病まない雨はない (富岡生死場)
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欠落
0 帰巣、変わるはずの無いモノ


プロローグ的な幼少期


 夕暮れを目前に控えた暗くなりかけの公園で、3人の子供が遊んでいる。遊具から少し離れたベンチには 3人の保護者らしき大人が、ベンチで談笑中だ。

 

 どの遊び方が正しいのかイマイチ分からない ぐるぐる回る遊具や、ただ飛び越えるだけのタイヤ達、日に充てられてホットプレートみたいになっている滑り台、そして今3人の子供が遊んでいる砂場。

 

 一通り公園でできる遊戯を終えた3人の子供たちは惰性で砂をいじって遊んでいる。1人は砂の上に絵を描き、その絵に脚色を加えるのにもう1人、そして最後の一人は少し離れて山を作っている。

 

「ソウも、おえかきしようよ」

 

 山を作っていた男の子に向かって茶髪の女の子が声をかける。銀髪の女の子が描いた、猫の輪郭に顔のパーツを描いたり、リボンを付け加えたりをし終わった茶髪の女の子は、少し暇そうだ。

 

 銀髪の方は自分と茶髪で描いた絵にご満悦の様子で、砂の上に掘られた溝に見蕩れている。

 

「やだよ、つまんないし」

 

 生意気な猫目の少年がぶっきらぼうに言う。髪が長くて少しうざったいのか、女の子用のヘアゴムで前髪を上の方で括って額が丸出しの顔を2人から背けながら独りで山に砂をかけて積んでいく。

 

 所々へこんでいる不格好な山に上から雨のようにキラキラと光る砂粒が降りかかる。着地点は山の頂上、勢いよく落ちた砂の粒たちは少しづつ山の頂点を抉っていき、雪崩の様に斜面をなぞっていく。そしてまた少年は流れた砂粒を両手にかき集めて頂点に目掛けて振りかける。

 

 客観視すれば絵を描くよりは山にひたすら砂をかける方がよっぽどつまらない遊びに見えるのだが。少年にとっては構わないようで、どんな遊びであれ自分が決めた遊びをしたいのだ。

 

 銀髪が始めた『おえかき』の遊びより、自分の始めた『山作り』の方が魅力的に思えるのだろう。

 

「じゃあ、アタシもする」

 

 絵を描いていた2人のうち茶髪の女の子が、砂に付けていた手を離し男の子の方に走っていく。

 

「いいよべつに、こなくて」

 

 嫌そうにそう返す男の子だが、本音とは思えない。さっきまで下に向いていた視線が、走ってくる女の子の方に向き直った。ゴムで縛られた前髪が先から苦しそうにバラけているその形はまるで植物のようで、どこか少し間抜けだった。

 

「ユキナも、あっちいこ」

 

 茶髪が声をかけると、銀髪の子が顔を上げる。自分の描いた猫の輪郭を模した砂の溝をもう1巡。一通りなぞり終えた(撫で終えたともいえる)銀の少女は、

仕方ないとでも言いたげに息を吐いて、立ち上がる。

 

 その吐いた息が。返事の代わりのようでそれ以上は了承の言葉も、否定の言葉も続けなかった。先に男の子のそばに着いた茶髪は 男の子の顔色を伺いながら山の周りをぐるぐる歩き回っている。

 

 遅れて砂の山に着いた銀髪と、茶髪に一瞥をくれた男の子は仕方なさそうに。でも、かすかに嬉しそうな表情で、一緒に遊ぶ事を了承した。

 

「これ、オレんちだから」

 

 山のてっぺんに掘られた窓、に見えなくもない小さい窪みを指しながら。嬉しさを孕んだつっけんどんな声で言う。どこからどう見ても家の形状ではないただの地形のようにしか見えない山が彼の家、らしい。

 

 なだらかな坂には入口もないただの窪みが掘られていてその他には何も無い。

 

「じゃあ、ここアタシの へや」

 

 山の麓に、同じような穴を掘る茶髪

 

「なら ワタシはここ」

 

 その隣にまた一つ穴が増える

 

「なんでオレんちにつくるんだよ」

 

 別の山を作ればいいのに、とは言わずにそう聞く

 

 

 

「だって、アタシたちとソウは」

 

 茶髪の女の子が銀髪の手首を掴んだ。

 小さい。血管の浮き出ていない子供らしい手の甲が凹凸のない白い手首を隠した。包み込んだ手と手は信頼の証。

 

 手を繋いだ銀髪と茶髪がお互いの顔を見合う

 それを、怪訝そうな目で見る少年

 

 笑顔で、茶髪が更に続けた。

 

 

「ずっと、一緒でしょ?」




次回予告


「よっ!久しぶり」

もしかしたら明日、君と会えるかもしれない

「成長しないのね」

そんな浮かれたことばかり考えて生きてきた

「お前もな」

能天気だった日々が、変わっていく

「あのさ...」

次回『帰路、不幸と幸福は背中合わせ』


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1 帰路、不幸と幸福は背中合わせ

しばらくは、軽いノリの文章が続くと思います。『シリアス』がみたい人は是非 5話まで我慢してみてください。

主人公の名前は「中野 想」です


(あーあ、こんなはずじゃなかったんだけどな)

 

 浮ついた空気が流れる新学期の教室で 1人机に突っ伏す。頭と机で押し潰したはずの視界は 蛍光灯の照り返しで少し眩しい。

 

 灯りから隠れるように両腕をこめかみに合わせて、斜陽のような鬱陶しい光を遮断する。

 

 これで、落ち着いて考え事ができる。

 

(今日は厄日だ)

 

(なんでこんな事になったんだ)

 

 机につっぷしたまま、考える。

 

 新学期初めの、ホームルームが始まるまでのこの僅かな時間で。俺の心情は既にボロボロだった。楽しみなはずのクラス替えが、執拗に胸を抉った。

 

「何寝てんの」

 

 考え事の途中で、頭上からヘラついたハスキーな声が聞こえてきた。

 

 寝たフリをして、顔が見えなくてもわかる。きっとこの声は二宮のものだ。この高校に入ってから、割とすぐ仲良くなった二宮、チャラい男子高校生だ。

 

 普段なら、きっと機嫌よく話せただろう。でも今、俺は落ち込んでいるんだ。悪いけれど、無視させてくれ。

 

「寝たフリだろ? 知ってんだぞ」

 

 また、声が聞こえる。言葉尻の上がり方がわざとらしく、胸中を逆撫でた。

 

「ほんとに寝てるやつは腕に力入んねぇよ」

 

 俺の寝たフリを暴くため、俺の腕を触りながら二宮が言う。反射で強ばってしまった腕が憎らしい、我慢すらできないなんて。

 

 諦めて 腕は組んだまま顔だけを上げる。

 

「何? なんか用? 眠いんだけど」

 

 顔をあげながら、精一杯嫌そうな顔で応える。別にこいつの事、嫌いじゃないけど、今はあんまり楽しく話せる気分じゃない。

 

 額が少し痛い、机につっぷしていたせいで 赤くなっているかもしれない。わざとらしく額を触りながら二宮の返事を待つ。

 

「想、今日1日元気ないじゃん」

 

 ニヤニヤしながら、二宮が言う。最近流行りのキノコヘアーで、だらしなく学ランのボタンを2つ開けた チャラい格好で 俺の前の席に座っていた。

 

 椅子の横から足を出しながら、身を翻してこちらに振り返る。机に置いた肘が俺の腕にあたるその少しだけこそばゆい感覚が、うざったい。

 

 

「別に、クラス替えってクソだなって思ってただけ」

 

 馬鹿が丸出た口調で、つっけんどんに返す。自然とそうなってしまうのは、きっと。心模様を表しているからだろう。

 

「あ〜、『葛飾』だっけ?」

 

 二宮が呆れたように言う。

 

 その言い方に少しムッとしたけれど。まぁ、正解だから文句の付けようがない。

 

 そう。葛飾、『葛飾 麗奈』が新しいクラスにいないのだ。去年に同じクラスだった、俺の片思いの相手。

 

 同じ理系だし、来年もどうせ同じクラスだから焦んなくてもいいって思ってたら。何故か別のクラスになってしまった。

 

 好きになったきっかけは文化祭で。その時一緒の班だったんだけれど、めっちゃ可愛い。俺の好きなボブカットで 性格も嫌いじゃない。少し腹黒い部分もあるけど、ちょっとだけ嫌な話題の時、露骨に声を小さくして大袈裟に話す仕草がとても可愛らしい。

 

「まさか特進クラスに行くとはな」

 

 笑いながら、二宮が言う。

 

 でも、葛飾は頭が良かった。俺みたいな奴とは違って。

 

 理系だし、女子にしては珍しく。科目選択も生物じゃなくて物理選んでたから、一緒のクラスになるはずだったのだが。彼女は特進クラスに行ってしまった。

 

 離れ離れになったこの状況は、さながらロミオとジュリエット。彼女と俺は、どうやら身分が違うらしい。

 

「あ〜あ、急に俺も。特進クラス行けねぇかな」

 

「俺より馬鹿なのに行けるわけねぇだろ」

 

 俺の呟きに カラカラと笑う二宮。

 

 まぁ、絶対に会う機会が無くなってしまった訳ではない。不幸中の幸いというか、俺たち2年E組のすぐ隣の2年F組が特進クラスだから、会おうと思えばいくらでも融通が効く。

 

 でも、この教室一個分の距離は、心情的にはあまりにも遠い。用もないのに行けるほど、特進クラスと一般クラスの壁はそう優しいものでは無い。一般クラスにとっては決して超えることの出来ない、エリコの壁なのだ。

 

「うっせぇ」

 

 未だニヤニヤ笑ってる二宮に悪態をつきながら。

 

 左肘で頬杖をついて 教室の外に目をやる。晴れてはいるものの少しくすんだ様な空色。

 

 もしかしたら葛飾も俺とクラスが別れたのが寂しくて同じように空を眺めているかもしれない。

 

 そんな気色の悪くて、都合のいい想像を侍らせながら先生が教室に帰ってくるまでの休み時間を過ごした。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「じゃあな〜」

 

「おう」

 

 二宮と自転車置き場で別れる。いくら仲良くても、家の向きが真逆だから 一緒に帰ることは出来ない。軽いノリで挨拶を交わして それぞれの帰り道に自転車を漕ぎ出す。

 

 始業式とクラス役員決めぐらいしかすることが無い退屈な一日が終わった。あとは家に帰って適当に過ごすだけ。

 

 葛飾がクラスに居ないだけで、こんなに学校って味気なくなるんだな。

 

 いまいち好きになったきっかけも覚えていないけれど、多分今俺が葛飾に抱いている感情は恋なのだろう。彼女と話す時間はきっと何よりも楽しくて、他のどんなものより短く感じる。

 

 仮に葛飾と付き合ったとしたら俺の寿命の体感時間は、多分10時間ぐらいだと思う。

 

 まぁ、告白する勇気なんて無いんだけど。

 

 別に彼氏になれなくてもいい、そういう弱い気持ちが俺の中にずっと居座っている。

 

 今でも十分楽しいしそれが無くなってしまうぐらいなら。このままでも良いや、だなんて。男らしさもへったくれも無いようなダサい理由で、結局高校2年まで告白できないでいた。

 

 

 まるで、あの時みたいに。

 

 

 昔にも、そういう事があった。何でかわかんないけどすげぇ好きになって、でも結局告白出来ないまま。そのまま友達の時間が長くなって勝手に1人で冷めてしまった。

 

 そんな経験が、昔。俺にはあった。今では仲のいい、幼馴染って感じで落ち着いちゃってるんだけど。

 

 まぁでも、それでも良かったんじゃないかって。弱気になってしまう。

 

 

 そんなダサい昔話を思い出しながら、家まで自転車を漕ぐ。俺が通ってる「都立江戸川高校」から家まではだいたい2、30分ぐらい。距離的にはそんなに遠いわけじゃないけど 坂道とか色々のせいで時間がかかる。

 

 まぁ、ラジオ聴きながら自転車漕いだらすぐなんだけど

 

 イヤホンから流れる芸能人のトークを聴きながらペダルを踏みしめる。耳に入ってくる緩い話題とは対照的に3時の少し暑い日差しを受けながら家路を辿る。すると、見覚えのある後ろ姿が見えた。

 

 あれ、友希那か? 

 

 少し 久々に会った気がする。それに、何となく纏っている雰囲気が違う。なんというか 余裕がなさそうな そんな雰囲気だ。気がたっているような足取りで 1人で帰っている。昔から天真爛漫ってわけじゃないけどあんなにイライラはしてなかったはずだ。

 

「おーい、友希那!」

 

 何となく 気になったから、声をかけてみる。

 何かあったのかも。別に検討がある訳では無いけど なんか悩み事があるなら 助けになってやりたい。もしかしたら新学期だし 俺と同じで好きな人と別のクラスになったとか? いや、あいつ女子校だからそれは無いか。

 

「よっ! 久しぶり」

 

 友希那の横で自転車を降りて、声をかける。

 視線をこっちに向ける友希那 不機嫌そうに顔を顰めてこちらを見る友希那はまるで俺の記憶とは別人だった。

 

「何かしら、私 急いでいるの」

 

「別になんもないけど 見かけたからさ」

 

 早く会話を終わらせたそうな声と、表情で友希那が言うもしかしたら今日、二宮にした態度ってこんなだったのかな。だとしたら俺って結構酷いことしてたのかも。

 

「そう」

 

 踵を返して また歩き出した友希那

 どうやら本当に急いでいるらしい。まぁ なんか用事あるんだろう。気にしないどこう。

 

「何、呼んだ?」

 

「......」

 

 まだ俺とこいつが同じ学校で、小さかった頃 友希那が「そう」って言ったら毎回やってた。俺の名前が「想」だからこそ出来る俺だけにしかできないウザ絡みだ。友希那が露骨に嫌そうな顔をする

 

「......はぁ、成長しないのね」

 

「お前もな」

 

 お互い昔と同じようなやり取りをしたおかげで ちょっとだけ、友希那の出てたピリピリした空気が和らいだ気がした。ここにリサが居たら、もっと楽しかったのかも。やっと話せそうな空気になってくれたのでイヤホンをしまう。

 

「リサは? 一緒じゃないの?」

 

「クラスが違うから」

 

 ふーん、別にクラスが違っててもリサなら一緒に帰りそうだけどな。まぁ新学期初日だし クラスごとにホームルームが終わる時間 バラバラでもおかしくは無いのかも。一応、納得はした。

 

「あのさ......」

 

「中野くん」

 

 続けて友希那に話しかけようとした時、後ろから声が聞こえた。幼馴染との再会ですっかり忘れていたけど、今日1番会いたかった、今日1番聞きたかった声が聞こえた。

 

 振り返ると、予想通り 葛飾がいた。

 

「......想の友達?」

 

 友希那が怪訝そうな顔で聞いてくる。なんだ、俺に女子の友達がいちゃ悪いのか。

 

「うん、元おんなじクラスの友達」

 

「今は変わっちゃったけどね〜」

 

 自転車を降りながら明るく言う。

 

「そ。じゃ、私 急いでるから」

 

 急激に興味を無くしたような様子で 歩くスピードを早めた友希那。それを手を振って見送る俺と 習って一緒に手を振る葛飾、まるで3人ともが共通の知り合いみたいな 和やかな光景。でも、少しだけ肌を刺すような感覚が身を襲った。

 

「中野くん、あんな可愛いお友達いたんだ。知らなかった」

 

 やばい、誤解される。葛飾に変な勘違いされたりしたらたまったもんじゃない。友希那はただの幼馴染だ、それ以上でも以下でもない。

 

 友希那『は』だけど。

 

「大丈夫? 私邪魔しちゃった?」

 

「いやいや、全然大丈夫」

 

 お互い顔を見合わせて笑いながら言う。多分 葛飾は「邪魔しちゃった」だなんて思ってない。でもこういうちょっと腹黒いところも可愛い。やべぇ ぞっこん過ぎてキモイな 俺。

 

 クラスが変わって絶望していたところで会えたせいで少しテンションがおかしくなってしまっている。ああ、このまま時間が止まればいいのに。本気でそう思いながら 2人で一緒に自転車を押しながら帰った。




次回予告


「じゃあ、またね」

代わり映えのしない帰り道

「何独り言言ってんの?」

でも、その中にひとつ垂らした違和感が

「そういえばさ」

日々を浸していく

「アタシんち、来る?」

次回『遭遇、魅力的な誘い』



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2 遭遇、魅力的な誘い

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「じゃあ、またね」

 

 葛飾が笑顔で手を振ってくる。終わらないで欲しかった楽しい時間もあっけなく過ぎていった。お互い違うクラスになった事に対して、先生に冗談めかして悪態をつきながら ダラダラ話しているうちに、もう分かれ道だ。

 

 透き通ったビロードのような髪から透けて見える少し真上より落ちてきた太陽を背にした葛飾は、とても綺麗だった。

 

「おう、じゃあな」

 

 手を振り返して 分かれ道を行く。口惜しいけれど しょうがない、さすがに方向が違うのでついて行く理由もない。そんな事したらただのストーカーだ。

 

 少し足を止める。

 

 ......正直、告白すればOKが貰えそうな気もする。ただやっぱり、俺は弱虫の鶏肉野郎だから どうにも1歩踏み出せない。このままだと、あいつの時みたいに ただの友達止まりになってしまうかもしれない。

 

 昔の二の轍を踏まないためにもさっさと勇気を出さないといけないのに。

 

 俺には友希那以外に、もう1人幼馴染がいる。幼稚園と小学校が一緒で(中学から別の学校になったけど)今でも連絡をとったり、たまに会って遊んだりもしてる。

 

 そして、そいつが俺の元片思いの相手

 

 結局告白しないまま、なぁなぁの関係で終わってしまった。宙ぶらりんのまま 解決もしないままの俺の気持ちは今では干からびてしまって 好きになった動機も、その時の温度もどこか遠くに散ってしまった。

 

「まぁ、もう今更どうしょうもないか」

 

 自転車のハンドルを握ったまま 枝分かれする道の根元で立ち尽くす。斜めった自分の影を見つめるように 首を曲げて俯く。首の関節は自己陶酔へのパスポート、いつも考え事をする時は 帰り道でも俯いたままだ。

 

 結果的には自分の気持ちに嘘つきになったけれど、それでもまだこうして幼馴染の関係で居れる。

 それならそれで素敵じゃないかって。

 そう、思う。

 

 俺が告白できなかったのは、断られるのが怖かったのもあるし そのせいでいつもみたいに話せなくなるのが嫌だった。俺はフラれたとしても友達で居られる自信はあった。

 

 それならそれでしょうがないやって、告白する側は思い切れる。でも、振る側もそうとは限らない。

 

 

 とか言って、何回も何回も言い訳してる

 .ダサいな。

 

 

「ねぇ、無視しないでってば〜」

 

「え?あっごめ...!」

 

 突然の声に驚いて頭を跳ねあげる。

 

 心臓がペシャンコになるかと思った。

 いや、俺が異常なまでのビビりだからとかじゃなく。主語は大声の方じゃ無くて発言者、すなわち俺が考え事して無視してしまっていた相手。

 

 なんでこんなにタイムリーな人が目の前にいるんだ。

 

 そこには俺のダサさの象徴、意気地無しのせいで告白できずにいた 今井リサ、本人が居た。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「なに 独り言言ってんの?」

 

 ニコニコ笑って、こっちを見てくるリサ

 表情は柔らかくてとても素晴らしいとは思うんだけど この状況は嬉しくない。絶対からかわれるし、理由なんて話せる訳ない。

 

『お前に片思いしてたのに告白できなくて俺ってダサいなって反省してました』

 

 こんなの言えるわけない。

 

「クラス替えが最悪だったんだよ」

 

 咄嗟に誤魔化す

 まぁでも、葛飾と会うまではクラス替えのせいでロウな気分になっていたのだし、嘘ではない。

 

「へ〜、どんなんだったの?」

 

「友達と一緒のクラスだって思ってたのに登校したら別々だったんだよ」

 

 友達って無意識に暈してる。どうして?そんなの決まってる。俺はまだほんの少しだけ、ほんのちょっとだけこいつの事を諦めきれてない。

 

 だから、リサに俺には好きな人が居るって正直に。まっすぐ言えない。

 

 ほんと、卑怯だな

 2人ともにいい顔したいだなんて。

 

「え、マジ?」

 

 簡単に俺の言葉を信じてくれるリサ、嘘をついてるわけでは無いのだけれど 勝手に罪悪感と、自己嫌悪がポツポツと顔を出す。

 

 心臓の辺りから出てきた、 できもの みたいな緊張をかき消すように「マジマジ」とかいう 適当な返事をする。

 

 若者特有の頭の悪い返事だ、こんな馬鹿みたいな言葉ばっか使ってるから 頭が悪くなって葛飾と別のクラスになってしまうんだ。

 

「私も友希那と別のクラスになっちゃった」

 

「え、マジ?」

 

「マジマジ」

 

 全く同じ中身の会話を 配役を変えてアンコール

 お互いが浮かべる表情もそのままで再放送、まぁでも。

 

 若者の会話の「内容」なんて、あって「無いよう」な物なんだけど。あぁ、いけない。ついユーモラスな人間性が溢れ出してしまった。

 

「あっ、そうだ」

 

 友希那で思い出した。

 

「友希那。なんか用事あるみたいだったけど、お前は一緒に行かなくていいの?」

 

 友希那とリサは何するにしても一緒、セットでどこにも行っていた。友希那はなにか急ぎの用事があるみたいだったけど リサはこんな所で油売ってて良いのだろうか。

 

「あ〜、友希那ってば、最近歌に夢中だから」

 

(歌...?)

 

 意外な要因に、呆気を取られた。昔から歌は好きだったけれど。まさか、リサを置いてまで? 

 

 そんな疑問が、靄がかった。

 

「それより、帰んないの?」

 

 慌てて話題を変えた、そんな風に思えた。

 わざわざ根掘り葉掘り聞くのも趣味が悪いし

 

「あ〜。じゃ、帰るか」

 

 ここは、リサのペースに乗ることにしよう

 

「荷物、置く?」

 

 自転車のカゴを指さして言う。懐かしいな、この感じ。中学の頃までは学校が違ってても、一緒に帰ることも結構あった。でも、中学2年生ぐらいからそれも無くなった。

 

 さっきの、友希那に感じた違和感は。こういう所から来るのだろう。

 

 昔から知っているつもりでも、今の友希那の事をしっかりと知ってるわけじゃない。

 

「ん、ありがと」

 

 肩にかけていたバッグを遠慮することなくカゴに載せるリサ。中学の頃も、友希那は自分で荷物もってたのにリサはいっつも荷物を人に預けて来てた気がする。

 

 その頃はまだリサの事が好きだったから、いちいち意識してたんだっけ。

 

 昔とは対照的に意識することも無く 自然に荷物を預かって、昔と変わらない距離感で リサと一緒に家に帰り始めた。

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「そういえばさ」

 

 俺の横で何かを思い出したように言う

 カゴの中に置かれたバッグから取り出したピンク色の可愛らしいタンブラーを開け、言いかけた言葉ごと飲む。

 

 喉を鳴らして液体を飲むその姿が、やけに蠱惑的だった。

 

「なんであそこで立ってたの?」

 

「あー、友達と帰ってたけど 道違うから別れたんだよ」

 

 また、友達ってぼかした。

 

 まぁでも、それ以上でも以下でもない。

 葛飾は俺が片思いしてるだけで ただの友達だ。別にわざわざ丁寧に説明する必要も無いだろう。

 

 自分で自分に言い訳する。

 

 何回も言うけど、ほんとダサいな。

 

「ふ〜ん、そっか」

 

 納得したような、しきれてないような 微妙な反応を返すリサ、こっちを見るわけでもなく 遠くを見ながら飲み終わったタンブラーの蓋を閉める。

 

「今日さ」

 

 そして、なんでもないように。

 当たり前の事を言うように、リサはこっちを見ずに遠くを見たままゆっくりと口を開けた

 

 

「アタシんち、来る?」




次回予告


「こんなのしかないけど」

誘われてやってきたリサの家

「おっまたせ〜」

昔と変わらない雰囲気が、嬉しかった

「よぉ、さっきぶり」

でも、きっとそれは、軽率すぎた

「...いらっしゃい」

次回『転換、変わったモノと変わらないモノ』

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3 転換、変わったモノと変わらないモノ

なんか毎朝9:00投稿みたいになってる


「こんなのしかないけど」

 

 リサがシュークリームを渡してくれる。

 

 結局誘われるままにリサの家に上がり込んでしまった。

 家の中は閑散としている。どうやらリサの家族は外出しているらしく、リサの家には俺とリサの2人きり。

 

 昔は友希那と3人でお互いの家によく遊びに行っていたのだが、最近はそういうことも無くなってしまっていた。少しだけ、緊張する。

 

「うわ、めっちゃありがと」

 

 出されたシュークリームをありがたく受け取る。

 

 多分、客観視した俺はリサの部屋であぐらをかいていて。リラックスしているふうに見えるんだろうけれど、実際は全然リラックスなんてできていない。

 

 心臓は絶えず、バクバクと全身に勢いよく血液を送っている。少し手の先が痺れるぐらいの緊張だ。

 

 でも、リサに変に思われるのも嫌なので、あくまでも意識はしていない素振りで過ごす。

 

「良かった。...あ、ちょっと着替えてくるから」

 

 そう言ってリサがもう一度立ち上がる。

 

 リサの部屋に入ってからすぐ「食べるもの無いか探す」とか言って居なくなってたのに。またどこかに行ってしまった。

 

(落ち着きないな)

 

 もしかしたら、こいつもこいつで。俺みたいに緊張してるのかも。アイツも、昔みたいに誘ってみたはいいものの、いざとなったら緊張してビビってるのかも。

 

 そう思ったら、少し気が楽になった

 

 冷静になって振り返ってみると。新学期初めの日から、色んなことがあった。葛飾とはクラスが別だし、途中に友希那、葛飾、リサ。3人も、たまたま出くわして。その上リサの家に来てるなんて。

 

 色々、起きすぎだろ。

 

 まさか、俺の星座占いもしかしてすごい良かったりするのだろうか。確認のために携帯を取り出す。順位は12番中8番目、全然。大したこと無かったわ。

 

(というか、今気づいたけどもうすぐ雨降るのか)

 

 今の時刻はだいやい4時前。この天気予報では3時頃にはもう雨が降ってる事になる。

 

(でもまぁ、帰る時全然雲なかったし大丈夫だろ)

 

 安直に大丈夫だろうと、高を括る。ほんとに、それしかしてこない人生だったな まぁ、大丈夫だろうって。このままでも問題ないだろう。だなんて誤魔化してばっかだ。

 

 

 そういう、生き方しか出来ない。

 

 

「おっまたせ〜」

 

 リサがドアを開け 勢いよく入ってくる。

 

 息を、呑んだ。

 

 リサの私服なんて腐るほど(語弊があるけど、貶してるわけじゃない)見てきたけど、それを差し引いても 新鮮だった。

 

 少し露出が多い、この部屋着姿のリサは 幼馴染として長年共にしてきたけれど 高校生になって少し大人びた(女性的になった)リサがこの気の抜けた服に袖を通すと、それだけで彼女の魅力は、段違いだった。

 

 取り乱しかけた思考を引っ掴んでこっちに寄越す。あくまで平静、コイツの普段着ぐらいなんべんも見てきたはずだ。

 

「てゆ〜か、今日どうする?」

 

 リサが口元に1本だけ立てた右の人差し指を当てながら、問いかけてくる。いっつも思うんだけど、

 

「主語をくれ」

 

 主語、ないとダメでしょ。

 

「あ〜 ゴメンゴメン」

 

 口に当てていた右手をパッと離して ぷらぷらと振る。可愛かったから人差し指当てたままで良かったのに。

 

「いやさ、雨 降り始めちゃったからさ」

 

「え、まじ?」

 

「マジマジ」

 

 帰り道にも何回もやったような、「マジ」の投げ合い。でも今回のは字面では同じだが、事態の重大さが違う。他愛ない世間話では済まない。

 

 俺とリサは幼馴染だし、よくお互いの家に遊びに行ってたけど 決して家が近い訳では無い。なんなら歩きでなら遠い部類に入る。葛飾との分かれ道でたまたま会った場所からリサの家までは歩いて5分ほどだったけれど。そこから歩きだとまだ20分程はかかる。

 

 傘さしながらだから、歩きか。自転車押していくのしんどいんだけどなぁ、1日だけこの家に置かせて貰おうかな。

 

「ごめん 傘、貸してくんない?」

 

 リサにお願いする。今日の天気について特に注意を払ってなかったため 気の利いた折りたたみ傘なんて持って来ていない。だからこの家にある傘を貸してもらうしかないのだが。

 

「......ん〜」

 

 え、何その反応。

 

 まさか貸してくれないとか? それとも可愛い柄の女の子らしい傘しか無い、とか? 別に柄とかは気にしないから、なんでもいいんだけどな。

 

 そんな呑気な事を考えていたら、今日2番目に衝撃的な言葉が またもやリサの喉から震え出た。

 

「明日休みだし、泊まってけば?」

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「うん、わかった〜」

 

 リサが 携帯電話のマイクに向かって言う。俺が泊まることになるので、リサが代わりに両親に確認を取ってくれている。

 

 俺の方は、もう親に連絡し終わった。二つ返事で了承してくれた。この辺りからもやっぱ、俺の親もリサのこと信頼してるんだなって実感する。

 

「あ、おっけーだって〜」

 

 電話を終えてリサが俺に言う。嬉しそうな表情でこっちを見る光景は 俺の頬を弛ませるには充分すぎた。俺が泊まることを喜んでくれる 元片思いをしていた身にとっては嬉しくない筈がない。

 

 ふと、昔のことを思い出した。

 

 リサの家に遊びに行った時は 2階のベランダから友希那の家に渡っていた気がする。今考えたら結構危ない事をしていたと思う。1歩間違えば転落事故だ。

 

 でも、久々に やりたいって思った。

 

 

「リサ、今から友希那んち行かないか?」

 

 親指を立てた右手をカーテンに向けて、言う。今の俺の顔は きっとイタズラを思いついた時みたいな そういう嫌な表情なんだろうな。自覚できるぐらい 頬の筋肉が上がっているような感覚がする。

 

 リサも乗り気みたいだ、俺と同じみたいに イタズラをする時の顔になっている。服装や背はあの頃から変わったけど そういう所は変わってないんだなって、少し 安心する。

 

「イイよ、いつもの。あそこからだよね」

 

 リサが立ち上がって 窓の方に向かう。俺はそれを見ながら友希那に窓を開けるようにRINE(メッセージのSNS)でお願いする。

 

 いくらベランダに着いたとしても、窓が開かなかったら意味が無いからな。すぐに既読がついた、ちょうど暇だったんだろう。

 

 もう リサが準備を済ませてこっちを見ていた。多分友希那も俺たちが何したいか察しがついたはずだし、もうベランダに行っても大丈夫だろう。

 

「行くか」

 

 屋根が付いているとはいえ、ひた濡れたベランダの少し滑る感触は 体温だけでなく俺の肝も冷やしていた。

 

 だけど、すごく 楽しかった。

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「......いらっしゃい」

 

 少し、嫌そうな表情で友希那が迎えてくれる。ベランダからそのまま友希那の部屋に入ろうとしたら足が濡れてるからタオル持ってくるまで一旦待ってって言われて、リサと2人で冷たいベランダに待機していたせいで 部屋に入れて安心する。

 

「よぉ、さっきぶり」

 

 帰り道に会ってから 約3時間ぶり。リサの家に着いてから2時間ぐらいダラダラしてたから、多分それぐらいだと思う。前にあった時より 少し表情や雰囲気は柔らかい物だった、自分の家ってのもあるだろうけど やっぱりリサが要るからってのもあると思う。

 

「......そうね」

 

 少しむくれた顔で 友希那が言う

 

「あなたが 仲良い女の子と帰り始めた時 以来ね」

 

 仕返し、とでも言うようにイタズラっぽい表情で友希那が言い放つ やべ、そんな話題出されたら。

 

「え、なになに?」

 

 ほら、リサが興味持っちゃった。




次回予告


「ふ〜ん、そうだったんだ」

懐かしい友希那の部屋

「なんかあったら相談乗ってくれよ」

きっと、俺はこの日を後悔する

「あのさ...」

シュークリームに入っていたバニラの味

あの味を俺はきっと忘れる事は無いだろう。

次回『動悸、バニラ味の交差』


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4 動悸、バニラ味の交差

ヤンデレなのに全然病まなくて不安よな

今井リサ、動きます。


「ふ〜ん、そうだったんだ〜」

 

 結局、友希那の発した『女の子』に興味を持ったリサに全部話す羽目になった。名前から、友達になったきっかけから、

 

 それと あと、好きになったきっかけも

 

 全部、話した。1度喉から吐き出したら 止まらなかった。今までそういや、こいつら2人に俺の高校生活について話すのって 無かったんじゃないかな。話し終わってから少し冷静になった頭でそう考える。

 

 リサや友希那と会った時も、2人の話も聞くし聞かれたら答えもするけど しっかり俺の事話すのって学校変わってからあんまりしなかったかもしれない。

 

「まぁ、だいたいそんな感じ」

 

 中学からの友達も数人しか居なくて 大体が違うクラスになってしまい、女子の友達がほとんどいない状態で。男子としか全くつるんでこなかったむさ苦しい高校生活のさなか出会った葛飾はさながら女神のようにさえ見えた。

 

 別に他に誰もいなかったから、誰でも良かったみたいないい加減な理由ではない。一番の理由は多分、

 

 葛飾に好きな人がいるから

 

 だろう。

 言ってて違和感がある事は自分でもわかってる。さっき2人に話した時も変な反応されたし、倫理的に間違ってるとも思う。

 

 持論なんだけど、【恋する乙女は綺麗】っていうのはきっと。恋をするから努力する、ってのもあると思うんだが きっと『恋をしている』っていう事実を知ることで、今まで「友人」として思っていた人により一層『異性』だと言うことを意識するきっかけになるんだと思う。

 

 文化祭の時に一緒の班になって、そっから急に仲良くなってRINEで毎日話すようになった。「おはよ」「おやすみ」「今日何食べたの?」「課題やった?」とか、それぐらいの他愛ない友人同士のメッセージのラリー、そんな中急に恋愛の話が出てきたのだ 意識が変わるのも仕方ないだろう。

 

 今まではただの友達だったのに 少し俺の中で葛飾のイメージが変わってしまった。

 

 何が言いたいかって言うと、葛飾に好きな人がいるって聞いてそのせいで俺も葛飾の事 意識してるっていう、それだけ。

 

「まぁ、なんかあったら相談乗ってくれよ。俺女の子の好みとかわかんないからさ」

 

 早くこの話題をどこか遠くに持っていきたい、そういう気分に駆られた。

 

 このまま話を続けると恥ずかしくて死んでしまう。

 

 俺の望みは叶ったようで、2人ともこの話題への興味も これ以上聞く気も無くなったみたいで、俺の言葉を皮切りに全く関係ない話を始めた。

 

 友希那の雰囲気は帰り道で会った時のピリついた肌が粟立つような感じはすっかり消え、どこか遠くに流れ出たみたいだ。

 

 リサと比べたらそんなに変わっていないようにも見えるが友希那も少し見ないうちにより大人びたように感じる。子供っぽさの象徴の制服ではなく、少し落ち着いた部屋着を纏った友希那は、どことなく物憂げな それでいて妖美な雰囲気だった。

 

 2人とも見た目は昔とは変わってしまっていた。きっと、2人から見た俺も変わってしまっているのだろう。でも それでも、こうして変わらず3人で居られる時間が残っている事が 変わってしまった俺たちを優しく包んでくれていた。

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

「そろそろ、帰ろっか」

 

 どういうきっかけでなんの話をしていたのかも忘れるほど2転3転した雑多な話題が事切れた頃、リサが言った。時刻は20時すぎ、友希那の家ではもうそろそろ夕食を食べなきゃいけない時間 だったはず。さっきそんな感じの事が言ってたし。

 

 リサの両親は少し帰りが遅くなるらしい。俺が泊まることの了承を取っていた時 リサに教えてもらった。 だから20時過ぎの今のうちに家に戻っておく方が 都合がいいだろう。

 

「おう、じゃあ またな」

 

 友希那に別れの挨拶をする。微笑んで手を振ってくる友希那 今日、初めて笑っている顔を見た気がする。まぁ、笑顔と言うにはささやかすぎる表情の変化だけど

 

 友希那の見送りを受けながらリサの後ろをついて ベランダ伝いにリサの家に戻る。人数が減って 少し寂しい。とも思うが むしろ2人になったことで少し落ち着いた 心地良さみたいなのも感じられた。

 

「あのさ......」

 

 そんな気分に浸っていた俺に リサが話しかけてくる。声音は少し暗いものだったが 反対にリサの表情は嬉しそうなものにも見えた。

 

 カーテンを閉めていないベランダの窓から雨の音が聞こえる。不揃いなリズムで鼓膜を打つその音は 何故か不安を煽ってくるような 感じがした。

 

「相談乗ってくれ、って言ってたじゃん?」

 

 気まずそうにリサが言う、多分 葛飾の話を終わる時に そう言ったっけな、「相談乗ってくれ」って。

 

 愛想笑いみたいな、貼り付けられた笑顔だった。無理やり笑ってるように見えるのは 雨音が産んだ不安がそうさせているのか。それとも本当にリサが作り笑いをしているのか。

 

 俺には、どっちかわからなかった

 

「でもアタシ、無理かもしれない」

 

 一瞬だけ、作り笑いが崩れたような気がした。

 でもすぐ また笑顔を取り繕った。その笑顔と笑顔の隙間に漏れ出たリサの本当の表情は、不安と緊張と、困惑がまるで色つきの粘土みたいにぐちゃぐちゃに混ぜられて 無理やりくっつけられたような。そんな表情だった。

 

 もしかしたら、

 

 そう思った考えは間違っていなかったのかもしれない。

 

『まさか』から始まる俺の推理はきっとハズレじゃなかった。ハズレだったらこうして、リサの閉じられた瞼が、目の前にあるはずが無い。

 

 リサの手が俺の肩を掴む。逃げないように伸ばされた手に込められた握力は どんどん弱くなっていく。

 

 お互いの鼻と鼻がぶつかる。少し痛い。控えめに漏れ出すリサの呼吸がこそばゆい。

 

 少し震えた、頼りなげなリサのまつ毛が 俺の心の中の何かを揺さぶる。

 

 リサの前髪が俺の額にかかる。少し、痒い。

 いつもと違って髪を下ろしている姿が、余計に俺の胸を騒がせた。

 

 俺の推理が外れていたとするなら、こうしてお互いの呼吸が重なっているはずがない。

 

 俺の吐いた呼吸なのか、リサの吐いた呼吸なのか、そんなどうでもいい事が 何故か頭によぎった。場違いな考え事をしなければ きっと平静を保てない。

 

 互いの呼吸が溶け合う。

 

 何年かごしに、俺は初恋の相手と 人生で初めての口付けを交わした。

 

 キスはレモンの味なんかじゃなく、

 さっき食べたバニラの味がした。




次回予告


「おはよう」

そんな目を、見たくない

「さっきのこと、まだ覚えてる?」

腫れた目元が、痛々しかった

「さっきの、もっかいしよっか」

落ちるところまで落ちた自己嫌悪に

「おはよう」

もう一度蓋をする

次回『拘泥、曖昧なサイン』



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5 拘泥、曖昧なサイン

評価いっぱい貰えて嬉しい。
評価とお気に入りだけが僕のスタミナです。


「おはよう」

 

 目が覚めた時、目の前にはリサの姿があった。押さえつけられたみたいに重たいまぶたの隙間から見えるその姿はぼやけていて、本当にそこに存在するか 怪しいとさえ思った。

 

 まるで、何も無かったような顔をしてこちらを覗き込んでくる。少し腫れた目元が、俺の心をより一層、痛めつけた。

 

 俺が寝ている 床にしかれたしわくちゃな布団。ゴム製の膜が、俺の中にあった大事な倫理感と一緒にゴミ箱に捨てられていた。

 

 そんなモノを、じれったいビニールみたいなモノを、持っていた事が情けない。

 

 一睡した後でも抜けきれない、何もしたくない気分が 汗ばんだ身体を包む。 あぁ、借りた服、洗濯しないとな。

 

「おはよう」

 

 リサに、挨拶を返す。

 まだ起きていない喉が 震えた声を吐き出す。

 

 

 情けない。

 

 ほんとに、何から何まで。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 あの後、あの キスの後は結局何も起きなかった。

 

 何も、起こさなかった。

 

 

 リサはきっと、俺に気持ちを伝えてくれたのに 俺はそれを受け止めきれなかった。あの時リサの事を抱きしめる事が出来たら、あの時拒むことが出来たら、きっともっとはっきりした関係になれたはず、なのに。

 

 俺はどちらもしなかった。

 どちらも選べなかった。

 

 そしてそのままリサの両親が帰ってきて、俺とリサの2人に流れていたベタついた、居心地の悪い嫌な空気はリサの母親によって開けられたドアを通って何処かに行ってしまった。

 

 母親を前にしたリサは驚くほど明るい表情だった。少し、恐ろしささえも感じた。女の子の表情の8割は嘘って、どこかで聞いたことがあったけれど 案外本当かもしれない。

 

 だとすれば、さっきまでのリサのあの表情も、嘘だったら良かったのに。あの不安や緊張や そんなネガティブな感情がこねくり回された ごちゃ混ぜの表情も 夢だったら良かったのに。

 

 そんな気持ちが渦巻いた胸中を押し殺して 俺も精一杯の作り笑いをした。正直、ちゃんと笑顔ができているかも解らないけど。

 

 久方ぶりにあったリサの母親に挨拶をして、最近の身の上話とか 昔の思い出を語った。俺に続いて 話し始めるリサの顔には 不安の色はもう無かった。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

「想」

 

 リサが俺の事を呼ぶ

 

 シャワーを浴びてすぐの髪がリサのパジャマを濡らしていた。肌なんて全く見えない筈なのに、その姿はやけに色っぽかった。

 

 廊下の照明に背中を照らされたリサの姿は 神々しさすらあった。少し縮んだ俺の心とは対称的な、雄大さみたいなものが その姿にはあった。

 

「さっきのこと、まだ覚えてる?」

 

 この時、『覚えてない』とか『なんの事だよ』とか そういった類の言葉を返しておけば 良かったのかもしれない。そうすれば きっと 前みたいな、なんの憂いもない幼馴染の、仲のいい友人でいられた。

 

 でも、それも 後の祭り、後悔先に立たず。

 

 先にシャワーを浴びて、リサのお父さんから借りた服を着た。まるでこの家の一員みたいな風貌の俺は、その時何も答えなかった。どう答えていいかわからなかった。

 

 

 リサの質問にも、リサの気持ちにも。

 

 

 俺の沈黙を どう受けとったのかはわからないが、リサは何も言わず ドアを閉めて 自分のベッドに腰掛けた。俺は リサの部屋の真ん中で 座布団に胡座をかいて座っている。

 

「布団、もう一個あるから。取ってこよっか」

 

 昔 よくリサの家で泊まる時にはリサの部屋で寝ていた。友希那と3人でベッドに無理やり入る事もあったし、2人がベッドで俺が床に布団を敷いて寝る事もあった。

 

 けれど、その時と今の俺とじゃ訳が違う。

 

 そもそも高校生の男女が同じ部屋で寝る、なんてのがおかしい話だし 加えて今日の俺とリサは、きっと。いつもの関係では居られない。

 

「ん、ありがと」

 

 でも もしかしたら。今日一緒にこの部屋で一夜を共にして

 それで何も起きずに済んだら、朝目覚めた時 きっと何もかも夢だったって思えるかもしれない。

 

 リサと俺は友達で。恋愛感情なんて一切ないって。

 

 元々、リサの事が好きだったんだし 自分にとっては願ってもない状況なはずだ。葛飾の事好きだったけどそういや昔はリサの事好きだったし 全然いいよ。って思えたら良いんだけど。

 

 そこまで俺の心は融通が効かなかった。

 

 1度リサと友希那に告げた葛飾への気持ちを、嘘にしたくなかった。このままじゃ、リサに意識させるために言ったみたいじゃないか。

 

 だから、ここでもう一度やり直す。

 

 もう一度俺とリサとの関係を買い直す。

 

 でも、俺とは全く違う決意を

 リサはしていたみたいだった。

 

「想のバッグ」

 

 唐突にリサがそう言った、

 

「さっき想がお風呂入ってる時、見ちゃったんだ」

 

 俺のリュックを指さして 続きを言った。

 グレーの学校用のバッグ、始業式とホームルームぐらいしかなかった為 教科書の類は全く入っていない。入っているのは、筆箱とファイルと生徒手帳と財布ぐらい。

 

 あと、強いて言うなら

 

「ゴム、持って来てるんだね」

 

 以前、二宮が俺に渡してきた ピンクのお菓子みたいなデザインの袋。男ならこれぐらい持っとけとか、そんな事言って悪ふざけで渡してきたソレが、こんな事になるなんて。

 

 回想する俺に近づいてくるリサ、シャンプーのうざったいぐらい甘い匂いが 近づく。

 

 濡れた髪が、しだれ桜みたいだった

 頬には赤が刺されていた

 濡れそぼった花のような香りが、思考を満たす

 また 楽な道を、

 水の味を覚えてしまう

 

 目の前の花に、手を伸ばす

 

 葛飾の事、リサは知ってるんだし。いいか。

 

 そう思ってしまった俺は、返事も抵抗も する気力が起きなかった。今日の事を無かったことにする、その決意は甘い匂いと ひた濡れたリサの全てを許すような 優しい表情の前では無力だった。

 

 いつの間にか消えていた2人の距離

 2人の間にあった見えない壁は 一体どっちが先に崩したんだろうか。葛飾の事を話した俺が先か、それとも家に来るように誘ったリサが先だろうか。

 

「さっきの、もっかいしよっか」

 

 主語のない、曖昧な言葉が せめてもの救いだった

 開けっ放しのカーテンから見える月は 綺麗だった

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

「あのさ、想」

 

 リサが俺に話しかけてくる。なかったものにしたい昨日が終わった今日の朝、カーテンの隙間から雨が上がって雲ひとつない空の光が差していた。斜陽が照らすリサの顔は 俺と違って睡魔の影が全くない 晴れ晴れした顔だった。

 

「想の相談、アタシ ちゃんと乗るね」

 

 目をそらさず リサが言う。「想の相談って、ちょっとおかしいけど」なんて少し下を向きながら1人で笑うその顔は、少し 大人びた悲しさがあった。

 

「その代わり、アタシの相談にも乗ってね」

 

 また、リサが笑っている。

 笑わない友希那とは逆で ずっとリサは笑っている。俺の過ちを洗い流してくれるようなその顔に またもう一度救われる。

 

 結局は、全部リサがきっかけをつくってくれていた。俺の背負うべき罪悪感を 半分こ、リサが肩代わりしてくれている。

 

「友希那の事、相談乗ってくれる人 探してたんだ」

 

 なんて事ない、幼馴染の会話。

 俺が戻りたかったその関係をまた演じてくれている。

 

 女の子の表情の8割は嘘、らしい。

 

 本当に、そうなのかもしれない

 そう痛感しながら、自分の稚拙さを恥じながら

 

 

「おう、任せろ」

 

 俺も、その嘘に乗っかった




次回予告


「どしたの」

泥人形みたいな身体が弛む

「起きた?」

当たり前が、酷く眩しかった

「どうなるかわかんないや」

また、仮初に甘えてしまう

「ん、わかった」

次回『煩悶、ただいま日常』


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ちなみに、枝垂れ桜の花言葉は「優美」と「ごまかし」です。


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閑話 愛想、Why don't you love me?

One night,One more night.


 肌に張り付く不快感で目が覚める

 今年の春は寒春らしく、例年よりも寒くなるらしいのだけれど今日は珍しく汗をかいていたみたいだ。

 寝てる間にかいた汗なのか、それとも寝る前にかいた汗なのか、どうでもいい事が少し 気になった。

 

 昨日は、どうかしてた

 

 って 過去形で言えたら良かったんだけど

 どうやら一晩明けた朝でも、後悔は身体から湧き出てはいないらしい。

 

 カーテンの外の景色はまだ見えない。繊維の隙間から光が漏れてこないって事は、きっとまだ朝が早すぎるんだろう。

 

 まだ寝ぼけたままの身体を起こす

 昨日の疲れが、まだ抜けきっていない

 下腹部の辺りにはまだ、違和感がある

 

 まだ暗い自分の部屋を見渡しながら

 昨日のことを思い出す。

 

 昨日の友希那の家で聞いた、想の片思いの話。

 あれを聞いてから どうにも自分がどうにかなったみたいに極端な行動に出てしまう。しかもタチの悪いことに、理性で止めようと思っても 理性が体から少し遠い位置にあるみたいに その行動を見過ごしてしまう。

 

『どうにでもなってしまえ』

 

 そう、思ってしまっていた。

 

 ベッドの横の床に敷いたしわくちゃの布団の上でまだ眠っている想。今この瞬間だけは、アタシしか想の事を見る事ができない。寝ていて無防備なこの表情は、世界でアタシ1人しか見ることが出来ない。

 

 そう思うだけで、また少し心が高ぶった

 

 

 惚気、というか 自己陶酔に浸るのは一旦やめて 落ち着いて昨日の自分の行動を振り返ってみる。

 

 昨日アタシがした事はだいたい2つ

 

 1つめは想とキスをした事

 理由は、想の話を聞いたからだ。あの話を聞いて 急に今まで考えもしなかった、想が誰かと付き合う姿を想像してしまった。想の隣に、アタシでもなく友希那でもない誰かが居て 幸せそうにしている姿だ。

 

 その姿に気づいた時、急激に想の存在が遠のいた気がした。友希那とアタシと想、3人で話しているはずなのに 想の存在が今にも消えてしまいそうに感じてしまった。

 

 同時に とても恋しくなった。

 

 隣に居るはずなのに心にぽっかり穴が空いたような欠乏がアタシを襲った。それを自覚しながら、でも。友希那の前では普通を装って いつものアタシでやり過ごした。

 

 友希那には、この欠乏や 不安を見せたくなかった

 

 だから 想と二人でアタシの家に帰ったあと、キスをしたんだ。

 

 少し狡いかもしれない、でも。

 想の片思いの相手も、想じゃない人の事が好きなんだから。アタシが想の事好きでも、問題なんてないじゃないか。

 

 そう、開き直ってみたんだけれど

 困惑している想の顔や、バツの悪そうな顔をいざ目にしたら 少し胸が苦しくなった。

 

 でもそれと同時に、もっとその表情が見たい

 アタシの事だけで、想の脳を満たしたい

 

 こんな気持ちが襲ってきた。

 心苦しいさなんて一瞬で跳ね除けてしまえるぐらいの強い感情に押しつぶされそうになった時に、お母さんが帰ってきてしまった。

 

 それで、頭が冷えたはずだった。

 想のカバンの中に入っていた、アレを見るまでは

 

 想が携帯を取った時、開いたままになっていたカバンの側面についているポケットから少し覗いていたピンクの袋。一瞬なんなのか分からなかったけれど、その正体に気づいた時には 頭が冷えるどころか燃え盛っていた。

 

『なんだ、用意してるじゃん』

 

 それが2つ目の行動

 16年間生きてきた人生で1番の大勝負だ。シャワーを浴び、燃え盛った頭をもう一度熱いシャワーで冷まし、想に問いかけた。

 

「さっきの、もっかいしよっか」

 

 今思えば、随分恥ずかしい事を言った

 キザというかなんというか

 

 でも その囁きがアタシと想の間にあった見えない壁を壊した。お互いを阻んでいたモノを取り去らって、夜を貪った。2人以外、世界に他に誰もいないような気分だった。

 

 想の片思いの相手も

 その瞬間だけは、想の頭から離れていたはずだ

 

 その瞬間だけは、想の喉はアタシの名前と同じ音しか震わせなかった。

 

 このまま想の頭の中を、その女に返したくない

 想の脳内は、アタシだけが入るスペースさえあれば それでいいとさえ思った。

 

 それは昨日の夜だけの話じゃない

 今だってそう思ってる

 

 でも、想も片思いの相手に そう思ってるのかもしれない。自分の事を好きになって欲しいって、ずっと考えているのかもしれない。だとしたら、悲しいな。

 

 なんで、もっと早く気づかなかったんだろう

 

 もっと先に、中学生になって学校が離れる前に この気持ちに気づけたら こんな気持ちを患わなくて済んだのに。

 

 病のように私の心を浸す、ドロついた感情

 その感情を分け与えるように、注ぐみたいに 寝ている想の唇をもう一度奪った。

 

 きっと、目が覚めたら 家に帰ってしまう

 

 その前に、もう少しだけ想を独り占めしたい

 

 だって今だけは、想はアタシのものだ




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6 煩悶、ただいま日常

今回は多分8割があるあるで占められてる。

お気に入り高評価に感謝、感想に期待。


 甲高い音で 目が覚める。

 携帯から鳴った通知音だと気づいたのは 起きてからしばらく経ってからだった。頭がぼうっとする、休日をいつも通り無為に過ごし 月曜日への憂鬱に心をすり減らしたまま早めに寝たのだが 通知音で起きるほど浅い眠りだったらしい。

 

 リサの家で起きたアレは、お互い口に出すことは無かった。それから俺はリサの家から帰って自分の家で借りた服を洗濯し、乾いた服は畳まれて今は明日返す為に学校用のバッグに入っている。

 

 家に帰った後もリサとは『友希那の事で相談』という口実で お互いRINEは続けている。そのRINEでも話に出すことは決してないが、無かったことにする事もできない、俺とリサはあの日 超えては行けないラインを踏み越えてしまった。

 

 そんな事を考えながら、俺を起こした犯人である携帯を確認する。時刻は0時、学生ならまだ起きていても不思議では無い時間帯、相手は葛飾からだ。基本的に彼女が連絡を取ってくる時間は朝の登校前、下校後家に着いてから18時まで、そしてあとは深夜だ。だから俺もその時間帯に返事をするようにしているのだが そういえば葛飾に返信するのをこの二日間わすれていた。

 

 リサがシュークリームを取りに席を外した時に携帯を確認して 返事を考えている間にリサが帰ってきたので、そこから返事をするのをずっと忘れていた。1度既読をつけたトーク画面は通知欄に表示されないので 意識の範疇から外れてしまっていた。

 

「土日って」

「どっか行ってた?」

 

 文節を切って送ってくるのは 葛飾の癖だ。送って来た文の後ろには『れな専用スタンプ』を付けた いかにも女子高校生な文面だ。彼女に薦められ(スタンプショップで売ってるのを葛飾が見つけてくれた)て俺も『そう専用スタンプ』を買ったのだが、今のところ恥ずかしくて葛飾以外には使ったことが無い。

 

「家で寝てたわ」

 

 いつも通り、そっけなく返す。葛飾は毎回スタンプ含めて3,4個の吹き出しで返信するのだが 俺はだいたい1文にして返している。そのせいで葛飾だけが乗り気みたいなトーク履歴になってるけど、実際のところ 返信してる内容自体は中身はすっからかんだ。

 

「どしたの」

「爆笑」

 

 葛飾から直ぐに返信が来た、正直そんなに面白い事を言ったつもり無いのだけれど ウケたみたいだ。なんだ、今日チョロいな。

 

 って、思ったけど。別に俺が激おもろ返信をした訳では無いみたい、よく見たら打ち間違えてたらしい。『いえtwねいぇts』とかいう訳分からない打ち間違えを確認もしないまま送ってしまっていた。

 

「寝起きだから打ち間違えたわ」

 

 今度は打ち間違えが無いか、確認しながら送る。寝たままの上体は 寝ぼけた腹筋では起こしきれず、横ばいになってからやっとの思いで起き上がる。電気のついていない自室、見えるのは携帯の明かりで照らされた僅かな部分と カーテン越しに見える7割ぐらいの月だけ。

 

 ベッドのすぐ側のサイドテーブルに置かれた水筒を手探りで見つけて 中に入れていた氷水を飲む、氷はもうほぼ無くなっていてさほど冷たくもない。鉄の味みたいな水を、喉に通す感覚が気持ちよかった。

 

「電話」

「かけてもいい?」

 

 疑問符を浮かべた、体の真ん中に「れな」と書いた猫みたいな生き物が疑問符を浮かべているスタンプと、葛飾からの返信が来た。

 

 いきなりだな、そう思ったけれど 葛飾だから、って理由で納得する。友達になってから約10ヶ月で、文化祭から今日までずっとRINEを続けているから、割とこのノリには慣れた。未だに電話をするのは、少し緊張するけど。

 

「イヤホン準備するから待って」

 

 お返しに 体の真ん中に「そう」と書かれたアホ面の猫がOKマークを出しているスタンプを返す。葛飾に奨められて買ったやつだ。

 

 返事の代わりにまたスタンプを送ってきた葛飾のRINEを通知欄だけで確認して、また暗い自室のどこかに潜んでいる自分のイヤホンを手探りで探す。電気屋で安く売ってた完全ワイヤレスの、未だに使い慣れてないイヤホンを3分ほど手探りで探したが、結局見つからず電気を点ける羽目になった。

 

「かけていい?」

 

 そう送ったら すぐに葛飾が電話をかけてきた。そういや、前に電話かける時にグダグダするのが嫌いって言ってたな。失念してた。

 

『れな』と、でかでかと表示された着信画面の左に鎮座している緑の受話器を真ん中にスライドする。聞こえてきたのは葛飾の声では無かった。

 

 けたたましい轟音が耳を打つ。

 

「おぉぃ!?」

 

 たまらず漏れる声、起きてから1度も震えていなかった喉が、情けない声をあげる。イヤホンは外さずに音量を一気に落とす、メーターの半分ぐらいだった音量でさえあの威力だったのだ MAXだったら もしかしたら鼓膜がどこかに行ってしまったかもしれない。

