転生したらアクトレスだった件 (水橋げそ美)
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冴えないアクトレスの終わりかた
その夜、春日咲の気分は最低だった。
今日の検査でもエミッション値が規定を割り込んでいた。連続日数からみて事務所内規でもリタイア確定。
「これが飲まずにいられるかー!」
咲は一人で居酒屋の開店を待って午後5時からのみはじめ、午後11時。どれだけ飲んだかすら覚えていない。
もう咲はアクトレスじゃない。
アクトレスというのは、簡単にいうと特殊な武装を使って宇宙からくるヴァイスという巨大害虫を駆除する仕事を持つ女性のことだ。
害虫駆除と言っても、ちょっとした特殊能力と資格が必要なので、法律で報酬や待遇が厚く保護されている。
なぜアクトレス、なんていうかっこいい名前かというと、主に思春期から成人直後くらいの女性がもつ「エミッション」という特殊能力がないとその武装が起動できないうゆえ、アクトレス業界は若い女性がほとんどの職種だから。
…ということで、メディア受けがいい名前を付けたんじゃないかと咲は思っている。
◇
そう。さっきまではあたしはアクトレス事業所「荻窪メンテナンス」のファーストアクトレスとして文字通り肩で風を切って働いていた。
そう。あたしは専業アクトレスだった…。
今考えると、後に備えて何かの資格試験を取っておくべきだった…!と思うが、祭りは後からくるから後の祭りなのだ。
突然エミッションを失いリタイアしたあたしは実入りを失い、明日から晴れて無職、ハローワークにGOというわけ。
「無職かーくそがー!ニートばんじゃいー。ちゅーいはしねー」
やけくそめいた謎の呪文を唱えながら、あたしは飲み続ける。あたしはニートって年齢でもないけど。
事務所のアクトレス統括責任者から事務員として働かないか、と言われてけれど、それは断ったのだ。
「くそーちゅういがー。あたしがちょっちいいなとかおもってたのにー」
くそー、あのやろーがあんなに冷たいとはおもってなかったよー!
中尉というのは咲が所属していた事務所「荻窪メンテナンス」のアクトレス統括責任者の男性の綽名だ。
どこかの紛争シャードで彼は中尉だったらしく、東京にもどってアクトレス指揮官をするにあたっても名前ではなく中尉と呼ばれ続けている。名字も一度くらい聞いたことがあるが、誰も名前で呼ぶことはない。
多分中尉がちょっと超然としていて、親しみが持てないせいだろう。わたしも名前を忘れたことにしてる。もう忘れたいし。
まあ女社会であるアクトレス事業所に男が一人、あまりフレンドリーだと危ないしな、と咲は納得していた。
顔はかなりいい。社内アクトレスには中尉とくっつこうと頑張ったコもいたらしいが、相手にされなかったらしい。
賢明なことだよ。
あたし?あたしも結構いいなって思ってた。
今日の午後、最後のエミッション検査のときまではね!
◇
「中尉…その…」
午後になって、中尉に呼ばれてコンダクタールームに入ったわたしは、かすかな望みもって渡された検査結果の無情な数値に沈黙するしかなくて。
どう話をしたものか迷っていると、中尉が落ち着いた声でこう賜った。
「エミッションが規定値を切ったか…。春日君、残念だったね。そうか…無駄になってしまったな」
最初は恐れ入って聞いていたあたしもさすがにカチン、ときた。
無駄?無駄ってなに?
「無駄…?あたしが無駄?っ?」
「いや、…そういうつもりではなかったんだが…」
中尉は何かを言い出しそうで、しかし、何も言わずわたしから視線を逸らす。
嫌な沈黙が落ちる。悔しい。冷たい奴だ。
こいつをちょっとかっこいい、チャンスがあれば一緒に飲みにいって、流れ次第では朝まで一緒にいてもいいかなとか思ったこともあったのに。
そんな自分が恥ずかしい。もし行動を起こしてたらこの年になって黒歴史が増えたところだった。
「いままでご苦労だった。退職金はできる範囲で上乗せしておくよ。
次の職場が決まるまで、当社の事務職として働くつもりはないか」
「…無駄なわたしですから!結構です!お断りします!」
あたしはコンダクタールームのドアを大きな音を立てて閉めた。
執務室では、大きな音を立てたドアに驚いたのか、後輩の飛鳥香苗が机から離れて駆け寄ってきた。
香苗はあたしの後輩で、数年前から出撃するときにはよくあたしの二番機として働いていた。
ボブカットで小柄、正確は明るく甘えん坊。
ただ、あたしに事務や、撃ち漏らし敵の始末やらを押し付けてくる、ちょっとズルいところがある。
悪意はないみたいだからから笑って許していたけれど、めんどくさいことから絶対逃げる系女子というか。
「あの…」
「ああ、ダメだったよー」
あたしがヘラヘラ笑ってみせると、香苗は痛切な表情になった。
「じゃあ先輩、今日で…」
「うん。退職決定。これからは香苗がトップだから、がんばりなよ!」
うむ。がんばれよ。もう仕事を押し付ける相手もいないからなっ!
「頑張ります…」
あ、落ち込んでる、落ち込んでる。
仕事を押し付ける相手がいなくなってさすがに不安になったのか…。でももうあたしは知らんからな。
「あの、これからも時々、飲みにつれていってくださいますか…」
「ああ、うん。機会があったら行こう」
香苗は待機室にいた茜と未知に声をかけ、エレベータで一階ロビーまで下りて、退職するわたしに頭を下げて見送ってくれた。
◇
こうしてわたしは荻窪駅前の屋台の焼き鳥屋で延々とクダを巻いていたわけだ。
これまでは一応事業所のトップアクトレスのイメージってもんがあったからここの焼き鳥は避けてたけど、今更だ、というか一度ここで焼き鳥でたらふく飲んでみたいと思ってたんだ。
しかし、どうしようか。
とりあえずしばらく暮らすに困らない蓄えはあるけれど、アクトレス以外に能なかったからなぁ。
うちは親が二人とも早世したせいで、妹の葉子を新潟シャードに残し、わたしはエミッションを生かすために東京シャードに出稼ぎして妹に仕送りしていた。葉子も一昨年高校を卒業して就職したから、わたしが無職でも葉子は困らないだろうけど、まさか葉子のところに転がり込むわけにもいかないだろうしなぁ。
(無駄になってしまったな…)
ふと中尉の無駄にイケメンな声があたしの脳裏でプレイバックされる。
無駄だと?エミッションがないアクトレスはもう無駄!?
