば問題ない。

 そう判断し、四方から鎖で滅多刺しにしてやろうと魔力を操る。が、鎖がリリアナへ向かう前に、弾丸がキングゥを襲った。

 

 キン、と金属音が響く。

 飛んできた弾丸を鎖で弾いた音だ。

 

「久方ぶりじゃのう、キングゥとやら」

 

 弾丸の飛んできた方向から現れたのは、銃に乗り宙を舞う軍服の少女、織田信長。

 右手に持った火縄銃を捨て、新たな火縄銃を召喚しつつ、品定めでもするようにキングゥを見ている。

 

「前回はバカ虎に取られたが、わしもおぬしの事が気になっておってのぅ。なんと言っても、我が主が仲間に引き入れようとしとる奴じゃ。興味がある」

 

 銃口をキングゥへ向け、愉快そうに顔を歪めた。

 

「ちとわしと遊んでいけ、人形」

 

 火縄銃が炸裂する。

 信長の持っているものだけでなく、いつの間にかキングゥを取り囲むように展開されていた十数挺の火縄銃から打ち出された弾丸が、一斉にキングゥへ迫る。

 それに対し、鎖が(とぐろ)を巻くようにキングゥを包み、全ての弾丸を弾いた。

 

「.....人形だと?」

「おうおう、なんじゃ貴様、キレたか?」

 

 返事はない。

 代わりに、黄金の鎖が五本ほど信長に向かう。

 全て弾丸で弾き、信長はキングゥを見下ろすように、悠々と新たな火縄銃を召喚した。

 

 燈也の口から「聖杯を魔力炉(心臓)として動く神産の人形だ」という見解を聞いたから「人形」だと言ってみたが、予想外にも精神に効いたらしい。特に意識して放った単語ではなかったが、それで冷静さを欠けさせることができたのなら僥倖だとほくそ笑む。

 と、未だ呆けた顔でこちらを見ているリリアナが信長の視界に入った。

 

「何をぼさっとしとるリリアナ! こやつはわしがもらう! お前はアレを止めてこい!!」

 

 アレ。

 そう言われ、リリアナは前線へと目を向けた。

 するとそこには、先程まではなかった巨大な女の姿がある。

 

 怪物、ゴルゴーンだ。

 

「任せた!」

 

 言って、リリアナは最速で駆けた。

 神速には遠く及ばないにしても、並のサーヴァントよりも速い。あっという間にリリアナは場から離れて行く。

 

 それを横目で見ながら、キングゥは静かに信長を見上げた。

 

「随分と簡単に見逃しおったな」

「何。お前を殺してからでも遅くはないと判断したまで」

「ほう? よいよい、お前はわしだけ見とれ。でなければその首、即座に切り落としてしまう。それでは面白くない」

「僕に勝てるとでも?」

「無論」

 

 右手に刀、左手に火縄銃。更に数十もの火縄銃を宙に浮かし、その銃口をキングゥへ向けた。

 対するキングゥも、黄金の鎖を構えて向かい打つ体勢を取る。

 

「生意気だな」

「貴様ほどではない」

 

 天の鎖と天魔の戦いが切って落とされた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「全員下がれ! 女神は私とサーヴァントが相手をするッ!」

 

 キングゥを信長に任せ、リリアナは指示を飛ばしながら最前線へ駆ける。

 指揮官であるリリアナの言葉を聞くまでもなく、兵達は北壁へ逃げていた。未だ前線に残っているのは、レオニダスを屠った怪物に恐怖し、足を止めてしまった者のみ。

 無理もない。この神代において、神に弓を引こうというのがそもそも大罪だ。

 戦意を無くしてしまった彼らをただ黙って死に追いやるわけにはいかない。声を絞り出す。逃げろ、生きろと。

 

「惨めだな、人間」

 

 そんなリリアナの頑張りも虚しく、膝を着いてしまった兵達はゴルゴーンの髪によってその命を散らしていった。

 奥歯を噛み、リリアナは怪物を睨み上げる。

 

「南米の女神が消え、唯一の脅威であるという男は冥界に赴いた。その時点で私の勝利は確定している。大人しく死ね、人間」

 

 まるでアリを踏み潰すかのように、ゴルゴーンは猛威を振るう。

 我慢ならないとリリアナが飛び込もうとしたところで、横からヘラクレスが突進した。

 

「■■■■■■ーー!!」

 

 石斧を振り、蛇のように兵達を襲う髪を叩き潰しながら、ヘラクレスは跳躍した。

 人類最高峰といっても良い身体能力を誇る大英雄の跳躍は、たった一足でゴルゴーンの頭部にまで到達する。

 

「チッ!」

 

 舌打ちし、ゴルゴーンはその巨体を後退させた。

 巨体に似合わない瞬発力にヘラクレスの予想はズラされ、彼の石斧は空を切る。いくら大英雄といえど、空を飛ぶ手段は持ち合わせない。自由を失ったヘラクレスは蛇の猛追を受けて地面へ叩き落とされる。

 だが、その程度では止まらないからこその大英雄。すぐさま立ち上がり、ゴルゴーンの足元から石斧を振り上げた。

 

 ゴルゴーンの巨体が宙に浮く。ヘラクレスの膂力に驚く暇もなく、ゴルゴーンの眼前で何かが煌めいた。

 

「っああああ!!!」

 

 女神の口から悲鳴が漏れる。

 目の付近を両手で抑え、背中から地面へと墜落した。

 

 女神の墜落。この事実は多少なりとも戦意喪失した兵達に希望を見出させると共に、それ以上の衝撃を以てさらに動きを鈍らせた。

 もはや避難は諦め、こちらの戦場を移動させた方が早いかもしれない。

 そう考え出したリリアナの前に、一人の剣士が降ってきた。

 

「ゲホッ...コフ...!」

 

 綺麗に着地したくせに咳き込み、そして吐血するその剣士。何を隠そう、ゴルゴーンを墜落させた張本人、沖田総司である。

 隙を見せた...まぁゴルゴーンは常に敵を見下してかかっているので基本隙だらけなのだが、ともかく。ヘラクレスに気を取られているうちに、沖田がゴルゴーンの髪を伝い眼前に辿り着き、必殺三段突き炸裂。ゴルゴーンの右目を貫いたのだ。

 そこまでは良かったのだが、「沖田さん大勝利〜!」などとフラグを立てたところで喀血である。もはや様式美、これが無くては沖田じゃないとは立香の談。

 

「素晴らしい仕事です、沖田総司!」

 

 ネタでは済まないレベルの血を吐く沖田を軽く労い、リリアナもゴルゴーンの髪を伝い駆け上がる。

 沖田が穿ったのは右目。普段ふざけた言動の目立つ天才剣士だが、彼女の放つ「無明三段突き」は強力だ。全くの同時に三つの突きを放つ絶技は、破壊を通り越して対象を抉り取ったかのように消滅させる。

 

 右目は潰れた。であれば、次は左目を。

 両目を潰すということは、視界を無くすだけではなく、ゴルゴーン──怪物メデューサの持つ最も厄介な「石化の魔眼」を無効化できるということ。

 この機を逃すわけにはいかないと、リリアナは己の出せる最高速度でゴルゴーンの顔面を目指す。

 

「舐めるな、人間がァ!!」

 

 左目を開き、リリアナを見据える。

 魔眼がくる。遅かったかと後悔し、飛翔術を使って回避を試みる。

 だが遅い。石化の魔眼はリリアナを捉えた。“仔”となったリリアナの呪力──魔力は、サーヴァント基準でB程度。即座に石化することはないが、完全に無効化はできない。

 

 左手の指先に違和感を感じた。見なくてもわかる、石と化してきているのだろう。

 舌打ちし、石化した左手の手首を切り落とす。全身が石になるよりマシだと判断しての切断だ。それは英断ではあるが、リリアナの戦力は著しく低下する。

 切断部を応急処置し、出血は止めたものの、痛みは引かない。

 地面へ着地したものの、痛みから僅かに足が止まる。

 

 そこに蛇が襲いかかった。

 回避が間に合うタイミングではない。右手でイル・マエストロを構えて迎え撃とうとする。

 そんなリリアナと蛇の間に、銀色の英霊が割って入った。

 英霊の背丈を超える槍を振るい、蛇を一蹴する。そして追撃が来る前に、その英霊──長尾景虎は、リリアナを抱えて駆けた。

 

「リリィちゃん! 無事ですか!」

 

 景虎が叫ぶ。蛇はまだこちらを狙っているが、ゴルゴーンの注意がこちらに逸れている隙に、再度ヘラクレスが猛攻を仕掛ける。

 ゴルゴーンの気がヘラクレスに向いている間に、リリアナを抱えた景虎は戦線を離脱した。

 痛む左手を抑えながら、リリアナは答える。

 

「無事...かどうかは分からないが、石化は止まった。切り落として正解だったようだ」

「ちょ、本当に左の手首から先が無いじゃないですか! 戦の指揮官たる将が無茶をするなど、最終手段ですよ!」

 

 着物の袖を破り、リリアナの左手に巻き付ける。

 景虎の顔には焦りや心配、そして怒りが浮かんでいた。普段笑顔しか見せない彼女がこのような顔をするのは珍しいと思いつつ、それだけのことをしたのだと理解する。

 

