今を繋ぐ赤いお守り (小麦 こな)
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第1話

初めましての方は初めまして! いつも読んでくださっている皆さん、いつもお世話になっております。
小麦こなと申します。

今作で6作目であります、小説「今を繋ぐ赤いお守り」をご覧いただきありがとうございます。
今作も読者のみなさんをドキドキさせられるような展開になると思います。

感想欄も開放しておりますので、ドンドン書き込んでいただけたらと思います。

今作からは毎週日曜日22:00の週1投稿とさせて頂いております。ご了承ください。
では第一話をご覧ください。


モヤモヤと微かに揺らいでいる視界を手でしっかりと擦る。

朝が弱い僕にとってはいつもと変わらない一日の始まりに過ぎないこんな状況に陥った今日のこの日は、実は大きなターニングポイントとなるなんて誰が思うだろう。

 

まだ寒い朝は布団から抜け出すのにもかなりの行動力が必要で、起きたばかりの体力では無理そうだから携帯のアラームだけ消して目だけは起きておこう。

……っていつも思うのに、身体は正直で自然と瞼がトロンと下に落ちていく。

 

中途半端に脳が動いている時が一番気持ちが良い。

 

悠仁(ゆうじ)、早く起きなさい!アンタのアラームでこっちまで目が覚めちゃったじゃない!」

 

そんな時に、携帯のアラームより大音量で消すことが難しい目覚まし時計がやってきて朝からため息が零れ落ちた。

こうなってしまったら起きるしかない。いざとなったら学校を遅れて行っても良いかなんて軽く考えていた構想が卵の殻のようにガラガラと音を立てて崩れていった。

 

寝ぼけ眼のまま、手すりをしっかり持って階段を下りて母親が買ってくる山吹色のパン屋の袋から適当に手に取ってモグモグと食べ始める。

今日はテレビがついていないけど、特別気にならずに朝ごはんを食べ続ける。

どうせ今の時間帯にテレビをつけても、見て笑顔になれるような番組なんてないし、どうせ誰かの犠牲を葬式面で伝えるニュースだけだろう。

 

僕はそんな報道番組は嫌いだ。世の中の動きに無関心だという事もあるけれど。

 

「悠仁、今日も帰りが遅くなるから適当にごはん済ませといて」

「はいはい」

 

2階から聞こえる甲高い母親の声に小さく返事をする。

父親のいないこの家では、母さんが家計を支えている事もあり、朝から夜まで働きっぱなしだ。

 

父親がいないという言い方に少し語弊があるかもしれない。

この家にはいる。仏壇に姿を変えてしまっているけれど。

 

自分の母親がどんな仕事をしているのかも知っているし、それが同級生の友人に胸を張って言えるような職業では無い事も分かっている。

だけどやっぱり嫌いにはなれない。基本ウザイ事の方が多いけれど。

 

パンを食べ終え、手をしっかり合わせてご馳走様でした、と言ってから制服に着替えるのがここ何年も続けてきた僕の行動。特に何も考えずに身体が勝手にそうしろ、と指示しているかのように勝手に動く。

 

洗面所の鏡に向かって制服に付けるネクタイを付ける。特にお洒落とかに目覚めてない僕はシンプルにネクタイをつけ、寝癖を直すためだけに髪の毛を濡らして乾かすだけ。

 

「ずっと日曜日だったら良いのになぁ」

 

鏡に映った、目が半開きな自分に話しかけるかのように独り言を零す。

どうせ零した独り言も、役目を終えた歯磨き粉と同じように水に流れていくのだと思うと歯ブラシを握る手の力が自然と弱くなったような気がした。

 

身支度が出来た僕は、寝室に戻って充電器に刺してあった携帯を抜いてポケットの中に滑り込ませて学校に持って行っているリュックを背負う。

教科書やノート、筆記用具すべて学校に置いているからリュックに入っているのは財布だけだからいつも背中は軽い。

 

「行ってきまーす」

 

玄関に置いてある家と自転車の、2種類の鍵を手に取って家を出る。

そして中学校の時からの相棒であるボロいけど愛着のある自転車にまたがる。どうせ早く学校に着いてもやることが無いし、風が冷たくて一気にやる気がうせてしまうからゆっくりと自転車を漕いでいく。

 

自転車で片道30分程度と言う、地味に遠い道のりが最初は苦痛だったけど2年も経ってしまえば何とも思わなくなる人間はつくづく鈍感で単純な生き物だと思う。

 

 

自転車を漕ぎ始めて15分くらい、家から高校まで半分くらいの道のりである花咲川地区付近を通っていると、突然死角から女子生徒が飛び出してきた。

 

「ちょ、マジかよ!?」

 

女子生徒はびっくりしてその場で立ち止まってしまっていたから、咄嗟にブレーキレバーを強く握った。

しかしこのままでは間に合わないと判断して足を地面につけて摩擦も利用した。

そのおかげで女子生徒には当たらなくて済んだが、僕はバランスを崩してしまいそのまま倒れてしまった。

 

ガシャン、と言う大きな音と、数秒遅れて痛みが染み渡ってくる感覚は校庭で走ってこけた時に似てるなってぼんやりと思った。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

「全然大丈夫だよ、あはは……」

 

内心は大丈夫な訳ないだろ、と言うか急に飛び出してくるんじゃないよって大声で叫びたかったけど女の子にはよく見られたいと年相応の想いが勝って気丈に振舞う。

きっと僕が第三者としてこの現場を見ていたら鼻で笑ってると思う。ダサいなって。

 

女の子は心配そうに僕を見つめていた。

髪型は今まで見たことが無いタイプで猫耳のようなものが付いていて、顔を見ただけで活発な性格だという事が分かった。

そしてこの女の子が身に着けている制服はどこか見覚えのある制服だった。

 

「でも、すごい音したし……は!でもこのままじゃ遅刻しちゃう!?どうしよ~っ」

 

僕の予想通り勝手に話し出して自分で会話をトントン拍子に進めていく様を見ていると、ある感情が湧いてきた。

 

 

ヤバい奴に出くわしたかもしれない?

他人の心配より自分の遅刻の事を気にする非常識な奴?

 

 

大多数の人間だったらそれらの感情を少しは抱くんじゃないかなって思う。人によれば急に怒り始めるかもしれないよね。

でも僕に湧いてきた感情はそんなありふれたものではなかった。

 

 

ただ、羨ましいなって、思ったんだ。

 

 

「自転車、乗る?」

 

僕は何も無かったかのように自転車を起こして、女の子に問いかけた。

女の子は目をまん丸と大きくさせて、考えてもいなかった考えが他人からレクチャーされた時のような声でえっ、と言った。

 

「ほんとにケガとか平気だから」

「でも……」

「それに遅刻したらマズイんでしょ?だったら自転車で学校の近くまで送ってあげるから」

 

右膝辺りなんか染みるような痛みがあるし、平気か平気じゃないかと問われれば平気じゃないって答える。

普通だったら無視して自分も学校に向かうさ。僕だっていつもギリギリの時間に到着するから少しのタイムロスが遅刻につながるのだから。

 

でも今だけはこの女の子の顔が、悲しさに覆われるのを見たくなかった。

恋をしたとかじゃなくて、羨ましく思えたから。

 

「ほら、早く乗って。早くしないと遅刻しちゃうよ?」

 

男と二人乗りするのは勇気がいることだと思うし、周りの目とか同じ学校の同級生に見つかったら噂になってしまうとかマイナスな事をまず頭に思い浮かべそうだから、敢えて急かした。

選択肢を絞ってあげることで、選ぶ側の人間が選択しやすくなる。

 

急にお昼ご飯何食べたい?って聞かれたら困るけど和食と洋食どっちが良い?って聞かれた方が答えやすいのと同じだよね、きっと。

 

「乗りますっ!」

 

女の子の方から元気な声で、しかも僕が望んでいた通りの返答だったので久しぶりに顔をクシャリとさせてしまった。

 

やっぱりこの女の子、羨ましい。

 

「それじゃ、しっかり捕まってて!」

 

女の子が自転車のキャリアにちょこんと座った事を確認して、僕は足に力いっぱい加えてフラフラとだけど前に進み始める。

 

少しずつスピードが出てきた。

自転車の二人乗りなんて今の時代は禁止されているようなものだし、大げさな事を言ってしまえば他人の命が僕の両腕にかかっている。

事故なんて起こしてしまえば僕の責任では償いきれない。

 

なのに、なぜだろう。

 

何回も何十回も何百回も、自転車通学を続けてきたのに。

こんなにも風は爽やかだってことに、今日初めて気が付いた。

 

 




@komugikonana

次話は3月29日(日)の22:00に公開します。

Twitterもやっております。良かったら覗いてあげてください。作者ページからもサクッと飛べますよ!

~次回予告~

最初は久しぶりの二人乗りにバランスを取るだけで大変だったけど、少ししてからだんだんと感覚を取り戻してきた。
自転車はペダルを漕ぐたびにギシギシと音を鳴らしているけど、そんな音とは正反対にたくましく僕らを運んでくれる。

心地の良い春風の中、僕は後ろに乗せている女の子が言っていた方向目掛けて突っ走る。

「その……ありがとうございますっ!」
「ん?あぁ、良いよ。僕としては君にケガが無かっただけで充分良かったし」

後ろの女の子はえへへ、と照れくさそうに笑っていた。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第2話

最初は久しぶりの二人乗りにバランスを取るだけで大変だったけど、少ししてからだんだんと感覚を取り戻してきた。

自転車はペダルを漕ぐたびにギシギシと音を鳴らしているけど、そんな音とは正反対にたくましく僕らを運んでくれる。

 

心地の良い春風の中、僕は後ろに乗せている女の子が言っていた方向目掛けて突っ走る。

 

「その……ありがとうございますっ!」

「ん?あぁ、良いよ。僕としては君にケガが無かっただけで充分良かったし」

 

もし自転車で徒歩の人をケガでもさせたら大ごとになってしまう。

自転車もある意味では自動車のようなくぐりではあるから、お金のない僕の家で慰謝料なんて払えたもんじゃない。

 

そんなつもりで言ったんだが、後ろの女の子はえへへ、と照れくさそうに笑っていた。

僕の言葉をどのようにしてとらえたのかは分からないけど、まぁ良い。

 

「でも、良いんですか?」

「何が?」

「君も高校生、だよね?」

「うん、一応ね」

「一応?まぁいいや!もしそうだったら君も遅刻だよ!」

 

この女の子の言う通り、間違いなく僕は遅刻をするだろう。

しかもこのまま事が進めば朝の会が終わった後くらいにこっそり入れるような状態ではなく、授業の途中で教室に行かなくてはいけないパターンだね。

 

そこまで盛大に遅刻するんだったらせめて昼くらいまで遅刻したいなぁと学生なら誰もが持っているであろう、心の中にある堕落の芽がぴょこっと吹いた。

 

「そんなに遅刻ってしたくないものなの?」

「だって遅刻したら先生に怒られるし~……あっ、多分有咲にも怒られちゃう!と、とにかく遅刻したらシュン、ってなっちゃうから嫌っ!」

 

そうか、そういう考え方もあるんだって僕は少し聞き入ってしまった。

僕は別に怒られてしまったからと言って、過去は戻せないから今更言っても仕方がないじゃんって達観しきった気持ちになるから。

 

同じ人間でも。こうも考え方が異なる。

 

どうしてこんなにも考え方に変化が付くのだろう。

周りにいてくれる友達の影響?

好きな漫画の主人公の影響?

それとも……。

 

ああ、きっとそうだろう。

僕は自分で勝手に解決したのは、間違いなくあの経験からだ。

 

「じゃあ少しスピード上げよっか。早く学校に行きたいんだろ?」

「うんっ!でも勉強は嫌、かな……」

「同じだね。僕も勉強は嫌いだから」

「そうだよねっ!えへへ」

 

 

僕は徒競走で最後の力を振り絞るかのように足に力を入れて自転車を動かす。

この女の子も勉強は嫌らしい事にちょっとした共感を得たことに心が揺れ動いた。

 

学生の身分でありながら勉強が好きな人なんてほんの一握りだと思う。

勉強の大事さは大人になってから痛いほど分かるって母さんが言っていたけど、まだ子供の僕には一切分からないし、大人になっても嫌いなままな自信がある。

 

僕が勉強が嫌いな理由は、みんなとは一線を画しているような、全く違う理由だから。

それはきっと、この女の子にも当てはまるはず。

 

彼女は「(いや)」と言い、僕は「(きら)い」と言ったのが理由になると思うから。

 

「ところで、君の名前は?教えて!」

 

自転車を動かしていくにつれて、景色が変わっていき、恐らくこの女の子の高校であろう姿がぼんやりと見えてきた時に僕の背後からそんなやさしい声が聞こえた。

春風の柔らかな風が僕の顔をゆっくりとなでているかのようなむず痒さを覚えて、思わず右手の人差し指で鼻の下あたりをポリポリと掻き始めた。

 

「別に僕の名前なんか覚えてもテストの点数は上がらないよ?」

「良いじゃん、ケチっ!ね、ね?良いでしょ?私も教えるからっ!」

「また会える確証なんかないよ?」

「ぜーったい、また会えるよ!」

 

どこからそんな自信が湧いてくるんだろう。

絶対と言う言葉ほど、信用のできないものはないって僕は思っているから返答を沈黙で返してしまう事になった。

 

でも意外な事にこの沈黙は長くは続かなかった。

 

「悠仁、って呼んでくれたら良いよ」

「悠仁君っ!よろしくね!私は戸山香澄(とやまかすみ)!」

 

僕が沈黙を破るきっかけを作ったから。

信用できない言葉だけど、もしかしたら彼女の言う通りになるかもしれないってほんのちょっとだけ思えて、その信用できない言葉の行く先を見守ろうと思った。

 

僕が自転車で高校まで送っている彼女、戸山さんは今までよりギュッと僕の制服を掴んだ気がした。

 

「戸山さんの高校はここで間違いない?」

「うん!本当にありがとっ!」

 

校門の横に自転車を止めると、戸山さんがお礼を言いながら僕の前まで歩いてきた。

さっきまで戸山さんを乗せていた重みがスッと消えて、心に隙間風が通るようになったような気がした。

 

この時、僕は初めて戸山さんの顔をじっくり見た。

声の感じからも想像できたけど、明るい表情を出していて、それでいてかなり顔が整っていた。

確かここの高校は女子高だから、もし戸山さんが共学の高校に通っていたら大人気なんじゃないかなって一番最初に思った。

 

「悠仁君、ばいばい」

 

戸山さんは手を大きく振りながら走って校門の中に入っていった。

戸山さんと同じ制服を着た登校中の女生徒たちが不思議と好奇に満ちた視線を僕に浴びせていたから小さくしか手を触れず、そのまま流れるように自転車に乗った。

 

自転車はキュキュキュ、と良く分からないさび付いた音を立てていた。

そのまま学校に行っても面倒なので適度に遠回りしながら学校に向かう事にした。

 

背中にはさっきまで感じなかった風が今はたくさん吹き付ける。

 

戸山さんと共にいた時間はとても早く、でも濃く感じた。

他人と話すのが嫌いという訳ではないけど得意でもない僕にとっては新鮮な経験だった。

 

「本当にまた会えたら、面白いかもな」

 

誰にも聞かれていないからこそ呟ける本音を漏らす。

本音は春風と共にどこかに飛んで行ってしまうけど、心にはあり続けるだろう。

 

限りなく低い可能性だから、期待したくなるんだね。

 

 

 

 

無意識に軽く好きな曲を口ずさんでいると、僕が通っている高校が見えてきた。

中高一貫で大きく、立派な私立学校であるこの高校に遅刻をする人間は案外僕ぐらいしかない。

 

駐輪場のいつも止めている場所に自転車を置いて、施錠をしてからゆっくりと歩いて下駄箱に向かっていく。

その時に偶々生徒指導の先生が歩いていて目が合った時、僕はものすごく分かりやすい顔をしたんじゃないかなって思った。

 

「悠仁、また遅刻しやがったな」

「今回は仕方なかったんですよ、先生」

「その言い訳は何百回と聞いて聞き飽きたぞ?まぁ話の続きは生徒指導室な」

 

また生徒指導室か、と思いながらも口に出してもため息をついても逆効果だから自分の気持ちをグッと我慢して先生について行く。

生徒指導の先生は悪い人じゃないし、僕の事を苗字でなく名前で呼んでくれるから悪く思っていないのは分かるんだけど面倒なものは面倒くさい。

 

生徒指導室について、いつものように平謝りをして束縛を解放される。

丁度一時間目の授業の終わりを告げるチャイムがなったから、僕は先生から半ば強引に手渡された原稿用紙を持って自教室に向かう事にした。

 

楽しい事があれば辛い事もある。今回ばっかりは目を瞑っても良い。

 

「あ、悠仁、おっす」

「久しぶり……みんな下の方に行ってるけど何かあったの?」

「そんなもん決まってるだろ!新入生の美少女をサーチしに行くんだよ。お前も来いよ」

「遠慮しとく」

「しけてんなぁ」

 

1年の時に同じクラスだった奴と出くわして、適当に会話を成立させておく。

そいつは今もS特進クラスのエリートで頭は良いはずなんだけど、良くも悪くも本能で生きてるんだって思う。

 

入学時から限られた奴しか入れないエリートの実態があんなのだって新入生にばれたらどうするんだろう。

僕には関係が無い事だけど。

 

 

その後、僕は休み時間の数分をすべて反省文に費やし、授業中も反省文を書き続けた。

授業の板書は一切書いてないけど、いつもの事だから気にはならなかった。

 

だけど、時折戸山さんの事は気になってしまった。

 

 




@komugikonana

次話は4月5日(日)の22:00に公開します。
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~高評価をつけてくださった方々をご紹介~
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同じく評価10と言う最高評価をつけて頂きました 空中楼閣さん!
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評価7と言う高評価をつけて頂きました 小春春斗さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
まだまだ始まってばかりですが、これからもよろしくお願いします。

~次回予告~

僕は頬杖をつきながら、親友である坂本の話を聞き流していた。
それに坂本と今年一年は恋をしないとかそんなバカみたいな約束はした覚えがないし、今の僕には恋なんて興味が無い。

だけどあの日から、時折、僕の脳裏にあの女の子が浮かび上がってくる。
髪型が一風変わった、猫耳を付けているようで、笑顔がとっても眩しかった戸山さんの事を。

登校も下校も、何気なく心に緊張感が走るようになった。
もしかしたらまた会えるのかなってね。

それともやっぱり、絶対と言う言葉は嘘つきなのか。


次話までまったりまってあげてください。


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第3話

「まっさんさぁ、最近よく物思いにふけってるよなー」

「別に、そんなことないよ」

「ついにまっさんにも春が来たのか!?ちくしょう!」

「何勝手に自己解決して納得いってんだ」

「今年一年は受験のため恋はしないって俺たちの約束はどこ行ったんだ!」

「めんどくさ」

 

僕は頬杖をつきながら、親友である坂本の話を聞き流していた。

それに坂本と今年一年は恋をしないとかそんなバカみたいな約束はした覚えがないし、今の僕には恋なんて興味が無い。

 

だけどあの日から、時折、僕の脳裏にあの女の子が浮かび上がってくる。

髪型が一風変わった、猫耳を付けているようで、笑顔がとっても眩しかった戸山さんの事を。

 

登校も下校も、何気なく心に緊張感が走るようになった。

もしかしたらまた会えるのかなってね。

 

それともやっぱり、絶対と言う言葉は嘘つきなのか。

 

「まっさんは受験、どうすんの?」

「決めてない」

 

嘘なんだけどね。

 

「そうだよなー。うちのクラスの秘密兵器、まっさんが決めて無いなら別にいいか」

「いつ僕が秘密兵器になったんだ」

 

秘密兵器だぜ?secretなweaponだぜ?とか何故か英語力が無いくせに横文字を使いだす坂本に僕は呆れて果ててしまった。

今は放課後だし、坂本とこれ以上いても疲れるし帰ろうかな。

 

机の中に入っている教科書をすべて取り出し、自分のロッカーに押し込んで帰る準備を始める。

このまま早く帰っても母親はいないし、ご飯も作ってない。

僕にも日々、色々と悩んでいる事もあるのに世間はいつも追い打ちをかける。

 

まっさんが帰るなら俺も帰るわ、と坂本も荷物をまとめて教室を出て行った。

またな、と言う軽い別れの挨拶をすませて駐輪場に向かう。

 

自転車にまたがって校門を出る時、僕はあることに気が付いた。

 

「今日課題があったっけ……明日朝一で提出の」

 

まぁいいや。自転車に乗ってしまった僕を止めるのは無理だ。

今回もサボってしまおう。もし教師にグチグチ言われたらいつもの平謝りで済まそう。

 

高校に入って3年目だけど、色々な事が変わった2年前ほど鮮烈な記憶が無いからこのままのうのうと過ごして卒業するんだろうなって思うとなんだか僕らしく感じる。

自転車が甲高い音を漕ぐたびに叫ぶ。

 

ゆっくりと自転車に乗りながら帰り道を走っていると、前方に見覚えのある制服を着た女生徒が一人で歩いていた。

その女生徒は背中に何か大きいものを背負っていた。

 

スポーツかな?

でも僕の記憶の中では、こんな大きな物を使うスポーツは思い浮かばない。

 

自転車で軽く追い抜いた時にチラッと顔を見てみようかな。

 

だんだん近づいていくシルエット。そこでバッと追い抜かした。

 

「……え?」

 

僕は思わずそんな声を上げてしまった。

何か大きな物を背負っている女の子が、あの日の朝に偶然であった女の子と同じ顔だったから。

 

「あっ!悠仁君っ!」

 

やっぱり間違いない。

僕の名前を呼んで、とっても元気な顔を見せてくれた。

 

「えっと、戸山さんだっけ」

「あったりー!えへへ、また会ったね!」

 

本当にまた会えたことで、世間は意外と狭いんだって思った。

だけど同時に同じ時間に家から学校に行く際、大体会う人がいるよなって感じて、やっぱり世間は狭いものだって認識になった。

 

「ちょっとお話しない?せっかくまた会ったんだし!」

「まぁ別に、良いよ。どこ行く?」

「ファミレスっ!ファミレスに行こ!」

「決まりだね」

 

僕は自転車から降りて、押しながら戸山さんの横に並ぶ。

戸山さんのカバンを僕の自転車の前カゴに入れてあげると、彼女は少し身軽になったのか少し歩くスピードを速めた。

 

「悠仁君は今日はちゃんと遅刻せず学校行けた?」

「一昨日は2分遅刻したけど、今日はちゃんと行けたよ」

「おお!偉い!」

 

まさか褒められるとは思わなくて苦笑いをした。

戸山さんは面白い女の子だ。普通ならかっこ悪いとかだらしないとか思うはずなんだけど。

 

しばらく歩いているとファミレスが見えてきたから、僕は先に自転車を駐輪場に置きに行く。

あまりこういう場所に自転車を置きたくないけど、僕のはボロいから心配するだけ無駄だと心で唱えた。

 

店に入って店員さんが何名様ですか、と言うお決まりのセリフを僕は手をピースにして店員さんに伝えた。

その時、人差し指と中指が上下にチラチラっと動いたのは僕の心を表しているからだと思った。

 

とりあえずドリンクバーとポテトを注文した。

女の子と二人で来るのが初めてだったから油ものとか敬遠されるのだろうか、と最初は不安だったが戸山さんもポテトが食べたいと言っていたから安心した。

 

「戸山さん、その、気になってたんだけど戸山さんが背中に背負っているのは何なの?」

「ギターだよ!私、バンドやってるんだよ!ね?すごいでしょ!」

「確かにすごいしかっこいいね」

「ねね、バンドで何担当してるか当ててみてっ!」

 

戸山さんがキラキラと瞳を輝かせながら前のめりになりながら聞いてきて、ちょっとだけ僕はのけぞってしまった。

僕はちょっとだけ困ってしまう。

 

さっき僕がギターの事を聞いたのだから彼女がバンドで少なくともギターを担当している事は分かる。

それなのに僕に何を担当しているかと聞いてきたという事は他にも何かしている?

だったら、普通に考えたらボーカルだよね。

 

歌も歌えるという事も知ってほしいからわざわざこんな問いかけをしてきた?

それともただのアホな子なのか?

 

高度な駆け引きを仕掛けられている気がした。

 

「ギター、かな?」

「あったりー!どうして分かったの!?」

「いや、ギター背負ってるし……どうしてって言われてもなぁ」

「あ、そういえばそうだね……えへへ」

「戸山さんは面白い人だね」

 

そんなやり取りをしていると早々とポテトが僕たちの机にやってきた。

まだドリンクも持ってきていないから入れに行こうかと思ったが、戸山さんが持ってくるから座っててと言ってから席を離れていった。

 

二人同時に席を外すのは不用心だから駄目だけど、まだ親しくもない人にドリンクを持ってきてもらうのはちょっとだけ良心がチクチクと痛んだ。

 

「お待たせ!話の続きだけど、ギター以外にも……」

「ボーカル、とか?」

「すごいっ!どうして分かったの!?もしかして悠仁君って賢い?」

「遅刻ばっかりの人間が賢い訳ないって」

「能ある鷹はなんちゃら、って事?」

「そんなんじゃないって」

 

僕だったら例え爪を隠していても鷹の姿を見れば一目散に逃げるだろうから。たとえ近くに長年の付き合いになる親友がいても。

 

アツアツのポテトを手でつかんで別皿の右半分に盛られてあるケチャップを付けて口に運ぶ。

どうせ出されているポテトが冷凍で業務用だったとしても、アツアツだったら美味しい。

 

その時に戸山さんの携帯が音を上げた。

僕が聞いたことのない着信メロディが電話が来たことを伝えているのだけど、当の持ち主である戸山さんは分かりやすくあちゃーっとした顔をしていた。

 

携帯の画面には「市ヶ谷有咲」と表示されていたけど、こういう情報は極力見ない方が良かったなと思い、目をサラッと他の方向に流した。

 

「戸山さん、電話でないの?」

「今は良いかな?あ、はは……」

「何かの集まりをサボったとか?」

「ぎくっ!」

 

どうやら正解だったらしく、いつもは目を星の様にキラキラとさせているのに今は図星を貫き通すらしい。

普通だったら、こんな時なんて言ってあげたら良いのかなってふと思った。

 

約束を破るのはいけない事だよ、って言うのかな?

そんなに僕と一緒にいたいの、っていたずらっぽく言うのかな?

 

色々と厄介で面倒くさい僕なら。

 

「良いんじゃないかな、別に」

「……どういう事?」

「自分がしたくない事とかやりたくない事はやらなくても良いって事」

 

例え仲のいい友達でも自分のやりたくない事をやろうぜって言われても絶対にやらない。

だって自分の、僕の人生なんだから。

 

「悠仁君は、こんな私でも怒らないの?理由とか聞かないの?」

「僕に戸山さんを怒る権利もないし、理由なんて『嫌だから』と言うたった5文字で良いじゃん。何もかもが嫌になってからじゃおそ……」

「おそ?」

「お粗末だってこと。せっかくなんだ、もっと楽しい話をしようぜ」

 

大体誰に聞いても高校の時が一番楽しかった、と口をそろえる。

現在進行中で高校生の俺たちにだって色々あるんだ。

 

表の顔は笑ってバカして、青春を謳歌している。

でもその一方でいつも何かしら、漠然とした悩みを持っていて、だけど誰にも見せないように心の奥底に沈めてる。

 

高校生って面倒くさいよなって思いながらちょっとだけ冷めたポテトを口に運んだ。

 

戸山さんの携帯から出せれていた着信が、止まった。

 

 




@komugikonana

次話は4月12日(日)の22:00に公開します。
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~新しく高評価をつけて頂いた方々をご紹介~
評価10と言う最高評価をつけてくださいました 沢田空さん!
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同じく評価10と言う最高評価をつけてくださいました 柊金木犀さん!
評価9と言う高評価をつけて頂きました 弱い男さん!
同じく評価9と言う高評価をつけて頂きました ちかてつさん!
同じく評価9と言う高評価をつけて頂きました 宮ノ村さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします!

~次回予告~

すっかり日が暮れてしまった夜は、太陽が出ている時間帯とは違って思わず身を震えさせてしまうような冷たさを感じる。
昼夜の温度差が激しく、生活環境が大きく変化するこの時期は案外体調を崩してしまう人が多いらしい事をテレビでよく耳にするようになった。

戸山さんとファミレスで、あの後は他愛の無い話をした後に解散となった。
普段することが無くて時間をもてあそばせている僕からすれば今日は充実した、そして世の中の高校生らしい日常を送った日だと感じている。

僕自身友達が少ないわけではないが、それはあくまでも学校内での関係であって、放課後などプライベートはあまり深入りされたくないという考えがあるから、こんな日は随分久しぶりに感じた。

昔は良く友人と放課後は遊びに行ったものだった。
昔と言っても2年前までだけどね。

僕が気づいてしまった高校1年生のあの日以降は、ずっと今のような過ごし方をしている。

「ただいま」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第4話

すっかり日が暮れてしまった夜は、太陽が出ている時間帯とは違って思わず身を震えさせてしまうような冷たさを感じる。

昼夜の温度差が激しく、生活環境が大きく変化するこの時期は案外体調を崩してしまう人が多いらしい事をテレビでよく耳にするようになった。

 

戸山さんとファミレスで、あの後は他愛の無い話をした後に解散となった。

普段することが無くて時間をもてあそばせている僕からすれば今日は充実した、そして世の中の高校生らしい日常を送った日だと感じている。

 

僕自身友達が少ないわけではないが、それはあくまでも学校内での関係であって、放課後などプライベートはあまり深入りされたくないという考えがあるから、こんな日は随分久しぶりに感じた。

 

昔は良く友人と放課後は遊びに行ったものだった。

昔と言っても2年前までだけどね。

 

僕が気づいてしまった高校1年生のあの日以降は、ずっと今のような過ごし方をしている。

 

自宅に着いて、いつもの場所に自転車を停めて置き、家の鍵を握ってドアを開ける。

 

「ただいま」

 

そう言っても返答はシーン、と言う静寂だけで温かい人間の言葉が返ってくることはない。

帰ってきて早々やることは手洗いとうがい、そして仏壇に姿を変えてしまった父親に帰ってきたことを伝えること。

この行動はほぼ習慣化されている。

 

いつもなら冷蔵庫の中を開いて、中にある具材を適当に使って簡単な物を作るのだけど、今日は戸山さんとファミレスに行って少し食べたから夕ご飯は食べない事にした。

 

何年着ても慣れない制服を脱いでから、自室の片隅に設置してあるベッドに転がる。

モフッと言う音とともにフカフカとしたベッドの中に埋もれていく身体。

 

まるで何かに飲み込まれていくような感覚に陥った時、僕はハッとして上半身を起こした。

 

「僕が何か間違ったことをしているみたいじゃん」

 

確かに自分の行動が正しいのか間違っているのかなんて判断は出来ないけれど、バカで世間知らずな僕なりに考えて行動しているんだからもうちょっと見返りがあっても良いじゃないか。

 

……何一人で熱くなってしまっているのだろう、と僕は再び身をベッドに投げた。

僕に見える景色が、たとえ緑豊かな植物も水の色もすべて、灰色に見える。

 

「目指すぞ!国立医学部!!……か」

 

僕が高校に入りたて早々の時に、意気込みとして紙に書いて一番目に着く場所に貼った志望校の張り紙。志望校と言っても名前を出してしまえば志望校以上の勉強が出来ないから、いくらでも上を目指せるように書いた張り紙。

今の僕には全く関係のないものだし、日々目障り度が増して言っている。

 

いっそのこと、捨ててしまおうか。

 

せっかく横になった身体を起こして張り紙を破って捨てようとした時、僕の部屋の中で着信音が鳴り響いた。

 

「……もしもし?僕だけど」

「悠仁君?戸山です!」

 

電話の相手は戸山さんからで、今日の別れ際に戸山さんからどうしてもとせがまれてしまったので連絡先を教えた。

僕の連絡先を知ってどうするのだろうと思ったけど、手を顔の前で合わせてお願いって言われてしまうと断るのも悪い気がした。

 

僕だって年頃の男子高校生だから、女の子の連絡先を知れることはワクワクすることだ。

だけどそれと同時に、少しだけ危惧してしまう事もあるのも事実なんだ。

 

「さっきぶりだね、戸山さん。……ところで何か用?」

「悠仁君とお話がしたくて電話しちゃった!悠仁君と話しているとキラキラドキドキするからっ!」

 

僕と話しているとキラキラドキドキするってどういう感情なのだろう。

戸山さんなりの感情の表現方法なのだろうと思うけど、僕にはそんな魅力があるとは思えないんだけど。

 

でもそのくせ言われたことが嬉しかったのだろう、僕の心臓がピョンとはねた。

 

「実はね……悠仁君に相談があってね?」

「僕に、相談?」

 

さっきまで明るかった彼女の声が、落ち着いた色に代わって真剣なものとなった。

出会ってばかりの他人に、しかも男の僕に相談なんてどうしたのだろう。

恋の相談だろうか、それとも友人には話し辛い事なのだろうか。

 

僕は一度、唾をゴクリの飲む。

そして僕で良ければ聞くよ、と相手を落ち着かせられるように優しく声を掛けた。

 

「ありがとう……やっぱりね?有咲の約束を破っちゃった事が頭から離れなくて」

「有咲さん?は戸山さんの友達?」

「そうだよっ!でも有咲に『全国模試が近いし、香澄が心配だからテスト勉強するから』って言われたんだけど、今もうちょっとで良い歌詞が浮かびそうだから約束を破っちゃったんだ」

「そうなんだね」

「でも結局有咲の事を考えちゃうから歌詞を考えられない!どうしよーっ!」

 

今日のファミレスでの会話で戸山さんがバンドをしている事を知ったけど、まさか作詞までしているとは思わなかった。

よくバンドのボーカルは自分の歌いやすさを配慮して作詞作曲も担当するって聞いたことがあるけど戸山さんもそのようなタイプなのだろうかと頭で思い浮かべる。

 

ただ、戸山さん本人には失礼だけど、彼女が作曲できるとは思えないなぁと苦笑いを浮かべてしまった。

 

「一人で勉強しましたって言ってみたらどう?」

「有咲は私が一人で勉強できない事を知ってるから無理!」

「そんなキリッとした声で言えることではないよね……」

「それもそうだね。あ、はは……」

 

乾いた声で笑う戸山さんの声が耳の中に鳴り響いた。

 

全国模試なんか本気でやったって何も変わらないし誰も褒めてくれない。それに付け焼刃でどうにかなる学校の定期テストならまだしも、範囲が莫大な模試で今更頑張ったって大して意味もなく無駄な時間になるじゃないか。

と本音で言えばそうなるのだが、僕たち人間は本音と建前を上手く使っていかなきゃ生きていけない生き物だって知っている。

 

「勉強に音楽と、戸山さんは大変なんだね」

 

知っているからこそ、このような無難な会話になってしまう。

戸山さんはまだ同じ学校のクラスの女子じゃないからまだマシだけど、女子と言うのはどこで誰とつながってるか分からない。

女子を敵に回したら、もう終戦だ。

 

「勉強なんてしたくないよー!ちょっとだけギター触ろっ!話聞いてくれてありがと、悠仁君!おやすみっ!」

 

突然掛かってきた電話は突然終わりを告げた。

だけど僕はしばらく固まったままで、右耳には通話が終了したツー、と言う音が小刻みになっている。

 

今ので、どうして僕が戸山さんを羨ましく思うのかが分かった気がした。

それと同時に僕には一生かけても戸山さんのようになれる日なんて来ないんだ、って悟った。

 

どうせ母さんの帰りは深夜と言うか早朝と言うか微妙な時間帯に帰ってくるんだし、やることも無いから寝よう。

身体を横にしたら、スッと眠りにつけた。

 

 

 

 

 

僕が目を覚ました次の日の朝は生憎の空模様で、一気にやる気をなくした。

寝ぼけた頭が更に僕に追い打ちをかけるかのように、今日は課題の提出日だったことを思い出させた。

 

別に課題を忘れるのは良い。

教師にああだこうだ言われるのも気にしない。

 

ただ、反省文や課題を終わるまで学校から返さないなどの埋め合わせが面倒だ。

 

「面倒だし、今日は学校サボろうかな」

 

ただ、母さんにそのことを知られたら面倒だから黙々と学校に行くための準備をする。

母さんは多分まだ気づいていない。僕が倦怠で怠惰な学生生活を送っているという事を。

 

朝ごはんにいつものパンを頬張って歯を磨き、最低限の身だしなみを整えたらレインコートを身に着けて颯爽と自転車を漕ぎ始める。

 

強い雨脚と冷たい冷気にうんざりをしながら進んでいると、ある個所に差し掛かろうとする前に自然と自転車の進むスピードを遅くした。

 

「戸山さん、今日はいるかな」

 

僕が初めて戸山さんと出会った場所。

まだ戸山さんと2回しか会ってない。だけど単数じゃなくて複数回会ってると無駄な時にポジティブシンキングを発揮した。

 

だけど結局この日は、戸山さんに会うことは無かった。

 

 




@komugikonana

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~次回予告~

「あのね……?」
「う、うん」

その後僕は掠れた声だけど電話の相手に違和感を抱かれないように良いよ、と答えて電話を終えた。
その後は窓の外側を見て少しだけ小さなため息をついた。

窓の外は見慣れた景色でたくさんの住宅や施設を見下ろすこの情景。
この景色と同じように、僕は戸山さんの行動を憎めなかったから大きく背伸びをした。





「お、何?デートでもすんのか!?」

坂本が僕の後ろから大きな声で話しかけてきたから、僕は人生で一番強い力で叩いた。


では、次話までまったり待ってあげてください。



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第5話

「まっさん、俺はもう終わりだ……俺の未来はまっくらで何も見えない……俺はこのまま孤独に死んでいくのか……」

「人生、お疲れ様」

 

ある日、僕は親友の坂本とお昼を食べていた。

坂本のセリフから相当思いつめているように思ってしまう人もいるかもしれないけど、今の坂本の顔はニタニタしている。

 

簡単に言えば坂本は楽観的な性格で物事を軽くしかとらえない、日本の高校生代表といっても良い奴だ。

 

「ひどくね?校内でも下から数えた方が早い成績だぜ?」

「お前って進学するつもりなんでしょ?どうすんの」

「なんとかなるっしょ」

「でた、日本の楽観主義高校生代表の十八番」

 

僕は半ば呆れながら学校の購買で購入した焼きそばパンを頬張る。

購買のパンは美味しい、という訳ではないけど安いしおばちゃんと仲良くしておいたらたまにおまけで何かくれたりする。

現に俺はおばちゃんにコーヒー牛乳をタダで貰った。賞味期限が2日前に切れたやつだけど。

 

「俺からしたらまっさんの方がヤバい様に思えるけど」

「え、なんで」

「今回の模試もサボって受けてないだろ?それに進学する気が無いって来た。俺らの高校で進学しない奴なんて史上初なんじゃね!?」

 

僕らの高校は世間的には進学校だ。クラスによって実力に大きな乖離はあるけれどみんなバカじゃない。

その変なプライドのせいで俺達底辺クラスは流動的に進学を決める。

きっかけなんて単純で周りが進学するから俺も、みたいな感じだ。

 

僕らのクラスに一体何人、大学に行って勉強したいって思う奴がいるんだろうか。

多分、いないような気がする。

 

「じゃあ僕がこの学校の歴史を作るか……とごめん、電話だ。出ても良い?」

「誰からだ!?女か!女なのか!?」

「どっちでもいいだろ」

 

坂本に限らずだけど、ちょっとでも電話やメールとか来たら女の子かどうか確認してくるのは正直面倒くさい。でも高校生って良くも悪くもそんな生き物だからこのやりとりは100年後も続いているような気がする。

 

廊下まで出て携帯を確認すると、そこには「戸山香澄」と名前が出ていた。

ちなみに僕たちの高校は校内で携帯を使っても構わないけど、戸山さんの高校だと大丈夫なのだろうかとふと疑問に思ったが、その疑問は次の呼吸をした時にはどうでも良くなっていた。

 

「もしもし、僕だけど」

「悠仁君!助けてっ!」

「え、何?どうしたの……まずは深呼吸して」

 

急に聞こえてきた声が助けてだと少し不安に駆られると同時にどうして僕に求めるんだって思ってしまう。もし何かが合って手遅れになったら僕はこの先ずっと安らかな眠りにつけないと思う。

そうやってすぐ自分の保身の事ばかり考えるのは僕の生き様を表していている。

 

戸山さんをとにかく落ち着かせるために、僕は平静を保った声で返事をした。

僕まで慌ててしまったら廊下を歩いている生徒に奇抜な目で見られるし、坂本にも面倒な事を押し付けられそうだ。

携帯越しからすーはー、と呼吸をする声が聞こえた後に戸山さんの張りの無い声が僕の耳の中に入っていった。

 

「あのね……?」

「う、うん」

 

その後僕は掠れた声だけど電話の相手に違和感を抱かれないように良いよ、と答えて電話を終えた。

その後は窓の外側を見て少しだけ小さなため息をついた。

 

窓の外は見慣れた景色でたくさんの住宅や施設を見下ろすこの情景。

この景色と同じように、僕は戸山さんの行動を憎めなかったから大きく背伸びをした。

 

 

 

 

 

「お、何?デートでもすんのか!?」

 

坂本が僕の後ろから大きな声で話しかけてきたから、僕は人生で一番強い力で叩いた。

廊下にいる生徒とクラスメイトからは温かい目でジッと見られていた。

 

 

 

 

 

 

授業が終わった後、僕はいつもとは非にならない位しっかりとした足取りで駐輪場に向かっていた。

いつもは空っぽの僕のリュックの中には珍しく筆記用具が入れられているので歩くたびにガシャガシャと音を立てていて、僕の心の中を投影しているように思えた。

 

自転車に乗りながら僕は戸山さんの高校の近くにあるカフェを目指す。

戸山さんが助けて欲しかったのは勉強の事らしく、例の有咲さんから怒られてしまった挙句明日の小テストで結果が悪かったらどうなるか分かってるな、とか言われてしまったらしい。

 

他人の性格はそれぞれで構わないし、有咲さんは聞く限り真面目なんだろうって思う。

それと世話を焼きたがるから案外寂しがり屋かもしれないって見たことも無い戸山さんの友達を分析した。

 

どうせ同じ時間に会う約束なのだし、行く途中でバッタリ会えばそれはそれで会話も出来ると考えた僕は敢えて花咲川女子学園の前を通るルートを選択した。

どこの学校も終わる時間は大抵は同じだからぞろぞろと出てくる花女生の中に混ざる。

 

「あ、悠仁君っ!」

 

思惑通りのくせに、戸山さんの声が聞こえた時にドキンと心臓が飛び跳ねるの女の子の扱いに慣れていない男子高校生特有の現象だと信じたい。

声が聞こえた後ろの方を振り返ってみると、戸山さんが手を振りながら小走りでこっちまでやって来てくれた。

 

「あ、戸山さん。奇遇だね……せっかくだから一緒にカフェまで行く?」

「うん!一緒に行こっ!」

 

ぴょん、と跳ねるように俺の横にぴったりとくっついた戸山さんはキラキラとした笑顔を僕に向けていた。僕は自転車を降りて押す。

戸山さんは誰とでも距離が近くて、きっと誰とでも仲良くなれるタイプの人間だ。自分が通っている女子高の前にもかかわらず僕と話すぐらいの性格で、良い意味でも悪い意味でも僕の事を「友達」として割り切っている。

 

僕は戸山さんと違ってそこまで割り切れていないから、近すぎる距離にドギマギとする。

戸山さんは友達……としては付き合いが浅いし、他人という訳でもない。

ただ戸山さんの生き方や人間に憧れているだけだから。

 

その割には無意識に会いたくなってるよね、と言う心の声が響いた時にはもう僕は戸山さんの事をどう見ているのか分からなくなってしまって足を止めてしまった。

 

「どうしたの?悠仁君?」

 

不思議そうな顔をした戸山さんが僕の2歩ぐらい前の距離で立ち止まって振り向いた。

頭の中に渦巻いたモヤを顔をブルンブルンと振って晴れさせた。

 

「ごめん、何でもないよ」

「あれ?うーん、なんだろ」

 

不思議そうな顔をしていた戸山さんの顔が、今度は懐かしい思い出話をするような顔に変わった。

僕みたいにあまり表情を変えることが無い人間にとって、戸山さんのような人間はやっぱり羨ましい。

 

「何がどうしたの?」

「あのねっ!言葉では表しにくいけど心がキラッとする!」

「心がキラッとする?恋でもしてるの?」

 

瞬間、僕は手で顔を覆いたくなった。

女子高生だったら恋の一つや二つくらいは経験するかもしれないし、経験していても普通だよね。だけど今この状況で聞く奴がいるかよ、って全力で心の中で叫んだ。

 

戸山さんは顔をほんのりと赤くして、両手を胸の前に出してあたふたとさせていた。

そりゃあそうなってしまうし、捉え方によっては僕がただの自意識過剰人間に見えるじゃないか。

 

「ごめん戸山さん、今のナシで」

「あ、ははは……」

「よし、今日は一杯勉強して有咲さんをびっくりさせようか!」

 

近すぎず遠すぎずのもどかしい雰囲気を取り払うために僕は咳払いをした後に今日の目的をから元気に宣言した。

戸山さんも僕の心を汲んだのか分からないけどおー、と手を空にかざしてくれた。

 

特に僕が明日のテストの点数が上がれば、と言う話ではなく戸山さん次第になってしまう。

自分の事じゃないからそこまで本気にならなくても良い、普段なら間違いなくそう思っている。

 

だけど不思議とね?

 

「あ……あーーっ!」

「今度はどうしたの?」

「そういえば学校の校門まで有咲と歩いてたんだけど、悠仁君を見つけたら走ってきちゃって……有咲置いてきちゃった」

「……とりあえず明日、謝っとこうな」

 

 

 




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~次回予告~

「おまたせ、戸山さん」

テーブル席で携帯を触りながら待っていた戸山さんの前に、注文した飲み物をそっと置いた。
彼女はわーいありがとう、とまるでずっと欲しかったプレゼントを貰って喜ぶ無邪気な女の子の様な声を出していて僕は静かにほっこりとした。

僕は軽くコーヒーを口に含み、微かに広がる苦みを楽しみながらリュックの中から筆記用具を取り出す。
僕の場合は早く家に帰ったところでする事が無い虚無の時間を過ごす事になってしまうから、極端な話、いくら遅くなっても構わないと思っている。
だけど建前上は筆記用具をチラつかせてハリボテのやる気を見せる。

「では悠仁君っ!教えてください!」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第6話

平日の夕方にも関わらずたくさんの若者が店内を占める全国チェーン展開しているカフェで、大したものを頼むわけでもないのに長時間並ぶことに頭が痛くなってくる。

僕たちが来店した時に運よく二人用テーブル席が空いたから場所は取れたけど、少しでもタイミングが遅かったらまたファミレスにお世話になるところだった。

 

別にファミレスが嫌いなわけじゃないんだけどね。

 

「二点で750円となります」

 

とても可愛らしい店員さんに僕たちの飲み物代を手渡す。もちろん僕はカフェ内で一番安いコーヒーで値段は290円。缶コーヒーの方がはるかに安いけどやっぱり味に関しては別格だし、久しぶりに美味しいコーヒーを飲んでも罰は当たらないよね。

 

「おまたせ、戸山さん」

 

テーブル席で携帯を触りながら待っていた戸山さんの前に、注文した飲み物をそっと置いた。

彼女はわーいありがとう、とまるでずっと欲しかったプレゼントを貰って喜ぶ無邪気な女の子の様な声を出していて僕は静かにほっこりとした。

 

僕は軽くコーヒーを口に含み、微かに広がる苦みを楽しみながらリュックの中から筆記用具を取り出す。

僕の場合は早く家に帰ったところでする事が無い虚無の時間を過ごす事になってしまうから、極端な話、いくら遅くなっても構わないと思っている。

だけど建前上は筆記用具をチラつかせてハリボテのやる気を見せる。

 

「では悠仁君っ!教えてください!」

「僕に分かる部分なら、大丈夫だよ」

 

僕の行動を見ていたのだろう、戸山さんはすぐに勉強に取り掛かるらしい。

勉強はすぐ終わらせて、程々に会話をすれば高校生らしい充実した一日を過ごせる。それだけで僕の虚栄心がくすぶり始めた。

 

早速分からない数学の問題があったから僕が戸山さんのノートと教科書を交互に覗いた。

これくらいだったら僕でも問題なく分かる。

 

戸山さんに、まず解き方を教えた。その後にどうしてこんな計算式になったのか、なぜ公式を使ったかの理論的なものを少しずつ伝えていった。

理論さえ分かってしまえば、応用はいくらでも出来る。暗記したってどうせいつかは忘れるし表面的にしか理解できてなかったら捻った問題に太刀打ちできない。

 

どうせやるんだったら根本的に理解した方が楽じゃないかなって僕は今でも思う。

もう僕は勉強とかするつもりは毛頭もないけれど。

 

「すごいすごい!悠仁君ってもしかして賢い?」

「遅刻魔で課題出さない人間が賢い訳ないって」

「でも、私がずーっと考えても分からなかった問題をすぐに解いたよ?」

「僕もこう見えて高3だからね」

 

僕は少し得意げに、だけど控えめに見えるように頭をワサワサと触りながら彼女に言った。

本音を言えば、今解説した問題は僕が高1の1学期に終えた内容だったからそんなに難しい分野ではない。

 

でも数学って、コツを掴むまでが時間かかるから戸山さんの気持ちもとても分かる。

 

「あ、あれ?どうした戸山さん」

 

ふと戸山さんの顔色をみてみようとチラッと見てみたら、戸山さんは元々大きくて可愛い瞳が更に丸みを増しながらきょとんとしていた。

何かおかしなことを言ったかな、と頭の中で僕が無自覚に言った言葉たちを並べてみてもあまりピンとこない。

 

「ゆ、悠仁君って年上だったの!?」

 

戸山さんは可愛らしく目をキョロッとさせながら、いつもは元気いっぱいの声だけど今は驚きに満ち溢れた色が濃い声で言った。

 

そういえば戸山さんに何年生って言ったことが無かったような気がした。

年齢の一つや二つくらいで気にしなくて良いよ、と言う想いを込めて、僕は戸山さんに微笑みかけた。

年上ならそう思うけど、僕が戸山さんの立場だったら一年早く生まれただけの「先輩」だから気にしなくて良いよと言われても気にしてしまうだろう。

これだから現代社会の人間関係は面倒くさい。

 

「えっと……悠仁、先輩?」

「急に固くなっちゃってるじゃん。今まで通りで良いのに」

「そういう訳にはいきません!今まで敬語じゃなくてすみませんでした、悠仁先輩っ!」

 

どうやら僕の方も、戸山さんについて知らない部分を垣間見ることになったみたい。

前向きで明るく、あまり気にしないタイプだと思っていたけど意外と繊細なのかもしれないね。それに上下関係はしっかりと重視するタイプのようで、僕は戸山さんがそんなタイプの女の子だと思っていなかったから逆にこっちもびっくりしている。

 

ははは、とあまり場が重たくならないように軽い声で笑いながら右頬を軽くなぞりながら僕は戸山さんの顔色を覗き込んだ。

僕の心配事は現実にはならなかった。

 

でも、戸山さんの僕を見る目が変わった気がした。

どう変わったのか僕には分からない。分かるのは内心を言葉に出来る戸山さんだけ。

 

「おしゃべりはこれくらいにして、ボチボチ再開しよっか」

「はいっ!」

 

パンッと手を叩いて僕は少しだけ身を前に乗り出して戸山さんに話しかける。

戸山さんの返事の仕方は少し硬くなっているけど、イキイキとした声色は変わらなかった。

 

 

 

 

 

「……うん、これくらい出来たら大丈夫じゃないかな」

 

カフェに入って勉強を始めて、一体どれくらいの時を刻んだのか分からない。

一人でやる勉強は時間の経過が溜まったヘドロのようにへばりつくのに、誰かと外でやる勉強はサラッと洗い流す泡の勢いで無くなっていく。

 

戸山さんの理解度はおおよそ7割程度だから、完璧という訳ではないけど恥ずかしい点数になる事もないはず。

うーん、と背伸びをする戸山さんの表情は軽やかなものだった。

 

「こんなに分かるようになるなんて思わなかったですっ!あー、学校の先生も悠仁先輩が良かったなぁ……。時間があればまた勉強教えてください!」

 

女の子に勉強を教えてくださいって言われるだけで何故か心が舞い始める気がするというか、悪き気にならない。

男に教えてくれって言われたら絶対に断るのにさ。いつの時代も男性は女性の願いには逆らえないのかもしれないね。

 

「はは、時間があればね?それと戸山さん……一つだけ聞いても良いかな?」

 

僕は右手の人差し指を立てながら戸山さんに問いかけた。

ちょっと前から戸山さんの顔を見て感じていた事を聞いてみたいって思った。

 

でも、その聞いてみたいって気持ちに中々踏ん切りがつかなかった。

このことを戸山さんから聞いても僕には何も出来ない。何かを変えることが出来るのは彼女の行動だけで、生憎僕には気の利いた言い回しが出来ないから背中を押すことも出来ない。

 

それなのに今は聞こうとしている。

僕は性格が悪い方の人間だから、聞くだけ聞いておけば自分の中で満足感に浸れるんじゃないかと思ったからだろう。きっとそうだ。

 

 

僕の心が何かを叫ぼうとしているけど、そんなことないよって落ち着かせる。

 

 

「あのさ、戸山さんって何か、悩み事があるよね?」

「えっ?」

「僕の気のせいだったら良いんだけど、案外吐いてみたら楽になるかもだし」

 

時折見せる時があるんだ。

自己評価と周囲が表す評価の乖離と言うか……ギャップのようなものに苦しんでいるような顔色を。

 

僕は真剣な顔で綺麗に澄んだ彼女の瞳を見つめる。

しばらく真剣な顔で見つめた後、ニヘラッと表情を崩してからもうすっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。

 

そう、僕はもうすっかり冷めてしまったんだ。

戸山さんだったらまだ、温めなおすことが出来るのかな。

 

「なんてね。僕たちは高校生だし、絶対に誰か一つは悩み事を抱えてる。あまり気にする必要はないよ」

「悠仁先輩って、たまに深い事を言いますね」

「そう?ペラッペラだと思うけどね」

「じゃあ、悠仁先輩の目の前に悩んでる人がいるとしまね?悠仁先輩だったらどうしますか?」

「僕だったら……何もしないよ。悩みはいつか自分で解消する日が必ず来るから……だけど傍にいてきっかけは与えたい。それが聞いた人にだけできる、唯一の行動だと思ってる」

 

悩みは自分以外の人間が解決なんてできない。自分が納得するかしないかだから。

だから僕はカギを数種類紹介するさ。

納得のいくカギが見つかれば、あとは自分で鍵穴を作ればいい。そして扉を開けたなら、もう君は大丈夫なんだから。

 

「目の前に悩んでいる人がいれば手を差し伸べる、って言うと思ってました」

「僕は悪い人間だからね。さて、もう遅いしそろそろ帰ろう」

 

僕は荷物をまとめ始める。

女の子の帰りを遅くするのだけは僕はしたくないのは、変な鼓動が僕の身体に響き渡ってしまうから。

特に問題なく家についてくれると高を括っていても、物騒な想像をしてしまう人間なんだ僕は。

 

 

「気にしなくても良いって言われても、気にしちゃうかな」

 

 

 




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次話は5月3日(日)の22:00に公開します。

新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
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評価9と言う高評価をつけて頂きました 神無月紫雲さん!
同じく評価9と言う高評価をつけて頂きました jima さん!