 

「起きた?」

 

 声だけでも 彼女が笑っているのが解る。

 

「めっちゃ起きたわ、ビビった」

 

 葛飾が俺の返事を聞いて 多分なにか言ったのだろうが、再度鳴り始めた轟音で、全く聞こえなかった。多分、ドライヤーの音だ。葛飾は確かだいたい夜の11時ぐらいにお風呂に入るから、まぁ この時間だとドライヤー使っててもおかしく無いな。

 

 風呂入る時間まで知ってるとか キモ、そう思った奴 後で体育館裏な。別に俺がストーカーしてるとか、そういう訳じゃない。RINEしてるとだいたいそれぐらいの時間に「お風呂入ってくるね」って言われるからだ。

 

「寝ぼけてたみたいだから、起こしてあげようと思って」

 

「めっちゃ優しいじゃん、ありがと」

 

 嫌味を込めて感謝の言葉を返す。「でしょ?」だなんて巫山戯て返してくる葛飾の声は 最高に愛しかった。

 

 そんな呑気な頭に、一昨日の光景がフラッシュバックする。

 

 少し腫れたリサの目元、頼りなさげに震えた長いまつ毛、さらけ出されたリサの肢体

 

「で、どうしたの」

 

 心臓が血液を送る速度が 速くなっていくのがわかる。もしかしたら葛飾にも聞こえてしまっているのではないか、そう心配になってしまうほど 俺の聴覚に張り付いた鼓動音。

 

 自分のしでかした事が、まだ忘れられない

 

 こうしていつも通り呑気に葛飾と話したり、9時から寝ている間にも、もしかしたらリサは泣いているのかもしれない。

 

「全然返事こないから、どうしたのかなって」

 

 多分、この5ヶ月で返信を全くしなかったのは昨日が初めてかもしれない。返事をしないだけで 心配して電話をかけてくれるなんて、優しいんだな 葛飾は。

 

「1回既読つけてから無視したまんまになってたわ。ごめんごめん」

 

 嘘をつく必要も無いし 正直に白状する

 

「せっかく映画一緒に見ないかなって思ったのに、無視されちゃった」

 

 わざとらしく あざとい声で俺の罪悪感を煽ってくる

 

「え、マジでごめん」

 

 でも きっと誘われてても行かなかっただろう。前日に女の子に手を出して泊まって、その次の日に他の女の子と映画見に行くだなんて 俺には出来ない。

 

「うそうそ、まだ見に行ってないから 来週いこ?」

 

 言葉が、詰まった。

 行きたい気持ちが2割、行きたくない気持ちが3割、吐きそうな気持ちが残りの5割。

 

「あぁ、来週はまだどうなるかわかんないや」

 

 行きなくない、そう言えばいいのに。また俺はどちらも選ばなかった、楽な一旦保留にまた逃れる。

 

「ん、わかった」

 

 それからは、ずっと聞き手に回った。葛飾の新しいクラスのグループRINEで挨拶を誰も返してくれなかった話とか、新しく増えた友達とか、特進クラスだけ宿題が多くて終わらないだとか。

 

 時には楽しそうに、時には嫌そうに話す 天真爛漫な葛飾の声は、先程のあざとい声よりも よっぽど俺の罪悪感を煽っていた。

 

 葛飾の話を聞きながら考えていたのは全く話とは関係無い事だった、爪 伸ばしとこ。




次回予告


「やばい、眠い」

電車に揺られているような浮遊感の中

「......葛飾」

会いたい顔と、会いたくない顔が重なる

「ねぇ、ごめんって」

また、その目だ

「爪、切っといてね」

次回『廃忘、脈打つ異常』




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7 廃忘、脈打つ異常

あとからいっぱい手直しするかも。


「やばい、眠い」

 

 自転車を漕ぎながら、思わず独り言を零す。日は出ているが どちらかと言うと少し肌寒い4月の朝、真新しくもない学ランに袖を通して 1人欠伸をこぼす。

 

 帰りはよく友人と合わせるけれど、朝は時間合わせるの面倒くさいので基本的に1人だ。学校の近くまで来ると友人と偶然出くわす事はあるが、家からずっと一緒 なんて事はほとんどない。

 

 今日は誰と会うかな

 

 なんて呑気な事をぼうっと考えながら まだ頭の中に空白があるような そんな寝ぼけた感覚を味わいながら、ハンドルを握る。ゴム製の茶色いハンドルが 強く握った手のひらからシミ出た汗で濡れる。この少し滑る感覚、あまり好きではない。

 

 信号が赤に変わる。

 

 強く握ったハンドルにかけた手を ブレーキをかけるためにもう一度握り直す。手のひらを広げた瞬間、少し冷たい感覚が汗ばんだ掌を騒ぐ。

 

 結局昨日(正確には今日だけど面倒くさいから昨日って事にしといて)はダラダラ電話してたら気づいたら3時になってしまっていた。俺はまだ一度寝ていたから大丈夫だけど、葛飾は大丈夫だろうか。

 

 昨日の、一緒に過ごした夜の時間を思い出す。

 同時に、3日前の事も思い出す。

 

 反射的に 俯く。

 暗くなった脳内が無意識に口を動かす

 

「......葛飾」

 

「えっ、なんで わかったの」

 

 昨日寝る前に散々聞いた声が真横から聞こえる

 独り言に返事が返ってきた事に驚いて声に振り返れば そこには葛飾が居た。信号待ちで止まっていた俺の横に、いつの間にか忍び込んでいたようだ。

 

 当たり前だが、制服姿の『葛飾麗奈』がそこには居た。その事実に 少しだけ安心する。

 

「せっかく驚かそうと思ったのに」

 

 俯いたままだったら、葛飾のイタズラを受けれたのか。惜しい事をしてしまった。でもそんな気持ち悪い素振りはせずに もう勘弁してくれと言わんばかりに 肩を竦めてみせる。

 

「昨日のドライヤーで もう十分驚いたから」

 

「ねぇ、ごめんって」

 

 笑いながら、葛飾が顔を寄せてくる。信号を待っているため走行をしていないので 律儀にハンドルを握る必要は無いのだが、葛飾は自転車のハンドルから手を離さずに、前のめりになって笑う。

 

 その憂いの無い笑顔が、羨ましかった

 

 嫉妬に歪んだ感情を押し殺すように、視線を葛飾から風景に移す。正面には点灯する赤い人型、少し下を見れば角が剥がれて丸くなっている白線、右を向けば 運送のトラックが停まっている交差点沿いのコンビニの駐車場、そしてその駐車場から伸びる横断歩道を渡る1人の女子高生。

 

 今、

 

 1番会いたく無い人が そこには居た。

 

 こちらに気づいた茶髪の女子高校生が

 俺と葛飾に一瞥をくれる

 

 その表情は

 遠くからでもはっきりわかるぐらい歪んでいた。

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「......おはよう」

 

 俺から、切り出した。

 何となく 俺から言わなきゃいけない気がした

 

「おはよ〜、想」

 

 手を振りながらそう返すリサ

 葛飾の肩越しに見るその手は お互いの声が聞こえる程度の距離なのに、遥か遠くにある 蜃気楼のように見えた。

 

「あれ、友達?」

 

 葛飾が、首を傾げながら聞いてくる

 傾げた首で、リサの姿が視界から消えた

 わざとなのか、それとも偶然なのか、見えなくなった事で少しだけ心に余裕ができた 気がする。

 

「うん! 昔からの友達なんだ〜」

 

 気味の悪いぐらい明るい声で リサが葛飾にそう答えた。幼馴染とは言わずに 昔からの友達と表現したのは どういう意図があっての事なのだろう。

 

 リサは、葛飾の前で歩みを止めた 俺のところに回り込むことは、しなかった。

 

 さっきまでリサの居た信号が赤に変わった。

 

 

「あれ、また今度でいいから」

 

 捨て台詞のように そう言ったリサは 少し俯いて歩みを進める。リサの通っている羽丘女子学園は俺の進行方向とは垂直方向に進んだ先にある。俺のすぐ横をリサが歩いて通り過ぎていく。

 

 その目元は、前にあった時より腫れていた気がした

 

 少しだけ、バニラの匂いがした

 

 

「信号変わったよ」

 

 葛飾が居なかったら、ずっとこの場に立ち尽くしていたかもしれない。それぐらい 放心していた。

 

 葛飾が居なかったら、リサを追いかけていたかもしれない。それぐらい 今のリサの姿は脆かった。

 

 今すぐにでも消えてしまいそうな

 そんな後ろ姿だった

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「おはよう」

 

 ドアを開けて 教室に入る

 既に15人ほど居る教室が 歓迎するように朝の挨拶を放ってくる。15人全員という訳では無いけれど、6人ほどの声がバラバラに聞こえてくる。

 

「おう、おはよ」

 

 リュックを肩から外しながら、いつもの調子でそう言う。教室には隅で宿題らしきものに手をつける大人しめの男子が1人、窓の方で椅子を寄せ合い 話をしている3人の女子グループが1組、まばらに席に着き読書をしているのが4人、俺の席の周りで固まっている、6人の男子グループが1組。

 

 ここに葛飾が入れば、もっといい景色なんだけどな

 

「お前、アレやった?」

 

 つんつんヘアーの森田が、人差し指を俺に向けながらそう聞いてくる。

 少し、心臓が跳ねる

 

「アレってなんだよ」

 

 曖昧な代名詞が、心に波風をたたせる

 こいつらが知ってるはずないのに、関係の無い言葉まで 俺とリサの逢瀬への非難に聞こえてしまう

 

「中谷の化学の宿題プリント」

 

 坊主頭の高橋が、そうつけ加える

 

「何それ、知らないんだけど」

 

 全くやってないプリントの存在を明かされたショックと、自分への非難ではない事がわかった安堵が同時に起る。自分が今、どんな顔しているのか 分からない。

 

 同時に、今この場に居ないリサの事を想う。

 俺には深夜、葛飾がいて そして今朝も葛飾と一緒に登校をした。でも、リサは今日 1人で登校をしていた。友希那ともクラスは違ったはずだ。

 

 リサは、今も1人なんだ。

 

 俺がこうして友人と何気ない会話をして、それで心労を負うのとは 段違いに辛い思いをしているはずだ。

 

「大丈夫、僕も知らんかった」

 

 俺が宿題をやっていない事に バカみたいに笑う中、矢野だけが俺の味方だった。

 

 いつもの友人同士の会話

 なんて事ない当たり前の光景

 

 胸の中に渦巻いた罪悪感が、その当たり前を汚していく。まっさらな日常の上に、ポツポツと不安の種を撒いて 後悔がその種に水を与えていく。すぐに芽を出した緊張と懐疑が、俺の心臓の鼓動を加速させる。

 

「俺もやってな〜い」

 

 矢野の肩に寄りかかった片岡が、手を挙げながらおちゃらけてそう言う。いつもなら笑っていたその光景にも、特に何も感じなかった。

 

 ポケットで携帯が震える

 この震え方は、多分RINEだ

 恐る恐る送信者を見る

 送り主は、リサだった

 

「土曜日、空いてる?」

「友希那の事で相談したいから、アタシんちにまた来てくれないかな?」

 

 奇しくも葛飾の誘いと、その日付は被っていた

 そして 誘われた場所はリサの家、あんな事があった次の週にまた誘ってくるなんて、正直 意図が分からなかった。

 

 でも、

 

 その誘いに、乗ることにした。

 葛飾の誘いを蹴ってリサの誘いを受けることが、せめてもの誠実さだと 思った。

 

「わかった」

 

 手短にリサにメッセージを送る

 今度は、打ち間違えなかった

 

 俺を除いた友人たちの馬鹿騒ぎを聞きながら、もう一度リサのメッセージを読み返す。もう一度読み返したら 中身が変わってるかも、みたいな浅はかな考えはあっさり敗れた。

 

 そうしてるうちにすぐに既読がついた

 気まずさに突き動かされ返事を待たずに携帯を仕舞おうとしたけれど それよりも先にリサからの返事が届いた。さっきよりも、決定的な内容が またもや俺の心を揺さぶった。

 

「爪、切っといてね」

 

 本当に

 リサが何を考えているのか、わからなくなった




次回予告


「忘れてない?」

忘れるわけがない

「その服、めっちゃいいじゃん」

映画のセリフみたいなありきたりの言葉は

「褒める時は、ちゃんと褒めた方がいいよ」

きっと、思ってるよりずっと大事だった

「今日も、本番だろ」

次回『逢瀬、待ち合わせ』



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ちなみに、バニラの花言葉は「永久不滅」らしいですよ


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8 逢瀬、待ち合わせ

つなぎの回です。


 いつの間にか、金曜日が終わっていた

 体感的には それぐらいに感じた

 ついこの間月曜日の学校に行ったような気分だったのだが、もう休日になってしまっている。現在の時刻は土曜日の朝6時 俺としてはだいぶ早起きの時間だ。

 

 ベッドの横に置いてある折りたたみ式の茶色いサイドテーブル(部屋に置いてから一回も折りたたんだ事がない)の上の水筒を取り、乾いた喉を潤す。

 

 冷たい液体が喉を駆けていく冷たい感覚で、さっきよりもより鮮明に 思考が冴える。

 

 月曜、葛飾と一緒に登校したり、リサと登校中に出くわしたりしたあの日から今日までは 特に何も変わった事は起きなかった。

 

 ただ、葛飾の土曜に映画を見に行く誘いは断って、リサと出かけることになっている。当初はリサの家に行く、という話だったのだが 友希那が歌うライブがあるらしくそれを一緒に見に行くことにした。リサ曰く、見てもらった方が早い との事。

 

 それが、リサの俺に対する相談事だ。

 

 RINEでのやり取りで色々聞いたのだが、どうやら友希那はお父さんの雪辱を自分が代わりに晴らすために躍起になっているらしい。

 

 別にそれを止めさせるっていう訳ではなく、それの手助けをしたいけれど どうしたらいいか分からない。それが、リサの悩みなのだが、正直なところ 出来ることは無い.と思う。

 

 友希那の代わりに俺が頑張って、それで友希那に何かプラスな事が起きるのかと言うと そうでも無い。専門的な知識もないのにアドバイスもできるわけがなく、結局は応援しか出来ない。それがいくら、幼馴染であれ 結局は見守ることしか出来ない。

 

 でも その見守る事では 満足いかないようだ

 

 あと この数日でなにか変わった事と言えば、葛飾と出かける約束が日曜日になったことぐらいか。

 

 いつもの俺なら、こんなにあっさりとした感想しか出ないはず無かった。きっと大喜びで、楽しみで寝れないぐらい喜んでいただろうけど。でも、今はそう素直に喜べない。

 

 この数日でリサとの距離感がようやく掴めたといえど、やっぱり今までとは勝手が違う。

 

 今までの幼なじみから、1歩近づいたのか それとも1歩遠のいたのか、どっちかはわからないけれど。確実に言えるのは前のような無垢な関係には戻れないってことだ。

 

 でも、それで心労を負うのは もう慣れてしまった。傷口に瘡蓋が出来るように こうやって少しづつ人間は変わっていくのだろう。少しづつ傷つかないように固まっていくのだろう。

 

 

 もう一眠りしよう

 

 待ち合わせにはまだ時間がある

 シニカルな気分に浸ってしまったせいで 少し自分の事を、また嫌いになってしまった。どれだけ距離を掴むのが上手くなったとしても、俺が未だにリサから投げられたボールを投げ返していないのだ。

 

 まだ、拾ってすら いないのかもしれない。

 

 夕焼けの公園で、3人で遊んでいた頃を思い出す

 ボール遊びや、何が面白いのか分からない砂遊びや、おままごとを なんの疑いもなく一生続くと思って過ごしていたあの頃が懐かしい。

 

 あの頃に、夢でいいからもう一度戻りたい

 

 そんな事を思いながら、もう一度布団を頭から被った。待ち合わせは10時にカフェだ。もう一眠りしても、遅刻はしないだろう。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 少し、早めに着いてしまった。

 結局2度寝もできず、瞼を閉じたまま横になっていただけ。もっと他にする事があるだろうに。

 

 現在地は待ち合わせのカフェ「Four-clover」の中だ。カフェの少し奥の席に座って音楽を聞きながらリサを待っている。最近車のCMで使われている、King Gnuの「小さな惑星」という曲だ。ちなみに、この曲は葛飾も好き。

 

 今朝みたいに暗い自分の部屋の中だとやはり気分も暗くなってしまうのだが、こういう明るい雰囲気の店内だと つられて気分も明るくなってしまう。

 

 本棚のような側の壁紙が貼られたオシャレな店内には女性客が三組とカップルが1組、1人で居るには少し辛い光景だけれど もう少しの辛抱、のはず。

 

 約束は10時半だったのに 今はまだ10時、来るの早すぎだ。この店が開くのは確か9時半からだった筈だから 客は少ないと思っていたのだが 予想は外れて全部で10個のテーブルのうち5つが埋まっている。

 

 待っている間に、RINEを確認。来ているのはさっきからやり取りをしている葛飾からのメッセージだけ。リサからは特に連絡は無し。

 

「明日の」

「映画」

「忘れてない?」

 

 葛飾の十八番、連続RINEだ。

 いつも通りに「れな専用スタンプ」を付け加えた可愛らしい文面。そんな微笑ましい文章に返信を打つのに意識が向いていた時、声が聞こえた。

 

「想、早く来すぎ」

 

 少し笑い声が混じった、呆れたようなリサの声。

 少し短めの黒いスカートに白のブラウス、その上にブルーのデニムジャケットを羽織った。いかにも春のデートな格好のリサが居た。黒のショートブーツを鳴らしながら、笑顔で近づいてくる。普段俺が使ってるみたいな不格好なリュックとは違った 女の子らしい可愛い黒いリュックが揺れる。

 

「アタシが遅れてるみたいじゃん」

 

 笑いながら、リサがこっちに歩く。デート中のカップルの、男性だけが目でリサの姿を追う。やっぱ、リサって可愛いんだな。主観的な印象じゃなく、周りの目で改めて再確認する。

 

「早起きなんだよ。しょうがねぇだろ」

 

 軽口で返しながら、口には決して出さないけれど少し優越感を感じた。他人が目で追ってしまうようなリサと2人で出かける事が 少し誇らしかった。

 

 俺の目の前にリサが座る。隣に座っている訳じゃないのに バニラの匂いが香ってきた。その匂いで、あの夜のリサの姿や、葛飾と一緒にいた時に見たリサの後ろ姿が 一瞬で蘇った。

 

 俺の中で、バニラの香りはリサの香りになってしまった

 

「その服、めっちゃ良いじゃん」

 

「え? どしたの、急に」

 

 俺の褒め言葉に 半笑いで返事を返すリサ。お願いだから、その笑いは照れ隠しであってくれ。じゃないと恥ずかしくて死ぬ。

 

「褒める時は、ちゃんと褒めた方がいいよ」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て リサが諭すように言う

 

「じゃないと、明日。本番なんでしょ」

 

 本番、か。リサは、明日俺が葛飾と映画を見に行く事を知っている。そして俺の片思いの相手が葛飾だと言うことも知っている。先週の土曜日の段階では『片思いの相手がいる』っていう話しかしてなかったけれど。リサには、全部話した。

 

 それも全部知った上で、俺と今 会っている。リサは今日どんな気持ちで家を出たんだろう。どんな気持ちで朝起きて、服を選んだんだろう。どんな気持ちで、『本番』という言葉を使ったんだろう。

 

 あくまでも自分は本番の前のデモンストレーション、とでも言うかのような自嘲気味な言葉を 俺が言わせているという事に辟易する。

 

「今日も、本番だろ」

 

 よく言うぜ。自分で自分に悪態をつく

 

「あ〜、まぁ そうなのかな」

 

 笑いながら言うリサの表情を見るのは、少し辛かった

 

「それより、友希那の事なんだけど」

 

 湿っぽい話を投げ捨て、リサが新しい話題を持ってくる

 

「11時半に開演で、友希那の出番は最後で13時だから、覚えといて」

 

 携帯のメモを見ながら、ハキハキと時刻を伝えてくれるリサ。これから行く場所はここの近くにあるライブハウスだ。そこで友希那が歌う事になってるらしい。おかしな話だよな、友達の歌聴くのに時間を気にしなきゃいけないなんて。

 

「想、多分だけど びっくりすると思うよ」

 

 リサとは今でもよく会うけれど、1週間前にたまたまあった以外だとそんなに友希那と会うことも無いから やはり昔のイメージとのギャップがあるのだろうか。

 

 自慢げに語るリサの顔を見て 思案する。

 友希那の歌が聴けるまで、あと3時間。

 

 友希那は、どんな歌を歌うのだろう。

 

 

 ほんと、楽しみだ。




次回予告


リサの言っていた通り、驚くことばかりだ

夢みたいな光景だった。
夢みたいな空間だった。

ほんとに、夢みたいだった

次回『喧騒、歌姫の絶唱』




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「Four-clover」
四葉のクローバーの花言葉は、私のものになって


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9 喧騒、歌姫の絶唱

友希那、参戦


 歓声と拍手がひっきりなしに耳を引っ掻く。観客の熱気に当てられてこっちがのぼせそうになってくる。少し薄暗いライブハウス『Linaria』の中、リサと2人で ステージを見る。さっきまで演奏していたバンドが片付けをしている、次の演者と交代するためだ。次は、

 

「ほら、友希那の番だよ」

 

 横で見ていたリサが俺の手を掴んで楽しそうに言う。その目はライブハウス内の照明を受けて輝いていて、少し薄暗い中で見るリサの顔は 明るい中で見るよりもより一層美しかった。

 

 このライブハウスで置いてあったフライヤーにも書かれていたのだが、どうやら友希那はかなりの有名人らしい。そんでもって、「孤高の歌姫」なんて言う異名もあるらしい。

 

 リサの言ってた通り、驚くことばかりだ。

 

 200人程の観客が、全員 友希那の歌を聞きたがっている。アイツって、こんなに凄いやつだったんだな。

 

 そして、観客達の期待に答えるように 友希那がステージに現れた。黒いドレスみたいな衣装を着た友希那が、そこには居た。

 

 けれど、

 

 この間 友希那の家のベランダで見た、微笑みを浮かべていた友希那はそこには居なかった。

 

 感情を表情に出すことはなく、まるで眠ったまま歩いているような そんな夢遊病かと疑ってしまうほど 抑揚のない雰囲気だった。

 

 そして、そのまま人形みたいな顔のまま

 友希那は歌い始めた

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 リサの言っていた通り、友希那の歌は俺の度肝を抜いた。専門的な知識も何も持ち合わせていない俺でも、はっきりとわかった。今まで聞いてきた演奏が、前座みたいに思えた。

 

 透き通った陶器みたいな声が、

 幼なじみの声が、会場に響き渡っていた

 

 でも。少し気味が悪かった。

 

 まるで知らない言葉を話してるみたいだった。

 なんというか、友希那の歌を聴いていて 感心もするし驚かされることはあっても、何故か 感動をしなかった。

 

 なんというか。友希那の歌には芯が通っていないような気がした。まるでなにか考え事をしながら、朦朧としながら歌っているような雰囲気が、友希那の歌を聴いて過ぎったのだ。

 

「次が最後の曲です」

 

 声が、少し震えていた気がする。

 素っ気ないMC、だけれど静かな熱を感じた。

 そして、勘違いかもしれないけれど

 

「聴いてください、『vinyl』」

 

 友希那が、俺の目を見据えて そう言った。

 

 

 

 ドラムの音が、木霊する。

 DJの出すラップ音みたいな異質な音とギターの音が混ざりあって まるでパトカーのサイレンのような、危機感を感じる音色が胸を打った。

 

 さっきまでの撫でるような、透き通った演奏とはひと味違う、荒々しさのようなものがそこにはあった。

 

 そして、MCの時に感じた 静かな熱が

 

 発火した。

 

 

「貫いて、この心を。思い切り、突き刺して」

 

 重たく響くような、音だ。

 もはや歌声と表現するには質量を持ちすぎたその音は、今まで聞いてきたどの演奏よりも素晴らしかった友希那の歌声の、さらにそのどれよりも素晴らしかった。

 

 簡単に、単純に表現するなら。

 

 力強さがあった。

 

「火照ったままで知らぬフリは、もうやめて」

 

 観客たちがどよめき始める。きっと、普段の友希那と全く違うのだろう。多分、そんな気がする。

 

 観客たちが自分たちの携帯を取り出し、いっせいに友希那にカメラを向ける。今この瞬間の、この感情を切り取って保存したい。そう、思ったのだろう。

 

「暇つぶしには飽きたのよ、纏ったビニールを脱がせたいの」

 

 スマホのレンズの視線を一身に浴びながら、さっきまでの歌声とは打って変わった力強い声で観客の鼓膜に語りかける。

 

 かく言う俺も、その声に充てられてしまった。

 いつの間にか、強く拳を握っていた。

 

「お前の 思惑から無邪気に、抜け出して」

 

 全身を脈打たせながらリズムを取り、千鳥足のようなステップを踏みながら 歌う友希那。人形みたいに立ち尽くして歌っていたあの友希那と、今の友希那は本当に同じ人間なのだろうか。

 

 

 "さよなら、愛を込めて"

 

 

 エフェクター越しの角張った声が、会場に響き 駆け回る。ステージの照明が、明滅する。友希那の姿がまるで亡霊のような、非現実さを持った恐ろしいものに見えた。

 

 それほどまでの、気迫だった

 

 

「気の済むまで、暴れなよ。哀れだろ? むしゃくしゃするぜ」

 

 友希那の外見や、今まで歌ってきた姿からは想像すらできない 荒々しい言葉が飛び出す。でも、さっきまでの。知らない言葉を話すみたいな友希那の歌よりも、はるかに しっくりきていた。

 

 その歌には、俺の心を動かす。熱量があった。

 

「喧騒に上がる煙に、飛び込んでいくだけさ」

 

 全身を震わせながら、魂までも燃やしながら歌っているような。そんな声だった。

 

「『遊びが無いの貴方には』なんて適当な言葉侍らせて」

 

 ビブラートが、儚げに萎んでいく。

 まるで本当に 友希那が誰かに恋焦がれているような。そんな芸術性すら超えた リアリティがそこには介在した。

 

「喧騒に上がる煙に、巻をくべろ」

 

 

 雄叫びみたいな、声が響く。

 

 

 

 

 そして、背景になっていたバンドの演奏が消えた。

 

 

 静寂。

 

 聞こえるのは 携帯から出る、録画の停止ボタンを押した時の電子音や、観客の息遣い、換気扇のプロペラの音。

 

 演奏は終わってしまったのだろうか。

 そう思った瞬間、

 

 

 

「意図するなよ、この身など。博打だろ? せいせいするぜ」

 

 透き通った、高音がまた蘇った。

 さっきまでの荒々しい声ではない、ビロードのような声で歌うその歌詞の語調のアンバランスさはかえって心地よかった。

 

 鈴の音のような音がリズムを刻む

 

「激動、時の坩堝へ飛び込んで行くだけさ」

 

 巻舌まじりの声で、こんな華奢な見た目とは真逆の声で、力強く でも少し諦観混じりの歌詞を歌う

 

「『遊びじゃないのよ貴方とは』なんて、嘘で固めたこの世なら」

 

 ギター、ベース、ドラム。全ての音が束ねてかかった所で。並大抵の演奏じゃ、きっと今の友希那には太刀打ちできない。

 

 全てをねじ伏せるような力強い声で、歌う。

 

「冗談もご愛嬌でしょ?」

 

 唸るような声で、観客である俺たちに 問いかけるように歌う。まるで支配者が民衆に賛美を強制するような、そんな光景だった。

 

『"暴"れ回れよ、哀れだろ? むしゃくしゃするぜ』

 

 力強い、なんて言葉じゃ足りない。嵐のような、落雷のような、地震のような、隕石のような。どんな言葉を使っても足りない衝撃が、土手っ腹に響きわたった。

 

 鼓膜だけじゃ飽き足らず この身全てを震わせる

 友希那の音

 

「喧騒に上がる煙に、飛び込んでいくだけさ」

 

 もうすぐ、この歌は終わってしまう。

 俺はこの歌を知っている。なぜならこの歌は、1週間前に友希那に教えたからだ。あの日3人で話した時、俺がこの歌が好きな事を話したのだ。

 

 なぜ、友希那はこの歌を歌ったのだろう。

 

「遊び切るんだこの世界、喧騒狂乱に雨あられ」

 

 観客を魅了してやまない歌声が、友希那が今まで持ち合わせていたイメージと幻想を全て打ち壊しながら、響き渡る。

 

「最後の最後には、ニヤリと笑ってみせる」

 

 200人以上いる観客の中で、友希那の視線が俺と絡まりあった。きっと勘違いなんかじゃない。確実に友希那は俺の目を見ている。

 

 目をそらす事など許さない。

 

 そんな気迫を持った視線が俺の全身を射抜く

 蛇に睨まれたように動けなくなった俺の姿を確認した友希那は、マイクを口から引き剥がした。

 

 後ろで流れるバンドが奏でるアウトロを聴きながら友希那はマイクに乗らない、唇の動きだけで 何かを呟いた。

 

 勘違いなんかじゃない、はっきりと俺には聞こえた。

 

 声に出して居ないはずの言葉が演奏を飛び越えて、はっきりと届いた。

 

 

『愛してる』

 

 そう、友希那は言ったのだ。




次回予告


「おまたせ〜」

煙のような空気が部屋を満たす

「おう、おかえり」

淀んだ冷気が、肌をさす

「ばーか」

今日は、色んな事が起きるな

「え?失礼すぎない?」

次回『残香、冷めない静熱』




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ライブハウス「Linaria」の名前はリナリアっていう花がモチーフです。リナリアの花言葉は、『この恋に気づいて』


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10 残香、冷めない静熱

モチベが止まらない


 赤の長いL字型のソファにどっかりと座る

 デカいテレビが よく知らないアーティストらしき人物達と、これまたよく知らない司会役の女性がインタビューをしている映像を映している。

 

 現在いる場所はカラオケボックス、タバコの匂いが充満したような薄汚いクーラーから吐き出された淀んだ冷気が部屋の温度とまだ冷めない体を冷ます。

 

 あの後、俺とリサはライブハウスのアンケートみたいな紙に燻ったままの情熱を書き殴って それでもまだ収まりきらない昂りを発散するためにカラオケに行く事にした。

 

 薄暗い室内には、俺しかいない。

 初めは2人で来ていたのだがリサはここには居ない、別に途中で帰ったわけじゃない。誘ったら友希那も参加する事になったのでリサが受付で友希那を迎えに行ってくれているだけだ。

 

 周りを見回す、対して感銘も受けないでかいだけの風景画や、ハンガーにかけられたさっきまでリサと俺の来ていた上着、オットマンに乗せられた2人分の荷物、半分しか注がれていないコップ

 

 まだしばらくかかりそうだし、1人で歌うか

 

 テレビの前で充電器に刺された端末を取る。見た目以上にかなり重い機械を両手で掴みながら曲を入れる。曲名は「小さな惑星」今日 カフェで聴いてた歌だ、友希那の歌を聴く前から頭の中に流れては居たのだが 聞いた後だとより鮮明に頭の中にこびりついて離れなくなった。

 

 元の曲よりも音の少ない、省略されたような前奏が流れ始める 少し違和感のある前奏に鼓膜を打たれながら 体を左右に揺らす。座ったまま上半身だけで踊りながら静止した太ももを手で叩く。やったこともないドラムを見様見真似る。

 

 左手は忙しなく動いたまま右手でマイクを握って歌う。友希那には程遠い 稚拙な歌を歌う。歌詞をなぞるだけの、本物を真似るだけのアマチュアさに裏打ちされた正真正銘の素人の歌が、一人しかいない 広いカラオケボックスの個室に響く。

 

「凍った愛が静かに溶けだしたんだ、街からほのかに春の匂いがした」

 

 車のCMで流れている、サビを歌いながら さっきまで目の前で起こっていた光景を思い出す。あの声には出さない、口の動きだけの『愛してる』の真意を考察する。

 

『ありがとう』って言った可能性もあるのに、むしろそっちの方が可能性は高いのに、俺には『愛してる』にしか聞こえなかった。あの唇の動きが 鮮明に網膜に焼き付いていた。

 

「結局何処にも行けない僕らは、冬の風に思わずくしゃみをした」

 

 対して上手くも無い、大して音痴でも無い面白みの無い歌を、目を瞑ってそれっぽく歌う。山があれば谷がある、1番と2番の間の緩やかな助走のような間奏が流れる室内にカラオケ音源以外の音が鳴った。

 

「おまたせ〜」

 

 少し古びたドアの開ける音と一緒に快活なリサの声が聞こえた。手にはカラオケの伝票が入った赤い板と、溢れそうなほどドリンクが継がれたコップを握っていた。

 

 曲は止めないまま、マイクをテーブルに置く。2番に入った演奏はメロディをなぞりながら頼りないキーボードの音を出す。

 

「おう、おかえり」

 

 半分しかない残りのドリンクをさっきまで使っていた喉に流し込む。炭酸の弾ける感触が口内を満たしていく。ドリンクバーに書いてあった「炭酸水には疲労回復の効果アリ」の文字は信じていいのだろうか。

 

 リサの後ろに引っ付いて両手にドリンクを持って部屋に入ってくる友希那が 視界に移った。ブラックのニットにベージュのトレンチワンピースを合わせた、少しカジュアルな格好の友希那。声を出すこともなく、真剣な表情で入ってくる友希那。でも、あの時の人形のような険しさとは別種の表情だ。

 

「ばーか、そんなに阿呆みたいに注ぐなよ」

 

 コップすれすれにドリンクの入ったコップを両手に持ったまま 足元を見ることも無くコップにだけ視線を注ぐ友希那の姿が、言っちゃ悪いが滑稽だった。

 

「うるさいわよ、静かにして」

 

 余裕の無い声音で、言い返してくる友希那。でも、その必死そうな姿から出された声にはなんの迫力もなかった。こんなマヌケな姿を見せる友希那が、つい2、3時間前に200人を熱狂させていたって言うんだから ほんと不思議だ。

 

 ようやくコップを運び終えた友希那が、テーブルにコップを置く。L字型のソファの長い方に座った友希那とリサ、フリータイムの伝票をテーブルに置いたリサがこちらを見ていた。

 

「ごめん、返すの忘れてた」

 

 少し笑いながら言うリサ、そういや返してもらうの忘れてたな。リサに没収されてたのは 俺の携帯だ、リサとのデート中に俺があまりにも携帯をつつくので 没収されていたのだ。

 

 普通なら携帯預けるなんてしないけれど、リサは別だ。リサのことは信用してるし、思えばデート中に携帯触るなんて失礼もいいとこだから 預けてしまっていた。

 

 普段携帯をずっとつついてる生活から、携帯を無くしてみると意外と見えるものがあったので 預けて良かったかもしれない。普段何気なく見ていた景色や、隣にいるリサにいつも以上に目を向けるいい機会になってくれた。

 

「でも、明日はちゃんと気をつける事」

 

 コップに口をつけていた友希那が、視界の端で少し 揺れた気がした。リサには明日の事話してるけど、そういや友希那には全く言ってなかった。

 

「おう、頑張るわ」

 

 その友希那から避けるように視線を外す

 リサの方を見ても視界から完全に友希那が消えたわけじゃなかった。視界の端に映る姿が俺の中の何かをまた蝕んで行った

 

「ちょっと、ジュース入れてくる」

 

 耐えきれず、席を立つ

 送り出すように手を振ってくれるリサの姿に、もう安心を感じ始めていた。ついこの間まで リサの事しか考えていなくて、ついこの間まで リサの事で不安を感じていたのに。

 

 傷跡に瘡蓋ができるみたいに、こうして不安が安心に変わって生きていくのかな

 

 なんて、達観したような 悟ったみたいな事を考える。視界の端に映ったままの友希那から目をそらすように、テーブルに置かれたほとんどドリンクの入っていないコップを手に取ってドアを開ける。

 

 エアコンの入ってないカラオケの廊下はじんわりと暑く、でも個室内より澄んだ、エアコンの淀みのない空気が肺に染み込む。

 

 その比較的マシな、澄んだ空気をめいっぱいに吸い込んでフロントまで歩く。カラオケボックス特有のやけに入り組んだ廊下を進む、個室から漏れ出す話し声や 歌声や叫び声、さっきまでいた非現実的な雰囲気のライブハウスよりも生々しい リアルな(どっちもリアルだけど)声に少し心が踊った。

 

 店の中なのに店の宣伝を書けるだけ書き込んだポスターがあちこちに貼られた廊下を抜け、ドリンクバーの前に立つ。さっきまでグラスにめいっぱい入っていたメロンソーダのボタンを押す。

 

 半分ぐらい水で薄まった、文字通り水増しされたジュースが 勢いよく飛び出す、勢いが強すぎて少し手に飛び散ってしまった。

 

 

 そんな些細な事に少し苛立っている俺の背中を誰かが叩いた。リサなら普通に声かけるし、友希那か? 

 

 

「アホみたいに入れてたのにまだ足りないのかよ」

 

 そう言いながら振り返る。

 そこに居たのはリサでも、友希那でも無かった

 

 

「え? 失礼すぎない?」

 

 少し苦笑しながら笑う

 フリルの着いた白いブラウスにベージュのスカートを着た、私服の葛飾がそこには居た。




次回予告


「帰り、公園で待ってる」

あの時の言葉の意味が、

「じゃあ、さようなら」

あの時の光景の裏が、

「おう、またな」

まだ、わからないでいる

「ありがとう」

また、溶けだしていく

次回『夜行、奪い合う温度』



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11 夜行、奪い合う温度

また今度、閑話書きますね


「おかえり〜、遅かったね」

 

 カラオケボックスの個室の扉を開けると、リサが出迎えの言葉をかけてきた。

 個室内では長いL字型のソファにわざわざ2人でくっついて座っている。暑くないのだろうか。

 

 ちょうど俺が入った時は間奏だったようでテレビの画面には歌詞は映されていない。なんの歌かは分からないが、聞き覚えのあるメロディだ。

 

「ごめん、ついでにトイレ行ってた」

 

 咄嗟に嘘をついた

 別に普通に「友達がいたから話してた」って言えばいいのに。無意識に誤魔化してしまった。

 

 遅かった理由に納得した様子のリサが、大袈裟に相槌を打つ。その相槌をかき消すように 間奏を終えた友希那が歌った。

 

 

 その曲は、聞き覚えがあったのだが やはり俺の知っている歌だった。

 

 

 今日はやけに、ラブソングを歌うんだな

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

「やば、もう時間ヤバいかも」

 

 1回の発言で2回も『やば』を使うリサ

 普段から何回も『やば』って言ってるから危機感を感じないけど、今回はいつもよりちょっとだけヤバい。

 

 20時には出ておかないと、フリータイムの料金が上がってしまうのだ。ただでさえ遅い時間まで遊んでて親に心配をかけているのにその上 出費も嵩むとなると結構ヤバい。

 

「忘れ物無いよね? 大丈夫?」

 

 ほんと、こういう時のリサは頼りになる

 まるでお母さんのような事を言いながら手際よく後片付けをしている。それに対して 友希那は何か考え事をしていて全く片付けていない。

 

「友希那、置いてくぞ」

 

 バッグとハンガーにかけていた上着を取りながら友希那に声をかける。「えぇ」なんて身の入らない返事をしながら携帯をつつく友希那。ほんとに置いてくぞ。

 

 携帯が揺れる。

 葛飾からだろうか? 揺れ方から察するにRINEの通知だと気づいたので 素早く確認する。送り主は、葛飾じゃなかった。

 

 友希那からだ。

 

「帰り、公園で待ってる」

 

 必要最低限の文字で情報を伝えてくる友希那らしい文面、わざわざRINEで伝えてくるって事は。きっとリサに聞かれたくない事。

 

 きっと、あの事だろう。

 

 あの時喉を震わせずに呟いたあの言葉。

 あれについて、話があるんだろう

 

 なるべく、表情に出さないように努める

 表情筋を動かさないように、既読だけをつけて携帯をポケットにしまう。

 

 飲みかけでテーブルに置いていたコップを取る。

 もうほとんど残ってないドリンクを喉に流し込む、ほとんど水のドリンクの味が 今だけはやけに濃かった。

 

「よし、じゃ 行こっか」

 

 俺たちの分まで片付けをしてくれたリサが 伝票の入った板を持ちながら言う。

 

 ほんとに、安心する。

 

 無責任に リサの笑顔を見てそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 

 会計を済ませて店の自動ドアを潜ると、もう日は完全に落ちていて 街灯の灯りと月だけが街を照らしていた

 

 室内と外の温度差で起きた風が肌を撫でる。少し湿った風は春の香りなんて微塵もない。むしろ冬を思い出すような冷たさで、夏を思い出させるような湿った嫌な感触だった。

 

 3人で並んで歩く夜の街は、当然ながらいつもの帰り道とは全く違う景色で、普段何気なく見ていた柱たちが蛍光灯で明るく輝いていた。

 

 小さい頃は一緒によく帰っていたのだが、その頃と今では歳も背丈も全く違っていて、少し大人になった事でこうして行動出来る時間帯の幅も広がった。

 

 それ故に、自由であるせいでお互い あまり干渉することも少なくなっていた。

 

「こうやって帰るの、久しぶりだな」

 

 2人を見るわけでもなく、少し曇りがかった 星の見えない真っ暗な空を見上げながら言う。

 

 リサも、今度は大袈裟な相槌を打つことも無く。友希那も曖昧な「そう」って零しただけだ。

 

 いつもみたいに「呼んだ?」なんて茶化す気も起きずに 話を膨らませることなく歩いていく。

 

 喋らない事が気まずさにならない、この3人で過ごす時間が改めて大事な事に気づく。無理して会話を繋がなくとも、お互いになにか見えない 安心した関係を、今更ながら実感する。

 

 でも、その関係も 無遠慮に委ねていい訳じゃない。俺とリサはあの時、俺と友希那はさっき、今までの俺たちの関係とは異なった方向に歩みを進めている。

 

 もしかしたら、明日にでもこの関係が壊れてしまうかもしれない。そんな漠然とした不安が、少しだけ俺の視界を眩ませた。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 気づけば 友希那の家にもう着いていた。考え事をしながら歩いて居たら あっという間だった。門の前で別れの言葉と共に手を振る友希那

 

「じゃあね〜」

 

 その隣でこちらに振り向きながら手を振るリサ

 

「おう、またな」

 

 右手を挙げて、挨拶を返す

 こうして、1人になってしまった。

 時刻は20時半に迫ってきた。

 

 でも、まだ 今日はやる事が残っている

 

 歩みを進め、リサの家から遠ざかる。

 目的地は俺の家、ではなくてその途中にある公園、友希那の指定してきた待ち合わせ場所だ。

 

 早足で公園へと向かう。

 聞こえてくる俺の靴と地面がぶつかって鳴る音が、閑静な住宅地の道路に響く。それ以外何も聞こえない帰り道は、少し不気味だった。

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「ごめんなさい、待ったかしら」

 

 まるでデートの待ち合わせみたいなセリフを言う友希那。カラオケで見た服装と全く一緒なのだが、室内や街灯の下で見る姿より、薄暗い公園で見るその姿は 明るい場所よりもずっと大人びて見えた。

 

 今日は、友希那の色んな姿を見た気がする

 

 ステージの上で衣装を着た 人形のような友希那や、『vinyl』を歌っている時の迫力のある友希那、

 コップいっぱいにドリンクを注いで間抜けな表情を見せる友希那だったり、少し真剣な表情で歌う友希那、

 

 そして今俺が見ている、友希那

 

 いつもの無表情とは少し違う。

 強い感情を押しとどめているみたいな表情だ。

 真っ直ぐに結ばれた口は、少し怖い

 

「全然待ってねぇよ」

 

 手に持ったココアを差し伸べながら、返事をする。

 友希那が来るまでに買っておいたホットココア、友希那は確かコーヒーはブラックで飲めなかったはずだし。ココアでいいだろ。

 

「ありがとう」

 

 受け取りながら、公園のベンチに腰掛ける

 俺もその隣に腰を落とす

 

 リサが居ない所で俺と友希那が2人っきりになる事って、今まであんまり無かったかもしれない。友希那といる時はリサが居て、リサが居る時は友希那が居た。

 

 少し、緊張が走る

 

 友希那が何を言うのか

 それだけに、全神経が集中する。

 

 友希那の一挙手一投足に、目がいく

 

 そんな俺の様子を見た友希那が、少し笑った。

 普段、笑わない友希那が 微笑みでは無く 確かに笑った。

 

 今日の昼、カフェでリサから受けた相談によれば 友希那は全くと言っていいほど笑わなくなったらしいのだが。

 

 今、確かに笑っていた。

 

 友希那が ふっと目を閉じる

 そして、ゆっくりと口を開けた

 

「優しい嘘を、吐いてくれよ現実は残酷だもの」

 

 夜の公園に、友希那の優しい歌声が響く

 ライブハウスの、けたたましい演奏も無い マイクもエフェクターも無い そのままの歌声が 木霊する。

 

「酔いどれ 踊れ 全てを忘れるまで強がり、笑うだけ」

 

 この曲は、カラオケで友希那が歌っていた曲だ。

 俺が葛飾と鉢合わせた後、ちょうど部屋に帰ってきた時に友希那が歌っていたあの歌。

 

 でも、少しローテンポで 元のキーよりも高く裏声で歌っている。

 

 まるで、俺に入り込む余地を与えてくれているような。そんな歌い方だ。

 

『Why don't you come buck to me?』

 

 俺の声と、友希那の声が重なる

 俺の下手くそな歌に合わせて友希那が合わせてくれている。包み込むような優しい歌声がそっと寄り添う。

 

 目を瞑ったまま歌う友希那

 口から吐かれた息が、白く曇っていた

 

『避けようのない痛みを 2人分け合えるよ』

 

 消え入りそうな高音が、耳に心地いい

 つい聴き入ってしまいそうになる歌声を聞きながら、目を瞑り 自らの喉を震わせる。

 

 俺の左手に、友希那の右手が重なる

 少し冷たい友希那の手が俺の手の温度を奪う

 

『Cause I've know you're lonely like me』

 

 重ねていただけの友希那の手が、ゆっくりと握られていく。

 

 震えるような手の動きが、少しこそばゆい

 瞼を開き、友希那の方を見る

 友希那も、こちらを見ていた

 

『こびりついた悲しみを 拭い去れるの?』

 

 友希那の視線を受け止めた俺は

 ゆっくりとその手を握り返した

 

 また友希那は、少しだけ 笑っていた




次回予告

「私、はじめてだったの」

暗い公園の中、その姿は鮮明に焼き付いていた

「とても、楽しかったわ」

口から漏れ出す白煙が、綺麗だった

「もう一度言うわ」

今度は、声に出して
そう言った。

次回『発露、まっさらの愛』


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12 発露、まっさらの愛

評価の際は理由も添えてくれると嬉しいです


「私、はじめてだったの」

 

 手は繋いだまま、友希那が言う。

 夜の公園、少し離れた場所にある街灯と すぐ側の自動販売機だけが俺たちを照らす。

 

 友希那の口から這い出た息が白く染まって蛍光灯の光を浴びてキラキラ光っていた。

 

「はじめて?」

 

 オウム返しで聞き返す。

 こちらを見ずに 頷きだけで応える友希那

 俺もつられて、友希那の視線の先を見る

 曇りがかった空は真っ暗で、月を隠してしまっている。今日はきっと、綺麗な満月だっただろうに。

 

「誰かのために歌を歌ったのは、今日が初めて」

 

 少し、友希那の手に入っていた力が抜けた

 ふっと弱まった手の感覚と、まるで風が吹き抜けたかのように俺と友希那の手のひらに入ってくる空気の塊が、少し湿っていた。

 

「いつも、聞いてくれてる人達のために歌ってるけど。それは自分のためだった」

 

 滔々と紡いでいく友希那。

 まるで教会で懺悔するように、語り始めた。

 友希那の姿を見ることはせず、左手に宿る体温だけで友希那の存在を感じる。

 

「自分をどう見せるか、どうすれば評価されるか、そればかり考えて歌っていた」

 

 リサから聞いていた、友希那のお父さんの話。それがきっと関係しているのだろう。お父さんの雪辱を晴らすために、自らの実力を表明し続ける友希那はきっと、自らの価値を常に意識しながら過ごしてきたのだろう。

 

「じゃないと意味が無いって、思ってた」

 

 あえて過去形を使った、友希那のその言葉と共に 友希那はぎゅっと、強く俺の手を握った。

 

 さっきまで感じていたその手の冷たさは いつの間にか暖かさに変わっていた。

 

「でも今日、初めて誰かの為に歌った。自分の為じゃなく 想、貴方のために」

 

 友希那がこちらを見据えて言う。

 真っ直ぐなその目は、ステージの上に居た友希那と同じものだった。視線を逸らす事を許さない、そんな目だ。

 

 痛いほどに純粋なその目が、俺の心に染み込んでいく。

 誰かの弱さを言い当てるだけの強さじゃない、本当の強さがそこにはあった。

 

 その強さが羨ましいと思った。

 

 浅ましいとは自覚しているけれど、眩しかった。

 

 俺は一度も、そんな強さを持てたことがない。リサとの夜だって、葛飾と出くわした事だって、ずっと誤魔化して過ごしてきた。

 

「初めて誰かのために、歌ったの」

 

 もう一度言う、友希那。

 

「とても、楽しかったわ」

 

 微笑みを携えながら言う友希那の表情は、女神みたいだった。全てを許すようなその表情は、1度見たことがある。

 

 あの夜の、リサの表情と 似ているのだ。

 

「誰かの事を考えながら練習をするのも、誰かの為に全力を出す事が 楽しかった」

 

 夜空を見上げながら友希那が言う。

 解放されたはずの視線、でも。

 友希那から目を逸らせない

 

 その姿が あまりにも綺麗だったから

 

「ずっと、余計な事だと思ってたわ」

 

 友希那は真っ暗な夜空に何を見ているのだろう。

 

『余計な事』は、何を指すのだろう。

 単に、誰かの為に歌う。って事に対して言ったのだろうか。それとも、もっと他の何かを指しているのだろうか。

 

 

「でも、想 あなたのおかげでわかったわ」

 

 俺の目を見る友希那

 

「もう一度言うわ」

 

 真っ直ぐに見据えた視線は、さっきよりも強く。さっきよりも熱い、視線だった。

 

『愛してる』

 

 今度は、声に出して

 そう言った。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

「俺は」

 

 きっと、震えていたと思う

 情けない声が、喉を通って出てくる

 

 でも、言わなきゃいけない

 今度は、俺が返事をする番だ

 

 友希那がまっすぐ伝えてくれた気持ち、なら俺もまっすぐ伝えなきゃいけない。その義務が、俺にはある。

 

「葛飾が好きだ」

 

 空になった左手を握りしめ。

 震える声を押しとどめ、言う。

 

「だから、ごめん」

 

 リサの時は出来なかった、否定の言葉を吐き出す。

 

 都合のいい、どっちも欲しいなんて考えを殺す。

 

「友希那とは、付き合えない」

 

 もしかしたら、これがきっかけで俺たち幼なじみは会うことが無くなるかもしれない。お互いバツが悪くなって会わなくなることになるかもしれない。

 

 でも、それでも。

 

 はっきりと、そう言った

 

「......」

 

 少し俯いた友希那が、沈黙を貫いていた

 長すぎる沈黙が耳鳴りを起こしていた。

 

「わかった」

 

 漸く友希那が言葉を発する。

 その声音は、恐ろしいほど澄んでいた。

 

 俺はこんなに声を震わせているのに

 友希那は、力強い声でそう言った。

 

「なら、こうするわ」

 

 友希那が立ち上がる。

 その動作は全く音のない、一瞬の動作だった

 

 頬に添えられた温度

 

 暗かった視界が、さらに暗くなる

 

 反射的に少し後ろに反った俺の背中に回された友希那の手に力が籠る。

 

 鼻を擽ったバニラの匂い

 こんな時でも、その匂いが付きまとうんだな

 

 友希那と俺の呼吸が重なる。

 

 それ以上は友希那は踏み込んで来なかった。

 子供同士の触れ合うだけの口付けは、なんというか。友希那らしかった。

 

 瞼を閉じた友希那の表情は、

 あの時のリサとそっくりだった。

 

 

 友希那と俺の距離が離れる。

 

 思い切り、息を吸う

 友希那も、少し呼吸が荒い

 

 肩を上下させながら右手が、俺の頬を撫でる

 左手は背中ではなく、俺の肩に添えられている

 友希那が、ベンチの縁で膝立ちになっている

 

 その姿はまるで戯れ付く猫のようだった

 

 もう一度、友希那が顔を近づいてくる。

 ゆっくりと、目を閉じる友希那

 

 でも、その動きは止まった。

 

 同時に 耳鳴りがする程静かな公園に

 もう1つ、音が鳴った

 

 音のする方に視線を向ける。

 

 友希那も、振り向いて音の正体を確かめる。

 

 

 そこに居たのは、葛飾だった。




次回予告


一体、何が出来るのだろう

一体、どの面を下げてまた会えるのだろう

胸に刺さったナイフが、まだ抜けずにいる

「じゃあ、おやすみ」

まだ、その味が残っていた。


次回『乖離、宣戦布告』




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13 乖離、宣戦布告

話の区切り方が下手くそすぎたので今回は短めです。

※評価のひとこと欄無しになってましたすいません。


「葛飾......」

 

 無意識に口から零れた

 友希那の肩越しに見える姿は夜の影に隠れてうっすらとしか見えなかったが、今日カラオケの中で見た格好そのままだった。

 

 違う

 

 そう言いそうになって、口を噤んだ。

 

 一体、何が違うんだ。

 葛飾の見たままだろう。

 友希那が俺にキスをしようとしてきて、俺はそれを拒まなかった。ただそれだけ。

 

 どこが違うと言うのだ。

 弁解なんて、する余地はない。

 

 友希那は、じっと葛飾の方を向いたまま

 何を言うわけでもなく、見据えていた。

 

「...ごめん」

 

 そう、葛飾は呟いた

 いくら小さな声だと言っても他に誰もいない閑静な夜の公園では俺たちの耳に届くには、十分な音量だった。

 

 葛飾の震えた声が、

 鼓膜だけではなく俺の胸を揺らす。

 

 友希那は、俺の身体にもたれかかったまま葛飾の方を見ていた。後ろ姿だけでは、友希那が今 いったいどんな顔をしているのか伺う事もできない。

 

「私さ、もしかしたら」

 

 夜の公園の空気で反射した、エコーがかった声が響く。うっすら見える砂場には 遊び終わったあとの崩れた山が見えた。

 

「もしかしたら、中野くんに会うかもって思って。服、選んだんだ」

 

 スカートをぎゅっと掴んで、俯いた葛飾が。

 淡々と言葉を紡いでいく。

 

「中野くんがいないとこでも、中野くんの事、考えちゃってたんだ、私」

 

 震えた声は、どんどん潤いを増していく。

 消え入りそうな声と、涙を零さないように鼻を啜る音が響く。

 

「でも、ごめんね」

 

 深く息を吐いた後。

 少し落ち着いた声で、葛飾は言った。

 暗がりの中でも、真っ赤になった顔がよく見えた。

 

「ちょっと、考えさせて」

 

 苦笑混じりに、泣き腫らした顔で言い切った葛飾は、俺の返事を待たずに去っていく。

 

 きっと、俺と友希那の会話を聞いていたのだろう。俺が友希那に言った「葛飾が好きだ」っていう言葉を、葛飾は聞いていたのだろう。

 

 だから、『考えさせて』と言ったのだ。

 

「......」

 

 喉が、動かない。

 

 

 いや、たとえ動いたとしても

 一体俺は何を言うのだろう

 何を言う資格が、あるのだろう。

 

 葛飾の零したあの涙に、俺はどう償うのだろう。

 

 葛飾の服装は、女友達と出かけるにしては確かに少し気合いが入っているとは思った。それがまさか、俺のことを考えてくれてただなんて、思ってもみなかった。

 

 俺はただ、葛飾の事を好きなだけだった。

 好きなだけで、葛飾の事を想ってなかった。

 

 その事実が、胸を抉った。

 

「ねぇ、想」

 

 友希那の声だ

 ようやくこちらを振り向いたその表情は、全くの無だった。何を考えているのか。どういう気持ちなのか。その表情には、何も描かれていなかった。

 

「『葛飾が好き』って言葉の意味、わかってる?」

 

 心臓にナイフを突き立てられたような感覚が走る。刺さったそのナイフは俺の中にある後悔や、罪悪感や、無力感を、引きずり出した。

 

「その言葉は、私の気持ちから逃げるための言葉じゃないの」

 

 全く感情を見せないその表情が、むしろ安心した。何もないその表情が、俺の心の沸騰石になっていた。

 

「私は、リサとは違う」

 

 両手を俺の肩と頬から下ろして、俺の両足に当てる。太ももに乗ったその感覚は、俺の心を溶かしていった。

 

「リサは、葛飾さんに譲ってるみたいだけど。私はそんな事、しない」

 

 俺の足に手を乗せ、ベンチに膝立ちになった友希那は身を乗り出し 俺の目を見たまま、顔を近づけてくる。

 

「葛飾さんから、奪ってみせる」

 

 葛飾ではなく、俺に向けての宣戦布告

 

 その言葉と共に、俺と友希那の呼吸が再び重なった。

 今度は、口をつけるだけの子供のキスじゃなかった。

 ココアの甘い味が、口に広がった。

 

 ゆっくりと、2人の距離が開く

 

 さっきよりも落ち着いた様子の友希那は、俺の身体から手を離し ベンチから立ち上がった。

 

 俺は、まだベンチに深く座ったまま。

 力なく背もたれに寄りかかっている。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

 別れの言葉を言い残し、踵を返して公園の出口へ歩いていく友希那。その後ろ姿は力強かった。左手には、飲みかけのココアの缶。

 

