もしもラインハルトがラインハルトちゃんだったら (龍仁)
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原作キャラの女体化小説もっと増えろ(切実)



「うーむ、これは困った」

 

 それがこの世界にやって来て初めての言葉だった。

 見渡す限り中世ヨーロッパのような建物が並んだお約束のような王道異世界。ちらほら獣人のような者がいる事からも間違いなく異世界だった。

 

「そういうラノベは結構読んだが、まさか自分で体験する日が来ようとは……」

 

 コンビニから帰りに気が付いたらここにいたのだ。テンプレである神様とのやりとりをした覚えは全くないし、そもそもトラックに轢かれたりもしていない。

 瞬きをしたら既にここにいたのだ。驚きを通り越してむしろ冷静である。

 

「これはアレだな、うん。異世界転生、というやつらしい」

 

 本来なら魔王を倒すなどの目的があるはずなのだが、神様とやらに会っていないために何の役目も与えられていなかった菜月昴はジャージ姿のまま一先ず歩き出した。

 所持品はつい先程買ったポテトチップスとカップラーメンが入った袋と使える見込みのほとんどない財布と携帯電話のみ。

 歩き始めたはいいが、目的地が無いスバルは途中で現地人と無事に意思疎通が出来る事を確認し、人気の無い路地に入った。とりあえずポテチでも食おうと考えたのである。

 

 

「金目の物を出してもらおうか」

 

 携帯電話が案の定圏外になっている事を確認し、コンビニの袋の中を覗いていると、いかにもといったチンピラ三人組がスバルの前に現れた。

 

「やべぇ、強制イベント発生だよ」

 

 お世辞にもきれいとは言えない服装にその顔には下卑た薄ら笑いを貼り付けている。

 ゲームで言えばチュートリアルに当たるのだろう。どうやってもひと騒動は避けられそうになかった。

 

「いや、これは異世界転生。自覚無いだけでちゃっかりチート能力が実装されてるとか重力十分の一とか何かあるはずだ。よし、いける気がしてきた」

 

「なにブツブツ言ってやがる」

 

 呑気にポテチを食べようとしていただけあってスバルはポジティブであった。

 生まれてこの方殴り合いの喧嘩などした事もないが、妄想だけは一人前。裏路地で暴漢に襲われた際の対応などシュミレーション済みである。ついでに筋トレもそこそこ、風呂上がりには毎回ストレッチを欠かさない。

 

「先手必勝ーー!!」

 

「ぐはっ!?」

 

 やられる前にやる作戦でまず中央の男を殴り飛ばす。

 シュミレーションのおかげかスバルの拳は綺麗に相手の鼻に直撃し、男は地面に倒れた。

 

 そして流れるようなハイキックで残る二人のうち小柄な方を壁に打ち付ける。

 残るは一人。再び拳を振りかぶった瞬間、スバルはジャンピング土下座をお見舞いした。

 

「すみません俺が悪かったですどうか命だけは!!」

 

 最後の一人がナイフを取り出したのだ。

 いくらシュミレーションに余念が無いと言っても刃物には敵わない。スバルは額を地面に擦り付ける勢いで精一杯の謝罪と命乞いをした。

 

 いつの間にか先程の二人も復活しており、いよいよマズイ状況となる。

 

「さっきはよくもやってくれたな」

 

 顔をサッカーボールのように蹴られた事で口の中に血の味が広がった。

 

 これはヤバい。マジで死ぬかも。

 初めての痛みにスバルは本気で死を覚悟した。元より三対一。依然数の上で不利であり、更には刃物まで持っているのだ。勝ち目はなく逃げられそうにもない。

 チュートリアルでまさかの詰みだった。

 

「――そこまでよ」

 

 だが、ナイフが振り下ろされるよりも先に凛として澄んだ声が路地に響いた。それはこの場に張り巡らされた緊張の糸を容易く切り裂き、停滞をもたらす。

 チンピラたちがスバルから目線を上げ、スバルも顔を合わせる上げて振り返った。

 

 そこに立っていた人物の姿を見てスバルは息を飲んだ。

 燃えるような赤髪が背中まで伸びており、どこか儚い整った顔で碧眼がスバルたちを見据えていた。仕立ての良さそうな白を基調とした服に白いマント、背中には大きな剣を提げた少女が立っていた。

 

「ただのケンカなら黙っていようと思っていたけど、命に関わるような事は駄目」

 

 そう言いながら少女は一歩、また一歩とスバルたちに近付く。それに連動するようにチンピラたちの顔色が悪くなっていった。

 

「出来るなら、手荒な事はしたくない」

 

「け、『剣聖』……!?」

 

「こっちだってお断りだっ!!」

 

 あと五歩ほどでスバルの位置まで辿り着くというところでそれまで呆けていたチンピラたちは走って去っていった。

 そして『剣聖』という大層強そうな名で呼ばれた少女も何事もなかったかのように身を翻して去ろうとしていた。

 

「ちょ、ちょっと待った! いや、待って下さい!」

 

 慌ててスバルは少女に待ったを掛けた。

 チンピラたちは別にどうでもいいが、ピンチを助けてくれた美少女だ。このまま黙って逃せば顔も覚えられないに違いない。

 スバルはギャルゲーで培ったフラグ管理能力を駆使して美少女との関係を築くべく動き出した。

 

 スバルの声に足を止めて少女は振り返った。その身長はスバルよりも頭一つ分低い。

 

「…………。あなた、私が誰か知っているの?」

 

 そして返ってきた言葉がこれだ。

 スバルの長年の経験から考えて彼女は高慢なお嬢様タイプ。異世界ファンタジーにありがちな貴族は強いという設定に則った、腕に自信があって正義感もある、しかし貴族故に一般市民を見下すプライドを合わせ持った人物と見た! 

 

「この度は命を救っていただき心からお礼申し上げる。なにぶん、このナツキ・スバル、この街に来たのがつい先程の事なれば、貴女様の高貴なるお名前を未だ知らず。大変な失礼を……」

 

「そう。だったら私には関わらない方がいい。私は化け物だから」

 

 えぇ……。何か地雷踏んだっぽい。

 なんとか会話を続けようとしたスバル渾身の敬語のような何かは不発に終わった。それだけでなく、彼女の表情に影が落ちた。

 これはどうしたものかとスバルが悩んでいる間にも彼女の言葉は続く。

 

「衛兵の詰め所にでも行って『剣聖』の話を聞けばきっとみんなが教えてくれる。私がどんな人間か」

 

 さすがにこれではい、そうですかと引き下がるわけにはいかない。スバルは賭けに出る事にした。

 

「そうだ、名前。君の名前を教えてほしい。あ、俺はナツキ・スバル。天下不滅の無一文!」

 

 一先ずこの暗い空気をなんとかしなければならない。名前を聞ければそこから話題を作る。下民が生意気な! という感じになってもまぁ、そこから頑張って会話を広げる。

 問答無用で斬り捨てられられたりしないかだけが心配だった。

 

「……ラインハルト・ヴァン・アストレア」

 

 一瞬の間が空いたものの、素直に答えてくれたおかげで危機は去った。

 あとはここから会話を広げるだけだ。

 

「へぇ、ラインハルトちゃんっていうのか。なんていうか、カッコイイ名前だね!」

 

「男の子が生まれてほしかったって」

 

「Oh…………」

 

 確かに男っぽい名前だと思ったんだよなぁ。とは口に出さない。日本でも割とそういう人物はいたが、総じて反応に困る。本人が気にしていない場合はそこまで気にする必要はないのだが、これはどう考えても気にしているタイプだった。

 何故こうも自分は地雷を踏んで行くのか、とスバルは頭を抱えた。名前で話を広げる作戦は失敗だ。しかもこれはもしかすると名前で呼んでほしくない感じかもしれない。

 

 普段からよく妄想に耽っていたスバルだったが、残念ながら今この瞬間においてそれは何の役にも立たなかった。引き籠もりに美少女と二人きりで話せというのが無理な話だ。と心の中で言い訳するのも忘れない。

 空から女の子が降ってきた場合の妄想もした事のあるスバルがいざとなってそれを発揮出来ないのだから、定番である学校にテロリストが侵入してきたら、という妄想も役に立たないに違いない。

 

「こういう場所は危ないから、これからは気を付けて」

 

 と、スバルがもたもたしている間にラインハルトは既に路地の出口辺りにまで足を進めていた。

 

「あ、ちょっ」

 

 遠回しにさよならと言われている事には気付いたが、スバルにもここまで来て引き下がる選択肢はない。むしろ、これでこそ攻略のしがいがある。と自身に言い聞かせてスバルは走って少女の前に回り込んだ。

 

「あのさ、あのさ! 俺、この街に来たばっかりでさ、案内してほしいなー、なんて」

 

 もはや客観的に見れば助けてもらった上に街の案内までさせようとする厚かまし過ぎるやつだが、スバルも自棄だった。

 

「……詰め所に行けば、誰かが」

 

 だが、彼女も彼女で頑なにスバルを受け入れようとしない。

 こうなったら最終手段だ。

 スバルは少女の手を取り、三白眼で青い目を見据えて言った。

 

「君にお願いしたいんだ。なんか行かないといけない場所があるなら、邪魔にならない範囲でついていくだけでもいいからさ。手伝える事があったら手伝うし!」

 

 やべぇ、女の子の手とか触ったの初めてかも。とか、小さくて柔らかくて可愛い。とか思いながらも必死でアプローチをかけた。

 

「…………。好きにするといい。きっとすぐに嫌になる」

 

 少し引っ掛かったが、こうして許可をもらったのだ。スッと手は引っ込められてしまったが、これまた下手をしたら斬り捨てられられる可能性もあったのだから反応としては悪くない。

 

 スバルは今更ながら自分がした事を客観的に振り返ってヤバい奴だと思いながらも燃えるような赤い髪を風に揺らす彼女の横について大通りに出た。

 先程までいた裏路地を駆け抜けていく存在に気付かずに。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 チート能力無双という当初の予定とはかなりかけ離れたものとなったが、スバルにとってそれは問題とならなかった。何故なら、異世界に来て早々に美少女と遭遇し、共に行動出来る事になったからだ。

 少し態度が素っ気ないような気もするが、それもスバルにとっては些細な事。チンピラに襲われて危ないところを救われるという吊り橋効果的なものもあるかもしれないが、いわゆる一目惚れだった。

 ただ、二人で歩いてはいるものの、彼女の方から話し掛けてくれる気配がなかったため、スバルは話題を作る事にした。

 

「これってどこに向かってる感じ?」

 

「……あそこ」

 

 そして彼女が視線で示したのは街を一望出来るであろう高台だった。

 

「へぇ、眺め良さそう」

 

 そう言いながらスバルは少女の横を歩く。

 今が夜だったら星座の知識でも披露するのになー。などと考えていたスバルだったが、ある事に気がついた。

 

「……っ」

 

 通行人たちが、スバルの事を見ている。

 否、見られているのは彼女の方だった。その視線に、周囲から爪弾きにされて引き籠ったスバルは気付いた。

 スバルが目線を戻すと、彼女の歩く速度が僅かに上がったような気がした。

 

 自分に向けられたものではないと分かっていても、チラチラと見られて何か陰口を言うような仕草をされるのはあまり良い気分ではない。過去に自分がそういう事をされた経験があるスバルはすぐにでもこの場を離れたかったが、彼女がいる手前、それは出来なかった。

 

 それから暫く無言で歩くこと数分。二人はようやく彼女が指し示した高台に辿り着いた。

 この異世界にエレベーターなどという便利な物はなく、周りに螺旋状に作られた階段を地道に登る羽目になったスバルは息一つ切らしていない彼女に戦慄しながらも備え付けられたベンチに腰を下ろした。

 

「はぇー、ここから全部見渡せるな。絶景かな、絶景かな」

 

 苦労して登っただけあってそこからの眺めは中々に良いものだった。

 

 ぼーっと景色を眺めるスバルの横に白い剣が置かれた。とんでもない威圧感を放ちながらも中二心をくすぐられる何か格好いい装飾を施された騎士剣。彼女が背中に提げていたものだ。

 そしてその剣を挟んで彼女も腰を下ろした。

 

「ここには結構来たりすんの?」

 

 スバルの問い掛けに彼女は首を横に振り、無数の建物の群に人差し指を向けて言った。

 

「あそこの緑と黄色の髪のおばあさんのお店」

 

「え?」

 

「美味しいお菓子が売ってるって婆やが言ってた」

 

「ちょっと待った。え、なに、見えるの?」

 

 これは案内のつもりなのだろうか。スバルからは数ある建物の屋根が見えるだけで、人間など近いところでも点に見える。ましてや彼女が指し示している場所などそもそも屋根すらどれを指しているのか分からないほど小さいし、人間を識別するなど不可能だった。

 

「…………。あそこが王城であっちが貧民街」

 

 雑……ッ! とは思ったが、スバルは口に出さない。これでも善意でしてくれているに違いないのだ。

 

「いつも巡回してたり?」

 

 どうせここから真面目にあれが何々、あれが何々と説明されてもスバルには分からない。スバルはチンピラたちから助けてくれた時の事を思い出して話題を変えた。

 そうすると、彼女からの返答は否。先程と同じように首を横に振った。

 

「じゃあ今日は偶々?」

 

 偶々巡回していたら偶々スバルが襲われている場面に出くわして。運命感じちゃうなー! と調子に乗ったスバルだったが、彼女は再び首を横に振った。

 

「私が巡回なんてしなくても、事件は起こる所では起こるし起こらない所では起こらない」

 

 つまりは無駄だと言いたいらしい。

 ビビって逃げ出すチンピラたち思い出して、そんな事ないと思うんだけどなー。と思いながらスバルは彼女の言葉の続きを待つ。

 

「私はあなたが来るよりも前からずっとあそこにいた」

 

 スバルは首を傾げた。

 そんなはずはないと。こんな絶世の美少女がいるのに気が付かないはずがないのだ。スバルがポテチを食べようとした時にはあのチンピラが来るまでは確実にスバル一人だった。

 

「隠伏の加護って言って、動いていない間だけ気配を消せるの。私はあそこにあった木箱の横にずっといた」

 

 これにはスバルも反応に困った。地雷臭しかしないからだ。

 加護というワードに少し惹かれたが、それよりもあんな人気のない所で少女がずっと一人でいるなどどう考えても事案である。まさかイジメ、いや、複雑な家庭、虐待か!? という他人には容易に踏み込めない事態が思い浮かぶ。

 そうであると決まっているわけではないが、本当にそうだった場合、会って間もない今下手につつくと無駄に彼女を傷付ける事になるかもしれない。

 

「アルミの上にあるミカン!」

 

「……?」

 

「しまった。この世界にアルミ缶とか無いか……。なら、布団が吹っ飛んだ!」

 

 そしてスバルがとった行動は彼女を笑わせるというもの。

 笑えば幸せになると科学的に証明されているという話をテレビで見た事があったのだ。

 

「…………」

 

「渾身のギャグが通じない、だと……!?」

 

「…………」

 

「くっ……」

 

 スベってからの一言までが黄金ハッピーセットだったのだが、残念ながら彼女には通じなかった。

 それどころか目を閉じて風を感じるモードに入ってしまっている。ギャグで笑わせる作戦が失敗したスバルは彼女と同じように目を閉じてみた。

 すると、なかなかどうして心地好い風ではないか。考えてみれば引き籠っていたスバルはこうして自然の風を意識して全身で浴びる事など数年振りだった。

 コンビニに行く途中の風とこうして浴びる風では感じ方に天と地ほどの差があった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 突然の浮遊感に襲われ、スバルはベンチから転がり落ちた。

