あなたがスターリンになったらどうしますか? (やがみ0821)
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タチの悪い冗談

 これは悪い夢だと思いたかった。

 

 朝起きて鏡を見たら自分がスターリンになっていたなんて、これ以上最悪なことはないだろう!

 

 

 

 

 

 

 

「まずは誰に相談すべきか……?」

 

 彼は両腕を組んで(・・・・・・)寝室を歩き回る。

 頭にすぐに浮かんできた人物は――モロトシヴィリ。

 

 

 書記長という役職がレーニンによって新設され、そこにスターリンが就いたときから一貫して彼を支持し続ける男だ。

 

 

 スターリンになった為か、彼が体験したことや経験したこと、知識といったものがよく分かる。

 あんまり分かりたくないものも多いが、スターリンなので仕方がない。

 

 

「今後はどうする……?」

 

 

 史実通りにスターリンらしく振る舞うことなんて精神的に到底無理だった。

 かといって権力の座から離れたら確実に暗殺される。

 どんなに穏やかに共産党から距離を置いて、アメリカあたりに亡命したとしても、そうなる可能性は高い。

 たとえ今が第一次五カ年計画が実施どころかまだ作成段階であったとしても、既に多くの恨みを買っているのは間違いない。

 

 もっとも、一番簡単な逃げ方もある。

 拳銃を手に入れて、自分の頭を撃ち抜くことだ。

 

 自殺すれば共産党から逃げられる上、暗殺されることもない。

 

 そんな考えも頭に過ぎるが、すぐにスターリンは頭を振った。

 

 何故自分が死ななきゃならないのか、という自殺への疑問が湧き上がる。

 書記長という地位にあるがよく知られている大祖国戦争時のような、強力な独裁体制というわけではない。

 だがそれでも、自分はソ連のトップであり、自分の命令で国を動かせるのは間違いない。

 

 暗殺されても仕方がない、なるべく苦しくない方法で死なせてくれるなら御の字――

 

 その精神でスターリンをやればいいんじゃないか、と彼は思うことにした。

 

 といっても、ソ連を今後どうしたいかという方針については定まっていない。

 さしあたっては、10年以上先の未来に起こるだろう独ソ戦――の前に目の前の危機である飢餓輸出をどうにかしなければならない。

 

 第一次五カ年計画も見てくれや聞こえはいいが、その犠牲があまりにも大きすぎる。

 

 また何もしなければ世界は歴史通りに進んでいくと思いたいが、それも無理な話だろうと彼は考える。

 歴史にIFは存在しない、というのはよく言われるが――現在スターリンはそのIFを体験している真っ最中だ。

 

 もしもスターリンに憑依してしまったら、とかいうタチの悪い冗談みたいな話である。

 天文学な確率でこうなってしまったのだろうが、同じ確率なら宝くじで一等が連続して当たって億万長者にでもなった方がよっぽどマシだ。

 

 ともあれ、スターリンが何もしなくても他国の首脳が史実とは別の決断をすれば、よく分からない方向へ世界は転がっていく。

 史実とはこの世界ではありえるかもしれない未来でしかない。

 

 だが、それでも使えるものはある。

 

 無論、こっちが強くなれば他国だって強くなるのは明らかだ。

 しかし、主導権は握れるときに握っといたほうが良い。

 

 

 まずは農業と経済を立て直す。

 その為には理屈を捏ね繰り回して、資本主義的なことでもソ連に導入する。

 世界恐慌で悪さができるように根回しもしておきたい。

 赤軍は味方につけ、強化・拡大するが、行き過ぎた軍拡はしない。

 

 アメリカと世界を二分して対決するなんて、その後の末路を見れば失敗だったのは明らかだ。

 

 共産党による統治体制が良いと国民に思わせれば、他国は介入してこないし、裏から介入してきたとしても影響は限定的になる――筈。

 

 その為には国民に豊かな暮らしをさせる必要があるし――

 それをする為にも――

 

 スターリンは考えることが多すぎて頭がこんがらがってきた。

 その為に彼は決断した。

 

「モロトシヴィリを呼ぼう……」

 

 こうなった理由を直接明かしはしないが、それでもうまい具合に伝えられる筈だ。

 何となく彼は自信があった。

 

 

 

 

 

 

 モロトフがスターリンからの緊急の呼び出しを受けてクレムリン宮殿を訪れたのは、午前9時過ぎのことだ。

 スターリンからはモロトシヴィリあるいはモロトシュテインとあだ名で呼ばれ、またモロトフも革命時代のスターリンの愛称であるコーバと呼ぶことを許されている程に仲が良い。

 昨年――1926年――正式に政治局員となった彼からすれば、今回の呼び出しは不思議であった。

 

 そして、彼はますます困惑してしまう。

 自らの執務室でモロトフを迎えたスターリンは――纏う雰囲気がこれまでと明らかに違う。

 

 目の前にいるのは影武者で、どこかに本物が隠れているのではないかとモロトフは周囲に何気なく視線をやるが、誰かが隠れている気配はない。

 それどころか執務室内には護衛もいない。

 

 スターリンが誰かと1対1で会うことは珍しいことだ。

 

「コーバ、どうしましたか?」

 

 愛称で呼ぶことを許されているモロトフは努めて冷静に問いかけた。

 

「モロトシヴィリ、とても不思議な体験をした。おかげで、色々と健康になったような気がする」

 

 穏やかに微笑むスターリンに対し、モロトフはすぐに気づいた。

 彼の左腕だ。

 左腕の機能に障害を抱えていた筈だが、今はそういった様子は見られない。

 

「モロトシヴィリ、君は私が影武者だとでも思っているだろう」

「……率直に申し上げれば」

 

 モロトフはそこで言葉を切ったが、それで意図は十分に伝わる。

 スターリンは軽く溜息を吐きながら答える。

 

「私は君を些細な言い争いで失いたくはないのだ」

「大変失礼しました」

 

 

 モロトフは素直に頭を下げる。

 スターリンは鷹揚に頷きながらも、言葉を紡ぐ。  

 

「さて、モロトシヴィリ……私は先程も告げたように、昨夜非常に不思議な体験をした。おそらく、私の左腕が……いや、おそらく健康面はかつてない程良くなったのはそのせいかもしれない」

 

 それはスターリンが本当に感じていたことだった。

 魂が入ったのか融合したのか、よく分からない。

 何だか分からないが、とにもかくにも元気である。

 

「時にモロトシヴィリ。君は私が遥かな未来を見てきたと言ったら……狂ったと判断するかね?」

 

 まさかの問いかけにモロトフは理解が追いつかなかった。

 未来を見てきたなどとは馬鹿げている――と切り捨てることなどできる筈もない。

 

 目の前にいる男はスターリンであるからだ。

 恐ろしいというよりも、モロトフは自分が信じて従ってきた彼が突然狂ってしまったと思いたくはなかった。

 

「……にわかには信じられませんが、その根拠は?」

「左腕が治ったというのでは不足か?」

 

 したり顔で言われて、モロトフはいよいよどうしていいか分からなくなった。

 そんな彼にスターリンは笑ってしまう。

 

「もっと別のことを聞けば良い。未来を見てきたなら、これから世界や我が国はどうなるかとかそういうことをな」

「……どうなるのですか?」

「1929年10月に世界恐慌が起きる。爆心地はアメリカのウォール街だ」

「……はい?」

「1930年代になるとヒトラーが動き出す。彼は対話によって領土回復を行い、うまくいっていたが、ポーランドで失敗した。イギリスとフランスがドイツと戦端を開く。1945年まで続く第二次世界大戦の幕開けだ」

 

 モロトフは目を丸くしつつも、思考を巡らせる。

 ヒトラー率いる政党がドイツで勢いがあるのは確かだ。

 

「ポーランドは君とドイツのリッベントロップが協定を結び、我が国とドイツで分割することになる。だが、イギリス攻略に失敗したドイツは1941年6月22日に我が国に侵攻してくる」

 

 モロトフの顔色が青くなった。

 それを見ながら、スターリンは静かに告げる。

 

「安心したまえ、1945年に我が国はドイツに勝利する。2000万近い犠牲者を出して、戦後に大きな禍根を残しながら」

 

 そこでスターリンは口を閉じ、モロトフの目を真っ直ぐに見据える。

 

「さて、モロトシヴィリ。これは私が未来で学んだ知識の一つだ。もっと先を聞きたいか? これは悪い話だ」

「……それよりも悪い話があるのですか?」

「あるとも。今から60年以上未来の話だが……私だってこれは信じたくない」

 

 そう前置きし、スターリンは再度問いかける。

 

「それでも聞きたいかね?」

 

 モロトフは頷き、身構えた。

 

「ソヴィエトは軍事に予算を掛けすぎて経済的破綻を起こした」

「馬鹿な!? そんなことがある筈が……!」

 

 スターリンに掴みかかってしまうモロトフであるが、スターリンはそれを咎めることなく静かに告げる。

 

「安心したまえ。それは私が見てきた未来の話で、今はまだ確定されたものではない。未来というものは我々の行動によって変えられる。だが、そこから得られる教訓は活かすことができる」

 

 そこで言葉を切り、スターリンはゆっくりと問いかける。

 

「モロトシヴィリ、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君から見て、私はどちらだ?」

「勿論、賢者であります」

「ありがとう。私から見て君もまた賢者であると確信している……私は未来を見てきたからこそ決断する。我らは急ぎすぎていた。そもそもからして、我々の理想は全人類にとっての理想そのものであり、100年や200年程度で達成できる簡単なものではなかったのだ」

 

 一拍の間をおきながら、彼はモロトフに告げる。

 

「喫緊の課題は人民を目の前にある飢餓から救うことであり、その後は全人民が安定した生活を送ることができるようにする。ここでの人民とはソヴィエト連邦における人民だ」

 

 モロトフは深く頷きながらも、スターリンの言葉に耳を傾ける。

 

「私は理想国家を建設する。過激な連中からは手ぬるいと言われてしまうかもしれないが、最終的に誰もが我が国を羨み、自らの過ちに気がついて恭順を願い出るような国を造り上げれば問題はない。結果的に全ての国がソヴィエトに恭順すれば一国社会主義論は達成される……それを私が見ることができずとも構わない」

 

 そして、スターリンはモロトフに問いかける。

 

「モロトシヴィリ、私はこのように考えた。君には改めて、私の同志となってほしい」

「勿論です、コーバ」

 

 躊躇なくモロトフは答えた。

 スターリンが変わったのは間違いない。

 だが、それはかなり好ましい方向へ変わった。

 

「資本主義者共は経験に学ぶ。私は彼らの成功と失敗の歴史から学び、良い部分だけを取り入れようと思う。使えるものは何でも使ってしまえばいい。思想に拘り過ぎて使えるものを使わず、結局理想実現が遠のくならば、それは愚者だ。私はそうではない」

「勿論ですとも。ではまず党内を固めましょう」

「ああ、そこからだ。そして、その後はトゥハチェフスキーと腹を割って話し合う必要がある……私は昔のことに拘りすぎて、彼を一方的に毛嫌いしてしまった」

 

 恥ずかしい限りだと笑うスターリンにつられ、モロトフもまた微笑んでしまう。

 しかし、それを見てもスターリンは咎めることなどはせず、モロトフに提案する。

 

「未来で得たものに関して、君と話し合いたい。覚えている限りのことを伝えておきたいのだ」

「分かりました。今から早速行いましょう」

「まず第一にルイセンコという男は農業分野で恐ろしい程に足を引っ張ってくる。彼はどこにも入れるべきではない。奴のおかげでソヴィエトは甚大な被害を被った」

「……どうしてそんな男が主流に?」

「どうやら、党幹部(・・・)が彼の言葉に惑わされて彼の唱える間違った説を支持してしまったらしい……素人が専門分野に安易に口を出すべきではない。党の決定は重要だが、それでも党の内外を問わず複数の専門家から意見を聞いた上で決定せねばならない……それをせずに損害が出たならば、それこそソヴィエトに対する攻撃だ」

 

 モロトフもまた道理だと頷いたところで、スターリンは次の話へと移る。

 その内容は多岐に渡り、彼とモロトフは長時間、未来のことについて語り合うのだった。

 

 

 

 



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スターリンはスターリンである

 

 ニコライ・ブハーリンは自分が夢でも見ているのかと疑ってしまう。

 

 工業化と農業の集団化に関して意見を聞きたい、と呼び出しを受けた昨夜、来るべきものが来たと覚悟を決めた。

 新経済政策――NEP――は一定の成功を収めているが、スターリンはそれを否定し始めている。

 NEPが体制と矛盾していることはブハーリンとしても重々承知していたが、現実的にこれを実施せねば人民が保たない。

 現時点でも飢餓に農民は苦しんでおり、ここで政策を転換すると犠牲者は一気に増えることは明らかである。

 

 富農――クラークと呼ぶ存在をスターリンが望むように体制の敵として糾弾・排除して、その財産を奪うことは簡単だ。

 だが、ブハーリンはクラークがそのような体制の敵ではなく、むしろ勤勉な農家であり、少しでも収穫量をあげようと努力している存在だと判断しており、けち・欲張りを意味するクラークという呼称は適切ではない。

 そもそもヨーロッパ的な意味での農業資本家――こちらも富農と呼ばれる――とロシアのクラークは実情が異なっている。

 前者は他人を搾取する存在であるが、後者は自ら農作業に従事する性格を維持している為だ。

 

 

 そこを指摘すべく必要な資料を持って、決死の覚悟でクレムリン宮殿へやってきたブハーリンであったのだが――彼を出迎えたスターリンはとても穏やかであった。

 

 それこそ別人かと思うほどに。

 だが、彼の横に立つモロトフがそれを否定し、彼もまた今のスターリンを見たときは自分もそう思ったと言ってのけた。

 それもスターリン本人の前で。

 

 何だかよく分からないが、この変化を最大の好機とブハーリンは捉え、スターリンに関して工業化と農業の集団化に関して、資料を提示しながら反論したのだが――

 

 

「ああ、そうだろうな。だからやめてしまおうと思う」

 

 あっさりとスターリンは意見を翻した。

 この言葉にブハーリンは冒頭のように夢かと思ってしまったのである。

 

 あのスターリンがこんなに簡単に他人からの指摘を受け入れ、意見を変える――それこそまさに夢である証拠だと。

 

 そんな彼に対し、スターリンは問いかける。

 

「ところで君はもうコーバと呼んでくれないのかね? いささか寂しさを感じるのだが」

「ああ、いや……」

 

 ブハーリンは言葉に詰まり、困惑しつつもモロトフへ視線をやった。

 彼はこちらの反応を見て笑っているが、助け舟を出してくれた。

 

「コーバ、彼が困っています」

「私はただ仲良くやりたいだけだ。ニコライ、君の力を借りたい」

 

 スターリンから飛び出してきた言葉にブハーリンは執務室内を見回してしまう。

 目の前にいるのは影武者で――左腕も問題なく動いていることから確定だろう――本物はどこかに隠れているに違いない、そうでなければおかしいと。

 

「まったく、君もモロトシヴィリと同じ反応をするんだな。何か問題でもあるのかね?」

「いえ、その……」

 

 スターリンからそう問われれば、ブハーリンは何も言えない。

 下手なことを言えばどうなるか簡単に予想ができる。

 

 信じられないが、信じるしかない――

 スターリンが驚くべき程に変わったと。

 

 そんな彼にスターリンは告げる。

 

「まあ、そんなことはさておいて本題に入ろう。率直に尋ねるが、どうすればソヴィエトは農業及び経済の混乱から立ち直れるか? NEPだけでは足りんだろう。アレでもまだ非効率的だ」

 

 ブハーリンは目を丸くしてしまう。

 スターリンの口からそんなことが飛び出してくるなんて予想外だ。

 

「……ニコライ、君は私がそういうことを言い出したら何か問題があるのか?」

「い、いや……そうではないが……一体、どうしたんだ?」

「幾つかの革命的な発想の転換が起きた為と説明しておこう。私は今のままでは遅かれ早かれソヴィエトは倒れると判断した」

 

 スターリンによる特大の爆弾が炸裂し、ブハーリンは絶句してしまう。

 ようやくここまで来たというのに、そんなことが起きるなんて信じられない――しかし、スターリンが言うのだから信じるしかない。

 

 下手に否定すれば、いつものスターリンが戻ってくる可能性は十分にある。

 

「君やコンドラチェフ、ルイコフ、トムスキーといった面々と協力し、資本主義経済に負けない強靭な経済を構築したい」

 

 スターリンの言葉にブハーリンは難しいことを言ってくれる、と内心毒づいた。

 しかし、そこで彼には予想外の言葉が襲いかかる。

 

「資本主義は敵だが、敵を知り己を知れば百戦殆うからずという言葉もある。ならば、我々は資本主義について、資本主義者達よりも広く深く研究し、誰よりも知っていなければならない……」

 

 そこでスターリンは言葉を切り、ブハーリンの瞳を真っ直ぐに見据えて尋ねる。

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君から見て、私はどちらだ?」

 

 問いかけている形だが、答えなんぞ一つしかない。

 スターリンに対して愚者だと真正面から言えるのは自殺志願者か、トロツキーとその支持者のどちらかしかいないだろう。

 ブハーリンはそう思いながら答える。

 

「勿論、賢者だ」

「ありがとう。私から見て君もまたそうだと確信している。私としては資本主義者達の成功と失敗の歴史から学び、良い部分を取り入れていきたい。だが、同時にこの世に絶対ということは存在しない。問題は必ず発生するが、その都度迅速に対処するしかない……」

 

 そう述べるスターリンにブハーリンもまた同意し、頷いてみせる。

 

「次に銀行制度についてだが、私がやっていたことは誤っていた。現実を無視して思想的な政策推進の為に利用してはならない……強引な統廃合や補助金の多用……特に後者は麻薬そのものだろう。これでは効率化なんぞ夢のまた夢だ」

 

 ブハーリンはいよいよ怖くなってきた。

 本当にスターリンはどうしてしまったのだ、こんなに物分りが良くなるなんて――!

 

 といっても、好ましい変化であることに変わりはない。

 

「私としてはまず人民の生活安定を最優先し、その後に重工業へ舵を切りたい。それがたとえ資本主義的なやり方であろうが、労働者の適切な保護がなされるのであれば容認すべきだと考える……思想に拘りすぎて使えるものを使わず、理想実現が遠のくのならば本末転倒だろう」

 

 その言葉にブハーリンは頷きながら問いかける。

 

「具体的にはどのように?」

「農場の機械化や工場の生産性向上は急務だ。はっきり言ってしまえばソヴィエトは思想的にはともかくとして、現実としては全ての面においてアメリカに遅れを取っている。こちらから様々な視察団を送り込み、同時にアメリカからも様々な分野の専門家を多数招いて教えを請うべきだと思う」

「……反発がありそうだ」

 

 ブハーリンの指摘にスターリンは大きく頷いてみせ、言葉を紡ぐ。

 

「だが、必要なことだ。アメリカのやり方を吸収し、それをソヴィエト式に改変する。社会主義的優越性の為には独自的な発展を成し遂げる必要があるとは思うが、このまま強引に進めてはソヴィエトが飢餓によって倒れてしまう……それは君がよく知っている筈だ」

「ああ、その通りだと思う」

 

 ブハーリンが同意したことに満足したのか、スターリンは何度も頷く。

 更にスターリンは言葉を紡ぐ。

 

「単純にやり方だけではなく、その裏にある歴史的な経緯も漏らすことなく把握し、理論的にもうまく改変しなければならないだろう。ところで君は戯画が得意であったな?」

「ああ、それなりにだが……」

 

 突然の問いかけであったが、ブハーリンは答える。

 彼はレーニンやスターリンといった面々との戯画――いわゆる漫画を多く描いている。

 そして、スターリンは告げる。

 

「識字率はまだ低い。地道にやるしかないが、君の戯画を大々的に取り入れることで効率化を図っていきたい。それは教育の場だけではなく、農場や工場、果ては赤軍の新兵訓練に至るまであらゆるところに取り入れたい……無味乾燥な言葉で説明されるよりも、絵を見た方が早く分かるだろう」

 

 確かに、とブハーリンは頷きつつも問いかける。

 

「私で良いのか?」

「君が良い。君には負担を掛けることになるが……教育に関しても色々と手を入れる必要がある。まったく、考えることは山積みだ。全人民はそれぞれの能力に合った高度な教育を受けさせる必要があるだろう。無論、彼らには選択肢を与えなければならない。好きこそものの上手なれという言葉もあるからな……」

 

 溜息を吐くスターリンにブハーリンは微笑んで告げる。

 

コーバ(・・・)、今の君ならやれるさ。反対する連中も出るだろうがな」

「実務的な面での反対に関しては何度も議論することで改善していきたい」

 

 ブハーリンの言葉にスターリンはそう返した。

 その言い方に引っかかりを覚え、ブハーリンは問いかける。

 

「思想的な面での反対に関しては?」

「私は何もしないさ。ただ私もミスをすることがある……ついうっかり、引き出しにある命令書にサインをしてしまうかもな」

 

 そう言って笑ってみせるスターリンにブハーリンは思う。

 

 前より遥かに物分りが良くなったが、スターリンはスターリンだった、と。

 

 

 

 

 

 

 ブハーリンが帰った後、スターリンはモロトフと共に食事を取りながら、今後について協議していた。

 党内に関してはうまくいく、とモロトフは確信をもって語り、スターリンはそれを聞きながらも疲れを感じていた。

 

 それは精神的なものだ。

 

「モロトシヴィリ。指導者というのは、こうも疲れるのだな」

「気を遣い過ぎでは?」

「そうかもしれん。だが、このくらいの配慮は必要だ。物事を円滑に進める為にはな……でなければ、いずれ自分に返ってくる」

「……休養を取られたほうが」

「ありがとう。だが、時間は待ってはくれない。まずは対話をしてからだ。彼らの協力を取り付けることができればひとまず落ち着けるだろう」

 

 そう言いつつ、スターリンは問いかける。

 

「軍とも協議する必要があるが……不凍港を得られるところはあるだろうか?」

「コーバが見てきた未来の通りになるならば、やはりドイツとイタリア、日本を呑み込むしかありません。アメリカやイギリスが本格的に反攻する前に倒す必要があるでしょう」

「そうなるか……」

「はい」

 

 頷くモロトフにスターリンは考える。

 

 彼個人の心情として、日本へ戦争を仕掛けることに関しては反対だ。

 むしろ日本を支援し、同盟を結ぶというのも良いだろう。

 日本側がその気になってくれれば、色々とやりようはある。

 日本だって好き好んでアメリカと戦いたいわけがない。

 経済的な理由で止む無くやったに過ぎないのだ。

 

 しかし、ソ連を伝統的に仮想敵国としている日本陸軍を抑えられるかという問題がある。

 もしも、無理であったならば――早めにやれることはやっておいたほうがいい。

 火事場泥棒呼ばわりされないためにも。

 

 

「……昨日伝えたノモンハン事件のとき、なし崩し的に雪崩込んで朝鮮半島まで侵攻するというのはどうだろうか? 海を渡るのは難しいだろうが……無論、赤軍と協議を行って可否を決める」

「素人意見ですが、やれないことはないでしょう。ただ、各国に対して根回しが必要です」

「おそらくチチェーリンでは難しいだろう」

 

 モロトフはスターリンの言葉に頷いてみせる。

 外相を務めているチチェーリンは実績があるが、彼は元々トロツキーと親しい間柄であった為だ。

 

「外相を君に任せたいと言いたいところだが、君には党内を抑えて欲しい。足元を支えられるのは君しかいない……外相はリトヴィノフに任せようと思う」

「彼ならばやれるでしょう」

 

 モロトフの同意に軽く頷きつつ、ミコヤンやオルジョニキーゼとも早めに対話をせねばならない、とスターリンは考える。

 彼らとスターリンの3人はカフカース派と呼ばれており、その関係は良好だ。

 午後は執務に充てようとスターリンは昨日は考えていたが、今日のうちに会っておこうと彼は思う。

 まずはミコヤンだとスターリンは確信する。

 

 彼自身が柔軟な発想の持ち主である。

 そして、彼の弟はアルテム・ミコヤン――後にミハイル・グレーヴィチと共にMIG設計局を立ち上げる人物。

 

 これまで以上に関係を深めておいて損はない。

 

 

「午後にはミコヤンと会おうと思う」

「連絡しておきましょう」

「頼む」

 

 モロトフに頼み、まずは腹ごしらえだとスターリンは食事に専念するのだった。

 



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スターリンの権力

状況説明とか。


 党内はうまくいく――モロトフの言葉が正しかったことをスターリンは3ヶ月程で実感することとなった。

 元々党内における要職は彼の派閥で固められていた為、それも当然だろう。

 

 スターリンが知っている史実では、第一次五カ年計画の内容を巡ってブハーリン・ルイコフ・トムスキーらと対立し、彼らが大きな敵となる筈であったのだが――そんなことにはなっていない。

 第一次五カ年計画が実施どころか、その計画自体もまだ作成途上であり、その段階でスターリンが方針を変えた為だ。

 ブハーリンらがスターリンと対立しなければ反対派というものが党内にはそもそも存在しなかった。

 トロツキーは政府・党における全役職を解任された上に除名されており、カーメネフやジノヴィエフもいたが、彼らは昨年――1926年に党を除名されている。

 もはやスターリンを止める力が彼らにないことは明らかであり、それだけ以前からスターリンがうまく立ち回っていたという証拠であった。

 

 無論OGPU――GPUの後身、NKVDの前身にあたる――を纏め上げるメンジンスキーもまたスターリンに忠実であり、問題はない。

 

 スターリンが方針を変えた程度では――例外なく驚かれたものの――自らの権力に揺るぎはないことが確認された。

 

 方針転換に騒ぐとすれば思想に拘り過ぎている輩であり、それに乗じて権力を拡大しようとする者も出るだろうが、迅速に処理されるだろう。

 積極的に粛清はしないが、実務的な面以外で反対する連中に対して容赦する必要性をスターリンはまったく感じていなかった。

 

 魂的なものが混ざったのか、あるいは入れ替わったのか不明であるが、かなりマイルドな性格になったとはいえスターリンはスターリンである証拠だ。

 

 そして、いよいよ彼はトゥハチェフスキーとの対話に臨んだのだが――結果から言えば非常に盛り上がってしまった。

 当初はぎこちなかったものの、スターリンが未来での知識を活かした様々な案を出すとトゥハチェフスキーの興味を大いに刺激した。

 

 トゥハチェフスキーはスターリンの提案する戦略や戦術は勿論、空挺兵や戦車や砲兵、小銃や補給システムなどに食らいつき、色々と話し込んだ末に両者は赤軍が外征にも耐えうる強靭な軍隊を築き上げることで一致した。

 

 スターリンが提案したことは当然だが彼独自のものは何もなかった。

 しかし、そのことを知っているのは彼本人だけであり、そのようなことを知らないトゥハチェフスキーからすると驚きしかない。 

 

 何よりもトゥハチェフスキーにとって有り難かったのはスターリンというソヴィエトにおける最強の後ろ盾を得たことだ。

 とはいえ、スターリンはソヴィエトの内情を示した上で、まずは量よりも質の向上を提案し、それもまたトゥハチェフスキーは快諾した。

 そして対話の最後にスターリンは彼に告げる。

 

 

「ヴォロシーロフは残念だが、あなた程ではない。彼も有能だが、あなたの方がより上だ」

 

 その意味をトゥハチェフスキーは正確に悟る。

 陸海軍人民委員・革命軍事会議議長のヴォロシーロフが更迭か、粛清される可能性が高いのだろう、と。

 

 そしてトゥハチェフスキーに対して、スターリンは更に告げる。

 

「人にはそれぞれ得意分野と不得意な分野がある……彼はどうやら不得意な分野であったようだ。彼は私が適切なところへ配置しよう」

 

 その言葉により、トゥハチェフスキーは自分の予想が正解であったことを確信する。

 この2週間後にはヴォロシーロフは陸海軍人民委員・革命軍事会議議長を解任され、トゥハチェフスキーはその後任となった。

 彼は赤軍参謀総長も兼ねている為、名実共に軍事部門のトップといえる存在になったが、彼の実績・能力は誰もが知っている為、大きく歓迎された。

 

 なお、ヴォロシーロフは軍事関係からは外されたものの、政治局員からは外されなかった。

 長年の付き合いがあり、さらに彼が失敗をしたというわけでもない為、スターリンとしては一定の配慮を示した形だ。

 

 

 

 さて、スターリンは方針転換がうまくいってしまったことに驚いていた。

 方針転換を行ってからも党内には表立って反対する者はおらず、内心はどうあれちゃんと従ってくれている。 

 

 他国なら抵抗や反対があって当然だろうに、そんなものはどこにもなかった。

 もしかしたら気を利かせたメンジンスキーが騒ぎそうな連中を処理してくれているのかもしれないが、そこまで気にしだしたらきりがない。

 

 そして、ブハーリンらと協議を重ねることで決定された第一次五カ年計画。

 それは史実とは大きく異なり、農業生産力の技術に基づく拡充や消費財生産を中心とした様々な軽工業の拡大・発展に重点を置き、国民経済の充実及び国民生活の向上を図る。

 とはいえ基本的には富農や私的商人・実業家達に全て任せる形だ。

 政府としては新規事業及び既存事業に対する融資などの支援制度の整備・充実やNEPの対象拡大――小規模企業の私的営業の自由のみが認められていた――を行う。

 

 

 

 革命に勝利し腐敗した者達は全て一掃されており、同志レーニンによって実施された政策により現れた彼らが腐敗しているわけがなく、自らの勤勉性でもってソヴィエトへ貢献しているのだ、とスターリンは熱弁することで、彼らを擁護した。

 

 更にスターリンは万人が平等に貧乏になるのではなく、平等に豊かにならねばならず、とりわけ勤勉で優秀な者には追加で然るべき報酬があって当然であると結論づけつつも、汚職などの不正をしている場合は除くと付け加えた。

 

 同時に彼は「ゆりかごから墓場まで」をスローガンとし、全人民から税を徴収する代わりに手厚い社会保障体制の構築及びそれを全人民に周知させることをブハーリンらに提案する。

 内容としては教育や医療の格安提供から各種保険制度まで様々だ。

 

 税を取る必要はないのではないか、教育や医療は無料にすべきではないかという意見が相次いだものの、財源はあった方が良いとスターリンは彼らを説得して回り、承認を得る。

 

 一方で富農や私的商人・実業家が不当に労働者を虐げて働かせぬように、労働法の制定を急がせていた。

 こちらも過度な制限ではなく、1日最長でも8時間労働や残業及び残業代の支払いについてなどを規定したものになる。

 

 また現在飢餓に陥っている農民達に対して輸出用穀物を彼らへ回すことで迅速に決定・実行された。

 何よりも人民の命が優先されるとスターリンが決断した為であり、この決断は色々と脚色された上で公表された。

 

 人民の味方であることをアピールする狙いがあり、もしも反対する者がいれば人民の敵として認定し、大手を振って抹殺できるという一石二鳥であった。

 

 そんなスターリンが目指したのは非常に癪ではあったが中華人民共和国だ。

 色々と問題はあるものの市場経済を導入しつつ、共産国家として21世紀でもやっていけている。

 ただ、この世界において毛沢東が好き勝手にやることを許すつもりはまったくなかった。

 

 なお、輸出用穀物を国内消費することで外貨獲得量が減少するのだが、スターリンが方針転換前に考えていた重工業偏重の五カ年計画ではない為、財政への悪影響は最小限に抑えられると予想された。

 

 万が一、財政へ悪影響があった場合は史実のようにエルミタージュ美術館の収蔵品を売り払うことは避けたい。

 その為、スターリンは汚職をしている党員のリスト作成をメンジンスキーに密かに指示していた。

 

 いざとなれば彼らから財産を取り上げれば人民に対するアピールができる上、臨時予算の確保もでき、スターリンとしてはまさしく一石二鳥だった。

 

 もっとも、たとえリストに載ったとしても有能であれば対象から一時的に外れるかもしれないが、そうでなければ財産を取り上げられた後、どうなるかは言うまでもなかった。

 

 なお、実のところアメリカ人技師が既にソ連にて活動を開始している。

 ドニエプル川流域におけるダム・水力発電所の建設の為、テネシー川流域のウィルソンダムを設計したクーパーが昨年、顧問兼アドバイザーとして雇われている。

 この計画をはじめとした重化学工業の育成に関しては第一次五カ年計画に組み込まれず、別口で進められている。

 財政への負担や五カ年計画への影響を考慮して、当初よりも遥かにゆっくりとしたスピードであるが着実に進捗しつつあった。

 第二次五カ年計画は重工業の育成に大きく力を注ぎ、第三次は農業及び軽工業の発展といった具合に交互に進める形に落ち着いていた。

 第三次五カ年計画に関しては独ソ戦が途中で無ければ、という但し書きがつくが。

 

 

 さて、このように進んでいたのだが、スターリンに対して真正面から批判した者がたった1人だけいた。

 

 それはトロツキーだ。

 彼はモスクワ市内の住居にて軟禁されていたがスターリン宛に手紙を送り、スターリンに対する批判を展開した。

 

 スターリンもあのトロツキーからの手紙ということで読んでみたのだが――ここまで豊富な語彙で批判ができるものなのか、と怒るよりもまず感心してしまった。

 

 

 

「本物の天才なのだが……勿体ない」

 

 手紙を読み終えたスターリンは溜息が出てきてしまう。

 彼の提唱している世界革命論・永続革命論はドイツのスパルタクス団による革命に失敗した時点で、芽が無くなった。

 トロツキーと親しい者達でさえ、現実的に達成できるかと問われればできるとは答えられないだろう。

 無理なものは無理であり、達成できると断言できるのはトロツキー本人しかいない。

 彼は生涯を費やして、自らの理想の為に全力で行動するだろう。

 

「彼を生かしておくと面倒くさいことになる」

 

 史実のスターリンもこんな気持ちだったのだろうか、と彼は考えてしまう。

 放置しておくと何かやらかすに違いない、そういう確信がある。

 

 

「メンジンスキーを呼んでくれ」

 

 彼は部屋の外にいる護衛に対して、そう呼びかけた。

 30分もしないうちにメンジンスキーがやってくるだろう。

 

 

「記念すべき第一号……それがトロツキーなら相応しいだろう」

 

 事故死もしくは病死に見せかけて始末すべきだと彼は考えながら、執務室内を歩き回っていると扉が叩かれた。

 入室許可を出すとメンジンスキーだった。

 

 呼んで15分もしないうちに来たので、仕事熱心である。スターリンは感心する。

 とはいえ、彼は挨拶もそこそこにメンジンスキーへ告げた。

 

「トロツキーを追放してくれ」

 

 メンジンスキーは特に驚くこともなく尋ねる。

 

「それは国内の僻地ですか? それとも国外へ?」

 

 スターリンは事も無げに答える。

 

「いや、この世からだ。方法は任せるが、なるべく事故死もしくは病死に見せかけるように」

 

 トロツキーの粛清はここに決定された。

 

 

 

 



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スターリンの悪巧み

「快速戦車を開発・量産するのは良いが、あくまで少数に留めるべきだ」

 

 スターリンの言葉にトゥハチェフスキーは顔を顰める。

 

 彼の構想している理論では快速戦車こそ主力となるものだからだ。

 それをスターリンが知らないわけがなく、以前に対話した際、彼は戦車部隊を先頭に立てて、砲兵及び航空機の支援によって敵戦線を突破することは可能であるか、と問いかけてきたくらいだ。

 

 執務室にはスターリンとトゥハチェフスキーの2人しかいない。

 あのスターリンが護衛も無しに誰かと1人で会うなんて、と当初は驚いたものだが、今ではすっかり当たり前の光景となっている。

 

 今回、トゥハチェフスキーがスターリンに面会を求めたのは予算の陳情である。

 快速戦車の開発・量産の為に予算を求めた彼に対し、スターリンの回答は冒頭のようなものであった。

 

「その理由は?」

 

 トゥハチェフスキーは躊躇なく問いかける。

 これもまた以前では考えられないことだが、今ではすっかりおなじみの光景だ。

 以前と比べてスターリンは物分りが遥かに良くなり、ちゃんと人の意見を聞き、その上で自らの意見が誤っていれば修正できるようになっていた。

 

 トゥハチェフスキーは勿論のこと、誰にとってもこの変化は非常に好ましいと感じ、遠慮なく質問や意見をしている。

 

「とても簡単な話だ。技術はあなたが思っている以上に進歩が早い。現時点であなたが要求する性能を満たした戦車を得られたとしても、それは1年後には立派な旧式戦車だ。戦時なら最悪半年でそうなる可能性もある」

 

 スターリンの言葉にトゥハチェフスキーは納得を示しつつも、更に問いかける。

 

「それではいつまで経っても開発ができないのでは?」

「一歩どころか二歩程先の要求を出せばいい。それを本命とし、それまでは繋ぎとして考えよう」

「あなたが考える性能は?」

「攻撃力・防御力・速力、それが全て高い次元で纏まったものだ。歩兵支援から対戦車戦闘まで、何でもこなせる戦車……主力戦車とでも呼ぶべきものを用意しておけば戦略的・戦術的に扱いやすく、そして整備や補給においても効率が良い」

 

 トゥハチェフスキーは確かに、と頷きながら更に踏み込む。

 

「具体的には?」

「できれば100mmの戦車砲を搭載し、避弾経始を重視した傾斜装甲、速力は不整地で時速30kmは欲しい。ガソリンエンジンは燃えやすいと聞くから、ディーゼルにしたい。そして重量としては50トン以内に収めれば問題はない。あまり重すぎると故障を起こしやすくなるだろうからな」

「……50トンでも十分重すぎる気がしますが」

「10年か15年先ではそのくらいが主流になっているだろう。無論、繋ぎとしては76mmの主砲を搭載した、30トンそこらの戦車で構わない」

「同志書記長、今の戦車がどのくらいの重さか、ご存知ですか? 10トンに満たないものばかりです」

「それは意味のない質問だ。なぜなら、戦車の主砲と装甲は恐ろしい勢いで増大する。あっという間に100mmクラスの砲を撃ち合うことになるだろう……私が求めるものがどういうものか、絵を描いてみよう」

 

 そこまで頭の中にあるのか、とスターリンの言葉にトゥハチェフスキーは思ったが、どういうものか見てみることにした。

 

 スターリンはメモ帳にすらすらと戦車を描いていく。

 それを見てトゥハチェフスキーは目を丸くする。

 

 絵自体は上手いとも下手とも言えないが、それでも特徴はよく分かる。

 

 全周旋回砲塔、同軸機銃、大型転輪。

 全体的に丸っこい印象を受けるのは傾斜装甲によるものだ。

 

「これはT-34と名付けよう。他にもこういうのも……」

 

 スターリンは史実におけるT-54、T-62、T-72と更に3種類の戦車を描いてみせる。

 T-34を順当に強化・発展させているようにトゥハチェフスキーは見えた。

 もっとも、一見同じように見えるが砲塔や車体が少し違う。

 

 到底素人の考えには思えないが――どこかで勉強でもしたのだろうか。

 

 彼がそう思っているとスターリンは告げる。

 

「この戦車の車体に大口径の榴弾砲や大口径の迫撃砲を搭載すれば自走化した砲兵を構築する為には効率的だと思う。技術的に可能かどうかは検討してみねば分からないがな……」

 

 そこで彼は言葉を切りつつ、更に続ける。

 

「戦車や自走化した砲兵・迫撃砲の速度に追随できるよう、歩兵の1個分隊をまるごと車内に収容し、戦闘にも参加可能な火力及び機関銃弾ならば跳ね返せる程度の防護力、戦車と同じく装軌式とすることで悪路走破性を高めたもの……歩兵戦闘車とでも呼ぶべきものが必要だろう」

 

 そして、スターリンはメモ帳に描いてみせる。

 しかし、トゥハチェフスキーには小口径砲を積んだ戦車にしか見えなかった。

 

「とはいえ、これを全ての部隊に配備することは、おそらく予算的な意味で不可能だ。装輪式の装甲兵員輸送車も同時並行で開発すべきだろう」

 