 その味がまだ、口に残っていた。




次回予告

何度鳴っても、意味が無い

何度考えても、意味は無い

何度燻っても、変わらない

「ねぇ、聞かせて。何があったのか」

また、その表情に救われる


次回『悔恨、ひとりよがりの救済』


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ココア(カカオ)の花言葉は、『片思い』です。


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14 悔恨、ひとりよがりの救済

閑話とか「0 帰巣、変わるはずの無いモノ」とか読んでないと訳わかんないかもです。今度また閑話追加するのでそれ読めばもうちょっとスッキリするかも。勘が良い人ならそんなの無くても納得できるかと。

感想、評価、Twitterでのリプ、励みになってます。ダイレクトに嬉しい。


 何度目かのスヌーズでようやく意識が眠りから這い出る。随分煩くなった電子音が部屋に鳴り響く。

 

 今日は日曜日。本来なら葛飾との約束の日だったのだが、もう早起きをする必要も無くなった。

 

 昨日、あのあと葛飾からRINEが来ていた。

 

「明日、雨だからやめとこ」

 

 分割もしてない、スタンプもない、葛飾らしくない文面でそう伝えられた。「わかった」と短く返信をしたのだが、既読すらつかない。

 

 窓に打ち付ける雨の音がうるさい

 まるであの時みたいな雨音が耳に張り付く

 先週の金曜の夜、リサとのあの日の記憶がフラッシュバックする。

 

 俺は今まで何をしていたんだろう。

 

 昨日の葛飾の言葉を聞いて、思う。

 

『好き』って言葉を、誤解していたのかもしれない。

 

 昨日の友希那の言葉を聞いて、強く思う。

 

 まだ、胸に刺さったナイフが抜けない。

 抜いたらきっとまた後悔や、罪悪感や、無力感が溢れ出てきてしまう。それが、怖い。

 

 結局、臆病なんだ。

 

 そっと布団を剥ぐ、まだ鳴ったままの携帯のアラームをようやく止め、もう一度窓の外を眺める。

 

 窓に打ちつけられた雨粒が弾ける、重力に屈した水が流れ落ちていく。その様子を何度も何度も眺める。

 

 あぁ、逢いたいな

 

 やっと、葛飾の気持ちがわかった気がする。

 こんな思いを、ずっとしていたのか。

 

 こんなにずっと人の事を考えたのは初めてかもしれない。今までも葛飾の事は好きだった。何気ない時にふと考える事もあった。でも、それを行動に起こせなかった。

 

 葛飾みたいに、出来なかった

 

 昨日の葛飾の服装を思い出す。フリルのついた可愛らしい服装が頭に過ぎる。葛飾が、俺のために選んでくれた服。

 

 リサの言っていた言葉を思い出す

 

「褒める時は、ちゃんと褒めた方がいいよ」

 

 俺は葛飾にちゃんと伝えられてただろうか。

 あの時感じた素直な気持ちを、

 伝えられただろうか。

 

 もしかしたら、

 もう葛飾と話す事は無いかもしれない

 

 それぐらい、あの「ごめん」は切実だった

 

 ため息が、零れた

 

 もう1回、2週間前からやり直したい。

 こんな思いをするぐらいなら、もう一度選択肢を選び直したい。

 

『じゃあ、その時は何を選ぶの?』

 

 自分の言葉で、自分の喉を絞めた。

 

 1番都合の悪い疑問が、自分の頭に浮かぶ

 

『結局、何が大事なの?』

 

 叱責の記録は、いつだって記憶に記されていた。

 記録として残っていた。

 自分のこれまでの人生で嫌という程 実感してきた、自分の不甲斐なさやいい加減さが、積もり積もって自分を責める。

 

『誰かのことを本気で好きになったことなんて、あるの?』

 

 もう、やめてくれ

 

『誰かのこと、想ったことあるの?』

 

 うるさいな

 

『誰かの気持ちに応えたことあるの?』

 

 黙ってくれよ

 

『お前に、何ができるの?』

 

「頼むから、やめてくれ」

 

 誰もいない部屋で、そう呟いた

 

 

 応えるみたいに、電子音がなった。

 その音は携帯からじゃなく、玄関から鳴っていた

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 家のドアを開ける。

 さっきまでは壁越しだった雨の音が

 空気を伝って鮮明に聞こえる。

 

「やっぱ、まだ家に居たんだ」

 

 玄関のチャイムを鳴らしたのは、リサだった

 いつもみたいな明るい声じゃなく、呆れが混じったような そんな声だった。

 

「あー、雨だしやめとこうって話になったんだよ」

 

 嘘ではない

 そういう口実を葛飾は使ったのだし、表面上は何も偽っていないのだが。

 

「...うん、そっか」

 

 俯いて、リサがそう零した

 きっと、リサなら勘づいているのだろう。

 じゃないと、わざわざ俺の家に来るはずがない。

 

「濡れるし、上がれよ」

 

「うん、ありがと」

 

 ぐっとドアを押し込み、リサが家に入りやすいように開ける。それ以上は何も言わず、俯いたまま家に入るリサ。

 

 今、家には俺しかいない。父さんは仕事、4月は忙しいので今週は毎日のように仕事に行っている。母さんは友人とお出かけらしい。高校からの友人だったらしく、雨などお構い無しの様子で出かけたようだ。

 

 普通なら、雨でも出かけるよな

 

 やっぱ、葛飾と会うことはもう無いのかも

 

 そう思いながらドアを閉める。

 脳裏に浮かぶのは葛飾の顔

 昨日、俺が泣かせてしまった顔だ。

 

 罪悪感に苛まれながら

 ドアに向いたままの視線を廊下に振り返らせる

 視線の先にはリサがいる。

 

 さっき家に上がったから居るのは当たり前なのだが

 俺の家を背景にしてリサが存在するこの光景が、気持ちの悪いものに思えた。

 

 葛飾の事を気に病みながら、

 自宅で別の異性と会っている事実がおぞましくて醜い事に、今更ながら思えた。

 

「そういや、なんでウチに来たの」

 

 誤魔化すみたいに、リサに聞く

 普通に考えれば、リサが俺と葛飾の事を知っているはずが無いのだ。友希那が連絡していればそれで納得はできるのだが、そんな事をするとは思えない。

 

「あ〜、家に帰った後、友希那の部屋に灯りついてなかったから。何かあったのかな〜って思って」

 

 恐ろしいまでに、リサは勘が冴えていたようだ

 なんでもないふうに言うリサの姿が

 また一段と気味が悪く思えた。

 

 俺がまだ知らないだけで、もしかしたらリサはもっと多くの事を気づいてるのかもしれない。

 

 ライブでの友希那の事や、公園で起きた事も、もしかしたら全部知っているのかもしれない。

 

 リサの事を考察する

 いったい、どこまで知ってるんだ

 

 おもむろに、リサが自身の髪に手をかけた

 後ろ髪を結んでいたゴムをゆっくりと外す

 リサが動きを見せる度に

 バニラの匂いが辺りをつつむ

 

「じっとしてて」

 

 ヘアゴムを持ったリサがそう言う。

 ゆっくりと、近づく

 

 そして、俺の長い前髪をヘアゴムで結んだ

 ただそれだけの事で

 色んな想いがフラッシュバックする。

 

 昔はよくリサに長い前髪が邪魔だったのでヘアゴムで髪を上にあげて貰っていた。そんな事、もうとっくに忘れていた。

 

「想、変わってなさすぎ」

 

 笑いながら、リサがそう言う

 

 俺の周りで色んな物が変わっていった。

 いつのまにか大人の魅力を持っていたリサ、情熱的な告白をするようになった友希那、遠くなってしまった葛飾。

 

 でも、リサから見た俺は

 変わってないらしい。

 

 ずっと、幼稚なままだった。

 人の気持ちを、考えていなかった

 

「ねぇ、聞かせて。何があったか」

 

 微笑みながら、リサが言う。

 その表情はあの時とおなじ、全てを赦すような。

 そんな表情だった




次回予告


「そっか、」

あの頃と同じの、ヘアゴムの感触

「想はさ、どう思ってるの」

あの頃と同じの、甘えた考え

「好きだよ」

何も、俺は変わっていなかった

「そっか」

次回『再度、重なる呼吸』


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15 再度、重なる呼吸

評価、出来たらお願いします。くれるだけでモチベになるので。


「っていう、感じ」

 

 締まらない言葉で話を締める。

 昨日起こったことを、全部リサに話す。

 

 ベッドに腰をかける俺と、椅子に腰かけるリサ

 ベッドの高さと椅子の高さは食い違っていて普段なら身長的に俺の方が目線は上なのだが、今はリサの方が目線が高く。相談している間、ずっとリサが俺を見下ろしていた。

 

 カラオケで葛飾に会ったこと、

 友希那と公園で話したこと、

 それを葛飾が聞いてたこと、

 

 見下ろされたまま、全部 話した。

 

「そっか、友希那が」

 

 驚き、と言うよりは納得に近いような、そんな反応をするリサ。さっきまでずっと相槌を打つだけだったのだが、ようやく言葉を発してくれた。

 

「返信、来てないの?」

 

「まだ来てねぇわ、既読もついてねぇし」

 

 携帯を手に取り、葛飾とのトーク画面を表示する。昨日の1文だけのRINEを見る度に心が冷え固まるような気分を味わう。面積の少ない会話と同時に、昨日までの何気ない楽しい会話が見えた。

 

 携帯から視線を上げる。

 

 ヘアゴムを外していつもと少し髪型が違うリサ

 その外したヘアゴムは、今俺の前髪をくくるのに使われている。昔、遊ぶ時に邪魔でよくやってたやつだ。

 

 手で自分の前髪を触る。束ねられた部分から広がる稲みたいな感触が何となく気持ちいい。

 

「想はさ、葛飾さんの事。どう思ってるの」

 

 その質問は 少し前ならきっと、1番答えづらい質問だっただろう。でも、今なら落ち着いて答えられる。

 

「好きだよ」

 

 ただ『好き』なだけ。

 友希那の気持ちから逃げるための言葉。

 そう思われるかもしれない。

 

 でも、俺の中にある葛飾への気持ちはきっと、本物のはずだ。失ってから初めて気づく物なんて、歌詞の中だけのものだと思ってた。でも、違った。

 

 昨日のあの瞬間から、葛飾の事が頭から離れない。

 

 あの涙や、あの声や、あの姿が。

 

 網膜に焼き付いて剥がれない。

 

 だから、今ならはっきり言える

 

「だから、話してみよっかなって」

 

 葛飾とも、友希那とも。

 2人ともに話をしてそれでケジメをつける

 

「そっか」

 

 リサが、少し笑いながら言う

 1週間前のあの日の事を思い出す

 リサと溶け合ったあの夜、

 次の日の霞みたいな朝、

 

 リサの嘘に乗っかったあの日の事を

 

「うん、やっぱそうだよね」

 

 そして、リサの表情を見て思い出した

 あの時 垣間見たリサの本当の表情を

 

 笑顔と笑顔の間に潜んでいたドロドロした粘土細工みたいな感情が押し固められた表情がリサの顔に這い出る。

 

 その表情を見て、ゾッとする

 

 底冷えするようなリサの声音が、俺の心臓を撫でる。

 

「想」

 

 俺の名前を呼ぶリサ

 さっきまでとは別人みたいだった

 

 女の子の表情の8割はウソ

 

 今更、そんな事も思い出した

 

「葛飾さんが自分から離れていきそうで、辛かった?」

 

 ゆっくりと言葉を口に出すリサ

 椅子の背もたれに体を預け 手を前に伸ばしたままなんでもないような、世間話をするようにそう聞いてくる。

 

「きっと辛かったよね。会いたくて仕方なかったんじゃないかな?」

 

 俺ではなく、部屋の天井を見ながら。

 リサが言う。

 

 上を見ながら喋る事で、リサの喉が動く様がよく見えた。

 

 部屋の照明がリサの顎のラインにそった影を、くっきりと生み出す。上着を脱いでブラウスだけの服装が見せびらかすように覗かせる鎖骨。

 

 その全てが、作為的なモノだった

 

「夜も葛飾さんの事考えたら、泣きそうなぐらい辛かったんじゃない?」

 

 そう言って、リサが瞼を閉じる。

 だいぶ腫れの引いた目元。でも、完全に消えたわけじゃない。メイクで誤魔化したその腫れの痕が俺の手を震わせた。

 

「想のその気持ち、わかるよ」

 

 ゆっくりと、椅子から立ち上がる。リサのその様子を、俺はただ見ることしか出来なかった。

 

「だって、アタシもそうだもん」

 

 目を開き、俺と目を合わせる

 友希那の時みたいな、支配的な視線だ。

 

「アタシも、想が離れていくってわかって。葛飾さんの所に行っちゃうって気づいてから、ずっと辛かった」

 

 ゆっくりと、リサが近づく

 

「でも、想が葛飾さんの事好きなら、諦めようって思ってた。見守ろうって思ってた」

 

 全部が全部、過去形で伝えられるリサの言葉

 

「そう思ってたのに、相談に乗って応援しようって思ってたのに」

 

 俺の足先と、リサの足先が触れる。

 それぐらいの、距離だ

 

「友希那ってば、凄いことするね」

 

 リサが自嘲気味に笑う

 

「そんな事されたら、我慢できないじゃん」

 

 携帯が鳴った

 いつもは振動だけだが、アラームをかけていたせいで設定がいつもと違っている。そのせいで部屋になるRINEの通知音。きっと、葛飾からだ。

 

「ねぇ、想」

 

 一瞬 携帯に意識を向けていたせいで、気づかなかった。リサの表情がまたドロドロしたものに変わっていた。

 

「葛飾さんの事、今は考えないで」

 

 俺の手を、リサがとる

 逃がさないとでも言いたげなその動作は行動の抑制に留まらず俺の視線や、選択の余地すら狭めた。あの日の罪悪感や、後悔や、自責で動けなくなっていた。

 

「あの時みたいに、私の事だけ考えて」

 

 また、雨だ。

 前の時も、こんな雨だった。

 カーテンから見えた月を思い出す。

 

「あの時みたいに、私の名前だけ呼んで」

 

 瞳を閉じるリサ。至近距離で見るリサの長いまつ毛は、前みたいに揺れてなどいなかった。

 

 また、バニラの匂いがした。




次回予告


「あ、起きた?」

重い瞼の先に見える影

「どうだった?」

2度目の光景に、自己嫌悪すら起きない

「その人、なんて名前なの」

そして、また少しづつ俺たちは変わっていく

次回『嚆矢、新しい起点』


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ちょっと更新遅くなるかもです。評価とか感想をお世辞抜きで言ってくれるだけで意欲になるので良ければお願いします。前の話とか振り返って読んでくれたりすると嬉しいです。


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16 嚆矢、新しい起点

Roselia編、始まります。


 体の倦怠感、だけじゃない。

 体の奥から来るふわりとした疲れが肌を通して、汗として染み出る。シミ出た水分が服や布団に染み付く。

 

 ゼラチン質の愛や、アルカリ性の塩分が、布団に染み付いて特異な匂いを放っていた。

 

「あ、起きた?」

 

 声の方を向く。

 リサが俺の寝ているベッドの縁に座っていた

 確かに寝落ちる前に勝手にしていいとは言ったけど、人の家の冷蔵庫はあんま開けないで欲しいな。

 

 リサがスポーツドリンクを飲んで、息を吐く

 一体どれぐらい寝てたのだろう

 

 携帯で今の時間を確認しようと手を伸ばす

 身体を少し動かすだけで背骨が軋む

 それに付随して倦怠感が増してくる

 

 加えて外から聴こえる雨の音が、余計に心を蝕む。余計な事はせず、もう少し寝ていようか。そんな風に思えてきてしまった。

 

 あと数センチ、手が届かない

 

 サイドテーブルに伸ばされた手がテーブルの縁をなぞる。空ぶった指先が木製のエッジにぶつかる。テーブルの冷たさが少し気持ちよかった。

 

 茶色のサイドテーブルに手を這わせながらやっとの思いで携帯を手に取る。ベッドの縁に腰掛け、寝起きで浮腫んだ顔でロックを解除する。リサとする前に来ていたメッセージを読んでなかったから確認しておく。案の定、葛飾からだった。

 

「もうちょっと、友達でいよう」

 

 少し上にある今日に予定を無しにした固い文章よりは随分柔らかい印象で、事実上のNOサインが書かれていた。いや、捉え方によってはOKサインではあるのだろう。YESでは無いだけだ。

 

 今日の10時頃に送られたメッセージにようやく既読をつけたものの、返事が思い浮かばない。なんて返さばいいのか分からない。

 

 その文章を見た瞬間、脳みそが止まってしまったのだ。続きを考えることが出来なくなった哀れな頭蓋骨が、中身をフル回転させて ようやく思いついたのが「うん」の2文字

 だ。ほんと、死ぬほど情けない。

 

「どうだった?」

 

 リサがまたスポーツドリンクを飲みながら言う

 

 葛飾から送られて来たメッセージだということは知らないはずなのに、随分と的確な質問だな。きっと察しのいいリサの事だ、言われなくても俺の反応でわかるんだろう。

 

 下着姿のリサの背中からは、本来あるはずの色気は見えなかった。どちらかと言うと哀愁の方が上回っていたのだ。

 

「友達でいよう、って」

 

 隠さずに、伝える。

 葛飾からのNOサインはこれからの俺と葛飾の関係にどういう影響を与えるのだろうか。帰り道にたまたま出くわしたとして、またいつもみたいに笑って話し合えるだろうか。

 

 水に流してしまうことなんて出来るのだろうか。

 覆水は盆に返れない

 

 また、リサを拒めなかったのに。

 葛飾とどんな顔で会うのだろう

 

「そういえばさ」

 

 リサが言う。

 葛飾の話題はお気に召さなかったようで、別の話題を探し始めたようだ。俺もリサとこの話題をずっと続けられる自信は無かったから、ちょうど良かったんだけれど。

 

「友希那、バンド組むんだって」

 

「まじか」

 

「マジマジ」

 

 また、薄っぺらい言葉を交わし合う。

 でも、薄利な言葉だとしても俺の胸の中にある意外さや驚きを表せる言葉は、あいにくこれしか持ち合わせていなかった。

 

 具体的な言葉が咄嗟に出てこないぐらいには、リサがいった言葉は俺を驚かせた。1回の舞台しか見ていないが、友希那がバンドを組んで その中で歌うのが、何となくイメージできなかった。

 

「メンバーとか、決まってんの?」

 

「1人、決まりそうらしいけど」

 

 じゃあ、まだ誰も決まっては居ないのか。きっと、友希那と組みたいやつは山ほど居るだろう。あのライブハウスで見た200人が熱狂した光景からして、想像に固くない。

 

 だが問題は、友希那が組みたいと思うかどうかだ。

 

 音楽の専門的な知識だとか、演奏をする側のマインドなんて俺にはあいにく理解できないけれど 友希那の性格上きっと妥協はしないはずだ、という事は容易に想像できた。

 

『はじめて、誰かのために歌った』

 

 そう、友希那は言った。つまり今までは自分の実力や、自分の魅力をどう観せるかに執着していたという事だ。リサから聞いた友希那のお父さんの件もある。余裕なんて一切無かったんだろう。

 

 だから、あの時『人形みたい』だと感じたんだ。中身のない、感情の入り切っていないその風貌が、痛々しさすら感じさせた。

 

「で、その決まりそうな人なんだけど」

 

 唇に人差し指を当てながらリサが言う

 

「なんか、無理そうなんだよね」

 

 多少、諦めも入ったような困った表情でそう続けた。友希那が組みたいと思うような奴って事は、相当実力がある奴なのだろう。そんな実力者だからこそ、簡単には行かないということなのだろうか。

 

「その人、違うバンドに入ってて」

 

 なんとなく、事情がわかった気がする。

 そのメンバーが手離してはくれないって事か。

 

「なるほどな」

 

 ベッドの縁から立ち上がる。

 勉強机に置いたままの昨日買ったまま飲んでなかったコーヒーの缶を開けて喉に流し込んだ。若干のぬるさと香ばしい味を感じつつ リサに問いかける

 

「その人、なんて名前なの?」

 

 なんとなく、気になった

 知ってなんになるって訳じゃないけれど、友希那がそんなに熱望する人の名前が、何となく気になった。

 

 未だベッドの縁に腰をかけた残り少ないスポーツドリンクを一気に飲み干したリサが、俺の目を見て言った

 

「氷川紗夜、って人」




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新派
17 洞察、水色の悪魔


氷川日菜の設定は完全にオリジナルです。
こっから、やっとオリジナルストーリーらしくなってきます


 いつもの憂鬱な月曜の帰り道の、さらに7割増の憂鬱を抱えながら自転車を漕ぐ昼下がり。

 

 昨日は親が帰る前にさっさと片付けをしてリサは雨の中帰っていった。俺とリサの関係は、前までの一方的な取り繕った状態から もっと歪んだものになっていた。

 

 そして、それを俺は拒まなかった。

 

『葛飾の事が好き』だという気持ちと『リサを拒まない』という矛盾した気持ちは、未だに俺の中で燻っているままだ。でも、意思でそれを「間違い」と認める事ができても、状況がそれを「間違い」だと糾弾することを許さない。

 

 事実として、俺はリサと関係を持ってしまった。そしてその償いを込めて、「リサの相談」に乗っている。そしてその「相談」は友希那の音楽にも関わっていて、友希那は自分の音楽を「俺への愛」として表現している。

 

 だから、俺は拒めなかった。

 

 この状況を招いたのは俺が2週間前にリサの家で、誘惑に負けたからだ。だから、せめて最後まで友希那の音楽と、リサの手助けをしたい。

 

 それから、全部片付いてから

 葛飾にもう一度、気持ちを伝える。

 

 葛飾はもう既に俺の気持ちを偶然聞いてしまったけれど、でも。現状はまだ、葛飾とは友達同士のままだ。縁が切れたわけじゃない。

 

 まだ、間に合うはずだ

 

「あれ、想じゃん」

 

 考え事をしながら自転車を漕いでいたら 俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。視線の先にはこちらに向かって手を振るリサがいた。そして、その横にはもう1人 知らない女の子が居た。

 

「リサ......」

 

 思わず声がこぼれた

 自転車を停め、手で押しながら2人の元へ向かう。

 自転車を押す腕にかかる少しの負荷が辛い

 

「リサちー、この人だれ?」

 

 もう1人の子が、リサに聞く。

 まぁ そりゃそうなるよな、知らない奴が急に歩いてきたらそういう反応になるだろ。

 

「アタシの幼馴染なんだ〜」

 

 葛飾の時と違って『幼馴染』と自分の事を評した、前は『昔からの友人』と言ったのだが リサの中で、どういう心境の変化があったのだろう。

 

 曖昧に納得したもう1人の、水色の髪の女の子は少し煌めいた瞳で俺の目を見た。俺の中身を見透かしたような、そんな視線だった。

 

「あ、ごめん アタシそろそろバイトだ」

 

 腕の内側につけた若者っぽいデザインの時計を見ながら慌てた様子でリサが言う。

 

 おいおい、まさか俺とこの子の2人きりにするつもりじゃないだろうな。めっちゃ気まずいんだけど。

 

「想、ヒナ、ごめんね」

 

 手を振りながら慌てて走っていくリサ、笑顔で手を振る『ヒナ』と呼ばれた女の子、その様子をただ眺めている俺。

 

 不安が的中して、2人きりにされてしまった。友人の友人と2人きり、なんていう余りにも気まずい状況に置かれてしまった。

 

「えーっと」

 

 このまま話し続けるのも気まずいし、黙ったまま居続けるのも気まずい、更には逃げるように別れたとしても結局は気まずいのだ。

 

 あぁ、なんて事をしてくれたんだ

 

「想くん、だっけ」

 

『ヒナ』が少し言葉尻の上がった不安気な疑問形で、リサが発した俺の名前を呼んだ。

 

 さっきの、見透かしたような瞳がまた俺の目を貫いた。思わず身震いをしてしまいそうになるその視線に射抜かれた俺は、まるで蛇に睨まれた蛙だ。

 

「『氷川紗夜』の事、聞きたい?」

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 白いテーブルに肘を着いて周りを眺める

 だいたいの学校が終わった学生達が1番動き出すこの時間帯にふさわしい、学生だらけのフードコートが視界に入ってくる。

 

 ため息をつき、目の前でサイドメニューのフライドポテトを食べる『ヒナ』。つい、『氷川紗夜』の名前につられて一緒に来てしまったが、果たして本当にこの女の子が知っているのだろうか。

 

「なんで俺が氷川紗夜を探してること、知ってんだよ」

 

 つい、語調が崩れてしまう。

 この場所に着くまでにも何度か聞いたのだが、曖昧にはぐらかされてしまい 結局ここまで付いてきてしまった。本当に大丈夫なのだろうか。

 

「リサちーが探してるから、そうかなって」

 

 ポテトを食べながら暇そうに言う『ヒナ』

 その様子を100円の安いコーヒーを飲みながら眺める。ただ色がついただけのお湯みたいなコーヒーの入った紙コップを握る、結構熱い。

 

「で、その氷川紗夜の事教えてくれるのか」

 

 言ったあと、もう一度喉に流し込む

 俺の言葉を聞いた『ヒナ』は頬杖をつきながら一気に三本のポテトを口に入れた。さっきまではちまちまと1本づつ食べていたのだが、どうやら痺れを切らしたようだ。

 

「もう、もっと楽しい事話そうよ。例えば」

 

 舌で口の周りについた塩を舐め取りながら、言う『ヒナ』。その表情はやけに挑発的で、俺の心を逆撫でた

 

 でも、

 

「キミとリサちーの事とか、さ」

 

 その言葉で、

 沸き立った俺の感情は一気に冷え固まった。

 

 なんで、その事知ってるんだ

 

「あ、その顔いいね」

 

 ニヤニヤしながらそう言う『ヒナ』

 

 まさか、リサがあの事を話したのか。でも、リサがそんな事するはずが無い。けれど、俺とリサ以外はその事を知らない。じゃあ、なんでコイツが知っているんだ。

 

「私さ」

 

 俺の沈黙に飽きたらしい目の前の小悪魔みたいな少女が、つぶやく。さっきまで周りの声が煩いぐらいだったが、もう『ヒナ』の声しか聞こえなくなってしまった。

 

「人の考えてること、何となくわかるんだ〜」

 

 本当か嘘か、定かではないが 嘘を言ってるようには思えなかった。事実、俺とリサの事を知っているようだし 本当なのだろう。

 

「......結局、お前は何がしたいんだよ」

 

 わざわざ俺と2人でこんな所まで来たんだ、なにか理由があるはずだ。じゃないと、こんな面倒臭い事はしないだろう。道端で話せないような 理由があるんだろう。

 

「話が早いね、私のお願いは〜」

 

 間延びした、人を舐めたようなそんな声で『ヒナ』が言う。右の人差し指を出しながら空中に何度も円を描きながら、俺の事を焦らす。

 

 

 その瞬間、俺の右腕を誰かが掴んだ

 

 ぎゅっと握られたその感覚に心臓が飛び跳ねる。

 目の前の『ヒナ』が握ってきたわけじゃない。現に『ヒナ』は驚いた表情で俺の右側を凝視している。

 

 

 誰だ、そう思いながら振り返る

 

 

「随分楽しそうね、想」

 

 左手で俺の右腕を掴みながら

 うっすら微笑んだ、友希那がそこにはいた




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18 邂逅、募る違和感と出会い

登場キャラが増える増える


 友希那が来るまでは、4人がけのテーブルにヒナと向かい合って座っていたのだが 俺が1個左にズレて、元々俺が座っていた席に友希那が座り。友希那とヒナが向かい合う形になった。

 

 突然俺の腕を掴んで現れた友希那に大体のあらすじを話した所、氷川紗夜の事を聞けると知ったので俺たちと相席することにしたらしい。

 

「で、ヒナ」

 

 視界の右側で、友希那が睨んでくる。

 しょうがねぇだろ、下の名前しか知らないんだから

 

「お前のお願いって、結局なんなんだ」

 

 友希那の事は一旦無視してヒナにさっきの続きを促す。友希那が来る前に話していた、俺の汚点をチラつかせてまで頼みたい『お願い』の事だ。

 

 残り少ないポテトを啄みながらこっちを見るヒナ、今はあの時みたいな見透かす目じゃない。まるで俺の事なんて見てないかのような力の入って無い気だるげな視線で俺を見る。

 

「私のお願いは」

 

 少し上を向きながら、ヒナが口を開く

 

「お姉ちゃんを今のバンドから抜けさせて欲しい」

 

 ようやく聞けたヒナのお願い。でも、いまいち見えてこない。それと氷川紗夜がどう関係するんだ

 

「お姉ちゃん?」

 

 とりあえず、いまいち不明瞭な『お姉ちゃん』について確認する。友希那も俺と同じ事を疑問に思っているようで、視界の端で無表情ながらも少し瞳を震わせていた。

 

「あー、そういえば私の名字言ってなかったっけ。私、『氷川日菜』っていうの」

 

 左手は頬杖をついたまま、右手をぷらぷらさせながら言うヒナ。なるほど、だから氷川紗夜の事をコイツが知っているのか。

 

「氷川紗夜の妹の貴方が、なぜそんな事を頼むの?」

 

 急いたように切り込んだ友希那。単純な疑問と、俺と日菜の見えない距離感についても少し苛立ちを感じているような友希那は少し語気が強い。

 

 賑やかな楽しい雰囲気のフードコートの中心に似つかわしくない少しシリアスな話題に少し退屈げな日菜は、ポテトを食ってばっかだ。

 

「今のバンド、面白くないから」

 

 ポテトを食べ終えてしまった日菜が漸く口を開く。少し、物欲しそうだった友希那の瞳がふっと揺れる。多分、目の前で食べられて自分も食べたくなったんだろうけど 言い出せなかったんだな。

 

「だったら、アナタとお姉ちゃんが組んだバンドの方が面白そうだなって思ったんだけど」

 

 どうやら、人の考えがわかるっていうのも妄言じゃないらしい。現に日菜は、友希那がバンドを組もうとしている事を知っている。これはリサから聞いただけかもしれないけれど、俺の中ではひっそりと日菜の発言の信憑性を上げていた。

 

「たしかに、あのバンドはお遊びだもの」

 

 日菜と同じように厳しい評価を下す友希那。でも、何となくこの2人の意見は 別の角度から下されたように感じる。この少ないやりとりでわかった日菜の性格上、友希那のような音楽への姿勢が『面白くない』という訳では無いことは何となくわかった。

 

 単純にそのバンドのメンバーの事が、気に食わないのだろう

 

「具体的に、どうするんだ」

 

 日菜だけじゃなく、友希那にも向けて言う。お互いに意思は伝えあっているのだが、具体的にどうするかはまだ不透明なままだ。

 

「とりあえず紗夜には実力を見てもらうために、この前のライブに来てもらったわ」

 

 あの『vinyl』のステージか。他にも何曲か歌っていたのだが、正直『vinyl』の印象しか残っていない。それほどまでに、あの歌は強力で、俺の記憶を盲目にさせていた。

 

「その返事は、今日聞くことになってるわ」

 

 あぁ、だからか。

 

 1人納得する。偶然 友希那とショッピングモールのフードコートで会った事になんとなく違和感があったのだが、氷川紗夜との待ち合わせに使っていたらしい。

 

「え、お姉ちゃん来るの?」

 

 さっきまでの余裕げな表情から一転して、少し慌てた様子の日菜。頬杖をついていた左手を机から離して少し背筋を伸ばす。

 

「えぇ、もうすぐ着くそうよ」

 

 毅然とした態度でそう返す友希那。

 その言葉を聞いて、日菜が身支度を始めた。

 どうやら余程 姉と会いたくないみたいだ。

 

「私が居たこと、内緒にしといて」

 

 急いで支度を済ませ、カバンを手に取りながら謝るような素振りを見せる日菜。聞きたいことは他にもあるのだが、有無を言わせないその態度が俺を無口にさせた。急いでこの場から離れる日菜、それを黙って見送る友希那。

 

 姉妹って、こんなにギクシャクするもんなのか。一人っ子の俺には理解できない光景だった。もっと仲の良いものだと思っていたのだが、そうでは無いらしい。

 

「ごめんなさい、少し遅れました」

 

 日菜と入れ違いに、日菜と同じ髪色の女の子がやって来た。きっと、氷川紗夜だ。さっきの明るい日菜を見たあとだからか なんとなく、暗い印象だ。

 

「俺、席外すわ」

 

 話していた日菜も居なくなったし、友希那と氷川紗夜の話し合いを邪魔したくない。いくら友希那の手助けをしたいからと言って、2人の話し合いまでに首を突っ込むのも違うと思う。

 

 支度をしながら席を立つ

 引き止めないあたり、俺が居てもしょうがない事がわかっているのだろう。

 

「じゃあな」

 

 友希那に手を振って背を向ける。そんな俺の様子を不思議そうに眺める氷川紗夜、手を挙げて答える友希那。

 

 2人の視線を受けながら4人がけのテーブルから距離を取る。手に持った空の紙コップを捨てるためフードコート内のゴミ箱に向かう。

 

「あの...!」

 

 その途中で、後ろから声が聞こえた。

 自分への声じゃ無いかも知れないが、一応振り向く。そこには紫色のツインテールの女の子が居た。

 

「.あ、俺?」

 

 いきなり見知らぬ女の子に話しかけられる事に戸惑いながら確認をとる。俺の声に激しくうなづきで応答する姿は、滑稽というか可愛げがあるというか、とにかく少しマヌケに見えた。

 

「あの、お兄さんって」

 

 両手を握って、体の前に出しながら言う紫ツインテールの女の子。少し興奮した様子の女の子の迫力に、若干押されつつ聞く。

 

 フードコートの端で、周りの人間も沢山いる中 少し大きめの声で続きを紡いだ。

 

「友希那さんと付き合ってるんですか!?」




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19 契約、悪魔との約束

セリフが多くなりがちです。

評価読むだけでモチベが上がる。


「いや、違う」

 

 目の前のツインテールにそう言う。俺と友希那が付き合ってる、と誤解しているらしい。フードコートに設置されたゴミ箱を背にして、ツインテールの目を見る。

 

「俺と友希那はただの幼馴染だ」

 

 友希那の方を指さしながら、説明する。指を指した先にはさっきまで座っていたテーブルで氷川紗夜と2人で話をしている友希那がいた。遠目から見ていてもわかる、明るい雰囲気では無い。そもそも友希那が明るい人間じゃないのもあるが、氷川紗夜の表情が少し暗いのだ。

 

 さっきの、日菜とは大違いだな。

 

「あ、そうだったんですね」

 

 少し落ち着いた様子の少女、さっきまで上げていた手を下ろし 握られていた拳も広げる。落胆と安堵が入り交じったような微妙な反応に、何も悪い事はしてないのだが 申し訳ない気分になる。

 

「私、宇田川あこって言うんですけど」

 

 気を取り直した様子のツインテール、宇田川あこ は聞いてもないのに自己紹介を始めた。日菜とは違って、先に自分の名前を名乗ってくれるらしい。

 

「私を、友希那さんのバンドに入れてくれませんか?」

 

 さっきまでの気の抜けた表情を変え、真剣な表情で俺の目を見て言う。それと同時に、俺の携帯が震えた。2人の視線がその携帯に吸い寄せられる。

 

「ごめん、携帯見ていい?」

 

 宇田川の了承をとり、送られてきたメッセージの内容を確認する。送り主は友希那だった

 

「その子、だれ?」

 

 あいつ、どこに目が付いてるんだよ。友希那がいるテーブルに視線を向けるが、友希那はこちらを見ているわけでもなく 氷川紗夜と向き合っている。どうやって俺と宇田川の会話に気づいたのだろう。

 

「お前のバンドの加入希望者だって」

 

 急いで友希那にRINEを送り、連れていく事を伝える。どうやら話し中、という訳でもないらしいので1人増えても問題ないだろう。

 

「宇田川、友希那のとこ行くぞ」

 

 一瞬戸惑った様子だが、すぐに表情は明るくなり威勢よく返事を返してきた。小動物みたいな宇田川を引き連れ友希那のいるテーブルに向かう。後ろにピッタリくっついて行進する姿は、どこぞのRPGみたいだ。

 

 なら、俺が勇者でこいつは魔法使いとかかな。

 俺には、勇気なんて無いけど。

 

 すぐにネガティブな考えを運んでくる脳内連想ゲームをしているうちに友希那達のいるテーブルに着いた。まだいたのか、と言わんばかりの氷川紗夜の表情が肌に刺さる。

 

「友希那、こいつがお前とバンド組みたいって」

 

 氷川紗夜の視線は無視して、あくまで友希那に向かって告げる。多分、この場の雰囲気を見る限り 話し合いは上手く言ってないのだろう。リサから聞いた話だと、氷川紗夜の入っているバンドがコイツの事を手離したくないらしい。

 

 友希那が欲しがるような人材だ、一筋縄ではいかないのだろう。

 

「......その人が?」

 

 冷たい視線を向け、宇田川を品定める。

 その視線を少し萎縮した様子で受け止める宇田川。

 

「じゃ、俺帰るから。がんば」

 

 取り繕うみたいに別れの言葉を並べ、逃げるみたいにテーブルから離れる。宇田川の不安そうな視線と、氷川紗夜の今日何度めか分からない不思議そうな目、友希那の冷たい視線、その3つを背中で受け止めながら出口へと向かう。

 

 宇田川には申し訳ないが、俺が友希那のバンドの加入を勝手に決める訳には行かないし こうするしか無かったのだ。

 

 1人で言い訳をしながらショッピングモール内を進む。フードコートを出て、女性物の服屋がたくさん並ぶフロアを抜け どれがガラスでどれが自動ドアか、イマイチ分からない出入り口を抜け、駐輪場へ向かう。

 

 少し傾いた陽の光が目を刺す。

 その光に抗うように瞼を下ろし、視界を絞りながら自分の自転車を停めた辺りを 30分ほど前の記憶を辿りながら目指す。そこまで迷う要素の無い駐輪場に置かれた自分の自転車を見つけるのは、そう難しい事ではなかった。

 

 だが、

 

「あ、やっと来た」

 

 俺の自転車のイスを触りながらこちらに向かって手を振る日菜の姿には、理解は及ばなかった。姉が来るから、と言って逃げるように帰った筈なのだが。

 

「やっぱ、男子の自転車のイスって高いんだね。座って待とうと思ったのに」

 

 笑いながら、まるで友達みたいにそう言ってくる日菜の姿はどこかアンバランスで、不気味で、気味が悪かった。

 

「なんの用だよ」

 

 俺と日菜以外に誰もいない駐輪場。

 リサと俺の事を勘づいているらしい日菜には、無意識に語調が荒くなってしまう。そんな少し崩れた俺の話し方を、笑いながら受け止める日菜。

 

「あれ、お姉ちゃんの事聞きたかったんでしょ? まだなんも教えてないじゃん」

 

 確かにコイツのお願いを聞いただけで、氷川紗夜について何も知らなかった。今わかっているのは名前と、バンドに入ってる事と、そのバンドを日菜も、友希那も、快く思ってない事ぐらいだ。

 

「だから、教えてあげようと思って待ってたんだけど」

 

「あー、ありがと」

 

 人差し指を唇にあてて言う日菜に、少し食い気味に感謝の言葉を言う。なんとなく、葛飾と雰囲気が似ている。それは髪型が似ているせいなのか。それとも。

 

『こいつが意図的に真似ている』からだろうか。

 

「とりあえず、今のお姉ちゃんのバンドの事なんだけど」

 

 もう一度、俺の自転車を叩きながら言う日菜。やめろよ、人の自転車叩くの。

 

「バンドの名前は『Reeves Rose』っていうの」

 

 リーブスローズ、か。どういう意味が込められているかは分からないが綺麗な名前だな。なんて言うか、オシャレで。

 

 斜陽を背にしながら俺の自転車の椅子を指でトントンと叩きながら日菜が続きを言う。

 

「リーダーでベースボーカルが『神田咲』、ドラムが『江戸川 美雪』、両方ともうちの高校の2年」

 

 淡々と必要な情報を言っていく日菜は、どこか事務的でさっきまでの悪魔みたいな、ふらついた怪しさはなかった。

 

「で、想くんへのお願いは一つだけ」

 

 自転車から手を離し、携帯を操作しながら近づいてくる。日菜の表情には何も映っていない、ポーカーフェイスってやつだ。

 

 そして、俺の目の前に携帯を差し出す。

 表示されているのはRINEのQRコードだ。

 

「私の代わりに、その2人からお姉ちゃんを引き離して」

 

 わざわざ、友希那の前で言わなかった意味がわかった。こいつにとって俺は、ただの都合のいい人間なのだろう。当たり前だが、これからバンドを組む友希那が氷川紗夜に嫌われてしまっては意味が無いし、リサにも頼みずらい。

 

 そして自分自身が手を汚すのは嫌だ。だから、弱みも握っている俺が適役だったのだろう。

 

「大丈夫、私も手伝ってあげるから」

 

 また、こちらを見透かすような視線でこちらを見る。

 安心させるような声で、それでいてどこかこちらの事を嘲笑ってるみたいに、日菜が言う。

 ほんとに、悪魔みたいだな




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20 霹靂、差し金はドミノを倒す

文字数が少なくなりがち
評価とかしてくれてもいいんですよ


 自分の部屋で、1人 ため息を零す。

 

 過剰に消臭剤を撒いたなんとも言えない自室の匂いを嗅ぐ。嫌な匂いでは無いんだけど いい匂いとも思えない、新品の家具を置いた時のような曖昧な匂いが鼻をくすぐる。

 

 身を預けた 昔から使っている学習椅子を軋ませながら両手で携帯を抱えるように操作する。左上に『Hina』と書かれたRINEのトーク画面、1分の等間隔で送り合う文字列のメッセージはまるで仲のいい友人のようにも見えるが、実際のところは今日たまたま知り合っただけのほぼ他人だ。

 

「なんでお前、姉ちゃんと仲悪いの」

 

 テンポよく送りあっていた会話が、この文章を送ったっきり 途切れてしまった。

 

 駐輪場で日菜に改めて『お願い』を言い渡されてから、俺と日菜はRINEを交換した。「Reeves Rose」のメンバーである神田や江戸川と接触するためには、日菜と連絡先を交換しておいた方が便利だし、異論もなかったので素直に応じたのだが。

 

 やっぱ、コイツは苦手だ

 

 掴みどころの無いような会話だったり、どこか他人に興味が無いような雰囲気だったりが、円滑なコミュニケーションの邪魔をしている。

 

 それに、いつ地雷を踏み抜くか分からない。

 

 ちょうど今がそうだ。多分、日菜に取って姉、「氷川紗夜」の存在は地雷なのだろう。姉が来るとわかっただけであの慌て方なのだ、容易に想像はつく。でも、あえて俺はその地雷を踏み抜いた。

 

 なぜなら、

 

 きっと。今回の件は友希那と「Reeves Rose」だけじゃなく、『氷川日菜』と『氷川紗夜』の問題でもあるはずだ。じゃないと、わざわざ俺や友希那を巻き込んでまで氷川紗夜とあのバンドを引き離したりしない。

 

 そうまでして、『氷川日菜』には達成したい目的があるはずだ。

 

 一体、あの2人の姉妹の間に何があるのだろう。異常なまでの距離感は、何が原因なのだろう。

 

 考え事をしていた脳を、両手の感覚が叩き起す

 

 通知で震えた携帯の上部に緑色の表示が出る。日菜とのトーク画面を開いているのに通知が出るってことは、送信主が日菜じゃないって事だ。

 

 送り主は、友希那だった。

 

「玄関まで来て」

 

 一瞬、メッセージの意味がわからなかったのだが。何秒か使ってようやく理解出来た。今、アイツが俺の家の前に居るのか。

 

 きっと、インターホンを鳴らす事に躊躇したんだろう。現在の時刻は7時前、ご飯を作ってくれている母さんがチャイムの音を聞いたら迷惑だろうという、友希那なりの配慮だと推測した俺は、急いで自分の、二階の子供部屋から玄関へと向かう。

 

 まるで、昨日のリサの時みたいだった。

 

「ごめん、おまたせ」

 

 玄関のドアを開けながら、友希那に言う。

 風呂上がりの前髪をヘアゴムで縛り、適当な部屋着を着ただけの味気ない服装で友希那を前にする。一瞬俺の格好に驚いたような仕草を見せた友希那だったが、すぐに元の無表情に戻った。

 

「大丈夫よ、突然押しかけたのは私だもの」

 

 澄ました声でそう言う友希那。視線は俺の目、じゃなくて俺の前髪に向いている。リサが久々に俺の前髪をくくった昨日から、俺は家では前髪をくくるようにしている。

 

 懐かしい感覚が、心地いいのだ。

 

「それ、似合ってるわよ」

 

 口を緩ませながら言う友希那。

 少し馬鹿にしたような物言いに、腹が立つ事は無かった。むしろ、安心すらしていた。

 

「で、わざわざここに来た理由なのだけれど」

 

 気を取り直して言う友希那。

 緩めていた口をきゅっと結んで俺の括られた髪から、俺の目を見つめる。

 

 日の落ちた薄暗い、ポツポツと街灯がつき始めた住宅街を背景にした友希那の姿は、2日前のあの姿を思い起こさせた。

 

『葛飾さんから、奪ってみせる』

 

 あの日の友希那の声や、ココアの味が一瞬で蘇る。

 暗闇の中に見た葛飾の涙、ベンチで一緒に歌った『Sorrows』、握り返した手の温度。

 

 全部、覚えている。

 

「宇田川さんの加入は認めたわ」

 

 思い出の中の友希那では無く、目の前にいる友希那がそう言う。やっぱり、氷川紗夜は加入してくれなかったのか。

 

 でも、宇田川はちゃんと友希那と組めたみたいだな。

 

「あと、紗夜の事なのだけれど」

 

 友希那が続きを言う前に、俺のポケットに入っていた携帯が通知音を鳴らす。会話の途中で携帯が鳴るの、今日で2回目なんだけど。

 

「......見ていいわよ」

 

 少し不貞腐れたような目で俺にそう言う友希那。

 その言葉に甘えさせてもらうとしよう。スエットのダボついたポケットの中に入った携帯を取り出しRINEを起動する。

 

 日菜からのメッセージだ。

 

「そんな事より、いいニュースだよ」

 

 俺の質問に既読無視を長い間決め込んだくせに、『そんな事』と一蹴するだなんて。

 

「ごめん、続けてくれ」

 

 日菜とのトーク画面を見ながら友希那に言う。どうせアイツの事だ、たいした事ないニュースだろう。そう思いながら視線を前に向けると、友希那が俺の携帯を覗き込んでいた。

 

「『Hina』...紗夜の妹ね?」

 

 背筋が凍るような声で友希那がそう聞いてくる。

 そんな俺の前に広がる光景とは対照的に、気の抜けたRINEの効果音が鳴る。

 

「お姉ちゃんのバンドがライブするんだって」

 

 その送られてきたメッセージを、友希那と2人で見る。

 

「想」

 

 携帯からゆっくりと視線をあげ、俺の目を見る友希那。あの時の俺の記憶通りの、静かな熱を宿したような目が俺の目を見据える。

 

「そのライブ、一緒に行ってくれるわよね」

 

 逆らいようのない、命令のような言葉だった




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21 馴致、ゴミ箱の倫理観

またゆっくり、話が進みます。
少し忙しいので毎日投稿は出来なくなりそうです。


「ごちそうさまでした」

 

 食卓に並んだ家族三人分の食器たちを眺めながら言う。玄関でほぼ命令のような誘いを受け、来週の土曜日は氷川紗夜のいる『Reeves Rose』の出演するライブを見に行く事になった。2週連続でバンドのライブ見に行くなんて思ってもみなかった。

 

 まぁ、想像も出来ない事は 何回も起きてるんだけど

 

 リサとの夜や公園での出来事は、半ば非現実的ですらあった。リサとの間にあった『アタシの相談』だけが頼りの脆弱な関係性は開き直ったみたいにより異質なものに。友希那からは宣戦布告を受け、葛飾とは既存の友人関係からより1歩引いた 曖昧な関係になってしまうなんて

 

 ほんと、想像もしてなかった。

 

 失ってから気づくものなんてありやしないと、そんなもの詩や歌の中だけだと思っていた。でも、違ったみたいだ。当たり前のように食いつぶしていくこの一瞬一瞬が、取り返しのつかない過ちになる事だってありうるんだ。

 

 昨日の事を、後先なんて考えず 友希那の事も葛飾の事も忘れてお互いを求めあった.傷口を作りあったとも言えるあの事を、もう一度思い出す。

 

 俺のベッドに転がった、目を両腕で隠し 俺の名前を呼ぶだけのプログラムに成り下がった 燃え滓みたいな肢体が側頭葉に張り付く。

 

 汗なのか、涙なのか、それとも粘膜から這い出た下賎な卑しさが作ったのか、判断のつかない汚れがこびりついた肌をお互いに擦り付け合うような、不毛なピロートークが虚しい。

 

 あの瞬間に、きっと俺とリサの関係は変わりきったのだろう。リサの家に泊まった日に交わした「友希那の事の相談」で保たれていた幼なじみの、友人同士の関係はあの瞬間にねじ切れてしまった。

 

 そして、その事を氷川日菜は知っている。

 

 携帯を取り出して、日菜とのトーク画面を開く。友希那の目の前で送られてきたあの文章への返信を、まだできていないのだ。友希那と玄関で別れたあとすぐ親父が帰ってきたから 返信する暇がなかったのだ。

 

「友希那とそれ行くわ」

 

 1時間近く放棄していた返信をようやく済ませて、自分の分の食器をステンレス製のシンクに運ぶ。蛇口を上げ 食器の中の水位をあげていくにつれて、張り付いていた油が少しづつ浮き上がっていく。

 

 その様子をぼんやり眺めなていたら、携帯が鳴る。日菜、返事早いな なんて思いながらのろのろと携帯を取り出す。

 

 送信者は、日菜ではなく葛飾だった。

 

「ねぇ、今大丈夫?」

 

 漠然とした質問

 でも、何が言いたいかはわかった。

 

「大丈夫。いつでもいいよ」

 

 蛇口から出る冷水で手を洗い流し、携帯に返信を打ち込む。タオルで画面と自分の手を拭き、リビングから足早に立ち去り自分の部屋に向かう。

 

 葛飾が『大丈夫』かどうか聞いてきた時はきっと『電話をかけても大丈夫』かどうかの確認だ。経験則で、なんとなくわかる。

 

 階段をのぼりながらイヤホンを耳につけていたら、案の定携帯の画面に大きく『れな』と名前が書かれた着信画面が表示される。勢いよく緑の受話器をスワイプし、着信に応じる。

 

「もしもし、中野くん?」

 

 電話越しの角ばった音声でもわかるほど、控えめに震えた声が耳を打った。わずか数日だが、途方もなく感じるほど聞けなかった葛飾の声に 安堵する。

 

「もしもし、葛飾?」

 

 階段を上がりきり、自室のドアノブに手をかけながら言う。

 

 でも、

 何故か俺の手が ドアノブを回すことは無かった。そのまま廊下の壁に背中をつけて、薄暗い 冷えた廊下に立ったまま 部屋に入る事を選ばなかった。

 

「急に電話とか、どうしたの?」

 

 葛飾にバレないように 平静を装った息継ぎ混じりの質問を口から吐き出す。手の先が痺れるみたいに冷たい、心臓から送り出された血液の熱さだけが じんわりと腕に流れ込む。

 

「......今日、学校で会って話せなかった事があったからさ。なんか、文字で言うにも嫌だったし 電話したいなって思ったから」

 

 ゆっくりと言葉を探りながら紡いでいくような、そんな葛飾の声と どんどん拡がっていく指先の痺れが体をさらに硬直させる。緊張や動揺が滲まないように、何故か息を止めながらその声を聞いていた。

 

「そっか」

 

 自分でもびっくりするぐらい素っ気ない返事が、残り少な肺の中の酸素と一緒に廊下内の大気に霧散する。反響した自分の声が、信じられないぐらい冷たかった。

 

 葛飾はすぐに返事を返してこない。この決まりの悪い沈黙が、避けに俺の肺を圧迫していった。

 

「......私ね」

 

 やっと聞こえた葛飾の声と一緒に、音が出ないようにゆっくりと肺に空気を溜め込む。まるで深呼吸みたいな、息継ぎのような不格好な呼吸は、さぞ滑稽だろう。

 

「中野くんに沢山お友達がいるなんて思わなかった」

 

 失礼な、と思ったのだが きっとこの『お友達』っていう表現は 言葉通りそのまま受け取るべきものでは無い事ぐらいは 直感的にわかった。

 

「私ぐらいだと、思ってたんだ」

 

 黙ったまま、葛飾の声を聞く。

 言葉尻を不格好に、過剰に吐きでた息と共に揺らす。不安と緊張とが入り交じったような声は、余計俺の手の痺れを加速させた。

 

「だから、さ」

 

 不自然なほどに言葉を切りながら、啄むように たどたどしくつぶやく。おぼつかない足取りで俺の元に歩み寄ってくるような、そんな葛飾の姿が 何となく浮かんだ。

 

「想くん」

 

 初めてかもしれない、葛飾が俺のことを名前で呼んだのは。友達やリサ、友希那、日菜、色んな人間に呼ばれてきた むしろ苗字よりも遥かに呼ばれた事が多いはずの『想』という名前。

 

 でも、葛飾の口から発せられたその『想』という声は、果てしないほどに違和感があった。

 

「......麗奈」

 

 そして、俺の口から出た『麗奈』という言葉も、同じぐらい違和感があった。気味悪ささえもあった。

 

 お互いの名前を呼び合い、さっきよりも湿った 生暖かい沈黙が包む。

 

 そして、

 

「これから、さ」

 

 葛飾の声と同時に、携帯の通知欄に新しい緑のアイコンが増えた。送り主は、リサだ。

 

「毎日、一緒に帰らない?」

 

 そんな葛飾の提案と、リサのメッセージの内容が同時に脳ミソに流れてくる。

 

「アタシも友希那と一緒について行ってもいい?」

 

「うん、わかった」

 

 葛飾の提案に対しての返事を口から出しながら、全く同じ文章を携帯に打つ。イヤホン越しから聞こえてくる嬉しさが滲み出たようなため息を聞きながら、リサにメッセージを送信する。

 

 手の痺れは、いつの間にか消えていた。




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22 懐古、見えない言葉

ランキング乗ったおかげで色んな方の目に止まったみたいですけど、ランキングに乗ってることよりここまでちゃんと読んでくれてる方が居ることの方が遥かに嬉しい。


「じゃあ、また学校で」

 

 葛飾との電話を切る

 背中はまだ、廊下の壁に預けたまま 鬱屈した肺の中の空気を追い出すみたいに 上を向きながらため息をつく。携帯を持った右手と開きっぱなしの左手をだらんと放り出し、胴体にぶら下がっただけの両手がゆらゆらと揺れる。

 

 本来なら、喜ぶべきことだ。

 

 でも、喜べない。

 

 未だに俺は葛飾...麗奈と向き合うための心の準備や、取り戻すべき面子を持ち合わせていない。あの公園で泣かせた麗奈や、友希那の気持ちを片付けきれていない。

 

 あの時友希那から言われた言葉が、まだ忘れられていない。

 

『好きって言葉の意味、わかってる?』

 

 解ってたつもり、そしてそれを再確認したつもりでも、結局またリサを拒む事が出来ずにいた。そして、友希那の手伝いやリサの相談にのることで、自分の罪悪感を無くそうとしている。

 

 また、自分勝手だ。

 

 通話終了を伝える液晶を操作してトーク一覧に切り替える。上から『れな』『りさ』『Hina』『友希那』の順で並んでいる。その光景が、心情と行動の乖離を表していた。

 

 麗奈の事が好き、だなんて 自分にも周りにも言いふらしているのに 他の異性との関係に恥じる事もせず甘んじている。

 

 昨日のリサの言葉を思い出す。

 

『辛かったんじゃないかな?』

 

『私もわかるよ』

 

 同情のようで、その実俺の首を締めて緩めない言葉。ナイフではなく、麻紐のような言葉がまだ俺の首元にぶら下がっていた。外そうにも外れないその首飾りが、鬱陶しいようで、でも煩わしさは無かった。

 

 昔、自分が好きだった相手が俺の事を望んでいる状況が 無責任ながら嬉しかった。

 

 もしかしたら、友希那の気持ちから逃げるためじゃなく リサの気持ちから逃げるためのものなのかもしれない。この、「好き」という気持ちは。

 

 自分自身で自覚が無いだけで、無意識のうちに利用していただけなのかもしれない。その気持ちが、今 本物になりつつあるのかもしれない。

 

 そんなイタチごっこの推論を捏ねくり回しているうちに、すっかり足先は廊下の冷たさに充てられてしまっていた。蒸れた冷気が土踏まずを満たしていく。その寒さから逃れるみたいに、自分の部屋に入る。

 

 部屋の中の空気には、まだあの時の燃え滓が残っていた。

 

 右手にはトーク一覧を表示したままの携帯、左手はまだドアノブを握ったまま。無音を貫いているイヤホンを、未だに耳につけている。

 

 灯りのついていない部屋は廊下から入ってくる照明の光で、手前の部分だけが明るい曖昧な暗さだ。その暗さの中、探るみたいに液晶から出る光を懐中電灯のように使って照明のスイッチを探す。

 

 壁にスイッチが着いていればいいのだが、部屋の照明はリモコンで管理されているのでいちいち探し当てなければならない。更に、定位置を決めておけばいいものを リモコンを使った後は毎回違う場所に放置してしまう。

 

 携帯を片手に行方不明のリモコンを探していると、携帯が震えた、ついでに無音だったイヤホンからもベルの音が聞こえた。

 

 薄暗い部屋の中、やけに強い液晶から出る光に目を細めながら確認する。麗奈からでも、リサからでもなく、日菜からだった。

 

「お姉ちゃんとの事、聞きたい?」

 

