その踵の名は (時雨。)
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夜は明け、霞の花が咲く
外から小鳥たちの囀りが耳を打つ朝。朗らかな日差しと共に開いた窓から流れ込む春の香りは、着々とその勢力を強めていた。ニュースで天気予報士が語る今後の予報と合わせて鑑みるに完全に未だ寒さ残る冬を脱ぎきって春が訪れるのもそう先ではないのだろう。
時刻は午前7時30分。
子供たちは寝ぼけ眼を擦り、母親はいそいそと朝食の準備をする。サラリーマンは腕時計で時刻を確認しながら出勤の支度を始め、世界が回り始める。そんな一日の始まりは私と養父の二人が暮らすこの家にも訪れていた。
食卓に腰掛ける金髪痩躯の男が穏やかな表情で口を開く。
「今日は、ついに雄英高校の入学試験か。早いものだね、つい最近までこんなに小さな少女だった気がするんだが……。調子はどうだい?」
「言動が年寄り臭いわよ。体調の方は概ね問題ないわ。今更ただの中学生なんかに負ける気はしないし、いつも通りやるべきことをやるだけよ」
「HAHAHA!日本一狭き門である雄英高校のヒーロー科の受験を前にしてそう断言できるのは流石だね。私も私情を挟むわけにはいかないから過度な加点をするつもりはないが、それでもしっかり見守らせてもらうよ」
「お好きにどうぞ。別に自信が有るという訳ではなく、純粋に事実を言ったまでよ。私の経歴は誰よりも貴方が良く知っているでしょう?
私がそう言った直後、食卓を挟んだ対面に座る養父、オールマイトの顔が歪んだ。
これ以上無いほどに苦々しく、後悔の色を滲ませた彼は噛みしめるように言葉を吐き出す。
「そう、だね。正直に話せば、筆記は兎も角実技で君に敵う受験生はまず間違いなく存在しないだろう。それこそ、正面から戦えばプロヒーローだってそう易々と崩せる相手ではない」
凪いだ瞳でオールマイトは私に向けてそう告げる。
本来であれば私のような年端も行かぬ小娘がどんな強個性を持っていようと戦闘経験豊富なプロヒーローを相手にどれだけ足掻いた所で大した勝負にはならない。
純粋な経験値が違うのだ。躊躇なく人間相手に個性を振るう覚悟が、的確に相手の力を削ぐ観察眼が、自らの個性を操る精細さが足りない。
私が本当に普通の、ただの年相応な少女なのであれば。
だが、誠に残念なことにオールマイトが口にした言葉は正しくその通りだ。
私という存在は元来そういう風に出来ている。
そういう存在として作り上げられている。
構造上そうなっているのだから、そこいらに居るような暖かくて粘液質な平和を享受している餓鬼共に敗北するなど考えられない。あり得ない。そんなことはあってはならない。
もし仮にそんな事態に陥れば、私のプライドだの自尊心だのが板ガラス宜しく砕け散ってしまうだろう。文字通りの粉砕だ。リサイクルにも使えず後はゴミ捨て場に捨てるだけ。
そんな私の考えも恐らく読んでいるであろう
「それでも、君という娘の父親として娘である君を心配させてほしい。無茶だけは、しないでくれよ」
「……分かっているわ。自分の実力を信じることと、引き際を弁えないことは別問題だもの」
私の言葉を聞いたオールマイトはそれを聞けて安心したと強張った表情を解して少し冷めてしまった手元のコーヒーを啜る。
言いしれぬ気恥ずかしさを感じた私も自身の正面に置かれたコーヒーカップを手にとって中身をずるると啜った。
どれくらい熱いのかはあまり感じないが、感じないなりに長い時間を経て得た経験上少しぬるいくらいであろうと判断してそのまま中身を全て胃の中に流し込む。空になったカップを手にしたまま席を立ち上がり、シンクの中へと置いて蛇口を撚った。
さぁ、舞台は目前。
未だ後味悪気に辛気臭い顔をしている我が養父を安心させられるだけの華麗なダンスを披露して差し上げよう。
私が手ずから入れたコーヒーを飲みながらそんな顔をするなど許せるものではないのだから。
どれだけ拒否しようと多少強引にでもその口角を上げてもらおう。
前日から最低限の荷物を詰め込み用意しておいた肩下げ鞄を床から拾い上げ、肩に紐を掛けながらオールマイトに向かって振り返る。
「それじゃあ行ってくるわ」
「ああ、いってらっしゃい」
こちらへ向けて振られるやせ細った腕に適当にこちらも手を振り返す。
私の"今の"名前は『
これより始まるのは駄作も駄作。
三流以外には成れなかった半端者な私が演じる薄汚い舞台劇。
およそ世間一般では転生者と呼ばれる者の、哀れで無残な成れの果てが織りなす物語だ。
誰もがジャージや個性に合わせた装備を身に着け、中学生が凡そ揃えられる最も戦闘に向いているであろう服装をしている中でその少女だけは異様な程に浮いていた。
カジュアルで動きやすそうではあるものの、上下共に明らかにただの私服。まるで休日ちょっとした用事を片付けに行くかのような気軽さをその身に纏い、緊張など微塵もないと言わんばかりの自然体で彼女は一人佇んでいる。
困惑する周囲の受験生を全く意に介せず、ただ静かに試験の開始を待って佇んでいた。
かく言う俺も彼女から目を離せない人間のうちの一人だった。
その儚そうなくせして氷柱のように鋭く冷たい目つきの横顔から視線を動かすことが出来ない。不自然な程胸がドキドキと高鳴って、変な汗が背中を伝う。口を半開きにしたまま呆然と突っ立っている今の状況を他の受験生が見たら何を間抜け面を晒しているのかと思われるだろうが、似たような顔をしているのは俺だけではないであろうことはなぜか自身の中で確信できた。アホ面の他人に円を描くように囲まれている被害者であろう彼女はそんなことは意に介さず、時折思い出したように体の各所を動かして軽いストレッチを行う以外黙って不動を貫いている。
そしてこの奇妙な空気感が驚くべきことに数分間継続した頃、ふと一陣の風がこの場を吹き抜ける。
その藍にも似た髪が風に靡き、陽の光に透かされたそれらを見た俺が反射的に冬の湖を思い浮かべた瞬間、後方からバカでかい音量で試験官の声が鳴り響いた。
『ハイ、スタート!!』
ただでさえ呆けていた俺が、というか俺達がそのあまりにも唐突すぎる合図に反応できるはずもなく、我に返ったのは視界に捉えていた彼女が爆音と共に目の前から消え失せたからだった。
どうやら自分たちはスタートダッシュに遅れたらしいという事実に気がついたのはもう試験開始から十数秒経った後で、一斉にヤケなのか気合なのか良く分からない声を上げながら試験会場へと突撃して行った。
プレゼント・マイクと思しき声が後方の塔から聞こえたと同時に私が身に宿している個性のうち2つを発動させる。
一度両足を液体へと変化させ、再度形を再構築する。自身の両足が鋭く光る銀色の刃へと変化したことを感じながら両足を地面に突き立て、直後に大きく前方へ跳躍した。
景色が線と成って背後へ消え去っていく中、正面に飛び出してきた緑色の物体を視界に捉える。先程あった説明の時の資料を思い起こせば、今回の試験用の1ポイント仮想ヴィランであることが直ぐに分かった。
『ブッコ――』
のろまな機械が腕を振り上げると同時に浅く右足の刃で斬りつける。切りつけた後はただ何もせず黙って様子を見るが、数秒予想通りに煙を上げて自壊した。いや、多少予想より爆発の規模が大きいな。
試験用に見た目より内部は脆い作りなのか?
今ロボットが大破炎上したのは私がもつ個性によって生成された特有の毒の効果だ。本家である彼女ほど万能かつ強力ではないが、生物の肉体にも一定の効果を示し、電子機器にはより強く効くオリジナルの毒を個性によって生成する事が出来る私は、両足の刃と両膝の棘をその毒で満遍なく覆っていた。
その状態で切りつけられた為に内部に毒が回った訳だが、今回の試験でも問題なく、というか予想以上に効果を発揮することの確認が取れた。よってこれ以降は一々止めが刺せたか確認する必要はない。
次々と襲いかかる仮想ヴィランの攻撃をステップや体の柔軟性を活かすことで回避し、ロボットの体をそれぞれ一度ずつ撫でるようにして刃で浅く切り裂く。
試験用だろうがなんだろうがそれらが電子機器である以上それだけで簡単に敵を次々と蹂躙することが出来、十数分も経てば周囲に深緑色の山が完成していた。
「あまりに私に都合が良すぎて一瞬オールマイトが心配して手を回してないかなんて下らない心配をしていたけれど、そんなしょうもないことをする人じゃなかったわね。柄にも無く緊張していたのかしら」
大して意味の無い自問自答を虚空を見上げながら考えつつも、背後に近づく敵影に横に避けながら突き出された拳に膝の
正確な合計は全く数えていなかったが、恐らく40は軽く超えたのでは無いだろうか。
遠目に他の受験者を見てみれば、未だ20ポイントや多くとも30ポイントだのと口にしているのが聞こえる。
存外点差は開いていないものの、それでも多少の余裕はあるようだ。
とは言えここで手を抜いて後れを取ったとなればオールマイトからお小言をもらうことは間違いない。今もどこかしらのカメラか何かで試験会場を見ているであろう養父のことを考えれば、『常に全力で!それから、笑顔とユーモアを忘れずにね』と常日頃から言われているので、後半の内容は無視するにしても点差に胡座をかいて他の受験生に後れを取りました等ということに成れば間違いなく恥を掻くのは私だ。
「それに何より、私のプライドがそんなこと許さないわ」
細い路地から私の居る大通りに出てきたばかりの仮想ヴィランを足の刃で斬りつけ、次の敵を探す。
今私が居る位置とは反対側の路地から先ほどと同じように出現した仮想ヴィランへ向けて飛びかかろうとした時、大きな地面の揺れとともに巨大な影が地面を覆い尽くす。
上空を見上げてみればそこには真っ青な空を多い尽くすほどに巨大な仮想ヴィラン、恐らく始めの説明で邪魔者だと説明されていた0ポイントの仮想ヴィランであろうそれがこちらに向けて迫っていた。巨大な体を支えるこれまた巨大なキャタピラを唸らせながら周囲の建物を文字通りねじ伏せて無理やり進行するその光景は正しく悪夢そのものだ。
周囲の受験生が悲鳴を上げながら試験会場の入り口方向に向かって駆け出す。私はその場に立ち止まって周囲を見回すが、逃げ遅れた受験生はおらず、また立ち向かう受験生も存在しないようだった。
であれば。
「これまで他の受験生を助けるような行動をしてこなかった私としては、是非ともこのデカブツを私のアピールポイントとさせて貰いたいところね」
説明のあったとおりこのヴィランは0ポイント。どれだけ頑張って倒そうと撃破したところでポイントは取得出来ない。だが、どうせ雄英のことだ。基準は知らないが、生徒を助けることによっても何らかの加点があるに違いない。他ならぬあの我が養父が教師陣として採点に参加しているのだ。もしヒーローの素質を見出だせても点数が足りないなどという事になった際にはなにかごちゃごちゃというに違いない。それに、そういった受験生を落としてしまうのは学校側としても世間体が悪い。何らかの救済措置が存在していることだろう。
そんな中でそういった行動を取っていない、少なくとも偶然助ける形になった以外では積極的に誰かを救助するような行動を取っていない私としては、教師陣に何らかの印象付けが欲しいのだ。
例えば、強大な仮想ヴィランを打倒したとか。
「それを採点担当が他の受験生を守るためだとか思ってくれれば尚良いわね。まぁそれは少し望み過ぎかしら……」
こちらに着々と迫っている巨大仮想ヴィランを前に、どうしてくれようかと思考を巡らせる。
単純な話、どれだけ大きかろうが電子機器である以上基盤に私の毒が届いてしまえば終わりなのだ。表面装甲は多少厚かろうと、なんなら毒を込めた斬撃を飛ばして切れ込みでも入れてしまえば良い。
「けれど、それでは面白みに欠ける」
それではついさっきまで通常の仮想ヴィランに向けてやっていたことと変わらない。私が欲しいのは強烈な印象。要はインパクトなのだ。規模がでかくなった程度で同じことでは大した衝撃にならない。
やるならもっとこう、派手なのが良い。
「かと言って私、宝具もどきは水辺じゃないと使えないし。どうしたものかしら」
本家本元の彼女と違ってあくまでも個性でしかない私の力では彼女の宝具にほど近い技を放とうとすれば大量の液体が必要になる。しかし悲しいかな私の現在地は完全なコンクリートジャングル。周囲を見渡すまでも無く池や川どころか水たまりの一つさえないことは分かっていた。天気の良い今日など普段以上に地面から水分は蒸発している。
「となれば――そうね、中に入ってグサリ、かしら。それが派手で尚且スマートだわ。ええ、これにしましょう」
海底で揺らぐ海藻のように揺れながら前傾姿勢を取り、地面に寄り添うようにスレスレまで上体を近づけた。
0ポイント仮想ヴィランがこちらに近づくに連れ大きくなって行く地響きと土埃に眉を顰めながらも、これから自身を打ち出す先の照準を敵の左脇腹に定める。
地面を刳りながら弾丸の様に飛翔し、先程とは違い撫で斬るのではなく突き刺す。膝の棘ではなく足の刃が新緑色の装甲を貫き、私の体を0ポイント仮想ヴィランの側面に固定させた。
そして突き立てた刃は問題なく内部構造へと到達している。私はニヤリとほくそ笑みながら全身を液体へと変化させた。
0ポイント仮想ヴィランの体内に侵入し、全身へと薄く、隈無く液状と成った体を滑らせて、そして外側と内側両方に向けて刃を形成した。
内側は当然の如く碌に防御など固められていない内部構造を破壊し尽くし、外側はある種鉄の処女を思わせるような様相になっていた。
いや、内側から刃が生えてるのだからアイアン・メイデンとはまた別か?