事実だけどさ!
「ざっけんなー!すみませんビールもう一杯!」
隣に座ってたおっちゃんがこちらを怯えた目で見ている。
そのとき、携帯のヴァイス侵入警報が鳴った。
…珍しいことだ。荻窪まで侵入されるなんて。ここは成子坂さんの統括エリアだから侵入警報はまず成子坂さんに入る。
うちは彼らが忙しい時、下請けで仕事をいただくことになる。場合によっては下請けの下請けになったりする。
成子坂さん、ちょっと前まではうちより小さかったのに、Aegisとズブズブの指揮官が入ったらしくて、なんと叢雲さんを排除してあれよあれよという間に東京西部の統括業者になってしまった。うちの中尉もAegisにコネがあればよかったのに、使えね-奴だな。
周囲の人が屋台の幕から顔を出して空を見上げて、どこだどこだ、とか言っている。
悔しいなあ。本当だったらあたしが稼いでるかもしれないのに。
見ると井草の方からトライアングル編隊が飛んでくる。あっという間に荻窪駅のロータリー上空を抜けてインテグラルタワーの向こうに消えていく。
ああ、あれうちの事務所だ。先頭のMN404でラケーテ持ってるのは香苗か。後ろは契約社員の茜と、もう一人は誰だろ。待機にいた未知だろうか。
香苗は正直言うとあまり頼りにならないコだった。
戦闘では後方支援型の装備のくせに、かなりおっちょこちょいで戦況を見失うことも多く。
うちの契約社員には能力的には香苗より優秀なコもいたが、香苗は正社員で、古株だからあたしがいない今、契約社員を指揮する側になるしかないし…。
いやまあ、アクトレス編隊のリーダーは戦闘能力自身よりも状況把握の方が大事なんだけどね。
香苗はそれが一番ヤバいからなぁ。でも今日からはあいつがやるしかない。
それに役立たずになるや冷たく追い出した中尉と違って、最後に出口まで見送ってくれた。
良い奴だといってもいいんじゃないか。あいつのことは応援してもいいだろう。
「かなえー!がんばれー!
おまえがきょうからトップにゃんだぞー!いけー!」
あたしはビールを片手に聞こえるはずもない月明かりの空で戦っているはずの後輩たちに大声でエールを送り、ぶんぶんと手を振った。
今日、香苗には、また飲みに行こう、とは答えたものの、あたし無職だし今後も香苗のほうが高給取りだ。
がんばれよー!そして縁があったらお前こそ時々あたしにおごれよー!
周囲で飲んでる酔っ払いも、飛んで行ったアクトレスを見上げておー!いけー!とかあたしに同調してやがる。
にゃんだよ、おまえら酔っ払いはあたしが飛んでるときにはぱんつ見えてる!とか怪気炎あげてたくせにー!
知ってんだぞこら。
◇
後輩たちが遠くに消えた空をしばらく見上げていた咲は、ぐるぐる回り始めた世界から自分の狭いアパートに帰るために、飲み代をはらって大通りをふらふらと歩き始めた。
ロータリーから少し離れた交差点で信号待ちをしているとき、いきなり後ろから強い力で押されたような気がして、咲は道路に転がり出た。
あれ?
あれれ?
目の前に車のライトが見えた。衝撃。
咲の意識はそこで途絶えた。
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魔法少女は黒猫がお好き
”起きなよ、そろそろ起きなよ…”
耳の近くで誰かがあたしを呼んでいる。ゆっくりと目を開ける。
知らない天井が見えた。
あたしはどうなったんだろう…。ここは病院なのか?
あたりを見回すと、そこは病院でもなんでもなかった。おそらく、普通のアパートの一室。
あたしはベッドに横になり、掛布団をかけて寝ていた。
枕元に黒い猫がいた。ニヤニヤと笑っている。
あたし知ってる、これはチェシャ笑いってやつだ。黒猫が前足で顔をぬぐうと、小さなチュイイン、という機械音がする。
”お目覚めだね。よく寝ていたね…”
「えっと…あの…おはよう…?猫さんは…えっと…」
”アプラード。ボクのことはアプラードって呼んでよ”
「ねぇ、なんで猫がしゃべってるの…?」
”魔法少女ものでは使い魔が少女のもとにやってきて始まるって設定が多いって聞いたんだけど…間違ってる?”
「…だいたいあってるけど…。えっと…アプラードさん?わたしは死んだ…んでしょうか」
”あれは完膚なきまでに死んだね。
車に跳ねられてポーンと10mくらいふきとんで、コンクリートの電柱に、こう、ぐしゃっと…”
ひぃぃぃ。
「いい、もう聞きたくない…わかった、わたしは死んだ。OK。
で、少年向け文芸よろしくわたしは転生したとか、そういうわけ?」
”転生というか…きみは新しい命を得たんだ!”
胡散臭い。なにそれ。
「…じゃあここは東京シャードなの?」
”そうさ。君が死んでから三週間経ってる”
「三週間か…」
三週間!?三週間も寝ていた?
「三週間もたったのにお腹すいてないんだけど…」
「死んだ、っていっただろう…お腹空かないよ」
死んだ、か、そうだ死んだのか。
お葬式も当然終わってるだろう…。妹の葉子、天涯孤独になっちゃったから、泣いただろうな。
「…そっか。で、なんでわたしを生き返らせてくれたの?」
”ボクは君の類まれなるアクトレスとしての素質を惜しんでだね…”
「このやろう、エミッション失ったアクトレスに喧嘩売ってるの?」
”まあ、気まぐれと言っておけばいいかな…それに君はエミッションを取り戻しているよ”
‐うそ?
