転生した羊の姫は,あの日の勇者に憧れる (ふふ歩)
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勇者と姫の物語

お初にお目にかかります,ふふ歩と申します。
この度は手慰みに初めてTSものを描いてみました。
暫くの間、お付き合いして頂ければ幸いです。


ーー僕はかつて、勇者に憧れた。

 

 

 物心付いた頃に見た絵本、それが僕の原風景だった。

 今思うとバタ臭い絵柄の表紙には、剣と盾を持った美しい青年が美しい姫をその腕に抱きながら、恐ろしい魔王に立ち向かう姿。

 内容も至極ありきたりで、選ばれし勇者が世界征服を企む悪い魔王に拐われた姫を救い出し、これまた悪い魔物をバッタバッタと薙ぎ倒しながら旅を続け、遂には魔王を倒して世界を救い、姫を結ばれて幸せに暮らしました…というもの。

 

 

ーーありきたりな物語、ありきたりな冒険譚、ありきたりなハッピーエンド。

 

 

 人に話せば一笑に付されるような、手垢が付き過ぎて最早新しく感じてしまう程の陳腐な勇者の物語。

 

 

…けれど、幼い頃の自分は凄く夢中になった。理由は分からないけれど、酷く憧れ、心を震わせたのだ。

 本を読む程に膨れ上がっていく冒険心と情熱を、ある日両親に全身に力を込めて、大きな身振り手振りとともに語った。

 最も身近な存在に、その心の震えを共有して欲しかったのかもしれない。

 

 

 

ーーそんな下らない事を言っていないで、勉強しなさい。

 

 

 

 しかしそんな初めての試みは、呆れ返った表情と言葉によって打ち砕かれてしまった。

 これもまたありきたりな話だ。

 

 

 

ーー厳格な家庭、厳格な両親、厳格な躾。

 

 

 

 彼らが自分に求めていたのは、幼稚な夢想の世界などでは無く、上手に世を渡っていくための手段だった。

 買い与えられるのは、絵本や漫画、ゲーム等の子どもらしいものは一切なく、曰く「知育」とやらに役立つと言う実用的なものばかり。

 本来ならば大切な友人達との遊びや交流も、学習机での小難しい参考書と睨み合い、学習塾に通う時間に取って変えられて行った。

 

 

ーー誤解の無いように言っておくが、僕は彼らを憎んではいない。

 

 

 確かに少々暖かみには欠けていたかもしれないが、両親は両親なりに、愛情を以て僕に接してくれているのは理解していたからだ。

 満足な食事にきちんとした衣服、回数こそ一般的な家庭と比べれば少なかったかもしれないが、団欒と言える時間もあった。

 誕生日やクリスマスといった節目の祝いの日には、僕の大好きなご馳走を振る舞ってくれたり、プレゼントも与えてくれたりもしていた。

 

 

 今思えば、不器用な両親であったのだろう。

 

 

 多少の不満や寂しさはあったけれども、そんな両親に応えようと、僕も必死になって食らいついて努力を重ねた。

 その甲斐もあってか、彼らの求める最高の、とまではいかないものの、最良とも言うべき成績を収め、それなりに学力の高い学校に行き、それなりに格式の高い企業に就職する事も出来た。

 

 

 

 誰から見ても順風満帆な人生。

 

 

 

ーーけれどいつも心には、幼い頃の憧憬があった。

 

 

 

 決して叶う事のない夢想が、いつも僕の奥底を、埋め火のように焼いていたのだ。

 けれど臆病だった僕は、周囲の期待と愛情を裏切る事も出来ず、そのまま引き摺られるように人生を『こなして』いった。

 

 

 

 社会に出ても、僕の生き方は特に変わらない。

 言われた通りに仕事をこなし、取引先に頭を下げ、足を棒にして駆け回る。

 大人になるに連れて両親に似てしまったのか、不器用だった自分は同期に入社した者達と比べたら成績もそこまで振るわず、どちらかと言うと少し出来の悪い、うだつの上がらない立ち位置の人間になってしまった。

 上司や挙げ句の果てには部下からも侮られることも多かった。

 けれども、不器用ながらも真面目に取り組んでいた自分をしっかりと評価してくれる人間もいたので、どうにか折れる事は無かった。

 それに仕事の厳しさに応じて給料は良く、それなりに満足に足りる生活は出来ていた。

 

 

 

ーー幼い頃の憧憬は、ありきたりな『満足』と言う名の水を掛けられ、消えようとしていた。

 

 

 

 あの日見た勇者の姿も、滲んで色褪せ消えていく。

 

 

 

 それなりに日々を重ね、それなりの地位に就いたある日の事、親しくしていた取引先から、見合い話を持ち出された。

 恥ずかしい話だが、それまで色恋といったものを経験した事の無かった自分は顔を赤面させて断ろうとしたが、せめて一度だけでもという熱意に根負けして結局受けることにした。

 未だにうだつの上がらない自分と公私問わずに付き合ってくれていた人であったため、無碍にするのも申し訳ないと思ったからだ。

 やはり何処か流されるまま、指定された日に両親と共にホテルのレストランに向かう。

 指定された席に座り、指定された時間になって、件の見合い相手とその両親が姿を表す。

 

 

 

 

ーーその時の衝撃を、僕は永遠に忘れる事は無いだろう。

 

 

 

 

 濡れるような黒髪をきっちりと切りそろえ、浅葱色の着物を身に纏った、緊張と恥ずかしさに頬を桜色に染めた可憐な女性。

 少しカク付きながらも丁寧に腰を曲げて会釈をし、初めましてと微笑み掛けてきた。

 衣服こそ着物だが、その姿は僕が思い描く物語の姫そのもの。

 

 

 

 

ーーその瞬間、僕の中で色褪せ黴ていたあの日の物語が、再び目を覚ました。

 

 

 

 

 胸の中の埋め火が、溢れ出るばかりに燃え上がる。

 

 

 

 

ーー有り体に言えば、一目惚れだった。

 

 

 

 

 挨拶もそこそこに、僕は恥も外聞も無く半ば叫ぶように言い放った。

 

 

 

 

『ーー結婚して下さい!!』

 

 

 

 

『……えっ?』

 

 

 

 

 緊張と昂揚で裏返った初対面である僕の開口一番のプロポーズに、鳩が豆鉄砲を喰らうとばかりに茫然とする女性。

ーー今思い返しても、顔から火が出る思いだ。

 当たり前だが、その後両親からは烈火の如く叱られ、女性とその両親は見合いの席の間終始顔を痙攣らせていた。

 

 

 

 だがそんな僕の奇行が功を奏したのかは分からないが、彼女はそんな僕を『面白い人』と好意的に捉えてくれて、何度かの顔合わせの後交際が始まった。

 女性を喜ばせる方法など一切知らなかった僕は、手当たり次第同僚に、上司に、部下に、果てには両親にすら話を聞いて回った。

 あの日見た憧憬の姫そのものである彼女を、繋ぎ止めたい一心で。

 

 

 

『君がそんなに必死になっているのを初めて見たよ』

 

 

 

 ある時、誰かに言われてはっと気付いた。

…僕が自らの意思で、何かをした事が何回あって、勉強や仕事でも無い事でこれほどまでに我武者羅になった事があっただろうか。

 

 

 

『ーー君にとっての人生が、ようやく始まったみたいだね』

 

 

 

 半ば呆然とした表情が面白かったのか、彼は僕の肩をポンポンと叩きながらそう言って笑った。

 

 

 

『そうだな…まずは趣味について聞いてみたらどうだい? どうせ見合いの席の時の話なんて、頭から吹き飛んでいるだろう?』

 

 

 

ーー事実そうだったので、そういうことになった。

 

 

 

 そして迎えた初めてのデートの日、その国の首都の中で最も大きく、有名な動物園を見て回り、帰り道でレストランで食事をした。

 緊張と恥ずかしさでぎこちなくはあったけれど、出された料理に舌鼓を打ち、動物園の動物たちの事や近況など、当たり障りの無い会話を交わしながら食事は進んだ。

 

 

 

『ーーそう言えば、■■さんのお趣味、聞いてませんでしたね』

 

 

 

 ふと、そんな話が持ち上がった。

 その言葉に、少しドキリとしたのを覚えている。

 それこそ、いつ僕が切り出そうと機会を伺っていた話題だったからだ。

 

 

 僕の趣味ーー強いて言えば、本を読む事だった。

 

 

 ただし、小説やエッセイといったサブカル的なものでは無く、学術書や実用書といった、幼い頃から親に買い与えられてきたものだ。

 無論それらの本も好きなのは間違いない。様々な先人たちが積み重ねてきた叡智や研鑽の結晶を、自らの知識とする行為は仕事や話題作りに役立つことは少なくなかったし…何より、本を読み、ページを捲るという行為そのものが好きだった。

 歴史を積み重ね、色褪せたセピア色のページの手触りと、黒いインクの文字列。

 それがあったからこそ、苦しかった子供時代を乗り切れたのだと思う。

 

 

 

ーーけれど、本当に読みたいものは違っていた。

 

 

 

 本当に読みたかったのは、あの日の憧憬にあるような、幼稚で陳腐な物語。

 それでも、何故か心震わせてしまうような、何処までも勇しくて優しい、ハッピーエンドに満ちた冒険譚。

 

 

 

『そんな下らないーー』

 

 

 

 けれど幼い頃のあの日、両親に切り捨てられた時のトラウマは大人になっても脳裏に焼き付いてしまっていた。

ーー何故ならそれは僕の原風景。生まれて初めて抱いた、誰かと共有したいと思った憧憬を拒絶されたという恐怖の記憶だ。

 だから僕はそれまで、誰かと楽しみを共有するのを避けていた。

 幼い頃の憧憬を、『本が好き』という代替行為で覆い隠して、誤魔化していたのだ。

 

 

 

『ーー学術書や、実用書を、読むのが…』

 

 

 

 彼女から問われ、その日もまた、本当に自分が好きな事を覆い隠して、表向きの模範解答を返すーー返そうと、した。

 

 

 

 その時、彼女と目が合った。

 

 

 

 吸い込まれそうな綺麗な瞳だったーーその中には、僕が映っている。

 一体僕がどんな趣味を持っているのか、少しワクワクとした期待に満ちている。

 それを見てしまったら、もう誤魔化すことは出来なかった。

 

 

 

『ーーこれまでは、そうでした』

 

 

 

『でも最近は、絵本を…書いているんですーー小さい頃からの、夢だった、勇者の物語を』

 

 

 

 それから、途切れ途切れに、今までの人生の中で押し殺していた、幼い頃の憧憬をポツポツと彼女に話した。

 

 

 

『ーーあの日、両親から勇者への憧れを切り捨てられたあの日から、僕は物語を読んだ事がありません』

 

 

 

『両親の庇護下から解き放たれてから手にした事はあったけれど、どれも心を震わせることは無かったんです』

 

 

 

 それは当然だった。

 僕はもう大人だーー情緒も、感性も、子供のままではあり得ない。

 でも、どうしても、焦がれて、追い求めてしまうのだーーあの日抱いた心の震えを。

 

 

 

『ーーだから、無いなら作ればいいと、思ったんです。あの日心を震わせたような、そんな物語を』

 

 

 

 そんな辿々しい僕の告白を、彼女は嘲笑う事も、頷く事も無く、ただ真剣に聞いてくれていた。

 

 

 

『なら今になって、どうして書こうと思ったんですか?』

 

 

 

『それはーー』

 

 

 

 そして、そう問いかけてくる彼女の瞳を、もう一度見つめる。

 

 

 

ーー言うな。

 

 

 

ーー言ってしまえば、もう後戻りは出来ないぞ。

 

 

 

ーーまた切り捨てられるぞ、あの日のように。

 

 

 

ーーまだ会って間も無い相手に、お前は何を言おうとしているんだ。

 

 

 

 自分の理性が、必死になって続く僕の言葉を押し留めようとする。

 でも、もう僕は僕自身に嘘を吐きたく無かった。

 

 

 

 全てを諦めようとしていた僕の前に現れた、あの日の憧憬そのものの『姫』ーーならば、その目の前にいる僕は何だ?

 

 

 

ーー僕は、なるんだ。

 

 

 

 姫にとっての、勇者になるんだ。

 

 

 

『ーー貴女に、会えたからです』

 

 

 

『貴女に会えたから、僕は諦めていたあの日の憧憬を思い出せたんです』

 

 

 

『この憧憬を、貴女と共有したいと思ったんです』

 

 

 

『だから…今度、僕の作品を見てくれませんか?』

 

 

 

 言った。

 

 

 

 言ってしまった。

 

 

 

 その時の僕はきっと、必死に縋り付く子犬のような表情をしていたと思う。

 笑われたら、切り捨てられたら、馬鹿にされたらどうしよう…そんな不安が全身から溢れ出た。

 

 

 

『ーー素敵だと思います!!』

 

 

 

 でも、僕のそんな不安は杞憂に終わった。

 彼女は僕に対して、目をあらん限りにキラキラさせて身を乗り出していた。

 その様子が今までに無い勢いだったから、喜びの前に戸惑う僕の手を取って、彼女は続ける。

 

 

 

『親には内緒にしていたんですけど…実は私、物語ーーううん、漫画やゲームが大好きなんです!!』

 

 

 

 そう力強く告げる彼女の姿は、今までの清楚さからは想像も出来ないようなエネルギーに満ちていた。

 

 

 

『1番好きなのは、貴方が言ったみたいな、勇者が魔王を倒す王道ストーリー』

 

 

 

 

ーー嗚呼。

 

 

 

 

『でも、周りからはそんな下らない、低俗なものは止めなさいって言われ続けてました』

 

 

 

 

ーー彼女は。

 

 

 

 

『それでも…止められないんです。だって好きなんですから』

 

 

 

 

ーーまるで。

 

 

 

 

『けど、こうしてお見合いをして、貴方と出会って、もうそういう事からは卒業しなくちゃって自分を納得させようとしてました』

 

 

 

 

ーー僕のようだった。

 

 

 

 

 きっと彼女も僕のように、物語に憧れ、けれどそれを切り捨てられ、憧憬を胸に埋めたまま過ごしてきたのだろう。

 そして、その埋め火は今日この日、僕の言葉を聞いた事で再び燃え上がったのだ。

 

 

 

 

『でもまさか信じられないです。諦めようとした矢先に、同じような趣味の人に出会えるなんて』

 

 

 

 

 

 

 

 

『ーーこれって、まるで運命みたいですね!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 正に、彼女の言葉通りだった。

 僕らは、出会うべくして出会ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ーーそれから幾度かの時が流れ、僕と彼女の交際は続いた。

 

 

 

 

 

 

 時には、僕が彼女に作品を見せて、彼女がその物語に目を輝かせ、その感想に僕が一喜一憂したり。

 

 

 

 

 

 

 彼女が僕に勧めてきたゲームを、僕が拙い動きであたふたしながらプレイして、その様子に彼女がケラケラと笑ったり。

 

 

 

 

 

 

 僕が読んでいた学術書を覗き込んだ彼女が、その難しさの余り珍妙な顔になって、それ見て僕が笑った事に不貞腐れたり。

 

 

 

 

 

 

 彼女の勧めで自費出版した僕の絵本が、とある出版社の目に留まり、デビュー決まったのを2人で小躍りせんばかりに喜んだり。

 

 

 

 

 

 

 そんな、まるで宝物のような日々が積み重なったある日ーー、

 

 

 

 

 

 

『ーー結婚して下さい』

『ーーはい…喜んで』

 

 

 

 

 

 

 僕たちは、夫婦になった。

 

 

 

 

 

 

 

 それからの人生は、まるで走り抜けるように、色鮮やかに過ぎていった。

 僕は結婚して間も無く企業を辞め、絵本作家になった。

 勿論、内容は勇者の冒険譚ーーあの日見た憧憬そのものの物語だ。

 

 

 

 

ーーただ、少し違うのはその側には常に美しい姫がいる事。

 

 

 

 

 ただ魔王に拐われ、助けを待つだけでなく、この姫は逞しいことに勇者と共に旅をするのだ。

 

 

 

 

『ーーだって、待つだけじゃつまらないじゃない? きっとお姫様も一緒に行きたがるわ』

『とんだお転婆なお姫様だね』

『ええーー知っているでしょう?』

 

 

 

 そう得意そうな顔を浮かべる妻に、同じ姫が言うのなら間違いないね、と答えると、彼女は出会った時のように頬を桜色に染めた。

 

 

 

 

 

ーーそして時は流れ、勇者と姫の物語は続いた。

 

 

 

 

 

 いくつもの時を重ね、愛を育み、子を成し、数多の作品を世に生み出していった。

 

 

 

 

 

 けれどそれも、いつしか終わりは来る。

 

 

 

 

 

 齢を重ねた僕は、度々寝込むようになり、次第に起き上がれる回数も日に日に減っていった。

 医者が言うには、特に何かの病気という訳では無く、純粋に老化のためであるらしかった。

 

 

 

 

『ーーそろそろかなぁ』

 

 

 

 

 ある日、寝込んだ僕の体を拭く妻にそう一言呟いた。

 その言葉に妻は一瞬だけ目を見開くと、そうですか、と言って、僕の顔を覗き込んできた。

 

 

 

 

 お互い齢を重ね、皺くちゃの老人になってしまったが、何十年経っても綺麗な瞳だーーその中には、僕が映っている。

 

 

 

 

 妻の瞳に映る自分の瞳も、そうなのだろうか? きっと、そうであって欲しいと思う。

 だって、僕にとって彼女は、未だに憧憬のままの姫なのだから。

 

 

 

 

『ーー勇者と姫の物語は、これでお終い?』

 

 

 

 

『うんーーとてもとても残念だけれど』

 

 

 

 

 そんな姫を置いて逝ってしまう事の罪悪感の余りそう呟くと、彼女は頭を振った。

 

 

 

 

『きっと、まだまだ物語は続くわーーきっと主役が変わるだけよ』

 

 

 

 

『え?』

 

 

 

 

 予想外の言葉に呆けたような表情を浮かべた僕に、いつものように笑みを浮かべて言う。

 

 

 

 

『何処か遠い世界に連れて行かれてしまった貴方を、今度は私が追いかけるの』

 

 

 

 

『そうねーー生まれ変わったら、今度は貴方、女の子になりなさいな』

 

 

 

 

 そして私は男の子になって、勇者になって、お姫様になった僕に会いに行くのだ、と。

 それを聞いた僕は声の限り笑った。弱った腹筋が吊りそうになるほどにゲラゲラと。

 

 

 

 

『君らしいね』

 

 

 

 

『そうでしょ? 実は私、小さい頃は勇者になりたかったの』

 

 

 

 

『うん、知ってた』

 

 

 

 

 そう笑い合っていると、急に眠くなってきた。

 頭がぼんやりとしてくる。

 

 

 

 

『それじゃあ、逝ってらっしゃいーー後で、追いつくから』

 

 

 

 

『うん…でも、出来ればもう少し後の方がいいかなーーきっと、すぐ追いつかれてしまうから』

 

 

 

 

 貴方、鈍臭いものね、と妻が続ける。

 それに関しては全くの事実だから、何も言い返しようが無い。

 

 

 

 

『ーーきっと僕を見つけてね。僕も、君を見つけるから』

 

 

 

 

『ええ、きっと見つけるわーーだから、貴方も私を見つけて頂戴ね』

 

 

 

 

「「約束だよーー」」

 

 

 

 

 子供のように指切りをして、僕は眠りについたーー何処までも深く、世界すら超えた眠りに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーそして、意識が浮上する。

 

 

 

 

 

「まぁ、貴方…立った…この子、立ったわ!!」

 

 

 

 

「ああ!! ほら、頑張れ…頑張れ!!」

 

 

 

 

 弾むような声の方向に目掛けて、僕はよちよちと歩みを進めていた。

 しかし、両足は頼りなく、頭が異様に重くてグラグラして体勢を上手く保つ事が出来ない。

 2、3歩歩いた所で、僕はベシャリ、と床に倒れ込んだ。

 

 

 

 

ーー何が起こったのだろう?

 

 

 

 

 転んだまま辺りを見回すと、見慣れない光景だらけだった。

 床は慣れ親しんだ畳では無く、隙間とささくれの目立つ木の床板。

 壁は罅の入った粗末な漆喰、天井は日本家屋のものでは無く、洋風の、梁などが剥き出しになった構造をしている。

 調度品も、まるで博物館に置いてあるようなものばかりだーーそれなのに、しっかりと手入れの行き届いた真新しい光を放っている。

 

 

 

 

ーーそして更に僕に衝撃を与えたのは、僕を呼んでいた声の主の姿だった。

 

 

 

 

「あっ転んだ!? でも、全然泣かないわね…?」

 

 

 

 

 心配そうに覗き込んできたこの世のものとは思えないほどに美しい女性の背中には、黒く艶かしい、蝙蝠のような大きな翼が。

 

 

 

 

「僕らの力を受け継いでいるんだ、当然だろう!! 強い子だ!!」

 

 

 

 

 そう言って誇らしげに僕を抱き上げた男性の腕は筋骨隆々とばかりに逞しく、それでいて光沢を帯びた毛に覆われていた。

 そして僕の顔に頬擦りする顔もまた、同じように毛に覆われ、それでいて牡羊のような…いや、そのものの顔をしている。

 

 

 

 

ーーそれは正しく、僕の中の認識で言う所の、悪魔と言われる存在だった。

 

 

 

 

 そして抱き上げられた自分の姿が、縦に切れた瞳孔を持つ黄色く、それでいて慈しみの光を放つ瞳に映し出される。

 

 

 

 

「……ぁー」

 

 

 

 

 まだ言葉を発せない僕の喉が、驚きにか細く震えた。

 

 

 

 

 

 

ーーそこには、小さいながらも羊のような角と、同じく羊のようなモコモコとした豊かな髪を持つ、可憐な幼子の姿があった。

 

 

 

 

 

 

(ーーごめん、妻よ)

 

 

 

 

 

(ーー君を見つけるのも、君に見つけられるのも、凄く…物凄く大変かもしれない)

 

 

 

 

 

 妻の言う通り、女の子に生まれ変わった僕は、この二度目の人生で初めてのため息を吐いた。




まずは生まれ変わった所でプロローグは終了。
次回、転生後の主人公の詳細な設定語っていければと思います。


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羊の姫はすくすくと

軽く主人公の立ち位置と、この世界の簡単な背景の説明回。
まだまだ主人公の世界は狭いので、得られる知識には限界があります。
もう少し詳細な説明は追々していく予定。


ーー二度目の生を認識してから、僕はまず何とかしてこの世界や自分自身についての情報を集めようと試みた。

 

 

 

 どうやら僕の立場としては、魔族と呼ばれる種族の、ゴート族の父、インプ族の母の間に生まれた悪魔…と言ったモノらしい。

 成る程、このフワモコの髪と角は、どうやら父の血を色濃く継いでいる証のようだ。

…少し目が半目で目つきが悪いのは、あまり感情の起伏が激しく無かった前世故の影響だろうか?

 

 

「ねえ貴方見てーーこの子ったら、また鏡の前でおめかししてるわ」

「ははは!! 随分とおしゃまな子だ。きっと将来美人になるぞ」

 

 

 

 姿見の前で、未だに慣れない髪と角を鏡で確認していたのを見て、今生の父と母が微笑ましいものを見るように笑った。

 最初こそ自分の中の人間像からかけ離れたその容姿に面食らったものだが、今ではすっかり慣れたものだ。

 やはり子供の本能というものなのか、愛情を以て接されていると、警戒心が薄れるらしい。

 今ではすっかり僕は甘えん坊だーー父の丸太のように逞しい脚に縋り付き、抱っこをせがむ。

 

 

 

 

「ん? はは、抱っこか!! そうれ!!」

 

 

 

 

 父は機嫌良さそうに僕を両手で包み込むと、頭上高く抱え上げる。

 一度目の生涯の中でも中々に無かったスリルな感覚に、何だか楽しくなり、思わずケラケラと笑ってしまう。

 

 

 

 

「ふふ、相変わらずお父さんの抱っこが大好きなのねーー何だか嫉妬しちゃうわ」

「おいおい、実の娘に焼きもちを焼かれちゃ困るぞ」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 2人ではしゃぎ回っているのを見て、頬を膨らませながらわざとらしくそっぽを向いて見せる母に、苦笑して見せる父。

 勿論、父にだけじゃれつくのは不公平なので、今度は母に向かって身を乗り出す。

 

 

 

ーーそしてそのまま僕の身体は宙に浮き(・・・・)、母の腕の中にぽすり、と収まった。

 

 

 

「まぁ…!? この子ったら、もう宙に浮けるなんて…!!」

「凄いなぁ!! 魔力の才能は君譲りだ!!」

 

 

 

 これも、一度目の生涯の中では、創作や伝説の中でしか存在しなかったものーーどうやら、この世界では科学技術の代わりに魔力と呼ばれる力を使った技術が発達しているらしい。

 まだしっかりと文字が読めず、自分の体感でしか学び取ることは出来ていないが、どうやら体の中に、『もう一つの心臓』とも言うべき『何か』があり、それが『もう一つの血管』の中を巡って身体中に流れているようだ…この力の流れを、魔力というらしい。

 それに何かしらの方向性を持たせながら、体外に放出する事で、様々な形や現象に変化させることが出来るようなのだが、自分はまだこうして自分の体を宙に浮かせたり、少し離れた場所にあるおもちゃを引き寄せる程度の事しか出来ない。

 

 

 

「ぇへ〜…きゃう〜」

「あらあらこの子ったら、魔力を上手く使えたのが嬉しいみたいよ」

「ーーこりゃ将来有望だ。今からでも鼻が高いなぁ」

 

 

 

ーーでも、このような息を吐くように出来る事でも、それなりに才能がある水準らしく、両親は手放しに喜んでくれる。

 一度目の生涯においては、ついぞ生来の才能といったものに恵まれなかった僕としては、何だかこそばゆく、それでいて誇らしかった。

 魔法に、魔族…正にファンタジーな世界。それまでの人生の中では、自分自身の作品や、娯楽作品の中でしかお目にかかれなかったものが、ここには目白押しだ。

 

 

 

 

(ーーいつか妻に会えたら、大いに自慢してあげよう)

 

 

 

 

 いつになるかも、もしくは会えるかどうかも分からないのに、この時の僕は呑気にそんな事ばかり考えていた。

 妻は一体どんな姿になっているんだろうか…そんな事を夢想しながら、いつしか僕は目を閉じ、母の腕の中に身を委ねていた。

 

 

 

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ーー魔族領と呼ばれる魔王が支配する国に、1人の悪魔が生を受けた。

 

 

 

 

 名を、メルリア・メリーシープーーその少女は、幼い頃からその溢れ出る魔力の才能を如何無く発揮したと言われている。

 

 

 

 

 何と、普通ならば初等教育になってから学ばねばコントロール出来ないとされる魔力の制御を、まだ歩き始めて間もない頃からやってのけたという。

 両親にじゃれつくための戯れに、純粋な魔力の放出(・・・・・・・・)のみで宙に浮き、手の届かない場所にある玩具を手にするためだけに、『不可視の腕』と呼ばれる上級魔術(・・・・)を使って見せたと言われている。

 しかもそのような大魔術を使った後にも関わらず、魔力酔いすらも起こさず、ただ楽しげに笑っていたという文献も残っており、表舞台に姿を表す前にも既に、その力の一端を窺い知ることが出来る。

 

 

 

 

 しかし、そんな彼女もこの時点では一辺境の村に暮らす無冠の悪魔の1人としか認識されておらず、その名が世間に知られるのはこの数年後となる。

 

 

 

 

 

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「ーーメルー、ご飯よ、降りてらっしゃーい!!」

 

 

 

 

「……うん、あともうちょっとー」

 

 

 

 

 階下からの母の言葉に、僕は半ば生返事のような言葉を返した。

 ここは屋根裏部屋にある、父の書物庫ーーと言えば聞こえはいいが、ただ雑然と本を本棚へと詰め込んだだけの物置のような場所だ。

 蔵書の数自体も、一度目の生の時の若い頃と比べても大分少ない。

 それでもこのような田舎村では、貴重な書物には違いなかった。

 

 

 

 

ーーそれに何と言っても、新しい世界の新しい世界、歴史、科学、文学…それらの全てが僕にとって未知のもの。

 

 

 

 

 2歳、3歳、4歳と歳を重ねる毎に、言葉を喋れるようになり、少しずつ魔力で出来る事が増え始めると、僕は両親にこの世界の文字と言葉を教えて欲しいとせがんだ。

 

 

 

 

ーー何故なら、言葉が解れば文字が読める。

 

 

 

 

ーー文字が解れば、本が読める。

 

 

 

 

ーー本が読めれば、物語が読めるのだ。

 

 

 

 

 運がいいことに父は荒々しい見た目に反して、非常に勤勉家であったらしい。

 神話、伝説、御伽噺、寓話に歴史小説、戦記物に恋愛小説(これは恐らく母のチョイスだろう)と、その内容は物語のジャンルだけでも多岐に渡り、他にも魔力や魔術に関する書物、学術書や参考書の類も多くあった。

 

 

 

 

 それを一日中、何時間とかけて、一冊一冊大事に読んでいく。

 古びた表紙に装丁された、セピア色に焼け付いた古びたページを一枚一枚捲り、その中に踊る今では見慣れた言語の文字列を一文字一文字追いかける。

 そして、この屋根裏部屋の唯一の光源である天窓から差す暖かい陽の光は暖かく、僕の動作によって巻き上がった微かな埃が、僕の周りに雪のように漂っているのを浮かび上がらせる。

 

 

 

 

ーー今の僕の周り全ての環境の心地よさに、口元は自然と綻び、滑らかな曲線を描いていた。

 

 

 

 

 おっと危ないーー本に夢中になってしまうのは僕の悪い癖だ。

 

 

 

 

 陶酔に浸りそうになる心に喝を入れて、僕は改めて本の内容について頭を巡らせた。

 

 

 

 

 やはりこうして文化を形にした物語に目を通すと、やはり人間とはまた違う価値観に満ちているのが解る。

 今読んでいるのは、太古の昔から伝わっているとされる御伽噺だった。

 その大まかなストーリーとしては、平和に暮らす魔族の国の王様である『魔王』を倒すという名目で、敵対する天界の神々に唆された人間たちの尖兵である『勇者』が侵略してくる、という内容だった。

 挿絵には、魔族の血で染まったおどろおどろしい鎧と剣を構えた恐ろしい力を持つ勇者に、魔族の騎士たちが立ち向かう姿が描かれている。

 

 

 

「……ちょっと、フクザツだなぁ」

 

 

 

 僕が描いていた絵本とはまるで逆の内容ーーやはり悪魔からすれば、僕の大好きな英雄譚は逆の意味を持つらしい。

 正義の反対は悪では無く、また別の正義とはよく言ったものだ。

 このような形で両者の隔たりを見せつけられると、二度目の生を受けた直後は簡単に考えていた妻との再会は、より難しいものになったと言える。

 

 

 

「…きみが、ぼくとおなじアクマだったらいいのになぁ」

 

 

 

 僕が思わずポツリと漏らした言葉の通り、もしも妻が無事にこの世界に生まれ変わり、そのまま人間として生を受けていたとしたら…。

 もしかしたら、敵同士になってしまうかもしれない。

 その上、前世の世界とは違って、今の自分は悪魔ーー人種どころか種族自体が違うのだ。

 人種や宗教、文化、思想といったものの違いだけでも、争いが起こっていたのだ…種族すら違うとしたら、その隔たりは如何ばかりだろう。

 

 

 

 

ーーそんな考えに没頭していた僕の頭に、ポカリ、と痛みと衝撃が走る。

 

 

 

 

 驚いて目を本から離して見上げると、そこには目を吊り上げながらこちらを睥睨する母の姿があった。

 どうやら、かなりお冠のようだ。

 

 

 

「…メ〜ル〜…何回呼んだと思ってるのかしら〜?」

 

 

 

「あう…ごめんなさいおかあさま…」

 

 

 

「全くもう…相変わらず本の虫なんだから…たまには、お外で遊んで来ないと、髪の毛にカビが生えちゃうわよ?」

 

 

 

「ごめんなさい…でもぼく、かけっこよりも、ほんをよむのがすきだから…」

 

 

 

 思わず、僕はそう呟きながら、本を縋り付くように抱きしめていた。

 どうにも母に本のことで叱られると、前世の同じ年頃のトラウマが刺激されてしまう。

 本が取り上げられないように、どうしても身構えてしまうのだ。

 

 

 

ーーちょっぴり情けない気分になる。

 前世と比べたら100年近く生きているというのに、これではまるで駄々っ子だ。

 

 

 

 やはり魂は成熟していても、肉体の方に引っ張られてしまうのかもしれない。

 

 

 

 

「……そんな顔しないの。取り上げたりなんかしないからーーさ、ご飯にしましょう。折角のお昼が冷めちゃうわ」

「ーーうん」

 

 

 

 仕方ないわね、と苦笑をしながらこちらの頭を撫で回す母の手の感触にこそばゆさを感じながら、僕は椅子から飛び降りると、本に自分の体の中の魔力を纏わせて、少しだけ力を込める。

 

 

 

ーーすると、本は独りでに宙へと浮き上がり、まるで人の手で行っているかのような自然な動きで、本棚の1番上へと収まった。

 

 

 

 何年か前にはぎこちない動きでしか出来なかったこの行為も、今では文字通りかつて自分が行っていたかのように出来るようになっていた。

 少し自慢げに見上げると、母は半ば諦めたように溜息を吐いて、苦笑いを浮かべる。

 

 

 

 

「はぁ…メルったら…将来が安泰過ぎて逆に心配だわ」

「なぁに?」

「……何でもないわ。さ、下に降りましょ」

 

 

 

 ボソリ、と呟かれた母の言葉を、僕は聞き取る事が出来なかった。

 

 

 

ーーともかく、ご飯だ。

 

 

 

 この世界においても、母の料理が絶品なのは非常に嬉しい。

 

 

 

 こんな日常を送りながら、僕ことメルリア・メリーシープはすくすくと成長していった。

 




若干の勘違い要素も追加。
個人的に、転生モノの醍醐味だと思ってますので。


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世界からの洗礼

転生した世界ならではの悩みやトラブル。
特典貰うのも楽じゃないのよって事を書きたかった話。


 そして生まれ変わってから、6年が経った。

 

 

 

 昼下がりの村の一角に、高らかに鐘の音が響き渡る。

 

 

 

ーーそれは村の中央にある村長さんの家を改装した、小さな私塾の授業が終わった事を告げる合図だった。

 

 

 

 この歳になると、村の子供達は太陽が天頂を過ぎる時間まで、ここで読み書きや計算、簡単な魔力の扱いを学ぶ事になっているのだ。

 僕を含めて十数人ほどの村の子供たちは、待ってましたとばかりに筆記用具や羊皮紙の束を、手提げ鞄に押し込んで、思い思いの方向へと散っていく。

 

 

 

「ーー村長さん、また明日」

「はい、メルリアさん、気をつけて帰って下さいね」

 

 

 

