機動戦士ガンダムSEED Lucina (影尾カヨ)
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第1話 ヘリオポリス、襲撃

「あの鳥がなぜ青いか知ってるかい?」
「青いインクを飲んだからよ」

――『散満惨然産残譚』より


 宇宙空間に浮かぶ人工の居住地、コロニー。

 その1つである『ヘリオポリス』に、一隻のマルセイユ三世級の宇宙艦が近づく。

 

「まもなくヘリオポリスに到着する。知っての通り、この船は『民間の輸送船』だ」

 

 その宇宙艦の中の、とある一室。

 5人横並びに整列する男たちに、その正面に立つ女性が告げる。

 

「理解していない者はいないと思うが、表向きに()()()()()()()()()

 

 周囲の人間と比べて二回りも小さい背丈の彼女。しかし、階級は目の前の若い5人よりも上である。後ろに立つ金髪の青年と同じく、大尉となっている。

 セミロングに切りそろえたプラチナブロンドの髪を輸送艦の人工重力に揺らしながら、華奢な体で5人の前を行き来する。

 

「我々は書類の上では雇われの乗組員となっている。と、言っても軍人としてふるまっても問題ない程度には根回しは済んでいるので安心するように」

 

 その後も、ヘリオポリスについてからの流れを説明していく。

 そして説明が終わると程なく、艦が着港の姿勢に移行することを知らせるアナウンスが鳴った。艦の向きが変わり、体に伝わる重力を感じる。

 

「もうこんな時間か。では各員。部屋に戻り退艦の準備をしろ。これよりヘリオポリスに着港する」

「「「「「了解」」」」」

 

 5人が整った敬礼をして、部屋から出ていく。

 最後の1人が退室して扉が閉じると、女性は大きく溜息をついた。

 

「ふぅーー…」

「お疲れさん。どうだ?上官ってのも板についてきたんじゃないか?」

 

 後ろにいた金髪の方の大尉が気楽そうに声をかける。端正な顔立ちと飄々とした雰囲気を纏う、ムウ・ラ・フラガ大尉。

 そんな彼を疲れ切った眼で、女性は睨む。

 

「私にこんな役が合わないのは、よくわかっているだろう」

「そう言うなって。似合ってたぜ。やっぱり、お前は堂々としてるほうがいいんだって」

「ふん、自分がやりたくないだけだろうに。私は上に立つ柄ではないんだよ」

 

 パタンッ。と、手に持つ資料を机の上に投げ置く。そして天井を仰ぎ、軽いため息。

 

「アプリコットが飲みたい…」

「アホか。任務中だぞ」

「わかっている。独り言だ」

 

 そういって女性も退室しようとする。

 

「どこ行くんだ?」

「艦長への報告だ。お前は、自分の分の報告書はできてるのか?」

「俺は男だからな。女と違って、準備に時間はかけない主義なのさ」

「ふんっ。勝手に言ってろ」

 

 彼とはそれなりに長い付き合いだが、どこか馬が合わないと彼女は感じている。戦場においては、誰よりも頼れる相棒なので、問題はないのかもしれないが。面倒事を自分に投げつけるのは、勘弁して欲しい所だ。

 

 彼を放って部屋から出ると、そこは人工重力のない無重力の空間となる。壁に設けられたベルトコンベアに手を付けると、その動きに沿って体が前へと進む。

 

 訪れたのはメインブリッジ。その中心に座る艦長に、部下への指示が完了したことを報告する。

 艦長席に座る彼は、この船の最後にしてもっとも重大な任務でも、いつものようにどっしりと構えている。一番上の人間が落ち着いているだけで、部下たちは精神的に安定するらしい。

 

「艦長、候補生たちは退艦の用意に取り掛かるように指示いたしました」

「おお、ポワソン大尉。すまんな。何から何までお前たちに任せっきりになってしまって」

「いえ、これが我々の仕事ですので。他に指示がなければ、私とフラガ大尉も待機、ということでよろしいでしょうか」

「ああ、構わんよ。ここまでの護衛の任、ご苦労であった。それと、候補生たちには、退艦の前にこちらに顔を出すように言ってくれ」

「はっ!失礼いたします」

 

 メインブリッジから出て自室へと向かう彼女の胸には、一抹の不安があった。

 

「――順調すぎる」

 

 いくら民間船に偽装しているからといって、ここまで何もないと却って不安になる。港に入る寸前なのでもう何もないとは思うが、どうしても警戒してしまう。

 

 そこで彼女が胸元から取り出したのは、液晶のついた携帯端末だった。

 薄く長方形のそれを手に握り、液晶を覗く。

 

「ネクサス、起きてる?」

『(^▽^)o』

「ヘリオポリスの地形と重力。それから、大気の状態に関するデータを集めて。軍事機密には手を出さないでね」

『( '▽')ノ』

「あと、周辺宙域のデータもお願い」

『∠( ̄^ ̄)』

 

 デバイスに語りかけると、液晶に顔文字が表示される。

 以前に友人…というより戦友から贈られた、新型相互一体学習人工知能搭載携帯端末。

 

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Xing 

Unite 

System 

 

 通称、ネクサス(N.E.X.U.S.)。妙に気取ったかの戦友らしい、妙に気取った名前だと彼女は思っている。たかだか道具にそんな名前を付けるのはいかがなものか。まあ不都合も無いので使っているのだが。

 

 そんなネクサスは、軍事機密に触れない範囲で、周囲の観測衛星の映像記録や、ヘリオポリスに渡航記録のある宇宙艦の進路情報。ヘリオポリスそのものの立体構造モデルを収集している。不審な点があれば教えてくれる。

 

「…何もないとは思うが」

 

