麗しの騎士に休息を、愛しのあなたに幸福を (海月 水母)
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1話 夜が明けて

 

 

腐りかけの木材で構成された狭い小屋の隅に、

その女性は正座していた。

正確には、正座させられていた。

 

彼女の両足は、重い鉄の足錠で拘束されている。

彼女の脚の細さに不釣り合いなほど重く堅牢なそれを付けたままでは、立ち上がることなど叶わないだろう。

足だけではない。両手にも、また彼女の細い首にも、硬い拘束具が取り付けられている。首輪のような拘束具からは鎖が伸び、壁の杭に繋がれている。

 

 

鉄格子に囲われた窓から差す月の光が、暗闇に女性の痩身を浮かび上がらせる。

身に付けた服は、服と呼ぶにはあまりに粗末な、汚れた布切れを縫い合わせただけのもの。胴回りを覆う程度の服から伸びる手足は細く長く、血の気を感じさせないほど白い。さらにその肌には幾つもの傷と痣が、子どもの落書きの様に重なって出来ていた。

 

 

 

 

「……だれ……?」

 

暗闇に、女性の声が響く。

部屋を支配する闇に違和感を感じ、女性は首を力なくもたげた。

 

 

 

視線の先には、鎧がいた。

女性と同じく月明かりに照らされ現れたのは、全身を銀の鎧で覆った何者か。鉄兜に隠され顔を窺うことは出来ない。腰には一振りの細剣を差し、鉄の擦れる音を立てながら女性に近づいてきた。

 

鎧は女性に近づき、その表情を覗く。

顔を覆うように垂れ下がったぼさぼさの髪は夜に溶けるほど黒く、そして長い。その間から覗くのは、深い緋色の瞳。ルビーの宝石に例えても遜色ない美しさだが、その目には恐怖と絶望をないまぜにしたような闇が混ざり、絶えず微かに震えていた。

 

鎧は僅かに思案し、腰から剣を外して遠くへ放った。

 

 

「安心しろ。危害を加えたりはしない。」

 

 

剣を放ったのは、女性を安心させるためのものだった。

だがその時、女性の関心は他にあった。

鎧の発した声を聞いて、女性は表情に僅かな驚きを浮かべていた。鉄兜越しでくぐもってはいたが、それは間違いなく女の声だった。

女性の驚きをよそに、鎧は鉄兜に手をかけ、容易くそれを取り外した。

 

月夜の闇に、黄金色の髪が靡く。

そこに現れたのは、肩上ほどの金の髪と、澄んだ翠の瞳をたたえた少女だった。

精悍さを持ちつつも、どこかまだあどけなさの残る顔立ち。それは首から下の鎧とは別人にさえ思える。しかし一方でその鎧を、鍛えていなければ大人の男でも音を上げる重量の鎧を、涼しい顔で纏っているのも事実だった。

 

驚きと、少女の美しい顔立ちに呆気にとられた女性に少女は言う。

 

 

「王立憲兵団の者だ。奴隷(きみたち)を保護しに来た。」

 

 

 

 

 

 

ふんわりと香る石鹸の香りに鼻をくすぐられ、少女は目を覚ました。ほのかに甘く香る匂いに包まれ、幸せを感じながら目を擦る。

 

視界にかかる金髪を払い、ごろんと横を向けば、エメラルドの様に鮮やかな少女の翠の瞳に、すやすやと寝息を立てる年上の女性が写った。腕を折って丸まるような体勢で眠る姿は幼児のようであり、一方で寝相から黒の長髪が顔にかかる姿は艶かしくもある。

正反対の二つが同居する女性の寝姿に、少女は目を細めた。彼女より先に起きたときは、この姿を堪能できる。恥ずかしいので本人には言えないが、少女の密かな楽しみの一つだ。

 

と、少女が何かに気づく。眠り続ける女性の目元が光った気がした。

顔を近づけ指を当てると、その指先に濡れる感触があった。

…涙だ。

少女は一瞬表情を曇らせる。しかしすぐに気を取り直し、そのまま指先で女性の涙を拭った。同時にもう片方の腕を女性の頭に乗せ、艶やかな黒髪を梳くように撫でた。

 

もぞもぞ、と身体をくねらせ、女性がぱちり、と緋色の瞳を開いた。その目に、母のように優しい笑みで女性を見つめる、年下の少女の姿が写る。

 

 

 

「おはよう、ソフィア。」

 

「んん……セナ…おはよ…。」

 

 

ソフィアと呼ばれた女性がゆっくり起き上がるのに合わせて、セナと呼ばれた少女も体を起こす。ベッドの横に位置する窓からの朝陽を受けて、二人は同時に伸びをした。

 

 

「ソフィア……大丈夫?」

 

 

唐突にそう尋ねられ、驚いてソフィアはセナの方を向く。

セナは自分の指先を見つめ、どこか哀しそうな表情を浮かべていた。

目が覚める直前の感覚を、ソフィアは思い出す。

柔らかな指が、自分の目元を拭う感覚。

暖かい手のひらが、自分の頭を撫でてくれる感覚。

セナがそれをしていたということは……ソフィアはすぐに思い当たった。

 

 

「そっか…。わたし、泣いてたんだね…。」

 

 

セナが申し訳なさそうに、小さく頷いた。

自分を傷つけまいと、セナは明言を避けているのだと、ソフィアは分かっていた。

ソフィアが寝ている時に涙を流すとき、…それは過去を、()()()()()()()()()を思い出してしまったときだから。

 

 

「…大丈夫だよ。ちょっと夢に出てきただけ。

でも…あのね、セナ…」

 

「うん、分かってる。…いいよ。」

 

 