 子供たちの中で級長的な役割を与え得られていた僕は、黒板の白墨や、教卓の上の掃除を終えると、教師でもある村長さんにペコリと頭を下げる。

 毛足の長いレトリバーのような顔を持つ、獣人と呼ばれる魔族である彼は、鎖のついた片眼鏡を光らせて、ニッコリと笑みを浮かべて手を振ってきた。

 この村一番の知恵者と言われる彼の知識は、僕にとっては値千金の存在と言っていい。

 

 

 

「あ、そうだった…村長さんーーこれ、ありがとうございました」

 

 

 

 その時僕は用事をふと思い出し、鞄の中から分厚い装丁の、金糸で彩られた表紙を持つ一冊の本を取り出した。

 そのタイトルは、『魔力運用における四大精霊への干渉』ーー噛み砕いて言えば、体から放出される魔力に、火や水、土や風といった自然界の四大要素を付与するための方法を記した学術書だった。

 

 

 

「おおーーもう読んでしまったのですか? 相変わらず、メルリアさんは優秀な生徒で鼻が高いですね」

 

 

 

「そんな事、ないですーー僕なんて、お父様やお母様、それに村長さんと比べたら…」

 

 

 

 そう謙遜しながらも、僕の顔は微かな喜びで紅潮していた。

 相も変わらず、僕はどうにも自分に自信が持てないままだったけれど、褒められたら嬉しいものは嬉しいのだ。

 

 

 

「はっはっはーーこれでも数十、数百と齢を重ねていますからね。まだまだ若い者には負けませんよ」

 

 

 

 まぁ、6つの貴女と張り合っている時点でお察しですが、と村長さんは笑った。

 そこには何の嫌味も感じられなかったため、僕もただ純粋に微笑み返す事が出来た。

 

 

 

 

「では、これが次の課題ですーーこれは更に難しくなりますが、出来ますか?」

 

 

 

 

 渡されたのは、更に上級の内容の学術書だったーーわかりやすく言えば、大学レベルの内容くらいの難易度のものだと言う事が分かった。

 

 

 

 

「ーーやります。出来なくても、出来るようになるまでやります」

 

 

 

 

「ふふ、いい答えですね。大人でもそんな立派な答えを返せる人はいませんよ。

まるで、遥か年上の子を相手にしているのかと時々錯覚してしまいますね」

 

 

 

 

 僕の核心を突くような冗談に、内心ドキリ、とさせられながら、両親の教えのおかげだと返す。

 

 

 

 

「ははは、ご立派な両親のいる君は正しく幸運ですね…本来ならば、このような田舎にいる人ではありませんから」

「……?」

 

 

 

 何処か含みを感じる村長さんの言葉に、どう言う事か問い質そうとしたその時、外から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

 

 

「メルちゃーん!! まだー!? もう行っちゃうよー!?」

 

 

 

 それは近所に住む幼なじみの、フェアリィ族のルゥシィだった。

 僕と一緒に帰ろうと待っていたが、どうやら痺れを切らしたようだ。

 

 

 

 

「おっと、時間を取らせてしまいましたねーーそれでは改めてさようなら」

「はい、さようなら村長さん」

 

 

 

 

 ペコリと頭を下げて、手提げ袋に渡された学術書を入れると、僕は未だにあまり伸びない小さな足をバタつかせながら、ルゥシィに追いつこうと外へと駆け出した。

 

 

 

 

 そこには、あまり大きいとは言えない僕よりも更に一回り小さく、蝶のような翅で宙を飛ぶ、御伽噺の妖精そのものな姿をした少女がいた。

 

 

 

 

「もー、メルちゃんおそーい!! お腹と背中がくっついちゃうよ」

「うん、ごめんねルゥちゃん…村長さんに、また新しい課題を貰ってたから…」

「へー見せて見せてー」

 

 

 

 興味津々とばかりに、ルゥシィは僕の鞄を覗き込んでくる。

 しかし、その表紙に書かれた内容を見た瞬間、ゲンナリとした表情を浮かべた。

 

 

 

「うぇぇ…見てるだけで気分悪くなりそう…」

「う、うん…これ、魔王領の学園のと同じくらいに難しい奴だから…」

「へぇー、やっぱりメルちゃんは凄いねぇーーあ、でも課題が出たって事は、今日はもしかして遊べない?」

 

 

 

 ちょっと残念そうに首を傾げる彼女に、僕は慌てて頭を振った。

 

 

 

「う、ううんーー? 今日は取り敢えず読むだけだから、陽が落ちるまでは遊べるよ」

「やった!! じゃあ、ご飯食べたら東の森に探検に行こっ!! 本のムシなメルちゃんを今日こそカゲボシするのだー!!」

「ぼ、僕はお布団じゃないよぅ…」

 

 

 

 インドア派な僕と違って、彼女は絵に書いたような、外で泥んこになってはしゃぎ回るようなーー言わば風の子そのものだった。

 その小さな体の何処にそんなエネルギーが込められているのか信じられないほどに、僕を振り回すこともしばしばだ。

 でも、前世でもそんな友達は1人もいなかったから、凄く新鮮だったし、彼女の溢れんばかりのストレートな好意は隣にいて凄く心地良かった。

 

 

 

ーーこれが、今の僕の日常だった。

 

 

 

 

 凄く満ち足りた、楽しい日々ーーでもそれは、何処か綱渡りな危なかっしさも孕んだ物だったのだ。

 

 

 

 

 理由は、僕が身に纏う魔力ーーそれは、日に日に大きくなっていた。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

ーーこうして画一的な教育を受ける歳になって分かった事がいくつかある。

 

 

 

 この世界において魔族は、一般的に長寿の存在とされている。

 短くても100年近く、長ければ、それこそ数百年どころか、中には創世神話ーーつまりは数万年!!ーーの頃から生きている者もいるらしい。

 ただ、全員が全員そこまで長く生きていられる訳では無い。

 まぁ当然だろう…魔族領で暮らしている人々は、凡そ数十万人ーーそれだけの人数の人々がそこまで長寿だったならば、あっという間に人口爆発と食料の不足で滅んでしまう筈だ。

 

 

 

 ならば、その人によってマチマチな寿命の基準はとは一体何かーー?

 

 

 

 ずばり、それは一人一人が持つ魔力の総量で決まる。

 

 

 

 魔族と呼ばれる者たちは、その特異な容姿に似合わず、基本的な体の構造は、前世における人間や動物達と殆ど変わらない。

 ただし、違うものがあるとすれば、『魔臓』と呼ばれる機関を持つこと。

 

 

 

ーー幼い頃の考察の通り、もう一つの心臓とも言えるその臓器は、体の中で常に脈動しながら魔力を常に生み出しており、『魔血管』という通路を通って身体中に循環している。

 そしてそれらを手足や体の各所にある、汗腺のような『孔』を介して体外に放出され、それらに力の方向性を与える事で、魔術は発動するのだという。

 

 

 

 

 そして体に流れる魔力は、魔族の生命力に密接に関わっており、これらが尽きた時が、即ち魔族の寿命である。

 

 

 

 

 ただし、特殊な修練を積んで魔蔵と魔血管を強化したり、大気中に漂う魔力を逆に体内に取り込むなどの方法で魔力を補充することも出来るので、魔族にとっての寿命とは、ただ単に魔力の量の総量を指し示す指標であるだけでなく、魔術にどれだけ精通しているかーー有り体に言ってしまえば、『どれだけ強いのか』というステータスでもあるのだ。

 

 

 

ーー話を戻そう。

 

 

 

 何故僕がこのような初等教育を受け始めて間も無いにも関わらず、難解な学術書を読んで魔力の運用を学んでいるのかは、勿論理由がある。

 

 

 

 

ーーどうやら僕の魔力は、一般的な魔族と比べたら、途方も無い総量であるらしいのだ。

 

 

 

 

 しかも、幼い頃から息を吐くようにやっていた、宙に浮いたり、物を手を使わずに動かしたりする芸当は、普通の魔族ならば、実行する事すら不可能だと言うのだ。

 それを両親に告げられた時は、正直驚いた。

 そして父は、戸惑いの表情を浮かべる僕に真剣な表情でこう言った。

 

 

 

 

「メルーー本当ならばお前は、魔王領直属の学校に通うべきだと思う」

 

 

 

 

 曰く、まだ僕が幼い間は魔力を放出する孔がまだ小さく、少ないため、そこまで支障は来していなかったが、歳を重ねるにつれてその力は大きくなってしまい、制御不能に陥ってしまうかもしれないと言うのだ。

 基本的に、そのような大魔力を持つ悪魔は、爵位と呼ばれる強さに応じた階級を持っている事が殆どだ。

 そして、彼らの殆どが貴族のような高貴な階層の者達であり、そんな権威ある彼らを教え導くことの出来る教育機関は、この村から遠く離れた魔王領にしか無いのだと言う。

 彼らはただ魔力の運用と学ぶだけではなく、高貴なる者としての責務を学び、知識と教養を身につけるために、俗世間から切り離されて寄宿舎のような場所で生活する事となる。

 

 

 

 

ーーつまりそうなったら、僕はこの村を去る事となり、両親からも別れて生活しなければならなくなるのだ。

 

 

 

 

 仲良くなった友人達と遊ぶことも、数こそ少ないけれど、大好きな物語を自由に読む事は出来なくなる。

 

 

 

 

「学園の関係者に、僕の昔の縁で知己の者がいてね…今からでも、紹介状を書けば、お前を推薦する事が出来るんだ」

 

 

 

 

 分かってくれるな? と僕に語りかけてくれる父。

ーーその顔は寂しげではあるけれど、僕の将来の幸せを思ってくれているのははっきりと分かった。

 母は何も言わないが、その表情を見るに、父と同意見のようだ。

 

 

 

 

ーー僕も、理屈だけを考えたらその選択肢が正しい物なのだと理解は出来る。

 

 

 

 

「……いやだ」

 

 

 

 

 でも僕は、その言葉に頭を振っていた。

 

 

 

 

 思い出すのは、前世の記憶ーー厳しい家庭、厳しい教育、厳しい躾。

 友達とも満足に遊ぶことも出来ず、憧れた物語を読むことも出来ない、自分を誤魔化し、励ましながら耐えるしか無かったあの日々の記憶だ。

 しかし、それもまだ不器用ながらも両親の愛を感じ取れたからこそ耐えられたのだ。

 

 

 

 

ーーそんな環境に、両親が傍にいないと言う状態で1人放り込まれるなど、想像もしたくなかった。

 

 

 

 

 勿論、こんなものは僕の完全な我儘だ。

 

 

 

 

 制御の出来ない力を抱えたままなんて、いつか誰かを傷つけることになってしまうーーそんな事、耐えられない。

 

 

 

 

 それでもーー。

 

 

 

 

「ぼくは、いやだよ……おとうさまとも、おかあさまとも、ルゥちゃんたちとも、はなればなれになるなんてーー」

 

 

 

 

ーーようやく叶った数十年来の幸せを手放すなんて、絶対に嫌だ。

 

 

 

 

 その時の僕の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな酷い物だったに違いない。

 体も、まるで瘧のようにガクガクと震えていた。

 

 

 

 

「ーーぼく、がんばるから…もっともっといい子にするから…」

 

 

 

 

 その後は、最早言葉にならなかった。

 沈黙の降りた食卓に、僕のすすり泣く声だけが響き渡る。

 

 

 

 

「ーー分かった」

 

 

 

 

 そうして暫くして、僕が少し落ち着くのを待ってから、父は一言そう言って、僕を優しく抱きしめてくれた。

 

 

 

 

「村長殿に相談してみようーーお前の魔力を、どうにかコントロール出来るように特別な授業や課題を出して貰うんだ」

 

 

 

 

 その言葉に、僕は弾かれたように顔を上げる。

 

 

 

 

「……いい、の?」

 

 

 

 

「ああーーただし、条件があるーー」

 

 

 

 

 父が出した条件は3つ。

 

 

 

 

ーー1つ目は、毎日欠かさず魔力をコントロールするための修練を行う事。

 

 

 

 

ーー2つ目は、父と村長さんが与える課題を必ずクリアする事。

 

 

 

 

ーー3つ目は、魔力で誰かを傷つけるような事態を決して起こさない事。

 

 

 

 

 もしこれらを守れなかったならば、その時は僕の意思など関係なく、魔王領の学園へと行って貰うーーそう告げる父の目は、本気だった。

 しかし、それは決して無慈悲なものではなく、千尋の谷へと我が子を突き落とす獅子のように、巌のような厳しい優しさに満ちている。

 

 

 

 

「ーー貴女には辛い思いをさせてしまうけど…精一杯私たちもメルを支えるわーー一緒に、頑張りましょう」

 

 

 

 

 母もまた、震える僕の手を両手で優しく包み込み、真剣な眼差しで僕を真正面から見つめてくれる。

 

 

 

 

ーー嗚呼、僕はなんて幸せ者なんだろうか。

 

 

 

 

 この人たちの何処までも厳しい試練(あい)に答えられないのならば、何処に妻へと合わす顔があるというのだーー!!

 

 

 

 

「うんーーやる…僕は、やるよーー!!」

 

 

 

 

 前世では決してあり得なかった、異世界の洗礼ーー僕はこの時真正面から受け止める決意を固めた。

 

 

 

 




僕ことメルちゃん、覚悟完了。


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特訓の日々①〜父と村長〜

異世界もの恒例修行パート。
まずはお父さんと村長さん編になります。


 陽が落ち、ルゥシィを始めとした友人達と別れた後、母が夕飯の支度をしている間に、野良仕事から帰って来た父との特訓が始まる。

 

 

 

「ーーじゃあ始めるぞメル。準備はいいな?」

「うん、お父様」

 

 

 

 父の呼びかけに応じて、庭先の草むらに座りこんだ僕は、深呼吸してから目を閉じる。

 

 

 

ーーそして体の中に意識を集中させると、僕の体の中の魔力が全身に…髪の毛の先にまで流れているのが感じ取れた。

 

 

 

「ーー掴んだな。では次だ」

「うんーー!!」

 

 

 

 父の合図に応じて、その掴んだ魔力の流れに力を加えて、循環を段々と速くしていく。

 ただ速くするだけではなく、魔臓の鼓動を早く、強くして、体の中の魔力の量を増やしていく。

 イメージは、曲芸師のようにフラフープを一個ずつ多くしながら、それらを落とさず回転を維持するように。

 

 

 

 

「……っ!!」

 

 

 

 

 勿論、それには凄まじい集中力が必要で、僕の額から汗が滲み出る。

 しかも少しでも力を抜けば、増やした魔力は止まり元に戻ってしまい、かと言って力を込め過ぎても、僕の体の中に維持出来ずに外へと飛び出してしまう。

 一度回してしまったバケツの水が、止めれば溢れてしまい、力をかけすぎたら取手が壊れて吹き飛んでしまうのと同じ理屈だ。 

 コントロールが出来なくなるギリギリの一線を見極めながら僕は更に回転を上げていく。

 

 

 

 それがとうとう限界を迎え、弾けてしまおうとしたその瞬間ーー。

 

 

 

「ーーそこまで!!」

 

 

 

 父の合図が飛んだ。

 

 

 

「……っぷはぁ!!」

 

 

 

 僕は大きく息を吐き、魔臓の拍動と回転の速度を緩めた。

 

 

 

「気を抜くなーーゆっくりと魔力の速さを緩めて、もう一度自分の体の中に馴染ませていくんだ」

「……っ……うん…!!」

 

 

 

 激しい心臓の鼓動と乱れる息を整えながら、激しく流れていた魔力を、今度は少しずつ逆方向の魔力を流して相殺しながら元の循環へと戻していく。

 

 

 

「…はぁーー」

 

 

 

 湯が水に変わる程の時間をかけて、僕は息と魔臓の拍動の乱れを抑え込んでいた。

 

 

 

「ーーうん、及第点と言っていいな。ただ、少し一気に魔力を高めすぎている。

まずは魔臓の鼓動を小さく遅く、そして次第に大きく速くしていくことを心がけなさい」

 

 

 

 父は満足げに頷きながらも、しっかりと先ほどの特訓の問題点も指摘してくれる。

 それらはいつも的確で、しっかりと噛み砕く事が出来れば、毎日のように成長を実感出来る物だった。

 

 

 

ーーこれは自分の魔力を、体の中に留め、高める事の出来る限界を見極めつつ、高めていくための練習方法だ。

 

 

 

 これを毎日行うことで、魔臓と魔血管の力を高め、尚且つ魔力孔から自然と魔力が漏れ出たり、予想以上に噴出してしまったりする事を防ぐことが出来るのだという。

 最初は上手く魔力の調節が出来ず、時間も僅かしか出来なかったが、この特訓を始めてから数ヶ月ーー着実な成長を感じて、僕は少し嬉しくなった。

 返す返事も、何処か弾んだ調子になってしまう。

 

 

 

「はいっ!!」

「うん、良い返事だ。じゃあ、次に行くぞーー」

 

 

 

 そして特訓は続く。

 まず父は僕の背中に手を当てるーーそれを合図に、僕はその部分に魔力を集中させる。

 すると、当てられた手の形に放出された魔力が、父の手を弾くように押し返した。

 

 

 

「少し遅い。次だーー」

「はいっ!!」

 

 

 

 今度は肩に手が置かれるーー僕は可能な限り早く、そこに魔力を集中させる。

 父の手が、革を打つような音を立てて弾かれる。

 

 

 

「強すぎる。次っーー」

 

 

 

 その都度父は魔力の感触に対して講評しつつ、緩急を付けながら、手や指の置く位置を次々と変えていく。

 それに応じて僕は、触る部位や強さに応じて魔力の形を変え、放出する事を繰り替えす。

 

 

 

ーーこれもまた、魔力のコントロールの方法の一つ。

 

 

 

 体の外からの刺激に対して、その場所に応じて魔力を集中させ、その強弱に応じて適切な量の魔力を放出する。

 こうすることで、外界からの刺激に対して魔力が過剰反応したりする事を防ぐ事が出来、過剰な魔力の放出を抑える事が出来る。

 

 

 

 何度も繰り返していくうちに、思わず強くなりそうになる魔臓の拍動が、力のコントロールを更に困難にするが、少しでも気を緩めると、集中しろと父からの檄が飛ぶ。

 

 

 

「ーー最後だ!!」

「……っ!!」

 

 

 

 そして夕日が完全に沈み、星の帳が空にかかり始めてからようやく、特訓は終わりを告げた。

 

 

 

「良し、最後までやり切れたな。偉いぞメル」

「はぁ…はっ…はぅ…」

 

 

 

 これを始めてから、ようやく貰えた父の賞賛だったが、僕は最早疲労困憊でまともに返事を返す事も出来なかった。

 それから暫く時間をかけて息を整えて、汗を拭いてから家の扉を潜る。

 

 

 

「ただいまぁ…」

「お疲れ様、貴方、メル。お風呂が沸いているから、ご飯の前に入ってらっしゃいな」

 

 

 

 すると、エプロンを身につけた母が、優しい笑顔で出迎えてくれた。

 台所からは、空腹を刺激するかのような美味しそうな匂いが漂ってくるーー僕はそれだけで疲れが吹っ飛んでしまう。

 

 

 

「うんっ、お父様、早く、早く入ろう!!」

「ははは、現金なものだなメルは。ご飯は逃げないから、慌てなくても大丈夫さ」

 

 

 

 苦笑する父の腕を力一杯に引っ張りながら、僕は風呂場へと駆け出していった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーーそして特訓は日毎に指導役と方法を変えて行われる。

 

 

 

 

 その日、僕は村長さんの家の裏手で大量の丸太を前にしていた。

 

 

 

 

「ーーそれでは、始めましょうかメルリアさん」

「はい、村長さん」

 

 

 

 村長さんの言葉と同時に、僕は魔力を手の形に変えながら伸ばし、ひと抱えほどある大きさの丸太を掴み取り、目の前の切り株へと置く。

 そしてそれに目掛けて今度は魔力を叩きつける。

 

 

 

ーー形と硬さを斧のように変えた魔力の塊は、丸太を一瞬にして叩き割り、手頃な大きさの薪へと変える。

 

 

 

 そしてバラバラになった薪の数に応じて、魔力を枝分かれにさせて小さな手を作り、一つ一つ確実に掴んで薪置き場へと丁寧に置いていく。

 その作業をこなしながら、もう一方にも魔力の手を再び伸ばし、丸太を引き寄せ、薪に変え、置き場へ置く。

 

 

 

ーーこれを、ただひたすら丸太が無くなるまで繰り返すのだ。

 

 

 

 村長さんとの特訓は、このように日常生活に密接に関わることを、魔力を使って行う。

 

 

 

ーー時には井戸の水を瓶にひたひたにし、それを零さないように家まで運んだり。

 

 

 

ーー時には、飼っている鶏の世話をし、産んだ卵を割らないように集めたり。

 

 

 

 いつもは何の気無しに行っている事を、これを魔力を使って、様々な作業を同時に行おうとすると、それらは全く違うものに変わる。

 

 

 

「ーー一つ一つを連続して行うのではありません。全てを同時に、並行して行うのです」

「はいっ!!」

 

 

 

「魔力は本来形を持たないものです。だからこそ、手にも斧にもなり、力も数も自由自在です。

ーー想像です。魔力の形と力強さを常に想像するのです」

「はいっ…!!」

 

 

 

「力任せにするのではなく、目的や用途に応じて力を使い分けなさい。木の実を割るために、大岩を用いる必要はありません」

「は…いっ!!」

 

 

 

 村長さんの指摘は、ただひたすら同じ事が繰り返される。

 何故ならそれがこの特訓の基本基礎であり、奥義でもあるからだ。

 だが、言うは易し、行うは難しとはよく言ったもので、これが凄まじく難しい。

 

 

 

ーー少しでも集中を切らせば、魔力の手は丸太を掴めず弾き飛ばしてしまうし、力加減を間違えればーー

 

 

 

「あっ…!?」

 

 

 

…こうして、丸太を薪ではなく粉々の木片へと変えてしまう。

 更にその動揺は他の手にも伝わってしまい、続けて薪が握り潰されて無惨な姿へと変貌した。

 

 

 

 

「ーー薪作りは冬備えの基本です、無駄にしてはなりませんよ? 精進精進」

「は、はいっ…!!」

 

 

 

 村長さんは決して叱ったりはしないけれど、自分の前世よりも遥かに長い時を生きてきた彼の言葉は、不思議な重みがある。

 背筋に薄ら寒いものを感じ、自然と集中力が高まる。

 

 

 

ーー程なくして、丸太は薪に姿を変え、少し寂しくなっていた村長さんの薪置き場を満杯に変えた。

 

 

 

「はい、お疲れ様でした。今日も頑張りましたね」

「はっ…ヒィ…」

 

 

 

 パチパチと拍手する村長さんに応える僕の声は、最早吐息と区別のつかないものになっていた。

 

 

 

「さて、それじゃあ冬備えを手伝ってくれたお礼をしなくてはいけませんね。

薪の余裕も出来た事ですし、早速これでお湯を沸かして、紅茶を淹れてあげましょう」

「えっ…!?」

 

 

 

 それを聞いて、その場に大の字になっていた僕はガバリ、と身を起こす。

 きっとその時の僕の目はキラキラと輝いていたに違いない。

 村長さんの淹れる紅茶は絶品で、村の子供達の大好物なのだーー勿論、その中には僕も入っている。

 そして、そのお茶請けにはーー。

 

 

 

「ーー勿論、クッキーもありますよ。一緒に頂きましょう」

「はいっ!!」

 

 

 

 村長さんが手ずから作った、絶品の手作りクッキーだ。

 

 

 

 

ーーその日は嬉しさのあまり紅茶を何杯も飲み過ぎてしまい……翌朝、僕の布団には立派な地図が出来てしまったのはここだけの秘密だ。

 

 

 

 

…勿論、母にはそれはそれは猛烈に怒られ、僕のお尻には綺麗な紅葉が咲いた。

 

 

 

 

 特訓の日々は、前世の幼少期もかくやとばかりに厳しいものだったけれど、僕は凄く満ち足りていた。

 

 

 

 

 それは、教えてくれる人達の厳しさの中に、確かな優しさと愛情を感じ取れるようになったからなのだと思う。

 これも、年の功というものなのかもしれない。

 

 

 

 




一気にお母さんによる修行パートも書きたかったのですが、少し冗長になるかなと思い分割。
後編はもう少しお待ち下さい。


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特訓の日々②〜母と初めての失敗〜

メルちゃんの特訓編、お母さんパートとなります。
…少々はっちゃけさせ過ぎました。


 

「ーーさぁ、始めましょうかメル!!」

「…………うん、お母様」

 

 

 

 そして母が担当する日の特訓は、村長さんから借りてきた学術書を読み解きながら、母がそれに対して幾つか質問をしたり、時に軽く実演も交えながら行う座学だ。

 

 

 

ーーだが、毎回問題が発生する。

 

 

 

 今日も屋根裏の机に座った僕の目は、少しじっとりとした視線を母の目元の辺りに向けていた。

 

 

 

 

「ーーあら何メル? お母さんに見惚れちゃって♪」

「……その眼鏡は何なのお母様?」

 

 

 

 そこには、何故かいつもは付けていない三角形のフレームを持つ眼鏡が身に付けられていた。

 

 

 

ーーちなみに母の視力は、部屋の端に落ちている埃を逃さない位に良い。

 

 

 

 明らかに伊達眼鏡だった。

 

 

 

「ふふん、まるで学校の先生みたいでしょ? 私、昔は教師に憧れていたのよね〜」

「……そう」

「さぁ、今日もビシビシ始めるザマスよ!!……なんちゃって♪」

「…………そう」

 

 

 

 授業が始まる前に、毎回こうして寸劇を繰り広げるのが恒例になっていた。

 

 

 

ーーちなみに前回は、わざわざ手作りしたカレッジ帽を被って来た。

 

 

 

 教鞭を持って来たり、別に理科や科学を学ぶ訳でも無いのに白衣を着て来た事もある。

 上機嫌に背中の羽をパタパタとはためかせる母に気づかれないように、僕は溜息を吐いていた。

……ちなみにバレてしまうと、暫く拗ねてしまうので中々に気を使う。

 幼い頃から僕の一挙手一投足に一喜一憂している時のはしゃぎ振りを見ていたけれど、特訓が始まってからもう一段階『タガ』が外れたようだ。

 最初は少し面白かったが、こうして毎回続くと正直鬱陶……もとい、困ってしまう。

 

 

 

『……すまんなメル、お母さんは昔からそうなんだ。その、何だ…かなり…いや、多少、はしゃぎ過ぎるきらいがあってな…』

 

 

 

 何度か父に相談した事があるのだが、その度に何重にもオブラートに包んだ物言いをしながら、額に冷や汗を浮かべて盛大に目を逸らされたのは記憶に新しい。

 出会った頃はそんな風には見えなかったんだが…そう呟きながらの長い溜息ーーそこに僕は、父の長年の悲哀を見た。

 

 

 

 正直他人事とは思えなかった…思い返せば、妻も交際を始めた頃は正しく清楚なお姫様然とした立ち振る舞いをしていたのだが、僕の趣味を聞き、打ち解けていく度に、生来のお転婆ぶりを発揮し始めたのだ。

 僕の半生は、終始振り回されっぱなしだったとも言って良い。

ーー勿論、僕自身楽しんでいたのは事実だし、そんな妻が大好きで愛しかったと言う事実は決して変わらない。

 が、それでも、思い出すだけでも頬が引き攣りそうな事態に陥ったのも一度や二度では無い。

 

 

 

 

ーー僕は肩を落とす父の背中を、ただ黙って慰めるように撫でた。

 

 

 

 

 その時父の目元に滲んだ光を、見て見ぬ振りをする優しさが僕の中に存在した。

 

 

 

「お母様…はしゃぐのはそこまでにして、早く始めよう?」

「うふふ、そうね。じゃあ、この前にやった最後のページからーー」

 

 

 

 僕の言葉に悪戯っぽく笑みを浮べると、母はようやく特訓を開始してくれた。

 

 

 

ーーしかし一度始まると、どんなに難しい学術書でも、全てを知り尽くしているかのような解説と考察に舌を巻く。

 

 

 

 しかも分かりやすいように、ある程度噛み砕いた表現や言い方に変えてくれるため、まだまだ幼く、この世界の文化や技術に疎い僕でも、するり、と頭に入って来てくれる。

 そして僕が1つ質問をすれば、それに対する的確な答えと共に、応用や例外などが4つ5つ帰ってくる。

 

 

 

「ーーこのページの第4項の記述だけれど、現在の研究ではまた別の方向からの解釈が主流になってるから、あくまで参考程度に覚えておいて頂戴ねメル?」

「うん、分かった」

 

 

 

 更に、若干古い学説や記述に関しての修正まで加えてくれる。

……もし前世における予備校や塾に母がいれば、間違いなく筆頭の名物講師になっていただろう。

 そのおかげで、元々本が好きな僕のモチベーションは鰻登りだ。

 このようにして読み解いた本は既に十冊を数え、僕の魔力に関する知識は、下手な大人顔負けだと自負出来るほどになっていた。

 

 

 

「さっ、じゃあ座学はここまでにして、さっき読み解いた所の実践をやってみましょうか」

「うん、お母様」

 

 

 

 そして、一通り本を読み解くと、今度は母の手本の通りに軽い魔力の使い方の実践が始まる。

 

 

 

「まずさっきの所の、放出した魔力の属性変化だけど、これは自分の魔力をそのまま火水土風に変える訳じゃ無いわ」

 

 

 

 母の解説によれば、この世界の魔法とは、前世においては誰しもがイメージするような、自分の体から炎や雷、風などを放っているのではないらしい。

 この世界のありとあらゆる場所に満ちている、『精霊』と呼ばれる存在を魔力に纏わせる事で変化させているのだと言う。

 ただし、『精霊』とはよくあるファンタジーにあるようなモンスターみたいなものではなく、大気中に漂う見えない小さな粒のようなものを指す…僕の認識で最も近いのは、元素や原子といったものが近いだろうか?

 

 

 

ーーつまり魔法とは、体内から放出された魔力に、様々な要素を持つ大気中の粒をコーティングさせたり混ぜ込ませたりして引き起こす現象の総称なのだ。

 

 

 

「じゃあ、その『精霊』を引き寄せるにはどうすればいいの?」

 

 

 

 特訓を始めてから、ようやく僕にとって魔力は身近なものに感じられるようになっていた。

ーーが、前世においては創作の中でしか存在しなかったものなので、どうにも頭の中で具体的な例を想像出来ず、僕は素直に母に質問した。

 

 

 

「うーん、そうね…魔力をわざと密度を薄くして拡散させてから集め直したり、魔力孔から取り込んで、体の中で混ぜ込んだり…技術的には色々方法があるけど、まず特定の要素を持つ『精霊』を引き寄せる手っ取り早い方法は…ズバリ、イメージよ」

「イメージ?」

 

 

 

 僕の鸚鵡返しの質問ににっこりと笑いながら頷くと、母は人差し指をぴっ、と立てて見せた。

 

 

 

「例えば、家の中の埃は、窓を開けて風を入れれば吹き飛んでくれるでしょう?

だから私はこうやってーービュッ〜!!って感じでーー」

 

 

 

 母の指から僅かに魔力が漏れ出る…かと思うと、屋根裏の中の空気が、そこに螺旋を描きながら集まっていく。

 

 

 

ーー一瞬にして、母の指先には小さな旋風が生み出されていた。

 

 

 

「わぁ…!!」

 

 

 

 それは正しくイメージしていた魔法そのもので、僕は感動と驚きで目を輝かせる。

 

 

 

「ふふふ、まだまだこんなものじゃ無いわよ?」

 

 

 

 そう得意げに微笑むと、今度は母はその旋風をまるで鞭のように細く長く変化させ、部屋の隅に溜まっていた埃を、巻き取るように吸い込ませながら集めていく。

 旋風が一通り部屋の床を舐め回す頃には、母の指先には、まるで中身の見えるタイプの掃除機のように埃が集められていた。

 

 

 

「はい、お掃除完了!!」

 

 

 

 そう言うと、部屋の隅に置いてあった屑籠の中に集めた埃を放り込み、指を鳴らすーーその瞬間、旋風は嘘のように霧散し、屋根裏は再び静寂を取り戻していた。

 

 

 

「す、ごい…」

 

 

 

ーー僕は感動を通り越して戦慄していた。

 初めて目にするイメージ通りの魔法の姿に圧倒されていたのも勿論だが、特筆すべきは母の魔力のコントロールの巧みさ。

 あれだけの強さの旋風を伴う魔力の渦を、床の埃以外の本や調度品を一切揺らす事なく、部屋の隅から隅まで、指先からの僅かな魔力の動きのみで制御して見せたのだ。

…それも、鼻唄を口ずさむ程の気軽さで。

 

 

 

ーー僕も少しは魔力のコントロールを出来る様になってきたと思っていたが、それが井の中の蛙であったと思い知らされた。

 

 

 

 僕が慢心に顔を赤面させているのを他所に、母の解説は続く。

 

 

 

「ーー魔力っていうのはね、メルがいつもやっているように、意識して操る事が出来るけど、実は自然と体から滲み出ているものなの。

その時やっている何気ない動きや考えに影響されながら、ね」

 

 

 

 

 母の言葉を頭の中で整理しつつ、ええっと…と、僕は自分の中で整理したざっくりとした内容を伝える。

 

 

 

 

「……つまり、僕が火を起こしたいって強く思うと、火の『精霊』を引き寄せやすい魔力が体から出て、早く駆けっこしたいって思えば、足を強くするための力を持つ『精霊』を、体の中に取り込み易いような魔力が作られるって事?」

「その通り!! メルったら相変わらず理解が早くって偉いわ!!」

 

 

 

 

 どうやら正解だったようで、母は誇らしげに僕の頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。

 

 

 

 

「そうと分かれば話は早いわ!! じゃあやってみましょうか? まずは、魔力に火、水、土、風の『精霊』を纏わせてみて」

「ええっと…うーん…」

 

 

 

 母はそう促してくるけれども、そうは言ってもイメージ、と一言に言っても中々に難しい。

 

 

 

「そうね…これは私のやり方だけれど、普段の生活に関するものを意識してみたらどうかしら?