「...すまない。ゴルゴーンの魔眼を潰そうと短気を起こした」

「全くですよ! 反省してくださいね! というかあのうつけはどうしたんですか。女神相手であれば、リリィちゃんではなく織田の方が適任でしょうに」

「織田信長はキングゥを相手取っている」

「はぁ!? あのうつけ...! 自分の欲を優先させましたね!? あとでマスターに報告です!」

 

 ぷんすこ怒る景虎は、とりあえずリリアナの命に別状はなさそうだと判断し、ゴルゴーンへ目を向ける。

 今はヘラクレスが奮闘し、ゴルゴーンと互角の勝負を行っていた。さすがはギリシアの大英雄。あの怪物相手にたった一騎であそこまでやるとは、サーヴァントの中でも頭一つ抜けている。

 

「とにかく、リリィちゃんは一度下がってください。ゴルゴーンはヘラクレスに任せておけば問題ないでしょう」

「いや、ダメだ。互角にも見えるが...ヘラクレスは既に数度死んでいる。それにゴルゴーンは聖杯らしきものを持っていた。あれがある限り、いくら十二の命を持つヘラクレスといえどジリ貧だ」

「だとしてもです。ハッキリ言います。今のリリィちゃんは足手まとい。逃げ遅れた兵士を連れ、下がってください」

 

 有無を言わさず、景虎はリリアナへ告げる。

 

「加勢には私が行きます。こう見えて私、強いんですよ?」

 

 言って、景虎は毘沙門天の名の下に愛馬・放生月毛を強制召喚する。

 荒れる戦地でありながら、見蕩れるほどに美麗な白馬が現れた。その白馬に跨り、槍を握る。

 

「姫鶴飛んで、山鳥遊ぶ。谷切り結び、五虎退かば、祭剣まつりて、七星流る。松明照らすは、毘天の宝槍!」

 

 長尾景虎──越後の軍神・上杉謙信が所持したといわれる名刀の数々が召喚され、地面へ突き刺さる。

 これぞ八華の備え。脳筋の末に辿り着いた神威の化身。

 

 さらに景虎は魔力を練り、言霊のように開帳の文句を高らかに叫ぶ。

 

「刀八毘沙門天よ、我が身に宿り神威を奮えッ!」

 

 瞬間、景虎が分身した。

 一人、また一人と増えていき、最終的に八人にまで増える。

 それは景虎だけではなく、彼女の愛馬も同様だった。

 

 景虎たちは一人一振の武器を取り、馬に跨る。

 総勢八騎。完全武装の少数騎馬隊の完成だ。

 

「日本無双、最強無敵の戦国武将“フルアーマー景虎ちゃん”の真髄、後方からじっくり見ていてください」

 

 そう言う景虎の顔には、いつものような笑顔が張り付いていた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 燈也と立香は、エレシュキガル打倒からたった一時間程度で地上に戻ってきた。

 燈也が冥界に入った穴からではない。あそこまで行っていては時間がかかり過ぎると判断し、第一の門を潜った辺りで燈也がありったけの魔力砲をブッパなし新たな穴をこじ開けたのだ。

 自分が冥界に落ちた時もそういう方法を取って欲しかったと言う立香に、女神戦前に魔力を無駄にしたくなかったと燈也は返す。

 

 実際、冥界からの出口用に縦穴をくり抜いた時点で、燈也の魔力は空っ穴になった。これは燈也史上初めての経験だという。

 燈也の魔力切れ。それはそれでマズイ状況なんじゃないかと不安がった立香だったが、それもすぐに解消された。

 というのも、燈也という化け物、地上に出た瞬間に辺りの魔力を片っ端から吸収し、自己魔力を補填し始めたのだ。

 

 一時的に魔力が枯渇したことが原因か、立香の目が届く範囲の草木が枯れていく中で、燈也はふと呟く。

 

「ちっ、半分も回復しないか」

「何言ってんだこのバーサーカー」

 

 神代という、人体に悪影響を及ぼすレベルの魔力が空気中にある空間で、あろう事か枯渇するまで魔力を吸い上げた末にこのセリフである。

 この魔王の総魔力量は一体どれ程なんだと考え、それすら馬鹿らしいと早々に思考を止めたところ、不意に声が届く。

 

『繋がった! 藤丸くん! 聞こえるかい藤丸くん!』

 

 なんとなく懐かしい気さえするこの声。カルデアのロマニ・アーキマンの声だ。

 

「ドクター! はい、聞こえます!」

『良かった、とりあえず無事なようだね。バイタルも安定している。全くもう、心配したんだぞ! 急に生命反応が無くなるもんだから!』

「す、すみません...気付いたら冥界にいて...」

『まぁ無事なら...って何だいそれ!』

 

 安堵しきった声音から、また焦り散らしたように声を荒らげるロマンに、立香は首を傾げる。

 

「何、って一体...?」

『その場所だよ! 神代だっていうのに魔力が一切計測できない! そこは魔力無効化でもかかった呪いの地なのかい!?』

「全て燈也がやりました」

『あっ』

 

 一人の名を聞いて全てを察したらしい。

 何となく不敬だなと思いつつも、それはひとまず置いておくことにして、燈也も会話に入る。

 

「ロマニ。そっちの計測通り、立香は無事だ。怪我もない。ついでにエレシュキガル、三女神同盟の一角も屠ってきた。消滅はしてないが、すぐには復帰もできないだろう。もし復活しても、次は殺す」

『ヒェッ…おっかないなぁ』

 

 神霊という絶大な存在を相手に全く臆することなく、それどころか完勝できると言う燈也に戦慄する。

 が、それもつかの間。大事なことを思い出したロマンは、またも声を荒らげた。落ち着きのないやつだ、とは燈也の感想。

 

『大変なんだ! 女神ティアマト...いや、怪物ゴルゴーンが今、ウルクを襲撃している!』

「なっ!?」

 

 ロマンの報告に、立香が息を飲んだ。

 そんな反応は予想済みだったのだろう。ロマンは続ける。

 

『少し前...二、三時間くらいかな、マーリンが千里眼で視たらしいんだ! 魔獣の数は万超え、ゴルゴーンと、それにキングゥの姿もあるって!』

「そんな...! 戦況は!?」

『分からない...ボクが聞いたのは、ゴルゴーンが魔獣を引き連れて北壁近くに現れたってことだけ。観測してみたけど、まだゴルゴーンもキングゥも、霊基反応は健在だ。こちら側にも消滅したサーヴァントはいないようだけど、ウルク兵たちまではさすがに分からない。そっちには燈也くんもいるんだろう? 彼は何か分からないのかい?』

 

 言われて、燈也はウルクの方角へ意識を向けた。

 燈也らがいる一帯の魔力はなくなったが、その他は未だ魔力が渦巻いている。燈也でも正確な把握は無理だ。

 

「...分からん。空気中の魔力濃度が高すぎて気配を捉えにくい。こんなことなら千里眼ってやつを覚えとけばよかったな」

『逆に使えないことにびっくりだよ。キミはなんでもありのチート王様だろう?』

「うるせぇな。千里眼ってのは見たことがねぇんだよ。視力上げるだけじゃ無理だろうし、何かしらの術式を組む必要がある。今何個かそれっぽい術式を組んでみたが、見える場所はランダムだ。見たい場所をピンポイントで見るにはまた別の術式が必要になる。その術式を考えるより、さっさと現地向かった方が速い」

『即興でそれっぽい術式を構築できるのが十分意味わからないな...』

 

 ロマンを無視し、燈也は復活した権能《勝利運ぶ不敗の太陽》を行使し、太陽の馬車を召喚する。

 

「乗れ、立香。急ぐぞ」

 

 魔王は帰ってきた。

 冥界の女神を屠った彼の次なるターゲットは、怪物ゴルゴーンへシフトする。

 

 手綱を振るう。

 四頭の馬が嘶き、大地を蹴り、そして、二つ目の太陽が昇る。

 

 

 

 



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何事もノリとタイミング

 

 

 

 

 

 

 

「GrAAaaaaAAAaaa───.......!」

 

 魔獣の断末魔が木霊する。

 首を落とされ、肺とはもう繋がっていない喉から無念の怨嗟が漏れ、絶命する。

 

 首斬りの下手人、牛若丸は、愛刀薄緑に付いた血を払いながら、前線の戦いを見ていた。

 そんな牛若丸の背後から、また別の魔獣が襲いかかった。

 

「義経様!」

 

 牛若丸の身を案じ、弁慶が声を上げた。

 そちらに気を取られることもなく、牛若丸は魔獣を一瞥もせずにその首を切り落とす。

 

「気を散らすな、弁慶。貴様は貴様の仕事をしろ」

 

 何とも冷たい声音。自身の身を案じてくれた仲間に対する返答としては相応しくないが、これが彼らの通常通りの関係性だ。

 

 

 負傷したリリアナに代わり、今は牛若丸が軍の指揮を執っていた。

 元々が天才な彼女は、成長したとは言え付け焼き刃だったリリアナの采配を上回るカリスマを誇る。彼女の師、鬼一法眼から授かった、もとい盗み見た兵法は、ここ神代でも十二分に通用していた。

 

 牛若丸は最低限の指示を飛ばし、前線の戦いに意識の三割程度を割いている。

 勝敗が気になる、味方が心配。もちろんその気持ちもあるが、それよりあの戦いに混ざりたいという気持ちが強かった。

 しかし、牛若丸までもゴルゴーン戦に参加するという訳にもいかない。今の司令塔は牛若丸だ。ウルクの兵士達は優秀だが、人外を相手に頭がいなくなった状態で上手くやれるか、と聞かれれば不安が残る。