 友希那と玄関で会う前に日菜に送ったメールを思い出す。「そんな事」という言葉で一蹴した筈の「そんな事」を、今更引き戻してくるのか。でも、興味はある。

 

「聞きたい」

 

 短く、そう返信を送る。

 リモコンを探す事を忘れて暗い部屋の中、辛うじて探し出したクッションの上に座って日菜からの返事を待つ。

 

 でも、返信は来なかった。

 その代わり、日菜から電話がかかってきた。

 

 麗奈とは違って「大丈夫?」とか、確認を取ることをしない一方的な着信は まだ知り合って数時間程度なのだけれど『らしさ』を感じさせるものだった。

 

「もしもし」

 

 そんな無遠慮な着信に応じ、こちらも少しぶっきらぼうに言う。麗奈の時とは大違いの、愛想の無い声音にも全く動じない日菜。ほんと、『らしい』な。

 

「そんなに私と電話したかった?」

 

 巫山戯たトーンでからかってくる日菜。

 

「お前がかけてきたんだろ」

 

 友人みたいな軽口の殴り合い、俺の返事に「そうだったっけ?」なんて調子の良い言葉を重ねてくる日菜は、面と向かって話す時よりも幾分か話しやすかった。

 

 あのフードコートでの悪魔みたいな表情や仕草を見ないで済むだけで、だいぶ気が楽だ。

 

「で、お姉ちゃんとの事なんだけど」

 

 お巫山戯から話を戻す日菜、まだ少し 声音が戻りきってない半笑いのような声で、イヤホン越しでもなんとなく日菜の表情が伺えた。

 

「私、実は普通とちょっと違うんだ」

 

 それは、言われなくても解っていた。

 普通の人間とは一線を画したような、そんなオーラというか 雰囲気というか。とにかく、普通とは違う何かはうっすらと感じていた。

 

「だから、割と何でも出来ちゃってて」

 

 懐かしむような、憐れむような、声だった。どちらにせよ良い事ばかりでは無かったのだろう。それぐらいは、惚けた頭でも解った。

 

「それで、お姉ちゃんが言ったんだ」

 

 一瞬、日菜の声が上擦ったような気がした。少しだけ多く肺に空気を取り込んだせいで、発声に失敗したような、そんな上擦り方だった。

 

「『嫌い』、なんだって」

 

 わざと「嫌い」という部分だけゆっくりと、それでいてはっきりと言った日菜。咀嚼するような、飲み込むようなその発声の仕方が、虚しかった。

 

 絶望と諦観とが入り交じったようなその声が、まるで自分が「嫌い」と面と向かって言われたような錯覚を与えた。

 

「『比べられる』の、嫌なんだって」

 

 鉛のような重みを持ったその言葉が、土手っ腹に響いた。昼間に見たあの明るい表情からは想像もできないほど暗い声が、イヤホンから流れていた。

 

「だから」

 

 随分と溜めの長い接続詞を吐き出す。

 次にくる言葉の重みに耐えるように、暗い部屋の中 瞼を閉じる。

 

「今のままじゃ、ダメなんだ」

 

 また、主語の無い曖昧な言葉が聞こえる。

 

「だから、お願い」

 

 しょぼくれた、『らしく』ない声が聞こえる。

 

「私の代わりに、2人からお姉ちゃんを引き離して」

 

 駐輪場で聞いた、昼間と同じセリフを もう一度日菜は言った。

 

 その声は、酷く潤んでいた。




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23 取捨、当たり前の価値

投稿頻度下がってます。よしなに。
評価の量と比例して投稿速度は上昇します。


「......まだかな」

 

 携帯を片手に、駐輪場に1人で立っている。

 部活を終えた生徒たちが辺りをうろつき始める夕暮れの時間帯、本来 部活をやってない俺はもっと早くに帰宅しているはずなのだが、今日はまだ帰らず残っている。

 

 それは、昨日の約束が原因だ。

 

 部屋の中にも入れず、自室のドアの前で立ったまま麗奈と交わしたあの会話を思い出す。それと同時に、麗奈との電話の後すぐ起きた 日菜との会話も同時によぎった。

 

 昨日の日菜との電話は、あの『お願い』の後は長い沈黙が流れていた。すんすんとなる鼻の音、服と服が擦れる音、そんな僅かな音を日菜のマイクは逃さず伝えていた。

 

 そして、鼻声混じりの照れ隠しみたいな声がまた聞こえるようになるまでは、それなりの時間が必要だった。それからは友希那とリサと俺の3人で『Reeves Rose』のライブに行く事を伝えて、適当な話とおやすみの挨拶だけを交わしてすぐに電話は切れてしまった。

 

 日菜に対して抱いていた「悪魔」のようなイメージは、昨日の電話でなんとなく薄まっていった。日菜の姉から受けた強い拒絶、そしてそれによって日菜が感じた 漠然とした『このまま』じゃダメ、だという脅迫めいた感情。

 

 その存在を知る事が出来たあの数分間の出来事は、きっと大事なものだったはずだ。

 

 日菜と氷川紗夜の2人にある壁の正体が、何となくわかった気がした。そんな、夜だった。

 

「ごめん、おまたせ」

 

 背中にかかってきた鈴のような声が、考え事をしていた脳ミソをひっくり返す。

 

 振り返った先には、制服姿の麗奈が居た。

 

 少しはねた黒髪が、猫のようなその瞳が、唇の下にあるホクロが、その全てが、当たり前なのだが『葛飾麗奈』のものだった。

 

「補習、おつかれ」

 

 麗奈に、労りの言葉をかける。

 

 麗奈も部活はやっていないのだが、2年生から特進クラスに編入したので この少し遅い時間まで補習があるのだ。入学式の日は補習はまだ始まって無かったので帰り道にたまたま会う なんて事が起きたのだが、補習が始まってしまった以上 普通に学校生活を送っていれば麗奈と一緒に帰るなんて事は起きない。

 

 だからこその、昨日の約束だったのだ。

 

「ありがと」

 

 苦笑まじりの麗奈の笑顔は、少し曇っていた。

 どうしたの、なんて聞ければ1番いいのだが。喉に引っかかったその言葉が空気に触れることは無かった。

 

「なんか、やっぱ変だね」

 

 まばらに自転車が停まっている、がらがらの駐輪場を見渡しながら 麗奈が言う。主語のないその言葉は、何を刺しているのだろう。

 

 部活でもないのにこの時間まで残っている事に対してなのか、ほとんど自転車が停められていない駐輪場に対してなのか、それとも 俺の事に対してなのだろうか。

 

「ねぇ、想くん」

 

 麗奈の口から出た、イヤホン越しじゃなく 空気を通して鼓膜を揺らす俺の名前と同じ音の振動は やっぱり、果てしなく違和感を感じさせた。

 

 そして、

 

 

「私の事、まだ好き?」

 

 その言葉は、俺の脳みそを掻き回した

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 自転車を押しながら、麗奈と並んで家路を辿る。夕暮れに染まっていく空がくすんでいた。まるで、自分の心模様を見ているみたいだった。

 

『私の事、まだ好き?』

 

 その言葉で煩悶とした脳で必死こいて考え出した返事は酷くちゃちな言葉だった。

 

『まだ、好きだよ』

 

 これだけしか、言えなかった。

 他にも言うべきことはいっぱいあった筈だ。後からならいくらでも言葉は思いついた。でも、もう遅かった。

 

 消費期限が切れた行き場の無い麗奈への返事が、まだ燻っている。

 

「想くんのクラスは、文化祭何するの?」

 

 俺の隣で同じように自転車を押す麗奈が、なんでもないような笑顔で なんでもないような話題を選ぶ。さっきまでの苦笑まじりじゃない、晴れた笑顔だ。

 

「なんか、脱出ゲーム作るらしい」

 

「あぁ、クイズみたいなやつ?」

 

「そうそう」

 

「面白そうだね」

 

 滞りないようで、どこかぎこちない雰囲気の会話が夕暮れの帰り道に反芻する。取り繕ったような、取りこぼさないように必死で掬っているような、そんな危うさがある会話だった。

 

「麗奈は、何するの?」

 

「えっとね、お化け屋敷みたいなの」

 

「みたい、って」

 

「だってまだ決まってないんだもん」

 

 不貞腐れたように笑う麗奈、その様子を見て笑っている俺。少し前なら当たり前の距離感で、少し前なら何よりも欲していた名前で呼び合う関係性。

 

 色々あり過ぎて忘れてしまっていたこんな帰り道を、麗奈がまた取り返す機会を与えてくれた。あの時泣かせてしまった俺に、麗奈の想いを汲むことが出来なかった俺に、与えてくれたこの時間。

 

 深く考えすぎて気づかなかったけれど、こんなに簡単だっただなんて。

 

 リサと友希那の事を全部整理してから、全部片付いてからじゃないと向き合えないと思っていた。でも、実際はそうじゃなかった。麗奈が歩み寄ってくれることで、簡単に取り戻す事が出来たこの瞬間。

 

 でも、

 

 それでも、

 

「あのさ、俺さ」

 

 喉から吐き出せずに、空気に触れることさえ叶わず腐ってしまった言葉を、もう一度作り直す。

 

「葛飾の事、好きだよ」

 

『麗奈』じゃなくて、『葛飾』と呼ぶ。

 

「でもさ、俺」

 

 逸らさず、葛飾の顔を見る。

 次の言葉を不安そうに待っている葛飾の顔は、あの公園で泣いていた顔にどこか似ていた。

 

「まだ、なんだと思う」

 

 曖昧に発した言葉、

 でも葛飾は、葛飾には、伝わったみたいだ。

 

「うん、わかった」

 

 深く息を吸い、肺に溜め込んだ空気を押し出す。その葛飾の長い呼吸が、俺の胸を騒がせた。

 

「帰ろ、中野くん」

 

 また、なんでもない笑顔で葛飾が笑った




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24 集束、文殊の知恵

また今度肉付けします。
1話から15話までに次回予告をつけました。興味ある方は覗いて見てください。

評価まだの人はしてくれると嬉しいです


「じゃあね、中野くん」

 

 自販機前の分かれ道、夕暮れが沈んでいく道の真ん中で 『葛飾』がそう言う。

 

 1度、急速に縮められたお互いの距離。麗奈が詰めてくれたその距離を、あえて俺は手放した。突き放したと言っても、もしかしたら過言ではないのかもしれない。

 

 でも、

 

 それでも、俺はまだ。向き合えない。

 

 そう感じたから。

 こうする他に、俺は選ぶことはできなかった。

 

 また、お互いを苗字で呼び合う1歩引いた距離感。でもきっと、あのまま事故みたいな形で縮めた距離感を保ち続けるような向心力も、遠心力もあいにく持ち合わせていなかった。

 

 お互いが弧を描き続けるような、そんな近いようで遠い曖昧な関係をずっと続ける事は、きっと長くはできなかった。

 

 だから、俺と葛飾はこれで良かったんだと思う。

 

 俺が、また向き合えるようになるまで。それまではまだ、このまま居れれば。それが1番いい。

 

 反芻する自己肯定と懐疑する不安が脳を周期的に徘徊する。沈む夕日が、俺の不出来な頭蓋骨を射抜いていた。

 

 首の関節は自己陶酔へのパスポート、そういえば前も。この場所で悩んでいたっけ。あの時は確か、葛飾に告白するかどうかで悩んでいたはずだ。

 

 それで、リサと会ったんだよな。

 そこから、アイツんちに行って、そっから。

 色々変わったんだ。

 

 俺とリサ、友希那、それから葛飾

 

 あの日の帰り道に3人組と会って、そのうち全員と近づいて離れての繰り返しだ。

 

 

 ほんと、色々あったな。

 

 

 なんて回想する俺の前に、影が立った。

 でも、

 

「昨日ぶりですね! お兄さん!」

 

 そこにはリサじゃなくて、宇田川が居た。

 昨日、フードコートで会った時と同じ制服姿の宇田川が笑顔でこちらを見ている。確か、友希那とバンドを組めたんだっけ。

 

「友希那とバンド、組めたんだっけ」

 

 脳内と同じ疑問を、口に出す。

 友希那から一応聞いてはいるのだが、本人にも聞いてみる。確認というよりは、どちらかというと話題に困ってとりあえず出したような、そんな深い意味の無い疑問が外気に触れて 酸化した声の振動が宇田川に届く。

 

「はい! 組めました!」

 

 嘘みたいに晴れやかな笑顔で、宇田川が言う。

 初めて会った時から思っていたのだが、この子 元気すぎじゃない? 初対面の俺にもめっちゃデカい声で喋りかけてきたし。

 

 なんて事を考えながら「よかったな」なんて適当な言葉を侍らせて間を繋ぐ。すると、

 

「......でも、紗夜さんは入ってくれなかったんですよね〜。一緒に出来たら、絶対かっこいいのに」

 

 うかない顔で宇田川が言った。

 しぼんだひまわりのような、そんな表情だった

 

 夕暮れに合わせたようなタイムリーな表情を浮かべたままの宇田川、その横で自転車のハンドルを握って立ち尽くす俺の、2人きり。

 

「あれ、想くんじゃん」

 

 そこに、3人目が加わった

 水色の悪魔が、立っていた。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、やっぱダメだったか〜」

 

 俺の自転車のサドルに腹を乗せ、洗濯物みたいにぶら下がったまま言う日菜。「落ちんなよ」と一応注意はしてみたのだが、帰ってきたのは「わかってる〜」っていう、『わかってない』返事だけだった。

 

 日菜に宇田川の事を紹介し終え 友希那のバンドの内情を宇田川から聞いた日菜と俺の間には、多分共通の認識があった。

 

『きっと、このまま友希那に任せてたままじゃどうにもならない』

 

 って事だ。

 

 バンドメンバーと仲が悪いとか、音楽性の違いなんかがある状況なら 今の友希那でも氷川紗夜の獲得なんて、きっと容易いことだろう。

 

 でも、実際は違う。

 

「その神田と江戸川って人を、何とかしないとだよな」

 

 日菜と一緒に自転車が倒れてしまわないように、ハンドルを強く握りながら言う。まだサドルにぶら下がってじたばたしたままの日菜と、自販機横の割れたベンチの端に座る宇田川を交互に見る。

 

「まぁ、そうだね〜」

 

 他人事のように日菜が言う。

 

 サドルに乗せていた腹部をようやく離し、自分の足で地面に立つ。アスファルトと靴が鳴らした音が夕焼けの帰路に響く。その音は、何となく寂しかった。

 

「あの〜」

 

 自販機で買った炭酸のゼリーみたいなジュースを手に持った宇田川が、控えめな声でそう切り出した。俺と2人だった時の遠慮の無い明るさでは無い 謙虚さが見えた。

 

 まぁ、ほぼ初対面で今バンドに誘ってるけど入ってくれない人物の妹、となると そう無遠慮に明るくは居れないのだろう。

 

「ちょっと、疑問に思ったんですけど」

 

 間延びした声で、結論を先伸ばすみたいに濁す宇田川。その伺うような、見計らうかのような視線と声音に、少し焦らされたような気分になった。

 

「どうした、何でも言ってみろ」

 

 つい、先生みたいな口調になってしまった続きを促す言葉を口に出す。俺の発言を後押しするように、後ろに立った日菜がスカートを手で払いながら首だけで相槌をうつ。

 

 その様子を一通り見終えた宇田川が、言った。

 

「紗夜さんじゃなくて、日菜さんが入ればよく無いですか?」




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閑話 構想、I'll give it to my friend

今回の主人公は氷川日菜です。
評価感想、お待ちしてます


「なんでお前、姉ちゃんと仲悪いの」

 

 唐突に湧いて出た、嫌な質問に眉を顰める。

 今まで繰り返していた1分置きのやり取りが、途切れる。

 

(ん〜、どうしよ)

 

 全部を素直に話す気も、起きない。今日知り合ったばかりの異性に何でも話すのは少し気が引ける。いくら女子校で男子と関わる機会が少ないとは言っても、そう簡単に信頼していいものでは無いことぐらい、わかる。

 

 リサちーの幼なじみの、『中野 想』くん。

 彼は今、私にとって1番都合のいい人物だ。

 

 お姉ちゃんが嫌いになっても、神田ちゃんや江戸川ちゃんに恨まれても私には被害の出ない、本当に都合のいい人。

 

 それに、今 彼は私の『お願い』を断ることはきっと出来ないから 余計に都合が良い。

 

 具体的に何があったかは分からないけれど、きっとあの顔と視線はリサちーと何かがあったはずだ。

 

 

 私は、他人の考える事を理解するのが得意なのだ

 

 

 昔はむしろ逆だった、他人になんて興味はなくて お姉ちゃんぐらいにしか、興味はなかった。だから、ずっとお姉ちゃんのやってる事に興味があったし お姉ちゃんのする事は全部一緒になって取り組んで行った。

 

 あの日、お姉ちゃんに拒絶されるまでは。

 

 昨日みたいな、雨の日だった。

 

『もう 私の真似しないで』

 

『迷惑なの』

 

 晴天......ではなかったけど、霹靂ではあった。

 今まで盲目的にお姉ちゃんのやる事を追い続けていたけれど、それが 知らず知らずのうちにお姉ちゃんを追い詰めていたのだ。

 

 その言葉が、私の身体を貫いて 頭の奥にある大事な何かを引き裂いた音が、聞こえた気がした。

 

 それぐらい、衝撃的だった。

 

(どうして、そんな事言うんだろ)

 

(何が行けなかったんだろう)

 

 頭が保身や言い訳を必死にこねくり回す。

 過去の記憶を端から端までほじくり返して、次にする自分の行動の候補を手当たり次第に並べて、吟味して考察して結果辿り着いたのが 現状だ。

 

『お姉ちゃんの邪魔をしない』

 

 これが、私が出した答えだった

 

 そのために私は努力を惜しまなかった。本来なら中高一貫で、そのままエスカレーター式で上がっていくのだが、あえて私は別の高校を受けた。お姉ちゃんと、私を比べられないようにするためだ。

 

 その辺から、私は他人の表情を気にするようになっていた。自分とお姉ちゃんを比べているのではないか、もしかしたら私はお姉ちゃんの邪魔をしてしまっているのでは無いか。

 

 そんな事ばかり、考えていた。

 

 でも、最近になってひとつ気づいたことがある

 

(きっと、このままじゃお姉ちゃんが私に対して劣等感を抱き続けてしまう)

 

 自分で言うのを憚る気はもう無いが、私は割と何でもできてしまう。逆に上手くできない方法が分からないぐらいだ。

 

 だから、このままのお姉ちゃんだと私に勝てない

 

 このまま同じように努力をして、同じように私から逃げていたらきっと、ダメだ。

 

 でも、私はお姉ちゃんの邪魔をしたくない

 これ以上、嫌われたくない

 

 けれど、今のままじゃ限界がある

 

 そんな時に、湊友希那と中野 想を見つけた。

 

 存在はリサちーから聞いていたけれど、初めて本物を見た。特に中野 想は私にとって都合が良かった。これでお姉ちゃんと今のバンドを引き離してくれる人が見つかった。

 

 これで、お姉ちゃんが私に劣等感を抱かなくて済む環境が出来る。

 

 口角が自然と上がってしまう。

 今日の私は、少し変だ。ずっと、上機嫌なのだ。

 

 想くんから送られてきたメッセージを流して、お姉ちゃんのバンド...『Reeves Rose』のライブの話を伝えておく。すぐについた既読に、また口角が上がる。

 

 自分の部屋で1人、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃんの事、聞きたい?」

 

 別に、話す義理も無いのだが。

 何となく送ってしまった。またすぐに既読が着いて「聴きたい」なんていう表情の見えない文章が送られてきた。

 

(がっつきすぎ)

 

 RINEで送ることはせず、脳内でそう呟いた。

 なんで、私はこんなにおしゃべりになっているのだろう。ただ、都合が良いだけの人と、なぜこんなに喋っているのだろう。

 

 急に、我に返ったように。

 冷水をかけたように思考が止まる。

 

 もしかしたら、

 

 今まで 誰かに話したかったのかもしれない。

 誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 

 今まで1人で考えて、1人で行動をしてきた私に唐突に現れた初めての共犯者。

 

 もしかしたら、

 

 そんな存在に少し気を許してしまっていたのかもしれない。少し落ち着いた思考で彼の事を、もう一度定義し直す。

 

 彼はただの都合のいい人物で、

『お願い』が終わったら、もうきっと関わる事が無いようなそんな人物だ。

 

 でも、

 

 今だけは ちょっとだけ

 ほんのちょっとだけ 信頼してもいい気がする。

 

 そう、結論づけた私は緑の通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

 

 ぶっきらぼうなその声に、また1人 笑っていた




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25 開花、夕焼けの悪魔

たまにランキングに乗るの嬉しい。
評価とお気に入りのおかげでたまにランキングに乗ることができます。ほんとにありがと


「いやいやいや 私、無理だよ」

 

 開かれた手を前に出してひらひらと振りながら日菜が宇田川に向かって言う。焦った顔でそう返す姿が なんというか、滑稽だった。

 

 そういえば、宇田川は日菜の事情知らなかったよな。だから俺と日菜みたいに『氷川紗夜を入れないといけない』という凝り固まった考えの外からの意見が出たのだ。

 

 でも、よく考えればそれもいいのかもしれない。

 

 昨日日菜が言ってた『今のままじゃダメ』という言葉は具体的に本人から聞いた訳では無いが、きっと『今のままの氷川紗夜だと、比べられる事に耐えられない』からダメなのだろう。

 

 そのために日菜は氷川紗夜を取り巻く環境を変えようしている。でも、もしかしたら日菜が友希那のバンドに入る事で『今のまま』から変われるのでは無いのだろうか。

 

「案外、アリなんじゃないか?」

 

 宇田川の援護をする。

 伺うような顔から喜びを隠そうともしない晴れやかな表情の宇田川、それとは対照的に冗談を聞いたような軽い笑顔から動揺を隠せない表情を浮かべる日菜。

 

「え」

 

 俺と宇田川を交互に見る日菜。

 

「ですよね!」

 

 日菜から視線を外さない宇田川。訴えかけるようなその視線に少したじろぐ日菜。

 

「絶対、日菜さんが入ってくれたらかっこいいバンドができると思うんです!」

 

 初めて俺と会った時みたいに、底も根拠もない自信溢れる表情で言う宇田川。でも、

 

「いや〜、私ギターやった事ないんだけどなぁ」

 

 だと思った。姉がやってるからと言って、その妹も同じ趣味に精通しているとは限らない。

 

 俺は一人っ子だから実際の兄弟同士の距離感とかは分からないが そんなフィクションみたいに趣味が全く一緒の兄弟ばかりじゃない事は何となくわかる。

 

「え、でも紗夜さん 言ってましたよ」

 

 日菜の言葉をうけ、驚いたように零す宇田川。

 宇田川の発した言葉で、日菜の顔色が冗談めいた薄っぺらいものから真剣な顔に変わった。

 

 ほんと、女の子の表情ってアテにならないな

 

「『妹は私の真似を何でもする』って」

 

 きっと氷川紗夜が言ったであろう部分を、わかりやすくスロウなペースで語った宇田川。

 

 その言葉で、ふと違和感が湧いた。「妹と比べられる」事を悩んでいたという事は、姉と同じ事を妹がしていたという事だ。じゃないとそもそも比べようが無い。

 

 なら、なぜ氷川紗夜がきっと1番拘っているバンド活動をこいつはしていないのだろう。

 

 それが ふと、気になった。

 

「だから私、てっきり日菜さんもギターやってるのかと」

 

 困ったような表情と声音で言う宇田川。

 その声と顔色を受けて、何となくバツの悪そうな顔をする日菜、それをただ見ているだけの俺。

 

 暑いのか寒いのか、一概に言えないような外気温によって しみ出ていた汗が冷えて肌に張り付く。さっきまで自転車をついていた腕が、日菜が落っこちないようにハンドルを握っていた腕が、ぴりぴりと痺れる。

 

 その薄い痺れた感覚が、ゆっくりと薄まっていく 暖かいような冷たいような、そんな妙な感覚を味わいながら 日菜の反応を待つ。

 

 姉に1度拒絶をされた日菜、それ以来 何となく我慢をしているだろう事は 薄々察していた部分はあった。だからこそ、日菜がギターを始めることはいい事だと思っている。

 

 これがきっかけで、氷川姉妹の間で何かが変わってくれれば良いと 思っている。

 

 でも、決定権は俺や宇田川には無い。日菜が考えて、日菜に結論を出してもらうしかない。

 

 少し俯いて黙っている日菜。その姿が 昨日、ショッピングモールの駐車場にいた悪魔のような日菜と重なる。

 

 背中に流れる冷や汗が、妙に暑かった。

 

 居心地の悪い、わけではないけれども少し湿った 湿度の高い雰囲気が俺たち3人の間には相変わらず流れている。

 

 そして、

 

「わかった」

 

 沈黙で鬱屈としていた空気を追い出すような明るい声を、日菜が吐き出す。

 

 顔をあげた日菜の顔には、重なっていたはずの不気味な表情は見当たらなかった。

 

「なんかあったら想くんのせいだからね」

 

 夕焼けを背に笑いながら日菜が言う。

 斜陽が指す自販機のベンチ前の、帰り道の風景のど真ん中で笑顔でこちらを見るその姿は 悪魔とは程遠い、天使みたいな姿だった。

 

「ギター、やってみるよ」

 

 笑顔で、そう言いきった。

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 あれから2日が経った木曜日の夜。

 3人で話して、日菜をギターを始めてから2日が経った。

 

 次の日には日菜は楽器店に赴き、中古のアコギを既に買っていた。本人から聞いたが、値段は1万1000円だったらしい。弦を抑えるパーツが取れかかっていて、修理したものだからその値段だったとのこと。

 

 その買ったギターに、初日は日菜はかなり悪戦苦闘を強いられていた。その様子を俺は電話越しに聞いていたのだが「なんでドレミじゃないの」だの「すごい指痛いんだけど」だの、文句ばっかりずっと言っていた。

 

 だが、今日は違った。

 

 俺はあまり詳しい事は分からない(日菜が言う内容が抽象的すぎて何も理解できなかった)のだが、どうやら指の動かし方を全てマスターしたらしく、はやくもリクエストした曲をネットで調べた譜面を見ながら弾いていた。

 

 きっと、それは異常なのだろう

 氷川紗夜が、頭を抱えるわけだ

 

 携帯のトーク画面を見る

「通話終了 2:16」の表示を見ながら さっきまで聞いていた日菜が奏でる弦の音を、もう一度思い出す。

 

 普通は、その場で言われた曲の譜面を調べてすぐに弾くなんてできるはずが無いだろう、でもそれを 日菜は やってのけた。その事実が、恐ろしく思えた。

 

 このまま練習を続ければ、友希那の求めるレベルまですぐに成長してしまい 氷川紗夜の代わりに日菜がバンドに入ることになるのだろう。

 

 そうなった時、氷川紗夜はどう思うのだろうか。

 

 また『比べられる』事に嫌気が刺して、また日菜を拒絶するだろうか。その時、俺は日菜に何をしてあげれるだろうか。

 

 まだ、何もわかってない。

 でも、一つだけ確かな事があった。

 

『ただ好き』なだけで、相手を想う事もせず 何も行動に起こせなかった俺みたいには、なって欲しくない。

 

 姉の事を想って行動を起こそうとしている日菜を、手伝ってやりたい。

 

 そう、強く想っていた。




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26 辟易、逃げる依存

評価にひとことつけてくれるとありがたかったりする。


 時刻は21時過ぎ、さっきまで電話を繋げていた日菜は風呂に行ったようで 1時間ほど暇になってしまった。

 

 初めて会った日にしたほんの10分ほどの電話の後、3日続けて日菜と電話をし続けている。初日はギターに着いての下調べでぶつぶつ話していたのだが、ギターを買ってからは話すだけじゃなくなって行った。

 

 たいてい日菜が独り言を言いながらギターの練習をする音を聞いている間、俺は課題を進めていたので 実際の話している時間はかなり減ったと思う。でも、3日続けて電話を繋げていた事で なんとなく習慣めいたそのやり取りが 俺と日菜の間の距離感を確実に狭めていった。

 

 それと、3日続けてといえば日菜との電話以外にもある、葛飾だ。名前で呼び合うことは無くなったものの、補習終わりの葛飾と一緒に帰ることはまだ続けていた。

 

 6月に行われる文化祭の話や、新しいクラスの話、友達とあった冗談話、何を話したか 具体的にはすぐに思い出せない程の他愛のない、そんな会話を葛飾と行っている間、葛飾の屈託の無い笑顔を見ている間、何もかも忘れていられた。

 

 屈託の無い笑顔の裏に隠されているはずの、葛飾の涙にも 俺は気づかないフリをした。

 

 あの時公園で葛飾の言った『考えさせて』の言葉の後、葛飾が提示した俺と葛飾の関係性を 結果的に拒絶してしまった。名前で呼び合い、お互いにあの公園の事を無かったことにするような葛飾の優しさを、俺は無下にしたのだ。

 

 なぜ、そんな事をしたのか。

『葛飾が好き』なのなら、あの事が無かったことになるならそれでいいはずじゃないか。

 

 でも、実際はそう簡単には行かない。

 

 葛飾の提示した関係性があと2週間早かったら、俺はきっとなんの迷いもなくその関係性に乗っかっていただろう。

 

 でも、それより先に 俺はリサと触れ合ってしまった。『葛飾には好きな人が居て、俺が片思いをしている事を既に知っているリサ』と、俺はあの夜に肌を合わせてしまった。

 

 目を細めて靄がかった視界の中に、あの時のリサの像が浮かび上がる。ひた濡れた肌が、月明かりと乱反射して煌めいた肢体が、まだ網膜に張り付いている。

 

 俺は、リサを汚してしまった。

 

 その事実は、いくら葛飾が無かったことにしようとしても変えられない。俺のリサへの罪悪感は、消えてなくなったりなんてしない。

 

 今よりももっとずっと軽薄だった俺の自意識が起こした過ちは、ドミノ倒しみたいに幾つもの問題を引き起こした。

 

 リサと一緒の部屋で迎えた朝、リサから受けた『友希那の相談事』によって見に行ったあのライブ。そこで聞いた友希那の「愛してる」の言葉。そしてその後の公園での出来事。その翌日に俺の家にやってきたリサに公園での出来事を話した事で起きた、2度目の交わり。

 

 全てが、連鎖していた。

 

 そして、結果的に俺は雁字搦めになっていた。

 俺の「葛飾が好き」だという気持ちだけでは、もう身動きが取れないような状況になっていた。

 

 リサを汚してしまった罪悪感が友希那の手助けを助長し、その友希那への手助けをする事が、葛飾と向き合う事への障害になっていた。

 

 だから、2日前の帰り道。俺は麗奈を拒絶した。

『まだ、なんだと思う』

 なんて曖昧にも程がある言葉で、なるべく自己嫌悪に浸らないように極力自分の手を汚さないように、卑怯な言葉で 俺は麗奈を拒絶したのだ。

 

 2日後の土曜に、友希那とリサの3人で『Reeves Rose』の出演するライブを見に行く。その時、何が起こるかなんて今はまだ分からない。

 

 その見えない不安から目を背けるように、ベッドに身を預け しばらくの間 目を閉じた。

 

 日菜が風呂を終えて電話ができるようになるまでは、まだしばらくこのリサと友希那、葛飾への罪悪感は続きそうだ。

 

 早く日菜、風呂から上がってくれないかな。

 

 そう思ってしまった俺は、ほんとに救えない。どうしようもない人間だと、はっきりと自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 携帯の通知音で、意識が戻る。

 いつの間にか寝てしまったいたみたいだ。

 寝起きとは思えないほどさっぱりとした、クリアな思考回路で冷静に判断を下す。

 

 身体を持ち上げ、サイドテーブルに置きっぱなしだった携帯を手に取る。時刻は22時半前、日菜との電話から1時間と少しが経っていた。そして、俺の浅い睡眠から起こしてくれた通知音の主を確認する、案の定 日菜からのメッセージだ。

 

「お風呂出たよ」

「今髪乾かしてる」

「え」

「寝た?」

「おーい」

「え?」

「寝てる?」

 

 文字だけでも十分伝わってくる日菜の困惑具合に、失礼だが笑ってしまう。送られてきたのが22時過ぎなので、やはり予想通り風呂自体は1時間程で終わったのだろう。

 

 ならまぁ、そんなに待たせてる訳じゃないしギリギリセーフかな、なんて慣れたような事が頭に過ぎった。

 

「ごめん、携帯見てなかった」

 

 自己嫌悪から逃れて寝てしまった事は伏せて、嘘ではない言い訳を日菜に送る。失礼極まりない返信に、すぐに既読がつく。

 

 そして既読がつけられてからすぐ、日菜が電話をかけてきた。急いでイヤホンを耳につけ、その着信に応じる。その瞬間、

 

「もしもし」

 

 だいぶトーンと音量が抑えられた、怒ったような日菜の声が聞こえてきた。マイクから遠い位置で喋っているせいだろうか、なんて考えていると 日菜の声よりも大きいギターの弦が震える音が聞こえ始める。

 

 どこかで聞いたことがあるような、でも曲名が思い出せない、そんなむず痒い感情が湧き出てきた。

 

「これ、なんて曲?」

 

 たまらず答えを聞いてしまう。やばい、全く曲名が思い出せない。

 

「当ててみてよ、当てれたら許してあげる」

 

 うっすら聞こえた日菜の声を、またギターの音がかき消す。日菜のその不機嫌そうな声音とは真逆の、鼻歌まじりのその聞き馴染みのあるギターの音色が、曲名を思い出せないむず痒さをかき消すほど心地よかった。

 

「絶対知ってると思うけど?」

 

 からかうような、言葉じりの上がった日菜の声。そして、その日菜の答えを促すような言葉で、一気に記憶が蘇ってきた。

 

 今日菜が弾いている曲名に やっと検討がついた。確か、ギターについて日菜と喋りながら調べている時に 俺が日菜に教えた曲だった。その曲名は、

 

「『愛を伝えたいだとか』」

 

 まさか俺がふと 教えた曲を覚えていて、それを弾けるようにしているだなんて思ってもみなかった。

 

「せいかーい」

 

 嬉しそうな声で言った日菜は、鼻歌をやめて声に出して歌い出した。アコースティックギターをかき鳴らしながら歌う日菜の声が、凛々しかった。

 

『部屋の灯り早めに消してさ、どうでもいい夢を見よう』

 

 少し息を多く含んだ歌声が、掠れるように歌詞を歌い上げる。儚さを孕んだその声と、ギターから出る穏やかな音と混ざりあっていった。

 

『明日は2人で過ごしたいなんて考えていてもドアは開かないし』

 

 少し、歌詞が胸にしみていった。

 本来のテンポよりも少しロウテンポなギターと、優しい歌声が ゆっくりと俺の胸を圧迫していく。

 

『だんだん おセンチになるだけだ、僕は』

 

 俺が知ってる歌をわざわざ選んで練習してくれた。きっとそれ以上に意味はないのだろうけれど、深く考えすぎてしまう。

 

『愛がなんだとか言う訳でも無いけどただ切ないと言えば』

 

 いつもはギターを弾くだけだった音に、日菜の歌声が重なっていく。その綺麗な音色が、ゆっくりと罪悪感を逆撫でる。

 

『キリがないくらいなんだもうヤダ』

 

 そして、2番のサビ終わりの 少し切れが悪い所で日菜が演奏を止める。

 

「どう? 結構出来るようになったでしょ?」

 

 顔が見えない電話越しでもわかるほど、その声は自慢げだった。その無邪気な声音と、さっきまで歌っていた歌詞の湿っぽさの乖離が、少しおかしかった。

 

「いや、まじですげぇよ」

 

 さっき覚えた罪悪感を塗り返すように、いつもの調子の軽い返事を返す。リサや友希那への後ろめたさを忘れるために また日菜に頼ってしまう。

 

(ほんと卑怯だな、俺って)

 

 声に出さずに、誰にも聞こえないようにそう言った。




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27 隠月、こころの声

評価待ってます。
ちょこちょこランキングに乗れるのは評価のおかげです、ほんとありがとうございます。
Twitterフォローしてくれたらすごい嬉しいのでしてくれると嬉しいです。


 ギターの音がイヤホン越しに耳を打つ

 

 日菜が突然出してきたクイズの後、お互いに特に喋る事もなくお互いの作業に没頭していた。日菜は初めて2日とは思えないような上達を遂げたギターの練習に、俺は明日提出しなければいけない課題に、電話を繋げたままで勤しんでいる。

 

 2週間ほど前に存在を知った、中谷先生の化学の課題だ。異様に覚えることが多い無機化学の知識を嫌々ながらも詰め込んでいく。そこにBGMのように流れてくるギターの音と日菜の独り言、その音が 少しだけ作業に対する意欲を与えてくれているような気がした。

 

「ねぇ」

 

 そして突然、日菜が話しかけてきた

 

「また、お姉ちゃんに嫌われるのかな」

 

 少し震えた声で日菜が俺に問いかけてくる。

 ギターの音が、不安を隠すようにその声の上に覆いかぶさっていた。

 

「多分な」

 

 そして俺は遠慮もせずに思った事を言った。

 きっと、氷川紗夜はまた日菜を疎むだろう。

 また比べられる事を酷く嫌うだろう、でも

 

 多分、日菜がギターを始めない事には氷川紗夜の劣等感はどうやっても拭えないと思う。

 

 氷川紗夜の事をよく知っている訳では無いが。友希那と日菜から聞いた話で、ある程度の人物像は掴んでいる。

 

 そして、氷川紗夜がギターに没頭する理由も確証はないが掴んでいる。

 

「でも、このままじゃダメなんだろ」

 

 もし『このまま』日菜が姉の嫌がる事を避け続けていたら、一生氷川姉妹の確執は残り続けるだろう。『嫌悪』という感情は時間が解決してくれるものじゃない。ましてや放置して治るような、そんな擦り傷のような物でもない。

 

 このまま日菜がギターを始めず、姉と距離を取り続ければ衝突を起こすことは無いだろう。でも、氷川紗夜はきっと『もし日菜がギターを始めたらまたすぐに抜かれてしまう』という、ifの悪感情に首を締められ続けるだけだ。

 

 結局 ギターを日菜が始めない限り、同じ土俵に立たない限り『氷川紗夜が日菜を超える』事は出来ないのだ。

 

 だから、俺は宇田川の提案に乗ったのだ。

 

 そして、日菜も賛同したのだ。

 

「うん......そうだよね」

 

 日菜が、沈黙混じりに肯定の返事をする。

 湿っぽい空気が、お互いの部屋に流れている。

 4月の、0時に差し掛かる手前の夜空が カーテンの隙間から見えた。

 

 この薄皮のような壁の向こうには、数キロ先には今俺と電話で繋がっている日菜が居る。その事実が、漠然とした違和感を与えた。

 

 今 こうして話しているのに、実際にはもっとずっと遠い場所に居るという事が、今更ながらに不思議だった。

 

「そういえば」

 

 そんなリテラリーな気分に浸っている俺に、日菜が話しかけてくる。

 

「想くんが好きなバンドって、名前なんだったっけ」

 

 さっきまでの不安な声よりもずっと明るい、さっきまでの鉛のような雰囲気よりもずっと軽い、日菜の声に 少しだけ安心する。

 

「あぁ、『King Gnu』ね」

 

 その声に 握っていたペンを机に放り出しながら、凝った身体をほぐすように気の抜けた声で返事をすれば「そうそう、それだ」なんて軽い調子の声が返ってくる。

 

 友希那やリサ、葛飾達とは少し違って 浅い関係値だからこそのこの 気の置くことがない関係が、心地良ささえ感じさせた。

 

 お互いに過剰に遠慮をしたり、お互いに過剰に意識をするような事のない、この距離感が 身体を弛緩させた。

 

「今日そのバンドの歌、聴いてみたよ」

 

 ギターの弦を1本づつ弾いて、音を確かめながら言う。なんもないふうに言った日菜とは対照的に、俺の心はかなり弾んでいた。

 

 自分の好きなものを誰かと共有できる、それだけで高揚している自分の単純さに苦笑を隠しきれなかった。

 

 それと同時に、氷川紗夜の事が頭に浮かんだ。

 

 日菜がギターを始めることに辟易するだけ、そんな冷たい感情だけで、果たして他には何も感じないのだろうか。

 

 好きなバンドの興味を持ってくれた事に素直に喜んでいる俺のように、氷川紗夜も日菜がギターを始める事を望んでいる部分もあるんじゃないのだろうか。

 

 そんな憶測を立てている間に、弦の音を確認し終えた日菜がギターを弾き始めた。

 

 1音づつ確かに聞こえてくる澄んだ弦の音と、弦とその上を走る指とが擦れて鳴る音が、鼓膜に届く。

 

 ほんとに、日菜は何でも出来るんだな。

 

 素直にそう思った。それほどまでに洗練された、物悲しささえ感じさせるその表現力に、心を溶かされた。

 

『晴れた空公園のベンチで1人、誰かを想ったりする日もある』

 

 空気を多分に含んだ、少し掠れた日菜の歌声と共に流れるアコースティックギターの弦の音。その両方で、何故か泣きそうになった。

 

『世界がいつもより穏やかに見える日は、自分の心模様を見ているのだろう』

 

 なぜ日菜がこの歌を選んだのかは分からない。ただ単に俺が言っていたバンドを調べて、たまたま出てきただけかもしれない。

 

 でも、

 

 それでもこの曲は、

 今の日菜にぴったりだと、思えてしまった。

 

『吐き出せばいいよ、取り乱せばいいよ。些細な拍子に踏み外してしまう前に』

 

 優しい、それでいて哀しい、そんな歌詞を一つ一つ歌い上げる日菜の事を、憐れんでしまう。

 

 まるで自分の事のように歌うその声には 澄んでいるようで、鉛のような質量があるように思えた。

 

『愛を守らなくちゃ、貴方を守らなくちゃ、消えそうな心の声を聞かせて』

 

 息継ぎで聞こえる日菜の空気を吸い込む音でさえ歌の一部と思えてしまうほど、聞こえてくる音全てが芸術品のようだった。

 

 弦が震わせる空気、日菜の喉から震える音、全てに意味があるように思えた。

 

『ぽっかりと空いたその穴を、僕に隠さないで見せておくれよ』

 

 この歌を氷川紗夜が聴いた時、いったいどう思うのだろう。そんな事が過ぎった。今、日菜は何を考えながら歌っているのだろうか。

 

 姉の事だろうか、自分の事だろうか。

 でも、きっとそのどちらかだと 根拠のない確信がそう告げていた。

 

『貴方の正体を、貴方の存在をそっと包み込むように。僕が傷口になるよ』

 

 その声と同時に、時計の針が真上で重る。

 カーテン越しに見える かけた月が、死にたいぐらいに綺麗だった。




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日菜の歌った曲は「The hole」です。

隠月は琵琶の音を鳴らしてる空洞の部分の名前です。

読了ツイートしてくれたら嬉しい。


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28 内秘、見たくないモノ

あと1人評価してくれればバーが伸びます、そして作品へのモチベが爆上がりします。誰か...助けて...

追記、みんなの評価のおかげで無事バーが伸びました。
評価してくれた人めっちゃありがとう。
感想書いてくれた人めっちゃありがとう。
もうちょっとで総評1000超えそうです。
評価待ってます。。。


 誰もいない放課後の教室で、1人席に座っている。

 

 少し暗くなり始めた窓の外からは部活生達の声が、掛け声から反省会、そして談笑へと切り替わっていき 今日一日の学校生活の終わりを表していた。

 

 視線を手元の携帯から黒板へ、そしてその上にかけられている丸い時計に移す。

 

 無愛想な真っ白な時計は、午後6時過ぎを伝えていた。

 

 葛飾の受けている補習が終わるのは6時10分なので。もうそろそろ駐輪場に向かい始めなければ行けないのだが、何故か腰が椅子にくっついたまま離れなかった。

 

 廊下と上靴がぶつかる事で引き起こされる無機質な音が、等間隔に耳に届いてくる。

 

 その何処から鳴っているのか いまいち掴めない音が、なんとなく胸中を不安の色に変えていった。

 

(もう、金曜が終わってしまうのか)

 

 そう考えた瞬間、無意識に机に突っ伏して塞ぎ込んでしまう。両目を両腕で覆い隠し、視覚から入ってくる情報をシャットアウトする。

 

 結局昨日も日菜と電話をして、無為に一日を過ごしてしまった。そしてきっと今夜も、そんな風に時間が過ぎるのだろう。それが、酷く恐ろしかった。

 

 また、友希那やリサと会えば。また、3人で一緒に時間を過ごせば、きっとまた俺の心は掻き乱されるのだろう。

 

(いや)

 

 俺が2人を掻き乱してしまう、のだろう。

 

 無責任にため息を零してしまいそうになる、そんな軽薄さにさらに自己嫌悪が覆いかぶさってきた。こんな思いがするのが嫌で、1人で夜を過ごすのが嫌で、日菜に頼ってしまっているのだろう。1人で逃げずに向き合うのが怖いから、葛飾に甘えてしまうのだろう。

 

 そんな何も出来ない俺が、また友希那とリサの2人と会って 何も問題が起きずに過ごす事が出来るだろうか。

 

 うまく、立ち回れるのだろうか。

 

 そんな思いに耽りながら、両腕によって隠された 真っ暗の視界の中、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ねぇ、寝てる?」

 

 耳元から聞こえてくる高い声のこそばゆさで 目を覚ます。ドロドロに溶けて机の上に張り付いているような、そんな粘着質の微睡みの中、ゆっくりと瞼を開く。

 

 両腕の帳を少しあげて上を見ると、呆れたような顔の葛飾が居た。

 

「おはよう、中野くん」

 

 苦笑まじりに首を傾げながらそう言う葛飾の顔が、どこか遠くに行ってしまうような。そんな感覚が、寝起きの頭を刺激する。

 

 そっか、あのまま俺、寝てたのか

 

「ごめ、ねてた」

 

 回らない呂律で謝罪をする。

 言いきれていない「ごめん」の言葉がとてもマヌケで、それでいて 自分にお似合いだと思った。

 

 未だに俺は、葛飾に謝れていない。

 

『まだ、なんだと思う』

 

 だなんて 曖昧な言葉を告げただけで、まだ俺は謝れてさえ居ないのだ。そして、それは葛飾に対してだけじゃない。リサにも、まだ謝れてすらいないのだ。

 

「いいよ、待っててくれてたんだし」

 

 陽も落ちかけて、夕焼けが窓から差してくる。

 その赤橙色の光を受けて笑う葛飾は、やっぱり どこか物悲しさを感じさせた。

 

「じゃ、帰ろっか」

 

 下校になっちゃうし、と振り向きながら告げる葛飾の背中を見ながら。葛飾が動く度に鼻をくすぐる花の匂いを感じながら。

 

 今日が終わらなければいいのに、

 

 なんて馬鹿のことを、本気で考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

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 2人で並んで自転車を押しながら、いつもより少し遅い時間の帰り道を歩く。俺が教室で寝てしまっていたせいで、いつもより20分ほど遅くなってしまった。

 

「でね、山元先生がさ〜」

 

 風景はいつもより暗いけれど、その分どこかいつもより明るい(というよりか、どこか必死な)様子の葛飾が、今日の補習であった話をしてくる。

 

「『これぐらい出来て当たり前ですよね』とか言ってきて、私それまだ習ってないんだよ? 酷くない?」

 

 2年から特進クラスに上がった葛飾の、特進クラスだからこその悩みやアクシデントを聞くのも 当たり前になってきてしまった。

 

 いつの間にか 葛飾と違うクラスだった事にも、こうして葛飾と一緒に毎日帰る事にも、慣れ始めてしまっている。

 

 そして リサとの関係や、日菜との電話も、生活一部になり始めていることを、客観視して漸く気づく。

 

 そして、その当たり前が当たり前じゃない事も、忘れ始めている。

 

 葛飾との距離感は本来、あの公園での出来事で壊れてしまっていてもおかしくはなかった、リサとの関係だって つい5日前の日曜日に愛想を尽かされてもおかしくはない。

 

 このギリギリの所で踏みとどまっているだけの日常に盲目的になっていい程、現状は芳しくない。

 

 でも、見て見ぬふりをしてしまう。

 

 明日が来なければいいなんて、そんなことを考えてしまう。

 

「それでさ〜」

 

 俺の相槌を聞きながら、また話し始める葛飾。

 その話してる顔や、隣で自転車を押す姿、その全てが嫋やかで、全てがどこか不自然だった。

 

 全てが人工的で、全てが作為的で、気を張っていなければ壊れてしまうような、生まれては消えていくだけの波の一つ一つに名前をつけていくような、そんな儚さがあった。

 

 きっと、葛飾は土曜日に俺がどこかに行く事に気づいているのだろう。

 

 だからきっと、こうやって取り繕うみたいに話しているのだろう。

 

 だからきっと、こうまでして俺に話題の主導権を握らせないのだろう。

 

 俺が誰かと一緒に、俺が何処かに行くことを、葛飾は気づきたくないのだろう。あの公園での出来事を偶然見てしまった葛飾は、もうきっとそんな思いをしたくないのだろう。

 

 昔の俺ならそんな事は気づかなかっただろう。

 

 でも、あの時葛飾に言われて初めて人の事を『想う』事の意味を知った気がする。

 

『俺のために服を選んでくれた』

 それだけの事にすら気づけなかった昔の自分よりは、少しは相手の事を想う事が出来るようになっただろうか。

 

 それとも、ただ葛飾がわかりやすいだけなのだろうか。

 

 でも、

 

 これだけは、なんとなくわかった。

 

「あれ、想じゃん」

 

 後ろからかけられた声、見知った声に 背中から冷たい汗が垂れていくのがハッキリとわかった。

 

 そして、

 

「......今井さん、だっけ」

 

 ゆっくりと声がする方に振り向いた葛飾の顔が、酷く歪んでいることも、わかった。




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読了報告とかしてくれたら、嬉しいなぁ...!


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29 狼狽、2度目の罪科

評価めちゃめちゃ入れてくれてありがとうございます。モチベが爆上がりしてます。評価が50人になるとバーがいっぱいになるのでまだ評価してない人は入れてくれたら嬉しいなって。

なんと今なら、読了ツイートをするだけで僕の自発フォローが付いてきます()


「リサ..」

 

 無意識に、口から声が漏れ出る。

 

 なぜ、明日までリサには会わないと決めつけていたのだろう。今日が終わらなければ、リサと会うことは無いだなんて思っていたのだろう。

 

 いつもより遅い帰り道で、偶然出会ったリサ。

 

 心臓が鷲掴みにされたように、血液を絶えず多量に送り出す。全身が巡っていく血液でジンジンと熱くなっていく。月曜の夜に廊下で葛飾と電話をした時に感じたのと同種の痺れが、手の先を覆っていく。

 

「今帰り? 遅くない?」

 

 笑いながら、近づきながらそう言うリサ。

 何を考えているか全く分からないその笑顔は、きっとまた嘘の表情なのだろう。この3週間の間に嫌という程見たその薄皮のような笑顔が、不気味だった。

 

 そして、リサの横にもう1人居ることに今更ながら気づいた。俺の脳ミソは、リサや葛飾に気を取られてそれどころでは無かったらしい。

 

「中野くん、寝ちゃったもんね」

 

 俺がリサの表情と もう1人に気を取られて何も返せずにいた間に、葛飾が代わりに答える。噛み合っているようで噛み合っていない、1段飛ばしをしたような葛飾の返事はリサに向けてではなく俺へと視線を向けながらの返事だった。

 

 訴えかけるような、諭すような、縋るようなその目はまるであの公園で見た、葛飾みたいだった。

 

「ふ〜ん」

 

 葛飾の言葉の意味がわかっているのか、わかっていないのか分からない曖昧な相槌を打つリサ。その横で何も言わずに俺と葛飾を交互に観察する銀髪の女の子。

 

 なんで、こんなにタイミングが悪いのだろう

 

 葛飾の補習が終わるまで学校に残って それから帰り始めれば、リサや友希那には会うことは無いと思っていた。現にここ3日は会わなかったし、きっと今日も会うことはないと思っていた。

 

 それなのに、なんで。

 

「そういえばさ、想」

 

 俺のすぐ近くまで歩を進めきり、前進を止めたリサが少し大袈裟に手を広げながら言う。

 

 暗くなり始めた帰路で見るリサの姿は、つい5日前の日曜日、雨の日に俺の玄関で見た時に感じた、委ねてしまいたくなるような、そんな雰囲気は一切纏ってはいなかった。

 

 奪われてしまいそうな、奪われないように身構えてしまうような、そんな恐ろしさがあった。

 

 そして、

 

「明日の事、ちゃんと覚えてる?」

 

 その言葉は、確かに葛飾から平静を奪った。

 

 

 

「ごめん、中野くん」

 

 リサの声が先か、それとも葛飾の声が先か、わからないぐらい咄嗟に出た葛飾の声。

 

 跳ね上がるような声が、葛飾の喉から発せられた。

 

「今日、私早く帰らなきゃだから。先行くね」

 

 嘘。

 見抜くだとか、見抜かないとか、そういうレベルじゃないほどの浅い嘘が、葛飾の喉から発せられた。

 

 ほんとに早く帰らなきゃ行けないなら、寝ていた俺を悠長に待ったりしない。その言葉が本当なら、さっきまで自転車を押しながらダラダラと喋っていた葛飾はなんだったのか。

 

 俺の目の前でばたばたと自転車に跨り別れの言葉を俺にかけてくる葛飾の背中はすごく必死で、すごく狼狽えていて

 

 すごく、悲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

「なんか、邪魔しちゃってゴメン」

 

 申し訳なさそうな声を作ったリサが、言う。

 

 1度目の時なら、きっとリサは俺の姿を見つけていても声などかけなかっただろう。あの時はまだ、友希那が言っていたように俺と葛飾の事を見過ごしていた。

 

 でも、2度目をする直前にリサは言っていた。

 

『そんな事されたら、我慢できないじゃん』

 

 底冷えするような表情と声が、フラッシュバックする。嘘みたいに煩い雨の中、近づいてきたあのバニラの匂いを思い出す。

 

 目の前にいるリサと、回想した日曜のリサが重なっていく。リサのはだけた肌に刻まれた擦り傷みたいな傷跡が、酷く疎ましかった。

 

「リサさん、この人は?」

 

 初めて声を出した銀髪の少女、予想よりも随分と気の抜けた 間延びした声が、3人しかいない道に響く。

 

「アタシの幼馴染なんだー」

 

 何事もなかったかのように笑って言うリサ。

 その変わり身の速さが、本当に恐ろしい。

 

 リサの最低限の説明で納得したらしい銀髪の少女が、さっきまでの警戒したような目から弛緩した雰囲気に変わっていく。

 

「そうだ、想知らないよね」

 

 銀髪の少女の肩を掴みながら言うリサ。

 思い出したように言うその素振りが、何となくわざとらしく大袈裟だった。

 

「青葉モカっていうの。アタシのバイト仲間」

 

 そう呼ばれた銀髪...モカが遠慮がちに笑いながら肩に置かれたリサの手を握っていた。

 

 どこかで見た事があるような。

 そんな光景をぼうっと見ていた。

 

「で、明日の事なんだけど」

 

 何も言えずにいる俺を見かねたリサが、さっき葛飾を退かせた言葉の続きを繋ぐ。

 

 まだ肩に手を当てたまま、くっついたままの2人。

 

「『Pelargonium』っていうとこでライブだから。そこで待ち合わせね」

 

 この間とは違う、初めて聞く店名をぼうっと聞いている。ようやく現実味を帯びてきた明日の予定。その漠然とした不安が、ゆっくりとかたどっていき、細部までクリアになって来たリアリティが余計に俺を不安にさせた。

 

 リサと友希那の事だけじゃない、日菜と氷川紗夜の間にあ問題も関わってくる明日の予定。

 

 日菜に勧めてしまったギター、決定権を握られているようでどっちが握っているのか分からない日菜との約束は、きっと明日がターニングポイントだ。

 

 明日が、踏ん張りどころだ。

 

「そういえば」

 

 決意を静かに固めている最中に、リサがまた 思い出したように言う。そのリサに手を置かれたままのモカも、その声に少し驚いたように肩を弾ませた。

 

 表情の読めない、何を考えているのか分からない、リサの表情がころころと変わっていく。

 

 それが、酷く不気味だった。

 

 そして、

 

「明日のライブ、確かモカも出るんだよね」

 

 また何かが、起きる予感がした。




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『Pelargonium』は、ゼラニウムっていう花がモチーフです。
花言葉は「予期せぬ出会い」


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30 開示、引かれていた糸

今なら読了ツイートしてくれたらフォローしに行きます(誰得)
めっちゃ評価くれてうれしい...!
評価のおかげで毎日投稿のモチベが保ててます。
まだ評価してなくて暇だったら評価してくれるだけでめちゃめちゃ嬉しくなる。


「どうしたの? なんかあった?」

 

 イヤホンから、日菜の声が聞こえてくる。

 

 時刻は午後9時を周り、早めに風呂を済ませた日菜。明日が休日なのをいい事にギターを弾きながら、今日も電話を繋げている。

 

 もう3回目となった、日菜がギターの練習をする間に俺がその模様を聴くだけのこの電話。習慣になりつつあるこのやり取りの中、日菜が聞いてきた。

 

「どうって、まぁ。明日のライブ楽しみだなぁって」

 

 適当にそう返す。

 

 はぐらかしたとして、きっと日菜はすぐに見抜いてしまうんだろう。それぐらいの洞察力を、日菜は持っているはずだ。でも、取り繕わざるを得なかった。

 

 だが、

 

「ふ〜ん、まぁ。いいけど」

 

 予想に反して日菜は俺の咄嗟についた嘘を、追求しようとはしなかった。本来なら、胸を撫で下ろして良いはずなのだが。なんとなく、そういった楽観的な考えを下せなかった。

 

 見逃されただけの安心に油断できるほどの心の余裕は持ち合わせていない。

 

 理由は簡単。

 ついさっき起きた、帰り道での出来事のせいだ。

 

 

 

 

 

 

 

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「明日のライブ、確かモカも出るんだよね」

 

 肩に手を乗せて、モカに向かってそう言うリサ。

 その視線を受け止めながらニコニコ笑っているモカ。微笑ましいようで、どこか行き過ぎているような雰囲気を感じる仲睦まじさが肌を刺していた。

 

「ライブって、その子 バンドしてるの?」

 

 目の前の華奢な女の子がバンドを組んでいる事が、俺の理解を鈍らせていた。確かに友希那のような風貌でもバンドを組もうとしているのだし、この子の体格とも大差は無いから不自然では無いはずだ。

 

 でも、この間延びした声の どこか呆けているような雰囲気の子がバンドの一員だということが、不思議だった。

 

「うん、そうだよね〜モカ」

 

 子供を宥める母親のような、そんな喋り方でモカに問いかけるリサ、それに対して声を出さずに頷きで返事をするモカ。

 

 やっぱり、なんか違和感がある。

 

「それに、やってるのはヒナと一緒でギターなんだよ」

 

 心臓が、また一気に絞んでいくのがわかる。

 

 でもまたすぐに、いつものテンポに心臓のリズムは戻って行った。一瞬 どうして日菜がギターを初めたのをリサが知っているのか解らなかったが、よくよく考えてみれば元々日菜とリサは友達同士だった。ならギターを始めた事を話していても不自然ではない。

 

「モカ、すっごい上手なんだよ」

 

 まるで自分のことみたいに自慢をしてくるリサ。

 肩に置いた手を伸ばして俺の前にモカをぐいっと押し出してきた。

 

 押されたモカは一瞬慌てたような表情を見せたが、その間抜けな表情を隠して すぐに俺の顔を覗き込んできた。

 

「そういえば、ヒナってもう曲弾けるようになったんだって?」

 

 ころころと変わっていく話題、俺とリサの間では通じているが モカは置いてけぼりをくらっている筈だろう。でも、そんな事はお構いなしにリサが続ける。

 

「普通 弾きながら歌うなんてすぐに出来ないのに、やっぱ凄いねヒナって」

 

 どこか遠くを見るような目で 俺でもなく、モカでもなく、頭上に広がる空でもなく、何の変哲も無い風景の一点を見つめていた。

 

「モカちゃんも、それぐらい出来ますよ〜」

 

 そんなどこを見ているのか分からないリサに向かってモカが言う。間延びした眠くなるような声で、またいっそうギターを弾いているイメージから遠くなっていく。

 

 ごめんごめん、と宥めるように言うリサ。その様子を不貞腐れたような顔で見るモカ。2人の仲の良さそうな光景が、見ていて少し 辛かった。

 

「じゃあ、明日のステージでモカの腕前。いっぱい見せてよ」

 

 笑いながらそう言うリサ。

 

 発せられた「明日」という言葉に、また臆病な気持ちになっていく。明日が、めちゃくちゃに怖い。また友希那とリサと、3人だけになるのが死ぬほど怖い。

 

 また何かが変わってしまう。

 

 そんな予感が胸を騒がせる。

 

 そして、明日の事だけじゃなく ついさっき起きた事にも心を乱されている。

 

 逃げるように帰っていった葛飾の、小さい背中が浮かぶ。学校用のバッグを背負って、焦った様子で自転車のサドルに跨る姿が、脳裏に染み込む。

 

 また、葛飾を傷つけてしまった。

 

 きっと聞きたくなかったであろう、俺の明日の予定をリサの口から聞いてしまった葛飾は この場から弾き出されたように居なくなってしまった。

 

 最後に見せたあの顔が、頭から離れない。

 

 それに比べて今、目の前ではリサとモカが楽しそうにじゃれあっている。その眼前で起きている和やかな雰囲気と、ついさっきまで葛飾とリサの間に流れていた冷たい空気とのギャップに、風邪を引きそうになってしまう。

 

「そうだ、想」

 

 そんな事を考えている俺に声をかけるリサ。

 

 まだモカとくっついたままの、暑苦しささえ覚える睦まじさに疎いとさえ思ってしまう。そんな自分の器量の浅さに辟易しつつ、リサの次の言葉を待つ。

 

 そして、そんな悠長な俺に向かってリサは言った。

 

「日菜と、毎日電話してるんだっけ?」

 

 3度目、心臓がまた馬鹿みたいな勢いでなり始めた。しかし今度は、心臓の脈動は収まっていかない。さっきまでと違って、今度は明確にわかる。

 

 どう解釈しても、マズい。

 

「......そうだよ」

 

 あくまで平静を保って、狼狽を表情に出さないように努めながら喉を震わせる。きっと声も震えているのだろう、でも。そんな事に構ってられるほど悠長ではなかった。

 

 なぜ、日菜はその事をリサに伝えたのだろうか。

 

 日菜は、俺にあったリサとの間の問題を使って、氷川紗夜のバンドを引き離す手伝いをさせたいんじゃないのか。なぜ、わざわざリサに伝えたのだろうか。

 

 分からない、頭がこんがらがって考えがまとまらない。

 

 次々に湧いてくる疑問と、次々に降り掛かってくる動揺が、頭蓋骨を軋ませる。キャパシティをオーバーしそうな、暴風雨みたいな脳内に、またひとつ。言葉が入ってくる。

 

「やっぱ、そうだよね」

 

 笑顔のまま言うリサ。

 なんで笑っているのかが、全く分からない。

 そんな不気味な笑みを侍らせながら、またリサが口を開く。

 

「だってアタシ、日菜に言ったんだもん」

 

 まだ貼り付けられた笑顔のまま。リサがはぐらかすように、核心を敢えて抑えて 焦らすように言葉を紡いでいく。そのスロウな言葉選びが、歯がゆくて 余計に俺の心を粟立たせた。

 

 そして、

 

「困った事があったら、想に電話したら? って」

 

 その言葉で、またリサの事が解らなくなっていった




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読了ツイートしてくれたら嬉しいなぁ...!?