身近なものをイメージすれば、少しはやり易いと思うわよ」

「身近なもの…ええっと…」

 

 

 

 まご付きながらも、僕は母のアドバイスの通り、普段の生活の中での火、水、土、風、をイメージしてみる。

 

 

 

ーーまず火は…ランプや蝋燭の火だろうか? 台所の竈門の火も当てはまるが、屋根裏で起こすにしては強過ぎるのでやめておく。

 

 

 

 指先を立て、魔力を少し漏れ出させ、そこに蝋燭の火を灯すようにーー。

 

 

 

 すると、僕の魔力が次第に燐光を帯び、ポッ、ポッ、と音を立て始めた。

……しかし、それはしっかりとした灯火にはならないまま、煙を上げながら消えてしまう。

 

 

 

「あっ…うーん…」

 

 

 

…気を取り直して、今度は水ーー水瓶の中に、ポツリ、と落ちる水滴をイメージして集中する。

 今度は少し上手く行き、指先が湿り気を帯び、僅かな水滴が生まれるが、それもあまり大きくならないうちに蒸発した。

 

 

 

「え、えいっ!!」

 

 

 

 続けて、風は窓から吹き込む微風、土は父が耕す畑の匂いを思い浮かべて行うが、風は霧吹きのように一瞬だけ、土は指先に埃のようなものが付着するだけという結果に終わってしまう。

 

 

 

「全然、出来ない…」

「うーん…ちょっと上手くいかないみたいね…魔力の操作の繊細さは十分なんだけど」

 

 

 

 ちょっと困ったように苦笑しながら、しょんぼりとする僕の背中を母が撫でて慰めてくれる。

 母が言うには、僕くらいの年齢で、普段から手足のように魔力そのものの操作が出来るのは相当稀らしく、通常ならば最初はこのような結果になるのが普通なのだと言う。

 しかし、この特訓以外では上手く行っていた分、僕のショックは大きかった。

 

 

 

「落ち込む事なんか無いわーー出来ないなら、練習あるのみよメル。じゃあ残りの時間は、練習にしましょうか」

「うんっ!!」

 

 

 

 それから暫く、試行錯誤を繰り返しながらの悪戦苦闘が続く。

 

 

 

 

ーーその内、少しずつではあるが、魔力が『精霊』を帯びる時間が増えてきたが、どの属性もはっきりとした形にする事は出来ないでいた。

 

 

 

 

「うぅーん…!!」

 

 

 

 今日はこれで最後にしましょう、と言う母の宣言を受けて、僕はこの日一番の集中力で指先に念を込める。

 属性は火ーーその一念が通じたのか、燐光は次第に火花となり、辺りに火薬のような臭いが立ち上り始めた。

 

 

 

「もうちょっと…!! もうちょっとよメル!! 頑張って!!」

 

 

 

 拳を握り締めながらの懸命な母の応援を受けて、僕は更に集中する。

 

 

 

ーーちり、ちり、と火花が散る。

 

 

 

 それは、まるで前世で見た線香花火のようだった。

 

 

 

(線香花火……懐かしいなぁ)

 

 

 

 その弾けるような儚い光を見ている内に、僕の脳裏にとある思い出が走り抜けた。

 

 

 

 

ーーそれは、妻と交際を始めてから、初めて計画した泊まりがけの旅行。

 

 

 

 

 夏の海辺の街で宿を取り、海水浴をし、夜にはその浜辺で花火をやった。

 その〆は、勿論線香花火ーーその光が、浴衣の妻を淡く照らし、その艶かしい美しさに目を奪われたのを覚えている。

 

 

 

 

 そしてその夜ーー僕に初めて体を預けてくれた彼女の躰と肌は、とても柔らかくて綺麗でーー。

 

 

 

 

(…………って、何て事を思い出すんだ僕は!!)

 

 

 

 

 ボッ!!っと顔中が真っ赤に染まる。

 心臓がバクバクと脈打ち、まるで顔から火が出そうなほどに熱くなる。

 

 

 

 

ーーん?

 

 

 

 

 顔から火が出そうな(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

「…………あっ」

 

 

 

 

 と言う声は、母のものだったか、それとも僕のものだったか。

 

 

 

 

ーー次の瞬間、くぐもった爆発音と衝撃を受けて、僕の意識は途絶えた。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

「きゃー!? メル大丈夫!? 貴方ー!! 貴方すぐに来てー!!」

 

 

 

 

 突如響き渡った爆発音と、続けて慌てふためく妻の悲鳴に、メルの父は階段を駆け上がって屋根裏部屋に飛び込んだ。

 

 

 

 

「ーー何事だ!?」

 

 

 

 

 そこには、髪の毛先をチリチリに焦がしながら目を回して床に伸びたメルリアと、そんな彼女にきゃあきゃあと騒がしく水をかける妻の姿があった。

 

 

 

「……きゅう〜〜」

「あ、貴方どうしましょう!? め、メルの髪の毛がチリチリの羊みたいにー!?」

「お、落ち着け!? 羊なのは元々だ!! まずは治療と気付けをーー!!」

 

 

 

 初めて見る娘の惨状に、父もまた慌てふためき混乱し、普段の特訓の威厳など何処かに吹っ飛んでしまっていた。

 

 

 

ーー結局騒ぎを聞きつけて村長が駆けつけてくるまで、2人の狂乱は続いたのだった。

 

 

 

 




火を扱っている時に、他の事に気を取られてはいけないと言う話でした(違
なお、夫妻は揃って村長さんから「もう少し年相応に落ち着きなさい」と説教を喰らった模様。
次回は、一旦特訓をお休みして現地ヒロイン(?)とのイチャイチャパートとなる予定です。

追記
何と研修先の先輩のお子さんが、メルちゃんの素晴らしいイメージ画を書いてくれました。
正にイメージ通り!!是非ご覧下さい。

【挿絵表示】


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羊の見る夢かくれんぼ

先日投稿した第5話に、知人が書いてくれたメルちゃんの素晴らしいイラストが追加されていますので、宜しければ是非ご覧下さい。
今回は少し予定を変更して、メルちゃんが見る夢と…もう1人の主人公の話です。


 

 

 

 

 

 その夜、僕は夢を見た。かくれんぼの夢だ。

 

 

 

 

 

ーーもういいかーい?

 

 

 

 

 

 僕は果ても、足元すらも見えない暗闇の中を、誰かを探して歩いていた。

 

 

 

 

 

ーーまぁだだよ……。

 

 

 

 

 

 何処かから、すすり泣くかのような、苦しげで、寂しげな声が返ってくる。

 

 

 

 

 

ーーもういいかーい?

 

 

 

 

 

 僕はその声に答えながら、その声をする方向に、ひたすらに、ひたすらに歩いていく。

 風は冷たく、足元は覚束ず、先も果ても見通せない暗闇の中を、それでも、応えてくれる誰かの声を求めて。

 

 

 

 

ーーまぁだだよ……。

 

 

 

 

 そして永遠のように長い時間を歩いた先に、『彼女』はいた。

ーー灰色の仮面の隙間から、涙を零して、隠れもせずに佇んでいる……まるで、誰かに見つけて欲しいかのように。

 

 

 

 

ーーみーつけた!!

 

 

 

 

 もういいよの声も待たずに、僕は彼女の袖を引いた。とんだルール違反だけれど、そんなの構いやしない。

 驚いたように振り向く彼女の表情は、灰色の仮面に隠されて伺い知れないーーけれど僕には、『彼女』がとても驚いているのが分かった。

 

 

 

 

ーー今度は、君が鬼だよ?

 

 

 

 

 にっこりと笑いながら、僕はそう告げたーーだってかくれんぼは、そう言うものだから。

 見つけて、隠れて、見つけて、隠れて…ずっとずっと続くのだ。

 ずっと、一緒に遊べるのだ。

 

 

 

 

ーー遊んでくれるの?

 

 

 

 

ーーうん、勿論だよ。

 

 

 

 

 『彼女』の表情を隠していた仮面がひび割れて、地面に落ちるーー現れたその顔は、とても良く知っている女性(ひと)だった。

 

 

 

 

ーーありがとう。

 

 

 

 

 涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、浅葱色の笑顔を彼女は浮かべた。

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーー子供の頃、私の人生は灰色で、いつも仮面を被っていた。

 

 

 

 

 厳しい家庭、厳しい両親、厳しい躾ーー幼い頃から約束された成功目掛けたレールを走るだけの、何処までも恵まれた牢獄。

 

 

 

 

 皆が求め、皆が羨む、清楚で可憐なお嬢様ーーいつしか私の仮面は、私そのものになっていく。

 唯一それを脱げるのは、夏休みにだけ会える時間が出来る、仲の良い友達に会う時だけ。

 

 

 

 

ーーそこで出会った一つの物語に、私の心は燃え上がった。

 

 

 

 

 それは、勇者と魔王の物語。何処までもありきたりで、勧善懲悪のハッピーエンドな英雄譚。

 どんな困難も打ち砕き、弱気を助け、強気を挫き、友情に熱く、情に脆い…どれも、私が一つも持っていないものを持った、憧れの存在。

 

 

 

 

 その日から、私の人生はほんの少しだけ色づいた。

 成長するにつれて増えていく、私を『成功者』とやらの型に嵌めるための儀式の合間に、私はありとあらゆる勇者の物語を読み漁った。

 勉強すると言う名目で図書館に通い、古今東西の文献に触れる。

ーー何も知らない大人たちは気付きもしなかった。

 物語だけでは満足出来なかったので、その次は参考書を買うフリをして本屋でこっそり漫画を買った。

ーー良い成績を収めてさえいれば、部屋の中で何をやっていても誰も関心など払わなかった。

 

 

 

 

……だんだんと、何だか楽しくなっていった。

 

 

 

 

 古本屋で大好きなシリーズをまとめ買いした。

ーー隠し場所に困って、したくもない習い事の道具を捨ててスペースを作った。

 こっそりと貯めたお小遣いで、ゲーム機とゲームを買った。

ーー通信学習や、徹夜で勉強をする振りをして、何周も何周もやり込んだ。

 

 

 

 

 勿論何度かバレた。

ーーそうしたら、今までロクに注意を向けなかった癖に、大人達はまるでこの世の終わりであるかのように大袈裟な大言壮語を並び立てて、私の大好きなモノに汚物を投げつけてくる。

 はっきり言って八つ裂きにしても飽きたらない所業であったけど、グッとこらえる。

 

 

 

 

ーー何故なら私がいつものようにお嬢様の仮面をもう一度被り直せば、ほら元通り。

 

 

 

 

 暫く殊勝でしおらしくしておけば、また騙されてくれるーーだって、私は『いい子』なのだから。

 一時の気の迷い、ちょっとした反抗期…私の被った仮面に気づきもしないで、それっぽい理由を付けて、また目をそらしてくれる。

 

 

 

 

ーーけどその度に、私の心はささくれ立つ。

 何でこんなに大好きなのに、素敵なものなのに、こうまでして心に秘めなければならないの?

 こんな仮面が私の『ほんとう』だと思っているの? 私の『ほんとう』はこんなものじゃない。

 

 

 

 

 ねぇ見つけてよーー誰か私を見つけてよ…私の『ほんとう』を、誰か見つけてよーーーー!!

 

 

 

 

…そんな風に、いつも私の心は叫んでいた。

 

 

 

 

 何度も仮面を引き剥がして叩き壊し、全てを投げ出して逃げ出そうと思った。

 けど出来なかったーー何故なら、私は諦めきれなかったから。

 いつか私の『ほんとう』に気づく人が私の目の前に現れて、私の大好きな素敵な物語を、同じように素敵だと言ってくれる人が現れてくれる事を。

 

 

 

ーー今思えば、私は強がっているだけで臆病だったのだろう。

 

 

 

 文字通りの反抗期で中二病そのものだ。今思い返せば恥ずかし過ぎて転げ回りたくなる。

 それに私がそんな好き勝手が出来たのは、両親や周囲の大人達が守っていてくれていたからだーー守る立場になった今は、本当にそう思う。

 そんな事を気づきもしないまま、私は仮面の中に『ほんとう』をひた隠して、ひた隠して…次第に、その仮面に取り込まれていった。

 

 

 

 

 そして時が経って、大人になった私の下に見合い話が転がり込んだ。

 相手は親戚が経営する会社の、取引先の企業に勤める人ーーどうしても、と言う言葉に押されて、渋々話を引き受けた。

 

 

 

ーー最早自分自身の顔となったお嬢様の仮面を被って、決められた日の決められた時間、決められた場所に両親と共に会いにいく。

 

 

 

 着ていく服は、お気に入りの浅葱色の着物ーー『ほんとう』の私が、昔から好きな色。お仕着せばかりだった私のささやかな抵抗。

 

 

 

 

ーーホテルのレストランの指定された席に向かうと、そこにーーいた。

 

 

 

 

 第一印象は、優しそうで、気弱そうな人だった。

 緊張で、ガチガチになっているのが一目で分かるーー悪い人では、無さそうだ。

 でも私の仮面は嫌らしいことに、ひたすら都合のいい『役割』を演じてしまうーー少し緊張しているように、何処までも理想の『お姫様』のような振る舞いでお辞儀をし、微笑んで見せる。

 

 

 

ーーそれはもう慣れて、慣れきってしまった私のいつもの処世術(かめん)

 

 

 

 でもその時は、何故かチクリ、と胸が痛んだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 そんな醜い作り物の見せかけの笑顔を見た彼は、呆然とした表情で私を真っ直ぐ見つめてきた。

 暫くの間、沈黙の帳が降りる。

 

 

 

 

ーー何よ、何か言いなさいよ。

 

 

 

 

 何だか居た堪れなくなってきたその時、彼は突然、椅子を蹴倒すほどの勢いで立ち上がり、がばり!! と私に向かって頭を下げて叫ぶようにこう言った。

 

 

 

 

『ーーーー結婚して下さい!!』

 

 

 

 

『…………え?』

 

 

 

 

 あまりにも唐突な、ムードも何もあったものでは無い初対面の人からのプロポーズ。

 思わず、『ほんとう』の私のままの間の抜けた声が出た。

 

 

 

 

ーーその後は、お見合いも何もあったものじゃ無かった。

 

 

 

 

 あちらの両親からバシバシと叩かれ、叱られながら、私に対して羞恥で顔を真っ赤にして何度も何度も平謝りに謝る彼と、引き攣ったような表情を浮かべながらそれを宥める私たち。

 

 

 

 

ーー面白いやつ。

 

 

 

 

 ぱきり、と、私の仮面に罅が入る音がした。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 何度かの交流の後、交際が始まった。

 そして初めてのデートの日を迎え、ありきたりな観光をして、ありきたりな会話をして…でも何処か楽しくて。

 

 

 

 

 その帰り道、レストランで食事をした。

 

 

 

 

 色々な事を話している内に、不意に趣味の話になった。切り出したのは私の方ーーそこに、決意を込めていた。

 

 

 

 

 もしこれで彼が、私の『ほんとう』を晒せる人じゃなかったら…もう二度と、この仮面を脱がずに生きていこう。

 

 

 

 

 そしてその時はせめてこの人みたいな、一緒にいて何処か心地いい人と一緒に生きていくのも良いかもしれない…そんな諦めと妥協に塗れた決意。

 そんな何処までも自分勝手な私の思いを他所に、彼は辿々しく答えた。

 

 

 

 

『ーー学術書や、実用書を、読むのが…』

 

 

 

 

 それを聞いた私は、残念に思う前に『ああ、やっぱりそうなんだろうなー』と納得してしまったのを覚えている。

 だって彼は本当に色々な知識を持っていて、昼間に巡った動物園の動物たちの、今まで聞いた事の無いような習性を教えてくれたり、私が投げるどんな話題にも、打てば響くような調子で言葉を返してくれていたから。

 

 

 

 

ーー嗚呼、でも、やっぱり貴方もそうなんだね。

 

 

 

 

 私の『ほんとう』が好きな事とはまるで真逆の世界で生きる人。

 仮面を被った作り物のお姫様を幸せにしてくれる、ありきたりなシンデレラストーリーの王子様だ。

 そんな人と一緒になるのなら、無邪気で、幼稚で、陳腐な物語の好きな『ほんとう』の私なんて、邪魔なだけ。

 

 

 

 

ーー被っていた仮面が、ズブズブと私の顔に沈み込んでいく。

 

 

 

 

 『ほんとう』の私を完全に覆い隠して、今日から、これが私の顔になるのだ。

 でも、でもせめてーー最後のこの時だけは、『ほんとう』の私の目でこの人を見よう。

 

 

 

 

ーーさぁ、どんどん貴方の事を話して見なさいよ。

 

 

 

 

ーー今日限りで消える『ほんとう』の私を、少しでも楽しませてくれなきゃ承知しないんだから。

 

 

 

 

 そんな期待を込めて、私は彼を真っ直ぐに見つめた。

 彼の瞳は、何処までも純粋で、綺麗だったーーそこには、私が映っている。

 その顔は、今まで見た事無いくらいにワクワクとした、子供の頃みたいな期待に満ちていた。

 

 

 

 

ーー何だ、そんな顔も出来たのね私。

 

 

 

 

 何を今更と思うけれど、何故だか少し嬉しくなりながら、彼の言葉を待つ。

 

 

 

 

 彼は一瞬だけ目を瞑り、そしてもう一度私を真っ直ぐに見つめてきた。

 それまでとは打って変わったように込められた熱量ーー思わず、息を呑む。

 

 

 

 

 

『ーーこれまでは、そうでした』

 

 

 

 

 

ーーえ?

 

 

 

 

 

『でも最近は、絵本を…書いているんですーー小さい頃からの、夢だった、勇者の物語を』

 

 

 

 

 

ーーその時走った衝撃を、私は永遠に忘れないだろう。

 

 

 

 

 

『ーーあの日、両親から勇者への憧れを切り捨てられたあの日から、僕は物語を読んだ事がありません』

 

 

 

 

ーー待って。

 

 

 

 

『両親の庇護下から解き放たれてから手にした事はあったけれど、どれも心を震わせることは無かったんです』

 

 

 

 

 

ーーねぇ、待って?

 

 

 

 

 

『ーーだから、無いなら作ればいいと、思ったんです。あの日心を震わせたような、そんな物語を』

 

 

 

 

ーー待ってよ…待って…こんなの、酷過ぎる。

 ずるい、ずるいーーこんなの、馬鹿みたいじゃない。

 あれだけ我慢して、あれだけ悩んで、あれだけ決意したのに…そんな私のこれまでを、吹き飛ばしちゃうなんてーー。

 何て酷い、ご都合主義のハッピーエンド…あり得る訳がない。

 

 

 

 

『なら今になって、どうして書こうと思ったんですか?』

 

 

 

 

 声が震えるのを、全霊で抑えて問いかける。

 嘘、嘘よ、絶対に信じない。

 こんなの、都合が良すぎるもの。

 

 

 

 

『それはーー』

 

 

 

 そして、言い淀む彼を、もう一度見つめる。

 私の仮面が、必死に彼の言葉を否定しようとする。

 

 

 

ーー聞くな。

 

 

 

ーー聞いてしまえば、もう後戻りは出来ないぞ。

 

 

 

ーーそんな幼稚な夢、いつまでも共有出来る訳がない。

 

 

 

ーーまだ会って間も無い相手に、何をお前は期待しているんだ。

 

 

 

 精一杯自分を押し殺していた理性が、それ以上話を聞こうとするのを拒否しようとする。

 でも、もう私は私自身に嘘を吐きたく無かった。

 

 

 

ーーだから、私はただ真っ直ぐに彼の瞳を見つめて、彼の言葉を待つ。

 

 

 

 

 全てを諦めようとしていた私の前に現れた、あの日の憧憬そのものの『勇者』ーーならば、その目の前にいる私は何?

 

 

 

ーー私は、なっていいの?

 

 

 

 勇者にとっての、姫になっていいの?

 

 

 

『ーー貴女に、会えたからです』

 

 

 

『貴女に会えたから、僕は諦めていたあの日の憧憬を思い出せたんです』

 

 

 

『この憧憬を、貴女と共有したいと思ったんです』

 

 

 

『だから…今度、僕の作品を見てくれませんか?』

 

 

 

ーー聞いた。

 

 

 

 

ーー聞いてしまった。

 

 

 

 

ーー私の付けていた仮面は、粉々に打ち砕かれた。

 

 

 

 

 そして彼は、私にまるで捨てられた子犬のような目を向けてきた。

 自分の告白が、私に受け入れられるのか不安で一杯なのだろう。

 

 

 

 

 

ーーそんな顔するんじゃないわよ。

 

 

 

 

 

『ーーーー素敵だと思います!!』

 

 

 

 

 

 だから私は身を乗り出しながら、彼の手を取っていた。

 

 

 

 

 

ーーこっちから大歓迎よ!! 絶対に逃してなんかやらないんだから覚悟しなさいよ!!

 

 

 

 

 

 だって、こんなの運命に決まっている。

 私たちは、出会うべくして出会ったのだから。

 

 

 

 

 

 その日から、私は一切我慢するのを止めた。

 

 

 

 

 

 勇者に守られるだけの存在なんて真っ平ごめんだーーだって、私は彼の傍で、肩を並べていたいのだから。

 

 

 

 

 

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ーーふと、目を覚ました。どうやら、夢を見ていたようだ。

 目の前には、もう見慣れた老人ホームの中庭が広がっている。

 

 

 

 

『ーーきっと僕を見つけてね。僕も、君を見つけるから』

『ええ、きっと見つけるわーーだから、貴方も私を見つけて頂戴ね』

 

 

 

 

ーーあの日の約束から、何年かが経った。

 あの日から私はすっかり気落ちして、見る見る内に衰えていった。

 当然の事だ…彼は、私の半身で、比翼の鳥だったのだから。

 

 

 

 

ーー半身の私に残っているのは、消える寸前の燃え滓だけ。

 

 

 

 

 勿論、私はその燃え滓のような日々を懸命に生きた。

 周りに迷惑をかけないように、あの人の弔いはしっかりと済ませたし、子や孫に残す遺産や身の回りの整理も既に済ませてある。

 だって彼は言ったのだーー『僕を追いかけるのは、もう少し後でいい』と。

 そうでないと、すぐに私が見つけてしまうから、と。

 

 

 

 

「……懐かしいわねぇ、かくれんぼ」

 

 

 

 

 若い頃の事を思い出す。

ーー子供が生まれて間も無くの頃、家族全員で、近所の公園でかくれんぼをした。

 彼も私も、小さい頃そんな事をやった事が無かったから、むしろ子供よりも私達がはしゃいでいたような気がする。

 

 

 

 

…いや、というよりも、はしゃぐ私に、彼が付き合ってくれたのだ。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

『まぁだだよーー」

 

 

 

 

 私がそう言うと、公園の何処かから子供達の声に混じって、悪戯めいた彼の声が聞こえてくる。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

『まぁだだよーー』

 

 

 

 

 普段みたいに私が追いかける事なんてあまり無かったから、今すぐにでも飛び出したい気持ちを抑えて、そんなやり取りを繰り返す。

 

 

 

 

『もういいよーー』

 

 

 

 

 そして、彼の合図が聞こえると、待ってましたとばかりに飛び出して、子供達をあっという間に見つけ、最後に彼の姿を探す。

 すると彼は、これ見よがしに隠れ場所から動いたり、物音を立てたりして、わざと見つけられるような素振りを見せてみせるのだ。

 

 

 

 

「みーつけた!!」

 

 

 

 

『見つかっちゃったなぁ…君には、叶わないや』

 

 

 

 

ーー嘘おっしゃい。

 

 

 

 

 初心者の私に遠慮して、わざと見つけやすくしてくれたの、バレバレよ?

 

 

 

 

ーー思えば、いつもあの人はそうだった。いつも私に遠慮して、いつも私に合わせてくれて…。

 

 

 

 

…いつも、私の隣に寄り添ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、もういない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼はもう、この世界にはいないのだ。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 私がどんなに呼びかけても、返事は帰ってこない。

 それでも、私は何度も呼びかけるーー返事が返ってくるまで。

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 ねぇ、返事をしてよ。今度は私が鬼なのよ?

 返事が返ってこないと、私捕まえに行けないじゃない。

 私、ちゃんと待ったよ?ーー沢山、沢山、待ったよ?

 もういいじゃない。

 もう追いかけてもいいじゃない。いくら貴方が鈍臭くったって、このままじゃ私追いつけなくなっちゃうわよ?

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 でも、返事が来ないのなら、まだ追いかけてはいけないという事なのだろう。

 だから、グッと我慢する。

 あの日から壊れてしまった仮面を継ぎ接ぎにして、また被るーーまだ私は頑張れると、『ほんとう』の私を覆い隠す。

 でもーー、

 

 

 

 

「……寂しいよぅ」

 

 

 

 

 隙間から、ポロポロと涙が零れ落ちる。

 

 

 

 

「……独りにしないでよぅ」

 

 

 

 

 隙間から、彼がいなくなってからずっと我慢していた言葉が漏れる。

 

 

 

 

「だからーー」

 

 

 

 

 最後にもう一言…もう一言だけーーそう願って、溢れそうになる嗚咽を抑えながら、声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

「もういいかいーー」

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉と共に、風が吹き抜け、木々がざわめいてーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もういいよーー』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え…………?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が待ち望んでいた、大好きな優しい声が、確かに聞こえた。

 

 

 

 

 

ーーやっぱり、ずるい人。

 

 

 

 

 

 私が諦めそうになった時に、全部ひっくり返してしまうんだもの。

 

 

 

 

 

「ーーこんなに待たせておいて…!! 見つけたら、文句を言ってやるんだから!!」

 

 

 

 

 

 そう一声叫ぶと、私は体を飛び出し、中庭を抜け、空へと飛び上がり、あの人の声目掛けて走り出した。

 その先には、太陽のように眩しい光が溢れている。

 その光の中に飛び込む前に、私はちょっとだけ後ろを振り向いた。

 

 

 

 

ーーそこには、私がいた。

 

 

 

 

 幸せそうな笑顔を浮かべて、眠っている。

 

 

 

 

「さようなら、私ーーさようなら、私を生んで、育ててくれたみんなーー」

 

 

 

 

 私自身に、家族に、そして世界に、一言別れを告げる。

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、別の世界で勇者になってくるーー!!」

 

 

 

 

 

 

 誰かに聞かれたら、何だそりゃ、と言われそうな、とんでもなく馬鹿らしい、荒唐無稽の言葉。

 

 

 

 

ーーでも許して欲しい。

 

 

 

 

 私と彼にとって、それは何よりも大切な、世界を超えた約束なのだから。

 

 

 

 

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「えいっ!! やぁっ!!」

 

 

 

 

 そして、何処か別の世界、何処かの国の、何処かの屋敷の庭先で、1人の少年が熱心に剣を振っていた。

 絹のような蜂蜜色の髪の毛に、透き通るが如き緑の瞳ーーその顔はまるで少女と見間違うほどに美しいが、振るう剣は大人顔負けなほどに鋭い。

 

 

 

「おお、ライルよ、精が出るな!!」

 

 

 

 そんな少年に、屋敷から姿を現した彼の父が声をかける。

 その瞳は、優しく誇らしげな光を放っていた。

 

 

 

「はい!! 父上!! おはよう御座います!!」

 

 

 

 それに気づいた少年ーーライルは、元気良く挨拶を返すと、再び剣を取り、素振りを始める。

 その鋭さに満足げに頷くと、父は以前からの疑問を彼にぶつけた。

 

 

 

「ライルよーー何故そこまで己を鍛えるのだ?」

「はい!! 将来騎士を目指す身ーー鍛錬は早いうちが良いかと!!」

 

 

 

 正に模範のような息子の言葉に、しかし父は頭を振った。

 

 

 

「確かに我が家は代々騎士の家柄ーーだが、お前の目指す『先』はその程度ではあるまい」

「……バレてしまいましたか」

「ーー馬鹿者、お前が母の胎から取り出された時、最初に抱き上げたのはこのワシぞ? おべんちゃらなど通用すると思うてか」

 

 

 

 そのように吐き捨てる父だったが、その瞳は優しく弧を描いていた。

 

 

 

「ここには余計な耳も無いーー正直に答えるが良い」

「はい、では遠慮なくーー!!」

 

 

 

 

 

「ーー私は、勇者になりたいのです!!」

 

 

 

 

 

 何処までも愚かしく、真っ直ぐな言葉。

 父はまるで礫を喰らったかのようにぽかん、と呆けたかと思うと、次の瞬間ビリビリと響き渡るような豪快な笑い声を上げた。

 

 

 

 

「くぁっはっはっはっは!! 勇者…そうか、勇者か!! その意気や良し!!」

 

 

 

 

 そしてガシガシと荒々しく我が子の頭を撫でると、そこから数歩離れて、転がっていた木剣を取った。

 

 

 

 

「ならばワシも勇者の父となれるよう、お前を鍛えねばならんな!! その決意と共に打ち込んで来い!!」

「はい!! 父上!!」

 

 

 

 

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 魔力、魔族、種族間の対立ーー思い描いていたファンタジーの世界は、やはり物語のようにはいかないらしい。

 

 

 

 

ーーそれでも、私は今日も、私自身を鍛えるために今日も剣を取る。

 目指すは勇者ーー人類の希望、英雄、完全無欠のハッピーエンドの体現者。

 例え夢想理想と笑われても、私の決意は変わらない。

 

 

 

 

(ーー絶対に、あの人の所へ行くんだから!!)

 

 

 

 

 勇者(わたし)を必ず待っている、世界の何処かに生まれ落ちた(かれ)の元へと。

 

 

 

 

 それは私がこの世界に生まれ落ちて、『6年目』に改めて抱いた決意だった。

 

 

 

 

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「もういいよーー」

 

 

 

 

 ふと、自分の口から漏れ出た声で目が覚めた。

 どうやら、寝言を言っていたらしい。

 

 

 

 

 昨日の騒ぎに反して、僕の目覚めは爽やかだった。

 内容は思い出せないけれど、前世の大切な思い出の夢を見たせいかもしれない。

 夢に出てくるのは、当然僕の運命の人ーー。

 

 

 

 

「ーー待ってるよ。僕の勇者(ひめ)

 

 

 

 

ーー今日は、いい日になりそうだ。




妻ことライルくん、転生完了!! メルちゃんLOVEのあまり数年の時間軸を突破してきました。
やはり愛の力は偉大(確信
彼の動向は、ちょこちょこ番外編的なもので書いていこうかと思います。


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特訓の合間〜大切な友達〜

前回に引き続き、特訓は一旦お休み。
現地勢におけるメインヒロイン候補とのイチャイチャパートとなります。


 初めての大失敗騒動の翌朝、目が覚めると、心配そうな顔をした父と母が駆け寄ってきた。

 

 

 

「ーーごめんねええええ!! メルううううう!!」

 

 

 

 と母は物凄い勢いで走り寄ってきて、泣きべそを掻きながら僕を力一杯抱きしめる。

 

 

 

「う、うん、心配かけてごめんなさい、お母様」

 

 

 

 ちょっと痛くてこそばゆかったけれど、それは本気で僕を心配しているからこそだーー僕は抵抗せず、母の相変わらず力一杯の愛情に身を委ねた。

 

 

 

「ーーこらこら止めないか、困っているだろう。

…おはようメル。何処か痛い所や気分が悪かったりしないか?」

 

 

 

 父はそんな母を嗜めながらも、本人自体も何処かほっとした様子だ。

 

 

 

「ううん、お父様。全然平気だよ。むしろ何だかちょっと調子がいいくらい」

 

 

 

 父の言葉に僕は頭を振るーー別に強がりや心配をかけたく無いという訳でもなく、実際に自分でも不思議なほどに絶好調とも言える程に調子が良かった。

 

 

 

ーーやはり、昨日見た夢のおかげだろうか?

 

 

 

 僕はそのままの勢いで、早速昨日失敗した母との特訓のリベンジを果たそうと意気込んでいたのだが、残念ながらそれは父と母両方から止められてしまった。

 村長さんや母による治療魔法のおかげでもうすっかり治っているが、あまり大したことは無かったとは言っても怪我は怪我なのだから、大事を取って今日は一日特訓は休みにするらしい。

 

 

 

「メルが平気な顔をしているからと、僕達にも油断があったのかもしれないしな。

ーー今日は丁度村長殿の私塾も休みな事だし、今日は一日思う存分友達と遊んで、気分転換をしてくるといい」

「え? いいの!?」

「ええ、勿論よメル。何か失敗した時は、一度頭をとことん空っぽにするのも大切よ?