ソフィアが懇願するより先に、セナは両手を開いた。

躊躇うことなく、ソフィアはそこに飛び込んだ。

セナが纏う、ほのかに甘い石鹸の香り。ソフィアもまた、その匂いが好きだった。

 

 

 

「ごめんね、いつも甘えちゃって…。わたしの方がお姉さんなのにな……。」

 

「いいんだよソフィア。私の前では、我慢しないで。」

 

「…うん。」

 

 

ソフィアは目を閉じ、セナの言葉と体に身を預ける。

セナはソフィアの体温と息遣いを感じながら、髪の流れに沿って頭を撫でる。

ふわりと香るのは、自分と同じ石鹸の匂い。そのはずなのに、二人とも相手から香る匂いの方が好きだった。

 

しばしの密着。ソフィアは自分の中から、かつての孤独や恐怖が薄れていくのを感じていた。

身体に、記憶に、焼印のように刻まれた()()を、まだ自分は忘れ去れていない、これから先も忘れることは出来ないかもしれない。そうソフィアは感じていた。

 

 

…それでも、今は隣に彼女がいる。

 

 

「…うん、ありがとうセナ。もう大丈夫。」

 

 

名残惜しさを感じながらも、いつまでも甘えている訳にいかないと、ソフィアは自分から抱擁を解いて立ち上がった。

 

 

「待ってて、すぐに朝ごはん作るからね!」

 

 

まだ少し不安そうに自分を見るセナに、ソフィアはそう言って笑いかける。

涙は、とうに消えていた。

 

 

 

 

 

ソフィアはエプロンを身に付け、髪を後ろで一つ結びにし、即興の歌を口ずさみながら朝食の準備に取りかかる。

そんなソフィアの後ろ姿を眺めながら、セナも着替えを始める。いつも通りの朝の光景だ。

 

今でも、奴隷として虐げられていた記憶が消えていないことを、セナは知っている。

服の下に、未だに消えない傷が残っていることを、セナは知っている。

それでも彼女は、前を向き懸命に生きている。過去を乗り越えるために。

 

 

そんな彼女が誇らしい。

同時に、彼女のそばに自分が寄り添えていることが、堪らなく嬉しくもあった。

 

 

 

「お待たせ、セナ!一緒に食べよ?」

 

「…うん。今行くよ。」

 

 

 

 

壁に掛けられた一振りの細剣を手に取る。

 

ソフィアを守るために。

 

ソフィアが生きる世界が、明るく在るために。

 

改めて決意を胸に刻み、セナも新たな一日を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 



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2話 いつも通りを、いつまでも

本編でいつ出せるか分からないので。
キャラの年齢は
セナ 17歳
ソフィア 23~4歳
のつもりです。


エプロン姿のソフィアが、ぱたぱたとキッチンを忙しなく駆け回る。

鍋の火加減を見つつ野菜を水洗い、簡単なサラダを盛りつける。まとまった時間があれば空いた皿から片付ける。実に無駄のない動きで、テキパキと家事をこなしていく。

こんなとき、奴隷時代も無駄ではなかったのかな、とソフィアは少し思う。あの頃は生き延びるため、生かしてもらうため様々なことを身につけた。自分が使い物になると示すことが、自分の命を長らえさせることに繋がっていたから。

 

あの時間も無駄ではなかった……泣き出したくなるほど辛い日々の連続、その記憶と折り合いをつけるには、そう考えでもしないと耐えられない。心のどこかで分かっている本音に、ソフィアはあえて目を瞑る。

 

 

 

 

と、淀みなく準備をしていたソフィアの手が止まった。

いつもと同じ時間。玄関扉の前に人が立つ気配。

頬に浮かぶ笑みも堪えきれず、ソフィアは玄関に立って出迎える。――大好きな人の帰りを。

 

 

「ただいま、ソフィア…わあっ!?」

 

「セナ、おかえりなさいっ!」

 

 

満面の笑顔を浮かべ大型犬よろしく、セナの胸に飛び込むように抱きつく。

ソフィアの長身が覆い被さるように迫り、セナは思わず仰け反りながらそれを受け止めた。

十数時間振りの再会。セナにとっても心踊る時間なのは間違いないが、ソフィアの纏う花のように甘い香りに気づき、不意に不安を覚えた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってソフィア、私まだお風呂入ってないから…!」

 

 

セナ自身、仕事から帰ったばかりなのだ。

着ていた服も蒸れているだろうし、髪の毛もぺったりとしてしまっている。汗臭くはないかと心配になり、思わずソフィアを引き離そうとする。

 

 

「んうっ、な…なんで離れるの…?」

 

「なんでって…だからお風呂まだだし、汗の匂いとかするかもだから…。」

 

「もー、そんなに気にしなくていいのに…。セナはいつでもいい匂いだし、どんな匂いのセナでもわたしは大好きだよ?」

 

「そういう問題じゃなくて…はぁ…。」

 

 

言いくるめられるまま、結局ソフィアの密着を許してしまう。

もはやこれもいつものことだという慣れと、結局はソフィアに抱擁されることが嬉しくもあり、呆れと笑顔の入り交じった表情でされるがままになる。

 

…それにしても、とセナは思う。

確かに帰宅直後の抱きつきはいつものことだが、今日のソフィアはとりわけ嬉しそうに見える。

 

 

「えへへ、セナぁ…。」

 

「はいはい。…ソフィア、何かいいことあったの?」

 

「! そう!よく聞いてくれましたっ!」

 

 

あまり聞かない、ソフィアのわざとらしい台詞回しにセナは一瞬困惑する。

ソフィアはそれに構うことなく、実はですね…と含みのある前置きをし、セナの手を引いてキッチンへ促す。

キッチンに着くと同時、食欲をそそるクリーミーな香りがセナの鼻をくすぐった。

 