 大口径機関砲を全周旋回砲塔に搭載していると思われる8輪の輸送車がスターリンによって描かれるが、トゥハチェフスキーは奇妙なものを見たような顔だった。

 彼の表情を見て、スターリンは苦笑しつつも問いかける。

 

「こういうものを目指してみてはどうかね? 他にもロケット砲とか色々と……」

「技術的に可能とは思えないのですが……?」

「今は無理でも将来必ず可能となる。いきなりこれを作ろうとはせず、技術的成熟に努めつつ、技術者達と協議を重ねてやれる範囲でやってほしい。失敗しても構わない」

 

 スターリンがそう言うならば、とトゥハチェフスキーはやってみることにした。

 

「担当者を早急に各国へ派遣し、技術調査の為に各国の戦車の購入や生産権の取得を開始することにします」

「担当者とはハレプスキーかね?」

「はい」

 

 トゥハチェフスキーの肯定にスターリンは満足げに頷く。

 赤軍兵器本部機械化自動車化局の局長がハレプスキーだ。

 

「予算に上限はない、と彼に伝えてくれ。こちらで何とかしよう……そういえばジョン・クリスティーというアメリカ人の発明家が面白いものを研究しているらしい。訪ねてみるよう、伝えておいてくれ」

「分かりました」

 

 いったいスターリンはどこから情報を得ているのだろう、とトゥハチェフスキーは不思議であったが、踏み込みすぎても危険だ。

 

 ソヴィエトでうまくやっていくコツは、スターリンの機嫌を損ねないことであるのは今も昔も変わっていなかった。

 

「ところで、そう遠くないうちに赤軍の改革を行おうと考えている。現状では赤軍の中に陸海空の全てが置かれているが、私としては本格的な外洋海軍及び戦略的な空軍を育成したい。各軍はそれぞれ独立し、独自に作戦行動を行うが、必要に応じて緊密に協力することでより高度な作戦目標を円滑に達成できると確信している」

 

 

 基本的にソ連においては海軍や空軍は陸軍に従属するという考えだ。

 しかし、スターリンとしては三軍は同じ立場であった方が良いと思っているようだ、とトゥハチェフスキーは察する。

 

 陸で負けては全てが終わる為、彼としては現状の方が良いのではないか、と思いつつ問いかける。

 

「その必要性は理解できますが……予算の取り合いになりませんか?」

「現状でも似たようなものだろう。それにこうする理由は他にもある……例えばだがアメリカがイギリスと組んでソヴィエトへ挑戦をしてきた場合だ。彼らは強大な海軍力・空軍力を背景に多数の兵士を送り込んでくる……わざわざロシアの大地を踏ませてやるよりも、海上で輸送船ごと沈めたほうが効率が良いだろう」

 

 そう言われるとトゥハチェフスキーは沈黙せざるを得ない。

 スターリンの口ぶりは確信めいたものがあり、将来そうなる可能性が高いと考えているようだ。

 

 トゥハチェフスキーとしても、それを否定できる材料がない。

 

「何よりもソヴィエトが大国であり続ける為には、柔軟な対処能力を備え、均整のとれた海軍及び空軍を保持すべきだと思う。無論、それでも優先するのは陸軍だ。そこは安心して欲しい」

 

 スターリンの言葉にトゥハチェフスキーは溜息を吐いてしまう。

 どうやら自分を今の地位に就けた狙いは、ここにあったのではないか、と。

 

 赤軍から海軍及び空軍を分離・独立させる。

 トゥハチェフスキーならば、これによって湧き上がる赤軍内部の不満を抑えることができるのだろう、とスターリンは考えたに違いない。

 

 さすがにトゥハチェフスキーもスターリンがそんなことを考えているとは予想もできなかった。

 しかし、彼とてやられっぱなしではない。

 

「あなたが述べたロケットに関してですが……専門の研究所設立を望みます」

「無論だ。大いにやり給え。ツィオルコフスキーを誘うことは忘れないように……予算は何とかする」

 

 あっさりと許可を出したスターリンにトゥハチェフスキーはもうちょっと欲張っても良いかと思いつつ、尋ねる。

 

「できれば空挺軍に関しても……」

「当然だ、やり給え」

「……予算は大丈夫ですか?」

「それは私の仕事で、あなたが気にすることではない。ただし、平時に部隊数を増やす場合は相談してくれ。平時は予算の大部分を技術の研究開発やそれらを使用した兵器の開発・試験、基地の整備や効率的な教育・訓練方法の構築などの戦時にはできないことをやってほしい」

 

 そう答えるスターリンにトゥハチェフスキーは頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥハチェフスキーを見送った後、スターリンはあの言葉を言えなかったことを悔しがった。

 

「君達は何故、戦車の中に百貨店など作ろうとするのか……ああ、言っておけば良かったか……? いや、話の流れ的に多砲塔戦車なんぞ出てきていないから無理だな」

 

 トゥハチェフスキーが求めていたのは史実におけるBT戦車だが、それよりも一足早くT-34を提案したことで、大きく変わるだろう。

 独ソ戦が始まれば、攻撃力も防御力も不十分なBT戦車は一瞬で駆逐される。

 T-34をスペイン内戦に投入できる可能性もあるが、投入できたとしてもドイツ・イタリアに警戒されることを防ぐ為に少数にするべきだと判断する。

 

 といっても、技術的経験の必要性からBT戦車は出てくるだろう。

 しかし、その生産台数はなるべく抑えるつもりだ。

 

「何はともあれ、科学者や技術者達にもこれまでよりももっと支援する必要がある。本当に財源の確保が大変だ」

 

 石油をはじめとした天然資源をドイツに売りつけるのは危険だが、日本に売るのはアリではないか、とスターリンは思う。

 といっても、大きく稼ぐチャンスはある。

 

「資本主義の中心地で、スターリンが誰よりも稼ぐ……誰も予想できないだろうな」

 

 これにはアーマンド・ハマーの尽力が大きく、彼は昔からアメリカとソ連を繋ぐ架け橋だ。

 彼によって設立されたアムトルグ貿易会社はアメリカにおける最初のソ連貿易代表部となっている。

 未だ国交がアメリカとはない為、特に重要な会社であり、同時にOGPUの活動拠点でもある。

 

 そんなスターリンは今、株式取引をアメリカにて現地に滞在している代理人を通じて行っていた。

 今現在、どんどん値上がりしていく株を片っ端から買い漁っており、これらを1929年9月のはじめくらいに全て売り払う。

 その後、株価はどんどん値下がりし、10月29日――悲劇の火曜日と呼ばれる24日よりも遥かに壊滅的な下落が起きたときに売り払った時に得た資金を元手に片っ端から買い漁る。

 そして、市場が回復したときに全て売り払う。

 また市場が荒れてアメリカ経済が大変なことになってしまうかもしれないが、資本主義者へ攻撃ができるので共産党的にはむしろ歓迎すべきことだ。

 

 スターリンの懐は誰よりも潤い、更には資本主義者達に大打撃を与えられる一石二鳥の作戦。

 未来を知っているからこそできる、臨時予算の確保である。

 ちゃんと起きてくれるかどうかは博打であるが、やらずに後悔するよりもやって後悔した方がいいとスターリンは考えていた。

 

 

 もっとも、彼は不況に喘ぐアメリカ企業の製品――特に様々な工作機械を多数買って支援しようと考えている。

 アメリカにある工場をまるごと買い取って、その中の労働者も含めた全てをソヴィエトに持ってこようと思っていたりする程だ。

 それは流石に無理であっても、買えるものは買ってしまおうと企んでいるのは確かである。

 

 ソヴィエトの基礎工業力の強化・拡充の為にはできることは何でもする必要があった。

 無論、工作機械だけでなくその保守・整備から工場の運営・管理におけるノウハウなども纏めて得たいが、こちらは該当する者を片っ端から雇用すれば良いと思っている。

 失業者は膨大であり、そこには単純労働者以外の者も含まれているだろうことは想像に難くない。

 

 ソヴィエトに連れてくるのは難しくとも、現地にこちらから人員を派遣して学んでくればいい。

 

「アメリカのように一定の品質を保った製品を効率的に大量生産できるようにならなければならない。無論、保守・整備も万全でなければ……」

 

 それを行い、内需の育成に努めればソヴィエトはやっていけるとスターリンは思う。

 国土も人口も資源もある。

 気候的に厳しくとも、伸びる余地は大いにあると彼は確信していた。

 

 有事の際には党が介入できるという前提の上で、国民が様々なものを私的に所有することを認めたいとスターリンは思っている。

 労働意欲を高める為には個々人の欲望を刺激せねばダメだと彼は考えていた。

 といっても、さすがにこれはハードルが高く、少しずつ私的所有の範囲を広げていき、それによって生産効率が高まっていることを数字で出さねば無理だろうとも予想していたのだった。

 

 

 



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スターリン式安定財源確保法

短め。


 株価暴落を利用した一時的に稼ぐ手段はあれども、あぶく銭に過ぎず安定的な財源確保はソヴィエトにおいて急務であることに変わりはない。

 故にスターリンは幾つかの命令書にサインをし、それらはただちに実行された。

 

 それはコルィマ川流域における金の採掘であり、その為に政治犯をはじめとした囚人達を使用する。

 彼らは今やソヴィエトにおける貴重な無償労働者達であり、各地の収容所から送り込まれることとなった。

 また可能な限りの物質的支援を行い、長く無償労働をしてもらわねばならない。

 

 使い捨てにするには簡単だが、それでは時間と共に採掘量が落ちてしまう。

 今後も国内において犯罪は起きるだろうから、片っ端から犯罪者をコルィマへ送ることも命じてある。

 といっても、窃盗などの軽犯罪でシベリア送りはさすがに可哀相であるが、スターリンは軽犯罪以外の罪――特に労働法の悪質な違反者に対しては容赦しないよう命じてある。

 

「労働法を大きく違反する連中は例外なくコルィマに送ってやろう。労働者を奴隷のように扱う経営者はコルィマで良き労働を経験することで、労働者の気持ちがよく理解できるようになる」

 

 スターリンとしてはコルィマの金採掘によって、安定的な財源の一つを確保できると踏んでいる。

 一方で彼はカネの掛かることをやろうとしていた。

 

 それはソヴィエト全土における資源調査だ。

 この広大な国土には未発見の天然資源が眠っていることに間違いない。

 下手な埋蔵金を探すよりもよっぽど見つかる可能性は高いだろう。 

 

 故に、資源調査5カ年計画なるものをソ連国家計画委員会――ゴスプランに立案させている。

 ゴスプランは本来なら生産計画を決定する為に設立されたものだが、スターリンによってその性格を大きく変えられてしまっていた。

 今のゴスプランは民間では採算が取れないもしくは、取れるようになるまでに必要な資金や時間が掛かりすぎて手を出しにくいことを計画・実行するものとなっている。

 ソ連の良いところは、短中期的には利益とならない分野に予算と人手を大量に注ぎ込めるところだ。

 資源調査だけでなく、冶金や石油精製といった工業の基礎となる諸分野への支援・強化計画は既に始動している。

 既に財政がちょっと苦しいものの、やらなければならないことだ。

 

 

 これまでのところスターリンの方針転換に表立って反対した者はトロツキー以外にはいない。

 だが、念の為にスターリンは思想的な反対派が密かに現れた場合は迅速に処理するよう、メンジンスキーに命じてあった。

 

 これによって政治犯として逮捕される者が少しだけ増えたらしい、とスターリンは小耳に挟んだものの、主要なメンバーが逮捕されていない為、特に問題はない。

 ブハーリンをはじめとした面々こそ、ソヴィエトには必要だ。

 

「日本に石油を売りつけることもせねばならない。だが、ドイツもヒトラーが政権を握るまでは仲良く……むしろ、それまでに連中から毟り取れるだけ毟り取ってやらねばならん」

 

 世界恐慌が起きたら、ドイツ人の失業者――特に科学者や技術者達をソ連で雇用してやろうと考えていた。

 むしろ、ドイツに限らず列強諸国の科学者や技術者達を支援し、取り込んでしまった方がいい、とスターリンは考え始めている。

 

 その為にも資金は必要だ。

 カネ、カネ、カネと世界で一番お金のことを考えている妙な自信が今のスターリンにはある。

 

 まず確実に利益が上げられる日本との貿易を優先しよう、と彼は先月に外相となったリトヴィノフを呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 モスクワをはじめとした主要都市では物不足が解消されつつあり、それは地方都市や街、村へじわじわと広がりつつあった。

 

 通りを行き交う人々の表情は明るい。

 色々と制限こそあるものの、それでも以前と比べて緩和されている。

 働き口はどこにでもあり、また生活必需品がどの商店の棚にも多く並んでおり、お金を出せば欲しい物が買えるという状況だ。

 

 帝政時代や革命による混乱を乗り越え、第一次五カ年計画の始動によってようやく国民は一息つくことができた。

 

 ソヴィエトの目標は万人が平等に貧乏になるのではなく、万人が平等に豊かになること。

 また勤勉である者が称賛され、より多くの報酬を得ることだ――

 

 スターリンとしては、史実における戦後日本のように1億総中流となることが目標だが、さすがにそんなことを言うわけにもいかない為、上記のように言い換えた形だ。

 

 この言葉はプラウダ紙のトップに掲載され、共産党員には勿論、民衆にも広く支持された。

 誰だって貧乏から脱したいのは当たり前のことで、生活を良くしたいが為に帝政を打ち倒したのだ。

 

 スターリンは今後の展望について、全人民に衣食住を安定供給すること、自動車が行き渡るようにしたいなどを語った。

 

 民衆は現実に物不足が解消され始めていることから、これを真実だと確信する。

 スターリンとしては民衆の欲望をほんの少しだけ刺激したに過ぎないのだが、効果は絶大であった。

 

 それだけでなく、娯楽的な雑誌をはじめとした様々なものがスターリンの肝入りで次々と許可された。

 労働の合間に娯楽による息抜きは必要だというのが彼の理論であり、労働生産性が低下すると実務的に反対した者達は睡眠・食事・風呂以外の全てを仕事に費やす生活を1ヶ月程体験してもらうことで、納得してもらった。

 

 いっそ殺してくれ、と体験した者達が呟いていたことを彼らの同僚達は忘れることはないだろう。

 

 そして、スターリンが国民に与えたもっとも大きな娯楽は別荘(ダーチャ)だ。

 さすがに土地の私的保有は認めなかったが、土地の用益権を格安で希望者に与えることが法制化された。

 土地は有り余っている為、一家族に対して相当な広さの土地が割り当てられた。

 何もない土地を自分達で少しずつ開拓していく――生死が掛かっているならば話は別だが、娯楽としてやるならば最高のものだ。

 

 

 表立って思想的に反対する者はおらず、目立たないところで反対する者はOGPUによって処理されるか、シベリア送りとなる。

 実務的に反対する者にはそういったことはない為、スターリンとしては大きな譲歩であった。

 

 

 

 

 そして、思想的に真正面からスターリンを批判したトロツキーは中央アジアのアルマ・アタに追放されたのだが――

 

 

 トロツキーはアルマ・アタの駅で列車から降りた。

 周囲は人払いがされているのか人気がなく、スターリンはまだ自分を殺すつもりはなさそうだと判断する。

 

 そもそも奴が殺るつもりならモスクワでそうしている筈であり、こんな僻地でやるようなことはしないだろう――

 

 彼はそう思いながら、駅のホームから階段を使って降りようとする。

 そのとき、階段を登ってくる男達がいた。

 

 その顔はアジア系だ。

 トロツキーは念の為に彼らから距離を置こうとすると――彼らは彼へ近寄ってくる。

 

「何をする!」

 

 トロツキーが大声で叫ぶも、もはや遅かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「同志スターリン、昨日トロツキーがアルマ・アタの駅にて、階段で足を滑らせ転落死したとのことです。現地のOGPU職員により確認済みです」

 

 メンジンスキーの報告にスターリンは軽く頷き、告げる。

 

「奴は本物の天才だった。私とは相容れないところもあったが、死者に鞭打つことをするべきではない。彼が安らかな眠りにつくことを祈ろう」

「発見者及び救護しようとした者達はどうされますか?」

「果敢にも人命救助を行おうとした者達だ。謝礼金を支払っておきたまえ」

 

 スターリンもメンジンスキーも、実際にはどうであったかは百も承知だ。

 メンジンスキーにより手配されたOGPU職員により、トロツキーは粛清された。

 スターリンの謝礼金とは彼らに対して臨時賞与を支給せよ、という意味だった。

 

 




スターリン「残業代未払いなども含めて労働法を大きく破る連中は全員シベリア送り! 労働者の気持ちを分からせてやる!」


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スターリンvsロシアンマフィア

 スターリンによる方針転換はソヴィエトにおいて全ての人民に歓迎された。

 勿論、その中には善良な市民だけではなくマフィアも含まれる。

 彼らの起源は古く、15世紀もしくは16世紀頃から現れた犯罪者集団だ。

 荒っぽいことで知られていたが、共産党やOGPU、赤軍内部にも仲間を潜り込ませていることで、手を出せないようにしていた。

 

 彼らはスターリンの穏健な方針を嘲笑いつつも、大きく利用し始めていた。

 その商売は多岐に渡るが、特に大きなものは新興の商人や実業家の家族を誘拐し、身代金を要求するというものだ。

 

 期日までに支払わなければ首を斬り落としてお返しするという、恐ろしいやり方だ。

 そういった商売を利用し、彼らは肥え太りつつあったのだが――

 

 

 

 

 

「同志書記長、これらが汚職者の一部です」

「……予想以上だな」

 

 メンジンスキーが提出してきたリストの束を眺めながら、スターリンは呟いた。

 見たところ、ブハーリンをはじめとした消えてもらっては困る人物達は含まれていない。

 だが、それでも地方だけでなく中央でも、ちょっとした地位に就いている者も多い。

 

 調査を命じて1年程でこれだけの人数を調べ上げたのは大したものだが、スターリンとしては汚職がこんなに蔓延っていることに溜息が出てしまう。

 おそらくマフィアが絡んでいるのだろうと彼は予想しつつ、問いかける。

 

「一部ということは、これ以外にも?」

「はい。我々も調べていて目眩がしそうになりましたが……」

「だろうな。私も君と同じ気持ちだ」

 

 スターリンはそう答えながら、リストの束を執務机に置いた。

 

「率直に尋ねる。全体では1万を超えるか?」

「現時点で軽く超えています。もっと増える可能性も高いかと」

「私はなるべく穏やかにやりたいのだが……人民の敵に対して容赦するわけにはいかない」

 

 スターリンの言葉にメンジンスキーは何も言わず、ただ次の言葉を待つ。

 

「私は今回の件にあたって適切な人物を知っている。まだ若いが……」

「その男とは?」

「ニコライ・エジョフだ。彼が今いるのはOGPUとは違う部門だが、職務に忠実であると聞いている……身辺調査を行い、問題がなければ任せようと思う。エジョフがいる間、君は一時的に別のところへ転属する形になるが、終わればまた戻す」

「分かりました」

 

 メンジンスキーの返事を聞きながら、スターリンはあることを伝える。

 

「ちょうど良い機会だ、組織改革を行いたい」

 

 スターリンはそう言葉を締めくくりながらも、NKVDの創設を史実よりも早めることに決めた。

 3ヶ月以内には全てを整え、NKVDとしよう。

 NKVDで粛清といったらエジョフである、というスターリンの個人的な思いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニコライ・エジョフがスターリンから直々に呼び出されたのは1928年9月のことだ。

 昨年の10月より始まった第一次五カ年計画は順調に進捗し、エジョフが務めている農業部門も色々と忙しい。

 史実的には第一次五カ年計画が始まるのは今年の10月のことであったが、そんなことはエジョフの知る由もない。

 彼が知っているのはスターリンが方針転換をしたこと、彼が主導してブハーリンらと協議の上で第一次五カ年計画を作成・実施したことだ。

 

 

 

 さて、エジョフが執務室を訪れると、スターリンは笑顔で出迎えた。

 

「やあ、エジョフ。君については色々と聞いているよ」

「同志書記長、ありがとうございます」

 

 機嫌が良いスターリンにエジョフは素直にそう答える。

 そんな彼にスターリンは更に告げる。

 

「職務に忠実であり、汚職や犯罪者集団との繋がりもない。実に素晴らしい」

「もったいない御言葉です、同志書記長」

 

 そう言いつつもエジョフは確信している。

 出世の話である、と。

 

 実のところ汚職以外のことを彼はしているのだが、それでも今のところは無理に関係を迫ったりはしていない。

 彼は異性愛者であるが同時に同性愛者でもあった。

 いわゆるバイセクシャルであり、更に彼は中々の変態行為を好んだのだ。

 といっても、合意の上であるなら一応は問題ない。

 

 メンジンスキーによる調査では、エジョフはマフィアとの繋がりはないし、汚職もしていない。

 彼の性癖が未来を先取りしているという程度だ。

 

「では本題に入ろう。君にはNKVDで働いて欲しい。用意するのは長官の椅子だ。現長官のメンジンスキーは君が仕事を終えるまで、別のところへ転属となる」

 

 予想外の出世にエジョフは思わず笑みを浮かべてしまう。

 しかし、スターリンはそれを見て満足気に頷きつつ、更に言葉を紡ぐ。

 

「無論、君が私から与えられた仕事をこなせばNKVDからは抜けることになるが、別の椅子を用意しよう。この提案、受けるかね?」

 

 提案とスターリンは言っているが、実質的には命令である。

 エジョフには元気良く告げる。

 

「勿論です、同志書記長! 私にやらせてください!」

「それは良かった。君なら万全だ。君は背が小さいかもしれないが……」

 

 スターリンはそう言いながらエジョフへ近づき、握手の為に手を差し出した。

 エジョフは驚きながらも、その手を両手で握る。

 

「君の手は頑丈そうだ。この手で私の命令を実行して欲しい。君には色々と苦労を掛けるが……」

「そ、そんなことはありません!」

 

 エジョフはそう答えるとスターリンはうんうんと何度も頷き、彼から手を離す。

 

「君の仕事を伝えよう。犯罪者集団とつるんでいる人民の敵をその集団ごと処理したまえ。多少の冤罪は構わん。改心の為に良き労働を経験させたいが、抵抗する場合は人民の敵となったことを後悔させるように。詳しいことはメンジンスキーから聞き給え」

 

 スターリンの命令を受け、エジョフは大きく頷いて、駆け足で執務室から出ていった。

 彼を見送ったスターリンは呟く。

 

「君がやりすぎてしまった場合、用意する椅子は電気椅子かもしれんがな」

 

 どんな椅子かは伝えていないから嘘は言っていない、とスターリンは思いつつ、リストに彼が個人的に追加させた人物達に思いを馳せる。

 

 以前、トロツキーと組んで合同反対派を結成したカーメネフやジノヴィエフといった者達から、反対派ではなかったものの、トロツキーと親しかったり、彼の思想を支持していると思われる者達やスターリンから見て邪魔な古参党員達がリストには追加されている。

 更にはトゥハチェフスキーにも事前に尋ねて、彼の改革に反対をしている将校達をリストに追加してあった。

 

 

 スターリンは今回の粛清によって纏めて始末しておけばこれからの様々な計画がスムーズに進められる上、無償の労働力を得ることでき、更には彼らの財産を没収することで臨時予算までも得られる。

 一石二鳥どころか一石三鳥というのは滅多にないことだ。

 

「エジョフがどこまでやるか、見てみよう」

 

 スターリンはそう呟き、執務へ戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンから大きな期待を掛けられたエジョフはNKVD長官となり、早速その手腕を発揮し始めた。

 彼はリストに載っている人物達を誰であろうが逮捕し、自白(・・)を引き出した上で銃殺もしくは労働に就かせた。

 更に彼はスターリンの指示によって、NKVDにマフィアへ情報を流す者が新たに出ないよう二重三重の監視体制を構築し、怪しい動きをした者を人民の敵として処理した。

 

 第二次五カ年計画の重工業育成に関しては没収した財産を予算の足しにして行われる。

 そして、今回得た無償労働者達はシベリア鉄道の複線化工事に送り込まれることとなった。

 

 なお、スターリンの指示により、重工業に関しては当初考えられていたコンビナート方式ではなく、コンプレックス――地域生産複合体を目指していた。

 

 1970年代になってからソ連においてコンビナートからコンプレックスへ転換されるのだが、それなら最初からやっといたほうがいいだろうというスターリンの判断だ。

 

 広い国土の各所に均等に生産拠点を配置することで、原料・燃料・工場を有機的に連携させようという構想があり、コンビナートとはこの均等に配置される生産拠点のことだ。

 しかし、原料・燃料・工場はそれぞれ非常に離れている。

 極端な例を出せば中央アジアで取れた原料をヨーロッパまで輸送して加工するようなものだ。

 原料の輸送コストがどうしても高くなってしまうのは明らかであった。

 

 一方、コンプレックスは戦後日本における石油化学コンビナートみたいなものだ。

 原料の生産地域あるいは輸入した原料が荷揚げされる港湾周辺地域に関連する様々な工場を集結させるというのがコンプレックスである。

 どちらが効率的かは明白だろう。

 

 

 エジョフの成果次第だが、彼がもしやり過ぎた場合はすぐに電気椅子をスターリンは用意するつもりだ。

 その為、彼にはどこの誰を処理したのか、リスト化した上で口頭にてスターリンは報告させていた。

 

 そして、エジョフは2年に渡って仕事を行い、リストに載っていた全ての人物及び疑わしい者達について処理を終えた。

 粛清の対象者は雪だるまのように膨れ上がっていき、最終的には70万人にも上った。

 それらはリストに載っていた者やスターリンが追加した者達やマフィアの構成員を除けば、マフィアとの関わりを疑われた人物であり、党員も軍人も市民も疑われればすぐに逮捕された。

 

 冤罪もあったものの、それでも史実の大粛清のように無差別にやったわけではない。 

 それがよく分かる例が赤軍である。

 

 トゥハチェフスキーの改革を邪魔する者達や実際にマフィアとの繋がりがあった者達、冤罪を掛けられてしまった者達は将官・佐官・尉官まで含めた将校全体としては極少数であり、史実のようなとんでもない人数が粛清されたわけではなかった。

 

 仕事の完了後、エジョフに用意された椅子は電気椅子ではなく、NKVD長官と比較すると幾分見劣りするものの、農業人民委員代理――他国でいうところの農業次官――という良いものであった。

 元々農業部門の出身であった為、エジョフとしては古巣に帰った形であり、その一方で予定通りにメンジンスキーがNKVD長官に復帰した。

 

 そして粛清の完了後、人民に対してスターリンは次のように声明を発表した。

 

 

 人民の敵に対して私は容赦しない。

 犯罪者集団やそれに関わりのある連中は、どこにいようとも追いかけ、見つけ出し、その息の根を止める――

 

 

 



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スターリンの悪巧み その2

状況説明その2

短め。


 時間は少し遡り、エジョフが元気に粛清に励んでいる最中に2つの大きな事件が発生する。

 

 1つは中ソ紛争だ。

 満州における東清鉄道。

 この鉄道は中国がソ連と共同管理していたのだが、利益を独占しようと中国側が動き出したことにあった。

 

 中国側にはこの鉄道に関して以前から不穏な動きがあった為、スターリンは警戒し、トゥハチェフスキーに軍事的な解決手段を取る可能性を伝え、極東軍団を大きく増強するよう命じ、できることならば彼自身が現地で指揮を執るよう要請した。

 貴重な実戦の機会を逃す手はない、とスターリンは伝えていた。

 

 その命令及び要請を受けたトゥハチェフスキーはただちに取り掛かり、極東軍団を大きく増強し、まだ発展途上であるものの機械化部隊を多数送り込んだ。

 主力となる戦車が外国製戦車をライセンス生産したものか、あるいはそれに改造を施したものしかないが、無いよりはマシである。

 

 スターリンの後ろ盾もあり、トゥハチェフスキーはヨーロッパ方面からも部隊を送り込み、極東軍団は兵力20万にまで増強された。

 

 8月初旬には中ソ両軍が互いに攻撃を受けたと主張して攻撃を開始。

 トゥハチェフスキー率いる赤軍と張学良率いる東北軍がぶつかったのだが――ほぼ一方的に赤軍によって彼らは撃破され、東北軍は短期間で壊滅してしまった。

 

 史実よりも動員した兵力が多かったことや、在華ソヴィエト軍事顧問団の団長を務めた経験があるブリュヘルがスターリンの命令でトゥハチェフスキーに助言したこともあり、赤軍にとっては見事なまでに演習のような実戦となった。

 多少の被害は出たものの、圧勝といっても過言ではない。

 この結果を受け、ソ連は原状復帰を提案し、それを中国側は渋々受け入れたことで終結した。

 

 

 

 

 

 そして、1929年10月24日。

 アメリカのウォール街にて株価の暴落が発生する。

 しかし、それを危機と感じたウォール街における銀行家達はすぐさま対策を講じて、優良株を市場価格よりもかなり高い価格で購入することを決定した。

 

 1907年にアメリカで起きた金融恐慌を終わらせたやり方に似たものであったが、一時的なものに過ぎなかった。

 もしもこれが週初めに起きていたら、まだマシであったかもしれない。

 だが10月24日は木曜日であり、週末を挟んでしまったのだ。

 

 市場が休みの間、ウォール街におけるパニックがアメリカ中の新聞にて報じられ、それにより危機だと判断したアメリカ中の投資家達が市場から引き上げてしまった。

 これによって28日の大規模な株価の暴落に繋がり、その勢いは29日になって破滅的なものとなった。

 GMの創業者であるデュラントはロックフェラーや金融界における巨人達と協力して膨大な株式の買い支えを行うも、その勢いは止まらない。

 

 24日からわずか1週間でその損失額は300億ドルを超え、これはアメリカがWW1によって消費した金額よりも遥かに多いものだ。

 

 といっても、これだけならばまだダメージはアメリカ国内に留まっていた。

 ここから世界恐慌へ波及してしまったのは、アメリカにおける銀行の連鎖倒産により発生した金融システムそのものが停止してしまったことや連邦準備制度理事会――FRBの金融政策の誤りなど幾つもの要因が重なってしまったが故だ。

 

 そんなこんなでアメリカ発の恐慌が発生し、世界各国が大混乱に陥る中、かつてない程上機嫌のスターリンがいた。

 

 

 

 

 

 これは資本主義の敗北である――!

 

 

 

 そのような切り出しでもって、スターリンは改めて資本主義を批判し、社会主義の優越性を説きつつ、内需主導型経済こそ社会主義の勝利に繋がると断言する。

 ソヴィエトは世界経済とほとんど繋がっておらず、自国内でほぼ完結した形である為、史実と同じように世界恐慌の影響を受けていない。

 

 将来的に繋がることは避けられないにしても、それまでの間に内需を育成しておくことをスターリンは目標にしている。

 ソヴィエトの広大な国土と膨大な人口ならば、それが可能であると確信していた。

 

 

 

 

 そして、スターリンは頬が緩むのを止められないでいた。

 執務室で彼は1人、報告書を読みながらも思わず呟いてしまう。

 

「これによってソヴィエトは大きく飛躍する……! 第二次五カ年計画も、極めて順調に進むに違いない」

 

 彼が大満足しているのには理由があった。

 アメリカにおいて不況によって値下がっている多種多様な工作機械をはじめとした様々な製品を幾つものダミー企業を通じて買い漁り、それらを全てソヴィエトへ運ばせた。

 輸出にあたってはアムトルグ貿易会社が大活躍したのだが、アメリカ政府はこれを知りながらも阻止できなかった。

 第三国を経由するという、迂回輸出を行っていたからだ。

 

 また現実的な問題として物が売れず、失業者は増大し、企業が次々と倒産する――

 

 そんな最悪の状態で、大量購入してくれる救世主であることは確かだ。

 おまけにアメリカにて幾つもの工場をまるごと買い取って、失業者達を雇い、ソ連から派遣された人員に技術的指導をしてもらう、ということまでやり出した。

 

 幾つもの企業や失業者達はこれによって救われていた為、アメリカ政府としては下手に手出しをすれば、民衆からどのような反発が出るか分かったものではない。

 更に失業した技術者などの専門的人材をソ連によって設立されたダミー企業が大量に雇い、第三国経由で海外出張という手段にてソ連へ派遣したが、それも手出しできなかった。

 

 勿論、アメリカだけでなくイギリスやドイツにおいてもソ連は工作機械をはじめとした製品や人材の確保に動いたのは言うまでもない。

 どこの国も不況に喘いでおり、大量に買ってくれて、失業者をたくさん雇ってくれるソ連は有り難かった。

 

 この一件で、ソ連を危険視していた者達も幾分、その警戒心を緩めることに繋がってしまう。

 スターリンの思惑を知らなければ、苦境に手を差し伸べてくれたように思えるからだ。

 

 

 アメリカだけでなくイギリスやドイツの工作機械まで持ってきたのは、ソヴィエトにてそれらを全て比較して、良いものを導入しようという考えによる。

 全ての分野において万能な工作機械というのが理想であるが、現実的にそんなものは存在しない。

 とはいえ、まず最初にやった大きな仕事はヤード・ポンド法からメートル法への変換だった。

 ドイツはソ連と同じくメートル法だが、アメリカとイギリスの製品はヤード・ポンド法を使っていた為に。

 

 なお、この一方でスターリンは日本に担当者を派遣し、八木・宇田アンテナやマグネトロンに関するライセンス契約を結び、科学アカデミーの専門家達にレーダーの研究を命じていた。

 

 日本におけるこの大発明の扱いは史実通りに粗雑なものだ。

 さすがに八木博士をはじめとした面々をソ連に招聘するのは無理であったが、この2つに関してライセンスを結べたのは得難い利益であったのは言うまでもない。

 

 一方で次なる問題がある。

 満州事変やその後における日本の中国進出だ。

 

 不凍港や資源の為にも満州は欲しいというのがスターリンの本音であるが、日本とは対立したくないという思いもある。

 

 とはいえ、満州事変を利用しないという手もない。

 何とかうまい方法は無いものか、と考えて――

 

 

「……我々も中国軍から攻撃を受けたということにして、攻めればいいんじゃないか?」

 

 関東軍が中国軍の仕業だとして攻撃するなら、赤軍が同じことをしたって問題はない筈だ。

 それに赤軍が満州北部を抑えることで、関東軍の動きを抑止することができる。

 支那事変を起こせば、ソ連が襲いかかってくるという恐怖を与えることができるだろうし、そもそも国際社会は満州事変に対して否定的で、日本もそうであった。

 

 日本は関東軍の独断専行する連中に引きずられた形になってしまうのだが――

 

「ソヴィエトが進出することで、関東軍に責任を取らせることができる筈だ。さすがに我々が動いたら、関東軍は独断専行などできない」

 

 国民党に対してはこの一件に対する手打ちとして毛沢東へ今後一切支援をしないことを示しつつ、日本側は関東軍に対して責任を取らせることができる。

 

 先の東清鉄道の一件は原状復帰ということで解決していたのだが、中国側は早くも再交渉を水面下で要求している。

 この事実も利用できるだろう。

 

 原状復帰に対して異論を唱え、不満を表しているのは中国側だとソヴィエトが事前に喧伝しておく必要がある。

 

「この案が可能であるか、皆で検討しよう」

 

 遼河油田は無理だとしても、大慶油田はどうにかして抑えておきたいスターリンであった。

 



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スターリン、証拠写真を明示して正当性を訴える

 石原莞爾中佐は今回の謀略に関して自信があった。

 元々は9月下旬の決行を予定していたが、どうやら陸軍中央に計画の一部が漏れたらしい為、決行日を10日程繰り上げた形となったものの、それでも問題はない。

 

「板垣大佐が建川少将を抑えているうちに、事は済む」

 

 懸念は2つある。

 まず1つは謀略を嗅ぎつけたらしく、陸軍中央から派遣されてきた建川少将だ。

 しかし、今頃はもう1人の首謀者である板垣大佐が料亭で少将を酔い潰しているだろう。

 

 石原は関東軍司令官の本庄や主だった参謀達と共に数日前から視察に出かけており、決行直前――午後10時頃に旅順へ到着する予定だ。

 

 もう一つの懸念はソヴィエトであるが、彼も板垣も軍事的に弱体であると見做していた。

 先の革命からまだ20年も経っていない。

 何分、ソヴィエトはNKVDの監視が厳しい為、断片的にしか情報が出てこない。

 その得られた情報を統合するとソヴィエトは国内開発に総力を上げている真っ最中であり、また昨年まで粛清の嵐が吹き荒れたという。

 

 2年前の中ソ紛争では粛清中にも関わらず鮮やかに中国軍を撃破したが、あれはそもそも中国側がソヴィエトにちょっかいを掛けた為、スターリンが激怒して大兵力を投入したというのが、陸軍においては通説となっていた。

 

 今、スターリンは鳴りを潜めており、恐慌で影響を受けなかったことを良いことに各国から――国交を結んでいない筈のアメリカにも手を回して――色んなものをこの2年で輸入しているらしい。

 日本においても、ソヴィエトとの貿易は年々規模を拡大しており、様々な資源を日本が輸入しているのはよく知られている。

 また貧困農民の受け入れも彼の国は積極的に行っているが、こちらは日本側が厳しく規制していることもあり、こっそり抜け出す者もいると石原は聞いているがそれも多くはないだろうと予想していた。

 

 なお、偵察によれば極東軍団が増強されているとの報告もあるが、司令官として数ヶ月前に赴任してきたのは無名の若造であった。

 

 そんな者を司令官に就かせるなんぞ、日本ではありえない。

 司令官としての経験を積ませる為か、あるいはスターリンが独断で決めた人事であるかもしれない。

 もっとも、謀略を決行したところで極東軍団は静観すると石原も板垣も判断していた。

 トゥハチェフスキーであるならば、この機に乗じてスターリンを動かすことで満州北部を抑えようとするかもしれない。

 だが、今の若い司令官にスターリンを動かせるだけの発言力があるとは思えなかった。

 

 なおソ連は中ソ紛争時の原状復帰に対して中国側が不満を示していると発表し、最近になって中国側もその件については認めたものの、それは外交的に解決されるというのが石原だけでなく、陸軍や政府においても共通した認識となっている。

 

「極東軍団の司令官は……ジューコフと言ったかな」

 

 何もできんだろう、と石原は高を括った。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、1931年9月18日午後10時20分頃。

 柳条湖付近にある満州鉄道の線路の一部が何者かにより爆破された。

 

 爆発自体は小規模であり、その直後には急行列車が問題なく通過しているのだが――その爆音は広く響き渡った。

 

 史実でいう柳条湖事件であるが――しかし、満州北部にて史実にはなかったソヴィエトによる謀略がいつでも実行できる状態となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ゲオルギー・ジューコフ上級大将は日本軍の謀略が決行されたという報告を午後10時30分過ぎに受けた。

 ソヴィエト連邦の建国当初は階級制度が無かったものの、昨年にソ連邦元帥の制定と同時に階級制度も復活している。

 ジューコフはスターリンから直々に命じられて、今回の軍事作戦を行う極東軍団の司令官に任じられると同時に上級大将の位を与えられていた。

 今年でようやく35歳になるジューコフだが、スターリンがやれと言えば通ってしまうのがソヴィエトである。

 

 

 どうして自分が抜擢されたのか、ジューコフ本人も困惑しかないが、それでも任命されたからには全力を尽くすのが軍人だ。

 この数ヶ月でスターリンの後押しもあって準備は万端であり、難しいのは実行の日時だった。

 

 日本軍より早すぎても駄目であり、遅すぎても駄目だという今回の作戦。

 幸いにも現地の諜報員達からは様々な情報が伝えられてくる。

 彼らは今回の謀略の実行も請け負っており、共同作戦だ。

 

 

「しかし、同志スターリンはどうやって日本の謀略を知ったのだ……?」

 