 己の欲と大衆の安全。どちらを取るかといえば、名将たる牛若丸は後者を選ぶ。

 

 

 

 そんな牛若丸の思想などつゆ知らず。

 怪物を相手にヘラクレスと景虎は思う存分暴れていた。

 

「■■■■■!!!」

「はは、あはははは!!!!」

 

 景虎に至ってはそれはもう、本当に楽しそうに暴れていた。

 

 ヘラクレスがどんな気持ちで戦っているかは分からないが、景虎は獰猛に嗤い、槍や刀を奮っている。

 その姿はどこか燈也と似ていた。少し違うのは、燈也がその先の勝利を掴み取ることに愉悦を覚えるのに対し、景虎は純粋に暴れることに享楽を感じているところだろうか。

 

 ゴルゴーンの石化の魔眼は今のヘラクレスには効かない。

 一度石化され、粉々に砕け散って死んだことが幸いしているのだろう。一度味わった死因には耐性を得る。なんともチートな大英雄だ。

 景虎は、分身が多すぎて魔眼が捉えきれていなかった。

 何度か石化に成功するも、その悉くが分身体。すぐに新たな分身が出現し、数は尚も八のままだ。

 

 

 そこに、沖田も混ざってきた。

 

「沖田さん大復kコフゥッ!!」

 

 吹っ飛んできた景虎(分身体)に巻き込まれて喀血した。

 

 

 石化含め、既に五体は分身体を倒されている景虎は、嗤いながらも内心では焦りを感じ初めていた。

 

「(やはり強い。毘沙門天の化身を謳ってきましたが、本物の神がこれほどのものとは)」

 

 一人車懸かりの陣を何度か仕掛けてみたが、致命傷には至らない。

 ヘラクレスも奮闘しているが、何分相手は見上げるほどの巨大だ。こちらが懸命に武器を奮っても、相手にとっては少し攻撃力の高い虫に集られている程度の感覚だろう。

 加えて、ゴルゴーンは軽い切り傷程度であればすぐに塞がってしまう回復力を持っているらしい。リリアナが危惧していた「不死かもしれない」という推測が真実味を帯びてきた。

 

 だが、かといって手を止めるわけにもいかない。

 一度攻撃の手を休めれば、ゴルゴーンは景虎たちをその視界に収めてしまうだろう。そうすれば、景虎では石化を逃れられない。

 それだけではなく、兵士達にも被害が及ぶだろう。いくら神代の人間とはいえ、ヒトはヒト。少しでもゴルゴーンの猛威が兵士に向けば、その命は一瞬で散り行くだろう。

 

「(不死殺し。手立てはあるはずですが、私には無理ですね)」

 

 ヘラクレスの攻撃もゴルゴーンに通用していないことはないだろうが、死に至るものではない。リリアナの言う通り、このままではジリ貧だ。

 やはり、燈也の帰還を待つ必要がある。つまり景虎の仕事は、燈也が帰ってくるまでゴルゴーンの注意を引き、兵士の命を無駄に散らせないこと。

 そして何より、自分が死なないこと。

 

 特に二つ目は難しい。

 注意を引くということは、当たり前だがゴルゴーンという脅威が常に自分の命を刈り取ろうとしているということだ。ただ大きく死なないだけの怪物であれば問題はない。だが、ゴルゴーンには石化の魔眼という厄介極まりない能力がある。

 そうこうしているうちにも、分身体がまた一人石化させられた。

 

「まァ、やれるだけやってみましょうか」

 

 どこから湧いてくるのかも分からない魔力で新たな分身体を作り、怪物に向かって突撃する。

 いつ帰ってくるかも分からない主を待ち、どうせなら強敵との戦いを楽しんでしまおうと考えたところで───

 

「.....わお?」

 

 ───太陽が降ってきた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 燈也は戦車を走らせ、一直線にウルクを目指していた。

 一分ほど走ったところで、唐突に未来が視える。

 

「.....ったくよォ、もうちょい早めに視せろや」

 

 自分の能力に悪態をつく燈也は、手綱を奮って戦車の速度を上げる。

 太陽の戦車の出せる速度は場所によって異なるが、最速で時速1600程度だ。ここウルクでは、だいたい1200~1300km/hくらいだろうか。

 

 今出せる最高速度を叩き出し、神代の空に炎の轍を刻む。

 途中で余所見運転をしていた女神を轢いた気がしないでもないが、些事だと無視を決め込んだ。

 

 五分程度走ったところで、燈也の目に巨大な蛇女の姿が映る。

 アレがなんなのか。とりあえず神だということは分かるが、それ以外はよく分からない。

 

 ので、とりあえず戦車で押し潰すことにした。

 

 

 それはまるで隕石。ゴルゴーンごと周囲を吹き飛ばす。

 爆心地の中心で権能を解き、立香を抱えて景虎の近くまで跳んだ。

 

「勝訴! これは勝ちましたよ!」

「何騒いでんだお前」

 

 立香を下ろし、呆れたように景虎を見る。

 

「それより虎、リリアナはどこだ。あいつの腕が切り落ちてんのが視えたんだけど」

「あ、見てたんですか? なら早くきてくださいよ」

「未来視みてぇなもんだよ。つーか間に合わなかったか、結構急いできたんだが」

「未来視て。相変わらずのチートリズムですねぇ」

 

 やれやれだぜ、などと言う景虎を無視し、燈也はリリアナの気配を探った。

 北壁の近くにリリアナがいることを察知し、特に命に別状は無さそうだと判断する。

 

「それで? リリアナをやった奴はどこだ」

「今マスターが吹っ飛ばしましたよ」

「何?」

 

 爆心地を見て、ふむと考え込む。

 ゴルゴーンかキングゥのどちらかがリリアナの腕を斬ったのだと思っていたのだが、なるほど、あれがゴルゴーンかと。

 だが、あの程度であれば問題ない。確かに今のリリアナではキツい相手かもしれないが、つい先日倒した南米の神より楽そうだと切り捨て、この場で最大の脅威であろうキングゥの姿を探す。

 

「僕をお探しかな?」

 

 気配を探るまでもなく、燈也の頭上からキングゥが声をかけた。

 声のした方を見上げると、所々傷を負っているキングゥの姿が。致命傷とまではいかないが、決して少なくはない傷だ。

 そしてその傷の多くは銃傷だった。

 遥か古代、この神代において銃を使う者など一人しかいない。

 

「なんだ、随分とやられたな。どうだよ、うちの信長は強いだろ?」

 

 言いながら信長の気配を探る。

 少しばかり遠くにいるが、こちらに向かってきているようだ。ゴルゴーンに突然訪れた危機に、キングゥが戦闘を投げ出して駆けつけたというところかと推測する。

 

「...ふん、たかが英霊にここまでやられるなんて、僕のプライドはボロボロだ」

「あいつを『たかが英霊』だなんて捉えたお前の落ち度だ」

「なるほど。お前のような化け物の仲間だ。侮った僕が悪い」

 

 フッと笑ってみせるキングゥだが、そこにあるのは悔しさや怒りといった負の感情のみ。己の絶対を信じ、自分こそが真なる人類だと他を見下していた彼にとって、旧人類に遅れを取ることは恥以外の何物でもない。

 

「さて、キングゥ。お前、なんであんな奴の味方してんだ?」

 

 キングゥの内心など気にかけるまでもないと、燈也は早々に話題を変える。

 

「...仔が親の味方をするのは当たり前だ、と言えばいいかな?」

「ふざけろ。あんな雑魚がティアマトなわけがねぇだろ」

 

 

「──言ってくれるな、小僧ォオオ!!!」

 

 爆心地から、新たな爆風が吹き荒れる。

 勝利を確信して安堵しきっていた景虎は、燈也やキングゥから目を離し、そちらに視線を向けた。

 爆風の中心地にいるのは、無傷の怪物。

 羽のようなものまで生やし、怒りの頂点だとも言うような形相で燈也を睨んでいる巨神がいた。

 

「俺の戦車に轢かれて無傷か。なるほど、ただの雑魚じゃあないらしい」

 

 燈也もその姿を確認したのか、ほうと感心したような声を漏らす。

 

「ゴルゴーンは不死の可能性があります。ただ殺そうとしただけでは倒しきれない。私やヘラクレスの攻撃も、効いているようで効いていませんでした」

 

 あれ、そういえばヘラクレスはどうしたのかなと多少思考を逸らしながらも、景虎は燈也に報告する。

 ちなみにヘラクレスは戦車の大衝突にて一度死に、わりと遠方まで飛ばされているのだが、今は関係ないので割愛。

 

「ははっ、今度はお前が母さんを侮ったようだな」

「母さんだぁ?」

 

 嘲笑とも取れるキングゥの笑いを無視し、ある一点に意識を取られる。

 あのキングゥが母と呼ぶのはティアマトだけだ。それは神話が、そして何より燈也の神性(直感)がそう言っている。

 しかし、アレがティアマトだとは思えない。アレがティアマトなのだとすれば、今も尚海の底に感じ取れる神性は何だと言うのか。

 