そんな益体もないことを考えながら試験終了の合図を聞いた私は元の肉体を取り戻し息を吐いた。
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流星の始まり、あるいはその軌跡
雄英高校の一般受験からしばらく。
何気ない在り来りな平日の夜に食後の読書を楽しんでいる最中に鳴り出した固定電話を五度ほど無視していれば、今度は私用のスマートフォンに誰かから通話が掛けられていることを表す表示がディスプレイに映し出される。
反射的に舌を打ちながら殆ど感覚のない指先で応答のアイコンをタップしながら耳元にスマートフォンを当てれば、聞き慣れた養父の声が耳を打つ。
『やぁ
「結果?……なんの話かしら」
『HAHAHA、結果って言ったら雄英の合否通知に決まってるじゃないか!……まさかとは思うけど君、私が出張してから一度もポスト見てないなんてことないよね?』
「……まぁ、気が乗らなかっただけよ。今から見てくるからちょっと待ってて頂戴。というか養父さんが合否を知ってるならこの場で教えてくれても構わないのだけれど」
『それは流石に駄目、じゃないのかなぁ。ポストから行って帰ってくれば分かるとはいえ、身内にだけ贔屓する訳には行かないだろう』
「あっそ」
元より養父の性格からして期待などしていないので、答えが返ってくる前にソファから腰を上げていた。
1階の共用ポストからコンシェルジュが各部屋に用意されたポストへ郵便物を届けてくれる筈なので、たった今下に到着したということが無ければしっかり物が収まっている筈だ。
金属のつまみを掴んで軽い蓋を開けて見れば、小さめの色紙程度の大きさの封筒が入っていた。
持ち上げれ見れば思いの外軽く、しかし触った感触は明らかに紙ではない。
「これ、通知書とかじゃないの?どう見ても紙の厚みじゃないのだけど。……円盤?何時から天下の雄英高校は宇宙科学研究所になったのかしら」
『おお!やっぱり届いてたか!中身が何かって?それは当然、開けてからのお楽し――』
「あっそ、じゃあ言わなくて良いわ」
『せめて最後まで言わせてくれないか!?』
耳元で小うるさい養父さんの言葉を右から左に受け流しつつ、封筒を小脇に挟んで自室へ向かう。
リビングを通り抜けて廊下を進み、一番奥の部屋の扉を開けて机の上に軽く封筒を放り投げる。ガチャン!と金属らしい音を立てたのが電話の向こう側まで聞こえたのか慌てた声で『それなりに頑丈なはずだけどあんまり雑に扱わないでね!?』と叫ばれた。
……なんとなく予想はついていたが、中身は電子機器か。
殺風景で無機質な机とベッドに無地の壁紙。そしてあまりにも個性の無い部屋の中で異様なほど目を惹くコレクションラック。
必要なもの以外何も無いといって差し支えないこの部屋の中で異彩を放つそれは、古今東西のありとあらゆるぬいぐるみと人形によって彩られていた。
私が私を彼女で塗りつぶそうとした弊害か、元はこんな収集癖などなかったのだがいつからか気がつけばあちこちで買い集めていた。今でも時間を見つけては手入れを行っている。
チグハグな私を表したかのようなこの部屋から頭を振って思考を断ち切り、眼下の封筒へ視線を戻す。
両面が固定されている普通の封筒だ。特に切りやすくなっている訳でもなければ切り口がある訳でもない。
「私が物を持って使うの苦手なのは知っているのだから私の分だけでも封筒を加工してくれれば良いのに。気が利かないのね」
『あ。す、すまない、完全に失念していたよ。君宛のメッセージの原稿を考えるので手一杯で、つい……』
別に必要であればあまり好かないというだけで問題なく使用できるのでそう文句を言う程頭にきている訳でもなんでも無いが、それはそうとしてその発言は遠回しに私の合格を裏付けてしまっていることに気がついていないのだろうか。
引き取られてから幾度となく目にしてきた養父の"うっかり"が発動したことには目をつむりながら、封筒の口をカッターで切り開く。
中からは紙切れの一つも出てこず、入っているのはたった一つのディスク型の媒体。
机に置いて直ぐにこれまた見慣れた養父の顔面がドアップで投影されたことを確認し、もう必要なくなったカッターを机のペン立てに戻した。
何やらああでもないこうでもないと立体映像の養父が私に向けて語りかけているが、内容としては『心配いらない程の大戦果に私も鼻が高いが何より怪我がなくてよかった。これからも頑張れ』を10倍位濃く煮詰めたようなことを延々と喋っている。
果たして贔屓は良くないとは一体誰の言葉だったか。周りの教師もあんまり甘やかすんじゃない。
私が飽きてディスク本体を小突き始めたのを察知したのか、一生懸命考えたのだからもう少し集中して聞いてくれとスマートフォンからリアルタイムの養父の情けない声が聞こえて来る。
ええい、あっちもこっちも同時に喋るな!鬱陶しいし暑苦しいぞ!
「
『原稿用紙だって書き直し過ぎて何枚も――うん?ああ、えーっと、ちょっと待ってくれ。ふむ、来週にはそっちに帰れそうだね』
「ふーん、ということはここ一年間ほぼ毎日コソコソ早朝にやってた隠し事はもう終わったのね。最低でも三日以上空けたことはなかったでしょう?」
『エッ!?き、気づいてたのかい!?』
「そりゃ当然でしょうが。毎日毎日普段より明らかに早い時間にわざとらしく静かに家を出てれば気が付くわよ。むしろどうして私が気が付かないと思ってたわけ?」
『あー、うーん、そう、だね……ソノトオリデス……』
若干静かになった後もブツブツと『もっと早く気が付いていることに気づいてれば手伝ってもらえたのになぁ』だとか『いやでもまだこれを伝えるのは……』とかなんとかと聞こえてくるが、興味が無いしこれ以上話すこともないので通話を切る。
気持ち悲しげな効果音を立てながら通話が終了したことを知らせる画面の表示を確認し、充電スタンドにスマートフォンを立て掛けた。
気がつけば最早終了間際の立体映像の養父は私が主席合格であることを告げる。
その肩書に私自身思うところは全く無いが、養父は当然それらしい振る舞いに期待しているだろうし、学校からの印象だって悪くないほうが当然のごとく都合が良い。
積極的に友好関係を構築する気は更々無いが、かと言って一方的に拒否して突っぱねるのも良くなかろう。お世辞にも人好きのする性格ではないと自覚はあるが、これから三年間付き合って行くクラスメイトだ。どうにかこうにか頑張ろう。
それ以降の具体的な対策を考える事は明日の自分に任せて思考を放棄し、着替えを持って脱衣所へ向かう。
明日以降の学校生活に胸を踊らせ……る程心待ちにしている訳ではないが、最低限通いたくないと思わない程度の安寧を願いながら一日の疲れを癒やした。
「オイコラ、テメェが主席の野郎か」
「そうね。私が貴方の前の座席に座っているのだから当然確認する必要もなく私が主席に決まっているでしょう?そんなことも分からないのかしら。だとしたら貴方は眼科か脳外科を受診することを心の底からお勧めするわ。それにどこからどう見ても私は女の子、野郎じゃない。はぁ、次席でこれなのだからそれ以降はもっと酷いのかしら。それとも貴方が次席をとれたのは天文学的な確率で起こったマグレとか?それなら多少納得の行く答えになるわね」
「んだとゴラァ!!?」
「
「アァァン!!?」
「き、君達!やめないか!」
脇から眼鏡の誰かが空中を手刀で切り刻みながらああだこうだと熱弁しているが、今は目の前の男と睨み合うので忙しいので後にして欲しい。
爆風を固形化して研いだ様な特徴的な髪型をした男子生徒は、立ち上がった状態で席に座ったままの私を見下ろしている。
こちらが負けじと立ち上がって睨みつければ、私の身長の予想外な小ささに驚いてたじろいだのか一瞬表情に動揺が走ったが、直ぐに顔を引き締め直して不機嫌の絶頂ですと言わんばかりの凶悪な顔に戻る。
つい昨日祈っていた安寧などどこへやら。だが、学校生活始まって1時間も経たないうちに音を立てて崩壊していったあれやそれをかなぐり捨てようがここで引くのは私のプライドが許さない。
お互いに言葉を発しようと私と男子生徒が口を開いた瞬間、教室の入口から手を軽く叩いたような乾いた音が小さく二回鳴った。
何事かと思い身を引いてそちらへ視線を向かわせれば、芋虫の擬人化のような成人男性がのっそりとした動きで寝袋から身を出すところだった。
困惑している私、というか私達を放置したまま脱ぎ終えた寝袋を持ち歩き用の収納にしまい込んだ男性が教卓に立つ。
「さて、もうお前ら気は済んだか?済んでなくても一旦話を聞け。あ、担任の
担任?あの小汚いのが?
反射的に顔を顰めてしまうが、そんな最中も話は進んで行く。
あれよあれよというまに私達A組は全員体育着に着替えて校庭に立っていた。どうやら私達が長ったらしい校長の挨拶や御歴々の歓迎の言葉を受けることは無いらしい。
風で砂埃が舞うタイプの砂が使用されていることに舌を打つ。これからこんな場所で動き回って挙句の果ては体力テストだと?
この私に全身埃まみれになれと……!!?
ショックで失神してしまいそうだ。顔が引き攣るのを止められない。せめて体育館内で行う種目に限って欲しかった。
「それじゃあ、実技一位の八木に――あ?どうした」
「い、いえ、別に。問題ありません。それで、私がそのボールを投げて見せれば良いんですね」
「ああ、そうだ。そのまま一回分の数値として扱うから思いっきりな」
「思いっきり?そう、思い切りで良いのね」
あくまで口にしただけで言質は取ったと答えが返って来る前に円の中へと足を進める。
すれ違うと同時に渡されたボールをなんとなく手の内に存在しているような気がする程度の感触で弄びながら位置に着いた。
左足を刃に、右足は義足の形を真似して先端にボールを載せられるサイズのお玉状の窪みを作る。
右足の窪みに手に持ったボールを載せ、左足を軸に回転を始める。遠心力によって右足の先端にかかる力が増していき、風が渦を巻いて地面の砂を巻き上げた。地面が刃の先端に削られて抉れ、数センチ視界が低くなっていく中でここぞというタイミングに恒常的に発動している
抜けるような青空に向けて真っ白な流れ星が駆け抜けていくのを見届けながら、僅かな満足感と共に個性を解除する。
他の生徒の呆然とした表情はそれなりに痛快ではあるが、全身が埃まみれなのは如何なものか。
「
「ま、お小言は兎も角――」
担任の相澤先生……この小汚いのを先生と呼ぶのは癪ではあるが、相澤先生の持つスマートフォンのディスプレイには「1020m」の表示。
「まず自分の『最大限』を知る。それがヒーローの素地を形成する合理的手段」
他のクラスメイトからは歓声が上がるが、こちらはそれどころではない。真新しい服を早速汚す羽目になってテンションは急降下だ。砂場で遊ぶ幼児じゃないんだぞ!
そう心の中で憤っている間も状況は目まぐるしく進んで行く。私が砂で白くなったズボンを一生懸命に手で叩いている内に最下位は除籍処分になることが決定したらしい。
ふん、少なくとも私がそうなることなどありえないし、実際一番出来の悪い奴が消えようと大して面識のない人間が一人視界から居なくなるだけだ。私には関係ない。
青い顔をして震えているもじゃもじゃ頭の横を通り過ぎてクラスメイトの後ろの方へと下がれば、さっきの爆発頭がこちらに近付いて来た。
「オイ、チビ女」
「はぁ!?このっ、レディに向かってなんて口利くのかしら。本当最低限のマナーもなっていない野良犬ね、貴方」
「ルセェ!てかテメェどんな個性だ。体の一部を金属にするだけじゃあ説明できねぇことが何個もあんだろうが。総体積にパワー、どんな絡繰りだ」
「お生憎様。私、人間の言葉は理解出来ても犬の言葉は分からないのよ。あまりキャンキャンうるさいようだと
「んだとテメェ!さっきからふざけやがって、ぶっ殺されてェのか!」
「それはこちらのセリフね」
私が両足を刃に、あちらが両手から煙を出し始めた所で唐突に力が抜ける。
いきなり金属化が解かれて短くなった私の両足は地面から遠く離れた空中で、事態を理解できていない私は思い切り尻もちを打った。不覚にも「きゃん!」という悲鳴まで上げて。
「そこ、うるさいぞ。あんまり騒ぐならお前らも減点対象だ。良いな」
私だけでなく目の前の男子生徒もあ然と口を開けている辺り、強制的に個性が解除されたのかもしれない。となれば彼は前にオールマイトが口にしていた視界に納めた発動系の個性を強制的に消失させる『イレイザー・ヘッド』か。
「屈辱だわ……!」
「――チッ」
喧しい舌打ちを一つ放った男子生徒は静かに離れて行く。
ずんずかと音を立てて去っていく背中に反抗心を燃やしながら鼻を鳴らし、思い切り地面に着いたお尻を両手で叩く。もう、また真っ白だ!!
「あ、あのー…だ、大丈夫?」
「貴女は?」
「私、
「
「よろしくー!霞ちゃん!私もお茶子で良いよ!」
にぱり、という花が満開になったような擬音の幻聴を聞きながら、ようやくまともに交友関係が築かれていくのを感じる。
さっきの爆発小僧のようなヤツばかりだったらどうしようとかなり本気で心配していたが、杞憂だったようだ。よくよく考えてみれば雄英の卒業生があんなのばっかりだったらこの学校の世間体はもっと悪くなっているはずだ。それこそ日本最高峰のヒーロー科などと呼ばれることは無いだろう。
その後も他の女子生徒と自己紹介を繰り返しながらあちらへこちらへと集団になってぞろぞろと姦しく移動していく。
個性を使った体力テスト等というものをしている真っ最中であるのだから、話題の方向性が各人に個性についてになるのは当然だった。
「ケロッ、さっきの霞ちゃんの個性凄かったわね。両足の金属、のようなものも綺麗だったけど、そんなに細い体であんなに遠くまでボールを飛ばしたのは驚いたわ」
「わたくしもそう思いましたわ!とっても素敵な個性だと思いました!ですが、先程の彼も言っていた通り両足の部分はどこから捻出されたものなのでしょうか?私の様にエネルギーから変換しているのですか?」
そう蛙吹梅雨、八百万百が私に問う。
二人の発言はもっともだ。私の体のどこにもごつい筋肉など存在しないし、両足の金属部分を生成する程の余剰なナニカも持っていない。
これまで通っていた中学でも気付く奴は大勢居た。故にここに居る狭き門を潜り抜けてきた連中が気付かないはずがないというのは当然の如く予測できていた。
だから私はしたり顔でこれまで幾度と無く重ねてきた"嘘"をさも真実かの様に周りに居る全員に聞こえるように語る。
「私の個性は『
私の発言に"いつも通り"驚きの声が上がっているのを聞きながら、体の芯の方がすーっと冷えていくのを感じる。罪悪感とも違う、自分を偽った時の気持ち悪い感じ。これもまた、私の"いつも通り"だ。
きっとこういう所があるから私は本物の"彼女"に成れないのだろう。
結局最下位になったもじゃもじゃ頭が退学になることも無く、教師側の合理的虚偽として生徒に通達された。
元から手を抜く気があった訳じゃないが、それならそうと早く言ってほしかった。
それと、時たま視界の端にチラチラと見えていた金色のガチムチマッチョには家に帰ってから集中力が乱れるからやるならもっとこっそりやれとキレた。
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有精卵に紛れた強欲の悪魔
豪華プロヒーロー陣によるごくありふれた普通高校と大差ない授業を終え、昼食を終えた後の午後一番。
ヒーロー科に入学したの生徒達が最も心待ちにし、本日から卒業するまでずっと取り組んでいく専門教科、ヒーロー基礎学。
その記念すべき第一回を飾るのは世界中で誰もが憧れ、その背に希望を馳せる大英雄。我が家の養父だった。
教師生活始まって初めての一年生への授業。それも自身が最も経験してきたヒーローとしての技術や知識を学ぶ学問。それを私を含めた卵達に行えることを心待ちにしていた事実は昨晩から壊れたスピーカーの様に幾度も聞かされて嫌と言う程よく分かっていた。
あんまりにもしつこく言ってくるから適当にあしらって自室に逃げ込んだのだが、あのまま聞き続けていたらきっと朝までその胸の内を語られたことだろう。
そんなことされたら本当に耳にタコができちゃうぞ。
だが、現実は悲しいかな。
恐らく予め決めていたであろうセリフをえっちらほっちらと躓きながら生徒へ説明し、授業を進行していく姿に心中をハラハラと焦らされることになる。
あれだけ希望に満ちていた瞳に今は余裕というものが微塵も感じられない。
普通逆じゃないのか。授業参観じゃないんだぞ。だとしてもどうして授業をする側を心配しているんだ。
そんな疑問が幾度となく脳裏を過ったが、なんとも覚束なくて見ていられなかった。
これから先授業ごとにこの気分を味わうと思うと表情が無と化すのを止められなかったが、きっと回数を重ねていくごとに本人も慣れていってくれることを祈る。
なんとか説明フェーズを乗り越え、前もって学校側に伝えておいたコスチュームへと着替えることになった。
私のコスチュームはほぼメルトリリスの第一再臨そのままだ。これが一番私が
流石に極部は例の銀のあれではなく下着の上にスパッツを履いているが……。あんなものを清楚の極地だと真顔で言い放てる程私は常識を脱ぎ捨てている訳でもメンタルが鋼鉄で出来ている訳でもない。
しかし春先とはいえ足がほぼ丸出しだから少し肌寒いな。
個性の運用上仕方がないとはいえ、非活動時は何か暖を取れる仕組みを考えるべきかもしれない。
まぁ……私以上に寒そうな格好をしたクラスメイトも一名いたが、あれは大丈夫なのだろうか。校則とか以前に法律的に。
先日の実技試験で使用した様な市街地へと移動し、ビルの中へと入る。
広めの会議室程度には広い地下室には、壁一面に上のビルの各部屋に設置されているのであろうカメラの映像が映し出されていた。
「随分お金がかかってるのね。カメラにモニターに、あそこに映ってるのは水道かしら。インフラも整備されているの?」
「その通り!このビルは正に通常市街地に建設されている物と全く同じ作りで出来ているのさ。即ち、調理場にある水やガスも出るって訳だね」
「ふーん……」
水が出る。
それが聞けただけで私の勝率は一気に向上した。攻めなら兎も角、守りならば全ての階の水道を全開で垂れ流しにしてしまえば負ける気はしないぞ。私が触れている水と繋がっていればそれは最早私の手足も同義だ。
水を移動し、自らに取り込み、相手の体に潜り込ませる。
自由自在とまで豪語する気はないが、並大抵の相手には負ける気はしない。
ただ、このクラスには私の天敵と言っても過言ではない奴が居る。
後方の壁にもたれるようにして佇む紅白のそいつを流し見る。
あの氷結は脅威だ。こちらとて操作の速度や精度で負ける気は一切ないが、それを超える範囲で凍らせられてしまえば打つ手がなくなる。
体を氷で固定された後に金属化で氷を破壊するにしても、体が液体という個性上低温による鈍化は避けられない。
手がないことはないが、使えばびっくりする程疲れるので出来れば使いたくない。
「さぁ!くじを引いてペアを決めてくれ!」
オールマイトの持つ箱からアルファベットの書かれた手作り感満載のくじをA組全員で引いていくが、人数的にあまることになるんじゃないのか?
