死ぬのが嫌なので防御力に極振りしたいと思います (くぼさちや)
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01話 「浮遊城に落ちてきて」

やっほーさっちんだよ(●ꉺωꉺ●)
IS学園の大魔王を描きつつちょいちょいこっちも書いていきます。
今までREBORNとかいちばんうしろの大魔王とかピーク過ぎたのばっか書いてたので、ちょーっと流行りに乗ってみたいなーとか思って書いてます。
ではどうぞ↓↓↓↓↓↓


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 守ってくれると、約束してくれた。

 守ってくれたことが、嬉しかった。

 だから今度はわたしが守ってあげるよと、約束した。

 けれど守れなかったらと思うと、怖かった。

 

 ずっと一緒にいるよと、言ってくれた。

 一緒にいてくれたことが、嬉しかった。

 だから私も一緒にいると、言ってあげた。

 けれど一緒にいられなくなることが、怖かった。

 

 死ぬのが怖いと、思った。

 けれどわたしが死ぬよりもあの人が死ぬことの方が、怖いと思ったから。

 

 だからわたしは迷わないと、決めたんだ。

 わたしはあなたが大好きだから。

 

 

 

 

 

 

「この層の攻略が始まってもう二週間か。ちょっと難航してるな。まだ探索できてないところがあるのか、それともなにか必須イベントを見逃してるのか......」

 

 そんなことを考えながら、キリトは樹海フィールドでもとりわけ大きな木の下に寝そべって昼食をつまんでいた。

 もっとも、パーティやレイドを組んで探索に当たっている有力ギルドと違って、ソロで迷宮区に挑むキリトが決定的な攻略のヒントを掴む方が稀だ。

 キリトは装備している黒いコートを羽織り直すと、夜闇のように深い瞳を道の先へ向ける。しばらくこのままマッピングを進めながら、レベル上げに努めようかと、出発前に購入したパンの最後の一切れを口にした時、それは起こった。

 

「......? なんだあれは?」

 

 空を映すグラフィックが一瞬、歪むと空中になにかが現れた。

 一見するとライトエフェクトのように見えたがそれは違う。明らかにシステム異常と言えるような背景の歪みと無数のポリゴンの中から、一人の少女が現れた。

 

「なっ!?」

 

 そのまま重力に従って落ちていく少女に向かってキリトは力の限り走ると、少女が地面に激突する直前、滑り込むようにしてその身体を受け止めた。

 砂煙の中でどうにか間に合ったことに安堵して衝撃で削られたHPバーを確認する。一割弱のダメージ、しかしそれもパッシブスキルのリジェネーターで徐々に回復している。

 

「いててて...空から女の子が落ちてくるなんて、どっかの映画みたいな展開だな」

 

 どこかに親方はいないものかと冗談混じりに考えつつ、キリトは改めて少女に視線を移し、その姿を見てにわかに驚いた。

 

「なんだこの子は?」

 

 着ているものはレザー系の装備に違いはないが、防具というよりファンタジー世界における平服のような、お世辞にも戦闘向きとは言えない簡素なものだった。

 今キリトのいるそこは四十九層の迷宮区。現在のアインクラッドでは攻略の最前線と言われる場所だ。そのフィールドに足を踏み入れるプレイヤーといえばキリトのような攻略組と呼ばれているトップクラスのプレイヤーか、あるいはそれに相当するクラスのプレイヤー。

 しかしキリトの目の前に現れた少女はとても攻略組だとは思えない、ともすればログインしたばかりの初期設定のような装備でそこにいたのだった。

 

(偶然迷い込むような場所でもないし、そもそもこんな装備じゃなんらかのアイテムやイベントで転移でもしない限りどうやったってたどり着けないよな?)

 

 デスゲームが始まって以降、死ぬことを恐れてフィールドに出ないプレイヤーも少なからずいることは知っていたが、あれからすでに一年。さすがに初期装備一着着たきりというのも不自然な話だ。

 なんらかのイベントの鍵になるノンプレイヤーキャラクター。今の状況から考えられる一番妥当な線を考えてキリトは少女のそばに近寄ってみる。

 

(......)

 

 寝ているようだった。いつだったかのアスナのように気持ちよさそうな寝息が聞こえてくる。

 

(特にイベントが始まるような様子もないな......よし)

 

 今度は頬を人差し指で軽くつついてみる。むにゅむにゅと口元を緩ませているが、やはり寝ている。そんな様子にどことなく、人っぽさを感じたのか、ますますキリトは首を捻った。

 

(NPCじゃないのか? いや、単にそういうアクションがプログラムされてるだけなのか)

 

 少しだけ考えて、弱めに頬をつねってみようかなどと思ったその時、ぱちり、そんな音が聞こえてきそうなほど唐突に少女は目を覚ます。

 

「......」

 

「......」

 

 二人の目が合ってから少女が口を開いたのは、たっぷり十秒ほど経ってから。

 

「あの、どちら様でしょうか?」

 

「俺が聞きたいんだけどな」

 

 

 




とりあ評価者10人目標で行きます
ではまた次回〜(●ꉺωꉺ●)

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02話 「ビギナーの少女」

思ったより反響があって正直びっくらこいてます(笑)
感想くださった方ありがとうございました(●ꉺωꉺ●)


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 面白い、絶対面白い、ホント面白い。

 そんな友達の誘いで始めたVRMMO、ニューワールドオンライン。それは私、本条楓の人生を大きく変えた。

 慣れない手つきでアバターをクリエイトして、本名の楓を英語に置き換えてキャラ名はメイプル。ゲームとはいっても攻撃を受けたらちょっと痛いって聞くから、それが恐くて初期装備は盾持ち短剣。それに合わせてVIT、防御力にステータスポイントを全部振り分けて私の初めての冒険が始まる。

 はずだった。

 

「へぇ〜! 最近のVRMMOってこんな感じなんだぁ」

 

 初ログインを果たすと目の前では大勢のプレイヤーが思い思いの武器や防具を纏って行き交っている。緑が豊かなその村には中心に大きな木があって私はそのすぐそばにいた。

 

「じゃあさっそくモンスターとか倒しに行きたいな。けどどっち行けば......あの、すみません」

 

 そう言って私が近くを通りかかったプレイヤーに歩み寄って、声をかけた時だった。

 

「...え?」

 

 まるで処理落ちしたPCゲームのようにカクつく視界。接続が良くないのかな? そんな風に思っていると、やがてそれは背景グラフィックの歪みにまで状況を悪化させた。

 穏やかな始まりの街が一転、まるで世界が崩れるように目の前がポリゴンに埋め尽くされて、全身が重力に従って落下するような感覚だけが残った。

 そう、私は落ちている。真っ暗な仮想空間のどこか深くに、その先が数千人ものプレイヤーが生死をかけて戦うデスゲームであることすら、あのときの私は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 キリトは改めて少女の姿を見てみる。

 身につけているレザー系統の防具は、おそらくゲーム内で最低ランクのものだろう。武器も飾り気のないダガーナイフに木製の大盾とで、盾持ち片手剣士をイメージさせるような攻防一体とはかけ離れたアンバランスな組み合わせ。

 誰がどう見ても、まだろくな戦闘も経験していないのが見て取れる。

 少なくともこんな上層の迷宮区にソロで潜るようなプレイヤーには到底見られなかった。

 

「君は......いったいどうやってここに来たんだ?」

 

 あまりに不自然な状況にキリトは言った。

 あれこれ考えるより聞いてみるのが早い。そう思ったのが半分、もう半分は警戒していたからだと言ってもいい。

 

「えーっとですね。実は今ログインしたばかりなんですけど、どうしてかな? 急に景色が変わって......あ、でももしかしてこれってチュートリアルなのかな?」

 

「いや、ちょっと待ってくれ! まさかこんな状況のSAOに今になってログインしたのか?」

 

 キョトンとした様子でキリトを見つめる少女。その表情にはHP0=死のデスゲームに自ら進んでログインしたような緊張感も危機感も伺えない。

 

「SAO? あの、私がログインしたのはNWOってゲームのはずなんですけど...あれれ?」

 

 困ったようにメニュー画面を呼び出して確認をする少女。

 それも明らかに操作に慣れてないようで 、たどたどしく指を動かす少女の横からキリトはメニューを覗いた。

 

「っ!? これは......」

 

 驚愕に、キリトは顔を歪ませた。

 その画面はキリトたちSAOプレイヤーが使うものとは仕様がまったくの別物だったのだ。それこそ、レイアウトからスキル欄の表示まで全く別のゲームのように異なっている。

 なにより片手直剣、細剣などの武器カテゴリの熟練度やソードスキルの欄がない。あるのは異常に多いパッシブスキル、そして剣の世界には存在するはずのないものがキリトの目に止まった。

 

「魔法詠唱スキル...?」

 

「はい? どうかしました?」

 

 そのスキル欄はまだ空白でなんのスキルも習得していないようだったが、そこには確かに“魔法”という文字があった。

 

(まさか、他のVRMMOからなんらかのバグでSAOサーバーに紛れ込んだのか? だとしたらこの状況も納得はできる。少なくともSAO開発者がこんなゲームバランスを狂わせるような要素を組み込むはずがない)

 

 少しずつ状況を把握してきたキリト。しかし一方で少女はなにがなんだかわからないようで、そのことに気がついたキリトは思案顔を解いて笑いかけた。

 

「あ、ごめん。いきなりこんなこと聞かれても驚くよな。俺の名前はキリト」

 

「はじめまして。名前はええっと、メイプルって言います。ごめんなさい、私このゲームまだ始めたばかりで全然よくわかってなくて」

 

「いや、ここは君がプレイするつもりだったNWOとは全く別のゲームなんだ。ここはSAO、ソードアートオンラインというVRMMOで─────」

 

 そこまで話したところでキリトはここが四十九層、攻略の最前線のフィールドであったことを思い出す。

 

「とにかく街に戻ろう。ここだといつモンスターがリポップするかもわからない。転移結晶は......持ってるわけないよな」

 

 SAOの初期装備でも転移結晶のアイテムボーナスはない。キリトがログインした時もせいぜい最低限の通貨とHP回復用のポーションがある程度だった。

 そうでなくても転移結晶とはフィールドから街に転移するアイテムだが、転移先に選べるのは一度訪れたことのある街に限定されるという制限がある。

 メイプルにとってログインして初めて来た場所がこの迷宮区だ。仮にキリトがストレージから転移結晶を分け与えても 、第一層のはじまりの街ですら転移できるかどうか怪しい。

 

(となると、あとはこれしかないか)

 

 キリトは転移結晶とは別の結晶アイテムを取り出そうとアイテムストレージをスクロールするが、ふとその手が止まった。

 

「そうだ。パーティ申請はできるかな?」

 

「パーティですか?」

 

 キリトはメニューを一旦閉じると、マップ画面を呼び出す。そこにはキリト本人の位置を示すアイコンがひとつ。その正面にパーティ外のプレイヤーを示すアイコンがひとつあった。

 それをタッチすると《メイプルをパーティに加えますか?》というシステムメッセージが表示される。

 

「よかった。どうやら仕様は違ってもパーティは組めるみたいだな。そっちにメッセージが飛んできただろ?」

 

「この《kiritoからパーティ申請が届いています。承認しますか?》っていうのがそうですか?」

 

 キリトが頷いて答えると、メイプルは人差し指で《Yes》のボタンをタッチする。

 視界の端にあるキリトのステータスの下にメイプルのHPバーと名前が表示され、マップのアイコンもキリトと同じ色を示した。

 

「こういうシステムはきちんと動作するのか。よかったそれなら......」

 

 キリトはアイテムストレージからもうひとつの転移手段、回廊結晶を取り出す。使用者を含め、パーティメンバー全員を設定した街に転移させるアイテムだ。これならメイプルを連れて四十九層の街まで転移できる。

 

「転移、ミュージエン」

 

 キリトのボイスコマンドとともに二人の姿が青いエフェクトに包まれると、迷宮区から姿を消した。

 




評価、してあげて?
感想、言ったげて?
では次回〜

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03話 「サチの面影」

あ、すごい
本腰入れて書いてる作品より感想の数と評価値が高い......2話目にして
いかんこのままじゃこっちを本腰入れて書いてしまう


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 四十九層の街はアクティベートされてからそれなりに時間が経っているということもあって今や攻略の鉄火場ともなっている。

 そんな最前線の階層で最も大きな街、ミュージエンの酒場には攻略の最前線で活動するトッププレイヤーや、それを相手に鍛治やアイテム雑貨などの生産職、商店職を営むプレイヤーで大いに賑わっていた。

 

「なんか、私たち周りからすっごく見られてるような気がするんですけど、やっぱり私って悪目立ちしちゃってます?」

 

「気にしなくても大丈夫だよ。ここに限った事じゃないけど、特に最前線は女性プレイヤーの数が少ないから」

 

 キリトの言う通り、ゲームそのものの男女比が極端に男性多に偏っているというのも原因ではあるが、見るからにルーキーのメイプルと悪評の多いキリトの組み合わせは嫌でも人の目を引くものだった。

 二人はテーブルにつき、NPCに注文を済ませると、ようやく一息つく。

 

「それよりまずは確認なんだけど、ログアウト画面は表示できるか?」

 

「ログアウトですか? はい、やってみます」

 

 メイプルは言われるままにメニューを開き、それらしいアイコンをタップしていく。

 

「ログアウト......ログアウト......うーん見つからないです」

 

「そっか。俺たちとは仕様がまったく違うから、あるいはと思ったんだけど......」

 

 遠くの景色でも見るように、グググッと目を細めながら画面をスクロールするメイプルにキリトは落胆したように肩を落とす。

 メイプルは運ばれてきたドリンクに口をつけてから言った。

 

「あの、これってゲームを中断したいときどうしたらいいんですか? 私学生なんですけど、まだ明日の宿題終わってなくて。今日はそろそろ戻らないと」

 

「中断はできないんだ」

 

「え?」

 

「誰もログアウトできないんだよ。このアインクラッドの一〇〇層を攻略するまでは絶対に。それだけじゃない。このゲームでの死はそのまま現実世界の俺たちを殺すんだ」

 

 それからキリトはこの世界について話した。

 正式サービス当日に起こったこと、開発者である茅場晶彦の言葉。そしてプレイヤー全員がログアウトできる唯一の方法についても。

 

「どう?」

 

「どう...と言われましても、なんか壮大すぎていまいちピンとこないというか、話にちょっと取り残されちゃってるような...あはは」

 

 曖昧な返事をして笑うメイプル。しかし、深刻な状況なのは理解しているのだろう。伏し目がちに笑うメイプルの表情には微かに影が差して見えた。

 

「......俺たちが攻略を始めてもう一年になる。だけど二週間前にようやく四十八層のボスを倒したところで、アインクラッド全層攻略の折り返し地点にも届いていないんだ」

 

 それまでに二千人以上のプレイヤーがゲームオーバーとなって死んだ。今こうしている間にもどこかでプレイヤーが死んでいるかもしれない。

 

「.........」

 

「.........」

 

 黙りこくってしまったメイプルにキリトはなんと声をかけようか決めあぐねていたが、意を決して口を開いたのはメイプルの方だった。

 

「あのっ、迷惑じゃなければこのまま私としばらくパーティを組んでもらえませんか?」

 

「そ、それは......」

 

 メイプルの言葉にキリトは迷った。その頼みは事と次第によっては今のキリトにとっては安易に受けられる頼みではない。

 

(ある程度レベルを上げていけば、それこそ第一層ならレベル20くらいまで上げさえすればソロでもまず死ぬことはない。VRMMO初心者だって生活に必要な分のコルを稼ぐくらいなら命の危険なくモンスターと戦えるようになる。だけど、俺もそう長くは前線を離れられない)

 

 なにせ四十八層攻略から二週間も経っているのだから、いつボス部屋が発見されて攻略が始まるかわからない。

 それこそ頼れる相手のいないソロプレイヤー、それも忌み嫌われたビーターのキリトにとっては最前線で戦っていち早く次の層での狩場やクエストの確保をすることがその後の生死を分けるかもしれないのだ。

 だからこそ悩んだ。このままこの少女を1人にしていいものなのかと。

 しかし答えは簡単だ。いきなり命懸けのゲームに放り出されて、ろくにフルダイブ型のゲームの経験もなければ、頼れる相手もいないメイプルがたった一人で生き残れるほど、ここは甘い世界ではない。

 それはキリト自身が痛いほどよくわかっていた。

 

「......すみません。こんなこといきなりお願いされても困っちゃいますよね」

 

 そんなキリトの様子を察したのかメイプルは飲み物を一気に飲み干すと、席を立った。

 

「キリトさん、ありがとうございました。あそこ強いモンスターがたくさんいる場所だったんですよね? 私キリトさんに会ってなかったらなにも知らずにゲームオーバーになっちゃってたと思います」

 

 そう言ってぺこりとお辞儀するとその場を後にしようとキリトに背を向ける。

 振り返り際に見た横顔にふと、ある人の面影を感じた。

 サチだ。

 

「...っ!」

 

 一瞬見せたメイプルの表情には恐怖を押し殺そうとするような、人として当然の脆さが浮き彫りになっているような危うさを感じた。

 死ぬのが怖い、そう言っていつも隣合わせにある死に怯えていたあの時のサチの姿が、そして守ると約束したはずだったサチが目の前で消えていった情景が脳裏から離れない。

 そんなサチと今のメイプルの姿が重なって見えると、込み上げてきた言いようのない後悔がキリトの手をつき動かした。

 

「キリトさん...?」

 

 立ち去ろうとするメイプルの袖を掴むキリト。

 

「長く最前線を離れることは正直難しいかもしれない。けど、君が自分の身を守れるくらいになるまでは一旦ここを離れてもいいと思ってる」

 

「えっ? それって─────」

 

 メイプルが言い終えるよりも一足早く、キリトが言葉を続けた。

 

「しばらく俺と一緒にパーティを組もう」

 

 




このくらいのやさぐれたキリトが1番かっこよかった
そうは思いませんか?
ではまた次回〜

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04話 「旅立ちの夜と朝」

こんなにせっせと書くつもりなかったです
2000文字を週一くらいで出せたらなぁーとしか思ってなかったです
でもさー、仕方ないじゃないですか
調整平均7って...........


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 その日の晩はミュージエンの宿屋で夜を明かすことになった。

 キリトはメイプルの部屋を数回ノックする。少しして返事をしたのを確認するとドアノブに手をかけた。

 

「少しいいかな? 明日からのレベル上げについて話しておこうかと思うんだけど」

 

 中ではレザーメイルを解除して、パステルピンクの寝巻きに着替えたメイプルが椅子の上でちょこんとかしこまったように姿勢を正している。変に緊張しているのか、力んだ肩に首が埋まっていた。

 キリトの言葉に意を決するように大きく息を吸うメイプル、そして叫んだ。 

 

「どうぞ!」

 

(うん、間違いないこの子天然だ)

 

 まるで初めてボス攻略会議に参加した新参の攻略組のような、鬼気迫る様子でキリトを見るメイプル。どんな艱難辛苦を想像しているのかわからないが、これから行く場所はSAO内でもっとも安全度の高い場所だ。

 

「明日には第一層に拠点を移して、なにかクエストを受けよう。できれば五十層のボス部屋が見つかるまでにはそれなりのレベルにするつもりだから、簡単な討伐系のを取っておいて、クエストを進行しつつ明日一日はメイプルのスキルの取得具合とか、細かな仕様を確認する」

 

「五十層のボスが見つかるまで...それって期間的にはどれくらいになるんでしょうか? もしかして私、とんでもないハイペースでレベルを上げなきゃいけなかったりとか...?」

 

「いや、四十九層の探索も難航してるし、さらにその次のボス戦は五十層、アインクラッドのちょうど折り返し地点になる。そういうときは大抵ボスモンスターも強力になりがちだし、攻略組もいつも以上に準備に時間をかけると思う。だからそこまで気を張らなくても大丈夫だろう」

 

 しかし実際のところキリトはメイプルのレベルの上がり方次第では次のボスか、さらにその次の五十層のボス攻略くらいまでは参加を見送るつもりでいた。絶対に死なせないように用心するなら、今までのキリトのような無茶なレベル上げはできない。

 クエストもそれなりの安全度を見た上でコツコツ時間をかけて上げていくのがベストだろう。なにせメイプルとキリトではゲーム性が全く違うデータなのだ。

 

(それこそ、SAOとレベル上限が違うだけで一大事だ。そうなったら各フィールドに設定してる推奨レベルは参考にならない。安全マージンがわからないというのはこのゲームでは致命的だ)

 

 例えばレベル上限が50のゲームと200のゲームでは、当然レベルがひとつ上がるまでに必要な経験値や上昇するステータスの数値が違う。だからといって、単純にメイプルのレベルの四倍がそのままSAO柄杓、というように安易に考えてしまうのも危険だ。

 そこも含めて、レベルが上がるにつれてどのようにステータスが変化するのか、どんなスキルを取得するのか、きちんと見極めていかなければならない。当面はレベルアップよりもこれに重きを置くことになるだろうと、キリトは考えた。

 

「ひとまずは第一層の草原フィールドが安牌かな。あそこは良くも悪くも一帯がもう調べ尽くされているから突発的な戦闘も避けて戦える。なにより出現するモンスターのレベルが一番低い場所だから、安心して戦えると思う」

 

 

 

 

 

 

 翌朝、二人が真っ先に向かったのは第一層にあるはじまりの街。そこでメイプルの装備を整えるところから始めた。クエストはキリトが夜のうちに見繕っていて、クエスト名は《統率者の帰還》。

 内容はゴブリンジェネラルの討伐だ。ゴブリンの上位互換だが、はじまりの街を出てすぐの草原フィールドからクエストが発生する目的地までは距離がある。

 向かう途中にレベルを上げていけばキリトのフォローがなくても倒せるだろうという算段だった。

 

「今は店売りの装備で我慢してくれ。なにかレア装備を用意してあげられたらよかったけど、俺の持ってる装備の中じゃあレベル1でも装備できるようなものはなかった」

 

 どんな武器や防具にも装備するために必要な最低レベルの設定がある。常に攻略中の最上層で戦ってきたキリトのアイテムはどれもそのレベルが高く、とてもレベル1のメイプルに装備できるようなものはない。

 

「いえぜんぜん! むしろなんだかすみませんです。買ってもらっちゃって」

 

 メイプルは今しがたキリトに買ってもらったプレートメイルとタワーディフェンスシールドを装備する。

 本当なら全身の装備をできる限りいいもので揃えておきたかったが、なにせ武器や防具を装備するにもストレングス、筋力値がなければ重みで動けなくなる。バイタリティ極振りのメイプルにはこれが限界だった。

 

「次にレベルが上がったらストレングスと、それからアジリティにもポイントを振ったほうがいいな」

 

「ストレングスは...筋力値? ですよね。アジリティってなんですか?」

 

「わかりやすく言うなら俊敏さだよ。移動速度や回避速度に影響する。盾持ちの前衛職だとあんまり必要のないステータスだけど、ゼロっていうのもな」

 

「うーん私としては痛いのは怖いですし、もうちょっとバイタリティを上げてからにしたいんですけど」

 

「でもそれじゃあ......いや、生き残ることだけが目的ならいっそ防御極振りくらいでいいのか?」

 

 サチは後衛職から前衛職に転向する途中だったせいで二十八層の迷宮区に行ったときはステータスポイントがかなり中途半端な割り振りだった。後衛職は防御より攻撃が重要視されるし、逆に前衛職は敵の攻撃を引き受けるだけの防御力が求められる。

 その間を取ったようなステータスが致命的だったことは明らかだった。

 

「よし、じゃあしばらくは防御力一点張りでやってみよう。ストレングスはモンスターを倒すのに不便になってから追々でも遅くはないだろうし」

 

 そんな風にある程度方向性をまとめて転移門の前に立つ。そこから先はモンスターの待つフィールドが待っている。

 

「それじゃあ、準備はいいか?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 メイプルの返事にキリトはうなずくと、勢いよく転移門に飛びこんだ。




プロモーションビデオとか作りたいな
よし作るか(●ꉺωꉺ●)
ではまた次回〜

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05話 「初めての戦闘でも痛くない」

本作のプロモーションビデオが完成しました。
Twitterで公開してるので気になる人は見てちょ(●ꉺωꉺ●)

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 見渡す限り視界を遮るものが一切ない草原フィールド。

 障害物が何もないのでちょっとした勾配ではるか彼方まで見通すことができる。

 さほど距離の離れていない場所では青い毛並みの猪型モンスター、パワーボアが草を食んでいるのが見える。数は一匹とメイプルに任せるのにちょうどいい。

 

「よし、メイプル。あれを狙ってみよう」

 

「ええっと、あのブタさん...目が怖いんですけど、まっしろで。なんか角みたいなの生えてますしもうちょっと弱めのモンスターでも......」

 

「大丈夫、ああ見えてこのSAOではスライムみたいなものだから。メイプルのバイタリティならまともに攻撃を食らっても大したダメージにならないよ」

 

 それでもおっかなびっくりといった様子で大盾の影に隠れて、ひょっこりと顔をのぞかせているメイプル。

 

(そんなに警戒する必要もないんだけどなぁ。仕方ない。ちょっと可哀想だけど......)

 

 見かねたキリトは手近にあった石を拾い上げると野球の投手のように手を振りかぶった。石からスキル発動を示すライトエフェクトが発せられると、そのままパワーボアに向かって一直線に投げられる。

 

「ちょっ!?」

 

 それを見て焦ったような声を上げたのはメイプル。

 こちらの存在に気づいたパワーボアが地面と後ろ足の蹄を擦りつけるような動作をする。突進攻撃のモーションだ。

 

「こっちに突っ込んで来るぞ。盾を構えて攻撃に備えるんだ」

 

「...っ! えい!」

 

 メイプルは短剣も抜かず、両手で盾を押し付けるように構える。腰が引けている上に目もつぶってしまっているのだが、あくまでここは仮想世界。システム上、そういう些細な体勢の違いはそこまで関係ない。

 

「よしいいぞ。そのままガードが決まれば盾に設定されてる攻撃力分のダメージがモンスターに通る」

 

「......やっぱり怖いです〜〜っ!!」

 

 そのまま攻撃を受け止めれば良かったものを、あろうことかメイプルはそのまま真後ろに走って逃げた。

 そこへめがけてパワーボアが追いかけるように突進していく。

 

「ま、まずい...! メイプル! 盾を構えて応戦するんだ! 背後攻撃はクリティカルが確定する。そのまま攻撃を受けたらダメージが倍になるぞ!」

 

「そ、そんなこと言われても〜っ!!」

 

 なおも逃げ続けるメイプル。しかしAGIゼロのプレイヤーよりも足の遅いモンスターなど、まずいない。すぐさまパワーボアの二本角がメイプルの背中に迫った。

 

「危ない!」

 

 キリトがそう叫んだ時にはすでにパワーボアの突進が炸裂していた。炸裂して、逆に固い岩にでもぶつかったように弾き返された。

 

「.........へ?」

 

「あれ? 今なにかがぶつかったような?」

 

 メイプルは足を止めて振り返る。

 するとすぐさまパワーボアが追撃を仕掛けた。体勢をかがめて、角を下から突き上げるような攻撃。それがメイプルのみぞおち付近に命中する。しかし上がったのは悲鳴ではなく、むしろ感嘆の声だった。

 

「すごい! 全然痛くない!」

 

 そのまま仁王立ちのような姿勢で一方的にパワーボアの攻撃を受け続ける。キリトもメイプルのHPバーを確認しながら傍観に徹していたが、ダメージを受けている様子もない。

 

(ああ、そうなのか...レベル1でもバイタリティにスキルポイントを極振りにすれば一切ダメージは通らないのか。知らなかった)

 

 今度機会があったら小話程度に情報屋のアルゴにでも教えてやろう、とキリトは内心思った。もっとも正式サービスが始まって一年、SAOプレイヤーの中でもレベル1なのはメイプルくらいなものだが。

 

「ほらほらこっち! ぶたさんこっちだよー!」

 

 それからもメイプルとパワーボアの“遊び”は続いた。

 楽しそうに草原を駆け回るメイプルと突進を繰り返すパワーボア。ヒットが背後だろうと正面からだろうと関係ない。メイプルのHPは一向に減ることはなく、パワーボアもシステムに従ってひたすら攻撃を繰り返す。

 そこには命をかけたデスゲームという緊張感はどこへやら。

 

(なんだこの光景、まるで正月に親戚の大型犬と直葉がじゃれてるのをそばで眺めてるような......)

 

 キリトは縁側でお茶をすするような気分で芝生に腰を下ろす。

 さっきまであんなに怖がっていたというのに、今ではすっかりペット感覚でパワーボアと戯れているメイプル。

 いつからここは牧場を舞台にした育成ゲームになったのだろうと、キリトは気の抜け切った顔でそれを見ていた。しかしそれが三十分、一時間と続くと、暇つぶしにアイテムストレージを整理し終えたキリトもさすがに辛抱が続かなくなってくる。

 

「おーい! 慣れてきたならそろそろレベル上げを始めないか?」

 

「まあまあそう言わずに。キリトさんもよかったら一緒に───」

 

 楽しそうに振り返り、キリトに話しかけたときの体の角度が良くなかった。手に持っていた盾が偶然パワーボアの突進攻撃の進路を遮り、盾と角が衝突する。

 瞬間、パワーボアが無数のポリゴンになって散っていった。

 

「ぶ、ぶたさんが...!」

 

 ガクリと膝をつく半泣きのメイプル、そしてその様子を半笑いで見るキリト。

 

「ぶたさあぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」

 

 だだっ広い草原に、メイプルの悲痛な叫びが響き渡った。

 そのとき、ピコン、という効果音とともにメイプルの目の前でシステムメッセージが開かれた。

 

《絶対防御を取得しました》

 

 




評価、感想お待ちしておりやす(●ꉺωꉺ●)
ではまた次回〜

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06話 「NWOスキルの数々」

感想、あざーす
ちょっとずつ返していくんで、すいやせん
というわけで6話どーん!!


「...? なあ、なにかスキルを取得したみたいだけど」

 

「ふえっぐ...ぐすん...え?」

 

 そう言われてメッセージに気がついたメイプルは通知にタッチして詳細を表示してみる。

 

 

《絶対防御》

・このスキルの所有者のVITを二倍にする。

 STR、AGI、INTのステータスを上げるために必要なポイントが通常の三倍になる。

 

 

「これってつまり、今のバイタリティが128だから......256! すごい! ぶたさんと遊んでただけなのに」

 

 嬉しさにぴょこぴょこ跳ねて喜ぶメイプル。しかしキリトは眉間に皺を寄せていた。

 確かにこのスキルがあればバイタリティのステータスは一気に跳ね上がる。ましてやSAO内で今まで能力を倍加するような強力なパッシブスキルがあるだなんてキリトも聞いたことがない。

 しかしその他のSTR、AGI、INTは強化に必要なスキルポイントが三倍になる。これはレベル1で全体的な基礎能力の低いメイプルにとってはハンデにもなり得る能力だ。

 

(いや、これはもう実質VIT極振りのスタイルに固定されたみたいなものだ)

 

 その他のステータスが一気に上がりにくくなる代わりにバイタリティのみが飛躍的に向上するスキル。

 大勢のプレイヤーがしのぎを削るアインクラッドでも徹底してひとつのステータスに極振りするプレイヤーはほとんどいないだろう。いたとしてもそれは序盤だけで、そんなステータスの上げ方を続けていけばいつか限界を感じるようになる。

 そんな風にキリトは思っていたが、それが攻略目線での考え方であったことに気づいて、すぐにその考えを頭を振って追いやった。

 

(悪い癖かもな。そもそもが生き残るためにレベルを上げてるんだ。強いモンスターと戦うためじゃない。それならむしろVITを上げやすくなったのはいいことじゃないか)

 

 キリトはメイプルにグッと親指を突き出した。

 

「スキル獲得おめでとう。それじゃあしばらく単体のパワーボアを狙って狩っていこうか」 

 

「よーし、頑張るぞ〜!」

 

 スキル獲得でモチベーションが上がったメイプルは腰の鞘からダガーを引き抜いて高々と掲げると、勇み足で草原フィールドを進んでいく。

 

「.........」

 

 ただし、それはアジリティゼロの歩み。攻略組として第一線で戦っていたキリトにしてみれば牛歩にも劣る速度だった。

 

「この速度......どうにかならないでしょうか?」

 

「レベルが低いうちは貰えるステータスポイントも少ないし、三倍かけてアジリティを上げてる余裕はないと思う。こればっかりは辛抱だな」

 

「うう...初期設定のとき少しくらいアジリティにも振っておくんだったぁ」

 

 そう言うとメイプルは力ない様子で、へなへなと歩みを再開させたのだった。

 

 

 

 

 草原フィールドでは主にパワーボア、そこから更に進んで行くと大森林があり、人型モンスターのゴブリンを倒しながら進んで行った。

 今キリトたちの目の前には4体のゴブリンがいる。

 

「よし、ちょっと待っててくれ」

 

 木々の影から様子を見ていたキリトは背中に掛けている片手直剣を引き抜くと、弾丸のように飛び出した。

 

「まずは数を減らす。一匹になったらさっき教えたスイッチで攻撃してくれ!」

 

 キリトが真っ先に斬りかかったゴブリンは背中からの不意打ちを受けて一撃でポリゴンになって散る。

 それに気づいた他のゴブリンは一斉にキリトに攻撃を仕掛ける。

 

(ホリゾンタルスクエア!)

 

 ライトエフェクトとともに四方向に斬撃が飛ぶ。それに触れた二体のゴブリンがまたもや一撃でヒットポイントがゼロになって消滅する。

 そのとき絶妙な間合いで剣撃から逃がした残り1体のゴブリンがキリトに向かって棍棒を振りかざした。

 

「今だスイッチ!」

 

 キリトはゴブリンの攻撃をパリングで弾き飛ばした。その隙にゴブリンのターゲットを引き受けたまま、メイプルと前衛を交代する。

 

「えいっ!!」

 

 メイプルのダガーがゴブリンの腹部に刺さった。

 

「やった! 当たった!」

 

「まだHPがゼロじゃない。次の攻撃来るぞ!」

 

「ひえっ!」

 

 ターゲットが切り替わり、ダガーが突き刺さったまま棍棒を振りかぶるゴブリンの姿がメイプルの目に映った。

 

「いやああぁ〜っ!」

 

 またも両手で巨大な盾を抱きしめるようにかかえて、その影に引きこもるメイプル。大盾越しに滅多打ちにされるがやはりダメージは通ってないようだ。

 

「大丈夫だ。冷静に、攻撃の途切れ目を狙ってダガーを突き出すんだ」

 

 ゴブリンの猛攻に耐えるメイプル。やがて攻撃が止むと、ゴブリンはバックステップをして距離を取った。

 

「今だ!」

 

「えい! とお!」

 

 メイプルのダガーがゴブリンの腹部に食いこんだ。

 ソードスキルもなければ、ストレングスもゼロのメイプルでは一体倒すのにもそれなりの攻撃回数が必要だ。同じ動作をひたすら繰り返し、地道にプスプスと刺していく。

 やがてゴブリンのHPがゼロになった。

 

「やった! 倒したー!」

 

 達成感に拳を握りしめるメイプル。

 キリトのアドバイスでようやく戦略的な戦い方が、形だけとはいえできていた。

 

「本当に強いモンスターでしたね。中ボスくらいですか?」

 

「残念だけど、さっきのパワーボアと同じでスライム寄りの枠だよ。さっき倒したやつよりレベルがひとつ高い分、多少は手強いだろうけどな」

 

 レベルが上がることでなにかしら魔法を習得できたならそれに応じて戦い方も変わるだろうが、それも本来SAOにはないスキルだ。

 安易に人前で出す訳にもいかない以上、こんなふうに剣だけでの戦い方も身につける必要があるだろう。

 

「それにしてもどんどんスキルを習得していくな。特にこの《大物喰らい》なんてさっきの《絶対防御》と合わせてバイタリティが4倍になるぞ」

 

 《大物喰らい》とはSTR、VIT、AGI、DEX、INTのうち、四つ以上のステータスが相手よりも低い値のとき、HPとMP以外のステータスが二倍になるパッシブスキルだ。

 魔法とは違い、常時発動するパッシブスキルであれば誤魔化しも利く。

 そしてそんなキリトの思惑に応えるようにメイプルがレベル8を迎える頃には、《大物喰らい》の他に《毒無効》《パラライズシャウト》を取得していた。

 




感想、評価お待ちしてます
次回はゴブリンジェネラルと戦いますまーす(●ꉺωꉺ●)

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07話 「ゴブリン戦だと思ったら?」

最近ちょくちょく舞台がSAOだから【原作:SAO】じゃね?
って感想貰います。
実際どうなんですかね? クロスオーバーだから原作二つあるし、どっちでもいいかなぁーと思ったらそうでもないのかなぁーって感じだったんですが、はい。

─────“ダメでした”─────




 メイプルはスキルの説明を確認しながらキリトに聞いた。

 

「やっぱりどれもSAOにはないスキルなんですか?」

 

「そうだな。状態異常を軽減するスキルとかはあるけど、完全な無効化となると俺も聞いたことがない。それこそ《絶対防御》みたいに常時ステータスが倍加するようなスキルもそうだ。たしか大斧のスキルで近いのがあるけど、あれも一定時間ストレングスが倍になる代わりにバイタリティは半減するっていうものだし」

 

 やはりSAOプレイヤーがそれぞれ持つスキルとは全く違ったシステムで成長しているようだった。 

 スキルもスキルスロットを消費する類のものとは別で、常時毒の状態異常を無効化する。バイタリティが四倍になる。麻痺の状態異常が確定で付与できる。

 

(メイプルにとってはいい意味でSAOのゲームバランスに合わないスキルだ。こんなふうに簡単にステータスが二倍、三倍になってたら実際のレベルがいくつかなんてさほど関係ない。装備武器や持っているスキルで大きく差がつくゲームなのか?)

 

「どうしたんですか? キリトさん、難しい顔してます」

 

「ああ、いや。ちょっと考え事だよ。メイプルがログインしたゲームってどんなゲームだったのかなってさ」

 

「そうですね。ちゃんとプレイする前にここに来ちゃったからわからないですけど、雰囲気はSAOとよく似てる感じですよ。ファンタジーな世界でモンスターと戦ったり、アイテムや武器を集めたりです。あと、ボス? みたいなモンスターもステージごとにいるみたいでした」

 

「なるほど、じゃあ勝手はそれなりに同じだな」

 

 森林を進んでいくとやがて巨大な岩肌が隆起した崖につき当たった。そこにはダンジョンの入口なのか洞窟がある。人二人が横に両手を伸ばしたくらいの幅で、それなりに奥行きがあるように見える。

 

「よし、この先にクエスト《統率者の帰還》の目標がいる。ゴブリンジェネラルはこれまでのモンスターと違ってメイス系のソードスキルを使って攻撃してくるから、しっかりガードを固めるんだ」

 

「わ、わかりました...!」

 

 盾を握る手に一段と力の入るメイプル。

 入口から差す陽の光が届かなくなっても、洞窟の中はところどころに散りばめられた光る結晶のようなもので薄く照らされていた。

 そのまままっすぐ続いている一本道を進んでいくと、キリトの索敵スキルがモンスターの居場所を知らせてきた。

 

「そろそろ洞窟の奥に着くみたいだ」

 

「もうですか? 着くまでいっぱいゴブリンとの戦闘があると思ってたんですけど」

 

「ここの辺りはクエストが集中していてプレイヤーが多いからな。モンスターのリポップに必要なリソースが極端に少ないんだろう。特にゲーム開始直後は一万人のプレイヤーが草原フィールドからこの周辺にかけて溢れていた。俺はすぐ遠くの街に拠点を移したから実際には見てないけど、すぐモンスターを狩り尽くしてレベリングどころじゃなかったらしいし」

 

 やがて洞窟の最奥にたどり着くと、メイプルの目にもモンスターの姿が確認できた。

 鎮座された玉座の上にプレイヤーのように武器と防具で武装した、これまで戦ったものよりひときわ大きなゴブリンがいる。

 右手にはメイス、左手にはバックラー。色味の鈍ったプレートアーマーを全身に装備し、ヘルムの奥では醜悪な表情と紅い瞳がキリトとメイプルに向けられている。

 

「それじゃあこれまでの戦闘のおさらいだ。といっても作戦通りに動けば問題ないよ」

 

「わかりました!」

 

 メイプルは力強く答えた。

 少しずつ様子を伺いながらゴブリンジェネラルに近づくと、戦闘イベントが発生するエリアにまで足を踏み入れた。

 洞窟内の松明が次々に灯り、フィールド全体が明るくなるとゴブリンジェネラルが立ち上がり、メイプルに向かって吠える。

 

「...っ」

 

 一瞬臆したように足を止めるメイプル。しかし、後ろで見守るキリトの存在が意識の片隅から背中を押した。

 大盾を正面に構えて、鞘に納めたダガーにメイプルは手を添える。

 

「さあ、どこからでもかかっておいでよ!」

 

 その一声を合図にしたかのように、ゴブリンジェネラルはメイスを振り上げてメイプルに迫った。

 これまでのゴブリンにはなかった素早い立ち上がり、しかしメイプルは一歩も引かずに受けて立った。

 

「ゴォオオオオ!」

 

「せいやー!」

 

 メイスと大盾が衝突する。すぐさまメイプルは自分のHPバーを確認した。

 

(大丈夫、全然減ってない)

 

 全身を攻撃から守れるようにしっかりと大盾の影に身を潜め、それでいて僅かに盾から顔を覗かせてゴブリンジェネラルの動きを見る。攻撃一つ一つから目を離さず、振り上げるメイスの角度に合わせるようにして大盾を構えてやり過ごす。

 やがてゴブリンジェネラルのAIがメイプルから反撃がないことを読み取ったのか、バックステップで距離を取るとソードスキルのモーションに入り、メイスが紫色の光を発した。

 

(よしよし、キリトさんの作戦通りだね)

 

 メイプルは防御姿勢のまま腰のダガーに手を伸ばした。

 そしてゴブリンジェネラルが一気に距離を縮めてソードスキル、《パワー・ストライク》を繰り出す。衝突の瞬間、これまでになかったほどゴブリンジェネラルが間近に迫った。

 

「パラライズシャウト!」

 

 わずかに抜いた刀身をすぐさま鞘に納めて鍔を鳴らす。するとメイプルを中心に半径1メートルほどの範囲に黄色いライトエフェクトが波紋のように広がった。

 途端にゴブリンジェネラルの攻撃が止まる。麻痺の状態異常によって動けないのだ。

 

「やった! このままっ!」

 

 メイプルはガードを解くと素早くゴブリンジェネラルの背後に回り込む。

 

(背後からの攻撃は......クリティカルヒットが確定!)

 

 勢いよく振り下ろしたダガーがゴブリンの背中を切りつけた。赤いダメージエフェクトが切断面に走り、そのまま二擊、三擊と攻撃を繰り返す。

 

「いっくぞーっ!」

 

 そのときだった。

 メイプルの視界が一瞬にしてポリゴンで染まった。メイプルだけではない。それを離れた場所で見ていたキリトの目にもメイプルが落ちてきた時と同じようなグラフィックの荒れ、不自然なポリゴンの拡散が認められた。

 

「なんだこれは...?」

 

 驚いたような声を上げたのはキリト。

 ゴブリンジェネラルもフリーズしたように動かない。かと思えば、ぐらりと歪むようにゴブリンジェネラルの姿が消えた。それは通常時にモンスターを倒した時とも違う、突然モンスターのグラフィックそのものが消えたのだ。

 その代わりに、目の前に現れた巨大なグラフィックの荒れからにじみ出るようにして、三つの首を持った巨大な蛇のようなモンスターが現れる。

 

「ヒドラ......レベル20だと?」

 

 第一層ではまずありえないほどの高レベルのモンスターに、キリトは状況も把握できないまま素早く片手直剣を抜き放った。




ではまた次回〜

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08話 「盾を構え、短剣を突き立て」

サリィとか他のキャラかもぶち込もうか、最近はそればっか考えてます。
あとすいません。
メイプルにパラライズシャウト覚えさせたのは完全にやらかしです。
どうしてしまうま?(●ꉺωꉺ●)


 

「メイプル! すぐに下がれ!」

 

 レベル差は圧倒的、今のメイプルでは対処できる相手ではないことだけを判断すると、キリトは抜き放った片手直剣でソードスキルのモーションを取る。

 

「せあああああっ!」

 

 単発突進技である《バーチカル》、その青いライトエフェクトに包まれたキリトの突きがヒドラの頭に炸裂する。

 キリトのレベルとスキル熟練度なら本来一撃でHPバーの半分は削れるであろうモンスター。しかしヒドラのHPは半損するどころか全くダメージを受けなかった。

 代わりに赤い警告表示がキリトの目に映る。

 

「破壊不能...オブジェクトだと?」

 

 キリトはバックステップでヒドラから距離を取った。さっきまでキリトのいた場所をヒドラの巨大な顎が食らいつくように空を切る。

 

「すぐに洞窟の外まで逃げるんだ!」

 

「キリトさん! なにか見えない壁みたいなのがあって...出口に戻れません!」

 

「なんだって、《転移結晶》は!?」

 

 メイプルは防具と合わせてキリトから渡されていた転移結晶をアイテムストレージから取り出す。

 

「転移、はじまりの街! ...転移、はじまりの街!」

 

「まさか、《転移結晶》無効化エリア......いや、そんなはずはない。ここは今まで散々プレーヤーが探索した場所だ。そんな命に関わるような重要な情報が出回ってないはずがない」

 

 つまりはこのヒドラの存在も含めてなんらかのバグ、ということになる。これがシステム異常によるものならキリトのステータスがどれだけ高くとも関係ない。街中の建物と同じで破壊することはできないのだから。

 

「くっ...このままじゃジリ貧だ」

 

 ヒドラの大きく開かれた顎がキリトに迫った。しかも一頭ではない。三つあるうちの左右の二頭が同時に攻撃してきたのだ。避けきれないと判断したキリトはそのうち一頭をパリングで弾き返し、もう一頭を片手直剣で防御姿勢を取って受け止める。

 

(なっ...! こっちだけ一方的にダメージを受けるのかよ!)

 

 剣に食らいついたヒドラがキリトを地面に押し込めるように圧力をかけていく。視界の端ではそれに伴ってわずかながらHPバーが削れていた。

 つまりキリトの攻撃が通じなくても、ヒドラの攻撃は通常のモンスターと同様にプレイヤーにダメージを与えるということだ。それは当然、メイプルに対しても同じことだろう。

 唯一キリトと違いがあるとするなら、メイプルのステータスでは一撃でHPが全損する可能性すらあるということ。

 

「キリトさん! 避けて!」

 

「...っ!」

 

 攻撃を終えた左右二頭の首が定位置に戻ると、間髪入れずに残りの一頭がキリトに迫った。そんなヒドラとキリトの間に割って入るように大盾を構えたメイプルが攻撃を受け止める。

 

「うわわーっ!?」

 

 ゴブリンジェネラルのソードスキルとは比較にならないほどの衝撃に、メイプルの身体が一瞬宙に浮いた。しかしすぐさま体勢を立て直して着地すると肩ごしにキリトの方を見やる。

 

「大丈夫ですか? キリトさん」

 

「メイプル! ダメだ! こいつはこれまでのモンスターとはレベルが桁一つ違う。そうでなくてもこいつはプレイヤーからダメージを受けないようシステムに守られて────」

 

 そこまで口にしたとき、キリトは気がついた。ヒドラのHPがわずかだが減っていたのだ。

 

(どういうことだ? いったいいつダメージを受けたんだ?)

 

 ヒドラのターゲットはメイプルに向いている。それを見てはっとした。キリトの攻撃以外にダメージを与える要因がひとつだけあったのだ。

 それは盾による反射ダメージ。

 キリトはメイプルに向かって叫ぶ。

 

「メイプル! こいつの攻撃パターンは三つあるうちの二頭同時攻撃と真ん中の一頭による攻撃、それが交互にくる! 俺が同時攻撃を防ぐから、そのあとの単発攻撃を盾で防げるか?」

 

「で、できます...!」

 

「よし!」

 

 キリトは再度、ヒドラに接近する。それに反応してターゲットをキリトに向けたヒドラの二頭が左右から挟み込むようにしてキリトに襲いかかる。

 

「せあっ!」

 

 そのうち一頭をパリングでいなし、もう一頭に向けてソードスキルをぶつける。例のごとくダメージは通らなかったが、それでも攻撃の衝撃自体は止めることができた。

 すると残った一頭が隙を突くようにタイミングをずらしてキリトに迫る。

 

「スイッチ!」

 

「はい!」

 

 キリトと前衛を交代したメイプルが盾でタックルをするようにヒドラの前に躍り出る。真ん中の頭が盾と衝突した瞬間、確かにキリトの読み通りのことが起きた。

 

「ヒドラのHPが......減った!」

 

 勝利への光明に、わずかに口元を釣り上げて笑うキリト。

 しかし盾越しとはいえ、メイプルより倍以上レベルが離れているモンスターの攻撃だ。さすがにゴブリンのようにノーダメージというわけにはいかなかった。

 

「後ろに下がって回復してくれ! HPが完全に戻ったら今の要領でもう一度攻撃を仕掛ける!」

 

 キリトは二頭同時攻撃をパリングとソードスキルを駆使して弾く。時間差で襲いかかってきた一頭はバックステップで避けるが、今メイプルにタゲを取られるわけにはいかない。

 すぐさま距離を縮めて無意味ながらも攻撃を繰り返し、自分一人に的を絞らせた。

 その間にメイプルはポーションで体力を回復させる。

 

「体力回復しました!」

 

「よし、行くぞ!」

 

 再度、同時攻撃を弾いてからメイプルにスイッチして防御。ダメージ反射でヒドラのHPがまた削れる。これを繰り返すうちにヒドラのHPはイエローゾーンにまで突入した。

 

「よし、もう一息だ。メイプル! ポーション残りは?」

 

「あと二本です!」

 

「使い切ったあとは俺が《回復結晶》でサポートする! そうすればヒドラのHPを削りきれるはずだ!」

 

 そう言っている間に左右からの同時攻撃がキリトを襲う。

 

「もう完全に見切ったぜ!」

 

 キリトの剣がライトエフェクトを発した。

 発動した二連擊ソードスキルの《バーチカルアーク》が左右の頭に一撃ずつ攻撃を見舞う。そのままバックステップでメイプルと入れ替わり、同じように防御しようとした時だった。

 これまでと同じ挙動で伸びたヒドラの頭はそのままメイプルの盾を避けるように回り込むと、円周状に伸びた長い首が巻きつけるようにしてメイプルを締め上げたのだ。

 

「きゃあっ!」

 

 




ときどき次の投稿予定日とかツイートしてます
良かったら見てちょ(●ꉺωꉺ●)!

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09話 「迷い込んだモンスター」

雪の中お花見なう←どうでもいい


 

 地上から足が離れ、なす術なく徐々にHPが減っていくメイプルにキリトは焦りの表情を浮かべる。

 

(攻撃パターンが変わった...!? くそっ!)

 

 スタン効果のあるソードスキルを使っても、破壊不能を示す文章が表示されるだけ。

 そしてそんなキリトをなぎ払うようにヒドラは口から毒液のブレスを吐いてくる。さきほどの攻撃といい、ここにきて今までとは全く違った攻撃パターンに一変していた。

 

「き、キリトさん!」

 

 メイプルのHPがヒドラ同様にイエローゾーンまで減るとキリトは回復結晶でメイプルを回復させる。

 しかしそれも、ヒドラの拘束を解かない限り穴の空いた船からバケツで水を汲み出すようなものだ。そこから抜け出さなければいずれキリトの持っている回復結晶が底を尽く。

 

「メイプル! どうにかしてそこから抜け出すんだ!」

 

「そ、そんなこと言われても〜!」

 

 パラライズシャウトを使えば抜け出せるには抜け出せるが、巻き付かれているせいで腰の短剣に手が届かない。

 

「クソッ!」

 

 キリトはヒドラの胴体に切り込んでいき、次々にソードスキルを繰り出す。攻撃は怒涛とも闇雲ともいえたが、それはメイプルを死なせまいというキリトの思いの現れだった。

 

(ぶ、武器が使えないよ......こうなったら!)

 

 意を決したように大きく口を開ける。

 子犬のようなメイプルの八重歯が松明の明かりに照らされて光った。

 

「かぶうっ!」

 

 それは単なる悪あがきだったのかもしれない。しかし現実にはそんなメイプルの攻撃を受けてヒドラは確実にダメージを受けていた。それだけではない。メイプルによって食いちぎられたヒドラの肉片がポリゴンとなって散ったのだ。

 

「ううっ...あんまりおいしくなーい!」

 

「.........え?」

 

 言葉を失うキリト。

 まるでネズミかなにかのようにヒドラに噛み付くメイプルの姿がはたしてキリトの目にどう写ったのか。拘束から解放されるなり、端から順にモグモグとヒドラを食らう女性プレイヤー。

 その度にヒドラは悲鳴のような咆哮を上げて、荒れ狂うように首を振っている。

 やがてそのHPがゼロを迎えた。

 

「や、やった〜! 勝った! 勝ちましたよキリトさん!」

 

「お、おう。そうだな...」

 

 勝利を称えるCongratulationの文字が二人の頭上に映る。

 同時に獲得したアイテム、経験値がそれぞれの手元にパネルの形で表示された。メイプルにはそれらの他に一気に14までのレベルアップと新たに習得したスキル、ラストアタックボーナスが別のタブで表示されたが、強敵を倒して緊張の糸が切れたのか、座り込んでウンウン唸っている。

 

「大丈夫か? メイプル」

 

「大丈夫ですけど...あはは、疲れちゃいました」

 

「今なら転移結晶も使えるだろう。今日は直ぐに帰って休んだほうがいいな」

 

「私もそうしたいです。ここからまた来たフィールドを戻るのは大変そうで」

 

 頭を掻いて笑うメイプル。それに釣られてキリトも笑った。

 当然だ。なにせ突発的なボス級モンスターとの戦いで命を危険にさらしたのだから。自身の攻撃が通じなかったときはさすがのキリトも全滅を覚悟したし、メイプル本人もこれまでにないほど死を予感したことだろう。

 

「それにしても、なんだったんだろうな。あのモンスター。今まであんなボス見たことないし、ましてこんなところで高レベルモンスターが出るような情報なんてなかったはずだけど」

 

 ここはゴブリンの住処。ヒドラのような大型モンスターが隠れているような場所ではないし、今まで何度も他のプレイヤーがゴブリンジェネラル討伐のクエストで訪れているような言わずと知れた場所だ。

 そしてなにより、ヒドラが現れる直前に発生した不可解なグラフィックの荒れ。

 

「もしかして......」

 

 ひとつの懸念がキリトの思考に立ち上がった。

 

「メイプル、君のメニューを開いて見せてくれないか?」

 

「メニューですか? 大丈夫ですけど」

 

 メイプルが右手を虚空でスライドさせるように動かすと、SAOのそれとは異なる、NWOのメニューが開かれた。

 つかさずキリトがその右手を掴む。

 

「ひゃっ!」

 

「ちょっと失礼」

 

 メイプルの手を拝借してメニューを操作するキリト。

 初めて操作するレイアウトのメニュー画面のはずなのに、ゲーム経験の差なのかメイプル以上に手馴れた様子で次々と設定やらステータスやらが表示されるウィンドウをタッチしていく。

そうするうちに、やがて《ヘルプ》と書かれた項目をタッチするとキリトは目を細めた。

 

「見つけた」

 

「は、はいっ? なにをですかぁ!?」

 

 半ば裏返ったようなメイプルの声。

 キリトがようやく手を止めると、そこにはモンスター図鑑と書かれた画面があった。

 これは遭遇したモンスターの基本情報が自動で更新され、記される情報画面だ。

 もっとも、ここはニューワールドオンラインの世界ではなかったためこれまでずっと空白のままだったのだが、そこにたった一項目、記されているモンスターの情報があった。

 

「ヒドラ...さっき戦ったモンスターだ」

 

「え...? どういうことですか?」

 

 北欧神話風にデフォルメされた挿絵は間違いなく先ほど戦ったモンスターと同じもので、毒系の攻撃を主とするなど書かれている内容も合致するものだった。

 状況がいまいち飲み込めていないメイプルを置き去りにキリトはどんどん仮説を組み立てていく。

 

「これは俺の予想なんだけど、さっき戦ったヒドラはメイプルのいた仮想世界のモンスターじゃないのかな。おそらく君のデータログによって二つの仮想世界がつながったのか、一方的にデータが流入しているのか、どちらにしてもあのモンスターはメイプルと同じようになんらかの理由でこの世界に迷いこんだ」

 

 

 




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10話 「魔法ダメ、絶対」

お気に入り351、あざす
投票者数27、あざす
総合評価567、あざまる(●ꉺωꉺ●)


 

 

「ええっと、すみません。難しいこと全然わからなくて...そういうことってよくあるんですか?」

 

「まさか、普通なら考えられないよ。でも事実メイプルはこの世界に来てしまっているわけだし」

 

 キリトは改めてメイプルを見た。

 SAOとは全く違ったシステムを持ちながら、SAOに降り立った少女。本来であればこの世界にとってプレイヤーとしてすら認識されないはずのデータは、しかし間違いなくひとつのアバターとして成立している。

 

「実際俺の攻撃は全く通らなかったのにメイプルの攻撃だけが通るのもおかしい。でも、あのヒドラそのものがNWOのシステムで動いているのだとしたら、同じシステムを持つメイプルにしか倒せなかったのも納得できるんだ」

 

 SAOのモンスターであればプレイヤーが武器も使わず噛み付いたところでダメージを与えることはできない。しかしSAOではない、全く別のゲームの仕様がそのままこの世界で成立するのであればどうか。

 

(もしかして、今後もメイプルの前でこんなふうにNWOのモンスターが出現する可能性があるのか?)

 

 もしそうだとすると、第一層くらいでなら死なない程度にレベルを上げる。というだけでは不足かもしれない。

 それどころかいきなりレベル20のモンスターと遭遇することを考えると、どれだけレベルを上げても安心はできない。今は一緒にいるキリトがサポートできるがダメージを与えることができるのは同じシステムを持つメイプルだけなのだ。

 結局はそれに対抗できる力をメイプル自身が持たなければならない。

 

「とにかく転移結晶ではじまりの街に戻るぞ。今日手に入れたアイテムやスキルを確認したいし」

 

 

 

 

 

 

 そしてヒドラを倒した翌日、はじまりの街の酒場にて。

 

「キリトさん...? あのぉ、大丈夫ですか?」

 

「ああ、大丈夫。ただちょっと頭痛がさ...」

 

 キリトは今一度、メイプルの装備欄を見た。装備されているのはキリトがプレゼントした店売りのものではなく、ヒドラを倒した事で得た報酬装備だ。まず防具は黒い金属に深紅の薔薇の彫刻があつらわれたフル装備の《黒薔薇ノ鎧》。大盾の《闇夜ノ写》。短剣は《新月》。

 現在の攻略組の装備と比べてしまえば基礎能力は遠く及ばない装備だった。しかしそれら三つの装備は共通して武器防具の耐久値がゼロになって壊れると、武器の能力が底上げされて元の形状に戻る《破壊成長》というエクストラ効果を持っている。

 そしてなにより、装備に必要なストレングス値が設定されておらず、今のメイプルでも問題なく装備できたことが大きい。

 

(この装備自体は耐久値さえ削られなければいくらでも隠し通せる。問題なのは......)

 

 問題はあの戦いでヒドラを倒したことで得た新スキル。それはキリトが危惧していたMPを消費して使う魔法スキルだった。

 ヒドラと戦ったその翌日、獲得したスキルや装備を確認しに一旦フィールドに出て試しに発動してみたのだが、索敵スキルで周囲にプレイヤーがいないことを確認したのは正解だっただろう。

 

「まさか、剣からいきなりあんなのが飛び出してくるなんてな」

 

 新しく習得した魔法スキル《毒竜喰らい》。それを発動した瞬間、メイプルの短剣から三つ首の毒龍、ヒドラが伸び、毒液をまき散らしながら正面にいたパワーボアに食らいついたのだからキリトも空いた口がふさがらない。

 スキルの概要を読んだところ、《毒竜喰らい》とはMPを消費してモンスターであるヒドラの能力を意のままに扱うことができるというものだった。

 

「つまり毒状態付与の広範囲技と中距離への三段攻撃、毒麻痺の無効化、おまけに魔法スキルだからMPが残っている限り、リキャスト時間もなく連続して使えるわけだけど」

 

「あ、あはは〜。やっぱりこの世界であんなスキル持ってるのはさすがに目立っちゃいますよね」

 

「目立つ、というかなんというか。そもそもこの世界にMPの概念がないからな。その代わりにあるのがSP、ソードスキルポイントなわけだけど、さすがにあれをソードスキルって言い張るのは無理があるよ」

 

「...?」

 

 キリトの言わんとしていることが理解できないでいるメイプル。

 せっかくまともな攻撃手段を手に入れたメイプルには気の毒かもしれないが、それでも告げなければいけないことがキリトにはある。

 

「まあその、簡潔に言えば......使用厳禁?」

 

「そ、そんなぁ...」

 

 ガックリと肩を落とすメイプル。

 しかしこればかりは仕方がなかった。強いスキルを持っているプレイヤーといえども、それが初心者では嫉妬の対象にしかならない。

 それこそこのゲームが始まったばかりの頃は他のプレイヤーより情報力で優っているというだけでβテスターに対する風当たりは強かったのだ。

 それが魔法スキルともなれば、メイプルが他のプレイヤーからどんな視線を受けるのかは火を見るより明らか。

 だがしかし。

 

「.........」

 

「.........」

 

 肩を落としてしょんぼりとするメイプル。

 別に怒っているわけでもなければ恨みがましくキリトを睨んでいるわけでもない。ただただ、しょげた様子でテーブルの上にある豆の入った皿をフォークでつついている。

 

「...うぐっ」

 

 ただそれだけの小動物のような様子が、まるでヒドラの毒かなにかようにジリジリと頑ななキリトの決定を蝕んでいた。

 “残念です”と、メイプルの顔がそう言っている。“使いたかったです”と、落ち込んだ表情が訴えかけている。そんな様子でため息をつかれると、ついにはキリトの態度が折れた。

 

「わかった。あのスキルは周りに俺とメイプル以外のプレイヤーがいない時か、いよいよ命が危ない時に限る。それでいいか?」

 

「...! はいっ!」

 

 ひまわりを思わせるような笑顔でメイプルは返事を返した。

 山の天気のように、表情の喜怒哀楽がコロコロと移り変わるメイプル。

 

(なんていうか、女の子にこういう顔されると弱いな。俺)

 

 頭を掻きながら、キリトはテーブルに置いてあったフォークを手に取ると皿に盛られた豆に突き刺した。

 

 

 

 




評価、感想お待ちしてます
次回予告・機械神でラフコフ殲滅(嘘)

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11話 「騒乱の知らせ」

誰か評価値のバーを赤く染め上げてくれ!


 第三層、探求の草原。

 メイプルの周りにはゴブリン、スライム、パワーボアがそれぞれ複数体と、多くのモンスターで囲まれていた。

 キリトはその様子をモンスターからタゲの取られない距離から見ている。手出しをせずメイプルひとりにその場を任せるつもりでいた。

 しかしレベルだけで言えばあと二、三層上だろうと問題なく戦える値でも、ヒドラ戦で急激にレベルアップしたばかりのメイプルだ。プレイヤースキルの伴っていない今のメイプルはモンスターの数に対応しきれず、たびたび後ろから攻撃を食らっては追い払うように短剣を振るっている。

 

(そろそろきつそうかな?)

 

 キリトは索敵スキルを展開して周囲の様子を確認した。周囲の地形を映し出す地図がより明確な情報を映し出す。同時に付近のモンスターの位置はもちろん、その名前、レベルまでもがはっきりと示された。

 そしてメイプルとキリト以外にプレイヤーの姿はない。キリトのスキル熟練度を考えると、この階層のプレイヤーでキリトの索敵スキルから逃れられるほど高い隠密スキルを持つ者はいないだろう。

 

「よし、メイプル! 今なら魔法を使っても大丈夫だ」

 

「待ってました!」

 

 メイプルは短剣である新月を掲げた。

 

「ヒドラ!」

 

 その掛け声とともに抜き放たれた短剣から紫色の影が伸び、三つの竜の首になって頭上に現れる。赤い瞳が周囲のモンスターを威嚇するように光った。

 

「行っけええええ!」

 

 ヒドラの口から毒液が放たれ、メイプルもろとも周囲のモンスターが猛毒に包まれる。しかしメイプルだけは状態異常にかかることなく、追撃とばかりに正面にいたゴブリン三体にヒドラを食らいつかせた。

 三つの首がそれぞれゴブリンの頭を捉え瞬く間にポリゴンとなって散る。

 

「うわわっ!」

 

 その瞬間、急な衝撃がメイプルを襲った。背後からパワーボアが突進攻撃を仕掛けたのだ。そのままパワーボアの背中に乗り上げるようにして収まったメイプルはまっすぐ突き進むパワーボアに必死にしがみつく。

 

(この距離なら...!)

 

 大盾を固定した左手でパワーボアの毛並みを掴んだまま、メイプルは新月をいったん鞘に納めるとそのまま鍔を鳴らす。

 

「パラライズシャウト!」

 

 金属音とともに発せられた黄色いエフェクトが広がる。その瞬間、突進していたパワーボアが胴体を地面に引きずるようにして静止した。麻痺の状態異常でそのまま動けずにいる背中にメイプルは新月の矛先を突き立てる。

 

「えいやーっ!」

 

 突き刺す、というよりは逆手に持った新月で穴を掘るような動作でダメージを与えていく。

 幸い突進するパワーボアの背に乗っていたおかげで、偶然にもモンスターの包囲網を突破していた。生き残っているもう一体のパワーボアと二体のスライムとの距離が開いているのをいいことにザクザク背中に新月を突き刺していくと、やがてそのHPがゼロを迎える。

 

「よし、あと三体だね」

 

 メイプルは大盾を正面に構えてその場に留まる。自分から距離を詰めるようなことはせず、あくまでガードによるカウンターの態勢だ。そこに向かっていち早く突進攻撃で突っ込んできた最後のパワーボアが衝突すると、ダメージを反射して一気にイエローゾーンまでHPを削ることができた。

 

「ありゃりゃ、さすが第三層。一回ガードするだけじゃダメなんだ」

 

 そのままの態勢で二度、三度と防御を繰り返すことでようやくHPを削りきる。

 残るはスライムが二体だけだ。

 自身の体を流動させるようにしてゆっくりと近づくスライムをメイプルは盾を構えてじっと待つ。

 

「あ、そっか。別に近づく必要はないんだよね」

 

 そう思い直したメイプルは再び新月を掲げる。

 

「ヒドラ!」

 

 再び現れたヒドラが一方的にスライムに攻撃を仕掛ける。あっという間にスライム二体はポリゴンになって散った。

 

「勝った~! 勝ちましたよキリトさん!」

 

「おめでとう。第三層とはいえ街に近いフィールドのモンスター相手ならもう余裕だな」

 

 キリトによる指導が始まって一週間。NWOのスキルがなければまだまだ頼りないメイプルだが、こうして普通に戦えば多勢に無勢でも勝利を収めて戻ってくる。

 

(そろそろ、俺もお役御免かな。あれから何度かフィールドに出ているけど、前みたいにいきなり高レベルモンスターとエンカウントするようなこともない。なにせあんなに高いバイタリティがあるんだ。これならもう自力で生きていくこともできるだろうな)

 

 戦っているモンスターのレベルがメイプルより低いこともあって、レベルはヒドラ戦で上がった14のまま変わっていない。

 相変わらずのVIT極振りのステータスだが、それが四倍ともなれば、ステータス値自体はそのレベルからは想像できないほど並外れて高いはずだ。この世界でも、十分に強いプレイヤーといえる。

 

「よし、街までそう遠くないし結晶は使わず歩いて戻ろうか」

 

「了解です!」

 

 元気よく、それでいてどこかふにゃりと丸みのある敬礼で返すメイプル。

 そんなとき、キリトの目の前でフレンドからのアイテムの受信を通知するメッセージが視界の端に映った。送り主は情報屋のアルゴからだ。

 

「...? どうしたんですか?」

 

「ああ、俺が世話になってる情報屋だよ。たぶん不定期で発行してる情報新聞じゃないかな?」

 

 キリトは通知からアイテムを受け取ると、それはやはり思った通りのもので特に急いで確認するでもなくアイテムストレージを閉じる。

 

「そこまで大したことは書いてないけど初心者にはいろいろ便利な情報もあるし、帰ったら見せるよ」

 

 お得意様のよしみで回してもらっているだけのもので、キリトにとって有益な情報は数えるほどもない。それこそ攻略組ですら知りえないようなものは新聞とは別に相当な金額で取引されるからだ。

 そういう取引が成立することからもこの世界において情報というものがどれだけ価値があるものなのかが伺える。

 そんな話をキリトがメイプルにしているうちに第3層の街を囲う外壁が目に入り、門の前まで歩み寄ると二人を街の中へと転送した。

 

「なんだかずいぶん騒がしくありませんか?」

 

「ああ...そうだな。普段からここらは人通りが多いけど、今日はちょっと異常だ」

 

 メイプルの言う通り、街にいたプレイヤーはただ事ならない様子で広場に集中していた。中央の転移門では先ほどから頻繁に人が出入りし、どこか慌ただしい様子が見て取れる。

 

「なにかあったのか...?」

 

 メイプルに比べ、キリトの声色はどこか緊張感を感じさせた。

 周囲の話を注意深く聞き耳を立て、街中のプレイヤーから断片的に聞こえた“四十九層”という言葉に、キリトはハッとなって先ほど送られてきたアルゴの新聞をストレージから呼び出した。

 するとキリトの目が驚愕に見開かれる。

 

「第四十九層ボス攻略失敗......死者二名」

 

 




次回をお楽しみにー

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12話 「最前線へ」

評価値見てると好き嫌い分かれる作品なんかなぁと思います。
1番多い評価9ですけど次に多いのが1という(●ꉺωꉺ●)


 

 アイテムストレージを操作して最前線の攻略に使っている装備に切り替えるキリト。普段と違って一切の余裕が感じられないその様子にメイプルは黙ったままキリトから渡されたアルゴの新聞記事を見ていた。

 第四十九層のボス攻略戦。攻略組と呼ばれるトッププレイヤーたちがレイドを組んで挑んだその戦いは、二人のプレイヤーが死亡したことを受けて、あえなく撤退を余儀なくされたという。

 速報ということもあって詳細は書かれておらず、どんなボスだったのか、それこそどこのギルドの誰が死んだのかも定かではない。

 

(これ...ほんとに死んじゃったってことなんだよね。普通のゲームオーバーとかじゃなくて本当に)

 

 改めて今自分のいる世界がどんな世界なのか、突きつけられた思いだった。

 やがて支度を整えたキリトは肩越しにメイプルを見る。

 

「上の階層で状況を把握してくる」

 

 たったそれだけ、短く言ったキリトになんと声をかけようか決めあぐねていたメイプルだったが、意を決したのかそのあとに続く。

 

「あのっ! 街の外に出なければ安全ですし、一緒に行きます」

 

 

 

 

 

 

 

「これからどこに行くんですか?」

 

「とにかく知り合いの攻略組をあたって話をしてこようと思う。今回の攻略は血盟騎士団が指揮を執ってたはずだから、まずはそこの副団長からかな」

 

 キリトはそう言ってある建物の前で足を止めた。

 ヨーロッパの王城を彷彿とさせるような、白く流麗なギルドホームにはその威厳を示すかのように、剣の文様を象った赤い旗が各所に下げられている。アインクラッドのトップギルドの一つである血盟騎士団のギルドホームだ。

 キリトはその門の前で番をしていたプレーヤーに声をかけた。

 

「お前たちの副団長に話がある。中にいるんだろう? 取り次いでもらえないか?」

 

「アスナ様は今、団長にボス攻略戦の報告をなさっている。だいたいどこの誰とも知らん貴様に我々の副団長を会わせるわけがないだろう」

 

 伸ばしっぱなしの長い髪を後ろにまとめている、三十代半ばにも見えるプレイヤー。前衛独特の分厚い鎧を身に纏い、華美な装飾が施された両手剣を背にして見下すようにキリトとメイプルを一瞥していた。

 

「俺の名前はキリト。攻略組だ。ボス戦の陣頭指揮を執っていたのはアスナだろう? 今回のボス攻略について直接話が聞きたい」

 

「キリト? そうか、貴様ビーターの...!」

 

 団員の警戒したような視線が、明らかに好戦的なものに変わる。次の瞬間には背にしていた両手剣を抜き放って矛先をキリトに向けた。驚いたように委縮したメイプルをかばうようにキリトが手を伸ばす。

 

「待ちなさい!」

 

 そんな一触即発の状況に透き通るような声が響き渡った。

 

「あ、アスナ様......」

 

 団員が振り返るとそこにはキリトのよく見知った姿があった。

 見た目の年の頃は十代半ば。長い亜麻色の髪は絹のように滑らかで、血盟騎士団のイメージカラーとも言える白でカラーリングされた装備服に腰にはエメラルドグリーンの細剣。

 それはまさしく数多くのプレイヤーから“閃光”と囁かれる、血盟騎士団副団長その人だった。

 

(お人形さんみたいな子がいる...!)

