僕と彼女と純情恋心【ヴァージンハート】 (炉心)
しおりを挟む

Q0:プロローグ

 

 

 そしてそれは、そのつど、はじめてで、しかも一度きりのことなのだよ。

                              ―――― M・エンデ

 

 

 

 幼い少女と少年がいた。

 

 淡く霞むような時の中。

 

 暖かくも涼やかな世界の中で、幼い二人は共に歩んでいた。

 

 少女は栗色の髪を頭の左右で結わえ、笑顔を浮かべた容貌は幼いながらも整ったものであった。綿雪のような純白色のフリルがふんだんに使われたワンピースに身を包んだ姿は、おそらく周囲の大人達の願望、少女のことを『天使』とでも形容して持て囃していることの現れなのかもしれない。

 

 片や共に歩みを進める少年の出立ちに、相立つ少女ほど特別なものは見受けられない。凡庸を絵で描いたような容貌の中に、幼さ故の純粋で無垢な優しさを湛えてはいたが。

 

「ハルちゃん」

 

 どこを目指しているのか、迷うことなく軽い足取りで前方を歩いていた少女をその名の愛称で呼び止め、少年は己の小さく弱々しい手を見詰めたあと、おずおずとその手を差し出した。

 

「…………」

 

 呼びかけられたことで立ち止まり、振り返った少女は静かに差し出された少年の手を見て取り、ゆっくりとだが確実に己の幼い手を重なり合わせる。そして、次に浮かべた表情は、一瞬前まで浮かべていた笑顔ではなかった。

 

 それは正しく、小春かな季節に至って咲き誇った花のような満面の笑顔だった。

 

 思わず、幼い少年は我を忘れ、自分に向けられている少女の笑顔に魅入ってしまう。手を差し出す瞬間に早まっていた鼓動は更にその刻む回数を増し、頬と耳を始まりとして全身の熱が高まっていく。じんわりと胸の奥から拡がる抑えられない不可思議な感覚に戸惑いながらも、未体験の感覚が齎す喜びが無意識の内に少年の笑みをも深めていく。

 

 幼い少年には解っていなかったかもしれない。それでも、笑顔で人を幸せにすることが出来るのならば、今この瞬間に目の前にある笑顔。それこそが『そう』なのだと、少年の持つ無自覚の自我が反応していたのだ。

 

「ハルちゃん、ボク……ボク……ずっとハルちゃんと――――」

 

 湧き上がった感情が口を動かす。

 

 伝えたい想いがあった。しかし、少年の僅かな語彙ではどのように伝えればいいのかが分からなかった。

それでも、詰まり詰まりではあったが、少年は自分の知る限りの言葉で、あらん限りの想いを素直に表現しようとする。

 

 そんな少年の必死な様子を伺っていた少女は、何を思ったか繋いでいた手を離す。

 

「え?」

 

 そして、目を見開いて不安で怪訝な顔を見せる少年に1歩2歩と距離を縮め、

 

「ヒヨちゃん。ハルも……ハルもね、ヒヨちゃんとずっと――――」

 

 少年の頬に、微かに己を触れ合わせ―――――――

 

 

 

 「目覚めの気分は?」などと聞かれれば、「普通だった」と答えよう。

 

 よく耳にする話だが、夢で幼い頃の記憶や想い出なんかを見た時は、人によっては陰鬱だったり幸だったりな気分になったりするらしいが、こと自分自身に関してはそう言ったことは殆どないことが多い。

 

「懐かしいような……夢だな」

 

 ただ、漠然とした感慨と言うか郷愁のような感覚に包まれるだけだったりする。

 

 閉め切ったカーテン越しに射し込む朝の光明は穏やかで、今日と言う一日が何ひとつ問題なく始まったことへの前兆のようだった。

 

 ベッドサイドの脇で己が与えられた役割を果たすべき瞬間を今や遅しと待っている目覚まし時計へと手を伸ばし、本懐を遂げる前にスイッチを切る。

 

「……よし、起きるか」

 

 甘美で抗いがたい二度寝の誘惑を振り切り、寝ぼけ眼を擦りながら慣れ親しんだを通り越して何も感じなくなった自室の景色を流し見ながらベッドから這い出ると、欠伸を噛み殺しながら部屋から出て、のろのろとした足取りで洗面所へと向かう。

 

 歯を磨いて顔を洗い、寝癖のついた髪をドライヤーと整髪料で簡単に撫で付け、トイレで用を足したあと、再び自室に戻って壁のハンガーに吊っている使用開始2年目に突入した制服に着替える。

 

 手早く着替えを終え、学習机に置いてあった鞄を片手に引っ提げて……ふと、目に付いたのは、机の奥に立て掛けられた写真立て。

 

 長方形の黒の枠縁内に収められた一枚の写真。そこに写っている存在に否応無しに視線と意識が引き摺られ、数分程見詰めていたが、気持ちを切り替えるように嘆息して、さっさと部屋の扉へと足を向けた。

 

 自室から短い廊下を経てダイニングキッチンまで行けば、いつも通りの変わり映えしない朝の光景。書き置きの手紙と冷めたハムエッグにサラダとトーストがダイニングテーブルに置かれている。わざわざ手紙に目を通すまでもなく、内容は大凡想像出来たのだが、一応は確認する為に義務感的に一読すれば、昨晩に聞いていた内容とほぼ同様の事柄が綴られていた。

 

「冷蔵庫横の収納棚か」

 

 手紙の指示通りの場所を確認すれば、収納棚の上段に茶封筒が置かれ、封筒の中には今日から五日間分の生活費が入っている。

 

 半分だけを抜き取って自分の財布に入れ、残りは封筒に戻した状態で棚を閉じる。初めから生活費を全額持っていると、下手に全て使ってしまいそうに思えた故の行動だった。

 

 おざなり気味に用意されていた朝食一式を胃に突っ込み、シンクで食器を軽く濯いでから全自動食器洗い機に放り込んでおく。

 

 戸締まりと家の中の照明を全て落としたことを軽く確認して回ってから、学生にとっての必需品を全て持って玄関へ。靴を履いたところで、廊下に設置してある姿見に映った自分の姿に目が行く。

 

 イケメンでもなければ醜男というわけでもない、平々凡々のどこにでもいる際立った特徴のないのが特徴の男子高校生。所謂、今時のちょっとヤル気の感じられない表情の少年。

 

 そんな、藍坂 日嘉【あいさか ひよし】という名の自分自身を見た時に浮かぶどうでもいい印象を頭の片隅で考えながら、朝方のほんのばかし憂鬱な感情を扶植する思いも込めて、誰もいない家に向かって「行ってきます」と声を掛け、玄関の扉を静かに開いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Q1:戦争の前にて

 
 あと1話分は書き溜めがあります。




 

 

 戦争を始める正当な理由は、要するにただ、正当な理由を持つことさ!