疑問を抱きつつもくじを引き、集団の中へ戻る。
教師陣が有精卵と呼ぶクラスメイト達のほとんどにとって人生初めての"戦闘"が目前まで迫る緊張感を肌で感じながら、薄暗い部屋の中、私は独り瞑目した。
結局あぶれた一人を含めたチームのみ3人で、残りは二人一組でチームを作ることとなった。
そして私が含められたチームこそが3人のチームだ。
「霞ちゃん!尾白君!頑張ろうね!」
「あ、ああ、頑張ろう」
「……ええ、そうね」
一名異様に気合の入った少女、葉隠さんは手袋のみが空中に浮いた状態でその胸の内の熱い思いを表すように勢いよく両腕を振っている。
そう、腕しか見えていないということはつまり彼女は今全裸ということなのだ。視界に映らないとはいえ思春期の男子にはそれなりに来るモノがあるようで、尾白猿夫は目のやり場に――と言っても前述の通り目には映っていないのだが、困っている様だった。
そわそわと手をやるせなく動かした後に、同じように忙しなく中途半端に動いていた尻尾の先端へと墜落していく。
哀れ青少年。
「尾白君には申し訳ないけれど、貴女の個性が一番発揮される状態はこれだものね」
「そう、その通り!さっすが霞ちゃん分かってるー!」
「あー、うん、そうだね。俺も確かにそう思うよ」
女の子として大丈夫かなとは少し思うけど、という小さな呟きが空しく空気中へと霧散して行ったのを聞き届けながら戦闘開始の合図を耳で聞く。
始まった。
私達ヴィラン側を捕らえに直ぐにでもヒーローチームがやってくることだろう。それも相手は嫌なことに件の轟焦凍。
どんな手で攻めてくるのか、と考えを巡らせようとした瞬間、ひやりと背筋を嫌な感覚が走った。
「――っ!!」
声を上げる余裕はなく、ただ本能が言うままにその場で空中へと飛び上がる。
私が地面から足を離した数瞬の後に、視界が一瞬で蒼く染まった。一面の冷気、フロア全体が一瞬にして凍結している。
表面が凍っているだけではなく、その上に分厚い氷が張っているのが一目で分かる。
宙を一回転して舞う様に着地する。
氷に足がつく前に個性によって完全な戦闘態勢を整え、両足の刃で
氷の表面を穿ち、削りながら刃が突き刺さり、体を支える。
「尾白君、葉隠さん、無事!?」
「か、からだが」
「うご、うごかない~!」
床を覆う氷から伸びた蒼に全身を包まれた二人を見て歯噛みする。
これで戦力は私一人。それに、この二人の状態を長時間放置するのはまずい。
それに状況が良くないのは私もだ。
「ちっ、体が固まってきたわね」
特に冷却の方は体が思うように動かなくなるので機動力が命の私の戦闘スタイルには致命的だ。
震える訳ではなく、ギシギシと体が軋みを上げる。
その他にも体の節々から可動域が失われていくのを感じて舌を打つ。
「これからヒーロー側のチームに攻撃を仕掛けてくるわ。二人はどうしても駄目になったらオールマイトにインカムから連絡して」
二人の了承の返事を背に受けながら発動型の身体強化系の個性を瞬発的に爆発させて階段の在るであろう方向の壁を蹴り壊す。
崩れる瓦礫の先に捉えたガタイの良い体を目掛けて飛び掛かり、体を庇うように出された腕の表面を右足の刃で浅く裂く。
正面に居るのは
背後の気配に向けて左足を蹴り出せば、先端が凍りつくのを感じて慌てて引っ込める。
迫りくる氷塊から逃れる様に階下へと飛び退び、正面から
「随分と派手にやってくれるじゃない。お陰でそこら中氷漬けだわ」
「……あの速度で凍らせて反応されるとは思ってなかった。お前の個性か?」
「お生憎様、完全に直感よ!」
私の場合、『直感C-』程度の個性という但し書きが付くが。
両足の刃で地面を踏みしめ、凍て付いた空気を引き裂きながら轟焦凍へと肉薄する。
左膝の槍を突き出すが、ギリギリこちらの速度に追いつくように右半身から氷が生み出された。
「チッ!!」
攻撃を中断して床をアイススケートの様に滑走しながら氷結を回避する。
性質上液体である以上、そのままの肉体であればまだ多少冷やされてもやりようが有るが、金属の状態で直接凍りつかされると熱伝導率的に一気に身動きが取れなくなる可能性がある。
今でさえ冷気の発生源である轟焦凍の近くに居ると体が鈍い感じがして不快感満載だというのに、これ以上ノロマに成ったら発狂してしまいそうだ。
「仕方ないわね。多少危なくても強引に終わらせるとしましょう」
「……やれるもんならな」
やれんならやって見ろと言わんばかりの鋭い視線を受けながら、両足に瞬発的な肉体強化をかける。
この私に安っすい挑発とか、やってくれる。
「やれるもんならなですって?良いでしょう。氷上の白鳥の飛翔を見せて差し上げるわ」
踏み込みで砕けた氷が風圧で吹き飛ぶ。
クラスメイトにはまだ見せていない最高速、その手前の手前程度の一端を見せてやる。
甲高い金属音と刃が空気を引き裂く独特の空気の絶叫を聞きながら、轟焦凍の背後へと回り込む。
「貴方、私に限らずクラスの人間を上から見下したような顔する時があるわよね」
「ッ!?」
姿が掻き消えたからか、私の問いが図星だったからか驚愕の表情で背後へと振り返る轟焦凍。
体の周囲から氷が生えるが、その速度ではあまりにも遅い。
「そんなに冷えて凍えた体で私を捉えられるとでも思ってるのかしら。考えを改めて出直しなさい!」
こっちは魔王お手製の個性兵器だぞ。弱点を補う機構が搭載されていない訳が無いだろうが。
強化された肉体を瞬発的に活性化させ、多大なエネルギー、つまりはカロリーを消費することで爆発的に体温を上昇させる。
先ほどと立ち位置は元に戻り私が上方。さぁ、さっさと地に落ちてもらおう。氷は氷らしく地面に霜でも生やしてろ。
「『踵の名は魔剣ジゼル』」
右足を振るい、刃から斬撃を飛ばすことでこちら側の上階と既に先程私の攻撃に依ってボコボコになった階段を切り離す。
支えを失ったことでぐらりと揺れた階段の上に取り残された轟焦凍は氷によって足場を保とうとするが、既に体温を失い切った体では満足に個性を発動できず、そのまま階下へと落下していく。
「何を抱えているのか知らないけれど、少なくともあの視線を私に向けることだけは許さないわ。はっきり言って不愉快よ」
静止した私の体から冷え切った空気に触れて薄っすらと蒸気が立ち上る。爆発的な発熱によって動き辛い不快感は消えたが、既に空腹感が胃を刺激していた。両足を形成している刃を解除し、素足で床へと降り立つ。
大質量が地面へと叩きつけられる音と揺れを肌で感じながら、耳元のインカムからオールマイトのタイムアップの声を聞いた。
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今はまだ微かな閃光
私にはあまりに大きすぎるドアを潜りながら朝の教室全体へと軽く挨拶を投げる。
「おはよう」
「「おはよー!」」
ここ数日で人となりを覚え始めたクラスメイト達がこちらへ集まって来る。
カエルっぽいのが蛙吹さん、ちょっと丸いのが麗日さん。私がつっかえつつも名前で呼んで見せれば、ニッカリと笑顔で手を握ってくれた。
よしよし、なんとか名前と顔が一致するようになってきたぞ。胸の内に湧くほっかりとした気分に今日も私は機嫌が良い。
入学から数日、未だ慣れない最前列の自席へとクラスメイトとの会話に勤しみながら向かう。昨日のテレビ番組は興味深かった。あそこのアクセサリーが可愛い。今度オープンする洋菓子屋を見つけた。などなど、私にはない少女らしい趣味をした彼女らから齎される情報は貴重なリソース源だ。
女の子とは砂糖と綿と夢と、それからほんの少しのビターチョコレートで出来ているらしいと聞くが、私の女の子成分は人形の部品と申し訳程度のくまのぬいぐるみぐらい。
こういう女の子っぽい話を聞くのは私自身好きだし勉強になる。
いや、もしかしたらやばいやつだと思われてドン引きされるかも……。
しばらくオールマイト、
うーん、あの部屋にこの子達を連れて行く度胸はないな。
いつか友人を部屋へと呼ぶことが密かな目標である私にとって女の子らしさを学ぶというのは急務なのだ。中学は周囲と反りが合わなかったというか、孤立してしまったので今度こそはと心中でガッツポーズを決める。
もういたたまれない視線と空気感の中で
ちなみにその後数日オールマイトとは口を利かなかったし、それ以来オールマイトが私の交友関係について口を出したことはない。
チャイムがもう数分で鳴る時間になったので席の周りを囲んでいたクラスメイト達が自席へと戻り、静かになった空間の中でふと背中へ視線を感じた。自分が誰の前席かを思い出して辟易としながら座ったまま後ろへと体の向きを変えれば、案の定そのままもいで誰かへと投げつければ凶器になること間違い無しな目つきでこちらを睨む爆豪勝己がこちらを睨みつけていた。
「あのね、さっきから私の背中を睨んで何か恨みでもあるのかしら?私の背中に親でも殺されたとか?違うならどこか違う場所を見て頂戴。鬱陶しくて仕方がないわ」
「あぁン!?見てねェわ!!」
「嘘おっしゃい!貴方と違って私はあれだけ一点見つめられて気が付かない様な鈍い感性して無いのよ!」
ぎゃあぎゃあと煩い反応に口端が引き攣る。
前回のヒーロー基礎学で室内戦闘訓練を行った時からこの少年はやけに私へ視線を送って来る。いや、厳密には私と轟焦凍にだな。
特に何か言う訳でもなく、じっと何か考え込んでいる。
ここ数日で叫ぶだけの猿ではなく意外に冷静でクレバーな一面もあることを知った為に私や轟焦凍の個性を研究して何か対策でも考えているのかと思ったが、何でも良いから黙って一点を見つめ続けるのはやめて欲しい。
こう、狙われている様な感じがしてムズムズするのだ。
いっその事膝の槍でグッサリ行ってしまいたい衝動にここ数日常に駆られている。毒の量をましましにしてちょっと入っただけでドロドロになるくらいにしたやつ。
なんとか自制しているが、これがこの先ずっと続くようなら額か胴体に風穴が開くことを覚悟して欲しい。まぁ、こいつの場合はその方が程よく熱が冷めて爽やかになるかもしれないが。
……想像したらやっぱり気持ち悪かったから止めよう。
「おい、静かにしろ。それからさっさと席つけ」
相変わらずこ汚い担任の声により睨み合いをやめ、私達はそれぞれ自席で前を向く。
連絡事項をしばらく聞かされていれば、ふとまた視線を感じた。
爆豪勝己と、今度はもう一人だと?誰だ?
ああもう、一人ずつ蹴り倒して昏倒させれば静かになるか!?
結局私のさっさとどっか違うところを向けという念は通じること無く、その日一日背筋がムズムズしたまま学校生活を送ることになった。
ほら見ろ!集中が削がれてどの教科もノートが飛び飛びだ!クソが!
自動車特有の振動とエンジン音。
ヒーロー基礎学の時間になり、気張った委員長飯田天哉の頑張りも虚しく私達は学校の備品のバスに乗ってえっちらほっちらと移動する。コスチュームに身を包んだ私達一年A組は昼食後の昼過ぎ、最も眠たくなる時間に程よく揺れる車内で寛いでいた。
個性を磨く学科の特性上、移動中の暇つぶしがそれぞれの個性に関する話になるのは当然の流れとも言えよう。
そうして一通り自身の個性について語った後、話題の中心にこれまでで一番派手に個性をそれぞれ披露することと成った先日の屋内戦闘訓練。それも特別目立っていた私や轟焦凍によく集まった。
「
「花がないというのは確かだけれど、汎用性の高い便利な個性だと思うわよ。私程ではないけれどね」
「は、はは、凄い自信だ……。でも、確かにその通りだよ切島君!僕は十分プロにも通用する個性だと思うよ!」
騒がしくなっていく車内に相澤先生が一喝する。
あの爆豪勝己も律儀に返事をしていた。あまりに意外だ。
駐車スペースへと到着してそれぞれバスの降車口から降りていく。十数分ぶりに浴びた外の風は存外涼しく、ひやりと冷えた空気がコスチュームの中を抜けていった。
その感覚を追いかける様にして次いでそわりと背筋を嫌な感覚が抜けて行く。
反射的に眉をしかめて周囲を見渡すも、特に何も無くクラスメイト達が談笑しているだけだ。
なんだったんだ?別に何も無いはずなのに妙な感覚だった。
そわりそわりと足元から冷たい何かがせり上がって来るような、足首を掴んで離さないようなそんな感じ。
「……確証もないのにああでもないこうでもないと考えるだけ無駄ね」
頭を振って先程までの不気味な感覚を振り切り、クラスメイトの談笑の輪に混ざる。
ああ、そんな事はあるわけはないのだ。ここは天下の雄英高校。
そう思い直して、少し無理矢理にでも笑顔を作った。
USJという権利的に心配になる名前の訓練施設へと入場し、ひと目見渡す限りでもかなりの規模で災害を再現した訓練施設が複数存在していることが確認出来た。
未だ経験したことのない学習内容に加えて人気のプロヒーローである13号の登場によりその場のほぼ全員が興奮に声を上げる。
私の周囲でもお茶子さんがファンであると話していた。
私は元よりヒーローのアイドル的な面についてあまり興味がないのでオールマイトから聞いた話やたまに見るニュース以外でヒーローについて知る機会は無いが、彼のことは以前オールマイトから話を聞いていたので知っている。なんでも土砂災害の現場で一緒に救助活動を行ったのだとか。
その際には彼が居なければ犠牲者が出ていたかもしれないと絶賛していた。
私としても彼のヒーローコスチュームのヴィジュアルは好ましい。一体うちにフィギュアで置いておけないだろうか?