 

 メイプルが息を呑んだのはその美しい容姿と凛とした佇まいが、どこか非現実めいているように感じたからかもしれない。流れ星のような儚さと鋼鉄の鋭さが同居した、不思議な雰囲気を纏っていた。

 団員はすぐさま剣を鞘に納めて姿勢を正し、恭しく頭を下げた。

 

「構わないわ。その人たちを客室に通してちょうだい」

 

「し、しかしアスナ様、このような得体の知れぬ男をギルドホームに立ち入らせるなど...!」

 

「クラディール!」

 

 突き刺すように、鋭く名前を呼ばれて団員の男は押し黙った。

 

「もういいわ。彼らは私が案内します。下がりなさい」

 

 クラディールは舌打ちすると、恨みがましい視線をキリトに向けて立ち去った。

 

「...大丈夫なのか?」

 

「平気よ。それより私に聞きたいことがあるんでしょう? こっちについてきて」

 

 アスナに連れられて、血盟騎士団のギルドホームに足を踏み入れるキリトとメイプル。ホームといっても血盟騎士団の持つそれは外装から察しが付く通り、大理石や彫刻の類などがそこかしこに見て取れるような絢爛な造りになっていた。

 メイプルは落ち着かない様子でキョロキョロとあたりを見回しては、その内装に感嘆のため息を漏らしていた。

 やがてアスナは客室と思われる一室にキリトたちを招き入れると、ガラスのテーブルを挟んで対面するように置かれたソファの一つに座った。

 キリトとメイプルは促されるままアスナの正面に腰掛ける。

 

「それで、話っていうのは今日行われたボス攻略戦のことよね」

 

「そうだ。ボス戦で一体何があったのか、実際に指揮していたアスナに状況を聞いておきたい」

 

 アスナは静かに目を細めると再び口を開いた。

 

「ボスの名前はThe Noble moth。飛行する昆虫型のモンスターで、左右の羽から毒の状態異常を付与する範囲攻撃を仕掛けてきたわ。そのせいで前衛についていたプレイヤーが2人死んで、陣形が崩壊する前に引き上げたの」

 

「毒の範囲攻撃? そんな情報......」

 

「ええ、事前の調べではそんな情報はなかった」

 

 キリトは顎に手を当てて考え込むような姿勢を取った。

 

「なるほど、つまり今回の攻略は極端にボスモンスターが強かったというより情報不足で対策が取れてなかったっていうのが大きいのか」

 

 アスナは攻略の準備不足を指摘されて、一瞬むっとしたような表情をしたが、おそらくその自覚はあったのだろう。言い返すでもなくため息をついた。

 

「そうね。キリト君も知ってると思うけど今回の四十九層はダンジョン攻略にかなり時間がかかっちゃって、攻略組全体が少しボス戦を急いでしまっていたのはあると思う。けれど、それにしたってあの毒の範囲攻撃は強力だったわ。多分あれは確率付与じゃなくて確定付与なんだと思う」

 

「つまり、攻撃を受ければこっちの耐性に関係なく毒が付与されるってことなのか?」

 

「ええ...そうじゃなきゃ、あんな一瞬で前衛が消耗するなんて考えられないもの」

 

「でも対策となったら解毒結晶をできる限り用意するか、前衛の火力を上げるくらいしか取れないんじゃないか?」

 

 毒の恐ろしさとは、時間がかかれば時間がかかるほどHPを削がれ、知らぬ間に思わぬダメージを受けてしまうことだ。そうなると後衛が前衛の解毒を受け持ち、高い火力を持つ前衛でもって短期決戦に持ち込むのがこの場合のセオリーといえる。

 

「うちの団長も同じことを考えてるようだったわ。でも今回の攻略で前衛を二人失ったのが響いてるの。補充要員の前衛職を確保するのにあと何日かかるか......」

 

「あの...それでしたら」

 

 これまでただキリトとアスナのやり取りを聞いていたメイプルが初めて口を開いた。

 二人の視線が同時にメイプルに向く。

 

「私とキリトさんの二人が前衛で参加すれば、人数は合うんじゃないでしょうか?」

 

 




次回、「ドライアイスをスナック感覚で食う女」


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13話 「メイプルvsアスナ」

コロナぶっころな(●ꉺωꉺ●)


 

 

 

「攻略組のメンバーじゃないわよね、その子。初めて見る顔だけど名前は?」

 

「は、はいっ! メイプルです」

 

「ちょうど今、俺がレベル上げを手伝っているプレイヤーなんだ」

 

「レベル上げを手伝ってるって...まさか」

 

 アスナは表情を渋めた。

 先のボス攻略戦でキリトが不参加であることは当然アスナも知っている。同時に、その理由についてもそれとなく他の攻略組のメンバーから耳にしていた。ならば当然、メイプルがキリトの手助けが必要なほどのレベルにしか達していないことも想像できることだった。

 

「ちなみに、今のあなたのレベルはどれくらいなの?」

 

「14レベルになりました!」

 

 えっへんと、自信満々に答えるメイプル。それに対して、やっぱり思ったとおりだったと呆れ半分にため息をついたアスナはキリトの方を見やった。

 キリトは無言のまま頷く。

 こちらからは止める気はない、というキリトの意思表示がアスナに伝わったのか、再び視線をメイプルに戻す。

 

「......やっぱり、四十九層どころか十層ボスの安全マージンにも達してないじゃない」

 

「た、確かにレベルは低いですけれどバイタリティには自信があるんです! 毒の攻撃は効かないですし、みんなの盾になることならできると思います!」

 

 メイプルは必死に言うが、アスナも頑なに譲らない。当然だ。メイプルの《絶対防御》や《大物喰らい》などのスキルを知らないのだから。たとえどんなにVITにステータスポイントを振って装備品を整えてもレベル14ではボス相手に通用するわけがない。

 しかしひとつだけ、アスナの耳に引っかかる言葉があった。

 

「毒攻撃が効かない? それはどういうこと?」

 

 アスナの質問にはっとしたような顔をするメイプル。すぐさま助け舟を請うような視線をキリトに送ると、キリトはそれに応じた。

 

「メイプルはちょっと特殊なスキルを持っているんだ。多分エクストラスキルなんだと思う」

 

「エクストラスキルって、どんな?」

 

 重ねての質問に、キリトは一瞬話すべきか躊躇ったものの、ごくりと息を呑んでから答える。

 

「......毒の状態異常の完全無効化」

 

「ほんとなの!?」

 

 食い気味の様子でテーブルに手をつき、身を乗り出したのアスナにキリトは大手を振って言い足した。

 

「ただ取得条件はメイプル本人にもわからないらしいんだ。でも事実メイプルに毒系の攻撃が効かないことは確かで、俺もこの目で確認した」

 

 攻略組の今後の動きをそのスキル獲得にシフトすればあるいは、と思ったのかもしれない。肩の力が抜けた様子でソファに座りなおすアスナはメイプルに視線を向けた。

 

「......でも、それにしたって初心者同然の子をボス攻略に連れて行くなんてできないわ。ボスの使う毒攻撃が効かなかったとしても、攻撃はそれだけじゃない。物理的な攻撃を受けたらひとたまりもないわ。キリトくんだってわかるでしょ?」

 

「ああ、無謀な話だと思う。俺も実際アスナの意見に賛成なんだけど」

 

「わ、わたしはキリトさんとアスナさんの意見に反対です! 断固!」

 

 先生からの質問に答えようとする学生よろしく、挙手をしながら椅子から立ち上がり、反対反対と連呼するメイプル。そのまま話が平行線のまま続くことがなんとなくわかったのか、アスナはため息をつく。

 

「なら、こうしましょう」

 

「はい、どうしましょう!」

 

 一歩も引かない、という心意気の表れなのか、ガチガチに肩の力が入った姿勢で微妙にズレた返事を変えすメイプルにアスナは言った。

 

「私と決闘しましょう。それであなたがボス攻略に参加できるだけの実力があるか判断します」

 

「いいですとも! 望むところです!」

 

「ちょっと待てメイプル! それにアスナも、正気なのか? このデスゲームで決闘だなんて!」

 

 この世界での死はそのまま現実世界の自分の死と同義である。それはプレイヤー同士の決闘でも変わらない。もちろんメイプルが他のプレイヤーと同じような条件下でSAOにいるのか、キリトにはわからない。が、少なくともアスナは自分たちと同じようにHPが全損すれば死ぬ存在であると認識しているはずだ。

 まして二人のレベル差では一撃決着モードに設定しても、その一撃でメイプルのHPは完全に削り切られる。

 

「大丈夫よ。ちゃんと手加減するし、それに」

 

 アスナはアイテムストレージを開くと、ある武器の名前をタッチした。ライトエフェクトの中から現れたのはひと振りの木剣。細長い刀身と柄の形からレイピアであることがわかった。

 

「何だその武器? 見たことないな」

 

「この間エギルさんのお店で買ってきたの。耐久値も低いし大して威力もないんだけど、武器そのものにエクストラ効果があってね。この武器でいくら攻撃してもレッドゾーンから先は絶対にダメージが入らないんだって」

 

 アスナは得意げに木剣を腰に差すと、立ち上がる。

 

「問題、ないわよね?」

 

 

 

 

 

 

「うわー、おっきい...」

 

 アスナに連れられてギルドホームの地下へ降りていくと、そこにはちょっとした闘技場があった。

 これにはメイプルだけでなく、さすがのキリトも感嘆のため息を漏らす。

 

「確かにこりゃすごいな......さすがは血盟騎士団のギルド。ここも含めていったいどれだけ金かけて作ったんだ?」

 

 なんの気なしに呟いたキリトに、どうということはない、といった様子でアスナは天文学的な数字を言ってのけた。 

 

「ここは装備の試し切りとか、PVPの演習目的で作られた場所なの。今はボス戦絡みでみんなバタバタしてるし、それなりに広さもあるからちょうどいいでしょ?」

 

 そう言ってアスナは木剣を抜き放った。それに応じるようにメイプルも大盾と短剣を構える。

 やがてアスナからの決闘の申請が届くと、ゴクリと息を呑んで承認する。頭上に決闘開始を告げるカウントダウンが始まった。

 

 





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14話 「防戦一方の勝負」

最近SAOのBGM聞きながら書いてます。
あれですよあれ、アインクラッドのボス戦で流れてたあの神BGMです。


 

 

 

 

 頭上のカウントがひとつ、またひとつとゼロへと近づいていく。

 

「勝負は半損決着モード。でもあなたは制限時間まで攻撃を防ぎきるか、一撃でも私に当てられたら勝ちということにしましょう」

 

「わかりました!」

 

 そう返事を返し、意気込んで大盾と短剣を構えるメイプルにアスナは眉をひそめた。

 SAOの武器系統の中で最もリーチが短く、それゆえに最も高いアジリティを持つ武器。そんな短剣のポテンシャルを殺すような身の丈ほどもある巨大な盾との組み合わせは、少しでもフィールドでモンスターと戦ってみれば、その使い勝手の悪さがどれだけのものかはすぐにわかるものだ。

 

(キリトくんが教えてるんだからそれくらいわかるはずだし、なにかあるの?)

 

 まだ知られていないようなエクストラスキル、なんらかの秘策、さまざまな可能性を視野に考えたが、アスナは軽く首を振ってそれらを頭の片隅に追いやった。

 そこにどんな考えがあったところでメイプルにできることなど、たかが知れている。

 

(レベルはたったの14。そんなハッタリ......)

 

 アスナは弓を引き絞るような動作で斜めに体勢を反らせてレイピアを構えた。刀身から発せられるグリーンのライトエフェクトがソードスキルの発動を示す。するとカウントがゼロを迎え、決闘開始を示すメッセージが両者の頭上に表示された。

 

(私には通用しない!)

 

 そのとき、傍らで見ていたキリトの目には稲妻が横に走ったかのように見えた。

 一瞬にして距離を縮めて放たれた突きは真正面からメイプルの大盾に衝突し、そのまま持ち主ごと弾き飛ばすようにノックバックが引き起こされる。

 

「うわっ!」

 

 背中から闘技場の地面に倒れ込むメイプル。どうにか立ち上がろうとするがノックバックによる効果で尻餅をついたまま、すぐには動けないでいた。

 アスナが使ったのは細剣のソードスキル、《リニアー》。細剣系の基本技であるこのスキルは熟練度が0の段階でも使用できる初歩的なスキルだ。しかし、最前線のトップギルドで“閃光”と呼ばれるまでに磨き上げたそれがメイプルの目にはどう映ったのか。

 

「......わかってはいたけど、明らかにバイタリティ不足ね。言っておくけど、複数のパーティでレイドを組んで戦うボスの攻撃力はこんなものじゃないわ」

 

 一撃で体勢を崩されることからも、メイプルのステータス不足が伺える。プレイヤーであるアスナの攻撃を受けてこれなのだ。それ以上のステータスを持つ階層ボスの攻撃を受けても今と同じことが起こるのは明白だった。

 

(すごい、キリトさんのソードスキルよりずっと速い。見えないくらい速かった...)

 

 同じ突きであっても、ヒドラ戦でキリトが見せた《バーチカル》と比べてスピード差は歴然だった。

 ノックバックの効果が切れ、メイプルは大盾を杖のようにして立ち上がると、その影に身体をすっぽり埋めるように構えた。

 アスナとしては初撃でメイプルの戦意を喪失させるくらいのつもりでいたが、どうやらそれには至らなかったようだ。再びガードを固めるメイプルにアスナは正面から仕掛ける。

 

「...っ!」

 

 ソードスキルではない、通常攻撃の突き。それですらメイプルにとってはこれまで防いできたどのモンスターの攻撃よりも早く、そして重い。

 

「えいやーっ!」

 

 どうにか攻撃の切れ目を狙ってメイプルは短剣をひと振り。しかしそれが空振りに終わったことに気づいたときには、アスナはすでにソードスキルの体勢を整えていた。

 慌てて大盾を抱き寄せるメイプル。そこへ目掛けて横殴りの雨のようなアスナの突きが襲った。

 

(驚いたな...武器のアジリティ補正なしでもあんなに速いのか)

 

 そんな戦いを見ていたキリトは思った。

 その目は攻略組としてではなく、純粋にゲーマーのものだった。

 どんな武器や防具にも装備したプレイヤーのステータスを加算するような数値が設定されている。当然AGI値の高いものを装備すればするほど攻撃や移動速度は上がる。しかし今、アスナが手にしている木剣は普段攻略で使う武器に比べれば、ステータス補正は無いに等しい。

 それでもアスナの剣撃は驚くほどに速かった。

 

(......って速すぎるよぉ〜!!)

 

 メイプルは大盾の影に隠れながら胸中で叫んだ。

 どうにか攻撃は防いでいるが、別に攻撃を見切って的確に防御しているわけではない。全身のどこを攻撃されても守れるよう、ただ身体を小さくすぼめて大盾の中に埋まっているだけだった。

 キリト発案、その名も亀の構え。

 モンスターとの戦いでまず防御に徹して、相手の攻撃を受け切った瞬間にカウンターとばかりに斬りつける。というキリトがメイプルに教えた基本戦術であったが、今はあまりの猛攻に反撃するという発想すら抜け落ちているようだった。

 

「きゃあああああ〜〜!」

 

 アスナもあえて盾の側面に回り込むようなことはせず、真正面からの力押しに徹する。アスナのスピードであればメイプルの後ろを取ることすら一瞬だ。木剣とはいえ、背後から攻撃すればそれこそ一撃で半損を通り越えてレッドゾーンまでHPを削れる。

 しかしレイドを組んでモンスター単体を取り囲むように行われるボス戦では、背後を取られるような場面などほとんどといっていいほどない。

 あくまでボス攻略に適した能力があるか、それを知るための力押しだ。だったのだが。

 

(なんだか私、初心者の子をいじめてるみたいになってるのだけれど......)

 

 突きを放つ度に大盾の向こうから悲鳴が聞こえる。ソードスキルを使えばもはや悲鳴すら上がらない。

 アスナは一度攻撃の手を止め、メイプルから距離をとった。

 

「.........」

 

 大盾が小刻みに震えている。

 当然だ。盾の上からとはいえ、こうも執拗に攻撃を重ねればそれだけで圧力になる。

 

(うーん。これ以上はちょっと可哀想かな。あの子には悪いけど、そろそろ勝負を決めよう。どのみちこの様子じゃあボス戦なんてとても無理だろうし)

 

 アスナはレイピアの剣先をメイプルに向けた。発せられたライトエフェクトはこれまでのものとは違う。上位スキルの《スター・スプラッシュ》によるものだった。

 

 

 

 




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15話 「成長する装備」

コロナになるのは嫌なので自宅にひきこもりたいと思います。


 

 

「これで一気に終わりにするわ。ちょっと痛いだろうけど、死ぬことはないから安心して」

 

 ビクリ、という音が聞こえてきそうなほどに身を震わせるメイプル。

 それに構うことなく、アスナは紅くひときわ鋭い光とともに接近、目にも止まらない八連撃が大盾に炸裂する。

 

「うわぁあぁあぁあぁ〜〜!」

 

 五連擊、六連擊目と攻撃を続けてついに七連擊目に差し掛かった瞬間、《闇夜ノ写》の耐久値がゼロを迎えた。大盾が砕けたガラス細工のように飛び散り、ガラ空きになったメイプルの胴体に向けてアスナの最後の一撃が貫いた。かのように見えた。

 

「これは...なにが?」

 

 あるはずのないそれに攻撃を遮られ、アスナは驚愕に目を見開いた。

 破壊され、飛び散ったライトエフェクトがメイプルの手に収束するようにして集まったのだ。それがアスナの攻撃を弾いたかと思うと、元の《闇夜ノ写》に姿を変える。

 

「武器が再生したの...!?」

 

 アスナは瞬時に距離を取った。

 破壊したはずのメイプルの大盾は確かに元通りの形を成して、その手に握られている。

 メイプルもなにがなんだかわからないといった様子で自身の盾を見つめていたが、やがてそれらの装備が持つエクストラ効果がどのようなものであったのかを思い出した。

 

(そうだ! 《破壊成長》!)

 

 耐久値がなくなり、装備が破壊されると元のステータスにVIT値が加算された状態で瞬時に再生する能力。さらに視覚的には破壊エフェクトが働いているように見えても、破損時の数値上の影響はない。それはつまり、破壊から再生までの僅かな隙を突かれても、盾としての役割は変わらず果たされるということだ。

 そして、メイプルは閃いた。

 

(もしかして、これって安全に武器を強くするチャンスなんじゃ...?)

 

 アスナの攻撃は絶対にメイプルのHPを全損させることはない。しかし武器や防具の耐久値はその限りではなく、今のように攻撃を受け続ければ破壊される。そして破壊されればその装備はより強力になって戻ってくる。

 

「......」

 

 アスナは油断のない眼差しでメイプルを見た。

 確実にメイプルの防御を抜いたと思った。しかし破壊した大盾は一瞬にして修復され、結果的にアスナの攻撃をすべて受けきってみせたのだ。

 

「キリトくんが教えるくらいだから、ただの初心者じゃないんだろうとは思っていたのだけどね。でもこれは予想以上だったかな。それが武器の効果だろうとあなたのスキルだろうと、話に聞いた毒の無効化を含めてあなたの力は普通じゃないわ」

 

「いえいえいえ普通です! 私普通のプレイヤーですよ!」

 

 メイプルの異質さに少なからず気づき始めたアスナ。それに対してメイプルは焦ったように首をブンブンと振った。アスナはそれ以上なにか聞くことはしなかったが、それはメイプルの言い分に納得したからではなく、詳しく話せない事情があることをすぐに理解したからだろう。

 アスナは今一度レイピアを構え直す。

  

「少し攻撃のギアを上げるね」

 

 その言葉と同時にアスナは真っ直ぐにメイプルに向かって駆けた。それに対応して反射的に取ったメイプルの防御姿勢に構うことなく攻撃を加えていく。

 

「はああああっ!」

 

 目にも止まらない速さで繰り出される通常攻撃の突きと、その攻撃の合間を繋ぐように織り交ぜられたソードスキルが隙なくメイプルを追い詰めた。

 

「ううっ!」

 

 瞬く間に《闇夜ノ写》の耐久値が削りきられた。破壊されてもすぐに再生されるがその間もアスナの猛攻は続いている。

 本来であればアスナの戦い方はその時々で自分に有利な間合いを瞬時に作り出し、相手のモーションの隙を逃さず突くことに重点を置いたスピード重視のスタイル。しかし今はその余りあるアジリティをすべてメイプルの防御を抜くことだけに注いでいた。

 雨のような連撃だ。

 一段と増えた手数に変わらず圧倒されているメイプルだが、それでもこれまでの戦いである程度の慣れが出てきたのか、視線はアスナを捉えたまま絶対に離さない。何度大盾が砕けても狼狽えない。

 

(手数だけじゃ攻撃は通らない。ならもう一度!)

 

 レイピアの刀身がライトエフェクトを発して煌めいた。

 それは開幕と同時に放った攻撃とまったく同じ挙動と光。アスナが初撃に放ったソードスキル《リニアー》。単発攻撃でありながら一撃でメイプルをノックバックさせた攻撃だ。

 

「でも、今の私ならーっ!」

 

 メイプルは大盾を構えた。幾度となく大盾を破壊され、その度にVIT値が加算された今のメイプルはすでに決闘開始時とは比べ物にならない数値に達していた。

 なによりこれまでとは違い、守りながらも常に相手から視線を外さずに反撃のチャンスを狙える姿勢。受けて立つという意志の現れがそこにあった。

 

「せああああっ!」

 

 ソードスキル発動の瞬間、メイプルの視界からアスナの姿が消えた。それとほぼ同時に《リニアー》による閃光が目の前を埋め尽くすと、大盾からこれまでになかったほどの衝撃がメイプルの腕を伝った。今にも弾き飛ばされそうな大盾を必死になって押さえ込む。

 

「ううっ...くぅ...っ!」

 

 わずかに開いたメイプルの瞳にアスナの姿が映る。今なお、アスナの《リニアー》が大盾を削るように炸裂している。

 

「うーにゃああああーーっ!!」

 

 メイプルは気声とも叫び声とも取れるような声を上げると、そのまま耐えて、耐えて、やがてアスナのレイピアからソードスキルによるライトエフェクトが消えた。初撃のようなノックバックも起こらない。

 

「受け止めたの!?」

 

「スキありー!」

 

 そして耐えきった瞬間、メイプルは短剣である《新月》を引き抜いた。攻撃後の硬直を狙ったカウンター。僅かに開いたレイピアの間合いから一歩距離を縮めれば、そこはもうメイプルの間合いだ。しかし、

 

「...っ!」

 

「あれれ?」

 

 届く。そうメイプルが確信したとき、決闘終了を知らせるブザーが無慈悲に響き渡った。

 

 

 

 




感想くれてもええんやで?
目指せ評価値7!!
ではまた次回〜

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16話 「唐突な終わり」

最近小説検索でお気に入り数順とか評価値順に並べ替えができると知りました。検索ワードを『痛いのは嫌なので防御に極振りしたいと思います』にして上から数えると本作は、

お気に入り数、平均評価ともに13番目(●ꉺωꉺ●)
オーケーわかったそっちがそう来るならやったろうやないかい。
1位獲ったろうやないかい!!




 

 

 ポカン、と口を開いてアスナとメイプルは見つめ合った。 

 薄味な幕引き、というより二人ともどうしてこんなタイミングで決着したのかわからなかったのだろう。しかしその理由はメイプルのHPバーを見ればすぐにわかることだった。

 

「あれ!? いつのまにか減ってる。一度も攻撃は受けてないはずなのになぁ...」

 

 メイプルのHPはすでに半損、イエローゾーンを迎えていた。

 

「盾越しに攻撃を受けても少なからずダメージは発生するんだよ。今までは盾で受けるどころか直撃食らっても平気だったから気にしてなかったかもしれないけど、まあこのレベル差であれだけ畳み掛けられたらな」

 

「あちゃー...」

 

 がっくりと肩を落とすメイプル。結局、終始守りに徹していただけで肝心のアスナには一撃は愚か掠ることすらなかった。もう少しHPが残っていれば最後の一撃が決まったかもしれなかったが、アスナのプレイヤースキルを考えるとそれも確実だったとは言いきれない。

 

「気を落とすことないぞメイプル。血盟騎士団の副団長相手にあそこまで粘れただけでもすごいことだ。でもアスナの言う通り、やっぱりボス攻略に挑むにはステータスが足りない。だから」

 

「ストップよキリトくん」

 

 メイプルをたしなめるキリトをアスナが手で制した。そしてメイプルの方を見やる。

 

「ボスモンスターはプレイヤーがレイドを組んで戦うことを前提にステータス設定がされているわ。当然、私一人なんかよりずっと強い。HPが全損すれば死ぬし、実際先日の攻略戦ではあなたよりずっとレベルの高いプレイヤーが二人死んだ。それでも戦おうと思える?」

 

 アスナは真っ直ぐにメイプルの瞳を見つめて言った。それは攻略組を束ねる立場としての最終確認だったのかもしれない。それだけアスナの目は真剣そのものだった。

 

「......ボスと戦うのは怖いです。命懸けで戦うのも、痛いのも嫌だし...でもそれより嫌なものがあって、あはは...うまく言えないんですけど、でも―――」

 

 うまく言葉が探せずに、不器用に話すメイプル。現実世界に戻る。そんなアスナのように確固とした意思があるわけではなかったがそれでもこの世界に来てなにを感じたのか、メイプル自身もはっきりと自覚していた。

 アスナの目をまっすぐに見直して、メイプルは口を開く。

 

「私にできることがあるならやります。私が死ぬのも他の誰かが死ぬのも嫌だから」

 

「そう...」

 

 アスナはメイプルの発した言葉の意味をじっくり嚥下するようにうなずく。やがて勝敗が決してから握ったままになっていた木剣を鞘に納めた。

 

「よろしい。あなたのボス戦参加を認めます」

 

「いやちょっと待てそれはおかしいぞ?」

 

 メイプルを連れて帰る気でいたキリトは間髪入れずにそう言った。

 

「勝敗の条件はメイプルがアスナに一撃入れられたら、だろ? メイプルはこの前までレベルも一桁だったんだ。それにレイド戦どころかパーティ戦だってほとんど経験がない。どう考えたって危険すぎるじゃないか!」 

 

「別に決闘の勝敗で決めるだなんて一言も言ってないわ。決闘で実力を測ると言ったの。この子は私に十分な実力を示して、私もボス攻略に参加できるだけの実力があると判断したんだから、あとは彼女の決断次第でボス戦には連れて行きます」

 

 アスナとキリトの間で火花が散った。

 ボス戦の攻略会議に参加したことのあるメンツからしてみればこの二人の意見が対立するのは、もはやお馴染みの光景だ。キリトにしてもアスナにしても慣れたものだが、メイプルにしてみれば唐突に起こった一触即発の雰囲気に戸惑うばかりだ。

 アワアワとした様子で見守っていたかと思えば、どこか助け舟を求めるようにキョロキョロと周りを見始める。

 そんなメイプルの視線の先で、血盟騎士団の団員と思われる赤い鎧を身にまとった青年が闘技場に足を踏み入れたのが見えた。

 

「珍しい来客だと思って少しばかり見させてもらったが、なかなかに楽しませてもらったよ」

 

 メイプルが助けを求めるよりやや早く、男は口を開いた。その声に真っ先に反応したのはアスナだった。すぐさまキリトとの口論を切り上げると恭しく頭を下げる。

 

「お疲れ様です。ヒースクリフ団長」

 

「だんちょー? 団長......団長!?」

 

 漠然とエライ人、というカテゴライズをしていたアスナの青年に対する態度を見て、メイプルは素っ頓狂な声を上げた。

 

(アスナさんのギルドの団長...このお城で一番エライ人...!)

 

 そんな凡庸な格付けがメイプルの頭の中で成されたことなど露知らず、ヒースクリフは落ち着き払った様子で一同を見た。

 

「それで、これはいったいなんの騒ぎだったのかな? アスナくんも先の攻略戦の件で多忙な立場のはずだが」

 

「再攻略にあたって前衛職の選定をしていました。二度目の攻略戦ではこの二人をレイドに加える予定です」

 

 ふむ、とヒースクリフは顎に手を当ててキリトに、そしてメイプルへと順に視線を向けた。

 

「そこの片手直剣を持った少年は攻略会議の場で見た覚えがあるが、大盾使いの君は初めてだね。なんにせよ、アスナくんが決めた人選なら実力に問題はないだろう。期待させてもらおう。なにせ全層の中間である五十層を目前にしてこの状況だ」

 

 強力であろう五十層のボス。その一つ手前の階層でボス部屋捜索が難航し、あまつさえ死者まで出したのだ。ヒースクリフの言葉からもそれが攻略組にとってどれほど打撃であったかが伺えた。

 しかし、そこまで話が進んだところでキリトは気がついた。

 メイプルのボス攻略戦参加がヒースクリフという大人物を巻き込んだことで、もはやなし崩し的に近い勢いで決まりつつあるということに。

 

 

 




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17話 「ステータスアップは退屈?」

最近書いてばっかで全く読んでなかったので、いい加減SAOの原作買いました
公式の設定からズレるって怖いっすもんね


 

 

 宿屋の中を金属同士がぶつかるような音が響く。

 戦闘中のような不規則なそれとは違い、かといって打楽器のようなリズミカルなものでもない。例えるなら時計の針が進む音のような断続的で一定な衝突音。そのさなかで、なにかが砕け散るようなひときわ甲高い音がする。

 

「ふぅ...今のでどれくらいまで上がった?」

 

 愛用している片手直剣で床に寝かせた《闇夜ノ写》をひたすら壊し続ける作業に従事していたキリトは、傍らでその様子を見守っていたメイプルに言った。

 その声が気だるげに聞こえたのは、実際にその単純作業に辟易としていたからであろう。

 

「今、バイタリティがちょうど350になりました」

 

 表示していたステータス画面を横目で見て、メイプルは答える。

 あくびを噛み殺したのはキリトの労を気遣ってのことだったのだろうが、それも無理もないことだった。なにせ近いうちに行われるであろうボス攻略戦に備えたメイプルの強化は、かつて類を見ないほどの作業ゲーと化していたのだ。

 

「まあステータスが上がればそれだけ上層のモンスターとも戦えるからな。層はひとつ上がるだけでもレベリングの効率は段違いに変わるし、今のメイプルのレベルなら三十層のモンスターを一匹倒すだけで一気に2,3はレベルが上がるんじゃないか?」

 

 事実、メイプルのレベルは14のままだったが《破壊成長》によるステータスアップと《絶対防御》《大物喰らい》によるVIT値倍加を合わせれば三十層などとひかえめなことは言わず、四十層でもパーティの前衛役がこなせるくらいの数値になっていた。

 

「でもこんな方法があるなんて気がつきませんでしたね。こうやってわざと武器を壊してステータスを強くするなんて。アスナさんに感謝です」

 

「いや、実のところ俺も気が付いてなかったわけじゃないんだ。というより、俺がこの装備のスキルを知ったときに真っ先に思いついたのがこの強化方法だった」

 

 その言葉がよほど意外だったのか、メイプルは目をぱちくりとさせてキリトを見た。

 それならどうして今までこの方法を取らなかったのか、キリトに聞くより先に自分なりに考えようとしているのだろう。メイプルは小さく唸り声を上げながら頭上に疑問符を浮かべていた。

 しかしこのレベルの話になると、RPG初心者のメイプルには荷が重い。キリトは作業の手を再開させると、気晴らしも兼ねてすらすらと説明し始めた。

 

「今までこの方法でやってこなかったのはステータスに対してPSが伴わないからだ。PSっていうのはプレイヤースキルの略で、簡単に言うとプレイヤー自身がアバターを操作したり、戦闘中に的確な判断を取る能力だな。ステータスが上がってもきちんとした戦闘を経験しなければプレイヤーの技術は磨かれない。VRMMOでこれは致命的なことなんだ」

 

 ステータスの高さで圧倒することも一つのスタイルとして間違いではない。それこそレベルの差が人数の差をいとも簡単に覆してしまうのがレベル制のRPGの理不尽さでもある。しかし戦うことに技術を必要としなくなれば戦い方もどんどん雑で力任せになっていくのは自然な流れだ。そして、そうやって一度身についたプレイスタイルはなかなか直らない。

 そうしたプレイヤーは実力の過信やちょっとした判断のミスで死ぬ。それこそ、本来ならどうということのないような場面であっさりと死ぬのだ。

 

「たしかにレベルが高くてもへたっぴのままじゃダメですよね。でも、だったらいつも通りフィールドでレベル上げしたほうがいいんじゃないですか?」

 

「はぁ...そうも言ってられない状況になっちゃったじゃないか......」

 

 ため息混じりに言うと、キリトは先日の闘技場でのやり取りを思い出す。

 結局、次のボス攻略戦ではメイプルとキリトを前衛要員として補充することが決まった。これは攻略組全体での決定ではないが、アスナのことだ。攻略会議の場でどこのギルドに反対されようともゴリ押すことだろう。レイドの人数が揃ったことで、恐らく近いうちに二度目のボス攻略が計画されるはずだ。

 時間をかけて戦闘技術を身に付ける余裕があるかどうかも怪しくなった今、メイプルにいくらステータスがあっても足りない。

 

「とにかく今は効率重視だ。ボス攻略までどこまで上げられるかわからないけど......」

 

 黙々とメイプルの大盾に剣を振り下ろすキリト。しかしバイタリティが350を超えたところで一気に効率が落ちた。《破壊成長》によってVIT値だけでなく武器そのものの耐久値が上がっているのだろう。

 

「なかなか壊れなくなっちゃいましたね」

 

「俺一人だとここらが限界かぁ」

 

 《闇夜ノ写》から標的を短剣である《新月》に変える。セット装備というだけあって、この武器にも《闇夜ノ写》と同様に《破壊成長》のスキルがあった。壊しては再生し壊しては再生し、といった具合に同じ作業を繰り返しているとやはりこちらもVIT値が350を迎えたあたりで効率が落ち込んだ。

 もちろん辛抱強く叩き続ければまだまだ強化は可能だっただろうが、ステータスの上昇値と破壊効率を考えればここが辞め時だった。

 

「まあやっぱりこうなるよな。全装備のバイタリティを350まで上げたらそこからはレベリングでカバーしよう」

 

「そうですね。次は防具を......」

 

 そこまで言ったところでメイプルは手に持つ武器と違い、着用しないと防具を顕現できないことに気がついた。

 

「装備したメイプルごと切るしかないな」

 

「い、嫌ですっ! 絶対嫌ですこっち来ないで〜!」

 

 後ずさるようにしてキリトから距離を取ったメイプルは、そのまま足を取られて尻餅をついた。部屋の隅で縮こまって潤んだような目を向けるメイプルにさすがにキリトも良心が痛んだが、なんといっても控えているのはボス戦だ。ステータスアップに妥協している場合ではない。

 

「ボスの攻撃はもっと痛いんだ。それに《闇夜ノ写》と《新月》を壊してバイタリティもかなり上がってる。そこまで怖がることはないよ」

 

「でもでもだってぇ......」

 

「圏内なら決闘でもしない限り絶対にHPは減らないんだ。けどボスの攻撃はそうじゃない。だったら今は我慢しないとだろ? 攻撃が怖いなら腕とか脚とか、頭から遠いところを順にやるからさ」

 

 そこまで言ったところでようやく観念したのか、メイプルは突き出すようにして腕を伸ばした。

 グレープフルーツだと嘘をついてレモンの果肉にがぶりつかせたらこんな顔になるかもしれないとキリトは思った。口元をギュッと引き結んで、眉間にシワが寄るほど固く目を閉じながら腕を差し出す様子は、まるで注射を受ける小学生のそれだ。

 

「いくぞ...そいっ!」

 

 腕部の防具に向けて剣を振り下ろした。そして攻撃回数にして二十二撃目の瞬間、これまでずっと危惧していたNWOとSAOのシステムの違いがキリトに牙を剥くことになる。

 

「.........」

 

 目の前の光景にキリトは絶句した。それは魔法の有る無しだのレベル上限の差だのといった話ではない。もっと単純で、だからこそ注意しなければいけなかった盲点。

 SAOは頭、胴、腕といったように各部位に応じた防具を組み合わせて着用している。しかしNWOの防具は全身の各部位が一つの装備によって一元化されている。たとえ腕のプレートメイルだろうが腰巻だろうがすべて《黒薔薇ノ鎧》というひとつの装備なのだ。攻撃箇所がピンポイントに腕だったとしても耐久値に対してのダメージは全身の装備に行き渡る。 

 つまり腕への攻撃で、メイプルの纏う全身の装備を剥いてしまったのだ。

 

 




感想100件まで後少し(●ꉺωꉺ●)
評価も待ってま〜す〜

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18話 「黒薔薇ノ鎧の向こう側」

 

 

(落ち着け俺...ここは冷静にいこう)

 

 ‘ステイクール’キリトはそう自分に言い聞かせた。

 SAOであれば本来、鎧の耐久値が尽きたところでこうはならない。プレイヤーには武装とは別にカットソーやロングパンツのようなインナー装備がスロットに装着されていて、少なくともメインメニューのウィンドウで《衣服解除》のボタンを押さない限りこんな大惨事にはならないはずだった。

 

「あ、ホントだ全然痛くないですね!」

 

 全身を破壊エフェクトに包まれる中、目を閉じたままのメイプルの能天気な声だけがある意味でキリトの救いだった。

 寝巻きと色は同じ、パステルピンクのショーツ。あまりに衝撃的な出来事に、薄く彩られたストライプのラインからワンポイントで添えられたリボンの装飾までしっかりとキリトの脳裏に焼き付いてしまった。

 

「大丈夫そうなので、このまま続けてお願いします」

 

 そう言ってメイプルが目を開けた時には幸いにも防具の再生は終わっていた。しかし一歩間違えば数瞬前のあられもない姿のままメイプルと目を合わせていたかもしれない。そう考えると、キリトにしてみれば冷や水に当てられるような思いだ。

 

(さすがにメイプルのいたVRMMOでこんな某格ゲーみたいな仕様があるとは到底思えないし、おそらく装備の設定ミスかなにかだろうな。けど、こんなのどうやって教えたらいいんだ?)

 

 さすがのキリトも『防具の下にインナー装備し忘れてるぞ』などと無神経な指摘の仕方はできない。しかし見てしまったということを踏まえて、さりげなくメイプルにこの事実を伝えることはキリトにとってアクションゲームの一撃死初見プレイに匹敵する難易度にすら思えた。

 

「どうかしましたかキリトさん?」

 

「いや、なんでもないんだ。うん......」

 

 咄嗟にごまかすキリト。しかしそれが良くなかった。一度『なんでもない』と言い切ってしまった手前、余計に指摘しにくくなってしまったのだ。

 

(どうする? うっかりなんでもないとか言っちゃったぞ)

 

 それに気がついていない本人は防具の破壊成長を続ける気満々だった。どうやら低層のモンスターと戦っているときと同じようにまるで痛みのないことがわかったからだろう。今度は目を瞑ることなくキリトに腕を差し出してくる。

 だが、当然このまま続けるわけにはいかない。

 一方で、装備のミスをこの場ですぐ打ち明けるわけにもいかない。

 

「わかった。じゃあもうちょっと腕をこっちに頼む...そうそう」

 

 そんな板挟みのまま、何もしないでいるわけにもいかずキリトは片手直剣を振り上げた。

 一撃目、二擊目、三擊目。メイプルの開いたメインメニューで鎧の耐久値を示すバーが剣を振り下ろすたびに減っていく。

 

(誰か......誰か頼む)

 

 四擊目、五擊目、六擊目。

 

(誰でもいいんだ...誰でもいいから、早く......)

 

 やがて差し掛かった二十二擊目。キリトが横目でメイプルが開いていたメインメニューのウィンドウを確認すると、《闇夜ノ写》の耐久値は限界一歩手前まで削られていた。

 キリトの筋力パラメータでこのまま剣を振り下ろせばまず間違いなくこの一撃で耐久値はゼロを迎える。

 

(早く...俺を止めてくれ!!)

 

―――トン...トントン

 

 そんなキリトの念が通じたように、ひとつの光明が部屋の外へ通じる扉の向こうに見えた。

 

「誰か来たみたいですね?」

 

「ああ、そうみたいだな......」

 

 緊張の糸が切れて一瞬、膝から下が消えてなくなったかのように力が抜けて崩れ落ちかけたが、キリトはどうにか踏みとどまってドアの前に立つ。

 ノックは三回。それも一定ではなく不規則な叩き方で、それを聞くだけで相手がNPCや他のプレイヤーではなく、ある特定の人物であると理解できる。

 部屋の外を確認することもなくキリトはドアを開けるとやはり、想像した通りの人物がそこにいた。

 

「よう、キー坊。直接のやりとりは久しぶりだナ」

 

「アルゴ。そっちから訪ねてくるなんて珍しいじゃないか」

 

 いつも通りのやや冷めた語気で、けれども内心では両手の平を合わせて拝み込むかのように感謝しながら言った。

 十代半ばという年齢もあって長身とは言えないキリトだが、訪ねてきたプレイヤーはそれよりも頭一つ小さい。武器は小型のクローと投擲用の針だけといかにもすばしっこそうで、目深にかぶったフードの影から覗く両方の頬には特徴的な三本髭のようなペイントが施されていた。

 

「なに、要件はいつも通りオレっちの本業の話ダ。ただし今回用があるのはそこのお嬢さんだけどナ」

 

 メイプルに視線を向けて言うアルゴに、私に? といったように首をかしげるメイプル。用事がある心当たりなどないのはもちろん、それこそアルゴとは初対面のはずだった。

 

「アルゴさん...って、ああ! キリトさんが話してた情報屋さんの人!」

 

「どーも、情報屋さんだゾ」

 

 つい昨日の夜にアルゴの新聞を読んだばかりでまだ記憶に新しかったメイプルは、即座に目の前の人物がキリトが懇意にしている情報屋のアルゴであると結びつけた。

 しかし、本業の話ということはつまり、プレイヤーとしてではなく情報屋として話があるということだ。

 キリトに付いてクエストをこなし、モンスターと戦うことでメイプルもそれなりにコルの持ち合わせはあるが、アルゴが主に相手にしている攻略組や中層ギルドのプレイヤーに比べれば雀の涙ほどもない。アルゴがそうした事情も知っているのであれば、情報の価値はメイプルにあり、情報料の宛はキリトと言ったところだろう。

 

「情報か...内容と額によっては俺が買ってもいいけど」

 

 本音を言えば、このまま無条件にアルゴの情報を言い値で買い付けてしまってもいい衝動に駆られるキリトだが、相手が情報というものに対してどれだけ貪欲で狡猾なのかを知っている。ここでうっかり下手な事を口にしてしまえばたちまちつけ込まれることだろう。

 

「どうする? メイプル」

 

 ひとまずメイプルに伺い立てると、こくりと頷いて返してきた。

 

「私に関わることなんですよね? だったら何についてかだけでも聞いてみたいかなぁーと」

 

 キリトは咳払いを一つ挟んでから、アルゴに向き直る。

 

「というわけだ、どういう情報なんだ?」

 

 ニヤリ、と頬の両端を釣り上げてアルゴは笑う。すると、ゆっくりと持ち上げられた指先がメイプルに向いた。

 

「お前さんの連れているそこの初心者についての情報を買いたがってるやつがいる」

 

 

 




自粛に一花添える思いでバリバリ執筆してます(●ꉺωꉺ●)
アルゴ実はけっこう好きなんですよね〜
プログレッシブで君の圧倒的な性能に私は心奪われたw
この気持ち、まさに間ぁぁぁ!!

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19話 「アルゴとの取引」

 

 

 

 強力な装備や高いレベルがプレイヤーの強さに直結するように、情報の有無がプレイヤーの生死を分かつことも珍しくない。

 それこそゲーム開始時に数値的なステータスに差がない一般プレイヤーと元βテスターの間に隔絶があったのも、その情報量に差があったからにほかならないのだ。それだけこの世界では情報というものが時として一級装備以上に価値を光らせることもある。

 そんなこの世界で情報を商品に扱うアルゴが提示してきた内容は、メイプルに関しての情報を欲しがっているプレイヤーがいるという情報。金額はそのプレイヤーが口止め料としてアルゴに支払っている10万コルにプラス100コル。当然支払ったからといってすぐに情報が得られるわけではなく、キリトの支払額を当人に通知した上で口止め料を上乗せするかしないかという交渉に入り、そこからは大抵金額の競り合いが始まる。

 

「そのクライアントは俺じゃなくてメイプルの情報を欲しがってるのか......」

 

 ビーターの異名を持つキリトの情報を欲しがる連中は大勢いる。それこそ第1層攻略からしばらくはその手の話がいくつもアルゴからなされていた。

 普段ならまったく相手にしないことだが今回の場合、引き出そうとしている情報がキリトではなくメイプルであるという点が気がかりだった。

 

(どういうことだ...? そもそもメイプルの存在を知っているプレイヤーというだけでもかなり限られてくるが、わざわざ情報屋を使うほどのボロを出していたとも思えない。となると、まさかフィールドで戦っている時にメイプルのスキルを見られたのか? だとしたら相手は俺の索敵スキルを掻い潜るほどの隠密スキルを持ったプレイヤーということになる)

 

 いずれにしても、今キリトが得ている情報の範囲内でだけで考えても数える程しかプレイヤーをリストアップできない。だからこその高額な口止め料だと思うが、それは裏を返せばこちらにそれを悟られると不都合な事情があるとも考えることができる。

 

「オーケー、その情報を買うよ。先方に連絡してそれ以上積み返すか確認してくれ」

 

「わかっタ」

 

 アルゴは頷き、さすが情報屋といったところか、慣れた手つきでインスタントメッセージを高速タイプしていく。その僅か一分後、戻ってきたメッセージを見てアルゴは肩をすくめた。

 

「今返信があったゾ。口止め料を20万コルまで引き上げるそうダ」

 

「20万っ!?」

 

 異常なまでの金額の釣り上げにキリトは開いた口が塞がらなかった。

 100コルから1000コル程度の胃の痛くなるような積み上げ合戦を予想していたキリトだったが、その予想を大きく超えていきなり20万コルまで金額を引き上げられた。転移門のある中央街区付近さえ避ければ、下層にちょっとした家が買えるだろう。

 絶対にこちらの正体を掴ませないという依頼主の意思が現れているように思えた。恐らくこのままそれに付き合ってこちらが金額を上げたとしても先方は譲らないだろう。

 

「どーするキー坊? オレっちとしてはこのまま泥沼化してくれた方が嬉しいけどナ」

 

「うーん......」

 

 キリトとしてはメイプルの情報についてそこまでする相手を把握しておきたいところだったが、今はボス戦を控えている身だ。こんなことに数万単位での情報のつかみ合いなどしていたらあっという間に手持ちがすっからかんになってしまう。

 

「...ホールドアップで」

 

「なんダ、張り合いがないナ。おねーさんはがっかりだゾ」

 

 両手のひらを上に向けながら、やれやれといった様子で肩をすくめてみせるアルゴ。

 

「そりゃお前は口止め料が上乗せされて儲かるかもしれないけど、いきなりベット10万だぞ?」

 

「わかったわかっタ。とりあえず上乗せに応じなかった旨を相手方に通知しておくゾ。こっちも面白い情報を得られたことだしナ」

 

「情報?」

 

 新しいおもちゃを手にした子どものような笑みを隠すように、フードの裾を引いて踵を返す。

 

「《黒の剣士キリトは宿屋に女性プレイヤーを連れ込むような男》だって情報ダ。きちんと裏の取れた情報を得られた上に口止め料も増えて万々歳ダナ」

 

「なっ!? ちょっと待て! お前それをどこに売る気だよ!」

 

 そう言ってキリトがアルゴの服の袖に手を伸ばすより数瞬早く、フード付きのローブを翻すとAGI極振りのスピードをフルに活かして走り出していった。すぐそばにあった玄関の窓に身を乗り出したアルゴはそのまま真正面の建物に乗り移り、ものの数秒で夜の街の薄暗闇に溶けて見えなくなる。

 呆気にとられるキリトを残して。正確にはアルゴの言葉に今の状況を意識して赤面し始めたメイプルの二人を残してだ。

 

「......あの、メイプルさん?」

 

「ひゃ、ひゃぃ...!」

 

 おおよそ予想していた通りのリアクションで返すメイプルに、キリトは若干の頭痛を覚えた。

 

「俺、そろそろ寝るから......メイプルも自分の部屋に戻って休んでくれ。明日は三十層でレベリングだ。ゲームの中とは言え睡眠はしっかりとったほうがいい」

 

「はい......」

 

 そう言って椅子から立ち上がったメイプルの動きはまるで油の切れたロボットのようで、絵に書いたようにぎこちない。それこそ右手と右足が同時に前に出るような有様で部屋の外に出ていく。やがてドアが閉じられ、その後ろ姿が見えなくなるのを見届けると、キリトは胸中でそっと呟いた。

 

(もう、言えないだろ......)

 

 キリトは膝をついて両手で顔を覆った。

 

「インナー装備が外れてるなんて言えない!」

 

 口を突いて出たキリトの言葉はシステムによって叫び声(シャウト)と判定されたのか、閉じられた部屋のドアを突き抜けて外のメイプルの耳にも入ることになった。

 

 




もうちょっと番外っぽい話書いたら攻略戦突入します(●ꉺωꉺ●)
次週、『火災保険の入り方』


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20話 「パワーレベリング」

早くキリトとメイプル引っ付けたい......
ホントは戦闘描写よりラブラブしてるとこ書くほうが得意やねん
でもさ、引っ付いたあとだと書けないシーンてあるやん?



 

 

 第三十層迷宮区。

 キリトとメイプルはレベリングの帰り道をほとんど無言のまま歩いていた。

 つい最近、それこそものの数日前まで第一層の街近くのフィールドでモンスターを狩っていたことを考えれば驚くほどの踏破速度。SAO史上これほどのペースでレベルを上げたプレイヤーはまずいないことだろう。それを可能にするのはメイプルが持つ圧倒的なVIT値というより、トッププレイヤーであるキリトのアシストによるところが大きかった。 

 

「索敵スキルに反応だ。この先でモンスターが一体」

 

「...はいっ」

 

 裏返ったような声で返事をするメイプル。

 やがて通路を道なりに進むと、少し離れた場所で曲剣とバックラーを装備したリザードマンがキリトたちに背を向けていた。 

 どうやらこちらには気づいていない様子で、キリトは剣を抜くとソードスキル《スラント》を発動して背中目掛けて斬りかかる。

 

「......っ!」

 

 右肩から左の脇腹を繋ぐようにダメージエフェクトが入る。真紅に近い切り口の色が背面攻撃によるクリティカルヒットを示していた。

 そのままリザードマンは短くうめき声を上げて光を散らせる。

 

「......」

 

 無言のまま剣を鞘に納めるキリト。敵の数や、フィールドの状況に違いはあれど、似たような会話内容を繰り返しながら半日近く迷宮区に潜り続けていた。

 

「......」

 

 一連の索敵、戦闘をこれまたうつむき加減に見届けるメイプル。

 パーティ設定で得た経験値を自動均等割にすれば、たとえ戦闘に参加せずひたすら守りに徹していても、同パーティのキリトがモンスターを倒す度にメイプルにも経験値が振り分けられる。

 いわゆる、“パワーレベリング”と呼ばれる方法だ。

 レベル14だったメイプルに対して敵モンスターのレベルは軽く40を超える。本来ならメイプルと同レベルのプレイヤーがフルレイド四十八人で挑んでも敵わない相手だが、キリトからすればソードスキル一撃で事足りてしまう。

 これによって通常の攻略ではありえないほどの経験値がメイプルに注ぎ込まれ、戦闘の度にレベルアップを伝えるシステムメッセージがまさに雨あられ。

 そして迷宮区最上階のボス部屋の前まで到達する頃にはメイプルのレベルは35にまでなっていた。

 

「......」

 

「......」

 

 しかし、それほどの急成長を遂げてもキリトの表情は曇っていた。それはレベルが上がった本人であるメイプルも同様で、どこかこれまでにはなかった余所余所しさがある。

 その原因は簡単。昨晩のやりとりが尾を引いていたのである。しかし二人の思うところにはある種の食い違いがあった。

 

(どうする? インナー装備の件、やっぱ謝ったほうがいいのか? でも本人が話題に出さない限り話を蒸し返すのもよくないよなぁ......)

 

 と、考えるキリト。

 

(ゲームの中とはいえ、男の人の部屋に居座っちゃったり。アルゴさんに言われて気がついたけど...ううっ、恥ずかしいよぉ) 

 

 と、考えるメイプル。

 どうやらキリトの言葉で装備設定にミスがあったことには気がついたが、インナー未装備=防具破壊で下着姿。という図式にまでは思考が至らなかったようだ。

 ただし、去り際にアルゴの残した言葉にはなかなか堪えるものがあったのだろう。キリトとは全く違った理由でメイプルは身を縮めていた。

 

「なあ、メイプル」

 

「ひゃぃ...コホン、はい」

 

「その、俺が言うのもなんだけどさ。さすがにここまで距離感があるとレベリングに差し支えるというか、ボス戦も近いことだし―――」

 

 その瞬間だった。突然メイプルの背後でコボルトが複数体リポップすると、ほとんど反応するまもなく奇襲されたのだ。

 急にキリトに話しかけられた直後で固くなっていたせいか、それともこれまでになかった形で唐突に始まった戦闘でパニックだったのだろう。気が付けばメイプルは闇雲に《新月》を抜き放って叫んでいた。

 

「《ヒドラ》!」

 

「待て! こんな狭いところでそれを使ったら」

 

 状態異常ではなく精神的な意味で混乱していたメイプル。

 その思考回路を反映したように三つの首はうねり荒くれて、迷宮区の天井や壁に頭を衝突させては周囲に毒液を撒き散らした。

 ここが仮にスペースの広い草原や樹海などのフィールドであればさしあたって問題はなかったのかもしれないが、ここは迷宮区。縦に伸びた道は狭く、流れ出た毒液は左右の壁に挟まれてあっという間に通路を毒色に染め上げた。

 

「言わんこっちゃない。メイプルっ! こっちに手を伸ばすんだ!」

 

「うわわっ...!」

 

 膝に近い高さまで水位がせり上がり、流れていくさまはちょっとした川のようだった。

 メイプルは《新月》を納刀してキリトに向かって伸ばしたが、紫色の水流に足を取られるとその手をそのまま通路の壁に付いた。その瞬間、壁に掘られていた幾何学的な模様の溝に光が灯ると、岩を引きずるような音を立てて道が開く。

 

「ええっ! 急に開いた!?」

 

 メイプルが声を上げる。通路に満ち満ちていた毒液が突如として現れた空洞へと向かってメイプルもろとも流れ込んでいった。

 

「す、ストレングスが足りなくて流れに逆らえないよぉ〜っ。キリトさん助けてぇぇ!」

 

「助けるもなにも自分のスキルだろ。解除できないのか?」

 

「《ヒドラ》の本体は操れるんですけど、吐いた毒液は自由に消したりできないんです〜!」

 

 キリトは床に片手直剣を突き刺して踏ん張る一方で、メイプルは毒液の川に流されてどんどんキリトから遠ざかってしまっている。たとえバイタリティが卓越していても、その他のステータスは正真正銘ゼロなのだ。

 

「くっ...こんな状況で《転移結晶》を使えなんて言ってもメイプルは対応できないよな」

 

 キリトは覚悟を決めると、突き立てていた刃を引き抜いて隠し通路に飛び込んだ。

 そう、キリトは覚悟を決めたのだ。

 ここから先はまったくの未知の領域。そこへ足を踏み入れることはこれまでメイプルと行ってきたレベリング探索の域を超えた紛れもない迷宮攻略なのだ。どんな罠があるのかもわからず、またどんなモンスターがいるのかもわからない。

 そんな場所であろうと、必ずメイプルを守る覚悟を。

 




評価、感想等
オネシャーッス!!

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21話 「迷宮区の隠しクエスト」

ニヤニヤニヤニヤ(●ꉺωꉺ●)
なんかですねー
この前来た感想が嬉しくってねー
そのおかげで

―――〝筆が乗った〟―――


 

 

 薄明かりで照らされたそこは、一見これまで歩いてきた迷宮区と変わらない道に見えた。やや暗く感じるのは隠し通路だからというより、毒液から立ち上る瘴気が狭い空間に充満しているせいだろうとキリトは思った。

 メイプルがうっかり手を突いたことで開いてしまった扉は閉められていて、キリトが触れてみても反応はない。恐らく他に出口があるのか、なんらかのキーアイテムが必要なのかはわからないが、取れる選択肢は前に進む以外にないようだ。

 

「バッドステータスの心配はいらないだろうけど、無事か?」

 

「ううぅ、流されたせいでちょっと気持ちが......」

 

 そこまで言いかけたときメイプルの押さえた口元から、うっぷ、という声が漏れる。流されたこともそうだが紫色の濁流が足元を流れる様子はお世辞にも気分のいいものとは言えない。

 

「とにかく、こんなとこにずっといても仕方ない。毒液が届かないところまで進んでみてから休憩しよう」

 

 そう言ってキリトは通路の先へと進み始める。

 異様なほどに狭い通路は一本道で、人が二人並べば埋まってしまうほどに狭い。短剣のメイプルはともかく片手直剣のキリトが横に剣を振りかぶれば壁に衝突してしまうほどだ。

 しかし短剣でもない限り戦闘困難なほど狭いとなると、逆にモンスターのポップが設定されているとも思えない。キリトの片手直剣も武器カテゴリの中ではリーチの短い部類に入るのだが、それですらも戦闘に窮するほど狭いのだ。

 少なくともいきなりモンスターの群れに囲まれる心配はないように思えた。

 

「この通路で戦闘はないだろうけど、罠の類はあるかもしれない。気をつけて進もう」

 

「すみません」

 

「......え?」

 

 予想だにしていなかったメイプルの一言にキリトは足を止めて振り返った。

 

「私のせいでこんな......いえ、そもそも今日一日変に緊張しちゃって...いっぱいミスしちゃってて」

 

 キリトはメイプルの頭にポンと手を置いた。

 

「いくらレベルが上がってバイタリティが高くなっても初心者には変わりないんだ。言ったろ? プレイヤースキルは重要だって。今回はボス戦があるからこういう方法を取っているけど、本当ならこの層にメイプルを連れて行こうと思ったら一ヶ月は様子を見るところだ。それを技術が伴っていないのを承知で、俺は無理に連れてきている」

 

 キリトに手を乗せられて、初めは萎縮していた身体も徐々に和らいで、メイプルは気持ちよさそうに目を閉じる。それを機に、ゆっくりとその頭を撫でていく。

 

「あぅ......」

 

 キリトの手の動きに合わせてメイプルの頭がわずかに左右に揺れる。

 ときどき寝言のような声が漏れて、うつむきながらもほのかに嬉しそうな様子で顔を綻ばせた。

 

「むしろよく頑張ってついてこれたな。エライぞ」

 

 身長差のほとんどないメイプルの頭を慣れない手つきで左右に撫でる。キリトが現実にいた頃の、妹の直葉にそうするようにとはいかなかったが、それでもキリトの思っていることを伝えるには十分だった。

 

「それに考えようによっては俺たちはラッキーなんじゃないか?」

 

「...え?」

 

 今度はメイプルが聞き返す番だった。

 

「俺の知る限り、この階層の迷宮区にこんな隠し部屋があるだなんて情報はアルゴのところにはなかった。この先が効率のいいクエストや狩場につながってくるなら独占しようとする奴もいるかもしれないけど、三十層のボス攻略前に徹底的に捜索されても噂ひとつなかったんだ。もしかしたらここは未踏破エリア、まだ誰も来たことがない手つかずのダンジョンかもしれない。当然それならレアなアイテムや装備が眠っている可能性だってある」

 

 キリトはメイプルに笑いかけた。

 

「むしろ、メイプルのお手柄じゃないか」

 

 そう言って歩き出すと、いつのまにか二人の間に流れていた微妙な気まずさは消えていた。メイプルはようやく普段の調子を取り戻すと、自分の両頬をペちんと叩いて喝を入れた。

 

「よーし! そうと決まったら、探索頑張りましょう!」

 

「...プスッ、はははははっ!」

 

 キリトは堪えきれないといった様子で笑う。

 そしてスクリーンショットでメイプルの顔を撮影すると、ウィンドウを横にスライドしてメイプルに見えるように位置を調節する。強く叩きすぎて発生したダメージエフェクトが真っ赤な手形になってメイプルの顔に張り付いていた。

 

「くくくっ...よし、じゃあ先に進もうか」

 

「ちょ、ちょっとキリトさんっ! これどうすればいいんですか?」

 

「しばらくしたら消えるさ。それより、先に進もうぜ。どんなモンスターがいるかわからないけど、それと同時にどんなアイテムがあるかもわからない」

 

 ワクワクした様子で通路の先を目指すキリト。そのあとをやや遅れてメイプルがついて行く。

 道は一本しかないのでわざわざ手間をかけてマッピングする必要もない。ただし用心のため武器は鞘から抜いたまま、奥へと進んでいくとそこには鉄扉が一つ。

 重々しい扉を開けると、そこそこ広いスペースがあり一気に視界が開けるが、それ以上にキリトは目に映った光景に息を呑んだ。

 

「どうしたんですか?」

 

 キリトの肩ごしにその空間を見るとメイプルも同じく言葉を失った。

 大勢の武装した人々があちこちで散らばるようにして座り込んでいる。見るからに疲弊、というより負傷しているのだろう。腕に革布で当木を巻いているだけの軽傷者から、全身に巻かれた包帯に血が滲み、今にも死にそうな重傷者まで、ざっとその数20人。

 

「た、大変! 早く治療しないとっ!」

 

 飛び出していきそうなメイプルを手で制して、キリトは静かに一言告げた。

 

「一般のプレイヤーじゃない。ここにいるのは全員、NPCだ」

 

「NPC...?」

 

 中央にいたリーダーと思しき屈強な戦士の頭上にクエスト発生を示す《!》のマークを見つけたキリトは即座にそう断言した。おそらくここはなんらかのイベントの開始地点なのだろう。

 

「ノンプレイヤーキャラクターの略だよ。メイプルも街にいるとき見たことあるだろ? あらかじめシステムに決められたアルゴリズムで行動する、本当の意味でのこの世界の住人だ」

 

「ノンプレイヤー...宿とかお店の店員さんと同じってことですか?」

 

「そういうこと。どうする?」

 

 それが、クエストを受けてみるか? という問いであることはすぐにわかった。

 イベント内容を聞いてから受諾か否かを選択できるクエストが大半だが、中にはイベントに遭遇した瞬間、そのまま戦闘に入るようなものも少なからずある。とくにダンジョン内のような圏外でのクエスト受諾にはそういったリスクは特に考慮しなければならない。

 メイプルは静かに頷いた。

 

「受けてみましょう。せっかく見つけた隠し部屋ですから」

 

「わかった。じゃあ任せてくれ」

 

 キリトはリーダーと思われるNPCに近づいた。

 

「あんたたち、一体どうしたんだ?」

 

 その言葉にシステムは反応して男の視線がキリトに注がれる。

 

「俺はレジスタンスのリーダー、ガナードだ。この迷宮の最奥にいる魔物の討伐に来たんだが、ごらんの有様だよ。仲間もかなりの数がやられてしまった」

 

 “最奥にいる魔物”その言葉にキリトの背筋に緊張が走った。

 




あと評価1件で60人
待ってます〜

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22話 「ガラクタの神様」

もーみんなサリー好きすぎかよ(●ꉺωꉺ●)
出すしかないやんあんだけ感想で言われたら〜
というわけでサリー出します。決定。


 

 

「半時前のことだ。俺たちはこの迷宮の最上階にいる魔物に挑み、あっけなく敗れた。そのとき、しんがりに隊員を二人、最奥の部屋に置いてきてしまったんだ。頼む! 今ならまだ間に合うかも知れない! 俺の代わりにあいつらを助けてやって欲しい!」

 

 そう言うと、男の頭上で《!》マークが《?》マークに切り替わり、視界にクエスト受領ログが流れた。

 どうやらすぐさま戦闘、というわけではなかったらしい。そっと息を吐くキリトの服の裾をメイプルは軽く引っ張った。

 

「最奥にいる魔物って...この階層のフロアボスのことでしょうか?」

 

「話を聞く分にはそうだ。もっともこの層の攻略はとっくに終わって、ボス部屋に行ってもモンスターのポップはないけどな」

 

 SAOにおけるフロアボスというのは雑魚モンスターと違い、時間経過でリポップすることはない。一度倒されて次の層へのアクティベートが済めばその時点でボス部屋は永久にもぬけの殻だ。

 ということはフロアボスを倒されてクエストのクリア条件が満たされた今、もう一度話しかければ成功報酬を得られるかと思ったが、どうやらそう簡単なことでもないようだ。

 

「残してきた隊員は二人だ。頼む! あいつらを助けてやってくれ!」

 

 再度話しかけたとき男が言ったこの言葉から考えると、どうやらクエストは今なお進行中ということだ。

 

「もしかしたらボス部屋でこいつらの残してきた隊員と合流して、ここに連れてくるまでがクエストなのか?」

 

 顎に手を当てて考え込むような仕草でキリトは迷宮の天井を仰いだ。

 だとしたらそんなに面倒なクエストじゃない。ボスは既に倒されているのだから戦闘になることはないだろうし、ボス部屋もここから一つ上の階だ。来た道を逆戻りすることにはなるが、ちょっとしたおつかい系クエストだと考えれば大してロスもない。

 

「とりあえず、上の階のボス部屋まで行ってみませんか? そしたらなにかわかるかも」

 

「そうだな」

 

 

 

 

 

 

 レジスタンスの野営地を後にした二人は最上階に続く階段を登っていた。一度通った道ということもあって、スムーズに進行は進み、やがてボス部屋の前へとたどり着く。

 

「ここですね〜。ええーっと中は......」

 

「っ!? 待てメイプル!」

 

 キリトはボス部屋に手をかけようとしたメイプルの首根っこを掴んで引き寄せた。

 驚くメイプルに構わず、キリトはある一点に視線を向けていた。それに釣られてメイプルもキリトの視線の先を見やる。そこには門を照らす燭台があるだけで特に変わった様子もない。しかしそれこそがキリトの感じた異常だった。

 

「見てくれ。門の左右にある燭台に火がついてる。ここの火はボスモンスターが討伐されると消えるんだ。つまり」

 

 メイプルはゴクリと息を呑んだ。

 それはつまり、倒したはずのボスモンスターがこの先にいるということだ。

 

(三十層とはいえ、フロアボス...今まで戦ってきたモンスターとは違う)

 

 大盾を握る手に力がこもった。

 しかし次に戦うフロアボスはここより遥か上層だ。当然こことは比べ物にならないほど強力な相手。だとしたら、三十層のボスモンスター相手に尻込みしてはいられない。

 

「...行きましょう! 」

 

 そういうメイプルにキリトは躊躇いながらも頷いた。

 本来はレイド、複数のパーティが合同でチームを組んで挑むことが前提になっているため、ボスモンスターはその層にいる他のモンスターとは比べ物にならないほどのステータス設定がなされている。

 最大限安全策を取るなら十二パーティ、計四十八人のフルレイドで挑むのが当然の相手で、少なくともワンパーティの上限にすら届かないキリトとメイプルの二人で戦うようなモンスターではなかった。

 

(けど、メイプルのVIT値は当時の攻略組よりも圧倒的に高いし、俺もいる。万が一の時は俺がタゲ取りしてメイプルが転移するまでの時間を稼げばいいだけだ。よし!)

 

 キリトは大きく息を吸うと、メイプルを見る。

 

「行こうぜ! 四十九層ボス戦の前練習だ」

 

 そう言ってキリトはボス部屋に通じる扉に手をかけた。

 

 

 

 

 

 

 攻略後はフロア全体が見渡せるほどに明るく照らされていたこの部屋も、主が戻ったことで今は薄闇が部屋全体をくまなく覆っている。

 プレイヤーの存在を察知して左右の壁にくくりつけられていた粗雑な松明が、ぼうっと音を立てて火を灯し、次々と部屋の奥に向かってその数を増やしていく。

 

(ボス戦独特のこの演出、やっぱりフロアボスが復活しているのか...)

 

 やがて部屋の奥の玉座までもが松明の明かりに照らされると、そこに座すボスモンスターの姿が顕になった。

 金色が鈍く濁ったような古びた金属の身体に、腹部には半透明の球体が上半身と下半身を繋げるように埋め込まれている。

 

「我ハ王...カツテノ王、淘汰サレタモノ......」

 

 ノイズの混じった機械音声でそれだけを告げると、ボスはフリーズした。

 

「すごい...! フロアボスってしゃべるんだ。頭良いんですね」

 

「いや、演出として咆えるようなことはあっても人の言葉を話すモンスターなんていない。というか、こんなボス見たことないぞ?」

 

「え?」

 

 キリトの語気には明らかな焦りの色が滲んでいた。

 

「この層のボスはカタナカテゴリのソードスキルを使うサムライ系のモンスターだったはずだ。俺も攻略に加わっていたから間違いない。なのにこいつは......」

 

 一度動きを止めたかに思えたが、それも数秒のことだった。再び瞳に電子的な光を取り戻したボスモンスターは再起動すると同時にコアと思われる球体の部品から青く強い光を放つ。すると周囲に散らばっていたネジやら歯車やらが同じように青い光はまとったかと思うと、ボスのコアに吸い寄せられていった。

 

「我ハガラクタノ王...ゴミノ中デ眠ルモノ。夢モ奇跡モ、ガラクタニ」

 

 そんな音声を発すると重たげに持ち上げられた腕の先がメイプルの方に向いた。

 

(まずい!)

 

 その行動は状況から判断したというより、ゲーマーとしてのキリトの直感によるものだった。

 メイプルの目の前に素早く立ったキリトは片手剣を抜き放ちソードスキルを発動する。それとほぼ時を同じくしてボスの拳からビーム状の光が一直線に放たれた。

 

「はぁあああああっ!」

 

 防御系ソードスキル《スピニングシールド》。

 ライトエフェクトを発したキリトの剣にビームが衝突すると、その点を軸にビームがY字に裂けて後方へ通り過ぎていく。高温の熱線にえぐられた床のタイルがアイスのように溶けた。

 

 

 




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23話 「授けられた歯車」

Twitter始めやした〜
前書きをツイートみたいな使い方してましたので(笑)
雪見なうとか、コロナぶっころなとか、
これからはもっと普通に書きます(●ꉺωꉺ●)


 

 

 ボスモンスターのHPゲージの上には《機械神》の文字。それだけでこのモンスターがSAO世界のモンスターでないことがわかる。

 プレイヤーネームを含め、アルファベット表記が基本のSAOではまずありえない名前だ。

 

(ってことは...《ヒドラ》と同じでNWOのモンスターか。)

 

 だとしたらかなり厳しい相手だった。

 いくらメイプルがレベルアップしているとはいえ、キリトが剣の手応えから感じたモンスターのステータスは以前戦った《ヒドラ》とは明らかに質が違う。

 相当数のプレイヤーが束になってかかることが前提となる、ボスモンスター独特の攻撃力とHP量だった。

 

「タゲは引き受ける。少しずつでも隙を見て攻撃してくれ」

 

 キリトはソードスキルの《ソニックリープ》を発動。背中すれすれまで振りかぶった剣がライトエフェクトを帯びると、システムアシストによる加速を伴って駆ける。

 

「せあああああっ!」

 

 《機械神》の腕部目掛けて剣を振り下ろした瞬間、その装甲がまるで武器同士を激突させたかのような甲高い音を響かせた。

 あまりの硬さに攻撃を加えたキリトの方が弾かれんばかりにその場から仰け反る。

 

(ぐっ...なんだよこの硬さは!?)

 

「キリトさん!」

 

 剣を弾かれてガラ空きになったキリトに向かって《機械神》が拳を振り上げる。

 

「《カバームーブ》!」

 

 スキルの効果によって一瞬にしてキリトと《機械神》の間に潜り込むとメイプルは大盾で拳による一撃を受け止めた。

 

「せいやぁぁぁ!」

 

 つかさずカウンターの一突き。しかしメイプルの攻撃ではまるで刃が立たない。超硬度の装甲に遮られて、そもそもダメージが通らないのだ。

 そしてキリトの攻撃も《ヒドラ》のときと同様、ダメージはなかった。違いがあるとすれば各部位の装甲板の硬度設定だろう。キリトが感じた《機械神》の硬さはまさしく破壊不能オブジェクト一歩手前。

 これではキリトがボスのヘイトを集められるかどうかも怪しい。

 

「どうすれば...? どこか弱点とかないのかなぁ」

 

「弱点か...まあ、普通に考えればあれだろうな」

 

 一度距離を取ると、キリトは胴体に埋め込まれた球体を見た。

 見るからにコアか、あるいは動力源といった類のもの。その他の装甲は鉄のように硬いが、剥き出しになったあの一点になら攻撃が通るかもしれない。

 

「どうにかして俺がタゲを取る。メイプルは俺が《機械神》の攻撃を受け切ったあと、カバームーブを使って即座にスイッチしてくれ。狙いは胴体だ」

 

「わ、わかりました...!」

 

 そうメイプルが返事するのを待たず、キリトは左側面に回り込むようにして駆けた。ロングコートの裏地からピックを取り出すと、胴体目掛けて投擲する。

 牽制にもならない、少しでもキリトにヘイトを向けるための苦し紛れに近い攻撃だ。

 

(タゲはメイプルに向いたままか...だったらこいつでどうだ!)

 

 キリトは距離を詰めた。

 剣が再びライトエフェクトを帯びると四連擊ソードスキル、《ホリゾンタルスクエア》を放つ。《機械神》の豪腕をくぐり抜けるように水平の斬撃が胴体の前後左右を斬り結び、四角い軌跡を描いた。

 

「......っ!」

 

 《破壊不能オブジェクト》の文字がキリトの視界の端に映る。しかし黒い真珠のような《機械王》の瞳が確かにキリトの方へと向いた。

 ダメージはなくとも、装甲の硬度にキリトのソードスキルが勝り、それが攻撃とみなされてヘイトが溜まったのだ。

 

「通った...!」

 

 キリトにタゲを向けた《機械神》は両手を組むとハンマーのように上段から振り下ろす。それをキリトは頭上で地面と平行に剣を構えて受け止めた。

 攻撃の衝突音とともに貫通ダメージがキリトを蝕むが、この距離ならメイプルの刃は届く。

 

「今だ!」

 

「《カバームーブ》!」

 

 キリトの目の前に瞬時に移動すると同時に、メイプルの突きが《機械神》の胴体に突き刺さる。しかしそれも矛先の数センチが球体にくい込むだけで、攻撃としてはあまりにも浅かった。

 

「うぬ〜...うぬぅ〜〜!」

 

 メイプルはその場で踏ん張ってどうにか《新月》の刃を押し込もうとするが、ヘイトは完全にメイプルに集中していて、タゲを向けた《機械神》の手のひらがゼロ距離から光を発する。

 

「うぅ〜ぬ、ぬぬぬ...! 《ヒドラ》!」

 

 攻撃が放たれる寸前、メイプルの叫びとともにわずかに通った剣先から紫色の光が漏れると、それが《機械神》の全身を余さず染め上げた。関節や排熱構などの僅かなパーツの隙間から毒液が吹き出し、ビームによる攻撃は半ば強制的にキャンセルされる。

 

「どうだー!」

 

 《新月》を引き抜き、メイプルはバックステップで距離を取る。

 力尽きたように膝をつく《機械神》。

 しかしまだ倒せてはいないようだった。ポリゴンになって散ることもなく機能停止した《機械神》は瞳に《ヒドラ》の毒液が放つそれとは異なる、紫色の光を点滅させている。

 

「ワズカニ意識ガ戻ッタ今、託ス。勇敢ナ者ヨ」

 

 ノイズにスパーク音が入り混じった音声で《機械神》はそう告げると、腹部の球体から一つの歯車が生成される。それが一直線に飛んでいくと避ける間もなくメイプルの胸に埋め込まれ、真紅の強い光を放った。

 

「我ノチカラデ...我ダッタコイツヲ......倒セ」

 

「え...?」

 

 それは攻撃ではなかった。

 メイプルの胸に埋め込まれた歯車はゆっくりと回転を始め、その輝きがひときわ強く瞬くと、メイプルの視界の端でスキル獲得を通知するシステムメッセージが表示された。

 

《機械神を取得しました》

 

「えぇ! ちょっと、これどうしたらいいの?」

 

「無駄ナコトヲ...」

 

 停止していた《機械神》から、先程までとは声色の違う機械音声が響く。すると全身から青白い光を発して《機械神》はその姿を変えた。

 細く洗練されたフォルムと白い装甲には以前のような無骨さはなく、その体躯はより人間の肉体に近いような曲線を描いていた。弱点だった胴体のコアはなく、全身の装甲の僅かな隙間から青いクリスタルのようなパーツが覗けて見える。

 それは誰の目にもわかるような、パワーアップだった。

 

 




ホリゾンタルスクエアとバーチカルスクエアの違いとは、
いったい......

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24話 「機械仕掛けの女神」

あと一人やねん!
あと一人で評価者80人行くねん!
ばじるしゅ!!


「気をつけろ...来るぞ!」

 

 開戦直後と同じ、腕から発した光がビームとなってメイプルに放たれる。つかさずキリトは《スピニングシールド》で弾き返そうとしたが、その手応えに驚愕した。

 

(最初の一撃よりも...重い!)

 

 受け止めきれずにノックバックしたキリトは背後にいたメイプルを巻き込んで転倒した。

 

「あいたた...大丈夫ですか?」

 

「ああ、だけど今までとパワーが段違いだ。この様子じゃあ防御力だけはそのまま、なんて期待はできないだろうな。当然そっちも上がってる」

 

 ただでさえ、コア以外の装甲への攻撃ではまるで効果が無かったのだ。その弱点がなくなっただけでも、正直打つ手はない。しかしそれでも、いや、だからこそだろうか。この理不尽なステータス設定にキリトはある可能性のひとつを疑った。

 

「ここまで無茶苦茶な防御力となると普通に戦う以外になにか討伐のキーになるアイテムがあることを疑うレベルだけど......っ! メイプル、さっきの歯車はどうなった?」

 

「は、はい。あのあとすぐに新しいスキルが解放したみたいでした」

 

 そのとき、《機械神》の手から青い光がほとばしった。

 その攻撃を防御しきれないことはさっき自身の剣で直接受けてみてわかっていた。キリトはメイプルを抱えると横っ飛びに退いた。

 さっきまで二人がいた空間を極太のレーザーが通りすぎていき、飛び散った床の破片を雨のように受けながら二人は柱の物陰に転がり込む。

 

「スキル開放のタイミングを考えると、鍵はそれだ。おそらくあのボスモンスターのステータスはそのスキルを使って戦うことを前提に設定されているんだ! 普通じゃあり得ないような防御力もそれで説明がつく!」

 

「でもこれ......説明読んでみると、今までのスキルなんかよりよっぽど強力みたいですよ。使っちゃっても大丈夫なんですか?」

 

「そもそも、それだけ強力なスキルじゃないと倒せない相手だってことだ。どのみちあいつにダメージを与えることができるのはメイプルしかいない。俺もそばでサポートする。使ってくれ!」

 

「...っ! わかりました!」

 

 メイプルは胸にそっと手を当てて、念じるように叫んだ。

 瞬間、胸元に歯車が浮かび上がると、ライトエフェクトがメイプルを包み込んだ。

 

「《機械神》!」

 

 歯車から発せられた真紅の光はボス部屋の天と地を結ぶ柱のように伸び、広がった波紋が砂埃を巻き上げて地面を撫でる。

 光の中では黒い機械的な装甲が次々とメイプルを包み込み、胸元のフロントアーマーには防具と同じ、薔薇の装飾が施された装甲板。そこから腹部にかけて大小様々な歯車が回転している。

 背部のメイン推進エンジンを内蔵したウィングユニットからは左右二門のキャノン砲がメイプルの頭を挟み込むように砲身を伸ばし、隣接したエアダクトからは排気と同時に真紅のプラズマが散っていた。

 そして光の中を切り裂くように黒い刀身の一薙ぎと突き出された巨大な砲身が周囲に纏っていたライトエフェクトを霧散させ、メイプルの纏った《機械神》の装甲、武装のすべてが顕になる。

 

「って......なんなのこれぇぇぇぇーっ!」

 

 メイプルが自分の全身にまとわったそれに驚愕していると、構うことなくボスの《機械神》が砲撃を開始する。

 

「うわわわーっ!」

 

 どうにかして避けようと背部のウィングユニットに意識を集中させると、内蔵された小型スラスター群が火を噴き、稼働した左右三対の翼が飛行方向に合わせて自動で角度を調節。そのままスクリュー状に旋回しながら天井近くまで上昇すると、脚部の装甲と一体となった姿勢維持用のバーニアスラスターに切り替わり、上空で停止した。

 

「嘘だろ...これがスキルなのか?」

 

 そんな言葉がキリトの口からこぼれる。

 メイプルの話によればNWOとはSAOに似たよくあるファンタジー系のゲームだったはずだが、メイプルが身に纏う機械的な装備はSF系のゲームで目にするようなパワードスーツとしか言えないようなものだった。

 《機械神》は飛翔したメイプルを追撃するように飛び上がり、再び手の平で青いプラズマが光る。それはこれまでの横長のビームではなく、球体の形を模した攻撃。それが計八発、メイプルに向かって投げつけるように発射される。

 

「......にひひ〜」

 

 メイプルの頬に笑みが浮かんだ。同時にプラズマ球が全弾メイプルに命中する。

 爆炎とスパークが一瞬、その機体を包み込むが、晴れた煙のその奥では無傷のメイプルが悠然と飛行を続けていた。

 

「効かないよーだ!」

 

 メイプルは左右の武装を《機械神》に向けた。

 上空でメイプルの全砲門から赤い光が走ったかと思うと雷のような轟音とともにプラズマ砲が《機械神》に照射される。

 それを打ち消さんばかりに《機械神》の両手の平からも、これまでの比にならないほどのプラズマがメイプルに向かって走った。

 衝突した赤と青の稲妻は拮抗し、大気中の塵を焦がしながら蛇のようにうねりをあげる。

 

「いっけええええええ!!」

 

 メイプルの声とともに各武装の後部では排熱のためのラジエーターフィンが勢いよく回転を始め、プレイヤーの運動命令に呼応するように口径は広く、またプラズマの光は強くなっていく。

 やがて紅い雷光は《機械神》の全身を包み込み、跡形もなく消し去った。

 

「ふう〜勝ったぁ......」

 

 メイプルはゆっくりと高度を下げて地面に降り立つと辺りを見渡した。その目の動きに合わせて照準用のバイザーがヘッドセットに収納される。

 ボス部屋一帯は激戦によってあちこちの壁に亀裂が走り、今にも崩れ落ちそうなほど損壊していた。高温のプラズマの余波によって所々から火の手が上がって、飛び散ったスパークが床や壁にまで届いたのか、ジグザグの焦げたような跡がくっきりと残っている。

 そんな有様を砕けた柱の影に身を潜めて見ていたキリトはたった一言。

 

「チートだろこんなん......」

 

 かつてベータのチーターと呼ばれたキリトの口が、はっきりとそう口にしたのだった。

 

 

 

 




機動要塞デストロメイプルの誕生である......

