黒死牟のギャルゲー (トマトルテ)
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1話:ギャルゲー

「黒死牟、ヒロインを何人落とした。聞こえないのか? ヒロインは何人落としたのかと聞いているのだ。まさか、フラグすら建ててないとでも言うつもりか? この私が情報通の友人枠として貴様に助力してやるのだぞ。一呼吸をする間に10人は落とすのが、礼儀というものだろう」

「申し訳…ございません…無惨様。まだ1人も……落としておりません。いえ…そもそも…始まったばかりのため……女性どころか…貴方様以外…ただの1人にも…出会っておりませぬ」

「ほう、言い訳をするか? 誰とも会っていないからフラグを建てれぬだと? だから貴様は役立たずなのだ。ギャルゲーの主人公なら幼馴染み枠に、幼少の頃に婚約の約束をした枠。さらには昔助けられた恩返し枠が自然と生えてくるはずだ。それが出来ぬということは貴様の怠慢なのだ。何故今までフラグを建てる努力をしなかった? 申し開きはあるか」

「いえ……私の不徳の致すところです」

 

 継国(つぎくに)巌勝(みちかつ)。またの名を黒死牟(こくしぼう)は頭を垂れながら困惑していた。

 なぜこんなことになったのか。そもそも理不尽過ぎはしないかと。

 しかし、数百年に渡り鬼の首魁に仕え続けてきた経験は、それを一切表に出さなかった。

 もちろん、心の中にもだ。

 どんなに理不尽であろうと素直に謝るのが一番だと、今までの経験から分かっている。

 

「それが分かっているのなら、こんな所で油を売らずに、さっさとヒロインを攻略しに行け」

「御意に……無惨様」

「無惨ではない。鬼舞辻(きぶつじ)無惨子(むざこ)だ。次はないぞ?」

「かしこまりました……」

 

 だが、流石に生前の主が、目の前で女性になっているのにはもの申したかった。

 変装のために女装をするのは見たことがあるが、完全に女性になっているのは気になる。

 いや、厳密には鬼舞辻(きぶつじ)無惨(むざん)とは別人の鬼舞辻(きぶつじ)無惨子(むざこ)なのだが。

 いくらなんでも、これはおかし――

 

「どうした? 何がおかしい。言ってみろ」

「……何でもございません」

 

 おかしいところは何もない。

 黒死牟は無理やり、脳にそう思い込ませることにした。

 またの名を現実逃避とも言う。

 

「フン、グズグズするな。行け」

「……は!」

 

 無惨子の言葉に従い、黒死牟は逃げる様に、されど武士らしく毅然と歩きだす。

 真新しい()()()()()を身に着けながら。

 

(しかし……地獄の閻魔も面妖なことを…考える)

 

 そして、このようなことになった、全ての発端の言葉を思い出すのだった。

 

 

 

 

 

 日輪へと手を伸ばす。

 されども、手は届かない。

 当然だ。人が太陽へとたどり着けるはずがない。

 例え、鳥のように空を駆ける翼を持っていたとしてもそれは同じ。

 

 翼は焼け落ち、大地へとその屍を醜く晒すだろう。

 人は()()()()()()()という、当たり前の結果を噛みしめながら。

 

 だとしても、その男は諦めなかった。

 地獄の底に堕とされ、その身を極熱で焼かれても憧れ続けた。

 天を照す日輪になりたいと。自らが持つ月の輝きに気づくこともなく。

 

 憧れ(あこがれ)続けた。

 

 嫉妬の黒炎でその魂そのものが焼き尽くされようと。

 何よりも誰よりも、日輪に焦がれ続けた。

 

 月は決して太陽に追いつけぬというのに。

 神の如き存在だと口では言うくせに。

 必ず追いつけるはずだと、あれはただの人間(おとうと)だと信じて。

 

 焦がれ(こがれ)続けた。

 

 強く、強く、強く―――あこがれ()()()

 

 記憶を失う程に長く、意識を保てば狂う他にない時間の中。

 灼熱の地獄で焼かれ続けながら、男は焦がれ続けた。

 地獄の刑期が終わるまで片時も忘れることなく。

 

 日輪へ手を伸ばし続けた。

 

 

 

 

『まったく、あなたのような人間は褒めるべきか、呆れるべきか判断に困りますね』

「……お前は…誰だ?」

『おや、自分に地獄行きを告げた存在をお忘れですか、巌勝(みちかつ)さん? 閻魔ですよ』

 

 そして男が再び日輪以外に目を向けたものは、美しく中性的な人間だった。

 男というには長く、女というには短い赤い髪。

 可憐とも端麗とも言える、少し赤みを帯びた顔立ち。

 何より目を引くのは、全てを見通すような水晶の瞳。

 

「これは……失礼した。何分…人の顔を見るのは……久しぶりなものでな」

『ええ、43京6551兆6800億年ぶりなので、仕方もないでしょう』

「………実際に聞くと…凄まじいものだな」

『はい。それがあなたの罪の重さです。しっかり噛みしめてください』

 

 中性的な笑みを浮かべて笑いかける閻魔に、黒死牟は何とも言えぬ気持ちになる。

 地獄の刑期を終えた今ならば分かる。自分は果てしない程の罪を築き上げた。

 そう考えれば、あの苦しみは妥当であったと言わざるを得ない。

 もっとも、苦しいものは苦しかったので、罰を受けたことを喜べはしないのだが。

 

『まあ、世間話はここまでにしておいて事務的な話をしましょうか。継国巌勝さん。あなたの刑期は今ここに終わりました。そのため、今からは転生の準備に入ってもらいます』

「……そうか」

 

 これで継国巌勝という存在は完全に消える。

 そう思うと、何とも言えぬ気持ちが黒死牟の心に湧いてくるが、それを押し込む。

 罪人には感傷を抱くこともおこがましいだろうと。

 

『と、行きたいんですが、あなたが落ちていたここは大焦熱(だいしょうねつ)地獄。生まれ変わるまでの期間も、地獄の苦しみを受けてもらうのが規則です』

「……仕方あるまい」

 

 ほら、見るがいい。

 地獄はやはり罪人を許さない。

 

「如何なる罰であろうと……受ける覚悟はある。煮るなる焼くなり…好きにしろ」

『地獄だと割と日常的な光景なので、あまり恐怖は感じませんが、あなたの覚悟を尊重して私も遠慮せずに行くとしましょう』

 

 どこか薄ら寒い笑みを浮かべる閻魔に、黒死牟は奇妙なものを感じるがそれだけだ。

 人間に神の思考が読めるわけがないのだから、気にしても無駄だと割り切る。

 だが、それが逆に閻魔の琴線に触れた。

 

『ああ、悲しいですね。私も元はただの人間だというのに』

「……閻魔大王は確かに人間だったが……今は神のはずだろう…」

『ええ。お恥ずかしながら、八百万の神の末席に座らせて頂いています。ですが、私は元はといえば、ただ最初に死んだだけの人間です。普通に生まれ、普通に死んだ、どこにでもいる人間』

「何が…言いたい?」

『いえ、私のようなものを神と呼ぶのなら、人の世の理を外れたあなたの弟もまた―――神ではないかと』

 

 一瞬にして殺意が膨れ上がる。

 ドロリと濁った瞳で、黒死牟が閻魔を睨みつけるが、閻魔は涼し気な笑みを浮かべたままだ。

 

「……あれは…人間だ」

『未だに彼個人を超える存在が、生まれていなくてもですか?』

「確かに…あれは神々の寵愛を一身に受けた存在……世の理の外に居る存在だ」

『でしたら』

「だが」

 

 若干、声を大きくして黒死牟は、否。

 継国巌勝は嫉妬と憎悪、そして痛々しいまでの愛を込めた瞳で、閻魔を刺し貫く。

 

縁壱(よりいち)は私と同じ、母上の腹から生まれた人間だ。

 ならば―――追いつけぬ道理などない」

 

 その言葉には執念があった。必ず同じ場所に至ってみせるという覚悟が。

 その言葉には怒りがあった。弟の足元にも及ぶことのできぬ自分への情けなさが。

 その言葉には愛情があった。弟よりも強くなって守ってやらねばという兄の信念が。

 

 そして、それらが混ぜ合わさりグチャグチャになった―――嫉妬があった。

 

『はぁ……それですよ、それ』

「なに…?」

 

 だが、それこそが閻魔がこうしてわざわざ顔を出した理由になっている。

 

『どれだけの責め苦を味わおうとも、弟への嫉妬は消えていない。巌勝さん。あなたはそれが原因で地獄に落ちたって分かっています?』

「……つまり…私が…まるで反省していないと?」

『はい、その通りです。これじゃあ罰を受けさせた意味がないじゃないですか』

 

 渋い顔をする黒死牟に閻魔は、初めて呆れた表情を作ってみせる。

 普通の罪人ならば、刑期が終わった時には心底反省していたり、あまりの罰の重さに記憶を失ったりしている。だが、黒死牟は違った。人を殺した罪は完璧に反省した。だというのに、他の何を忘れても弟への嫉妬だけは忘れていない。その嫉妬が彼の人生の全てを狂わせたというのにだ。

 

『いいですか? 地獄にも面子というものがあります。転生した人が、また地獄に落ちてくるなんてことは日常茶飯事ですが、同じ罪で落ちてくるなんてことは地獄の名折れです。いえ、それ以前にまるで反省せずに転生なんてしたら、何のために地獄があるか分からないじゃないですか』

「…………」

 

 閻魔のまくし立てるような物言いに、黒死牟は何も言えなかった。

 確かに、再犯など閻魔にとってはたまったものではないだろう。

 何せ、43京6551兆6800億年の苦労が、たかが100年程度でなくなるのだ。

 何度も地獄に落ちるような人間など、迷惑なことこの上ない。

 

『そもそも、それだけ強固な想いがある魂は転生時に異常を起こしやすいんですよ。出来ることなら、まっさらな状態にしておくのが来世のためです。ええ、そうです。これはあなたをプラスにするのではなく、マイナスからゼロにするための罰です』

「……ぷらす…まいなす……ああ、算学のあれか」

『ああ、そうでした。巌勝さんは戦国時代の人間でしたね。すみません、今から現代知識が分かるように知識を入れます。次の罰には必要なことですので』

「必要…?」

 

 疑問符を浮かべる黒死牟に、閻魔はニコリと笑い彼に近づいてくる。

 笑顔なのに何故か威圧感を覚える姿に、黒死牟は思わず後退りそうになるが侍の矜持として何とか踏み止まる。

 すると、頭の中に彼が生きた時代からは考えられぬような知識が広がって行く。

 

(人が月に到達した…だと…? さらにゲーム(仮想世界)……国1つを滅ぼす核兵器……後世とは恐ろしきものだ)

 

 もはや侍が必要の無くなった戦争。

 自らが焦がれた太陽にまで近づく技術。

 溢れかえる程の娯楽。

 それらの知識が黒死牟に少なくない衝撃を与えるが、今の自分は地獄の住民。

 気にしても仕方がないだろうと割り切り、閻魔の方に向き直る。

 

『巌勝さん。あなたに足りないのは自己肯定感です。自己愛です。そのままの自分を認めることが出来ないから、あなたは何者にもなれなかった』

 

 閻魔の言葉に黒死牟は黙って先を促す。

 今更言われなくとも分かっている。死ぬまで日輪に焦がれ続けた。

 だが、自分の隣に誰も居なかったわけではない。

 

 部下が居た。

 妻が居た。

 子が居た。

 

 ただ、自分はそれら全てを捨ててでも太陽になりたかっただけ。

 足るを知ればよかった。

 この手に掴めるものだけを掴んでいれば、人並みの幸せは得られただろう。

 

『ただの城主として満足できなかった。ただの夫として満足できなかった。ただの父として満足できなかった。かといって、兄になれたわけでもない。ましてや(日輪)などには到底……それがあなたの心』

「ああ……その通りだ」

 

 継国巌勝という存在を肯定出来ていれば、こうはならなかったのだ。

 他の何かになろうなどとせず、ありのままの巌勝で居れば、彼はきっと鬼にはならなかった。

 弟に面と向かって嫌いだと言えただろう。

 

