もし、錬金術士に妹がいたら (睦月江介)
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編入編
一皿目 錬金術師の妹


最近ソーマ二次創作が面白いので書いてみました。正直見切り発車なので完結できるかは怪しいです。
アニメは未視聴、コミックは連隊食戟編まで見ていますがちょっと記憶に自信無し。
主人公はあの兄とはちょっと視点が違いますが根っこは似た者兄妹のつもりです。


3年間学び、無事卒業できる者は10%とも言われる食のエリート養成学校・遠月学園。その編入試験でえりなが認めたのは、たった1人だった。ハッキリ言って、出された品は彼女の技量を見るには『足りない』。が、それでも編入を認めるに足る程『考えられて』いたのだ。

 

「どうぞ」

「ゆで卵だと!? 貴様……」

 

 バカにしているのか、と緋沙子が激昂する。だが目の前の少女は調理中外していた眼鏡をかけなおし、いけしゃあしゃあとのたまった。

 

「あら、これは試験官の薙切えりな様のことを考えた選択ですよ?」

 

 そのあまりにもふざけた物言いの真意を、尋ねる。

 

「……どういう事かしら?」

「試験前から顔に書いてありましたよ、『こんなくだらない試験、さっさと終わらせたい』って。なら、調理時間は短いに越したことはありません……それに、これはこの学園とえりな様を『信用した』という意志表示でもあります」

「信用、だと?」

「はい。食の超エリート校遠月学園の編入試験、それも『神の舌』が試験官を務めるとなれば用意されている食材は最高の品質でしょう……その点を信用したのです。そして、それ自体がハイレベルな美食たり得るほどの素材なら、下手に手を加えるのは野暮ではないですか?」

「なるほどね……続けて」

「なので、今回は素材の良さをそのまま味わえる半熟のゆで卵と、トッピングを3つだけにさせていただきました。もう少し言えば、いかに『神の舌』えりな様と言っても私と同じ年頃の女性です。胃の容量もあれば、カロリーだって気になるのが普通です」

「っ……!」

「そこを考えれば、サッと食べられる卵1個ならいくらか気が楽ではないですか? トッピングがちょっと高カロリーになってしまいましたが、やっぱり卵1個に使う量なんて知れていますからかわいいものですよ」

「じゃあ、その肝心のトッピングは……これも随分シンプルね。左のは、味に丸みのある岩塩を、ミルで挽いただけ」

「はい。素材を味わうにはもってこいですよ。今回はヒマラヤ産ピンクソルトを挽きました……シンプルすぎますから、色くらい可愛げがあったほうが嬉しいのではないですか?」

「……真ん中は、ただのマヨネーズね。コメントも何もあったものじゃないわ」

「定番中の定番ですからね。ただ、ここにあった調味料ですから、品質は言うまでもなし。少し味を見ましたが、まろやかで濃厚過ぎず、卵の味を殺すことはありません」

「右のは……見ただけではわからないわね、黒いソース……」

「先の2つは安定ですが、逆に言えばつまらないですから少し思い切ったものが欲しいのではないかと思いまして。すり下ろしたトリュフとフォン・ド・ヴォー、少量の生クリームを弱火で温めたトリュフソースです」

 

 早く終わらせたい、という考えを汲み取り、えりなの心情に寄り添い、遠月学園の力を信用して作られたゆで卵……更にそれを邪魔しない、シンプルなトッピング……あまりにシンプルであるがゆえに、美味くないはずがない。それだけにつまらないのだが、ここにきて意表を突くトリュフソース……随分と計算高いことだ。それだけに気になった。

 

「このソース、白身と一緒に食べては味が薄まるし、舌触りも悪くなるんじゃない?」

 

 それを聞くと、さらに少女は笑みを見せた。

 

「そんなもの、避ける手段は目の前にあるじゃありませんか」

「! 塩と、マヨネーズ……」

「その通りです。私は言いましたよ? これはこの学園と『えりな様を』信用した意志表示だと。『神の舌』であれば、美味しい食べ方くらい理解できますよね? なら、わざとダメな選択をするなんて、私を意図的に落とそうとしない限り取らないのではありませんか?」

「…………いい性格してるわね、貴女」

「よく言われます」

「……茹で時間は完璧ね。塩とマヨネーズは味を見るまでもなし」

 

 皮肉も通じない少女の態度に少し苛立ちながら、トリュフソースを一口だけ、口にする。

 

「贅沢に使われたトリュフの芳醇な香りと味わい、更にフォン・ド・ヴォーと生クリームによるコク……これがあれば、確かに卵の味を一段階上に引き上げられるでしょうね。いいわ、合格よ! 貴女名前は?」

「架浪葉。叡山架浪葉(かなは)です」

 

 その名を聞いて、緋沙子は驚きとともに眉をひそめた。

 

「叡山、だと? お前まさか……」

「兄ぃをご存知でしたか。架浪葉はこの学園に兄がいます。兄の名は叡山枝津也と言います」

「彼に妹がいたというのは初耳ね」

「普通に想像される仲のいい兄妹などではなく、架浪葉と兄ぃはいずれ潰しあう仲なので言う必要が無かったのでしょう」

「……色々と合点がいったわ、ありがとう。編入の時に挨拶があるから、考えておいてね。編入の案内書類は2、3日もすれば届くわ。お兄さんに直接渡しても良いけれど」

「それはやめてください。編入書類がシュレッダーにかけられたりしたらシャレになりませんので」

 

 後日、えりなは架浪葉に完全に『嵌められていた』事に気付いた。あのゆで卵……塩とマヨネーズは『良く無い食べ方』の回避手段であるとともに、唯一まともに手を加えて作っていたトリュフソースへの誘導手段であり、『神の舌』と己の知識への自信ゆえにそれに従うほかなかった。

 

 考えてみればゆで卵そのものが罠であり、架浪葉は『遠月学園の力』と『神の舌』を信用すると言って、用意した食材の中で最高の卵を使ってきた……これを否定することは、彼女が信用した『遠月学園の力』、ひいては祖父が築き上げてきたものの一端を否定することに他ならない。これに気付いたとして、『NO』を突き付けるのは精神的に相当難しい。ソースの味からして腕に間違いはないが、そのうえで心理的な罠を張っていたのだ。流石あの男の妹、というほかはない……自分は編入を認めてしまい、書類も送ってしまったのだから。

 

 気付いてしまったが故に苛立っていたところに、幸平創真の編入が認められたと聞き、怒りが爆発したのはさらにその翌日のことであった。

 

---------------

 

「それでゆで卵1個で合格したってのか! 流石俺の妹だ!!」

 

 架浪葉の合格を聞き、叡山枝津也は大袈裟なまでに喜んだ。そして胸ポケットからUSBメモリを取り出すと架浪葉に手渡す。

 

「編入祝いだ。俺が手掛けてる店舗のうち、1店のコンサルをお前に任せてやる。資料はそのメモリの中だ、うまくやれたら、更に稼がせてやるから俺の下につけよ」

「ありがたく受け取りますが、兄ぃは勘違いしていますね」

「は?」

「架浪葉は兄ぃの下につくためではなくて、札束で殴り合う力をつけるために遠月学園に入るのです。宣戦布告、します……架浪葉は遠月学園で兄ぃのところまで駆け上がって、並び立って……ぶん殴ります」

 

 その後、遠月学園の入学式で架浪葉は『腕に自信がある人になら、協力します』と取れる挨拶を述べた。

 

「叡山架浪葉です。架浪葉は無駄な争いを好みませんので、創真君のようにケンカを売るつもりは毛頭ありません」

「あの子、さっきの編入生よりまともだな、それに結構可愛いし」

「お前ロリコンか? 小学生……てか、良くて中学生に見えるぞ」

 

 そんな『可愛らしい』『可憐』というイメージが次の言葉でミルで挽いたかのように砕かれる。

 

「架浪葉はお金が大好きなので、自分の皿を札束に変えられるという自信と腕の持ち主であれば協力は惜しみませんし、架浪葉の邪魔さえしなければ条件次第ですが協力もやぶさかではありません。皆さんと一緒に『稼げる料理人』になれればと思いますので、よろしくお願いします」

 

((うわぁ……))

 

 間違いなく『表面上は』友好的な態度だったのに、新一年生たちは言葉を失ったのであった。




最後の挨拶、裏を返せば『稼げないやつに興味はない、邪魔したらはっ倒すぞ』って言ってます。ちなみに架浪葉ちゃんはこんな子です。

叡山架浪葉
身長:149㎝(150に届かないのを気にしてます)
好きなもの:金
好きな犬種:コーギー

遠月十傑・第九席『錬金術士』叡山枝津也の妹。兄のことは『兄ぃ』と呼び、一人称は『架浪葉』だが場によって『私』も使う。兄同様お金大好きで、夢は札束のベッドで眠ること、らしい。

進学で堂々稼げるようになると兄が実力を見極めるためにコンサルを任せた1店舗を皮切りに10店舗ほどの運営で才覚を見せ始めた。(なお、枝津也にとっては『編入祝い』と任せた店舗も収益が悪く500店舗のうち1つなので失ってもさして痛くもない店だったりした)

『信用が金を生む』という商人的な考えから兄のような妨害行為は『信用が落ちる』ため好まない。が、相手の心理を誘導することを好み兄がインテリヤクザなら妹は詐欺師に近い。金髪は料理の邪魔にならないよう短く切りそろえていて、兄同様目つきが悪いため心証を悪くしないために普段は伊達メガネを着用。料理中は邪魔なので外す。

ゆで卵のトリュフソースは美味しんぼが元ネタです。




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二皿目 猛禽類の目

架浪葉は実のところそこまで悪人ムーブはしない(はず)
R-15タグや百合のタグは百合発生したらつけるつもりでしたが、どうしたものでしょうね?
あと、せっかくなので色々なキャラにスポット当てられればなと思っております。


 幸平創真が挨拶での宣戦布告で周囲を炎上させたのに対し、叡山架浪葉の挨拶は周囲を絶句するほどドン引きさせた。その違いが、さっそく授業で現れる。

 

“笑わない料理人”ローラン・シャペル先生のブッフ・ブルギニョンを作る授業において幸平創真・田所恵ペアの鍋に大量の塩が投入されるという妨害行為が行われたのだ。対して、架浪葉には何もなし。

 

「いい気味じゃないか、なあ?」

 

 ペアの男子にそう振られると、架浪葉は盛大にため息をついた。

 

「くだらないですね。非効率極まりないです」

「え?」

「くだらないと言いました。妨害行為を働いたところで自分の皿の評価が上がるでなし、時間と塩の代金というコストの無駄遣いでしかありません。そもそも、見つかった時点で自分の評価が下げられたり、最悪退学を言い渡されるリスクは考えていないのでしょうか? この学園のシステムなら使えない人間は放っておいても淘汰されるのですからリスクとリターンがかみ合っていない、というよりほぼリスクしかありません。そんなくだらないことをするくらいなら、自分の皿を高めることを考えた方がよほど効率的ですよ」

 

 急に饒舌になり彼らの行動の無駄を説明しながら下拵えを進める架浪葉に、男子生徒は吐き捨てる。

 

「……可愛くねえ」

 

 しかし、そんな言葉は完全に無視され、架浪葉の視線は幸平創真・田所恵ペアに向けられていた。

 

「なるほど、そうやって追い上げますか。面白いですね」

「は? なんだ、やっぱりお前もあいつらの慌てる姿が面白いのかよ」

「……少なくとも、無意味な妨害行為よりはよっぽど参考になりました。少し、肉に手を加えても良いですか? 多分これでA判定を狙いに行けます」

「え? まあ、そういう事なら構わないけど」

「ありがとうございます」

 

 多くの生徒の予想に反しシャペル先生を笑顔にさせたたうえでA判定をもぎ取った幸平創真・田所恵ペアから遅れること3ペア、架浪葉のペアが審査を受ける。

 

「ほう……この柔らかさ、幸平・田所ペア同様に何か肉に工夫をしたのだな?」

「はい。彼らがハチミツを使うのを見て、ひらめきました。しかし同じものを使っては意味がありませんので、これを使いました」

「パイナップルか」

「パイナップルも、ハチミツ同様タンパク質分解酵素があります。食べると舌が痛くなるあれです、釈迦に説法というやつでしょうが」

 

 そして、一口食べ……

 

 ふぐぉっ! こ、これは! 肉に残ってしまうパイナップルの香りに負けぬよう、ソースの味付けがレシピよりも力強いものになっている! わずかに残った酸味は、かえってうまみを引き立てる! まるで……殴りつけてくるかのようだ!!

