腕振って、飛車振って、 (うさみん1121)
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1話

私の記憶にある一番古い記憶は公共放送杯で父が名人に勝って、優勝している瞬間である。当時から、というか生まれてから振り飛車しか指したことのない父だからやはり振り飛車だった。その時はまだ将棋を覚えていなかったが、解説で言っていた事を暗記するほど見返した。

 

「生石六段は角道を開けて、飛車を五筋に振り、得意のゴキゲン中飛車に構えました。」

 

1人で実況解説まがいのことをやりながら、父に買ってもらった将棋盤に、何回も見た父の棋譜を並べるのが幼稚園の時の私の1人遊びだった。

 

何が言いたいのかというと私にとって父とは間違いなくヒーローだったのだ。どんな筋にも飛車を振り、相手の急所を突き、華麗に捌き、時に粘り勝つ。

 

そんな私が将棋を覚えた時に飛車を振るようになるのは当たり前の事だった。

 

~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」 はじめに から一部抜粋 ~

 

 

 

 

小学校二年生の時に小学生玉将戦で優勝、三年生で研修会に入り、四年生で奨励会に入会、中学校二年生で三段リーグ入りをして、高校一年でプロデビュー。

華のJK女性棋士として、史上初の女性棋士として高校時代を過ごす。新人戦も二回取った。チャレンジ杯も粘り勝った。

 

自分の将棋人生を思い返してみると側から見るととても順調なように見える。いつでも全力だった。いつでも前向きだった。腕振って、飛車振って、大駒を捌く、切れ味鋭い攻め将棋。

 

だけどそれは私の憧れたものの前では竹光と同然だった。するどい切れ味を持つ正宗の前では、まさに子供の児戯に等しいように感じた。

 

初めてのタイトル戦、初めての父との対局

一局目は緊張からか不出来だった。二局目は焦って詰みを逃した。三局目は良いところなく惨敗だった。そして四局目。私の玉にはどうにも受けがない。穴熊を組むのを優先し、手損を重ね、綺麗に詰まされる。憧れの舞台に立って、浮かれて、舞い上がっていたところに現実を突きつけられる。

 

「負けました」

 

歯の隙間から漏れ出すようにどうにか声を絞り出し、頭を垂れる。

 

私の夢見た舞台は私自身のミスによって最速で流れ落ちていった。

東京の短大を選んでよかったって思う。もし、大阪の短大を選んで自宅から通うことにしていたら、どんな顔して過ごしていいか分からないから。父と大きな舞台で将棋を指すことが夢だった。

こんな無様な将棋を指したかったんじゃない。こんな不出来な将棋を見せたかったんじゃない。

玉将戦4-0で生石玉将の防衛。父としての貫禄を見せる。こんな見出しをスポニチに書かせたかったんじゃないのだ。感想戦も悔しくて喉を掻き毟りたかった。感想戦もインタビューも終わり、父が何か話かけようとしてくるが無視して部屋に逃げ込んだ。涙をこれ以上止めることなどできなかったから。

こうして私の初めてのタイトル戦は終わりを告げた。

 

生石龍華19歳、職業将棋棋士、段位は六段、今の目標は父を超える事。

 

将棋界に史上四人目の中学生棋士となる九頭竜八一が誕生する実に10日前のことだった。



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2話

前の話の最後の一行を入れたいがために、ロり王には一期長く三段リーグに在籍していただきました。


振り飛車を指すというのは人間にとってごく普通のことだ。駒の動きを覚えたばかりの初心者が最初に指す戦法は五筋に飛車を振る中飛車がほとんどだ。これは人間の遺伝子に飛車は振って戦うものだということが染みついている証拠ともいえる。つまり人間にとって振り飛車という戦法は本能によって作られたある種の完成させられた戦法なのだと言える。話は変わるが将棋ソフトはほとんど飛車を振らない。いや、正確に言おう。ソフトは飛車を振ることが出来ないのだ。多くの人間が人間を超越した将棋ソフトが飛車を振らないことで誤解してしまっているが、居飛車が振り飛車より優れているからソフトが振り飛車を指さないわけではない。ソフトには飛車を振るという柔軟な発想が欠如しているのだ。もし、将棋に絶対無敵の戦法があってもソフトは絶対に指すことは出来ないだろう。なぜならその戦法は振り飛車に属するもので間違い無いからである。そう信じて私は今まで飛車を振ってきたし、これからも飛車を振り続けるのだ。

 

~ 著 生石龍華 「振り飛車の勧め」 より一部抜粋 ~

 

公式戦で初めて年下との対局で負けたのは、竜王戦本戦トーナメント挑戦者決定三番勝負のことだった。六組優勝から挑戦者決定戦まで勝ち上がってきたのは、まだまだ小僧である九頭竜八一(当時四段)との対局だった。

 

九頭竜は奨励会三段として参加した竜王戦で六組で優勝した。その途中で四段に昇段を決めたのだ。

対する私は、三組優勝から勝ち上がり、一組二位から挑戦者を目指す名人との対局に粘り勝ち、ようやくたどり着いたタイトル挑戦への道だった。相手は棋戦初参加でこの前まで中坊だった15歳。しかも小学生のころから棋士室でひねってた思い出がありガキのイメージが抜けない。なめてかかったわけではないと言いたいが心のどこかでなめていたのだろう。後手番で阪田流向い飛車。玉を囲わせてもらえないまま開戦を余儀なくされた。作戦負けから粘りに粘り一分将棋になって受けを間違え結局負けた。

これが私にとって初めての年下の公式戦における黒星だった。

 

気を取り直して迎えた二局目。

先手の私は四間飛車で藤井システムに構え即座に開戦。玉頭に歩を残して橋頭堡にすることに成功。その後に自然に美濃囲いを完成させ、飛車を裁いて詰みに持って行った。

 

 

そして最終第三局。振り駒の結果後手。

角道をあけ、五筋に飛車を振り、ゴキゲン中飛車へ。向こうの銀に対して飛車を裁き、角も渡して、角銀交換をして、人間の目から見ると互角だった。私から見ても互角か少し良いくらいかと思っていた。しかし、ソフトの評価値放送ではこの段階で大差とのことだった。私の詰めろに対して詰めろ逃れの詰めろ。私が相手の玉を詰ますには銀が必要だった。だから合駒に桂馬を使った。これが敗着だった。これが銀合だったなら私の玉は詰まず、長い手順ではあるが私有利に進んでいたようだった。

 

こうして私の竜王挑戦は消えた。

この対局が後に何度も対局し、何度も私の前に立ちはだかってくる西の魔王との初対局だった。

 

 

 

 



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第3話

自分がプロであるということの証明のために強く意識していることがある。それはアマチュアの方に夢を持たせることが出来るのかということだ。プロの将棋は居飛車が多い。居飛車の将棋ばかりでは振り飛車党の人はつまらないと感じることが多くあるのではないかと思う。いや、実際にそうなのだという声をファンから聞く機会はある。(もちろん、私のファンが振り飛車党であるということもあるが…)そんな時に私は、たまらなく申し訳なく思ってしまうのだ。

それに、ソフトが指しても居飛車、プロが指しても居飛車では代り映えしなくてどうもつまらないと客観的に思っている自分がいる。プロであるということは夢を配らないといけないということだ。次の世代に夢を見せないと将棋は新しい時代に繋いでいけないのである。

極論、私から言わせれば居飛車の高度な戦いが見たいなら、ソフト対ソフトの対局を見ていればいいのだ。ソフトでは指せない人間味あふれた志向の一手を指す。そのためにプロがいるのである。プロでなくては絶対に指すことの出来ない一手。それを指すことこそがプロの道である。故に私は自分の欲する心に従って飛車を振るのだ。

 

~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」第二章 飛車を振る意味 より一部抜粋 ~

 

玉座戦というタイトルがある。このタイトルは名人の牙城としても有名だ。それもそのはず、このタイトルは平成に入ってから名人しかなってないと言っても過言に聞こえないのだ。19連覇含む24期。これ以上の連覇記録はこれ以上出ないだろうと言われている。福田九段の「永世前玉座」というギャグは有名だ。一時期不調に陥った名人もこのタイトル戦だけは落とさなかった。

 

この棋戦では毎年名人の強さのための生贄のようなものだ。玉座をただ1人奪取に成功したのは棋界に1人しかいない永世竜王資格保持者のみで、それも翌年には名人に奪い返されている。毎年勝率の高い若手有望株や30代、40代のタイトル経験者が生贄となっているのだ。そしてその生贄の座に今年は私が選ばれた。

 

だが私は生贄になる気などさらさらなかった。

 

運命の舞台となる場所は玉座戦第五局神奈川県元石湯陣屋

二勝二敗で迎える最終決戦。振り駒の結果、私は後手番になった。名人の初手は案の定2六歩。居飛車明示だ。

対して私は角道を開けずに五筋を突く。中飛車である。

 

私は先手が欲しかった。プロの将棋というのは先手の方が勝率が高いというのは有名だ。これは最初に指せる一手分のアドバンテージをプロは維持して勝利につなげることが得意ということだ。

だから私の選んだ戦法は先手をくださいという戦法だ。

 

汚いやり方だと感じる人もいるだろう。正々堂々戦えというファンの声もあるだろう。

 

それでも私は勝利が欲しい。父と肩を並べる棋士である事を証明するためにも、負けるわけにはいかないのだ。先手を取り返すために着想を得たのは古の技だった。

 

風車 である。

 

風車とは本来は居飛車穴熊に組まれ攻められた際に柔軟に対応する陣形である。しかし、この陣形はプロの棋譜はおろかアマチュアの棋譜にすら滅多に表れない陣形だ。それは何故か。

 

勝つ気がない陣形なのである。攻撃を耐え、忍び、例え負けそうでも自分からは攻め入らず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つだけの陣形である。勝つために将棋を指すならまず現れない形なのだ。

 

この風車の特徴は銀という明確な攻撃目標を作ることで攻めを誘発させ、受け潰し、千日手に持ち込むというものだ。手損も駒損もして、良くて千日手という酷い手なのだ。

 

それでも、私は勝つために先手が欲しかった。

 

午後のおやつの時間の少し前に私の思惑は成功した。

 

「87手を持ちまして、千日手が成立しました。対局者は一時間の休憩の後、先後を入れ替えて指し直しになります。」

 

この後の千日手指し直し局を制し、私は玉座のタイトルから名人を叩き落としたのだった。

この話はワイドショーでも話題に上り、世間を騒がしたがそんな話題はこの二カ月後に最速、最年少で最高のタイトルをもぎ取った九頭竜八一新竜王に流されてしまうのだった。

 

 

ーーーーーー

 

この日関西将棋会館にて生石充玉将は歓声に沸く、棋士室の真ん中にいた。

俺がやったわけでもないのに、周りが勝手におめでとうと俺に言ってくる。

俺がやったわけでもないのに、記者が俺に質問を飛ばしてくる。

非常に不思議な感覚だった。

 

将棋を指すようになってから、誰かを応援することなんてなかった。

応援なんてしなくても龍華は勝手に強くなって、さっさと俺の手元から飛び立って行ってしまった。

 

東京に行ってしまってから、全然会ってもない娘の顔を思い出す。

そういえば最後にしゃべったのはいつだったか。

玉将戦の時はろくにしゃべれなかった。

盤を挟めば、親子と言えど敵なのだ。

 