ばん、と両手を開き、ソフィアが声高に言う。

 

 

「なんと……今日の晩ごはんが、とっても美味しく出来たのです!!」

 

 

 

ぽかん、という音が聞こえてきそうだった。

満足げに両手を開いたポーズを続けるソフィアに、セナは様々な意味で圧倒されていた。

 

 

「…あ、あれ?…反応なし…?」

 

 

咄嗟に言葉が出せずソフィアが心配がるが、決してセナは上の空だった訳ではない。

この小さな幸せに心から笑えるソフィアを、たまらなく愛しく感じていた。同時に、自分がそんなソフィアと同じ時間(しあわせ)を過ごせることにも。

 

 

「…ほんとに、良い匂い…。ちょっとだけ見てみてもいい?」

 

「う、うん!」

 

 

空っぽの胃を刺激する、濃厚な香り。

うっとりとするセナの恍惚とした表情に、ソフィアは思わずどきり、と鼓動の加速を実感した。

 

 

 

 

鍋の蓋を、ソフィアが勢いよく開け放つ。

途端に五感を、湯気と香りが支配する。

沸き立つ香りに、二人同時に充足のため息をつく。

鍋の中には、ミルク色のシチュー。彩りが白に映える大きめの野菜と共に、くつくつと煮込まれていた。

セナは思わず唾を飲む。これは、本当に美味しそうだ…。

 

 

 

くううぅぅ……と、力の抜ける音が部屋に響いた。

横を見れば、ソフィアがその頬を少しだけ赤に染めている。

 

 

「……ソフィア?」

 

「え、えへへ……ずっと美味しそうだなーって思いながら作ってたら、すごくお腹空いちゃって…。」

 

 

恥ずかしさを照れ笑いで誤魔化した後、ソフィアはこほん、と咳払いをする。

 

 

「…本当に、自信作なんだ。だから一番に、セナと一緒に食べたくて…。」

 

 

うずうずと、食事の時間が待ちきれない様子のソフィア。

お腹が空いているのもあるけれど、早く味の感想が欲しいのだな、とセナは合点する。

母親に褒められるのを待つ子どものように目を輝かせるソフィアの可愛さに、思わずセナの顔も綻んだ。

 

 

「ふふ、分かった分かった。すぐお風呂入ってくるから、待っててね。」

 

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

「はあぁ…美味しかったぁ……。…ごちそうさまでした。」

 

「お粗末さまでした。お皿洗っちゃうから、こっちに頂戴?」

 

「うん、ありがとう。」

 

 

再びエプロンを着け直したソフィアに食べ終えた皿を渡し、セナは食卓の椅子に深く腰かけながら満足そうにため息をつく。

ソフィア会心のシチューの味は、セナにも大好評だった。一口口に含む度、濃厚な旨味が広がる感覚…思い出すだけで頬が緩んでしまう。

 

セナが料理を褒める度に、ソフィアは心から嬉しそうに笑った。その笑顔に、セナもまた心を満たされる。

…ほんの一年前までは知らなかった気持ち(幸福)

いまやそれは、セナにとってなくてはならないものになっていた。

 

 

「…ずっと、こうやって過ごせるといいな。」

 

「えー、何か言った?」

 

「…ううん、なんでもないよ。……ふあぁ…。」

 

 

正直に言うのが少し恥ずかしくて、セナは言葉をぼかす。同時に眠気もやってきた。

濡れた手を拭いながら、ソフィアがその顔を覗いてくる。

 

 

「セナ眠そう…わたしまだやることあるし、先にベッド行ってていいよ?」

 

「ん……ごめん、そうするね。」

 

 

眠い目を擦りながら、のそのそとベッドへ移動を始める。…と、その足を止め、ソフィアの方へ振り向いた。

 

 

「ソフィア。」

 

「うん? なあにセナ?」

 

「すごく美味しかった……また作ってね。」

 

「!…………うんっ!」

 

静かにそう告げて笑顔を向けると、おやすみと呟いてセナはベッドに向かった。

一分もしないうちに、小さな寝息がソフィアの耳に届いてくる。

 

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

寝間着に着替えたソフィアは、長髪を肩から前に流し、黒縁の眼鏡をかけて小説に目を落としていた。

家事をあらかた済ませた後は、眠くなるまで読書に耽る。セナに本を借りるようになってから、この時間がソフィアの日課になっていた。

 

ちょうど短編を一つ、読み終えたところで欠伸が出た。

今日はここまでかな、と布製の栞を本に挟み、キッチンの椅子から腰を上げる。

 

 

ふと、自分がさっきまで座っていた、二人がけの食卓に目をやった。

思い出すのは、今日の晩御飯の光景。

美味しい、と顔を綻ばせて笑うセナを思い出し、こみ上げる喜びに目を細めた。

 

 

料理をすることは、何度もあった。

けれどそれは味の良さなど当たり前、不味いものを作ってしまえば酷い折檻を受ける、そんな時間でしかなかった。

セナに出会い、共に暮らすようになって、こんな気持ち(幸福)があるのだと知った。

大切な人の笑顔…そのために料理を作ることが、こんなにも楽しく幸せなものなのだと。

 

「また作ってね。」

…何より嬉しい言葉も貰えた。もう少しで、泣いてしまいそうだった。

 

これからも、セナに褒められたい。

これからも、ずっとセナに料理を作りたい。

 

 

「…ずっと、こうやって過ごせるといいな。」

 

 

むにゃむにゃ、と言いながらセナが寝返りをうった。

普段は冷静でしっかり者のセナだが、たまに年相応に見えるときがある。その対比が、とても可愛いとソフィアは思う。

 