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~次回予告~

いつの日だか忘れたけど、休日のある日。
僕は少しの悩み事を頭に抱えながら夕方の街を徒歩で散策していた。

実は散策が好きで、家庭の事情もあり家に帰ってもほとんど一人の僕は夜の遅くまで外を歩いていることが多々あったりする。
それこそ母親が働いているであろう、高校生が歩き回る場所ではないところでさえも歩いている時がある。

好きな理由は様々あるけれど、一つは小さくても新しい発見があるところ。

こんなところに細い道があるんだ。どこに続いているんだろうか。
このお店はお洒落だな。大人になったら食べ歩きでもしてみたいな。

そんな些細な発見が僕の心にドキドキと好奇心をいたずら好きの子供の様にくすぐる。

もう一つの理由はね……一番最初に出てくることだけどやっぱり。
お金がかからない事だね。

そんなたまに送る、ある意味気分転換にもなりうるこの時間にも関わらず、僕はある子の言葉が頭の片隅に引っかかっていていつまでも残っていた。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第7話

いつの日だか忘れたけど、休日のある日。

僕は少しの悩み事を頭に抱えながら夕方の街を徒歩で散策していた。

 

実は散策が好きで、家庭の事情もあり家に帰ってもほとんど一人の僕は夜の遅くまで外を歩いていることが多々あったりする。

それこそ母親が働いているであろう、高校生が歩き回る場所ではないところでさえも歩いている時がある。

 

好きな理由は様々あるけれど、一つは小さくても新しい発見があるところ。

 

こんなところに細い道があるんだ。どこに続いているんだろうか。

このお店はお洒落だな。大人になったら食べ歩きでもしてみたいな。

 

そんな些細な発見が僕の心にドキドキと好奇心がいたずら好きの子供の様にくすぐる。

 

もう一つの理由はね……一番最初に出てくることだけどやっぱり。

お金がかからない事だね。

 

そんなたまに送る、ある意味気分転換にもなりうるこの時間にも関わらず、僕はある女の子の言葉が頭の片隅に引っかかっていていつまでも残っていた。

 

 

『気にしなくても良いって言われても、気にしちゃうかな』

 

 

少し前に聞いた、戸山さんの口から零れた独り言。

きっと戸山さんは僕に聞いて欲しくて言ったんじゃないと思うけど、彼女の意思に反して、僕はその言葉を耳に入れてしまった。

 

やはり僕の予想通り戸山さんは悩みの種を持っていた。

これは勝手な事だけど、戸山さんにはいつものような明るい感じでいて欲しいって思う。

 

「あれ、この良いにおい……もしかして」

 

商店街に入ってすぐに、僕の鼻が嗅ぎなれた香りをキャッチした。

寝ぼけ眼でボーっとした頭でいるけど、このにおいだけは鮮明に覚えていていつも朝ごはんお世話になっているパンの香りだ。

 

母親がいつもどこから買ってくるのだろうと疑問に思っていたが、どうやら今日が正解を導くことが出来る日になったらしい。

店名と僕がいつも見ている山吹色の袋に書いてある字が一致した時、心の中の僕が店に入ってみようと言い出した。

 

「いらっしゃいませ」

 

店のドアを開けると明るい鈴の音と、若い女の子の声が歓迎してくれた。

女の子は同世代くらいで、まさかパン屋に入って同じくらいの女の子が働いているとは思わなかった。

 

でも不思議と、僕はその女の子に同情した。

どんな理由があって働いているのかなんて知らないし、どんな理由だって良い。

 

だけど同情したんだ。

女の子もきっと、何か理由があって休日も頑張って働いているんだ。

 

「あれ、悠仁先輩?」

 

考え事をしながらトレイとトングを持ってお店のパンを見回っていると、声が聞こえた。

この声の主は、最近僕の頭の中で何回も木霊しているから会ったのが昨日のような気がした。

 

「お、久しぶり。戸山さんもここのパン買いに来たの?」

「ちょっと違うけど……おすすめのパン、教えてあげるっ!」

 

戸山さんは僕の右手の袖をキュッと掴んで引っ張っていく。

不意に距離が近くなったうえに、袖を掴まれているだけなのにまるで手でも繋いだかのような感情が急にブワッと沸き上がってきて僕の体温が上がっていくのを感じた。

 

「あれもね美味しいし、これも……。さーやのパンはぜーんぶ、美味しいよっ!」

「さーや?」

「うん、さーや」

 

戸山さんが両手でレジにいるあの同年代の女の子を指して言った。

あの子がさーやさんらしいし、戸山さんとも知り合いのようだ。

 

少し気になるのがさーやさんが僕たちの方を見て、少しだけ納得の言ったような顔をしたのがちょっとだけ気になった。

さーやさんと僕は初対面のはずなのだけど。

 

「香澄、この人は?」

「悠仁先輩だよ」

「先輩……ということは年上!?」

 

年上といってもたかが1年早く生まれたってだけだし、そこまで驚く必要もないと思うけどって思う。

どちらかと言うと女子高に通っているのに異性の知り合いがいる方がびっくりするはずだけど。

 

もしかしたらこの人も異性の友達がいるのかも、とつい勘ぐってしまった。

これは僕の悪い癖だ。

 

「それにしても有咲の言ってたことは本当だったんだ」

「さーや、有咲が何か言ってたの?」

「有咲、すっごい顔して私に言ってきてたよ?香澄に彼氏がいるって」

 

えっ!?

そんな言葉が思わず零れ落ちてしまった。

どうやらそれは戸山さんも同じだったみたいで僕と同じタイミングで同じ言葉を発した。

 

さーやさんは道端で大道芸人が披露しているマジックを見たかのような不思議な表情をしながら違うの、と逆に問いかけてくる状況だった。

 

頼むからそういうデマは本当に辞めて欲しい。

どこに行っても同じような考えの人間がいすぎだろう。

 

「わっ、私たちはそんな関係じゃないですよね!?」

「え、あ、うん。そういう関係じゃない」

 

戸山さんが顔を赤くしながら僕の方を向いて確認してきたから、僕は彼女の意見を肯定した。

彼女は下から覗き込むような眼遣いが、僕の言葉を聞いてから少しだけ伏せたように感じた。

 

もし僕が場を盛り上げるのが上手い人間だったら、冗談っぽい顔をしながら恋人だと思ってたのに、とか言えたかもしれない。

戸山さんもそっち側の人間だったから、僕の受け答えにがっかりしてしまったのかな。

 

「私の分からない勉強を……教えてもらったけど」

 

戸山さんは顔を軽く俯かせながらボソッと言葉を言った時、普段の彼女とは違うモジモジとした姿にびっくりしたと同時に意味深な事を言うんじゃないよって突っ込みを入れたくもなった。

 

高校生くらいの考えだったら分からない勉強を性に関してと捉えるバカがいるかもしれない。

間違いなく親友の坂本ならそう捉える。なぜならあいつはバカだから。

 

「あ、だからこの前の小テスト、良い点数取れてたんだ」

「へっへーん。悠仁先輩は勉強を教えるのが上手いからねっ!」

 

僕はさーやさんが普通の感性を備え付けていてとても安心した。

 

自分の事でもないのにちょっと胸を張って、吹き出しがあればえっへんと出ていそうな格好をしながら楽しそうに話す戸山さんは、僕には眩しく見えた。

 

小テストを良い結果で締めくくることが出来たのは戸山さんだ。

その結果を遠回しだけど聞けて良かったし、僕のおかげでもない。点数を出せた戸山さんがすごいんだ。

 

僕は勉強が嫌いだ。

だけどたまに人間を笑顔にさせる時がある。たまに本気で喜べる時がある。

まばゆい光がある反面、どす黒い闇も存在するという事を僕はこれから一生忘れることは無いだろうけど。

 

「先輩はどこの高校に通っているんですか?」

「はっ!?そういえば私も知らない……教えて、悠仁先輩っ!」

 

どうしてそうなるんだって僕はトレイの乗ったパンを見ながらそう思った。

僕は自分の通っている高校を言うのは余り好きではない。

 

バカな高校過ぎて言うのが恥ずかしいとかそんなくだらない理由ではない。

ただ……言いたくないんだ。

 

僕の胸がキリキリと音を立てながら変な圧力に握りつぶされる。

 

「高校なんてどこでも良いじゃん?また今度の機会に教えるよ。それよりさーやさん?だっけ……会計お願いしても良いかな」

 

そのまま教えないのは気まずくなりそうだったから、ちょうど戸山さんが選んでくれたチョココロネを使って話題を変えることにした。

 

さーやさんは手際よくレジ打ちをこなして、いつも見覚えのある袋にチョココロネを入れてくれた。

戸山さんは教えてよー、と肩を揺らしてきたけどまた今度と誤魔化しておいた。

 

「そろそろ帰るね。戸山さんもさーやさんも、体調には気を付けてね」

 

僕は軽く手を振ってからお店を後にした。

戸山さんは元気よくバイバイと言ってくれて、なんだか懐かしい気持ちにもなりながら商店街を歩いて自宅の方へと変えることにした。

 

どうして懐かしい気持ちになったのかは、恐らく元気なバイバイと言う声を聞いたのが幼稚園とか小学生以来だと思ったからだと思う。

 

 

帰り道に、ふと目に入ったのは学習塾だった。

新学期に入り、それなりに意識が高い人はもちろんの事、今の時代は結構な割合で学習塾に通ってる。

あ、今も僕の目の前で中学生らしき背丈の女の子が重たそうなカバンを持ちながら建物内に入っていった。

 

その学習塾には張り紙が貼られていて、内容は合格実績だった。

 

「今年は……この学習塾から2人、か」

 

僕の通っている高校が張り紙の一番上に大々的に書かれていた。

この二人がどのコースに入ったのかは書かれていないけど、名前だけでインパクトになると判断しているのかな。

 

そんな高校にも、僕みたいな問題児がいるって事はお笑い種だよね。

僕は嘲笑と言う名の笑顔を少しだけ出した。

 

手に持っていたパン屋の袋の持ち手はシワだらけになっていた。

 

 




@komugikonana

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~次回予告~

「なぁ、まっさん」
「ん、何?」

さっきまでとは違った、たまに見せる真面目なトーンで坂本は僕に問いかけてきた。
僕が散々バカだって言ってはいるけど、中学校の時は優秀だったらしいからたまにその時の片りんを見せつけてくる時がある。

そしてその時の坂本に限って……。

「今のままで、良いのか?」

僕にとって耳の痛い事を言ってくる。
もう慣れてしまった、平気な顔を取り繕って坂本にこう言った。

「良いよ、別に」


では次話までまったり待ってあげてください。


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第8話

ゴールデンウィークが明けて初の平日である今日の教室の空気はいつも以上にどんよりとしていた。

長期間休んだことによって多少の生活リズムが狂ったという事もあるだろうけど、後数週間後に迫っている定期テストも彼らの気持ちを重たいものにしている理由の一つだと思う。

 

クラスのみんながそんな感じでも、僕はいつもと変わらない。

定期テストがいくら足音を大きくて近づいてきたとしても僕からしたらそんなのは知った事ではない。

 

僕のこれからの人生の様にテキトーに過ごしていく。

 

「まっさん、今回もマジでノー勉で挑むん?」

「うん。面倒くさいし」

「まっさんがノー勉なのに俺より点数が良いのは許せねぇ……」

「それは坂本がバカすぎるだけでしょ」

「そうかもしれんけど、お前のポテンシャルの高さもあると思うぜ?……あー、どうしてこうも公平じゃないんだ世の中は!」

 

急に頭を抱えだした坂本に、僕は頑張ってくれと言う意味を込めた眼差しを送った。

そして喉にぬるいお茶を流し込む。

 

「はー、まじで俺とまっさんのポテンシャルを変えてくれ」

「あげられるならあげるけど、坂本のポテンシャルは遠慮しとく」

「まじでもったいねぇって!宝の持ち腐れみたいなもんだろ」

 

別にそんな大層なものではない。ただ最初はほんのちょっとだけ頑張った、ただそれだけの事。

僕はそんな過去の栄光にすがるような恥ずかしい事はしたくないし、今となってはその辺にいる高校生たちの方が数十倍も頑張っている。

 

それに坂本に言われなくたって、たまに自分でも考える。

こんな僕は、これから先の人生を生きていけるのかどうかって。

 

結局、そんな悩みはほんの数秒で何事もなかったかのように泡となって消える。

仕方がない、それが僕のやった事なんだって言い訳をして。

 

「なぁ、まっさん」

「ん、何?」

 

さっきまでとは違った、たまに見せる真面目なトーンで坂本は僕に問いかけてきた。

僕が散々バカだって言ってはいるけど、中学校の時は優秀だったらしいからたまにその時の片りんを見せつけてくる時がある。

 

そしてその時の坂本に限って……。

 

「今のままで、良いのか?」

 

僕にとって耳の痛い事を言ってくる。

もう慣れてしまった、平気な顔を取り繕って坂本にこう言った。

 

「良いよ、別に」

 

そう言い切った後に、校舎内にチャイムが響き渡った。

このチャイム最終下校時間に差し迫った事を知らせるもので、校舎内にいる学生は帰り支度をせっせと始める。

 

勉強をしている者はカバンの中に詰め込んで。

部活をしている者は道具の片付け。

 

僕も机の中に入っていた教科書類をすべてロッカーに入れて、財布をリュックの中に放り込んでんから立ち上がる。

リュックを背負って、僕は坂本に言う。

 

「未来の事より、今を見ることの方が大事だって気づいたから」

 

坂本はふーん、と言うような顔をしてからいつもの表情に戻った。

 

 

 

 

ギシギシと音を立てる自転車をゆっくりと漕ぎながら校舎を後にする。

校舎からはゾロゾロと生徒が出てきており、今授業が終わったのかと錯覚してしまいそうな風景だった。

 

みんな、テストに備えて勉強をしているのだろう。

僕らの高校は定期テストの好成績者に関しては表示がされる。表示された人間は次は抜かれないように更に闘志を燃やし、表示されなかった人間は反骨心で次の機会に結果を出そうとするらしい。

 

それらを生徒指導の先生から聞いたけど、僕には関係ない事だ。

今の僕には、と付け加えておいた方が正しいかもしれないけれど。

 

赤から青に変わるのが長い信号に引っかかってしまった。

ぼんやりと交差点を走り抜ける車を見ていても面白い事は無いし、車から出される独特のエンジン臭があまり好きではないので携帯を見てみた。

 

すると一件、新着メッセージが来ていた。

 

「うん?誰からだろう」

 

いつもだったら家に帰ってから見るのだけど、今だけは暇だったのでついメッセージを見た。

送り主は戸山さんからで、パン屋であった時以来のコンタクトだった。

 

 

少しお話しませんか

 

 

送られてきた時刻は今から30分前と時間が経過してしまっているが、良いよと言う趣旨の返信を送った。

メッセージの内容からはいつもの戸山さんらしい元気いっぱいの、文字が飛び跳ねているかのような感じではなく落ち着いたような雰囲気だったから、返信したんだ。

 

信号が青になる前に僕が送ったメッセージに既読が付いて、返信が来た。

どうやら地図が添付されていて、ある場所に丸印が記入されており、ここにきてと書いてあった。

 

「これ、どう考えても家……だよね」

 

僕の顔は信号機のシグナルのように赤くなった。

いきなり家に来て欲しいって戸山さんは積極的すぎるし、そもそもそんな関係じゃないし……だめだ、僕は何を考えているんだ。

 

信号が青になったのを確認して、僕はいつもの帰り道と違う方向へと舵を切った。

戸山さんの指定してきた場所はここから自転車で5分も掛からないところだと思うけど、そういえばこんな場所に今まで行った事は無かったなぁと心の中の自分と対話した。

 

考え事をしていたら勝手に足が動くもので、気づけば戸山さんが指定してきた場所付近に到着した。

 

もう一度携帯を立ち上げて戸山さんのメッセージで来た画像を見る。

間違いなくここだ、と顔を上げてもやはり近くにはお店とかは無く、住宅が連なっているだけだった。

 

無駄に高鳴る鼓動を必死に抑えながら丸の付けられた部分、目的地に到着した。

 

「……ここ、質屋か?」

 

もしかして戸山さんのご両親が経営されているのだろうか、もしそうならば僕は戸山さんのご両親と相まみえることになるんじゃないかと更に心臓の鼓動が激しくビートを打つ。

友人の悠仁と申します、とでもいうのか?絶対に1回は噛む自身がある。そもそもどうして名前で言っちゃうんだ……苗字で良いじゃないか。

 

「ま、まぁなんとかなるよね?」

 

とりあえずこの建物は戸山さんの実家兼質屋みたいなものだろうから、インターホンをそっと押した。

自転車を漕いでいた時はあんなにも時間は早く流れたくせに、今は1秒が10秒くらいに感じる。

 

ゴクリ、と唾を飲み込む音が鮮明に身体中へと響き渡るのを感じる。

普通に考えて戸山さんがここに読んだのだから、インターホンが鳴ったら一番最初に出てきてくれるはずだし、そんなことは立場が逆になって見たら簡単に分かる事だよね。

 

ドアが開いた音がした。

僕はとりあえず用意していた言葉を話してなんとかしようと思った。

ちょっとおそくなってごめんね、とちょっと申し訳なさそうな顔を作ろう。

 

「……どちら様でしょうか?」

 

僕の思考回路は重くてフリーズしてしまったパソコンの様に永遠と丸いものがグルグルと回っている状態になってしまった。

てっきり戸山さんが出てきてくれると思ったのに、今目の前にいる人は僕が見たことのない女の人だった。

 

その女の人はすごく疑心の目で僕をジトッと見ていて、思わず一歩後ろに退いてしまう。

こんな状況で僕の頭の中は「は?」と言う文字が無限に増殖していく。

 

すみません家を間違えました、と言う言葉を口から出そうとした時、その怪訝な顔をしている女の子の方から聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「あっ、悠仁先輩!来てくれたんですねっ!」

 

女の子の後ろからぴょこん、と顔を出したのは戸山さんだった。

目的地は間違っていなかったという事実にホッとした。だけど同時に良く分からないモヤモヤとしたものが沸き上がってきた。

 

 

「香澄がこの人を呼んだのか!?」

「うんっ!力になってくれそうだからお願いした!」

「マジで言ってんのか!?こういうのはまず私に言うべきだろ!」

「悠仁先輩は私の知り合いでとーっても良い人だよ?」

「私からしたらただの他人じゃねーか!」

 

戸山さんと女の人は何やら言い合っているのを僕はボーっと見ていた。

こんな時にどうするべきかなんて分からないし、僕が仲介に入ったら女の人にきっとボロクソに言われてしまうのが目に見えた。

かといってこのままずっと見守っていると、何もしない人なんだなって思われる。

 

どっちにしろ、僕は。

 

「あの……お騒がせして悪いけど、帰っていいかな?」

 

苦笑いでちょこんとした言葉を零すことしかできなかった。

加えて僕のクセらしい、髪の毛を右手の人差し指でくるくると巻く仕草を無意識にした。

 

 

 

その時、戸山さんは一瞬だけ、目を大きく開いた気がした。

 

 

 




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~次回予告~

「あの……お騒がせして悪いけど、帰っていいかな?」


だから僕はこの言葉を躊躇なく出したんだ。
この場にいても知らない女の子の印象は悪くなる方向にしか行かないだろうし、僕だって楽しくない。
それだったら何か有意義な事に時間を使いたい。
そう思ってしまうのが僕と言う人間なんだ。
ただ現実は僕が思っていた方向に傾くことは無かった。
もしかしたら僕の考えを改めるチャンスを神様が与えてくれているのか、と一瞬だけ思ったけどそんなバカみたいな考えはすぐにくしゃくしゃにしてゴミ箱の中に捨てた。

もし神様がいるのならば、目の前でこう言いつけてやる。

どうして僕にもっと早くあの事を教えてくれなかったんだ、って。


それでは、次話までまったり待ってあげてください。


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第9話

僕は、自分が一番大事だと思っている。

 

自分が楽しかったらそれで良いし、自分が後悔しなかったらそれで良い。

何でも他人と合わせて、自分が我慢しなくちゃいけない状況とかは大嫌いだ。

 

自分の人生は一度きりなんだから、自分を最優先に考えるのが一番大事だと思う。

 

この考えはもしかしたら批難を生むかもしれない。

自己中心的な奴だとか、悲しい人生を送っている可哀そうな奴だとか。

……知るかよ、そんなこと。

 

 

「あの……お騒がせして悪いけど、帰っていいかな?」

 

 

だから僕はこの言葉を躊躇なく出したんだ。

この場にいても知らない女の子の印象は悪くなる方向にしか行かないだろうし、僕だって楽しくない。

それだったら何か有意義な事に時間を使いたい。

そう思ってしまうのが僕と言う人間なんだ。

 

「このまま追い返したら私が悪者見たいだし……香澄の友達、なんだろ?だったら入っても良いよ」

「やったー!有咲だいすきーっ!」

「ちょっ!離れろー!」

 

ただ現実は僕が思っていた方向に傾くことは無かった。

もしかしたら僕の考えを改めるチャンスを神様が与えてくれているのか、と一瞬だけ思ったけどそんなバカみたいな考えはすぐにくしゃくしゃにしてゴミ箱の中に捨てた。

 

もし神様がいるのならば、目の前でこう言いつけてやる。

 

どうして僕にもっと早くあの事を教えてくれなかったんだ、って。

 

 

戸山さんと有咲さんの後をついて行って、有咲さんの家と思われる場所にお邪魔した。

もしかしたら有咲さんのご両親がいるかもしれないからお邪魔します、と言って靴を綺麗にそろえてから家の中に入った。

 

そのまま彼女たちは階段を下りて行って、地下室のような場所にたどり着いた。

この場所には楽器が置いてあって、バンドの練習がいつでも出来るような環境になっていたけど、この場所にいるのは僕と戸山さん、そして有咲さんの3人と寂しいものだった。

 

「悠仁先輩を呼んだのは、実は相談がしたかったからなんです」

「相談?……それはバンドに関係すること、だよね?」

「悠仁先輩にはすぐにばれちゃうなー」

 

僕は優しく戸山さんが分かりやすいからだよ、と笑顔をみせた。

正直、僕が戸山さんに何かアドバイスを出来るような経験をしているかと言われれば、していない。

それに他人の相談なんて適当にそれらしく聞こえるように言えば良いだけじゃないかとも思う。

 

それなのに戸山さんだけは。

どうしてだろう、真剣に答えてあげたくなるんだ。

 

「悠仁先輩、さーやの事、覚えていますか?」

「さーやさん……。ああ、パン屋さんで働いていたあの子か」

「さーやがね?最近元気がないんです。まるで大事な人が突然いなくなっちゃったような感じで……」

 

僕は少し胸がキュッと摘ままれたような感覚になってしまって、一度だけ深く息を吸った。

僕もこの年ですでに父親との別れを体験しているから、そういう話題には昔、心にできた傷がちょっとずつ染みるように広がっていくのが分かる。

 

「バンドに関係ない人にこんな相談をするのは申し訳ないんですけど、私たちだけでは難しくて……」

 

有咲さんは少し目を伏せながら、僕に申し訳なさそうな声を掛けてくれた。

確かに僕が戸山さんや有咲さん側の立場だったら、誰に相談して良いのか分からないし自分たちに何が出来るのかも分からない状態になるよね。

 

実際にさーやさんがどうして元気がなくなったかは分からないけど、こんなに一杯考えてくれる友達がいるのってすごい事かもしれない。

 

僕だったら誰がこんなに自分の事で考えてくれる他人がいるのだろうか。

恐らく誰もいないんじゃないかな。

それくらい今の僕はどうしようもない人間に成り下がっているはずだ。元から大した人間じゃないとは思うけどね。

 

「そばに、いてあげてる?」

 

僕は優しく、彼女たちに問いかけてみた。

彼女たちの目は、綺麗に僕の姿を映し出していると共に、自分たちの今までの行動を思い返しているような動きをしていた。

 

「辛い時って、誰かがそばにいてくれるだけで気が楽になるときがあるんだよ」

 

別に何があって落ち込んでいるのかなんて聞かなくても良い。

もし聞いたところで辛かったね、なんて言ったところでじゃあお前は何が分かるんだって思われてしまう事だってあるし、言い訳が出来てしまったりする。

 

ああ、やっぱり僕は戸山さんが羨ましい。

もっと早く戸山さんと出会っていたら、今頃僕は何をして、どんな学校生活を送っているのだろうか。

 

「さーやさんが君たちにとって大事な友達であるなら、そう思う気持ちと同じくらいの時間を一緒に過ごしてあげるのが一番いいと思うよ」

 

僕はゆっくりと口角をあげて、彼女たちに思っている事を話した。

ここで無意識に笑顔を作ったのは、さーやさんは僕みたいな道を歩むんじゃなくて戸山さんたちと同じ道を進んで行くって確信したから。

 

「今はもう時間が遅いから、明日から、抱き着くくらいベタベタしても良いんじゃない?」

 

戸山さんだったら間違いなくぎゅーっと抱き着きに行きそうな気がするなぁ、って思った。

そして同時にこんな事が昔あったっけ、となぜかこんなタイミングで過去の出来事を引っ張り出したかのような埃っぽいモヤモヤと共に頭の片隅から出てきた。

 

なんだっけ、たしかいつも帰り際になると腕をギューッとなったような感覚があったような気がする。

そしてこんなかわいい子供の声がよみがえる。

 

 

もうちょっとあそぼーよー

 

 

「やっぱり悠仁先輩に聞いて良かったっ!でも私、つい悠仁先輩に頼っちゃうな~」

「それで戸山さんが楽になれるなら、頼ったら良いよ。勉強だけはもうごめんだけどね」

「えーっ!?悠仁先輩の教え方、分かりやすかったのにー」

 

戸山さんがそれをきっかけに楽になれるのであれば、使える人間は使った方が良い。

それが僕であろうと、有咲さんであろうと。

 

結局、自分の保身が一番大切なんだから。

 

「そうか……悠仁さんに教えてもらったから香澄が良い点数取れたんだな。今、納得したわ」

「何が納得したの?有咲?」

 

有咲さんが自分で勝手に納得したから、戸山さんがあたふたしている。

僕は何の感情がこもっているのか分からない不思議な視線を送っている有咲さんの方を向く。だけど目は合わさなかった。

 

内心とは裏腹に高校生では、いや、就活生までの学生が好んでつける晴れやかな笑顔と言う名の仮面をサッとつけた。

それは相手が抱いてしまう悪印象を抑えるためでもあり、自分の保身のため。

 

「香澄は知らないかもしれないけど、悠仁さんの制服。江明(こうめい)大学付属高校だぞ?」

「えーっ!……ってその学校、有名なの?」

「はっきり言ったら超名門校だな」

 

だから僕は制服が嫌いなんだと心の中で悪態をついた。

 

「持ち上げても何も出ないよ。課題とか一切出さないし」

「せっかくの江大付属なのに、もったいなくないですか?」

 

有咲さんは何気なく言ったんだと思う。

いや、もしかしたら普通の感覚だったらやっぱりそう言いたくなるのかな。

 

もったいないって。

 

ふと気が付けば、僕の右人差し指は髪の毛をクルクルと巻いていた。

この癖があまり好きではない僕は、意識的に人差し指を髪の毛から離す。絡みついていた髪の毛が中々離れてくれなくて少し痛かった。

 

この痛みは、何の痛みなのだろう。

 

「ごめん有咲さん。お手洗い借りても良いかな?」

「あ、はい。あっちの方向に行けばあります」

 

ほんの少しで良いから、一人になって盛大にため息をつきたくなった。

ちょうどトイレも行きたくなっていたような気もするし、丁度いいからトイレを借りようって言う単純な気持ちだった。

 

ついでに頭にこべりついて離れない「もったいない」と言う言葉も一緒に流してしまおう。

こんな思いをあの人が知ったらどう思うのだろうって思うと嘲笑しか出てこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むむむ……」

「どうした、香澄?」

「なんだろう?言葉では言いにくいけど、一つのピースにあったような気がする」

「はぁ?なんだよそれ」

 

 




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「……あれ、鍵が開いてる?」

母親が施錠するのを忘れてしまったのだろうか。
誰だって失敗はあるし、僕なりに母さんが大変だって事は理解している。だけどもし悪い考えを持った奴が近くにいて僕たちの家にでも侵入されたらどうなるか分からないじゃないか。

すこしのため息をついてから家の中に入る。
だからいつもよりどんよりとしたただいま、が玄関に響き渡った。

「悠仁、おかえり。いつもこれくらいの時間に帰ってるの?」
「……なんだ、家にいるのか」

僕の声が聞こえたのだろう、ひょこっと母さんが顔を出しながらにっこりとしていた。
こんな時間に家にいるのはかなり珍しい。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第10話

今日と言う1日は色々な事が起きてちょっと疲れてしまった。

急に戸山さんに呼ばれたと思えば行き先が初めましての人の家で、内容がかなり重たいものだったし個人的には触れられたくない言葉も聞くことになった。

 

ただ少しだけ戸山さんたちの力になれたのは、疲れ切ってしまった僕の心に活力と照れくささが交互にやって来て悪くない気分になれた。

 

自転車を降りて特に何も考えることも無く家のドアの前に立って鍵穴に、いつも持って行っている良く分からない緑色のトゲトゲとしたキャラクターが付いている、鍵を刺す。

そんな半ば作業的な行動をしていても、少しの変化があれば瞬時に頭が回転する。

 

「……あれ、鍵が開いてる?」

 

母親が施錠するのを忘れてしまったのだろうか。

誰だって失敗はあるし、僕なりに母さんが大変だって事は理解している。だけどもし悪い考えを持った奴が近くにいて僕たちの家にでも侵入されたらどうなるか分からないじゃないか。

 

すこしのため息をついてから家の中に入る。

だからいつもよりどんよりとしたただいま、が玄関に響き渡った。

 

「悠仁、おかえり。いつもこれくらいの時間に帰ってるの?」

「……なんだ、家にいるのか」

 

僕の声が聞こえたのだろう、ひょこっと母さんが顔を出しながらにっこりとしていた。

こんな時間に家にいるのはかなり珍しい。

居間に入ると手料理の温かく、お腹の音を鳴らしてしまいそうなにおいが僕の鼻の中にスルスルッと入っていった。

 

母さんの温かい手料理を食べられるのは正月以来だっけ。

 

「母さん、夜の仕事は休みなん?」

「いつもこの日は休みを貰ってるでしょ?」

「えっ?あ、そっか……今日か。忘れてた」

 

だから母さんが家にいるし、疲れ切った身体に鞭を打って気合の入った料理を作っているんだって彼女の哀愁漂う顔色と淡々とした言葉を聞いてすぐに分かった。

 

着替えようとボタンを外し始めていた手を止めて、もう一度ボタンを締めなおした。

ゆるみ切ったネクタイをいじって、ちゃんとした身だしなみになるようにしたのはきっと僕の気持ちが勝手に動かしたのだろう。

 

そのまま正座して、僕は父さんにただいまの挨拶を手を合わせた。

 

僕の心がギシギシと音を立てているのが聞こえた。

 

「『これから迷惑かけるだろうから、この日は贅沢をしてくれ』って言葉、今も忘れられないわ」

 

小さなため息とともに母さんは凛々しい顔をした遺影に話しかけているようだった。

僕もその言葉を覚えている。

 

まるで自分が今日の何時に死んでしまうかを知っているかのような言葉を最期に言って、その後すぐに眠ったように息を引き取った僕の父。

そしてその時僕の右手は空気を強く、強く握りしめていたことも良く覚えている。

 

母さんも父親の残した言葉を守っている。

何人かの男性に人生のパートナーになってほしいと懇願されているけれど、すべて断っているらしい母さんはきっと今も父さんの事を愛しているのだろう。

 

「ご飯を食べよ。母さん、お腹すいちゃったし」

「……うん、そうだね」

 

母さんに急かされて、椅子に座る。

目の前を彩る、出来立てでホカホカとしているクリームオムライスに、大皿に乗ったミディアムレアのステーキ。

口に一口入れれば、お腹だけでなく心の隙間にもぴったりと寄り添ってくれるような気がしてドンドンと手が進んで行く。

 

「久しぶりの手料理、美味しい?」

「美味い」

「そう。頑張って作った甲斐があった」

 

僕と母さんは特段仲が悪いわけではない。

ただ母さんが僕に対して申し訳ないという気持ちを抱えていて、それを隠し切れずにいる。

僕も鈍感じゃないからそんな気持ちをいとも簡単に見抜いてしまった。

 

僕も今年で学校を卒業できるんだ。

だからもうすぐ、母さんもゆっくりと、世の中の主婦たちと同じような生活を送れるから。

 

 

 

そんな事を思っていると、僕の携帯にメッセージが入った。

いつもの癖で食べている最中だけど携帯を触ってメッセージを確認する。

 

 

今日は、色々ありがとうございました!

 

 

戸山さんからのメッセージだった。

女の子からきたメッセージをすぐ既読を付けて返信するのも気持ち悪いかなと思うけど、一度見てしまったらモゾモゾとした何かが僕の身体をくすぐるようになる。

 

「友達から?」

「うん。……女の子の、だけど」

「別に恥ずかしがることないじゃん。悠仁くらいの年齢で女の子の友達が一人もいない方が心配するでしょ?」

 

今日のために買ってきたのだろう、赤ワインをワイングラスに注ぎながらケタケタと笑う母親を、僕は昔に作った作品を見るような懐古とした目で見つめていた。

この赤ワインは、たしか父親も好きだったような気がする。

 

僕はまだワインとか、お酒も善し悪しは分からないけれど、このワインが魅せる控えめな赤色は僕も好きだ。

 

「それに悠仁がちっちゃい頃とかよく女の子と遊んでたじゃん?誰ちゃんだっけ?名前は忘れたけど二人の女の子と」

「え?僕にそんな時があったっけ。覚えてないや」

「あったあった。悠仁が急かすんだもん。『今日もあの公園に行こ』って。まだ幼稚園に行く前だったね」

「そうだっけ」

 

残念ながら僕には小さい頃の記憶がこれっぽちも無い。

小さい頃に頭を強く打って記憶をなくしたとか、ありきたりな物語のベタ展開のような事は一切ない。本当に覚えていないだけだ。

 

ただ、高いところから飛び降りて足がおかしくなったのは覚えている。

今も若干、走るときに痛みが走るくらいだ。

 

だけどどうして、小さい時の僕がそんな行動をとったのかは分からない。

その行動の意図を知っているのは当時の僕、ただ一人だ。

 

「あの時の悠仁は素直でちっちゃくて可愛かったなぁ」

「……」

 

時の流れは皆に平等だ。

だけど時の感じ方は人それぞれ違う。だから同じ世代には輝いている人がいたり、有名になったり、悪さをする幼稚な人間になったり様々。どのように時を「感じた」かによって人間って変わるんだと思うし、だからみんな違うんだって思う。

 

きっと僕には途中で無意味に「感じて」しまったのだろう。

母さんが思い出に浸っている時の僕は有意義に、まるで風を味方につけてズンズンと進んで行くヨットのような時を過ごしていたのだろう。

 

今、僕が時を渡るのに使っているのは泥船。

もう片足が冷たい塩水に浸かってしまっているんです。

 

「そういえば、その時にその女の子から貰ったあれ(・・)、まだ持ってるの?」

「あれ?……貰った記憶もないし、何かも覚えてない。もう持ってないでしょ」

「部屋を掃除した時にポロッと出てきたりするかもよ?」

 

そんな人生上手く出来てないでしょ、って半ば呆れながら僕は母さんの顔をジトッとした視線で見つめた。

 

母さんはステーキを口に運んで幸せそうな顔をしながらうまー、と言う言葉を零しながら左手を頬に添えていた。

 

小さい頃から良く僕は母さん似だと言われていたけど、個人的には全く納得がいかない。

母さんが嫌いという訳ではないけど、どちらかと言えば父さんのしっかりとした責任感のある佇まいの方に似ておきたかった。

 

 

 

 

 

 

夕飯の後、お風呂を済ませた僕は自室に吸い込まれるように入っていった。

母さんは今日、父さんの遺影の前でワインを飲みながら感傷に浸るようだ。

 

僕は何気に部屋の片隅をキョロキョロと見渡していた。

 

「女の子と遊んでいたって記憶もないんだよな」

 

ぽつりとこぼした言葉は昔よく使っていた勉強机の引き出しの奥に入っていった。

今でさえ、交流のある女の子なんて片手で数えられてしまう僕が昔は女の子とよく遊んでいただなんて聞いても実感が湧いてこない。

 

そんな時に頭の中にぽわぽわっと戸山さんの姿が浮かび上がってきた。

 

「戸山さんは……小さい時に会っていたら覚えていそうだけど」

 

それに戸山さんも僕の名前に覚えはなさそうだった。

それならばやっぱり彼女は最近になって知り合ったのだ、と頭の中でスラスラと証明を終えた。

 

あ、そういえば戸山さんに返信するのを忘れていた。

既読を付けてもうすぐ3時間は経過するであろう時間にせっせと返信を書いて戸山さんに送信する。

 

するとすぐに携帯が着信を知らせてくれる。

 

 

無視されたと思ってました~

 

 

泣いた顔文字と一緒に送られてきたメッセージを見て、心が梅雨前の青空の様に澄み渡った気がした。

 

 




@komugikonana

次話は5月31日(日)の22:00に公開します。もう5月、終わっちゃうんですね……。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~高評価をつけて頂いた方々をご紹介~
評価9と言う高評価をつけて頂きました カラドボルグさん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします!

~次回予告~
坂本と別れた僕は、いつもは晴れた気分で下校を始めるのだけど今日はあまり気が乗らない。
理由は簡単で、今日は相棒である自転車では無くて徒歩で来ているから。


「悠仁先輩っ!」


憂鬱な時に、頭の中に戸山さんの声が響いた。
一瞬でも心がドキッとしてしまうのは女の子に慣れていない男子高校生なら誰しもが経験するし、分かりあえるような気がする。

下校中に戸山さんの幻聴が聞こえるほど疲れているのか、と思うと自然と目をゴシゴシと擦った。
前を向いた時、一人の見覚えのある女の子が手を振っていた。

~感謝と御礼~
Twitterにて限定公開させて頂きました、前作「change」の後日談ツイート数が100を超えました。本当にありがとうございます!人生で初めての事だったので今でも嬉しさに浸っております。これからも皆さんのお世話になると思いますが、何卒宜しくお願致します。


それでは、次話までまったり待ってあげてください。


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第11話

「まっさんさぁ、テストの結果どうよ?」

「まぁ今回も欠点は無いし無難な終わり方だね」

「お前マジで勉強してないのか!?」

「嫌いな事に時間を使うほど、僕もバカじゃないよ」

「くっそ」

 

テスト返却が終わり、僕たち学生はまたしばらくの平穏な日々を手に入れることが出来た。

と言っても一ヵ月も経たないうちにまたテストがやってくる。

 

今回のテストも僕は無難にテストを乗り越えることが出来たけど、坂本は残念な事に欠点を2教科取ってしまったらしい。

髪の毛をくしゃくしゃにしながらうがー、とうなっている坂本を僕は微笑ましく見守る。補修、頑張ってくれたまえって感じだ。

 

テストの返却が終わり、それと同時に生徒たちもうるさくなるのは僕たちの高校では当たり前の光景だった。

テストの結果を友人と一喜一憂する僕と坂本みたいなやり取りをするから騒がしくなる、と言う理由も一理あるが、もう一つ原因がある。

 

「まっさん、俺達も一応見に行っとくか」

「ちょっとは気になる、からね」

 

坂本の一声によって僕たちは職員室のある方へとゆったりと歩いて行く。

教室から出て、目標である職員室前に近づくにつれて徐々に生徒とすれ違う人数が増えていく。

 

すれ違う生徒からは様々な反応が読み取れて、僕や坂本のような部外者からすれば滑稽に見えたりする。

きっと立場が逆ならば、僕たちの反応の方が道を踏み外している哀れな人間に見えるのかもしれないね。

 

「お、着いた着いた……っと。なんだよ、いつメンじゃねーか、つまんねぇ」

「ふーん……」

 

僕たちが目的地としていた職員室の近くに張り出されている掲示物。

そこにはテストの学年上位者10名が貼りだされている。

 

坂本の言う通り、前回と同じような名前が3年生成績優秀者として名を連ねていた。

ただ、僕が最初に抱いた感想は坂本とは全く意味合いの異なったものだった。

 

「てかさぁ、こんなの職員室前に貼ってるけど、掲載されている奴らがこんなとこにわざわざ出向かないよなぁ」

「おっ、坂本が珍しく冴えてる」

「やっぱそうだよな!まっさんも見に来なかっただろ?」

「お前に誘われないと今でも行かない」

「くーっ!経験者は説得力あるねぇ」

 

仕事終わりに冷たいビールをジョッキで一気飲みしたおっさんのような声を上げる坂本は得意げな顔をしながらも、自分の考えが合っていたことにニヤリとした表情もチラつかせた。

 

僕は成績上位者の顔ぶれを見てしまった後はすっかりと興味が薄れた。

だから坂本にそろそろ帰ろうぜ、と言った。

 

だけど坂本はまだジーッと掲示板を見つめ続けていた。

 

「先に帰るよ」

 

しびれを切らした僕は坂本に行って帰ろうとした。

 

「まっさん。ここに名前を書かれたらどんな気分なんだろうな」

「それは名前が載った人間じゃないと分からない事だね」

「まっさんはどうだったよ?」

「……そうだね、どうでも良かった。自分よりも周りの人間の方が勝手に盛り上がっちゃってさ」

「今は?」

「惨めに見えるよ。こいつらはテストで良い点数を取ることを『目的』にしてるんだろうなって。そんな人間にテストを取り上げられたら(社会人になったら)、目的を失ってだらしない人間になるんだろうね」

 

もしくは難関大学に入りたいから勉強して点数が良いのかもしれないけど、大学に入ることが「目的」になってたら、入学した後はクズみたいな人間が3分クッキングより早く出来上がるんじゃない?

 

間違いなく僕が他人に言える立場の人間じゃないのは承知の上。

だけど、僕は。

 

あの時、勉強しか見えていなかった視野の狭さを、一生悔やみながら生きていくんだ。

 

 

 

 

坂本と別れた僕は、いつもは晴れた気分で下校を始めるのだけど今日はあまり気が乗らない。

理由は簡単で、今日は相棒である自転車では無くて徒歩で来ているから。

 

相棒は今日行く前にタイヤの空気が抜けていることに気づいた。

ボロボロの相棒を見捨てない僕は、そのまま自転車の修理に出した。だから今日は学校に10時くらいに行った。

 

なので今日は徒歩で帰宅する。

テスト返しと言う行事のせいで半日で終わってしまう学校を、今日だけは鬱陶しく思えた。

自転車の修理は早くても夕方までかかるらしい。

 

 

「悠仁先輩っ!」

 

 

憂鬱な時に、頭の中に戸山さんの声が響いた。

一瞬でも心がドキッとしてしまうのは女の子に慣れていない男子高校生なら誰しもが経験するし、分かりあえるような気がする。

 

下校中に戸山さんの幻聴が聞こえるほど疲れているのか、と思うと自然と目をゴシゴシと擦った。

前を向いた時、一人の見覚えのある女の子が手を振っていた。

 

「えっ、戸山さん!?どうしてここにいるの?」

「えへへ。悠仁先輩に会いに来ましたっ!」

 

戸山さんの何気ない笑顔が渇いた僕の心を鷲掴みにする。

幻聴では無かったことに対する驚きと、彼女のドキドキとさせるセリフに僕の心が忙しなく暴れ出していて、そのせいなのか分からないけど顔から汗が一滴あふれ出した。

 

わざわざ僕の高校の前まで来てくれるんなんて思ってもいなかったし、そもそも連絡とかあったっけと色々な情報を次から次へと脳内に入れていくから僕の脳は処理しきれていない。

そろそろぷしゅう、と頭から湯気が出そうになった時に、戸山さんは口を開いた。

 

「テストも終わりましたし、気分展開にお買い物に行きませんかっ!」

「ひゃい!」

 

口もろくに動かすことも出来ずに噛んでしまった。

 

「あははは!悠仁先輩って面白いですねっ!意外な一面をみつけちゃった!」

「か、噛んだことは忘れてくれ!」

「忘れられるように努力します!それより速く行きましょう!」

 

戸山さんは僕の右手首付近を掴んで小走りに走り出す。

制服の上からでも、女の子の手が触れている感触が伝わる。嬉しいやら恥ずかしいやら整理のつかない幾つかの感情。

 

急に引っ張られて小走りをするけど、足がもつれていつ転んでもおかしくないような感じがして新しい感情がまた一つ加わった。

 

心地よい風が戸山さんの制服をくすぐる。

ふわっとした彼女の、女の子らしい香りが鼻をこちょこちょとする。

でもどうしてだろう。初めて嗅いだはずなのに、まるで小さい頃よく遊びに行った友達の家に入るような気持ちになった。

 

ああ、これで一体幾つの感情が湧いてくるんだ。

もう疲れたから軽く目を瞑って、戸山さんが引っ張ってくれる方向へ進むことにした。

 

 

 

 

「とうちゃーく!……あれ、悠仁先輩?顔赤いですよ?」

「はぁはぁ……走ってたら暑くてさ」

「確かに、今日ちょっと暑いですよね」

 

手でパタパタと顔に風を送る戸山さん。

確かにもうすぐ6月とはいえ夏本番なんじゃないかってくらいの気温があるのも要因ではあるけれど、僕の顔が赤いのは別の要因があるという事を今回は言わないでおこうと思った。

 

長袖シャツの袖を3回折って腕まくりをして、額に着いた輝る雫を右手でグイッとふき取る。

どうやら戸山さんに連れられてショッピングモールに来たらしい。ここのショッピングモールは規模が大きくて地元の高校生はもちろん、大学生や主婦など幅広い年代の人間がたくさんやってくる。

 

久しぶりに来るからもうどんな構造をしているのか忘れた。

 

「悠仁先輩……その、ここまで来ておいてなんですけど……受験勉強とか大丈夫、ですか?」

 

もし忙しいとかだったら今からでも断ってくれても大丈夫ですから、と戸山さんはゴニョゴニョと尻下がりにトーンが低くなる。

世の受験生でせっかちな人とか真面目な人とかは顔色を露骨に変えたりしそうな気がする。

 

僕はどんな人間に当てはまるかはまだ戸山さんは分かってないと思う。

それに戸山さんも言ったよね。

 

「戸山さん」

「は、はい!」

「さっき戸山さん、言ってくれたよね。『気分転換に』ってさ。だから気にしなくて良いよ」

 

僕の声が珍しく他人の心の中にスッと入っていって何かを動かす動力になったような気がした。

彼女の瞳が潤いをまして、太陽の光と相まってより一層キラキラしているように見えた。

 

彼女は、このように輝いている方が似合ってる。

僕は本気でそう思うんだ。

 

「ありがとうございますっ!それじゃあ行きましょう!」

 

 




@komugikonana

次話は6月7日(日)の22:00に公開します。
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評価10と言う最高評価をつけて頂きました スーパーラッキーボーイさん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします。

~次回予告~

友達と、それも女の子と学校帰りの制服でショッピングモールにやってくるなんて僕はこれっぽっちも考えていなかった。
だけど現実は不思議なもので、実際に経験してしまっていて、実感が湧かないようなフワフワとした視界がぼんやりと動き始める。

複数あるアパレルショップを出たり入ったりと忙しなく動き続ける戸山さん。
僕はあまりお洒落に関心が無い人間だからどれが良いとか今年の流行とは分からない。
だけど関心が無かったからこそ面白いと思える部分も多少はあって、脳が未知の知識を吸収しようとしていた。


「戸山さん、音楽の事で何か悩んでるでしょ?」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第12話

友達と、それも女の子と学校帰りの制服でショッピングモールにやってくるなんて僕はこれっぽっちも考えていなかった。

だけど現実は不思議なもので、実際に経験してしまっていて、実感が湧かないようなフワフワとした視界がぼんやりと動き始める。

 

複数あるアパレルショップを出たり入ったりと忙しなく動き続ける戸山さん。

僕はあまりお洒落に関心が無い人間だからどれが良いとか今年の流行とは分からない。

だけど関心が無かったからこそ面白いと思える部分も多少はあって、脳が未知の知識を吸収しようとしていた。

 

「悠仁先輩って何か趣味とかあるんですか?」

 

歩きながら戸山さんは僕に問いかけてきた。

戸山さんはいつも話すときは相手の顔をよく見る子だ。現に今も僕の瞳を覗き込むように聞いて来る。

 

身体も少し前のめり気味にするから、仕草の一つ一つがとても印象に残る。

戸山さんと出会ってもうすぐ3ヵ月だけど、それが戸山さんの質問に対する答えになるような気がした。

 

「趣味は特にないんだけどさ。最近、結構音楽を聴くようになった。戸山さんと仲良くなったのがきっかけかな」

「そうなんですかっ!どんなジャンルを聞くんですか?」

「ジャンルは特に気にしてないかな。最近はこのあたりでも有名なガールズバンドがアマチュアだけど結構いるみたいでさ。何曲か聞いたんだ」

 

レンタルCD屋で、たまたまそういうチラシが貼られてあってその時に初めて知った。

チラシにはバンド名しか書いていなかったがCDは貸出可能になっていて、僕はその時にプロ顔負けじゃないかって驚嘆したのを今も覚えている。

 

技術は確かにプロとは差があるのは素人の僕にも分かるけど、その違いは些細な物に感じる。

加えてCDまで出しているんだから、もう音楽で生きていけるのかって思った。

 

「ど、どのバンドの曲を聞いたんですか?」

 

戸山さんはオドオドとした雰囲気を隠すことが出来ないのだろうけど、本人なりに隠して僕に問いかけてきた。

確かに戸山さんはバンドをやっているらしいから、評価とかは気になるのだろう。

 

そうだなー、と顎に手を置きながら考えるフリをした。

こんな時はなんて答えるのが無難なのだろうか、ってずっと考えていた。

ほんとは本音でズバッと言えたら苦労なんてしない。だけど僕はちょっとだけ戸山さんの事情を知っているから、控えてしまう。

 

「どのバンドも一曲は聞いたよ」

「そ、そうなんですね!」

「聴いてていつも感心するよ。同年代なのにまるで他人に与える影響力が違うじゃん?同年代のスポーツ選手の活躍とかも見てて思うけど、すげぇなって思っちゃうよね」

 

同時に僕はこの世界のどこにいるのかも分からないようなちっぽけな存在なんだよなって思い知る。

人生は自分が主人公だけど、どうにも主人公感が無い。

自分が楽しかったらそれで良い。だけど何か物足りなく感じてしまうよね。

 

そんな世間にも認知されるような彼女たちに比べて、学力テストの結果の掲載で一喜一憂している生徒たちがますます可哀そうに思えてきた。

 

「悠仁先輩」

「ん、どうしたの?」

「いや、何でもないですっ!服ばかり見ててもつまらないですよね?次はゲームセンター行きませんか?かわいいぬいぐるみとか欲しいなー」

 

僕は、戸山さんの手首をギュッと握った。

歩き出そうとした戸山さんが僕の行動によって足を止められる。彼女は何かびっくりしたような顔をして僕の顔を覗き込んできた。

 

 

急に手首を強い力で握られて怖いのかもしれない。

普段絶対にしないような行動にびっくりしているのかもしれない。

いろんな感情がぐちゃぐちゃになって混雑しているかもしれない。

 

 

戸山さんの手首から伝わる肌は冷たく感じる。

女の子の手って、どうしてこんなにも冷たいのだろうか。

 

「ちょっとだけ、休憩しない?」

「え?あ、はい」

「あそこに座ろうか。丁度空いてるしね」

 

ショッピングモール特有の、中央付近に置かれているソファに座る。

戸山さんも隣に座ると初めて、お互いの距離が近い事に気が付いた。肩が触れ合うたびにどちらともなく姿勢を正すかのようにして距離を保つ。

 

別に戸山さんと近づきたいからあんな提案をしたわけじゃないってことを分かってほしいから、僕はすぐに言いたいことを言った。

 

「戸山さん、音楽の事で何か悩んでるでしょ?」

「えっ?どうしたんですか急に」

「カフェで勉強した時に戸山さんは言ったよね。目の前に悩んでいる人がいれば、僕だったら手を差し伸べるように思えたって。あれ、戸山さんの本音だったんじゃない?助けて欲しいって」

「あ、はは……そんな事言いましたっけ?」

「戸山さん」

 

僕は戸山さんの左手を優しく包み込んだ。

戸山さんは本当にびっくりしたのか大きな声を上げて一瞬だけ固まった。だけど僕の手から何かが伝わったのか、少しだけ目を伏せた。

 

「悠仁先輩には相談ばかりしちゃって……申し訳ないですよ」

「自分のために使える人がいたら使ったら良いんだよ。僕で良かったら、使いなよ」

「ありがとうございます」

 

別にお礼なんて良いのに、と言う気持ちを表情に乗せた。

僕みたいな人間にありがとうと言う言葉を使うのはもったいないよ。戸山さんにはきっと僕の事を深く語る日なんて来ないだろうから、彼女は僕を美化し続けるのかな。

 

もしそうなら、戸山さんに悪い事をしちゃったね。

 

戸山さんは右手で通学に使っているであろうカバンをガザゴソとし始める。だけど左手は僕とつながったままで、心なしかさっきより温もりを感じられるような気がした。

 

「悠仁先輩、これ、見てもらっても良いですか?」

「えっと、これは……?」

「新曲の歌詞です」

 

戸山さんが出してきた紙を、僕は左手で受け取った。

新曲の歌詞らしいものが書かれてある紙をじっくりと、一言一句どんな感情が込められているのかを感じながら目を通した。

 

長い間無言で歌詞を見られている戸山さんは不安に感じていると思う。

なぜなら彼女の左手が微かに震えているから。

 

僕はそんな彼女の震えを隠すかのように、優しく手を握った。

 

「戸山さんの悩みは、歌詞に関係があるの?」

「はい……。私の書く歌詞は聴く側からしたらワンパターンに聞こえちゃうみたいなんです」

「誰から聞いたの?」

「たまたま、ネットで見ちゃったんです。『いつも同じよう歌詞だな』とかいっぱい書かれちゃってて……」

 

どうしたら良いのか分からないんです、と戸山さんは淡々とした言葉で紡いだ。

いつも元気な戸山さんが真剣に悩んでいて、それでいて見えない傷を負っている事をこの時に確信した。

 

だから彼女は時折悩んでいるような仕草を見せていたんだね。

まだ僕は戸山さんの事を良く知らないけどいつもの天真爛漫な性格は、今見ている裏の顔を隠すためなんじゃないかって思えた。

 

そう思ったのは、少なくとも僕もそのようなタイプの一人に当てはまるから。

 

「ねぇ、戸山さん」

 

僕が果たして戸山さんに掛ける言葉で、彼女を前向きにさせるような魔法をかけることが出来るのか。

結論から言うと、無理だろう。

 

僕自身がネットに何か書かれるほどの「有名人」では無いから、彼女の悩みに共感することなんて出来るはずもないんだから。

何様になったつもりで言うのは簡単だよ?どうせネットでそんなくだらない事しか書けない人間は世間でも評価されないクズだ、とかね。

 

だけど戸山さんが欲しがっている言葉は、そんなのじゃないはず。

 

戸山さんと触れていた手を、放した。

 

 

 

 

 

「それってさ、才能が無いって事だよね」

 

 

 




@komugikonana

次話は6月14日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

「そ、そうですよね……。すみませんでした。当たり前の事を聞いてしまって」

彼女は僕に謝ってから、僕が左手で持っていた歌詞カードを引き取ろうとした。
声のトーンはさっきよりも下がっていて、もう一人になって考えたいと思っているような顔つきをしていた。

僕はサラッとひどい言葉を紡いだ。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第13話

僕はサラッとひどい言葉を紡いだ。

お前には才能が無いから仕方がないんだよ、って受け取ってもらっても構わないし僕はそのつもりで言った。

本当に何様だよ、って言われちゃうかもね。

 

戸山さんはヒッと息を殺した後、じわじわと僕が言った言葉を解釈しながら飲み込んでいく。

彼女の頭を覗き見ることが出来れば「才能がない」と言う単語がグルグルと、しかも幾つもの数が彷徨っている事だろう。

 

「そ、そうですよね……。すみませんでした。当たり前の事を聞いてしまって」

 

彼女は僕に謝ってから、僕が左手で持っていた歌詞カードを引き取ろうとした。

声のトーンはさっきよりも下がっていて、もう一人になって考えたいと思っているような顔つきをしていた。

 

 

 

 

だけど僕は、左手の力を緩めることをしなかった。

 

「え?……悠仁、先輩?」

 

僕は鼻息を一回、ふーんと鳴らしてから彼女の瞳の中を覗き見るように見つめた。

戸山さんの瞳は、嵐の日の海の様にゆらゆらと揺れていた。

 

貴方は私の敵なの?味方なの?