 

「ぶはっ!?」

 

 授業中などにビクッとなるアレだ。

 幸いスバルはちゃんと登校していた時代の授業中にそれで恥をかく事はなかったが、異世界に来て初めてそれで恥をかく事になった。しかも美少女の前で、だ。

 

「……って、もう夕方!? ヤバい。どれぐらい寝てたんだ、俺」

 

 地面で仰向けになると、空は既に茜色に染まっていた。

 彼女の方を見ると、まだ空が青い時に見たのと全く同じように目を閉じて座っていた。

 

「もしかして俺のせいでここを離れられなかった?」

 

 寝ている様子ではなかったため、スバルは若干の罪悪感を感じながら問い掛けた。

 すると、彼女のまぶたがゆっくりと持ち上がる。

 

「あのまま木箱の横にいたか、ここにいたかが違うだけ。あなたの存在は関係ない」 

 

「おっふ。ナチュラルに眼中にない宣言をされるとは…………だが、俺はめげない!」

 

 スバルはちょっぴり悲しくなりながらも立ち上がり、落下防止の柵に手を置いた。

 気分はさながら青春ドラマのラストシーンで夕日に叫びそうになるが、彼女が見ている前でさすがにそれは恥ずかしいので、異世界の夕日を目に焼き付けるに留めた。

 

 柵に腰を下ろし、彼女の姿を視界に収める。

 違う方向の景色を眺めているのか、たなびく赤い髪の向こうに見えるのは横顔。

 ここに来るまで数々の異世界人を見てきたが、美形が多いこの世界でも彼女はトップレベルの美少女だ。正直、ひきこもりであったスバルには高嶺の花感が否めない。

 

 だが、スバルは諦めない。

 今はまだ素っ気ない態度をとられているが、拒絶されているわけではない。だったら、これからだ。

 誰も最初から親密度MAXなどあり得ない。何事も一から始まるものだ。

 彼女との関係も一から地道に築いていけば良い。幸いにして、異世界に来たはいいがやる事はない。ならば、目一杯の時間を使えるというものだ。

 

 そしていつか、彼女の相談にでも乗れるように。

 そう決意したスバルは、

 

「――え」

 

 次の瞬間、後ろにあるはずの夕日が正面に見えた。

 内臓が持ち上がるような感覚があり、スバルは理解した。

 

 落ちた。急な強風でバランスを崩して頭から落ちたのだ。

 

「ッッ!!」

 

 ――ヤバい。ヤバい。ヤバい。ヤバい。

 

 正確な数字は分からないが、ここは地上100メートルはあったはずだ。下手なバンジージャンプよりも余裕で高い。

 もちろん命綱などなく、下にクッションが敷いてあったり川が流れていたりもしない。

 

 落下地点にあるのは硬い石畳。

 死んだ。どう足掻いても助からない。こんな所で終わるのか。

 無限にも引き伸ばされたと錯覚する時間の中、スバルは一瞬前の自分の不注意を呪った。少し考えれば分かる話だ。あんな不安定な場所で踏ん張りの効かない背中側を断崖絶壁に向けるなど自殺行為だと子供でも分かる。

 

 生存は絶望的。

 しかし、死を覚悟したスバルは小さくなっていく高台の上から一つの影が飛び出してくるのを見た。

 

「なっ……!?」

 

 ベンチに座っていたはずの彼女だった。

 彼女が赤い長髪と白いマントを揺らしながら壁を駆け下りて来ているのだ。しかも驚くべき事にスバルが落下するスピードよりも速い。

 

 そしてスバルが地面に衝突する寸前、彼女の腕がスバルの胴体を掴む。

 トン、と階段の最後の数段を飛び降りるぐらいの軽快な音をたててスバルの体は空中で停止した。鼻先と地面との距離は数センチほどだった。

 

「ッ……はぁ……はぁ……」

 

 彼女が手を離した事でスバルは地面に倒れ込み、仰向けで大の字になった。

 

「生きてる、のか。今のはマジで死んだと思った」

 

「…………」

 

 安堵で全身の力が抜けるスバルだったが、対照的に彼女の表情は優れなかった。

 今の異次元の動きの反動かと思ったが、どうもそうではないらしかった。

 

「これで分かったでしょう。私が化け物だって」

 

 再び彼女の口から出た『化け物』という単語。

 確かに今なら分かる。彼女が何を言いたいのか。

 まさかあんなに自信満々でカツアゲをしていたチンピラがこの世界基準で最弱という事はないだろう。もちろん最強などとはとても言えないだろうが、それでも平均ぐらいはあるはずだ。

 それがスバルと同程度なのだから、なるほど100メートル以上の高さから無傷で着地するだけでなく一般人のスバルをGすらかけずに助けるとなれば次元が違う。彼女は異世界基準でも相当な実力者なのだろう。

 

 そしてその結果、生まれたのが化け物という言葉。ある種当然の事なのかもしれない。日本でもとんでもない実力を持ったプロスポーツ選手などと事を化け物と称する事もあった。

 ただ、それは尊敬から来るものであって彼女へ向けられたものは違ったのだ。

 同じ言葉でも例えばプロスポーツ選手に向けられたものと超巨大生物へ向けられたものは違う。前者はその活躍を讃えるものだが、後者は単純な恐怖を表したもの。

 

 きっと、これまで多くの人々に拒絶されてきたのだろう。だからこそ、最初に助けてくれた時も関わりを持たずにすぐに離れようとしていたのかもしれない。

 一人であんな裏路地にいたという話も人と関わりたくなかったという悲しい理由からだったのかもしれない。

 

 でも。それでも。

 彼女はスバルを助けてくれた。

 その結果、ジャージ姿の見ず知らずの人間に付き纏われて、散々陰口を言われて。罵られる事になるかもしれない力まで使って。

 それでもスバルの事を助けてくれたのだ。

 

「――そんな事ねぇよ!!」

 

 そうだ。そんな心優しい彼女が化け物であるはずがないではないか。

 

「君が優しい子だって事は、俺はちゃんと知ってる! 今だって、君がいなかったら俺は死んでた!」

 

「…………」

 

「だから、君は化け物なんかじゃない。俺にとっては、そう、天使だ!」

 

 スバルは思いついた言葉をそのまま言った。

 少しの間ではあったが、彼女が不器用ながらも優しい事は分かった。彼女がいなければスバルは異世界に来て早々死んでいた。

 そして、右も左も分からないような状態で助けてくれた彼女は天使といっても過言ではないのだ。

 

 と、勢いのままに言ったはいいが少し恥ずかしくなったスバル。

 恐る恐る彼女の方を見てみると、

 

「私はもう帰るから」

 

 口調は相変わらず素っ気ないが、今まで真顔だったのが僅かに笑ったような気がした。

 

「家ってこの近く? よかったら送っていくけど」

 

 スバルがそう聞くと彼女は首を横に振った。

 

「上に置いたままの剣を取ったら帰るから、大丈夫」

 

「それなら俺が取ってくるよ。俺のせいで置きっぱなしになったみたいだし」

 

 あの高さを階段で登るのはかなりの苦行だが、彼女のためと思えば安いものだった。

 

 意気揚々と登った先に何故か彼女が既にいたのは良い笑い話だ。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「ラインハルトちゃんか……可愛かったな」

 

 家まで送るという提案はあまり良い反応をされなかったため、高台の下で彼女と別れたスバルは一人歩いていた。

 別れ際に明日の予定を聞いたところ、「さあ。非番だから、探したらどこかにいるかも」と言っていた。ここで会う約束を取り付けられないあたりが微妙にヘタレっぷりが露呈してしまっている。

 

「……って! 明日とか言う前にこの夜どうするんだ、俺」

 

 しかし、それよりも重要な問題があった。彼女に見惚れていた間、スバルはずっと大切な事を忘れていたのだ。

 すなわち、夜を明かす場所が無い。

 そもそもこの世界で使える金が無い。頼れる人間もいない。一瞬、彼女の顔が浮かんだが、さすがにここで彼女をあてにするのは厚かましいにも程がある。

 

「やっべぇ。その辺で寝てたら今度こそ身ぐるみ剥がされるよな」

 

 幸いにも暑くもなく寒くもない気温だが、野宿は危険過ぎる。

 さてさて、どうしたものか。

 途方に暮れるスバル。一日ぐらい寝ないでで歩き回っていても大丈夫ではある。

 だが、それも何日も続けられるものではない。早々になんとかしなかれば。

 

 対策を考えながら人通りの少なくなってきた大通りを歩くスバルだったが、ふと足が止まった。

 

「雪……?」

 

 季節外れ――そもそも異世界に四季の概念が有るかどうかは分からないが――の雪がちらほらと降り始めたのだ。

 滅多に雪が降らない地域に住んでいたスバルは本来なら興奮にしていたところだが、今はマズイ。貧弱ジャージ装備で雪が降る中に一晩中いるのは自殺行為だからだ。

 

「うわっ!?」

 

 その直後、焦るスバルの体を冷たい空気の塊が通り過ぎた。

 そして穏やかに降り始めたはずの雪が吹き荒れた。

 

「なん、だよ、急に……」

 

 数メートル先を見る事も出来ないほどの吹雪。

 

 雪山で遭難でもしたような錯覚に陥ったスバルは、足元の地面が凍っていくのを見た。

 

「ぁ――?」

 

 そして突然体が傾き、地面に立ったまま切り離された自身の両足を見た。

 その視界は、白く染まっていた。

 

 

 




五歳の時に家庭環境めちゃくちゃになったらそりゃそうなるよね


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「おい、兄ちゃん。急にどうした、ボーっとして。リンガ食うか?」

 

「あ、れ……え?」

 

「どうするんだよ。食うのか、食わねぇのか」

 

「昨日も言わなかったっけ。俺、天衣無縫の無一文」

 

「冷やかしかよ! とっととどっか行きやがれ!!」

 

 こちらの世界でも言語は通じる事を確認した時に話した厳つい顔の果物屋の主人。気が付いたらここにいた。

 

 一体何が起こったのか分からなかった。

 つい先程まで周りは薄暗く、吹雪が吹いていたはずだ。それが今はどうだ。太陽は燦々と煌めいており、雪のゆの字もない。

 

「一体どうなってんだ……」

 

 地面も凍っていたはずで、最後にはスバルも――

 

「なぁ、おっさん。昨日って雪降ったよな?」

 

「はあ? 昨日はこれでもかってぐらい晴れだっただろ。頭でも打ったか?」

 

「しょうもない嘘はやめろって。一面真っ白になるぐらい吹雪いてただろうが」

 

「本当に大丈夫か? 危ねぇ薬とかやってるんじゃねぇか?」

 

 嘘をついている様子はない。ともすれば、あれは一体何だったのか。

 まさか夢という訳ではあるまい。夢にしては鮮明が過ぎる。スバルは赤髪の彼女との会話は全て覚えているし、蹴られた感覚から吹雪の感覚まで様々な感覚がリアル過ぎた。

 

 悪質なドッキリ、という線もないだろう。

 一言二言話しただけのスバルを標的にする意味も理由もない。

 

「となれば、まさか幻か……?」

 

 あれが全て幻だったというのも信じられない話だが、ここは異世界。そういう魔法があっても不思議ではない。

 が、その場合、かなりマズイ。何がマズイのかと言うと、スバルが異世界で生き残る難易度が爆上がりする。

 

「現実と間違えるぐらいの幻覚見せられる有名な能力者とか、いたりしない?」

 

「幻覚だ? そういう魔法は聞いた事ねぇな。幻覚が見たいならカラフルなキノコでも食っときな。てか金持ってないならさっさとどっか行った。商売の邪魔だ」

 

 果物屋の店主にシッシッと追い払われ、スバルは大通りに沿って歩みを進めた。

 

「いや、さすがにないよな。そういう眼を見た覚えも技の発動も見ちゃいねぇんだ。これで本当に幻術とかなら理不尽過ぎる。何か取られたわけでもなし、俺をターゲットにした意味も分からん」

 

 止まっていても答えが分かるわけではない。

 動いたからといって答えが分かるわけでもないが、スバルは少しの間歩いた後、大通りから曲がって裏路地に入った。

 昨日――か、どうかは怪しいところだが、記憶の中で入った路地とは別の場所だ。

 同じような造りの場所が多いためにほとんど見分けはつかないが、一つ違う所がある。隅に置かれているのが木箱ではなく樽なのだ。

 いつものスバルならばこんな細かい所まで見ていないが、赤髪の彼女が話していたものだ。スバルはしっかり覚えていた。

 

「さて、これからどうしたもんか……」

 

 段差の部分に腰を下ろしてポテトチップスの袋を開けた。そして片手でつまみながらもう片方の手で携帯電話をポケットから取り出す。

 そしてその時間、日付を確認すると、

 

「日付が変わってねぇ」

 

 日付、そして時間が記憶の中で裏路地に来た時とほとんど変わっていなかった。時間は、まだ分かる。二十四時間経てば一周して戻るからだ。

 だが、日付は戻らない。日付が戻るとすればそれは一年が経ったときのみ。なんとなくで八桁のパスワードを設定しているこの携帯電話の設定を弄って時間を戻すというのも非現実的な話。そもそもこの世界に携帯電話が扱える人間がいるとは思えないが。

 ここで、スバルにある考えが浮かぶ。

 それこそひどく非現実的で、まだ設定を弄られたと考える方が自然だが――

 

「おう、兄ちゃん。ちょっと俺らと遊んでいこうや」

 

 ポテチを半分ほどまで食べた時、体感で数時間前に遭遇したチンピラ三人組がスバルの前に現れた。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「俺の事、覚えてたりしないよな?」というスバルの問い掛けには当然の如く「知るかボケェ」という答えが返ってきた。ジャージというこの世界では珍しい服装に、前回の遭遇では『剣聖』と彼らが恐れていた彼女もいたのだ。そうそう忘れないだろう。

 チンピラたちとのやり取りで荒唐無稽な仮説に信憑性が増していった。

 

 ほとんど確信に至った結論。すなわち時間の巻き戻り。

 火を出す、水を出すといった比較的現実でも想像しやすい異能ではない。スバルが無意識に行ったか、他者によるものかどうかは分からないが、そう思った方が辻褄が合う。

 

 事実、チンピラたちは記憶であった通り、真ん中の中肉中背がナイフを持っていただけで左右の二人は無手。身体能力はスバルで張り合えるものだった。

 そのためスバルはまず武器を持った真ん中を先制飛び蹴りからの顔面踏み付け、左右の長身と小柄を鼻頭パンチとこめかみハイキックで一瞬戦闘不能にすると、大通りへ出た。

 

「さすがにここまでは追ってこれねぇか」

 

 小物臭のする三人だった。この人通りの多い場所で追い剥ぎなど出来ないだろうという予想だったが、どうやら正しかったようだ。

 

 スバルは大通りを下りながら細い路地への入り口を覗く。目印は木箱。スバルがこの世界で唯一頼れる、かもしれない彼女がいたというアレだ。

 似たような造りの場所は多いが、最初に彼女と出会った路地と同じように入った突き当たりに木箱が置いている場所はかなり少ない。

 

「ここ、か?」

 

 しばらく歩いてスバルはようやくそれを見つけた。

 正面に大人が五人ぐらい入りそうな木箱にあり、なんとなく前に来た気がする。

 

 彼女がいると、スバルは直感で確信した。

 とはいえ、彼女の姿は見えない。『隠伏の加護』と彼女は言っていた。名前からして姿を隠す能力やその類だろう。

 不器用ながらも親切にしてくれた彼女がそんな意味もない嘘はつかないはずだ。

 少し離れた所から見ると木箱の横に誰かが乗っている様子はない。だが、目の前まで来て目を凝らすと、

 