 

「朝食にしては、随分と刺激の強い味わいだな」

「お、おい!? 大丈夫かよ!?」

「……少しやりすぎたかもしれません。多分本来はもっと優しい味ですが、パイナップルを使ったことでソースも手を加えざるを得なくなってしまいましたし」

「安心したまえ、君達にはA判定を与えよう」

「ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます!」

 

(叡山架浪葉……彼女はレシピ通り作ればA判定を取れるところを、一歩抜きんでるために工夫を加えた。だが、あれはおそらく即興だ……先の口ぶりから、周囲を超える一手、それをこの場で思いついたのだ。そしてきっかけはあの二人。彼らのアクシデントへの対応を静かに、じっと観察することであの手法に至った……否、盗んだのだ! 鋭い観察眼と、料理の攻撃的な姿勢……見た目には小柄な少女だが、あの兄にも通じる冷たく鋭い目は、まるで猛禽類のそれだ。そのことに、この中のどれだけの生徒が気付いているだろうな?)

 

 

――授業終了後

 

「食べますか? 先程使ったパイナップルの余りを切っただけですが」

「叡山……架浪葉さん、だっけ。ありがとう!」

 

 恵は受け取ったパイナップルを口にして、心から喜ぶ。

 

「ああ……まだ熟していなくてあまり甘くないけど、さわやかな酸味と瑞々しさに心が洗われる思いだよ……」

 

 架浪葉には恵の大袈裟なリアクションの正体がわからず、表情に見せないまま困惑していたところに声がかけられる。

 

「おー! お前さっき俺達みたいにパイナップル使ってたやつか! 今度あれ食わせてくれよ!」

「まあいいですけど、架浪葉はタダでは動かない主義です。それは覚えておいてくださいね、幸平君」

「う~ん、じゃあさっき田所にも食べてもらった俺の新作、食ってみるか?」

「ではそれで手を打ちましょう」

「さあ……おあがりよ……」

「ダメ!」

 

 恵の制止は一歩遅かった。口の中で強烈な不協和音を放つ『ゲソのはちみつ漬け』に硬直し、恵のさっきのリアクションの意味を架浪葉は身をもって理解したのだった。これだけでも酷い目にあった、割に合っていないと内心嘆いていたのだが、更に不幸は続いた。

 

「まさか、本当に淘汰されてしまうとは思いませんでした」

 

 数日後、ペアを組んでいた男子を含め、数人の生徒が架浪葉が言った通り退学の憂き目にあってしまい、架浪葉はペアを失ってしまった。もうここまでくると呪いの域ではないか、と文句を言いたくても言うべき相手は誰もいなかった。

 




 モブなんでペアの名前考えてなかった、すまんな!
 架浪葉は早速田所ちゃんともどもゲテモノ料理の犠牲者になりました。以降組まされるペアはちゃんと考えています。

 進行は基本原作沿いのつもりです。今回は料理に対して特に個別の元ネタはありません。

 しかし文章量を増やすのが案外難しいな、と思うので以降もこんな感じで今後盛り上がってきたときはわかりませんが短めになると思います。


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三皿目 架浪葉と研究会

 続きました。架浪葉は銭ゲバですが大衆向けに商売を考えます。(作者が貧乏舌というのもありますが)
 理由としては薄利多売が商売の基本だからですね。いかにコストを抑えるかは商品を売るうえでの大事な課題ですから、高級食材・高級料理至上主義の考えは理解はしても心情的に好きになれません。


「食戟に、研究会ですか」

 周囲がざわめき、賑やかになってきたことで架浪葉は兄に学園独自のシステムについて聞いていた……どうせ少し調べればわかる情報なのでさしたる価値はないのだが、兄妹でもそこでなあなあにすることを良しとせず、最近評判がいいというコーヒーショップで買った豆を挽き、コーヒーを淹れることで対価とした。売れると判断できるならコンサルティングを手掛けるであろうし、そうでないにしても並び立って殴る、と宣戦布告した妹が恭しく頭を下げ、教えを乞う姿勢を見せるというのは他者を支配することを好む兄に受けが良いのは知っている。

 

「で、薙切えりなが次に潰そうとしているのが丼研で、その尖兵が水戸郁魅。食材が肉、テーマは丼……お前なら、どうする?」

 

 架浪葉は兄の問いに、しばし熟考する。興味本位の問いに対して、随分と考えて、答えを口に出す。

 

「……鶏肉、でしょうか」

「理由は?」

「言ってしまえば消去法です。一番理想的なのは『勝負は始まる前から終わっている』というやつで、審査員の買収でしょうがそんな資金はそうそう用意できませんし、発覚時のリスクが高すぎるのでダメ。かといって相手の長所を潰す、というのも厳しい。A5ランクの牛肉なんて出されたら、肉の質で勝つのは至難……というより、ほぼ不可能ですからまさにストレートの剛速球。生半可な妨害は意味を成さないでしょう」

「その通り。正攻法じゃまず無理だ」

「しかし、別に相手の土俵に立つ必要はありません。ストレートで勝てないなら変化球を投げれば良い……だからこその鶏肉です。胸肉、皮、レバー、砂肝……できるだけ多くの部位を利用して焼き鳥丼にします。多彩な食感、という別の角度で攻め、味付けは醤油ベースのタレですね」

「なるほど、理に適っている。あくまで仮定の話だが悪い考えじゃない……じゃあ、席は押さえてやるから実際はどうなったか、後で教えてくれ。コーヒーなかなか美味かったぜ」

「それは何よりです」

 

 兄の背中を見送り、架浪葉はその意図を看破した。

 

(あれは、まだ架浪葉を下に置くのを諦めていませんね。で、今の架浪葉の分析力と発想力を軽く測ったと……その評価まではわかりませんが、悪くはないのでしょう。兄ぃは使えない妹にわざわざ席の手配なんてしませんからね。結果を教えろと言ったのは、万一廃部を逃れたならその対戦相手を抱込むのも悪くないと考えている、といったところですか)

 

 誰に言うでもなく、架浪葉の口から残念だ、とその思いがこぼれる……丼研の負けをほぼ確実、と判断したが故に、それを惜しんでのことだった。

 

「もっとも、仮に『弱点をついた』としても確実に勝てるわけじゃないですし、そもそも食戟に持ち込まれた段階で7割方負けています。そんな勝負、架浪葉はゴメンですね……丼を低俗、と見る姿勢も気に入らないですけど」

 

 架浪葉は丼、というジャンルを評価していた。ボリュームがあり、コストパフォーマンスに優れ、男性を中心に、常に一定の需要がある……つまり、架浪葉の観点で言えば丼というジャンルは『売れる』のである。

 

(そこかしこに牛丼チェーンがあることで明らかでしょうに……丼というジャンルは億を稼ぐポテンシャルがある。それを低俗と切り捨てるなんてダイヤの原石を漬物石にするくらいの冒涜です)

 

 しかし、その諦観は良い意味で裏切られることとなった。

 

ー---------------

 

「お粗末!」

 

 丼研の助っ人として食戟に挑んだ幸平創真が『シャリアピンステーキ丼』で勝利を収める様子を見て、架浪葉は驚愕に目を見開いた。

 

(A5ランク牛の弱点には気付いていましたか……それでも、相手の土俵に立って牛肉で勝ってしまうとは思いませんでした)

 

 架浪葉が『焼き鳥丼』を考案したのは、郁魅がA5ランクの牛肉を使った場合生じる『弱点』を補完するためだった。

 

(A5ランクの牛肉は間違いなく最高です……が、丼に使うには『美味すぎる』。ご飯との釣り合いをとり、調和させるのはあまりに難しい。それがA5ランク牛の弱点……出すのは『丼』であって『肉』ではないのですから。架浪葉はそこに目を付け、醤油ベースの焼き鳥丼を考えました。醤油とご飯の相性はもはや説明不要ですから、ご飯との連携が取りやすい……まあ、そもそも実際に作ったら失敗作だったので比較すべきではありませんが)

 

 兄と話した後、一応実践してみよう、と架浪葉は焼き鳥丼を作ってみた。予想通り、皮のパリパリ感、胸肉のジューシーさ、砂肝の歯ごたえ、刻みネギを加えたことによる香りの相性とシャキシャキ感……『食感は』実によかった。しかし、欲をかいてあれもこれもと多くの部位を試したためにかえって味の方にまとまりがなく、ぼんやりとしたものになってしまったのだ。

 

「……切り替えましょう。兄ぃにはそのまま事実を報告するとして、焼き鳥丼はレシピだけメモに残して保留。あのままではだめですが、改良すれば十分商品化できそうです……あとは研究会の入会届を提出して、手土産のレシピを考えますか」

 

 頭の中でそろばんをはじきながら、架浪葉はスマホを取り出してある人物にメールを送ったのだった。

 

 後日、架浪葉が所属したのは『保存食研究会』だった。これを聞いた枝津也は、その意図を食戟の結果とともに尋ねた。

 

「研究会に入ることに意味が無いとは言わねえ……が、そこを選んだ意図は何だ? お前が選ぶってことは、絶対に何かしらの計算があるはずだ」

「ご明察。しかし、意図を話すつもりはありません……あえて言うなら『ほぼ確実に利益が見込める』からです。中身は乙女の秘密、ということで」

「言ってろ。お前が油売ってる間に、俺は稼がせてもらう」

「……兄ぃのやり方が間違っている、とは言いません。実際利益上がっていますからね……ただ、架浪葉は兄ぃのやり方は嫌いです」

 

 今日も、こうしてまるで何かの裏取引に見える仲の悪い兄妹の対談は終わったのだった。

 

(兄ぃは気付いていないなら、チャンスです。保存食には『味噌』や『納豆』といった発酵食品も含まれます……これらは食材・調味料として優秀ですから必要に応じて提供する、と言えばまず研究会ごと潰されることはありません。ここで知識、技量をつける意味は卒業後さらに大きくなります……近年、日本だけでなく世界中で災害が相次ぎ、人々の防災意識は年々強まっています。そんな中で保存食は重要な意味を果たしますから、よほどのポカをやらかさない限り保存食は『ほぼ100%売れる』ジャンルです……とはいえ、焼き鳥丼のように絵に描いた餅にならないよう気を引き締めましょう)




どうでもいいでしょうが架浪葉の名前は兄を意識しています。(枝⇒葉、津⇒浪)架の字は『橋を架ける』とかでつながりを考慮しました。商売は人とのつながりが大事ですからね。

余談ですが、美味しんぼでもハンバーガーにやたらいい肉を使おうとしてパンとの釣り合いが取れず売り物にならないと一刀両断された話があったりします。


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四皿目 極星寮へようこそ

 早速オリジナルエピソードです。原作沿いとは何だったのか……とはいえ、彼らに絡める機会は何かしら必須だと思って用意したエピソードなので少しでも楽しんでいただければと思います。


 ある日の極星寮、早朝……一色畑で畑仕事を終えた寮生達は、厨房に見慣れない小さな影を見た。

「お疲れ様です。朝食はもう少し待ってくださいね、あと2分ほどでご飯が炊けますから」

 

 あまりに淡々とした行動に創真も言葉を失い、返事をすることしかできなかった。

「お、おう……」

「あ、あの……叡山、さん? どうして?」

 同じく戸惑いに言葉を失った恵が辛うじて出した言葉に、架浪葉はやはりペースを乱さず答える。

「架浪葉でいいですよ。ちょっとしたお礼、と言うところです。田所さん、あれがそろそろだと思って取りに来たのですができていますか?」

「そ……そうなんだ。うん、できてるよ。それから、私も恵でいいよ……架浪葉、ちゃん」

「ありがとうございます。それでは、恵さん。すみませんがご飯を盛り付けてくれませんか?」

「う、うん!」

 

---------------

 

「あぁ~……味噌が焼ける香ばしい匂い……この匂いだけでもう反則だよ~!!」

「朝の畑仕事で汗を流した体に濃い塩気が染み渡る!」

「それにネギとショウガのシャキシャキした歯ごたえ、鼻に抜ける香りがたまらない! これは……」

 

ご飯が何杯でもいけるっ!!