そう、問いかけてきているように感じた。

 

「歌詞に込められた想いを読みとる才能が無い人なんだねって事」

「でも、同じような言葉を使っちゃうのは私がいけないんです」

「そんなことない。同じ言葉でも全く違う意味を生み出すことが出来るんだ。それが言語の面白いところでしょ?」

 

英語なんかもたくさんあって、例えば『book』と言う単語には本と言う意味もあれば旅行と解釈しなければいけない時もある。

日本語で例えるなら『やばい』とかかな。

 

描かれた状況や心情を解釈して、その言葉が載せている想いを受け取る楽しさが音楽の数ある醍醐味の中の一つだって思ってる。

僕は楽器とか詳しくないから、このバンドのイコライジングが痺れると言われても分からない。だけど歌詞の自己解釈と歌っている人の感情の出し方にはいつも注目してる。

 

「そりゃあ、戸山さんの歌詞が気に食わない人もいるだろうね。一人ひとり好きな食べ物が違うように」

 

人生において、他人に好かれるよりも嫌われる機会の方が多いらしい。

何処かの文書とかで聞いた話とかじゃないけど、人生の先輩がそう言っていた。

 

だからこそ、好きになったもの同士は、長い付き合いになるんだって思う。

 

「でも僕は、戸山さんの書く歌詞が、好きだよ」

 

寂しくて泣いている小さな女の子の頭の上に手を置いてなでるような優しさで、僕は戸山さんに勇気を送った。

戸山さんの目は揺れていて、瞳には涙が今にも溢れそうになっていた。だけど溜まった涙が綺麗に輝いていていつまでも見つめていられるように思えた。

 

彼女はニッコリと笑って僕の方を向いてくれた。

その時、一粒だけ瞳から雫が零れ落ちていった。

 

 

「さて、固い話はお終いにしてどこか行こっか」

「はいっ!悠仁先輩」

 

僕はゆっくりと立ち上がって背伸びをしながら戸山さんに声を掛ける。

戸山さんはいつものような笑顔に、いや、いつもより晴れやかに見える。彼女の顔色を見れば悩みは完全には消えていないけど一つの答えを見つけることが出来たのだろう。

今まで頭を抱えなければいけなかった悩みが突然姿を消すことなんてありえない。

 

でもきっと、出した答えと時間がゆっくりと消していってくれるはずだ。

 

「その……悠仁、先輩」

「うん?」

「今日だけは……手、繋いでも良いですか」

「良い歌詞が書けるなら、構わないよ」

そんなんじゃ、ないんですけど……

 

何かごにょごにょとした彼女の声は行きかう楽しそうな人たちの声で消えてしまった。

戸山さんと出会って初めて、彼女の言葉を聞き逃したかもしれない。えっ、って聞き直してもなんだか感じが悪く思われそうな気がしたから敢えて聞こえたようなそぶりをした。

 

戸山さんの小さな手は、キュッと僕の手をつながった。

ただ、いざこんなたくさんの人が言う場所で手を繋ぐと恥ずかしさがこみあげてくる。しかも僕たちは制服を着ているから余計に視線を集めているような気がする。

 

学校の帰りとかにたまに見るラブラブカップルは度胸がすごいという事を初めて知った。

 

「そこのアツいお二人のカップルさん!今ならくじが引けますよ!」

 

そしてショッピングモールでは何かと買い物客に絡んでくる店員がいたことを思いだした。

明らかに僕たちの方を向いて言ってきたし、僕たちも僕たちで反応してしまい、アツいカップルと言う単語に揃って頬を赤らめてしまう。

 

たしかに店員の言う通り、くじが引けるかもしれないけれどそれは貧乏くじだったなんてしょうもないオチだけは回避したかった。

だけど戸山さんは何やら惹かれるものがあったらしい。

 

「悠仁先輩、一度だけ、良いですか?」

「え、ああ、大丈夫だよ」

 

どうも1500円以上の買い上げで一回くじが引けるらしく、僕は手っ取り早く1500円分のプリペイドカードを購入した。

戸山さんがお金を出すと言ってきたが、僕の意志で買ったから気にしないでと伝えた。

音楽をダウンロードしたり、面白いスタンプを見つけたら後々購入できるプリペイドカードはいわば将来への投資みたいなものだ。

 

それで、戸山さんの笑顔が見れるなら。

きっと僕の心は満ち足りる。そしてもっと彼女がまぶしく見えるかもしれない。

 

僕は少し離れたところで戸山さんがガラガラと回すのを見守っていた。

あ、白い球が出た。きっとハズレだろう。だけど戸山さんはまるで色付きの球が出たかのような感情を内面に隠し切れずにいた。

 

「戸山さん、それが欲しかったの?」

「はいっ!惹かれたんです。可愛くないですか!?」

 

彼女が嬉々とした表情とじゃーん、と言う言葉と共にキーホルダーを見せてきた。

 

物の価値は人それぞれ感じ方が違うんだね。

僕がハズレを引いて、キーホルダーを渡されたら割に合わないと感じてムスッとした顔をするだろう。ハズレ景品のテンプレであるポケットティッシュでも同じだ。

 

でも戸山さんにはそのキーホルダーが間違いなく1500円以上の価値があると思っているのだろう。

実際お金を出したのは僕だから実質タダみたいなものではあるけれど、そんな条件を抜いても彼女の表情がそう物語っているように思えた。

 

「戸山さんは星が好きなの?」

 

戸山さんが手に持っている、赤色の星型キーホルダーを見ながら問いかけた。

 

「星も好きですし、赤色も好きなんですっ!」

「へぇ、意外。星は分かるけど戸山さんって青色系の方が好きかなって思ってたよ」

「えへへ、青色も好きですっ!でも」

「でも?」

 

彼女は遠くを、いや、過去の時間軸を一直線に見ているような表情を浮かべながらキーホルダーを見つめながら淡々と話し始める。

 

「こんな感じのキーホルダーを昔、持っていたんです」

「確かにいつでもどこにでもありそうなシンプルなつくりをしてるもんね」

「それを私が小さい時、男の子に渡したんです。それが懐かしいなって思っちゃいました」

 

男の子に渡した。

そのたった数十語の、重みも感じない軽い言葉のはずなのにものすごくずっしりとした重量がのしかかってきたように感じた。

 

あ、そうなんだ。

そう簡単には言えない何かを感じた。

 

「どうして、そのキーホルダーを男の子に、渡したの?」

「えーっと……忘れちゃいましたっ!確かお守りって言って渡したような気がするんですけど」

「そっか」

 

赤い星型のキーホルダーをお守りとして渡した。

子供らしいと言えば子供らしいけど、今ぐらいの年齢になるとどこかロマンチックに感じる部分があったりする。

例えばそのお守りを渡した男の子とばったり遭遇する、とか。

 

「戸山さんのお母さんなら、何か知ってるんじゃない?」

「ああ!悠仁先輩すごいですっ!帰ってから聞いてみますね!」

 

僕と繋いだ手をブンブンと振り回す戸山さんに、僕は良い様にやられるだけだった。

でも不思議と嫌な思いはしなかった。

 

僕は戸山さんに憧れている。だからこの心臓の高鳴る高揚感にも説明がつく。

きっとそうだよね、って僕は自分の心に問いかけた。

 

 

心は、何も言わなかった。

 

 




@komugikonana

次話は6月21日(日)の22:00に公開します。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます。
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~次回予告~

きっと月も太陽の張り切りように嫌気がさしていたのだろう。そう思わせるには充分なくらいほんのりと存在感を示していた。
みんなが昼間から暑い暑いと文句を言っていたから、自分は快適な気候をサポートするよと言わんばかりの世渡り上手さにため息が出そうになる。

僕の右手がキュッと握られたような気がした。
横を見ても何も表情の変わらない戸山さんが機嫌良く、時折鼻歌も混じらせながら歩いている。


悠仁先輩、晩御飯、一緒に食べませんか?


ショッピングモールを満喫し、良い感じの雰囲気になった時に伝えられた彼女の言葉。
女の子からの誘いを断るはずがない僕はもちろん了承した。


では、次話までまったりまってあげてください。


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第14話

昼間は季節の割にギラギラと照らしていた太陽も帰っていって、代わりに出てきた月が対照的に優しく僕たちを照らしている。

 

きっと月も太陽の張り切りように嫌気がさしていたのだろう。そう思わせるには充分なくらいほんのりと存在感を示していた。

みんなが昼間から暑い暑いと文句を言っていたから、自分は快適な気候をサポートするよと言わんばかりの世渡り上手さにため息が出そうになる。

 

僕の右手がキュッと握られたような気がした。

横を見ても何も表情の変わらない戸山さんが機嫌良く、時折鼻歌も混じらせながら歩いている。

 

 

悠仁先輩、晩御飯、一緒に食べませんか?

 

 

ショッピングモールを満喫し、良い感じの雰囲気になった時に伝えられた彼女の言葉。

女の子からの誘いを断るはずがない僕はもちろん了承した。

 

お昼のあの時からずっと僕たちの手は繋がっていた。

途中で手汗がすごい事になっているような感じがしたので戸山さんに一旦離しても良いかと聞いたが気持ちが良いくらいの拒絶の言葉と、繋がっていた手がより一層強く結びつくこととなった。

 

そしてその時に僕の心に一つの思惑がぷくっと膨れ上がった。

それは彼女が、戸山さんが僕の事を好きなんじゃないかと言う疑惑だ。

 

「悠仁先輩っ!何を食べますか?」

「うーん、そうだね……」

 

おっと、ここで戸山さんから問いかけが来た。

急いで自分の中で展開していた感情をファイルに入れて整頓するかのように綺麗に片付けた。もちろん気になるところには付箋を貼っておく。

 

こういう時は普段いかないであろう、路地裏にありそうなお洒落なイタリアンとかに行くと好感度が上がりそうに感じる。

しかも僕は散歩していた時に、その条件にぴったり当てはまるお店を知っていた。

 

「ちょっとゆっくりしたいし、あそことかはどう?」

「良いですねっ!行きましょー!」

 

戸山さんは僕の手を握ったまま走り出して、僕は危うく転んでしまいそうになったが寸前で耐えてヨロヨロとした体制のままついて行く。

 

僕が指さした先にあったのはどこにでもある全国チェーンの回転寿司屋。全皿100円プラス税込みで食べられる庶民的なもの。

まだ僕たちは深くお互いを知らないし、最初から飛ばしすぎてもダメで、徐々に上っていくのが定石だって思うから。

 

お店の中は平日にも関わらず賑わっていたのは、丁度晩御飯を食べる時間帯だからかと察した。

だけど店員さんに2名で来たことを伝えると、席を案内してくれたので運が良いと感じた。

 

この時、半日ぶりに僕は戸山さんの手を離した。

まだ彼女の手の触感が残っていて、少しむずがゆい。

 

「回転寿司ってどうしてかワクワクしませんか?」

「あ、なんか分かる。ちょっと子供心とかくすぐられる感じがするよね」

「そうですよね!うーん、何食べよっかなー」

 

ひっきりなしに回ってくる寿司を見ながらニコニコとしている彼女は可愛らしかった。

最近は回ってくる寿司よりも注文パッドで注文した寿司しか食べない人もいるらしいが、僕自身はそんなことはお構いなしだ。

 

僕は一皿目にアジを取った。

渋いかもしれないけどアジとかイワシなどの、俗に言う光り物が好きだったりする。同級生とか誰一人僕の趣向と合わないらしく、自分でも少し変わっているという自負はある。

 

好きな物はしょうがない。だって好きなんだから。

人前でそれを言うのはかなり難しいけれどね。趣味も人も、人前で堂々と好きとは言えない。

好きな曲は好きって簡単に言えるのに、ね。

 

「悠仁先輩はお寿司、好きですか?」

「うん。僕ってお肉より魚の方が好きだしね。後で喉が渇いちゃうのがちょっと嫌だけど」

「分かります!お寿司って美味しいですよねっ!」

 

周ってきたマグロを手に取りながらニッコリと笑う戸山さんは今までとは違う雰囲気に見えたような気がした。

あまり女の子の前でバクバクと次々に食べていくのはみっともない様に思った僕は、お腹を膨らませるためにお茶をグイッと喉に通した。

 

そういえば、と僕は少しだけ気になっていたことを戸山さんに聞いてみた。

 

「戸山さんってさ」

 

今聞かなくても別に問題の無い疑問。何なら疑問に思うだけで水で流してしまっても良いような事を聞くことにした。

理由としては、ただ静かな空間を作りたくないって言う誰もが持つ感情に従順になっただけ。

 

「もしかしてだけど、納豆が嫌い?」

「えっ!?どうして分かったんですか!」

「戸山さんって分かりやすいから、かな」

「そんなことないですっ」

 

頬っぺたをぷくっと膨らませながらまっすぐと僕の目を見る戸山さん。

彼女はどうやら本気でそんなことはないと思っているらしい。

 

「じゃあ、最後は二人で納豆軍艦を食べよっか」

「ぜーったい、嫌ですっ!」

「あははは」

 

より一層ぷくっとした顔で戸山さんが言うから、僕は声を出して笑った。

僕の笑いにつられて戸山さんも笑い始める。

 

仏頂面だとか良く言われるし自分でもあまり表情を顔に出さないタイプだって自負していたからかもしれない。

他人と話してこんなに笑ったのは久しぶりな気がする。

 

まるで子供の頃に戻ったような感覚。

自分のせいで失ってしまったものをいつまでもぼんやりと眺めている今より、ずっと前のあの頃のようだ。

 

 

 

 

 

時間に換算すれば長く感じるはずなのに、今日はあっという間に過ぎて行った。

厳密に言うならば、お昼に戸山さんと行動を共にしてからだけれども。

 

戸山さんとは寿司を食べ終わった後は解散し、僕は修理を依頼していた店に自転車を取りに行きやっと家に戻った。

時刻は8時をちょっと回ったくらい。家には誰もしなかった。

 

さっきまで戸山さんといたからだろうか、いつもは当たり前のように感じていた家の静けさがやけに気になって落ち着かなかった。

 

なので戸山さんにメッセージを送信した。

無事に帰れた?今日も楽しかったよありがとう。

 

そのままぼんやりと戸山さんのメッセージ画面を眺めていると、突然携帯が着信を知らせて、僕の心臓が嫌な音と立て、遅れて痛みが襲ってきた。

携帯も危うく落としそうになる。

 

「もしもし?」

 

バランスを崩した携帯を素早く持ち替えて、電話に出る。

なぜなら電話を掛けてきた相手が戸山さんだったから。ただ、それだけ。

 

「悠仁先輩っ!今日はほんっとうにありがとうございました!」

「いやいや、僕は大した事をしてないよ。僕の方こそありがとう」

「悠仁先輩のおかげで、ずっと真っ暗だったのが光が差したような感じで……キラキラしたんです」

 

時折使う、戸山さんのキラキラ。

あまり意味は分からないけど良い事があった時に良く使ってそうな気がする言葉だと勝手に解釈してる。

その言葉が今聞けるなんて思わなかったし、心の中にスッと浸透していくのが分かった。

 

「そっか。良かった」

「悠仁先輩、聞いてくださいっ!早速家に帰ってお母さんに聞いてみたんです」

 

きっと赤い星型のキーホルダーの事を言っているのだろう。

戸山さんのお母さんも数10年前の出来事をよく覚えていたもんだと感心した。

 

「お母さん、意外と覚えていたんですよー!渡した相手の子の名前はぼんやりとしか覚えて無かったんですけど」

「そうなんだ。ちなみにその子の名前を聞いて何か思い出したりとかはした?」

「いや、それは……」

 

なぜか戸山さんは言い淀んでいる。

その点に引っかかるべきなのかどうかは分からないのは、どうやらまだ僕の脳は戸山さんと一緒にいたあの時間に味わった甘い蜜を忘れることが出来ないからだと思いたい。

 

「その、悠仁先輩は心当たりありますか?」

「うん?」

「お母さんに聞いた人の名前です。その人の名前は曖昧で忘れちゃったみたいなんですけど苗字は覚えていたみたいなんです」

 

 

 

 

楠瀬、と言う人らしいんです。

 

 

 

そんな声が、確かに聞こえた。

 

 




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次話は6月28日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

この日、僕は何となく学校を欠席した。
母さんにも何故だか分からないけど食道辺りがムカムカとして気持ちが悪いから休むと言った。流石に母親に何となく休みたいだなんて言い出せなかった。

朝の10時くらいに母さんが家を出て行ったのをドアの閉まった音で確認した。
それをいいタイミングとして僕はまた、何となく、部屋を掃除し始めた。

自室の散らかり具合はその人の本性が垣間見えるような気がする。特に偉い学者のじいさんが行ったわけでは無くてただの僕の仮説。
ただキョロキョロと見渡す辺りはさほど散らかっているという訳では無いが、本棚や勉強机の後ろには配線類がごちゃごちゃとしている。

僕はそんな状況をただぼんやりと見続けていた。
目に見える部屋のレイアウトは良いけれど、裏側は色々なコードがごちゃついている。世の中の高校生みたいだ。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第15話

この日、僕は何となく学校を欠席した。

母さんにも何故だか分からないけど食道辺りがムカムカとして気持ちが悪いから休むと言った。流石に母親に何となく休みたいだなんて言い出せなかった。

 

朝の10時くらいに母さんが家を出て行ったのをドアの閉まった音で確認した。

それをいいタイミングとして僕はまた、何となく、部屋を掃除し始めた。

 

自室の散らかり具合はその人の本性が垣間見えるような気がする。特に偉い学者のじいさんが行ったわけでは無くてただの僕の仮説。

ただキョロキョロと見渡す辺りはさほど散らかっているという訳では無いが、本棚や勉強机の後ろには配線類がごちゃごちゃとしている。

 

僕はそんな状況をただぼんやりと見続けていた。

目に見える部屋のレイアウトは良いけれど、裏側は色々なコードがごちゃついている。世の中の高校生みたいだ。

 

「別に、配線類は片付ける気にはならないんだよな」

 

この空間に一人しかいないと知っている僕は時折こんな独り言を零す時が多いような気がする。

僕の性格上は口を動かしている方が落ち着くような気がするけど、人前とか学校では僕から話しかけることはめったにない。

 

大体は声を掛けてくれた人と話す。

話始めれば結構面白い奴だったんだなって認識されるようになる。

 

そんな僕の事情なんて今はどうでもいいし、もし僕の心情を「何か」の手段で読み取っている人がいたとしたならば人前での僕の習性に興味を抱く人なんて誰一人ともいないはず。

 

みんなが気になっているのは、どうして僕が「何となく」部屋の掃除をしているか。

この一点のみなのだろうね。

 

「ここにも、無い……よね」

 

学習机の引き出しを一つずつすべて知らべても、面白い物や懐かしい思い出に浸れる品が出てくることは無かったから僕は盛大にため息をついてやった。

 

確か中学3年生の時に勉強に使うファイルやノートを入れるスペースを確保するために直感的に見て何も感情が湧かなかった物はすべて断捨離したっけ。

強く思い出に残っている物だったら捨てるわけないし、やはり僕の勝手な思い違いだと自分の中で勝手に結論づけた。

 

家にいても仕方がないから適当な私服に着替えて外へ繰り出すことにした。

自室から出て階段を降り、何故かいつもの癖でリビングに顔を出す。

 

「あ……作ってくれたんだ」

 

机の上には母さんが作ってくれたであろうチャーハンがラップをされて置いてあり、その上に紙でレンジで温めて食べてねと書いてあった。

もしや母さんには僕の仮病を見抜いているのかもしれないという気持ちと、そんな息子のために作ってくれた事に嬉しく感じながら、レンジの中に手作りチャーハンを入れた。

 

 

チン、と言う軽快な音が鳴ってすぐに皿をあたふたと持ち替えながらラップを明ける。

口の中に入れるとごま油の香ばしい香りと人の情が籠った温かい味がして、スプーンを止めることなく食べ続けた。

 

 

平日の昼間に歩き回ると警察とかが寄ってくるかもしれないけど、堂々としていたらバレないだろうし浪人生と言えば問題なんて何も無い。

ただ何も面白い事が無いから中古本が売ってあるお店で漫画の立ち読みか、誰が買ったんだよって突っ込みたくなるようなIQテストが掲載されている100円本を読もう。

 

そう意気込んで店に入ったが、いつも漫画で時間があっという間に過ぎるのに今日は全然だった。心では読みたいって思っているのにそれを脳が拒否する。

 

こんな時に出るのはため息ばかりで嫌になる。

学校に行きたいとか、そんなことは一切思っていないけどこういう時だけ誰とは言わないが顔がぽっかりと浮かんでくる。

 

頭をゴシゴシと掻いてから店の外に出る。

特にしたいことはないし、これからの時間を無駄に使って浪費してしまおう。時間は有限かもしれないけど要らないときに限って長く感じてしまうのを何とかしてほしい。

 

 

その時。

ズボンのポケットから振動が伝わってきた。

 

 

「もしもし?」

「あ、悠仁先輩!?だ、大丈夫ですか!?」

「えっ、と……何が?」

 

携帯から電話が掛かってきて、最近は戸山さんくらいしか電話をしてきてくれないから、電話を掛けてきてくれた相手が戸山さんだったことに驚くことはしなかった。

だけれど、戸山さんの切羽詰まった声は予期することが出来なかったから声が変な事になった。

 

「今日、悠仁先輩学校休んだんですよねっ!?熱ですかっ!?」

「あー……心配してくれて嬉しいんだけど、体調不良とかじゃないんだ」

「そうなんですねっ!安心しました~」

 

悠仁先輩が元気になったらまたどこかに行きましょうね

 

そんな声が聞こえた後は機械音のツー、と言う音が鳴り続けるだけだった。

正直何が何だか分からないまま通話が始まって、そして終わってしまった。まるで知らない間に進んでいた季節のような唖然さがあった。

 

だけど遅れて、悪くない気分になる。

だって他人から心配されているのだから嬉しくない人なんていないだろう。ましてや女の子から心配されたんだ、誰だって口角がグニッと上がる。

 

こんなモノクロに映る世界(・・・・・・・・・)の中にいてもしっかりと笑えるもんだ。

 

 

 

 

日が傾くにつれて、僕の身体は自然と自宅の方向へと向かっていた。

そしてその後の夜。今日は特に何もしていないのになぜか充実感がドンドンと沸き上がってきて、身体が心地よいくらいの満足感にどっぷりと浸かっていた。

 

携帯を取り出して、僕は戸山さんに電話を掛け始めた。

いつもならこんなことは一度もしたことが無かったけど、今日はなぜか出来る気がしたから。

戸山さんに電話を掛けるのは初めてなのに、自然と緊張感や恐怖心は無かった。

 

きっとキラキラと照らしてくれるようなあの明るい声が聞こえる。

 

 

 

だけど、聞こえるのは無感情なツー、と言う音だけだった。

 

 

 

久しぶりに根気よく粘ってみたが、いつまで経っても聞こえるのが他人の温もりが込められた音が聞こえないから僕は仕方なく電話を切る。

携帯で見ると3分近くも電話を掛けていたらしい。

 

戸山さんも暇じゃないだろうし、手が離せない状況なのかもしれない。

だけど今の時間に話したかった、と理由は特にないのに思ってしまう。もうちょっと後に電話が折り返し来ても今の熱があるとは思えないから。

 

携帯に充電器を入れ込んで、そのままベッドに横になる。

ついでに消灯ボタンも押して豆電球くらいの明るさにしたのは少し早いけど目をゆっくりと瞑れば長い間眠れそうに感じたのです。

 

身体の力が程よく抜けて、意識を夢の向こう側に放り投げれば今日と言う素敵な一日が終わりを告げてどんな日になるか分からない明日と言う名の白紙の日がやってくる。

人間はみんな画家で、白紙の日を何回も繰り返しては違う絵を描き続けるのだから。

 

 

 

 

 

 

そんな時、ふと気持ちが悪い事になって目がキン、と開いた。

どうして今、なんだ。

 

「なんで戸山さんは……僕が今日学校を休んだって、知っているんだ……?」

 

今日僕が描いた彩り豊かな絵。僕は最後の最後に真っ黒い色を全身に塗りたぐることにした。

本当に気持ちが悪くて、吐き気がする。

 

 

吐き気を催した先に。

 

真っ黒い「何か」が生まれて、僕に笑いかけてきたんだ。

 

 




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次話は7月5日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

次の日の僕の目覚めは良くも無ければ悪くもない、いわば普通の目覚めで、日常と言う名の僕の本にしおりを挟んでおかなければ1週間後には軽く忘れてしまうような1日の始まりだった。

だけど一つだけ気になるのは、真っ黒い「何か」が何とも言えない表情をしているにも関わらずだんまりを貫いたまま僕の隣にぴったりとくっついている事だ。
不思議な事に母さんや坂本には見えないらしい。僕もついに頭がヘンになったのかもしれない。

そういえば今日の朝に気付いたことがあったんだった。
僕はそれを確認するために携帯のスタートボタンを押して、今までに何前回も押してきた暗証番号である4675を流れるように無意識で打った。

「あ、まっさん。お前にとっておきを言うの忘れてた」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第16話

次の日の僕の目覚めは良くも無ければ悪くもない、いわば普通の目覚めで、日常と言う名の僕の本にしおりを挟んでおかなければ1週間後には軽く忘れてしまうような1日の始まりだった。

 

だけど一つだけ気になるのは、真っ黒い「何か」が何とも言えない表情をしているにも関わらずだんまりを貫いたまま僕の隣にぴったりとくっついている事だ。

不思議な事に母さんや坂本には見えないらしい。僕もついに頭がヘンになったのかもしれない。

 

そういえば今日の朝に気付いたことがあったんだった。

僕はそれを確認するために携帯のスタートボタンを押して、今までに何前回も押してきた暗証番号である4675を流れるように無意識で打った。

 

「あ、まっさん。お前にとっておきを言うの忘れてた」

「……坂本のとっておきとか死んでもいらないんだけど」

 

坂本が右肩にポン、と置きながら話しかけてきた。

せっかくだけれど、他人と話すときに携帯を触るなんてしたらいい印象に見られないから一度携帯の電源を落とした。

 

坂本の顔を見たら、気持ちが悪いくらいのニヤニヤ顔をして僕の顔を覗いていた。

実はクラスの一部の女子からは「坂本スマイル」が胸キュン仕草だと言われているらしい。ただ胸キュンするだけで彼氏にはしたくないとその一部の女子は僕に言っていた。

 

ある理由でそれなりに女子と交流があるのだ、僕には。

 

「そういうなよ、朗報だ」

「ますます聞くのが嫌なんだけど、何?」

 

そんなニヤニヤ顔から朗報が出てくる気が一切しない僕は、ため息をすべて坂本の顔面に吐きつけてやった。

坂本からの朗報には過去にもあった。事例としては課題のお手伝い券が出来たぜ、とか言って2秒で出来そうな紙切れを渡してきたこともあった。

 

「今度、体育大会があるだろ?」

「ああ、そっか。もうそんな時期だね」

 

僕たちの高校は進学校だからすべての行事を一学期の前半辺りに一気にぶつけてくる。

体育大会が終わる1週間後には試験準備期間がやってくる。

 

「体育祭のKAAC、お前が俺らの代表な」

「はああああ!?」

 

ろくでもないと思っていたらまさかの想像のはるか上に行く朗報で思わず僕は声を上げてしまった。

クラスのみんなも僕の方を見たけど、声を聞いただけで悟ったのだろう、みんな頑張れと手で表現してくる。

察しの良い部分をこんなところで発揮しないで欲しい。

 

KAACはKoumei Academic Ability Competitionの略で、体育大会のくせに学力で競うクラス対抗戦。

S特進クラスのガリ勉のもやしどもは運動が苦手な人が多く、体育大会をしても楽しめないのは良くないという理事長の鶴の一声で始まったバカすぎる競技。

 

僕たち底辺クラスは運動で、特進クラスやS特進クラスはこのKAACで得点を狙うのが定石らしい。

もう分かると思うが、KAACの配点がマジで頭湧いてんのかと言うレベルで高得点だったりする。

何より体操着で学力勝負って傍から見たらすごくシュールで、出来れば関わりたくない。

 

「まっさん……心の声のつもりかもしれないけど、声に出てるぞ」

「うそっ」

「すげー口が悪くなってるのに気づいてくれ」

 

そればっかりは仕方が無いだろう、と思う。

それに僕の声で興味を持ったクラスメイト数人が僕たちの近くまで来て、エールをくれる。

女の子からのエールは普段なら嬉しいが、こんな時は遠慮したい。

 

「クラス満場一致で決まったんだ。頑張ってくれよな」

「昨日休むんじゃなかった……。まじでふざけんなよー」

 

右手でクルクルと髪の毛を巻き続ける。少しだけクセッ気がある僕の髪の毛がいつもより僕の人差し指に絡みついてくる。

面倒くさいし適当にこなして良い感じの雰囲気になったらわざと間違えて役目を終えてしまえば良いか、とか考えているけど無駄に団結力の高い僕たちのクラスがそれを許してもらえるだろうか。

 

本気で分からなかった、って言えば良いだけの話なのだけれど。

 

「それにまっさん。俺は『朗報』って言ったろ?」

「まだあるの?」

「俺の口から言わせるのかよー、憎たらしい奴だな、このやろ」

 

なんだ、こいつ。本気で殴ってやろうか。

 

「最近、まっさん女の子と頻繁に連絡とってんじゃん」

「はぁ」

「彼女にかっこいい姿見せちゃえよ。うちの体育祭は土曜日だし、一般公開してるし」

「彼女じゃないし、どうせ来ないでしょ」

 

どうして僕が戸山さんと連絡を取り合っている事を坂本が知っているんだ、って思ったけど想像していたよりすんなりと理解できた。

坂本は顔が利くからいろんな情報を持ってる。それに一回戸山さんが僕の学校の前まで来てたこともあった。

偶然見られてしまったのだろう。

 

それに戸山さんの性格からして、見るより参加する方が好きそうな性格のような気がする。

 

 

まぁ、頑張るよ。

そう言ったら、クラスメイトが晴れやかな顔つきで僕を見てくれた。

 

 

 

 

 

 

「そんな事が今日あってさ」

「そうなんですねっ!なぜかドキドキしませんか!?」

 

家に帰って来て、いいタイミングで戸山さんから電話が掛かってきたから僕は会話の種にと今日会った話をちょこっとだけ内容を誇大して話した。

本当にあった出来事の中に偽りを入れる、それがもっともバレない嘘のつき方らしい。

 

「何もドキドキしないよ……僕はそんな目立って良い主役じゃないし」

 

戸山さんたちの様にバンドをしている子たちはどちらかと言うと目立って気持ちよくなるタイプ、いわば主人公みたいな感じの人たちだからドキドキなんてしない。むしろ心臓がギシギシと言う。

言わなかったけどプレッシャーもある。

 

「私は、そうは思わないですよ」

 

戸山さんは電話の向こうから優しく声を掛けてきた。

どれくらい優しくかって言われても言葉にするのは難しいけど、即座に彼女の表情が目に浮かぶくらいだとしか言えない。

 

「悠仁先輩は、その……」

「うん?何?」

 

急に彼女の口調がゴニョゴニョとしたものに変わった。

 

素敵でかっこいいヒーローなんだけどなぁ

「戸山さん?」

「な、何でもないですっ!」

 

今度は急に大きな声になって僕は思わず携帯を耳から離してしまった。

仕切りなおして携帯を耳元に添えると、彼女は何かを言い始めていた。

 

「……ですか?」

「ごめん、聞いてなかった」

「えーっ!?ひどいですよー」

 

テキトーにいいよ、と答えても良かったけど今回は聞き直すことにした。

どうして聞き直そうとしたのかは僕にも分からないし、僕の傍にいた黒い「何か」も不気味な笑みを隠したまま縮こまっている。

 

「だからもう一回、言ってもらっても良いかな?」

「し、仕方が無いですから。でも最後ですからね?次聞き逃したらぜーったい、言いませんからっ!」

 

戸山さんの声が微かに震えてそうだったけど、どうしてだろうかと一瞬だけ思った。

心臓が揺れすぎていて言葉まで震えているような感覚だった気がする。

 

いや、震えているように聞こえたのはさっきの戸山さんの大声のおかげでおおかしくなった僕の鼓膜のせいかもしれない。いや、きっとそうだ。

 

「すー、はー……言いますよ?」

「うん」

「悠仁先輩の体育祭、観に行っても良いですか?」

 

はい?と質問を質問で返しそうになったから、出てきそうでウズウズとしていた言葉を必死に抑え込んで心の中に引き戻した。

そして同時に坂本の顔が脳裏に浮かんだ。そして脳裏にいても癪に障るような顔で誘っちゃえよ、とか言ってやがる。

 

「僕が断る理由なんて無いけど、きっと面白くないよ?」

「良いんですっ!行かせてください!」

 

僕は体育祭の日程を教えた。

その後は戸山さんが早口になりながら電話を切った。当たり前に話せるような言葉なのに噛みそうになっている戸山さんはちょっと可愛らしかった。

 

 

「戸山さんが来るから張り切る、って言うのもちょっとダサいかなぁ」

 

 

真っ白な自室の天井を見つめながらぽつりと言葉を零す。

真っ白な、と言ったけどよく見ればポツポツと黒くなっている個所もあった。前より増えているような増えていないような、そんな微かな汚れ。

 

今はそんな汚れは全く気にしなかった。

なぜなら僕の視界には白黒の世界しか映し出されていないからだ。

 

 




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~次回予告~

そして、僕にとっては運命と言う名の歯車が間違いなく動き始めた日になった、ある日の土曜日。


どうしてここで過去形を使ったのかは後で説明するから今は聞き流してほしい、なんて心の中で勝手に注意喚起しておく。きっと誰も気にしないだろうけど、一応。

土曜日なのに学校があるというのは、公立の高校生ならありえない事かもしれないけど私立の高校だったら割と普通にあるらしい。現に僕たちの高校もある。
加えて今日は授業じゃなく、体育大会の日だからいつものように聞いてるふりして聞いてないとかそんなだらけた行動が出来ないのであまり好きじゃない。

運動が得意な坂本とかは今日と言う一日をお祭りの様に騒ぐのだろうけど、僕はそうなれない。
走ったら足に痛みが出てくるし、加減してると差が大いに開いてしまうから。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第17話

そして、僕にとっては運命と言う名の歯車が間違いなく動き始めた日になった、ある日の土曜日。

 

 

どうしてここで過去形を使ったのかは後で説明するから今は聞き流してほしい、なんて心の中で勝手に注意喚起しておく。きっと誰も気にしないだろうけど、一応。

 

土曜日なのに学校があるというのは、公立の高校生ならありえない事かもしれないけど私立の高校だったら割と普通にあるらしい。現に僕たちの高校もある。

加えて今日は授業じゃなく、体育大会の日だからいつものように聞いてるふりして聞いてないとかそんなだらけた行動が出来ないのであまり好きじゃない。

 

運動が得意な坂本とかは今日と言う一日をお祭りの様に騒ぐのだろうけど、僕はそうなれない。

走ったら足に痛みが出てくるし、加減してると差が大いに開いてしまうから。

 

「そういえば、今日は戸山さんが来るとか言ってたっけ」

 

僕が愚痴の様に彼女に話していたら、本当に彼女が来るようになった。

ただ、詳しく時間帯とか教えていない。と言うか戸山さんサイドから聞いてくることも無かった。

 

大体午前中から始まるという事くらいは予想がつくだろうけど、終わりの時間帯とか知りたくないのだろうか。戸山さんだって暇じゃないだろうし、バンドの自主練とかもしなくちゃいけないだろう。

 

「行ってきます」

「張り切ってケガしないようにねー」

「分かってるよ」

 

母さんがからかい口調で答えてくれた。

土曜日は朝からの仕事は無く、夜からの仕事は通常営業なので僕が家に帰ってくる頃には仕事に行っているのだろう。

 

自転車にまたがって、いつものようにゆっくりとしたスピードで学校に向かう。

ただいつもと違う事と言えば、今日のKAACの事をぼんやりと考えている事。クラスから3人選抜されるのだけど、僕以外の2人は1週間前くらいから対策をしていたらしい。らしいというのは坂本や他のクラスメイトから聞いた話。

 

僕はいつものように何もしていないから不安になる。

正解できなくてみんなの前で恥をかいてしまうんじゃないか、とかそんな不安じゃなくて残念な結果に終わった後の他の2人が嫌味を言ってこないかと言う事。

 

「苦手なんだよなぁ、あの2人」

 

根暗で休み時間もひっそりとしてるから何を考えているのかなんて分からない。

一応うちのクラスの中では成績は優秀な部類らしいから、変なプライドとか持ってたら面倒だ。

 

まぁ、なるようになるか。

そう決め込んだ時には、もう学校の駐輪場に着いていた。

 

 

 

 

高校生の体育大会にもなると案外教師による監視も少なく、校舎内だったら割とどこにいても良い。

文武両道を掲げているから勉強面とこういう行事のオンオフははっきりとしている。それほど厄介ごとを起こす生徒がいないという裏返しでもある。

 

もちろん外で競技をしている友人に熱いエールを送るのも、友人とのどかに話しながら競技を見るのも正しい青春の送り方だと思う。

 

「あ、悠仁先輩っ!おはようございます」

「戸山さん、おはよう。本当に来たんだね」

 

僕は校舎の、あまり人通りのない廊下の壁にもたれながら携帯を触っていると、戸山さんがやってきた。

この学校の敷地内で会う事が無いはずなのに、こうして会っていることに不思議な感覚に陥った。

 

だからどうして彼女が僕のいる場所が分かったのか、と言う真っ先に出てくるはずの疑問が出てこなかった。

 

「悠仁先輩の出番はいつなんですかっ!」

「いや、まだまだだよ……そんなにワクワクしすぎちゃうと期待外れだった時の落胆が大きいから落ち着いて、ね?」

「悠仁先輩は期待を裏切らない素敵な男性ですよねっ!」

 

もう反論するのは辞めようって素直に思った。

だから僕はちょっと苦い笑いを含めた笑みを彼女に送った。

 

誰もいない廊下。

静かな廊下に、真夏の綺麗な鈴の音の様に僕たちの会話は響いている。

 

「ねぇ、戸山さん。少し歩かない?なんちゃってデート、みたいな感じで」

「デ、デートっ!?」

 

いつもなら元気はつらつに行きましょう、とか言う彼女の反応が今日は違った。

まるで大ファンな有名人が目の前に現れたかのような、突然の出来事と照れくささが交わっているような彼女。

 

今まで戸山さんから何回もデートみたいなことを僕に誘ってきたのに、僕が誘ったら照れるのって変な感じだ。

でも女の子ってそういう生き物なのかも、とハリボテで出来た僕の薄っぺらい知識がそう結論づけた。

 

あれ、今いるこの場所ってこんなに暑かったっけ。

 

「悠仁先輩も照れてる?照れてますよねっ!」

「ほ、ほら!早く行こう」

 

僕はササッと足早に廊下を後にする。

どうしてそんなに急いだかと言うのは暑いから、速く歩けば涼しい風が僕を包み込んでくれるからだ。

 

後ろから戸山さんが小走りで着いてくる。

実は頭の中では教室に連れて行こうかなって思った。だけど身体は僕の意志とは無関係に違う場所に向かっていた。

 

階段を上り切り、重たいドアをガシャッと開けた。

 

「ちょっと殺風景だけど、ある意味ロマンチックじゃないかな」

「えへへ、そうですね」

 

真っ白な塗装が一面に広がり、少し上を見上げれば青空の澄んだ青が交差する屋上。

特に立ち入り規制とかないけど、人がほとんど来ないこの場所に僕は戸山さんを呼んできた。

 

「ねぇ戸山さん」

「何ですか?」

 

屋上のフェンスにもたれながら戸山さんに話しかける。

戸山さんも僕と同じように背中を預ける。下からは生徒たちが競技に打ち込んでいてそれなりの熱気が伝わってくる。

 

僕がいない事に気付いているクラスメイトがほんの一握りだろうし、いないからと言っていつも僕が平気でやってる遅刻とかと違って別に悪い事ではない。

 

だからかな、いつもより清々しいという気持ちなのだろうか、少し柔らかい表情が顔からにじみ出ていた。

 

「今日ここに、来たいって思わせたきっかけって何か教えてくれる?気になっちゃって」

「そうですね……」

 

少し下を向きながら戸山さんはうーん、と小さくうなりながらどう言葉で表現するか思案しているみたいだった。

 

すっと顔を上げて、戸山さんは僕の顔をジッと見つめてきた。

今の彼女はまるでおとぎ話に出てくるヒロインのような、キラキラとしているけれどしっかりと存在感のある目をしていた。

 

「自分の気持ちを誤魔化すとか、そんな器用な事は出来ないからちゃんと答えますね?」

 

悠仁先輩と過ごしたかったんです。

 

そう口が動いたし、僕の耳にもそう聞こえた。

僕の目の前に来て、手を後ろで組んで少し前のめりになりながら、少しのイタズラ心が垣間見えるような無邪気な笑顔だった。

 

「悠仁先輩といると楽しい。それにどうしてかな、心からドキドキするんです」

「そっか」

 

今の時点で戸山さんの事をどう想っているのかなんて関係なく、彼女の出した答えがしっくりと来た僕はポケットに手を突っ込みながら青い空を見つめた。

 

僕と過ごしたい。

捉え方によっては一種の告白みたいに聞こえる言葉だったけど、今はそういう風にとらえない事にした。

その代わりと言えばなんだけど気持ちをキュッと、濡れた雑巾から水分を搾り取るように気持ちを引き締めた。

 

戸山さんは本音で答えてくれた。

だから僕もそれに向き合って答えなければ失礼だよね。

 

「体育大会が終わったら、どこかでごはん食べよっか。僕も戸山さんと一緒にいたいし」

「は、はいっ!もちろんです!」

「どうせなら、戸山さんにかっこよく見られたいし……」

 

 

久しぶりに頑張るからさ、見ててね。

 

 

二人っきりの、とてもとても静かな屋上。

だけど確かに、僕たちはかけがえのない「何か」を刻んだ気がした。

 

 




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~高評価をつけて頂いた方をご紹介~
評価9と言う高評価をつけて頂きました 愛蘭さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします。

~次回予告~

学校の屋上で戸山さんと、後から思えば顔をほんのりと赤く染めるくらいには十分な恥ずかしさが襲ってきた宣言をした。

あの後も戸山さんと他愛もない話を屋上でした。
幸いにも僕たちが屋上にいた時間に他の生徒がやってくることは無かった。

二人で何を話していたのかと言う内容を聞かれると答えるのが難しい程、本当に他愛もない話をしていた。
そんな時間に終わりを告げたのは僕の方だった。

「私、応援してますからっ!」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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第18話

学校の屋上で戸山さんと、後から思えば顔をほんのりと赤く染めるくらいには十分な恥ずかしさが襲ってきた宣言をした。

 

あの後も戸山さんと他愛もない話を屋上でした。

幸いにも僕たちが屋上にいた時間に他の生徒がやってくることは無かった。

 

二人で何を話していたのかと言う内容を聞かれると答えるのが難しい程、本当に他愛もない話をしていた。

そんな時間に終わりを告げたのは僕の方だった。

 

「そろそろ、出番だから行くね?」

 

腕時計は2時と45分を指していたこの時間。

15時から始まるKAACは、他校では学年対抗リレーと同じ立ち位置に立っている。すなわち最後の協議で学校中が陰湿なくらい盛り上がる。

 

「悠仁先輩っ!」

 

後ろから声を掛けられて、振り向いた。

ギュッと、僕の手が戸山さんの両手によって温かく包まれた。

僕は少し驚いた顔とえっ、と言う声を出した。

 

「私、応援してますからっ!」

 

ギュー、と言う彼女の声と比例して握られていく手の力が強くなる。

僕は手の痛みよりも、心の方がキュッとなっていって痛かったのは流石に彼女には言えなかった。

 

青春アニメとか恋愛小説の主人公だったら、誰かに描かれた脚本通りここでヒロインを胸の中に優しく包み込みながら頑張ってくるから見てて、と言うんじゃないかって思った。

 

残念ながら僕はそんな主人公みたいな人格者じゃない事は分かっているし、何より今の関係性が綺麗なガラスを高いところから落とした時みたいにバラバラに砕け散ってほしくなかった。

 

「ありがとう、戸山さん」

 

言葉で、彼女にそう伝えた。

戸山さんも綺麗でキラキラとした笑顔を向けながらうん、と首を縦にして頷いてくれた。

 

 

 

 

 

いつもと違って少し胸を張って、待機場所にやってきた。

今は2年生の部が行われているが、あまり盛り上がっていない。一番盛り上がるのは難問ぞろいの3年生の部、つまり僕たち。

 

「あれ、まっさんもういる」

「競技の時間くらいは守るよ」

「いや、まっさんなら遅れてやってくるはず!今日は隕石でも降ってくんのか?」

「お前の頭に落ちてきたら全人類ハッピーだろうね」

「まぁでも、今のまっさんは最高に期待できるな!クラスのみんなにも伝えとくよ」

 

こういうやる気が高まっている時は大抵空回りするからそれだけはやめろ、と坂本には釘を刺した。

いつも通りやっていたら妥協ラインくらいまでは行けるはず。

 

それに僕は今までにないくらい自分に興味が湧いていた。

今の僕がどれくらいS特進クラス(バケモノ)に通用するのか、と言う知的好奇心と言う名の興味。

勝てはしないだろうけど、少しはオーディエンスを沸かせたいなって密かに思っている。

 

「なぁ、まっさん」

「うん、何?」

 

 

「今日はまっさん、として出るのか?それとも……」

「どっちでも一緒だよ」

「へぇ、少し面白くなりそうだな」

 

坂本はそう言い残してどこかに行ってしまった。

この言葉の意味が分かるのは僕と坂本、そしてこの学校の生徒の一部くらいだろう。

それにしても坂本も言い方を考えて欲しい。普通に考えたら二重人格か重度のイタイ人間に思われてしまうじゃないか、と苦笑いを浮かべる。

 

 

生徒指導の先生が僕たちの入場を促してきた。

この人にはいつもお世話になっているから変な気持ちになる。

 

先生は僕の頭にぶ厚い手をかぶせてきた。

僕はパワハラだ、とちょっとふざけた口調で言った。だけど先生はそんな僕の口調を綺麗にかきけしてしまったかのような真面目な物に変えてきた。

 

「悠仁のその顔付き、久しぶりだな」

 

その言い方じゃ、僕がいつもふざけた顔をしているみたいだ。

坂本と言い、先生と言い僕をどんな姿で映し出されているんだろうか。

 

 

放送委員の呼びかけにより、僕たちはゆっくりと安っぽく整えられた舞台の上に上がっていく。

一番最初に舞台に上がるのは僕たち総合進学クラス。

落ちこぼれであるこのクラスが出てきたところで誰も大して期待していないのだろうはずなのだが、今回は盛り上がりとは違う一種のざわつきのようなものがあった。

 

競技的ルールはクラス3人が選抜で出場し、先方中堅大将の順に問題を解いていく。

先方の生徒が一回でも不正解を導いてしまったら中堅に交代していく。つまり大将が最後まで残っていれば良いという事だ。

 

次に出てくるのは特進クラス。そしてその次に出てくるだけで存在感を放ってくるS特進クラス。

僕の偏見で悪いけど、特進クラスはもやしが多い。一番学力があるS特進クラスにももやしはもちろんいるが、案外スポーツマンみたいなガタイの人やコミュニケーション能力の長ける人が多い気がする。

 

 

 

放送委員のノリノリな口調で第一問が発表される。

内容は「ウナギの血液には毒素が含まれておりますが、その毒の名前を答えろ」という問題で、早速学力関係なしの雑学だったことに周りの生徒から色々な声がグラウンドに入り混じる。

 

僕は大将の席で、ここにこのまま座って待機してる方が罰ゲームみたいなんだけどと思いながら頬杖をついていた。

最初は中堅の奴が大将だと言い張っていた。別に僕も異論はなかったけどクラス全体が僕を推してしまった。ただそれだけ。

 

いきなり最初の問題を僕のクラスの先方は間違ってしまった。他のクラスは全員正解してるのに。

普通はウナギが毒を持っている事なんて知らないだろうし、イクチオヘモトキシンと言う毒の名前も出てこないだろう。

だけどさ、普通疑問に思わないのかな。どうしてウナギって蒲焼くらいしか食べないのかなってね。

 

続く第2、3問が終了した時点で早速僕の出番まで来てしまった。

周りはまだ先方、時折中堅が回答席に座っている状態。ただこの競技の出場者は僕を哀れな目では見ていない事は分かったから少しこそばゆい。

 

「第4問!数学の問題です。こちらのモニターをご覧ください」

 

頬杖したままぼんやりとモニターを眺める。こんなところにまでモニター持ってきて体育委員はご苦労様だね。

 

『10個の異なる2桁の整数からなる集合がある。共通部分を持たない2つの部分集合をうまく選べばそれらの要素の和が等しくなるように出来ることを証明しなさい』

 

あー、ディリクレの原理を使わなきゃいけなさそうだ。

競技観戦者は解ける訳ないだろ!と言う悲鳴が聞こえるし、周りの回答者も頭を悩ましている。

 

そしてすぐに観戦者はざわつき始める。さっきまでわめいていたクセにって思いながらペンを走らせる。

きっと僕が頬杖を突きながらものすごいスピードでペンを走らせているからだろう。

高校1年生の時にこれとよく似た問題に頭を悩ました覚えはあるし、今も解法が頭の中で次々に作り上げられるくらいには覚えているものだ。

 

どうやら今回の問題の正解者は僕だけだったらしい。

 

 

その後の問題も僕は解いていった。

次第に僕たちのクラスだけだった町田コールが全校生徒まで真似はじめ、グラウンドの隅々の生徒にまで広がっていった。。

 

ただ僕は自分の苗字でコールが出ているのに、まるで他人事のように気にしないでいた。

なんだろう、あまりしっくりこないのかな。

それともまた周りが自分の事の様に騒いでいるだけなのかな。

 

横を見れば回答席に座っているのは僕と、S特進クラスの大将である女の子だけ。

その女の子、桃子は僕と張り合う事が楽しくて仕方がないような表情をしながら僕の方をチラッと見てくる。

本当に、この子は2年前と変わらない。

 

 

「第13問!モニターに映し出されているのは藤原道綱母が記したと言われる蜻蛉日記のとある一文です。これを現代語訳してください。……そろそろこちらの用意している問題がなくなりますからそろそろどっちか間違えてー!」

 

放送部員の切実な心情が吐露されて、ようやく僕が一体何問もの問題を解いてきたのかが分かった。

きっと隣に座っている桃子は嬉々としているのだろうなって思いながら頬杖をつく。

蜻蛉日記は面倒くさい事に主語が記されていない文章が多い。だから古典文学の中では読解が難しい部類だ。

 

だけど僕にはとある理由から、モニターに映し出された箇所の現代語訳は瞬時に頭の中の引き出しから出てきた。

 

 

だけど僕は敢えて、そう、敢えて。

現代語訳を間違える選択を取ったんだ。

 

 

 




@komugikonana

次話は7月26日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

僕たちのクラスは解散時間までお祭り状態に近かった。
教室に戻るとクラスメイトが僕をもみくちゃにしてしまって、髪の毛がボサボサのままホームルームを終えた。

このままの髪型で戸山さんに会ったら、きっと彼女は口元を抑えながら笑ってくるだろう。
それも面白いかもしれないけど、ちょっとダサい格好で会うのも気が引けるという左右どっちにも触れる壊れた磁針のような気持ちがあっちこっちする。

冷静に考えれば後者の方が圧倒的に印象が良いよな、と言う判断から僕はトイレに向かう事にした。
多少水で濡らしたら髪の毛も言う事を少しは聴いてくれるだろう。
そう思って教室から出ると、戸山さんとは違う女の子が、僕を待っていた。


「悠仁とは終わりにしような」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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第19話

高校生活、いや、学生生活で恐らく最後であろう体育大会が幕を下ろした。

最終種目であるKAACは近年まれにみる白熱した展開だったらしく、下級生は大いに盛り上がったと言う。

ちなみに僕の同級である3年生からしたら、こうなるのも薄々予想は付いたらしい。

 

僕たちのクラスは解散時間までお祭り状態に近かった。

教室に戻るとクラスメイトが僕をもみくちゃにしてしまって、髪の毛がボサボサのままホームルームを終えた。

 

このままの髪型で戸山さんに会ったら、きっと彼女は口元を抑えながら笑ってくるだろう。

それも面白いかもしれないけど、ちょっとダサい格好で会うのも気が引けるという左右どっちにも触れる壊れた磁針のような気持ちがあっちこっちする。

 

冷静に考えれば後者の方が圧倒的に印象が良いよな、と言う判断から僕はトイレに向かう事にした。

多少水で濡らしたら髪の毛も言う事を少しは聴いてくれるだろう。

そう思って教室から出ると、戸山さんとは違う女の子が、僕を待っていた。

 

 

「ちょっとだけ私に時間、ちょうだい?」

 

 

 

僕はその女の子と一緒に隣同士で、適度な距離感を保ちつつ、静まり返ったS特進クラスの教室に入った。

黒板も机も、椅子も僕たち総合進学クラスとは違う上質な物。人間は慣れる生き物だから不自然に柔らかく腰に負担の無い椅子は少しこそばゆく感じた。

 

「ちなみに、僕を呼んだのは勝利宣言でもするため?」

「へへへ、近いかも」

 

僕を呼び出した女の子である桃子は、ふんわりとした笑顔で僕の顔をまっすぐ見てくる。

近いってことは僕の冗談は案外的を得ていたらしい。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるけど、こんな時に当たってしまってもなぁとも思う。

 

「えっと、町田君、て呼んだ方が良い?」

「そりゃ俺の名前は町田悠仁だからな」

「違和感あるなー。こんなことなら最初から悠仁、って呼んどけばよかった」

 

両手を頭の後ろに組んで斜め上に視線を向ける桃子。

年相応の、だけど少し控えめに膨らんでいる女の子の象徴が強調される。

 

「それ、心理学でコブラポーズって言われてるからあんまりしない方が良いよ」

「町田君は私に負けちゃったからこの場合は何も問題は無いのだ」

「なんか腹立つ」

「それに心理学がすべて当てはまったら、社会はもっと上手く効率的に回るって」

 

この子ってそんなに物事を達観的に見る子だったっけと違和感を覚えた。

その違和感は桃子の口から出た言葉で何となく咀嚼することが出来た。

 

「そう、もっと上手く回るはずなんだよ。悠仁君みたいな境遇なんて軽くぶっ飛ばせるくらいには」

 

結局苗字ではなくて名前で呼ぶのかよ、って突っ込んでやろうかと思った。

ちょっと真面目そうな雰囲気だから喉の奥に流し込んだけど。

 

「どういう事?」

「ごめんね。私、聞いた。先生と坂本君から」

「『物事の流れを当たり前と捉えないで疑問に思え、それが学習の第一歩』って教えたのは僕だっけ」

「そんな事もあったね。私は今でも思い出せるよ、あの時の悠仁君」

「そっか、疑問に思ったか」

「ちょっと違うかも。疑問じゃなくて心配」

「心配?」

「悠仁君、急に人が変わったみたいになったから」

 

桃子の言葉が、心臓をチクチクとさせる。

桃子との出会いは入学式の次の日に行われた学力テストだった。そのテストでクラスの最下位だった桃子は放課後に教師からこれから頑張るようにネチネチと言われたらしい。

そんな女の子が今やこの高校の首席なんだから感慨深い。

 

「だけど今日、やっぱり悠仁君は悠仁君だって思ったよ。あれから一切勉強してないくせにドンドン問題を解いていくんだもん」

「たまたまだよ、たまたま」

「でも私は一つだけ納得がいかない。どうして最後の問題、わざと間違えたの?」

 

もう疲れて休みたかったから、とか言ったら1時間くらい小言を言われそうな気がしたからその言い訳は無しにしておく。

桃子も真剣な顔をして聞いてきているから彼女の気持ちに応えたい、とも思った。

 

「そうだな……ひと昔前に戻ってしまいそうになった、から」

「ひと昔前って、悠仁もまだこのクラスにいた頃?」

「過ぎ去った過去に戻ったらいけない。過去は変わらないんだから。後悔、してしまうから」

 

後悔しないようにしているのに、心のどこかでは何かが引っかかるんだ。

だから僕は過去は過去で区切りをつけている。

 

たまに過去と今がつながっていてそれらが新しい未来を創るとか言う人もいるけど、僕にはそんな思想を聞いても首を縦に触れない。

もし目の前に魔法使いがいて、過去にタイムスリップ出来ると言われても間違いなく断る。

 

「そっか。ごめんね」

「何もお前が謝る必要なんてないよ」

「それでも、ごめんね」

 

小さな体を更に縮こまるように頭を下げる桃子は、あの頃の桃子と似ているけれど明確に違う部分も垣間見えた気がした。

僕はふーん、と浅く広いため息をついてから、桃子の頭の上に右手をふんわりと乗せた。

彼女はえっ、と言う声をあげた。

 

「おめでとう、桃子」

「それ、私が補修終わりに初めて掛けてくれた言葉と一緒じゃん。……でもー、悠仁君に勝った気がしないなぁ」

「勉強に勝ち負けの優劣なんか無いって」

「それも言われたー」

 

桃子の頭に乗せていた手をゆっくりと離してから、僕は彼女にそろそろ帰ると言った。

もう戸山さんは校舎内にいないかもしれないけれど、少しの希望と今日の出来事の余韻に浸りながら一人で歩き回りたいと思ったから。

 

桃子は小さく頷きながらばいばいと手を振ってくれた。

僕は彼女に手を振り返した。

 

 

 

 

 

 

教室でそんな出来事があって僕は静かな校舎内を歩き回った。

もし僕の傍に君のような人間がいたらきっと一人に見えるかもしれないけれど、僕にはすぐ隣に僕にぴったりと寄り添っている真っ黒い影がいる。

その影は今日もニヤリとした口をしているように感じた。

 

「流石にもう誰も校舎内にはいないかな」

 

腕時計を見るともうすぐ6時になろうとしていた。

別に戸山さんと出会って今日の僕の活躍を褒めてもらって良い気になろうとか思ってないのに、無意識に頭の中で彼女を求める自分がいた。

横にぴったりとくっついている黒い影は今にも気味の悪い声をあげそうな表情をしているけれど。

 

「……ですか!?」

 

静かな校舎内だから、案外遠くにいるであろう話し声も聞こえた。

それにその女の子の声は、僕の頭の中で思い浮かべているあの子と完全に一致した。

 

僕は自然と声の聞こえた方向へと足を動かした。

その時の僕の感情は、単純だった。だから戸山さんが誰と「話」をしているのかなんて考えもしていなかった。

 

段々と話し声が聞き取りやすくなってくる。そうか、もう近いんだ。

この壁を越えれば、きっと戸山さんがいる。僕はなんて声を掛けようかなと考えながら。

 

「まっさんには言うなよ?約束だからな」

「分かりました」

 

一瞬にして、僕は我に返った。フワついていて浮足立っていた僕の気持ちを急降下させて無理矢理地面に着地させた。

高いところから飛び降りる時のような、心臓がキュッと縮こまるような気持ちの悪い感覚が襲ってくる。

どう、なっているんだよ。

 

咄嗟で彼女らからみて死角になる壁に張り付いた。

息が乱れすぎている。僕は全速力で走ってここまで来たわけでは無いのに1500mは走ったかのような息苦しさがある。

 

そんな僕の状態なんか知らない戸山さんと坂本は笑顔で指切りをしていた。

まっさんにこんな事したって言ったらガチでキレられるからさ、と言う明るい声を出す坂本。

 

僕がキレるような事をしている自覚はあるんだ、ふーん。

すぐ隣にいた黒い影は笑みを浮かべながら良く分からない動きをしている。

 

「いいかい、香澄ちゃん?」

 

力の入った右手はギリギリと柔らかい掌の中に食い込んでいく。

僕はこの後の一言を耳の中に聞き入れた後、すぐにその場から立ち去った。

きっともう一人の影のような、ニヤリとした表情と正反対な感情を僕は顔に出していたと思う。

 

 

 

 

「まっさん、いや、悠仁とは終わりにしような」

 

 




@komugikonana

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ついにこの小説「今を繋ぐ赤いお守り」の投票者が50人になりました!!
これで6作品連続で評価バーが赤色ですべて埋まりました!
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~次回予告~

「僕さ、見ちゃったんだ。そして聞いちゃった。君と坂本の会話」
「僕と終わりにするんでしょ?どうせ遊ばれるんだったら僕の前で遊んで欲しかったよ」



「……悠仁先輩、さようなら」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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第20話

今日この日の放課後に見たくなかった場面に出くわしてしまった僕は、あの後訳の分からない胸のモヤモヤと頭痛、そして吐き気に襲われた。

胸がモヤモヤと気持ち悪くなる原因はやんわりと想像は出来る。だけど頭痛と吐き気は良く分からない。

でも前も何が原因だったか分からないけど吐き気に襲われたという漠然とした記憶で覚えてる。

 

誰もいない家に帰って、いつもは手を合わせる父さんの前を素通りして自分の部屋へと向かい、来ていた制服を乱雑にベッドの上へと投げ捨てた。

 

「どうして僕が……イライラしてんだよ」

 

そしてふと冷静に物事を見てみると、イライラを服やドアを開ける際などにぶつけている自分に更に嫌気がさした。

僕の傍にいる黒い「何か」は少し大きくなっているように感じたけれど、そんな些細な事(・・・・)に気を向ける余裕なんてこれっぽっちも無かった。

 

なぜか知らないけど後頭部辺りがやけに痒くなってきて、無意識のうちにガリガリと右手で掻き乱している。

 

「このイライラは僕のせいか?」

 

こんなにも苦しいのは僕のメンタル的な面が原因なのか?