 

「おやすみなさい、セナ。」

 

 

 

シチューは、まだ少し残っている。

明日はこれをドリアかパスタにしようかな。

また、セナが喜んでくれますように。

 

 

 

 

 



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3話 ただそれだけの幸せ

「はふぅ……気持ちよかっ……ひゃあぁっ!?」

 

 

仕事を終えて帰宅し、強張った全身を湯船で癒す。

心地よい一時もそこそこに、ソフィアの作る晩御飯を楽しみに湯船から上がったセナは、脱衣室で素っ頓狂な悲鳴を上げていた。

驚きのあまり、危うく裸身を隠していた一枚のタオルを手放してしまいそうになる。

 

 

「ど…どうしたの、ソフィア…?」

 

 

目の前に立っていたのは、エプロン姿のままのソフィア。無言のまま、ジトッとした視線をセナに向けている。

一度帰宅を出迎えまたキッチンに戻っていったので、まだ夕飯の支度をしているのだろうとセナは踏んでいた。

そのソフィアが浴室を出ると同時に現れたのだから、さすがのセナでも腰を抜かしそうになっていた。

…何より、タオル一枚で裸を隠した今の姿でソフィアと対面していることへの羞恥心が止まらないでいた。

 

堪らず顔を赤らめるセナ。

しかしソフィアはそれも意に介さず、ずんずんとセナとの距離を詰めていく。

セナは為す術なく、互いの息遣いが感じられるほどまで距離を詰められてゆく。

未だ裸のままの恥ずかしさと、ソフィアの顔が間近にあることへの照れが重なり、顔の熱さと鼓動の速さでくらくらしてくる。

 

…一体、ソフィアは何をするつもりだろう。

少しの恐さと、少しの期待がさらにセナの鼓動を早めるなか、ソフィアがその瞳と小さな口を開いた。

 

 

 

「今から、セナの髪の毛をお手入れします!」

 

「はぇ……………?」

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

晩御飯は少し手間のかかる料理らしい。

ぐつぐつと良い音を立てる鍋を見ながら、もうしばらく煮込んでるから、とソフィアは言っていた。

その時間でセナの髪を手入れするつもりらしい。

 

 

 

「髪乾かすくらい自分で出来るって……」

 

「だめ、今日はわたしがやるからね。はいこれ手鏡、変だったら教えてね。」

 

 

とりあえず部屋着に着替えてから、セナは一度断ってみたが、案の定ソフィアの意志は固く、渋々されるがままに椅子に座っていた。

子どもじゃないんだから…と口を尖らせるセナを椅子に掛けさせ、ソフィアは後ろに回る。

一房、セナの金髪を手に取り、小さく吐息を漏らした。

 

 

「やっぱり、ちょっと傷んできてる……きっとセナ、力入れて髪の毛拭いてるんでしょ?」

 

「えっ……まあ、そうかも…。」

 

「もうっ、すぐ適当に済ませようとするんだから…。」

 

 

後ろにいるので表情は読み取れないが、口振りから頬を膨らませて怒るソフィアが想像できた。それはそれで微笑ましい姿なのだが…。

生活習慣が全体的にがさつなのは、セナも多少自覚するところであった。

それはおそらくソフィアが家に来る前の――独りきりで生きていた頃の――習慣が抜けきっていないせいだろう。自分一人しかいないのだから、どんなに適当でも誰も文句を言わない。誰にも迷惑がかからない。

故に自分自身への興味をほぼ失ったような当時のセナの生活は、ひどく荒んだものであった。

 

 

「セナは、もっと自分を大事にしてね…? せっかくこんなに綺麗な色の髪をしてるんだから…」

 

「……分かったよ。」

 

 

だから、こうして自分を気遣い、優しく叱ってもくれるソフィアがいることに、どこかくすぐったい気持ちになる。

一年前から、セナの世界は大きく変わった。きっと自分自身もあの頃から変わっていったのだろう。

けれどそこに、嫌な気持ちは少しもない。

…あるのは少しのこそばゆさと、言葉だけでは表せないほどの満たされた気持ちだった。

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

柔らかなタオルで、しっとり濡れたセナの金髪を優しく拭う。髪を傷つけないよう、丁寧に。といっても普段自分の髪を手入れするときと変わらないので、ソフィアには慣れたものだった。

 

ふんわりとした綿の感触がセナを癒す。

タオル越しに肌をなぞるソフィアの細い指の感覚に、少しの鼓動の高鳴りを覚えながら。

 

 

「髪を拭くときは、このくらい優しくね?」

 

「ううん……分かったけどさ…。」

 

「けど?」

 

「私、いつも鎧着けてるからなぁ…。」

 

 

基本的に鉄兜を被っているのだし、あまり髪をどうこうしても関係無いのでは…とセナはぼんやり考えていた。

 

 

「お仕事なのは分かるけど…。」

 

 

ソフィアは、セナの仕事についてあまり知らない。

初めて出会ったとき、彼女は『王立憲兵団』と名乗っていた。今もそこに属していることは知っているが、それ以上のこととなると、セナ自身もあまり語らなかった。

昔より仕事は楽になったし、遠くへ行くことも減ったけど、とセナは話していたが、危険な仕事もあるのではとソフィアは常に心配していた。

…何といっても、ソフィア自身が囚われていた場所にまで来なければならない役職だったのだから。

 

だからこそ、とソフィアは思う。

 

 

 

「わたしは、セナにもちょっとくらい身だしなみに気を遣ってほしいな。こんなに綺麗で可愛いんだもん。」

 

「かわっ…!?…え、えぇ……!?」

 