 

「赤味噌にみりん、酒、砂糖を加え、刻んだ万能ネギとショウガを混ぜてごま油で焼き上げました。架浪葉謹製の焼き味噌です。ショウガは加熱することでその中に含まれるジンゲロールがショウガオールに変化するので、体を温める効果もありますよ。それに、冷蔵庫で保存すれば2週間は保ちます」

 

「シンプルだけど、それが良い……朝からこんなご飯のお供を作ってくれた君は一体?」

「申し遅れました、叡山架浪葉です。今日は丸井君と恵さんに用があって来たのでお礼として簡単に作らせてもらいました。お昼にでも、彼らに試作中の丼の改良について意見を貰いたかったこともあるので先行投資でもあります」

「要件ついででこれだけの品を作ってくれたことに感謝するよ。僕は一色慧、一色先輩と呼んでくれ」

「存じていますよ、一色先輩。遠月十傑・第七席の方ですよね。兄ぃが『何考えてるのかよくわからない奴だ』とたまに名前を出しますから。架浪葉は遠月十傑第九席・叡山枝津也の妹です」

「へえ、君が彼の……言われてみれば、目が似ているね。性格はあまり似ていないかな? ほら、彼はあまり他人に気を回す事をしないから」

「あまりにズケズケ言われるとかえって清々しいですね……事実なので何も返せません。身内自慢みたいですが、兄ぃもあれで顔は悪くないので性格が悪くなければモテたでしょうね」

「辛辣なのはそっくりだね」

 

(こめかみに青筋が……架浪葉ちゃん、お兄さんのこと嫌いなんだ)

 

 恵が察したように、わかる人にはわかる態度だったにも関わらず『似ている』と楽しげに話す褌エプロン姿の先輩を架浪葉が嫌いになるのに時間はかからなかった。

 

---------------

 

「こっちはタッパーにしまって、と。こっちは……っ! 甘みだけでなく、酸味も結構強いですね」

「本当だ、酸っぱい! でもなんだか癖になっちゃう」

「気軽につまめてしまいますし、これは手が止まらなくなってしまいますね」

 

 朝食をすませると、恵の部屋で頼んでいたものを受け取る架浪葉。彼女がついでに作ってもらっていた何かをつまむ姿はまるで小動物のようで、吉野悠姫がその姿に思わず飛びつく。

 

「あなた編入生の子でしょ! 近くで見ると可愛い!」

「引っ付かないでください、暑苦しいです」

「はぅあ! 辛辣な態度!」

「良ければ、食べますか? この前スーパーでフルーツの特売をやっていたのでいくつか買って、恵さんに干してもらっていたんです」

「ドライフルーツ! もらうもらう!」

「本当はショウガだけのつもりでしたが、物はついででお願いしてみました。普通にドライフルーツを買うと意外と高いですし」

「確かに! 自力で作れるならその方がお得って言うのはあるかも!」

 

 女子生徒が甘いドライフルーツをつまみながら話す、ということで榊涼子も話に混ざっていく。

 

「このキウイフルーツは失敗よね……甘みはあるんだけどとにかく酸っぱすぎるし、ちょっと雑味があるわ」

「時期じゃないのはもちろん、特売品で熟していない固いものでしたからね。干せば多少はマシになるかと思ったのですが」

「同じような条件でも、リンゴは結構さわやかな酸味で美味しいんだけどね〜」

「このくらいだと、おやつとしてはちょうどいいね」

 そんな朗らかな時間をある程度過ごすと、次に架浪葉は極星寮の2階へと向かっていった。

 

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「丸井に彼女だとぉ!?」

「しかも結構可愛いクール系眼鏡っ娘!」

 

 青木大吾と佐藤昭二の二人がどういうことかと丸井善二の部屋に詰めかける。

 

「彼女じゃないから! 本を貸してあげるだけだって!」

 

 丸井は必至で否定するが、架浪葉はと言えば涼しい顔、というより残念そうなリアクションを見せる。

 

「架浪葉は別に気にしませんよ。というより、ここはハッタリでも彼女だと言ってくれた方が嬉しかったですね……お世辞にもモテる方ではないのは自覚していますから。ところで、あの本は?」

「あ、うん。『地鶏産地名鑑』で良いんだよね?」

「はい。『地鶏の産地100選』は案内がざっくりしすぎていて参考にならなかったので」

「質より量を地で行く内容だったね」

「その点、こちらは紹介されている産地の数は少なめですが中身は厳選されているという事なので使い勝手が良さそうです」

「架浪葉さんは本当に実益主義だよね。『地鶏の産地100選』もコラムは面白いのに」

「否定はしません。ただ、あのグルメ評論家を交えた対談はいらないと思います。ただでさえ料理人の作者と生産者で視点の齟齬があるのに評論家まで入ったばっかりに余計まとまらなくなって薄っぺらい内容だったじゃないですか」

「いや必要でしょ! あの息抜きに見てちょっと笑える感じのチープさが良いんだよ」

「息抜きなら『牧羊犬と巡る世界のグルメ』が癒やされるのでオススメです」

 

「名前呼び……めっちゃ親しげに話してるじゃねえかよ」

「これで彼女じゃないのかよ……」

「違うって言ってるだろ! 架浪葉さんはお兄さんがいるから名前で呼んで欲しいって言ってきたんだよ」

「兄ぃは実力はあるのですが根性がひん曲がっているので一緒にされたくないのです。それに、これから一緒に料理を作っていくのである程度親しくしてくれる方が色々と助かります」

「「一緒にだとぉ!?」」

「普通に授業でペアになっただけだから!!」

「今後もペアで作業する機会は多そうです。その時はまたよろしくお願いしますね」

 

 あまりに淡々としているし、話を聞けば別に変なことは無くもなく彼女っぽい部分はほとんどないはずなのに、何故か青木と佐藤は丸井に強烈な敗北感を覚えたのだった……。

 

---------------

 

 そして、お昼時。厨房で架浪葉は混ぜご飯とタレがたっぷり塗られた焼き鳥を前に腕を組んでいた。

 

「う~ん、どうしたものでしょうか」

 

 彼女が真剣に悩む様子を見て、焼き鳥丼の商品化について寮生達も相談に乗り始める。

 

「ご飯は、より香りとシャキシャキした食感が際立ったので山葵の茎を混ぜ込んでみましたが肝心の乗せるものの方が決まらないです」

「うーん、レバーは除外でいいんじゃないかな? やっぱり苦手な人も多いし」

「砂肝やハツみたいな内臓系自体、割と癖があるもんね。食感の幅を広げたいって言うのはわかるけど」

「このしっかり焼いた皮はいいね、サクサクしてて」

「丼に固執する必要はないと言えばないのですが、内臓類や足も無駄なく活用したいところです」

 

 それを聞いて吉野が驚く。

 

「足!? 鶏の足って捨てちゃうところじゃないの!?」

「ゼラチン質が多いので活用できないこともないですよ。旨味を凝縮した煮こごりが作れますよ」

「なるほど……それなら、内臓類はいっそ煮て味付けしちゃうのも手かもね」

「そうですね、それはそれでご飯と相性よさそうですし」

「あくまで『食感を重視する』のがコンセプトであって『焼き鳥』に固執する必要はないってことかな?」

「そうですね。あくまで『鶏肉』を活用することで多少コストを落としても良いものを提供できるようにすることと、『食感を楽しむこと』が重要です」

「なら、いっそ揚げるのはどうだ? 確かとり天って大分の名物だろ?」

「! それです。青木君、意外と頭いいんですね。早速試作してみましょう」

「おう! ……あれ? 俺今さりげなく馬鹿にされなかったか?」

「気のせいです」

 

 こうして、小さな飲食店が昼は思い切って肉のみささみ、むね、もも、せせりなど複数の部位を活用して作られた『とり天丼』と先に作った焼き味噌を豚ロースに塗ってから焼き、ショウガをご飯と一緒に炊き込んだ『焼き味噌豚丼』を看板にした丼もの屋、夜は使わなかった内臓類と、足のゼラチンを使った煮凝りを一押しとした居酒屋とした店舗へと架浪葉のコンサルティングで生まれ変わった。とり天丼にしたメリットはもう1つあり、『天ぷら』であるがゆえに『塩』との相性が良くそれこそ焼き鳥の要領で『塩』と『たれ』を選べることが人気の秘訣となった。これが大きな利益を叩き出し、『丼のポテンシャル』を見せつけることになったのはもう少し後の話である。




 はい、というわけで架浪葉は丸井君と知性派コンビを組むことになりました。一色先輩は悪意なく女の子を煽った例がありますのでこんな感じになってしまいました。ファンの方ごめんなさい。
 鶏の足のくだりは鉄鍋のジャンの春巻のエピソードで語られた部分を使ってみました。
 
 


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宿泊研修編
五皿目 力技、力ある寿司


 随分書いていなかったですが、久しぶりに手を付けようかと。ペアが丸井君で四宮シェフ以外、かつ乾シェフと似たような課題という指定になっているのでなかなか浮かびませんでした。
 それと、今回料理と別にお色気(?)描写があるのでご注意ください。


「宿泊研修、ですか」

「ああそうだ。実態は無情のふるい落とし研修だ……無事生き残れるといいな?」

「当然です。兄ぃと同じ所に立って殴るには、こんなところでつまづいていられません」

「そうかいそうかい、それじゃせいぜい頑張りな」

 

------------------------------------------------------------------------------

 

(…………やってしまいました)

 

 宿泊研修を前に、架浪葉はがっくりと自室でひざを折った。去年その経験をした兄から少しでも情報収集できれば、と思ったのだが実際会ってみれば売り言葉に買い言葉。学園長の言う『玉』の選抜の本格化という情報しか得られなかったのだ。

 

「仕方がありません……こういうのは好きではありませんが、あとは出たとこ勝負ということで」

 

 そうして覚悟を決めて迎えた研修初日、いきなり退学者が1人出るという事態、日本を牽引する料理人、遠月学園OB、OG揃い踏みという衝撃は決して小さくなかった。

 しかし、そこで生徒たちを戦慄させた遠月リゾート総料理長、堂島シェフの宣言はむしろ架浪葉にわずかながら安心感を与えた。

 