 ジューコフは不思議で仕方がない。

 トゥハチェフスキー元帥もそれを感じているようだが、ソヴィエトにとって利益であるのは間違いない。

 余計な詮索は命を縮めるということは明らかであるが、何よりも恐ろしいのは下手なことをして前のスターリンに戻られることだ。

 その為、どうして知っているのかなどのスターリンに対する疑問は誰もが皆、心にしまいこんでいる。

 温厚になってもスターリンはスターリンであるのは、先の大粛清で判明しているからだ。

 

 犯罪組織撲滅の為というが、カーメネフやジノヴィエフなどのかつてスターリンに反対していた者達やトロツキーと親しかった者、古参党員達は軒並み粛清されている。

 赤軍内部でも、トゥハチェフスキーの改革に反対していた者達が犯罪組織と繋がっていたとされて消えていった。

 

 邪魔者を排除した、というのは明らかだ。

 しかし、犯罪組織もちゃんと処理しているので余計に厄介だ。

 粛清後は犯罪の発生件数がかなり減ったとジューコフは小耳に挟んでいた。

 

 彼は頭を軽く振り、目の前の仕事に集中する。

 

 数日以内に日本軍は動く。

 満州占領の為に。

 だが、兵力が足りないのは明白で、それを補う為に朝鮮方面から動員する筈だ。

 

 そのときが契機だ、とジューコフは判断している。

 

 彼に与えられた兵力は20万余り。

 その中には2年前の中ソ紛争に参加した部隊も多く含まれていた。

 

 この2年間で改善した成果を試すということも、ジューコフの任務には含まれていた。

 

「まだ少し早い」

 

 彼はじっと待つ。

 朝鮮方面の日本軍が動く、そのときまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンはソワソワしていた。

 彼は執務室をウロウロと歩き回りながら、時計をチラチラと見る。

 これは3日前、日本軍の謀略が決行されたという報告を受けてから、ついやってしまうことだった。

 

 今回、ジューコフに与えた部隊は2年前の中ソ紛争時とほとんどが同じ部隊である。

 しかし、大きく違うのは戦車だ。

 T-34ではないものの、それでも45mm砲を搭載したこの時代では破格の戦闘力を持つ戦車――T-20を投入している。

 史実的にみるとT-26(1933年型)にあたるものであり、イギリスのヴィッカース6トン戦車を参考にして、設計・製造されているところも同じだ。

 また戦車砲に関してはドイツのラインメタル社製37mm対戦車砲をライセンス生産し、それをスケールアップしたものとなるが、エンジンの馬力が弱く装甲が薄いところも史実と同じである。

 これも所詮は繋ぎであり、設計及び製造技術の経験を積むという面が大きい。

 

 以前にトゥハチェフスキーに伝えた通り、攻撃力・防御力・速力の3つが高いバランスで纏まった戦車の開発をスターリンは厳命している。

 しかも彼は事細かに注文をつけており――主砲は大口径長砲身で、全周旋回砲塔にしろだとか無線は標準装備とか――その為か、多砲塔戦車といったものは出てきていない。

 

 無論、戦車以外にも様々な兵器がスターリンの方針に沿って研究開発が進められている。

 彼は陸だけでなく、海や空でもこういう感じにしてくれ、と言っている為、素人は黙っていろと軍人や技術者達が思ったのも無理はない。

 しかし、スターリンは今できなくても技術の研究開発や成熟に努め、10年以内にできればいい、と多額の予算を投入した上で言ってくれるのは軍人達や技術者達にとっては有り難かった。

 

 

「T-20に対抗できる戦車はないが、日本の歩兵は精強だ」

 

 もしも日本軍と交戦となれば大きな被害が出る可能性があるが、ジューコフには命令遂行の為ならば日本軍との偶発的戦闘もやむなし、と伝えてある。

 

 若い彼を抜擢したことにスターリンはトゥハチェフスキーをはじめとした主だった軍人達に対して、日本軍に警戒されないようにする為だと説明していた。

 

 史実を知っているから、とかは口が裂けても言えないが、トゥハチェフスキーなどの著名な将軍を派遣すると、ソヴィエトが何かを企んでいると日本側に勘ぐられる可能性があるのも事実だ。

 

「しかし、もう事件が起きて3日目だ。早くしなければ……」

 

 スターリンがそう言いかけた時だった。

 扉が叩かれる。

 

 ついに来たか、と彼は思いながらも入室の許可をする。

 入ってきたのはトゥハチェフスキー元帥だった。

 

「同志書記長、極東軍団のジューコフ上級大将より報告です」

「聞こう」

「東清鉄道の一部区間にて線路が爆破され、列車が脱線したとのことです。中国軍らしき者が付近で目撃されたそうです」

 

 スターリンは勿論、トゥハチェフスキーも実際がどうであるのかは知っている。

 当初の予定通りジューコフからの要請を受けたNKVDの諜報員達が動いたのだ。

 スターリンは鷹揚に頷きながら告げる。

 

「トゥハチェフスキー元帥、ソヴィエトの権益を保護し、なおかつ被害者の救助の為、極東軍団に越境を命じ給え。中国軍との交戦も許可する」

 

 

 9月21日午後3時30分過ぎ、スターリンはそう命じた。

 

 この2時間程前、朝鮮半島に展開していた第39混成旅団が越境し、関東軍の指揮下に入っている。

 これは朝鮮軍――朝鮮を管轄する軍という意味――司令官である林銑十郎の独断であったが、この動きを掴んだジューコフによって、作戦は実行に移された。

 

 

 『冥王星』と名付けられたこの作戦の目標は、1週間以内に指定された地域を占領することであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モスクワからの命令を受け取ったジューコフはただちに攻撃開始を命じ、それは迅速に実行される。

 最初に動いたのは砲兵だ。

 彼らは中国側へ向けて砲撃を開始したが、それは1時間で打ち切られた。

 中国東北軍の主力は北平に張学良と共にいることが諜報員達によって確認されていた為だ。

 

 また国境地帯にはソヴィエトを刺激しない為か、少数の兵力しか配置されていなかったということもある。

 

 

 21日の夕方には赤軍は国境地帯を突破し、満州へ雪崩込んだ。

 このことは同日夜には中国及び日本に伝わり――特に関東軍は――驚愕した。

 

 

 

 

 

 

 

「事実なのか!?」

 

 関東軍司令官の本庄は叫んだが、ソ連軍侵攻の報告を行った士官は肯定するしかないが、誰もがまだ信じられないという思いであった。

 ちょうど作戦会議の真っ最中であり、板垣や石原もこの場にはいる。

 

 彼らも絶句していた。

 

 ソ連は動かない――大前提が崩れてしまった為に。

 

「ソ連軍の兵力は? 今、どこにいる?」

「詳細は不明ですが、多方面からソ連軍が越境し、国境地帯を突破した模様です。既に満州北部に浸透しているものかと……」

 

 本庄に問われて、努めて冷静に答えた士官。

 しかし、その内容は大問題だった。

 

 同時に多方面から攻め寄せたならば、それこそ総兵力がどこまで膨れ上がるか分からない。

 関東軍には本日午後に越境し、指揮下となった第39混成旅団がいるが、彼らを含めても総兵力は2万に届くかどうかというところだ。

 ソ連軍と真正面から殴り合うことなど論外であり、そもそもソ連と本格的に事を構えようとは誰も考えていない。

 

「戦線はこれ以上拡大しない。奉天に留める」

 

 本庄の断固とした言葉に石原と板垣も同意するしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 中国と日本、双方を驚愕させたソ連による満州侵攻は9月28日に赤軍が進撃を停止したことで終了した。

 中国軍は満州北部にて散発的に抵抗したものの、焼け石に水に過ぎず、大した損害を与えることはできなかった。

 

 この間、ソヴィエトは全世界に向けて東清鉄道における中国軍の破壊工作を写真付きで宣伝し、自らの正当性を訴えている。

 

 その写真には脱線して、横倒しとなった蒸気機関車や傷つき倒れた乗客達の姿が写っていた。

 負傷者だけでなく死者も出ており、ソヴィエトは被害の実態を包み隠すことなく詳細に(・・・・・・・・・・・)世界に対して伝えた。

 

 亡くなった子供を抱き抱えて嘆き悲しむ母親の姿や、あるいは両親の死体の前で立ち尽くす子供の姿など、そういった悲劇的(・・・)な写真も多数公開された。

 

 中国側――蒋介石率いる国民党政府はそんなことはやっていないと主張したが、東清鉄道における原状復帰に対して不満があったのは中国だとソ連は言い返し、権益保護の為に赤軍を駐留させると強硬に主張した。

 

 このソ連の態度によって中国全土において反ソヴィエトの機運が高まり、赤軍が駐留している地域においてゲリラ的な攻撃が行われたが――これを見越して派遣されたNKVDにより徹底的に鎮圧された。

 

 一方、ソ連がやらかしたことがあまりにも大きすぎて、日本の関東軍が起こした事件に関しては、ほとんど注目されなかった。

 その隙に日本は国民党政府と協議して原状復帰で合意する。

 外交的に決着がつくや否や、ただちに日本政府及び陸軍参謀本部は首謀者の捜索に乗り出した。

 

 なお、これに先立って独断で越境を命じた林銑十郎は降格の上、予備役とされたのは言うまでもなかった。

 

 

 



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スターリン、紳士に仲裁を依頼する

あとがきに人によっては駄目かもしれないネタあり。


「コーバ、日本では粛清の嵐が吹き荒れたようです」

 

 モロトフの言葉にスターリンは軽く頷いてみせる。

 彼もまた報告を受けていた。

 

 関東軍が暴走しかけた先の事件を日本側は重く受け止め、関東軍司令部のほぼ全員が更迭され、降格の上に予備役とされていた。

 

 彼ら――石原莞爾と板垣征四郎も当然それには含まれており、首謀者である2人及び謀略に携わった者達に対して政府及び陸軍の反応は非常に冷淡であった。

 一歩間違えればソ連との戦争となるかもしれず、対ソ戦を主張している者達――皇道派――とて、自分達どころか政府も陸軍中央も預かり知らぬところで勝手に戦端が開かれるなど、言語道断であった。

 

 一方のスターリンは日本とぶつかるのは得策ではないことを言葉でもって示す。

 

「日本とは仲良くした方が良い。あの軍事力は侮れない。特に海軍は」

 

 断言するスターリンにモロトフは頷き、肯定する。

 そして、彼は肩を竦めてみせながら問いかける。

 

「しかし、コーバ。まさかあなたがあんなことを考えていたなんて、予想もつきませんでしたよ」

「そうかね? 誰だって思いつくだろう」

「それはそうですが……実行しようとは思いませんよ。占領した満州を経済特区として、他国企業を呼び込もうなんて」

 

 経済特区――その名の通りであり、諸国との窓口的な意味合いであると同時にソヴィエト企業を進出させ、外国企業と切磋琢磨させて技術力・生産力向上を果たすのが目的だ。

 

 

 なお、今回占領したのは満州北部であるが、そこには北部とは言い難い場所も含まれている。

 地図でみれば内部に大きく食い込んだ形となっており、スターリンとしてはその食い込んだ地域がもっとも重要であると考えていた。

 

 史実では大慶油田及びそこから南にある総称して吉林油田と呼ばれる油田群だ。

 

 油田があると知れば目の色を変えるのが列強である。

 

 故にスターリンは赤軍を駐留させると強硬に主張しつつも、密かに今回の一件に関する仲裁依頼と経済特区構想について、リトヴィノフ及びブハーリン、コンドラチェフをイギリスへ派遣している。

 

 イギリスである理由は世界各国――特にアメリカに対して外交的に働きかけることができ、また自国に利益があるとなれば取引相手が誰だろうが必ず乗ってくるというスターリンの予想だ。

 

 今のところイギリス政府の反応は期待したものではない。

 どう動けば良いか見定めている段階であると予想できるが、油田が見つかったという報告を聞いた瞬間に手のひらを返すのは間違いない。

 

 スターリンは専門家及び機材を総動員し、既に送り込んでいた。

 邪魔をされぬようNKVDと赤軍が彼らを十重二十重に守っている為、手を出されることもない。

 

 なお、経済特区構想について資本主義的だと批判が出たものの、そう言った連中は2週間以内に不運にも事故死してしまった。

 

「イギリスに頼み、早期にアメリカとの国交樹立及び満州へのアメリカ企業誘致を目指す。アメリカ以外にも各国の企業を呼び込もう。皆で分け合えば問題はない」

 

 石油があれば日本はそもそも対米開戦に踏み切らなかった可能性が高い。

 日米が戦わず、WW2がヨーロッパだけに収まると歴史は大きく変わるだろう。

 といっても、基本的にドイツがどう動くかによるのだが――最近の情勢を見る限りでは、ヒトラーが出てくるのは確実だ。

 

「コーバ、あなたはどういう未来を想定していますか?」

 

 モロトフの問いにスターリンは少しだけ考えて告げる。

 

「最低でも21世紀までソヴィエト連邦を大国として存続させることだ。私が死んだ後は知らん、と無責任なことをするわけにもいかない」

 

 後継者についても色々決めておかねばな、とスターリンは思いつつ、フルシチョフとブレジネフに権力を渡すつもりはまったくない。

 コスイギンが妥当なところで、彼には早い段階から後継者を育成するよう伝えておくべきだろう、とスターリンは考える。

 

「ところで中国共産党の面々を招待する件の進捗は?」

「予定通りです。コーバが望んでいた毛沢東なる輩もこちらに来ます」

 

 モロトフの答えにスターリンは満足げに頷いてみせ、言葉を紡ぐ。

 

「蒋介石も彼らが消えれば、今回の一件に関しては手打ちとしてくれるだろう」

「もしも、そうならなければ?」

「列強で分割すればいいだろう。その際はアメリカを巻き込むことが大前提だがな……中国は1つに纏まると碌な事にならん」

 

 スターリンは断言するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ソ連が派遣した専門家チームによって油田が発見されたのは1931年11月のことだった。

 元々この地域に集中的に人手と機材が投入されており、片っ端から掘り返していた為、僅かな期間での発見となった。

 スターリンの命じるがままにやったことであるが、どうしてそれを知っているのか、疑ってしまうと命が危ない。

 エジョフによる粛清後も犯罪組織と繋がっていたなどの理由で、メンジンスキーの指揮下で断続的に粛清は続いているのだ。

 

 さて、吉林の油田はともかくとして、松遼盆地の湿原にて発見された油田は重質であり、流動点が高いが為、輸送に難があった。

 輸送が問題ならばすぐ近くに製油所などの必要な施設を建設すればいいだろう、とソヴィエトは解決した。

 

 

 なお、油田発見についてはただちに発表されることとなり、イギリスはスターリンが予想した通りに手のひらを返すこととなった。

 

 

 

 

 このとき、ラムゼイ・マクドナルドは疲れていた。

 恐慌の影響から脱却する為、失業手当10%削減などの緊縮財政政策を実施し、金本位制の停止を断行し、ポンドを切り下げて管理通貨制度へ移行したばかりだ。

 来年には保護関税法の制定を目指し、自由貿易主義から保護貿易主義への転換を図る。

 

 そんな矢先にソ連から中国との一件に関する仲裁依頼と経済特区構想を提案してきたのだ。

 そんな暇はない、と切り捨てることはできなかった。

 

 ソ連だけは恐慌前よりも多く、イギリス製品を輸入してくれておりイギリスにとっては輸出超過だ。

 ソ連との貿易はイギリスにおける企業と労働者にとっては唯一の生命線と言っても過言ではなく、それは他国においても同じであった。

 

 恐慌の影響を受けず、成長し続ける――

 

 非常に羨ましいと言わざるを得ない。

 

 

 そのとき、扉が叩かれた。

 彼が許可を出すと入ってきたのは補佐官だった。

 

 血相を変えた補佐官にマクドナルドは不思議に思いながらも問いかける。

 

「何かあったのか?」

「ソ連が占領下においた地域にて油田が発見されました!」

「……何だと?」

 

 マクドナルドはそう答えながらも、ソ連の経済特区構想について考えを巡らせる。

 

 ソ連とイギリスだけでなく、アメリカなどの企業も招き入れて、皆で利益を分け合おうという構想だ。

 ソ連によれば狙うのは未開拓の中国市場であり、そこで得られる利益は計り知れないとのこと。

 治安維持に関しては地理的にもっとも近いソ連軍が主力となるが、それでも各国からも軍の派遣をソ連側は要請している。

 

 ソ連軍だけを駐留させるならば謀略を警戒する必要があるが、そこに他国の軍隊もいるとなれば話は別だ。

 ましてや列強諸国の軍がそこにいるとなればソ連も悪さはできないだろう。

 

 イギリスだけが一人勝ちできないが、ローリスクで確実なリターンが見込める。

 不況に喘ぐイギリス経済を救う一助となる可能性は十分にある。

 

 油田があるならば尚更で、そこに一枚噛ませてもらうことを条件とすれば利益はより増える。

 何よりもまず、経済を建て直すことが先決だ。

 

 保守党のボールドウィンと相談しよう――

 

 マクドナルドは決断した。

 

 

 

 

 この数日後、イギリス政府は中国とソ連に対し、今回の事件に関して仲裁をする用意があると発表する。

 その一方、水面下ではソ連に対して、幾つかの条件と引き換えに経済特区構想への賛同及び実現への協力を伝えたのだった。

 

 

 

 

 

 そして、世界でもっとも仰天したのは日本である。

 

 満州に石油があったとは寝耳に水であり、石原と板垣はそれを知っていたのではないか、という声が一部で巻き起こる。

 といっても、それもすぐにかき消されてしまった。

 

 ソ連と戦争になっては意味がない為だ。

 戦争になったならば関東軍は一瞬でソ連軍に飲み込まれ、最悪朝鮮半島から日本が追い出されていたことは想像に容易い。

 

 ソ連――ロシアとの緩衝地帯構築に長年苦心してきた日本にとって、それは看過できないことであった。

 

 国民党政府とは原状復帰――柳条湖事件が起きる前の状態となること――で手打ちが済んでおり、関東軍による暴走ということで処断は済んでいる。

 ソ連側も日本の権益を侵そうとは考えていないらしく、満鉄やその鉄道付属地に対してちょっかいを掛けてきてはいない。

 

 日本にとってはソ連の油田発見を悔しく思うものの、済んでしまったことは仕方がない。

 またソ連が満州北部に進出してきた以上、大陸へ深入りすることは間違いなくソ連との全面対決に発展すると予想された。

 

 ソ連と戦ったとしても、日本海やオホーツク海に面した地域を占領するのが精一杯であり、モスクワまで行ってソ連を屈服させるなんぞ到底不可能だ。

 かといって、南に目を向けたとしてもイギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国の植民地とぶつかってしまう。

 

 まずは国内の開発・発展に力を注ごう――

 

 そういう発想に至るのも当然であった。

 




ソ連「中国との仲裁と経済特区構想の参加、頼んます」
イギリス「考えとくわ……(クソ忙しい)(利益になるんか?)(そもそも思想的にアレやし)」
ソ連「占領したとこに油田あったやで」
イギリス「中国とソ連の仲裁をする用意がある!『経済特区構想、いくつか条件呑んでくれたら参加するやで!』」
ソ連「やったぜ」

日本「ぐぬぬぬ……(クソデカ溜息)国内開発しよ……」


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スターリン、陳情される

「……これは酷い」

 

 スターリンは目を覆いたくなった。

 この報告書を持ってきた海軍総司令官のヴィークトロフ大将であったが、彼はスターリンの反応に戦々恐々としている。

 

 前任のオルロフがスターリンの求める海軍――マハンの理論と一致する大規模な均衡の取れた艦隊を整備するべし――と真正面から主張が対立し、犯罪組織と繋がっていたという理由で数年前に粛清されている為だ。

 

 オルロフをはじめとして海軍において粛清された者達は、伝統的海軍戦略――すなわちマハンに則った海軍の整備――は非現実的であり、革命やその後の内戦における経験から独立した海軍作戦を行うのではなく、小艦艇及び航空機を整備することで国土を守るという沿岸防衛思考であった。

 

 

 スターリンは遠慮なく彼らを粛清し、マハンの理論に則った伝統派の将校達を優遇している。

 だが、それでもスターリンは手心を加えたりはしないということは簡単に想像できた。

 とはいえ、ヴィークトロフは現状を伝えなければならない、と覚悟を決めて赤色海軍の窮乏や諸問題をありのままに記して、スターリンへ提出したのだ。

 

 今のままではスターリンの要求する蒸気カタパルトとアングルドデッキなるものを装備した、大型空母とそれを護衛する巡洋艦・駆逐艦であったり、静粛性と水中航行性能に優れた大型潜水艦であったりだとか、そういうものは絵に描いた餅でしかない。

 またスターリンは量こそ必要最低限で構わないが、質――フネの性能は勿論、そこに搭載する兵装や将兵の士気・練度――は他国と並ぶものを求めていた。

 しかし、現状では質・量ともに劣っているのは明白だ。

 

 とはいえ、戦艦よりも空母を主力とすることであったり、空母の護衛の為に巡洋艦・駆逐艦・潜水艦を重視するべきである、というスターリンの方針はヴィークトロフをはじめとした海軍上層部には好意的に受け入れられている。

 

 下手なことを言えば粛清が恐ろしいというのも勿論あったが、ソ連の長大な海岸線を守る為には、戦艦よりも広範囲を索敵・攻撃できる空母の方が何かと都合が良いのは理に適っていた。

 また空母ならば海上の敵だけでなく、国土に侵入してきた敵陸軍に対しても攻撃を仕掛けることができる為、トゥハチェフスキーなどの赤軍にも歓迎されている。

 赤色空軍も空の守りが盤石になると好意的だ。

 何しろソ連の国土は広すぎる為、空軍だけでは物理的に対処できない可能性が高い。

 沿岸部だけでも海軍が受け持ってくれるならば、大きく空軍の負担は軽減できるだろう。

 

 戦艦だったらこうはいかない。

 威力と射程向上の為に主砲口径を大きくしていくのにも物理的に限界があるが、航空機は今の段階でも戦艦の主砲よりも広範囲を索敵・攻撃できる上、命中率も高い。

 

 そして、もっとも大きな理由は戦艦やその兵装を新規設計・建造するだけの技術やノウハウがあるかどうか、非常に怪しいという事情もあった。

 

 また予算は無限ではなく、その大部分が国内開発に振り向けられており、余りを陸海空軍で分け合っている状態だ。

 これでは革命や内戦の混乱で失われたモノが多すぎる赤色海軍にとって、再建が完了するのはいつになるか分からなかった。

 故にヴィークトロフは満州でのことが落ち着いた、今ならばと考えて直訴にきたのだった。  

 

 スターリンが報告書を読み終えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「ある程度の覚悟はしていたが……ここまで酷かったとはな。ヴィークトロフ、着実に技術向上に努めてくれたまえ。基礎技術の為なら、それこそ帆船からやり直してくれても構わない。焦っては駄目だ」

「ありがとうございます。海軍再建に全力を尽くしますが、その為には他国に視察団を派遣することや技術者招聘といったことを許可して頂きたく……」

「必要なことを考え、遠慮せずに全て実行したまえ。失敗しても構わない……勿論、予算も何とかする。かのピョートル大帝のように、他国技術の吸収に努めることにしよう」

 

 スターリンの答えにヴィークトロフは表情を明るくしたのだった。

 

 

 

 

 

 ヴィークトロフが退室した後、スターリンは深く溜息を吐く。

 満州における一件は一段落しており、イギリスが動いてくれたことで比較的順調だ。

 また中国共産党の面々を――毛沢東なども含め――モスクワに招待して、トロツキストであると糾弾して迅速に始末したこともあってか、蒋介石も態度を幾分軟化させている。

 そもそも他国から招いた者達に対してそういうことをするのは問題しかないのだが、中国共産党は中国における正統政府ではなく、中国において最大勢力である蒋介石率いる国民党政府の敵である。

 始末したところで問題はなく、たとえ問題に発展したとしても思想的違いにより、ソヴィエトの敵となった為という理由で押し切るつもりであった。

 

 もっとも、問題になることはもはやない。

 イギリスの出した参加条件の一つによって、経済特区構想に蒋介石も一枚噛ませるというものがあった為だ。

 

 スターリンからすればイギリスの本性見たり、という思いであるが、同時に尊敬に値するものであった。

 

 分割して統治せよ――

 

 イギリスの基本はそれであり、これは古くはローマ帝国が使った手法だ。

 

 経済特区に中国企業を参加させることで、中国人の反発を抑え、彼らが連携することを防ぐという狙いである。

 その一方で油田開発においてはイギリスのAPOC――アングロ・ペルシャ石油会社――を参加させることを条件としてきていた。

 

 スターリンにとっては、実績と技術力のあるイギリスの石油会社が参加することは大歓迎であったが、実利を得るのを忘れていない。

 料金は支払うので技術指導をして欲しいと要請したところ、イギリスは高めに技術指導の料金を提示してきたが、スターリンはそれを受け入れた。

 

 値段交渉で揉めるよりも、受け入れてしまった方が良いと判断した為だ。

 核心技術は教えてくれないにしても、学べることはたくさんある。

 それを考えればイギリスの吹っかけてきた料金なんぞ、安いものだとスターリンは考えた。

 

 とはいえ、支出が増えるのは必要なことだとしてもあんまり気持ちが良いものではない。

 何よりも予算の陳情に来たのは海軍だけでなく、空軍もまたそうであった。

 

「空軍も昨日来たが……」

 

 スターリンは空軍にも予算は気にするな、と伝えてあった。

 

 空軍に対してもスターリンは口出しをしており、液冷空冷問わずエンジンと過給機の性能が全ての勝負を決めると伝えつつ、次世代の航空エンジンとしてターボプロップエンジンやジェットエンジン――それもターボファンエンジンを提案し、基礎研究を開始させていた。

 

 海軍程ではないが空軍もまた予算を多く必要とし、当然ながら陸軍も同じである。

 

 軍事予算の為に増税するのは時期尚早であるというのがスターリンやブハーリンなどの主要な面々の共通した考えだ。

 何よりも安易な増税は国内経済に大きなダメージを与えるのは火を見るより明らかであり、順調な経済発展をしている最中にやるべきことではない。

 

 となると、天然資源の輸出で利益を上げることで当面を凌ぐという形に落ち着く。

 これはいつもと変わらない。 

 

「コルィマ鉱山にもう少し労働力を振り向けるか……」

 

 安易な考えであるが、金の価値は変わらない。

 断続的に続けている粛清によって得られた無償労働者は、それなりにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥハチェフスキーは執務室にて、とある作戦計画を練っていた。

 

 予算は潤沢とはいえないものの、それでも空海軍よりは多い。

 それによって着実に赤軍は機械化されつつあった。

 

 ジューコフが先の満州侵攻で実際に部隊を運用し、戦訓や課題を得たことも大きな利益だ。

 その中には、トゥハチェフスキーが中ソ紛争時に得られたものと共通していたものもある。

 

 その最たるものが戦車は歩兵に肉薄されたら脆弱であるという点だ。

 装甲に守られている為、歩兵の小銃弾は跳ね返すものの、火炎瓶や手榴弾を投げ込まれると弱い。

 隊列を組んで整然と進撃させ、相互支援を密にするよう命じてあった戦車部隊であっても、勇気ある歩兵部隊に襲われたら、少なくない被害を出した。

 現状でさえこうなのだから、現在研究を進めているロケットを使った対戦車兵器が登場すれば甚大な被害を被ることは想像に容易い。

 

 戦車と歩兵は協同させるべきであり、敵軍に対しては歩兵と戦車の分離を強要すべきである。 

 

 また撃破された戦車の回収及び修理も頭が痛い問題だ。

 戦車は重くなる一方である為、専用の回収車が欲しくなるだろうし、修理もなるべく戦場から近いところで完了し、早期に再戦力化したいところである。

 

 前線の真後ろに修理工場でも作りたいところだが、それをする為には補給及び整備部隊の高度化であったり、そもそも戦車の構造自体を修理しやすいようにしておく必要もある。

 

 弾薬や部品は無理でも、燃料ならパイプラインでも敷設して送ればいいかもしれない――

 

 トゥハチェフスキーはそんなことを考えてみたものの、すぐにパイプラインは不動目標である為に空からの攻撃に脆弱だなと溜息を吐く。

 結局のところ何でも載せられる汎用性に優れ、ロシアの悪路でも問題なく走行できる大型トラックが大量に必要であると彼は結論づける。

 

 機械化と一口にいっても、正面戦力だけ――すなわち実際に戦う部隊だけを機械化・自動車化するというのは不完全だ。

 師団まるごと全て機械化・自動車化しなければ大きな効果は得られないとトゥハチェフスキーは考える。

 

 その為にはもっと予算が欲しいところだが、現状では仕方がない。

 戦時ではできないことを平時である今やるだけだが、スターリンは課題をトゥハチェフスキーに出していた。

 

 

 1ヶ月で大西洋まで到達できるか?

 その為に必要な戦備・物資はどれほどか?

 

 

 この課題を出してきた時、スターリンは戦車が5万両くらい必要だろうと言っていたが、冗談なのか本気なのかはトゥハチェフスキーには分からなかった。

 

 ともあれ、面白い課題であるのは間違いない。

 それにドイツの動向次第ではこの計画が実行される可能性もある。

 

「もしもドイツがフランスを倒した後、ソヴィエトに手を伸ばしてきたならば……」

 

 ドイツ軍将校との交流で、彼らも戦車の有用性には気がついていることは想像に難くない。

 おそらく赤軍と同じように航空機や砲兵と組み合わせて使うだろうことも予想できる。

 

 トゥハチェフスキーの考えた縦深理論と似たような戦略・戦術を採ってくる可能性もある。

 

 戦車は5万両必要と言っていたスターリンは、そう考えればあながち間違いとは言えないかもしれない。

 ドイツとソヴィエトが真正面からぶつかり合うと考えれば、戦車も砲兵も航空機も膨大な数が投入されるのは明白だ。

 

「油断も慢心もできない……」

 

 そう呟き、トゥハチェフスキーは気を引き締めるのだった。




書いていて浮かんできたネタ


ゲートが銀座じゃなくて、このソ連の赤の広場に開いたとか面白そう(こなみ


あと最盛期のソ連の戦備や縦深作戦について調べてみると面白いよ(小声


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スターリン、目をつけられる

 同志スターリンの指導の下、ソヴィエトは理想国家建設に前進する――!

 万人が平等に貧乏になる社会は資本主義者の確定された敗北であり、万人が平等に豊かになる社会こそが社会主義の約束された勝利である!

 

 

 夢物語だとは誰も思っていなかった。

 ソヴィエトにおける人民の暮らしは大きく向上し、積極果敢な政策は第二次五カ年計画にも引き継がれている。

 

 第一次五カ年計画を満足のいく結果で終えたソヴィエトは、その力を第二次五カ年計画である重化学工業の拡大・発展へ振り向けている。

 元々第一次五カ年計画の頃から、別口で重化学工業の基礎的分野に資金や人手がそれなりに投入されていたことも幸いし、こちらもまた順調に推移している。

 規制緩和は第二次五カ年計画でも行われていたが、その割合は第一次計画と比較すると低い方だ。

 

 といっても、これは壮大な実験でもあった。

 重化学工業分野において幾つかの民間企業の参入を許し、また所有権は国家にあるが経営権は民間にあるという国有企業を創り、これらと国営企業――所有権も経営権も国家にある――を比較してその利点と欠点を徹底的に洗い出すという社会的実験だ。

 

 3つの企業形態を柔軟に使いこなすことで、人民により良い生活を約束したい、とスターリンは声明を発表している。

 

 反対する者は漏れなく粛清されているが、最近ではそれも少なくなりつつあった。

 スターリンの指導によってソヴィエトが目覚ましい発展を遂げ、人民の生活が向上しているのを目の当たりにしたことで、反対するよりは彼の指示が達成できるように動いた方がいいという考えが主流となっているからだ。

 

 先の満州侵攻において、イギリスの仲裁により赤軍の占領下にある地域を租借地としたこともスターリン支持を――特に軍人が後押しする形となった。

 なお蒋介石はイギリスの仲裁もさることながら、中国共産党の指導部の大半をソヴィエトがわざわざ自国へ招待してから始末したことや経済特区へ彼が選んだ中国企業を参加させる、という条件によって租借に関して首を縦に振った。

 

 とはいえ、それで満足するイギリスではない。

 中国の軍閥は多く、国民党においてもその内部は一枚岩とは到底言い難い。

 イギリスはこの機に乗じて中国国内で軍閥同士を対立させつつ、物資を売り始めた。

 この商売に関してイギリスは驚くべきことに他国を誘ってきたが、その裏の意図は明白だ。

 

 イギリス以外の列強にも各軍閥へ物資を売らせることでイギリスだけに風当たりが強くなることを避けつつ、中国大陸で代理戦争をさせるつもりであった。

 

 

 中国で内乱が起きるのはいつものことで、そうなってくれた方が儲けやすい――

 満州に飛び火するのは防ぐが、それさえなければ中国大陸の覇権を争って存分に戦って欲しい――

 

 

 WW1前から中国は列強による植民地化が進んでいたものの、最近は蒋介石率いる国民党が活動的だ。

 国民党は不平等条約の改定を目指すなどで植民地から抜け出そうと藻掻き始めており、この影響もあってか以前よりも稼げなくなってきていた。

 ここらで一回、固定化された中国大陸の勢力をリセットしておく必要があり、満州における経済特区で製品を生産することで輸送費用も抑えられる。

 

 経済特区へ参加する際の制限は一切設けないとソヴィエトが通知していたこともあり、真っ先に飛びついたイギリスをはじめ、フランスにドイツ、日本に加えて今年になって国交がソヴィエトと結ばれたことによりアメリカの企業が多く進出している。

 

 経済特区に進出している列強諸国がこの提案を拒むことがないのも、イギリスにとっては織り込み済みだ。

 ソヴィエトが真っ先に手を挙げ、ついでフランスやアメリカにドイツ、やや遅れて日本も乗ってきた。

 

 なお、このことについて利益の独占をせず諸国にも分け与えている為、かなりの慈善活動だとイギリスは確信している。

 

 当然、列強はイギリスの思惑に気がついて乗っていたのだが、スターリンはこのやり方に感心しながら負けないように、またもや悪巧みをしていた。

 

 

 

 

 

 スターリンは執務室にて世界地図を睨みながら呟く。

 

「実戦経験は得たいだろうから軍も巻き込もう」

 

 史実通りならばあと3年程で勃発するスペイン内戦。

 人民戦線を最初から物質的・軍事的に支援すれば利益を得られる。

 だが人民戦線を勝たせる必要はなく、史実通りにフランコが勝利してくれて構わないとスターリンは考えていた。

 

 政府側が勝利すればソヴィエトの支援で勝利できたとして圧力を掛けられる。

 フランコが勝てばソヴィエトの敵としてドイツ諸共始末すれば良い。

 

 ソヴィエトにとっては結果がどうなろうとも利益が得られるのは間違いなく、重要であるのはその結果に至るまでどれだけ荒稼ぎできるかだ。

 

 といっても、スペインで戦車戦を繰り広げるわけにもいかない。

 ドイツ・イタリアが義勇軍と称して正規軍を送り込んでくる為、こちらの新型戦車の性能が公になるとよろしくないからだ。

 

 スペイン内戦でショックを与えるとポーランド侵攻時に長砲身砲を搭載した四号が出てくるどころか、最悪パンターやティーガーが出てくる可能性もある。

 しかもポーランド侵攻までの間に、徹底的に技術的問題点や運用上における問題点の洗い出しがされるであろうから史実よりも手強くなることだけは間違いない。

 

 とはいえ、内戦時にこちらの戦車を投入しないわけにもいかないのは事実だ。

 平時において他国の領土で実戦経験が積めるチャンスは滅多にない。

 

 具体的な派遣編成は各軍に任せることになるが、大規模にしないよう予め釘を差しておく必要があるとスターリンは思う。

 

「まあ、なるようにしかならない。ドイツが強化されたなら、こちらはより強いものをたくさん投入するだけだ」

 

 ソ連ならばそれが可能だとスターリンは確信していた。

 だが彼の予想――ドイツが強化されたならば――は実のところ既に当たっており、折しも今年になってヒトラーが政権を握ったことはソヴィエトにとっては不幸であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトラーは国内における権力掌握が落ち着くと、共産主義勢力の一掃に力を入れていた。

 ソ連による共産主義の浸透は如何ともし難く、またそれが恐慌における唯一の生命線であったのも確かだ。

 

 だが、それでも容認できるわけもない。

 一方で彼は気になる情報を幾つも手に入れていた。

 

 それは満州における白系ロシア人や中国人達による反ソヴィエト組織が伝えてきたものだ。

 経済特区にはドイツ企業も参加しており、軍もまた小規模だが派遣しており、こちらからも断片的に幾つもの情報がもたらされている。

 

「大きな脅威だ」

 

 ヒトラーの言葉は政府や軍において共通した認識だ。

 

 2年前に赤軍が見せた鮮やかな満州侵攻、その原動力となったのは強力な戦車と砲兵、そして航空機を組み合わせたものだと陸軍から報告されていた。

 

 勿論、中国軍が少数でありなおかつ士気も練度も装備も劣っていたという事実もあるが、それでも赤軍の強さは無視できるものではない。

 

 何よりもヒトラーが恐れたのは戦車であり、ソ連のものは45mm砲を搭載しているらしい。

 この主砲は癪であるのがドイツが輸出した37mm対戦車砲を拡大したものだ。

 

「陸軍が出してきた案を進めていくしかない」

 

 ヒトラーとしては最終的にソヴィエトとの対決は避けられないと考えている。

 幸いにも昨今のソ連の動きから、軍においてもそれは同じ考えだ。

 もっともこれはドイツから侵攻するというものではなく、ソ連から侵略を受けるというものだったが。

 

 ともあれ、そんな陸軍は赤軍に対抗すべく戦車をはじめとした兵器類の強化を要望している。

 またもっとも熱心であったのはグデーリアン中佐で、彼はソ連の満州侵攻及びそこで得たソ連軍の戦車に衝撃を受けたらしく、数日前にはヒトラーに直訴してきた程だ。

 

 このままではソ連にドイツは飲み込まれると訴えたグデーリアンにヒトラーは共感し、彼の構想を大きく支援することを約束している。

 

 ソ連軍の戦車が今のまま発展しない、などということはありえない。

 日進月歩で進化することは明らかだ。

 故に今はまだエンジンや主砲などの構成部品の研究開発に努めつつ、最低でも5年以内にはソ連軍に対抗できる戦車を開発する必要があると陸軍は考えており、グデーリアンの主張もそれに沿ったものだ。

 

 しかし、彼はもう一歩踏み込んでいた。

 

 ソ連軍が満州侵攻時に投入した戦車が1種類であったこととその数に彼は着目した。

 そこから彼は従来の考えを変えている。

 戦車は対戦車戦闘から歩兵支援まで1種類でこなせるようにすべきであり、戦車をはじめとした装甲車両を多種類、開発・量産するような余力はどこにもない、と。

 戦車で1種類、装甲車で1種類といった具合にすべきであり、細かな派生型などもなるべく抑えるべきだとも彼は考えていた。

 

 具体的にどういう性能の戦車が欲しいか、どうしてその性能が欲しいかについても、グデーリアンは説明してくれたが、ヒトラーが理解できたのは攻撃力・防御力・速力がバランス良く纏まった戦車が欲しい、というくらいだ。

 

 グデーリアン曰く、これからのソ連軍戦車の発達を考えれば最低でも75mm砲は必要で、できれば高射砲として使っている88mm砲を主砲としたい、とのことだ。

 それを載せて十分な防御力と速力を兼ね備えた戦車を作りたいらしい。

 

 ヒトラーとしても強い戦車ができることは歓迎すべきことであり、反対する理由はどこにもない。

 また彼は今回、軍からの要望を受け入れることで軍の支持を得たいという思いもあった。

 

「再軍備宣言を急がねばなるまい。強いドイツを取り戻さねば……また共産主義に対抗する為に強固な同盟も組まねばならないだろう」

 

 ソ連――ロシアとの戦争についてはナポレオンという前例もある。

 何よりも優先されるのはソ連との戦争における勝利であると彼は考えていた。

 また他国でもソ連の躍進によって、共産主義の脅威を感じているところは多いのではないかと予想しているのだった。



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スターリン、日本の未来を変えてしまう

 日本においてソ連とは如何ともし難い存在だ。

 

 しかし、ソ連は日本に対して友好的で、今年に――1934年5月に東北地方で飢饉が起きたときなどはどこで嗅ぎつけたのか、迅速に支援を表明し、穀物類を無償で渡してきた。

 昨今の改革により、ソ連の農業生産高は上昇しつつあることは明らかであったが、他国に支援までする余裕があるのかと日本としては驚いたものだ。

 大陸進出の望みは絶たれたが、ソヴィエトによる満州経済特区によってほどほどに利益が得られ、また軍閥に武器を含めた様々なものを売却することでも利益を上げている。

 

 経済特区にはソ連だけでなくイギリスやアメリカなどの各国軍が小規模ながらも派遣されていることから、それが抑えとなってただちにソ連が南下してくることはないと予想されていた。

 図らずとも緩衝地帯がソ連自らの手によって構築された形であり、この機を逃してはならないと日本において政府内はもとより、陸軍や国民においても国内開発が叫ばれていたこともあってそちらへ大きく舵を切っていた。

 

 海軍としても国内開発に反対するわけもない。

 史実であるならば満州や朝鮮半島に投入された予算・人員・資源は全て国内開発に向けられることとなった。

 

 緩衝地帯があるとはいえ、ソ連軍が本腰を入れて南下してきたならば、いくら帝国陸軍が精強であろうとも大苦戦は免れず、戦火に晒される可能性が高い関東州や朝鮮半島にこれ以上の投資を政府や財閥が嫌ったというのも大きい。

 

 鮮やかな満州侵攻をしてみせたソ連軍相手に、帝国陸軍は真正面から戦えるかというと当の陸軍においても現状のままでは非常に拙いという考えがあった。

 

 しかし、ここで海軍との対立が起こってしまう。

 対ソ連を見据えて戦備を整えたいとする陸軍に対して海軍は反対する。

 陸軍の仮想敵国はソ連であったが、海軍の仮想敵国はアメリカであった。

 加えて海軍としては石油をはじめとした多くの天然資源を気前良く売ってくれるソ連に対しては陸軍よりは好意的だ。

 主義主張は相容れないが、商売相手としては信頼できるというのが海軍だけでなくそれこそ陸軍や政府、企業においても共通した認識だ。

 

 それこそ、仮想敵国としている陸軍であってもソ連の目覚ましい発展は目を見張るものがあり、主義主張は置いておいて、そのやり方は見習うべきであるというのが一般的だった。

 

 

 ソ連に範をとった国内開発――

 

 

 飢饉もあったことから、第一弾として農業生産の技術的な拡充と軽工業の発展による国民経済及び生活の向上を目指した計画が決定された。

 万人が平等に貧乏になるのではなく、万人が平等に豊かになれる社会の建設というスローガンは、五カ年計画と共に日本にそのまま輸入された。

 

 綺麗事だと切り捨てることはできなかった。

 ソ連が既に実践している為に。

 

 

 全体的に見るとソ連に対して日本側もそれなりに好意的である。

 そして、海軍ではそれを受けてか、密かにとある意見が流行りつつあった。

 

 

 

 山本五十六はその意見に関しては、少しばかり期待している。

 

「実現すれば空母10隻、航空機800機は揃えられるだろうな……」

 

 ソ連と同盟を結ぶことで後顧の憂いを絶ちつつ、資源供給をしてもらうことで対米戦争において優位に進められるのではないか?