 

言われ慣れていない褒め言葉に、仰天のあまり裏返った声が出てしまう。

 

可愛いというのはつまり、セナがソフィアに抱くのと同じ感情……自分はソフィアのように"可愛い"のだろうかと、ちらり、と手鏡を覗く。

透き通った翠の瞳、精悍さもありながら年相応の爽やかさも同居した顔立ち。世間一般で言えば、相当に魅力的な少女の顔立ちだろう。

が、自分で自分が可愛いかどうかなど判別がつかない。せいぜい顔がさっきより赤くなったことくらいしか、セナ本人には分からない。

 

 

 

「よし、髪は乾いたかな。……セナ大丈夫、どこか変だった?」

 

「う、ううん……。」

 

「それじゃあ、梳かしていくね。」

 

 

タオルをヘアブラシに持ち替え、再度髪の手入れを始めていく。

髪の間をブラシが通る。よほど寝癖が酷い時以外はブラシを使わないセナだが、こちらも癒されるほど心地よかった。

手鏡に、ちらりとセナの顔が写る。目を瞑り、気持ちよさそうに身を任せる姿に、ソフィアは嬉しそうに目を細めた。

 

 

 

 

ゆっくりと、セナが目を開いた。

長髪のソフィアに比べ、肩上程度の長さの自分の髪が、ここまで手入れに時間の掛かるものだとは思わなかった。

手鏡には、真剣な眼差しで髪を梳いてくれているソフィアの姿があった。それを見てなんとなく、ソフィアの方が年上なのだということをセナは改めて実感していた。

甘えたがりでいつも自分にべったりなソフィアが、今は本当にお姉さんのようだ、と。

 

 

 

 

ふと横を見ると、肩に艶やかな黒髪が乗っていた。ソフィアのものだろう。ブラッシングのためセナに近づいた際に、毛先がセナの肩に乗ったらしい。

何の気なしにその髪を手に取る。と、ソフィアがその感覚に気づいたらしかった。

 

 

「あっ、ごめんねセナ!…邪魔だった?」

 

「ううん、平気。ちょっと触っててもいい?」

 

「いいけど……ちょっと恥ずかしいね。」

 

 

 

後ろで頬を染めるソフィアを想像しながら、ぽーっとその毛先を眺める。

 

 

「……ソフィアは、いつも髪きれいだよね。」

 

「えっ………そうかな、えへへ……。」

 

 

満更でもなく照れ笑いを浮かべるソフィア。

それを微笑ましく思いながら、ふと、初めてソフィアに出会ったときを思い出した。

緋色の瞳は泣き疲れたように腫れ、笑顔を浮かべる姿など想像も出来なかった頃。脳裏を過ったその光景が、セナの心を痛める。

…この髪もぼさぼさだったな、と手のひらのソフィアの黒髪を見つめながら思う。

 

 

「……うん、いい感じになったかな。どうかな、セナ?」

 

 

背後から聞こえる、嬉しそうな声。

手鏡を少しずらすと、そこにはやはり、ソフィアの笑顔があった。

 

 

「……そうだね。とっても良くなった。」

 

「……セナ、ちゃんと自分の髪見て言ってる?」

 

 

…気づかれた、とセナは苦笑する。

視線も言葉も、ソフィアに向けて言っていた。

 

 

 

 

 

手鏡を見ながら、毛先を手のひらに乗せたり、指を通してみたりする。

…普段とはまるで違う、気持ちの良い手触り。髪型を変えた訳でもないのに、鏡に写る自分はお洒落をしたような気分だった。

 

 

「…いいね、これ。」

 

「ほんとっ!?…よかったぁ……。」

 

「ありがとう、ソフィア。」

 

 

セナの礼に、満面の笑顔でソフィアは応える。

 

 

「あっ、そろそろご飯できたかな。今日はね、鴨のコンフィっていうのをやってみたんだけど――」

 

 

ぱたぱたとキッチンに駆けてゆくソフィアの後をを付いて行きながら、セナはまた手鏡を覗く。

 

 

「………ふふっ。」

 

 

様々な嬉しさが、幸せが、頬を緩める。

艶やかな髪をふわり、と靡かせ、ソフィアのいるキッチンへセナも歩いてゆく。

 

 

 

 



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4話 王都の歓楽

更新の間がこんなに空いてしまうとは…誠に申し訳ありません…。
以降もとてもマイペースな更新になってしまうかもですが、頑張って書いていきますので温かく見守っていただけたら嬉しいです…。



「ねえ、セナ…相談があるんだけど。」

 

「んー?」

 

 

仕事への出発前、もぞもぞとパジャマを脱いでいる最中にソフィアに声をかけられ、セナは間延びした返事を返す。

 

17歳相応の瑞々しい肌に重ねられた、飾り気の少ないシンプルな下着。包まれた胸の主張は控えめだが、整った山形は美しい。

すらりと伸びた手足は、鍛練により引き締まり一切の無駄がない。

腹筋や上腕筋もしっかりと鍛え上げられながら、セナの女性的な魅力を少しも阻害せず、相反する二種の魅力が黄金比で同居しているかのような身体つき。

 

…その美しさは、話しかけようとしたソフィアが一瞬用も忘れて見とれるほどだった。

 

 

「…あんまり見られると、恥ずかしいんだけど……」

 

「…………はっ。ご、ごめんねセナ!」

 

 

想い人を遠巻きに見つめる女学生のような瞳でセナの露わな姿を眺めていたソフィアも、その言葉でようやく正常な思考を取り戻す。

下腹部の辺りを手で覆いながら白の肌を染めて照れるセナ。その仕草にまたも思考を止めてしまいそうになる自分を諌めるように、ソフィアはぺちぺちと頬を叩く。

 