                           ―――― T・H・ホワイト

 

 

 

 人身事故だか車両点検の為だか知らないが、乗り継ぎ電車が予定時刻より大幅に遅れた所為で、新学期早々にも関わらず遅刻確定で学校に到着し、立番していた今週の風紀の担当教諭に理不尽なお小言を少しだけ言われて、早足で自分の教室であるCクラスに向かったのだが、辿り着いてみれば教室内が随分と騒がしいことになっていた。

 

 教室の後ろの扉を開けて中に入り、既にクラスメイト全員が揃っているのが確認できたのだが、クラス内は何故か異常に険悪で怒気に包まれた雰囲気が漂い、クラス代表である小山 友香さんが何やらヒステリックに叫んでいる。

 

「なんかあったの?」

 

 近場の比較的親しい関係のクラスメイトに状況を伺ってみると、どうも自分が教室に来る少し前にAクラスの木下 優子さんがやって来て、Cクラスに対する罵詈雑言を散々言い散らかし、宣戦布告とも受け取れる発言をして帰ったのだそうだ。

 

「それで、小山さんがあんなにキレてるのか……」

 

 クラスメイトになってまだ日も浅いが、何度かした会話や多少聞き齧っていた彼女の性格に関する噂から、相応に気の強い性格なのが大体想像出来てしまう小山さんのことだ、直接対峙して木下さんと遣り取りしたなら、散々自分達のことを扱き下ろされて腹に据えかねていることだろう。

 

 しかし、あの木下さんが喧嘩を売ってきたなんて……本当だろうか?

 

「戦争よ!! Fクラスなんかより、あの高慢ちきな女がいるAクラスを今すぐ叩き潰すのよ!!」

 

 物凄い勢いで、今にも教室から勇み足で飛び出していきそうな小山さん。それに追従して気炎を上げているクラスメイト達。

 

 それにしても、『戦争』……か。

 

 この文月学園には世間一般の学校には存在し得ない特殊なシステム――――テストの点数を戦闘力に反映させた召喚獣なるモノを召喚して戦わせる、試験召喚戦争(略して、試召戦争)等というどこぞのアニメや漫画じみた独特のシステムが存在するが、小山さんが言っている『戦争』もその試召戦争のことだろう。傍目には、本気で普通の銃火が飛び交う戦争をしそうな雰囲気でもあるが。

 

 正直、自分と周囲との温度差がありすぎて困惑している。

 

 体調不良による早退と言う名目で、今すぐこの場から逃げ出したらダメだろうか? そんな思考が脳裏を掠める。

 

「――――藍坂君っ!!」

 

 試召戦争の準備を始めるよう、周囲のクラスメイト達に矢継ぎ早に指示を出していた小山さんだが、突然、目を吊り上げた羅刹女のような形相でこちらに向かってくる。小さい子供や気の弱い人が直視したら泣くかもしれないな。

 

「……何?」

 

 折角、顔立ち自体は結構綺麗なのに勿体無い……と、頭の片隅で考えながらも、小山さんの纏った穏やかならざる空気に、思わず及び腰な態勢で応対する。

 

「以前した、私との会話を覚えてる?」

 

 以前?

 

「……あぁ。一昨日、DクラスがFクラスに負けた後の……」

 

 確か、こんな感じだったような――――――――

 

 

 

 二時限目の授業が終了した後の休み時間。

 

「藍坂君、ちょっといいかしら?」

 

 自席に着いて次の授業の準備をしていたら、不意に声を掛けられて振り向いてみれば、Cクラスの代表である小山さんが立っていた。

 

「え~と、何か用?」

 

「少し相談事があるの。――昨日、DクラスがFクラス相手に試召戦争で負けたのは知ってるわよね?」

 

 斜め後ろに立っていた小山さんは、回り込んで横の空いていた席に座ると、知的なクラス長然とした表情で話してくる。

 

「……知ってるけど」

 

 Dクラスには知り合いも前年度からの友人もいる。個人的に気になることもあったから、それとなく気に掛けてはいたので、昨日の夜の時点で既にDクラス敗北の情報は入手していた。

 

「それで、今後のことも考えて、うちのクラスの戦力の把握と試召戦争をする時の役割を決めておきたいのよ」

 

 こちらが情報を得ていることを、おそらく小山さんは承知していたのだろう。表情も口調も変えず、澱みなく話を進めていく。

 

「それで?」

 

「私が集めた情報では、何故かFクラスにはあの姫路さんがいるらしいわ。まさか、Fクラスがうちに攻めて来るとは思えないけれど、Dクラスを倒して勢いづいている可能性もある」

 

 小山さんの見解には異議があった。

 

 僕が昨日聞いた話では、FクラスはAクラス攻略を見越しているらしいから、うちのクラスやBクラスに攻めてくる可能性は大いにあった。

 

 その情報を言うべきかどうか言い淀んでいる内に、小山さんは間断なく話を続ける。

 

「Fクラスと戦うことになったとしても、その他大勢のFクラスの生徒程度なら問題はないわ。基本的に、うちのクラスが地力で負けることはまず有り得ないでしょう。……だけど、Aクラストップレベルの実力を持つ姫路さんだけは怖い。だから、姫路さんが出てきた時は、藍坂君に彼女の相手をしてもらいたいのよ」