『なので、あなたには自己肯定感を得るための、特別な地獄を用意しました』

「特別な…地獄…?」

『ええ、そうです。巌勝さん、あなたには今から……』

 

 一度、言葉を切る閻魔に何となく嫌な予感をするものの、罪人に断罪の刃を避ける資格はない。甘んじて受け入れようと黒死牟は喉を鳴らし、肯定の言葉を返す準備をする。

 

『ギャルゲー地獄に落ちてもらいます』

「承知した……………なん…だと?」

 

 たっぷりと間を置いた後に、黒死牟は聞き返す。

 今閻魔は何と言ったか。自分の聞き間違いだろうと、希望を持ち問い返す。

 

『ギャルゲー地獄です』

「…………」

 

 もはや、何も言わなくなった黒死牟に、閻魔は中性的な笑みのまま話を続ける。

 

『あれ? 知識のインプットが上手くいってませんでしたかね。いいですか、ギャルゲーというのは』

「いい……それが何かは……分かっている。私が聞きたいのは…何故ぎゃるげーなのか…ということだ。私は…一応…妻子が居た身だぞ?」

『簡単ですよ。自己愛を身に着けてもらうためです』

 

 閻魔が何言っているのか、黒死牟には理解できなかった。

 というか、本音を言えば何も聞きたくない。

 これなら、あのまま地獄の業火で焼かれていた方がマシだった。

 

『巌勝さん、あなたは人を愛することは出来るのです。それ故に、あなたはあなたが思っている以上に生前に慕われてきました。ですが、あなたは人からの愛を受け入れることをしてこなかった。それはあなたが、自分は愛されるわけがないと思っているからです。いえ、むしろあなたは、自分に愛を向けてくる人を無意識に遠ざけようとしていた節がありますね』

 

 何をと、言い返そうとするが閻魔は口を挟ませない。

 

『縋りつく子を振り払ったとき。涙を流す妻を置いて行ったとき。あなた、ホッとした気持ちになっていませんでしたか?』

 

 言い返せなかった。

 今度ばかりは言い返す気持ちすら奪われていた。

 それまで自覚すらしていなかった気持ちではある。

 だが、事実だ。

 人の生、全てを見てきた閻魔が言うのだから、嘘であるはずがない。

 

『無邪気に向けられる愛情が辛かった。無償の愛を受けるのが辛かった。自分がそのようなものを、受けていい人間だとは思っていなかったが故に』

「………そうだ」

『だからこそのギャルゲーです。愛を向けられることに慣れてください。愛を受けても良い人間だと、ご自分を肯定してください』

 

 一見良いことを言っているように見える閻魔だが、結局内容はギャルゲーである。

 黒死牟はその言葉を聞くたびに、大嫌いな縁壱のような無表情になってしまう。

 

「…他に方法は……ないのか?」

『まあ、現世ならカウンセリングから始めるでしょうね。ですけど、ここは地獄ですし? 私の嗜好とは別にあなたを苦しめないといけません。一般的に自己肯定感の低い人間は恋愛が苦手ですし、変な相手に捕まったりしますけど、地獄なんだから苦しむのはデフォなので別に良いでしょう。それに楽な治療より、こうした荒治療の方が地獄らしいじゃありませんか?』

 

 ニッコリと寒気がする程に美しい顔で笑う閻魔に、黒死牟はふざけるなと言いたくなるがグッと我慢する。生前はパワハラ上司のせいで、こんなことは日常茶飯事だったのだ。むしろ、こちらへの思いやりがあるだけマシではないかと自分に言い聞かせる。

 

『……それに、ヒロインを攻略することで救われるのは、あなただけではありませんよ』

「なに…?」

『まあ、それは後のお楽しみということで。では、さっそく始めるとしましょうか』

 

 ボソリと呟かれた言葉に目ざとく、噛みつく黒死牟だったが軽く流されてしまう。

 そして、これ以上の質問は許さないとばかりに彼の足元に穴が開く。

 

「これは……鳴女の血鬼術に似たものか…」

『ご名答です。あ、言い忘れていましたが、あちらではサポートキャラがつきますので』

「助っ人…?」

『はい。本人のコピーみたいなものですが、あなたのよく知る人物ですよ。本人はまだ、この地獄最下層で罰を受けてますので』

 

 パチリと片目をつぶってみせる閻魔に、疑問符を浮かべる黒死牟だったがゆっくりと考える時間はない。重力に従い穴の中に落ちていく。その一瞬の後に彼にとっては見慣れぬ現代日本の街並みが辺りに広がっていた。

 

 そして。

 

「黒死牟、ヒロインを何人落とした?」

 

 聞き慣れ過ぎた声が、彼の地獄のギャルゲーの始まりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 紆余曲折の後に、ギャルゲーをスタートすることになった黒死牟。

 まずは、情報通の友人枠である鬼舞辻(きぶつじ)無惨子(むざこ)の『学園生活もののギャルゲーの開始ならば、登校と決まっているだろう。なぜ、そんなことも分からぬのだ? だから貴様は未だ1つもフラグを建てられぬのだ。もし、これが私の炭治郎であったならば、既にパルクール登校をキメているだろうに……』という、ありがたいお言葉に従い学校を目指すことにした。

 

(真新しい制服……だというのに…すまほの日付は4月ではない……なるほど私は転校生…ということか)

 

 慣れないスマホを扱い、自分の現状を把握しつつ黒死牟は速足で歩く。

 色々と予想外な出来事が続いていたので、遅刻しそうになっているのだ。

 もちろん、生真面目で長男である彼はこういった規則にはうるさい。

 このギャルゲーの世界でも、その真面目さは発揮され、遅刻などしまいと急いでいるのだ。

 

(寺子屋…いや高校への道は……この曲がり角を曲がるのが正解か…?)

 

 故に、黒死牟は遠くに見える学校らしき建物に辿り着こうと、慣れぬ道を急ぐ。

 そして。

 

「いけなーい! 遅刻だぁああ!!」

「む?」

 

 ギャルゲーの王道展開。

 

 ―――パンをくわえた女の子。

 

 が彼に襲い掛かって来る。

 

 説明しよう。パンをくわえた女の子とは、今ではベタなフラグ建てとして有名になっている主人公とヒロインの出会い方だ。お互いに遅刻しそうになり急ぐ通学路にて、曲がり角を曲がったとこでぶつかり合う。そして、主人公はこけたヒロインのパンツを見てしまうというラッキースケベ要素も含んでいる王道展開である。その後のヒロインの反応は多々あるが、どれも主人公とヒロインが教室で再会するというのがお決まりだ。

 

 そんな屈強なフラグが黒死牟に襲い掛かって行く。

 だが。

 

(足音から考えて……ぶつかるな…ここは少し待つか…)

 

 黒死牟氏、これを華麗にスルー。

 侍であり、上弦の壱であった彼にとっては、曲がり角の向こうに人が居るのに気づくことなど造作もない。

 3秒待ってスルー余裕でしたとばかりに、回避に成功する。

 

 これには流石のアドバイザー無惨子様も激怒。

 何をやっているのだと、すぐさま黒死牟にパワハLINEを飛ばそうとするが。

 

「うわっ!? こ、こけるー!!」

 

 ここで新たなる王道展開が彼を襲う。

 そう、突如としてこけたヒロインのパンツを見てしまう、だ。

 どうやら、このヒロインは余程パンツを見て欲しいらしい。痴女だろうか?

 

 とにもかくにも、石に躓いたヒロイン候補1は勢いそのままに地面へと体を傾ける。

 そして。

 

「……あれ? こけてない?」

「怪我は……ないか?」

「あ…その……あ、ありがとうございます」

 

 流石に見捨てるのは忍びないと思った黒死牟が、高速移動をもって彼女の身体を受け止めた。

 この展開には無惨子様もニッコリ。

 

 小柄な体に長い金髪の少女も状況を理解し、顔を赤らめて青色の目を右往左往させている。

 これは確実にフラグが建ったと見て間違いない。

 しかしながら、当の黒死牟はと言えば。

 

(心拍数が高く…顔が上気しているな……まあ…走っていたので当然…か)

 

 全く気にしていなかった。

 仮にも透き通る世界が使えるというのに、彼は乙女心に関してはまるで見通せていない。

 

「ご、ごめんなさい……急いでいたのつい」

「気に…するな……ただ…次からは……足元の注意を怠るな」

 

 それどころか、自分の子供もこんな感じだったなと、保護者目線になっている。

 これには流石の無惨子様も真顔になるしかない。

 

「それよりも……今は急がねば…遅刻をするぞ? 見たところ……お前も同じ高校だと見受けるが…?」

「あ、そうだ! 急ごう! 急ごう!!」

 

 そして、先程の行為を振り返ることすらなく本来の目的に戻るのだった。

 何故だ、そこはもっとグイグイと責めるべきだろうと言いたくなるが、これが黒死牟である。

 そこまで口数も多くはないし、ルール違反などする気もない。

 これではせっかく建てたフラグが腐ってしまう。

 ならばと、無惨子は更なる刺客(イベント)を放つのだった。

 

 

 

 

 

「……りあむ。これは何かの…催し物か何かか…?」

「違うよ!? ああ、もう! どうしてこんな時に限って、うちのレディースと他所の学校のレディースが争ってるのかな!?」

 

 どこか投げ槍気味に叫ぶ小柄な金髪の少女、羽衣(うい)りあむを他所に黒死牟は興味深そうにレディース達の抗争を見ていた。因みに、抗争が行われている場所は黒死牟が通う予定の校門の前である。一体いつの時代の光景だと言いたくなるが、黒死牟からしてみれば真新しい光景なので興味を惹かれる。

 

 因みに、なぜこんなことになっているのかと言えば『貴様は戦う以外に脳が無いのだから、せいぜい戦闘で目立って見せろ。その程度ならば貴様にも出来るだろう?』という無惨子様のありがたい気遣いのせいである。控えめに言って、頼むから死んでくれとしか言いようがない。

 

「どうしよう……今から裏門に回ってたら間に合わないし、真っすぐ突っ切るわけにもいかないし……」

(ふむ……服装はともかく…持っている武装は…正規の兵が扱うものではないな……そうなると……農民が…村同士のいざこざで…争っているようなものか)

 

 そんな無惨子の思惑を知る故もなく、遅刻すると言ってあわあわしているりあむを他所に、黒死牟は冷静に分析を行う。そして、自らの経験からもっとも近いものを割り出し、対処法を考え出す。

 

「双方……武器を収めよ。ここは……神聖な学び舎…争いを持ち込むべき…場所ではない」

「ええっ!? こ、黒死牟君、何してるの!?」

 

 威厳のある声が2つの集団にかけられる。

 当然、抗争中の集団の何割かの視線がそちらに。

 黒死牟の方に向けられる。

 

 鉄パイプや木刀、果てには釘バットといったものを持つ人間が一斉に目を向けてくるのだ。

 普通の人間ならばビビる。現にりあむは顔を青ざめさせて口をパクパクとさせている。

 だが、視線を一心に集めている黒死牟には欠片たりとも動揺はない。

 当たり前だ。彼にとっては目の前の不良共など、雑兵にも満たぬ赤子だ。

 

 そんな彼女らを、上弦の壱が恐れるわけもない。

 

「ああッ!? 何だ、てめえは! 何しに来やがった!」

「私は黒死牟……ここは学び舎だ。争うのならば……人の迷惑にならぬ場所へ…行け」

「オレがどこで何しようがオレ達の勝手だ! 舐めてっと、てめえから潰すぞ!!」

 

 だが、舐められたら終わりという思考を持つヤンキー達が素直に従う訳もない。

 合戦の景気づけにこいつを血祭りにしてやろうかと、全員が血走った目で見つめてくる。

 それを受けて、黒死牟は何の感慨もなくため息をつく。

 その目の前の自分達を歯牙にもかけぬ態度に、彼女達の小さな堪忍袋の緒が切れる。

 

「舐めやがって…ッ。おい、こいつからやっちまうぞ!!」

 

 大勢の女性達が一斉に自分の下へ駆け寄ってくると言えば、聞こえはいいが、実態はただのチンピラどもである。黒死牟でなくとも嬉しくはないだろう。

 