 どうにも不安が無くならず、向かう先を自室から輸送船の格納庫に変更する。待機場所が変わるだけだ。何か通信があればネクサスが知らせてくれる。

 

「ポワソン大尉!」

「…お前たち。どうしてここに」

 

 その途中で彼女に声をかけたのは、先程別れた5人だった。

 

「はっ!お別れの挨拶をと、大尉殿の部屋に伺ったのですが、いらっしゃらなかったのでメインブリッジではと思い、向かうところでありました」

 

 彼女の疑問に、5人の中の1人、モリナガが答える。

 

「退艦の準備はできているのか?」

「はい!5名全員、完了いたしました」

「ふっ…相変わらず硬いな、お前達は」

 

 出会った時から変わらない、馬鹿みたいに真面目な態度で喋る彼ら。それでも最初の頃のようにガチガチに緊張するという事は無くなり、若い軍人らしい自信と余裕が表れている様に見える。それも成長か。

 

「まあ、チャラチャラしてるよりは断然いい」

 

 彼女は5人の顔を順に見回し、軽く微笑んだ。

 

「どれ。別れの挨拶というが、その前に少し激励でもしてやろう」

 

 その言葉に、5人はすぐに横並びに整列する。

 よくできた者たちだ。と、声には出さずに彼女は喜んだ。

 

「さっきも言ったが、これからお前たちが乗るのは全く新しい兵器だ。運用のノウハウなどない、地球連合にとっては未知の兵器だ」

 

 それは、今まで敵が使っていたもの。自軍の武器になるなど、想像もつかない。

 

「まあ、かの兵器に乗ったからといって、すぐに戦場に出るわけではないだろう。お前たちがまともにアレを動かせる姿など、想像できん」

 

 声を殺して笑うと、その言葉に気まずそうに彼らは顔を伏せる。

 それぐらいには、シミュレーションの出来は酷かった。まあ兵器自体が完成には程遠いので、仕方がない面もあるだろう。

 

「それでも、遠くないうちに戦場に駆り出される」

 

 彼らの中から戦死者が出ることなど、容易に想像がつく。

 

「だから…その…なんだ」

 

 そこで彼女は口ごもってしまった。が、すぐに意を決して、声に出す。

 

「…気軽に死んでくれるなよ」

 

 普段は絶対にそんなことは言わない。だが、数ヶ月とはいえ面倒を見てきたひよっこたちを前にして、言っておきたくなったのだ。気恥ずかしさに耐えきれず、彼女はベルトコンベアに手を置いて5人から離れる。

 

「あっ!大尉殿!」

「別れの言葉はまた今度だ!次に会うのは戦場だろうがな!退艦の前に全員でメインブリッジへ行けよ。艦長には別れの言葉をちゃんと言うように!」

「イロンデル大尉!」

 

 早口にそういって遠ざかっていく大尉に、モリナガは呼びかける。

 大声で名前を呼ばれ、思わず彼女は振り返った。

 

「もし…戦場で会ったら…貴女の隣に立ってみせます!それに相応しい…強い男になってみせます!」

 

 あまりに必死な言い方に、戸惑う彼女だった。そして、その言葉に、彼女はこう返す。

 

「…期待はしない。が、もしその時がきたら、そうだな.…酒の一杯でも奢ってやろう。お気に入りの店が地球にある」

「っ!は、はい!必ず!」

 

 今度こそ、彼女は離れる。

 楽しそうにモリナガをからかう、候補生たちの声に後ろ髪をひかれながら。

 

 格納庫には、4機のMA(モビルアーマー)が鎮座している。

 地球連合軍の主力兵器。メビウスが2機と、その前身であるメビウスゼロが2機。

 

 彼女は床を軽く蹴り、メビウスゼロの片方。機体の色が、己のパーソナルカラーである紺青に染められている愛機に宙を漂って近づく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 機首の上部に設けられたハッチを開き、コックピットへと入る。

 左側の操作パネルのボタンを押すと、モニターが展開して光が灯る。

 

『大尉殿、どうかされましたか?』

「ルークか。いや、機体の整備でもしようかと思ってな」

 

 機体の外から、呼びかける兵士の声が通信機から耳に届く。

 

『はぁ、相変わらず真面目でありますなぁ』

「手持ち無沙汰なだけだ。軽くやったら終わりにするさ」

 

 モニターに映された幾つものパラメータを見比べ、携帯端末に記録していく。実際に計測された値と、理論上のカタログスペックを比較する。

 

「サイドスラスターの可動域にズレがあるな…。外側から直せるか」

 

 気になる箇所を見つけると、外に出て自分の目で確認する。

 どうやら、度重なる使用でスラスターの根元にあるボルトが、いくつか緩んでいるようだ。普段から手入れしているつもりでも、やはり何度も使っていると緩んでしまう。

 見れば、装甲も傷が目立つ。今度の定期メンテナンスで、大規模な修復作業が必要になるかもしれない。

 

「ルーク!ゼロ式の外部整備をする!私の分だけでいい。用具を持ってきてくれ」

「はい!」

 

 そう遠くないところにおいてあるので、少し待てば持ってこれるだろう。

 その間にコックピットに戻り、メビウスゼロの電圧を落とす。気が付かないところでむき出しの配線に触れば、一瞬であの世行きである。

 それこそさきほど候補生たちに死ぬなと言った身としては、笑い話にもならない。

 

「大尉殿!お待たせいたしました!」

「ああ、感謝する」

「いえ、この程度のこと、いつでもお申し付けください!英雄『瑠璃星(るりぼし)の燕』のお手伝いができるなら、なんでもいたしますので!」

「ははは、覚えておこう」

 