 

「……どうして? 知ってるとは思うけど、僕はこのクラス内では上の方の成績とは言え、それでもAクラスどころかクラス代表の小山さんにも劣る成績だよ。……普通に考えて、Aクラストップレベルの姫路さんに勝てるとは到底思えない」

 

「総合点や殆どの教科ならそうね。でも、特定の教科なら別でしょ?」

 

「…………」

 

「歴史……特に世界史に関しては、あなたは学年トップレベルだった筈よね?」

 

 急に表情を変転させ、意味深で意地の悪い表情で僕の顔を覗き込むようにして見る小山さん。少しだけニヤついたようにも見えるその顔は、『不思議の国のアリス』に登場する、チシャ猫みたいな表情だなと思った。

 

 正直、あまりイイ気分にはなれない類の表情と視線だった。

 

「そうだとしても。申し訳ないけど、僕は協力するつもりは殆どないんだ。ハッキリ言って、試召戦争自体にも然程興味がないし」

 

「クラスの為に協力出来ない? 随分とワガママで自分勝手ね」

 

「クラスの皆が本当に困っているなら、勿論その時はクラスメイトとして出来る限り助けに入りたいとは思ってるよ。……でも、小山さんは思ってないでしょ?」

 

「思ってない? 何がかしら?」

 

 僕の微妙な言い回しに怪訝な表情になる小山さん。

 

 そんな小山さんに対して、少しだけ声のトーンを抑えて、僕は思っていたことをハッキリと言うことにする。

 

「『クラスの為』なんてことを、内心で全然考えてないでしょ? 小山さんは」

 

 瞬間、目の前の少女が頬を引き攣らせたのが分かった。

 

「……どう言う意味かしら?」

 

 瞬時に鋭い目付きと表情に変貌した小山さんが、僕同様にトーンを抑えた声で問い返してくる。冷淡で威嚇するような声。

 

「覗き見するつもりは無かったんだけど、今朝のホームルーム前に偶然見かけたんだ」

 

 本当に偶然だった。渡り廊下から外を見下ろした先に見えたのだ。

 

「小山さん、Bクラスの代表の……根本君と校舎裏で何か話してたでしょ?」

 

「……だから何? 藍坂君は知らなかったかもしれないけどね、私と根本君は付き合ってるのよ。彼氏と彼女が一緒にいるのに、一体なんの不自然があるのかしら?」

 

 一瞬、目を細めた小山さんは、即座に表情を繕って僕の指摘を受け流す。しかし、小山さんはあの根本君と恋人関係だったのか。ちょっと予想外の答えだな。

 

「へ~、そうなんだ」

 

「そうよ、だか――――」

 

「じゃあ、益々『クラスの為』っていうのは嘘っぽく聞こえるんだけど」

 

 小山さんの言葉を遮って、僕は更に言葉を続ける(場の主導権を小山さんに持って行かれない為だ)。

 

「去年に何度か合同授業で一緒になったけど、根本君は他人の為に何かを進んでするタイプじゃない。言い方は悪いし、僕自身も大概で人のことは言えないところはあるけれど、結構自分勝手な性格だよね? 小山さんが根本君のあの性格を知らないとは思えないから、その辺を承知で根本君と付き合っているだとしたら、そんな小山さんが、『クラスの為』なんて愁傷なことを本気で考えてるの?」

 

「…………」

 

「まぁ、これは僕の勝手な憶測だから、特に何かしらの確証があって言ってるわけじゃないし、だからどうなんだって話でもあるんだけどね。……何はともあれ言えることは、僕は試召戦争に積極的に参加するつもりはないからってこと」

 

「……藍坂君って、見た目の印象と違って、随分と性格が悪かったのね。覚えておくわ」

 

 どこか呆れも含んだ苛立ち顔で言い放つ小山さんだけど、僕は今までどんな見た目の印象を持たれていたんだろうか? あぁ、あれか。どこにでも居そうな軟弱そうな『クラスメイトその1』とかか。

 

「……僕自身としては普通だと思うんだけどね。それに、本当にクラスの大事になった時はちゃんと協力するから。その証拠として、クラスメイトとしてひとつだけ耳寄りな情報提供をするよ」

 

 流石に、このまま言いっ放しなだけで何もしないのは気が引けるし。

 

「何かしら?」

 

「Dクラスの友達に聞いた話だと、FクラスはAクラス打倒が最終目標らしいよ」

 

「それ、本当?」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Q2:敗色濃厚

 

 

 我々の目的が何かと言えば、一言で答えられる。勝利だ。

                            ―――― W・チャーチル

 

 

 

 Aクラス対Cクラスの試召戦争の火蓋が切って落とされた。

 

 とは言っても、お互いの戦力差は傍目にも歴然で、実際のところは九割九分九厘くらい敗北が確定しているような戦いなのだけど。

 

 ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルは、陥落の際に自戦力の10倍以上の推算10万にも及ぶメフメット2世のオスマン軍勢に包囲されたと聞くけど、個人的な心持ちではそれくらいの圧倒的戦力差があるようにも思える。

 

「予想通りの……劣勢か」

 

 開戦から大凡三時間近くが経過し、Cクラスの戦力は既に開戦時の半数近くを失った状況だった。

 

 どうやら小山さんは、策略や策謀を巡らせる狡猾さはあっても、戦略や戦術といった実地面で必要となる事柄に対しては頭が上手に働くタイプではないようで、結果的に正攻法での攻防(基本的に教室が隣同士だから、あんまり奇を衒った作戦は立案しようがないけど)となれば、自ずと戦況の行く末も見えてくる。彼女が対Fクラス戦を見越した時に自ら言った台詞ではあるが、地力云々では下位のクラスでは上位にクラス相手にはまず勝ち目がないのだ。

 

 因みに僕自身は、開戦の申し込みの使者(一昨日の会話をネタに押し付けられた)としてAクラスに赴き、多数の敵意の視線に晒されながらも、去年同じクラスだった学年次席の久保君の取りなしによって運良く事なきを得て、Cクラスに無事生還し、その後は小山さんからの指示で得意科目の世界史と日本史の戦力強化を含めた再テストを受けていた(振り分け試験の時の点数が、あまり良い出来ではなかったと言った為だ)。