ただ、松明が灯る時間よりは前に帰って来て頂戴ね」

「ありがとうお父様、お母様!!」

 

 

 

 

 僕は両親の言葉に目を輝かせたーー特訓が始まってから、以前と比べて近所の子供達とは時間が合わない事も多かったから、一日中思う存分自由に時間を使えるのは本当に久しぶりだ。

 

 

 

 まだこの世界に慣れない頃は、下手をしたら孫よりも年下の子供達に混ざって遊ぶのは少し気恥ずかしかったし、思わず保護者の目線になってしまい、無鉄砲な彼らの行動の一つ一つにハラハラしたりしたものだ。

 しかし、大きくなるにつれ、段々と自分が子供に還った事の違和感は大分消え、今では彼らと野山を駆け回り、遊び回るのは僕の大好きな時間の一つだ。

…勿論一番が本を読む事なのは変わらないが、世界を越えてようやく、一緒に楽しい時間を共有出来る友達が出来たのだーーそればかりにかまけるなんて勿体ない。

 

 

 

 

 そうと決まれば話は早いーー僕は手早く朝食を終えて後片付けを手伝いながら、さて誰を誘おうかーーと、仲の良い子達を思い浮かべていたら、不意に我が家のドアがドンドンとやかましく叩かれた。

 

 

 

 

「メールーちゃーん!! あーそーぼー!!」

 

 

 

 

 まるでドアなんか無いかのように、元気で大きな声が響き渡る。

 声の主は見なくても分かるーーそれは、僕がいの一番に頭に思い浮かべた子だった。

 

 

 

 

「はぁーい!!」

 

 

 

 

 僕はその声が聞こえた瞬間、すぐに僕は駆け出して、『彼女』を招き入れる。

 

 

 

 

「おはよーメルちゃん!! 今日は遊べるー?」

 

 

 

 

 そこには、ヒラヒラと揚羽蝶のような美しい翅をはためかせながら、朗らかな笑みを浮かべてこちらを見下ろす、ルゥシィの姿があった。

 

 

 

 

「うんっ!! 丁度今日は一日休みになったんだ!!」

「わぁー、グウゼンだねぇ。何だか晴れてていい天気だから、何だかそんな気がしてたんだー」

 

 

 

 

 少し間延びした穏やかな声で、ふにゃりと笑う彼女に、思わず僕も嬉しくなってしまう。

 けど、そこでふと気付く。

 

 

 

 

「あれ? でもルゥちゃん、確か昨日も来てたってお母様から聞いたんだけど…?」

「昨日は曇りだったんだけど、風が気持ち良かったからねぇ。メルちゃんはお出かけしてたけど」

「…そういえば、一昨日も来ようとしてたんだっけ?」

「そーだよー、雨が降ってたから、メルちゃんもお休みだと思ってねぇ。

でも、雨の音を聞いてる内に眠くなっちゃったんだよねぇー」

 

 

 

 

 そう言って彼女はあはは〜、と笑うーールゥシィはいつもこんなだ。

 マイペースで、気紛れで、何があってもいつも朗らかに笑っているーーまるでお日様のように。

 

 

 

 

「あ、あはは…ルゥちゃんは相変わらずだね…」

「ふふーん、当たり前でしょ? 私は私なのだー」

 

 

 

 

 自慢げに胸を張る彼女は、あ、そうだったいけないいけない、と、両親に向かってぺこり、と頭を下げる。

 

 

 

 

「こんにちは、メルちゃんのママに、メルちゃんのパパ。メルちゃんと遊んでいいー?」

「ははは、こんにちはルゥシィ。勿論構わないとも」

「ただし独り占めはダメよー?」

「勿論ー。メルちゃんは皆のメルちゃんなのだー」

 

 

 

 何処までも天真爛漫だけれど、きちんとする所はちゃんときちんとするーーそんなルゥシィは、村の大人達にからも大人気だ。

ーーどちらかと言うと、アイドルというよりもマスコット的な感じだけれども。

 

 

 

「ーーそれじゃあ、行って来ます!!」

 

 

 

 ともかく、許可は出たーー僕は2人に見送られ、お気に入りのスカーフを身に纏って外へと飛び出した。

 今日はルゥシィの言うとおり、雲一つ無い青空が広がっているーー少し日差しが強いが、日陰の中だったらそこまで暑くも無い。

 

 

 

「じゃあ、何処に行く?」

「あはは、勿論決まってるじゃ〜ん」

「「ーー東の森!!」」

 

 

 

 2人の言葉が同時に重なる。

ーーそこは、村の大人達が木や薪を切り、木の実や野草を採ったりする場所で、あまり奥に行きすぎたりしない限りは、年頃の子供達にとっては格好の遊び場所だ。

 森に入ってすぐの場所にある炭焼き小屋の近くには、大小様々な花が咲く広場があり、僕達はいつもそこで鬼ごっこをしたり、本を読んだりするのがお気に入りだった。

 

 

 

 

 そうと決まれば話は早い。早速僕達は森目掛けて出発した。

 僕の家からは暫く歩かなくてはいけないため、ぐずぐずしていては折角の時間が勿体ない。

ーーパタパタと翅をはためかせるルゥシィに置いて行かれないように、小走りで追いかける。

 

 

 

 

「そう言えばメルちゃん、最近飛ばないけどどうしたの〜?」

「あ、うーん、それなんだけどーー」

 

 

 

 

 まだ魔力の事や危険性をあまり認識していなかった頃、僕は彼女と遊ぶ時は必ずと言って良い程に魔力で宙を浮かんで遊んでいた。

 だが、特訓を受けるようになってからは、やらないようにしている。

 赤ん坊の頃から何の気無しにやっていた事なので、僕にとってはもう手足を動かすのと殆ど変わらないのだが、大人達にとってはそうは行かないらしい。

 そのため、魔力のコントロールが一定の水準を満たすまでは、みだりにやらないようにと言い含められてしまったのだ。

 

 

 

「ありゃりゃ、残念だなぁ。久々にメルちゃんと木の上をお散歩出来ると思ってたんだけど〜」

 

 

 

 そんな僕の経緯を聞いて、ルゥシィは眉を寄せながら口を尖らせる。

 あからさまに残念そうな顔に、僕は少し罪悪感を覚えた。

 

 

 

 

 でもそこで、僕の中にちょっとした悪戯心が湧き上がった。

ーー今日は貴重な気分転換の日なのだ…ちょっと位羽目を外しても、きっとバチは当たるまい。

 僕は魔力を操作して、ふわり、とルゥシィと一緒に並ぶように浮かび上がった。

 

 

 

 

「ーーあー、パパとママの言いつけ破ってメルちゃん悪い子だー」

 

 

 

 

 そうは言いながらも、僕と一緒に飛べるのが嬉しいのか、ウキウキしているのがよく分かる。

 この村にはフェアリィ族はルゥシィの一家しかいないし、こんな風にして一緒に、文字通り飛び回れる子供は僕だけなのだ。

 

 

 

 

「ふふ、でもいつも我慢してるから、今日くらいいいかなーって」

 

 

 

 

 僕も嬉しくなって、思わず笑みを浮かべた。

 こう言う無鉄砲は子供の特権ーーそして何より、友達と一緒に何かをやる時間と言うのは、本当に貴重なものなのだから。

 

 

 

 

「それじゃあ早速、森まで競争しよ〜。よ〜いどーん!!」

「あっ、ずるい!! 待ってよぅルゥちゃーん!!」

 

 

 

 僕らはそんな風にはしゃぎながら、東の森までの空中散歩を楽しんだのだった。

 

 

 

 

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 森の入り口には、既に何人かの子供達が集まっていた。

 

 

 

 

「おせーよルゥシィにメルリア!! お前らが最後だぞ!!」

 

 

 

 

 ガッシリとした一際体格の大きい、オーク族の少年が不機嫌そうに声を荒げる。

 

 

 

 

「へー、メルも来るなんて久しぶりね!! でかしたわよルゥ!!」

 

 

 

 

 そう言いながら親指を立てて破顔するのは、緑がかった肌を持ち、額に小さな角を生やしたゴブリン族の少女。

 

 

 

 

「皆揃った所で、何して遊ぶ? 僕はチャンバラがいい!!」

「えー、それじゃ男の子組が有利じゃん!! アタシはおままごとがいい!!」

「やだー、そんなのつまんなーい!! 折角なんだから森の中探検しようぜー!!」

 

 

 

 やいのやいのと騒がしい他の子供達を見ても、その姿形は様々だ。

 僕と同じような悪魔でも、父のように典型的な悪魔の姿をした子もいれば、角を生やした子に、羽を生やした子もいる。

 獣人ならば村長さんのように直立した動物の顔をした子もいれば、人間とほぼ変わらない、耳や手足が獣と同じようになっている子。

 果ては人の形をしているスライムや、リザードマンと呼ばれる蜥蜴人などもいる。

 

 

 

 

ーーまるで前世で妻から借りてやった、RPGでよく登場するモンスター達そのままの姿。

 

 

 

 

 しかし誰もが各々の、一見すれば種族すら違うように見える外見を気にもしていない。

 恐らくは魔族にとっての種族の違いとは、ちょっとした個性や、人間にとっての人種や民族の違い程度の認識なのだ。

 勿論、それぞれに文化や価値観、食生活等の違いは確かにあるため、もっと大きい街では居住する区画を分けたりもしているらしいが、ここのような小さい集落ではそこまで問題にはならないため、このように一緒くただ。

 

 

 

 

ーーそして結局、暫くの間遊ぶ内容についてやいのやいのと話し合った末、結局森の中で鬼ごっこに決まる。

 

 

 

 

「んふふ〜、さーて、ちょっと本気出しちゃお〜」

「頑張ろうね、ルゥちゃん」

 

 

 

 

 鬼は、一番遅く来たという事で、まずは僕とルゥシィになった。

 

 

 

 

「げー、ルゥシィが鬼だと、俺ら逃げられる訳ねーじゃん!?」

 

 

 

 

 足の遅い子達がブゥブゥと文句を漏らすーー小柄なルゥシィが本気で森の中を飛び回ったら、下手な大人よりも早いのだから当然と言えば当然だろう。

 生来魔力が豊富であり、生まれた頃から飛ぶ事の出来る程に魔力操作の巧みなフェアリィ族にとって、森は正にホームグラウンドなのだ。

 

 

 

 

「皆落ち着いて!! 代わりに向こうにはメルがいるから、ルゥを何とかすればチャンスはあるわ!!」

 

 

 

 

 一方、僕は恐らく村の子供達の中で一番足が遅い。下手をしたらスライム族の子よりも遅い。

 前世でも運動は壊滅的だったのが、どうにもこの世界でも苦手意識が続いてしまっている。

 彼らはそんな僕が鬼の1人という事に希望を見出しているようだがーーしかし、

 

 

 

 

「ふふふっ、残念でした」

 

 

 

 

 僕はそんな子供達に見せつけるように、ふわり、と宙に浮かんでみせた。

 その瞬間、子供達からは一斉に悲鳴のような叫びが上がる。

 

 

 

 

「げえええ!? メルリアまで飛んだぞ!? ずっけぇ!!」

「メルちゃんまで飛んだら勝負になんないじゃん!!」

「嘘つきー!! 暫く飛ばないって言ってただろー!!」

 

 

 

 次々に飛んでくる抗議の声ーーしかし、僕は怯む事なく皆に向かってにっこりと笑いかけた。

 

 

 

「ごめんね、今日は久しぶりに皆と遊べるから、ちょっとはしゃぎたい気分なんだーー覚悟してね?」

「畜生可愛い!!」

「可愛いけど鬼だ!!」

「鬼ごっこの鬼だけど可愛い!!」

 

 

 

 

ーー何だか男の子達が顔を赤らめているような気がするが、まぁあまり気にしないでおこう。

 

 

 

 

「それじゃあ、今から数えるよー!! いーち!! にーい!!」

「男子のアホ共は放っておいて逃げるよー!!」

「固まらないで散らばってー!! 少しでも時間を稼ぐの!!」

 

 

 

 それを聞いて騒いでいた子供達も、慌てて駆け出していく。

 

 

 

 

「ーーじゅーう!! さ〜て、頑張ろっかメルちゃん!!」

「うん!! それじゃあ、ルゥちゃんはそっちからお願い。僕はこっちから」

 

 

 

 

 そして僕達は軽く打ち合わせをしてから、風のように森の木々の間を縫いながら飛び出す。

 

 

 

 

 

ーーそれから10人近い子供達を全員捕まえるのに、朝食を食べ終わるくらいの時間もかからなかった。

 

 

 

 

 

 その後、僕は鬼ごっこにおいて空を飛ぶ事を禁止された。

 

 

 

 

 

ーーちょっと、はしゃぎ過ぎてしまっただろうか?

 

 

 

 

 

「オウボウだー!!」

「僕達のロマン…じゃ無かった!! メルのケンリを守れー!!」

「オイラオトナの気持ちちょっと分かったかもしれない!!」

 

 

 

 

 だが少し不思議だったのが、鬼ごっこ中は文句ばっかり言っていた男子勢の一部が、禁止を言い渡された瞬間僕を庇って禁止反対派に回った事だーーちなみに彼らはその後漏れなく女子勢から袋叩きに合った。

 

 

 

 

「どうしたの皆?」

「ーーメル…アンタ女の子として何か思う所は無かったの? 空飛んでる間とか」

「えっと…いつもは足が遅いから、皆に追いつけて楽しいなー、とか…。

後は、男の子にも勝てるくらいに速いから、風が気持ちいいなー、とか…」

「それから…?」

 

 

 

 

「あ、それから、今日久しぶりにルゥちゃんと一緒に飛べて嬉しかったなぁ、って」

 

 

 

 

 聞かれた事に僕が指折り数えながら答えると、女の子達は何だか生暖かい笑みを一斉に浮かべた。

 そして僕を取り囲んで代わる代わる頭を撫でくり回したり、ギュウッと抱きしめたりしてくる。

 

 

 

 

「え? え? 何、皆? くすぐったいよぉ」

「…いいの、いいのよメルちゃん」

「アンタは何も気にしないでいいの。アタシ達がメルを守るから、安心して」

「ただ、メルリアのお母さんには言っておくから、ちゃんと後で女の子の振る舞いをちゃんと教えて貰ってね?」

「う、うん…」

 

 

 

 

 正直訳が分からないが、彼女達の不思議な圧に、僕は肯く事しか出来なかった。

 

 

 

 

「ーーんふふ〜、メルちゃんは相変わらず人気者だねぇ」

 

 

 

 

 そんな僕を、少し離れた木の枝の上から、ルゥシィがニコニコしながら見ていた。

 

 

 

 

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ーーそれから暫くして、かくれんぼをしたり、おままごとをしたり、僕達は時間のある限りとことん森での遊びを楽しんだ。

 そして昼頃にもなると、男子は男子、女子は女子で別れて、思い思いに好きなことをしてバラバラになって遊びつつ、昼食前には解散になるのが常だ。

 

 

 

 

 僕はと言うと、ルゥシィと2人きりで、木々の間を飛び回ったり、色々な所に生えた木の実や果物をもぎり取っておやつ代わりに食べたりしていた。

 

 

 

 

「ーーへぇ、大変だったねぇメルちゃん」

「うん…ちょっと髪の毛も短くなっちゃって…」

 

 

 

 

 リンゴに似た味のする果物を齧りながら、僕は昨日自分がしてしまった失敗について、ルゥシィに話していた。

 ただ、具体的な話をし始めると彼女の頭が痛くなってしまうので、わかりやすいようにざっくり、とではあるが。

 

 

 

 

「ーー火、水、土、風かー…うーん…」

 

 

 

 

 すると、僕の話を聞いたルゥシィは、珍しく考え込むような素振りを見せる。

 その顔は何処となく真剣で、今まであまり見た事の無いような表情だった。

 

 

 

 

「どうしたのルゥちゃん?」

「あ、うん…何だか不思議だなーって思って…メルちゃんのお母さんが言うには、その4つが『精霊』さんのキホンキソなんでしょ?」

「うん、そうだけど…」

 

 

 

 

 僕はルゥシィの言葉の真意が分からず、曖昧な返事しか出来ない。

 そんな僕を他所に、ルゥシィは続けて自分が腰掛ける枝をペチペチと叩く。

 

 

 

 

「じゃあ、この木はそのキホンキソの中のどれなんだろうねぇ?」

「え? うーん…どうなんだろう…?」

 

 

 

 

 その言葉に、僕は少し考え込んだーーそんな事少しも考えた事が無かった。

 土から生えてるから土…? いやでも、中には水草のように水の中でないと育たないものがあるし…。

 考え込んでいると、木々の間から風が吹き、枝葉をさやさやと鳴らしながら僕達の頬を撫でた。

 

 

 

 

「薪にすると火で燃えるしー、水と土を吸って大きくなるしー、木の間に吹く風はこんな風にいい音で気持ちいいしー。

…あ、全部揃ってるねぇ」

「あ、本当だ。そう考えると面白いね」

 

 

 

 

 ルゥシィは時々突拍子も無いことを言い出す事も多いが、たまにこうして物事の本質を捉えていたりするので面白い。

 

 

 

 

「それなら、キホンキソの火、水、土、風にー、木があったらパーフェクトだよねぇ」

「あはは、そうなったら、属性が4つじゃなくて5つにーー」

 

 

 

 

ーーそこまで言って、僕の脳裏に一つの閃きが駆け巡った。

 それは前世において、僕が書いていた物語のために集めていた資料の中に書かれていた、一つの思想の事だ。

 それは僕の暮らしていた国に程近い場所で起こった思想であり、若干マイナーではあるけれども、よく漫画やゲームの設定などにも使われているものだった。

 

 

 

 

 これなら行けるかもしれないーー僕は嬉しくなって思わずルゥシィに飛びついていた。

 

 

 

 

「ありがとうルゥちゃん!! すっごいヒントだよ!!」

「わぷっ!? 急にどしたのメルちゃんー?」

 

 

 

 

 ルゥシィは突然の僕の行動に目を白黒させていたけれど、僕が満面の笑みを浮かべているのを見て、同じようにお日様の笑顔を返す。

 

 

 

 

「えへへ、私メルちゃんの役に立った〜?」

「うん!!」

「メルちゃんの特訓、上手く行きそう〜?」

「勿論!!」

「なら良かった〜」

 

 

 

 

 その笑顔を見て、僕は初めての友達がルゥシィで良かったと心から思った。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーーその日の夜、僕は屋根裏に父と母を呼び出した。

 

 

 

 

「……何か、掴んだようだな」

 

 

 

 

 僕の自信に溢れた表情を見て、父はそれに何かを感じ取ってくれたようで、満足げに肯く。

 

 

 

 

「ーーうん、見てて2人とも」

 

 

 

 

ーー僕の大切な友達がくれたヒント…決して無駄にはしない!!

 

 

 

 

 僕は一回深呼吸すると、精霊を集めるために集中力を高めたーー。

 

 

 

 




メルちゃんの嫁がアップを始めました(嘘
次回は、メルちゃんが思い付いたものの答え合わせと、メルちゃんの最大の秘密である転生に関する話となります。


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天の星からの贈り物

恐らくはこの作品唯一の予定のメルちゃんの現代知識と、この世界における転生者の立ち位置の一端を語る話になります。


 

 

 

ーー魔力を高める。

 

 

 

 

 集中しながら、僕はポケットから木の葉を一枚を取り出した。

 

 

 

 

「ーー木生火(きはひをしょうず)

 

 

 

 

 それを見つめながら魔力を通わせ、イメージするのは落ち葉焚きーー火の『精霊』が木の葉に纏わり付き、程なくして燃え上がった。

 

 

 

 

ーー勢いはそれ程強くは無いが、燃え尽きた木の葉が白い灰となって床に零れ落ちる。

 

 

 

 

「ーー成程、木の葉を触媒にする事で精霊を纏わせ易くしたのか」

「考えたわねメル…でも、これだけじゃ無いんでしょ?」

「うん、勿論!! 見ててお母様」

 

 

 

 

 母の言葉に応えると、今度は『床に落ちた灰(・・・・・・)』に魔力を纏わせる。

 

 

 

 

「ーー火生土(ひはつちをしょうず)

 

 

 

 

 今度は灰がモゾリ、と動き出したかと思うと、まるで消しゴムのカスを集めるかのように纏まり、固まり、一塊の土くれへと変わった。

 

 

 

 

「ーー土生金(つちはきんをしょうず)

 

 

 

 

 そして間髪入れず、魔力を纏ったかと思うと、土くれは金属の光沢を放ち始める。

 

 

 

 

「ーーこれは…!?」

「メル…貴女って子は…!!」

 

 

 

 

 

 両親から驚きの声が漏れる。

ーー当然だろう。これは『精霊』による魔力の属性変換とは更に上の段階。

 『精霊』を混ぜ込んだ魔力を纏わせる事による、物体の物質変換。

 属性の変換で躓いていた今の僕では、本来ならば到底辿り着けない領域だからだ。

 

 

 

 

 が、僕はそれに応える程の余裕は無かった。

 

 

 

 

ーー昼間のルゥシィとの会話で切っ掛けは掴めたが、僕の『精霊』を集める力はまだ未熟だ。

 

 

 

 

 事実、先ほどの土くれは完全には金属に変わらず、土と混ざった斑模様になってしまっていた。

 少しでも気を抜けば、崩れてしまって台無しになってしまうーー僕は額の汗を拭うと、更に集中する。

 今度は金属片を魔力の手で拾い上げて、今度は寒い夜に金属の表面を濡らす夜露をイメージする。

 

 

 

 

「ーー金生水(きんはみずをしょうず)

 

 

 

 

 すると、金属の部分が結露し始め、みるみる内に水滴となり、小指の爪先程の大きさの滴となって床板に向かって零れ落ちる。

 ここで仕上げだーー僕はより一層、イメージを強くする。

 

 

 

 

ーー思い浮かべるのは、昼間にルゥシィと共に飛び回った木々のざわめき。

 

 

 

 

 種は水を吸い上げ芽吹き、芽は水を吸い上げ大樹となる。

 そしてその木々の枝葉をさやさやと鳴らす、優しく吹き抜ける微風ーー風は、木と共にある。

 

 

 

 

「ーー水生木(みずはきをしょうず)

 

 

 

 

 僕の言葉と共に、水滴は床板に落ちる前に渦巻く風となり、僕の服と髪の毛を一瞬はためかせて消えた。

 

 

 

 

「はぁーー」

 

 

 

 

 僕は深い溜息を吐いて、ようやく集中を解く。

 

 

 

 

ーーこれが僕が思い出した、前世の知識。

 

 

 

 

 五行思想というものがあるーー古くは古代の中国で生まれたこの思想曰く、この世の万物は、木、火、土、金、水の五つの元素から成り立っているのだという。

 そして、この5つは互いに影響を与え合い、常に循環している。

 

 

 

 木は燃えて火を生み、

 火は灰となり土を生じ、

 土は蓄え金を生み、

 金は表面に露を集めて水と成し、

 水は雲となり、雨となり、吸い上げられて木を育む。

 

 

 

 

 この循環こそ、五行相生ーー陰陽の陽、生々流転を示す互いが互いを生み出す螺旋。

 

 

 

 

 そして、その対となるものも存在する。

 木は根を張り土を締め付け、奪い。

 土は水を濁らせ堰き止める。

 水は火を消し、

 火は金を溶かし、

 金は刃となり木を傷つけ切り倒す。

 

 

 

 

 その名は五行相克ーー陰陽の陰、一方が一方を滅ぼし合う、自然における厳しい掟の具現化だ。

 

 

 

 

 しかしそのバランスも重要で、相生でも片方の力が偏ってしまうと、水のやり過ぎで木が腐ったり、火が強過ぎれば木は火を生み出す前に燃え尽きてしまう。

 

 

 

 一方で、相克は滅ぼすだけではなく、何かを生み出す事も出来る。

 木は土を奪うだけではなく、根が張る事で山の土が流れ出す事を防げるし、火で溶かされた金属は鍋釜や鋤に鍬、様々な武器などの道具に加工される。

 

 

 

 この相生と相克のバランスが保たれ、淀み無く巡る様に、昔の人々は四季や水の循環といった自然界のサイクル、人間の中にある血液や呼吸の循環といったこの世の神羅万象の事象に当て嵌めたのだ。

 全ては繋がり巡っている。

 だからこそ、そのバランスを保てるように、自然や人々の摂理の中で自らを律し生きていかねばならない。

ーー五行とは、そんな思想だ。

 

 

 

 

 物語を書くにあたって、様々な文献を読み漁ったけれど、不思議としっくり来たのを覚えている。

 僕自身、どちらかというとあまりリーダーシップが取れず、周りに合わせるような生き方ーー言ってしまえば、事勿れ主義と言っても良いけれどーーをしていたから、このように生きられればいいなぁ、と少し憧れたものだ。

…そんなものを、ルゥシィと昼間に会話する今の今まで忘れていたのだから情けない話ではあるが。

 

 

 

 

「メル…これは一体…?」

 

 

 

 

 ようやく驚愕から立ち直ったのか、父が今しがた見せた魔法について聞いてくる。

 流石に前世の知識だーーとは口が裂けても言えない。

 いくら魔力や魔法といったものが溢れている世界とは言っても、自分の子供が突然そんな事を言い出したら、何かの遊びか、熱にでも浮かされているのかと思うだけだろう。

 

 

 

 

「えっと…ルゥちゃんと一緒に遊んでた時にーー」

 

 

 

 

 僕は昼間に森で遊んでいた時に、ふと頭に浮かんだーーと誤魔化しつつ、五行についてざっくりと説明した。

 ふとした思いつきというのは、誰にでもあるものだ。

 ただでさえ僕は、大人と同じくらいの難易度で魔力について学んでいたのだから不思議では無いーーそんな風に簡単に考えていた。

 

 

 

 

ーーしかし、父の顔は僕が説明を進めるたびに、見る見る険しい表情となっていった。

 

 

 

 

「ーーメル!! その思いついた知識を誰かに話したか!? 誰かに見せたりしていないか!?」

 

 

 

 

 そして説明が終わると、父は今まで見た事の無い勢いで僕に詰め寄り、物凄い力で僕の肩を掴んで問いただしてくる。

 そのあまりの剣幕に、僕は体を硬直させて、目を白黒させるしかなかった。

 

 

 

 

「お、お父様ーー? え、あの、その…」

「どうなんだメル!? はっきりと答えるんだーー!!」

「……っ!?」

 

 

 

 

 その言葉に込められた熱量は、父の体格と力も相まって凄まじい。

 体が震え、舌が張り付いたかのように声が出ないーー僕は、この世界に生まれてから初めて、父を怖いと思った。

 

 

 

 

「ーー落ち着いて貴方!! 気持ちは判るけど、メルを怯えさせてどうするの!!」

「……っ!!」

 

 

 

 

 母の声に、父ははっとした表情を浮かべると、僕から手を離し、ヨロヨロと後退りながら椅子に腰掛けて項垂れる。

 

 

 

 

「……すまないメル、取り乱してしまった。怖がらせてしまって、済まない」

 

 

 

 

 父は冷静さを取り戻して謝ってくれたが、僕は腰が抜けて尻餅を突きながら、涙を浮かべてこくこくと肯く事しか出来なかった。

 そして母の手を借りて、体を預けて、ようやく立ち上がる。

 母は僕を優しく抱き締め、背を撫でながら、真剣な眼差しで僕に問いかけてきた。

 

 

 

 

「メル、あの人が怖がらせてしまってごめんなさいーーでも、これは大切な事なの。

貴方がさっき見せて、説明してくれた理論と魔法、誰かに見せたり、話したりはした?」

「うん…その時思いついただけで…ルゥちゃんにも話してないし、見せても無い…」

 

 

 

 

 ようやく落ち着きを取り戻した僕は、ポツリ、ポツリ、とようやく絞り出すようにではあるが、答えることが出来た。

 僕の答えを聞き、父と母はほっ、と肩を撫で下ろしたように見えた。

 

 

 

 

「メルーーお前のその理論と魔力の使い方は、この世界では異質なもの…いや、はっきりと言おう。この世界のものでは無い」

 

 

 

 

 その言葉に、思わずドキリ、とする。

 僕の出自がバレたのかと一瞬思ったが、僕を見る2人の目は今までと同じように、自分の娘に対するものと変わらないのを見るに、どうやら違うようだ。

 震えそうになる言葉をどうにか抑えながら、どういう事かと問い返した。

 

 

 

 

「ーー長く続くこの世界ではね、今まで誰も思いつかなかったり、生み出す事が出来なかった知識や技術を突然、天啓のように閃いたり、何かの偶然で発見したりする事が数多くあったの。

それは決して偶然じゃないーーそれは必ず、世が乱れ、人々が苦しみ、新たな時代が始まる時に、必ずのようにもたらされたと言われているの」

 

 

 

 母の、まるで語り部であるかのような蕩々とした言葉に聴き入る。

 

 

 

 

 それらは例えば不便な生活を一変させる程の画期的な技術。

 

 

 

 

 

 病気に苦しむ人々を救うための治療法や薬。

 

 

 

 

 

 不公平な身分を正すための先進的な制度。

 

 

 

 

 

 永遠に続くかと思われた泥沼の戦争を、一気に終わらせる程の兵器や戦略。

 

 

 

 

 

ーーそれらは日常生活から、文化、戦争に至るまで多岐に渡る。

 

 

 

 

 

「ーーそして、それらを思いつき開発した人々は、その切っ掛けを聞かれた時、必ずと言って良い程こう言ったそうだ」

 

 

 

 

 

 

「天の星を見ていた時に、ふと頭に思い浮かんだのだ、と」

 

 

 

 

 

 

 母の言葉を引き継ぐように、今度は父が語るーーその目は、遠い昔を懐かしむように、悲しげに細められていた。

 

 

 

 

 

「人々はそれらの知識をこう呼んだーー天の星がもたらした知識…『天星識(てんせいしき)』とーー」

「天星…識ーー」

 

 

 

 

 僕は父の言葉を茫然としながら繰り返した。

 その言葉の響きに、僕は全く別のものを連想した。

 

 

 

 

ーー天の星、天星………転生。

 

 

 

 

 変だと思っていたのだーーこの世界は魔力を使った技術が発展しているとは言え、総合的な文明のレベルは中世や近世と言った程度だ。

 にも関わらず、僕の前世の国ではつい百年程前にようやく普及した筈の、燃料を使ったガラスのランプが、このような田舎の村にも当たり前のように存在している。

 そして僕のような子供でも見れるような物語がしっかりとした装丁をされて、手書きでは無くて活版印刷らしいもので綴られている。

 農村でもしっかりとした教育が行き届き、上水道に下水道、糞便の処理に至るまで、遥か未来の技術にしか触れていない僕でも、少しの苦労さえ払えば順応出来てしまうーーそもそも、それ自体が異常なのだ。

 

 

 

 

ーー恐らくは居たのだろう…この世界に産み落とされた、僕のような魂の異邦人が。

 

 

 

 

 彼らはきっと、時代を超えてこの世界に現れては、かつての世界の文化や知識を伝えたに違いない。

 自分の出自を明かさぬように、天啓を得たのだと誤魔化しながら。

 

 

 

 

 しかし、この世界にとってはそれらは確実に異質な存在だ。

 受け入れられ、根付くまでには、きっと数多の争いや混乱を生み出したに違いない。

 

 

 

 

「それを、お父様と、お母様は不安に思ってるんだね…?」

「ああ、そうだーー天星識(てんせいしき)が舞い降りる時、それは世の乱れの切っ掛けと言われているからな」

「貴女に、そんなものに巻き込まれて欲しくは無いの…だからこそ、取り乱してしまったわ。ごめんなさいメル」

 

 

 

 

 2人の謝罪に、僕は頭を振ったーー当然の事だ。

 この世界には、この世界の発展の形があり、それは決して外からの干渉によってもたらされて言い訳が無い。

 そも、前世で得た知識の数々も、偉大なる先人の血と汗と涙の結晶ーーそのほんの一端しか知らない個人が、軽々しく奮って良いものでは無い筈だ。

 

 

 

 

ーー僕はこの時、この知識を、技術を、決して他言せず、濫りに振るわない事を誓った。

 

 

 

 

 

「でも誤解しないでメルーー今回の貴方の知識は確かに、天星識(てんせいしき)なのかもしれない。

…けど、それを駆使して、今まで出来なかった事を成し遂げて見せたのは、貴方の才能と努力のあっての事よ?」

「ーーそれを濫りに振るわない限り、その知識が人を傷つける事に使われない限り、僕達は何も言わない。

それはメルだけが辿り着いた、メルだけの力だ…誇りに思いなさい」

 

 

 

 

ーー父と母からの温かい言葉に、僕の目から自然と涙が溢れ出る。

 

 

 

 

 その涙は、ただ父と母に良い所を見せたいという幼稚な思いで、前世の知識を使おうとしてしまった自分を恥じるものと、前世から続く僕の知識と研鑽が、認められた事の嬉しさによるものだった。

 すすり泣く僕の心情を理解してくれたのか、2人は僕が泣き止むまで、優しく抱きしめてくれた。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 それから暫くして、メルリアは泣き疲れたのかベッドで眠りについた。

 

 

 

 

ーー娘の安らかな寝顔を見届けると、父と母はリビングのテーブルに付き、向かい合う。

 2人の表情は険しい…しかしその目には、昔を懐かしみ、同時にそれが戻らない事を悲しむような光があった。

 母は肩を落とす夫の手を取り、励ます。

 

 

 

 

「ーー貴方。気をしっかりと持って。まだ…『そう』と決まった訳じゃないわ」

「分かっている…分かっているさ…だが、どうしても想像してしまうんだ…」

 

 

 

 

 思い浮かべるのは、かつて2人が忠誠を誓い、生涯守ると誓った偉大なる主の顔だ。

 

 

 

 

「ーー魔王陛下」

 

 

 

 

 常人の数十倍とも言われる最強の魔力を振るい、常識に囚われず、悪しき先例を打ち砕き、新しきを次々と取り入れる、天の星の知識を最も有効に使ったとされる、偉大な魔族の王。

 

 

 

 

ーーその幼い頃の姿が、どうしても自分の娘に重なってしまうのだ。

 

 

 

 

「天星識の舞い降りる時代に、必ずこの世の乱れありーー」

 

 

 

 

 先ほど娘に語った言葉を、もう一度口に含むかのように繰り返す。

 窓の外を見るーーその空は厚い雲に覆われ、天に輝く星を窺い知る事は出来ない。

 

 

 

 

「このまま、何も起きなければ良いのだがーー」

 

 

 

 

 そこに己の願望が多く含まれていることに気付きながらも、父ーーバフォメット・メリーシープは呟かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 




あと3話くらいで、第1章的なものを描き切れればと思ってます。


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成長と不穏の足音

プロローグの中の最後のエピソード、その前編となります。
少しだけ成長したメルちゃんの近況と、とうとう忍び寄る不穏な空気の話となります。


ーー僕が父と母から、天の星からの知識について教わってから、特訓は更に複雑で、厳しいものに変わっていった。

 

 

 

 

 五行によるイメージの確立は驚くほどに上手く行き、属性の変換に関しては最初の躓きが嘘のようにスムーズに習得する事が出来た。

ーーが、だからこそ、両親や村長さんは更なる課題を課していく。

 

 

 

 属性の変換を更にスムーズにするための、思考と、魔力の練り上げや放出の高速化と並列処理。

 変換する魔力の規模を更に大きく、複雑にし、日常生活に使えるようにするための反復練習。

 魔力による物質変換や、自己及び他者への魔力の付与や強化の方法。

 基本的な属性を重ね合わせたり、解釈や要素を発展させる事により生み出される、属性変換の派生。

 

 

 

 

 更にこれらの応用だけではなく、基本基礎の反復練習に関しても同様に複雑になっていく。

 

 

 

 

 当初父とやっていた特訓の動作は、日常生活の中でも出来るレベルになった。

 そのため、僕は友達と遊ぶ時や食事の時間等を除けば、常に体内で魔力を高め、循環させるという…分かりやすく言えば、スポコンものに出てくるような、常に重りを身に纏うような生活が義務付けられた。

 更に加えて、村長さんからは受けていた日常生活に密接した魔力の運用に関しても、常に宙に浮いて生活したり、全ての動作を魔力で行ったり、料理洗濯等の家事を、薪や水を使わずに全て属性変換した魔力で行ったりと…代わる代わるに、他の子供達が見たら物凄い勢いで引かれるようなーー実際何度か引かれたーー課題が出される。

 

 

 

 

 勿論それらは膨大な労力と時間を要し、あまりの厳しさに泣いたり、心折られそうになった事も二度や三度では足りない。

 しかし、何とか耐えられたのは、両親や村長さん、ルゥシィたちとの安らぎの時間があったから…というのは当然の事だが、もう一つ理由がある。

 

 

 

 

ーーそれは、この世界には僕のように転生した人物が今までに間違いなく存在していたという事実と、彼らが今も何処かにいるかもしれないという希望だ。

 

 

 

 

 僕のような鈍臭い人間でも、世界の壁を越えられたのだ。

 何事も器用にこなし、自分の中で『こう』と決めたら、ひたすらに一直線に向かっていく情熱を持っていた妻が、超えられないという道理は無い筈だ。

 

 

 

 

ーーそれに、彼女は言ったのだ…僕を追いかけると。

 

 

 

 

 あの妻が、こんな自分を生涯をかけて愛してくれた女性が、そう約束したのだーーそれは最早確約だ。

 少なくとも、僕はそう信じている。僕もまた、そんな彼女を生涯愛したのだから。

 だからこそ、僕は待つーー僕の憧れた勇者(ひめ)が、いつの日か迎えに来てくれるのを。

 その時に、ただ守られているだけのか弱い姫のままでいるなど真っ平だーー僕は、妻と一緒に並んで冒険がしたいし、彼女もそう望んでいるに違いない。

 

 

 

 

 だから、僕は来るべきその時が来るまで、何処までも自分を高め、強くならなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 それは何年後か、何十年後かは分からない。もしかしたら、何百年後かもしれない。

 けれど、今の僕は悪魔だーー魔力が高まれば高まるほど、寿命はそれに応じて伸びていく。

 もしも今の時代で会えなかったとしても、次の時代、その次の次の時代ーーいつまでも待つ事が出来るのだ。

 だから、己を鍛える事に僕は、もう何の躊躇いも無かった。

 

 

 

 

ーーそして辛かった特訓が日課となり、村中の書物の全てを読み切り、(そら)んじる事が出来るようになった頃、

 

 

 

 

 僕は、10歳の誕生日を迎えようとしていた。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「ーーはい、お疲れ様でしたメルリアさん。いつも助かりますね」

 

 

 

 

 その日、僕はいつものように村長さんの家に行き、家の中の全ての掃除を家の外にいながら(・・・・・・・・)、ほぼ同時に行うという最早作業と化した特訓を終えた。

 

 

 

 

「はい、村長さん…ですけど、確か掃除はこの前やったばかりですよね?