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閑話 空想、You always stay in my mind.

しばらく、葛飾が主人公のお話です。
今日と明日は一日に何本かづつ投稿しますので、お楽しみに。

評価くれればくれるほどモチベが上がります。あと9人でバーが伸びるので是非...!


 高校2年生になって、初めての学校だ。

 

 高校1年の、最後の終業式に突然担任の先生から告げられた特進クラスへの移動。そんな、本来ならハッピーなはずの報せ。

 

 でも、それに反して今日の私は 少し不機嫌だった。

 

 なぜなら、

 1年の時にいた 彼が居ないのだ。

 

 1年生になってしばらく経った文化祭で 初めて喋って、そこからRINEを交換して、毎日 ずっと話をしていた。

 

 初めは大して特別でもなかった。ただ、たまたま仲良くなって、たまたま性別がお互いに違っていて、たまたま暇な時間があっただけ。特段『異性』として意識する対象では無かったし、きっと相手も意識していないだろう。そう思っていた、

 

 つい2ヶ月前の、バレンタインまでは。

 

 さすがに半年以上、毎日RINEで話しているのだし 渡さない訳にはいかないだろうと思い 友達にあげるついでに彼の分を用意していた時だ。

 

 バレンタイン前日に、友達の美海と電話をしながらお菓子を作っている時だ。美海と誰に渡すのかについて話していた時、ふと言われたのだ。

 

『え、中野くんと麗奈ってまだ付き合ってなかったの?』

 

 そう言われた時は私も特に動揺することなど無く、ただの友達だと答えていた。

 

 でも、しばらく経って。かなりの時間差で、どんどん羞恥が迫ってきた。

 

 それが、きっかけだ。

 彼の事を、考え始めたのは。

 

 そして、そんな彼が同じ教室に居ない事に、ひどい違和感を覚える。

 

 新しい担任の先生が、対して役に立たない精神論を説いているのを聞き流しながら窓の外を眺めるホームルーム。完全にアウェーな新しい教室の中、私は頬杖をつきながら空を見ていた。

 

 もしかしたら、彼も

 中野くんも、こうして居るのかもしれない

 

 なんて考えてみる。

 そんな、いつもと変わった教室の

 いつもと変わらない私だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 一般クラスよりも少しだけ長いホームルームがようやく終わり、少しだけ話す事ができた新しいクラスメイトとの別れを済ませて足早に玄関に向かう。

 

 部活は1年の時に辞めてしまったので、学校の授業が終わったらあとはもう帰るだけだ。

 

 廊下には、少しだけ早くホームルームを終えた生徒たちで溢れており荷物を背負った背中が何度も誰かの荷物に当たる。

 

(もう、邪魔だな)

 

 口には出さずに脳内だけで呟く。

 

 いつもより斜めった機嫌は、私の考えをいつもよりも尖ったものにしてしまっていた。いつも傍にあったものが突然なくなる。それがこんなにも心をモヤモヤとさせるのかと、今更ながらに気付かされる。

 

 いつのまに、彼はそんなに私の中で大きくなってしまっていたのか。

 

 いつだったか、彼に私に好きな人が居ると伝えた事があった。もちろん、嘘なのだけれど。

 

 その時の私は、彼を異性だと意識してはいなかったし。変に好意を寄せられるのも面倒だったので、そう伝えてしまっていた。予防線のようなそんな軽率な言葉を吐いた自分が、本当に疎ましい。

 

 バレンタインの日の事を思い出す。

 

 友達にチョコを渡すのも違うと考えた私は、美海と電話をしながらほぼ徹夜でブラウニーを作っていた。作ること自体はそんなに時間はかからなかったのだが、如何せんそこそこの数のお菓子をラッピングするのが、かなりの集中を要していた。

 

 電話をしながら、深夜で疲れていた、美海の発言に動揺していた、そんな 色んな要因のせいでほぼ切れかかっていた集中力で作ったお菓子を 彼にあげた時のことだ。

 

『え、めっちゃ嬉しい。ありがとう』

 

 頬を緩めて、いつもの軽い調子の言葉遣いで出された感謝の言葉に 私の頬も緩んでいた事を、よく覚えている。

 

 そして、その時。私は初めて自覚したのだ。

 きっと 私は彼が好きなんだ、と。

 

 でも、私は一歩 踏み出せなかった。

 

 バレンタインなのだし、その場でもう告ってしまえば良かったと 今でも後悔をしている。

 

 あの時自分の吐いた予防線のような嘘と、私の中にある『フラれるのが怖い』という両方の気持ちが邪魔をした。

 

 ......いや、違うかな。

 きっと理由は後者だけだ、前者はただの言い訳。

 

 単に私は、フラれるのが怖かっただけだ。

 

 中野くんとの今みたいな関係が無くなるのが、怖かっただけだ。

 

 そんな弱い自分の心に気づいた私は、どうしたらいいかわからなくなって 彼に何も伝えること無くそのまま家に帰ってしまった。それから私は、バレンタインの夜に私は、美海に電話していた。

 

 そして、思いっきり泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

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 自転車を漕ぐ。2ヶ月前の内省を終えた私は、そのまま友人に会うこともなく すんなりと駐輪場へと辿り着き、1人で家路についていった。

 

 春休みを終え、久しぶりに自転車から見る帰り道の光景に懐かしいさを覚えていた、その時だった。

 

 私の視線の先に、見知った背中が見えた。

 自転車を押しながら歩いている、彼の背中があった。そして、その横には。見覚えの無い女性の背中があった。

 

 後ろから見ただけでわかるような、美人だ。

 

 中野くんの方を見ている横顔が、人形みたいに綺麗だった。その人形みたいな顔を覗き込む中野くんの横顔は、楽しそうな表情だった。

 

 その顔に気づいた時には、もうダメだった。

 

 もう一度強くハンドルを握り、思いっきりペダルを踏み込む。ピンと張った腕に乗る私の体重を、全て伝えるように足を動かす。地面に食いついたタイヤの摩擦で動き出す自転車の動きに苛立ってしまう。

 

 早くあそこに行かないと行けない。

 

 そんな気持ちに焦らされながら、必死にペダルを漕ぐ。そして、抑えきれないような苛立ちと胸に渦巻いている嫉妬に焦がされながら。やっとの思いで彼の近くに辿り着く。

 

「あのさ..」

 

 彼が、隣にいる女の子に話しかけようとする。

 

「中野くん」

 

 その声に被せるように、喉を震わせた。

 横目でちらりと、人形みたいな女の子の方を見る。

 

「...想の友達?」

 

 彼を下の名前で呼んでいる。それだけで、この人の事が少し嫌いになってしまった。それぐらい、今日の私は機嫌が良くないみたいだ。いや、もしかしたら普段でも嫌いになってたかもしれない。

 

 それぐらい、目の前の女の子は綺麗だった。

 

「うん、元おんなじクラスの友達」

 

 友達、か。

 

「今は変わっちゃったけどね〜」

 

 笑って、表情に出そうになる感情を押しとどめた。

 もう一度、女の子の顔を横目で見る。

 興味を無くしたような表情が、余裕のあるその涼しそうな顔が、私の心を引っ掻く。

 

「そ。じゃ、私 急いでるから」

 

 そう言って私と中野くんから離れていく女の子。

 最後まで、表情らしい表情は見えなかったけど、とりあえず。

 

「中野くん、あんな可愛いお友達いたんだ。知らなかった」

 

 私よりも、親しい異性が彼に居たことが。

 そしてその異性が、綺麗だった事が、歯がゆい。

 

 でも、

 

 わざと困らせるような、揶揄うような言葉を選んで言った私の棘に戸惑っている彼の表情を見て 少しだけ安心する。

 

「大丈夫? 私邪魔しちゃった?」

 

 せっかく会えたのに、嫌な気持ちでスタートしてしまった彼との会話。でも、戸惑っている彼の表情を見れたおかげで 少しだけ、気分が楽に 落ち着いて来た。

 

「いやいや、全然大丈夫」

 

 その言葉で、さらにもう一度安心する。

 

(全然大丈夫、だってさ)

 

 今はもうこの場に居ない。

 さっきの女の子に向かって、私はそう呟いた。




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閑話 迷想、If not I'll make my h(e)aven.

葛飾編2話です。
評価増えてて嬉しい!!!あと6人でバーが伸びます...
モチベが爆上がりするのでまだ評価をしていない方はぜひ...!


「じゃあ、またね」

 

 中野くんと一緒に帰れる時間が、終わってしまった。寂しさが募っている心を見せないように、明るく言う。なんというか、『重い』ことはしたくないのだ。

 

 彼に『重い』と思われるのが、すごく嫌なのだ。

 

 だから、まるでなんとも思ってないように笑って別れの言葉を彼に言う。笑顔で手を振る私に中野くんが手を振り返しながら、

 

「おう、じゃあな」

 

 と言い渡す。そんな彼の姿を十分見終えた私は振り返って、1人になった家路を辿る。学校にいた時よりもだいぶ落ち着いた胸中のモヤモヤだったが、考えなければ いけないことが1つ増えてしまった。

 

 中野くんが私と会うまでに話していた女の子の事だ。

 

 あの人の事が、気になっていた。

 中野くんの事を名前で呼んでいた、あの人形のような人の事が頭から離れない。彼女は中野くんとどういう関係なのだろうか。制服はうちの物とは違っていたから、知り合いだとすれば小学生の頃にまで遡っていく事になる。

 

 そうなってくると、少なくとも私が彼と知り合うよりも3年以上は前から彼と知り合いということだ。本当はもっとずっと前から知っているのかもしれない。というか、あの親しそうな雰囲気を考えれば絶対もっと前から知ってる。

 

(考えたくないな)

 

 そう、思ってしまう。

 よく友達から言われるのだが、私は他の人よりもずっとネガティブらしい。パッと見の私は明るくて、誰とでも仲のいい人、みたいな印象らしいけれど 実際は少し腹黒くて、それでいて少しだけネガティブなちょっと内向的な人間。

 

 自分でもネガティブだなって思う時もある。そして、私はネガティブな自分が嫌いだ。だから、なるべくそんな気持ちになりたくない。

 

(...嫌だな)

 

 口に出そうになる暗い言葉をなんとか零さずに抑えて、脳内だけでつぶやく。ため息まじりの呼吸をしながら、さっきまで押していた自転車に跨り また力いっぱいハンドルを握ってペダルを漕ぐ。

 

 頭にはまだ、あの女の子の横顔がへばりついて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そして、時間は流れて日曜日。

 時刻は深夜0時前、風呂上がりで少し湿った自分の体を椅子に預ける。だらしなく椅子に乗っかった私の体はまるでドロドロに溶けているみたいだった。なんでこんなにだらしの無い事になっているかと言うと、答えは簡単だ。

 

 初めて、中野くんが1日以上返信をしなかったからだ。もう一度、既読のついた彼とのトーク画面を見る。私の送った文章の端には既読のマークがついていて、そのマークを見る度に胸が締め付けられる。

 

 返事に困るような文でも無いはずだ。でも、返事は帰ってきていない。いつもなら、忙しくて忘れていたのかな。ぐらいで済んだかも知れない。

 

 でも、私の脳内には金曜日の帰り道に見たあの女の子の姿が頭にチラついていた。そのせいで、ドンドンと私の心は蝕まれていった。

 

 どうすればいいかわからなくて、お風呂に入るまで私はずっと美海に電話をかけていた。「もう1回送ってみたらいいじゃん」なんて呆れながら言っていた言葉を思い出す。私が泣きながら相談したのに、面倒くさそうに、呆れたように返す美海にムッとしていた。でも、安心もしていた。

 

 時刻は0時、悶々とする気持ちに堪えきれず。私は美海のアドバイスを受け入れ、もう一度彼にRINEを送ることにした。『重い』って思われたくないけれど、背に腹はかえられない。これ以上気に病むのは嫌だ。

 

「土日って」

「どっか行ってた?」

 

 そう、送ってみる。ドライヤーを片手に送ったメッセージにはすぐに既読がついた。その事実が、余計に苦しかった。携帯を見れなかった訳じゃないのに返事が無かった事に来るしさを覚える。

 

 でも、その苦しさも彼の返信でどこかに行ってしまった。「いえtwねいぇts」なんていう、明らかに日本語じゃない返信が来た。でも、こんな意味のわからない文章でも返事が来たと言うだけで喜んでしまう。私って、案外チョロいのかもしれない。そう思いながら彼に返事を打つ。

 

 さっきまで持っていたドライヤーを机に置いて、両手で携帯を持ったまま彼の返事を待って、またそれに返事を打つ。2日間出来なかった、このメッセージを送り合う時間が帰ってきた事が、嬉しかった。でも、なんとなく物足りない感じがした。だから、

 

「電話」

「かけてもいい?」

 

 つい、送ってしまった。こんな時間に電話をするのは少し非常識なのはわかっている。でも、今は彼の声が聴きたい気分なのだ。しょうがない。

 

 そして帰ってきた「イヤホン準備するから待って」という返事に、また安心してしまう。ほんとに、私ってチョロいのかもしれない。

 

 放置されたドライヤーを見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 彼との電話は、結局3時まで続いていた。それ程まで話し続けていても、話したいことは尽きることなく溢れていた。新しい友達の話とか、今のクラスのこととか、とりあえず沢山。

 

 そして、少し寝不足でふらつく脳を起こして自転車を漕ぐ、朝の通学路特有の澄んだ空気をめいっぱいに吸いこんでペダルを踏みしめていく。すると、横断歩道の前に人影があった。

 

 金曜の帰りに見た、彼の背中があった。

 

 そして、昨日の電話の時みたいなイタズラ心が同時に顔を出てきた。バレないようにゆっくり近づいていく。

 

 なるべく静かに踏み込んだペダル、ふらつきを抑えるために強く握られたハンドル。

 

 ゆっくりと、彼に近づいていく。もうすぐ、声が届く距離だ。

 

 でも、

 

「......葛飾」

 

 その声で、逆に私の心臓が飛びはねた。驚かせようとしていたはずが、驚かされてしまった。

 

「えっ、なんで わかったの」

 

 まるで寝起きみたいなぼーっとした顔の中野くんが振り返ってこっちを見てくる。その少し驚いた表情が、きっとたまたま当たったんだと言うことを教えてくれていた。

 

「せっかく驚かそうと思ったのに」

 

「昨日のドライヤーで もう十分驚いたから」

 

 呆れた風に言う中野くん。昨日の出来事を、2人だけしか知らない出来事をこうやって話すのが、誰も聞いちゃいないのだけれど どこか優越感を感じさせてくれていた。

 

「ねぇ、ごめんって」

 

 笑いながら言う。ついでにそっと顔を近づけてみる。そんな私の行動に少したじろぐ彼の姿が、余計に私に優越感を感じさせた。

 

 でも、何となく彼の振る舞いが いつものものと変わっていたように感じた。どこか、変に落ち着いているというか。態度自体は変わっていないはずなのに、何となく変だった。

 

 そして、その変な雰囲気の理由が、わかった気がした。

 

 彼が、私に向けていた視線を辺りに向けた、不自然に止まった視線の先には、茶髪の女の子がいた。そして、その女の子も私と中野くんの事を見ていた。

 

 少しだけ、ドロついた表情を浮かべた茶髪の女の子がそこに居た。その表情が、見ていて少し 辛かった。

 

「......おはよう」

 

 近づいてくる女の子の表情に釘付けになっていた私の横で、中野くんがその子に声をかける。やっぱり、知り合いなんだ。

 

「おはよ〜、想」

 

 金曜日に感じた苛立ちが胸を襲う。

 また、私の知らない 彼の事を名前で呼ぶ女の子の存在にどうしようもない程の落胆が湧いてきた。私よりも、彼に近い存在に嫉妬してしまう。

 

「あれ、友達?」

 

 でも、そんな醜い感情を見せないように。取り繕いながら中野くんに問いかける。でも、私の問いかけに答えたのは仲野くんではなかった。

 

「うん! 昔からの友達なんだ〜」

 

 私はきっと、この人の事が苦手だ。とても明るい表情と声音で言ってくるけれど、どこか底冷えするような雰囲気を隠したような、そんな人だと感じた。なんとなく、漠然とした不安を、この人を見ていると感じてしまう。

 

 そして、

 

「あれ、また今度でいいから」

 

 捨て台詞のように そう言った。その言葉に、独りで納得した。きっと、土日の間に中野くんとこの人に何かがあったのだろう。なんの確証も無いけれど、そんな予想ができていた。所謂、女の勘というやつかもしれない。

 

 でも、私の勘は案外冴えているかもしれない。

 

 中野くんの表情を見て、そう思った。

 立ち尽くして、去っていく女の子の事をぼうっと見ている中野くんの姿が、言葉で言うよりもずっと雄弁に語っていた。

 

 自分の勘が冴えている事が悔しい。

 

 多分、土日に彼が返事をできなかった理由はこの人のせいなのだろう。さっきまでの底冷えするような雰囲気から、寂しげな 大人な雰囲気を纏った彼女の背中を見ながらそう思う。

 

 バニラの匂いが、うざったかった。

 

「信号変わったよ」

 

 まだ彼女の背中を見つめたままの中野くんに、声をかける。このまま何も言わずにいたら、あの人について行ってしまいそうな そんな感じがした。そんな中野くんを諭すような優しい声が、自然と出ていた。でも、その優しい声とは裏腹に私の心はドロついていた。

 

 それ程までに、彼女の表情は悲しかった。




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閑話 仮想、Don't stop thinking about me.

ちょっと変な区切り方ですけど、御容赦ください。
次回で葛飾編は終わりの予定です。

評価ありがとうございます!!めっちゃ嬉しい!!
あと2票で...バーが変わる...どうか......!


 少し暗い部屋の中、私以外の3人が視界の中で楽しそうに遊んでいる。最初は少し嫌な匂いだなって思ってたけど、時間がそんな気持ちも溶けてどこかに行ってしまった。

 

 私の中にあるモヤモヤも、一緒にどこかに行ってしまえばいいのに。

 

 楽しそうな友人達とは対象的な、淀んだ心模様。理由はただ1つ、中野くんの事だ。

 

 1週間前の土曜日も 一緒に映画を観に誘おうと思っていたのに返事は来ないし、今日も本当は中野くんと出かけたかったのに彼にどうしても外せない用事があるらしくて、明日にズレてしまった。

 

 まだ、ただの友達なのだししょうがないとは思うけれども。でも、優先して欲しいって思ってしまう。

 

 そして、彼との予定を埋めれずに宙ぶらりんのままだった土曜日に こうして友達と4人でカラオケに来ていた。みんな友達と遊びに来るようなカジュアルな格好なのだけれど、明らかに私だけ浮いていた。

 

 理由は簡単、本当は中野くんと行く時に着ようと思っていた服だからだ。その、無駄に気合いの入った格好は案の定友人にからかわれた。「それ、彼氏とのデートに着ていくの?」だとか、「気合い入りすぎ〜」とか、散々な言われようだった。

 

 でも、何故かは分からないけれど。今日は中野くんに会うような気がしていた。だから、もし会ってもいいようにこの服を着てきたのだ。

 

 考えすぎだと思うけれど、なんとなくそう思ったのだ。

 

『包帯みたいにグルグル巻かれて、脊髄反射で君に触れたって もう、終わりが見えてしまうから』

 

 昨日、私が夜に電話で泣きついた美海が歌っている。大きいテレビに映る、歌っている人の名前なのか、曲名なのかイマイチ分からない「ずっと真夜中でいいのに」という文字に、目を奪われる。

 

 色つきで表示される初めて見たはずの歌詞が、何故か心に染みていった。

 

『なんにも解けなかった、どうにも答えられなかった、接点ばかり探してた』

 

 目をつぶって、まるで歌手みたいに大袈裟な身振りをつけながら歌う美海。揺れる黒いショートヘアーが、画面に映っているPVらしき映像の女の子とリンクしていた。

 

 いまいち詳しい意味は理解できない歌詞の中に、どこか曖昧な。ピントのズレたような共感があてがわれていく。

 

『新しい通知だけ捌いて、優先順位がカポ1ばっかできっと、君を見捨てられないから』

 

 ゆっくりなテンポかと思いきや、突然早くなる曲調が私の心をぶらぶらと揺さぶってくる。そんな美海の歌を聴きながら、ぼんやりと昨日までの事をもう一度考える。

 

 あの、登校中に会った茶髪の女の子を見た後の中野くんの様子はどこかおかしかった。心ここに在らずというか、何かに脅されているような というか、とにかくずっとぼーっとしていた。

 

 そんな彼を見るのが、少し辛かった。

 

 私が今横にいるのに、彼の頭の中には別の誰かがいるという事に、苛立ってしまっていた。

 

『理由も知らないまま、幸福を願っているフリする係だから』

 

 そして、そんな上の空な彼と話していたらあっという間に学校に着いてしまった。クラスも別になって、学校で話す事が前よりもかなり少なくなってしまった。

 

 家でお互いに送り合うRINEだけでは繋がりきれない、そんな気持ちがあった私は 自分の教室に入る前に、中野くんに土曜の予定をもう一度尋ねてみた。

 

 日曜の深夜に電話した時には「まだ わかんない」と言われていたから きっと断られる事はわかっていたのだけれど、それでももう一度、聞いてみた。もしかしたら、って思ってた。

 

 でも、結果は変わらなかった。

 

『なりたい自分となれない自分、どうせどうせが安心をくれたような』

 

 電話の時と同じ「わかった」の言葉で、本当は辛い気持ちを宥めながら彼に返事を返す。その時の私の表情は、ちゃんと笑顔のままでいられていたのだろうか。

 

 正直、自信ないな。

 

『偶然を叫びたくて、でも淡々と傘をさして、情けないほどの雨降らしながら帰るよ「じゃあね」』

 

 曲が、一旦力を貯めるように止まる。

 

 美羽が、息を吸い込む。

 

 私もつられて何故か、息を飲む。

 

『なんで? 隣に居なくても』

 

 その歌詞に、肩が震えた。高音で絞り出されたその歌詞が、私の事を名指しで批判しているように思えた。今、私の隣に居ない彼のことが浮かぶ。

 

『「いいよ」「いいの?」「いいよ」って台詞を交わしたって』

 

 叫ぶような美海の声が響く。

 なんとなく燻っていた心が、ドロドロと流動的だった心が段々とひとつにかたどっていくのを感じた。

 

 直接的に同じ事を言い合った訳では無いけれど、何故か私と中野くんとの会話が、この歌を聞いていると思い描けてしまった。

 

『意味無いことも、わかってる わかってる わかってるから繋ぎ止めてよ』

 

 そして、なるべく考えないようにしていた漠然とした不安も、それと同時に具体性を持った生き物に変わっていく。あの時感じた底冷えするような雰囲気が、ただの勘では無かったように思えた。

 

『Don't stop 脳裏上に置いていたクラッカー打ち鳴らして笑おう』

 

 1度型にハマったはずのサビのテンポがもう一度ガラリと変わる。裏切るようなその曲調に、もう一度心を奪われる。

 

『ぼんやりと月を透かしてみたりタイミングをずらしてみたり』

 

 そんな美海の歌に聞き惚れながら瞳を閉じる。

 

『目に見えるものが、全てって思いたいのに』

 

 自然と、目から涙が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

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 美海が歌い終わった頃には、何故か流れ出していた涙はなりを潜め 感傷に浸りすぎた心は落ち着きを取り戻していた。

 

 今まで考えないようにしていた、中野くんの周りにいる女の子の存在をようやく容認する事が出来た。考えないようにしていたライバルの存在に、ようやく気付くことが出来た。

 

 そして、それに付随して湧き出てくる彼の土曜日の予定に関する謎がまた私を悩ませていた。

 

 どうせ、男の子の友達だろうと考えないようにしていたその予定も きっとあの茶髪の女の子が絡んでいるのだろう。

 

 本来なら月曜日の時点で予測できていた筈の事態に今更ながら焦りを感じる。もし、彼と女の子の間になにかが起きていたら、どうしよう。そう、考えずにはいられなかった。

 

「私、ちょっとジュース入れてくる」

 

 でも、今更考えていてもしょうがないのも事実だった。とりあえず、今は友達と過ごす時間を楽しもう。そう、思う事にした私は中身の無くなっていたコップを握りながらそう言った。

 

 3人を部屋に残したまま、少し湿った空気の廊下に出る。もう既に店内に入っているのにも関わらず、これでもかと店の宣伝が書かれたポスターが貼られたカラオケの廊下の壁に、宣伝をするべき場所は店の外だろうと、少し笑ってしまう。

 

 そんな風に笑えるぐらいには、余裕があった。

 

 廊下を歩ききって、カラオケのフロントが見えてきた。カウンターの正面に設置されているドリンクバーの機械の方に視線を向ける、すると。

 

 そこには、見知った背中があった。

 中野くんだ。

 

 全身をぶわっと何かが駆け抜けたような、そんな緊張が身体を襲った。会うかもしれない、なんて思ってはいたけれど 本当に会ってしまうとは。

 

 驚きと喜びが混じりあった異様な緊張が、喉を覆っていて 声が出せなかった。「中野くん」と声をかけることが出来たら、きっともっと楽だっただろうに 何故か緊張のせいで声が出ない。

 

 でも、チャンスかもしれない。月曜日は失敗に終わったイタズラ心が顔を出してきた。その感情に流されるまま、後ろからそっと彼の元に近づいて 肩を叩いてみる。

 

 すると、

 

「アホみたいに入れてたのにまだ足りないのかよ」

 

 なんて言いながら彼が首を動かす。

 正直、何の事を言っているのかはサッパリだったけれど 多分、私のことを一緒に来ている人だと勘違いしているのだろう。

 

 その事が、少し癪だった。

 

「え? 失礼すぎない?」

 

 私は少しだけ 笑ってそう言った。




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今回登場した楽曲は、『脳裏上のクラッカー』
リンク→https://youtu.be/3iAXclHlTTg


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閑話 真想、See you./good night.

評価バーがいっぱいになりました!!
めっちゃ嬉しい!!真っ赤!!!
入れてくれた人本当にありがとう!!!
まだまだ評価待ってます!!!


 静かな、夜の住宅街に1人分の靴音が聞こえる。履いている自分の少し踵の上がった靴とコンクリートがぶつかり合って鳴る音が、他に何の音も聞こえない閑静な夜の闇に溶けだしていく。

 

 そのどこまでも響いていくような、遠く響いていく自分の足元から発せられた音を聴きながら、今日の事を思い出す。

 

 入れたかった中野くんとの予定は入らず、

 美海に泣きながら電話をかけて その結果決まった今日の予定であるカラオケで、

 たまたま、中野くんに会った。

 

 ドリンクバーの前で立ったまま、腰を落としてゆっくり話すなんてことは出来ないまま、カラオケのフロントで話した事を、思い出す。

 

「すごい、偶然だね」

 

 嫌味を言うつもりなんて、本当に一欠片も無かった。純粋にそう思っただけの言葉。でも、私のその言葉を聞いた中野くんの顔は バツが悪そうで。なんというか、とりあえず影があるような そんな顔だった。

 

「今日、友達がライブハウスで歌ってたんだよ。それで聴いてたら歌いたくなったから」

 

 別になにも言っていないのに、言い訳みたいに中野くんが話し始める。『まだ、予定わかんない』って言って教えてくれなかった、謎に包まれていた彼の今日の予定は意外なところですんなりと知る事が出来てしまった。

 

「あ〜、確かに。歌いたくなるよね」

 

 ライブハウスなんて行ったことないけれど、想像だけでそう返す。あんなに会いたかった筈なのに、どこか突き放したような、そんな言葉が出てしまう。

 

 また、彼の顔が決まりの悪そうに歪んでしまう。

 

 あの時、なぜ私はあんなにもつっけんどんな態度を取ったのだろうか。

 

 私との優先よりもその『友達』の方が優先度が高かったから? 彼のために選んでいた服に触れてくれなかったから? 

 

 

 それとも、

 

 彼が、嘘をついているように思えたから? 

 

 そこまで考えて、立ち止まる。

 夜の帰り道。学校から家に帰るのであれば普段は通らない、住宅が並んでいる少し狭い道の途中で、立ち尽くすように留まっている。

 

 金縛りにでもあったように、夜のコンクリートに絡め取られたみたいにその場から動けなくなってしまう。この場から1歩も踏み出せない、そんな漠然とした不安がどんどんと体を浸していく。

 

 怖い、寂しい、何故か分からないけれど、そんな感情がとめどなく溢れていく。

 

 そんな不思議な感覚の中、その音は聞こえてきた。

 

『優しい嘘を吐いてくれよ、現実は残酷だもの』

 

 透き通った女性の声が、不安でいっぱいの私の体を揺らす。芯の通った力強さを持つその声が、私の足にまとわりついていたコンクリートの蔦を溶かしてゆく。

 

 自由に動けるようになった足が、自然と声の聞こえるー方に吸い寄せられていく。この場所からすぐ側で、誰かが歌っている。

 

『酔いどれ踊れ、全てを忘れるまで強がり笑うだけ』

 

 今の私に染み込んでいくような歌詞が、私の事を手招いているように思えた。街灯に群がっていく虫のように、私はその光のような美しい声に誘われて、暗くていまいち自分がどこに居るのかすら分からないような道を進んでいく。

 

 そして、小さい公園にたどり着いた。

 街灯と自動販売機の灯りだけが照らす公園から、その声は聞こえていた。その声の主を探すように、なるべく邪魔をしないように音を消して、公園へと入る。その声の主は、自動販売機の明かりで照らされた、薄暗いベンチに座っていた。そして、

 

 そこに居たのは、先週の金曜日に見た。人形のような女の子だった。

 

『"Why don't you come back to me? "』

 

 人形のような女の子から発せられる消え入りそうなまでに繊細な声に、もうひとつの声が重なる。

 

 公園のベンチの奥に、目を這わせる。もうひとつの声の主を探すように向けられたその視線に、私は遅れて後悔する。

 

 彼女の近くにいる男の人なんて、決まっているじゃないか。

 

『避けようの無い痛みを、二人分け合えるよ』

 

 ベンチの左側に座る銀髪の少女と、中野くんが隣でお互いに肩を預けあって座っている。

 

 私は、今日。立ち話しかできていないのに。

 

『"Cause I knoy you're lonely like me"』

 

 嘘ばっかり。

 

 私に向けられている訳では無いのだろうけれど、その英語の歌詞に悪態をついてしまう

 

『こびりついた悲しみを、拭いされるの?』

 

 重なり合ったふたつの歌声が、まるでこの世界に2人しかいないみたいに、夜の街にその音だけが君臨していた。

 

 歌い終えた少女が、中野くんの方を向いた。

 

 もう、帰ってしまいたかった。

 これ以上、2人のやり取りを見ていられなかった。でも、また不安の影が私の足を掴んで離さなかった。

 

「私、はじめてだったの」

 

 私が動けずにいる間に、銀髪の少女が騙り始める。

 

「はじめて?」

 

 オウム返しに、中野くんが聞き返す。

 夜の公園、ロマンチックな2人だけの世界に、異物が混ざりこんでしまっていた。

 

「誰かのために歌を歌ったのは、今日が初めて」

 

 そして、銀髪の少女が言った。

 その言葉で、全てが繋がったような気がした。

 

 耳に入ってくる情報が、私以外の存在が、どんどんと遠くなっていく。

 

 彼の見に行っていたライブは、きっとこの女の子が出ていたのだ。それを、見に行っていたのだ。私との予定は、『まだ分からない』、決まるかどうか分からないこの人の予定に負けたのだ。

 

 その事実に、卒倒してしまいそうになる。

 

 

 

「もう一度言うわ」

 

 突然、聴覚が戻ってきた。

 凛としたその声が、私の意識を引き戻した。

 

 でも、

 

「愛してる」

 

 聞かなきゃ良かった。

 心の底から、そう思った。

 

「俺は」

 

 中野くんの声が、聞こえる。

 あぁ、きっと。返事をしてしまうんだろうな。

 この人形のような彼女に、取られてしまう。

 

 そう、思っていた

 

「葛飾が好きだ」

 

「だから、ごめん」

 

 銀髪の少女と中野くんの、2人だけの世界に突如として私に名前が現れた。

 

 予想だにしなかった言葉に、驚きを隠しきれなかった。

 

「友希那とは、付き合えない」

 

 震えた声で、そう言う彼の姿に目を奪われる。『友希那』、そう呼ばれた彼女が、俯いたまま何も言えずにいた。

 

 長すぎる沈黙が、辺りを包んでいた。

 

 まだ、私の足は動こうとしなかった。

 

「わかった」

 

 フラれた後とは思えないほどに澄んだ声が、沈黙を破る。なにか決意を固めたような、そんな雰囲気を友希那さんは纏っていた。

 

「なら、こうするわ」

 

 そう言って、友希那さんが体をベンチから浮かせた。

 

 淀みのない、その動作が。目の前で起きている光景を一瞬だけ眩ませる。

 

 少し後ろに反った中野くんの背中を抱きとめるように伸ばされた友希那さんの手が彼を捉える。

 

 私の足に絡まっている不安の影と同じように、中野くんの体には友希那さんがまとわりついていた。

 

 目の前のその光景が、理解できなかった。

 

 理解、したくなかった。

 

 ゆっくりと、中野くんと友希那さんの顔が距離を取っていく。彼の頬に伸ばされた右手が、肩に添えられた左手が、その姿を見ているだけで、意識が持っていかれそうな程に狼狽していた。

 

 そして、もう一度友希那さんの顔が近づき始める。

 

 その時だった、私の足が。

 不安の影から開放されたのは。

 

 ふらつくような足取りが、靴と地面を擦り合わせて音を鳴らす。

 

 その音に弾かれたように、2人の視線がこちらに向く。

 

「葛飾.....」

 

 彼が、私の苗字を呼ぶ。

 いつになっても近づけない。

 私と彼との距離感をその呼び名が表していた。

 

 そして、

 

「......ごめん」

 

 そう、つぶやく。

 何に対しての『ごめん』なのかは、自分でも判別が付いていない。盗み聞きしたことになのか、苗字で呼ぶ彼に苛立ってしまったことになのか、それとも、彼が私の事を好きだと言ってくれた、気持ちに対してなのか。

 

 ......いや、きっと。全部だ。

 

「私さ、もしかしたら」

 

 嫌に落ち着いた胸が、つらつらと私の気持ちを勝手に吐き出し始める。言えずにいた気持ちが、どんどんと溢れ出して行く。

 

「もしかしたら、中野くんに会うかもって思って。服、選んだんだ」

 

 抑えきれなかった。

 どうしても、聞いて欲しかった。

 

 スカートをぎゅっと掴んで、何故か溢れてくる涙を堪えながら言う。

 

「中野くんがいないとこでも、中野くんの事、考えちゃってたんだ、私」

 

 今日で、もう最後にしよう。

 

 もう、聞きたくなかった。彼の事で、こんなにも辛い思いをするのなら ホントの事なんて知りたくなかった。

 

 彼が今日、私と居ない間に行っていた事に気づかないままでいられたら、どんなに楽だっただろうか。

 

 どんなに、幸せだっただろうか。

 

「でも、ごめんね」

 

 彼が私の事を好きだと言ってくれた。

 それだけ聞いて、帰れば良かった。

 

 後悔が、今更体を焦らしていた。

 

「ちょっと、考えさせて」

 

 もう、忘れてしまおう。

 この辛い気持ちも、知ってしまった事実も。

 

 消そうにも消せない彼への気持ちだけ握りしめて、無かったことにしよう。

 

 そう思いながら、そう 決意をしながら。

 

 私は精一杯、笑った。




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31 艶笑、もう1人の悪魔

ヤンデレらしく、なってきたかな。


 リサから言われた言葉を飲み込むのに、かなりの時間を要してしまった。

 

 日菜の行動に、リサが関与していた。

 

 その事実に戸惑いを隠せない。

 でも、それと同時に納得している部分もあった。

 

 初めて日菜と話した時にあった、こちらの手の内を全て握っているような。リサとの事を全て知っているような、そんな雰囲気を纏っていた日菜。

 

 初対面なのに 全てを見透かしたような態度を取れた理由に、合点がいった。

 

「まぁ、でも」

 

 リサが、口を開く。

 おもむろに行われたその動作を映した影が、コンクリートに現れる。日が沈み、景色に色を落とし始めた夕焼けの中で聞くその声には 強い寂寥があった。

 

「毎日するとは思わなかったけどね」

 

 苦笑まじりの顔が、視線をあげた先にはあった。

 

 じゃあ、リサの想定外って事は、

 

「......日菜には、なんて言ったんだ?」

 

 リサから日菜へ毎日電話するように言った訳では無いらしい。でも、そうだとしてもリサの意図が全く分からない。なぜ日菜を俺と近づかせたのかが、理解できない。

 

「ん〜、初めはヒナから相談されたんだ〜」

 

 指を唇にあてがいながら言うリサ。

 わざとらしく小悪魔めいた素振りで、焦らすように肩を揺らす。その揺れの影響を受け、ぶらぶらと揺れているモカ。緊張感の無いその光景が、俺の心との相対速度の差が、激しい摩擦を起こしていた。

 

「『お姉ちゃんのバンドが良くないからどうにかしたい』って、言われたんだ」

 

 おそらく日菜が言ったであろうセリフを、発言のスピードを落としてゆっくりと言う。

 

「で、想の事教えて。帰り道で待ってたんだ」

 

 また、パチリと納得した。パズルのピースがひとつハマった様に、バラバラだった違和感が繋がっていく。あの時、月曜の帰り道にリサと日菜の2人に出会ったのは偶然では無かったのか。

 

 あの時急いで向かったリサのバイトも、あの時初対面だった俺にわざわざ話しかけて来た日菜も、全部 予め決められていた予定調和だったのか。

 

「そしたら、ヒナ。思ったより想の事気に入っちゃったみたいでさ〜」

 

 両手を前に投げ出して、笑いながら言うリサ。

 その投げやりとも見える仕草や表情は、あの時の事を思い出させた。

 

 初めてリサと呼吸を交わした後の、体がドロドロに溶けてしまったような倦怠感を纏いながらリサの部屋で迎えた朝の光を受けて笑っていたリサの表情と、同じものに見えた。

 

「......なんで、日菜に俺の事教えたんだ?」

 

 笑っているリサとは対照的に、低い声が出る。

 

 そして、1番の疑問を聞く。

 何故 リサは俺と日菜を引き合わせたのだろう。あの時、2回目の時、あんなにも固執していた『私の事だけ』とは真逆の行動に、疑問を覚える。

 

「あ〜、それはね」

 

 上を見ながら、リサが言う。

 その様子をモカも眺めている。

 

 つられて上を向きそうになる首の関節を押しとどめ、リサの顔を見続ける。ひとつの情報も取りこぼさないように、その表情を凝視する。

 

「想が逃げないように、かな」

 

 貼り付けられたリサの表情は、一切崩れる事なく。最後まで言い切った。その奥にある本当の表情は隠されたまま、笑顔でそう 言い切る。

 

 その言葉と表情のギャップが、歪だった。

 

「......逃げないように、って」

 

 あの時の、友希那とベンチで話した時のように。大事な所でオウム返ししか出来ない自分の脳ミソに辟易する。

 

 上を向いたままのリサの表情はうっすらと笑っている。斜陽を受け照らされたその顔と、その光によって生み出された影が映し出すリサの綺麗な首筋のコントラストが、やけに優美で。やけに蠱惑的だった。

 

「だってさ。しょうがないじゃん?」

 

 そして、ゆっくりとその首がこちら側をむく

 

 まだ、リサは笑ったままだ。

 

「アタシと友希那から逃げたくて、日菜に頼ったんでしょ?」

 

 首を傾げながら、リサが言う。

 

 初めて日菜と会った時に感じた、心の奥を見透かしたような視線がリサの瞳からこちらへと伸びてきていた。

 

「日菜と電話してる間は、アタシと友希那の事から逃げれてたんだよね?」

 

 確信を持っているくせに言葉じりをあげて言うリサ。その疑問符のような抑揚は、俺の心臓を舐め上げて縮こまらせていた。

 

「明日の事とか、考えずにいられたんだよね?」

 

 リサと2度目にした時に感じた、のと同じような焦りと、緊張と、動悸が襲ってくる。リサはきっと全てを見透かしていて、全てをその手に握りこんでいる。

 

 今は、まだリサがその気になってないだけで。いつでも壊せるんだ、そう 改めて実感させられた。

 

「でも、残念」

 

 そっと、リサが目を細める。

 ニヤリと笑ったような、そんな目の動かし方だった。

 

「日菜と居ても、アタシからは逃げれないんだよ?」

 

 笑っているような、そんな声で言う。

 

 貼り付けられていた飾りの笑顔じゃない、きっと心の底から湧いてきたような、そんな歪な笑顔だった。

 

「じゃあね、想」

 

 モカの肩にあてがわれていた手をそっと離し、ゆっくりとこちらに近づいてくるリサの動きを 俺はただ見ているだけだった。

 

 何も言えない、

 何もできない、

 

 ただ、リサの動きを見るだけだった。

 

「明日、楽しみだね」

 

 俺の肩に手を乗せて、リサはそう言った。




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32 潜々、廻る夜の共通項

たくさんの評価ありがとうございます。
めちゃめちゃモチベ上がってます。
まだ評価してない方はしてくれると嬉しいです。


「意外とさ、私たちって」

 

 水を打ったように静かな胸の中に、ぽつりと声が響く。騒めいていた鼓膜には、その声は優しすぎた。

 

 そっと聞こえる イヤホン越しの声に、何故か懐かしさを感じた。

 

 こいつとは、日菜とはまだ 出会って1週間も経ってないはずなのに。

 

「結構...さ?」

 

 伺うような日菜の声が、もう一度聞こえた。

 しおらしいその声が、『さっき』までの騒がしさとは正反対で 少しだけ、おかしかった。

 

 そして 日菜はまた、ぽつりと零した。

 

「─────よね」

 

 

 優しく、苦笑混じりにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、なんかあった?」

 

 リサとの出来事を思い出していた俺に、日菜が話しかけてきた。その日菜の言葉で、撫で下ろしていたはずの胸中にまたひとつ不安の影が迫ってきていた。

 

(さっきは追求しなかったのに、しつこいな)

 

 決して日菜が悪いわけではないのだけれど、冷たい考えが頭によぎってしまう。

 

「......まぁ、多少は」

 

 歯切れの悪い返事を口に出したのは『誤魔化しきれない』、そう思ってしまったからだ。1回目ならまだ流せたかもしれないけれど、2回目も聞いてきたという事は 日菜もどこか見逃せなかったのだろう。

 

「今日、帰りにリサと会ってさ..」

 

 だから、今日あったことを。

 今日、リサから聞いたことを話し始める。

 

 何も聞かずに、何にも気づかずにいてくれていた葛飾を、また傷つけてしまったこと。リサが日菜に俺と電話するように仕向けていたのを知ってしまったこと。

 

 その両方を、日菜に打ち明けた。

 

 俺のその懺悔のような言葉を、相槌も打たずにただ黙って聞き入っていた日菜。その存在が、どこか遠くに行ってしまっているように感じた。

 

 それぐらい、日菜は静かに聞いていた。

 

 そして、全て話終わったあと。俺と日菜とを繋ぐイヤホンを沈黙が貫いていた。その沈黙はゆっくりと携帯から漏れ出てきて、街を浸す夜闇のようにじっとりと部屋を犯していった。

 

 カーテンの隙間から見える月が、鈍く光っていた。

 

「......そっか」

 

 ため息のような、日菜の声が聞こえる。

 

(日菜は、今なにを想っているのだろう)

 

 俺には全く想像がつかなかった。リサの思惑にも気づかない、俺のボンクラな脳ミソでは処理が全く追いつかなかった。

 

 リサの、言っていた通りだった。

 

 結局、俺はリサから逃げられないのかもしれない。こうやって日菜と話していても、ずっとリサの事がチラつくようになってしまっていた。

 

 もう この電話には 昨日までの心地良さは無かった

 

 

 

 

 でも、

 

「......ねぇ、聴いて?」

 

 そんな日菜の声と共に、弦の振動する音が聞こえた。掻き鳴らすような鮮烈さと、機械のように正確で綺麗な音色が、聴こえてきた。

 

 そして、

 

 そのフレーズは、聞き覚えのあるものだった。

 その曲は、あの時友希那が歌った『vinyl』だった。

 

 アコースティックギターが鳴らす軽快でいてどこか重いような、そんな雰囲気のあるフレーズを紡いでいく日菜。まだ初めて3日しか経っていないはずなのに。その音は嫌に落ち着いていて、それでいてどこか弾んでいた。

 

『今日も軽やかなステップで 騙し騙し生きていこうじゃないか』

 

 日菜がギターと共に歌いはじめる。でも、歌っているのは友希那が歌った1番とラスサビではなく、2番だった。

 

 なぜ、2番から歌い始めたのだろうか。

 

『真っ暗な明日を欺いてさ』

 

 疑問が残る、その日菜の歌に意識を注ぐ。普段の日菜の声よりも、随分と低いその歌声が意外だった。

 

 そして、

 その歌詞に 何故か自分を当てはめてしまう。

 

『誰に向けたナイフなの? 何に突き動かされてる』

 

 焦らすような歪なテンポなギターと共に流れてくる歌声、その歌詞がどんどんと染み込んでいく。

 

 あの時、友希那と並んで座ったベンチで言われた、あの言葉と共に突き刺さったままのナイフのような感覚が、また疼き始めていた。

 

 あの時、リサが俺の首にかけた麻紐のような言葉が 首に巻きついたままどんどんと締め付けていた。

 

 そして、

 

『苦しいだけの現実はもう 止めて』

 

 日菜の声が、その両方にそっと触れる。吐き出された空気の塊が、携帯のマイクと衝突して起きるノイズのような音でさえ 作品のようだった。

 

 それほどまでに、どこかこの歌は完成されていた。

 

 急かすようなアコギの音色が、イヤホン越しに俺の耳に覆いかぶさる。そして、本来なら1番と共通の あの時友希那がエフェクター越しに歌っていた『さよなら愛を込めて』という歌詞を、日菜は歌わなかった。

 

 代わりに、ギターの震える声だけが聞こえた。

 

『息を吸いなよ。この街の有り余る程の空気を』

 

 叫ぶような、嘆くような。憐れむような、慰めるような。そんな複雑な歌声が、日菜の喉を通して空気を震わせていた。

 

 圧倒的とさえ思えるそのギターの演奏と、爆発しそうなまでに熱量のある感情を持ったナマモノの歌は、さっきまでの傷に触れるような優しくて暖かい声とは、大違いだった。

 

『じれったいビニールの中から、ストリートへ抜け出たなら』

 

 あの時の、リサと迎えた朝がフラッシュバックする。あの時に覚えたどこか視界が塞がったような そんな暗い朝日と、どこか窮屈な呼吸がセットで思いおこされる。

 

 あの時ゴミ箱に置いてきてしまった倫理観と、その日までは確かにあった俺の純粋さが、想起する。

 

 リサとの事も、日菜は気づいているんだっけ。

 

 そんな風に、投げやりな感想が頭に残った。

 

『遊び切るのさこの世界、喧騒狂乱に雨あられ』

 

 あの時ライブハウスで友希那が歌っていた歌詞と、全く同じ歌詞を日菜が歌う。さっきまではわざと回避していた、友希那とダブるその歌詞を日菜はがなるように歌っていた。

 

 アレンジの入った荒々しいアコギの音色が、その日菜の歌声を支えていた。

 

『かっさらったモン勝ちでしょ?』

 

 遠吠えのような、そんな歌詞を。日菜が歌う。

 

 もはやイメージもへったくれもない、明らかに日菜が好むわけが無いような歌を、日菜は歌いきった。

 

 そして、その歌を聞いた俺は どこか府に落ちたような気分だった。

 

「......この歌、リサちーから聞いたんだ」

 

 少し息の切れた声が。肺に酸素を送ることに必死そうな呼吸の音を混じらせながらの声が聞こえる。きっと、携帯の向こうにいる日菜は肩で息をしている事だろう。

 

 そして、また ゆっくりと日菜が続ける

 

「色々聞いたよ、この歌の事。この歌を誰が歌ったかも、誰がこの歌を聞いたのかも」

 

 その『誰』、の部分には きっと友希那と俺が入るのだろう。あの時の、ライブハウスでの出来事を リサはきっと日菜に話したのだ。

 

 それを聞いて、日菜はどう思ったのだろうか。

 

 そんな事が、気になった。

 

「意外とさ、私たちって」

 

 水を打ったように静かな胸の中に、ぽつりと声が響く。騒めいていた鼓膜には、その声は優しすぎた。

 

 そっと聞こえる イヤホン越しの声に、何故か懐かしさを感じた。

 

 こいつとは、日菜とはまだ 出会って1週間も経ってないはずなのに。

 

「結構...さ?」

 

 伺うような日菜の声が、もう一度聞こえた。

 しおらしいその声が、『vinyl』を歌っていた時の騒がしさとは正反対で 少しだけ、おかしかった。

 

 そして 日菜はまた、ぽつりと零した。

 

「全然似てないけど、似てるよね」

 

 優しく、苦笑混じりにそう言った。

 そして、

 

「初めはさ、別にどうでも良かった」

 

 次の言葉を繋いでいく。

 

「リサちーから聞いたことあるぐらいの、それぐらいの人だった」

 

 優しさだけじゃなく、焦りが見えるような声で、繋いでいく

 

「でもさ」

 

 そして、

 

「なんか分からないけど、似てるって思っちゃったんだよね」

 

 半分笑いながら、困ったように言う日菜。

 

「リサちーには手伝うように言われてるけど」

 

 帰り道に見た、あのリサの笑顔が浮かぶ。

 肩に乗せられた手の感触が、また蘇る。

 

「でも」

 

 でも、

 

「今は、私は想くんの 味方だよ」

 

 日菜のその言葉で、全てがかき消された。




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友希那と日菜が歌った曲は『vinyl』です


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微睡
33 静謐、肩透かしな前兆


つなぎの回 感が否めない。
評価or読了ツイートしてくれると毎日投稿へのモチベになります。


 もう真上まで登りきってしまいそうな太陽から照りつける日差しを受けながら、歩みを進める。

 

 休日に色めき出した人々の群れをかき分けながら向かう先は、この間とは別のカフェだ。店の名前は『Pelargonium』というらしい。

 

 約束の時間は12時ちょうど、今の時刻は残り20分。とどのつまり、この間のリサの時と比べてだいぶんルーズな出発をしている。

 

 そうなった理由は今更語るほどでもないだろう。

 まだ、不安なのだ。

 

 でも、

 

 昨日の日菜の言葉で、少しだけ落ち着けたような気がする。あの『味方』だと言ってくれた言葉が、どれだけ心強かったか。その言葉に、どれだけ救われたか。

 

 それに加えて、『Reeves Rose』についても日菜から色々教えてもらった。どうやらそれまではあまり接点のなかった「神田 咲」と「江戸川 美雪」と話してみたらしい。同じ高校ではあったらしいのだが、今まで1度も接点がなかったらしいのだが 氷川紗夜の妹だと言うと すぐに2人とも納得して、2人共と打ち解けたらしい。

 

 そして、日菜を経由して俺たちがライブを見に行く事を伝えてくれたらしく、彼女達の出番が終わったあと、友希那と俺とリサは2人と合流する事になっていた。

 

 元から友希那と氷川紗夜は落ち合うことになっていたのだが、メンバーを引き抜こうとしている友希那の事をReeves Roseの他のメンバーたちはいったいどう思うのだろうか。

 

 日菜が姉のバンドを引き離そうとしている事を、どう感じるのだろうか。

 

 

 そんな事を考えているうちに、目的地についていた。

 レンガ造りのような外見に、オレンジ色の『Pelargonium』と書かれた看板が目に入る。

 

 一見、普通のオシャレなカフェなのだが、このカフェには普通とは違った所がある。

 

 カフェに入るための透明なガラスのドアの横からうっすらと見える階段を降りた先の、分厚くて 重そうな鉄の扉。その重々しい雰囲気の扉の先は、ライブハウスへと繋がっているのだ。

 

 そして、そのライブハウスで 今日俺たちが観に行くライブが行われるのだ。

 