「……!」

 

 本当に針の穴を見るように目を凝らすと、箱の横に少女の輪郭があったのだ。

 一度その姿が認識出来ると、見つかった相手には効果が半減するという制約でもあるのか半透明ではあるが、彼女の全体像が見えてくる。

 

 彼女は、木箱の横で膝を立てて座っていた。いわゆる体育座りの姿勢だが、膝の腕に両腕が乗っており、そこに顔をうずめている。

 

「…………」

 

 スバルは一瞬、声を掛けても良いのか迷った。彼女は気付いていないのか、分かっていてそうしているのかは分からないが、顔を上げたりはしない。

 

「あの、もしも〜し」

 

「っ……!?」

 

 意を決して声を掛けると、彼女は青い目を見開いて顔を上げた。

 そしてその直後、猫かというほどの素早い身のこなしで壁を飛び越えていった。

 

「えぇ、なんで……?」

 

 何故かスバルが彼女に逃げられたような形だ。

 何もしていないのに。いや、急に声を掛けられたら誰でも驚くか。

 ただその場にいただけでなく、本来見つからないはずの能力のようなものを使用していたのだ。それが見つかったとなればパニックにもなる、のかもしれない。

 

 とはいえ、スバルには壁を登って屋根の上を走るなどという芸当は出来ないため、彼女を直接追う事は出来なかった。

 彼女はマント付きの全体的に白を基調とした礼服――剣を背負っているので戦闘服かもしれないが――を纏っている。かなり目立つため聞き込みでもすればすぐに見つかるだろうが、このまま追い掛けても良いのか。

 

「しかしまぁ、それよりも寝床の確保だよな」

 

 ただ、それよりもだ。

 仮に、仮にではあるが、時間が巻き戻っていた場合、今夜は大雪が降る。外で過ごすのは論外でどこか屋内に避難する必要がある。

 だが、現状スバルにこの世界で使える所持金はなく、一泊させてもらえるような知り合いもいなかった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 予想通り、案の定ではあるが、スバルのようなどこの馬の骨とも知れない者を家の中に入れてくれるようなお人好しはいなかった。

 もちろん、全ての家を回ったわけではない。ほんの数軒程度だが、その数軒でスバルは諦めた。例の果物屋の店主とその隣の店の主人、向かいの店の店員だけに話し掛けられただけでもスバルは頑張った。

 

 そして、行く宛もなかったスバルは彼女と共に訪れた高台にいた。

 登るのにかなりの労力が必要なだけあって、この場にいるのはスバルただ一人。

 

「はぁ……マジでどうすりゃいいんだよ」

 

 出来る事もなく、時間だけが過ぎていく。

 最悪の場合でも、あの雪さえなければ外で過ごす事は不可能ではないのだが。

 

「そもそもなんで急に雪が降るんだ。体感的に春か秋ぐらいだぞ、これ」

 

 暖冬でスキー場に雪が足りないというニュースは何度か見たことはある。

 だが、暖かいとは言ってもそれは例年の冬と比べての話。今この瞬間の気温の方が普通に高い。

 

 まさか誰かが魔法でも使って降らせているわけでもあるまい。

 

「て言うかせっかく異世界に来たのにそれっぽいやつ見てねぇな、魔法。ラインハルトちゃんは使えんのかな。使ってたか」

 

 半ば現実逃避気味に空を眺めるスバル。その空は赤みを帯びてきている。

 もうすぐ夕暮れだ。正確な時間は分からないが、一度体験したあの時間が繰り返されているとすれば吹雪になるまでもう時間はあまり残っていない。

 

「また戻るのか、それとも……」

 

 実感はない。だが、ほとんど確実に時間は巻き戻っている。

 となれば、今回もまた時間は巻き戻るのか。それとも戻らないのか。戻ったとして、その次も戻るのか。

 いわゆるループものにはそのループを抜け出すためのキーとなるものが往々にしてあるものだが、それらしきものも一向に見られない。

 

「いきなりハードモード過ぎるだろ。初心者にはもっと優しくしろよ……」

 

 ただ徒に時間が過ぎていく。スバルはベンチに座り、ただその時を待った。

 

 そして――

 

「何だ、あれ…………」

 

 彼女が指差して貧民街だと言っていた辺りに周囲の建物の何倍もの大きさである化け物が出現するのを見た。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「どうした兄ちゃん、急にぼーっとして」

 

「……いや、何でもねぇ」

 

「急に止まるからビビったぞ。ところでリンガ食うか?」 

 

「あー、言ってなかったっけ。俺、今無一文」

 

「冷やかしかよ! 何も買わねぇんなら邪魔だ! とっとと帰れ!」

 

 気が付けば、やはり戻っていた。

 これで三度目となる果物屋の店主とのやり取りだ。

 

 スバルは大通りを歩きながらポケットに入った携帯電話を確認した。

 

「やっぱり戻ってるな」

 

 確信していたが、日付と時間が戻っていた。更には半分ほど食べ進めていたはずのポテトチップスも新品の状態だ。

 時間は巻き戻っている。確定だ。

 

「となると、このループを抜け出さなきゃいけないわけだが」

 

 前回と前々回、全くと言って良いほどヒントも何も無かった。

 だが今回、前回の最後に見たものがある。

 

「条件はあの怪獣の討伐ってところか? 無理ゲー過ぎて笑えてくるな」

 

 最後、貧民街に突然現れた巨大な怪物。アレが現れてから雪が降り始めた。王道から考えても確実に避けて通れない道だ。

 とはいえ、スバル一人ではどう足掻いてもあんな怪物を倒す事など不可能。

 

「頼るしかない、か」

 

 スバルは赤髪の彼女の姿を思い浮かべて迷うことなくある場所へ向かった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 初めて会った時はチンピラにナイフで刺されそうになったところを助けられる形だった。二度目に会った時は――あれが会ったと言えるのかどうかはおいておくとして――スバルから声を掛け、驚かせてしまったのか彼女は逃げてしまった。

 これから会うのはスバルにとっては三度目になる。場所は覚えていたので会おうと思えばすぐにでも会えるが、スバルから声を掛けた場合、二度目と同じ結果になる可能性が高い。

 ならば、一度目と同じように彼女からアクションを起こしてくれるのを待つ必要がある。

 

 

「金目のもの、全部出してもらおうか」

 

「生憎、俺は一文無しだ。金目になるようなのは持ってない」

 

 どうすれば良いか、そう考えたスバルの前にあらわれたのはお馴染みになりつつあるチンピラ三人組。裏路地へ行くと絶対に遭遇するようにでもなっているのか。

 二回目は違う場所だったはずだが、裏路地を回ってカモを探しているのだろうか。

 

「ならその珍しい服でも置いてけや!」

 

 ともあれ、結果オーライだ。

 あとはスバルの命が危なくなればきっと彼女は動いてくれる。彼女の善意に縋るようで罪悪感はあるが、現状を打破するには彼女の力が不可欠だった。

 

「俺が本気を出したらお前らなんか秒でボコボコなんだが、逃げた方が身のためだぞ?」

 

 もちろん、嘘だ。一瞬怯ませるぐらいは出来るだろうが、ボコボコなどスバルにはとても無理だ。

 ハッタリも甚だしいが、こうして煽ればこういう手合いはすぐにやる気を出して武器の一つでも取り出すはずだ。

 

「はっ、おもしれぇ。やれるもんならやってみな」

 

 スバルの狙い通り、真ん中の一人がナイフを取り出した。

 

「お、おい、武器はズルいだろ!」

 

「この場にルールなんかねぇんだよぉ!」

 

 そしてすぐさま及び腰になって一本後退り、相手が一歩、また一歩と距離を詰めてくる。

 スバルは土下座のタイミングを伺うが、その前に何かで躓いて尻もちをついた。

 

「あ、ヤベ」

 

 チンピラはナイフを振りかぶりながらスバルに迫る。

 後ろに彼女がいるのは確認済みではあるが、本当に来てくれるかどうかは正直賭けだった。このままでは本当にナイフで刺されてお陀仏だ。

 スバルは心の中で彼女の名前を連呼し、助けを求めた。

 

「――そこまでよ」

 

「……あぁ?」

 

 ナイフが振り下ろされる寸前、どこまでも透き通った美声がその場を支配した。

 

「本当は黙っていようと思ったけど、命に関わる事は見過ごせないから」

 

 長い赤髪と青い瞳が特徴的な少女。

『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。

 

 一度目の世界でスバルは彼女を天使と呼んだ。

 それは決して間違いではなかった。

 

「出来るなら、手荒な真似はしたくない」

 

「け、『剣聖』……!? ふざけんな! こっちだってお断りだっ!!」

 

 チンピラたちは走って逃げていった。

 一度見た事のある光景だ。それはスバルにとってはどうでも良い事。

 本当に大切なのは、このまま何も言わずに去ろうとしている彼女を引き止める事だ。

 

「ちょっと待ってくれ! 話があるんだ!」

 

 スバルは身を翻して去ろうとしていた彼女に声を掛ける。

 彼女は足を止めて振り返った。

 

「…………。あなた、私が誰か知っているの?」

 

 返ってきた言葉は初めて会った時と全く同じもの。

 だが、スバルはあの時とは違う。

 

「知ってるさ。『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアさん、だろ?」

 

「……そう。ごめんなさい」

 

「なんで謝るんだよ」

 

「急に私みたいなのが出てきて気分を悪くしただろうから」

 

 これが初めての会話だったら、スバルは彼女が何を言っているのか分からなかっただろう。

 しかし、今なら分かる。

 力がある。ただそれだけの事で恐れられ、人と関わりを持つ事を避けるようになってしまった。

 確かに彼女の力は常人と一線を画すものだろう。大き過ぎる力が恐怖の対象となる事も理解は出来る。

 でも、彼女は一人の少女だ。

 無差別に暴れる特撮に出てくるような怪獣とは違う。

 

 スバルは決めたのだ。彼女の味方になると。

 

「そんな悲しい事言わないでくれよ。俺は君に救われたんだ。君がいなかったら殺されてたかもしれない。だから、気分が悪くなるなんてあるわけない」

 

「…………」

 

「助けてくれてありがとう。あと、ありがとうついでにちょっと話したい。ちょっと、付き合ってくれない?」

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 スバルは裏路地の小さい階段状の段差に腰を下ろし、彼女はスバルの前に立った。

 一瞬彼女が隣に座る事を期待したスバルだったが、それは仕方ない。彼女からすればスバルは初対面だ。

 一先ず対話出来る状態になったのだ。スバルは慎重に言葉を選びながら口を開いた。

 

「あのさ、この辺の建物の何倍もあるような怪獣に心当たりとか、あったりしない?」

 

「…………心当たりが無い事もない」

 

 現状での最優先はあの怪物の討伐、ひいてはそのための情報収集だ。

 まず言うまでもないが、スバルはアレの正体がが何なのか全く知らない。故に対策の立てようがない。

 

「――白鯨」

 

「白鯨?」

 

 彼女の口から出た白鯨という言葉をスバルは思わず反復した。

 

「白い鯨って事だよな? まぁ、確かに鯨ならその辺の建物とかより余裕でデカいかもしれねぇけども。俺が聞いてるのは水の中じゃなくて陸上の怪物の事なんだけど……」

 

「違う。白鯨は水中生物じゃない。三大魔獣に数えられる、れっきとした陸上に現れる魔獣」

 

「え、そうなの?」

 

 鯨と言うからてっきり海の中にいるものだと思ったが、どうやら違ったらしい。

 陸にいる鯨とは、何かの比喩なのか。それともこの世界にいる鯨は陸上の生物なのか。

 それはスバルには分からないが、今はそれはいいだろう。

 

「じゃあさ、もし仮にその白鯨がここに現れたら倒せたりする?」

 

 スバルにとって重要なのは倒せるか否か。それがスバルが知っている鯨でもそうでなかったとしても、それは関係ない。

 

「倒すこと自体は、出来る。でも私には出来ない。それをするのは私じゃないから」

 

「白鯨専門の人がいるってこと?」

 

「そう。私のお祖父様」

 

「おじいさんが、か」

 

 仮にアレが白鯨だとすると、彼女のおじいさんは間に合っていなかった。何の前触れもなく突然現れれば仕方のない事なのかもしれないが、このまま任せる事は出来ない。

 

「白鯨の能力は? 雪を降らせるとか」

 

「そんな話は聞いた事がない。白鯨が出すのは雪じゃなくて霧」

 

「霧? ならアレは、白鯨じゃないのか」

 

 スバルが見たのは比喩抜きで体が凍えるような吹雪。どう見積もっても霧などではない。

 三大魔獣などと呼ばれている存在が現れてすぐに出した能力が知られていないとは考えにくい。となれば、アレは白鯨ではないのか。

 

 スバルがそう考えていた、その時。

 スバルと彼女の頭上を影が通り過ぎた。

 

「なんだ……?」

 

 スバルたちを飛び越えたその影は金髪の少女だった。すぐに飛び越えた勢いのまま走り去ったため、それ以上の情報は得られなかったが、だからといって問題となる事もない。

 

 スバルは話に戻ろうと視線を戻すと、今度は彼女の視線がスバルとは違う場所に向っていた。

 その視線を追って振り向くと、そこには銀髪の少女が立っていた。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「まぁ、なんだ。そういう時もあるって。元気出していこうぜ」

 

「…………」

 

 スバルは地面に座り込んで膝を抱える彼女を元気付けようと苦心していた。

 

 何故こんな事になったかといえば、先程現れた銀髪の少女が原因だ。

 エミリアと呼ばれた少女は詳しい事は話さなかったが、ほんの少し前に走り去っていった金髪の少女を追い掛けていたらしく、ラインハルトが「手伝いま……」まで言ったのだが、それを言い終わってもいないのにキッパリと断られてしまったのだ。

 

 親しい関係なのか、エミリアが現れてから彼女のテンションが僅かに上がったのをスバルは感じ取っていた。故に、上がったテンションのまま、良い感じに話を進めようと思ったのだ。

 しかしその矢先に彼女は手伝うという提案を一蹴され、当のエミリアは既に去った。一蹴と言っても、申し訳なさが全面に出ていたが、彼女には効果抜群だったようでこのありさまだ。

 

「布団が吹っ飛ん……は駄目なんだった」

 

 膝を抱えて顔を伏せている少女に話し掛けるというのは大変やりにくい。

 スバルは心の中でエミリアに恨み節を唱えながらもなんとか彼女を立ち直らせる方法を考える。ここで本来なら食べ物でも買って来る事が出来れば良いのだが、生憎とスバルはこの世界で使える金を持っていない。

 

「ここは直球が吉か……」

 

 残念ながらスバルには彼女を慰められるスキルがない。

 

「付き合ってもらいたい所があるんだ。頼む。俺についてきてほしい」

 

 もう手札の無いスバルは全力でお願いする事にした。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 スバルのお願いに、彼女は思ったよりもすんなりと立ち上がった。だが、行き先を貧民街だと言うと、彼女の表情は曇った。

 初めはその理由が分からなかったが、年季の入った建物が並ぶ場所に足を踏み入れて少し。スバルはその理由を理解した。

 

「なんだよ、あいつら……!」

 

「私は、何を投げられても当たらないから」

 

 スバルたちは何度か物を投げつけられたのだ。酷い物は石の入った泥団子まであった。

 彼女に向っていった物は全てから当たる直前で不自然に軌道が曲がり、彼女の顔や衣服が汚れる事はなかったが、投げつけられたという事実がスバルを苛つかせる。

 