 

「それで、どうしたの? 相談って…。」

 

 

話の軌道を本題の方へ修正しつつ、セナは部屋の壁から一着の衣服を手に取る。

柔らかな素材で織られた、洋服とローブの中間のようなゆったりとした衣服。仕事中のセナに着用が義務付けられた制服だ。

派手さのない色合いに幾何学的な線が走る、これまたシンプルなその服を纏いながら、ソフィアの返答を待った。

 

 

 

 

「…今日、王都に行ってもいい?」

 

 

 

……セナは唖然とし、一瞬固まった。

 

王都。読んで字の如く、この小大陸を統治する王族の住まう、大陸で最も発展した街。人口も多く、大小さまざまな店が立ち並び、常に賑わいに溢れた場所だ。

セナの家――二人で住むには少し広い、木造の邸宅(コテージ)――は、その王都から少し外れた森に位置し、王都とは歩いて往復できる距離だ。

 

…しかし、とセナは思う。

まさか彼女から、外出の申し出があるとは思わなかった。

 

 

「王都って…ソフィア一人で?」

 

 

セナはこれから仕事に行くところ。

つまり、ソフィアは一人で行くつもりらしい。

 

 

「うん。…今日作りたい料理の材料が買いたくて……ダメ、かな…?」

 

 

買い物ならいつも通り、自分が仕事終わりにしてくるのに…。

喉元までその言葉が出かかったが、上目遣いで懇願してくるソフィアに、セナは言葉に詰まる。

 

過去にソフィアが王都を訪れたのはほんの数回、いずれもセナ同伴でのことだ。突然一人で、という申し出には不安を抱かずにはいられない。

それに、ソフィアには少々世間知らずなところがある。

…まともに世間と関われなかった境遇を考えれば致し方無いとも言えるが。

さすがに買い物等は問題ないだろうが、ともかくそうした心配事が重なり、セナとしてはソフィアに、なるべく家に居てほしいと思うのが本音だった。

 

しかし一方で、そんな生活をソフィアに強いてしまっているのでは、という罪悪感も抱いていた。

だから、おそらく初めてソフィアから口にした「外に出たい」という申し出を無下には出来なかった。

ソフィアが心配だからとはいえ、彼女の意思を尊重せず、ただこの家に縛りつける。…それでは、()()()()彼女の生活と同じではないか。

 

 

「……分かった。いいよ、行ってきて。」

 

 

熟考の末、セナは首を縦に振った。

 

 

「ほんとっ!?」

 

「うぁっ!?う、うん…。でも気をつけてよ…?」

 

 

こちらへ身を乗り出す勢いで瞳を輝かせるソフィア。

…直後にはしゃぎすぎたと反省したのか、誤魔化すような咳をして顔を背けてしまう。

…けれど気持ちの高揚は立ち姿だけでも明らか。嬉しそうにぶんぶんと揺れる犬の尻尾でも幻視できそうな気がする。

 

 

「…やっぱり不安になってきた……。」

 

 

あまりの浮かれ様に苦笑いを浮かべるセナ。

だが心から嬉しそうなソフィアを見ていると、まあいいか、などとと思ってしまう。

 

 

(ソフィアに甘いのかな、私って…。)

 

 

早くも着ていく服を選び出したソフィアを横目にそんなことを考えながら、セナも剣を携え、自分の準備を進めることにした。

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

「わあぁ………!」

 

 

森を抜けた先、眼前に広がる王都の街並みに、思わずソフィアは歓声を上げる。

木組みの家々は色とりどりに彩られ、足元を舗装する石畳はどこまでも続いている。

街並みの奥に見えるのは、堅牢な城壁が取り囲む白と青の巨大な城。王族の住まうその城は街の中心に、まさに街を見守るように構えられている。

 

可愛らしい小さな家々の眺めは、歩いているだけで楽しくなる。

家によっては一階を解放して花や野菜、食料品を売る店を営む所もある。

買い物をする者。声を張って客を呼び込む店主。通りを駆け回って遊ぶ子ども達。

絵に書いたような幸せが、街には溢れている。ソフィアは足を止め、うっとりとその光景に目を細めた。

 

 

「…っと、危ない危ない…。」

 

 

またも他の事に気を取られそうになっている自分に気づき、頬を軽く叩いて気を引き締める。

 

 

「セナにも注意されたもんね…。」

 

 

セナが自分を心配してくれる気持ちは嬉しかった。

…けれどいつまでも、彼女に甘えることを当然と思っているのも申し訳ない。せめて食材の買い出しくらい、一人でも出来るようになれればと思い、今日の提案をしたのだ。

 

 

…それとセナには隠していた、もう一つの()()のために。

 

 

「……よしっ。」

 

 

深呼吸を一つして、ソフィアは一人歩み出した。

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

…………。

………………。

…………………。

 

 

 

 

「考え事か、セナ?」

 

「えっ……あ、いえ…。」

 

 

不意に横から声をかけられ、セナは一瞬動揺する。

実際頭では考え事、もとい心配事が朝から巡っていた。…無論ソフィアのことだ。

 

 

「すみません隊長…気が緩んでいました。」

 

「別に謝ることは無いだろう。休憩中くらい羽を伸ばせ。」

 

 

隊長、と呼ばれた人物はそう言って笑う。生真面目すぎるセナが可笑しかったのだが、同時にそれも彼女の長所だなと考えていた。

長い銀髪が風に揺れる。蒼玉(サファイア)を思わせる深い青の瞳が、太陽の光で一層輝く。

…画になる女性だ、とセナはうっとりそれを眺める。憲兵団として、同じ戦う女性として、彼女はセナの目標とする人物だった。

 