 燈也が思い至る考えは、現時点で二つ。

 一つは、今目の前にいるキングゥは、神話とは異なり、或いは偽物で、あのゴルゴーンという女神から産まれたという説。

 そしてもう一つは、ゴルゴーンが何らかの理由でティアマトの代行として顕現しているという可能性。

 

 どちらかと言えば後者が有力かと勝手に結論付け、燈也は魔力を練り上げる。

 

「まァ、どっちでもいいさ。アレが不死だってんなら丁度いい。一つ、試し打ちといこうか」

 

「死ね、人間!!!!」

 

 完全に逆上しているのか、ゴルゴーンは燈也の言葉など耳に入っていない様子だ。

 そんな母と違い、キングゥは確かに聞いた。そして尋常ならざる魔力の高まりも察知し、母の身を守るために燈也を鎖で縛ろうとする。

 が、しかし。それを許さない者が一人。

 

「なァにを逃げとるか。貴様はわしだけ見とれと言ったじゃろ」

 

 背後から炸裂する銃声。

 この数十分で聞き飽きたその音で、キングゥは咄嗟に身を捻る。

 

「ッ!」

 

 脳天直撃を狙った弾丸は、キングゥの右肩を貫通した。

 痛みに顔を歪めながら振り向くと、つい先程までキングゥが戦っていた相手、織田信長が、八挺の火縄銃の銃口をこちらに向けて立っていた。

 

「遅せぇ。もっと速く走れ」

「これでも全速力で来たんじゃが?」

「この鈍足」

「なんじゃワレサイコ軍神ワレェ!! 貴様には言われとぉないわ! 先のマスターと女神の闘争時に唯一逃げ遅れとったノロマが!!」

「なんですって!?」

「うるせぇ」

 

 相変わらず喧しい奴らだと嘆息しつつ、これもまたタイミング的には丁度いいと思い、信長へ命令を下す。

 

「信長。お前はキングゥを抑えとけ。俺の邪魔をさせるな」

「言われんでもやるわ」

 

 言って、信長は引き金を引く。

 無数の弾丸がキングゥを襲い、そちらの対応でキングゥの注意の大半は信長へと移った。

 これで邪魔は入らないなと確認したところで、燈也へ数体の蛇が襲いかかる。

 

「はっ、しゃらくせぇ」

 

 三、四体で景虎やヘラクレスが苦戦していた髪蛇を、燈也は魔力の放出だけで退ける。

 相変わらずチートやってんなと呆れた景虎は、次こそは巻き込まれないようにと少し退った。

 

「あ、ほらほらカルデアのマスターくん。貴方もこっちに来ないと巻き添えを喰らいますよ」

「アッハイ」

 

 怒涛の流れに置いていかれ空気となっていた立香は、もう何も考えまいと大人しく景虎の後ろまで下がる。

 人類最後の希望などと言われ、呼び名は恥ずかしいけれどちょっとだけ正義感に駆られて第六特異点までを走破してきた立香は、最後の特異点に来て思う。「あれ、俺って必要かな?」と。

 

 

 

 まあ、当たり前のように外野の感想など知ったこっちゃないと、燈也は無視、否、耳に入れることすらせず、見上げるほどの巨体を好戦的な鋭い目で睨んでいた。

 

「──貴様がキングゥの言っていた『化け物』か」

 

 攻撃を容易く弾かれて少しは冷静さを取り戻したのか、怒りはそのままにゴルゴーンが問いかける。

 

「化け物? おいおい、失礼なこと言ってんじゃねぇぞ蛇公。俺は王だ」

「王? たかが王如きが神に歯向かうのか。愚かだな」

「そォいうのは実力差を知ってから言え」

 

 あまりに不遜。目に余る不敬。

 神でありながら怪物として恐れられてきたゴルゴーンにとって、人間に見下されるなど経験のない事だ。彼女は数多の英雄豪傑を屠ってきたという自信がある。確かに人間に討伐されたこともあるが、その英雄もまた自分を恐れながら奇襲を放ってきた。

 恐ろしいものという意味の名を冠する自分を恐れるどころか、傲慢にも見下してくる人間。腹立たしいことこの上ない。

 それを抜きにしても、ゴルゴーンは燈也という生物が嫌いだ。特に理由もなく嫌いだ。生理的嫌悪というものに属するものだろうと、フツフツと湧き上がる負の感情を撒き散らしながら思う。

 

「舐めるな.....舐めるなよ、人間が!!」

 

 冷静さを取り戻したとは言っても、彼女は基本的に浅慮な性格だ。

 己の力を信じ、その圧倒的な暴力で以て物事を解決させようと考えている節がある。

 確かに、並の相手であればそれで済む。彼女はそれだけの力を持っていた。加えて、不死という強力なカードも持っている。負ける理由がないと確信していた。

 

 だからこそ、彼女は負ける。

 

 

「テメェこそ舐めんなよ、蛇公」

 

 燈也の瞳が紫色に輝いた。

 瞬間、妙な感覚がゴルゴーンを襲う。まるで精神の一部を剥ぎ取られたような、得体の知れない──否、確実に知っているがその正体が掴めない、そんな不快感と虚脱感。

 

 特段、ゴルゴーンの体に異常があるようには見えない。

 だが、違和感は拭えない。これは本当に自分の体なのかと疑いたくなる感覚に陥る。

 

「おい、ハルパーって知ってっか」

 

 自らの身体に起こっている異常。

 その正体が掴めず困惑するゴルゴーンに、燈也は静かに語りかけた。

 

「知らねぇわけがねぇよな? お前を殺した、不死殺しの鎌だ」

 

 フワリと宙に浮き、そのままゴルゴーンと同じ目線にまで昇る。

 

「ハルパーだと...? 貴様、一体何を──」

「解析すんのはだいぶ骨が折れたぜ? なんせ神造兵器だ、最初は仕組みがほとんど分からなかった」

 

 問いかけたにも関わらず、燈也はゴルゴーンの言葉など無視して語り続ける。

 

「魔眼ってのは便利だなァ。本当なら数秒はかかる魔術式も、瞳に埋め込んどきゃあ魔力を流し込むだけで発動する」

 

 妖しく、そして魅力するかのように輝く紺青の瞳でゴルゴーンを見据え、不敵に笑ってみせた。

 

「実際に使ってみるのは初めてだが、なんだ、予想よりも効果覿面みたいだな。お前がゴルゴーン...いや、メデューサだからか? ティアマトに通用するかを見極めるための予行のつもりだったが...とんだ役不足だったかも知れねぇ」

 

 わざとらしく、大袈裟にやれやれと嘆息してみせる燈也。

 明らかに小馬鹿にした態度を取られ、ゴルゴーンのボルテージは更に上がる。

 

「舐めるなと言っているッ!」

「ああ、俺も言ってんな」

 

 逆上し、全ての髪蛇を一斉に燈也へ向かわせた。

 だがその悉くが落雷により撃ち落とされる。

 

「あの世で悔やめよ、蛇神風情。まァどんな神性を持ってようが、たかだか英霊でしかねぇお前が行くのは“座”ってとこなんだろうがな」

 

 燈也の手に、巨大な剣が投影される。

 名を『千山斬り拓く翠の地平(イガリマ)』。古代ウルクにルーツを持つ神造兵器だ。

 もちろん、そこに神性などありはしない。

 これはただのハリボテ。ただ大きいだけの(なまくら)で、放っておけば数分で霧散してしまうだろう。

 

 だが、それで十分。

 

 山のような高さを誇る鉄剣が振り上げられる。

 その光景に、ゴルゴーンは愚か、少し離れたところで戦っていたキングゥと信長、傍観していた景虎と立香、逃げ惑っていたウルク兵、彼らを統率していた牛若丸に弁慶。その場にいるほぼ全員が動きを止め、言葉を失う。

 

「死に晒せ」

 

 訪れた静寂の中、燈也の無慈悲な裁きが振り下ろされた。

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 天を突くような巨大な剣は、スカサハ達に置いていかれ、ウルクから遥か数十キロ離れた位置にいるマーリンの目からでもなんとか視認できた。

 まあマーリンは現世を見渡す千里眼を持っている。仮に肉眼で視認できなかったとしても、その様子を見ることは可能だ。

 

「私が行くまでもなかったか。かの王が本気で戦えば───」

 

 走ることを止め、一応の確認の為に千里眼を使おうとしたその時。

 マーリンの体に異変が現れる。

 

「ゴハッ、ゴホッ.....!」

 

 急に体の内側が痛みだし、喀血する。

 外部からの攻撃があったわけではない。その場には魔獣はおろか、風に揺れる植物以外の生物すらいなかった。

 何が起こったのか。マーリンですら一瞬困惑するが、すぐに原因を思い至る。

 

「...しまった、そういうことか」

 

 内側から身体が崩れていく不快感と痛み、そして最悪の未来へ繋がってしまったことへの焦燥から、マーリンの頬を汗が伝った。

 

「化かし合いにおいて、この僕が一枚上手をいかれるとは...。それにしても、この目覚めの速度は異常だ」

 

 ゴルゴーンの死が与えた衝撃でティアマトが夢から醒めるのは分かる。

 だが、あまりにも早い。まだゴルゴーンが倒されてから数分も経っていない。ティアマトが朝に強い、などと馬鹿げた理由でもあるのだろうか? それとも、佐久本燈也という存在がティアマトを引き上げているのだろうか?