 あまり呼ばれたくない名前で呼ばれ彼女の頬がひくつくが、ルークは気が付く様子はない。

 そのまま新たな指示を期待する青年に、適当に言って下がってもらう。

 

 持ってきてもらった安全器具と工具を身に着け、整備の準備に入る。

 電動のボルト締めを右手に持ち、それとは別に腰のサイドポケットから、ピストルの形をした物を取り出す。

 と、いっても実際に実弾がでるわけではない。それは別にあるが、今は使わなくていい。

 

 このピストル型の機器は武器ではない。実弾の代わりに発射するのは、先端に電磁石の付いたワイヤーである。

 引き金を引くとワイヤーが射出され、もう一度引くことで巻き戻る。磁石とワイヤーは非常に強力で、600kgまで問題なく巻き取ることができる。

 

 そんなワイヤーガンをメビウスゼロに向かって撃ち、整備箇所に張り付く。

 そのまま器具を使って体を強く固定し、順にボルトを締めていく。

 こうしていないと、逆に自分の体が回ってしまう。彼女には、1度やらかして友人に大笑いされた思い出があったりする。

 

 その他、細かい整備をしていると、フラガが格納庫にやってきた。

 

「おーい、イロンデル!相変わらず、精が出るな」

「暇なだけだ!お前こそ、自分のを整備したらどうだ!」

 

 茶化すような彼の言い方に、彼女は大声で返す。

 別に不機嫌なわけではなく、作業の音がうるさいのでこうなってしまうだけだ。

 普段あまり大声を出すことない彼女にとっては不便だが、そんな様子を察してかフラガはメビウスの装甲まで近寄ってきた。

 

「俺のは後でやるさ。それよりどうだ?そろそろ普通のゼロ式に乗り換えないか」

「その気は無い。第一、私の腕では満足に扱えないだろうな」

 

 イロンデルは、フラガの提案を自嘲気味に否定する。

 彼女のメビウスゼロは通常の物と比べて、そのシルエットに大きな違いがある。

 ゼロ式の最大の特徴である、円筒型の兵装『ガンバレル』。通常ならば四基、流線型の機体を取り囲むように装備されている。

 しかし彼女のメビウスゼロは、左右のガンバレルを外している。その代わりに、主砲である『対装甲リニアガン』が増設されている。上から見ると、三又の矛のような印象を受けるシルエットだ。

 

「私には、ガンバレルは二基が精一杯だ」

「いけると思うんだがなあ。この『不可能を可能にする男』のお墨付きだぜ?」

 

 自信満々というのが傍からもわかる程に自信満々に宣う彼に、流石にイロンデルもいら立ってくる。

 

「お前は私を過大評価するきらいがあるからな。参考にはならん」

「ひでぇなあ。俺は先任大尉だぜ?もっと上司をたてろよ」

「くだらん無駄話に付き合う気は無い。それ以上口を開くなら、私も『お守り』に頼らざるを得んぞ」

 

 ヒラヒラと腕を振る彼女に、それを見たフラガが慌てて否定する。そしてイロンデルに、ここに来た目的を話す。どうやらブリッジに共に行かないか、ということらしい。

 

「ブリッジ?報告なら1人でやれ。私は付き合わんぞ」

「そうじゃねぇよ。この艦の仕事がこれで最後らしいからさ。どうせなら見納めしないかって誘ってるんだが…」

「見納めか…。いや、今回は遠慮しておこう」

「えぇっ!?なんだよ、付き合いわりぃな」

 

 不満そうなフラガ。元々そういう事に積極的に参加する彼女ではないが、普段と様子が違うと彼は違和感を覚えた。

 そんな彼を、彼女はちょいちょいと手招きして近くに呼ぶ。

 そして、周囲を見回して近くに人がいないことを確認した。

 

「不自然だとは思わんか」

「不自然?何がだよ?」

 

 小声で喋るイロンデルに釣られて、フラガも声を落とす。

 

「たしかにこのヘリオポリスは、中立国であるオーブのコロニーだ。極秘裏に兵器を開発するにはもってこいの場所だろう」

「なら問題ないじゃないか。何を気にしてるんだ?」

「だからこそ、気になるんだ。中立国ならば、コーディネーターも入り放題だろう?」

 

 そこでフラガは、ようやく合点がいったようだ。

 

「なるほどな。スパイか。確かに、いてもおかしくないな」

「むしろ居るほうが自然だ。今日は妙に肌がピリつく。案外、もうザフトの兵に入り込まれているかもしれん」

 

 いつも以上にピリピリした雰囲気を放つイロンデルだった。

 彼女としても杞憂に終わって欲しいのだが、どうにも落ち着かないでいた。

 

「だとしたら、こっちもうかうかしてられないな。お前の勘は結構当たる。面倒になる前に、さっさと輸送任務を終わらせたいぜ」

「面倒になった後のことも考えておけよ。お前はそういうことを後回しにするからな。しわ寄せはごめんだ」

 

 そこで話は終わりだ。とでもいうように、イロンデルは止めていた作業を再開する。

 

「私は自機の整備で忙しいんだ。わかったらさっさとブリッジにでも行ってしまえ。ルーク!負荷テストに入る。測定器の取り付けを手伝ってくれ!」

 

 去っていくフラガを後目に、彼女は整備を続ける。

 今度はコックピットに戻り、電圧を元に戻す。どうやら、スラスターの不調は解決したようだ。

 

『!(+o+)!』

 

 その時、ネクサスが騒ぎ出した。

 

「何、その顔?」

 

 『彼』はあまり見ない表情をしているが、慌てているのは理解できた。

 そして液晶に表示された事実に、己の予感が現実になることを理解した。

 