向こうで、友達はいるのか、元気でやっているのか、

 

聞きたいことは無限にある。

 

ケータイが鳴り、メールが来たことをつげる。

 

勝ったよ。

 

たった一言だけ書かれたメッセージに頬が緩む。

 

俺は、「おめでとう」と一言だけ返し、すっかり暗くなった夜空を見上げる。

月が祝福するかのように光っていた。

娘がタイトルを取る、こんな事は自分以外に経験をした人間がいないかと思うとさらに気分が乗ってくる。

 

今夜はいい酒が飲めそうだ。自分がタイトルを初めて取った夜よりもずっと。

 




それっぽい戦法をそれっぽく書いてるけど、実際にこんなことは出来ません。
作者は観る将で、昔の人の棋譜とか並べるのが好きなのです。
妄想がはかどってます。


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第4話

新玉座誕生(新しい道を切り開くもの)

 

 あの名人が玉座のタイトルを手放した。平成の絶対王者として平成将棋界に君臨し続ける名人からタイトルを奪う。この事がどれだけ厳しいことか簡単に分かる。彼からタイトルを奪った人間は例外なく歴史に名を遺す大棋士になる。平成のA級棋士は例外なく、彼からタイトルを奪った経歴があるものが並ぶ。特に名人戦の後の棋帝、帝位、玉座の三つは難関でどれも10連覇記録を持ってる名人こそが初夏から秋のタイトル戦の主役であることは疑いようがない。彼からタイトルを奪うということはそれだけで重い意味を持つ。これからの10年、20年の将棋界の中心に躍り出たと言っても過言ではないのである。

 

 将棋界初の女性棋士にして、現役タイトルホルダーの娘。それだけで話題に事欠かないが、将棋の内容を見てもファンを夢中にさせる魅力的な棋士だ。父親譲りの華麗な捌きと父親よりもねちっこい差し回し。棋譜を見返してみても、これぞ現代振り飛車という攻めの形と昭和を匂わせる重厚な金の活用。江戸時代において将棋の棋譜は将軍に捧げる美術品という役割もあったが、彼女の棋譜にはある種の完成させられた美しさを感じる。それなのに棋譜を年単位で並べなおすと成長を感じられるのだからたまらない。

 私はもう一棋士である前に彼女の将棋のファンなのである。彼女と当たらずに引退してしまった事が棋士人生の心残りである。

 

 これからの将棋界の発展のために、彼女の後に続く女性が現れることを願うばかりである。

 

 

~ 月刊 将棋世界12月号 コラム 新時代の棋士 (青田九段) より一部抜粋 ~

 

 

私、生石龍華は今人生で一番緊張している。タイトル戦よりも緊張している。

 

「皆様、おはようございます。本日は石川県七尾市旅館鶴雛で行われています、竜王戦七番勝負第七局二日目の様子を終局まで完全生中継でお送りいたします。」

 

そう、ニコ生なのだ。

 

「本日の聞き手は私、鹿路庭珠代。解説はニコ生初登場になります、生石龍華玉座です。」

 

「生石龍華です。よろしくお願いします。」

 

初めてのニコ生解説である。

 

「先生は普段ニコ生をご覧になられますか?」

 

「そうですね。よく無責任なコメントして楽しんでます。」

 

見ているだけなら無責任でいいのだが、今日は解説である。

 

「今日は解説なので無責任な解説は控えてくださいね?」

 

「わかっています。」

 

釘をさされてしまった。まぁ初めてだし、リードしてもらおう。同い年だけど。

 

ーーーーー

 

「挑戦者は九頭竜八一七段です。先生、九頭竜先生の印象についてお願いします。」

 

「そうですね。居飛車党でバランスを重視して指す棋風ですね。ろくに飛車も振れないくせに小学生のころから棋士室で挑んできて返り討ちにしていた思い出があります。」

 

『さすが過激派』『一番飛車を振る女!』『振り飛車万歳!』『もっと飛車振れ』

 

ーーーーー

 

「ここで視聴者からの生石玉座に質問のお便りのコーナーです。」

 

Q プロ棋士は高卒というのも珍しくないのにどうして東京の短大に進学したんですか?

 

A 女子大生というのをやってみたかったが、4年も時間を使う気になれなかったから短大に進学した。東京に進学したのは、関東の研究も自分の将棋に取り入れたいと思ったから。あと一人暮らしをしてみたかったから。

 

 

Q 聞き手の鹿路庭先生とは同い年ですが、交流とかありますか?初対面の印象とか教えてください。

 

A 今のところは特にあるわけではない。初対面の時はしっかりした印象で、飛車を振っているのでいい人。

 

 

Q 来年の目標は?

 

A タイトルの防衛とタイトルの挑戦権を手に入れること。

 

 

Q 将棋が強くなる秘訣ってなんですか?

 

A 飛車を振れ

 

ーーーーー

 

私ー鹿路庭珠代にとって生石龍華玉座とは、妬みの象徴であり、羨望の対象だった。

そりゃあそうだろう。持っているものが違い過ぎる。

思わず、「ずるい!」って叫んでしまいたくなるくらいに。

同い年で、こっちが女流棋士になろうとあがいているときにすんなりとプロ棋士になってしまったのだ。

なんのために将棋を指しているのか分からなくなってしまいそうだ。

 

タイトルホルダーの娘だから。小さい時から英才教育を受けていたから。

 

周りにいた女流棋士や、女流棋士を目指している女の子全員が彼女のことを頭から追いやった。

そんな空気が嫌いだった。

 

お前ら、悔しくないのかよ。あんな風に自分も輝きたくないのかよ。

 

そんな思いがあったから勝手にライバル意識を持っていた。

 

「女性なのに将棋が強くてすごいです。女性なのにどうしたらそんなに強くなれるのでしょうか?とありますが…」

 

この質問を聞いた時に彼女の雰囲気が変わった。

 

「まるで、女性なのに強いみたいな言い方が引っかかりますね。」

 

そう言って彼女は一瞬運営の方に睨むように視線を送った。

その時は意味が分からなかったが、休憩の時に話を聞いてはっとした。

 

「女性だから強いだとか、女性なのに強いだとか、それって将棋に対する根本的な侮辱だと思うんですよ。将棋の勝敗が性別で決まるっていうなら、それは全ての女性に対する偏見だし冒涜なんです。」

 

彼女のその主張に胸をうたれた。

自分も心のどこかで男性には勝てないもの。負けて当然だと思っていたからだ。

でも彼女は違うのだ。どこまでも真摯に将棋というものに向き合っているのだ。

 

「わたしとVSをしてくれませんか?」

 

意識をする前に出たその一言に彼女はとまどったような表情を見せたが、すぐに了解の意を返してくれる。

私じゃ彼女のライバルになる事は出来ないけど、彼女の将棋に影響を与える人になりたい。そう思ったから。

 

ーーーーー

 

お昼休憩に鹿路庭さんからVSのお話をいただいた。めっちゃうれしい。

別に友達がいないわけではないが、年が近い女流棋士には嫌厭されているのかなかなか仲の良い子がいなかったからね。

 

局面は終盤に突入している。形勢はどうにも九頭竜優勢というか勝勢に近い。

 

「生石先生、形勢は九頭竜先生が良いと思われますが、だいぶ苦しそうな顔をしていますね?」

 

そうなのだ。今までに見たことのないくらいに顔をゆがめている。それどころか顔色すら悪いようにも見えるのだ。

 

「多分局面じゃなくて、心と体がついてきてないんじゃないでしょうか?」

 

「と、言いますと?」

 

「タイトルが目の前にぶら下がっているって状況と勝てるって感じている将棋指しの本能が、今の自分の精神に負担をかけているんだと思います。」

 

タイトル戦特有のあのプレッシャーのなかに立つものだけしかわからないものがある。

俗にいう雰囲気に呑まれるというやつだ。

 

「竜王や名人はこの雰囲気を作るのが得意ですからね。初挑戦だとこの雰囲気に呑まれ大悪手を指して形成逆転なんてこともよくあります。」

 

実際にそうやって初挑戦でタイトル獲得のチャンスを失っていく棋士は多くいる。

熟練の猛者である竜王もその貫禄で新人を押しつぶしてきた回数は計り知れない。

 

しばらくしてトイレに立った九頭竜だったが、戻った時には先ほどまであった悲壮感はなくなっていた。

その顔を見て私が九頭竜の勝利を確信した数分後

 

「負けました。」

 

竜王が頭を下げ、シリーズ4勝3敗で九頭竜の竜王奪取が決まったのだ。




ニコ生文字化って大変ですね…



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5話

一応確認してるけど、誤字脱字を教えてくれる親切な人がいるおかげで確認が甘くなっているのが現状…

申し訳ない半分、ごめんなさい半分


振り飛車はアマチュアで人気の戦法だというのは言うまでもないことで、日頃から私を応援してくれるファンの方々には感謝が尽きない。

 では、どうして振り飛車がアマチュアで人気なのかというのは諸説あるが、ここでは私の持論を語らせて頂きたいと思う。

 それは、振り飛車が分かりやすく将棋の魅力を伝えられているからなのではないかと私は思う。

将棋の最大の魅力はなんと言っても、相手の駒を取り、その駒を自分の手持ちの駒として扱えるという点である。こんな特殊なルールはチェスにも中国将棋にも存在しない。この点こそが最大の魅力なのだ。

振り飛車の捌きというのはこの面白さを初心者でも簡単に、そして最大に楽しむことができるものなのではないだろうか。

 幼いころに感じたであろう面白さというのを追求することをやめないことがもしかすると私が飛車を振る最大の理由なのかもしれない。

 

~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」 第一章 将棋の魅力、振り飛車の魅力 より一部抜粋~ 

 

タイトルを取った後の私は将棋の調子自体は落ちていないものの、重要な局面で勝ちきれないというのが年末まで続いていた。

 

玉将リーグでは最終戦で全勝同士の対決に敗れ、リーグ残留はしたものの、挑戦権は逃す格好になった。

今年こそ、父と良い勝負が出来るだろうとタイトルも取って自信があっただけに残念だった。

 

この気持ちを引きづったまま、盤王戦挑戦者決定変則二番勝負の敗者側からの挑戦でいいところなくあっけなく負けた。

序盤でリードされ、中盤で組付され、終盤でわずかな希望にかけて粘ったが結局負けになってしまった。

 

勝ちきれない将棋が続いていて、このままだと負け癖がつくのではと不安に駆られているだけに、今日の将棋は勝ちたかった。

 

毎朝杯将棋オープン戦。優勝賞金750万円、準優勝250万円のこの棋戦は、一部のタイトル戦の賞金より多い賞金なのだ。また、現在残り2つのタイトル戦ではない全棋士参加の棋戦と比べて多額の賞金なのだ。

トーナメントによる勝ち抜き戦のため、本選を全勝(4連勝)するだけで1000万の大金が転がり込んでくるのだ。

 

一般的に準タイトル戦と言われるこの棋戦で勝ち切ることは、重要な場面で負け続けている現在において、非常に大きな意味を持つ。

 

決勝、準決勝は同日行われ、公開対局となっている。

いつもの畳の上の対局とは違い、椅子に座っての対局になる。

 

準決勝の相手は新進気鋭の水田五段。オールラウンダーで、なんでも指しこなす器用な人だ。

 