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25話 「戦う女の子」

なろうでオリジナル描き始めました(●ꉺωꉺ●)
興味ある人挙手!!

《ホロゥハウス〜FPSアカウントで異世界IN〜》
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《死ぬ振り》第25話と同時投稿!!


 

 

 それは《機械神》討伐からしばらくしたある日のこと、メイプルを連れて街の露店を回っていたキリトは信じられないものを目にした。

 

「メイプルちゃーん!」

 

「わぁー! アスナ! 副団長のお仕事はもう平気なの?」

 

 なんてことはないはずのやり取りに 、ストレージをいじって購入したアイテムの整理をしていた手が止まる。

 街中で声をかけるなり駆け寄ってきたアスナは現実の年頃の女子同士がそうするように、メイプルの手に指を絡ませてはしゃいだ。メイプル自身もとくに驚くことでもない様子で同じくきゃっきゃと跳ねている。

 

「......」

 

 それを隣で見ていたキリトは言葉を失った。そこには攻略の鬼とまで呼ばれたアスナが見せる、あのレイピアのような鋭い態度は微塵も感じなかったのだ。

 

「なあ二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?」

 

 メイプル単体で見ればこの天真爛漫さはむしろ平常運行と言えたが、アスナに関しては初対面の段階でボス戦参加の話を交えていたこともあり、闘技場ではずいぶんと厳しい態度を取っていた印象だった。

 

「はい? 私たちは初めから仲良しですよ?」

 

(いやそんな馬鹿なっ!)

 

 そんなツッコミを口には出さず、心の中に留めるキリト。

 

「今日は一緒にレベル上げするって約束なんだよね~」

 

「ね~」

 

 そう言って、さも当然のようにメイプルを連れて立ち去るアスナをキリトは黙って見届けることしかできなかった。

 

「女の子って...わからないなぁ」

 

 

 

 

 

 

 散発的にポップするモンスターを相手にしながらフィールドを探索するメイプルとアスナ。レベル上げと言っても階層はメイプルのレベルに合わせて行っているのだから、アスナにとってはほとんど素材集めにしかならない。

 とはいえ、おそらく歳の近い同性プレイヤーとパーティを組んだのも久しぶりであろうアスナにしてみれば、そんなことは些細な問題だった。

 

「アスナっ! スイッチ!」

 

「了解!」

 

 ゴブリンジェネラルのソードスキルを弾いて後退したメイプルの脇を白い影が風を切ってすり抜けていく。闘技場で幾度となく見たアスナの《リニアー》がモンスターの喉元に炸裂すると無数のポリゴンになって散った。

 もちろんメイプルはNWOのスキルを一切使わない。大盾使いの基本的なスキルである《シールドアタック》ですら、この世界では異質なスキルなのだから、攻撃は完全にアスナに任せっきりになっていた。

 そうでなくても前衛特化のメイプルステータスでは自然とこうなっていたであろうが。

 

「ふぅー。やっぱりアスナの攻撃は早いなぁ。わたしはアジリティゼロだから足も遅くって」

 

「その分メイプルちゃんには高い防御力があるじゃない。むしろ守りに徹してくれた方が私も後衛としてある程度自由に動けるから、やりやすいよ」

 

 亜人系モンスターが多く生息している草原。階層が上がったせいか、第一層ではクエストボスにまでなっていたモンスターも普通にポップするが、それに怯んでいたのも最初の一戦だけだ。今はメイプルを壁役にスイッチしてアスナがソードスキルで仕留める。

 この一連の流れを繰り返してひたすらモンスターを狩っていた。

 

「ここら一帯はあらかた狩り尽くしちゃったかな。そろそろ安全地帯でお昼にしない?」

 

「賛成!」

 

 安全地帯とはフィールドの各所に設定されているモンスターの発生しない空間のことだ。

 アスナの視線の先には等間隔で設置された青い炎の松明が正方形を描くように点灯している。キリトとのレベル上げの途中で同じような区画で休息を取ったことのあるメイプルはそこがアスナの言う安全地帯だろうと理解した。

 それはちょうど大樹の下に位置していて、地面から伸びでた木の根っこが座るのにちょうどいい高さに伸びている。アスナは先に腰掛けたメイプルに並ぶようにして腰を下ろすと、昼食をストレージから取り出す。

 

「すごい! アスナのお弁当美味しそう!」

 

 メイプルはアスナの取り出したバスケットの中身を見るなり、感嘆の声を上げる。

 入っていたのは色鮮やかな具がたっぷりと挟まれたサンドイッチだった。

 SAOで取れる食材アイテムを使用しているせいか、見たこともないような極彩色の野菜や変わった形の肉を挟んである。

 現実とは見た目からして違うゲーム内の食事にまだ馴染みのないメイプルだったが、それでも素直に美味しそうだと思えるような見事な出来栄えだった

 

「ある程度《料理スキル》を上げていくと作れるようになるよ。今度一緒にレベル上げするときはメイプルちゃんの分も作ってきてあげようか?」

 

「ホントに? やったぁ!」

 

 対してメイプルが取り出したのは一個10コルの最安値の黒パン。苦味の中にうっすら小麦の甘みがしないでもないような微妙な代物は、はっきり言って美味しく食べられたものではない。だがメイプルはこれをスイーツの域にまで昇華させる術を知っている。

 

「それ、安いけどあんまり美味しくないでしょ。私もこのゲームが始まってすぐの頃はそればっかり食べてたけど」

 

「ふっふっふ〜。じゃじゃん!」

 

 メイプルはストレージから小さな素焼きの壷を取り出しすと、指先でタップ。淡い光がメイプルの人差し指に灯り、それを手元の黒パンに線を引くように擦りつけると濃厚なクリームが垂れ出た。

 そこから香る嗅覚再生エンジンの産物にアスナはどこか懐かしく思いを馳せた。

 

「それ...第一層の《逆襲の雌牛》?」

 

「そう! そこのクエスト報酬。このまえキリトさんと一緒に受けに行ったんだぁ。アスナも知ってたんだね!」

 

「私も初心者だった頃、キリトくんに教えてもらったのよ。他にもスイッチとかの必須技術もそうだし、泊まる場所の探し方なんかも。あのときはネットゲームなんて今までケータイのアプリをちょっと弄ったくらいしか経験なかったから、何をするにも要領が悪くていろいろ苦労してね」

 

「えっ!? アスナってここに来るまでゲームの経験なかったの?」

 

「そうだよ。そのせいでホントに大変だったんだから」

 

 アスナはそう言ってバスケットからサンドイッチを取り出すと口に頬張る。

 キリトのようにβテスターとしてVRの経験があったわけでもなく、ましてやMMOはおろかこれまでの人生でゲームというのもに無縁の人生を送ってきた。それがちょっとした気まぐれで兄の持っていたナーブギアを頭に装着して《リンクスタート》のボイスコマンドを口にしてしまったがために、アスナは今、ここにいる。

 

「最初の一ヶ月はがむしゃらというか、半分自暴自棄になって戦ってた。三、四日ずっとダンジョンに潜りっぱなしだったことも珍しくなかったし、回復系ポーションを持てるだけ持って、武器の耐久値がなくなったらストックしてる同じレイピアに持ち替えたりしながらずっと戦って」

 

 第一層の迷宮区攻略中、アスナは初期装備のアイアンレイピアを耐久値が限界を迎えるたびに使い捨てにしながらレベリングを続け、習得した細剣ソードスキル《リニアー》と自身の腕だけを頼りに、当時まだ誰も到達したことがない迷宮区の奥地までソロで到達した。

 初めてキリトに出会ったのもそのときだ。

 

「何日もダンジョンに...寝るときはどうしてたの?」

 

「安全地帯で寝てはいたよ? 熟睡はできなかったけど、街と迷宮区を行ったり来たりしてたら時間がかかっちゃうからね」 

 

「安全地帯って、ここみたいな?」 

 

 メイプルは改めて今自分がいる場所を見渡した。

 安全地帯から一歩外に出れば、そこは紛れもなくモンスターが闊歩する死と隣り合わせのフィールドだ。それこそ安全地帯に入ってこないだけで目の届く程度の距離にはモンスターがポップして時折鳴き声が聞こえてくる。今のようなちょっとした休憩ならまだしも、とても生活の拠点にできるような場所ではない。

 そんな環境で何日も自分を磨き続けていたのだ。

 

「......どうしてそんな無茶なことを?」

 

「あのときは、このゲームは絶対クリアできないって思ってたからよ」

 

 




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よろしくお願い致します(●ꉺωꉺ●)


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26話 「ビーター」

 

 

「あのときは、このゲームは絶対クリアできないって思ってたからよ」

 

「...え?」

 

 その言葉が攻略組を取りまとめるほどのプレイヤーであるアスナの口から出てきたのは、メイプルにとってあまりにも驚きだった。

 

「デスゲームが始まってから一ヶ月で一千人もプレイヤーが死んだ。それなのにまだ第一層のボスすら倒せてなかったんだもの。全員いつか死ぬなら遅いか早いかの違いだけ。だったら自分の培ってきた全身全霊を注いで戦い抜いて、力尽きて動けなくなったらそのまま倒れて死んじゃえばいいってね。本気で思ってた」

 

「な、なんか激しいね。アスナって」

 

 まるで燃え尽きる前の流星のような、強い輝きがあるのに刹那的な寂しさのある生き方だ。

 しかしメイプルの言葉にアスナは慌てたように両手を振った。

 

「もちろん今は違うよ!? SAOも半分近く攻略できて、今は死ぬ人もどんどん減ってきた。今は一日でも早く100層を攻略して現実世界に戻りたいって思ってるわ」

 

 それから一拍間を置くと、再びアスナの表情がかすかに悲壮めいたものに変わる。

 

「でも、あのときは違った。はじまりの街で死ぬことに怯えて待っているくらいなら、すべてをぶつけてこの世界と戦おうって思ったの。まあキリトくんには『そんな戦い方してたら死ぬぞ』って言われちゃったりもしたけど、でもそうすれば少なくとも過去の気まぐれを悔やんだり未来を惜しんだりしないで済むから」

 

 アスナだけではない。いつだって誰だって命懸けの戦いだ。そんな世界のもっとも危険な場所で戦うプレイヤーであればなおさら、アスナのようになにかしら思うところを持って最前線に身を投じている。

 ここはそういう世界で、自分たちはそういう世界に居るしかないのだから、そうするしかない。

 

「まあ、だからかな。そんな私にお説教しておいて、今のキリトくんは無茶なレベル上げばかりしてどういうつもりよって思ってたのだけどね。でもこの前キリトくんがメイプルちゃんを連れてホームに来たとき、少し安心したの。なんていうか、表情が柔らかくなったって言えばいいのかな。あのとき久しぶりに見たキリトくんの印象が初めて会ったときの印象に近かったの。ここ最近はもっと張り詰めた様子だったから」

 

「張り詰めてるって......昔のキリトさんは今みたいじゃなかったの?」

 

「えっ...ああ、そっか」

 

 アスナななにやら納得したように頷くと、メイプルに向き直る。

 

「メイプルちゃんは《ビーター》って言葉、知ってるかな?」

 

 その言葉にメイプルは引っかかる記憶があった。血盟騎士団のホームでキリトが門番のプレイヤーに声をかけたとき、門番の男がキリトに向かって確かにこう言ったのだ。

 《ビーター》と。

 

「うーん聞いたことはあるけど、そういうネット用語にはあんまり詳しくないからわからないなぁ。どういう意味なの?」

 

「ああ、うん。ネットスラングとはまた違うのだけれど......」

 

 珍しく歯切れの悪い答えを返すアスナ。

 メイプルの言葉を聞いたアスナは、キリトの過去について何も聞かされていないであろうことを悟った。しかしそれを自分の口から話してしまうことはなにか違うと思ったのだろう。未だサンドイッチの残ったバスケットをストレージにしまうと、座っていた大樹の根っこから立ち上がる。

 

「まあ、そういう個人のことは本人に聞くのがいいかな。あんまり人の過去のことを話しちゃうのもマナー違反だろうし」

 

 

 

 

 

 

《ビーター》、メイプルにとってまったく聞きなれない言葉だった。

 もちろんネットゲームですら初心者のメイプルには、そういった界隈で使われるスラングのようなものはたびたび耳にすることはあっても、意味までは理解できないことの方が圧倒的に多い。事実、門番の男の口から出た《ビーター》というのがまさにそれだ。

 普段ならよくわからないネットスラングのひとつ、と一括りにまとめて深く考えることもなく聞き流していたかもしれない。

 ところが、先日改めてアスナから改めてその単語を聞いたとき、それがキリトを知る上でなにか重要な言葉のように感じ始めた。

 思えば第一回目の攻略が失敗したという号外を目にして、数日ぶりに最前線の街について行ったときにも気づいたことがある。

 それはキリトと出会い、初めて街に来た時に感じたものと同じ違和感。奇妙な視線が変わらずあちこちから注がれていた。そのときは見るからに初心者のメイプルが最前線にいることが珍しかったからなのだと思っていたが、《黒薔薇ノ鎧》を纏ってなお、その視線は変わらなかった。

 さらに正確に言えばその視線の先にいたのはメイプルではなく、その正面を歩くキリトに向けられていたようにも思える。

 

「なるほど。それで、いきなりオレっちを頼ってきたわけだナ」

 

「あは、あはは......」

 

 事の詳細をアルゴに話したメイプルは頭を掻いた。

 メイプルのいる場所はアルゴが指定してきた第一層の街トールバーナのカフェだった。扱う商品が商品なために、その手の仕事の話はこちらで場所を選びたいのだとのこと。それを承諾する旨を返信し、待ち合わせの三十分前に送られてきた詳細な場所を一緒に添付された地図を頼りにどうにか到着して今に至る。

 てっきり人の少ない外れの村や街でも選ぶのかと思いきや、以外にもアルゴが指定してきたのは第一層でも一番大きな街、それもメインストリートに面したかなり人通りの多い場所だった。

 いわく、人を隠すなら人の中ということで、そもそも情報屋が人の出入りの少ない場所にわざわざ行くとかえって目立つのだとか。そうでなくてもプレイヤーの恨みを買うことも少なくない商売だ。単純に交渉時にトラブルが起きた時に人の目がある場所の方が都合がいいという自衛的な意味も多分に含んでいる。

 

「それで、具体的にキー坊のどんな情報が欲しいんダ?」

 

 単刀直入な切り出し方にメイプルは一瞬どう話したものかと迷う。

 

「キリトさんって...どうしてソロプレイヤーだったんですか? アスナに聞いたんですけど、わたしと組むまではずっと一人で攻略してきたって。それにみんなから《ビーター》って呼ばれてる理由も」

 

 その質問にアルゴの表情が曇ったように見えたが、それもほんの一瞬のことだった。すぐにいつも通りの表情を取り繕う。

 

「そいつは...個人的に安売りはしたくない情報だナ。いや、もうかなり広く認知されてるし、情報としての価値はもうないカ」

 

 アルゴは少し考え込むような仕草をすると、NPCによって運ばれてきた飲み物を一気に飲み干した。

 

「いいゼ。初回サービスってことで特別にタダで教えてやるヨ」

 

 

 

 

 




酷評でも最後まで作品読んで何が悪いか言ってくれる人が1人か2人ほしい。
そういう人いないと話がブレそう

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27話 「温かさの正体」

もうあれっすね
皆さんの注目はアスナとメイプルがいつキリトをめぐって修羅場を迎えるかでもちきり(笑)


 

 

 それはソードアートオンラインの正式サービスが始まって一ヶ月が過ぎた日のこと。

 長らく第一層の攻略が進められた中、ようやく迷宮区の最上階でボスの部屋が発見され、その翌日にはこの世界で最初のフロアボス攻略会議が催された。

 元βテスターが一般プレイヤーから強い風あたりを受けていた当時、β上がりであることを隠して初のボス攻略戦に参加したキリトだったが、実はそこにもう一人、ティアベルという名の元βテスターのプレイヤーがいたのだ。

 彼は高いリーダーシップとカリスマ性で最初期の攻略組をまとめあげ、指揮官としてボス戦に臨んだ。

 しかしβテスト時代とはボスの戦闘パターンに微妙な違いがあり、思わぬ反撃を受けたティアベルはボスのソードスキルとそれによって打ち上げられた落下ペナルティによってHPを全損してしまったのだ。

 指揮していたティアベルが死亡したことによって陣形は崩壊。そんな窮地を救ったのがキリトだった。

 βテスト時代、第十層のモンスターが使ったカタナカテゴリのソードスキルをもとにボスの攻撃を見切り、的確なパリングと同パーティにいたアスナとのスイッチでボスのターゲットを引き受けた。

 結果、攻略組はうまく態勢を立て直し、最後はキリトのラストアタックで見事勝利を収めたという。

 それで終われば、きっとキリトはこの世界で英雄と呼ばれたことだろう。しかし、ボスの攻撃パターンを完全に見切っていたことからすぐさま元βテスターではないかという疑いの声が攻略組から上がった。

 キリトはボスの攻撃を知っていた。知った上でそれを攻略組に隠し結果ティアベルが死んだと。

 そこからは先は泥沼だ。上位プレイヤー同士で他にも裏切り者がいるのではないかと誰もが疑心暗鬼に陥った。そこでキリトが取った選択が、《ビーター》として元βテスターに向けられた恨みをすべて引き受けること。

 他のどのβテスターより上の階層に潜り、山ほどの情報と技術を持った真に実力のある元βテスター、そうした悪役を演じることで他のβ上がりのプレイヤーを守ることを選んだのだ。

 

「言っておくが、キー坊は誓ってボスの情報を知ってて黙っていたわけじゃないゾ。β時代とは間違いなくボスの装備は変更されていタ。それに咄嗟に対応できたのはβ時代にもっと上の層でカタナを使うモンスターと散々戦ってきたからでしかないンダ。世間が言うようなベータのチーターなんてものには程遠いヨ」

 

「でも、そのことがあったせいでキリトさんは《ビーター》って呼ばれるようになっちゃって、自分のことを守るためにも他のプレイヤーと迂闊にパーティを組むこともできなくなったんだね」

 

 そう言葉を続けるメイプルにアルゴは頷いた。

 正式サービス開始直後、元βテスターたちは情報力という面で確かに有利だった。しかしそれはβ時代に到達された第十層までのという意味で、五十層を目前にした今現在ではなんのアドバンテージも持たない。それでも一般プレイヤーからの遺恨だけは少なからず残ってしまっている。

 思えばメイプルが他のプレイヤーにはないNWOのスキルを獲得するたびに厳しく制限をしていたのは、ほんの少しの情報差、スキルの差によって人より優れてしまうことの恐ろしさを身を以って知っていたからかもしれない。

 そしてキリトは自分と同じ思いをさせないためにと。モンスターからだけでなく、そうしたSAOプレイヤーの妬みや嫉みからもメイプルを守ろうとしていたのだ。

 

「話はこれで終わりだナ。オレっちはそろそろ次の商談があるから、ここいらで失礼させてもらうゾ」

 

 すくりと立ち上がってフードを目深に被るアルゴ。

 

「ええ!? ちょっと待ってよぉ! わたしどうしたらいいのかな?」

 

「答えてやってもいいが、情報料は10万コルだ」

 

「うう......」 

 

「それにこーゆーことは自分で考えるのが一番ダ。それじゃあナ」

 

 あっという間に人ごみの中に姿をくらますアルゴを見届けると、メイプルはどっと力が抜けたように椅子の背もたれに体重を預ける。

 

「ぶぇぇぇぇ〜...」

 

 長い長いため息をついて、アルゴの飲み終えたマグカップがNPCによって片付けられていく様子をぼんやりと見つめていると、インスタントメッセージの着信を示すシステムメッセージがピコンと表示される。

 

アルゴ【今日お前がキー坊の情報を買いに来たって情報は、誰にも売らないでいてやるヨ。おねーさんが珍しく商売より顧客を優先したんダ。上手くやれよナ】

 

「あはは...えっと、【ありがとうございます】っと」

 

 返事のメッセージを返してメイプルは立ち上がった。

 キリトに対して今のメイプルにできることは少ない。むしろ今のままでは迷惑をかけることのほうがずっと多いだろう。ただそれでも、戦う理由のようなものは以前よりはっきりしているように思えた。

 まだまだ非力であるとはいえ、キリトが安心してパーティを組めるのはメイプルだけなのだ。それはアルゴの話からもわかる。

 そうと分かればやることはたった一つだ。

 

 

 

 

 

 

「せいやーっ!」

 

 キリトがモンスターの曲剣攻撃を弾き飛ばし、後方に下がったタイミングでつかさずメイプルは《新月》の柄に手を添えて懐に潜り込む。相手は亜人系モンスターの《シュバルツリザードマン》。その手に握られたバックラーと曲剣の影がメイプルにかかってしまうほどの距離まで接近するとわずかに抜いた刀身を納めて鍔を鳴らす。

 

「《パラライズシャウト》」

 

 ゼロ距離に近い距離で発動された《パラライズシャウト》。メイプルを中心に直径一メートルほどの円が広がると、それに触れた《シュバルツリザードマン》のHPバーに麻痺状態を表すアイコンが表示される。

 

「とりゃりゃりゃりゃりゃりゃーっ!」

 

 そこから刺す。刺す。刺す。刺す。切る。刺す。刺す。やがてHPがゼロを迎えた《シュバルツリザードマン》がポリゴンとなって消えた。

 

「よし、進むのはここまでにしてそろそろ戻ろうか」

 

「いえいえ、まだ大丈夫ですよー!」

 

 メイプルはそう声を張って、細っこい腕に力こぶを作る。

 戻るといっても《転移結晶》を使うという訳ではない。来た道を引き返すのだから、ここを折り返しにしてレベリングしながら街に向かうという意味合いだ。 

 進めば進むほど戻るのに必要な時間も増えてしまうわけだが、アルゴから話を聞いたメイプルはまずなにをするにしてもレベルが低くてはどうしようもないという結論に至った。

 そういうわけでこれまで以上にレベル上げに意欲的になったわけだが、そんなことを知る由もないキリトは妙に張り切っているな、という感想しか持っていなかった。

 しかし戦闘を重ねるにつれてだんだんとモンスターを倒すペースが上がり、それに比例するようにだんだんと防御がおざなりになるメイプルを見て、さすがのキリトも待ったをかけた。

 

「メイプル、それはダメだ」

 

「え?」

 

「ボス戦が近くて意気込むのはわかる。でもそうやってランナーズハイになっていくとどんどん動きが雑になっていつか必ずつまらないミスをする。パワーレベリングの話は覚えてるだろ? 普通のゲームならそれでもいいかもしれないけど、ここはゲームオーバーすれば全てが終わりのSAOだ」

 

「う...うぅ。ごめんなさい」

 

 いつになく真剣に、強い語気で言うキリトにぐうの音も出ず肩を落とすメイプル。

 キリトの過去を知ったからこそ、そんなキリトの言葉の重みがわかるのも事実。同時に、知ってしまっただけに早く強くならなくてはという焦りのようなものがあったのもまた事実だった。

 

「とりあえず今日は戻ろう。この辺りは夜になると出現するモンスターの種類もレベルも変わるんだ。せめて夕方までにはこのフィールドから抜けておきたい」

 

「はい...」

 

 そんなメイプルの反応を見て、少し言いすぎたか? という思いがよぎる。

 反省するのはいいとしても、落ち込むのはあまりよくない。そこでキリトは一つのあたりをつけると、メイプルの頭に自分の手をのせた。

 

「あっ...」

 

「まあ、ちょっと危なっかしくはあったけど、今日はよく頑張ったな。メイプル。今まで一回の探索でこんなに多くモンスターを狩れたことなんてなかったんじゃないか?」

 

 そしてゆっくりと手を動かしていく。

 それが少しくすぐったいらしく、目を閉じたメイプルの口から小さな吐息が漏れる。

 

「あ、ありがとうございます...ふふっ」

 

「まるで親猫に顔を洗ってもらっている子猫みたいな顔だな」

 

 ふと、そんなことを口にしてしまうほどメイプルは無防備な顔をしていた。明日死ぬかもわからないこのデスゲームでこんな緩んだ顔ができるのは恐らくメイプルだけだろう。やがて撫でていた手にじんわりとした温かさが帯び始めたところでキリトは手を離す。

 その温かさはデータ上の数字の羅列でしかないものなのかもしれない。それでもメイプルと一緒にいるときに感じるこの不思議な心地よさは紛れもなく本物だとキリトは思えるようになった。

 

「さて、そろそろ行こう。いい加減暗くなるぞ」

 

「はい!」

 

 すっかり元気を取り戻したメイプルはキリトと肩を並べて歩き出した。

 傾きかけた陽の光が、草原の上に二つの長い影を映し出す。

 この世界に迷い込んでしまった日からキリトは一番近くでメイプルを守ってきた。そこにはサチに対する負い目があり、後悔があり、今はただ果たせなかった約束を違った形で守ろうとしているだけなのかもしれない。

 だからメイプルが望めばこの先ずっとでもキリトはメイプルのことを守り続けるだろう。けれど、守られるだけの存在にはなりたくない。そうメイプルは思うようになった。

 キリトの力になりたい。その思いは何があっても変わることはないだろう。

 しかしそんな思いだけでは説明のつかない疑問が一つ、メイプルの脳裏にはあった。

 

(じゃあ、だったらキリトさんがわたしの頭を撫でてくれたときの、あの不思議な感じはなんなのかな?)

 

 まだ温もりの残る頭にそっと触れて、メイプルは思った。

 胸に宿る、まるでわた菓子のようにほのかに甘く、ひとたび心を委ねてしまえばそのまま全身に溶けてしまいそうな温かさの正体をメイプルはまだ知らない。

 

 

 

 



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28話 「四十九層攻略戦」

最近気が付きました
この作品お気に入り数の割には投票者数めっちゃ多いんやね(笑)
あざ(●ꉺω......ありがとうございます


 

 

 

 二度目のボス戦に集められた48人のプレイヤー。一度攻略が失敗したということもあり、今回参加したプレイヤーは誰も彼もが言わずと知れた歴戦の猛者ばかりで、それは携える強力な装備ひとつとっても明らかだった。

 隊列を組み、ボスの待ち受ける部屋に向けて薄暗い迷宮区を突き進む一団の中に、ともすれば緊張感を著しくそぎ落とす二人のプレイヤーがいた。

 

「なんだか恥ずかしいですね...キリトさん......」

 

「メイプルの速度に合わせて移動してもらうわけにはいかないし、仕方ないだろ」

 

「そ、そうですよね〜...わたし、アジリティゼロだから」

 

 黒いプレートアーマーとそれと同じくらい黒い大盾を背負った女性プレイヤーを、これまた黒いロングコートに身を包んだ少年がおんぶしながら隊列に参加している。

 他のプレイヤーからしてみればこれから命懸けの戦いを控えているというのにのんきなものだと思うかもしれないが、これには深い深い理由がある。

 四十九層の街で攻略会議を終えて、いざフロアボス攻略へと勇んでフィールドへと繰り出したまでは良かった。しかし隊列を崩さないようにゆっくりめに行軍する攻略組の足にすら追いつけなかったメイプルが涙目でキリトを見つめたのはかれこれ一時間ほど前のこと。

 一人だけ列から外れるわけにもいかず、かといってその速度に合わせて全体の速度を落とすわけにもいかない。

 そこで、同パーティメンバーたるキリトがメイプルを背負って同行することとなった。

 

「......」

 

 こうしているうちにも、キリトは周囲からの視線を感じずにはいられない。別に攻略に支障をきたしているわけでもなければ誰に迷惑をかけているわけでもないのだが、時折聞こえてくるクスリという笑い声を耳にしてしまえば早く最上階に着いてくれと願うばかりだった。

 

「こりゃボス部屋に着く頃には精神的に疲弊しきっていそうだな」

 

「そんな羨ましい状況で、なぁに辛気くせえ顔してんだキリトよぉ」

 

「なんだ、あんたも参加してたんだな」

 

 キリトが振り返ると赤い武者鎧に身を包み、腰には《曲剣》から派生したエクストラカテゴリのカタナを差したプレイヤーが列の後方から抜けてきたのか、キリトに話しかけてくる。歳は二十代半ばもそこそこ。顎の無精髭がいかにもそれっぽく、サービス開始時はまるで野盗のようだった風貌も今ではサムライ風の装備品がすっかり板についていた。

 

「...? キリトさんの、おともだち?」

 

「おうとも! 俺はキリトのダチにして風林火山のリーダー、クラインだ。よろしく頼むぜ嬢ちゃん」

 

 メイプルはその問いに迷うことなく頷いてみせるクラインに、まるでひまわりを思わせるような笑みを浮かべる。これまでキリトの知人といえば懇意にしている情報屋だったり攻略組での付き合いがある相手だったりと、親密な間柄なプレイヤーは誰ひとりいなかった。

 それが目の前にいるプレイヤーはなんとフレンドリーなことかと、メイプルは喜びを通り越して興奮気味にキリトに迫った。

 

「キリトさん! 聞きました? ねえ今の聞きました!?」

 

「聞こえてるよ。クライン、まだ生きてたんだな」

 

「相変わらず無愛想なやつだなぁ...ったく」

 

 クラインはそう言うと頭を掻いて列の先頭に視線を向けた。作戦の陣頭指揮は前回と同じで血盟騎士団、アスナをはじめとして同ギルドの有力プレイヤーがそのあとに続くように行軍している。

 

「前回の攻略じゃあ二人も前衛職が死んじまったってことらしいからな。ここは俺たち風林火山も参加しねえわけにはいかねえってもんだ。ところで」

 

 クラインの声色が鬼気としたものに変わったのは、まさに一瞬のことだった。

 ネットゲーマー特有の妬み嫉みとはまた違った、独身男性だからこそ出すことのできる凄みがそこにはあったのだった。

 

「お前みたいな一人もんが、こんな可愛い子と一緒にパーティ組むとかどういうことか説明してもらおうか? こっちは最近フィールドでも見かけねえなと思って心配してたのになんと羨まけしからん!」

 

「いや、別になにもけしからんことはないだろ?」

 

 そう言うキリトにクラインは悲しげに首を振った。

 

「わかってねえ...わかってねえよキリの字!」

 

「いいからそろそろ後方に戻れよ。隊列を崩すと副団長様がうるさいぞ?」

 

 掴みかかるクラインをキリトは手で制した。なにせ規律を乱すことに関してなにかとうるさい御仁が先頭にいる。

 

「っとっとっとそうだな。じゃあ俺はメンバーのとこに戻るけどよ、今日はお互い頑張ろうぜ」

 

 

 

 

 

 

 やがて迷宮区の最上階まで上り詰めると、巨大な扉を前にして48名のプレイヤーは各々攻略前の最終準備にかかる。

 アイテムのストックを確認する者、装備を持ち変える者とさまざまでキリトも予備の武器から耐久値の充実した攻略戦用の剣に装備を変えていた。

 

「ここが、四十九層のボスの部屋......」

 

 メイプルは目の前にあるボス部屋を見上げる。

 床から天井までの壁一面が巨大な扉になってそびえている。三十層の最奥で見たそれとは少し雰囲気が違ってみえるのは周囲のプレイヤーの鬼気とした様子がその場の緊張感を何倍にも高めているからだろう。

 これから命懸けの戦いが始まる。

 肌に張り付く空気がメイプルにそう告げているように思えた。

 

「緊張してるのか?」

 

「い、いいえ!」

 

 キリトの問いかけに引きつった笑みで返すメイプル。

 いかにコミュ症のぼっちゲーマーとはいえ、その言葉が嘘だとわからないほどキリトも浮世離れはしていない。ガチガチに緊張したメイプルをその場から連れ出すと誰もこちらに注目していないことを確認してキリトは声をひそめた。

 メイプルのスキルについても話をするかも知れない。誰にも聞かれないことに越したことはなかった。

 

「ボスの情報を確認するぞ。ボスの名前は《ザ・ノーブル・モス》。名前のとおり巨大な蛾の姿をしたモンスターだ。基本上空を飛び回って毒粉で攻撃してくるけど、これは状態異常の効果しかないから物理ダメージはない。ただし参加プレイヤーの誰かのHPがイエローゾーンに突入したことをAIが察知すると強力な突進攻撃を仕掛けてくる。まあこれはHP管理をしっかりしていれば抑えられる。だから俺たち前衛の仕事は対空攻撃ができるプレイヤーを守りながらボスのタゲを維持することだ。ここまではオーケー?」

 

「は、はい...!」

 

「よし、メイプルには《毒無効》があるから今回の戦いじゃあ前衛の要になるだろう。それ自体はもう皆知ってるから遠慮なく毒攻撃に耐えてくれて構わない。だけど、他のスキルはダメだ。いいか?」

 

 心して頷くメイプルに、ただしキリトはふと思った。

 

(まあ、強力なスキルを出し惜しんで死ぬくらいなら思いっきり使ってくれた方がいいんだけどな。でもそれは使わせない。俺がきっちりメイプルを守ればそれで済むことだ)

 

 



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29話 「フォーメーション」

あと0.19
あと0.19で調整平均が8を超える......
あと0.19で俺もレッドプレイヤーだ(●ꉺωꉺ●)


 

 

 

 メイプルたちがボス部屋に足を踏み入れると、そこは不気味なまでの静寂と暗闇が支配していた。

 今回のボスは飛行するというだけあって、設定されている天井の高さはこれまでのボス部屋に比べるとかなり高いように思える。部屋の松明の灯らないうちは暗さでそれがはたしてどこまでのものかキリトは測りきれないでいたが、おそらく壁や天井のどこかにボスは潜んでいるのだろうと当たりを付ける。

 

「皆、上空を警戒して」

 

 そんなアスナの声とともに部屋の松明が火を発して、それは徐々に部屋の奥、そして天井一帯を隈なく照らし出すと、壁に張り付いたその巨体が姿を現した。

 

「......っ!」

 

 大きく広げた斑模様の羽がメイプルの瞳に映る。それが上空に身を放ったかと思うと羽を羽ばたかせて攻略組の頭上を旋回するように飛んだ。

 

「毒攻撃が来るわ! 総員対毒防御!」

 

 盾持ちの壁役の後ろに槍装備や跳躍力の高い俊敏性のあるプレイヤーが隠れる。壁役に遮られた毒粉はプレイヤーに届くことなく、その攻撃での被毒者はゼロで済んだ。キリトも盾を構えたメイプルの後ろに陣取って攻撃をしのいでいる。

 

「すごい...誰もダメージを受けてない......」

 

「毎回こうはいかないだろう。ボスに攻撃しながら咄嗟にこの陣形を作るのは簡単なことじゃない。だから結局はこっちの解毒アイテムが尽きる前に削りきるきるしかないんだ」

 

 充満した毒の霧が引いていくのを確認すると、キリトはそう言ってメイプルの後ろから部屋の端に向かって駆け出すと地面を蹴り上げて壁に飛び移った。

 垂直に伸びる壁を文字通り走り、キリトが持つ《体術スキル》の一部である《壁走り》の熟練度上の限界まで上がると《ザ・ノーブル・モス》に向かって跳躍。繰り出したソードスキル《スラント》で袈裟掛けに切りつけた。

 他の攻略組もリーチのある槍で突く。短剣特有の俊敏性を活かして跳躍して斬るといった方法で上空を飛び続ける《ザ・ノーブル・モス》にダメージを与えていった。

 それでいて同パーティの壁役とはある程度の距離を維持して、ボスの攻撃にいつでも対応できるように注意を払っている。攻撃を受けても素早く後衛と入れ替わり、解毒している間のタゲを他のプレイヤーが引き受けて陣形を維持するといった一定の動きを繰り返している。

 そうした組織立った行動もそうだが、なによりメイプルが驚いたのは攻略組の中でもキリトの実力が頭一つ抜きん出ていたことだろう。

 

(キリトさんが強いのはわかってたけど、もしかして他のプレイヤーさんと比べてもすごく強いんじゃ...)

 

 最前線で戦う攻略組、たったそれだけでキリトは相当な実力者なのだろうと思っていた。しかしその認識がどれだけ甘いものだったのかを思い知った。

 これまで見てきたプレイヤーがキリトやアスナといったトップ中のトッププレイヤーだったせいで気がつかなかったが、戦いにおける立ち回りはその他の攻略組の一歩も二歩も先を行っている。それは動きが早い、攻撃が強いといった次元ではない。前衛の交代、的確なスイッチ、それらすべての無駄なく洗練された動きは、まさにモンスターと戦うために最適化されているようだった。

 

「毒粉の攻撃に備えてくれ! 来るぞ!」

 

「はい!」

 

 メイプルは上空に向かって大盾を持ち上げる。つかさずキリトもその影に飛び込んだ。

 ボスの羽がはためくのと同時に辺一帯は毒の瘴気に包まれて、攻略組は一旦攻撃の手を止める。毒に完全な耐性を持っているメイプルは気楽なものだが、他のプレイヤーはそうではない。

 事実今の攻撃で数名、負傷したメンバーがいた。毒のバッドステータスを受けたプレイヤーはHPに余裕があるものの後退して《解毒結晶》を使っている。

 

「HPはそんなに減ってないのに、状態異常になったらやっぱり後ろに下がらないとなんですね」

 

「ある程度ボスの情報があるとはいえそれが全てじゃない。万が一、それこそ想定外の動きにもちゃんと対応できるように警戒するならこれくらいがちょうどいいんだ」

 

 それが命を懸けるということなのだと、メイプルは理解した。同時にキリトやアスナのようなプレイヤーですら一歩間違えれば死にかねない相手がフロアボスなのだとも。

 

「だけど昆虫型のモンスターってこともあって、今回のボスはHPの総量でいえばそこまで高くないよ。きちんとソードスキルで攻撃を決めれば多少ストレングスの低いプレイヤーでもダメージが通る」

 

 今回は攻略組のメンバーでも比較的少ない短剣装備のプレイヤーが多く参加している。

 リーチと攻撃力を削った結果、扱いやすさと素早さに特化したとも言える《短剣》カテゴリは上級者からあまり好まれない。どうしてもボスなどの強敵を相手にすると決定打に欠けるからだ。

 しかしその俊敏性は跳躍できる高さに大きく影響し、今回のような飛行するモンスターを相手にすればこれ以上ないアドバンテージを持つ。

 

「うわぁーみんな早いなぁ。それにあんなに高いところまでジャンプして...わたしも一応短剣持ちなのに、なんだか戦い方が正反対ですね」

 

「そりゃメイプルみたいにそんな大きな盾を持ってたらそうなるよ。片手武器の長所は盾を持てることだけど、アスナみたいに俊敏性重視で持たないやつだっているくらいだからな。けど、そういうプレイヤーがいるおかげで今回のボス攻略はだいぶスムーズだよ」

 

「確かに、今のところ順調ですよね」

 

 キリトの言う通り、戦闘はかなり安定していた。

 アスナを筆頭に、アジリティとある程度の攻撃力を有したプレイヤーの活躍で、四段あったボスのHPは今や最後の一段にさしかかっていた。これまでの攻防の中で最低限の被害で攻撃を与えられるパターンのようなものを掴んだ攻略組は着実にダメージを重ねている。

 

(よし、このままうまくいけば......)

 

 しかし、プレイヤーが気がつかないうちにじわじわとHPを削っていく毒の恐ろしさがここで牙をむいた。攻撃に気を取られて回復の遅れた壁役のプレイヤーが一人、後衛に下がって《解毒結晶》を使う途中でHPがイエローゾーンにまで陥ったのだ。

 

「...っ! ボスの攻撃モーションが変わったわ! 気をつけて!」

 

 そんなアスナの号令の通り、途端にこれまでとは様子の違うモーションで《ザ・ノーブル・モス》が羽を羽ばたかせた。HPがイエローになったプレイヤーに向かって急降下すると、陣形を縦に割くように巨体が地面を滑空して盾越しに衝突する。

 

「ぐあっ!」

 

 盾で守ったことで全損は免れたものの、ノックバックを食らってHPがレッドゾーンにまで落ちる。攻撃進路上に巻き込まれた他のプレイヤーも各々の回避行動によってダメージを避けることはできたが、そのせいで先程までの陣形は崩れてしまっている。

 

「大丈夫か!」

 

 キリトは盾役のプレイヤーに駆け寄るとすぐさま《回復結晶》を使う。毒状態も放置できないがまずはHPを安全圏まで回復させるのが先だ。

 回復時のエフェクトに包まれて、HPバーがグリーンに戻るのを確認すると周囲の状況を見やる。

 

「くっ...あと少しなのに」

 

 キリトは唇を噛んだ。

 今なお崩れた陣形に毒の粉が降り注ぎ、攻略組全体の頭上に迫ってきている。

 各々は後退したり盾で身を守ったりと身を守るが、ボスのヘイトが散り、崩壊した陣形はもはや後衛と前衛の役割が機能していない。少なくとも毒を被ったプレイヤーが素早く解毒できるように連携できる状態ではなかった。

 

「キリトさん! 使うなら今しか!」

 

「メイプル!」

 

 メイプルが《ヒドラ》を発動しようと短剣を掲げたとき、キリトは喉も裂けそうな声で名前を呼んだ。

 いきなりのことで発動を中断したメイプルは反射的に声のする方を見る。 

 

「まだだ、俺たちに任せてくれ」




陣形は崩壊し、NWOのスキルを使うか否かの選択を迫られるメイプル。
しかしキリトの起死回生の攻撃によって危機を脱した攻略組は、ついにその本領を発揮する!
はたして49層攻略なるのか!!

次回、「裸でバナナを持つ男」


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30話 「決死の攻略」

投票者数100人突破!!
総合評価2000突破!!
あざざざざざーっす(●ꉺωꉺ●)!




 

 

 

 並び立った黒と白の影が静かに上空の《ザ・ノーブル・モス》を見上げる。

 

「キリトくん。どうにかしてあの巨体を大斧や両手剣の攻撃が届く位置まで下ろせないかしら? このまま空中戦で少しずつダメージを与えていたら埓があかないわ」

 

「手がないわけじゃない。けど、うまくいくかは正直出たとこ勝負だ」

 

「でもそれさえできれば、あとは皆の総攻撃でHPを削り切れる。飛ばれると連撃系のソードスキルは当てられないけど、うまく地上戦に持ち込めればどうにかなる」

 

「なら、ここは一丁どうにかしてみるか」

 

 キリトは一人、《ザ・ノーブル・モス》の攻撃範囲内に躍り出た。全身を猛毒の瘴気が蝕み、HPがみるみる減っていく。

 

「キリトさん! なにを...?」

 

「あの巨体を地上に引きずり下ろすのさ」

 

 キリトは《回復結晶》を手に部屋の中央に立つとボスと相対した。徐々に減っていくHPバーがやがてイエローゾーンにまで差し掛かると、それに反応した《ザ・ノーブル・モス》がキリトに向かって突進する。

 

「危ない!」

 

 慌ててカバームーブと叫びかけた口を脳裏に蘇ったキリトの言葉が止めた。

 〝任せてくれ〟と。

 

「来い...!」 

 

 キリトは《回復結晶》で半損したHPを回復すると剣を振りかぶり、ソードスキルのモーションに入った。

 剣に青いライトエフェクトが帯びて、キリト自身の運動性能とスキル熟練度で極限までブーストのかけられたソードスキル《バーチカル・スクエア》がボスの頭に激突する。

 

「ぐううっ!」

 

 ボスの攻撃に押されて両足が部屋の地面を削るように後退しながら、それでもキリトは攻撃の手を止めない。

 4連擊の《バーチカル・スクエア》がきまってからは片手直剣を横に構えて防御姿勢を取り、少しずつ突進の勢いを削いでいく。

 その間もキリトのHPは毒と防御姿勢への許容超過ダメージによってグリーンからイエローゾーンへ減少を続け、やがてそれがレッドゾーンを迎える。

 

(くっ...! このままじゃあ、ボスの攻撃を殺しきるより先に俺のHPが尽きるな...)

 

 キリトは片手で剣を支えたまま、左拳を振り上げた。

 黄色いライトエフェクトを帯びた正拳突き。体術スキルの《閃打》が《ザ・ノーブル・モス》の頭に炸裂する。ソードスキルほどの威力はないにしても、スキルをキャンセルさせるために必要なダメージの蓄積はあるはずだった。

 

(まだだ! まだやれる!)

 

 二発目、三発目の《閃打》を打ち込んだところでキリトのHPは残り数ドットまで陥る。

 

「...っ! はああああああっ!」

 

 そして四発目の《閃打》が命中したところで、先ほどの《バーチカル・スクエア》のダメージと合わせてどうにか攻撃をキャンセルできるだけの威力に届いたらしい。ボス部屋の床に夥しい足をつけて《ザ・ノーブル・モス》は静止した。

 

「今だっ! 全員で囲め!」

 

 キリトの声に呼応するように攻略組の全員はそれぞれが持つ最大威力のソードスキルを発動。これまで思うように攻撃できなかった羽や頭などのクリティカルポイントに重攻撃、連撃系の強力なソードスキルを加え、《ザ・ノーブル・モス》のHPはこれまでにないほどの急激な速度で減っていく。

 しかし《ザ・ノーブル・モス》の全身がダメージエフェクトによってトラ模様のようになり、最後のHPバーがレッドゾーンを迎える頃には、スキルキャンセルによるスタンから立ち直った。

 周囲に群がるプレイヤーを蹴散らすようにひときわ大きく羽を広げて再び飛び上がると、それによって取り付いていたプレイヤーのうち三人のHPバーがイエローゾーンに入る。

 このままでは次に《ザ・ノーブル・モス》が攻撃モーションに入ったとき、ターゲットになるのはいずれの誰かだ。 

 

(まずい! イエローゾーンに入ったプレイヤーが複数いるせいでボスの進路が読めない)

 

 さきほどはイエローゾーン、つまり《ザ・ノーブル・モス》の突進攻撃の対象になるプレイヤーがキリト一人だったからこそ、ソードスキルを放つタイミングを正確に計ることができた。しかし今はレッドゾーンのキリトを含め、ダーゲットになり得るプレイヤーが四人いる。

 

(これじゃあフォローに回れない!)

 

「逃がさないわ!」

 

 そのとき、アスナは壁役にいた同パーティの団員を足場に高く跳躍した。

 その高さは飛び立ったばかりの《ザ・ノーブル・モス》の高度を優に追い越して山なりの軌道を描きながら迫ると、その手に握られたレイピアが細剣カテゴリにおける最上位ソードスキル《フラッシング・ペネトレイター》の眩い光を放つ。

 

「せあああああっ!」

 

 一閃、鋭い光が天と地を繋げるように暗闇を穿った。

 その切っ先は《ザ・ノーブル・モス》の胴体を貫き、HPが全損したことによって砕け散ったボスのポリゴンを突き抜けるようにアスナは地面に降り立つと、レイピアを腰の鞘に納める。

 

「この戦い、私たちの勝利です」

 

「「「うおおおおおおおっ!」」」

 

 勝利を宣言すると同時にあちこちから注がれる歓声を一身に受け、その身に今だ最上位スキルによるライトエフェクトの残滓を帯びた姿にメイプルはある言葉が脳裏に浮かんだ。

〝閃光のアスナ〟

 

「......すごい」

 

「今回のLAはアスナか...」

 

「き、キリトさん! 大丈夫ですか? さっきHPが赤いところまで減って!」

 

 メイプルが見ると、ボスの攻撃を真正面から受けたキリトの姿はあちこちがボロボロで、右手に携えた片手剣に至っては耐久値が摩耗して所々が小さく欠けている。

 

「ああ、もう大丈夫。《解毒結晶》は使ったし、ポーションも飲んで今回復してる」

 

 キリトの言葉のとおり、視界の端に表示されたキリトの名前の下にあるHPバーは毒の状態異常が消えていてHPも徐々に回復している。

 この世界のポーションとは飲んですぐHPが一定数回復するのではなく、決められた時間、断続的に一ドットずつHPが回復していくもどかしい代物で、未だキリトのHPはレッドゾーンをようやく脱してイエローまで戻ったところだった。

 

「まだ黄色いじゃないですか! 今《回復結晶》を出しますから...!」

 

「いやいや、もうボスは倒したしポーションで十分だよ」

 

 そんなキリトの言葉など耳に入らないといった様子でメイプルはオブジェクト化した《回復結晶》をキリトに使う。一瞬にして半損状態だったHPが満タンになった。

 

「大げさだなぁ。これ以上ダメージを受ける心配なんてないのに」

 

「それでもです。いつもこんな無茶してるんですか?」

 

「......いや、今回はああでもしないとまともに攻撃が通りそうになかったし、仕方なく」

 

 キリトはそう言って頭を掻くが、少し前まではボス戦に関わらずこれくらいのピンチは日常茶飯事だった。もちろんキリト自身も無茶をしているのは承知だったが、こうして自分の命を危険にさらすことに麻痺しているのかもしれない。

 メイプルも薄々そのことに気がついたのだろう。

 手当を終えたその瞳はどこか悲しげな色をたたえていた。

 

「そうだそうだ。もっと言ってやれメイプルちゃん。まったく相変わらず無茶なことしやがって...見てるこっちもさすがに肝が冷えちまったぜ」

 

「そう言うお前はどうなんだよ。クラインのアジリティじゃあ飛んでる間、ボスにほとんど攻撃を当てられなかったんじゃないか?」

 

「うるせえなぁ。その分、やっこさんが地上に落ちてきてからはバッチリダメージ稼いでやったっての。まあ、それもキリトが体張ってボスの攻撃を受けきったおかげなんだけどよ」

 

 そう言ってクラインはキリトの背中を力任せにバシっと叩く。ストレングス型の筋力値によってきれいにもみじ型のダメージエフェクトが刻まれると、そのままキリトの身体が軽く二、三メートル飛ぶ。

 

「痛った! おいクライン! ちょっとは手加減を...!」

 

 文句を言うキリトをよそに、クラインは小さな声でメイプルに耳打ちした。

 

「メイプルちゃんよ。キリトのこと、よろしく頼んます」

 

「え?」

 

 おそらくキリトの位置からでは聞こえないであろうその声に、メイプルは思わず聞き返す。

 

「今でこそああだけどよ。昔はもっと暗いっつうか、冷めたやつだったんだ。そのくせどうしようもねえ戦闘マニアで口下手で無愛想なんだけど、ホントはすげえいいやつなんだよ。あいつは」

 

「なんだよ。なんの話してるんだ?」

 

「なんでもねえって。ほれ、とっとと次の層のアクティベートを済ませちまおうぜ」

 

 背中をさすりながら寄ってくるキリトを押して上の階層へと続く階段に向かうクラインにメイプルは心の中で力強く言った。

 

(はい! 任されました!)



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31話 「イブの夜に」

 

 月明かりがわずかに木々の隙間から差し込む程度で、辺り一帯は暗闇に包まれていた。完全に夜を迎えた密林の奥地。視界は悪く、索敵スキルを用いなければ十メートル離れたモンスターの姿すら朧ろ気にしか確認できない。

 そんな暗闇を切り裂くように一筋のライトエフェクトが爆ぜた。

 

「せあああああっ!」

 

 巨大な斧のひと振りを最低限の動作で躱し、避け際に繰り出したソードスキル《スラント》が亜人系モンスター《エクストラ・コボルト・コマンダー》に迫る。

 途端にコボルト独特の赤黒い眼が光って見えた。攻撃の切れ目と同時に発動された大斧系ソードスキル《ワールウィンド》がキリトの《スラント》と衝突すると、パワーで押し負けたキリトが吹き飛んでいく。

 

「ぐっ!」

 

 飛んだ先にあった木に背中から衝突し、動けなくなったキリトに向かってすぐさま《エクストラ・コボルト・コマンダー》が追撃とばかりに迫る。

 

「...っ! でああああああああああああああっ!!」

 

 喉仏がはち切れそうなほどの絶叫にも似た声を上げてキリトは剣を構えた。斧を振り上げる《エクストラ・コボルト・コマンダー》に矛先を引き絞ると、ソードスキル《バーチカル》を発動する。

 ガラ空きになった胴体に剣先が突き刺さり、キリトの顔の数センチ手前まで迫った大斧による一撃は強制的にキャンセルされた。

 ノックバックによって目の前で倒れこむ巨体にキリトは剣を振りかざす。

 

「はああああっ!」

 

 そのまま青い光を放つ黒い刀身がモンスターの巨体を両断すると、真っ二つになった上半身と下半身がポリゴンとなって砕け散った。

 夜にのみエンカウントする高レベルモンスターをソロで屠ってみせたキリトはゆっくりと息を吐き、それでも緊張の糸を切らすことなく周囲を警戒する。

 HPはイエローゾーン、しかしポーションで徐々に回復しているそれは戦闘中に何度もレッドを迎えていた。前衛と後衛に分けられないソロプレイヤーとしてはギリギリの戦いだ。

 

「はぁ...はぁ...装備の耐久値的に、今日はここまでが限界か......クソッ」

 

 キリトは連戦ですっかり摩耗しきった片手直剣を一瞥すると、鞘にも納めず重たげに引きずりながら来た道を戻っていく。本当なら武器を持ち替えてでもレベル上げを続行したいところだったが、ここら一帯のモンスターのレベルはキリトが万全の状態で挑んでも危険な相手だ。

 キリトは睨みつけるように道の先へと目を凝らす。

 

(もう時間がないんだ。一瞬だって立ち止まってられない。どれだけレベルがあったって足りない。絶対に、今度こそ救ってみせる)

 

 極度の疲労のせいか、木の根っこを跨いだその足が不意にもつれる。キリトはふらりとすぐそばにあった木の幹に手を付いた。

 

(サチ......)

 

 

 

 

 

 

「ふんふんふ〜ん♪」

 

 アインクラッド第五十層が解放されて一週間が経った。 

 全階層のちょうど中間地点ということもあってか、転移門の位置するアルケードの街はこれまでのどの層より大きく、街というよりは都市に近い。

 そんな巨大な街の露店が立ち並ぶメインストリートを鼻唄混じりにスキップをしながら進んでいくのは黒い大きな盾を背負った女性プレイヤー。メイプルだった。

 

「今晩はいよいよクリスマスイブかぁ。ゲームの世界のクリスマスってどんな感じなのかな?」

 

 見渡すと、通りに沿って等間隔で設置された電灯オブジェクトにはクリスマスリースが飾られ、空からは真っ白な雪、BGMもクリスマスを想像させるような楽しげでどこか温かみのあるものに変わり、目に映るもの全てが聖夜の訪れを感じさせる。

 道行くプレイヤーも普段と比べてどこか活気づいている。もちろんメイプルもそのうちのひとりだった。

 

「キリトさんも今日くらいは攻略をお休みすればいいのに。今晩はちゃんと帰ってくるのかなぁ」

 

 キリトから《しばらく最前線にいる》というメッセージを受けてからこの数日間、一度もキリトの姿を見ていない。

 時折メイプルからメッセージを送ってみるものの、返信が来るのが二時間後、三時間後といった具合でろくに事情も把握できないでいたが、どうやらレベル上げをしているらしかった。

 

「せっかくのクリスマスだから一緒にお祝いしたかったのにな」

 

 そうぼんやりと呟くと、さっきまであれだけ華やかだった心根が不思議なくらいに覚めていく。

 ふと感じた寂しさからメイプルはフレンドリストを開いてキリトの位置を確認してみた。

 NWOではフレンド登録したプレイヤーのログイン状況や位置を把握できる。これもある意味でSAO外のチートスキルのようなものだった。

 

(......いた! もうフィールドから帰ってきてる。場所も近いみたい!)

   

 メイプルはメインストリートを外れ、路地を抜けて走っていく。

 降り積もった雪に足跡を残しながら、マップ上に付けられたフレンドマークの近くまで来てみると見覚えのある黒いロングコートが目に入り、メイプルは声を掛けようとした。

 

「.........」

 

 掛けようとして、開いた口をメイプルは閉じる。

 

(あれって......ほんとにキリトさんなの?)

 

 本人なのかどうかすら疑いたくなるほどキリトは冷え切った眼差しで歩いていく。夜の闇のように深い瞳。しかしそこに普段の穏やかさはない。そんなこれまで見たことがないほどに虚ろな表情が、呼びかけるメイプルの声を止めたのだった。

 

 

 

 

 

 

「だから、思わず声かけられなくてさ。急に迷宮区にこもりだしてたのは知ってたし、アスナさんからキリトさんの昔の話を聞いたから、ソロプレイヤーだとやっぱりここまでしなきゃいけないのかなぁーって無理やり納得しようとしてたけど、その矢先にあんな顔見ちゃったし......ねえどう思うアルゴ?」

 

「そんなときにこんなことは言いたくないんだけどお前、事あるごとに相談にかこつけて愚痴をこぼしにくるナ。こっちも仕事があるんダ。そろそろ行くゾ」

 

 そう言って強引に立ち去ろうとするアルゴの服の裾をメイプルは掴んだ。

 

「うえーん待ってー! アルゴならキリトさんのことよく知ってそうだし、知恵を貸してよー!」

 

「オレっちはその知恵の中から確かなものを売ることを生業にしてるんだゾ? そこのところちゃんと分かって聞いてるのカ?」

 

「わかってるけど、わかってるけどぉー!」

 

 メイプルに泣き付かれて参った様子で肩をすくめるアルゴ。

 どうにもこういうときのメイプルには弱い。ペースに飲まれてついつい一コルの儲けにもならない助言をしてしまうことは目に見えてわかっていたが、なにより本人が一番困っているのはそれを自覚しながらも放っておけずにこうして話を聞いてしまうことだろう。

 

「はぁ...しょうがないナ。まあ実際今のキー坊が必死になってる理由にも心当たりがあるし、今晩くらいは情報屋は休業するカ」

 

 どうしてキリトがあんな有様になってしまったのか、それが気にならないわけはない。

 そんな食い気味のメイプルにため息を漏らしてアルゴは口を開いた。

 

「さっきも言ったけど、オレっちは裏付けのある確かな情報しか売らない。そういう意味じゃあこれからする話は売り物にならない不確かな情報ダってのは理解した上で聞いてくれヨ?」

 

 そんな前置きにメイプルは小さく頷くと、アルゴは口を開いた。

 

「三十五層の迷いの森。その奥にあるモミの木の前でクリスマスイブの夜にだけ出現するあるモンスターがプレイヤー蘇生のアイテムをドロップする、というウワサがあるんダ」

 

 



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32話 「再び、黒の剣士に」

 

 

 第三十五層の迷いの森。その奥地の向かって一直線に駆け抜ける黒い影があった。

 地面を蹴るたびに雪を巻き上げて進む少年の目にはただ一点、その先にそびえる巨大なモミの木が映っている。

 目的のためならそれ以外のすべてを、自分の命すらも犠牲にする。

 そんな意志の表れなのか、火も凍るような冷たい瞳がすぐそばで転移のライトエフェクトを捉えると、雪に足を踏み込んでその場に急停止した。

 

「......」

 

 目の前に現れた一団をキリトは警戒を含んだ目で見据える。それはクライン率いるギルド《風林火山》の面々だった。

 

「よう」

 

「つけてたのか?」

 

「まあな、お前は蘇生アイテム狙いか?」

 

「......ああ」

 

 短く答えるキリトにクラインは眉間に皺を寄せた。

 こんな風に他を寄せ付けないような顔をするキリトを見るのは、クラインにとって久しぶりのことだった。

 以前はよくこんな顔でモンスターと戦う姿をフィールドで見かけたものだったが、最近はいくらか柔らかさを取り戻していた。

 それがここにきてこの冷めた表情。

 ボス戦で会ったときとは別人のようだった。

 

「ガセネタかもしれねえアイテムに命賭けてんじゃねえよ。このデスゲームはマジなんだよ。ヒットポイントがゼロになった瞬間、現実世界の俺たちの脳も―――」

 

「黙れよ...」

 

 キリトは背に掛けた片手直剣に手を添える。

 それに反応して警戒心をあらわにした《風林火山》のメンバーをクラインが手で制した。

 

「......いったいどうしちまったんだキリト。メイプルって子のレクチャー始めてからは落ち着いてたってのに、また無茶ばっかりしやがって。いい加減ソロ攻略なんてやめろよ!」

 

 クラインはキリトに向かって一歩前に出る。

 その表情は真剣そのものだった。

 

「俺たちと来るんだ! 蘇生アイテムはドロップしたやつのもので恨みっこなし。それで文句ねえだろ!」

 

 そう言ってクラインはまた歩み寄る。

 しかしキリトの持つ凍てついた眼差しがクラインを突いた。

 それは生き残るためにたった一人でこの世界と戦ってきたソロプレイヤー、黒の剣士の顔だ。

 

「それじゃあ意味ないんだよ。俺一人でやらなきゃ......」

 

 そう言って引き抜かれた刀身が周囲の雪景色を映して白銀に光ると、矛先がクラインたちに向いた。正確にはクラインたちの背後、新たに発生した転移によるライトエフェクトに向けてだ。

 

「うおっ! なんだ!?」

 

 仰け反るように距離をとったクライン。他のメンバーも同様に後ずさった。

 転移してきたプレイヤーは全部で四パーティ計十六名。リーダー各と思われる数人を除いて統一された青銅色のプレートアーマーはそれだけでどこのギルドのプレイヤーかわかるほどに名の知れた連中だった。

 

「《聖竜連合》か...お前もつけられたな。クライン」

 

「ああ、そうみてぇだな!」

 

 そう言ってクラインは腰のカタナを抜いた。他のメンバーもそれぞれの武器を構えて《聖竜連合》のプレイヤーと相対する。

 一触即発の空気、しかしそこに水を差すような、妙に間の抜けた大声がどこか遠くから微かに聞こえてきた。

 

「きーーりーーとーーさーーーーん!」

 

 数日ぶりに耳にしたその声にキリトは反応する。

 キリトたちから見て真正面、《聖竜連合》のプレイヤーから見て背後にある雪山の斜面を盾をソリのようにして滑走してくるメイプルがものすごい速度で向かってくる。

 ただしキリトはすぐその異変に気がついた。もうすぐそばまで迫ってきているというのにメイプルは一向に減速する様子がない。

 それどころか今もなお、加速を続けている。

 

「ちょっと待てメイプルまさか!」

 

「とーーまーーれーーなーーいーーーー!」

 

 尋常でない速度で突っ込んでくるそれは、やがて雪が降り積もって山のように反り返った斜面に乗り上げるとそのまま空高くに放り上げられる。

 

「きゃあーーーーーーーっ!」

 

「メイプル!」

 

 そのまま《聖竜連合》の頭上を軽々と飛び越えて、分離した盾とメイプルは大きく山なりの起動を描きながら慣性にしたがってキリトに向かって落下していく。

 

「かはっ!」

 

 咄嗟に受け止めようと腕を大きく開いたキリトのみぞおちにメイプルのショルダータックルがきれいにヒットし、続けざまに落下してきた大盾が雪原に倒れ込んだキリトの顔面を捉える。

 

「ごぶっ!」

 

 2コンボ、ノックアウト。

 

「助けに来ましたよ! キリトさん! 大丈夫ですか?」

 

「ああ...おかげで死にそうだけどな......」

 

 メイプルがキリトを押し倒したような構図、事実押し倒したのだが、倒れたキリトの上に密着してしまっていたメイプルは飛び退くように離れた。

 

「ちくしょう! 非常時になにやってんだこのラッキースケベ!!」

 

 背中越しにキリトに怒鳴るクライン。むせび泣いているようにも聞こえた。そんなクラインを含む《風林火山》のメンバーはキリトたちを守るような形で横長に陣形をとっている。

 《聖竜連合》、それは大規模なギルドでありながらレアアイテムのためなら手段を選ばないことで知られている厄介なギルドだ。

 

「行けキリト! ここは俺たちが食い止める!」

 

「クライン。......っ!」

 

 キリトは一瞬躊躇ったが、すぐに身を翻して《背教者ニコラス》が出現するというモミの木に向かって駆け出した。

 メイプルは盾と短剣を構えてクラインたちに並ぶ。

 

「メイプルちゃん、あいつを追っかけてやってくれ」

 

「でも...クラインさん! こんな大勢を相手になんて―――」

 

「へっ! この程度の人数でへばるようじゃあとっくにギルドの看板下ろしてるっての。それにこの前ボス戦の後に頼んだろ? キリトのこと、よろしく頼むってよ」

 

 クラインはそう言ってメイプルに笑って見せた。

 優しく、それでいて力強い笑みにメイプルは引き抜いた《新月》を鞘に納める。

 

「はい...! 任されました!」

 

 あの時はできなかった返事を、今ここで確かに返してメイプルは走り出した。

 

 

 

 

 

 

 迷いの森の最奥に立つモミの木、キリトは片手直剣を携えてその下に歩みを進めた。

 一瞬、ひときわ強く吹雪いたかと思うとボスの登場演出によるスレイベルが鳴り響く。気配を察して空を見上げると流れ星のように伸びた二本のソリの軌跡から《背教者ニコラス》が姿を現して地上に降り立った。

 

「......」

 

 HPバーは四本。ボロ布を縫い合わせてあつらえたようなサンタコートに金色の髪と髭をたくわえた巨人のようなモンスター。その手にはメイスカテゴリと思われる血染めの片手斧が鈍い輝きを放っている。

 身体の節々からは油の切れたブリキ人形のような奇怪な音を立てて《背教者ニコラス》の瞳がキリトに向いた。

 

「うるせえよ......」

 

 キリトは剣を構える。

 三十五層とはいえ中ボスクラスのモンスター。本来ならパーティかそれを複数束ねたレイドを組んで挑むことを前提に設定された《背教者ニコラス》は一人のプレイヤーのステータスなどはるかに凌駕するステータスだ。

 たとえ最前線で戦っているキリトであろうが、全力で挑んでも死ぬかもしれない相手。しかし同時に全力で挑めば勝てるかもしれない相手だ。

 

「でぇあああああああああああああっ!!」

 

 

 

 



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33話 「罪と罰と赦し」

 

 

 

「キリトさん......」

 

 駆けつけたメイプルはキリトにかける言葉を見つけられずにいた。

 メイプルの足で到着する頃にはすでに戦闘は終わっていたようで、キリトの手には見たこともない結晶アイテムが握られている。

 しかし雪原の真ん中で全身に吹雪を受けながら立ち尽くすキリトの表情は虚ろなままだった。

 

「それが...?」

 

「ああ、蘇生アイテムだ......」

 

 色味のない返事で返すキリト。

 不意にその手から力が抜けて、ドロップアイテムの《蘇生結晶》が降り積もった雪の上に落ちるが、キリトは気にも止めずに歩き出す。

 

「キリトさん、アイテムが......」

 

「欲しければ持って行ってくれ。俺には必要ない......」

 

 その言葉の真意が分からないでいたメイプルは《蘇生結晶》を拾い上げると指先でタッチしてアイテムの説明欄を呼び出した。

 

「使用できるのは、対象のプレイヤーが死亡してから完全に消滅するまでの十秒以内......そんなっ!」

 

 HPが全損したプレイヤーはポリゴンとなってほんのわずかな間、フィールドを漂う。それはアイテムの記載にもあるとおり、時間にして十秒というあまりに短い時間だ。

 これはその刹那の時間にのみ、効果のある蘇生アイテム。

 

「こんな...こんなことって......」 

 

 その場にへたりと座り込んでしまったメイプルは歩き去っていくキリトの背中を見た。生気を失って今にも消えてしまいそうな姿に《蘇生結晶》を手にしたまま立ち上がる。

 

(ダメ! 今のキリトさんを一人にさせちゃいけない!)

 

 重い足を必死に動かしてメイプルは後について行く。

 かける言葉は見つからない。それでもこのままキリトを一人にしてしまうことへの恐怖がメイプルを動かした。

 それからは無言のまま、二人は森を抜けてアルケードの街に入り、何日ぶりかにキリトの宿に入った。

 部屋の明かりもつけずにベッドに座り込んだキリトの横にメイプルは腰を下ろす。

 するとずっと黙ったままでいたキリトはおもむろに口を開いた。

 

「聞いてくれないか? 俺が生き返らせたかった人のこと」

 

 メイプルは口をつぐんだまま頷く。

 

「このゲームが始まってから一度だけ、俺はギルドに入っていたことがある」

 

 それはビーターと呼ばれたキリトが本当の意味で一人になってしまった事件。 

 

「俺を入れても六人しかいない小さなギルドで、名前は《月夜の黒猫団》。正直彼らのレベルは俺よりかなり低かった。だから誘われたとき俺が自分のレベルを言ったら引き下がったと思う。でも俺は自分の本当のレベルを隠してギルドに入った。でもある日、迷宮区のトラップに引っかかって俺以外の全員が死んだ。ビーターだってことを隠してなかったら、あのときトラップの危険性を納得させられたはずなんだ。みんなを、サチを殺したのは......俺だ」

 

(サチ、それがキリトさんの生き返らせたかった人)

 

 ビーターとしてβテスターへの恨みを一身に引き受けて、一人になって、ようやくできた居場所も大事な人も、この世界はあっさりと奪っていったのだ。

 キリトは言葉を続ける。

 

「俺には......なにも守れなかった」

 

「でも、キリトさんは初めて会ったわたしを助けてくれました。このゲームのこといろいろ教えてくれて、守ってくれたおかげでわたしは今も生きてます」

 

「ははっ...そう見えるだろうな。メイプルには。でも俺は、メイプルが思うほどいい人間じゃないんだ」

 

 乾いた笑みを浮かべてキリトは言った。

 

「俺はその後、最前線で無理なレベル上げを始めた。限界まで戦って、戦って、戦って、それでもし死んでしまえば、それが自分に対する罰になると思ったんだ。だけどいくら戦ったってこの世界は俺を殺してはくれない。メイプルに会ったのはそんなときだ」

 

 メイプルは息を呑んだ。

 二人が初めて出会った四十九層の迷宮区。あの日、空から現れたメイプルを受け止めたキリトはまさにそんな思いで戦っている最中だったのだ。

 

「最初は街まで送るだけの軽い気持ちだったよ。だけど理不尽なデスゲームにさらされて怯えるメイプルにサチの姿が重なって見えて、だからあのときの俺はこれが最後のチャンスだと思った。今度こそこの手で守り抜いてみせるって、でもやっぱりダメだな。俺は」

 

 そのとき初めて、キリトはメイプルの目を見た。

 自責と後悔が入り混じった、グチャグチャな顔だった。

 

「クリスマスイブの夜にだけ現れる《背教者ニコラス》。こいつが蘇生アイテムをドロップするって噂を聞いたとき、もしかしたらサチを生き返らせることができるかもしれない。彼女が最期に言い残した言葉をちゃんと受け止めるチャンスがあるのかもしれない。その可能性を知って、欲が出たんだ......」

 

 この噂を知ったキリトは真っ先に情報屋であるアルゴに取引を持ちかけた。

 しかしアルゴの持つその情報も裏付けるものはなにもなく、それこそ噂レベルでしかなかった。確証のない情報ということもあってアルゴも最初は情報を売ることを拒んだが、それでも頑なキリトの様子に、ついに情報屋としてのポリシーを曲げた。

 イブの夜に《背教者ニコラス》が三十五層にある迷いの森の奥、巨大なモミの木の前に出現するという情報をキリトに売ったのだ。同時に、キリトがこの情報を買ったことをアルゴはメイプルに話した。

 それから先のことはメイプルも目の当たりにしたとおり。結果的にアルゴの情報は正しかったが、それはキリトの願いを叶えるには至らなかった。

 

(キリトさん......)

 

 こんな時ですら、かける言葉を見つけられない自分をメイプルは呪った。

 それでもとメイプルが口を開きかけたときキリトの目の前でギフトボックスのアイコンが点滅する。

 

「......?」

 

 キリトの指が無気力にそれをタッチすると、その目が驚愕に見開かれる。メイプルも側に寄って展開されたシステムウィンドウを横から覗き見る。

 それはアイテムギフトが届いたことを通知するものだった。以前アルゴの作る新聞がキリト宛に届いたときにも同じものを見た覚えがあったが、送り先の名前を見てメイプルは思わず声を上げた。

 

「うそ......!」

 

 それは死んだはずの《月夜の黒猫団》のメンバー、サチから届けられたものだったのだ。

 

「キリトさん...これって......!」

 

「ああ......」

 

 キリトは送られてきたアイテムをオブジェクト化する。すると転移や回復用のものとはまた違う、正八面体の形をした結晶アイテムがその手の中に収まった。

 微かに指先を震わせながら、キリトはその結晶をタッチする。起動エフェクトによる光がキリトとメイプルの顔を黄色く染めた。

 

『メリークリスマス。キリト』

 

「っ!」

 

 それは《録音結晶》と呼ばれるものだった。使用することでプレイヤーの音声を録音することができるアイテム。つまりその声の主は。

 

(この声が、サチさん......)

 

 今はもう死んでしまった、かつてのキリトの仲間の声。

 その声を発する《録音結晶》の輝きをメイプルは呼吸も忘れそうなほどに見入っていた。

 

『君がこれを聴いているとき私はもう死んでいると思います。なんて説明したらいいのかな。えっとね、ほんとのこと言うと、私はじまりの町から出たくなかったの。でもそんな気持ちで戦ってたらきっといつか死んでしまうよね。それは誰のせいでもない私本人の問題です。キリトは、あの夜からずっと毎晩毎晩、私に絶対死なないって言ってくれたよね。だからもし私が死んだらキリトはすごく自分を責めるでしょう。だからこれを残すことにしました』

 

「サチ......」

 

 こぼれたように呟くキリトの手の中で、結晶は録音された音声を流し続ける。

 

『それと、私ほんとはキリトがどれだけ強いか知ってるんです。前にね、偶然覗いちゃったの。キリトが本当のレベルを隠して私たちと一緒に戦ってくれる訳は、一生懸命考えたんだけどよくわかりませんでした。ふふっ...でもね、私、君がすっごく強いんだって知ったとき嬉しかった。すごく安心できたの。だからもし私が死んでもキリトは頑張って生きてね。生きてこの世界の最期を見届けて、この世界が生まれた意味、私みたいな弱虫がここに来ちゃった意味、そして君と私が出会った意味を見つけてください』

 

 キリトは泣いていた。

 とめどなく溢れる涙を長い前髪の影で隠しながら、悔しさに拳を握り締めて。サチの言葉、想い、そしてメッセージの締めくくりに歌うサチの『赤鼻のトナカイ』を心の奥底で噛み締めながら。

 

『じゃあねキリト。君と会えて、一緒にいられて、ほんとによかった。ありがとう。さよなら』

 

 サチのその言葉を最後に、結晶は光を失った。

 

「キリトさん......」

 

 呼びかけてもキリトはなにも答えない。

 そんな嗚咽を噛み殺すように肩を震わせて静かに泣いているキリトをメイプルは優しく抱きしめた。

 

「......っ!」

 

 その行動があまりにも意外だったからなのか、それともキリト自身がこのままでいたいと無意識に望んだのかはわからない。それでも自由に動かせるはずのキリトの身体は、抱きしめてきた小さな温もりをどかせずにいた。

 

「メイ...プル......?」

 

「あっ、えっと、勝手なことをしてすみません。でも...ようやくキリトに言いたいこと、見つけたから」

 

 メイプルはそのまま手を離すことなく抱きしめ続けた。

 暗がりの中で震えるキリトの姿が、まるで迷子のように見えたのだ

 

「キリトの想いも頑張りも、きっと十分に伝わってたと思う。サチさんはキリトのこと恨んでなかったんだよ。だからもう休んでいい。赦されていいんだよ......」

 

 メイプルの言葉に合わせて、強ばっていたキリトの身体から余計な力が抜け、その腕に新たな重みが加わる。

 

「本当に...そうなのかな......?」

 

「...うん」

 

「本当に俺は、赦されていいのかな...?」

 

「いいんだよ...」

 

「...っ!」

 

 キリトはメイプルの背中に手を回すと、くしゃりと服の生地を握り締めた。

 ずっと、キリトはこの言葉を待っていたのかもしれない。

 全てを失った悲しみで、どうしていいかわからなくなってしまった自分に。

 サチを失ったその日からずっとキリトを縛り続けたもの。逃げられない罪の意識から、最前線で自分に課し続けた罰が、もう十分だと、そう言って赦されることを。

 

「うっ...うぅ......ぐすっ...うっ......うあああああぁああぁぁぁあ! ああああああぁぁあああぁ!」

 

 .

 .

 .

 .

 .

 .

 

 わたしは抱きしめるその腕に、一層力を込めた。

 キリトを苦しめ続けた、痛みや悲しみ。それは誰かが代わってあげることはできない。そしてあの事件が起こったことを、なかったことにしてあげることもできない。

 そんな中でわたしがキリトにしてあげられることがあるとすれば、それはこの涙が止まるまで、震える身体を抱きしめてあげることくらいだろう。

 キリトは子どものようにひとしきり泣いて、そのまま意識を失ったように眠った。

 身体から完全に力が抜け、わたしの両腕に体重を預けているキリト。それでも抱き抱えられたキリトの寝顔はどこか嬉しそうで、ときどきわたしがそうしてもらうように、ゆっくりとクシャクシャになった髪を撫でた。

 

「こうして見ると、キリトの顔...ほんとに子どもみたい」

 

 普段纏っているオーラというか、歳不相応に冷めた様子がひと回りもふた回りもキリトを大人っぽく見せていたのかもしれないけど、目の前にあるあどけない寝顔はホントに子どものようだった。

 見た目からして中学生くらいかな? わたしより一つか二つは歳下に見える。

 だけど、このSAOという異常な世界がキリトに子供でいることを許さなかったんだ。歳相応の子供でいるには、きっとキリトは見なくていいものをいっぱい見てきたんだと思う。

 

「これからはわたしが守ってあげるから、キリトは絶対死なせない。キリトにとって大切なものも、みんな死なせない。わたしが盾になって君のそばにいる限り...絶対に」

 

 そうして、わたしにとって初めて過ごすゲームの世界の聖なる夜は過ぎていった。




評価・感想お待ちしております
ではまた次回〜


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34話 「疾風の訪問者」

真面目な話が終わってよーーーーやく前書きふざけられる(●ꉺωꉺ●)
長かった!
ようやくだ!
サンバ!