たしかに僕はそんなに肝が据わっているような性格の人間じゃないし、勉強以外の事で一発勝負な場面なんかは手が小刻みに震えてしまうほどだ。

 

だから心を微かに動かしている女の子が他の男と良い雰囲気になっている場面だけを見て動揺している自分がすべて悪いという事なのか。

 

 

 

 

「……そうじゃあ、無いな」

 

薄暗い部屋にも関わらず証明もつけないでベッドに座りながら僕は低い声を僕しかいない空間に響き渡らせた。

僕の傍にいる黒い「何か」はニヤッとしながら存在をブクブクと大きくさせる。

 

携帯の電源を入れる。

薄暗い部屋に現れる一筋の光は、無表情な顔をした僕の顔だけを機械的に照らしていた。

 

僕は戸山さんにメッセージを送るために親指をきびきびと動かしながら文章を入力していく。

今の様子を第三者が見ればきっと、いつものような嬉々とした表情を浮かべながらやり取りをしていた過去を疑ってしまうだろうね。

 

「これで二日後の月曜日、話をすることが出来るだろうね」

 

携帯の電源を落とすと、太陽が完璧に沈んでしまったのだろう、部屋を照らす明かりがすべてなくなって真っ暗になった。

でも不思議と僕の目には、想像しているよりも暗く感じなかった。

 

 

 

 

 

二日後の月曜日。体育祭が土曜日にあった為に今日は僕たちの学校は休みだ。

日曜日はどのように過ごしたかと言うと一日中自分の部屋に中に閉じこもっていたと言っても過言ではない。

それくらい今の僕には普段なら楽しいと思えるはずの事をしても馬鹿らしく思ってしまう。

 

そういえば土曜日から時々戸山さんから携帯にメッセージが送られてきていた。

だけど返信はかなり素っ気なくなった。僕自身返信するのも億劫になっているのだから返信しているという事実は褒めて欲しい。

 

誰の目から見ても適当に返信しているのに戸山さんはしっかりと返してきているのだけは良く分からない。

僕のいない場所で、僕の話題に盛り上がっていたくせに、って思ってしまう。本当は思ってはいけない事だし、人間誰しもそういう部分が見え隠れする生き物なのだから。

 

だから僕はこれから戸山さんに……。

これからの行動は僕にとって、そして彼女にとっても良い行動なんだ。何も心を痛める必要はない。むしろ僕の心のほうがズタズタなのだから。

 

 

静かな布団の上で、僕は心の中で自問自答を行っていたら気が付けば戸山さんに吹っ掛けた約束の時間近くまで時刻が迫っていた。

僕の足元が、いや膝丈まで水に浸かっているのかと思ってしまうような重たい脚を懸命に動かして自転車(相棒)にまたがる。

 

こういう話をしたい時はだいたい公園で、と言うのが相場の様に思える。だけぼ僕が戸山さんを呼ぶ場所に指定したのは違う場所。

それはなぜか既視感に溢れているし、同じような場面は決まって公園で行われているように直感で感じたからに過ぎないのだけれど。

 

 

 

「あ、悠仁先輩っ!」

 

何の変哲もない、耳を澄ませば電車の音が時折聞こえてくるような、そんなどこにでもあるような住宅地の端っこ。

 

僕の目に映るのは僕の肩くらいまで積み上げられている無機質なブロック塀と電柱、そして僕が目を逸らしてしまいたくなるような笑顔の戸山さんだった。

 

「体育大会の先輩、とーってもかっこよかったですよ!」

 

僕の目の前まで来て胸の上あたりで両手をかわいく握りながら語り掛けてくる戸山さん。

 

自分の心の中では、言葉では表すのも汚らわしいような、悪い気持ちがビュッと飛んで出てきた。

そんな気持ちは流石に出してはいけない。

 

 

だって、僕が戸山さんと過ごした時間が楽しかったの事に、偽りなんて無いんだから。

 

 

「あのさ……戸山さん」

「えっと、どうしたんですか急に」

 

 

「僕さ、見ちゃったんだ。そして聞いちゃった。君と坂本の会話」

 

 

ぽつんと、だけどいつまでも残るような言葉を淡々と言った。

戸山さんの瞳が大きくなって、揺れているのを見た。そんな彼女の姿を見て何も思わないはずが無かった。

 

「僕と終わりにするんでしょ?どうせ遊ばれるんだったら僕の前で遊んで欲しかったよ」

「そ、それは……」

「戸山さんは元気で明るくて、そして僕は君に憧れてた。こんな人だったんだって思った今は印象が変わっちゃったけどね」

「私は……っ!」

 

戸山さんは下を向いたまま、今にも消えてしまいそうな声がさらに震えていた。

でも彼女はすぐに平静を取り戻した。

 

 

僕はそんな彼女の姿を見て、思ったんだ。

とても複雑な顔をしているのに晴れ晴れしく見せようとする彼女の表情をみてさ。

 

 

「言い訳になっちゃうよね……悠仁先輩、さようなら」

 

 

僕は、いや、僕たちはどこで間違ってしまったのだろう。

 

僕が間違えた?

そんなはずはない。だけど、戸山さんを見れば何か引っかかってしまう。

 

僕は何の罪もない綺麗に積み上げられたブロック塀を思い切り蹴った後、何もかもどうでも良くなってしまった。

 

 

 

 

 

真っ暗闇。

その中に僕がぽつんと一人で立っている。

 

何処かで僕を嘲笑う声が聞こえる。気持ち悪く感じた僕は一寸先も見えない暗闇を四方八方見渡す。

どこだ?どこで笑ってる?隠れてないで出て来いよ。

 

耳を澄ませば、その声は僕の足元から聞こえてきている事が分かった。

下を向くと小さな石ころのくせに、面白いおもちゃを見つけた不良のような顔をしながら僕をからかっていた。

 

僕は口を歪ませながら小さな石ころをグリグリと何度も、踏んづけた。

 

「ぎゃははは!やっぱりお前はいっつもそうだ!自分より弱いものに怒りをぶつける!」

 

さっきまで石ころだったものが黒い霧を放つ。

その霧から人型のようなものがむくむくと出てきて、僕は必死に違う場所に走って逃げた。

息が切れる、しんどい、気持ち悪い。

 

「そしてすぐ逃げるんだ!」

 

瞬間移動してきたかと思わせるように、黒い人が僕の前にぴったりと表れる。

振り返って反対方向に逃げようとした。

でも後ろにも同じ人型が立っていた。おまけに右も左も。

 

人型はブツブツと何かを、しかもかなり早口で呟き始める。

それだけでは物足りないのか、僕の片足にしがみついてきたり肩に体重をかけてきながら耳元で囁く奴も出てくる。

 

共通していたのは、みんな口をこれでもかと大きく歪ませていた事。

 

やめろ、やめろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「辞めろって言ってんだろっ!」

 

 

 

はぁはぁ、と言う息遣いの荒さと一緒に僕は夢から覚めた(・・・・・・)

そして汗だくのまま、虚無の目をしたまま、僕は思った。

 

夢はつい最近の出来事からなっていた事。

既に起きてしまった出来事、それは夢でも何でもない現実。

つまり今まではプロローグにすぎないのだ、という事を。

 

 

 




@komugikonana

次話は8月9日(日)の22:00に公開します。
お盆休みですね。今年は例年よりもゆっくりと過ごせるのかな?皆さんも体調には気を付けてください。

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評価9と言う高評価を付けて頂きました 儚い聖人さん!
評価7と言う高評価を付けて頂きました ロイローイさん!

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~次回予告~
僕は汗を流すためにシャワーをサッと浴びることにした。
夢から覚めて、モノクロに映っていた視界はすべて淡い色がついている。いや、人間が目を通して物体を見るしカラーで見えるのは当たり前だ。

だけど掠れた色でしか見えないように感じるのは、気のせいではないようだ。


戸山さんに一方的に言って別れを切り出したあの日からおよそ2週間が経過した。
「……ほんと、僕は何がしたいんだろ」
「僕はただ……」

僕はただ、戸山さんには笑顔でいて欲しかった。

――本編が、始まる。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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平日の来訪者と僕が知らなかった事①

汗をダラダラと垂らしながら起きる朝ほど気怠い朝は無いと僕は思っている。

夢から覚めた僕は真っ先に時刻を確認する。どうやら10時を回っているらしく、普通だったら学校に行って退屈な授業を聞いている頃だ。

 

僕は汗を流すためにシャワーをサッと浴びることにした。

夢から覚めて、モノクロに映っていた視界はすべて淡い色がついている。いや、人間が目を通して物体を見るしカラーで見えるのは当たり前だ。

 

だけど掠れた色でしか見えないように感じるのは、気のせいではないようだ。

 

 

戸山さんに一方的に言って別れを切り出したあの日からおよそ2週間が経過した。

僕はその日から一度も学校に顔を出していない。

母さんは流石に僕に何かあったのではないかと心配していた。だけど僕はその理由を母さんに話すことは無かった。なんか、バカらしいから。

母さんはそんな出来損ないでどうしようもない息子である僕を叱ることは無く、あまつさえ「人生は長いのだから休憩くらいしちゃいなさい。でもどうしても我慢できなくなったら母さんに相談して」と優しく言葉をくれた。

 

僕はいつから他人に迷惑ばかりかける人間になってしまったのだろうか。

死にたいとは思わない。だけど僕がこの世界に存在してほしい程のかけがえのない存在ではないし、消えて楽になりたいとも思う。

 

結局、消えてしまいたいけど死ぬのは怖くて勇気が出ないだけ。

 

「もうすぐ期末テストだけど、受けなかったら卒業に響くかなぁ」

 

シャワーを浴び終わってバスタオルで身体についた雫をふき取りながら、誰もいない家で誰かに聞いて欲しそうな声を零した。

もし卒業できなかったらまた高い学費を母さんに負担してもらわなければならない。そしたらまた迷惑を掛けてしまう。

 

「……ほんと、僕は何がしたいんだろ」

 

心がズキッとした。

そして頭が痛くなって吐き気にも襲われた。こんな時は大体僕の傍には黒い「何か」がニヤニヤとしながらくっ付いているんだ。

 

特にどこか外に出るとかは無く、シャワーを上がったその足で自室に再び入ってベッドの上で三角座りをしながらシミのついた天井をぼんやりと見つめる。

 

「僕はただ……」

 

一人で言葉をブツブツとこぼしていく。まるで悩み傷ついた人間が大切な人に向かって零す愚痴の様に。

 

僕はただ、戸山さんには笑顔でいて欲しかった。

どういう接点で出会ったのかは分からないけど、恐らく体育大会だろう。そこで坂本は戸山さんと出会って、坂本はそのまま彼女の事が好きになったのだろう。

戸山さんは僕の憧れで、どんな形であれ彼女が幸せだったら良いんだ。

 

僕がこんなにも心が痛いのは、それなりにだけど、戸山さんと過去の大切な1ページを何枚も作ってきたからだろう。

頭が痛い事やたまに催す吐き気も、きっとそれが原因だ。そうに違いない。

 

「どうせ僕が戸山さんと一緒になったって、幸せにもならないんだ。だって僕は迷惑を掛けるだけの木偶の坊だから」

 

ため息と一緒に出した、何気ない言葉に僕ははっとした。

今、僕は無意識に「戸山さんと一緒になったって」と言った?どうして僕はそんな事を言ったんだ?

 

気付けば僕は無意識に右手の人差し指で髪の毛をグルグルと巻いていた。

同じ無意識な行動だ。だったら僕が言った言葉の真意は。

 

「ダメだよね。僕がそんな気持ちを持ったら」

 

だって僕は死ぬ前の父さんと約束をしたんだから。

父さんは頭の良い人だった。だから彼の言う事は当時の僕には難しかった。だけど約束をした時は誰にでも伝わるように言ってくれた。

 

 

ずっと三角座りをしていたら、なんだか眠たくなってきた。

どうせ僕には特にやることなんて無い。考えることは戸山さんの幸せと、僕の進路についてぐらいだろう。

卒業日数の観点からしたら明日は学校に行かなくてはいけなくなるだろうから、今日はもうちょっと休ませてもらおう。

 

 

ピンポーン

 

 

そんな時に僕の家のインターホンが鳴り響いた。

平日の昼前から用事があるなんてどれだけ暇な奴なんだって思った。きっと宗教勧誘のおばさんが根拠もない教えを広げようと精力的に活動しているのだろう。

 

その後何回もインターホンを鳴らすから、僕は仕方がなく出ることにした。

話を一方的に終わらせてはいお疲れ様でした、と言う言葉を疲れ切った眼で言う僕の姿が想像できる。

 

鬱陶しそうにドアを開けた。

 

「お疲れ様でした……って、あれ?」

 

僕は戸を開けてから、予想の斜め上を超えてきた人物が目の前に立っていて、思わず固まってしまった。

 

何の為に僕の家にまで来たの?

わざわざ何かの嫌味を言うために来たの?

ただの思い付きか?

 

色々な言葉が頭に浮かんだけれど声に出すまでには至らなかった。

 

 

「久しぶり、まっさん」

 

 

彼が、坂本が満面の笑みで右手をよっと挙げていたのだ。

 

 

 

 

 

「いやー、わざわざ悪いな。家の中に入れてもらえて、更には冷たーいお茶まで出してくれてさ」

「もしかしてじゃないけど、嫌味かな」

「そんな訳ねぇだろ」

 

初めて僕の家に来たくせに、まるで何回もお邪魔したことがあるかのようにソファにくつろいでいる坂本の顔面にグーパンチでもお見舞いしてやろうかって不覚にも思ってしまった。

一応今日は平日なんだけど、と言うツッコミは僕にも当てはまるからやめておこう。

 

「まっさん、元気にしてたか?」

「まぁね、おかげさまで」

「クラスのみんなが心配してるぜ?主に女子たちだから俺からしたらムカつくけど」

「それは、お互い様だよね」

「お互い様な訳あるか、バーカ」

 

談笑も交えながら話すのも学校の外では久しぶりで、なんだかむず痒い。

ちなみに僕は笑顔を坂本に向けているけれど、ムカついているのは本音だ。お前が僕の家に来るのは構わない。だけどどうして「今」なんだ。

 

「これ、まっさんが休んでた時に配られたプリント。くしゃくしゃなのは文句言うなよ?」

「うっわ、一回ゴミ箱にでも捨ててた?」

「うるせえぞ。俺が整理整頓出来ると思ってんのか」

 

実際坂本は整理整頓が苦手なタイプだってことは知ってる。

だけどくしゃくしゃでも文字が読めたら良いか。それに明後日からテストだしプリントに書いてある部分だけサラッと読めば欠点くらいは回避できるだろう。

 

「ちなみにだけどさ、まっさん」

「うん、何?」

 

坂本は急に真顔になった。さっきまでのヘラヘラした顔はどこにいったんだ。

僕は生憎女子ではないからときめかないぞ。

 

 

「大事な女の子が出来たらさ、お前ならどうする?」

 

 

僕は目を大きく開けてしまった。もしかしたら僕が今の一言で動揺している事を坂本に握られてしまったらまずい。

平静を装いつつ、僕は少し身体を起こして姿勢を正す。

 

その質問をお前が僕に向かってするのか。

ここで僕が取り乱しても良い事なんか何もない。落ち着け。

 

「僕だったら、その女の子が喜んでくれるような行動をするよ」

「なるほどな。面白味はないけど及第点だな」

 

心の中では本気のトーンでこう言った。

は?お前は誰に向かって説教してんだ、ってね。

 

「俺だったら、直接自分の気持ちを言う。そしてその子の傍に居るし、彼女が困っている時にはすぐに駆け付ける。遊びじゃないんだ、彼氏彼女の関係ってのはな」

 

僕は黙って坂本の主張を聞いていた。

だけど僕は流石に黙ってはいられなかった。堪忍袋の緒が切れたとか、そんな例えが良くされるけど、そんな生半可な物じゃない。

 

 

 

恐らく僕が生まれてからある古くて趣のある大好きな机。

その机を今まで無い力で叩いた。

 

感情が、爆発したんだ。

 

 




@komugikonana

次話は8月16日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

いつもは静かで、この家に二人以上人間がいること自体珍しいこの場所(僕の実家)
そんな日常を当たり前としていた僕としても驚いてしまった。

机を思い切り叩けば、こんなに甲高く、心臓にまで響くような音が出るんだってことに。
そして僕の目の前にいるのは、坂本と言うクラスメイト。
今日は当たり前が当たり前じゃないように思えてしまう。誰かが「当たり前に過ごすことは難しい」とか言ってたような気がするけど、今回ばかりは同意せざるを得ないかもしれない。

「まっさんこそ、なんでそんなにキレてんだ?彼女でも寝取られたのか?」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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平日の来訪者と僕が知らなかった事②

いつもは静かで、この家に二人以上人間がいること自体珍しいこの場所(僕の実家)

そんな日常を当たり前としていた僕としても驚いてしまった。

 

机を思い切り叩けば、こんなに甲高く、心臓にまで響くような音が出るんだってことに。

そして僕の目の前にいるのは、坂本と言うクラスメイト。

今日は当たり前が当たり前じゃないように思えてしまう。誰かが「当たり前に過ごすことは難しい」とか言ってたような気がするけど、今回ばかりは同意せざるを得ないかもしれない。

 

「……誰に向かってその口叩いてんだ」

 

言葉を重く、おまけに鋭くして坂本に刺しにかかった。

それに対して坂本は表情を一切変えないまま、まるで僕の行動を鼻で笑っているような眼で見つめていた。

 

坂本の言葉は男女関係において理想かもしれない。

そんな言葉をタラタラとこぼしておいて、学校をさぼって僕に説教をするのか。

 

「まっさんこそ、なんでそんなにキレてんだ?彼女でも寝取られたのか?」

 

僕の坂本を見る視線がより一層きつくなるのが自分でも分かった。

全体における視野は狭い。だけど一点だけ、坂本だけは何があってもにらみ続けるという固い意志が瞼に力を加えさせる。

 

坂本の言い方は確実に、僕を煽っているようにしか聞こえなかった。

そして僕がこんな状態になっている理由をすべて知っているような言い方だった。

僕にはそれが、許せなかった。

 

「いい加減にしろよ!」

 

怒鳴り声をあげた後、すぐに立ち上がって坂本の胸ぐらをグッと掴んだ。

人生で初めて人の胸ぐらをつかんだ気がする。そして胸ぐらをつかむ時は想像以上の力が必要で、坂本のシャツが激しくシワを寄せていた。

 

良心が傷ついてヒリヒリするけど、気にしない。

 

「『遊びじゃない』?お前が一番ふざけてんだろうが!」

 

怒りに任せて坂本を上下に何回も何回も揺すった。

荒げた声を、感情をぶつけるたびに視界が自然と潤んでくる。どうしてこんな時って涙が出そうになるのだろう。

 

坂本は何も答えずに俯いたまま、僕のやられるままだった。

表情は良く見えないけど、どんな顔を作っているのか。考えるだけで更なる怒りがこみ上げてくる。

 

「ヘラヘラして、学校サボってここに来たかと思えば僕をバカにしやがって……」

 

きっと誰かが傍に居てくれたらもうやめろよって仲介をしてくれるかもしれない。

でもこの場所には不幸にも、そんな人がいない。

怒りを一方的にぶつけて、一人感情が高まっているだけの僕。

 

総合進学クラスに初めて入った高校2年生の時、周りのみんなは怪奇と好奇が入り混じる視線しか見てこなかった。

だけどこいつは、坂本は、最初から僕を「ありのまま」見てくれた。ちょっとチャラい感じだったけど、普通に接してくれた。

そんな坂本の裏の顔。

 

「そんなので……っ!彼女を……戸山さんをっ!戸山さんの笑顔を奪うんじゃねぇよ!」

 

 

 

 

 

 

 

すー、はーと僕の乱れた息遣いだけが部屋の静寂の中に響き渡っていた。

肩を上下にさせながらも、人生で一番大きな声で怒鳴った今この一瞬。

 

戸山さんの名前を出すのは良くなかったかもしれない。だけど彼女の事を思えば、我慢なんて出来なかった。

だって、戸山さんは僕の憧れで……それで。

 

それで……何なんだろう。

分からない。この感情が。

 

僕が坂本に向けているこの怒りの根本的な発生源が、分からない。

 

 

坂本はピクン、と僕の言葉に反応したような気がした。

坂本はまだ下を向いたまま、いわば床を見つめているかのように顔をだらんと下げている。だけど彼の身体には少しずつ力が加わっているように感じる。

 

その証拠に顔と同じように無気力で下げ切っていた右腕が、少しづつ胸ぐらをつかんでいる僕の手の傍まで近づいてきていた。

 

僕はその様子を動揺しながら、ただ見つめていた。

次の瞬間から僕の動揺は間違いなく限界まで近づいて行った。限界って言っても分からないけど、今までに経験したことのない揺さぶりが間違いなく僕の心を襲ったんです。

 

 

何故なら、さっきまでゆっくりと上がって来ていた坂本の右腕がガッ、と胸ぐらをつかんでいる僕の手を鷲掴みにしたのだから。

 

 

「分かってねぇだろ……」

「は?」

「香澄ちゃんがどんなに辛い想いをしてるか分かってねぇだろ、って言ってんだ!」

「な、なんだよ!逆ギレかよ!そもそもお前が……」

「このクソ野郎がっ!」

 

さっきから僕の身に起きている現象のほとんどが分からなくなってしまった。

勉強なんてでこんな感情が湧いた事が無い僕にとって、今の状況は目をうろたえさせるには十分だった。

 

坂本が言葉を荒げて言った後に、僕はこいつを殴ってやろうかって思った。

でもその行動にはどうしても移すことが出来なかった。

 

今度は坂本が力いっぱい僕を押して、瞬く間に僕の背中は壁とぶつかった。

ゴツン、と言う響き渡るような鈍い音と痛みが僕を襲う。

 

「お前のその良い頭は勉強にしか使えねぇのか!」

「う、うるさい!それに論点をずらすな!お前の彼女である、戸山さんの事をっ!」

「俺と香澄ちゃんは付き合ってねぇ!恋人でもなんでもないんだよ!」

 

 

えっ、と言う間抜けみたいな僕の言葉を最後にまたこの部屋に静寂が訪れた。

身体中に蔓延っていた集中力や怒りが一気に発散されて、僕は力なくそのまま座り込んでしまった。

 

これは坂本が僕を惑わせるために咄嗟に着いたウソなのか。

いや、それはあり得ない。だって坂本は真面目な表情のまま息を切らしていたのだから。こんな迫真的なウソを付ける人間はこの世にはドラマなどのフィクションの中にしか、いないだろう。

 

「で、でも……お前、言ってただろ?『悠仁とは終わりにしような』って」

「まっさん、それ、どこまで聞いてた?」

「その一部始終だけ、だけど」

 

坂本は少しため息をついた。そして小さな声で香澄ちゃんの言ってたことがこんな時に一致してしまったか、って言った。

恐らく僕に聞こえないように言ったんだと思う。そしてそれは坂本なりの、僕に対する気遣いだってことはすぐに分かった。

 

「でもさ、良かった」

「何が?」

「お前が香澄ちゃんの事、まだ想っていたって事に」

 

 

僕の心臓がいきなりキュッとなった。

それは心地の良い心の痛みではなく、何かとんでもない事を相手にしてしまった時の痛み。

ましてやそれをした相手が戸山さん。信じられないほど胸が苦しくなった。

 

「俺が、どうして香澄ちゃんと知り合いなのか。そしてあの時香澄ちゃんに何を話したか。今日はお前に言いにきたんだ、まっさん」

 

坂本はそう言いながら、僕の横に座った。

さっきまで睨んだりしていたのに、今はどうやっても坂本の目を、顔を見ることが出来なかった。

僕が怒りをぶつけていた時の坂本と同じように、下を見つめた。

 

もしかしたら坂本もその時、こんな気持ちだったのかな。

 

 

隣から、坂本の淡々とした口調で僕の知らない物語を、紡ぎ始めた。

 

 




@komugikonana

次話は8月23日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

俺こと、坂本光輝(こうき)はいつものように帰る準備をしていた。

カバンを気だるげに肩からぶら下げながら校門を出ると、俺らの学校とは違う制服の女子生徒が誰かを待っているかの様に佇んでいた。
あの制服は確か、花女だったはずだ。

「こんにちは、誰か待ってる感じ?」

深く考えずに、俺は花女の生徒に声を掛けた。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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平日の来訪者と僕が知らなかった事③

俺こと、坂本光輝(こうき)はいつものように帰る準備をしていた。

 

中学生の時は部活もバリバリやってたし、成績面でも学校の中では常に上位5位以内には入っていた。

俺の両親が何を思って付けたのかは分からないけど、自分の名前に恥じない程度には輝いていたし、光ってた。

そんな栄光もこの高校に来てからはまるで幻だったかのように俺の元から消えていった。

 

だけど俺はそんなに悲観はしていない。

周りの人間にチヤホヤされたいわけでもないし、期待とかもそんなにされないから気楽に生きていけてる。友達もそれなりにはいるし、一般的に言ったら恵まれてる環境の中に身を置いているのかもしれない。

そう思えば、前向きに生きていける。周りのみんなは「自分が特別でありたい」と思ってる人が多いけど、普通で良いんだ。

 

……正直に言えば、「特別」な人間を近くで見ていたら羨ましく思うのが正直なところだ。

こんな俺だって少しは名誉が欲しくなる時だってある。

 

「その特別な人間が一番近くにいるからなぁ」

 

頭をポリポリと掻きながら独り言を零した。

そんな時に一本の着信が入った。面倒だから誰からの着信なのかは見なかった。

 

「もしもし、光輝?今週の土曜日暇?」

「おう、暇だ」

「サッカーやろうぜ。グラウンドはこっちで予約しとくからさ」

「後は誰来んの?」

「まぁテキトーに呼んでる。でも光輝がいねぇと始まらねぇじゃん?」

 

電話の主は中学時代の部活の同期だった奴。

かつては俺とそいつの二枚看板とか言われてたけど、俺は進学校で平凡と、そして同期は強豪サッカー部の主力として学校を過ごしてる。

 

もちろん行くと答えて通話は終わった。

こんな俺でも受験に対する漠然とした不安が少しずつ積もっていってるなんて思ってるけど口に出さないのはある意味高校生同士の暗黙のルールっぽく感じる。

 

だからこそ開口一番に暇だって答えるのも暗黙のルールっぽい。

 

 

カバンを気だるげに肩からぶら下げながら校門を出ると、俺らの学校とは違う制服の女子生徒が誰かを待っているかの様に佇んでいた。

あの制服は確か、花女だったはずだ。

 

「こんにちは、誰か待ってる感じ?」

 

深く考えずに、俺は花女の生徒に声を掛けた。

その女の子は話しかけられると思ってなかったのだろう、少し驚いた表情を浮かべたがその後は俺の顔をじーっと見ながら一人で呟いたと思えば、息をスーッと吸った。

 

「えっと……悠仁先輩を待ってるんですけど。あ、でも悠仁先輩の苗字って何だろう?」

「先輩って事は君より年上だよね?君は何年生?」

「戸山香澄ですっ!高校2年生です!」

 

まさか名前まで言ってくれるとは思ってなかった。だけど大体この子が探してる人間も想像がついた。

確かに最近女の子と連絡を取り合ってたっぽいし、まっさんも隅には置けないなぁと口元を緩ませてしまった。

 

「多分香澄ちゃんが探してるのはこいつ、だろ?」

 

俺は携帯のフォルダを適当に選びながら、まっさんが写ってる画像を彼女に見せた。

香澄ちゃんはこの人です、悠仁先輩ですって指を指しながら嬉しそうに言っていた。

 

「こいつ、俺の友達だから」

「本当ですかっ!?」

「でも残念なお知らせ。悠仁は今日学校休みだ。担任曰く体調不良らしいけど」

 

香澄ちゃんはうそお、と大きな目を更に大きくさせた。

俺からしたらまっさんがサボる事なんか日常茶飯事だし、そんなに驚くような事ではない。もちろんそれは俺らの中での認識であって、それが香澄ちゃんにも当てはまるとは限らない。

 

香澄ちゃんはあたふたとしながら携帯電話を取りだして、電話を始めた。

恐らくまっさんに電話をするのだろう。

 

 

 

あ、悠仁先輩!?だ、大丈夫ですか!?

今日、悠仁先輩学校休んだんですよねっ!?熱ですかっ!?

そうなんですねっ!安心しました~

 

 

 

それにしても、まっさんさ。

良い女の子と出会えてんじゃん。それにこの子は明るそうだし、もしかしたら。

 

そう、もしかしたら。

そう思ったらすぐに、俺の口は動いていた。

 

 

「ねぇ香澄ちゃん。ちょっと時間があったらそこのカフェ行かない?悠仁との関係とか聞きたいし。全額奢るからさ」

 

 

 

 

 

俺は香澄ちゃんの頼んだ飲み物と自分用のコーヒーを両手に持ちながら彼女が座っているテーブルに向かう。

香澄ちゃんにナンパされたかと思いましたって悪気の無い眩しい表情で言われた時は笑うしかできなかった。見た目も相俟ってよく言われるよって言いながら。

 

香澄ちゃんは頼んだスムージーを一口飲んで、美味しいと言っていた。

俺はコーヒーをゆっくりと喉に流した後、咳ばらいをした。

 

「それでさ、香澄ちゃんはどうやって悠仁と出会ったの?」

「悠仁先輩とは偶然登校中に会ったんですっ!……改めて言うと、恥ずかしいですね」

「別に恥ずかしがる事無いって。笑ったりしないから」

 

人と少しでも違った行動をすれば恥ずかしいとか、そう思ってしまうのは仕方がないのかもしれない。

だけど自分の過去や行動、出会いには胸を張ってほしい。まっさんにも言えることだけど。

 

「ちなみに香澄ちゃんはまっさんの事、好きなんだろ?」

 

一瞬だけ俺たちの間を流れていた空気がピタッと止まる。

数秒後には何事も無かったかのように動き始め、同じタイミングで香澄ちゃんの頬はほんのりと赤く染まっていった。

まるで時がイタズラをしたかのようなタイミングだったから俺は思わずコーヒーを喉に流し込んだ。

 

「多分……好き、なんだと思います」

「多分、なんだ?」

「はい。今まで人を好きになった事なんて無かったから分からないんですけど。悠仁先輩の近くに居たり、考えたりするとドキドキするんです」

「そっか。好きって気持ちは自分で決めるもんだから、ゆっくり決めればいいさ」

 

と言いながらも完璧に脈ありだろう、って思う俺もいた。

香澄ちゃんのこの反応はある意味想定内ではあった。なぜならまっさんが学校を休んでいると言った瞬間には、彼女はまっさんに電話を掛けたのだから。

 

俺も香澄ちゃんやまっさんを応援したい気持ちはある。

だけどな、と思いとどまらなくてはならない理由だって俺には確かに存在した。

 

「さ、坂本先輩っ!」

「うん?どうした?」

 

何かを決心したかのような瞳が俺の目を見つめて離さなかった。

周りの人間は他愛の無い話や、今日起こった出来事の愚痴を話したりしてる。その空気感の違いが体中の神経が察知した。

 

「坂本先輩は悠仁先輩と仲が良い、ですよねっ!?」

「まぁ、知り合いだからね」

 

悠仁と初めて知り合ったのは去年の4月だから、決して長い付き合いという訳ではない。

だけれど、悠仁の事はよく知っている。

 

今この一瞬、周りの声も静かになった。

飲み込む唾の、ゴクンと言う音がしっかりと聞こえる。

 

「悪い事かもしれないです。だけど……悠仁先輩の事、知りたいんですっ!」

「どうして?」

 

敢えて意地悪に、問いを返してみた。

普通だったら何も考えずに言う。いいよ、何でも教えてあげるってさ。

香澄ちゃんの反応を見ながら楽しみたいとか、そんな悪趣味みたいな動機なんかじゃない。

 

香澄ちゃんの言葉を借りるなら、悪い事かもしれない。

 

「悠仁先輩、時々辛さそうな時があるんです」

「そう?」

「はい。だけど私には優しくて、時には助けてくれたりしました」

 

少し顔を俯かせた。

そして香澄ちゃんには見えないように、口角を上げた。

 

「もし悠仁先輩が何かに悩んでいるのなら、今度は私が助けてあげたいっ!」

 

残り少ないコーヒーをすべて口の中に入れた。

喉に流した後、ふぅと息を吐くとコーヒーのわずかに残った苦みが香りとなっていく。

 

これだからコーヒーは好きで、辞められない。

人間も一緒だと思う。苦い経験や辛い経験も、後になれば笑い話になったりする。

 

「……香澄ちゃん」

 

優しい笑顔を彼女に向けた。

まっさんとは違って、どちらかと言うと勉強嫌いなやんちゃ男子のような顔をしている俺が真顔になったら重たくなる。

 

実際、重たいんだけどさ。

 

「今日はほんの一部だけど、教えるよ」

 

まっさんについて、ね。

 

 




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~高評価を付けて頂いた方をご紹介~
評価10と言う最高評価を付けて頂きました TD@死王の蔵人さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援よろしくお願いします。

~次回予告~

カフェで香澄ちゃんにまっさんの事を話した日の夜。
まっさんの事を話したと言ってもほんの一部で、まっさんがどんな人間だったか、そしてまっさんがどうして今の様になったのかを話しただけ。

香澄ちゃんから送られてきた返信をそのまま口ずさんだ。
ありがとうはどちらかと言えばこっちのセリフのような気がするけど、素直に気持ちを受け取っておくのも良いだろう。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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平日の来訪者と僕が知らなかった事④

カフェで香澄ちゃんにまっさんの事を話した日の夜。

まっさんの事を話したと言ってもほんの一部で、まっさんがどんな人間だったか、そしてまっさんがどうして今の様になったのかを話しただけ。

 

もちろん香澄ちゃんにも注意喚起として言ったが、起こった出来事は事実だが、まっさんが取った行動の動機や真相は単なるクラスメイトの考察に過ぎない。

だから俺の考察すべてが正しいとは限らない。それにこの件に関しては改めてまっさん本人から聞いてほしいとお願いした。

 

ぼんやりと携帯を眺めていたら、香澄ちゃんからメッセージが届いた。

流れるように香澄ちゃんのメッセージに既読を付ける。そしてサササッと返信を返す。

 

「今日はありがとうございました、か」

 

香澄ちゃんから送られてきた返信をそのまま口ずさんだ。

ありがとうはどちらかと言えばこっちのセリフのような気がするけど、素直に気持ちを受け取っておくのも良いだろう。

 

香澄ちゃんは強い子だ。

それに加えて周りを明るくさせたり、元気づけたりできる子だと感じる。

 

そんな香澄ちゃんがまっさんと出会った。

あまり奇跡だとか運命だとか信じてないけど、それに近い事は起きるのかもしれないって感慨深くなった。

 

それにもうすぐ体育祭だ。

この日に残りすべてを話してあげるのが、俺に出来ることだろう。

 

確かにメッセージや電話で続きを今からでも話すことは出来る。

だけど俺はそんな簡単に言ってはいけないと思ってる。そして同時に俺が直接、香澄ちゃんに話してあげることが礼儀だとも思ってる。

 

礼儀とか言って、赤の他人がベラベラと話す時点でどうなのよって感じはするけれど。

 

「仮に、だけどまっさんの身に起こった出来事がそのまま俺に降りかかってたら……どうなってたんだろう」

 

夢を追いかけている途中に助けたい人間が死んでしまって……。

ダメだ。こんな事を考えるのはサイテーだろ、俺。

 

頭を思い切りガシガシと擦りながら、ため息をついた。

 

 

俺が香澄ちゃんと出会って、ある意味で秘密を共有しあった数週間後の土曜日。

俺達の高校の体育祭が始まる。

 

俺にとって今日と言う日は、待ち遠しい日とは思えなかった。

 

体育祭は俺にとって高校生活最後の体育祭だから。

何でもかんでも行事を行えば「高校最後」と言う4文字がしゃしゃり出てきて、また一歩大人になってしまうと認識してしまう。大学生をテキトーに過ごしたら社会人、なんて考えたら口から苦い汁が出てきてしまいそうになる。

 

そしてもう一つは、香澄ちゃんにあの事を伝えるからだ。

 

身体を動かすことは好きだから競技は楽しいに決まってる。

足は軽いけど、心はずっしりと重たい。

 

「坂本先輩っ!おはようございます!」

「おっす、香澄ちゃん」

 

声を掛けてきたのは香澄ちゃんで、私服姿の彼女は年相応の可愛らしさが更に磨きがかかっていた。これ、まっさん緊張しそうだなって心の中で微笑んでしまう。

 

香澄ちゃんが元気に挨拶をしたせいで、クラスメイト達がゾロゾロと集まってくる。

男子どもは彼女を連れてくるなんてけしからんなどの声が多く、女性陣はかわいいやら坂本の彼女にしてはもったいないやらを好き勝手に言う。

 

「残念、この子はまっさんの彼女なんだよな」

「坂本先輩っ!」

「いいじゃん、事実だし」

「まだ付き合ってませんからっ!……悠仁先輩はどこにいるんですか?」

「あいつの事だから多分校舎内にいるんじゃないかな。例えば3階の廊下とか」

 

俺が言い終えるとすぐにありがとうございます、と言って小走りで校舎内に入っていく香澄ちゃんを見てもう付き合っちゃえよって毒づいてしまった。

まっさんもまっさんで、こんなに脈ありなの見え見えなのになんで進歩しないんだよって思ったりもする。

 

「それで、坂本はあの子を町田君から奪おうとしてるわけね」

 

クラスメイトの女の子(バカ)に問答無用でチョップを頭上に落とした。

 

 

 

 

 

やはり一握の不安を抱えていると時間の流れが速く感じるようで、今年の体育祭はあっという間に終わった。

クラスメイトのみんなはまっさんをもみくちゃにしている。俺は香澄ちゃんと話をしなくてはいけないので早々に離脱した。

 

まっさんの頭の良さは変わらない。

変わらないという事は成長していないという風にも捉えられる。

 

まっさん、お前さ、いつまで立ち止まってんだよ。

 

 

しばらく校舎内で待ってもらっていた香澄ちゃんを連れて、俺は人通りの少ない校舎の物陰で立ち止まった。

告白とかする場所には少しムードが足りないが、実際ではこの場所では良く男女が想いを伝えている。実際に俺も何回かそれらしい場面に遭遇してしまっている。

 

それにこの場所は俺たちの教室から遠くに位置している。

まっさんがこの場所を通りかかる可能性も低い上に、尚且つ時間までも稼げる。

香澄ちゃんは俺がそこまで考えているなんて1ミリも考えていないだろうけれど、それでいい。

 

「ごめんね、香澄ちゃん。こんな場所で悠仁(あいつ)の事を……それにそんなに聴いてても気持ちのいい話じゃない」

「気にしないでくださいっ!私も望んでいるし、聞きたいんです」

 

キラッと笑ったかと思えば少し真面目な顔になる彼女にダメながらも少し心がドキッとした。

邪な気持ちを咳払いと言う形でどこかに放り投げて、俺も少し真面目な口調に変えるように意図した。

 

「悠仁が医者を志していたって事、知ってる?」

「今、初めて聞きました。でも『志していた』という事は……」

「そ。諦めた。俺も昔から悠仁を知ってる訳じゃないから深くまでは分からない。だけど事実は知ってる」

 

まっさんの父親は元々身体が強くなかったらしい。だけど人間性は抜群だし、周りからの信頼も強く、若くして管理職を任されていたと聞いている。

だけど、まっさんが医者を志していたのには別の、もう一つの大きな理由がある。

 

「悠仁には幼馴染の女の子がいたらしい」

 

香澄ちゃんが少し息を呑むのが分かった。

世の恋愛系の物語では幼馴染と言うのはテンプレートの一つだし、人気も高い。

別にフィクションと現実は別なんだから一緒にするのはいけないって気持ちも分かる。でも意識するなと言うのも難しい。実際にまっさんがその女の子(幼馴染)をどう思っていたのかなんか分からない。

 

「その女の子は重たい病気を患ってたらしい。日本での治療も難しいらしかったそうだ」

 

ここから先の詳しい話を俺は知らない。

ただ知っているのは結論だけ。

 

「だけど、まっさんの父親と幼馴染の女の子は帰らぬ人となった。死因は病気じゃなくて、ひき逃げ事故の被害者、と言う形で」

 

まっさんの父親がその女の子を病院に送る途中での出来事、と聞いた。

香澄ちゃんはそんな、と言う物悲しい声だけがしんみりと響き渡った。

 

「詳しくは赤の他人である俺が聞くにはちょいと重たすぎる。でも香澄ちゃんなら、悠仁の傷を癒せるんじゃないかな」

「悠仁先輩がお医者さんを目指していたのって」

「推測だが、恐らく幼馴染の女の子の病気を治す為だろうな」

「どうして悠仁先輩ってそんなに優しくなれるんでしょうね」

 

瞳にうっすらと浮かんだ涙を手で拭いながら笑う香澄ちゃん。

他人の為、大事に想っている人の為に涙を浮かべることが出来る香澄ちゃんもとっても優しい。

 

「それが楠瀬悠仁としてのお話で、これからは……」

「悠仁先輩って楠瀬さんなんですかっ!?」

 

突然、ずっと探していたパズルの1ピースを苦労した挙句見つけた時のような大きな声に思わず耳を塞いでしまいそうになる。

 

「香澄ちゃん!声が大きいよ」

「あっ……ご、ごめんなさい」

 

口元で人差し指を立ててシーッという合図を香澄ちゃんに送る。

まっさんの旧姓でこんなにも驚かれるなんて思ってもいなかった。きっと俺には知らない物語が香澄ちゃんには存在するのだろう。

 

「香澄ちゃん。話は変わるんだけど、悠仁の旧姓にはあまり触れないであげてくれないか」

「えっと、どうしてですか?」

「俺も詳しくは知らない。でも俺は触れない方が良い気がするってだけだし、これ以上あいつが追い込まれるのを見たくねぇんだ。……この事、まっさんには言うなよ?約束だからな」

「分かりました」

 

香澄ちゃんは少しクスッとしながら了承してくれた。

俺がまっさんの事を心配しているだなんて知られたら、俺っぽくないしなんか照れくさくなるのが目に見えてるし。

俺のそんな内面を読みとれたから、彼女は笑っているのだろう。

 

「いいかい、香澄ちゃん?まっさん、いや、悠仁とは終わりにしような」

「坂本先輩の言いたいことは分かりますけど、その言い方はちょっと嫌ですっ!」

 

香澄ちゃんは少し拗ねたような表情を浮かべた後、プイッと顔を背けた。

その時に香澄ちゃんは小さな声であれっ?と声を出した気がしたけど、この時は何も気にしていなかった。

気になっていたのは、もっと別の方向だった。

 

「香澄ちゃんは本当に悠仁の事、好きなんだな」

「そ、そうかな?えへへ」

「恥ずかしがる事ないって。高校生なんだから恋愛をするのは真っ当な事。俺だって他校に彼女いるし」

 

露骨に驚いた彼女の頭を軽ーく叩く。お前に彼女なんかいるのか見たいな反応だったし、上手く俺をいじった事に対しての俺なりの返答。

二人で笑った後、俺たちは解散した。もう時間的には遅いし、香澄ちゃんもまっさんに会いたいだろうし。

 

 

 

 

そんな日の2日後の夜に、彼女から、香澄ちゃんから電話があった。

それも涙で濡れたしわくしゃの声で。

 

 

 




@komugikonana

次話は9月6日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

坂本が淡々と、そして僕が知るはずのない出来事を話し終えた。
話の途中から、僕は唇を噛みながら俯くことしかできなかった。僕にはそんな資格なんて無いのにって思いながらもそうするしかない自分を責める悪いトゲがグサグサと刺さる。
いや、もう僕にはそんな資格もないのかもしれない。

どんよりとした重たい空気がいつまでも僕の周りを蔓延っている。
それを手で払ったりとか、少しでも出来るような些細な対策でさえ僕は出来なかった。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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手放すもの。手放したくないもの。①

坂本が淡々と、そして僕が知るはずのない出来事を話し終えた。

話の途中から、僕は唇を噛みながら俯くことしかできなかった。僕にはそんな資格なんて無いのにって思いながらもそうするしかない自分を責める悪いトゲがグサグサと刺さる。

 

「香澄ちゃんと何があったのかは俺には分からない。まっさんは香澄ちゃんと連絡、取ってないんだろ?」

 

坂本からの言葉にうん、とかああ、も言えずにただ黙って首を縦にして頷いた。

冷房を入れて心地が良いはずなのに、良く分からない汗が少しずつ背中を湿らせていく。

心拍数も少し上がったのが僕には手に取るように分かった。だけど今の香澄ちゃんがどんな事を思っているのかは一切掴めなかった。

 

いや、もう僕にはそんな資格もないのかもしれない。

 

どんよりとした重たい空気がいつまでも僕の周りを蔓延っている。

それを手で払ったりとか、少しでも出来るような些細な対策でさえ僕は出来なかった。

 

今の僕はただただ、自分を責め続けることしかしていなかった。

 

「まっさん、下向いてばっかじゃなくてそろそろ前を見ようぜ」

 

ううっ、と僕は少しだけ唸り声をあげた。

痛いところを突かれて、ついつい声に出してしまったぐらいで特に意図はない。

 

「今回の件は俺もダメだった部分がある。香澄ちゃんにお前の過去をベラベラと喋ったし、ちょっと含ませた会話をした」

 

だからすまん。

 

坂本が謝った瞬間、僕は顔を上げることが出来た。

見えない力が作用して、僕の罪悪感を少しでも取り除いてくれたような感覚だった。

 

いや、違う。

僕の背中を後押ししてくれたように感じたからだ。

 

「けどさ、過ぎた過去は戻らない。どうあがいても結果ってのは残酷だから変わってくれたりなんかしない」

「うん」

「お前だけじゃない。香澄ちゃんだって傷ついた。このまま行ったら彼女に何が起こるか分かんねぇけど、少なくとも悪い方向に行きそうだよな」

「……うん」

「でも、現在()は自分の意志と行動次第で変えられる。そしたら未来だって違う方向に変えられる。そうだろ?」

 

確かにそうなのだ。

テスト一週間前で、この範囲は全く分かってない。このまま行ったら間違いなく赤点になる。

そんな未来が簡単に見えたら、僕たちの現在()取るべき行動によって見えた未来が変えられる。

勉強したらそんな未来は回避できるし、勉強しなかったら予想通りって訳。

 

「なぁ、坂本」

 

こんなことを僕が言うのはとても恥ずかしい事だと思う。

両手を力いっぱい握りしめて、どんな表情をされるのか怖いから目も閉じて瞼をしっかりと閉じながら、弱々しく言った。

 

「僕が、今更戸山さんに出来ることってあるのかな。そんなことをするほどの立場とかあるのかな」

「あるに決まってるだろ」

 

 

家の中で、吹かないはずなのに、一筋の冷たい風が僕の頬をさすった気がした。

 

えっ、と言う声をやっと出すのに何秒か掛かってしまった。

まさかの返答だったし、それも即答で帰ってくるなんて思わなかったから頭の中の思考と現実の時の流れの乖離に翻弄されたのだ。

 

「坂本……今、なんて」

「立場とか資格とか、そんなの関係ないだろ?自分がそう判断したから動いた。それだけで良いじゃん」

 

何も考えずに取り合えず進む、なんとも坂本らしい発想だった。

現実ってそんな簡単じゃないし、何かと計画を練ってこういう時はこうしたら良いよねなどのリスクヘッジを多く含ませる計画性な僕とは正反対な考え。

 

そんな考えなんて僕は耳にもしなかった。

 

 

 

今までの僕なら、だけど。

 

「……そうだね。ウジウジしてる暇なんて無いかもしれない」

「早く探せよ。香澄ちゃん、多分お前の事待ってるから」

「きっと戸山さんに嫌われてると思う。けど僕がやりたいこと、やってくるよ」

 

本当は今すぐにでも家を飛び出して戸山さんに会いに行きたい。

だけど今はお昼を少し過ぎた時間で、戸山さんも学校にいるだろう。

 

それと、もう一人だけ、迷惑を掛けた奴がいる。

そいつから先に、僕が取りたい行動をとろう。そうでないと戸山さんにもっと嫌われてしまいそうだから。

 

「坂本、ごめんな」

「このツケ、後でたっぷり払ってもらうからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂本が僕の家を離れて2時間後くらいに僕は、玄関でたくさんの息を胸いっぱいに吸って深呼吸をする。

靴とか埃とかであまりきれいな空気では無いかもしれないけれど、今の僕には何も思わずにいられた。

 

まだ学校は授業を行っているであろう、そして日中で一番気温が高いであろう午後二時。

玄関の戸を開けて外に出るのは何日ぶりだろう。容赦ない日差しと、すぐに浮かんでくる額の汗。

今日だけはこんな鬱陶しいくらい明るい日差しも、僕を後押ししてくれているように感じた。

 

きっと日差しにはそんな意図はないと思うけど、結局は捉え方が大事なんだって事。

 

戸山さんが通っている高校の前に到着する。

僕は携帯を触ることもしないまま、ずっと校門の近くで待っていた。時間はものすごくゆっくり流れて行って、だけど暑さに対応するために僕の身体は汗をせっせと流し続けている。

 

「汗臭いと、ちょっと引かれちゃうかもだね」

 

鼻をシャツの袖にくっ付けながらポロっと僕が言葉を零した時には、高校も終わりのチャイムらしいものをかき鳴らした。

緊張から、無意識に背筋を伸ばした僕は最後の深呼吸をした後はずっと校門から出てくる、僕が今会いたい女の子を探し続ける。

 

僕は自分でも視力は良い方だって思ってる。数値でもそれは物語っている。

これで戸山さんを見つけられなかったら僕はそれまでの人間だし、やってはいけない事だ。

 

厚い雲がどこからか出てきて僕たちから暑い日差しを遮り始めた頃、僕は見覚えのある生徒が校門から出てくるのを見つけた。

僕の記憶では、この女の子は戸山さんといつも一緒にいたはず。

 

時が来たのか、と言う胸の高鳴りと緊張。

でも戸山さんは近くにいない、と言う漠然とした不安感。

 

そんな二つの感情をミックスジュースを作る時の様にぐちゃぐちゃかき混ぜながら、意を決してその女の子、有咲さんに声を掛けた。

 

「あの、有咲さん。えっと……僕の事、分かる?」

「悠仁さん、ですよね。香澄は良くなりました?」

 

思わずえっ、と聞き直したくなったのを寸前でグッとこらえた。僕が動揺したりしたら有咲さんにも心配を掛けてしまうって無意識に考えたからなんだけど。

 

良くなった?もしかして戸山さんは風邪か何かで学校を休んでいるのかもしれない?

それとも途中で具合が悪くなって早退をした?