対局は先手をとった相手が飛車を五筋に振り、対する私は四間飛車に振った。

父の言葉を借りるなら、相手はオールラウンダーを名乗るスーパー銭湯の振り飛車。

それに対して、こちらは純度100%の振り飛車だ。

負ける気など、さらさらなかった。普段は居飛車を好んで指してるくせに、たまに気まぐれで指すような振り飛車に負けるような脆い将棋を指すなんてありえないのだ。

 

 

ーーーーー

極限まで集中すると色の概念が消えて、白と黒しか存在しない世界になる時がある。

その世界では、自分の目の前には黒く広がった海が存在していて、自分はその海の中で潜っている。

そこは暗く、深く、どこまで行っても先が見えない。

それでも、どこまでも深く沈んでいくと、突然白くなるのだ。

 

そこでようやくはっとして周りを見ると自分の将棋は考えるところは終わっていて、あとは間違えずに詰ますだけになっている。考えていたことは思い出せるのに、同時にあの黒い海に自分がいたという実感が無くならないのだ。

 

この黒い海に呑まれたのは3度目だった。

最初は小学生玉将戦の決勝の時。二度目は三段リーグの最終戦。

どっちにも共通して言えるのは、この経験を経ると自分の将棋の見える量が大きく増えるのだ。

今まで見えなかった手が見えるようになる。

一見悪手に見えるような手も、数手後になって状況が一変するような手になるように見えるのだ。

 

平たく言うと、これを体験した後だと世界が変わったように見えるのだ。

つまりそれは、自分がまだまだ成長できるのだという充実感を私にもたらしていた。

 

この充実感のまま、私は無事に毎朝杯を優勝し、全棋士参加棋戦での初優勝を飾ることになった。




りゅうおうのおしごと!では実際の棋戦の名前は竜王戦、名人戦及び順位戦しか使用してない。現実の棋戦の名前とごっちゃになるかもしれないから、一応ここに現実と作品内での名前の変換について記載しておきます。

(実在名)⇒(りゅうおうのおしごと!の中での棋戦名)

(王位戦)⇒(帝位戦)
(王座戦)⇒(玉座戦)
(棋王戦)⇒(盤王戦)
(王将戦)⇒(玉将戦)
(棋聖戦)⇒(棋帝戦)
(叡王戦)⇒(賢王戦)
(朝日杯)⇒(毎朝杯)
(NHK杯戦)⇒(公共放送杯戦)
(銀河戦)⇒(星雲戦)
(将棋日本シリーズJT杯)⇒(将棋賞金王シリーズSB杯)

この作品でもこの設定に準拠していこうと思ってます。
現実の方の名前で書いてたら教えてください。


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6話

過去一の難産でした。


未知の闇が広がる宇宙に、飛び込んでいった、電脳と切り合いし、侍たち。

 

あるものは信用を失い、絶望し、またあるものは、栄冠を手にした。

長く続いたコンピュータと人類の戦いもいよいよ最終ラウンドへ

 

「もうそろそろ、コンピュータソフトと人類との闘争に終止符を打つべき時なのではないかと」By日本将棋連盟会長 月光聖市九段

 

「日々成長を続けるコンピュータにはもう経験ですら敵わない。それにいかに食いついていけるかどうか。っていうところですね。」By名人

 

ついに人類と電脳の最終決戦の幕が上がる。

 

数々のソフトを粉砕し続けた電脳たちの頂点ーー電王、PNZA

 

対するは人類最高の賢者の座についたーー賢王、生石龍華

 

史上初の女性棋士にして、史上初の女性タイトルホルダー。

 

「話題性という意味でももちろんですけど、実力も疑う人がいない。まさに人類の代表にふさわしい人が選ばれたのではないかと思います。」By日本将棋連盟会長 月光聖市九段

 

「生粋の振り飛車党で、AIが入ってから流行り出したスピード感あるバランス将棋と昭和のような重厚感がある将棋の融合が出来ている唯一人の棋士と言っても過言ではないのか思います。」By名人

 

「間違いなく今、最強の棋士の1人です。」By名人

 

早く、軽く、重く、硬く、

 

見るものを魅了する「捌きの女帝」に人類の希望は託された。

 

「俺の娘が飛車を振る価値もわからねぇものなんかに負けるわけ無いだろ?」By生石充玉将

 

電王戦三番勝負  電王PNZA VS 賢王 生石龍華 

 

将棋の未来から目を逸らすな

 

~ 電王戦ファイナルPV 電王PNZA VS 賢王 生石龍華 (ニコ生)より ~

 

 

将棋ソフトが人類を超えたと証明するためのプロ棋士の公開処刑場

残念ながら今年の賢王に選ばれてしまった私はその公開処刑場に行かなくてはならない。だが、ただで首をやるわけにはいかない。コンピュータ将棋の全てをひっくり返すつもりで準備をするのは当然の事だった。必然的に主催者から渡されたソフトで研究を深めることになった。

それが今年の一月の末。人間の考える範疇を超えた変態的な差し回しをするソフトに刺激を受け、私の研究欲はさらに高まっていた。

 

人間には無い演算能力と効率のみを重視する人間味の無い指し手に違和感を覚える一方で、これを見て研究を重ねる棋士たちがどのように手を加えてくるのか。

自分の手の中にまだ見ぬ将棋の可能性があると思うと、まだ見ぬ未知の領域への思いが、新しい将棋に対する期待感が、自分の将棋の研究を一層深めている事実に興奮が止まらなかった。

 

短大も卒業が決まり、4月から所属自体は関西になっていたが、この電王戦が終わるまでは関東の家に引きこもって対局のない時はソフトの研究に励んでいた。

 

自分の将棋の引き出しが増えていく感覚に昼も夜も忘れて打ち込んだ。

例えこの勝負の結果、自分が世間にどのような評価をされようとも自分の将棋は進化する。

その確信が、私の研究をより一層深くしていったのであった。

 

ーーーーー

 

今日は銭湯も道場も閉めて、お父さんと一緒にお姉ちゃんの対局を見守っていました。

今日の対局は電王戦三番勝負第二局の対局でした。

前局、先手番だったお姉ちゃんは惜しくも敗れました。接戦で、手に汗握る熱い対局でした。この対局でお姉ちゃんの出した新手がプロの間で注目されていて、お父さんも「ゴキゲン中飛車の可能性を広げた一手」って将棋世界のインタビューに答えていました。

小さいころから私のヒーローだったお姉ちゃんは今でもまだ私の憧れだということを再認識しました。

 

今日の対局は後手番だから前よりも不利だろうとネットでは言われていますが、お姉ちゃんがそんなことで諦めるわけがないので、どんな結果になろうと最後まで応援しようと決めていました。

 

そう思っていましたが、対局は思わぬ展開になりました。

ニコ生のアンケートでもお姉ちゃんの選ぶ戦法はどこの筋に飛車を振るのかというものでしたが、お姉ちゃんが指したのは袖飛車でした。

 

後手番のお姉ちゃんが飛車を七筋に振った時に誰もが意表をつかれたと思います。下手をしたらコンピュータさえも。

そのまま右玉にして玉を囲い、攻めてきた相手に対して軽快に飛車を捌いたかと思ったら千日手にしてしまったのだ。

今回のルールでは、持ち時間三時間、千日手指し直しの場合は一時間の休憩の後、持ち時間そのままで先後を入れ替えて指し直し。ただし、どちらかが持ち時間が一時間を切っていた場合一時間になるように持ち時間を足し、同じ時間をもう一方にも足すというルールだ。

 

先手を取ったお姉ちゃんがとった戦法は四間飛車だった。

勘違いされがちだが、お姉ちゃんはゴキゲン中飛車よりも角交換四間飛車や、藤井システムの方が勝率が高い。十五世名人の棋譜とお父さんの棋譜で勉強したお姉ちゃんの四間飛車の切れ味は天下一品だ。

絶対にお姉ちゃんが勝つ。そう思って見ていたら今度はコンピュータの方が一枚上手でした。

優位にたったお姉ちゃんから逃げ出そうとした玉は入玉し、形成が逆転。

結局優位にたった状態から相入玉による持将棋になった。

持将棋になった場合も千日手と同じルールが適用される。

持将棋になった時のお姉ちゃんの顔は悔しそうに歪んでいた。

 

それより重大な問題があった。持ち時間である。

お姉ちゃんはもう時間を使い切っていて次の対局に一時間しかないのに対してコンピュータの持ち時間は三時間三十七分。もとの持ち時間を超えてしまっているのだ。

それに加えてお姉ちゃんの疲労のたまり方は尋常ではない。

当たり前だ。後がないというプレッシャーのなかで、なんとかつかみ取った先手番での持将棋。

脳のエネルギー切れだけではなく、精神的に折れてもおかしくないはずなのだ。

 

そして三局目。

お姉ちゃんは中飛車だった。この将棋でも千日手含みの手を行い、千日手を拒否したコンピュータの隙をついて、お姉ちゃんペースで進んでいるように思われた。

お姉ちゃんが詰めろを掛けた瞬間は日本中がお姉ちゃんの勝利を確信したはずだった。

詰めろ逃れの詰めろ。

詰めろから逃れるために相手に詰めろを掛けるこの方法でお姉ちゃんは合駒を間違えた。

これによりソフトの玉は詰まなくなり、お姉ちゃんの敗北が、人類の敗北が決まった。

 

その後インタビューでは、お姉ちゃんは自分のその手を悔やんでおり、目には涙が浮かんでいて、どうにも会見になりそうではなかった。

 

中継が終わり、お父さんが何も言わずに道場を出て行った後も、私は衝撃で立つことが出来なかった。

私の中で将棋を指したい思いが抑えられなくなっていた。

才能がないことは自分でもわかっている。

それでもこんな将棋を指したいと思わずにはいられないほどの熱い将棋だった。

 

いつかわたしもこんな風にと思わないではいられない。

 

~ 生石飛鳥の日記 ~

 

 

 

 

 




一応解説。
袖飛車とは飛車を玉側に一筋分だけ振る戦法で、居飛車に分類される戦法です。
居飛車なのに飛車を振っている戦法なのでどこかで出したいと思ってました。

最後の飛鳥ちゃんの日記で文末がバラバラなのはそっちの方が日記ぽくていいかなって思ってわざとそうしました。
興奮して日記を書くと、ですます、とか、言い切りがごっちゃになる方がリアルな感じがあるなと思いまして、、、


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7話

攻めは鋭く、守りは固く、自陣の駒に乱れ無し

 

ある棋士が公共放送杯の対局者の印象でふざけて言ったこの一言はあまりにも有名だ。

この言葉ほど彼女の将棋を表現するのにふさわしい言葉はないのと同時に、この言葉は将棋の理想形の話をしているようにも聞こえる。

AIの登場により、時代の流れが速くなった将棋界において理想形を維持しながら戦える棋士というのは存在しない。だから彼女が先日の電王戦で負けたことに予想通りだと多くの棋士は表面上思ったが、心のどこかで彼女が勝つことを期待したのではないだろうか。

自分達が指したくても指せない将棋を指し、遺したいと願ってしまう棋譜を残す彼女に、期待をしていなかった棋士はいないだろう。

玉座のタイトルを奪取し、毎朝杯優勝。今年度の優秀棋士賞、特別賞、勝率一位賞、名局賞、実力性第四代名人特別賞と将棋大賞を総なめにした彼女の実力は疑う余地もない。

 