ーーなのに、もう同じくらい散らかってるのは、どうかと思います」

 

 

 

 

 僕はジトっとした目で村長さんを見つめながら、苦言を呈する。

 もう彼との付き合いも5年近くになるーー僕は大分遠慮が取れ、物言いも大分砕けたものになっていた。

 

 

 

 

「ははは、何の事やら。老骨のこの身、日々の生活をするにも一苦労なのですよ」

「そんな事言って…自分が面倒臭いと思った事を、特訓と称して僕にやらせてた事、もう気付いてますよ?」

「むむむ…」

「何がむむむですか。お父様に言いつけますよ?」

 

 

 

 

 長い付き合いになって分かった事だけれど、村長さんは知識や魔力の使い方、村を円満に治める調整力、統率力は凄いけれど、プライベートに関してはかなりぐうたらだ。

 勿論、村長としての仕事は忙しいし、僕を教えるために様々な魔力や魔法に関する文献を、何処かから取り寄せてきて読み込んでいるので時間があまり無いのは分かるけれど、物にも限度というものはある。

…まぁそのおかげで、僕の魔力の使い方はここまで成長することが出来たのも事実なので、肝心な所で強くは出れないのだが。

 

 

 

 

「…所でメルリアさん。今日のご褒美なのですがーー」

「話を逸らしましたね村長さん」

「オホン!! 実は、魔王領産のいい茶葉が入りましてね」

「えっ…!?」

 

 

 

 

 自分のぐうたらを誤魔化すための賄賂だとは分かっていても、僕はその言葉に思わず反応してしまった。

 それほど高級ではない茶葉の紅茶でも絶品な村長さんの紅茶が更に美味しくなると聞けば、すっかり毒されて紅茶好きとなった僕としては聞き捨てならない。

 

 

 

 

「そして今日は大分興が乗りましてねーーアップルパイも用意してありますよ。勿論、焼きたてです」

 

 

 

 

 そして続く二の矢に、僕の心は完全に陥落した。

 

 

 

 

「し、仕方ないですね…今日の所は見逃します」

「ははは、結構結構」

 

 

 

 

 僕もやはり甘いなぁ、と内心嘆息しつつも、心は既に紅茶とアップルパイの虜だ。

 もう勝手知ったる他人の家と化した村長さんの家の中に入り、パイを乗せる皿や、ティーカップを取り出して準備を手伝う。

 そのついでに棚や部屋の隅を確認ーーうん、埃一つ落ちていない。

 自らの成果に満足げに頷くと、僕は今日のご褒美にありつこうと、パタパタと食堂へと急ぐのだった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「けぷっ…ご馳走さまでした」

「はい、お粗末様でした」

 

 

 

 そして暫くして、素晴らしい香りの紅茶と、サクサクのアップルパイに舌鼓を打った僕は、パンパンに膨らんだお腹をさすっていた。

 やはり、村長さんの淹れる紅茶と、作るお菓子は相変わらず絶品だ。

 それを微笑ましそうな表情で見届けた村長さんは、台所へ食器を片付けていく。

 その背を見送っていた時に、ふと気付いた。

 

 

 

 

「あれ? 村長さん、この前腰を痛めたって言ってませんでしたか?」

 

 

 

 

 以前の日課の際には少し曲げ気味にしていた腰が、今日は真っ直ぐになっている。

 所謂ぎっくり腰的なもので、そう簡単に治るようなものでは無かった筈なので、治療魔法でも使ったのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。

 

 

 

 この世界の治療魔法と呼ばれるものは、基本的に他者が怪我をしている者に対して、治療を促す『精霊』を纏わせた魔力を流し込む事で行われるのだが、体内の魔力は常に循環しているため負傷部位にのみ魔力を留める事が難しく、はっきり言って効きはそんなに良くは無い筈である。

 

 

 

 目に魔力を通して村長さんの体を見通すーーこれも、数年に渡る特訓の成果だーーと、体の中に巡る魔力に、複数の属性の『精霊』が込められ、循環しているのが見える。

 

 

 

 

「これって…僕の五行のーー」

「ええ、メルリアさんの言う通りですよ。少し研究して、応用させて貰いました。

いや、医者(せんせい)の所まで通うのも億劫だったものですからね」

 

 

 

 

 五行においては、体の様々な部位には、その働きに応じた属性があるとされ、それが偏ったり乱れが生じた時に、病気や不調が起こると言われている。

 前世では東洋医学や鍼灸等に使われ、広く知られているものの基本の考えだ。

 今の村長さんの体の中に強く流れているのは、骨や腎の働きを強める水の属性と、それを助ける肺…つまりは体の血液の循環を強める土の属性ーーこれによって、痛めた腰の回復力を強めたのだろう。

 

 

 

 

「お父様から、人に教えたりはするなって言われてるんですけど…?」

「ええ、勿論貴女からは教わってはいません。貴女の魔力の流れを研究して、私が勝手にこの世界の四大属性で応用しているに過ぎませんよ」

 

 

 

 だから、気にする必要はありませんよーーと彼は言う。

 だけど、僕としては村外れにある唯一の医院に通うのが面倒だからと屁理屈を捏ねる事に呆れるのと、理外の法則とも言える天星識であるこの力を、独学でこの世界の理屈の中に落とし込んだ事に対する驚愕と称賛の思いとで微妙な表情を浮かべる他無かった。

 

 

 

 

ーー勿論、この人が悪用したり、外に広めたりはしないという事はわかっているけれど、それすらもきっと織り込み済みなのだろう。

 

 

 

 

「ーー大人ってずるい」

「だからこそ、大人なのですよ」

 

 

 

 

 口を尖らせる僕に対して、村長さんは悪戯めいた笑みを浮かべて答えた。

…魂だけだったらお前も大概だろう、とは言わないで欲しい。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「ただいま!!」

「お帰りなさいメル、お疲れ様」

 

 

 

 

 家に帰ると、いつものように母が出迎えてくれて、マグカップに牛乳を注いで差し出してくれた。

 僕はそれを受け取ると、コクコクと喉を鳴らしながら一気に飲み干す。

 

 

 

 

「相変わらず、牛乳が好きねぇ…なかなか成果は上がらないみたいだけど」

「…それは言わないでお母様」

 

 

 

 

 僕の飲みっぷりを見て母が茶化すように笑い、僕はそれに対して深い溜息を吐きながら答える。

 僕にも幼いながら成長期がやってきたようで、歳を追う毎に、僕の体は少しずつ女性らしい丸みを帯びてきたのだが…身長は、6歳の頃からあまり伸びていない。

 村の子供達の中で僕より小柄な子は、とうとうルゥシィだけになってしまった。

 しかもフェアリィ族は種族的な特徴として、1mほどにしか大きくならないので、実質僕はもう同年代の中では最も背が低い事になる。

 まぁ、前世の頃からあまり身長が高い方では無かったが、このような狭いコミュニティの中で、歳下の子たちに追い抜かれるというのは中々に胸に去来する複雑な思いがあった。

 

 

 

 

ーー原因としては、恐らくは幼い頃から魔臓と魔血管の鍛錬をし続けていたので、成長する力がそちらに回ってしまっているのかもしれない。

 

 

 

「まぁ、焦る事なんか無いわよ。だって私とあの人の子供なんですもの。

その内、ボンキュッボン!!って感じで、世の男の人が放って置け無いくらいに大きくなるわ」

「とは言っても…」

 

 

 

 

 そう言って、自分の体をなぞるようなジェスチャーをする母だったが、その容姿は大きい街の通りを歩いたら、100人は振り返るくらいに美しい。

…事実、村の中で買い物をすると、度々若い衆からの熱っぽい視線がよく集まっているし、月に何度か来る市場の商人達からは、よくおまけを貰う事も多かった。

 僕が母のようになるには、魔力と同じくらいに体作りに時間を掛けない限り無理だろう。

 

 

 

 

ーーだが、以前仲の良い村の子供達にこの事を相談したら酷い目に遭った事があるので、普段は胸に秘める事にしている。

 

 

 

 

 あの時は大変だった。

 

 

 

 

 男子は口々にそんな事無い!! 十分に可愛い!! と熱弁を振るいながら僕の魅力を蕩々と語った。

…若干目が血走って、息も荒かったので少し怖かった。

 

 

 

 

 女子からは、私たちの前でそんな贅沢を吐かすのはこの口か!! と掴みかかられ、口の端をグイグイと引っ張られた。

 痛かったし、憤怒の表情を浮かべる彼女たちの迫力は凄まじく、普通に怖かった。

 しかもその後罰と称して、髪の毛をいじられたり、着せ替え人形のように僕を使ったファッションショーを開催させられたりと散々だったのを覚えている。

 

 

 

 

ーーまぁ、そんな事を気にするのも詮無い事だ。

 

 

 

 

 僕は気を取り直すと、マグカップを片付けると、いつものように屋根裏で本を読もうと階段を上がろうとするが、母が不意に呼び止めてきた。

 

 

 

「あ、メル。そう言えばさっきルゥシィが来てたわよ? まだ帰ってきて無いって伝えたら、先に東の森で待ってるって言ってたわ」

「ーーそれ、早く言ってよお母様!!」

 

 

 

 

 ごめんごめん、と謝る母から、急いでスカーフを受け取ると、僕は再び家を飛び出す。

 すると、丁度用事を終えたらしい父と玄関先で鉢合わせになった。

 確か、明後日にやる予定の僕の誕生日の宴で出す子牛を、市場に持っていって屠殺士(ブッチャー)に捌いて貰う算段を付けに出かけていた筈だ。

 

 

 

 

「あっ、お帰りお父様!!」

「ああ、ただいまメル。そんなに急いで何処に行くんだ?」

「うん、ルゥちゃんと東の森で待ち合わせ!!」

 

 

 

 

 するとそれを聞いた父は、ふむ、と顎の毛を撫でながら何やら思案する。

 どうしたのかと聞くと、どうやら心配事があるらしい。

 

 

 

 

「ーーさっき市場で狩人衆から聞いたんだが…どうやら、森向こうの狩場で洞窟狼(ケイブウルフ)が出たらしくてな…」

洞窟狼(ケイブウルフ)…」

 

 

 

 

 洞窟狼(ケイブウルフ)とは、その名の通り洞窟で群れを成して暮らして狩りを行う、一般的な魔物だ。

ーー魔物とは、魔族と同じように体内に魔臓を持つ動物たちの総称で、一般的なものよりも大型かつ凶暴な事で知られる。

 彼らは縄張りに入り込んだ人間に襲いかかる事もあり、尚且つ人の血肉の味を覚えてしまうと、積極的に人里へと近付いて来るようになってしまうため、見つけた場合狩人たちが積極的に討伐を行うのが慣例となっている。

 しかし、先日見つかった群れを討伐する際、その内の一匹を仕留め損ない、東の森の中へと逃がしてしまったのだそうだ。

 

 

 

 

 幸運な事に僕はまだ魔物に出会った事は無いが、そんな存在が自分の境界の近くにいる、と考えると少し身震いしてしまう。

 そんな僕の不安げな様子を感じ取ったのか、父は安心させるように頭を撫でてくれた。

 

 

 

 

「安心しなさい。かなりの手傷を与えたそうだから、その内息絶えるだろう。生き残って定着する事はまず無いと言って良い。

…だが、万が一の事もある。魔物除けの境界線には、なるべく近付かないように注意しなさい」

 

 

 

 

 魔物除けとは魔力を纏わせた香木で、その魔力の持ち主が強ければ強いほど、魔物や動物が警戒する強い臭いを発する。

 この作業はいつも父が定期的に行っており、そのおかげかこの村は魔物に襲われる人は全くと言って良いほどいない。

 東の森の魔物除けは、確かつい先日父が変えたばかりだった筈だから、下手に近付いたり、越えたりすることも無ければ大丈夫だろう。

 

 

 

 

「うん、分かったーー行ってきます!!」

 

 

 

 

 不安の晴れた僕は、早速宙へと浮かび、行き慣れた道を急いた。

 僕の空を飛ぶ速さは、本気で急げばもう下手な馬車よりも速い。

 歩いていくよりも数倍速い時間で、いつもの森の広場へと辿り着いた。

 

 

 

 

「あー、メルちゃんだー。速かったねぇ」

 

 

 

 

 ルゥシィは原っぱの真ん中に浮かんで、クルクルと踊っていたが、僕の姿を見つけると、相変わらずお日様のような笑顔で笑いかけてきた。

 銀色の髪の毛と、フェアリィ族の伝統衣装だという木の葉を模した緑のドレスを身に纏う姿は、御伽噺に出てくる森の妖精そのものだ。

 その明るくて天真爛漫な性格は変わらないけれど、出会った頃は僕の体の半分ほどしか無かったルゥシィの身長は、もう僕の胸下ほどに伸びている。

 どうやら成長期が早めに来たらしく、ただでさえ小柄だった僕の身長にどんどんと迫られ、当時はもしかして彼女にすら抜かされるのでは無いかと戦々恐々としたものだ。

 

 

 

 

ーー閑話休題(それはさておき)

 

 

 

 

「じゃあ、今日は何して遊ぶー?」

「うーん…蜂蜜集めは昨日やったし…魔法の練習しながら、ちょっと探検してみようか?」

「おー、良いねー、さんせーい。じゃあ早速行ってみよ〜」

 

 

 

 

 言うが早く、ルゥシィから魔力が溢れたかと思うと、凄まじい勢いで風が巻き起こり、僕は思わず目を覆った。

 次の瞬間には彼女の姿は僕の目の前から消え、十歩先くらいの木の枝の上に移動していた。

 

 

 

 

「えへへ〜、こっちだよ〜。鬼さんこちら〜」

 

 

 

 

ーー風の『精霊』を纏わせた魔力による旋風に乗って、高速移動したのだ。

 

 

 

 

 ある日、何の気紛れか僕に魔法を教えて欲しいと言って来たので、一番簡単な方法での魔力の鍛錬や属性変換の方法を教えた所、ルゥシィはみるみる内にそれを身につけ、今ではこうして遊び半分に魔法を振るえるほどになっていた。

 荒削りではあるが、魔力の放出の速さと属性変換の巧みさは僕でも舌を巻くほどだ。

 自分で言うのも気恥ずかしいが、僕がコツコツと身につけていくような秀才タイプであるとしたならば、ルゥシィは紛れもなく天才だ。

…ただし、座学に関してはからきしで、本を読んでいると頭を痛くして、程なくしてそれを枕に居眠りしてしまうくらいに苦手なのは珠に瑕だが。

 

 

 

 

「待てー!! 負けないよルゥちゃん!!」

 

 

 

 

 ルゥシィに負けじと、僕も体に風を纏わせて後を追う。

 それから暫く、僕らは森の中で魔法を使った鬼ごっこに興じたのだった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「ん〜?」

 

 

 

 

 そうして暫く遊んでいると、不意にルゥシィが辺りを見回しながら、すんすんと鼻を鳴らし始めた。

 

 

 

 

「どうしたのルゥちゃん?」

「何だか、変わった匂いがしない〜?」

 

 

 

 

 そう言われて初めて僕も気付いたーー風に乗って、嗅ぎ慣れない花の匂いが漂ってきていた。

 しかもそれは、今までに無いほどの魔力を纏っている。

 

 

 

 

「何だか気になるねぇ。ちょっと行ってみようよ〜」

「えっ? でもこっちの方角は…」

 

 

 

 

 風上の方角は確か魔物除けの境界線に近く、今まで近づいた事の無かった場所だった。

 僕の脳裏に、家を出る前に受けた父からの忠告が過ぎる。

 

 

 

 

「でもこんなに良い香りだから、きっと綺麗なお花だよ〜? ちょっとだけだから、ね?」

 

 

 

 

 それもルゥシィも分かっている筈なのだが、この日は珍しく食い下がってきた。

 いつも自由気ままではあるが、普段は我侭を余り言わないのだけれど…。

 

 

 

 

「う〜ん…分かった。ちょっと遠くから見るだけだよ?」

「わ〜い!! メルちゃんありがと〜!!」

 

 

 

 

 あまり見ない彼女の必死さに折れた僕は、魔力の篭ったその香りを辿り、森の奥へと向かっていった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーーその場所は、小高い丘の上にポツンと広がった野原だった。

 色取り取りの花が咲き誇り、ちょっとした花畑のようだ。

 

 

 

 

「わぁ〜…」

「綺麗…」

 

 

 

 

 それ以上に僕達の目を奪ったのは、野原の中央の地面の裂け目から溢れ出る、虹色の輝きを放つ魔力の渦だった。

 その魔力は辺り一面に降り注いて花に活力を与えており、周囲は何処か厳かな空気に満ちている。

 

 

 

 

「魔力溜まりだ…初めて見た…」

 

 

 

 

 僕達魔族や魔物が生み出す魔力は、暫く空気中を漂ってから、地面へと吸収されていき、木や水、そして再び魔族や魔物へと還っていく。

 しかし、そのサイクルが乱れたり堰き止められる事で、地中に魔力がガスのように溜まってしまう事がある。

 それらは魔力溜まりと呼ばれ、何かの拍子でこうして地表に溢れ出すのだ。

 

 

 

 

「ふわぁ〜…気持ちいいねぇ…ここでお昼寝したら、凄く元気が出そうだねぇ…」

「うん…こんなに綺麗な魔力、僕も初めてだぁ…」

 

 

 

 

 一般的に魔力溜まりが溢れ出た場所は、所謂パワースポットのようなもの。

 大地によって濾過された純粋な魔力は、取り込むだけでそのまま瑞々しい活力となる。

 古来よりこう言った場所は神殿になったり、騎士や戦士たちの修行場になったりと、魔族や人を問わず特別な意味を持つのだ。

 

 

 

 

「でも、村の人達からはこんな場所、聞いた事も無かったねぇ」

「うん、もしかしたらこの前の大雨で、土が流されたせいかもね」

 

 

 

 

 もしこれが新しい魔力溜まりだとしたら、村にとっては大きな財産になる。

 家に帰ったら、早速父と母に話し、明日になったら村長さんに伝えなければなるまい。

 

 

 

 

「いいものが見れた事だし、そろそろ帰ろっか?」

「ええ〜? もう少しいようよぉ。お花も摘んでいきたいし〜」

「ダメだよルゥちゃん。約束でしょ?」

 

 

 

 

 ぶぅぶぅと不満を漏らすルゥシィの手を引いて、僕は来た道を引き返していく。

 確かに綺麗な場所ではあるけれど、ここが魔物除けの境界線の境目である事には変わり無いのだ。

 僕は一瞬だけ振り返り、魔物除けの貼られた木立の間を見つめる。

 

 

 

 

ーーそこは陽の光が遮られ、仄暗い影が口を開けているかのようだった。

 

 

 

 

 僕の背筋に、冷たいものが過ぎるーーけれど、僕はすぐに頭を振ってそれを打ち消した。

 きっと魔力溜まりの綺麗な魔力を見たから、そのギャップを感じただけだし、父から魔物のことを聞いていたからに違いない。

 でもその不安は、森を抜けるまで消えてはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー僕はその時の判断を、この先ずっと後悔する事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はこの時、自分の中の不安にばかり目を向けてばかりで、先ほどまで文句を言っていた隣のルゥシィが、何も言わなくなった事に気付かなかった。

 そして彼女が、一度決めたら絶対に引き下がるような子じゃないという事をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 

 

 

 

_________________________________________________

 

 

 

 

 

 

ーー森の中を、一匹の魔物がよろよろと歩いていく。

 

 

 

 

 

 その度に、彼の足元には夥しい血が零れ落ち、地面を紅に染めた。

 体の裂け目からは、まろび出た臓物が縄のようにズルズルと音を立てる。

 身体中を矢で貫かれた彼の体はとっくの昔に死に絶え、最早魔臓の鼓動だけで生き永らえていた。

 

 

 

 

 

ーーハラガ、ヘッタ…。

 

 

 

 

 

 彼の思考にはもう、正常な理性は残っていない。

 ただあるのは、ひたすら原始的な生存本能だけだ。

 

 

 

 

 

ーーノドガ、カワイタ…。

 

 

 

 

 

 それらを満たすための(はらわた)も存在しないのに、ただひたすらに彼は生きるために足掻いていた。

 もう何も見えず、もう何も聞こえず、もう鼻も利かない(・・・・・・・・)

 しかし彼はただひたすらに一点を目指して歩いていくーー清浄で、活力溢れる魔力を生み出す源へと。

 

 

 

 

 

ーーそして辿り着いた先に、それはあった。

 

 

 

 

 

 聞こえず、匂わず、見えないが、目の前から漂う魔力に、精一杯首を、舌を伸ばす。

 

 

 

 

 

ーーモウスコシ…。

 

 

 

 

 

ーーモウスコシデ…!!

 

 

 

 

 

 しかし、それが舌先に触れた瞬間、ぐらり、と彼の体は落下していった。

 落ちていけば落ちていくほど濃くなっていく魔力に、彼は自分の体が溶けていくのを感じる。

 

 

 

 

 

ーーイヤダ!!

 

 

 

 

 

ーーイヤダ!!

 

 

 

 

 

ーーシニタクナイ!!

 

 

 

 

 

ーーニクイ!!

 

 

 

 

 

ーーコロス!!

 

 

 

 

 

ーー飢、渇、憎、怖、怒、死。

 

 

 

 

 

ーー死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死…

 

 

 

 

 

 溶けていく彼から溢れ出た、強く、ドス黒い感情は、かき乱され、うねり、純粋であったはずの魔力を、じわり、じわりと染めていった。

 

 

 

 

ーーそれはメルリアが誕生日を迎える、2日前の夜の事だった。




とうとう、大きな山場を迎えます。


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魔神顕現①〜心よ届け〜

少し残酷な描写があります、苦手な方はご注意下さい。


 

 

 

 

 

ーー魔力溜まりを見つけたその翌日、僕はいつも通り…という訳にもいかずに大わらわだった。

 

 

 

 

 

 何故なら、明日は僕の10歳の誕生日ーー宴に出す食事の下ごしらえや、飾り付けの買い出しや準備があるからだ。

 前世では宴の主役は大人しく待つ事が多かったように思えるが、このような小さい村ではそうもいかない。

 誕生日の宴には、僕の家族は勿論の事、仲の良い友達とその家族、そして村長さんを始めとした村の有力者も訪れるため、その規模はちょっとした宴会のような規模になる事もある。

 父はこの村の名士のような立ち位置らしく、ゲストも多いから、その分準備も大変になってしまう。

 

 

 

 

 

ーー加えて、今回の新たな魔力溜まりの発生事案。

 父はその扱いをどうしていくのか、村長さんと話し合うために朝から出かけてしまっている。

 この家唯一の男手が不在と来れば、母だけでは到底手が回らないため、僕まで駆り出されているという訳だ。

 

 

 

 

「ーーはい、切り終わったよお母様」

「うん、ありがとうメル。じゃあ今度はお肉の切り分けをお願いね」

 

 

 

 

 母にシチュー用に刻んだ野菜の入ったボウルを差し出すと、今度は示された一抱えほどもある子牛の肉の塊を魔力の腕で持ち上げる。

 それを刃のように変化させて、一口大ほどの大きさに切り分けて見せた。

 その間に、竈門に置かれた煮込み料理用の鍋の様子を見て、火の量を調節する事も忘れない。

 

 

 

 

 

「うーん、相変わらず助かるわ。手間が減るし、洗い物も出ない、切り口も潰れないし、良い事づくめよね」

 

 

 

 

 

 1人で全部やろうとすると疲れるのよね、と母はご機嫌だ。

 僕はと言うと、目まぐるしく変わる台所の状況を掴むのに精一杯だーー規模こそ小さいとは言っても、これを毎日やっているのだから、主婦というのは凄いものだと改めて実感する。

 特に母は別格だ。僕の妻も中々に家事は得意な方だったが、恐らくは足元にも及ぶまい。

 勿論、遥かに長い時間を生きているせいもあるだろうが…その事を指摘したが最後、あっという間に拗ねてしまうため口外はしない。

 

 

 

 

「メルも大分手際が良くなってきたし、これを機会に料理の一つでも覚えてみる?」

「え?」

「もう10歳になるんだし、将来の事を考えたら今の内から慣れておいた方がいいわよ?

…もう魔力のコントロールも大分軌道に乗って来たし、これから少しは勉強以外の時間も出来るでしょうし」

 

 

 

 

 僕が下ごしらえをした食材の切り口や大きさを見た母が、不意にそんな事を言ってきた。

 料理…料理か…そう言えば、今まで手伝いばかりで、僕が1から10まで自分で作るなど考えてもいなかった。

 

 

 

「それに、もしメルにも好きな人が出来た時に、その彼の心を射止める決め手になるかもしれないわよ?」

「好きな人、かぁ…」

 

 

 

 

 前世の時は、ひとり暮らしをしている時に少しした事がある程度で、バランスや彩りなど一切考えもしない、所謂『男飯』的なものしか作れた試しが無かった。

 そのため味もお察しでーー一度、結婚してから妻からせがまれて作って見せた時は、一口食べて暫く硬直された後に、『今後は私だけに任せて!!』といい笑顔で言われてしまい、それ以降厨房に立たせて貰えなかった。

 

 

 

 

 

 もしも彼女にまた出会えた時に、僕が料理を作れるようになっていたら、彼女ーーいや、この世界では彼かーーはどう思うだろう。

 

 

 

 

 

 うん…いいかもしれない。

 きっとちょっとしたサプライズになるだろう。

 僕の料理を披露した時に浮かべるであろう彼女の驚きの表情と笑顔を想像したら、自然と笑みが溢れ、頬が熱くなるのを感じた。

 だが、それを目敏く見つけた母は、ニヤニヤとした笑みを浮かべてこちらを覗き込んでくる。

 

 

 

 

「あら!? 何その顔!! もしかしてメルったら、もう好きな子が出来たの!?」

「えっ!? あ!? これは別に、そういう訳じゃなくて…!!」

「もうっ!! メルったらおませさんね!! 誰!? 誰が好きなの!? お母さんに言ってごらんなさいな!!」

「だ、だから違うってば!! お母様のバカッ!!」

 

 

 

 

 それから暫く、母のからの攻勢はシチューの鍋が煮たつまで続き、僕は必死に誤魔化しながら顔を真っ赤にする事しか出来なかった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「全くもうっ!! お母様ったら!!」

 

 

 

 

 それから暫くして、大体の料理の支度が終わり手伝いから解放された僕は、未だにむくれながらも屋根裏に上がって本を読んでいた。

 全く、どうして色恋といったものが絡むと、女性というのはああも世話を焼きたがるのであろうか。

 勿論母の場合は100%善意なのだろうが、これっぽっちもそう言ったものに興味が無い身としては有り難迷惑というものだ。

 

 

 

 

ーーそも、僕の心に決める相手は前世の頃から決まっている。

 

 

 

 

 例え魅力的と思う相手が目の前に現れて、僕に愛を囁いたとしても決して靡く事は無いと断言出来る。

 僕の心はもう既に妻の虜なのだ。

 

 

 

 

「…っと、いけないいけない。集中、集中ーー」

 

 

 

 

 雑念を振り払い、本に目を落として集中するーー真剣に活字に向き合わなければ、本に対して失礼だ。

 今読んでいる内容は、世界を循環する魔力の流れについて考察したものーー昨日の魔力溜まりの件もあり、興味が湧いたので村長さんから借りたものだ。

 

 

 

 

ーー魔族(ヒト)や魔物から生み出された魔力は、その者の意思と力を乗せて世界に散らばる。

 

 

 

 

 

ーー世界に散らばった魔力は、人に、物に影響を与えながら循環し、最後には地面へと降り注ぎ、地中へと帰っていく。

 

 

 

 

ーー地中へと還った魔力は、大地の中で浄化され、再び人や魔物の中に取り込まれ、またそうして世界を循環する。

 

 

 

 

ーーこの幾千、幾万の人々から集められ、大地によって磨き抜かれた魔力を取り出し、扱う事が出来れば、それは我々にとって大いなる恩恵をもたらす事だろう。

 

 

 

 

ーーしかし、忘れる事勿れ。

 

 

 

 

ーー浄化され、純化された魔力は、無色故に強く、無色故に染められやすい。

 

 

 

 

ーーそこに悪しき感情や欲望が込められた時、その思いは幾千、幾万の人々の数だけ膨れ上がり、途轍も無い厄災を目覚めさせる。

 

 

 

 

ーーそれは世が乱れる度に顕現し、魔族に、人族に、分け隔てなく数多の悲劇をもたらした。

 

 

 

 

ーーその、厄災の名は…

 

 

 

 

『ーーメル!! 済まないが降りてきてくれないか!?」

 

 

 

 

 不意に階下から響いた父の声で、本に没入していた僕の意識が浮上する。

 

 

 

 

「はーい!! ちょっと待っててお父様!!」

 

 

 

 

 僕は返事をしながら椅子から立ち上がり、読みかけの本を閉まおうとしたーーその時、窓の外の景色に見慣れた人影を見つける。

 

 

 

 

「あれ…? ルゥちゃん?」

 

 

 

 

 それはルゥシィだったーー気紛れに散歩でもしているのかと思ったが、今は普段だったら家で親の仕事である養蜂を手伝っている時間の筈だ。

 

 

 

 

「ーー何処に行くんだろう…?」

 

 

 

 

 少し気になったので、窓を開けて呼び止めようか迷う…が、その前に父からの声が僕を押し留めた。

 

 

 

 

「ーー済まないがメル、急ぎの用事なんだ!! 例の魔力溜まりの件で、村長殿が聞きたい事があるそうだから、すぐ支度をしてくれ!!」

「う、うん、ごめん!! 今行く!!」

 

 

 

 正直後ろ髪を引かれる思いだったが、ただでさえ忙しい父を待たせる訳にもいかない。

 僕は階下に降りると、父に連れられて村長さんの家への道を歩く。

ーー一瞬だけ、ちらりとルゥシィが立ち去っていった方向を見つめる。

 あちらの方角には、僕と彼女が東の森へと向かう時にいつも通る道がある。

 

 

 

 

ーー何故だか、少し胸騒ぎがした。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーーメルリアの懸念は正しかった。

 

 

 

 

 ルゥシィは両親には秘密でこっそりと、昨日に引き続き東の森を訪れていた。

 目的は、昨日の魔力溜まりのあった場所。

 

 

 

 

「う〜ん…オトナの人達だけじゃなくて、メルちゃんにも止められちゃったけど…」

 

 

 

 

 普段だったら、絶対に言いつけを破る事なんてしない。

 ルゥシィは楽しい事が好きだし、ギチギチに厳しく締め付けられるなんて真っ平ごめんだとも思っている。

 

 

 

 

ーーだけどそのせいで、大好きな皆が悲しい顔をするのはもっと嫌だった。

 

 

 

 

 だから、今の私は悪い子だ。もしもバレたら、お尻ペンペンじゃ済まないくらいに、物凄く怒られてしまうだろう。

 けれど今日しか無いのだーー私の大好きな、一番大切な友達に、精一杯の恩返しをするチャンスは。

 何故なら明日はメルリアの10歳の誕生日ーー魔族にとってその日は、とても特別な日なのだ。

 

 

 

 

 魔族の子供たちは10歳になると、本格的に社会における働き手と認識される。

 

 

 

 

 親の稼業を継ぐために本格的に修行を始めたりする子もいれば、大きな街へと奉公に出る子もいる。

 ルゥシィもまた、誕生日を迎えると同時に、本格的に養蜂の仕事を親から習う予定だ。

 魔族にとって10歳という年齢は、子供たちが将来を決めるための、巣立ちの準備を始める時期なのだ。

 

 

 

 

ーーなら、メルちゃんはどうするんだろう?

 

 

 

 

 メルちゃんは凄い子だ。

 村の中の子供達の中で一番頭が良いし、魔力や魔法の扱いも、大人顔負けの実力を持っている。

 いつも皆に笑顔をくれるし、とっても可愛いし、ふわもこの髪の毛からはいつもお日様の匂いがする。

 こんなチビっ子の私と、いつも肩を並べて飛んでくれるし、最近は魔法の事も教えてくれるようになった。

 

 

 

 

 メルちゃんは凄い子だ。

 だから、その内にこんな狭い村からは飛び出して、もっともっと凄い事を習って、立派な大人になるに違いない。

 もしかしたら、お姫様にだってなれるかも。

 

 

 

 

 メルちゃんは凄い子だ。

 きっともう想像も出来ないくらい立派な自分の将来を決めていて、それに向かって何処までも高く飛んでいける子だ。

 私なんかより、ずっとずっと高くーー見えなくなるくらいまで高く。

 

 

 

 

ーーその前に何か恩返しをしないと。

 

 

 

 

 だって、私は貰ってばかりだから。メルちゃんに、まだ何も返せていないから。

 遠くに行ってしまう前に、まだ全力で遊んでいられる間に、精一杯の恩返しをするんだ。

 

 

 

 

ーーでも、私だけが出来る恩返しって何だろう?

 

 

 

 

 

 ルゥシィはどうしても思い浮かばなかった。考えても考えても頭が痛くなるばかりだ。

 だから、遊びに行く度に、ふざける振りをしていつもメルちゃんに渡せるような何かを探していた。

 そんな矢先だ。あの魔力溜まりを見つけたのは。

 あんなに綺麗な魔力の光も、あんなに綺麗な花々も見た事が無かった。

 そしてどうやら、メルリアもまた、あのような光景は見た事が無いらしい。

 

 

 

 

ーーそうだ、あの綺麗な花を渡そう。あの花を両手一杯に摘んで、大きな花束を作ろう。

 

 

 

 

 全然足りないかもしれないけれど、これが今のルゥシィの精一杯だった。

 

 

 

 

「…メルちゃん、喜んでくれるかなぁ?」

 

 

 

 

 それを渡した時のメルリアの笑顔を思い浮かべながら、昨日と同じ道を飛んでいく。

 

 

 

 

 

ーーそして、程なくして目的の場所へと辿り着いた。

 昨日と変わらず綺麗な魔力の渦が立ち昇り、色取り取りの花々が風に揺れている。

 

 

 

 

 

 思わず見惚れてしまいそうになるが、頭を振って振り払うと、すぐに花を吟味し、摘み始める。

 ただでさえ悪い事をしているのだ。少しでも時間は短い方がいい。

 手早く、しかし一本一本、大事に大事に手折って行く。

 

 

 

 

「あれ…?」

 

 

 

 

 だが、10本ほど摘んだところで、ふと気付いた。

 あんなに綺麗だった花が、ある一帯だけ赤黒く汚れて、押し潰されている。

 

 

 

 

「何だ…ろ……っ…ひっ!?」

 

 

 

 

 気になって手を触れようとした寸前…それ(・・)の正体に気付き、息を呑みながら飛び退いた。

 

 

 

 

 

ーーそれは血だった。

 

 

 

 

 

 夥しい量の血が、まるで何かを引き摺ったかのように続いていたのだ。

 しかもそれは森の奥からやってきて、魔力溜まりの淵で途切れている。

 その事実に気づいた瞬間、ルゥシィは背筋を凍り付かせるかのような怖気を覚えた。

 

 

 

 

ーー逃げなきゃ…!!