あの全身無駄にもこもこした感じが可愛いのだ。いや、もしかして触ったら存外硬いのか?災害救助をするのにもこもこだと邪魔な気もする。
むぅ、見てくれだけで設計をするのは駄目だな。リアリティが大事なのだ。後で機会があれば触らせて貰おう。
私が13号フィギュア化計画を考えている間にもお小言という名の授業前説明は続いていく。
災害救助で活躍するヒーロー、それも、個性の火力が高いが故の視点で生徒へ注意喚起を促した13号。浮足立っていたクラスメイト達はしっかりと引き締められた。
プロの、それも災害救助の最前線で活躍するヒーローにここまで言われればはしゃいで怪我をするなんて馬鹿なことをする奴は居なく成っただろう。
さて、今日は一体何から始めるのか。
水着もタオルも持ってくる指示を受けていないから恐らく水難は無いのだろうと思うが、私としては水難は個性上相性が良くて楽だ。
あの程度の水量なら容易く支配権を浸透させられるだろう。
そうなれば水に落ちた人間だけ海面へ持ち上げて避難させることが可能だ。
それでは授業が始まる――となった時、背筋に氷柱を直接差し込まれた様な悪寒に襲われる。
本能的な速度で反射的に完全な戦闘態勢を整え、両足を刃に、両膝を槍に変えて前傾姿勢を取る。
私の急激な変化に目を剥いた相澤先生だったが、階下の広場中央に設置された噴水から黒い靄が吹き出し、中からゾロゾロとガラの悪い連中が出てきたのを見て目の色を変えた。
「八木、飛び出すなよ。お前はここで待機だ」
「……分かってるわ。これは体が反射的に反応しただけ。無策で突っ込む間抜けと思うのは止めて頂戴」
「……そうかい。13号、生徒を守れ。あれは――」
そう担任の口から告げられたことでA組全体に動揺が走る。
戦う意思を見せる者や怯えて不安そうにする者。
そんな喧騒の最中、私の直感が何かを捉えた。大量の針で私の中を刳る様な存在感を放ちながら、その所在を私に伝える気配。ほんの少しそれを感じただけで私の心はあっさり折れる。
既に私の胸の中には
クラスメイト達がざわつく中、私は体の震えが止まらない。私を舐めるように全身を絡め取る悪意。ああ、この酷く懐かしい感じ。
居る。
間違いなく、あの男の関係者が。
あの男は数年前オールマイトが殺したと聞いている。となれば今ここに来ているのは――――。
噴水前の靄の中から出てきた若い男が歩みを止めてこちらを見上げる。色素の薄い髪に、体中に手を貼り付けた男が階下からこちらを見上げてうっそりと笑った。
ひさしぶり。
そう口元が動いたのが分かった。
無意識に悲鳴が溢れてくらりと意識が飛びそうになる。手足が震え、歯の根が合わない。自然と荒くなった息に気がついたお茶子さんが慌てて声を掛けて来る。
「霞ちゃん!?大丈夫!?」
「だ、大丈夫よ。問題ないわ。私は大丈夫、大丈夫だから……!!」
ついには個性の発動を保てず刃は歪み、槍は
胃の中がグルグルと回っていて、その回転が全身へと波及している様な気持ち悪さ。
他のクラスメイト達が私の異変に気が付き始め、何事かとこちらへ視線を向けた。
その両目があの日の光景と重なる。
真っ白な部屋と、私以外に地面に倒れて動かなくなった4人の少女。白衣を着た大人たちの舐るような視線と、計測器が数値を伝える音と、それから、空気を伝う禍々しい魔王の声。
とっさに顔を両手で覆って視線を遮る。悲鳴を上げながら顔を隠した私を見たお茶子さんが私を抱きしめてくれた。それに躊躇なく縋り付き、彼女の胸に顔を埋める。
固く私を離さないお茶子さんもきっと今の状況が怖いだろうに、それでもその温かい体温で私を包み込んでくれる。
それに引き換え私はどうか。子供のように丸まって恐怖から友人を盾にして逃げ出した。
無様だ。酷く、無様。
あれだけプライドがどうこうとか言っていたはずなのに、いざと成ればこのざまか。あんなひょろい男の視線一つで、言葉一つで、態度一つで、私は私は……!!!
怒りと恐怖で心がぐちゃぐちゃになりそうだ。
内側から溢れ出て爆発しそうなのは怒りか、恐怖か、羞恥心か。
今立ち上がって奴を睨み返してやらなければ、私はこの先ずっと奴に、死柄木弔に立ち向かうことが出来なくなってしまうのではないか。そんな予感が私の中に生まれる。
そんなことはあっては成らない。なぜなら私は
けれど、意を決して顔を上げようとした瞬間お茶子さんの腕に押さえられた。
「大丈夫やから!」
「だい、じょうぶ?」
「そう!霞ちゃんは私が絶対、ぜぇ~ったい私が守ったるから、大丈夫!!」
呆けた私の口から反射的に繰り返された言葉を肯定したお茶子さんは、もぞりと顔を上に向けた私にニッカリと笑顔を向ける。
眩しい。この異常事態に於いても曇ること無い太陽のようなそれを見て、私は歯噛みする。
普段から自分より弱いと思っていたクラスメイトに慰められて、あやされて、私は何をやっているのか。
幾分平静を取り戻した私が謝罪と感謝の言葉を告げようとした時、お茶子さんの背後に先程の噴水前と同じ黒い靄が揺らめく。
「流石は一年生とは言え雄英生。この歳でしっかりとしたヒーローの心得をお持ちで。しかし、貴女の方は駄目そうですね。検体5号」
検体5号。
その名前で呼ばれただけで喉の奥からキュっと音がした。心臓を鷲掴みにされた様な恐怖感。
それきり私は言葉を発する事が出来ない。
お茶子さんのお陰で祓われていた心の暗闇が再び私ににじり寄る。
「死柄木の気配にあてられただけでこれですか。話は聞かされていましたが、予想以上にトラウマになってしまっているようですね。精神的な病を複数併発している可能性もありそうだ」
靄の中に蠢く目のような黄色い光を細めて私を分析する
先程あの男と視線を交えた時程ではないが、体が萎縮してしまう。
普段ならただの
「機会があれば回収する程度で良いとのことでしたが、予想外に簡単な仕事になりそうですね。それから我々がこの度ヒーローの巣窟、雄英高校へ入らせて頂いたのは――」
オールマイトを殺すと告げる
今現在オールマイトはこの場に居ない。どうせ何時もみたいに活動時間ギリギリまでヒーロー活動したせいで授業に出られないとか間抜けな理由のはずだ。
「なにくっちゃべってんだクソ
爆豪勝己と切島鋭児郎が靄の
土煙が立ち上る中で、それを切り裂くように靄が四方八方へと伸びる。
先程の
そう判断して咄嗟にお茶子さんを靄の外へと押し出す。
私の名前を叫んでいるのを聞きながら、爆発的に広がる靄によって生み出された風圧に反射的に顔を腕で庇った。
その直後に一瞬の浮遊感と共に空気が変わった様な感覚に襲われる。
地面に落下した衝撃に小さく悲鳴を漏らしつつ、瞑った目を開けば目の前には大きな噴水が鎮座していた。
それを見た瞬間、正しく嫌な予感というものが私の脳裏に過る。
「こ、ここって」
「よう、久しぶりだな。5号ちゃん」
背後から掛けられた声に息が止まる。
錆びついたからくり人形の様に後ろを振り返れば、そこにあの男が立っていた。
地面に倒れた私を覆うように影が広がる。
死柄木弔が、真っ白な手に覆い隠された顔に狂気的な笑みを浮かべた。
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何れ大星となる緑光
「俺らが初めて会った時、お前も俺ももっと餓鬼だったよなぁ。俺は先生に連れられて、そしてお前は隔離施設の中に居た」
噴水の縁に腰掛けながら地べたに座り込む私に向けてゆっくりと語りかける
その
対して私はまともに死柄木弔を見続けることも出来ず、かと言って立ち上がって戦うことも逃げることも出来ない。
恐怖が私を首輪として縛り付けて離さないのだ。
結果として、私はただ黙って俯きながら死柄木弔の話を聞かされている。
「お前がその性格になった時は結構驚いたけどさぁ、結局お前は俺に逆らえない。首輪なんだよ。その恐怖は」
私が考えていたそのままの事を言い当てられて目を剥く。
まさか、これは意図的なものなのか?人為的に掛けられた楔なのだとすれば、私がこうも異様なまでに死柄木弔に恐怖感を抱いているのも理解できる。
それに、そういうことに長けた人物も知っている。
私のこの体を作り上げた個性の魔王。絶望の具現。恐怖の象徴。
ぎりぎりと噛み締めた奥歯から軋む音が鳴る。
この私の惨めな現状を作り出したであろう魔王とその関係者である死柄木弔に対して燃え上がるような怒りがこみ上げる。
しかし、私には目の前に座っているだけの男を見上げて睨みつけることさえ出来ない。
私がこうしている間にも相澤先生がゴロツキと戦っていた。見た目や普段ののっそりとした動きにに反して接近戦もそれなり出来るらしい。しかし、その個性の都合上相手が状況を理解する前に奇襲して短期決戦の方が圧倒的に彼のホームのはず。
つまり彼は現状アウェイの状況下で多人数を相手取って激しい戦闘を行っていることになる。
今見る限りでは相澤先生が押している様に見えるが、ほんの少し新たな要素が加われば簡単に崩壊する均衡だ。そして、その予想を裏付ける時は直ぐに来る。
死柄木弔がここから動くなよと私に一声掛けて相澤先生へと駆けていく。格闘戦に入った直後、死柄木弔の肘を握られた相澤先生は大きく肘を損壊した。
想像を超える死柄木弔の個性の凶暴性に息を呑むと同時に相澤先生の危機的状況に反射的に腰が浮いた。
死柄木弔が私から距離を取ったからか、はたまた完全に意思の介在しない反射的な行動だったからか分からないが、今この状況下で初めてまともに体が動いた。
しかし、死柄木弔は私が立ち上がろうとしていることを察知したのか相澤先生の肘を握ったまま瞬時に背後に振り向く。
「『動くな』!!」
その一言で私はまたその場に蹲る。
両足が痺れたように力を失い、地面へと脱力した勢いそのままに叩きつけられた。
急激な動悸にめまい、それに脳みそがぐちゃぐちゃにかき回されるような不快感。恐怖で頭がちかちかと明滅する。
か細く聞こえる悲鳴が自分の喉から鳴ったものだと理解した時には、相澤先生はすきを晒した死柄木弔の腹に強烈な蹴りを入れて距離を取っていた。
そして私はまた何も出来ない木偶人形に逆戻り。
脳内をコマ送りのように過去の記憶がフラッシュバックしていく。
白い壁、白い天井、白い蛍光灯と白衣と白い実験着と白いカルテ。
不気味な白が頭の中で回転する。
それらが一周するたびに私の残り少ない理性と人格がすり減っていく気がした。
どこか遠くでコンクリートが砕けるような音と、肉を強烈に打ち付ける痛々しい音が響いた。
背の翼は毟られ、水面を藻掻くすべすら知らず、楔を打たれて地面に打ち付けられたみにくいあひる。
「――ぐっ、かっ」
朦朧とした世界の中で、息苦しさに意識が再浮上する。
視界が回復した直後に目に飛び込んできたのは、死柄木弔の顔だった。
ぴったりとくっついてしまいそうな程に間近に近づいた死柄木弔の表情は、誰が見ても分かるであろう程に嗜虐心に溢れていた。
かひゅー、かひゅーと狭い道を通り抜けるか細い音が私の喉から響く。
「お前の個性、物理無効なんてチートだけどさぁ。正常な思考さえ奪ってしまえばまともに個性を使えなくなる様に
私の上に馬乗りになったまま死柄木弔はこれまでになく饒舌に語る。
強者を下しているという優越感が、私が顔に苦悶を浮かべている事実がこいつをこれ以上ない程に喜ばせているという事実が私の中で渦巻く。
恨み言の一つや二つ吐き捨てて遣りたいのに、私の体はただか弱く震えるだけで死柄木弔にされるがままだ。
やめて、苦しい。こわい。
感情は幾らでも溢れてくるのに口は満足に動かずに僅かに引き攣るだけ。
首を掴む腕を引き剥がそうと手を掛けるも、普段身体強化の個性を使って膂力を上げている私の素の力など知れたものでびくともしない。
のしかかっている死柄木弔自身を押しのけようと腰の抜けた様に力の入らないまま精一杯足をばたつかせたが藻掻くが全く話にならなかった。
ボロボロと両目から涙が零れ落ちる。
視界がぼやけても尚死柄木弔の顔が悪意に染まっていることは分かった。
「う、ぁ、やめ、て」
「止めて?ははははは!あの時ガラスの向こうから俺を殺してやろうと睨んでたお前はどこ行っちまったんだよ。あーあ、つまんねーの」
私に興味を無くした様な素振りを見せる死柄木弔だが、私の首を握りしめた右手は離さない。
死柄木弔の先程までの弄ぶ意思が薄れ、その瞳に冷たい光が宿った。
「お前、今ここで死ぬか?」
その言葉が私の中に反響する。
死ぬ、私が?