 

 ここで人生の格言をひとつ。『人付き合いは大切』、これは間違いなく真理だと思う。

 

「日本史はまぁまぁの出来だったけど、世界史は自己新記録達成か」

 

 こんな状況にも関わらず何故が解答の調子が良かった為、世界史で初の大台突破をしてしまった。確か、特典で特殊な能力が使用可能になるんだっけ? 一応、確認しておくべきだろうか。

 

 因みに現在は、Aクラス対Cクラス戦の主戦場となっている新校舎から離れ、散発的に発生している戦闘を回避する為にも迂回ルートを取って旧校舎側の階段を進みつつ、注意と警戒と防備が多少は手薄になっているであろう旧校舎側からの奇襲を仕掛けようと、一人黙々とAクラスを目指している(決して、クラスの皆からハブられたわけじゃないと思いたい)。小山さんに、刺し違えてでもAクラスの木下 優子さんを倒して来いと言われたからだ。

 

「完全に戦争の目的がすり替わってるな」

 

 僕が再テストを受けている間に、一度Aクラスの前線部隊を指揮していた木下さんによる西部戦線に於けるドイツ軍の電撃戦もかくやの勢いで攻め込まれ、激しい攻勢を受けて結構ヤバい状況にまで追い込まれたらしい。

 

 テストを受けていた別教室からクラスに戻る直前に携帯で連絡を受け、電話越しに叫ぶ小山さんは、完全に頭に血が昇っている様子だった。今朝見た時もそうだったけど、感情が高ぶると周りが見えなく成り易いのは、小山さんの重大な欠点だと思う。早い時期に改善しないと、いつか絶対に後悔すると思うんだけど……まぁ、そこは僕が気にすることじゃないけどさ。

 

「あっ」

 

 新校舎と旧校舎を結ぶ渡り廊下に差し掛かる数メートル手前で足を止める。渡り廊下の中間付近で、Aクラスと覚しき数名の生徒が旧校舎側を警戒して陣取っていたからだ。

 

「強行突破は……無理かな?」

 

 素早く校舎の柱の陰に身を潜ませて、ピーピング・トムに倣うようにして状況を伺う。

 

 近くには教師の姿が見えないけど、特定科目以外の教師では、僕ではAクラスの防衛陣を突破可能な点数の召喚獣を召喚出来ない。使者として一度Aクラスに赴いている為、顔も既にバレているので、無関係のクラスの生徒を装っての素通りも無理だし、周囲に他のクラスメイトもいない現状では、協力して現状に当たることも不可能だ。

 

 ――――結論。

 

「諦めて、様子見だけ続けるか」

 

 情報不足と現状認識不足の末に旅順攻略を敢行して失敗した旧帝国陸軍第三軍じゃ或るまいし、特攻による無駄死になんて馬鹿げた行為はしたくない。コレといった妙案も打開策も浮かばない以上、無策のままで下手に行動してAクラスの生徒に見つかるよりは、行動に移すチャンスが巡ってくるまで静観するのが一番妥当な案に思える。

 

 ……我ながら、本当に臆病者のチキン野郎だな。松尾山で東軍と西軍のどちらに味方するか決めきれずに及び腰になっていたという、小早川 秀秋といい勝負だ。

 

 情けない行動を平然と採択しようとしている自分自身に憤りを感じていないかと言えば嘘になるけど、だからといって積極的に何かを変えていこうとも思わなかった。そんな自分の嫌な部分を、本当は受け入れたくない気持ちがあったとしてもだ。

 

「?? ――――あの人は……確か、霧島さん?」

 

 視界の端に引っかかった人物の輪郭。

 

 遠目からでも分かる、濃紺のような色合いの長い黒髪に整った顔立ちの女子。純和風美人にしてどこか典雅な平安期の貴族の姫君をも彷彿とさせるその人は、間違いなく現在交戦中のAクラスの代表にして学年主席でもある、霧島 翔子さんその人に他ならない。

 

 数人の生徒を引き連れて(寧ろ護衛としてついて来て)、どうやら戦場の状況とクラスメイト達の様子を見に来たらしい。どこか浮世離れした雰囲気と噂の多い霧島さんだが、意外に仲間思いで人情味のある人物なのかもしれない。……ただの気紛れの可能性も十分に有るが(美人だが平淡とした無表情からは、彼女の感情や思考が殆ど読み取れない)。

 

「……これは、好機到来なのか?」

 

 通常の場合なら、単独行動中の自分には手出しは出来ない。だけど、霧島さんの後ろからやって来た人物の姿を捉えて、躊躇と共に一縷の可能性が生まれる。

 

「木下さんと……世界史の田中先生も一緒か」

 

 何か勘繰りたくなるような、出来過ぎな事態。今の世界史の点数で召喚可能な召喚獣ならば、使用できる『腕輪』の持つ特殊能力の力で、戦況を一気に終結させることの出来る状況になってしまった。

 

「赤壁の戦いに挑む、蜀と呉の連合軍の気分なのかな?」

 

 はたまた、秦の始皇帝に死刃を振るおうと試みた、荊軻の心境なのかもしれない。

 

 圧倒的な戦力に対する絶望的なまでの現実に、乾坤一擲の力と機会を得たことに対する淡い希望と期待。負け戦気分でいたにも関わらず、千載一遇のチャンスに直面したこの瞬間に生まれた不安と緊張で胃がキリキリと痛みだした。

 

「小山さんは何がなんでも木下さんを潰せって言ってたけど……普通に考えて、狙うならば大将首だよな」

 

 実際、チャンスは一度しかないだろう。

 

 木下さんと霧島さん。確実に倒せるのはどちらか一人。おそらく、トドメの一撃を見舞うのと引換に、周囲のAクラスの生徒達によって間違いなく自分の召喚獣は袋叩きにあって戦死する。

 

 霧島さんを倒せば戦争終了だが、木下さんの場合はそうはいかない。

 

「西村先生自体は嫌いじゃないんだけど……。それでも、鬼の補習室送りは、正直言って勘弁願いたいな……――ん?」

 

 今、Aクラスの生徒の一人と視線が合ったような……マズいっ!!