「今日集まった卒業生たちは、全員が自分の(みせ)を持つオーナーシェフだ。合宿の六日間、君らのことを自分の店の従業員と同様に扱わせてもらう。この意味が分かるか? 俺たちが満足できる仕事が出来ないヤツは……退学(クビ)ってことだ」

 

(むしろ、わかりやすいですね。技量(うで)はもちろん最低限必要ですが、プロの(みせ)の従業員と同じ扱い、ということはより試されるのは不測の事態への対応力……ですか)

 

自分達のグループを見ることになったのは、鮨店“銀座ひのわ”関守板長。細い目もあってどうにも表情が読みにくい。

 

「君達には実習で組んだペアで寿司を作ってもらう。米と海苔、それに酢をはじめとした調味料はここに揃っている。何か質問は?」

「あの……ネタの方は……?」

「それは、自分で探したまえ。釣り竿などの道具も自由に使って構わない。この周辺は私有地でぐるりと柵が巡らせてある、柵を越えたらその時点で失格。限られたフィールドの中で食材を確保し調理するんだ。制限時間は2時間、私が試食し認めた者のみ合格とする」

 

 かちり、とストップウォッチのスイッチが押されるなり弾かれたように飛び出す生徒達。

 

「とにかく魚だ! 川魚を釣り上げるんだ!」

「巻き寿司なら山菜とかでも……」

「2時間だぞ!? それに卵が欲しいけどそれもねえよ!!」

 

「か、架浪葉さん落ち着いてるね……」

「他人が慌てているのを見ると、かえって冷静になるものです。まずはフィールドを見ましょう」

 

------------------------------------------------------------------------------

 最初に訪れたのは、川。思った通り、何人もの生徒が釣り糸を垂らして口論している。架浪葉はそのやり取り、ではなくその先まで柵が伸びていることに気づいて歩みを進める。そして、川の上流、穏やかな流れの場所でつぶやいた。

 

「……もしやと思ってきてみましたが、本当にあるとは思いませんでした」

 

 そして、次の瞬間今度は一緒に行動していた丸井が大声を上げることになった。顔色一つ変えず、架浪葉はコックコートのズボンに手をかけ、そのまま脱ごうとしたのである。

 

「わ”あ”あ”あ”あ”! な、何やってるの!?」

「脱がないと濡れてしまいますから。あれを入手できれば、大きな武器になります」

「!!」

 

 そこで丸井も『清流の中』にあるものに気付くと、上ずった声のままドン、と胸をたたいて見せる。

 

「ぼ、僕が採ってくる! 架浪葉さんは待っていて!」

 

 そうして『ある食材』を入手した架浪葉は厨房へ戻る途中で決定打となる『食材』を発見し、自分の運動神経では捕獲に自信がないこともあり、再び丸井に協力を頼み、挟み撃ちでこれを捕らえた。

 

「こ、これ捕まえちゃって大丈夫だったのかな……?」

「遠月学園は学校法人ですから『学校教材』という理由で許可を得ているのでしょう。でなければ勝手に捕まえるとまずい鳥が柵の中はいないかと……相当な力技ですが、そこは財界への影響力も強いこの学園ならではということでしょうね」

 

 そうして厨房に戻り、残り時間を確認して告げる。

「時間がありません、酢と醤油はこれでいいですか?」

「酢はこれでOK、醤油はそっちのを使って!」

「わかりました」

 

------------------------------------------------------------------------------

 誰も彼も、変わり映えのしない川魚の寿司ばかりを作る……ワサビもこの調理場においてあるチューブという素っ気ないものばかり。そんな様子に辟易していた関守の前に出されたのは、炙られ、芳醇な香りを放つ薄桃色のネタが乗った寿司。

 

「おい、何だあれ!?」

「ひょっとして肉か!」

「でもそんなものどこに……」

 

 周囲のざわめきも気にせず、そっと出された山葵と醤油。食べる前から主張してくるその香りに惹かれ、ほんの少し醤油をつけて寿司を口に放り込む。

 

「っ……!! この強烈な香りと辛さ、本わさびか」

「はい」

「本わさびだって!? そんなものどこに!?」

「皆さんが奮闘していた川の上流、流れも落ち着いた清流にありましたよ」

「そして、この一見鶏肉に見えて、強烈な山葵の風味に負けない野性味……これは(キジ)だね」

「その通りです。雉のささ身です。昨今鶏肉を寿司で生食する店も増えましたので、その応用です。ただ、一応野鳥ですから申し訳程度ではありますが炙ることで加熱、食中毒対策とさせてもらいました」

「ふむ……時間内では限界、といったところか。しかし山葵の香り、雉肉の淡白な味わいを殺さないよう酢はまろやかなものを使い、醤油も薄口をあえて選んでいる。工夫としては十分評価できる、丸井、叡山ペア合格!!」

「やった!!」

「雉を見つけられたのは運がよかったです。さあ、あとは苦労した分賄いとお風呂に期待しましょう」

 しかし、その後ホテルに戻るなりステーキ御膳50食を作ることになったことで元々小柄で体力に欠ける架浪葉はこの宿泊研修が地獄であることを改めて思い知らされたのであった……。




 雉は日本の国鳥で、狩猟も時期が指定されていたり、メスは捕ってはいけなかったりと結構制限があります。そういった時期なんかをはずして捕まえる方法として、事由がある場合の『許可』というのがあり、その事由として公共施設の展示・学校教材・保護飼養などがあります。

架浪葉は目的のために手段を択ばないので、『勝てる』食材の山葵のためなら遠慮なく脱ぎます。

初期のネタでは課題が乾シェフと同じ和食でヒラタケとツキヨタケ(有毒。というか誤食が日本のキノコでトップクラス)を見分けるための暗闇を作るために脱ぐ、というネタでした。※見分け方として、ツキヨタケは暗闇で光ります


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六皿目 異なる視点(前編)

 作者の料理知識や技能なんて漫画で読む程度で知れているため、この作品では別視点で切り込む事を1つのポイントと考えているのですが今回はそこを強調してみました。


「いや~~、50食の課題疲れた~。無事にみんな突破できてよかったね~」

 その日の入浴時間。吉野ら極星寮女子が互いを労う中、恵が小さな姿を見つけて声をかける。

「架浪葉ちゃん! 架浪葉ちゃんも生き残ったんだ! 良かったあ!!」

 しかし、返事がない。

「架浪葉……ちゃん?」

 恐る恐る、様子を見る恵。

「お風呂入ったまま気絶してるーーーー!?」

「無駄に器用だな!? っていうか起きろ架浪葉っちーーーー!!」

「……はっ!!」

 

 あまりの異常事態に吉野が架浪葉の頬を張って叩き起こす。

 意図せず助けられたことに、頭を下げる架浪葉。

 

「……助かりました。あのまま力尽きていたらドクターストップで強制送還されるところでした。最悪体力面に問題ありとみなされて退学もあり得たかもしれません」

「ペアの丸井ともども頭脳労働タイプだもんね……おまけに小柄だし、そりゃ体力も追いつかないか」

「ちゃんと寝て体力回復しなきゃダメだよ? あんまり他人のこと言えないけどさ」

「ええ。そこはきちんとやらないととてももちそうにありません。ところで、今後の課題の参考になるかと思うので皆さんの課題について聞きたいのですが……」

「うん、いいよ! じゃあ、お風呂上がったら話そっか!」

 

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 こうして、地獄の合宿の日程を瞳から光が消え、ロボットじみた挙動になりながらもどうにかこなし残り後2日となった日の夜、館内放送が響き渡った。

 

『遠月学園全生徒の諸君。今から1時間後、22時に制服に着替えて大宴会場に集合してくれ』

 

 軋む体を引きずり、大宴会場へ向かうと騒がしい。見れば、卒業生の四宮シェフと食戟をしたという噂の幸平創真と田所恵がいた。

 

(よく、退学になりませんでしたね……)

 

 騒がしい一団を遠目に眺めていると、ステージからよく通る声が響いた。

 

「全員ステージに注目! 集まってもらったのは他でもない、明日の課題について連絡するためだ。課題内容はこの遠月リゾートのお客様に提供するにふさわしい朝食の新メニュー作りだ。朝食はホテルの顔……宿泊客の一日の始まりを演出する大切な食事だ。そのテーブルを華やかに彩るような新鮮な驚きのある一品を提供してもらいたい! メインの食材は卵。和・洋・中といったジャンルは問わないが、ビュッフェ形式での提供を基本とする。審査開始は明日の午前6時だ、その時刻に試食できるよう準備してくれ」

 

 膝から崩れ落ちそうになるのをこらえ、その先の言葉に耳を澄ます。

 

「朝までの時間の使い方は自由。各厨房で試作を行うもよし、部屋で睡眠をとるもよしだ。では明朝、また会おう。解散!!」

 

「無理だ……もう全身ガタガタなのに」

「こんな状態じゃ頭働かねえよ!!」

 

(確かに……こんな状態じゃ、とても最大のパフォーマンスは望めない。考えろ……考えろ……『戦略』を!!)

 

 そうして、1つの戦術を思いつく。

 

「恵さん」

「ふぇっ!? 架浪葉ちゃん!?」

「眠ってしまうといけないので、一緒に試作を行っても? 少しずつでも話せば、いくらか眠気がまぎれるでしょう」

「うん! いいよ!」

 

 当然、自分でも確認はしたが料理に使うソースの味見をしてもらう。

 

「うん! やっぱり醤油ベースは卵に合うよね! こっちは……目は覚めるけど辛すぎて朝食には向かないんじゃないかな」

「韓国料理の知識がいまいちないので市販のキムチの素に似せるつもりでやりましたが、やっぱり駄目ですね。これは諦めましょう」

「割り切りがいいなぁ……」

「ところで、四宮シェフと食戟になった経緯とか、内容も教えてもらっていいですか」

「う、うん……」

 

 課題でルセット通りに、個人で料理を作るよう言われたこと。食材の争奪戦に入り込めず、鮮度が落ちたカリフラワーしか手に入らなかったためルセットを変更し、ワインビネガーを使った事……その事情を聞いて、手は止めることなく架浪葉は伊達眼鏡を外した鋭い目で恵に語り掛ける。

 

「こう言っては悪いですが、四宮シェフの不興を買うのは当然です」

「え?」

「むしろ、よく助けてもらったなと思います。何が悪かったか、わかりますか?」

「え、えっと……やっぱりルセットを変えたことが悪かったんだよね?」

「ルセットを変えること自体は、問題ではないです……『勝手に』変えた事が問題なのです。鮮度の落ちた食材しか手に入らなかった時、四宮シェフに相談しましたか?」

「し、してない……」

「それが問題なんです。最初に、堂島シェフは私達を自分の店の従業員と同様に扱う、と言いました。つまり、プロの店の従業員と同様にということです」

「プロと、同様……」

「そうなれば社会人と同様と言っていいわけですから、報告・連絡・相談は必須です。相談を怠って勝手な行動を取れば、叱責は当然です。もちろん、私達は正確には従業員ではなく学生で、四宮シェフは一時的には講師でもあるわけですから食材の鮮度に問題がある、となってどうすれば良いか質問する、あるいはルセットを変えて良いか相談すれば四宮シェフにも答える責務があります。もちろん、それでも退学を言い渡される可能性はゼロではありませんが勝手な行動を取るよりはずっとリスクが低かったはずです」

 