 陸はソビエト、海は日本という形とすれば強大な海軍力を整備できるのでは――?

 

 

 それほどまでにソ連は凄まじい、と海軍でも認識している。

 ソ連の海軍力は弱体だが、それでも彼の国はこの数年で列強に海軍視察団を何度も派遣しており、日本にも何回かやってきている。

 

 無下にすることもできず当たり障りのないように、機密は見せずに帰したのだが――ソ連海軍はまったく諦めていない。

 彼らの熱意は見習いたいくらいであった。

 

 何よりも、空母と艦載機に関する技術を彼らは欲しているようだと、視察団を案内した将校達から山本は話を聞いていた。

 

 そこに目をつけるとは、侮りがたし――

 

 それが山本の個人的な思いであるし、スターリンがそうしているのだとしたらますます敵に回したら厄介だ。

 あの国はスターリンの一存で全てが決まる。

 愚劣なれば凋落するが、今のところスターリンは非常に巧みであると山本は判断していた。

 

 スターリンが航空主兵論を後押ししている――

 

 そうであるとすれば敵に回したら極めて拙い。

 ソ連が本腰を入れて海軍力の整備に入れば、あっという間にアメリカと並ぶ艦隊を揃えるだろう。

 

 そこで山本はあることに気がついた。

 

 このまま座して何もせずにいた場合、帝国は未来で非常に困難な選択を迫られると。

 その選択とはソ連の子分となるか、アメリカの子分となるかである。

 

 

 ソ連は太平洋への出入り口として、アメリカは大陸進出への足掛かりとして日本を欲するだろう。

 日本の意思とは無関係に。

 アメリカの孤立主義も永遠に続くとは限らない。

 

 そして、従わなければ互いに相手に日本を取られないようにする為、問答無用で戦争を仕掛けて迅速に占領しようとしてくるだろう。

 

「思想的にはアメリカの方が良いだろうが……何分、距離が遠い」

 

 ソビエトが侵攻してくるとなれば、アメリカ軍の増援が到着するまで持ちこたえられるか怪しいものだ。

 大陸からは一瞬で叩き出され、増強されたソ連海軍太平洋艦隊をぶつけられたら、甚大な損害は免れない。

 そこに加えて、熾烈な航空戦が日本海や本土上空で繰り広げられるだろう。

 

 それはまだ山本の予想に過ぎないが、ありえそうな未来だ。

 

「今ならばまだ、有利な立場で交渉できる」

 

 ソ連の海軍は弱体で、国内開発に邁進している最中だ。

 アメリカも孤立主義であり、民間企業は別だが政府としてはアメリカ大陸以外は不干渉という立場にある。

 その不干渉は徹底しており、満州経済特区に派遣されている米軍は退役した軍人達による義勇軍だという。

 物は言いようで、実態は米軍であることが誰の目にも明らかだ。

 

「すぐに動かねばならない」

 

 そう呟きつつ、彼の頭に浮かんできた人物は米内光政だ。

 

 ソ連とアメリカ、どちらと戦いどちらと手を結ぶか?

 

 国運を左右する重大な選択であり、中途半端になってはならず、決定したならば迅速に意思の浸透を海軍だけでなく外にも積極的にせねばならない――

 

 山本はそう決意するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 スペインで将来起こりうるかもしれない内戦に向けてソ連では派遣兵力の編成が着々と進んでいた。

 史実であったから、などとスターリンは説明せず、スペインにおける政情不安を伝えて、可能性があると説明していた。

 

 もしも起こらなかったら、陸海空軍による共同演習をすればいいとスターリンは各軍に伝えてある。

 

 そのような中でスターリンはちょっとした催しを開いた。

 

 それは各国の造船会社に募集を掛けたものであり、内容は艦船の設計競技――いわゆるコンペである。

 

 しかし、ただ募集しただけでは懸賞金をつけたとしても政治的・軍事的な事情により、たくさんの応募があるとは思えない。

 

 故に設計図とそれに付随する資料を提出しただけでも相応の謝礼金を支払うこと、またもっとも優れた設計にはより多額の懸賞金を約束し、また建造に入った場合、技術援助や装備の調達に関しても別途料金を支払うことも確約した。

 その一方で落選した設計図とそれに付随する資料について、複写させてもらうことを事前に告知してあった。

 

 他国の技術情報を少しでも得る為だ。

 

 

 なお、第二次五カ年計画には各地にある造船所の拡張及びその設備の増強も含まれていた。

 それに加えて、資源や工業製品の効率的な輸出を目的として、大型タンカーをはじめとした各種船舶の試験的な設計が始まっている。

 折しもスターリンの発案で規格化されたコンテナがソ連国内において普及しつつあり、専用のコンテナ船も設計されていた。

 スターリンはこのコンテナに関する特許をちゃっかり取得していた。

 

 民間船と軍艦では構造が違うものの、大型艦の設計・建造経験を積む目的だ。

 試験である為、失敗しても構わないが死者だけは出すなというスターリン直々のお墨付きであった。

 

 

 

 さて、コンペに参加した造船会社は意外と多い。

 国籍別にみるならば日本以外の列強全てと言ってもいいだろう。

 

 満州における経済特区で彼らに一枚噛ませたことが効いているとスターリンは考えたが、嬉しい誤算である。

 

 募集した設計は戦艦や空母、巡洋艦に駆逐艦、潜水艦と全ての艦種といっても過言ではない。

 自国の海軍には見向きもされなかった野心的なものや奇抜なものであったり、その一方で手堅く堅実に纏めてきたものまで幅広い。

 

 さすがに謝礼金だけを目当てとしたいい加減な仕事をする造船会社はなく、ソ連は提出された設計図の分だけ各国の造船会社に謝礼金を支払いつつ、多数の応募から各艦種の中でもっとも優れた設計図を選び抜いた。

 

 そして、各艦種でまず1隻ずつ設計図通りに試験艦として建造してみることが迅速に決定され、その設計図を出してきた造船会社と建造に関する様々な協定及び契約を結ぶこととなった。

 わざわざ戦艦も建造するのは技術的経験を積むという側面が大きい。

 

 建造に時間が掛かってもいいから、じっくりと腰を据えてやるようにとスターリンは指示していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「巡洋艦ならスペインには間に合うかもしれない」

 

 スターリンは執務室にて、そう呟いた。

 しかし、あまり期待しても駄目だと思い直す。

 

 ソ連海軍の再建、それはようやく第一歩といったところだ。

 

 戦艦はイギリス案、空母はアメリカ案、巡洋艦はイタリア案、駆逐艦はフランス案、潜水艦はドイツ案――見事なまでに節操なしである。

 とはいえ、海軍側との協議の上で決定されたことだ。

 スターリンは技術的な専門知識があるというわけではない為、彼らの説明を受け入れるしかない。

 それでもインチはちゃんと変換するようにと口を酸っぱくして言ってあり、それは海軍側も心得ていた。

 

 基本的にはどれも手堅い設計であり、それでいてスターリンが満足できるカタログスペックである。

 実際はそれよりも低い性能になることはスターリンは勿論、海軍の軍人達も覚悟の上だ。

 

 予算が多めに取られたが、ソ連海軍の為には仕方がないとスターリンは諦めている。

 

 ソ連の目覚ましい発展や聞こえの良いスローガンも手伝ってか、世界的に共産党は優勢であり、それはアメリカにおいても変わらない。

 だからといって、アメリカと仲良くできるかというとまた別の話になってくる。

 

 ドイツを呑み込んで大西洋まで進出すればほぼ間違いなくぶつかる。

 特にイギリスは対岸に強大な一つの勢力が現れることを許しはしないだろう。

 

 だが果てのない軍拡はソ連邦崩壊の元である為、早急に手打ちするしかない。

 しかし、それはあくまで対等な立場でなければならない。

 

 海を渡れない、と侮られてはならないのだ。

 

 とはいえ、優先すべきは陸軍であり、その次は空軍である。

 海軍はあくまでドイツを倒した後に出番となる為、設備や施設の増強・拡張あるいは教育・訓練の充実などにしばらくは力を費やしてもらうとスターリンは決め、海軍もそれは承諾していた。

 

 

「概ねうまくいっているのだが……本当に考えることばかりだ」

 

 スターリンは軽く溜息を吐くのだった。




オケアン演習を独ソ戦前にやりたいなとかいう欲望があるけど、優先順位が陸軍>空軍>ベルリンの壁>海軍なので無理だった。

艦隊全部かき集めて、北海で演習とかワンチャン……?

イギリスとフランスに鼻で笑われるだけだったわ……


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スターリンの改変による影響

 そのとき、コルガノフ少尉は何が起こったか理解ができなかった。

 黒煙を上げて、路上に擱座しているT-20達。

 それを数秒眺めて、彼はすかさず周囲への散開を部下達に命じた。

 

 物陰に隠れつつ、ちらりとT-20の状態を確認する。

 主砲塔前面をぶち抜かれたようだ、とコルガノフは思いつつも双眼鏡で前方を見た。

 

 そして、彼は見つけた。

 コルガノフ達がいる町外れから数百m先の街道には、3両の敵戦車が主砲をこちらに向けている。

 

 T-20よりも大きい――

 

 コルガノフがそう思った直後、その戦車達が前進を開始した。

 そして、戦車からやや遅れて後ろに続く歩兵達。

 

 ドイツが送り込んだ義勇軍だ。

 以前から反政府軍ではなくドイツ軍と交戦したという報告が別部隊にてあったのだが、ここ最近で急速にドイツ軍は数を増やしているという。

 だが、ドイツ軍の戦車と交戦したという報告は今までになく、よりによって最初に当たってしまった。

 

 その事実から、コルガノフは自らの不運に溜息を吐いてしまう。

 しかし、彼は冷静であった。

 今回が初陣の彼とその部隊だが、怯える者は誰もいない。

 このような状況は訓練で何回もやっていた。

 

「司令部に連絡しろ! ドイツの戦車はT-20を正面から撃破できることを!」

 

 通信兵にそう指示を飛ばしながら、コルガノフは迎撃指示を飛ばす。

 

 歩兵の対戦車火力を大きく底上げするものが、スペインに展開している全ての歩兵部隊には実験的に配備されていた。

 

 

 

 

 

 家屋や物陰に隠れ潜みながら、コルガノフ達は敵がやってくるのを待ち構える。

 ドイツ軍は伏兵を警戒しているようで、すぐにはやってこず慎重に進んでいたのだが、それがコルガノフ達にとっては勘弁して欲しい。

 始まってさえしまえば、あとは訓練通りに動くだけなのだが――その前の緊張感は嫌なものだった。

 

 

 5分が過ぎ、10分が過ぎ――じりじりと時間が進む。

 戦車のエンジン音はいよいよ大きくなり、その先頭車を目視でもって彼らは確認する。

 

 コルガノフはギリギリまで引きつけるつもりだ。

 

 作戦としては単純だ。

 この小さな町に引き込んで、家屋や物陰から攻撃を仕掛ける。

 コルガノフ達に与えられた任務は、この町とその周辺の偵察及び敵がいなかった場合はそのまま制圧せよ、というものだ。

 

 敵も似たような偵察部隊かもしれない――

 

 コルガノフはそう思いつつも、敵戦車が眼下を通過するのを見る。

 幸いにも敵兵と目が合うというようなこともなく、戦車の周囲に展開しながら、ドイツ兵達はその得物を構えつつ、注意深く進んでいた。

 

 よく訓練された連中だ、とコルガノフは思いつつも、その口元に不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 だが、我々の方が上だ――!

 

 彼は叫ぶ。

 

Огонь (撃て)!」

 

 

 たちまちのうちに、通りを進んでいる敵部隊に左右から銃弾が襲いかかる。

 そして、極めつけは敵戦車目掛けて撃たれたロケット弾だ。

 

 それは白煙を吹き出しながら、真横から敵戦車に突き刺さった。

 一瞬で敵の砲塔が吹き飛んだ。

 

「T-20のお返しだ!」

 

 コルガノフは叫びながらも、その手にある銃を撃ち放つ。

 それはスターリンが名付けた突撃銃なる新しい分類のものだ。

 既存のフェドロフM1916を発展させたもので、スターリン直々の命令によりウラジミール・フョードロフが指揮する専門チームによって開発されたのだが――それは非常に満足のいく性能だ。

 何よりもどんなに乱暴に扱っても壊れないというのは有り難い。

 

 しかし、コルガノフをはじめ、多くの者にとって――それこそ指揮をとったフョードロフすらも何故、スターリンがこの銃をAK47と名付けたのかは不明であった。

 

 

 戦車を撃破されたドイツ歩兵は弾丸の雨に晒されて、多くが倒れ伏すものの、一握りの幸運な者が逃げることに成功する。

 逃げ出した彼らが聞いたもの、それは――

 

 

 

 Ураааааааа――!

 

 

 コルガノフ達による勝利の雄叫びであった。

 

 

 

 

 

 

 

 イワン・コーネフ大将はマドリードに置かれた司令部にて、予想されていた敵戦車出現に軽く溜息を吐く。

 彼が率いる部隊は労農義勇軍という名称であるものの、実態はドイツ側と同じく正規軍である。

 

 スペイン内戦はソ連対ドイツの代理戦争と化しつつあった。

 当初はイタリア軍もいたのだが、ソ連軍相手に一部の部隊を除き連戦連敗でムッソリーニは激怒して軍の改革に着手する為、既に手を引いていた。

 

 1936年7月17日に始まったこの内戦は既にスペインの手を離れている――いや、当初からそうであったかもしれない。

 極めて迅速に派遣軍が編成され、人民戦線政府からの要請という形で義勇軍は送り込まれた。

 それだけでなく、様々な物資が政府側に売却されている。

 イギリスやフランスは不干渉であるべきだと言ったものの、観戦武官を送り込んでくる程度には両国とも興味津々だ。

 

 スペインへの派遣や物資売却は同志スターリンの迅速なる判断といえば聞こえはいいが、まるで未来でも見てきたかのような動きである。

 もっとも、コーネフは軍人としての本分を尽くすのみだ。

 彼は敵戦車に関する報告書に視線を落とす。

 

「敵戦車は48口径75mm砲を搭載している、か……T-20では荷が重すぎる」

 

 撃破した敵戦車は既に回収され、技術調査に回されている。

 報告書を読む限りではT-20が勝っている点を探す方が難しい。

 それこそ遠距離から一方的にT-20が撃破されるのも無理はない。

 

「T-34と同等か、あるいは……」

 

 上回るかもしれん、とコーネフは最悪の予想が頭を過ぎる。

 幸いにもT-34を配備した部隊もスペインに来ている。

 だが、ドイツ軍の戦車がこの75mm砲装備のものしかなかったならば、数で圧倒される可能性が高い。

 

 既にトゥハチェフスキー宛にドイツ軍の戦車については報告をしている為、彼がうまくスターリンに伝えてくれることを祈るしかない。

 

 もっとも吉報もある。

 試験的に配備されている対戦車兵器が非常に有効であることだ。

 

「今はまだ良いが、こちらもT-34に代わる新型戦車を早急に投入せねばならないだろう」

 

 ドイツの戦車が今のまま進化しないわけがなかった。

 コーネフは既にT-20配備の部隊を引き上げて、T-34配備の部隊と入れ替えるよう命じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ! ソ連の新型め!」

 

 クルツは悪態をついた。

 破竹の勢いであった彼が率いる戦車小隊3両は全て四号戦車だった。

 T-20を遠距離から一方的に撃破し、ロシア人も大したことがないと楽観していたのだが――見慣れない新型戦車により、既に2両が撃破されていた。

 

 敵戦車は丸っこい印象を受けるが、強力な主砲と快速、そして強靭な防御力を兼ね備えている。

 

 四号戦車であっても、T-20のように遠距離から一方的に撃破することは困難だ。

 

 今、クルツは必死に後退していた。

 敵戦車は3両で、こちらは1両。

 圧倒的に不利であるが、幸いにも近くに敵戦車を撃破できそうな部隊が展開していた。

 その部隊に配備されていた砲は対空用であったが、背に腹は代えられない。

 四号戦車の主砲の基となった対戦車砲が配備されている部隊は、ここらにはいなかったのだ。

 

 

「あと少しです!」

「死ぬ気で避けろよ!」

 

 操縦手の言葉にクルツは無茶な命令を飛ばした直後、戦車の近くに砲弾が着弾する。

 その衝撃により揺さぶられて、クルツをはじめとした乗員達は悪態をつく。

 

 勿論、反撃をしないわけではない。

 主砲を撃ちながら、蛇行しつつ後退していた。

 しかし、そのような状態で当たるわけもない。

 

 

 そして、クルツ達は敵戦車の激しい攻撃を避けつつ、誘導に成功する。

 

 こちらに迫りつつ、主砲を撃っていた敵戦車達。

 そのうち1両の砲塔が吹き飛んだ。

 

「やった……! やったぞ!」

 

 それを見てクルツは叫んだ。

 新手と敵戦車は考えたのか、散開しつつも迫りくるが――もう1両、敵戦車が撃ち抜かれた。

 残った1両は慌てて逃げていったが、程なくして撃破された。

 

 毎分15発から20発という破格の発射速度を誇る為、複数の砲に狙われたらまず逃げられない。

 

 それは8.8cm高射砲であり、アハト・アハトの神話が始まった瞬間であった。

 

 しかし、そんな彼らに魔の手が迫る。

 

 エンジン音を轟かせて、空から黒死病(ペスト)がやってきた。

 たちまち高射砲や機関砲が撃ち始め、クルツ達は慌てて戦車を退避させる。

 

 黒死病(ペスト)と呼ばれドイツ軍によって忌み嫌われているもの、それはソ連空軍のIl-2であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここで(まみ)えるとは幸運だ」

 

 グデーリアンは司令部にて、報告書を読み苦い顔していた。

 彼は第2装甲師団の師団長を任されていたのだが、コンドル軍団の結成にあたってヒトラーに自分を派遣するよう直訴し、ヒトラーがそれを認めた。

 グデーリアンの目的は四号戦車をはじめとした兵器類であったり、戦術や運用上の問題点を見つけることだ。

 しかし、ソ連軍が新型戦車を出してくるとは思わなかった。

 万が一、戦争になった時に遭遇するよりも、今この時点で遭遇しておいた方が対策ができる。

 故に幸運だ。

 

 その新型は8.8cm高射砲ならば問題なく撃破できたが、四号戦車と同等程度か、こちらがやや劣るという報告が交戦した幾つかの戦車部隊から上がってきている。

 また撃破した戦車を回収し、調査にしているが――どうやら主砲は同等だが、敵の傾斜した装甲は砲弾を逸らして弾くという効果があるようで四号以上に硬い。

 

 そもそも四号戦車は短砲身で良いのではないか、T-20ならそれで大丈夫だろうという意見が陸軍内部では多くあり、その方向で纏まりかけていた。

 だが、ヒトラーがそこで横槍を入れてきた。

 

 できる限り強い砲を積むべきである――

 

 グデーリアンとしてもヒトラーに後押ししてもらっていることから、無下にはできず。

 ヒトラーに折れる形で、長砲身7.5cm砲の搭載に決まっていた。

 まぐれだろうが、今回はそのヒトラーの意見に助けられたことになる。

 

 短砲身であったならば、敵戦車は倒せなかった可能性がある。

 だが、グデーリアンとしては溜息しか出ない。

 

「四号も繋ぎにしかならなかったか……」

 

 既に四号の次、五号戦車の開発が始まっているが――せっかくなら敵戦車を研究して、取り入れられるものは取り入れようと決断する。

 特に傾斜した装甲は重要だ。

 

 また他にも彼の頭を悩ませるものは多い。

 ソ連軍の小銃や対戦車ロケット弾だ。

 

 どちらも歩兵部隊に大きな火力を与えており、ドイツ歩兵は遅れを取っている状況だ。

 こちらも鹵獲したものを本国に送っているが、スペインでの戦いに新兵器が間に合うとは思えない。

 またソ連軍の火砲はどれもこれも強力で、こちらの砲兵よりも遠距離から撃ち込んでくる。

 火砲の中には戦車の車体を利用して自走化されたものまであり、ソ連軍はドイツ軍以上に機械化が進んでいた。

 

 グデーリアンはソ連軍が予想以上に強力であることを、既に本国へ報告しているが帰国した際には改めて、どれほどに強大であるかを伝えようと考えていた。

 

 

 これはグデーリアンに限らず、空軍側の司令官として派遣されたシュペルレも同じであった。

 ソ連空軍は戦闘機も爆撃機も手強く、特にこちらのJu87に相当するIl-2は空飛ぶ戦車のように頑丈であると彼は本国に報告していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、コーネフは司令部で報告を聞いて驚いていた。

 複数の部隊からT-34に対して高射砲の水平射撃でもって、ドイツ軍が対抗してきたという。

 

 またT-34は敵戦車に対抗できるものの、有利とは言えないとも報告されている。

 

「いくらT-34が強固でも、まさか高射砲を持ち出すとは……」

 

 コーネフは呆れながらも、遠からずその高射砲が戦車砲に転用されるのではないか、と予想する。

 本国では100mm砲を搭載した戦車が開発中であると聞いているが、それを一刻も早く配備すべきだと彼は強く思う。

 とはいえ、戦車以外には今のところ懸念すべき点はない。

 歩兵でも砲兵でも優位であり、また空においても互角か、やや有利といった状況だと聞いている。

 

 だが、現状に満足しては足元をすくわれるだろう。

 今は赤軍が優位だが、将来はどうなるか分からない。

 

「もっと経験を積むのは勿論だが、より強い兵器を配備してもらわねば……国防上、大いに問題がある」

 

 コーネフは自分もそのように働きかけるべきだと決意するのだった。

 

 

 




魔境と化したスペイン内戦(実質独ソ戦)


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スターリンとヒトラー、互いの懐事情  そして悩めるド・ゴール

 スターリンはブハーリンやモロトフ、ミコヤンといった長い付き合いの党幹部達と昼食を共にしていた。

 まるで革命時代のように、昔の苦労話を互いに語って笑い合う。

 

 そのような雰囲気の中でブハーリンが告げる。

 

「コーバ、君が軍の説得に回ってくれたから助かったよ」

「さすがに私としても、平時に戦車やらを一気に生産することは許可できないとも」

 

 スペイン内戦が勃発する数ヶ月程前に量産が始まったT-34であったが、トゥハチェフスキーはその性能に惚れ込んでT-20全てを置き換えるべきと主張した。

 しかし、戦時でもないのにそんなことをすれば財政が非常によろしくないことになる。

 これは他の兵器――たとえばIl-2をはじめとした空軍の新型機も同じことで、スペインに派遣されている部隊を除けば一部の部隊にしか配備されていない。

 唯一違うのはAK47をはじめとした歩兵用の携行火器で、こちらはほどほどに量産が始まっている。

 とはいえ、それでも赤軍全てに行き渡るのはどれだけ先か分からなかった。

 

 軍人達にとっては、ただちに大量生産すべきだという意見が出るのも分からなくはない。

 だが、スターリンは自ら彼らのところへ出向いて、資料を提示しながら論理的に粘り強く説得して、どうにか納得してもらっている。

 

 戦時になれば全力で軍需に生産力を振り向けるから、T-34だけで年産1万両は生産できる、とスターリンはトゥハチェフスキーに語り、驚かれたのは記憶に新しい。

 

「私としては、ミールヌイやウダーチヌイにおけるダイヤモンドの発見が大きいと思う」

 

 ミコヤンの言葉に居並ぶ面々が大きく頷く。

 資源探査五カ年計画によりダイヤモンド以外にも石油をはじめとした様々な資源が見つかっているものの、手っ取り早くカネが欲しいソヴィエトにとってはダイヤモンドの発見が一番有り難い。

 このダイヤモンドが財政的に安定と余裕をもたらし、軍民問わず技術の研究開発に大きな支援がなされている。

 

「イギリスと利益を分け合っているものの、満州の油田も無視はできないと思います」

 

 モロトフの言葉にスターリン達は同じく頷いた。

 

 満州で採掘された原油は油田近くの製油所で精製され、そのまま日本に向けて輸出されていた。

 アメリカ産は勿論、東インド産と比べても輸送費の面で満州産に軍配が上がることから、日本に対しては大量販売に成功している。

 日本はソ連にとっては大切な客であり、彼らから得られる利益は無視できるものではない。

 

「ダイヤモンドは永遠の輝きというが、赤い星もまた永遠に輝いてほしいものだ」

 

 スターリンはそう告げる。

 モロトフ達はダイヤモンドは永遠の輝きとは言い得て妙だ、と思いつつも同意とばかりに頷く。

 

 そのときスターリンはあることに気がついて、冗談めかして告げる。

 

「ドイツが我々と戦える兵力を揃えようとして、財政が破綻でもしたら史上最大の喜劇になるだろうな」

 

 さすがにそんなことはないだろう、とブハーリンは笑いながら告げて、ミコヤンやモロトフもまたそれに同意するように頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ以上の軍拡は財政が破綻する!」

 

 ヒャルマル・シャハトはヒトラーに真正面からそう告げた。

 メフォ手形でどうにか資金を工面しているものの、それも5年以内には償還せねばならない。

 

 スペインの件はともかくとして、これ以上の軍拡――特に量的な面での拡大は許容できなかった。

 

 一方のヒトラーは不機嫌そうな顔で答える。

 

「だが、ドイツの為には軍事力は必要だ」

「それでも限度があるだろう」

 

 シャハトはそう答えつつも、彼をどうやって説得しようか考えを巡らせる。

 そこで彼はあることを閃いた。

 

 スペインでソ連義勇軍との戦闘結果に一喜一憂しているヒトラーならば、この手で説得できる筈だと。

 

「……我々を財政破綻に追い込もうとしているのはソ連ではないか?」

 

 シャハトの問いかけにヒトラーはハッとした顔となり、シャハトを見つめる。

 その反応にシャハトは手応えを感じた。

 

「総統、あなたの不安を煽り、いたずらに軍拡を強いて財政的な出血を強要する手法……これでもっとも利益を得るのは……ソ連ではないか? ドイツが倒れればソ連はそこに迅速に進出するだろう」

「……確かに。それはありえる話だ」

 

 ヒトラーはそう答えつつ、拳を握りしめる。

 

 

 おのれ、スターリンめ――!

 

 

 彼は強くそう思った。

 一方、シャハトはその反応に安堵した。

 勿論、ソ連がそんなことをしている事実はなく、彼がでまかせを言ったに過ぎない。

 

 しかし、ヒトラーはどうやら信じてくれたらしい、とシャハトは思いつつ慎重に言葉を選ぶ。

 

「強いドイツとは何よりも経済的に強くあるべきだと私は思う。経済が強固であれば、万が一戦争となったとしても、瞬く間に強大な軍を揃えることができる」

 

 シャハトはそこで言葉を切り、ヒトラーが真剣な顔で聞いていることを確認して言葉を更に紡ぐ。

 

「軍事技術の研究開発は勿論認めるが、それでも軍事技術を民生に転用できるものは転用した方が良い。そちらのほうが効率的かつ利益も得られると思う」

「それは良い案だ」

 

 ヒトラーは頷き、そこでシャハトは切り出した。

 

「第二次四カ年計画によりゲーリングはいたずらに軍拡をしようとしている……彼も含め、多くの者がソ連の罠に嵌ってしまっていると思う。何よりも経済的に強固となれば、総統の主張するドイツ民族の自己主張は勿論、国防軍もまた長期に渡って強力な作戦行動をすることができる」

 

 シャハトの意見を聞いたヒトラーは何度も頷きつつ、口を開く。

 

「まだ動くべきときではない……そういうことか?」

「そういうことだ。ドイツの失われた領土を奪還する為には、それこそイギリスやフランスすらも経済的に上回る必要がある。じっくりと腰を据えて取り組むべきだと思う」

 

 シャハトの真摯な表情に、ヒトラーは感銘を受ける。

 シャハトはいち早くスターリンの陰謀に気が付き、自らの立場が危うくなるにも関わらず、このように直訴してくれたことに。

 

「我が国にはあなたが必要だ」

 

 ヒトラーの言葉を聞いて、シャハトは自身の勝利を確信する。

 ヒトラーと心中するつもりはないが、現状ドイツの政治を動かしているのはヒトラーである。

 ドイツ経済の立て直しとその邪魔になる人物はヒトラーを利用して、うまく排除しようとシャハトは決意していた。

 

 ヒトラーが問いかける。

 

「ところで、スペインはどうすれば良いか?」

「……早めに引き上げた方が良いだろう。得られたものは多いと聞いている。軍備の技術的結果を再検討して、改善の時間が必要ではないか?」

「国防軍と協議してみよう」

 

 シャハトの言葉にヒトラーはそう答えた。

 シャハトは軍事の素人だが、経済的な観点から見れば他国の領土とはいえ、戦争している余裕はない。

 スペインに注ぎ込まれたドイツ軍部隊は当初の予定よりも多くなっており費用は嵩んでいる。

 どこの国も彼らを義勇軍とは思っていないだろう。

 見て見ぬ振りをしているものの、各国は観戦武官を多数派遣している。

 最初はイギリスやフランスだけであったが、アメリカや日本からも来ているとシャハトは聞いていた。

 

 ドイツとソ連が争って、利益を得るのはこれらの国々であることが明白だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ド・ゴールは大きな危機感を抱いていた。

 

 スペインにおけるドイツとソヴィエトの代理戦争が勃発してから、程なく彼もまた現地に観戦武官として派遣されていた。

 そこで彼が見たものは想像を絶した戦闘であった。

 

 空には絶え間なく両軍の戦闘機や爆撃機が入り乱れ、地上に目を向ければ互いに多種多様な火砲を撃ち合い、また戦車部隊が正面からぶつかり合う――

 

 それもフランス軍が配備している戦車が玩具に思えてしまうような、強力な戦車同士のぶつかり合いだ。

 

 観戦武官として赴いた他の将校達と組んで、ド・ゴールがフランス軍の近代化及び機械化を叫んでいたことで、ようやく上層部も重すぎる腰を上げた。

 

 それは激化するスペイン内戦にフィリップ・ペタンが観戦武官として赴いたことによるものだ。

 元帥である彼が観戦武官となることはまずない。

 しかし、現地に派遣している将校達からの報告が膨大かつ、危機的状況を伝えるものばかりであった為、そんなわけがないだろうと思いつつ出向いた。

 

 そして、ペタンは多大なる衝撃を受け、WW1の戦争形式が時代遅れであることを痛感し、フランス軍の近代化・機械化の推進者となった。

 

 彼によってド・ゴールは機甲師団の師団長となり、同時にペタンとの個人的な関係も昔以上に良好なものとなっている。

 

 ペタンはド・ゴールの先見性を絶賛し、自らが新しい道具や兵器に対応する力が欠けていたことを認めた為だ。

 

「時間が足りない……もしもドイツが仕掛けてきたならば、周辺国で対抗できるのはソ連くらいなものだ」

 

 スペインで得られた情報をもとにして、新型戦車や航空機の開発がスタートしているとはいえ、すぐにできるものではない。

 最低でも3年は欲しいとド・ゴールは考えている。

 

「イギリスの将校達も衝撃を受けていたが……フランスよりは遅れるだろうな。勿論、アメリカや日本も」

 

 ソ連・ドイツの両海軍を合わせてもなお、イギリス海軍の方が圧倒的に勝っている。

 イギリスにとって優先されるのは海軍であり、陸軍に割かれる予算はフランスと比べると低いほうだ。

 

 なお、両国がスペインに陸空軍の兵力を輸送できているのは独ソが交戦状態ではないことに尽きる。

 ソ連海軍がドイツ船籍の輸送船や貨物船を攻撃することも、その逆もできない。

 当然、政府側や反政府側に派遣されている互いの義勇軍もできない。

 直接対決――戦争に発展することを独ソ共に嫌がった為だ。

 

 そもそもこれは建前上、スペインにおける政府軍と反政府軍の内戦である。

 そして、両軍とも大きく支援をしてくれている独ソの意向には逆らえなかった。

 

 

 

 

 さて、アメリカはそもそも大西洋を隔てていることから対岸の火事であり、日本もまた島国であることからイギリスと同じく海軍が重視されている。

 

 諸国はフランスと比べて、陸軍改革のペースは遅くなるだろうとド・ゴールは予想する。

 

「陸で直接やり合うのはフランスだけか……」

 

 WW1のように、陸軍も派遣してくれるだろうが即応性には欠ける。

 援軍が来るまで持ちこたえなければならない。

 

「前途多難だ」

 

 ド・ゴールは溜息を吐くのだった。

 

 




シャハト「軍拡をするように仕向けているのはスターリンだった!」
ヒトラー「な、なんだって!? スターリンめ、許さん……!」
スターリン「待ってなにそれ聞いていない」
ド・ゴール「仕掛けてくるなよ……仕掛けてくるなよ……」


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スターリン、今後を考える

短め。


 松岡洋右は度肝を抜かれていた。

 それは彼だけではなく、他の者達もまた同じだ。

 彼は日本政府が派遣した視察団の団長であり、ソ連の首都モスクワを訪れていたのだが――

 

「まるで別世界だ……!」

 

 彼の発した言葉は、これまでに訪れた他国の視察団と同じような感想であった。

 事前に駐ソ日本大使館から情報を貰っていたとはいえ、実際に見ると驚くしかない。

 

 高層ビルが整然と立ち並び、舗装された広い道路には多数の自動車が行き交っている。

 また歩道も整備され、そこを多くの人々が歩いており、時折自転車に乗っている者もいた。

 

「同志スターリンをはじめ、党幹部の適切かつ熱心な指導によるものです」

 

 案内役は自信満々に日本語で告げる。

 松岡や他の面々にとって、意外であったのは厳重な監視下に置かれなかったこと。

 

 自由に見てもらって構わない、とソ連政府から事前にお墨付きをもらっている。

 よほどに自信があるのだろう、隅々まで見てやるぞと松岡達は意気込んでいたのだが、ここまで凄まじい発展ぶりを見せられると言葉が出てこない。

 

「どこを見て回りますか? モスクワ市内でも、近隣の都市や街でも構いませんよ」

 

 案内役の言葉に松岡達は互いに顔を見合わせる。

 シベリア鉄道でモスクワにまでようやく到着し、明日にはスターリンとの会談が待っている。

 

 松岡は問いかける。

 

「工場を見せて頂けるだろうか?」

「分かりました。モスクワ市内にある工場でよろしいですか?」

「構わない」

 

 そう答えつつ、松岡達は期待を膨らませる。

 

 近年になって、ソ連は資源だけでなく工業製品も輸出するようになった。

 それがまた頑丈で簡素、修理も簡単というものばかりだ。

 日本の国力増強の為、なんとしても工業技術を高めなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「日本の視察団は市内を見て回っている頃か」

 

 スターリンは執務室で、コーヒーを飲みつつ呟いた。

 今日は1938年5月12日だ。

 

 史実通りにオーストリアは併合され、チェコスロバキアもきな臭い。

 おそらくこちらも史実と同じようにドイツに呑み込まれるだろう――

 

 そう思いつつ、スターリンは何もできない、と肩を竦める。

 

 

 フランス及びチェコスロバキアとは相互援助条約を、史実と同じようにソ連は結んでいる。

 対ドイツを見据えたものだが、既にスターリンは外交ルートでもってフランス及びチェコスロバキアの両政府には必要ならば軍事的な支援をする旨を伝えてある。

 

 ポーランド及びルーマニアがソ連軍の領内通過を認めてくれれば、という前提だ。

 そして、この前提条件に関してはフランスとチェコスロバキアにも伝えてある。

 ポーランドもルーマニアも認めるわけがないので実質的には何もしない、という意味に等しいとスターリンは思っていた。

 

 

「やはりドイツから仕掛けてもらった方がやりやすい」

 

 スターリンの言葉は党幹部や赤軍の将官達にとっては共通したものだ。

 他国に付け入る隙を与えない為にも、大義名分は重要である。

 

 中国は列強による支援を受けた軍閥が乱立する群雄割拠状態、太平洋への出入り口は日本が抑え、東南アジアも中央アジアもイギリスをはじめとしたヨーロッパ諸国の植民地ばかり。

 列強とぶつからずに進出できるのは北欧か東欧だが、それとてリスクは大きい。

 

 反共同盟が組まれる可能性すらある。

 

「欧州赤化……どうしたものかな」

 

 戦争するよりも経済及び科学技術の発展に、人も資源も注ぎ込みたいのがスターリンの本音である。

 

 インターネットが早く欲しい、という個人的欲望もある。

 