王立憲兵団第三隊隊長、ルーレンス・ライトハント。

セナを含めいまだ絶対数の少ない女性騎士の中で、さらに一個隊の長を務めるほどの実力。

王室に仕える騎士ならば、階級も男女も問わず誰もが一目置く存在だろう。

正確な年齢は不明だが、おそらくソフィアよりも年上だろうとセナは推測していた。

入団当初から目を掛けてくれていた彼女と、今こうして肩を並べて働けることは、セナの中で静かな誉れとなっていた。

 

 

王立憲兵団。その職務は王都、及びその近郊の治安維持。早朝、日中、夜間と隊を分け、王都を巡回して治安を見守る。セナ達の隊は日中の見回りを担当していた。

 

…だが今はルーレンスの言葉通り、二人は昼食を兼ねた休憩の最中だった。

王都の市場を抜けた先、広場の中央に立つ噴水の横に腰かけ、鉄兜を横に置いて軽食(サンドイッチ)を頬張っていたのだ。

 

周囲ではセナ達同様、昼食を楽しむ人々が多かった。

広場横にあるレストランや公園のベンチ、思い思いの場所でランチを摂っている若者やカップルや家族連れ…。

 

 

「平和そのもの、だな。」

 

 

ルーレンスの言葉にセナも頷く。

事件や諍いが起きていないか見回ることが職務の身分ではあるが、自分達が暇なくらいの平和が何よりだと二人は感じていた。

 

 

「でも…だからこそ、平和の陰に小さな事件は隠れ易い。…それを見逃すことの無いようにしないと。」

 

 

独り言のように呟いたセナの言葉に、今度はルーレンスが強く頷いた。

平和であればこそ、求められるのは油断や慢心を生まない心。セナはそれをしっかり弁えている。

 

頼もしくなったものだ、とルーレンスは一人ごち、目を細める。

ほんの一年前、まだ大陸が戦禍の混乱を引き摺っていた頃、隊にいたセナには今のような志は無かった。

自分が生きるためでも、他人を生かすためでもない。どこでその命を散らそうと構わない―――なりふり構わない戦いに身を削り続けていた彼女。

 

 

「いまやそれも、過去の話か…。」

 

「……? 何か言いましたか?」

 

「ふっ…いや、何でも。」

 

 

 

あまり過去を蒸し返されても、良い気はしないだろう。

―――特にセナ(彼女)の過去には、あまりに多くのものを失った記憶がある。立ち直ることなど、到底出来なかったはずの喪失が。

 

だからこそ、彼女が今こうして"普通"を生きられるようになったことを、祝福せずにはいられない。

 

そんなことを思いながら、ルーレンスはサンドイッチを咀嚼していく。

横できょとんと首を傾げるセナに、年相応のあどけなさを感じながら

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

「………よし、買い忘れは無いよね。」

 

 

買い終えた品を詰めたバスケットを確認し、ソフィアは一人そう呟く。

久しぶりの王都では時折道に迷いながらも、なんとか買い物を終えることができた。

もう一度バスケットを見る。色とりどりの食材の詰められた様に達成感を感じ、満足そうにソフィアは微笑んだ。

 

あとは一つだけ、セナに隠した秘密の用事だ。

どこかいいお店はないかな、とそれぞれの店の外観を眺めながら、あまり高くない所がいいな、とも思う。

 

セナから貰ったのは食材を買うためのお金だけ、つまりここからの買い物は、ソフィア自身で払わなくてはならない。

ソフィアの財源は、セナから貰うお小遣いだ。金額は小説一冊分ほど。ソフィアが主に買うのが小説なので、その額に決めた。

今日の買い物を思い立ってからはしばらく貯めていたが、それでもあまり大きな額ではない。

予算の範囲で買えるものがあるのか……顎に手を添えあれこれ考えながら、ソフィアは大通りを歩いていた。

 

 

 

「うーん、()()はどこで買おうかな………ん?」

 

 

店の並びに沿って歩いていたソフィアの足が、一つの店の前で不意に止まった。

物静かな雰囲気のある、アンティーク調のこじんまりとした店構え。

その雰囲気も良かったが、ソフィアの足を止めたのは別のものだった。

 

 

「わっ、かわいい……!」

 

 

ガラス張りのショーウィンドウに陳列された、鮮やかな色遣いの小物類。

髪飾りやブローチ、指輪など、並べられた様々な種類の装飾品。そのどれもが輝いて見え、ソフィアを釘付けにしていた。

 

 

「…決めた、ここで買おう。」

 

 

迷うことなく店の扉を開いた。

扉の頭に備えられたベルがカラコロと可愛らしい音を奏で、静かな店内に響く。

 

 

「あ、いらっしゃいませっ!」

 

 

ソフィアを出迎えたのは、よく通る少女の声だった。

てっきり大人が出てくるものと思っていたソフィアが少し驚いていると、やがて声の主が店の奥からぱたぱたとやってきた。

 

きょとんとしたままのソフィアを屈託のない笑顔で迎えたのは、活発そうなショートヘアーの女の子。

その後ろからはもう一人、大人しい雰囲気のロングヘアーの女の子が控えめに顔を覗かせていた。背丈も顔つきもよく似ており、髪型こそ違えどその色は揃いの赤髪。

双子かな、とソフィアは思う。

歳はセナより少し幼いくらいだろうか。

 

 

「何かお探しですか?」

 

「あ、えっと…はい。贈り物を買いたくて…。」

 

「なるほど…。良ければお相手様の特徴など教えていただければ、お似合いのものをお探し致しますよ。」

 

「へえ、すごい! じゃあそれ、お願いしてもいいかな?」

 