かつてはコンピューターが人間に将棋が勝つ時代なんて想像もできなかった。こんなにも変わってしまった時代のなかで、まるで理想のような将棋を指す彼女のことを羨まない棋士はいないだろう。

 

~ 毎朝新聞 将棋コラム 「変わる時代」 より一部抜粋 ~

 

春先は本来棋士にとってはシーズンオフになっているケースが多い。

名人戦の番勝負中で順位戦が動き出すのは例年六月からだ。

まぁ私は今回電王戦でそんな余裕なんてなかったんだけれど。

 

今日は関西に戻ってきて初めてのVSの日だった。

研究会やVSをやっていてこの棋士伸びないなとか、もう落ち目だなと思う瞬間がある。

それは序盤で作戦負けをしたら、粘らずすぐに投げてしまう棋士だ。

練習で粘ることが出来ないやつが本番で粘れるわけがない。

普段から苦しみの中でもがいてないと勝つことは出来ない。

普段から楽なことを選んでいる人間が、本番になったら都合よく苦しい道を選ぶことなんて出来るわけがない。絶対に楽になれるものを選んでしまう。

そういう人間は奨励会でも山ほど見てきているはずなのに、それでも楽な方へ流れて行く人間が多い。

そういう点で、今日のVSの相手は心配のない相手だった。

 

清滝鋼介九段

A級在位6期 名人挑戦二回を誇る関西の大御所

問題行動などで変人が多い将棋界の中でも変人扱いをされることが多いが、将棋に対する情熱はプロの中でも指折りだ。昨年順位戦降級になり、私と入れ替わる形でB級二組に落ちてしまったが、いまでも名人位に対する夢を持ち続けている。A級在位はさほど長くはないが、B級一組在位は24期。鬼の住処で自分の武器を研ぎ、大事なところでは存在感を増し、他を圧倒するプレッシャーを放つ昭和の伝統を継ぐ棋士である。

 

VSをする場所は清滝先生がやっている将棋教室の一室。

先生の得意戦法は矢倉。

居飛車の基本的な戦形で、自身の得意とする粘り強さを一番発揮できる形だ。

今でも鋼鉄流とも言われる矢倉新手を披露する。

自身の力でその戦法を進化させようとしているのだ。

齢を重ねてもまだ消えない将棋への情熱。

プロになっただけの若手よりも感じるその熱に私は敬意を払っている。

 

昼過ぎから始まってだいたい四時間ほどの時間だった。

ある種対局よりも濃密な時間を過ごし、そろそろ解散かというところで、先生の空気が変わった。

VSが終わったあとの和やかな空気とは打って変わって、公式戦のような空気だ。

 

「龍華ちゃんにお願いがあるんや」

 

そう切り出して頼み込んできたのは娘さんの相談だった。

なんでも研修会で降級点がついてしまい、どうにかアドバイスをもらえないかということらしかった。

清滝先生の娘さんは何度か会ったことがあり、礼儀正しく優しいお姉さんというイメージがあった。

彼女が女流棋士になろうともがいているのは有名な話だ。

あと一勝というところで躓いてからなかなか上がれないというのは人伝手からよく聞く。

年齢もそろそろリミットが近づいていて本人も焦っているのだろう。

正直受けてもプラスになる話ではない。

だからと言って大人の男が30も年下の女に娘のために下げた頭を踏みにじるほど私は腐ってはいない。

 

「今度ご飯でもおごってくださいよ。なんなら娘さんの手作りのやつでいいんで」

 

そう言って感謝して頭を下げ続ける先生を後目にその日は解散になった。

 

父親のやっている銭湯兼将棋道場に戻ると将棋界の象徴たる竜王の叫び声が入り口まで聞こえた。

 

「オールラウンダーに俺はなる」

 

あのクソガキ、人の家で何騒いでるんや?

 




実はこんなに読まれるなんておもってなかったりするので読んでくれてものすごくうれしかったりする。

感想もっとください(土下座)


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8話

間に合わなかった…




人気棋士にあだ名が多く着くのは当たり前のことだが、その例に漏れず、生石龍華玉座にも多くのあだ名がある。一番有名なのは『捌きの女帝』だろう。ますます鋭さを増したその切れ味は、並みの棋士ではあらがうことなく刈り取られるだろう。親娘そろっての棋風から『振り飛車の遺伝子』と呼ばれるのもよく聞く。

 

そんな中に、彼女に棋風の激しさや、苛烈な発言などから『過激派振り飛車党』とも言われているが、最近のトレンドは『振り飛車原理主義』らしい。あまりに振り飛車に一途な所を見ているとこれが一番的を射ている風にも思える。

 

振り飛車冬の時代と言われるプロの世界で、誰よりも研究し、結果を出し続けて周りを黙らせる。

結果を見せて、反論を許さない。まさに正しさの暴力である。そんな周りを焼き焦がす太陽のような姿が将棋プロとして、一番の特徴なのかもしれないと思う。

 

~ ブログ ある棋士の憂鬱日誌 「明日対局、対戦相手に思うこと」 より 一部抜粋 ~

 

 

 

その日、俺ーーーー九頭竜八一はどうにか山刀伐尽八段に勝つきっかけを得るために将棋道場兼銭湯という日本に恐らくただ一つしかない珍しい施設『ゴキゲンの湯』に来ていた。

 

振り飛車党総裁とも言われる「捌きの巨匠」生石充玉将が運営しているこの施設は大阪の、いや、関西の振り飛車党の総本山ともいえる場所だ。

居飛車党のタイトルホルダーである俺からすれば、ここはまさに敵地。

普段なら来ようとも思わない場所である。

そんな場所にきたのは、きっかけを求めてだった。

 

些細な事でいい。少しのきっかけが欲しかった。

 

だからここに来た。

 

三連敗もしてる相手だからこそ、奇襲と言われようとも、卑怯と言われようとも勝ちたかったから。

 

「つべこべ言うな、稽古はふたりともみっちりつけてやる。二週間もすれば、飛車が横に動かなきゃ我慢できない体にしてやる。それとーー」

 

「「それと?」」

 

「バイト代は払わなくていいよな?」

 

こうしてどうにかこうにか巨匠との契約が決まった矢先、

 

「じゃあ、まず私が相手してやるよ。」

 

出来ていたギャラリーの外側から聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「龍華、こっちに来るなんて珍しいな。」

 

「入口からそこのクソガキの声が聞こえたからな。」

 

以前にあったときよりも大きな存在感を纏って、熟練の棋士が時折見せる貫禄と似たようなものを感じる。

その存在感に自然とギャラリーは割れ、そのプレッシャーにギャラリー全員が呑まれていた。

俺はその存在感に押しつぶされそうにながらも、彼女を見る。

あいさつをしようとする俺より先に彼女の口が開いた。

 

「居飛車で勝てんから飛車を振るための教えを乞う?いい度胸やな?」

 

彼女の口からは侮蔑の感情が感じ取れた。

 

「勝負で勝つために戦法を学ぶことは大いに結構なことだ。だけどなぁ、軽々しく飛車を振るなんて言うんやないぞ?」

 

もうすでに俺の目の前に座り、公式戦ーーとくにタイトル戦の前の棋士が発するような異様なプレッシャーを感じ、背筋が凍る。

 

「あんまり振り飛車をなめるんじゃないぞ?」

 

そこには振り飛車に絶対の自信を置いている一人の棋士の姿があった。

 

 

その将棋は俺の先手で始まった。

角道を開けて、角交換を行う角交換四間飛車

急戦で仕掛ける俺に対して、美濃囲いを完成させ、応戦してくる。

俺は歩の突き捨てから露出させた銀を目掛けて攻撃を仕掛けるが、形勢がよくなっている気がしない。

主導権を握って攻め立てているはずなのによくなってる感じが全然しない。

 

惑わされるな!

 

形が良いのは自分だし、駒割りでも自分が得をしてる。

自分の読みを信じるんだ。

あと少しで急所の銀が剥がれる。あれが剥がれれば俺の勝ちが近づく。

 

「焦りが出てるで、竜王」

 

そう言うと彼女は手抜き、自分の桂馬を切り飛ばした。

 

囲いを崩そうと攻め立てる俺に対して、駒を与えるのが怖くないのだろうか。

俺の疑問を感じたのか彼女からため息のような吐息が漏れる。

 

「言うたろ?焦りが出てるって。」

 

桂馬を取るために動かしたせいで空いたスペースに角を打ち込まれる。

慌てて受けた俺の飛車に対して、銀が成りこんでくる。

馬の辺りをさけたスペースに香車と歩で攻めの橋頭堡を作られる。

銀を犠牲に馬を排除したら飛車が龍に成り迫ってくる。

ようやく受け切ったと思ったら、自分が打ちたい場所に先に駒を入れられる。

 

気が付けば、俺の陣地が焼け野原になっていた。

形はボロボロ、駒の効きも足らず、圧倒的な実力の差を見せられた形だ。

 

はぁっ とため息が聞こえ、俺はショックのまま動けなかった。

 

「12月までの成績なら、優秀棋士賞どころか最優秀棋士賞も狙えた。勝率一位賞も、勝数一位も」

 

ぼそっと始ったのは感想戦ではなかった。

 

「唯一の全勝で昇級圏内だった順位戦もその後連敗。帝位リーグも一瞬で陥落。手にした記録は連敗記録。」

 

言われているのは、俺の竜王戦後の成績だ。

あまりにも悲惨な成績。

 

「そんなんだから結局将棋大賞も結局新人賞だけ。タイトル獲ったからって調子乗って、一番大事な将棋をおろそかにしたんちゃうんか?」

 

「師匠みたいに粘って、執拗に勝ちを狙う自分の将棋忘れて、小奇麗な将棋を指すようになったり、それが治ったら今度は負け続けてる相手の意表を突くためにオールラウンダーになる?」

 

「将棋舐めるのも大概にせえよ?」

 

彼女の言葉は俺に反論を許さなかった。

言葉だけではなく、この将棋の結果が棋士としてのプライドから反論をする力を失わせていた。

これだけの差を見せつけられては何も反論など出てくるはすがなかった。

 

彼女は言いたい事を言い終えたのか、俺の前から静かに立ちさった。

 

「竜王になって、弱くなったな。」

 

最後に俺にだけ聞こえるように言ったそれは、俺のちっぽけな意地やプライドと一緒に心を折るには十分な一言だった。

 

 

ーーーーー

 

その後のお通夜な空気の中、どうにかこうにか指導を再開して切り抜けた。

将棋を指し終えて、お風呂へ

 

風呂上がりに一息ついているとあいから

 

「あの、ししょう。ししょうを負かしたあの女の人って…」

 

「ああ、あいは知らなかったか。」

 

生石龍華玉座 

史上初の女性棋士で、玉座のタイトルを持つ最強の女棋士

生石充玉将の長女で、『捌きの女帝』の異名を持つ純粋振り飛車党

そして俺が誰よりも棋士室で教えてもらった相手

 

「やっぱ、強いなぁ。」

 

「そんなことないです!最強はししょうです!」

 

 

思わず漏れた本心に、あいが反応してくるが今は頷く気にはなれなかった。

 

「あいつはお前に期待していた。」

 

いつの間にか隣に来ていた巨匠はタバコをふかしながら遠い目をしていた。

 

「自分からタイトル挑戦を奪い取ったお前の将棋に一番感心していたのは龍華自身だ。粘って執拗に勝ちを狙うお前の将棋をすごく評価していた。」

 