 

「お前!! Cクラスの藍坂だなっ!?」

 

 完全にこっちの存在に気づかれたようだ。

 

 渡り廊下の中央付近にいたAクラスの生徒の集団が、気勢を上げて旧校舎側に向かってくる(普通に廊下を走ってるけど、田中先生は注意しなくていいのだろうか?)。

 

 ……仕方ない。逃げ切る自信もないし、少しでも有利な状況を確保しよう。

 

「Cクラスの藍坂、Aクラスの霧島さんに世界史勝負を申込みます――試獣召喚【サモン】!!」

 

「「「「しまっt――――」」」」

 

 柱の影から飛び出し、全力で走って出来る限り距離を詰めつつ、相手側に付け入る隙を与えずに一気に叫んだ。

 

 僕の申し出を聞き取った田中教諭の承認の言葉に続いて、光明を湛えた幾何学的な魔法陣が周囲に広がり、自分の姿をデフォルメした試験召喚獣が眼前に出現する。

 

「縮地」

 

 間を置かず発した言葉を引き金に、出現した僕の召喚獣の姿が掻き消える。

 

 次の瞬間、一足遅く出揃ったAクラスの生徒達の召喚獣による布陣の真っ只中、皆に守られるようにして中央に佇んでいた霧島さんの召喚獣の眼前に再出現する。

 

「「「「――なっ、何!?」」」」

 

 驚愕の声を上げるAクラスの生徒達。

 

 そんな彼等の反応を尻目に、僕の召喚獣は所持していた武器である『ミセリコルデ(スティレットの可能性もあるが)』を霧島さんの召喚獣の心臓が位置する部分に押し当てた状態で停止した。僅かに動くだけで、確実に霧島さんを仕留めることの出来る状態だ。

 

    『Cクラス 藍坂 日嘉  世界史 367点』

 

 微動だにせずに武器を構え続ける僕の召喚獣の頭上に、参考となる点数(戦闘力)が標示される。

 

 ただし、表示された点数は実際に先程受けた試験結果の点数から40点分差し引かれた点数だ。『腕輪』の特殊能力を使った為だろう。

 

「つ、強い。学年トップレベルじゃないか……」

 

 Aクラスの生徒の誰かが、呆然とした声で呟くのが聞こえた。

 

 






 次からは不定期更新。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Q3:優柔にして脆弱

 

 

 誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない。

                         ―――― W・プフェッフェル

 

 

 

 ……さて、これからどうするべきだろうか?

 

 四面楚歌と嘆くべきか、釜中之魚と恐れるべきか。

 

 取り敢えず、端的に現在の僕の召喚獣が晒されている現状を表すならば、Aクラスの生徒が召喚した召喚獣達によって完全に周囲を取り囲まれ、剰え各々の武器を突き付けられた絶望的過ぎる程の状況だった。

 

 しかし、傍から見たら完全に僕の方が悪役にしか見えないな。

 

 何せ、凛々しい姫武者姿の霧島さんの召喚獣や程度は違えども中世の騎士甲冑(フリューテッドアーマーとかかな?)や当世具足等の立派な出立ちをしたAクラス召喚獣の面々に対して、地味な砂色柄の服と簡素な革製の手甲等を局部に身に付けただけの僕の召喚獣。その上、持っている武器がどちらかと言うと携帯系のリーチのないタイプで、それを霧島さんの召喚獣に必殺の位置で突きつけている様相は、乱破者が姫武者に対して荒事に及ぼうとしている光景としか言い様がないだろう。

 

「取り敢えず、全員その場から動かないで」

 

 発した牽制の言葉は、腕輪の特殊能力使用による行動不能タイム発生の為、少なくとも数秒間は現状を維持しなければならないからだ(要するに、動けないのは僕の召喚獣の方なのだ)。

 

 出来るだけ、感情を見せないような冷静で冷徹な口調を装う。内心はこの一瞬即発な状況への動揺と緊張でいっぱいいっぱいだけど、流石に今ここでそれを晒すような下手打つマネはできない。

 

 鉄面皮で知られた、プロイセンの鉄血宰相ビスマルク並の外面の皮の厚さが必要だった。

 

「予想外の奇襲ね。してヤられたわ……」

 

 苛立ち気な顔で呟いたのは木下さん。

 

 霧島さんのすぐ傍にいた為、僕の召喚獣が腕輪の特殊能力によって再出現した位置に偶然にも最も近い位置取りで召喚され、素早く武器を構えて牽制の態勢を取った木下さんの召喚獣。

 

 この突発的な展開に動揺も有るはずなのに、それを微塵も感じさせずにいる豪胆さは、流石は学年を代表する超優等生の木下 優子さんと言える。武器を急所に突き付けられ、後一歩で確実に戦死が待っている状況にも関わらず、全くの無表情且つ無感動な状態で悠然と屹立している霧島さんには負けるけど。

 

「……優子。迂闊だった」

 

「そうね、代表」

 

 坦々とした泰然自若をそのまま地で行くような物言い。まるで危機感を感じさせない霧島さんのその様子は、全くもって読めない人だなと思う。木下さんも微妙に呆れ顔だし。

 

「……それで。藍坂君……よね? あなたはこれから一体どうするつもりなのかしら?」

 

 色々と思案するところは有ったみたいだけど、木下さんは一先ずは意識を切り替えて現状に当たることに決めたらしい。ほんと、優等生だ。気苦労したり余計な重荷を背負い込んだりしそうなタイプにも見えるけど。

 

「出来れば、この場でCクラスに敗北宣言でもしてくれると、個人的には凄く助かるんだけど」

 

 一応、虫のいい事を提案してみる。一縷の望みを託してだが……

 

「却下ね」

 

 ……だろうね。

 