 

 

 

 誰よりも速く、誰よりも遠くへ。遍くこの世界を駆け抜けるために。

 

 

 

 サリー、本名は白峯理沙。

 彼女はNWOの世界を走り続けた。

 ステータスポイントの全てをアジリティ、素早さに極振りしてVR世界を駆け回る毎日。

 すべての階層の端から端まで探し回り途中モンスターと遭遇すれば応戦する。上級者向けのゾーンでは自分よりレベルの高いモンスターと戦うのは日常茶飯事で、それを持ち前のPSで狩って、狩られて、死に戻りすればすぐさま同じエリアに戻る。

 そんな通常のVRMMORPGだからこそ可能な無茶な探索はサリーのレベルをたちまちのうちに引き上げて、その度に割り振られるステータスポイントのほとんどすべてがアジリティに注ぎこむ。

 全てはこの世界にいるはずである親友を探し出すために。

 しかし、それがある日のことだ。

 フィールドを走っていると、目の前のフィールドグラフィックがプリントした写真に水がにじむようにして荒れだした。

 それはあたり一面を侵食して、やがて足元の地面が崩れて落ちていく。

 このとき初めて気がついた。

 探していた親友が本当はどこの世界にいるのかを。

 

 

 

 

 

 

 キリトがフィールド内を探索していると《索敵》スキルに反応があった。

 

「プレイヤーか? こっちに向かってきてるな」

 

 マップに表示された赤いマークが一直線に近づいてくる。モンスターとは考えられないほどの移動速度から、その反応がプレイヤーのものだとわかる。

 キリトはマップが示す方角を見やった。

 そこはおおよそ道と言えるようなものが見当たらずキリトの腰程の高さにまで生い茂った草木で完全に塞がれているが、体勢を低くして身を潜めているのか、それらしい姿は見えない。

 しかしその反応がキリトの立ち位置とほとんど重なるほどに近づいてきたのにも関わらず、まったく人のいる気配を感じなかったのだ。

 キリトは背中の片手直剣に手を添えて周囲を警戒する。 

 

(どこだ...? 《隠密》スキルの熟練度をコンプリートしたって完全に姿を消すのは不可能だ。絶対に目に映るどこかにいるはず......)

 

 背筋に緊張が走り、周りの景色に目を凝らす。

 そのとき、頭上から風もなく落ちてきた木の葉を目にして咄嗟に上を見た。 

 すると真上にあった太い木の枝。そこからフード付きのケープで顔を隠したプレイヤーが虫を捕食するフクロウのように物音一つ出さずにキリトの背後に降り立つと、すぐさま喉元に短剣の刃が突きつけられる。

 

「武器から手を離しなさい。さもないと首から上が吹っ飛ぶよ」

 

 それは若い女性の声だった。歳で言えばおそらくキリトとそこまで離れていないであろう声。

 キリトは無闇に後ろを振り返るようなことはせず、言われた通りに背にした剣からゆっくりと手を離す。

 わざわざ頭上のアイコンを見るまでもない。明らかに手馴れた犯罪行為、オレンジプレイヤーであることは間違いなかった。

 

「レアアイテム狙いか? 悪いけどこっちはまだフィールドに降りたばかりで大したものを持ってない」

 

「こっちも時間稼ぎに付き合っている暇はないんだよねぇ。帰ったらあんたたちのボスに伝えなさい。私は二度と関わるつもりはないってね」

 

「話が読めないな。言っておくけど、俺は一介のソロプレイヤーだ」

 

「そう? 別にどっちでもいいわ。正直疑る余裕もないから。いずれにしてもしばらくここで寝ていてもら―――」

 

 その言葉を言い終えるのを待たずして、ライトエフェクトを纏ったキリトの肘打ちが背後にいたプレイヤーの腹を穿った。

 

「い...っつ!」

 

 プレイヤーの手からキリトの首に突き刺そうとした投擲用のピックが落ちる。おそらくは麻痺かなにかのバットステータス付与の効果のあるものだろう。

 キリトは《体術》スキルによる想定外の攻撃で怯んだ隙を逃さず、すぐさま身を翻して距離を取ると、背中の片手直剣を引き抜いた。

 相手の頭上にはやはりオレンジのカーソル。

 犯罪者、オレンジプレイヤーであるならば、たとえ剣で攻撃を加えても犯罪行為とは見なされない。殺さない程度なら思う存分戦える。

 その証拠に《体術》スキルで反撃したキリトのカーソルは緑のままだ。

 

「オレンジギルドなのかソロの盗賊なのかは知らないけど、襲う相手くらいはもっと慎重に選んだほうがいいぜ」

 

「くっ...!」

 

 素顔を知られるわけにはいかないのか、オレンジプレイヤーは戦闘で外れかけたフードを目深に引っ張ると短剣を構え直す。

 奇襲が失敗したからといって逃げるつもりはないようだった。

 

「はあああーっ!」

 

 オレンジプレイヤーは短剣を逆手に構えてキリトに斬りかかった。それに応じたキリトは一定の距離を保ちながら正面に剣を構える。

 

(攻撃速度じゃあ勝てないだろうけど、こっちのほうがリーチが長い。懐にさえ潜り込ませなければ―――)

 

 短剣のリーチの外からキリトは剣を振るう。

 大上段から振り下ろした一撃をオレンジプレイヤーは逆手に構えた短剣で防いだ。

 ただ防いだのではない。キリトの斬撃に対して鈍角に構えて攻撃の軌道そのものを自分から逸らす。いわゆる〝流し〟と呼ばれる技術だった。

 金属の擦れる嫌な音が一瞬響き渡り、片手直剣が虚しく空を切った。

 腕を振りきって体勢の崩れたキリトにオレンジプレイヤーは手首のスナップを効かせたコンパクトな攻撃で切り結んでいく。

 

「くっ...!」

 

 キリトは初撃を身体を反らせて躱し、二擊目からは剣を使ってガードする。

 短剣のアジリティ補正を活かした手数重視の攻撃。時折フェイントを織り交ぜながらクリティカル判定にブーストのかかる頭や喉、胴体に向けて的確に攻撃を加えていく。しかし、攻撃が加える度に下へと落とされる視線にすぐさまキリトは気がついた。

 

(こっちの右手を見すぎだ。武器落とし狙いが目線でバレバレだぜ...!)

 

 案の定、連撃の最中に片手直剣を持った右手にめがけて短剣が振り下ろされる。それを弾き返そうとキリトはカウンターで攻撃を合わせるが突如、短剣を握った手が手首を反すことで瞬時にその軌道を変えた。

 目の前で一転した刃がキリトの額に迫る。

 

「はぁっ!」

 

(なっ...!)

 

 反射的に攻撃を止めて仰け反るように避けるキリト。

 それにワンテンポ遅れてキリトの右手に向けられていたままだった視線が、命中の是非を確認するように顔に向けられる。

 よそ見斬り。自身の視線すら利用したフェイントだ。

 

「っ...せああああっ!」

 

 仰け反った身体を捻ってキリトは斜めに剣を振るう。

 ソードスキル《スラント》。その軌道がキリトの意識によって標準よりわずかに下に下がる。その動きからキリトの狙いを察したのか、オレンジプレイヤーの少女は飛び退くようにバックステップで距離をとった。

 

「くっ...!」

 

 武器破壊を狙ったキリトのソードスキルが、短剣を握った腕をわずかに掠めた。装備されたグローブを切り裂き、顕になった素手に刻まれたマークがキリトの目に映った。

 ペイントアイテムで塗ったのか、棺のような黒いシルエットに白く不気味な笑みを浮かべたタトゥー。それがどこのギルドのものなのかキリトにはわからなかったが、おそらくはどこかのオレンジギルドのエンブレムなのだろう。 

 

「あの攻撃を初見で避けたのは君が初めてだよ。まさか、あいつらの中にこんな凄腕のプレイヤーがいただなんてね」

 

「あいつら...? おい、さっきからなんの話をしているんだ?」

 

「とぼけたって無駄だよ!」

 

 話がいまひとつ読めないでいたキリトに構わず、オレンジプレイヤーは地面を蹴った。

 イナズマのように左右に身体を振って接近してくる相手に、キリトは拒むように一定の距離を保ちながら剣を振るう。

 しかしそんなキリトの立ち回りを読んで先回りするようにオレンジプレイヤーはサイドの移動を織り交ぜながら猛スピードで切り込んでくる。

 キリトはたまらずバックステップで距離を取ろうとした。

 

「っ...!」

 

 しかし、バックステップをしたキリトの背中がフィールドオブジェクトである木の幹にぶつかる。

 すぐさま逃げ道を失ったキリトの眼球をめがけて短剣の先端が迫る。あまりにタイミングが良すぎる攻撃。明らかに狙って追い詰められていた。

 キリトは握っていた片手直剣を放ると、突き出された短剣の鍔を強引に掴んで攻撃を止める。静止した刃の先端がキリトの目と鼻の先で鋭く光る。

 そのまま膠着した状況でキリトは口を開いた。

 

「何人殺した...?」

 

「......?」

 

「このデスゲームでそれだけの対人戦のテクニックを...いったい何人殺して手に入れた...?」

 

 



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35話 「レッドプレイヤー」

 

 

 

「このデスゲームでそれだけの対人戦のテクニックを...いったい何人殺して手に入れた...?」

 

 目線を使ったフェイント、相手の逃げ道を塞ぐ巧みなフィールドワーク、軌道の読まれやすいソードスキルに頼らない戦い方。どれもモンスター相手に戦って培われる技術ではない。

 それらは人間という高性能な脳を相手にするからこそ成立するテクニック。言い換えるのであれば人を殺すための技術だ。

 

「あんたたちが......」

 

「...?」

 

「あんたたちが.....それを言うな!」

 

 両手で短剣を押し込み、体重をかけていたオレンジプレイヤーの片方の手が不意に柄から離れた。

 瞬時にその手を腰周りに潜り込ませると、キリトの目にもうひと振りの短剣が翻ったケープの奥に刃を覗かせていた。

 

(二本目...!? こいつ、初めから同じ短剣をもうひと振り隠し持っていたのか!)

 

 今もなお、キリトの脳天に短剣の切っ先を突きつけながら、反対の手に握られた二本目の短剣がキリトを捉える。ガラ空きになった胸に深々と刃が突き刺さり、一気にキリトのHPゲージが削り取られた。

 

「ぐあっ!」 

 

 目の前を星が散ったようにダメージエフェクトの赤いポリゴンがほとばしる。しかしその攻撃だけで終わるはずもなく、流れるように繰り出された二擊目が今度はキリトの首に伸びる。

 

────ドスッ

 

 そのときオレンジプレイヤーの少女から鈍く、重い何かが突き刺さる音が響いた。

 

「うっ...!」

 

 短剣の刃はキリトの喉に届くことなく空を切る。

 次の攻撃は来なかった。少女が剣を振るった勢いで体勢を崩し、よろめいたかと思うとそのまま前のめりに倒れ込んだからだ。

 見てみると投擲用のナイフが二本、背中に突き刺さっていた。HPバーを見れば麻痺と流血のバッドステータスが同時に発生している。

 

「おい、あんた大丈夫か...?」

 

「おおーっとそれ以上近づくなよ。ブラッキーボーイ♪」

 

「っ!」

 

 その声に反応してキリトは瞬時に下がった。

 《索敵》スキルを全開にしてみるが、キリトですら相手の位置がわかる程度でレベルやHP状態といったその他の情報がわからない。

 分かることがあるとすれば、そんなキリトの《索敵》スキルを上回る《隠密》スキルの持ち主。しかしそんなプレイヤーはこのアインクラッドでは数える程しかいない。さらにバットステータス付与に長けたオレンジプレイヤーとなれば、キリトの知る限りたった一人だけ。

 

「あんた、ジョニー・ブラックか......」

 

「へぇーよく知ってんじゃん。俺ってそんな有名人?」

 

 キリトは茂みに向かって剣を構える。

 するとオレンジ色のカーソルをした黒マントのプレイヤー、ジョニー・ブラックが手をひらひらと振りながら出てくる。

 

「まあ待ちなって。俺はあんたと殺し合いをする気はねえよ。そこに転がってる脱柵者に用があるのさ」

 

「脱柵? この子はお前の仲間なのか?」

 

「まあ、そういうことだぁね〜」

 

 そう言ってジョニー・ブラックはローブの袖をめくって見せる。腕には今しがた見たものと同じ、棺桶のエンブレムが刻まれていた。

 

「まさかお前...オレンジギルドに入ったのか」

 

 フードの向こうに見えた凶暴な笑みが、そのまま答えになっているかのようだった。

 ジョニー・ブラックはこれまで高い《隠密》スキルと巧みな麻痺毒による状態付与で多くのプレイヤーを殺してきた快楽殺人者だ。

 アルゴが秘密裏に収集し、大手ギルド《アインクラッド解放軍》によって配布されている殺人歴のあるオレンジプレイヤーのリストにも要注意プレイヤーとして名前が挙がっている。

 

「なかなか面白い面々が揃ってんよぉ。名の知れたやつで言うなら赤目のザザにJJ(ジャックジャック)、他にもやべえやつらがゴロゴロいやがる。そこに転がってるそいつも含めてな」

 

 動けない身体を懸命に腕で支えるオレンジプレイヤーをあざ笑うように指さした。

 キリトも話を聞いた限りではジョニーを含め、どれも殺人プレイヤーとしてよく知られている肩書きだった。これまでは個人単位で行動することの多かった殺人プレイヤーだったが、それが一つのギルドにまとまったのだというのだから事態は深刻だ。

 しかし、それ以上に気になることが一つ、キリトにはある。

 

「そんなの誰が仕切ってる...? アンタを含めてそいつらは今までどこのオレンジギルドにも迎合しなかったソロばかりだ。それだけの面々をいったい誰が......」

 

「言えるわけないし。まあ、そのうち会えるだろーっと」

 

 そう言ってジョニー・ブラックはオレンジの少女を小脇に抱え上げる。

 

「まったく手こずらせてくれたなぁサリーちゃん。ヘッドが待ってるぜ?」

 

「くっ...離して、この!」

 

「待てよ」

 

 立ち去ろうとするジョニー・ブラックの前にキリトは立ちはだかった。剣を肩にかけるようにした構え。それはすぐさまソードスキルのモーションに入れる体勢だ。

 

「その子はあんたたちから逃げてきたんだろ? だったらここで黙って連れて行かせるわけにはいかないな」

 

「はっは♪ やる気満々じゃん。でもいーのかなぁ。こいつを追ってたのは別に俺一人じゃないんだぜ?」

 

 キリトがその言葉の真意に気がついたのは索敵スキルが四方八方から一斉に迫ってくるプレイヤーの反応を認めたからだ。

 おそらくサリーにナイフを投げ込んだ時点で他のメンバーにも居場所を伝えていたのだろう。部下をキリトの索敵スキルのギリギリ届かない場所で待機させて、あとはなんらかの合図を送るだけですぐにこちらに向かってこっるように手はずを整えていたのだろう。

 

「くそっ!」

 

 キリトの正確な立ち位置はわからなくてもおそらく仲間のレッドとフレンド登録をしているであろうジョニー・ブラックの位置はギルドメンバーの中で共有されている。それの情報をもとにキリトの索敵範囲を割り出して強襲。

 これまでのレッドプレイヤーたちにはなかった統率された動きだ。

 

「じゃ〜ね〜ブラッキーボーイ♪ お前の運がよかったらまた会えるんじゃん?」

 

 ジョニー・ブラックは牽制にナイフを数本投擲するとサリーを抱えたまま草むらに飛び込んだ。

 それをキリトが剣で弾いている間に、目に見える距離にまで近づいた数人のプレイヤーがぐるりとキリトを取り囲んでいた。どのプレイヤーの頭上にもオレンジ色のカーソル。

 しかしジョニーの仲間である以上はただの犯罪者プレイヤーではない。殺しを専門にするレッドプレイヤーたちだ。

 

「全部で七人か......どいつもレベルは俺より低いけど、AIじゃない本物の知性を持ってるだけでモンスターより厄介だな」

 

 そうでなくても基本的にSAOではモンスターを相手に一対多の勝負になることはトラップにでも引っかからない限り起こりえない。広範囲を殲滅できるような魔法もない世界。範囲型のソードスキルでも剣のリーチにプラスアルファ程度にしかならないようなSAOで敵に囲まれることはすなわち死に直結する。

 

(それでも俺のレベルなら勝てる相手だけど、こいつらはモンスターじゃない。俺と同じ人間でHPがゼロになれば現実の身体も死ぬんだ......)

 

 人殺しのレッドプレイヤー、たとえそうであっても人間を相手に剣を振れるのか。少なくとも一対一だったときとは違いプレイヤー全員の武器破壊を狙えるほどの余裕はキリトにはない。

 だとすれば本当に、殺す気で戦うしかジョニー・ブラックを追いかける方法はない。

 

「.........」

 

 剣を握るキリトの手にジワリと嫌な汗が滲んだ。

 



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36話「ラフィン・コフィン」

今月初の投稿だよん(●ꉺωꉺ●)




 

 

 

「くっ...!」

 

 一斉に斬りかかるレッドプレイヤーにキリトは剣を構えた。反撃は最低限の牽制で致命的なダメージの及ぶものは避けて攻撃を加えていく。

 全体的なプレイヤーのレベルから考えると、この包囲を抜けてさえしまえばおそらくキリトの足に追いつけるプレイヤーはいないだろう。

 

(まだ今ならジョニー・ブラックに追いつくかもしれない。とにかくこいつらをどうにかしないとな)

 

 キリトは正面にいた壁役の一人に向かってソードスキル《ヴォーパル・ストライク》を放った。

 ノックバックしたプレイヤーを飛び越えて一点突破を試みるが、どうやら集団PKにはかなり慣れているらしい。すぐさまバックアップに入ったプレイヤーのソードスキルを防御したころには突き飛ばした壁役も体勢を立て直し、状況は振り出しに戻っていた。

 

(くそっ! こうもうまく連携を取られちゃ......)

 

 オレンジプレイヤーが相手とはいえキリトに殺しはできないであろうことも織り込み済みなのだろう。

 キリトほどのレベルのプレイヤーから連撃系のソードスキルを喰らえば、それだけでHP全損もあり得る。しかしキリトを囲むプレイヤーたちからはそれを恐れている様子は微塵もなかった。

 反撃を顧みない人数にモノを言わせた強気な攻撃だった。

 

(どう突破する? 範囲技のソードスキルでもこの数は対応しきれないぞ)

 

 キリトは視界の端を見た。

 《索敵》スキルによって拡張されたマップデータは今もジョニー・ブラックとサリーの位置を捉えているが、これ以上引き離されればキリトの索敵可能範囲を超える。仮に後から《索敵》スキルを全開にして逃げた方角に向かって走ったとしてもジョニー・ブラックの《隠密》スキルで潜伏されたら見つけることはまず不可能だろう。

 

「...っ!」

 

 その時だった。

 キリトの見ていたマップ上にジョニー・ブラックの逃げた方とは真逆の方向から複数のプレイヤーが近づいてくる。

 数は全部で二十人、四パーティを束ねたレイドだ。

 

(これは...オレンジギルドの増援か? だとしたらこの数はさすがにまずい)

 

 キリトは苦々しく奥歯を噛み締める。

 追うのを諦めて、《転移結晶》で圏内まで逃げることも判断の一つとして考え始めたとき、キリトの目に映っていたレイドの中からたった一人の反応が、まるで弓から放たれた矢のようにまっすぐと、凄まじい速度で接近してくる。

 

「せああああああっ!」

 

 白く鋭い影が、キリトの目の前を横切った。

 抜き放たれたレイピアによる突きがすぐそばにいたレッドプレイヤーの喉元を捉える。

 

「ぐああっ!」

 

 移動速度によってブーストのかかったソードスキル《リニアー》。それを繰り出したプレイヤーの姿を見てキリトは肩の力を抜いた。

 

「......お勤めご苦労様。アスナ」

 

 キリトの言葉に返事を返すことなく、アスナは一瞬だけキリトに視線を送るとすぐさま目の前のレッドプレイヤー立ちに向き直る。

 

「もうじき他の団員もここに到着するわ。全員武器を捨てて投降しなさい」

 

「くそっ! おいお前ら引くぞ!」

 

 キリトを囲んでいたうちのひとりがそう号令をかけたものの、PKの連携に比べてろくに統率が取れていないようだった。

 蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げていくレッドプレイヤーを一瞥したアスナはすっと息を吸って声を張り上げる。

 

「総員、散開して捕縛しなさい。誰ひとり逃がさないで」

 

 するとアスナの背後から続くように到着したプレイヤーが次々とそのあとを追いかける。

 全員が《血盟騎士団》を象徴する白を基調とした装備を身にまとっていて、それだけでアスナの指揮するギルドのメンバーであることがわかる。どうやらアスナがレイドを組んでここまで団員を引き連れて来たようだった。

 到着から鎮圧までは、本当にあっという間の出来事。

 

「すごいな。どのプレイヤーもアスナほどではないけど、アジリティがかなり高い。速度重視でポイントを振ってたにしても全員が攻略組の二軍でも通用するレベルだ」

 

 それだけレッドプレイヤーを追いかける団員一人一人のスピードはキリトの目から見ても卓越していた。

 単純な規模で言えば《アインクラッド解放軍》や《聖龍連合》には劣るものの、プレイヤーの質やギルドの組織力、それらを含めた総合的な力でいえばアスナの所属する《血盟騎士団》は間違いなくアインクラッド最強のギルドだ。

 アスナたちによって瞬く間にレッドプレイヤーが捕縛、拘束されていく。おそらくこのあとは第一層にある黒鉄宮へと連行するのだろう。

 その一連の様子を眺めていたキリトにアスナは口を開く。

 

「それにしてもキリトくん。大人数のオレンジプレイヤーとソロで大立ち回りだなんて無茶しすぎよ。いくら自分よりレベルが低い相手だからってどんな方法で攻撃してくるかもわからないのに」

 

「ま、まあそれは......」

 

 その言葉にぐうの音も出ず、キリトは目を逸らした。

 先ほど立ち去ったジョニー・ブラックが良い例で、麻痺と流血のバットステータスを駆使した戦い方はPVP戦においてそれなりのレベル差でも簡単に覆してしまうほどに脅威的なものだ。

 そういった戦い方にせよ、なんにせよ、普通のプレイヤーには想像もつかないような方法でオレンジプレイヤーは攻めてくる。それはキリトも重々承知していることだった。

 

「そ、それはそうと、《血盟騎士団》の面々がこんなところにどうしたんだ? 迷宮区のあるエリアからはずいぶん外れた場所だし、レベリングの最中ってわけでもないんだろ?」

 

 到着してからの手際の良さもさる事ながら、団員が都合よく拘束用のロープを持って来ていたことからも、ここでキリトとレッドプレイヤーが戦闘をしているところに偶然アスナたちが遭遇したのだとも思えない。

 

「ここには《ラフィン・コフィン》の情報を得て来たのよ。つい今朝に創立を宣言したオレンジギルドなんだけど、宣言したメンバーが転移結晶で移動するとき、このエリアをコマンドしているところを聞きつけたプレイヤーがいてね。捕縛するためにアジリティ型の団員を連れて先見に来たところに、どこかの誰かさんが集団PKを受けてるのを見つけたの」




サリー登場の反響が予想以上すぎたw
そうかみんなそんなにサリー好きか


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37話「老紳士の侮蔑」

 

 

「ここには《ラフィン・コフィン》の情報を得て来たのよ。つい今朝に創立を宣言したオレンジギルドなんだけど、宣言したメンバーが転移結晶で移動するとき、このエリアをコマンドしているところを聞きつけたプレイヤーがいてね。捕縛するためにアジリティ型の団員を連れて先見に来たところに、どこかの誰かさんが集団PKを受けてるのを見つけたの」

 

 まったく、といった様子でため息をつくアスナ。

 キリトは顎に手を当てて考え込むような仕草をする。

 

「《ラフィン・コフィン》......直訳すると、笑う棺桶って意味になるのか。たしかに連中のエンブレムはそんな感じだったな」

 

 その言葉にアスナはピクリと反応した。

 キリトは二人のオレンジプレイヤーの腕に刻まれていたタトゥーを思い出す。黒い棺桶に白く不気味な笑みが描かれたそれは、たしかにギルドの名前を象徴するようなデザインだった。

 

「もしかしてキリトくん......《ラフィン・コフィン》のギルドエンブレムを見たの?」

 

「え? まあそれっぽいのは見たよ。逃げていった二人のプレイヤーの腕に同じデザインのタトゥーペイントがついてて────」

 

 そこまで口にした次の瞬間にはアスナはキリトの胸ぐらを掴んで詰め寄っていた。目の前で大アップになったアスナの顔はまさに真剣そのもの。

 

「その話詳しく!」

 

「いや、詳しくもなにもそいつらの腕を見てみればわかるよ。右手首の少し上に棺桶のエンブレムがあるんだ」

 

 キリトはロープでグルグル巻きにされている《ラフィン・コフィン》のメンバーを指差した。

 その言葉を聞いたアスナは団員の一人に目配せをする。その意図を読み取った団員は静かに頷くと、捕まえたプレイヤーの一人の袖に手をかけた。

 

「ふむ、見たところ何もないようですな」

 

 念のため残る六人の腕を確認してみるが、ジョニー・ブラックの腕にあったようなエンブレムペイントが施されたプレイヤーは一人もいなかった。

 

「どういうことなのかしら? キリトくん、エンブレムのペイントされている場所は確かなの?」

 

「まあアイテムを使ったペイント自体は身体のどこにでもできるから、右腕が絶対ってわけではないだろうけど、さっきの二人は同じ場所で統一していたからな」

 

 そんなあいまいな答えを返すキリトに業を煮やしたのか、袖のタトゥーの有無を確認していた老齢なプレイヤーがしがれた声で怒鳴った。

 

「この若造が! よもや我らを欺くためにデタラメを話しているわけではないだろうな!」

 

 燕尾服のようなシルエットの服の上に薄いプレートアーマーを纏ったフェンサー。これまでのボス攻略にも幾度となく参加しているところを見たことがある《血盟騎士団》でも有力なプレイヤーであったはずだとキリトは記憶していた。

 アスナは諭すように声を張り上げたプレイヤーに視線を送る。

 

「アルフ、この人が怪しいのはわかるけど、一応信用はできる相手よ。心配しなくてもいいわ」

 

「しかしアスナ様、このアルフレッドめにはこの男が信用なりません。素性も分からぬソロプレイヤーであるだけでならまだしも、攻略組の間では度々良くない噂を聞きます」

 

 その言葉にキリトの表情が曇る。《ビーター》という言葉はすでにアインクラッド中で広く知られている。当然それと同じくらいキリトに対する悪評も広まっていることは当の本人が一番知っていることだった。

 

「フン...」

 

 鼻を鳴らし、優雅にメガネの位置を直すアルフレッドという老プレイヤー。そのレンズの奥の眼差しは軽蔑しきったような色を浮かべてキリトに向けられていた。

 

「なんでもさる有力な情報筋の話ではこの男、部屋にビギナーの女性プレイヤーを連れ込んではソードスキルで鎧を剥く鬼畜であるとか。そのような者の言葉にどれほどの信憑性がありましょうか!」

 

「おいちょっと待て、それはいったいどこの情報だ!」

 

 アルフレッドの口から発せられた予想外の言葉にキリトは思わず叫んでいた。

 てっきりボスのHP残量を確認しつつ最大威力のソードスキルを叩き込む、ラストアタックボーナス狙いのプレイスタイルや数多の情報を独り占めした《ビーター》。そういった黒の剣士キリトの悪評のことを言っているのかと思えば、それらとは全く無関係な切り口。

  

「それはもう、さる有力な情報筋からの情報です」

 

 その情報筋に心当たりがあるとすれば、キリトの知る限りたった一人だけ。

 途端に膝から下がなくなったかのように力が抜けて、たまらず精神的HPがごっそりと持っていかれる。

 

(さてはアルゴ! 俺を売ったな!)

 

 うすら笑うアルゴのネズミ顔がキリトの脳裏に浮かんだ。

 キリトは宿でメイプルの装備強化を行っていたときのことを思い出す。おそらくキリトたちの部屋を訪れる前に窓越しに中の様子を確認していたのだろう。

 

「.........」

 

 ぞわりとした殺気に気がついてキリトは恐る恐るアスナの方を見る。

 アルフレッドの傍らで鬼気とした表情の上に切って貼りつけたような笑顔を浮かべるアスナ。その手はすでに腰に据えられたレイピアの柄に添えられている。

 

「キリトくん、どういうことか説明してもらおうかしら? あなたメイプルちゃんに指導と称して一体何をしてるのかなぁ。事と次第によっては捕まえたオレンジプレイヤー諸とも黒鉄宮に連行するけど?」

 

「ま、待ってくれ誤解だ! ...いや、言うほど誤解でもないのか? とにかくなにもやましいことはなくてだな」

 

 キリトの弁明もそこそこに、とにもかくにも《ラフィン・コフィン》のメンバー全員にあのエンブレムタトゥーがペイントされているわけではないようだった。ギルドの幹部、またはなにかしら特別なメンバーにのみ刻まれているというのがその場でアスナの出したひとまずの結論。

 

「それで、この後はどうするつもりなんだ? 逃げていった方角はわかるけど、あいつの《隠蔽》スキルを考えると見つけるのは骨だぞ」

 

「そうね、こっちも即席で作ったレイドだからあまり無理はできないし、むしろ深追いして《ラフィン・コフィン》の術中に嵌ってしまう方が危険だわ」

 

「即席...かぁ」

 

 キリトはアスナの率いてきたメンバーを見た。

 これだけの人数を即座に選定して派遣することができるのだから、相変わらず《血盟騎士団》の組織力には頭が下がる。

 

(だけど、これだけのギルドなら任せられるな)

 

 先日のクリスマスの一件からずっと、キリトはあることを考えていた。 

 しかしその考えを実行に移すとなれば、周りの協力が不可欠になる。もっともソロプレイヤーのキリトには頼れるプレイヤー自体が少ないが、キリトにとってアスナは唯一の頼れるプレイヤーであり、幸運にもこのアインクラットで最も適任といえるプレイヤーだ。

 

「なあアスナ、メイプルのことで話...というか頼みがあるんだ。」

 

「頼み?」

 

「ああ、できれば他のプレイヤーには聞かれたくないから、二人で話したいんだけど」

 

 

 

 

 

 

「それがメイプルちゃんのタメになるってことはわかるけど...本当にそれだけのことをしなければいけない必要があるの?」

 

 猛反対するアルフレッドを制して、どうにかキリトの話を聞き終えるとアスナの口から真っ先に出た言葉がそれだった。

 

「それはメイプル次第と言えなくもないけど、十中八九必要になると思う」

 

「......っ」

 

 アスナの眼差しが険しいものになる。

 それだけキリトの話した内容は突拍子もないことだったのだ。

 

「それがいつ、どういう状況起こるかわからない。だからそれがどんなときであっても大丈夫なように準備をしていてほしい。俺にはできない、アスナにしかできないことだ」

 

「それはそうでしょうけど、でも......でも、その後キリトくんはどうするつもりなの?」

 

「どうもしないさ。そのときはまた、ソロに戻る」

 

 なんの迷いもなく言ってのけた。

 それがキリトの考えうる限り、メイプルの身を守る最も確実な方法だと確信していたからだ。

 

「俺はなにがあってもメイプルを守りたい。それがたとえどんな形であっても、このゲームをクリアするその瞬間までメイプルが生き残っていてくれるなら、それ以上に望むことはないよ」



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38話「お金が無い!」

 

 

 それはキリトが《ラフィンコフィン》と戦闘に入ったのと同時刻のこと。メイプルは新年を迎えたアルケードの街をリズミカルな歩調で歩いていた。

 

「コルもだいぶ溜まってきたし、たまにはお買い物なんかもいいよね〜」

 

 メイプルは基本、コルを使うことがほとんどない。

 本来SAOのプレイヤーは剣を使えば使うほど、その武器に設定されている耐久値というものが減少し、一定値を超えると《武器破壊》、消滅する。

 この耐久値というものは自然回復するものでなく、同じ武器を繰り返し使うためには鍛冶屋による装備のメンテナンスが必須だ。

 そのほかにも回復系アイテム、武器強化など、コルの必要な機会は多々あるはずが、メイプルに限ってはその限りではない。

 防具、剣、盾、いずれもメイプルの武器は壊れても再生し、ダメージも余程モンスターとの間にレベル差があるか、ボス級モンスターでもない限り発生しない。 

 極端な話をすれば宿と食事以外にゲーム内通貨を使う機会がないのである。

 

「うふふ〜♪ この通り前から気になってたんだぁ。装備品とかはいいから、とりあえずアイテム系見て行こっかな。そうだ! クリスマスプレゼント! もうクリスマスは終わっちゃったけど、少しくらい遅くなっちゃってもいいよね。なにがいいかなぁ〜」

 

 ルンルン気分でメイプルはそばにあったアイテムショップに入った。

 アイテムショップといっても取り扱っている商品はポーションから服飾、日用品と幅が広く、雑貨屋というのが適切だろう。これといって内装のないシンプルな店内は壁や棚、シートを敷いた床の上などあちこちに取り扱ってる商品が転がっていてその奥には店主と思われる黒人の男性プレイヤーがカウンターに立っている。

 

「すみませーん。商品見せてもらってもいいですか?」

 

「おう、見るだけならタダだぜ。どんなアイテムを探してるんだ?」

 

 バスケット選手のような長身にスキンヘッドという容姿であるのに、自然と威圧的な印象を受けないおおらかなプレイヤーだった。

 

「えぇーっと......クリスマスプレゼントです。なにかいいのはないかなぁって」

 

「そうだな。お嬢ちゃんのプレゼントしたい相手ってのはどんなやつなんだ?」

 

「うーん...同じくらいの歳の男の子で、おとなしい人です。あとは攻略にストイックな感じで、話をするといっつもゲームの話になっちゃうみたいな」

 

「そうなると、実用的なもんの方が喜ばれるんじゃないか? 例えば......ほら、ここのあたりなんてどうだ」

 

 店主がそばにあった木箱を指し示すとメイプルはそれを指先でタッチした。

 

「へぇ〜! いろいろあるんですね。」

 

 メイプルは表示された商品一覧を指でスクロールしていく。中はフィールドで使えるお役立ちアイテムやモンスターのドロップ品と思われる高価な素材アイテムなどでプレゼント向きではなかったものの、喜ばれるという意味ではそこまで外れてはいない。

 

「素材は......どれが必要かわからないから、やっぱりアイテムかな。うーん」

 

 そうやって上から下へと品物を物色していると、ふと目に入った馴染みのあるアイテム名にメイプルの手がぴたりと止まった。より正確にはその横に記載されていたアイテムの値段にだ。

 

「て、《転移結晶》がひとつで一万コル!」

 

 あまりの金額設定に絶句した。

 フィールドからプレイヤーを転移させる結晶アイテム。これまでに何度か使ったこともあり、今もメイプルのアイテムストレージには万が一に備えてキリトから渡された《転移結晶》が入っている。

 

「あの...これってそんなに高いアイテムなんですか?」

 

「そりゃ、結晶アイテムなんてのはドロップか宝箱でしか手に入らない貴重なアイテムだからな。特に転移系はあるかないかで生死を分けることだって少なくないだろ」

 

「ドロップと宝箱だけって......え、普通のお店じゃあ買えないものなんですか?」

 

「ああーなるほど。さてはお嬢ちゃん、第一層のはじまりの街で篭ってた口だな。」

 

「は、はい......まあ」

 

 メイプルは視線を泳がせる。

 ひとつで一万コル、そんな貴重なアイテムをこれまで何度キリトに使わせてしまったことか。よくよく思い出すと慣れない戦闘でなにかと疲れてパフォーマンスが落ちてくると、そんなメイプルを気遣って度々使わせてもらっていた。

 過去の記憶を遡り、キリト自身が使う分を含め一度の転移にあたり二個《転移結晶》を使う計算で数字をはじき出した瞬間、メイプルのこめかみに冷たい汗が流れた。

 

(こんな大事なアイテムだなんて全然知らなかったよ......知らなかっととはいえ、キリトさんには申し訳なくなっちゃうな)

 

 そんなことを思いながら、ほとんど無意識に手をスライドさせてその一つ下の欄にあったアイテム名とその値段を目にしてメイプルは一瞬、思考を止めた。

 

(回廊結晶......二十万コル)

 

 

 

 

 

 

 結局なにも買わずに店を出てメインストリートを後にしたメイプルは途方に暮れていた。

 初めてキリトと出会ったとき、メイプルが転移アイテムを持っていなかったことから使った《回廊結晶》。その金額は駆け出しのプレイヤーであるメイプルからしてみれば、まさに国家予算にすら匹敵する額に思えた。

 

(確かに《回廊結晶》があればボス戦でピンチの時にレイドメンバー全員を転移させることもできるもんね。そう考えたらやっぱりそれくらいの金額しちゃうものなのかも)

 

 先日ボス戦を経験したからこそ、それがどれだけ価値のあるアイテムなのかメイプルにはわかった。

 それに通常の《転移結晶》もなかなか馬鹿にできないほど高価なアイテムで、店で買ってもらった装備品などの準備費用、初日の宿代金、その他もろもろを総計すると......

 

「キリトさんごめんなさいぃぃぃぃぃ!」

 

 浮かれていた自分を呪った。

 稼いだコルがそのまま自由に使えるというだけでメイプルは他のプレイヤーに比べて所持金の多い方ではない。

 初めは本当に低レベルのモンスターを地道に狩り、ボス攻略戦のメンバー入りが決まってからは量より圧倒的質。キリトのアシスト付きで単独でうろつく高レベルのモンスターばかりを相手にしていただけあって戦闘回数自体はお世辞にも多いとは言えなかったのだ。

 

(装備品のメンテナンスは《破壊成長》があるから必要ないし、回復アイテムも使わないからコルは貯まる一方のはずなんだけどなぁ。こうなったら今から迷宮区でモンスターと戦って......うーん)

 

 フィールドに出るときは大抵キリトが一緒だった。それはレベル云々というよりキリトが索敵スキルを展開していない場所ではNWOのスキルを使うことができないのが大きな理由である。

 もちろんNWOのスキルを使わず一人でコルを稼ぐという手もあるが、ストレングスゼロの通常攻撃とアジリティゼロの歩行速度ではあまりに効率が悪い。

 

「うーん、なにか移動も戦闘も要らないクエストとかないかなぁ」

 

 多くのプレイヤーがしのぎを削る剣の世界において、あまりにもぬる過ぎる呟きに、ただし答える声があった。

 

「それならオネーさんが紹介してやろうカ?」

 

「うわっ! アルゴ? ビックリした~」

 

 後ろからひょいと顔をのぞかせたアルゴにメイプルは小さく飛び上がった。

 そんな反応がよほど面白かったのか、ひとしきり笑い終えるとアルゴは機嫌良さげに話を続ける。

 

「実はアルケードの街に新しくオープンした店がバイトを募集しててナ。時給制でそこそこ割のいい仕事だから金に困ってるならやってみたらどうダ?」

 

「ちなみに、情報料ってどれくらいかな? あんまり高いとちょっと難しいかも」

 

「まあ、クエストの情報と違って今回は仕事の斡旋だからナ。情報料はメイプルの働いて稼いだコルの一割を紹介料として受け取るってのでどうダ?」

 

「あ、そういうことなら大丈夫かも!」

 

 悪くない話だとメイプルは思った。

 つまり稼げば稼ぐだけアルゴへの分け前が上がるという寸法だが、裏を返せばそれは実際に稼げる仕事だからこそそういう情報料の取り方をしたほうが収益を得られるという意味になる。

 次の瞬間には食い気味にアルゴに詰め寄っていた。

 

「わたし、そのお仕事やります!」

 

 

 

 



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39話「めいぷるどりーみん」

この作品書き終わったらですけど、
サリーヒロインでもう一作SAO のクロス書くのもありかな~と思う今日この頃

読みたい?(●ꉺωꉺ●)


 

 

 

 通常、ゲーム内の店というのはNPC、システムに沿って動くノンプレイヤーキャラクターが運営するものがほとんどだが、中には一部生産系のスキルを活用してプレイヤーが独自にテナントを購入して運営する場合もある。

 アイテム雑貨屋や武具店、中には料理スキルを生かしたレストランや露店商といったものもプレイヤーが運営できる。

 そして第五十層のアルケードの町に新たな境地を開拓した新進気鋭のプレイヤーショップが開店した。

 名を、《めいぷるどりーみん》

 

「いらっしゃいませー!」

 

 メイプルは来店のベルを耳にすると、素早く笑顔で応対する。

 身に纏う防具はいつもの《黒薔薇ノ鎧》ではない。フリルがふんだんにあしらわれたエプロンに丈の短い濃紺のワンピーススカート。そして何より目を引くのは頭の上で時折ピクピクと動く猫の耳。

 西洋の伝統的なそれとは一線を画す、東洋の島国でサブカルチャーの波により独自進化を遂げたメイドがそこにいた。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

 訪れたプレイヤーはその光景を目にして誰もがこう思った。

 ビックリするほどユートピアと。

 

「はい、ご注文承りましたにゃん♪」

 

 それはビックリするほどユートピア。

 アインクラッド初のメイド喫茶が開店したという情報は、瞬く間に第一層から店を構える第五十層に至るまで遍く轟き渡った。

 これまでにもその手の店をオープンさせようという試みがなかったわけではないが、SAOでは女性プレイヤー自体が極端に少ない。そこでさらに需要を満たせるほどのルックスを持っているプレイヤーとなれば数はさらに限られる。

 結果、肝心のメイドが思うように集まらず頓挫してきたわけではあるが、ここに一人、光明とも言える女性プレイヤーが現れた。

 

「オムライスお待たせしましたー!」

 

 慌ただしく注文をさばいていくメイプル。

 NPCも仕事に加わっているが一定のシステムに従った行動しかできない以上接客の主力はメイプルだ。そうでなくとも大多数の入店客はメイプルを目当てに来店している様子で、店内を行き来するたびにあちこちから視線が集まってくる。

 そしてメイプルがこの店に勤め始めてから一週間が過ぎるころ、開店時間直前にはすでに店の全テーブルが埋まるほどのプレイヤーが店の前で列を成していることもしばしば。

 

(うう......これけっこう恥ずかしいなぁ。でも一人でフィールドに出るより全然稼げるし、あと何日かだけ頑張ったらせめて《転移結晶》だけでもちゃんと返そう!《回廊結晶》については.....ちょっと気長に待っててもらうとして、今回は《転移結晶》の分だけ。あわよくばクリスマスプレゼントにも予算を回せれば......)

 

 そんなことを考えながらメイプルはぐっと拳を握りしめた。そうこうしている間にまた新たな来店者が店のドアを開ける。

 

「いらっしゃいませー! 空いてる席へ...どう......ぞ?」

 

 メイプルの手からトレーごと運んでいたパフェが床に落ちる。

 その視線の先にいたキリトはいたたまれない様子でスッと手を挙げると、やけにこわばった表情に無理やり笑顔を浮かべた。

 

「よ、よお。メイプル」

 

 ガチャリと扉の閉まる音が妙に大きく響いたあと、二人の間に流れた若干の沈黙を破るようにキリトは口を開いた。

 言われた通り適当に窓際の空席を見繕ってとりあえず腰を落ち着けるキリト。そこへマニュアルに従ってメイプルが水の入ったコップを持ってくる。

 

「......お水、どうぞ」

 

「ああ......さんきゅ」

 

 キリトは渡された水の入ったコップに口をつける。それは喉が渇いていたというよりも、そうする以外にどうすればいいのかわからなかったという逃避に近いものだった。

 

「なんというか...うん、まさか本当に働いてるとはな」

 

 つぶやくようにボソリと言ったキリトからメイプルはあからさまに視線を逸らす。

 その空気感は、以前宿屋でキリトがうっかりメイプルの防具を破壊してしまった日の翌日に似ていた。違いがあるとするなら今回は立場がまったく逆ということ。

 

「まあ、いろいろ事情があったと言いますか......そう言うキリトこそどうしてここに?」

 

「メイプルが働いてるって聞いてきてさ」

 

「それはアルゴから聞いたのかな? それとも昨日来たクラインさんからかなぁ?」

 

「ああ、うん、まあ確かにクラインからも聞いたけど、それより前から知ってたよ。あれだけ街中で噂になってたし.....」

 

 その言葉にメイプルの瞳からハイライトが消える。ヘッド装備の猫耳が胸中をそのまま写したかのように力なくしおれていた。

 

「そうなんだ...ふぅん...ま、街中のうわさに......」

 

 正直、メイプル自身もここまで話題になるだなんて想像もしていなかった。

 広場に面した店の窓がいい塩梅に全開だったこともあって、言葉にならないこの気持ちをただの叫び声にして吐露してしまえばさぞかし気持ちがいいことだろうとメイプルは思った。

 

(いっそホントにやってしまおうか......) 

 

 そんな思いがふと脳裏をよぎったとき、どう声をかけたものか決めあぐねていたキリトが口を開いた。

 

「その......似合ってるよ。メイド服もネコ耳も。可愛いと思う」

 

「あ、ありがとうございます......」

 

 メイプルは照れたようにうつむくが、そのまま会話が途切れる。

 

(うう〜っ。この格好で接客するだけだって恥ずかしいのに、知り合いに、それもキリトに見られるなんて......恥辱の極みだよ! もうわたしくっころだよ!)

 

 どういうわけか捕らわれた女騎士をイメージするメイプル。

 

「とりあえずオーダー頼むよ。なにかおすすめはあるか?」

 

「はい! 当店はメイドがケチャップでお絵描きする《萌え萌えオムライス》がおすすめですにゃん!」

 

「にゃ...にゃん?」

 

「..........ッッッ!! いやっ、あの! これは...!」

 

 ト耳まで赤くなってしまった顔をトレーで隠したままその場にしゃがみこんでしまうメイプル。

 連日に渡ってほとんど一人で大勢の客を相手に対応していたせいか、メイプルの中で最適化されつつあった接客マニュアルがここにきて裏目に出た。

 

「おい...メイプル? 大丈夫か?」

 

「.........」

 

 メイプルはなにも答えずにしゃがみこんだままだった。

 

「おい、あの黒ずくめの男。メイプルちゃんになにをしたんだ?」

 

「まさかあいつ...やっぱりそうだ、ビーターの!」

 

「例の初心者の防具を剥いだってやつか...?」

 

 周囲の視線にいち早く気がついたキリトのこめかみに冷たく、ねばついた汗が浮かんだ。

 

(まずい......この手の悪評はビーターとかそういうのとは違う次元でまずいぞ!)

 

 キリトは慌てて、それでいて努めて優しく、いまだうずくまったままのメイプルに言った。

 

「メイプル、俺のことは気にしないでいいから。食事が終わったらすぐに帰るし、その.....オムライスとかも無理しないでいいから」

 

「ううん......大丈夫だよ」

 

 トレーの向こうから鼻をすするような音が聞こえた。

 

「だって......」

 

 涙のせいか、赤らんだ瞳で笑顔を浮かべると、メイプルは立ち上がる。

 

「私、メイドだからっ!」

 

(なんだその謎のプライドは!?)

 

 

 




評価、したげて?
感想、言ったげて?

ではまた次回〜


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40話「後悔と恥じらいの夜」

重大発表なのですが、実はこの度、長年お付き合いさせて頂いていた彼女と結婚する事になり、突然ですが携帯小説の作家を引退させて頂く事となりましたって報告できる日はまだまだ来るはずもないのでこれからもハメ作家がんばりますよいしょー(●ꉺωꉺ●)




 

 

 

「うえっぐ...ぐすん、ううぅ......ひっく...」

 

「泣くくらいなら最初からやらなきゃよかっただろ」

 

 バイトクエストのシフト時間が過ぎ、宿に戻ったメイプルはいきなりキリトの部屋に入るなり決壊したダムのように泣き出した。

 服装も当然のことながらいつもの《黒薔薇ノ鎧》に戻っており、頭部のネコ耳も今はない。

 

「それにしても、なんでまたあんなとこでバイトしてたんだ? この間のボス戦の報酬もあったし、別に手持ちのコルに困るようなことはなかっただろ?」

 

「それは...ぐすん、そうなんだけど......」

 

「......? なにかまとまったコルが必要な事情でもあるのか? だったら俺が―――」

 

「だ、ダメだよそんなの! わたし、この世界に来てからキリトに頼ってばかりだし、足も遅くてお荷物だし、あと金食い虫だし...!」

 

 さすがにクリスマスプレゼントを買うお金をプレゼントする本人に出してもらうわけにはいかない。慌てたように大手を振って断るメイプルにキリトは頭を掻いた。

 

「まあ、アジリティがゼロなんだから足が遅いのはしょうがないだろ? それにコルだって十分自活できるくらいには稼げてるじゃないか」

 

「でもそれ以前にわたし、キリトには多額の借金を......ううっ」

 

「うん? 借金? なんのことだ?」

 

 キリトは本気でわからないといった様子でメイプルにたずねた。

 

「この間アイテム雑貨のお店見てたんだけど、その......貴重なアイテムなんだよね? 《転移結晶》って。《回廊結晶》なんてもっともっと高いアイテムみたいだし」

 

 まだこの世界に来てまだ二週間とはいえキリトとともにそれなりにクエストをこなし、ボス攻略にも参加したメイプルだ。ゲーム内通貨で数十万というのがどれほどの大金なのかくらいはわかる。

 

「ああ、なんだ。そんなことを気にしてたのか」

 

 しかしキリトはなんてことのない口調で言ったのだった。

 

「別に大した金額じゃないよ。あの《回廊結晶》だって偶然手に入れたドロップ品だ。それにメイプルと会わずにソロで攻略してたらあのまま使わず終いだっただろうし」

 

「でもでも、お店で売ればけっこうなお金になったでしょ?」

 

「まあなったと言えばなっただろうけどさ」

 

「うう......」

 

 膝を抱え込み、顔を伏せてうずくまるメイプル。

 その様子にキリトはどうしたものかと、この日何度目になるのか頭を掻いた。

 メイプルがそのことを気にしてしまうのも無理はないだろうし、店売り価格とはいえ、20万コルとなれば下層にちょっとしたギルドホームだって構えられる金額だ。

 普通のプレイヤーなら、確かにおいそれと人に使える金額ではない。

 

「......まあ、俺があれこれ言うより見てもらったほうが早いか」

 

 キリトはそう言うとシステムウィンドウを呼び出した。それを指で横にスライドするように動かすとメイプルの目の前にそのウィンドウが表示される。

 

「こういうのはあまりほかのプレイヤーには見せないほうがいい......というか普通は見せないものなんだけど、それが今俺が持ってるコルの全額だよ」

 

「ええーっと...いち...じゅう...ひゃく...せん...まん...じゅうまん...」

 

「っとそれ以上はストップだメイプル。だれが聞いてるとも知れないから」

 

 鑑定団方式でどんどんつり上がっていく桁を耳にして、キリトはとっさにメイプルの口を塞いだ。

 そんなメイプルは大きく見開いた目をパチパチとさせている。それはキリトの取った行動以前に目の当たりにした金額に圧倒されてのことだろう。

 メイプルはキリトの言葉に小さく何度もうなずくと、ようやくその口からそっと手が離された。

 

「こ、攻略組の人ってみんなこんなにお金持ちなんですか?」

 

 あまりの驚きに、ついこの間までのような敬語に戻っているメイプル。

 

「俺はメイプルと組む前はずっとソロプレイヤーだった。だからパーティを組んでる他のプレイヤーと違って自分が見つけたトレジャーボックスやドロップ品は独り占めできたし、それだけにアイテムだってそれなりに余裕がある。結晶アイテムが貴重だって言っても最前線にいれば売るほど余るものなんだよ」

 

 だからこそ最前線で戦い続けることはそれだけで他のプレイヤーより有利なのだと、キリトは最後に付け足す。

 

「だから、これくらい頼る分には気にしなくたっていいよ。それでも気が済まないなら少しずつ返してくれればいいからさ。それに......」

 

 続けてなにかを言いかけたキリトの口が一瞬止まったが、やがてメイプルに聞こえるか聞こえないかくらいまで声のボリュームを落として言う。

 

「......今日は良いものを見せてもらったし」

 

「...? それに、なんですか?」

 

「いや、なんでもないんだ」

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 キリトの隣の部屋に宿を取ったメイプルは姿見を前にジッと自分の姿を見つめる。

 “似合ってるよ。メイド服もネコ耳も。可愛いと思う”そんなキリトの言葉がメイプルの脳内をエンドレスループしていた。

 

(かわいい...かわいいかぁ......ふふっ♪)

 

 弛んだ頬に手を当てて、ふにゃふにゃとにやけるメイプル。

 

「よし!」

 

 やがて真剣な眼差しで何事かを決意したように一度頷くと、アイテムストレージに入れていた猫耳のカチューシャをオブジェクト化して頭にかぶせる。

 

「..........うん」

 

 メイプルは思ったのだった。

 あれ? これはこれで、案外いいかもしれないと。

 鏡の前に立ったまま軽く握った両手をクイッと曲げて、いわゆる猫ポーズを取ってみる。続いて両足の膝をつけて上目遣いに見上げながら女豹のポーズ。さらにストレージからメイド服に装備品を切り替えた。

 その場でくるりとターンして花のようにスカートを広げると小首をかしげながら再度猫のポーズ。

 

「にゃん♪」

 

「.........」

 

 そんな様子を、わずかに開いたドアの隙間からキリトは見ていた。

 

(どうしよう...話しかけるどころか迂闊に身動きが取れない)

 

 キリトとしてはそんな様子を覗き見るつもりは毛頭なかった。ただメイプルの部屋の扉がわずかに空いていて、それを指摘しようとドアノブに手をかけた瞬間、今のシーンに出くわしてしまったのだ。

 

(とにかくここは見なかったことにして、後で出直そう。うん、それがいい)

 

 そう思ってキリトは気づかれないようにゆっくりとドアを閉じようとするが、蝶番が開閉する油の切れた音が思いのほか甲高く響いてしまった。

 

「え?」

 

 驚いてメイプルは見ると、今まさにわずかに空いた扉を閉めようとするキリトと視線がぶつかる。

 

「......あ」

 

「き、きききキリト...!?」

 

 メイプルの首から上が真っ赤に上気したのが目に見えてわかった。

 

「俺なにも見てないから!」

 

「まだわたしなにも言ってないんだけどなぁー! というか、それって見たってことじゃないかなぁー!」

 

 半ば泣きの入ったメイプルの声を聞きながらキリトは思った。

 メイプルにかけた金額は確かに他のプレイヤーからすれば大金になるのだろう。

 ただし、今の愛らしい姿とそれをうっかり見られて赤面するメイプルを独り占めできたことを思えば、偶然トレジャーボックスから手に入れた《回廊結晶》のひとつやふたつ、安いものだとキリトは思ったのだった。

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の1〜

40話投稿した瞬間に結婚おめでとうという趣旨のメッセージが感想欄に殺到しました。
みんな、前書き最後までちゃんと読もうぜ(汗)
これからもちゃんと頑張りますって


 

 

 

 あの日、目を覚ました私は一人、森の中にいた。

 生い茂った木々、その枝葉の隙間からこぼれる陽の光が目に差し込んでくる。私は横たわった身体を起こして辺りを見渡した。

 

「なにこれ? 来たことない場所っぽいけど、突発クエストのトリガーでもうっかり引いちゃったかな?」

 

 今まで行ったどの階層でも見たことのない景色。

 このときの私は未踏破のエリアか、何らかのクエスト専用のフィールドに強制転移させられたのだと思っていた。

 とりあえずマッピングしないことには始まらないと、システムウィンドウからマップ画面を呼び出して現在位置を確認したところで、ようやく自分の置かれた状況の異常性に気がついた。

 

「に、二十八層〜〜〜!?」

 

 バグにしても限度がある。

 さっきまで私がいたのは第二層、まして今現在NWOで解放されているエリアは全部で四層までだったはずだ。それがどんな訳かいきなり二十八層。月に一回のペースで新エリアのアップデートがされたとしても、解放されるのは数年先になるであろうエリアだ。

 そんなフィールドを運営が今の段階で用意してるなんて思えない。

 

「っていうことは、やっぱなんかの不具合だよねーこれ。運営に連絡とってどうにかなるかなぁ」

 

 私はショートメッセージで運営にメールを送ってみる。すぐに対応とはいかないだろうから、今は気長に待つとして、とりあえず辺りを散策してみることにした。

 散策といってしまえば聞こえはのんびりとしているけど、私の散策は超効率思考、極振りに限りなく近いステ振りで鍛えたアジリティと、それをさらに加速させるスキルを使ったランナーズスタイル。

 

「《超加速》......」

 

 ボイスコマンドとともに身体にまとったライトエフェクトが小刻みに空気を振動させる。ゆっくりと息を吐き、前傾姿勢で前足に体重を乗せた。

 

「位置について......よーい、ドン!」

 

 地面を蹴るとともに空気が裂けるような音が聞こえたかと思えば、それが一瞬にして遥か後方に置き去りになる。全身を風が切り、目の前の景色が瞬く間に移り変わっていく。

 使うたびに三十分という膨大なリキャストタイムが必要なスキル《超加速》。でも、一度使ってしまえば一分間自分のアジリティの1.5倍の速度でフィールドを駆け抜けることができる。まずはこれで付近をマッピングを一気に済ませてしまおうという考えだ。

 森を抜け、草原に差し掛かり、そこからはさっきまでいた森の周りをぐるりと一周するようなコースで走る。

 進行方向にモンスターがポップすればクリティカル判定の出る首や心臓付近の急所に一撃入れてそのまま通り過ぎる。

 どれもこれまでのエリアでは見たこともなかったモンスターだけど、設定されているHP自体はかなり低めなのか、その一撃離脱で全損するようなものがほとんどだった。

 

「なんか...随分モンスターのレベル低いわね。ここが二十八層っていう割には手応えがないけど、それ以前にやっぱ違和感あるんだよなぁ」

 

 モンスターのデザインやマップの作りがどこかこれまでのNWOのフィールドと統一感がないというか、根本的に違う気がする。

 まるでまったく別のファンタジーRPGをプレイしているような、そんな違和感が拭えないまま私は再び森の中へと足を運んだ。

 それからほどなくして《超加速》の効果時間も切れて、走る速度も平常時のAGI値相応に落ち着く。 そんなとき、視界の端でミニマップに表示されていたアイコンから私はいくつかのプレイヤーの存在を認めた。数人のプレイヤーを囲むように一定の距離をあけて大勢のプレイヤーが等間隔で輪を作っている。

 長くMMORPGをプレイしていれば、こういう陣形の取り方にも多少なりとも心当たりがある。

 

「集団PKの真っ最中、ってところかなこれは」

 

 プレイヤーの配置からそう察した私はアイコンが示す方角に進路を変えた。

 それはこの不明瞭な状況下で自分以外のプレイヤーがすぐ近くにいる、というのも理由の一つだけど、多勢に無勢でプレイヤーを襲うような連中に茶々入れでもしてやろうなんていうちょっとした気まぐれでもあった。

 木々の間を縫うように駆け抜け、進んでいった先に緑色のフードマントが私の目に映る。

 

「見えた! まずは挨拶がわりに―――」

 

 ステータス上の限界まで速度を上げ、その場で地面を蹴って飛び上がると、突き出した膝がフードを被ったプレイヤーの背中を捉えた。

 

「せいあっ!」

 

「ぐあっ...!」

 

 二転三転と地面を転がり、吹き飛んでいくプレイヤーにその場の誰もが視線を向けた。それに続けて私に視線が移ると腰に掛けていたツインダガーを抜き放つ。

 PKをしていたと思われるプレイヤーは全部で八人、全員揃ってフードで顔を隠している。

 それに対して囲まれていたのはたった三人、パーティメンバーの上限にすらわずかに届かない小数人だ。

 ぱっと見でもどっちが襲われている側なのか、一瞬でわかる。

 

「こういう時にかっこいいセリフがパッと出てくればいいんだろうけどさ、まあいいや。とりあえずこんな大人数でPKやってるような奴らなら逆に殺られる覚悟くらいできてるでしょ?」

 

「君、僕らを助けてくれるのかい?」

 

 囲まれていたプレイヤーの一人、分厚いプレートアーマーに片手剣を携えた重剣士が口を開いた。

 

「こんなの見過ごせないよ。協力してあげるからあなたたちも手を貸してくれる?」

 

 サリーの言葉に重戦士は静かに口角を上げて笑いかけた。

 

「もちろんさ。最悪僕一人を囮にみんなを逃がすくらいのことはするつもりだったけど、君が来たお陰で気が変わった」

 

 これがギルド《月と盾の紋章旗》のリーダー、フレッドとの出会いだった。それはSAOの世界で初めてできた友達で、ともに戦った仲間で、そして後に私がこの手で殺めてしまったプレイヤーだ。

 




サリー過去編突入ということで、どすか?
ではまた次回〜


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緋く染まる二つの刃 〜其の2〜

他の人が書いたSAO作品読んでて思うことなんですけど
大抵10話以内には主人公とヒロインが引っ付いてたりとかする中で、42話にしてまだ圏内殺人すら起こってない自分の作品マジでどこに向かっているんだろう? と、思います
原作の話にまったく沿わないスタイル
終わりが見えないZ!


 

 

 

 

「それじゃあギルド全員の帰還と僕たちを助けてくれたサリーさんへの感謝を込めて、乾杯」

 

「「乾杯!」」

 

 ギルドのリーダー、フレッドの音頭に合わせて目の前で木製の盃が豪快にぶつかり合う。

 今私たちがいるのはアインクラッド二十八層にあるクメルスンという川沿いの小さな町の酒場だ。

 助けたといっても私がしたのは最初の飛び蹴りだけで、想定外の横槍を入れられたプレイヤーキラーたちはそれ以上交戦することなく立ち去っていった。

 あっけないというか、集団PKなんて派手なことをする割にはずいぶん慎重すぎる気もしたけど、後々フレッドたちの話しを聞いてみればそれも納得のいくことだった。

 なにせここはソードアートオンライン、これまで既に数千人のプレイヤーたちが命を落としたデスゲームなのだから。

 

(まさかNWOの世界からこんなところに紛れ込んじゃうだなんてなぁ。でもこれではっきりした。どうして楓がログインしたまま目を覚まさないのか、きっと楓もこの世界に来ちゃったまま帰れなくなってるんだ)

 

 木製のコップを握る手に力がこもった。

 ようやく楓を助ける手がかりを得ることができた。まさか他のゲーム、それもSAOの中にログインしてるだなんて思いもしなかったけど、他のSAOプレイヤーと同じようにNWOから来た私もログアウトができなくなっているこの状況から考えれば楓が自分と同じようにこの世界に来てしまったことは間違いないと思う。

 

「それにしても、サリーさんはどうしてあの森に? あそこは特に目ぼしいクエストやなんかもないエリアだからほとんど人は来ないのに」

 

「あ、えっと実は友達を探しててね。それから、さん付けとかはいらないよ。私そういう肩っ苦しいの苦手だしさ、ゲームの中くらいそういうのは気にしないでいたいタイプなのよ」

 

 嘘はついていない。けれど、だからといって迂闊に本当のことを言うわけにもいかない。それもそう、なんてったってSAOとは全く違うゲームから来てしまっただなんて話、信じてもらえるかどうかわからないのだから。

 

「あーめっちゃわかるかもそれ! わたしも軽い感じで話したほうがやっぱ楽なんッスよね〜」

 

「そうは言うけど、オレンジって基本誰にでも敬語で話すじゃないか。まあ敬語って言うには少しフランクなノリのある話し方だけど」

 

「わかってないなぁリーダーは。これはススッ娘キャラって言ってそれなりに需要あるんスよ〜。まあただのロールプレイですけど、自演自演」

 

 オレンジという名前の通り、オレンジ色の癖っ毛を揺らせてあっけらかんと答える女の子。

 ゲームの楽しみかたとしては間違ってはいない。間違ってはいないけど、

 

「ここまでおおぴらだと清々しいっていうかなんというか。あはは......」

 

 そうやって返しに困って笑っていると気さくな様子でメイス使いの男の子が話に加わる。

 

「けどコイツのロールプレイもなかなか笑えるんだぜ。オレンジとはリリース直後からパーティ組んでるけどよ、あんときはこいつ熊みてえなごっつい男のアバターでプレイしてたんだ」

 

「ちょっとシゲっちなにぶっちゃけてくれてんッスか!」

 

 即座に立ち上がってメイス使い、シゲルの首元に掴みかかるオレンジ。

 そんな話にふと思い出したようにフレッドが頷いた。 

 

「ああ、確かにそういう感じだったね。なんていうか戦国武将みたいな風貌で」

 

「そうそう! で、あんときのこいつの口癖が―――」

 

「シゲっちこれ以上言ったらわたしのおっぱいにその手無理やり押し当てて牢獄送りにするッスよ?」

 

「てめ冗談にしても笑えねえぞその手口! 人をハラスメントコードの悪用で変態に仕立てあげるんじゃねえ!」

 

 とっさにバックラーで守りを固めるシゲルとミサイルさながらに胸を構えるオレンジが火花を散らせたところで、呆れ気味のフレッドが仲裁に入る。

 

「待った待った。二人ともさ、喧嘩はよくないとかいう以前に人前でする話じゃないでしょそれは。一応今って新メンバーをスカウトしてる真っ最中なんだよ」

 

 そう、今フレッドが言ったようにこの祝杯は帰還祝いの他にもうひとつの意味があった。それは私にギルド《月と盾の紋章旗》の加入を勧めるにあたっての親睦会だ。

 

「ごめんね。すぐバレることだから誤魔化すつもりはないけど、こういう雰囲気のギルドなんだよ。良く言えばアットホーム、悪く言えば無遠慮なやつらだからさ。サリーも馴染むのは早いと思う。うちはご覧のとおり万年人手不足でパーティメンバーの上限すら満足に満たせない少数ギルドだから、君みたいな強いプレイヤーが入ってくれると頼もしい。どうかな?」

 

 そう言ってフレッドは少し恥ずかしげに、そして柔和に笑った。

 楓を探そうにも、この世界について何も知らずに頼る宛もなにもなかった身としては願ってもないお誘いだ。なによりもこの三人が持つ仲間意識というか、ぬくもりのある空気感が私はたまらなく好きだと思った。

 そして、そう思った瞬間からフレッドへの返事は決めている。

 私はすでに届いていたギルドの加入申請のメッセージを開くと《YES》のボタンを指で押した。

 

「改めてまして、サリーだよ。これからもよろしくね!」

 

 誰かと競争するのがなにより楽しくて誰かと戦うのが本当に好きな私だけど、素直に一緒にゲームがしたい、そんな風に思わせてくれる人たちだった。

 

 

 

 

 

 

「そーいえばサリーの友達ってどういう子なんスか?」

 

「リアルでの友達なの。でもフレンド登録もしていなければこの世界でのプレイヤーネームすらわからなくてさ」

 

 アインクラッド第三十層。この間襲われたばかりの二十八層を避けるのは当たり前だけど、人数も増えて単純にパーティとしての戦力が上がったことも考慮して二つ上の階層を攻略していた。

 

「うーん見た目は現実のあたしらと変わらないわけッスから、うわー容姿だけが手がかりじゃん」

 

 オレンジは私の隣でげんなりとした様子で肩を落とすけど、このSAOのどこかにいることがわかっているだけでもかなり進歩している。ここに来るまではNWOの世界で居もしない楓を探し続けていたのだから、ずいぶん骨折り損な捜索だったと思う。

 ただ、こんなことならもうちょっとあっちの世界でレベル上げしておけばよかったなぁ。

 ナーブギアとは違う機種でログインしているからゲームオーバーしたところで脳が焼かれる心配はないけど、その後もう一度SAOの世界にログインできるとは限らない。

 無茶なレベリングができないという意味では私もフレッドたちと同じだった。

 

「フレッド、索敵スキルに反応があったぜ。このすぐ先でモンスターがポップしてる。ここらのモンスターの平均レベルでいえば中の上くらいじゃねえか?」

 

 先頭を歩いていたシゲルが不意に後ろを振り返って言った。フレッドは頷いてから答える。

 

「オーケー、じゃあそいつを狩ろう。新メンバーを加えてから初の戦闘だ。手順はいつもの通りで」

 

 各々が武器を抜き、私は腰に下げたツインダガーにそっと手を添えた。

 慎重に進んでいき、やがて私たちの目の前でモンスターがポップすると、シゲルがうめき声のようなものをあげた。

 

「うげっ! 初戦から人型モンスターかよ幸先わりいな」

 

 現れたのは鎧を着込んだサムライ系のモンスター。兜の向こうでは亜人特有の獣じみた顔がわずかに見て取れる。腰にはプレイヤーが持っていそうな長寸の太刀が鞘に納められていて、やっぱりNWOのモンスターと比べると凶悪そうなデザインだ。

 けれど、いま気になるのはこのモンスターを見たときのシゲルの反応だ。

 

「幸先悪いって...厄介なモンスターなの?」

 

「そりゃそーッスよ。猪とかスライムとかと違ってあの手のモンスターはあたしらみたいなソードスキル普通に使ってくるッスから、軽装のシゲっちしか盾持ちがいないうちらにとってはちょっと出くわしたくない相手ッスね」

 

 シゲルに代わってオレンジが答える。

 確かに私たちのパーティには盾持ちのシゲルがいるけど、壁役というよりは機動力のあるサポート役といった感じで、軽量な革鎧の防具に持ち主の胴体をギリギリ覆えるくらいの大きさしかないバックラーじゃあ防御力に乏しいのかもしれない。

 

「そういえば、フレッドはどうして盾を持たないの? シゲルのメイスと同じで片手武器ならフレッドだって盾を持てばいいじゃない」

 

「僕の場合は持たないんじゃなくて、持てないんだよ」

 

 持てない? どういうことだろう?

 片手剣を持っているのに盾を装備できない理由、考えてみてもまったく思い付かない。

 

「実は僕が使ってる片手剣、はっきり言って僕のレベルには不相応過ぎるくらい強力な武器でね。適当な両手斧より装備に必要なストレングス値が高い。簡単に言うと、僕のステータスじゃ重すぎてこれ以上装備が持てないんだよ」

 

(りょ、両手斧より重い片手剣って......)

 

 あたしはフレッドの背中に固定された剣を見る。

 氷の彫刻のような透き通ったブルーの片手用直剣。見た目の重厚感はあるけれど、刀身は細身。初めて見たときから綺麗な剣だなって思ってたけど、まさかそんな激レアな武器だったとはね。

 

「まあ、ソードスキルを使ってくるモンスターを避けてばかりいてもしょうがないよ。俺たちの陣形はいつものとおりで、サリーは隙をうかがって側面から攻撃してくれ」

 

「わかったわ」

 

 私の返事に頷いて返すフレッド。やがて背負った両手剣を引き抜くと、それを先頭にオレンジとシゲルが縦一列に並ぶような陣形でモンスターと相対する。

 前衛は重装備のフレッド、槍持ちのオレンジを後衛に置いて軽装メイサーのシゲルを準前衛として二人の中間に配置して対応しているようだった。

 率直に言って悪くないと思った。むしろ三人だけでパーティを組むことを考えればこれ以上ないほどバランスのとれた配役だろう。

 そしてこの陣形のバランスを崩すことなく一つ配役を加えるとなれば、側面から急接近して着実にダメージを与えていく遊撃要員。これについては都合のいいことに私の得意な戦い方だ。

 

「よし、初手からアクセル全開で行くよ!」

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の3〜

あ、やばい
過去編五話くらいで終わらせるつもりだったのに絶対終わんないこれ
ヨミが甘すぎた......


 

 

 

 私は弾丸さながらにモンスターに向かって一直線に飛び出すと、すれ違いざまに一撃、左右二本のダガーで胴体を切り結んだ。

 

「はあっ!!」

 

 踏み込んだ片足を軸に身体を一回転させて遠心力で振るった攻撃はモンスターの胴体に二本の赤い軌跡を刻み込み、HPを削る。

 

「速ええ...なんだよ今の攻撃。というか短剣の二本持ちなんて聞いたことねえぞ? どうやって装備してんだありゃ」

 

 シゲルの唖然とした声が身を翻す私の耳に届いた。

 

「いや、できないことはないよ。持っている片手武器とは反対の手に盾と同じ要領でもう一つ片手武器を装備することはできる。けどそうするとソードスキルは使えなくなるし、武器を二つ扱うこと自体が難しくて誰もやらないのだけど......」

 

「しかも見ましたあの持ち方、スタイリッシュに二本とも逆手に構えてましたよ? 構え方もめっちゃサマになってるし」

 

 やっば、もしかして私やらかした? 魔法さえ使わなければ平気かと思ってたけど、ツインダガーの逆手持ちってSAOじゃそんなに珍しいの?

 この世界の戦い方がよくわからないうちはあんまりしゃしゃり出ない方が良かったかなと、今になって思いはした。けどまだ攻めきれる場面で後退するのも不自然だ。とりあえず私はツインダガーの通常攻撃と持ち前のアジリティ、この二つ以外の手の内は見せない方向で戦いに参加することに決めた。

 

「スイッチいくぞ!」

 

 フレッドがモンスターの刀に向かって真一文字に片手剣を振るうと刀身同士が衝突した瞬間、お互いの剣が弾かれてモンスターの体勢が崩れる。

 

「どらっ!」

 

 つかさずフレッドの脇をすり抜けるように前衛に躍り出たシゲルがメイスを振り上げる。紫色のライトエフェクトが鉄塊に灯り、それが大上段からモンスターの頭に叩きつけられるとHPバーの上に星が散ったようなアイコンが表示される。

 多分、スタンとか混乱とかのバットステータスを表したものなんだろうと勝手に想像した。事実目の前のモンスターはふらついたようなおぼつかない足取りで後ずさっていて、シゲルに対して反撃してくる様子は感じない。

 けれど、シゲルはそれ以上追撃を仕掛けることなくモンスターの正面から避ける。そのすぐ後ろではオレンジがソードスキルのモーションを取って待ち構えていたのだ。

 

「よっしゃ今だ! かませオレンジ!」

 

「おっけいオレンジちゃんの快進撃ーっ!」

 

 眩しいくらいに強く、大きく槍の先端が光ると、それが一直線に吸い込まれるようにモンスターの胸元を貫いた。

 しかし食らったモンスターもかなりタフみたいで、これだけの攻撃を受けてもまだHPは半分近く残っている。それどころか槍による攻撃がなまじ強かったせいで後衛であるオレンジにモンスターのタゲが向いてしまっていた。

 

「せああああっ!」

 

 フレッドもそれには気がついていたらしい。つかさず片手剣のソードスキル《ソニックリープ》で一気に距離を詰めて攻撃を仕掛ける。私もそれに続いてモンスターの背後を取って攻撃を加えた。

 

「サリー、このまま二人でモンスターの注意を引き受ける。けど敵が攻撃モーションに入ったら無理に受け止めようとはせずに刀の届かない位置まで下がるんだ」

 

「わかったわ」

 

 モンスターから目線を外すことなく答えて、私は左右の短剣を縦横無尽に振るった。けど猛攻も本当に束の間で、一瞬にしてモンスターの目が鋭さを増したように見えた。

 ぞわりと、私の背筋に逆なでするような感覚が走った。嫌な予感がする。

 

「ソードスキルが来る。下がって!」

 

「っ!」

 

 フレッドは剣の刀身に手を添えて防御姿勢を取りながらバックステップ、私もそれに応じてモンスターから距離を取った。

 すると範囲技のソードスキルなのだろう。私たちが下がってからほとんど間を置かず、モンスターを中心に円を描くように刀身が振り抜かれ、そこからプラスアルファでライトエフェクトが僅かに広がった。多分モンスターの刀はもちろん、あのエフェクトにもダメージの当たり判定があるのかな?

 だとしたら見た目のインパクト以上に攻撃にリーチがありそうだけど、大丈夫。今見たので癖のようなものは掴めた。

 

「...っ!? サリー! タゲはそっちに向いてる。もう一撃気をつけて!」

 

 私は無言のまま剣を構えた。フレッドの言葉に答えなかったのはモンスターのモーションを見極める上で返事をするだけの余裕がなかったからだ。

 一度刀を鞘に収めたモンスターは重心を前に、前傾姿勢を取る。

 

「...来る!」

 

 一瞬にして距離を詰められ、ライトエフェクトを纏った刀身が抜刀され、間近に迫る。

 やっぱり真正面から見ると通常攻撃とは比べ物にならないくらい速い。これがソードスキル。けど!

 

「避けられなくは、ないんだよねっ!」

 

 身を翻して私は太刀による一閃を躱すと、そこからさらに距離を詰めて極至近距離、短剣の間合いまで一気に肉薄した。

 左右の短剣で三回、四回、五回と攻撃を加えたところでモンスターの攻撃モーションが始まり、もう一度距離を取る。

 

「いいぞ! サリーはそのまま下がっていてくれ!」

 

 そう叫んだフレッドの方に視線を向けると、モンスターの背後で大きく振りかぶられた片手剣が瞬くようなライトエフェクトを帯びていた。

 それは片手剣の上位ソードスキル《ノヴァ・アセンション》。

 システムアシストによって動きの設定された攻撃モーション、フレッドの流れるような十連撃の一つ一つが重くモンスターの背中に叩きつけられると、ようやくモンスターのHPはゼロを迎えた。

 

「ふう......ようやく勝てたわね」

 

 私は砕け散ったポリゴンが跡形もなく消えていくのを見届けると、肩からすっと力を抜いてツインダガーを腰の鞘に納めた。

 

「さて、と......」

 

 さて、本番はここからだ。

 私はこわばった表情をできるだけ柔らかく見えるように意識しながら三人の方を見た。さっきの反応からして私の戦い方はみんなの目にはずいぶん異質に見えたらしい。そもそもプレイしていたゲームがSAOとは違うのだから当然だけど、これってどうやって説明したもんかなぁ......