タバコの火を消して真っすぐに俺の方を見る巨匠の目は俺に訴えかけてきた。

 

「それなのにお前が竜王を取った後に下手な将棋指すからなぁ」

 

なにも言い返せない…

 

「今日、お前に言った事は全部お前への期待の裏返しだ。自分の将棋の良さも出せて無いのに飛車を振るなんて言うから、自分の弱さを戦法のせいにしている風に思ったんだろうよ。」

 

そう言われてハッとした。

果たして俺は、タイトルをとってから自分の将棋に真剣に向き合ってきたのだろうか。

 

「まぁ約束通り振り飛車は教えてやる。失われた期待は勝って取り戻さないとな」

 

そうだ。まずは勝たないと。

勝たないと何を言っても敗者の戯言にしかならない。

 

俺とあいは頭を下げて、ゴキゲンの湯を出る。

今日新しく目標が出来た。

もう一度、あの人を倒すことだ。




次回は桂香さん視点の予定


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9話

彼女の人間としてすごい点を上げるのならば、人を引き付ける力である。

自身の努力によって周りを引き付けるその姿は、さながら漫画の主人公のように思う。

もちろん自身の努力だけではなく、結果がついてきているからではあるが、どこのスポコン漫画の主人公だよと言いたくなる。

彼女の大きさが彼女の将棋の魅力に反映されているのは間違いない。

 

~ 将棋世界 コラム 「私から見たあなた」 鹿路庭女流二段 より一部抜粋 ~

 

弱気になっていると自分の嫌いな所が山のように見えてくる。

そこだけに目がいってさらに自分が嫌いになる。

本当に自分の弱い心が嫌いだ。

弱い心を受け入れてる自分がいる事がもっと嫌いだ。

そして、他人の才能を羨んで、一度自分から目を背けてた事実があることが自分を嫌いになった最大の理由だ。

 

今、私ーーー清滝桂香は将棋から目を逸らした理由である生石龍華玉座が盤を挟んで向かい側にいる。

 

ーーーーー

 

自分の事を卑怯だと自分自身で罵りながらも銀子ちゃんに土下座をし、研究を一緒にやってもらうことになったのが三日前。

今日も家事を終えてから研究をするつもりだった。

朝ごはんを食べている時に父から急に切り出されたのだ。

 

「今日、龍華ちゃんに来てもらうことになってるから昼飯を頼む。」

 

師匠のVSだったら、出前でも頼めばいいじゃないか。

思ったことが口から出そうになったが、その前に師匠が言葉を重ねるように続けた。

 

「こないだのVSで桂香の事を相談してな、指導を頼んだんや。」

 

一瞬何を言ってるのかわからなかった。

現役のタイトルホルダーに女流棋士になるためにあがいている研修会の生徒の指導を頼む?

普通はありえない事だ。

 

「報酬は手料理でいいそうだから、よろしく頼むわ。」

 

まるでいたずらが成功したような笑顔で父は笑っていた。

私の隣にいる銀子ちゃんは目を丸くしている。

私も私でパニックになっていた。

中飛車になったらどう受けるのか。四間飛車は?三間飛車は?

 

もうわたしの小さい脳では将棋のことだけで精一杯になってしまったのだ。

そして、その後に緊張が襲ってきた。

彼女は昔からすごかった。

八一君や銀子ちゃんをジェット機で例えたけれど、彼女はもうそういう次元ではないのだ。

私が無人島で孤立していることに気づいた時にはもうこの島にはいなかったのだから。

彼女のことは他のどの棋士の棋譜よりもチェックしていた。

最初のころは同じ棋士の娘というのもあり、どの棋士よりも応援していた。

私が高校の同窓会に行く気が起きなくなってきたころには、彼女の話を聞くのも嫌になっていた。

あの棋戦でも、この棋戦でも、女性が1人しかいない世界で奮闘している姿は私の心を焼いていた。

 

どこでこんなに差がでるのだろう。

同じ棋士の娘なのに、才能の差が、努力の差が、将棋に向き合った時間の差が、

私に彼女のことを知ることを拒否させていった。

 

彼女の話題が出ている記事は読めなかった。

研修会で話題になっても、苦笑いしているだけで、何も言えない、話せない。

向こうも私に気を使ってなのかだんだんと私の前ではそういう話をすることがなくなった。

 

どんなに心が拒否しても、棋譜のチェックだけは続けていた。

斬新な発想による新戦法、新戦形。

どんな筋にも振れる柔軟さ。

そして何より、棋譜を見るだけでわかる努力の量。

 

そして何より、彼女を見ていると持てる時間を全て将棋に注いでも努力が足りないのではないかと思わされる。

自分の持てる時間を全て将棋に費やしているのに、これ以上何を削ればいいのかわからないくらい削っているのに、足りないならばどうすればいいのか。

 

くだらない劣等感に支配され、いつもより薄暗く感じる和室で、気が付いたら彼女と盤を挟んでいた。

 

「まぁ、そんなにかしこまらないで。一局指さんと分からないこともあるから。」

 

そう言ってほほ笑む彼女にすら嫉妬を覚える。

将棋盤の前に座ると彼女のプレッシャーを感じる。

まるで全てを焼き尽くす太陽のような威圧感。

 

「「よろしくお願いします。」」

 

彼女が飛車を振ったのは五筋。中飛車だ。

対する私は矢倉に構えた後に穴熊にも構えなおせる形に整える。

勝負はあっという間についた。

私の穴熊はボロボロにされた。

角を犠牲に風穴を開けられ、塞ぐ前に銀を取られ、あっという間に詰まされる。

 

感想も何もない、ただの実力の差がそこに横たわっていただけだ。

 

「ここをこう指してたら、どうしてた?」

 

私が何も言えず黙っていると、向こうから将棋の話を振ってきてくれる。

 

「ここは、当たりが強いと思ったので、こっちに回って…」

 

気が付くと感想戦が止まらなくなっていった。

自陣に打った銀を攻めに使うとどうなるのか。

桂馬の跳ねるタイミング。香車を打たれた場合に用意してた受け方。

考えていたことと言われることの一致は多かった。

気が付いたら、太陽がだいぶ西に傾いていた。

 

「基礎の読む力は女流棋士にも通用するでしょう。ただ、戦法と棋風があっていない。」

 

いつの間にか横に来ていた師匠の方を向きながら、彼女は続けた。

 

「受けを意識しすぎているように感じますね。本来は攻める形の方が得意そうです。本人の頭に多くパターンとしてイメージ記憶されていると感想戦でも感じられました。今の受けの棋風より、攻めの棋風に変えたらすぐに女流棋士にはなれると思います。」

 

その言葉を聞いて、私の頭は真っ白になった。

なんとも言えない感情が押し上げてきた。

そんな私の目を見て、彼女はこう切り出してきた。

 

「桂香さん、飛車を振ってみる気はない?」

 

私は何も考えずに首を縦に振った。

女流棋士になれるなら、なんだってする。

そんな覚悟はもうとうの昔に出来ていた。

 

ーーーーー

 

また、明日来る。

そういう約束をして彼女は帰っていった。

 

そのころにはもう、私の頭を占めていた劣等感やら嫉妬やら

原動力になっていた仄暗い感情が消えていることに気づいた。

 

見えていなかった道が今ははっきりと見えているから。




自分の実力の無さを痛感しました…

もっとうまく表現できるようになりたい…


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10話

前回のあらすじ 

龍華に振り飛車を習うことになった桂香さん

しかし、同門は居飛車党ばっかり!

「名人戦で中飛車が指されたときにカチンときた。名人の伝統を馬鹿にされたと感じた。」

そう語る師匠 

「振り飛車を絶滅させようとして研究し続けた。」

と公言している天才の弟分

「振り飛車なんて消えてなくなれ!」

と振り飛車党総裁に文句を言った妹分

こんな環境で1人だけ振り飛車党になるなんて、、、
一体どうしたら良いって言うのよ!

(一回やってみたかった)


間違いなく俺の娘は将棋の歴史が始まって以来の天才と言っていい。

歴史を見ても匹敵する人がほとんどいない。有史以来、龍華と並ぶ天才を挙げるとするならば、

 

江戸時代から現代将棋の感覚を持っていた天才、天野宗歩

戦後の将棋界を作った大名人 十五世名人

前人未踏の境地に立つ絶対王者 名人

AIが発展してきた将棋を打ち崩す西の魔王 九頭竜八一

 

そうして最後に生石龍華。どこにでも自在に飛車を振り、人々を魅了する将棋を指す。並みの天才を焼き焦がす程の天才。

 

同じ時代に同程度の天才が生まれてきてくれた事を親としてはほっとしている。ただ1人の棋士として娘以上に脅威に感じるものは無い。

 

~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」 終わりに変えて 文 生石充 ~

 

 

 

「飛鳥が将棋を教わりたがっているだぁ?」

 

「ええ、気づいていましたか?」

 

巨匠に初めて飛車を振って勝った直後、俺は以前に飛鳥ちゃんに言われたことを巨匠に相談した。

 

「そりゃあなぁ、薄々は気づいてたさ。飛鳥はな、子供のころから俺や龍華、客の指す将棋を見ていた。最初は構ってもらいたがってだったんだが。普段は優しいお姉ちゃんが、将棋をやってるときに邪魔をするとすっごく怒るんだぜ?そりゃあ、何をやっているのか気になって当然だ。」

 

駒を片付けながら、父親の顔で語る巨匠をなんだか新鮮に感じた。

 

「俺だって、子供が生まれる前から子供と将棋の仕事が出来たらなんて何度も夢を見てきたさ…親子で将棋を仕事に出来たら楽しいだろうなって。ただ、飛鳥には才能がなかった。」

 

昔を思い出すように語るその口調には、どこか思うことがあったのだろう。

いつものようなサバサバとした感じはなく、どこかジメジメとした暗い空気を感じさせるには十分な声色だった。

 

「そもそも、名前だって飛鳥じゃなくて飛車にするつもりだったんだぜ。龍華の時も竜王にしようと思っていた。今でもこの時のことでカミさんと喧嘩になるぐらいだ。」

 

無茶苦茶だなぁ。この人。

 

「カミさんの大反対にあってなぁ、結局飛鳥に落ち着いたんだが、今にして見れば正解だったな。飛鳥には才能がない。龍華とはちがってなぁ」

 

タバコをふかしながら、どこか遠くを見るような目をして深く息を吸い込む巨匠は棋士としての顔と父親としての顔、その両面から苦悩が読み取れる気がした。

 

「学生の大会ではそれなりにいい線行ってる。そりゃあ女流棋士にはなれるかもしれない。だけど、この後一生比べ続けられる相手は人類史上もっとも将棋が強い女だぜ?」

 

つまりは姉である、生石龍華。

史上初めての女性棋士にして、現タイトルホルダー。

 

「この世界に入ったら一生この世界で生きることになる。一生龍華と比べられながら生きることになる。この世界で才能がなくて生きていくことがどれほど大変か知ってるだろう?」

 

「はい」

 

志半ばで奨励会を去った人を何度も見てきた。将棋さえあれば良いと思ってきた少年が、将棋を憎む青年になってこの世界から消えていくのを何度も見てきた。

 

「たとえ報われて女流棋士になれたとしても、女流棋士として結果を残したとしても、比べられる対象は龍華だ。大きすぎる才能は人を焼く。ただでさえ生きるのが辛い世界なのに、これじゃあ、あまりにもでなぁ。」