 ヒトラーがチャーチルに対してバトル・オブ・ブリテン前に行った和平交渉くらい返答の分かりきった交渉だったし、況んやエリートの集まりであるAクラスに所属できる生徒が敗北を簡単に認めるとも思えなかったし。

 

「じゃあ、このまま現状維持ってことで」

 

「「「「???」」」」

 

 いや、そんな「何言ってんだ、コイツは?」みたいな視線を周囲から向けられても困るんだけど。

 

「折角の千載一遇のチャンスなのに、そんな意味不明なことを言うなんて……良ければ理由を教えてもらえる?」

 

 表情は冷静沈着な優等生面のままだけど、寄越してくる視線は僕の意図を探るような感じの木下さんが、その場にいる全員の意思を代弁するようにして聞いてくる。

 

 しかし、この場にはAクラス代表である霧島さんがいるのに、完全に霧島さんを差し置いて木下さんが代表みたいな感じになってるな(誰も文句を言わないから、多分いいんだろう)。

 

「僕自身、色々と思うところがあるからかな? 一応、試召戦争とかで教室や設備を奪い合うって行為自体に乗り気じゃないってのも理由だし、今回Aクラスと戦う必要性も感じていないってのも理由のひとつとして挙げられるけどね」

 

 正直に言うと、奪い合う行為云々かんぬん以前に、教室の設備とか自体がどうでもよかったりする。それどころか、あんなAクラスみたいな豪華絢爛の極みみたいな教室だと、逆に意識が散漫になって全然落ち着かない自信がある。

 

 宮殿とかお城なんかは傍目から見て楽しむものであって、実際に住むような場所ではないと比較的小市民の僕的には思うわけだよ。

 

「無駄な恨みを買うのもゴメンだし」

 

 最低でも一年間は共に教室で椅子を並べることになるクラスメイト達とは仲良くしておきたい気持ちは当然有るけど、だからと言ってAクラスの人達に恨まれるのも勘弁願いたい。

 

 八方美人で何方付かずなコウモリは、最終的には獣達からも鳥達からも見放されて一人孤独に過ごすことになったけど、子供の頃その童話を聞いて凄く共感と同情をした記憶がある。

 

 誰にも嫌われたくない、出来ることならば上手く立ち回れる立場でいたいって思うことが間違いだとは思いたくない。

 

 ……そうだ、時間稼ぎついでだし、いっそのことこの場を借りて聞いてみるか。

 

「ところで木下さん。ちょっとだけ質問というか、聞きたいことが有るんだけど?」

 

「この状況で、随分と余裕綽々ね……で、聞きたいことって何なのかしら? 質問の内容如何によっては、答えてもいいけど?」

 

 口調は結構つっけんどんな感じだけど、それでもちゃんと話を返してくれるのは、木下さんが優等生だからなのか彼女の根が律儀だからなのか。……両方かな?

 

「僕はその時その場にはいなかったんだけど。今日の朝、わざわざうちのクラスにまで来て、木下さんが喧嘩を売ってきたって聞いたんだけど……それ、本当?」

 

 興奮気味で感情的になっているクラスメイトの話だけでは、正直なところ眉唾な感じを受けていた話だった。

 

 優等生として評判で、学校や教師陣からの評価も高い木下さんのイメージとの違和感が有り過ぎる気もする。

 

 折角だし、丁度目の前に本人がいるのなら、直接問い質すのが一番だろう。

 

「何それ? どう言うこと?」

 

 訝しげな表情になる木下さん。疑問符が頭上に浮かんでいるようにも見えるその表情は、とても事実を隠す為に演技しているようには見えない。

 

 あぁ、やっぱり彼女じゃないのか。なんとなく、予想はしてたけどね。彼の存在もあることだし。

 

「ええっと……だから、今朝のホームルーム前に木下さんがうちのクラスに突然来て、Cクラスのことを思いっきり扱き下ろした挙句にクラスのみんなを豚呼ばわりしていったと――――」

 

「秀吉~~」

 

 コワっ!!!

 

 俯き表情を隠したまま、ボソッと発せられた特定人物の名前。憎悪と言うよりは、怨念でも込められたような声の響きに、思わずその場にいたほぼ全員(教師含む)が一瞬たじろいでしまった。霧島さんだけは微動だにしなかったのは……やはり、学年主席になるような人間は、超大物人物だからだろうか?

 

 しかし、自分の名前と発音が似ている所為か、僕自身がそれこそ丑の刻参りか何かの呪いの対象にでもなったんじゃないかと錯覚してしまった。

 

 木下さんの弟である木下 秀吉くんは演劇部のホープで、その上二人の容姿はケストナー作品の双子の如く瓜二つだから、彼が木下さんのフリをしてCクラスを挑発し、Aクラスと戦争をするように仕向けたのならば納得が出来る。彼はFクラス所属らしいから、今後の下克上を狙う過程で上位のクラス同士を戦わせて疲弊させるのは戦略的に正しい。

 

 疑問は晴れた(代償が微妙に降り掛かってしまった気もするが)。

 

 となれば、次にするべきことは、新たに発生した問題に可及的速やかに対処することだ。

 

 即ち、現状の打破。ある種の地獄からの脱出。

 

「「「「…………」」」」

 

 重苦しい沈黙が支配するこの場のどうにかしなければならない。

 

 各々が青褪めたり引き痙ったりした表情の周囲の人間の様子などお構いなしに、ブツブツと呟く木下さんの纏う雰囲気がヤバすぎる。時折聞こえる、「制裁して……」とか「お仕置き……ううん、寧ろ調教を……」って言葉がどういう意味なのかなんて出来れば考えたくもない。

 

「あ~、え~……き、木下さん。宜しいでしょうか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 なけなしの勇気を振り絞って、平身低頭の限りを尽くして出した声に反応したのか、顔を上げた木下さん。向けられた表情は涼やかな後光の射すような笑顔で、もうそれは慈愛と優美さを兼ね備えたラファエロ・サンティの傑作『大公の聖母』さながらの完璧なものであったと記憶している。

 

 確実に仮面であるであろう表情を瞬時に作り上げた木下さんを見て、「女の子って、いろんな意味でスゴイな~」と、心底思った瞬間でもあった。

 

 何はともあれ、木下さんが話を聞いてくれる状態になったのならば、この機会を逃す手はない。

 

 先程の暗黒面に満ちた魔空間に戻さない為にも、さっさと僕の望む本題の交渉を進めてしまおう。

 

「と、兎に角。僕の希望としてはこの戦争が終了するまでの間、この場での戦闘行為の中止と現状の維持。それに加えて、僕がこの提案をしたことをこの場にいる人間だけの秘密にして欲しい」

 

 ……こんな感じの内容で、どうだろうか?