 そんなことを考えながら、彼は生前、領主であったとき村どうしの争いを収めたこと思い出す。

 田への水の配分という、かなり困窮した内容であったが、やはり以前も同じであった。

 興奮した彼らは話など聞かない。やはり一度頭に上った血はそう簡単には冷えないのだ。

 

「……致し方あるまい」

 

 だからこそ、頭を冷やしてやる必要がある。

 種子島でもあれば、その音が大抵の者を正気に戻すが今はそんなものはない。

 この身一つである。だが。

 

「少し……頭を冷やせ……」

 

 それ1つで十分過ぎた。

 

 先陣を切って襲い掛かってきた、リーダー格の銀髪に褐色の肌をした女性の木刀の一振りを首だけを動かして躱す。そして、驚きで紫の目を見開く彼女の無防備な手から、流れるような動作で木刀を奪い取る。

 

「……借りるぞ」

 

 一言、それだけを呟き一閃する。

 真っ二つにされる。ただの木刀だというのに、そんな恐怖を抱いた少女は咄嗟に飛び退く。

 同時にスパリと二の腕が切り裂かれる。

 何故かそれを見て、驚いている黒死牟に一瞬疑問が湧くが今はそれどころではない。

 魔李亜(まりあ)という刺繍の入った特攻服の少女は、すぐに体勢を立て直そうと舎弟達に声をかける。

 

「おい! こいつ結構やるぞ!! 全員で囲め――」

「―――動くな。……怪我を…するぞ」

 

 だが、地獄の鬼のような底冷えする声を聞いて、言葉が出なくなる。

 そして、数拍の後に辺り一帯に金属や硬いものが落ちる音が響き渡る。

 恐る恐る彼女がそれを確認すると、それは彼女達が握りしめていたはずの武器だった。

 

「は…? なんでオレ達の武器が…?」

「一振りで払ったまでのこと……案ずるな……壊れてはいぬはずだ」

 

 一振りで無数の相手の武器だけを叩き落とす。

 そんなこと常識的には考えられない。

 だが、現実にはそれが起きてしまっている。

 訳が分からないと、見ている者達の思考に空白が生まれる。

 そこへ、黒死牟は静かだがどこまで威厳のある声を流し込む。

 

「まだ…この場で争いを続けたい者が居るというのであれば……武器を拾え」

 

 全員が地面に打ち捨てられた武器を見る。

 そして、目の前の1人の(おに)に恐る恐る目を移す。

 

「その勇気に免じ……この黒死牟が……全力をもって相手をしてやろう」

 

 底冷えするような荘厳な声が、一瞬で彼女達の頭を冷やす。

 そして、まるで本当に氷漬けにされたかのように、誰もかもが動きを止めるしかないのだった。

 

「……行くぞ…りあむ…このままでは……遅刻をしてしまう」

「は…はい……」

 

 制止した時間の中、黒死牟だけが堂々と動きりあむを伴って校門をくぐっていく。

 それを止めることのできる人間は、誰一人としていない。

 むしろ、黒死牟が近づく度に海が割れる様に道が出来ていく。

 そんな圧倒的な光景を生み出した黒死牟だが、当の本人はと言えば。

 

(縁壱ならば……無駄な怪我を負わせることも……なかっただろう。いや…そもそも奴ならば……話し合いで解決したやもしれぬ)

 

 何故か、自分の手際を弟と比較してテンションを下げていた。

 そのことが余計に威圧感を生み出すことになり、となりのりあむがビビっているが、彼は気づかない。

 そして、ローテンションのまま校舎の中に消えそうになったとき。

 

「……おい!」

「まだ…やるか?」

 

 黒死牟を止める声が聞こえる。

 その諦めの悪さに、ちょっとだけテンションを上げて、ゆっくりと黒死牟が振り返ると、そこにはリーダー格の褐色の少女が立っていた。

 

「……安部(あべ)マリア」

「……む?」

「今はてめえには勝てない。でもな、これはいつか絶対にてめえを負かす奴の名前だ。覚えとけ!」

 

 キッと睨む様な目を黒死牟にむけるマリア。

 その目には恐れから、隠せぬ涙が滲んでいるし、手には戦意の証である武器もない。

 だが、その瞳には燃え盛るような執念があった。

 

「……楽しみにしておこう」

「ハッ! 余裕ぶってられんのも今のうちだけだ」

 

 その執念がどこか自分に似ている気がし、黒死牟は自然と獰猛な笑みを浮かべる。

 これだ。こういう遥か上を見るような目と向上心がいいのだ。

 間違っても『私はこの国で2番目の侍になります』などと、自分よりはるか高みから、意味不明なことを言ってくるような者にはなって欲しくない。そう、黒死牟は切に願うのだった。

 

「じゃあな」

「……待て」

「ああ? なんだよ、文句でもあんのか?」

 

 そんなことを考えていると、マリアが去って行こうとするので黒死牟は呼び止める。

 怪訝そうな顔をするマリアに、黒死牟は無言でハンカチを取り出す。

 

「斬られた方の…腕を出せ……人間は脆い…止血ぐらいはしておくべきだ」

「斬ったてめえが言うのかよ。気持ち悪い、こんなもん唾でもつけてりゃ直る」

「いや……これは謝罪だ…お前を見くびったことへのな」

 

 いくら相手が言うことを聞かなかったとはいえ、女性に傷を負わせたのは不味い。

 特に、傷つける気が無かったのに負わせた傷だ。

 避けるという行動すらとれないと相手を見下した故に、無駄な痛みを与えてしまった。

 己の未熟さに恥じ入るばかりである。

 

「あぁ?」

「その傷は……避けることなど…出来はせぬだろうと……お前を見くびった私の不徳の証。どうか謝罪を…させてくれ……お前の動きには……確かに積まれた修練の跡がある。それを愚弄してしまった……すまなかった」

 

 そして、黒死牟は深々と頭を下げる。

 圧倒的な強者が自分に頭を下げる。その行動にマリアは驚き慌てふためく。

 

「や、やめろよ! 強い奴が頭下げてんじゃねえよ!! そういうことは弱い奴がするもんだ!」

「……謝罪とは…強弱で決まるものでもなかろう」

「ああもう! いいから頭上げろ! 止血すりゃいいんだろ! 止血すりゃあ!」

 

 顔を赤くして、黒死牟のハンカチを奪い取ったマリアは逃げる様に去っていく。

 その後ろ姿を眺めながら、黒死牟は何故怒らせてしまったのかと首を捻る。

 そして気づく。『兄上を稽古で傷つけてしまうとは……この縁壱、一生の不覚です。兄上は不断の努力で限界を超えるお方だと知っていたというのに……今のは避けられぬと侮った私の過失です。兄上の努力に泥を塗ってしまいました。謝ってすむとは思えませんが、どうか謝罪させてください。申し訳ございません、兄上』

 

 自分より強い縁壱に謝られる自分を想像したら、一瞬で死にたくなった。

 

「私は…なんという…ことを……ッ」

 

 あまりの後悔に目がくらんでしまう。

 そのため少しでもの罪滅ぼしに、マリアが何か困っていることがあれば、全霊をかけて助けようと黒死牟はひっそりと決意するのだった。

 

「あの……黒死牟君? 早く教室に行かない? もう、チャイムもなってるし……」

「そう…だな……やはり私は…何も……為せない」

「なんで急に自殺しそうなレベルで落ち込んでるのかな!?」

 

 そして、結局黒死牟が後悔している間に2人は遅刻が確定してしまうのだった。

 生き恥を晒したとばかりに、トボトボと歩く黒死牟を必死に励ます、りあむ。

 そんな彼女の献身的な介護のかいもあり、教室に着く頃には黒死牟のメンタルも大分回復していた。

 

「じゃあ、教室に入ろっか。たぶん、転校生を案内していたって言えば、遅刻扱いも免れる……はず」

「私からも……口添えをしよう。余程、理不尽な教師でないのならば……りあむの遅刻は消せるだろう」

 

 自分は良いが、案内をしてもらったりあむまで巻き込むのは忍びない。

 そんな世界では神も仏も居ないようなものではないか。

 そう考えた黒死牟は、自分が話をつけるべきだと判断して自らの手でドアを開ける。

 

「失礼します……転校生の黒死牟ですが……初めての道に迷い…遅れてしまいました」

 

 そして、自らを待ち受ける存在を視認し。

 

「ほお? 私が貴様の転校手続きをするために、早めに来てやっていたというのに貴様は女連れで登校か? 羨ましいご身分だ。青い彼岸花は見つけられぬというのに、道草を食いながら花を摘むのは上手いようだな。侍ではなくホストが天職ではないのか。どうした? 急に黙り込んで。私に何か言うことがあるのではないのか、黒死牟?」

「………真に申し訳ございません……無惨子様」

 

 ああ、ここは地獄だったなと、白目をむくのだった。

 

 




無惨子様「なぜ情報通の友人枠なのに教師なのかだと? 貴様は私が学生共と同格だとでも言うつもりか。何より、私は私の好きな時に好きな役を演じるだけの力があるのだ。これは当然のことではないか? そもそもの話、教師よりも生徒個人の情報を持っている奴が居るか。居たら、そいつは確実に罪に問われるようなことをやっている。私はその点クリーンで真っ白だ。どこかの異常者共とは違い、実に普通の存在だろう」


徹夜のテンションで書きました。
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2話:お労しや

 

「どうした? 誰かこの化学式が分かる奴はいないのか?」

「無惨子様……恐れながら…申し上げさせていただきます」

「黙れ、黒死牟。一体いつ私が貴様に発言を許した? お前は発言をする際は、挙手をするという小学生でも分かるルールが分からないのか? そもそもの話、今の問いかけはヒントを出す前の前フリに過ぎない。全員が全員、貴様と同様に分かっているわけではないのだぞ。それなのに貴様は他者から気づきの機会を奪った。そんな、己のことしか考えられぬ性根だから、貴様は何も残せなかったのだ。私は炭治郎という継子に全てを託すことが出来たというのに、貴様は月の呼吸すら継げていない。どうした? 言いたいことがあるのなら黙っておらずに、反論してみるがいい」

「申し訳……ございません」

 

 無惨子様のパーフェクト化学授業。

 開幕早々にその洗礼を受けた黒死牟は、心を無にして頭を下げていた。

 

「何を下を向き続けている。私の授業中によそ見とは余程死にたいと見える」

「…………」

 

 そして、襲い掛かる理不尽なパワハラ。

 もはや、黒死牟は語る言葉を持たなかった。

 俺は頑張れる。俺は長男だから我慢できると、内心で己を鼓舞して必死に正気を保つ。

 

「まったく、そんなのだから貴様は炭治郎とは違い、可愛げが無いのだ」

(度々…無惨様の話に出てくる炭治郎……私の記憶では鬼殺隊の…隊員だったはず……一体何があったの――)

「不満げな顔だな、黒死牟。私が間違っていると言うつもりか?」

「……貴方様は…全てにおいて……正しいお方です」

 

 途中、ちょっとした疑問が湧いてくるが、それもすぐに切り離す。

 生前から、目の前の存在に向けて良いのは敬意だけだと学んでいたはずだ。

 決して、もう何も考えたくないというのが本音ではない。

 

「フン、流石は異常者共を裏切り、私についただけはあるな。世渡りだけは上手いと見える」

 

 本音ではないのだ。

 大事なことなので2回言った。

 

「む、チャイムか……ちっ、黒死牟。貴様が絡んできたせいで、時間が無くなってしまったではないか。まあいい、この問題は次回までの宿題にしてやる。全員、予習復習を怠らないようにな」

 

 そんな訴えたら、あっさり勝訴できそうなパワハラから黒死牟を救ったのは、チャイムであった。思わず、ホッと胸を撫で下ろしてしまう黒死牟だったが、そうは問屋が卸さない。

 

「黒死牟。貴様は私の崇高な授業を遮った罰として、問題集の23ページから28ページまでを解いて来い。無論、明日までにだ」

「……御意に」

 

 ついでとばかりに、黒死牟だけにペナルティを与えていく無惨子様。

 因みに、黒死牟は常識的な範囲のペナルティにちょっと驚いていたりする。

 

(無惨子様のこと……青い彼岸花を…日の出までに見つけ出さねば……殺すなどと…下級の鬼に言っていたようなことを言うと…思ったが……今回の復習と予習の範囲だけで…すますとは……明日は槍でも降るのであろうか…?)