 架浪葉はその認識の甘さに呆れる一方で、食戟における先輩方が評価した恵の心遣いに感心していた。それ故に、少しおしゃべりになってしまったと自覚しつつも、一呼吸置いて更に言葉を続ける。

 

「架浪葉は、学生らしくない、と言われるかもしれませんが利用できるものは何でも利用します。この研修はプロ中のプロが課題を出しているのですから、その中に生かせるものがないはずはない、と考えてできる限りその言動に注意を向けてきました」

「だから、初日の堂島シェフの言葉も覚えていたんだね」

「そうです。料理人の最終的な相手は人間なのですから、必ず言動に人となりや、感情が入ってきます。四宮シェフは自分の皿に絶対の自信を持つ個人主義者、に見えました。そんな人が従業員の独走を許すわけがない」

「あぅ……実際、その通りなんだ。許してくれたのは、審査を務めてくれた先輩方と、堂島シェフだから……」

「それは、恵さんにそれだけのものがある、と評価されたからでしょう。架浪葉には、そんな心遣いができる優しさはありません……独創性(オリジナリティ)も無い、凡庸な人間です。だから凡庸なりに、ホテルのお客様のことを考えて『異なる視点』から攻めることで何とか課題を突破するつもりです」

 

「ホテルのお客様のことを……うん!」

 

 その言葉がヒントになったように、恵が作業に取り掛かる。一方、架浪葉は早々に料理の構想、試作を終えて仕込みに入るのであった。

 

 




報連相は大事ってどこぞの転移物のお骨様も言ってた。
本当は一通り乗せてしまいたかったのですが、ほかのエピソードの2倍近い文章量になってしまうため分けることにしました。

ちなみに、架浪葉も制服に着替えて宴会場に集合する時はペアの丸井に近い杖ついての移動になるくらいガタガタです。


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七皿目 異なる視点(後編)

本当、自分の貧相な料理スキルと発想、コミックを基にした程度の知識じゃこの程度です……審査通れるわけないだろ! と思うでしょうがご容赦ください


「各自、料理を出す準備は出来たな? これより合格条件の説明に入る。まずは審査員の紹介だ」

 

 堂島シェフの宣言とほぼ同時に、家族連れ、高齢者、年齢も性別も様々な人々が会場にどっと入ってくる。

 

「遠月リゾートが提携している食材の生産者の方々、そしてそのご家族だ。毎年この合宿で審査を務めてくださっており、驚きのある卵料理というテーマもお伝えしてある。審査は非常に正確でおいでだ。そして我が遠月リゾートから調理部門とサービス部門のスタッフ達も審査に加わる」

 

「サービス部門を率いる給仕長!」

「堂島シェフの右腕の料理人まで!」

 

「合格基準は2つ。生産者のプロと現場のプロ、彼らに認められる発想があるか否か! そしてもう1つは今から2時間以内に200食以上を食してもらうこと! 以上を満たした者を合格とする!!」

 

 会場の人の波を、じっと見つめる架浪葉。

 

(まだ……まだ早い……)

 

 そして。目の前を小さな女の子が通った次の瞬間、手を動かす。

 

(……今!!)

 

「お母さん、ここ! いっぱい並んでる!」

「本当ね」

「今、盛り付けますので目の前の6種のソースから、好きなものをかけてください。一応わかるように札はつけています……一番右のチリソースは、ちょっと娘さんには辛いかもしれません」

「左側は、割と普通ね。ウスターソースに、オーロラソースに、醤油ベースの和風ソース……右側は変わり種? 中華風に、チリソースに……チョコレートソース!?」

「アメリカでは朝食にジャムやチョコレートソースをたっぷり使ったパンを食べるので、参考にしてみました」

 

 ウズラの卵のクラッカーフライ6種のソース添え。料理自体はカナッペに使うクラッカーを砕き、揚げ衣にして茹でたウズラの卵を揚げるだけのシンプルなもの……恵から聞いた、幸平創真が1日目の課題で提出した料理の応用だ。

 

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「D会場のあの生徒……上手いな」

「叡山架浪葉ですか」

「ここまでの研修で生き延びられるだけでも、十分な技量はあるが……彼女には突出したものはない。それを、戦略で見事に埋めている」

「戦略、ですか……」

「まず、若い男性や子供が通るタイミングで調理の仕上げに入り、卵を揚げる……揚げ物を揚げる音というのは、それだけで食欲をかき立てる! まず、音で客を掴むわけだ」

「そして、ソースの種類や量を食べる本人の裁量で調整ができるようにしてある。お客様は年齢も性別も、千差万別。当然、好みも分かれてくる……それをカバーできるようにしてあるわけですか」

「それだけじゃない。こんな話を知っているか?」

 

 ジャムの法則、というものがある。6種類のジャムを並べたテーブルと24種類のジャムを並べたテーブルの2つを用意したところ、どちらのテーブルでも試食をした人の人数は変わらなかった。しかし、最終的にジャムを購入した人の割合を見ると、6種類揃えたテーブルの場合は30%、24種類のテーブルでは3%と非常に大きな差が開いてしまったのだ。

 この法則から、マーケティングにおいては5~9種類というのがストレスなく顧客が選ぶ選択肢の数として最適と言われている。

 

「そして、盛り付けられている卵の数が5個。これは日本では縁起が良いとされている数だ。そして、ソースは6種……全て試そうと思えば、1皿ではできない。1つだけ残っていれば、コンプリートしたくなるのが人情というもの、しかも2回目は1回目に試して自分が気に入ったもののみを選ぶことができる」

「リピーター戦略……!!」

「しかも、揚げたてを提供できない場合でも揚げ衣はクラッカー……ザクザクとした食感はしっかりと楽しめる」

「ソースの種類も考えられている。洋風のウスターソースとオーロラソースは言うに及ばず、高齢者や洋食が苦手なお客様がなじみやすい醤油ベースの和風ソースに、中国からの観光客も多い現状から想定されたであろう中華風ソース、刺激を求めるお客様向けのチリソースに、最後はウズラの卵1個、という手軽さからデザート感覚で楽しめるチョコレートソース。これについては、アメリカの食事事情も参考にしたようだ」

「なるほど、日本は観光大国……故に、ホテルにくるお客様は年代や性別だけでなく、国籍も様々……洋風、和風、中華風。チリソースはおそらく中東のケバブを意識したもの、そしてアメリカ風のチョコレートソース。多国籍に対応するためのソースでもあるわけですか」

「彼女の考え方は料理人というより、経営者に近い。言うなれば、料理人でありながら料理人とは異なる視点、それがあの生徒の武器ということか」

 

叡山架浪葉、200食達成!

 

(ふぅ……160皿を超えたあたりから目に見えて客足が落ちましたね。付け焼刃の販売戦略では、こんなものですか……200食に届いてよかったです)

 

「うう……」

 

 安堵感に倒れそうになるが、何とか踏みとどまって体を起こし、自分の顔を張る。

 

「まだです。これで終わりではありません……シッ!!」

 

 寝不足と倒れてしまいそうな体へのいら立ちを叩きつけるようにクラッカーを砕き、調理を再開する。心遣い(ホスピタリティ)独創性(オリジナリティ)も体力も無い……無い無い尽くしの架浪葉は、己の販売戦略(タクティクス)のみを武器にこの課題を戦い抜いた。

 

------------------------------------------------------------------------------------------------

 

「200食を達成した者へ連絡だ。次の課題は4時間後、それまで休憩時間とする」

 

「嘘だろ!?」

「3時間ちょっとしか寝れねえじゃん!」

 

「そうだった、合宿は……」

 

「「「「まだ終わってねえーーーー!!」」」」

 

 元々色白ではあるがそれを通り越して真っ白になりながら合宿の課題を進めていく……そして最終日の夜。

 

 文字通りボロボロの生徒達がロビーに集合……しおりには何もなかったこともあり、朝食づくりの課題と同じようなことが起きるのでは、という不安がよぎる。

 

 しかし、その不安は思いもよらない形で裏切られることになった。

 

「最後のプログラムとは合宿終了を祝うささやかな宴の席だ! 今から君らには卒業生たちの料理で組んだフルコースを味わっていただく。ここまで生き残った628名の諸君に告ぐ! 宿泊研修の全課題クリアおめでとう! 存分に楽しんでくれ!」

 

(疲れすぎたのでしょうか……? 分析に、頭が働きません。それに……何故?)

 

 架浪葉の目から零れた涙の理由を、答えてくれるものは誰もいなかった。




 合宿編、終了です。極星寮に直接関連する城一郎帰国、唐揚げは絡まないので唐揚げについて、ちらっと情報が入る程度で次は秋の選抜の話に入ります。

 ちなみに今回の料理の元ネタは『純平 味で勝負!!』というコミックでは連載されていなかった別冊コロコロのマイナー料理漫画と、スーパーのお総菜コーナーにあった串揚げ卵だったりしますw


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秋の選抜編
遠月十傑評議会第八席


タイトルで分かる通り、あの先輩が月饗祭に先駆けて登場します。
どうにもチャラさが出てない気がしますが、そこは私の未熟ということで。



(連休は有意義でしたね。関西圏トップの唐揚げ店『もず屋』……駅中展開という鉄壁の牙城。兄ぃがそのコンサルにかまけている間に、架浪葉は保存食研究会で過去の遺産を口にすることができました)

 

 言動はそこらの包丁を遥かにしのぐ鋭さを持っており、目つきはややキツいものの、華奢で細身の架浪葉は可憐な美少女と言って差し支えない容姿をしているため趣味人、オタクばかりの保存食研究会に所属するや否や研究会のアイドルとなっていた。

 

「どうだね架浪葉君! これぞかのアムンセンが用いたぺミカンを再現し、溶かしたスープだ! そして、こちらが我らの手で作った、日本版のペミカンによるスープだ」

 

「……流石極地での栄養補給を前提としているだけあって、ただのスープとは思えないボリュームです。日本版は……使用する獣脂をバターに変更し、更に野菜の甘みを生かすことを意識することでより味わいや使用する場所の拡大が図られているのですね」

「その通りだ。こちらは大学の山岳部などで用いられていたレシピに近い。この学園の生徒としては情けない話だが、変わっているのはスパイスの配合比くらいだな。とはいえ、総合的にはより多くの料理に用いることが可能なだけの柔軟性・拡張性を得ている。機会があればぜひ生かしてくれ」

 

「ぃよおおおおおおおおし! 完成だ! あとは熟成方法さえ誤らなければ、我ら保存食研究会はこと旨味という一点においては最強とも言える食材を手に入れた!!」

「……それは? 干したナマコに、アワビ……フカヒレ……」

「そう! 中国では貨幣に匹敵する価値を持つと言われた乾貨だ! 過去の研究ノートを漁りつくし、気候状況を加味し、慎重に干したことで本場に負けない品質を手に入れた! こいつは我らの最終兵器たる食材だ!」

「時間にもよりますが、食戟では使うに使えないのでは? 戻すだけで時間切れになってしまいますよ」

「うっ……しかし威力のほどは間違いないぞ! このアワビを食ってみるがいい!」

 

 自慢げに出されたアワビのステーキは乾物臭さは全くなく、生とは比較にならない旨味が凝縮されていた。

 

「これは……すごいですね」

「そうだろうそうだろう! あとはこれらの食材を存分に生かし、アピールできる場さえあれば部員増員、部費増額も夢ではない! 上手くすれば架浪葉君以外の女子も……目下最大のチャンスは秋の選抜だな!」

「選抜、ですか」

「そろそろ張り出されているはずだ、1年生諸君は見に行くと良い」

 