 幸いにも真空管の次はトランジスタ、その次は複数のトランジスタと周辺素子を纏めた集積回路といった形になることやシリコンを材料に使うことなどをソ連科学アカデミーの専門家達にスターリンは伝えてあった。

 

 きっかけさえ与えれば、彼らは成し遂げるだろうとスターリンは確信している。

 何よりもその為に莫大な資金を科学アカデミーに投じており、彼らには最新の設備が十分に与えられ、最高の環境で研究に没頭できる。

 

 正直、ソ連においてもっとも予算を取っているのが科学アカデミーで、成果を上げてもらわねば困るというのがスターリンの本音である。

 だが、彼は短期的に成果が出るとは思っておらず、5年や10年、20年といった中長期的な期間で成果を出して欲しいと考えている。

 そのため成果が出なければ、あるいは失敗すれば即座に粛清ということはない。

 

 粛清は命令書にサインをするだけで終わるが、それでは科学者があっという間にいなくなってしまうだろう。

 

 

 もっとも、現在の情勢的にドイツと戦うことはソ連にとって既定方針だ。

 

 

「ドイツは経済的に袋小路だ。暴発する可能性はどんどん高くなる……」

 

 スターリンは引き出しから、ドイツ経済に関する最新の報告書を取り出す。

 コンドラチェフが纏めたものであり、これまでのドイツ経済の分析及び将来の予想が書かれている。

 要約すればシャハトがヒトラーを動かして頑張ってはいるものの、先行きは暗いという結論だ。

 

 オーストリアを併合したことやチェコスロバキアを狙うのも、かつての領土を取り戻すという公約もあるが経済的な問題も大きいのかもしれない。

 

 公共事業としてインフラ整備をやろうにもドイツでは限界がある。

 ソ連のように、国土の大部分が未開の土地というわけではない。

 

 そして経済が大変なのはドイツだけでなく、アメリカもそうだった。

 

「アメリカも大変なことだ。おかげで、ソヴィエトは非常に助かっているがな」

 

 アメリカではまたもや恐慌――1937年恐慌と呼ばれるもの――が襲っていた。

 1929年の恐慌直後と比べればマシであるが、それでも回復したとは到底言えない状態で――大量の失業者や遊休設備がある――恐慌が襲いかかってきた為、悲惨なことになっている。

 

 アメリカが失速しているおかげで、ソ連の躍進は止まらない。

 輸出は資源に加えて、最近では工業製品もじわじわと増え始めている。

 

 工業製品の主な輸出先は日本だ。

 頑丈で簡素、修理も簡単というソ連の製品は日本で大いに売れている。

 武人の蛮用に耐えるとして軍人達にも人気だという。

 

 工業製品が国際競争力をつけてきたのは、民間企業が互いに売上を伸ばそうと価格と品質に拘った商品開発や効率的な生産が行われるという、競争原理が働いた結果だ。

 

 もっとも、この土台となったのは1929年の恐慌時に大量に仕入れたアメリカ製工作機械とアメリカ式の様々なノウハウである。

 工作機械は一部がリバースエンジニアリングへ回され、またノウハウは徹底的に分析されて、ソ連流にアレンジが加えられた上で導入されており、その成果がじわじわと出始めていたのだ。

 

 ソ連が資源依存型経済から脱却し始めているのは、スターリンにとって感慨深いものがある。

 しかし、彼は今後ドイツがどう動くかを見極めねばならない。 

 

「ドイツがソヴィエトに来るならば待ち構えていればいいが……フランスを倒せるのだろうか?」

 

 フランス陸軍はスペイン内戦の影響により、近代化・機械化が進められている。

 さすがにパンターやティーガーみたいなものは出ていないが、それでも史実よりも強化されつつある。

 ペタンがド・ゴールらと組んで動いている、とスターリンは報告を受けていた。

 

 フランス陸軍が近代化・機械化へ動くきっかけとなったスペイン内戦は泥沼と化している。

 ドイツは昨年10月に突如義勇軍を撤収させ、ソ連も必要なデータは得られた為に少し遅れて義勇軍を撤収させていた。

 そして、両国とも物資の有償支援に切り替え、少しでもスペインから毟り取ろうと懸命な努力をしている。

 

 スペイン内戦が早期に終結することは望んでいないという点では、ドイツもソ連も同じだ。

 色々と考えてみたもののスターリンが出した結論は今までと変わらなかった。

 

「国内の発展に尽力していこう」

 



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スターリン、心を掴みにかかる そして、ルーズベルトは決断する

「はじめまして、日本の皆さん」

 

 微笑むスターリンから飛び出した流暢な日本語に対して、日本の視察団は仰天した。

 そんな情報は聞いていないばかりか、どうやらソ連側も知らなかったようで、この場にいるモロトフをはじめとしたスターリンの側近達も目を丸くしている。

 

「ようこそモスクワへ。ソヴィエト連邦はあなた方を歓迎します」

 

 続けられた言葉に、視察団の団長の松岡はどうにか答える。

 ロシア語ではなく日本語で。

 

「こちらこそ、盛大なる歓迎に感謝いたします。その、大変失礼ですが……日本語を?」

「ええ。日本はソヴィエトにとって極めて重要な国家です。軍事力もさることながら、その勤勉な国民性といい、文化といい、実に素晴らしいと私は個人的に思っております」

 

 笑顔で直球に伝えられ、松岡は勿論、視察団の面々は何だか気恥ずかしくなってしまう。

 他国に、それもあのソ連の指導者からこのように褒められるとは思ってもみなかった。

 

「さぁ、立ち話もなんですから、どうぞこちらへ。日本のことを、たくさん聞かせてください。私もソヴィエトについてお話しましょう」

 

 スターリンが自ら案内役を買って出て、松岡達は恐縮しながらもそれに従った。

 

 そして、会談が始まったのだが――終始穏やかな雰囲気であり、スターリンと松岡達は互いの国について様々なことを語り合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンが日本語で視察団と会談した、ということは会談後すぐに松岡達から駐ソ大使である東郷茂徳へ伝わった。

 松岡達がすっかりスターリン及びソ連に対して友好的となったことに、東郷は呆れながらも、日本を重視していることは間違いない、と確信を抱く。

 日本語を話せることは東郷も知らなかったが、そもそも彼は就任してから日が浅く、スターリンとはまだ数える程しか面会していない。

 

 もっとも、ソ連側も驚いていたという報告から日本の視察団へ日本語を披露することで、友好をアピールするという狙いがスターリンにあった為、誰にも教えていなかったのかもしれない。

 

 けれどもスターリンが日本と同盟を結び、後顧の憂いを断ちたがっているという噂があることは東郷も着任して程なく小耳に挟んでいる。

 

 ソ連としては増長するドイツ及びイタリアへ全力をもって対応したい思惑があるだろうが、日本にとっては色々な意味で劇薬だ。

 

 経済的にも軍事的にも、そして何よりも社会的にも。

 日露戦争の記憶はまだそこまで風化していない。

 

 とはいえ、ソ連との貿易は順調に拡大をしており、ロシア帝国とソ連は違うのだからという論調も多く目立つ。

 この貿易で恩恵を受ける者は多く、陸海軍ですらも資源の供給という面でソ連に対しては頭が上がらない。

 様々な資源を安く大量に売ってくれるソ連は、それだけ有り難い存在だ。 

 

 

 ドイツ・イタリアに与していない(・・・・・・)今ならば、ソ連と結べる可能性が高い。

 

 東郷はそう確信しつつ、今のドイツに対して溜息しか出てこない。

 駐ソ大使に就任する前、彼は駐独大使を務めていたのだが、元々ドイツ文学に傾倒していた彼からするとヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党――NSDAPには嫌悪感しかない。

 

 ドイツ民族の再興とか何とか言っているが、その実態は単なる無法者の集団だと東郷は常々思っており、駐ソ大使へ就任が決まったときは安堵したものだ。

 

「ドイツは我が国と結びたいのだろうが、沈むことが分かっている船に乗る奴はいない」

 

 東郷の後釜で駐独大使となったのは、駐独陸軍武官であった大島浩だ。

 そもそも外務省はNSDAPとは距離を置く方針であり、東郷もまたその方針に賛同している。

 だがNSDAPと独自の人脈を築いていた大島は、ドイツと組むことが日本の利益に繋がると思っている節があった。

 陸軍中央には元々親独派が多い為、そちらと組んでドイツと同盟でも結ぼうとする腹だが――もはや陸軍中央でもドイツと結ぼうという者はいない。

 

 ソ連からもたらされる資源は日本にとって、無くてはならないものだ。

 

 アメリカどころか蘭印から調達するよりも安い満州産の石油だけでなく、日本が必要とするほぼ全ての資源をソ連との貿易で得られている。

 

 日本では自動車も少しずつ増えていると東郷は聞いており、彼は専門外ながらも自動車産業が国家の発展に不可欠ではないか、とソ連を見ていると思えてきてしまう。

 

 ソ連における自動車生産台数は右肩上がりであり、それに伴って各種インフラの整備も活発だ。

 例えば道路ならば幹線道路だけでなく自動車専用高速道路網の整備も始まっている。

 モスクワやレニングラードなどの大都市には環状道路を整備し、そこから各都市へ専用の道路を構築することで物流の向上を果たすことができるという。

 これに加えて、鉄道網や空港も整備されつつある。

 

 ソ連と結ぶことができれば朝鮮半島から鉄道や道路一本で、モスクワまで行ける未来が来るかもしれない。

 それは日本にとって大きな利益がある。

 

 そして、日本にとってはもっとも恐れるべき思想も、東郷が予想していたよりもその論調は穏やかなものだ。

 

 聞くところによると10年以上前のスターリンの方針転換によって、かなり穏やかなものとなったという。

 東郷からすると、その主張は真っ当なものとしか思えない。

 

 人民――労働者や農民――を奴隷のように過酷に働かせることなく、正当な賃金を支払い、健康を損なわぬように細心の注意を払いつつ、またその労働意欲を高める為に十分な休暇を与えるべきである、という主張をスターリンは何度も繰り返している。

 勿論、主張するだけでなく彼は政策によってそれを示している。

 

 例えばソ連における労働法の取締は非常に厳しく、大きく違反した悪質な者は即座にシベリアに送られるという噂があった。

 

「文化芸術の制限なども無く、今のドイツよりは遥かに良いだろう」

 

 退廃芸術などと言って公然と弾圧するナチスから逃れてきた芸術家達もソ連には多い。

 これにはスターリンが積極的に彼らを保護したという背景もあり、ヒトラーへのあてつけか、彼らの作品だけを集めたモスクワ芸術展を開く程だ。

 労働意欲を高める一貫として、スターリンは国民に創作活動を広く呼びかけている。

 

 絵画や彫刻、木工細工や小説に漫画などのなんでもいいから、興味があるものを作ってみようというものだ。

 

「ソ連とはうまくやらねばならん……日本の生命線だ」

 

 東郷はそう呟きつつ、政府もどうするかさっさと腹を決めて欲しいと思う。

 

 それは海軍大臣の米内光政と次官の山本五十六により、投げかけられたものだ。

 

 ソ連は太平洋への出入り口として、アメリカは大陸進出への足掛かりとして日本を欲する――

 将来的にどちらかに与しなければ、双方が日本を取られないように戦争を仕掛けてくるのではないか――?

 

 

 ありえそうな未来であるが、アメリカよりはソ連を推したい東郷である。

 白人至上主義とでもいうべき思想が蔓延っているアメリカよりは、ソ連のほうがマシだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「我々はどう動くべきか……?」

 

 ホワイトハウスのオーバルオフィスにて、ソファに座りながらルーズベルトは自問自答する。

 この問いかけに対する答えは政府内でも分かれている。

 

 ドイツ・イタリアというファシスト国家を危険視する者から、ソ連と日本の接近を危険視する者まで様々だ。

 ルーズベルト個人としてはソ連は戦うよりも、友好を保った方が良いと考えている。

 

 ソ連における労働法をはじめとした、国民に対する様々な社会福祉政策は見習うべきものだと。

 そして、ルーズベルトをはじめ、民主党議員がもっとも感心したのは国民皆保険制度なるもので、低負担で高い医療を提供するというものだ。

 

 国民皆保険という名の通り、全国民の加入が法律でもって義務付けられている。

 『ゆりかごから墓場まで』というスローガンでスターリンは社会福祉政策に熱心だ。

 なお嘘か本当か分からないが、外国人がソ連国民であると偽って医療を受けようとすると、空気が綺麗で自然が豊かなシベリアの療養所へ送られるとルーズベルトは小耳に挟んでいた。

 

 ソ連へ赴いた外国人向けの医療制度もある為、そちらを使えば問題はないとも聞いている。

 

 またスターリンは経済発展にも尽力しており、その成長率は驚くべきものだ。

 世界恐慌の影響を大して受けず、順調に発展を遂げているという報告がなされていた。

 

 

「まずはドイツとイタリアだろう。特にドイツは遠からず経済的に破綻する可能性が高い」

 

 そして、そうなる前にヒトラーが暴発するのも間違いないというのは政府内では共通した認識だ。

 とはいえアメリカが不況から脱出する為には、欧州で戦争が起きてくれると非常に都合が良い。

 

 そうなった場合の商売相手はイギリスやフランスであり、ドイツの動き次第ではソ連もそこに加わると彼は予想する。

 

 WW1のように泥沼と化してくれれば最高で、アメリカは大きな利益を上げることができる。

 軍需物資の売却だけで済ませることもできるだろうが――戦後を見据えるならば軍事介入したほうが良いだろう。

 

 その為には中立法の改正と世論をうまく煽る必要があるだろうが、さすがにファシストの勢力が伸びてくるとなれば議会も賛同せざるを得ないとルーズベルトは判断する。

 同時に最悪の予想――フランスが短期間でドイツを降伏させてしまうことを防ぐ為に、支援も必要だと考えた。

 

 

 今、ドイツはどこかと戦争をしているわけではない。

 中立法には抵触しない為、今のうちに彼らが欲しがるものを密かに与えて、将来における戦争遂行能力を強化しておく必要がある。

 

 ドイツがヨーロッパで暴れまわってくれれば、利益も大きくなり、またアメリカが参戦しやすくなる。

 戦争により荒廃したヨーロッパの復興に一枚噛むことができれば言うことなしだ。

 

「早速、協議しよう」

 

 ルーズベルトはそのように決断したのだった。

 

 



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スターリン、来たるべき戦争について考える

「我々の目標はアメリカが直接介入する前に、ドイツとその占領地を全て呑み込むことだ」

 

 居並ぶ将官達へ――陸軍のトゥハチェフスキー、海軍のヴィークトロフ、そして空軍のヤーコフ・アルケン――スターリンは宣言した。

 

 彼は更に言葉を続ける。

 

「同志達の報告では、どうやらアメリカはドイツを密かに支援し、かつての戦争のように泥沼化させたいらしい」

 

 スターリンが同志達とぼかしてはいるものの、その意味合いを分からぬ者はここにはいない。

 ソ連の経済的発展が著しいのは勿論のこと、労働者や農民に対する社会福祉政策に感化される者は非常に多い。

 

 その甲斐あってか、全世界に張り巡らされているソ連の諜報網が入手できる情報は多種多様であり、またその量も極めて多い。

 それらは精査・分析・統合された上でスターリンへ届けられる。

 

 スターリンはホワイトハウスに出入りでき、なおかつソ連に情報を流しそうな人物を史実における知識で知っていた。

 

 この世界でもそうであるか分からないが、ともかく情報源が複数――それもアメリカ政府の中枢部に――あることは確かである。

 

 

「トゥハチェフスキー元帥、あなたの立場ではドイツが強化される前に叩くべきであると考えるだろうが……どうだろうか?」

 

 スターリンの問いかけにトゥハチェフスキーはゆっくりと口を開く。

 

「純軍事的に考えれば好ましくありません……しかし、強化されたところでたかが知れています」

 

 挑戦的な物言いのトゥハチェフスキーであったが、スターリンは満足げに頷く。

 彼は更に問いかける。

 

「総動員が完了する時間は?」

「3週間以内に完了します」

 

 その答えにスターリンは鷹揚に頷いてみせる。

 彼が以前より推し進めている政策には、人口増加を目標としたものがいくつもあり、その成果が出ているのか、最新の統計では人口は顕著な増加傾向に転じている。

 それに伴って動員兵力も年々増加傾向にあった。

 

 

「海軍はあまり大きな活躍はできないかもしれない」

 

 スターリンは次にヴィークトロフへ声を掛けると、彼は頷いた。

 ソ連海軍は着々と力を蓄えつつあるのだが、こればかりは地理的にどうしようもない。

 

 ソ連海軍では試験艦として建造された各種艦艇が就役し、それらの経験をもとに、独自の改設計を施したタイプの建造が少数ながらも始まっている。

 必要最低限の数で当面はやりくりする為だが、ドイツ海軍と戦うならばこれでも十分であった。

 

 なお、戦艦に関しては軍縮条約などの政治的な事情や財政的な面でイギリスでは採用できなかったものを取り入れていた。

 とはいえ、イギリス側はソ連でも作れるように、連装砲として堅実なものに纏めている。

 その主砲は42口径の38.1cm砲であったが、その設計年度が先の世界大戦よりも前であるなど、色々と不満なところもソ連側にはあった。

 しかし、何よりも最大の不満点はイギリス側がヤード・ポンド法で出してきたことだ。

 

 これは空母で採用されたアメリカ案にも言えることだが、この修正で余計な手間と費用が掛かってしまったのは言うまでもない。

 修正の為にアメリカとイギリス以外で密かに募集を募ったところ、イタリアのアンサルド社が手を挙げてくれた。

 彼らの助力を得て不満点が全て改善されたところで、ようやく建造が始まっていた。

 このとき、戦艦に関しては主砲をイタリアのOTO社製の1934年型50口径38.1cm砲へ変更されたが、こういったゴタゴタのおかげで1935年中に起工予定であったのが1936年初頭にずれ込んでいる。

 

 イギリス案やアメリカ案を採用しなければ良かったのではないか、と海軍内でも批判があったが、それでも他国が出してきたものと比べると一番バランスが良かった。

 

 

 例えばアメリカ案の戦艦はニューメキシコ級に類似したもので、主砲の威力と速力が不足していた。

 フランス案ではダンケルク級の廉価版みたいなもので、四連装砲という段階で却下された。

 ドイツ案は38cm連装砲2基・速力22ノットというもので、ドイッチュラント級の計画案を間違えて出してきたのではないか、という代物だった。

 イタリア案は世界大戦勃発により建造中止となったフランチェスコ・カラッチョロ級をそのまま流用したもので、比較的バランスが良かったものの、原設計が古いことから不採用となった。

 

 こんな具合であり、空母にてアメリカ案が採用されたのもレキシントン級やレンジャーといった大型空母の設計・建造という実績があることや、提出された設計案の中でもっとも搭載機数が多いことが理由だ。

 

 アメリカ以外の案はどれもこれも、あまりパッとしないもので唯一対抗馬となれたのはイギリス案――スペック的にはアークロイヤルに類似したもの――だった。

 

 なお、アメリカ案となる決め手となったのは随時報告を受けていたスターリンの後押しもある。

 ヨークタウン級みたいなスペックをしている、というのが彼の受けた印象であった。

 こちらはヤード・ポンド法からメートル・グラム法への変換と砕氷構造の艦首へ変更したくらいで、戦艦のように主砲を変更するなどの大きな作業はなかったが、イタリア側は砲戦を想定して20cm砲を積むのはどうか、と提案してきた。

 スターリンが却下したのは言うまでもない。

 

「早期に制海権を確保することで、バルト海からの攻撃をドイツに対して行います」

 

 ヴィークトロフの言葉にスターリンは満足気に何度か頷きつつ、アルケンへ視線を向ける。

 

「空軍は陸軍と同じく大きく働いてもらう必要がある……空冷及び液冷エンジンにおける馬力や過給器の性能向上は勿論だが、ジェットエンジンの実用化・量産化こそが勝利への近道だ」

「はい、同志書記長。空軍は万全であります」

 

 アルケンの言葉は事実だった。

 

 スターリンが早期からエンジン馬力の向上やジェットエンジン――それもターボファンエンジン――の実用化・量産化を推し進めたことにある。

 勿論、ターボシャフトエンジンやターボプロップエンジンに関しても同様である。

 スターリンの個人的な欲望として、Tu-95が早く見たいというものがあった為に尚更だ。

 

 幸いにもシュベツォフやミクーリン、クリーモフといった名だたる設計局により、これらは着実に成果を上げつつある。

 

「戦時体制への移行に関しては最短でも3ヶ月程掛かる。無論、これに関してはドイツの動きを見極めた上で、早めに開始するつもりだ……兵がいても、装備がないのでは話にならない」

 

 スターリンは史実のことを念頭におきながら、そう言った。

 そして、彼はドイツとの戦争に関して、トゥハチェフスキー達との意見交換会を始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥハチェフスキー達を見送り、スターリンは自らの執務室に戻ってきたところで、一息ついた。

 

 技術の加速現象は見られるものの、全体的な動きとしてはドイツをはじめとして各国は史実通りである。

 ドイツはズデーテンを無事に獲得し、さらなる領土回復を目指しつつ動いている。

 史実通りにソ連はミュンヘン会談に呼ばれることがなかった為、スターリンは遺憾の意を示していた。 

 

 さて、アメリカが密かにどこぞの勢力に支援する、というのは史実のことを知っていれば、いつものことであり驚くべきことでもない。

 

 むしろ、良いネタができたとスターリンとしては喜ばしい。

 

「ドイツとの戦いは迅速に終わらせねばならない」

 

 こちらの被害の軽減や戦費の削減といったものもあるが、アメリカが死の商人みたいなことをするのならば、その証拠を得る為にも必要なことだ。

 

 開戦から1ヶ月もしないうちにドイツ軍を崩壊させ、ベルリンに雪崩込めば各国に対するアリバイ作りは十分だ。

 

 

 

 あんなに速く占領されては、機密資料の焼却が間に合わなくてもおかしくはない――

 

 

 

 各国にそう思わせる必要がある。

 勿論、証拠が出てくれば御の字だが、出てこなければそのときの情勢に応じて捏造なり何なりをすれば良い。

 

 基本的にアメリカがしゃしゃり出てくると、ろくでもない事態に発展する。

 おとなしく新大陸に引きこもって、商売の時だけ出てこいというのはスターリンの思いであり、そうするにはアメリカの世論を煽れば良い。

 

 ソ連が攻めるタイミングとしてはフランスをドイツが倒した直後が最良だが、そうでなくても構わない。

 フランスと殴り合っている最中に背後から殴るのも良いだろう。

 

 独ソ不可侵条約は締結の必要性をスターリンは感じていなかった。

 そもそも極東は安定化しており、日本との友好関係は松岡達との会談以後、ますます強くなっている。

 ポーランドやバルト三国、フィンランドといったところがソ連の勢力圏であるとドイツに保障してもらったところで、どうせドイツと戦うことになるのだから意味などない。

 ソ連はドイツからの解放者として振る舞った方が利益になるのは明白だ。

 

 史実通りに動くならば来年9月には第二次世界大戦が始まるが、ソ連単独で終わらせる自信がスターリンにはあった。

 

 

「どう転ぶにせよ、来年3月くらいから戦時体制への移行を少しずつ始めるべきか……?」

 

 

 スターリンはそう呟きながら、明日にでも協議しようと決めたのだった。

 

 

 

 



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スターリン、困惑する

 ソ連には多数の合唱団・演奏団が存在する。

 スターリンは彼らを赤軍合唱団と呼称し、特にアレクサンドロフが結成したアンサンブルと内務省の管轄にあるアンサンブルが大のお気に入りだ。

 

 一方で、彼は自分のささやかな欲望に忠実だった。

 ソ連の軍歌ではないのだが、あったほうがいいのではないか、というより絶対にあったほうが良い、何故ならば自分が聞きたいから――という雑な理由である。

 

 

 赤軍行進曲――

 

 

 そう名付けられたその曲は、スターリンが自らメロディを口ずさみ、それを作曲家達に聞かせ、楽譜を作成することから始められ、作詞家達がそれに相応しい歌詞をつけて完成したものだ。

 スターリンが自らの地位と権力を最大限に活用したもので、出来栄えに大満足だった。

 

 

 その曲は勇ましい曲調で、ソヴィエトと革命を讃えて人民の敵を打ち倒し、社会主義の勝利を目指すことが歌われている。

 

 時折開かれる赤の広場における軍事パレードでも、スターリンの強い要望で演奏されている。

 そして、この曲を大規模な軍事演習の映像に合わせて挿入すればプロパガンダとしては上等であった。

 このとき選ばれた軍事演習の映像は1938年に行われたЗапад(ザーパト)38演習だ。

 

 Западは西を意味しており、ドイツ侵攻を見据えたものである。

 その為、この演習には戦車師団や狙撃師団(=歩兵師団)だけでなく砲兵師団や空挺師団、さらには空軍の戦闘機や爆撃機も多数参加しており、その結果は満足のいくものだった。

 

 

 演習のようにうまくいくかどうかは分からないが、少なくともスターリンは史実のように国土と人民、そして経済に多大な犠牲を強いるような独ソ戦は望んでいなかった。

 戦争するなら他国の領土――それが彼の考えだ。

 

 

 そして、1939年3月にチェコスロバキアがドイツによって解体されると、スターリンは戦時体制へ段階的な移行を決断した。

 

 事前に戦時体制への移行に関して、全てマニュアル化されており、それに基づいてソヴィエト連邦はその巨大な生産力と2億に迫りつつある膨大な人口を戦争の準備に振り向け始める。

 

 軍への志願が盛んに宣伝され、全ての新聞・雑誌は来たるべき戦争に対する備えと愛国心を煽る記事を載せ、ラジオでもそれはまた同じであった。

 基本的にはイデオロギーではなく、生活や家族、故郷を前面に出している。

 そちらのほうが良いだろう、というスターリンの指示によるものだ。

 

 

 ウラル以東への工場移転は行われない。

 なぜならば、総動員が完了した赤軍の弾薬消費量は生半可なものではないと試算されており、ウラル以東に工場を移転してしまうと深刻な弾薬不足に陥る可能性がトゥハチェフスキーより指摘された為だ。

 

 基本的には防御ではなく、攻勢を主眼とした作戦計画であることも影響している。

 

 兵力は狙撃師団400個、戦車師団50個であり、これらは完全に充足した状態で投入される。

 師団編成は他の列強と比較すると小型であるものの、特徴的であるのは狙撃師団を構成する各狙撃兵連隊の中にも戦車大隊が1つ存在していることだ。

 無論、砲兵に関しても抜かりなく力を入れており、戦車と砲兵に対する信仰はしっかりと赤軍には根付いていた。

 

 最終的に動員される人数は、後方の部隊なども全て含めると1000万から1500万の間に収まるくらいである、と大雑把に予想されていたが、これでも根こそぎ動員ではなかった。

 なお、史実では1500万から2000万人程度が根こそぎ動員され、そのうちの700万から1000万程度が犠牲となったとされている。

 

 スターリンは順調に戦時体制へ移行しつつあるという報告を日々受けながら、ドイツのポーランド侵攻を手ぐすね引いて待っていたのだが――

 

 

 

 

 

 

 

「何だって? ポーランドがドイツの要求を呑んだ?」

 

 スターリンは思わず問い返した。

 モロトフは努めて冷静に報告する。

 

「はい、コーバ。情報によりますと、チェンバレンとハリファックスがポーランドを説得したようです。ダンツィヒとポーランド回廊をドイツへ割譲する代わりに、それ以外の領土を保全することをヒトラーに約束させたと……ミュンヘン協定と同じような形です」

 

 スターリンは途方に暮れてしまった。

 別荘に引きこもって考えたいが、時間は待ってくれない。

 彼は問いかける。

 

「ドイツ軍に動きはあるか?」

「最後の領土問題を解決すべくデンマーク方面に集結しつつありますが……大部分はフランスに振り向けられています」

「シュレースヴィヒ北部か……」

 

 スターリンの呟きに頷くモロトフ。

 

 WW1の結果、シュレースヴィヒ北部はドイツの手を離れ、デンマークのものとなった。

 もともとデンマーク系住民が多かったこともあり、デンマークに帰属するのは妥当なものだが、ヒトラーには我慢ならないようだ。

 デンマークは抗しきれず、手放すだろうことは想像に難くない。

 

 スターリンはおもむろに書類棚へと向かい、そこからポーランド軍とドイツ軍、それぞれに関する報告書を取り出した。

 

 それらを彼は執務机の上に持ってきて、互いに見比べる。

 

「……仕方がない判断だな」

 

 彼はポーランドの判断に納得してしまった。

 

「コーバ……?」

「モロトシヴィリ、これを読み給え。ポーランドがもし拒絶していたら、彼らは大して抵抗もできず数日でドイツに呑み込まれていただろう」

 

 スターリンの言葉を聞き、モロトフもまた執務机に広げられた報告書を読む。

 そして、彼も納得できてしまった。

 

 もともとポーランドは農業国であり、また工業化が遅れていたこともあってドイツ軍に対抗できる兵器を実用化できなかったのだ。

 

 それでも史実では試作止まりであった14TPを量産・配備しているあたり、懸命な努力をしたのだろう。

 しかし、相手となるドイツ軍は既にV号パンターを主力とし、四号戦車が補助戦力となりつつあった。

 パンターが出てきたのはスペイン内戦におけるT-34の衝撃があったのだろうが、向こうが長砲身砲搭載の四号戦車なんぞ出してくる方が悪いとスターリンとしては声を大にして言いたかった。 

 ヒトラーが横槍を入れた為に四号戦車には長砲身砲が搭載されたらしいという情報もあるが、真偽はわからなかった。

 

 ともあれ、今のドイツ軍はポーランド軍が敵う相手ではない。

 そのことをポーランド側もよく分かっていた為に苦渋の決断を下したのだろう。

 

 

「戦時体制への移行はほとんど済んでしまっているぞ……」

 

 そのように言葉を紡ぎつつも、スターリンは考える。

 こっちから手を出せばヒトラーは声高に被害者であると主張して、各国に対して支援を図々しく求めることは想像に容易い。

 

 正直、ドイツを潰すことに関してはイギリスもフランスも文句は言わないだろうが、それをする為にはドイツと国境を接している必要がある。

 

 現状、ソ連はバルト三国・ポーランドに阻まれており、ドイツ侵攻をするにはバルト海からの上陸しかルートがない。

 ポーランドという障害を取り除ければ直接侵攻ができるのだが――今、手を出すとイギリスやフランスとの関係が拗れる。

 彼らとの関係が悪化すると、アメリカがしゃしゃり出てくるだろう。

 ルーズベルトが大統領であるうちは大丈夫だが、問題はその後だ。

 アメリカと張り合うのは避けたい。

 

 本当にあのチョビ髭伍長は碌なことをしない、とスターリンは内心毒づきながらもモロトフに問いかける。 

 

「ポーランドが邪魔だ。ドイツの攻撃は期待できないか?」

「ドイツは東欧に関しては現状維持でしょう。ソヴィエトはそれだけ発展し、強大化しましたので……やるとしてもフランス・イギリスを落としてからになるかと思われます」

「それでは何年先になるか分からん。最悪フランスとドイツで延々と殴り合いをし続けて、先の世界大戦と同じ展開になる……アメリカにとっては嬉しいことだろうがな」

 

 スターリンは吐き捨てるように告げて、問いかける。

 

「どの段階になれば、イギリスとフランスは我々のポーランド侵攻を許すだろうか?」

「フランスが脱落し、イギリス本土が危なくなったときでしょう。ですが、その段階に至るとアメリカが直接介入をしてくる可能性が高くなります」

「そうだろうな……」

 

 難しいことになってきた、とスターリンは腕を組む。

 そこへモロトフが提案する。

 

「コーバ、ポーランドには同志達が多く存在します。彼らはソヴィエトに対して非常に友好的であり、現在の政府に不満を抱いています……ドイツに屈したことから、賛同者は更に増えるでしょう」

 

 モロトフの言葉は事実であった。

 

 ポーランド国民からすると、イギリス・フランスは軍事的な援助をすると今年の春に約束しておきながら、実際にはドイツに飴を与えるように見えた為だ。

 またソヴィエトと直接国境を接していることから、その発展や手厚い社会保障などを間近で見てきた。

 ポーランドにはソヴィエトのような経済発展も手厚い社会保障もない。

 ポーランドを123年ぶりに独立へ導いたユゼフ・ピウスツキが生きていた時はまだ国民の不満も抑えられていたが、彼は1935年に肝臓癌で亡くなっている。

 不満は増大する一方であり、今回ドイツに対して屈服したことでそれは頂点に達しつつあった。

 

「その提案について検討したい。関係者をすぐに集めてくれ」

 

 スターリンはモロトフに対して、そう告げたのだった。

 

  

 




赤軍行進曲は某ゲームのあの曲が元ネタです。


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スターリン、世界の敵になってしまう

「イギリスとフランスは我々を見捨てた! 政府はドイツに屈した! このようなことが許されてはならない!」

 

 

 そのように叫びながらワルシャワの大通りを行進するデモ隊。

 デモの参加者は多く、弱腰の自国政府、ドイツ・イギリス・フランスに対する批判を口々に叫ぶ。

 

 ワルシャワだけでなく、ポーランドの主だった都市ではこのような光景が日常となりつつあった。

 

 ポーランド政府は対応に苦慮し、民衆の不満を和らげようにも困難であった。

 民衆の要求はダンツィヒとポーランド回廊を取り戻すこと。

 

 ドイツを相手に回して戦え、と要求しているようなもので、どうやっても勝てないことはポーランド政府が一番よく分かっていた。

 

 しかし、時間は待ってはくれない。

 政府が対応に苦慮しているうちに都市から街や村へデモは広がっていく。

 やがて、民衆の不満は外交政策から経済政策をはじめとした内政面の不満に飛び火する。

 

 

 そして遂に決定的な破局が訪れてしまう。

 

 ワルシャワで行われていたデモ行進に対して、それを見守っていた警察官達が発砲するという事件が発生した。

 響き渡った複数の銃声に現場は大混乱となり、将棋倒しとなってしまう参加者達が続出し、負傷者だけでなく死者までも出てしまった。

 

 そして、この事件の詳細が異様な速さでポーランド全土に広がってしまう。

 

 ポーランド政府は慌てて調査に動き、警察官に扮した共産党員が犯人だと発表したものの――もはや手がつけられない事態となっていた。

 各地で暴動が発生し、ポーランド政府はやむなく軍を投入するが、それは民衆の大きな反発を招いてしまう。

 

 程なくして政府軍と反政府軍による、ポーランドを舞台とした内戦が勃発し、仕掛けたソ連としてはうまくいったように思えたのだが――うまく行き過ぎてしまったことに疑問を覚えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンは執務室を歩き回りながら、疑問に思う。

 ポーランドの件だ。

 

「どうしてドイツが介入してこないんだ?」

 

 ポーランドはドイツの真横にあり、ソ連との緩衝国家だ。

 そこが社会主義国になろうとしているのに、義勇軍すら派遣していない。

 ポーランドのゴタゴタを尻目に、デンマークからシュレースヴィヒ北部を奪還し、その後はフランス方面に展開していた大半の部隊をポーランドとの国境地帯へ動かした。

 

 漁夫の利を狙って、ポーランドに侵攻をしようというのだろうが――ソ連と国境を接するというリスクをヒトラーが冒す可能性は低い、とスターリンは思う。

 

 幸いにも赤軍は既に欧州方面に展開を完了している。

 万が一、ドイツ軍がポーランドに電撃的に侵攻し、そのままの勢いでソ連に雪崩込んできても問題なく押し返せる。

 

 そんなことはしないだろうが、どうにも動きがおかしい。

 

 

「ポーランドが要求に屈した……軍事的に考えれば当然だ。しかし、チェンバレンとハリファックスがそこまでドイツに宥和的であるのは何故だ?」

 

 そう呟いて、ソ連を脅威と捉えているのかとスターリンは予想する。

 

 技術的な面での加速だけでなく、外交的な勢力バランスにおいても加速しているのだ、と彼は考えた。

 

 参加国が少なかったり違ったりするものの、欧州の勢力図だけを見れば紛れもなくWW2後の冷戦構造だ。

 

 東側陣営と言えるのはソ連だけであり、西側はイギリス・フランスとなっている。

 そして東西陣営の間に挟まれているのがヒトラー率いるドイツという具合だ。

 

 ドイツが反共であるならばイギリス・フランスにとっては問題ないのだろう。

 

「ドイツを強大化させ、ソヴィエトと戦わせて共倒れを狙っているのか……?」

 

 

 彼が予想したとき、扉が叩かれる。

 スターリンが許可を出せば、入ってきたのはメンジンスキーであった。

 

 NKVDの仕事はこれまで満足のいくものであり、今回もまたドイツの不可解な動きの原因を探り当てたのだとスターリンは確信する。

 

「同志書記長、ドイツの不可解な動き及びイギリス・フランスについて……」

「聞こう」

 

 スターリンは鷹揚に頷き、メンジンスキーの報告を聞けば――それはつい先程、予想した通りのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィンストン・チャーチルは葉巻をくゆらせながら、うまくいったと執務室で悦に浸る。

 

 欧州で戦争は起こしたくない――だが、それはイギリスが当事国になりたくないという意味だ。

 イギリスとは関係ない国々が争ってくれるのは大歓迎である。

 

 彼が海軍大臣に復帰したのはつい最近のことだが、彼が対独強硬論から対ソ強硬論へ主張を変えたのは数年前のことだ。

 

 その原因は思っていた以上にソ連が強大化してしまったことにある。

 彼は保守党の主流派と同じくドイツに国力を回復してもらい、防波堤となってもらうしかない、という結論に至った。

 

 ドイツが帝政時代の国力に戻ったところで、海上封鎖をしてしまえば先の戦争と同じように干上がる。

 しかし、ソ連には海上封鎖など意味がない。

 あの国はドイツと違って資源の自給自足ができる上に、その思想が危険過ぎる。

 

 今はおとなしくしているが、いつまた共産主義思想を広めようとするか分かったものではない。

 

 さらに厄介なのは、ソ連軍は欧州を呑み込めるだけの実力があることだ。

 最近では戦時体制に入ったようで、欧州方面の部隊は大幅に増加しているらしい。

 

 対独戦を見据えたものだろうが、それはチャーチルにとって――否、イギリスとフランスにとって望んだ展開だ。

 

 

「ポーランドには気の毒なことをしたが……あの国は独立まで100年以上待つことができた。また100年くらいは待つことができるだろう」

 

 ポーランドでの内戦、そして共産主義政権の誕生まで全てシナリオ通りに動いている。 

 

「ダラディエも渋々だが、納得してくれて良かった」

 

 ドイツへの不信感から、ソヴィエトに対する防波堤とすることには懐疑的であったフランスのダラディエ首相も、チェンバレンとハリファックスの説得によりようやく折れた。

 

 ヒトラーが東方生存圏なる構想を抱いていることや反共主義者であることはよく知られている。

 彼の夢を叶えることはイギリス・フランスにとっては利益に繋がる。

 

 ヒトラーとは既に合意しており、彼が約束を守るつもりであるのはドイツ軍の動きでよく分かる。

 独仏国境沿いに集まっていた多くの部隊が、ポーランドとの国境へ移動した為だ。

 

 

 合意内容は3つ。

 

 ドイツが東方へ勢力を伸ばす場合、イギリス・フランス両国はこれを阻止しない。

 共産主義国との戦いの場合、資源・物資をドイツへ供給する。

 上記の対価として、ドイツはオイペン・マルメディ及びアルザス・ロレーヌの獲得を諦める――

 

 

 一見、ドイツにとって有利に見える。

 だが、ソ連を倒したところで、ヒトラーの政策では内政的に行き詰ることは確実であった。

 何よりも、ソ連をドイツが倒した瞬間にイギリスとフランスは背後から刺すつもりだ。

 また、この合意によってイギリス・フランスと同盟もしくは不可侵条約が結ばれたというわけではなく、あくまでドイツが東に目を向けている間は支援するというものでしかない。

 