 彼女の手を引きながら進む。

 気にしていない様に彼女は振る舞っているが、傷ついているのは見ていて容易に分かった。

 すぐにでも投げ返してやりたかったが、今はそれよりも重要な事があった。

 

「もっと奥か……? クソッ、正確な場所が分からねぇ」

 

 例の怪物が現れる場所は貧民街の真ん中辺り。高台から見た景色であるため、正確な位置など分かるはずもない。

 加えてあの怪物が現れたのは一瞬。それまでは影も形もなかったのだ。召喚者のような存在がいれば事前に察知する事も不可能ではないかもしれないが、現状それも無理。

 

 今のスバルには彼女の手を引いて進むしかなかった。

 

「待って。今、音が……」

 

 しかし突然、彼女は足を止めた。

 意図せぬタイミングで後ろ向きに力が加わった事でスバルは変な声が出そうになるが、なんとかこらえる。

 

 彼女の手がスバルの手から離れ、彼女は90度方向を転換して走り始めた。

 スバルでも追い付けるスピードなので一応スバルの事は忘れていないらしいが、急に駆け付けなければならなくなるような音はスバルには聞こえなかった。

 

「ここは?」

 

「分からない。でも――」

 

 彼女が立ち止まったのは周囲の建物よりも一回り大きな蔵の前だった。

 そして彼女が分厚い扉を開け放った瞬間、

 

「ぇ……?」

 

 視界に飛び込んできたのは赤。

 直後にそれが血だと理解した。

 その理由はバタリと倒れた白い影。少し前に会った銀髪の少女が倒れ、その床には赤い液体が広がっていく。

 

「え、エミリア様……?」

 

 その時スバルは脇目も振らずに駆け寄る彼女に、黒い物体が迫るのを見た。

 それが刃だと気付いたスバルはとっさに彼女を押し飛ばした。

 

「ッづ、あ……!?」

 

 彼女を襲うはずだった刃がスバルの背中を襲う。

 刃物で斬られた事などないスバルは初めて経験した焼けるような痛みに喘いだ。

 

「どうして……」

 

「へへ、女の子を守りたいって思うのが、男の子なんだよ」

 

 スバルは痛みで顔を歪めながらもなんとか彼女に言葉を返す。

 動けたのは奇跡と言って良かった。彼女に迫る凶刃に気付いた偶然と、そこにいたのが紛れもない彼女であった事実が重なった結果だったのだ。

 

「あらあら。格好いいのね」

 

 それはスバルの言葉でも、彼女の言葉でもない第三者の言葉。

 首を声のする方へ向けると、そこに立っていたのは黒い外套を纏った一人の女。妖艶な雰囲気の美人だ。前を開けた外套の中から出るところの出たナイスバディが覗いている。

 

 出会う場所が違っていたら見惚れていたかもしれない。その手に血の付いたナイフを持っていなかったらの話だが。

 

「それにしても、面白い偶然もあるものね。『剣聖』とこんな場所で会えるだなんて」

 

 ねっとりとした視線が右へ左へ動く。

 その先にスバルは金髪の少女が血溜まりに倒れているのを見つけた。服装から、それは裏路地で見たエミリアが追い掛けていた少女だと分かった。

 

「エミリア様が、このままじゃ…………そうだ、フェリス、フェリスなら……」

 

 自分の傷はどうなのか分からないが、金髪の少女もエミリアも、助かりそうにはなかった。

 スバルは彼女に掛ける言葉を探すが、スバルが何かを言うよりも先に黒い影が口を開く。

 

「その子はもう駄目よ。絶対に助からないわ」

 

 それは無慈悲な宣告だった。

 この世界に来てから一番多くの時間を共に過ごしたのは孤独な少女だった。言葉の端々からは人との関わりを拒絶する感情が感じ取れた。

 そんな彼女が繋がりを持ったエミリア。

 きっと、否、考えなくても分かる。大切な人だった。それを、踏みにじったのだ。

 

「それよりも、私と踊りましょう?」

 

 両手に一本ずつ黒い刃持ってクルクルと回している。

 それはまるで、自分の手で切り裂いた人間の事など眼中にないようで。

 

「…………さい」

 

「何かしら?」

 

「――うるさい!!」

 

 直後、エミリアの側に跪いていたはずの彼女が黒い女のいた場所で拳を振るっていた。

 何かが潰れるような音と共に一つの影が消える。

 スバルが何が起きたのかを理解したのは蔵の壁の一部がなくなってからだった。

 彼女があの女を殴り飛ばしたのだ。

 動きは全く見えなかった。スバルは彼女の実力を改めて認識した。

 

「すぐにフェリスを……」

 

 そしてそんな言葉を残して彼女は蔵を出ていった。

 エミリアや金髪の少女のように床に伏せる事にはならなかったスバルは幸いにも傷が浅かったらしい背中の痛みに耐えながら一人残される事となった。

 

 

 



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「どうしたよ兄ちゃん、急にぼーっとして。リンガでも食うか?」

 

「…………いや、悪いけど俺今無一文」

 

「なんだよ、冷やかしかよ。シッシッ、商売の邪魔だ。さっさとどっか行きやがれ」

 

 この世界に来てから四度目となる果物屋の店主とのやり取りを経てスバルは足を進める。

 目的地は彼女と出会ったあの裏路地だ。何度か訪れる内に場所はもう覚えている。

 

「ここまで来るとだんだん分かってきたな」

 

 目的の場所に到着するまでの間、スバルは考える。

 ループ脱出の手掛かりという意味で前回はかなりの進歩があった。

 まず、時間が巻き戻る条件。

 薄々そんな気はしていたが、スバルは蔵の中で最後に自分の体が凍っていくのを見た。途中で意識が途切れたが、あれはまず間違いなく死んだ。コールドスリープという言葉があるが、何の加工もせずに人体を凍らせると水分の膨張によって血管や細胞が破壊されてしまうのだ。

 つまり、戻る条件はスバルの死。いわゆる死に戻りというものだろう。

 

 そしてループの最後に出てくるあの怪物。依然として正体は分からないが、出現条件は分かったのだ。

 その条件とはすなわち銀髪の少女、エミリアの死。

 

 前回、フェリスなる人物を呼びに行くためにかスバルは蔵に放置された。スバルの傷は幸いにもすぐに死ぬようなものではなかったようで、彼女が戻るのを意識がはっきりした状態で待っていた。

 その時だった。例の怪物が現れたのだ。

 怪物はエミリアの事をリアと呼び、その死をトリガーとして顕在した。スバルが最後に聞いたのは『契約に従い、ボクはこれからこの世界を滅ぼす』という言葉。

 その前のいくつかの言葉から考えれば、その契約とやらが果たされるのはエミリアが死んだ時。

 

「つまり、エミリアちゃんを死なせなければアレも現れず、ハッピーエンドってところか」

 

 ただ口では簡単に言えるが、現実問題そう簡単な話ではない。

 

 まず、エミリアが死ぬ原因はあの黒い外套の女だ。エミリアとあの女の関係は分からないが、どの道殺し殺されるような関係だ。会った瞬間アウトとなるとなれば、目も当てられない。

 もしそうならずっとエミリアを見張り続けなければならず、更にはあの女から守らなればならない。

 どこにいてどこに立ち寄るかも分からない現状でこれは現実的ではない。

 

 となれば、次の案は待ち伏せ。

 このループの特性から言って、同じ事をすれば多少の誤差はあるとしても大まかな出来事は前回や前々回と同じ事が起こる。

 例えば裏路地に入ればチンピラに襲われ、チンピラがナイフを出してスバルの命が危なくなると赤髪の彼女が助けてくれる。

 ならば、前回エミリアが殺された場所、あの蔵に先回りしていればその現場に立ち会えるかもしれない。

 もちろん、スバル一人では太刀打ち出来そうもないので『剣聖』の少女の力を借りる必要があるが、彼女なら恐らくエミリアとついでにスバルを守りながらあの女を撃退する事も難しくないはずだ。

 この案が一先ず最良といえるだろう。

 

「で、まずは第一関門。チンピラ三人組との強制イベントだ」

 

 そして目的の路地に辿り着いたスバルは堂々と足を踏み入れた。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 一度コツを覚えれば後は簡単なもので、スバルは遭遇してすぐにチンピラにナイフを取り出させる事が出来た。

 それからは既定路線でスバルは累計三度目となる彼女との邂逅を果たした。

 

「…………。あなた、私が誰か知っているの?」

 

 この言葉を聞いたのも三度目だ。

 最初は知らないと答え、二度目は知っていると答えたが、どちらの場合も彼女は自分を卑下した。

 前回の貧民街でのように物を投げつけられるというような経験が過去にもあったのかもしれない。

 彼女の過去に何があったのかは分からない。だが、命の恩人で、惚れた相手がそんな風に自分を貶めるのは良い気分ではなかった。

 

「知ってるさ。ラインハルトさん、だろ?」

 

「……そう。ごめ――」

 

「それと! 助けてくれてありがとう。本当に助かった。マジであのままだとブスッといかれてたかもしれねぇから」

 

 スバルは彼女の言葉を遮った。

 あのままで何もしなければ、次に出てくるのは彼女自身を卑下する言葉だからだ。それをスバルは言わせたくなかったのだ。

 

「それとさ、助けてもらった手前で言いにくいんだけど、この後ちょっと付き合ってほしいんだ。あ、もちろん暇っていうか用事がなかったらで良いからさ」

 

「……私に出来る事なら」

 

 彼女はスバルの言葉に承諾し、二人はすぐに移動を開始した。

 まだ金髪の少女もエミリアも通り掛かっていない。あの黒い外套の女がいつ現れるか分からないため、早ければ早いほど良いからだ。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 幸いにも例の蔵の場所を覚えていたスバルは前回よりも一つ隣の細い道を通って蔵の前にたどり着いた。

 今回は何か物を投げつけられるような事もなかった。それが普通なはずなのだが、前回の印象が強すぎたため、スバルは胸を撫で下ろした。

 

「しっかし、ここは普通に入っても良いのか……ピンポンとかないしな」

 

 だが、次なる壁がスバルの前に立ちはだかった。

 引きこもりであったスバルには他人の家のインターホンを押すだけでもハードルが高いのだ。それがインターホンすら無いとなれば、立ち止まってしまるのも仕方ないというもの。

 

「中に一人いる。ノックすれば出てくれるかも」

 

「なるほどノックね。やべぇ、職員室に入る時以来だ。くっ、在りし日のトラウマが…………いや、男スバル、覚悟を決めろ」

 

 スバルは覚悟を決めて扉を三回ノックした。二回ノックはトイレだとか聞いた事があるからだ。この世界ではどうか分からないが。

 

『大ネズミに』

 

 すると、中から聞こえてきたのは男の声。

 だが、それはただの返事ではなかった。

 

「え、なに? 暗号か何か?」

 

『大ネズミに』

 

 スバルはもちろん暗号など知らない。

 これはマズい。と嫌な汗が流れる。中にいるのが一人でそれが男なのだから、まだあの女は来ていないのだろう。

 だが、もし入れてもらえないとなると、あの女が来るまでこの蔵の外で待たなければならなくなってしまう。

 

「――毒」

 

 そうしてスバルが焦っていると、彼女が一歩前に出て言った。

 

『スケルトンに』

 

「落とし穴」

 

『我らが貴きドラゴン様に』

 

「くそったれ」

 

 次々と答えていく彼女。だが、

 

「クソったれって……女の子がそんな事」

 

 その言葉は如何なものかと。

 そんな言葉を使っちゃいけません。とやんわりと注意しようとしたスバルだったが、その瞬間扉が開いた。

 

「知ってたの? 暗号」

 

 スバルの問いに彼女は首を横に振った。

 

「なんとなく、こんな気がしたから」

 

「マジか」

 

 こんな気がしたからで暗号が分かるとは、暗号を作った側からすればたまったものではないだろう。

 さらっと中が見えないはずなのに中にいる人間の数が分かっていたりしたのはツッコまない事にした。

 

 そして中から現れたのは二メートルはあろうかという大男だった。

 

「なっ!? その制服は近衛騎士! 何をしに来た! 誰にこの場所を聞いた!?」 

 

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 かなりガタイの良い大男が彼女を睨みつける。

 スバルですらかなり見下される形になり、普段ならば足が竦んでいたはずだった。

 だが、彼女の顔が曇ったのを見たスバルは無意識の内に彼女を庇うように前に出ていた。

 

「これには深い事情があるんだよ。だから、な? 落ち着いて話そう。お土産もあるから」

 

 スバルは手に持ったコンビニ袋を掲げて、そう言った。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 渋々といった様子で蔵の中に案内されたスバルはまず四人掛けのテーブルにポテトチップスの袋を開けた。一緒に摘めば仲が良くなるかもしれないという浅い考えからだ。これは効果薄だろうとスバルも理解しているが、無いよりはマシだろう。

 

「それで? 聞かせてもらおうかの。ここに近衛騎士、それも『剣聖』を連れて来なければならんという深い事情とやらを」

 

 そしてスバルの狙い通り三人が一つのテーブルを囲んだ。スバルと彼女が隣同士となり、正面に大男が座る形だ。

 

「なんていうか、かなりヤバい奴がこの辺りをうろついてるみたいでな。俺の得た情報によるとここに来る可能性が一番デカい」

 

「ヤバい奴、じゃと?」

 

「そ。アンタも知らねぇか? 見た目は全身真っ黒い服装のナイスバディなお姉さんなんだけど」

 

「いや、知らんな。そもそもヤバいとはなんじゃ」

 

「殺人鬼だ」

 

「殺人鬼じゃと!?」

 

 大男がスバルの顔を見て目を見開き、視線を彼女の方へ向ける。

 それに釣られてスバルも彼女の顔を見ると、今まで黙っていた彼女が口を開いた。

 

「嘘は言っていない」

 

「そりゃ、嘘は言ってないけど、分かるの?」

 

「騙されたり、したくないから」

 

「そ、そうなんだ。まぁ、それで、だ」

 

 地雷の臭いがしたため、スバルは話題を切り替える。この話はまた今度、今の問題を解決してからだ。

 

「とりあえずその殺人鬼が来るまでここに居させてほしい。アンタもそんなヤバい奴が来たら対抗出来る人数は多い方がいいだろ?」

 

「ふむ。それもそうじゃが……その女というのは『剣聖』をひっ連れて来るほどの化け……」

 

「はぁい!! ちょっとストップー!!」

 

 大男が化け物という単語を口走りそうになったため、スバルはテーブルを叩いてその言葉を遮る。

 そして立ち上がって回り込み、男の耳を引っ張った。

 

「イタタタ! 一体何をするんじゃ!?」

 

「いいから聞けよ。女の子に向ってそれはないだろ。ちょっとは言葉遣いに気をつけろよ」

 

 スバルは男の耳元で彼女に聞こえないように小声で言った。

 

「分かった分かった。儂が悪かったから手を離さんか」

 

 手を離して彼女の隣に戻る。

 目の前の男はポテチをうまいうまいと食べており、スバルは周囲を見渡した。

 一見、古いバーだと言われれば信じるような造りの中身だが、壁には武器類が飾られており、多数の釘が打ち付けられた棍棒も無造作に置かれている。酒のような瓶や何が入っているのかも分からないような木箱や樽もあり、ここがどういう場所かはいまいちよく分からない。

 

「て言うかさ、ここ何なの? 物置?」

 