有咲さんの一言から、今の戸山さんの状態を出来るだけたくさん推測した。

そうでもしておかないと、不安と自責の念に飲み込まれそうになったから。

 

「戸山さんって今、体調不良で学校に来てないの?」

「はい。最近ずっと元気がない様子に見えてたんですけど、休んでいるのは昨日からですね」

「そっか」

「悠仁さんは知ってると思ってましたけど……最近香澄と会ってないんですか?」

「うん。事情でちょっと、ね」

 

有咲さんの、最近ずっと元気がない様子に見えたという言葉が一番僕には刺さってしまった。

戸山さんはああいう性格だから、落ち込んでいる所を友達には見せたくなかったのだろう。そしてそんな我慢をさせてしまったのは誰が何と言おうと僕なんだ。

 

戸山さんを楽にさせてあげたい(・・・・・・・・・・・・・・)

今この瞬間、僕の心の中で芽生えた気持ちだった。

どうしてこのタイミングなんだろうって考えなかったけど、疑心的な目では見てしまった。

 

 

 




@komugikonana

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~次回予告~

僕は戸山さんの事、全然知らないんだ。

戸山さんの家の場所。
戸山さんの学年、クラス。年下という事は分かっているけど、何年生なのか知らない。
好きな食べ物、趣味。

パッと思い浮かぶだけでもこれらの事は少なくとも知らないんだ。
知り合いだったら少なくとも知っているような情報でさえ、僕は知らない。
ただ知っているのは戸山さんの通っている学校と、音楽活動をしてる事と、連絡先。

漠然とした、一つ一つを構成しているであろう要素のほんの一部しか知らなかったんだ。

「戸山さんってどういう場所が好きなんだろう」

ふとした疑問を口に出してみた。
いつもそうだ。大事な物とかかけがえのない物って失ってから気づくんだよね。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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手放すもの。手放したくないもの。②

「せっかくですし、香澄のお見舞いに行きますか?」

 

ある一つの事を決意した、少しの日差しとずっしりとした雲に覆われている日の放課後、戸山さんの友人である有咲さんの発した言葉に、僕は一瞬だけクラスメイトから苦手なカラオケの誘いを受けた時のような気持ちに襲われた。

 

行くべきなんだけど、本当に行っても良いのかな。

 

「あ、うん。あまり邪魔にならないようにちょこっとだけ顔を出そうか」

 

もちろんそんな気持ちを出すわけにはいかない僕は無難な返答をチョイスすることにした。

有咲さんは恐らく僕と戸山さんの間に現在進行形で生じている問題については知る由が無いはずだから彼女に悪気があるだとか、そんな事を考えることは無かった。

 

責めるとすれば、自分だ。

 

「悠仁さん。香澄の家の場所は知ってますか?」

「いや、知らないけど」

「知らないんですね。てっきり何回か香澄の家にお邪魔しているものだと思ってました」

 

有咲さんはサラッと言っては、後々何か思う事があったのだろう、顔を少し赤くして背けた。

でも確かに、有咲さんの言う通りかもしれないって彼女の言葉を聞いて自分でも思った。

 

僕は戸山さんの事、全然知らないんだ。

 

戸山さんの家の場所。

戸山さんの学年、クラス。年下という事は分かっているけど、何年生なのか知らない。

好きな食べ物、趣味。

 

パッと思い浮かぶだけでもこれらの事は少なくとも知らないんだ。

知り合いだったら少なくとも知っているような情報でさえ、僕は知らない。

ただ知っているのは戸山さんの通っている学校と、音楽活動をしてる事と、連絡先。

 

漠然とした、一つ一つを構成しているであろう要素のほんの一部しか知らなかったんだ。

 

「戸山さんってどういう場所が好きなんだろう」

 

ふとした疑問を口に出してみた。

戸山さんは明るい性格だから人が多く集まるような場所が好きかもしれないし、逆にいつもはみんなと明るく接するから一人でいる時は静かな場所の方が好きかもしれない。

 

そういう一面も知っておきたかったな、って今更になって思う。

いつもそうだ。大事な物とかかけがえのない物って失ってから気づくんだよね。

 

「テーマパークとか楽しい場所とか好きですけど、星を見るのも好きだったりするので難しいですね。それほど香澄って分かんないんですよね」

 

少し考えながらもおどけた顔で笑う有咲さんは、言葉で言っている以上に戸山さんを理解しているんだってすぐに分かった。

 

 

一筋のぬるい風が僕たちの頬を掠っていく。

どうせ暑い夏なのだから、とびっきり冷たい風が台風の時の様に吹き付けてくれてもいいのに。

 

 

その後の道のりでの会話は少々ぎこちないものになった。

有咲さんはあまり他人と話すのが得意、という訳ではなさそうだった。もちろんそれは有咲さんだけでなく僕にも当てはまった。

面白い返答とか気が利く会話に導けなくて、一言二言話せば完結してしまうような会話ばかりだった。

 

気付けば僕は右手で髪の毛をクルクルと巻きながら歩いていた。

程よいクセ毛が指に絡まって痛みが生じた時にやっと気づいたぐらい、本当に無意識だった。

 

「あの角に見える家が、香澄の家ですよ」

 

そんな状況を打破してくれたのは有咲さんだった。

目的地に着くことが出来たことに対する安堵感とピリッとした緊張感がふんわりとだけど、確実に僕の心の奥底に居座り始めた。

 

インターホンを押す直前で人差し指を押す手を一瞬だけ止まった。

その時に有咲さんと顔を見合わせた。

有咲さんは小さな子供が初めて保育園に行くのを見守る親のような目をしていた。

 

「そんな目で見ないでよ。色んな意味で緊張するんだって」

 

仮に戸山さんの母親が出てきたら少しは緊張するし、母親側からしたら年頃の娘の家に男が来たら好奇な目で見てくるに決まってる。

今まで彼女なんていたことが無いからどう反応したら良いか分からなくてしどろもどろしそう。

 

いつまでも躊躇してたらだらしない。

どうして日々こんなに意を決さなければならないのだろうと思いながらインターホンをちょこんと押した。

少しの力しか入れてないのにインターホンの音は力強く響き渡った。

 

 

また沈黙が僕たちの間に集まり始める。

こんなにコロコロと雰囲気が変わってしまうのは、もしかしたら僕の心境が影響しているのかもしれない。なぜなら有咲さんは表情を変えずに戸山さんの家の戸が開くのを待っているのだから。

 

僕もさっきまでは真っ暗闇だった心の部屋も、今は少しだけ陽の光が差してる。

 

「……戸山さん、留守なのかな」

「香澄が爆睡してるだけでインターホンに気付いてないんじゃないですか」

「なんかちょっとありえそうだね」

 

ははは、と笑いあっていた時、僕の視界には有咲さんとは別の女の子が視界に入った。

有咲さんとは違う制服に身を包んでいる彼女とは初対面なのは間違いなかった。

 

「えっと、ごめんね。君は戸山さん、香澄さんの妹さん?」

 

だけどどうしてか僕は無意識に彼女に聞いた。

もし僕が何を言っているのか分からない他人の可能性の方が高いし、もしかしたら女性側の見解によっては不振に思われるかもしれない。

だけど本当にどうしてか、核心に近いものがあった。

 

「はい。香澄の妹の明日香ですけれど、お姉ちゃんとお知り合いですか?」

「悠仁先輩って香澄の家は知らないのに明日香ちゃんは知ってるんですね」

 

謎の直感は冴えわたっていたものの、複数の女の子から一度に質問されると僕が悪いわけでは無いのにドギマギとしてしまう。

 

「直感なだけで、初めて会ったから初めましてなんだけど。何となく戸山さんに似てるから」

 

かなり無理があるかもしれないけれど、二人の質問に答えられるような言葉を瞬時にチョイスした。

ただ間違ってもいなくて、本当に直感。

例えで言うならばイーゼルボードに本日のランチ、と書かれているお洒落なお店に入店するような感覚なんだ。

 

「お姉ちゃん、呼んできましょうか?」

「体調が悪そうだったらそっとしといてあげて欲しい。わがままだけどね」

 

戸山さんの妹さん、明日香さんはコクンと頷いて家に入っていった。

僕は明日香さんが家に入っていく前に見せた微かな表情に、やっぱり僕の記憶の底で見たことがあるって思った。

昔はこうだったんだよ、と祖母から聞く思い出話のような感覚に近いって思った。聞き手からしたら確かにあったと言われても実感は湧かない。

 

「悠仁先輩、明日香ちゃんと良い雰囲気作らないでくださいよ」

「作ってないから!」

 

鋭いというか、ジト目に近い視線は、きっと男ってどうしようもない奴ばっかだなって言葉を言わなくても伝わった。

目は口程に物を言う、なんて誰が考えて作ったのかは分からないけど今だけはその言葉を生み出した人間は女たらしだったんじゃないかって偏見が先行した。

くだらない事ばっかり人間はすぐ覚えてしまうから、僕が腰が曲がって禿げ上がる年齢になってもそう認識してるかもしれないって思う。

 

学校で習う事だけが勉強じゃないって事なのかもしれない。

 

 

 

 

戸山さんの家の戸が勢いよく開かれた。

流石の音の大きさに僕だけでなく、有咲さんも肩を上にあげた。

 

明日香さんが僕たちの視線の先に立っていた。

だけど明日香さんは目に涙と不安を浮かべていた。

 

 

 

彼女の右手には、何か紙のようなものが握られていた

 




@komugikonana

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~次回予告~

今にも泣きだしそうで、自分ではどうしていいか分からず藁にすがってでもどうにかしてほしい。
そんな感情が今の明日香ちゃんを取り囲んでいるのは火を見るよりも明らかなのに。
その儚くて小さな火が消えてしまった時に僕たちは気付くんじゃないだろうか。

いつもそうだ。大事な物とかかけがえのない物って失ってから気づくんだよね。

「落ち着いて。何かあったか、ゆっくりで良いから、話してくれるかな」

心で、感情で理解するよりも早く、身体が勝手に動き出したんです。


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手放すもの。手放したくないもの。③

いきなり戸から出てきた明日香ちゃんがまさかこんな、まるで大事なものが消えてなくなってしまう事を知ってしまったかのような表情で出てくるなんて思わなかった。

 

想定外の事で僕の頭の中には疑問符しか出てこなくて、一番最初にしなくてはいけない事が頭の中には思考として一切出てくることは無かった。

 

今にも泣きだしそうで、自分ではどうしていいか分からず藁にすがってでもどうにかしてほしい。

そんな感情が今の明日香ちゃんを取り囲んでいるのは火を見るよりも明らかなのに。

その儚くて小さな火が消えてしまった時に僕たちは気付くんじゃないだろうか。

 

 

いつもそうだ。大事な物とかかけがえのない物って失ってから気づくんだよね。

 

 

さっき、ここに来るまでに僕の心に刻んだ。

また僕は同じ過ちを繰り返してしまうのか。

 

心で、感情で理解するよりも早く、身体が勝手に動き出したんです。

 

明日香さんの近くまで行って、後一歩でも進んで腕を回せば彼女を包み込めるような距離で、彼女の頭に手を優しく置いた。

明日香さんが驚いた顔が僕の瞳に映し出された時、やっと僕の理解が追い付いた。

 

「落ち着いて。何かあったか、ゆっくりで良いから、話してくれるかな」

 

優しく、薄い薄いガラスで作られたコップを大切に扱っていたあの時の様に明日香さんに声を掛けた。

明日香さんは僕の言葉がどこかに響いたのかもしれない。彼女の瞳からは不安が消え去って、代わりに涙が抑えきれず零れてしまったから。

 

「助けて……ください」

「僕も有咲さんもいる。絶対大丈夫だよ」

 

いつもの僕ならきっと大丈夫だよ、と言っていたと思う。だけど今は絶対と言った。100%大丈夫だよって言い換えても良いくらいの自信も言葉に乗せた。

なんだか今日は思った事と言葉にした事とでは若干の違いがあるからちょっと照れくさくなって頭を掻きたくなる。

 

「お姉ちゃんが……お姉ちゃんがぁ」

 

明日香さんに自分が出来る範囲で優しい笑顔を向けながら、手に持っていた紙を優しく受け取った。

息を一瞬だけ止めてから、口の奥に溜まった唾をゴクリと飲み込んでから手紙に書かれてある文字に目を通した。

 

 

 

あっちゃんへ

今まで本当にありがとう。とっても楽しかったよ。

次生まれ変わっても、あっちゃんが妹だと良いなぁ。

こんなお姉ちゃんでごめんね。

 

 

 

とっても、とっても簡潔な文章だった。

だけどその分、この手紙を書き残した時の戸山さんの気持ちも痛いほど分かった。

 

戸山さんはきっと、我慢しすぎていたんだ。

ショッピングモールで戸山さんは僕にその予兆を吐露していた。一部の心ない書き込みが精神的にきつい事を。

そして僕まで急に威圧的な態度をとってしまった。

 

「まだ、戸山さんの部屋は涼しかった?」

 

僕は静かに、だけど確実に明日香さんの耳に届くような声を風にふんわりと乗せた。

小さく震える明日香さんだったけど、確かに頭をコクンと縦に頷いた。

 

そっか。それが聞けたら充分。

後は僕に任せて欲しいんだ。いや、僕たちに、かな。

 

「有咲さん!戸山さんを探すのを手伝ってほしい!」

「わ、分かってる!友達とかに事情は伏せて探してもらうから」

「ありがとう。見つかったらこの番号に連絡して!」

 

偶々持っていたボールペンで戸山さんの悲しい気持ちが綴られている紙に番号を走り書きして有咲さんに渡した。

 

僕が走り始めたのと同じタイミングで僕の肌に冷たい感触がポツポツと感じ始める。

この雨はもしかしたら戸山さんの悲しみを透過したものかもしれない。もしそうなら土砂降りになる前に、手遅れになる前に見つけなきゃ。

 

走っている途中でコンビニを見つけた。

こんな時に僕はコンビニに入って、目に留まったビニール傘を購入した。

切羽詰まっている時にのんびり買い物かよって思われるかもしれないけど、僕からしたら戸山さんが雨に濡れて欲しくないって気持ちが何よりも勝った。

 

「だから、絶対、すぐ見つけるからね」

 

傘をささずに、右手で傘を掴みながらまた走り出す。

あの手紙から推測すれば、戸山さんが居そうな場所は限られてくる。それに今日途中で有咲さんの言葉。

 

きっと今頃、有咲さんや他の友達が戸山さんの事を探しているんだと思う。

何人か分からないけど、それくらい君の周りにはたくさん人がいてくれてる。

 

やっぱり、僕は君に憧れているんだ。

羨ましいと思うから。

 

 

 

 

もうすぐ太陽が沈む時間帯かもしれないけど、生憎太陽は雲に隠されているから正確な時間は分からない。

そんな時間に、雨が降っているのに傘を手に持ったままで走っているのだから周りから変な目で見られていると思う。

いや、他の要因もあるだろう。

 

何故なら僕が今、立ち止まった場所がその要因だから。

 

「警備員にばれてるかもだけど、流石に今回だけは大目に見てよっ!」

 

花咲川女子学園の校門前、僕は止まることなく校舎の中に入っていった。

正直、賭けに近いとも思う。だけど意外と盲点でもあるとも思う。

 

戸山さんは今日、学校を欠席している。

灯台下暗しと言われるけど、まずどこか行ってしまった場合において手薄になりがちなのは身の周り。

加えてもしも、もしも戸山さんがここにいるのならば本当は……。

 

長々と思考を述べる暇があったら身体を動かせ。

女子高に入るのなんて今後経験なんかあるわけも無いだろうから、じっくり探検してみたいけど今は初めて入った校舎の階段を手当たり次第に上っていく。

 

「大体、上に登っていけばあるはずだよな」

 

はぁはぁ、と息を切らせながらも足を止めることはしなかった。

もしここで教員に見つかったらどうなるんだろう。最悪の場合は不法侵入とか建造物侵入罪とか漢字が4つも6つも並べられた堅苦しい言葉を浴びせられるかもしれない。

 

だけどそれがどうした。

僕は今までたくさん迷惑を掛けてきた。そんなだから今更気にしたって一緒だろ?

 

 

階段を上り切った先に、重々しい雰囲気のする扉が設置されていた。

普段鍵が閉めてあることの多いらしいこの場所の門を僕はしっかりと握って、押した。

 

 

 

 

ギギギッ、と音がして大して眩しくもない光と雨粒が手と顔に触れる。

開いたんだ、屋上へと続く扉が。

 

雨が一段と勢いを増す中、間違いなくそこには人影があった。

はっきりとは見えないけれど、シルエットには懐かしさを感じる。

 

 

 

「やっと見つけたよ」

 

人影が僕の声に反応してビクッとした。

僕はゆっくり、ゆっくり歩を進めて行って視界にその人影が誰であるか分かる位置まで歩いた。

 

今、君はどんな感情を僕に抱いているのかな。

 

なんでここにいるの?

私を苦しめた人がなんで来てるの?

面倒な奴に見つかった?

 

なんでも良いさ。ただ僕は。

 

「久しぶり、戸山さん」

 

君と、もう一度話したいんだ。

 

 




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~次回予告~

雨が強くなって肌に当たる粒が痛くなっていく。
前髪もべったりと額にくっ付いていて、鼻にあまり好きではない雨のにおいが常に漂い続けていた。
ザーッという雨音が何かの叫び声のように聞こえ、嫌な予感を感じさせる。

戸山さんも傘をささずに、雨が降っているのにまるで晴天の日に日光浴をしている様だった。
ただ一つ違う事は彼女が落下防止の柵の奥の方、一歩でも踏み出したなら下に落ちてしまいそうな場所に立っている事。

もしかしたら僕の一言で一人の人生を終わらせてしまうかもしれない。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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手放すもの。手放したくないもの。④

~お知らせ~
Twitterにて2周年記念小説を9月30日(水)に限定公開します。
固定ツイートにいいねまたはRTをしてくだされば作者がDMに送り付けます。
気になる方は一度Twitterを覗いてみてくださいね!


雨が強くなって肌に当たる粒が痛くなっていく。

前髪もべったりと額にくっ付いていて、鼻にあまり好きではない雨のにおいが常に漂い続けていた。

ザーッという雨音が何かの叫び声のように聞こえ、嫌な予感を感じさせる。

 

戸山さんも傘をささずに、雨が降っているのにまるで晴天の日に日光浴をしている様だった。

ただ一つ違う事は彼女が落下防止の柵の奥の方、一歩でも踏み出したなら下に落ちてしまいそうな場所に立っている事。

 

もしかしたら僕の一言で一人の人生を終わらせてしまうかもしれない。

そんな極度のプレッシャーが心にドサッと乗っかってきた。

 

「久しぶり、戸山さん」

 

この言葉でも、口にするのにかなりの勇気が必要だった。

知らない場所に踏み込むRPGの主人公のような勇気。プレイヤーはこの先に起こることが大体だけど予想は付くから怖いのは主人公だけ。

でも今は、誰も結末が分からない。それだけでも頭が引き裂かれそうな痛みが襲ってくる。

 

「悠仁……先輩」

 

僕の声に反応してくれて、こちらに振り向いてくれた。

戸山さんも雨で濡れているからあまり確信は持てない。だけど今にも泣きだしそうな顔をしていた。

 

僕は少しずつ戸山さんのいる場所に近づいていく。

一歩踏み出すたびに身体全体に心臓の鼓動が響き渡るのが妙に気持ち悪い。

だけどこの一瞬から、激しさを増す雨音が気にならなくなった。

 

「悠仁先輩には、こんな姿見られたくなかったな」

「どうして?」

「それは悠仁先輩、だからです」

 

こんな姿って何を指すのだろう。

 

雨でずぶ濡れになっている姿?

泣いているのに雨で誤魔化している姿?

それとも今から飛び降りる姿?

 

だったら僕の答えは一つだ。

 

「僕も嫌だ」

「えっ?」

「嫌な事は嫌だって言うのがわがままだったら、僕はこの時だけはわがままになってやる」

 

多分戸山さんは僕が何を言っているのか分からないと思う。実際僕も口に出してから頭で理解しようとしても良く分からない。

だけど戸山さんは確かに笑ってくれた。9割は悲しい表情だったけどほんの少しだけ、口元は確かに笑っていた。

 

「だから戸山さん。こっちに来て話をしない?」

 

優しく言ったけど、本心は叫びたいくらいなんです。

頼むからこっちに来て欲しい、後は何もいらないからって神様にお願いするような感覚。

僕はもう二度と……。

 

「僕はもう走りすぎて足がパンパンでさ……。ほら、僕って足が悪いし」

 

小さい頃に痛めてから、ずっと抱えている。

もちろん走ることは出来るけど、鈍い痛みも一緒に走り始める。

 

そんな事、戸山さんは知る由もない。

僕が戸山さんだったら知るかそんな事、って思いながら聞いてると思う。

 

「……木から、落ちた時からですか?」

 

どうして戸山さんが僕の右足が悪くなった理由を知っているのだろうか分からないけど、きっと坂本が口を滑らせたのだろう。

また悲しい感情に飲み込まれていく戸山さんが、僕にはもう見ていられなくなった。

頼むからこっちに来てくれよ、って叫びだしたい。

 

戸山さんが全く動こうとしないから、余計にそう思うんだ。

 

「……坂本から聞いた。僕って最低な奴だよね」

 

逸る気持ちを抑えきれなかった僕は、戸山さんの近くに歩いて行きながら話すことにした。

僕が戸山さんに抱いているのは憧れなのか、それとももっと他にあるもっと単純な感情なのか分からないけれど。

 

手や足の先が痒くなってきた。

それと同時にまた別のプレッシャーが、渦潮の様に四方八方から襲い掛かってきた。

 

「戸山さんは僕の事を知りたいから、色々動いていたんだよね。僕が抱えている物を少しでも軽くしてくれようとしたんだよね」

 

戸山さんは沈黙を貫いているけれど、表情が変わっていくのを僕はただ見つめながら淡々と言葉を口にした。

 

僕はそんな戸山さんの行動を「遊び」と称した。

楽しい意味もあるけど裏の面もある、無邪気な子供が良く使う悪気ない言葉が一番人の心をえぐってしまう。二面性がある人間が人間を傷つけてしまう事があるように。

 

僕はゆっくり進んで行く。

そして自分も落下防止柵の前まで進んできた。この障害が無ければ、手を伸ばせば彼女に届くのにって無意識に歯を食いしばった。

 

彼女を止めるには、柵を越えるしかない。

考えるまでもない事、やらなくちゃいけない事を実行しようとした。

 

「坂本先輩も良い人だけど、悠仁先輩は良い人すぎです」

 

震える手と足を使って柵を上ることに夢中だったから戸山さんの声には耳を傾けるしか出来なかった。

君をこんなにも傷つけてしまった僕が良い人な訳あるか、って言いたいけれど今は思っていても口にしてはいけないって感じた。

 

柵を降りて、ようやく戸山さんと手が届く空間に足を踏み入れることが出来た。

遠くから見ていたから分からなかったけど、足を一歩でも踏み出せば下に落ちてしまうような足場の狭さに足が畏怖の念に襲われる。

 

下は若干緑色の何かが見える、植木か何かだろうか知らないが基本はコンクリート。もうこの先は言わなくても分かるだろうと息を呑んだ。

 

戸山さんは雨粒が降りしきる真っ黒な雲をジッと見つめていた。

この女の子は僕が知っている戸山さんで間違いはない。そうなんだけどこんな彼女は見たことが無い。

 

「戸山さんも素敵な人だよ。元気なのに誰よりも真剣で真面目でさ」

「そうですか?」

「僕の目にはそう映ってる。だからさ、今は気にしないで全責任を僕にぶつけても良い」

「全……責任」

「そう。辛い事があったら人に話せばいい。逃げたって良いんだよ」

 

戸山さんの近くに寄って、語り掛けるように呟いた。

心なしか雨の勢いが弱くなっている気がする。この雨が戸山さんの心の悲しみを投影しているのであれば良い方向に進んでいることは間違いない。

 

気を緩めてはいけないけど、少しホッとしている僕が確かにいた。

 

「悠仁先輩」

 

戸山さんは僕の方を向いてくれた。

僕も戸山さんを見つめ返す。いくら僕の感情に申し訳なさが支配していようとも、ここで彼女と目と目を合わせなきゃいけないと感じたから。

 

「私、悠仁先輩に会えてよかったです」

「それは僕も同じだよ」

 

それはずっと思っていた。戸山さんと出会えてよかったって。

だけど思っていただけで誰にも言う事は無かったし、戸山さん本人に伝えるとしても恥ずかしくて出来なかった。

 

「えへへ、一緒ですね」

 

戸山さんが今日、初めて笑ったのではないだろうか。

髪の毛もぐっしょりと濡れているのに彼女の顔は綺麗に輝いて見えた僕は、思わず笑みを零してしまう。

 

「さっき言ってた事……全部、悠仁先輩にぶつけても良いですか?」

 

全責任を、という事だろう。

僕はもちろんと顔を縦に振った。全部僕に擦り付ければいいんだよって意味も込めた。

 

雨がもうすぐ止みそうで、肌に当たる感触がほぼなくなってきていた。

きっと、きっと戸山さんの事を助けられるんだって思った。

 

 

 

 

 

 

 

今、一瞬だけ嫌な予感がした。

もしこの雨が投影しているのが心の悲しみでは無くて、彼女の生命力だとしたら?

止みかけているという事は、もうすぐ彼女は……?

 

 

「みんなを、よろしくお願いしますね」

 

まずいって思った時には彼女の身体が傾き始めていて、それを重力が受け入れていた。

僕は咄嗟に走り出して屋上から飛び降りる戸山さんの右腕をがっしりと掴んだ。

 

僕は漫画や小説の主人公みたいな人間じゃなかった。

その証拠にこのまま掴んだら引き上げるまでが一連の流れなのに。

 

掴んでいた腕がするすると下に下がっていく。

雨で濡れているという事もあるし、片手では女の子一人を支えることなんか到底できやしない。

 

腕を掴んでいたのにもうすぐ手首に触れてしまう。

もし手首を過ぎたら、細い指。そして

 

 

手放すことになる。

 

 

「もう、大切な人を失いたくないんだぁあああ!」

 

掴むことを諦めて、戸山さんを僕の方へ引き寄せる。

その方法をとるために僕は。

 

 

足を地から、屋上の足場から外した。

ひゅっとした感覚を気持ち悪いと感じるより前に戸山さんを引っ張る。下に落ちるまで何秒もないだろうし、戸山さんとほぼ同じスピードで落ちていく。僕の頭は少しでも戸山さんが受ける衝撃を和らげたいとしか考えていなかった。

 

 

バキバキバキ

鋭い痛みと枝葉が折れる音がした。どうやら運よく植木の上に落ちれたみたいだけどすぐ横を見ればコンクリートの地面でギョッとした。

 

もう死んでしまうと思っていたのに助かったからホッとしたのと、僕が無意識に胸に抱えていた戸山さんの鼓動を感じたところでふっと意識を手放してしまった。

 

 




@komugikonana

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君の家に、お見舞いに①

「えーっと、この辺りかな?」

 

私、戸山香澄は昨日坂本先輩からSNSを通じてもらった画像を見ながら歩いていた。

その画像はこの辺りの住宅地で、恐らく携帯で住所を打ち込みそのままスクリーンショットで収めたのかな?

 

実は数日前、私は自ら命を絶とうとした。

今考えれば私はなんて馬鹿な事をやったんだー、って言いたくなるけどその時は冷静に物事を考えられなかったように感じた。

こう、胸がパーッとなってキラキラとするような気持ちが全く出てこなくって。いつも出てくる気持ちはもうダメなんだという否定的な感情ばかりだった。

 

もし悠仁先輩があの時、来てくれなかったら。

そう思うだけで今ある当たり前の感情、感覚、気持ちのありがたさがとっても分かるようになった。

 

私が屋上から飛び降りてしまった時、悠仁先輩に引いてもらえなかったら間違いなくこの世にはいない。

あの後色んな人にこっぴどく叱られちゃったけど。

 

「でも悠仁先輩も一緒に怒られたのは納得いかないっ!」

 

誰もいない街中で私は一人アスファルトに愚痴をこぼす。

愚痴はこの夏の暑さで溶けてなくなったけど私のモヤモヤはしばらく消えることは無い。

 

あの後、私たちが落ちた音で気づいた先生たちが来た。もちろん悠仁先輩は気を失ってたし、所々傷だらけのせいで血が至る所から出てた。

だから救急車を呼んでくれたけど、校内は関係者以外立ち入り禁止なのに男性がいるのがおかしいやら言われた。命が助かった事は良かった、だけどそれはそれでこれはこれ。ダメな事はダメらしい。

 

今回は警察の人も事情を理解してくれたから悠仁先輩は怒られるだけで済んだけど、そもそも怒るなんておかしいよ。他人のためにここまで出来るのって簡単な事じゃないのに。先生だって困っている人を見かけたら助けてあげましょうって言ってた癖に。

 

「でも悠仁先輩は私のために……」

 

助けてくれたんだよね、って答えが導かれた時にはすでに私の顔は今の気温より熱くなっていた。

私はこんな感情を抱いてるけど悠仁先輩はそうとは限らないし……。

 

うー、ちょっと恥ずかしくなってきちゃった。

そんな事より私は悠仁先輩に言わなくてはいけない事もあるんだから。

 

ありがとう、と言うたった5文字の言葉を。

 

「あ、ここだよね?」

 

送られてきたマップの目的地の前にやってきた。たしかに家の表札には「町田」と書かれている。

あ、でもこの辺りは親戚の人が多くてこの辺りの家全部が町田さんだったらどうしよう!

 

「もういいや、押しちゃえっ!」

 

えいっ、と言いながらインターホンを鳴らした。坂本先輩を信じればきっと問題ないよね。

……と思ったけど坂本先輩ってたまにイタズラっぽいところがあるから不意に不安感が肩にどっしり乗っかってきた。

 

その不安はインターホンを鳴らしてもしばらく反応が無く、待っている時間一秒一秒に伸し掛かっているように感じた。

 

もうすぐドキドキよりも不安の方が勝ってしまいそうになっていた時、ガチャッという音が聞こえて思わず顔を上げてしまった。

 

「はいはい勧誘ご苦労様です……じゃなくって戸山さん!?」

 

顔を上げた後に見た彼。

私の肩に乗っかっていた不安はいつの間にか姿を消していて、どこからともなくキラキラとした感情が湧いて出てくる。

そして無意識に彼を見つめてしまう私の瞳。

 

「こんにちは、悠仁先輩っ!」

 

そんな私は元気に挨拶をした。私の目の前に大きい鏡が現れたら、きっと太陽と見分けがつかない位ピカッとしていると思います。

鏡で太陽とか見たら現実では大変な事になっちゃうけど。

 

 

彼に促されて私は初めて、そう、生まれて初めて男の子に家にお邪魔した。

小学生の時とかはよく友達の家にお邪魔したことがあるけれど、その時と今では気持ちがまるっきり違って、今は少し感情が硬くなっている。

 

悠仁先輩は多分一人暮らしじゃないだろうからそんなに緊張しなくても、と頭では分かっていても心はそう簡単には理解してくれない。

 

「今は家に母親はいないし、帰ってくるのが遅いんだ。父親もいないから」

「そ、そうなんですねっ!」

「だからゆっくりくつろいでくれていいよ。暑い中せっかく来てくれたんだし」

 

私は遠慮がちにリビングの椅子に腰を下ろす。テスト最終日だからと言って何も考えずに制服でここにきてしまった事に少しだけ後悔する。

 

彼は冷蔵庫を開けて何かを出そうとしている。

私のためにそんな気を遣わなくても良いのに、と思う反面冷たい飲み物を思いっ切り喉に流し込んでしまいたい気持ちもあった。

 

冷蔵庫からお茶を取り出したけど、私は椅子に座っているのが申し訳なくなって手伝う事にした。

と言うのは建前。本当は彼が普通では持たないような持ち方でお茶の入ったケトルを引っ張り出していたから。

 

「悠仁先輩、手伝います」

 

彼の後ろにスッと入って、声を掛ける。

彼は少しだけ震えた声で「あ、ありがとう」と言っていた。どうして声が緊張していたのかな。

 

「悠仁先輩、手は痛みますか?」

「あ、まぁ、ちょっとね。切り傷って結構染みちゃうんだよね……ちょっと手を動かすだけで痛くなっちゃうんだよね」

「足とかは大丈夫ですか?」

「足と背中とか脇腹とか……でも気にしないでね。多少染みるくらいだから」

 

あはは、とおどけた表情を見せている彼だけど、近くで手を見た時に傷の生々しさが目に入ってきた。何本かの指には絆創膏が貼って合って、目で確認できる傷よりひどい物かもって簡単に想像することが出来る。

 

彼に対して、私はほとんど傷が無い。

きっと落ちる直前に私を抱えてくれたから。あの一瞬だからほとんど覚えてないけど、紛れもなく人生で初めて男の人に抱きしめられた。

 

そしてその男の人が私の目の前にいる。

そう捉えたことでほんのりと顔を赤く染めさられた私はバレないように少しだけ顔を背けた。

 

「……あーっ!」

「え、何?どうしたの戸山さん?」

 

彼の家に入って心も身体も浮足立っていたことも合い重なり、私はここに来た目的を忘れかけていた。

 

「悠仁先輩っ!今すぐベッドに行ってくださいっ!」

「今すぐ!?」

「熱があるんですよね?」

「え、あー、うん。微熱だけどね」

 

彼が体調不良なのは雨の日に私を探し回ってくれていたからだと思う。

私は逆に特に問題は無くて、アニメとかだったら女の子の方が風邪をひいちゃうことが多いけどやっぱり現実はそうはいかないらしい。

 

それにしても熱が上がったのかな?

さっきから彼は顔を赤くして、目がキョロキョロと泳ぎ回っている。

私は自分の言った葉を一枚一枚数えて原因を調べてみたところ、一つの仮説が出来た。

 

「……もしかして悠仁先輩?ちょっとえっちな事考えてました?」

「そんな事ないって、ね?」

「ぜーったい、考えてました!」

 

正直なところ、私は悪い気分にはならなかった。

なぜなら彼は私をそういう目で見てくれていたから。男の人ってどうでも良いと思っている女の子とそんな気分にならないって何かの漫画で見た気がする。

 

もちろんそんな事をするのは恋人同士になった後の事だし……。

 

「とにかく悠仁先輩の部屋に行きましょうっ!」

 

私は彼の手を握って、引っ張りながら階段を上がっていく。

どうして二階を目指したかと言うと、私の概念では寝室は二階にあるって決まっていたから。

 

実際彼は抵抗しなかったし、二階に上り切ると幾つかの部屋があって恐らくこの部屋が彼の部屋だと直感的に分かった。

 

男の子の部屋に入るのも今日が初めて。不思議な事に部屋はほんのりと彼のにおいがしていて、その匂いがいつでも私の鼻にちょっかいをかけてくる。

 

そしてもう一つ、感じることがあった。それは。

 

 

日当たりが良い部屋のはずなのに、陰になっているように感じた。

綺麗に片付いているように見えるけど所々乱雑さが見えるこの部屋は男の人の部屋と言えばそうなのだけど、それでも何か引っかかるところがあった。

 

ゴミ箱の中には紙が丸められて捨てられていた。

きっと何か書かれていたに違いない。それに捨てられた紙の端には画鋲の穴のようなものが見て取れた。

 

「ごめんね、汚い部屋で。戸山さんが来るって知ってたらあらかじめ掃除をしておいたのだけど」

「男の人の部屋にしては綺麗だと思いますよ?」

「もしかしてもっと散らかってると思ってた?」

「はいっ!」

「世間の男子高校生イメージが酷すぎる……」

「私、少しだけ部屋を片付けちゃいます!」

「それ、暗に部屋が汚いって言ってない?」

 

苦笑いをする彼の反面、私は笑顔を作った。

そうと決まれば少しだけ掃除をしよう。この部屋には小さい掃除機もあるし、本当に汚いわけではないから30分もすればとってもきれいになるはず。

 

それに掃除をしようとしたのは私の心の問題でもある。

まだ、そわそわしちゃうんです。

 

「戸山さん」

「はい?」

「掃除しながらで良いからさ、僕の独り言、聞いてもらっても良い?」

 

 




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~次回予告~

彼の部屋は一見、片付いている。
でも部屋の隅っこには埃が溜まっていたり、物が置いてあったり配線類がごちゃごちゃっとしていた。
彼の許可を得て、一度タップに刺さっていたコンセントを抜く。
一度クセのついた配線は何度伸ばしてもまた元通りになってしまう。案外パソコンなどの電子機器が多く目立つ一方、ゲーム機はひと昔前のものでした。


「掃除しながらで良いからさ、俺の独り言、聞いてもらっても良い?」


彼のその一言は、私にはこの部屋の雰囲気に似たものを感じさせた。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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君の家に、お見舞いに②

彼の部屋は一見、片付いている。

でも部屋の隅っこには埃が溜まっていたり、物が置いてあったり配線類がごちゃごちゃっとしていた。

彼の許可を得て、一度タップに刺さっていたコンセントを抜く。

一度クセのついた配線は何度伸ばしてもまた元通りになってしまう。案外パソコンなどの電子機器が多く目立つ一方、ゲーム機はひと昔前のものでした。

 

 

「掃除しながらで良いからさ、僕の独り言、聞いてもらっても良い?」

 

 

彼のその一言は、私にはこの部屋の雰囲気に似たものを感じさせた。

彼は一見普通の高校生。だけど何かが心の隅っこに確かに存在していたり、複雑に絡まっていたり。

 

坂本先輩から彼に起こった出来事を少し聞いたからそのような雰囲気を感じたのかもしれない。

だけど別の要因だってあるはずだと確信はあったのです。

 

さっき直したはずの配線がまたひねり始めた。

 

「机の上に古い写真があるだろ?そこに写ってる女の子は幼馴染なんだ」

 

彼の独り言に導かれるように、私は立ち上がって難しそうな参考書が積んである机に向かった。

確かに写真立てには病院の物だろうか、白い無機質なベッドに座りながらピースサインをしている可愛らしい女の子と、同じく無邪気に笑う可愛らしい男の子が写し出されていた。

 

可愛らしい男の子には、彼の面影を感じさせる。

私は今まで、こんなに笑顔になっている彼を見るのは初めてだった。

 

「この写真は確か僕たちが中学一年生だった頃。幼馴染は中学校に行けてないんだけどね」

「そうなんですね」

「重い病気でいつまで生きられるか分からないのに、お見舞いに行ったらいつも僕に『勉強を教えて』って言ってきたっけ」

 

こんなお話を、私は片付けをしながら聞くなんてことは出来なかった。

私はベッドに腰を落としている彼の隣に座った。それもピッタリ引っ付くかのように。

 

「大変な時期もあったけど、僕が高校生になる位に容態が奇跡的に安定して、退院が出来た」

「その子のために、悠仁先輩はお医者さんになろうと思ったんですか?」

「学校であった出来事を楽しそうに聞いて、いつかまた、学校で勉強したいって言ってたあいつをどうしても助けてあげたかったから。夢を叶える手伝いをしたかったから」

 

まだ少ししか聞いてないのに、もう心がはち切れそうなほど胸が痛くなった。

 

結末を知ってしまっているから。

そして今の悠仁先輩の何よりも悔いのありそうな顔をしているのを見てしまっているから。

 

「でも、それは叶わなかった。一緒に付き添っていた父親と一緒に、無慈悲に殺された。車に乗ってたのはほぼ同年代の高校生。無免許運転だった」

「……ひどい」

「僕は今でも後悔してる」

「幼馴染の女の子を助けることが出来なかったから?」

「違う」

 

 

彼は一呼吸おいて、一度を目を瞑ってから天井を見上げた。

 

 

「事故に遭った数十分前にさ、ケンカしたんだ。あいつと」

 

私は今の言葉ですべてを理解したような気がした。

どうして彼が今もこの出来事を引きずっているのか。そして何もかもどうでも良くなってしまった彼の気持ちが、痛いほど分かった。

 

「ケンカの内容なんて些細だった。医学部合格を確実にするために勉強したかった僕と、少しでも僕と歩きたかったあいつの、相反する想いがぶつかっただけだった」

 

彼が悪いわけでも、彼の幼馴染の女の子が悪いわけでもない。

どちらの気持ちも手に取るように分かってしまうから。

 

彼は本当に幼馴染の子を助けたくて。

幼馴染の子は少しでも彼と一緒に居たくて。

 

きっとだけど、どちらも同じ想いなんだ。

いつ容態が急変するか分からない。毎日が綱渡り状態だっただろうから。

 

「あのケンカが無かったら、父親もあいつも死んでない。あのケンカの言い合いに掛けた時間が、無免許運転の車と偶然会わせてしまったんだ」

 

だから僕は実質、二人の人生を終わらせてしまったんだ。

今にも溶けてなくなってしまいそうな声と、こんなにも悲しい顔をする彼を、いや人間を見たことが無かった。

 

それが彼にとってどんなに辛い事かは手に取るように分かる。分かるけど軽々しく口を挟めるような状況ではない事に心がギュッとなる。

 

「そしてまた僕は同じ失敗をしてしまうところだった」

「それって……?」

「この前の事」

 

きっと私が学校の屋上から飛び降りちゃったときの事を彼は言っているのだと思う。

同時に私は、あの時の彼の言葉の意味をちょっぴりだけど分かった気がした。

 

 

もう、大切な人を失いたくないんだぁあああ!

 

 

大切な人って私を指している。自惚れじゃないけどそれは分かってた。

そして今回、その言葉を言った彼の背景を知ることになった。

今まで点と点だったのに、今は線で繋がった。これからも君の知っている事を線で繋いでいきたい。

 

「悠仁先輩、一つだけお願い。聴いてもらえますか?」

「お願い?」

「はい。一瞬だけ、身体ごとこっち向いてもらっても良いですか」

 

急なお願いだと思うけど、彼は優しいから私のお願いを不思議な顔色を前面に押し出しながらも聴いてくれた。

これから私が取る行動は、自己満足かもしれないけど。

 

「ちょっ、戸山さん!?」

 

私はこっちを向いてくれた彼の胸に身体を預け、背中に両手を回した。

密着しすぎててお互い顔を見合わせることは出来ないけど、それが良いかもしれない。

お互いの鼓動が速いリズムで動いており、私にも彼の鼓動を自分の身体の一部の様に近くで感じられた。

 

「戸山さんっ!外国じゃあるまいし、こういうのは好きな人同士で……」

「私は悠仁先輩の事、好きだから良いじゃないですか」

「それは……その」

 

私だって、好きじゃない人やどうでもいい人に抱き着いたりしません。

自分の心が求めている人にしか抱き着きません。

 

それに、君はもしかしたら覚えていないかもしれないけど。

昔に一回だけ君は私を抱きしめてくれた時の事、私は覚えているよ。

 

「私は前にね、こんな詩を書いたんです。『走り始めたばかりのキミに』と言う歌詞なんですけど」

「その曲、聴いたよ。すごく好きなメロディだった」

「悠仁先輩もこれからです。先輩も走り始めたばかりです。だって私を助けてくれたじゃないですか」

 

今までずっと立ち止まっていたかもしれないけど、坂本先輩に何か発破をかけられたらしいし私の事も風邪をひいてしまうまで頑張って探してくれた。

それってまた走り始めたって事ですよね。

 

「私はそんな悠仁先輩を応援したい」

「戸山さん……」

 

彼はゆっくり私の背中に手を回してくれた。

私はもっとギューッと彼の身体を私の元に押し寄せた時、今までにないドキドキが自分の中にいることに初めて気が付いた。

 

「こんな僕でも、もう一度頑張ってみても良いのかな」

「もちろんですっ!」

「母さんにこれ以上負担を掛けたくないから進学しない予定だったけど、進学したいな……まだ幼馴染(あいつ)に謝れてないから、墓参りに行きたいな」

 

段々と言葉が涙で濡れていくのを感じながら、私は特に何も言わずにギュッと抱き着いた。

 

 




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~次回予告~

私はしばらくの間、静かになった彼の自室で時間を過ごしていた。
緩やかで心地の良いサラサラと光る小川の流れのようなまったりとした時間の中、横目をチラッと見ると彼が静かに寝息を立てている。
本当の事を言うとずっとこの場所で彼を見ていたいけどいつまでも人の家にお邪魔し続けるのは申し訳ない。

施錠が解かれたドアは外からでも当たり前のように開き、見た目が若そうだけど大人の貫録をもった女性が入ってきた。
もちろんその女生と目が合う。私は情けない事に固まってしまっている。

「悠仁の彼女さん?」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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君の家に、お見舞いに③

私はしばらくの間、静かになった彼の自室で時間を過ごしていた。

緩やかで心地の良いサラサラと光る小川の流れのようなまったりとした時間の中、横目をチラッと見ると彼が静かに寝息を立てている。

 

本当の事を言うとずっとこの場所で彼を見ていたいけどいつまでも人の家にお邪魔し続けるのは申し訳ない。

それにきっとあっちゃんも心配しているかもしれない。

 

「勝手に帰っちゃうのもダメだよね……?」

 

別に彼が目を覚ました時に私がいなくなっても帰ったんだな、としか思わないかもだけど。

結局は私の問題なんだよねっ。

彼の机からシャーペンと紙を借りていそいそと、思ったままの素直な気持ちを書き綴り始める。

 

あと少しで書き終えそうになった時、不意にインターホンの音が鳴り響いて変な声を出してしまった。

今の声で彼が起きてしまったのではと一瞬だけベッドに目を向けたが、幸いにも気持ちのよさそうな顔つきでまだ夢の中に身をゆだねていた。

 

「……ちゃんと対応した方が良いのかな」

 

でも私はここの家の関係者じゃないし、出ない方が良いよね。

でも、もし来客の人がとっても重要な用事だったら困っちゃうかも。

 

郵便とか宅配の可能性もあるだろうし、もし違っても置手紙を残しておけば彼がなんとかしてくれる。

私はそう結論を付けたので階段をゆっくりと降りて玄関に向かった。

 

するとここで、私の想像をはるかに超える出来事が起きた。

それは玄関の鍵がカチャッ、と言う音と共に外から開けられた。

 

施錠が解かれたドアは外からでも当たり前のように開き、見た目が若そうだけど大人の貫録をもった女性が入ってきた。

もちろんその女性と目が合う。私は情けない事に固まってしまっている。

 

「悠仁の彼女さん?」

「えっ、か、カノジョ!?」

「時間ある?おばさんと話さない?」

 

凄くウキウキとした、いじれば面白そうだと言わんばかりの笑顔で女性は私に話しかけてきた。

 

 

 

 

 

再びリビングでお茶を頂くことになった。彼と同じ様にもてなしてくれて、やっぱり親子は似るのかもとクスリとした。

 

彼のお母さんである悠子さんは、本当は夜にも仕事が入っていたが息子が心配で休みをもらって帰ってきたらしい。そこで私とばったり遭遇、しかも家の中で。

私の事をからかう気満々のニタニタ顔なのに、ちゃんと悠仁先輩の事を気にかけているからとっても良い人なんだという事はもうすでに分かっているけど、年が離れすぎている人とどう接すればいいのか少し困る。

 

それに悠仁先輩のお母さんだから、あんまり悪い印象を与えたくないって気持ちも溢れてくる。

この先、私と悠仁先輩の関係がどうなっていくかは分からないけど私が思い描くような未来になってくれるのであれば、その気持ちを無碍(むげ)にすることは出来ない。

 

「名前はなんて言うの?」

「と、戸山香澄と言いますっ!」

「おばさん相手に緊張しなくても良いの。気楽にしてくれて良いから」

 

彼のお母さんはどこからかアロマを持ってきて机の中心に置いた。

甘すぎない、だけどどこか女性を思わせるような香りがリビング中に広がって、私の緊張もどこか緩んできたように感じた。

 

お茶を口にすると、さっき彼から貰ったのと同じなのに味に変化があるように思えた。

もしかしたらこれは感情によって味が変わっちゃったのかな?たまに恋の味、だとか表現する時もあるし歌詞とかにそんなニュアンスを組み入れるのも良いかもしれないって考えていた。

 

「……香澄ちゃんって何かやってる?例えば本を書いてたりとか、音楽をしてたりとか」

「高校の友達とバンドをしています!どうして分かったんですかっ!」

「夜は接客業をしててね?人の目を見れば大体分かるようになったの」

 

夜の接客業と言えば居酒屋とか、お洒落なお店で働いているのかな?

緊張で硬くなっていた私は、いつの間にか姿を消してしまっていて今ではいつものように話が出来ている。

 

それはきっと彼のお母さんが話し上手だからかな?

大人の女性はすごいなってこの時に実感した。不安と緊張と言う霧が周りにたくさん渦巻いていたけど、こんなにも簡単に晴らしてしまうのだから。

 

大人に嘘をついた時は大抵その嘘がバレちゃう事も、同時に納得がいった。

 

彼のお母さんは透明なグラスにお酒、多分チューハイだろうか、柑橘系においのする飲み物を注ぐ。

注ぎ終えると軽くグラスを揺らしながらちょびっと口に含む。

 

「もちろん、息子の目の光が段々と鈍っていくのも知ってた」

 

独り言のように、だけど誰かにこの思いを聞いて欲しいかのような声がポツンと置かれた。

何よりも同じような声で息子に掛けてあげたい言葉はたくさんあったけど怖くて何も出来なかった、と言う言葉が一番ずっしりときた。

 

彼の過去のお話は先ほど聞いたからなのかな、余計に私の心がチクチクとするから少し顔を下に向けて唇をグッと噛んだ。

 

「でも最近、息子はちょっとだけ変わった」

 

ドキッとした。

クリスマスが近づいてきて朝が来たら枕元にプレゼントが置いてあるようなドキドキじゃない方だった。

彼のお母さんから発せられる優しい口調から変わった、と言う言葉が余計にそのドキドキを加速させた。

 

きっと私はこんな心情だったから顔に出てたのかもしれない。

彼のお母さんは一瞬だけきょとんとなった。その後はクスリと笑いながらそんなに構えないで、と言った。

 

別に構えている訳じゃないけど、次に続く言葉が怖い。

人間は現状維持が最も楽な選択肢だって知っているらしいから。変わるには勇気がいることらしいから。

 

「特に全身傷だらけだった時はびっくりしたわ」

 

ああ、それはきっと私がバカな真似をしてしまったからだ。

この流れから間違いなく私が彼に悪影響を及ぼしているんじゃないかって問い詰められるに決まってる。

どうしよう、の言葉が無限に湧いてきてしまって思わず目を瞑った。

 

「悠仁があんな綺麗な目をしているなんて、ってね。だからきっと何かあったんだろうなって思ってたんだよね。まさか彼女を作ってるなんて思わなかった」

 

思わずえっ、と言う声が喉からこぼれた。

だから私は彼女じゃないです、とか言い返したい部分があったけどそんな事は頭の中では重要視されていなかった。

 

彼の目が綺麗になった?

私と会ってから、そしてあの出来事の後って、どんな心境だったのだろう。

はっきりと考えたことが無かった。それなのに今は知りたいという衝動に駆られてしまう。

 

彼を意識しだすと顔が熱くなっちゃう。

 

「旦那が死んでから、あんな目をしている悠仁は初めて。ありがとう、香澄ちゃん」

「私は何もしてないですけど……えへへ、どういたしまして」

「これから悠仁の事、よろしく」

「は、はい!任されました?」

「面白いね、香澄ちゃん」

 

彼のお母さんはクスクスと上品に笑いながらまた一口、お酒を喉に通した。

微かな柑橘系のにおいがしてきたとき、彼のお母さんは。

 

「香澄ちゃん」

「はい、どうしましたか?」

「昔、会った事あるっけ?」

 

うーん、と顎に手を当てながら訝しそうに私を見つめながら言った。

 

 




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~次回予告~

「当たり前ってお前……年頃の男女が一つの部屋に入って何もないなんてありえねぇ!」

ふざけてないし、って毒づく。
でも坂本が言っている事は事実で、僕は戸山さんの事が好きだって自覚した。
香澄ちゃんとメールするだけでも些細な緊張が付きまとうようになったし、その緊張が彼女に対する羨望の気持ちではない事にも気づいた。
戸山さんともっと一緒にいたい。一番最初にそう思った事で、ようやく僕が彼女に恋をしていたんだって。


では次話までまったり待ってあげてください。


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好きって気持ちを抱いて①

「マジかよ、お前」

「当たり前じゃない?」

 

夏休みに突中して何週間か経ったある日の夜、僕はなぜか電話が掛かってきた坂本と話をしていた。

僕たちのような高校三年生の夏休みと言えばみんな勉強漬けの毎日を送っていて、学校や予備校の教師から受ける過剰なプレッシャーや将来への漠然とした不安と闘いながら過ごしている。

 

正直、ほとんどの受験生は精神的にはギリギリの状態で、ふとした一瞬でバランスが崩れてしまいそうになっていると思う。こんな状態があと半年続くと思うとゾッとする。

そんな僕らにはちょっとした一息を入れるのは最重要かつ、お待ちかねの時間だったりする。

 

僕らは自動車と同じで、飛ばしすぎたらすぐに燃料切れになる。

週に一回はガソリンスタンドで休憩しないといけない。道端で燃料が切れたら詰みだ。

 

「当たり前ってお前……年頃の男女が一つの部屋に入って何もないなんてありえねぇ!」

「そもそも僕たちはまだ恋人じゃないし」

「まだ、だぁ?さっさと告白しやがれ」

 

これだから高校生と言う奴は面倒くさい。人の恋にやたら突っかかってきて無責任に告白しろとか言う。

色恋沙汰に対して多感な時期かもしれないけど、放っておいて欲しいと思う。坂本からしたら良いストレス発散かもしれないけどさ。

 

「今は受験期だし……」

「そんなこと言ったら来年は香澄ちゃんだって受験するかも知れねぇじゃんか」

「確かにそうだけど」

「てかお前、香澄ちゃんに好意を抱いてるの自覚したな。前まで友達だからー、とかふざけたこと言ってたじゃん」

 

ふざけてないし、って毒づく。

でも坂本が言っている事は事実で、僕は戸山さんの事が好きだって自覚した。

 

香澄ちゃんとメールするだけでも些細な緊張が付きまとうようになったし、その緊張が彼女に対する羨望の気持ちではない事にも気づいた。

戸山さんともっと一緒にいたい。一番最初にそう思った事で、ようやく僕が彼女に恋をしていたんだって。

 

「悠仁の言ってる事は分かるけどな。香澄ちゃんはああ見えてしっかりしてるからな。悠仁が受験期だから控えてるんだろうけど」

「ああ見えて?」

「おお、怖っ……。でも一日は無理でもたまにはご飯食べに行ったりとかしたら?」

 

じゃあ俺勉強再開するわ、と言って電話を切られ、僕の耳からは通話の終了音が流れる。

 

坂本の言葉が耳に残っている内に僕はカレンダーを確認する。

もう2週間は戸山さんと会っていないんだ。SNSでの戸山さんのチャット欄は毎日続いてはいるけどやっぱり直接会って話したいって欲が出る。

 

「もしもし、戸山さん?」

 

気付けば戸山さんに電話をしている僕がいた。

会いたい時、前まではメッセージで聞いていたのに。心境が変わるとどうやら行動も変わるらしい。

 

「悠仁先輩、何か今日良い事ありました?」

「うん?どうして」

「楽しい時に出す声に似てましたから」

 

声色も変わるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日の夕方、僕は駅前で戸山さんを待っていた。

こっちのわがままで明日会えないかな、と言ったら彼女はすぐに肯定してくれた。それが嬉しく仕方が無いから、集合時間の30分も前に着いている。

 

本当は制服を着て行こうかと思った。なぜならお洒落な私服を所有していないから。

でも世間は夏休みだから。

 

せっかくのデートなんだけど僕は無難に黒のスキニーパンツにワインレッドの無地五分袖Tシャツと言う無難中の無難な格好を選んだ。

ヘアワックスも久しぶり過ぎて一度失敗し、シャワーを浴びなおしたのはこの際内緒にしたい。

 

それにしても学校帰り以外でどこかに行くなんて久しぶりだなってふと思った。

それほど今まで何もしてこなかった証拠なのかもしれない。もうすぐお盆だし、お盆には会わなくちゃいけない人もいる。

 

「お待たせしましたっ!」

「戸山さん。全然……」

 

待ってないよ、と言おうとしたけど言えなかった。

普段制服姿を見慣れているからなのか、白色を基調としたブラウスのようなトップスに青色のキュロットスカートの私服姿がまぶしくて、かわいくて。

 

つい見とれてしまった。

 

「か、かわいい」

「えっ!?」

 

お互いボンッ、と顔を赤く染め上げた。

夏は夕方でも暑いけど、ここまでだと熱中症になっちゃう。

 

嬉しいけど恥ずかしい。そんな表情を顔に出した戸山さんはジーッと僕の目を下から覗く。

そんな彼女は更にかわいく見えてしまって心臓がキュッと苦しくなり、手先も何故だかむず痒い。

 

「えっと、とりあえず歩こうか」

「は、はいっ!」

 

ぎこちないロボットの様な言い方になってしまうけど、なんとか歩き始めることが出来た。

 

人と話す時って気づけば話し手の顔を見ながら話すことってあまりない。

だけど戸山さんは別で、ちゃんと顔を見ながら話したいって思えた。

 

横顔でも整っていてかわいい彼女に、またしても僕は照れてしまう。

人に好意を抱くだけでもこんなにも違うのか、と心の中の自分は頭を抱えながら叫ぶ。

もっと男らしくしろよ、ってね。

 

「坂本先輩に聞きましたよ?今回のテスト、クラス一位だったらしいですね」

あいつ(坂本)は何を戸山さんに吹き込んでるんだ……」

「えーっと……包帯巻きまくったミイラみたいな男が突然テストの日に来て、前日の勉強だけで全教科一位だったから殺意抱いた、って言ってましたっ!」

「それを戸山さんに言うなよー」

 

微熱の中、神経を集中させて勉強しての結果なんだからせめて褒めて欲しいよなって思った。

だけど一瞬でやっぱり坂本に褒められても一ミリも嬉しくねぇわって悟った。

 

確かにあの時はクラスのみんなもギョッとしてたっけ。

夏と言う季節で半袖だったから包帯が隠せなくて。だけど包帯なしだと色々とまずいって朝の貴重な時間をくよくよと悩んでからの結果なんだから。

 

「勉強できる人はすごいって思いますっ!」

「戸山さんは勉強、出来ないもんね」

「うっ……それを言われちゃうと何も言い返せないよ~っ!」

 

少ししょんぼりした戸山さんの顔がまたかわいい。僕は今日何回、戸山さんの事をかわいいと感じるのだろうね。

 

僕は冗談交じりで戸山さんに勉強が出来ない、なんて言った。

冗談と言ったらそこでお終いだけど、言葉にはトゲがあって、そのトゲは些細なことで刃物に化ける。

 

「だけど戸山さんにもちゃんと勉強の素質があるし、全くできない訳じゃない。それに」

「それに?」

「戸山さんは音楽でみんなに想いを届けることが出来る。それは勉強と同じくらい、すごい事だと僕は思ってる」

 

正直、勉強が出来るよりよっぽどすごい事だと思う。

勉強よりもすごい事だって答えることも出来たけど、それでは遠慮して持ち上げている風にとらえることも出来てしまうから。

 

「悠仁先輩っ!」

「ちょっ、戸山さん!?」

 

戸山さんは僕の腕にギュッと抱き着いてきた。

男子高校生である僕からしたらとっても嬉しい事なんだけど、実際に経験してみると嬉しいよりも人目が気になってしまう。

僕の肌が服の上だと言っても直接、戸山さんの胸の感触に触れている。更に細かく行ってしまえば下着の感触のようなものは間違いなく感じている。

 

戸山さんはハッとしたのか、すぐに僕から離れた。

顔を今日会った時よりも朱を帯びていて、目も少し逸らしていた。

 

「す、すみませんっ!つい癖で……」

「そうなんだ。気にしないで。僕もその……びっくりしたけど嬉しかったし」

 

ついうっかり率直な感想を言ってしまった。

さっき僕は言葉はなんちゃら、とか言ってたのに。

 

あはは、と誤魔化すような浅い笑い声をして戸山さんの顔色をうかがう。

戸山さんはまた更に顔が赤くなっていて、これ以上はおかしくなっちゃうんじゃないかって感じた。

 

戸山さんは恥ずかしい気持ちを必死に隠しながら、ちょっとウルウルとした瞳で僕の方をちょこんと見た。

 

「……えっち」

 

 




@komugikonana

次話は11月1日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

夏休みになると、日が傾きだして街灯に明るさが灯る時間になっても僕たちと同じような年齢の人たちが平日になっても街を練り歩く。
友達複数人同士楽しそうに笑いながら歩く人たちも、一人で何か買いに出掛けて目当ての物を手に入れることが出来た人も、二人の思い出を作りたい欲求に従順なカップル。

別にどの人たちが勝ち組で、あの人たちは負け組だとかはちっとも思わない。
自分にとって有意義な行動はどれも正解で、そんな行動をとる人たちが多く集まるのだからこそ街は活気にあふれて、人々に魅力を焚きつけるのだろう。

「悠仁先輩?」
「え、えっと、なんでそんな冷たい目をしてるのかな?」
「またヘンな事考えてましたよねっ!」

……かっこいい事言おうとしてるのに。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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好きって気持ちを抱いて②

夏休みになると、日が傾きだして街灯に明るさが灯る時間になっても僕たちと同じような年齢の人たちが平日になっても街を練り歩く。

友達複数人同士楽しそうに笑いながら歩く人たちも、一人で何か買いに出掛けて目当ての物を手に入れることが出来た人も、二人の思い出を作りたい欲求に従順なカップル。

 

別にどの人たちが勝ち組で、あの人たちは負け組だとかはちっとも思わない。

自分にとって有意義な行動はどれも正解で、そんな行動をとる人たちが多く集まるのだからこそ街は活気にあふれて、人々に魅力を焚きつけるのだろう。

 

僕もそんな街に惹き寄せられて、ここなら戸山さんと素敵な時を刻むことが出来るって思った。

現に僕は既に戸山さんの胸の感触を……。

 

「悠仁先輩?」

「え、えっと、なんでそんな冷たい目をしてるのかな?」

「またヘンな事考えてましたよねっ!」

「あはは……そんな事ないって」

 

戸山さんの目にはおもちゃを隠した犯人(お母さん)に在処を尋ねる子供のような疑心が溢れていた。

どう隠しても確信的に思ってるその目を僕は誤魔化すことでしか回避できないと悟った。

 

戸山さんも僕の気持ちが分かったのか、小さな声でやっぱり男の子なんですね、と言った。

戸山さんのような女子高に通っている女の子がイメージする「男の子」ってなんだか野蛮で好意的な印象を持っていない気がする。

 

「あ、ここだよ、戸山さん」

「うわあ!美味しそうですねっ!」

 

街中となれば居酒屋が多くて未成年の僕たちには結構困ったりするんだけど、路地の隅っことかに隠れたお店が良くある。

人目のつかないところにお店があるにも関わらず、オープンし続けているお店はほぼ間違いない。

 

ピアーチェと言う店名で、ランチ時には毎回異なったメニューを出していて散歩で通りかかればかかるほどどんな店なんだろうって好奇心が日々日々強くなっていた。

外見はお洒落だし、イタリア料理ってなんだか大人っぽいから今回はいい機会かもしれない。

 

店に入ると大学生くらいの綺麗な店員さんが店を回していた。二人であることを伝えるとカウンター席に案内されて、僕たちは普段入店する店では味わえない高貴でモダンな空間に恐る恐るちょこんと座った。

 

「お行儀良くしなくちゃ、ですね!」

「確かにね。でもせっかくだし僕たちらしい雰囲気で過ごそう」

「私たちらしい雰囲気……うーん、私たちってどんな雰囲気なんだろ?」

 

戸山さんが軽い気持ちが考えながらメニューを見ている。

確かに僕たちっていつもどんな雰囲気だったっけ。そもそも僕たちってどんな関係なんだっけ。

 

付き合っていないから恋人同士ではないけど、この前看病してくれた時は間違いなく戸山さんは僕の事を好きって言った。

いや、もしかしたらあの時は僕が微熱のせいで自分の良い様に解釈したのかもしれない。

 

僕も戸山さんの事が好きだから両想いってなるんだけど、実際はどうなんだ?