「大尉殿。負荷テストの準備、できましたよ」

「ああ。悪いがテストは中止だ」

 

 駆け寄ってくるルークに詫びを入れて、イロンデルは壁に設置された艦内インターフォンに近づく。

 数字盤を操作して呼び出したのはブリッジ。

 

「こちら2番格納庫。イロンデル・ポワソン。ブリッジ、応答せよ」

『こちらブリッジ。エドワード・ハーディ。どうかしたか?』

 

 応答したのは艦長だった。他の者が出た場合、代わってもらうつもりだったため手間が省けた。

 

「はい。先程、周囲を警戒していたネクサスから報告がありました」

『ネクサス…。貴様の所持しているAIの名前だったか。どんな内容だ?』

「それは、ご覧になって頂いた方が早いかと思います」

 

 端末を操作して、ブリッジのメインモニターと繋げる。そのまま、ネクサスの報告が映された画面を同期し、表示する。

 

『これは…写真かね』

「はい。そのままご覧下さい」

 

 写真の一部を拡大する。小惑星の陰に隠れて見えづらいが、その特徴的な色の装甲は、地球連合軍に籍を置く者にとってよく知っている物だった。

 

『ナスカ級か…』

「はい。これは40分程前の映像ですが、他にもローラシア級の姿も認められます」

 

 ナスカ級にローラシア級。

 これは、敵軍であるザフトの所有する宇宙艦である。中立国のヘリオポリスで、機密作戦中に発見するなど、只事ではない。

 

「候補生たちはそこにいますか?」

『いや、既にモルゲンレーテの工場へ向かっている。程なく、到着するはずだ』

 

 間に合うといいが。敵はすぐそこまで迫っている。いつ仕掛けて来ても、おかしくは無い。

 

『L('ω')┘三└('ω')」』

「わっ!?…んんっ!」

『何だ!?』

 

 突然音を立てて騒ぎだすネクサスに、思わずイロンデルは悲鳴をあげた。が、すぐに息を整えて説明に入る。

 

「どうやら、ネクサスからの更なる報告のようです。表示します」

 

 画面に表示されたのは、いくつかの映像記録とグラフだった。一つ一つでは意味がわからないが、全てを合わせて考えると、1つの事実が浮かび上がる。

 

『これは何を意味するんだ、大尉』

「…はい。これは…」

 

 映っているのは、排気口の監視映像だろうか。ループして再生されるそれは、一見何もないように見える。

 

「…何者かが排気口からヘリオポリス内部に侵入したと思われます」

『何っ!?それは確かかね』

「はい。間違いありません」

 

 何も無いように見えても、細かく見れば異状に気づく。宙を漂うデブリの位置が、不自然に移動しているのがわかる。

 これは、一時的に監視映像が切られたという事だ。おそらく、数秒程度。そんな時間にロックを解除し、侵入する事ができるのは、コーディネイターの可能性が高い。

 

 最悪の事態だ。

 

「先手を撃ちますか。後手に回れば、ヘリオポリスは直ぐに陥落するでしょう」

『…いや、これはヘリオポリスに報告するが、我々からは動く事はない。少なくとも、明確に動きがあるまで待機だ』

「……」

『わかったかね、大尉』

「……了解…しました。報告を終わります」

 

 接続を切り、溜め息と共に背中を壁にもたれかける。

 

「何かあったんですか、大尉殿?」

「ああ、面倒事の始まりだ。お前はノーマルスーツに着替えて自機で待機しろ。何が起きるかわからんぞ」

 

 様子をうかがいに来たルークにパイロットスーツを着るように行って、自身も更衣室へ向かう。

 女性である自分を気遣って、通常の更衣室の片隅に設けられた布の仕切り。

 その中で着ている作業着を雑に脱ぎ捨て、ロッカーからパイロットスーツを取り出す。

 

「…インナーウエアはどこかしら」

『(-_-;)↑』

「あ、上。そういえば置いてたっけ」

 

 ロッカーの上に置かれていた黒いインナーウエアを取り、身に着ける。

 通常の物よりもきつく締め付けるそれに袖を通すと、体のほとんどが覆われる。こうでもしないと、彼女のゼロ式の推力に負けて、意識が飛んでしまう。

 

 さらにその上に白を基調としたパイロットスーツを着て、ヘルメットを手に取る。

 これで着替えは完了し、脱ぎ捨てた服をロッカーへと押し込む。

 

 そして更衣室を出たところで、急を知らせる警報が艦内に鳴り響いた。

 艦内放送で、フラガの声が耳に届く。

 

『ザフト艦が2隻、電波干渉を発信しながら接近している!対応はヘリオポリスにまかせて、我々は戦闘機で待機だ!まだ出すなよ!』

 

 緊迫した状況下でもどこか飄々とした言い方に、彼らしい、と思う。

 それでも、待機していたのでは遅すぎる。

 

「こちらポワソン。フラガ大尉、聞こえるか」

『こちらフラガ。何かあったか』

 

 格納庫に向かいながら、ヘルメットに付いている通信機でフラガと連絡を取る。

 

「私は出るぞ」

『はあ!?さっきのが聞こえてねえのか!待機だって言ってるだろ!』

「このままではコロニーと至近距離での戦闘になる!民間人に死者が出るぞ!」

『…俺だって分かってるよ、そんなこと!でもよ――』

「なら口を出すな!私一人でも行くぞ」

 

 強引に通信を終わらせ、メビウスゼロに乗り込む。

 隔壁を閉鎖し、エアロックを開放する。

 

「減圧完了。ハッチオープン。メビウスゼロ、イロンデル・ポワソン。発進する!」

 

◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢

 

「想定より動きが早いな」

 

 現在、ヘリオポリスに接近中のザフトの戦艦。

 ナスカ級『ヴェサリウス』と、ローラシア級『ガモフ』だ。

 そのヴェサリウスの中で、風変わりな銀色のマスクで顔を上半分を覆う男。この部隊の長、ラウ・ル・クルーゼが呟いた。

 

 彼らの目的は、ヘリオポリス内部で開発された地球軍の新型兵器の奪取だった。

 中立を名乗っているヘリオポリスならば、対応は遅いと思ったが既に防衛用のMA『ミストラル』が多数、出撃している。が、こちらが出している人型のボディをもつ機動兵器、MS(モビルスーツ)『ジン』の前には敵ではない。

 

「彼らは新型兵器の所にたどり着いたでしょうか」

 

 艦長席に座る男、アデスが不安そうにクルーゼへ問いかける。

 

「ここでしくじる様なマヌケは、私の隊にはおらんよ」

 

 クルーゼに苦笑され、アデスは眉間のしわがさらに深まった。

 その時、戦況を見ていた部下が声を上げる。

 

「港よりMAの出撃を確認。青いメビウスゼロです!」

 

 それは、何度も戦場であいまみえた敵の存在を知らせるものだった。

 それを聞いたアデスは顔から血の気が引くのを感じ、クルーゼは不快そうに呟いた。

 

「まさか『三つ首』のご登場とはな。ジンに艦の防衛を優先させろ。奴はこちらを狙ってくるぞ」

 

 かつて、月面エンデュミオンクレーターでのグリマルディ戦線でこちらの戦艦3隻を航行不能にした、敵のエース級パイロット。その特徴的な機体のシルエットから、『三つ首』とザフトの中では呼ばれている。

 

「対空兵装!『三つ首』を近づけるな!オロールとマシューに迎撃の指示を!ミゲルとイアンはヘリオポリスへ突入させろ!」

 

 アデスの指示がブリッジに響く。

 

「…私も出る。機体を準備しろ」

 

 クルーゼはそう言うと格納庫へ向かった。

 そしてカタパルトに乗った自機のコックピットで怪しく呟く。

 

「……因果だな…。………イロンデル…」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「見つけた」

 

 宇宙(ソラ)を翔けるメビウスゼロのコックピット内で、モニターに戦艦を捉えたイロンデルは、呟いた。

 一気に標的に向かって加速するが、その行く手を2機のジンが阻む。

 ゼロ式の上下に取り付けられたガンバレルがパッと展開し、独自の動きで掃射する。

 

 しかし、その隙に別の2機がヘリオポリスの港口へと侵入した。それを追おうと機首を向けようとし、さらに強引に機体を捻ってジンの攻撃を躱す。

 あえて狙われる様な単調な軌道で動き、意識がこちらに集中した所で横からガンバレルの射撃。これは躱されるが、回避行動の最中は動きが鈍る。すかさず機首の下に付いたリニアガンを撃つ。

 

 ジンの右腕に命中したのを確認して、ゼロ式は素早く離脱する。

 もう1機の追撃を躱し、ようやく出撃してきたフラガと合流する。

 

『敵の数は!』

「ジン2機、戦艦2隻と交戦中だ!来るぞ!」

 

 迫ってくるジンの重斬刀を避けて、ガンバレルの一撃を当てる。

 視界の隅で、僚機が撃墜され爆発が起きる。

 

「ゲイル!」

 

 本来、ジンとメビウスの戦力比は5対1――つまり、ジン1機落とすのにメビウスが5機必要とされる。

 生半可な腕では、メビウスは容易く落とされてしまう。

 

「ルーク!下だ!」

 

 部下への指示も間に合わず、ルークのメビウスも撃墜される。

 その命を奪ったのは、ジンではなかった。

 

 白い装甲。増設されたスラスター。シェイプアップされたボディ。

 

「シグー…」

『ラウ・ル・クルーゼか!』

 

 フラガの声が通信機から聞こえ、オレンジ色の彼の機体がシグーへと攻撃を仕掛ける。

 

『こいつは俺がやる!お前は母艦を落とせ!』

「任せる」

 

 フラガの攻撃がシグーの気を引いた瞬間に、最大速度まで加速する。

 戦闘で引き離された敵艦まで一気に肉薄するが、攻撃の直前にジンに妨害されてしまう。

 

「邪魔だ!」

 

 ガンバレルを使った、単騎での十字砲火。

 まともに当たれば、MSと言えどひとたまりもない。

 もう1機のジンが迫ってくるのを相手していると、戦艦からの砲撃が放たれる。

 

 1隻を狙うと、もう1隻と1機が妨害してくる。

 1機を狙うと、2隻が妨害する。

 幸い戦艦の下部は弾幕が薄い為致命的なほどではないが、こちらからも決定的な一撃が加えられない状況に陥った。

 

 しばらく拮抗した状態が続いた後、その空間を引き裂く光がイロンデルのそばを走った。

 

「──あれは…」

 

 かつて候補生たちと共に見たMSが3機、こちらに迫ってきた。

 地球軍の虎の子の新型MS『G』――Xナンバーだ。ここまであっさりと奪われるとは、やはり情報が漏れていたのか。イロンデルは歯噛みする。

 

 そのXナンバーが今、こちらに照準を合わせて攻撃をしている。

 当たれば撃墜必至のビームライフルの射線を外しながら、ガンバレルで反撃をする。しかし、Xナンバーの色が変化して青くなったかと思うと、弾丸が弾かれてしまった。

 

「フェイズシフト装甲…!」

 