全身が恐怖に硬直してぴくりと震える。
「もう一本指が触れただけでお前の首は粉々になる。お前は本来個性で一定以上の衝撃は自動的に体が液体に成ることで効かないようになってるだろ。けど、今のお前は自分から液体状に成れない。もしこのままバラバラになったら勝手にドロドロになって無傷のまま治ってくれると思うか?」
首に当てられていた手の力が強まる。
意識が朦朧として行く中、ついに両手足から力が抜ける。
私は本当はあの場所で死んでいたのではないだろうか。あの白くて怖い箱庭で。
一度は逃げ出せたのに、恐怖が私をどこまでも追いかけて来る。
これまで逃げ延びていたのに、いや、それこそが勘違いなのだ。逃げ切れると思っていた私の認識が甘かった。
着々とそれは距離を詰めていた。きっと今日ついに追いつかれてしまったのだ。
頭がぼーっとする。
このまま暗い水底へ落ちていくのだと私が意識を手放そうとした瞬間、緑光が駆ける。
「八木さんから、手ぇ離せ!!」
爆発的な風圧に目を瞑る。
舞い上げられた土埃の中で、薄っすらとだけ開けた視界には誰かの背中だけが写った。恐怖から私を背に庇って立ち向かってくれる誰か。半ば無意識に私は良く知るその人の名前を口にする。
「げほっ、げほっ!ぅぁ、養父、さん……?」
「……オールマイトじゃなくてごめん」
小さく謝るその声で目の前に立つ誰かが誰か分かった。
緑谷出久だ。
養父さんが何かと気にかけるクラスメイト。
養父さんにそっくりな個性を持ちながら使うたびに体を破損させる諸刃の剣。
視線はじっと前を見据えながら、きっとオールマイトならこう言うはずだと告げてから緑谷出久は大きく息を吸い込んだ。
「もう大丈夫!僕が来た!!!」
そう高らかに言い放った彼の背中は、頼りなく小さくて雄英高校の指定ジャージに包まれている。
見るもの全てに安心感を与えるあの背中には遠く及ばないはずなのに、何故だかどうしようも無いほどに今養父さんの背中と彼の背中が重なって仕方がない。
両手と両足は私といい勝負な程みっともなく震えていて、けれども振り返ったその顔は大胆不敵に笑っていた。
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嗚呼、未だ大空を知らないみにくいあひるの子
緑谷出久の登場によって場が膠着した一瞬、横から突然なにかにグルグル巻きにされて私の体が宙を舞った。
「霞ちゃん!!」
誰かに抱きとめられた感触を受けて瞼を開ければ、心配そうな表情をした蛙吹さんが私の顔を覗き込んでいた。
どうやら先程のグルグル巻きは蛙吹さんの舌だったらしい。
なんとか足を地面に下ろして立ち上がるが、まだうまく力が入らない。だが、先程より死柄木弔から距離を開けたお陰か、それとも友人の側に来られたからか精神が安定した気がした。
それでもやはり手足の震えは止まらないが。
「ありがとう、蛙吹さん。助かったわ」
「気にしないで霞ちゃん。体は大丈夫?」
「なんとかね……。けれど、正直戦力には成れないかもしれないわ」
私の震える体を見た蛙吹さんの表情が歪む。
先程の風は緑谷出久の拳に依るもの。そしてその攻撃は先程相澤先生を痛めつけた脳無と呼ばれる
驚愕に目を見開いた緑谷出久だったが、直ぐにこちらへ後退する。
緑谷出久は自身の拳へと目をやった後に、少し慌てたようにこちらへ言葉を投げかけた。
「や、八木さん!大丈夫!?」
「ええ、助かったわ。貴方こそ、腕は大丈夫なの?」
「うん!何故かは分からないけど、この土壇場で力の調整に成功したんだ!だから今回はどこも怪我してない!でも……」
でも、怪我をしていないのは向こうも同じ。
私とは別の方法で物理攻撃に対して圧倒的な耐性を持っているのであろうその濃紺の肉体は、あれ程の風が吹き荒ぶ威力の拳を受けたであろうはずなのに、その痕跡を見つけることは出来ない。
先程と全く同じ様にその場に無傷で鎮座している。
玩弄な肉体に加えて明らかに隆起した全身の筋肉。人間離れした圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えたそれは、まるで生きた要塞の様に思えた。
「ちっ、キーアイテムが取られたぞ。さっさと取り返せ、脳無」
「来る!」
緑谷出久が小さく叫ぶ。
脳無と呼ばれた
対する緑谷出久は拳を握り、腕を犠牲にした超パワーで迎撃するつもりの様だがそれでは先程と変わらない。
さっき成功したからと言ってまた力の調整に成功するという保証はない。緑谷出久の腕が壊れたら脳無に対抗出来る人員は居なくなり、後は奴らの好きに嬲られるだけ。
ついに脳無の腕が振り下ろされると思われた瞬間、USJの入り口から扉が破壊される大きな音が鳴り響いた。
巻き上がった土煙の中から姿を表したのは私の養父であり、彼ら
「――私が来た!!」
平和の象徴がついに、絶望を打ち砕かんとやって来た。
オールマイトが、
相澤先生に捕縛されずに残っていたチンピラは一掃され、死柄木弔を中心とした主犯格から私や緑谷出久を含めた生徒四人を一度に引き剥がした。
私に背を向けて
無様に地面に這いつくばる私に、失望させてしまっただろうか。
この場の誰よりも経験の多い私が率先して戦い、他のクラスメイトを
口は開くが言葉が出てこない。
胸のうちから湧き出る言葉は自己弁護と罪悪感から来る情けないものばかり。
「あの、私、とうさ――」
「大丈夫!!」
私の言葉を遮って笑顔で振り返る
「ここに来るまでに、飯田少年から聞いた情報の中に霞に関することもあった。普段では考えられないような取り乱し方をし、何かを恐れていたようだと。君が何を恐ろしく思い、そうなったのかは今の私には分からない。けれど、だからこそ私はこう言おう!もう大丈夫!!なぜって?私が来たからさ!!」
いつか、薄暗い無機質な部屋の隅でかけられたものと同じ言葉を告げる
あの時蹲って人間性を失いかけていた私は今、ただ呆然と地べたに這いつくばっている。
「脳無!検体5号を狙え!」
「その呼び名は、まさか!させんッ!!」
私目掛けて飛び込んでくる脳無を
二度三度と拳をぶつけ合わせ、お互いの手のひらをつかみ合うことで動きが静止した。
巨大な膂力と膂力のぶつかり合いに、動きが無くなって尚お互いの地面を踏みつける力で地面がひび割れる。
しかし、ひび割れた地面を覆い隠して現れた靄に
その正体は先程出入り口となっていたワープの個性の
体をワープの内側に通した状態で強引に閉じることで
そんなことをさせるわけにはいかない。
私の、この私の目の前で
そんなこと、そんなことは――!!
「ふざけ、ないで……!そんなことさせるわけ――」
「おい、『動くな』!!」
「ぐっ、ぃ、こんなもの――!!」
不自然に四肢から力が失われる。
怒りで押し込められていた恐怖が再びぶり返す。
今にもゲートは閉じられて、
またなのか。
また失うことしか出来ないのか。今度は目の前に脅威が居ることが分かっているのに、また理不尽に奪われるだけなのか。
業火と拉げた自家用車の車体。
イカれた嗅覚でも直ぐに感知できる程の鮮血の香り。
また繰り返すのか。
また、また、また、また――――!!!
走馬灯の様にスローモーションになった世界で、私の頭の中は真っ白く塗りつぶされた。
「貴女、何をしているの?」
そう、彼女が言う。
私に背を向けて、この真っ白な世界で、私に向けてそう言う。
あの電子の海にあって誰より鮮烈で、気高く、他の誰の為でも無く自分の為に飛んだ彼女。
その恋は毒のように刺激的で、でもそれ以上に甘くとろけるようにまろやかだった。
女神の英霊を複合したハイ・サーヴァント。
快楽のアルターエゴ、メルトリリス。
彼女が少しだけ身じろいだことで長い髪が揺れる。
「何時までそうして居るつもり?このままじゃ、嘗てのあの時の様に唐突に、理不尽に奪われて終わりよ?」
けど、けどもう、体が動かなくて――――
「一丁前に言い訳だけはするわけね。でも、それじゃあ何も変えられない。何も救えない。何も掴み取れない。そんな事は貴女が一番分かっているはずでしょう?」
背を向けたままの彼女の言葉に私は何も言えず口を閉じる。
そう、このままじゃ、奪われるだけ。
真っ白な地面に這いつくばった私の首には黒く、悍ましい霧のような首輪が何重にもくくりつけられており、そこから伸びる黒い鎖がこの白い空間の地面へと固定されている。
そのせいで私はこれ以上立ち上がれない。
これが私の首輪。私の呪い。私の過去。
絶望と恐怖と怒りと殺意と、それを煮込む個性という名のるつぼで作り上げられた私の過去。
「はぁ、でもまあ、ここで諦めることも出来るわ。全部諦めて、全部投げ出して、もう痛いのも怖いのも嫌だと赤子の様に駄々をこねて。そうしてまた大事な人を失う。それが許容できるなら、ただ黙って見ていればいい。でも、それが嫌だからそうやって地面に爪を突き立てているのでしょう?」
そう言われて自身の両手を見る。
いつの間にかそれらはこの白い空間の地面を抉るように突きたれられ、地面に食い込んでいた。
爪の間から大量の血が流れ、肉が裂け、骨が軋んでなおその力は緩まない。
「もうやるべきことは分かっているはずよ。あと必要なのはその為の力強い助走だけ。仕方がないから、それは私が手伝ってあげるわ」
そう時間もないしね、と言いながらようやく此方に振り向いた彼女は呆れたような表情でいながらも、手の掛かる妹を見るような優しげな微笑を浮かべていた。
両足の刃から金属音を響かせながらゆっくりとこちらへ近づいてきた彼女は、持ち上げた右足を一思いに地面から伸びる黒い鎖へと振り下ろす。
甲高い音を立てて彼女の右足の刃と衝突した黒い鎖は、あっけなく両断された。
地面から伸びる鎖から開放されたことで立ち上がれるようになった私は正面から彼女と向き合う。
お礼を言おうすれば、照れた表情で彼女は先んじて口を開いた。
「私は本物のメルトリリスではない。あくまで貴女が生み出した心の中のメルトリリス。快楽のアルターエゴでも、あの電子の海を生きたハイサーヴァントでもないの。だから貴女を手助けするのは当然のことなのよ」
視線を床にそらしながら少し顔を赤く染めた彼女は口早にそう言うと、早く帰れと私の背を押す。
首輪から伸びる残った鎖が音を立てるが、既に私を拘束する様な力は無い。
「もう手放したくないのなら、目を背けては駄目よ。だから忘れないで。空を飛ぶための翼は、他のどこでもなく貴女の背中についているのだから」
先程と同じ様に世界が白む。
光に目が眩んで、そして意識が急速に浮上して行った。
再び意識が現実に戻れども、状況が最悪なのは変わらない。
けれど、先程とは違い全身の震えや恐怖、脱力感は間違いなく軽減されていた。
守られて守られて守られて。
私は一体どこへと向かうのか。
養父さんが殺されそうな時も、そうしてただ黙って最愛の父が死体に成るのを見ているだけなのか。
背に庇われて抱きしめられて笑顔で励まされて。
いつか友人が殺されそうになった時も、そうして呆然と大切な友人が拉げるのを見ているだけなのか。
違うだろ。
違うはずだ。そんなのは違う。
そんなのは
自分がどうするべきかなんてもう分かってる。立ち上がれ。膝が笑おうと、指先が彷徨おうと。
みっともなく涙を零しながらでも、歯の根が合わなくて情けない音がなっていようとも。
私のこの背にこそ翼が有るのだとそう叫べ。
一度無様を晒してお茶子さんに抱きしめてもらった。
二度惨めを晒して緑谷出久に救われた。
三度目などあってたまるか。
もう、もう救われているだけなのは嫌なのだ――!!
囚われの
『霞ちゃんは私が絶対、ぜぇ~ったい私が守ったるから、大丈夫!!』
私を優しく抱きしめて
『きっとオールマイトならこう言うはずだから。もう大丈夫!僕が来た!!』
私を背に庇ってそう高らかに言い放った緑谷出久。
『もう大丈夫、私が来た――!!』
仄暗いあの地獄から、絶望の底から私を引き上げてくれた英雄、オールマイト。私の
それら全てが私の心臓を熱く燃やす。トクリ、トクリと音を鳴らしながら私にまだここが終着ではないと教えてくれる。
手足の震えは依然として止まらない。
心から深く根付いた恐怖はまるで首輪の様に私を捕らえて消えることはない。
けれど、けれどそれでも――――。
「それは、私が立ち上がらない理由にはならない……!!!」
浅い呼吸を繰り返しながら、零れ落ちる涙を視界を遮る邪魔なものと断じて目元を乱暴に拭う。
私はなり損ないの
なら、きっともっと高く飛べるはず。
他の誰よりも気高く、美しく。
それこそが、
震える両足に力を込めて、地面を穿つように蹴り出す。
空気を切り裂き、上手く個性が制御できずに中途半端に刃の形を取った左足で
宙に浮いた
再び地面を転げて這いつくばることになったが、先程とは違う、成果を伴った意味のある無様さに自然と口角が上がった。
私を心配して声を掛ける
そして先程の緑谷出久の様に息を大きく吸い込んで大きな声で叫んだ。
「私はッ!!」
声の裏返った大声量にこの場の全員の視線が集まる。
この場の
両足は刃に、両膝は槍に。
高くなった視界に自慢の長い髪をかき上げながら告げる。
「私は、オールマイトの
未だ白鳥にすら成れないみにくいあひるの子は今も凍える湖の上で溺れ続けている。
けれどたった今確かに、翼を広げる方法をその背に宿したのだ。
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旧約聖書の水泡を仰げ
「霞、君は――」
「またせてごめんなさい、養父さん。もう大丈夫よ。これ以上無様な姿は見せないわ。貴方と、これまでの私の人生にかけて」
手足の震えはましになったが、精神的な疲労の蓄積が如実に現れている。
体は依然重いし頭がくらくらして視界が歪んで見える。
今出して正常に制御できる速度は全速の6割程度だろうか。
ただそれでも、私の首から伸びていた鎖は既に砕けた。その事実が他のどんなことよりも体を軽くしてくれる。
「おい、お前何で動けてる!『動くな』!『止まれ』!!『黙れ』!!」
苦々しく顔を歪めながらこちらを睨む死柄木弔だが、その言葉に私の体は反応しない。
正直なところを言えば反射的に顔が引き攣るし心臓が激しい動悸に見舞われるが、そんな奴に都合の良い姿を見せてたまるものかと歯を食いしばってそのままの姿勢を保つ。
「貴方のおもちゃはもう壊れちゃったみたいね。あらあら、それじゃあどうしましょうか。さっきは随分私で遊んでくれた訳ですし、今度は私が貴方で遊んでも構わないわよね」
「くそくそくそくそがぁ!!!」
がりがりと首元を掻きむしる死柄木弔とその隣で揺らめく黒霧と呼ばれていた
こちらは口では強がっていても私も養父さんも満身創痍だ。出来ることなら短期決戦で一気に決めたい。前に歩み出る足音を耳が捉え、流し見でそちらを見る。
脇腹から血が滲んでいる養父さんが上からその大きい手で抑えるようにして私の隣に並んだ。
「霞、君はクラスのみんなに合流して相澤君と13号君を頼む」
「嫌よ」
「……即答か」
「当然ね。養父さんだって分かっていたでしょう?」
「まあね」
苦笑いを浮かべながら私の頭をひと撫でした養父さんは深く深呼吸をする。
2、3度拳の握り具合を見た養父さんがニッカリと笑い、私の方を向いた。
「それじゃあ、せっかくだし頼りにさせて貰おうか」
「私が言うのも何だけど、戻れって言わないの?」
「私が戻れと言えば戻るのかい?」
「ありえないわね」
「だろうと思ったさ」
いつも通りの日常的な会話に、今のこの犯罪者が学校に襲撃を仕掛けて来ているという非日常的な状況を忘れて二人して笑いが溢れだす。
敵の目的は養父さんの殺害。