 

「速い! てかめちゃ強い!」

 

 そんな風に悩む私の手を取ったのはオレンジだった。それに続いてシゲルも駆け寄って来る。

 

「あのソードスキルをあっさり避けるなんてどういう反射神経してんだよ! ありゃ刀カテゴリの中でも一番速いソードスキルなんだぜ? まったくとんでもねえな!」

 

 お、おう。よかった。思ってた以上に皆あっさりと受け入れてくれてるみたい。

 フレッドが言っていたけど、私の戦い方自体は強いかどうかは別として再現不可能ではないらしい。そうするとソードスキルが使えなくなってしまうというデメリットもあるみたいだけど、そもそもスキル欄にソードスキルという項目のない私にとってはむしろ好都合だ。

 

 

 

 

 

 

 それからも私はフレッドたち《月と盾の紋章旗》のメンバーとして楓を探しながらいろいろな層でいろいろなフィールドを回った。

 アインクラッドの世界はNWOなんて比じゃないくらいに広大で、巨大な木々に囲まれた樹海、熱射の降り注ぐ砂漠、壁や地面から覗かせる光る石が僅かに道を照らすだけの薄暗い洞窟、この世界のどこへ行っても私はこのギルドの仲間たちとの冒険を心から楽しんでいた。

 それでも本来の目的は忘れていない。

 ある程度この世界でのお金が溜まってからは情報屋を使って生存している女性プレイヤーをリスト化。それを頼りに私は本格的な楓の捜索を始めた。

 この世界のプレイヤーのほとんどが男性だとはいっても、リストにある女性プレイヤーを一人ずつしらみつぶしに探していくのはなかなか根気のいる作業。でも少しずつでも着実に楓のもとに近づいていると思えば自然と苦には思わなかった。

 そうやっているうちに、ここへ来てからいつの間にか一ヶ月が過ぎ、みんなとレベルを上げながら、暇さえあれば楓を探し続ける。

 そういうこの世界で生きていく上でのリズムのようなものができ始めた頃、私はリストの制作を頼んだ情報屋のアルゴからの呼び出しを受けた。

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の4〜

さちや「過去編は五話で終わると言ったな」

読者「そ、そうだ! 大佐!」

さちや「あれは嘘だ」

読者「ウワアァァアァアス(゚Д゚)アァアァァアアアア」


 

 

「あーあ、今日も全員外れッスかぁ。なかなか見つからないッスね。サリーの友達さん」

 

「でもまったく無駄足になってるわけじゃないわ。こうやって一人一人のもとを訪ねていけばいつか必ず見つけられるもの」

 

 この世界に来てから一ヶ月が過ぎ、今日も私はリストアップされた女性プレイヤーのもとを一件ずつ回っていく。けれどそろそろ日も暮れて、出現するモンスターのレベルや出現分布が変わる頃だ。この時間帯になるとレベリングのために街の外に出るプレイヤーが増えるから、どうしても訪問先のプレイヤーが留守であることが多くなってしまう。

 言ってみれば、今日はもう切り上げ時なのだ。

 

「付き合ってくれてありがとね。オレンジ」

 

「いいんスよー。あたしも今日は付き添いついでにいろんな層観光できたッスし、いろいろ買い物もできたんで」

 

「買い物っていうより、オレンジの場合は買い食いでしょ? 露天の前を通るたびに何か買ってくるんだから」

 

「いいじゃないッスかぁ! この世界じゃあどんだけ食べても太らないんッスから。これも娯楽の少ないアインクラッドで健やかに生きるための秘訣ッスよ」

 

「太らない...ねぇ」

 

 私は防具越しでもわかるほどに膨れたオレンジの胸をジト目で見た。

 この世界のプレイヤーの容姿や体系は現実のそれを忠実に再現しているという。つまりこの攻撃的なバストは自由に体系を変えられるキャラメイクによるものではなくて、天然ものであるということになる。

 なのにこの子、出るとこ出てる。

 

「ちょ、なんスかサリー...?」

 

「.........」

 

 私のようにアジリティ特化のプレイヤーであれば誰しも覚えのあることだ。手数で優ってる、スピードで優っている。そんな相手に何発攻撃を加えようが、ストレングス型プレイヤーから受けるたった一撃の被弾で一気に形勢をひっくり返される。そんな惨めさがアジリティ特化型のプレイヤーにはあるのだ。

 さてこの破壊力に対抗するにはなにで優ればいいのだろうか?

 

「いや怖い怖い怖い! なんかモンスターと戦う時みたいな顔してる! マジでなんすか!」

 

「あ...っと、ごめんごめん。ちょっと考え事してて」

 

「言っておくッスけど、私をPKしたからってこのおっぱいは装備品じゃないんで、ドロップとかしないッスよ?」

 

「あははー、それ絶対喧嘩売ってるでしょオレンジ〜」

 

 私がこのたわわに実った胸の贅肉を削ぎ落としたい衝動に駆られていると、メッセージの受信を知らせる通知音が耳に入ってくる。

 それは情報屋のアルゴからのものだった。

 

 

 

 

 

 

「女性プレイヤーのリストの追加版? 前にもらったので全員じゃなかったの?」

 

 そんな何気ない一言に目の前のアルゴは肩をすくめる。

 呼び出しを受けた私はそのままオレンジを連れて最前線である四十八層の町、ミュージエンの街に来ていた。ギルドホームのある十層のオズロンドも大きな町だけど、ミュージエンは大きいだけでなく、攻略の最前線ということもあってプレイヤーの活気が下層の比じゃない。

 

「オレっちは情報屋として有能ではあっても万能じゃあないんダ。女性プレイヤー全員のリストアップなんていくらオレっちでも時間がかかる。まあ完全に集めきってからリストを渡すんでも構わないケド、お前さんはそんなの待ってられないダロ?」

 

「まあそうね、どの道時間をかけて一人一人に当たっていかないとだから、ちょっとずつでもいいわ。それで追加は何人分?」

 

「新しく十一人、とプラスアルファが一人だ」

 

「プラスアルファ?」

 

「十一人は最初に受け取った額の適用内ということで、そのままくれてやるゾ。だけどただ一人、あるプレイヤーの情報だけはちょっと他のプレイヤーと同じ価値ってわけにはいきそうにないんダ」

 

 つまり、その子の情報だけは別料金ということなんだ。

 なるほどね。リストの追加だけならプレゼント機能で送信すればいいだけのところをこうして呼び出してきたのは、別口の取引の話を持ちかけたかったからなんだろう。

 アルゴにしてみればむしろここから本題なのかもしれない。

 

「その人も女性プレイヤーには違いないのよね?」

 

「ああ、女性プレイヤーなのは間違いないゾ。それに生活の拠点もはっきりとわかってる」

 

「なら問題ないわね。いくらかしら?」

 

「十万コル」

 

 けっこうな大金をさも当然といった口ぶりで言ってのけるアルゴ。それにいち早く反応したのは隣にいたオレンジだった。

 

「ええーっ! ちょいアルゴっち! それはいくらなんでもボッタクリすぎっしょ。そんなん買う人どこにいんスか!」

 

「買うわ」

 

「ってここにいたー!」

 

 オレンジのコントじみたリアクションがノリよく広場に響く。

 アルゴのネズミのような三本髭がフードの向こうに覗く。一瞬だけ見えたその表情は笑っているようだった。

 

「毎度ありダ。じゃあ先方とは今日の夜にでもその条件で交渉してきてやるヨ。相手が情報料のつり上げに応じたら交渉のメッセージを飛ばすから、すぐ返事できるよう今夜は街の中にいてくれよナ」

 

 そう言うとアルゴはフード付きのローブを翻した。

 瞬く間に人ごみへと消えていくアルゴを手を振りながら見送ると隣でやり取りを一部始終見ていたオレンジがため息混じりに言った。

 

「あーあ、すっかり情報屋にカモられちゃって。これからネギ稼ぎにフィールドをランニングッスか?」

 

「お金でどうにかなるならネギでもカモでも背負ってやるわ。こればっかりは私じゃどうすることもできないし、それに前みたいに転移門の前で一日中張ってたらいつまで経っても見つけられないもの」

 

「あー、うん、それは確かにもう嫌ッスね......」

 

 オレンジはどこか遠くを見るような眼差しでそうつぶやいた。

 《転移結晶》を使ったときを除いて、プレイヤーが階層間を移動するときは必ずボス攻略後にアクティベートされた転移門を通らないと行くことはできない。だからこの世界に来てから私が真っ先に取った楓の探し方は《月と盾の紋章旗》のギルドホームがある第十層、その転移門広場の前で出入りするプレイヤーを一日中監視していることだった。

 もちろんこの転移門は各層に一つずつあるものだから、私が見張っていた十層に楓が来る、それか十層から他の層に行くかしてもらわないと意味がない方法だったけど、全部で四層しかないNWOの世界と違ってアインクラッド中を走り回って探すよりは望みのある探し方だった。

 初めは付き添ってくれていたオレンジやシゲルだったけど、ただ見張ってるだけのこのやり方じゃあ退屈過ぎて二人とも半日ともたなかったし、かくいう私もしばらく続けてはみたものの、さすがに三日と続かなかった。

 その苦労を考えればモンスター相手に身体を動かして稼いだお金で生存している女性プレイヤーの名前と生活拠点をリストアップしてくれるというのだから、なんとも楽なもんだ。

 

「まあ、今はみんなのお陰でお金には困ってないしね。これくらいの出費なら全然平気よ」

 

 それにこの世界のお金も楓を見つければ必要なくなる代物だ。ケチってまで溜め込むほどのものでもない。とはいえ、無いなら無いで不便なことに違いはないわけで......

 私はオレンジの手をそっと、それでいて逃がさないように強く握る。

 

「というわけで、ちょっとコル稼ぎにでも行きますか。夜までなら受けてるクエストも二、三個くらいは消化できるだろうし。オレンジも手伝ってよね」

 

「あ~れ~! さ~ら~わ~れ~る~!」

 

 冗談めかして言うオレンジを強制連行して、私たちはフィールドへと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 その夜、結局アルゴから先方は情報料の十万コルに百コル上乗せした金額を支払って口止めをしたという連絡を受けてた。私はクエスト疲れと面倒くささから一気に『プラス十万コル上乗せ』とだけ簡潔に書いたメッセージを送る。

 私はベッドに寝転びながらフレンドリストに登録されているアルゴへ追加の十万コルを送ると、ほどなくして先方が口止め料のつり上げに応じなかったこと、そして件のプレイヤーの情報をすぐにこっちへ送る旨を記したメッセージが届く。

 

「なんだ、張り合いないなぁ」

 

 私はメニューウィンドウからコルの残高を確認するついでに、今新たに受け取ったプレイヤーの情報を開いてみる。

 

「キャラクター名はメイプル...主な拠点は第一層のはじまりの町かぁ」

 

 こうしてプレイヤーの情報を得ても、結局は直接会って顔を確認しないことには楓かどうかはわかんないんだよなぁ。

 私はあまり深く考えないまま受け取ったリストをアイテムストレージにしまう。とりあえず今は根気強くやっていくしかない。

 大の字で寝転がった私はじっと天上を見つめると、この世界のどこかにいるであろうあの子にむかって呟いた。

 

「楓......私、頑張ってるよ。あんたは今、どこでなにをしてるの?」 

 

 

  

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の5〜

毎週金曜夜7時からは、くぼさっちんツイキャスやります。
感想欄では運営に消されて聞けないようなことでもガンガン答えちゃうんで、見たい方はこちらまで!

@Prz6sOqffybKM7t


 

 

 《月と盾の紋章旗》では度々、ギルドホームの広間で親睦会なるものが催されることがある。

 それは会の名前にあるとおりギルド内の親睦を深めることが目的ではあるけれど、実際のところはオレンジの持っている《料理》スキルの熟練度上げのためというのが正直なところみたい。

 そういう理由があっただけにテーブルに並ぶものも露天やお店で買ったものはほんの一部で、大半を占めているのはなんとオレンジの手料理。

 ガサツそうに見えて実は現実世界でもよく料理を作っていたらしくて、その手腕はこの世界でも《料理》スキルを用いていかんなく発揮されているのだろう。

 その証拠とも言うべきか、今私の目の前には現実の世界じゃあ誕生日でもクリスマスでもまず出されないような豪勢なメニューが並び、四人だけのパーティーが始まった。

 

「というわけで、スキル上げで余りに余った残飯処理パーティー! 開幕~~!」

 

 そんな身も蓋もないオレンジの音頭とともに木製のジョッキが勢いよくぶつかりあう。すると豪快にジョッキのドリンクを一口で飲みきったシゲルは開口一番に私の方を見て言った。

 

「にしてもサリーがこのギルドに入ってもう一ヶ月かぁ。馴染んだもんだよな」

 

「そうね、早いなぁ...」

 

 この世界に来ていろいろなことがあったせいか、もう何ヵ月もこのギルドにいるような気すらしてしまう。

 それだけ濃密な時間をこのギルドの皆と過ごしたけど、私が別のゲームから来たことは、まだ内緒にしていた。

 当然、魔法スキルを使うこともしない。それ以外の《超加速》や《蜃気楼》なんかのスキルも今は絶賛封印中。

 なにせ本当ならこの世界ではどれも存在しないはずのスキル、チートコードと同じでこういうスキルを使った結果どんな不具合が起きるかわかったもんじゃない。

 バグの原因になるようなことは避けてしかるべきだ。

 

「サリーも今じゃ僕らギルドにとってなくてはならない存在だからね。事実パーティー全体のサポートを引き受けていたシゲルの負担はかなり減ったんじゃないかい?」

 

「まあな。ちょっとヤバイ状況になってもサリーがうまいこと立ち回ってくれるお陰でスムーズに狩れるようになったぜ。けど、もともとは俺一人でそこんとこカバーしてたんだ。もうちょっと俺に頼ってもいいんだぜ?」

 

 実際に私がギルドに入ったことで狩りがしやすくなったのは本当らしい。

 オレンジから話を聞いてみると遠出のレベリングになると真っ先に音を上げるのがシゲルだったみたい。

 一緒に戦っているからわかることだけど、前衛と後衛の間という面倒なポジションは地味な役回りの割にけっこう頭を使う。

 だから私が加わるまではシゲルが精魂尽きたことで迷宮区を目前にトンボ返りすることもあったとか。

 

「まあシゲっち頼りにはなるんッスけど、肝心なところで追っつかなくなってくるとこが玉に瑕っていうかぁ......わかりません?」

 

「言いたいことはわかるけど、そこはキャパシティの問題だと思うよ。シゲルにはかなりフレキシブルに動いてもらってるし、どうしても限界はあるよ」

 

「おいおい二人して頼りないみたいなこと言うなよな。じゃあ逆に聞くけどよ、俺に足りない物ってなんだ?」

 

 フレッドとオレンジが真顔で交互に答えた。

 

「まず防御力がない」

 

「リーチもないッス」

 

「それに連撃系のソードスキルの熟練度も低いね」

 

「あと足短い」

 

「ひでえなお前ら! つうか最後どうにもならねえ上に全く狩りと関係ねえことで俺をディスってねえか!?」

 

 拗ねたようにテーブルに突っ伏すシゲルにオレンジがおかわりのドリンクをつぎ足しながらポンポンと肩を叩く。

 

「まあまあシゲっち、そんな落ち込まないで。はい、いちご牛乳」

 

「うっせえよ...後衛固定(ランサー)のお前にタゲとかパーティーメンバーの消耗具合見ながら前後衛切り替える俺の苦労がわかってたまるかよ......」

 

 悪酔いした中年オヤジみたいなめんどくさいテンションでいちご牛乳の入ったジョッキを傾けるシゲル。私もその隣に席を移して料理の中から鳥型モンスターの丸焼きにナイフを入れ、取り分けた肉をシゲルの皿に盛った。

 というかさっきから飲んでるのいちご牛乳だったんだ。性格に似合わず女の子みたいな味の好みしてるなぁ。 

 そんな事を思いながら私は苦い笑みを浮かべていると、消沈中のシゲルをたしなめるようにフレッドは言った。

 

「顔を上げなよシゲル、モテモテだよ?」

 

「いや、これは絶対そういうのとは違ぇ...!」

 

 私とオレンジに挟まれたシゲルはわずかに顔を上げると、複雑に歪んだしわを眉間に寄せてそう言ったのだった。

 

 

 

 

 

 パーティーは例のごとく大いに賑わいを見せて、ふとフレッドの視線につられて壁の時計を見るともう夜の十一時を過ぎていた。

 

「もうけっこうな時間になるけど、サリーは平気かい? いつも早くから出かけてるみたいだけど」

 

 フレッドの言う通り、明日も朝から楓を探しに行かないといけない。日が昇りきってしまえば大抵のプレイヤーは拠点を出てレベリングに行ってしまう。そうなる前の朝というのは効率よく楓を探せる貴重な時間帯なのだ。

 

「そうね......じゃあ、私はそろそろ部屋に戻るわ」

 

「あ、じゃああたしもー。ねえねえサリー、一緒にお風呂入らないッスか?」

 

「い、嫌よ。だってオレンジと入るとなんだか女の子として惨めになってくるから......」

 

「いいじゃないッスかぁ〜ほらほら」

 

 そんな話をしながらオレンジに背中を押されるようにして私たちはその場を後にする。広間にはシゲルとフレッドの二人だけが残った。

 

「......どうすんだ。あいつをこのまま連れてくわけにゃいかねえだろ?」

 

「わかってるさ。ああ...わかってるんだ」

 

 

 

 

 

 

 この世界のお湯の再現度は現実世界のそれと比べてしまうとお世辞にも高いとは言えない。それでも部屋でシャワーを浴びてみればいくらか気持ちがリセットされたような気がするし、事実浴室を出て自室のベッドに腰を下ろした私はそれなりにすっきりとした気持ちで寝巻きに身を包み、明日の準備に励んでいた。

 

「明日は二十層にいるプレイヤーを当たるかなぁ。この層を拠点にしてるプレイヤーって多い上にあっちこっちの町に散ってるから今まで後回しにしてたけど、丸一日使って捜し切っちゃうか」

 

 私はアルゴに集めてもらったリストを指でスクロールして明日訪問するプレイヤーの名前を書き出す。そのとき扉をノックする音がして私は答えた。

 

「...? どーぞ」

 

 オレンジが遊びにでも来たのかと思ったけど、それは違った。扉が開いて現れたのはフレッド。もう一ヶ月以上も同じホームで生活しているけど、こうして直接部屋を訪ねてくるのは珍しい。

 

「失礼するよ。今少し時間あるかな?」

 

 リストアップは後回しにするとして、私は書き出しをアイテムストレージにしまうと正面の椅子に座るよう手で促した。木製のテーブルに簡素な椅子が二つあるだけのそこにフレッドが腰を下ろすと、私も向かい合うような形でもうひとつの椅子に座る。

 

「それで、こんな時間に女の子の部屋にまで来て話したいことってなんなの?」

 

 少しいたずらっぽく茶化すような言い回しで聞く私に、フレッドは少しも笑わずに答えた。

 

「大事な話があるんだ。君の今後について...」

 

「今後っていっても、私は引き続き友達を探すわよ? まあそれもあって今までずっと皆と一緒に行動するわけにはいかなかったけど、でも足を引っ張るほどレベリングをサボってるわけじゃないでしょ?」

 

「いや、ごめん。今後、と言うと語弊があるね。僕が聞きたいのはこのまま僕たちのギルドに残るか、抜けるかについてなんだ」

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の6〜

 

 フレッドの言葉に私は耳を疑った。

 けれどそれは本当に一瞬のことで、気づいたときには椅子から立ち上がってフレッドに掴みかかっていた。

 

「抜けるって...いきなりどういうことよ! 私たち仲間じゃなかったの? 私はギルドを離れるつもりなんてないわ!」

 

「それはこれから話すことを聞いた上で答えて欲しい」

 

 鬼気迫る様子の私から少しも視線を逸らすことなく、フレットは言った。

 それは昔、まだギルドが四人いた時の話だ。

 《月と盾の紋章旗》を作ったのはフレッド、オレンジ、シゲル。そしてもうひとりPoHというプレイヤーの四人だったそうだ。もともとアインクラッド第一層の攻略を目前にしたくらいの頃から四人はずっとパーティを組んでいた。 ギルド設立が解放されてからは当然のようにギルドを発足。

 たった四人で始まったギルドだったけれど、それでも攻略はいつも順調で、初期のボス攻略戦にも一つのパーティとしてレイドに参加していたほどの強豪ギルドだった。

 そんなギルドからPoHが抜けた理由は秘密裏に攻略組の情報をオレンジプレイヤーに流していることが発覚したから。

 もともとPoHはギルドのメンバーに黙って一人姿をくらませることが多かったらしいけど、その頻度が増えてきたことに心配したフレッドたち三人はPoHを尾行、その結果気づいてしまったのだ。

 PoHがグリーンプレイヤーを装いながら影でオレンジカーソルの犯罪者プレイヤーを束ねる頭目だったことに。そしてその指示によってβテスターへの軋轢を扇動、ときには有力プレイヤーの暗殺の指示すら行っていたのだ。

 フレッドはギルドマスターの権限を用いてPoHをその場でギルドから追放。ギルドメンバーで取り押さえて黒鉄宮送りにすることもできたが、フレッドはそうはしなかった。それは心のどこかでPoHは自分たちの仲間なんだと、信じたかったからだ。

 けど、その選択をフレッドたちは後悔することになる。

 PoHを追放してからから数ヶ月が立ち、大手ギルド《アインクラッド解放軍》によって殺人経歴のあるオレンジプレイヤーリストが配布されると、そこには目を疑うような内容が書かれていた。

 多くのオレンジプレイヤーがリストアップされた中でも、特にPoHは魔剣クラスの短剣《メイト・チョッパー》を用いて多くの殺人を繰り返した要注意プレイヤーとして危険視される存在になってしまっていたのだ。

 そのとき、三人は決めたのだという。

 それはこのアインクラッドのどこかにいるはずのPoHを見つけること。この世界で一緒に戦った仲間として、三人の手でPoHを殺すことを。

 

「あのとき、僕たちがPoHを捕まえていれば死なずに済んだ命がいくつもある。そして今、彼は大勢のオレンジプレイヤーを統率する文字通りの化物になってしまった。それは僕の甘さが招いた結果だ」

 

 そしてPoHの情報を集めるうちに、二十八層の森にオレンジプレイヤーの潜伏場所があり、そこにPoHもいることを突き止めた三人は不意を突いてPKに乗り出した。しかしPoHが束ねるオレンジプレイヤーたちの規模はフレッドの予想を遥かに超えて大きなものだった。

 あっというまに囲まれたフレッドたち《月と盾の紋章旗》は劣勢を強いられて、ついにはフレッドが自分ひとりを残してオレンジとシゲルを逃がすことまで考えた。

 そんなときに、現れたのが私だったのだという。

 

「あのとき君が来てくれなかったら、僕たち三人の誓いは永遠に叶えられないままだっただろう。少なくとも僕は死んでいた。二度目のチャンスを得ることができたのはサリー、君のおかげなんだ」

 

「そうだったんだ。私、あの時はフレッドたちが襲われてるんだと思ってて......」

 

 人数差とプレイヤーの装いから私が勝手にオレンジプレイヤーが三人を襲っているのだと思っていたけど、本当は違ったのだ。

 他にも話を聞いていて納得のいくことがいくつもあった。私をギルドに加えてからのパーティ内の連携が思いのほかうまくいったことも、フレッドの話を聞けば頷ける。側面からの遊撃ポジション自体はもともとアジリティの高い短剣装備のPoHが担っていたのだろう。

 でも、どうしてもわからないことがひとつだけある。

 

「どうして、今になってそんな話をしてくれたの?」

 

「PoHの新しい潜伏先がわかったからだ。明日、僕たちはもう一度彼を殺しに行く」

 

「......」 

 

 殺しに行く、その言葉に背筋が凍りつくような思いだった。

 あの優しいフレッドの口からそんな言葉が出てくることすら、信じがたいことだし信じたくない。 

 

「これは僕たちの問題、というより僕たち三人の責任なんだ。だからそれに君を巻き込んでしまう前にきちんと話をしておきたかった。もちろん来るかどうかは君に任せるし、強制するようなことはしない」

 

「じゃあ、なんでフレッドはあのとき私をギルドに誘ってくれたのよ」

 

 フレッドは表情を曇らせた。いや、そんなの聞かなくたってわかってた。

 私と初めてあったあの日、フレッドたちはオレンジプレイヤーを相手にリーダーを失うか全滅するかの瀬戸際に立たされていた。そんなやつらにもう一度、それもまったく同じ戦力で挑むなんて自殺行為だ。

 それが分かっていたから、あの時フレッドは私をギルドに誘ったんだ。

 PoHと、オレンジプレイヤーと対等に戦うために。

 

「一緒に来いって...言えばいいじゃないのよ」

 

「そうそう言えないよ。人殺しに加担してくれだなんて。それに事実君は迷ってる」

 

 見透かしたようなフレッドの言葉。でもその通りだった。

 私は仲間を見殺しにするか、人を殺すかの決断で揺れている。

 

「決行は明日の正午、各々準備が済んだら十層の転移門広場で集まることになってる。その時までに決めてくれればいい」

 

 そう言い残すと、フレッドは部屋を後にした。

 ひとり残された私はそのままベットに身体を放り投げると頭を掻きむしる。

 こんないきなり、それも前日の夜にこんなこと言われてどうしろっていうのよ!

 

「あーーーもうっ!」

 

 

 

 

 

 

「やっぱサリーは来ないッスか......」

 

「当然だろ。これから人殺しに行くだなんて話聞いて、誰がついてくんだ?」

 

 第十層の転移門広場。背にした柱の向こうからシゲルとオレンジの声が聞こえてくる。

 仲間として、三人の力になりたい。その気持ちは紛れもなく本心だけど心のどこかで私は怖がっていた。人を殺すことも、仲間が死ぬことも、そして今まで私の知らなかった三人を知ることも。

 その結果、こうして準備を整えて来たはいいものの、皆のもとに行こうとして踏み出した足が地面から離れてくれなくて、私は広場に建てられた石柱の影に隠れている。

 

「彼女を責めないで欲しい。本来サリーには関係のない話だし、それこそ命懸けで因縁を果たそうとしている僕ら三人が馬鹿なだけで、それが真っ当な判断だよ」

 

「責めるもんかよ。だいたいこんな話に好き好んで乗っかるような馬鹿な女はオレンジ一人で十分だしな」

 

「うわ好き好んで乗っかった馬鹿な男がなんか言ってるー!」

 

 これから人が死ぬ。それはPoHや他のオレンジプレイヤーかもしれないし、フレッドたち《月と盾の紋章旗》の誰かかもしれない。そんな状況にあっても皆はいつもと同じ、私の好きだった日常的な温かさがあった。 

 きっと三人ともまだPoHのことを仲間だと思ってるんだ。仲間だからこそ大勢のプレイヤーを手にかけたPoHを命懸けで止めようとしている。それが結果的に仲間を殺す事になるとしても、仲間が殺されることになるとしても、それでもPoHの仲間でいることの責任を果たそうとしている。

 

「ホント、嫌になるくらい皆らしいなぁ......」

 

 心底唾棄するように呟くと私は隠れていた柱の影から出た。

 PoHを殺す。それは本気で仲間を思うからこそ出すことのできた結論。やっぱり三人とも、私のよく知る《月と盾の紋章旗》だ。

 それがわかったならもう迷うことなんてない。

 

「おお......」

 

 そんな私に真っ先に気がついたのはシゲル。その驚いたような視線に釣られてオレンジ、そしてフレッドの二人が私に視線を向けた。

 

「遅れちゃってごめん。準備はできてるわ」

 

「サリー...来てくれるのかい?」

 

 フレッドの顔を正面切って見ることができなくて、私はわざとそっぽを向いて突っぱねるように言った。

 

「なによ、来ちゃいけなかったの? 私をギルドに誘ったのも、ここに来させたのも全部フレッドじゃない。だから―――」

 

「サリィ〜〜〜〜〜〜〜!!」

 

 全力ダッシュで駆け寄ったオレンジがいきなり飛びついてきた。両手両足でしがみつき、私の頭をがっしりと胸に押し込んでくる。現実でやられたら腰を痛めた挙句に窒息死しそうな勢いだ。

 

「ちょっ、オレンジ重い! あとそんなに引っ付かれたら暑苦しいって...!」

 

「来てくれるって信じてたとか、あたしらのこと軽蔑したんじゃないかとか思って心配だったとか、言いたいこといっぱいあるッスけどまずはごめん! いろいろずっと黙ったままであたし―――」

 

「いいのよ。私だって自分で今日ここに来るって決めてきたんだから。その気になれば来ないこともできたんだし、ここから先は自己責任よ」

 

 私はオレンジを引き剥がしながらそう言うと、フレッドの方を見る。

 ようやく目を合わせたフレッドの顔は困ったような、どうして来ちゃったんだろう、と思いながらも来てくれたことが嬉しくて、でもやっぱり申し訳ない。そんなどっちつかずの心境をそのまま表したみたいだったけど、口からこぼれた言葉だけは私の望むものだった。

 

「ありがとう」

 

「...うん」

 

 そのたった一言の言葉にいろいろな感情が込められているようだった。そしてフレッドの視線が私たちギルドの一人一人に向けられると、全員に向けて声を張った。

 

「皆、敵はPoHだけじゃない。彼が取りまとめているオレンジプレイヤーも含めて、これから行く場所はこの四人以外全員敵だ。きっと大勢殺す事になる。どんな結果になっても今までのような日常には二度と戻れないだろう。覚悟はいいかい?」

 

「おう!」

 

「もちろんッス」

 

 フレッドの問い掛けに間髪入れずに答えるシゲルとオレンジ。それに続いて私も静かに、けれど確かに答えた。

 

「ええ、できてるわ」

 

 そんな私たちにフレッドは僅かに笑みをこぼすと、転移門に向き直る。

 

「...行こう!」

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の7〜

 

 

「けっこう歩くわね。情報にあった潜伏場所までってあとどのくらいなの?」

 

「今いる階の一つ上だよ。もうじき次のフロアに移動する階段が見えてくるはずだ」

 

 私たちが向かったのは第一層の迷宮区。

 《索敵》スキルを展開しているシゲルを先頭にその後ろをフレッド、私、オレンジの順に隊列を組んでPoHの潜伏先を目指しいていた。

 迷宮区というだけあって中はかなり入り組んだ作りになっていた。普通なら道が枝分かれするたびに探索して行き止まりを引き返しながら正しい道を見つけて進んでいくんだろうけど、ボスモンスターが倒されてから一年以上経つ今では隅々まで攻略の目が行き届いていてそれを記したマッピングデータも安価で出回っている。

 そんな探索しやすい場所なだけに、私はオレンジプレイヤーの拠点がここにあることを不思議に思っていた。

 

「ここまで全然迷わず進めちゃってるけど、どうしてこんな場所に拠点があるのかな? やっぱり出てくるモンスターのレベルが低くて圏外でも安全だから?」

 

「うーんそれもあると思うッスけど、多分この層を《軍》が管理してるのがかえって都合良かったんじゃないッスかね〜」

 

 オレンジの言うとおり、この階層は《アインクラッド解放軍》通称、《軍》と呼ばれる巨大ギルドが統治している。そのせいでこれまで他の有力ギルドが大手を振ってオレンジギルドの搜索を行うことが難しかった階層だ。

 統治と言ってしまえば聞こえはいいけど、実際のところは支配しているといってもいい。

 プレイヤーの保護と富の分配をギルドの理念として謳いながら、レベリング効率のいいフィールドの独占していて、一部の《軍》のプレイヤーは納税と称した搾取を低レベルのプレイヤーに対して行っているということもそれとなく噂で知っていた。

 そんな団結しているとは到底言えない組織力、抜け穴だらけの規則、そんな規模だけが取り柄の《軍》はすっかり腐敗の代名詞になってしまっていた。

 

「なんていうか...治安維持を謳い文句にするならちゃんと仕事をして欲しいものね」

 

「まあそのおかげでPoHの情報を得られたんだ。個人的には文句よりも感謝のほうが大きい」

 

 そんなフレッドの言葉に私は首をかしげた。

 そのおかげ? どういうこと?

 言っている意味がわからない。といった表情で沈黙している私を見て、フレッドはなにやら気づいたように言葉を続けた。

 

「あれ言ってなかったかな? PoHの居場所について情報を持っていたのが、オレンジプレイヤーと癒着していた解放軍の幹部だったんだよ。まあ部下を含めて犯罪者プレイヤーを匿って甘い汁をすすっているような男だからね。オレンジとの癒着をネタに脅すこともできたし、それなりの対価を用意すれば買収するのは簡単だった」

 

「今呼んだッスか?」

 

「いや、君の事じゃないよ」

 

 後にいたオレンジの問いにフレッドは首を振って答える。

 あ、うん、そういうことか。納得。

 千人を超えるほど組織が肥大化すれば腐るところはどうしても出てきてしまう。それがPoHたちの隠れ蓑になっていたのだ。そして損得勘定の結果、オレンジプレイヤーの情報をフレッドに流した。ここまで来るとその軍の幹部とかいうやつには憤りとかいろいろ通り越して呆れてしまう。

 

「ま、他所様のギルド事情につべこべ言ってもしょうがねえよ。俺たちの欲しい情報は引き出せたんだ。あとはこっちでドンパチやってPoHのやつを潰せばゲームセットってな」

 

「そんな気楽に言ってるッスけど相手はPoHだけじゃないッスよ? 」

 

「つってもこの前戦った感じじゃあ取り巻き連中のレベルは大したことなさそうだったろ? 数だけ揃えたって所詮は烏合の衆、殺し好きの集まりだ。俺たちと違ってコツコツとレベリングしてるようないい子ちゃん達じゃねえって」

 

 オレンジカーソルになってしまったプレイヤーは宿屋や転移門を使うことができない。街に入ろうとしてもNPCである衛兵に阻まれて街の中に入ることができないからだ。それだけのシステム的ハンデを背負ってレベルを上げることは相当難しいはず。

 シゲルの言うとおり、連中ひとりひとりにアインクラッドの中でも上位プレイヤーの部類に入るフレッドたちのような高いステータスがあるとは確かに思えない。

 だけど―――

 

「だけど油断はできないよ。相手はモンスターじゃないんだから」

 

 それはNWOの世界でVRMMOでのPK戦を経験している私だからこそわかることだった。

 一定のアルゴリズムに従って動くモンスターと違って、PK戦で相手にしなければいけないのは自分たちと同じ知恵を持った人間だ。それだけでAIよりもずっと厄介だし、それなりの人数を揃えれば戦略だって組める。

 そうやって連携を組んで攻めて来るプレイヤーはボスモンスターを相手にするよりもずっと厳しい戦いになる。

 やがて上の階へと続く階段を上り終え、例のオレンジプレイヤーの拠点があるというフロアに足を踏み入れた。下の階と比べてグラフィックの違いこそはないけれど、ここから先は紛れもなくオレンジプレイヤーのテリトリー。そう考えると今いるこの場所が恐ろしく不気味に思えてならなかった。

 

「大丈夫かい?」

 

 目の前で振り返ったフレッドが、どこか心配そうな眼差しで私を見た。

 なんだか最近、フレッドのこんな表情ばかり見ている気がする。申し訳ないような困ったような複雑な顔。けどそんな顔にさせてるのは私だ。

 

「大丈夫! 何人来ようと私が皆を守ってみせるわ」

 

 力強く答える私に、それでもまだ困ったような顔で笑うフレッド。そんなやり取りを聞いていたのか、先頭にいたシゲルが茶化すように笑った。

 

「ホントたくましいっつうかなんつうか、昨日の今日でこんなことに加担してる段階で薄々勘付いてはいたけどよ。このメンバーの中でサリーが一番肝が据わってるんじゃねえか?」

 

「あー、あたしも薄々勘付いてたんッスけど、こんなかでシゲっちが一番ビビリッスよね」

 

「うっせーよ。......っ!?」

 

 笑いながらも索敵スキルで周囲を見張っていたシゲルが緊張に身を震わせた。傍から見ていた私の目にもわかる。 それは他の皆も同じだったようですぐさま私を含めた四人はその場で止まり、周囲に意識を集中させる。

 

「数は?」

 

 敵が来たかどうかなんて聞くまでもない。フレッドは周囲を警戒したまま視線だけをシゲルに向けて聞いた。

 

「ワンパーティ、さっき通った通路からこっちに向かって最短コースで近づいてきてる! どうする? まだ向こうがこっちに気がついてるとは限らねえし、隠れてやり過ごすか?」

 

「......いや、これは見つかったね。下手に応戦して味方を呼ぶ時間を稼がれるよりこのまま一気に侵攻したほうがいいだろう」

 

 ワンパーティということは敵の数は四人。レベルはこっちのほうが上だろうし真っ向から応戦しても負けることはないだろうけど、ここはフレッドの言う通りに進むべきだと私も思った。下手に戦って囲まれたら前の戦いの二の舞になっちゃう。

 

「私もフレッドに賛成。もし後ろから来てる連中に気づかれてるならショートメッセージで私たちの存在は拠点に伝わってるわ。だったら迎撃の準備が整う前に叩く!」

 

「だから、まだ見つかったかどうかもわかんねえだろ」

 

「こんな入り組んだマップなのに迷わずこっちのいる方向に向かってきてるんでしょ? どう考えてももう見つかってるわよ」

 

「おーじょーぎわが悪いッスよ? 男の子らしく覚悟決めてください」

 

 どうやらオレンジもフレッドの意見に賛成らしい。

 そこまで話をしてようやくシゲルも腹をくくったみたいだった。やけくそ気味に頭をわしゃわしゃと掻いて唸る。

 

「あーもうわかったよ。ったく、これじゃあオレンジの言うとおり俺がビビリみてえじゃねえか」

 

 ともかくこれでギルドメンバーの意見はまとまった。あとは迷わずまっすぐに突き進むだけだ。

 私たちは今まで通りの列を維持したまま、シゲルを先頭に走る。ただしこの隊列はあくまでシゲルのスキルを活かすための索敵用の隊列。これが戦闘になると前衛はフレッドに切り替わる。

 

「フレッド! 突き当たりT字路からプレイヤーが来てる! 数は四人!」

 

「押し通る! 僕と前衛を交代してくれ」

 

 フレッドの指示通り、シゲルは隊列の中央に交代する。先頭に立ったフレッドは突き当たりに差し掛かると同時に両手剣を担ぐようにして構えた。

 相手はこっちが近づいていることに気づいていなかったんだろう。不意をつかれたように立ち止まったプレイヤーに向かってフレッドは単発突進技、《レイジスパイク》で道を切り開いた。

 

「ぐあっ!」

 

 狭い通路にまとまっていたプレイヤーは四人揃って《レイジスパイク》の直撃を食らった。それによってノックバックを受けたプレイヤーたちの横をすり抜けるように私たちは走り抜ける。

 ふと私はすり抜けざまにプレイヤーたちに視線を向けてみた。その頭上には私たちのグリーンのそれとは違う、オレンジ色のカーソルが浮かんでいた。

 

「情報はガセネタじゃあないっぽいッスね」

 

 後ろを振り返りながら私のあとに続くオレンジがそんなことを口にした。

 

「みてえだな。次来るぞ! またワンパーティ!」

 

 シゲルが《索敵》スキルで得られたプレイヤーの位置を知らせる度に、ここはもうオレンジプレイヤーの巣窟なんだと実感させられる。遭遇する頻度もどんどん増えてきて、プレイヤーの密度を考えるとこの近くに拠点があることは間違いない。

 事実ここから数分も迷宮区を走れば目的地はすぐそこだ。

 さすがに連中の包囲網も狭まってきて、《索敵》スキルを持っていない私のマップ上にもプレイヤーの存在を示すアイコンが所々に見え始めた。

 それらを極力避けて、場合によっては正面突破しながら徐々にオレンジプレイヤーたちの拠点に近づいていく。

 やがて今いる通路の先に開けた空間があるのが見て取れた。

 

「え...?」

 

 飛び込んできた景色に私は言葉を失った。それは皆も同じようで呆然と立ち尽くす中どうにかといった様子で口を開いたシゲルが私たち全員の思考をそっくり言葉に表した。

 

「どういうことだ...? 拠点なんてどこにもねえぞ?」

 

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の8〜

 そこには迷宮区の中だとは思えないくらい、かなり広いスペースがあった。ぱっと見渡してみるとレイドを組んで大規模戦闘ができるくらいの空間が空いている。

 ただしそこはまったくの空洞。野営に使うアイテム類を含めて人が長期間拠点にしているような痕跡は全く見られない。

 ゾワリと、私の背中の毛が逆立った。

 嫌な予感がする。

 そんな不穏な空気を突き破るようにフレッドの叫び声が私の鼓膜を打った。

 

「上だ!」

 

「...っ!」

 

 反射的に上を見た私の目にまるで獲物に襲いかかるトカゲかコウモリのように飛来する無数のプレイヤーの姿が映った

 壁面によじ登って息を殺していたんだろう。一斉に降りかかったオレンジプレイヤーたちが私たちの陣形をど真ん中から切り崩す。

 

「くっ...!」

 

 私は瞬時に四方八方へと視線を走らせた。こっちに向かって突っ込んでくるプレイヤーはとりあえず三人。そのうち二人の攻撃を身を翻して躱し、最後の一人にはカウンターで回し蹴りを見舞って距離を稼いだ。

 殺傷力のあるダガーを使わなかったのは、情けないけど私の甘さが原因。

 

「皆! こっちに集まるんだ! 背を合わせてお互いの背後を守れ!」

 

「了解!」

 

 私は包囲網の中心にいるフレッドに背中を預けて再度辺り一帯に視線を走らせた。

 もうかなりの人数が集結している。多少なりとも不意をついたはずなのにこの迎撃体制は異常なくらいだった。

 

「皆、大丈夫かい?」

 

「おう!」

 

「ええ、なんとかね」

 

 フレッドの問いに答えたのは私を合わせて二人だけ。誰かひとり足りないことに気がついた私の目に倒れ込んでいるオレンジの姿が映った。背中には投擲用のナイフが数本突き刺さっている。

 

「......え? なんスかこれ、動けない...? ちょっ、こんなん...笑えないッスよ......」

 

「オレンジ!」

 

 ノックバック? 違う。《投剣》スキルで投げたナイフじゃあプレイヤーをノックバックさせるほどの威力なんて出せるはずがない。

 そう思ってオレンジのHPバーを見てみれば麻痺効果を表すアイコンが表示されていた。

 

「ワン...ダァ〜ウン♪」

 

 オレンジの側に立っていたプレイヤーの一人が手品師のように数本のナイフを手で弄びながら、フードの向こうで凶悪な笑みを浮かべている。

 その声の主をオレンジは部屋で虫でも見つけたかのような視線で見据えた。

 

「あんた、ジョニー・ブラックっスよね? リストに載ってた。こんなやつまでPoHに......」

 

「へぇ~知ってんだ俺のこと。なんそれゆーめー人じゃん♪」

 

 這うようにして私たちの方に向かおうとするオレンジだったけど、その周りを数人のオレンジプレイヤーが一斉に取り囲んだ。

 各々に握られた剣や鎚がオレンジの瞳のなかで不気味に光る。

 

「あーあ、いきなりリタイアとか...あたしカッコわる......」

 

 伏して顔にかかった前髪の向こうでオレンジの自虐的な笑みがこぼれた。

 そんな無防備な背中に何度も何度も剣や棍棒が振り下ろされ、HPはグリーンからイエロー、そしてレッドゾーンを迎える。

 

「ぐっ! 痛っ...! ああああ!」

 

「やめろ! てめえらオレンジから離れやがれ!」

 

 激昂するシゲルの声が虚しく響いた。

 あっという間に残りHPはレッドゾーンを通り越してわずか1ドット。そんなオレンジに突き立てられたジョニー・ブラックの片手剣が最後の1ドットを無慈悲に削り取った。

 私たちの目の前でオレンジの笑みがポリゴンになって砕け散る。その瞬間、シゲルの中でなにかが切れた。

 

「この...ど畜生がぁ!!」

 

「シゲル! 前に出るな!」

 

 フレッドの静止も聞かずにメイスを振り上げたシゲルはソードスキルを発動して突っ込んだ。

 

「ヒャッハー!」

 

 奇声にも似た嬌声を上げてバックステップするジョニー・ブラック、その姿は周囲の景色と同化したように曖昧さを帯びて消えていく。

《潜伏》スキル。それもかなりの熟練度だった。

 

「くそっ...!」

 

 視界からもマップ上からも消えたジョニー・ブラックにシゲルは毒づく。

 けれどすぐさま攻撃対象を切り替えて三連擊のソードスキルがすぐ目の前にいたオレンジプレイヤー三人の頭をそれぞれ穿ち、一撃でポリゴンとなって散る。

 

(よし! 次だ!)

 

 そしてすぐさま左右に視線を配ると新たに視界に映った敵にシゲルは再びメイスを振るった。

 

「どらあああああっ!」

 

 しかしそれは鈍い衝撃音とともに巨大な盾に遮られる。

 

(なんだこいつ......固ぇ!)

 

 攻撃を弾かれたことでシゲルは大きく仰け反った。すると盾持ちの後衛に控えていたのだろう二人のプレイヤーがガラ空きになったシゲルの腹にライトエフェクトを帯びた槍を突き出した。

 

「ぐああああああっ!」

 

 四連擊ソードスキル《リヴォーブ・アーツ》。それが二人のプレイヤーから繰り出され、シゲルのHPは瞬く間にゼロを迎えた。

 

「シゲルーーーっ!!」

 

 私がそう叫んだ時にはもう遅かった。シゲルはオレンジと同じようにポリゴンとなって消えてしまう。

 よくも......よくも、よくもよくもよくも!!

 

「...っ!!」

 

 感情任せに飛び出そうとする私の手をフレッドが強く掴んだ。

 

「目的を見失えば次は君の番だ。僕たちが殺さなきゃいけないのはPoH。その目的を仲間の敵討ちにすり替えてはいけない」

 

「でも、でもあいつらはオレンジとシゲルを...!」

 

「君と初めて会った日を覚えているかい? あの日にだって二人ともこうなる覚悟は決めていたんだ。それは今日この時だって変わらないよ」

 

 二人の死を目の当たりにしても平然としているフレッド。そんな様子に私はたまらなく腹が立った。けれど、私を行かせないようにと掴んだフレッドの手が僅かに震えていることに気がついて、私は冷静さを取り戻した。

 

「ごめん...フレッド......」

 

 辛いのは私だけじゃない。ううん、きっとフレッドのほうがずっと辛いはずなんだ。

 

「いいんだ。それに、僕も君の気持ちがわからないわけじゃない」

 

 フレッドは正面に向き直った。その横顔は今まで見たどれとも違う。闘志の中に悲しみをたたえたような不思議な表情だった。

 

「PoH! 近くで見ているんだろう? いい加減姿を見せたらどうだい?」

 

 目の前のオレンジプレイヤーに向かって咆えるようにフレッドは叫ぶ。

 するとフードをかぶったプレイヤーの一団をすり抜けて、長身の男がフレットと相対する。手には包丁のような武器、あれが《メイト・チョッパー》だとすればあの人がそう。

 

「揃いも揃って情けねえなぁフレッド。隠れ蓑とは言え俺が所属してたギルドなんだ。それがこうもあっけなく死んじまったら部下共に示しがつかねえだろ」

 

 嘲るような視線で笑うPoH。それをフレッドはただ静かに見据えていた。

 

「やあ...顔を見たのはずいぶんと久しぶりだね。PoH」

 

「テメエこそ性懲りもなく来やがって。よっぽど死にてえみてえだなぁフレッド」

 

 PoHは《メイトチョッパー》の矛先をフレッドに向ける。対してフレッドも片手剣を正眼に構える。

 

「サリー、君は《転移結晶》の準備をしてくれ。刺し違えてでも彼のことは殺すけど、はっきり言って勝ち目のある戦いじゃない。いつでも逃げられるように―――」

 

「なんだ? 軍の幹部様はここが転移結晶の無効化エリアだってことを教えちゃくれなかったのか?」

 

「...っ!」

 

 フレッドははっとしたように目を見開いた。そしてすぐさまアイテムストレージを開いて《転移結晶》を取り出すと頭上に掲げる。

 本来ならこのまま転移先を叫べば逃げられる。だけどもしPoHの言うことが本当だとしたら?

 

「転移! クメルスン!」

 

 今のPoHの言葉からして、ここにいるオレンジプレイヤーは私たちが《アインクラッド解放軍》の幹部からこの場所についての情報を得たことを知っていた。

 その意味が示すことはたった一つ。

 

「なるほど...僕らはまんまと嵌められたわけだ」

 

 フレッドはボイスコマンドに対してなんの反応も示さなかった《転移結晶》を握り締めた。 疑いの余地もない。《軍》の幹部からの情報自体がPoHによる罠だったんだ。

 たぶんPoHは軍の幹部を使って指定したエリアをオレンジプレイヤーの拠点としてフレッドに伝えるように指示をした。結晶が使えない、逃げ場のないこの場所に私たちをおびき寄せて殺すために。

 だけど、いや、だからこそかもしれない。

 

「あんたたち...どうしてそこまでして人を殺すのよ」

 

 私がもともといた世界じゃあ集団のPKなんて珍しくないし、その手のイベントも多い。だけどそんなNWOの世界ですらPKのためにここまでするギルドはひとつもなかった。

 ましてこの世界の死は、ただのゲームオーバーとは違う。

 

「このゲームで死んだら現実にいる人も死んじゃうんだよ?」

 

「ああ? わかんねえか?」

 

 PoHの口がくっきりとした三日月のようにつり上がる。

 絵に書いたような笑顔。けれども普通、人はそんな風には笑わない。

 

「楽しいからだろ」

 

「こいつ......」

 

「彼にそんなことを聞いたって無駄だよ。PoHだけじゃない。ここにいる連中は人の命なんてどうとも思ってない。だからここにいるのさ」

 

 そう言うフレッドの声は冷め切っていた。対してPoHは余裕を含んだ笑みで私たち二人を見比べるようにして交互に視線を向けてくる。

 

「それで? 絶体絶命の状況なわけだがどうする?」

 

「逃げられる心配でもしているのなら余計だよ。少なくとも僕に限って言えば意地でも君を殺すつもりでいる」

 

「だがお隣のお嬢ちゃんはどうだ? フレッド、なんの関係もないお仲間を道連れにしてでも俺を殺す覚悟ができてんのか?」

 

「......彼女も望んでここに来たんだ」

 

「ハッ! 答えになってねえなぁ!」

   

 そんなやりとりの中で私は周囲を注意深く観察した。

 この間戦ったときは八人。たったツーパーティしかいなかったはずなのに、今はざっと見るだけで三十人くらい。実際の人数はもっと多いだろう。なによりこのエリアから抜ける道は今私たちが通ってきた通路しかないけれど当然そこは大勢のオレンジプレイヤーたちによって塞がれている。

 勝てない。こんなの勝てっこない。

 そんな諦めにも似た思いと、二人を死なせてしまった自分の無力さに腹が立った。

 

「まあ、お前とはこのゲームが始まった頃からの仲だ。生き残るチャンスをやるよ。そうだな......」

 

 少し考え込むように顎に手を当てるPoH。するとその口から想像もしなかったような一言が発せられた。

 

「お前ら、今ここで殺し合え」

 

 

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜其の9〜

 

「全損決着のガチンコ勝負。それで生き残った方だけは特別に助けてやるよ」

 

「あんた、なに言って......」

 

 私はPoHの言葉に耳を疑った。

 その言葉の意味がわからなかったわけじゃない。だけどそれは人間の口から出てくるものだとはとても思えないくらいに残酷で、狂気に満ちていた。

 

「俺もこのゲームが始まった頃は問答無用で瞬殺決めてたんだけどなぁ。最近は多少遊んでみるのも悪くねえと思ってる。じゃねえと殺したやつのこといちいち覚えてられねえだろ?」

 

 とことん狂っている。でも、私はこれを悪い話じゃないと思った。

 私はもともとNWOから来た。ログインするために使ってる機種もナーブギアじゃないし、ゲームオーバーになったって現実の私が死ぬことはないだろう。

 ここで私がゲームオーバーになればこいつらからフレッドを助けられる。

 だったらどうすればいいかなんて決まってた。

 

「......ねえサリー、僕の代わりに君が死のうとか、そういうことを考えていないかい?」

 

「っ!」

 

 呼吸も忘れるような思いだった。

 私は驚いて思わず背中を預けたフレッドの方へ振り返る。その表情には不思議な力強さがあって、こわばっていた神経が柔らかくほどけていくようだった。

 

「僕たちは死ぬ覚悟でここに来たんだ。今さら安全策に逃げるなんて馬鹿けてる。違うかい?」

 

 その言葉にダガーを握る私の手に力が戻った。フレッドはまだ折れていない。私だってまだまだ戦える。

 私はフレッドの隣に立つとPoHに相対してツインダガーを構えた。

 

「残念だったわね。これ以上あんたたちの好きにはさせな―――」

 

 そのときだった。

 フレッドの手から片手剣が落ちると、不意に抱きすくめるようにフレッドの身体が私を覆った。

 

「フレッド...ちょっ、あんた急になにを......!」

 

「すまない......」

 

 いきなりのことで状況を整理しきれない。

 抱きしめるフレッドの身体は温かくて優しいのに、なぜかダガーを握った私の手首にだけは嫌に強く力を感じる。そう思って見てみると私の握ったダガーがフレッドの身体に深々と突き刺さっていた。

 僅かに除く赤いダメージエフェクトとともにフレッドのHPがみるみるうちに減っていく。

 

「なにしてるのよ! フレッド、離して!」

 

 フレッドの腕から逃れようとしてもアジリティ特化で鍛えた私のステータスではフレッドの筋力値には遠く及ばない。手を振りほどくどころか、むしろ突き刺さった短剣は徐々に深く奥へと押し込まれていく。  

 

「すまない。でもやつらから君を助けるにはこうする以外の方法を見つけられなかった」

 

「だからってこんなこと...! 二人でこいつら全員倒せば済むことじゃない!」

 

 自身の身体に私の握ったダガーを押し込んだまま、フレッドは首を振った。 

 

「僕らとほとんどレベル差のないプレイヤーもいる。ここまで人数を集められたらどうしようもないよ。君だってそれはわかってるだろう? もともと彼らの不意を突くつもりが逆にこうして誘い込まれた。その時点でもう僕らに勝算はなかった」

 

「けど! だからってあんたが死んで私一人生き残るなんて間違ってるわ!」

 

「間違っていないさ。これはもともと俺たち三人の責任なんだ。でも君まで僕らの因縁に左右されて死ぬ必要はない。それに君が本気で逃げようとしたとき僕を連れていたら足でまといになるけど、君一人でなら十分逃げ切れるはずだろ? なんていったってあんなに速いんだからね」

 

 そんなの嫌だ。

 私は仲間を見捨てて逃げるためにここまで速くなったんじゃない。

 

「なによそれ...私だって《月と盾の紋章旗》のメンバーなんでしょ? だったら私にだって背負わせてくれたっていいじゃない。こんなところまで連れてきておいてそんなこと......無責任じゃない」

 

「無責任か...確かにそうだね。僕はシゲルとオレンジを死なせてしまった挙句、最後には残った君を生かすために自ら死を選ぶような男だ。だから、そんな僕に付き合って君まで死ぬことはないよ」

 

 HPはレッドゾーンまで迎えるけど、フレッドはまったく力を緩めることはしなかった。

 私は知ってる。

 頼りなさそうに見えるけど、実は人一倍優しくて、冷静なのにギルドの誰よりも仲間想いで、そして一度覚悟を決めたことは絶対に揺らがない。

 そんなフレッドになにを言っても無駄だと思ってしまった。それでも、どうしても私はフレッドに言わないではいられなかった。

 

「お願い、死なないで......フレッド!」

 

 フレッドは満足そうな笑みを浮かべて小さく首を振った。

 そして薄く白い光がフレッドの全身を包み込むと、私の腕の中で床に落としたガラス細工のように跡形もなく砕け散る。

 全身を覆っていた温かさが一瞬にして消えるとともに、恐ろしい程の寒さを感じて私はその場で膝をついた。

 

「あ.......あぁ...」

 

 私の手から二振りのダガーが音を立てて地面に落ちていく。震え切った足はまともに力が入らないし、なにより仲間を、フレッドを亡くした虚脱感が私に立ち上がることを許さなかった。

 

「ハハハハッ! 最後は自分で死にやがったか! ざまあねえ」

 

 狂ったように笑うPoHの声が聞こえる。

 目の前で人が死ぬことですら見世物としか思っていない。そんなヤツらがどうしようもなく憎く見えた。

 あたしはその場に落ちていた二本のダガーを構え、ゆっくりと立ち上がる。

 

―――殺してやる。

 

 自分の持てる全てをただ目の前の男を殺すために注ぐ。そう決意した瞬間、今まで私がVRゲームに費やしてきた情熱も磨き上げた技術も全部、その上からどろりとした血が垂れ注がれて、醜くく腐っていくように見えた。 

 でも、それすら今は気にならない。

 

「ほう、ずいぶん根性の座ったお嬢ちゃんじゃねえか」

 

「まだやる気みたいっすよぉーヘッド、やっぱこいつ殺しちゃってもよくね?」

 

「どうせ生き残ったからって殺さず帰してやるつもりもなかっただろうが。好きにしろ」

 

「やり〜〜♪ それでこそヘッドだぜ」

 

 約束を無視されてもまったく気にならなかった。どのみちこのまま黙って帰るつもりなんてない。ひとりでも多く殺してフレッドたちの仇を取る。

 

「すぅ......はぁ......」 

 

 大きく深呼吸をして、集中力を高めていく。

 確かにこの世界で命を落としても現実にいる白峯理沙の身体は死なないだろう。

 でも皆とこの世界で戦って、笑って、そして生きた私の、サリーの魂は死ぬ。それは私が受け継いだ皆の想いを本当の意味で死なせてしまうということだ。

 

「そっか、この世界はゲームであっても遊びじゃない......なるほど、ホントその通りだ」

 

 たしかに私はこの世界で生きている。

 それが今この瞬間に嫌というほどわかった。

 だからこそ、絶対に譲れないものがある。

 

「《ウインドカッター》...!」

 

 



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緋く染まる二つの刃 〜その10〜

 

 

「《ウィンドカッター》...!」

 

 私はこの世界に来て初めて魔法スキルを詠唱した。

 掲げた手のひらに並行して発生した緑色のライトエフェクトが高速で回転を始める。これまでバグやシステムの破損の可能性があったから使うことをためらってきたNWOの魔法スキル。

 けどバグなんて知るもんか。私の存在がこの世界に残る限り、戦い続けてやる。

 

「なんだこいつの攻撃は......? ちっ! てめえらとっとと守り固めろ!」

 

 PoHの表情に明らかな動揺が走る。

 号令を受けて私の《ウインドカッター》の軌道上に三人の盾持ちプレイヤーがPOHを守るように横に盾を並ばせた。

 

「せあああああっ!」

 

 私はそのまま腕を振るう。

 放った《ウインドカッター》が連なった三枚の盾に衝突するけど、盾を構えたプレイヤーが僅かに後ろに動じただけでHPにはほとんどダメージが通っていない。

 いくらNWOの魔法スキルとはいえ、私が使える魔法は初級もいいところだ。どうしても壁役の防御を破るには威力が足りない。

 だったら次は接近戦闘。

 

「《超加速》!」

 

 私はスキルでアジリティを強化するとほとんど闇雲に突っ込んだ。そのまま走る勢いを殺すことなく短剣を振るった。

 

「《 ダブルアタック》!」

 

 そうすることで急接近によるダメージボーナスが付随されるけど、それだって壁役の防御を抜けれるほどじゃなかった。二つの刃が硬い壁に阻まれて弾かれる。

 

「うっ...! こいつ、硬い!」

 

 自分にろくなストレングスがないことが悔やまれた。

 それこそ楓を探すためにアジリティ特化で鍛えてきて、それなりにスピードを生かした戦い方だって身につけてきた。けど多分ここにいるプレイヤーと私の間にはそれなりにレベル差があるみたいだった。

 攻撃が弾かれた衝撃でのけぞり、僅かに体勢が崩れた瞬間、並んだ盾と盾の隙間から二本の槍がX字を描くように私の胴体に目掛けて突き出される。

 

「《蜃気楼》!」

 

 おそらくシゲルを殺した後衛の槍持ちだ。

 私はその場で屈んで突きを躱す。頭上で《蜃気楼》によってできた残像を二つの槍が貫くと、本体の私は無理に攻め込まずバックステップで距離を取った。

 やっぱり私一人で捌くには数が多すぎる。でもそんな泣き言は言ってられない。このままじゃフレッドたちが死んだことの意味がなくなってしまう。

 

「もらいーっと!」

 

 不意打ちの隙を伺っていたのか、バックステップ中の私にジョニー・ブラックの投擲したナイフが側面から迫った。

 

「そんな攻撃が......通用すると思わないで!」

 

 左右の手に握った短剣を縦横無尽に振るってナイフを打ち落とすと、反撃に火属性の魔法スキル《ファイヤーボール》の詠唱をしようとしたところで今度は背後から大きな影が差す。

 

「...っ! 後ろから!?」

 

 とっさに振り返ると無骨な両手斧を構えたプレイヤーが目前まで迫ってきているのが見えた。斧にはライトエフェクト、ソードスキルによる攻撃だ。

 

「うあっ!」

 

 短剣をクロスさせて攻撃を防ぐけど、もともと防御に不向きなツインダガーでダメージを吸収しきるには、相手の攻撃力は高すぎた。

 下から上に向かって振り上げるような大振りの攻撃を受けて、私の手から弾き飛ばされた二本の短剣が宙を舞って、遥か後に音を立てて落ちる。

 

「しまった! 武器が...!」

 

 私は頭に登っていた血が一気に下がっていくのを感じた。目の前で仲間を殺されて冷静じゃなかったことを今になってようやく自覚する。

 私は地面を蹴って落とされた武器に手を伸ばした。

 

「お願い...! 届いて!」

 

 誰の目から見ても武器を拾おうとしていることはバレバレだろうけど《超加速》の効果は残ってる。今の私のスピードならまだ回収できる。

 けど、そう思って駆け出した私の背中に重たい刺突音とともに鈍い衝撃が走ると、膝から下が失くなってしまったように力が抜け、私はそのまま地面に伏した。

 

「捕獲、いっちょあ~がり〜♪」

 

 NWOのスキルを使ったせいでラグでも起きたのかと思ったけど、それは違った。見てみると背中にはジョニー・ブラックが愛用している投擲用のナイフが無数に刺さっている。

 HPバーの上には麻痺を表すアイコンが表示されていてまったく身動きがとれない。

 

「......っ!」

 

 私はすぐ目の前に突き刺さっている短剣に手を伸ばした

 あと少し。ほんの少し手を伸ばせば剣に手が届く届く。けれど視線の先にPoHは割って入ると二本の短剣を足で蹴飛ばした。

 

「こいつは思わぬ掘り出しモンだなぁ。ちょっと遊んでからぶっ殺してやるつもりだったが、予定変更だ」

 

「くっ......!」

 

「魔法ってぇのか? この世界にそんなもんがあるなんて初耳だぜ。どうやって手にいれた?」

 

 私は悔しくて下唇を噛んだ。

 確かに敵の人数は多いけど、普段ならもっとうまく立ち回れたはずだった。

 活用できるスキルはまだまだあった。落ち着いて、一人一人冷静に対処していれば私でも十分に対処できたはずだったんだ。それなのに頭に血が登って、テイムモンスターの朧と雅だって呼び出さないまま闇雲に突っ込んでこんなことに。

 

「まあいい。これだけスキルを見せられたんだ。このままぶっ殺すのも惜しい。おい! こいつを連れて拠点に戻んぞ」

 

「......!」

 

 拠点に戻る。つまり一時的にもこの《転移結晶無効化エリア》から出るということだ。

 だったら隙を見て逃げ出して、街に戻ったら上位のギルドに掛け合えばきっとどうにか―――

 

「おっとそうだ。言っておくが、今のテメエじゃあ街に戻るのは無理だぜ?」

 

「何を......っ!?」

 

「頭の上を見てみろ」

 

 見透かしたように言い放つPoH。

 そこまで言われたことでようやく私は気がついた。自分の頭上のカーソルが奴らと同じくオレンジ色を示していたことに。

 グリーンカーソルのプレイヤーがオレンジカーソルのプレイヤーを攻撃しても犯罪行為とはみなされない。だけど攻撃した相手がグリーンカーソルだったなら話は別だ。私のダガーでフレッドがダメージを負ってしまった時から私のカーソルはオレンジ色に染まっていたんだ。

 ここでは《転移結晶》は使えないし、うまくここを抜け出したとしても街の中に入ることはできない。

 

「テメエは街には戻れない。戻ったところで鬼ステータスの衛兵どもに追い回されてあっという間にゲームオーバーだ」

 

「そんな...」

 

「わかるだろ? 俺たちと来るしかねーんだ」

 

 PoHは私の髪を掴むと強引に立ち上がらせる。

 

「歓迎するぜ。ラフィン・コフィンはテメエのような人殺しをなぁ」

 

「ラフィン......コフィンですって...?」

 

 それからPoHはシステムウィンドウを呼び出すと、なにらや画面を数回タップする。すると私宛にギルド参加の申請メッセージが送信されてきた。

 ギルドの名前は《ラフィン・コフィン》。どうやら周りにいる他のオレンジプレイヤーにも同じものが送られていたようで、誰もが一様に同じ画面を表示させていた。

 PoHは私の手を掴むと無理やりに承認ボタンを指で押させた。私のHPバーから《月と盾の紋章旗》のエンブレムが消え、代わりに黒い棺桶に白く不気味な線で笑みが描かれたギルドエンブレムが表示される。

 

「ようこそ嬢ちゃん。これからは人殺し同士、仲良くやろうや」

 

 PoHは私の髪を掴んだまま腕を振り上げて投げ捨てる。麻痺のせいでろくに受身も取れないまま私は転がり込むようにして地面に叩きつけられた。

 

「いいかてめえら! 今までの俺たちはただのPK集団だった。なんの名前もねえ、旗印もねえ、だがそいつも今日までだ」

 

 PoHは笑う棺桶のエンブレムが刻まれた手に《メイトチョッパー》を握ると、高々と掲げた。

 

「これからアインクラッド中に俺のギルドの設立を宣言する。俺たちの名前は笑う棺桶。オレンジなんて生ぬるい連中とは違ぇ、レッドプレイヤーが集まる最凶最悪の殺人ギルド、《ラフィンコフィン》だ!」

 

 PoHが声高らかに宣言すると辺り一帯から狂ったような歓声が沸き起こる。そして私の手の中で二つの刃が緋く染まってしまったこの日から、私は心に決めた。

 泥水を啜ってでも、這いつくばってでも、生きていればチャンスはある。

 絶対に生き延びてやる。

 生きて、必ずこいつを殺してやる。

 



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41話「The Thing 」

なんか昨日日間ランキングに載ってたということで、評価者とお気に入りが跳ね上がっててビビりました。
そういうのまじで通知ほしい......


 

「あぁ〜! キリトさんこんなところにいた!」

 

 アインクラッド第五〇層が解放されてから一週間後のこと。街路樹に平行するように設置されているベンチでアイテムの整理をしていたキリトは、反射的に自分の名前を呼ぶ声のする方へと顔を向けた。

 

「おお、メイプルか。どうしたんだ?」

 

「もぉ〜探したんだよ? こんなところでなにしてたの? 一緒にお弁当食べようと思って待ってたのに!」

 

 足音が聞こえてきそうなほど大きな歩調でメイプルはキリトに近づいていく。

 するとキリトは開いていたシステムウィンドウを閉じながら、反対の手を憤懣やるかたない様子のメイプルの頭に乗せた。

 

「悪い。少し考え事をしていたんだ」

 

「なにか、悩み事...?」

 

「いや、大したことじゃないよ」

 

「......私のことでなにか悩んでたり?」

 

「そうじゃないよ、ははっ...そういう妙なところで繊細だなメイプルは」

 

 キリトは頭の上に乗せた手をゆっくりとかき回す。

 

「うぅ...う、んぅ.......ふふっ」

 

 キリトの手の下で、メイプルの頭が気持ち良さそうに左右に揺れた。

 確かにメイプルの言う通り、キリトはメイプルのことで悩んでいた。サチを失ったことで今までキリトを縛り続けてきた戒めは消えた。しかしだからといってメイプルを守りたいという気持ちまでがなくなったわけではない。

 メイプルを守り続けたい。 

 あのクリスマスイブの夜からキリトはそればかり考えていた。

 

(だけど本当に守ろうとするなら、一緒にいるだけじゃあダメなんだ。それじゃあ結局はサチを失ったときとなにも変わらない。俺一人にできることなんてたかが知れてるんだから)

 

「そんなことより、お腹すいちゃった! ご飯にしよう? 今日はお弁当持ってきたの。ほら!」

 

 見ればメイプルの手には小洒落たランチバスケットがしっかりと握られている。

 

「手作りか? 料理スキルなんていつの間に......」

 

「アスナが作ってるのを見てわたしもやってみようと思ったんだ! すごいよねぇ〜アスナって。アインクラッドのいろんな食材を合わせてオリジナルで調味料とか作っちゃうんだよ。お醤油とか、お味噌とか」

 

「なんだそりゃ? あいつそんなことができるのか?」

 

 アスナといえば攻略の鬼と言われるほど、ストイックな一面を持っている。 

 第一層の街でキリトがクエストで得たクリームをアスナのパンに分けたとき、それはもう見ているキリトの腹が膨れてきそうなくらいのがっつき振りを見せていたことから食べ物に無頓着というわけではないのだろう。

 それでも戦闘とは直接関係のないスキルの熟練度をコツコツ習得している様子は今のキリトには想像できなかった。

 

「......そっか、頑張って作ってくれたんだな。せっかくだしここで昼食にしよう。なにを作ってきたんだ?」

 

「おにぎり! まあ、まだアスナの料理に比べたらちょっと自信ないけど、でも味は大丈夫!」

 

「ありがとな。それじゃあ遠慮なく......って、おお! すごい!」

 

 メイプルからはしゃぐように差し出されたランチボックスを開けた瞬間、キリトは思わず声をあげた。

 

 

 

産業廃棄物みたいな色してる!

 

 

 

 それは正しく文字通りの色をしていた。

 中身は俵型に握られたおにぎりが虹のように七つの色の層を成して詰められている。

 この世界の料理は仮想世界のモンスターの部位や植物を使うことから、現実の食彩観念から言えばありえないような色をしていることが多い。

 事実キリトの好物である《ジャイアントフロッグの足》という食材アイテムは現実世界ではまず見られない青い色をした肉でこれをこんがり焼くとその肉は青から紫色に変色する。

 

(まあ、ゲテモノほど食ってみたら美味いことはあるけど......これはどうなんだ?)

 

 一瞬カエルの足と同じ類と考えていたが、目を凝らしてよく見てみると所々にグラフィックの乱れがあり、メイプルが嬉しそうに頭を左右に揺れさせるたびに処理落ちしたようなカクつきが起こっていた。

 

「......ちょっと待ってくれメイプル。ひとつ確認させて欲しい」

 

「はい? なにかな?」

 

「NWOのスキルについてだ。料理をするためのシステム的なアシストやスキルはあるのか?」

 

「うーん、どうなのかな? わたしは持ってないけど」

 

「......じゃあ、その料理はいったいどうやって作ったんだ?」

 

 恐る恐る尋ねるキリトにメイプルは答える。

 

「うーん......普通に?」

 

(普通......?)

 

 それは本来であればこの世界にメイプルがいないのと同じように、NWOのスキルがこのアインクラッドに存在するはずがないのと同じように、この世界では電子的なデータでしかない料理というアイテムの生成がメイプルにできるはずがなかった。

 

「......えーっと」

 

 改めてキリトは手元の物体Xに視線を戻す。

 これを摂取したアバターデータがはたしてそれを料理アイテムとして認識するかもわからない。そもそもグラフィックからしてアインクラッドのオブジェクト再生エンジンが正常に機能していないのだ。

 キリトは思った。

 

(これ......下手すると食べたら死ぬんじゃないか?)

 

 冗談ではなく本気でそう思った。

 メイプルの存在はSAOサーバーにとっては予期せぬバグもいいところで、それはチートコードと同じく、システム破損の危険を常に孕んでいる。

 

(いや死にはしないまでも...もし食べたらなにか深刻なバグが発生したりとか......ダメだ。こんなの危険すぎるぞ。けど......)

 

 キリトはちらりとメイプルの方を見た。

 

「............ニマニマ」

 

 メイプルは笑っている。

 ビー玉のように澄んだ瞳で、いつもの小動物のような無邪気な笑顔を浮かべながらキリトを見ていた。

 

(食べられないだなんて言える様子じゃないよなぁ......)

 

 キリトは大きく息を吸うと覚悟を決めた。 これを食べたことで自分の身になにが起きようとこの物体を嚥下し、「美味しい」の一言をひねり出してみせるという覚悟をだ。

 恐る恐るランチバスケットからおにぎりをひとつ手に取ると、一瞬のためらいの後にがぶりと口に頬張った。

 

「もぐもぐ......う、んんっ!?」

 

 キリトの舌の上を針玉を口に入れたかのような激しい酸味が突き刺す。それはデータが破損したかと思わずにはいられないほど、危険な味覚信号だった。

 

「うごぉっ!」

 

 それに続いて鈍い頭痛と激しい目眩を感じ、すぐさまおにぎりを吐き出そうと思った時、キリトは自分の身体が麻痺したように動かないことに気づいた。

 反転していた視界がやがて暗くなり、料理の出来を得意気に話すメイプルの声すら聞こえなくなる。

 

(.........俺は......死ぬ、のか...?)

 

 金縛りにあったかのように全身が動かない。それどころか全身の感覚すらなくなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

「まず食材アイテムを取り出して適度なサイズに切ります」

 

 それからしばらくして目を覚ましたキリトは正体不明の料理を暴くべく、メイプルが調理をする様子をじっと傍らで見ていた。

 メイプルは丁寧に野菜や肉といった食材に刃を入れていき、一口大ほどの大きさになったそれを鍋の中に入れていく。

 

「なるほどな、スキル欄の《レシピ》を使わずに現実世界と同じように料理するんだな」

 

「普通はこうやって作るんじゃないの?」

 

「いや。俺はまともに使ったことはないけど、普通は《料理》スキルの欄にあるレシピから作りたい料理を選ぶんだよ。包丁やフライパンなんかの調理器具アイテムも使うけど、調理の手順はシステム任せでほとんど省略されてるし。それでここからはどうするんだ?」

 

「それからこう......ひょいっとすると、ほら完成!」

 

「うんうん......ん?」

 

 それはまさに一瞬の出来事。それこそキリトが目ばたきをしたコンマ一秒の間に起こった。

 さっきまでメイプルが手にしていた鍋の中はただ食材アイテムが詰まっただけの状態だったはずが、今は赤青黄紫橙というカラフルな発色を帯びて湯気をたたている。

 メイプル特製、

 最終的にスープ状になった〜The Thing〜(なにか)

 

「おいちょっと待て、今なにした!?」

 

「うん?」

 

 メイプルは本気で何を言われているのかわからないといった様子で子首をかしげて、頭上に?マークを浮かべていた。

 



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42話 「サンドイッチでパンチ」

 

 フルダイブ技術により人間の意識と生身の肉体が切り離されたこの世界において、どういう原理が働けば失神という状態に陥るのか、キリトは真剣に考えていた。

 

「やっぱりあれか? 異常な知覚情報が送り込まれた結果、脳が危険信号を発して意識をシャットアウトするとか?」

 

「どうしてそれを私に話すのかしら?」

 

「そりゃ、メイプルに料理を教えたのがアスナだからだろ?」

 

 キリトが消耗品アイテムの補充という表面上の理由を見繕ってまでアスナを呼び出したのにも訳がある。それは先日キリトが口にしたメイプルの料理について聞くためだ。

 

「別に教えてないわよ! ちょっと私が作ってるところを見せて、味見をお願いしてただけで......」

 

 キリトの話を聞いていたアスナが不満げな様子で言う。しかし無視せずこうしてキリトの話を聞いているのはアスナ自身、多少なりとも責任の一端を感じているからだ。

 

「それだけなのに、なのにまさかあんなものができ上がるなんて......」

 

 唐突になにか嫌なものを思い出したように、アスナの表情にうっすらと影が射した。

 

「......食べたのか?」

 

「うん......」

 

「......あの味を知った上で、野放しにしてたのか?」

 

「ごめん......」

 

 キリトの視線から逃れるように顔を背けるアスナ。

 なんにしても被害者としてこれ以上犠牲を増やさないよう務める責任がある。それが二人の共通認識だった。

 

「とはいえアスナのやり方を見てメイプルが真似したわけなんだろ? それだけならあんな料理ができる理由には......いや、むしろだからこそなのか?」

 

 ぼそり、と呟くように言ったキリトの言葉をアスナは聞き逃さなかった。

 憤慨した様子でアスナはキリトの胸ぐらを掴むとずいと引き寄せて顔を近づける。

 

「ど・う・い・う・意味かしら?」

 

 レイピアのような鋭い眼光が、文字通りキリトを突いた。

 

「いや、えっと、だってアスナさん料理とかするタイプじゃあございませんでしょうし......俺もそれならそれで少し納得いく気が......」

 

「私だって料理くらいします。そんなに失礼なこと言うなら食べて見なさいよ。ほら、私の手料理!」

 

 アスナはキリトの胸ぐらを掴んだまま空いた片方の手でメニューを開き、アイテムストレージから三角切りのサンドイッチを取り出した。

 僅かにライ麦が混ざっているのか、薄く黒みがかったパンにハムと色とりどりの野菜挟まれたサンドイッチ。それは、平時であれば誰もが口を揃えて美味しそうだと答えるに違いないものだったが、それに意識すら向けられないほどの鬼気とした迫力がこの瞬間のアスナにはあった。

 

「おいちょっと待て、いきなりなにを!?」

 

 抵抗するキリトを無視して弓を引き絞るようにサンドイッチを手に振りかぶると【体術】スキルによるライトエフェクトがアスナの拳に灯った。

 

「せあっ!」

 

「んごっ!」

 

 あーん、というよりは顔面パンチに近い勢いでキリトの口にサンドイッチを押し込むアスナ。

 強引に喉を通ったそれをキリトの味覚再生エンジンが察知すると舌の上をまろやかな酸味が広がった。

 

(あ、あれ? 普通にうまい......というかこのどこか懐かしい風味は、シーザードレッシング!)