「またアクトレスで稼げるの?稼いでいいの?」
”もちろんさ。せっかくだからサービスでエミッションを増量しておいたよ。しばらく前に流行ってた来世ものの定番、チート選択をさせてあげられなかったけれど、まあエミッション選んで損はないだろうってことで。
今の君は類まれなる才能をもった美少女アクトレスだ!しかもまだ17歳”
「勝手に年齢変えないでよ…え?え?」
ベッドから降りて部屋の鏡台で自分の姿を見ると…そこには自分ではない自分がいた。
見慣れたあたしこと咲の平凡な顔立ちとは違う、小さいけれど整った鼻、きつめだけれど愛嬌のある猫のような大きな瞳、少し厚くて セクシーな唇をもったボブカットの少女がそこに映っていた。
「誰よ、これ。あたしじゃないじゃないの…!」
呆然とするわたしに、アプラードがごろごろと喉の鳴らしながら答えた。
”八幡莉々。君の新しい名前さ。エミッションのために年齢を調整したんだ。顔も変えた。
同じ顔で年齢が戻ったら…いくらなんでもヘンだろう?”
「そう…だけど…」
じゃあ、生き返ったというか、やっぱり春日咲は死んだのね…。
”そうだ。君、自分のお葬式の写真見てないだろ。”
まあ、自分の葬式写真、見たことある奴はいないと思うぞ。
”なかなかいいお葬式だったよ。妹さんや事業所の後輩ちゃんは号泣してたけどね”
‐やっぱ葉子泣いてたか…。そうだろうなぁ、自分の学費のために出稼ぎしてた姉が、働けなくなったその晩死亡、じゃ責任感じちゃうよねぇ…。
「あのさ、連絡とっちゃ…」
”やめようよ。どういう名目で連絡するんだい?もし君が春日咲だと…▽▽▽に特定されたら、キミを殺すから”
アプラードは冷たくぴしゃりといった。途中の台詞はノイズになって聞こえなかった。
その声のあまりの無機質さに背筋が凍る。
「え…。うん…わかった…」
わたしは少し怖くなった。アプラードは純粋な好意でわたしを生き返らせたわけじゃないことがはっきり分かったから。
「じゃあ、葉子のこと時々教えてくれないかな、そのくらいは…いいでしょ」
”まあ、そのくらいなら。ボクの情報は完璧だから安心していいよ”
「あと、泣いてた後輩って、香苗のこと?」
”飛鳥香苗…だっけ。そうだね。棺の前で大声で泣き崩れてたよ”
そうか、あいつも本気で悲しんでくれたのか。もっと優しくしてやればよかったな…
”大丈夫。後輩ちゃんとはすぐ会えるさ”
「ちょっとまって、身バレしちゃいけないのに荻窪メンテナンス行くのはまずいでしょ?」
”いやいやここは定番ってことで、君はやっぱり荻窪メンテナンスで働いてもらいたいんだ”
ええー…なにその矛盾する対応は…。
あんたサドなの?
”ということで、君にはアルメニアシャードのアクトレス免許を手配したよ”
「なんでアルメニア!」
”莉々は父親の仕事の都合でアルメニアシャードに行き、そこでアクトレス免許を取った。
でも実質、活動はしていなかった。という設定さ。”
「設定、はどうでもいいけど、ライセンス転換のために東京のAegisには行くんだよね。それじゃ意味なくない?」
”アルメニア側の設定を完璧にするために大分がんばったんだから我慢して。
ライセンス転換のチェックはまあ本気は出さないでいいから。本気出すと目立ちすぎるからね…”
「…それもいいけどさ…。
あたしを…生き返らせて何をさせたい…の?」
それを聞かなきゃいけない気がした。アプラードはひんやりした悪意を纏っていたから。
アプラードは楽しそうに笑った。けたたましくて薄気味が悪い笑い声だった。
”そりゃ、もっとヴァイスと戦ってほしいのさ。アクトレス生き返らせて、それ以外になにかある?”
「…それならいいんだけどね…」
直感的にそれは嘘だと思った。
アプラード、でもあんた、おかしいわよ。
使い魔だとしたら、なんでアプラード、あんたは部屋の隅の陰に埋もれるようにして昏く笑いながら、目が紅く光っているの?
しかもなぜ動くたびにサーボモーターの音がするの?
どうみても魔法少女の使い魔の外見じゃなくて、悪魔の眷属なんだけれど…。
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あたしがSランクのアクトレスなのはAegisさんには秘密です
表通りに戻るにあたって、アプラード先生の授業は本当にめんどくさかった。アパートの一室に閉じこもり猫に赤ペン指導される17歳ニート。シュールだわーこれ。
これを言っちゃダメ、これはいい、これはダメ…最後はペーパーテストまで。ちょっとあんた、あたしのためにわざわざ30ページのマークシート問題作るとかどんだけ暇なの。
”暇な訳じゃないよ。それだけ君を大事にしてる、ということを理解してほしいんだ”
「そりゃ年齢詐称、国籍詐称、氏名詐称…詐称してないのは性別だけ。ばれたら一発で資格剥奪」
”分かってるじゃないか”
「奇跡のちからとかないわけ?黒猫さん」
アプラードは猫のくせに器用に後ろ脚立ちして肩をすくめて見せる。
”魔法とか奇跡なんてあるわけないじゃないか。頑張ってAegis内に多少の便宜を図る準備はしたけどさ。まともに君がバラしたらどうしようもない。ねえ莉々、現実を見ようよ”
「自称使い魔が正面から自己否定しやがった!!で、これ間違えたらどうなるの!?あたしニートのまま?」
アプラードはゴロロ、といやらしく喉を鳴らした。
”さぁね。あ、そうだ。君が飲んでる薬あるよね”
「あるね、あんたが毎日持ってくる奴飲まされてるね!あれ何」