それに私という出来損ないの兵器の回収もついでのお使いも有るらしい。
だが、残念ながらそれらは諦めて貰わなくてはならない。
「水難エリアに私が到達出来れば全て片が付くわ。サポート、宜しく頼むわね。ナンバーワンヒーロー」
「HAHA!後は任せたじゃなく、サポートを頼むなんて言われたの何十年ぶりだろうね!よし、任された!!」
養父さんの了承の声を聞きながら勢いよく直線的に飛び出す。
水難エリアに向けて弾丸の様に飛び出した私の狙いが分かっているのか、死柄木弔は脳無を私の直線状へ向かわせる。
物理に対して圧倒的な耐性を持つその肉体は、所詮肉の体である以上私の得意分野だ。それを分かっていない死柄木弔ではないだろう。
となれは――――。
私を受け止める態勢で飛び出して来た脳無を膝の槍で貫く素振りを見せた直後に黒霧の靄が脳無の正面を覆う様に出現する。
「やっぱり二段構えね」
脳無を攻撃しようと私が回避行動を取れなくなった瞬間ワープによって私を強制的にこの場から排除する気か。その靄の先に接続された場所がこのUSJ内なのか、それとも太平洋なのかは分からないが、今この場から遠ざけられるのは都合が悪い。
残った
「でもそもそもで、そんな遅い動作で私を捉えようというのがまずもって間違いなのよ」
靄の直前で起動を変更し、地面に深い溝を彫りながらアイススケートの様に脳無と黒霧に背を向けた状態で大きく半円を描く。
突破されたことを察知した黒霧が再度こちらに迫ろうと蠢くが、それを見逃す私の養父さんではない。
「『
背後で吹き荒れる爆風を更に加速の要因として前へと突き進む。
そして目前に迫った巨大な水源へと身を投げた。
それなりに出ていた速度のせいで派手な水しぶきが上がる。上へ打ち上がった白い飛沫とは対照的に静かに私は水底へと落ちていく。
じわり、じわりと私の支配権がこの水難エリアの水分全てへと浸透して行き、私自身が水中へと溶け込んでいく。
そして私自身がこの巨大な水源そのものになった瞬間、爆発的な衝撃と共に陸地へと飛び出した。
「ん、ぅ……?」
赤く、眩い光によって目を覚ます。
顔に掛かった布を寝起きの覚束ない手付きで掴み取ってみれば、それはどうやら掛け布団のようだった。
そして後頭部に触れる感触は枕。そして私が体を預けているのは真っ白なベッドだ。
未だぼうっとする頭を軽く振って思考を落ち着ければ、自分自身が今現在どこに居るのかが分かった。
「保健室、ね」
周囲は他のベッドから区切るために天井から伸びた長いカーテンに依って遮られており、先細私の意識を覚醒させた光はその間から漏れる夕日だった様だ。
ベッドの上で上体を起こし、今まで横たわっていた自身の体を一通り眺める。
確認してみても、酷く気だるい以外に特に大きな異常は見られなかった。
今現在間近に迫った脅威が皆無なことに安心したのもつかの間、意識を失う前の事をはっと思い出す。
「私、あの後どうして――――いや、
「
私の声に答えを返しながらカーテンを開けたのは他でもない私の養父、オールマイトだった。
夕日を背に私の隣に配置されたベッドに私と同じ様に上体を起こした状態で此方を見る養父さん。
その姿はいつも家で見るようなガリガリでボロ雑巾の様な頼りない姿だったが、今は何よりもその笑顔が見れたことが嬉しかった。
「それで、他の生徒達は?」
「生徒で大きな負傷があったのは君と緑谷少年だけだ。他はあってもかすり傷程度だったらしい」
「そう、それは良かったわ。本当に」
「全くだ。これだけ大規模な
悔しげでありながら嬉しそうに拳を握る養父さん。
表面上笑みを浮かべては居るが、その表情には間違いなく後悔の色が浮かんでいた。
「後悔してるの?雄英に来たこと」
「……正直に言えば、そう思っていないとは言えない。私を殺すことを目的にやってきた連中だ。私さえ居なければと考えない訳にはいかない。生徒を過剰な危険に晒した。後輩を多勢に無勢の状態で恐怖と立ち向かわせた。それだけで私は耐え難い。自分自身を過信している訳でも、感傷的になっている訳でもない。これ以上冷静な思考を保ったままで、それでもやはり私はこの場所に居ても良いのだろうかと考えてしまうよ」
私から窓の向こう、遥か彼方の夕日へと視線を移し、黄昏れた表情で噛みしめる様に言う養父さん。
あの日生徒に自身の授業を聞かせる事を楽しみにしていた面影は無く、ただ教師としてよりいちヒーローとして今回の襲撃事件を深く受け止めるようだった。
けれど、私は養父さんにこの学校を去って欲しくない。
「確かに、養父さんの授業は分かりにくいし、カンペ読みまくってるし、生徒に見せ場取られてぷるぷるしてるし、あまり教師としてかっこいいとは言えないわね」
「そこもうちょっと慰めてくれるとこじゃないのかい……!?」
目を丸くして手をぶんぶん振り回しながら抗議する養父さんの様子につい思わず笑いが溢れる。
ひとしきり笑った後に、そのまましっかりと養父さんの青い瞳を見つめると、何事かと怪訝な顔をされた。
「でも、でもね。私、養父さんの授業好きよ。大変そうだし中々上手くいっていないのは見て分かるけど、それ以上に楽しんでやっているのが伝わってくるもの。だから、私はこれからも養父さんに教壇に立って貰いたいわ」
「霞……」
「何よりあまりこれ以上そのボロ雑巾みたいな体に無理をして欲しく無いもの」
「うぐっ、そこを言われると弱るな……」
「きっと私が意識を失った後も無茶をしたんでしょう?明らかに最後に見た時より怪我が増えてるもの」
「……霞はどこまで覚えているんだい?さっきの、というには少し時間が経過してしまったけれど」
「最後の記憶は水難エリアの水源に飛び込んだ所ね。そこから先は全く覚えていないわ」
「本当かい?ということはあれは完全に無意識ということか……いやはや脱帽だな」
「え、私、何かしたのかしら」
養父さんの言葉に大きな不安を胸に懐きながら恐る恐る問うて見れば、どうやら悪いことではないらしく即座に否定される。
その時の出来事を思い返して天井を見上げる養父さんの横顔を見ながら私は背を預けていた壁から体を離して養父さん側のベッドサイドに足を下ろす。
「あれは、巨大な水の龍の様だったよ。霞が水難エリアに飛び込んで数秒後、凄まじい勢いで水が持ち上がったかと思ったら直ぐ明確な形を形成しだしてね。ファンタジーのドラゴンというより、東洋の龍に近い形状だった。それが主犯格の
「そう……」
恐らく私が象ったのは
口から炎を、鼻から煙を吹き、あらゆる武器を跳ね返す強靭な鱗を持つ神獣。最高の生物として描かれるベヒモスと対に描かれる最強の生物。
他の女神よりも巨大な力としての要素が大きく、尚且私がイメージし易いものだ。
「私のクラスメイトには怪我はなかったのよね」
「ああ、さっきも言った通りベッドに寝かされているのは私と君だけ。腕を怪我した緑谷少年も今日はギプスだけして帰宅指示が出ている」
「あら?彼結局腕を折ったのね。私を助けてくれた時は傷を負わずに個性を使えていたのに」
「何?それは本当かい?」
「ええ、本人も制御に成功したと言っていたわ」
それを聞いた養父さんは顎に手を当てて数秒考え、ニヤリと笑う。
「
「私も?」
「今までならそう何度もクラスメイトに怪我がないか心配なんてしなかっただろう?余程仲の良い友人が出来たのだと私も安心したよ」
「なっ、それは今までそこまで気の合う相手が居なかっただけで、まるで私に友達が居た事が無いみたいな言い方はどうなのかしら!!」
「HAHAHA!ごめんごめん、でも、その誰かを守りたいという気持ちは君を必ずより強くしてくれる」
そう言って骨ばった手で私の頭を撫でる養父さん。
その笑顔を見て、今日大きな壁を乗り越える事が出来て良かったと心の底からそう思った。
きっとこれから先も今日と同じ様な事が起きる。
それは奴らが養父さんを殺すことを目的としている以上避けようのない事実だ。
だからこそ、力を磨かなくてはならない。
私は今まで積極的に己の個性を鍛えては来なかった。
それはきっとあの男に植え付けられた個性であることや、多大な苦痛を伴って叩き上げられた物をそれでも足りないと言ってしまうのはあの苦しみの日々にケチが付いてしまう様な、否定してしまう様な恐怖感があったからに他ならない。
でも、それは今日で終わりだ。
私は自ら翼を求めた。
痛みから逃れる為ではなく、より高く飛ぶために。
もう迷うのは止めなのだ。
そう心に決めて、ろくに触覚の存在しない両手を握りしめた。
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鋼を鍛え、流水は踊る
雄英高校体育祭。
それは昨今個性に依って個人の技能、身体能力に大きな差が生まれたこの世界でオリンピックに取って代わる超大規模イベントであると同時に私達ヒーローの卵にとって全世界へと自らを売り込む最大規模のアピールチャンスである。
USJ襲撃という最悪の事件を経た私達雄英高校一年A組はそんな入学して初めての大きなチャンスを前に浮足立っていた。女が三人よれば姦しいと言うが、今日に限っては女子だけではなく男子も談義が白熱している。
かく言う私も私の座席を囲む様にして立つ数人の女子と歓談していた。
「楽しみだね、雄英体育祭!」
「ええ、わたくし達が入学して最初の一大イベントですもの!気合が入りますわ!」
「そうね、全世界に向けて生放送だもの。関係者はもちろん、一般人もテレビの前で齧りつくように見ているはずよ。彼らは私達が今後プロ入りした際にファンとなってくれるであろう有力候補。タレントとしての側面を強く出したいと考えているなら積極的にアピールするのも手よ」
「ケロッ、そうね。霞ちゃんの言うとおりだわ」
それぞれの将来を形作る為に必要な準備期間である学生時代において学内ではなく学外へと進出する初めての機会。
言わばこれは私達が実際に外へと羽ばたいた際の土台作りだ。
空を飛ぼうにも、地面が湿気った泥では踏み込んだ力は自身を上へと押し返してはくれない。
このクラスでも数人、ミイラマンになった相澤先生から体育祭が近いと言われてから考え込む様になった奴が何人か居る。将来のヴィジョンが固まっていればいる程今回の大舞台でどう立ち回るべきかを考えているのだろう。
私もその一人だ。
と言っても私は先程話題に上がったメディア露出に関してはそこまで考えていない。
個性の派手さや特殊さを考えれば、自主的にアピールを強く出さなくても向こうから積極的に寄ってくるだろうし、それ以上にテレビ番組やタレントとしての仕事にばかり囚われては、本業であるヒーローとしての活動に支障をきたしかねない。
養父であるオールマイトのあれは、あの人が異常なのだ。
活動時間に制限がついてしまった例の戦い以降は自ずとセーブされる様になったが、私が引き取られたばかりの頃など数日間働き通しで家を開けっ放しなどざらにあった。
長時間テレビに出演したまま事件の連絡を受けて目的地に向かい、道中数件小事件を解決してさも当然の様に復路で事件に引っ掛けられるなど、お前は小さな名探偵なのかという程事件に首を突っ込むのはとてもじゃないが私には不可能である。
本人から言わせてみれば若気の至りというか、若さと個性ありきの強行軍だったのだろうが、あれだけの力技を私が出来るとは思えない。
正直に言えば、
ただその、
そりゃあもっと普通で普通かつ普通なタレントとしての活動くらいなら私でも出来ないことはないかもしれないが、それでは私でなくとも良いということになるではないか。
「私でなくとも良い、そんなありきたりな椅子で満足したりしないわ。だって、もう心に決めたのだもの」
自らの意思で力を、技を求め、より高く翔ぶのだと誓った。
ならば、これからの私の人生に妥協など最も相応しく無く、不必要なものなのだ。
「霞ちゃん?今何か言った?」
「な、何でも無いわ!さぁ、もうすぐ相澤先生が来るわよ。席についていないと、また一喝されてしまうわ」
もうそんな時間か、と一斉に集まっていた人影が散る。
それを見た他のクラスメイト達も皆座席へと戻りだした。それを見てほっと一息を吐く。
別に他人に聞かせて恥じるような事でもないが、しかしこれはあくまで私の心持ちの変化についてなのだから、誰かに聞かせるのは気恥ずかしい。
丁度タイミングよく扉を開けて教室に入ってきた相澤先生を見て、今日も私の一日が始まるのを感じた。
本日の授業全てを終え、帰宅する生徒達の波に逆らって逆方向へと向かう。
でかくて長い校舎を右へ左へ曲がってようやく職員室の扉の前へと辿り着いた。
この校舎はもっと教室と職員室の距離を縮めるべきだな……。なにか用事がある時に態々立ち寄るには面倒くさすぎるぞ。
既に若干疲労が溜まった様な気がしつつも、正面の扉を三回ノックし、中へと入る。
「1ーAの八木霞です。訓練施設の使用許可を頂きに参りました」
「ああ、霞。こっちだ」
職員室に入る上で形式的に畏まった私の言葉に対して帰ってきた養父さんの声の方向を向くと、少し奥の方にガリガリな方の姿で養父さんがこちらへ手を振っていた。
顔見知りの先生方からの視線に会釈を返しながらそちらへ向かえば、机の中から一枚の書類が取り出される。
「これが君が申請していた施設の使用許可書だよ。今日から問題なく使用できる。それにしても霞が特訓とはね、正直驚いたよ」
「……私だって努力くらいするわよ」
「春先のあれを言った人物と同一とは思えないな」
養父さんの軽口に唇を噛みしめる。
確かに、先日私はぬくぬく温室で育った学生なんかに――等と言った覚えはあるが、もうあの時とは状況が違う。
競い合う相手は想像よりも逞しく、そして向き合うべきはクラスメイトだけではないと知ってしまった。
それを知っているくせにそこを蒸し返すのは意地が悪いぞ。
じと目で下から覗き込むように養父さんを睨みつけていれば、当の本人はこちらの意図には気が付かず片眉を上げて何事かという顔をしている。
自分の無駄な努力に気が付き、鼻をひとつ鳴らしてから渡された書類の内容に念の為目を通し、その中に問題がないことを確認した上で頷く。
「ありがとう、養父さん。問題ないみたいね」
「おいおい、流石に書類に不備を出すほど私も抜けて無いよ」
「それは私生活での"うっかり"を全部なくしてから言ってもらいたいわね」
「そこを突かれると、痛いな」
大げさに肩を竦めながら力なく笑う養父さんに再びジト目を返せば降参だと両手を上げられる。
反射的に出たため息を一つ零しながらも書類から視線を上げれば、その先に居たニヤニヤした顔のミッドナイト先生と視線が交わる。
「八木さんって、オールマイトのこと養父さんって呼んでるのね。なんだか意外だわ」
「確かに、普段ツンケンしてるのにオールマイトには自然体な感じだよな!」
「なっ?!」
ミッドナイト先生の言葉を肯定する様に会話に割り込んできたプレゼント・マイク先生は、ミッドナイト先生と同じ様な生暖かい視線で此方を見る。
「それに、入学当初より少し丸くなってきたと思わない?最初は近寄るもの皆許さないみたいなオーラがあったけど、最近はクラスに仲の良い友達も出来たんでしょう?」
「べ、 別にそんなオーラ出していたつもりは無いわ!」
「まぁ、あれはちょっとどう頑張っても誤魔化せない程度には出たな……」
プレゼント・マイク先生の言葉に愕然となる。
無意識のうちに数歩後ろへ力なく蹌踉めいた。
そんな馬鹿な、むしろ友人歓迎と全身でアピールしていたくらいに思っていたのに、そんな物が出ていたなどと言われてはこれまで燦然と輝いていた自信が無くなってくる。
オーラだと、そんな、非科学的なもの、それにそんな個性私は入れられてないはずなのに……!!