 ヒトラーはソ連を倒したらすぐにイギリス・フランスと戦おうとするかもしれないが、それをさせないようにイギリス政府は準備を開始している。

 

 といっても、そもそもドイツがソ連を倒せるかどうかは怪しいものだ。

 ナポレオンの二の舞になる可能性も高い為、敗北濃厚となった段階でも英仏両国はドイツへ宣戦布告する。

 

 そうすればドイツが赤化することは防げるだろう。

 

「アメリカにも一枚噛ませてやろう……ドイツとソ連が潰し合って、大きく弱ってくれれば、イギリスにとっては最高だ」

 

 

 大陸に強大な勢力ができたならば、大陸内で潰し合わせる。

 イギリスの伝統的な方針に則ったものだった。

 

 

 

 



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ヒトラーの苦悩 そして、黒いオーケストラ

 ヒトラーは総統官邸の執務室にて、思考に耽っていた。

 

「イギリスもフランスも、そしてアメリカすらもドイツがソ連を叩くことを認めたのだ」

 

 良いように使われていると言えなくもないが、ヒトラーからすれば東方生存圏の確立と共産主義者の根絶ができるならばどうでも良い。

 

 既にイギリス・フランスからの支援は届き始めている。

 何よりもヒトラーにとって大きいのはアメリカすらも支援をしてくれることだ。

 

 アメリカは国内世論の関係で大っぴらにできないが、以前より中立国経由で彼の国も物資や資源を送ってくれていた。

 

 反共という点においてのみ、ヒトラーはこの三国をはじめ、世界の国々とは協力できると考えている。

 協力できないのは日本くらいなものだろう。

 

 スターリンから届いた日本人向けの演説映像を有難がって、映画館で公開する程だ。

 噂によれば、スターリンが流暢な日本語を話すらしいが、明らかに影武者だろう。

 

 とはいえ、ヒトラーとしても、日本の立地には同情を覚えなくもない。

 常にロシアの脅威に晒され、遂にはその豊富な資源により日本は屈服させられてしまったのだ。

 

 しかし、ヒトラーにはソ連に関して大きな悩みがあった。

 

「反共十字軍といえば聞こえは良いが……問題なのはソ連軍が精強であることだ」

 

 スペイン内戦で戦ったが――強力な装備と高い練度・士気により強敵であった――それはヒトラーすらも認めることだ。

 ドイツ軍が一進一退という状況に、予想されるソ連との戦争に打ち勝つ為に強力な戦車をはじめとした兵器類の研究開発・量産の指示をヒトラーが下したことは鮮明に記憶に残っている。

 

 国防軍からはポーランドやオストプロイセンにソ連軍を引き込んで、延々と叩き続けるという作戦計画が提出されており、ヒトラーもそれを承認していた。

 ポーランドやオストプロイセンを戦場とするならば、たとえ英仏が背後から襲いかかってきたとしても、すぐに対応できる。

 

 何よりも、補給線をできるだけ短くしなければソ連軍に押し負けることはヒトラーでも分かっていた。

 

 かといって戦争をしない、という選択肢はない。

 領土の奪還はほぼ達成されており、内政に注力をしたいところであるがそこで邪魔をしてくるのは膨れ上がった借金だ。

 

 メフォ手形の償還がドイツ経済に伸し掛かりつつある。

 既にインフレ圧力は高まっており、程なくして致命的な破綻を迎えると予想されていた。

 それをどうにかする為には戦争によって、領土や賠償金を獲得し、メフォ手形の償還の為に財源を確保する必要があった。

 

 戦争以外の手段も一応存在する。

 ハイパーインフレを覚悟して、通貨を大量発行してそれを償還に充てることだが、それでは世界大戦直後のドイツに逆戻りしてしまう。

 

 

 ヒトラーは選択を迫られた。

 

 西に行って英仏と――そして先の世界大戦のときのように、後から出てくるだろうアメリカと戦うか、あるいは東に行ってソ連と戦うか。

 

 北欧方面に向かえば英仏ソの全てを敵に回す可能性があり、南は同盟国のイタリアに蓋をされている。

 

 ヒトラーは自分の望みでもある東方生存圏と共産主義者の根絶を選んだ。

 地理的にもソ連とは陸続きであることから、海軍の整備に予算や資源を割かなくても良いというのが大きなメリットであった。

 イギリスやアメリカと戦う場合、問題となるのは海軍だ。

 両国の海軍と対等まではいかなくても、最低限戦えるだけの艦艇を揃える必要があり、それによって資源と予算を大量に消費することは想像に難くない。

 

 そんな余裕はドイツのどこにもなかった。

 その為、ソ連海軍を仮想敵とすることに切り替えている。

 とはいえ、工事が進んでいた艦はそのまま建造が進められており、これにはビスマルク級戦艦2隻やグラーフ・ツェッペリン級空母1隻などが含まれる。

 

 これら以外の艦は大半がキャンセルされ、浮いた予算は全て陸空軍に回された。

 また効率的な生産体制の確立の為、軍需省を新設し、そこにヒトラーは自らが信頼するアルベルト・シュペーアをその大臣に据えた。

 彼はヒトラーの後押しもあって、フリッツ・トートが率いるトート機関――労働力の提供元――と協力しつつ門外漢でありながらも期待に応えてくれている。

 

 そしてヒトラーだけでなく、政府内や国防軍においてもソ連が近い将来に侵攻してくることは確実視されていた。

 ポーランドが間にはあるが、今の惨状を見れば例えドイツが何もしなくても、ソ連が西欧へ食指を伸ばしてくることは明らかだ。

 

 ヒトラーは事前にポーランドで騒乱が起こることはイギリスより教えられていたが、今回のポーランド内戦に関して、イギリスが裏で糸を引いているというわけではないことが国防軍情報部のカナリスより報告されている。

 

 イギリス・フランスがやったのはポーランド政府に対して、ダンツィヒとポーランド回廊をドイツへ割譲するよう説得しただけのようだ。

 それはきっかけに過ぎず、元々内政に不満があったポーランド国民を煽ったのはソ連であると結論付けられていた。

 

 勿論、こうなるだろうとイギリスとフランスが予想はしていたのだろうが。

 

 

「私は貧乏籤を引かされたのかもしれない」

 

 

 ヒトラーは呟き、自嘲気味に笑う。

 当時のドイツで力があった政党は彼が率いるNSDAPと社会民主党(SPD)、そして共産党(KPD)だ。

 ソ連と直接繋がっているのは共産党だろうが、社会民主党も怪しいものだった。

 元々、ドイツ共産党の前身であるスパルタクス団は社会民主党の急進的な連中が分離して結成したものである為、両者が繋がっていないと信じる方が無理だ。

 

 共産主義は派閥が多すぎて、よく分からないがヒトラーは全部纏めて始末すべきであるという考えを持っている。

 

 NSDAP以外ではドイツは間を置かずにソ連の軍門に下っただろう、と彼は当時から思っていた。

 しかし、現状を考えるとその2党以外では、どの政党がやっても同じではないかと思い始めている。

 

 誰がやってもヴェルサイユ条約により齎された経済的な袋小路から脱出できず、そこに加えて世界恐慌による悪影響。

 さらにはヴァイマル共和政自体が失敗であったこともある。

 NSDAPが現れるまで、どの政党も単独組閣ができる程の支持を得られず、議会は内閣不信任決議が乱発された。

 これによって共和政施行からヒトラーが就任するまでの14年間で、在任期間が1年保った首相が珍しい有様だった。

 

 政治的にも経済的にも詰んでおり、外交だけはかろうじて首の皮一枚で繋がった状態。

 それがヴァイマル共和国の実態であった。

 

 ヒトラーは弱気な考えを振り払うように首を振る。

 

「ソ連を倒せばうまくいく……そう信じるしかない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴィルヘルム・カナリスは自らの執務室で悩んでいた。

 それは対ソ戦に関するものであり、アメリカ・イギリス・フランスの支援があっても敗北は避けられないという予想が国防軍より密かに彼へ提出された為だ。

 

 カナリスとて予想していたことであり、驚くべきことではない。

 

 黒いオーケストラ――ゲシュタポがそう呼称する反ヒトラーグループ。

 それにはカナリスも参加していた。

 

 しかし、反ヒトラーグループにおいても、ソ連の影響を無視できないという意見が主流だ。

 

 反共という点においては、ヒトラーと共通している。

 だが、敗北する未来が分かっているのに、ソ連との戦いへ突き進むのは意味がない。

 その思いはグループ内において共通したものだ。

 

 またソ連軍がドイツ領内に雪崩込もうとしたならば、イギリスとフランスは赤化を防ぐ為に、背後から襲いかかってくる可能性が高い。

 

 これらによってドイツは最悪、英仏ソの三カ国によって分断される可能性もグループ内では予想されていた。

 

 

 

 そのとき、カナリスはあることを思いつく。

 

「ドイツがソ連との防波堤になるのは良いが……実際に戦争をしなくても良いのではないか?」

 

 

 外交的にソ連をどうにかできるとは思えないが、それでも永遠に軍拡をし続けることは互いに不可能だ。

 いつになるか分からないが、将来的に対立を緩める――緊張緩和へもっていき、戦争をせずに対立を終える。

 

 少なくとも、ソ連と戦って膨大な死傷者を出すよりは遥かにマシではないか――?

 

 防波堤となる代わりに、ヴェルサイユ条約の賠償金支払いの免除とまではいかずとも減額や猶予であったり、ソ連との戦いに備えるという名目で経済的な支援を引き出せることができれば――!

 

 カナリスはルートヴィヒ・ベックやカール・ゲルデラーといった反ヒトラーグループのメンバー達に、この考えを提案しようと決意したのだった。

 

 

 

 

 




ヴァイマル共和政時代のドイツを立て直せる人物がいたら、間違いなく人類史に残る英雄になれるゾ。


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スターリンの決断

 スターリンは執務机に広げられた無数の書類を眺めながら、笑みを浮かべていた。

 その書類達は全てドイツ・イギリス・フランス・アメリカへの対応に関してだ。

 

「主導権はソヴィエトにある。しかし、こんなにも取れる手段があるとはな……」

 

 外交的決着から全面戦争まで様々だが、振り上げた拳をどうするかというところから全ては始まっている。

 

 戦時体制への移行は完了し、つい先日――1939年12月4日――にはポーランド第二共和国は新たにポーランド人民共和国となった。

 そして、ポーランド大統領に就任したボレスワフ・ビェルトはソヴィエトに対して非常に友好的な人物だ。

 彼とその部下達の精力的な活動により、ソヴィエトとポーランドは同盟を締結し、赤軍部隊が同盟国の安全保障の為(・・・・・・・・・・)、駐屯している。

 

 ドイツとの国境地帯では日に日にドイツ軍部隊が増加している、という切迫した事情もあった為、赤軍に対して大きな抵抗はない。

 細かいのはそれなりにあるらしいが、ポーランドに進出したNKVDの部隊が片っ端から捕まえている為、問題にはならない。

 

 

 ソ連はイヤだが、ドイツに呑み込まれるのもイヤだ。

 ポーランドとして独立を保っていたい――

 

 

 そういう思いがあるのだろう、とスターリンは予想するがあいにくとポーランドは立地が悪い。

 残念だが諦めてくれ――彼はポーランドの名もなき抵抗者達に心の中でそう告げて、適当な書類を手にとって眺める。

 それは西欧侵攻を提案するもので、参謀本部参謀次長であるシャポシニコフが提出してきたものだ。

 これには参謀本部の作戦局局長であるヴァシレフスキーも携わっているようだ。

 

 一方、トゥハチェフスキーが出してきた案はドイツを緩衝国として、ルーマニアへの侵攻を提案している。

 ベッサラビアにおける領土問題を着実に解決しようという魂胆であり、英仏米が干渉してこないならばルーマニアごと頂いてしまおうというものだ。

 

 少なくともルーマニアに関しては英仏米とも何かしらの支援や協定があるという報告はなく、またあったとしてもドイツよりも遥かに貧弱である為、持ちこたえられないだろう。

 

 

「欧州での戦争は簡単だが、アメリカとは戦いたくない」

 

 ドイツどころか欧州赤化は問題がない。

 イギリス上陸の際には多少手間取るくらいだ。

 イギリス海軍は脅威であるが、それは乗り越えられるとスターリンは確信している。

 

 海軍力の整備は順調であるが、もうしばらく時間が必要だ。

 戦艦は元々技術的な経験を積む為に建造していたようなものでしかなく、本命は空母と巡洋艦や駆逐艦、そして潜水艦である。

 

 しかし、イギリスやフランスに手を出すと間違いなくアメリカが出てくる。

 たとえアメリカにその気がなくてもイギリスが絶対に引っ張り出す。

 

 ソ連に負けるくらいなら借金塗れになる方がマシだ――

 

 そんな風にイギリスは考えるだろう、とスターリンは思う。

 史実を知っている彼からすると、アメリカと大西洋や太平洋を挟んで対峙するのはソ連崩壊の幕開けになりそうな気がしてならない。

 

 といっても抑止力として、数年前からイーゴリ・クルチャトフをリーダーとする核兵器の研究を開始している。

 その拠点はアルザマス16と呼称されているところであった。

 これと連動して、いわゆる大陸間弾道ミサイルの研究開発も始まっている。

 

 もっとも、それらが完成するのはかなり先の話だ。

 それでも史実よりは早いかもしれないが、スターリンとしてはニジェーリンの大惨事やらチェルノブイリ事故は絶対に起こさせないよう、何よりも安全性を重視するよう口を酸っぱくして伝えてある。

 

 革新性よりも安全性を優先せよ。

 もしも安全性を軽視して事故が起きたら、責任者とその家族が非常に残念なことになる――

 

 本人だけでは功を焦るので、家族にも被害が及ぶということをしっかりと認識させるのがスターリンなりのテクニックだ。

 

 スターリンは核兵器とか原子力発電とかよりも、さっさと核融合炉を実現してくれと伝えてあるが、研究者達は明確な答えを返してくれなかった。

 

 彼としても核融合炉が簡単にできるわけもないと知っている為、特に追求はしていない。

 

 ともあれ、スターリンからすれば核兵器は勿論のこと、原子力発電も災害やテロなどの対策に多額の費用を割かねばならず、また使用済み核燃料の保管・廃棄であったり、万が一事故が起きた場合は大惨事になることからして、あんまり手を付けたくはない分野であった。

 だが、手を付けないとアメリカに遅れを取る。

 アメリカが核兵器を持った場合、それを使ってソヴィエトに恫喝をしてくる可能性はゼロではない。

 

 

「それもこれもアメリカが悪い。あの国、海に沈めて……いや、沈んでしまっては土地がもったいない。アメリカ国民……いや人民に罪はない。政治家達と軍人だけ全部纏めて異次元に消えたりしないかな……」

 

 スターリンは米帝の方が世界の敵だと思うが、それだけなら自由である。

 ソヴィエトにおいても、思想・信条・信教・言論の自由などは1936年にスターリンが主導して制定された憲法によって保障されており、史実と比較して改変したところもあるが全体的にみると良いものだ。

 

 全てにおいて共産党が指導的役割を果たすという、ちょっと他国にはない条文があるが些細なことだろう。

 

「しかし、気に食わないのはイギリスだ」

 

 イギリスの思惑に関しても、スターリンの元へ報告が入っていた。

 事前に察知できなかったのは癪であるが、それでも取り返しがつかない事態ではない。

 

 嬉々としてドイツを殴っていたら、イギリスの手のひらの上で踊らされるところだった。

 あの紳士共と、ついでにフランスに意趣返しをしてやらねばならないだろう。

 

 彼らがもっとも嫌がることに関しての提案書がある。

 

「時計の針を戻すことはできないが、進めることはできる……それは今まさに証明されている」

 

 ポーランドの赤化は史実ならばWW2後だ。

 しかし、現状はWW2が起こってもいないのに赤化している。

 

 

 行動すれば結果は出る――

 ましてや、史実よりも遥かに力のあるソヴィエトならば――

 

 

「イギリスとフランス……そして、対岸の火事だと思っているアメリカには自分の勢力圏で赤化ドミノが起きる恐怖を味わってもらおう」

 

 スターリンはイギリス・フランス・アメリカが大慌てするだろうものを選ぶ。

 

 三カ国の植民地やそれに類する地域において、ソヴィエトの思想を広め、革命を煽って武器弾薬その他色々なものをばら撒くという提案だ。

 

 他方でドイツに関してはスターリンは悩みどころである。

 

 史実よりもドイツは強くなっているが、それはソヴィエトからすると進路上にある石ころが少し大きくなった程度でしかない。

 ドイツ軍の兵器類や戦術、将兵の練度や士気など優れている点は多々あるが、そんなものは意味をなさない。

 最低でも彼らと同等クラスの兵器を、彼らが用意できる以上の兵力に装備させた上で赤軍は投入できる為だ。

 

 だが、スターリンとしては戦わずに勝てるならば、それに越したことはないと考える。

 戦争をすればどうしても死傷者は出るし、経済にもダメージがいってしまう。

 最善であるのはドイツをソ連側に引き込むことだが、これはヒトラーがいるうちは難しい上にドイツ国内の反共は強く、国防軍などその最たる存在だ。

 

 また下手に動けばドイツにおける諜報網が露見し、壊滅させられる恐れもある。

 

 スターリンは無数の書類から一つを選んだ。

 

「ヒトラーはソヴィエトと戦いたいが、現場はそうではないだろう」 

 

 その為にはソヴィエトの諜報員達――ドイツ側は赤いオーケストラと彼らを呼ぶ――を通じて黒いオーケストラのメンバーであるカナリスに働きかける必要があるだろう。

 彼ならソ連との戦争は破滅しかないと予見できる筈だ、とスターリンは判断する。

 

 黒いオーケストラにヒトラーを排除してもらい、彼らが政府を樹立したならば秘密裏に協定を結ぶ。

 それは相互不可侵条約であり、また欧州におけるソ連の勢力圏を認めさせる。

 対価として、経済的な援助をしてやってもいいだろう。

 経済を握れば、やがてその国の政治を握ることもできる。

 

 ソ連がかつてのような過激な思想ではないことを、反共のドイツ人達にじっくりと教え込むにはちょうどいい時間だ。

 選んだものに関して、早速協議しようとスターリンは思いつつ、呟いた。

 

 

「日本との同盟締結も急がねばな……」

 

 和食をモスクワで――否、クレムリン宮殿で食べられるようになりたい。

 スターリンのささやかな欲望であった。

 

 

 




スターリン憲法をロシア語のサイトまでいって翻訳かけて読んでいたけど、面白かった(こなみ

125条と126条と127条と128条とかスゴイのでおすすめです。


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スターリン、独立運動を支援する

 スバス・チャンドラ・ボースは夢を見ているのではないか、と思うほどに目の前の光景が信じられなかった。

 

 今、無数の戦車が荒野を進んでいた。

 彼らは陣形を組んで移動しつつ、時折停車して的に向けて砲撃を行う。

 それらは全てソ連製のT-44(・・・・)であったが、その車体に描かれたマークはインド国民軍のものだ。

 

 彼が率いるインド国民軍は人数こそ少なかったが、その装備はソ連軍の一線級部隊に相当するものが与えられていた。

 また、連日ソ連軍から派遣された教官達に扱かれて、国民軍の兵士達は着実にその練度を向上させている。

 

「スターリンがここまで支援をしてくれるとは……」

 

 チャンドラ・ボースにとって――否、方法や手段の違いはあれど、インドの独立を目指す全ての者にとって、ソ連が後ろ盾になったことは紛れもない大きな一歩であった。

 

 昨年、彼はインド国民会議派内での支持を失い、独自に活動を開始しようとしていた。

 そのときソ連からの密使がスターリンからの書簡を携えて、彼の前に現れたのだ。

 

 そこからはまさしく怒涛の日々であり、同時にソ連の強大さをチャンドラ・ボースはよく知ることができた。

 彼がインド国外におけるインド独立運動家達とスムーズに連絡を取ることができたのも、ソ連側の働きが大きい。

 

 また、チャンドラ・ボースはインド独立後の様々な政策に関してはソ連を手本としようと決意している。

 独立運動の傍ら、彼はモスクワをはじめとして、ソ連領内の各都市や街や村も案内され、その発展具合を見て回り、人民を等しく豊かにするというスターリンの思想に深く共感した。

 

 ソ連国外の一部の共産主義者達はスターリン主義と呼んで、今のソヴィエトは共産主義ではないと批判している。

 無論スターリンも負けてはおらず、そういった共産主義者達を痛烈に批判している。

 

 

 彼らは思想の為なら罪なき人民がどれほど犠牲となっても構わない、まさしく全人民の敵といえる存在である――

 

 

 そのように批判するだけではなく、スターリンは各国に張り巡らされている諜報網を駆使して、そういった共産主義者達の詳細な情報を各国に存在する反共的な組織に流しつつ、彼らの仕業にみせかけて始末している。

 

 さすがにチャンドラ・ボースはそういったスターリンの報復に関しては知らなかったが、共産主義の中にも色んな主張があるのだな、という程度には理解があった。

 

 

 ともあれ、チャンドラ・ボースにとって重要であるのはソ連が気前良く色んなものを供与してくれることだ。

 さすがに兵士だけは自前で集めてくれ、と言われた為、彼はソ連の助けを借りながら東奔西走し、少しずつだが確実に集まりつつあった。

 

 

「しかし、凄まじいのはソ連が支援しているのがインドだけではないことだ」

 

 ソ連側の提案によるもので、モスクワで定期的にアジアやアフリカの独立運動家達による会合が開かれている。

 そこには仏領インドシナの独立を目指すグエン・アイ・クォックをはじめ、多くの者が集まり、活発な意見交換が行われる。

 

 スターリンもこの会合には度々出席し、ソ連の立場や独立後のソ連との関係について色々と協議している。

 また、どこの地域も独立後は基本的にソ連と経済的・軍事的に連携していくことを約束していた。

 

 

 さて、ソ連はイギリス・フランス・アメリカの植民地における独立運動を支援している。

 それぞれの地域における支援先は一つにしたい、というソ連側のもっともな要求により、どの地域でも独立運動は一本化され、独立後にそれぞれの主義主張に関しては協議するという形に収まっている。

 とにもかくにも独立するのが先であるという認識においては、どこでも一致していた。

 呉越同舟だが、それでソ連の後ろ盾を得られるならば安いものだ。

 

 イギリス・フランス・アメリカが大きな戦争にでも巻き込まれれば、話は違ったかもしれないが、そのような戦争は起こっていない為、支配が弱まっていないこともあった。

 

 そこでチャンドラ・ボースは支援されるものの内訳を思い出す。

 

「ドイツとの戦いを見据えていたとはいうが……」

 

 戦車や装甲車、航空機から衣類に食料品、医薬品まで。

 戦争遂行に必要なものを全て用意してくれるが、量がちょっと多すぎた。

 ソ連軍の要求を十分に満たせるだけの国力があるのは分かるのだが、ここまで作る必要はあるのだろうか、と思ってしまう程に。

 

 

 経済的にも軍事的にも、ソ連の側にいれば間違いないだろう――

 

 

 その考えは、ソ連からの支援を受ける独立運動家達にとっては共通したものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「T-44を与えたことで、ソ連の本気が示せただろう」

 

 スターリンは呟いて、満足げに頷く。

 

 赤軍にとって、T-44はすぐに陳腐化するものでしかなかった。

 現在ではトップクラスの性能といえるかもしれないが、どんなに遅くても数年程で似たようなのが各国から出てくると予想されているからだ。

 

 既に次期主力戦車の開発も始まっており、3年以内の量産開始を目指している。

 また型落ちしたT-34が1000両程度しか生産されていなかったことも理由にあった。

 わざわざT-34を再度生産するくらいなら、T-44を生産した方が効率が良いという考えによるものだ。

 

 独立戦争により、T-44が鹵獲されて調査されることも織り込み済みだ。

 T-44には画期的な新技術が使われているわけでもなく、そもそも独立戦争が行われるのは今すぐというわけではない。

 何よりもポーランドに赤軍部隊が進出したことで、そこにいた他国の諜報員達から色々と情報が漏れ出てしまうだろう。

 

 そして現状、もっとも可能性があるのはドイツとの戦争であり、またT-44の情報が流れている可能性はある。

 とはいえ、ドイツが奇跡的に経済破綻せず、T-44を凌ぐような戦車を量産できたところで、T-44をたくさんぶつければ勝てるので問題はない。

 

 だが、いつまでも戦時体制を維持するのは得策ではない為、スターリンはトゥハチェフスキー達と協議し、ポーランドに駐留する部隊以外は順次、動員解除・平時体制への移行を始めていた。

 

 今、ドイツに殴りかかってこられても困るので、ポーランド駐留赤軍の数は多い。

 彼らの役割は戦時体制への移行及び動員完了までの時間稼ぎにあるからだ。

 

 一方、ドイツ軍の動きはほとんどない。

 ヒトラーはソ連の動員解除を好機だと判断し攻撃したがっているが、国防軍の将官達が押し留めているという報告がスターリンのところには届いていた。

 

 どうやら国防軍はソ連の本気をよく理解できたらしい、とスターリンは判断している。

 彼らも反共だろうが、負けると分かっている相手に攻撃を仕掛ける程に馬鹿ではない。

 

 スペインで彼らと本気で殴り合っておいて良かったとスターリンはつくづく思う。

 あの経験に加え、ドイツ軍が史実のようにポーランドやフランスでの電撃戦による成功体験を得ていないことも大きな要因だろう。

 

「あとはカナリスがどう動くかだ。こちらの条件に関しては伝えてあるが、乗ってくるかは分からない」

 

 スターリンが黒いオーケストラ側に提示したのは相互不可侵条約とソ連の取り分だ。

 対価としてドイツが現在確保している領土を保持することを認め、場合によっては経済的な支援も行うというもの。

 

 ドイツ国内に張り巡らせた諜報網を駆使して、カナリスに届けてもらったが――もしも黙殺された場合は致し方ない。

 しかし、スターリンは何かしらの反応がある筈だと確信している。

 

 そもそもソ連の取り分といっても、ポーランドやバルト三国、フィンランドにルーマニアといったもので全てソ連と直接国境を接している国であった。

 

 ルーマニアは少々欲張りであったかな、とスターリンは思うが、あの国とはベッサラビア問題を抱えている以上、避けては通れない。

 また、フィンランドに関してはドイツとの接近を防ぐという意味合いが大きい。

 フィンランドとの国境はレニングラードから近すぎるという問題はあるものの、フィンランド側に侵攻の意図がないのは明白であり、また史実のように力づくでどうにかしようとした場合、気候と地形が悪いことから思わぬ損害を出す可能性がある。

 

 地道に外交で交渉していくしかない、とスターリンは考えていた。

 

「力で解決できれば簡単なんだが……」

 

 今のソ連軍は地続きならどこの国と戦っても負けることはない。

 多少の損害は出たとしても、勝利できるのは間違いないと彼は確信している。

 

 しかし、それをやった場合、列強をはじめとした世界各国に与える影響があまりにも大きすぎる。

 思想の違う、経済的・軍事的大国を危険視しない方がおかしい。

 

 

「ソヴィエトが大きく動いていないからこそ、まだこの程度で済んでいる……そう思うしかない」

 

 とりあえずアメリカは消し飛べ、アメリカさえいなければ何とでもなるのに――

 

 スターリンは内心で毒づいたのだった。

 

 

 

 




T-54じゃなくてT-44だった。
申し訳ない……


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黒いオーケストラ

 

 

「どうしてソ連を攻撃できない!? 動員を解除した今が絶好の機会ではないか!?」

 

 ヒトラーは激怒するが、彼の前にいる者は小揺るぎもしない。

 ヒトラーに直言できる数少ない軍人であり、さらには一度は退役したものの、ヒトラーが自ら現役復帰を要請した人物だ。

 

 カール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテットは静かに告げる。

 

「総統、ソ連の行動は欺瞞です」

 

 ルントシュテットはボヘミアの伍長にも分かりやすいように言葉を選ぶ。

 

「欺瞞……だと?」

「はい。その証拠にポーランド駐留のソ連軍はほとんど減少していません」

 

 確かに、とヒトラーが頷いたことを確認し、ルントシュテットは更に言葉を続ける。

 

「我々が戦いを挑んだならば、ポーランドで時間を稼がれてしまいます。その僅かな時間でソ連は後方より我が軍の総兵力を上回る兵力を投入してくることは間違いありません」

「僅かな時間とは?」

「我が軍が優勢であったとしても、ポーランドよりソ連軍を叩き出すには1週間程掛かります。スペインで彼らの強さはよく分かりましたので」

 

 ルントシュテットはそう答えながら、心の中で告げる。

 それはヒトラーが聞きたくはない言葉であったからだ。

 

 

 ポーランドからソ連軍を叩き出すことに成功したとしても、甚大な被害が出る可能性が高い――

 兵器は作れば補充できるが、将兵はそうではない―― 

 

 

 またポーランドに全兵力を費やすならば良いが、フランスに対する備えにも部隊を残しておかねばならない。

 隙を狙ってフランスが戦争を仕掛けてこない保障はどこにもない。

 

 何よりも、たとえポーランド駐留のソ連軍が全滅したところで、それはほんの一部でしかない(・・・・・・・・・・)

 ソ連の動員力と生産力の凄まじさは、国防軍で知らぬ者はいない。

 そして、練度に関しても問題がないことはスペインで嫌というほど教えられた。

 

「ではどうすれば良い? イギリスやフランス、アメリカが支援してくれているのだぞ?」

「ソ連と我が国を共倒れさせる魂胆でしょう」

「それは度々言われるが……本当にそうなのか?」

「本当に反共の味方として戦ってくれるのならば、義勇軍の一つでも送ってくれるのでは?」

 

 ルントシュテットの反論にヒトラーは沈黙せざるを得ない。

 それは事実であったからだ。

 

 無論、ヒトラーも何もしていないわけではなく、義勇軍の派遣や同盟の締結などを目指して精力的に動いているのだが――のらりくらりとはぐらかされていた。

 孤立主義が強いアメリカや長年の敵であるフランスは仕方がないにしても、反共志向が強いイギリスならば可能性がある、とヒトラーは考えているのだが、どうにも成果が出ない。

 

 

 

 沈黙したヒトラーにルントシュテットは改めて思う。

 

 

 ヒトラーがいる限り、状況はこのままだ、と。

 

 

 確かに彼とNSDAPはあの情勢下では必要であった。

 実情はともかく、一時的に経済は回復し、再軍備及び軍拡を成し遂げ、綱渡りの部分も多かったもののドイツの失われた領土を取り戻したのは間違いない。

 

 反共を掲げて、英仏米の支援を引き出せたというのも功績だろう。

 

 だが、そのような支援があってもソ連を倒せるだけの力がドイツにはないとルントシュテット――否、国防軍の誰もが理解している。

 

 局地的には勝利し、ソ連側に大きな損害を与えることはできるだろう。

 しかし、そんなものは一時的なものに過ぎない。

 

 先の動員でソ連が編成した師団数は300個を確実に超えており、最大では500個師団であるとの分析が国防軍情報部のカナリスから直接報告されている。

 また、その師団全てに最新の装備が十分与えられている可能性が高いことも合わせて報告されていた。

 

 そして、ソ連軍の兵器類はドイツ軍と同等か、上回るものが多い。

 これはポーランドに張り巡らせたドイツ側の諜報網が集めてきた情報だ。

 ソ連側によって諜報員は摘発されているものの、まだ十分に機能しているのだが、齎された情報は国防軍将校達の心胆を寒からしめた。

 何よりもT-44は性能的にパンターを上回る可能性が高く、パンターに代わる主力戦車――Ⅵ号戦車の開発が急がれている。

 

 Ⅵ号戦車は45トンから50トン以内の重量に収めつつ、高射砲を転用した8.8cm砲を搭載するとのことだが、相手となるT-44は10cm砲らしきものを搭載しているという。

 

 質で同等か、負けており、量では圧倒的に負けている――

 

 これでは勝つ・負けるという次元ではなく、そもそも戦いにならない。

 そういった情報もヒトラーには届けられている筈だが、彼は中々信じてくれないようだった。

 

「どうにかできないか?」

「不可能です。もしも、可能だと答えられる者がいたとしたならば、それはドイツを破滅に導く輩でしょう」

「……そうか」

 

 ヒトラーは項垂れて、力なく答えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトラーと面会した数日後、ルントシュテットはカナリスと秘密裏に会っていた。

 

「今のままなら、あの伍長はドイツの英雄で終わることができる」

 

 開口一番、そう告げたルントシュテットにカナリスは頷いた。

 実情はともかく、ドイツの領土を回復したという快挙を成し遂げたのは事実だ。

 それはドイツ国民ならば誰もが認めることである。 

 

「ソ連と戦い、ドイツを破滅に導いたとされるよりは余程に良いだろう」

「私もその点に関しては同意する。無論、他の面々も同じ意見だ」

 

 カナリスの言葉にルントシュテットは笑ってみせる。

 

「ところで、国防軍の大半は掌握済みだと聞いたが……? 実際、どうなのだ?」

「以前より、国防軍内部にも協力者は多数いたんだ」

「ズデーテンの時か?」

 

 ルントシュテットの問いかけにカナリスは頷いた。

 あのときは、イギリス・フランスとの戦争に発展する可能性があり、そのときにも黒いオーケストラによるクーデターは計画されている。

 

 結局、イギリス・フランスが折れたことでそうはならなかった。

 ルントシュテットは問いかける。

 

「ソ連の動きは?」

「やはり、決行は少し待って欲しいそうだ。それに関しては裏が取れた」

「何が理由だ?」

 

 その問いにカナリスは不敵な笑みを浮かべ、答える。

 

「イギリスとフランス、そしてアメリカが我が国に構っていられなくなることだ。どうもスターリンはこれまでの共産主義者とは毛色が違う気がする」

「何をやるつもりだ?」

「奴らは植民地を独立させるつもりだ。膨大な武器弾薬をはじめとした物資……本来ならドイツに向けられる筈だったそれらが、各地域における独立運動組織に流れている。また、彼らがソ連領内でソ連軍によって訓練されているのも確認した」

「……戦うことになる植民地軍が可哀相になるな。将兵の練度はソ連軍には及ばないかもしれないが、士気は高く、何よりも兵器の差が圧倒的だ」

「ほぼ間違いなく世界中で独立戦争が勃発し、それは成功するだろう。そして、ソ連が裏から手を回していることもすぐに分かる」

 

 カナリスの言葉に、ルントシュテットはスターリンの意図が読めた。

 

「ソ連はイギリスやフランス、アメリカと対決をするつもりか?」

「その可能性が高いと我々は考えている。ドイツは今、岐路に立たされているのだろう」

「……悩ましいところだが、少なくとも私はイギリスやフランス、アメリカがソ連を倒せるとは思えない」

 

 ルントシュテットの言葉にカナリスもまた頷いた。

 黒いオーケストラのメンバーでも、それは同じ認識だ。

 

 フランス軍は以前よりマシになったが、それでも今のドイツ軍よりも戦力が劣っている。

 イギリス軍は海空軍はともかくとして、陸軍は数が少なすぎて話にならない。

 

 この2カ国は植民地から動員することで先の世界大戦では兵力を揃えていたものの、植民地が失われた場合、本国軍だけで戦わなくてはならない。

 一方、旧植民地は大きな支援をしてもらったソ連に対して味方することは想像に難くない。

 もしかしたら、独立後の国家運営や貿易などそういった様々な面に関してもソ連側が支援を約束しているかもしれない為、そうなれば尚更ソ連とは強固な関係になるだろう。 

 

「唯一、ソ連と戦える可能性があるのはアメリカだが……あの国は国民がそれを許さないだろうし、ソ連の工作員達が戦争をしないように、孤立主義を堅持するよう煽っている」

 

 そこでカナリスは言葉を切り、少しの間を置いて告げる。

 

「そもそもどうやったらソ連が降伏するのか、分からないがな」

 

 首都であるモスクワを占領すれば終わると言い切れないのがソ連――ロシアである。

 ナポレオンはモスクワを占領したが、ロシアを降伏させることはできなかった。

 アメリカがシベリア方面から攻め寄せれば可能性はあるかもしれないが、日本がそれを阻止する。

 同盟締結も間近と噂されており、日本とソ連の結びつきは非常に強い。

 

 日本海軍が本土近海でアメリカ海軍と戦う――それは、まさしくかつての決戦――日本海海戦の再現となるだろう。

 また、日本海軍を屈服させてシベリアに上陸ができたとしても待ち受けるのは過酷な自然環境だ。

 あるいはヨーロッパ及びシベリアの両方から同時に攻めれば良いかもしれないが、そんな兵力はアメリカといえど持っていない。

 何よりもアメリカとソ連、日本以外にも多数の国が参戦することは間違いない。

 

「ゲルデラーは何と言っている?」

「ドイツの国益となる方に立つべきだと言っている……彼がそう言うのだから、そういうことなのだろう」

 

 カール・ゲルデラーはクーデター成功後、首相となる予定の人物だ。

 反ナチスであり、また反共主義者としても知られている。

 

「スターリンの言葉を信じるしかない……その結論に落ち着くのか」

「そういうことになる」

 

 ルントシュテットの言葉をカナリスは肯定した。

 

 これまでの書簡によるやり取りで、スターリンが非常に物分りの良い人物であることは判明している。

 彼は共産党を禁止したままでもソ連の態度は変わらないと伝えてきた程だ。

 

 無論、これ以外にも不可侵条約の締結や現在の領土を保持することを認めてくれるだけではなく、さらには経済的な支援や通商条約の締結などそういったものまで、ソ連側は提示している。

 

 戦争になれば簡単に捻り潰せるという余裕もあるのだろうが、ドイツ側の事情を汲み取ってくれているのは確かである。

 

 このような破格の条件を呑まない理由が存在しない。

 スターリンの言葉が嘘でない限りは。

 

 

 ルントシュテットもカナリスも、しばらく綱渡りの連続になりそうだと思い、互いに溜息を吐くのだった。

 

 

 



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スターリンのささやかな欲望

「もう少しでイギリスの警戒が緩む……そのときがチャンスだ」

「未だに信じられないのだが……」

 

 キム・フィルビーの言葉にそう返したのはアイルランド人の男だった。

 彼は仲間とともに取引場所である、この小さな港に赴いていたのだが――それでも未だに半信半疑だった。

 しかし、フィルビーはその懸念を払拭するように、無数の木箱を指し示す。

 

 男は仲間の1人に指示を出し、手近な木箱の一つを開けさせる。

 そこにあったのはソ連製の突撃銃――AK47であった。

 他の木箱を次々と開ければ、弾薬や手榴弾、対戦車擲弾発射器など様々な武器が入っていた。

 

 これほどの量をイギリスやアイルランドの治安当局の目を掻い潜って、持ち込むのは容易ではない。

 

 しかし、男達にとって重要なのは武器が手に入ったことだ。

 これで独立を取り戻せる、という強い思いを彼らは抱く。

 

 これまでの対英闘争の結果、自治領としてアイルランド自由国が成立したが、完全に独立した共和国の設立を望む者は少なくない。

 

 彼らの仲間達の一部はアイルランド自由国の軍人となったが、不満の種はある。

 

 

 どうしてイギリス国王を我々の元首にしなくてはならないんだ――!