 

「悠仁先輩……その気持ち、分かりますっ!」

「分かっちゃうの!?」

 

戸山さんは胸の前で両手を持ってきながらまっすぐな瞳で僕を覗く。

もしかして無意識の内に口に出してしまっていたのかもしれない。小さい店内だからもしかしたら僕の独り言が他の人にも聞かれていて初々しいなぁ、とか思われてるかも?

そしたら大学生っぽい店員さんに耳打ちで頑張ってね、とか言われちゃうやつかもしれない。

 

戸山さんも気になっているんだ。

ここははっきり、方針を決めた方が良いと思うんだ。

 

この場所で告白は雰囲気もへったくれも無いから、別の場所で、そして……。

 

「私はもう決めましたよっ!」

 

えっへん、と吹き出しが出そうなくらい腰に手を当てて胸を張る戸山さん。

僕よりよっぽど決断が速くて、これじゃあどっちが男か分からない。男は一家の大黒柱って言われているんだから僕も決断しなくちゃいけない。

 

もし決断の末、二人の間で溝が生じたら、二人で相談してそんな溝なんか埋めてしまえば良い。

そう思えば僕も少しは優柔不断な性格が治るかも。

僕も決めたよ、戸山さん。

 

「言って、良いですか?」

 

少し顔を下に向けてボソッと言う戸山さん。

僕の心臓がドキンと飛び上がり、その瞬間からドクン、と心臓の音が耳にまで広がってまるで心臓が顔近くにあるんじゃないかって思えてしまうほど。

 

一回ゴクンと息を呑みこんでから、戸山さんの顔を見つめる。

 

「私はこのチーズたっぷり濃厚ボロネーゼにしますっ!」

「僕も……す」

「す?」

「えっ!?っとスープパスタ……」

「スープパスタも美味しそうですよねっ!でもカルパッチョも美味しそうですよねっ!一緒に頼んじゃおっかな」

 

僕は空気が抜けた風船のようにダラダラっと力が抜けていく。

戸山さんは何を頼むか悩んでいたんだ……そりゃあそうだよな。

 

むしろ戸山さんの方が正しいし、がっくりする理由なんてほんの少しも無いけど流石に心の隙間がスースーとする。

これからは一人の時にしかこういう事を考えないでおこうとこっそり涙をふいた。

 

戸山さんに確認を取った後、僕は控えめに手をあげながら店員さんを呼んで注文をする。

結局カルパッチョは注文しなくて、それぞれパスタをお願いした。

もちろん僕はスープパスタ。

 

「その……悠仁先輩」

「なにかな」

「ありがとうございます」

 

少し恥ずかしそうにチラッと目を合わせながらお礼を言ってくる戸山さん。

何に対しての「ありがとう」なのか分からなくて、時間稼ぎに冷たい水を喉に流した。もちろんこんな時はどういたしまして、と答えることも出来ると思う。

 

「えっと……何か戸山さんにしてあげたっけ?」

 

だけど僕はちょっとおちゃらけた笑顔を作って質問してみた。

僕が戸山さんにしてあげたことに対してお礼を言われることは自惚れではないけど、少しは心当たりがある。

 

そうだけどなんでも背景を理解したうえで行動しなければ、どんな事をしたって薄っぺらくなることは容易に考えられたから。

勉強だってそうだけど、ちゃんと数式や背景を理解して覚えれば応用が利くけど丸暗記では太刀打ちできない。

 

学校で習う勉強が社会人になって役に立つかは疑問だけど、勉強の本質は間違いなく今後生きていくうえで役に立つ。

 

「今日会ってくれて、です。受験勉強で忙しいかもしれないのに」

「僕だって24時間ずっと勉強してるわけじゃないから」

「私はずっと悠仁先輩と会いたかったんですっ!」

 

ほんのりと顔が赤いけどまっすぐ僕にそう言った。

僕だって戸山さんに会いたくて今日こうしてご飯を食べている訳で。僕だって電話だけじゃどうしても満足できなかった訳で。

 

「あ、その……会えなくて寂しかったとか、そういう意味ですからっ!」

「えー、そうなの?」

「そ、そうです……!」

「僕は寂しくて、戸山さんに会いたくてご飯に誘ったんだけどなー」

 

ちょっとだけ、そうほんのちょっとだけ、戸山さんを揶揄ってみた。

揶揄ってはいるけれど本心はしっかりと伝えてる。

僕は臆病だからまだ自分の気持ちを素直に彼女に伝えることが出来ないから。

 

僕が柔らかい表情で戸山さんの顔を覗き込んでいると、彼女は顔を僕とは反対方向にプイって向いてしまう。

戸山さんはグイグイとくるタイプなんだけど今回はちょっとやり過ぎちゃったかな。

 

 

「冗談かもしれないけど、そういう事言っちゃうのずるいです」

 

戸山さんは壁に向かってボソッと言う。

僕からしたらその可愛らしい姿の方がずるいって思った。

 

丁度その時にアツアツの料理が僕たちの目の前に置かれた。

 

 




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~新しく評価つけて頂いた方々をご紹介~
評価9と言う高評価を付けて頂きました 春はるさん!
同じく評価9と言う高評価を付けて頂きました 十六夜透夜さん!

評価8→評価9へ変更してくださいました テレフォン31さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします!

~次回予告~

「それでさー、まっさん」
「なに?」
「香澄ちゃんとどこまでやった?」

勢いよくかぶりついていたハンバーガーの手を止めながら、じーっと坂本を見つめる。
さっきまで口いっぱいに食材の風味が広がっていたのに、今となっては薄っぺらいパテの味すらしなくなった。

「あほかお前は」



では、次話までまったり待ってあげてください。




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好きって気持ちを抱いて③

8月もお盆が過ぎ去り、夏休みも折り返し地点までやってきた。

毎日授業がある何の変哲もない月の流れは果てしなく長く感じるのに夏休み真っただ中である8月は快速急行にでも乗っているかのように早く過ぎ去っていく。

 

特に毎日同じような行動で一日を過ごす受験生は顕著にそう感じる人間が多いと思う。

 

「なんで夏休みなのに学校に来なきゃいけないんだよ」

「それは知らない。少し前の自分に問いかけなよ」

「正直ほぼ受けなきゃいけないみたいな風潮があるじゃん?」

 

僕と坂本をはじめ、クラスの半数以上は夏休みだというのに学校に来ている。

理由は模試を受けるため。坂本が言う通り模試は受けるか受けないは個人の自由なんだけど受けておいて損はない。

 

僕たちのクラスは周りの学校と同じように休みを過ごしているけど一番賢いS特進クラスだとほぼ毎日補習授業が行われている。

学校側でもまるでクラスごとに期待値が違うのはどうかと思うけど、実績を作りたい学校側の気持ちもある程度は分かっているつもりだ。

 

「その点お前は良いよな。模試でも点数取れるんだから」

「模試の方がライバルは多いし、やる気にはなるね」

「お前の思考は理解できん。ちくしょう!女もいるし余裕たっぷりなのが気に食わねぇ」

 

坂本だって彼女いるくせに、って心の中で毒づく。

僕と坂本以外はみんな参考書を見つめながら最後の抵抗をしている。ちなみに僕は模試やテストの直前に知識を放り込むのは好きじゃない。知らない知識を放り込む代償に今までやってきた事が抜けてしまったり、変な知識が頭をよぎって不安に襲われたりするから。

 

だからみんな頑張っているなって思いながら教室を見渡していると、ふいにあくびが出た。

模試前にあくびが出せるのはリラックスしているからなのか、それとも……。

 

「最近お前、よくあくびしてるよな」

「そう?気にしてなかったけど」

「時折眠そうにしてるし、夜遅くまで勉強してんの?」

「うーん、まあ、そんなとこ」

「天才が努力なんかするなよ?俺達凡人が踏み台にされるんだからさ」

「坂本も僕の踏み台にしてあげようか」

「2回ぐらい死ね」

 

模試試験官と思われるアルバイトらしき大学生が入ってきて、僕たちの現時点での実力を計らされる時が来るらしい。

 

試験監督が高校生でも出来たらなぁ、なんてぼんやりと考えながらスケジュールが書かれた黒板を見つめていた。

だってお金も稼げて、どうせ不正なんて起きないのだから見てるふりして前で自習出来たりするんだろうし。

 

 

 

 

 

 

 

「今回もマジでヤバいわ。なんで記述模試ってこんなにムズいのか分かんねぇ!」

「記述模試って私立大学とか国公立の受験問題にフォーカスを当ててるらしいけどね」

「8月の時点で入試問題もどきを受けさせるんじゃねーよ」

 

模試が終われば恒例となりつつあるファストフード店での自分の回答との照らし合わせの時間。

今回は記述式だから正確な点数は結果が開示されるまで分からないけど、おおよその点数は分かる。

 

坂本と一緒に自己採点をやってたけど坂本からはまじか、とかそんなの知らねー、などの言葉がほとんどだった。

彼も彼なりに頑張ってはいるのだろうが、現時点では厳しそうだ。

 

「俺が頭を抱えている時間にまっさんは優雅にハンバーガー食いやがって」

「頭使ったらお腹空くからね」

 

実際お腹が空いていたし、店もわざわざ僕たちにスペースを与えてくれているんだから僕たちは見返りにお金を使ってサービスを受けるのは当然だと思う。

 

出来立てアツアツのポテトに同じく出来立てのハンバーガー、それに友達とする他愛の無い話。

どれも久しぶり過ぎて、顔も自然に綻んでいく。

僕は模試の結果云々よりも、テスト終わりのこうした時間が一番好きだったりする。

 

「まっさんはこの後、家で勉強すんの?」

「しないよ。模試の後は羽を伸ばすって決めてるから」

「お前がそういうなら俺も今日はやらん」

「それで良いと思うよ」

 

僕たちがこんなことをしている間に勉強時間は刻一刻と少なくなっていく。

それは同時に僕たちの高校生活が終わりを迎えるという事。

 

受験勉強と同じくらい、高校生活を共にしてきた友達と過ごす時間も大切なんだ、僕にとっては。

 

「それでさー、まっさん」

「なに?」

「香澄ちゃんとどこまでやった?」

 

勢いよくかぶりついていたハンバーガーの手を止めながら、じーっと坂本を見つめる。

さっきまで口いっぱいに食材の風味が広がっていたのに、今となっては薄っぺらいパテの味すらしなくなった。

 

「固まってるって事は……」

 

ゴクリと息を呑む坂本。

お前、学校だったら周りの目を気にせずにきわどい言葉を言いふらしてるくせに、店内だと自重しやがる。

確かに店内には違う高校の制服を着た女子たちが多いけど、そこまで態度が変わるのか。

 

僕はやっとの思いでかぶっていたハンバーガーから一口サイズ分だけ食いちぎって咀嚼し始める。

 

「何もやってない」

「なんだ、てっきり最後までやっちゃって常日頃からチュパチュパとキスしてんのかと思ってたわ」

「あほかお前は」

 

目を一段と細くして坂本を残念な人間を憐れむように見つめた。

ハンバーガーでも立派な食べ物で、ちょっと食べただけでお腹が膨れてくる。それに模試に使った集中力も伴って、またあくびが出る。

今日は家に帰ったら十分くらい寝ようかな。

 

「なんかイマイチ盛り上がらないから香澄ちゃん呼ぶか」

「……なんでそんな流れになるんだ」

「良いじゃん。それにまっさん、ちょっと顔にやけてるぞ」

 

ウソッと思わず口にした僕は顔を引き締めるけど、鏡を見ていないからどうなのだろう。

坂本は素早く携帯で文字を入力している。パソコンのタイピングはめちゃくちゃ遅いくせに携帯となると話が別らしい。

 

文字を打ち終わってテーブルの上に置いた数秒後、携帯を音を鳴らして再び坂本の手のうちに戻る。

そしてすぐに坂本が俺の方をチラッと見てニヤリと顔を綻ばせる。

 

僕は一瞬でどんなやり取りがあったのかが分かってしまった。

今すぐ帰りたい、ってファストフード店で思ったのは今日が初めてだし今後は経験しないかもしれない。

 

「良かったじゃん。香澄ちゃんすぐに来るって」

「そんなすぐに来なくても良いのに」

「お前に会いたいんじゃね?」

 

坂本の解釈の通りだったら、と思うと何故か心が弾む。

どういった理由で戸山さんは早く来ると言ったのかは分からないけど。分からないからこそ僕たちは色んな方向へと想像をして期待を抱くのだ。

 

数が少なくなって段々と冷めてきたポテトを少しずつ食べていると、タンタンタンと足早に誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。

流石に戸山さんだったら早すぎる。そんなにお腹が空いているのかと他人事に氷が解けて味が薄くなったコーラを飲んだ。

 

「悠仁先輩っ!」

 

僕は思わずむせてしまった。

流石に速すぎるし、戸山さんも走ってきたのだろう額に何滴か汗が光っていた。流石の坂本も予期していなかったのか目を点にしている。

 

「戸山さん、速いね……」

「これはどういう事ですかっ!?」

 

え、なにが?

戸山さんが手に持っていた携帯の画面を僕に見せてくる。

 

目を細くしてジーッと見つめる。

そこには期末テスト返却日に良い点数を取った僕の周りに集まる女生徒と……その真ん中でにやけている自分が。

 

「じゃあ俺はお先にに失礼するわ」

「おい坂本!お前ぶっ殺すぞ!」

 

写真のチョイスに悪意がありすぎる。

坂本は颯爽と荷物をまとめて立ち去る。そして坂本がいた席に戸山さんがゆっくりと座る。

 

「悠仁先輩……説明してくれますよね?」

「するする!するからそんな目で見ないで!」

 

 




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~次回予告~

「まさか飛んでくるなんて思わなかったよ」

丁度バンド練習が終わって、みんなとお話をしながら歩いて帰っていると携帯に着信が入った。
そして携帯を開いたら坂本先輩から1件のメッセージと1つの画像が表示されていて。

あはは、と電話越しにもかかわらず大声で笑う坂本先輩に私は頬をぷくっと膨らませる。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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好きって気持ちを抱いて④

「坂本先輩っ!ひどいですよ!」

「まさか飛んでくるなんて思わなかったよ」

 

あはは、と電話越しにもかかわらず大声で笑う坂本先輩に私は頬をぷくっと膨らませる。

丁度バンド練習が終わって、みんなとお話をしながら歩いて帰っていると携帯に着信が入った。

そして携帯を開いたら坂本先輩から1件のメッセージと1つの画像が表示されていて。

 

今日も町田君はモテモテですと言うメッセージの下に、女の子に囲まれて顔を緩ませている彼が写っていた。

そして続くようにメッセージで今ここのファストフード店に居るよ、と届いた時には私は行動に移していた。

 

そしてファストフード店に着いたら早速悠仁先輩に尋問してしまった。

理由を聞けば、周りにいる女の子たちは普段から仲は良くて久しぶりに結果を出した悠仁先輩が珍しくて好奇心で集まって来ていたらしい。

 

そして顔を緩ませていたのは結果的に出席日数も足りてホッとした時みたい。

 

もちろん悠仁先輩が嘘をついている可能性もあったけど、私はその可能性は無いと思っている。

だってあんなにまっすぐとした目で説明していたから。

 

「悠仁先輩に悪い事しちゃったじゃないですかっ!」

「あっはっはっは」

 

さっきから坂本先輩は笑ってばかりだ。坂本先輩からしたら自分が仕掛けたタネが想像以上の動きをして面白くて仕方がないのでだろう。

 

悠仁先輩は私に事情を説明した後、ごめんと謝っていた。

その時に私はハッとした。

 

悠仁先輩は何に対して「ごめん」と謝ったのかは分からないけれど、もしその「ごめん」が他の女の子と楽しく過ごしてしまったから、だとしたらどうだろう。

 

私と悠仁先輩は恋人同士ではないし、この恋も私の一方通行かもしれない。

勝手に私が勘違いして、悠仁先輩が誰か他の女の子に取られちゃったりしたら……と思ってしまって思わず彼を責めてしまった。

簡単に言えば束縛に近いんじゃないかなって。彼は誰と仲良くしたって良いのに。

 

「悠仁先輩に嫌われちゃったらどうしてくれるんですか!」

「その時は他の男と付き合っちゃおう」

「そういう事じゃないんですっ!」

 

またしても電話の向こうで笑う坂本先輩。

この人はもしかしたらただ面白かったらそれで良いじゃん、と思っているのかもしれないけど。

 

私の中でモヤッと出てきた不安感を消したくて、クッションをギュッと胸に抱えた。

もしこのクッションが彼の気持ちだったなら、私は離したくない。

 

「ちなみにまっさんと会った感想はそれだけ?」

「それだけですっ!」

 

また誰もいないのにぷくっと頬を膨らませて、吐き捨てるかのように言葉をどこに住んでいるか分からない坂本先輩に投げつけた。

本当は彼に電話を先にして、今日の事を私からも謝りたかった。でも不安感が私に素直な行動をさせてはくれなかった。

 

「まっさんの変化に気が付かなかった?」

「どういう事ですか?」

 

またどうせ面白い事を起こそうとしてとぼけているのだろう坂本先輩に呆れ半分で、先輩には悪いけどテキトーに返事をした。

 

「最近、結構眠たそうにしてるんだよな」

「そうです?」

 

うーん、と少し今日の事を振り返ってみる。

確かにちょっと目が疲れているように見えたけど、そこまで気にして見ていなかったから印象には無かった。

 

悠仁先輩も受験生だから夜遅くまで勉強していてもおかしくない。

大学受験の事はまだ私は深く考えてはいないけど、人生の中でもトップクラスに今後を左右しそうな選択だって思っているから、悠仁先輩も頑張っているのかな。

 

そうなれば、やっぱり私が彼に会いたいという気持ちも少し抑えた方が良いのかな。

すごく、すごく寂しいけど。

 

「今日まっさんにそれとなく聞いたけど、最近寝不足な事を否定しなかった……香澄ちゃんはどう思う?」

「うーん……?」

 

私はあまり考えることが得意じゃないから、いっぱい悩んでも分からない。

その時の気持ちで動いちゃう事の方が多いから、いっつも有咲を振り回しちゃうんだけど。

 

しびれを切らしたのか、それとも自分だけが知っているであろう情報を言いたくて仕方が無かったのかは分からないけど坂本先輩が先に口を開く。

 

「まっさん、バイトしてるらしいんだわ」

「そうなんですか?知らなかったです」

 

高校生がバイトをしている事自体は校則で禁止されていない限りはそんなに不思議な事ではない。

受験を控えた高校三年生がバイトもしている、と言うパターンもあるだろう。

 

それと同時に疑問もぷかぷかっとどこからか浮き出てくる。

今の時期に寝不足になるくらいシフトを入れてバイトをするのかな。私には難しい事は分からないけど、高校生って働ける時間の制限とか一定の水準があってそれ以上お金を稼いじゃったら何か面倒くさい事をさせられるって聞いたことがある。

 

「悠仁先輩、まさかっ!」

 

私が彼の看病をしていた時に、ちょっとだけ彼が弱みを私に出してくれた時に言っていた言葉を思い出したんです。

 

 

母さんにこれ以上負担を掛けたくないから進学しない予定だったけど、進学したいな……。

 

 

「香澄ちゃんも分かったかもしれないけど、親に負担を掛けたくないから学費を稼いでるんだよ。ほんと不器用だよな、まっさんって」

 

悠仁先輩は頭が良くて、周りに気も遣えて、こんな私を命を張ってまで助けてくれて。

胸がキュッとなると同時に、何か手伝えることは無いのかなって逡巡する私がここにはいた。

 

バンド練習があるからあんまりバイトも入れないだろうし、励ましの言葉を送っても結局は何の意味にもならない。

今回も私は何も出来ないのかな……。

 

「香澄ちゃん、俺に一つ、提案があってだな」

 

わざとらしくゴホンと咳払いする坂本先輩に藁にもすがるような気持ちが半分、どうせまたからかわれるのだろうと呆れた気持ちの半分を持ち合わせて彼の言葉に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、みんなっ!」

 

坂本先輩との電話の事で頭いっぱいで、結局彼には謝れなかった私は、過ぎてしまった事をくよくよと考えることなく、今日もいつも通り学校に通っていた。だって今日の夜に改めて謝れば良いもんね。

学校に通っていた、と過去形なのはやっと退屈で長い授業を終えたからです。

 

バンド練習の予定は無いのに自然と集まる私たち5人。

 

「香澄のこういう時は何かやっちゃう時かな?」

「何か嫌な予感がするんだよなー」

 

さーやは何だか楽しい事が起こりそうな予感がしてるのか、笑顔が溢れていた。

有咲は素直じゃないからすぐこんな風に言っちゃうから、いつものように抱き着く。

りみりんはそわそわとはしているけど、まっすぐ私の方を向いてくれている。

おたえはちょっと違う事を考えてそう。

 

もちろんその後の仕草は私も、みんなも分かっていて私たちのやり取りに笑みを零す。

 

私は昨日考えていた事をしっかりと準備する。

もしかしたらみんなも難色を示すかもしれないけど、想いだけでも聞いて欲しい。

 

頭の片隅には、ふわっと彼の顔を出てくる。

ちょっと困っているような、申し訳ないような表情をしているんだけど、顔のどこかには嬉しい表情を隠しているような彼。

なんだか初めて会った時の彼もこんな顔をしていたような気がする、って思っちゃったらなんだか笑えてきちゃった。

 

「みんな、キラキラドキドキな事したくないっ!?」

 

 

 




@komugikonana

次話は11月22日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

夏休みが終わりを迎えて、初めての週末がやってきた。

従来より楽しい思い出が少なく、勉強ばっかりで休みとは言えないなんて言葉が教室中であちこちに聞こえた。だけど僕は彼らとはうって変わった印象を抱かせた。
きっと僕は今年の夏休みを一生忘れることは無いだろうし、高校生活最後にふさわしい夏休みを過ごしたと思う。

こう思わせてくれたのは彼女のおかげだ。

「区切りも良いし、そろそろ支度をしようかな」
僕はノートを閉じて、使っていた参考書に付箋を貼る。そして今日学んだ知識を頭の中にある引き出しに丁寧に整理した。

今日もまた、楽しい思い出を創ろうかな。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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見つけたもの①

夏休みが終わりを迎えて、初めての週末がやってきた。

 

従来より楽しい思い出が少なく、勉強面で休みとは言えないなんて言葉が教室中であちこちに聞こえた。だけど僕は彼らとはうって変わった印象を抱かせた。

きっと僕は今年の夏休みを一生忘れることは無いだろうし、高校生活最後にふさわしい夏休みを過ごしたと思う。

 

こう思わせてくれたのは彼女のおかげだ。

 

時計の針は8時を指しているけど、僕が布団から飛び出して行動を初めてからもう4時間も経つのかとシャーペンをノートの上に置いてから背伸びをする。

今日は勉強はしない。だけど周りのライバルは身を削って勉強するだろうから、それに負けないために。

 

下の階では母さんが何かをやっているのだろう、パタパタと音がする。

最近は母さんが戸山さんの事ばかり聞いてくるものだから、正直言って少し面倒くさい。だけど母さんと言う存在のありがたみを僕は自分なりに分かっているつもりだから面倒くささをすぐに違う感情に置き換える。

 

「区切りも良いし、そろそろ支度をしようかな」

 

僕はノートを閉じて、使っていた参考書に付箋を貼る。そして今日学んだ知識を頭の中にある引き出しに丁寧に整理した。

頭の中の収納棚には残念ながらファイルなどの便利アイテムが無いから最初はいつも探すのに苦労する。何回か探しているうちにどこに入れたかは分かるようになるけど。

 

その反面、収納棚に入れたまま紛失してしまう事も多いのだけど。

 

でも遊びやゲーム、しょうもない出来事なんかをしまう収納棚は高性能な分類物が付属されていて、何年も綺麗な状態で保存されているのはとっても不思議だ。

 

「今日はどうしよ……悩むほどの選択肢はないんだけどな」

 

気分的には黒のチノパンに淡い青色のシャツを着たい気分だから目的の物を取り出す。

いつも服装に困るからアパレルショップに行って新しい服を買いに行けば良いのだけど、今までお洒落に無頓着だった僕にはアパレルショップを見るだけですくんでしまう敷居の高い場所なんだ。

 

最近はネットでも購入できるんだけど、現物を目に出来ない不安からあまり気が進まない。

 

「このジーパン、小学生の時良く穿いてたなぁ」

 

タンスから懐かしいものがたたまれて出てきた。

あまり衣類を所有していないから捨てる機会も無かったのだろう。それに何だか懐かしいおもちゃを見つけた時のような感情が心の奥底からブワッと湧き上がってきて何故かワクワクする。

 

手に取ってみて、身に着けているチノパンの上からジーパンを合わせる。

もしウエストさえクリア出来たら七分丈ぐらいの長さ。自然と笑みがこぼれる。

 

その時、ポケットの中に何かあるような、膨らみに気が付いた。

これもまた懐かしい気分が波の様にやってくるのだろうと思ってポケットの中に手を突っ込んで取り出す。

 

 

僕は、生まれて初めて、息が止まるという経験をした。

 

「そっか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の時間帯で、もう9月が幕を開けていて暦上では秋がやって来ているのに暑い日差しがジリジリとアスファルトと僕を焦がす。

 

七分袖のシャツの袖を更に一回折っているので、あまり七分の意味がない様に思うけど、あまり肌の露出を好まない僕にはごく当たり前の行動だったりする。

夏から秋、冬にかけての衣替えはすぐにするクセに、春から夏の衣替えはギリギリまで我慢する。

 

坂本からはクラスに一人はいるシリーズ、とか言われてたっけな。

そのシリーズはそれなりにあって、一年中マスクしてて、食事の時に初めて素顔を見せる奴もその分類に入るらしい。ちょっとだけ納得してしまう僕もいたのがちょっと悔しい。

 

「……それで、なんでいるの?呼んでないんだけど」

「たまたまだろ?たまたま」

 

そんな訳あるか、と心の中で呟いた言葉を坂本に投げつける。

本当に坂本は呼んでいないのに、僕が家に出てすぐ位にばったり出会った。いや、あれは待ち伏せされていたと言っても過言では無いかもしれない。

 

僕は本当にびっくりしたけど、坂本もびっくりするぐらいの白々しさを出していた。

どこから情報を得たんだ、って頭を抱えたくなった。

それと同時に頼むから厄介な事はしないでくれよって思った。

 

「それにまっさんだけであの場所に行かせられないだろ?」

「なんか勇者のお供みたいなこと言ってるけど、お前が行きたいだけだろ」

 

まっさんも行きたいくせに、ってニンマリ顔で言われた僕は一回だけでも殴って良いよねって感情に駆られた。僕は大人だから殴らないけど?

 

二人でああだこうだと言い合いながら歩いていると、あっという間に目的地に着いた。

坂本は目を輝かせながら早く中に入ろうぜ、とか言って勝手に入っていく。

 

そんな能天気なバカとは対照的に、僕は少しだけ足がすくんだ。

 

そう、僕たちがやってきたのは花咲川女子学園。

今回は一般公開もしていて不法侵入じゃないって事の違いはあるのだけど、やっぱり脳裏にはあの時の映像がフラッシュバックする。

そして心臓がギュッとなって締め付けられるような、そんな感覚。

 

目の前の校舎は太陽の光を受けてキラキラと輝いていて、あの時のようなどんよりとした雰囲気は一切感じないのに。

ちょっとした思い出のかけらが身体中を駆け回るような感じになるのは、僕だけなのかな。

 

「……って、マジで坂本がいないんだけど」

 

僕の隣にいた坂本は既に校舎の中か、その周りを早くも散策し始めたのだろう。

校門の近くにはパンフレットを来場者に配っている学生がいて、もちろん僕にもパンフレットを差し出してくれる。

 

受け取ったパンフレットを見ながらゆっくりと歩く。

花咲川女子学園の文化祭は中等部の子たちも一緒のタイミングでやるからこんな大規模なんだ。自分の通っている高校との規模と活気の差にと感嘆する。

 

そういえば戸山さんは2年A組だって言ってたよね……。

その2年A組の出し物はカフェらしい。あんまり長居は出来ないだろうけど、戸山さんにも今日僕が行くことは伝えてあるんだからあまり急がなくても良いのかな。

 

パンフレットを見る限りちょっと顔を出してみたいって思える物ばかりで目移りがする。

好きな物を後にとって置きたい派の僕からしたら、他も見たいのだけど戸山さんに会いに来たんだから先に2年A組に行くべきなのか。

 

「迷う必要なんてないよな」

 

戸山さんに会いに来たんだ、きっと戸山さんも待ってくれているはずだ。

それに他のクラスは戸山さんが休憩時間の時に見て回れば良い。

そうと決まれば足早に向かおう。

 

 

歩くスピードを変えてすぐの時、僕は思いっきり誰かに当たってしまった。パンフレットを見ながらだったからしっかりと周りを見れていなかったのだろう。

 

衝撃も結構あったから僕は急いで顔を上げて、ぶつかって衝撃を受けてしまった方向を向く。

わっ、と言う声と少しよろめいてしまった花咲川女子学園の制服をきた女の子。きっとあの子とぶつかってしまったのだろう。

 

「ご、ごめん!大丈夫?」

 

とりあえず声を掛けたけど、咄嗟の事だし気の利いた言葉は一つも言えなかった。

ただ何も言わずに立ち去るなんてことは出来ない僕は目をしどろもどろとさせながら女の子を心配する。

 

「こちらこそすみませんでした」

 

ぶつかってしまった女の子は優しく、僕にも気を遣ってくれた。

でも僕は違う事を考えていた。

 

他の男子ほど女の子と仲良くする人数が少ない僕だけど、この女の子の声には聞き覚えがあるような気がした。

女の子って大体みんな同じような声だっけ、と思いながらボーッとしていた。

 

女の子が僕の方を向いて軽く会釈した時、僕の目が大きく開いた。

それは運命的な出会いをしたからとかじゃなくて、本当にびっくりした時の目の開き方だった。

 

それは女の子も同じ様子で、加えて知っている男の人とこんな場所でぶつかってしまうなんてどんな確率なんだろって少し呆れた表情も出していた。

 

「町田さんじゃないですか」

 




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~次回予告~

「町田さんじゃないですか」

ぶつかってしまった女の子に、半ば呆れられたような言い方に聞こえたけどこの子らしいなって少しだけ納得した僕がいた。
高校2年生だって事ぐらいは知っていたけど、まさか花咲川女子学園の生徒らしい事に案外世間は狭くて窮屈で面白いって思った。

知り合いだからと言って、ぶつかってしまった事の罪悪感は消えないから、頭をカリカリと右手で掻きながらぺこりと会釈をする。
態度の次は何か言葉を掛けてあげよう。なに、特別な言葉なんていらない。ありふれた、その辺りに転がっている石ころのような言葉で良い。

「久しぶり。えっと、ケガとかはない?」




では、次話までまったり待ってあげてください。


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見つけたもの②

「町田さんじゃないですか」

 

ぶつかってしまった女の子に、半ば呆れられたような言い方に聞こえたけどこの子らしいなって少しだけ納得した僕がいた。

高校2年生だって事ぐらいは知っていたけど、まさか花咲川女子学園の生徒らしい事に案外世間は狭くて窮屈で面白いって思った。

 

知り合いだからと言って、ぶつかってしまった事の罪悪感は消えないから、頭をカリカリと右手で掻きながらぺこりと会釈をする。

態度の次は何か言葉を掛けてあげよう。なに、特別な言葉なんていらない。ありふれた、その辺りに転がっている石ころのような言葉で良い。

 

「久しぶり、美咲ちゃん。えっと、ケガとかはない?」

「あー、なんか急に痛くなってきちゃった、いたたた」

「はいはい、演技が上手いね」

 

僕がぶつかってしまった女の子の名前は奥沢美咲。

同じ小学校で顔見知り……だとかじゃなくて、僕が高校1年生の時にちょっとしたきっかけで出会って、みたいな感じ。

 

かわいいと美人の両側面の良い部分を取ったような美咲ちゃんなんだけど、見た目の割に意外と面倒くさがり屋だったりする。

強いていうならば大体の事を程々でこなす、ある意味マイペースな女の子。

 

「それにしてもやっぱり町田さんも男なんですね」

「どういう事?」

「いやー、女子高の文化祭にいるって事はそういう事ですよね?」

「違うけど、一概には違うとは言えない……。だけど違うからな!」

「認めて楽になれば良いと思うんですけど……」

 

美咲ちゃんだって年頃の女の子だし、僕がただ戸山さんに会いたくて、本人に確認までとって来ているなんて言えない。

間違いなく一途すぎませんか、と白い目で見られるだろうしそもそも戸山さんの事を知っているかどうかも分からない。

 

今でも優しい薄ら笑顔を浮かべている、ちょっと呆れ気味な美咲ちゃん。

そういえば美咲ちゃんも何をしているのだろうか。

 

そんな呆れかえった美咲ちゃんには申し訳ないけど香澄ちゃんのクラスまで案内してもらおうかな。

 

「美咲ちゃんどうせ暇でしょ?道案内お願いしても良いよね?」

「はぁ……まぁ、道案内くらいなら良いですけど」

 

声もかわいいんだけど、どこか気が抜けた、気だるげな感情も混ざっているような気がしてもったいないなって僕は個人的にだけど思う。

 

それも美咲ちゃんの良いところでもあるんだけどさ。

僕が美咲ちゃんに言う権利はないけど、絶対男からモテそうなんだよね。

 

でも美咲ちゃんだったらモテすぎても面倒だからいいや、とか程々が良いんだよね、とか言いそう。

そんな想像が僕の頭の中で美咲ちゃんの声付きで再生されて少しクスッとした。

美咲ちゃんは少しだけ頬を緩めた僕を見つめていたのだろう、不思議そうな顔をしてちょっと首を傾げていた。

 

「2年A組の前まで連れて行って欲しいんだけど」

「……」

「うん、どうしたの?」

「いやー、まさか町田さんが私のクラスメイトをナンパするんだって思ったら」

「えっ、美咲ちゃんも2年A組なのか」

「はい。私()2年A組ですよ」

 

わざとらしく「も」を強調する美咲ちゃん。

僕はそこまでして自分の失態に気がついて少し後ろめたくなって右手で襟髪をガシガシと触ってしまう。

 

そして美咲ちゃんは相変わらず男の人って、みたいな目で僕を優しく見てくる。

たしかにナンパすることに否定するのを忘れていたけど、決してナンパなんてしない。

いや、戸山さんとは親密だけど恋人じゃないから……一応これもナンパなのか?

 

いや、問題はもっと身近で、周りの人からしたら僕は、美咲ちゃんに声を掛けているからこれもナンパにみられてしまうのでは。

 

僕の頭から湯気がやかんの様にプシューッと出た気がした。

思考もすでに沸点に突入しており、これから落ち着きを取り戻すのには時間がかかりそうだ。

 

「町田さん、提案があるんですけど」

「うん、良いよ」

「決断はやっ!いや、まだ私何も言ってませんよね!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、これで良いですか」

「ありがと」

 

たまたま空いていた校庭の真ん中あたりに位置するベンチで僕たちは腰を下ろす。

僕と美咲ちゃんの距離感はそれなりに近いもので、例えでいうなれば何も意識せずに友達を談笑する時のような距離感。

 

美咲ちゃんから手渡されたのはオレンジ風味の炭酸ジュース。いつもはいらないけど、たまに欲したくなるようなこのジュースのキャップを緩めるとシュッ、と言う心地の良い音を立てた。

 

「確か町田さんって私より1年、年上でしたよね」

「そうだね」

「受験勉強は一休み、みたいな感じですか?」

「その言葉は今日一日忘れてるから思い出さすなよ」

「それ、明日になったら余計憂鬱になるんだよなー……」

「未来のためにって思ったら多少は楽になるけどね」

「確か町田さんって江明大付属でしたよね?何もしなくても未来は明るいって約束されてそうですけど」

 

スポーツドリンクのようなものを飲みながら柔らかい表情をしている美咲ちゃんは、知り合いだけどしっかりと一つ上である僕を立ててくれているような気がした。

 

美咲ちゃんの言う「提案」とは、この事らしい。

つまり彼女のシフトの時間になるまでの時間つぶしに付き合ってほしい、という事。貴重な自由時間を無駄なく使いたいらしい。

 

美咲ちゃん本人はそう言っているけれど、本当は自分たちのクラスに客がたくさん来ていたら怠さが倍増してしまうからなんじゃないかなって思ってる。

 

「美咲ちゃんは……最近どう?」

 

美咲ちゃんは飲んでいたスポーツドリンクのキャップを締めながらうーん、と低い声を出した。

下向きで、地面を見ているような視線の先。彼女には一体何が見えているんだろうか。

 

僕にはただただ、蟻がせっせと歩いている、ただ殺風景な地面しか見えないけど。

 

「そうですね。毎日何が起こるか分からないですから大変ですよ。でも」

「でも?」

「それが楽しい、って感じてる私がいるんです」

 

今度は顔を上げて笑いかけてきた美咲ちゃんに、僕はフフッと息を吐いた。

美咲ちゃんとはそこまで長い付き合いじゃないし、こうして話したことも数えるくらいしかないけど、美咲ちゃんは変わったんだなって思ったから。

 

もしかしたら美咲ちゃんも、僕が彼女に抱いた感想をそっくりそのまま持っているのかもしれない。

 

 

「美咲ちゃん、前より笑うようになったね」

 

ちょっとキザな言葉を言ってしまって、発言後にちょっと恥ずかしくなる現象に陥ってしまった僕は頭を抱えたい衝動を抑えつつ、顔色を伺う事に重きを置いて美咲ちゃんの方をみる。

 

美咲ちゃんはただまっすぐ、前を見つめていた。

何か不思議な事を目の当たりにしたような彼女の表情。僕は美咲ちゃんが見ている方向に視線を送った。

 

見えるのはたくさんの生徒、部外者が歩いているだけ。

少し時間も経過して、行き来する人間が多くなったことぐらいしか印象を受けなかった。

 

「……どうかした?」

「あ、いえ。ただクラスメイトと目が合ったんですけど……わざとらしく歩く方向を変えたんですよ。あの子らしくないなって」

「ふーん?」

「あと1時間くらい、付き合ってくれますか?」

「まぁ美咲ちゃんが良ければ。もしかしたらこうやって話すのも最後かもしれないしね」

 

そうかもしれないですね、と美咲ちゃんは微笑みながらまたまっすぐ視線を向ける。

 

まだまだ夏色の風が僕の髪の毛をふさふさと触っていく。

本当は戸山さんのところにすぐ行きたい気持ちもあるんだけど、今の季節と同じくらいの名残惜しさが僕の腰を重たくしたままで、しばらく美咲ちゃんと話しをすることにした。

 

 




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~次回予告~

美咲ちゃんと、どれくらいの時間を過ごしたのだろう。
僕はぼんやりと頭の中でそんな事を考えながら彼女の横を歩いていた。

だけど、はっきりと覚えていないんだ。
「どんな」話題で盛り上がったのか、「どうして」楽しく感じたのか。

残っている感情はただ、楽しかったという漠然とした事実だけ。
戸山さんと話した後は、ものすごく詳細に覚えているのに。



では、次話までまったり待ってあげてください。


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見つけたもの③

美咲ちゃんと、どれくらいの時間を過ごしたのだろう。

僕はぼんやりと頭の中でそんな事を考えながら彼女の横を歩いていた。

 

美咲ちゃんは約束通り僕を2年A組まで案内してくれるらしく、来客が多くて進むのが大変ながらも迷うことなく歩き続ける。

 

1時間くらいかな、多分。

時間が進むスピードはものすごく早く感じたし、それは僕にとって充実した時間だったことを証明していると思っている。

 

だけど、はっきりと覚えていないんだ。

「どんな」話題で盛り上がったのか、「どうして」楽しく感じたのか。

 

残っている感情はただ、楽しかったという漠然とした事実だけ。

クラスメイトの女の子も大体こんな感じで、話し終わった後は漠然とした感想を抱くだけだ。楽しい、と言う感情は決して嘘ではないのだけれど。

 

戸山さんと話した後は、ものすごく詳細に覚えているのに。

昨日起きた「可笑しな出来事」で盛り上がった事、僕の話を聞いた後や、ふとしたリアクションで見せてくれる「笑顔」が僕には心地よかった事。

今はもういないけど、幼馴染のあいつと過ごしてる時もこんな感じだった。

 

 

心の中では分かっているんだ。どうして感じ方に違いが出るのかの答えが。

でも正解を導きたくないから、僕はずっと心の中に隠し続けるだろう。

 

僕がひどい性格の持ち主だという事実と一緒に。

 

 

「町田さん、着きましたよ」

「ありがと、美咲ちゃん」

 

2年A組の前まで到着した僕たち。

なにやらカフェらしく、コーヒーみたいなにおいと共に美味しそうなパンのにおいも鼻をツンツンと押してくる。

 

街中にあっても思わず入ってしまいそうな雰囲気が教室から溢れ出ていて、正直予想以上だった。

ここまでクオリティの高さの文化祭なんて、同じ私立高校なのに全然ちがう。

 

美咲ちゃんは用意があるらしく、僕に一言言ってからササッとどこかに行ってしまった。

お店でもそうだけど、お洒落な雰囲気だと初めて入店するのに一握りの勇気が必要だ。しかもその中には戸山さんがいると思えば余計に心臓が忙しなくなる。

こんな時に坂本(バカ)がいたら何も気にせずに教室に入れたのだろうな。

 

「いや、僕は何のためにここに来たんだ……」

 

一度、深く呼吸を吐いてから教室の戸に手を掛けた。

ここに来たのは戸山さんに会うため、じゃないか。

 

 

 

 

「よおまっさん、こっちこっち」

 

受付をしてくれる女の子のかわいい声のいらっしゃいませより、聴きなれた汚い声の主(坂本)がこっちを向きながら手をブラブラと振っていた。

なんでお前がいるんだよと言う気持ちが50%と今はいて欲しくねぇよと言う気持ちが49%、そして安心感の1%が僕の心臓を落ち着かせた。

 

とりあえず呼ばれているので坂本の座っているテーブルに腰を下ろす。

坂本はすでに飲み物とパンを食べている様子だった。

 

「まっさん遅ぇぞ!コーヒーが冷めちまったじゃんか」

「知らねぇよ。でかなんで今の時期にホットなんだよ……すみません、僕もアイスコーヒーをください」

 

僕は意味の分からない難癖をつけてきた坂本を軽く無視して飲み物をお願いした。その時に坂本の口がニヤッとした気がしたけど、それも自分の鼻息で吹き飛ばすことにした。

 

坂本に悟られないようにチラチラと教室の周りを見渡す。

僕がそんな事をしている理由は言わなくても分かるかもしれないけど、心情的にはどうしても探したくなってしまう。まるで一人娘の初めての運動会に参加した不器用な父親みたいだな、と自分でも思ってしまう。

 

「コーヒーお待たせしましたっ!」

「ありが……とう」

 

僕たちの机の上にコーヒーを置いてくれたのは戸山さんだった。

クラスで皆お揃いの、ブラウンを基調にしたエプロンを身に着けていた戸山さんが間違いなく似合っているのだけど。

 

少しだけ、僕は戸山さんの表情がいつもと違うように感じた。

多分見た感じでは変化が無いからきっと気のせいだと言われるだろうけど。

 

ボーッと戸山さんを見つめていたからだろうか、戸山さんはほんのりと頬を赤く染めていった。

その後、彼女は僕のところまで持ってきてくれたコーヒーを手に持って2口ぐらい飲んだ。

 

流石の僕もびっくりしてしまって思わずえっ、と声を漏らした。

坂本は自分の分のコーヒーを飲み干してから、僕の方を冷たい目で見てくる。

 

「ゆ……ゆっくりしていってくださいっ!」

 

ちょっとずつ自分のした行動に恥ずかしさが出てしまったのかもしれない戸山さんは早口で言った言葉と、飲みかけで半分くらいになったコーヒーを置いてどこかに行ってしまった。

 

 

少しだけ静寂が教室中を支配したように感じた。

もちろんそれはほんの一瞬だけだったけど、たしかに存在した。

 

僕は右手で頭をガシガシと掻いた後、戸山さんが飲みかけてそのまま置いて行ったコーヒーのコップを手に持って口に運んだ。

まあ、量は半分になってしまったけど戸山さんと会えたし、その分の料金だと思えば安いか。

 

「……間接キス、したな?」

 

坂本がボソッと言った言葉に僕は思わずブッ、としてしまった。

全然気にしていなかったのにいざそんな事を言われたら誰でも意識はするものだ。そのまま鋭い目で坂本を睨み返す。

 

せっかく口の中にほんわかな苦みと、少しの砂糖の甘みが良い感じになっていたところを台無しにしやがって。

 

「香澄ちゃんの行動力は見習わなくちゃな」

「間違いなく坂本には言われたくないと思ってるよ」

「お前……鈍感にも程があるだろ」

 

坂本は額に手を当ててわざとらしく深いため息を僕にぶつけてくる。

流石に人に言われなくたって分かるよって半ば呆れ気味に答える。

 

間接キスとか言われると余計恥ずかしくなってしまうけど、普通、嫌いな人の飲み物を半分だけ飲むことなんてないだろ?そういう事はまぁ、その……戸山さんは僕の事を「嫌い」ではないって事。

 

戸山さんのとる行動としては大胆過ぎるのが少し気になるんだけど、と思ってはいるけどわざわざ坂本にまでは言わなくても良い。

 

「そうか……じゃあフォローはしとけよ」

 

僕と坂本の会話にちょっとしたズレが生じている?

率直に、そう思った。

 

「うし、じゃあそろそろ別の場所に行くか。ずっといても迷惑だし、甘々恋愛ドラマは好きじゃねぇし」

「前半の理由は納得だけど、後半は黙ってくれ」

 

残りのコーヒーを僕は口に流しこんだ時、一口目と二口目とでは味の感じ方に変化が生じていることに気が付いた。

今飲んでも、どうしてかあまり味がしない。苦いとか酸味がとか、そのレベルじゃない。

 

「まっさん」

「何?」

「例えばある映画のワンシーンを見たとしよう」

「いきなりどうした?」

「俺らの歳くらいの男女が、微妙な距離を空けて座ってるシーンがあったらお前はどう思う?」

「微妙な距離なんだ。じゃあ友達か知り合いなんじゃないの?」

「分かるわー!カップルとか両想いだったらもっとくっつけって思うもんな!」

 

ぎゃははは、と笑う坂本を見て僕は呆れてため息が出る。

何を言い出すかと思ったら訳の分からない事を言う。訳が分からないから面白い奴って思うのだけど。

 

「でも、俺らとは違う答えを出す人間もいるだろうな。例えば……」

 

恋に多感に女子とか?