だがそう考えると私に話しかけてきてくれたクラスの友人達は余程大きな苦難を経て私の下へやって来てくれたことになる。
私はそっと心の中で明日登校途中にちょっとしたお菓子を彼女達のために買って行こうと心に決めた。
「まぁまぁ、そのくらいにしておいてやってくれ。本人曰く友人は作る気満々だったらしいからね。ちょっと不器用なだけなのさ」
「ぐぐっ…!」
両手で持っていた書類をぐしゃりと握りしめて顔面を突っ込む。
何なのだこの状況は、この学校中の教師が集まっている中で父親にフォローされるなど、一種の拷問としか思えない。
虐待だ。
教育委員会に訴え出てやるからな……!!
「それで後は部屋をもう少し女の子らしくしてくれると……ああいや、君の趣味に口を出すつもりはないんだが、もう少し内装をファンシーにしてみるべきではないかと思ってね。去年私が誕生日に贈った大きなクマのぬいぐるみもクローゼットにしまい込んでいるようだし、せっかく女性のミッドナイト先生も居るのだから、なにか希望が有るなら――痛ッだぁ!!」
これ以上無駄な個人情報の情報漏えいを避ける為、右足の踵で養父さんの左足の小指を踏み抜く。
反射的に持ち上がった養父さんの膝は教員用の机に強打され、机の中身を揺らした。
「失礼するわ!!」
「か、霞!」
「今のはちょっと擁護出来ないわね……」
「さすがの俺もあれはねーな」
「えぇ!?」
未だ会話を続けている教師陣を背に大股で職員室を後にする。
背に聞こえる「というか15歳の女の子の誕生日にクマのぬいぐるみってどうなの?」「え、駄目?」「もうちょっと年齢考えようぜ……」という声を無視しながら、わざとらしく思い切り力強く職員室の扉を締めた。
無駄に大きく広く高い校舎を右へ左へ上へ下へと行ったり来たりし、ようやくたどり着いたのが今回私が借りることができた地下プールだ。
複数人で使用することを前提に設計し、作られている地上のプールとは違い、水系の個性を持つ生徒が一人で使用することを想定している為に、そう広くない空間だ。
色味も味気もないコンクリののっぺりとした灰色と、一部だけガラス張りになった管制室のような何かの施設部分をぐるりと見回して、こんなもんかと設備を確認した。
そうしてそそくさと移動を開始する。
管制室のような何かはどうやら指導員がマイクでプール側に指示を出せる様になっているようで、マイクやその他プールへの操作盤が付属していた。
それから救命胴衣に用途のよくわからない道具まで。
見慣れた器具から見たことも聞いたこともない道具まであちこちに並んでいるが、一見物珍しいが、これは雄英高校にいればあちこちで見ることが出来る光景だ。
要はどこぞの発明好き共の集まった学科が作ったアイテムや各社の試験品の中から優秀なものが、そのまま学校の用具として採用されているのだ。
学校側としては生徒へやる気を出させる良いモチベーションとすることや、質や発想の良い立ち上がったばかりのベンチャー企業との関係を持つことができて何かと都合が良い。
しかし、それらは私が使うことは凡そ無いであろう。
詰まるところ、私にとってはただの壁掛けのごちゃごちゃした装飾である。
何処か彼方から悲しいクリエイター達の悲鳴を感じながら、奥の更衣室へと向かう。
これまた無駄に金のかかった内装で、そこらの公営の水泳施設なんかよりよっぽど最新式で小綺麗な内装をしていた。
水中をイメージしたようなよくある色合いの壁や天井、床のカラーリングながら、色味が今風だ。
なんというか、古臭くない。
それに清掃も行き届いているようだ。
これは雄英高校の校舎のあちこちで感じることだが、自動掃除のロボットでも走らせているのだろうか?
それなら教師のツテでうちにも一台もって帰って来てくれないだろうか。最近やりたいことが多くて家事全般が面倒なのだ。一応あれでもトッププロな養父さんは家に中々帰ってこないし、それら全般は私の仕事だ。
長年勤めているそれらのうちの一つでも手を開けて良いとなれば、自分に使える時間が増えるのは間違いないと確信できる。
「……まぁ、普通に考えて無理でしょうね」
くだらない思考を走らせながらも制服のネクタイを外す。
首筋から自身の体温で温められた熱が抜けていくのを感じながらも、続いてブレザー、シャツと身につけている物を脱衣していく。
そうして自身の感覚の薄れた指先で布を一枚一枚剥いで行けば、ふと自身の双丘に目が止まった。
「周りのクラスメイトはもう少し山が有る気がするのだけれど、私のこれは一体いつになれば成長期を迎えるのかしら」
一応年齢的には全体的に成長期なはずなのだけれど、私のこれらは一向に著しく成長する兆しを見せない。
もし
ちら、ちらと視線を他所へ向かわせて再度自身の双丘を見比べるも、勿論のことながら変化はない。
思わずこみ上げた溜息を一切の躊躇なく更衣室へと吐き出し、さっさと残りのスカートや下着も脱ぎ捨ててしまう。
完全な裸体を未だ春を脱ぎ去らない涼やかな空気に晒し、先日から用意していた水着に着替えてしまう。
水着は正しく例のラムダ水着だ。この間ショッピングモールで見かけて即購入した。勿論養父さんの経費扱いである。
新人プロヒーローの卵を育成する為の必要経費だ。嘘ではない。
素材がそれなりに気を使っているとかで結構な額したきもするが、私の財布が痛まないのであれば無料なのと変わらない。
自身の体のラインにピッタリと沿っていることを確認し、先程の管制室へと戻る。
途中全身をシャワーで洗い流し、濡れた長髪を手ぐしでかきあげた。
そこから先、私が初めに入ってきたガラス製の扉を開き、プールへと向かう。
周囲は再びコンクリート製の味気ない壁へと戻り、若干げんなりしつつもプールサイドへと歩み寄る。
そして頭から勢いよく水面へと飛び込んだ。
自身が纏った泡と水流を感じながら深く、鈍く音が響き渡る水中へと落ちていく。
全身を程よく脱力しながら薄っすらと瞼を持ち上げれば、それなりの深さがあることが視覚的に把握できる。
申請書の通り、私の望む環境がそこにはあった。
大量の体積を持つプール。
以前水を操った時よりもより早く、美しく、正確に水へと支配権を伸ばす。
もっと力を磨く為に。
もっと自分を高く積み上げる為に。
耳元に鈍く響く水泡の音を聞きながら、私はより深く、より色濃く水中へと沈んでいった。
夕暮れが赤く校舎とそこから街へと続く道を照らし染め上げる頃、ようやく私は校舎から鞄を背負ってクタクタの体を引きずるようにして出る。
暑くなりだした日差しは、この季節にしては既に夕日も苛烈に大地を熱している。
実際超えることはなかったものの、自身の限界を超えるつもりで個性を酷使した。
結果として施設を破壊しかけて近くを通っていた別科の教員に注意のような感心の様な言葉を掛けられ、くたくたに疲れたこともあり予定より少し早めに撤収したのだ。
「次はもっと大きい施設を借りれるかしら……。施設がもたないので複数人用を一人で使わせてください、と言えば、この学校の校風的に向こうも反発して乗ってきそうなものだけれど」
とはいえ、個性に設備が耐えられないというのも中々問題だ。
先程の訓練施設は個人で使えてあまり人気がなさそうな場所に位置しているので、集中して鍛えられそうでそれなりに期待していたのだが……。
これ以上負荷をかければ外装が割れるとエラーが画面に出力され、室内に警報が鳴り響けばこちらとしても躊躇せざる負えない。
自身に合った訓練施設の調達というのは割と急務なのだ。
これまで私は私を育てようなどと思ったことはなかった。
私は今のままで十分強いと思っていたし、事実同級生に負ける気はしない。けれど、今後本気でヒーロー科で取り組んでいくことや、敵達と戦っていくことを考えれば、自身を鍛えないという選択肢は存在しなかった。
きっと奴らは私を再び狙ってくるし、そうでなくとも私を何らかの形で利用しようとしてくるだろう。
或いは養父さんのことを殺しに来るのはそれこそ間違いない。
自分を鍛えようと思うということは、自分自身の現状を不足と捉えるということ。
それはつまり、あの隔離施設での地獄のような日々にケチを付けてしまうような、そういう気持ちだった。
けれど私は誓ったのだ。
もう私は何も取りこぼさない。
何も躊躇しない。
守りたい全ての大切な物をこの胸に抱いて生きていく。
その為には自身の個性を再び向き合い、そして磨き上げる必要があった。
一本の刀の様に自らを研ぎ澄まし、切れ味を鋭く、刀身は硬く鍛え直す。
その一環としてまずは目前に迫った雄英体育祭だ。
クラスメイト達もそれぞれ特訓に取り組んでいると聞いている。自分自身を積み上げているのは私だけではない。
元より負けるつもりは無いが、驕りは捨てて全力で取り組もうと思っている。
そのためにはさっさと帰ってゆっくり疲労を――――と思い、校門を出ようとした時、こちらを静かに見ている人物の視線に気がついた。
爆発したような独特の頭髪。鋭く尖ったそれだけで凶器になりそうな三白眼。私を見つめる赤い瞳。
そこに居たのは、私と同じA組の爆豪勝己だった。
「…………」
ただ黙って顎で別方向を指す。
そのまま彼は自らが指した方向へと歩き出した。
どうやら付いて来いという意味らしい。
――――が、私に付き合う義理はない。
さっさと家に帰ってお風呂に入ってベッドでゴロゴロしながら昨日買ってきたワールド・ドール特集の続きが読みたいのだ。
格好付けて夕日に向けて歩いていく爆豪勝己を無視して普通に校門を出ようとすれば、背後からこちらに振り返り、早足で寄ってくる足音が聞こえ、肩を掴まれた。
「テメェ何当たり前な顔して無視してくれとんじゃカスが!!」
「ちょっと、気安く人の肩を掴まないでくれるかしら?手汗が付いて気持ち悪いわ」
「こんなんで付くかクソが!付いて来いっつってんだろうがァ!!」
「別に言われてないけれど、そもそも私が付き合う理由も義理も無いでしょう。さっさと帰って読みたい本があるのよ。貴方に付き合っている暇はないの。時間の無駄。人生の浪費。理解してくださるかしら?」
「んだとコラァ!!?」
元から鋭い目つきを釣り上げ、これでもかと言うほどに悪人面になっていく。
もう二、三人やってしまったのでは?
そう思える程の人相で女子高生へ迫る彼の様子を見るに、早々に警察へ通報した方が良い気もしてくる。
犯罪者をクラスメイトから出したくないのは私だけではないだろう。となれば、早期の段階で豚箱に打ち込んでおくのは悪くないのでは?
そう思い鞄の中のスマホへと手を伸ばしかけた時、強烈な歯ぎしりの後の超特大なため息と共に冷静な顔つきを取り戻した爆豪勝己は、小さく呟いた。
「……こないだの襲撃ン時の話だ。聞きてぇ事がある」
とだけ言い残して再び彼は歩き出す。
先程まで帰る気満々だった私としても、その話題を出されれば行かざるを得えない。
ここの所他のクラスメイトからはあの時のことを蒸し返す様な発言はなかった。
きっと私の変わり様を見た全員が気にしているであろう私の秘密。
それらを聞かずにこれまで通り接してくれている彼ら彼女らには感謝が尽きない。けれど、どこか彼だけは追求しに来る様な気がしていたのも事実だった。
元からそういったことを慮ってやめようという性格ではないというのもそう思わせた大きな要因であることは間違いない。
ついにさっさと帰る訳にはいかなくなった私は、渋々彼の背を追って歩き始めた。
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くすんだ花火はいつか大火に
といってもTwitterは普通に生きてたので、違う創作にあちこり手を出してたのはモロバレなんですが…。
ヒロアカ、やっぱりいつ見ても面白いですよね。
ザ・少年漫画という熱い展開が胸を躍らせてくれます。
そんな作品の創作界隈に、少しでも華を添えられたらな~と思いつつ思い出した頃にそっと投稿しておきます。
夕暮れの朱が巨大な校舎を背に輝き、地面に暗い影が落とされる。
そんな下校時を私は爆豪勝己と二人、人気の無い方へと向かって歩き続けていた。
あいも変わらずだだっ広い校舎で、どこまで言っても施設やら設備やらが並んでいる。
そしてそれらを使用している生徒達も。
視線を彼の背中に突き刺してみるものの、ガサツな為に気がついていないのか、それともあえて無視されているのか返答はない。
黙ってついてこいということか。
私は早くもこの無駄にひりついた空気に帰宅の足を止めたことを後悔し始めていた。
夕日が照らす中を二人して黙って歩くこと更に数分。
ちょうど施設同士に挟まれるようにして配置された、小さな通路スペースへと辿り着く。
その影がどうやら彼の目的地だったらしく、鋭い三白眼をこちらに向けながら背を壁に預けて止まった。
両手をポケットに突っ込んでこちらが語るのを黙ってみるその姿は、さながら田舎のヤンキーそのものであるが、これは口にしないのが良いと私でも分かった。
「……はぁ、そんなに睨まれても話せる内容は増えたりしないわよ」
「るせェ、さっさと帰りてぇならさっさと答えろ」
「人に物を頼む態度というものを一度覚え直したほうが良いと思うわ。それこそ、貴方のお母さんのお腹の中から。……分かったわよ、今日はそういうのはナシにしましょう。お互いに時間の無駄だわ」
「分かってんじゃねェか。テメェが回答を引っ張るたびにテメェが家に帰る時間が伸びてくだけだ」
普段より更にもう少しピリついた感情をこちらに向ける彼の聞きたい事とは何だろうか。
顔をしかめた彼が口を開く。
「あの敵どもがお前にごちゃごちゃ言ってた時、言い返してただろ」
「言い返した?」
言い返した。確かにあれこれ言った気がする。
メンタルとフィジカル共に限界だった上、頭に血が登っていたのであまり詳細に覚えていない。
唇に指を添えて思い返す私の表情を見てか、更に彼が続ける。
「オールマイトの娘って、マジなんか」
「――なるほど、聞きたいことってその事だったのね」
一通りの彼の不自然さに得心がいった。
詰め方を躊躇うような聞き方や、普段無駄なところで器用なくせに不器用な誘い方。
彼らしくなさは、彼を彼たらしめる要素がこの話題の中核を担っていたからだった。
「ええ、ほんとのことよ。とは言え、見て分かる通り血は繋がっていないわ。養父さんは私の身元引受人で、義理の父なの。昔ちょっとあったのよ。子供の頃に彼に保護されて、それ以来一緒の家で暮らしてきたわ。それだけよ」
「……そうかよ」
それだけ聞き終えると、彼は納得がいったようないってないような顔で背を壁から離す。
私から視線を外して、すれ違うように元来た道を引き返し始めた。
「あら、この程度で良かったの?」
「今はこれで良い」
「まだ気になるって顔に書いてるけれど」
「引っかかったモン全部人に聞くほどガキじゃねェ」
「そう」
私の返事を聞いたか分からないが、彼はそのままこちらを振り返ることなく歩みを進める。
というか、さっきの一問だけの為に態々ここまで連れてこられたのか。
それなら小声で校門前で会話しても良かっただろうに。それだけデリケートな話題だと思ってくれたのか、はたまた私の思い当たらない理由があったのだろうか。