 それがある限り、Xナンバーの装甲は物理的攻撃を無効化する。メビウスゼロには実弾兵器しかない。お手上げだ。敵になるとここまで厄介だとは。とんでもない物を造りだしてくれたものだ。

 このままでは埒が明かない。

 

 ベージュ色の機体『バスター』のミサイルを大きく避けて戦艦の間をすり抜ける。

 危機を脱したメビウスゼロだったが、コックピットにロックオンされたことを知らせる警報がなった。

 敵の姿はモニターにはない。ただ第六感に従って操縦桿を傾けた。

 

 虚空からビームが放たれ、下部のガンバレルを貫いた。

 誘爆する前に切り離す。敵機は見えないが、リニアガンをビームが放たれた場所へ撃ち返した。

 すると何も無かった空間に、黒いXナンバーが姿を現した。

 

「『ブリッツ』…!ミラージュコロイドか!」

 

 可視光線を歪め、レーダー波を吸収する物質を纏い完全に「消える」MS。

 これ以上推力を失えば、この戦線からの離脱が困難になる。今ならば、Xナンバーの位置は全て把握できている。リニアガンとガンバレルの射撃で軽く弾幕を張り、敵の動きが鈍ったところで最速で距離をとる。

 

 いくらXナンバーといえど、メビウスゼロの速度には追い付けない。

 コロニーに戻り補給を受けようとしたところで、もう1機のXナンバーが遠くに見えた。

 

「『イージス』まで奪われたのか!?」

 

 奪われた機体を1機だけでも落としたいが、相手にフェイズシフトがある限り不可能だ。

 遠ざかり戦艦へ向かっていくイージスを、悔しい思いでイロンデルは見送るしかなかった。

 

 これで5機あったXナンバーのうち、4機が奪われたことになる。あとの1機『ストライク』は無事だろうか。候補生たちは。ヘリオポリス内部はどうなっている。多くの疑問が彼女の頭に浮かぶ。

 コロニーの外郭に異常は無いようだが、中の様子はわからない。

 

 そう思っていたところで、赤白い光がコロニーを突き破った。

 その穴からシグーが飛び出してくる。

 

 すれ違う際に、シグーが被弾しているのが見えた。片腕が融解している。実弾ではああはならない。先程のビームの砲撃か。

 クルーゼ程の相手に手傷を負わせたのは、フラガでは無いらしい。ならば最後のXナンバーか。

 

 向こうも手負いの状態で相手にするのは避けたいようだ。肉眼で確認出来る距離に来ても、ロックオンされる様子はない。

 

 そのまますれ違ってイロンデルはコロニーの中へと入る。

 分厚いコロニーの外壁に空いた穴は、その淵がドロドロに溶け役割を失っている。戦艦の主砲でもここまでの威力はないはずだ。

 すぐに目に付いたのは、白い戦艦。

 資料で見たことのある姿をしており、イロンデルはその名前を思い出した。

 

「アークエンジェル……」

 

 たしかXナンバーの運用母艦として開発が計画されていた強襲機動特装艦だったか。Xナンバーとあわせてヘリオポリスで建造されていたのか。

 

『イロンデル!聞こえるか!』

「フラガか。無事だったんだな」

 

 シグーが出てきたのに彼のメビウスゼロの姿が見えないので、心配していた。しかし、通信機から聞こえてきた声は、どうやら撃墜されたわけではないようだ。

 

『アークエンジェルへの乗艦許可を得た。少しだが休めるぞ』

「ありがたい。被弾してガンバレルを失った。悪いが緊急着艦する」

 

 戦艦から伸びたカタパルトへ、垂直に機体を降ろす。

 周囲の安全を確認してイロンデルはメビウスゼロから降りた。そして、1人の女性が近づいてくる。

 

「イロンデル・ポワソン大尉ですね。地球軍第二宇宙域第五特務師団所属、マリュー・ラミアス大尉です」

「地球軍第七機動艦隊所属、イロンデル・ポワソン大尉であります。よろしくお願いします。早速で悪いのですが、弾薬の補給を受けたいのですが…」

 

 イロンデルの言葉に、栗色の髪を持つ女性―ラミアスはバツが悪そうに答える。

 

「それが、この艦も物資が足りていない状況なの。とてもじゃないけど、まだ補給はできないわ」

「…そう、ですか。わかりました」

 

 一言礼を言って、傍らにいたフラガに近づく。

 普段とは違い重々しくうつむく彼。正直に言って、普段のちゃらちゃらした雰囲気の時より胡散臭い。

 

「状況は?」

「最悪の2歩手前ってところかな。新兵器は1機を残して奪われ、この艦も主だった士官は全員戦死したそうだ。今は彼女がこの艦の責任者だ」

 

 そういってフラガは、離れたところで黒髪の女性と話すラミアスを指さした。やけに状況に焦っているようだが、本来とは違う役職にいるためか。

 

「彼らは?軍人のようには見えないが」

「ああ、民間人であってるよ」

 

 目についたのは、壁の近くで集まっている数人の若い男女。着ているのは、軍服でも作業着でもなく、若者向けのファッションだ。軍艦には似合わない。

 

「民間人は全員、避難用シェルターに行ったんじゃないのか?」

「それがちょっと複雑でな。…ストライクを動かした少年の友人らしい」

「何?……候補生たちはどうした?」

「……」

 

 フラガは黙ってしまうが、それがより雄弁に語っていた。

 

「死んだのか」

「…そうらしい」

 

 イロンデルは足から力が抜けるのを感じたが、それでも現実を受け止める。

 あっけないものだ。人の死なんて。慣れなければならない。軍人であるならば。

 

「戦場では……よくあることだ…」

「…そう言うなよ」

 