 

 無惨子様のことだから、問題集を全て解いて来いぐらいはやると思っていたのだ。

 やはり、無惨様も地獄の罰を受けて、少し丸くなったのだろうかと考える。

 真実は、問題集全部となると確認する自分も大変という、下らない理由なのだが、知らぬが仏とはまさにこのことだろう。

 

 因みに青い彼岸花を見つけて来いと言われた下級鬼は『そんなもん一晩で見つかるわけねえだろぉおおおッ!? ああ、クソ! この花とか蕾のくせに青色しやがって! 紛らわしいんだよぉおおおッ!!』と、死への恐怖から冷静な思考を失い、夜の間は蕾である青い彼岸花を豪快に散らしていたりする。もっとも、開花するのは次の日の朝だったので、見つけると同時に死んでいただろうが。

 

「黒死牟君、災難だったね。転校早々に無惨子様に絡まれるなんて」

「りあむか……あれは私の考えの浅さ故の出来事……仕方のないことだ」

 

 りあむからの同情の視線に精一杯強がって見せる黒死牟だが、内心はその優しさに泣きそうだった。人に優しくされたのは、一体何百年ぶりだろうと思わず考えてしまい『兄上、疲れてはいませんか? お館様も兄上の最近の活躍は実に目覚ましいと、お褒めになっておられましたが兄上も人間。一週間も休まずに鬼を狩り続けていては、いつか倒れてしまいます。今日はゆっくりと休んでください。疲労には甘いものが効くと聞きましたので、おはぎを持参してきたのです。お茶を淹れてきますので、一緒に食べましょう』という縁壱の言葉を思い出す。

 

(縁壱……やはり…思い出すのは……いつもお前のことばかりだ)

 

 あの時は、素直にその言葉を受け入れたのだが、後でその時の縁壱は一ヶ月もの間、休む間もなく鬼を狩り続けていたと聞いて激しく後悔した。無論、その日から一ヶ月は休むことなく鬼を狩り続けた。因みにその様を見た縁壱は『肉体の限界を精神で超えるとは……流石です、兄上。私では到底できません』と、2ヶ月は休んでいない体で感服していた。何のことはない。縁壱は生涯無敗ゆえに己の限界を死ぬまで知らなかったのだ。もちろん黒死牟は、その言葉の真意に気づき馬鹿にしているのかと、内心で憤怒したのは言うまでもない。

 

「黒死牟君どうしたの? 無惨子様に罵倒されてた時以上に、悔しそうな顔してるよ」

「いや……思い出し…後悔だ…」

「思い出し後悔」

 

 言葉の意味が重複していることに、苦笑いするりあむだったが、意味は何となく伝わった。

 要するにそれだけ悔しいということだ。ならば、気分転換するに越したことはない。

 後悔先に立たずである。

 

「まあまあ、そういう時は美味しいものでも食べて気分転換しようよ。ちょうどお昼休みなんだしさ」

「昼食か……」

 

 そんな、りあむの言葉もあり、黒死牟は過去の記憶から抜け出す。

 

「黒死牟君はお弁当派? それとも学食派?」

「今までは……現地調達……だったな」

「現地調達? 学食とか購買部で買ってたってこと?」

「……そう…思ってくれ」

 

 食料の現地調達(人間)。

 生前というか、鬼なってからはそれだけだったので、黒死牟は食に疎い。

 昼食と言われて、つい目の前のりあむは、食べる部分が少なそうだと思ってしまった程だ。

 当然、その部分は内緒である。

 

「じゃあ、今日は私と食堂で食べようよ。色んなメニューがあるんだよ」

「それは…楽しみだな……」

 

 ニコニコと笑いながら、美味しいんだよと話す、りあむに黒死牟は頬を緩める。

 もう覚えてはいないが、自分の子供もこんな感じだったのだろうかと思いながら。

 

「フフ、そうと決まったら早く行こっか!」

「そう…焦るな……また…転ぶぞ?」

「け、今朝のことは忘れてくれると嬉しいかな……」

 

 黒死牟の言葉に、抱き留められたことを思い出して頬を赤らめるりあむ。

 その姿に黒死牟は今の言い方は、少し意地が悪かったかと反省する。

 

(人の失敗を……無暗に掘り返すべきではないか……)

 

 もっとも、恥ずかしさの方向性を単なる恥だと勘違いしているのだが。

 

「……りあむ…私に…おすすめを……教えてはくれぬか…? 今日は…それを食べよう……」

「え? うん、いいよ! 絶対、黒死牟君も気に入るとっておきがあるから、楽しみにしてて!」

「ああ……承知した」

 

 話題を変更しつつ、りあむの気を逸らす黒死牟はまさに出来る大人であった。

 しかしながら、ヒロインに自分を意識させるという点においては、赤点と言わざるを得ないだろう。早くも無惨子様が、課外授業(パワハラ)の計画を立て始めているのを彼は知らない。

 

「……それにしても……随分と…視線を感じるな……」

「あー……黒死牟君は転校生だからね」

 

 2人で話しながら、食堂に向かい廊下を歩いていた黒死牟だが、向けられる視線の多さに疑問を零す。その言葉に、りあむは若干苦笑いしながら返す。確かに転校生が珍しいのは確かだが、これだけの視線の数は異常だ。

 

「ねえ、あれが噂の……」

「ああ、何でもたった1人でうちの不良共をのしたらしいぞ」

「俺が聞いた噂によると、転校前は夜な夜な人を殺す辻斬りだったらしいぜ」

「おい、お前黙れよ。あいつ、めっちゃこっち見てるぞ。まるで、目が6つあるみてえな眼力だな……」

「でも、すっごいイケメンかも……」

 

 ヒソヒソとこちらの様子をうかがいながら話す、生徒達。

 詳しい内容は聞こえないが、黒死牟とて相手がよからぬことを言っているのは分かる。

 もちろん、それはりあむとて同じだ。

 

「もう…! 黒死牟君は良い人なのに、みんな好き勝手言っちゃってさ!」

「……構わん。もとはと言えば……身から出た錆。人の噂も七十五日……私がこれから…誠実に過ごせば……このようなことも…なくなるだろう」

 

 だから、りあむは頬を膨らませて他の生徒を睨むが、黒死牟はそれをやんわりと止める。

 こうなったのも、全ては自分の情けなさが原因だ。

 関係の無い、りあむまで巻き込むのは忍びないと考えて。

 

(やはり……転校初日に……遅刻したのは…目立つか)

 

 噂をされている理由を勘違いしたまま。

 黒死牟は元鬼であり、戦国時代の人間である。

 根本的な価値観が違うのだ。

 

 彼からすれば、あのような抗争など日常茶飯事であり、大したこともない。

 同時に、あれを制圧した自分も、大したことはしていないと思っているのだ。

 自己評価が低い故の悲しきすれ違いである。

 

「黒死牟君って……真面目って言うか、ストイックだよね」

「……そうか…?」

「うん。何か道を究めるには、他の全てを捨てないといけないとか言いそうだもん。その後に、捨てたことに負い目を感じそうなのも含めて」

「………そう…だな」

 

 そして食堂に辿り着くと共に、りあむの無自覚な言葉が黒死牟の心を抉る。

 捨てた結果がこのギャルゲー地獄である。ちょっと泣きそうだった。

 

「あ! べ、別に黒死牟君のことを悪く言ったわけじゃないよ? 私は黒死牟君みたいな人好きだしね」

 

 しょんぼりと、肩を落とす黒死牟に慌てて慰めの言葉をかけるりあむ。

 それと同時に、自分がとんでもないことを言ったことに気づき、慌てる。

 

「え、えと、今の好きっていうのは、人として好きって意味だからね!?」

「分かっている……すまないな…気を使わせて……。私も……りあむの…そうした所は…好ましいと…思っている」

「ふえ!?」

 

 だが、そのようなことで勘違いする黒死牟ではない。

 逆に、いつものしかめっ面からは想像できないような、柔らかな笑みをりあむにお見舞いする。

 当然、その直撃を受けたりあむは、あわあわと視線を右往左往させる。

 

「どうした…?」

「え、えーと……こ、黒死牟君は席を取ってて! 私がおすすめのメニューを持ってくるから!」

「私も…運ぶのを……手伝うぞ?」

「いいから! いいから! 黒死牟君は座って待ってて! ね、ね?」

「……そこまで…言うのであれば」

 

 目がグルグルになったりあむに、無理やり椅子に座らされた黒死牟は不思議そうに首を捻る。

 透き通る世界で見た様子だと、心拍数がやけに上がっており、恥ずかしがっているのが分かる。

 ここまで来れば、普通は自分に脈があるのかと思ってしまいそうだが。

 

(私のような年寄りを……出会って間もない子女が……好くはずが…なかろう。恐らく……褒められることに……慣れておらぬのだろう)

 

 やはり、自己評価の低い彼は気づかない。というか、精神年齢が違い過ぎる。

 いっそ、お労しやと言いたくなるような精神性だ。

 因みに、そんな性格に育ったのは、大体お労しや発言をした奴のせいである。

 

(それにしても……視線が…多いな……)

 

 そして、黒死牟には今それ以上に気になることがあった。

 自分に向けられる視線の数々である。

 先程までは特に気にしなかったものであるが、今は別だ。

 

(……敵意…? いや…これは…嫉妬の感情か…?)

 

 先程のラブコメ展開を見た野郎共から、敵意に似た嫉妬の視線が集まっているのだ。

 そのため、黒死牟も無視をすることが出来ずに、気にかけているのである。

 因みに黒死牟としては、憧れの視線を向けられるより、こうした敵意を向けられる方が気分が良い。

 この男、実に歪んでいる。

 

「……何か私に…話したいことが…あるのか? ……言ってみろ」

 

 なので取りあえず、近場に居た1人に気分良く声をかけてみるが、何故か跳ねる様に逃げられてしまう。

 

「おいおい、死んだわ、あいつ」

「見たか、さっきの笑み? あれは完全に人殺しの顔だ」

「こんだけ見つめられて、笑って返せるなんて相当な修羅場くぐってるぜ……」

「それにあの物言い……まるで無惨子様だ」

「つまり黒死牟×無惨子様…? 閃いたわ!」

 

 呆然とする黒死牟をよそに、良からぬ噂はどんどんと広がって行く。

 特に下2つに関しては激しく抗議したかったが、言ったら言ったで『ほう。私では不服と言うのか? 随分と偉くなったものだな。私に近しいと言われたのならば、歓喜のあまりにむせび泣くのが礼儀というものだろう。ほら、泣け。涙が枯れ果てる程にな。そして、存分に私という存在の崇高さを噛みしめろ』などとネチネチ言われるのが見えているので、グッと我慢する。長男だから我慢できた。次男だったら我慢できなかった。

 

「……解せぬ」

 

 そして本人の意思とは関係なく、黒死牟最凶のヤンキー説が流れて行く。

 因みに、最初に噂を流したのは無惨子様である。

 本人曰く『女とは、不良に優しくされるというシチュエーションに弱いのだ。これで攻略がしやすくなるな。私の思いやりに感謝するがいい』という気遣いらしい。

 この時だけは、お前は生きていてはいけない存在だと全長男の心が一致した。

 

「お待たせー。あれ? なんだか、疲れたような顔してるけど大丈夫?」

「問題……ない……」

 

 そうこうしているうちに、お盆の上に丼を2つ乗せたりあむが戻って来る。

 余談だが他の生徒から見た、りあむの扱いは不良にパシられている可哀想な子だ。

 何もかも無惨子様のせいである。

 

「うーん、黒死牟君がそう言うなら……それより! これが私のおすすめメニューだよ!」

「ふむ……これは…まるで血のようで…実に美味そうに見え―――待て。なんだこれは?」

 

 陰鬱とした気分を払拭するべく黒死牟は、りあむお勧めのメニューを見る。

 そして、思わずキャラに似合わないツッコミを入れてしまう。

 一体何が、彼をそこまでさせたのかと言うと。

 

「これ? これはね“感度3000倍血の池地獄ラーメン”だよ!」

「感度…3000倍…?」

 

 目の前で湯気を立てる、血のように真っ赤なラーメンだった。

 鬼であった黒死牟が思わず、人間の血だと判断する程度にはそれはドロッとしており、良く麺に絡むだろうなということが見て取れた。

 思わず、自分が知らぬ間に日本の食文化は間違った方へ進化してしまったのかと思うが、安心して欲しい。これは日本どころか、世界の食文化として間違っている。

 

「うん。通常の血の池地獄ラーメンの3000倍の辛さに挑戦した逸品だよ。特徴は何と言っても、この赤いスープだね。ハバネロ・唐辛子・ドラゴンブレス・デスソース、他にも聞いただけで辛そうな香辛料が100種類以上! まるで、辛みで作ったパンドラの箱! ただし、希望は残らない!! だって麺にもたっぷり香辛料が練りこんであるからねッ!! 一口食べれば地獄に落ちると評判の一品になっております。ささ、どうぞどうぞ!!」

「りあむ……私は君を…怒らせてしまったのか…?」

 

 思わず、黒死牟が聞いてしまう程に、りあむのテンションはおかしかった。

 鮭大根を見つけた柱だって、こんなテンションにはならないだろう。

 

「え? どうしたの、黒死牟君?」

「いや…何でも……ない……」

 

 キョトンとした顔で小首を傾げるりあむに、黒死牟は遠い目をする。

 この子は善意100%で黒死牟にこれを勧めているのだ。

 鬼を殺す毒です、と言われても納得できそうなこのラーメンをだ。

 辛みを帯びた湯気が目に入り、思わず涙が溢れ出してくる。

 

(いくら何でも…これは……まずい。鬼の身であっても……耐えられる気がせぬ。……だが…自分で同じものを……頼んだ手前…変更など…できぬ…!)