 

 




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~次回予告~

「まっさん、今、香澄ちゃんの事考えてただろ」
「えっ?」
「図星ヘタクソかよ」

ケタケタと笑う坂本。
やっぱり僕も人間なんだって思う。なぜなら見慣れた光景よりも、普段見られない景色の方に目が行ってしまうから。

坂本のバカ笑いなんかいつでも見られる。
普段見られない景色、景色と言っては語弊があるかもしれないけど。

頭の中に浮かぶ戸山さんが、少し寂しそうなんだ。
なんで、どうして、って思えば思うほど頭の中にいる彼女の表情は無理して明るく振舞う。

「僕は……」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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見つけたもの④

「割としっかりしてんのな、この焼きそば、普通に美味いわ」

「やっぱ女の子ばかりだから料理が上手な子が多いのかな」

 

戸山さんのクラスのカフェから出た後、一通りぐるっと周って、お昼と言う時刻も相俟って坂本と焼きそばを食べていた。

坂本の言う通りで学園祭レベルの焼きそばにしては中々大したもので、もしかしたらお店とかで出されても気づかないかもって思わせるくらいだった。

 

「まっさん、これからどうするよ」

 

坂本が焼きそばをズルズルと吸いながら僕に問いかけてきた。

 

「どうしよっかな」

 

対して僕は曖昧な回答をした。

久しぶりに美咲ちゃんとおしゃべりもしたし、目的である戸山さんにも会うことが出来た。僕としては今日の目的を果たすことが出来たと言っても良いだろう。

 

目的を果たしたというのに、心が一向にすっきりとしなかった。

今から家に帰って勉強をしよう、と思うどころか何か見落としているような感覚がどこかで引っかかっていて身体中がむず痒い。

 

こんなにも、駄々をこねてその場に居座っている子供のような夏風に後ろ髪を引っ張られている事なんか経験したことが無いから。

 

「んだよ、歯切りわりぃな」

「僕はお前みたいに単純な生き物じゃないんだよ」

「そんな硬い事言ってると女の子にモテねぇぞ」

「……別に、ほっとけ」

「まっさんには香澄ちゃんが、いるからな」

 

わざわざ戸山さんの名前を強調して言うんだから余計に腹が立つ。

そんな僕とは裏腹に坂本はニヤニヤしながら焼きそばの最後の一口を食べ終えた。

 

坂本の手には、焼きそばのソースがへばりついたプラスチックの容器が握られている。

いつもは気にしないけど、今だけは食べきって役目を終えた容器に目が行った。

 

中身が無くてすっからかんな感じ。

だけどソースとか小さいキャベツの切れ端に、プラスチックの蓋にソースと一緒にくっついている鰹節。

漠然となんだけど、どことなく僕に似ているって思った。

 

坂本につられるように残りの焼きそばを口に運ぶ。

濃いソースの風味を感じた後、喉が渇くから自然と紙コップに入っているお茶を飲む。

 

「……」

 

さっきとは全然飲んでいる物は違うのに、頭の中に戸山さんが出てきた。

間接キスだとか、レベルの低い事を言われた時のような感覚になって、頭の中の戸山さんと少し会話をする。

僕がふとした時に思い浮かぶ戸山さんはいつも一番星のような明るさで……。

 

「まっさん、今、香澄ちゃんの事考えてただろ」

「えっ?」

「図星ヘタクソかよ」

 

ケタケタと笑う坂本。

やっぱり僕も人間なんだって思う。なぜなら見慣れた光景よりも、普段見られない景色の方に目が行ってしまうから。

 

坂本のバカ笑いなんかいつでも見られる。

普段見られない景色、景色と言っては語弊があるかもしれないけど。

 

頭の中に浮かぶ戸山さんが、少し寂しそうなんだ。

なんで、どうして、って思えば思うほど頭の中にいる彼女の表情は無理して明るく振舞う。

 

「俺も一応受験生だし、今日はこれくらいで帰るわ。まっさんは?」

 

青く澄み渡る空に浮かぶ雲を見ながら坂本は言葉を出した。

 

「僕は……」

 

 

 

 

 

 

人混みの中、目的地も定めないまま道なりになっている廊下を歩き続ける。

何回か戸山さんの携帯に連絡を入れてみたんだけど、電話には出てくれなかった。

 

仕方ないと思う。

今もクラスの出し物を一生懸命やっているんだろうし、文化祭の時に携帯を確認する回数なんて少ないだろうし。

 

このまま文化祭が終わってしまうまで会えないかもしれない。

そんな漠然とした不安に包まれながら、どこにつながっているか分からない廊下をただ歩く。

2年A組の前を一回は通ったけど戸山さんの姿は見えなかったし、何回もウロウロしてしまうとどこからか背徳感が出てきてしまうからもう行けない。

 

美咲ちゃんに連絡、とも思ったけど直感がすぐにその選択肢を水で流した。

戸山さんに会いたいのに他の女の子にお願いするのは何か違うような気がしたから。

 

一度立ち止まって、廊下の窓をカラリと開けた。

顔を出した時、僕は今3階にいることが分かった。それくらい何も考えずに、ただすれ違う女の子の中に戸山さんがいないか見ていただけ。

 

もうちょっと大人だったら、こうやって景色を見ながらたばこを吸っているのだろうか。

 

「……悠仁先輩?」

 

そんな時にふと、後ろから聴きなれた女の子の声が聞こえた。

バッと振り返ってみると、そこにはまだクラスエプロンをつけたままの戸山さんいた。

 

びっくりしたと同時に、少しの安堵感が僕の気持ちを柔らかい物に変えてくれた。

そのせいで言葉を出せなかったけど、顔を綻んだ。

 

「探したんですよっ!メッセージ送っても何も返信無かったんですから」

 

むーっ、とした表情をした戸山さんに言われて初めて、携帯を開いた。

たしかに彼女の言う通りでメッセージが来ていて、今どこにいますか、と来ていた。

 

自分から電話しておいて、返信を無視。

友達同士で遊びに行く際なんかは良くするやり取りだけど、相手が戸山さんだという事だけでやってしまった感がひしひしと出てくるから思わず右手で頭を掻いてしまった。

 

「ちょっとだけ場所変えようか。戸山さんも僕といることで変な噂が立っても嫌だしね」

「えっ!?あ、はい。分かりました」

 

とは言ったものの、僕がこの校舎内を詳しく知らない。知っている場所と言えば屋上くらい。

戸山さんもきっとそう思ったから歯切れが悪くなったのだろう。

 

形だけでも先導してしまっているから少し困っていたところ、戸山さんが耳元で屋上に行きませんかと言ってくれた。

安心感よりもゾクゾクっとして、その後恥ずかしさも出てきた。戸山さんは普通だから、普段から友達にこういう事をしているんだろうな。

 

階段を上り切って、重たい扉を開ける。

戸山さん曰く屋上はいつでも開放しているらしい。今日みたいな日にここへ来る人間はいないから誰もいないけれど。

 

「ここ、前にも来たのに印象が違うな。こんなに綺麗だったんだ」

「うーん、気持ち良いーっ!」

 

心地の良い風が僕たちの間をすり抜ける。

戸山さんの空に精一杯腕を伸ばしている姿を見て、僕はお疲れ様と心の中で言った。

 

「悠仁先輩、聞きたいことがあるんですけど、良いですか?」

「うん、何?」

「その……美咲ちゃんとは、知り合い、なんですか……それとも、付き合っている、とか?」

「美咲ちゃんと?付き合ってないよ。知り合いではあるけど数回しか会った事ないし」

「そう、なんですか?てっきりそういう仲なのかなって……。わ、私には関係ない話なんですけどねっ!?」

「どうしてそう思ったの?」

「えっと、それは……」

 

だって、と何かごにょごにょと声に出してはいるけど、言葉にはなっていなかった。

もしかしたら、今日美咲ちゃんと一緒に過ごしている所を戸山さんがどこかで見たのかもしれない。

 

戸山さんがこんな気持ちにならなくても良いのに。

戸山さんも僕も、別に付き合ってるわけじゃないから誰と仲良くしても問題は無いから。

 

……でも、戸山さんが別の男と楽しそうに話していたらそれはそれで何だか変な感じがする。

それも戸山さんがその男を名前で呼んでいたら尚更。

 

「確かに美咲ちゃんは知り合いだよ」

 

知り合いだけど。君は違う。

 

「でも戸山さんは知り合いよりも、もっと知ってるよ」

 

なんて言ってみたけど、もっと良い言い方があるんじゃないかって後悔がすごくのしかかってくる。

でもこんな時に大事な友達だよ、とか言ったら引かれそうだし……。僕はそんな物語の主人公をやれる人間でもない。

 

だから、今は、これが精一杯なんだ。

 

「それくらい知っているから、特別なんだ」

「悠仁先輩……」

 

だから坂本と一緒に帰らなかったし、僕の心は戸山さんを欲していたのだろう。

僕が次のステップに進む前に、伝えたいな。この気持ち。

 

「悠仁先輩、隣に行っても良いですか?」

「そりゃあ、もちろん」

 

柵にもたれている僕の横に立つ戸山さん。

ふわりと女の子らしいにおいが僕の鼻をくすぐってくる。僕はどうしてか彼女のこんな香りが好きだ。

 

「2ヵ月前なのに、もっと昔の様に思うんです」

 

2ヵ月前。

それは戸山さんがこの場所から身を投げようとした時の事を言っているんだと思う。

彼女の言う通りで、僕自身ももっと前の、まるで幼少期の思い出話に触れているような感覚だった。

 

そう、もっと前から、僕は戸山さんの事を好きだったんじゃないかって。

 

「今もこうしているのも悠仁先輩のお陰だって思ったら、お礼どころじゃありませんよね」

「もう過ぎた事だから良いよ。今の戸山さんはとても輝いてる。きっとこれからもね。それで良いじゃん」

「そうですねっ!」

 

丁度その時に、学校のチャイム音が響き渡った。

時刻を見ると16時だった。これから外部の僕たちは学校を後にして、戸山さんたちは片付けに翻弄されるのだろう。

 

そう考えたら、今日は一緒に帰るのは無理なのかな。

本音を言ってしまえばもうちょっとだけで、本当に帰り道の間だけでも良いから、戸山さんとお話したいのだけど。

 

「悠仁先輩、2つだけ、お願い聞いてくれませんかっ!」

「も、もちろん」

 

校内放送で文化祭が終了したこと、来客者は校外に出ることの案内をしている。

こんなにうるさいと思った校内放送は初めてだった。

 

「年末に私たち、ライブをするんです。悠仁先輩は忙しいと思うんですけど……」

「ライブ?行くよ。詳しい日程教えてよ」

「本当ですかっ!ありがとうございます!」

 

年末という事は年越しライブなのか、それともクリスマス前後にやるのか。

分からないけど戸山さんたちの音楽を生で聞いてみたいってずっと思っていた。

 

それに戸山さんのお願いだったら、叶えてあげたくなる。

ライブに行くと答えただけでこんなにも明るい笑顔を見せてくれる。僕の手を握ってブンブンと振り回してくれる。

 

「もう一つは私のわがままですっ!」

 

 

 

 

 

気付いた時には、僕の口は戸山さんの口と重なっていた。

一瞬過ぎて分からなかったけど、背伸びをしていたのだろう彼女がちょこんと伸びてきて、生まれて初めての感触を味わった。

 

彼女は顔を朱に染めて、こう言うんだ。

 

 

 

 

間接キスだけじゃ、嫌だったんです。

 

 




@komugikonana

次話は12月20日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

季節が変わり、街行く人たちの服装が段々と秋っぽくなり、気づけばもうちょっとで今年が終わってしまう11月。

バイトの最中にまかないとして食べたドリアの味をちょっとだけ口の中に残こしながら、寄り道もせず家までの道のりを歩いていく。

「あれ?」

ふと前を見れば、ギターケースを背負った女の子が歩いていた。
ギターケースでしっかり見えないけど、ぴょこっと猫耳のような形が見えるから、もしかして。



では、次話までまったり待ってあげてください。


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思い出の赤いお守り①

最近、ボーッとすることが多くなったような気がする。

最近と言ってもかれこれ2ヵ月前くらいからずっとこんな感じだったりする。

 

学校にいる時も、家で勉強している時も、息抜きでフラッと散歩に出かける時も、バイトをしている時も。

バイトの帰り道である今でも、ふと気が付けば5秒前は何を考えていたんだろうって思う。

 

季節が変わり、街行く人たちの服装が段々と秋っぽくなり、気づけばもうちょっとで今年が終わってしまう11月。

バイトの最中にまかないとして食べたドリアの味をちょっとだけ口の中に残こしながら、寄り道もせず家までの道のりを歩いていく。

 

「流石に夜になると肌寒いな」

 

天気予報では、一週間後に迫る12月の開幕に合わせて日本列島に寒波が流れ込んできて冬型の気圧配置になるそうだ。

そうでなくても気持ち的に12月になったらもっと寒くなるはず。家に帰ったらマフラーと適当なコートを用意し始めようかな。

 

だけど家に帰ったら安心感からか、今までの疲れがドッと襲ってきてそのまま寝落ちしてしまう事もある。特に最近は多い気がする。

受験ももうすぐだし、体調だけは気を付けなければ。

 

赤信号から青信号に代わって、車が曲がってこないか確認してから横断歩道をゆっくりと渡る。

 

「あれ?」

 

ふと前を見れば、ギターケースを背負った女の子が歩いていた。

ギターケースでしっかり見えないけど、ぴょこっと猫耳のような形が見えるから、もしかして。

 

僕は少し小走りで近づいて行った。

こんな夜遅くまでバンドの練習でもしていたのかな。そういえば12月27日にライブをするって言っていたし練習もしているかもしれない。そんな僕もライブに誘われているから楽しみなのは変わらない。

 

「とーやーまーさんっ!」

 

後ろから、そして彼女の背中に手をポンッと置いて声を掛けた。

そうすると彼女はひゃあああ、と声をあげてビクッとした。もちろんびっくりさせることが目的だったから僕はしてやったりな顔をする。

 

「悠仁先輩っ!心臓に悪い事しないでくださいよ!」

「あははは。許してよ」

 

頬をぷくっとさせた戸山さんがかわいい。もうちょっと街灯が明るかったらしっかりと見れるのにもったいない。

それにしても良いリアクションをしてくれたから僕の気持ちはドンドン上向いている。

 

「戸山さんは今までバンドの練習?」

「そうですっ!こんなに遅くなるとは思いませんでしたけど」

「一人でこんな時間に女の子が歩くのはちょっと心配かも。家まで送るよ」

 

戸山さんは申し訳ないと言っていたけど、さっきも言った通り心配だから送るよって言った。

何か起こる確率の方が圧倒的に低いけど、毎日報道で、日本のどこかで物騒な事が起きてる。何か起きてからだと遅いだろうし。

 

「悠仁先輩はこんな時間まで勉強ですか?」

「えーっと……そんな感じ。家で勉強出来なかったから塾の自習スペースを使ってた」

「本当ですか~?」

「ほんとだって」

 

ジト目でジーッと僕の顔を覗き込んでくる戸山さんに僕は思わず目を背ける。

バイト帰りなわけで、はっきり言ってしまえばウソを言ったわけなんだけど、そんな顔で見られたら本当の事でも目を背けてしまう。

 

女の子って本当にいろんな表情が出来る。

それに、おまけとしてはなんだけど、どんな表情もかわいく思ってしまう。

 

僕の身体の一部分がポッと熱くなった気がした。

 

「やっぱり受験って、勉強の事とかで大変ですか?」

「うーん、勉強も大変なんだけど」

「他にもあるんですか?」

「僕の場合だけどね?漠然とした不安から来る気疲れが一番しんどいかな」

 

模試の結果が悪ければ、このままでは大学に入れないんじゃないか。

もし仮に模試の結果が良くても、結局は模試。本番が失敗してしまったらすべては水の泡になってしまうのではないか。

そして大学入試に失敗してしまったらどうなってしまうのだろうか。

 

別に死ぬわけではないけど、先が分からないから不安になる。

第一志望に合格する前提で未来を想像するから、それ以外の未来が不安になる。

 

勉強よりもよっぽど、苦痛だ。

赤本で、過去の倍率によっては不合格な点数だった時や合格まで1点足りない時なんて尚更。

 

もし今年がその不合格の倍率の時だったら。

今でも精一杯なのに、また来年も僕に高額なお金を投資する母さんははどうなるんだ。

 

「……悠仁先輩?」

 

いけない、深く考えすぎてしまった。

本当に偶然だけど、こうして戸山さんと帰路についているのだから疲れとか不安は隠さなくちゃいけないよね。

 

「悠仁先輩の行きたい大学って、お金かかりますか?」

「えーっと、国立だから割と格安だけど、それでも大金なんだ」

「どれくらい、かかるんですか?」

「入学料と1年分の授業料で……だいたい80万円くらいかな。どうして?」

 

いきなり大学の費用の話、簡単に言えばお金の話になって、少し意外に感じる。

戸山さんと今まで過ごしてきて、こういう話題になるのは初めてだったから。

 

不思議に思ったから戸山さんに直接聞いてみても、私も来年は受験生だから知っておきたいとちょっとバタバタと手を動かしながら答えていた。

先生たちは良く80万円なら安いと言うけれど、僕たち学生には途方もないくらいの大金。

 

大人と子供の感覚って、こんなにも違いがあるのかな。

アルバイトだけど、僕もお金を稼げる立場なのに、考え方の尺度が全く異なる。

 

「もうすぐ戸山さんの家に着くんじゃない?」

「はいっ!やっぱり誰かとお話しながら帰ると早く感じますね!」

 

本当、早く感じる。

もし過去の僕が頑張って背伸びをして、戸山さんに告白していて成功していたら。戸山さんの家で彼女の家族と談笑しながらお茶出来たのかな。

 

たくさんのたらればを並べてしまうくらいの条件なんだけど、そうなる未来もあったのかな。

今となっては分からないし、考えるだけバカバカしいのだけど。

 

「……悠仁先輩っ!」

 

戸山さんの家の門までたどり着いて、ばいばいと右手を4回くらい振った時に、ふいに彼女は僕に言葉を投げてきた。

暗くてあまり戸山さんの表情は見えないのだけど、声は何か決心したような強さがあった。

 

「何かな?」

 

優しさを声に乗せて、キャッチした戸山さんの言葉をゆっくりと彼女の元に返す。

 

「……名前」

「うん?」

「私の事、名前で呼んでくれませんかっ!」

 

想像もしていなかった返答に、僕の心臓はドキンと高鳴った。

そしてその後はドクドク、と忙しない音が鳴りやまない。

 

名前で呼んで欲しいという事は、戸山さんの事を……。

どういう理由があってなのかは分からないけど、些細ながら僕には心当たりがあるんじゃないかって、自分の心が何度も叫んでいた。

 

ちょっとだけ迷った。

今までと違う呼び方をするだけでも、今までの戸山さんとの思い出も変わってしまうんじゃないかって。

 

杞憂だってことくらい、分かっているんだけど。

 

 

僕は大きく息を呑みこんだ。

今まで戸山さんとたくさんの思い出を作ってきた。それも今、自分が持っているアルバムでは入りきらないのだろう。

じゃあ、次は、新しいアルバムに思い出を詰めていこう。

 

変わるという事は、次のページに行った証拠。なんてね。

 

 

「ライブ、楽しみにしているよ

 

 

 

 

香澄ちゃん」

 

 




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次話は12月27日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

家にたどり着いて、着替えもせずそのままベッドの上にあおむけになって倒れこむ。
そのまま手で顔を覆って、視界を敢えて暗くさせた。

そうすることで何だか先ほどの光景が、言葉が聞こえてくるように感じるんです。

「……香澄ちゃん」

私は記憶の中から音声を再現させたことで聞こえた彼の言葉に、右へ左へ何回か悶えた。

名前で呼んで欲しいってお願いしたのは自分からなのにいざ現実になると嬉しいだの、でもちょっと照れくさいだの、恋人みたいだの、と気持ちが無限の様に湧いて出てくる。

「悠仁先輩に、名前で呼んでもらっちゃった!」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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思い出の赤いお守り②

家にたどり着いて、着替えもせずそのままベッドの上にあおむけになって倒れこむ。

そのまま手で顔を覆って、視界を敢えて暗くさせた。

 

そうすることで何だか先ほどの光景が、言葉が聞こえてくるように感じるんです。

 

「……香澄ちゃん」

 

私は記憶の中から音声を再現させたことで聞こえた彼の言葉に、右へ左へ何回か悶えた。

 

名前で呼んで欲しいってお願いしたのは自分からなのにいざ現実になると嬉しいだの、でもちょっと照れくさいだの、恋人みたいだの、と気持ちが無限の様に湧いて出てくる。

 

少し落ち着いて手を離すと、さっきまで遮断していた光が一気に目の中に飛び込んできてチカチカとする。

 

「悠仁先輩に、名前で呼んでもらっちゃった!」

 

落ち着いてもやはり嬉しい事は嬉しいままで、自然と口角も上がっちゃってるように感じる。

今は手元に鏡が無いから自分の表情は覗き見ないけれど、一度はどんな素敵な顔をしているか見てみたいって好奇心も少しはある。

 

そんな典型的な恋する乙女になってしまった私がどうして今のタイミングで彼に名前で呼んで欲しいとお願いしたのか。

 

「有咲に美咲ちゃんにも……」

 

彼と私、共通の知り合いなんてほとんどいないと思うけど、有咲と美咲ちゃんだけは共通の知り合いらしい。有咲と彼の知り合った経緯は何となく分かるけど、美咲ちゃんは分からない。

 

そんな事は今は置いとくとして、問題は彼の呼び方にある。

 

「私だって、もう一回名前で呼ばれたいっ!」

 

つまりはそういう事なんです。

一人しかいない部屋で叫ぶような事ではないのだけど。

 

私の勝手な想像なんだけど、苗字より名前で、しかもちゃん呼びで男の子が女の子に話しかける方が仲が深いというか、そういう関係っぽく思ってしまう。

そんな自分勝手が概念がもちろん私にも当てはまる訳です。

 

有咲さん、美咲ちゃん、そして私。

私だって香澄ちゃんって呼んで欲しい。

 

そして他の女の子に負けたくない。

 

だって私は悠仁先輩の事が……。

 

 

「……お姉ちゃん。一人で何を話しているの?」

「わっ!?あっちゃん!」

 

ガチャ、とドアが開く音と共にまん丸綺麗でかわいい目をしている妹のあっちゃんが今までに見たことのないようなジト目で覗いていた。

時計をみると23時を過ぎた時間だった。もしかしたら勉強か、明日に備えて寝ようとしていたのかもしれない。

 

「『名前で呼ばれたいっ!』って、彼氏さんに?」

「か、かか彼氏!?違うって!」

 

手をバタバタとさせてしまったのと、一瞬にして顔が熱くなってしまった。

あっちゃんが小さな声で誤魔化すの下手だなあ、と言ってまたジト目で私の方を見てくる。

 

誤魔化してないじゃん、だって本当に悠仁先輩は私の彼氏じゃないんだから。

でも心の中には正直な、もう一人の私みたいな感情がいて、その子はまんざらじゃないくせになんて言う。

 

「お姉ちゃんの彼氏さんって、町田さんの事?」

「そうだよ?」

「あっさり認めちゃった」

「で、でも付き合ってないからっ!」

 

そんなやりとりをしているから私は必死に、あっちゃんはそんな私が墓穴を掘るのを待っているかのような顔。手振りがいつもより多い気がする。

 

そんなあっちゃんが、少しだけ顔をしかめさせた。

怒っている時とかではなく、何かひっかかる時に無意識にしてしまう時の顔だと思う。

 

こんなのだけど私はお姉ちゃんだからどうしたの、と聞いてみる。

 

「ちょっと変な事、言っても良い?」

「うんっ!」

「えっとね」

 

覚えてないけど、昔、町田さんに会った事があるような気がする。

 

確かにその言葉があっちゃんから発せられて私の耳にまで入ってきた。

その言葉をゆっくりと折りたたんで心の中にしまい込んだ。

大切な人から貰った手紙を、綺麗にとって置く、恋する女の子のように。

 

「あっちゃん」

「……何?」

「それ、気のせいじゃないよ」

 

私が子供に童話を読み聞かせる時のように優しく伝えるとあっちゃんはやっぱりと言う確信と、でもやっぱりはっきりとは思い出せないモヤモヤ感で表情がぐちゃっとなっていた。

 

あれはたしか私が4歳とか5歳とか、そのくらいだったと思う。

だからこそあっちゃんの記憶の中にその時の記憶が消えかかっていたとしても不思議ではないと思う。

 

「私とあっちゃん、小さい時に公園で遊んでいたの覚えてる?」

「うーん……なんとなく?」

「おばあちゃんに買ってもらったボールで遊んでいたことは?」

「あー、覚えてる!確かお姉ちゃんが勢いよく上に投げて木に引っかかったんだっけ?」

「そうそう!」

「でも、その後どうなったんだっけ?」

 

あっちゃんは首を斜めに傾げながら、目を上に向けてうーんと頭の中にある真っ黒い底なしの箱の中をガサゴソと探しているみたい。

 

見つけることが出来るか出来ないかはあっちゃん次第だけど、もし見つけることが出来たら悠仁先輩にどんな印象を持つかな。

 

やっぱり年月が経てばどんな人でも変わっちゃう?

それともまったく変わらない?

 

「やっぱり思い出せないかも……」

「あっちゃんはあの時、まだ小さかったもんね」

「お姉ちゃんと1年しか変わらないよ?」

「一年()離れてるんだもん」

 

確かに1年ってあっという間に過ぎていく。

ちょっと前まで夏休みを満喫していたかと思えば、ハロウィンも過ぎて、気づけばもうクリスマスと言う文字がカレンダーに刻まれる月がもうすぐやってくる。

 

そんな1年だけど、私たちが過ごしたたくさんの日々を集約している。経験している。

その経験がとても大きくて、かけがえのない大事な資産。中学とか高校で一年上の先輩に敬語を使う日本人の習慣が裏付けているように思う。

 

たしかに私よりあっちゃんの方が落ち着いているし賢いかもしれない。

でも困った時の対応や人生経験は私のほうが多い。だからこそお姉ちゃんなんだけどね。

 

「あっちゃん、ちょっとだけ時間ある?」

「町田さんと私たちの話?」

「そうっ!あっちゃん暇だよねっ?ねっ?」

「暇じゃないけど、聞きたいかも」

「じゃあ、けってーいっ!」

 

手を両手で重ねてパチン、と音を立てて声をあげる。

うるさすぎてお母さんに怒られちゃうかもしれないけど、お母さんももしかしたらお話に興味が湧くかもしれない。

 

ただ話すだけでも良いけど、今日だけは軽めのお菓子とジュースを持ってこよう。

寝る前のお菓子は女の子の敵だけど、たまには良いと私の人生経験が言っている。

 

敵を倒す為にはまず敵を知る事、ってね。

 

 

電気をつけて静かにだけど、軽い足取りで階段を下りていく。

お菓子はたしかこの辺りに……あった。うーん、ポテチは流石に重たいからこれにしよう。

ジュースも炭酸はしんどいからあっさりとした乳酸菌由来の飲み物にする。

 

電気も消されて真っ暗なリビングは冬の寒さが代わりにくつろいでいて身がブルブルッとするから駆け足で二階にある自分の部屋に戻る。

 

たしかあの時は、こんな寒さを乗り越えたばかりの季節だったような気がする。

まだ寒さが残っているけど、確実に陽の光の温かさが肌に染みわたっていくような日だった。

 

持ってきたお菓子を開けて、コップ二つとジュースを載せた小さなお盆を私とあっちゃんの間に置く。

何だか有咲の家でやったお泊り会みたいでちょっとワクワクする。

 

「私達がいつも遊んでいた公園。あそこでね……」

 

気付けば10年以上もの月日が経っているなんて、今思えばすごい事だ。

その気持ちを心の中に入れたまま、私は覚えて

いる思い出をそのまま言葉にする。

 




@komugikonana

次話は1月10(日)の22:00に公開します。
1月3日の投稿はお休みさせていただきます。

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~高評価を付けて頂いた方をご紹介~
評価9と言う高評価を付けて頂きました なお丸(#)さん!
この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします。

~次回予告~

この時は、どんな景色もきれいに映っていた。
散っていく桜の花びらも、地面からちょこんと出るつくしも、すぐに転んで泥だらけになる私たちも。

目に映したことのある回数がほんの一握りで、何を見てもキラキラと輝いていたあの時。

私とあっちゃんは成長途中である小さな身体を精一杯使って公園で遊んでいた。お母さんも良く私たちと同じような目線で遊んでくれたけど、その時からお母さんの大きな背中が頼もしかった。

そんなある日、公園で一人の男の子を見つけた。下をジーッと向きながらベンチに座って、足をブラブラとさせている、私と同じくらいの男の子に私はゆっくりと近づいて行った。


「こんにちはっ!」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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思い出の赤いお守り③

この時は、どんな景色もきれいに映っていた。

散っていく桜の花びらも、地面からちょこんと出るつくしも、すぐに転んで泥だらけになる私たちも。

 

目に映したことのある回数がほんの一握りで、何を見てもキラキラと輝いていたあの時。

私とあっちゃんは成長途中である小さな身体を精一杯使って公園で遊んでいた。お母さんも良く私たちと同じような目線で遊んでくれたけど、その時からお母さんの大きな背中が頼もしかった。

 

追いかけっこしたり、砂場でお団子を作ったり、目当たり次第に見つける綺麗なお花を摘んだりすることが大好きだった私にとって公園は何度行っても新しい発見のある、大好きな場所だった。

 

いつの日だか忘れたけど、お母さんとあっちゃんといつものようにお外も出掛けて、いつもの公園に行った。

いつもたくさんの子供たちが遊んでいて、たまに一緒に遊んだりして友達が増えることもある場所。

でも今日はどうしてだろうか、公園は誰もいなかった。

 

そんな事なんて気にもしなかった私はあっちゃんを呼んで公園へと走っていく。

今日は何して遊ぼうかなって思いながら辺りをキョロキョロしていると、誰もいないと思っていた公園で一人の男の子を見つけた。

 

下をジーッと向きながらベンチに座って、足をブラブラとさせている、私と同じくらいの男の子に私はゆっくりと近づいて行った。

 

「こんにちはっ!」

 

お母さんに教えてもらった、初めて会った時のお友達に対してする挨拶をその男の子にしてみた。

ほとんどの子は私と同じような言葉を元気よく返してくれる。

 

だけどその男の子は、私の声にびっくりしたのか両肩が顔の近くまで上がり、目をくるっと丸めながらジーッと私の方を見つめてきた。

 

当時の私はニコニコとした顔をして、ずっとその男の子の顔を覗いていた。

その子からの返答を心待ちにして。

 

「こ……こんにちは?」

 

しばらくして帰ってきたのは私とは正反対の弱弱しい言葉だったけど、それでも返事が帰って来て嬉しかった私はもう一度大きな声でこんにちは、と言った気がする。

 

「きみはここでなにをしていたの?」

 

公園で人と出会うのは珍しい事ではなかったけれど、この男の子は初めて見たから気になってしまって、本当に言いたかったことよりも先にその言葉が出てしまった。

 

男の子はモジモジとしながらだけど、私の問いに答えてくれた。

 

「おかあさんを、まってるの」

 

そして私が聞きたかったことも答えてくれた。

まだまだ世間知らずで無邪気な子供だったけど、この時はどうしてか男の子が一人で(・・・)公園にいることに違和感を感じていたらしい。

 

お母さんを待っている。

この時の私の常識に基づくと、お母さんはいつも私たちの傍に居てくれる人だって思っていた。

だけどどうやら、そうでもないらしい。

 

「じゃあ、きみのおかあさんがくるまで、わたしたちとあそぼっ!」

 

難しく考えることが当時から嫌いだった私は、特になにも考えずにそう言った。

あっちゃんは私の言葉を聞いてびっくりしていたし、私のお母さんも最初は驚いていたけど段々優しい顔を作って、私を見つめながらこっくりと頷いてくれた。

 

「えっと、いいの?」

「うん、もちろんっ!」

 

その言葉を聞いて、私はすぐに男の子の手を掴んで近くの砂場まで走った。

生まれて初めて触れる男の子の手の感触の感想は、もうすっかり忘れちゃったけど。

 

男の子とする遊びで真っ先に思いついたのは鬼ごっこだったけど、知り合ったばかりの子とそれをするのはちょっと難しいと思った。

私達は自分が思っているよりも感情のコントロールが出来ないらしい。ケンカになってしまえばせっかく友達になれたのに台無しだもんね。

 

いつものように砂場の真ん中あたりでお尻を付けずにちょこんと膝を落とす。

公園の端っこにある水を使えば硬くなるのでちょっとした山を作ったりする。その時はあっちゃんと色々なお話をしながら。

 

「ねぇねぇ、きみのなまえは?」

 

手とスコップを使って砂をかき集めながら男の子に声を掛ける。

男の子も私の真似をしていたのか、同じように砂を集めていたけど私の問いかけに、その手がピッタリと止まってしまった。

 

その子と同じように私も手を止めてジーッと見つめる。

目が忙しなく動いている事が不思議で不思議で仕方が無かったから。名前を言うだけなのにどうしてこんな顔になっちゃうのだろうって。

 

「わたしのなまえはかすみっ!とやまかすみ!」

 

だから先に自分から自己紹介をした。

自分の名前を言う事に恥ずかしい気持ちなんてちっとも要らないから。

名前はお母さんが付けてくれた素敵な魔法みたいなもので、胸を張って良いんだから。

 

私に続くようにあっちゃんも自己紹介をする。

そして私たちはお互い見つめあってクスクスと笑う。別にその男の子が意気地なしだから笑っている訳ではない。

 

もっと気楽で良いんだよ、と言葉ではなく雰囲気で教えるために私たちは笑うんだ。

 

「ぼくのなまえは……」

「うんうん!」

 

男の子が口を動かしているのを見ながら私たち姉妹はグイグイと顔を近づけていく。

私達は迫りすぎてしまったのか、コテンと後ろに尻もちをついたその子はゆっくりだけど名前を言ってくれた。

 

楠瀬悠仁、と。

 

 

 

 

 

 

どれくらい遊んでいたのかは分からないけど、私はまだまだ遊び始めて間もない時間くらいだと思っている。

しかしながらそんな私の感想とは裏腹に、砂場には様々な形が砂場には出来上がっていた。

 

「あ、お母さん!」

 

突然、私たちと同じように砂で遊んでいたゆー君が声をあげた。

 

ゆー君、と言うのは楠瀬君の事。当時の私達では楠瀬君と言うにも舌が上手く回らない感じがしたし、悠仁君だとなんだか堅苦しく感じたから、私のお母さんが提案してくれたこの呼び方で彼を呼ぶことにしたのだった。

 

でもゆー君はお母さんの元へ走っていく訳でもなく、今いる砂場の真ん中あたりで小さい腕をブンブンと振っていた。

 

私はゆー君のお母さんを見たけど、印象としては簡潔なものだった。

それはとてもきれいな大人の女性だという事。若く見えるだとか肌がきれいだとか、年相応の顔だとか、そんな感想を抱くことは無かった。

 

私のお母さんとゆー君がお母さんと言った女の人がお互いに頭を下げていた。

今となれば会釈をしていたとすぐに分かるんだけど、当時の私はもしかして知っている人なのかなと言う感想を抱いていた。

 

「お母さんお母さん!」

 

ゆー君の何度も声をあげて手招きしている姿は新鮮で、私たちももっと仲良くなれたらこんなゆー君が見れるのかなって幼いながらも思った。

 

ゆっくりと優しい笑顔を浮かべて近くに来たゆー君のお母さん。

私たちはどんな顔をすれば良いのか分からなくてきょとん、となった。なんだかゆー君と初めて会った時のような表情になっていたらしい。

 

そんなどうしていいか分からなかった私は、次の瞬間には笑顔を浮かべていた。

きっかけはゆー君が彼のお母さんに発した第一声。

 

「今日、友達(・・)が出来たんだ!」

 

自己紹介もしたし、一緒に遊んだ。

もう友達だよね、私たち。

 

ゆー君はお母さんが戻ってくるのを待っていたから、もう公園にいる必要はないのだろう。

小さな顔で私たちに帰るね、と言う言葉とありがとう、と感謝の言葉を貰った。

 

私はどういたしまして、と晴れ晴れとした気持ちを持っていたと同時にもう帰っちゃうんだって寂しさも覚えた。

 

良く公園で遊んでいるけど、ゆー君を見たのは今日で初めてだった。

その事実がもうゆー君に会えないかもしれないって感情を沸かせたのかもしれない。

 

ゆー君と彼のお母さんは二人並んで公園の外に出て行く。

私たちは今日一緒に遊んだ彼をボーッと見つめていた。

 

 

ゆー君がクルッと振り向いて私達に大きく手を振った時は流石にハッとしたっけ。

 

 

「かすみちゃん、あすかちゃん!またね!」

 

バイバイではなくて、またね。

その言葉を聞いただけで、また会えるって私は思ったんだ。

 

 




@komugikonana

次話は1月17日(日)の22:00に公開します。

新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
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~次回予告~

「あっちゃん!こうえんにいこっ!」

ゆー君と初めて会って、一体幾つもの日を跨いだのかは分からない。なぜなら当時の私にカレンダーを眺める、と言う習慣が全くと言っていい程無かったからだ。

かなり大げさに言っているけど、対して遠い時間軸ではない。私たちの服装がそこまで変化していないから。

当時は今の様に携帯電話が普及していない時代。まだまだ大きい携帯電話で、持っている人が少なかったからいつ公園に行けばゆー君がいるのか分からない。
だからこそ毎日ドキドキしながら公園に向かっていた。例えるならばたまにお母さんと行くデパートでカプセルトイのレバーを回すときのような気分だった。

「あ、ゆーくんっ!」


では、次話までまったり待ってあげてください。


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思い出の赤いお守り④

「あっちゃん!こうえんにいこっ!」

 

ゆー君と初めて会って、一体幾つもの日を跨いだのかは分からない。なぜなら当時の私にカレンダーを眺める、と言う習慣が全くと言っていい程無かったからだ。

 

かなり大げさに言っているけど、対して遠い時間軸ではない。私たちの服装がそこまで変化していないから。

 

その間にあの公園で何回かゆー君と出会って、会うたびに一緒に遊んでいた。

最初は砂遊びがほとんどだったけど、お花摘みや鬼ごっこなど様々な遊びをした。

やっぱり男の子であるゆー君は走ると私達より速い。だけど摘んだ花のほのかな香りには無頓着だった。

 

当時は今の様に携帯電話が普及していない時代。まだまだ大きい携帯電話で、持っている人が少なかったからいつ公園に行けばゆー君がいるのか分からない。

だからこそ毎日ドキドキしながら公園に向かっていた。例えるならばたまにお母さんと行くデパートでカプセルトイのレバーを回すときのような気分だった。

 

「おねえちゃん、まってよー!」

 

妹のあっちゃんが走る私を追いかけてくる。

そのあっちゃんは20センチくらいのボールを胸に抱えている。このボールはおばあちゃんから貰ったもので、ゆー君と一緒に遊びたかったから公園に行くときはいつも持って行っていた。

 

いつもならお母さんが持ってくれるんだけど、今日は用事があるらしくいない。

お母さんから今から私たちだけで公園に行くことは反対していた。もう少し経てば用事も終わるからと。

だけど小さくて我慢が嫌いだった私はわがままを言ってしまった。

 

お母さんは許してくれたけど、知らない人に声を掛けられたら近くの大人に大きな声で助けを呼ぶ事を強く約束された。

 

「あ、ゆーくんっ!」

 

どうやら今日は運が良いらしい。

公園に着くとゆー君と彼のお母さんがいた。

 

ゆー君は私の声に反応して大きく手を振ってきたから、私も負けじと小さい身体を精一杯使って手をブンブンと振った。

嬉しさと、安堵の気持ちが砂浜に寄せてくる波のように絶えずやってくるから、自然と表情がぷにぷにとした柔らかい物となる。

 

「ゆーくん!ボールであそぼっ!」

「うん!」

 

私の問いかけに肯定してくれる。そして同時に私の心の中は誇らしい気持ちに満ち足りて行った。

なんだかおばあちゃんを讃えてくれているように感じたから。

 

お城の塀のように高くそびえたつ木のふもと、爽やかな風が私たちと同じくソワソワとし始める。

 

ゆーくんのお母さんが見守ってくれる中、私たちは優しくボールを空に向かって投げる。

あっちゃんとは何回かボール遊びをしたことがあるけど、初めて遊ぶ時のような感じだった。それはきっと男の子と、いや、ゆー君と遊ぶからなのかな。

 

ふわふわとした軌道でも、少しの風でボールがブレてしまって意外とキャッチするのが難しかった。

けれどコロッと落としてしまうたびに笑い声が私達だけの空間に溢れる。

それは相手を嘲笑う笑い声では無くて、つい吹き出してしまってお腹を抱えてしまう時の笑い声。

 

「ちょっとジュース買って来るから、この調子で遊んでてね」

 

ゆー君のお母さんがそう言ったから私たちは元気よく返事をした。

確かその時は3人ともはーい、と言う元気とも腑抜けとも捉えられる返事をしたような気がする。

 

きっと楽しかったから、他の事はどうでも良いって思っていたのかもしれない。

普段からぎこちない足取りなのに、この時はもっと浮足だった。

 

 

「ゆーくん、あっちゃん!だれがそらたかくこのボールをなげられるか、きょうそうしようっ!」

 

もっと楽しい遊びがしたくて、私は他の二人に提案をした。

たまに他の公園で10歳くらいの人たちが野球ボールを空高くまで投げてキャッチする姿にあこがれと私もやってみたいという衝動がその発言をした真意だった。

 

もちろんまだ視線も低い私たちだからそんなに高くボールが上がらない事も分かっている。

私もやってみたい。そんな子供なら誰しもが感じたことのある、良く分からない気持ちが背中を押した。

 

そしてそれは私だけでは無くて、ゆー君もあっちゃんも同じ思いだった。

だって二人とも気持ちのいいくらいの同意の声と、顔を縦に揺らす仕草に現れていた。

 

「よーし、わたしからっ!それーっ!」

 

身体中のありとあらゆるバネを使ってうんしょ、とボールを空に放り投げる。

キラキラの太陽とボールがキラキラと輝いていてとても綺麗だった。

 

あっちゃんは私よりも小さな身体なのに私と同じくらい、もしかしたらもっと上に行ったんじゃないかと思うくらいで、思わず感嘆の声をあげる。

そして同時に尻もちをつくあっちゃんと、その後を追うようにポテンと落ちるボールがとてもおかしくって大笑いする。

 

「もっと、とんでけーっ!」

 

口には出さなかったけど、あっちゃんに負けた気がしてちょっと悔しかったから尻もちをついても良いくらい思い切りボールを上に投げた。

 

わわわ、と身体がバランスをとれなくなってずてんと尻もちをついた。

ちょっと痛いけど、どれくらい高く舞い上がったのか早く見たくてすぐに空に目を向けた。

 

 

けれど、空一面に目をやっても私の投げたボールの姿は無かった。

もう落ちてしまったのかな、と思って地面をキョロキョロと探してみても答えは同じだった。

 

ゆーくんとあっちゃんが同じ方向を見ていたから私もみんなの視線の方に目を向ける。

 

その先には公園で一番高い木がお城の塀みたいにそびえたっているだけ。

よく目を凝らしてみると、どうして二人が木を覗き込んでいるのかが良く分かった。

 

「ボールが木の枝にひっかかっちゃった……」

「おねえちゃん、どうしよう……」

 

誰よりも空高くボールを上に投げたい。

その気持ちが裏目に出た結果、こうなっちゃったんだって幼いながらも覚えている。

 

木登りなんてしたことなんて無いし、もしそんな経験があったとしても、私たちの身長の何倍、もしかしたら何十倍も高さもあるボールが引っかかった枝までたどり着けない。

 

頭の中で、おばあちゃんがあのボールを私にくれた時の笑顔が浮かんだ。

同時に心がチクッと痛くなって、段々と視界がぼやけてきた。

 

手で擦っても溢れ出てしまう涙。

我慢しようと思えば思うほど溢れ出てきてしまって、思わず声を出してしまった。

 

その時、私の頭の上に優しくて小さい、だけど心強そうな手が置かれた。

必死に目を拭って視界を明るくさせると、目の前にはゆー君がいた。

 

私は間違いなく、この時に不思議な気持ちを抱いた。

それが今になってはどんな感情を抱いたのかってすぐにでも分かるけど、当時は何か分からなかった。

 

当時はただ、ドキッとして、無意識にゆー君を見つめてしまっていた。

 

「かすみちゃん、なかないで」

「……うん」

「だいじょうぶだよ、かすみちゃん」

 

 

 

ぼくが、ボールをとりにいくから。

 




@komugikonana

次話は1月24日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

ぼくが、ボールをとりにいくから。

私の頭の上に優しく手を置いて、お手伝いをしてお母さんに褒めてもらった時のような声でゆー君は確かにそう言った。

色んな感情が湧いた。
伝えたいことは口に出さなければ伝わらないから、私は息を整えて、声が裏返りそうになっても君に言わなくちゃいけない事を言おうとした。

だけど私は口には出せなかった。

「かすみちゃん、あすかちゃん。まっててね」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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思い出の赤いお守り⑤

ぼくが、ボールをとりにいくから。

 

私の頭の上に優しく手を置いて、お手伝いをしてお母さんに褒めてもらった時のような声でゆー君は確かにそう言った。

 

色んな感情が湧いた。

 

あの高さまで行くのは危ないよ。

お母さんが来るまで待っておこうよ。

でもお母さんが来たら危ないから諦めなさいって言うのかな。

もしそうなったら嫌だな。

ゆー君がもしケガをしちゃったら。

 

伝えたいことは口に出さなければ伝わらないから、私は息を整えて、声が裏返りそうになっても君に言わなくちゃいけない事を言おうとした。

 

だけど私は口には出せなかった。

そしてゆー君の言葉にうん、と頷いてしまった。

 

「かすみちゃん、あすかちゃん。まっててね」

 

私たちと遊んでいる時には見せることのない真剣な表情に私たちも硬くなる。

大きな木の下までは3人一緒に行った。そこから先に行くのはゆー君だけ。

 

ゆー君は木に足をかけたり、手で掴まれそうな部分を探している。

彼は小さな声でよし、と言って木に登り始めた。

 

大きな背丈の木に登るのは間違いなく大変なことで、下から見ている私たちは手を合わせてゆー君の無事を祈る事しかできなかった。

 

さっきまで横に居たのに段々とシルエットが小さくなっていき、遠くなっていくゆー君。

私はどうしてか胸が締め付けられて、私もゆー君の傍に居てあげたいって思った。

だけどそれは叶わないという事は分かり切っていた。

 

「ゆー君って木登り上手だね!」

「うん、そうだね」

 

あっちゃんがもうすぐボールが引っかかってしまった枝の近くまでたどり着きそうなゆー君に嬉々とした声をあげる。

対する私は漠然とした不安感でゆー君を見つめることしか出来なかったから、あっちゃんの言葉にも相槌を打つ事以外に対応する手段を見つけられなかった。

 

後もう少し手を伸ばせば太い枝までたどり着くことが出来そう。

ゆー君の行動一つ一つをヒヤヒヤしながら見ていた私はもしかしたら彼より心が擦り切れているのかもしれない。

 

「あ、あったよボール!もうちょっとだからまっててね」

「うん!」

 

あっちゃんがすごいすごいと言って小さくピョンピョンと飛び跳ねる。

太い枝にまたがってバランスが取れていそうなゆー君を見て、初めて肩から力がふっと抜けた。

そうなったのもつかの間、私の心がヒヤッとした。もう何回目か分からないけど、何回経験しても涙が出てしまいそうになる。

 

「ゆーくんっ!そのさきのえだ、ほそいからボールにちかづいたらあぶないよっ!」

 

もちろん遠近法も関係しているだろうけど、ボールが引っかかっている枝は線のように細く見えて、もしゆー君が体重を預けてしまったら間違いなく落っこちてしまう。

 

「ゆーくん!そこからえだをゆさゆさしてみてー!」

 

あっちゃんの提案にゆー君は頭を縦に頷かせて揺らし始める。

木の葉と木の葉が重なり合うガサガサと言う音が鳴り響いて不気味に感じた。そして落っこちてくるのは良く分からない木の実と青々とした葉っぱ。

 

「うひゃああ、けむしー!」

 

そして毛虫も落ちてきた。

私も思わずヒッ、と声を出してしまった。あっちゃんは大パニックになってしまっているけど。

 

下の様子を見たのだろうゆー君は枝を揺らすのをやめた。

私たち姉妹はお互い服を見せ合いっこして毛虫が服に着いていないかどうかの確認をした。

 

こんなにも色々な物が落ちてくるのにボールだけはびくとも動かないありさまに私たちは頭をうならせた。

一層の事、ゆー君も降りてきてほしかった。ボールが取れなかったからってゆー君を責める資格なんて無いのだ。

 

木の上にいるゆー君は周りを見渡していた。

何を考えているのかはゆー君にしか分からないけど、ボールを取ることを諦めていない事は私にも分かった。

 

「さきにいけなくても、とどけばいいんだ!」

 

ゆー君が大きな声をあげた。その後近くにあった細長い木の枝を折った。

私には想像も出来ない方法を思いついたみたいだった。

 

以前ゆー君と遊んでいる時も、私たちには思いつかないような事をしたりしてて、ゆー君は賢いんだってぼんやりとは思っていた。

 

ゆー君が短い手を精一杯伸ばして、枝を用いてボールをツンツンと突く。

ボールもユラユラっとし始めて、本当に取れるんじゃないかと感じて私は目を瞑りながらもう一度胸の前で手を握った。

 

するとぼてん、と言う音が聞こえた。

 

目を開けるとボールが私たちの前でバウンドしながら転がっていた。

バウンドの高さは今まで見たことなくて、それほど高いところから落ちてきたんだ。残念な事だけど、当時に私にはそんなことまで頭が回らなかったけど。

 

「ゆーくんすごい!」

 

あっちゃんが転がっていくボールを掴んで、すぐさまゆー君に見えるようにボールを空に掲げた。

一番ほっとしたのはゆー君なのかもしれない。彼はニッコリと笑っていたけど太い木の枝にまたがりながらだったからクタクタなのかもしれない。

 

気持ちだけ休憩した後、ゆー君は降り始めた。

私たちの心の中では、途中ぐらいからお母さんに戻ってきて欲しい反面、すごく怒られちゃうんだろうなって思っていた。

それはゆー君も同じことだったみたい。

 

後はゆー君が無事に降りてくることが出来れば、またさっきまでのようにボールを使って遊べる。

そして悪い事だけどお母さんが戻ってきたらいい子だったねと褒めてもらおう。

 

 

 

確か、その時だった。

 

 

 

「うわっ!」

 

ゆー君が足を滑らせてしまったのは。

降りてきている途中だったけど、それでも私たちが見上げるような高さに彼はいたはず。

なのに一瞬にして彼の姿が近くなっていく。

 

私たちは急な出来事過ぎてズドン、と鈍い音を立てて落ちてくるゆー君に何もしてあげることが出来なかった。

 

「ゆーくんっ!」

 

こんな事になってしまうなんて、考えてもいなかった。

ううう、と低く唸る彼を、私は大声で喚きながら揺すった。

 

もしかしたら死んじゃうのかも。

今となればそんな事あるわけないじゃん、って思うけど当時の私には、そして当時の状況からは本当にそう思った。

 

 

数分後、どこかでバッタリ会ったのだろうゆー君のお母さんと私のお母さんが公園までやってきた。

ここから先は、ただただ私が大声を出して泣いていた事しか覚えていない。

 

 

 

 

 

 

 

数日後。

私とあっちゃんと、お母さんはある場所に向かって歩いていた。

私たちが今まで来たことのない遠い場所だという事ぐらいは歩きながらでも分かった。

 

ゆー君が木から落ちてしまった日と違って、この日はボールではなく、箱を抱えて持っていた。

この箱にはお菓子が入っているらしい。お母さんがそう言っていた。

 

見たことのない場所。見たことのない建物。

そして見慣れない地形と見たことのない大人たち。

 

何分歩いたのか分からないけど、ようやく目的地に着いたみたい。

お母さんがインターホンを鳴らした。

 

すぐにドアが開いた。

今日初めて見たことのある大人の人を見つけた。

 

「ゆーくんのおかあさん……こんにちは」

 

ゆー君のお母さんは明るい声でいらっしゃい、と言ってくれたけど私はいつものように元気よくこんにちは、とは言えなかった。

 

お母さんにそそのかされて、胸に抱えていた箱をゆー君のお母さんに渡した。

私のお母さんとゆー君のお母さんが何やら話していたけど、当時の私には難しい会話だったように聞こえた。

 

私は服のポケットに手を突っ込む。

やっぱり、辞めた方が良いのかな。

 

「ねえ、香澄ちゃん」

 

ゆー君のお母さんが私の視線に合わせてしゃがんでくれて、優しく話しかけてくれた。

私は目を点にしながらパチクリと瞬きをした。何を言われるのか分からなかったから。

 

「悠仁に、会いたい?」

 

私の頭の上にビックリの記号が浮いたんじゃないかと言うくらい驚いた。

そして思わず顔を縦に振った。

 

家に上がらせてもらって、リビングに着くとゆー君がいた。

いつもとあまり変わりないけど、右足にはグルングルンに巻かれた包帯。

 

「……ゆーくん、あるけるの?」

「おいしゃさんはあるけるけど、ときどきいたくなるっていってた」

「ときどき?」

「うん。ぼくがいきていくじんせいでずっと、なんだって」

 

ゆー君は柔らかい表情で言った。

私がゆー君だったら、絶対にこんな笑顔で言えないよ、そんな事。

 

当時の私でも分かった事は、ゆー君の家から私たちが良く行く公園は遠い事と、ゆー君は足が痛いという事。

もう二度と会えなくなるんだ、ゆー君と。

 

泣きたくなったし、ゆー君をぎゅっとしたかった。

 

「ゆーくん。これ、あげる。ボールをとってくれたおれい」

「ありがとう!なに、これ?」

「これはね……」

 

私がゆー君に会ったら渡そうとしていたものをポケットから取り出して彼に渡した。

ケガをさせてしまったゆー君に、もうケガをしてほしくなかったゆー君に。

私がお母さんと一緒に作ったもの。

 

「おまもり。ゆーくんがケガしないように」

「ずっと、だいじにする!」

 

ゆー君は私の作った赤いお守りを受け取って大事そうに手に取った。

お母さんはそろそろ帰りましょ、と言ったので私とあっちゃんも帰ることにした。

 

ゆー君は歩けないから、玄関ではなくリビングでお別れ。

私の顔は沈んだままだった。やっぱりゆー君の足に巻かれた包帯がすごくて、それほど大変な事を私はやってしまったのだと思ってしまうから。

 

私が、無理してボールを空高くまで投げなかったらゆー君はケガしなかったのだから。

 

「香澄ちゃん、元気だして。悠仁も強がってるけど、あの後香澄ちゃんたちが居なくなってから大声で泣いたのよ?『いたいよ、いたいよー』って」

「おかあさん!」

 

ゆー君のお母さんの言葉は今思えば、元気のない私を励まそうとしてくれたのだって分かる。

当時の私は、やっぱり泣くほど痛かったんだって改めて思わされたんです。

この時ゆー君の顔が真っ赤になっていたのは私たちの前では強がっていた事をばらされて恥ずかしかったのだろう。

 

「かすみちゃん!」

「ゆーくん……」

「またね!」

 

ゆー君は元気にまたねと言ってくれた。

私は最後くらいは、と笑顔を作ってゆー君の方を向いた。

 

「ばいばい、ゆーくん」

 

私は敢えて「ばいばい」と言った。

もう私はゆー君に会ったらいけないんだ。だからまたねではなくて、ばいばいなんだ。

 

そしたらゆー君はこんな事を言った。

 

「こんどはぼくがかすみちゃんにあいにいくね!」

 

このあかいおまもりをもって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから10年くらい経って、本当に悠仁先輩と出会えた。

昔の約束だから忘れているかもだけど。

 

もし悠仁先輩があの時のお守りを持って、また会ってくれたら、それはとても素敵な事だよね。

 

 




@komugikonana

次話は1月31日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

「今日のところはこんなもんかな」

勢いよく椅子の背もたれに体重を預けてうーん、と背伸びをする。
長年使ってきたこの椅子もギシギシと文句は言うものの、しっかりと僕を支えてくれる。

テレビを付ければほとんどはクリスマス特集がほとんどで、普通なら年末で残すところわずかの今年を気ままに、浮ついた心のまま過ごす時期だろう。
僕だって年末年始は面白い番組があったり、母さんが張り切って料理を振舞ってくれたりといつもなら気楽な気持ちで今を過ごしたい。

だけどそんな想いは今の自分にはない。
今年の自分には、と言い換えた方が良いかもしれないけど。
「でも大丈夫。今まで頑張れたのも彼女の……」

お陰だから、と口にしようとした瞬間に僕の携帯が音を立てた。
相手はどうやらその彼女みたいで、タイミングが完璧だなぁ、と微笑みながら通話を開始する。

今日の彼女はきっと。



では、次話までまったり待ってあげてください。


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ライブ前日、僕の気持ち

 

「今日のところはこんなもんかな」

 

勢いよく椅子の背もたれに体重を預けてうーん、と背伸びをする。

長年使ってきたこの椅子もギシギシと文句は言うものの、しっかりと僕を支えてくれる。

 

テレビを付ければほとんどはクリスマス特集がほとんどで、普通なら年末で残すところわずかの今年を気ままに、浮ついた心のまま過ごす時期だろう。

僕だって年末年始は面白い番組があったり、母さんが張り切って料理を振舞ってくれたりといつもなら気楽な気持ちで今を過ごしたい。

 

だけどそんな想いは今の自分にはない。

今年の自分には、と言い換えた方が良いかもしれないけど。

 

「年が明けたらもうすぐ本番なんだよな……」

 

ペンをクルクルと回しながら今まで解いていた問題集を見つめると、自然と言葉が出てしまった。

最近は一人で勉強している事が多いし、アルバイトで余計なストレスを抱えているという事も相俟って独り言が増えたような気がする。

 

「でも大丈夫。今まで頑張れたのも彼女の……」

 

お陰だから、と口にしようとした瞬間に僕の携帯が音を立てた。

相手はどうやらその彼女みたいで、タイミングが完璧だなぁ、と微笑みながら通話を開始する。

今日の彼女はきっと。

 

「もしもし?」

「悠仁先輩っ! えっと……今、勉強大丈夫ですか」

「大丈夫だよ、戸山さん」

「むぅ……」

 

電話越しでも戸山さんが頬を膨らませている事が想像できて、いけない事だけど、僕は少し笑ってしまった。

可愛いというか、憎めないというか、愛おしいというか分からないけど勝手に僕の心が満たされて自然と笑みがこぼれてしまうんだ。

 

「ごめんごめん。香澄ちゃん」

「はいっ!」

 

ぱあ、と表情が明るくなったかのような声で反応する戸山さん。いや、香澄ちゃん。

最近は香澄ちゃんと呼ばないと反応してくれなかったりする。そのプイッとした仕草も僕の心をくすぐる。

 

「ついに明日だね。今からでも楽しみだよ」

「えへへ。ぜーったい、キラキラしたライブになりますよっ!」

「香澄ちゃん、緊張してない?」

 

思わず口にしてしまった「緊張」と言う言葉を言ってしまって、僕は少し息が詰まったかのような声を出してしまった。

 

今まで何度もライブをしてきているから、もしかしたら僕の気持ちは杞憂かもしれない。

でも人間だったら全く緊張しない事とか無いだろうし、本番前に言ってしまったら余計プレッシャーが付きまとってしまうのではないだろうか。

 

「やっぱり、分かりますか?」

「ごめん、余計緊張させてしまったかな」

「ううん、そんな事ないですっ!」

 

香澄ちゃんは僕より年下だけど、僕より何歩も先に行ってるような感じがした。

 

そう思うのも無理はないのかもしれない。

普通の人間だったら人前で技術を披露する機会なんて無いし、戸山さんに限ってはその技術を販売までしてる。

今回のライブだって、来場にお金がかかる。僕もアルバイトをして時々感じることでもあるのだけど相手からお金を貰って商売するという事は日常に紛れて忘れがちだけどすごく責任のあること。

 

サービスの対価がお金。

僕がもし何か出来る能力があって、それをお金に換算した場合、いくらの値が付くのかな。

 

「あ、悠仁先輩は明日のライブ、無料で入れますから」

「えっ!? そうなの?」

「はいっ! 私が招待しましたからっ!」

 

きっと電話越しでも、えっへんと胸を張っていそうな声で香澄ちゃんは言ってくれた。

お金がかからない事は喜ばしい事なんだけど、どうしてか罪悪感もひしひしと感じた。

 

人の心と言うのかな、みんながやっているのに自分は免除されることによる申し訳なさと言うのかな。

 

「ちょっとくらいはお金、払わせてほしいかな」

「だめですっ! 好意に甘えちゃってください!」

 

そこまで言われると折れてしまう僕は、もしかしたら典型的な日本人思考なのかもしれない。

もちろんそれが悪い事ではないのだけれど。

 

ただ曲を聞いてすごかったね、と伝えるだけでは何だか申し訳ない。

ライブが終わったら何か飲み物でも奢ってあげようかな。他にも食べたいものがあったら何でも。

 

「それと悠仁先輩。お願いがあるんですけど、良いですか?」

 

僕は何も考えず、ただもちろんと言う言葉を彼女に投げかけた。

 

香澄ちゃんからのお願いだったら何でも叶えてあげたくなるのは昔から変わらないのかもしれない。

そう思わせるのは、ただ僕が香澄ちゃんの笑顔を見たいというたった一つの単純な想いなんだ。

香澄ちゃんの笑顔が好きなんだよね、僕は。

今もその想いを心の手でふんわりと包み込みながら香澄ちゃんのお願いを待つ。

 

耳を澄ませば彼女の吐息が時折聞こえてきて、耳元でコソコソと秘密を共有している時のような感情が僕の鼓動を熱くさせる。

 

「明日、私と一緒にライブハウスまで行ってくれませんか?」

「香澄ちゃんさえ良ければ、一緒に行こうよ」

「ありがとうございますっ!」

 

電話だから香澄ちゃんの表情は分からない。

分からないけど、僕の心が満たされていくのを感じた。

 

 

その後はちょっとだけ他愛もない話をしたくらいで通話は終了した。

明日はライブ当日だから夜遅くまで香澄ちゃんを付き合わせてはいけないし、僕も明日は思いっきり楽しむつもりだから明日に備えて眠らなきゃ。

 

普段ならまだ起きている時間だけど、部屋の照明を一気に消す。

さっきまで目がチカチカとするほどの明るさだった僕の部屋に、突然の暗闇がドサリと覆いかぶさる。

 

そんな状況の中、ベッドに全体重を預けてコロンと転ぶ。

そのまま目を閉じれば、不思議と空をプカプカと浮かんでいるような感覚になる。

 

「受験が終わったら……」

 

香澄ちゃんに告白をしよう。

ちゃんと彼女の目を見て、好きです、なんて平凡でも味気ない言葉でも良いから伝えよう。

 

僕は好きなおかずとかデザートはすぐに食べてしまうタイプなんだけど、恋はどうやら違うらしい。

高校3年生にもなって初めて知る僕の内面に口を緩ませる。

 

もしフラれてしまったら、なんて考えたくないけど考えてしまうのがなんだか僕らしい。

今の関係が崩れてしまうかもしれないよ、とあまり聞いても気持ちが良くならない囁きもどこかから聞こえたりもする。

 

だからこそ、告白は後回しなのかもしれない。

後回しが悪い事ではない。とっておきは最後にとって置くのがアニメのヒーローではお約束だしね。

 

「うーん、なかなか寝れないなあ」

 

右に左にと寝返りをしては、寝やすい体勢を探るけど、意識を手放すのはもう少し先になりそうだ。

こんな時に僕はいつも小さな音量で音楽を鳴らすようにしている。

そのまま寝落ちしてしまうと朝まで音楽が鳴りっぱなしなのが悩みの種なんだけど、心がゆったりとして、うーんと背伸びをした時のような心地のよさが身体を包み込んでくれるからこの習慣は辞められない。

 

「せっかくだし、明日の予習をしながら寝ようかな」

 

携帯で香澄ちゃんたちのバンドが出しているアルバム音源を流す。

こうやって寝るまで音楽を流す習慣の影響で、音楽を聴くと反射的になんだか眠たくなってくる。

明日のライブで眠たくなってしまわないか、とほんの一握りの不安が頭をよぎった。

 

でも音源と実際の音では別物だし、大丈夫だろう。

 

そう思うと、僕の身体から疲れがプクッと泡のようになって弾けていくような感覚になってきた。

もうすぐでぐっすりと眠れそうだ。

 

そんな状況の中、僕の耳は香澄ちゃんたちの曲で一番好きな曲のイントロを招き入れた。

もうすぐ好きなフレーズが流れてくるんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

それは明日のお楽しみになりそうだ。

明日は香澄ちゃんたちが目の前で、歌ってくれるのかな。

 

 




@komugikonana

次話は2月7日(日)の22:00に公開します。
新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
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~高評価を付けて頂いた方をご紹介~

評価9と言う高評価を付けて頂きました アイス52さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援、よろしくお願いします。

~次回予告~

この年になって一度も行った事のないライブ。一体どんな服装で行けば大丈夫なのだろうか。
動きやすい服装が良い感じはするけど、行きは戸山さんと一緒に向かうから最低限のオシャレはしたいって心がわがままを言っている。

別に香澄ちゃんの前で格好つけても印象は変わらないって、と何度も心に問いかけてもかっこよく見られたいじゃん、と返事が帰って来て思わず右手で頭をワサワサと掻いた。

瞬間、部屋のドアがトントンと鳴らされる。
「なんで母さんがいるの!?」
「なんでって言われても、ここは家なんだからいるのは当たり前でしょ」

次回、「ライブ当日、僕と母さん」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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ライブ当日、僕と母さん

布団の中にいるのにつま先がヒヤッとした感じがして、目が覚めた。

久しぶりにアラームを設定しなかった僕は、部屋が冬の日差しで明るくなっているのに無意識にもう一度目を閉じたくなる。

 

寝起きのぼやけた視界で時計を見ると、すでに10時を過ぎていた。

単純計算で11時間寝ていたことに気付いた時に、寝起きの身体がやけに重たい事の理由が分かった。

 

「無意識のうちに疲れてたんだろうな」

 

ため息と同時に零れた僕の呟き。

誰にも聞かれないで良かった、なんて思ってしまう。やはり周りの声と同じで受験勉強とバイトの掛け持ちは負担がかかってしまっている事を自白したようなものだから。

 

母さんや坂本には全然平気だから、とか言っておいて、今の弱音を聞かれたらなんて言われるか。

 

「でも、この疲れも今日でぶっ飛ばしてくれるよね?」

 

透き通った青空と二階から見下ろす見慣れた道を見ながら、僕はまるで誰かに語り掛けた時のように呟いた。

例えのように言ったけど、実際僕は心の中である人を思い浮かべたのだから間違ってはいない。

 

 

すっかり重たくなってしまった身体をなんとか持ち上げて背伸びをする。

その時にどうしてかズキッと右の足首付近に鈍痛が走った。

 

いつもだったら顔をしかめて足首を抑えるのだけど、今日はなんだか懐かしい感じがしてフフッと笑ってしまった。

偶然起きたはずなのに、まるで必然的なタイミングだなって思いながら。

 

まだ服に着替えるのも早いかな。

そう思いながらもクローゼットの前まで自然と足が僕を向かわせる。

 

この年になって一度も行った事のないライブ。一体どんな服装で行けば大丈夫なのだろうか。

動きやすい服装が良い感じはするけど、行きは戸山さんと一緒に向かうから最低限のオシャレはしたいって心がわがままを言っている。

 

別に香澄ちゃんの前で格好つけても印象は変わらないって、と何度も心に問いかけてもかっこよく見られたいじゃん、と返事が帰って来て思わず右手で頭をワサワサと掻いた。

 

 

瞬間、部屋のドアがトントンと鳴らされる。

なんで、と思うよりも前にドアが開かれた。

 

「お楽しみのところ申し訳ないんだけど、お邪魔するね」

「なんで母さんがいるの!?」

「なんでって言われても、ここは家なんだからいるのは当たり前でしょ」

 

別に母さんに部屋の中に入られてもまずい物とかは無いんだけど、何よりクローゼットの前でブツブツと呟きながら服を吟味している姿を見られたことが顔をどんどんと火照らせる。

 

そんな僕の姿を見て、笑いをこらえる母さん。

家族なのに変な事を言ってしまうけど、こうやってゆったりとした空間で母さんと会うのが久しぶりだった。

 

笑いをこらえる無邪気な母さんの顔を見るのは、もっと久しぶりに感じた。

 

「いつも頑張っているんだから、たまには息抜きも良いんじゃない?香澄ちゃんとデートかな?」

「デートじゃないって」

「香澄ちゃんと、は否定しないんだ」

「う、間違ってないから否定しないだけ。……それで、何か用でもあった?」

 

いじられた悔しさから反抗しようとしても、一癖も二癖もあるような客を接待している母さんに勝てる訳もないから無駄な抵抗はしない。

……と言う理由もあるんだけど、本当は、母さんにだけは嘘をつきたくないって理由もある。

 

「用事って訳じゃなくて、言いたいことがあったから」

「うん? それだったら携帯にメッセージを送ってくれたら良いのに」

「直接言った方が良い時もあるでしょ?」

 

母さんの言葉を聞いた時、急な飛び出しをしてきた自動車を目の当たりにしたように、心臓がグッと縮こまった。

昔、父さんが倒れてしまったと聞かされた時と、業況が一致してしまったからだと思う。

 

「何か、あったの?」

 

僕はクローゼットに掛けてある服から手を放して、恐る恐る聞き出す。

少しずつ足が震えているけど、平然を装ってヘラッとした顔をする。

 

だけど内心は全くそんな事なくて、心臓がギュッと縮こまりながらドクドクと鼓動を走らせていた。

 

母親はクスッと笑った。

きっと、俳優でも何でもない一般人の僕がする偽物の表情をすぐに見抜いてしまったのだろう。

だけど、笑う事はないじゃないかと目で訴える。

 

口には、言葉にはしないけど、僕の唯一の肉親なんだ。心配するのは当たり前だろう?