 この間と同様の対バン(1つのバンドだけじゃなく、何組かのバンドが時間を決めて演奏していくライブの形式)ライブで、参加条件は大きくわけて2つ。

 

 1つは高校生以下である事、そしてもう1つは演奏する楽曲は全てカバー、もしくはコピーだという事だ。理由は簡単で、演奏する側や 見に来る側の敷居を下げるためらしい。

 

 確かに、オリジナルの曲ばかりだと見る側の人口は自然よ減ってしまうし 自分の知ってる曲が聞けると嬉しいし、俺みたいなバンドを見る初心者にはありがたいものだった。

 

 そんな、昨日の夜に日菜から聞いた事を思い出しながら ゆっくりとカフェの扉を開ける。

 

 心地の良い、コーヒーの匂いまじりの空気で満たされた店内の壁は 外見と統一されたレンガ風の壁紙で覆われていた。落ち着いた店の中の風景には、既に何組かの客がテーブルについていた。

 

 そして、その中には 友希那とリサがいた。

 

 2人でなにか話している。随分と姿勢のいい友希那と、その様子を見て笑っているリサ。昨日の帰り道に見たあの歪な笑みではない、屈託のない笑顔の裏に隠されたモノに肌が粟立っていくのを感じた。

 

 自由に席につくよう促す店員に会釈をして、2人の元に近づいていく。何気なく、店のガラスに反射した俺の姿を見る。

 

 もうすぐ5月に入る癖に、少し肌寒い外気から身を守るために着たモスグリーンのジャケット、その下には いまいち意味のわからない英文の書かれたシャツと黒いカーゴパンツ。当たり障りのない外出着だ。

 

 そして、友希那とリサの方を見る。横の椅子に置かれたデニムのジャケットは、きっとリサの物だろう。そのリサは少しオーバーサイズぎみな白のシャツと黒のスキニー。まるでモデルみたいに長い足がテーブルの下に伸びていた。

 

 友希那の服は、リサの少しラフな格好とは対照的にブラウスの上に可愛らしい茶色のニットの服を着ていた。なんというか、俺みたいな初心者でもライブを見に行くにしては合ってない格好だなって 思ってしまった。

 

「ごめん、遅れた」

 

 そんな事を考えながら、2人と合流する。

 この間の時とは逆で、俺の方がリサたちを待たせてしまっていた。そんな俺の方をリサと友希那がじっと見つめてくる。なにか俺の言葉を待つような、そんな視線に なんとなく察しがついた。

 

「服、似合ってるよ」

 

「ありがと」

 

 言うや否や、待ってましたと言わんばかりにリサが即答する。声には出さないけれど、似たような反応を表情と首の動きだけで表す友希那。そんな様子を眺めながら、リサが荷物を退けてくれるのを立って待っている。

 

 その間に、また少しだけ葛飾のことがチラついた。

 

『中野くんに会うかもって思って。服、選んだんだ』

 

 あの時公園で言われた言葉を思い出す。その日にリサから言われていた、結局役立つ事は無かった『褒める時は、ちゃんと褒めた方がいいよ』というアドバイスもセットで脳内にチラついた。

 

 今日の俺は『ちゃんと』褒めれただろうか。自意識過剰なのかもしれないけれど、俺のために選んでくれた服に それ相応の気持ちを乗せることが出来ていただろうか。

 

「はい、座っていいよ」

 

 ぼーっとしていた俺に 面接官みたいな事を言うリサ。きっと自分で言ってておかしかったのだろう 何となくその頬はたゆんでいた。

 

 リサが自分の荷物を友希那の方の椅子に預けて、開けてくれた椅子に座る。俺たちの位置関係は、カフェの1番外側の席で 俺の左にリサ、リサの正面に友希那が座って 4人がけのテーブルを囲んでいた。

 

「さっきまで、なんの話してたの?」

 

 さっきまで笑っていたリサと友希那の会話を止めてしまったので、続きを促してみる。何となく、俺が居ない時の友希那とリサの話している事が気になったのだ。

 

「あぁ、今日のライブの話だよ〜」

 

 笑いながら、リサが答える。昨日見たあの歪な笑顔には、今日はまだ出会っていない。俺たちの他にも店には客がいるからだろうか、それとも。

 

 友希那がいるから、だろうか。

 

「ほら、昨日あった子 居たでしょ?」

 

 表情に加えて手振りも大袈裟になっていくリサ、そんなリサを見ながら昨日の事を思い出す。そういえば、銀色の髪の子も明日出るって言ってたっけ。

 

「あぁ、モカって名前だったっけ」

 

 かろうじて覚えていた下の名前を口に出す。「そうそう」と軽い相槌を打つリサ、その様子を見ている友希那。

 

 そんな滞りなく円滑なやり取りが、どこか不思議だった。想像していたような歪さのないこのやり取りに、どこか肩透かしを食らったような気分だった。

 

「そのバンドの名前って 何ていうの?」

 

 スラスラと喉から出てくる言葉に、まるで何も無かった頃の3人に戻ったような気がしていた。お互いの間にあった壁みたいな違和感が取り去られたような、そんな空気だった。

 

 そして、俺の質問に笑顔でリサが答える。

 

「『Afterglow』って名前だよ」

 

 何となく、その表情が綻んでいるように見えた。




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34 相対、違和感の兆し

『Reeves Rose』の設定は僕の前作の「もし氷川姉妹に兄ちゃんがいたら」を全部パクってます。前ではあんまり書けなかったことも書いてやろうと思ってるので、オリキャラに興味ない人には申し訳ないけれど、その分紗夜の事もしっかり描きたいと思ってます。


 薄暗い室内をスポットライトが駆け回る

 リズムに合わせて手を高く揚げている観客達の中に、俺と友希那とリサの3人は紛れていた。

 

 イベントが始まってから1時間ほど経って、現在は三組目のバンド...『Reeves Rose』の演奏の時間だ。

 

『Reeves Rose』はギターの氷川紗夜、ドラムの江戸川美雪、そして最後にベースボーカルの神田咲のスリーマンセルだ。茶髪のロングのボーカルが、ステージの上でMCをしているのを、会場の少し後ろの方で遠巻きに眺めていた。

 

 ここまでに2曲...『会心の一撃』と『サイハテアイニ』の2つを演奏しているのだが、その2曲を聞いて感じた感想は。なんというか、言葉を選べば高校生らしい元気な 言葉を選ばなければどこか勢い任せな歌に聞こえた。

 

 特に音楽に対して知識がある訳でも無いのだけれど、以前に友希那の歌を聞いてしまっていたから。少しだけ 『Reeves Rose』の演奏のハードルが上がってしまっていたのかもしれない。

 

 全体を通しての感想はイマイチなのだが、理由は何となく自分でもわかっている。

 

 氷川紗夜のギターが、精巧過ぎるのだ。

 

『会心の一撃』と『サイハテアイニ』は、『RAD WIMPS』という俺でも知ってるぐらいの有名なロックバンドの楽曲で、何度もCDの音源を聞いた事があるのだが。

 

 その時に聞いたギターの音作りとそのままのような、まるでプロの演奏なのではないかと感じてしまう程の迫力があった。

 

 音楽に関する知識は皆無なのだけれど、「すごい」か「すごくない」かの違いぐらいはなんとなく分かる気がした。間違いなく、氷川紗夜は「すごい」奴だ。それも、友希那が認めるほどの。

 

 そして、その「すごい」奴と神田咲、江戸川美雪の実力差が きっとイマイチな理由なのだろう。ギターの完成度が高すぎて、結果的に浮いてしまってるような、そんな気がするのだ。

 

「ベースボーカルかぁ..」

 

 リサが俺の横で、そう零す。

 考え事をするような目でステージでMCをする神田を眺めていたい。その横顔が、やけに静かだった。

 

「ベースボーカルが、どうかしたのか?」

 

 独り言のつもりだったのだろうか、俺の声に少し驚きながらリサがこちらを見てくる。

 

 薄暗い中で見るリサは、やはりいつもよりも大人びて見えた。

 

「ごめんっ、聞こえてた...?」

 

 照れ笑いしながら、目の前で両手を合わせて謝るような仕草を見せる。さっきまでリサの横顔にあった静かさとは正反対の、明るい表情が俺の真正面にあった。

 

「えーっと、私 ベースやってた時があるんだけど」

 

 顔の前で合わせていた手を投げ出して、肩の力を抜くようにブラつかせる。気を抜いたようなその仕草が この熱気にまみれたライブハウスの景色の中で浮いていた。

 

「普通は、友希那みたいにボーカルだけとか ギターとボーカルなんだけど『Reeves Rose』はベースとボーカルなんだよね」

 

 自分の名前が聞こえて、こちらを振り返る友希那と目が合う。確かに、友希那はあの時なんの楽器も持っていなかったな。

 

「ギターだとコード弾きながらだから割と音程って合わせやすいんだ。でも、ベースボーカルだとそうもいかなくて..」

 

 音楽の話をつらつらと語り出すリサ。若者らしい(ギャルっぽいともいう)外見からは想像できないような言葉がリサの喉から発せられる。というか、リサってベースやってたんだな。

 

「ベースって、ギターと見た目は似てるけどやってる事って意外と違うんだよね。コードとコードの間を繋いだり、ドラムと合わせて演奏の厚みを増したりとか」

 

 少し俯きながら、どこか嬉しそうにベースの事を教えてくれるリサ。そしてその説明を少しだけ頷きながら聞いている友希那。

 

「で、あのバンドのベースはコード弾きじゃなくて、リズムを作ってるんだけど。それって結構難しいんだ」

 

 音楽の知識は全くないけれど、リサの説明でなんとなくわかった気がする。ベースボーカルって、難しいんだな。

 

 目線の先でMCをしている茶髪の少女に目を向ける。汗で照らついた肌が照明を受けて光っている。その後ろでドラムの調子を確かめているのか、控えめに音を出しながら確認をしている黒髪のショートの女の子。そして、落ち着いて次の曲を待っている水色の髪の少女。

 

 どことなく噛み合っていないような、どこかよそよそしいような そんな雰囲気のあるこの『Reeves Rose』というバンド。

 

 なぜ、氷川紗夜はこのバンドに拘るのだろうか。

 

 日菜が言うように、妹に負けないような自分だけのモノを ギターの演奏技術で手に入れようとしているのなら、友希那と一緒にバンドを組めば良さそうに思えるのだが。何故か彼女は友希那と組むことを渋っている。

 

 一体、何故なのだろう。

 

「リサは、ベースボーカルやってみようって思ったりしないのか?」

 

 ふと、気になった事を聞いてみる。

 

「ん〜、私はあんま思わないかな」

 

 だってムズかしいし、と付け加えながら笑うリサ。

 その笑顔は単純に俺の質問がおかしかったから。とかいう理由じゃない、もっと根の張った感情から来ている笑みだと、直観的に感じた。

 

「相当努力しないと、ベースラインを作りながら歌うって出来ないよ」

 

 そのリサの言葉で、あのバンドに流れている空気の謎がわかった気がした。なぜ、氷川紗夜が友希那の誘いを受けないのかが なんとなくわかった気がした。

 

 友希那の方へ視線を動かす。

 

 ステージの上を眺めているその表情は、あのライブの時に見た人形のような表情と違って、少し高揚しているような、そんな横顔に見えた。

 

「次の曲で最後です!」

 

 ステージの上のベースボーカル...茶髪の神田咲がマイクを通した大きい声で言う。

 

 リサが教えてくれた補足情報のおかげで、このバンド...『Reeves Rose』の演奏を聞くのが割増で楽しみになった。

 

 そして、

 

(もっとこのバンドの事を 知りたい)

 

 そんな事を、ステージの上の神田咲を見ながら考えていた。茶髪のボーカルが、マイクスタンドにマイクを取り付けながら、ゆっくりと口を開ける。

 

「曲名は...『ヒューマノイド』」

 

 神田 咲のその声からは、

 あの時友希那に感じた静かな熱を感じた。




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35 硝煙、発火した熱

今まで出てきた歌の歌詞とこのストーリーは割とリンクしてるので、色々考察してみるのも面白いかもしれませんね。


「次の曲は...『ヒューマノイド』」

 

 神田咲から発せられた、静かな熱を帯びたその言葉。あの時の友希那のような、そんな熱を帯びていた。

 

「...1、2、3、4!」

 

 少し小柄な黒髪ショートの、江戸川美雪がスティックを鳴らしながら声を張り上げる。その声を受けた神田咲は、手に張り付いた緊張を振りほどくように手を動かす。氷川紗夜は、なんでもないように理路整然と立っている。

 

 そして、ドラムのカウントが終わる。

 

 氷川紗夜が、イントロを弾き始める。静かでいて淀みのない、完璧な音を氷川紗夜は鳴らしていた。そのギターのフレーズに重なるように、ドラムの音が混じっている。ギターの邪魔をしないような、それでいて観客にリズムを与えるような、そんな音だ。

 

 ステージの上では澄ました顔でギターを演奏する氷川紗夜、伺うようにメンバーを見遣る江戸川美雪。そして、目を瞑っていた神田咲が、目をそっと開ける。

 

 その瞬間、弾けるような音が聞こえた。

 

 リサの言っていた『リズムを作る』という言葉への理解が、その弾けるような 駆けていくような音でいっそう深まっていく。思わず首を振ってしまうような軽快なその音が、観客を魅了していく。

 

 そして、

 

『立ちはだかるボスをまだ、起こさずに。崩れてく摩天楼を眺め』

 

 リサの教えによると普通より難しい、リズムを取りながらの神田咲のその歌は さっきの2曲よりも輝いているようだった。

 

 その声と声の間を縫うように、ドラムの音が聞こえる。そのドラムを切り裂くようなギターの音色が会場を駆ける。お互いの隙間を埋め合うような、そんな音が会場を満たしていた。

 

『砂埃は今日も君の頬、汚してる躊躇いもなく』

 

 陶器のように透き通る、高いその歌声は 友希那の時に感じた圧倒するような迫力のある声とは違って、どこか耳にふっと入ってくるような そんな優しさがあった。

 

 そして その歌声とは反対に疾走感のある軽快な演奏は、聞いている俺たちの心をどんどんと前のめりにさせていった。

 

『そばに居たい理由を記すなら、都合のいい名前をつけるが』

 

 少し駆け足気味になっている、勇み足な観客を制するようにベースの響くような低音が制止する。リズム隊としてバンドメンバーをリードするだけでなく、観客の感情までもコントロールするような神田咲の演奏と歌声は、その静かな熱と共に勢いを増していった。

 

『属することないよ、前提が居ないから。瞼も使わず』

 

 さっきまで少しバラバラだった、一人一人の出す音が重なっていく。それはきっと神田の作るベースラインが、直前の2曲よりもずっと良くなっている証拠なのだろう。まとまっていく音とそれに付随してクオリティが上がっていく氷川紗夜のギターが、観客達の熱を煽っていく。

 

 かき乱すような そんな鮮烈なギターは、昨日聞いた日菜のギターと どこか似ていた気がする。それまでの元の音源通りなギターの中に隠されていた、『氷川紗夜』本来の音が聴けたような、そんな気がした。

 

『青い種を潰しては口に運んでく 夕暮れまで永遠などないと知らしめるから』

 

 神田のベースがよく響いていた。歌詞と歌詞、コードとコードを繋ぐような、そんな低く響く音が鼓膜と心臓を撫でていた。

 

 まるでこれから続くサビを見せつけるような、そんな挑発じみた 試すような音だった。

 

『きっと震えさえ、この重ささえ 届かないのならボタンを押して消去しよう』

 

 かき鳴らすようなギター、それを支えるように響くドラムとベース、そしてその演奏に溶け込むような神田の声が会場を震わせる。

 

 さっきまでは1つだったその歌声に、もうひとつの声が重なった。神田の高い歌声よりも少し低く抑えられたようなコーラスが聞こえてくる。氷川紗夜が、目を瞑りながらマイクスタンドに備え付けられたマイクに向かって歌っていた。

 

 その姿が、やけに綺麗だった。

 

『揃わない記憶を全部、解答したって不安を増すんだ』

 

 指で弦を殴るように、力強くベースを弾きながら そのベースの音に負けない質量のある歌声で会場を席巻する。豪雨みたいに降り掛かってくるその熱量に当てられた観客たちは、揃いも揃って手を掲げステージの上の彼女たちにエールを送っていた。

 

『そんなメモリだけ、名前があるだけ、目を逸らしたら錆びてしまうけれど』

 

 コーラスの氷川紗夜と、ボーカルの神田咲の声が重なってひとつの声になっていく。そのグラデーションが艶やかでどこか神秘的ですらあった。

 

『遮る無駄な思考回路も、傷になって触れたくて』

 

 その神秘的なコーラスが捌けて、神田1人だけになった歌声が儚げに揺らすビブラートは、やはり物悲しかった。ベースから手を離して 肩にかかっているベルトでベースを支えながら、マイクスタンドに掛かっているマイクに両手を添え、絞り切るように神田は歌っている。

 

 そして、その声に答えるように氷川紗夜のギターが激しく唸る。そのギターソロは、本当に高校生なのか疑うほどに安定した、それでいて暴れているような、芸術性を持った咆哮のように聞こえた。

 

 エフェクトのかかったそのギターの音が、余韻を引き連れながら緩く萎んでいく。そして、その音が消える

 

『言いきれる事、ひとつも要らないよ』

 

 目を瞑ってマイクを両手を添えながら歌う。

 縋るようなその姿の脆さと儚さが、綺麗だった。

 

『偽物さえも、その見解も、誰が決める事でもないよ』

 

 カバーであるはずなのに、どこか自分と重ね合わせて歌っているような。そんな歌い方だった。

 

 そう感じてしまうのは、さっき気づいたこのバンドの違和感のせいなのだろうか。

 

『勝ち負けが白黒が人間が、人間じゃないかなんてもう 正しさは無くて』

 

 疾走感を増していくその歌声に呼応するようにギターの熱量も増していく。ベースの居ない分をカバーするようにリズムを作っていく氷川紗夜のギター。その音には、さっきまでは無かった感情が見えたような、そんな気がした。

 

『儚い傷も抱きしめよう、目を瞑ろう、今日を終わらせるために』

 

 静かな、透明な歌声が萎んで消えていく

 それと交代するように、氷川紗夜のギターが叫ぶ

 マイクから手を離した神田がその咆哮を支える。さっきまではギターが肩代わりしていた、ベースよりも高いリズムとは違う。リズム隊本来の厚みのある音が氷川紗夜の演奏を後押ししていた。

 

 これが、バンドなのか。

 そう、強く思った。

 

『きっと水でさえ、この熱でさえ。感じていないのなら使い切って声に出そう』

 

 さっき聞いたはずのメロディなのに、全く違うもののように感じる。1番の時よりも、もっとずっと厚みのある 纏まったその隕石みたいな馬鹿でかい質量を持った演奏が、地鳴りのように土手っ腹に響いていた。

 

 ステージの上の3人から目を離せなかった

 

『通えない記憶を全部 冷凍したって形に残るんだ』

 

 一つ一つ確かめるように振り絞るその歌声と、その歌声を支えるコーラスと演奏。その両方が観客の心を掴んで離さない。

 

『こんな気持ちだけ、名前があるだけ。手を握る度プログラムだってこと?』

 

 また、ベースから手を離して両手でマイクを握りしめる。飛びつくように伸ばしたその手が、その姿が、勇ましかった。体全体を使って振り切るように歌うその声は、清々しいまでにカッコよかった。

 

『誰にも当てはまることない 基準なんていらないよ』

 

 吼えるようなその声と、演奏が、会場を駆け回る。その声が、一瞬で鼓膜に焼き付いた。きっと俺は、この目の前で起きた演奏を一生忘れないだろう。そう確信できるほど、この歌には「熱」があった。

 

 あの時、友希那の歌を聴いた時と同じような。そんな確信が胸に焼き付いていた。

 

 歌い切った神田咲が、もう一度ベースに手をかける。

 3人で演奏するアウトロが、会場の上がりきったボルテージを牽引していた。




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この話に出てきた曲、『ヒューマノイド』


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36 窮愁、狡猾な対峙

タグの恋愛ってなんだ...?
評価...待ってます...


『Reeves Rose』の演奏が終わって、今はステージの上で次のバンドが機材のセッティングをしている。その様子を、ぼーっと眺めていた。

 

 なんというか、彼女たちの最後の演奏を聴いてからあまり思考が纏まっていない。

 

 きっと彼女たちにとって、というか。ボーカルの神田咲にとって、あの歌はどこか特別だったのでは無いだろうか。

 

 あの『ヒューマノイド』という曲に込められた想いが、あるような気がした。

 

「友希那」

 

 友希那に声をかける。左から俺、リサ、友希那の順番で立っていたので少し声をかけづらかったのだが、どうやらこの人混みの中でも聞こえたようで きょとんとした顔でこちらを見てくる。

 

「氷川紗夜の演奏、どうだった?」

 

 音楽の知識なんて全くないし、ましてや氷川紗夜の事も大してわかっていない。でも、何故かさっきの氷川紗夜の事を友希那がどう感じたのかが 気になった。

 

 俺の問いかけに1度視線を天井に向けながら考えるような仕草を見せる友希那。その様子を、友希那の方を見るリサの白いシャツで覆われた肩越しに眺めていた。

 

「1曲目と2曲目は、今までも聴いていた紗夜のギターだったわ」

 

 目を瞑って、友希那が言う

 関節が上を向くことで、友希那の白く細い首がはっきり見えた。その瀟洒な喉が、続きの言葉を吐く

 

「でも、最後の曲」

 

 ゆっくりと目を開けながら言う。

 その様子を、俺とリサは見守っていた。

 

「感情的に、でも自分で自分を制しているような、そんなギターだったわ」

 

 友希那の言葉で、先程感じた確信を裏付けた。俺の考察もあながち間違いじゃないのかもしれない。

 

 氷川紗夜と直接話したことがある訳でも、よく知っているわけでも無い。でも、こう思ってしまったのだ。

 

 

 きっと、俺と氷川紗夜は似ている。

 

 

 昨日の日菜の言葉を借りるなら『全然似てないけど似てる』と、そう強く感じた。

 

 自分の軽率な行いで自分を雁字搦めにしてしまう事が起こりうることは、この1ヶ月の間に嫌という程理解した。リサと肌を重ねたあの軽率な夜から、変化させることに臆病になった自分と氷川紗夜の行動が、どこか似ていると感じたのはきっと気の所為じゃないはずだ。

 

 日菜は、姉に拒絶されたと言った。

 

 でも、その事を気に病んでいるのは日菜だけじゃないはずだ。きっと氷川紗夜も、同じぐらいに後悔をしているはずだ。

 

 今までは自分の始めた事を追いかけるように始めていた妹が急に遠慮をするようになった事を、彼女はどう感じているのだろうか。

 

 多分、後悔しているんだろうと思う。

 

 自分の軽率な、妹への拒絶が引き起こした妹の変化を、氷川紗夜は後悔しているのだろう。

 

 だから、変われないのだ。

 

 軽率さを恐れて、自分の行動で周りを変化させてしまうことが怖くて、今のバンドを抜ける事が出来ないでいるのだ。だから、あの『Reeves Rose』というバンドに拘り続けているのだろう。

 

 今のバンドを抜けて友希那と新しくバンドを組む将来を想像すると、自分が変えてしまった妹がチラつくのだろう。

 

 その拘泥している様子が、俺と似ていた。性別も、性格も、きっと真反対でどこも似てないのだろうけれど。

 

 それでも『俺と氷川紗夜は似てる』と、そう思ってしまった。

 

 

 これからしばらくしたら俺たちと『Reeves Rose』は合流して一緒にライブを見ることになっている。その時、氷川紗夜になんて言うべきなのだろうか。

 

 俺は今、俺一人の体じゃない。日菜の想いも全部引き連れて、今この場所に立っている。姉への感情を抑えてギターを始めることすら出来なかった、日菜の気持ちも背負ってこの場所に来たのだ。

 

 そんな俺は、一体何をするのが正解なんだろう。答えはまだ分からないけれど、でも。精一杯足掻いてみよう。そう、強く思った。

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「あ、いたいた!」

 

 4組目のバンドの演奏を聞いていると、後ろから声が聞こえてきた。演奏中のライブハウスの喧騒の中でもなお、その声はよく通っていた。声に気づいて振り返る俺とリサ、友希那はまだステージの上を見ていた。

 

「えーっと、神田咲です。さっきぶり...って事で大丈夫かなっ」

 

 愛想の良い笑顔を浮かべながら、相手との距離感を探るような微妙な喋り方で挨拶をしてくる。そんな下から目線な視線を受けたリサが、

 

「うん! さっきぶり! めっちゃ良かったよ!」

 

 神田咲の愛想笑いの5割増な笑顔でそう答える。流石というか、なんというか、鉄面皮とも言えるその貼り付けた笑顔は一瞬で相手との距離を縮めていた。

 

 さっきまでステージに立っていた茶髪のベーシスト、神田咲と黒髪のドラマーの江戸川美雪の2人が 揃ってリサと話し始める、そしてその後ろで退屈そうに立っているのはギターの氷川紗夜。

 

 その3人の中で氷川紗夜は ステージでも感じていた、少し浮いた雰囲気のままでそこに立っていた。

 

「......なんですか」

 

 不躾な俺の視線に痺れを切らしたのか、氷川紗夜が警戒まじりの厳しい目でこちらを制してくる。まだ、会うのは2回目な筈なんだけど、こんなに嫌われていたとは思ってもみなかった。

 

「...いや、なんでもない」

 

 良好な関係を築けているリサと神田達とは違った険悪な空気が、俺と氷川紗夜の間に流れる。

 

 そんな曇天のようなうだつの上がらない空気を断ち切るように、ステージを見ていた友希那がこちらを振り向く。

 

「今日こそ答えを、聞かせて頂戴」

 

 前フリなど無しで友希那が切り出す。もしかしたら、いまリサと神田咲、江戸川美雪の3人が距離を縮めて話しているのは 友希那とリサの作戦だったのかもしれない。

 

 リサが2人を引き付けている間に友希那が氷川紗夜と1対1になる状況を作る、そんな作戦を2人は考えていたのかもしれない。

 

 考えすぎだとは思ったけれど。もし、本当にそういう手筈だったとするなら それ程までに怖いものは無い。

 

 もしそうだとするなら、なんてこの2人は狡猾で。恐ろしいのだろうか。

 

「......その前に、私も聞きたいことがあります」

 

 友希那の刃物のように鋭い言葉を躱しながら氷川紗夜が訊く。その氷川紗夜の表情はどこか、濡れそぼった花のような 憂いがあった。

 

 パフォーマンスを終え 汗で濡れた肩を右手で抑えながら 自身の体を抱きしめるような姿勢で、俯きながら次の言葉を発するための空気を肺に取り込んでいる。

 

 その大袈裟な呼吸が、鉛のように重かった。

 

「......いいわ、続けて」

 

 腕を組みながら真っ直ぐ氷川紗夜の方を見る友希那、その言葉を受けて少し肩を震わせる氷川紗夜。

 

 その様子を眺めているだけで、心臓の鼓動がどんどんと鈍く重たくなっていく。嫌な予感...というか、嫌な確信が身体を浸していく。

 

 俺と友希那、そして氷川紗夜の3人の間に流れている空気は、この熱気溢れるライブハウスの片隅とは思えないほど殺伐としていた。

 

 そして、

 

「なぜ、日菜にギターを始めさせたのですか」

 

 ゆっくりと、日菜の姉が。

 氷川紗夜がそう言った。




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カフェ兼ライブハウスの『Pelargonium』は「ゼラニウム」という花がモチーフです。
ちなみにゼラニウムの花言葉は「予期せぬ出会い」です


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37 壊変、ヘテロスタシス

評価とお気に入りが日を追うごとに伸び悩んでる事にモチベの低下を禁じ得ない。


「なぜ、日菜にギターを始めさせたのですか」

 

 重く沈んだその言葉が耳を暖簾のようにくぐって、ゆっくりと頭の中に入っていった。染み入るようなその言葉が耳の中を伝いながらどんどんと奥へと浸透していく。

 

 目の前の友希那が、さっきまでまっすぐ氷川紗夜に向けられていた視線を俺の方にズラした。「呼ばれてるぞ」とでも言いたげなその瞳が俺の事を貫いていた。

 

 その視線の移動に気づいた氷川紗夜が俺の方を向いた。肩に置かれていた右手を離し、胎の中を隠すように腕を組む。その動作を見て、俺は腹を括った。

 

「日菜にギターを勧めたのは、俺だ」

 

 正確に言うなら宇田川だけど、割愛する。結局最後の後押しをしたのは俺だし わざわざ付け加える程じゃない。

 

 俺の言葉を受けて、より一層顔を顰めた氷川紗夜。その表情は、見るだけで人の心を締め付けさせるような そんな「痛み」があった。

 

「......あなたが?」

 

 訝しむような顔を浮かべながら言ったが、口に出し切った途端にどこか合点のいったような表情に変わる。

 

「じゃあ、あなたが日菜と電話を?」

 

 腕を組みながら、さっきよりはまだマシな(常識的に考えたら嫌われてるような)表情で言った。そして、その言葉を聞いた友希那が視界の隅でこちらを睨んでいた。

 

 その友希那の表情から逃れるように氷川紗夜の方を真っ直ぐに見て頷いた。視界から消えた友希那が、俺に聞こえるように大きくため息をついてくる。

 

「あぁ、気にしないで頂戴。こっちの話だから」

 

 ため息をついた友希那を怪訝そうに見つめる氷川紗夜。話の腰を折ってしまった事に対して謝罪をしながら、俺への追求の視線を緩めない友希那。

 

 葛飾から『奪ってみせる』とまで言い切った友希那が、新しく明らかになった日菜という人物に苦悶している姿を見ながら。またひとつ重くなった心中を担ぎ直して氷川紗夜の方を見る。

 

「俺も、質問があるんだけど良いか?」

 

 少しだけ、目を丸くした氷川紗夜

 けれども、すぐに了承の意を表明する頷きが返ってきた。その無口の了承に感謝の言葉を言いながら、少し前かがみになって質問をする。

 

「氷川は、日菜がギターを始めた時どう思ったんだ?」

 

 その俺の質問に、少しだけ氷川紗夜がたじろぐ。狼狽、という程のものでは無いのだけれど 氷川紗夜は少しだけ俺の問いに窮するような素振りを見せた。

 

「どうって...特に何も思いませんでしたよ」

 

 さっきまでこちらを見ていた視線を下に向け、床を見ながらそう言う。他人でもわかるほど、氷川紗夜は嘘を吐いていた。

 

「ほんとに、何も思わなかったのか?」

 

 もう一度、確かめるようにそう聞く。

 その繰り返しの問いに腹を立てたのか、氷川紗夜はさっきのようなミニマムな狼狽ではなく、少しヒステリックな様子でこちらをキッと睨みつけた。

 

「そんな事より、私の質問に答えてください」

 

『なぜ日菜にギターを始めさせたのか』という氷川紗夜の質問を、もう一度脳内で反芻させる。

 

 日菜にギターを始めさせた動機を気にしている時点で、日菜がギターを始めた事について何も思わなかった筈は無いのだけれど、敢えてその矛盾点は追求しない。きっと、追求しても今のヒステリックな彼女に何を言っても無駄だろうと判断した。

 

 そして、ゆっくりと息を吸い込んで もう一度氷川紗夜の顔を見る。その紅潮した頬が、彼女の必死さを物語っていた。

 

「日菜がさ、言ったんだ」

 

 月曜日の夜の事を思い出しながら、さっき吸い込んだ二酸化炭素と一緒にその言葉を吐き出した。

 

「『今のままじゃ、ダメなんだ』って」

 

 あの時の潤んだ声を、まだ覚えている。

 

 初めて日菜と会ったその日の夜に聞いた 見えない言葉を、噛み締めるように言った。

 

「初めてあいつと会った日に聞いたんだぜ?」

 

 渇いた笑いを浮かべながら、氷川紗夜にそう問いかける。その俺の言葉を、黙って氷川紗夜は聞いていた。

 

「初めて会ったやつに相談するぐらい、アイツ悩んでたんだぜ?」

 

 今度は、笑わずに言った。

 窘めるみたいに、確かめるみたいに、問いかけた。また黙って、氷川紗夜は聞いていた。

 

「......これでわかっただろ。なんで俺が日菜にギターを勧めたのか」

 

 両手を組んで、組んだ手を体の前に伸ばして氷川紗夜の返事を待つ。下を向いたままで、彼女の表情は見えなかった。

 

 その横で俺の事を見ている友希那の顔は、どこか 少しだけ悲しげだった。

 

「......さっき、日菜がギターを始めた時」

 

 しばらくの沈黙の後、絞り出すように氷川紗夜が言った。まだ、彼女は俯いたままだった。

 

「特に何も思わなかったって言いましたけど」

 

 ゆっくりと、そう呟いた。

 ステージから聞こえてくる演奏に負けそうになりながらも確かに聞こえてくるその声は、壊れてしまいそうなぐらいに朦朧だった。

 

「本当は私」

 

 ゆっくりと首を上げながら言う。

 僅かに見えるその表情は、

 

「少しだけ、嬉しかった」

 

 笑っていた。でも、その笑顔は純粋な喜びから来る曇りのない笑顔ではなかった。不純物の混じった苦しそうなその笑顔は、見ているだけで心が締め付けられるような顔だった。

 

「でも、それだけじゃなかった」

 

 ふっと、その笑顔が なりを潜めた。代わりに氷川紗夜の顔に浮いてきたのは 醜く歪んだ、歪な表情だった。

 

「それよりも、もっとずっと妬ましかった」

 

 歯を食いしばるように歪んだ口元が、ぐいっと持ち上げられたその頬の筋肉が、彼女の顔を醜いものへと変えていた。

 

 俺と氷川紗夜と友希那の3人の後ろでは、リサ達が楽しそうに喋っている。その楽しげな雰囲気と混じったこの淀んだ空気は、酷く歪んでいた。

 

「......ごめんなさい、少し外します」

 

 そう言って氷川紗夜が身をよじった

 俺は、この場から逃げようとするその姿を引き留めようと体を動かした。けれども、その俺の動きを友希那は制止した。

 

「想、どうするつもりなの」

 

 友希那が俺に尋ねる。その言葉を聞いている間にも、氷川紗夜はこの場から離れて行ってしまう。

 

「どうするつもりって、そんなの..」

 

「行っても、どうしようもないでしょう?」

 

 俺の言葉に覆いかぶせるように、友希那は言った。

 確かに俺は、友希那を納得させるほどの理由を持ち合わせていなかった。

 

 もう視界には、氷川紗夜の姿は無かった。

 

「でもさ」

 

 俺と友希那の2人だけが、重たい空気の中に取り残されていた。その重たい重力に引っ張られた、人混みの中に出来た2人だけの空間の中で俺と友希那は視線を交わしあっていた。

 

「ここに居ても、どうしようもないだろ」

 

 前までの俺なら、こうやって友希那に対して強く言えなかったかもしれない。でも、今の俺は違う。

 

 日菜の為にも、どうにかしなきゃいけない。

 

「......わかったわ、止めても無駄みたいね」

 

 また、さっきみたいに腕を組みながらため息を吐く。4組目のバンドの演奏が終わったみたいで、拍手の音が周りから聞こえてきていた。

 

 その音に混じりながら、その熱気に混じりながら、友希那は微かな笑みを浮かべながら言った。

 

「いってらっしゃい」




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友希那が笑ってる時って、あんま良くない事が起きるんだよなぁ...(4話、11話参照)


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38 以心、地続きの今

また、つなぎの回感が否めない。


 デカい鉄の扉をくぐって、半地下の階段を上がって外に出る。さっきまで小洒落た照明で申し訳程度に照らされた暗い室内にいた分、太陽の光が目に痛い。

 

 刺すような紫外線が網膜の裏を圧迫していくような、そんな痛みを堪えるように瞼をぎゅっと絞る。

 

 それでもなお入ってくる陽光が焦れったくて視線を下に移す。その先に見える手に押されたライブハウスの途中退場のスタンプが汗で少し濡れて光っていた。

 

「......どこだよ」

 

 友希那の言った通り、行ってどうするつもりだったのだろうか。氷川紗夜が飛び出して目指す場所なんて、全く検討がつかない。

 

 でも、

 

 あの場に居てもどうしようもなかったのも事実だ。あの場で留まっていたとして、氷川紗夜と友希那、日菜との関係性が好転する可能性なんて微塵も無かった。

 

 だからきっと、間違いじゃなかったはずだ。でも、正解だったとも言いきれない。現にこうして俺はどこに行けばいいか解らずに迷ってしまっている。俺には、氷川紗夜の行動なんて検討もつかなかった。

 

 だから、

 

「......もしもし」

 

 携帯を操作して電話をかける。待機画面からすぐに通話画面に切り替わった携帯の液晶が、太陽の明るさのせいで見づらかった。

 

「どうしたの? そっちまだライブじゃなかったっけ」

 

 イヤホンではなく、携帯の通話用のスピーカーから聞こえてくるのは日菜の声だ。俺には氷川紗夜の行動なんて検討もつかないけれど、日菜になら解るかもしれない。

 

「急に悪いんだけど、日菜。お前 1人になりたい時ってどこに行く?」

 

 その俺の質問で一体 今なにが起こっているかの想像が、日菜の出来のよすぎる脳内ではできたらしい。さっきまでの明るい声じゃなく、落ち着いた声で日菜が言う。

 

「......普段ならトイレとかお風呂だけど..」

 

 あいにく、その両方とも俺がどうこうできる場所では無い。やはり1人になりたい時に行く場所なんてものは、他人が気軽に足を踏み入れる事が出来ないパーソナルなスペースなのだろう。

 

 そして、

 打つ手が無くて困っている俺に日菜が続けた。

 

「多分......あそこだ」

 

 ポツリとそう零した日菜。

 何か昔を思い出すような、そんな声だった。

 

「...あそこってどこだよ」

 

 ようやく慣れ始めた目に入ってくるアスファルトの照り返しを受けながら視線を上げる。徐々に曇りがかっていく空が、まるで誰かの心模様を見ているようだった。

 

 つっけんどんにそう訊いた俺の声を受けた日菜が、またゆっくりと零すように言った。

 

 

 

「多分...空き地...工場跡の空地」

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 日菜の指示通りに歩みを進め、向かったのは少し街から離れた場所にある元々は工場があったらしい空き地だ。手入れの全くされていない、山ほど雑草の生えた石だらけの地面が少し寂しかった。至る所に穴が見えるボロボロの錆びたフェンスには植物がまとわりついており、まるでこの場所だけが世界から切り離されて何百年も経ってしまったんじゃないかと思ってしまうほど、それぐらい寂れていた。

 

「......ほんとにこんな場所に居るのかよ」

 

 誰もいない...いや、もしかしたら氷川紗夜が居るかもしれない 廃れた土地で、思わずそう零した。何かを思い出したように呟いたその日菜の直感を信じてここまで来たはいいものの、本当に居るのだろうか。

 

 疑いながらちぐはぐな金網の周りをブラブラと歩いてみる。靴で踏みしめた地面が、石と石が擦れてなる音が、この場所の寂しさをありありと見せつけていた。

 

 そして10メートルほどゆっくりと踏みしめるように歩いた時、ボロボロで植物の張り付いた金網に 人が通れそうな穴があるのに気づいた。

 

 そしてその穴の辺りには、誰かが通った跡のように不自然に地面に這いつくばっている雑草の道が見えた。

 

 誰かが、ここには居る。

 そしてその誰かはきっと、

 

 そこまで考えた俺はその穴を無我夢中で潜った。少し小さくて服に引っかかったけれど、通れないほどの窮屈さでは無かった。ガサガサと煩い音を立てながら揺れる、生えっぱなしの不格好なススキのような植物が肌に当たってこそばゆかった。

 

 ようやく金網を通り抜け、出迎えるように視界を塞いでいた雑草をかき分け、やっとの思いで立ち入った工場跡地は 想像しているよりも もっとずっと、寂れていた。

 

 元々は白かったであろう壁に染み付いた黒ずんだ汚れや、壁が崩れてがむき出しの鉄骨や室内の景色。その全てが退廃的で、核戦争が起こったあとの世紀末にタイムスリップしたような、そんな気分になってしまうほどに物悲しい光景がそこにはあった。

 

 日当たりや水はけが悪いらしい地面はまだ湿っていて、歩く度にスニーカーの裏がぐしょぐしょになっていく。

 

 靴を濡らしながら、ようやくたどり着いた二階建ての工場の跡をぐるっと回りながら空き地を徘徊する。丸みを帯びた屋根の形に沿って出来る影が、俺の体を包み込む。

 

 途端に暗くなった視界には、アスファルトでできた、ぐしゃぐしゃの地面と地続きになっている道がある事に気づいた。

 

 このアスファルトの道は、どこに続いているのだろう

 

 そのふっと湧いてきた疑問を確かめるために、歩みを進める。どこか神秘的ですらあるこの光景に充てられて、当初の目的である氷川紗夜の事すら忘れかけながら ゆっくりと歩いていく。

 

 そこには、工場の建物よりもずっと錆びて茶色になってしまったゴミ捨て場があった。不思議とそこは嫌な臭いがしなかった。むしろ、全くの無臭で さっきまでいた土と雨水の臭いが消えた分 他よりもずっと居心地の良ささえ感じられた。

 

 ゴミ捨て場の周りには、コンクリートでできたブロックのようなものが沢山並んでいた。ちょうど腰を落とすのにちょうどいいような高さで、休憩をするにはちょうどいいような大きさのコンクリートの塊が点在していた。

 

 そして、

 

 そのいくつもあるベンチのようなコンクリートの塊の中の1つには、人影があった。そこには、膝を折って顔を伏せている、氷川紗夜の姿があった。

 

 この物悲しい工場空き地の背景に似合った格好でぽつんと座り込んでいる氷川紗夜の姿を見ながら、ゆっくりと ぐちょぐちょになったスニーカーでアスファルトを踏みしめながら彼女の元へ歩いていった。

 

 そんな中、俺の考えている事はひとつだった

 

 やっぱり、

 

(姉妹って、すげぇんだな)




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だいぶ僕の過去作のオマージュが効いてます。気になった方はぜひ「もし氷川姉妹に兄ちゃんがいたら」も読んでくださると嬉しいです。


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39 告示、あの日の解答

丁寧に、丁寧に

投稿ペース遅れ気味です。やる気が下がりがちなので何かしらの拍子にまた投稿再開します


「......なぜ、ここがわかったんですか?」

 

 俯いたまま、氷川紗夜が訊いてくる

 無骨でどこか殺風景な廃工場を背景に、座り込んでいる姿から吐き出された震えた声が、千鳥足でフラフラと俺の鼓膜へと辿り着く。

 

「......日菜から聞いたんだよ」

 

 隠すこと無く氷川紗夜に伝える

 俺の返事を聞いた彼女の肩が、弾かれたように持ち上がった。引き絞られたその首筋が、どこか寂しかった。

 

「......そうですか、日菜が」

 

 もう一度、俯いたままそう零した

 さっきと変わらない姿勢で座り込んでいる氷川紗夜。でも、さっきよりもどこか自嘲気味に、吐き捨てるように言ったその言い方が少しだけ異質だった。

 

 自暴自棄になったような。

 そんな、開き直った感じがした。

 

「......前にもここに来た事があるのか?」

 

 日菜が予想する事が出来て、あの状態で氷川紗夜が向かったのだから 初めてくる場所では無いことなんてわかりきっていた。

 

 でも、敢えて俺は訊いてみた。

 

 どこに話の取っ掛りを見つけていいかわからなかったから、というのも理由の1つなのだが もう1つ理由がある。

 

「......えぇ、何度か。来た事があります」

 

 ポツリと、彼女はそう零した

 

 そしてやはり、わかりきっていた肯定が返ってきた。観念したようにそう言う彼女の頭上には今にも雨が降ってしまいそうなほど、雲が空を覆っていた。

 

「......それは、日菜も一緒にか?」

 

 また、答え易そうな質問をする。

 俺の『はい』か『いいえ』かだけで答えられる簡単な質問に、ゆっくりと沈黙を繋いで たっぷりと時間をかけて声を発する。

 

「......はい。...小さい頃に、よく」

 

 ポツポツと染み出てくる紗夜の言葉は、この廃れた廃工場の空気と同化していく。そのグラデーションが、俺の心にすっと染み入ってくる。

 

(あぁ、そういう事か)

 

『何度か』来たことがあるのに『小さい頃に、よく』日菜と一緒に来ていた事への違和感が、自己完結される。

 

 きっと、彼女は。

 

「......ここで、日菜に言ったのか」

 

 日菜への拒絶を、この場所で言ったのか。

 ストンと心に落ち着いたような、パチリとパズルのピースがハマったような。そんな気分がした。

 

 声を発した自分の喉が少しづつ暖かくなっていく。核心をついたその声の振動が、氷川紗夜の鼓膜を揺らしていく。

 

 俺の言葉を聞いた彼女がゆっくりと顔を上げる

 

「......はい」

 

 ここにきて初めて、氷川紗夜と視線が交差する。彼女の目尻は、赤く腫れていた。

 

 まるで、あの時のリサみたいな腫れだった。

 

「......そっか」

 

 その目元に耐えきれずに、彼女から目をそらす

 

 苦し紛れに見た真上の空模様は、相変わらず最悪だった。もうすぐ降りそうなその雨雲は、3週間前の金曜日。リサの家に泊まりに行く日の帰り道みたいだった。

 

「......あのさ、俺さ」

 

 目は、まだ氷川紗夜とは合わさない

 

 上を向いたまま、ふつふつと湧いてきた罪悪感や怯えを溢れさせないように上を向いたまま、堪えるようにそう呟いた。

 

「多分、似てるんだわ。お前と」

 

 どくどくと血液を送り出す心臓の胎動が、まるで雨音みたいに煩く鳴り始めた。体の内側から聞こえるその音は止むことなく、どんどんと音量が上がってくる。

 

 その音をかき消すみたいに、言葉を続けた

 

「俺もさ、後悔してんだ」

 

 脳裏に浮かんだのは、リサの部屋で見た笑っているリサの顔。公園のベンチで見た夜の景色を背にした友希那の顔。そして何度も見た、葛飾の苦しそうな顔。

 

 その全ての原因を生み出したあの軽率な夜の事を、未だに悔やみ続けている。

 

 後悔しないことがリサへの償いだと思っていた。

 

 けれども、それすらも俺には ままならなかった

 

「お前も、きっと後悔してんだろ?」

 

 まだ視線は下ろせない。

 上を向いたまま、空気を吐き出した。

 

「そんな.....」

 

『そんなことない』と、言おうとしたのかもしれない。でも彼女の口は 『そんな』まで言ったっきり、続くことは無かった。

 

「昔の自分が、憎いんだろ」

 

 少しだけ、視線を下ろす

 でもまだ、彼女の顔は見えない。

 

 元々あったはずの工場のゴミ捨て場の残骸が視界に入る。その崩れたコンクリートの塊が、錆びた鉄筋の跡が、俺の中の形骸化した倫理観と決意を表してるみたいだった。

 

「でもさ、自分以外の誰かになんて なれる訳ないんだよ」

 

 もう少し、視線を下ろす。

 でもまだ、彼女の姿は見えない。

 

 コンクリートの塊から突き出た錆びたパイプの柱が、天に向かって仁王立ちをしていた。

 

「後になって何をしようが、取り返しなんてつかないんだよ」

 

 またもう一度、視線を下ろす。

 少しだけ、彼女の姿が見えた。

 でもまだ、彼女とは視線は合わなかった。

 

「でもさ、氷川紗夜」

 

 首の間接を下ろしきる。

 やっと、彼女と視線が混ざりあった。

 彼女の瞳が、まっすぐと俺の目を見ていた。

 

「取り返しのつかない事ぐらい、誰にでもあるんだよ」

 

 ゆっくりと、噛み締めるみたいに続ける

 

「なんで日菜が俺と会ったのか、知ってるか?」

 

 歯を食いしばって、次の言葉を紡ぐ

 

「なんで俺があの日、お前と友希那の待ち合わせ場所に居たか、わかるか?」

 

 俺のその言葉に、氷川紗夜の瞳がどんどんと震えていく。きっと、俺が言いたい事に気づいたのだろう。

 

「お前を、あのバンドから引き離すためだ」

 

 その言葉が、2人だけの廃墟に響いた。




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40 嚥下、It's a small world

やる気がダダ下がってます。
Twitterとか評価とか感想とかで元気ください


「それは、日菜が...?」

 

 惚けたように、氷川紗夜が言う

 

 ステージの上での澄ました表情とは対照的に、彼女の顔はまるで鳩が豆鉄砲をくらったような、そんな滑稽さすらも内包する 喜劇めいたマヌケささえもあった。

 

 きっと、

 

 それぐらい彼女にとっては衝撃的だったのだろう

 

「.....日菜が、そう言ったんだ」

 

 もう一度、ダメ押しの言葉を吐いた

 

 日菜が自分をバンドから引き離そうとしていたという事実を、もう一度告げた。徐々に潤んでいく彼女の瞳を、逸らすことなく見つめ返す。ゆっくりと、彼女の目の縁が揺れていた。

 

「......氷川紗夜」

 

 熱を持った呼吸が、肺から吐き出される

 

 俺の喉を通して外気に触れたその言葉はゆっくりと周りの空気を巻き込んで彼女の元へ漂っていく。まるで吸い込まれるみたいに消えていったその声は、2人だけの廃墟に浸透していった。

 

「俺にも、あるんだよ。後悔してること」

 

 彼女のそれ とは全く違うベクトルで、でもきっと本質的には同じはずな後悔が、俺と氷川紗夜の共通項だった。

 

「......ずっとさ、それが忘れられなくて。何するにしてもチラついてさ」

 

 他人に見せないように必死に抑えてた弱みを、さらけ出すみたいにつぶやく。その俺の呟きを、静かに聞く氷川紗夜。

 

「何やろうとしても、怖いんだよ」

 

 友希那のライブをリサと見に行ったあの日、麗奈との距離を拒んだあの日、日菜と共謀したあの日。全部、結局は俺は何も選べちゃいなかった。

 

 俺は何もしなかった。

 俺以外の何かに全部を投げてたんだ。

 

 選んでいるようで、何も選べていなかったのだ

 

「お前も、怖いんだろ?」

 

 ライブハウスで至った氷川紗夜についての推理の答え合わせをするように、そう言う。

 

「自分が日菜を疎んだせいで起こした変化が、自分のせいで誰かを変えてしまうのが、怖いんだろ?」

 

 少しだけ、彼女の肩が揺れた

 

「......でもさ、日菜は」

 

 氷川紗夜の反応なんて、どうでもよかった

 

 彼女が嫌がっていようが、聞きたくないと思っていようが、止められなかった。この言葉を発せなかったら、俺がここにいる意味が無いとさえ、思っていた。

 

「お前に後悔なんて、して欲しくないんだよ」

 

 彼女の震えが、止まった。

 そして彼女は、視線を俺と交わすのをやめた。

 ゆっくりと俯き、俺と目を合わせる事から逃げた。でも、続ける事を諦めはしなかった。

 

「自分のせいで変わるのに臆病になるのも、自分と比べてお前が辛くなるのも、嫌なんだよ」

 

 だから、

 

「だから、友希那と一緒にバンドを組んでくれないか」

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 俺の言葉に、氷川紗夜は返事をしなかった

 そして俺も、彼女に返事を促す事はなかった

 

 長い長い沈黙が、俺と氷川紗夜の間に流れていた。

 

 少し湿った工場跡地の空気が、頬に触れて少しだけ冷たかった。右手に押された途中退場を証明するライブハウスのスタンプが、少しだけ消えかかっていた。

 

 まだ、2人とも声を出さない

 

 でもきっと、出す言葉は決まっているはずだ。

 でもまだ、心の準備が出来てないだけ。

 

 それだけなのだ。

 

「......中野さん、でしたよね」

 

 氷川紗夜が、そう言う。

 

「......あなたにも。あるんですね」

 

 ─────後悔してることが

 

 きっとそう続けたかったであろう氷川紗夜の口は、彼女の思惑とは違って続きの言葉を発せないままでいた。彼女の口が、『後悔』という言葉を発するのを拒んでいるみたいに 全く動かないでいた。

 

「......ああ。後悔ばっかだよ」

 

 立ち止まって、続きを踏み出せないでいる氷川紗夜の沈黙を塗り替えるように、俺が声を出す。言葉の節々が震えた情けない声が霧散していく。

 

「......俺さ、最低なんだよ」

 

 なんとなく、俺だけが氷川紗夜の後悔を知っている事が後ろめたくなった。だから、氷川紗夜が聞きたいか聞きたくないかなんていうのは度外視して、自分の事を話したくなったのかもしれない。

 

 考え無しに口が滑っていく

 

「好きだったんだけど、いつの間にか好きじゃなくなってて。気づいたら別の人のことが好きになってて」

 

 きっと氷川紗夜は、何を言われているのか分からないだろう。でも、これはただの自己満足なのだ。ただ自分が懺悔したいだけの、独り言みたいなものなのだ。

 

「それなのにさ。......両方とも、泣かせちゃったんだよ」

 

 脱力した両腕がだらしなくぶら下がる。そんな俺の姿を見る氷川紗夜は、伺うようにこちらを見ていた。

 

「......それは、湊さんの事ですか...?」

 

 彼女はそう、ポツリと呟いた。

 

「...あぁ。友希那も、そうだよ」

 

 俺のその返事を聞いた氷川紗夜の顔が要領を得ないような顔をしていた。曖昧な俺の返事が。どこか、腑に落ちなかったのだろう。

 

「俺、本当はお前に偉そうに言えるような奴じゃないんだよ。俺はお前よりもずっと、酷いやつなんだ」

 

 でも、それでも俺は。

 

 言わなきゃいけない。

 俺には、味方が居るのだから。

 

「だから、俺も変わるから。お前も一緒に変わろう」

 

 途中退場のスタンプの押された右手を差し出しながら言う。差し出した先には、蹲ったままの氷川紗夜が居た。訝しむような、疎むような細めた瞼の隙間から見える瞳が揺れていた。

 

 その瞳はきっと、俺の事など見ちゃいないのは。何となくわかっていた。

 

 きっと、俺ではなく

 日菜を見ているのだろう

 

「......俺も、お前も。それと、日菜も」

 

 少しづつ雲が流れていき、太陽の光がさし始めた工場跡地の空気は、さっきまでの湿った鬱屈としたものではなく。乾きかけの洗濯物からほのかに香る芳香のような、そんな匂いがしたような気がした。

 

「後悔ばっかりかもしれないけど、多分。それで良いんだと思う」

 

 あの日、リサと呼吸を交わした夜の事を、俺はもう後悔なんてしない。あの日感じたリサの気持ちから、俺はもう逃げない。

 

 そう もう一度思えたのは、きっと日菜のおかげだ

 

 だから、

 

「取り返しのつかない事だってあるけどさ、悩めるのも笑えるのも、きっと今しかないんだよ」

 

 日菜が俺にしてくれたように。

 氷川紗夜の味方になってやりたい。

 

 そう、思ったんだ

 

「だからさ、氷川紗夜」

 

 蹲ったままの彼女に、そう言う

 

 

 

「俺と、友達になってくれ」




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41 邁進、成りかけの友情

2日に1回ぐらい投稿できたらいいな。
評価感想待ってます


 コンクリートが反射した太陽の光に目を細めながら、さっき通った道を遡っていく。ついさっき通ったはずの道でも、行きと帰りでは不思議と景色は全く違っていて まるで初めて通る道のように感じられた。

 

 いつもの通学路とは全く別の、商店街の縁をなぞるような道を進んで行く。時間でいうと30分も経っていないぐらいの、ついさっき通った道なのだけれど。

 

 今は、俺ひとりじゃない

 

 俺の右側を少し俯いたまま歩く「氷川」をちらりと見る。傍から見れば俺たち2人はきっとカップルのように見えるのかもしれない。でも、俺たちの関係はそんな色のついたものではない。

 

 まだ、友達になってから10分も経ってない

 

 そんな、浅い関係だ

 

「......なぁ、氷川」

 

 お互いに特に喋るわけでもなく、RPGのように縦1列になってあの怪我をしてしまいそうな工場跡地のフェンスを潜って、特に何かを話すわけでもなくライブハウスまでの道を歩いていた。

 

 初めは俺の後ろを付いてきていたのだが、いつの間にか氷川は俺の横を歩いていた。

 

 そして、そんな彼女へ10分ぶりに声をかける

 

「まだライブ、間に合うと思うか?」

 

 右手に押された途中退場のスタンプを見ながら、そう訊いてみた。お互いの共通の話題は、俺の把握している限りだと日菜の事か音楽の話しか無いので、ここは取り敢えず当たり障りのない今日のライブの話にしていおいた。

 

 べつにこのまま無言で帰っても問題は無いのだけれど、何となく、気まずくなってしまった。

 

「......このままいけば 最後のバンドの演奏には、間に合うと思いますよ」

 

 左腕に巻いた、女性物の小ぶりな腕時計を見ながら彼女はそう返事をした。携帯電話を使うのではなく腕時計で時刻を確認する、少し当世風では無いその仕草は、氷川にはよく似合っているふうに感じた。

 

 彼女が言うには、最後のバンドに間に合うらしいのだが。昨日リサと一緒に帰っていたあの女の子の演奏する姿は、どうやら見れそうにない。

 

「......そっか、ありがと」

 

 少しだけ落胆した心をそのまま映し出したみたいな素っ気ない返事が口から出てきた。その俺の質素な返事を聞いた彼女の顔も、どこか寂寥混じりの寂しい横顔だった。

 

 きっとお互い、もっと聞きたいことがあるはずだ。日菜とのこれからのことだったり、Reeves Roseはどうするのかだったり、考えなきゃいけないことはまだまだ山積みだ。俺たちはまだ、スタートラインに立っただけに過ぎないのだ。

 