「物置とは失礼な奴じゃな。まぁ、そうじゃの、洒落た店とでも思っとれば良いわい」

 

「この埃っぽくて小汚い蔵のどこが洒落てるんだか」

 

「黙って聞いておれば好き勝手言いおって!」

 

「まぁまぁ、血圧上がるから落ち着けって」

 

 ここがどういう場所かは分からないが、この目の前の男、というより老人の扱い方はだんだん分かってきた。

 

「そういやアンタ、名前なんていうんだ? 俺はナツキ・スバル。右と左ぐらいしか分からない無一文。ちなみに喉が乾いてきたところだ」

 

「さらっと図々しい事を言いおって。儂は周りからはロム爺などと呼ばれておる。お主も好きに呼べば良い。美味い物を食わせてくれた礼にミルクぐらいは出してやるわい」

 

「おー、太っ腹!」

 

 ロム爺が席を立ち、カウンターの奥でごそごそとした後、白い液体の入ったグラスをスバルと彼女の前に置いた。

 さすがに変な物ではないと思いたいが、念の為スバルは彼女よりも先に口を付けた。

 

「……これ水で薄めてるんじゃねぇだろうな。不味いぞ」

 

「なんちゅう失礼な奴じゃ……」

 

 続いて彼女も口を付ける。

 表情が変わらないのを横目で見つつ、その口が開かれるのを待った。

 

「…………。ミルク67、水33」

 

「やっぱ薄めてるじゃねぇか!」

 

「タダで出してやってるんじゃ。それぐらい我慢せい」

 

 これでも一応善意で出してくれたようなので最後まで飲む。

 

 しばらくして、入り口の扉がノックされ、ロム爺は扉に向かった。

 

「あの女かもしれねぇから慎重にな?」

 

「分かっておるわ。安心せい。何の為の合言葉だと思っとる」

 

 それが先程簡単に突破されていたのだが、口には出さない事にした。彼女が例外だったのだろう。

 ロム爺は耳を扉に当てて合言葉を言った後、外の様子を探る事もせずに扉を開けた。

 

「お、おい」

 

「心配するでない。ちゃんとした知り合いじゃ」

 

 そして入って来たのは金髪の少女だった。

 前回エミリアが追い掛けていた、この蔵で血溜まりに沈んでいた少女だ。

 

「おい、ロム爺。今日は大事な取り引きがあるって言っただろ」

 

「まぁまぁ、フェルト、そうカッカするでない。こやつらも何やら事情があるようでな」

 

「事情?」

 

 金髪の少女、フェルトはスバルたちの方へ目を向けると突然「あー!!」と叫び声を上げた。

 

「テメーは今日の朝ぶつかってきた……!」

 

 その視線が向かっているのはどちらかといえばスバルではなく彼女の方だった。

 

「あれは、あなたが転びそうだったから……」

 

「下のテントの所に着地しようとしてたんだよ! てか、なんで屋根の上にいんだよ!」

 

「……ごめんなさい」

 

 赤髪の少女――ラインハルトはササッと足を動かしてスバルの後ろに隠れ、フェルトの視線を遮った。

 

「何があったかは知らねぇけど、そんなに怒んなよ。ここは一発俺の顔に免じて握手して仲直りしようぜ」

 

「顔に免じてって、そういう兄ちゃんは誰だよ」

 

「ふっ、よくぞ聞いた。俺の名前はナツキ・スバル! 天下――」

 

「あっそ」

 

「最後まで聞けよ!?」

 

「なんじゃ、お主ら知り合いじゃったのか?」

 

「ちげーよ!」

 

 なんだか気の抜けるようなやり取りだが、堅苦しいよりは良いかと思い直し、スバルはフェルトにも事情を説明するためにテーブルに座った。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「なるほどな。兄ちゃんの話は大体分かった。けど、アタシも今日は大事な取り引きがある。外で待っててくれよ」

 

「そう言わずに中にいさせてくれよ。取り引きがあるっていうならその間は隅で小さくなっておくからさ」

 

 フェルトはスバルの提案にあまり良い顔をしなかった。

 取り引きの内容は聞いてもはぐらかすため、スバルはどんな取り引きか知らない。チラチラとラインハルトの方を見ている事から、何かやましい取り引きなのかもしれない。近衛騎士という立場らしいし。

 

「もしかしたらお前を狙ってるのかもしれねぇし、な?」

 

「ああもう。分かったよ。ただし、兄ちゃんはともかくそっちの騎士さまは取り引きの間見えねー所に隠れてろよ」

 

「オーケー、オーケー。君もそれでいい?」

 

 スバルの言葉にラインハルトは頷いた。

 

 ようやく話がまとまった。

 スバルを一息を付き、天井を見上げた。相変わらず埃っぽい蔵だが、もうすぐここにあの黒い外套が現れるのだ。恐らく、という但し書きが付くが、ほとんど確定と言って良い。

 まだ大雪が降っていないので、エミリアは無事なのだろう。

 

 暇な時間が過ぎる。

 特にすることがないスバルは

 

「好きな果物は……」

 

「爺やが育てたリンガ」

 

「好きな料理は……」

 

「婆やが作ったもの、全部」

 

「趣味は……」

 

「人気の無い所で何も考えずに過ごす事」

 

 と雑談をしたり、携帯電話を取り出してカメラ機能で様々な写真を撮ったりして時間を潰した。

 ラインハルトの驚いた顔を待ち受け画面に設定したのは内緒だ。

 

 そして外から扉が叩かれた。スバルの身体に緊張が走る。

 

「アタシの客かもしれねー。アンタは奥に隠れてろ」

 

「本当に大丈夫だろうな? 開けた瞬間ザクッとかやめてくれよ」

 

 前回の記憶が思い出される。

 エミリアの身体から噴き出す赤い血。床に広がる血。

 思わず身体を震わせるスバルを余所に、ラインハルトも扉の横まで足を進めた。

 

「隠れとけっつったろーが」

 

「私は加護で気配を消せるから。あなたの取引相手ならずっと黙っておく」

 

「……ぜってー動かずに口も出すなよ」

 

 フェルトが恐る恐る扉を開ける。

 すでに夕暮れに差し掛かっており、夕日が差し込んでくる。

 

 そして現れたのは、

 

「やっと見つけたわ。もういいでしょう? 徽章を返して。あれは大切な物なの」 

 

 銀髪の少女、エミリアだった。

 

「こんな所まで追ってきたのかよ……」

 

「他の物なら諦めもつくけど、あれだけはだめ。早く返して」

 

 エミリアは手のひらをフェルトに向けて鋭い目つきで周囲に氷の塊を出現させた。この世界に来て初めて見たそれっぽい魔法。

 気配を消すのは地味だからノーカウントだ。

 

「エミリア様?」

 

「え、ラインハルト? どうしてここに……?」

 

 エミリアがラインハルトに気付くと氷塊は消失した。

 

「徽章って……」

 

「それは、違うの。えっと、違くはないんだけど、その、ね」

 

 鋭かった目つきは先程よりも柔らかくなっていた。

 美少女二人が仲良さげにしているのを見るのは和むが、今はほのぼのとしている場合ではない。エミリアがここに来たという事はあの殺人鬼が現れる条件は揃ったようなものだ。

 

 どこから来るのか。普通に考えて入り口からか。

 と、目を凝らしていたスバルは見た。

 エミリアが入って来た扉から黒い影が入ってくるところを。

 

「ッ! 避けろ!」

 

 反射的にスバルは叫んでいた。

 

「きゃっ」

 

 そんな声が隣から聞こえた。その方向を見ると、扉のすぐ近くにいたはずのラインハルトがエミリアを抱えて立っていた。

 

「あら、避けられてしまったわね」

 

 そして彼女たちがいた場所には夕日を背に黒い外套の女が立っている。

 

「おい、どーいう事だよ!」

 

 フェルトが女に向って叫んだ。

 予想はしていた事だが、フェルトの取り引き相手とやらがあの女だったのだろう。

 

「徽章を買い取るってのがアンタの目的だったはず、話が違うじゃねーか!」

 

「持ち主がいるのに取り引きなんてとてもとても。残念ながらあなたは仕事を全う出来なかった。所詮は貧民街の子供ね」

 

「テメー……!」

 

 フェルトは顔を歪めながら腰の後ろに提げた短剣の柄に手を伸ばした。だが、剣を抜くよりも早くラインハルトが前に出た。

 

「腸狩り」

 

「なんだ、その物騒な名前は……まぁ、いいか。あいつだ、殺人鬼」

 

 普通に喋っていたら頼りない感じだが、さすがは『剣聖』といったところだろう。不思議と彼女が負けるビジョンは浮かばない。

 もとより前回、彼女があの女を殴り飛ばした瞬間を見たのだ。負ける事はないだろう。もし負けるような事からあればスバルにはもう手の打ちようがない。

 

「あらあらあら。なんて事かしら。面白味のない仕事だと思っていたけれど、まさかこんな楽しみが待っていたなんて」

 

 くの字に曲がった黒いナイフ――いわゆるククリナイフを手に腸狩りは舐め回すような視線を上から下へ、そしてラインハルトへ固定される。

 ラインハルトは背中の剣の柄に手を置いたが、鞘から抜く事はせずに手を離した。

 

「あなた、『剣聖』でしょう。その剣は抜かないのかしら? 伝説の切れ味、味わってみたいのだけれど」

 

「必要ない。そう判断された」

 

「安く見られたものね」

 

「…………」

 

 腸狩りは姿勢を低くし、真っ直ぐに飛び出した。弾丸の如きスピードで凶器を振りかざしながらだ。

 それに対してラインハルトは無手。どちらが有利かなど子供でも分かる。

 

 だが、次の瞬間吹き飛んだのは腸狩り。

 僅かにラインハルトの片足が上がっているところから見るに、蹴ったのだろう。スバルには全く見えなかったが。

 

「噂通り、いえ、噂以上なのね、あなた」

 

「…………」

 

 話に付き合う気は無いのか、ラインハルトは腸狩りの言葉を無視して足下を見た。

 そこには今の衝撃で壁から落ちてきた一振りの剣があった。それを拾い上げ、握りを確かめるように柄に手を添え、再び視線を戻す。

 

「無視だなんて酷いわ。でも、素敵。楽しませてちょうだいね」

 

 腸狩りが跳躍し、天井で跳ね返るようにラインハルトへ向かう。

 本来一撃必殺の斬撃を剣一本で防がれた腸狩りは再び跳躍、壁に足を掛け、更に跳躍して別の壁へ。

 まるで狭い室内でスーパーボールが跳ね回るように重力を無視しているかの如く縦横無尽に駆け回り、一撃離脱の戦法で火花を散らしていく。

 

 スバルにはかろうじてその軌道が目で追えるぐらいで、それはまさしく人外同士の戦いだった。

 

「ねえ。あなた、あの子とどういう関係なの」

 

 邪魔にならないようにとカウンターの中に移動していたスバルは隣から話し掛けられた。

 

「どういう関係って言われても、難しいな」

 

 声の主はエミリアだ。その目は今も火花を散らす攻防を繰り広げているラインハルトに向けられている。

 

「昔からの知り合いなの?」

 

「いや、今日会ったばっかり」

 

「嘘……」

 

 エミリアは目を見開いた。

 それほど驚く事だったのか、金属音の中心からスバルへ視線を移した。

 

「そんなに驚く事?」

 

「驚きもするわよ。あの子、人の嫌な感情が分かるからって滅多に他人と関わろうとしないのに。今日初めて会っただなんて」

 

 確かに、言葉の節々で他人を拒絶するような感情は読み取れたが、スバルには意外にあっさりと付き合ってくれた。

 人の嫌な感情が分かる。これまでも知らないはずの合言葉が分かったり、ミルクの中の水の割合が分かったりと様々な事を当ててきた彼女だ。きっとそれも嘘ではないのだろう。

 

「いやちょっと待った。て事は俺の感情もまさかバレバレ……?」

 

 となれば、スバルの感情が筒抜けだったという可能性も十分に考えられた。

 急に恥ずかしくなるのを誤魔化すため、スバルは戦いの中心に意識を戻す。そこでは未だ縦横無尽に駆け回る腸狩りと地に足をつけて剣一本で攻撃を全て防ぎ切るラインハルトがいる。

 状況は膠着で、ずっと同じような場面が繰り返されている。

 

「どうすんだよ、ロム爺。このままだとここめちゃくちゃになるぞ」

 

「そうは言ってもあんな戦いには手が出せん」

 

 そんな二人の会話を横目にスバルはラインハルトの事をよく知っているであろうエミリアに問い掛けた。

 

「やられそうって感じじゃねぇけど、もしかして決め手が無いのか?」

 

「あの子が本気になれば、あれぐらいの相手どうって事もないはず……」

 

 本気。それがどれ程のものかは分からないが、腸狩りを倒すだけの力はある。

 ならば、何故その力を使わないのか。そう思った瞬間、目が合った。

 

「……っ」

 

 その目に宿っていたのは闘気などではなく不安そのもの。

 まるでどこか見知らぬ街で親とはぐれた子供のような目に、スバルは気が付いた。

 

「きっと、本気を出してあなたが持っている感情が変わるのを怖がっているの。一度信頼した人に裏切られるのは、つらい事だから」

 

 全てをエミリアの言葉が代弁する。

 思えば初めての時、高台から落下したスバルを助けてくれたラインハルトの顔も同じだった。

 だったら、もう答えは決まっている。

 

「俺は、どんな事があっても絶対に君から離れたりしない! たとえ隕石を降らせたり、口から火を吹いたりしても絶対にだ!」

 

 その瞬間、彼女は力強く頷いた。

 

「口から火を吹くって、魔獣じゃないんだから」

 

「ほんの例えじゃん!? まさかツッコミが来るとは思わなかったんだけども」

 

 そんなやり取りの向こうで、場面は動く。

 

「やっとやる気になったという訳ね」

 

「教えてあげる」

 

 今まで無言を貫いていたラインハルトが腸狩りの言葉に答え、剣を握り直した。

 

「一体何を教えてくれるのかしら?」

 

「――『剣聖』を敵に回すという事。その意味を」

 

 腸狩りは口角を上げ、二本のククリナイフを構える。

 

「『腸狩り』エルザ・グランヒルテ」

 

「……『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア」

 

 それは決闘前の名乗り合い。

 決して誇り高い戦いではないだろう。だが、殺人鬼にも殺人鬼なりの作法があるのか、ラインハルトも答える。

 

 そしてその瞬間、スバルは空間が歪むような錯覚に襲われた。

 空間を支配するのは圧倒的な剣気。素人のスバルにも分かるほど濃密なそれが、ラインハルトから溢れていた。

 

 両者が動いたのは同時。

 だが、どちらが勝ったかなど議論にすらならない。

 ラインハルトが剣を振り下ろした刹那で発生した極光が視界を塗り潰したのだから。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 視界が戻った時、何より変わっていたのは蔵の姿だった。

 おおよそ立方体の蔵の面が二つほどなくなっている。無事な面も装飾がボロボロになっており、台風が通り過ぎた後のようだ。

 

「なんだ、これ。バケ――」

 

「はいストーップ!!」

 

 化け物という言葉を口走りそうになったフェルトの口を手で塞ぐ。

 

「何すんだよ!」

 

「あの子がいなかったらお前だって殺されてたかもしれねぇんだからな? 素直に感謝しなさい」

 

「分かったから、離せ」

 

 フェルトに手を振り払われ、スバルは蔵だった場所の真ん中で立ち尽くすラインハルトを見た。

 彼女の手の中にあった剣は今の一撃に耐えられなかったのか崩れて灰になり、彼女は天を見上げていた。既に夕日は沈み、月が輝いている。

 