 

 アインクラッドの様々な食材アイテムをかけ合わせて独自に現実世界と同じ味の調味料を作り出す。それ自体はメイプルから話だけ聞いていたものの、実際に口にしてみるとその再現度は驚くべきものだった。

 

「ああ~~~~~!」

 

 この世界に来て初めて口にした現実世界の調味料にキリトが感心していると、すぐ後ろからすっとんきょうな叫び声が聞こえてくる。

 二人が揃って振り替えると、そこには今回の件の当事者がいたのだった。

 

「め、メイプル?」

 

「メイプルちゃん!?」

 

 少し離れた場所から二人の様子を見ていたメイプルは一直線にキリトに向かって駆け出した。

 駆け出すといっても普通のプレイヤーの歩く速度より多少速い程度で、やっとこさたどり着いたメイプルはそのままキリトの腕を両手で掴むとアスナのそばから自分の方へと引き寄せた。

 

「ふ、二人の姿が見えたから話しかけようと思ったら......思ったら~~~!!」

 

「おい、メイプル? 急にどうし────」

 

「思ったら~~~っ!!」

 

 とりつく島もなくキリトの両肩を掴んで激しく前後に揺するメイプル。

 

「アスナはダメ!」

 

「ダメって...なにがダメなんだ?」

 

「ダ~~メ~~!!」

 

 左右の目を大なり小なり、いわゆる><にしてなおもキリトを揺すり続けるメイプル。おおよそ平常心と呼ばれるものはかけらほども残っている様子はなかった。

 

「ちょ...ちょっとメイプルちゃん? 落ち着いて? どうしちゃったの?」

 

 驚きやらなにやら、いろいろ通り越していっそ心配そうに見つめるアスナ。その亜麻色の艶やかな髪がふわりと肩に垂れ下がり、吸い込まれそうなほど澄んだ大きな瞳がメイプルの方に向く。そんな様を見てメイプルはなおさら思ったのだった。

 

(圧倒的戦力差ぁ!!)

 

 メイプルはアスナの容姿に危機感を感じていた。それもまったくの無意識に、しかし恐々と感じていたのだった。おまけにアインクラッド最強と謳われる血盟騎士団の副団長であり、その実リアルでは社長令嬢。

 

(あんなルックス反則だよ。チーターさんだよ。自分で作ったアバターキャラみたいに顔も整ってて......ううっ...お肌綺麗で白い。顔も小さくて足も細いぃ~......)

 

 とうとうメイプルは地面に両手両膝を着いた。

 

「......うぅ! ううーーっ!」

 

「お、おいメイプル...? 頼むから、なにがなんなのかちゃんと日本語で話してくれないか?」

 

「うーうーうー!」

 

 激しく首を横に振ってメイプルはNOと答えるのだった。

 

 

 



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42話 「それを俗に嫉妬と呼ぶ」

 

 

「男の子ってさぁ...やっぱアスナみたいなさぁ...かわいい女の子がさぁ...いいのよさぁ......」

 

「それをどうしてオレっちに話すんダ?」

 

 一部メイプルの使う日本語がおかしいことはさておいて、テーブルを挟んで対面するような形でメイプルの前に腰かけていたアルゴはため息混じりにそう言った。

 二人がいるのはアルゴが普段情報の取引に使うカフェ。人目の多い大通りに面しているにも関わらず、中にいる客はアルゴとメイプルだけで、従業員もすべてNPCだ。

 

「だって、アルゴってキリトとの付き合い長いみたいだし......」

 

「まあ、このアインクラッドの中じゃあ長い方なんだろうけどナ」

 

 そう不満げに言いながらもこうしてメイプルの呼び出しに応じて、話に付き合うのは、キリトの朴念仁っぷりにアルゴが少なからず責任の一端を感じている。わけではなく、単純にメイプルに対する姉心からだった。

 

「だいたい何でそんなにキー坊のことで取り乱してるんダ?」

 

「それは...! そ、それは......えーっと、なんでなのかな?」

 

 メイプルはアルゴから視線をそらせて答えた。

 その瞬間、不意に見せたメイプルの照れたような表情は情報屋を営むアルゴにとってある情報の裏付けを取るに十分すぎるものだった。

 アルゴはそのまま言葉を続ける。

 

「キー坊がソロプレイヤーやってるワケは知ってるダロ? 今さら血盟騎士団に取られる心配なんていらないだろうし、美人の副団長さんとどこで何しようと関係ないんじゃないのカ?」

 

「うぐぅ......あ、あー見て見てアルゴ! あそこ! クレープ屋さんだよ!」

 

(ははーん。なるほどなるほど)

 

 ニヤリという音が聞こえてきそうな笑みをこぼしてアルゴはあからさまに話題を逸らせようとするメイプルを見た。

 いたずらっぽく、それでいてどこか楽しげな表情は、まさしく新しいおもちゃを手に入れた子どものそれだ。

 

(ま、今日のところは話を逸らされてやるカ)

 

 そう思ってアルゴはメイプルに促されるまま窓から見える大通りに視線を向けた。

 

「ほら見てよ! すごく美味しそうだよ! 今から行ってみようよ!」

 

「あーはいはい......ん?」

 

 何かに反応したかのように、アルゴの視線がピクリと人ごみの一箇所に向いた。それからほんの数秒の間、通りを歩く人の流れをじっと見つめると、左右の頬が僅かに釣り上がる。

 

「よーし、だったらオネーさんがとっておきの情報をくれてやろう」

 

 ほんの数秒前まではメイプルに話を逸らされるつもりでいた。しかしそれがあるものを目にした今、180度手のひらを返したのだった。

 

「...? 売ってやる、じゃなくて? くれるの?」

 

「その素直な性格が妙に刺さるケド、概ねその認識で間違ってないのが痛いところだナ」

 

 事実として、アルゴは持っている情報にはなんにでも値段を付ける。ときに無料で情報を提供することもあるが、それだって直接人の命に関わるような場合か、そうでなければ結果的に自分の利益になるようなときのみだ。

 そして今回の場合、提供する理由は後者。

 

「あのクレープ屋台から右に三つ隣の雑貨商、人ごみに隠れてほんの一瞬しか見えなかったけど、キー坊がいたぞ?」

 

 教えたほうが利益になる。そう踏んだアルゴは人ごみの一角を指で示した。

 

「え、どこどこ? 見えないよ?」

 

「よーく見てみろヨ。全身真っ黒なプレイヤーがいる」

 

 メイプルは間違い探しでもするかのように眉間にしわを寄せながらアルゴが指差す方角をジッと見つめた。すると人垣の隙間からキリトの姿が確かに伺えたのだ。

 

「な? いただろ?」

 

「いた......けど、よく気がついたね。アルゴに言われて見てみても直ぐには見つけられなかったよ」

 

「情報屋の目を侮ってもらっちゃ困るナ」

 

 得意げな様子で笑うアルゴ。しかし、いまいちアルゴの意図が汲み取れないでいるメイプルは首を傾げた。

 

「うん? これがとっておきの情報なの?」

 

「要するに、そんなに心配なら本人に聞きに行けばいいって話ダ。場合によっては引き止めればいいしナ。それともキー坊が美人副団長の部下になってもいいのカ?」

 

「それはダメ!」

 

 メイプルは前のめりに立ち上がって答えた。急に立ったせいで座っていた椅子がガタリと音を立てる。

 しかし、そのときアルゴの見せた謀ったような笑みに気がついて、メイプルのこめかみから一筋の汗が流れる。

 

「それはダメ......でもないことはないような気がしないでもないよ」

 

「それはどっちなんダ? まあいいけど、さっさとしないとキー坊行っちまうゾ」

 

「...っ! わたし行ってくる!」

 

 気合を入れて拳を握り締めたメイプルは、フンスッ、と鼻息を上げて駆け出した。

 

(ホント、単純というか純粋というか、わかりやすい性格してるよナ)

 

 そんなメイプルの後ろ姿を見届けて、テーブルに置いていたお茶を啜ると、スキル欄から【聞き耳】スキルを選択してキリトのいる方へと意識を向けた。

 一方メイプルは勢いよく階段を駆け降りて一階へ、そのまま店の外に続く扉を押し破り、大通りへと飛び出すと人ごみを掻き分けながら進んでいく。すると見覚えのある黒いロングコートを身にまとった後ろ姿がメイプルの目に映った。

 

「おーいキリトぉ~!」

 

 メイプルはキリトのもとに走りながら声を張り上げた。それに気がついたのか、キリトの顔がメイプルの方に向く。

 

「キリトはわたしとアスナ、どっちがいいの!?」

 

「......? アスナ」

 

 てっきり料理の話だと思ったキリトは大して考えることもせず、あっさりとそう答えた。

 メイプルはその場ですぐさま踵を返してターン。人ごみを掻き分けながら大通りを進んでいき、アルゴがいる店の扉を押し破る。そして階段を駆け上って二階へ。ダッシュでアルゴのもとに戻るなり飛び込むようにして泣きついた。

 

「あるごぉぉぉぉ~~!」

 

「あーよしよしどーどーどーいいこいいこ。今のはキー坊が悪いナ。今度オネーさんがガツンと言ってやるからナ」

 

 一部始終を聞いていたアルゴは【聞き耳】スキルを解除するとしゃくりあげるメイプルの頭を飼い猫にそうするかのように撫でた。

 けしかけてしまった手前、なんとも後味の悪い思いでいたアルゴだったが、しばらくの間、胸に顔をうずめてすすり泣いていたメイプルの声がピタリと止まったとき、神経を逆なでするような禍々しい気配を腕の中から感じた。

 

「......こうなったら決闘だよ」

 

「.........は?」

 

 その気配の名を、俗に嫉妬という。

 

 

 

 

 

 

 血盟騎士団の門前。そこで番をしていたクラディールの目の前に齢十代半ばほどであろう少女がいた。

 薔薇があしらわれたその装いは夜を編んだように黒く、手には透き通った漆黒の大盾となぜかフライパンを携えている。少女の黒い髪の色と相まってその姿はどこか暗い印象すら持てるものの、しかしその瞳だけは闘志の炎で揺れていた。

 

「貴様はこの間の......なんの用だ!」

 

 あからさまに警戒した表情を隠そうともせず、背負った両手剣の柄に手を添えて威嚇するようにクラディールは言う。

 そんな態度にも臆することもなくその少女、メイプルはフライパンを高々と掲げた。

 

「アスナに決闘を申し込みに来たよ! どっちの料理がおいしいのか、白黒はっきりつけてあげるよ!」

 

 

 

 

 



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43話「食戟のメイプル」

卒論終わってようやく執筆できました~
うわー長かった
小説なら二万文字なんて一日で終わるのに論文だともう終わりが見えない
そんなこんなで43話です(笑)


 普段はアスナの傍付きを務める老齢のプレイヤー、アルフレッドは団員の一人を連れて自身の執務室からギルドホームの門前に向かっていた。

 中世の執事が身に着けているような燕尾服に似た造形の服に、軽装のプレートメイルと皮手袋を装備していて、フェイスアクセサリーには片眼鏡をかけている。

 その姿は還暦を過ぎた彼の年齢もあいまって、まるで本物の老執事のような貫禄すら感じられた。

 

「それで? その女性プレイヤーというのは今も?」

 

「はい、門番のクラディールが対応しています。」

 

「ふむ」

 

 アルフレッドは白んだ顎の髭をひと撫でして、考え込むような姿勢を取る。

 話の概要はすでに伝達訳のメンバーを通じてアルフレッドの耳に入っていた。

 SAO最強と謳われるギルドだけあって血盟騎士団の入団希望のプレイヤーは数を増す一方だ。しかし団員との決闘を希望、それも副団長である閃光のアスナに決闘を挑みにくるプレイヤーなどこれまで一人としていない。

 

「......それにしても門番はクラディールですか。あれはやや素行に難のある男ですから、変に騒ぎ立てていないといいのですがね」

 

 そう言って外へと通じる扉を開け放つと、目の前に映った光景にアルフレッドは眉をひそめた。

 

「帰れと言ってるだろ!」

 

「帰りません!」

 

 一歩も引かず、門番のクラディールと対当するメイプル。それを見ている周りのプレイヤーの視線など気にも留めていない様子で、当然アルフレッドが来たことにも二人は気づいていないようだった。 

 それどころか、ヒートアップした熱はまさに一触即発といった様子で、門番のクラディールに至ってはすでに背にした両手剣の柄に片手を添えている。

 

「貴様ぁ...!」

 

「何事かねクラディール?」

 

 そんなクラディールが背中の両手剣を抜きかけたところで、アルフレッドのしがれた声音が二人の間に割って入った。

 

「はっ、これはアルフレッド様。実はこいつがアスナ様に決闘を申し込むと言って聞かないのです」

 

「事情は把握しています。それを引き留めるのが門番であるあなたの役割ですからね。しかし来訪者を前に大声で怒鳴り上げ、あまつさえ武器に手をかけるとは何事かと聞いているのです」

 

 細く、鋭い視線がクラディールを射抜いた。そんな視線に気圧されたように黙り込んだクラディールにアルフレッドはさらに言葉を続ける。

 

「もっと穏便な対応はいくらでもあったはず。それをあろうことか我らのギルドホームの前でここまで騒ぎを広げるというのは些か目に余ります。あなたも血盟騎士団の一員ならギルドの品位を貶めるような振る舞いはおやめなさい」

 

「しかしこいつが.........っ!」

 

 反論しようとしたクラディールだったが、アルフレッドにそう言われたことでようやく周囲の状況に気が付いたようだ。

 騒ぎを聞きつけた野次馬がそれなりの数集まってきていて、血盟騎士団のギルドホームの前はちょっとした騒動になっている。これだけのプレイヤーが見ている前でもし武器を抜いていたらどうなっていただろうか。

 たとえ圏内でダメージを受けることがないとはいえ、血盟騎士団への心証が悪いのは間違いない。

 

「......申し訳ございません」

 

 そう言って深く頭を下げるクラディールから今度はメイプルに向き直る。

 

「まずは部下の非礼をお詫びしたい。私はアスナ様の傍付きを務めているアルフレッドと申します。しかし決闘とはあまり穏やかではありませんな。それに貴方が手にお持ちなのは?」

 

 メイプルは口の端をつり上げた。

 そしてその質問を待っていたとばかりに意気揚々と答えてみせる。

 

「フライパンです!」

 

「......フライパンですか」

 

 この世界に来てアバターの身体を得てからというもの、老体の不便さをまったくと言っていいほど感じなくなったアルフレッドだったが、ここにきてやけに目元に疲れを感じて、しわの寄った目頭をもんだ。 

 

「とにかくここでは目立ちます。詳しい事情はホームの中でお聞かせいただければ」

 

「その必要はないわ。あなたの決闘の申し込み、受けて立ちます」

 

 そのよく通る、透き通った声はメイプルを含め、その場にいた誰もが知っていた。 

 

「アスナ様......」

 

「対応ありがとう、アルフ。あとは私に任せて構わないわ」

 

「よろしいので? 五十層の迷宮区探索を含め、お忙しい身では?」

 

「大丈夫よ。もうほとんどマッピングが済んでるもの。もうボス部屋が見つかるのは時間の問題だわ。それよりも」

 

 アスナはメイプルの方を見た。その手に握るフライパンが生み出す料理の恐ろしさはアスナ自身も目の当たりにしている。

 

(メイプルちゃんがあんな料理を作るようになっちゃったのも、もとはといえば私に原因が......無きにしも非ずだし、ここは正面から戦って料理の腕自覚してもらうわ。それがせめてもの誠意だもの!)

 

 

 

 

 

 

「......で、どうしてこういうことになったのかしら?」

 

「はて、こういうこととは? 意味が分かりかねますな」

 

「この催しもののことよ!」

 

 それは決闘が決まった翌日のこと、アスナは目前に広がる光景を指差して言った。

 アスナとアルフレッド。二人がいたのはコロセウムの中央、そこには仮設した調理台が二セットずつ設置されていた。

 調理台の他にもレンガで形作られたオーブンに、石窯やグリルといった設備が一通り揃えられていて、どんな料理を作るにしても不足のないものだった。

 その傍には《審査員席》とかかれた席が三つ。さらにコロセウムを囲むドーナツ状の観客席には見渡す限り隙間なく大勢のプレイヤーが熱狂を上げていて、これから始まる決闘を今か今かと待ちわびているようだった。

 そしてなにより目を見張るのはアスナの指差す先、空中に投影された大型のシステムメッセージには達筆な筆字で『食戟』と書かれていたのだ。

 

「確かに時間を割くのに問題ないとは言ったわ。ええ言いましたとも......でも、だからといってこれはやりすぎよ」

 

「実務班にこうした企画の好きな男がいましてな。なんでも、とあるアニメーション作品の料理対決の様式をそのまま採用したとのことです」

 

 アスナとメイプルの間で決闘の取り決めが行われたのが昨日の正午のこと。それを聞き付けた血盟騎士団の組織運営を担うギルドメンバーがこれ見よがしに大々的な催し物としてイベント化したのだ。

 プレイヤーへの告知や会場の確保、筐体のセッティング。全てが急ごしらえの間に合わせにも関わらず、満員御礼の集客を得られたのも、ひとえに血盟騎士団の紅一点、閃光のアスナと、かつてアインクラッドで唯一のメイドプレイヤーとして名を馳せたメイプルというビックネームが揃ったからこそといえた。

 

「なにか準備してたのは知ってたけど、まさか昨日の今日でこんなに大がかりなことになっているだなんて......」

 

 アスナは脱力したように額に手を当てる。

 そんな様子のアスナとは対極的に、メイプルはというと。

 

「しゅぼーーー...ぶしゅーーー...」

 

 まるで暗黒面に染まったかのような呼気で集中力を高めていた。

 それも当然というべきか、実食する審査員は本決闘の主催ギルドである血盟騎士団、その団長のヒースクリフ。グルメ情報にも抜かりのない情報屋のアルゴ。そしてなにより、なぜか引っ張り出されてきた漆黒のソロプレイヤー、キリトの姿がそこにあったのだから。

 気合いは十分。そんなメイプルがアスナの視線に気がつくと、ニヤリと挑戦的な笑みを浮かべて、なぜかフライ返しのシャドーをして見せる。

 

「はぁ~...」

 

 アスナは今日何度目かのため息をついた。

 

「せめてキリトくんが審査員じゃなかったら、それならメイプルちゃんだってあんなに張り切らずに済んだのになぁ......」

 

「メイプル本人の希望だったらしいな。まあ、こうなったら以上どうしようもないだろ?」

 

 そう言って審査員席から歩み寄ってきたキリトはどこか楽観的な面持ちで、それが少々、当事者であるアスナの癪に触った。

 

「もう、呑気なこと言わないでよ。他人事だと思って......」

 

「他人事だと思うか?」

 

 妙に清々しい表情で笑うキリト。

 この決闘において審査員としてメイプルの手料理の実食を義務付けられたキリトは諦めの先にある、ある種の境地に立っていた。

 

「後の事を気にしても仕方がないから、今この瞬間だけを見ることにしてるんだよ」

 

 哀愁すら感じられるキリトの瞳はここではないどこか遠くを見据えているようだった。

 アスナとメイプル。どっちが勝とうが負けようが、審査員としてメイプルの料理を食べなければならない未来に変わりはない。それを理解した上で、なおかつ受け入れたが故の余裕の笑みだった。

 

 

 

 

 

 やがて勝負の開始時刻が間近に迫ると、アスナとメイプルは調理台に。キリトとアルゴ、そしてヒースクリフは審査員席につく。

 するとそのタイミングを見計らったように、アルフレッドが軽く咳払いをすると、大きく声を張り上げた。

 

「東! 我らが血盟騎士団副団長! 閃光のアスナ!」

 

「はい」

 

 静かに、それでいて確かなアスナの返事。

 

「西! カフェ《めいぷるどりーみん》のカリスマメイド! メイプル!」

 

「はい!」

 

「え、その肩書きでいくのか?」

 

 そんなキリトの冷静な突っ込みは客席の歓声にかき消された。

 

「それでは、調理開始!!」



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44話 「カリスマメイド、再び」

 

 

 

 突発的といっていいほどの勢いで開始された、メイプルとアスナの決闘。

 この決闘はアスナの調理、実食が済んだあと、続いてメイプルが調理を始め、実食し、勝敗の判定を行うといったルールだった。

 司会進行役のアルフレッドの合図とともに、アスナはスキル欄から《調理》スキルをセレクト。習得したレシピの中からひとつを選んで、手持ちの食材アイテムをアイテムストレージからオブジェクト化させる。

 取り出したのはブロック肉に野菜類、そしてアスナが独自に調合した再現調味料だ。

 

「ほほう、特に変わった食材はないようですな。調理器具は鍋。これをどう見られますかな? 団長殿」

 

「こういうのはあまり得意ではないのだがね」

 

 驚くほどに、そつなく司会をこなすアルフレッドにヒースクリフは苦笑するが、アスナの手慣れた様子をじっと見るとおもむろに口を開く。

 

「動きに無駄がないのは普段から作り馴れている証拠だ。大いに期待できる。話によると、彼女はリアルでも料理を嗜むそうだが、見たところその腕はこの世界でも存分に発揮されているようだ」

 

「なるほど、審査員の期待も十分のようです。それではメイプル殿のご友人にして情報屋、アルゴ殿のご意見を聞いて参りましょうぞ」

 

 アルフレッドに促されるまま、審査員であるアルゴは視線をアスナの方に向けたまま答える。

 

「アスナの《料理》スキルの熟練度については詳しい情報はないナ」

 

「つまり、どれ程の腕前を持っているかは未知数であると?」

 

「そうと言えばそうダ。けどオレっちは相当高いレベルだと睨んでる。まあ、ギャラももらっていることだし、サービスでひとつ情報を提供してもいいダロ」

 

 そんな実況が続くなか、アスナは手にした包丁で食材アイテムを軽く叩くようにして当てた。肉の塊や野菜がライトエフェクトを発すると、一瞬にして一口サイズの形にオブジェクトが変化する。

 それを決まった順番に鍋の中に入れていき、調味料を一振。そんなタイミングを見計らったようにアルゴは言葉を続けた。

 

「閃光のアスナはアインクラッド内の全調味料を解析して、現実にある醤油なんかの調味料を完全に再現することに成功している」

 

「なんと!」

 

 アルゴの言葉に驚いたのは、なにも司会のアルフレッドに限ったことではない。その場にいた観客席のプレイヤー全てがその情報にどよめきを隠せなかった。

 なにせ醤油や味噌などといった現実世界の調味料は既存のアイテムでは存在しない。あるとすればアスナのようにアイテムを掛け合わせて独自に調合するしかない。

 

「アインクラッドに存在する百種類以上の調味料、それらが持つ味覚再生エンジンへのパラメータを元に現実の味を再現する。尋常じゃない手間と時間、そして料理に対する情熱がなきゃ到底できっこない作業ダ。そしてその挑戦の連続で培った《料理》スキルの熟練度がいったいどれ程のもんカ、実食が楽しみだナ」

 

 頬の三本髭をつり上げて楽しげに笑うアルゴ。

 隣でそんな解説を聞いていたキリトは、うなじを手でさすりながらため息をつく。 

 

(なんか、いよいよ本格的に料理勝負っぽくなってきたぞ...?)

 

 会場全体で期待の渦が巻き起こる中、アスナは鍋を調理台のオーブンに入れた。

 数秒ほどして鍋の中身が煮えたぎるようなエフェクトを見せると、立ち上った湯気に隠れて現実のものと寸分違わない見た目のビーフシチューが完成する。

 

「完成しました。《スモークバッファロー》のシチューです」

 

 三人の前にそれぞれ並べられた料理から立ちのぼる湯気に、自然と食欲がそそられる。キリトはスプーンでそれをすくい、口に運んだ。

 

(お、おお...!)

 

 これといって隠し味もなければ、特別な盛りつけがされている訳でもない。食材に使った《スモークバッファロー》も大して珍しいモンスターではなく、食材アイテムも比較的高確率でドロップする代物だ。

 そんなどこででも見るような至ってシンプルなビーフシチュー。

 しかし、そうであったからこそ、それは食した誰もの心を打った。

 

「ほほう、これは驚いた」

 

「ダロ? ヒースクリフの旦那。まあオレっちも食べたのは初めてだけどナ。キー坊はどうだ?」

 

「ああすごいな、確かにこれは......」

 

 この世界に来てから久しく食べることができなかった現実世界の料理。そのビーフシチューの味が完全に再現されていたのである。

 口に含んだ瞬間、舌先から全身に溶け込んでいくように多幸感が広がっていく。シンプルだからこそ、心から素直に「うまい」と思える味だった。

 率直に、キリトは思っていたことを口にする。

 

「まあ、もともとわかっていたことではあるけど、これじゃあメイプルに勝ち目ないんじゃないか?」

 

「まだわからないゾ? 勝敗はメイプルの料理を食べてみてからダ」

 

「いやこれは、もう勝負あっただろう」

 

「アルゴくんの言うとおりだ。勝負は最後までわからないものだよ」

 

 そんなキリトを制するようにヒースクリフが言う。

 

(そりゃあんたはメイプルの料理を知らないからそんなこと言えるんだろうけどさ......というか、アルゴはなんだかんだ言って知ってるだろ!)

 

 という思いは心の中に留めることにして。キリトは黙って目の前のシチューを完食すべく、再度スプーンを握ったのだった。

 

 

 

 

 

 これに勝てるはずがない。勝負は決まった。そんな声が観客席の至るところから聞こえてくる。

 それが会場に存在する、あるものに気がついて、徐々に、徐々に、消えていく。

 

「しゅぼー...ぷしゅー...」

 

 質量の塊のようなプレッシャーが、コロセウムの中央から発せられている。その源である禍々しく、怪しげな呼気で深呼吸をするメイプルに会場全体から視線が集まっていた。

 未だメイプルの瞳に、諦めの色は見られない。

 すると陽炎のようにゆらりとした動きでメイプルはアイテムストレージを開いた。装備品の項目からいくつかのアイテムを選択すると、《装備》のボタンを押す。

 

「おおおおおおおおーっ!」

 

 その姿に、会場のボルテージが一気に上昇した。

 それはまごう事なきメイド服。

 

「お給仕スタイル、猫耳モード!」

 

 メイプルの頭の上で黒い猫耳がピンと立った。

 それはまごう事なきメイド服。

 しかしそれは圧倒的な存在感で、会場の空気を一瞬にして味方につけたのだった。

 

「それでは続いて、メイプル殿の調理に移ります」

 

 アルフレッドのアナウンスに審査員であるキリトですら固唾を飲む。

 

「調理開始!」

 

「せああああーーーっ!」

 

 ボス攻略にでも挑んでいるかのように気声をあげて、大上段から振り下ろした包丁でキャベツに似た野菜を断つ。

 それはアスナのようにシステムによって簡略化された料理ではない。現実のそれと全く同じような手順を踏んだ、メイプルの料理方法だった。

 まな板にぶつかる包丁の刃がリズミカルに音を奏でながら野菜を細切れにし、千切りになったそれを皿に盛り付け。続いてたっぷりと油を浸したフライパンを調理台に乗せて加熱させると、メイプルはあるものを取り出した。

 

「あれは...わかったぞ揚げ物だ!」

 

 キリトは思わず声をあげた。

 新たに取り出したのは二枚のトレー。スチール製のように銀色をしたそれには、内一つには白い粉、もう一つには油を切るためのものと思われる薄い紙が敷かれていた。

 メイプルは油を加熱している間に、調味料を混ぜたボウルの中へ均等な大きさに切り分けた肉を投下。丁寧に揉みこんで下味をつけると、粉の入ったトレーに移して上から満遍なく粉をまぶしていく。そうやって切った肉の全てが雪化粧のように真っ白に染まる頃、加熱していたフライパンの内壁から小さな泡が立ち始めた。

 

「よし! 頃合だね!」

 

 メイプルは一つずつ丁寧に肉を油の中へと入れていく。すると中の油が一気に大きく、そして激しく泡立った。煮えたぎる油の音はそれだけで観客の食欲をそそる。それは審査員であるキリトも例外ではない。

 

「これで...完成!」

 

 メイプルは油の底できつね色に染まったそれがライトエフェクトを発したことを確認した。すぐさま中身を網で掬って先ほど作ったサラダの上に豪快に盛り合わせる。

 すると徐々に消えていくライトエフェクトの向こうから虹色の発色が垣間見えた。

 

 メイプル作。

 最終的にスープ状になった〜The Thing〜(なにか)

 

「いや、うんわかってた。わかってはいたけどさ」

 

 キリトは心底から唾棄したように審査員席に突っ伏した。

 

「なんでなんだ...? 途中まで、というか盛り付ける寸前まではちゃんと唐揚げだったじゃないか......」

 

 網ですくって盛り付けたはずなのにどうして液状なのか、どうしてこんな極彩色と化したのか、そもそも先に完成していたはずのサラダはどこへ行ったのか。

 それら疑問の一切を許さないほど、その調理は禍々しく邪気を発していた。

 

(おいアルゴ、どうするんだよこれ......)

 

 そんな視線を隣にいるであろうアルゴに送る。しかしそこにはアルゴの姿はなく、間を挟んで座っていたヒースクリフと目が合った。

 ヒースクリフは青い顔をしている。おそらく、自分も似たよった表情をしているのだろうなと、キリトは思った。

 当然だ。目の前にある料理は、おおよそ食べ物の呈すら成していない。そしてその味の恐ろしさをキリトは身をもって知っている。

 

「......ギブアップって、ダメか?」

 

 本日の勝敗、アスナの勝利。

 

 

 

 

 

 

「まぁ~けぇ~だあぁぁ~~~~」

 

 決闘中の熱気がすっかり消え失せたコロセウムの真ん中で、泣きつくメイプルの頭を撫でながらアルゴはため息をついた。

 

「お疲れサン。まあ結果は最初からわかってたけどナ」

 

「ちょっとは慰めてよぉ~!」

 

 涙声で悲痛に叫ぶメイプルの頭を、とりあえず撫で続ける。

 アルゴが人知れず審査員席から逃げ出し、観客に混ざってキリトとヒースクリフが液状料理に悶絶する様を面白おかしく見物していたのは、かれこれ一時間ほど前のこと。

 その後、意識を失ったキリトとヒースクリフが外に運ばれていき、決闘はアスナの勝利で終結。

 そのまま観客に混ざってコロセウムを後にすればよかったものの、決闘を終えてから虚ろな表情でコロセウムに残るメイプルを見て、どうにもいたたまれなくなってしまったのが運の尽きだった。

 

「ぶええぇええぇええぇぇん!」

 

 アルゴはなおも、メイプルの頭を撫で続ける。

 

「そもそもなんで決闘なんか仕掛けたんダ?」

 

「キリトにだけは『美味しいよ。さすがだな』って褒めてほしかったんだよぉ~!」

 

 アルゴは吹き出しそうになるのをグッとこらえた。

 

(いやいや、オマエさんそれってどう考えても......)

 

 もはや隠す気すらないのではないかと思えるメイプルの言葉に、アルゴは一つの確信を持った。

 しかし、どんな情報にも裏付けはあって損はない。だからこそ、確実に、簡潔に、聞くべきことを聞いた。

 

「なあ」

 

「うん?」

 

「惚れたんダロ? キー坊に」

 

「んなっ...!」

 

 こみ上げたなにかがメイプルの首から上を真っ赤に染めると、爆発したように顔から熱気を発した。

 

「な、なにおいってるのかなぁ〜、へんだなぁ〜アルゴは、あはは、はははは...は......は」

 

 そんなメイプルの乾いた笑い声が、誰もいなくなったコロセウムの中央で響きわたる。それがどんどん萎んでいき、最後にはひきつったメイプルの笑みだけが残る。

 

「.........」

 

 そしてしばらくの沈黙。

 

「......どうしてわかっちゃったの?」

 

「あれで隠してるつもりだったのカ?」

 

 そんなメイプルの様子が可笑しくて、アルゴは耐えるのをあきらめて笑った。

 

「あっはっはっはっは!」

 

 これ以上ないというほどに、大きな声を出して笑ったのだった。

 

 

 




さーて気を引き締めろ俺
次からシリアス入れんぞー


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45話 「五十層ボス攻略会議」

 昼食後の少し気だるい時間。大通りに面した宿屋の一室に木窓に顎を乗せてまどろんでいるメイプルの姿があった。外からは冬も本番といったように雲一つない澄んだ空と大通りを行き交う喧騒が冷たい風に乗って緩やかに部屋の中にまで届いてくる。

 穏やかで、平和で、落ち着いた時間。

 ここがゲームオーバーがそのままプレイヤーの死に直結していることすら忘れてしまいそうなほどの和やかさが、眠ったように目をつぶるメイプルの胸中を満たしていた。

 

「メイプル、今レベルはどのくらいまで上がってる?」

 

 ふと、メイプルは声のした方に顔を向ける。

 

「えーっと...昨日のレベリングで23まで上がったよ」

 

 すぐそばで装備品の確認をしていたキリトは、問いに対する答えに満足そうに頷く。ソードアートオンラインのレベルでいえばざっくり言って69相当。もっともこれはNWOとSAOのレベル上限の差から計算しただけで、目安にしかならないが一応の安全マージンは確保できたと思われる。

 

「そうか。どうにか攻略会議前には仕上がったな。とはいえ今回は五十層。アインクラッド全階層の中間で、俺も今までのボスよりよっぽど強敵だろうと予想してる。油断は命取りだ」

 

 装備し直した片手用直剣の刀身に指先で触れ、耐久値や諸々のステータスを見ながらキリトは言う。手にしているのは普段の攻略に使う得物とは違う、耐久値よりもストレングスを中心に強化したキリトの片手用直剣。それはダンジョン攻略のような長時間の連戦を想定せず、短時間で少しでも高いダメージを与えることに特化した仕様だ。

 一方でメイプルの装備はいつもと何ら変わりがない。一張羅の《黒薔薇ノ鎧》に身を包み、背中には大盾の《闇夜ノ 》、腰に下げた短剣の《新月》はどれもメイプルにとって唯一の、それでいて最強の武器だ。

 穏やかで、平和で、落ち着いた時間。

 しかし忘れたい現実とはいつだってただそこにある。忘れていようがいまいが、無関係に平等に、戦わなければならない現実がただそこにある。

 

 

 

 

 

 

 

 2024年で最初の攻略会議は、攻略の指揮を執る《血盟騎士団》のギルドホームの一室を用いて行われた。

 一室というより大広間と言ったほうが適切で、フルレイド分の人数を優に収容できるスペースのあるそこは今、攻略に参加する全プレイヤーが続々と集結しつつあった。

 

「すごい...前の攻略会議の時よりもずっと人がたくさん......」

 

「ああ、それに集まってるのもそうそうたるメンバーだな。どこを向いてもアインクラッドじゃあ言わずと知れたプレイヤーばかりだ。間違いなく今の攻略組が持つ最大戦力だろうな」

 

 思わずそう声を上げるメイプルにキリトは頷くと、周囲を見渡した。

 《血盟騎士団》団長ヒースクリフ、並びに副団長アスナが率いるギルドメンバー総勢18名。

 《聖竜連合》の三幹部リンド、ヤマタ、シヴァタ。そして同ギルドメンバー総勢24名。

 リーダーのクラインを始めとする新興ギルド《風林火山》。総勢6名。

 そしてソロプレイヤー、キリトとメイプルのコンビ。その他にも有力ギルドから個人単位で攻略戦に参加するプレイヤーがちらほらと見受けられ、攻略会議に集まったプレイヤーは九十人以上。これならレイドを二つ作って一軍の戦況が逼迫したときはボス部屋の前で待機させた二軍に交代するといった戦法も取れる。

 それだけの本気度が今回のボス戦には注がれていた。

 

「参加連絡を受けたメンバーはこれで全て揃ったようだ。では、これより第五十層のフロアボス攻略会議を開始する」

 

 やたら縦に長いテーブルの奥に腰を掛けていたヒースクリフの号令に、その場にいた誰もが表情を引き締めた。そのテーブルには主だった攻略ギルドのトップや、アスナのような直接攻略の指揮を執るような有力プレイヤーが同じく席についている。キリトやメイプルなどのソロプレイヤー、そして代表者以外のギルドプレイヤーはテーブルをぐるりと囲むように立ったまま、号令をかけたヒースクリフに注目している。

 その視線一つ一つを返すように集まった面々を見渡すと、ヒースクリフはゆっくりとした口調で口を開く。

 

「《軍》は例によって不参加か。まあ二十五層攻略の痛手を考えれば当分は前線には出てこないのも無理はない」

 

「違いない。あの戦いでリーダーだったキバオウはギルドのトッププレイヤーを二十人以上失ったんだ。それに当時攻略戦に参加して生き残った軍のメンバーも最前線の安全マージンには届いていないだろ。復帰は絶望的だな」

 

 そう言ったのは《聖竜連合》の幹部、リンドであった。

 キリトはそのプレイヤーに見覚えがあった。クリスマスイブにクラインたちが引き付けた《聖竜連合》の集団、その中にいた一人だった。

 

「ま、ないものねだりしたってしょうがない。それにこれだけのメンツが集まってんだ。今さら半端なレベルの軍連中が来たところで足でまといだろ。話を続けようぜ団長さん」

 

「よろしい。ボスの名前は《タイラント・ザ・ドラグリオン》。ここにいる皆はすでに周知のことかとは思うが、ドラゴン系モンスターだ。爪や牙による攻撃や強力なブレス攻撃が予想されるが、何より問題なのは前の階層ボスと同じように飛行できることにある」

 

 飛行するボスモンスター、その言葉にメイプルの脳裏に《ザ・ノーブル・モス》との戦いがよぎった。高い攻撃力こそなかったものの、剣のリーチの届かない空中からの攻撃というだけで十分に苦戦を強いられていた。しかも今回のボスはドラゴン。インセクト系モンスターとはおそらく攻防ともに比にならない。

 

「キリト......」

 

 メイプルは不安げな眼差しでキリトを見た。

 アインクラッドの中間地点。クオーターポイントである二十五層攻略戦のときがそうだったように、こうした地点の階層では強力なボスモンスターが配置されがちであるとメイプルはキリトから聞いていた。

 キリトはそんな視線に気が付いて、かすかに笑った。

 

「大丈夫、この日のために安全マージンはきちんと確保した。少なくともメイプルのバイタリティは攻略組の前衛職と比べても遜色ないよ。むしろ高いほうだ」

 

 そう答えるキリト。しかしその表情にはあまり余裕がない。

 

「では今回の作戦を説明する。ボスの攻撃は爪や牙による近距離攻撃、尾を使った範囲攻撃が確認されている。さらにブレスによる火炎攻撃は常に我々の剣の届かない距離から大ダメージを与えてくるだろう。それだけならこれまでのボスモンスターとなんら変わりはないが、《タイラント・ザ・ドラグリオン》は空中を飛び回る為、プレイヤーが攻撃を当てるタイミングが制限されてしまう。飛行中こちらが攻撃出来ない分、非常に厄介な相手だ」

 

 その言葉は前階層のボス攻略を知る、誰にとっても重くのしかかった。それこそ、ボス攻略に参加したキリトやメイプルは攻撃の届かない高所から一方的に攻撃を受けることがいったいどれほど恐ろしいか、身を持って知っている。

 

「《タイラント・ザ・ドラグリオン》を空中に留めると危険だ。故に、まずは奴の翼を攻撃して空中から引きずり落とすしかないだろう」

 

「具体的にはどうすんだ? 相手は飛んでんだろ?」

 

 リンドの問いにヒースクリフは答える。

 

「ボスの飛行時間には限度があるようだ。偵察隊の報告によればボスが一度に飛べるのは最長で三分、その後は再度飛べるまで一分間のクールタイムを要することがわかっている。そこで三分間ボスの攻撃をしのいだ後、地上に降りたあとの一分間で翼を破壊。包囲してボスを討伐する」

 

 その言葉に周囲のプレイヤーはどよめいた。

 



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46話 「危険すぎる陣形」

 攻撃のできないときは守りに徹し、攻撃できるときには一斉に攻撃をする。ボスの翼を破壊したあとは包囲して討伐。単純な話だ。それだけにその場にいたプレイヤー全員の動揺は大きい。

 

「えっと...キリト。皆はどうして驚いてるの?」

 

「これまでのボス戦に比べてあまりにプレイヤー側が不利だからだよ。三分間、ボスは飛行しながら一方的に俺たちを遠距離攻撃できる。けどこの世界はプレイヤー側に用意された遠距離攻撃手段はほとんどないんだ。つまり俺たちはクールタイム中の一分間しか事実上攻撃ができない」

 

 メイプルは頷いた。それは話を聞いていればなんとなくわかること。

 前の階層のボスは一定のアルゴリズムに従ってプレイヤーの動きを感知して地上と空中を行き来していた。毒の状態異常攻撃を発し、一定のラインまでHPが下がれば突進攻撃によって結果的に剣のリーチまで降りてくる。しかし今回のボスモンスターはプレイヤーの行動ではなく時間経過で飛行を始め、地上に降りる。そうなれば当然、プレイヤーの動きで地上に誘導することもできない。

 

「少なくとも翼を破壊して地上に釘付けにするまでは、戦闘時間四分の三はボスの攻撃を一方的に受け続けなければいけなくなるんだ。そして俺たちが攻撃できるのはそのあとの一分だけ。もちろんボスが地上に降りたとはいえ、なんの抵抗もなくこっちが攻撃できるわけじゃない。ボスの攻撃をしのぎながら翼を集中的に攻撃するんだ。ボスの翼の耐久値にもよるだろうけど、おそらく長期戦は避けられない」

 

 キリトとメイプルの間でそんな話が成されつつ、ヒースクリフによる作戦の説明が続く。やはりキリトの見解の通り、それなりの長期戦を見越しているようだった。しかし戦闘時間が長引くということは、それだけ長時間ボスモンスターの攻撃に晒されるということだ。

 ボスの攻撃は倒されるまで際限なく続くが、プレイヤーの持つポーションなどの回復アイテムは使っていれば簡単に底を尽く。

 

「そこで、今回は本団のアスナくんが考案した対高レベルエネミー用の陣形を採用する」

 

 見知った名前を耳にすると、メイプルはぴくりと反応してその場で背伸びをする。すぐ目の前に並んだプレイヤーの間から顔を覗かせると、アスナに向かって小さく手を振った。

 それに気がつかないまま、アスナはヒースクリフの視線に頷いて返すと、席を立った。数秒のストレージ操作の後、取り出した大きな羊皮紙をテーブルの上に広げる。

 

「今回の陣形は各パーティを三種類のポジションに分けて編成します。次のボスはドラゴン。空を飛ぶうえ、かなりのHP量があるでしょう。そのため短期決戦が望めない以上、高い火力のボスを相手に長期戦を挑むため、この陣形を提案します」

 

 その羊皮紙はボス部屋の内部と思われる見取り図の書かれたものだった。

 その上には黒い大きな石が一つ、これがおそらくボスモンスターだろう。その真正面に相対するように一回り小さい赤、青、黄の三色の石が無数に置かれている。これがプレイヤーだ。

 

「今回のレイドは後衛の支援隊を四パーティ、残る八パーティを前衛を攻撃隊、守備隊の二つに分けて陣形を編成しようと思います」

 

 アスナは色のついた小石を三層横並びに分けて置いていく。

 最前列を青の石で表した守備隊、中間列で赤い石の攻撃隊、そして黄色の石で後衛の支援隊といった具合だ。

 

「けどよ、パーティの攻撃と守備で半々に割ったとして...メインの攻撃役がたった四パーティじゃあいくら何でもボスを倒しきれないんじゃあねえっすかね? なんたって今回の相手はドラゴン系モンスターなんだし、HPもそうだろうけど、VITだってこれまでのボスよかずっと高いと思うんですが......」

 

 見るからに自分より歳下であろうアスナに対して、中途半端な敬語で尋ねたのは《風林火山》のクラインだった。

 その言葉にキリトも頷く。

 クラインの心配はもっともだ。硬い鱗で覆われたドラゴン系モンスターはどんなゲームでも比較的にVITが高く設定される傾向にある。それはソードアートオンラインでも同じことでキリトたちがこれまで戦ってきたドラゴンと名のつくようなモンスターは総じて高い防御力を持っていた。

 その認識はこの場にいたプレイヤーの誰もが共通して持っていたことであろう。

 

「その心配はいりません。編成の振り分けは攻撃隊が八パーティ、守備隊が二パーティで編成します」

 

「ちょっと待て!」

 

 プレイヤーの群れをかき分けて、キリトは一通り石を並び終えたテーブルの前に立つ。

 そこには今アスナが話していた通り、後衛に置かれた四つの黄色い石の前列に、やけに横に間延びした赤い石が列を作り、最前列ではたった二つの青い石がもの寂しげに置かれていた。

 

「その方法でいったら、ボスモンスターの攻撃をたった八人でしのぎ切らなくちゃならなくなる。いくら大盾装備のプレイヤーを集めても守備隊の負担が大き過ぎるだろ!」

 

「そのために後衛に四パーティ、回復支援ができるようにプレイヤーを配置しているんです。攻撃隊にだってリスクはある。たとえ想定外のダメージを受けても、それをフレキシブルにカバーできる陣形です」

 

「けど...!」

 

 キリトは振り返ると、メイプルの方を見た。

 ここにいるメンバーで今話した陣形を作ろうとすれば、間違いなくメイプルは守備隊に当てがわれる。それは最も危険な場所からボスモンスターの攻撃に晒されることを意味していた。

 おまけにストレングス型の片手剣士であるキリトの編成先はまず間違いなく前衛の攻撃隊。そうなればパーティも別々になり、万が一の時、メイプルを守りにくくなるのは目に見えてわかることだった。

 

 

 

 

 

 

「あー、納得できないなぁ......」

 

 迷宮区の中を隊列を組んで移動している最中、ふとそんなことをキリトは口にした。

 

「大丈夫だよーキリト。私のバイタリティって他の攻略組の人と比べても高いんでしょ? ちゃんとわたしがキリトのこと守ってあげるから!」

 

 例のごとく行軍速度についてこれなかったメイプルは、キリトの背にしがみつくようにして運ばれながら、そう力強く答える。

 それは本来こっちのセリフだ、とキリトは言いたがったが、いかんせん攻撃隊に振り分けられたキリトはボスの部屋に入った段階で守備隊であるメイプルの背後に隠れるようなポジションになってしまう。

 そうでなくとも五十層ボスという強敵を前に、そんなことを安易に言う気にはなれなかった。

 一見すると楽観的なメイプルをよそに、キリトは思案にふける。

 おそらくギリギリの戦いになる。

 だからこそメイプルの近くにいたいとキリトは考えていた。

 通常、十二パーティ計四十八人で編成されるレイドは大きく分けて前衛、後衛の二つに分かれている。前衛は主に重装備や盾持ちのプレイヤーが、そして後衛はリーチの長い槍持ちやアジリティの高い軽装備のプレイヤーがパーティを組んで挑むのがボス戦のセオリーだった。

 しかし今回の攻略戦には回復やデバフ支援に特化したパーティを四パーティ設けている。

 その分、飛行中のボスからレイド全体を守る守備パーティはたった二つ。この守備隊がうまくボスの攻撃を受けて持ちこたえられるか、持ちこたえられなかったとして回復支援隊がカバーしきれるのか、それが作戦の肝になる。

 攻略の鬼とも称されるアスナが考えただけあって確かに理にかなった陣形だ。うまくハマれば前後衛二層の陣形より安全にボス攻略を行える。

 

(けどもしハマらなかったら......?)

 

 キリトの表情がより一層険しいものになる。

 そうなったとき、最も危険なのがメイプルのいる守備隊だ。そう思うと、気が気ではなかった。

 しかし肝心のメイプルはというと、今回の作戦にそれほど不安を感じている様子はない。むしろやる気十分といった様子でここぞとばかりにキリトの首に手を回している。

 

 アインクラッドに迷い込んだメイプルを、守ると決めたキリト。

 クリスマスイブの一件から、今度は自分がキリトを守る番だと決めたメイプル。

 そんな矛盾を抱えたまま、五十層ボス攻略戦が幕を開ける。

 



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47話 「戦いの狼煙」

 迷宮の名にふさわしく、平らな石を敷き詰めて作ったような通路は荒れていて、所々に走る亀裂から血管のように伸びたツタや木の根が壁や天井を這っている。

 そんな道ではなくなろうとしている道を攻略組の面々はほとんど無言のまま列を組んで進んでいった。

 しかし、そんな混沌の様相を呈していた荒れ道も入口のあった階だけで、そこから上の階に行くに従い、道はしっかりとした石が敷き詰められたものに変わり、やがては青銅色の金属板のようなものでしっかりと覆われるようになった。

 左右の壁を見れば、等間隔に設置された結晶が青白く不気味な光を発して道を照らしている。

 メイプルは息を呑んだ。

 ボス部屋に近づいている。そんなふうに直感したのだった。

 

「見えてきたな」

 

 たった一言だけ発したキリトの視線の先をメイプルも見る。

 それは以前に四十九層で見たものと記憶する限りではデザインに違いのない、見上げるほどに大きな扉だった。

 攻略組の一同は扉の前で足を止める。ここからは先へ進むのは、隊列を崩して陣形を整えてからだ。

 

「それじゃあ、俺は攻撃隊のパーティに戻るけど、本当に大丈夫か? 今ならまだ二軍の守備隊の誰かと交代することだって」

 

「その話、ここに来るまで何度もしたよ? わたしなら大丈夫だってば」 

 

 呆れ半分に答えるメイプルにキリトはなおも言葉を続けようとしたが、勢いをつけて背中から飛び降りたメイプルは、そのままキリトの背中を両手で押して、攻撃隊のパーティと思われる一団に混ぜさせる。

 

「それにキリトたちが早くボスの翼を壊してくれれば、守備隊のわたしたちは二軍の攻撃隊の人達と交代できるし、そしたらもう危なくないよ? だから頑張って!」

 

 ボスの翼を壊したあと、防御特化のメイプルたち守備隊は二軍に控えている前衛職プレイヤーとスイッチ。包囲して一気にボスのHPを削り切るというのが最終的な作戦の着地点となる。

 今回のボス攻略はモンスターの飛行能力さえ奪ってしまえば、通常のボス攻略と難度はあまり変わらない。変わらないのであれば守りに特化したメイプルたちは部屋の外に下がらせて、攻撃に秀でたプレイヤーに任せてしまえばいいというのがアスナの考えだ。

 

「わかったよ。そこまで言うならもう止めないけどさ、でも危なくなったら無理せず下がるんだぞ?」

 

 ついに根負けしたキリトはメイプルに押されるがまま、攻撃隊のパーティに混ざっていく。

 そんな背中を見てメイプルは思ったのだった。

 

(優しいなぁ...キリトは)

 

 もちろん口になんて出せないけれど、心の底からそう思っていた。

 前線を離れてまで付きっきりで面倒を見て、危険が迫ったときは誰よりも心配し、会議のときのように自分のために怒ってくれる。

 だからこそ、さっきのように背負われているときはここぞとばかりに甘えたくなってしまう。

 

(今日も頑張ろう。頑張って、そのあとはキリトに頭を撫でてもらおう......ってダメダメ! わたしの方が歳上なんだから! うん、むしろわたしがキリトの頭を撫でてあげるくらいじゃないと!)

 

 ふんす、そんな鼻息とともに密かな決意を心に固めて、メイプルは攻略戦の開始を待った。

 

 

 

 

 

 

 ボス戦前の装備の付け替え、および陣形の整列が終わった。

 アスナが会議で提示した陣形がそのままプレイヤーによって再現され、先頭では守備隊の統率を担うヒースクリフがボス部屋に続く扉に手を掛けた。

 重い開閉音に、緊張を感じずにはいられない。

 キリトは背にした片手用直剣を引き抜いた。アタッカーとして陣形の中間に立つと、前衛に並ぶメイプルに視線を移した。

 

(大丈夫、守備隊にはヒースクリフだっているんだ。メイプルだってボスが相手でも防御じゃそうそう押し負けない)

 

 戦闘が始まる直前になってもなお、キリトは自分にそう言い聞かせる。それでも不安は拭えない。

 攻略組はそのままの陣形を保ったまま、少しづつ部屋の奥へと歩みを進める。周囲はもちろん、上空にも警戒の視線を向けた。

 そしてヒースクリフの声が部屋に響く。

 

「見つけたぞ。総員、前方に警戒!」

 

 その声に反応して、キリトは前方、ボス部屋の最奥を見据えた。

 重い、地鳴りのような足音が聞こえる。

 やがてはっきりと姿を現したそれは、情報通りドラゴン系のモンスター。黒い堅固な鱗に、強靭な爪。その巨大な体躯を蝙蝠のような翼がはためき、むき出しになった牙の隙間からは赤い炎が火の粉を散らせながら漏れ出ている。

 

「...っ!」

 

 その眼光に射抜かれてメイプルは委縮した。

 それはメイプルだけではない。その場にいた他の攻略組メンバーですらその凶暴ないで立ちに一瞬動きを止めていた。

 

「来るぞ!」

 

 そんなキリトの言葉の意味をメイプルは瞬時に理解できなかった。

 突然キリトはメイプルの身体にタックルを入れて突き飛ばすと、さっきまでメイプルが立っていた場所を火炎放射が走り、石造りの床をいとも簡単に溶かし、えぐっていく。

 

「今、予備動作がなかったよ...?」

 

「いや、攻撃の直前に目が赤く光ってた。おそらくあれがブレス攻撃前のモーションだ」

 

「えぇ! たったそれだけ!?」

 

 キリトとメイプルの間でそんなやり取りが成されている中、《タイラント・ザ・ドラグリオン》は左右一対の翼を羽ばたかせて飛び立つ。

 今放たれたブレスの速度を考えると、攻撃を見てから防御の態勢を取っても間に合わない。常に誰かがボスの目を見続けて的確に号令をかけなければ防御の対応は不可能に近いだろう。

 

「アスナくん、君は後衛に下がりたまえ。全体の指揮を任せる」

 

「了解!」

 

 ヒースクリフの声掛けに反応したアスナは、羽のように軽やかなバックステップで一気に後衛に下がると、周囲を見渡してレイドメンバーの立ち位置を確認する。

 そして目の前でボスモンスターが攻撃モーションの入ったことを見とめると、つかさず声を張り上げた。

 

「守備隊! 対ブレス防御! 後衛部隊は回復準備を急いで!」

 

 アスナがそう言い終えると、メイプルたち守備隊が横一列に並んで盾を構える。すると間髪入れずにボスの口から放たれたブレス攻撃が大盾による壁と衝突する。

 

「うっぐぅ~っ!」

 

 最初に放った熱線とは違う、火炎放射とも熱風ともとれるような範囲の広いブレス攻撃。

 衝撃に耐えながら、呻くように声をあげるメイプル。やがてボスのブレス攻撃が途切れると、守備隊の一同は自身のHPバーに視線を移した。

 

「え、うそ!」

 

 見てみると、メイプルのHPが減っていた。

 この攻撃で受けたダメージは本当に僅か、しかし盾越しに攻撃を受けたメイプルのHPに僅かとはいえ、確かなダメージが通ったのだった。

 それは同じく並んで攻撃を受けた他の守備隊メンバーも同じだったようで、中には今の一撃で半損近くまでダメージを負ったものもいるようだった。

 しかしそれも後衛の支援部隊によってすぐさまアイテムで回復される。

 幸い、半損以上のダメージを受けたプレイヤーはいない。つまりそれは同等の攻撃も二度までならギリギリ耐えられるということだ。

 それからもボスの攻撃は続く。その全てを守備隊が引き受けて、負ったダメージは後衛支援隊がその都度回復を行っていく。

 やがて羽ばたいていた翼がゆっくりと動きを止めていき、《タイラント・ザ・ドラグリオン》の巨躯が地上に降り立った。

 それは攻守交替の合図。今度はキリトたち攻略組が攻めに転じる番であった。

 

「守備隊は後退! 攻撃隊は前進してボスモンスターを包囲! 攻撃を翼に集中させて!」

 

「了解!」

 

 アスナの号令にいち早く反応したのはキリトだった。守備隊の脇をすり抜けて一直線にボスに切りかかる。

 

「ぐっ...!」

 

 翼と刃が衝突して、甲高い音と弾かれるような手応えを感じた。

 

(ダメージは通っているけど、硬いな。ボスを甘く見ていたわけじゃなかったけど、この耐久値設定は反則だろ)

 

 牙や爪による攻撃を警戒しながら、着実にダメージを蓄積させていく。

 しかしキリトを含め、残ったプレイヤーが一斉に左右の翼に群がって攻撃を加えてもやはり一度の猛攻で壊れる様子はない。

 そしてボスが地上に降り立ってから一分が過ぎた頃、再び巨大な翼が羽ばたき始める。

 

「全員下がれ! 風圧に巻き込まれんぞ!」

 

 リンドの号令でキリトを含めた攻撃隊が一斉に距離を取る。それとほとんど時を同じくしてボスは地上から飛び上がった。

 

 

 

 

 



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48話 「崩壊」

 守備隊を中心点にその他の攻略組とボスモンスターが対向しながら円を描くように位置取りをする。

 飛行するボスモンスターがいつブレスを放っても守備隊の影で攻撃をしのぐことのできる陣形だ。そして守備隊のすぐ後ろには《回復結晶》を手にしたメンバーが待機している。

 キリトはすぐ目の前にいたメイプルに声をかけた。

 

「メイプル、ここまで戦ってみてダメージの減り方はどうだ?」

 

「うーん。盾越しに攻撃を受けても少し減っちゃうかな。普通に攻撃を受けたら十回くらいでHPが無くなっちゃうそうだよ」

 

「よし、あのブレスを十回も耐えられるなら上出来だよ。普通なら二発もまともに食らえばアウトだ」

 

 普段ならそのバイタリティの高さに唖然とするところだが、今は安心できるとともに一緒に戦う仲間として頼もしい。

 やがて《タイラント・ザ・ドラグリオン》が地上に降り立ち、前衛隊による二度目の総攻撃が始まった。

 

(よし、今のところ作戦通りだ。あとは後衛の回復アイテムが尽きる前にボスの翼を破壊できれば)

 

 キリトは剣を振り上げて翼に斬りかかる。

 ここまで守備隊にも攻撃隊にも大きな被害は出ていない。

 ボスの行動パターンに対して、前後衛の入れ換えも回復支援も、プレイヤーの動き全てが歯車のように噛み合って戦況は進んでいた。 

 それを一手に指揮するアスナの手腕はやはり尋常とは言えない。

 

「......」

 

 キリトは振り返って後方を見やる。

 控えている守備隊の中にメイプルの特徴的な漆黒の鎧が目に映った。

 戦況が安定しているうちはまず心配ないと思ってはいたが、HP残量にも問題はない。

 

(よし、守備隊として思ってた以上に動けてる。アジリティがないから前後衛の入れ替りができるか心配だったけど、これなら......)

 

 しかしそんなキリトの僅かな隙を突いたようにボスが動いた。

 地鳴りのような咆哮とともに《タイラント・ザ・ドラグリオン》は前足を軸に半回転する。刺と鱗に守られた尻尾が弧を描き、周囲にまとわりつくプレイヤーをなぎ払うようにして振り切られた。

 リーチは短いが、紛れもない範囲技。

 その尻尾の攻撃範囲にいたキリトは回避が間に合わないことを瞬時に悟ると、剣に左手を添えて攻撃に備える。

 衝突の瞬間、刃越しに食らった衝撃はそのままキリトの身体を軽々と打ち上げて、背中から地面へと叩きつけられる。

 

「ぐあっ...!」

 

 防御越しのダメージと落下によるペナルティダメージを受けてHPはイエローゾーンにまで陥る。

 視界の端にはキリトと同様に攻撃を受けて転倒したプレイヤーが幾人か見られる。中には防御できずにまともに攻撃を食らってレッドゾーンまでHPが減損したプレイヤーもいるようだった。

 

「ダメージを負った者は一旦下がりたまえ。ここは私が引き受ける」

 

 冷静な声とともに赤い影がキリトの後ろからすり抜けていった。ヒースクリフだ。

 先ほどと同じように繰り出された尻尾の攻撃を難なく盾で受け止め、そのままカウンターとばかりに十字剣で切りつける。

 その戦いぶりを見てキリトは感嘆した。

 攻撃も並みの攻略組以上だが、何より防御力の次元が違いすぎて溜め息も出ない。

 

(メイプルも大概だけど、あっちも相変わらずなんて防御力だ。あの攻撃をまともに受け止めてびくともしてない)

 

 その様子を見ながら、ボスモンスターのタゲがヒースクリフに向いていることを確認すると、キリトは回復もそこそこに側面へ回り込んでソードスキル《スター・Q・プロミネンス》を翼めがけて発動した。

 赤いライトエフェクトに包まれた六連撃の重い突きが命中すると、それとほとんど時を待たずに《タイラント・ザ・ドラグリオン》はひときわ大きく翼をはためかせる。

 ちょうど飛行のクールタイムが過ぎたのだ。再びその巨体がゆっくりと空中に浮かび上がる。

 

(ここからまた三分か......けど思った以上に戦線は安定してる。状況に応じて控えている二軍とスイッチすることもできるし、このまま戦闘を維持すれば勝てる。けど五十層のボスモンスターがこんなにあっさり攻略できるはずがない)

 

 なにかが妙だと感じていた。

 喉に小骨が刺さったような僅かな違和感。あるいは経験からくる勘と言っても良いかもしれない。それがこのまま何事もなく攻略が終わるわけがないと、危険信号を発している。

 それを感じ取った理由は先ほどの尻尾による範囲攻撃。

 言い訳にもならないがメイプルに気を取られて攻撃に対する反応が遅れた。それでもなんとか防御できたが、ガード越しに吹き飛ばされるほどの威力。

 しかし結局のところ通常攻撃を食らっただけ。あとは回復して戦線に復帰すればいい。それ自体は些細なことだ。

 

(けど戦闘が始まってから今まで、あんな攻撃は一度もしてこなかった......)

 

 順調だった戦闘が少しずつ崩れてきている。

 誰にも気づかれないように、悟らせないようにと、本当に少しずつ。

 そんなふうに感じた。

 そんな思いを引きずったまま戦況は進んでいき、やがて五度目の総攻撃。

 

「うおおおおおっ!」

 

「そりゃあああああっ!」

 

 攻略組のプレイヤー達がこれまで繰り返してきたように《タイラント・ザ・ドラグリオン》に攻撃を仕掛ける。

 クラインは刀カテゴリのソードスキル《羅刹》を繰り出し、リンドが片手剣のソードスキル《スター・Q・プロミネンス》、キリトは同じく片手剣のソードスキル《バーチカル・スクエア》を命中させ、他のプレイヤー達も左右の翼に集中攻撃を始める。

 今までの戦闘となにも変わらない。

 しかしこのときだけは違った。

 一分あるはずの飛行のクールタイムを破ってボスが飛び立ったのだ。

 風圧に押されたプレイヤーが後方に転がる。

 

「守備隊前へ! なにが来るかわからないわ! 警戒して!」

 

 落ち着いた、それでいて良く通る声で号令をかける。しかしそれはあくまで他のプレイヤーに動揺を悟らせないように自らを押さえ込んで発した声だ。

 

(なんで...? まだ地上に降りてから三十秒も経ってないじゃない!)

 

 予想外の動きにアスナは次のボスの行動を見極めようと目を見張る。

 これまでにはなかった素早い飛翔と旋回、羽ばたいている翼の動きはさっきまでと比べて荒々しく、怒っているようにも見える。

 キリトは瞬時に身構えた。

 すると《タイラント・ザ・ドラグリオン》は翼を縮めて落下するように急降下する。陣形が意味を成さない頭上から攻略組の陣形の中心を捉える。

 

(なっ! 真上から!?)

 

 牙の隙間から赤い熱線がほとばしる。その光が見上げるプレイヤー全員の瞳を茜色に染めた。

 

「うああああああああっ!」

 

 そに叫び声が誰のものだったのかはわからない。

 キリトの目に映ったのは崩壊した陣形の中心で燃え盛る炎と黒く光るドラゴンの体躯、そして砕け散ったいくつかのポリゴンの欠片だけだった。

 

「くっ...! せあああああああっ!」

 

「おおおおおおおおっ!」

 

 先陣を切ったリンドがソードスキルを発動して斬りかかる。

 青いライトエフェクトが黒い翼を一閃すると、それに呼応するように呆然としていた攻略組のプレイヤーたちが次々と参戦する。

 

「はああああああああっ!」

 

「どりゃああああ!!」

 

 色とりどりのライトエフェクトが弧を描き、巨大な翼にダメージを刻んでいく。しかし陣形の崩れた今、これ以上の悪手はない。

 

「待て! 一旦下がって陣形を整えるんだ! 回復支援も機能してないまま突っ込んだら......!」

 

 キリトが言葉を言い終えるよりも先に尻尾による範囲攻撃がプレイヤーたちを凪払う。

 それをこれまでしてきたように各々が回避や防御でやり過ごす。そして防御によって少なからずHPの減損したプレイヤーは支援隊がすぐさま回復することで戦線に復帰する。

 

「おいおい! 回復どうしたんだよ!」

 

 しかしそこに一名だけ、回復の間に合わないプレイヤーがいた。

 

「クライン! 下がれ!」

 

 回復されずにイエローゾーンのまま前衛に取り残されたクラインにキリトは声を張る。

 おそらく後衛の支援隊に死亡者がいたため、回復が漏れたのだ。崩壊した陣形のなかでは誰が死んだのかも確認することは難しい。

 そんなクラインに今度は《タイラント・ザ・ドラグリオン》の爪が迫る。

 

「い゛っ!?」

 

 裏返ったような声をあげてクラインはバックステップで避けようとした。しかし誰の目から見ても回避は間に合わない。

 

(ああこいつは......死んだな。俺)

 

「《ヒドラ!》」

 

 一瞬死ぬことを覚悟した。そんなクラインの目の前を紫色をした三つ首が遮っていった。

 

 



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49話 「プラズマと灼炎の乱打戦」

 

 メイプルは抜き放った《新月》の矛先をブレスの軌道線上に交差するようにして向ける。

 さっき目の前で死んだプレイヤーの叫び声が、今でも耳の奥に残っている。

 この世界に来て知り合った人は数えるくらいしかいない。少なくとも、さっき死んだプレイヤーは話したこともない相手だったと思う。

 それでも自分と同じように、家族がいて、この世に生まれてそれなりの時間を生きた命が、目の前で失われた。

 

「《ヒドラ》!」

 

 それがメイプルには耐えられなかった。

 ボイスコマンドとともに紫色の龍の首が三つ、刀身から伸びると《タイラント・ザ・ドラグリオン》とクラインの間を遮るように伸びた。

 

「うおおっ! な、なんだぁこりゃ?」

 

 目の前を流れる紫色の流線にクラインは声をあげる。その声色からは驚愕の色が伺えた。

 ヒドラの胴体は爪によって易々と切り裂かれたものの、どうにか軌道は逸らせたようだ。クラインにまでは攻撃判定が届いていない。

 しかしその異質過ぎるスキルの存在はその場にいた誰もが目にしていた。

 

(ああ、やっちゃったな......)

 

 そんな思いがメイプルの胸の中をわずかにくすぶる。

 人前では使わないようキリトから強く言われていたNWOのスキル。それをSAOのトッププレイヤーが集まるボス攻略の場で使ってしまった。

 たぶん今まで通りの日常には戻れないだろう。

 だったらもう、持っているスキルを存分に使ってでも全力でこの危機を乗り越えるしかないとメイプルは思った。

 

「《挑発》!」

 

 ボイスコマンドとともにメイプルの身体から赤いライトエフェクトが発せられる。スキル《挑発》の効果によってボスのターゲットがクラインからメイプルに切り替わった。

 

「はああーーっ!」

 

 メイプルはさらに《新月》を振るった。

 その動きに反応して再度刃から伸びた《ヒドラ》の首が鞭のように大きくしなり、《タイラント・ザ・ドラグリオン》に食らいついていく。

 持っているNWOのスキルのなかでメイプルが一番に得意としているスキルだ。くい込んだ牙から毒液が流れ込み、悲鳴とも取れる咆哮がボス部屋に響き渡った。

 攻撃を加えながらも、メイプルは考える。

 

(毒液のブレスはみんなを巻き込んじゃうし、《ヒドラ》はこうやって噛みつかせるくらいしかできないなぁ......)

 

 《タイラント・ザ・ドラグリオン》の眼が見開かれる。

 振り上げられた爪の一薙ぎで、三つあった《ヒドラ》の首の一つが飛んだ。

 そもそも攻撃魔法である《ヒドラ》は耐久面においては脆い。クラインのときのようにモンスターの攻撃を反らせたりするには本来向かないスキルだ。それにボスを相手にこのスキルだけでは決め手に欠けるのも確かなこと。

 

「だったら......」

 

 メイプルは《ヒドラ》を解除した。

 同時に、本当の意味で全身全霊で戦う覚悟を決めた。

 

「もう出し惜しみなんてしない! 思う存分やっちゃうぞ!」

 

 メイプルの胸から歯車が浮き出て、赤い光を放ちながらゆっくりと回転を始める。

 

「《機械神》!」

 

 メイプルの全身を鋼鉄の鎧が包み込む。武装の数々が展開され、エアダクトからプラズマの粒子とともに蒸気が排出された。

 キリトを除いた攻略組の誰もが視線の先の光景、その姿に息を飲んだ。

 剣の世界には存在しないはずの銃火器武装、槍カテゴリのリーチすら凌ぐ漆黒の長刀、なにより機械的な造形はこの世界においてメイプルというプレイヤーがどれほど異質な存在なのかを形作ったようだった。

 

―――スキル《機械神》全武装展開。

 

 メイプルは右腕に装着された砲身を上空の《タイラント・ザ・ドラグリオン》に向けた。

 すぐさまヘルムと一体化したロックオンサイトが起動する。

 サイトの照準が《タイラント・ザ・ドラグリオン》の翼を捉えるとサイトの色が緑から赤に変わる。つかさずメイプルは引き金を引いた。

 

「いっけーーー!!」

 

 銃身に一瞬赤いプラズマが走り、人一人包んでしまえそうなほどに太いレーザーが一直線に放たれる。

 それに対し、《タイラント・ザ・ドラグリオン》は反撃とばかりに空中からブレスを撃ち返した。

 

「うわわっ...!」

 

 メイプルはその攻撃をまともに受ける。

 完全展開した《機械神》を使っている今、メイプルの装備に盾はない。アジリティの低さから避けることもできないのであれば取れる戦いの手段は乱打戦だ。

 

「すげえなメイプルちゃん...」

 

「ああ、ホントに、なにからなにまで規格外だ」

 

 目の前の光景に驚きを通り越して唖然とするクラインとキリト。それだけ目の前の戦いは壮絶なものだった。

 ボスを相手にたった一人で、対等以上の戦いを演じている。

 メイプルは複数ある砲門を順番に使い分けながら、切れ目なく攻撃を与えていた。交錯、衝突を繰り返すブレスとプラズマレーザー。攻撃の余波で至るところから火の手が上がり、逆巻く炎とうねりを上げるプラズマが部屋中を駆け巡っていた。

 そんなプレイヤーの域を完全に逸脱した火力と火力の応酬に割って入れるようなプレイヤーはいなかった。

 逆に言えばたった一人のプレイヤーが、ボスを相手に対等の攻撃力と防御力を持って互角に渡り合うということ自体、SAOの常識では考えられないことだ。

 

「あんなバケモンみてえなフロアボスを相手に、それこそボクサーがリングの中央で足を止めて殴り合うみてえに攻撃し合ってんじゃねえか。この調子でいけばメイプルちゃん一人でボスを倒せちまうんじゃねえか?」

 

「......いや、さっきからボスのブレスをまともに食らってばかりだ。いくらバイタリティの高いメイプルでも、あれだけ立て続けに攻撃を受けて持ちこたえられるはずがない」

 

 キリトの言うとおり、《機械神》を使い始めてからメイプルは《タイラント・ザ・ドラグリオン》の攻撃を防御せずに撃ち合いを繰り返していた。

 戦うことに夢中で自分のHPの減りに気がつかないということはよくあることだ。RPG初心者なら尚の事。

 それこそメイプルはRPGどころかゲーム自体が初心者で、なにより今までまともにHP残量を気にするような戦い方をしてこなかった。する必要がなかったというのが正確なところではあるが、フロアボスとの戦いである今に限ってはそうではない。

 付け加えて、今回パーティの違うキリトではメイプルのHP残量を確認できない。

 そして守備隊としてメイプルがボスの攻撃に対して防御に徹していたとき、確かにこう言っていた。

 

“メイプル、ここまで戦ってみてダメージの減り方はどうだ?”

 

“うーん。盾越しに攻撃を受けても少し減っちゃうかな。普通に攻撃を受けたら十回くらいでHPが無くなっちゃうそうだよ”

 

 メイプルが一度の攻撃で受けるダメージが一割程度。

 陣形が総崩れになったこの状況で冷静に回復の支援ができるプレイヤーが後方支援部隊にいるとも思えない。であれば、メイプルのHPはまともに回復することもないままダメージを受ける一方だったということになる。

 

「だとしたら、もう何発も耐えられるほどHPは残ってないはずだ...メイプル!」

 

 砲声と咆哮とともに、通常のプレイヤーであれば一撃で致命的なダメージを負いかねない攻撃が互いに撃ち合われる中、どうにかキリトの声がメイプルの耳に届いた。

 わずかに首だけをキリトの方に向けたメイプルは大きな声で答える。

 

「ごめんキリト! 人前でスキルを使っちゃって......でもっ!」

 

「そうじゃない! 自分の残りHPを確認するんだ! 今すぐに!」

 

「え?」

 

 思い出したように自身のHPバーの表示されている視界の端へ視線を泳がせる。

 キリトの予想通り、ボスの攻撃はメイプルのHPに着実にダメージを重ねていた。それこそ残りHPが三割を下回り、レッドゾーンをとっくに迎えていたほどにだ。

 

「ええええ〜っ! うそ! もうこんなにHPがなくなっちゃったの!?」

 

 数ドットしか残りHPがない。盾越しに攻撃を受けてどうにか一撃凌ぎきれる量だ。しかし《機械神》を発動している今は装備の中に盾はなく、まともに攻撃を受けるしかない。

 そのことに気がついてからほとんど間を置かず、《タイラント・ザ・ドラグリオン》のブレスが一直線にメイプルに迫った。

 ただでさえアジリティのないメイプルだが、今は《機械神》を纏っていて、その動きはさらに鈍重だ。当然その攻撃を避けられる訳もない。

 

「......っ!」

 

 目を見張って衝撃に備える。しかし迫る熱線とメイプルの間に割って入る影があった。

 

「せああああああああっ!」

 

 メイプルの聴き馴染んだ、裂帛な気合いが響いた。

 ライトエフェクトを帯びた刀身がボスのブレスと衝突する。攻撃をしのぎきると同時に衝撃で弾き飛ばされた黒い影はすぐさま受身を取って、間髪入れずにボスに斬りかかる。

 

「キリト!」



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50話 「勝利の代償」

 ボスから視線を外さず、キリトは声を張り上げた。

 

「タゲはこっちで引き受ける! クラインも頼む!」

 

「おうよ!」

 

 刀を携えて、クラインは《タイラント・ザ・ドラグリオン》に斬りかかる。ソードスキルの発動とともにジャンプすると大上段から刀を振り下ろした。わずかに剣先が届き、ダメージが通るとボスのターゲットがクラインに切り替わる。

 

「よっしゃ!」

 

 そのまま地面に着地するクライン。しかしそれに対するボスの反撃は早かった。クラインめがけて急降下すると同時に両足の鋭い鉤爪が迫った。

 

「っ!? やべっ!」

 

 とっさにクラインは刀で防御の構えを取る。が、到底受け止めきれる威力ではなかった。

 

「うおおおおっ...!」

 

 ダメージを受けて二転三転と転げながら後方に吹き飛ばされる。そのままノックバックして動けずにいたクラインに、地上に降り立った《タイラント・ザ・ドラグリオン》は追撃とばかりにブレスのモーションに入った。

 

「危ない!」

 

 フォローに回ろうと駆けるキリトだったが、間に合わない。

 しかしそう思った矢先に盾装備のプレイヤーが数人、クラインの目の前で防御姿勢を取る。放たれたブレスが盾の壁に衝突するが、その衝撃を完全に吸収し切って見せた。

 

「あ、あんたらは......」

 

「守備隊の連中...アスナ!」

 

 キリトの視線の先ではボス戦開幕当時の守備隊、攻撃隊、後方支援隊の三層に並べられた陣形が整えられていた。その号令を取っていたのは血盟騎士団の副団長、アスナだ。

 

「支援隊はすぐにあの三人と守備隊の回復を! ボスの攻撃パターンをしっかり見極めて、攻撃隊は側面からボスの翼に攻撃を集中させて!」

 

 メイプルが時間を稼いでいるうちにうまく攻略組の陣形を立て直したようだ。

 残りHP数ドットのメイプルはもちろん、助けに入ったキリトとクラインのHPもすぐさま回復される。さらに盾装備の守備隊がキリトたちを守るように最前衛で横一列に並び立ち、ボスの攻撃を防いでいた。

 

「三人とも! 大丈夫?」

 

 攻撃隊に混ざって前衛に出てきたアスナがキリトたちに駆け寄った。

 

「こっちはなんとか、メイプルは?」

 

「うん...回復してもらったし、もう大丈夫だよ!」

 

「おいおいキリト。俺の心配はねえのかよ!」

 

「お前は無事に決まってるだろ? クライン」

 

 さも当然とばかりにキリトが言う。そんな言葉にクラインに対するキリトの信頼が伺えた。

 各々の言葉を聞いて、安心したようにアスナは頷く。

 

「メイプルちゃんのおかげでボスのHPもかなり削れたし、あの翼もそろそろ耐久値が限界のはずよ。とはいえ、さっきの攻撃でみんなかなりのダメージを受けて、回復アイテムにももう余裕がないの」

 

「だったら、今の総攻撃で翼だけでも破壊しないとな。俺たちもすぐに攻撃に加わる」

 

 キリトは守備隊の間をすり抜けると片手直剣を振り上げた。牙や爪の動きに注意しながら、時折攻撃にソードスキルを混ぜてダメージを与えていく。その後に続くようにして飛び出したアスナも堅牢な鱗にレイピアを突き立てる。

 やがて取り付いた攻撃隊を振り払うように《タイラント・ザ・ドラグリオン》は翼を大きく広げた。

 戦闘が始まってから幾度となく見てきた飛行前のモーションだ。通常であればここから三分間、ボスは飛行状態に入る。作戦ではその間、守備隊が守りを受け持ってやり過ごすのだが、攻撃パターンの変わったボスを相手に引き続き通用するかどうかは出たとこ勝負だ。

 

「逃がすか...よっ!」

 

 キリトは壁を駆け登ると、途中で壁面を蹴って飛び上がり、ボスの頭上を取る。

 空中でうまく体勢を整えながら、今まさに羽ばたいている翼の片方を睨みつけるとソードスキル《スラント》を発動した。

 

「いっけええええ!」

 

 翼の付け根から羽先にかけてのちょうど中間、そこへめがけて振り下ろされたキリトのソードスキルが鱗を砕き、翼を切り裂いた。

 これまで何度も攻略組の猛攻を受け、さらにメイプルの《機械神》によってダメージを受けたボスの翼は耐久値が全損する寸前だったのだ。

 それをキリトの一撃が削り取った。

 片翼を失ったボスは空中で大きく体勢を崩して落下を始める。つかさずアスナが号令をかけた。

 

「攻撃部隊前進! ボスを包囲して集中攻撃!」

 

「「「うおおおおおおおおおっ!」」」

 

 落下の衝撃で砂塵が舞い上がり、それが晴れるより先に攻略組による叫声が部屋中を駆け巡る。ようやく剣の届く距離にボスを釘付けにした今、これまでの煮え湯を吐き出すかのように猛攻を仕掛けた。

 これまでのように翼に攻撃を集中させた攻撃ではなく全身に、色とりどりのライトエフェクトが光を放つ。

 飛ぶこともできず、急激に減っていく《タイラント・ザ・ドラグリオン》のHPに、ほとんど勝負はついたと思えた。それでもボスは最後の抵抗とばかりに口に炎を溜め始める。

 

「ブレス!? こんな距離から!」

 

 アスナの背筋に冷たいものが走る。

 四方八方を取り囲む攻略組めがけて《タイラント・ザ・ドラグリオン》は極至近距離からブレスのモーションに入った。口から漏れ出す炎の光が周囲を、そして攻撃に加わっていたプレイヤー全員を赤く染める。今までのブレスとは明らかに違う強く鋭い輝き、強力な攻撃が来ると、誰もが直感的に思った。

 

「《挑発》!」

 

 つかさずメイプルがスキルでボスのヘイトを集めた。

 ブレスの攻撃モーションに入ったまま、《タイラント・ザ・ドラグリオン》の眼がメイプルを射抜く。そのままブレスのターゲットがメイプルに切り替わった。溜めに溜めたブレスの光がより一層強く輝きを増す。

 

「みんな! 離れてーー!!」

 

 それに対抗するように、メイプルは全砲門を《タイラント・ザ・ドラグリオン》に向ける。いくつもある砲身からそれぞれスパークがほとばしり、発射されるその瞬間をじっと待つように、エネルギーが蓄積されていく。

 

「まさか、あれを正面から迎え撃つ気なのか...?」

 

 今もなお、最後の一撃に向けてエネルギーを溜め続けるメイプルと《タイラント・ザ・ドラグリオン》。

 やがて《タイラント・ザ・ドラグリオン》の口から真紅の閃光が放たれると、メイプルはスキル《機械神》が持つ全火力を目の前のただ一点に注いだ。

 

「うううっ...!」

 

 地鳴りのような轟音とともに、赤雷と閃光が激しくぶつかりあう。

 二つの光は拮抗していて、飛び散ったスパークが蛇のように這い回り、床や壁面を割る。

 

「これくらいじゃ...負けないよ!」

 

 メイプルは強く、瞳を凝らした。プラズマ砲の出力が徐々に上がり少しずつブレスを押し返していく。

 やがてはそのブレスを完全に打ち負かし、プラズマ砲が《タイラント・ザ・ドラグリオン》の全身を余すことなく包み込んだ。

 

「ううーーーーりゃあーーーーーー!!」

 

 目の前に広がる真っ赤な雷の光の向こうで、飛び散ったポリゴンの青い光が見えた。 

 

 

 

 

 

 

 真っ黒に焦げた部屋の中、壁や柱は見るも無残に砕かれていて、これがゲームの世界でなければフロアが倒壊していてもおかしくないほどだった。

 

「はあ...はあ...」

 

 メイプルは呼吸を整えながら《機械神》を解除する。

 頭上では四十九層攻略時と同じように《congratulation》のシステムメッセージが表示されている。それを目にして初めて、自分たちは今回の攻略戦に勝利したのだと自覚した。

 

「勝った...勝ったんだぁ〜...」

 

 NWOのスキルをここまでフルに使って戦ったのは今回が初めてだった。そしてフルに使っても勝つのがギリギリのモンスターだった。そんな戦いの中でよほど神経を使っていたのだろう。張り詰めていた緊張の糸がほどけて、どすっと、その場に尻餅をつく。

 

「メイプル! 無事なのか?」

 

「キリト! だいじょーぶ! 無事だよーー!」

 

 すっかり力の抜けきってしまったメイプルに駆けつけてきたキリトは手を差し伸べる。メイプルはその手を掴んで立ち上がると、満面の笑みで笑ってみせる。

 

「わたしたちの勝ちだね。これで五〇層突破だよー」

 

 そんなメイプルとは対照的に、キリトは少し険しい表情で周囲を見渡していた。 

 やがて立ち込めていた黒煙が晴れ、周囲のプレイヤーの様子が見渡せるくらいには視界が確保できるようになった。

 その時になって、メイプルは初めて気がついた。

 メイプルを待っていたのは攻略を勝利に導いたことへの賞賛ではなかった。そこにあったのは恐怖。異質すぎるスキルを目の当たりにしてその場にいた一同が視線がメイプルに注がれた。

 

「あんなスキルありかよ。ロボットだぜ? あんなのチートどころか改造だろ改造」

 

「バイタリティは絶対に不正してそうだよな。ボスのブレスあんだけ食らいまくってHP持つってありえないだろ」

 

「というか、ゲームにログインしながらそんな改造できるのか?」

 

「...っ!」

 

 僅かに身を震わせてそばにいたキリトの背に隠れるメイプル。

 攻略組のプレイヤーの見解はだいたい同じものだっただろう。チートという言葉では到底収まりきらない、世界観すら無視した強力すぎるスキルの数々。自分たちと同じような一般プレイヤーとしては絶対ありえないほどのバイタリティステータス。

 どこからか声が聞こえた。

 

“もしかしてあいつ、開発者側の人間なんじゃないのか?”