 でも、どう切り出していいのか。

 掴みきれていないのだ。

 

 あの時、

 工場跡地で俺の言葉と共に伸ばされた手を取った氷川も、「友達になってくれ」と言い出した俺も、どこか胎の中では信用をしきれていないのかもしれない。

 

 頭ではお互いにわかっていても、お互いまだ話し始めてからほとんど時間は経っていないのだ。

 

 そう易々と人と手を取り合うことが出来たのなら、氷川紗夜は初めからここまで拗らせなかった筈だ。少し考えたら解りそうなのに、なぜ俺はあの時考えつかなかったのだろうか。

 

 でも、

 

 それでも、今こうやって2人でまたあのライブハウスに迎えていることは。氷川紗夜が日菜に向き合ってくれるようになったことは。

 

 絶対に意味があるはずだ。

 俺のした事は、間違いではなかったはずだ。

 

 そう、考えることにした。

 

「......中野、さん」

 

 俺の横から、氷川の声が聞こえた

 

 首を曲げて右側の彼女の方を見る。さっきまでの草の生い茂った荒れた背景ではなく、コンクリートでできたブロック塀を背にした彼女は、あの空き地で見るよりもずっと綺麗だった。

 

「ん、どした」

 

 そんな彼女に対して、友人に向けるような(氷川も今は、友人の1人なのだけれど)軽い態度で返事をする。俺のその薄っぺらい返事を聞いて、少しだけ緊張が解けたように 貼っていた肩を下ろす氷川。その仕草が見れただけでも、素っ頓狂な返事をした甲斐があった。そして、

 

「帰ったら、日菜と話。してみます」

 

 その言葉が聞けただけで、今日ライブハウスに来た甲斐があった。そう、思えた。

 

「ちゃんと話、できるのか?」

 

 弛緩した頬の表情筋が垂れ下がっていくのを自覚しながら、冗談めいた言葉を彼女に向かって言う。俺のその言葉を聞いた氷川は、俺と同じように表情を和らげながら言った。

 

「えぇ、ちゃんとお説教。しないといけませんから」

 

 あぁ、きっと。日菜は今日大変だな。

 

 なんて事を独り、緩みきった脳みそでそう考えていた。

 

 お互いに表情は笑顔のまま。ぎこちないような、それでいて何処か滞りないような、そんな奇妙な居心地が流れる帰り道を辿っている。

 

 この先の、Reeves Roseの行方はまだ検討もつかないけれど。とりあえず日菜と氷川は、心配ないのかもしれない。

 

 俺の心配は、杞憂だったらしい。

 

 そんな事を考えながら、ふと気になった。

 

「......そういえば、最後の出番のバンドってどんなバンドなんだ」

 

 氷川が言うにはこのまま行けば間に合うらしいそのバンドは、一体どんなバンドなのだろうか。Reeves Roseが演奏した、あの『ヒューマノイド』を超えるような、友希那がステージの上で歌った『vinyl』のような、熱量の篭った演奏は聞けるのだろうか。

 

 そんな期待を胸に収めながら、氷川に訊いた

 

「......確か最後の組は.....」

 

 腕を組んで、空を見上げながら考え始める氷川。つられて上を向いてみると、さっきまで太陽を覆っていた雲たちは散り散りになってどこかに行ってしまっていた。

 

 そして、そんな太陽を見上げている俺に向かって氷川はこう続けた。

 

「『Afterglow』、ですね」




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42 開幕、Afterglow

解釈違いを起こすかもしれません。でもきっとステージに上がるとみんなテンションが上がってしまうと思うんです。


 途中退場のスタンプをスタッフに見せて、デカい鉄製のドアを潜る。氷川はイベントの出演者のため、何も証明する必要は無いらしく すんなりと俺の後を着いてきていた。

 

 会場の中は、俺が出る直前と同じく大盛り上がり......という訳では無かった。むしろ、盛り下がっているとも言えるほどに 静かだった。

 

 その様子に戸惑いを隠しきれない俺と氷川。顔を見合わせてアイコンタクトを送り合うものの、全くこの会場の空気の謎は解けなかった。

 

 考えていても埒が明かないので、出入口近くにいたはずの友希那達を探してみる。とはいっても 大体の場所はわかっているので200人近くいる中でも、友希那とリサの姿は容易に見つかった。

 

「悪い、遅れた。......めっちゃ静かだけど何かあったの?」

 

 そう言いながら友希那の隣に近づく。

 左から江戸川、神田、リサ、友希那の順に横並びになっていた列の1番右側に俺と氷川が収まる。俺の存在に気づいた友希那がこちらを振り返る。その振り向いた視線はまず初めに俺ではなく、氷川の姿を追っていた。

 

「最後のバンドが、次の準備をしてるのよ」

 

 氷川に視線を向けたまま、友希那が俺の質問に答える。どうやら、最後の...『Afterglow』の出番には氷川が言った通り間に合ったみたいだ。

 

「そっか、お前の言った通りだな」

 

 氷川の方を見ながらそう言う。友希那と同じように氷川を振り返ってみると、彼女の表情はどこか緊張をしているように強ばっていた。まぁ、無理はないだろう。これからReeves Rose から抜けて、友希那とバンドを組むことになるのだ。心配事は山ほどあるだろう。

 

 そんな事を考えていたら、後ろから声が聞こえた

 

「あ、紗夜! おかえり! 何してたの?」

 

 神田 咲だ。神田がリサや俺たちの後ろを通り抜けて氷川の方に駆け寄っていく。その無邪気な仕草を見ると、キュッと心が軋むような気がした。

 

「少し用事が.....」

 

 苦し紛れにそう返事をする氷川。用事なら、俺と一緒に帰ってきた理由に説明がつかないだろう。氷川は嘘をつくのがどうやら苦手らしい。その要領の悪さが、いかにも氷川らしかった。

 

 しょうがないので助け舟を出そうと俺が口を開こうとした瞬間、神田が遮るように言った。

 

「あ! そっか、中野さんって日菜ちゃんと仲良いからお話してたんだ?」

 

 過剰なまでに芝居がかった明るい声で、神田はそう言った。そしてその覆い被さるような、わざと続きを言わせないようなその態度に、既視感を覚えた。

 

 やはり、そういう事か

 

 ひとりでそう納得する

 

 

 

 きっと、神田と葛飾は似ている。

 

 

 

 笑っている神田の横顔を見ながら、そう思った。

 

 その瞬間、耳をかき分けるようにドラムの音が聴こえた。ドラムと電子音のような音が混じったそのリズムは、心臓が止まるほどに急で。心臓が握りつぶされそうなぐらいの迫力があった。

 

 ドラムと電子音だけのその音が、何故かそれだけでひとつの曲になってるみたいに纏まっていて。それでいてどこかはち切れそうな程の熱を持っている気がした。

 

 さっきまでは少しローテンポだったドラムが、速くなっていく。歪なようでどこか完成されたようなそのドラムが、会場に集まった客たちを惚けさせていく。

 

「......メトリックモジュレーション.....」

 

 神田と一緒に俺たちの後ろに来ていた黒いショートヘアの、江戸川がそう呟いた。

 

「なんだそれ?」

 

 その呟きの意味がわからなくて、左を向いて友希那に訊いてみる。でも、友希那の表情を見てすぐにわかった。この表情は、自分でもわかってない時の顔だ。

 

「えーっと、なんて言ったらいいかなぁ..」

 

 後ろからの声に振り向いてみると、江戸川 美雪が頭を掻きながら困ったような仕草をしていた。

 

「簡単に言うと、テンポ自体は変わってないけど速さは変わってる、みたいな感じかな..」

 

 テンポが変わってるのに速さは変わらないって、どういう事だよ。江戸川が言った「簡単」な説明は、音楽に全く明るくない俺の脳内では理解の追いつけるようなものでは無かった。

 

「あぁ〜もう、なんて言ったらいいかわかんないよ」

 

 もう一度、頭を掻きむしる江戸川。その横にいる神田も苦笑をしていた。

 

「ん〜、わかりやすく言うと。だまし絵みたいな感じ」

 

 友希那の隣で、身体を反らせてこちらに視線を送りながら言ったのはリサだった。

 

「そう! そんな感じ!」

 

 リサの方に指をさしながら言う江戸川。いつの間に彼女たちはこんなに仲良くなっていたのだろうか。昔から話をしてるような、そんな親しさが彼女たちからは感じられた。

 

 江戸川とリサが、仲良さそうにハイタッチをしているのを見ながら ぼんやりとそんな事を考えていた。そんな緩やかな空気とは反対で、ステージの上ではスポットライトに照らされた赤髪のドラマーがドラムソロを行っていた。

 

 江戸川が言うには、メトリックモジュレーションというだまし絵のような演奏方法らしいのだが。素人目からすると不規則にスピードが変わっているようにしか思えなかった。

 

 唐突に速くなったり、遅くなったりを繰り返すその打音が、どこか心を焦らすような感じがした。

 

 そのドラムに加えてしきりに鳴っている、外国人の声のような加工された英語がずっと、繰り返しなり続けていた。なんて言ってるかは上手く聞き取れないけれども、ずっと鳴り続けているその音の正体は、ドラムの横で何やら機械を操作しているキーボード担当らしい人物によるものだった。

 

 ドラマーの周囲が辛うじて見えるぐらいのその薄暗いステージの上には、ドラマーとキーボード以外に3人が立っていた。そして、そのうちの1人がマイクを握るような仕草が、うっすらと見えた。

 

『あと2曲だから』

 

 友達に軽く言うような、そんな無遠慮な。不躾な横暴さがあるようなMCがマイクを通して会場に響いた。

 

 でも、会場はその一声で。

 その一言だけで、静かだった会場は一気に息を吹き返した。

 

 その瞬間に、ベースの低い音が絡まるようにドラムの作り出していたリズムに重なっていった。

 

 さっきまでのドラムソロと、ベースの加わった事により深みを増した演奏のグラデーションが艶やかだった。

 

『出し惜しみなんてしないで』

 

 さらに引っ掻くようなギターがもうひとつ重なった。MCが一言を発する度に変わっていく演奏のコントラストが、聴いている俺たちの心臓を止めんばかりに驚かせていた。

 

 このギターが、あの少女なのか。

 

 リサと一緒に見た少し抜けたような雰囲気とはうって変わって、情熱的とも言えるほどに鮮烈なそのギターが。3種類の楽器と電子音が重なって生み出しているこの演奏の隙のなさが、圧倒的なまでの質量を生み出していた。

 

『全部出し切って、一緒に歌ってください』

 

 加速していく曲調。動き回るスポットライト。その照明で見え隠れする5人の少女達の姿が、幻想的とも言えるほどに非現実的で。神々しささえ携えていた。

 

 〆と言わんばかりのギターの唸り声、そのギターを支えるように響くベースの低音、そして全ての音を押し上げていくドラムの弾けるような音に、自然と身体が持ち上げられるような感覚がした。

 

 土手っ腹に響くようなその音を全身で受け止めながらステージの上を見る。

 

 ボーカルの少女が、両手にマイクを握りしめて思いっきり身体を曲げる。それと同時に演奏が引き絞られるような、そんな感覚がした。

 

 そして、ステージの上で彼女は叫んだ。

 

 

『行くぞ、飛べぇぇ!』




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43 閃光、It's Flash

『Flash!!!』は絶対に人生で1度は聴くべき


『行くぞ、飛べぇぇ!』

 

 

 ボーカルの少女が力一杯に叫んだ

 その叫び声と3種類の楽器の重なった音は会場を駆け回り、まるで光のような速さで辺りを飛び交って行った。

 

 友希那の時の、ゆっくりと周りを支配していくような雰囲気とは真逆で。一瞬で周りの温度を引き上げるようなそのパフォーマンスは、きっとあのドラムソロが引き起こしたマジックなのだろう。

 

 あの騙し絵のようなリズムが作り上げた、種も仕掛けも張り巡らされたマジックだった。

 

『It's Flash!!!』

 

 ボーカルの少女がまたもう一度、思いっきり叫ぶ

 

 その張り裂けるような声で会場はどんどんヒートしていく。手を振り上げて乱れる観客を、折り曲げた体はそのままに首だけ動かして一瞥するボーカル。

 

 その様子を見ながら笑顔で演奏するメンバー

 

 そこには、Reeves Roseには無かった...というか。『足りなかった』ものがあったような気がした。

 

『歌えぇ!』

 

 折り曲げた体を跳ね上げて、腕を掲げながら観客達にボーカルはそう叫んだ。それに合わせてまたもう一度、助走を取るように駆けていく演奏。

 

 もう観客たちは、何をするべきか。何をしなきゃいけないのかを、十分すぎるほどに解っていた。

 

『It's Flash!!!』

 

 今度はボーカルだけじゃなく、会場全体がそう叫んだ。ボーカルの彼女には1人だけでは敵わないけれども、観客200人ほどが全員揃えて叫ぶその声には圧倒的な力があった。

 

『It's It's Flash!!!』

 

 今度は演奏しているメンバー達も混じって全員でそう叫ぶ。楽器を抱えたまま叫ぶ彼女達の表情はどこか煌めいていて、その姿を見るだけでどこか多幸感に包まれるような気がした。

 

『It's Flash!!!』

 

 左ではリサと友希那が、右ではReeves Roseのメンバーたちが、羨望すら感じられる表情でステージを見ていた。複雑な感情や背景なんてのを一切合切に度外視したような、そんな晴れやかな顔だった。

 

 このライブハウスにいる人間、その全員が彼女ら...『Afterglow』に釘付けだった。全員が、手を振り上げながら叫んでいた。

 

 そして、

 

『...やるじゃん』

 

 ボーカルの少女がふっと笑ってそう言った

 その表情はやけに大人びていて、リサとはまた違う意味で色のある艶やかな表情だった。

 

 そんな表情を見せたかと思ったら、次の瞬間にはその赤みがかった顔をマイクに向けた。そのON/OFFの切り替えが、そのコントラストが 素直にかっこよかった。

 

『全ては冗談だって 本物か偽物かなんて』

 

 右手でマイクを握りながら、左手を振り乱してリズムを取りながら、観客を煽るように歌うメッシュのボーカル。その声を後押しするように演奏する4種類の音色が、彼女を讃えるように湧く会場が、まるでひとつの生き物みたいに蠢いていた。

 

『くだらないぜ、真実なんて。ただ下り坂を猛スピードで、駆け抜けるんだ』

 

 確かめるように、でも立ち止まらないように、地に着いた足を足にくい込ませてすぐに飛んでいってしまうような。そんな疾走感のある歌声と演奏だった。

 

 彼女たちを照らすスポットライト、その光を受けて輝いている彼女達から迸る汗が、心臓の鼓動をどんどんと速めていった。

 

『振り払えるんだ、思いのままに』

 

 左手を思いっきり握りしめて、絞り出すように天を仰いで叫ぶ。その、文字通り『必死』な姿の彼女を支える2人分のコーラスが聴こえてくる。歌っているのは多分、ギターとベースの2人だろう。

 

 そして、その姿を見て思い出した。

 リサと会った昨日の帰り道で、日菜がギターを弾きながら歌っていた事を話している時の事だ。

 

「モカちゃんも、それぐらい出来ますよ〜」

 

 そう、間延びした声で言っていた。確かに、彼女が言った通り演奏をしながら彼女は歌っていた。それも、白熱するような切れ味のあるギターをかき鳴らしながら完璧なコーラスを歌っていた。

 

 ちらりと、リサの方を見てみる。リサの視線は当然だけれど、ステージを見ていた。そしてその横顔に映っていた瞳は、モカの晴れ姿を網膜に焼き付けているような。そんな顔だった。

 

『ブレーキは折れちまってんだ』

「飛べぇぇ!!」

 

 コーラスに歌うのを任せて、また思いっきり叫ぶボーカル。その華奢な体の一体どこにそんなパワーが隠れていたのだろうか。言葉通りに飛び跳ねながら叫ぶその姿に、もう平静を保てるはずもなかった。

 

『It's Flash!!!』

 

 でも、ただ単純には俺は楽しめないでいた。俺の周りの友人や、知りもしない他人と同じ様には飛び跳ねたり叫んだり歌ったりだのといった、無邪気な行為は何故か出来ずにいた。

 

 何となく、何となくだけどこの歌は、俺によく染み入るような。そんな苦味があった。

 

『It's Flash!!!』

 

 そんな俺の事などとうに通り越して、置いてけぼりにしたまま会場とAfterglowのメンバーがどんどんと一体化していく。リサも、友希那も、神田も、江戸川も、全員が俺から離れていって 俺だけが取り残されるような。そんな感じがした。

 

『密かに期待しちゃいないかい? 思い通りに行きやしないぜ?』

 

 叫び声から一瞬にして歌い声へと変化を遂げたボーカルの声。旋律に乗っていくその声が、綺麗だった。でも、

 

『遣る瀬無いね、それでも主役は誰だ? お前だろ?』

 

 その歌声と歌詞の荒々しさのギャップが、食い違いが、歪であって尚且つそれにはどこか正しさがあった。

 

『輝けるんだ! いつだって思いのままに』

 

 ゆっくりと演奏がまた、助走を取るように引いていく。それはまるで海のようだった。寄せては返す波のように激しさと静かさを持ったそのメリハリのある音が、演奏が、圧倒的なバンドとしての結束や、コンビネーションが生み出す確かな結合が生み出した自然現象とも言える物だった。

 

 ドラムがまるで、俺たち観客を制しているみたいに。超えては行けない一線を作り出していた。最後のクライマックスまで俺たちを引き止めるような、そんなリズムだった。

 

「...中野さん」

 

 そんな、少し静かになった演奏の合間に。氷川が声をかけてきた。

 

「どうした、氷川」

 

 その声に反応して右を見る。

 そこに居た彼女は、どこか晴れやかな顔をしていた。

 

「......凄い、ですね」

 

 まるで子供みたいに、氷川がそう言った。

 

 きっと、彼女もどこか。俺と一緒で、この歌に飲み込まれきれないで居たのだろう。多分、俺も氷川も。この圧倒的な光のような純粋さを前にして、立ちすくんでいるのだろう。

 

 それほどまでに、ステージは眩しかった。

 

『間違いだらけの人生が 光を見失わせるtonight 一瞬でいい今だけでいい 逆らって』

 

 髪を振り乱しながら、身体を震えさせながら、全身で、全霊で、魂で歌っていた。その姿を、俺と氷川はただただ呆然と見つめるだけだった。

 

『全てを求めないで 時の流れを許して』

 

 もしかしたら、俺が何かをしなくても。この曲を聴くだけで、Afterglowの演奏を聴くだけで何もかもが解決したのかもしれない。

 

 そう思ってしまうほどの何かがここにはあった。

 

 俺も、氷川も、この歌をこの場で聴くだけで。

 自分の中の何かが変わったような、そんな気がした。

 

『その身を焦がしてでも、光放って』

 

『It's Flash!!!』

 

 またその言葉で。そのキーワードで会場が一体化する。

 俺と氷川だけが、また置いてけぼりにされていく。

 

「...ほんと、凄いな」

 

 演奏にかき消されるほど矮小な、ちっぽけな呟きで氷川にそう返事をする。でもきっと、氷川には聞こえてるはずだ。

 

 何となく、そう思った。

 

『全ては冗談だって、本物か偽物かなんて』

 

 会場はまた温度を上げていく

 

『くだらないぜ 真実なんて ただ下り坂を猛スピードで』

 

 右も左も、飛び跳ね 歌い、思い思いの形でこの波に乗っていた

 

『駆け抜けるんだ 振り払えんだ思いのままに』

 

 手すりをぎゅっと握って、耐えるようにその演奏を聴いていた。

 

『誰もが矛盾を抱えてんだ』

 

 ボーカルが、コーラスと演奏に後押しされながらどんどん歌詞を紡いでいく

 

『翻弄され踊り踊らされ』

 

 その歌詞の一つ一つが、まるで俺の今までやってきたこと全てを説教しているみたいだった

 

『それでも何度でも立ち上がれ』

 

 圧倒的な迫力と 透き通った、どこまででも響いていけそうなボーカルの声が耳に響く

 

『いつだって主役はお前だろ!』

 

 その手すりを握った俺の左手を、誰かが掴んだ

 

『輝けるんだ! 変わらない思いのままで!』

 

 その手を辿るように、ゆっくりと首を上げていく

 その白い、今にも折れそうな花のように嫋やかなその腕の主は

 

『歯止めは もはや効かないんだ!』

 

 照明に照らされた、友希那だった




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44 篝火、ココア味の記憶

評価感想のおかげで毎日投稿が復活しつつある


 煌めくステージと対照的に暗く沈んでいた俺の心を見透かすように、友希那が俺の左手を握った。

 

 その感覚はまるで、あの時。夜の公園で2人でベンチに座っていたあの時を思い起こすような感触だった。

 

「......どうしたんだよ、急に」

 

 驚きをなるべく見せないように、騒がしいステージの音に上手く隠れるように捻り出した俺の震えた声。その声はきっと、友希那だけにしか聞こえなかっただろう。すぐ右にいる氷川ですら こちらを見る事はなかった。それぐらいの、ほんとに小さな声しか出なかったのだ。

 

「.....急ではないでしょう?」

 

 友希那も、俺みたいに小さい声でそう返す。

 

 まるで2人だけの秘密の会話をひそひそ声で話すみたいに。そんな小さなボリュームの声量で、友希那は俺に言った。

 

 そして、その友希那の言葉は、理解に易いものでは無かった。

 

「いやいや、どう考えても急だろ」

 

 呆れるように、そう返した

 

 ステージの上ではAfterglowが、さっきの曲の余韻を逃さないように。ギターやドラムで、この楽しい瞬間をなるべく引き伸ばすみたいに、アウトロを演奏していた。

 

 その歌詞通り『一瞬』を『今だけ』の瞬間を握りしめて離さないように、掻き鳴らしていた。

 

「......そうかしら?」

 

 また、友希那はふっと笑っていた。今日さっき氷川を追いかける前に見せたような笑顔を、友希那は浮かべていた。

 

「......大丈夫よ」

 

 そして、その笑顔のまま友希那がそう言った

 

「...主語をくれ、主語を」

 

 友希那に左手を握られながら、俺は気恥しさから逃げるようにそう返した。冗談めかして返す俺の言葉を、友希那は穏やかな表情で聞いていた。

 

「言わなくても、わかるでしょう?」

 

 俺の手を握る、友希那の右手に込められた握力がゆっくりと強くなっていく。その込められた力と、友希那のその言葉が 少し暖かかった。

 

(...そりゃ、わかってるよ)

 

 きっと、友希那にはバレていたのだろう。俺の胸の中に宿っていた不安も、俺だけが取り残されていくような焦りも、全て。

 

 だから『大丈夫』と言ったのだろう

 

「......言ったでしょ? あなたのおかげだって」

 

 視線を俺の顔ではなく、自分で握っている俺の左手に向ける友希那。整ったその横顔が、ステージの熱で火照ったその頬が、照明で照らされる透き通った髪が、芸術品みたいに美しかった。

 

(...あの時、言ってたな)

 

 ちょうど1週間前の、あの甘ったるいココアの味が口内に張り付く前の、夜の公園で交わしたあの会話を思い出す。

 

『でも今日、初めて誰かの為に歌った』

『自分の為じゃなく』

 

 

 

『想』

 

 

『貴方のために』

 

 本当に 今の友希那から感じる雰囲気は、あの時とそっくりだった。4月の夜とは思えないほどに冷えていた、真っ暗の夜空に吐き出された友希那の呼吸が 白化してどこかに飛んで言ってしまうあの景色が。吸い込まれるみたいに深い 夜空の色が。

 

 ちょうどこのライブハウスと、どこか似ているような気がした。

 

 

「今日の事も、あなたのおかげよ」

 

 回想に耽っていた俺に、友希那がそう言う

 

「私じゃ多分、紗夜を見つけれなかった」

 

 俺の力だけじゃないけど、

 だなんて茶化す気にはなれなかった。目線を合わさずに滔々と紡いでいくその言葉を邪魔するような事は、到底出来やしなかった。

 

 握っていた俺の左手に込めた握力を緩め、握るのではなく 撫でるように、友希那は指を這わせ始めた。

 

 その感触が、少しこそばゆい

 

「......だから、大丈夫よ」

 

 もう一度、友希那が口角を上げる

 

 横からでしか彼女の表情を見ることは出来ないけれど、それでも十分すぎるほどにその表情は 優しくて。その笑顔は今まで見た友希那のどの表情よりも暖かかった。

 

「......ありがとな」

 

 自然と、口から言葉が出てきていた

 

 Afterglowの演奏を聴いて、どこか失っていた自信のようなものが 戻ってきたような気がした。

 

 自分のやってきた事は、無意味なものなんかじゃない。

 そう、思えた気がした。

 

 

 それと同時に、ステージの上のメッシュの少女が叫んだ

 

『次で最後だから!』

 

 彼女の声を合図に、会場がまたもう一度 湧き始める。

 

 さっきまでの、友希那と喋っている間に感じていた穏やかさとは正反対の現実に、意識が引き戻される。

 

 左にはまだ俺の手を見ている友希那、その奥でステージを見ているリサ。右には他の観客に混じって声援を送っている神田と江戸川。そして、惚けたような表情をしている氷川。

 

『出し惜しみなんてしないで!』

 

 その声で、その叫んでいる姿で、その姿を見つめるAfterglowのメンバーの表情で、このライブハウス特有の空気で、観客たちはどんどん のぼせていった。

 

 その証拠に、さっきまでは静かだった俺の心臓はバクバクと弾んでいた。

 

『最後の曲は!』

 

 右手に握ったマイクを口元にあてがいながら、左手を天に掲げるみたいに持ち上げて、そう叫ぶ。

 

 会場全体が、彼女達の演奏を 待ち侘びていた。

 

 そして、たっぷりと空気を肺に溜め込み 満を持して ステージの上でボーカルが叫んだ。

 

『Teenager Forever!!』




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45 憧憬、伝染する感情

ぜひ原曲を聞いて欲しい


『他の誰かになんて なれやしないよ』

 

 モカのギターの音と、ボーカルの透き通った声の2つだけが響く。その他には、何も聞こえなかった。観客達の出す雑音や、自分の体の奥から響いてるはずの心臓の鼓動でさえ、彼女達の音楽を邪魔する事は出来なかった。

 

『そんなのわかってるんだ』

 

 今日俺が、氷川紗夜に話す事を予め打ち合わせていたように Afterglowは歌っている。この曲は...いや、この曲も、か。

 

 さっきの『Flash!!!』も、この『Teenager Forever』も。両方とも俺の大好きなバンドの曲で。両方とも、今の俺に。今の氷川に染み入るような。そんな歌詞なのだ。

 

『明日を信じてみたいの』

 

 左手は友希那の右手に重ねられたまま、右にいる氷川の方を見てみる。氷川も、その奥にいるReeves Roseのメンバーも。3人ともステージを見ていた。

 

 でも、氷川だけが俺の視線に気づいた

 

『微かな自分を愛せなかったとしても』

 

 左耳から、ボーカルの歌声が聴こえてくるけれど、ステージから背けるように体を氷川の方に向ける。氷川も、少しだけ体をこちらに向けた。

 

 ギターとボーカルだけだった、少し味気ないとも言える音にベースとドラム、キーボードが加わって、いくつもの音が重なった音が会場に響いていく。

 

 その激しさや、賑やかさとは反対に。俺と氷川は静かに見つめあっていた。

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 きっと、メンバー全員が歌っているのだろう。ボーカルの声だけじゃない、いくつもの歌声が聴こえてくる。その一体感が、その調和が、原曲には無かった本当の『ティーンエージャー』な魅力が備わっている気がした。

 

「...あなたと、似てますね」

 

 氷川が、ふっと笑った

 

 その言葉は、なんに対してなのだろうか。いまいち、検討がつかなかった。

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 彼女達のコーラスに混じって観客たちも真似て歌い始めた。その合唱に、また俺と氷川は取り残されてしまった。

 

「『他の誰かになんてなれやしない』って言葉、あなたも言ってましたよね」

 

 そういえば、言ったな。

 

 さっきまで居た工場跡地で、氷川にそう言った気がする。別に、そっくりそのままこの曲を真似た訳では無いけれど、この歌の影響を受けて出た言葉であるのは確かだ。

 

「どこかで聞いたことがあった気がしたんですけど、この歌だったんですね」

 

 少し俯きながら、氷川は口角をあげてそう言った。純粋な笑顔ではないその表情。でも、不思議とその表情には悪意を感じなかった。

 

 どちらかといえばむしろ、母親のような愛情を携えたような。そんな優しい表情だった。

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 静かな氷川の表情、その顔を照らすステージから溢れてくる照明。視線をステージの方に向ける。するとそこには、照明なんかよりも もっとギラギラに照らし返す5人の姿があった。

 

 その全てに『Teenager』な魅力があった

 

 このライブイベントは高校生しか参加出来ないという特殊な募集条件だ。そんなイベントのトリを飾るにはこれ以上にないほど、この曲と このバンドは相性が良い。

 

 10代の煌めきが、彼女達には全て込められている。そう、思った。

 

『望んだ事全てが、叶うわけは無いよ!』

 

 またギターとボーカルだけの、2種類の音だけになった演奏。でも、不思議と寂しさは無かった。

 

 この会場を覆い尽くしてなお余りあるほどの迫力が、その声とギターだけで放たれていた。

 

『そんなの、わかってるんだ』

 

 吐き捨てるように、そう歌う。

 

『深い傷もいずれは、瘡蓋に変わって』

 

 その歌詞を聞いて、少しだけハッとする

 

 あの時、日菜が歌った『The hole』が。あの儚い歌声とアコースティックギターの音色が、鮮明に思い起こされる。

 

 日菜は、氷川が帰った後

 いったいどんな事を話すのだろうか

 彼女が負った傷も、瘡蓋に変わっていくのだろうか

 

『剥がれ落ちるだろうか』

 

 2つだけの音にドラムが混じって行く、それと同時にギターの荒々しさも増していく。情熱の込められた歌声と、その声を支える演奏がどんどんと熱を増していく。

 

 やはり、Afterglowは友希那とは逆の。

 別種類の熱があるような気がする。

 

 友希那のゆっくりと浸していくような熱ではない、即効性の。一気に全てを燃やすような熱が、このバンドには有るような気がした。

 

『いつまでも相変わらず、つまらない話を』

 

 ボーカルのメッシュでは無い、他の4人が歌い始めた。女性的で、どこか軽々しい軽快な高音で歌い出す。その、心の底から楽しんでいるような声が、お互いの存在を確かめ合うような歌声が、このバンドの全てを表しているようだった。

 

(あぁ、きっと)

 

 ───きっと、神田や江戸川が欲しかったものは

 

 これだったのだろう

 

『つまらない中にどこまでも、幸せを探すよ』

 

 歌いきるや否や、激しいドラムの音が耳をつんざいていく。腹を食い破るような、そんな生の音が体を食いつぶしていくような感覚が走ってきた。

 

『伝えたい想いは溢れてるのに』

 

 今度は私の番、と言わんばかりにマイクを口に押し当てるように構えながら歌うメッシュのボーカル。その姿に見蕩れていると、本当に自分がちっぽけな物に感じられた。

 

 相手の顔も見ずに ただこうやって歌うだけで人の心を動かせる人間が、自分と同年代で 今この瞬間に目の前に居ることが 少しだけ悔しいとさえ思った。

 

 俺は、人の力を借りて。人の言葉を借りて、人に支えられて、やっと1人を引っ張り出すのに精一杯だった。

 

 それなのに、このバンドは200人を相手にこうやって立派に歌っている。

 

『伝え方がわからなくて今でも言葉を探してるんだ』

 

 友希那は俺に「大丈夫」だと言ってくれた。

 俺が誰かのために何かを出来たと言ってくれた。

 

 氷川の方を、もう一度見てみる。

 

 本当に、俺はなにかを出来たのだろうか。

 

『遠く散っていった夢の欠片に』

 

 氷川の奥にいるReeves Roseを見る。

 

 憧憬や、羨望の類の感情がぐちゃぐちゃに混ぜられたような表情で。瞳孔を開ききってステージを見つめる神田の姿が、折れてしまいそうな花のように見えた。

 

 俺が感じたReeves Roseの在り方がもし本当なのだとしたら。きっとAfterglowは神田の理想をそのまま体現したような、そんなバンドのはずだ。

 

 Reeves Roseに足りないモノを、Afterglowは全て持っている。

 

 だから神田はさっき、リサと会った時の葛飾と同じような。聞きたくない事から逃げるような態度を取ったのだろう。

 

『めくるめくあなたの煌めきに気付けたらいいんだ』

 

 気づかれないように盗み見る神田の横顔、

 その目尻は、泣いてるみたいに腫れていた。

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 またそのフレーズを歌い始める。

 心得たと言わんばかりに、聖歌みたいに観客たちが歌い始める。会場全体が一致していくように鳴らす喉の振動が。心の熱量が、会場を伝染して飛び交っていく。

 

 その畝りが、恐ろしくて

 ステージに目を向けれなかった

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 左に居るリサを見る。

 俺が犯した罪と後悔の象徴ともさえ思える姿は、当然なのだけれど俺の事を見ていなかった。ステージの上で歌う友人へエールを贈るその屈託のない姿が、この会場そ包む眩しさの一片になっていた。

 

『T-t-t-t-Teenager Forever!』

 

 友希那も、完全に飲み込まれている訳では無いのだけれど。俺ほど悲観的な訳では無かった。

 

 眺めるように、ステージを見ていた

 

『他の誰かになんて なれやしないよ』

 

 ボーカルがゆっくりと歌う。さっきまで鳴っていた演奏が黙りこくって、ボーカルの出す歌声だけになる

 

『そんなのわかってるんだ』

 

 初めに歌った歌詞を、もう一度歌う

 

 右に居る氷川の方に視線を向ける

 氷川も、俺の方を見ていた。

 

『明日を信じてみたいの 微かな自分を』

 

 ボーカルが、叫ぶように歌う

 

『愛せなかったとしても』

 

 歌いきった彼女を讃えるように、激しい演奏がまた命を吹き返す。会場も、どっと盛り上がっていく。

 

「......どこで聴いたのか、思い出しました」

 

 そんな周りの事など気にせず、氷川はそう言った

 

 その表情は、どこか晴れやかだった

 

「自分で聴いた覚えはなかったんですけれど、やっと思い出せました」

 

 少しだけ、微笑んでそう言う。

 また、母親のような優しい表情が見えた。

 

「...どこで、聞いたんだ?」

 

 氷川に、そう訊いてみる

 俺のその言葉を聞いて、またもう一度微笑んで

 氷川はゆっくりと口を動かした

 

「......日菜が、歌ってたんです」




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46 開化、繋がったモノ

日菜と想が仲良くなっていく部分とかを読み返してから見るとより楽しめるかもです。


「......日菜が?」

 

 紗夜に訊く

 

 夜、日菜と電話をしている時に彼女が練習してるのを聞いたことは無かったし。知らないものだと思っていたけれど、日菜もこの曲を知っていたのか。

 

「...この曲って、想が好きなバンドでしょう?」

 

 背後から、友希那の声が聞こえた

 

 その声に驚いて振り向いてみると、怪訝そうな顔をして友希那はこちらを見ていた。どうやら俺と紗夜の話を聞いていたらしい。まぁ、そりゃあ聞こえない方がおかしいよな隣で話してるんだから。

 

「...あ〜、俺が日菜に教えたからだと思う」

 

 目の縁の辺りを撫でるように掻きながら言う

 でも。友希那の方を向きながら言った俺の言葉には、友希那ではなく氷川の声によって返事が返ってきた。

 

「......中野さんが?」

 

 左から右から声が聞こえて、一体どちらを向けばいいのかがわからなくなってきた。一体どっちを向いていればいいのかわからなくて、結局どっちも向けずにステージの方を向く。

 

 その1連の態度が、自分の在り方をそのまま映したようだった。リサや葛飾、友希那のうち誰を見ていいのかわからずに結局誰も選べなかった俺の有り様を、くっきりとそのまま写し取っていた。

 

 偉そうに氷川に言ったのに。

 

 俺も変わるからお前も一緒に変わろうだなんてタンカを切ったくせに、優柔不断で誰も選べない そんな生き方は、どれだけ洗っても落ちない汚れのように俺に中にこびりついていた。

 

「......あぁ、俺が日菜に好きなバンドの話した事があって」

 

 氷川の方は見ずに、ステージを見ながら言う。

 

 ステージの上ではAfterglowがMCをしていた。でも、その声は俺の耳には入ってきていなかった。ぼーっとその姿を眺めただけで、手すりに捕まった俺の体は氷川と、友希那の声しか拾わなかった。

 

「それで、次の日に日菜が何曲か弾いてくれてたんだけど..」

 

 そこまで言って、ハッとする。

 不味った。なんでわざわざこんな話してるんだ。

 

 

 氷川は、日菜の才能だとか。物覚えのいい所を見せつけられて、そのせいで日菜を拒絶したのに。それなのにどうして俺は、わざわざ日菜の特異性を話してしまったのだろうか。

 

 そんな事をしても、火に油を注ぐだけじゃないか。

 

 

 でも、気づいた時にはもう遅かった。

 

 出てしまった言葉は、無かった事にはできない。起きた事はもう起きる前には戻れない。そんな事は、わかってた。リサとの夜を越えた俺は、その事を十分に理解していた。

 

 自分が軽はずみに口に出してしまった事実を疎むように、氷川の機嫌を伺うように、右隣に居る氷川を覗いてみる。

 

 

 そこには、氷川紗夜が居た。

 

 何を当たり前な事を、そう思われるかもしれないけれど。そうとしか言えなかった。

 

 薄暗い中に佇む氷川、凛とした整った顔のまま 俺の顔を見るその瀟洒な姿は、まるで月みたいで。日菜のギターの異常な上達を示唆するような話を聞いても、彼女は狼狽える事無く、自分を保ったままそこにたっていた。

 

 そこには、氷川紗夜が居たのだ。

 

「......どうしたんですか? 、急に黙って」

 

 何でも無いように言う、氷川。

 

 でも、その姿は明らかに今までとは異様だった。ついさっきまでは日菜の名前を出すだけで肩を震わせ、怯えたような目をしていた彼女が。狼狽えて、戸惑って、結果逃げ出してしまった彼女が。こうも変わってしまえるのかと、愕然とした。

 

「...いや、なんでもない」

 

 動揺がバレないように、誤魔化す

 

「...なんですか、それ」

 

 少しだけ笑いながら、氷川が言う。

 

 微笑みを携えながらこちらを見る姿は、やけに大人びていた。まるで、あの朝の。おなじ部屋で夜を明かしたあとのリサが腫れた目で冗談を言いながら笑っていた時のような、どこか達観したような笑顔だった。

 

「...日菜の話聞いても、なんともないんだな」

 

 笑ったままの彼女に、そう訊く

 

「...えぇ、だって。言ったじゃないですか」

 

 その笑顔は崩さないまま、氷川の唇が動く

 

 

「一緒に変わろう、って」

 

 あぁ、氷川は俺に似てるだなんて考えは。全くの嘘だったのかもしれない。

 

 一体俺と氷川のどこが似ているというのだろうか。俺と氷川は、全くの別物だ。

 

 俺なんかよりも、もっとずっとデキた人間で。

 俺よりも、もっとずっと強い。

 

 人間、変わろうとしてすぐに変われるものじゃない。元の自分と、変わろうとしている自分は地続きで。どう頑張っても剥離しきれないものの筈だ。

 

 でも、氷川は違った。

 

「......すげぇな、やっぱ」

 

 思わず口から出る。

 

 さっき、友希那は俺に『大丈夫』だって言ってくれたけど。どんどんと自信がなくなっていく。俺は本当に、氷川みたいに変われるのだろうか。

 

 置いていかれや、しないだろうか。

 

 

 不安で、仕方がなかった。

 

「...あなたも、私から見たら。凄いですよ」

 

 そんな俺に、氷川がそう言った。

 

「......いや、どこが」

 

 そんな氷川に、ぶっきらぼうにそう言う。両手を身体の前に出して、指を交差して組んだまま両足の間で挟む。

 

 その少しだけ縮こまった体勢で、氷川の次の言葉を待った。氷川は、まだ笑ったままだった。

 

「だって、私の事。見つけてくれたじゃないですか」

 

 澱みなく、氷川はそう言いきった

 

「...あれは、日菜に教えてもらったから..」

 

 そんな氷川に、ボヤいたような事を言う。

 なぜなら、それも結局は俺の力だけじゃ無いからだ。日菜の力が無ければ、結局俺は何も出来なかったのだ。

 

 

「でも」

 

 そんな俺のウジウジした考えを切り裂くみたいに、氷川が言った。

 

「日菜にギターを薦めたのは、貴方でしょう?」

 

 その言葉に、ハッとする。

 

 その俺の表情を見た氷川は、もう一度ふっと笑った

 

「だから、貴方のおかげ。でしょう?」

 

 目元を細めて、微笑む氷川。

 

 その表情が、俺の心を優しく浸していた。

 

「あなたが教えたから、きっと日菜はあの歌を歌ってた」

 

 何も言えないでいる俺の事を差し置いて、氷川が言葉を紡いでいく。

 

「あなたがギターを薦めたから、日菜はギターを始めた」

 

 その優しい表情で、全てを悟ったような顔で、1人呟いている氷川の姿が。まるで絵画みたいに美しかった。

 

「あなたが、私を日菜に向き合わせてくれた」

 

 凛と、俺の目を見据えて氷川が言う。

 

 その視線に、俺も目を逸らせなかった

 

「だから」

 

 水色の悪魔の、

 夕焼けの中 笑いながら俺に言った言葉を思い出す。

 

『なんかあったら想くんのせいだからね』

 

 

『ギター、やってみるよ』

 

 良かったな、日菜。

 

 

「日菜にギターを薦めてくれて、ありがとう」

 

 氷川は 笑顔で、そう言いきった。




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47 気骨、ひた隠す哀訴

お久しぶりです。生きてます。

モチベ自体はあるんですけど、書けない状況が続いてます。なるべく応援してくれるとうれしいです。


 気まずさから染み出た汗が肌に張り付いて、店内の空調が巻き起こした風に充てられて冷えていく。その冷たい感覚に刺されながら、辺りを見回す。

 

 現在、俺が居るのは喫茶店『Four clover』以前リサと待ち合わせに使った店だ。そして、今座ってる席も前と。リサと2人で待ち合わせをした時と同じ席だ。

 

 でも、

 

 今回は、状況が違う。

 

 今日この場にいるのはリサと友希那の2人───俺の目の前に友希那、その左隣にリサ───だ。

 

「でさ、バンドを組んだ理由が...」

 

 蓋の付いた容器から伸びる、丸くて長いストローを唇に当てながら。右手はストローを掴んだままで、リサがさっきまで話してた神田達から聞き出した『Reeves Rose』のメンバーの情報の続きを話し始める。

 

 聴覚に触れる店内に流れるジャズ、空調から出る駆動音。視覚に障るレンガ調の壁紙と、緩んだリサと友希那の雰囲気。

 

 その全てが、落ち着いた雰囲気を醸していた。

 

「咲が紗夜の演奏してるとこ見て、それで気に入っちゃったみたいなんだよね〜」

 

 大袈裟にストローを持ち上げて、ぶらぶらと掻き回しながら気だるげにそう言う。ファーストネームで神田を呼ぶその進展に、リサの持つ人ヅラの良さを再確認させられながら彼女の弁を飲み込んだ。

 

 やはり、

 

 俺の予想は間違っていないのだろう。

 

 きっと、

 

 俺は氷川と似ている。

 そして、神田咲は葛飾と似ている。

 

「...じゃあ、一目惚れって事か?」

 

 テーブルの下に両手を隠したまま、だらけた格好のリサに問いかける。

 

 俺の言葉に、少しだけ驚いたように瞼を震わせたかと思いきや。すぐにリサは瞳を定位置に持ち直し、半分だけの笑顔で俺に返事を返す。

 

「一目惚れって...言い方変じゃない?」

 

 リサの隣に座っている友希那も、少しだけ眉を下げて呆れてたような表情でココアの入った容器を握っている。

 

 俺の発言を冗談だと思った2人は、微妙な表情で俺の言葉を受け止めていた。

 

 でも、

 

 これはウケ狙いで出した冗談では無い。

 

 大真面目な、俺の推理だ。

 

「いや、多分...なんだけど」

 

 リサの言葉への返事、というよりは少しズレた話の切り出し方で言う。俺の少し真面目な話し方に2人は、だらけたような姿勢はそのままで静かに俺の発言を待っていた。

 

 店内に流れるBGMが、ゆっくりと移り変わっていく。

 

 その聴覚の変化が、余計に2人の真剣さの移り変わりを際立たせていた。

 

「神田は、きっと氷川の事が...好き...っていうか。多分、仲良くなりたいんじゃないかな」

 

 両手の指を組み合わせて、白化するほど強く。ぎゅっと握りしめる。

 

 交互に重なった左右の指の接地面から伝わってくる感覚が、テーブルの下で行方不明になった両手の生存確認をしていた。

 

「......続けて。」

 

 真面目な顔で、友希那が言う。

 

 ほんのり明るい、赤橙色みたいなライトに照らされた顔が。明るい筈なのに、冷たい印象を与えるような。そんな、不思議な表情だった。

 

「......氷川が『Reeves Rose』に拘る理由はさ、氷川が何かを変えることが怖いから、なんだよ。」

 

 さっき工場跡地で聞いた氷川の気持ちを汲んだ考察を、2人に話す。俺が氷川を追いかけて行った事は、リサに直接話した訳では無いのだけれど。きっと友希那から聞いてるだろうから、その辺は割愛しておく。

 

「で、なんで神田が『Reeves Rose』の『ベースボーカル』に拘るのか...なんだけど」

 

 言いながら、両手は隠したままでゆっくりと正面を見る。真面目な顔で向き直っている友希那と、ストローを弄って手すさぶリサ。対照的でいて、どこか息の合っているようなその仕草が、このカフェの景色と調和していた。

 

「......紗夜の事が好きだから、って言いたいの?」

 

 訝る友希那。寄せられた眉が、口ほどに物を言っていた。

 

「......あぁ。」

 

 ため息か、それとも相槌なのか。判別できないほどに頼りなく。なりそこないの声が垂れ下がっていく。

 

 友希那の、日本刀みたいに研ぎ澄まされた強い言葉とは比べ物にならない程に。今、リサがいじっているプラスチック製のストローみたいに頼りない俺の声が、辺りを揺蕩っていた。

 

「......上手く説明できないんだけど。何となく、そう思うんだよ。」

 

 なんの根拠も、なんの確証もないけれども。妙に確信を持っている俺の考察を、突拍子もなく2人に告げた事に、少しだけ後悔をしながら項垂れる。

 

 隠したままの両手を、リサの手すさびの真似事みたいに捏ねくり回して。行き場のないやるせなさを、空気を溶媒にして溶解させていく。

 

「......んん〜...」

 

 そんな中、黙りこくっていたリサが喉を鳴らした。

 

 右手を天井に向かって突き上げ。左腕を曲げて右肘にあてがい、支えるようにして身体をぐうっと伸ばしている。

 

 その苦悶のような喉の音は、ゆっくりと空気に溶かしこんでいた俺の不安や、緊張を再結晶させるような、そんな音だった。

 

「......ふぅ...」

 

 そして、凝り固まった体を伸ばしきったリサが溜め込んだ空気を排気する。その声を、俺と友希那は黙って聴いていた。

 

 友希那は、リサの言葉を待つみたいに。

 俺は、リサの言葉を身構えるみたいに。

 

 2人とも、リサの方を見ていた。

 

「......想、それってさ」

 

 両手をテーブルの上に置き。肘から手首までをベッタリとテーブルに貼り付けたまま。両手を組み合わせてリサが口を開く。

 

 まるで、説教をする前の母親のようなその姿勢が。余計に俺の心を身構えさせた。

 

 でも、身構えたはずの俺の心は。まだ生ぬるかったようだ。

 

「咲と葛飾さんが、似てるからそう思ったの?」

 

 そのリサの言葉が、呆気なく俺の心を貫いた。




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48 軽佻、考え無しの走光性

更新めちゃくちゃ遅くなってます。感想とか評価で、意見聞ければモチベーションが忙しさを上回るかもしれないので、是非。


「咲と葛飾さんが、似てるからそう思ったの?」

 

 なんでもない風に、リサがそう言い放った。行き場が無くて、テーブルの下で彷徨っていた両手が。湿っていた。

 

 テーブルを挟んで向こう側に居る、ストローをつまんでこちらを見てくる人影が。まるで幽霊みたいに、ゆらゆらと揺れていた。

 

 そう見えるのは、きっと俺の視線が泳ぎっぱなしだからだろう。

 

 主観でもわかるほど、狼狽していた。

 

「......そう、...だよ。」

 

 歯切れの悪い。張り付くような言葉で、誤魔化した。その返事に。なんの意味も解釈も持たない事は。発言した自分が一番わかっていたし。その事をきっと、友希那もリサも気づいている。

 

 俺の事を見る2人の視線が、痛かった。

 

「......神田ってさ。リサが言った通り、多分。葛飾と似てるんだ。」

 

 句読点がやけに多い、たどたどしい声を吐き出した。言ってる事に自信が無いわけじゃない。それどころかむしろ、確信すらある。

 

 それなのに、

 

 こうも声が震えてしまうのは、きっと。『葛飾と神田が似ているから、神田が氷川の事が好き』だと言うことに確信を持ててしまう自分に、自信が無いのだ。

 

 リサと友希那、2人の行動や思いに。俺はまだ返事どころか、答えすら出せないままでいる。友希那のバンドメンバーを探す手伝いやリサの相談に乗る事で罪悪感を消しているだけで、まだ実際のところは何も2人に出来てなどいないのだ。

 

 今は、2人が見過ごしてくれている。

 

 実際はただそれだけで、保てている関係なんだ。

 

 それなのに、葛飾の事にだけ注意を向けている自分が。2人にどう思われるのかが、怖いんだ。

 

 だから、自分に自信が無いんだ。

 

「気付きたくないことに知らないフリする所も。無理に明るくする所も、葛飾と。似てるんだよ。」

 

 葛飾との2人の帰り道での光景を思い出す。俺の『土曜日の予定』が、一体誰との予定なのか。きっと葛飾は気づいていた。でも敢えて何も聞かなかった葛飾と、今日の神田はどこか似通っていた。

 

 いつの間にか氷川が居なくなった理由も、氷川と俺が2人でライブハウスに帰ってきた理由も。そして、隣にいた友希那が聞こえていた位なのだ。きっと、『Flash!!!』や『Teenager Forever』の最中で俺と氷川が話していた内容も、神田には聞こえていたはずだ。

 

 でも、神田は敢えて何も言わなかった。

 

 その事に触れてしまえば、きっと何かが変わってしまう事を知っているからだ。だからきっと、神田はこのままで。変わらないままが欲しいのだろう。

 

「でも...」

 

 でも、今は違う。

 

「多分、俺たちが何かしなくても。『Reeves Rose』は、大丈夫だと思う」

 

 今度は、はっきりと声を出した。震えそうになる声を押しとどめて、喉を震わせて俺の考えを2人に伝えた。

 

「......咲が紗夜の事が好きなんだったら。そうはならないんじゃないの?」

 

 怪訝そうに、リサが言った。

 

 確かに、神田の状況だけを考えればそうだ。紗夜の事を好きなはずの神田が、このまま放置して解散の流れになる訳がないだろう。

 

 でも、

 

「......きっと、氷川が何とかしてくれる」

 

 余計に、リサは怪訝そうな顔をした。でも、その隣の友希那は少しだけ納得したような表情だった。

 

「......それは、紗夜がライブハウスから出ていった事と関係があるって事よね。」

 

 数時間前の記憶が蘇ってくる。

 

 ステージの上で鳴り響くけたたましい音の塊を聴きながら、俺と氷川と友希那の3人で話した内容を。

 

 氷川紗夜が日菜に抱いていた嫉妬と愛情という矛盾したふたつの感情に改めて向き合ったことで、氷川はそれに耐えきれずに逃げてしまった。

 

 でも、

 

 その時の氷川は、もう居ない。

 

「......あの後、氷川と話したんだよ。」

 

 何も言わずに、2人が俺の話を聞いている。

 

 店の落ち着いた明るい照明に照らされたその姿は、どこか絵画のような非現実さがあった。

 

 今日、この日を迎えるまで怖くて仕方なかった2人を前にして。恥ずかしげもなく同じテーブルに座って喋っている事実が、夢みたいに思えた。

 

「...逃げるのやめて、変わろう。...って」

 

 随分と意訳した説明をする。

 

『2人で変わろう』と、言った筈なのに。敢えてその事は伏せた。その事実が、俺が変われていない事の証明だった。

 

 氷川は、日菜や神田、Reeves Roseと向き合う事に対して前向きに努力を始めていた。工場跡地での有言を実行しようとしている。

 

 でも、

 

 俺は一体どうだろう。

 

 葛飾の事が1番大事なら、今すぐにリサや友希那と会うのを止めるべきじゃないのだろうか。

 

 リサの事が1番大事なら、葛飾にちゃんと伝えなきゃ行けないんじゃないだろうか。

 

 友希那の事が1番大事なら、夜のベンチで告げられたあの言葉の返事をもう一度するべきじゃないだろうか。

 

 俺は、それのうちのどれも選べないでいた。

 

 結局、どれが自分の中で1番なのかがわかっていないのだ。

 

「だから......多分、大丈夫だと思う。」

 

 口から出た言葉とは裏腹に、腐っていく心模様。さっきまで明るく見えていた景色が、少しだけ灰色がかって見えた。

 

 自分の自堕落な行動と、氷川の雄弁さのコントラストが、余計に自分の気持ちをダウナーにしていった。

 

 2人は、少しだけ納得したような顔をしていた。きっと、氷川がライブハウスを出た後と、戻ってきた後の雰囲気の違いが、腑に落ちたのだろう。

 

「......じゃあ、しばらくは様子見...かな?」

 

 リサが、笑いながら言った。

 

 張り詰める...まではいかなくとも、どこか厳しかった雰囲気は霧散していった。

 

 知らず知らずのうちに握りこんでいた両方の拳が、力むのをやめてじんわりと広がっていく。手に汗を握った手のひらが、外気に触れて少しだけ冷たくなっていく感覚で、自分が思っていた以上に身体が緊張していた事を自覚した。

 

 そして、

 

 唐突に葛飾の事が気になった。

 

 目の前の2人向けっぱなしだった意識が緩んだ事で、急に葛飾の事が気掛かりになってしまったのかもしれない。

 

 リサと友希那。2人から隠すように、テーブルの影に携帯を持っていってロックを解除する。RINEを見る前に、もう一度だけ目の前の2人を見た。

 

 リサと友希那は、2人とも向き合って何か話し始めていた。その様子だけ確認して、RINEを開いた。

 

 昨日の朝に返したはずのRINEは既読だけで、返事はまだ来ていなかった。




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淘汰
49 多分、君もそうだったんでしょう


評価、ありがとう。やる気上がります。


「まだしばらく無理かも」

 

 何度目か分からなくなるほど、日菜から送られていたRINEを読み返している。

 

 味気も素っ気も無い、なんの修飾もされていない事務的な文面のはずなのに、今まで何回も繰り返してきた日菜とのどのやり取りよりも浮ついて見える事が、不思議だった。

 

 きっと、氷川が家に帰ってきたからだろう。

 

 自分の部屋で1人、携帯に向かって考える。溜め息がこぼれ落ちそうだった。

 

 締め切ったカーテンや、部屋に帰ってきてから未だに点けていない部屋の灯り。そのどれもが、呼吸を重くしてしまっているのかもしれない。

 

 少し前の事を思い出す。

 

 あの後、友希那やリサからはRINEが来ていた。

 

「おつかれ」だとか、「楽しかったよ」だとか、そんなような会話の痕が液晶越しに覗いて見える。

 

 2人とはついさっき会っていた筈なのに、まだ別れてから1時間も経っていないのに、すぐに連絡を取り合っていた。

 

 でも、

 

 葛飾からの返事は、依然来ないままだ。

 

 昨日の朝、まだリサと葛飾が顔を合わせる前に交わしたRINEのやりとりから、一切進んではいなかった。

 

 普段と変わらない「おはよう」だとか、「補習終わるまで待っててね」だとか、そんな何の変哲もない。穏やかな時間が、解凍されないまま。携帯の中だけは冷凍されていた。

 

「......」

 

 そんなに返事が欲しいなら、自分からなにか送ればいい...筈なのだけれど、それもできないまま。

 

 漠然と目の前に広がる不安と、どこか取り返しのつかない事をしてしまったような予感だけが胸に渦巻いていた。

 

 そして、

 

 そんな心境が自分の体を浸し始めた瞬間に、ひとつある事に気づいてしまう。

 

 いつの間にか、不安の対象が入れ替わってしまっている。

 

 つい昨日までは、リサと友希那に怯え。葛飾や日菜に安心を覚えていた。

 

 でも、

 

 今は友希那とリサのRINE、氷川の存在に支えられ。葛飾に不安を感じている。

 

「......」

 

 自分で、自分の事が恐ろしかった。

 

 コロコロと不安と安心が入れ替わる。そんな自分の心が浅ましくて、おぞましかった。

 

 もしかしたら、葛飾とこれから話す事は無くなってしまうかもしれない。それぐらい、葛飾の事を蔑ろにしてしまっていた。歩み寄ろうとしてくれていた距離感ですら恐れて、リサと友希那が離れてしまう事と、葛飾の事を天秤にかけれずにいた。

 

 何も選べないで、何も成せないで。

 

 そのくせ、氷川には偉そうに『一緒に変わろう』だなんて啖呵を切って。

 

 

 

 ......結果的には、でも。それで上手くいったモノもあった。

 

 氷川は、それがきっかけで日菜と向き合うことを決めてくれた。友希那のバンドの事も、何とか上手く行きそうだ。

 

「『Reeves Rose』って、花の名前からつけたらしいよ。」

 

 リサから聞いた話を思い出す。Reeves Roseに入っている『薔薇』以外にも、ふたつの花の名前が隠れているらしい。

 

 ひとつは、『Evening primerose』日本で言うと『月見草』にあたるらしい。神田が氷川に一目惚れして作られたバンドの名前としては、ピッタリな花だと。そう思った。

 

 彼女の演奏はどこか月のようで。そんな彼女を見てバンドを組みたいと思ったのなら。神田の事を表すのにこれ以上ない花のように、思えてしまった。

 

 そしてもうひとつは、『Reeves spirea』日本で言うと『コデマリ』という花のことらしい。正直、花のことは詳しくないのだけれど、花について調べてみると色々分かったことがある。

 

 コデマリの花言葉は『優雅』や『上品』というニュアンスが含まれるらしく、月見草の花言葉には『無言の愛情』という意味も込められている。

 

 そして、単数形の『Rose』の花言葉は『あなたに一目惚れ』

 

 調べれば、いくらでも出てきた。

 

 神田が『Reeves Rose』というバンド名に込めた思いが。隠された感情が、いくつも浮き出てきた。紗夜への気持ちや、自分の思い。願いだったり、祈りだったり。

 

 全てが、一途な思いだった。

 

 とめどなく純粋な『想い』が溢れだしていた。

 

 ライブハウスのステージの上で発火した友希那の歌声や、夜の公園で震えながら「ごめんね」と言った葛飾。姉への気持ちを教えてくれた日菜や、工場跡地で変わる事を決意した紗夜。

 

 そして何より。何度も表情を変えて、何度も嘘の表情で俺の心を覆い被せていた、湿っぽい芳香のようなリサ。

 

 全員が、それぞれの想いを行動で示していた。

 

 でも、俺は何もできていない。

 

 自分に似ていると思っていた神田も、実の所は隠しながらもたった一つの純な想いを持っていたのだ。

 

 こうして1人で燻っている俺とは違って、ひとつの叶えたい想いがあるのだ。

 

 葛飾からの返事を待っていながら。それでもまだ日菜との電話や、リサと友希那へのやりとりを続ける。逃げ道や、簡素な安息の避難場所を用意する事へ、枚挙に暇がない。

 

 まだ手に持ったままの携帯を開く。

 

 新しいメッセージは無くて、何人かのトーク履歴の最初の一文だけが列挙して表示されている。下から順に友達が並んでいて、その上には葛飾に俺が送った文面が。さらに上にはつい数時間前に連絡先を交換した氷川が、続けて友希那、リサ、日菜が。順に並んでいた。

 

 そうやって、葛飾とのやり取りを上書きするように上に並んでいく履歴が溜まっていく事が。悲しかった。

 

 でも、その履歴を溜めているのは自分のせいだと言う事も確かだった。

 

「......」

 

 携帯が震えるよりも先に、通知に気づいた。じっと見つめていた携帯の液晶に、RINEの通知が表示される。

 

(葛飾...?)