”免疫関係。あれ飲まないと身体崩壊して死ぬらしいよ?さ、頑張ろうか”
「嘘でしょ、リアル人魚姫ごっことかやめてくれる?」
”嘘かどうかは試してみないのをお勧めするな。結構苦しいみたいだけど…だから試験は真面目にやろう”
「だからー!命掛かったテストとかふざけんな!だいたい予備の薬一週間しか受け取ってない!あんたがセーシェルにバカンスにいったらあたし死ぬの?」
「なんでセーシェル!」
「結婚したら新婚旅行で行きたかった!」
「もういい…きみの連想はどうなってるんだ…。はい、ここ間違ってる。エレバン周辺の地理くらい覚えてよほんとに…。はい写真のこの山はなに?」
「アララト山でーす!ノアの洪水で船が流れ着いたとこでーす!」
「よくできました」
ああ、この年で受験勉強とかとってもストレスだ。やっぱ大人しく死んどけばよかったかな…。でも秘密は守れと口を酸っぱくして言う代わり、あれをやれ、とかはごちゃごちゃ言わないんだよなこいつ。会社に戻ってアクトレスとして働いてほしい、あとはもう好きなように楽しんでよ、とだけ。何を考えてるのかが読めなくて却って怖い。
そして、心配していたわりに免許のコンバートはあっさりと終わってしまった。
もっともわたしに盗聴器を付けていたアプラードに電話したら、面接であたしが変なことを言わないか気が気じゃなかった、自爆ボタンに前足をおいて何度もうっかり押しそうになったよ、とか言ってる。
「…ほんとに自爆装置まで付けてるとかいわないよね?」
「さすがにそれは冗談さ。レントゲンとった程度でバレるようなことするわけがないだろ」
バレない程度ならなんかして下さってるとでも言いたいのか。まあ、エミッション増量したとか言っていたしな…。
測定されたエミッションの値は、とても高くて安定していた。以前のあたしが見たら羨ましくて悔しくてシャワールームでバスタオルかじるくらい。こんなエミッションがあれば、多少のごり押しをしてもお仕事ができちゃうだろう。これについては素直にアプラードに感謝するしかない。就職先についてはAegisの面接官に、どこで働くか決めてない、民間がいいのでアクトレスの求人票見てさっさと決めます。これだけで逃げた。
しかし、あたしが荻窪メンテナンスに入社するにあたっては、まだ問題があった…。求人表のあるコルクボード。そこに見当たらないのだ。懐かしのわが社の求人票が。まあ、貧乏だしなぁ。しょうがないんじゃないか、でもどうすんのよ、と電話先のアプラードに言うと、アプラードが慌てて、いやそんな、ああ、手配してなかった、とか言っている。アパートで猫踊りしてそうだ。
「もういいよ。適当に履歴書書いて直接行くから。でもあんた思ったより間抜け」
”申し訳ない”
「えっと、わが社を知った理由…新聞の広告でっと、抱負抱負、わたしを採用してくれたら御社を三年で優勝の狙えるアクトレスチームにします…これでいいかな」
”大丈夫かい?”
「いいの。うちの社長こういうノリ嫌いじゃないはずだから。任せて」
面接結果?当然採用に決まってる。
はじめましてー。八幡莉々でっす。今日から所属になります!よろしくお願いします!
目の前には香苗、未知、茜、中尉、社長。知らない奴いないし、なにがはじめましてだ、ふざけんなあたし。
ギアは中古の初代ペレグリーネを手配してくれることになった。初代のしかも中古かー。貧乏って悲しいね。
まあ、あれ嫌いじゃないからいいけどさ。あたしの使ってたGXモデルは未知のものになってたし。ギアは明日の夜には届くそうで、あたしはその調整後にローテーションに入ることになった。
アプラードは就職祝いといってなんと例の錠剤を巨大な段ボールにつめて宅急便で送りつけてきてくれた。1年分もある。もう脅迫まがいのことはする必要もない、忙しいからしばらく来ないけど、しっかりやんなよ。そういってフラっと消えていった。
あんた何か企んでたんじゃないの…?もしかして顔と口と雰囲気が悪いだけで、いい奴だったの?
”あ、そうだ。会社のギアセットアップルームの東の角にさ…”
「うん…セットアップルームに?」
”いいものが置いてあるから。じゃお幸せに”
いいものってなによ。セットアップルームってことはギアかしら…新型装備がこっそり宝箱にはいってたりして?
RPG脳はやめろ。会社にそんな余裕あったら初代ペレグリーネの中古なんか手配するはずがないだろ。
◇
「こんばんは、待機はいりまーす。よろしくおねがいしまーす」
初出勤の日、あたしがそういって休憩室に入ると、入り口に背中を向けて座っていた女性が跳ね上がるように立ち、振り返った。
香苗だ。その頬が涙にぬれていた。
「あの…どうしましたか?体調が悪いなら早退されても…」
あたしが恐る恐る聞くと、香苗は首を振る。
「ううん。違うの。ちょっと前にいなくなっちゃった先輩のこと、思い出してて…。ちょっと悲しかったの…」
涙を拭いて、香苗は微笑む。
「そうだ莉々ちゃん、今日は初待機だっけ?まだギア届いてないんじゃない?」
「でも今晩中に届くって中尉さんが言ってましたので…」
「そっかー。それなら初出撃になるかもねー。楽しみだねー。
莉々ちゃんのエミッションは事務所で突き抜けてるし、自由にやっていいからね。フォローは任せなさい」
「はい、頑張りますね」
無理に笑いながら緊張をほぐしてくれようとしている香苗を見て、莉々は胸が熱くなる。
香苗、笑顔がかなり無理してるなぁ…拳をぎゅっとにぎったままだよ。
でもこのコ、後輩にはこういう心遣いできるコだったの?あたしが今までみていたのとまるっきり別人じゃないの。