 

一言づつ区切るようにして言ったその言葉の重みに俺は何も言えなかった。

努力が報われるかわからない世界で、たとえ一つの結果を出しても、それが絶対に報われない事実。

そんなある種の地獄が分かっているのに、そこに好き好んで堕とす親はいない。

 

お互いに何も言えなくなって静寂に支配された道場はずぶ濡れのあいがやってきたことで終わりを迎えた。

 

 

ーーーーー

 

私、清滝桂香が生石龍華玉座に振り飛車を習い始めてちょうど十日の今日は、練習将棋もほとんど行われず、八一君の対局を銀子ちゃんと龍華ちゃんの三人で観戦していた。

三連敗中の山刀伐八段相手にゴキゲン中飛車で挑む八一君。

 

大方の予想では超速3七銀型を使うと思っていた山刀伐八段が指した手は、超急戦5八金右だった。

 

「へぇ」

 

それを見て龍華ちゃんは頬を吊り上げ、笑ったように見えた。

ゴキゲン中飛車は龍華ちゃんもよく使う戦法だ。

どこまで研究が行われているのか興味があるのだろう。

 

盤面は無慈悲に進行し、中飛車の八一君が押され、手が止まった。

これはもう、私から見ても詰ませられる。それほど八一君の方が悪く見えた。

 

「これはもうクソガキが読み切れるかどうかだな。」

 

「どういうこと?」

 

龍華ちゃんの言葉に銀子ちゃんが即座に反応する。

どう見たって、八一くんの劣勢だったからだ。

 

龍華ちゃんは静かにおいてあった盤の駒を動かす。

すかさず、銀子ちゃんが手を打つ。

そうやって出てきたのは三十手も先の局面。

そこで現れた変化は三連続の限定合駒だった。

 

「これが打てるかが今の局面で唯一の勝ち筋や。この変化を読み切れるかが勝負やな。」

 

私も銀子ちゃんもこの盤面に震えていた。

とてつもない奇跡を簡単に読み取り、簡単に変化として出現させる力。

これを見て、私は銀子ちゃんとの研究会が始まった直後銀子ちゃんが言っていた言葉を思い出していた。

 

「男性と女性で同じ棋力でも駒の見え方が違って見える。見えているのは、祭神雷、生石龍華、それと…」

 

「あれはね、将棋星人なの。地球人とは見え方が根本的に違ってくる。特に八一と生石龍華は別格よ。あの二人とは同じゲームをしているとは思えない。」

 

なるほどね、銀子ちゃん。

これが将棋星人ってことね。

自分の目で見るまで信じられなかったけど、確かにこれは、ヤバイわね。

 

盤面は龍華ちゃんが示したように進んでいった。

それを見て、私たちの顔も青白くなっていっただろう。

そうして局面はそのようになった。

 

「ようやく、まともな将棋を指すようになったじゃないか、クソガキ」

 

そう言ってニヤリと笑った龍華ちゃんの方を私も、銀子ちゃんも直視が出来なかった。

 

「しかし、山刀伐さんの研究も大したことないな。まだ、この変化をやってるなんてな。」

 

つぶやかれた言葉に驚く。名人との研究成果を大したことない?まだこの変化?

じゃあ一体この娘はどこまで研究してるって言うの?

 

「来週ちょうど山刀伐さんとの対局があるし、ゴキゲン中飛車で叩き潰したるか」

 

そう言って、龍華ちゃんは帰って行った。

その後ろ姿を見送ったあと、銀子ちゃんがこう言った。

 

 

「ねぇ、わかったでしょう。桂香さん。…あれが、将棋星人なんだよ。」

 

 




飛鳥ちゃんの学園将棋バトルストリー「私のお姉ちゃん」は鋭意制作中!


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11話

将棋における才能とは二種類のタイプがあると思っています。

1という時間で1勉強できる人と10勉強できる人がいる。単純に研究できる量が違うのだから、こういう人は純粋に強くなります。

 

もう一つは、1という勉強量で10という結果を残す人で、こういう人が将棋の世界では目立って天才と言われやすかったりするということです。

 

私は、将棋界における天才とはこの二つをどのくらいの高いバランスで持っているのかで決まると思っています。

 

名人にしても、インタビューでは自分は努力型などと言っていたりするじゃないですか。自分は努力しているから強いのだと。確かに相当努力しているとは思うんです。

 

普通の人は10って時間勉強したら、10っていう結果を残します。

 

名人が、つまり1の時間で10勉強出来る人が、10の時間勉強して、100の勉強をする。その100の勉強で1000の結果を出しているっていうのが事実なんだと思います。側から見たら、10の勉強時間で1000勝っている風に見えるんですよ。

 

これが努力型だと語る天才のからくりなんだと私は思います。

 

~ 玉将リーグ戦 リーグ出場者インタビュー 「才能と努力」 生石龍華にインタビュー より 一部抜粋 ~

 

 

 

「お父さん、わたしも研修会に入りたい。」

 

その日、私は我慢が出来なくなった思いを父につげた。

 

「将棋は諦めろって言ったよな?」

 

父はイラついたようにタバコをふかしながら私を睨みつけた。

父は私に将棋を指してほしくないのだ。

 

「お姉ちゃんみたいに才能がないのなんてわかってるよ。それでも私は将棋を指していたい。」

 

八一くんが連れてきたあいちゃんは研修会に入っているという。

確かに年齢を考慮すれば、あいちゃんの才能は段違いだろう。

私はあいちゃんみたいに脳内に何個も将棋盤を持っているわけでない。

詰将棋もあんなに早く解けないし、将棋をはじめて三カ月でこんなに強くなったなんて想像もつかない。

 

でも、今現在の私の棋力とあいちゃんの棋力にそんなに大きな差があるとは思えなかった。

 

お姉ちゃんが奨励会の有段者になったころくらいからお父さんは私に将棋を教えてくれなくなった。

お姉ちゃんと私の才能の差に気づいたからだ。

だから私は将棋は基本的に見て学んできた。

道場の人の対局を、父の対局を、姉の対局を。

 

わからないところは図書館や古本屋で本を読んで学んだ。

 

高校に入って、将棋部に入って、もっといろんな人と指したいって思った。

いつも引っ込み思案な私が、飛車を振ってどうどうと攻めている時は自分らしく生きている気がした。

 

そして何より、真剣勝負に生きているお父さんとお姉ちゃんに憧れない理由がなかった。

お父さんから目を逸らしたら負けだ。

ここで逸らしたら、今までと何も変わらないままだ。

 

「言ってもわかんないみたいだな。…あいちゃん、ちょっとこっちに来てくれ!」

 

お父さんはあいちゃんを私にぶつけて、私の心を折ろうとしているのだ。

だけど、それは私にとってはチャンスだった。

 

「もし、あいちゃんに、研修会員のあいちゃんに勝てたら、私に研修会に入る許可をください!」

 

このチャンスを逃す気なんて私にはさらさらなかった。

 

先手番のあいちゃんが中飛車、それに対して私が指したのは中飛車だった。

 

「おい、飛鳥。将棋をなめているのか?」

 

お父さんから怒気の混じる声が聞こえる。

先手と後手が同じ戦形を選択した場合一手遅い後手の方が不利になるのが常識だからだ。

でも、私にはこれしかなかった。

 

「私は中飛車が好きだから!」

 

それに、お父さんも、お姉ちゃんも大事な時に中飛車で勝ってきた。

お父さんが公共放送杯で優勝した時も、初めて名人からタイトルを奪った時も、

お姉ちゃんが三段リーグで昇段を決めた時も、玉座のタイトルを奪った時も、

大事な時は中飛車で勝っている。

だから、私も中飛車で勝つ!

 

堂々と真ん中に飛車を振っている時だけは、もっともっと、前に行けるから!

 

局面は私優勢に進んでいく。

自玉が危なくなるにつれて、あいちゃんの集中力も上がっていくのを感じる。

 

「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こうこうこうこうこう…」

 

頭を揺らして考えるあいちゃんに気圧されそうになる。

弱気になるな、私。集中しろ。

今、私の方がいいんだから。ここで下手な手を打って食いつかれるわけにはいかないんだ。

 

「私の中飛車は、道だ!」

 

たった二週間の勉強で、小学生に抜かれるほど、私の中飛車は甘くない!

 

「…あつい」

 

道場の中の誰かがそうつぶやいた。

 

 

「…負けました。」

 

私はどうにか勝った。

相手の投了を聞くのと同時に、父の方に顔をむけた。

お父さんは渋い顔をしていた。

 

「…この世界に入ると一生、龍華と比べられながら生きることになる。女流棋戦でいくら結果を出しても、龍華の妹だからで流されてしまう。そんな世界だ。それでもいいんだな?」

 

「…うん、私、将棋が好きだから」

 

そう言い切ると父は破顔した。

そして、私の後ろに向かって声をかける。

 

「だとさ、龍華」

 

いつの間にか後ろにいたお姉ちゃんは私の頭をなでると、一言

 

「あつい、いい将棋だったよ」

 

私のヒーローである私の姉は、私の一番近くで、見ていてくれていたのだ。

やっぱり、お姉ちゃんは私の一番のヒーローだ。

 

 




毎回冒頭で書く、書物やらインタビューやらって実はいらないって思われてたりするんんですかね?

まぁ、不評でも続けますけどねw


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12話

思っていたより最初の出だしが好評だったので、自信を持って続けようと思います。




将棋において実力とは相対的なものだ。

自分1人で指せるものではないので当然である。

では、一度負けたからといって自分がその人より絶対に弱いかと言ったらそんなことはない。

実際に次の日に指してみると勝敗は逆になってしまうというのはよくあることだし、もし一度の対局で全てが決まってしまったら将棋を指す意味などなくなってしまうだろう。

プロ棋士の場合、何度も、何年も、何十回も、同じ相手と闘うことになる。

なかなか星が取れない相性が悪い棋士がいたり、逆に相性が良いという棋士がいる。

そういうことを意識してはなかなか勝てない時もある。

将棋は人が指す競技だから、精神面が大きく影響を及ぼす時がある。

そういう精神的な面も見ながら、将棋を見てみるというのも面白いのかもしれない。

 

~ 著 生石龍華 「腕振って、飛車振って」 第一章 将棋の魅力、振り飛車の魅力 より一部抜粋 ~

 

その日の研修会の空気は地獄だった。いつもの空気とは打って変わって殺伐とした空気が会場を支配していた。どんなに鈍い人でも空気がピリピリしていると感じれるはずだ。

例えるならばその空気は人生を掛けた受験の会場。

 

まぁ、俺は中卒だし受験したことがないんだけどね。

 

その空気に弟子のあいは、完全に呑まれてしまっていた。

天衣の方はいつも通り、我関せずが、我が道を行くで集中力を高めている感じなんだけれど。

 

そしてその空気を作っているのは、最年長の桂香さんだった。

25歳という年齢制限が見えるこの年に、降級点が付いてしまっているという事実。

周り全てを射殺さんとする殺気に子供たちは脅えてしまっていた。

子供とは空気を読む生き物だ。大人の顔色を窺い、それを見て行動する。

この場でいう一番の大人である桂香さんが完全に場を支配していた。

そしてそのまま桂香さんがその日の研修会の場を支配していた。

 