 

 






 次で一応は対Aクラス試召戦争が終了予定です。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

Q4:予定調和の終戦

 

 

 戦争というものはあくまで一時期の現象であって、長期の現象ではないということを知らねばならない。

                             ―――― 鈴木 貫太郎

 

 

 

 状況の先送りと自己保身。

 

 優柔不断を象徴したような提案をしてはみたのだが、実際のところは戦々恐々とした不安な思いもあった。

 

 とは言え、現状で得ている立場の有利さから考えれば、拒否の言葉が返ってくるなんて微塵も思ってはいなかったのも事実だけど。

 

「かなり魅惑的な提案ね。……拒否したら?」

 

 あれぇ?

 

「え? 拒否なんてしないでしょ? デメリットがまるでないのに」

 

 寧ろ、Aクラスにはメリットしか存在しないだろう。ここで僕一人の為にCクラスに敗北するなんて、馬鹿げた選択をわざわざ選ぶ必然性もなければ意味だってないはずだ。

 

「「「き、木下さん!?」」」

 

「……優子?」

 

 木下さんの物議を醸し出すこと請負な発言に当惑している周囲のAクラスの面々。あの表情の変化に乏しい霧島さんですらも、微妙に怪訝とした様子なのが伝わってくる。

 

 当然と言えば当然だろう。今の状況では、下手すれば即時自分達の敗北にも繋がりかねない返答なのだから。

 

 思わず僕が口にした疑問符付きの台詞も、予想外の事態に流れそうな雰囲気に戸惑うAクラスの人達の心情が普通に理解できたが故のものだったし。

 

「確かにアタシ達にデメリットは殆どないわね」

 

 周囲の様子を認識しているのかいないのか、至って冷静な態度で話を切り出す木下さん。そこに先にした自身の発言に対する動揺や焦りは見て取れない。

 

「でも、メリットしかないようにも思えないわ。アタシは楽観主義者ってわけではないし。それに、かなり個人的な意見になるけど、藍坂君の態度や交渉の仕方も気にくわないしね」

 

 ……成程ね。

 

 射抜くような視線と堂々たる態度を僕に向けてくる木下さんだが、その様子から彼女の思惑と意図がなんとなく読み取れる。予想がつく。

 

「後顧の憂いとなる可能性が高い交渉はしたくない。ってこと?」

 

 人の口に戸は立てられない。誰かしらからか漏れるかもしれないし、気の変わった僕が後々になって脅しの材料に使う可能性だってある。所詮は本当の意味での責任も立場も持たない学生同士の口約束。信頼性なんて有って無いにも等しい。

 

 安易な妥協と先見性のない観測に命運を託す愚かさを、木下さんは充分に理解しているようだ。流石にAクラスだけあって頭が良い。……まぁ、僕の私見的な予想では、それ以上の理由として、木下さんの持つ学年を代表する優等生且つAクラス所属としての矜持が絶対に許さない――――ということなんだろうけど。

 

「そうね。端的に言えばそうなるわね」

 

 僕の確認するような問い返しの言葉と、その裏に隠した意味をおそらくは察しているのだろう。

 

 表情ひとつ変えずに昂然と応じるその姿は、土木の変に際して果断な処置を行った兵部尚書の于謙も舌を巻くような強気な姿勢。想定外の対処に苦慮と苦渋を味わう結果になった、エセン・ハーンの気持ちも推し量ることができると言うものだね。

 

「でも、そんな返答をされちゃうと、僕としては交渉の余地が無くなっちゃうんだけどな~」

 

 本心から心情を吐露すれば、自分の意見をしっかり持って、実際に行動に移せる人は凄いと思う。それが困難や周りからの批難を浴びる結果に繋がっても、揺るぐことなく行えるのは尚凄い。

 

 軟弱で意志の弱い僕には多分一生無理なんじゃないかとさえ思える、本当に格好良い姿だった。

 

「アタシの考えは伝わったかしら?」

 

「……そうだね。木下さんの考えは分かったよ。――――じゃあ、霧島さんは……どう考えてるのかな?」

 

 仕方ないから、交渉相手の矛先を変えることにする。

 

 先程からの僕と木下さんとのやり取りを、横合いから口を挟むこともなく静観していた霧島さん。この場でのAクラス側の交渉の主導者は間違いなく木下さんだったけど、現実問題としてAクラスの代表は霧島さんなのだから、いくら木下さんが僕からの提案に対して拒絶の意思を表明しようと、クラスの進退を判断する最終的な決定権は霧島さんが握っているはずだ。

 

 この際、他のAクラスの人達の意見は重要視する必要はないだろう。……何人かが必死に木下さんの説得を試みようとしているけど、多分、木下さんは意見を変えたりしないと思うよ?