ああ、言いたい、あたしは帰ってきた、また一緒に戦えるよ、と。
あたしは後ろめたい気持ちを抱えたまま、思い切って聞いてみる。
「…あの、その、いなくなった先輩って…」
香苗の顔が曇る。しばらく逡巡した後、ソファに座りなおしながら香苗は話し始める。
「春日さんといって、あなたが来るちょっと前にリタイヤされたんだけれどね」
「わたしは…その…春日先輩のことが大好きで…。
先輩がしょうがないなぁ、ってわたしに笑ってくれる笑顔が好きで…。
いつも書類を中途半端にしたり、甘えていたんだけどね」
おいまて。あれはズルかったんじゃなくて確信犯だったのか。聞き逃せないぞそれは。
「ちょっと前に、突然エミッションを喪失してしまって…そうなるとね。アクトレスは続けられないでしょ」
「そう…ですね」
「退職されるときに、ご自分ではとても悲しかったでしょうに、わたしの肩をたたいて、これからは香苗がトップよ、応援してるからがんばりなさい、あなたならできるわ、って優しく言ってくれたの」
え…何それ、なんかあたし自身の記憶とかなり違う。あたしが超絶美化されてるんだけど。
「その晩、交通事故で亡くなって。
わたし、その先輩にほんとにいろいろ教えてもらってて。
アクトレスやめても時々一緒に遊んでくれるって言ってたんだけど、もう…会えないから…」
話をしている間にまた感情が高まったのか、香苗の目からまた涙がこぼれる。
「春日先輩、泥酔状態だったって…ぐでぐでに飲んで道路で転んじゃうくらいリタイヤ悲しんでたのに…。
あたしその晩待機で一緒に…いられなかった…」
そういって、香苗は目を見開いたままぽろぽろと泣き始めた。
ちょっとまって。わたしは転んだ…んじゃないよね…。あたしは誰かに突き飛ばされたんじゃないんだっけ…。
「だって、だって先輩のスケジュール埋めるのはあたししかないと思ってたし…。
あとは任せてくれて大丈夫だって言ってあげたかった…」
そういって小さな嗚咽を上げて泣き始める。ああ、やばい。あたしもつられて泣きそうだ。
香苗、ごめんよ。ずっと頼りにならない馬鹿なコだって思っててごめん。
しかもこれまであんたのことちょっとズルいって思ってた。
「先輩が頑張れっていったから頑張るけど…わたしはそんな器じゃなくて…。
だけど、取り返しがつかないことになっちゃった…もう会えない…!」
気が付いたらあたしは後ろから香苗を抱きしめていた。
あたしに頬にあたる香苗の頬は柔らかく、こぼれる涙があたしの頬に移って、あたしの顎に落ちていく。
何年も一緒にいたのにね。あたしは今日、本当の香苗の心に初めて触れたような気がする。
香苗、ズルい子じゃなくて、あたしのこと好きだったのね。嬉しい。
「…香苗。大丈夫。大丈夫よ。
これからは全部うまくいくから。
ありがとう。あたしのこと好きでいてくれてありがとう。
わたしが守ってあげる。もう大丈夫。大丈夫よ」
香苗が息をのむ。振り返って目の前すぐ、涙で腫れた香苗の目が、大きく見開かれてあたしを見つめている。
やばい。素で話しちゃったよ…。いや、大丈夫、咲と莉々は顔も声も違う。大丈夫なはず。
あたしは微笑んで見せる。ひきつるな、あたしの頬。
「あ、あたしが、その人だったらそう言いますよ?
その先輩のために精一杯頑張っていらっしゃるのでしょう?それなら悲しむ必要なんてないです」
それを聞いて香苗は安心したように、うつむいてぐずぐずと泣き始めた。
「うん…。ありがとうね…」
そして、香苗が泣き止むまでの間、あたしは優しく背中をさすってあげた。
やっぱり、甘え体質なのは、変わらないのね。
でもいいわ。これだけの気持ちを知ったからにはあなたが上がりになるその日まで、あたしが戦場でも、会社での立場も、守ってあげる。
エミッションの高いアクトレスはそれだけで正義だ。これはあたしが長年働いてきたこの業界の数少ない真実だ。
これだけのエミッションと、以前からの経験を両立するあたしはこれから会社の中で多少の無理をいっても通るようになるだろう。 その影響力で香苗も守るからね。
「莉々ちゃん。ありがとう、ごめんね、いきなり泣いちゃうような頼りない先輩で」
ハンカチで顔を拭いながら赤面する香苗にわたしは笑って見せる。
「大丈夫ですよ。気が張ってらしたんですね。今日からわたしも社員、お力になりますよ。
事務所を守るために、一緒に頑張りましょう」
「そうだね。うん、頼りにするよ…」
頬を染めてあたしをまぶしそうに見上げる香苗の目に、もう不安の色は見えなかった。
あたしは安心する。
「じゃあお茶入れてきますね。香苗先輩は座ってらしてください」
「ありがとう」
給湯室に向かうために待機室のドアを開けたとき、香苗がうしろからあたしを呼び止めた。
「莉々ちゃん…あのね…あなた…」
「はい?」
「…ううん。なんでもない。わたし、コーヒーがいいな?」
「はい。コーヒーですね」
香苗の痛いほどの視線があたしを背中からとらえたままだったけれど。
香苗はそれ以上、何も言わなかった。
◇
まもなく、中尉、未知、茜も出勤してきて、待機にはいる。
あたしはギアの到着待ち。しばらくしてヴァイスの侵入警報が転送され、そして成子坂さんから発注がかかった、なんとありがたくも大型ヴァイスを廻してくださるそうだ。
緊張した面持ちの香苗が契約社員扱いの二人に声をかける。
「いきましょう。今日は絶対チャンスを逃がさないように頑張りましょう」
頷く二人。そして香苗はわたしに視線を向ける。
え、あたしにも何か言えっての?