その日の研修会の一試合目 天衣と桂香さんの対局は全員が度肝を抜かれた。

桂香さんが指した戦法はゴキゲン中飛車だった。居飛車党の桂香さんが指した飛車を振ったのにも驚きだったが、どこかで見たその攻め方でわずか46手という短手数で、研修会無敗だった天衣の成績に土を付けたのだ。

 

天衣のどこかでおごりがあったとかそういう風なことではなく、完全な力負け。

見ていた棋士全員が目を丸くしていただろう。

居飛車党の棋士が振り飛車をさして、居飛車よりはるかに力があるということを証明したのだ。

この事は衝撃的だった。

 

「あんたがゴキゲンの湯で振り飛車をならっている間、桂香さんも振り飛車を習ってたの。あの振り飛車女に。」

 

あまりの桂香さんの将棋の衝撃で声も出なくなっていた俺に一緒にいた姉弟子が声をかけてくる。

 

「師匠が気を利かせてね。あの女を桂香さんに紹介したの。」

 

それを聞いて合点がいった。どこかで見たことがあると感じた鋭い切れ味の捌きは姉弟子の言う振り飛車女ーー生石龍華玉座のものだったのだ。

大駒をぶつけ、囲いを崩し、取った金駒で攻めを継続させる。

ある種の理想のような振り飛車の姿は、龍華さんの使う捌きを彷彿とさせていた。

 

「…私がね。どれだけ桂香さんと将棋を指して、意見を交換して、真剣に向き合っても微々たる変化しかなかった将棋が、あの女が授けた振り飛車で劇的に強くなったの。」

 

悲しそうな表情で、寂しそうに話す姉弟子は、どこか目が虚ろのように見えた。

 

「私がどれだけ応援してようと、どれだけ桂香さんが報われることを願っていようと関係なく、あの女がちょっとアドバイスをするだけで、日ごとに棋力が上がっているのが分かるの。」

 

桂香さんの今までの棋風は居飛車の重厚な受け棋風。そして今指している将棋は、振り飛車の鋭い攻め棋風。正反対もいいところだ。

 

「もちろん、桂香さんが強くなることはうれしい。女流棋士になってほしいと思っている。だけど、今まで何千局も私と指した対局より、あの女と指した一回の対局が良かったのか思うと…」

 

姉弟子の言わんとすることは分かる。

消え入りそうな声でしゃべる姉弟子に、俺は何も声をかけることが出来なかった。

 

あまり時間が経たないうちに二局目となった。

桂香さんとあいの対局。

先手のあいは一呼吸着くと、指したのは、中飛車だった。

対して桂香さんが指したのは、四間飛車。

 

穴熊を目指すあいに対して、角道を開けて、囲いもそこそこに攻めの姿勢を見せる桂香さん。

穴熊の銀が、桂馬が、金が、無理やりはがされていく。

あいが合駒に銀を自陣に張り直したのを見て、桂香さんは飛車を成り、手番をあいに渡す。

 

「こう、こう、こう、こう、こうこうこうこうこうこうこうこうーーー」

 

いつもの頭を前後に揺らしながら考えるあいは、必死に無理攻めのような手を着手する。

だが、その見え方とは違って確実に桂香さんの囲いはボロボロになっていく。

 

「こんな、攻めが成立しているの?」

 

天衣の叫び声にも悲鳴にも聞こえる声が響く。

決まったかに思えたが、次の桂香さんが指した手で、また状況は一変した。

 

「ここで、龍を!」

 

桂香さんが自玉にくっつけるようにして引いた龍が絶妙だった。

玉の周りの二枚の金と龍が、あいの攻めの種を完全に切らした。

あいの玉は上に銀が一枚しかおらず、盤の隅っこに固まっていた。

桂香さんの持ち駒は桂馬が二枚、香車が一枚、金、銀、角。

玉が逃げ出すルートには馬が睨みを利かせ、それを交わしたとしても成算がなかった。

 

棋風も変わり、雰囲気が伴い、そこには必死にあがいていた桂香さんの姿はなかった。

どこからでも攻め立てる一瞬の隙も逃さないそれは、まるで居合の達人のような、全てをバッサリと切り捨てる。「捌きの女帝」を彷彿とさせる新しい捌きの使い手がそこにいた。

 

「なんや、いい感じに仕上がってるなぁ。」

 

後ろから聞こえた声にとっさに振り返る。桂香さんに武器を授けた振り飛車の化身がそこにいた。

 

「おお、クソガキ。この間の山刀伐八段との対局はよかったぞ。」

 

俺に話かける生石龍華玉座が顔に貼り付けている笑顔がとても恐ろしいものに見えた。

 

「今度の私と山刀伐八段の対局はよく見ておけ。」

 

今度の対局ーー竜王戦決勝トーナメント一組三位の山刀伐八段と二組優勝の生石龍華玉座の対局。

 

「今年こそ、竜王を取るのは私だ。」

 

去年俺は、この人から挑戦権を勝ち取った。

今年こそ、必ず奪い取る。その熱意が感じ取れた。

去り際の後ろ姿には、まるで鬼が宿っているような、圧倒的な強者の風格が漂っていた。



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13話

その対局は虐殺というのが相応しかった。

竜王戦決勝トーナメント一組三位対二組優勝ーー山刀伐八段対生石龍華玉座

研究家で知られる山刀伐八段の研究を生石玉座が完全に踏みつぶした形だった。

先日の九頭竜竜王が指したゴキゲン中飛車での死闘は記憶に新しいが、今回のは違った意味で記憶に残る闘いとなった。

 

九頭竜竜王との対局では、圧倒的な研究の厚みを見せた山刀伐八段だったが、今回の対局では生石玉座の研究の深さを見せつけた形だった。

戦形はゴキゲン中飛車。

生石玉座の中飛車が、山刀伐八段の超速を喰い破ったのだ。

一手パスをし、手待ちをすることで端歩を入れさせ、後々の角の筋を先に消させ、逆に猶予を与える形に誘導した。

五筋から飛車と銀で喰い破り、桂馬と銀の応援で囲いは囲いとしての役割を果たすまえに、潰された。

むしろ、玉の周りに寄せた駒のせいで上部脱出による延命すら出来ず、74手という短手数での決着となった。

 

勝った生石玉座はインタビューで、

 

「九頭竜竜王との対局を見て、研究がまだまだ行き届いてないと確信した。彼(山刀伐八段)の研究は怖いが、研究が行き届いてない戦形ならと思い中飛車にしようと思った。」

 

「トッププロは居飛車が多いので、居飛車の研究が優先になるのは当然のこと。今回はその隙をつかせてもらう形になった。」

 

「無事に勝ちを拾えてよかった」

 

と語った。

トッププロですら舌を巻く研究の山刀伐八段を研究が行き届いていないと指摘する生石玉座の研究の深さ。

その事実に多くの棋士が唖然としていることだろう。

研究の深さでもその存在感を見せつけた「捌きの女帝」が竜王戦の挑戦者に向けて好発進を切った。

 

~ 毎朝新聞 将棋欄 竜王戦決勝トーナメント より 一部抜粋 ~

 

 

その対局を中継で見ていた俺ーーー九頭竜八一は正直言葉も出なかった。

圧倒的としか言えないその結果に鳥肌がたった。

俺が手も足も出ないほどの研究をしていた山刀伐八段に研究で圧倒したのだ。

これがタイトルホルダーだと、そう主張するかのような圧巻の差し回し。

宣言された通り、挑戦者として生石玉座が挑戦してきた事を想定する。

今回はゴキゲン中飛車だったが飛車を振る場所は中飛車だけではないのだ。

四間飛車、三間飛車、向かい飛車。その全てを指しこなす。

電王戦の時に袖飛車、そして右四間飛車などの居飛車の戦法を力戦形で指す可能性も考えられる。

特に角交換振り飛車の勝率はすさまじいものがる。

今回のゴキゲン中飛車、角交換四間飛車の二つのエース戦法。

後手番で力戦形で相手を叩き潰すダイレクト向かい飛車。

どこにでも振れる。なんでも囲える。研究は棋界でトップクラスの研究を足りてないと指摘する。終盤は文句なし。

 

…俺は挑戦者の本命は名人を想定している。次点で歩夢。

もし、龍華さんが名人を破るようなことがあったら、本命は龍華さんだ。

龍華さんは昨年名人から玉座のタイトルを奪い取った。可能性は十分に考えられる。

もし、龍華さんとタイトル戦を戦うことになったら俺は勝てるのだろうか?

 

急に襲ってきた漠然とした不安を払拭するべく、対ゴキゲン中飛車の研究をすることにした。

 

 

ーーーーー

 

完璧だと思っていた。

才能がないと周りに罵られながらも、必死に研究を続けてきた。

矢倉、角換わり、相掛かり、横歩取り、中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車。

 

才能がないと言われ、プロにはなれないと罵られ続けてようやく23でプロになった。

プロになっても、いや、プロになったからこそ周りは天才だらけだった。

俺ーー山刀伐尽には才能がなかった。

だから天才と闘うために周りに馬鹿にされようと、すべての戦法を研究した。

天才のように全ての戦法に対応できない。

天才のように一つの戦法のスペシャリストになれない。

凡人に出来ることは研究だけだった。

天才の発想を盗み、天才の手を分析し、天才以上の手をしらみつぶしに探しあてるしか、出来る事がなかった。

全部に対応できるだけの研究をした。

研究は天才を凡夫に変えるための武器だった。

 

その武器が目の前で圧し折られた。

 

天才と闘うための武器が、武器の性能でも負けていた。

この武器の有用性が神に認められ、一緒に研ぐようになり、百戦錬磨の鬼を倒し、A級にまで上り詰めた。

完璧だと思っていた武器は張りぼてだったのではないだろうか。

 

八一くんのようにこの武器の隙を突かれたのならよかった。

真正面から研究が足りていないと言われるのは自信を無くすのには充分だった。

 

あの日から、研究しても研究しても、頭のどこかから

 

「研究が足りてない」

 

玉座の声が消えなかった。

自身の指す手は震え、頭の中は不安が支配していた。

 

もう以前のように自分の研究を振りかざす気概を持てなくなっていた。




凡人の心を圧し折るのが天才の務め!