 

 そう思ったけれど、すぐに落胆する。

 

「おっけーだよ」

 

 日菜からだった。心に張っていた緊張の糸が、巻取られるような感じがした。血管に流れ込んでいた痺れがゆっくりと萎んでいくような、そんな。気持ちが悪いようでどこか頬が綻んでしまうような、そんな気持ちだった。

 

 送られて来たことに気づいてはいるけれど、あえてすぐに返信はしないでおく。

 

 何となく、日菜からの返事を待っていた事を本人に悟られるのが癪だった。

 

(10分ぐらい、返信しないどこう)

 

 自然と表情に笑顔が滲むのを自覚しながら、そう思う。さっきまで胸を覆っていた不安の影が、晴れていくような感じがした。

 

 また、日菜との電話に安心感を覚えて。安易な逃げ場になってしまっている事に気づいていながら、敢えて気づかないフリをする。

 

 そうし続けていないと、心が持たなかった。

 

 きっと、葛飾もこんな気持ちだったのかもしれない。

 

 なんて事を、諦めが混じったような感情で。想っていた。




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50 輪唱、双子の解答

評価お待ちしてます。
1話から3話まで、結構手直ししました。


「もしもし?」

 

 イヤホンから声が聞こえる。

 いつもなら夜に電話をしているけれど、今はまだ時刻は夕方頃。お互いの家がまだ晩御飯前の、なんとも言い難い時間帯だ。

 

 ヘラついた浮かれた調子で言う日菜の、わかりやすく上機嫌な様子が。事情を知っている分、聞いているだけで少しだけ口角が上がってしまう。

 

「もしもし」

 

 返事をしながら携帯を机に置いて、椅子に座る。まだ開けたままの部屋のカーテンには暮れかけの太陽が死にそうなほど頼りない光を放っていた。

 

 建物の隙間から漏れ出す陽光が、プールの中で沈みながら外を見ている時と同じように揺れているように思えた。

 

「......」

 

 お互いに。電話をかけたはいいのだけれど。話したい事や、聞きたい事は明確にあるのだけれど。何から手をつけていいのか、どう取っ掛りを見つければいいのか考えあぐねているような。そんな空気が2人の間に流れた。

 

「......」

 

 コトコトと、マイクが拾った雑音が鮮明に聴こえる。携帯を挟んで向こう側にいる日菜が言葉を発せずに手荒んでいる様子が、面と向かってあった回数こそ少ないものの、こうして電話を繰り返すうちに容易に想像できるようになった。

 

 下を向いて、両手を見つめながら指を弄ぶ姿が頭に浮かぶ。そんな日菜の様子に、何となく。

 

 葛飾の姿が重なった。

 

「......お前の姉ちゃんと、今日初めて話。したんだけど」

 

 正解なのかはイマイチ分からないけれど。とりあえず声に出してみる。返事なのか、あくびなのか分からないほど小さい。息を吸う音が聞こえた。

 

「...なんか、思ってたのと違ったわ」

 

 返事をしやすいように、取っ掛りのわかりやすい事を言ってみる。小細工まじりの言葉は薄っぺらくて、面白みも外聞も無かったけど。でも、気まずいような空気をずっと食んでいるよりも、マシだと思った。

 

「え〜。どんな風に思ってたの?」

 

 マイクの少し遠くから、日菜の声が聞こえた。物音はまだ続いている。

 

 俺の期待していた返事が帰ってきたことへの安心感から、油を指したように身体を覆っていた緊張がほぐれていった。

 

「思ってたより、話しやすかったよ。」

 

 初めて会った時の日菜よりも、とか。付け足そうかとも思ったけれど。さすがに止めておいた。軽口を叩くにはまだ、時期尚早な気がした。

 

「え〜、そうかな〜。」

 

 あたしは、全然話せなかったけど。

 

 そう付け加えるように言った。言葉の内容自体は自嘲的だったけれども。過去形で言い切った日菜の声は、どこか前を向いた自嘲のように思えた。

 

 未だに遠くから聞こえてくる声と物音が、会話と会話の間に生まれる静寂に。すっぽり収まっていた。

 

「...話、できたのか?」

 

 見えない糸を辿っていくように、たどたどしくそう聞く。きっと、家に帰った氷川と話をしたことはわかってるんだけれど。

 

「うん、したよ? 話。」

 

 さっきよりも、日菜の声が近くで聞こえる。

 

「...お姉ちゃん帰ってきてから、すぐに部屋に来て。それで、怒られちゃった」

 

 日菜がポツポツと語り始める。

 

 まぁ、そりゃ怒るわな。

 動機がどうであれ、日菜は俺や友希那を通して氷川のバンドを潰そうとしていたのだ。氷川が怒っても、当然の事だとは思う。

 

「私がお姉ちゃんのバンド。邪魔しようとしてたの。怒ってたんだ。」

 

 俺も、今日氷川に睨まれたから。その姿は想像に難くなかった。

 

 氷川は、一日に何回怒ってるんだろう。そんなどうでもいい事が頭によぎる。

 

「でも、すぐにお姉ちゃん。謝ってさ。」

 

 姿は見えないけれど、日菜はきっと。俯いた顔をはね上げたような気がした。

 

 さっきまでは不確かな、消えてしまいそうな物音でしか無かったノイズが。ゆっくりと、かたどっていく。キュイキュイと擦れて鳴る音と、木製の空洞が鳴らすコツコツとした鳴る音が。今までもよく聞いてきた筈なのに、真新しい新品の音のように思えた。

 

「...私のギター。見てくれたんだ。」

 

 今まで面と向かって話せなかった。日菜のギターを、きっと氷川は真正面から受け止めたのだろう。

 

 漏れだした音を、隠れるように聴いていただけの氷川が。日菜のギターを見た事実は、きっと。重い意味を持つはずだ。

 

「......」

 

 何も言わずに、ギターを弾き始める。

 

 アコースティックギターが切なげに鳴らす弦の音が。昨日までの日菜の、鮮烈な音よりもずっと落ち着いた音だった。

 

 おどけたような、綺麗でいて汚いような。そんな矛盾したフレーズを。昨日の夜、日菜が弾いてくれた『vinyl』のイントロを。ゆっくりと演奏する。

 

 溶けるような音色が、包み込んでいた。

 

「この曲、お姉ちゃんも聴いてたんだね。」

 

 演奏は続けたまま、日菜が言う。

 

「まだちゃんと決まったわけじゃないのに。お姉ちゃん、私が友希那ちゃんのバンドに入ってると思ったんだって」

 

 弦を抑えるために、指を走らせた時になるあの独特な音が、やけに沢山聞こえる。

 

「......」

 

 少しだけ荒っぽくなった演奏を押さえつけるように、声を押しとどめて。演奏に集中する日菜。

 

 メドレーチックに、さっきまでの『vinyl』では無くて。何日か前に弾いていた『The hole』を弾き始めた。

 

 氷川紗夜の事を、話してくれた時に。日菜が弾いていた曲だ。

 

「......氷川。お前が言った通りの場所に居たよ。」

 

 演奏に集中して、何も言えなくなった日菜に、こちらから声をかけてみる。

 

「...うん、お姉ちゃんから聞いたよ。急に想くんが来て。びっくりしたって。」

 

 イントロが終わったぐらいの、ゆっくりと落としていくような演奏をしながら、そう返事をする。

 

「......ありがとな、ほんと。日菜が教えてくれなかったら。絶対。検討もつかなかった」

 

 前後が繋がってるのか、イマイチ分からないけれど。とりあえず。伝えたい感謝を伝える。

 

 飾ってはいないつもりだけれど、どこか恥ずかしさを隠すように巫山戯た。そんな、暖簾みたいな言葉を使った。

 

「.....私もだよ。」

 

 日菜が呟いた。

 

「多分、私も。お姉ちゃんも。想くんが頑張ってくれなかったら、何も出来なかったと思う」

 

 氷川とおなじような事を、日菜が言った。

 

 この双子に、何度も伝えられた感謝の言葉。でも、実際の所。俺はその言葉を受け取れるほど馬鹿ではなかった。

 

 自分の現状を理解できないほど、馬鹿にはなりきれなかった。

 

「...そんな事ねぇよ。」

 

 精一杯の抵抗をしてみる。

 

「...そんな事ないよ。」

 

 でも、日菜は俺の声に重ねた。

 

 飾りをつけてないようで、誤魔化して茶化した俺とは違って。本当に何も混ぜられてない。純な言葉が、肌に刺さった。

 

「ありがとね。」

 

 何かを失っても。その代わりに何かが得られるのが。人生なのかもしれない。

 

 でも。その代償がなんなのか、代わりに何を得るのか。きっと、わかりっこないのだろう。

 

 そんな、どうでもいい事が。頭に浮かんだ。




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51 蜉蝣、虚ろう門出

章を設けてみました。

全部で4つに分ける予定です。
つまり、これが。最終章です。

しばらく読んでて疑問符が飛ぶかもしれませんけど。最後まで読み切った後にその疑問符が、どうか取れていますように


腰が抜けそうなほどの脱力感で、現実へ解脱する

 

少しだけ強い、外からの光が手厳しい。

瞼を絞りながら、ベッドに手をつけて体を持ち上げる。

 

無意識に、口から空気が漏れ出た

 

 

「......あれ?起きた?」

 

寝起きの耳に声が聞こえてくる。

 

辺りを見回してみると、視界にはイヤホンのコードが散らばっていて。自分の耳まで伸びていたそれが、俺の携帯に繋がれているのが見えた。

 

薄暗い部屋の中にぽつんと置かれた携帯から声が聞こえてくる事に、少しだけ理解が追いつかなかったけれど。時間をかけてようやく状況を呑み下す。

 

「......おはよう」

 

あぁ、寝落ちしたんだ。俺。

 

「おはよう」

 

からかうような日菜の声が聞こえる。寝起きの頭で聞き流しながら、昨日の事を思い出してみる。

 

「...俺、いつから寝てたっけ?」

 

あの後、夕飯を食べるために1度日菜との電話を切った。「ありがとう」の言葉以降、いじらしいような。えもいえない空気が流れたまま。耐えきれずに千切れるみたいに電話を切った。

 

騙したような罪悪感が、まだ氷川と。日菜の2人に対して抱え込んでしまっている。

 

半分、騙したようなものだから。

 

「えーっとね。多分12時ぐらいだったんじゃない?」

 

 

──まだ髪、ちゃんと乾いてなかったし

 

 

そう付け加える日菜の声は、誰かから隠れるみたいに小さく、抑えられた声で。なんというか、ひそひそ話を身を寄せあって喋っているような。そんな、変な気分だった。

 

「あー、まじか。......てか、切らなかったんだな。電話」

 

質問の繰り返しで、会話を繋ぐ。

 

でも、意識は会話ではなく考え事に向けられていた。どうにかして、昨日の事を思い出そうと必死だった。

 

夕食を食べて、日菜が風呂を終わってから。また改めて日菜と電話をしたんだった。電話を始めたのが、だいたい11時ぐらい。つまり、それから1時間ぐらいで寝てしまった事になる。

 

「想くんが話さなくなって、おかしいな〜とは思ってたんだけどね」

 

 

 

───いつの間にか、私も寝ちゃってた

 

 

 

笑いながら、また声を抑えて日菜が言う。

 

シャツに零したコーヒーの染みをそっと隠すみたいな。そんな些細な仕草みたいな声を聴きながら、昨日の事を思い出す。

 

「...あー。なんの話してたんだっけ。確か...」

 

日菜から、氷川と話した事とか聞いて。俺も氷川と話した事を伝えて。お互いにラリーを続けて、それで......

 

「...やっぱり、最後の方覚えてないかー。」

 

 

肩を竦めて笑う姿が、何となく頭に浮かんだ。

 

きっと、電話の繋がっている携帯の。向こう側では日菜が苦笑を浮かべているのだろう。見えてる訳じゃないけれど、声音で、伝わった。

 

 

「ほら、言ったじゃん。今日は......」

 

 

そこで、急に日菜の声が途切れた。

 

途切れる一瞬前。なにか音が聞こえた気がする。

 

 

 

──日菜。早朝からギター、弾かないで

 

 

 

マイクが拾うか、拾わないか。ぎりぎりの一線で踏みとどまって。その声を聴きとった。

 

凛とした、氷川の声が。朝で微睡んだ脳に、ふっと差し込まれた。春の陽光のように穏やかで、暖かい声が。イヤホン越しにささめいた。

 

 

(あぁ、そうだった)

 

昨日話した事、そして。

 

今日するべき事を、思い出した。

 

携帯を手に取る。画面には日菜との電話中のマークが表記されたまま。寝落ちたせいで、通話時間がおかしな事になってしまっている。

 

そんな数字を見て、少しだけ微笑む。

 

葛飾からの返事は、まだ無かった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

ベンチに座ったまま。地面を見つめる。

 

コンクリートの照り返しが。春の癖に、嫌に暑苦しい。建物と建物の間を罷り通る強風や、室外機がごうごうと押し出していく熱気が、間接的に肺を。内臓を。犯していってしまっている。

 

寝落ちた後の、気だるさが残ったままの日曜日の昼前に、やっとの思いで身体を起こす。

 

電車に乗ったまま、ずっと揺さぶられているような。妙な浮遊感が、身体の中身を少しづつ持ち上げていってるような、そんな気がした。

 

「...大丈夫ですか?さっきから。変ですけど」

 

視線をあげる。

 

見えたのは、昨日のTシャツ姿とは変わって、カジュアルな私服を着た氷川紗夜だ。

 

黒いスキニーで、白のYシャツの上に灰色のジャケットを羽織っている、シンプルで。なんというか、いかにも仕事が出来そうな。そんな雰囲気だった。

 

「......大丈夫。あと、服似合ってるな」

 

「それ、何回も聞きました」

 

お茶濁しの言葉は、あえなく撃ち落とされてしまった。

 

ため息をつくような、深い呼吸をして腕を組む氷川。

 

「......昨日も、日菜と話していたんですか?」

 

腕は組んだまま、瞳を閉じて言う。

 

不機嫌そうな声音は、今朝電話越しに聞いたものとほとんど同じように思えた。

 

「......うん、そうだけど」

 

でも、その当事者は今。ここには居ない。さっきまで一緒にいたのだけれど、御手洗中だ。

 

そもそも、なんで俺が氷川と一緒にいるのか、だけれど。

 

原因は、今朝ようやく思い出した昨夜の日菜の相談。

 

『お姉ちゃんとギターを買いに行きたいけれど2人で行くのはまだちょっと不安』らしい日菜が提案したのは、俺がその買い物に着いていけば、まだ気まずさがマシになる。

 

との事だったけれど。俺は俺で氷川と昨日喋ったの初めてだから、すごい居づらいんだけれど。

 

「......そうですか」

 

質問に答えて、相槌を打つだけで消えてしまう会話。そんな飾りみたいな、見せかけの声の掛け合いが萎んでいくのが、当然だけれど。悲しかった。

 

「......日菜、ギターこないだ買ったのに。また買うんだな。」

 

独り言みたいなつぶやき。氷川が拾ってくれるかも少し怪しいけれど、試しに言ってみる。

 

「......私と、同じものをしたい、らしいですから」

 

横を見てみる。

 

ふっと笑った横顔が、大人びていて。来ているカジュアルな服と噛み合って、どこか絵画を見ているような。そんな、吹き抜けたような感覚が体を通って行った。

 

あの熱風のようなビル風と、その感覚は似ていた。

 

「......なるほど」

 

目をつぶったまま笑う紗夜から視線を外して

また地面を見つめる。

 

それ以外何も、言えなかった。

 

逃げずに日菜と向き合い始めた氷川紗夜が携えていた笑顔は、あまりにも。眩しいだけだった。

 

「...日菜と俺が、Reeves Roseを引き離そうとしてた事、どう思ってるんだ?」

 

だから、あえて聞いてみる。

 

何とかして、その眩しさから逃れたくて。

堪えきれずに醜い問いを投げてしまう。

 

ビルが反射する太陽の光や、コンクリートの照り返し。それと、目の前にいる氷川。

 

その全てが、毒みたいに内側から体を蝕んで。ボロボロに腐らせていくような。そんな、勝手な妄想が頭を覆った。

 

「......嫌でしたよ」

 

少しだけ、安堵した

 

「...日菜が、男の人を使って私と、神田さんの邪魔をしようとしているなんて。考えただけで、嫌でした」

 

上を向いて、目を少しだけ開いて太陽を見上げる氷川。

 

地面を見て、太陽を逃れた俺とは。真逆だった。

 

「でも」

 

氷川が目を見開いた

 

「行動だけを切り抜いて、それしか見ないなら。きっと、何もかも悪いことみたいに見えてしまうんですよ」

 

達観したように、呟いた。

 

「......そっか」

 

それがひとつの、答えだと思えた。

 

日菜と、氷川紗夜の間にある。神田が付けた「Reeves Rose」というバンド名を借りるなら『無口な愛情』が、お互いを傷つけないようにするようで、お互いを引き離していた。

 

そして、離れていくうちに。お互いを行動でしか知れないようにしてしまっていた。

 

だから、日菜は気まずかったのだ。

 

氷川紗夜と2人で、買い物に行くのが。

 

2人で、何かをするのが。

 

 

「......変われたんだな」

 

拗ねるように、ささめいてみる

横にいる氷川がこちらを向く

 

氷川の目を見た訳ではないけれど、視界の端で揺れた氷川の服が。そう言っているように思えた。

 

「......あなたも、変わるんでしょう?」

 

多分だけど、今。氷川は微笑んでいるのだろう

 

それが。

味方だと言ってくれた日菜と少しだけ、重なって見えた。




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感想とか、色々教えて欲しいです。


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52 絞首、先送った代価

感想評価お待ちしてます。

これから先どうなるか、どうなって欲しいか。皆さんの話が聞けたら嬉しいです。


 氷川との会話からしばらく経って、御手洗から帰って来た日菜と合流した俺たち3人は。目的である楽器店へと赴いた。

 

 日差しが強い外にしばらく居たせいで、室内のありがたみが身に染みる。空調が整った楽器店の中には、当然だけれど沢山の楽器が並んでいた。

 

 普段なら、多分。来る機会はない場所だ。

 

 違いが分からないけれど、馬鹿みたいに高いピアノとか。ほんとに音が鳴るのか分からない程マットな質感の電子ドラム。触ってくれと言わんばかりに置かれているくせに『触らないでください』と書かれた紙が貼られているピアノ

 

 遠巻きに眺めるだけだった楽器が、目の前にある事が不思議だった。

 

 

 普段と見る位置が違うだけで、こんなにも見え方が違うなんて。

 

 

 視線を楽器から、氷川達にズラす。

 

 

 店の端のベンチで座っているだけの俺と少し離れた位置に居る、氷川と日菜。まぁ、俺が一緒に居ても楽器の事なんて分からないし。2人で相談して決めてくれるのが1番だから、除け者にされるのは別に良いんだけど。

 

 

 俺もいた方が気まずさがマシになる。って理由だったはずなのに、いつの間にか日菜は氷川と2人で喋るのが、平気になっている。遠目からでも、日菜が笑っているのが見えた。

 

 

 

 

 ──────つまるところ、俺がここに来る必要は無かったのかもしれない。

 

 

 

 楽器店の端の、椅子に座りながら。そう思った。

 

 

 

 ガラス越しに、店の外を眺める。

 

 コンクリートの表面で覆われた灰色の地面の上を、沢山の人が行き交っていた。

 

 子供連れの夫婦や、徒党を組んでいる少年の群れ。いかにも真面目そうなメガネの制服や、手を繋いだ初々しいカップル。

 

 それぞれが、それぞれの目的を持って行動している。

 

 きっとあの夫婦は、外食でもするのだろう。昼時だし。

 

 あの学生たちも、どこか遊びに行ったり。本を買ったり。映画を見たり。思い思いの行動をこれから起こすのだろう。

 

 

 

 俺の後ろにいる水色の姉妹も、2人ともがお互いの事を赦し、歩み寄ろうとしている。

 

 

 俺だけだ、何も自分で決めれていないのは。

 

 俺だけが、人に流されたまま生きているのは。

 

 

 リサと友希那の気持ちも、流されたまま何も答えを出せていない。

 

 友希那のバンド活動を手助けするのも、結局は負い目があったリサの頼みを聴いているだけ。

 

 葛飾との距離感も、決断を保留しただけで。何も決めれちゃいない。

 

 

 そして、未だに葛飾からは。何も返事は無い。

 

 

 あの時、リサが葛飾と会った時。

 

 すぐに葛飾を追いかけていれば、変わったのかもしれない。

 

『何回も約束破ってごめんなさい』って、すぐに伝えれていれれば良かったのかもしれない。

 

 

 でも俺は、何もしなかった。リサが怖かったから、日菜との落ち着いた、少しの安らぎの時間が脅かされたのが怖くて、葛飾の為の行動を起こせなかった。

 

 

 窓の外の景色を眺める

 

 

 

 

 

 あぁ、多分。その積み重なりが祟ったんだろう。

 

 

 

 

 嫌に落ち着いた思考が、頭に満ちていく。

 

 諦観と喪失感が肌を駆けて、体の内側が。レンジで温められた卵みたいに、ギシギシと軋んでいく。

 

 

 

 ガラス越しに見える景色。自分の知らない人が錯綜する代わり映えのない日常の景色。

 

 燦然と陽光を撒き散らしていた太陽が、ゆっくりと太陽で隠されて。暗くなっていく。

 

 さっきまで青々と天を覆っていた空が、コンクリートの地面と同じ灰色に変わっていく。

 

 

 

 

 普段と見る位置が違うだけで、こんなにも見え方が違うなんて。

 

 

 

 あの遠巻きで眺めていただけの沢山の楽器達を近くで眺めた時に感じた、目新しさと違和感が窓の外を見る自分の身にデジャブな感覚で舞い戻ってきた。

 

 

 窓の外に見えるいつもの景色。

 

 コンクリートを錯綜する人々。

 

 

 その中にハッキリ見えた、見知った人の顔。

 

 

 

 

 

 あの時と同じ白いフリルの付いた服を着た葛飾が、そこにはいた。

 

 

 

 

 でも、その横に居るのは葛飾の女友達でも、ましてや俺でもなかった。

 

 

(あれは確か......)

 

 

 

 ガラス越しに、葛飾と目が合う。

 

 

「ごめん想くん! 遅くなっちゃった!」

 

 後ろから、日菜の声が聞こえた。

 

 多分、さっきまで氷川と話し込んでいたギターの話が固まったのだろう。屈託のない明るい声だ、日菜はきっと今。笑っているだろう。

 

 その瞬間、確かに葛飾の瞳が揺らいだ。目の下を腫らした葛飾の顔が、くしゃっと。まるで出来の悪いテストをぐしゃぐしゃに丸めたように、歪んだ。

 

 

「日菜、店の中だから。あまりはしゃがないで」

 

 氷川が日菜を制する声が聞こえた。

 

 呆れているような声だけれど、多分少しだけ笑っているような優しい顔で、日菜を見ているに違いない。

 

 2人は、俺がガラスの向こうの何を見ているのか。分からないんだろうな。

 

 葛飾から見た俺は、どういうふうに見えるのだろうか。俺は、あの楽器達みたいに。遠巻きに眺めた時、どう見えてしまうのだろうか。

 

 ガラス越しの、葛飾は。もう、俺の事を見ていなかった。

 

 一瞬だけ俺の後ろに目を向けて、葛飾の隣を歩いている人の方を見た。

 

 

「──────────」

 

 何を言ってるかはわからないけれど、口の動きだけが鮮明に見えた。

 

 放課後、一緒に帰ってる時に見せるイタズラめいた笑顔は。俺ではない人に向けられていた。

 

 

(......思い出した)

 

 

 葛飾の隣を歩いている人が、誰なのか。

 

 前に葛飾から聞いた、俺が葛飾の事を好きになるきっかけを作った張本人。

 

 

 ────────つまり。

 

 

 

 葛飾の、好きな人。




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53 帰葬、代わるはずのないモノ

評価、感想待ってます。

感想のおかげでモチベ回復して投稿出来ました。

そろそろ大詰めです、終わってしまいます。

タイトルは、0話のオマージュです


「どしたの?」

 

 日菜が後ろから声をかけてくる。

 

 でも、その声に振り向くことも出来ずに。ただガラス越しに葛飾の事を眺め続けた。店内の照明の反射で、所々が煌めいたその景色は。どこか、ピンと来なかった。

 

 向こう側にいる、葛飾は。もう踵を返していた。

 

「...あの人......」

 

 氷川が、なにかを囁めいた。

 

 でも、言葉の内容を咀嚼して頭に飲み込ませることはできなかった。

 

 遠巻きに見え始めた葛飾の髪が、白いワンピースを着た後ろ姿が。どんどん小さくなって行った。

 

 消えそうな背中を、まだ見続けている。

 

 

 ─────中野くんがいないとこでも、中野くんの事、考えちゃってたんだ、私

 

 

 

 まだ消えない背中を、眺め続ける。

 

 

 ──────でも、ごめんね

 

 

 公園で泣いていた葛飾の顔が脳裏に浮かぶ。けれど、そこにあるのはただの人混みだけ。朝靄みたいに、何もかもを人の群れが掠めとっていってしまった。

 

 先送りにして、先を伸ばして。得るべくして得た結果を、今更ながらに咀嚼する。

 

 周りに並んでいる楽器達と、その中に佇んだ俺と氷川姉妹。

 

 ここまで来て、やっと。頭が冷めた。

 

 

 

「......あぁ、ごめん。なんだっけ」

 

 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

「じゃあね〜」

 

 日菜が手を振ってくる。その横で、氷川が控えめに手を挙げていた。

 

 それに応えて手を振っているはず、なのだけれど。正確な記憶は全くと言っていいほど無い。

 

 日菜はあれから買うギターを選んで、購入自体はまた今度にするらしいのだけれど。その話を3人でしている途中も、ずっと頭の中では葛飾の事を考えていた。

 

 本来なら、友希那のライブがあった日に隣で見るはずだった服を着た。葛飾の姿を遠巻きに見ていた。

 

 今まで近くで見てきたはずのものを、遠くで眺めていた。

 

 楽器店で感じた感情と、全く逆の感傷が。頭から爪先までをどっぷりと浸らせていた。

 

 肌を撫でるように揺蕩っていく冷たい緊張と、胸のうちから湧き出てくる生暖かい後悔で、心と体が引き離れるぐらいにぐちゃぐちゃになっていった。

 

 春風、と言うには少し夏の匂いが染み付き始めた5月の風が身を揺すった。帰り道をなぞって歩くだけのプログラムに成り下がった身体が、頭を揺らしながら動く。

 

 ぽっかりと空いた脳ミソでは、本当に何も。考えられないでいた。

 

 自業自得で自縄自縛。曖昧模糊で軽佻浮薄。

 

 それに尽きるのだけれど、一丁前に失意していた。

 

 

 4時を過ぎた太陽が街を浅く照らしている。まだまだ明るい時間だけれど、少しだけ陰ったような空模様。段落ちの雲で散りばめられた空色が街を覆っている。

 

 周りには誰もいない帰り道、自分の足音だけが等身大に聞こえる。乾いた音が厭に耳に残った。

 

 

 その足音と一緒に、今日の出来事が反芻した

 

 

 息を整えるみたいに、右のポケットに入れていた携帯を取り出す。表示するのはRINEの画面、確認するのはいつかのやり取り。お互いに遠慮も負い目もなかった頃の会話を今更確かめる。

 

 画面を触る手は、震えていた。

 

 込み上げて来た、あまりにも遅い感情が吐き出す場所を求めて身体中を駆け回った。

 

 頽れそうな膝が軋んだ。携帯を持った両手がやけに重くて、このまま伏してしまいたいと思った。

 

 全てが疎んで見えた。

 

 見たものを忘れて、ハイになったフリをした所で誤魔化せはしなかった。日菜と氷川、2人の前で湧き出た作為的な自然体が、余計に自分の心を浮き彫りにした。

 

 結局、何が大事だったのか。

 

 誰のことが1番大事だったのか、わからなくなった。

 

 

 

「想」

 

 

 その時、声が聞こえた。溶かすような、透かすような声が鼓膜から脳に浸透していく。その声は、ほのかにバニラの香りがした。

 

 

 

「......リサ」

 

 

 振り返ると、リサが立っていた。

 

「どしたの? 顔、変だけど」

 

 笑いながら、首を傾げて聞いてくる。その表情がもう、わからなくなっていた。

 

 ゆっくりと近づいてくる姿で、もうこれ以上来て欲しくないと思う強さと。そばにいて欲しいと思う弱さを感じた。

 

 ただその姿を、何も言えず眺めていた。

 

「あのさ、ちょっと話したい事あるんだけど、」

 

 ─────いいよね? 

 

 口には出さずに、肯定を促すような目をリサは送ってきた。腫れていた目は随分前に治っていて、今では跡形もない。そういえば、今日の葛飾の目も腫れていなかった。

 

 だからきっと今頃になって感傷に浸かったままなのは、俺だけなのだ。

 

 事態はもっと前から起こっていて。周りの環境が全て変わってやっと、今更気づいたのだ。

 

「......いいよ、どこで話す?」

 

 リサは笑っていた。

 

「じゃあ公園行こうよ、アタシの家の近くのさ」

 

 確かにここから一番近くてゆっくり話せる場所なのだけれど、それ以外にももっと意味があるような気がした。

 

 小さい頃に3人で遊んだ場所で、昔から待ち合わせに使ってた場所。そして、最近だと友希那と二人でいた時に葛飾と鉢合わせた場所。

 

 葛飾を拒絶するような、そんな場所だった。

 

 

「あ、その前に聞いときたいんだけど」

 

 

 リサが言った。

 

 ふっと湧き出たような、跳ねるような声が聞こえた。

 

 春の風で靡いた髪の間から見えるリサの表情は艶やかで、全てが彼女の思い通りに見えるほど達観したような。人の姿を借りた、なにかもっと大きな存在のようにさえ見えた。

 

「......なに?」

 

 続きを促す言葉を声にするのがおぼつかないほど、目の前のリサに畏怖をしてしまっていた。自分の存在が浅ましく、気味悪いものに思えてしまったせいで、余計にリサに後ろめたさを感じてしまう。

 

 手のひらが痺れるみたいな緊張が体を襲っていた。多分、今の俺の表情は柔らかいものでは無いのだろう。むしろ怯えるぐらいに硬いのかもしれない。

 

 

 

 それでも、リサは。ふっと笑った。

 

 

「昔、私が想に言ったこと。覚えてる?」

 

 春の風が首を撫でた。

 

 バニラの香りが、またうっすらと残っていた。

 

 芳香に身を包まれたまま、立ち尽くしてその言葉の意味を咀嚼する。リサの指す『昔』が、どの位置にあるのかは分からないけれど。必死に記憶を漁ってみる。

 

 

 

 リサはまだ、笑っている。

 

 

 俺が答えあぐねている様を見ている。

 

 ノーヒントな質問への回答は、まだ用意できない。

 

 さっきリサが言った「公園」という言葉を元に、公園での昔の出来事を思い出す。まだ家に帰りたくないから、と3人で遊んだ景色を思い出す。

 

 陽光で火がつくほど熱された滑り台や、どうやって遊ぶのが正しいのか分からない、球体の遊具。並んでいるだけのタイヤに、錆びたせいで手に臭いが移るブランコ。

 

 その中にポツンとあった砂場の山。

 

 1人で山を作ることに専心していた時、2人が駆け寄ってきた光景が、不意によぎった。

 

 あの時リサが言った言葉が、大事な言葉だったような気がした。

 

 

「......ごめん、わからない」

 

 

 まだ、リサは笑顔だった。

 

 困ったような、そんな笑顔だった。

 

「じゃあ、もっかい言ってあげるね」

 

 いつかまた、その言葉は俺のなかから消えるのかもしれない。また、こうやって忘れてしまうのかもしれない。

 

 でもリサはもう一度、言った

 

「アタシたちとソウはずっと、一緒でしょ?」




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54 斜陽、太宰と公園と落ち葉

感想貰えるとモチベ上がります


 人の居ない公園を吹き抜けた風が、木々から葉っぱをむしり取る。青々とした葉を落葉へと変え、地面に腐り落ちさせるこの風は、得てして平等では無い。人間にとっては心地良い風だとしても、別の見方をすれば残酷なものなのだ。

 

 という考えも、エゴなのだろう。

 

 勝手に木々や、落葉に感情を入れ込んでいるだけで。落葉を糧に生きる生物や、新しい葉を芽吹かせる木々。その自然のサイクルを考えれば、その無駄な感傷はただの余計なお世話でしかない。

 

 つまるところ、第三者から見た感傷や同情はただの野次馬でしかないのだ。

 

 

 

 ───────ずっと一緒でしょ? 

 

 

 

 この公園で、リサが昔に言った言葉。

 

 帰化するべき、変わるはずのない思い出。

 

 幼い目をした。リサの面影をした記憶の中の少女に全てを投げ出した。最後のその言葉だけ、やけに鮮明に。はっきりと言い放ったような気がした。

 

 

 

「............」

 

 話があるはずで、こうやって公園のベンチに2人並んで座る事に甘んじたのだけれど。

 

 リサは、何も声に出さなかった。

 

 

『ずっと一緒でしょ?』

 

 

 の言葉からは、何も続けなかった。

 

 蜃気楼みたいに、全てを攫ってどこかへと漂ってしまうような。そんな心地だった。

 

 

「また明日遊ぼう」とか「ずっと友達」とか。そういう軽い口約束みたいな。気楽な、互いに承認し合うような言葉だった筈なのだけれど。

 

 俺が思っていたよりも、もっと大事ななにかがあったのかもしれない。

 

 

 

「......リサはさ」

 

 

 口が知らぬ間に動いていた。

 

 結局この、約1ヶ月間。聞こうと思えばいくらでも聞けたはずだ。何週間も、何日も、何時間も、何秒でもあったはずだ。

 

 でも今の今まで聞き出せなかった。

 

 

 

「なんであの日。一緒に寝たの?」

 

 

 リサとの夜の事を、初めて口にした。

 

『セックス』なんてただの行為で、ただの手段だ。恥ずかしがって口に出さなかった訳じゃない。そんなものはただの思春期のお子様がする事で、かと言ってそれを恥ずかしがらないのはただのバカだ。

 

 別に童貞になりたかっただけじゃない。ただ自分がしでかした、卑怯な行いを認めたくなかっただけだった。だから今まで口にも出さなかったし、考えることもしなかった。

 

 でも今日、葛飾の姿を見て。初めてやっと、聞く気になれた。

 

 

 

「......なんで、かぁ...」

 

 

 

 ベンチの横で座っていたリサが口を開いた。話があったはずのリサを遮って、突拍子も無いことを聞いた。その事をリサは咎めなかった。

 

 純で澄んでいた昔を懐かしむような話題を捨ておいたままで。漆器みたいに黒ずんだ過去を差しだした。

 

 

「......あの時さ、想。ゴム持ってたじゃん?」

 

 

 雨が篠突いて煩かった日の事を思い出す。カーテン越しに見えた月が妙に明るかった。友希那の家からベランダを伝ってリサの部屋に帰って、そこから交わした口付けと。その先の出来事も、ふっと湧き出してきた。

 

 あの時に感じた、女性物の服の優しい肌触りと。初めて感じた女性の身体の中身が、指先にこびりついた霞みたいにフラッシュバックした。

 

 

「それみた時さ、なんか。カッとなったんだ」

 

 

 俺は女性に生まれる事はなかったからきっと一生理解できないのだろうけど、なんとなく分かったような気はした。自分の部屋まで入れたバッグにゴムが入っていたらきっと、何かが切れてしまうのだろう。

 

 

 プツン、なのか。プチッ、なのか。

 

 

 分からないけれど、きっと頭のどこかにある抑えのような糸が引っ張られて。その糸の端と端には感情と勘定が括り付けられているのだろう。自分の感情と、それが引き起こす出来事の勘定が。

 

 

「......俺さ、あの時。忘れてたんだよ」

 

 

 また知らぬ間に口から言葉が溢れ出ていた。

 

 だから自分でも、主語は分からないままでいた。あれだけ人に主語が無いだとか笑っていたけれど、本当に大事な時に人に物を伝えれないのはどうやら自分の方だったみたいだ。

 

 忘れてたのは、なんだったんだろう。

 

 バッグに入れていたゴムの事だろうか。あの場には居なかった葛飾への恋愛感情だったのだろうか。リサが言った『ずっと一緒でしょ?』の言葉だったのかもしれない。

 

 

 ──────でも多分、そのどれでもない。

 

 そう強く思った。

 

 

「今日、葛飾と会ったんだ」

 

 リサの方は見ずに言った。

 

 脈絡を読まずに言葉を出すのはこれでもう2回目だ。そしてその両方ともが、まだ未解決の話題だ。でもそれが、答えだった。

 

「前にも言ったけど、葛飾を好きになった理由って。葛飾に好きな人が居るからなんだ」

 

 目の前のデカい木を眺めながら言った。その中でぼんやりと見ていた葉が風に靡いて落ちていった。葉はまだ空を漂っていた。

 

「でも、それだけじゃないんだよ」

 

 

 葉がゆっくりと流れていく。地面に落ちて土に還るまでのほんの数秒だけをやり過ごすみたいに、左右に揺れながら落ちていった。その葉を見ているうちは、なんとなく安心できた。

 

 

「俺さ、リサの事が好きだったんだ」

 

 

 今更、そんな事を言った。

 

 それが、忘れていたこと。忘れようとして、代わりのものを必死になって探していた。だからきっと俺は、葛飾のことを好きになったんだ。

 

「......そっか」

 

 

 リサが言った。

 

 その間俺はずっと葉を見ていた。ゆっくりと流れていく葉は何往復か視界を揺らいで、そのまま羽根のように地面に降り立った。たった今。葉は落ち葉に成り下がった。

 

 それと、全く同時だった。

 

 多分、俺がその葉を見ていたのと同じように。リサもその葉を見ていたのだろう。

 

 

 

 

「でもアタシは、今の想。嫌いだよ」

 

 

 落ち葉がもう一度、風に流された。




斜陽は太宰治の中編小説のタイトルです。

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55 配位、Keep you think out loud.

もうすぐ終わる


「だって、そうでしょ?」

 

リサが空を見上げながら言った。

 

二人分の人体の重さで脚が傾げたベンチの傾斜が、酷くきつく感じた。と言うよりはむしろ、自分の体が先刻よりも斜めったからだろうか。

 

肺がパタパタと波打つようにめくれ上がっているような気がした。中身が外気に晒されているのでは無いかと錯覚するほど乾きあがっていた。発汗した皮膚がザラザラとした嫌な気分を伝えてくる。

 

湾曲したフラスコみたいに、歪になった三角形に変わっていく雲の形を見ながら、リサは続けた。

 

「アタシの事が好き、なのは。本当なのかもしれないけど、さ?」

 

プツプツと言葉の節を切りながら言った。

 

言葉の足取りがおぼついていない、と言うよりはむしろ。歩き方はわかっているのだけれど、いまいちどこに足をつければいいのか、散らかった部屋のゴミだらけの床を品定めるような。そんな口ぶりだった。

 

「想は今日、葛飾さんが他の誰かといるの、見たんだよね?」

 

帰納的に説明するみたいに、一つ一つ振り分けていくように滔々と話していく。辺りに散らばった事実を、紙で仕切られた箱の中に包装していくみたいに収めていく。

 

「その後で、アタシの事が好きって言うのは、ちょっと急じゃない?」

 

半分だけ笑って、半分だけ呆れたような半笑いで。少しだけ肩を竦めたリサが居た。

 

 

 

 

確かに、そりゃあ。そうだ。

 

いくら自分の中で納得したとしても。葛飾への気持ちとリサへの気持ち。どっちが先でどっちが大事かを自分の中で背比べをしたとしても。そんな内側だけでの勘定は、誰かに伝わるはずなんてありはしないのに。

 

 

伝わるものだと思っていた。

 

当たり前に、俺の中ではずっと前からリサが居て。リサの事が好きだったけれども幼馴染のまま時が過ぎて行って。その結果、好きだった気持ちがフェードアウトしていって。いつの間にか、新鮮に映った葛飾の存在に陶酔していった感情の起伏が。

 

伝わっているだろうと甘んじていた。

 

 

軽薄な行動の内側にあった小さい葛藤と内秘が。簡単には変えれなくて、誰への気持ちも嘘にしたくなくて。約束を無下にした事も、その感情も汲んでくれると甘えていた。

 

 

俺は昔からリサの事を好きで。葛飾の事が好きだったのは事実だけれど、それでもまだリサの事が好きだった。

 

それは言わずもがなリサに伝わっていると、勘違いしていた。

 

 

 

「だからさ、想」

 

ゆっくりと、リサが声に出した。

 

その落ち着いた声は、いつぞやの雨の日の───初めてリサに跨った日の───ように。艶めいた泥のような重さと粘っこさがあった。

 

公園の土を踏みしめる靴の裏から伝わってくる、少し沈むような。跳ね返るような重さが、なんとなく心地良かった。

 

「全部、ちゃんと片付けよう?」

 

その、リサの動きは一瞬だった。

 

今までのゆったりとした、重たい時間の流れが。バッサリと包丁で切り取られて。まな板の上を凪いでいくような。そんな一瞬の出来事だった。

 

俺とリサの間の少し離れていたベンチの間隔を、ぐいっとリサの腰が詰める。自分の腰とリサの膝立ちになった身体が、少しだけの距離を余してベンチの上に2つ並んだ。

 

 

あの夜と同じの、バニラの香りがより濃ゆく、より甘くなっていく。

 

さっきまでの、ベンチに2人並んで座った構図ではなく。座ったままの俺のすぐ横でリサは膝立ちになって俺に覆い被さるような体勢を取っていた。

 

リサの細くて長い腕が自分の背中を預けているベンチの背もたれを掴んで、リサの綺麗な顔が、自分の目の前に寄せられていた。

 

もう視界には、リサしか居ない。

 

「アタシの事が好きで、他はどうでもいいなら。出来るよね?」

 

右の頬には、リサの手が添えられていた。

 

たしなめるように、ふわりと添えた手から伝わってくる体温は驚くほどに暖かくて。香ってくる柔らかな匂いとは打って変わった激しさがあった。

 

自分の目の前に並んだ、二つのリサの大きい瞳が。揺れながらじっと覗き込んでいた。長いまつ毛と、素材の良さが解る薄めの化粧が、近くだと余計にはっきりと見えた。

 

「ちゃんと想が葛飾さんの事、嫌いにならないなら。アタシ、」

 

────────想の事、要らない

 

 

 

口には出さないけれど、目は口よりも物を言っていた。

 

鼻と鼻が触れ合う距離で、恋人同士がベンチで交わすキスのような体裁で、リサは俺の心の中に。大きくて強い楔を打ち込んだのだ。

 

 

「......わかっ、た」

 

 

今にも唇が触れてしまいそうになる最中で、弱々しく肯定の言葉を吐くことしか出来なかった。自分の吐いた息と、リサの呼吸が重なって、まるで呼吸まで掌握されているように感じた。生の権限すら、握られてるような錯覚だ。

 

俺の肯定の言葉をゆっくりと聴いて、ゆっくりと飲み込んでいくように。リサは沈黙を貫いていた。その間俺は、ずっと生きた心地がしていないままだった。

 

心臓が握られているみたいな緊張がずっと続いていく。

 

リサの顔が、視界いっぱいに広がっている。

 

 

 

「......」

 

 

何も言わないままだけれど、リサの表情が少しだけ動いた気がした。笑ったような気もするけれど、もしかしたら違うかもしれない。

 

でも一つだけ確かな事があった。

 

距離は変わらないまま、すっと伸びたリサの高い鼻がゆっくりと傾いていく。俺の首も、それに合わせて少しだけ傾ける。

 

言葉は交わさないまま、どちらが仕掛けた訳でもない。無意識のような動作で。俺とリサは静かに口付けを交わした。



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56 軽易、合わないワケ

もうすぐ完結。


「ヤバ......、もう降って来た......」

 

 授業中の教室。白髪の英語教師が黒板に夢中になっている間の、少しだけ授業の中に生まれる緩い時間。誰の声かさえも分からないぐらいの小さいつぶやきが聞こえた。

 

 白いチョークが粉を撒き散らしながら黒板に文字を刻みつける乾いた音に紛れて、脆い水滴が窓ガラスに打ち付けられる湿った音が聞こえてくる。さっきまで青かった空は灰色に染まっていて、太陽を覆い隠してしまった。

 

 今日の予報では雨は20時。少なくとも下校までは降らない予報だったのに、昼ごはんを食べてすぐ我慢しきれずに雲空は雨粒を零してしまった。

 

 

 窓際の席で外を眺める。

 

 

 新学期が始まってすぐは、こうやって外を観ているだけでも少しだけ楽しかった。ここには居ない誰かのことを考えながら。同じ事を感じているかもしれないと。

 

 

 澄んだ空から、天気は一転して雨。

 

 

 あれから1度も葛飾とは連絡は取っていない。何を送っていいかも、何を送られたいかも、もう検討もつかなかった。

 

 

 ───────1度、

 

 

 たったの1度。他の誰かといる葛飾の姿を見ただけで、俺の心はリサに寄っかかってしまった。そして、その縋り付いた先に居てくれていたリサは俺に葛飾を嫌いになるように言った。

 

 結局、俺はまた何も自分で決めていない。

 

 

 無機質なチャイムが教室に響く。ブルウな気分になりそうな途端、俺の心を躁鬱から切り離すように甲高い音は割って入った。

 

 まだ書いている途中の黒板は、中途半端なままで先生が書くのをしまった。そんな黒板と比例して授業自体も締りの無い終わり方をする。教室の中の生徒のうち何人かはまだ夢の中。起きて真面目にノートを取っていた生徒たちだけが、不完全燃焼感に苛まれている。

 

 

 そんなダレた空気が、急に嫌になった。

 

 椅子から立ち上がって教室を出る。いつもより少しだけ荒っぽく音を立てて歩いたのは予報ハズレの早足な雨のせいか、それともさっきまで耽っていた想像のせいか、いまいち自分でも分からない。

 

 そのままの勢いで廊下に出る。

 

 教室の中に広がっていた気だるい空気よりも冷たくて無機質な廊下には、授業が終わって同じように足早に廊下に出たせっかちの集まりだった。

 

 トイレに向かって歩いていく2人組、先生の後ろを追っかけて退出物の言い訳をしに行く奴、雨が降っているかどうかをわざわざ廊下に出て確認するバカ。色んな奴が廊下にいた。そして、その連中には移動教室から帰ってくる他のクラスの人間も含まれていた。

 

 例えば、特進クラス。

 

 渡り廊下を通って階段からバラバラに廊下に流れてくるその連中をぼうっと見る。そして、そのうちのひとりと目が合う。

 

 

 葛飾だ。

 

 

 大きい目がしっかりと俺の両目を捉えていた。氷川達について行っただけの楽器店のガラス越しに見たくしゃっとした顔と、今の顔はどこか似ていた。

 

 軍隊みたいな足音が踊り場から流れてくる。葛飾のクラスメイト達全員が階段を降りきった時、まだ葛飾は階段をゆっくりと降りていた。

 

 階段を降りる間も、まだ葛飾とは目が合っていた。

 

 と言うよりも、逸らせないでいた。

 

「......中野、くん」

 

 踊り場に差し掛かった時、ボソッと葛飾が零した。呟いた瞬間に、また顔がくしゃっとなった。その顔を見ても、あまり何も感じなかったのは意外だった。

 

「おぉ、移動教室?なんの授業だったの?」

 

 自分でも気持ち悪いほど自然だった。むしろ不自然だったかもしれない。それほどスンナリと言葉が出た。ズルリと口から世間話が出てきた。

 

「......理科。物理の実験で4階行ってた。」

 

 クシャッとしたままの顔で葛飾が言う。

 

「あぁ、なるほど」

 

 話を盛り上げるほどの気力は無かった。

 

 それは多分、お互いに言えるんだろうけど。

 

「......」

 

 黙ったままの葛飾。

 

「......」

 

 返事を待つだけの俺。

 

 お互いに話さなきゃいけない所がズレてるのは分かってる。直接言葉にした訳じゃないけれど、お互いに好きだったのだ。これは自意識過剰なせいではないと思う。

 

 名前で呼びあおうとしたり、一緒に帰ろうとしたり。休みの日を一緒に過ごそうとした。全部葛飾からしてくれた事だけど、それを俺は嫌がらなかったし、むしろ嬉しかった。

 

 けれど、全部俺が無下にした。

 

 

「......やっぱさ」

 

 葛飾が下を向いて言う。

 

 地味な制服を着た葛飾が、友希那と公園でいた時の白いフリルのついた葛飾に見えた。カラオケで出くわした時の、楽器店で見てしまった時の葛飾に。

 

 

「私と中野くんって、合わないや。」

 

 ────ゴメン、

 

 

 小さい声でそう聞こえた。謝るのは、俺の方なのに。

 

「私が思ってたよりさ、中野くんって。色んな人に好かれるんだよね。」

 

 きっと、友希那とリサ。それと、氷川達の事だろう。

 

 全員と、俺がいる姿を葛飾は見ている。

 

「それにさ、私。こないだ中野くんに見られちゃった時。すっごいへこんだんだよ?」

 

 笑いながら、葛飾は言った。

 

「一緒に外行ったのはさ、偶然だったんだ。別にもう先輩の事好きじゃなかったし、ちょっと嫌だったけど。」

 

 いたずらっぽいいつもの顔で、悪いことを思いついたような小さい声で葛飾が言う。

 

「でもさ、一緒に居るの見られただけでしんどかった。」

 

 ポツポツと葛飾が零す。

 

 

「なのにさ、中野くんって。平気そうなんだもん」

 

 笑っていた。

 

 呆れるような目で、葛飾が笑っていた。

 

「......だからさ、中野くん。多分私たちって合わないんだよ」

 

 ──────、そういう事にしとこうよ。

 

 泣きながら、葛飾が笑っていた。




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57 傘下、見えた裏側

最後の一山


 ゆっくりとバッグを担ぎなおす。念の為に入れておいた折り畳み傘を片手に家路を辿る。直径の小さなその傘は全ての雨を防ぐ事は出来ずにゆっくりと、着実に俺の袖や裾を濡らしていく。雨で湿った部分に触れた身体からゆっくりと体温が奪われて、傘で狭くなった視界は冷たさに潜めた瞼のせいでさらに狭くなっていく。

 

 雨の日は自転車で帰らずに傘をさして歩いて帰る。カッパを洗濯するのがどうにも面倒くさくて、さほど遠くもない家まで歩いていく事の方が手っ取り早いように感じるのだ。

 

 冷たい外の空気を吸い込みながら考え事をする。視界の悪さがかえって考え事に費やせる脳の余白に繋がっていくような感覚が、脳の奥が冷えてくのがわかる気がした。今までの事を思い出していく。俺の中にあった何かが枯れてしまって、今までの自分とは同じ生き物じゃなくなってしまったような気分さえ感じたあの時の気持ちを。

 

 

『なのにさ、中野くんって。平気そうなんだもん』

 

 

 笑いながら言った葛飾の言葉が冷めた脳ミソに張り付いた。貼り付けたような冷めた葛飾の笑みがまだ目の前にあるような気がした。やっと、わかった。今までずっと気づかないでいたけれど、ずっと燻り続けていた違和感の正体がやっと掴めた。

 

 リサがなぜ友希那との関係を知りながら何もしなかったのか。なぜ氷川日菜を俺に近づけたのか。一応理由自体には初めから答えがわかっていた。リサと友希那は幼馴染同士だし、氷川日菜を近づけた理由は俺がリサと友希那からフェードアウトすることが無いように氷川姉妹と関わらせることによってそれを阻止しようとした、というのがリサから聞いた理由なのだがどう考えてもそんな回りくどい手段をとる必要はない。

 

 現に俺は氷川の件が無くても俺は友希那のバンドメンバーを探すことは投げ出すつもりもなかったし、日菜と俺がいまほど仲良くなるとはリサは予想していなかったらしいし、どうにも合点がいかない。

 

 けれども、葛飾の言葉でようやく違和感に気づけた。リサの行動のワケが。

 

 

 

 結論から言えばリサにとって俺が日菜と夜に行っていた電話や飛び出した紗夜を追いかけて日菜と引き合わせた事、神田の本当の気持ちなんてどうでもいい事だったのだ。言い方は多少荒っぽくなるけれども事実そうなのだから仕方がない。

 

 リサの目的はただひとつ、俺の周りに女性を増やすことだったのだ。

 

 リサがこれを考えたのは、きっとあの時だろう。

 

 俺には心当たりがあった。甘ったるいバニラの香りがまだ鼻腔を擽っていた。忘れてしまうことも叶わないいつかの交差点越しにみた後ろ姿が蘇る。電話をした後の登校中、偶然葛飾と出会った日。同じように偶然リサとも会っていた。

 

 あの日のリサの表情は、さっきの葛飾の表情に似ていた。

 

 好きな人の近くに他の誰かが居る苦しみを1番初めに味わったのは、俺でも葛飾でも無くリサだった。そしてその苦しみがどれだけ耐え難いか、どれだけの力を持っているのかを1番理解していた。だからこそリサはこの考えを思いついたのだろう。

 

 今頃その意味に気づけたところで、きっとなんの意味も無いのだろう。もうすべて目的が達成された作戦に今更なにが出来るというのだろうか。すべてリサが根回ししたことだったけれども、そのどれもが自分の意思でいくらでもやりようがあった筈だ。でも俺は他のどの手段も取らずに、何も選ばずに進んでこうなってしまった。

 

 リサの思い描いた通りの結末になってしまった。

 

 

 

 水溜まりを白い靴で踏みしめる。一際大きい水の音が振り続ける雨音と混ざる。分かれ道に足が止まる。この場所では色んなことがあった。葛飾と一緒に帰る時、いつも別れる場所。日菜がギターを始めると決意した場所。

 

 

 

 ─────────そして、リサと久しぶりに再開した場所だ。

 

 

 思わず足が止まる。

 

 リサに言われた通りではないけれども葛飾を嫌いになるのとほぼ同義な状況にはなった。でもきっとリサが求めているのはそういう事では無いんだと思う。

 

 俺が自分の意思で、葛飾の事を嫌いにならないといけない。葛飾が言ったような『合わない』なんて曖昧な言葉はリサは許さないだろう。

 

 だから、俺は決めなきゃいけない。葛飾の事を嫌いに、リサの事だけを見なきゃいけない。

 

 でも、

 

 

「......嫌いには、なれないよ」

 

 

 情けない声が出た。

 

 リサに縋った癖に、覚悟を決めきれない自分の弱さに反吐が出る。本当に最低で、本当に情けない様だ。でも、

 

 

 

「やっぱ、似てるね」

 

 

 後ろから声が聞こえた。

 

 思わず振り向く。雨で濡れた袖が肌に張り付く。振り向いた勢いでやけに冷たい。でも、そんな焦れったい感覚なんてさほど気にならなかった。

 

 目の前に居たのは、日菜だった。



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