「月が綺麗ですね……なんちゃって。どうかした?」

 

「さっきのを見て、どう思った? 怖いと、思わなかった?」

 

 さっきの、とはあの一撃の事だろう。

 正直言ってアレが剣を振っただけの威力かとツッコみたくなる程のものだった。だが、能力がイコールその人間という訳では決してない。

 

「凄かったよ。一瞬、この世の終わりかと思ったぐらい。でも、どんな力があったとしても君は君だ。それで気持ちが変わったりしない」

 

 結局、力は所詮道具と同じなのだ。扱う人間によって評価もどうにでも変わる。包丁だって一流の職人が持てば芸術を創り出し、通り魔が持てば死体が作り出される。

 彼女なら、例えどんな力を持っていたとしてもスバルの気持ちが変わる事はないだろう。

 

「私にそんな感情を向けるなんて、本当に珍しい人」

 

「おうともよ。なんたって俺はナンバーワンよりオンリーワンを目指してるんだから」

 

「ラインハルト」

 

「え?」

 

「君、じゃ分からないから。ラインハルト、そう呼んで」

 

 一度目の世界で男っぽい名前だと気にしていると思ったからあえて呼ぶのを避けていたのだが、どうやら思い過ごしだったらしい。

 

「ああ、いいぜ。何度だって呼んでやる」

 

 この世界に来てから初めての夜。

 重ねた死は都合三度。

 右も左も分からない状態から、ようやくここまでたどり着いた。長いような短いような、そんな時間だった。

 苦労もしたし、痛い思いだってした。

 けれど。

 この瞬間を迎えるためなら安いものだったかもしれない。

 

 月明かりに照らされた少女の笑顔を見て、スバルはそう思うのだった。

 



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幕間


思ったよりたくさんの評価と感想が来てビビった。

コミュ力がアレなんで返信は出来てないですけどちゃんと読んでます。はい。

期待通りのものが書けるかは分かりませんが、続きが思い浮かんだらまた投稿すると思うので気長に待ってくださいな。



 

 天を見上げれば美しい満月。

 異世界には現代のような空気の汚れはなく、遮るものは何もない。都会では到底見られない星々とその中で一際存在感を放つ月。

 そして視線を下ろせば目の前には月光に照らされた神秘的で可憐な少女。

 

「長いチュートリアルだったぜ」

 

 ミッション『謎の魔獣の出現を阻止せよ』クリアだ。

 最初のミッションにしては難易度が高かった。チュートリアルで三回も死ぬようなゲームがあれば、それはクソゲーだと断定できる。

 だが、文句などありはしない。

 彼女の、ラインハルトの笑顔と少しの信頼を得られたのなら。

 

「おい。なんかいい感じになっとるが、ここはどうするつもりじゃ!? 外から丸見えで空から綺麗な月が覗いとるぞ!?」

 

「空気が良いからか、綺麗だよな」

 

「皮肉で言ったんじゃバカタレ!!」

 

 と、思いを巡らせるスバルにカウンターの中からロム爺から鋭いツッコミが入った。

 

「怒るなって。血圧上がるぞ?」

 

「周りを見渡してから言わんか!」

 

 そう言われ、辺りを見渡すスバル。

 確かに蔵はボロボロ。そもそも何の場所かは分からないが、何であれ元の通り使用する事は出来ないだろう。

 

「『剣聖』ならもっと上手く出来たじゃろうが」

 

「……ちょっと、気分が上がって」

 

 責めるような視線をラインハルトはスバルの後ろに隠れる事で遮った。

 

「気分で壊されてたまるか!」

 

「まぁまぁ、手加減してたらこっちがやられてたかもしれねぇんだし。命あっての物種だろ?」

 

「微妙に怒りづらい所を突いてきおって……」

 

 そしてロム爺を丸め込む事に成功したスバルは次にエミリアとフェルトへ視線を移した。

 腸狩りが乱入してきた事で忘れていたが、この二人はかなり険悪な感じだった。スバルには断片的な情報しかないが、会話を聞くにフェルトがエミリアの大事な徽章とやらを盗んだらしいのだ。

 

 だが、徽章を盗んだのもどうやら腸狩りの依頼の様子。ならば依頼主が消えた今、フェルトが徽章を盗む意味も無いだろう。

 さすがにもう一度ドンパチやられるのは困る。

 

「とりあえず一件落着って事でフェルトは徽章を返す。エミリアちゃんは笑って許す。そんで握手して仲直りしよう」

 

「なんで兄ちゃんが仕切ってるんだよ」

 

「そうよ。すごーく釈然としないのだけど」

 

「俺の顔に免じて、な?」

 

「なんかさっきもそんな事言ってたけど、兄ちゃんの顔って別にカッコよくもなんともないからな?」

 

「辛辣!」

 

 そりゃ、イケメンって訳じゃねぇけども。

 と呟きつつ、いきなり魔法の撃ち合いなどという展開は避けられそうで胸を撫で下ろしたスバル。

 

 しかし、穏便に済みそうな空気は突如として跳ね上がった蔵の一部だった瓦礫によって壊される事となった。

 瓦礫の下に埋もれていたのは腸狩りだ。

 

「嘘だろ!? アレを受けて……」

 

 既に血だらけで先程までの余裕な表情はないが、ラインハルトのあの一撃を受けて生きているだけで驚愕に値する。

 だが、腸狩りはただ瓦礫の中から現れたのではない。手には折れ曲がったククリナイフを持っており、ある一点に向って加速する。

 

「エミリア様!」

 

 腸狩りの先にいたのはエミリア。

 最後に一矢報いるつもりか。

 ラインハルトも地面を踏み込んで飛び出す。

 

 その瞬間。

 引き伸ばされた時間の中、天から舞い降りた黒い影がエミリアと腸狩りの間に割り込んだ。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「帰ってくる時間が遅いと思ったら、こんな所にいたんですか」

 

 突如現れたその人物は手に持った剣で腸狩りの斬撃を受け止めていた。

 

「ティル……どうしてここに?」

 

「あんなもの放てばここにいると分かるに決まってるでしょう」

 

 ティルと呼ばれたのはピンク髪のショートボブの少女。ラインハルトとは違い、青を基調とした上着に白いスカートを纏っている。

 

「それにしても、なるほど。腸狩りですね」

 

 その少女が腸狩りの方へ視線を移すと、

 

「――エル・ヒューマ」

 

 次の瞬間、腸狩りは巨大な氷に包まれた。

 

「おぉ、マジか」

 

 あんなに暴れまくっていた腸狩りが瞬殺。

 弱っていたのかもしれないが、それにしても強い。スバルはチンピラ三人組がこの世界の平均ぐらいかと思っていたが、実はこんな実力者たちが溢れていたりするのだろうか。

 

「王都でも度々名が上がっていますが、よく分かりましたね。腸狩りの居場所」

 

 ティルは剣を鞘に収めながらラインハルトに話し掛ける。

 少なくとも敵ではなさそうだが、どういう関係なのだろうか。

 

「そっちの、スバルが教えてくれた」

 

 と、ラインハルトに誘導されたティルの視線がスバルに向く。

 

「そうですか。申し遅れました。お嬢様……ラインハルト様の付き人をしているティル・ファウゼンです」

 

「あ、どうも。ナツキ・スバルです」

 

 どういう関係かと思えばなんと付き人だったらしい。そう考えればこの強さにも納得だ。

 ティルはスッとスバルに頭を下げた。

 

「腸狩りの討伐は本当なら騎士団のクソ野郎共の仕事ですが、ご協力ありがとうございました。詰所の方には伝えておくので何か困った事があればこき使ってあげてください。全然働いている所を見ないので」

 

 何やら棘があるような。

 何か恨みでもあるのだろうか。藪蛇になるのは避けたいので言及はしなかった。

 

「いや、こき使うって言ってもなぁ。タダで泊めてくれたりすんのかな」

 

 山場を越えて浮かれていたスバルだが、重要な事を忘れていた。

 そう、夜を明かすための寝床が無い。

 もう吹雪にはならないだろうが、よくよく考えてみれば引き籠もりだったスバルに野宿はハードルが高いし、お金も持っていない。

 仮に騎士とやらをこき使えるとしても寝床を寄越せというのは――

 

「宿、ないの?」

 

 貸してくれたとしても雑魚寝とかになったらやだな、とむさ苦しい夜を想像した時、ラインハルトの透き通った声がスバルの意識を引き戻した。

 

「そうなんだよ。俺、この街に来たばっかりだからそういうのに全然詳しくなくて」

 

 あと金無いし。と心の中で付け加える。

 そしてもし今夜をやり過ごしたとしても食料すら無い。金が無いのだから当然だが。

 働き口を探そうにもこんなどこの馬の骨とも知れない人間を雇ってくれる所があるのか怪しいところだ。

 

 今更ながら焦り始めるスバル。

 これは控え目に言ってかなりマズいのでは、と。

 

「だったら、屋敷に来る?」

 

「え、マジで?」

 

 だからこそ、ラインハルトの言葉はまさしく九死に一生であった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 そして案内されたのはまさに貴族といった風貌の豪華な屋敷だった。

 腑に落ちない点といえば何故かフェルトがティルに抱えられており、その後にロム爺がついてきているという事ぐらいだ。ぐらい、で片付けられる程軽い問題ではないが。

 

 スバルがラインハルトからの提案に飛び付いた後、フェルトがエミリアに徽章を返そうとした。その時に問題は起こったのだ。

 その徽章をフェルトが手のひらに乗せた瞬間、ティルがその手を掴んだ。スバルにはよく分からなかったが、簡単に言うとその徽章は未来の王様候補を探すためのもので、フェルトがその王様候補に選ばれたらしいのだ。

 ラインハルトはおどおどしていたが、ティルは暴れるフェルトを気絶させて屋敷に連れ帰り、両者共に危害を加えないという条件でロム爺も屋敷に押しかけた。

 

 それからスバルは夕食をご馳走になったのだが、それがまぁ、険悪な空気だった訳だ。

 大きな食卓についたのはスバルとラインハルトとティル、そしてその頃には目を覚ましたフェルトとロム爺。更には部屋の隅ではラインハルトの言う爺やと婆やが目を光らせているというスバルにはとても口が開けない空間だったのだ。

 そこに至るまでの経緯を考えれば仕方ないのかもしれないが。

 

「ごめんなさい。爺やも婆やもいつもはあんなじゃないのに」

 

「いいよいいよ。ラインハルトが悪いって訳じゃないし、そもそも俺は食べさせてもらってる方だから」

 

 そして食事が終わったスバルはラインハルトに屋敷を案内してもらっていた。

 

 かなり広い屋敷で、スバル一人だと迷いそうだ。迷路のように入り組んでいる訳ではないが、同じようなデザインがずっと続いている。

 見たところここに住んでいるのはラインハルトと爺やと婆や、そしてティルの四人。四人で住むにしては広過ぎるような気がしないでもなかった。

 

「ここの部屋、使っていいから」

 

 食事前にフリフリの服に着替えたラインハルトが一つの部屋を指し示す。

 扉を開けるとそこにあったのはかなり豪華な部屋だ。優雅にお茶でもするような丸いテーブルと化粧台にこれまたフリフリしたベッド。

 これはもしや。

 

「私の使ってる部屋じゃない」

 

「ですよねー」

 

 まぁ、ラインハルトが使っている部屋に案内されても困るのだが。

 それよりも今さらっと心の中を読まれたような気がしたが、スバルは気にしない事にした。

 

「お、ベランダもあるのか」

 

 よく見ると部屋の奥のガラスは戸になっており、その向こうがベランダになっている。

 今は夜でこの世界は空気が澄んでいる。ここからでも星が見えるのではないか、とスバルは一直線にベランダへ向かった。

 

「やっぱ綺麗に見えるな、星」

 

「星、好きなの?」

 

「ああ。俺の名前も実は星の名前から来てるんだ」

 

「そうなんだ」

 

 スバルが隣を見ると、ラインハルトも空を見上げていた。

 

「私も星は嫌いじゃない。嫌な事を、忘れさせてくれる気がするから」

 

 満天の星空。現代で見ようとすればそれこそ山奥にでも行かなければ不可能だろう。

 星空には人を癒す力がある。それを実感させられる光景だ。

 

「分かるよ。俺の故郷じゃこんなによく見える事なんかほとんどなかったし。これを見てると疲れが吹っ飛ぶような気がする」

 

 嫌な事。

 一先ずはあの腸狩りの撃退が第一だったため、詳しい事は聞けなかった。

 屋敷の中では特に邪険に扱われている様子もない。ならば何故あんな裏路地に身を潜めていたのか。

 スバルには分からない事が多過ぎる。

 

「嬉しかった」

 

「え?」

 

 そしてそんなスバルの思考はラインハルトの言葉によって遮られる事になった。

 

「私にあんな言葉も感情も、向けてくれる人なんていなかったから」

 

「……そっか。悲しいよな。周りから爪弾きされるってのは」

 

「うん」

 

 スバルもそういう経験をした事がある。

 というより、そのせいで引き籠るようになったのだ。

 

「何かあったら相談に乗るからさ。遠慮なく言ってくれよ」

 

 分からない事は多い。

 だが、他人に知られたくない事もあるだろう。スバルにだっていくらでもある。

 ならば、こちらから聞くよりもいつか話してくれるのを待つ方が良い。

 

「ありがとう。スバル」

 

 感謝するのはこっちの方なんだけどな。

 そう心の中で呟きながらスバルは部屋から出ていくラインハルトを見送った。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 窓から差し込む日の光に照らされて目を覚ます。

 背中には絶妙な柔らかさ、身体には素人目から見ても高級品だと分かる掛け布団、そして天井には漫画の中でしか見たことのないようなひらひらのカーテンが付いている。

 

「……そうだ、屋敷」

 

 一瞬ここがどこか忘れかけたが、ここはラインハルトの屋敷だ。

 異世界に来て始めての朝。チュンチュンとスズメが鳴いていそうな心地好い朝だ。

 

 スバルは丁寧に布団から身体を出し、手で少しシワを伸ばした。

 そして両手を合わせて天井に突き上げて全力で伸びる。これでようやく目が冴えてくる。

 

「さて。これからどうするか、だな」

 

 異世界生活二日目。

 昨日はなんとかなったが、そう何度もこうしてお邪魔するのは気が引ける。そもそも追い出される可能性だってあるし。

 まずはこの世界で活動するための資金、それを手に入れるための手段を確保しなければならない。

 

 とりあえずは死に戻りのいわばセーブポイントとなっている果物屋にでも行ってみるか、と当たりを付ける。

 化粧台の鏡で身だしなみを整える。と言っても少し髪を弄る程度だ。

 

「よし」

 

 と、新しい一歩を踏み出そうとした時、部屋の扉が叩かれた。

 

「はーい」

 

 スバルの声と同時に扉が開く。

 誰かとそちらを見れば、現れたのはラインハルトだった。

 

「昨日はよく眠れた?」

 

「ああ、もうこれでもかってぐらいぐっすりよ」

 

 服は昨夜のフリフリなものから街でいた時に着ていた白い制服のようなものに変わっていた。

 しかし違うところもある。中二心をくすぐられる大剣とマントを身に着けていない。あとは髪型も変わっている。昨日は赤く長い髪をそのまま流していたが、今は後ろで一つに纏めている。

 

「髪型変えたんだ」

 

「うん。邪魔だったから」

 

 そう言うラインハルトの手にお盆が乗っているのにスバルは気が付いた。

 

「これ、朝食」

 

「わざわざ朝食まで……何から何までありがとうございます!」

 

 昨日の夕食と寝床を提供してくれただけでも頭が上がらないというのに朝食まで。

 ここまでしてもらえるとなんだか自分が偉くなったような気になる。建物の豪華さも相まって。

 

「大したものじゃないけど」

 

「いや全然大したものよ!?」

 

 ラインハルトの持つお盆の上には大皿小皿が十枚ほど。一人分の朝食にしては多い。

 そしてそれだけの皿を乗せたお盆を片手で支えているのも地味に凄い事だったりする。スバルなら数秒でひっくり返すだろう。

 

「早く食べないと冷める」

 

「あ、悪い」

 

 スバルがいたせいで部屋に入れなかったラインハルトはスバルが一歩横にずれると部屋の中に足を踏み入れ、器用に大きなお盆を丸いテーブルに置いた。

 

 目線で促され、スバルは席につく。

 

 化粧台の方から椅子を持って来てラインハルトもスバルの正面に座った。

 もしかして一緒に食べるの? 