 保存食研究会のメンバーで選抜に選出されていたのは、架浪葉だけだった。そして、司会進行の川島麗に、掲示板を見ていた生徒の注目が集まる……が、架浪葉は2秒で興味を失い一瞬だけ冷ややかな目を向ける。

 

(クレーンとか、費用の無駄でしかありませんね……そのお金を架浪葉に渡して欲しいくらいですよ。『月刊主婦の友』の定期購読費用が何年分賄えるやら)

 

 そして、普段は調理の場以外で外すことのない伊達眼鏡を外すとクレーンの下自信たっぷりに課題を告げる兄を睨みつけるが、彼は気にした風でもなく余裕を崩すことなくその場を立ち去った。

 

「カレー料理、ですか……幅が広いですね」

「早速チャンスが来た! 架浪葉君、このペミカンを……」

「駄目です」

 バッサリと両断し、納得がいかないという様子の先輩にその理由を論じる。

「単純に重すぎます。審査員は多くの生徒のメニューの試食を行うんですよ? 提供順にもよるでしょうが、下手をすればまともに食べてもらうことすらできません」

「なら、乾貨はどうだ? こいつの旨味を引き出したスープをベースに、海鮮系のカレーにすれば……」

「それも却下です。発想は悪くないのですが、旨味が強烈すぎて少なくとも今の私ではまとめ上げて味を調整することすら一筋縄ではいきません。カレーは香りも重要ですが、味を調えるだけで精一杯の代物をカレーにするとかえってインパクトが霞みかねません……選抜の予選は人数が人数なので、審査員の印象に残るようにしたい、という点でも乾貨のスープだけでは難しいですね……」

 そして何かないか、とここまでの授業、研修で得た知識、丸井との交流で読み込んだ料理書の知識、保存食研究会の知識……手持ちの知識を総動員してその言葉を思い出した。

 

(『……それは? 干したナマコに、アワビ……フカヒレ……』『そう! 中国では貨幣に匹敵する価値を持つと言われた乾貨だ!』)

 

「……乾貨は、中華料理で用いられるものなんですよね?」

「その通りだ。宮廷料理に用いられたほどの高級食材でもある」

 

 それを確認すると、静かに踵を返す架浪葉。

 

「か、架浪葉君? どこへ……?」

「中華研です。あそこなら、乾貨をフル活用できる料理のレシピが手に入るかもしれません」

 

 中華研のメンバー達は、入るなり一心不乱に鍋を振っていた。そこに過去のレシピノートを見せて欲しい、と頼むものの返ってくるのは拒絶ばかりだ。

「過去のレシピノート? そんなものは知らん!」

「見たいのなら主将に言え、主将に!!」

 

(……取り付く島もありませんね。さて、どうしたものか)

 

 思案していると、奥から軽い調子で声が聞こえてきた。

 

「まーまー、せっかく可愛い女の子が来てくれたのにそんな無碍にすることないっしょ。で? 過去のレシピノートが欲しいんだって?」

「はい。秋の選抜の参考にしたいので」

「ふ~ん。まあ、目の付け所は悪くないんじゃない? でもタダで見せろってのはちょっと図々しいよねぇ……俺と食戟して勝ったら、って条件でどう?」

「確かに、タダでというのは虫が良すぎましたね。わかりました……それでは、私が負けた時はどうすれば?」

「そうだねえ、中華研(ウチ)は月饗祭……学園祭みたいなモンなんだけど、その間人がいくらいても足りないくらい忙しいんだよね。だから、その間売り子をやってもらおうかな? あ、それから厨房にも入ってもらうよ。こいつ等と同じ味が出せるようにはなってもらうからね……お題は、一足先にその味を覚えてもらうためにも麻婆豆腐で」

「意地でも労働力を確保しようという魂胆が透けて見えますが……レシピのためです、その条件で受けましょう」

「うんうん、性悪兄貴と違って素直で良い子じゃん♪ 俺、君にちょっとキョーミあったんだよね。架浪葉ちん♪」

「兄ぃが性悪なのは認めますが……私に、興味?」

「あの叡山の妹となれば、興味も沸くってもんでしょ。そういや名乗ってなかったか……俺は久我照紀。遠月十傑評議会第八席、久我照紀」

 

 




丸井氏が宮里ゼミのエース、架浪葉ちゃんは保存食研究会のアイドルです。もも先輩よりは大きいですが小柄なのでマスコットでも通る? ちなみに久我先輩よりもさらに背が低いです。

次回、ダイジェストにて描写しますがそもそもまともに勝負すらしてこなかった架浪葉にとっては相手が悪すぎます。ボッコボコにされるのは目に見えていますね。

知識補足その1
アムンセン……ロアール・アムンセンのこと。人類初の南極点到達を成し遂げたノルウェーの探検家。

知識補足その2
乾貨……中国では貨幣に匹敵する価値を持つと言われた、というのは事実。干しアワビやフカヒレが高級食材なのはご存じの通り。中華一番でも触れていたりします。

どうでもいい補足
月刊主婦の友 文字通り、奥様の生活に役立つ情報がたくさんの月刊誌。節約テクニック・時短テクニックの数々がお金に細かい架浪葉のハートをしっかりキャッチした模様。


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それが架浪葉クオリティ

何気に選抜前まで引っ張っておいて架浪葉初の食戟です。
ここに来て、得意ジャンルというものを持たない『凡庸な』架浪葉のスタイルが分かりますが、あるキャラに似ています。
その辺はあとがきで補足予定です。


この食戟の審査員は、以下の5名。

遠月十傑評議会第十席・薙切えりな

同・第七席・一色慧

遠月学園汐見ゼミ教授・汐見潤

同・宮里ゼミ教授・宮里隆夫

遠月学園フランス料理部門主任講師・ローラン・シャペル

 

「いやー、ごめんね? 急な日程だったもんだから学内でしか審査員集められなくってさあ」

「いえ、事情は分かるので。兄ぃを入れないだけ公正だと思いますよ」

「お兄さん、妹ちゃんに票入れそうだもんね☆そりゃ身内びいきしそうなのを外すくらいはやるよ~信用無いな~」

「いえ、兄ぃは嬉々として久我先輩に投票するでしょうね。私が怒り出すと大笑いするような人なので」

「うっわぁ~……なんとなーくわかってたけどめっちゃくちゃ仲悪いんだね」

「逆恨み、と言われればそれまでですが私は兄ぃに対してマリアナ海溝より深い恨みがあるので」

 

 人形かと思うほど感情の起伏が希薄に見えた架浪葉が露骨に怒りを露わにしている状況で茶茶を淹れて地雷を踏むこともない、と照紀はそれ以上の追及を避けた。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

 ほどなく調理が開始され、中華研、保存食研が観客席からその様子を見つめる。

 

「今回の食戟、主将から仕掛けたんだって?」

「あのちっこいのにそんな価値があるのかねぇ?」

「お前ら! 我が保存食研のアイドルを馬鹿にするな!!」

「現に見てみろ、あの手際を! 選抜に選ばれるだけはあるんだ、お前らごときとは違うんだよ!」

「あの、先輩……」

「それ、俺らも他人のこと言えないっす……」

「ん? 何だ、この香りは……」

「麻婆豆腐を作るのに、こんな香りがするものなのか?」

「あ、あれだ! 味を整える時の酒だ!」

「あれは……日本酒!?」

 中華研の生徒達が驚く中、保存食研は逆にその様子を静観している。

「やはり、自分のスタイルは崩さないか……」

「しかし、相手は十傑。どこまで通用するか」

「か、架浪葉君なら大丈夫だ! 『どこまで行っても、相手は人間』! それが彼女の口癖だろう?」

「信用されてるね架浪葉ちん☆色仕掛けでも使った?」

 

 観客席の様子にも、照紀の煽りにも眉一つ動かさず、作業を進めていく架浪葉。

 

「本気で言っているなら眼科の受診をお勧めします」

「だよねー、小っちゃいし愛嬌もないもんね」

「身長はお互い様かと。随分目線が近いように感じましたよ」

 

「んだとゴラァ!!」

 

「お互い気にしている、ということでこれは言うだけ損です。制限時間もありますし、調理を進めましょう」

「……ほんっとつかみどころ無えな。可愛くねえ」

「これでも傷つくので、堂々言わないでください」

 

「いや全っ然傷ついてるように見えないよ!?」

 

 そんなやり取りを交わしている間にも調理は進み、後半架浪葉が失速したものの、問題なく時間内に調理を終え、いざ実食となった。先に給仕(サーブ)したのは照紀。

 

--------------------------------------------------------------------------------------------

 

「この色と香りから主張してくる強烈な辛さ、変わらないね」

「君らには馴染みの味かもしれないが、審査である以上実食しないわけにもいかん」

「その通りですね、シャペル先生。では……」

 

 

この雷撃にも似た強烈な辛さ! そして、それに負けないだけの旨さ!

 

「涙が出るほど辛いのに、その旨味のためにさらに欲しく……」

「流石十傑、見事だ。では次に叡山君の麻婆豆腐だが……」

 

 審査員が辛さに悶えながらも称賛する様子を見ても、架浪葉は表情を変えず審査員に皿を提供した。

 

(これでダメなら、今の私では何をやっても食戟で久我先輩に勝つことはできないでしょう)

 

「色は、さほど変わらない。でも……」

「香りが、ずいぶん弱いわね」

 

 えりなは、この時点でゆで卵1個で編入試験を突破したにしては大したことない、と見下していた。そして、審査のため渋々一口麻婆豆腐を口にして、そのカラクリに気が付いた。

 

「これは……!」

「辛いことは、辛いが……」

「すごくまろやかで、優しい味……」

「直接使用したものはもちろん、豆板醤に用いた唐辛子も、辛さに丸みのある韓国産の唐辛子を使いました」

「でも、それだけじゃあない……この麻婆豆腐には、和食のテイストをかなり取り込んであるね?」

「はい。通常、麻婆豆腐で使うスープは鶏ガラですが、そこに昆布出汁を使いました。更に、味を調える際の調味料にも、日本の醤油を使ってあります。あと、酒は紹興酒ではなく日本酒……旨味が強く、度数も強い原酒を使いました」

「そして、かかっているのは花椒(ホアジャオ)ではなく、山椒……本来四川料理に欠かせない(マー)(ラー)を抑えてまで、和風に近づけようとしたのね。あと、種があるのは豆腐もでしょう? よく下ごしらえしてあるじゃない」

「お褒めいただき、ありがとうございます。おっしゃる通りです……柔らかく水分の多い絹ごし豆腐をさいの目に切った後に生姜のしぼり汁と塩を加えた湯に通し、豆腐の臭みをとった上で塩により十分な張りと弾力を、各さいの目の表面に万遍なく与えました。表面をしめてある上に中身の水分はそのまま、中までは熱が伝わらず、やわらかく冷たいままなので舌の上で豆腐の熱さを堪能したのち、歯ざわりを……更にその直後にくる柔らかみをも楽しめます。そして中からこぼれた冷たい水分は熱を中和し、食道と胃を優しく保護する効果も期待できる」

 

 その説明に、照紀は納得がいかないといった様子で食って掛かる。

 

「へー、豆腐の細工はなかなかいいアイディアじゃん。で? 俺の本格的な麻婆豆腐の後に、ずいぶんと邪道に走った皿を並べてくれたじゃないの」

「久我先輩、流石ですね」

「は?」

「面白いほど、こちらの思惑通りです。本格的で、圧倒的な辛さと旨さを持った麻婆豆腐を出してくるなんて、予想通りです……審査員も、シャペル先生が捕まるとは思っていませんでしたが、概ね予想の範囲内」

 

 審査の中、一度『それ』を経験しているえりながその『毒』に気が付いた。

 

(味は、久我先輩には及ばない……でもこれは! 叡山架浪葉が仕掛けたこれは毒だ……久我先輩特攻の『猛毒』……!!)