 

 

 その思いは消えること無く、アイルランド人ならば誰にでもあった。

 

 

 フィルビーはMI6のセクションVに勤める傍ら、人脈の構築に努めていたのだが、そこから得た情報だ。

 

 アイルランド人は独立を諦めていない、と。

 

 

 ケンブリッジ・ファイブあるいは大物5人組とも呼ばれる、フィルビー達は慎重に裏取りを行った後、駐英ソ連大使館の職員に偽装したNKVD将校に次のように報告している。

  

 

 IRAはスポンサーを探している――

 

 

 その報告を元にソ連が動いた結果が今、フィルビーの前にある。

 勿論、彼が今日ここでIRAのメンバーと会っていることは仲間達の工作によって隠されている。

 

 

 武器を手に取り喜んでいるアイルランド人の男達――彼らは皆、IRAのメンバーだった。

 だが、彼らの本格的な武装蜂起は少し後になる。

 

 これまでの指令や集めた情報からフィルビー達はモスクワ――スターリンが何を狙っているか、予想がついていた。

 

 それは心の中で思うだけであり口に出すことは決してない。

 

 

 世界中の植民地で武装蜂起させ、イギリスを混乱させる。 

 本国軍が植民地における鎮圧に赴いている最中にアイルランドでIRAが行動を起こせば、イギリスに止める力はない。

 何よりもイギリス本国軍の敵となるのはIRAや植民地における武装組織だけではない。

 

 近年、ソ連軍が編成した撹乱や偵察、破壊工作などを目的とした任務を遂行する特殊部隊――スペツナズもまた加わると予想していた。

 

 ロシア語で特殊部隊を略すとスペツナズとなり、これは特定の部隊を指す単語ではない。

 該当する部隊はいくつかあるらしいが詳細は分からない。

 

 ただ、フィルビーはソ連海軍の潜水艦が持ってきたのはIRA向けの荷物だけではないことを知っている。

 潜水艦に乗ってアイルランドにやってきた彼らはNKVDの所属とフィルビーに名乗ったが、アイルランドに潜伏するスペツナズの隊員なのだろう、と彼は予想していた。

 

 

 世界は大きく変わる――

 

 

 

 フィルビーはそう確信していた。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミハイル・コーシュキンはウクライナのハリコフにある工場にて仕事に励んでいた。

 彼は次長であるアレクサンドル・モロゾフをはじめとした、優秀な技師達とともにT-44の拡大発展型の設計開発に取り組んでいる。

 

 赤軍からは新型戦車開発にあたって、これまでにはない要求が出されていた。

 ある程度の大型化・重量増加は許容するので、乗員の行動に支障をきたさない程度の広さを車内に確保するよう求めてきたのだ。コーシュキン達にとっては有り難かった。

 

 被弾を避ける為に小型化をすると、どうしても無理が出てくる。

 スペインでの戦闘でT-34の問題点が浮き彫りになり、それの改善を目指して開発されたT-44であったが、改善があまりできていない点もあった。

 

 特に乗員の車内配置と動線については、性能を優先した結果とはいえ、あまり褒められたものではない。

 

 赤軍はこの根本的な問題の解決を求める一方で、100mm砲よりも威力のある砲を搭載するよう要求している。

 これを受けていくつかの案が並行して進められていた。

 

「いくつかの問題点はあるが、それも乗り越えられる」

 

 何しろ時間的な余裕がある。

 ドイツとの戦争に発展していたならば、こうはいかないだろう。

 

 そして、最大の好敵手となるだろうドイツが開発しているⅥ号戦車の情報やイギリス・フランス・アメリカといった国々の戦車に関する情報もコーシュキン達には届いていた。

 

 スペインでのドイツとソ連の殴り合いは、イギリスなどにも観戦武官を通じて影響を与えていることが窺われる。 

 

 実際に戦ってみないことには分からないが、カタログ上のデータを見る限りではT-44にかろうじて対抗できるかもしれない。

 

 次の戦車は対抗すらできないようにしてやろう――

 

 コーシュキンはそう思い、不敵な笑みを浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「問題は、いつにするかだ」

 

 スターリンは悩んでいた。

 それは日本との同盟締結の時期に関してだ。

 

 同盟締結に関する交渉は既に大詰めを迎えており、順調に進んでいる。

 日本はスターリンの知る史実とは大きく離れていた。

 

 満州事変や支那事変が起こっておらず、ソ連との関係が極めて良好――それが大きく日本の運命を変えている。

 

 国内開発に積極的に予算が回されたことで、史実よりも日本は国力を大きく増大させていた。

 

 さて、日本が推し進めていたソ連に範をとった国内開発で、もっとも大きな抵抗があったのは農地改革だ。

 大正時代から産業発展の為には地主制度の克服が避けては通れないものとなりつつあった。

 以前から地主層が農地改革に関して猛反発をしていたのだが、政府は国民と軍を味方につけることで強引に押し切った。

 国民は勿論のこと陸海を問わず、軍には農村出身者が多いことから彼らは積極的に政府を擁護・支援したことが功を奏している。

 

 農地改革は徹底したもので、畑作地・水田に加えて林野にまで及んだ。

 しかし、改革で自作農は大きく増加したが、土地所有者の細分化や農家の小規模化を招き、結果として非効率になってしまうという弊害が程なく現れ始めた。

 日本政府はこの対応に奔走し、自作農の数的な削減と質的向上に取り組む一方で、これによって余った労働力を吸収させる為に、企業への支援も欠かしていない。

 

 これらが一段落したのはつい最近の話であった。

 他にも大きな目玉としては、いわゆる弾丸列車計画が承認され、始動していることだろう。

 

 これには高橋是清が存命であることが大きい。

 

 さすがに高齢であることから政治の第一線からは退いているものの、彼が裏で動くことでどうにか日本は必要な予算を確保していた。

 

 

 しかし、スターリンが悩んでいるのは、そういった日本国内の事情ではない。

 イギリスとアメリカの反応だ。

 

 ソ連と日本が同盟を結んだ、と聞いて警戒するのはこの2カ国だろう。

 

 

「やはり、全ての引き金となっているのは植民地の独立だ」

 

 植民地における武装蜂起のどさくさに紛れて、日本と同盟を結んで、ヒトラーを排除して黒いオーケストラに政権を樹立してもらおう。

 

 なお、スターリンの一番の懸念は黒いオーケストラのカール・ゲルデラーだった。

 彼は反ナチスであり、なおかつ反共主義者だという情報であり、それは史実と同じであった。

 だが、彼はドイツの国益を優先するという冷静な判断をしてくれた。

 

「取れる手段が多いというのは……本当に楽なものだ」

 

 スターリンは改めて、そのように思う。

 アメリカは世論に縛られることから、ソ連のようには自由に動けない。

 また反対派を命令書にサインをするだけで、始末することもできない。

 

 何より驚くことは、スターリンはこれまで反対派を相当な人数、粛清してきたが、それでもなお史実のスターリンには及ばないことだ。

 

 

「新型戦車の開発をはじめ、軍に関しては陸海空を問わず順調だと聞いている……」

 

 そう呟きながら、スターリンは日本との同盟が締結されたならば迅速に色んな支援をしようと思っている。

 

 特に航空機のレシプロエンジンは、ジェットエンジンの量産によって数年以内に大量に余ることが確定している。

 2000馬力クラスの空冷もしくは液冷エンジンは日本にとっては欲しいものだろう。

 

 同盟国の強化は大事だとスターリンは何度も頷く。

 

 烈風や疾風といった航空機が早期に実戦配備されるところが見たい――そんなささやかな欲望が彼にはあった。

 

 

 

 

 



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スターリン、イギリスを世界の敵にしようと目論む

 その日、アフガニスタンとの国境に近い、ヌシュキという街はいつもと変わらない夜明けを迎えていた。

 しかし、すぐにいつもとは違う、騒々しい音が聞こえ始めた。

 その音はどんどんと数を増し、消えることはない。

 

 アフガニスタンとの国境地帯における警備状況を報告する為、偶々滞在していたイギリス人の将校はすぐにそれが戦車のエンジン音だと分かったが、困惑した。

 

 音の聞こえる方角的に、アフガニスタンから戦車部隊がやってきているだろうことは予想ができた。

 しかし、あの国の軍が戦車を大量に配備したなどという情報はない。

 

 そもそもアフガニスタンがインドに攻め込んだところで、勝負にならないのは火を見るより明らかだ。

 

 状況が分からないが、ともかく報告だと将校が決断したとき――彼は激痛とともに地面に倒れ伏す。

 目出し帽を被った男の姿が見えた気がしたが、程なくして彼の意識は暗転した。

 

 

 

 1940年11月6日――

 

 

 

 インド国民軍によるインド解放が幕を開けたのだが――これだけではない。

 ほぼ同じ頃、インド各地で司令部や飛行場をはじめとした軍事施設を含む、多くの施設に対する攻撃が開始されていた。

 これらの施設に対する攻撃は事前に潜入していた、赤軍の特殊部隊によるものだ。

 

 また、アフガニスタン方面から無数の航空機が編隊を組み、インドへ侵入しつつあった。

 無論、それら航空機に描かれたマークは赤い星ではなく、インド国民軍のマークであり、パイロットもまたインド国民軍仕様の飛行服を身に纏っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「振り上げた拳を下ろすにはちょうどいい」

 

 スターリンは執務室でそう呟きつつ、戦況に関する報告書を読む。

 インド解放作戦の開始から半日が経過していた。

 

 半年程前、どうしても人が集まらず、助けを求めてきたチャンドラ・ボース。

 スターリンはインド国民軍へ赤軍部隊を義勇軍として派遣するという形で応えた。

 

 戦車や装甲車などにあるマークは全てインド国民軍のものであるが、中にいるのはインド人ではない。

 建前上はインド解放の情熱に燃え、ソ連軍を退役してまで義勇兵として参加した者達ということになっている。

 

 

 その数、陸軍のみでおよそ30万人。

 

 チャンドラ・ボースが指揮を執るのは彼が自ら集めた人員のみであり、残りの義勇軍はコンスタンチン・ロコソフスキーが指揮を執る。

 

 ロコソフスキーも赤軍を退役したことになっているが、誰がどう見てもソ連軍が本格的にインドへ侵攻したようにしか見えないだろう。

 

 しかし、彼らは全員退役しており赤軍の所属ではない為、ソ連は無関係と言い張ることができる。

 

 

「必要ならば、もう30万人くらい義勇軍として派遣しよう」

 

 インド人がどれだけイギリスに味方するかにもよるが、ソ連にとってこの程度の追加派遣ならば大したことではない。

 

 何よりもインドが独立し、ソ連と軍事的・経済的に同盟を結ぶことができたならば、計り知れない利益がある。

 アフガニスタン政府には領内通過を認めさせる為、色々な支援をする羽目になってしまったが、それでも安い買い物だ。

 

 戦争は避けたいし、アメリカが出てくると面倒くさい――だが、それでもスターリンはやるときはやるつもりだ。

 勿論、その場合はイギリス側から手を出させることになる。

 そっちのほうが人民のやる気を引き出せる上、国際社会にも加害者はイギリスだと主張できるからだ。

 

 その根回しも念の為に進めている。

 各国のマスメディアには順調にソ連の息がかかった者や、あるいは感化された者が多くいる。

 彼らを使って世論を煽れば、正義はソヴィエトにありとすることも不可能ではないだろう。

 もっとも、イギリスが卑劣で汚いことをやってきたのは歴史的事実であり、それをありのままに伝えるだけで反英感情を煽れるかもしれない。

 

 またイギリスとの対決にあたっては海軍が重要であるが、スターリンは少しだけ自信があった。

 

「海軍の整備も順調だ」

 

 艦船は戦車や飛行機のように、短時間で一気に作ることはできない。

 その為、建艦計画が重要であり、現在ヨークタウン級モドキ――オリョール級空母は既に2隻が就役し、もう2隻が竣工間近だ。

 

 これを叩き台として、更にスターリンの入れ知恵で史実におけるエセックス級空母に類似したスペックを持つ艦船の設計が進んでいる。

 勿論、護衛となる巡洋艦や駆逐艦や空母艦載機の開発とパイロットの育成についても抜かりはない。

 

 史実にはなかったソ連海軍機動部隊。

 アメリカや日本からすると、こじんまりとしたものであるが、侮れない戦力を備えつつある。

 各方面に均等に配備などということはせず、まずはバルト海艦隊に集中配備する形となる。

 空母は集中運用してこそ、威力を発揮するというスターリンの考えによるものだ。

 

 また造船所の拡張や設備の増強も順調であり、建艦能力の強化は着実に進み、造船技術の蓄積と向上に努めている。

 平時である今、その能力の大半を大型タンカーや貨物船、コンテナ船といった様々な民間船の建造に振り向けられており、これらの船舶はソヴィエト国内の輸送は勿論、各国との貿易に大いに貢献していた。

 

「いよいよ日本と同盟を結ぶことができる……軍事交流も始まるから楽しみだ」

 

 スターリンがもっとも満足しているのは、日本陸軍にしろ日本海軍にしろ、資源という制約が無くなったことで存分に燃料を使って、訓練ができている点だ。

 

 他にも大神海軍工廠の建設に本格的に乗り出したらしいことが報告されている。

 史実通りに大和型戦艦の建造も始まっていたことから、今年中に1番艦の大和が就役するだろう。

 

 空母と航空機は戦艦を実戦で撃沈できるとは証明されておらず、大艦巨砲主義者達は元気いっぱいだ。

 このままいけば超大和型が出てくる可能性は大いにあり、各国においても戦艦は進化し続けるかもしれない。

 

 ソ連としても、戦艦の建造は一応続けるが、それは他国に比べて隻数も少ないものになることは確定している。

 戦艦の建造を止めて、空母のみの建造に切り替えると、他国が空母と航空機が時代の主役であると気づく可能性がある。

 なるべく気づかれる時間を引き伸ばし、その間に対艦ミサイルを開発してしまおうという寸法だ。

 

 スターリン個人としては戦艦はカッコいいし、沿岸部限定の対地砲撃に関しては効率は良いかもしれないが、建造及び維持の費用が掛かる割に空母と比べると汎用性に乏しいのである。

 そんな費用対効果の悪いものに予算と人員と資源を突っ込みたくはない。

 

 スターリンは日本のことを考えつつ、戦況報告書に視線を落とす。

 

 事前に潜入していたスペツナズ――インドは広いことから、潜入した部隊の数も多い――による破壊工作が功を奏したのか、全体的に順調だ。

 

 英印軍は混乱し、その間にインド国民軍は解放地域を順調に広げている。

 国民軍が機械化されているのは勿論のこと、インドが乾季となる11月に作戦を開始したというのも有利に働いている。 

 

 さて、イギリスからの情報によると、イギリス政府は混乱しているものの、ただちに英印軍に反乱軍の討伐を命令したようだ。

 同時に周辺地域から兵力を集めて輸送することも決まったらしい。

 

 なおソ連が関与しているという抗議文がイギリス大使経由で早くも届いたが、スターリンは関与していないと反論した上で、イギリスがインドに対してやった仕打ちを事細かに書き綴って送り返している。

 

 今のところ、それに対する返事はない。

 

 念の為にスターリンは戦時体制への移行や動員令の発令に関して、準備を進めるよう指示を下してある。

 イギリスが宣戦布告してくる可能性は否定できない。

 

「やるなら受けて立つ」

 

 スターリンは虚空を睨みながら力強く呟いたのだった。



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スターリン、混乱を利用する

 クルード・オーキンレックは未だに信じられない。

 

 たった1週間で、全てはひっくり返ってしまった。

 彼は英印軍の総司令官として、デリーにある司令部にて指揮を執っていたが、もはやどうにもならない状況だった。

 

 

 アフガニスタン国境から侵攻したインド国民軍なる連中は、インド各地で英印軍を撃破し、その占領地域を順調に広げている。

 

 インド国民軍にはチャンドラ・ボースの姿が確認されているだけでなく、国民軍側は空から大量のビラをばら撒いた。

 そのビラは独立を煽りつつも民衆は戦闘に巻き込まれない為に避難するよう求めていた。

 これと前後してガンディー率いる国民会議派が声明にて、イギリスに対してインドから立ち去るよう告げている。

 

 ところでイギリス政府は11月8日には、水面下でガンディーらにインドをイギリス連邦内の自治領として認めるという懐柔策を提示していたが、彼らはこれを拒否していた。

 

 なお史実においても、日本の破竹の進撃に慌てたイギリスは同じ提案をしていたが、ガンディーは同じように拒否している。

 

 

 チャンドラ・ボースとガンディーが裏で繋がっているかどうかは不明だが、この機会を逃すわけがないだろう。

 そして彼らの行動によって、イギリス軍がインド人を集めて、部隊を編成するというのが非常に困難になっている。

 

 幾つかのインド人部隊がインド国民軍に寝返ったという情報やインド人兵の脱走が多発しているという報告もあり、このような状況で募兵して獅子身中の虫にでもなられたら目も当てられない。

 

 

 

「今まさにインドは陥落の危機なんだぞ……!」

 

 オーキンレックは嘆かざるを得ない。

 本国軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍は、ようやく港を出港したところであり、もっとも迅速に行われる筈であった中東方面からの兵力転用に関しては中東にて反英武装闘争が激化した為、御破算となっている。

 

 

 何よりもお手本にしたいくらいに、敵軍は手際が良い。

 軍事侵攻の直前に複数の重要施設を襲撃し、こちらを混乱させた上で、空陸から立体的に攻め寄せる。

 

 おまけに質も量も向こうが圧倒的に上だというのだから、やってられない。

 何よりも痛かったのは各地の線路を複数箇所で爆破されていることだ。

 

 線路の修理は容易だが、破壊もまた容易であり、有効なやり方であった。

 これによって物資や兵力の輸送が思うように進まない。

 今朝、修理したところが昼にはまた爆破されていたり、あるいは別の箇所が爆破されているというイタチごっこの状況だ。

 

 かといって鉄道の線路を警備するだけの兵力はどこにもない。

 

 イギリスにとってインド以外の植民地においても状況は悪化する一方だ。

 

 インドにおける反乱を契機として、アジアやアフリカなどの植民地でも反英武装闘争が開始されたのだ。

 本国政府は自治領とすることを独立派に提示しているようだが、インドと同じくことごとく断られているらしい。

 

 それも当然だろう。

 ソ連が後ろ盾になって、豊富な物資と武器、人員までも供給しているのだから。

 

「インド国民軍は、どう見ても偽装したソ連軍だろう」

 

 チャンドラ・ボースも最悪の敵を引き込んだ、とオーキンレックは悪態をつくが、彼にできることは少なかった。

 

 デリー周辺にいた部隊をかき集め、再編成の上で防衛線を構築しているが、戦況は極めて悪い。

 英印軍と一括にされがちだが、英印軍とはインドを恒久的に拠点とし、在外イギリス人将校によって募兵されるインド陸軍と在印イギリス軍の2つを纏めた呼び方だ。

 後者は任期が終われば別の地域へ移動する本国軍の部隊である。

 そして、現在、インドにいる部隊の1つには最新鋭戦車であるセンチュリオンが配備されていた。

 

 

 センチュリオンはスペインで独ソの戦いを観戦した陸軍将校達が揃って従来の戦車ではまったく太刀打ちできないと上層部に直訴し、急ピッチで開発が進められたという経緯がある。

 

 17ポンド砲を装備し、装甲と速力が高いレベルでバランス良く纏まっており、独ソの戦車にも対抗できると予想されている。

 だが、本国駐屯の部隊へ配備が優先されていることもあり、在印イギリス軍に配備されているのは僅か1個中隊でしかなく、焼け石に水だ。

 

 それに対して、1両見つけたら30両くらいはいそうなのが、ソ連軍の戦車である。

 いったいどれだけの兵力を注ぎ込んでいるのか、オーキンレックは敵ながら羨ましく思えてしまう。

 

「インドにいる部隊が全て本国軍なら対抗できるが……」

 

 本国軍と植民地軍では練度や士気は勿論、装備の質において大きな差がある。

 戦車を例に挙げると、ゲリラ相手には十分戦えるマチルダをはじめとした、型落ちした戦車ばかりだ。

 これは空軍に関しても同じであり、ソ連空軍相手に数だけでなく、機体性能やパイロットの腕でも負けるという、悲惨な状況であった。

 

 オーキンレックは地図を見る。

 

 西部方面は既に敵の手に落ち、南部も数日以内にソ連軍によって完全に占領されるだろう。

 

 現在、デリーからカルカッタに通じる回廊は何とか維持しているが、それはソ連軍が南部の制圧に兵力を振り向けているからに他ならない。

 

 しかし、ビルマでも武装蜂起が起こっている為、このままでは挟み撃ちになる可能性が高く、占領地域の奪還は疎か回廊維持すらも既に危うくなりつつあった。

 

 

 

 そして、独立闘争は他の列強の植民地にも次々と飛び火していく。

 その間、ソ連は世界各地の独立闘争とは無関係としつつも、人民に対する列強の不当な搾取を糾弾し、植民地の独立を認めるよう世界各国の人民へ向けてラジオ・新聞といったマスメディアにて継続的に発信した。

 

 特にイギリスがやったことについて事細かにソ連は伝えつつ、どさくさに紛れて日本と同盟を正式に結んだ。

 

 また、これと前後してドイツでも大きな動きがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベルリン市内は物々しい雰囲気に包まれていた。

 

 市内には戒厳令が敷かれ、国防軍部隊が各所の警備にあたっている。

 そのような中、総統官邸の前に複数の自動車が到着した。

 

 それぞれの車内からベックやカナリス、ゲルデラーといった黒いオーケストラの面々が降り、足早に総統官邸へ入っていった。

 

 彼らの目的地はヒトラーがいる執務室だ。

 正確には国防軍の兵士達によって、執務室に監禁されているというのが正しい。

 

 執務室の前には数人の兵士が警備にあたっており、カナリスが代表して尋ねた。

 

「総統は部屋にいるか?」

「おられます」

 

 その答えにカナリスは頷き、そのまま扉を軽く叩いた。

 入り給え、という声が聞こえた為、彼は扉を開く。

 

 そこには寛いだ様子のヒトラーがソファに座っており、彼は激昂することもなく静かに問いかけた。

 

「諸君、これからドイツをどうすれば良いか? このようなことを仕出かしたのだから、何かしらの案はあるのだろう?」

 

 問いかけに対し、カナリスが答える。

 

「総統、信じられないと思いますが……ソ連です」

「あのスターリンが? そんなものは一時的に過ぎないだろう。君達も反共であったと思うが、いつから共産主義者になったのか?」

 

 ヒトラーのもっともな言葉にカナリスは懐から書簡を取り出し、彼へ差し出した。

 それを受け取り、ヒトラーは読み進める。

 

 そこに書かれていた内容にヒトラーは目を疑い、思わず問いかける。

 

「これは偽物か?」

 

 不可侵条約の締結をはじめ経済的な支援などの様々なことが書かれていた。

 その一方で幾つかの地域をソ連の勢力圏と認めるように、とされていたが、それらはヒトラーからしても納得ができる部分だ。

 

 正直、ドイツにとって話がうますぎる。

 

「総統、もしもスターリンにその気があったなら、あの時、動員を解除していません。それにスターリンの思想は我々が知っているような共産主義者とは違います」

 

 カナリスの言葉にヒトラーは問いかける。

 

「あのソ連を信じられるのか?」

「信じることがドイツの国益にかなうのならば信じます。少なくとも、八方塞がりの現状を打破する手段にはなるでしょう」

 

 問いに答えたのはゲルデラーだ。

 ヒトラーはその言葉を受け、呟くように告げる。

 

「……ソ連と結ぶのならば、私やNSDAPがいては邪魔になる。ただ、我々はドイツのことを第一に考えて行動していた。それだけは確かだ」

 

 ヒトラーの言葉を受け、カナリスが告げる。

 

「それはドイツ国民ならば誰もが認める事実です。あなたはドイツが失った領土を、綱渡りとはいえ外交で取り戻してくださいました。あなた以外ではできなかったことでしょう」

「……ありがとう。そう言ってもらえるなら私としても満足だ。ソ連とスターリンにはくれぐれも気をつけてくれ。油断のならない連中だ」

 

 そこで言葉を一度切り、ヒトラーは黒いオーケストラの面々に向かって告げる。

 

「私は政治の場から引退する。親衛隊の武装解除をただちに行おう。無用な衝突はドイツの敵を利するだけだ」

 

 ヒトラーはそう宣言したのだった。

 

 

 



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スターリン、満足する

短め。


 

「ヒトラーはこんなに物分りが良い人物だったのか、と疑問に思っていたが……なるほど、そういうことか」

 

 スターリンはヒトラーに関する調査報告書を読み終えて、彼が潔かったことについて納得した。

 

 ヒトラーは諸々の後始末を済ませた後、すかさずとある女性と入籍していた。

 その結婚式は親しい者達のみで行われたらしい。

 

 どうにもヒトラーの物分りが良すぎて、何かを企んでいるんじゃないかとスターリンが疑って調べさせたが、政治的なものではなく、どうやら個人的な企みだったようだ。

 

 愛する女性と結婚した彼は購入した住宅で、日がな一日、回想録を執筆したり、絵画を描いたりと悠々自適な隠居生活を送っているらしい。

 

 ドイツ政府もヒトラーには一定の配慮をしているのか、夫妻の邪魔にならない程度に遠巻きに警備の人員を配置しているとのこと。

 

 近所の子供達にはアディおじさんと呼ばれて大人気らしく、ヒトラーも彼らの似顔絵を描いてやったりしているそうだ。

 

 史実のように戦争によって、ヒトラーが精神的に消耗していなかったというのも大きいだろう。

 

 

 

「彼の絵を幾つか購入してみるか……」

 

 スターリンはそう呟きながら、思考を切り替える。

 

 

 1941年3月の段階で、インドはインド国民軍によって全土占領が成し遂げられ、イギリス軍は降伏するか、ほうほうの体で逃げ出した。

 事前に情報があったセンチュリオンも大した数ではなく、また火力も装甲もT-44には劣った為、問題なく撃破し、回収して調査に回されている。

 

 

 スターリンからすれば彼らがセンチュリオンを出してきたのは、驚くべき成果だが同時に頷けるものでもある。

 

 T-34と長砲身75mm砲搭載の四号戦車の殴り合いやそれらが歩兵支援などをする様子を見て、衝撃を受けない方がおかしい。

 イギリス軍の歩兵戦車と巡航戦車の2本立てという概念を木っ端微塵にするには十分だったのだろう。

 独ソともに1種類の戦車によって、当時イギリス軍が配備していた戦車では到底なし得ない高いレベルで、万能的に仕事をこなしていたのだから。

 T-34と四号戦車、それぞれ撃破された車両を現地で調査しただろうことは想像に難くない。

 何よりも、イギリスは変なものを開発するときも多くあるが、偶にこういう奇跡的なものを開発することもある――という先入観もスターリンにはあった。

 

 

 とはいえ、センチュリオンがあったところでT-44の方が数的にも性能的にも優越しているのに変わりはない。

 もしも史実と同程度――マチルダやクルセイダーあたり――あるいは、それに毛が生えた程度の戦車であったならば、イギリス軍とソ連軍の間には、どうしようもない程の絶望的な差があった。

 現状ではその差が僅かに縮まった程度に過ぎず、たとえイギリス軍が20ポンド砲搭載のセンチュリオンを出してきたところで、その頃にはT-44を上回る新型戦車をソ連が投入している。

 

 また大口径の滑腔砲や既存の装弾筒付徹甲弾に代わる装弾筒付翼安定徹甲弾の研究開発も進められており、これらは10年以内の量産開始を目指している。

 将来においても差が縮まることはないだろう。

 

 

「インドだけでなく、ビルマからも独立派がイギリス軍を叩き出した。どちらも今はゴタゴタしているが、それも程なく落ち着くだろう」

 

 スターリンはそう呟く。

 

 全体的に植民地における武装闘争はそれぞれの独立派にとって有利に進んでいる。

 

 インドは地続きであったから、赤軍部隊を大規模に派遣できた。

 しかし、海を隔てているとそうはいかない。

 

 故にゲリラ戦術を徹底している。

 ジャングルや森、山岳などを最大限に利用して一撃離脱を繰り返し、正面からは戦わない。

 

 イギリスだけでなくフランスも本国軍を大々的に投入する動きがあったが、それはドイツによって阻止された。

 ドイツ政府は軍縮に努めつつも、国防軍部隊をフランスとの国境に移動させた為だ。

 

 そもそも歴史的にドイツにとってフランスは仇敵であり、ソ連から殴られる心配が無くなった為に独仏国境地帯へ防衛の為に兵力を動かすのは当然であった。

 

 フランスからすると本国軍を動かした瞬間に、ドイツ軍に殴られるという恐怖から植民地に出せる兵力は中途半端なものとならざるを得なかった。

 イギリス程ではないが、それでも世界各地に植民地を持つフランスからすると独立派を抑えるには、その程度の兵力では全く足りなかった。

 

 

「フランス植民地が独立すれば、そこを通じてイギリス植民地における独立派を支援できる。アメリカも足元に火がついている状態で、他を助ける余裕はないだろう」

 

 フィリピンだけでなく、実質的なアメリカの植民地といえる中南米諸国。

 そこにある反米組織にスターリンは手厚い支援をしている。

 

 中南米を不安定化させれば、それだけ外に構う余裕は無くなる。

 ソ連が黒幕だと分かって英米仏が宣戦布告してきたならば、しめたものだ。

 イギリスとフランスはソ連単独か、ドイツが乗ってきたならば協同で落とし、アメリカに関してはひたすら迎え撃つ方針だ。

 

 いくらアメリカとはいえ、大量の将兵が戦死すれば世論が和平に傾く。

 膨大な生産力とそれを支える経済力があったとしても、100万単位で死人が出たら戦争を続けられない。

 それが唯一の弱点であり、そのような損害を与えるには海上を進む船舶を攻撃して、海の藻屑にしたほうが効率が良い。

 どんなに兵器を補充できるとはいえ、死んだ将兵を蘇らせることはできないし、育成にも時間は掛かる。

 

 人的資源における消耗戦に引きずり込むことこそ、アメリカとの戦いにおける勝利への道だとスターリンは考えている。

 

「これまで以上に海空軍の強化が重要になるが、着実にやるだけだ。一足飛びにやったところで、失敗しては意味がない」

 

 スターリンはそう確信しつつ、太平洋の抑えの為に日本をもっと強化すべきだという結論に至る。

 さすがに軍拡によって経済破綻するという程に行き過ぎたりはしないだろうが、スターリンとしては心配だ。

 

 日本海軍は現在、山本五十六が中心となって空母の増強と航空隊の整備に着手している。

 WW2が起こっていない為、現状は第三次ヴィンソン案だけが議会によって成立したに過ぎない。

 まだスターク案が出てきていないことから、日本海軍もそこまで慌ててはいなかった。

 

 そしてソ連と同盟を結んだことで、日本陸軍は一安心、日本海軍は後顧の憂いなく軍備の充実に取り組んでいる。

 中止になったG14型空母や改大鳳型だけでなく、史実には無かった空母が出てくる可能性も大いにある。

 

 2000馬力クラスの液冷もしくは空冷エンジンの供給や現地で生産する為の技術指導も始まったが、日本での生産開始はしばらく先になりそうだ。

 日本側の工作精度や品質管理をはじめとした、工業製品の大量生産に必要不可欠な要素がその水準に達していない。

 

 史実よりは多少改善されているが、見違えるようなレベルではなく、その程度の変化ではスターリンにも分からなかった。

 ともあれ、2000馬力クラスのエンジンをソ連が供給することで、早速新型機の開発が始まっているという。

 

 烈風や流星、疾風などが出てくるのも遠くないだろう。

 

「ジェット機が本格的に登場するまでの短い間だが、それでも楽しみだ」

 

 そう言って、スターリンは満足げに頷いたのだった。

 

  




イギリス「はぁはぁ……センチュリオンだっ! どうだっ!?」
スターリン「おっ、頑張ったな! じゃあ、今後出てくる戦車達を特別に教えてあげよう! 早いものは数年以内に出てくるぞ!」
T-54・T-62・T-72「対戦よろしくお願いします^^」
スターリン「戦車以外にも色んな陸戦兵器の新型を順次投入するからな。空軍はジェット機に切り替えて、海軍もジェット機運用を前提にした空母を建造するから。あ、各種ミサイルも並行して配備するからよろしくな」


イギリス「」
フランス「」
アメリカ「」
ドイツ「」
日本「」


ムッソリーニ「そんなことよりパスタ美味しい」


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頼みの綱はソ連

 山本五十六は改めて、ソヴィエトの強大な国力に驚嘆してしまう。

 航空本部長と海軍次官を兼任するという立場であるからこそ、余計に理解できてしまった。

 海軍大臣である米内光政も、ソ連に関しては終始驚くばかりだ。

 

 同盟を結び、ソ連との人材交流や技術指導、はては望んでも得られなかった大馬力エンジンの格安な大量供給という至れり尽くせりの状態だ。

 

 山本や米内にとって、何が恐ろしいかというとこういうこと――同盟国への大規模援助――を片手間でしながらも、世界中で欧米から植民地の独立を支援しているところだ。

 既にインドやビルマをはじめとし、インドシナなどの幾つもの地域がイギリス軍やフランス軍を叩き出して、独立を宣言している。

 ソ連が真っ先にこれらの国々を国家として承認し、日本とドイツがやや遅れて承認するという形になっている。

 そして、新たに独立した国々を通じて、ソ連が未だ独立戦争の真っ最中である地域に手厚い支援をすることで、独立派が有利に立つという展開だ。

 

 

 日本国内ではソ連に続き、日本もアジア解放に努めるべし云々という主張もあるにはあるが、支持を得られていない。

 アジア解放といったところで、残っているところ――フィリピンはもとより、蘭印などでもここ数ヶ月程で独立闘争が激化しつつある。

 

 欧米の植民地は漏れなく、独立戦争の真っ只中だ。

 どこを解放するのかという話である。

 

 何よりも国内開発は途上であり、国内が終わったならば台湾の大規模開発が既に決定されている。

 一方で、政府や陸軍にとって悩みの種となっているのは朝鮮半島の存在だ。

 帝政ロシアとの緩衝地帯として確保したのだが、その後継国家であるソ連と同盟を結んだ今となっては軍事的にそこまで大きな意味を持つわけではない。

 維持費用も安いものではなく、この処遇を巡って度々議論が巻き起こっている。

 なお関東州に関しては大陸との貿易拠点であり、こちらは手放すわけにはいかない。

 

 陸軍も朝鮮半島に駐屯する兵力を削減し、予算を浮かせたいという思惑があるらしいが、領土を手放すという事実に国民が賛成するとは思えない為、宙に浮いている状態だ。

 

 日本がカネを出さなくて良い状況になる為には、独立させるか、あるいは他国へ売却するかのどちらかだ。

 独立させたところで日本が併合する以前の状態に国民生活が戻るのではないか、余計な火種を作らないか、アメリカやイギリスあたりが入れ知恵をして日本やソ連と敵対するのではないか、などと様々な懸案事項がある。

 

 ソ連に売却するという案もあり水面下で政府は交渉しているようだが、ソ連から土地は欲しいが人はいらない、という趣旨の発言があったらしい。

 

 念願の不凍港であるのに、すぐに飛びついてこないあたり、ソ連は朝鮮半島について何かを知っているのかもしれない。

 

 山本は頭を左右に軽く振り、政治的なものを思考から吹き飛ばす。

 

「今、重要であるのは海軍の整備だ」

 

 今年8月(・・)には大鳳が起工されているが、山本からすればようやく第一歩といったところである。

 大鳳を叩き台として、発展的な大型空母を建造する必要があると彼は考えており、それは今年度策定された建艦計画に反映されている。

 

 ソ連海軍でもオリョール級なるアメリカのヨークタウン級に似た空母があるが、彼らも次期大型空母の設計が完了し、既に2隻が起工しているという。

 

 山本が以前に考えた通り、ソ連海軍は戦備を着実に整えつつある。

 とはいえ、彼らとの交流により得られたものもある。

 これによって大鳳は設計を変更した為、本来予定していた7月の起工が1ヶ月遅れてしまったのだが、艦船の補充を短期間にできない日本にとっては不沈性を高める為には致し方ないことだ。

 

「ソ連海軍は空母について良く研究している」

 

 魚雷や爆弾命中といった衝撃により、ガソリンが漏れ出し、艦内に気化して充満する可能性をソ連海軍は気づいており、彼らによって指摘されたのだ。

 

 オリョール級ではそれを防ぐべく、様々な対策を講じているが日本はどうしているか、と。

 

 山本ら用兵側も造兵側も、それによって気付かされた。

 あるいは気づいている者もいたかもしれないが、そういうのを指摘できる組織構造であるかというとそうではない。

 今後の改善点だろう。

 

 それはさておき、ソ連海軍と日本海軍で共通している点もある。

 飛行甲板の装甲化だ。

 

 ソ連海軍は次期空母まで甲板は非装甲だが、その次からは装甲化することを決定しているとのこと。

 しかし、山本は大鳳が飛行甲板に装甲を施す上で、重心が高くなってしまう為、苦労したということを聞いていた為、気になってその解決をどうするかと尋ねてみたことがある。

 

 ソ連海軍の答えを聞いた時、山本は呆れつつも感心してしまったことを鮮明に覚えている。

 

「船体を大型化させてしまえば、設計上の妥協をしなくて済む……理論的にはそうなんだがなぁ……」

 

 山本はソ連海軍が出した答えを呟いた。

 

 ソ連側によれば、彼らが予定している装甲空母は6万トンクラスになるらしい。

 大和型に匹敵する規模の巨大空母であるが、日本で作るには大艦巨砲主義を信奉する面々からの激しい反対があるだろう。

 

 山本からすれば羨ましい限りだ。

 

 とはいえ、他国のことを羨ましがっているだけでは始まらない。

 日本海軍における建艦計画――マル5計画では、大和型を超える戦艦及び大鳳を超える新型空母の建造が決定されている。

 

 大鳳を超えるといっても5万トン以内には収まる。

 マル5計画では戦艦の比重を抑え、空母や航空隊の増強を見据えたものであり、昭和25年にはその整備が完了する予定だ。

 艦艇建造・航空機製造だけでなく、様々な設備・機材の拡充や導入といったものも含まれている為、多額の予算が掛かるが、今や日本が戦争する場合、その相手はアメリカに限られる。

 

 戦わないに越したことはないが、それでも備えを怠ることはできず、予算はどうにか成立していた。

 

  

「航空機もソ連側から提供される2000馬力級のエンジンを、量産できるようにせねばならない」

 

 ソ連は気前良く大量に供給してくれているが、いつまでもおんぶに抱っこでは日本の沽券に関わる。

 ソ連側も協力的であるのは救いで、ソ連では型落ちしている工作機械を大量に安く売ってくれている。

 

「ソ連からすれば、在庫整理にちょうど良いだろうが、日本にとっては有り難い……しかし、こういう工業力の増強には時間が掛かる。もしもアメリカとの対決が避けられないならば、どうにか時間を引き伸ばさねばならない」

 

 そのアメリカは現在、フィリピンやら中南米での反米闘争やらで、よそに関わっている暇がない。

 ソ連が裏から手を回してくれている為だが、アメリカでは鎮圧の為に軍事予算が増強されたという情報が入っている。

 

 どう転ぶか分からないが、山本からすればできることをやるだけだ。

 

「ソ連の支援がある現状では最低でも1年は対等以上に戦えるが、それから先はどうなるだろうか……」

 

 本気を出したアメリカがどの程度の軍備を整えるか、山本には想像もつかない。

 連合艦隊を数個分は揃えてきそうであり、そうなったら数で押し潰される。

 

 頼みの綱はソ連だ。

 アメリカ軍に対抗できる程の数を揃えてくれれば、何とか勝てるかもしれない。

 

 しかし、最終的にはソ連頼みとなるにせよ、そうなるまでに最低でも連合艦隊1、2個分程度の艦隊は潰しておかねば日本海軍として示しがつかない。

 

 虎の威を借る狐となってはならないのだ。

 

 その為には技術力向上や兵器の研究開発・量産を大前提として、猛訓練とそれによって培われる強靭な精神力。

 

 山本はそのように考えるのだった。

 



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スターリンの野望

 青空には陽光を受け、煌めくものがあった。

 それは緊密な編隊を組み、今まさに獲物へ殺到せんとする襲撃機の群れだ。

 赤い星を胴体に描き、ソ連空軍が誇るIL-2は数多の目標へ、攻撃を開始する。

 

 IL-2による航空攻撃の後、動き始めたのは砲兵達だ。

 赤軍が誇る砲兵達は、様々な火砲・ロケット砲を総動員し、圧倒的な火力を叩きつける。

 しかし、堅固な陣地に籠もった敵部隊は鉄の嵐を受けたとしても生き残る。

 