 後者の方が理由としてはマシだな、などと考えながら、マーリンは遠隔通信魔術の行使を試みた。カルデアに、そしてギルガメッシュに、この状況を知らせなければ。そう思ったからだ。

 しかし、もはや魔力すら上手く練れない。霊基が限界を迎えている。

 

「...いや、まだ希望はある。数こそ足りないが、王たちを信じるしかない」

 

 誰にも届かぬ声を漏らし、とうとう耐え切れずに膝をついた。

 

「私も、できるだけ早く.....───」

 

 か弱い声は空気に溶け、マーリンは誰にも気付かれることなく消滅した。

 

 

 * * * * *

 

 

 

 ゴルゴーンを両断し、彼女から聖杯の残滓を奪い取った燈也は、黄金の光体を手で弄びながらゴルゴーンの元を離れる。

 

「母上!!」

 

 静寂からいち早く動き出したのはキングゥだった。

 すでに事切れたゴルゴーンへ最速で近寄り、彼女の死を明確に認識して狼狽する。

 そんなキングゥに目をくれることもなく、燈也はリリアナを探した。

 

「マスター!」

 

 リリアナの気配を見つけ、そちらに行こうとしていたところで、景虎が燈也に駆け寄る。

 

「あ? なんだお前、やけに嬉しそうだな」

「そりゃあもう! この戦、我々の勝ちが決まったので!」

 

 敵大将たるゴルゴーンの死。これは勝敗を決するには十分すぎる成果だ。

 ウルクの民たちも、状況こそ飲み込めていない者が多いが、終わったのだという実感が徐々に湧いてきているのか、笑みや涙を浮かべている者も少なくはない。

 

「やったね燈也! やっぱりキミが最強だ!」

 

 これまた嬉しそうに駆け寄ってくる立香を見て、燈也はフンと鼻を鳴らした。

 

「まァ俺が最強なのはそうだが、まだ終わっちゃいねぇぞ。気ぃ緩めんな」

「キングゥのことですか? であればマスターがいれば問題ないですし、私と信長の二人で相手をすれば十分かと」

 

 私だってそこそこ強いんですよと胸を張る景虎に、呆れたように嘆息して返す。

 

「キングゥじゃねぇ。まだ倒してねぇやつがいるだろうが」

「え?」

 

 

『た、大変だ藤丸くん! ゴルゴーンの消滅は確認した! なのにその特異点はまだ修復されていない!』

 

 突然、焦りきった声音が響く。

 声の主は遥かカルデアにて特異点を観測し続けていたロマニ。詳しくはその隣にいるダ・ヴィンチが気付いた異常事態だ。

 

「やっぱ、あいつを沈めなきゃ終わらねぇよな」

 

 燈也が西の方角を睨む。

 釣られて、景虎や立香もそちらを向いた。

 

 何も無い。澄み切った空と遮蔽物のない地平線が拡がっているだけだ。

 燈也が何を言っているのか分からず困惑する立香と違い、景虎は燈也の言わんとしていることを理解した。

 

「...そうか、海獣ティアマトですか!」

 

 未だ姿を見せない、燈也が最大の興味を持っていた神性。

 以前燈也がペルシャ湾に訪れた際に「封印のようなものをされている」と言っていたが、それが何かしらの原因で目覚めたのだと。

 

『ティアマトだって!? ゴルゴーンがそう名乗っていただけじゃなかったのか!?』

「まぁティアマトのと同じか似た権能は持ってた。封印されたティアマトが送り出した代行者。本命の前の前座ってとこだろ」

 

 ま、知らんけど。

 そう燈也は言い捨てる。

 

「前に俺が戦ったティアマトより強そうだ。虎、お前らの力も必要かもしれねぇ。戦力は多いに越したこたァねぇからな」

 

 その為にも、リリアナを回復させたい。

 一通り聖杯の残滓を解析した燈也は、自分の魔力を使うよりも効率的に奇跡を起こさそうだと判断した。

 

 今度こそリリアナの元へ行こうとした、その時。

 

 

「ッッッ!!?」

 

 

 とても奇妙な感覚が燈也を襲う。

 

「? いかがなさいましたか、マスター」

 

 突然動きを止めた燈也を訝しみ、景虎が問いかけた。

 だが、燈也はそれに答えない。

 

「(この感じは...)」

 

 膨大な何かが自分の中に入ってくる感覚。

 今まで自分の中にはなかった異物が入り込んできているようで、しかし違和感も嫌悪感もない。まるで元から自分に備わっていたかのようによく馴染む。

 感覚は権能を手に入れた時と似ているが、アレは完全な異物が流れ込んでくるイメージ。魂に新たな力が付与された感覚だった。

 だが、今感じている感覚は違う。外付けなどではない。元々足りなかったものを補っていくような、自分が自分として確立していく感覚。これこそが本当の《佐久本燈也》なのだと言わんばかりのフィット感。

 

 そして何より気にしていたのは、

 

「(あの時(・ ・ ・)と同じ──)」

 

 燈也がこの奇妙な感覚に見舞われるのは、これで二度目(・ ・ ・)だということ。

 

 正体は知っている。

 燈也の魂に刻まれた、彼に与えられた使命。燈也を大王(・ ・)たらしめる極大の恩恵だ。

 

 使い方も効果の上限も分からないが、この感覚の正体と、今から起こる事象は分かる。

 

「チッ。利用されてるみたいであんまし好きじゃないんだがな」

「?」

 

 意味の分からないことを言い出したマスターに疑問符を浮かべる景虎の隣で、またもロマニが叫ぶ。

 

『解析が完了した! 時空震が起きている! 恐らく、ティアマト神の影響だろう! そしてそのティアマト神のクラス判定も出た! んだけど...信じられない、ありえない。そんなことがあるもんか。仮にも原初の母だぞ!?』

「うるせぇ。言うなら早く言え」

 

 言い淀むロマニだったが、燈也に言われ、意を決したかのように続きを口にする。

 

『これは、このクラスは────ビースト。人類悪だ』

 

 人類悪。

 人間の獣性から生み出された、災害の獣どもの総称。

 文字通り人類の汚点であり、人類を脅かし、人類を滅ぼす、人類種の癌細胞。

 

「文明より生まれ文明を食らうモノ。霊長の世を阻み、人類と築き上げられた文明を滅ぼす終わりの化身、だったか、確か」

 

 これもまた、カルデアの資料室で見た文献に乗っていたなと思い出す。

 そして確信した。ああ、なるほど確かに。そんな奴が出てきたとあれば、それは俺が(・・)倒すべき敵だ(・・・・・・)、と。

 

「だいたい三年ぶりくらいか? こんなにも体が満たされてんのは」

 

 そういう燈也の手には、いつの間にか一振りの短剣が握られていた。

 太陽光を反射し、キラキラと輝くそれを、立香へと投げ渡す。

 

「うわっ!? ちょ、いきなり刃物なんか投げないでよ!」

 

 ただの人間でしかない立香は、飛んできた剣を受け止めるなどせずに避ける。

 当然だ。誤って刃など握ってしまった日には、最悪指が落ちるのだから。

 抗議の目を燈也に向けたあと、立香は地面に突き刺さった短剣に目を向ける。

 

「え? これって...え、もしかして宝石剣!?」

 

 慌てた様子で短剣──煌びやかな宝石剣を拾い上げ、まじまじと見る。

 ずっしりと重い。確かな宝石の質量がそこにある。

 

「そいつは破壊されない限り消えねぇ投影品だ。売るなり触媒にするなり、好きにすればいい。冥界下り、俺に付き合った褒美だ」

「それって.....」

 

 破壊されない限り消えない投影品。

 それは、つい数刻前に燈也が自分には出来ないと断じた、エミヤ専用の投影魔術と同じだ。

 燈也が嘘をついた? いや、それはないだろう。意味が無さすぎる。

 であれば一体───

 

『まずいぞ! ティアマト神以外にも魔力反応を検知! 一個体の魔力量はウガルを上回っている! しかも総数が一億を超えているぞ!? なんなんだこれ!?』

 

 思考の海へ潜りかけていた立香に、ロマニの声が冷水のようにかけられた。

 

「い、一億!?」

 

 途方もない数に、立香は宝石剣を拾うことすら忘れて狼狽する。

 

「落ち着け立香。相手がティアマトってんなら億の仔を創るのも造作もない。だが不味いな、もう海の支配権は完全にあっちに取られたかもしれねぇ。ティアマトの野郎は俺が相手するとしても、それで周りにまで気を配れるかは分からん。俺が仔を創れねぇ中で億の敵が相手じゃお前らには荷が重いかもな」

「何も落ち着ける情報がないけど!?」

 

 安心させたいのか不安にさせたいのか。

 とにかく落ち着いていられる状況ではないことは事実だ。

 

「慌てたって状況は好転しない。それはお前だってよく分かってんだろ」

 

 心底不安がっている立香に、燈也は諭すように言う。

 立香はこれまで、大小含めていくつもの特異点を渡ってきた。自分の身に迫る死を感じたことも決して少なくはない。

 そんな中で、何故生き残ってこれたのか。もちろんマシュを始めとしたたくさんの味方による守護・支援があってこそではあるが、何より立香自身が諦めなかったからこそ、彼は生存を掴んでこれた。

 まだ慌てる時間じゃない。確かに絶望的な状況だが、諦めるにはまだ早い。

 

 燈也という絶対的な存在が一緒だったからか、今まで強く持ってきた気持ちが緩んでいた。

 パァンっと自分の頬を両手で叩き、ジンジンと走る痛みで以て気持ちを引き締める。単純だが、だからこそよく効く。

 

 立香の瞳に火が灯った様子を見て、燈也は満足気に笑う。

 

「いい顔だ。そんじゃあやるぞ、立香。神狩りだ」

 

 

 

 

 




燈也「失礼な。俺は王だ(`・ω・´)キリッ」
題名を改めた方がいい。



・『不死殺しの魔眼』
その名の通り、不死を殺すための魔眼。相手の不死性を無効化する。カルデアにて子ギルに見せてもらったハルペーを解析し、その構成を魔術式として書き起こし、斬ることなく効果を付与できるように改変し、それを自分の眼球に埋め込めたもの。言うは易し、普通は無理である。というか、数秒もあれば魔術式を構築できるため、別に魔眼にする必要はなかった。ただ「カッコイイ」という理由だけで魔眼にしたという、王にしては珍しい少年心(厨二心)が働いた一品。基本性能はハルペーとほぼ同様。そのためメデューサ(ゴルゴーン)には効果絶大。発動時は瞳が紫色に輝くため、『置換の魔眼』同様、その発動は周囲に感知されやすい。



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作戦? BBB! EXアタックだ!