 強がる彼女の肩をフラガが優しく叩いた。

 

 そのとき、艦内通信が入った。

 

『ラミアス大尉、バジルール少尉!至急ブリッジへ!』

「どうした!」

 

 バジルール少尉と呼ばれた、黒髪の女性が通信機へ叫ぶ。

 

『またモビルスーツです!』

 

 ゆっくり休む暇もない。

 身を固くしているラミアスの背中を、フラガが叩く。

 

「指揮をとれ!君が艦長だ」

「わ、私が!?」

「先任大尉は俺だろうが、この艦のことはわからん」

 

 あの男は。

 イロンデルは眉間にしわがよるのを自覚した。そんなに他人に責任を負わせるのが好きなのか。

 

「フラガ、お前の機体は?」

「今は修理中だ。ガンバレルが全部やられて戦力にならん!」

「なら私だけで出る!艦砲射撃は任せる!」

 

 クルーゼの相手をしていればそうもなるか。生きているだけでも僥倖か。

 

 ラミアスの第一戦闘配備の命令を聞き、ヘルメットを被り直す。

 急いで自機のコックピットに入り、エンジンを始動する。

 

『敵の中に『イージス』がいます。ゼロ式の装備では…』

 

 不安そうなラミアスの声に思わず、操縦桿を取る手が止まる。

 さっきも撤退するしかなかった。今度は撃墜されるかもしれない。それでも改めて操縦桿をしっかりと握り、言い返す。

 

「やるしかないでしょう」

『ストライクを合流させます。それまで時間を稼いでください』

 

 ストライクに乗っているのは民間人ではなかったか。巻き込みたくないのが本音だが。

 

「…了解。カタパルトの民間人を避難させてださい」

『避難完了。メビウスゼロ、発進どうぞ』

 

 若い男の声と同時に、イロンデルはスラスターの出力をあげた。

 

「イロンデル・ポワソン。メビウスゼロ、発進する」



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第2話 奪われ、奪う。

「人生はコインと一緒さ。
表と裏、それと側面がある。
何が出るかは運しだいだよ」
 
――『画家の30日と小説家の300日』


 ストライクに乗る少年、キラ・ヤマトはジンが突入した爆音に、ビクリと肩をすくめた。

 先程、ストライクの装備の1つ、『ランチャーストライカー』の主砲『アグニ』でコロニーに大穴を開けてしまった彼は、これ以上コロニーを傷付けたくなかった。

 地球軍の将校、ラミアスからの指示で、彼はストライクの装備を探していた。

 そして、見つけたコンテナから取り出したのは『ソードストライカー』。

 

「剣…?これなら…」

 

 近接戦闘ならば、外壁に大きな損傷を負わせる事も無いはずだ。

 そう思いアジャストした所で、ラミアスから通信が入った。

 

『ストライク応答せよ。パイロット、聞こえるかしら』

「あ…は、はい!こちらストライク」

 

 目の前では戦艦が浮上し、1機のMA(モビルアーマー)メビウスゼロが4機のMS(モビルスーツ)と戦闘を繰り広げていた。その中の1機、赤い『イージス』には昔別れた友人が乗っているはずだ。

 

『現在、メビウスゼロが交戦中です。あなたの役割は、彼女と協力して敵を退けること。やってくれるわね?』

 

 本当は戦いたくなんてない。今すぐにでも逃げ出したい。でも、自分が守らなければ、あの戦艦にいる友達が。

 

「…分かり…ました。やれるだけやってみます」

 

 己の手でOSを書き換えた機体を駆り、少年は戦場へと踏み出した。

 

◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢◤◢

 

 メビウスゼロのパイロット、イロンデル・ポワソンは視界の隅に、こちらに接近してくる白い機体を見つけた。しかし、そちらに意識を向けた瞬間に、『イージス』のビームライフルが自機を掠める。緑色の光がモニターを走り、危険を知らせる警報が鳴った。

 

 4対1では躱すので精一杯で、反撃などとてもできない。ガンバレルを1基失っているので尚更だ。

 『アークエンジェル』からの援護で一瞬できた隙を付いて撃ち返しても、コーディネイター相手では容易く躱されてしまう。状況を打開する一手が欲しい。

 

「ストライクのパイロット、聞こえますか」

『は、はい』

 

 応答したのは、予想よりも随分と若い少年だった。

 思わず目を見張ったが、気を取り直し通信を続ける。

 

「イージスの相手をして貰えますか。フェイズシフト装甲が相手ではゼロ式は話になりません」

『…分かりました』

 

 一瞬、返事に間があったのは戦場での緊張故か。

 

「落とす必要はありません。ただ気を引いてくれれば結構です。ご武運を」

 

 それぐらいならば、彼にもできるはずだ。

 敵の狙いは恐らくストライク。それがわざわざ向かって来て、無視するはずもない。

 

 ソードストライカーを装備したストライクが、イージスの前に立ちはだかるのを確認して、『ジン』3機に相対する。

 

 彼らのうち2機の装備は、俗に『D装備』と呼ばれる物だ。

 要塞攻略用の重武装。そんなものをコロニーに撃たれたら、損害は避けられない。

 対して、残りの1機はビーム兵器を所持している。ストライクの破壊が目的と見て間違いない。

 

 早くこの3機を処理して、ストライクの加勢に向かわなければ。

 そう考えても実弾兵器しかないこの機体では、イージスの前では無力だ。

 

『(っ'ヮ')』

「何かいい手でもあるの?」

 

 『ネクサス』が軽い電子音と共に語りかけてきた。

 どうやら考えがあるようだ。

 