しかし、その背中を追いかける気にもならず、暫くその場で空を見上げて時が経つのを待った。
夕暮れは徐々に藍が混じり、朱から紫へとグラデーションを走らせていく。
そろそろ良いかと肩に書けた鞄を背負い直し、舗装された道に足を踏み出した。
革靴が綺麗に舗装された道を踏んで心地よい音を立てる。
コツリ、コツリ、コツリ。
その足音は確かに私が前へと進めていることを確信させてくれる。
そう、前へ進まなくてはいけないのだ。
私はこの鋼鉄の足で、前へと進まねばならない。
爆豪には始めああ言ったが、本当は今日は家に帰って海外ヒーローの活動の一部始終を収められた映像を動画サイトで確認する予定だったのだ。
彼及び彼女らは、私の個性の一部と似通った個性を所持しており、それらの使い方を学ぶことで自身の技として取り込もうとしていた。
模倣は学習の第一歩。
赤ん坊は親の言葉を真似ることで言葉を覚える。故に、私も先達に習おうというわけだった。
実際に本人に技を見せてもらう訳でもなし、動画サイトは逃げはしないのだから、今から帰っても十分に時間は取れる。
そそくさと足早に帰宅を急ぐが、ここで問題が発生した。
「この道、さっきも通らなかったかしら」
不意に口をついて言葉が出た。
よく考えてみれば、全く微塵も欠片も一ミクロンもそんな気はしないが少しだけ嫌な予感がある。
来た道とこれから向かう道をきょろきょろと前後に見回してみた。
似たような道が前後に伸びているということが分かった。
大きく深呼吸する。
横を向けば巨大な校舎。
先程と変わらないその姿がそこにはそびえ立っていた。
夕暮れ時を過ぎた空は、夜の闇と影とを溶け込ませていく。
一度まぶたを下ろして、再度深呼吸。
意を決して瞳を開き、周囲を勢いよく観察する。
道。
施設。
道。
街灯。
校舎。
「なるほどね」
全て分かりきったような表情でひとつ頷く。
何事も行動は形から。
気持ちの入り方が大切なのだ。
こめかみをひらりと小さな汗の粒が流れ落ちる。
そしては私は確かな確信を持って言葉を吐いた。
「迷ったわ」
周囲を見渡すも、時間がそれなりに経ってしまい、時刻も遅くなった為か人気が完全に失せている。
誰かその辺を徘徊する上級生に助けを求めるという選択肢その1が潰えた。
ちなみに選択肢その2は存在しない。
選択肢その2は養父さんに態々この学校の敷地内で電話をかけて「迷ってしまったので助けてくださいお願いします」と口にする必要があるからだ。
先程部屋のインテリアについて盛大に喧嘩……あれを喧嘩と呼ぶべきかは個々人の価値観によるところが大きいと考えるが、少なくとも私はあれを経た後に半泣きで電話をかける程ヤワなプライドをしていない。
私の中に聳え立つプライドは本家本元の彼女程でないにせよカチカチなのだ。
とはいえ選択肢その3はそもそも思いつきもしない。
GPSを頼りに道を進むというのも手だが、最近スマートフォンの調子が悪く、現在位置が瞬間移動を繰り返すという悪症状を悪化させていた。
そんな状態でマップなど開こうものなら、出口に向かって歩いているつもりで更に奥地へと向かわせられかねない。
自分が所属する学校の敷地内で、私を探すための捜索隊が結成されるなどという大変な不名誉は、この人生に於いて全く何をおいても耐え難い苦痛だ。
「そんなことになろうものなら、舌を噛み切って死のうかしら」
そんな巨大な恥を晒して生き延びるくらいなら、潔く死にたい。
下らない冗談に一人ぼっちの現状で回答が帰ってくるわけもなく、私の言葉は虚しくも初夏の夕空へと消えていった。
薄っすらと星が見え始めたそれはとても綺麗ではあるが私を自宅までは導いてはくれない。
星はいつだって見守ってくれているなどという歌詞があった気がするが、所詮見守っているだけでなんだというのか。
見ているだけで何もしないのであれば、私だって出来る。
なんならちゃんと困っている人がいれば手伝う私の方が偉い。
それを養父さんに言ったら、『そういうことじゃ無いような……』と微妙な顔をされたのを覚えている。
確か、テレビで天体観測の特番をやっていた時だ。
実際一人にされると、結局見守ってしかいてくれない星のやくたたずさを一層に強く感じられる。
「私ここで死ぬのかしら……」
「やぁ!君、迷子?一年生??」
徐に声が聞こえた足元に目をやれば、地面から人間の顔が生えていた。
すわ心細くなった自身の見える幻覚かと思い、その顔面を個性で生成した踵の刃で切り裂こうとしたが、しかしその直後脳内のデータベースでその顔に見覚えがあることに気がついた。
「貴方、確か3年生だったかしら。いきなり出てくるのはやめて頂戴。危うくそのファミコンみたいな顔が真っ二つになるところだったわよ」
「そりゃ失敬!てかすごいこと言うね君!」
ぬるりとでも効果音が聞こえてきそうな動きで地面から生え出た彼は、その体躯を晒した。
緊張感の無い顔の造形には不釣りあいな程鍛え上げられた肉体は、その修練の厚みを感じさせる。
「私に何か用?悪いけれど今とても忙しいの」
「うん、まさにそれなんだよね。君、迷子なんじゃない?いや、学校内で生徒の君に迷子って表現が正しいかどうかは分かんないんだけどさ。困ってそうだったから」
「そうね、もしかしたら客観的に見たらそういった表現も出来るかもしれないわ」
「君面白い言い方するね!サーはユーモアに欠けるって言ってたけど、そんなこと無いじゃないか!」
「――サー?」
聞き覚えのある名前に反射的に顔がヒクリと反応してしまう。
私の言葉に目の前の彼は人好きのする笑みを浮かべて笑った。
「俺の名前は通形ミリオ!サーのところでインターンをやってるんだ。よろしく」
そう言って彼、通形ミリオは私に向けて握手を求めた。
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嘗ての思い出は今
ファミコン顔……もとい通形ミリオと並んで歩くこと暫く。
ようやく見知った建造物や道を発見し、見覚えのある地形が視界に映るようになってきた。
「この辺は、一年生も授業やなんかでよく使うよね」
「ええ、少し前から見覚えのあるものがあちこちに見えているわ。ここまで来たら私一人でも帰れる。手間を取らせて悪かったわね」
「いいよいいよ!気にしないで!ヒーローとしても、先輩としても当然のことをしたまでさ!」
「そう……」
声を掛けてきた時と同じ人好きのする笑みを浮かべる彼は、胸に拳を当てて得意げに笑った。
それがどことなく誰かに似ている気がして、はてと立ち止まる。
急に立ち止まった私を見て何事かと彼も同じように道端で立ち止まり、こちらを見た。
この無駄に眩しくて暑い感じというか、無駄に白い歯の輝き。どこかで見覚えがある気がする。
とはいえ、彼とは先程が初対面だし、更に以前で言えば私の経歴を鑑みて顔をあわせている確率は余程のものだ。
恐らくそれも無いものと思われる。
今一度彼の顔面を確認する。
金髪で、ファミコン顔。
私の顔を不思議そうにぽかんと見返して、私の顔の前で手を振り始めた。
このやけに馴れ馴れしくて天然っぽいところ、誰かに……。
おい、今考え中なのだから私の視界を遮るように手をブンブン振るのはやめろ。
そう思い眼前の手を振り払おうとしたところで、私の頭上に豆電球が光る。
「ああ、なるほどね。そういうこと。通りであの堅物な眼鏡が学生のインターンなんて受け付けるわけね」
「え?!いきなりどうしたの!?というか、堅物な眼鏡ってもしかしてサーのこと!?」
驚愕する彼を置き去りに、一人納得する。
こういう無駄に慌てる様子や仕草を含めて、彼はどことなく養父さん、オールマイトに似ているのだ。
そうでもないとあの眼鏡が学生の育成なんぞに手を出す訳もない。
いや、過去に接した私の独断と偏見が大いに入っていることは間違いないが、それを抜きにしても目の前の成年が彼好みであることは間違いないだろう。
「個人的な考え事がたった今解決したの。貴方には関係のないことよ。忘れて頂戴」
「あ、ああ、そう?なら良いんだけど」
「次にあの人にあったら、宜しく言っておいて頂戴。それじゃあ、ここまで送ってくれて助かったわ。この御礼はまだ今度ね」
「別に気にしなくて良いのに。サーには君が元気だったって伝えておくよ。八木霞ちゃん」
その言葉に思わず前のめりに停止する。
霞ちゃん、霞ちゃんだって?
勢いよく振り返り、私は口を開いた。
「ちょっと、ちゃんはやめて頂戴。見ての通り私はもう高校一年生なのだけれど。女児のような扱いは御免よ」
「あ、ご、ごめんごめん!偶然サーの事務所で見た時の写真が、君が子供の頃のものだったから、つい!」
両手を合わせ、謝罪の意を示す通形ミリオ。
それにため息を一つ付き、口を歪ませる。
写真、写真だと?
彼がサー・ナイトアイの事務所で目撃した写真。それはどうやら私が幼い頃の物だという。
ふと私は口元に手をやって首を傾げた。
一体いつのものだろう。少なくとも、彼がこうして気さくに話しかけてきたところや、ついうっかりといった形で漏らした以上、写っている内容が凄惨な事件現場や、近寄る人間全てを憎み敵視するような野生の獣のようなものでは無いのだろう。
それこそ件の事件の救出直後のような。
となると、一体いつ私は写真を撮られたのだろうか?
別に彼も私の一保護者のような立ち位置であった時期もあるので、別にあって不思議はないし構わないのだが、自分の知らないところで自分の幼少期の写真が存在しているということになんだか腹の内側が痒くなるような羞恥心を覚える。
視線を彷徨わせながら数秒考え、再度通形ミリオの方に向き直る。
「やっぱりさっきの言伝は必要ないわ。直接言うから」
「直接、ってサーに?」
「ええ。今度の休み、お邪魔することにしたわ」
「そっか!なら、俺の方からも伝えておくよ」
「それはどうも。じゃあ、今度こそ私は帰るから」
「うん!またね」
「改めて今日は助かったわ。それじゃあ、また」
彼に背を向けて歩き出す。
見知った道を歩くというのは良いものだ。
精神的にも、ちゃんと地面に足の裏を付けて歩けているという安心感がある。不安にざわめいていた心が凪いでいくのを感じながら、早足で進む。
ようやく校門近くまで戻ってこれたのは、もう完全に夜になった頃だった。
空には先程よりはっきりくっきりと夜空が映え、星が瞬いている。
緩やかな下り坂に足を踏み出した時、背後から声がかかった。
「霞?」
若干の驚きを含んだ声に、振り返れば、そこには帰宅の支度を済ませたオールマイト、私の養父が立っていた。
パチクリと両目を開く彼の表情からは、なぜ私がこんな時間まで校内に残っているのかという疑問がありありと察せられた。
どうしよう。ついさっきまで迷子だったなんて言いたくない。
唇を横一線に結び、視線を出来得る限りの端まで移動させれば、再び驚いた様子の養父さんは、後頭部を数度擦った後にぎこちない笑いをこちらへ向ける。
「あー、なんだ、せっかくこんなところで出会ったし、一緒に帰ろうか」
「そ、そう、そうね。ええ、良いわ。そうしましょう」
「なんだ、やけに素直だね。何かあったのかい?」
「何もなかった。何もなかったわ」
「え、あ、そう?」
念を押す様に二度強い口調で繰り返せば、養父さんは驚きながらも空気を読んでそれ以上この話題には追求してこなかった。
それから私達は二人横に並んで駅まで歩き、他愛もない雑談に興じる。
養父さん以外の担当している授業はどうだとか、職員室では最近どんな話題が流行っているだとか、友達とはどうだとか、体の調子はどうだとか。
ここ暫くヒーロー活動から教職へのシフトがうまくいかず、唯でさえ時間の少ない養父さんは更に時間を削られ、私と会話する時間も少なくなっていた。
本来あったであろう親子の時間を取り戻すように下らない話をしながら駅に到着し、電車に乗る。
数駅過ぎた後、現在自宅としている高層マンションへと辿り着いた。
その入口を通過し、ホールへと入ったところでふと思い出す。
「そう言えばなのだけれど、今度眼鏡……じゃなくて、サー・ナイトアイの元へ行ってくるわ」
「ああ、そうかい。それは宜しく――え?だ、誰の元へ行くって?」
「だから、サー・ナイトアイよ。養父さんの元サイドキック。雄英高校ヒーロー科三年の通形ミリオ先輩がインターンをしている先の事務所の」
「エッ?!?ちょ、ちょっと、なんで?!何かあったのかい?!」
「別にそう大した要件では無いのだけれど……。どうにも私の幼少期の写真が彼の手元にあるらしいのよ。そう通形先輩から聞いたわ。私は写真を撮られた覚えなんてないから、いつの写真なのか気になったのよ。だから、久々の挨拶も兼ねて少し今度の休みは遠出してくるわ。……あの人も、私のことを助けてくれた恩人に他ならないのだし。気は……少し、というか多分合わないけれど」
「あぁー、そ、そうかぁ。いや、それなら私の分まで宜しく伝えておいてくれ。彼が今どんな活動をしているのかさえ具体的には知らないが、きっと良くない頼りが届いていないということは元気なのだろう」
「殺しても死ななそうな眼鏡だものね」
「こらこら、あまりそういう風に言うものではないよ」
「むぅ」
真っ当な養父さんの指摘と咎める視線に気まずくなり、視線を逸らす。
養父さんの視線から逃げるようにエレベータに乗り込んだ。
まぁ、そのエレベーターに養父さんも乗るわけなのだが……。
今の会話で悪かったのは百パーセント私だという自覚があるが、どうにも改められない。
彼の生真面目で細かくネチッとした性格が、なぜだかどうにも反りが合わないのだ。
これは初めて出会った時から変わらない犬猿の仲である。
いじめがいのない彼を好けない私なのか、或いは中身の薄っぺらさを見透かされている様でなつけないのか、自分の中でも結局の所納得の行く答えは出ていない。
「それで、そういう養父さんは来ないのね」
「そう、だね。私は遠慮しておこう」
「あの時拒絶したの、未だに引きずってるの?情けない。ナンバーワンの名が泣くわよ。中学生女子じゃあるまいし」
「私自身もそう思うよ。けれど、彼の手を払った私が今更平気な顔して彼に会いに行くのも違うだろう。君も、私はそう答えると分かっていたから"一緒に行くか"じゃなくてただ行くことだけを私に報告したのだろう」
肩を竦めて穏やかに笑う養父さんは、何かを諦めた様に脱力していた。
それを見て、少しだけ寂しく思う。
私と相性が悪く、仲が悪く、そして致命的に価値観が合わない彼は、それでも養父さんの相棒だったのだ。
すれ違ったままではなんというか、後味が悪い。
お互い無言になったままエレベーターは目的地へと到着する。
家の扉を開けて中に入れば、鞄を所定の位置に丁寧に放り投げてソファに寝転んだ。
「ひとまず、養父さんが女子中学生のように貴方のことを想っていたとだけはナイトアイに伝えておくわ」
「その言い方はお願いだからヤメてね?!」
私のジョークにツッコミを入れる養父さんは、着替えの為か自室に消える。
その背中がどうにもいつも以上に小さく見えて、私はこの感情を『後味』などにさせてたまるかと小さく鼻を鳴らしたのだった。
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