サボってました。
ごめんなさい。


 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩! ご無事ですか、先輩!」

 

 

 周りへの配慮など忘れ去り、大盾を持った少女が全力疾走で駆けてくる。

 

 敏捷Dとはいえ、その域はすでに人間を超えており、車並の速度で二メートルはあろうかという大盾が移動している。言うなればダンプカーが突進してきているようなもの。

 優れた身体能力を持つ神代の兵士でさえ、身の危険を感じて道を開けていた。

 

「マシュ!」

「先輩!」

 

 藤丸の声を聞き、無事な姿を確認し、ダンプカーもとい藤丸の正式サーヴァント、マシュ・キリエライトの顔が綻ぶ。

 余程心配だったのだろう。今にも泣き出しそうだ。

 

 そんな感動の再会を他所に、スカサハはリリアナの下へ詰め寄る。

 

「...馬鹿弟子。貴様、その手はどうした」

 

 その手。手首から先が無い右手の話。

 心配してくれている...わけがないことはリリアナがよく分かっている。

 これは説教なのだ。

 

「いや、違うんです。油断したとかではなくてですね。こうしないと死んでいたというか」

 

「油断でないとすれば修行不足か。それにしても嘆かわしい。相手が神とはいえ、一人で戦っていたわけでもあるまい。ヘラクレスもいたのだろう? それを貴様、軽傷であればまだしも、まさか片手を無くしてくるなど。だいたいお前は──」

 

 

 言い訳を試みたリリアナだが、そんなものが通用するのなら苦労はない。

 くどくどくどくど、過去の話まで持ち出してリリアナの不出来を嘆く影の国の女王サマ。

 

 

 

 リリアナは強くなった。

 肉体的にもだが、それよりも精神面の成長が顕著だ。

 昔は自身の過小評価が酷く、劣等感に苛まれ、敗北の度に自分は燈也()の剣として力不足だと消沈していた。

 

 エリカと比べられ、その次は羅濠の弟子・陸鷹化の完成度との比較、さらにその先でサーヴァントという歴史に名を刻む英傑、そしてそれらと限りなく近い実力を持つ粛清騎士との会合。

 

 人間としては、リリアナはキャメロットに辿り着いた時点で、すでに最高峰に近い実力を持っていた。

 だというのに、比べる相手は人外ばかり。リリアナの周りには常に強者が蔓延っていたのだ。

 

 加えて、燈也という魔王の存在である。

 彼は、リリアナが手も足も出ない相手を、片手間で屠ってきた。

 比較対象がおかしいなど考えもせず、リリアナはただひたすら、自分は弱いのだと思い込んでいたのだ。

 故に、彼女の思考はマイナスへと向いていた。

 

 

 

 それが、今ではどうだ。

 リリアナはゴルゴーンに負けた。

 敵に一太刀も浴びせることなく、片腕を失ったのだ。敗北以外の何物でもないだろう。

 それを経て、リリアナは未だ消沈し切ってはいない。

 

 もちろん、悔しさや劣等感はあるだろう。

 だがそれでも、今のリリアナは前を向けている。

 それが何よりの成長だ。

 

 

 

 

 それを見て一番喜んだのは燈也だった。

 

 

「その辺にしとけ、スカサハ。あんまりうちのリリアナを虐めてくれるな」

 

 リリアナの様子を見に来た燈也が、長ったらしい説教を垂れ流していたスカサハを止める。

 

「! 王よ、ご無事でしたか」

 

 燈也の姿を視認したリリアナは、少し青い顔のままに声を上げる。

 

「そりゃこっちのセリフだ。腕の方は...ああ、しっかり止血されてんな」

「はい。ウルクの兵たちがきちんと処置を施してくれたので」

 

 言って、近くにいた兵士たちに目を向ける。

 それにつられて燈也も兵士らへと目を向けた。

 すると、兵士たちは緊張した面持ちで敬礼を示す。

 遠目とはいえ、燈也とゴルゴーンの戦いを目にしたからだろう。明らかな恐怖の念が込められた目で、燈也を見ている。

 

「そうか。ご苦労だったな、ギルガメッシュの兵士ども。褒美をやろう。金がいいか?」

「い、いえっ! 我らは我らの仕事を全うしただけですので...!」

 

 昔からこの都市を治めてきたギルガメッシュとはまた違う、絶対的な王者への畏怖。

 そんな相手から労われるなど恐れ多いと、兵士たちは燈也からの下賜を拒否しようとする。

 

 しかし、それを燈也は許さない。

 

「うるせぇ。俺がやるっつってんだ。大人しく受け取れ」

 

 ギフトカードから宝石や金塊、冥界で拾った鉱石などの山を、兵士たちの前に出す。

 基本的に他人に興味も関心もない燈也だが、王としてやるべきことはやるし、そこに他人の意見などありはしない。

 相手が気持ちなど関係ない。自分がやりたいからやる。

 要するに、ただの自己満足だ。

 

「佐久本燈也。リリアナの教育は儂に一任しているはずだろう。口を出すな」

 

 説教を中断させられたからか、スカサハが不機嫌そうに言ってくる。

 

「修行については感謝してるよ。だが、あんまりやりすぎるな」

「何を言う。一人前の戦士には程遠い。まだまだしごかなければならん」

「だったら今じゃなくていい。全部終わってから煮るなり焼くなり好きにしろ」

「!?」

 

 リリアナの目に驚愕が浮かぶ。

 助けてくれたと思っていたが、そうではないらしい。

 

「(ま、まぁ確かに、私はまだ弱い。もっと鍛える必要がある。あるが......そうか、全部終わったら、また地獄が始まるのか......)」

 

 リリアナは消沈した。

 

 

 

 そんな弟子に反応せず、スカサハは燈也の言葉に引っかかりを覚える。

 

「全部終わったら、だと? たった今、お主が最後の神を滅ぼしただろう」

 

 そう。

 目下、人類の脅威であった三女神同盟。

 

 南米の女神、ケツァルコアトル。

 冥界の女神、エレシュキガル。

 そして魔獣の女神、ティアマト(ゴルゴーン)

 

 それらは全て、燈也によって倒されている。

 

 であれば、この特異点は修復したも同然だ。

 スカサハはそう考えていた。

 

「まだだ。倒さなきゃなんねぇ神が、まだもう一柱残ってる」

「ほう? なんだ。あのイシュタルとかいう女神か?」

「違う。相手は────」

 

 

 

「女神ティアマト。我らが母、災厄の獣さ」

 

 

 上空から、燈也の言葉に被せるように、声が響く。

 スカサハを始め、リリアナやマシュ、ウルク兵たちもそちらを見上げた。

 

「──お前のことは、信長が相手してたはずだが?」

「はっ。旧人類如きがボクを抑えられるとでも? ...と、言いたいところだけどね」

 

 苦渋に染まった顔で、声の主──キングゥは続ける。

 

「さすがはお前の仲間だ、と言えばいいか? 随分と手を焼かされたし、倒しきれなかった」

 

 キングゥにとって、相手がいくら英霊とはいえ、旧人類に遅れを取ることは屈辱以外の何ものでもない。

 

「まぁ速度ではボクの足元にも及ばないからね。置いてきたのさ。今頃は必死に追ってきているだろうね」

「そうかよ」

 

 それより、と燈也は話題を変える。

 

「まず間違いないだろうが、一応聞いておこう。今度こそはちゃんとティアマトが出てくるんだろうな? 正直、ゴルゴーンみてぇなのだったら拍子抜けもいいとこなんだが?」

「ははっ。安心しなよ、旧人類。今目覚めているのは本物の母さんだ。お前たちにはもう未来はない」

 

 不敵に笑うキングゥは、ティアマトの勝利を信じて疑わない。

 

「へぇ? 俺が負けるとでも?」

 

 対して燈也も、自分が負けるなど微塵も思っていなかった。

 互いの絶対をぶつけ合う。

 

「勝つとか負けるとか、そういう次元の話じゃないんだよ。この世の如何なる存在であれ、母さんを倒すことはできない」

 