 と思ったが、スプーンとフォークとナイフは一本ずつしかない。

 

「どうしたの?」

 

「あ、いや。いただきます」

 

 テーブルは結構小さいため顔が近い。

 正面の青い瞳から逃れるようにスバルは一番手元にあった料理を口の中に放り込んだ。

 

「……うま」

 

 気付けばそんな言葉が漏れていた。

 食リポなどした事のないスバルには的確に表せる語彙力は無いが、一先ずそれだけは言えた。

 

「え、何これうま」

 

 美味い。

 何の料理かよく分からないものもいくつかあるが、全てが美味い。

 下手をしなくても、これまでの人生で口にしたものの中で一番ではないか。

 朝からこんな量は食べ切れないと思ったが、どんどん食が進むスバル。

 

「よかった」

 

 そんな声に思わず手が止まる。

 

「料理なんて何年もやってなかったから」

 

「これラインハルトが作ったの?」

 

「うん。そうしたら喜ぶって、婆やが。だから、ちょっと本気で作った」

 

 美少女の手料理。なんと甘美な響きか。

 その料理を食べてどう感じるかというのはそれ自体の状態だけでなく、それ以外の状況も大いに影響を与える。

 例えば全く同じ料理であったとしても、食べるのが埃だらけの場所であれば不味く感じるし、高級料理店のような場所であれば美味く感じる。作る人間によっても全然感じ方が違うのだ。

 

「家宝にしよう」

 

「…………」

 

「冗談、冗談!」

 

 ラインハルトのなんとも言えない顔を見てスバルは急いで手を進めるのだった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「テメー、離しやがれ!」

 

「離しません」

 

「ロム爺! 何とかしてくれ!」

 

「何とかなりません」

 

「くっ、すまん、フェルト……」

 

 スバルが完食し、満足そうなラインハルトが食器を持って去った少し後、部屋を出ると何故かピンク髪の少女ティルがフェルトを俵のように担いでおり、その後に肩を落としたロム爺がいる。

 

「なにこれ、どういう状況?」

 

「あ、兄ちゃんいい所に! ここから逃げるんだ! 手伝ってくれ!」

 

 状況がよく掴めないスバルにフェルトが足をばたつかせながら声を張り上げた。

 

「あなたも逃走の手助けをするなら相手になりますが?」

 

 そして鋭い視線がスバルを射抜く。

 呼び起こされるのは昨日の記憶。あの腸狩りを瞬殺した姿。今も腰に剣を提げていて、ここで返答を間違えばスバルも一瞬で切り捨てられる未来が見える。

 フェルトは見た目は可愛いが、実質あの蔵で会ったばかりのほぼ他人。

 

「どうぞお通り下さい」

 

「おい!」

 

「仕方ねぇだろ。俺がどうこう出来るレベルじゃねぇし」

 

 未だ状況はよく分からないが、余計な手出しはしないが吉。

 そう判断したスバルは早々と道を譲った。別にスバルが譲らなくとも通れる隙間は十分にあるが。

 

「往生際が悪いです。さっさと部屋に戻って勉強して下さい」

 

「誰が勉強なんかすっかよ!」

 

「はぁ、言うことを聞かないならこちらにも考えがあります」

 

「……何だよ、考えって」

 

「お尻を叩きます。それが一番効くとお祖母様に教わりましたので」

 

「は、はあ!?」

 

 そんなやり取りの直後、軽快な乾いた音が響いた。

 それと同時に声にならない悲鳴がスバルの耳に届く。もちろん、フェルトのものだ。

 

「ちょ、いいのかよ。なんか王様候補とか言ってたような気がするんだけど」

 

「フェルト様とは一日一回どこへどうやって逃げ出しても良い代わりに捕まれば言うことを聞くという約束事を交わしました。いくら未来の王候補といえど、自分が承認した事柄を軽々と一蹴するような王になられては困ります」

 

「あ、そっすか。そんで、こんな朝から捕まってるって訳か。まぁ、なんだ。ドンマイ」

 

「助けろよ、兄ちゃん!」

 

 そしてまた響く乾いた音。スバルは思わず目を瞑った。

 音だけで分かる。あれは痛い。

 

「それでは」

 

 異世界でも勉強かー、大変だなー。

 スバルはそんな事を思いながらティルと担がれたフェルト、その後ろを歩くロム爺を見送るのだった。

 




ティル・ファウゼン:オリキャラ


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マヨネーズ


約2年ぶりに投稿。

感想と評価ありがとうございます。

今まで少しずつ書いてました。


 

 ラインハルトと爺やと婆や、あとはラインハルトの付き人だというティル。元はその四人しか住んでいなかったはずなのに何故こうも広いのか。

 同じような光景の続く廊下を歩きながらスバルはそんな事を考える。

 昨夜初めて訪れた際、迷いそうとは思ったが、実はスバルが泊まった部屋の前の廊下は端から端まで一直線になっているため出口を見失ったりする心配はなかったりする。

 

「やっぱり爺ちゃんと婆ちゃんには一言言っていくほうが良いよな」

 

 名前は分からないが、ラインハルトの言う爺やと婆やには昨日お世話になった。

 スバルのような見ず知らずの人間に夕食と寝る場所を提供してくれたのだ。許可を出したのはラインハルトとはいえ、同居人である彼らにもお礼を言わなければならないだろう。

 

「どこにいんのかなー。台所とかか?」

 

 昨日は何故かロム爺と睨み合っていたので結構怖かったが、感謝はしっかりと伝えるべし。

 

 スバルは一旦玄関に向かう事にした。ちゃんとした構造は把握していないが、とりあえず玄関ならいろんな場所へ繫がっているからだ。

 そして玄関にたどり着くと、

 

「おはようございます。昨夜はよく眠れましたか?」

 

「あぁ、はい。お陰様で」

 

 婆やが箒を持って掃除をしていた。

 白髪にシワの目立つ顔で結構な年だという事は分かるが、それに反して背筋はピンと立っていて老人という感じはあまりしない。

 

「ほんと、ありがとうございました」

 

「いえいえ、お嬢様がお連れになったお客様ですから。むしろ私たちの方こそ感謝しておりますよ」

 

「えーと、どゆこと、ですか?」

 

「初めてでしたからね。お嬢様が誰かを招くなんて」

 

「そう、だったんですか」

 

 確かにそうほいほいと人を連れてくるような人物ではないという事は分かるが、スバルが初めてだったようだ。

 まさか一緒に住んでいてラインハルトの状態を知らないという事はないはずなので、娘の友達になってくれてありがとう、というような類の気持ちなのだろうか。お嬢様と呼んでいるので娘や孫といった関係ではなさそうだが。

 

「ええ。あんなに楽しそうにしているお嬢様は久しぶりでしたよ」

 

 言われてみればそうだが、初めて裏路地で会った時の顔と昨夜や先ほどの顔は真逆というほど違った。愛の反対は無関心というように前者は表情筋が死んでいるのかという目の奥に闇の宿った無表情、そして後者は花が咲いたような笑顔。可愛くないのかと言われればもちろんどちらも可愛いのだが、どちらの方が好きかと聞かれればそれは後者だ。

 それはもう、むしろこちらこそありがとうというほど。

 

「あの、そういえば爺ちゃんはどこに?」

 

 何やら事情がありそうだという事は想像に難くない。

 とはいえ、大した付き合いでもないスバルに言える事は何もなかったため、スバルは昨日お世話になった一人である爺やを探す事にした。

 

「お爺さんなら庭の方にいると思いますよ」

 

 庭といってもこの豪邸を取り囲む庭なので決して狭くはないが、見渡せる分、屋敷内を探すよりも見つけやすいだろう。

 幸いここは玄関だ。庭はすぐそこにある。

 そうしてお礼を言って玄関の扉を開けようとしたスバルに声が掛かった。

 

「ところで、スバル様はこの街に来たばかりとのこと。働く場所はもうお決まりなのですか?」

 

「い、いやぁ、それは今から探そうかと……」

 

 痛いところを突かれたとスバルの動きが止まる。

 スバルは現在無職の無一文。端的に言ってピンチなのである。仕事を探さなければならないが、いざとなると少し前まで引きこもりだったスバルにはなかなかハードルが高い。

 やべ、どうしよ。と今更ながら焦りながら振り返ると、

 

「それならば、ここがおすすめですよ」

 

 そう言って婆やは箒で軽く床を叩いた。

 それはつまりこの屋敷で働かないかというお誘い。

 

「え、マジっすか」

 

 あっさりと問題は解決したのだった。

 なんか昨日もこんな事あったな。と思いながらスバルは婆やの後について行った。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 スバルが案内されたのはドレスや礼服など様々な衣服が収納された部屋だった。

 屋敷で働くには衣服もちゃんとした物でなくてはならない。爺やの使っていない物があり、それの裾を合わせてスバル用にするとの事だ。

 そして当たり前のように寸法を測られている間、屋敷からしてかなり良い身分の家がスバルのようなどこの馬の骨とも知れない人間を雇っても良いのかという疑問を口にするとラインハルトが認めた人間だから大丈夫だという答えが返ってきた。

 よほどラインハルトの事を信頼しているのだろう。信頼している、だけで片付けて良いのかは分からないが。

 

「そういえば、スバル様は何か得意な家事はありますか?」

 

「えーと、裁縫ならちょっとは。あとはベッドメイキングとか……」

 

 具体的に何をするか全く分からないが、スバルが就くことになる仕事はいわゆる使用人のようなものだろう。そうなれば確かに家事などもこなせなければならない。

 しかし、残念ながらスバルが得意だと言えるのは裁縫とオマケ程度のベッドメイキング。身に付けたは良いが結局役に立たなかった裁縫は使いどころが今の裾直しぐらいしかない。

 もちろんベッドメイキングをしろと言われたら全力でやるが、一芸特化にもほどがあった。

 

「裁縫……それじゃあ、どれぐらいの腕か見てみましょうか」

 

 こういった軽いものは婆やが済ますし、派手に破れたりしたら捨てるか修理に出すとはいえ、いつかする事になるかもしれないとの事なので裾直しは右半身を婆や、左半身をスバルがする事になった。

 

「なるほど、裁縫の腕は確かなようですね」

 

 そしてその結果は合格。

 しかし、スバルから言わせると婆やが完璧過ぎて自信がある(ほどほどに出来る)というレベルのスバルはなんとも言えない気持ちになった。

 

「しかし、ここで働いているのは実質私とお爺さんとティルの三人だけなので裁縫だけをしてもらう訳にもいきません。まずは掃除から始めてみましょうか」

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 あの後、スバルは婆やに掃除と洗濯を教えてもらい、爺やと共に買い出しに行った。

 フェルトは王様になるための勉強をさせられているらしく、ロム爺とティルはそれに付きっきりで昼食の時しか顔を合わせなかった。その時にもフェルトは懲りずにスバルに助けを求めてきたが、ピンク髪の鋭い眼光に睨まれて静かに合掌した。

 

 ラインハルトは外出していて帰って来なかったが、婆やによるといつも夕食の時には帰ってくるとの事なのでスバルは大人しく待つ事にした。

 昨日のようにどこかの裏路地で小さくなられていては探しようが無い。

 

 そして夜、玄関の掃除をしながらラインハルトの帰りを待った。既にこの場所は一度掃除しているのだが、玄関はいくら綺麗でも困る事はないと二度目の掃除を敢行したのだ。

 

 埃の無い床を箒で掃いていると、玄関の扉が開く。

 

「お、お帰り」

 

「あ……ただいま」

 

 外から吹き抜けた風に赤い髪がたなびく。

 白い礼服に身を包んだラインハルトが帰宅した。

 

「その服……」

 

「ああ、ここで働かせてもらう事になったんだ。どう? 似合ってる?」

 

「うん。似合ってる」

 

 給仕服に気付いたラインハルトにスバルは両手を広げてみせ、その高評価に心を震わせていた。

 昼食の時にフェルトには「似合わねー」と言われ、ロム爺は何も言わなかったのでラインハルトは何気なく言ったのかもしれないが、スバル的にはかなり嬉しい言葉だ。

 

「そうだ、もうちょっとで婆ちゃんの料理ができると思うから食堂で待ってて。いや、先に着替えるか」

 

「うん。着替えてから行く」

 

「オッケー、オッケー。じゃ、俺先に行ってるから」

 

 そう言ってスバルは箒を手に自室へ向かうラインハルトを見送った。

 本日二度目であるため、ほとんど集まらなかった埃を塵取りで回収してスバルは食堂に向かう。

 

「なんか実感ないな……」

 

 最初こそ右も左も分からない状態からのスタートだったが、今では寝泊まりが出来る場所と働く場所も確保でき、さらにそれはスバルが惚れた相手であるラインハルトと同じ屋敷ときた。

 完璧である。

 

 試しに頬を抓ってみるもやはり夢ではない。

 それを確認したスバルは掃除道具を片付けて食堂の扉を開けた。

 すると、

 

「ったく、勉強勉強って腕が痛いっての」

 

「お行儀が悪いですよ。足を降ろして下さい」

 

「ロム爺、こいつなんとかしてくれ」

 

「勘弁してくれ。このデカいコブが見えんか」

 

 椅子の上で足を組んでいるフェルトを挟んで鋭い眼光を光らせているピンク髪のティルと頭に大きなコブを付けたロム爺が既に座っていた。

 

「どうしたんだよロム爺、頭から落ちたか?」

 

「まったく、お主も口が減らんのう。やられたんじゃよ、こやつにな」

 

 そう言ってロム爺はティルの方に目線をやった。そしてティルも視線を返す。

 

「あなたが掴み掛かってくるから、加減が出来なかったのです。昔、男に酷い事をされたことがあって、それ以降男に対して少し過敏に」

 

「……それは、すまんかった」

 

「まあ、嘘ですが。今まで突っ掛かってきた男は全て返り討ちにしてきました」

 

「おいッ!? 今の儂の申し訳ないと思った気持ちを返さんか!」

 

 そんなやり取りを見てスバルは意外に思った。

 ロム爺は元々こんな感じだが、ティルは堅物といった印象だったため、こうして冗談を言うとは思わなかったのだ。ロム爺のコブは冗談ではなさそうだが。

 

「お前ら仲良いな」

 

「もしそう見えるならその目には節穴という称号をくれてやるわい」

 

「じゃ、俺は婆ちゃんの手伝いしてくるから」

 

 そう言ってスバルは台所へ向かった。

 そしてその後、この屋敷にいる者全員で卓を囲んだ。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 翌朝。