 

「私は……」

 

 凛とした佇まいで、一歩前に出る霧島さん。一瞬前まで気配を消していたかのように存在を感じさせなかったのに、歩み出た瞬間にその存在感が圧倒的となる。

 

 シノンの宮廷に足を踏み入れた『乙女【ラ・ピュセル】』みたいだな。

 

 その一挙一動に、その場にいた人間全員が意識を引き寄せられる。

 

「優子の味方」

 

 静かだけどハッキリとした言葉だった。

 

 差し向けられた黒曜石の瞳は静寂さを湛えているが、その奥で瞬く明確な敵愾心の光が、彼女の告げた言葉の裏打ちとなっている気がする。

 

「……代表」

 

 木下さんの少しだけ感じ入ったような声が響く。

 

 霧島さんと木下さんがどんな交流関係を結んでいるのかなんて知る由もないけど、少なくともただのクラスメイト同士以上の高い信頼と友情を築いているのは理解できた。

 

 僕が同じような状況に陥った時、同様の台詞を言ってくれる友人がはたしているだろうか?――――なんて、皮肉にもならない答えのわかりきった自問自答に浸ってみたりする。

 

「交渉は決裂か……」

 

 誰にも聞こえないレベルで自嘲するように呟き、曖昧な苦笑を浮かべる。

 

 所詮は臆病な日和見軟弱野郎の浅はかな望みを託した程度の交渉だったけど、それでも勝算がまったく無かったわけじゃない。ただ、木下さんや霧島さんみたいな芯の通った人達にはまるっきり通用しなかっただけだ。

 

 『進退維谷まる』ってやつかな?

 

「――――さて、藍坂君。聞いたでしょ。代表の言葉通りよ。アタシ達Aクラスはあなたと交渉は一切しないわ」

 

「みたいだね。残念だよ」

 

 再び会話の表舞台に出てきた木下さん。

 

 逆に霧島さんは一歩退き、完全に静観モードに戻ったようだ。このマイペースさは本気で羨ましいな。

 

「「「…………」」」

 

 周りにいたAクラスの人達が、無言のまま臨戦態勢に移行したのがわかった。そんな、テルモピュライの戦いに挑むラケダイモンの兵達を見るような、警戒心全開の鋭利な視線を向けなくてもいいと思うんだけど……。

 

 『窮鼠猫を噛む』の諺じゃないけど、追い詰められた人間の選択する行動なんて限られているから、次の瞬間には僕が霧島さんと刺し違える行動に出るかもしれないと予想したのだろう。そんな簡単に自棄っぱちな行動に移る人間に見えるのだろうか、僕は?

 

 願わくば、是非とも試召戦争にも戦場での投降と捕虜の身柄保障制度を導入してもらいたいね。僕みたいな普通の人間は、孤軍奮闘なんて英雄的行為を実行するのはまず無理だし。

 

「腹を括るかな?」

 

 言葉に出したのは、僕の中で意志を固める為だったのかもしれない。

 

 では……どちらの意志を?

 

 

 ワアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァッッッ!!!!!

 

 

 自問に自答する寸前で、新校舎の方から歓声が響いた。

 

「……終わったみたいだね」

 

 どうやら、僕の意気込みは泡沫と帰したようだ。

 

 歓声に混じって断片的に聞こえてくる単語から、戦争の勝敗が決したらしいことが伝わる。

 

 それは当然だけど、

 

「やっぱり負けたか」

 

 我がCクラスの敗北だった。

 

 「佐藤さんがCクラスの大将を討ち取った!!」という声が聞こえてきて、小山さんが戦死したのがわかった。

 

 ……意外だ。予想通りで当然の結果とは言え、僕の中で悔しいと思う気持ちが僅かにだがある。なんでだろう?

 

 やっぱり、なんだかんだ格好つけたことを言ってても、クラスの設備低下が現実のものとなったことに対する若干の不満心があるのだろうか?

 

 戦争終了の報告を携帯で受けた田中先生が召喚フィールドを解除し、全員の召喚獣が光となって消え去る。

 

 その場にいた全員の張り詰めていた空気も同時に霧散していく中で、木下さんだけが戦意の篭もった視線とどこか不服そうな雰囲気を纏ったままだ。

 

「戦争は終了ね。……結果的にだけど、あなたの望み通りの展開だったんじゃないの、藍坂君?」

 

「何がかな?」

 

 木下さんの的を射過ぎている指摘に、空惚けて答える。

 

「…………」

 

「……それじゃあ、戦争も終わったことだし、僕はもうクラスに戻るんで」

 

 無言で圧力を掛けてくる木下さんに屈する前に、早々にこの場から去ろう。

 

 思い立ったが吉日。立会人を務めてくれていた田中先生に退去する旨を伝え、立ち塞がる存在がなくなった渡り廊下を越えて新校舎側のCクラス教室へと向かうことにする。

 

 ……戻ったら、悲壮な雰囲気のクラスメイト達が待っているんだろうか?

 

 あ、凄く教室に戻りたくない。

 

「藍坂君」

 

 ちょっとだけ踏み出す足が重くなった僕が渡り廊下に差し掛かる直前、不意に背後から名前を呼ばれる。

 

 何故か悪い予感のようなものを感じつつも、立ち止まって振り返ってみると、声をかけてきた人物であろう木下さんが、胸の前で両腕を毅然と組み、真っ直ぐ突き刺すような挑戦的な視線を寄越してきていた。

 

 そして、

 

「次は出来れば正々堂々と戦ってちょうだい。今回はあなたの不意打ちに対して、アタシ自身の油断もあって不覚を取ったけど、次はこうはいかないわ。必ず完膚無きまでに叩きのめしてみせるから」

 

 組んでいた腕を解き、流れるような動作で僕に向かって右手とその人差し指を伸ばし、『ビシッ』と擬態語が響きそうな勢いで僕の顔面を指差して、完全無欠で傲岸不遜に思えるほどに自信家な態度と表情で宣言する。

 

 窓から射し込む光が空気中の微粒子に反射して煌き、仁王立ちしている木下さんの姿を鮮烈的に彩る。

 

 彼女の翡翠色に輝く瞳の奥に、強い意志とプライドの炎がチラついて見えた気がした。

 

「……そんな機会が訪れないことを、心の底から祈っているよ」

 

 木下さんの言動は、ある意味敗者に鞭打つようなものだったけど、何故か嫌味な印象はまるで受けなかった。

 

 清々しいまでに豪胆且つ凄い人である木下さんに感嘆の念を抱きながら、切実な思いを弱々しく口にした僕は、敗残兵らしくさっさとその場から逃げ去ることにした。

 

 

 





 対Aクラス試召戦争終了。
 
 そして、結局最後まで戦わない主人公。
 
 次回は少し雰囲気を変えた話の予定。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。