 驕りではない。彼女には、何者も決して届かないのだと、キングゥは確信している。

 事実、獣となったティアマトは強大だ。勝てる者など存在しないのかもしれない。

 

「そうか。なら、あえてこう言おう」

 

 だが、不可能を可能に変えてこその魔王。

 キングゥの“絶対”を嘲り笑い、神殺しの魔王は宣言する。

 

 

 

「“勝者”は俺だ」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

『言ってろよ、旧人類』

 

 

 そう言い残して飛び去ったキングゥを追うことなく、燈也たちはウルク市内にあるカルデア大使館に戻ってきていた。

 

 この場にいるのは、燈也、リリアナ、藤丸、マシュ、スカサハ、そしてアナの六名。

 加えてホログラムのロマニが神妙な面持ちで写し出されている。

 

 他の英霊たちはウルク近郊の哨戒に出ていた。

 ゴルゴーンを討ったとはいえ、魔獣は健在。最終決戦の前に駆逐しておこうという考えだ。

 

 

「さて。現状の確認──の前に、リリアナ」

 

 大部屋で机を囲みながら、上座に座る燈也が話し出す。

 

「まずはお前の腕を治す。見せろ」

 

 言われて、リリアナは損傷した右手を差し出す。

 きれいに処置されているとはいえ、手首から切断されている様は痛々しい。

 傷には慣れているはずの藤丸でさえ目を逸らしてしまう。

 

『治すとはいうけど、もうほとんど完璧に処置されているよ? これ以上は、そちらの医学ではどうにもならない』

 

 医者としての見解をロマニが告げる。

 

『まさかとは思うけど、手を生やすだなんて言わないよね?』

「そのまさかだ」

 

 燈也が取り出したのは、黄金に輝く魔力。

 ゴルゴーンから搾り取った、聖杯の残滓の集まりだ。

 

「俺は基本何でもできるが、苦手なこともある。特に回復系のものは苦手だ。俺に効かないからな。あんまり使ってこなかった弊害みたいなもんだ」

 

 黄金の魔力に自身の魔力を混ぜ、それをゆっくりとリリアナの傷口に送り込む。

 

「んっ...」

 

 奇跡の残滓は柔らかに傷口を包み、黄金から白銀の輝きへと変わっていった。

 リリアナの口から吐息が漏れるが、苦しんでいる様子はない。

 

「『損傷箇所の再生』なんて、ほとんど魔法の域だ。回復魔術を極めてりゃまだしも、今の俺には不可能。だがまァ、外部の力を使えば、これこの通り」

 

 光が霧散し、リリアナの患部が露わになる。

 と同時。先程までなかったリリアナの右手がそこにはあった。

 

「え!?」

「ほう...」

「...びっくりです」

「ヒュー! さすが燈也だ! ヒュー!」

 

 当の本人、リリアナが声も出せないほど驚く中、奇跡を目の当たりにした面々は、各々驚愕を露わにする。

 特に反応が大きかったのは、医者としての知識があるロマニだ。

 

『そんな...! ど、どうやったんだい!? 時間操作!? それとも因果への干渉かい!?』

「ンな大したもんじゃねぇよ。欠損箇所を魔力で補って型どり、受肉させた。あとは治癒魔術の要領で、傷口を癒してくっつけただけだ」

『十分大したことだけど!?』

 

 確かに、時間操作や因果への干渉と比べたらいくらかは難易度が低いのかもしれない。だがそんなものは誤差だ。

 そも、魔力で補った部位、つまりはエーテル体を受肉させるなど、聖杯くらいにしか真似出来ない所業なのである。

 

『そ、そうか! なるほど、受肉を聖杯の奇跡に頼ったんだね! いや、それでも神経に至るまで精巧なエーテル体を構築するなんてすごいことだけど...』

「あ? 違ぇよ、聖杯の残滓を使ったのは治癒魔術の部分だ。受肉させるくらい俺一人で十分だわ」

『化け物! 燈也くんっていっつもそうですよね! 私たち一般人を何だと思ってるんですか!?』(エ〇漫画)

「石ころ」

『あァァァんまりだァァアァ!!!!』(スッキリ)

「動物ですら無い辺り、ギルガメッシュ王より酷いな...」

 

 この人たち、意外と余裕あるんだなぁ。

 騒ぎ散らすカルデアを見て、アナは呑気にそう思った。

 

「リリアナ。手の感覚はどうだ」

「え? あ、はい。...そうですね。多少違和感はありますが、大きな問題はないかと」

「そうか。ある程度時間が経っても違和感が無くならなかったら言え。ほかの手を考える」

 

 そう言うと燈也は再び席に座り、ふんぞり返る。

 

「さて。それじゃあ作戦会議、始めるぞ。ロマニ」

『はい?』

「現状確認だ。ティアマトの“仔”だが、俺は一億と五千くらいは感知できてる。そっちではどうだ」

『感知できてる、って...百キロくらい離れてるんだけど』

 

 呆れつつ、まぁいいやと気持ちを切り替える。

 

『そうだね。こちらでも確認できる数はその程度だ。加えて、今も尚増え続けているし...何より恐ろしいのは、その強さだ』

「強さ? どのくらいなんですか?」

『...。信じられない...いや、信じたくないが、一個体の持つ魔力量は、ウガル数体分、ってところかな』

 

 藤丸の質問に、ロマニは一息おいてから答えた。

 それにはさすがのスカサハでさえ、一瞬顔を強ばらせる。

 

 当然だ。

 ウガル──ゴルゴーンの魔獣より数倍強い敵が、さらに数倍の数で迫ってきているという。

 戦争などと、生温い表現では収まらない。

 これは蹂躙だ。

 

「まぁ、ティアマトの仔ってんならそのくらいはあるだろ。俺の創る仔(ラハム)でさえゴルゴーンの魔獣(ウガル)の三倍は強い」

 

 一同に沈んだ空気が流れる中で、燈也の声はよく通る。

 

「だが数は問題だな。これからまだまだ増えるだろうし。海の支配権が半分でも奪えれば問題ないんだが...一回見に行ってみるか」

 

 言って、燈也は立ち上がり、外に出る。

 突然の行動に周りが動けずにいる中、外から眩い光と共にゴロゴロという雷鳴が聞こえてきた。

 

「リリアナよ。貴様の主は何をしておる?」

「言っていた通り、ペルシャ湾の様子でも見に行ったのでは?」

『相変わらず自由だなぁ。...ってうわぁ!?!??』

「!? ど、どうしたんですかドクター!」

『い、いや...突然とんでもない魔力が計測されたと思ったら、敵生命体の数が二割くらい減った...。な、何を言っているか分からないと思うけど、僕自身わけが分からない。機器の故障かな...?』

 

 と、再び彼らの目と耳を突く閃光と雷鳴。

 それらが収まったと思えば、少しばかり紫電を纏った燈也が大使館の中へ戻ってくる。

 

「やっぱりダメだな。海の支配権はほとんど全部取られてる」

 

 言いながら、燈也はドカッと荒々しげに椅子に座った。

 

「王よ。Dr.ロマニが敵生命体の大量消滅を観測したと言っていますが」

「あ? ああ。雷の雨を降らせた。全部消すには数が多すぎたからな。とりあえず数割だ」

『気が狂うよ...♡』

「先輩! ドクターが壊れました!」

「ドクタァアアアア!!!!」

「お前らうるせぇぞ。黙れ」

 

 

 閑話休題(気を取り直して)

 

 

「結論だが、俺一人じゃ厳しい戦いになってきた」

『ほんの数秒で千万以上の敵を倒した人の言葉とは思えない』

 

 怯えたように言ってくるロマニに、藤丸やマシュも頷いて同意を示した。

 

「千万体程度、あっちがその気になったら数十分で補填される」

 

 それより、と燈也は続ける。

 

「雑魚も数がいればそれなりの脅威だ。ほぼ無限に湧くとなると、ティアマトに集中できなくなるからな」

『いや、相手は決して雑魚じゃないんだけど......うん、まあ、もういいや。だったら藤丸くんの仕事は、敵生命体...一応神話に(なぞら)えてラフムと仮称するけれど、そっちの露払いをしろ、ってことかな?』

「いや、違う」

「え?」

 

 思わぬ否定に、藤丸の口から疑問が漏れる。

 それはマシュやロマニ、スカサハ、アナも同じだ。自分たちの仕事はラフムの相手だと思っていたからだ。

 

「正確には、立香とマシュだけ別行動だ。ほかの奴には仔の相手をしてもらう」

「俺とマシュだけ...?」

「ああ。マシュはお前の護衛で...立香。お前に任せるのは、お前にしかできない仕事だ」

 

 思わず、生唾を飲み込んだ。

 あの魔王が、他人に仕事を任せようとしている。それも、彼の言いぶりからして、とても重要そうな仕事をだ。

 燈也とは短い付き合いだが、彼の性格はある程度知っている。

 

 一体、何を言われるのか。

 

 緊張する藤丸に、燈也は命令を下す。

 

「お前、今から女を口説いてこい」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

「マスター! 周辺の魔獣の駆逐、完了しました!」

「もう一匹もおらんぞ。全く、腹が減ったわ。肉の体を得るというのも考えものじゃの」

 

 返り血に塗れた二人の武将が、大使館へと戻ってきた。

 その後ろには牛若丸や武蔵坊、藤丸のサーヴァントである沖田とヘラクレスの姿もある。

 