 スバルは昨日よりも早起きし、一人台所に立っていた。先ほどまでは婆やがいたのだが、先に朝食を摂って仕事を始める爺やに料理を持って行ったため、スバル一人だ。

 

「うーむ」

 

 ラインハルトに出す物ではないから多少形が崩れても問題無いという事でスバルも料理の手伝いをしたのだが、そこで一つの問題を発見したのだ。

 

「やっぱ無いよなぁ、マヨネーズ」

 

 マヨネーズ。

 それは至高の調味料。否、もはや一調味料という枠には収まらない。スバルにとってマヨネーズとはなくてはならない物だ。

 

 毎朝寝起きのマヨチュッチュはもちろん、朝食が何であれ傍らにはマヨネーズ。昼食、夕食は言うに及ばず。例え外食でもマイマヨネーズは欠かさない。そして寝る前にマヨチュッチュをして一日は終了する。

 

 そう。マヨネーズとはもはや人生の一部なのである。マヨネーズの無い生活など言語道断。

 しかし、彼の至高の品はここには存在しない。それどころか、そもそもこの世界には存在しないのかもしれない。

 ならば。

 

「作るしかない!」

 

「何を?」

 

「おわっ!?」

 

 と、他人の屋敷で勝手に決意したスバルの背後から声が掛かった。聞き間違えるはずのない、ラインハルトの声だ。

 

「きゅ、急に独り言に入ってきたらビックリするじゃん」

 

「……ごめんなさい。普通に声を掛けようとしたけど、突然大声を出すから気になって……」

 

「ああ! 考えてみれば俺が一人芝居してたのが悪いな! という事でこの話は終わり!」

 

 あからさまにシュンとするラインハルトにスバルは思わず話を強制終了させた。

 

「それでえっと、何を作るか、だっけ?」

 

「うん」

 

「それはだな、ずばりマヨネーズ」

 

「まよ、ねーず?」

 

 ラインハルトは首を傾げた。

 その様子にマヨネーズが一般に存在する物ではないと分かって少し落ち込むが、スバルはすぐに気を取り直した。無ければ作ればいい。当然の話だ。

 

「婆ちゃんがお給金もくれるって言ってたからまずはそれまで待って、材料を調達して作ってみようと思う」

 

「材料……何がいるの?」

 

「そうだなー、まずは王道のタマゴ。あとは油とか塩とかかな」

 

「分かった。ちょっと待ってて」

 

「え、何が分かったの?」

 

 スバルの問いに答えることなく、ラインハルトはスタスタと歩いていってしまった。

 そして言われた通りその場で待つこと数分。

 

「おぉ……ナイスエプロン姿」

 

 髪を纏めてエプロンを身に着けたラインハルトがスバルの様子を伺うように台所に入って来た。

 

「変……じゃない、かな」 

 

「全然! 超似合ってる!」

 

 スバルの言葉でどこか不安そうだったラインハルトは見るからに元気を取り戻し、台の前に立った。

 

「タマゴと油、あとは塩……」

 

 そして当たり前のようにスバルが言った材料を取り出し始める。

 

「待った、待った。もしかしてマヨネーズ作るつもり?」

 

 状況に付いてこれていなかったスバルに対してラインハルトは何を当たり前な事を、とでも言わんばかりに首を傾げた。

 

「大変可愛らしいからずっと見てたいところなんだけど、作り方知ってたりするの?」

 

「私は知らないけど、スバルは知ってるんでしょ?」

 

 スバルはそこで致命的なすれ違いがある事に気が付いた。といっても100%スバルが悪いのだが。

 

「あー、ちょっと言いにくいんだけど……」

 

 つまるところ、何が言いたいかというと。

 

「実は俺も作り方知らなかったりするんだな、これが」

 

「え……」

 

 せっかくスバルを思って準備してくれたのであろう、困惑とも焦りとも取れる表情を浮かべたラインハルトへ向かってスバルは速攻で土下座を敢行した。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 実のところスバルがマヨネーズを作ると言ったのはレシピを知っているからではなく、色々と試行錯誤しようと考えていた訳であって、正直材料と混ぜればいいかという事ぐらいしか分かっていないのだった。

 という事をこの場からダッシュで去ろうとしていたラインハルトにスバルが悪かったという旨を織り混ぜつつ伝えた。

 

「と、いう訳でございます。はい。誠に申し訳ない」

 

「うん……私の方こそ、早とちりして…………でも、もうタマゴとか出したし、婆やにも許可貰ったから。試してみない?」

 

「そりゃ、願ってもないけど、そのタマゴとかって屋敷の物でしょ? 許可貰ったっていっても何個ぐらい使うかどうか分からないし」

 

「大丈夫。足りなくなったら買いに行けばいいから。スバルが」

 

「あ、俺が買いに行くのね。でも俺お金持ってないよ?」

 

「お金は私が出すから」

 

「あれ、人のお金でマヨネーズ作ろうとしてる俺ってもしかして最低じゃ?」

 

 このようなやり取りがあり、朝食の後でスバルとラインハルトは結局マヨネーズを作ることになった。婆やも楽しみにしていると聞かされれば作らざるを得ないのだった。

 

 試行錯誤といってもどれをどれぐらい、どの順番で混ぜるかというのを試すだけの単純な作業だ。だが、作業は単純でもすぐに結果が現れるかといえばそういう訳ではない。

 

「あー、またダメだ」

 

 スバルはいくつ目かも分からない自分のボウルの中の失敗の証であるよく分からない液体を眺め、チラッとラインハルトのボウルへと移す。

 ラインハルトのボウルの中身もスバルの物と全く同じだった。

 

「うーむ、超絶料理上手のラインハルトでもダメか……まさか、これは世界がマヨネーズを拒んでいるとでもいうのか!?」

 

「完成した物がどんな感じか分からないから、スバルの真似をしてるんだけど……」

 

「あ、これ俺のせいか」

 

 確かによくよく考えてみれば恐らくマヨネーズの存在しない世界の住人であるラインハルトは完成品がどのような物か知らないし、スバルはちゃんと説明をしていなかった。とりあえず混ぜてみようとしか言っていなかった。いくら料理が上手くてもどうなれば正解かが分からなければマヨネーズを作るなど不可能だろう。

 それに、スバルの真似をしたのであれば完璧である。

 

「本当ならここでドロっとした感じの物が出来るはず」

 

「こんな風に?」

 

「そうそうこんな風に……って!? なんでそんな簡単に出来てるの!?」

 

 スバルがマヨネーズの形を言った瞬間、ラインハルトのボウルには見慣れた粘性のある物が出来上がっていた。

 

「スバルの助言のおかげ」

 

「さっきのって助言だったのか……」

 

 先程の言葉だけでマヨネーズが作れたら誰も苦労しないのだが、出来たものは出来たのだから良い。

 スバルは早速期待と共にラインハルトのボウルのマヨネーズ(仮)を指に取って舐めた。

 

「あー、うん。問題は味だな」

 

 形はマヨネーズそのものだが、とにかく油っぽくそれ以外の味がほとんどしない。

 

「塩でも加えれば良いのか……?」

 

 しかし、ソムリエでも何でもないスバルにはどの調味料をどれぐらい足せば良いかなど分かるはずもなかった。

 となれば、出来る事はやはり回数を重ねるのみ。

 

「なんか違う」

「これでもない」

「何か足りない」

 

 形は口頭で伝えられても味までは伝えられない。マヨネーズの味はスバルにとってマヨネーズでしかないからだ。

 ラインハルトは美味いがマヨネーズではない調味料を何度か生み出しているが、それはマヨネーズではないため今は置いておく。

 

 そして試行錯誤を重ねた結果、洗い場にボウルも重なっていく。

 チラリとラインハルトの方を見るとどんどん顔色が沈んできているように見えた。

 

 ここまでくるとスバルにも罪悪感が湧いてくる。

 スバルも最初は軽い気持ちで始め、ラインハルトも善意で手伝ってくれたのだろう。にも関わらず結果的にラインハルトを傷付けるような事になってしまっている。

 

 どうしたものか。こうなったら適当な物をマヨネーズと言って終わらせるか。

 脳裏に様々な考えが過ったその瞬間、スバルの手が何かに包まれた。

 

「え、ちょっ!? ラインハルトさん!?」

 

 振り向くとスバルの手はラインハルトの両手によって包み込まれていた。

 実はラインハルトの手を触ったのは初めてではないのだが、こうしてじっと面と向かって握られるのは初めてである。

 

「マヨネーズの味」

 

「え?」

 

 ドキドキしているスバルの目を蒼い瞳が覗き込む。

 

「強く思い浮かべて」

 

 思い返せばラインハルトは相手の感情が分かるのだった。このように触れていれば思い浮かべた味なども分かるのだろうか。

 そう思いながらもスバルは頭の中に今は無きマヨネーズの味を浮かべた。

 途中、何故かマヨネーズで満たされた大浴場に飛び込む自身の姿が浮かんだが、ササッと払ってラインハルトが良いと言うまでマヨネーズの味を思い浮かべ続けた。

 

「もう大丈夫」

 

 数秒か数分かの間スバルの手を握り続けたラインハルトは一目散にボウルを手に取った。

 そして何の迷いもなくタマゴを割り、かき混ぜ、調味料を足していく。

 

「できた」

 

 スバルの前に見た目は完璧なマヨネーズが差し出された。だが、形は先程までも良い線を行っていたのだ。問題は味である。

 ここにくるまで数々のゲテモノを舐めてきたスバルは恐る恐るそれを指に取る。見た目が良い分、味が悪かった時のダメージは大きい。

 ゆっくりと口へと運び、一思いに舐めた。

 

「……! こ、これは!!」

 

 その瞬間、スバルの全身に電流が走る。

 

「どう、かな」

 

「文句のつけようもない、完璧なマヨネーズだ!」

 

 それはマヨネーズだった。紛う事なきマヨネーズだった。誰が何と言おうとマヨネーズだった。

 

「あんなに遠く感じたマヨネーズがこんなに近くに……やべぇ、ラインハルトマジパネェ。この感動を誰かともっと共有したい。そうだ、もうすぐ昼飯だからその時に一緒に出してまずは屋敷の中から広めていこう!」

 

 スバルはラインハルトの持ったボウルなど気にせず両手を取ってブンブンと振った。

 当然そんな事をすれば完成品のマヨネーズが入ったボウルは宙を舞う。さらに運の悪い事にボウルは中身を下にラインハルトの頭上へ向かった。

 あっ、やべ。とスバルは赤い髪に白い粘性のある物体がぶちまけられる光景を幻視するが、ラインハルトは目にも止まらぬ早技で何事もなかったかのようにボウルを回収して事なきを得た。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 ラインハルトの作った完成品マヨネーズは昼食の時にお披露目する事になった。

 そのためにマヨネーズを瓶に詰めるから先に食堂で待っていてと言うのでスバルは一足先に食卓についていた。

 

「お。なんだ兄ちゃん、サボりか?」

 

 そこへフェルトが現れる。

 

「ふっ、聞いて驚くなよ。俺はさっき、それはもう素晴らしい物を作り出した。まぁ、正確にはラインハルトだが。軽口を叩けるのも今のうちだぞ? ヤバ過ぎて腰抜かすからな」

 

「危ねー薬じゃねーか」

 

 そしてその後ろからロム爺とティルのでこぼこコンビ。昨夜とは違ってロム爺の頭にコブはない。

 

「フェルトには飲ませるでないぞ」

 

「危ない薬じゃねぇっての!」

 

「お嬢様に何をやらせているのですか? 伸しますよ」

 

「ヒェッ」

 

 ロム爺には軽口で返し、目を細めたティルには恐怖した。

 適当にピンクの髪を揺らしながら窓の外でも眺めていれば完璧な美少女のはずなのにどうしてこうも威圧感が強いのか。ただでさえ眼光が鋭いのに加えて低い声をで言われては震えるしかない。

 

「ま、マヨネーズっていってな? ちゃんとした食べ物だから……」

 

 スバルはボコボコにされないようになんとか釈明を試みる。ラインハルトにやられた後とはいえ、腸狩りを瞬殺したティルにスバルが敵うはずもない。対応を間違えれば数秒後には物言わぬ骸の完成だ。

 どうどう、となだめる事少し。

 婆やが昼食、ラインハルトが瓶に詰めたマヨネーズを持って登場した。

 

「これだよ、これ。百聞は一見に如かずってな。とりあえず食ってみろ、お前ら」

 

 味方が現れた事に安心したスバルは息を吹き返す。

 

「うん。これ、すごく美味しいと思うから、みんなで食べてみてほしい」

 

「なるほど、頂きます」

 

「わーお、見事な掌返し」

 

 さっきまで刺々しかったのに、ラインハルトが言った瞬間これだ。

 などと心の中で思ったスバルだったが、自分もラインハルトが現れた瞬間に威勢が戻ったのでどっちもどっちだったりする。

 

 そして、念願のマヨネーズを口にした者たちはフェルトを含めて全員が絶賛の声をあげた。ロム爺からはこれで一商売出来るという最大限の褒め言葉までもらった。

 圧倒的掌返しではあるが、これにはスバルも大変満足した。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 屋敷がマヨネーズで盛り上がったその日の夜。

 使用人としての仕事を終えたスバルは風呂に向かった。

 

 この屋敷は広いだけあって、浴場も複数存在する。最も大きな浴場を使うのはラインハルトとその付き人であるティル、あとは王様候補のフェルトの三人だ。

 残りの人間が使うのはそれ以外の二つの小浴場のどちらか。婆やにはスバルも大浴場を使っても良いと言われているが、仕事の関係上スバルはラインハルトたちの後に入る事になり、変な気を起こすつもりはないが、ラインハルトに嫌がられたら立ち直れないので小浴場を使うようにしている。決して変な気を起こすつもりはないが。

 

 そんな訳で、小浴場の一つに向かったスバルであるが、脱衣所の扉が開いていた。

 何かあったのかと中を覗くとそこには何とも言えないような顔をしたティルと、当然のように俵抱きされているフェルトがいた。

 フェルトがティルに捕まっていること自体はよくあるが、いつもと違ってフェルトが騒いだり助けを求めたりしていない。よく見ればフェルトも呆れたような顔をしている。

 二人の視線の先には浴場がある。

 

「あのー、お二人さん? 今から俺が入ろうとしてた風呂に何かあった?」

 

「あぁ、スバルさん。実は……いえ、見てもらった方が早いです」

 

 スバルの問いに答えたのはティルだ。その視線は相変わらず浴場がある。

 とはいえ、スバルが見ても良いものだとは分かったので、スバルも浴場を覗いた。

 

「あ、スバル!」

 

 そこにいたのは半袖半ズボンで赤髪をポニーテールにしたのラインハルトだった。しかも、いつもよりもテンションが高い。

 

「ラインハルトがなんでここに?」

 

「マヨネーズを作った時、スバルが思い浮かべてたから。いっぱい作った」

 

「お湯の代わりにマヨネーズを張ったそうです」

 

「Oh…………いや、思ったけど!! 確かに想像はしたけども!!」

 

 ラインハルトが答え、そこにティルが付け加えた事でスバルは一瞬言葉を失い、それから叫んだ。

 そして同時に理解した。確かに何とも言えないような顔もするし、呆れたような顔もするだろう。

 テンションが上がっているラインハルトを諌めるのは大変心苦しいが、ここはラインハルトのためにも心を鬼にしなければならないだろう。

 そう心に決めてスバルはラインハルトが傷付かないように慎重に慎重に言葉を重ねた。

 





続きの展開が思いつき次第、書き始める予定なのでまた気長にお待ち下さい。


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