「みなさん、がんばってください!応援してます!」
初出勤の初心者としてはこれ以上言えないだろ…あたしに何を言えっての。
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寄らば斬ります。寄らなければ離れて撃ちます
彼女たちが出撃して間もなく、Aegisさんから追加の情報が入る。ターゲットのヴァイスは変異種の可能性が高い、とのこと。その場合うちの出撃戦力では不十分な可能性が高いので、自主的な契約解除をペナルティなしで受けいれます、そんなおまけがついてる。Aegisさんの本音は、オラオラお前らさっさと下がれ、もっと大手業者に回すからよって感じ。成子坂さんの事務員さんからも連絡が来る。当社に返してもいいですから、無理なさらないで。
うーん。まあ、ほんとに変異だったら…。
ムリダナー。昔の咲がいたときだってきつかったろう。まして今は現場指揮が香苗だし、全員システムダウンで遭難扱いになりかねない。そうなったら今度こそペナルティが痛い。
でもさー。もし倒せたらこれは美味しいのよ。最初から変異種ってわかってたら、成子坂さんこの仕事多分くれなかった。
自分でやっちゃうか、エンパイア中野さんみたいな小規模で仲のいい衛星扱いの下請け業者に回しちゃう。倒せたら変異種の残骸はとっても高いし、そもそもAegisから出る駆除に関する補助金の額も違う。
んー。困ったね。残って待ってるしかないって、こんなイライラするもんなんだ。初めて知ったよ。
あたしはみんなが出撃して寂しくなった待機室から、非常灯が照らす廊下を通り、鉄製の階段を鳴らしながら打ちっぱなしの地階にあるセットアップルームに入る。インカムで中尉に呼び掛けてみる。
「中尉、あたしのギア、まだ届かないんですか」
「さっきのヴァイス警報でギアコンテナが積み出し口から出ないそうだ。今日は我慢して、サポートに回ってほしい」
中尉の声。やっぱりいい声だな。今はそこがまたムカつくんですけど。
サポートオペレーション。
指揮所でアクトレスの後方から情報支援を行う担当だ。待機担当のアクトレスが担当することが多い。
アクトレスのことは結局アクトレスが一番わかっているし、戦場では迷っていてもその情報を統合して受け取っている指揮所では岡目八目なこともあるので、重要な役割だ。
しかし、それは前線戦力が十分な場合であって、今回は前線に一人でも送りたいところ、のはず。
「うーん…」
セットアップルームのドアを開いて、出撃後の後片付けをしてくれている技術担当の職員さんに頭を下げる。この人たちのお給料だって補助金とヴァイスの残骸の売却で賄ってるんだ。うちの事務所は資金余力なんて殆どないんだし…。
香苗、茜、が戦闘領域に到着したらしい。未知がなぜか少し遅れている。
サポートに入るなら指揮所に戻るべきだ。しかし、わたしはアプラードの台詞を思い出す。
(東の角に…)。
そして、わたしは見つけてしまった。セットアップルームの東の角、以前、わたしが…莉々ではなく、咲だったときのわたしが知らない、真新しくて大きなギアコンテナがひっそり置かれているのを。会社ロゴはDME。見たことがない。
「中尉、この…ギアコンテナ誰のですか。
旧式でもいいです。使う許可をいただければ出撃します」
「それは旧式じゃない、うちの事務所で一番高いギアだ。が…」
なんで高級なギアを遊ばせてるの?
「君が来る前にリタイヤしたアクトレスのギアだ。専用ギアだから君には使用できない」
「もしかして、春日さん」
「そうだ」
…これ、あたしのギアなの?え?嘘でしょ?
あたし聞いてないよそんなの!普通専用ギアって当人と相談しながら発注するもんでしょ?
「社長と俺が二人で購入を決めたんだが…当人がね…。
そして二人とも無駄になったギアに返品を言い出せず、メーカーも何も言ってこないので遊ばせてるわけだが」
無駄…?無駄?…そっか…。
中尉が、無駄になってしまったな、とかいってたのはこれだったのか。
あれはあたしを馬鹿にしたわけじゃなくて、このギアのことか。しかも内緒で注文してたから言い出すことができなかったのね。
いや、大事なことはそこじゃない。
ばか?!ばかなの?ギアをサプライズプレゼントする事務所なんかないわ!
特注のギアワンセットっていくらすると思ってるの!そんなことするから事務所が傾くのよ!
莉々は唇を噛む。
しかしコンダクタールームと繋がるモニターを見る莉々の目はさっきまでと違い、静かな決意を秘めていた。
「…中尉、お願いします。試しにこれを装備させていただけないでしょうか」
「専用ギアはさすがに無理だよ、莉々ちゃん」
中尉は苦笑する。そりゃそうだ。わたしだって無理だって普通は思う。でも、このギアは以前のわたしのデータで作られているはずだ。エミッションは強化されていても、アクトレスの経験はそのまま使えるとアプラードは言っていた。それが証拠に融合属性も変わらないし、ライセンス試験の時も咲だったわたしの経験はそのまま莉々で使えていた。
「お願いします。きっと動きそうな気がするんです…。
エミッション基準的にはその方よりあたしはずっと高いはずです」
「起動はするかもしれない。だがそのアクトレスに特化した反応系になってるから操作できない」
「Aegisの審査官が言っていました。わたしは稀に見るレベルの資質を持ってると。
できるかもしれません。お願いです、試させて下さい」
食い下がるあたしに中尉はやれやれと首を振って、メンテナンススタッフに指示を出してくれた。
うちの事務所はアクトレスの仮セットアップをするときには、スーツを着たアクトレスを懸架して、そこにわらわらとスタッフが集まってギアをセットアップする。
昔の貼り付けで死んだ偉人よろしくスーツを着た状態でぶらーんと釣り下がったアクトレスにギアを装着するわけで、傍目にもかなり間抜けだが、うちは自力でギアをメンテナンスするだけの工場を持つ資本はないので、高価なセットアップ専用シートも買ってないからしょうがないのだ。
咲のために作られた専用スーツは控えめにいって真っ赤な装甲バニーガール、悪く言えばこれなんの風俗ってレベルだった。中尉、社長…あんたら25過ぎた女に何を着せようと目論んでたんだ…。
その専用スーツに莉々の身体はぎりぎりで収まったが、胸とお尻がかなりきつい、いろいろはみ出そう。いや実際ギアの装着中にはみ出てスタッフが赤面するようなシーンが何度かあって、ようやくあたしはギアを装着してもらった。
スーツの心もとなさとは違って、ドレスギアは肩や腰回りに伸縮稼働する真っ赤なスラスター兼スタビライザーが幾層にも重なり、そのとがったシルエットからもかなり凶悪な印象だった。ペレグリーネの腰部スタビライザーが8対集まって、すべてが可動変形できるスラスターを兼用している、といえばわかりやすいか。これだけでも金かかってます、という説得力に溢れている。
近接ギアはやはり鋭角的な片手シールド一体型のクロー、射撃ギアは左手用軽量マシンガンという完全な前衛型ギアの構成だ。
「よし、いいよ。起動しようか。予備電源ラインパージ」
ヘッドセットから中尉の声が聞こえた。ギアと深いレベルであたしの意識が結合する。
いつも通りの軽い酩酊感のあと…昏い喜びが胸の深いところから湧き上がってくる。
そうよ。お前たち。
‐わたしはお前たちを知っている
‐そしてお前たちはわたしを知っている
…なに、これ。
凜々のものではない真っ赤な記憶が溢れてくる。
凜々の知らない鉄の匂いがする言葉が溢れてくる。
…これ、何、このギア…何?