 

 これを食べて自分は生きては帰れぬと感じ、黒死牟は必死に考える。

 何とかこの場を切り抜ける方法を。

 しかしながら。

 

「えへへ……今まで他の人を誘っても、みんなに断られて一緒に食べれなかったから……何だか楽しみだな」

「……武士に…二言は……ないッ」

 

 嬉しそうに笑う、りあむには勝てなかった。

 長男としての本能がこの笑顔を曇らせてはならぬと、雄叫びを上げる。

 ついでに、生存本能が激しくサイレンを鳴らしているが、頑張って無視をする。

 

「じゃあ、食べよっか。いただきます!」

「いただき……ます……」

 

 有史以来、これ程重く告げられたいただきますはなかっただろう、という程に重い挨拶の後、黒死牟は恐る恐る箸を持つ。まだ一口も食べていないというのに、じっとりとした汗が背中をつたう。手汗で箸が滑り、いつも以上に握り手に力がこもり、カチカチと、まるで恐怖で歯を鳴らすかのような音が響く。それを黒死牟は侍としての誇りで抑え込み、麺を掴む。そして、必要以上に息を吹きかけた後に、口に運ぶ。

 

「……ッ! …ッ!? ッ!! ッ!!?」

 

 声は出なかった。

 ただ、煉獄の炎で舌を焼かれる感触だけが黒死牟を支配する。

 これなら、赫刀で舌を斬られた方がマシだと思うような痛みが彼の口内を襲う。

 それでも彼は必死に耐え忍ぶ。偏にそれは長男であるが故。

 次男だったら即死だった(縁壱の場合は普通に私の好みではないと言う)。

 それに何より。

 

「どう? 美味しいでしょ?」

「……悪くは……ない」

 

 横で子供のようにキラキラとした目を向けてくる、りあむの手前、黒死牟は表情を崩さなかった。周りで様子を見守っていた生徒達からの評価が少しだけ上昇する。主に『あれ食えるとか本当に人間かよ……』という畏怖方面で。

 

「よかったぁー! 実はね、さらにおすすめの食べ方があってね? これにさらにラー油を追加するんだ。やってみてよ」

「……後世とは……げに恐ろしきものなり……」

 

 追いラーという進化し過ぎた文化に、思わず天を仰ぐ黒死牟。

 これには流石の長男でも耐えられなかった。

 彼は死んだ目で、りあむにならってラー油を追加する。

 

「フフフ、ちゃんと付き合ってくれるんだね。黒死牟君って()()()お父さんみたい」

 

 そして、この言葉である。生前に妻子を捨てたことを思い出し、さらに逃げ場が無くなる。

 彼の武家の当主として、長男としての責任感が彼に背を向けることを許さない。

 だから、彼は麺をすする。ぶっちゃけ、辛すぎて先程までの違いなど分からなかった。

 ただただ、地獄の業火に口内が蹂躙されるのを無表情で耐えるしかない。

 

(私は……こうして…感度3000倍ラーメンを食べるために……地獄に落ちたのか…? 教えてくれ……縁壱…ッ!)

 

 まるで涙のように汗を流しながら黒死牟は、内心で天に吠えることしか出来なかった。

 

『お労しや、兄上』

 

 薄れゆく意識の中、そんな声が聞こえてきた気がする黒死牟だった。

 

 

 

 

 

「黒死牟、部活は何を選ぶ?」

「……初耳でございます…無惨子様」

 

 あれから、口の中の感覚を失いながらも何とか完食し、午後の授業も乗り切った黒死牟は、帰ろうとしたところを残酷にも無惨子様に呼び止められていた。

 

「愚か者めが。ギャルゲーに置いて、何かを選ぶという選択が如何に大切か分からんのか? ルート選択、つまりはヒロインを選ぶということだ。何より、選択肢でどちらかを選ぶかでヒロインの好感度が変わるのは常識だろう。故に選べ。選ばぬという選択肢は許さん。私から提示された選択肢は全て肯定か死ぬか(YES or DEATH)で答えろ」

「……かしこまりました」

 

 それは果たして選択肢というのだろうかと思うが、勿論口には出さない。

 よくよく考えると、生前の出会いの時点でそんな感じの選択肢だった。

 鬼なるか、ここで殺されるかの二択である。

 

 さらに遡ると、縁壱と自分のどちらかが寺に行くか。

 妻子と共に暮らすか、鬼狩りに加わるかの二択などがあった。

 我ながら、酷い選択肢しかないと思う。

 ひょっとして自分は前世でも罪人だったのではないのだろうかと思ってしまうのも、無理らしからぬことだ。

 

「よし、ならばさっさと行くぞ。私が教師として貴様を案内してやろう」

(馬鹿な…! 無惨子様が……普通に…私の手助けを…するだと…!?)

「ほお、どうやら余程死にたいらしいな? 良いだろう。無駄な思考が二度と出来ぬように、その見苦しい頭を潰してやる」

「いえ……貴方様の手を…煩わせるとはと……考えたまでです」

「フン……これはツケにしておいてやろう。高くつくぞ?」

 

 想定外の事態に、思わず素の思考が漏れてしまうがそこは黒死牟。

 300年間パワハラ上司に仕えた経験持ちだ。

 何とか、上手いこと誤魔化すことに成功する。

 

「それで、どれを選ぶのだ? とっととしろ、私は“炭治郎・鬼の王化計画”を練るので忙しいのだ」

 

 しかし、どこまで言ってもパワハラ上司はパワハラ上司。

 選択肢に何があるのかも説明せぬままに、選べと迫って来る。

 無茶ぶりにも程があるが、黒死牟も慣れたものですぐに返事を返す。

 

「では……剣道部…を。……新しき時代の…剣の形……見てみたく…ございます」

「相も変わらず、馬鹿真面目な奴だ。そのように視野狭窄(しやきょうさく)だから無様に負ける羽目になったのだ。6つの目を与えてやったにも関わらず、視野が狭い。どうせつけるなら、前に2つと横に1つずつ。そして後ろに2つつけていれば、360度の視野を持てたというに。だから貴様は無能なのだ。大方、あの化け物の動きを見切ろうとしたのだろうが、目が多少多くなったところで、それを処理する脳が変わらねば何の意味もないだろう。増やすのならば、私のように脳を増やせばよかったのだ。違うか?」

「おっしゃる通りで……ございます……」

「死んだ理由も、生き恥を晒したなどと意味不明なことを。侍の矜持など鬼になった瞬間から死んでいるのだ。にもかかわらず、容姿にこだわるなど理解できん。肉片の一欠けらとなってでも、生き残れば勝ちだ。プライドなど勝利の前では塵芥(ちりあくた)に過ぎん。敵を殺せぬのならそいつが死ぬまで逃げれば良いだけのこと。それが出来ぬから、貴様は私の役に立つことなく死んだのだ。何か申し開きはあるか?」

「何も……ございません……」

 

 怒涛の罵倒ラッシュに心を折られそうになりながら、黒死牟は無惨子様の後をついていく。

 もう、今は何も考えずに剣を振りたかった。

 剣道部に着いたら大人しく剣を振っていようと、思っていたのだが。

 

「邪魔をするぞ。貴様らの中で一番強い奴を出せ。そこの黒死牟を倒せたのなら、私が貴様らに褒美を与えてやる。光栄に思え、またとないチャンスだぞ」

 

 剣道場の扉を開け放つなり、無惨子様がそんなことをのたまい始めたのだった。

 

「やべーぞ、無惨子様だ!? 機嫌を損ねたら殺される!」

「わ、私、知ってるよ。隣に居る男の人は転校早々に隣の高校の不良達を皆殺しにしたんだって」

「やべえよ…やべえよ…鬼が金棒を持ってきたどころか、ロケットランチャー担いできやがったよ……」

 

 おかしい。何故、このようなことになったのだ。

 当事者のはずなのに、1人蚊帳の外に居る黒死牟は遠い目をする。

 やはり、先程無惨子様を怒らせたのがいけなかったのだろうか?

 というか、勝ったところで自分にメリットがない。

 この後入部しても針の筵になることは、想像に難くない。

 後、噂がさらにグレードアップしているのは、またしても無惨子様の仕業である。

 

(閻魔よ……肉体的罰は終えたから……今度は心を砕くとでも…言うつもりか……)

 

 流石は地獄の主である。無惨子様を派遣してきたりと、やることが一々えげつない。

 こんなことなら、素直に舌を抜くなり何なりして欲しかったと思うが、どうしようもない。

 

「何よ、騒がしいわね。こっちは静かに素振りしてたっていうのに」

 

 そんな混乱する場を収める様に、気怠そうな声が響く。

 続いて、剣部員達がどこか恐れるような、否、畏れを持った目をその人物に向ける。

 

 絹のように長い黒髪を、赤のリボンで後ろで1つにまとめた美麗な立ち姿。

 まるで天を照らす太陽のように赤々とした瞳。

 可愛い系の顔だろうに、無表情な故に冷たい印象を与える容姿。

 そして何より。

 

(なんだ…? この少女の身体は…? 極限までに……練り上げられた…肉体の完成形……だというのに……一切の傷…穢れがない……これではまるで…!)

 

 神々の寵愛を一身に受けて生まれて来たかのような、美しい身体。

 彫刻ですら、ここまで完璧に作ることは出来ぬだろうという内部の完成度。

 ここまでの肉体を黒死牟が見たのは、生涯でただ1人だった。

 

(―――縁壱ッ!)