 

 

 

 

 理屈ではなく、そうしなければいけないと思った。

 そしてそのルゥシィの直感を裏付けるかのように、先ほどまで虹色に輝いていた魔力の光が、次第に黒煙の如き禍々しい色を帯び始める。

 

 

 

 

「……っ!!」

 

 

 

 

 魔力溜まりから背を向けて、全速力で逃げようとするがーー全ては遅すぎた。

 

 

 

 

ーー次の瞬間、轟音と共に魔力溜まりから爆発的に勢いで黒い魔力が立ち上る。

 

 

 

 

 続けて、地面がビスケットのように砕けながら吹き飛ばされた。

 

 

 

 

「あっ……」

 

 

 

 

 ルゥシィは悲鳴すら上げられないまま、猛烈な勢いで吹き上がる礫に巻き込まれる。

 凄まじい衝撃と共に、地面に叩きつけられた。

 あまりの痛みに動くことが出来ず、礫が当たって切れたのか、どろり、とした血が銀色の髪を染める。

 

 

 

 

 

「う…あ…」

 

 

 

 

 

ーーそして、彼女は見た。

 

 

 

 

 

 周囲の魔力を黒く染めながら、吹き飛んだ地面の淵を掴んで、それ(・・)は魔力溜まりから這い上がる。

 その姿は、全ての長さがちぐはぐな、捩くれながら肥大した四肢を持つ、皮を剥がれ、肉が剥き出しになった狒々のような肉体に、顔中にギョロギョロと動き回る目玉を生やした巨大な狼の顔を持つ巨大な異形。

 あまりにも禍々しく、醜悪で、冒涜的な姿をしていた。

 

 

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

 

 

 

 

 聞いただけで心がガリガリと削られそうな叫びを上げながら、生誕の快哉を叫ぶその者の名を、この世界は知っていた。

 

 

 

 

 

ーーそれは世が乱れる度に顕現し、魔族に、人族に、分け隔てなく数多の悲劇をもたらした。

 

 

 

 

 

ーーその厄災の名は、魔神。

 

 

 

 

 

 この世が織りなす循環から零れ落ちた、世界を汚す醜悪なる(おり)の具現である。

 

 

 

 

 

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 ルゥシィは現れた魔神の姿を、混濁した意識のまま見つめるしか無かった。

 

 

 

 

 

ーーああ、これは罰なんだ。

 

 

 

 

 

 私が、恩返しをしたいからという勝手な理由で、悪い事をしてしまったから。

 大人達の、メルちゃんのいう事を聞かなかったから。

 

 

 

 

 

「ごめん…なさい…」

 

 

 

 

 

 自然と、口から零れる謝罪の言葉。

 

 

 

 

 

 魔神は、まだルゥシィに気付いてはいない。

 周りに咲いた花を地面の土ごと掴み取り、醜悪な音を立てながら貪り食っている。

 しかしそれも時間の問題だろう。

 

 

 

 

 

ーーわたし、食べられちゃうのかな…。

 

 

 

 

 

ーーいたいのは、やだなぁ…。

 

 

 

 

 

ーーパパにも、ママにも、会えなくなるのは、やだなぁ…。

 

 

 

 

 

 色々な人の顔が、何故か思い浮かぶーーけれど、最後に思い浮かべたのは、ルゥシィの一番大切な友達の笑顔だった。

 

 

 

 

 

ーーメルちゃんに、会いたいなぁ…。

 

 

 

 

 

「ーーけて……」

 

 

 

 

 

 何処までも自分勝手な願いなのは分かっている。こんな悪い子の私が、考えちゃいけない事も分かっている。

 けれど、ルゥシィは祈るように、強く、強く願ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーメルちゃん……助けて……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

「……ルゥちゃん!?」

 

 

 

 

 僕は村長さんの家の椅子を蹴倒しながら、立ち上がる。

 突然の行動に、父と村長さんがぎょっとしながら僕を見るけれど、そんな事気にしてなどいられなかった。

 

 

 

 

 

ーー僕は、その声を聞いた。確かに聞いたのだ。

 

 

 

 

 

 そのまま外へ飛び出すーーすると、風に運ばれて今まで感じた事が無い程におぞましい魔力が流れてくるのを感じた。

 

 

 

 

 

ーーそしてその風は、東から吹いている。

 

 

 

 

 

「どうしたメル!? 何があった!?」

「ムゥ…この魔力は…!!」

 

 

 

 

 

 僕の尋常ならざる様子を感じ取ったのか、父と村長さんも、同じように家から飛び出して来る。

 正直、何が起こっているのかは分からない。

 しかし何かあってはならないモノがその方角にあるという事だけは理解出来た。

 

 

 

 

 

「ーールゥちゃんの声が聞こえた!! ルゥちゃんが危ない!! 場所は…きっと東の森の魔力溜まりの場所!!」

「待つんだメル!! 1人ではーー!!」

「それじゃ間に合わない!! 僕は行くよ!! ごめんお父様!!」

 

 

 

 

 

 問答をしている時間は無い。

 僕はそれだけを2人に伝えると、地面を蹴って宙へ浮かび上がり、全速力で飛んだ。

 

 

 

 

 

ーー急げ!! 急げ!! 急げ!!

 

 

 

 

 

 加減なんてしていられない。

 今までに無いあまりの速さに体が悲鳴を上げるけれど、そんなものは全て無視した。

 きっとその時の僕は、瞬きの間にその場所へと辿り着いていただろうーーけれど、僕にはそれがまるで永遠であるかのように感じられた。

 

 

 

 

 

ーー魔力溜まりに近づくに連れ、辺りに漂う魔力は粘つくような、淀んだものになっていった。

 

 

 

 

 

 体内に取り込もうとしただけで吐き気を催しそうになる魔力の奔流を耐えながら、目に魔力を流し込んで辺りを見回す。

 昨日見た美しい魔力溜まりの光景は変わり果て、礫だらけの無残な姿を晒している。

 不気味な程に真っ黒な魔力を吐き出す大きく広がった裂け目の程近くに、何かがいた。

 

 

 

 

 

「何…あれ…?」

 

 

 

 

 

 そこには、見ただけで生理的嫌悪感を覚えるような、歪んで捩くれた化け物がいた。

 まるで、熱に浮かされた時の悪夢のような造詣に、目眩がしそうになる。

 化け物は地面をその手で削り取りながら、口に運んでいるーー魔力に満ちた花を、土や礫ごと咀嚼しているのだ。

 そして粗方地面を削り終えると、今度は何かを見つけたかのように歩き始める。

 

 

 

 

ーーその先には、ルゥシィの姿があった。

 

 

 

 

 綺麗な筈の銀髪を赤く染め、力無く横たわっている。

 そんな彼女に向かって、化け物が手を伸ばすーー何をしようとしているかは、考えなくても分かった。

 

 

 

 

 思考が、視界が、感情が、真っ赤に染まる。

 

 

 

 

「止めろおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 

 

 自分でも信じられないような絶叫が、僕の喉から迸る。

 僕はその激情のままに、化け物に向かって全力で魔力を練り上げ、加減も無しに解き放つ。

 

 

 

 

ーー込める属性は木。土の属性を持つ生き物の肉体を焼き焦がす、天の光。

 

 

 

 

 轟音と共に、凄まじい太さの稲妻が、化け物に向かって叩きつけられた。

 

 

 

 

「ガ ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

 

 

 

 肉を焼かれ、痙攣しながら動きを止める化け物目掛けて間髪入れず急降下し、全身全霊の力で固くした魔力の拳で殴りつける。

 

 

 

 

「あああああああああああああああっ!!」

 

 

 

 

ーー悲鳴すら上げる暇もなく、化け物は100歩先ほどの距離まで地面を削りながら吹き飛ばされた。

 

 

 

 

「はぁっ…!! はぁっ…!!」

 

 

 

 

 僕は乱れた息のままそれを見届けると、すぐさまルゥシィの元へと駆け寄った。

 

 

 

 

「あ、あぁ…」

 

 

 

 

 息はあるーーしかし、その惨状に思わず僕の口から呻きが漏れる。

 綺麗だったルゥシィの揚羽蝶のような翅の一方が、見るも無残に根元から千切れてしまっていた。

 全身に礫を受け、地面に激しく叩きつけられたのか、全身から血を流し、あちこちに青黒い痣が出来ている。

 特に銀髪を濡らす頭の傷口は大きく、流れ出る血で紅い水溜りが出来ようとしていた。

 

 

 

 

ーー素人目に見ても、命に関わる状態なのが分かった。

 

 

 

 

「ルゥちゃん…ルゥちゃん!!」

 

 

 

 

 恐怖と絶望にガクガクと震え、涙が溢れそうになるのを全力で堪え、見るも無残な姿に吐き気を催しながらも、僕は全力で彼女の体を『視る』。

 

 

 

 

ーー体の中を巡る五行の属性全てが弱り、循環も遅くなってしまっている。

 

 

 

 

 特に、血脈を司る火と、肌肉を司る土が弱い。

 恐らくは出血と、翅を失った事による負担、そして頭の傷が原因だろう。

 医療の知識は殆ど無いがやるしか無いーー火の属性で血脈を強めつつ、土の属性で傷口を塞ぐ。

 それだけでも、青白くなっていた顔色に、ほんの僅かだが朱が差した。

 

 

 

 

「慌てるな…慌てるな僕…!! 慎重に…慎重に…!!」

 

 

 

 

 自分自身を励ますために、自然と僕の口から独り言が零れる。

 続けて、増やした血脈を水の属性で調整し、全身に行き渡らせて行く。

 ただし、強めすぎると、相克によって火の血脈が打ち消されてしまう。

 溶けて崩れそうになる淡雪を触るかのように、少しずつ、少しずつ…!!

 

 

 

 

ーーすると、ゆっくりとルゥシィの瞼が開いた。意識を取り戻したのだ。

 

 

 

 

「ーールゥちゃん!!」

「…ぁ……ぅ…ゃん…」

 

 

 

 まだ意識が朦朧としているのか、ルゥシィの口からは声にならない吐息だけが漏れる。

 

 

 

 

「…っ…うんっ!! 僕だよ!! メルだよ!! 助けに来たんだよ!!」

 

 

 

 

 けれど、僕には彼女が何を言いたいかははっきりと分かっていた。

 だから強く手を握り、大きい声で呼びかける。

 

 

 

 

「…あは……メル、ちゃんだぁ……よ、か…ったぁ……」

「喋らないで!! 今から、村まで運んであげるから…!!」

「……き、て…くれ、たぁ……や、ぱ……り、メルちゃん、は…すご、いなぁ…」

 

 

 

 

 途切れ途切れの掠れた声で、彼女は笑ったーー中途半端に意識が戻り、凄まじい激痛が体を襲っているにも関わらず。

 そして、震える手で、僕の頬を伝う涙を拭ってくれた。

 

 

 

 

 

ーーその瞬間、まるで光が走るかのように、奔流のような魔力が僕に流れ込んできた。

 それは、ルゥシィのものだーーそこに込められた彼女の記憶、感情、僕への想いが、僕の中へと入ってくるのが分かった。

 何故こんな事が起きているのかは分からない…いや、どうでも良かった。

 

 

 

 

「あ、あぁ…あぁぁぁぁ…!!」

 

 

 

 

 いつも僕と一緒にいてくれた彼女が、いつもお日様のように笑っていた彼女が、いつも何を思っていたか。

 どんな想いと願いを抱いて、今日この場所に来たのかも、全てを理解した僕は、溢れ出る感情を抑える事が出来なかった。

 

 

 

 

 

ーー僕は、馬鹿だ。

 

 

 

 

 

ーーあんなに明るい笑顔の裏で、僕のことをあんなに思ってくれていた彼女に、僕は何をした?

 

 

 

 

 

ーー何もしていないじゃないか。ただ能天気に、ただ一緒に遊んで楽しくなっていただけじゃないか。

 

 

 

 

 

ーー何が勇者だ、何が姫だ!!

 

 

 

 

 

 何処にいるとも知れない妻の事ばかりを考えて、自分が理想の物語の姫になる事ばかりを考えて、もっと、もっと大切なものに目を向けていなかった。

 僕は浮ついていたのだーー夢のような世界で、夢のような力を得て、ただはしゃぎ回っていただけだ。

 もっとちゃんとルゥシィを…この世で一番大切な友達の事を、もっとちゃんと見ていれば、こんな事にはならなかった筈だ。

 

 

 

 

ーールゥシィが、傷つく事なんて無かった筈だ。

 

 

 

 

「ごめん…ごめん…ごめん!! ごめんなさいルゥちゃん…!!」

 

 

 

 

 今まで目を向けて来なかった自分のエゴを突きつけられて、僕はただ腕の中のルゥシィを抱きしめながら、謝る事しか出来なかった。

 

 

 

 

「なか、ないで…?」

 

 

 

 

 そんな僕の頭を、ルゥちゃんは震える手で撫でた。

 

 

 

 

「……来、てくれ…た……だけで、嬉し…ぃ…」

 

 

 

 

 そう一言告げると、クタリ、と彼女から力が抜ける。

 

 

 

 

「ルゥちゃん…ルゥちゃん!!」

 

 

 

 

ーー最悪の想像に背筋が凍りそうになるが、どうやら気絶しただけらしい。

 

 

 

 

「グォォォォォォォォォォォォ……!!」

 

 

 

 

 少しだけ安堵の溜息を吐くと、前方からガラガラと音を立てて先ほど吹き飛ばした化け物が立ち上がるのが見えた。

 腕の中で眠るルゥシィと、化け物を交互に見る。

 

 

 

 

ーー先ほどよりは大分マシにはなったが、ルゥシィが危険な状態なのは変わりない。

 しかし急ごうにも、行きのように上空を飛んでは彼女の体に寒さと気圧で負担をかけてしまう。

 万全を期すならば、低空のまま空を飛び村まで戻る事だが…そこで邪魔になるのが、あの化け物だ。

 

 

 

 

 化け物の方は、未だに全身から焦げ臭い不快な臭いを漂わせ、全身のあちこちから血を流しているが、弱った様子は無い。

 先ほどの魔法が僕の加減なしの全身全霊…それが通じないとなると、万が一にも倒す事など不可能だ。

 そのような強靭な体だ。身体能力も想像を絶するものなのは想像に難く無い。

 その上、頭から生えた何十もの目は、生意気にも歯向かって来た僕への怒りで爛々と輝いている。

 絶対に逃してはくれないだろう。

 

 

 

 

 

ーーつまり僕は、ルゥシィの容体を悪化させないように、あの化け物の攻撃を躱しながら、村まで逃げなければならないという訳だ。

 

 

 

 

 

 今更になって、体が震えてくる。

ーー血生臭い事からは無縁だった二度の人生を通じて初めての、文字通りの命懸け。

 それでもやらなければならない。やって、成功させなければならない。

 

 

 

 

 僕の手の中には、この世で初めて心を通わせた友達がいるのだからーー!!

 

 

 

 

 

 さぁ来い化け物。

 

 

 

 

 

 僕とルゥシィの庭で、そう簡単に追いつけると思うなよーー!!

 

 

 

 

 

「鬼さんこちらーー!!」

 

 

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」

 

 

 

 

 

 僕の挑発に応えるかのように、化け物が咆哮を上げながら突進してくる。

 

 

 

 

ーー今この時、この世で一番大切な宝物を抱えながらの、僕と化け物との命がけの鬼ごっこが幕を開けた。

 

 

 

 

 

 




メルちゃんの生まれて初めての撤退戦、開幕。


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魔神顕現②〜あの日の憧憬のままに〜

魔神戦、中編となります。
メルちゃんの勇姿をご覧下さい。


 

 

 

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛!!」

 

 

 

 

 地響きを立てながら、僕の背後から化け物が迫る。

 細い草木をまるで小枝のように蹴散らしながら突進してくる様は、さながら重戦車のようだ。

 迫り来る巨大な豪腕ーーその大きさは僕の全身をすっぽりと覆い程に大きく、そのまま握りつぶせる程に力強い。

 僕はすれ違いざまに木々の一本に魔力を流し込む。

 

 

 

 

「ーー木克土(きはつちにかつ)!!」

 

 

 

 

 僕の号令と共に、何本かの木々から腕ほどもある蔦が伸び、化け物の全身に絡みついた。

 化け物は魔力を噴出させてそれを吹き飛ばそうとするが、土を主とする肉体からの魔力を、木が吸収し阻害する。

 

 

 

 

「グオオオオオッ!?」

 

 

 

 

 生命力溢れる生木の蔦はしなやかで頑強だ。

 魔力が無ければ、いくら化け物の豪腕といえどそう簡単には千切れない。

 化け物が蔦に梃子摺っている間に、僕は何とか20歩程の距離を離す事に成功する。

 

 

 

 

「ルゥちゃん…」

 

 

 

 

 その間に、ルゥシィの体調を確認するのも忘れない。

 逃げながら隙を見て魔力を流し込んでいるため、出血は既に止まっているが、やはり激しい上下動とともに起こる加速のせいで呼吸は乱れ、常に苦しげな表情を浮かべている上に、体内の五行も安定していない。

 

 

 

 

「もうちょっと…もうちょっとだけ我慢して…」

 

 

 

 

 そう声をかけると同時に、化け物がブチブチと蔦を引き千切って拘束から逃れるのが見えた。

 インターバルはここまでだーー再び僕はルゥシィを極力優しく抱えながら、再び宙に浮かんで飛び始める。

 

 

 

 

 

ーー今の所は、僕が頭の中で組んだプラン通りに進んでいる。

 

 

 

 

 

 このまま適度にあの化け物を足止めしつつ時間を稼ぎながら、この森を抜ける。

 化け物の禍々しい魔力は、遠くから感知出来る程に濃密だ。

 だとすれば、もう村にはこの異常は伝わっていると考えていい。

 今頃、父と村長さんがこいつを倒す算段を付けてこちらに向かっている事だろう。

 あの人達は、僕なんかよりずっと強いーー協力すれば、倒すことが出来るかも知れない。

 

 

 

 

 

「ウ゛ルルルルルルルルルルルル!!」

 

 

 

 

 

 これならばーーそんな僕の楽観を打ち砕くかのように、化け物が今までとは違う不気味な唸り声を上げながら全身を震わせる。

 そしてそれが最高潮に達したかと思うと弓なりにのけ反りーーこちらへ向かって、口から猛烈な勢いで水状の『何か』を撒き散らす。

 

 

 

 

 

ーーあれは不味い!!

 

 

 

 

 

 そう咄嗟に判断した僕は、咄嗟にルゥシィの体を庇いながら足元に向かって魔力を流す。

 

 

 

 

 

「ーー土克水(つちはみずにかつ)!!」

 

 

 

 

 

 地響きを立てながら足元の大地が隆起し、僕とルゥシィを守る壁となる。

 そして化け物が吐き出した水にぶつかった瞬間、猛烈な臭気と共にジュウジュウと音を立ててボロボロと崩れていく。

 

 

 

 

 

「……熱っ!?」

 

 

 

 

 

 そして巻き起こった蒸気に少しだけ触れてしまっただけで、僕の服の裾が腐食し、その下の腕の皮膚が焼ける。

 すぐに土の属性の魔力を流して浄化するが、ジクジクとした痛みが残った。

 

 

 

 

 

ーー化け物が吐き出したものの正体…それは、強烈な酸だ。

 

 

 

 

 

 アレをまともに浴びてしまったらどうなるかなど、想像もしたくない。

 だがそれ以上に問題なのは、化け物が吐いた酸は畑一面分もの広さに広がり、当初想定していた逃走経路が蒸気で覆われてしまった事だ。

 防御出来る僕ならばまだしも、ルゥシィにどんな負担がかかるか分からない。

 

 

 

 

 

 何とか迂回をーー!!

 

 

 

 

 

 と、思った瞬間化け物が勢いよく跳躍し、迂回路を塞ぐかのように着地する。

 足を止めてしまっていた僕は、咄嗟に対処出来ず、飛び退く事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

「なっ…!?」

「ゲェェェェェェェェ…」

 

 

 

 

 

 驚愕する僕を睥睨しながら、舌を垂らして口の端を吊り上げる化け物。

 その表情はまるで、お前の考えなどお見通しだと言わんばかりだ。

 

 

 

 

 

ーー間違いない。こいつは、間違いなく僕を村へと逃さないように誘導している。

 

 

 

 

 

 そして、同時にそれに振り回される僕を甚振っているのだ。

 悔しさにギリ、と歯を噛み締める。 

 しかし、どんなに感情を昂らせようと、今の状況を打破することは出来ない。

 ここが通れないのなら、別の道を行くしかないーー僕は再び身を翻し、再び化け物を少しでも引き剥がすべく魔力を高めた。

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

ーーそれから何度も何度も、僕と化け物との攻防が続く。

 

 

 

 

 

 時には突進してきた化け物を、魔力の手で殴りつけたり、足を絡めて転ばせる。

 

 

 

 

 

 時には地面に金の属性の魔力を流し込んで、化け物が着地した瞬間に刃を出して足を串刺しにする。

 

 

 

 

 

 時には落ち葉を風で巻き上げてから、それらを触媒にして火の属性を纏わせ、炎の竜巻として叩きつける。

 

 

 

 

 

 今まで両親や村長さんから教わり、高めてきた魔力の技術の全てを駆使し、化け物から逃げ回る。

 しかし、所詮僕は戦う事に関してはズブの素人だ。

 何度も繰り返す内に段々と僕の動きはワンパターンとなっていく。

 その上攻防の駆け引きなど全く出来ないため、その都度化け物の動きに対処する事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

ーー少しずつ、少しずつ、確実に、僕は追い込まれていった。

 

 

 

 

 

「ーー木克土(きはつちにかつ)!!」

 

 

 

 

 

 何度目か分からない、最も有効な蔦による束縛。

 しかし、化け物は四方から迫る蔦を飛び退いて避け、爪で薙ぎ払ってしまう。

 明らかに、こちらの手を読まれてしまっている。

 

 

 

 

 

「ガアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 それだけでなく、化け物は千切れた蔦の一部を掴んだかと思うと、それを僕達目掛けて投擲してきた。

 蔦とは言っても、相当な質量があるーーしかもそれが砲弾の如き速さで飛んでくれば、最早それは兵器と言って良い。

 

 

 

 

 

「く、うぅぅぅぅ…金克木(きんはきにかつ)!!」

 

 

 

 

 

 それを僕は地面から伸ばした大量の刃で細切れに切り裂くが、勢いを殺しきれなかった木片が、僕の頬を、体を、容赦なく切り裂いた。

 その痛みに耐えながら、僕は続けて魔力の手で刃を取り、一斉に切り掛からせる。

 

 

 

 

 

「ガウゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 

 

 

 

 自らに殺到する刃を、腕と爪を使って弾き飛ばして砕こうとするが、僕はそれを躱し、逆に切り込ませる。

 剣術のけの字も知らない素人の棒振りのような拙さだけれど、切れ味だけは本物ーーこれで少しは時間が稼げる。

 

 

 

 

 

ーーその間に、状況を整理する。

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ…っ!!」

 

 

 

 

 

 乱れた息を、少しでも整えようとするが、早鐘のように打つ心臓のせいで中々上手く行かない。

 最大の問題は僕のスタミナだ。

 流れ出た汗は僕の服を水に浸したかのように濡らし、攻防の度に出来る傷口からの出血と混ざり斑模様を描いている。

 その上、ルゥシィを抱えたままの僕の腕は、もう感覚も鈍る程に疲れ切っていた。

 

 

 

 

 

(ーーここは、さっき通った道…戻ってきてる…!!)

 

 

 

 

 

 だというのに、僕は未だに森の出口まで抜ける道に出られないでいる。

 道を塞がれては別の道を、そちらも塞がれたら、また別の道を…と何度も何度も繰り返し、僕達は森の中をぐるぐると回る堂々巡りを続けていた。

 そして木々の間から頭上を見れば、先ほど村長さんの家を飛び出した時から、太陽は殆ど傾いていない。

 

 

 

 

 

ーーその僅かな時間で、ルゥシィの状態は明らかに悪くなっていた。

 

 

 

 

 

 息が荒く、身体中が熱い。

 血脈の巡りが強くなった事で傷口が熱を持ち、全身を苛んでいるのだ。

 痛みも、相当なものに違いない。

 体の中の五行もバランスを崩し、今にも連鎖反応を起こして体内に致命的な不順を起こす寸前なのが分かった。

 

 

 

 

「このままじゃ…!!」

 

 

 

 

 焦りのあまり思わず眉根が寄り、言葉が漏れるーーふと、手の中でモゾリ、とルゥシィが身じろぎする。

 

 

 

 

「ーーメ、ル…ちゃ、ん?」

「…っ…ルゥちゃん!?」

 

 

 

 

 僕の言葉に反応したのか、ルゥシィが目を覚ました。

 しかし、逃げ始める前に意識を失った時よりも、明らかにその声は弱々しい。

 

 

 

 

 

「メルちゃ、ん…? だ、い…じょ…ぶ…?」

 

 

 

 

 

 それなのに、ルゥシィは僕を気遣ってくれた。

 それが不甲斐なくて、僕は思わず化け物を見るフリをして目を逸らす。

 怖かったのだ…僕が抱く不安を、見透かされてしまいそうでーーそれでも、精一杯の虚勢を張って、彼女に笑いかける。

 

 

 

 

 

ーー笑いかけようと、した。

 

 

 

 

 

「大丈夫だよルゥちゃん!! まだきっと手はーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーもう、いいよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優しく微笑みながらのルゥシィの言葉に、僕の背筋が凍り付く。

 

 

 

 

 

 

「ーー何、言ってる…の…?」

「このままじゃ…2人とも…食べ…られ、ちゃう…よ…?」

 

 

 

 

 

 

「だから…置い、て…行って…?」

 

 

 

 

 

 

 ルゥシィから、魔力と共に彼女の心がまた流れ込んでくる。

 今にも気絶しそうな位に痛くて、苦しい筈なのに。

 僕が来るまで、想像も出来ない位に怖かっただろうに。

 

 

 

 

 

ーーそれでも、ルゥシィが思うのは、僕の事ばかりだった。

 

 

 

 

 

 

「ルゥ、ちゃんは…凄い子、だか…ら…私、なんかより…ずっと、凄い子…だから…」

 

 

 

 

 

 

ーーだから、メルちゃんが、生き残って。

 

 

 

 

 

 

 そう言って僕を見つめてくる新緑のように鮮やかな瞳は、凄く綺麗だったーーそこには、僕が映っている。

 

 

 

 

 

 

 酷い顔だーー血と泥と汗に塗れて、疲労と不安、焦燥のあまり歪んでいる。

 側から見たら、思わずこちらも不安になってしまうようなーー。

 

 

 

 

 

ーーその瞬間、僕の脳裏にある記憶が蘇った。前世の頃、僕が絵本作家としてのデビューが決まった日の事だ。

 

 

 

 

 

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『ーーそんな顔するんじゃないわよ』

 

 

 

 

 

 開口一番、まだ妻では無かった彼女は僕にそう言った。

 

 

 

 

 

『ーーえ?』

 

 

 

 

 

 大手を振って喜んで貰えると思っていた僕は、そんな彼女の言葉に戸惑う事しか出来ない。

 

 

 

 

 

 

『ほらまたその顔…喜びよりも、僕不安ですー怖いですーっていうのが先に伝わっちゃうわよ?」

『そう…かな…?』

『そうよ。

こういう時はね、どんなに不安で、駄目かもって思ってたとしても笑うの。ふてぶてしい顔して、俺に付いて来いっ!!って顔してれば、ちょっとは周りの不安も無くなるもんだよ?』

 

 

 

 

 

 だから、ほらーーそう促されて、僕はぎこちなく笑おうとした。

 けれど、何処か引き攣って、抽象画のような不細工な顔になってしまう。

 

 

 

 

 

『ぷっ…くくく…あははははは!! 何その顔!! せめてもうちょっと上手く笑えばいいのに!!』

 

 

 

 

 

 そんな僕の顔がツボに入ったのか、手を叩いて転げ回らんばかりに腹を抱える彼女。

 

 

 

 

 

『そ、そこまで笑わなくたっていいじゃないかぁ…』

『ふふふっ…ごめんごめん』

 

 

 

 

 

 少しむくれる僕に一言謝ってから、彼女は言うーーほら、ちょっとは私も、貴方も元気になったでしょ? と。

 

 

 

 

 

『あ…』

『だから、不安な時や、怖い時は、こういう風に笑うの。自分もちょっとは空元気が出るし、それを見た人も、私みたいにちょっとは安心してくれるからさ』

『そういう、ものかな?』

『そういうものよーー小さい頃から、仮面被ってた私が言うのよ? 間違い無いわ』

 

 

 

 

 

 それにねーーと、彼女は続ける。

 

 

 

 

 

 

『ーー大好きな人の笑顔を見たら、不安なんて吹き飛んじゃうわ。女の子ってそんなものよ』

 

 

 

 

 

 

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 うん、そうだったーー思い出したよ。こんな酷い顔を見ていたら、不安になるに決まってる。

 今この場で、一番怖くて、痛くて、苦しいのはルゥシィだ。

 そんな彼女の前で、さも疲れて不安塗れな表情を浮かべて、何だお前は。

 

 

 

 

 

ーー笑え。

 

 

 

 

 

ーーせめて、笑え。

 

 

 

 

 

ーールゥシィが、僕の大好きな一番大切な友達が抱く不安なんて消し飛ばしてしまえるように、笑え。

 

 

 

 

 

「ーーーールゥちゃん、そんな顔しないで?」

「…え?」

 

 

 

 

 

 精一杯、ふてぶてしく、何の事なんて無いって顔で、口の端を吊り上げる。

 大丈夫だ、心配するなーーそう言い聞かせるように、僕は精一杯笑った。

 

 

 

 

 

「ルゥちゃんを置いてなんか行かない。僕も食べられたりなんかしない」

 

 

 

 

 

「逃げてなんかやらない。あんな化け物なんかに、これ以上好き勝手になんかさせない」

 

 

 

 

 

「ルゥちゃん見ててーーあんな奴なんかに、僕は負けないから。僕が、ルゥちゃんを絶対に守るから」

 

 

 

 

 

 はっきり言って、虚勢もいい所な、強がりだらけで、不細工な笑顔だったに違いない。

 

 

 

 

 

「うん……うんっ…!!」

 

 

 

 

 

 だけど、ルゥシィは笑ってくれたーーそれまでのような崩れかけの、儚い笑顔では無い。

 それは弱々しいけれど、普段の彼女のような、お日様の匂いのする笑顔だ。

 

 

 

 

 

ーー心が奮い立つ。

 

 

 

 

 

 思い出すのはあの日の憧憬ーー化け物を前にして、弱きものを守るために立ち向かう勇者の姿。

 

 

 

 

 

ーーならば、なってやる。

 

 

 

 

 

 男だろうが女だろうが関係ないーー(ルゥシィ)を守るのが、勇者(いまのぼく)の役目だ!!

 

 

 

 

 

 不謹慎かもしれないけれど、この時僕はそう思った。

 

 

 

 

 

 

「ガアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 

ーー化け物が、とうとう僕の作った最後の刃を叩き落とす。

 けれど、全く焦燥感など無かった。

 僕の心は静かで、体の中の芯がズシン、と定まる。

 

 

 

 

 

「ーー認めるよ。鬼ごっこは僕らの負けだよ」

 

 

 

 

 

 一歩一歩近づいてくる化け物に語りかけながら、魔臓の鼓動を、抑えるのではなく更に強くする。

 魔力を回すーー今まで余力を考えて抑えていた分を(・・・・・・・・・・・・・・・・)、全て身体中に巡らせる。

 

 

 

 

 

「ーー木生火(きはひをうむ)

 

 

 

 

 

 そして上空に向かって、地面の腐葉土から赤々とした火の玉を打ち上げるーーそれはシュルシュルと白い煙の尾を上げながら、破竹のような音を立てて爆ぜる。

ーー魔法を使った即席の信号弾。父と村長さん達はこれで気付いてくれる。

 後はもう、やるだけだ。

 

 

 

 

 

「じゃあ、今度は違う遊びをしようよ」

 

 

 

 

 

「ゲェェェェェェェェェッ!!」

 

 

 

 

 

 僕が観念したとでも思ったのだろうーー化け物がニヤニヤと笑いながら、僕に向かって腕を振り下ろす。

ーーしかしそれは、僕に届く直前に、魔力の壁によって革を打つような音をたてて弾き返されていた。

 化け物やすぐにもう一方の腕を振り下ろすけれども、それもまた僕の魔力の壁が弾き返す。

 

 

 

 

「ゲェッ…!?」

 

 

 

 

 

 戸惑うように呻く化け物の目を正面から睨み返し、声の限り宣言する。

 

 

 

 

 

 

「我慢比べだっ!!日が傾いても、暮れても、いくらでも付き合うから覚悟しなよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 僕は叫びながら、最早魔力の属性変換など一切考えずにひたすら魔力を回す。

 やる事はひたすら単純だーーただひたすら、化け物の攻撃を防御して、弾き返す。

 

 

 

 

 

ーーそもそも、発想が間違っていたのだ。

 

 

 

 

 

 戦いの素人の僕が、相手に攻撃を仕掛けながら撤退戦をやるなど、生兵法にも程がある。

 所詮僕が人並み以上に出来るのは、両親や村長さんが鍛えてくれた、魔力のコントロールくらいしか無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なら、ひたすらそれをやればいい(・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

「グエッ…!? グエエエエエエエッ!!」

 

 

 

 

 

 殴って来たら、それを受け止め弾き返す。

 掴みかかってきたら、掴まれないように壁を作って弾き返す。

 酸を吐いてきたら、魔力の壁で蒸気すらも通さずに、弾き返す。

 

 

 

 

 

 

ーー弾き返す、弾き返す、弾き返す、弾き返す。

 

 

 

 

 

ーー弾く!!

 

 

 

 

 

ーー弾く!!

 

 

 

 

 

ーー弾く!! ひたすらに!! ただ弾く!!