目の前が暗く、赤く染まっていく…胸の奥が熱い。痛い。
ギアとこんなに深い結合なんてしたことがない…意識がちぎれて壊れそう…口の中が血の味で一杯になる。
‐わたしだったもののためにつくられたお前たち
‐愚かな人間どもに繋がる想いたち
‐水の低きに就くよう、闇の昏きに溢れるよう、洪恩を知り、鴻志を抱き、鴻はわたしの翼となる
‐わたしが沈み…力尽きるまでお前たちは一緒に‐
わたしに、つながり、従うだろう
アクチュエータ音が高まり、そして。
‐おまえ、ビフロンス!
左手の軽量マシンガンが莉々に応えるようにカチャ、という小さい音を立てて最初の弾丸をロードする。
徐々に意識を覆っていた赤い混濁が薄まると、莉々は全能感に溢れ、こんどは子犬のような喜びが爆発する。
‐君は…フォラスだ!
右手のシールドが発光して、その先端にカニの爪のような大型ブレードが展開する。
瞬間的にプラズマ化した空気が凶悪な爆発をセットアップルームに広げようとするが-
「おっと!」
莉々は高次元圧力バリアでその爆発を抱え込み、エネルギーだけ隣接次元に投げ捨てる。
(やばかった…こんなことで事務所破壊したらシャレにならないわ。
でもこの自由度の高さはすごいわね…
専用ギアっていっても高次元圧力バリアの形状や出力をここまで制御できるものなの?)
‐この賢いドレスギアはガープって呼ぼう
これは、いい。最高の装備じゃない?
あたしのようなロートルのために専用ギアを準備してくれてた中尉、そして予算をひねくりだしてくれた社長。
ありがとう、かならずこの恩はお返ししますからね。
「莉々君、どうだ。見る限りギアは起動して、操作もできているようだけれど…」
喜悦で陶然とした莉々を、調整室からの中尉の声が現実に引き戻す。
「大丈夫…です。ほら、スラスターもウェポンキャリアも思った通りに動きます」
お尻をふりふりして、一緒にスラスターを左右に動かして見せる。背部マイクロミサイルキャリアのカバーを開き、閉じ、右手フォラスのビームクロウを軽く振り、ギアが完全に制御下に入っているとアピールする。最終調整されていないからレスポンスに遊びがあって完璧とは程遠いけど、それを意識して使えば充分出撃できる、とわたしは踏んだ。
「行きます!いけます!
いますぐ先輩のところに行きます!」
莉々はぐっと親指を立てた。
「無理はしないでくれよ。いくら君が素質があると言っても初回出撃だし、調整されていないギアが操作を失うかもしれない。
データで見る限りエミッションの安全基準は十分すぎるほど超えているけれど…」
「はい!出撃ルートはどうしますか?」
「今、Aegisから803井草ダクトへの侵入が許可された。ルートはマップを転送…」
「受け取りました。大丈夫です。さっそくトレーラーで搬送してください」
そういって莉々は壁面にセットされた高さ3メートル、幅奥行き2メートルの直方体のキャリアハンガーに自分ごとギアを固定し始める。
このキャリアハンガーはヤシマ製ベッド型だ。可動部の多い椅子型より安価で、まるごとクレーンで簡単に持ち上げることもできる。しかも安価なトラック型トレーラーに荷物のように積み込むこともできる。しかし懸架されたアクトレスはほとんど動けない状態で搬送されることになる。
その外見からこいつはホワイトコフィン、口の悪いアクトレスはこのハンガーでの搬送を棺桶入りとか霊柩車とか呼んでいる。
でも莉々はこの貧乏な棺桶が嫌いではない。むしろ好きだった。ガラスカバーに覆われた白い棺の中で静かに戦闘開始をまっている独特の雰囲気は、自分が特別な存在だという気分にさせてくれるからだ。
莉々の出撃のためにセットアップルームに入ってくるメンテナンススタッフたち。
中尉はメンテナンススタッフに囲まれて、マシンガンの弾数、ブレード生成時間について笑顔で短く的確な質問をする莉々の様子にひゅー、と下手な口笛を吹く。
「莉々君、緊張していないようだね。でも完熟飛行もしていないんだ。できる範囲でできることをしてくれればいい。
撃破より安全を心がけてね」
「了解です中尉」
ベルトでぐるぐる巻きにして莉々を固定した棺桶の上に半透明のカバーが下りてくる。
落ち着いてジョイントの異常がないか目視する莉々に、中尉が呆れたような声で語りかける。
「いやはや、莉々君は初実戦アクトレスじゃないみたいだな…」
莉々の鼓動が跳ね上がる。…舞い上がって完全に忘れてたよ、新人の演技を!