 

 自らの双子の弟だけである。

 まさか、閻魔は縁壱までも転性させてこの世界にツッコんだのかと思い、目の前の少女をガン見する黒死牟。そんなことをすれば、当然注意を引くの当たり前で。

 

「なによ、あんた? あたしにメンチでも切ってんの?」

二神(ふたがみ)霊和(れいわ)。黒死牟は貴様の肉体に見惚れているのだ」

「……うわ、変態」

「待て…勘違いするな……私が感心していたのは…筋肉のつき方……などだ。嫌らしい……目は向けていない」

「余計にキモイわ。普通にスケベな方がマシよ」

 

 あらぬ勘違いを受け、慌てて訂正する黒死牟だが時すでに遅し。

 周りからは変態が居るという視線を受け、遠巻きに見守られている。

 ただ1人。

 

「まあ、別にどうでもいいけど」

 

 視線を受けている霊和(れいわ)を除いて。

 

「私は静かに過ごしたいだけだから、早く出て行ってよ」

「待て。黒死牟には今からここで一番強い者に勝って、入部するというイベントが残っている。貴様が相手になれ」

「……普通に入部届出しなさいよ」

「それでは私がつまらん。せいぜい、面白みのある催しにしろ」

 

 霊和の呆れに満ちた視線を軽く受け流し、無惨子様は顧問用のイスにどっかりと座り込む。

 おまけに、他の部員にお茶を要求するという傍若無人っぷりである。

 これには流石の霊和も怒るかと思われたが。

 

「はぁ……いいわ。私があんたの相手をすれば静かになるんでしょ?」

「……急に修行の邪魔をし…さらには無礼な行為まで…働いてしまい……本当にすまない……」

「謝るぐらいなら最初からやらないでって……まあ、あれが相手じゃ無理か」

 

 さっさと終わらせようと、どこか興味なさげに視線を動かすだけだ。

 その、意思疎通ができるのに浮世離れした姿に、黒死牟はますます縁壱を思い出す。

 

「ほら、さっさと終わらせるわよ。ただ、初めに言っておくわ」

「……何をだ?」

 

 竹刀を取り、黒死牟に投げ渡しながら霊和は、初めて顔に感情を宿す。

 

「私、試合しても楽しくないって、みんなから評判よ?」

 

 寂しさという、孤独に似た感情を。

 

「……ならば…私からも……言っておこう」

「何を?」

 

 その表情を見て、黒死牟は衝動的に口を開いてしまう。

 思わず、自分は何を言おうとしているのかと困惑してしまうが、それでも口は閉じない。

 意識して柔らかい笑みを浮かべて、彼は言の葉を告げる。

 

「私は……他の誰でもない……お前と…したいのだ」

「ふーん……変わってるわね、あんた」

 

 黒死牟の言葉に、初めて驚きの表情を見せる霊和。

 だが、それもすぐに消え、いつもの無表情に戻る。

 

「ま、それもすぐに変わるでしょうけどね」

 

 そして、試合の合図と同時にワープするかのように、黒死牟に斬りかかって行くのだった。

 他の剣道部員はそれで勝負があったと思い、2人に近寄ろうとする。

 だが。

 

「……速さは申し分ない。だが……重さが足りんな」

「……やるじゃない」

 

 霊和の一撃は黒死牟の手により、しっかりと防がれていた。

 その事実に剣道場全体にどよめきが走るが、打ち込んだ本人の霊和は観客よりも先に気づいているので動揺はしない。

 むしろ、より冷静になり詰めた距離を生かす様に、細かく速い技で籠手や胴を狙ってくる。

 

「狙いは正しいが……その程度では…どこを狙っているか……言っているようなものだ」

「へえ、分かるんだ。どうやってるの?」

 

 だが、透き通る世界を持つ黒死牟からすれば、その動きは手に取るようにわかる。

 しかし、だからといって霊和が気を抜ける相手という訳ではない。

 黒死牟がわざわざ透き通る世界を使って捌いているのだ。

 それは、彼女の動きがそうでもしないと、捉えられないということを指し示している。

 

「……相手の筋肉の……動きを見ればいい」

「あ、さっきの変態発言って、ホントにあんたの性癖じゃなかったのね」

「……お前は…私を何だと思っているのだ…?」

「初対面の女の子をジロジロ見てくる変質者」

「…………」

 

 何より、彼女は軽口を出せる程度には余裕がある。

 その証拠に彼女の動きは徐々に鋭さを増していく。

 まるで、徐々にエンジンが温まってくるように。

 

「すげえ……もう、何やってるのか見えねえ……」

 

 部員の1人が零したように、その剣捌きはもう常人の目にはついていけない。

 彼女が自分とやっても楽しくないと言ったのは、こうした隔絶した実力差故だろう。

 それを感じ取りながらも、黒死牟はどこか不満のようなものを感じていた。

 

「まだ……甘い」

「なら、これはどう?」

「踏み込みが浅い……それでは…威力…速さ共に半減する……基本が疎かだ」

「あんた、本当に強いわね。あたしとこんなに打ち合える人なんて初めてよ」

 

 霊和は確かに強い。並みの隊士なら簡単に倒せるだろうと思えるほどに。

 だが、それだけなのだ。

 

(縁壱のような……肉体…だが…才能はあれに劣るか……いや…肉体も女性故に……縁壱よりは下かもしれぬ)

 

 確かに彼女は神の寵愛を受けた存在なのだろう。

 しかし、世の理を外れた存在ではない。

 例えるならば、太陽と月。

 同じように天を照らす存在なれど、月は太陽よりも遥かに明かりが少ない。

 地上からは同じ大きさに見えても、実際の大きさはまさに天地の差。

 つまり。

 

(縁壱ならば……今のは受けるまでもなく避けてみせたぞ?

 縁壱ならば…今の一撃は防御事…砕いて来たぞ?

 縁壱ならば、躱すことなどさせなかったぞ?

 縁壱ならば、出来たぞ。縁壱ならば出来た。縁壱ならば出来たはずだ!

 故に―――お前は縁壱ではないッ!!)

 

 彼女は縁壱(おとうと)ではない。

 その事実に、黒死牟は安堵と怒りと不満を抱えながら戦う。

 霊和に恨みはない。勝手に期待を抱いた自分が悪いのだ。

 だが、一度胸に湧き上がった黒炎は、そう簡単に消えてはくれない。

 

 その憎悪をぶつける様に黒死牟は竹刀を振り、そして。

 

「あ……」

「……勝負…ありだ…」

 

 霊和の竹刀を高々と打ち上げて、勝負ありとした。

 静まり返った剣道場に、竹刀が落ちる甲高い音だけが響き渡る。

 部員達は霊和が負けるなど、信じられなかったが故に黙り込む。

 因みに無惨子様は、既に興味を失っていたために帰っている。

 

(……子女相手に…憎悪を込めた剣を…ぶつけてしまうとは……未熟なり)

 

 勝負が終わって冷静になってみると、霊和のことを見ずに縁壱のことだけを考えてしまった自分が恥ずかしくなり、無言で反省する黒死牟。そのため、ここはやはり謝っておくべきだろうと口を開きかけたところで。

 

「はは…あはははは! 負けた負けた! 完敗ね!」

「……?」

 

 何故か負けたにも関わらず、満面の笑みで笑う霊和に邪魔をされてしまう。

 

「あんたうちに入るんでしょ?」

「その……つもりだ……」

「あんたが居るんなら、()()退()()()和らぎそうね。あ、自己紹介がまだだったわね。もう知ってるでしょうけど、あたしは二神(ふたがみ)霊和(れいわ)よ」

「……黒死牟」

 

 先程まで何を考えているか分からぬ無表情だったにも関わらず、この満面の笑みである。

 彼女からすれば、自分に誰も追いつけない中で、こうして自分よりも強い相手が現れたのだ。

 色々と楽しみや刺激が増えたので、笑顔になるのも仕方がないのだろう。

 だが。

 

(試合に負けた直後……しかも…あれだけの…憎悪を乗せた剣を受けて……突然の満面の笑み…理解できん……まるで縁壱のようで……気味が悪い……)

 

 敗北の苦渋を味わい続けてきたこの男には、全く理解のできない感情なのであった。

 

 




??「他意はありませんが、私は霊和から攻略するべきだと愚考します、兄上」

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3話:スケベが足りない

 延々と振り続けていた刀を止める。

 それは修行の終わりの時間が訪れたからだ。

 だが、時間と言っても時計で確認しているわけではない。

 大自然の営みがそれを伝えてくれるのだ。

 

「……太陽とは……美しいものだ」

 

 夜の闇を晴らし、徐々に地平の彼方より顔を出す日輪。

 どれだけ修行に身が入っていたとしても、例え雨が降っていたとしても。

 黒死牟は太陽から目を逸らすことはない。

 

「いっそ……憎い程に……」

 

 例え、その瞳が焼き尽くされようとも。

 

「鬼の身のままであったのならば……このように見ることは……出来なかっただろう。そういう意味では……地獄に落ちたのも……良かったのやもしれぬ」

 

 流れる汗を拭こうともせずに、黒死牟は朝日を見つめ続ける。

 

 それはまるで、十字架に祈りを捧げる信徒のようであった。

 それはまるで、両親の仇を見つけた復讐鬼のようであった。

 

 愛憎が籠った視線で日の出の瞬間を見続ける。

 彼はこのギャルゲー地獄に落ちてから一週間。

 毎日欠かさずこの行動をとり続けていた。

 

「しかし……体が重い…呼吸が整わぬ…頭痛もする…更には…居ぬはずの……縁壱の姿が見える……」

 

 一週間の間、一睡も取ることなく。

 要するに、黒死牟は寝不足に陥っていた。

 これは300年近く眠る必要のない鬼だった弊害である。

 

「これは…無惨子様……貴方様も日の出を見に来られたのでしょうか…? ……『炭治郎と共に鬼の王の夜明けを見たので、今更感動も何もない』…ですか……申し訳ございません」

 

 そして、寝不足による幻覚が作り出した無惨子様に、1人頭を下げていた。

 今は早朝のため人は居ないが、人に見られたら通報は避けられないだろう。

 というかこの男、人間には休みが必要だということを完全に忘れている。

 寝不足による思考力低下により、鬼でなくなったのだから、人間と同じ生活をしなければならないということを気づけていないのだ。

 

「止めるな…縁壱…! お前が10日の間……不眠不休で…戦えるというのなら……兄である私に…出来ぬ道理はない……だから…そのおはぎは必要ない。そういう……甘いものは…お館様のご子息にやるといい……年より聡いとはいえ…まだ幼子……子供とは総じて……甘いものに目が無いものだ…私の子も……そうだった。………まて…縁壱? なぜ…泣いているのだ。私が……何かしたのか…? すまん……兄さんが悪かった…だから……泣き止め」

 

 更に物悲しいことに彼の幻覚は、在りし日の思い出が元になっていたりする。

 この時の縁壱は何も語らなかったが内心では『兄上は、私がどれだけ望んでも手に入れられなかった平穏を掴むことが出来た。だというのに、世のため人のため、それらを捨てて鬼殺隊に加わってくださった。なんという高潔なご意志。復讐を望む者がほとんどの私達の中でなんと尊いことか。……やはり、兄上こそが日ノ本一の侍』とべた褒めにしている。

 何もかもお互いに、ちゃんと会話をしなかったのが悪い。

 

「なに…? 霊和とはどうなのかだと…? 言っている意味が…分からんが……才気に溢れる娘だとは思う……無論…お前ほどではないがな……」

 

 それと、幻覚が過去と現在の混ざったものになってきているのは、黒死牟の限界が近いからである。

 決して、幻覚が意思を持ち始めたわけではない。

 

「しかし……縁壱……いつの間にお前は…2人になったのだ…? いや…私達は3つ子……だったのか…?」

 

 そして、本格的に意味不明な幻覚になり始める。

 いよいよ、黒死牟の身体に限界が訪れたのだ。

 その証拠に、フラフラと酒に酔ったように足元がふらついている。

 

「縁壱……待て…私が必ず……お前に追いつき…追い越して見せる……日ノ本一の侍に…なってみせる。……そして…継国家…母上…お前の全てを…兄さんが―――」

 

 最後に支離滅裂な言葉を発し、黒死牟は遂にその場に倒れる。

 気を失う瞬間に、何を言いたかったのか。

 本人にすら分からぬままに。

 

 

 

 

 

「七日間の寝なかったせいで、寝坊して昼休み頃にのこのこ登校だと? 馬鹿か、貴様は」

「申し訳……ございません」

 

 黒死牟氏、痛恨の二度目の遅刻。

 これには流石の無惨子様も、ストレートな罵倒しかない。

 変にネチネチとしていない分、いつもよりも冷たさが段違いである。

 

「大体、貴様はヒロインを落とせという私の命令を忘れているのか? 平日も休日も修行漬けでどうやってフラグを建てるつもりだ。貴様はこの世界にダンジョンでもあると思っているのか? そんな都合の良いものはどこにもない。そもそも仮にあったとしても、貴様は中ボス役だろう。もし貴様が通りがかったヒロインに、真面目な姿を見せてのギャップ萌えを狙っているのなら、もっと往来の激しいところでやれ。いっその事、神楽でも踊れば金がとれるかもしれんぞ。名前はツキガミ神楽などどうだ? ん?」