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああっ!!」

 

 

 

 

 

 無論、加減なんてしない全力だーー魔臓が、魔血管が、魔力孔が、全身が悲鳴を上げる。

 衝撃を殺し損ねて、凄まじい衝撃に頭が揺れて、意識が飛びそうになる。

 魔力を回しすぎて、ブツリ、という音と共に、目から、鼻から、耳から血が零れる。

 痛くて、苦しくて、吐き気が酷すぎて胃が裏返るかのようだ。

 

 

 

 

 

「そんなもんかっ!? 全然っ!! 効いてなんか無いっ!!」

 

 

 

 

 

 それでも、僕は笑った。

 ごぼり、とせり上がって来る、胃液か血かも分からない液体を飲み干して、何て事は無いと全力全開の虚勢を張る。

 そしてルゥシィに精一杯魔力を送るーー僕は大丈夫なんだ、安心していいんだと言い聞かせるように。

 

 

 

 

 

「メル、ちゃん…」

 

 

 

 

 

 魔力を通じて心が届いているのだから、ルゥシィも僕のこれが虚勢ということは分かっている筈だ。

 だけど僕の笑顔に、今あらん限りの全力で応えてくれた。

 

 

 

 

 

「がん、ばれ……!!」

「うんっ!!」

 

 

 

 

 

ーーそれだけで、今にも崩れ落ちそうな体に活が入る。

 

 

 

 

 

 

 姫からの声援に答えずして、何が勇者だ!!

 

 

 

 

 

 

「うあああああああああああああああっ!!」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 弾いて、弾いて、弾いてーーそれを何回、何十回、何百回繰り返しただろうか?

 

 

 

 

 

「…かはっ…はぁっ…はぁっ…!!」

 

 

 

 

 

 僕はもう立つ事すら出来ず、膝を突いていたーーそれでも、真っ直ぐに化け物を睨み付ける。

 

 

 

 

 

「グルルルルルルルルルルルル…!!」

 

 

 

 

 

 化け物は、指が折れ、拳が砕けたのか、ボタリ、ボタリ、と血を流す。

 顔中に生えた目は、心無しか何処か怯んでいるように見える。

 

 

 

 

 

「どうしたの…? これで…終わり…!?」

「ギッ…ゲッ…ガアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 僕の挑発に、ビクリ、と体を震わせたかと思うと、化け物は悲鳴のような声を上げたかと思うと後退り、傍にあった大岩に両手をかけた。

 それは化け物が力を入れる度に、鈍い音を立てて持ち上がっていく。

 

 

 

 

 

「嘘…でしょ…?」

 

 

 

 

 

 あまりの光景に、思わず呆然とした声が漏れ出る。

 今や化け物の頭上に抱え上げられた大岩はあまりにも巨大で、下手な小屋程もある。

 重さはーー最早想像も出来ない。

 

 

 

 

 

ーーもしあれをぶつけられたら、例え受け止められたとしても、その重さまでは逃せずに間違いなく生き埋めになる。

 

 

 

 

 

 木の属性の相克や、魔力の拳で砕こうにも焼け石に水だろう。

 

 

 

 

 

 そして最早今の僕には、あの岩が落ちて来る前に、飛んだり、身を避けたりする程の体力も魔力も残っていなかった。

 

 

 

 

 

ーーでも、絶望なんてしない。してやらない。

 

 

 

 

 

 僕はなけなしの魔力で、周囲の空気を取り込んだまま球状に壁を作り出す。

 これならば生き埋めになったとしても、すぐに死にはしない。

 

 

 

 

 

「メルちゃん…!!」

 

 

 

 

 

 声を震わせるルゥシィの手を、力強く握るーー確かな温もりが、伝わって来る。

 それだけで、力が湧いて来るような気がした。

 

 

 

 

 

ーー影が差す。

 

 

 

 

 

「ウガアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 

 化け物が両腕を振るう。

 

 

 

 

 

 

ーー巨大な絶望が、頭上から降って来る。

 

 

 

 

 

 

 それでも僕は、最後まで力を込めた。

 

 

 

 

 

 

「絶対、諦める、もんかーー!!」

 

 

 

 

 

 少しでもルゥシィを守れるように、体全体で覆い被さる。

 

 

 

 

 

 

 そして大岩が作り出す影が、僕達を覆い尽くそうとした瞬間ーー、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー雄叫びと共に、黒い風が走り抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途方も無い大きさの斧が、この世のものとは思えない程の轟音を立てて、大岩を粉々に打ち砕く。

 砕けた礫は、全て魔力の拳によって弾き返され、僕達に砂粒一つすら当たる事は無い。

 続けて、まるでレーザーのように凝縮された途轍も無い熱量の炎が、化け物に突き刺さり、悲鳴すら上げることを許さずに吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「ーー遅くなった。よく、耐えた。よく、守った。よく、生きていてくれた」

「あ、あぁ……」

 

 

 

 

 

ーーそして、僕達を守るように、3つの影が目の前に降り立つ。

 

 

 

 

 

「ーー頑張ったわねメル。凄く、凄く頑張ったわね」

「あぁ…あぁぁぁぁ…」

 

 

 

 

 

 僕の目から、安堵の涙が溢れ出る。

 

 

 

 

 

「ーー少し、待っていて下さい。何、紅茶を飲む時間ほどで済みますとも」

「うぁぁ…あぁぁぁぁ…」

 

 

 

 

 

 僕はもう、声すら出せずに泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 それは、僕がこの世界に生まれてから、誰よりも僕を愛し、誰よりも僕を守ってくれていた背中だった。

 

 

 

 

 

ーー大きな、とても大きな背中だった。

 

 

 

 

 

 それは正しく、あの日の憧憬のままの光景だった。

 

 

 

 

 

 悲劇など簡単に吹き飛ばしてしまう、誰よりも強く優しい、ハッピーエンドの体現者ーー。

 

 

 

 

 

「ーー後は、任せろ」

「………う゛ん゛っ!!」

 

 

 

 

 

 何処までも力強い勇者(ちち)の言葉に、僕はグシャグシャな笑顔で頷いた。

 

 

 

 

 

 




後2話程で、第一章を書ききれればと思います。


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魔神顕現③〜憧れは遥か高み〜

魔神戦、ラストとなります。
この先メルちゃんが仰ぎ見る事になる、憧憬の一端をご覧下さい。


 

 

 

 

 

 僕とルゥシィの前に助けに来てくれた両親と村長さんは、普段からは想像も出来ない程剣呑で、煌びやかな姿をしていた。

 

 

 

 

 

「ーーさて、こうして出会うのは100年ぶりだな。魔神よ」

 

 

 

 

 

 父は見事な意匠があちこちに施された、僕が両腕を回しても届かない程に巨大な斧頭を持つ戦斧を手にし、体の要所要所を分厚く守る、黒く鈍く光る甲冑を身に纏っている。

 

 

 

 

 

「…貴様らが現れたという事は、また世界が揺らぐという事なのだろうな」

 

 

 

 

 

 ギチリ、という音を立てて、戦斧の柄を握りしめた父から、陽炎のように魔力が溢れ出る。

 

 

 

 

 

「だが、今そんな事はどうでもいいーー」

 

 

 

 

 

 その表情は僕からは見えないけれど、これだけは分かる。

 

 

 

 

 

「よくも、僕の愛する娘を…その親友を…好き勝手に甚振ってくれたな…!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶対に許さんっ!! この世に再び現れた事を後悔させてやるわこの塵屑がぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー父は、怒っていた。見た事も無いような、空間を歪める程の怒りが怒号と共に迸る。

 思わず身震いしてしまう程の、初めて見る父の姿ーーしかし、それが今の僕には物凄く頼もしかった。

 

 

 

 

 

「ガ、ガァァ…!?」

 

 

 

 

 

 それを一身に受けた化け物ーー魔神は、怯えたかのように後退る。

 今までの狂乱ぶりが嘘のような無様な姿を父は鼻で笑うと、母と村長さんに向かって声を掛ける。

 

 

 

 

 

「ーーモリー、100年ぶりの実戦だが、鈍ってはいないだろう?」

「当たり前でしょ? そっちこそ、ヘマをしないで頂戴ね、バフォメット様?」 

 

 

 

 

 父の言葉に軽口で応える母も、普段とは全く違う煌びやかで豪奢な姿をしていた。

 金糸で縁取られた黒いベルベットと、白いレースで飾られたエキゾチックな衣装を身に纏い、腰には見た事も無いくらいに大粒の宝石を何個も嵌め込んだ宝冠を提げている。

 

 

 

 

「言ってくれるな…ならば、遅れず付いて来いグレモリー公」

「ええ、合点承知よーー私も、コイツを消炭にしなきゃ気が済まないんだから…!!」

 

 

 

 

 言うが早く、母もまた父に勝るとも劣らない怒気を放つ。

 その熱さは、まるで全ての生き物を焼き尽くす灼熱の砂漠を思わせる。

 

 

 

 

「ーー村長殿、いやナベリウス侯。メルとルゥシィは任せる」

「お任せを。指一本、チリ一つ触れさせませぬ。お二方は、存分にお力を奮いなされ」

 

 

 

 

 そうにこやかに笑う村長さんもまた、今までに見たことが無い程に矍鑠(かくしゃく)たる空気を纏っていた。

 身に纏うのは、複雑な紋様を全身に刻まれた上質なローブに、鴉のような翼と尾の意匠が入ったマント、そして雄々しい狗の頭を象った金色の肩当て。

 そして手には身の丈程もある長さを持つ、先端に牛鈴(カウベル)の飾りを付けた美しい白木の杖。

 そのどれもが、目に見える程の凄まじい魔力が込められているのが分かった。

 

 

 

 

「さて、では取り急ぎーー少しリラックスしていて下さい、メルリアさん」

 

 

 

 

 言うが早く、村長さんは牛鈴(カウベル)をシャン、と打ち鳴らすーーその瞬間、僕とルゥシィを暖かく、優しい緑の光が覆った。

 

 

 

 

「えっ…?」

 

 

 

 

 思わず、声を上げる。

 あれ程までに傷ついていた僕とルゥシィの体が、まるで巻き戻すかのように癒えていく。

 そして傷だけではなく、身体中に纏わり付いていた疲労も、消し飛ぶように無くなっていった。

 体だけでは無く、心までも癒す最上級の回復魔法ーーそれも、途方も無く次元の高い領域の魔力と属性変換による超絶技巧。

 それを村長さんは、あの牛鈴(カウベル)を打ち鳴らすと言う単純な動作だけで成し遂げたのだ。

 

 

 

 

「ふふふ、久々の全力ですーー上手く行ったようで何より」

「え…っと…その、ありがとう…ござい、ます…」

 

 

 

 

 突如自分の身で体験する途方も無い大魔法に現実感が湧かず、何処か間の抜けた返事をしてしまった。

 だが、その自失も一瞬だった。

 

 

 

 

「…っ…そうだ!! ルゥちゃん!!」

 

 

 

 

 慌てて、腕の中のルゥシィの様子を確認する。

 そこには、安らかな表情で穏やかな寝息を立てる彼女の姿があった。

 あれ程までに傷だらけだった体は、まるで何事も無かったかのように綺麗な肌を晒している。

 体内の五行も、すっかり安定しているようだ。

 

 

 

 

「あぁ…」

 

 

 

 

 だが、千切れてしまった揚羽蝶のような翅は、傷口こそ綺麗になっていたがそのままだ。

 その瞬間、表情が曇った事に気付いたのか、村長さんはそんな僕を励ますように頭を撫でてくれた。

 

 

 

 

「ーー安心して下さい。フェアリィ族の翅は殆どが魔力で出来ています。

暫く安静にしてさえいれば、その内元通りになってまた一緒に飛べるようになりますよ」

「あぁ…良かった…良かったよぉ…」

 

 

 

 

 それを聞いた僕は、安堵のあまり泣き出していた。涙が、止め処なく溢れて来る。

 そんな僕を、村長さんは優しく見つめてくれていた。

 

 

 

 

「ーーさて、ここは戦場。気を抜いては…と言いたい所ですが、その心配はしなくとも宜しい。

あのお方達だけでも十分に過ぎますが、更にこの老骨もおりますからな」

 

 

 

 

 そう言って、村長さんは再び牛鈴(カウベル)を数度打ち鳴らすーーすると、何重もの魔力の壁が僕達を包み込んだ。

 これもまた、途方も無い強度だとはっきりと分かる。

 僕が仮に作ろうとしても、全力で魔力を込めても恐らくは数秒と保たないだろう。

 それを村長さんは一切の揺らぎも無く、まるで結界のように維持し続けているーー相変わらず、涼しい顔のままで。

 

 

 

 

 

ーー途方も無い…本当に途方も無い高みだった。

 

 

 

 

 

この程度のことに(・・・・・・・・)、驚かれていては困りますよ?

ゆっくり休んで欲しい所ですが、この際ですから授業の代わりと致しましょう」

 

 

 

 

 

 僕の様子を見て悪戯めいて微笑みながら、村長さんは牛鈴(カウベル)の杖で前を指し示す。

 

 

 

 

 

「魔力を通し、良く見て目に焼き付けなさいーーあれこそが高み。

魔族に伝わる伝説の一端、貴女が教えを乞うていた者の真の力を刻み付けなさい」

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

「ーーさて、では行くか」

 

 

 

 

 

 ズシリ、と父が一歩を踏み締めるーー質量すらも感じさせる圧力と共に。

 

 

 

 

 

「ギ、ガ…アアアアアアアッ!!」

 

 

 

 

 

 その圧力に耐えきれずに、魔神が悲鳴のような怯え混じりの雄叫びを上げながら突進する。

 高々と振り上げた腕を、父の頭目掛けて振り下ろす。

 父はそれを見つめるだけで、避ける素振りすら見せない。

 

 

 

 

 

「危なーー!?」

 

 

 

 

 

 僕がそう叫びそうになった瞬間ーー瞬きの間に、父が先程まで構えていた戦斧は高々と振り上げられ、その先にあった魔神の腕が宙を舞っていた。

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 まるでコマ送りのように、過程が全く見えなかったーーあまりの早さに、脳が追いつかない。

 僅かに遅れて、戦斧が巻き起こしたのであろう豪風が、周囲の木の葉を音を立てて吹き飛ばした。

 

 

 

 

 

「ギ、アアアアアアアッ!?」

 

 

 

 

 

 そして自らの腕が地響きを立てて地面に落ちてからようやく、魔神が傷を受けた事を認識し、痛みに悲鳴を上げる。

 

 

 

 

 

「ーー喧しい、喚くな」

 

 

 

 

 

 身悶える魔神を冷たく睥睨すると、父はその腹に砲弾のような前蹴りを叩き込んだ。

 痛みに身動き出来なかった魔神は、鈍い轟音と共にそれを成す術なく受け入れた。

 

 

 

 

「ゲ、アーーーー!?」

 

 

 

 

 腹からメキメキと肉と骨が潰れる耳障りな音を立てながら、巨体が紙屑のように吹き飛ばされる。

 そして、木々を何本も薙ぎ倒しながら、ようやく止まった。

 だが、それだけでは終わらないーー父は今や遥か彼方となったその倒れた魔神に向かって、その場から動かないまま戦斧を振り上げる。

 

 

 

 

 

「ーーSolve et Coagula(溶かして、固めよ)

 

 

 

 

 

 父が呟いた呪文と共に馬鹿げた程の魔力が吹き上がり、斧頭が形を失ったかと思うと、瞬時に形を変える。

 ただでさえ僕が全く歯が立たなかった魔神の体を易々と切り裂く頑強さと、途轍も無い質量を持っているであろう戦斧を、父は猛烈な魔力を注ぎ込む事で鋳潰し(・・・)、再構築したのだ。

 そして注ぎ込まれた魔力は物質変換で鋼へと変えられ、元の戦斧を遥かに超える巨大な質量の物体へと生まれ変わる。

 

 

 

 

 

ーー現れたのは、大木と見紛うばかりにそそり立つ、鉄の柱の如き大剣。

 

 

 

 

 

「ーー錬金術…!?」

 

 

 

 

 

 それは1から2を生み、鉄から金を生むと言われる前世においては架空の、それでいて全ての科学の基礎となったと言われる学問。

 まさかそれをまさかこの目で目にするとは思わなかったが、それ以上に僕を驚愕させたのは、その何処までも精妙で、繊細な魔力操作の技術。

 崩した砂粒のパズルに、更にピースを追加してもう一度全く違う形を作り出すという途方もない作業を、父はあの嵐の如き荒々しい魔力の放出と収縮によって成し遂げたのだ。

 

 

 

 

 しかし、父の規格外はそれで終わらなかった。

 ギチリ、と言う巨大な岩が擦れ合うかのような音と共に、魔力の奔流が注ぎ込まれる。

 それはともすれば、一般的な魔族の一生分とも思えるような魔力量。

ーーそれ程の、途方も無い魔力の篭った大剣を、

 

 

 

 

 

「ぬぅぅぅぅぅぅぅんっ!!」

 

 

 

 

 

 

ーー父は、裂帛の気合いと共に振り下ろした。

 地面に叩きつけられた大剣は地面を砕き、地響きと共に込められた魔力が一気に解き放たれる。

 魔力の斬撃…などと言う生優しいものでは無い。

 まるで津波の如き奔流が、立ち塞がるものを打ち砕きながら突き進み、魔神の体の半分を跡形もなく消し飛ばした。

 

 

 

 

「やっーー」

 

 

 

 

ーーた、と快哉を叫ぼうとした僕の喉を、次に見えた光景が押し留める。

 

 

 

 

 

「…ガ、ギィ……ガ、ガギガゴゲ…グ…」

 

 

 

 

 

 残った魔神の半身から黒い魔力の奔流が吹き出したかと思うと、その肉体が不気味に蠢き、ゴボゴボと声を上げる。

 更に歪み、捩くれながら、肉体が再生しているのだ。

 数秒後、そこには再び肉体を再構築した、五体満足の魔神が立っていた。

ーー正に、不死身とも言えるような馬鹿げた再生能力。

 

 

 

 

 

「ふん…生き汚なさは、100年経っても変わらんか」

 

 

 

 

 

 父は不愉快そうに吐き捨てると、再び大剣を構える。

 

 

 

 

 

「グルルルルル…ガァッ!!」

 

 

 

 

 

 魔神は再び活力を取り戻し、再び父に飛び掛からんと地を蹴る。

 だが、数歩地を蹴った時ーー上空から金属が激しく擦れ合うような音と共に、赤い光が走り抜けた。

 その直後、魔神の体がガクン、とつんのめり、勢い良く転倒した。

 

 

 

 

 

「ア、ガ…アアアアアアアッ!?」

 

 

 

 

 

 再び耳障りな悲鳴が上がる。

 その両足は、傷口から煙を上げながら両断されていた。

 

 

 

 

 

「ーー何を意気込んでるのかしら? 貴方如きに、戦いなんて贅沢な事させる訳無いでしょう?」

 

 

 

 

 

 それを成したのは、空中に浮かぶ母。

 魔神を睥睨しながら紅蓮の炎を纏うその姿は、まるで灼熱の太陽のように美しく、全てを焼き尽くすかの如き苛烈な輝きを放っている。

 赤い光の正体は、極小の粒にまで圧縮し尽くされた炎の糸。

 まるで、SFの世界に登場する光線銃の如き一閃だった。

 

 

 

 

 

「貴方は皮袋よ。ただ、私達に殴られ、焼かれ、砕かれるだけの皮袋」

 

 

 

 

 

 母から溢れ出た魔力が魔神の周囲を取り囲む。

 腕を滅茶苦茶に振り回し、地面を這い蹲り逃げようとするが叶わない。

 

 

 

 

 

「ただ、簡単には壊れるんじゃないわよ? 可愛いメルとルゥシィを痛めつけた罪、キッチリ償って貰うわ」

 

 

 

 

 

 魔力の熱さとは裏腹に、母の眼差しと宣告は、血の気も凍りつくかのように冷たく鋭い。

 母の腰に提げられた宝冠が唸りを上げる。

 それが最高潮に達した時、母は魔神を指差しーーただ一言、告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーそこで渇いて逝きなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー瞬間、陽炎の柱が噴き上がった。

 

 

 

 

 

 

「ーー!?ーーーー!!!!」

 

 

 

 

 

 

 魔神が転げ回り、喉を掻き毟る。

 目が内部から泡立ち破裂し、肉がかさかさと音を立てて罅割れていく。

 声は出ないーー出る訳が無い。最早叫ぶ為の喉ごと、体の中が焼け爛れていっているのだから。

 

 

 

 

 

ーー陽炎の正体、それは熱だった。

 

 

 

 

 

 魔力をひたすら高速で振動させ、その摩擦によって空間自体が熱を放っているのだ。

 それは炎すらも上がらない、無色の煉獄ーー一欠片の命すらも許さない、灼熱の太陽の地平だ。

 

 

 

 

 

 「『精霊』も何も使わずに…魔力、だけ…で……?」

 

 

 

 

 

 正にこの世の地獄のような光景ーーしかし、僕が戦慄するのはその現象では無い。

 魔力は、波であり粒でもある。

 しかし、普通ならばどんなに訓練しても、干渉し、形を変えたり方向性を与えられるのは波である場所だけだ。

 訓練を積んだ僕でも、『精霊』という外的要因を用いなければ、粒としての魔力を制御する事など到底出来ない。

 

 

 

 

 

 それを母は、粒のみを操っている(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 魔力の波の中に一体幾つの粒があると認識出来ていなければ、そんな事は出来ない。

 それは謂わば、海の浜辺の砂粒のような天文学的な数の人数を使った、一糸乱れぬ集団行動。

 それを成すためには、一体どれほどの研鑽を積む必要があるのか…僕には最早想像する事すら出来なかった。

 

 

 

 

 

「ーーーー!!ーー……」

 

 

 

 

 そして、僕の驚愕の間にも、魔神への蹂躙は止まらない。

 体が灰になっては再生し、灰になっては再生しーーその光景は、咎人が永遠の責め苦を受けるという地獄そのものだった。

 最早踠き苦しむ事すら出来ず、黒い魔力の噴出と再生も次第に遅くなっていく。

 

 

 

 

 

 とうとう枯れ木のような姿のまま、それ以上再生する事すらも出来なくなった時、不意にその身を蹂躙していた地獄が姿を消す。

 

 

 

 

 

「……ィ……ァ……」

 

 

 

 

 

 肉体の殆どが隅と灰の塊となったまま、それでも地面を掻いて逃げようとするその姿は、もう哀れとすら思える程に弱々しかった。

 その彼の下に影が差すーー灼熱の地獄が消えた後に現れたのは、更なる絶望だった。

 

 

 

 

 

「ーー正直、まだ気が晴れた訳では無いが…せめてもの慈悲だ。これで終わりにしてやろう」

 

 

 

 

 

 父が介錯をするかのように、ゆっくりと大剣を振りかぶる。

 

 

 

 

 

「……ィ…ニ…ァ……ゥ…ァ……ィ…」

 

 

 

 

 

 か細く、魔神の喉が震え、焼け崩れた目からは一粒涙が溢れる。

 黒い魔力が消えて残ったのは、どんな生き物でも持つ、当たり前の感情。

 それを聞いた父の顔が、ふ、と哀れみを帯びた穏やかなものに変わる。

 

 

 

 

 

「ーー恨むならば、魔神に魅入られた己を恨むがいい。

…汝の哀れなる魂に、星の輪廻の加護よあれ」

 

 

 

 

 

 そして、大剣が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 最早蹂躙とも言える戦いをーーあの日の憧憬のままの勇者達の姿を、僕は全て見ていた。

 しかしそこに歓喜は無い。

 

 

 

 

 

「あれが、勇者…あれが、姫…」

 

 

 

 

 

 いざ、ただ憧れていた存在を目の当たりにした時に僕に去来したのは、途方も無い程の焦燥と自分自身への不甲斐なさだった。

 

 

 

 

 

ーー僕は、この世界で姫になろうと思った。勇者と共に並び立つ、僕と妻が描いた物語のままの姫に。

 

 

 

 

 

 しかし、今日勇者(ちち)を見た。(はは)を見た。

 彼らが立っているのは、雲に隠れて見えない程の高みーー地に這いつくばる僕の目の前に現れた、断崖絶壁のような壁の如き高みだ。

 今や現実となった憧れに、僕は打ちのめされていたのだ。

 

 

 

 

 

「ーー感じましたか? 貴女の未熟と、遥かな高みの凄まじさを」

 

 

 

 

 

 そんな僕の内心を見透かしたかのように、茫然とする僕へと村長さんが語りかける。

 

 

 

 

 

「その遥かな高みを見て、どう思いましたか?」

「…途方も無いと、思いました。届く訳がない、と思いました…思って、しまいました」

 

 

 

 

 

 僕を試すかのような言葉に、僕はただ正直な思いを吐き出していた。

 

 

 

 

 

「ならば、もう諦めますか? 今の貴女でも、魔族としては十分過ぎる力を持っています。

この先、それなりに鍛えれば、それなりに良い地位に就き、それなりに良い伴侶を見つけ、それなりに良き人生を送ることが出来る筈です」

 

 

 

 

 

 そう続ける村長さんの言葉ーーそれは、偶然にも僕の前世がまだ灰色に覆われていた頃を象徴する言葉だった。

 常識で考えれば、それで良い筈だ。

 けれど、僕は頭を振っていた。

 

 

 

 

 

 

「ーーそれでも、僕は目指したいです。お父様(ゆうしゃ)のような、お母様(ひめ)のような魔族(ひと)に」

 

 

 

 

 

 

ーー腕の中を見る。そこにはルゥシィがいた。

 穏やかな表情で、スゥスゥと寝息を立てて眠っているーーそれは僕が今日、守りきれなかった生命だ。

 父が、母が、村長さんが、こうして駆けつけてくれなかったら、彼女は僕と一緒に間違いなく死んでいた。

 

 

 

 

 

 

ーーけれど、僕が憧れ続けて、目指そうとしていたからこそ、ここまで繋ぐ事が出来た生命だ。

 

 

 

 

 

 

 それだけは、否定してはいけないと思った。

 

 

 

 

 

 

「ならば、力を求めますか? あのお方達のように、何にも寄せつけない、圧倒的な存在になろうと思いますか?」

「はいーー僕は、力が欲しいです」

 

 

 

 

 

 

 

 続く村長さんの言葉に僕は肯いた。それと同時に「でもーー」と続ける。

 

 

 

 

 

 

「ーーそれは戦うためじゃありません。

もしまたこのような事があった時に、今度こそは守れるように…僕がこの先求めるのは、そんな力です」

 

 

 

 

 

 

「守護者か…それは、ある意味何よりも過酷な茨の道だ。守るためには、誰よりも強くあらねばならない」

 

 

 

 

 

 

 そんな僕の決意の言葉に答えたのは、魔神との戦いを終え、歩み寄って来ていた父だった。

 

 

 

 

 

 

「ーー手の届く限りの人を守り抜く…それは、私達でも出来なかった事よ?

手が届かなかった人達の生命が失われるのを、手が届いても守りきれなかった人達の生命が失われるのを、目の当たりにする事になる。

メル、貴女にその覚悟はあるの? 覚悟する事が、出来るの?」

 

 

 

 

 

 その側に寄り添う母からの厳しい言葉ーーでもそれは、僕を咎めているのではなく、心から心配しているからこそだ。

 だからこそ僕は、3人の目を正面から受け止めながら答えた。

 

 

 

 

 

 

「ーー分からない。

それは、まだ亡くしたものが無い僕が、簡単に抱いちゃいけないものだと思うから」

 

 

 

 

 

 

「けど、目指す事は止められない。止めたくなんかない」

 

 

 

 

 

 

「…やるよ、僕はやるーー出来なかったとしても、出来るようになるまでやるよ」

 

 

 

 

 

 

ーーこの時、僕は自分の将来をはっきりと決めた。

 

 

 

 

 

 

 それは自分でも言っていて恥ずかしくなるような、何処までも無謀で、青臭い決意表明だった。

 けれど、そんな僕の言葉に、父と母は、僕の体をただ優しく抱きしめる事で答えてくれた。

 

 

 

 

 

 

「ーー頑固な子だ。だが、それでこそ僕達の娘だ。僕達のメルだ」

「そこまで言うなら、何も言わないわ…頑張りなさい、メル」

「うんーー!!」

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

「ーーさて、ではそろそろ村に帰るとしましょう。

顕現した魔神も討伐する事が出来た以上、魔力溜まりも浄化されている筈ですからな…対応するのは明日で宜しいかと」

 

 

 

 

 

 

 そして暫くして、僕達は一旦帰路に着くことになった。

 村長さんの言う通り、先ほどまで周囲に満ちていた淀むような魔力は嘘のように晴れ、戦いの爪痕こそあれ、森はいつもの姿を取り戻していた。

 

 

 

 

 

「ナベリウス侯…いや、村長殿。

自分が面倒だからと、それらしい理由を付けるのはどうかと思うぞ?」

「昔っから変わらないわよねナーベは…いつも特訓にかこつけて家事とか雑用やらせてるってメルからしっかり聞いてるんだからね?」

 

 

 

 

 

 しかし、そんな村長さんの言葉に、父と母がジトっとした目を向ける。

 その視線から逃れるように、村長さんはわざとらしく咳き込んだ。

 

 

 

 

 

「ーーうおっほん!! それに、メルリアさんとルゥシィさんの体の事もありますからな。

疲れ切っている事でしょうし、ゆっくりと休ませてあげなければなりません」

「…まぁ、確かにその通りだな。ここは折れておいてやるとしようか村長殿」

「全く、こういう時の口は良く回るんだから」

 

 

 

 

 

 昔馴染みらしい軽口の応酬ーーいつもの日常が戻ってきたようで、何だか嬉しくなる。

 ようやく終わったんだと思ったら、つい力が抜けてふらついてしまった。

 

 

 

 

 

「ーーっと、大丈夫かメル!? 何処か、痛む所や調子の悪い所は無いか!?」

「一番疲れてるのは貴女なのに、はしゃいじゃってごめんねメル!!」

「うん、大丈夫ーー村長さんの魔法で、すっかり元気だよ」

 

 

 

 

 

 魔神と戦っていた時の雄々しさは何処へやらーーすっかり、いつもの子煩悩な父と母に逆戻りだ。

 

 

 

 

 

「ーーでは、帰ろうか。ルゥシィは僕が背負おう。メルは、母さんに背負ってもらいなさい」

「本当にお疲れ様…頑張ったわねメル。念の為、帰ったら医者(せんせい)に診て貰いましょうか」

「ありがとうお父様、お母様。でもーー」

 

 

 

 

 

 父がこちらに手を差し出すけれど、僕は頭を振った。

 そしてルゥシィを起こさないように、そっと持ち上げ、背中に背負う。

 

 

 

 

 

「ーールゥちゃんは、僕が連れて行くよ。せめて、これだけは僕にやらせて欲しいんだ」

 

 

 

 

 

 そうじゃなきゃ、格好がつかないからさーーそう言うと、母と村長さんが高らかに笑った。

 反面、父はこそばゆそうに目を逸らす。

 

 

 

 

 

「はっはっは!! 血は争えませぬな!! まるで若い頃のバフォメット様のようです」

「そうそう、懐かしいわねぇ…助けに来てくれたナーベに向かって、同じような事言ってーーあの時の貴方、素敵だったわぁ…」

「止めてくれ!! 未だに思い出すだけで背中が痒くなる!! あの頃は僕も若かったんだ!!」

 

 

 

 

 

 その仲睦まじい姿は、本当に心を通じ合わせた者達ならではの気安さと親しみに満ちている。

 きっと3人には、僕には想像も出来ないような波乱万丈の冒険や人生があったのだろう。

 

 

 

 

 

 

ーーいつか僕が妻に出会い、そして同じように冒険と人生を重ねたら、ああいう風になれるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

「なれると、いいなーー」

 

 

 

 

 

 

『ーーメルちゃんだったら、なれるよ』

 

 

 

 

 

 

 そう呟いた僕の心に、ルゥシィの声が響く。

ーー起こしてしまったのかと、慌てて振り向くがその瞳は閉じられたままだ。

 もしかしたら、夢現のまま僕の言葉が聞こえて、魔力を通じてそれに答えてくれたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

…考えてみたら、これも不思議な現象だ

 何故村の中にいながらルゥシィの助けを求める声が聞こえたのか、魔神に追われている時に心を通せる事が出来たのかは皆目見当も付かない。

 

 

 

 

 

 

 でも、深く考えるのは今日の所は止めだ。

 その力のおかげで、背中から伝わる温もりを、守る事が出来たという事実は変わらないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうーー」

 

 

 

 

 

 

 だから僕はそのルゥシィの声に、囁くように答える。

 

 

 

 

 

 

 

ーー穏やかな寝顔に、ほんの少し桜色が咲いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 




次回は一連の事件の後日談にして第一章の最終話になります。
その後妻サイド等の番外編をいくつか挟んで、新章に突入する予定です。


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心融①〜満点の星の下で〜

申し訳ありません、最終話の予定でしたが、長くなりそうなので分割する事にしました。



 

 

 

ーー村に戻り、僕達は村外れにある医院に連れて行かれた。

 そして、この村唯一の医師である壮年の蜥蜴人の先生は、僕達を一通り診察してから深い溜息を吐いて呆れたように呟いた。

 

 

 

 

「ーー村長、私っている意味あるんですか?」

 

 

 

 

 何でも先生の見立てでは、どうやら僕達の怪我や魔力の消耗は殆ど治っており、ルゥシィは翅の再生こそひと月程度治療が必要だが、体調自体は一週間ほど安静にしていれば問題無く、僕に至っては2、3日栄養のある食べ物を取って、ゆっくり寝てさえすれば入院の必要すら無いらしい。

…村長さんの本気の魔法は、とんだ医者殺しだったという訳だ。

 

 

 

 

「この前の腰の怪我にせよ今回の事にせよ、魔力による治療はメリットも大きいですが、通常の治療と比べたら急激な変化を伴う以上リスクを伴います。あまり濫用するようならば、医院の看板は何時でもお譲りする準備は出来とりますよ村長」

「それは困りますなぁ。

先生がおられなかったら、盤戯(ボードゲーム)と晩酌の相手がいなくなってしまいます」

「…全く、この村に来てしまったのが私の運の尽きだ。

後でしっかりと魔法薬の調合と納品、お願いしますよ」

 

 

 

 

 カラカラと笑う村長に呆れたように頭を掻くと、先生は僕とルゥシィに処方する薬を作りに奥へ引き込んでいく。

 病室に用意されたベッドにルゥシィを寝かせながら、僕は大きく欠伸をしたーー何だか酷く眠い。

 

 

 

 

「一気に魔力を使った影響だろうな。恐らくは魔力酔いの一種だろう」

「ナーベの魔法で治ったとは言っても、今日は大変だったんだもの、無理は無いわよ。

ーーもう先生には話してあるから、今日の所はここでルゥシィと一緒にゆっくりしていなさい」

「え…? でも明日はーー」

 

 

 

 

 僕の言葉を、皆まで言うなと父が遮る。

 入院しようとしまいと、今回の騒動の後始末で暫くはバタバタするから、僕の誕生日の宴は暫く延期にするそうだ。

 考えてみなくても当たり前の事だが、ぼんやりとした頭のせいか言われるまで気が回らなかった。

 

 

 

 

「ーー余計な心配はしないでいい。さぁ、もう休みなさい」

「う、ん…ありがと…おとう、さま…」

 

 

 

 

 視界が溶けるような眠気に、辿々しく答えるのが精一杯だった。

 その後、重たくなって行く体を引き摺るように、父と母の手を借りてどうにか寝間着に着替え、ベッドに横になる。

 もう目も開けられずに、僕の意識は微睡の中に沈んでいった。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーー夢を見た。

 

 

 

 

 

 はっきりと夢と分かるけれど、醒めたらきっと覚えていないんだろうな、と思えるような、深い眠りの中の夢を。

 

 

 

 

 

 僕は、僕以外に動く者は誰もいない空間をひたすら歩き続けていた。

 小さい頃に見た夢の中のような光景だったけれど、少し違う。

 

 

 

 

 

ーー空には、降り注ぎそうな程の星々が輝く夜空が浮かび、僕の姿を鮮明に照らし出している。

 

 

 

 

 

 そして、辺りを見回すと、まるで昨日見た魔力溜まりのように、あちこちから虹色の魔力が渦を巻いているのが見えた。

 その渦に近付き手を翳すと、まるで火花のように眩く、暖かな光が弾ける。

 

 

 

 

 その光の泡の中には、思わず顔が綻んでしまいそうな程に平和で穏やかな営みが映っていた。

 

 

 

 

 幼子を愛しげに抱きしめる人族の夫婦。

 家族と共に夕食を囲んで団欒する、魔族の子供達の幸せそうな笑顔。

 洞穴の中で寝そべりながら、目も開かない子供達に乳を与える魔物。

 戦場での誉を玉座の間で讃えられ、名誉と栄光を手にした戦士。

 親を失った孤児達を慈しむような笑顔で抱きしめる、老齢の僧侶。

 長年の恋が実り、愛しげに愛を誓い合う貴族の夫婦。

 その日ようやく手に入れた糧を仲間達と分け合い、生きる喜びを噛み締める奴隷の子供達。

 

 

 

 

 

…老若男女、ヒトや魔物、獣ーー様々な姿がそこにある。

 

 

 

 

 

 そこで僕は気付いたーーこれはきっと、世界の記憶だ。

 循環の果てに、悪意や怒り、悲しみや憎しみを浄化された、人々の想いが込められた魔力が最後に行き着く場所、それがここなのだ。

 そんな場所も、そんな知識も知らない筈なのに、この時の僕は何故かそう確信していた。

 

 

 

 

 そんな暖かな魔力に囲まれながら、僕はひたすら歩き続ける。

 目的ははっきりとしている。

 きっとこの先に、僕にとって大切な『誰か』が待っているーーそんな確信があった。

 

 

 

 

 歩いて、歩いて、何処までも歩いてーーその先に、居た。

 

 

 

 

ーー少年だ。

 背は、僕よりも頭一つ半くらいに高い。

 美しい蜂蜜色の金髪を靡かせ、まるで吸い込まれそうな程に澄んだ、浅葱色の瞳が整った顔を飾っている。

 歳の頃は僕と同じくらい。

 燻んだ鋼色の鎧を身に纏い、腰には簡素な飾りの付いた剣を佩いていた。

 

 

 

 

ーー僕がこの世界に生まれてから目の当たりにする、この世界の人間の子供。

 

 

 

 

 今まで見た事も出会った事も無い筈のその少年から、僕は目を離す事が出来なかった。

 そんな僕に、少年は気さくな雰囲気で手を上げる。

 

 

 

 

「久しぶり!! 元気だった?」

「ーーあ…の…? 誰、ですか…?」

 

 

 

 

 僕は震える声で彼に呼びかけると、彼は笑顔を浮かべながらこちらに歩み寄って来る。

 そして僕と目線を合わせるかのように軽く屈み込むと、じっと見つめて来た。

 

 

 

 

 吸い込まれそうな程に綺麗な瞳だーーそこには、僕が映っている。

 

 

 

 

 彼女の好きだった色に浮かぶ僕の顔は、戸惑いと…少しの期待に揺れていた。

 

 

 

 

 

ーー期待…? 僕は一体、何に期待を?