 

「そんな深刻な事じゃないよ。仕事、辞めるだけだから」

「仕事を、辞める?」

「そ。この前何気なく受けた健康診断で引っかかっちゃってさ。それに年頃の息子がいるのに仕事を掛け持ちして、夜の仕事までして、気を遣うでしょ?」

「……」

「現に、大学の学費の事を気にしてバイトしてるんでしょ?」

 

やっぱり母さんにはバレていたんだ。バイトをしているって。そしてそれを学費の一部に充てようと考えていた事まで。

やっぱり僕の母親だから、自分の子供の事が分かるんだな。

 

だけど一つだけ、間違ってるものもある。

 

「学費の事、じゃないよ。母さんが無理してるって知ってるから、ちょっとでも楽をさせたいって思ってバイトをしてるんだ。自分が学費を負担すれば、母さんも楽になれるはずだから」

 

こんな状況でも、面と向かって話すのは恥ずかしくて顔を下に向けてしまう。

受験勉強と言う自分との戦いの後にバイトをしている時でさえ、一日の疲れが塵のように積もって行ってしんどいのに、母さんは昼から日付が変わるくらいまで仕事をしている。しかも掛け持ちだ。

 

「……ありがと」

「それで、健康診断で引っかかったって……病気が、見つかったとか?」

「ポリープってやつ。私の場合はちょっと厄介なとこにあるのと、大きいから入院して手術しなきゃいけないんだって」

「そ、そっか」

 

僕が俯いていると、母さんは頭の上に手を置いて撫でてきた。

とても懐かしくて、恥ずかしくて。でも小さい頃の思い出のように小さくて柔らかな手では無くて、ガサガサとした野暮ったい手だった。

 

「大丈夫、死なないから」

「わ、分かってるよ!」

「それに学費も心配しなくて良い」

 

母さんはポケットから通帳を出して、僕の目の前でヒラヒラとさせた。

通帳の名義は僕の名前だったけど、僕が普段使用しているものではない。母さんが僕の教育費のために作って、コツコツ貯めていたのだろう。

 

「……と言っても、私立だと厳しいけどね」

「母さん……」

「子供のしたい事を全力で応援する。それが親ってもんでしょ? まぁ、私は頼りないダメな親だけどさ」

「そんな事、無かったよ」

「社会人になったら嫌でも働かなきゃいけないんだから、学生時代くらいはやりたいことを自由にやりなさい」

 

これは母さんなりのエールなのかもしれない。

バイトをすることが悪い事ではない。社会勉強にもなるから。

 

でも母さんが言いたいことはきっと違う。

しんどい思いをするぐらいだったらバイトはしない方が良い。それが社会勉強と言う名目から外れているのであれば。

バイトは「金を稼ぐ手段」じゃなくって、社会勉強の対価として「金が貰える」のだと。

 

母さんは部屋から出て行った。

僕はどうしてか涙が溢れてしまいそうになって、家にいる母さんにこんなところを見られたくないから急いで適当な服を見繕った。

 

 

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 

リビングから母さんの声が聞こえた。

当たり前のやり取りなのに、今まで無かったこの感覚。

 

「母さん、今まで迷惑かけてごめん! ありがとう」

 

そう僕は言い残して家を出た。

もうすでに僕の目からは涙が零れ落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母さん、今まで迷惑かけてごめん! ありがとう」

 

悠仁がそう言ってから出掛けた。きっと香澄ちゃんとデートだろう。

私は夫の目の前に座って、夫に手を合わせた。

 

夫の遺影は優しく微笑んでいた。

 

私は耐え切れず、赤ワインを取り出した。

これは夫も大好きだった赤ワイン。朝からお酒を飲むなんて悪い事をしちゃうね。

 

ワイングラスを二つ、私と夫の前に置く。

 

「乾杯」

 

夫の遺影の前に置いたワイングラスと私のグラスを近づけてチンと鳴らしてグッと飲む。

そしてこらえる必要はなくなった。

 

そう思えば目から次々と涙が零れ落ちた。

こんな姿を悠仁の前で見られたら恥ずかしいから。夫の前でだけ、泣くって決めたから。

 

「私にあんな嬉しい言葉を掛けてくれるなんて思わなかった」

 

まだもうちょっと、貴方のいる世界に行くのは辞める。

悠仁と、息子の未来のパートナーが築く家庭を見て、それを聞かせてあげるから。

 

 

「立派になったね、悠仁」

 

 

 




@komugikonana

次話は2月14日(日)の22:00に公開します。
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~次回予告~

冷たい空気に澄み切った空。
口から出る吐息は白く、きれいな空と同調されて跡形もなくなる。

息を吐いて、冷たくなった部分を温めながら、ふと思う。

「ほんと大袈裟だけど、人生が変わった気がする」

この一年内に経験した様々な事で。

周りの事なんか本当どうでも良かった。
みんな未来の事に目を向けているけど、今起きている事の方が重要だと思ってた。
だから勉強なんてやる気にもならなくて。
たまたま通学路で女の子と出会って、良く分からないうちに親密になった。
無意識に彼女を傷つけ、追い込んでしまった。
だけどそんな出来事も何とかなった。
それから自分に素直になる事を彼女は教えてくれた。
自分がやりたいこと、したい事。もう一度僕に道案内をしてくれた。

そして今、僕はここにいる。
ズボンの右ポケットがポカポカと温かくなっている気がした。



次回より最終章、「今を繋ぐ赤いお守り」こうご期待!

では、次話までまったり待ってあげてください。


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今を繋ぐ赤いお守り①

冷たい空気に澄み切った空。

口から出る吐息は白く、きれいな空と同調されて跡形もなくなる。

 

黒色のパンツに紺色のパーカー、その上にキャメルのロングコート、小さいかばんを身に着けて街中を歩いていた。

勢いで家を飛び出したものの、香澄ちゃんとの約束の時間まではまだ時間がある。

 

基本的に総括すれば怠惰な生活をしていた僕にとって、こういう時はどう時間をつぶせばいいのか全く分からない。

夏ならば日陰を探して何かしら時間を潰すのだけど、今の季節は外にいるだけでも寒くて手の先が赤く冷たくなってくる。

 

息を吐いて、冷たくなった部分を温めながら、ふと思う。

 

「ほんと大袈裟だけど、人生が変わった気がする」

 

この一年内に経験した様々な事で。

 

周りの事なんか本当どうでも良かった。

みんな未来の事に目を向けているけど、今起きている事の方が重要だと思ってた。

だから勉強なんてやる気にもならなくて。

たまたま通学路で女の子と出会って、良く分からないうちに親密になった。

無意識に彼女を傷つけ、追い込んでしまった。

だけどそんな出来事も何とかなった。

それから自分に素直になる事を彼女は教えてくれた。

自分がやりたいこと、したい事。もう一度僕に道案内をしてくれた。

 

そして今、僕はここにいる。

ズボンの右ポケットがポカポカと温かくなっている気がした。

 

「それは大袈裟かもしれないですね、悠仁先輩」

 

クスッとした笑い声と共に、僕に話しかけてくる声が聞こえてドキッとした。

もちろん声が聞こえた方に目を向ければ香澄ちゃんがギターケースとケースみたいなものを手に持ってやって来ていた。

 

「まだ約束の時間じゃないのに」

「えへへ。悠仁先輩が張り切ってるから、私も早く来なくちゃと思ったんですっ!」

 

香澄ちゃんがニヤッとした顔をしながら携帯の画面を見せてくれた。

内容は僕の母さんとのやりとりで……。

 

「『悠仁が張り切ってもう行っちゃったので後はよろしくね』って……めんどくせぇ母さんだ」

 

無駄な時間を過ごさなくても良いからちょっとホッとしたのに、その安心感がすぐに違う感情に代わってしまうんだから世の中は面白く出来ている。

そもそもどうして香澄ちゃんが僕の母さんと連絡を取り合っているのか、どうやって連絡先を交換したのか疑問しかないけど、それも含めて面白い。

 

どんなことにでも感性を見いだせる生き方が、どんな人生よりも素敵な気がするから。

 

「悠仁先輩、行きましょう!」

「そうだね」

 

お互い顔を見合わせて笑った後、僕たちが行くべき先へと歩を進めていく。

どちらからともなく、お互いがお互いの手を求めた。

冷たくて、指先が赤い僕らの手。だけど重なり合った個所は確かにぽっかりとした温かさがあった。

 

「こんな時に聞くのは野暮かもしれないんだけど」

 

しばらく歩き続けて、良い感じの雰囲気が僕らを包み込んでくれている時に僕は口を開いた。

香澄ちゃんは僕の顔を覗き込みながら何ですか、と聞いてくる。

その丸っこくてきれいな瞳は僕の何とも言えない表情を綺麗に映していた。

 

「どうして今日は一緒に行こう、って誘ってくれたの?」

 

そんなのたまたまです、と言われれば納得せざるを得ないのに僕は香澄ちゃんに問いかけた。

 

「も、もちろん一緒に行こうって誘ってくれた事はとっても嬉しいから!」

 

でも後々考えてみると言い方が良くない気がしたから慌ててフォローをする。

僕の慌てている表情が面白いのか珍しいのか、香澄ちゃんは一瞬だけきょとんとした表情で僕を見つめていたけど、段々ふんわりとしたものに代わって笑みが溢れた。

 

繋がれた手がキュッとなって、親密度が増した。

 

「敢えて言うなら、ですけど……」

 

さっきまで繋がっていた手が離れてしまって、手がたくさんの冷たい空気に触れる。

香澄ちゃんは手を背中の方へ回しながらクルッと僕の方を見る。

 

ふわっとスカートが舞い上がり、とても無邪気な笑顔を浮かべている彼女の姿は、僕の目をくぎ付けにするには十分だった。

別にいやらしい意味じゃなく、素直に言うと見惚れたんだ。

 

「本番前に、悠仁先輩に、傍に居て欲しかったんです」

 

ほんのりと顔を赤らめつつ、だけどしっかりと自分の気持ちを伝えた香澄ちゃんはえへへ、と笑みを零した。

 

今のこの一瞬を映像で残すことが出来たらどれだけ素晴らしい事なんだろうって思った。

そんな時に限ってカメラとか持っていないから、僕はそう思った気持ちをポケットの中に大事にしまい込んだ。

 

「それと、悠仁先輩には無事にライブ会場に来て欲しかったから」

「まさか、僕が香澄ちゃんの約束を破るとでも思ってたの?」

「違います! ただ……」

「ただ……?」

「交通事故とかにあったら、と思うと」

「心配性だね」

「だ、だって、物事には絶対って無いんですからっ!」

 

香澄ちゃんの言う事は間違ってないし、誰しも「危うく」事故に遭いかけた経験がある人の方が多いんじゃないだろうか。たまたま運が良かったから回避できて「あぶねー」と呑気に言える。

 

それに僕は。

まだ僕たちは他人同士なのに、ここまで心配してくれることの方が嬉しかった。

僕と言う存在を大切に想ってくれている事が分かって嬉しかった。

 

だから僕は、香澄ちゃんの顔を見て、こんなことを言ってみた。

 

 

 

「大丈夫だよ、香澄ちゃん」

 

 

 

その時、香澄ちゃんの顔が一瞬にして固まった。さっきまで柔らかい笑顔を浮かべていたのに。

その後うるうるっと波が瞳に被さっていた。

 

まるで10年ぶりに幼馴染に会った時のような表情をしている彼女に僕は微笑みかける。

 

「悠仁先輩、もしかして……」

「うん? もしかしてって……?」

「いえ、何でもないですっ!」

 

さっきまで見ていたのは幻覚だと言わんばかりに目を手でゴシゴシと擦りながら、香澄ちゃんはさっきまでと同じような表情になった。

 

ただ、今の僕なら、香澄ちゃんが言おうとしていたことが分かる気がした。

もしかして……、に続く言葉を。

 

右ポケットが微かに震えた。

 

「無意識かもしれませんけど、そんな事言わないでくださいよっ!」

「どうして?」

「言わせないでくださいっ!」

「もしかしたら意識的にさっきの言葉、言っちゃったかも」

「もしそうだったら悠仁先輩の事、キライになりますから」

 

少しの間、沈黙が流れる。

僕はもちろんの事、香澄ちゃんも自分の発言をよく吟味した後に気付いてしまったのだろう。

 

僕は右頬を人差し指でさする。

香澄ちゃんは顔を赤くしながらチラッと何度も僕の顔色を伺う。

 

風は冷たいけれど、そこには確かに温かい空間が広がっていた。

この空間は僕にとっては心地の良くて、もし寝っ転がることが出来るのならずっと横になっていたいと思わせるくらいだった。

 

「悠仁先輩、早く行きましょ!」

 

少し歩くスピードをあげた香澄ちゃんは僕より数歩先に出る。

そうだねと言おうとしたけど、僕の右手は彼女の手と繋がった。まるで僕を引っ張るかのように。

 

僕はこの時、さっきの香澄ちゃんの言葉をそっくりそのまま言いたくなった。

もしそうだったら香澄ちゃんの事、キライになるからってね。

 

 

どうしてそう思ったのか。

それはね……。

 

 

「初めて会った時と同じだね」

「何か言いましたか?」

「ううん、気のせいだよ」

 

 




@komugikonana

次話は2月21日(日)の22:00に公開します。
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~豆知識~
久しぶりに解説します。良ければ見てください。

・香澄ちゃんが交通事故を案ずる理由
→私の書いた過去作の影響です。3作目です。その作品のヒロインは香澄ちゃんと一緒に音楽をやっている子です。だから、きっとその子が言ったんでしょうね、一緒にライブ会場に行こうって誘えば?って。

・「大丈夫だよ、香澄ちゃん」
→これは過去編にも出ていたセリフです。幼少期の悠仁君が香澄ちゃんにボールを取りに行くときに言った言葉です。その後に続く香澄ちゃんの「もしかして」と言うセリフの続き、きっと皆さんも同じ感情かもしれないですね。

・「初めて会った時と同じだね」
→過去編で香澄ちゃんが初めて悠仁君に会った時。その時、香澄ちゃんは悠仁君の手を引っ張りながら砂場に行きました。


~次回予告~

香澄ちゃんと共に過ごす時間って、前にも言った覚えがあると思うのだけど、早く感じる。

特に今日は時間の流れがいつもより早く感じる。
今のところ、香澄ちゃんは僕の話に笑ってくれたりしていていつもと変わらない。

むしろいつもよりテンションが高いかもしれない。
「今からでもライブがしたいっ! もう待ちきれないよ!」

香澄ちゃんは早くライブがしたくて仕方がないらしい。
その時に僕は香澄ちゃんに抱いた気持ちは好きなんだ、と言う事だけだった。

音楽が好きなんだ。
一緒に演奏できるメンバーが好きなんだ。
バンドで音を奏でるのが好きなんだ。

僕は、その中の「好き」に入ることが出来るのだろうか。


では、次話までまったり待ってあげてください。


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今を繋ぐ赤いお守り②

香澄ちゃんと共に過ごす時間って、前にも言った覚えがあると思うのだけど、早く感じる。

特に今日は時間の流れがいつもより早く感じる。

 

いつもはどちらかが話を初めて、香澄ちゃんが色々な方向へと広げてくれる。

だけど今日は僕が積極的に会話の中核を慣れない手つきではあったけど、作っていった。

もしかしたら香澄ちゃんは緊張しているかもしれない。そんな老婆心からだ。

 

今のところ、香澄ちゃんは僕の話に笑ってくれたりしていていつもと変わらない。

むしろいつもよりテンションが高いかもしれない。

 

「ライブで、観客の前で歌う事って、楽しい?」

「はいっ! いっつも楽しんでます! 今日は特に楽しみです」

「どうして?」

「野外ライブは初めてですからっ!」

 

香澄ちゃんのバンドは想像以上に知名度がある。現役女子高生のバンドと言う話題性もあるけれど、実力も折り紙付きだと聞いたことがある。

あまり音楽に詳しくない僕からすれば、曲を聞いてもみんな上手だなとか、そんな簡単な感想しか抱けないのだけれど。

 

そんな香澄ちゃんたちでも野外ライブは初めてらしい。

それまではずっとライブハウスでやっていたのだろうか。

 

「悠仁先輩、ここですっ! ここでライブをするんですよ」

 

自分の頭の中に湧いていた情報が一気に吹っ飛んでいくような香澄ちゃんの明るい声に、僕は顔を上げた。

 

ここでライブが出来るなんて香澄ちゃんたちはプロみたいだな、と言う第一印象が強く頭の中で共鳴した。

照明もしっかりあるし、もしかしたら足場にスモークを出せるかもしれない。

横幅も広くて、体育の時間で測定させられる距離くらいあるんじゃないかと思わせるくらいに感じた。

 

まだライブが始まっていないのに、観客はまだ誰一人いないのに、僕はその場の雰囲気に身震いをした。

 

「今からでもライブがしたいっ! もう待ちきれないよ!」

 

それなのに香澄ちゃんは早くライブがしたくて仕方がないらしい。

その時に僕は香澄ちゃんに抱いた気持ちは好きなんだ、と言う事だけだった。

 

音楽が好きなんだ。

一緒に演奏できるメンバーが好きなんだ。

バンドで音を奏でるのが好きなんだ。

 

僕は、その中の「好き」に入ることが出来るのだろうか。

 

何を考えているんだ、と僕は首を勢いよくブンブンと横に振る。

僕の考えはただの煩悩だし、僕を好きになってくれる代わりに音楽を嫌いになるような事が起こるのならば、僕の事を好きにならないで欲しい。

 

「悠仁先輩、どうしたんですか? そんなに首を横に振って」

「い、いや!? 何もないよ」

 

本当ですかー、と僕の表情を覗き込んでくる香澄ちゃん。

僕は思わず顔を背けてしまう。

 

それは香澄ちゃんがかわいくて、恥ずかしくなってしまったから。

それは香澄ちゃんに気を遣わせたことによる背徳感かた。

 

人の行動は決して一つの理由だけでは説明できないところが、何だかもどかしい。

 

「そうだっ! 私たちのグッズを見に行ってみませんか?」

「そんなのがあるんだ」

 

単独ライブが出来るだけでもすごい事なのに、まさかグッズまで販売されているなんて。

香澄ちゃんが言うには、今回のライブに協力してくれているスタッフさんたちが外部に作ってもらって、それを販売しているらしい。

 

そのスタッフさんはいつもお世話になっているライブハウスの人たちらしい。

香澄ちゃんはCiRCLEの人たちと言っていた。

 

販売所まで一緒に行くと、そこには僕より年上の綺麗なお姉さんがいた。

胸の前にあるネームプレートには「月島」と書いてあった。

 

「いらっしゃい、香澄ちゃん! ……あれ?」

 

香澄ちゃんとは顔見知りらしい月島さんは大人らしい綺麗な笑みを浮かべていたけど、僕の顔を見てから少し疑問に思っていそうな顔をしていた。

 

僕は慌ててこんにちは、と挨拶をした。

なんだか香澄ちゃんのお母さんに挨拶する時みたいに、妙にかしこまってしまう。

そんな姿をみて月島さんはクスッと笑った。

 

「香澄ちゃんのお友達、かな?」

「は、はい!」

 

お友達と聞かれたらそうなんだけど、あまりしっくりこない。

友達以上恋人未満、みたいな甘々の恋愛小説にありそうな関係だけど残念ながら現実世界ではそんな関係性は説明できない。

だってみんな早くくっつけよ、なんて言ってくるから。

 

香澄ちゃんはむぅ、と言って顔をプイッと明後日の方向へ向ける。

色々な感情に板挟みになってしまった僕は右手で頭を掻くことで誤魔化すことにした。

 

商品としては香澄ちゃんたちのバンド名のロゴの入ったタオルやTシャツ、そしてキーホルダータイプのぬいぐるみが売られていた。中々ポップに作られていて可愛らしく、みんな楽器を抱えている。

 

「あれ? まりなさん」

「うん?」

「一つ限定で作ったまりなさんのぬいぐるみはどこですか?」

「あれは売れちゃったの」

「はやーいっ!」

 

二人の会話を聞くには月島さんのぬいぐるみが一つだけ売っていて、早々に売り切れてしまったらしい。

お菓子などの食べ物は最後の一つだと遠慮するのに、グッズなどの物に関しては最後の一つに弱い。

 

それを加味しても、まさかスタッフさんのぬいぐるみが売れるとは。

確かに月島さんはかなり綺麗でモテそうではある。彼氏もいるかもしれない。

 

もし彼氏がいたとして、見ず知らずの人に彼女のぬいぐるみを購入されたら、ちょっとモヤモヤとしそうだ。

……間違いなくモヤモヤする。するに違いない。

 

僕は思考の海から急いで上がって、香澄ちゃんのぬいぐるみをまじまじと見つめる。

誰か分からない男に香澄ちゃんのぬいぐるみが買われるのは嫌だ……。

 

「この香澄ちゃんのぬいぐるみ、買います」

 

全部買う事は出来ないけれど、一つでも誰かの手に渡るのを阻止したい。

そんな独占欲が僕を動かした。

 

月島さんは大して驚きもせず会計をしてくれる。香澄ちゃんは少し頬を赤らめているけれど、どこか嬉しい気持ちを隠せずにいた。

 

「ありがとう! ライブもそのぬいぐるみを身に着けて参加してくれたら嬉しいな」

 

月島さんが言うには、香澄ちゃんたちもこのぬいぐるみを身に着けて演奏するらしい。

香澄ちゃんはギターのストラップにつけるらしい。僕はそんなに詳しくないから良く分からないけど、ギターを掛けて演奏する時に使う紐みたいなものなのかな、と推測する。

 

僕は身に着けているかばんにつけることにした。

アニメキャラをモチーフにしたものやご当地で売っているゆるキャラなどのキーホルダーはつけたことがあるけど、知り合いそっくりのキーホルダーはつけたことが無いから何だかソワソワする。

 

少々大きくて、目立つけど。

そのぬいぐるみキーホルダーの香澄ちゃんは、僕に寄り添ってくれた。

 

「そろそろみんなと合流してきますっ!」

 

香澄ちゃんは僕たちにそう言った。

だけど彼女は月島さんより、僕の方を見てそう言った。

 

月島さんは頑張ってね、と微笑みながら答えていた。

きっと言葉通りの解釈をしたのだろう。それは決して間違っていない。

 

じゃあ、僕も香澄ちゃんに伝える?

頑張ってね、応援しているよ。

 

そうだね、それも悪くない。

それならばこうしよう。

 

「香澄ちゃん」

「はい?」

「香澄ちゃんをずっと見てるから、だから、最高の曲を聞かせてよ!」

 

僕は右手を香澄ちゃんの方に向けた。

彼女はとびっきりの笑顔を溢れさせながら、僕と同じように手を出す。

 

その後どうすれば良いのかは誰だって知ってる。

パチン、と高い音を立てて僕と香澄ちゃんはハイタッチを交わした。

 

その時の音で、僕は確信した。

きっと今日は素敵なライブになるという事を、ね。

 

 




@komugikonana

次話は2月28日(日)の22:00に公開します。
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~高評価を付けて頂いた方をご紹介~
評価9と言う高評価を付けて頂きました はらこうさん!
評価9→10に評価を変更されました 邪竜さん!

この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとう!
これからも応援よろしくお願いします。


~豆知識~
・一個限定のまりなさんぬいぐるみキーホルダーの行方
→観客はだれもいないと悠仁君が言っていましたね。という事は観客は買っていない。
じゃあ購入できるのは香澄ちゃん以外のバンドメンバーと、CiRCLEのスタッフだけです。

~次回予告~

天気はそんな日を祝福するかのように綺麗な青空が広がっていた。
空を見上げながら僕は一回、息を吐く。

吐く息はもちろん白くて、今朝と同じように澄み切った空に舞い上がる。



もうすぐ、彼女たちのライブが始まる。



「楽しみで待ちきれねぇな!」
「まず……聞いても良いか?なんでお前(坂本)がいるの?」




では、次話までまったり待ってあげてください。


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今を繋ぐ赤いお守り③

どこからともなく人がたくさん集まってきていることを僕はぼんやりとしか考えていなかったけど、一度目を擦ってもう一度考えてみれば、こんなにも人が集まるのかと言う違う感情が生まれる。

 

天気はそんな日を祝福するかのように綺麗な青空が広がっていた。

空を見上げながら僕は一回、息を吐く。

 

吐く息はもちろん白くて、今朝と同じように澄み切った空に舞い上がる。

 

 

 

もうすぐ、彼女たちのライブが始まる。

 

 

 

「楽しみで待ちきれねぇな!」

「まず……聞いても良いか?なんでお前(坂本)がいるの?」

「そりゃああれだよ……それを答えるのは野暮ってもんだろ?」

 

いつの間にか僕を見つけた坂本が隣にいる。

久しぶりに会ったし、最後に会った時は模試の結果がヤバかったらしく今度こそ本気でやるわって言っていたのに。

 

「それに、もうすぐ日の目を浴びなくなるじゃん?」

「はあ?」

「ま、まっさんは分からなくても問題ねぇよ」

 

坂本が何を言っているのか全く分からなかった。

たまにだけど、坂本は何か知っているようなそぶりを匂わすような会話をする。

さながらゲームを始めたばっかりの時に仕様を説明してくれる村人Aのように。

 

僕からしたら坂本は主人公のような立ち位置に思えるけれど。

 

ちなみに僕たちの前にはステージが見える、すなわち一番前で香澄ちゃんたちのライブを目の当たりにすることが出来る。

本当は少し離れた場所でも良かったのだけど、坂本に引っ張られてここにいる。

 

「香澄ちゃんが出てきたら声かけるか」

「それ、必要?」

「人気のバンドなんかは出てくる時に声が上がるだろ?」

「たしかにそんなイメージはあるけど……」

「掛け声は『香澄ちゃん愛してるぅ』で決定だな」

 

何も決まってないわ、と言いながら坂本の頭をはたく。

そんなこと言ったら周りのファンにひどく冷たい目で見られるだろうし、過激派だったら拳が飛んでくるかもしれない。

 

それに、もしその言葉を口にするのであれば、二人きりの時に言いたい。

 

 

時刻がゆっくりと進んで行く。

僕たちの周りにいる観客たちは今かと待ちわびているみたいにソワソワとしている。

 

僕も坂本とバカみたいなやり取りをしているけれど、本当は今にも走り出してしまいそうな感情を必死に押さえつけている。

 

僕たちの気持ちが伝わったのか、香澄ちゃんたちが綺麗な衣装を身に纏って僕たちの前に登場してきた。

周りからは様々な歓声、そして香澄ちゃんたちの名前を呼ぶ人たち。

 

まさか登場するだけでこんなにも盛り上がるなんて思ってもいなかった。

前に立っている香澄ちゃんはどんな気持ちなのかな。

 

一番前だけれど、観客側から見ている僕でも変な汗が額から滲んでしまうほどドキドキしてる。

 

「なんでまっさんが緊張してんだよ」

 

坂本が横から腕を肩まで回してグイッとしてきた。

そりゃあ、お前(坂本)の意見の方が正しいのは分かってるけど、香澄ちゃんの気持ちになって考えてみるだけでこんなになっちゃうんだ。

 

観客全員が期待している、このライブ。

お願いだから、成功してほしい。

 

そう思えば思うほど、額から汗がにじんで手に力が入ってしまう。

 

「……ま、まっさんの気持ちも分からなくもない」

「どういう事?」

「どうでも良いだろ? まぁ、香澄ちゃんを見てみろよ」

 

坂本に言われるがまま、恐る恐る香澄ちゃんの表情を覗き見た。

あまり良くは見えない。

 

「俺たちじゃあ、彼女の考えてる事なんて分からなぇけど……あの顔は最初から成功も失敗も考えてないだろう」

 

僕も、そう思った。

自分たちの今できる最高のパフォーマンス。それが出来れば結果は後から付いてくる。

そしてそれが自分たちには出来る。

 

そんな自信満々の表情をしていた。

そしてその凛々しい顔も、僕は好きになった。

 

「俺たちに出来ることは」

 

このライブを存分に楽しむ事!

 

珍しく僕と坂本の声が重なる。一言一句、声までも。

いつもだったら真似するなよ気持ち悪い、とか憎み口を叩くのだけど今日は違う。

今日ぐらいは、いた、最後くらいは。

 

こういうのも悪くないなって、思った。

 

「みなさーん、こんにちはーっ!」

 

香澄ちゃんが挨拶を始めるとともに曲のイントロを奏で始める。

観客たちは歓声をあげながら彼女たちの奏でる音楽を待ちけれないでいる。

 

曲が始まって、僕は口ずさみながら演奏を聞いていた。

 

今までCD音源しか聞いたことの無かった曲が生で聞ける。

何回も聞いたことがあるはずなのに、初めて聞くような感覚がやってくる。

その感覚は僕を引き離してはくれなかった。

 

気付いた時にはもう、1曲目はアウトロに差し掛かっていた。

 

「香澄ちゃんたち、すげぇな!」

「うん!」

 

今までたくさん勉強してきたのに、気の利いた感想すらも言えない。

でもそれで良いんだって思った。

 

僕が知っているどんな言葉でも表すことが出来ない位、彼女たちがすごいんだって。

 

1曲目が終わった後、ドラムのスティックの音と共に次の曲に入る。

感情が、心が、脳が、彼女たちの音を欲していた。

 

 

 

 

僕の体感ではあまり時間が経っていないような感じがするけど、さっきからずっと演奏している香澄ちゃんは汗を流している。

曲と曲の合間に水分補給はしているけれど、疲れは出てきている。

 

それでも歌声は最初から変わらないし、楽しそうな表情も変わらない。

もしかしたら最初よりも楽しそうに演奏している。

 

「次が最後の曲です」

 

水を飲み終わった香澄ちゃんが淡々と話す。

彼女の一言でライブ会場全体が静まり返る。僕たちと同じように盛り上がっていた風も静かになって、少しの物音でも聞こえそうな雰囲気。

 

彼女の表情を見ても、次が最後なんだと思わせた。

 

「実は、4月に、ある人と出会ったんです。10年ぶりくらいかな?」

 

なんだろう、この感覚。

観客のみんなはあまり良く分かっていないのか、それともこれもライブの演出の一つだと信じて耳を傾けているのか。

 

「その人は昔と変わらなかった。だけど、何か諦めていました。先を、未来を見ていても仕方がないって」

 

僕には、香澄ちゃんが誰の事を言っているのかが分かる。

心臓がドキン、とした。

 

「私の知らない間に、その人は辛い事を経験していました。私に相談してくれた時、その人は涙まで流して『もう一度頑張ってみても良いのかな』って言いました」

 

香澄ちゃんは間違いなく、僕の方を向いた。

僕も彼女を見つめ続けた。

 

ここで目を逸らしてしまったら、もう二度と取り返しのつかない事になると思ったから。

……大袈裟すぎる? たしかにそうかもしれない。

 

「その人は立派だから、一人でなんでも出来ちゃうんです。……ちょっと羨ましいかな」

 

えへへ、と照れながら香澄ちゃんは右頬を人差し指で触った。

 

「その人は今、ここに来てくれているんです。もしかしたら私が何を言っているのか分からないかもしれない……。私は応援することしかできないけど、最後にこの曲を送ります。私の気持ち、受け取ってください」

 

 

一度話し終わった後、スゥーっと息を吸い込む彼女。

その後に彼女の歌声と、それを支える綺麗なアルペジオが流れ始める。

 

香澄ちゃんたちのバンドで一番好きな曲が、こんな時に出会うなんて。

僕はこの時、心の中である決心が芽生えた。

 

 

走り始めたばかりのキミに。

 

 




@komugikonana

次話は3月7日(日)の22:00に公開します!
次話で最終話です。最後までお付き合いして頂けると嬉しいです。

新しくお気に入りにしてくださった方々、ありがとうございます!
Twitterもやっています。良かったら覗いてあげてください。作者ページからサクッと飛べますよ!

~作者からのお知らせ~
先ほど記載しましたが、「今を繋ぐ赤いお守り」は次回で完結します。
次回作は一切書けていませんので次回作は期間が空くことになります(半年くらい?)
約2年間定期投稿してきましたが、次回作以降は投稿出来なくなってしまう事、申し訳ございません。
次回作の進捗、短編などはTwitterにて公開する予定です。


~次回予告~

徐々に見慣れた光景になっていく。
当時幼かった自分を思い出しながら歩く夜道は、ちょっと寒かった。

思わずポケットに手を突っ込みながら歩く。
もし転んじゃったら大怪我だね、と幼い僕が話しかけてきているように感じた。
ベンチに座ると余計に寒く感じる。
夜も良いのだけれど、やっぱり夕焼けの滲んだ空を背景にしてこの場所に集まりたかったと思う。

座りながら携帯を触って時間を過ごす?
寒くてかじかんだ手を息で温める?
シチュエーションを考えて、セリフを用意しておく?
それとも楽しかった思い出に寄り添う?



「悠仁先輩」



では、次話までまったり待ってあげてください。


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今を繋ぐ赤いお守り④

今話で完結となります。
今までご声援本当にありがとうございました。
しばらくは作品投稿が出来ないので、しばしのお別れですね。

いつものようにあとがきはエンドロール風となっております。
ゆっくりと下にスクロールしながら見てください。
エンディング曲「走り始めたばかりのキミに」を流しながら……。


過去最高のライブだった。

セットリストが素晴らしくて、今日は一生忘れられない一日だ。

最後の演出はすごかった。感情移入しちゃった。

あれは本当なのかな?そうだったらロマンチックだよね。

もしかして香澄ちゃんに彼氏が出来る!?

 

色々な憶測が飛び交うライブ会場。

先ほどまでの熱気は人々が元にいるべき場所へと戻るにつれて徐々に冷めていく。

 

既に坂本とは現地解散した僕は先ほどまで彼女たちが立っていたステージの余韻にどっぷりとつかったまま、携帯を閉じた。

 

こんな時なのにすぐに電話に出てくれた。

いつもだったら驚くのだろうけど、今だけは電話を掛ければすぐに出てくれるって本能で分かっていた。

きっと相手も僕から連絡が来ることは分かっていたのかもしれない。

 

「それは直接聞こうかな」

 

いつもだったらズボンのポケットにしまう携帯をかばんの中にしまった。

かばんが揺れるのと同時に香澄ちゃんのぬいぐるみキーホルダーも波にのる。

 

僕の耳には彼女の驚いた吐息の音がまだ残っている。

別にサプライズのつもりは無かったのに、結果的にはそうなってしまったらしい。

 

待ち合わせの場所はちょっと遠いから、電車で最寄りの駅まで行ってしまおうかと思ったけれど、冬の冷たい空気と一緒に散歩したい気分だった僕は歩いて向かう事にした。

あの曲と気持ちを聞いた後に、自分の足以外でどこかに移動するのはらしくない。

 

 

 

 

 

 

徐々に見慣れた光景になっていく。

当時幼かった自分を思い出しながら歩く夜道は、ちょっと寒かった。

 

思わずポケットに手を突っ込みながら歩く。

もし転んじゃったら大怪我だね、と幼い僕が話しかけてきているように感じた。

 

最新のLEDの街灯が明るく照らしている集合場所は、昔のままに思えた。

ここにあった大きな木は、幼少期に感じていた感想とはかけ離れていたのはきっと、今まで生きていて本物の城壁を見たことがあるからだろう。

 

少し右足がにじむように痛みが生じたけど、なんてこともない。

 

ベンチに座ると余計に寒く感じる。

夜も良いのだけれど、やっぱり夕焼けの滲んだ空を背景にしてこの場所に集まりたかったと思う。

 

座りながら携帯を触って時間を過ごす?

寒くてかじかんだ手を息で温める?

シチュエーションを考えて、セリフを用意しておく?

それとも楽しかった思い出に寄り添う?

 

「悠仁先輩」

 

凛とした声が僕の耳にまで、しっかりと届いた。

少し息を切らしているのか、途切れ途切れに吐く息を切らしながら、僕の近くまで歩いてくる。

 

「……来て、くれたんだ」

「当たり前ですっ!」

「やっぱり先輩からの呼び出しには応じちゃうタイプ?」

「むう……悠仁先輩だから来たんですっ!」

 

伝えたいことがあるから、良かったら来て欲しい。

イケメンな人間が言ってこそ効果のありそうな言葉を香澄ちゃんに言ったんだ。

ちょっとした含み笑いをしながら冗談を言っても、香澄ちゃんはまっすぐ返答してくれる。

 

静かな公園。

その中に響くのは子供たちの楽しそうな声ではなく、年頃の二人の男女の話し声。

 

僕の髪がワサワサと揺れる。

今の状態をもどかしいと思った冷たい風がイタズラしたかのようなタイミングに僕はじれったく右手で髪を整えた。

 

「今日のライブ、最高だったね」

「はいっ! とーっても、楽しかったですっ!」

 

香澄ちゃんは小さく飛び跳ねているような元気の良さになって、僕の隣にポフッと座ると風にのって彼女の女の子らしいにおいが僕の鼻をくすぐる。

 

僕は相槌を打ちながら、すっかり暗くなった空を見上げる。

星たちがキラキラと輝きながら僕たちを見守ってくれている。

 

その時、香澄ちゃんは僕の肩に身体を寄せてきた。

甘い香りも一緒にふわっと来ると同時に、女の子の柔らかい感触も感じた。

 

息遣いも聞こえるほどのお互いの距離で、彼女は僕の名前を呼ぶ。

 

「悠仁先輩も、覚えていたんですね」

 

何を、なんて言わなくても分かった。

わざわざ僕がこの公園を集合場所にしたことから、すべて察しているだろうから。

 

「最近思い出したんだ。最初、香澄ちゃんに会った時なんてなんも思わなかったからね」

「せっかく誘ってあげたのに、簡単に忘れちゃう人なんですね」

 

ぷくッと表情を膨らませた彼女は、僕の顔を見つめる。

僕はそんな大事な事を忘れるなんてバカだよね、と言ったら彼女は本当です、と言いながら僕の肩に顔をうずめる。

 

確か僕は母さんを待っていたあの日も、この場所に座っていた。

ベンチは新しくなっているけど、間違いなくこの場所だった。

 

物は違うけれど、今も昔も、繋がっているんだ。

 

「……と言う私も、悠仁先輩だって分かったのは苗字が分かってからなんですけれどね」

「じゃあ、お互い様かな?」

「でも私は覚えていましたからっ!」

 

イタズラが成功した子供のような声で答える香澄ちゃん。

そんな彼女も愛らしく思える辺り、僕の気持ちは既に決まっているみたいだ。

 

「……今日の悠仁先輩、笑顔が素敵です」

「それもきっと、香澄ちゃんの歌のお陰だね」

「私の気持ち、届きましたか?」

「ばっちりとね」

 

いくら鈍感な人間でも、あの香澄ちゃんの気持ちとあの曲を聞けばピンとくるよ。

 

今までの僕はずっと立ち止まっていた。

だけど君のお陰で僕はまた立ち上がって、また走りだすことができた。

 

もし僕のこの一年が小説だったら、ここで終わっても問題はない。しっかりと起承転結になっているのだから。

だけど僕には、最後に一つだけ加えることが出来る。

 

「僕はまた走り始めることができたよ。ありがとう」

「私は何もしてないですけど、どういたしまして!」

 

ただの結末ではない。

ハッピーエンド、と言う最高のエンディングを。

 

「でも、またいつか走るのをやめるかもしれない。僕は君が思っているより弱い人間だからね」

 

だから、香澄ちゃん。

これからも、僕と一番傍にいてくれませんか。

 

 

香澄ちゃんはえっ、と言う短い言葉を零す。

やっぱり回りくどい言い方をしちゃったかな。

 

段々とやってくる照れくささを前面に出しながら、僕は不意に視線を斜め上に向ける。

ほらー、その……とか歯切れの悪い言葉が出てきてしまっているけれど。

 

この時に僕は彼女に渡そうとしていたものをズボンの右ポケットから取り出す。

それを握りしめ、彼女に見せながら僕は言うんだ。

 

 

「香澄ちゃんの事が好きです。付き合ってください」

 

 

僕は握りしめていた赤色の手作り星型キーホルダーを見せる。

もう古くなっていて、黒ずんでいたりしているけれど、僕にとっては大事なお守りだ。

 

今年の香澄ちゃんたちの学校の学園祭の日に見つけたくせによく言うよ、って小さい僕がいじわるな顔をしながら愚痴をこぼしていて思わず苦笑いをしてしまう。

 

「それって……っ!」

「うん。香澄ちゃんが渡してくれたよね。『ケガしないように』ってね」

「うん……うんっ!」

 

香澄ちゃんの瞳からぽろぽろと涙が溢れ、きれいな顔にツーッと伝う。

声にならない声を出しながら、ぐしゃぐしゃな表情なのにとても嬉しそうな彼女は赤色のお守りを受け取ってくれる。

 

 

こんどはぼくがかすみちゃんにあいにいくね!

このあかいおまもりをもって。

 

 

やっと果たすことが出来たよ。昔の約束。

一度全身にケガをしてしまったけどさ、香澄ちゃんが無事だったから良いよね。

 

 

「それで、香澄ちゃん。返事を聞かせてくれるかな」

「うっ、うっ、もっと笑顔で答えたかったですよ。ぐすっ、ぐすっ」

「ははは、悪い事しちゃったかな」

 

キラキラと輝く満点の星空が真っ暗闇の空に光を灯してくれる。

おまけに満月が僕たちを優しく照らしてくれる。

 

僕の服にギュッと近づいてくる彼女と、遠くにある明るい夜空を眺める僕。

赤いお守りが今を繋ぐ。

 

 

 

「悠仁先輩、大好きですっ!」

 

 

 

サラサラとそよふく風が髪の毛を撫でた時、僕たちは初めてのキスをした。

 

 

 

 




今を繋ぐ赤いお守り



作者


小麦 こな



キャスト


町田悠仁
戸山香澄


市ヶ谷有咲
山吹沙綾
牛込りみ
花園たえ

神田桃子

月島まりな
佐東正博




坂本光輝


町田悠子






テーマソング


楽曲名『走り始めたばかりのキミに』

  歌 Poppin‘Party
 作詞 戸山香澄
 作曲 牛込りみ




アシスタント
和泉FREEDOM
ちかてつ
鐵 銀
フリカケご飯
せきしょー
はらこう
シフォンケーキ
とある東方禁書のニコ動好き
なお丸(#)
まっちゃんのポテトMサイズ
ナツユキ
愛蘭
ジャングル追い詰め太郎
ぴぽ
ヨーソロー24
スカイハイそー
Wオタク
石巻青葉
託しのハサミ
咲野皐月
よっしーの


Twitterアシスタント

赤崎
hereth
リコウル@ゲーム
チュー太
タマとら
シス
小説家を夢みてる奴。
NAO
~Riu~
ヘドばん
かぁびぃ
jima
ツナの343
メイカナ
プロテインの貴公子
小春春斗
Qoo白井




エンドロール賛同


柊椰




スペシャルサンクス


ハマの珍人
星空モカ
シンノスケさんゴリラ
邪竜
シフォンケーキ
沢田空
逃避迅
浜のヤナギ
カエル帽子
目が
レオッピー
小春春斗
和泉FREEDOM
メイカナ
空中楼閣
YdI/ヤディ
鐡 銀
ゼノ
シュークリームは至高の存在
カラドボルグ
col83
ダンゴロ師
オリジール
Hareth
Bくん
りんご みかん
グリーンスムージー
ヤイチ
Ciruku/Reki
ファイふぁい
岩山直太朗
CHILDSPLAY
daisuke0903
たかたか0205
5枠5番ヘヴィータンク
TD@死王の蔵人
ねこかみ
GKN
愛蘭
トートリオン
スーパーラッキーボーイ
じゃがぴー
まっちゃんのポテトMサイズ
フリカケご飯
こたろいど
TAMAGOYAKI.jp
玉子焼き
弱い男
ヘブンズドアー
Silverhorn
なお丸(♯)
Wオタク
ちかてつ
カット
神無月紫雲
T田
なめりん
ミ゚・ヤームラ
焦げたタケノコ
ぴぽ
jima
せきしょー
猫又侍
春はる
りーりおん
暇人のお話
アイス52
シロ/shiro
問知
儚い聖人
十六夜透夜
テレフォン31
はらこう
二アティス
ryougetsu
ロイローイ
鴨凪
のんびり太郎
hanajan4
ルカーラ
ReiA-D
山田太郎
ミルクチョコレート像
グスタフ
Dレイ
和平主義
yucca
師匠
EXIA
舘隆
Solanum lycopersicum
ダッシュ
森のクマ
てすお
urakata
ψ藤原妹紅ψ
猫空
ブラックブラック
山岳地帯
深山木秋
金細工師
神崎 焔
久隆 裕
滝河あさひ
Phenomenon
黒鷺姫
虹の光
魁音斂
飛ぼう永劫
黒鳳蝶
暇人@蓮斗
ガロ
wiki
おけ
カイリーン
ゆずりん
テキサスチャーシュー
秋刀魚太郎
師匠@ゲーム実況もしてます
バンバンブー
paipo
勧酒
ヘブンズドアー
ブレイカー925
シロとジェロ
シャンテ
ぬこさん
ロミボ
kainen
strigon
気星
飛翔翼刃
悠月光
ハッサク大福
RYUBA
こうぴょん
masako
練炭
カイザーホース
獣神
アハゴン@ユウキ
maithemi
ヤタ蔵
紺色の武者
神矢レイラ
黒の兎
つよぽんぽん
sinkeylow
魔星アルゴール
酔生夢死陽炎
偽恋
ELS@花園メルン
コアラのマーチ
Ryuichi
衛藤可奈美大好き
オニキス012
天宮銀一
らいちゃ
軍曹ニキ
タマザラシZ
近衛はるか
くろうに
ももぽぽふ
のの殿
夜龍丸
ランブロス
朱鷺山
獅子の一等星
ミツァリア
なんかヤバイやつ
なお丸(♯)
輝夜(かぐや)
柊椰 
sea_forest
藤居 浩
ムラビ
ショぺ
ミンハナ
ゴンゴン398
鈴本カズテル
マッキーです!!
shia-aria
天呆鳥
クロカ
achamox
自己満型物書き
LDD
にっしんぬ
たなフレッシュ
take05
grey
RINTO
N.S.D.Q
流離いの旅人
カゼ
いつもマグロ
ペテ
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幸運A
フォルトゥーナ
こび
1031
rinto
ブブ ゼラ
aokanaforizumu
Hitomina
有耶無耶
ユンケ
祈願花
Hiroshiki
野生のオルガおじさん
カゼハヤカミト
浜のヤナギ
たく丸
チャーリー岡崎
神風春輝
あまやかん
カエル帽子
N-N-N
HIRO_0312
ことのは
カット
山本大号
福橋 拓
ゼロワン
枳殻稲荷
紫電 .
浦賀
背番号27
コクミン
えりぃさん
ちぇーろ
セイレーネ
いぬ
のしろ
なおスタ
さか☆ゆう
八雲の空
しろまる
瀬田 ユキル
Ritsu:
ミストマン
億劫屋
深淵の井戸
ヨーソロー24
ccw
とある東方禁書ニコ動好き
T田
ユウキチ
目が
・SIREN・
Whiteさん
874evo
ひむろ
なめりん
Kuren
ますぱ
カペア
ゆーるA-
くすはらゆい
ヴァンヴァ
呀-KIBA-
さすらいのエージェント
小春春斗
ミ゚・ヤームラ
黄色のイカ
hozuhozu
ヨコリョー
りぃと
Athenacloud
カナタ201
六連星
桜桃音
メイカナ
クソワロ太鼓
ルイン
ひまじんという者
フジロッカー
NEGICO
ぴぽ
トリュフ
ノクーロ
ジベレリン
(「・ω・)「伊咲濤
亜子夢
ゆきなりα
YdI/ヤディ
Jima
翠狐96
石月
PopJ
nas師匠
じゅぴたー
あっちゃそ
Arifuru
ジャングル追い詰め太郎
せきしょー
青粉
BABEL
はるv
託しのハサミ
かぁびぃ
しろぷに
ゼノ
another key
神楽夕樹
春採 慎吾
ユート0710
はりぽん
ダンゴロ師
整地の匠
オリジール
時雨☔️
ryon0114
阿久津@谷口学園高校
hareth
tune take
ワッタン2906
Bくん
丸。。。。。。。
春はる
成瀬光人
焚未
りーりおん
テカテマ
暇人のお話
森の翁
そーへー56
マサムネ18
AKAHIRO1
ひょろひょろもやし
寒空
ヨッシー☆
ヤイチ
Ciruku/Reki
クロゴマ
ゼルクニル
ファイふぁい
アルマさん
レイヴンD
のほほんさん
きしだ
岩山直太朗
二アティス
CHILDSPLAY
daisuke0903
蒼空乃奏多
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月見で一杯
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ねこかみ
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問知
桜花9696
鳴神風月
ななしのハメカス
Pleiades724
山山山山
カルボン35
oimasa03
愛蘭
チヨコレイト
トートリオン
ご飯ですよ
ペルセウス
twoDs
まっちゃあいす#2
rxsoryu
けなげ
SSハチジブ
ロウアイン
シャナ0518 
スーパーラッキーボーイ
じゃがぴー
ファ
雪の進軍
タッチ0083
まっちゃんのポテトMサイズ
フリカケご飯
mitsu
くゆら
Cooper.
slimejelly
どろいと
タマモクロス
こたろいど
栗んとん
優那
丸田鉛筆
ゴールデンウラガ
ルーク3
セイラン
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テレフォン31
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