「あ、はい、シミュレーションはしてますからね!」
…中尉も、ごめんね。
初回どころか、わたし経験10年のベテランアクトレスよ。
莉々は手こそ振ることはできなかったけれど、この素晴らしいプレゼントを準備してくれた中尉に感謝のウインクを送った。
さっきまで嫌いとか思っててごめんなさい。あとは任せて。
ハンガー上部のフックをクレーンがつかみ、軋み音をあげながら持ち上げ、がっちりとトレーラーにマウントした。
ダクトを抜けて外壁近くに到達した莉々は、ゆっくりと二重の与圧ハッチが減圧されていくのをじりじりとした気分で待っていた。
ドレスギアをまとったアクトレスは真空に放り出されても平気だ。高次元圧力バリアで真空に直接触れることはないから。
しかし、シャードの与圧エリアをいきなり開放すると爆発的な圧力差でシャードの方が損傷する。やがて減圧が完了し、宇宙空間との間を隔てたハッチが解放された。莉々の腰の8対のブレードスラスターが十字型に変形し、高推力モードになる。文字通り流星のような速度で、莉々は戦闘エリアに飛んでいく。
そして予想にたがわず、ようやく到着したシャード外壁では修羅場が展開されていた。
回る斧のような大型ヴァイスのシルエットが見えてくる。周囲で翻弄されているアクトレスのビーコンから自社の人間であることを 確認すると、莉々はマイクに話しかける。
「せんぱーい!応援にきましたー!」
「あ、莉々ちゃん!」
「たすけてー!」
「こら未知!新人にみっともないこというなー!経験3年のプライドどしたー!」
香苗が未知をどやす。
うわ…レントラー…ってやっぱ変異じゃん。変異相手に派遣2人つれて大丈夫なのか。これはどうみてもダメだろ。
事務所のアクトレスたちは周囲にばらまかれるリングレーザーやブレードブーメランを必死でよけながらばらばらと弾を打ち込んでいる。
ほとんど当たってない。
むしろブレードブーメランがかするたびにアクトレスの周囲に高次元圧力バリアの燐光が浮かび上がって消える回数の方が多い。
だめだよ。じり貧だよ。これ。
無理無理、こんなの、いまのうちだったら撤退するのが普通じゃないの?
ひさびさの大型見て冷静になるタイミングを見失って、もったいなくて撤退申請できないまま追い込まれてるじゃない。
「莉々ちゃん、ちょっとでいいから牽制して!HP限界!」
「はい!その間に立て直してください!」
莉々は左手のビフロンスをオートモードにして指をちょっとひっかけるように引き金を引く。
他のコの攻撃はほとんど当たってないんだからあたしはばらまいて数発当てるだけでもいいだろう。
とにかくこっちに注意を向けないと。
レントラー、レントラー、と。ブレード基部が弱点だよね…。
そんな意識がふとよぎる。軽い牽制のつもりだったマシンガンの銃口からは鋭く白い糸のように実弾が流れだし、引き寄せられるようにレントラーの回転するブレード支持点に吸い込まれていく…。
莉々は自分の見越し射撃のあまりの正確さに呆然として引き金を戻せず。
3秒間で斬弾はゼロ、320発ほぼすべてが命中。レントラーの右ブレード基部で、弾頭キャップが解放され生成された極少量のスレプトンが瞬時に消滅し、同じだけ削られた支腕が根元からもげて遠心力で吹き飛ぶ。
うわ…なにこれ…全部当たっちゃったよ…
「え、莉々ちゃん凄い!」
「うひゃー!天才爆誕!」
驚いた香苗の声とはしゃぐ未知。
重要ユニットを失いバランスを失ったヴァイスは、再調整のために停止することがある。
今のレントラーがそれだ。一旦動きを止めて残りのユニットでの行動最適化を始めている。
もっとも、それを見逃すアクトレスもいない。
「先輩!今、今!今です!」
「そうだ!よしいけー!みんなタコなぐれー!」
「はいなー!」
「やっほー!」
さっきまでの動揺が嘘のように、きゃいきゃい歓声を上げながらハンマーやランスでレントラーをどつきまわすアクトレスたち。
莉々もフォラスのブレードクロウを一対の基本モードで展開してレントラーの頭部を横殴りにする。
クローはレントラーの展開する高次元バリアにめり込み、そしてケーキを切るようにあっけなくレントラーの装甲にめり込んで、花吹雪のように内部部品ごと装甲破片を散らした。
レントラーのコアが明滅する。それが莉々には悲しそうに見えた。
‐これまでレントラーが雑魚だと思えたことはなかったけど、余裕があると見方も変わるものね
今までのアクトレス生活でヴァイス相手にこんな情動を覚えたことはなかったが…ヴァイスは所詮ヴァイスだ。
撃墜した大型ヴァイスは高く売れる。しかも変異。これはうちの会社の貴重な収入だ。
一瞬だけの迷いを切り替え、こんどはクロウを背部スラスターの接合部に潜り込ませ、致命的なラインを探す。
‐ここを壊せば、終わり。
まもなく、レントラーは小さく爆発しながら錐もみ状態で落下し、シャード外面で停止した。
◇
明け方近くまで営業してる飲み屋で、あたしたちはテーブルを囲んでいた。
「かんぱーい!」
「ぷっはー!」
「今日はありがとねー!助かったよ!」
「しかも実は変異ヴァイスだったってパターンだし!きっとAegisからもボーナスでるよ」
「残骸の状態も凄い良かったって。破損が少ないみたいで、高く引き取ってもらえたってさ!」
「いやいや運がよかったね」
「莉々ちゃんはお酒まだ飲めないんだっけ。ごめんねあたしたちだけ」
香苗がすまなそうにビールを片手に言う。あたしはサイダー。
「いえ、いいんですよ。飲み会に誘ってもらえて嬉しいです」
「殊勲者を誘わいでかー!今日はお代は全部あたしがもつ!好きなもの食べて!飲んで!」
香苗が拳を振り上げると、茜と未知が、さーせん!ごちになりますー!とか言い、あんたらは自分で払え!と香苗が返す。
あはは。久々だ。大型ヴァイスを倒してみんなで盛り上がって、そして飲み会なんて。
嬉しい。あたしはこの場所に帰ってこれた。後輩のみんなとまた戦える。
素晴らしきアクトレス人生よ。わたしは帰ってきた!
そう、あたしは転生してもアクトレスだったんだ!
お読みいただき、ありがとうございました。
いつか莉々はきっともっと活躍…していくかも。
妹の葉子が死んだ姉の職場にやって来た!
荻窪メンテナンス倒産の危機!
中尉に恋人が?アラサー乙女(18歳に戻りました)の純情が炸裂する!
そして期待通り戻ってくる自称使い魔!
世界はどうでもいいけど、この恋のために戦え、八幡莉々!
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