 

「ごめんキリト...絶対に人前じゃあ使わないようにって止められてたのに、私ついNWOのスキルを使っちゃって......どうしよう?」

 

「大丈夫だ。心配いらない。でもごめん」

 

「え?」

 

 背中に添えられていたメイプルの手をキリトはそっと押して戻す。そしてアスナのもとまで歩いていくと、ほかの誰にも聞かれないようにこっそりと耳打ちした。

 

「アスナ、約束だ。メイプルのことは頼んだ」

 

「ええ、わかってるわ......」

 

 キリトの言葉に静かに頷いたアスナは動揺するプレイヤーの視線から庇うようにメイプルの前に立つと、声を張り上げて宣言した。

 

「本日をもって、ここにいるソロプレイヤーメイプルを血盟騎士団の正式な団員として迎えます」

 

 



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51話 「誰もが皆、自分以外の誰かのために」

 

 

 

 

「ちょっと待ってよ! アスナ、どういうことなの?」

 

 目の前で淡々と進んでいく状況にたまらずメイプルは声を上げた。

 まるであらかじめそうなることが見越してあったような行動だった。

 展開の早さについていけないこともそうであったが、何より自分がどうして血盟騎士団に入ることになるのか、まるでわからない。

 そんなメイプルにアスナは、どこか浮かない様子で口を開いた。

 

「ごめんなさい。でもわかってほしいの。あなたのスキルは強力すぎるわ。下手をすればメイプルちゃん一人で上位ギルドひとつ分の戦力を超えるかもしれない。そんなプレイヤーがこれからもソロで戦っていこうとすればどこのギルドも放置しないのよ。それこそ、メイプルちゃんを引き入れるためにどんな手段をとってくるかわからないの」

 

「でも...だからっていきなりこんな」

 

「それに、これはキリトくんの願いでもあるのよ」

 

 

 

 

 

 

「それで? 頼みってなに?」

 

 それはクリスマスを過ぎてまもなくの頃。ジョニー・ブラックがサリーを抱えて逃走し、時間稼ぎのために襲いかかってきたオレンジプレイヤーの集団を駆けつけたアスナたち《血盟騎士団》と捕縛したあとのことだった。

 

「まあ単刀直入に言うとメイプルのことなんだ」 

 

「メイプルちゃんの?」

 

「ああ、これから先、メイプルはこの間の四十九層に引き続いて攻略戦に出ることになると思うんだ。それはメイプル自身が望んでいることでもあるし、俺に止める権利はない。だけどなんていうか、あいつが最前線で戦い続けることにはなにかと問題があるんだ」

 

 言葉を濁すキリトにアスナは察したように尋ねる。

 

「それは...メイプルちゃんが持ってる再生する武器や状態異常無効化のスキルのこと?」

 

「それだけじゃないけど、アスナも薄々は気がついてるんだろ? 武器やなんかも含めてそうだけどメイプルのレベルに見合わない異常な防御力だってそうだ。一緒に戦ってみてどう思った?」

 

 アスナは黙って頷いた。

 

「......はっきり言ってゲームバランスを超えてると思う」

 

「そりゃそうだ。なんていってもあれは全部SAOのスキルじゃないんだからな」

 

「どういうこと?」

 

 言っている意味がわからない、といった様子で眉を寄せるアスナにキリトは答えた。

 

「メイプルの話を総合すると、どうやらNWOっていうVRMMOをプレイしてたらいつのまにかこのアインクラッドに迷い込んだらしいんだ。ほんの一ヶ月前のことだよ。だからSAOには本来ない、それこそ《魔法》なんてスキルもこの世界で使うことができる。逆にSAOのソードスキルやなんかは使えないみたいだけど」

 

「ちょっと待って...? じゃあまさかメイプルちゃんは別のゲームからこの世界に迷い込んじゃったってこと?」

 

「そうだ。だからもしメイプルのスキルが今後、他のプレイヤーに悟られるようなことがあったら、すぐに血盟騎士団のメンバーとして加入できるよう取り計らって欲しい。こんなことアスナにしか頼めないんだ」

 

「......それがメイプルちゃんのタメになるってことはわかるけど、本当にそれだけのことをする必要があるの? 犯罪防止コードだってあるんだし、ギルドの体面上メイプルちゃんがキリトくんのそばにいるなら他のギルドだって強引な手段は取れないわよ」

 

 キリトの話を聞き終えるとアスナの口から真っ先に出た言葉がそれだった。

 

「それはメイプル次第と言えなくもないけど、もし他に持っているスキルを知られれば十中八九必要になると思う。少なくともどこのギルドにも所属してない俺みたいなソロプレイヤーが独占してるなら、それを殺してでもメイプルを手に入れようって連中はいるはずだ」

 

「......っ」

 

 アスナの眼差しが険しいものになる。

 それだけキリトの話した内容は突拍子もないことだったのだ。しかしその言葉に嘘はないと直感できる。そういう目をキリトはしていた。

 

「それがいつ、どういう状況起こるかわからない。だからそれがどんなときであっても大丈夫なように準備をしていてほしいんだ。俺にはできない、アスナにしかできないことだ」

 

「それはそうでしょうけど、でも......でも、その後キリトくんはどうするつもりなの?」

 

「どうもしないよ。そのときはまた、ソロに戻る」

  

 

 

 

 

 

「もしメイプルちゃんのスキルが他のプレイヤーに知られれば、どんな危険な目に合うかわからない。守りきれないかもしれないって。だからせめて信用できる私のギルドに入れてあげて欲しいって。その話をキリトくんから聞いたときは、まさかここまでのスキルだなんて思わなかったけど」

 

「そんな......」

 

 メイプルは一人、ボス部屋を去っていくキリトの背中を目で追った。その姿はどこかクリスマスの夜に見せたそれと似ている。今にも消えてしまいそうな背中だった。

 だからこそ思った。

 このままキリトを一人にしてはならない。

 そう思いながらも、自分が一緒に居ればキリトの迷惑になる。そんな思いがキリトを追いかけようとする足を動かなくさせていた。

 キリトの背中と部屋の上空に輝くcongratulation!!の文字。それらがメイプルの目にはやけに滲んだように、ぼやけて見えた。

 

(今までずっと、あんなにわたしのそばにいようとしてくれたのに......)

 

 フィールドに出れば、キリトはいつだってメイプルから目を離さないようにしていた。

 それこそ今回の攻略戦でも、攻撃隊と守備隊に別れ、メイプルのそばから離れることをあれほど拒んでいたキリトが今は、メイプルに背中を向けている。

 

(わたしを守ってくれるって言ったくせに......)

 

 初めはサチの代わりだったかもしれない。サチを守れなかった後悔をただ偶然目の前に現れたメイプルに押し付けていただけだったかもしれない。

 それでも今は違う、とメイプルは自信を持って言えた。メイプルを現実の世界に返したい。そんなキリトの想いがここ最近になって少しずつ、感じ取れるようになってきていたのだった。

 

(それなのに...こんなにあっさりと、わたしを置いていっちゃやだよ!) 

 

 そんな言葉ですら、声に出てきてくれない。

 ボス部屋から立ち去っていくキリトに手を伸ばしても、まるで届かない。

 アジリティゼロでうんざりするほど重い足が、今は一歩も前に歩けないほど重たかった。

 

【ラストアタックボーナス《エリュシデータ》】

 

 ただひとつ、本来その手にあるべきではない一振の剣だけが、虚しくメイプルの手の中に残った。

 

 

 



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52話「迷いの森のなかで」

投稿内容間違えました汗
こっちがほんとの最新話です
すいませんでした!!!!!


 枝葉に覆われて、月明かりすら届かない森の中は恐ろしい程に暗かった。

 ビーストテイマーの少女、シリカの短剣を持つ手がわずかに震え、呼吸が乱れる。これは疲れからではなく極度の緊張のせいだ。

 

「グォオオオオオオ!!」

 

「っ!」

 

 疲労した精神に鞭を入れて、シリカは棍棒のひと振りを跳躍してかわす。しかし逃げた先が良くなかった。受身を取るともう何体かいた《ドランクエイプ》がシリカの目の前で棍棒を振り上げている。立て続けに攻撃に晒されるがそれもどうにかかわしてみせる。

 

「ピナっ!」

 

「きゅるっ!」

 

 ちょうどシリカのテイムモンスターである《フェザー・リドラ》、ピナが持つスキル《ヒールブレス》のリキャストタイムが切れた頃合だった。ピナは回復のためにシリカのそばまで飛んでくると大きく口を開ける。

 青白い輝きを放つ霧のようなブレスがシリカを包むとHPが回復した。スキルによって回復されたものの、それでもシリカの残りHPは半分より少し多い程度だ。ダメージに対して回復が全く追いついていない。であるならば、追いついていない分は回復アイテムで補うしかない。

 そう思ってシリカはポケットの中を探るが、その手は何も掴むことができなかった。

 

(回復アイテムが...!)

 

 どうやら完全に使い切ってしまったらしい。が、回復ができなかったことよりも、そのことへの動揺が致命的な隙になった。

 視線がポケットに向いてしまっているうちに横薙ぎに振り払われた《ドランクエイプ》の棍棒が、棒立ちのシリカの身体を軽々と空中に打ち上げると、真後ろにあった木に背中から叩きつけられる。衝撃でシリカの手元から武器が落ちた。

 

「うっ...!!」

 

 小さくうめき声をあげ、ずるずると背中を引きずるように地面に腰をつくシリカ。

 視界の端では回復したばかりのHPバーが今の一撃で赤色を示す。あと一撃喰らえば死んでしまう。そんな警告をするかのように心臓の鼓動が高まっていく。先ほどの攻撃で武器を落としてしまったこともそれに拍車を掛けた。

 シリカは慌てて失くした武器を探して左右を見回すが、その視線はすぐに真正面に固定された。防御する武器も持たない無防備なシリカに向けて《ドランクエイプ》の棍棒が振り上げられる。

 

「...っ!」

 

 恐怖で身体がすくんだ。避けなければ死ぬ。それが分かっているのに動けなかった。

 雄叫びを上げながら棍棒を高く振り上げる《ドランクエイプ》を前にしてシリカが反射的に目を閉じようとしたとき、空中で棍棒の前に飛び込んだ小さな影があった。 

 影はそのまま振り下ろされる棍棒に打たれて、グシャリという鈍い音とともに地面に叩きつけられる。

 

「...ピナ...?」

 

 シリカを庇ってピナが盾になったのだ。一瞬、なにが起きたのかシリカにはわからなかったが、ピナの発する苦しげな鳴き声が耳に届いてようやく目の前の出来事に思考が追いついた。

 

「ピナ!」

 

 すぐさま駆け寄ったシリカはピナを抱き寄せる。HPがゼロになり、シリカの腕の中でゆっくりと目を閉じたピナは床に落ちたガラス細工のようにポリゴンになって砕け散った。

 空に登っていく青白い破片にまみれて、小さな尾羽がひとつ、シリカの手の中に収まる。その上に大粒の涙が落ちた。

 

「嫌だよ...ピナ、一人にしないで......」

 

 そのとき背後に感じた明確な死の予感が、冷たいものになってシリカの全身を駆け巡る。

 枝草を踏みしめるいくつかの足音。ゆっくりと振り返ったシリカの瞳には再び振り上げられた棍棒が映った。

 

「きゃああああ〜〜!」

 

 森のなかを悲鳴がこだまする。しかしその悲鳴はシリカのものではなかった。

 シリカは声のする方向、より正確に言えば真上に視線を向けると紫色の巨大な球体が回転しながら落ちてくる。

 それが落下と同時に《ドランクエイプ》数体を押しつぶしながら球体が破裂すると、中から見知らぬ女性プレイヤーが紫色の粘液にまみれて姿を現した。

 

「ううう〜...痛みはないけど、目がぁ...目がぐるぐる回る〜......」

 

 胸部にバラの装飾があしらわれた紫混ざりの黒い鎧に、これまた鎧と同じくらい黒い大盾、さらには腰に下げられた短剣も鞘や柄が黒い。しかしそんな全身黒ずくめの格好でも不思議とくどさを感じないバランスの取れたフルセット装備のプレイヤー、メイプルは尻餅をついたままフラフラと頭を揺らせている。

 しかしそんな無防備な状態に構わず《ドランクエイプ》たちのタゲがメイプルに集まった。

 

「危ない!」

 

―――がちこんっ!

 

 そうシリカが叫んだ時にはメイプルの頭頂部に棍棒が振り下ろされていた。そして鉄と鉄が衝突したような、おおよそ人の頭から聞こえる音とは思えないような重々しい音が暗い森に響き渡る。

 

「ちょ...ちょっとおさるさん! タイムタイム! 今頭叩かれたら余計に目が回っちゃうからぁ〜! うわわわわ〜〜!」

 

 頭を抱えながら数体の《ドランクエイプ》に袋叩きにされるメイプル。しかしHPの減少はなく、やがて体勢と平衡感覚を立て直してのろのろと立ち上がったメイプルは短剣を掲げて叫ぶ。

 

「もう許してあげないぞー! 《ヒドラ》!」

 

 紫色の三つ首が《ドランクエイプ》に押し寄せると、まるで濁流のようにフィールドの奥へとそのまま押し流していった。やがて遥か後方に立つ巨木に背中から衝突してHPが全損。薄暗闇の向こうでモンスターの破壊エフェクトだけがシリカとメイプルの目に映った。

 

 

 

 

 

 

「ねえ君、襲われてたみたいだったけど大丈夫?」

 

 腰が抜けたまま動けないでいたシリカは、どうにか首だけを動かして頷いてみせる。

 メイプルはそんなシリカのそばまで駆け寄ると、両手を広げてすっと息を吸った。

 

「《身捧ぐ慈愛》!」

 

 暗い森の中を眩い光が照らした。メイプルのボイスコマンドによってスキルが発動すると、その背中から純白の翼が伸び、黒かった髪は金色に、瞳の色は青く染まった。頭上にはひときわ強い光を放つ光輪が浮いている。

 

「きれい......」

 

 そんな言葉がシリカの口から意図せず漏れた。

 絵画の中に描かれているような荘厳な美しさは天使としか形容できない。そんな姿に見とれていると、視界の端で全損寸前だったHPがみるみる回復していく。

 

「ふう~、これで大丈夫だよ!」

 

 メイプルはシリカのHPを完全に回復すると、スキルを解く。再び暗闇と静寂に沈んだ森の中で、シリカの手の中にある尾羽だけが小さく光を灯している。

 

「最近手に入れたばっかりのスキルだったけど、うまくいってよかったよ」

 

 そう言ってメイプルは汗をかかないはずのアバターの額を拳の裏で拭って見せる。

 一方でシリカは何も言わずに、ピナが残した尾羽を抱えていた。

 

「......その羽って、もしかして」

 

「......ピナです」

 

 シリカは声を絞り出すようにして答える。その一言だけで、メイプルは何が起こったのか察しがついた。プレイヤーの持つテイムモンスターが死んだらどうなるのか、知識の上では知っている。

 

「そっか、ビーストテイマーだったんだね。ごめんね、もう少し早く駆けつけてあげられたらピナちゃんも助けられたかもしれないのに......」

 

 シリカは依然として光の灯った小さな羽を抱きしめるようにして抱えている。

 抱えたまま、泣いていた。

 

「いいえ...あたしがバカだったんです。一人でも森を抜けられるって思い上がっていたから......ありがとうございます。助けてくれて......」

 

 嗚咽をこらえながら、どうにかそれだけを口にする。どうにかそれだけを口にして、あとは垣を切ったように声を上げて泣き出した。

 

「ピナ...ぴなあああああ!!」

 

「な、ななな、泣かないで! 大丈夫! 大丈夫だから! その子、テイムモンスターだよね? ならテイムモンスター用の蘇生アイテムを使えば大丈夫! まだ助けられるよ!」

 

「っ!? ピナを生き返らせる方法があるんですか!?」

 

 泣き出したシリカに大慌てでメイプルは声をかける。その言葉にシリカは涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて叫んでいた。

 

「ええーっと確かあそこは...四十七層だったかな。お花がいっぱいある層なんだけど、そこにある《思い出の丘》で手に入るお花のアイテムでテイムモンスターを蘇生させられるって話をキリトさん...友達から聞いたことがあるんだ。アイテムの名前までは聞いてないけど、テイムモンスターが死んじゃってから三日以内だったら蘇生できたはずだよ」

 

 メイプルは以前レベル上げのためにその層を訪れたとき、キリトがそんな話をしていたことを思い出した。フィールドの景色もそうだが、あのときはフィールドモンスターをテイムできるという話を初めて聞いたということもあって当時の会話はそれなりにはっきりと記憶に残っていたのだ。

 

「四十七層...それも三日以内だなんて、今の私じゃそんな......」

 

 話を聞いたシリカの顔が曇った。今いる三十五層から十二も上の階層だ。今いるこの層のフィールドですらソロで死にかけたというのに、とても三日でたどり着けるとは思えない。

 そのまま再び泣きそうになるシリカを見てメイプルは慌てて言葉を続けた。

 

「だ、大丈夫! わたしも一緒に行ってあげるから!」

 

 ふんす、と鼻息を上げて力強く言うメイプル。

 

「わたし、バイタリティには自信があるんだ! だからシリカちゃんのことを守りながら《思い出の丘》まで連れて行ってあげる!」

 

 そんなメイプルを見てシリカは率直に、裏表のない笑顔だと思った。

 殺伐としたSAOの世界で、なにも敵はモンスターだけではない。プレイヤー同士の騙し騙されは日常茶飯事であるし、まして年端もいかないシリカにとっては街の中の生活だって過酷そのものだった。それでも今、目の前にある日だまりのような温かい笑顔にはどこか気を許してしまう魅力があった。

 

「よろしくお願いします」

 

 その笑顔を信じてみようと思った。

 ぺこりと頭を下げ、シリカは言った。

 

「決まり! じゃあ早くこんなところ抜け出して、街に戻ろうか!」

 

 そう言ってすたすたと歩き始めるメイプルは数歩の歩みの後に、ふと足を止めた。シリカは不思議に思って首をかしげる。その理由はメイプルが足を止めたことに対してではなく、歩き始めたその数歩が驚くほどに遅かったからだ。

 

「あのさ、シリカちゃん。お願いがあるんだけど笑わないで聞いてくれるかな?」

 

「はい? なんですか?」

 

 照れたように頭をかきながら、そして今しがたシリカが信じようと思ったあの日だまりのような笑顔を浮かべて、

 

「おんぶしてくれないかな?」

 

 そんなことをのたまった。

 

「.........え?」

 

 意味がわからない。といった表情でポカンと口を開けるシリカ。そこへさらにメイプルは言葉を重ねる。

 

「あはは、実はわたしアジリティのステータスがゼロでさ......ここまでは転がってきたから早かったんだけど、歩いて帰ろうとすると朝までかかっちゃうかも」 

 

 もし自分と出会わなかったらこの人はいったいどうやって帰るつもりだったんだろうか、という疑問をうっかりでも口に出してしまわないようにシリカは開いた口を閉じる。

 信じてみよう...というのは少し早まった決断だったのではないだろうかと、そうシリカは思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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53話「燃えたぎるメイプル」

 シリカがここしばらくの滞在先としていたアインクラッド三十五層の主街区、《ミーシェ》は多くのプレイヤーで賑わっていた。

 小麦色のレンガと木材を組み合わせたような建物が列挙し、街灯として設置されたランタンの優しげな灯りが等間隔で道を、そして行き交うプレイヤーたちを照らしている。

 ここは今や最前線からかなり離れてしまった階層ではあるが、アインクラッド内で中間層に位置するプレイヤーが多くここに拠点を構えている。そうしたこともあって、攻略中だった当時ほどではないにしても転移門広場へと続く大通りにはそれなりの人通りがあった。

 メイプルも以前、この街には来たことがある。

 クリスマスイブの夜、蘇生アイテム狙いで《背教者ニコラス》討伐に向かったキリトを追いかけて訪れた階層がここ、三十五層だった。

 そういう意味では、メイプルにとってもあまり馴染みのいい場所とは言えない。そしてそういう場所に限って、馴染みの湧かない理由が付け足されてしまうものだ。

 

「あら、シリカじゃない?」

 

 二人が主街区の転移門広場に入ったとき、数人のプレイヤーたちが声をかけてきた。シリカにとってはプレイヤーからパーティの誘いを受けることは日常茶飯事。数少ない女性プレイヤーであることやシリカ自身の容姿から、こうしたパーティ申請は引く手数多だった。

 しかしこのときは違った。

 シリカはその声を耳にしてわずかに身構える。

 

「......どうも」

 

「へぇー、あの森から脱出できたんだ。よかったわね」

 

 カールした赤く長い髪を後ろに束ねた女性プレイヤー、ロザリア。一緒にいたプレイヤーを含め、つい昼間までシリカとパーティを組んでいた者たちだ。

 

「私たち、急ぎますので......」

 

 仕方なく立ち止まったシリカはできるだけ、少ない言葉数で、突き放すように言う。

 そんなシリカにロザリアは口の端を歪めるようにして笑う。

 

「あら? あのトカゲ、どうしちゃったの?」

 

「......っ!」

 

 シリカは足を止めた。

 テイムモンスターはアイテムと違い、アイテムストレージに入れることも人に預けることもできない。今シリカのそばにいないということは、死んだ以外にない。ロザリアもそれは知っている。それを知った上で、そういう聞き方をしているのだ。

 

「ピナは死にました。でも、絶対に生き返らせます!」

 

「へえ、てことは、《思い出の丘》に行くつもりなんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」

 

「できるよ!」

 

 シリカが答える前に、メイプルが前に出た。

 その目は真剣そのものだった。

 

「わたしがこの子を連れて行くもん」

 

「あんたが...?」

 

 ロザリアは品定めするような目でメイプルの装備を見た。

 

「装備は立派なもんみたいだけど、あの足の遅さじゃねぇ。どうせレベルは大したことないんじゃないの?」

 

 見るからに高価そうな紫黒のプレートメイル、背にしている盾や腰に下げた短剣も細部にまで装飾が施されていて、中層クラスのプレイヤーの装備としてはまず見かけないものだ。

 しかしメイプルのアジリティが低いことは歩く様子を数秒見ていれば誰でもわかる。それに装備こそ強力そうではあるが、大盾に短剣装備というお互いの長所を潰し合うような組み合わせは、はっきりいって実戦的ではない。

 そんなことからどうやらロザリアはメイプルの実力を低く見積もったようだ。

 

「まあ、せいぜい頑張ってね」

 

 そういうとロザリアは手をヒラヒラと振りながら、半ば嫌味のような激励を飛ばして立ち去って行った。

 

「.........」

 

 ロザリアの背中を睨みつけながら、シリカは悔しさに唇を噛みながら拳を握る。涙が出そうになるのを必死に堪えていると、

 

 メラメラメラメラ...

 

「...?」

 

 なにかが燃えているような音が耳に届いて、シリカはすぐ隣を見た。

 

 メラメラメラメラメラ...

 

 するとそこには、瞳に怒りをたたえて燃え上がるメイプルの姿があった。

 

 

 

 

「はむっ...! もぐもぐもぐもぐ。はむっ!!」

 

 リスのように、頬を詰め込んだチーズケーキで膨らせながら、メイプルはご立腹だった。

 シリカが迷いの森の攻略を初めてから拠点として泊まり続けていた宿の一階部分はNPC運営のレストランになっている。二人はそこで食事をしていた。

 

「シリカちゃん! 絶対にピナちゃんを生き返らせてあげようね!」

 

 ふんすふんすと、鼻息をあげて今度は追加で頼んだ木の実のタルトにフォークを突き立てる。

 いくらアインクラッドでの仮想的な食事で太る心配がないとはいえ、ここまでスイーツばかり食べようとはさすがのシリカも思わない。お金の心配もあったが、テーブルの両端で高々とそびえ立つ空き皿の塔を見上げれば今さら止めるのも野暮というものだった。

 

「あんな言い方しないでも......ほむっ! あんな言い方しないでも......ぱくっ! あんはひいははひなくへも......ごっくん!」

 

 しかし自分のことでここまで感情を顕にして怒ってくれているというのにはやはり嬉しいものがあったのか、自然とシリカも食事の手が進んだ。それに多少歳が離れているとはいえ、同じ女性のプレイヤーとここまで親密に話す機会はアインクラッドに来てからほとんどなかったことだ。

 そうでなくとも、シリカは暗い森の中での戦闘を立て続けにこなした後。命懸けの緊張感で疲労しきった脳に、チーズケーキの甘みが染みないはずがない。

 スプーンで掬って、シリカはケーキを口に運ぶ。

 三十五層の来てから今まで何度食べたかわからない、馴染んだ甘さが口いっぱいに広がった。

 

「......現実の世界に帰りたいって気持ちは皆同じなはずなのに、嫉妬したり怪しんだり疑ったり、どうして仲良くできないんでしょうか?」

 

 ふと、そんな言葉がシリカの口からこぼれた。

 メイプルはピタリと食事の手を止めて言葉を返す。

 

「......そうだね。大変な時だからこそみんなが力を合わせて頑張ることができたら、死ななくて済んだ人も大勢いたと思う」

 

 しかし実際、世の中はそういうふうにはできていない。むしろその真逆といっていい。

 倫理だとか協調だとか道徳だとか、そういったものは生きる余裕のあるものがその余裕を維持するために持つものだ。受け入れがたい現実を目の当たりにしたとき、多くのものは心の内に秘めた感情に向かって動き出す。足並みは揃わず、傍から見たら混乱としか言いようのない様相を呈する。

 逃げる、惑う、疑う、騙す、立ち尽くす、自ら命を絶つ、隣人を脅かす、自らの命のために尊厳を捨てる。などもその一環。

 命懸けのこの世界でそれはとても自然なことで、だからこそ悲しいことだとメイプルは思っていた。

 

「でもね」

 

 メイプルは思い出す。この世界に来てからずっと自分を守り続けてくれた黒い背中を。

 

「そんな世界でも、誰かが困ってた時、必ず助けてくれるような優しい人もいるんだよ!」

 

 そうメイプルが自信を持って言えるのは、この世界に来てキリトと出会ったからだ。

 ソロプレイヤーであり、同時に攻略組でもあったキリトが前線から離れてメイプルのレベリングに付き合うことがどれだけの負担になっていたのか、今だからこそわかる。

 たとえメイプルを助けたことがサチを死なせてしまったことへの後悔からとった行動だったとしても、それだって紛れもなくキリトの優しさだ。

 

(キリト、今頃なにしてるかなぁ...)

 

 メイプルはふと窓の外を見て、いるはずのない黒い背中を探してみる。

 しかしどれだけ道を行き交うプレイヤーの姿を眺めていてもキリトの姿はどこにもいない。

 

「......私も、そう思います!」

 

「え?」

 

 メイプルはシリカに視線を戻した。

 

「たしかに怖い人もいますし、ロザリアさんみたいに意地悪な人もいます。そうでなくても私、男の人って苦手で、このゲームに来てからはちょっと怖い思いをしたこともあります。でも、そういう人ばっかりじゃないって、今は思ってます。メイプルさんの言うとおり優しい人もいるって、私もそう思います」

 

 《迷いの森》で出会った時の緊張しきった表情とはうって変わった、やわらかで穏やかな表情だった。シリカがメイプルの言葉を素直に受け止めることができたのは、まさに今目に前にいるメイプルが自分を助けてくれたからこそだ。

 死と背中合わせのこの世界、迂闊に人を信じることは命取りであり、自分を守れるのは自分しかいない。

 しかし地獄と言うにはまだ早い。メイプルと出会ったことでシリカはそう思えるようになった。

 

「さあ、それじゃあ宿の部屋に戻って明日の探索の作戦会議をしよう!」

 

 二人は席を立ち、店の二階にある宿部屋へ続く階段を登り始める。

 しかしその様子をじっと見つめ、音もなく後をつけるプレイヤーの存在にメイプルたちは気づかなかった。

 

 

 

 



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54話「思い出の丘」

めっちゃ久しぶり、超久しぶりに最新話投稿です!
長かったここまで(汗)
皆さんお待たせしました~



 一本道を挟んだ左右には咲き誇る色とりどりの花畑。上を見上げればそこには快晴の空。ときおり山間から吹く風が地面に積もった花びらを巻き上げて、抜けるように澄んだ青い空へと押し上げていく。

 そんな穏やかな景色を突っ切って、一つの黒い鈍重な影が道の真ん中に根を張る巨大な植物型モンスターに向かっていく。

 

「やあああーっ! 《シールドアタック》!」

 

 メイプルは大盾を押し付けるようにして飛びつくと打撃属性のダメージがヒット。その攻撃でモンスターは《スタン》状態に陥ると花弁に包まれた胚珠が露わになる。

 

「今だよ! シリカちゃん!」

 

「はい!」

 

 メイプルの合図を受けて、つかさずシリカは短剣のソードスキル《ファッドエッジ》を発動して弱点である胚珠に斬りかかった。攻撃する度、全ての斬撃にクリティカル判定を示すダメージエフェクトが発生する。

 そして最後の連撃を受けると同時にモンスターのHPがゼロになった。

 舞い上がる花びらに混じって割れたガラスのようなエフェクトが空に溶けて消えていく。

 

「勝ちました~!」

 

「やったねシリカちゃん!」

 

 武器を鞘に納めてハイタッチ。

 二人がいるのは四十七層のフィールドダンジョン。通称フラワーガーデンとも呼ばれているこの層はプレイヤーが生活する街からモンスターのポップするフィールドにいたるまで、とにかく花壇や花畑で覆われている階層だった。それはふたりの歩くフィールドダンジョンも例外ではなく、見渡す限り花畑という景色がどこまでも広がっている。 

 ダンジョンといってもほとんどが一本道という単調なものだったが、それは迷う心配がない反面、モンスターのポップ次第では一瞬で挟み撃ちに合う危険もあるフィールドだった。

 ましてシリカにとってここのモンスターはこれまで戦ってきたどの敵より高レベル。そんなモンスターにいきなり挟み撃ちに合えばさすがに平静は保てない、そうメイプルは考えていたのだが実際は違った。

 まだ小学生か、せいぜい中学生そこそこの年端もいかない女の子のはずなのに、これまで過酷なアインクラッドで戦ってきただけあって非常時のキモの据わり方が違う。事実ここに来るまでメイプルに助けられながらではあるものの、高レベルのモンスターを相手に立ち回り、難なく狩れているのだ。

 

「まだまだ一人じゃ恐いですけどね。早くメイプルさんみたいに強くなりたいです! いつまでも助けてもらってばかりじゃあ申し訳ないですし」

 

 そう言ってシリカは照れたように笑った。

 

「シリカちゃんならあっという間に強くなれるよ! それに、わたしだって初心者のころはキリトにたくさん助けてもらったよ!」

 

 シリカとて、このデスゲームにログインしてから一年以上アインクラッドに囚われているのだから初心者ということはない。が、とりあえず聞き流すことにする。

 

「キリトさんって、そういえば前にも話してた人ですよね?」

 

 キリト、それは《迷いの森》にいたときにも一度出た名前だったと、シリカは記憶していた。名前からして男の人であろうことは想像がつく。

 

「どんな人だったんですか?」

 

「うふふ...うっふふふふふ」

 

 よくぞ聞いてくれましたとばかりに笑うメイプル。その笑みを見てシリカは直感的に理解した。

 この話は絶対に長くなると。

 

「キリトはね、ものすっごぉぉぉ~っくかっこいいんだよ!」

 

 メイプルこの上なく上機嫌な様子で話を始める。

 初めて出会った日のこと、初めて一緒に戦ったときのこと、レベル上げの日々、ボス戦、多くの戦いで数え切れないくらい助けられ、傍で支えられてきたこと。そうして一緒に行動する中でいろいろなキリトの一面を知っていった。

 少し癖のある黒髪、細身に見えて意外と男の子っぽくしっかりしている腕、戦う時の年不相応なほど張り詰めた顔、寝ている時の年相応の少年のような寝顔、夜を編み込んだように冷めた瞳、そしてそれがメイプルの前ではときおり優しく、暖かくなる瞬間がある。それを数ヶ月の間、メイプルは隣で見続けていた。

 見続けて、無意識のうちに惹かれていた。

 そしてそれを意識できたのはつい最近のことだ。

 

「まあそれだけ守ってもらってるからさ、感謝してもしきれないんだ。今は事情があって会えないんだけど、でもいつかまた......」

 

 こうしている今でさえキリトのお膳立てしてもらった血盟騎士団の団員という立場に守られている。その事は伏せて話をしたが、それでもメイプルがどれほどキリトを慕っているかは十分に伝わったらしい。

 

「なんだか、メイプルさんが羨ましいです。こんな世界でもそこまで誰かを好きになれるなんて......」

 

―――ボン!!

 

「え、今の音なんですか?」

 

 間近で聞こえた謎の爆発音にシリカは反射的に腰のダガーに手を伸ばす。しかしその音の正体はすぐにわかった。真っ赤になったメイプルの顔が、なにやら蒸気を発している。さっきのはそれが爆発的に吹き出した音だろう。

 

「す、好きとかちちち違っ......なうん」

 

「なうん?」

 

 恥ずかしさのあまり、すっかり日本語を忘却したメイプル。

 

(そっか、そんなにその人が好きなんだ)

 

 メイプルがキリトに対してどんな感情を抱いているのか、これほど深く理解できる反応はない。それが羨ましくもあり、けれどどこかおかしくてシリカは笑った。

 

「わ、笑わなくたっていいのに!」

 

「笑ってなんてないですよ?」

 

「うそだー! 絶対今笑ってたー!」

 

 

 

 

 

 

 フィールドダンジョンを進んだ最奥に《思い出の丘》と呼ばれる場所はあった。ここまでずっと続いていた道が途切れていて、ダンジョンの終着点を示すように四本のオブジェクトに囲まれた腰ほどの高さの石柱があった。

 シリカが近づくと、石柱の断面が金色に輝きだす。その中央の窪みから新芽が芽吹いて茎を伸ばし、やがてその先端で膨らんだつぼみが開くとまるで日光のように温かな光が花弁から漏れた。

 

「これが蘇生アイテムの《プネウマの花》...!」

 

「やったねシリカちゃん! これでピナちゃんを生き返らせることができるよ!」

 

「はい...!」

 

 シリカはそう一言だけ言って奥歯を噛み締めた。これ以上話をすれば涙声になることが自分でもわかったからだ。

 

「ここはまだ危ないから、街に帰ったら生き返らせてあげよう。蘇生の猶予までまだまだ時間があるからね」

 

 そう言って来た道を振り返ったメイプルは首をかしげて足を止めた。

 遠くの花畑の中でなにかが光って見えた。それが次の瞬間には一直線にメイプルへと飛んでいき、脳天を直撃する。

 

「ん?」

 

 それは長さ10センチほどのピックだった。メイプルの高いバイタリティによって刺さるに至らなかったそれが二人の足元に落ちると、日の光を反射して鈍く光る。

 

「えーっと、これって確か......」

 

「《投擲スキル》とはいえノーダメージなんて、ずいぶんとバイタリティ補正の高い防具じゃないの。これは高く売れそうだわ」

 

 ピックの飛んできたところとは別の場所から赤毛の女性プレイヤーが現れる。どこか怪しげで嫌味のある声の主を、メイプルとシリカの二人はよく知っていた。

 

「ロザリアさん...!」

 

 十字槍を手に携えたロザリアは笑っている。が、友好的な印象は欠片も見られない。そもそも不意打ちでピックを放ってきたあたり、敵意があるのは明らかだ。

 

「おめでとうシリカ。首尾よく《プネウマの花》を手に入れられたみたいでなによりだわ。じゃあ早速花を渡してもらおうかしら」

 

「な、なにを言ってるんですか...?」

 

「シリカちゃん下がって!」

 

 メイプルは大盾を構えて、シリカを庇うように前に出る。

 

「この人、たぶん犯罪者ギルドの人だよ」

 

「犯罪者ギルド...? でも、ロザリアさんのカーソルはオレンジじゃないですよ?」

 

「きっと実行犯が別にいるんだよ。グリーンカーソルだって油断させておびき寄せて、隠れているオレンジカーソルの仲間に襲わせるって手口のギルドがあるって聞いたことがあるの。たしか名前は《タイタンズハンド》!」

 

「あら、ご存知のようで光栄だわ」

 

「そんな...じゃあ私たちのパーティにいたのも...!」

 

「ええその通り。アンタたちの戦力を確認して、手に入れたお金やアイテムが貯まった後に食ってあげるつもりだったのに、一番楽しみだった獲物のアンタが抜けちゃうんだもの。誤算だったわ」

 

 ロザリアはちらりと舌を出す。

 

「まあ、その後レアアイテムを取りに行くって言うじゃない? だったらそれを手に入れてから溜め込んだアイテムも根こそぎいただいちゃおうって計画よ。隣にいる大盾使い諸ともねぇ」

 

 そう言ってロザリアは指を鳴らした。

 

「...っ!」

 

 それを合図に左右の花畑から現れたプレイヤーの数にシリカの表情が青ざめる。パッと見ただけでも10人以上はいる。そしてその全員の頭上にはオレンジ色のカーソルが表示されていた。

 ここは逃げ道のない一本道。背後は行き止まりで、しかも道を挟む左右の花畑はプレイヤーが潜むには絶好の隠れ場所になる。シリカは今になってここがPKを行うのに最適とも言えるロケーションであったことに気がついた。

 

「逃げましょうメイプルさん! 数が多すぎます!」 

 

「大丈夫だよ。シリカちゃんはそこで見てて? わたしがやっつけてあげるから!」



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55話「エンゼルトランペット」

つい最近ですが、死ぬのが嫌なので防御力に極振りしたいと思いますのプロモーションビデオが完成しました!!!
(*ノ゚Д゚)八(*゚Д゚*)八(゚Д゚*)ノィェーィ!

Twitterに載せてるのでどうぞご覧頂きたい!
@Prz6sOqffybKM7t




 たった一人で10人以上のプレイヤーを倒す。そう宣言したメイプルはゆっくりと、《タイタンズ・ハンド》のメンバーに向かって歩きだす。

 

「やっつけるだって? ずいぶんと甘く見られたもんじゃない。そんな足でまとい抱えながら一人で勝てると思ってるわけ?」

 

 その言葉に、シリカはびくりと身体を震わせる。

 

「ここに着くまであんたたちのこと見てたけど、レベルの低いシリカを庇って、モンスターを倒せるようお膳立てしながら進んでって具合でさ。あんた一人の方がまだ早くここまで来れたんじゃない? まあ、わざわざカモがネギしょってくれてんだからこっちは万々歳だけどねぇ」

 

「どうかな? 意外と簡単に勝てちゃうかも知れないよ? それに今のはちょっと聞き捨てならないしね」

 

「......なんだって?」

 

 ロザリアの眉間が寄る。苛立ちを交えた声をものともせずにメイプルは言葉を続けた。

 

「シリカちゃんは足でまといなんかじゃないよ!」

 

 そう力強く言うと、メイプルは腰に下げた短剣《新月》を引き抜いて構えた。

 全一〇〇階層から成るアインクラッド。その最前線で戦う攻略組の間で、畏怖と敬意を集める一人の女性プレイヤーがいた。

 いわく、猛毒を持った三つ首の竜を使役していることから、毒竜使い。

 いわく、どんな攻撃も跳ね除ける圧倒的なバイタリティから、要塞。

 いわく、五〇層ボス攻略戦において単騎でボスを圧倒したその戦いぶりから、機械仕掛けの女神。

 そんないくつもの通り名で知られているメイプルだったが、普段の攻略でも好んで使うスキル、《ヒドラ》と《身捧ぐ慈愛》が同じく攻略に勤しむ多くのプレイヤーの目を引き、広くこう呼ばれるようになった。

 

「《エンゼルトランペット》と呼ばれたこのわたしに、勝てるかな?」

 

 いつか言ってみたいと、ひそかに考えていた決め台詞をドヤ顔で言ってのける。

 

「...誰よ? 聞いたこともないんだけど」

 

「ぬぐぅっ...!」

 

 しかしボス攻略戦からまだ一週間、得意げに名乗りを上げるにはメイプルの知名度は低かった。

 堅牢なバイタリティを貫通して、メイプルの精神が大ダメージを負う。

 

「め、メイプルさん...?」

 

「だ、大丈夫! わたしが皆やっつけるから!」

 

 気を取り直して剣を構えるメイプル。

 

「死なないように手加減してあげるから、みんなまとめてかかっておいでよ!」

 

 その言葉を合図にしたかのように《タイタンズ・ハンド》のメンバーはそれぞれが持つ武器を構えて斬りかかる。対してメイプルは自身の持つ短剣、《新月》を頭上に掲げた。

 

「《ヒドラ》!」

 

 ボイスコマンドに呼応して《新月》の刃から紫色の毒流の首が三つ、咆哮をあげて空に伸びる。それが山なりに軌道を変えて目の前にいたオレンジプレイヤーに頭から突っ込んだ。

 衝突と同時に視界いっぱいに紫色の濁流と瘴気が広がっていく。

 

「こ、この攻撃...毒がっ!」

 

 継続的に減っていくHPに気づいた一人がそんな声を上げた。しかも毒の状態異常効果のある瘴気は今もなおオレンジプレイヤーたちの周囲を完全に覆っていて一定の時間が過ぎて自動的に毒の状態が消えようと、結晶アイテムで解毒しても、治ったそばから再び毒の状態異常を受ける。

 

「やめろ! まだ死にたくない!」

 

「《身捧ぐ慈愛》」

 

 ほとんどのプレイヤーのHPがレッドゾーンに陥ったとき、メイプルは《身捧ぐ慈愛》を発動してオレンジプレイヤーのHPを回復させる。

 

「大人しく捕まってくれる人はこのまま回復してあげるけど、そうじゃない悪い子にはしてあげないよ!」

 

 それは、まさしく天使と悪魔だ。

 オレンジプレイヤーたちの戦意が削がれようとしたとき、ロザリアの怒鳴り声がつんざいた。

 

「怯むんじゃないよ! あの女の近くなら毒の効果はないだろ! 死にたくなきゃとっとと突っ込みな!」

 

 ロザリアの言う通り、毒の瘴気はメイプルの近くまでは及んでいない。攻撃するためにメイプルに近づけば結果的に毒の瘴気を抜けることができる。

 

「シリカちゃん! 巻き込まれないようにもっと後ろに下がってて!」

 

「は、はい!」

 

 シリカはメイプルにそう言われると、できる限り後ろに下がる。横目でそれを確認したメイプルは再度襲いかかる《タイタンズ・ハンド》のプレイヤーに視線を戻した。

 毒の瘴気を抜けたプレイヤーは全方向からメイプルを取り囲むような形で位置取りをする。

 

「死ねえ!」

 

 すると真正面にいた一人が装備していたメイスを大上段からメイプルの頭頂部に向かって振り下ろした。

 しかし衝突と同時に岩でも殴ったかのように攻撃は弾かれて、メイプルの頭にはダメージエフェクトすら発生しない。それはメイス使いの攻撃だけではなかった。盾持ちの片手剣士も、曲剣使いも、全武器カテゴリでもっとも高いストレングス補正値を持つ大斧の攻撃すら全てノーダメージで弾き返していた。

 

「こいつ...! どうなってんだ?」

 

 なおも《タイタンズ・ハンド》による攻撃は続いたが、メイプルは反撃どころかまるで避けようともしない。多勢に無勢。立て続けに、それも一方的に攻撃を加えているせいか《タイタンズ・ハンド》の攻撃は徐々に単調になり、自然と攻撃の間合いも近くなっていく。

 

「これだけ近づいてくれれば届くかな? よーし! 《パラライズシャウト》!」

 

 メイプルは《新月》を一度腰の鞘に戻し、鍔を鳴らした。するとメイプルの周囲に黄色いライトエフェクトが波紋のように広がり、襲いかかってきた《タイタンズ・ハンド》全員を麻痺状態にする。

 

「かーらーのー...《アシッドレイン》!」

 

 続いて発動したスキル《アシッドレイン》により、メイプルの頭上に紫色の雲が広がった。そこから雲と同様に紫色の雨がスキルを発動したメイプルと麻痺で動けなくなった《タイタンズ・ハンド》のメンバーに振りかかった。

 しかし後方で指示していたロザリアはそれを鼻で笑う。

 

「ハッ! 馬鹿だね! 自分もろともスキルの餌食にするなんて。それじゃああんたも毒の状態異常に―――」

 

「ならないよ! わたしのスキル《毒無効》でどんな毒攻撃だって無効化できるの」

 

「《毒無効》だって? そんなスキル聞いたことも......っ!」

 

 しかし実際メイプルは《タイタンズ・ハンド》のメンバーと同様に毒効果のある雨を浴びているが状態はクリアなままだ。スキル使用者には効果がない、ということも味方斬りや自死が可能なSAOではありえない。

 

「さあ! どうするの? 大人しく捕まるなら、命までは取らないよ!」

 

 それからメイプルは《パラライズシャウト》《アシッドレイン》を繰り返し、プレイヤーのHPがレッドゾーンを迎えれば《身捧ぐ慈愛》で回復する。そして再度《パラライズシャウト》で動きを封じて《アシッドレイン》による毒の状態異常で追い詰める。

 まさに天使と悪魔の所業だ。

 そんなことを思った《タイタンズ・ハンド》のメンバーの一人が、あることを思い出す。

 

「そういえば、噂でファンタジーゲームの魔法みたいなスキルを使う女プレイヤーが《血盟騎士団》にいるって......まさかこいつ!」

 

 SAOに囚われたプレイヤーでその名前を知らないものはいない。それは《タイタンズ・ハンド》のメンバーだけでなく、シリカにとっても同様だ。Knight of blood。中規模ながら所属する団員の全てが攻略組か、あるいはそれに相当する高レベルプレイヤーで構成され、《アインクラッド解放軍》や《聖竜連合》を凌いでアインクラッド最強とまで言われたギルド、《血盟騎士団》。

 

「《血盟騎士団》......メイプルさんが...?」

 

 驚愕に見開かれたシリカの瞳に、システムウィンドウを操作するメイプルの姿が写る。装備欄からカラーリングを選択し、メインカラーを白、サブカラーを赤に設定し直すと、紫色だったメイプルの装備が白を基調とした《血盟騎士団》特有のそれに変わる。

 その姿を見た《タイタンズ・ハンド》のメンバーの誰もがどよめいた。

 続いてメイプルはアイテムストレージからあるものをオブジェクト化して取り出す。

 

「これは《回廊結晶》だよ。ホントはいつかキリトさんに返すつもりで買っておいたんだけど、ここで使っちゃうことにするよ。転移先の設定はもちろん...黒鉄宮!」

 

 

 

 



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56話「事の顛末とメイプルの決心」

ハァアアアアアアアアアッッピィィィィィィィィィニュウウウゥゥゥゥゥいぇえええええええええああああああああああああ!!!!!!!!!

にゃおおおおおおおおおんおんおんおんおん!!!

......というわけで、56話です。


 

 ロザリア率いるオレンジギルド《タイタンズ・ハンド》を撃退し、無事に街へ戻ったシリカとメイプルの二人は、宿屋のベッドに腰を下ろすと安堵にそっと息を漏らした。

 

「それにしてもびっくりしました。あの《血盟騎士団》のメンバーだなんて、やっぱりメイプルさんはすごいです。私なんかじゃあ、何年たっても入れないですよ。普段は装備の色デフォルトにしてるんですか?」

 

「あはは、ホントはダメなんだけどね。けど《血盟騎士団》の装備カラーリングって街にいてもフィールドにいても目立つんだもん。だから遊びに行ったりするときなんかにこっそりね。そんなことより!」

 

 メイプルは勢いよくその場から立ち上がった。

 

「いろいろ大変なことになっちゃったけど、なにはともあれこれで目的は達成だね! 早くピナちゃんを呼び戻してあげようよ!」

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                            

「はい!」

 

 シリカはアイテムストレージを開くと人差し指をスライドさせてアイテム項目をスクロールさせた。やがて見つ                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             けたアイテム《ピナの心》をオブジェクト化する                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         。続いて今度は《プネウマの花》をタッチして《使用》を選ぶと同じくオブジェクト化された《プネウマの花》がシリカの手の中に納まった。

 

「......」

 

 シリカは緊張した面持ちで二つのアイテムを合わせる。すると眩いほどに強いライトエフェクトが部屋中を包んだ。やがて光のシルエットが小さな羽から飛龍の形に変わる。

 

「きゅるる〜!」

 

「...っ!」

 

 今まで何度聞いたかわからない。ピナの鳴き声がした。

 光が収まると、そこには青い羽毛に覆われた小さなドラゴン、ピナがリスのようなつぶらな瞳を開いてマスターであるシリカのことを見上げていた。

 

「...っ! ピナぁ...! よかった...! もう会えないかと思った。ホントに、ホントによかった......」

 

 気が付けばシリカの瞳からは大粒の涙が溢れていた。会えないでいた期間はほんの二日間だ。しかしもう二度とピナには会えないかもしれないという恐怖と隣り合わせだったシリカにとってはこれ以上なく長い二日間だった。一度は死に別れて、再会した一人と一匹はお互いに抱きしめ合い、喜びを分かち合う。

 やがてゆっくりとすすり泣く呼吸を落ち着けてピナを腕の中から離すと、シリカはメイプルの方を見た。

 

「ほらピナ、この人はメイプルさん。私のことを助けてくれて、ピナを生き返らせるのにも協力してくれたんだよ!」

 

 そんなシリカの言葉を理解したのか、ピナは羽を広げてシリカの手の中から飛び上がると二人の周りを一周飛んでからメイプルの肩に着地した。

 

「初めましてピナちゃん。うわーふわふわだぁー!」

 

 肩に乗せたままピナの羽毛を撫で、ほおずりしながらメイプルは感触を堪能する。それがくすぐったいのかピナは鳴き声を上げたが、嫌がる様子もなくメイプルに身をゆだねていた。

 

「ピナもメイプルさんに感謝してるんだと思います」

 

 この世界ではロザリアのように軽々しく人の命を奪うプレイヤーもいれば、キリトのようにギルドのメンバー全員を目の前で失ったプレイヤーもいる。しかしそんなアインクラッドでもシリカはメイプルと出会い、一度は失った大切な友達の命を救うことができた。たとえそれがAIで動くシステム的な存在であってもシリカにとっては関係のないことだった。  

 二人と一匹の笑い声が小さな宿の部屋に満ち、ひと時の暖かな時間が過ぎていった。

 

 

 

 

「それで、これからシリカちゃんはどうするの?」

 

「しばらくは第一層の街でほとぼりが冷めるまで隠れてようかと思います。私のレベルで出歩ける階層の中では一番広いところなので......」

 

 シリカはピナを腕の中に抱えながら言った。

 部屋には先ほどまでと比べて少し重たい空気が流れていた。

 というのも、メイプルの使った《回廊結晶》によって黒鉄宮に送られた《タイタンズ・ハンド》のメンバーはNPCである衛兵によって全員が捕縛された。しかしただ一人、後方から指示を出していたことでメイプルの捕縛戦術から逃れていたロザリアは他の《タイタンズ・ハンド》のメンバーを置き去りにして《転移結晶》で逃げたのだ。

 

「メイプルさんのギルドでも、探してくれることにはなったんですよね?」

 

「うん。一応わたしのギルドにも報告したけどプレイヤーの名前と性別くらいしかわからないから、どうなるかはわからないなぁ......」

 

「そう、ですか......」

 

 シリカはそのまま俯いてしまう。

 不安があるのは当然だ。《タイタンズ・ハンド》は壊滅したとはいえ、リーダーのロザリアは逃げたまま今も行方をくらましている。しかもグリーンカーソルなら圏内の街に入ることはもちろん、善良なプレイヤーと同様に転移広場の門を使って自由に他の階層を行き来できる。

 今回の件でシリカは間違いなくロザリアに目をつけられたことだろう。これまでのようにどこのギルドにも属さず、フレンドとパーティを組みながらソロプレイヤーとして生きていくのはあまりに危険なことだった。

 

「えっと...」

 

 メイプルはどうシリカに声をかけようか考えていたが、結局はかける言葉を見つけられないまま時間が過ぎていってやがては声をかけるタイミングすら掴めなくなっていく。

 そんな沈黙を破って言葉を発したのはシリカだった。

 

「メイプルさんにはほんとにどれだけお礼を言っても足りないくらい助けていただきました。これからは私一人でも十分頑張れます。それにピナも一緒ですから」

 

 シリカはその場から立ち上がると、メイプルに向かって笑ってみせた。

 

(ああそっか、そうだったんだ......)

 

 その簡単に消えてしまいそうなシリカの薄い笑顔を見てメイプルは気がついた。

 

(あのときのわたしは、キリトの目にはこんなふうに映ってたんだね)

 

 メイプルも同じようなことをキリトに言ったことがある。

 SAOに来てしまったその日、フィールドで出会ったキリトに連れられてやって来た四十八層の宿屋で、十分助けてもらったと、もう一人でも大丈夫だと。なんの根拠もなく、この世界で生きていくことへの不安も無視してメイプルはキリトに笑って言った。

 自分がそうだったからこそ、今のシリカの心根がわかってしまった。

 ならばメイプルの取るべき行動はたった一つだった。

 

「大丈夫! わたしにいい考えがあるんだ!」

 

「いい考え、ですか?」

 

「うん! いつまたロザリアさんが襲って来るかもわからないでしょ? 《はじまりの街》で隠れてても安全とは限らないし、そんなシリカちゃんの悩みをスパっと解決するとっておきの妙案があるのだ!」

 

 敵がどこにいるのかわからないから何もできない。というのは言い訳にもならない。

 かつてキリトがアインクラッドに迷い込んでしまったばかりのメイプルにそうしたように、オレンジプレイヤーによって危険に晒されたシリカに手を差し伸べることができるのであれば、そうしてあげたいと切に思ったのだ。



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57話「新人秘書シリカ」

 

「シリカちゃんを秘書にします!」

 

 シリカを連れて《血盟騎士団》のギルドホームに戻ったメイプルは、アスナとアルフレッドを前にすると開口一番にそう宣言した。

 堂々たる仁王立ちのメイプルに一瞬、お互いに顔を見合わせるアスナとアルフレッド。言いたいことはいくつもあるがまず聞いておくべきことが一つある。

 

「それより、この数日仕事をほっぽり出してどこに行ってたのか説明してもらえるかしら?」

 

 レイピアの如く鋭いアスナの視線が、容赦なくメイプルを突く。

 

「えーっと......執務続きだったから気晴らしがしたくて、フィールドに出て《ポイズンカプセル》を使った新技を試したらそのまま丘を転がって行っちゃって......気がついたら《迷いの森》でシリカちゃんを助けてた、みたいな感じ?」

 

 堂々たる仁王立ちは一瞬にして崩れ、あはは、と笑いながら頭を掻くメイプル。

 対するアスナは心底唾棄したようなため息をつき、隣に立っていたアルフレッドもよくシワの寄った眉間を指でもんでいる。こうしたことは、実は今回が初めてではなかった。

 これまでもメイプルはサボり癖もいえる放浪癖を発揮して何日か姿が見えないかと思えば、しばらくするとSAOでこれまで確認されたことのないスキルを身につけてしれっと帰ってくる。ということが何度かあった。

 しかし新たな団員候補を連れ帰ってきたのはさすがに今までにはない。

 

「一人で出歩くたびに付属品を増やして帰ってくるなぁーとは思っていたのだけど、そっか。今回は人かぁ...」

 

 メイプルの奔放ぶりにもいい加減慣れてきたと自負していたアスナだったが、そんなアスナの予想の斜め上の行動をいとも簡単に取って見せるのがメイプルだった。

 

「それで? 今回はどのように致しますかな? 奇妙なスキルとは違い、此度の付属品は隠蔽できる類ではないようですが......」

 

「いいわよ。今回みたいに勝手に逃げ出しちゃうこともあるから護衛の他に誰かお目付け役をつけようと思ってたし、シリカちゃんみたいな歳の近い同性の子ならむしろちょうどいいわ。それにこの子、メイプルちゃんよりしっかりしていそうだしね」

 

「ええーっ! それはそれでちょっとひどいよアスナぁ〜...」

 

「ひどいって...自分より一回りも二回りも歳下の子に秘書をさせようなんて言い出すメイプルちゃんに言われたくないわよ」

 

「うぐっ...!」

 

 アスナに痛いところを突かれて縮こまるメイプル。

 通り名が浸透していなかった時といい、化物じみたバイタリティを持つ割にはこの手の口撃に全くと言っていいほど防御耐性がなかった。

 

「な、なんにしても許可は降りたんだから、これでシリカちゃんも《血盟騎士団》の一員だよ! これからもよろしくね! シリカちゃん!」

 

「はい!」

 

 メイプルの言葉に元気よく頷くシリカ。

 

「これからはわたしのこと、お姉ちゃんって呼んでいいからね!」

 

「はい! ......はい?」

 

 メイプルの言葉に再度元気よく頷くシリカ。が、会話の脈絡がいきなりおかしくなったことに気づいて思わずそう聞き返した。

 対してメイプルはスライムのようにふにゃふにゃと緩んだ笑みを浮かべてシリカの腕をぎゅっと抱きしめる。

 

「やった〜! わたしってリアルじゃあ一人っ子だからさぁ。ずっとシリカちゃんみたいなかわいい妹がほしかったんだぁ〜!」

 

 その手を振りほどくこと自体、シリカのストレングス値をもってすれば簡単なことだ。しかしそんなことはメイプルの満面の笑顔が許さない。この無邪気な笑顔に対してNOと答えられないと感じた瞬間、シリカはメイプルと出会ってからここ数日の間に何度も思ったことを今一度思わずにはいられなかった。

 

(ああ、やっぱりいろいろ早まったかなぁ...?)

 

 メイプルの腕の中でわしゃわしゃと頭を撫でられながら《血盟騎士団》の新メンバーシリカは、その小さな胸の中にタマムシ色の不安を感じたのだった。

 

 

 

 

 月明かり以外に明かりらしい明かりもない闇の中。

 草木も眠るような草原のフィールドを外套姿の小柄な人影が芝生を蹴立てて駆けている。その足取りには僅かに疲労と焦りが感じられた。

 風が外套を撫でるたびにフードの奥に大海のような青い装備と焦げ茶色の髪がわずかに覗けて見え、顔つきから見て取れる年の頃は十代半ばといったところだろう。

 

「Pohの計画通り、《タイタンズ・ハンド》のメンバーは全員監獄送りかぁ。恐ろしいったらないわね」

 

 その外套の少女、サリーはPohの指示で《タイタンズ・ハンド》がシリカたちを追い、そしてメイプルによって捕縛されるまでの一部始終を見ていた。

 そう、見ていたのだ。

 このアインクラッドでメイプルが、本庄楓が生きていることを、この世界に来てようやくその目で確認することが叶った。

 

「楓......ようやく見つけられたのにあたし、どんな顔してあんたの前に立てばいいのかわかんないよ」

 

 そのとき、《ラフィン・コフィン》のアジトへと戻るサリーの力ない足取りが不意に止まった。

 風が草原の芝生と所々にそびえ立つ木の枝を揺らし、さざめきにも似た音を立てる。その音に紛れて気づくのが遅れた。

 

「.........」

 

 気配が一つ、近くに潜んでいる。

 

「そこに隠れてこっちを伺ってる人、出てきなさいよ」

 

 近くにあった木に向かってサリーは言い放つ。

 

「あんたなんだろ? 《タイタンズ・ハンド》に《シルバーフラグス》を襲うよう仕向けたのは」

 

(...っ!? こいつ...)

 

 隠れていた木から背を離して現れたのは、見たことのある顔だった。それどころか、一度剣を交えて戦っている相手。

 自分とそれほど年の離れていないであろう、均整の取れた顔立ちの少年。装備は夜のトバリを切り取ったような深く黒いロングコートに、たすき掛けにした革ベルトに片手直剣を固定して下げている。

 以前《ラフィン・コフィン》から脱走を企てたとき、早とちりから襲いかかってしまった相手だ。

 

「この前のソロプレイヤー。確か名前は、キリト?」

 

「知ってるなら、自己紹介はいらないな」

 

 ジョニー・ブラックによってラフコフのアジトに連れ戻されたあと、サリーはメンバーが話している内容から、目の前にいるプレイヤーについていくつかのことは耳にしていた。

 元βテスターであり、第一層ボス攻略戦から今に至るまでアインクラッド攻略の最前線をソロで潜り、攻略組として戦い続けている猛者。

 《黒の剣士》キリト。

 

「フィールドで偶然あたしを見かけてついて来た......なわけないか。いろいろお見通しみたいね」

 

「ああ、なにせ俺が今まで探していたのは《タイタンズ・ハンド》じゃなく、あんただったんだからな」

 

「......どういうこと?」

 

「最前線の転移門広場で俺は《シルバーフラグス》のリーダーから自分のギルドを壊滅させられたオレンジギルドのメンバーを捕まえて欲しいと依頼を受けた。調べてみればすぐにロザリアというプレイヤーにたどり着いたよ。そいつがリーダーを務めるオレンジギルド《タイタンズ・ハンド》についても情報を得られた。けどほとんど偶然、彼らと接触するフードのプレイヤー、君を見つけた」

 

 キリトはそこから今回の一件が《タイタンズ・ハンド》だけで実行されたのではないと予想した。おそらく別のギルドないしは個人が事件の裏で糸を引いている。そこでキリトはあえてロザリアを含めた《タイタンズ・ハンド》との直接的な接触は避け、メンバーの監視を始めた。

 そしてメイプルとロザリア率いる《タイタンズ・ハンド》の戦いを木の陰で伺っていたサリーの存在を、キリトは遠巻きから《索敵》スキルで発見したのだ。

 

「なるほどね......」

 

 じっと目を閉じたサリーは集中力を高めた。意図的に呼吸速度を早めて思考回路を戦闘モードにしていく。

 サリーのアジリティをもってすればこのままキリトから逃げ切ることもできるだろう。しかしそうもいかない事情がサリーにはあった。四十七層にいたときから索敵されていたということは、どこかしらのタイミングで間違いなく素顔を見られている。

 

「あんたから逃げるのは簡単。だけど今回の件で顔を見られた以上は、こっちもただでは帰せないのよね」

 

 サリーは戦闘の邪魔になると判断して装備していた外套を脱ぎ捨てた。

 前回戦った時は素顔を見られないために外套を装備したまま戦ったが、顔を知られた今はもうその必要はない。腰から下げた二本のダガーをゆっくりと引き抜いて構えの姿勢をとると戦意をむき出しにしてサリーはキリトを見る。

 しかしそれはキリトも同様だった。

 膝を曲げ、姿勢を浅く沈めている。すでに背中に掛けていた片手直剣は引き抜かれていて、右手に持ったそれを身体の後ろに隠すように構えていた。

 

「本気か?」

 

「当然」

 

 サリーは頬を釣り上げ、好戦的に笑う。

 

「かかってきなさいよ。攻略組の間じゃアンタ《黒の剣士》って呼ばれてるんでしょ?」

 

 

 

 



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58話「鬼ゲーマーの輪舞曲」

 月明かりに雲がかかると、草原の上を薄い影が差す。その暗闇に紛れるようにしてサリーが先手を取って動いた。

 数歩の助走の後に大きく跳躍、逆手に構えた二本の短剣が獲物に飛び掛かる獣の牙のように怪しく光る。

 しかし空中に飛んでしまえば攻撃は避けられない。それを狙ったキリトはソードスキル《ホリゾンタルアーク》で迎撃の体制を取った。

 

「せあっ!」

 

「《超加速》!」

 

 キリトが攻撃モーションに入った瞬間、跳躍中のサリーの速度が跳ね上がった。空中で落下速度が増し、キリトが剣を振り下ろす頃にはすでに着地。半ば滑るようにキリトの攻撃をかいくぐると、左右の短剣が弧を描いた。

 

「ぐっ!」

 

 二つの三日月のような剣影。

 それがキリトの肩口を削り、切り抜けてそのまま背後を取ると、返す刃がキリトの首筋へと伸びた。死角から迫ったサリーの斬撃をキリトは屈んで体勢を下げることで躱す。

 

「このっ!」

 

 そのままの体勢からキリトは飛び上がると、ねじるように身体に回転をかけて横一閃。ソードスキルを繰り出した。

 カウンターとばかりに振るったキリトの剣は、しかし際どいところで回避され、サリーの前髪を軽く揺らすにとどまる。

 

「今のを避けるのかよっ...!」

 

 手ごわい、とキリトは再確認した。

 始まる前からわかっていたことではあるが、サリーの反射神経と体捌きはキリトのそれを超えて高い水準にある。

 

「そっちこそ。今の攻撃の後によく反撃してこれたじゃない。噂通り強いよあんた!」

 

「そりゃどーも!」

 

 今度はキリトから接近して斬りかかる。

 片手用直剣の切っ先が届くギリギリの距離から、反撃の隙を与えない、強いながらもコンパクトな剣撃。

 手数でもスピードでも不利なキリトにとって短剣のリーチまで接近されることは敗北に直結する。サリーの攻撃が届かず、自分の攻撃は届く最も有利な間合いからキリトは攻撃を繰り返した。

 しかしそれで手をこまねくサリーではない。ひとつひとつの攻撃を正確に見切り、躱すと同時に前に出ては反撃する。

 

(こんな速さで動くプレイヤーはアスナ以外じゃあ初めてだ。油断してると、目の前にいるのに一瞬姿を見失いそうになる!)

 

 薄暗い草原の上で三つの刃が空を切り、時折ぶつかり合う。

 前回、サリーは持ち前のスピードでキリトを翻弄し、奇策で意表を突き続けて優位に回った。しかし今は互角とも言える攻防が続き、なによりサリーの意表を突いた攻撃にキリトは完璧ではないが対応し始めている。

 

(学習速度早いなぁ...《剣ノ舞》である程度ストレングスを上げてから勝負をつけるつもりだったけど、あんまり長引かせると負けそう。ここは一気にカタをつける!)

 

 嵐のような攻防が止み、どちらからともなく距離を取る。緊張で乱れていた呼吸をゆっくりと整えるとキリトは口を開いた。

 

「やっぱり強いな。アジリティも大したものだけど、なにより対人戦の駆け引きが尋常じゃない」

 

「なによ。また今まで何人殺してきたのか聞きたいわけ?」

 

「いや、今はもっと別の疑問があるかな」

 

 相手の行動を予測し、攻防の数手先まで見通して動くことができるプレイヤースキル。これは一定のアルゴリズムで行動するモンスターをいくら倒しても永遠に得ることはできない。自分と同じ人間、プレイヤーバーサスプレイヤー戦闘を積み重ねてこそ得られる代物だ。

 いったいどれだけのプレイヤーを殺せばそれほど対人戦に熟達できるのか、初めてサリーと戦ったときキリトはそう思っていた。

 しかし今は違う。

 

「PVPなんてこの世界じゃあ命懸けだ。いくら《ラフィン・コフィン》のメンバーだからって自分が命を落とすリスクのある戦いなんてそう何度も経験できるはずがない。だけど君の強さはその限界を超えてる......と思う。まるでゲームオーバーしても何度だってコンテニューできる普通のVRゲームで他のプレイヤーとさんざん戦ってきたような、そんな感じがするんだ」

 

(こいつ、いったいどこまで...!)

 

 たった二度のサリーとの戦いの中で、キリトはサリーの正体に気づきつつあった。さすがに確信こそないが、ある程度の予想はしているはずだ。そしてつい最近までメイプルと行動を共にしてきたキリトの予測は完璧に的を射たものだった。

 キリトはさらに言葉を続ける。

 

「New World Onlineっていうゲームを知ってるか? ここと同じ、フルダイブ型のVRMMOだ」

 

「なっ...!」

 

 サリーが知らないはずはない。なぜならそれはサリーやメイプルがもともといたゲームのタイトルだったのだから。

 

「そっか、君もそうなんだな」

 

 そしてサリーの驚いたような表情を見てキリトの予想が確信に変わる。

 ゲームの世界に囚われているSAOプレイヤーであれば知る由もない、SAOの正式サービス後に生まれたVRMMORPG。それが『New world online』、通称NWOだ。このアインクラッドでその名前を知っているプレイヤーはNWOから迷い込んだメイプルと、メイプルから話を聞いていたキリトの他にはいないはずだ。

 しかし、サリーはその名前を知っていた。

 それが意味する答えはひとつしかない。

 

「......仮に、あたしがあんたの言うNew World Onlineのプレイヤーだったとして、それがなに? あたしが別のゲームからこの世界に来たことと、今あんたを殺そうとしていることとはなにも関係ないわ」

 

「どうしても、やめる気はないんだな?」

 

「当然よ」

 

 サリーは大きく息を吸って、吐いた息を五分目で止めた。やや速くなった心臓の鼓動を感じながら、集中力を極限まで研ぎ澄ます。

 そんな様子からこれまでとは違った空気感をキリトも感じ取ったのだろう。剣を構え直し、切っ先をサリーに向ける。

 

(これから死んでいく相手にNWOのスキルを見られたって問題ない。だったらこんな殺し合い、とっとと決めてやる!)

 

「おいで、朧!」

 

 



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59話「サリーの本気」

「おいで、朧!」

 

 サリーの指に嵌められた指輪が夜闇のなかで強い光を放った。

 ただの光だったそれはやがて四足の形をなし、背中に紅白の水引を背負ったキツネのような小型モンスターが現れる。

 

「テイムモンスター? それもNWOのスキル......いや、アイテムか」

 

「あの子のこと知ってるんなら、別にNWOのスキルやアイテムを見るのは初めてじゃないんでしょ? 今まではこの世界のプレイヤーにNWOのスキルを見せるのはできるだけ避けてきたけど、あんたには関係ないし」

 

 サリーは手のひらをキリトに向けて構えた。

 

「覚悟しなよ。《ファイアーボール》!」

 

 その手のひらから赤い火花が散ったかと思うと、直径1メートルほどの炎球が一直線にキリトに迫った。

 

「はあっ!」

 

 それをキリトは横一線、防御系ソードスキル《スピニングシールド》で難なくかき消した。

 魔法スキルを使う相手との戦いは初めてであるキリトだが、遠距離攻撃はモンスターのブレス攻撃で慣れている。

 初級の魔法スキルでは牽制にもならない。

 

「こんなもんじゃないんだろ?」

 

 顔色ひとつ変えないキリトにサリーが驚いたのは一瞬だけ。すぐさまサリーの頬が好戦的につり上がる。

 

「もちろん...!」

 

 サリーは言葉を切ると、前傾姿勢で地面を蹴った。

 

「《超加速》!」

 

 サリーは再度《超加速》でスピードを底上げした。翻弄するように不規則な加速とサイドステップを織り交ぜた歩方はまるで稲妻のような軌道でキリトに迫る。

 

「《ファイヤーボール》! 《ウィンドカッター》!」

 

 サリーは魔法攻撃で牽制をかける。直線で迫る《ファイアーボール》と弧を描いて迫る《ウィンドカッター》の挟み撃ちだ。

 

「っ!」

 

 それに対してキリトは防ぐのではなく一直線に前に出た。《ファイアボール》を切り払い、《ウィンドカッター》を躱して一直線にサリーに向かって駆ける。

 サリーもそれを迎え撃つ気位でいた。

 相対して地を駆け、両者の距離は一瞬で縮まる。

 

「朧、《影分身》!」

 

 お互いが後一歩踏み込めば接近戦闘の間合いなる距離、そこで先手を取ったのはまたしてもサリーだった。

 ボイスコマンドとともに五人に分身したサリーがキリト真正面から、左右から、そして跳躍してキリトの頭上からそれぞれタイミングを合わせて斬りかかる。

 

 弓で矢を射るようにして引き絞ったキリトの刀身に黄色いライトエフェクトが帯びる。それは片手直剣の上位ソードスキル、《ヴォーパルストライク》の構えだ。

 

「はあああああああっ!」

 

 突き出された刀身が五体のうち一体の胴を貫く。

 技が命中した手応えはない。が、確かにキリトの《ヴォーパルストライク》はサリーの身を貫いていた。

 やがてその分身の姿は陽炎のように揺らめいて消える。

 

「ってことは、こっちは分身ってことか」

 

 ソードスキルを使った直後の隙をサリーは見逃さない。獲物を追い詰めた狼のように連携の取れた動きで一斉にキリトに襲いかかる。

 キリトはバックステップで距離を取りながらサリーの攻撃をしのいだ。常に二人以上との戦闘にならないよう立ち回り注意深く残り四人のサリーを観察する。

 

(全員の動きがバラバラだ。分身の一つ一つが独立して動いてるのか? だったら分身の動作はCPU任せのはず、なら不意打ちで意表を突いてきたのが本体だ!)