「その名前だけは……どうか…ご勘弁を……」

 

 首を垂れ、必死にそれだけはやめてくれと懇願する黒死牟。

 ヒノカミ神楽と対になる名前など、色々と心がお労しいことになり憤死しそうだ。

 因みに、黒死牟も修行漬けで、ほとんど人と関わって来なかったのは反省している。

 何せ、5日目以降からは縁壱と無惨子様の幻覚の記憶しかないのだ。

 誰だってもう二度と起こしたくないと思う。

 

「そもそも剣の修行などして何になる? お前の真骨頂は、私が与えてやった鬼血術による無数の斬撃を出すことだろう。刀を振る意味などイメージをしやすくする以外にない。お前の最強戦術は相手との距離を保ちつつ、全身から斬撃を飛ばすヒットアンドアウェイだ。愚図な貴様でも、ほとんどの相手に勝てる力を与えてやったというのに、何故それすらできない? いや、やらないのか。できないのではなく、やる勇気もないのか」

 

 そして、この的確な指摘である。

 鬼には刀など必要ないという残酷な真実。

 ぶっちゃけ、黒死牟は刀を振らなくても斬撃を出せるのだ。

 伍ノ型などノーモーションで斬撃を出しているので、刀の意味が欠片もない。

 

「貴様は武士としてお上品に過ぎるのだ。私の生まれた時代の武士など獣同然だったぞ? 坊主を見かければ矢の練習とばかりに射貫き、新しい刀を手に入れれば意気揚々と浮浪者で試し切りだ。戦をすれば奇襲・裏切りは当たり前。殺した敵の腐敗した遺体を敵陣に投げ入れ、疫病によるバイオテロを狙うなど序の口。一度敵と見定めれば、赤子も含め一族郎党族滅。私ですら、鬼かと言いたくなるような連中だったぞ。だが、奴らは紛れもない強者だった。忌々しいことだが、江戸が終わるまでは奴らの天下だったからな。それに比べて貴様はどうだ? 戦いに下らぬ私情を混ぜる。だから、勝てない。だから何も残せない。情けないとは思わないのか?」

 

 黒死牟は何も返せない。

 実際にそうなのだ。彼は武士としては余りにも優しすぎた。

 下剋上が当たり前の戦国の中で、彼は下の者を守ろうとした。

 自らの立場を脅かす弟という存在を、憎みはすれどただの一度も排除しようとはしなかった。

 

 鬼となってからも、弟を殺そうとはしなかった。

 痣の影響で勝手に死ぬだろうと、鬼になることを決めた元凶を無視した。

 決して勝てないと本能で分かっていたのかもしれない。

 ただ、それでも。そこには彼が夢見た日ノ本一の侍への憧憬があったのだろう。

 

 誰よりも強く、誰よりも優しい。

 武と和、両方を兼ね備えたそんな存在に。

 

「命惜しさに鬼になった者が、日ノ本一の侍になどなれるわけがないだろう。貴様は私に屈した。いや、自分だけではそうなれぬと己に見切りをつけたのだ。その時点で貴様の夢は終わりを告げたのだ。だというのに、醜く足掻き続けた。何故、自らの限界を許容して、背丈に合った生き方をしようとしないのだ? ほとんどのものは、夢など幼き日に置いて来ているというのに。あの化け物ことを忘れるなど簡単だろう。親の顔も、妻子の顔も覚えていない貴様ならばな」

 

 全て事実だった。

 普段の黒死牟ならば、事実を言われれば素直に認め謝罪するだろう。

 だが、この時だけは彼は何も答えなかった。

 

「……フン、諦めの悪さだけは一級品か、くだらん。後で反省文10枚を提出しろ」

「御意に……」

 

 そんな黒死牟の姿を忌々しそうに睨んだ後、無惨子様は踵を返して消えていく。

 黒死牟は彼女の背中が消えてなくなるまで見た後に、フッと息を吐き、軽く自分の頬を叩く。

 

「さて……昼休みが終わるまで……少し剣を振るとするか…」

 

 そして、懲りることなく竹刀を取り出すのだった。

 

「いや、休めよ!?」

「……お前は…マリア…だった…か? 見ていたのか……」

 

 だが、その懲りない行動は1人の少女のツッコミにより止められる。

 黒死牟が声の方に振り返ってみると、改造制服を着た阿部マリアが呆れた表情でこちらを見ていた。下半身の露出が激しい服装で、褐色の肌にメリハリのある体のラインが実に艶めかしいが、黒死牟がそれを見て思うことは1つだった。

 

「……そのように…薄手の服装では…風邪を…ひくぞ…?」

「あんたにだけは言われたくねえよ」

「……私の服装は……そう…薄くはないぞ…?」

「一週間寝ないとかいう、超絶不健康な行動に言ってんだよ!! 風邪どころか普通は死ぬわ!?」

 

 若干キレ気味なツッコミに、それもそうかと納得する黒死牟。

 鍛え上げた剣士ならば風邪をひくなどあり得ないが、一般人ならそうもいかない。

 故に、自分は大丈夫だとマリアに伝えようとする。

 

「心配するな……私の体温は…39度以上ある……滅多なことでは…風邪などひかぬ」

「………おい、ちょっと面かせ」

 

 だが説明すると、何故か物凄く真面目な顔で額を触られてしまう。

 敵意が無かったので、避けることなく触れさせたが、何事かと疑問符を浮かべる黒死牟。

 そんな、彼をよそにマリアは引きつった顔で黒死牟の手を掴む。

 

「……保健室に行くぞ」

「…? まて…私は…ここで素振りを……」

「こんな高熱出してんのに動いたら本気で死ぬぞ、馬鹿!!」

「手を…放せ……これは私の平熱――」

「いいから! 来い!!」

 

 そして、痣の影響で平熱が高くなっているだけだと、説明しようとする黒死牟を引きずって保健室まで向かうのだった。

 

 

 

「平熱って……マジなのかよ…」

「だから…先程から……そう言っている…」

「いや、熱が39度で心拍数が200以上って、普通に考えたら死にかけだからな?」

(まあ……あながち間違いでは…ない…)

 

 診察の結果、異常な肉体状況ではあるが、病気ではないと診断された黒死牟。

 その結果にマリアは納得のいかない表情をしているが、事実なので仕方がない。

 痣が出現した剣士は、爆発的に強くなるがそれは寿命の前借り。

 

 体がどれだけ健康でも、生物の鼓動の限界は生まれた時より定められている。

 それなのに、心拍数が200以上まで跳ね上がれば、短命は免れない。

 何せ、普通の人間の平均が70から80だ。単純計算で寿命はその2・3倍程の速さで削られる。

 80歳ぐらいが寿命と考えれば、25歳になるかそれ以前で痣持ちの剣士は皆死ぬ計算になる。

 

 ただ1人の例外を除いて。

 

「心配するな……その状態で…80年以上は生きた存在が……私の身内に居る……」

「ほーん、体質ってやつか? じゃあ、何とかなるんだな」

(もっとも……あれを例にするのは……憚られるがな…)

 

 縁壱。遺伝子的には、ほぼ違いの無い弟がその例外だった。

 生まれた時から痣を出していたというのに、80過ぎまで生きていた。

 それどころか、死ぬ間際の肉体で黒死牟を瞬殺してみせた。

 もう、バグである。

 

(人よりも多い…鼓動の回数で……80年以上……もし…縁壱に痣が無ければ……200年は…生きていたやもしれん……)

 

 冗談抜きで、人の世の理を超越しているのだ。

 流石の黒死牟も岩柱に『だが、例外は居たのだろう?』と言われた時に、あれを人間の例外として扱っていいのかと悩んだものだ。人間とネズミを比べて、人間は80年は生きるのだから、ネズミだって生きれるはずだというようなものである。生まれてくるだけで世の理が狂うという評は、間違いでも何でもない。

 

(だが…それでも……私は…お前を…超えてみせる……)

 

 だというのに、黒死牟は欠片も諦めない。

 神仏の加護を受けたと自分で口にする存在を、どこまでも人間扱いする。

 

 仮に、縁壱が人並みに感情を理解し、自分が異常だと理解できていても兄上への好感度は変わらなかっただろう。むしろ『化け物のような私を、どのようなことがあっても弟として扱ってくださる……なんという心の広さ。兄上の弟として生まれて来れたことは、私の人生最大の幸福の1つです』などと言い出しかねない。まあ、黒死牟がスレることに違いはないだろうが。

 

「おい、返事ぐらいしろ。無視してんじゃねえよ!」

「……いや…少し…驚いていただけだ」

「ああん? 何にだよ」

 

 そうして縁壱への愛憎を新たにしていると、マリアが声を荒げてくる。

 まあ、彼女からすれば高熱がある相手が、黙り込んだので心配の方が大きいだろうが。

 

「マリア……お前は……優しいのだな」

「は? マジで頭大丈夫か、てめえ?」

 

 しかし、直接それを指摘されると彼女は素直でないのか、雑な口調で誤魔化そうとする。

 だが、黒死牟のスケスケアイは、彼女の鼓動が激しく動揺しているなどお見通しだ。

 もし、透き通る世界で服だけ透かして見えていたのなら、ここはギャルゲーでなくエロゲーになっていたことだろう。

 

「熱のある私を……即座に保健室へ…連れてきたこと……その際に…強引に引っ張ったようで……こちらに…無理をさせぬよう…気遣っていた……それを優しさと…言うと思うが…?」

「ち、ちげーし! オレはただ単にあんたがオレに倒される前に、ぶっ倒れるのが嫌なだけだ!! 後、別にてめえを気遣ってなんかねえよ。オレが怪我しねえように気をつけて歩いてただけだ! 勘違いすんじゃねえよッ!!」

「そうか……それは…すまなかったな……」

 

 目を右往左往させながら、吐き捨ててくるマリアに黒死牟は生暖かい視線を向ける。

 彼女が不良達のリーダーになっているのも、こうした面倒見の良さがあるのだろう。

 もしかすると、長女なのかもしれない。

 

「いいか! てめえは俺が倒す!! 練習を止めたのだって、あんたの妨害のためだ。これっぽっちも気を使ってねえんだよ! だから、てめえは気持ち悪いこと考えずに、帰って寝てな!! 万全の状態のてめえを倒さねえと意味がねえからな!!」

 

 そして、このツンデレ発言である。

 無惨子様ならば、そんなお上品な罵倒で大丈夫かと心配してくるようなものだ。

 

「なるほど……楽しみに…しておこう……」

「ハ! 余裕ぶってられんのも今のうちだけだ。じゃあな」

 

 最後に一睨みして、踵を返すマリアの姿に黒死牟もご満悦である。

 これだよ、こういうので良いんだよと、彼女の反抗的な態度にしきりに頷く。

 バチバチとした下剋上の視線が、気持ちよくて仕方がない。

 敵意こそが彼の承認欲求を満たす。

 

 力を求める心、上を目指す意志。そういったものが黒死牟は大好きだ。

 強いくせに謙虚な人間など、普通に煽られるよりもよっぽど嫌いである。

 

 鬼を一瞬で殺せるほどに強いくせに『助けが間に合わずに申し訳ございません』などと謝ってくれるな。自分が惨めになる。お前が頭を下げるのならば、部下を守れなかったくせに、1人でのうのうと生きるはめになった自分は何なのだ。当主であり、兄であり父であった自分がなぜ、守れずに守られる。……生き恥。

 

「……授業に…出ねばな……それが終われば……剣を振ろう」

 

 恥の心があるから、黒死牟は剣を振る。

 強迫観念に囚われたように、そうせねば息が出来ぬと言うように。

 剣を振る。

 

 

「ああ…もう…! なんでハンカチを返して礼を言うだけなのに…できねえんだよ…! オレの馬鹿!!」

 

 

 自分がどれだけ人に好意を向けられているか、気づきもせずに。

 

 

 

 

 

「黒死牟。貴様にはスケベが足らん」

「……無惨子様…御身の…おっしゃる意味が……卑小な私には……理解できません」

 