 やがて、砲撃が収まるとすかさずに戦車部隊が進軍を開始する。

 彼らに付き従うのは歩兵戦闘車(・・・・・)や装甲車に乗車した歩兵達だ。

 

 

 空陸一体の波状攻撃でもって、ソヴィエトの敵を完全に粉砕する――

 

 

 これはソ連軍による演習――Запад(西方)41であったが、行われた演習は陸上だけではない。

 

 

 Океан(海洋)41演習――

 

 バルト海艦隊だけでなく黒海艦隊・北方艦隊・太平洋艦隊や空軍の航空部隊なども動員した、合同演習が1ヶ月間に渡って実施された。 

 

 そして、これらの演習は日本やドイツといったソ連と緊密な関係にある国々から派遣された将校達が観戦している。

 インドやビルマなどの独立したばかりの国々の将校達だけでなく、日本やドイツの将校達ですらもこれには大きな衝撃を受けていた。

 

 

 陸空軍だけでなく、海軍も侮れない――

 

 

 その認識を彼らに植え付け、同時にソ連の求心力を更に高めるのに十分であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スターリンは大変満足していた。

 それはひとえに、9月と10月に行われた演習が2つとも成功裏に終わったこともあるが、以前より密かに進めていた条約が纏まりつつあったことだ。

 

 既に英仏の植民地は支援したところは粗方、独立を果たしているものの、火種は残っている。

 

「本当にイギリスとフランスは碌な事をしない」

 

 分かりやすいのはアフリカで、定規で引いたような分け方である。

 現地の事情を考慮せず、緯線と経線で地域を分けたやり方は大きな禍根を残していた。

 

 その解消の為に、ソ連は当初から大きな労力を払い、どうにか交渉を纏めつつある。

 独立を支援してもらったことや独立後の面倒も見てくれるということから、独立の為に戦った者達がソ連の言うことは一応聞いてくれるのが大きい。

 

 

 文化や風習、慣習が多様であり、スターリンとしては手を出したくは無かったが、放置していると絶対に内戦を始めるという予感があった。

 そうすればイギリスあたりがまたちょっかいを掛けてきて、面倒くさいことになる。

 その為には嫌でもソ連が解決にあたるしかない。

 

 アフリカと同じか、それ以上に面倒なのが中東で、スターリンはどうやったらブリテン島を海に沈められるか真剣に悩んだ程にストレスだった。

 中東情勢は複雑怪奇であるが、とりあえずイギリスが根本的に悪いことだけは分かっている。

 

 パレスチナ問題という最大の難問がスターリンを待ち構えていたが、幸いであったのはソ連の立ち位置だ。

 当たり前の話だが、ソ連はイギリスがやらかしたパレスチナ問題に関して一切関与していない。

 そもそも中東での権益を保持していたのはイギリスとフランスであり、この2カ国を叩き出したのがソ連だ。

 

 とはいえ、この問題に手を出した場合、大変面倒なことになるのは間違いない。

 故に、ここまで拗れる原因となった全ての責任はイギリスにあるとした上で、ソ連は双方から依頼があれば調停役となるが、基本的にはどちらにも肩入れしないと早々に宣言していた。

 清々しい程の逃げっぷりであるが、軍事的・経済的に解決できる問題ではない為、この判断も仕方がなかった。

 

 中東の権益は欲しいが、リスクがあまりにも大きすぎる。

 

「敵国を倒して終わり、というだけならいいのだがな……宗教が絡んでいる問題に手を出すのは碌な事にならない」

 

 そう言いつつも、スターリンは自分の予想よりも中東が比較的平和であることが不思議でならない。

 イギリス・フランスが消えて、彼らを叩き出したソ連も不介入を宣言したならば、ユダヤとアラブの血みどろの戦いでも始まるかと思えば、そんなことはなかった。

 列強が介入してこないのが良いのかもしれないが、いずれ始まるかもしれない。

 たとえ、そうなったとしてもソ連は不介入を貫く。

 

 中東においてソ連は情報収集に徹しつつ、イギリスやフランスが手を出しそうになったらアラブ・ユダヤの双方に連絡するという形だ。

 

 イギリスやフランスの言うことを今更信じるかという疑問はあるが、ともあれソ連や同盟国がテロの対象にならなければ良い、というのがスターリンの出した結論だ。

 

  

 そして、その同盟国は近々大きく増えるだろう。

 スターリンが進めている条約とは、集団安全保障体制構築及び集団的自衛権発動を目的としたものだ。

 

 既に同盟を結んでいる日本、不可侵条約に留まっているドイツ、また他の独立したばかりの国々や、ソ連にとっても利益がある。

 

 英米仏がこの同盟に対抗して、軍事同盟を結んだら冷戦構造の完成だ。

 しかし、核兵器が無い為に全面戦争になってしまうかもしれない。

 無論受けて立つが、できれば日本やドイツの強化や新しく独立した国々が安定するまでは引き伸ばしたいのがソ連の本音である。

 

 それを防ぐ為にも、アメリカを中南米で反米組織との戦いに引きずり込んだままにしておく必要がある。

 幸いにもアメリカ国内では中南米の不安定化を重大な脅威と捉えており、諸国へ軍事顧問団の派遣などが行われている。

 しかし、密林や山岳といった自然環境に阻まれて、思うようにゲリラの掃討はできていない。

 抗議文が外交ルートを通じて来ていることから、ソ連が支援していることはバレているだろうが、致命的な段階ではない。

 NKVDの報告によれば、アメリカ政府内でもソ連と戦う・戦わないで意見が割れているようだが、戦わないというハト派がやや優勢とのこと。

 

 どうやったらソ連を降伏に追い込めるのか、という問いにタカ派は答えられないらしい。

 

「このまま泥沼化させ続ければ、どこかでアメリカも耐えられなくなる。勝っているのか負けているのか分からず、予算と人員だけが延々と消耗し続ければ厭戦気分も蔓延する……」

 

 そこまでいけば、ソ連相手に戦争を起こす気力はなくなるとスターリンは考えている。

 アメリカは新大陸に引きこもっていろ、というのが彼の持論だ。

 

 スターリンは溜息を吐き、執務机の上に置いたマグカップを手に持つ。

 そして、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜りながらカレンダーを見る。

 

 スケジュール的には十分に時間があり、どうにかあの日に間に合いそうだ。

 

「しかし、本当に時計の針を進めることができている……科学技術面に関しても著しいが、インターネットはまだ遠い……」

 

 スターリンは叶わぬ野望を心に抱いている。

 

 短文投稿サイトや巨大掲示板サイトで、スターリンだが何か質問あるかと問いかけてみたい――

 

 あるいは動画投稿や配信をしたりなど色々とやりたいことはあるが、どれもこれも自分が生きているうちに叶いそうにない。

 

 

「インターネットがあれば、ソ連の文化や芸術の発信も簡単で広がり方も速いんだが……」

 

 現状でも色々とやって日本やドイツなどに発信しているものの、まだまだ認知度は低い。

 地道にやるしかなかった。

 

「ともかく、最優先は条約の締結だ。個人的にはワルシャワでやりたかったが、東欧諸国の同盟ではなく世界的な同盟だ。モスクワになるのも仕方がない」

 

 ワルシャワ条約機構――WTOではなくモスクワ条約機構――MTOになる。

 世界貿易機関ができるか分からないが、たとえできたとしても混同せずに済むな――

 

 スターリンはそんなことを思いつつ、執務を再開するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは1941年12月8日のことだ。

 

『臨時ニュースを申し上げます! 臨時ニュースを申し上げます!』

 

 アナウンサーの興奮した声に、多くの者が何事かとラジオ放送に耳を傾ける。

 それは日本がモスクワで、ソ連主導による多国間同盟を骨子とした条約に調印したことを伝えるものであった。

 

 

 

 



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スターリン、勝利を確信する

 今や世界は二分されてしまった。

 ユーラシア大陸及びアフリカ大陸の大半はドミノ倒しのように恐るべき勢いで赤化し、モスクワ条約締結に伴い、抵抗を示していた東欧や中欧の国々も抗しきれずソヴィエト連邦の軍門に下った。

 

 イギリスは連邦諸国及び友好国と緊密に連携し、この脅威に断固として対抗すべきである――

 

 

 1942年1月12日――

 ウィンストン・チャーチルは首相就任演説にて、そう述べた。

 演説の内容を知ったスターリンはただちに声明を発表し、その中でパレスチナ問題をはじめとするイギリスの植民地政策を大いに批判する。

 しかし、この声明に関してイギリスは反応を示すこと無く黙殺した。

 

 

 ともあれモスクワ条約により、ソヴィエト連邦を中心とする多国間同盟が組まれたことは世界にとって、多大な衝撃を与えることとなった。

 これまで旗幟を鮮明にしていなかった欧州諸国――特にイタリアやハンガリー、ルーマニアやブルガリアなどのソ連から程近いところにある国々にとっては、踏み絵を迫られたようなものだ。

 これらの国々で同盟を結んだとしても、ソ連から攻められては敵う筈もない。

 また英仏も植民地が独立してソ連側についたことで対抗できるか怪しいものだ。

 アメリカは中南米の安定化に躍起になっており、そもそも旧大陸には不干渉の立場である為、助けてくれる可能性は低い。

 なお、一連のソ連による植民地独立支援工作は当初は英仏米の植民地を対象としていたが、程なく他の欧州諸国が有する植民地においても独立支援が行われ、こちらは英仏米程に宗主国が強大ではなかった為にあっさりと独立を果たしている。

 

 これまで態度を明らかにしていなかった国々が決断するきっかけとなったのは、ソ連がモスクワ条約に加盟している国々には経済支援をはじめとした多種多様な支援を行っていると発表した為だ。

 

 インドやビルマなどの新規独立国に対しては勿論、日本やドイツに対しても様々な支援を行っている為、現状を世界に知らしめた程度に過ぎないが効果は覿面であった。

 他にもソ連が思想の押しつけを同盟国に対して行っていないというのも大きい。

 

 さて、イタリアは以前からの課題であった経済的な行き詰まりを打開できず、更には数少ない植民地もソ連の支援を受けた独立派の活動を阻止できず、全て独立されてしまっている。

 故にムッソリーニは十分な根回しを行った上で、ヒトラーに倣って政治家としての引退を宣言し、後始末をしてその身を潔く引くこととなった。

 1942年5月のことであった。

 

 そして、新たに樹立されたイタリア政府は、6月には早くもソ連に接近し、翌月にはモスクワ条約へ参加している。

 

 こうしてイタリアは旗幟を鮮明にしていなかった東欧や中欧の諸国において、ソ連側についた最初の国となり、これをきっかけに次々と東欧・中欧の国々がソ連側へつくこととなった。

 もっともイタリアは王政であった為、ソ連が反発するのではないかという不安がイタリア政府や国民の間にはあったが、ソ連側は何も言及していない。

 そもそもソ連にとって最初の同盟国が日本であった為、今更な話であった。

 

 

 

 

「中欧や東欧の諸国もソヴィエトについた。これで安泰だ」

 

 スターリンは確信する。

 

 この巨大同盟の誕生により、英仏米は簡単には手出しができない。

 もっともフランスでは、スターリンがフランス共産党を動かして、イギリスとの離間工作を盛んに行っている。

 といっても、この工作に関してはイギリスとフランスの確執を煽り、イギリスが植民地でやった歴史的事実を詳細に語り、またソ連の発展具合をフランス国民に説明するだけだ。

 

 以前からソ連の発展ぶりを説明する為に撮影された映像があり、これは全編カラーの気合いの入ったものだ。

 

「イギリスが裏でちょっかいを掛けてくるだろうが、もはや彼らに以前のような力はない」

 

 植民地の反乱鎮圧に予算と戦力を費やしたにも関わらず、独立の阻止に失敗するという彼らからすれば最悪の結末を迎えている。

 イギリス海軍は健在だが、海軍では陸地の制圧は不可能だ。

 また以前よりソ連が支援していたIRAの活動がアイルランドにて本格化しており、尻に火が付いている。

 

 なお、スターリンはどうせなら火達磨にしてやろうと、スコットランドやウェールズの独立派にも密かに支援を始めている。

 大英帝国の凋落が決定的となっていることから、どちらの独立派も強気だ。

 チャーチルが首相となったところで、もう遅い。

 

「経済発展及び技術の研究開発に努めながら、同盟国との共存共栄を目指せば自ずと結果は出る」

 

 これまでやってきたことに、同盟国との共存共栄が加わっただけだなとスターリンは思う。

 しかし、モスクワ条約に参加していない欧州諸国――北欧諸国やバルト三国やオランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルといった国々は未だ中立的だ。

 

 ソ連の経済的・軍事的な影響を無視することは、これらの国々にはできる筈もない。

 そう遠くないうちに、モスクワ条約への参加を申し出てくるのではないか、とスターリンは予想している。

 もっとも、バルト三国や北欧諸国はソ連と経済的に強く結びついている為、実質的にその勢力圏に置いているようなものだ。

 

 なお、オランダ・ベルギー・スペイン・ポルトガルはソ連の支援で植民地に独立をされており、ソ連の勢力圏に入るなど許さないという意見は民衆の間では根強い。

 故に、こういった国々では植民地支配は誤りであったという世論工作を行っている。

 植民地の件さえどうにかできれば、あとはソ連へ転ぶだろうというスターリンの思惑だ。

 

 ちなみに、植民地の反乱を抑えようとして、これらの国々の中ではもっとも大規模な軍事介入を行ったポルトガルでは独立阻止に失敗したことでエスタド・ノヴォ体制が崩壊してしまっている。

 

 その政治的混乱の最中で、スターリンの指示を受けたポルトガル共産党がすかさず政治の実権を握っているが、些細なことだ。

 世論工作が完了すれば、ポルトガルがもっとも早くモスクワ条約に参加してくれるとスターリンは予想していた。

 1373年に結ばれた英葡永久同盟は未だに有効であろうとも、それはポルトガルがソ連との同盟を結ぶことを禁止しているわけではない。

 

 

「しかし、既にソヴィエトの決定的な勝利が確定したのではないか……?」

 

 イギリス・フランスともにその力を失い、前者はイギリス連邦諸国の後押しがあるにせよ立ち直ることは困難だろう。

 アメリカは既にフィリピンが独立を果たしており、また中南米でソ連の支援を受けた反米ゲリラ達との戦いが泥沼化していることから、こちらが終わらなければ外に目を向ける余裕はない。

 

 たとえアメリカが立ち向かってきたとしても、ソ連を屈服させるのは物理的に難しい。

 アメリカ側が核兵器の乱れ撃ちでもすれば話は別だが、アメリカにおける核開発はほとんど進んでいないことが現地の諜報員達の情報により判明している。

 

 もしもソ連がアルザマス16にて核開発を行っていることが、アメリカに漏れていたとすればこんなにのんびりとしてはいないだろう。

 

 一方でソ連側は3年以内に核実験を行う予定だ。

 この実験は大気への汚染を最小限に抑える為に地下で行われる。

 しかし、まだまだ小型化には程遠く、繋ぎでしかない。

 

 本命は大陸間弾道ミサイルをはじめとした各種ミサイルの弾頭に積める程に小型化・多弾頭化したものだ。

 これらを誘導する為に全地球測位システム――レゲンダと呼称されるシステムの研究開発も進められている。

 

 とはいえ、スターリンは史実のような世界を何回も滅ぼせる程の核戦力を揃える必要はないと判断しつつも、弾道ミサイルに関してはその性能向上に努めるべきだとしている。

 人工衛星の打ち上げや宇宙開発を目的としたものであり、将来的には宇宙軍が誕生することになる。

 

 

「……勝ったな」

 

 スターリンは腕を組んで、呟いたのだった。 

 

 

 




そろそろ完結が近い。


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スターリンの後継者 そして、不発に終わったイギリスの計画

短め。


 

 

 

 スターリンがもっとも悩んだのは後継者だ。

 強大化したソヴィエト連邦や数多の同盟国を纏め上げるのは簡単ではない。

 史実のようにフルシチョフやブレジネフに任せては悲惨なことになるのは間違いないだろう。

 

 悩んだ末に、スターリンは自身の後継者をアレクセイ・コスイギンとするべく、党内や軍、NKVDへ以前より根回しを密かに行っていた。

 史実において彼はブレジネフ時代に経済改革を推進し、また外交面でも西側諸国との平和的共存を模索したり、第二次印パ戦争の解決に尽力するなどしている。

 そして、彼を支える人材として、ユーリ・アンドロポフ、ドミトリー・ウスチノフといった面々をスターリンは選定していた。

 

 

 もっとも、彼は自分の死後に後継者に選んだコスイギンがうまく舵取りをできず、最終的にはソ連崩壊を迎えてしまうかもしれないが、そうなったとしても仕方がないと割り切っていた。

 

 スターリンからすれば自分ができることは全てやったと思っており、死んだ後までソ連の舵取りを任されるのは御免被る。

 

 とはいえ、コスイギン達をはじめとした党内の中堅や若手達には耳にタコができる程に人民の生活が最優先であることや汚職及び犯罪組織の根絶、同盟国との共存共栄、平時の軍拡は最小限に留めることなどをスターリンは言い聞かせている。

 

 またスターリン自らが執筆したソ連邦の将来に関することを纏めた数冊のノートを彼らに渡していた。

 それには彼らに言い聞かせていることや今後の技術開発などに加えて、未来において起こるかもしれない最悪の出来事について書かれている。

 

 それは史実におけるソ連邦崩壊に至るまでの出来事であったが、この世界に合わせて幾つもの改変がなされていた。

 ノートを読んだコスイギン達は、スターリンが自分の死後にまでソ連の行く末を案じていることに驚いたのは言うまでもない。

 

 

 後継者の育成に忙しいスターリンであったが、そのような最中で足を引っ張ってきたのは明確に敵対の姿勢を打ち出しているイギリスだ。

 既にフランスが脱落しており、イギリスも分離独立の危機であるがかろうじて踏み止まっている状況だ。

 

 そんな状態にも関わらず、イギリスは世界中で密かに反ソ連・反スターリンを煽って、かつてソ連がやったように武器や物資の支援を計画しており、これにはアメリカも一枚噛んでいた。

 この支援対象となった組織にはソ連内部や同盟国内に存在する反ソ組織や反共組織、反スターリンを掲げる共産主義者達なども加わっている。

 

 呉越同舟であるが、ソ連を倒せれば、あるいはスターリンを暗殺できれば何とかなると彼らは思っている節があった。

 

 しかし、今やスターリンの権威は比類なきものとなっており、彼に対する暗殺を防ぐべくNKVDによって過剰なほどに防備が固められていた。

 スターリンが基本的にはモスクワのクレムリン宮殿から動かないこともあって、とてもではないが外部からは手を出せない。

 かといって内部において、スターリンとよく接している人物達――側近や高級軍人は勿論のこと、使用人や警備の兵士達もスターリンによってソ連邦が黄金の時代を築き上げたことを疑う者は誰もいない。

 故に暗殺の協力者どころか情報提供者を得ることもできず、イギリスもアメリカもソ連邦中枢部の情報は何も得られていなかった。

 一方、ソ連側はイギリスやアメリカ政府及び政府機関や軍における様々な情報を、多数の情報提供者から得ている。

 

 ソ連の躍進や発展に伴い、ソ連に感化されて現地の協力者は増加の一途を辿っている。

 

 早い話、ソ連は全てお見通しであった。

 

 

 

 

「イギリスとアメリカの支援対象はソ連が叩き潰したかったものばかりだ」

 

 わざわざリストアップしてくれてありがとう、とスターリンは言いたいくらいだった。

 この情報を得て、既にNKVDが動き始めている。

 

「結局のところ、平和的共存及び緊張緩和をするには向こう側が折れてくれるしかない」

 

 ソ連側は対話の扉は常に開いていると両国に対して、事あるごとに呼びかけている。

 そして、イギリスもアメリカも本当にソ連と全面戦争をしたいかというと、そういうわけでもない。

 両国政府の内部には共存共栄を目指す動きがあり、また軍人達は表立っては言わないもののソ連軍と戦っても勝ち目がないと判断しているようだ。

 

「敵対姿勢の国々におけるハト派を、これまで以上に支援していくことが解決の道だ」

 

 ソ連やその同盟国全てを合計すれば十数億人にもなる超巨大市場はイギリスやアメリカにとって魅力があると思うのだが、彼らの既得権益をソ連が木っ端微塵に破壊したのも事実であり、中々難しいものだとスターリンは思う。

 

「イギリスやアメリカ視点でソ連侵攻をする場合、どのようなことになるかトゥハチェフスキー達に検討してもらおう」

 

 スターリン自身も、かなり興味があった。

 たとえユーラシア大陸のどこかに上陸を許しても、モスクワまで到達するには大きな困難が幾つも待ち構えている。

 

 核兵器が無い以上、ソ連軍や同盟国軍を排除するには通常兵器でもってやるしかないのだが――

 

「今ではソ連だけで1500万は動員できる。同盟国も合わせれば……陸上で勝つのは到底無理だと思うのだが」

 

 無論、敵側の戦略・戦術によっては各個撃破し続けることで、ソ連領内へ手が届くことになる。

 しかし、敵軍が制空権や制海権を常に維持し続けられるかというと怪しいものだ。

 

 制空権を失えば空からの攻撃に晒されて兵力が消耗し、制海権を失えば補給切れで立ち枯れる。

 

「トゥハチェフスキー達はどういう回答をするんだろうか……」

 

 スターリンは楽しみが増えたと思うのだった。

 

 

 

 

 




たぶん次で終わりです。


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受け継がれる意志 万人が平等に豊かになる社会を――!

「歴史は大きく変わったものだ」

 

 スターリンは感慨深く呟いた。

 彼の視線の先にはカレンダーがある。

 

 1945年8月15日――

 

 史実では日本が敗北し、戦争が終わった日だ。

 しかし、この世界ではそもそも第二次世界大戦も太平洋戦争も起こっていない。

 

 といっても、史実と少しだけ似たような動きはある。

 例えば朝鮮の独立だ。

 スターリンがそれとなく日本側に彼らの歴史や文化・風習などについて詳しく調査してみるよう助言したことが影響しているのか、あるいは維持費に耐えかねたのか、そこまでは分からない。

 

 ともあれ、朝鮮半島は独立へ動いており、来年中には大韓民国として独立することになる。

 これに伴って李承晩が亡命先のアメリカから帰ってくるらしい。

 

「韓国側が史実のように日本に色々と要求すれば、大変なことになる」

 

 この世界の日本はGHQに牙を抜かれた日本ではなく、大日本帝国である。

 ソ連との様々な交流や経済の好調などもあって、以前よりはマイルドになっているものの、やるときはやる連中だ。

 

 ソ連軍との交流や様々な技術支援により、日本陸軍はその精強さにますます磨きが掛かっている。

 日本海軍は戦艦こそ削減気味だが、それでも超大和型と史実では呼ばれていた紀伊型戦艦4隻や空母に関しては大鳳やその拡大発展型などを含め、合計8隻を擁している。

 

 そして日本と韓国が戦争となった場合はソ連も日本側に立って参戦するという形で、既に話がついている。

 もしかしたら38度線で日本陸軍と赤軍が握手する光景が見られるかもしれない。

 

「中国ではアメリカが支援している軍閥の元気が良い」

 

 長年、軍閥による群雄割拠の時代であったのだが、ここ数年で1つの軍閥が大きく勢力を伸ばしている。

 

 かつて、イギリスがやったように潰しておく必要がある。

 

 そのイギリスは既にスコットランドとウェールズ、イングランドの3カ国に分かれており、スコットランドとウェールズがイングランドに睨みを効かせてくれている。

 かつてのイギリス連邦諸国も、イギリスが解体されたことやソ連の工作もあって多くが独立を果たしている。

 中には独立せず、イングランドの下に留まっているのもあるが、それは小さな島々であり、自力ではやっていけないところばかりだ。

 

 

 そしてアメリカに関しては、大きな進展があった。

 スターリンの執務室にはホワイトハウスとの間にホットラインが昨年には設置されており、1944年の大統領選挙で新たに大統領となったトマス・E・デューイとは度々、連絡を取り合っている。

 

 設置してすぐに米ソ共に全面戦争は望んでいないことが確認され、それから幾つもの懸案事項がホットラインを通じて話し合われていた。

 中国におけるアメリカが支援している軍閥の件も既にスケジュールが組まれており、再来年までにはソ連などが支援する幾つかの軍閥によって潰される予定だ。

 

 中国は内戦をしていてくれたほうが、儲けが出るというのは共通認識であり、どこの国も中国が1つに纏まることを望んでいなかった。

 

 なお、ホットラインに関しては日本やドイツなどの主要な同盟国との間にも築かれている。

  

 

 時計の針を進めるだけ進めてしまおう、将来の禍根を少しでも減らす為に――

 

 

 スターリンにとって最近の行動原理はそれである。

 ソ連及び同盟国内に火種は無いとは断言できないが、経済が好調であり、人民の生活が豊かであるならば過激な思想は人民から支持を得られない。

 

 そのことは共産党が一番よく知っている。

 

「支援に関しても、そろそろ見直さねばならない」

 

 ソ連の財政で一番大きな割合を占めているのが同盟国への支援だ。

 といっても、幾つかの国々に対する支援は既に相手国との協議した上で段階的に削減されているが、それでも割合的には独立当初と変わらぬ支援を受け取っている国々のほうが多い。

 

 支援には無償と有償のものがあり、その内訳は様々であるが、どちらにおいてももっとも手厚いのは教育関連だ。

 現地の文化や宗教、風習などを最大限に尊重するという大前提で、教育関連の支援を行っている。

 

 なお、スターリンがもっとも重視させているのは手洗い・うがいであった。

 

「各国と協議して支援は段階的に減らしていこう。できれば1960年までには現状の2割以下にしておきたい」

 

 そのくらいを目処に自立してもらおう、とスターリンは考える。

 

「あとは行き過ぎた差別是正活動や過激な環境保護活動が起きないよう、手を回しておこう」

 

 変な市民団体に政治や経済、文化などの足を引っ張られてはたまらない。

 差別是正や環境保護は大事であるが、やり過ぎてはいけない。

 

 それはソ連だけの問題ではなく、世界全体の問題だ。

 自分が生きていれば、NKVDを動かして片っ端からシベリアで思う存分に反省させることができるが、そういった連中が出てくるのは数十年先の話だ。 

 

 そこでスターリンはあることを思いついた。

 

 史実でソ連の幕引きを行ったり、あるいはロシア連邦の指導者となった者達だ。

 今のうちに会って話をしておけば、コスイギン達の次の世代に少しくらいは良い影響を与えることができるかもしれない。

 

 

 回想録の内容も、そろそろ考えておくか――

 

 

 スターリンはそう思いつつ、呟く。

 

「私にできることはここまでだ。頑張り給え、未来の指導者達よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2020年5月27日――

 

 

 クレムリン宮殿の主である男は、いつもと同じように執務室で仕事をしていた。

 レニングラード出身である彼は異色の経歴の持ち主であり、NKVDの後身組織であるKGB出身である。

 

 ふと彼は執務室にあるスターリンの肖像画へ視線を向ける。

 現在にまで至るソヴィエト連邦の礎を築いた人物であったが、彼はスターリンと10歳の頃に会っていた。

 どうしてスターリンが自分に会いに来たのか、今でも彼には理由が分からない。

 

 

 当時の彼は問題児であった為だ。

 そんな彼に対して、スターリンはソヴィエト連邦の現状や将来について語ってくれた。

 

 

 君は意外とスパイが向いているかもしれないな、と言われたのもそのときだ。

 それからスパイ小説を読み漁り、多くのスパイ映画を見て、スパイに夢中になってしまい、KGBを目指す原動力になった。

 

 

 

 そんな自分が今では彼がいた地位にいる。

 今の自分を彼が見たならば、何を語ってくれるだろうか。

 

 そんなことを考えていると、あるスローガンが彼の頭に浮かんできた。

 それはスターリンから連綿と受け継がれてきたものであり、歴代の指導者達や党幹部達が忠実に守ってきたものだ。

 

 

 スターリン主義とは、このスローガンが根源にあると言っても過言ではない。

 

 

 そして、そのスローガンを彼は呟いた。

 

 

 万人が平等に豊かになる社会を――!

  

 

 




これにて完結です。
某大百科風のやつを近い内に出します。


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おまけ スターリンについて

ネタ的な表現いっぱいです。
某大百科風。


 ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(1878年12月6日~1970年12月8日 92歳没)

 本姓はジュガシヴィリであり、ソヴィエト連邦第二代最高指導者。

 そして、世界を色んな意味でひっくり返して、理想実現の為に頑張っちゃった人物である。

 

 

 

 大粛清

 

 反対派と犯罪組織が国内統治に邪魔だったので、犯罪組織と繋がっているという理由で反対派諸共犯罪組織を潰した。

 実行にあたったエジョフは内通者を炙り出す為にNKVD(KGBの前身)内でも二重三重の監視体制を構築している。

 

 70万程度の人々が犯罪者であることを自白して、銃殺もしくはシベリアへ送られた。

 大規模な粛清はこれで終わりだが、その後もスターリンはちょくちょく反対派と犯罪組織を結びつけて粛清しているので、最終的な人数はもっと多いとされている。

 とはいえ、冤罪もあったものの、犯罪組織と実際に繋がっていた者も多かったようだ。

 

 

 自称:共産主義者

 

 スターリンは共産主義者だと自称しているが、その内政方針は資本主義と社会主義をミックスしたようなものであった。

 といっても、それは現代から見た場合であり、当時としては共産主義者としても通用するかもしれない。

 なおレーニンが生きていたら激怒しただろうし、トロツキーには実際に激怒された。

 また反対派――思想的な意味で――も多く出たが、レーニンは既に死んでおり、トロツキーも反対派も纏めてスターリンは粛清したので問題なくなった。

 なお、トロツキーに関しては長年、事故死だとされていたが、近年の公開された資料でスターリンの指示によるものであったことが判明した。

 

 現在、彼の思想はスターリン主義という独自のものとなっている。

 

 

 五カ年計画

 

 国家計画委員会(ゴスプラン)が指定した産業分野の育成・発展を促す国家計画。

 民間では手が出しにくい分野にも予算と人員を突っ込めるのが最大の特徴。

 1940年代前半から、従来の農業・軽工業や重工業だけでなく電子産業も加わり、その後における電子産業分野でのソ連の躍進を決定づけた。

 

 

 社会福祉政策

 

 国民皆保険制度をはじめとして、ソ連は様々な制度が充実している。

 しかし、もっとも大きなものは労働法関連だ。

 悪質な資本家は労働者を奴隷のように扱う為、根絶せねばならないというスターリンの考えにより、ソ連は労働法に関して制定当時から今日まで厳格に運用されている。

 

 さすがにスターリン時代のように、労働法を大きく違反した悪質な経営者はシベリアで強制労働とまではいかないものの、それでも全体的に重い刑が科せられる。

 

 日本においても、労働法関連はソ連を手本として整備されており、偶に悪質な違反者が逮捕されては新聞やテレビを賑わせる。

 

 面白いことに、ソ連――それこそスターリン時代から――でも日本でもまたそれ以外の国でもこういった違反者の言い訳は同じである。

 

 

 労働法を守っていたら、会社が倒産する――

 

 そう言い訳した者達に対して、当時スターリンが送った言葉がある。

 

 労働法を守るという考えに変わるまで、自然豊かなシベリアで良き労働をしてくると良い。

 

 発言者がスターリンである為、どういう意味かは推して知るべし。

  

 

 

 

 

 植民地解放

 

 スターリンの最大の功績と言われることも多い。

 当時、世界中にイギリス・フランスをはじめとした欧米の植民地があったのだが、その植民地における独立派達に膨大な武器・物資・人員を支援した。

 多くの植民地で大反乱が起こったが、各国は阻止できず、多額の戦費と人員を消耗して終わるという最悪の結果となる。

 

 イギリス解体やフランスで親ソ政権樹立の引き金となり、アメリカは前者と比べるとマシであるが、それでも中南米で反米ゲリラに悩まされ続けた。

 

 

 

 モスクワ条約

 

 世界の全ての国々と同盟を結んだら勝ち――という考えがスターリンにあったのかどうか分からないが、ともかく最終的にはそんな形になってしまった。

 ユーラシア大陸・アフリカ大陸及びその周辺の島々にある多くの国々がソ連と同盟を結び、それは今日までも続いている。

 特に植民地から独立した国々に関しては独立後の面倒も見てくれたことが大きい。

 

 ソ連の支援は教育関連に重点が置かれており、これは独立した国々が発展する大きな要因となった。

 

 

 親日家

 

 スターリンはいつからそうなったのかは不明だが、親日家であり、また日本語に堪能であった。

 基本的に彼は日本人とは日本語で会話しており、日本国民に向けた演説でも、彼は流暢な日本語で話している。

 また日本の国民性や軍事力だけでなく、文化や料理などをスターリンは称賛しており、日本料理がソ連で食べられるように尽力した。

 

 ソ連が最初に日本と同盟を結んだのも、軍事的な戦略もあるがスターリンの個人的な思いもあるのだろう。

 なお、お忍びで1950年代からちょくちょく来日していたらしい。

 

 各国との関係

 

 ドイツがポーランドに侵攻したならば、スターリンはドイツに対して宣戦布告するつもりであったことは以前より判明している。

 1939年時点で既にソ連は対独戦を決意しており、準備万端であった。

 ドイツ軍の総兵力を超える動員が――1000万から1500万の間くらい――されており、津波に呑み込まれるかのようにドイツ軍は崩壊する予定だった。

 

 しかし、現実にはポーランドがドイツの要求に屈し、振り上げた拳の下ろしどころに迷ったスターリンは前述した植民地解放へと走った。

 

 一番被害を被ったイギリス――現イングランドからすれば良い迷惑で、チャーチルは回想録でスターリンをこれでもかと罵っており、イングランド人からは悪魔のようにスターリンは嫌われている。

 といっても、チャーチルはスターリンの能力は認めているようだ。

 

 大英帝国最大の敵という表現はチャーチルなりの最大級の賛辞だろう、たぶん。

 

 そういう経緯もあってイングランドからは嫌われているが、殆どの国でスターリンに対しては概ね好意的だ。

 

 政治的混乱や経済的混乱によって苦境にあった国々に関しては、現地の共産党を動かして革命を起こしているものの、それ以外では思想の押しつけを行っていない。

 皇室がある日本をはじめ、王政の国々であってもソ連側からの政治体制への干渉は今に至るまで一切ないという。

 

 各国の政治・宗教・文化に対して、ソ連のものを押し付けることなく、それらを最大限に尊重した上で問題となっているところは協力して改善し、共存共栄していこうというのがスターリンの各国に対する方針であり、現代まで受け継がれている。

 

 共存共栄の方針により、アメリカとの平和的共存も成立しており、その後は米ソによるプロレスが中国を舞台に色々と繰り広げられたのはよく知られている。

 最近になって、ようやく中国も落ち着いており、複数の国に分かれているものの、大きな戦いは起きていない。

 そろそろ米ソで話をつけて、また戦国時代に突入させるのかもしれないが。

 

 

 ヒトラーとの関係

 

 ヒトラーに関して、スターリンは彼が勇退した後、少しの間を置いて手紙でやり取りをしており、また彼の絵画を多く購入している。

 自分の絵をまさかスターリンが評価してくれるとは思いもせず、またドイツの立て直しに尽力してくれていることから、ヒトラーのスターリンに対する態度は徐々に軟化していった。

 最終的に、ヒトラーがスターリンに依頼されて、モスクワのクレムリン宮殿でスターリンの肖像画を描くことになる。 

 人物画は不得意なヒトラーであったが、このとき彼が描いた肖像画は力作であり、スターリンは大満足して、自らの執務室に飾っている。

 そして、それは今でも飾られているという。

 

 

 ムッソリーニとの関係

 

 スターリンは彼に関しても評価しており、特にマフィアに対する取り締まりを絶賛している。

 一方、ムッソリーニの方はスターリンによってイタリアが植民地を全て失う事態となった為、当初は好意的ではなかったという。

 しかし、ソ連の支援を受けてイタリアが経済の立て直しに成功したことや、スターリンからモータースポーツやサッカーに関して、真摯に教えを乞われたことなどがあって、最終的には態度が軟化したらしい。 

 

 なお、パスタにケチャップを掛けて食べるという料理をスターリンが提案し、ムッソリーニが怒ったが、物は試しと実際に作って食べてみたら美味しかったので良しとした――という嘘か本当かわからない話がある。

 

 

 

 

 スターリンの回想録

 

 思想や技術開発、ソ連邦の将来、教育の重要性など様々なことが書かれているが、1冊に纏めるのは無理だとスターリン自身が早々に諦めた為、巻数が大変なことになっている。

 なお回想録とは名ばかりで、ソ連指導部や人民に対するメッセージとも思えるものであり、更には技術開発に関して書かれた巻は預言書ではないかと思える部分が多い。

 膨大な数の高性能電子計算機が通信によって繋がり、電子空間上で膨大な情報のやり取りをする、電子空間上で仮想的な肉体を得て、歌ったり踊ったり討論したり冒険したりできるようになるなどなど。

 

 スターリンは自分が生きているうちに実現したかった、と書いており、後継者達がその遺志を継いでしまった為、現代では彼の望みが実現している。

 

 

 しかし、不思議であるのはスターリンはインターネットやパソコンといった具合に英語でこれらを表現していることだ。

 当時の時点でも、ロシア語が世界においてもっとも広く使われている言語であったので、ロシア語で表現するのが妥当である。

 

 もっとも、ロシア語よりも英語のほうが普及させるのが容易ではないか、とスターリンが考えたという説もある。

 

 

 スターリンの遺書

 

 ソ連の未来に関してや、万人が平等に豊かになる社会について、宇宙進出の実現、遺体保存はやめて欲しいなど色々と書かれていたが、もっとも大きいことは彼が自分に関して、色んな創作活動を許したことにあるだろう。

 よりによって遺書であった為に、ソ連指導部は困惑したが、スターリンの遺志を尊重し、スターリンに関する創作は、よほどに酷いものでない限りは黙認している。

 ソ連国内では、これによってスターリンを題材にした創作物が急激に増加し、そこから輸出されて世界に広まることとなった。

 

 その為、日本において彼は偉大な指導者でありながら、その万能性を活かしてギャグ漫画のオチに使われたり、異世界に召喚されたり、ゲームのラスボスやお助けキャラとして出てきたり、挙句の果てにはもしも女性であったなら、と性転換させられたり色々な創作活動に使われている。

 

 ソ連から抗議がこないどころか、そういうスターリンもあるのか、と日本から輸入してくれるのもスターリンが遺書で創作活動の許可をしてくれたからである。

 

 

 晩年

 

 1961年に全ての役職から退いて、年金生活に入った。

 ソ連領内の視察と称して度々各地を回り、未来を担う子供達と対話している。

 このときの子供の中には現最高指導者もいたという。

 回想録の執筆や遺書の作成を始めたのもこの時期であり、引退したのに仕事をしていると間違われたこともしばしばだった。

 悠々自適な生活を送っていたが、さすがの鋼鉄の男も年齢には勝てなかった。

 

 1970年12月8日、子供達――息子2人と娘1人がいた――に見守られて死亡。

 死因は老衰であった。

 

 

 

 

 総評

 

 スターリンは自らの理想実現の為に邪魔をする者に対しては、一切容赦をしない。

 彼のやった大粛清に関しては意見が分かれるところだが、その一方で大きな功績を数多く残している。

 これは彼がソ連邦最高指導者として独裁体制を築いていたからこそ、できたのだというのが一般的な見方である。

 

 スターリンは独裁者であり、またヒトラーやムッソリーニもそうであることは否定できない。

 しかし、祖国の利益・発展を第一に考えて行動し、そして結果を残した独裁者達が同じ時代に存在したというのは、まさしく歴史上の特異点とでも称すべきことだろう。

 

 

 

 




これにて完全に終わり。
お疲れ様でした。


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