 

 キリトを中心に円を描くように移動して攻め入る隙を伺うサリー、ときおり回転方向を変えたりスピードに緩急をつけたりするなどして、キリトの死角を取れるよう翻弄してくる。

 そこでキリトはあえて、死角である背後に分身の一体が移動するのを見逃した。

 

「はあっ!」 

 

「そこだ!」

 

 わざとキリトが作った隙を突いて背後から迫ったサリーを、キリトは横一線に切り払った。

 完全に意表を突いたつもりでいたサリーは回避しきれず、黒い刃がサリーの腹を捉える。しかし霞でも斬ったように刀身から伝わるはずの手応えが全く感じられず、刃はサリーの身体をすり抜けていく。

 

(っ! こいつも分身っ!)

 

 そこへ間髪いれずサリーの分身が三体、キリトに襲いかかった。

 

(三方向から同時に...! 一人は本体のはず、くそ!)

 

 よみが外れた以上、再度見極めが必要だがすでに分身を含め三人ともダガーの刃がキリトに届くところまで接近を許してしまっている。

 そんな状況でキリトに取れる手段は多くはない。

 

「はあああああっ!!」

 

 キリトは重心を低く構えた。刀身が緑色のライトエフェクトを帯びると、片手直剣の水平四連撃技《ホリゾンタル・スクエア》がサリーを一掃する。

 三人のうち一人は本体、であるはずだった。しかし三人いたそのどれもが、なんの手応えもなく消失したのだ。 

 

「な、に...?」

 

 驚いたような声がキリトから漏れたが、それは倒した五人全てが分身だったことに対してではない。

 不意に剣を持つキリトの右手に衝撃を受けて、握っていた剣を落としたからだ。

 見ればサリーの持つツインダガーの片割れがキリトの右腕に深々と突き刺さっている。それによって発生したダメージが《武器落とし》をシステム的に引き出した。

 そして暗闇に紛れ、猛スピードで突進してきたサリーの本体が体当たりでキリトをノックバック。そのまま背中から地面に横たわったキリトに跨って片一本のダガーを喉元に突き立てた。

 

「くっ...まさか五人とも分身だったのか?」

 

「いいえ、あんたが最初にソードスキルで斬ったのは間違いなく本体のあたしよ? 《蜃気楼》っていってね。実際のあたしの位置とあんたが見ているあたしの位置にラグを生じさせるスキルなの。それで最初に攻撃した私を分身だとあんたに思い込ませた」

 

 サリーはダガーを逆手に構え直す。

 スキルの効果のせいか、サリーの姿は未だ輪郭がおぼろ気だ。しかし切っ先を向けられた刃の先端はやけにはっきりとキリトには見えた。

 

「終わりよ」

 

 そう言ってトドメを刺そうと振り上げたサリーの手が、止まる。

 人を殺す。その許されない行為を土壇場になってサリーは躊躇した。一度躊躇してしまえばそう簡単に刃を振り下ろすことはできない。しかし顔を見られたキリトをこのまま野放しにしておけない。

 

(...っ! 覚悟決めなさいよ! ここでこいつを殺さないとあたしは......!)

 

 そんな迷いを振り切ろうと奥歯を噛み締めて、サリーは再び震える短剣に力を込める。

 

「君には人を殺せない」

 

「っ!」

 

 キリトを殺すことへの躊躇を一瞬で見抜かれ、サリーの身体が驚いたようにびくりと震えた。

 携えた片手直剣と同じ真っ黒なキリトの瞳に動揺を隠せないでいた自分の姿が映るほどの近い距離。人の肘から指先ほどの刃渡りしかないサリーのダガーが

 

「こうやって剣を交えてはっきりわかったよ。君は進んで人を殺せるような人間じゃない。ラフコフにいるのもなにか事情があるんだろ?」

 

「違う...」

 

 即座にそう答えるサリーに構わず、キリトはなおも言葉を続ける。命を狙われた相手にしているとは思えないほど穏やかな声音だった。

 

「もし君がラフコフを抜けたいと本気で思うなら、手を貸せると思う。俺はソロだ。自由に動けるし、アインクラッドのどこにいたって怪しまれない。誰とコンビを組んでいようが気にも留められない。隠れ蓑にはうってつけだろ?」

 

「あたしは、別に......ギルド抜けたい訳じゃ」

 

 そんな否定の言葉にもうまく力が入らない。

 キリトの言葉を一つ一つを吟味するように考える。考え込んだ末、サリーは猛烈に大きなため息をついた。

 

「あーもう。あんたの言葉を聞いて迷っちゃってる時点で誤魔化しとか効かないわよね」

 

 観念したようにキリトの上から降りたサリーは二本のダガーを腰の鞘に納めると、未だ地面に背中をつけたままだったキリトに手を差し出した。

 

「そういえばまだ名乗ってなかったよね。サリーよ。よろしく《黒の剣士》さん」

 

「えっと......その呼び方はやめてくれないか? 厨二っぽいっていうか、なんだか背中のあたりがムズムズするんだ」

 

 キリトはやや心地悪そうにしながらも、サリーの手を取って立ち上がる。するとどこか遠くからモンスターの遠吠えが聞こえた。

 夜のフィールドにポップするモンスターのレベルは比較的高く設定されている。しかし明け方まで待つにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 

「それで、このあとはどうするつもり? 知ってるとは思うけど、オレンジカーソルの私は街の中には入れないわよ」

 

「二十四層のフィールドにかなり広い安全地帯があるんだけど、そこにはいくつかプレイヤーが購入できるホームオブジェクトがある。カルマ回復クエストをクリアするまではそこを拠点にするつもりだよ。お世辞にも治安がいいとは言えないけど」

 

「気にしないわ。ラフコフのアジトより治安の悪い場所なんてないでしょ?」

 

「まあ......うん、それもそうか」

 

 慣れたものよ、と言わんばかりに鼻を鳴らして歩きだしたサリーはふと思い出したかのように、とんでもない事実を口にした。

 

「そうだ、ちなみにあんたに《タイタンズ・ハンド》を牢獄送りにしてくれって頼んだ《シルバーフラグス》のリーダー。あれ、あたしたちの仲間だから」

 

「......は?」

 

 なんとも間の抜けた声が、キリトの口から漏れた。

 

「もともと《タイタンズ・ハンド》の稼ぎをそっくり頂くための計画だったのよね。特にあのロザリアさんって人、やりたい放題でこっちの幹部の反感買ってたみたいだし。けど全員殺しちゃったら所持してるアイテムは回収できても、ギルドホームに溜め込んだお金やアイテムは回収できないでしょ? だからラフコフのメンバーを一人《タイタンズ・ハンド》に潜り込ませて、全滅したギルドの生き残りを名乗って有力プレイヤーに捕縛を依頼、で、全員が捕まって繰り上がりでギルマスになった仲間が金庫の中身を根こそぎ........って、あれ?」

 

「なっ........あ、あ......」

 

 説明するサリーをよそに、キリトは完全に言葉を失った。

 放心、と書いた立て札と手頃な空き缶でもそばに置いておけば、もの好きがお金を投げ入れていきそうなほど、キリトは絵に描いたように放心していた。

 それだけこの過酷な世界には常軌を逸した輩がいて、これまでアインクラッドの最前線を走り続けてきたキリトですら思いも寄らないようなことを平気で思いつくのだ。

 

「あんたが相手にしようとしてるPohってそういうプレイヤーよ。そんな恐ろしい奴だって知ってもあんたはあたしを守ってくれる?」

 

 上目遣いに加えてイタズラっぽい笑みを浮かべるサリーに、さすがにキリトはたじろいだが咳払いを一つ。平静と取り繕ってから堂々、とは言えない語気で答えた。

 

「も、もちろん...」

 

「クスッ...」

 

 そんなキリトの様子に、サリーは思わず笑った。

 さっきまでの氷像のような冷静な顔とはうって変わり、動揺を隠そうと必死な今のキリトの表情は年相応の少年で、可愛らしいとすらサリーは思ったのだった。

 



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60話「カルマ回復クエスト」

超絶お久しぶりです!
いろいろ忙しくて防振り二期をようやく見始めたというわけで、最新話投下(゚д゚)!



 なんの変哲もない広場のベンチ。そこへキリトは腰を下ろした。太陽がほぼ真上に位置する昼の頃、三人がけのベンチはキリト以外に利用者はおらず、視界に映るプレイヤーの数はちらほらいるものの、誰もキリトの存在を気にしている様子はない。

 

「少し早いけど、遅れるよりはいいだろ? それじゃあ取引を始めようか」

 

 繰り返しだが、ベンチにキリト以外に人はいない。しかしそのキリトの言葉に反応する声があった。

 

「それで? 今回はなにが知りたいんダ?」

 

 その声は腰掛けているキリトの後ろから聞こえた。ベンチの影に隠れるようにして身を隠した小柄な影。それにキリトは振り返って向き直るようなことはしない。背中越しに、あくまで一人事をつぶやくような声の大きさで返事をした。

 

「カルマ回復クエストについて情報を売って欲しいんだ。可能な限り難易度の低いものだと助かる。情報屋のアルゴならなにかしら情報を知ってるだろう?」

 

「ん?」

 

 その要望が意外だったのか、小柄な影の正体、アルゴは考え込むように小さく唸った。

 

「それ、キー坊が受けるわけじゃあないんダロ? まさかメイプルとのコンビを解消したばっかりだってのにもう他の面倒事にまきこまれてるのカ?」

 

「そのへんはその......聞かないでくれるとありがたい」

 

 歯切れが悪そうに答えるキリトを興味深そうな瞳でアルゴは笑うが、それ以上深く聞いてくることはなくかった。

 

「可能な限り低難易度...か。いくつか情報はあるが、難易度までなると情報がないんだよなぁ」

 

 困ったように答えるアルゴ。

 

「情報屋が聞いて呆れるぜ」

 

「そもそもカルマ回復クエストを受けなきゃいけないようなプレイヤーとは極力お近づきにはなりたくないダロ。商売柄、人から恨みを買うことも少なくないしナ。まあどうしても必要だって言うなら情報を仕入れられそうなやつに心当たりはあるガ......」

 

「いや、クエストが発生する場所がわかればこの際いい。できるだけ低い階層にあるカルマ回復クエストの情報をくれ」

 

「じゃあ、金額はこれだけ」

 

 キリトの背中にアルゴは指を二本突き立てる。

 一瞬の思案、その後にキリトは聞いてみる。

 

「......二万コル?」

 

「二十万コルだ」

 

「なっ!?」

 

 思わず声を上げてしまった。キリトはすぐにハッとなって周囲を見渡すと、声をひそめてアルゴに抗議する。

 

「いくらなんでもぼったくりすぎるだろ! 十五万コルで」  

 

「ダメだ。十九万」

 

「十六万」

 

「十八万、と五千コル。これ以上は譲れないナ」

 

「......よし」

 

 これ以上の交渉は臨めないと考えて、キリトは指定額をアルゴに渡す。

 

「まいどありダ」

 

 背中越しに話しているせいでアルゴの顔は見えない。が、おそらく意地悪く笑っているであろうことは僅かに弾んだその声でなんとなくわかった。

 それからほとんど間を置かず、アルゴから情報が記された羊皮紙のアイテムが送られてくる。

 

「助かるよ。また何かあったら頼む」

 

 キリトの言葉に返事を返す者はいない。そこで初めてキリトは後ろを振り返る。さっきまでアルゴの声が聞こえてきた場所にはもう誰もいなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

 第三層のフィールド。左右に木々が生い茂る一本道をサリーとキリトは歩いていた。 

 アルゴから聞いたクエストの開始場所を目指して歩く二人。当然フィールド内を歩いているのだからモンスターと遭遇することはあるし、そうなれば戦闘にもなる。しかし二人の空気はのんびりとしたものだった。

 

「それにしても、いくらHPが0になると死んじゃうとはいえ、ここまで手応えがない敵と戦いながら探索するのって退屈よね」

 

「まあ、ここの階層にポップするモンスターはレベル10〜15くらいだしな。けどこれだけ低い階層にあるんだ。カルマ回復クエストが無茶な高難易度に設定されていたとしてもサリーなら余裕でクリアできるだろ?」

 

「まあそうだけど......おっと」

 

 間近でいきなりポップしたボアをハエでも払うかのような軽い太刀筋で切り払うサリー。その間わずか数秒のことで一撃でボアは消滅する。

 もしこれがメイプルだったなら突然のことに驚いて短剣である《新月》を振り回した挙句、《ヒドラ》で周囲をキリトもろとも毒液まみれにしていたことだろうな、と思ってキリトは笑う。

 

「なーににやにやしてるの?」

 

「に、にやにやなんかしてないぞ! そんなことよりもうじき見えてくるはずだ」

 

 ほどなくして二人が歩く道の先になにやら建物が見えてきた。風化が進んでいて遠目ではすぐにわからなかったが、それは教会のようだった。

 石造りの壁には無数のツタが幾重にも絡み、木材部にはコケが生い茂っていて、屋根に至っては一部が崩れ落ちて吹き抜けになっている。そんなおおよそ人の出入りがあるような息吹は感じられない廃れた教会。その扉にキリトが手をかけたとき、クエスト発生を示すアイコンが表示された。

 

「クエスト名《過去の清算》、間違いない。これが情報にあったカルマ回復クエストだ」

 

 どうやらクエストを受諾してから建物の中に入ることで開始されるタイプのクエストのようだった。

 

「どれどれ、参加条件はオレンジカーソルであること。クリア条件は過去を清算すること、ってクエスト名そのまんまじゃない。なにすればいいかも不明瞭だし、不親切なテキストね」

 

 サリーは不満げに口元を尖らせた。

 討伐系のクエストなら討伐対象のモンスター名と数。採取系なら必要なアイテムの名前と数といった情報は本来クエストの説明文にかなり具体的に書かれているものだが、こんなふうに抽象的な表現でしか説明されていない文面はキリトも初めて見るものだった。

 

「どうする? 正直、クエストが開始してからなにが起こるかまったく想像もつかないし、リスクはあるけど」

 

「心配ないわよ。あたしあんたより強いし」

 

 そう強気に答えるが、サリーとて不安がないわけではない。ただカーソルをグリーンに戻すにはこの方法しかないのだ。だったら多少危険があろうとも自分の実力と絶対に負けないという意気込みに望みを賭けるしかない。

 

「じゃ、行ってくるわね」

 

 サリーはクエストを受諾して教会の扉に手をかけた。警戒が滲ませながらゆっくりとした足取りで中へ入ると、錆び付いた蝶番が軋むような音をあげて扉が閉まる。

 

(さて、なにがくるやら...)

 

 サリーは周囲を警戒しつつ腰のダガーを抜いた。ゆっくりと教会の奥へと歩みを進め、やがて建物の中央に立つと、真正面に祀られていた巨大な女神像から光が漏れた。その光は少しずつ形を変え、やがて剣を携えた人の形に収縮する。その姿にサリーは呼吸すら忘れて立ちすくんだ。

 

(ありえない...あり得るはずがない! だってあの人は、あたしが!)

 

 氷の刃を首筋に突き当てられたような感覚だった。

 固く引き結んだ口を解いて、ようやくサリーが口にしたのは目の前にいる人物の名前だった。

 

「フレッド...」

 

 

 

 

 

 

 



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61話「亡霊」

書き溜めてはいたんです。
それを公開してなかったのは先の展開で悩んでて、それ次第でつじつま合わなくなるのがこわかったんです。
というわけで最新話どーーん!


 どうしてかはわからない。

 フレッドは死んだ。間違いなくサリーが殺した。それはサリーのカーソルがオレンジに変わってしまったことからも疑いようのないことである。

 しかし目の前にいる人物はフレッドそのもの。重々しいプレートアーマーと携えた青い氷細工のような片手用直剣、なによりいつもサリーに優しく語りかけてくれていた表情までもが鏡写しのようにそこにいた。

 

「なるほどね。自分が傷つけた相手ともう一度戦えってことか......最悪なクエストね」

 

 サリーは一度抜けてしまった手にもう一度力を込める。強くツインダガーを握りながら、胸の奥から沸き上がってくる感情を無理やり封じ込めた。

 大きく息を吸い、そして吐く。

 

「見かけだけ真似て、それで私が攻撃をためらうとでも?」

 

 サリーはツインダガーを逆手に構えた。お互いがほとんど同時に地面を蹴り、フレッドとサリー、それぞれの刀身が交錯する。

 先手を取ったのはサリー。真横に振るったダガーをフレッドは剣を縦に構えて防ぐ。その構えに合わせてサリーは切りつけた方とは反対の手に握ったダガーで下から上へと切り上げる。

 

「せあっ!」

 

 フレッドの肩口をダメージエフェクトによる赤い軌跡が走ったが、フレッドは怯まず攻撃を仕掛けた。縦横無尽に振るわれる剣を防ぐことなく回避して見せるサリー。

 

(このフレッドは、偽物だ!)

 

 たったそれだけの立会いで、サリーはそう確信した。

 剣筋に意識が感じられない。相手の裏をかくどころかフレッドの動きには明らかな規則性があり、それはフレッドがフィールドでポップするモンスターと同じように一定のアルゴリズムに従って動いている証拠とも言えた。目の前にいるのは見た目やステータスこそフレッドそのものではあるが、フレッドとしての意識はない。

 AIで動く人型のモンスターだと思えば、サリーの敵ではなかった。

 

「せあっ!」

 

 フレッドの攻撃が空振りした瞬間、がら空きの胴体に二本のダガーが深々とフレッドの胸に突き刺さる。

 

「よし、このまま!」

 

「君と初めて会った日を覚えているかい?」 

 

「っ!」

 

 追撃を加えようとした瞬間、優しく、そして懐かしい声が聞こえた。

 ダガーを引き抜いて一瞬でその場からサリーは飛び退く。

 

「......フレッド、フレッドなの?」

 

「あの日にだって二人ともこうなる覚悟は決めていたんだ。それは今日この時だって変わらないよ」

 

 会話がまったく噛み合っていない。しかしサリーは思い出した。そのセリフはたしか《月と盾の紋章旗》が壊滅したあの日、本物のフレッドがサリーに言ったことだった。

 

「くっ...死んだ日の音声まで再生するとか、悪趣味ったらないわね」

 

 強く、噛み締めた奥歯から軋むような音が鳴る。明確な怒りがサリーの瞳に宿った。

 

「サリー、君は《転移結晶》の準備をしてくれ。刺し違えてでも彼のことは殺すけど、はっきり言って勝ち目のある戦いじゃない。いつでも逃げられるように」

 

「うるさい...」

 

「僕たちは死ぬ覚悟でここに来たんだ。今さら安全策に逃げるなんて馬鹿けてる。違うかい?」

 

「うるさい!」

 

「僕はシゲルとオレンジを死なせてしまった挙句、最後には残った君を生かすために自ら死を選ぶような男だ。だから、そんな僕に付き合って君まで死ぬことはないよ」

 

「うるさい!! 偽物のその声で! 偽物のその顔で! 私の前に現れるなぁぁぁぁぁっ!!」

 

 その姿を見てからずっと封じ込めていたはずの感情が、そのとき一気に吹き出した。吠えるようにサリーは叫んで、一直線にフレッドに向かって駆けた。振り上げられた二振りのダガーの刀身が、壁面の松明の光を反射して光る。

 仲間の死を乗り越えたときも、サリーのために自らが死を選んだ時も、最期のその瞬間まで、いつだってフレッドの言葉は決意と優しさに満ちていた。

 穏やかな声音で、サリーに語りかけていた。

 それを汚すようなことをサリーは許すことができなかったのだ。

 

「はああああああああっ!」

 

 横薙ぎのひと振りを掻い潜り、ガラ空きの胴体を瞬く間に三度切りつける。赤いダメージエフェクトが目の前でほとばしり、フレッドのHPが削られた。それに抵抗するかのようにフレッドも剣を振るうがサリーには当たらない。それどころか避け際にすらサリーは左右のダガーを振るい、休む間もなく切りつける。

 そんな体の隅から隅までを細切れにするような激しい斬撃の連続、フレッドの全身はダメージエフェクトによって赤く染まる。

 

「《パワーアタック》!」

 

 スキルを使って破壊力のこもった一撃を見舞う。それによってフレッドは背中から後ろに倒れ込んだ。

 ダメージによるノックバックだ。しばらくの間フレッドは攻撃することも攻撃を避けることもできない無防備な状態。その隙をサリーは逃さなかった。地を駆けて跳躍し、フレッドの脳天目掛けて逆手に構えたダガーを振り下ろす。

 

「これで終わりに...!」

 

『君みたいな強いプレイヤーが入ってくれると頼もしい。どうかな?』

『俺たちの陣形はいつものとおりで、サリーは隙をうかがって側面から攻撃してくれ』

『あのとき君が来てくれなかったら、僕たち三人の誓いは永遠に叶えられないままだっただろう。少なくとも僕は死んでいた。二度目のチャンスを得ることができたのはサリー、君のおかげなんだ』

『皆、敵はPoHだけじゃない。彼が取りまとめているオレンジプレイヤーも含めて、これから行く場所はこの四人以外全員敵だ。きっと大勢殺す事になる。どんな結果になっても今までのような日常には二度と戻れないだろう。覚悟はいいかい?』

『すまない。でもやつらから君を助けるにはこうする以外の方法を見つけられなかった』

 

「...っ!」

 

 そのダガーの切っ先がフレッドの眉間のわずか数センチというところでぴたりと静止した。この一撃を決めれば勝てる。しかしその瞬間にサリーは思い出してしまったのだ。

 フレッドと過ごした濃密な時間、そして最期の瞬間に見せた、優しく満足そうな笑顔を。

 

(できない......)

 

 サリーは怯えるようにしてその場から後ずさった。

 やがてノックバックから立ち直ったフレッドは再び剣を構え、ソードスキルを繰り出した。それをサリーは避ける。が、反撃はしなかった。

 

「......っ!」

 

 反撃しようとダガーを振りかぶりはした。が、そこまでだ。その切っ先は振り下ろされないまま止まってしまう。そして隙を逃したサリーはフレッドの攻撃を避け続ける。その繰り返しだった。

 

「すまない......」

 

「っ!」

 

 サリーの身体がいっそう強ばった。その隙を突いてか、あるいはまったくの偶然か、ソードスキルを発動させたフレッドの片手剣が、サリーの身体を真一文字に切りつける。 

 その衝撃でサリーの体は飛び、後方の壁に叩きつけられた。

 

「もう...あんたのことは殺せないよ」

 

 PoHのように狂うこともできず、正体を知られたキリトを殺すこともできず、そして今、偽物だとわかっているフレッドを殺すことも、ためらった末できなかった。自分にはそれだけの覚悟がないのだと知ってしまった。

 だからサリーには殺せない。

 サリーの手からこぼれるようにツインダガーが落ちた。せまる攻撃を避けようとすらせず棒立ちのまま、一切の抵抗をやめた。

 

(これで、よかったのかもしれない......)

 

 追撃を加えようと、剣を振り上げたフレッドがサリーのすぐ目の前にまで迫ってきている。

 サリーはちらりと自身のHPバーを確認した。レッドゾーンまで削られた今の状態でこれをまともに喰らえばまず助からない。 

 しかしそれでいいとサリーは思った。

 どんな状況であったにせよ、フレッドを殺したのは自分だ。ならば今ここで、偽物とはいえフレッドの手にかかって終わるのも悪くないと、そんな風にサリーは思ってしまった。

 

(ごめんキリト。いろいろ手伝ってくれたけど、やっぱあたしダメみたいだ)

 

 大上段に振り上げられた片手剣をぼんやりと見つめると、サリーは観念したかのように目を閉じた。

 

「.........」

 

 しかしその剣はいつになっても振り下ろされない。不思議に思ってサリーは閉じていた瞳を恐る恐る開いた。

 剣先はサリーの額の数センチ先で止まっている。かと思えばまるでHPが全損したモンスターのようにグラフィックが歪み、ポリゴンとなって砕け散った。

 

 



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62話「過去の精算」

5月最後の投稿だぜい!!

次話も予約投稿済みなんで、6月も読んでくれるよって人は感想くだちゃい(●ꉺωꉺ●)




 

「な、なにが...?」

 

 クエストクリアを伝えるシステムメッセージが頭上に表示される。そのことからサリーは一つの結論を導き出した。

 

「まさか、クエストの達成条件は殺した相手とのデュエルで相手に殺されること?」

 

 厳密にはサリーは殺されていない。残りHPからして確実に死ぬであろう一撃がダメージ判定ギリギリのところで停止した。それによってシステムはこのまま攻撃を受ければ死に至るだけのダメージを受けたと認識した。

 それがこのクエストのクリア条件だったのだ。

 

「あっ...あ........」

 

 糸の切れた操り人形のように、サリーは力なくその場で膝をついた。

 クエストクリアを知らせるシステムメッセージとともにクエスト報酬とドロップアイテムがリストに表示される。

 その中に一つ、あるアイテムの名前を見てサリーは目を見開いた。

 

「《ダークリパルサー》......これって、フレッドが使ってた剣」

 

 サリーはそれをストレージから取り出してみる。

 氷塊を削り出してあつらえたかのような、刀身から持ち手まで全てが薄く透き通ったブルーの片手剣。間違いない。フレッドが愛用していた片手剣だ。

 

(重いな......)

 

 両手にずっしりとした重みを感じてサリーは一瞬よろめいた。持ち上げるのが精一杯で、振り回すどころか、これを担いでフィールドを歩き回るのも難しそうだ。

 たしかこれを装備するために必要なストレングス値が高すぎて盾を持てないんだと、困ったようにフレッドが話していたことを思い出す。

 

(決めた。PoHはこの剣で殺す。みんなの仇はフレッドの剣で晴らすんだ!)

 

 

 

 

 教会の扉が開き、中からサリーが姿を現した。

 頭上にあるカーソルはキリトと同じグリーン。それはつまりクエストを無事クリアしてきたことを意味しているが、死兵のようなサリーの表情から、キリトはなにかを感じ取った。

 

「終わったのか?」

 

 キリトの問いに、サリーは黙って頷いて返す。

 

「行こう...」

 

 そう言って来た道を引き返し、歩き出す。その隣を歩く、まるで魂が抜けてしまったかようなサリーの横顔にキリトはどう声をかけるべきか決めあぐねていたが、結局はなにも言えないまま時間だけが過ぎていく。

 

「...また、死にぞこなっちゃったよ」

 

 やがて二人の拠点が遠目に確認できるようになった頃、突然サリーは口を開いた。表情相応にその声には力なく、今にも消え入りそうな声。しかしキリトにはその声がいやにはっきりと聞こえた。

 

「中でなにがあったんだ?」

 

「あたしが殺した、昔パーティメンバーだった男の子が出てきたの。声も姿も、装備だって死んだ日のままで、けど本物じゃなかった」

 

 再びしばらくの沈黙。それを破ったのはまたしてもサリーだった。

 

「ねえ、あんたはさ、もし大切な人が誰かに殺されそうなとき、その誰かを殺してでも大切な人を守れる?」

 

「え?」

 

「それか身代わりでもいいわ。大切な人を守るために身代わりになって死ねるか、大事な仲間が間違いを犯したとき殺してでも仲間を止められるか、とにかく自分にとって大事だと思うもののために自分を含めて人を殺すことができるのかって話」

 

「......どうかな、そのときになってみないと」

 

「今のあたしはできない。できるつもりだったけど、結局最後の最後で覚悟が揺らぐ。あんたと戦ったときみたいにね。それでもあいつだけは......PoHだけは絶対に殺す。あたしの覚悟なんて関係ない。あいつだけは殺さなきゃいけないんだ」

 

 そう話すサリーは自責と後悔と怒りが入り混じった、グチャグチャな顔だった。

 サリーの問いにキリトはそのときにならないとわからない、と答えた。それはサリー自身痛いくらいによくわかることだった。《月と盾の紋章旗》の一員として、フレッドたちと一緒にPoHを殺す覚悟を決めた。その過程で他のオレンジプレイヤーを殺す覚悟も決めた。その覚悟に嘘はない。しかしオレンジが死んで、シゲルが死んで、最後に自分の刃でフレッドが死んだとき、気がついてしまったのだ。

 人を殺すことの恐ろしさ、そして簡単に人の命が奪われてしまうこのゲームの恐ろしさにだ。

 

「あたしさ、《月と盾の紋章旗》ってギルドのメンバーだったの。メンバーは少なかったけど、あたしがこの世界に来て初めてできた居場所だった」

 

 それからサリーはこの世界に来てからのことをキリトに話した。

 友達を探してこのSAOの世界に迷い込んだこと。《月と盾の紋章旗》としてPoHを殺す計画に自ら望んで参加したこと。それによってギルドはサリーを残して全滅し、残されたサリーは《ラフィン・コフィン》に強制的に入らされたこと。そしてPoHのもとで人が死ぬようないくつかの悪事にも加担させられていたこと。

 フレッドを自分の手で殺してしまったことも含め、全てをキリトに話した。

 

「そんなことがあったのか...」

 

 サリーが全てを話し終わる頃には拠点に到着。今は部屋のベッドに二人で腰掛けながら話を続けていた。日は暮れかけて、窓から差すオレンジ色の光がふたりの顔を照らしていた。

 キリトは思う。目の前にいるサリーはまさしく、あのクリスマスイブの夜の自分と同じだ。仲間を死なせた自責の念が、サリーの心そのものがサリー自身を苦しめている。

 重たすぎる罪の意識があって、それを裁いてくれる相手すら残らず全てを失った。そしてその心のどこかで自分の罪に相応しい罰を求めているのだ。

 

「なんか、今日は疲れちゃったな」

 

 窓の外の景色に眩しげに目を細めながら呟く。心なしかサリーの目が濡れているように見えたのは、だいぶ日が傾き、色の付き始めた光に照らされていたからだけではないだろう。

 そんなサリーにメイプルにしてもらったことと同じことはできない。だからキリトはキリトなりに、自分にできる精一杯を考えた。

 

「その罪の意識は多分、一生消えないよ。他になにか違った選択肢もあったのかもしれない。けどどうしたって酷だよ。状況を考えればどうしようもなかったことだと思う。だから他の誰がこの話を聞いたって誰もサリーの罪を裁いてはくれない。裁いてくれないなら自分で許すしかないんだ」

 

 キリトはなおも言葉を続ける。

 

「俺の所属してたギルドも、俺一人を残して全員死んだ。ダンジョン探索中にトラップに引っかかって俺を除いた4人が死んで、残ったのは俺と探索に参加してなかったリーダーの二人だけ。けどそいつも仲間たちが死んだショックに耐えられなくて、俺の目の前で自殺した」

 

 キリトは《月夜の黒猫団》のリーダーだったケイタの最後の言葉を思い出す。

 

『ビーターのお前が! 僕らに関わる資格なんてなかったんだ!』

 

「死ぬほど堪えた。だからいつ死んでもおかしくないようなレベリングも平気で繰り返したよ。でもそれは間違ってたって今なら思う。さっき、サリーは『死にぞこなった』って言ったろ? サリーが《ラフィン・コフィン》に復讐しようとしても俺は止めないよ。けど復讐を隠れ蓑に自殺行為としか言えないような戦い方をするなら俺はきみを止める。誰かに殺されたり、無茶して死ねば罰になるって考えてるなら、大間違いだ」

 

「ふぅーん、そう。そっか」

 

 興味なさそうに相槌を打つサリー。興味のないふりをして、その言葉は確かにサリーの心に響いていた。

 サリーは隣に座っていたキリトのそばに身を寄せると、肩に寄りかかるようにしてコツン、と額を当てた。キリトが息を飲んだことすらわかるような距離で、サリーは再び口を開く。

 

「......止めるっていうけど、あたしはいつまであんたのとこにいていいの?」

 

「君がラフコフに戻りたいとか言わない限りは、かな?」

 

「つまり、死が二人を分かつまで、って?」

 

「こ、言葉の裏をかかないで文面通りに言うなら、そうだよ。約束しただろ? サリーが《ラフィンコフィン》から逃げるのを手伝うってさ。だからもしサリーが命を狙われるようなことが...というか、多分もう狙われてるだろうな。当然そういう奴等からも俺はきみを守るよ」

 

 そう話すキリトは少し照れている。

 わずかに顔と視線を反らせながら言うその表情が思いのほか可愛らしかったので、サリーの口元からクスリと笑みが漏れた。

 サリーはそっとキリトの胸から顔を離すと、指先でちょんと、キリトの鼻先をつついた。

 

「年下のくせに、ナマイキ」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべてそんなことを口にするサリーの瞳は、普段通りの生気を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 



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63話「前衛隊長のお仕事」

こんちわっす(●ꉺωꉺ●)

めっちゃ暑い今日......
溶けてなくなる前にさっさと家帰ろーってことで63話ですどーぞ



 エンゼルトランペットと呼ばれる毒草がある。

 花弁、葉、樹液に至るまでその全てに強い毒性を持ちながら、天使の角笛にも似た形の白く美しい花を咲かせる。そんな天使と悪魔のような二面性を持つ美しい毒草だ。

 《エンゼルトランペット》と呼ばれているプレイヤーがいる。

 三つの首を持つ毒竜を召喚するスキル《ヒドラ》と、一時的に天使の翼と金髪有して空を飛び回り、範囲内にいる仲間のHPを回復させるスキル《身捧ぐ慈愛》。この二つの強力なスキルを好んで使うことから先の毒草の名前にちなんで、そのように呼ばれていた。

 同時に、ヨハネの黙示録に語られるそれように、このデス・ゲームに終末をもたらす天使の角笛という意味も込められている。

 このプレイヤーならSAOを終わらせてくれる。

 そんな敬意と期待のこもった二つ名を冠するプレイヤーは今、

 

「お外出たいよぉ〜〜〜〜! 甘いものが欲しいよぉ〜〜〜〜!」

 

 傍付きであるアルフレッド監視のもと、執務に追われていた。あるいは激務と言ってもいいかもしれない。

 メイプルは割り当てられたギルドホームの一室、その最奥の大窓に面して置かれた樫の木のような色合いの分厚い机を前にしていた。その上にはオブジェクト化された大量の羊皮紙、それらは全て現在メイプルが在籍しているギルド《血盟騎士団》における各種報告書だ。

 同時に、メイプルによる確認と承認が必要な書類でもある。

 

「ここ数日、メイプル様が不在の間に前衛隊長の署名が必要な書類が溜まっております。前衛職全員の安全マージン報告、各メンバーのレベル上げノルマの報告、前階層ボス戦における支度金の決算とクリア報酬の分配報告などなど」

 

「ボス攻略の支度金の決算ってわたしがここに来るより前の書類だよね! 前任者さんのお仕事じゃないの!?」

 

 ただの平団員に護衛をつけるのは無理があるから、相応の役職を与えて正当化する。しかし便宜上の役職とはいえ、役職は役職なのでそれ相応の仕事はこなしてもらう。というのが副団長であるアスナの考えであった。そんなアスナからメイプルが与えられた役職は主にパーティやレイドで壁役を務める前衛隊、その隊長だった。

 

「メイプル様ほどの実力があれば前衛隊のトップに身を置いても問題はないでしょう。前回のボス戦でのメイプル様の戦いぶりは多くの団員が目にしておりますし、事実団員として迎え入れることに反対の声はございませんでした。前衛隊長に任命することも思いのほかスムーズだったと聞きます。しかし、だからこそ実力さえあれば仕事をしなくていいという風潮ができてしまうのは《血盟騎士団》の風紀に関わります。そうでなくともメイプル様は入団して間もない身の上。それがいきなり前衛隊長となることについて、古参の団員には快く思わない者もいると聞きます。ですのでそうした輩の切り口にならぬためにも先日のように職務を放り出して勝手に出歩かれるというのは―――」

 

「うぐーー......」

 

 大量の書類仕事にアルフレッドの小言まで上乗せされ、完全にメイプルが情報処理できるキャパシティーを超えた。前任者の仕事である、という正論がうまくはぐらかされたことにも当のメイプルは気づいていない。

 

「こ、こういう時こそ秘書の出番だよ! シリカちゃん! シリカちゃーーーーん!」

 

 唯一の直属の部下の名前を大声で連呼するメイプル。

 シリカを秘書として《血盟騎士団》に加えて一週間、早くもダメ上司発症の兆しを見せていた。

 

「残念ですがシリカ嬢には別の要件を言いつけてあります。そろそろこちらに戻るころだとは思いますが、帰ったからといってご自身の仕事を押し付けるようなことはしませんように」

 

「ぬーん......」

 

 アルフレッドに釘を刺され、怨念じみた唸り声を上げるメイプル。やがてはデスクの上を転げ回りながらダダをこね始めた。

 

「やーだーやーだー! お外出たいお外出たい! 遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい遊びたい!」

 

「ただいま帰りました!」

 

 部屋の扉が開き、アルフレッドの言いつけを終えたシリカが部屋に飛び込んでくる。

 快活な声とともに漂ってきた甘い香りを鼻腔に感じて、机の上を転げまわっていたメイプルはかばっ!と音が鳴りそうな勢いで起き上がる。

 

「甘いもの!?」

 

「はい!」

 

 柔和に微笑むシリカの手には大きめの包が握られている。包に刻印されていたロゴはメイプルが度々買い食いに訪れるドーナツ店のマークだった。

 

 

「お二人は机の書類を部屋のストレージボックスに片付けておいてください。ティータイムにしましょう」

 

 

 

 

 

 

「あ〜〜...んっ。もぐもぐもぐ。それにしても前衛隊長のお仕事がこんなに忙しいなんてびっくりだよ。もう半日もお仕事してるのにまだまだ目を通さなきゃいけない書類が残ってるんだもん。レベル上げとか、ダンジョン攻略とか、フィールドに出る時間全然ないけどゴドフリーさんはどうやってたの?」

 

 メイプルは新たにシリカの買ってきたドーナツに手を伸ばす。平らげたドーナツはすでに九つ目だった。

 

「先日、最前線である第五十一層のフィールドボスが発見されたばかりですから、安全マージンの報告やレベルアップノルマの報告が集中しているようですな。規定に満たない団員、報告のない団員はレイドに参加できないのが本団の規則ですから、ここまで忙しいのも滅多にありません」

 

 もっとも、前任者であったゴドフリー自身もこの手のデスクワークはサボリ気味であった、ということはメイプルには伏せておくことにしてアルフレッドは話を進める。

 

「滅多にないの!?」

 

「そうですな。こうした書類が発生するのはレイド戦を控えている時くらいです。一つの階層をクリアするのに要する時間はおおよそ二週間程度として、迷宮区に続く道を守護するフィールドボス、そして迷宮区の最奥にいる階層ボスの攻略時のみですから、単純計算で一週間に一度、この物量の仕事をこなして頂ければ問題ありません」

 

 食い気味のメイプルにアルフレッドは穏やかに笑ってみせる。

 一方それを聞いたメイプルは天国から地獄に落ちたような表情だった。

 

「一週間に一度?」

 

「はい、一週間に一度」

 

「レイド戦があるたびに?」

 

「はい、レイド戦があるたびに」

 

「嘘つき! さっき滅多にないって言ったのに!」

 

 再びだだをこね始めるメイプル。

 

「さあ、そろそろ執務に戻りましょうか。フィールドボスの攻略会議は明日の正午、それまでに団員の安全マージン確保の報告書だけでも目を通して頂かなくては」

 

「いーーーーやーーーーだぁーーーー!」

 

 アルフレッドに引きずられるようにしてメイプルはデスクワークに戻る。その様子は夏休み終了を目前に手付かずだった宿題を片付ける子どものようだった。

 

 

 

 

 

 

 第五十一層、パニ。

 そこはまさしく攻略の最前線であり、五十一層のフィールドボスが出現する地点にもっとも近い場所に位置する安全地帯の村だ。今はそこにパーティ、ギルド単位で攻略を進め、たどり着いたプレイヤーたちが集まる鉄火場になっている。

 そしてまもなく行われるフィールドボス攻略会議が行われる場所でもあるのだ。

 

「よお新人! 前衛隊長の執務ご苦労!」

 

 アルフレッドを伴って攻略会議に赴いたメイプルの背中を熊のような大男が体育会系のノリといった様子で叩いた。

 メイプルが来るまで《血盟騎士団》で前衛隊長を勤めていたゴドフリーだ。ゴドフリーとメイプルほどの体格差でそんなことをすれば華奢なメイプルは吹っ飛んでしまいそうなものだが、そこはさすがバイタリティ極振りといったところか、まるで微動だにせずメイプルは振り返る。

 

「ゴドフリーさんも来てたんだね! レイドには参加するの?」

 

「立場が上がるほど現場に出られなくなるのは、ゲームの世界も現実の世界も変わらんもんでなぁ。ギルドホームでふんぞり返って討伐の報告を待つのは性に合わんが、今回は参加はしない。後任の前衛隊長に激を飛ばしにきたんだ」

 

 そう言ってゴドフリーはメイプルの頭に手を乗せるとわしゃわしゃとかき回した。

 

「そうなんだね。でもホームにこもって書類仕事ばっかりだと気が滅入っちゃいそうだけど」

 

「しかし悪いことばかりじゃないぞ? お前の加入に合わせて繰り上がり式で昇進したからな。俺が思うに、フルレイドを束ねてボス攻略戦の指揮を執る日もそう遠くはないだろう!」

 

 顎の髭を撫でながらゴドフリーは得意げに言った。

 

「まあ、入団して最初のレイド戦だ。頑張りたまえ若者よ!」

 

 激励の言葉を残してその場を後にするゴドフリー。立ち去る背中に向かってメイプルは言った。

 

「わたしゴドフリーさんのやってなかった仕事まで押し付けられたの絶対忘れないからね?」

 

 メイプルはついさっきまで格闘していた書類の山を思い出す。その中にあったボス攻略戦における準備支度金の決算、これは本来であればゴドフリーがしなければならなかった書類だ。

 そんな恨みがましく言ったメイプルにゴドフリーは背を向けたまま大笑いした。

 

「がっはっはっはっはっは!」

 

「忘れないからねーーーーーー!!」

 



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64話「フィールドボス攻略会議」

 レイドに参加するメンバーが集まり、攻略会議が始まった。

 仰々しく攻略会議といっても、安全地帯にある村の建造物オブジェクトに円卓テーブルとボス部屋の見取り図が置かれただけの簡易的なものである上に、その建造物オブジェクトも可能な限り広い場所を確保したとはいえフルレイドの48名が集まるにはいささか手狭だ。そのため会議の参加者は各参加ギルドから代表者一名、そしてキリトのようなソロでの参加プレイヤーが若干名いるだけだった。

 そして総指揮を執るのが常のごとく血盟騎士団のアスナであれば、キリトとアスナの意見の対立が勃発するのもまた、常の通りである。

 

「フィールドボスを、この村の中に誘い込みます」

 

 アスナの提示した作戦に、その場がどよめいた。

 

「ちょっと待ってくれ。そんなことしたら村の人たちが」

 

「それが狙いです。フィールドボスの行動可能範囲の中にこの村があります。そしてフィールドではプレイヤーはもちろん、NPCもボスモンスターの攻撃対象に含まれる。つまりこの村であればNPCの数だけボスのタゲを分散できます。ボスがNPC殺している間に攻撃、一気に殲滅します」

 

 キリトの表情に苦悶が浮かぶ。この世界をもうひとつの現実として受け止めているキリトにとって、到底承服できる作戦ではなかった。

 

「NPCは岩や木みたいなオブジェクトとは違う。彼らは......」

 

「生きている、とでも」

 

 アスナがキリトの言葉を先読みして遮った。

 

「あれは単なるオブジェクトです。私たちプレイヤーとは絶対的に違う。たとえ殺されようとまたりポップするのだから」

 

 キリトを除いて、その場の誰もアスナの意見に反論しようとはしない。しないだけで、誰もがその作戦に対して前向きであったかと問われればそうではない。

 異形のモンスターならばいざ知らず、自分たちと同じ人の形をしたNPC。それが無残に殺されていく姿を目にすることに嫌悪するのは至って自然な感性だ。ましてや自分たちがモンスターを村に呼び寄せて囮にするなど尋常な発想ではない。

 

「俺は...その考えには従えない」

 

 それなのに、キリト以外の誰も反対の意を示すことはできなかった。

 アスナの言う通り村人は設定された行動パターンを繰り返すだけのデータ上の存在で、たとえ村に誘い込んだボスモンスターに殺されようとも、一定の時間が経過すれば何事もなかったかのように復活する。

 プレイヤーとは違う、単なるオブジェクト。

 理屈としてはなにも間違っていないのだから。

 

「今回の作戦は私、《血盟騎士団》副団長のアスナが指揮を執ることになっています。私の言うことには従ってもらいます広いボス部屋で戦える階層ボス攻略と違って、地形の狭いフィールドボス戦では【機械神】は破壊範囲が広すぎて使えません。 」

 

キリトは前回のボス攻略戦を思い出す。

確かに今回の地形であのスキルを使ったらボスモンスターどころか周りのプレイヤーまで巻き込みかねない。だったらメイプルひとりでフィールドボスに挑めは良い話だが、ボス戦のたびにNWOの強力なスキルに頼っていてはメイプル、ひいては血盟騎士団が常にラストアタックボーナスを独占するような状態になってしまう。他の攻略組のメンバーからすればそれなりに反感を覚えるというものだ。

 

「私の指揮には、従ってもらいます」

 

 場の空気が張り詰める。

 キリトもアスナも一歩も引こうとしない。

 

「二人ともすとーっぷ!」

 

 そんな両者の間に割って入っていく小さな人影があった。

 

「キリト、言いたいことはわかるけど一人で突っ走らないでみんなの話も聞いてみようよ。それにアスナも、そんなふうに頭ごなしに押さえつけられたらキリトもついて行きにくいと思うんだ」

 

 そうたしなめられ、周りのプレイヤーを置いてきぼりにヒートアップしていたアスナとキリトの二人は言い返すこともできずに口ごもった。

 

「だから、仲良く話し合おうよ!」

 

 

 

 

 

 

 その後、意見交換の後に攻略会議はひとまずの決着がついた。やや疲れた様子でキリトはテントの外に出ると背中を反らせて伸びをする。すると後ろから聞き覚えのある青年の声がした。

 

「ようキリト!」

 

 続いてキリトの背中にやや重めの衝撃が走る。それが後ろから背中を叩かれたのだと理解して、キリトは気だるげに後ろを振り返った。

 

「よう、クラインか」

 

「相変わらず副団長さんと仲わりーなぁ。メイプルちゃんが仲裁に入ってくんなきゃどうなってたか。お前もともとアスナさんとタッグ組んで攻略してた時期もあったんだろ?」

 

「ああ、アスナが《血盟騎士団》に入るまではな。それが今や《血盟騎士団》が誇る攻略の鬼だ。ただそれより驚かされたのはメイプルだよ。まさかこの数ヶ月で前衛隊長になるとは思わなかった」

 

 前衛隊長といえば《血盟騎士団》の前衛職を取りまとめる重役だ。今やメイプルもトップランクギルドを執りまとめる上層部の一員である。

 おそらく《血盟騎士団》始まって以来のスピード出世ではないだろうか。確かにプレイヤースキルはまだまだ難があるものの、圧倒的なバイタリティステータスを含めた総合的な実力は間違いなく攻略組でもトップクラスだ。おまけにNWOの強力な魔法スキル、それこそ五〇層攻略時に見せた《機械神》に匹敵する火力持ちはアインクラッドには存在しない。

 仮に《機械神》を抜きで戦っても真正面からメイプルを相手に決闘を挑んだとして、勝てるプレイヤーは数える程度しかいないだろう。

 それに噂によれば、キリトとコンビを解消してからも、またいくつか滅茶苦茶なスキルを取得したという。

 

「なんというか、いろんな意味でアスナに任せたのは正解だったな」

 

 それにメイプルが《血盟騎士団》として最前線に身を置いたことで攻略組の空気が変わりつつあった。

 そもそもアスナが《血盟騎士団》の副団長に就任して以来、彼女のストイックな性格が影響してか、攻略組全体の雰囲気が張り詰めていたのはキリトも感じていることだった。そこをメイプルがうまい具合にバランスを取ってくれているようにも思える。

 そう考えれば全く意図していなかったこととはいえ、閉鎖的だった攻略組の空気を変えたことに一役買ったような誇らしさはある。その一方で少し複雑な思いも、キリトの胸中にはくすぶっていた。

 

「...ふふ、わかる。わかるぜ若者よぉ!」

 

「な、なんだよ急に」

 

 なにかを理解したかのように頷いてキリトの肩をバンバンと叩いたクラインは言葉を続けた。

 

「この間まで自分がいなければ生きていけないほどにか弱い乙女が、いつの間にかこんなにも手の届かない、どこか遠い存在になってしまった........ニヤァ」

 

 舞台役者のような仰々しい身振り手振りで語ったあと、小馬鹿にしたような笑みを浮かべるクラインになんとなく腹が立ってキリトはクラインの尻を後ろから蹴り上げた。

 

「せいっ!」

 

「痛ってえ!くはないけど、いきなりなにすんだキリト!」

 

「別にSAOの痛覚フィードバックじゃあ、蹴られたくらいなんともないだろ?」

 

「そうかもしんねえけどだなぁ」

 

 クラインはそう言って頭を掻いた。

 そんなクラインを気にすることなく、キリトはやや不機嫌な様子で歩き出す。なにせ実のところクラインの言っていたことは、腹が立つほど的を射ていたのだから。

 

「ま、話は戻るけどよ、死んじまったらどうにもなんねえんだ。つうわけで紳士である俺はアスナさんの苦労を偲んで作戦に従うぜ」

 

 そう言って手をひらひらとさせながらその場を後にするクラインの背を振り返って眺めて、キリトは思った。

 キリト自身、アスナの言っていることを理解できないではない。

 冷酷とも言える作戦も、レイピアのような鋭い態度も、結局はプレイヤーの安全を思えばこそだ。命の危険が付きまとう攻略において間違った考え方ではない。キリトだって安全マージンを確保しているとはいえ、死なない保証なんてどこにもない。明日死ぬかもしれないし、逆に生き残るかもしれないが、そんなことは誰にもわからないのだ。

 そんなセンチメンタルを抱えたままキリトは街へ戻り、転移門からホームのある階層に転移、雑多な通りを抜け、小汚い路地の一角にある小屋の扉を掴む。

 こういうときソロプレイヤーは楽でいいとキリトは思った。

 一人なら誰に気を遣うでもなく、心のまま、気ままに過ごすことができるのだから。

 

「あら、遅かったじゃないのよ。あんまり遅いから死んじゃったかと思ったわ」

 

「......忘れてた」

 

 




評価感想ばっちこーい(●ꉺωꉺ●)
というわけで、また次回~


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65話 「再会」

七夕がやってきました。
やつらが年に一回いちゃこらする日がやってきました。
いいよなお前らは。
こっちは誕生日も七夕もクリスマスも、

ボッチなんだが?(●ꉺωꉺ●)


「あら、遅かったじゃないのよ。あんまり遅いから死んじゃったかと思ったわ」

 

「......忘れてた」

 

 心にもないことを口にしてキリトの同居人、サリーはくつろぎ切った様子でソファに横になり、出歩いて買ってきたのであろう小袋に詰められた一口サイズのドーナツをつまんでいた。

 それを見てキリトは顔をしかめる。

 

「......こんな人の多い時間に買い物なんてして大丈夫なのか? 出歩くならせめて人気のない夜とかの方がいいんじゃ」

 

 あの《ラフィン・コフィン》から逃げ出した以上、おそらくPoHはサリーの命を狙っているはずだ。

 こうしてキリトが自分の拠点に匿うにも細心の注意を払わなければならないと考えていたのだが、どういうわけかこの危機的状況において当の本人が一番のんきなのである。それこそキリトがフィールドボス攻略の会議に参加している間に堂々と街に出て買い食いをしている始末だ。

 

「せっかくカーソルをグリーンにできたんだもの。部屋に閉じこもってばかりなのは退屈だし、それに人を隠すなら人の中って言うでしょ? 人気のない夜よりも人通りのある昼のほうがよっぽど安全なのよ」

 

 そういえば似たようなことを以前アルゴが言っていたような気がすると、キリトは思った。

 なんにせよ、ソロとはいえ一介のプレイヤーであるキリトより、つい最近まで日陰者のオレンジプレイヤーだったサリーのほうが身を隠す術には長けているのだろうと、納得することにする。

 

「とはいえくつろぎすぎじゃないか? 一応命を狙われているわけだし」

 

 視線を外しつつ、サリーをたしなめるキリト。しかしそう言う理由は別にあった。

 サリーが上半身に着用しているノースリーブシャツの裾は短めでへそ回りが見えている。下半身装備も足の付け根がギリギリ隠れるようなホットパンツで、しなかやでかつ健康的な肉付きの生足をソファの縁に放り出すようにしてくつろぐ姿は年頃のキリトにとって目の毒以外のなにものでもなかった。

 

「このマセガキ」

 

 そこのところはサリーも気づいていたらしい。からかうような口調で笑ってみせる。

 

「まあ、そんな顔しつつもこの1ヶ月あんたと暮らしてて特になにもなかったしね。そういうところ度胸がな......信用してるわ」

 

「まったく本音が隠せてないけどな!」

 

「気のせいでしょ...はむ」

 

 そう言ってサリーはミニドーナツを口に放り込んだ。

 

「それで? 会議の方はどうだったの?」

 

「攻略は明日だ。《血盟騎士団》のほうで今日の会議をもとに一度作戦を立て直すってさ」

 

 もちろん立て直しの原因はキリトとアスナの意見交換という名の喧嘩で、メイプルがその仲裁に入ったという話は伏せておく。

 

「《血盟騎士団》っていうと、メイプルのいるギルドかぁ......」

 

「ああ。あいつも今回の攻略戦に参加するよ。サリーの探してた友達ってメイプルなんだろ? 会ってこなくていいのか?」

 

「......いいのよ。生きてそこにいるんだってことがわかっただけで、いい」

 

「サリー......」

 

 サリーの瞳を見つめ直して、キリトは考える。

 サリーはNWOにログインしたまま戻ってこられなくなったメイプルを探しに、このSAOの世界に行き着いた。そのメイプルが声の届く、手の届く場所にいながらも絶対に正体を明かさないと言い張ることの意味、その重さを、キリトは無視することができない。

 そんなキリトの、曇り空のような表情を見てサリーは笑った。

 

「もう、なによその顔。あんたがそこまで悩んだって仕方ないことでしょ? それよりほら、今日はこの後なにする予定?」

 

「ん? ああ、まずポーションなんかの消耗品の補充は行くとして......あとは武器強化のために鍛冶屋にも寄りたいな」

 

「ふぅーん。ねえ、あたしもついてく」

 

 ついて行ってもいい? ではなくついてく、という問答無用の強引さがなんともサリーらしかったが、やはりここでもキリトは表情をしかめた。

 

「ついて行くって......用もないのにわざわざ一緒に来ることもないだろ? 別に面白いもんでもないし、それにサリーは今《ラフィン・コフィン》に追われてる身じゃないか」

 

 どうにもサリーを《ラフィン・コフィン》から隠すことに関してキリトばかりが警戒していて、肝心なサリー本人がどこか楽観的過ぎる気がしてならない。

 

「用事がないわけじゃないって。鍛冶屋に行くんでしょ? あたしが外を出歩くときに着ている外套、攻撃は全部避けるから耐久値やバイタリティ値はそのままでいいとしても、アジリティがね。邪魔にならない程度に性能のいいやつが欲しいのよ」

 

 そこまで言われてキリトは考える。

 装備品は着込めば着込むほど装備のために必要なストレングス値は上がるし、装備品の総重量が上がれば上がるほどプレイヤーの動きにも直接影響してきてしまう。

  サリーの戦い方は典型的なアジリティ型、つまりスピードを武器に戦うスタイルだ。正体を隠せるだけで何のステータスも底上げしてくれないあの外套は、戦う上では邪魔で仕方ないのだろうと理解できる。

 理解できるのだが。

 

「なんだろうな。もっともな理由をつけて堂々と外に出たいだけなんじゃ?って思えちゃうんだけど」

 

 そんなキリトの小言など我知らずといった様子でサリーはストレージから今しがた話に出た外套を装備するとフードで頭を覆った。

 

「ほーら、もたもたしてないで早く行くぞー!」

 

 出入り口の前まで歩いて立ち止まったサリーは振り返ると、いまいち気乗りしないでいたキリトにウィンクを飛ばす。行く気満々の様子にキリトはため息をつくと重い腰をベッドから持ち上げたのだった。

 

 

 

 

 完全に昇りきった太陽がわずかに西に傾き始めたころ、キリトとサリーは並んで大通りを歩いていた。

 時間が時間ということもあり人の通りが多く、道の両脇には雑貨屋から服飾店、中には飲食系アイテムを扱う露店なんてものまであり、かなりの賑わいだった。

 

「さてと、じゃあまずは鍛冶屋からかな」

 

 サリーの外套は装備のカテゴリとしては防具の類になる。であれば今持っているものを強化するにしても、新しく作り直すにしても、目的地は鍛冶屋になる。

 

「とりあえず俺の行きつけの店でいいかな? 鍛冶スキル持ちのプレイヤーが運営しているところなんだけど、NPCよりは腕がいいし」

 

「任せるわ。街中のことならあたしよりキリトのほうがよっぽど詳しい...だろう、し」

 

 語尾が徐々に尻しぼみになっていくサリーの声が隣ではなく後ろから聞こえて、キリトは振り返った。サリーはちょうど通りがかった店の前で立ち止まっていた。

 

「どうかしたのか?」

 

 聞こえているのかいないのか、キリトの声にも反応することなくサリーはじっとその店を見つめている。

 キリトは歩く人の流れに逆らいながら、時折すれ違うプレイヤーと肩がぶつかって舌打ちされながらもどうにかサリーのもとにたどり着く。

 

「サリー?」

 

「......ああ、キリト」

 

 そこはこれからキリトが行こうとしていた店と同じプレイヤーが運営する店舗のようだった。

 ガラス張りの入り口の扉から店内の様子をうかがうと、中の壁や棚にはさまざまな種類の武器や防具が飾られていて一目でどういった種類の店なのかわかる。鍛冶スキルを持つプレイヤーが、自身の作成した武器を販売しているのだ。

 外観の店構えも立派なもので、レンガ作りのおしゃれな建物に、店主の名前から取ったのだろう《リズベット武具店》と書かれた看板が掲げられていた。

 

(リズベット...? リズベットってもしかして......)

 

 サリーの脳裏に、かつて言葉を交わした少女の姿がよぎる。

 外からカウンターの様子を見ると微動だにしない直立姿勢と営業スマイルの店員がそこに立っているが、その様子から一目でNPCだとわかる。どうやら店主のプレイヤーは留守にしているらしい。

 

「こらこら、そんなところにボーっと突っ立ってたらお客さんが入れないじゃないのよ」

 

 その声はキリトとサリーの後ろから聞こえた。

 若い女性の、やけに威勢のいい張った声。それはサリーの脳裏に今まさに浮かんでいた人物のものだった。

 サリーが振り返る。そこに立っていたのは癖のある短いピンクの髪をした少女。重そうに抱えた木箱からは槍や刀などの柄や切っ先が縦長の収まりきらずにはみ出ていて、ふさがれた視界を確保するために首を曲げながら正面のキリトとサリーを見ていた。

 いぶかしむように細められた目、その目がサリーの顔を見るなり見開かれた。

 

「サ...リー...?」

 

「......」

 

 黙ったまま、サリーはそれにうなずいた。

 その少女、リズベットはなにかを堪えるように口を引き結ぶ。が、次の瞬間にはそれが言葉になってあふれ出ていた。

 

「サリー!!」

 

 抱えられていた木箱が地面に落ちた。箱の中で武器や防具がぶつかり合ってガチャリと音を立てる。

 替わりに空いたその両手が大きく広げられると、リズベットは飛びつくようにしてサリーを強く抱きしめた。



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66話 「オレンジとサリーの二人」

え、ちょまじか
月と盾の紋章旗壊滅の話し書いたのってもう、三年前か...........


 記憶にあった印象とはずいぶん違っていても、サリーはその姿を見て一目でリズベットだとわかった。

 最後に会ったときのリズベットは地味な印象の少女だった。服は乳白色のレギンスに腰丈ほどの茶色いローブを着ていて、髪はそれよりも少し濃い茶色の癖っ毛。

 しかし今は髪型こそ以前のままだが髪は染色アイテムで明るいピンク色に染められ、服は真っ赤なドレスエプロンだった。

 

「この子はほんとに! どれだけ心配したと思ってるのよ! しばらく姿が見えないと思って連絡してもあんたもオレンジも返事寄こさないから、まさかと思って第一層の石碑を見たらオレンジは死んじゃってるし、あんたの名前はどこにもないしで......」

 

 第一層には《蘇生の間》と呼ばれる場所がある。そこはデスゲーム開始前まではHPが全損したプレイヤーが蘇生して再スタートする場所であったが、デスゲーム開始後、そこには全プレイヤーの名前が書かれた巨大な石碑が立てられ、ゲーム内で死亡するとプレイヤーネームに横線と死亡原因が表示される。

 当然NWOから来たサリーの名前はそこに記されていないが、恐らくそれを知らないリズベットはまだ数千人の名前が残ってるそれを一から全部目を通したに違いない。

 

「ごめんリズ、いろいろあってさ。というかずいぶんあか抜けたっていうか、雰囲気変わったね。前は髪色も茶色だったのに、ピンクも似合うじゃん」

 

「あたしの髪なんてどうだっていいでしょ!」

 

 リズベットの泣きそうな声が耳元で聞こえる。実際泣いていたかもしれない。が、抱きしめられているせいでサリーにはそれが見えなかった。

 その様子を傍らで見ていたキリトが折を見て尋ねる。

 

「なあ、二人は知り合いなのか?」

 

「うん、まあちょっとね」

 

 

 

 

 二人が知り合ったのはサリーがフレッドの誘いを受けて《月と盾の紋章旗》に入って間もないころだった。

 この当時サリーは情報屋のアルゴからアインクラッドに生存している全女性プレイヤーの名簿を入手し、それをもとに親友である本条楓、すなわちメイプルの居場所をしらみつぶしに探し回っていた。

 

「ちょりーっす! サリーどうっすか? 例の友達探しのほうは」

 

「全然ダメ。午前だけで三人と会ってきたけど、みんな違う人だった」

 

 偶然見かけて声をかけてきた同じギルドのメンバー、オレンジにサリーは肩をすくめて答える。

 とはいえ前進していることには違いない。楓がサリーのようにNWOからこの世界に迷い込んだとするならば、プレイヤーとしてこのアインクラッドのどこかにいるのは間違いない。こうして一人一人のもとを訪ねていけばいつかは楓のもとにたどり着くはずだ。

 

「うーんせめてプレイヤーネームがわかれば手伝えるんっすけどねー。お友達のことはリアルの名前と顔しかわかんないんすよね」

 

 オレンジはうなるようにして考え込んだ。

 なにかうまい方法はないか考えてくれているのか、そしていったいなにを考えたのか、オレンジが次に発した言葉は、

 

「とりま、あたしもついて行っていいっすか? 一人より二人のほうが退屈しないっすよ~」

 

 というものだった。そんな調子のいいことを言いながらサリーの隣を歩く。

 

「ありがと。じゃあ、一緒にいこっか! 次の人は......第32層で鍛冶屋をしてるリズベットって人ね」

 

 サリーはリストの上でその名前を指でたどり、指し示した。

 当時のアインクラッドにおいて中層と呼ばれているのが二十から三十五層のあたりだ。そういう意味ではサリーとオレンジの向かう三十二層とは中層の中でも比較的上層に近い階層になり、攻略からしばらく経った今でも多くのプレイヤーで活気づいていた。

 サリーはそこで一度別れていたオレンジと合流して、互いの成果を報告し合う。

 

「あたしのほうはダメだった。オレンジそっちは?」

 

「ぜーんぶハズレっした。鍛冶屋だって話っすけど、もしかしたら店舗構えて本格的にやってる子じゃないのかもしれないっすねぇ」

 

 サリーはため息をついた。

 情報によるとリズベットは鍛冶スキル、すなわち武器や防具の強化、制作を行うことのできるスキルを持った生産系プレイヤーということだった。なので二人で手分けしてこの階層にあるすべての鍛冶屋を探して回ったがリズベットというプレイヤーにはたどり着けなかった。

 こうなるとアルゴから情報をもらって以降に拠点を移したか、鍛冶屋を畳んだか、あるいは死亡している可能性もある。

 

「まあ焦ってもしゃーないないってことで、あっちの露店が集まっているとこでお菓子でも買って休憩にしないっすか?」

 

「あんたねえ...手伝ってくれるのは嬉しいけど、いつもそうやって道草ばっかりしてない?」

 

「いいじゃないっすかー。この世界の数少ない楽しみの一つなんすから。なんてったっていくら食べても太らない! そして女は男子とオシャレと甘いものから興味をなくした瞬間から乙女ではなくなる、ってのが我が家の家訓なんっすよ!」

 

「なによそれ、変な家訓」

 

 妙な力説をするオレンジに呆れながらもサリーは笑った。その手を引いてオレンジはぐいぐいと露店に向かって進んでいくが、特に抵抗なくサリーはついて行く。

 革布の上に商品を並べただけの簡素な店も、20、30と軒を連ねればそこは立派なマーケットだ。

 

「サリー、パス!」

 

「おっと」

 

 袋詰めにされたドーナツを買ったオレンジが中身の一つをサリーに投げて寄こした。

 難なくキャッチしたサリーはそれを一口頬張った。ふんわりとした優しい甘さが口いっぱいに広がる。プレーンのドーナツにチョコレートがかかっただけのシンプルなものだったが、意外といける。

 

「お、けっこうおいしい。けど、これくらいならわざわざ買わなくたって材料さえあればオレンジにだって作れるんじゃないの?」

 

 オレンジの持つ《料理》スキルの熟練度はちょっとしたものだ。アインクラッドにあるレシピのすべて、とはいかないが大抵のものは自分で作れてしまう。

 

「サリーも料理とかするようになればわかるっすよ。結局、人に作らせた料理が一番ウマい!」

 

 なにかいいこと言った風に親指を突き出すオレンジ。にっ、と笑った口の端から特徴的な八重歯が見えた。

 

(うーんそういうもの? よくわかんないけど)

 

 なんとなく納得してみることにしてサリーは残っていたドーナツを一気に口の中へと放り込んだ。

 すると後ろから歩いてきたプレイヤーと肩がぶつかった。よろけた拍子にオレンジとサリーの間に距離ができた。そしてそれは誰が意図して作ったわけでもない、自然に生まれた人混みの流れにさらわれてどんどん広がっていく。

 

「お、オレンジ!」

 

「ちょい! サリー! どこ行くんすか!?」

 

(そんなことあたしに聞かれても)

 

 どうにか人混みから抜けようと流れに対して横に、横にと移動する。そしてようやく視界が開けた。

 

「いらっしゃい!」

 

「あ、ええと......」

 

 そこはちょうど露店の店先だった。

 武器屋かなにかなのだろう、とサリーは思う。他の店と同じように革布を地面に敷き、その上に短剣や片手用直剣など様々なカテゴリの武器が並んであった。

 店主はサリーの腰にあるダガーを見ると、さらに言葉を続けた。

 

「あんた短剣使いね。だったらこれなんてどう? 軽くて扱いやすいし、それがある程度重くても威力が欲しいならこっちなんかもおすすめだよ!」

 

 慣れた様子で商品を勧める店主。浅くかぶったローブのフードから見える容姿は若く、サリーと同じか少し年下くらいかだ。

 大きく丸い瞳と頬のそばかすが印象的で、高い声から女性だとは思うが、少年特有の威勢の良さが声音から感じられる。

 

「ああ、ごめんなさい。ちょっと人を探してて、お客じゃあないのよ。リズベットって鍛冶屋の人知らない?」

 

「あら? リズベットならあたしよ?」

 

「ええっ?」

 

 サリーは軽く驚いた。

 リズベットは被っていたフードを取る。短めで癖のあるチョコレートブラウンの髪がふわりと広がった。

 

(違う。楓じゃない。今回もハズレか......)

 

 なにか適当な言い訳をして立ち去ろうと考えていたサリーの両肩をリズベットはがっつりと掴んだ。

 

「武器屋としてではなく、鍛冶屋としての腕を見込んであたしのところに来るなんて、あんたなかなか職人を見る目があるじゃない。気に入ったわ! その慧眼に免じて、今日は出血大サービスで作成でも強化でも引き受けてやろうじゃないのよ!」

 

 掴まれた手にどんどん力がこもっていく。リズベットの大きな瞳がキラキラともギラギラともいえる輝きを見せ、まるで、逃がさないぞ、と訴えかけているかのようだった。

 

「あ、ありがとう。でも一緒に来た友達とはぐれちゃってさ、ほらこんな人混みだから。そういうわけでその子と合流した後にでもまた改めて......」

 

「おーい! サリーさんやーい!」

 

 その一言でサリーは完全に退路を断たれたと覚った。人混みの奥から、名前と同じオレンジ色の髪が揺れて見える。

 どうやらサリーの場所は正確に把握しているらしく、右往左往して探しているような様子もなくまっすぐこちらに近づいてきていた。

 

「はぐれてた友達ってあの子のこと?」

 

「うんそう。あはは、よかったぁ無事に合流できそう」

 

 あいまいに笑って見せるサリーに、しかたないなぁ、といった様子でリズベットはストレージから取り出した金鎚を肩に担ぐようにして持った。

 

「いいわ。二人まとめてサービスしてあげるわ」

 

 そう力強く言うリズベットの声はどこか嬉しそうだった。



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67話 「支払いは鉱石」

あつい、、、
しぬ、、、しんでしまう、、、、、、
溶けてなくなる( ;∀;)


 この世界における武器強化というものをサリーは初めて目にした。リズベットの作業台の上にはすでにサリーの短剣が置かれている。その上から炉で溶かした鉱石アイテムを流し、専用の金鎚で叩く。手順自体はこんなもので以外と簡単なものだった。

 リズベットの手で数回叩くと作業台の上でサリーの短剣が強い光を発して、やがて収まる。

 

「終わったわ。とりあえずサリーの剣はアジリティ強化で+3まで鍛えて全部成功よ。まさかメインウェポンなのに今まで一度も強化に出してないなんてね。最近手に入れた?」

 

「まあそんなとこ。ほら、次はオレンジの番」

 

「ういうい、じゃあお願いするっすよぉ~」

 

 サリーは作業台の上の短剣を取り、代金を支払う。オレンジの強化を待つ間、サリーはさっそく試しに強化を終えて戻ってきたばかりの短剣を振ってみた。

 

(おお、お~~~~~!!)

 

 無言の歓声を上げる。

 以前より軽く、取り回しが楽になった。振るう刃が弧を描くたび、風邪を切る音が耳に心地いい。

 

「おお、お~~~~~!!」

 

 サリーが心の中で上げたそれと全く同じ歓声が聞こえた。

 その声の主は見るまでもなくわかる。オレンジだ。仕上がった槍を掲げるようにしながらぴょんぴょん跳ねている様子を見るとあちらの強化も成功したらしい。

 

「やった念願の+5! 行きつけのNPC店じゃあ成功率65%だったのに、80%とか! すごいじゃないっすかリズリズ!」

 

「普通にリズって呼んでよもう。まあ80%ってのは地味に怖い成功率だったけど、うまくいってよかったわ」

 

 鍛冶用の金鎚を肩に担ぐようにして持つと、リズベットは安心したように笑った。

 NPCより15%も高い成功率なのだから、アインクラッドの武器強化についてほとんど知識のないサリーでもリズベットの腕前は相当なものなのだろうとわかる。これならもっとお客がいてもおかしくないとも思うのだが、他の雑貨屋や飲食系の店に比べてリズベットの露店はいまいち活気がないように見えた。

 サリーはリズベットとのやり取りを思い出す。リズベットの開いている店は武器屋だったが、彼女は武器屋としてではなく鍛冶屋として腕を見込まれることを喜んでいた。しかしこれだけの腕が今まで評価されてこなかったというのも、不思議に思えた。

 

「なーんかもったいないっすね~。こんだけの腕があるのに。あたしそういうの気にしないっすけど、やっぱ鍛冶職プレイヤーの風当たりってまだ強いんすか?」

 

「そりゃご覧の通りよ。こんだけ人がいる中で店やってるのに、あんたたち以外にお客なしなんだから。まああんなことがあったんじゃあ、仕方ないっちゃ仕方ないけどねえ...」

 

「あんなことって?」

 

 そう尋ねたサリーに二人の視線が重なった。まるで知らないの?とでも言いたげな視線だ。

 

(もしかしてあたし、けっこう常識はずれなこと言っちゃったかな?)

 

 しかしSAOプレイヤーにとって当たり前のように知っている知識でも、NWOから来て間もないサリーにとっては知る由もないことだって多くある。NWOにも《鍛冶》スキルはあり、それが高いプレイヤーに依頼して武器の製作や強化をすることは珍しいことではない。それでも、鍛冶職プレイヤーの風当たりが強くなるような理由なんて想像もできなかった。

 

「ちょっと前、ってもう二ヵ月くらいになるかな。鍛冶職プレイヤーの武器強化を利用した詐欺が流行ったのよ」

 

 リズベットの話を要約すると、こういうことらしかった。

 今から二か月前、この広場に新しく店を開いた腕のいい鍛冶屋がいたらしい。鍛冶職のプレイヤーが持つ鎚はスキル熟練度に応じてアイアン、ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナといったようにランクが上がっていき、武器強化や製作の成功率が上がっていく。そしてそのプレイヤーの持つ鎚はプラチナでありながら、相場を崩しかねないような安価で強化を引き受けていた。

 そのせいで連日多くのプレイヤーが強化のためにその店に訪れ、あるときNPCでは到底不可能とすら思われるようなレベルの強化を奇跡的に成功させてから、驚異的な強運とプラチナ鎚の持ち主としてその評判は爆発的に広がった。

 しかしときに失敗することもあった。それは決まって攻略組クラスのプレイヤーがメインウェポンに使うようなレア度の高い武器を強化するのとき。それは決まって武器損失という最悪な形で起こっていた。

 これだけなら持ち込んだプレイヤーの運が悪かったというだけの話で終わるのだが、ある日その男が近くの雑貨屋で攻略組が使うようなレベルのレア武器を、それこそ個人が所有しているとは思えないほど山のように売却していったという噂と、売却したとされる日の翌日から男がこのマーケットに現れることはなかったという。

 

「そんなことがあったからね。まあみんながみんなってわけじゃあないんだろうけど、やっぱプレイヤーに強化を依頼するのは危ないって風潮ができちゃってるみたい。そのせいで店を畳む同業者も多かったし、あたしも鍛冶屋から自分の作った武器を売ることをメインにした武具屋に鞍替えしたしね。それこそ今日だって強化の依頼を受けたのすごい久しぶりだったくらいよ」

 

 頬を搔きながら笑うリズベット。

 これだけの腕前を持ったプレイヤーが小さな露天商の店主に収まっている訳にも、鍛冶屋として腕を見込まれたことにあれほどまで喜んだことにも納得がいった。

 

「.........」

 

 サリーは店先に並んでいた短剣の一つを手に取る。店に来たとき最初にリズベットがサリーに勧めた一振りだ。

 ステータスを見るが、あまり強いとは言えない。そもそも素材にしている鉱石アイテムの質が良くないのだろう。

 経営がひっ迫してしまえば素材確保もままならない、という事情がこの剣からうかがえるようだった。リズベットの実力ならもっと強力な武器が打てるはずだとサリーは思う。

 

「ねえオレンジ、これ見てどう思う?」

 

「どうって、うーん。まあ職人の技術に素材が追い付いてない感マジパないっすね」

 

(そっか、オレンジが見てもそう思うかぁ。だったらやることは決まりかな)

 

 サリーは商品である短剣を店の革布の上に戻すと、その場から立ち上がった。

 

「ありがとうリズ。おかげであたしの武器だいぶ強くなったよ。サービスしてずいぶん値引きしてくれたみたいだけど、やっぱその分もちゃんと払うね」

 

「いいっていいって! そこはサービスされときなって。あたしも久しぶりに武器強化の仕事ができて楽しかったしさ」

 

「そうはいかないよ。あんな話聞いちゃったからには払わせて。ただし、」

 

 言葉を区切って、サリーはリズベットに背を向けて歩き出した。その瞳は静かに闘志を称えている。

 

「支払いは鉱石で」

 

 

 

 

「別にオレンジまでついてくることなかったのに」

 

「なーに言ってんすか。あたしだって出血大サービスで強化してもらっちゃってるんっすから、サリーがあんなこと言っちゃったらそりゃーどこまでもついて行くっすよ」

 

 隣を歩いていたオレンジが少し前に出ると、後ろを歩いていたサリーに計算し尽くされたキメ顔で振り返る。

 

「支払いは鉱石で、ね」

 

「真似すんなぁーっ!」

 

「にひひ。でもあんときのサリー、カッコよかったっすよ~」

 

 茶化すオレンジを追いかけつつ、サリーはダンジョンの奥へと向かって進んでいく。ここにポップするモンスターはスライムの他、リザードマン。そして最深部のフロアにはゴーレムが出現する。二人の目当てはこのゴーレムだ。全身が石でできているゴーレムは倒すことで鉱石アイテムをドロップすることがある。それでもそこそこレア度の高いものが手に入るが、ダンジョンボスである《ガーディアン・オブ・ブラックアゲート》というゴーレムからドロップする鉱石はそのさらに上をいく。

 

「さてさて、そろそろゴーレムがポップするエリアっすね。というかサリー大丈夫っすか?」

 

「うん? 大丈夫って、なにが?」

 

「ゴーレム系ってけっこうバイタリティ高いじゃないっすかぁ、ストレングス低めアジリティマシマシのサリーには相性悪くないっすか?」

 

「どうだろ、戦ったことないからわかんないけど」

 

 そこまで言ったところで二人の目の前でモンスターがポップした。人の形をした岩石の巨人、ゴーレムだ。

 腰の短剣を抜き、サリーは左右に構える。オレンジもそれに続いて槍の矛先を現れたゴーレムに向けた。

 

「さすがに100回斬りつければ、倒せるんじゃない?」

 

「にひひ。サリーのそーゆーとこ、あたし嫌いじゃないっすっよ」

 



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