 

 審査員は、5人中4人が日本人……一般人よりは遥かに経験豊富だが、そもそもが本格的な四川料理の辛さに『慣れている』わけではない。どちらかと言えば日本人向けに調整された麻婆豆腐の方が馴染み深いのだ。そして、麻婆豆腐はそれ自体が『重い』……そのため、照紀の麻婆豆腐は旨いものの『辛さと重さ』という二重の暴力なのだ。

 対して、架浪葉はより和風に近づけることで『馴染みがあり、より日本人好み』の味に仕上げている。更にある程度はやむを得ないものの、照紀の麻婆豆腐よりは軽く、豆腐の工夫により優しい。

 

(食べ比べるとわかる……これは久我先輩の品を予測、逆手にとって審査員に寄り添うことで票につなげる心理誘導……!!)

 

「審査員たち、悩んでるな……」

「お、おいどうなってんの!? 普段ならもっとパパパッと決まるっしょ!?」

 

(『どこまで行っても、相手は人間』。人間であれば、そこには必ず感情、思考、好みが反映されます……審査員の傾向、相手の食戟の傾向、スタイル。その辺りの情報があれば、自然と審査員受けのする品や、相手の戦術を逆手に取る方法は見えてきます。お金で買収できずとも、心理的にこちらに引き込むことは、十分可能なのです……それが架浪葉クオリティです)

 

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『3-2! 勝者 久我照紀!!』

「純粋な力量の差、ですね……やはり十傑は簡単には落とせませんか」

「いや審査員が考えこんじゃうとか、地味にヤバいんじゃね……っと、かーなはちん☆そのまま中華研にれんこー。2人もいればいいよね」

「ハイッ!」

「で、採寸ヨロシク。選抜もあるっていうし、4週間でみっちり今回の麻婆豆腐叩き込むからね」

「えええっ!?」

 

 で、保存食研の嘆きを聞きながら問答無用で連行された架浪葉は女子ゆえに髪は配慮されたが、キッチリ採寸されて中華研にてチャイナドレス姿で鍋を振るう羽目になったのであった……。

 

 




はい、というわけでさっくりしてますが意外と善戦してもらいました。
ベクトルが『相手の利点を潰す』ではなく『審査員の好みを把握して誘導する』になっているのですがやってることとしては事前の調査情報を基に組み立てる、という意味で兄や美作に近いスタイルを取るのでした。そういう意味では割と悪役ムーブ。

今回の麻婆豆腐は中華一番の『幻の麻婆豆腐』でショウアンが出した豆腐のネタが盛り込まれています。

(時間と費用の面で割に合わないから)そもそも勝負を嫌うので積極的な食戟はない予定です。

そしてちゃっかり久我先輩直伝四川料理という強力武器を手に入れつつ(北条さんと比較するとかわいそうなお子様体型だけど)チャイナドレスというサービスカットまで披露。こっちでもアイドル化しそうな不思議。


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敗北と本質

 時間が空いてしまいましたが、ちゃんとネタは考えてありましたのでご安心ください。
 正直、今回のネタは割と初期から考えてはいました。繰り返しにはなりますが架浪葉は思考回路が根本から他の学生と違います。そして微妙にコメディ要素ありです。


 秋の選抜、A会場……カレー料理というテーマもあり、最初からトップの最有力候補であった葉山アキラの品が出される前から『伊勢海老のフレンチカレー』で93点をたたき出した黒木場リョウを筆頭に、80点台が連発される名勝負……その一方で1桁、2桁もまた多数出されているまさに混沌とした審査会場。

 架浪葉は自分の前に丸井善二が『白のポタージュカレーうどん』で88点、暫定二位を決めた直後にも関わらず、まるで動揺することもなく司会の佐々木優愛に声をかけた。

 

「すみません、マイク貸してください。最初にお伝えしておかないと、審査員の方にも観客の方にも失礼なことがありますので」

「ふぇっ!? は、はい……そういうことならどうぞ……」

 

『先に言っておきます。私の皿は、味だけの評価なら0点でもおかしくありません。ですが、私なりに『万人受けするカレー』を作ってみました。この意味に対し、評価いただければ幸いです』

 

「? 味は0点でもおかしくないのに、万人受け? 何言ってるんだアイツ?」

「叡山先輩の妹、本当に掴みどころがないというかなんというか……でも実際成果につながってるんだよな」

 

 架浪葉の言葉の意味に審査員、観客ともに困惑している間にその一皿が提供される。

 

「どうぞ。『DS麻婆咖喱(ダウンサイジングマーボーカレー)』です」

 

「ふむ……名前通りベースは麻婆豆腐のようだが」

 

 審査員達が最初の一口に目を見開く……が、すぐに表情が曇り、首を傾げる。

 

「この鮮烈な辛さ、旨さ! それにスパイスの香りも中華料理に使うものとカレーに使うものに共通の香辛料が多いためか見事に調和している。しかし……」

「何というか、強烈なのは最初だけで物足りないな」

「当たり前よ。これ、香りのベースになってるのはハウビー食品(ウチ)のカレー粉でしょ? 手抜きもここまでくるとコメントに困るわ」

「こんな完成度の低いものを出すなど、私達を馬鹿にしているのか!!」

「いいえ。むしろこれが正しいのです、言ってしまえば『完成されては困る』のですよ。もっと完成度を高めるなら麻婆豆腐の段階から、中華鍋を使うだけでも格段に違うでしょう……しかし、中華鍋なんて一般家庭にあるものでしょうか?」

 

 架浪葉は淡々と、審査員の一人に視線を向けながら言葉を続ける。

 

「ない、とは言い切れませんがそうあるものでもないと思います。このカレーは、その気になれば一般家庭の主婦でも……いいえ、保護者のサポートさえあれば小学生でも作れるところまで食材、調理器具はもちろん、調理手順までダウンサイジングしてあります。ときに、香田先生?」

「な、何かね?」

 

 名指しで呼ばれた立派な髭が特徴の審査員、香田茂乃進が聞き返すと、そこで初めてにこやかに微笑む架浪葉。

 

「美食家の先生方には、自ら包丁を握る方も少なくないとか。例えば、香田先生ならこれをどのように、昇華させますか?」

 

 その問いこそが、このカレーの真意であり、答えだった。そこで二口目は口にないまま、改めて5人の審査員のうち最も注目を集める美女、ハウビー食品CEO千俵なつめが口を開いた。

 

原型(アーキタイプ)……そう、これはいわば原型(アーキタイプ)としてのカレーなのね?」

「その通りです。だからこそ、極限まで『再現性』を高めるには味や素材、調理器具の質はダウンサイジングする必要があったのです。そして、これが私なりの『カレー料理』というテーマに対する答えです」

 

 もはや、スプーンは動かない。味については正体が割れ、質が『その程度』である以上見る必要がない。

だが、その着眼点と意図は異質であるがゆえに耳を傾けずにいられなかった。

 

「そもそも、本場インドではスパイスを調合することは日本人が醤油を使うくらい一般的で、当たり前のことです。だからこそ、一般家庭には一般家庭なりの、裕福な家には裕福な家なりの『家庭のレシピ』があります。戦後広まった日本のカレーについても同じこと、カレー業界トップの千俵氏に話すまでもありませんがカレーはその幅の広さ、家庭でのアレンジの『自由度の高さ』が人気の秘訣の1つです。そういう意味で、本当に一番美味しいカレーは『家庭の味』です……思い出の味、というものは心情的にもより美味しく感じるものですからね」

 

 だから、売れるのもまた然り……という言葉は飲み込み、更に語る。

 

「そして、日本では既にいくつものメーカーが出していて独自の中華と言ってもいいほど広まっている麻婆豆腐……人気メニュー2つの融合は『日本人になら』万人受けするでしょう。それと、そのカレーにもちょっとした工夫がしてあります」

 

 それを聞くと、続けて二口目を口にして、その正体を探る審査員。

 

「これは……一見ひき肉を使っているように見えるが、肉を使っていないのか!」

「その通りです。そのひき肉に見えるものは大豆で作った『大豆肉』です。なので、宗教上の理由で肉が食べられない人やベジタリアンでも食べることができます。あとは、そのままでは少しコクが足りなかったので、チョコレートを加えてあります。これは一般家庭でもたまに見られる工夫ですね」

 

『それでは! 全く新しい切り口で攻めた叡山選手の得点をお願いします!!』

 

 結果は……84点。順位は5位、本選に出場できるのは上位4名のためここで勝ちの目は潰えた。しかし、その数字は架浪葉の真の狙いを看破した者にとっては空恐ろしいものに見えた。

 

 薙切えりなは忌々しげに、VIP席からその小さな姿を見下ろす。

(本当、良く回る口ね……あれなら料理人じゃなくて詐欺師でもやっていけるわ。事実、会場の人間の大部分を騙しておいてあの結果だものね)

 

 一色慧は、あの皿が『本気で』出されていたらまず間違いなく本選出場を決めていたであろうという事実を、好意的に解釈した。

(本選出場を決めたところで、自分の皿ではないという事だね。もっとも、その事実を知るのはあの時審査員を務めた僕らだけだろうけど)

 

 ローラン・シャペルはその圧倒的な『技術』を的確に評価した。

(あそこまでダウンサイジングしたのは、コンセプトのためだけではない! 彼女は食戟で負けてからの4週間、徹底的に久我照紀の麻婆豆腐を仕込まれていた……麻婆豆腐の部分を最大限生かし、再現した場合『久我照紀の顔』が見える! それを避けたのだ! ダウンサイジングしたのが先で理由は後付け、という可能性もある。期間が期間とはいえ、そこまでの再現が可能になるという事や合宿の内容……彼女は『発想や技術を盗む』技量が恐ろしく高い!!)

 

顔を盗み、技術(ワザ)を盗み、審査員(ヒト)を巧みに欺く。さしずめ彼女は――

 

食の怪盗(シーフ)!!

 

 一方、当の本人である架浪葉は内心ほっとしていた。

 

(何とか言いくるめられましたね……それにあんなことで偶然できた品で本選出場なんて決まったら申し訳なく何も言えません。負けて助かりました)

 

 遡ること、約4週間前の某日、深夜。

 

(ほとんど一日中、中華鍋振るっていたせいで腕の筋肉が悲鳴を上げています……カレーのことが何も浮かびません……ああもう! 頭がぐちゃぐちゃでまとまらない! こうしてやって、あとは明日考えます!!)