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14話

才能だけでは勝ち上がれない。才能と努力の融合が必要なプロの世界。

昔からトッププロは居飛車が多く、振り飛車が掠め取るようにしてタイトルやA級の座にいることが多かった。

現在でも、トッププロの振り飛車党はタイトルホルダーに生石親娘が、A級棋士には父親の方しかいない。

ソフトが明確に振り飛車を評価せず、具体的な手順で振り飛車が追い込まれることが多くなった。

将棋界が始まって以来の振り飛車冬の時代といえる。

現在の若手棋士のほとんどが居飛車を指し、奨励会で振り飛車でやってきた経験のある一部がたまに奇襲戦法の一つ、研究外しとしてやるのがほとんどだ。

純粋振り飛車党なんて生石親娘、藤井九段、鈴木八段、菅田七段など、指折で数える程度しかいない。

今までは互角とされてきた形もソフトが具体的な手順で振り飛車側の不利を伝えてくる。

そのソフトの理解が広まり、振り飛車に対する研究がどこも厚くなっていき、今ではどこに振ろうとも具体的な対策があるのがほとんどだ。

しかし、依然としてアマ将棋界には振り飛車党のファンが根強い。

ファンの期待を一身に背負って、振り飛車党の棋士の奮闘にこれからも期待が集まることだろう。

 

~  文秋オンライン 「棋士の未来」 より 一部抜粋 ~

 

東京将棋会館の特別対局室

その日行われる対局は竜王戦決勝トーナメント一組二位対二組優勝

名人対玉座の対局が行われる。

 

対局者本人である私よりも、周りで対局を見守っている記者の方の方が朝からソワソワしていた。

その空気が私にまで移ったのか、対局開始前10分だというのに、いつものように集中ができていない。

いつもなら目を閉じて飛車を振る場所を考える時間だというのに、どうも思考がまとまらなかった。

 

「時間になりましたので名人の先手番で対局を始めてください」

 

記録係の声で意識が盤のうえに戻ってくる。

私が選んだ戦形はまたもゴキゲン中飛車だった。

囲いもそこそこに勢いよく銀を繰り出していく。

名人の方の陣形は完璧で、私の攻め、名人の受けという展開が続く

対局中でも、どこか頭が完全に集中している感じがしなかった。

 

膠着状態になった中盤に隙を出したのは私の方だった。

角を打たれる筋を見過ごした。

玉に引き付けるように引いた銀の効きがなくなったことで、角を打たれるスペースを作ってしまった。

それを皮切りに互角だった形勢は先手の方に傾いていった。

 

必死に自陣に駒を打ち付け延命をはかる。

だが、それは延命でしかなかった。

名人が歩を補充して、攻めるなら今しかなかった。

だが、受けるために打ち付けた駒のせいで、攻め駒が足りなくなっていた。

角も、銀も、桂も、攻めに回したらあっという間に受け無しになることは必至だった。

 

「負けました」

 

集中力を欠いた私のミスによる自滅。

電王戦から調子がよく、続いていた連勝も7でストップ

内容もボロボロ、自陣もボロボロ。

勝利のために注文した昼ご飯の鰻も無駄になった。

 

感想戦でもやはり、角を打たれる筋を作ったところが焦点になった。

あそこは銀を上がらずにじっと歩をつくのが最善のようだった。

もしくは七筋の歩を成りこんでも私有利の展開が多いようだった。

勝てる勝負を不意にした。

そのショックは大きく私は逃げるように将棋会館をあとにした。

 

ーーーーー

 

 

勝てば官軍、負ければ賊軍

その言葉が将棋界で一番似合うのは私だった。

 

「…くそ」

 

電気もつけない暗い部屋のなかで、吐息と一緒に悔しさと情けなさが一緒に漏れる。

 

将棋界というのは基本は男社会だ。

女流棋界もあるが、メインとなる棋界に女は私しか存在しないのだ。

将棋界で一番力があるのはスポンサーである新聞社だ。

ただ一人の女性棋士であるというだけで注目が集まるのだが、それだけではなくタイトルホルダーだ。

男社会で女が活躍するというのはそれだけで目立つ。

記者グループの人達も当然私をネタにするのも少なくない。

 

どれだけ活躍しても、どれだけ勝っても、どんな名局だったとしても

一度負ければ全てを失う。

 

「やっぱりまぐれだったんだ。」

 

「たまたま勝てて調子に乗ってたんだ。」

 

「女なんだからこんなもんだろ。」

 

「女が混ざって将棋を指したところで…」

 

「いいところまで行けて、浮かれてたんだろう」

 

こんな陰口は日常茶飯事だ。

私が注目される理由は女だから。私が負けた理由は女だから。

そういう風に勝手に書かれ、女ながらに大健闘!などと見出しにされる。

タイトルに挑戦してもそうだ。タイトルを獲得しても変わらなかった。

世界が変わっていくなか、将棋界の中にある古い文化は変わらなかった。

 

女が将棋を指す。

 

その事を毛嫌いする人も将棋界のなかには存在する。女だけの将棋の世界を用意したんだからそっちでやっていろという空気を肌で感じるときもある。

新聞記者の中には、元奨励会員だという人も、将棋界のことをろくに知らない人間も混在している。

将棋の内容は棋士に任せて、そうじゃない記事にぼろくそ書かれるなんて負けたら当たり前だ。

元奨励会員の記者はプロになれなかった嫉妬が籠った記事を書く。

そうじゃない記者は記事を売るために私のことを叩く。

 

どんな視点から見ても私は異物だった。

 

だから勝つ必要があった。

だから勝ち続ける必要があった。

女性だからと言って省こうとしてくる世界を変える必要があった。

これから入ってくるであろう私の後輩のために、私が踏ん張り続ける必要があった。

 

目に滴る熱いものが今日の勝負のものなのか、世界に対するものなのか。

負けるたびに分からなくなる。

もしかしたら、自分の性別に向けられているのかもしれなかった。




表現って難しいね…
伝えたいことが上手く伝えられない事実がもどかしく思う今日のこのごろ


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15話

よくよく考えたら四カ月とか空いたけど、それってラノベの新刊一冊出るくらいだよね

久保先生がタイトル戦出たり、名人戦で四間飛車の形になったりでまたやる気が出てきましたので、、、頑張ります




将棋の歴史は長く、その流れを最初からたどるのは不可能である。

しかし、大衆文化としての将棋は辿ることが出来る。

その中でもプロと言われる棋士の対局がファンにとって当たり前のものになったのは、公共放送杯の影響が大きいことは明らかだ。

 古くはラジオ放送から中継が始まった一般への普及が当たり前になる先駆けになったこの棋戦では未だに女性が優勝したことが無い。

 それもそのはず、女流棋士がこの棋戦に参戦枠が出来たのは平成になってからの事で、そんなに歴史がないのだ。女性棋士枠が一枠のため、この棋戦において女性同士の戦いが起こった記録はない。

 しかし、史上初女性同士の対局が記録された。トーナメントの組み合わせの妙があったが、これは歴史的な対局になったといっても過言ではないだろう。これから、女性同士の対局が将棋の新たな普及の力になることは間違いないが、このような形でお茶の間に届いた事は、将棋の関係者として感動を覚える。

 

~「公共放送将棋テキスト」11月号 「女性同士の一騎打ち ~最強の振り飛車女決定戦~」より一部抜粋 ~

 

公共放送杯。

将棋界がもっともお世話になっている棋戦にである。今年で70回を数える棋戦で、本選において女性同士が当たったことは今まで一度もない。

 

だからこれが史上初の女性VS女性

トーナメントの決定は運営側の仕事なので私たち棋士がどうにか出来る事ではない。

それに私は今年からタイトルホルダー

シード枠で二回戦からの登場だ。だからこそ今年中に公共放送杯で女流棋士と当たるとは思ってなかったのだ。

 

その収録があったのは、まだ夏で太陽が威張り散らしてる時だった。

 

ーーーーー

 

Q 今季公共放送杯戦の意気込みを教えてください

A タイトルホルダーとして恥ずかしくない対局をしたいと思います

 

Q 対戦相手の印象は?

A 最近勢いのある女流のトップで、独創的な一手を指す方です。棋風としては勢いのある攻め将棋といった印象を持っています。

 

Q 視聴者の方に向けて一言お願いします。

A 非常に注目されている対局だと思いますので、ミスのないように自分の将棋を指せたらと思います。

 

ーーーーー

 

振り駒の結果私は後手

 

「時間になりましたので祭神雷女流帝位の先手番で初めてください」

 

記録係の声が無機質に収録所に響くと同時に僅かの間も感じさせずに駒音が響く

 

「今日は、ここ!」

 

そう宣言すると彼女は飛車を横に走らせる。

彼女の飛車が止まったのは玉の真上。5八飛車。中飛車だ。

 

その手自体に何か思いがあるというわけではない。

ただその手を見て、私は彼女と対局をして負けた年配の棋士のことを思い出した。

その先生はもう棋士としては晩年と言ってよくてもうすぐ還暦を迎える方だ。

30代の時にはA級やタイトル戦を経験し、粘り強い負けない将棋が売りの棋士だった。

物腰柔らかく、普段は優しく勝負に厳しい多くの尊敬を集める棋士に対して、前を走ってきた先人の将棋に対して、彼女はあまりにも礼をつくしていなかった。

 

角道を開けて、飛車を振り、三間飛車に構える。

彼女が玉の囲いもそこそこに仕掛けてくる。

勢いよく繰り出してくる銀と中央に居座り睨みを利かせてくる飛車の圧力はなかなかに無視しがたいものだ。

 

そもそも彼女の将棋への向き合い方が気に入らない。

振り飛車占いとファンに言われる戦形の決め方が気に入らない。

振り飛車は居飛車と違い、その性質上必ず自分で戦形の決定権がある。

事前の準備をしているように見えず、その場の勢いだけで将棋を指すようなそれを私は心底嫌いだった。

 

将棋界には色々な無念が形を変え、重しになり、呪詛のように絡まりあいながらうごめいている。

そんなものを知っているからこそ、人事を尽くしているようには感じない彼女の将棋への態度が私は気に入らない。

 

そんな相手に、私は負けない。

 

ーーーーー

 

自分の価値観を変えてしまうほどの負け。

 

私ーー祭神雷は今日まで最強の女は自分だと信じて疑ってなかった。

そんな私だが、もしかしたら自分よりも強いかもしれないと思っていた最強の女との格の違いを知った。

 それは、白髪ブスの銀子でも八一の弟子のチビどもでもない。

正真正銘の最強の女。その実力は私の想像を超えているのか。はたまた私に喰われたいしたことないニセモノなのか。

 

ニセモノだったら、食いつぶすだけ。八一みたいにホンモノだったら、楽しむだけだ。

 

 

食いつぶす気で振った中飛車は、最終的には彼女の受けに潰された。不思議な感覚だった。

気持ちよく、指したいところに指せているのに、気が付いたらその壁は厚く、崩せなかった。

焦って攻める私とは対照的に取った駒を惜しみなく受けに使い、気が付いたら私の攻めは細くなっていき、足りていると思っていた玉までが果てしなく長い道筋に感じた。

 

この女の囲いは平凡な美濃囲いだった。

最初の三間飛車から四間飛車に振り直し、守りの急所を狙われた。

捌きにいった銀を受けに使われ、交換した桂馬でスペースを埋められる。

交換した角は馬になり、攻め急いだ私の飛車は簡単に詰まされた。

二枚の飛車は龍になり、片方は玉を追い立て、片方は出口に睨みを効かしている。

 

指している時に私の中で音がした。

八一と指した時にも感じたもの。剥がれる音。

自分の価値観が剥がれる音だ。

自分が絶対だと信じていたものが剥がれる音。

 

「ギヒヒ…」

 

歯の間から、漏れる息に混ざって出たうめき声が、会場に響いたのを感じながら駒台に手をかざして頭を下げる。顔を上げたときに見た彼女の目は、私を見て無かった。

それは、私が他の女流棋士に向けるものと同質のものだった。

 

感想戦もそこそこにスタジオを後にする彼女を後目に私は決意した。

この人の視界の中に入る。

 

新しい目標を見つけた私は、夕立の中に傘も指さずにフラフラ進むことにした。

はるか先にも、すぐ近くにも感じる夏の西日を目指して。




自分の中で消化不良なので、この話はまた改稿して全然違う話にして投稿するかも

感想を返す気力がなくてすまない…
ちゃんと読んでるから…

今月中に後何個か投稿する予定だけど予定は未定
色々予定が無くなる11月後半から年末にかけて頑張って完結させたい



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