 後日、突如として無惨子様に呼び出された黒死牟は困惑していた。

 生前にも意味不明な難癖を受けたことはあるが、これは前例にない。

 何せ、正座をさせられながら、いきなりスケベが足りないだ。

 頭無惨、ここに極まれりである。

 

「分からんのか? なぜ貴様はギャルゲー地獄に落ちるというのに、予習の1つもしてこなかったのだ? 主人公たるもの多くの女に気を向けるものだ。故に、それ相応にスケベであり、同時にそうしたラッキースケベイベントを起こす。だというのに貴様はなんだ? 始まってから女性の裸どころか、下着すらまだ見ていないとは怠慢にも程がある。その無駄な呼吸のエフェクトでスケベな風でも起こしてパンチラでしたらどうだ? たしか、柱にそのような者が居ただろう」

「無惨子様……スケベな風ではなく…風柱で…ございます」

「私が間違っているとでも?」

「……申し訳ございません」

 

 黒死牟は死んだ顔で謝罪する。

 目の前の無惨子様に。何より、スケベな風扱いされた風柱に。

 彼はスケベな風柱ではあっても、スケベな風を起こしたりはしないのだ。

 

 彼はただ単に胸筋が自慢なだけである。

 マッチョが鍛えた筋肉を見せびらかすために、タンクトップを着るのと同じ理由だ。

 黒死牟だって、久方の本気の戦いでテンションが上がって、脱いだりしてるので気持ちは良く分かった。

 

「スケベな風が嫌なら、貴様のムーンライトパワーで代用しても構わんぞ。何せ、着物を裂かれた程度では、赤子でも死なぬらしいからな」

「……年若い乙女に…肌を晒させるのは……流石にどうかと…」

「私に是非を問うか?」

「滅相も……ございません」

 

 子供に等しい年齢の女性の服を破くなど、武士道に反する。

 そう言いたかった黒死牟だが、パワハラの前にその勇気は潰える。

 というか、無惨子様は仮にも女なのにそんなことを言っていいのだろうか。

 

「貴様は私を有象無象と一括りにするか? そうだ、黒死牟知っているか? ムーンライトパワーで思い出したが、月の光は太陽の光を反射したものに過ぎんらしいぞ。つまり、月そのものは光ってもいなければ、大地を照らしているわけでもない。太陽が無ければ何も出来ん程度の存在だ。どこぞの誰かを思い出したりはせんか、ん?」

「……………」

 

 やめてくれ、無惨子様。その口撃(こうげき)は私に効く。やめてくれ。

 言葉に出来ぬまでも、黒死牟の目は、そう雄弁に語っていた。

 もちろん、死んだ状態で。

 

「何にせよ、貴様にはスケベが足りん。早急に改善せよ。因みに、次の授業は体育だ。何をすればいいか分かるな?」

「御意に……」

 

 スケベを増やすってどうすりゃいいんだよ。

 声を大にして叫びたかったが、無惨子様の命令は絶対である。

 逆らえるはずなどない。

 

(仮にも……妻子が居た身……女の体など…見飽きたとは言わずとも……そうまで見たいとも思わん……)

 

 だが、黒死牟は性欲旺盛な男子高校生ではない。

 肉食系男子(人肉)ではあるが、ほぼほぼ枯れ果てている。

 むしろ、才能のある子供を見ると育成したくなるおじさんだ。

 

(そもそも……婚姻前の娘の肌を見るなど……殺されても文句は言えぬ)

 

 そして、この生真面目メンタルと武家の長男たる男の貞操観念である。

 ギャルゲーの友人枠がスケベな奴ならともかく、無惨子様だ。

 無理やり付き合わされたという、伝家の宝刀も使えない。

 黒死牟、ピンチである。

 

(私は一体……どうすれば…?)

 

 女子の着替えを覗きに行くなど、言語道断。

 されど、上司の命令は絶対。

 良心と責務の板挟みになった黒死牟は、教室の前で悶々と悩みこむ。

 中では丁度女子が着替えているので、傍から見るともろに変態である。

 

(教えてくれ…縁壱…!)

 

 兄上、聞こえていますか、兄上?

 スケベが足りないのなら、簡単です。

 兄上自身がスケベになればよいのです。

 具体的には、兄上の素晴らしい肉体美を晒しながら廊下で着替えるのです。

 

(私…自身が…? もはや……それしかないのか……)

 

 俺自身がスケベになることだ。

 追い詰められた黒死牟は、冷静な思考を失いおかしな幻聴にそそのかされてしまう。

 更衣室が無い学校では、女子は教室。男子は廊下で着替えるなど珍しくもない。

 故に、黒死牟が廊下で上半身をさらけ出していても、合法スケベである。

 そんな理論武装で、身を固めつつ黒死牟は重い指を制服にかける。そして。

 

「黒死牟殿だったかな? もしかしてだけど……着替える場所に困っているのかい?」

「……! 実は…そうなのだ……」

 

 間一髪のところで、救いの手が差し伸べられる。

 どこからか舌打ちをするような音がした気がするが、恐らくは幻聴だろうと黒死牟は無視をして、救い主の方を向く。

 

「直接、話すのは初めてかな? 僕は同じクラスの姫島(ひめしま)(かおる)。一応、生徒会に所属させてもらってる。同じ()()()()、よろしく頼むよ」

「…? いや…こちらも……よろしく頼む……」

 

 整った男子制服に、礼儀正しく切り揃えられた、短く鮮烈な赤髪。

 自信満々に輝く琥珀色の瞳。

 ニコリと微笑めば、女生徒から黄色い悲鳴が上がること間違いない、甘いマスク。

 学園の王子様と名高い、目の前の人物こそが姫島(ひめしま)(かおる)である。

 

「それで、着替える場所に困っているんだったかな? うちの学校は、部活用の更衣室はあるのだけど、まあ遠いからね。普段は男女で交代で教室を使ってるんだ。でも、着替えるタイミングを逃す時もある。そういった場合はトイレで着替えればいいよ」

「そうか……助言…感謝する……」

 

 爽やかな笑顔で助けてくれた薫の前で、まさかスケベになろうとしていたとは言えない。

 むしろ、言うぐらいなら日光に当たって滅ぶ方がマシである。

 黒死牟は数秒前の自分の行動に、自分で戦慄しながら彼はトイレへと歩みを進める。

 

「…? なぜ…お前も…ついて来ているのだ…?」

「いや、僕も体操服に着替えれてないからね」

「お前は……いや…何でもない」

「? 変な黒死牟殿」

 

 すると、何故か薫も黒死牟の後ろについてくる。

 その姿に一瞬だけ目を細めて、怪訝そうな顔をする黒死牟だったが、深くは語らない。

 薫は彼のそんな姿に、疑問符を浮かべるがそれだけだ。

 これが自分の最大の失敗になるとも知らずに。

 

「……何を…している?」

「何が? 僕はトイレに入ろうとしてるだけだよ」

 

 男子トイレに入ろうとしたところで、黒死牟が思いっきり怪訝そうな顔を向けてくる。

 それに対して、薫は困惑した表情を浮かべるが、続く黒死牟の言葉に顔を真っ青にする。

 

「お前は……あちら側だろう」

 

 そう言って、黒死牟は反対側にある()()()()()の方を指さす。

 

「あ…あはは……じょ、冗談がきついかな。確かに僕は女顔って言われたりするよ。でも、心も体も男の、れっきとした男性だよ?」

 

 薫は、一瞬引きつったような顔をするが、すぐに冗談はやめてくれと笑いを零す。

 だが、そんな誤魔化しが透き通る世界を使う人間に通用するはずもなく。

 

「……心に関しては…昨今の情勢故…何も言わぬ。ついて来た時より…おかしいと思っていたが……その体は…紛れもなく女性だろう…?」

「な、なんで、そんなおかしなことを断言できるのかな?」

「筋肉…脂肪…骨格……それらの男女差は……決して誤魔化せぬ……歩き方や…呼吸の仕草に……違和感は必ず生まれる。……何より…体を見れば…女性のものだと……一目瞭然だ……」

 

 あっさりと、男装した薫の正体を見抜く黒死牟。

 これは何も薫の男装の精度が低いという訳ではない。

 黒死牟がおかしいのだ。普通の人間は、歩き方や呼吸の仕方など見ていない。

 そもそも、透き通る世界が使えないので、確信が持てない。

 

 だが、黒死牟は軽く見るだけで男性と女性の違いが分かる。

 内臓が見れるので、生殖器の違いぐらい朝飯前だ。

 

「個室とはいえ……男女が…同じ空間で……着替えるものではない……あちらに行くか…交代で…着替える方がよい」

 

 しかし、彼は気づいていない。自ら、ラッキースケベ展開を逃したことに。

 男装バレ。これは普通のギャルゲーなら、着替えを覗いたり、シャワー中に乱入するなどの、王道のラッキースケベイベントで起こることだ。だというのに、黒死牟はチートを使って一気にその先に進んでしまったのである。これには無惨子様も『To LOVEるを見習え! リトさんなら出来たぞ!!』とブチギレ。リトさんなら同じ状況でも、余裕で押し倒して下着姿を拝んでいたことは想像に難くない。

 

「私は外で……待って居よう…先に…着替えろ……」

「ま、待ってくれ!」

 

 だが、紳士な黒死牟はクールに去ろうとするだけだ。

 しかしながら、そうは問屋が卸さない。

 薫が必死に黒死牟の背中を掴んで引き留める。

 

「な、何でもするから! だから……誰にも言わないで…ッ」

 

 そして、涙目上目遣いでこのお願いである。

 これが恥辱系のエロゲーだったら、確実に黙ってやる代わりに体を差し出せだろう。

 CGも貯まって無惨子様も大満足な展開である。だが。

 

(これほどまでに……懇願するとは……余程の理由が…あるのだろう……悪いことをした)

 

 黒死牟にはそんな考えなどない。

 そもそも、彼女の男装を暴露したのも、自分が女性と同じ空間で着替えるべきでないと考えたからだ。

 まさか、このような地雷だと思いもしていなかった。

 やはり、ギャルゲーの予習不足である。

 

「心配するな……他人に…言うつもりなどない……もちろん…見返りなど求めぬ」

「ほ、本当に? 何もない方が逆に不安なんだけど」

「そうか……なら…今度…この町の案内を……してくれると助かる。まだ…来たばかり故……どこに何があるか…分からんのだ……」

「つ、つまり、そこで奢ってチャラにしろってことかい? ……お金足りるかな」

「私は……そのような……鬼畜ではない」

 

 悲しそうにたかられると呟く薫に、黒死牟は思わず真顔でツッコむ。

 どうやら、この一週間で黒死牟最恐のヤンキー説は、かなり補強されてしまっているらしい。

 因みにこれを聞いた無惨子様は『鬼畜ではない? 確かに負けた貴様は鬼などではなく、ただの畜生だな』と大爆笑である。死ねばいいのに。

 

「とにかく…早く着替えねば……これ以上の遅刻は……避けたい」

「あ、僕もこっちで着替えていいのかな?」

「………致し方あるまい」

 

 悩んだ末に、個室だから仕方ないと言い訳して、顔を赤らめた薫を伴い男子トイレに入る黒死牟。

 絵面的には大人のお姉様方が喜びそうな構図であるが、もちろん何も起きなかった。

 そう。黒死牟はこの日、結局ラッキースケベを達成できなかったのである。

 

 そして後日。

 

「黒死牟、受け取れ。貴様のものだ」

 

 買った覚えのない“To LOVEる”を、教室で渡されるという公開処刑を受けるのだった。

 

 




無惨子様「私は黒死牟のためを思い、参考資料を渡してやっただけだが? それに私は黒死牟が買ったなど一言も言ってはいない。ただ、奴のために買ったから奴のものだと言ってだけだ。私には悪意も何もない。あるのは善意だけだ。仮に誰かが悪いとすれば、それは与えられた命令1つこなせぬ黒死牟だろう。私は間違えない。そうだろう?」


りあむ(小) マリア(大) 霊和(中) 薫(中) 無惨子様(Unknow)
何がとは言いませんが、ヒロインのサイズです。

ヒロインはこれで出揃いました。これからはイベントを起こして好感度上げです。


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