「お任せくださいっ!」

 

 

溌剌とした容姿からは少し意外に、少女の接客は板についていた。

レイ、と名乗った少女の質問に合わせ、髪色、目の色等特徴を話していく。途中で金額も見ずに店に入ってしまったことを思い出し、本当はあまり予算がないことも白状したが、レイは微笑んでかしこまりました、とだけ返してくれた。

 

質問と答え、それにおそらく予算の額を紙にメモしたレイは、その紙をもう一人の少女に手渡した。

 

 

「それじゃあメイ、これでよろしくね!」

 

「わ、分かった…。し、少々お待ちください…。」

 

 

メイと呼ばれた少女はソフィアにぺこり、と一礼し、早足で店の奥に消えていった。

怖がられちゃったのかな、とソフィアがしゅんとしているのに気づいてか、レイがそれとなくフォローの声をかけてきた。

 

 

「すみません、妹はちょっと人見知りで…。でもリクエストに合ったものを選ぶのがすごく上手で、お客さんみんな「良かったよ」って言ってくれるんです!」

 

「ふふふっ、そうなんだ。」

 

「お姉さんがプレゼントする人にも、きっと喜んでもらえるはずです!」

 

 

妹のことを嬉しそうに話すレイに相槌を打ちながら、彼女が大好きなんだなとソフィアは思い目を細める。

…同時に、落ち着きのあるメイの方が姉だと思っていた考えも訂正した。

 

そしてふと、店員が姉妹二人以外に見えないことが気になった。

 

 

「もしかしてこのお店…二人だけでやってるの?」

 

「い、いえいえ! 接客はいつもしていますけど、店は母が営んでいるものです。商品の製作も母が。…今はちょうど昼食を買いに行ってて、私達が店番ですけど。」

 

 

席を外しているだけで、ちゃんと母親もいるようだ。

当然のことか、と思いつつ、レイの言葉の中に母親しかいないことをソフィアは不思議に思った。

 

 

「あっ……父はもういません。私たちが生まれてすぐの頃、戦争に出征してそのまま……。」

 

「……そう、なんだ…。」

 

 

ソフィアの顔に浮かんだ疑問に気づいてか、レイの方から説明してくれた。けれどその内容に、ソフィアは申し訳なさを感じてしまう。

 

レイの言葉通り、ほんの十数年前まで、この小大陸は幾つもの戦争の渦中にあった。統制者の不在だったこの大陸。その覇権を求める者達の欲望が火種となって。

大陸の至る所で争いが起き、それが飛び火した先でまた血が流れる………悪夢という形容も誇張と言えないほど、醜い争いがこの地を埋め尽くしていた。

 

結末は、現在王都に聳える王宮が物語っている。

栄光を求めた愚か者達は、結局その覇権を手にすることなく死んでいった。

大陸の平定、戦禍の終息…人々を率い、それに尽力した者が大陸を見守る王となり、今もその血脈が民の支えとなっている。

 

数えきれないほどの命が散った。

深い傷を負った者も大勢いる。

レイとメイのように、大事な人を失った者も。

………そして大陸平定の後も、争いが()()()()()に苦しめられ続けた者も。

ソフィアは無意識に、胸の辺りを小さな拳で握っていた。

 

 

 

「あのっ…お姉さんは、どうしてうちのお店を選んでくれたんですか?」

 

 

暗い話題を変えるように、レイは明るい声色でそう聞いてきた。

その声ではっと意識を引き戻されるソフィア。短い赤毛を揺らして笑うレイに気づき、自然と同じ笑顔を浮かべていた。

 

 

「お店の外にあった商品を覗いたの。どれも可愛くて、キラキラしてたから、ここがいいなって。」

 

 

ソフィアの言葉を聞いて、レイはその瞳をいっそう輝かせた。

 

 

「あ、ありがとうございます…! あそこの商品、私と妹で考えたデザインなんですよ。」

 

「へえぇ…すごい…!とってもかわいいと思うよ!」

 

「えへへぇ、ありがとうございますっ!」

 

 

その後もレイは、自分たち姉妹のことを話してくれた。

読み取れるのは、本当に互いを大好きなレイとメイの姿。父を喪った悲しみも、こうして乗り越えたのだなとソフィアは思う。

メイが戻るまで、レイは楽しげに家族の話を続け、ソフィアもそれを聞きながら、家族という幸せの形に想いを馳せていた。

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

 

「さて、そろそろ仕事に戻ろうか。」

 

「そうですね。」

 

 

 

手で丸めたサンドイッチの包みを近くの屑籠に捨て、セナとルーレンスは鉄兜を手に立ち上がった。

 

 

 

「あ、あ、あのっ……!」

 

 

―――直後、背後から声をかけられる。

振り返れば、セナより少し幼いくらいの、長い赤毛を揺らした少女がいた。肩で息をしている様子からして、なにやら急いでいるらしかった。

 

 

「その鎧…き、騎士さま達……ですよね…?」

 

「そうだが……何かあったのか?」

 

 

正確には王立憲兵団だが、その訂正はこの際省いていいだろう。

王都警備の憲兵団や、王族護衛の近衛兵団、それらは王宮騎士団という広義の括りの中に存在している。一般人がそれらを総称して『騎士』と認識するのも無理はない。

 

…まあ、今そんなことは問題ではない。

明らかに目の前の少女の方が問題を抱えている。セナもルーレンスもそう見ていた。

 

 

「ひとまず落ち着いて…あなたの名前は?」

 

「め、メイです……あの、お願いしますっ!」

 

 

メイと名乗る少女は、懇願するようにセナの手を両手で掴み言う。

 

 

 

「お店が…大変なんです…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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