「遅かったな」

「これでも随分急いだのですが」

 

 仕事を労わってくれない王に、景虎は不満を隠すことなく伝える。

 だが、文句を言ったところで何が変わるわけでもない。一度のため息で全て流し、景虎は気になっていたことを問う。

 

「そういえば、カルデアのマスターくんと盾子ちゃんは? 一緒に作戦会議をしていたのでは?」

 

 キョロキョロと大使館の中を見渡す景虎につられ、後ろにいた沖田が信長を押し退けて入ってくる。

 

「確かに見当たりませんね...上の部屋にいるんですかね? マスター! 貴方の剣がお仕事を終えて帰ってきましたよー!」

 

 沖田の叫びに答える声はなく。

 大人数が集まっているというのに、大使館に沈黙が流れる。

 

「お? 沖田め、とうとう愛想尽かされたか? まぁただの人斬りなんぞ、神の血をひく英傑がいるカルデアでは役不足も良いところよな」

「マスターはそんなことしないカリバー!」

「ビームすら出せないセイバーが何を言うとるんじゃ」

「アルトリア顔なのでいつか絶対出せるようになりますぅ! お願いシャッチョ!」

 

 いつでもどこでも騒がしい奴らだ、と燈也は呆れてみせる。

 

「まぁ、この状況で遊んでいられるのもある種才能なのかもな」

 

「!? おい、マスターがわしを褒めたぞ。今日はマグマでも降るのか...?」

「褒められたんですか? 今の。馬鹿にされたんじゃなくて? というか降るのなら槍でしょう」

「ここには槍降らしてくる奴(全身タイツ女王)がおるので槍はいつでも降ってきます」

「まぁあなたは女王様に粗相してますからね。串刺しもやむ無し。南無」

「それは回す方のノッブじゃろうが!! わしやってないもん! 揉んでないもん!」

 

「お前らちったぁ静かにできねぇのか」

 

 微妙にキレた燈也は暴力とは別の怖さがあったと、後に二人は語る。

 

 

 

 閑話休題。

 

 

 

「立香にはちょっとした仕事を任せてある。面倒な仕事だし、もう暫くは帰ってこないだろうな」

 

 自主的に正座をした沖田へ、燈也は告げる。

 

「危険な仕事ですか?」

 

 見事な正座を見せる沖田は、藤丸の身を案じて聞き返した。

 

 沖田にとって、佐久本燈也という人間は、正直なところあまり信用に足る人物ではない。

 理由はいろいろとあるが、決め手は彼女の直感だろうか。少なくとも「良い人」ではないことは確信していた。

 

「危険...まぁ、危険っちゃ危険か。展開によっちゃあ、立香がマシュに殺されかねない」

「一体うちのマスターに何をやらせてるんですか?」

「気にすんな。ただちょっと、女を口説かせに行かせてるだけだ」

「一体うちのマスターに何をやらせてるんですか!?」

「気にすんな」

 

 それより、と暴れる沖田を押さえ付けながら、燈也は話を進める。

 

「今後の戦略を話し合った結果、ティアマト本体は俺が、仔どもの相手はお前ら全員でやることになった。敵はそこそこ強いが、まぁ各々頑張って生き残るように」

 

「#戦略 とは」

「パワープレイの間違いじゃろ」

 

 景虎と信長の頭頂部に、大きめのタンコブが出来上がった。

 

「牛若丸。あの金ピカ王に伝えろ。俺は俺で自由にやる、邪魔はすんな。ってな」

「は、はぁ...」

 

 そんな事を言えば自分の首が飛びかねないのですがそれは...

 という言葉を飲み込み、なんとか噛み砕いてギルガメッシュには伝えようと決める。

 

「とはいえ、あの金ピカの戦力もバカにならない。あいつ自身もそうだが、牛若丸や弁慶なんかの契約サーヴァントも......あ? そういやマーリンのやつはどうした?」

 

 マシュらは帰ってきたというのに、同行していたはずのマーリンが見当たらない。

 

「そういえば、途中で置き去りにしてから見ていませんね。魔獣の餌にでもなったんでしょうか?」

「フフォーウ!!(特別意訳:ざまぁみろ!!)」

 

 今まで口を閉じていたアナが呟き、フォウも続く。

 フォウの言葉が分かる燈也としては、何がそこまでマーリンを嫌悪させるのかが分からず、首を傾げた。

 

「ま、いないならいないで問題はない」

 

 強力な戦力だが、別段絶対に必要というわけでもない。

 

 

 燈也としては本当に、心の底から癪だが、今回の戦いはギルガメッシュの力を借りざるを得ないと考えている。億の相手に対処するのであれば、宝具ハリケーンのギルガメッシュの力は絶対に必要だ。

 だがそれはギルガメッシュ個人の力であって、彼が契約するサーヴァントは付属品でしかない。

 

 故に、牛若丸を通じて煽るような言葉を投げかけることにしたのである。

 軽く煽ってやれば、基本的に沸点の低い英雄王は腰を上げる。なんとも軽い腰だ。

 まぁ燈也もギルガメッシュ同様煽り耐性は低いので、立場が逆であればギルガメッシュと似たような行動を起こすのだろうが。

 

 

 まぁ要するに。

 燈也がウルク側に求めている戦力はギルガメッシュのみ。ほかはまぁ、いるなら使えるか、くらいの気持ちだ。

 

「戦闘開始は明朝だ。各自、休憩なり鍛錬なり、明日に備えとけ。以上、解散」

 

 

 

 * * * * *

 

 

 

 一方、藤丸はというと。

 

「またこの道を下ることになるなんてなー」

 

 薄暗い道を、マシュと二人で歩いていた。

 

 

 

 ここは冥界。

 生が行き着く、死の王国。

 

 たった数刻前に脱出したばかりのこの国へ、藤丸は再び足を運んでいた。

 理由は明快。魔王に仕事を任されたからである。

 

 

「マスター、足元が悪い上にこの薄暗さです。転ばないよう、気を付けてくださいね」

「うん。ありがとう、マシュ」

 

 先程までは多くの(ゴースト)に囲まれていたのだが、それもマシュが一掃した後だった。

 今は敵対反応もなく、ただただ坂を下っている。

 

「...本当に暗いです。人間は本能で闇を恐れるといいますが...この闇はそれとはまた少し違った、なんというか、もっと“濃い”恐怖を感じてしまいますね」

「そうだね。黒より黒く、闇より暗き漆黒、って感じだ。爆裂しなきゃ」

「意味が分かりません」

 

 思えば、こうして二人で歩くのは久しぶりかもしれない。

 場所は場所だが、久方ぶりの状況に、マシュは少しだけ気が盛り上がっていた。

 

 しかし、そんな高揚した気分も、徐々に徐々に薄れていく。

 

 

「あ! 燈也が殴って砕けた岩だ! ってことはもうすぐ門かぁ」

 

「あ! 燈也が脱ぎ捨てた服だ! まだ残ってたんだ」

 

「あ! 燈也がつまづいた窪みだ! 笑ったらすごい睨まれたんだよね...本当に殺されるかと思った...ロンドンで遭った魔術王より怖かったよ...」

 

「あ! 燈也が────」

 

 

 道行く先々に、藤丸(マスター)と例の魔王との思い出()が散らばっている。

 

 自分は初めてなのに、相手には別の人物との思い出がある。

 これは今カノが元カノへ抱く“嫉妬”という感情か。マシュはまた一つ、学ばなくてもよい学びを得た。

 

 いや、別にマシュは藤丸の今カノではないし、燈也も藤丸の元カノではないのだが。

 

 

 それに加え、マシュの機嫌を損ねる原因がもう一つあった。

 

「ふぅ。結構下ったね。あと少しだよ」

 

 軽く汗を拭う藤丸。

 疲れ、だけではない。これから自分が行うべき所業に対して、僅かどころではない緊張がある。

 

「...本当に、俺にできるのかな」

 

 藤丸の不安からくる呟き。これに対し、普段であればマシュが肯定しフォローする側に立っていただろう。

 しかしながら、今回ばかりは言葉に詰まる。

 

 藤丸には無理だ、と思っているわけではない。

 あまりやってほしくない、と思っているのである。

 

 

 

 ───冥界に行って、あの根暗女神を口説いてこい。

 

 

 

 燈也より下された任務に、マシュは最初、猛烈に反対した。

 藤丸も、反対とまではいっていない様子だったが、何故自分が行くのかと疑問を抱いていた。

 

 それに対する燈也の答えはこうだ。

 

 

 

 ───だってお前、女誑かすの得意だろ。

 

 

 

 絶句だった。

 藤丸は「自分にそんなギャルゲー主人公みたいな特殊能力はない」と思ったが故に。

 マシュは「先輩なら本当に女神の心すら動かすかもしれない。だって先輩だし」という、ある種の不安から。

 

 

 マシュとしては、本当は藤丸を行かせたくはなかった。

 本人すらはっきりとは自覚していない恋心からくる嫉妬、という側面。

 そして、生身の人間であるマスターを危険極まりない冥界、そして女神の前に行かせることに対する不安があったから。

 

 

 しかし、冥界の女神を味方に引き入れることができたのなら、ティアマトという強大な敵に対抗するための大きな武器になる。

 そういうことも理解できてしまうが故に、マシュは渋々、燈也の命令に従った。

 

 

 

 はぁ、と漏れた二つのため息が、冥界の闇に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 



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