 

 体が疲労で悲鳴を上げ、頭が選抜のカレー料理で悲鳴を上げ、半ばやけくそで中華鍋にカレー粉を放り込んで寝た、翌朝……それが意外と美味しかったという発見から、この皿は生まれた。実はご大層な理由なんて完全に後付けというシャペル先生の推測は当たっており、実際は深夜テンションの産物を練り直しただけだったのである。




テイルズ名物マーボーカレー、実は久我先輩の出番を早めたのもこのネタがやりたいがための伏線だったりしました。

高いから旨い、ではない。思い出補正+自由度の高さって本当にカレーの強力な武器なのでそこをフルに生かす方針にしてみました。

ついでに言うと大豆肉は中華一番、チョコレートは黒執事を参考にしてみました。
余談ですがベジタリアンにも色々あるそうで、砂糖もダメというヴィーガンには今回のカレーは残念ながら対応していません。

そして、優愛ちゃんはこの詐欺師にマイクを渡すべきではなかった(笑)
怪盗と聞いてどんなキャラを思い浮かべるかは年代がバレる問いですね


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労いの夜

 あけましておめでとうございます。反省会編です。本選に出ないからと言ってそれで終わるわけがない。選抜の品って、個性的な品が多いので埋もれさせるのは惜しい、という意味でひと工夫してみました。


 意外なまでの高得点の連発、混戦のうちに終わった秋の選抜予選……その全日程が終了し、吉野が極星寮での打ち上げを提案する。寮生だけではなくアルディーニ兄弟、郁魅に架浪葉も招待され、そこで架浪葉は静かに1つの案を口にする。

 

「せっかくですし、皆さんの品とアイディアを無駄にしたくはありませんね。それで提案なのですが……」

「おお! 良いじゃん良いじゃん! 架浪葉っち冴えてる!!」

「試作分まで考えれば、皆さん食材は残っていますよね? せっかくなら有効に活用しませんと。ついては、イサミ君と郁魅さんのカレーの詳細を聞きたいのですが」

「うん、いいよー」

「アタシも構わねえよ。でもその案だと、中華料理の技術が必要になるんじゃ……」

「問題ありません。私が中華研に駆り出されてるのでそこで覚えました」

「はぁ!? 何がどうなったら選抜の猶予期間にそんなことになるんだよ!」

「食戟で負けました」

「え!? 架浪葉さん技術も知識もレベル高い方なのに……」

「別に、驚くことではないですよ。私は中等部までは一般校に通っていたんです、それに現場を経験しているわけでもない。皮肉なことですが凡人に毛が生えた程度の才能に兄ぃという手本があったことでここでやっていけるだけの水準に達したにすぎません」

「架浪葉、恵より自己評価低いんじゃない……?」

「事実だと思いますよ。私があの評価だったのはこちらの土台に引き込めただけのことですし」

 驚く恵、涼子に淡々と告げる。

「私は商売人です。料理ではこれといった得意分野はありませんが、セールストークなら話は別です。皿の上ではなく、商談のテーブルに持ち込んだ時点で私の勝ちだったんですよ」

「お主もワルよのう……」

「いえいえ……」

 吉野の振りに楽しそうに乗る架浪葉。はた目には小柄な二人なので微笑ましい気もするが恵は何とも言えない感想を抱いていた。

 

(架浪葉ちゃん、その悪い笑顔が似合いすぎてるのはどうかと思うべ……)

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「さて、かかりますか……」

 

(生地は寝かせてありますが、二次発酵と蒸し時間を考えれば短く見積もっても40分…いや、50分は欲しいですね。そう考えると、出来上がりのベストは……)

 

 料理というのは1分のズレでも出来に差が出る。それ故に行程の組み立ては重要だ。だが『商売人』にとってもタイムマネジメントは重要なスキルであり、架浪葉は素早く『最適解』を導き出す。

 

「イサミ君のカレーからやっていきましょう、トマトは4つ…いえ、5つで。火にかけている間に準備するので、スパイスの分量を」

「はいこれ、5つならこれでいいよ」

「ありがとうございます。郁魅さん、豚肉の下処理は…」

「舐めんな! もう入ってる!」

 

 日々の授業に加え、地獄の宿泊研修と秋の選抜を経験し、生き延びてきた面々は打ち上げのため、自分たちのための料理を作るとなればその手際の良さを遺憾なく発揮した。

 

「あの、私も何か……」

「では恵さん、10分後に仕上がるようにキャベツの千切り、お願いします」

「10分後だね、わかった!」

 

(二次発酵は、これで良し。あとは蒸すだけですね)

 

 具材を詰め、仕上げに入った段階で創真が寮の厨房に入ってくる。

 

「おーっす。頼まれてたモン、買ってきたぜー」

「ありがとうございます。それから、戻ってきてすぐで悪いのですが人数を考えると手が欲しいところでしょうから榊さんの手伝いをお願いします。こちらはもうほとんど待つだけですから」

「わかった、それじゃ後でな」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 架浪葉の提案は、端的に言えば『今回の選抜で使った食材、料理のアレンジでの打ち上げ』である。

残った食材を無駄にしない、ということはもちろん、他の生徒の品も食べてみたいだろうという意味での提案であった。

 

「はい! まずアタシが使った『鴨カツ』のカツサンドだよ!!」

「これ、スゲエいい鴨肉じゃねえか! しかも揚げたてサクサク、シャキシャキのキャベツ! こんな贅沢なカツサンド、そうそう食えねえよ。しかしこれだけの肉にパンが負けてねえとは……」

「全粒粉使用の専門店のパンですからね、簡単に負けてはプロの立つ瀬がありませんよ。買ってから3日ですが、保存には気を使っていますしトーストしてしまえばそこまで気にならないと思います。次にこれです」

 

 出されたのは蒸したてフワフワの中華まん。

 

「これは……国旗?」

 

 中華まんそれ自体、アルディーニ兄弟にはあまりなじみがなかったが、特にタクミが興味を引かれたのは中華まんに刺された国旗付きの楊枝だった。

 

「いやー、まさか『お子様ランチの旗』買ってきてくれなんて言われると思わなかったぜ」

「生地に着色して分けた方がシンプルですが、この方がイタリアのお二人には楽しんでいただけると思ったので。使わなかった旗とお釣りは差し上げます」

「お、悪いな!」

「中国の旗が刺さっているのが生地だけで蒸しあげた後、郁魅さんのトンポーロウを挟んだ『トンポーロウまん』、イタリアの旗が刺さっているのがイサミさんのカレーが入った『トマトカレーまん』です。」

 

「秋も夜になると風冷たいもんねー、そんな中でほかほかの中華まんとか美味しくないわけないじゃん!!」

「フワフワの生地も美味しいんだけど、それ以上にこのお肉の濃厚さがたまらないよー!」

 

 恵と吉野が濃厚なトンポーロウにはしゃぐ横で丸井と伊武崎はトマトカレーまんを冷静に分析する。

 

「こっちのカレーはトマトの酸味と甘みがかなり主張してくるね」

「ああ、イタリアらしい感じだな。生地の違いはあるが、これだけの品なら負けていてもおかしくなかった」

「盛り上がっているところで、これも食べてみて。カレーで使った炭火熟成納豆をそのままシンプルに納豆巻きにしてみたの」

「これは…すごいですね。ここまでのものを作れるとは。ここまでの味なら、一流の料亭でも取り扱えるでしょう」

 

 金銭感覚にシビアな架浪葉は、その品質を率直に褒める。

 

「そ、そんな褒めたって何も出ないわよ……」

「いえ、素直な感想ですよ。この炭火熟成納豆は手間を考えると商品化は難しいですが、味という一点においては一流です」

「うん、うん。予選落ちと言ってもそれにめげず研鑽し合う、素晴らしいことだ! ところで、アレは出さないのかい?」

 

 一色が目を細め、視線を向けると架浪葉はぐ、と唸る。

 

「実際に味を見てもらえばいい。そのつもりだったんだろう? それに結果は出た後なんだから今更結果は覆らない」

「……わかりました」

 

 やっぱりこの男は嫌いだ、と再認識しつつ架浪葉はもう1種類、作っていた中華まんを出す。それには日本の国旗が刺さっていた。

 

「これは私が選抜で出した麻婆カレーをダウンサイジングせず、調理法、スパイスなど私が味を調和させることができる限界まで質を高めた『限界麻婆咖喱(マックスマーボーカレー)』のカレーまんです」

 

 それを口にした打ち上げメンバー一同は目を見開き、架浪葉に詰め寄った。

 

「架浪葉君! 何でこれだけのものが作れるのにそれをしなかったんだ!」

「わざわざ質を落として勝負する必要あったのかよ!」

「手抜きで勝てると思われていたなら、それはこの場の全員に対する侮辱だぜ」

「……こうなるのが分かっていたから、試作だけにしておきたかったんですよ。率直に言えば、あんなもので勝てるなんて思っていませんよ」

「そうだろうね。むしろ、負ける必要があった……違うかい?」

「その通りです。最悪、相当な数の敵を作りかねませんでしたからね……まず、そのカレーは十傑の料理のデッドコピーです。本人が同じものを作ったわけではありませんが、麻婆豆腐部分は的確な指導もあってほぼ同じ出来で作れますからカレーの部分も大きく離れてはいないでしょう。おおよその予想ですが、彼が同じ皿を作った場合の70~80%程度の再現率だと思います」

 

 そう前振りしたうえで、勝っていた場合の最悪のシナリオを語る。

 

「麻婆豆腐に関しては運良く技術を吸収できただけですから、私程度の腕では本選に進めばすぐにメッキがはがれます。当然、そうなるとオリジナル……第八席の久我先輩の顔に泥を塗るに等しい展開ですから彼を敵に回すでしょうし『猿真似』で予選を勝ち抜いたことで出場者はもちろん、観戦する生徒の反感も買うでしょう。そうなれば四面楚歌……兄ぃを殴るどころか、その前に潰されてしまいます。かといって、何もせず尻尾を巻いて逃げるというのは趣味ではありませんし、今後に向けて味方を得るには逆に自分の印象付けも必要になります」

「それで、あのトークってわけか」

「丸井君、正解です。極論、点数については()()()()()()()()()()()()()()()()。実際はこちらの意図が評価されていい感じの点数でしたから、結果としてはベストでしたね」

 

 そこまで事情を話したうえで、これが狙いかと観念した架浪葉は久我との食戟があったことを改めて話したうえで、持論を述べる。

 

「繰り返しになりますが、私は商売人です。商売というのは人間で、人間には様々な感情や思惑がある……『どこまで行っても相手は人間』なのですから当然です。料理人も、料理で人を満足させて対価としてお金をもらう『商売』ですからこの点は変わらないというのが私の持論です。私は人を敵に回さないため…もっと言えば、味方につけるためならどんな手だって使います。たとえそれが、半端な品を出すことで泥をかぶることだとしても。幻滅したでしょうが、手段を選ばない人間というのは私のように、確かに存在します……皆さんも気を付けた方がいいでしょう」

 

 言ってしまった。拒絶され、この場から追い出されることを覚悟した架浪葉に向けられたのは、創真の賞賛だった。

 

「架浪葉…オメーすげーわ……」

「ここまで客と人間関係のこと考えてる奴、この学校で見た事ねーよ……」

「これだけ計算高い奴も、そうそういないな」

「え……え?」

 

「やり方はどうあれ、君はベストを尽くした。極星寮にはそんな君を拒絶するような子はいないと、信じていたよ。架浪葉君は、もっと腹を割って話せる味方を増やすべきだ」

 

 一色慧の狙いは、この場で自分のやり口を暴露させたうえで追い出すことだと思い込んでいた架浪葉は、真逆に展開に驚いて言葉を失ってしまったが、それで収まる場ではない。その思想、思考法は真似られないとしても料理は再現できるとカレーまんのレシピについて質問攻めにあう。

 

「まったく、仕方がないですね……今日は先輩の顔を立てて、思惑に乗ってあげます」

 

 そう告げる架浪葉の目から零れた涙は『受け入れてくれたこと』の嬉し涙であったが、それを指摘されても『負ける必要があっても、選抜が悔しかっただけ』とせめてもの意地で答えるのだった。




 やってることは計算ずくの悪い子なのに周囲が善人だらけで受け入れられたの巻。地味に彼らの技術も盗み出しているので機会があるごとに能力がアップしているのですが、基本が本人曰く『凡人』なので際立つ部分は少なく目立ちにくかったりします。


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