 

 

 

 

 

 僕が自分自身の感情に戸惑っていると、少年はニコリと笑ってーー、

 

 

 

 

 

「ーー気付くのが遅いっ!!」

 

 

 

 

 

 ペチン、と僕の額に向かって見事なデコピンをお見舞いした。

 

 

 

 

 

「あいたっ!? いきなり何をするんだよっ!! 君は相変わらず乱暴だなぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーえ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つい反射的に飛び出た自分自身の言葉に、僕は呆然とした表情を浮かべる事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

「全く…すぐに気付いて欲しいモンだよ。こっちはすぐ分かったってのにさ」

「君…は…」

 

 

 

 

 

 少年は不機嫌そうに眉根を寄せながら、プクッと頬を膨らませてみせる。

 それは、僕の記憶の中の、僕の愛した人の仕草そのままだった。

 でも声も、口調も、外見も、そして更には性別すらも全く違うので、僕の頭は混乱しっ放しだ。

 言葉では言い表せないような、様々な感情が僕の心を掻き乱す。

 けれど、それでも確信が持てなくて、僕の呼び掛けはか細く、自信なさげに震えてしまう。

 

 

 

 

「……君、なのかい?」

「あ、まだ疑ってる。まぁ、でも無理ないよなぁ…俺も最初の頃は自分でも違和感あったし」

 

 

 

 

 

 そう言うと、少年はあー、とかうー、とか喉を震わせ、何度か咳払いをする。

 

 

 

 

 

「ーーこれでどうかしら?

男の子の声だからちょっと慣れないだろうけど、そこは我慢してよねーーあなた」

 

 

 

 

 

 僕の耳に染み付いた、いつもの口調で少年はーーいや、妻はにっこりと笑った。

 

 

 

 

 

「あぁ…」

 

 

 

 

 

 溜息が漏れ、涙が溢れる。

 

 

 

 

 君か…本当に君なのか…!!

 

 

 

 

ーー色々と、言いたい事や、謝りたい事や、聞きたい事が沢山あるのに、あまりにも多すぎて詰まったように言葉が出ない。

 ならばせめて、触れたい、抱き締めたい。

 僕は手を伸ばしながら、駆け寄ろうとしてーー、

 

 

 

 

 

「はい、ストップ!!」

「ぶっ!?」

 

 

 

 

ーー妻が作り出したであろう光の壁に、顔面を強打させられていた。

 

 

 

 

 

「な、何をするんだよぅ…」

 

 

 

 

 

 ジンジンと痛む鼻を摩りながら抗議の声に、妻はビシリ、と僕を指差しながら答える。

 

 

 

 

 

「ーー忘れてないでしょ? 約束。今度は私が見つけるって言ったじゃない。

だから、ちゃんと向こうの世界で私が貴方を見つけるまでは、そう言うのはナシ!!

そもそも、鬼がまだ探してるのに、隠れた方からこっちだよって言うのは興醒めもいい所よ」

「かくれんぼ、か…懐かしいねーーバレてたのかい?」

「バレバレもバレバレよ。私は手加減されて喜べるような子供じゃないんだから」

 

 

 

 

 勿論、忘れてなんかいないーーだからこそ、いきなりの妻の暴挙も納得してしまった。

 君は負けず嫌いだったからね、と言うと、当たり前でしょ、と妻が返す。

 それはとても懐かしい、阿吽の呼吸のような会話ーー僕達は2人でクスクスと笑う。

 

 

 

 

「大体ここに私達がいるのも、ある意味反則みたいなものだしね。

ーーそもそも、何でこんな所に来れたのかも、貴方に会えたのかも皆目検討つかないし」

「うん…僕も全然、何が何だか分からないや」

 

 

 

 

 

 妻の言うように、僕自身もこの場所が何だかは朧げにしか理解出来ていないし、何故こうして未だに会えていない彼女と出会い、話すことが出来てているかは分からない。

 でも、これだけは言えるーー。

 

 

 

 

 

「僕達は、あの世界を旅立つ前も後も、ずっと一緒だったんだよ。

だから、今もこうして何処かで繋がっているんじゃないかな?」

 

 

 

 

 

 だってほらーーと、僕は天上を指差す。そこには、満天の星々が輝いている。

 星の配置も、光も全く違うけれど、その美しさだけはどちらの世界でも変わらない 。

 それを道標にして、きっと僕等はまた巡り会えたのだ。

 例えまだ体は出会っていなくても、心だけでも会えたのだーー絶対に、会えない筈が無い。

 

 

 

 

 

「お互いに、あの星々の何処かで見守ってくれてるって思ってたから、ここまで来れたんだよ、きっと」

「“この星空のどこかに僕はいて、その星で笑ってる。

そう思いながら夜、空を見上げたらぜんぶの星が笑っているように見えるよ。“

…確か、サン=テグジュペリ?

向こうでもそうだったけど、随分とロマンチストになったものね?」

「そうだね…女の子になったからかも」

「そうね。全く、前とは見違えて可愛くなっちゃって。こりゃ探すのは苦労しそうだわ」

「そっちこそ、すっかり逞しい美少年になったよね。

しかも種族まで違うから、まずは会いに行くのが大変だよ」

 

 

 

 

 

 そうしてひとしきりクスクスと笑い合っていると、ふと妻は俯きながら押し黙った。

 

 

 

 

 

「そうね…会いたいなぁ」

「うん」

「話したいことがいっぱいあるの」

「僕もだよ」

「…私、待ったよ。貴方がいなくなってから、一杯一杯待ったよ」

「うん」

「私、生きたよ。精一杯、残りの人生を、しっかりと生きたよ」

「うん」

「私、寂しかったよ。貴方がいなくなってから、凄く凄く寂しかったよ」

「うん」

「だから、会えた時は、ギュってしてね。今までの寂しさなんて、吹き飛んじゃうくらいに強く」

「ーー約束する」

 

 

 

 

 

 僕も少し俯いて、妻の顔を見ないままひたすら頷き続けた。

ーーそうしないと、僕も同じように頬を濡らす滴を見られてしまいそうだったから。

 

 

 

 

 

「ーーーーさて!! 湿っぽいのはお終いだ!! そろそろ帰るよ!!」

 

 

 

 

 

 服の袖で目元を力強く拭うと、妻は口調を戻して踵を返した。

 それは、またこの世界における人生に戻ると言う決意の表れだ。

 名残惜しいけれど、僕もまた妻から背を向けて歩き出すーーふと、気付いた。

 

 

 

 

「ーーそう言えば、どうやって帰ればいいんだろう?」

 

 

 

 

 これは夢である以上、目覚めれば醒める筈なのだが…。

 

 

 

 

「そうだなぁ…その光を辿っていけば、戻れるんじゃないかな?」

 

 

 

 

 妻の言葉に足元を見ると、そこには鱗粉のような光の帯が続いている。

 そして遠くから、声が聞こえてくるーーこれは、ルゥシィの声だ。

 

 

 

 

『ーーメ…ちゃ……メルちゃん』

 

 

 

 

 

 僕を呼ぶ声が響き渡るーーそれに従って、周りの景色が次第に白んでいく。

 妻の言う通り、この声を辿る度に意識が浮上していくのを感じた。

 

 

 

 

 

「ーーふふ、君を凄く大事に思ってるんだな。声だけで分かるよ。

いい友達が出来たみたいで安心したよ」

「うん…この世界で、初めて出来た大切な友達だよ。いつか、君にも紹介するよ」

「ああ、楽しみに待ってるよ。ちなみに俺にも大切な人達が一杯いるんだ。

ーー皆、仲良くなれると思う」

「君の友達の事だから、きっと活発な子たちばかりなんだろうね。こちらこそ、楽しみにしてる」

 

 

 

 

 それじゃあ、と僕達は互いに背を向け合って、自分を待つ人達の元へと帰るために歩き始めた。

 いつ会えるかどうかはまだ分からないけど、きっとそれはそこまで遠い日では無いと信じて。

 

 

 

 

「あ、ちなみに浮気したら許さないんだからね。

女の子同士なんて非生産的な事、承知しないんだから」

「ーーしないよっ!! 何でいい雰囲気をぶち壊すかなぁ君は!!」

 

 

 

 

 最後の最後に、あまりにもあまりな言葉に、思わず僕は顔を真っ赤にしながら振り向きざまに叫んだ。

 あはは、冗談冗談ーーと笑って、今度こそ妻は光の向こうへと去っていく。

 

 

 

 

「ーーーー愛してるわ、貴方」

 

 

 

 

 そう、一言だけ睦言を囁いて、もう彼となった彼女は去っていった。

 

 

 

 

「うんーー僕も、愛してるよ。いつか、またね」

 

 

 

 

 僕もそう一言、彼が去っていった方に向けて囁くと、声が聞こえる先へと歩いていく。

 強くなっていく光にひたすらに歩いて、歩いてーーそして目が覚めた。

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

ーー目を覚まし、身を起こす。

 はっきりとは覚えていないが、どうやら夢を見ていたらしい。

 辺りを見回すと、外はすっかりと夜の帳が落ち、月は天上に輝いているーーどうやら、日が変わって間も無く程の時間のようだ。

 

 

 

 

 

「あれ…涙…?」

 

 

 

 

 

 何故か理由は分からないが、僕の頬は涙が作った線によって濡れていた。

 でも、悲しいのではなくて、何処か胸が暖かいーー不思議と気分は晴れやかだ。

 

 

 

 

 

「ーーメルちゃん、大丈夫?」

 

 

 

 

 

 涙を拭っていると、不意に隣のベッドから声が聞こえた。

 そこには、僕と同じように身を起こしたルゥシィがいたーーどうやら、僕と同じように目を覚ましたらしい。

 僕は嬉しさのあまり叫びそうになるが、時間を考えてどうにかその衝動を抑えると、飛び起きてルゥシィに駆け寄り、抱きしめた。

 

 

 

 

「ーーこっちの台詞だよルゥちゃん…っ!! 良かった…!!」

「わぷっ…!?…うん、ありがと、メルちゃん」

 

 

 

 

 僕の勢いに一瞬面食らったけれど、ルゥシィも嬉しそうに微笑みながら僕を抱きしめ返してくれた。

 それから僕達は、暫くずっとそのままでいたーー互いの体温を、生きている事の証を確かめ合うように。

 

 

 

 

「ーーごめんねメルちゃん。私が約束破ったから、こんな事になっちゃって…」

「ううん、いいんだよルゥちゃん…僕も、ルゥちゃんをちゃんと最後まで守れなくて、ごめん」

 

 

 

 

 それ以上の言葉はいらなかったーー魔力を通じて、互いの気持ちは全て分かっているから。

 ルゥシィがどんな思いで僕を見ていて、どんな理由であの場所に行ったのか。

 僕がどんな思いでルゥシィを守っていたのか、全てーー。

 そして暫しの抱擁の後、何だか少し恥ずかしくなって、お互いはにかむように笑い合った。

 

 

 

 

「そう言えば、すっかり忘れてたねぇーーお誕生日おめでとう、メルちゃん」

「あ…そう言えばー」

 

 

 

 

 あまりにもバタバタしていてすっかり忘れていたけれど、日が替わったという事は…そうか、僕は10歳になったのだ。

 真夜中に2人きりで迎える誕生日ーーちょっぴり寂しいけれど、何だか物凄く特別な感じがした。

 

 

 

 

 

「2人っきりじゃないよメルちゃん。見て見てーーお月様に、お星様もいるよー」

 

 

 

 

 

 僕のそんな感情を感じ取ったのか、ルゥシィが窓の外を指差す。

 そこには、前世でも見た事が無いくらいの満天の星空が広がり、青白く輝く月がある。

 彼女らしいロマンチックな言葉に、僕は思わずクスクスと笑った。

 

 

 

 

 

「そうだね。こんなに一杯のゲストに囲まれて、僕は幸せ者だよ」

「ふふふっ、メルちゃんったらオトナみたいな事言うねぇ」

 

 

 

 

 

 そう笑い合って、ベッドの淵に並んで腰掛けて、煌めく星々を一緒に眺める。

 2人の間を、穏やかで静かな時間が流れた。

 

 

 

 

 

「ところでさ、メルちゃん」

「ん? なぁにルゥちゃん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーメルちゃんが前に暮らしてたお星様は、あれの中のどれなんだろうねぇ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーその時の僕の衝撃は、正に絶句と言う他に無い。

 あまりにも唐突に、ルゥシィは僕が誰にも話したことの無い秘密を言い当てていた。

 驚きのあまり、僕はパクパクと口を開け閉めする事しか出来ない。

 

 

 

 

 

「……る、ルゥちゃん、何、言ってーー」

 

 

 

 

 

 どうにか出した声も、途切れ途切れで、何処までもぎこちなかった。

 これでは、何か僕に秘密があると自白しているようなものではないか。

 どうやって誤魔化そうかーー混乱する頭のままで、必死に考えを巡らす僕に向かって、ルゥシィは更に口を開いた。

 

 

 

 

 

「ねぇメルちゃんーー私の事、好き?」

 

 

 

 

 

 それは聞きようによっては、まるで愛の告白のよう。

ーーしかし、ルゥシィの表情には浮ついたものは一切無く、ただ真剣な感情だけが伝わってくる。

 

 

 

 

 

「勿論、好きだよーールゥちゃんは、一番大切な友達だよ」

 

 

 

 

 

 だから少しだけ冷静になって、僕は淀みなくはっきりと答えることが出来た。

 

 

 

 

 

「んふふ、そっか。嬉しいなぁーーでも、」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーー一番大切なのは、前の世界のお嫁さんなんだよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、僕は誤魔化す事なんて出来なかった。

 それは、僕の根幹を成す言葉ーー間違いない、ルゥシィは、僕の秘密を全て知っている。

 凍り付いた僕を、ルゥシィはただ静かに、穏やかな笑みを浮かべて見つめていた。

 

 

 

 




とうとうバレてしまったメルちゃんの秘密。
その事実にルゥシィがどんな思いを抱いているのか、次話をお待ち下さい。


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心融②〜動き出す世界〜

お待たせしました。第一章の完結編、後編となります。


 

 

 

「メルちゃん私ね…眠っている間、ずっと夢を見てたんだ」

 

 

 

 

 

ーー呆然とする僕を見つめながら、ルゥシィは静かに言葉を続けた。

 

 

 

 

 

「メルちゃんがまだメルちゃんじゃなくて、何処かのお星様の世界で男の人だった頃から、お嫁さんに出会って、絵本の作家さんになって、お爺ちゃんになって死んじゃって…この世界に来るまでの夢を、ずっと」

「ルゥ、ちゃん…」

 

 

 

 

 

 それは、正しく前世の僕の人生の歩み。

 僕がルゥシィの心に触れ合った時に、彼女は僕の思った以上に深く、僕の心の奥に触れてしまったのだろう。

 それが分かったから、僕はもう慌てふためく事は止めて、静かに問いかけた。

 

 

 

 

 

「…ねぇルゥちゃん。僕が前の世界で書いてた物語で、何が一番好き?」

「勿論、勇者様とお姫様の物語!! カッコイイし、ワクワクするし!!」

「ーーありがとう。僕も一番好きだったから、生涯をかけて書き続けたんだ。気に入ってくれたのなら嬉しいよ」

 

 

 

 

ーールゥちゃんが、この世界の第一号のファンだね、と言うと、ルゥシィは嬉しそうに無邪気に笑ってくれた。

 

 

 

 

「やったぁ〜!! ねぇメルちゃん、今度、その絵本の絵、描いて見せてよ」

「うん、勿論。ただ、前の世界と比べて手の大きさとか、感覚が全然違うから、少し練習しないとだね」

「へぇ〜、そう言うの職人さんみたいで何だかカッコイイねぇ」

 

 

 

 

 

 まるで、いつも通りの会話のように、今まで胸に秘め続けていた秘密が、僕の口から滑り出してくれた。

 これなら、先ほどのルゥシィの問いかけにも、しっかりと淀みなく答えられそうだ。

 準備運動のような会話を止めて、僕はルゥシィの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

 

 

 

 

「ーーさっきの質問に答えるよルゥちゃん」

 

 

 

 

 

 そう告げると、ルゥシィも僕と同じように不安な気持ちを会話で誤魔化していたのだろう…先ほどまでとは打って変わって、服の裾を握り締めながら、視線を落として俯いた。

 きっと怖いのだろうーーこれを聞いてしまったのならば、もしかしたら今までみたいにいられないのではないかと思って。

 そしてそれは僕もそうだ。だから、続く言葉を言う僕の握りしめた手からは、じっとりと汗が滲み出る。

 

 

 

 

 

「ーー確かに僕は、世界で一番妻を愛してる。

それはこの先、何年、何十年、何百年経ったって…世界が変わったって永遠に変わらない」

 

 

 

 

 

 一欠片の嘘も、誤魔化しも、言い淀みもなく、僕は言い切った。

 

 

 

 

 

「そして、もし妻がこの世界に生まれ変わってくれていたなら、僕は会いに行きたい。

だって、約束したからーー見つけてくれるって、言ってくれたから」

 

 

 

 

 それは僕の根幹ーーこの先例え何があったとしても、この気持ちは絶対だ。

 

 

 

 

「…………そっか。そうだよね」

 

 

 

 

 ルゥシィは僕の言葉は聞いて、俯きながら、ふ、と微笑んだ。

 それは諦めと納得、寂しさを感じるような、儚げな笑みだ。

 

 

 

 

 

「ならーー「ーーだけど!!」…っ!?」

 

 

 

 

 

 その後に続いた、零れ落ちるようなルゥシィの言葉を全力で遮る。

 何故なら、彼女は誤解しているからだ。

 僕の心に、最も鮮烈であろう核心に触れてしまったからこそ、見えなくなってしまっている事実に目を向かせなければならない。

 

 

 

 

 

「ーーそれは全てを押し除けて(・・・・・・・・)蔑ろにしてまで(・・・・・・・)、叶えるべきものじゃないんだよ…ルゥちゃん」

 

 

 

 

 

 ゆるゆると顔を上げたルゥシィの額に、自分の額をコツン、と当てる。

 少しでも、僕の思いが、僕の熱が、彼女の心にとどくように。

 

 

 

 

 

「確かに僕は妻と約束をしたよ。

ーーけど、それは前の世界の約束(・・・・・・・)なんだ。この世界のもの(・・・・・・・)じゃない。

けど、今僕が生きてるのはこの世界なんだ。どんなに大切だって、前の世界の事を持ち出して、投げ捨てたり、軽んじちゃったりなんかしちゃ駄目なんだ」

「メル、ちゃん…」

「でも、今までの僕はそう思っちゃってたんだ…!! 馬鹿だ…僕は、馬鹿だよ…!!」

 

 

 

 

 

 僕の声に熱が篭っていく。

 それは、僕なりの懺悔だったーーあれだけ大切に思われていたと言うのに、育てられてきたと言うのに、守られていたと言うのに、そんな人達のいる大切な世界を、約束が果たされるまでの止り木のように考えてしまっていた自分を罰するための言葉。

 

 

 

 

 

「ーーそれに気付かせてくれたのは、ルゥちゃんなんだよ」

「え…わた、し…?」

 

 

 

 

 僕の言葉に呆然とするルゥシィに、力強く頷く。

 ルゥシィと心を通わせ、彼女の思いを知って、彼女を守ろうと決意を抱けたからこそ、僕はこの自分の中のエゴに気付く事が出来たのだ。

 傷付いたルゥシィを命がけで守ろうとした事で、今まで漠然とただ憧れていただけの目標の途方も無い高さと、自分が目指すべきカタチを見出す事が出来たのだ。

 そして、そんな彼女を失いかけて、その温もりを繋ぎ止められたから…僕は、この世界の大切さに気づく事が出来た。

 

 

 

 

「ーーみんな、ルゥちゃんのおかげなんだよ。

ルゥちゃんは、僕にとって掛け替えの無い友達なんだよ」

「メル、ちゃん…」

「世界で一番愛してるのは彼女だけど、前の世界の約束は僕にとって特別で、大切ものだけどーーそんなの関係無い」

「う、ぁ…メ゛ル゛ぢゃん゛…」

 

 

 

 

 ルゥシィの瞳から、止め処なく涙が溢れ、声は湿り気を帯びていく。

 そんな彼女を、僕は強く、より強く、力一杯に抱きしめる。

 

 

 

 

「ーー僕にとって…メルリア・メリーシープにとって…この世界で一番大切な友達は、ルゥちゃんだよ。ルゥシィ・スワローテイルなんだよ」

「うぁぁぁ…うあぁぁぁ…!!」

 

 

 

 

 もう、ルゥシィは声も上げずに、ただただ泣き叫んだ。

 魔力から伝わってくるのは、今まで抱いていた不安と焦燥と、それが晴れた事の安堵が、痛い程に伝わってくる。

 

 

 

 

「わ゛…わ、たしぃ…!!

 メ、メルちゃんが…いつも、何処かの、誰かの事を…見てるみたい、で…!!」

「うん…!!」

「ーーだ、だからっ!! 私っ…凄く、凄くっ不安で…!!

メルちゃんが、いつか、何処かに飛んで、行っちゃうって…!!」

「うん…うん…!!」

 

 

 

 

 途切れ途切れで、支離滅裂だけれど、それはルゥシィの血を吐くかのような慟哭だった。

 子供の心は、純真故にその機微には敏感だーーきっと、ルゥシィは自然に感じ取っていたのだろう。

 

 

 

 

ーー僕がいつも、子供達から一歩引いた所にいた事を。

 

 

 

 

ーー僕がいつも、前の世界というフィルターを通して、この世界の事を見てしまっていた事を。

 

 

 

 

 だから、いつもルゥシィは僕を気にかけてくれたのだ。

 常に何処か浮ついて、何処かに離れていってしまいそうな僕を、必死に繋ぎ止めてくれていた。

 

 

 

 

『ーーねぇ、メルちゃん。一緒に飛ぼうよ』

 

 

 

 

 そういつも僕に声を掛けて、まるで船を港に結びつける(もやい)のように。

 僕がこの世界から、離れ離れにならないように強く、強くーー。

 

 

 

 

 

ーールゥシィと一緒に、僕も、沢山、沢山泣いた。

 

 

 

 

 

 こうして融け合った心が、二度と離れないように、強く、強く抱きしめ合いながら。

 

 

 

 

 

「ねぇ、ルゥちゃんーーいつか、一緒に世界を見ようよ」

「え…?」

 

 

 

 

 

 そして、少し泣き止んでから、僕はルゥシィにそう伝えた。

 これは、もう一つ僕が今回の事件を機に考え付いた事だ。

 

 

 

 

 

「一緒に色々な場所に行って、色々な人に会ってーーそして、もし妻を見つける事が出来たら…その時は、1番最初に紹介したいんだ。

ルゥちゃんが、この世界で一番の友達だって」

「うん…うんっ!!」

 

 

 

 

 

 まるで子供の夢想のような約束ーーけれどそれは、この世界で最初に交わす、掛け替えの無い人との約束だ。

 

 

 

 

 

「約束しよう、ルゥちゃんーー小指を出してみて」

「え…? こ、こう…?」

 

 

 

 

 僕は右手の小指を立てて見せると、ルゥシィもそれに倣ってぎこちなく小指を出した。

 それはこの世界の風習には無い、この世界にとっての天星識(てんせいしき)

 前世の世界の僕の国で、子供達が約束を交わす時のおまじないだ。

 簡単にやり方を説明してから、互いに差し出した小指同士を絡め合う。

 

 

 

 

 

「じゃあ行くよ、せーのっ…」

 

 

 

 

 

 

「「ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたらはーりせんぼんのーますっ」」

 

 

 

 

 

 

「「ゆーびきったっ!!」

 

 

 

 

 

 

ーー10歳の誕生日、それは魔族にとって大切な日。

 

 

 

 

 

 

 この日僕は二度目の生涯の中で、一番最初の、一番大切な約束を、一番大切な友達と交わした。

 

 

 

 

 

 

 前の世界の妻との約束と同じように、僕は絶対にその約束を忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 このお日様の匂いのする笑顔がある限り。

 

 

 

 

 

__________________________________________________

 

 

 

 

 

 

 

ーーそれから暫くして、真夜中の病室には再び静寂の帳が降りていた。

 

 

 

 

 

 

 響くのは、穏やかな寝息だけーーそこには、一つのベッドで、仲睦まじく寄り添うように眠るメルリアとルゥシィの姿があった。

 その寄り添う肩に、そっと毛布が掛けられる。

 

 

 

 

 

「ふふ、可愛い寝顔…きっと、素敵な夢を見ているんでしょうね」

「ああ…」

 

 

 

 

 

 そんな2人を、父と母ーーバフォメットとグレモリーは愛しげに見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

「ーー心融、か。まさか、こうして目の当たりにするとは思わなかったが…」

 

 

 

 

 

 バフォメットが、感慨深げに呟く。

 心融ーーそれは、魔力を通じて心を通わせるという、真の絆が無ければ不可能と言われる秘奥中の秘奥。

 それを果たした者同士は、言葉を交わす事無く互いに心を伝え合い、知識や記憶を共有する事が出来る。

 更に強固な絆を結べば、例え世界の果て程に離れていても心を通わせ、夢の中でさえも(・・・・・・・)出会い、言葉を通わせる事すら出来るという。

 魔族、人族問わず、伝説に名を刻んだ勇者達が、掛け替えの無い仲間達と交わしたと言われる伝説の一端を担う魔法だ。

 

 

 

 

 

ーー無論、それは簡単な事ではない。

 

 

 

 

 

 心を通わせるという事は、全てを曝け出すという事。

 心に秘した事や、決して表に出せないような恥部や欲望、決して思い出したくない記憶までも共有してしまう。

 それでも、互いを想い合い、互いの清濁全てを受け入れることが出来なければ成立しないのだ。

 

 

 

 

 

ーーつまりメルリアとルゥシィは、生涯のパートナーとも言うべき存在となったという事だ。

 

 

 

 

 

「本当にこの子達ったら、私達の想像なんて、あっという間に飛び越えてくれるわよね。

…嬉しいけど、ちょっと複雑だわ」

 

 

 

 

 グレモリーが2人の頭をそっと撫でるーーただ、その瞳は悲しみに揺れていた。

 

 

 

 

 

 ここに来たのは、ただの偶然だったーーバフォメットとグレモリーは2人の様子を見にここを訪れたに過ぎない。

 そっと病室を覗いて帰ろうと思っていた2人の耳に聞こえて来たのは、メルリアとルゥシィの会話。

 その内容は、一緒に暮らしていた自分達ですらも理解出来ないものばかりだったが、これだけは言える。

 

 

 

 

 

ーー自分達の娘は…メルリアは、何か途方も無い程の秘密を抱えているという事だ。

 

 

 

 

 

 突如閃いた天星織に、時折見せるやけに大人びた態度ーー何処となく、違和感を覚えてはいた。

 けれど、目を背けてしまっていた。

 そんな筈は無い。私達の娘に限ってーーそうやって否定し続けていたけれど、とうとうそれは確信に変わってしまった。

 

 

 

 

 

「ーー天星者(てんせいしゃ)。何よ…こんなのあんまりじゃない…!!

何で、こうまでして、あのお方と同じ道を、メルに辿らせようとするのよ…!!」

 

 

 

 

 星の世界の知識や人格、記憶を持ったまま、星から舞い降りた魂の異邦人。

 強大な魔力を有し、類稀なる天の星の力を振るい、魔族や人族、そして世界すらも揺り動かす、世界が生み出した超越者。

 

 

 

 

 

ーー彼らの呼び名は、魔族と人族の中でそれぞれ違う。

 人族に生まれたならば、人々は称賛を込めて彼らをこう呼ぶーー勇者と。

 そして魔族に生まれたならば、人々は畏怖と敬意を込めて彼らをこう呼ぶーー魔王と。

 

 

 

 

 

 それはバフォメットとグレモリー、そしてナベリウスが、かつて命を賭して仕えた偉大なる主と同じ道。

 メルリアは、魔王となるべく生まれたのだ。

 

 

 

 

 

「ーーもう嫌よ…私達から、もうこれ以上…大切なものを奪わないでよ…!!」

 

 

 

 

 

 その栄光と、その最期を見届けたグレモリーの瞳から、止め処なく涙が溢れ落ちる。

 その肩を優しく抱き寄せて、バフォメットは愛する妻の涙を優しく拭った。

 

 

 

 

 

「ーーモリー、そんな事はさせない。させてなるものか。

僕達は確かに、魔王陛下を守る事は出来なかったーーしかし、まだこの子がそうなると決まった訳じゃない」

 

 

 

 

 

 バフォメットの瞳に、炎のような激しい光が灯る。

 それは、己が役目を果たせずに心折れ、主の最後の言葉に従って、子を成し、平和な片田舎で平凡な余生を送って、ただ朽ちていこうとしていた彼の心を再び燃やす、意思の炎だった。

 

 

 

 

 

「ーー魔神が再び生まれた以上、再び世界は動き出す。

10歳にも満たぬこの子が、単身で奴らに立ち向かったという事実も広がっていくに違いない」

 

 

 

 

 

 そうしたら、魔王領に蔓延る者達がすぐに動き始める。

 空席となった魔王の座を巡って未だに暗躍を続ける魑魅魍魎達ーーかつて現役だった頃に、バフォメットですらも御する事が出来なかった魔族の闇と、メルリアは対峙しなければならないのだ。

 

 

 

 

 

 しかし、例え100年の時が経っていても、先代魔王の残光は未だ消えていない。

 

 

 

 

 

 バフォメットやグレモリー、ナベリウスのように、魔王の意志を正しく受け継ぐ者達が、魔王領の首脳部には未だに残っているのだ。

 

 

 

 

 

「ーー彼らに文を送り、先手を取るんだ。

そして、その時が来るまで、僕達がメルを…そしてルゥシィを育て上げ、守ろう。

もう二度と失ったりしないように…!!」

「貴方…!! ええ、そうね!! この子達があれほどの決意をしてくれたんだもの。

今度は、私達の番よね…!!」

 

 

 

 

 

 自らの良人(おっと)の言葉に、グレモリーは涙を拭って、同じように瞳を燃え上がらせる。

 

 

 

 

 

ーーそんな彼らの決意など知らず、メルとルゥシィは眠り続けている。

 

 

 

 

 

 だが、それでいい。

 彼女達のような子供達はその時が来るまで、こんな安らぎの一つ一つを噛み締めるべきなのだ。

 

 

 

 

 

「ーー今はただ、安らかに眠れ…お休み、メル、ルゥシィ」

 

 

 

 

 

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ーーその明け方、一つの文を括り付けた伝書鳩が空を舞った。

 それはごく些細な、しかし確実に世界を動かす切っ掛けとなる手紙。

 そんな事は露知らず、メルリアとルゥシィは、再び平和な日常に戻っていく。

 

 

 

 

 

 そして、ルゥシィが退院し、千切れた翅が元に戻り、再び飛べるようになった頃、魔王領からの使者が来るとの知らせが村中に響き渡った。

 それは、メルリアにとっての日常の終わりと、新たな始まりを告げる鐘の音になる事をーー、

 

 

 

 

 

「メルちゃーん!! 早く早くー!!」

「待ってよルゥちゃん!! 速すぎるよぉ!!」

 

 

 

 

 

ーーこの時2人は、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

ーーーー第一章『幼少編』 完

 

 

 

 

 




取り敢えず第一章完結まで走り切る事が出来ました。
これから何話かかけて妻サイドの話を書いてから、第二章を開始する事が出来ればと思っています。


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