『╰(‘ω’ )╯三』

『(っ ‘o’)ノ⌒ 』

『Φ(^▽^)Φ』

「…正気?でも、やるしかないわね」

 

 現実的な手段ではないが、成功すれば優位に立てる。

 メビウスゼロの武装は、連続での戦闘で残弾の残りが僅かだ。

 

「あなたのサポート次第ね。頼りにしてるわよ?」

『(≧∇≦)』

 

 どうやら彼は自信満々のようだ。

 作戦を実行すべく、戦艦『アークエンジェル』に通信を入れる。

 

「アークエンジェル、応答せよ」

 

 すぐに繋がり、モニターには黒髪の女性が現れた。確か、バジルール少尉と言ったか。気の強そうな女性は、ハッキリとした声で応答した。

 

『こちらアークエンジェル。如何されましたか』

「D装備のジンを引き付けて欲しい」

 

 重武装のジンを戦艦に向かわせるのは、非常に危険だ。なによりD装備のミサイルがコロニーを支えるシャフトに当たれば、大きな損害を及ぼす。

 それにただでさえ、MSの機動能力に戦艦は敵わない。それでも。

 

「5分でいい。引き受けてくれ」

『…それは――』

『了解。イーゲルシュテルン照準。8秒後に一斉射撃を行う』

 

 逡巡するバジルールを押し退け、フラガが快諾する。こういう時には頼りになる男だ。

 機体を大きく捻り、ジンから距離をとる。

 2機のジンの灰色の装甲を戦艦からの75mmの弾が掠める。こちらからもリニアガンを撃ち、別のジンの注意を引く。

 狙い通りにジンは二手に別れ、戦艦と自機にそれぞれ向かって来る。

 

「作戦開始よ」

『<(`^´)> 』

 

 一言呟き、ガンバレルを操作して本体から遠ざける。本体をあえて無防備にし、隙を晒す。格好の的だと判断したジンは、ビーム兵器の照準をゼロ式に合わせる。

 イロンデルの耳に、被ロックオンを知らせる警報が鳴る。しかしそれを無視して、ジンに意識を集中する。

 判断を誤れば死ぬ。ヘルメットの中を、嫌な汗が伝う。

 

 ジンが引き金を引き、緑色の閃光が迫る。

 

「今!」

 

 操縦桿を大きく倒し、ビームを避ける。その光は僅かにゼロ式の装甲を溶かすが、機体そのものに異常は無い。乱れた体勢の獲物を逃すまいと、ジンが2射目を構える。

 

 ジンのパイロットは気付いていない。自機の背後。カメラの死角にゼロ式のガンバレルが回り込んでいることに。そしてイロンデルは、ガンバレルをそのままジンに衝突させた。

 本来の使い方とはまるで違うが、ガンバレル程の質量と速度を持った物が直撃すれば、ジンの姿勢は大きく崩れ一時的に操作が効かなくなる。

 

 気を逃さず全速力でゼロ式を進ませ、三又になっている丁度その間に、ジンを引っ掛ける。

 金属同士のぶつかる重い音がして、機体が大きく揺れる。

 懐に潜り込んでしまえば、長大なビーム兵器以外の武装を持っていないジンは手を出せない。

 そのまま全速でアークエンジェルやストライクから距離を取る。

 そして、十分に戦艦から離れた。そう判断し、コロニーの地面に機体を押し付ける。地面に深く跡を残しながら、ジンとゼロ式は動きを止めた。

 作戦を実行に移す。コックピットの中で、イロンデルが握りしめるのは、操縦桿ではない。

 

 腰のホルスターから、ワイヤーガンと照明弾をそれぞれの手に握る。

 そして、緊急脱出装置のレバーを引いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「クソッ!」

 

 ミゲル・アイマンは、ジンのコックピットの中で忌々しく吐き捨てた。

 機体そのものの損傷は僅かだが、揺れが酷く頭をモニターにぶつけた。

 軽く首を振って意識を取り戻し、ジンを立ち上がらせる。

 

 敵は『三つ首』。隙を見せるわけにはいかない。

 敵機の様子を確認するが、動く気配がない。

 

 不信に思いながらも敵の機体を破壊しようと、ビーム兵器『バルルス改』を構える。

 そこで異変に気付いた。

 

 メビウスゼロのコックピットハッチが開いている。

 『三つ首』は脱出したのか。そう思った瞬間、モニターが白い光に包まれ、思わず目をつむる。

 

「な、何だ!」

「私だよ、ザフトの兵士」

 

 誰も答えないはずの独り言に、答える者がいた。

 その正体を確かめる前に銃声が何度か響いて、彼の生涯はあっけなく幕を閉じた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 敵パイロットの沈黙を確認したイロンデルは、ただのたんぱく質の塊をコックピットから蹴りだす。

 コロニーの人工重力に引かれおよそ10mの高さから落下したソレは、水風船が割れるような音がして地面に叩きつけられた。

 

「ここまでは順調ね」

 

 空いた操縦席に腰掛け、ベルトを締める。操縦桿を握ろうとして手が空を切る。

 彼女の体躯では手足が届かないことに気付いた。

 

 小さく舌打ちをしながらシートの位置を調節し、今度こそ操縦桿をしっかりと握る。

 

「OSのチェックを始めて。それが終われば友軍識別の書き換え。装備の確認。自爆装置の解除よ」

『(´ε`;)』

「もたもたしてる暇は無いわ。2分でやって」

『(>_<)』

 

 ネクサスに指示をするとモニターに大小のウィンドウが浮かび、様々な文字列が流れていく。

 それを見ながら彼女は、激しく上下する胸に手を当てた。

 

 なんとかうまくいった。

 

 照明弾で目を眩ませ、その隙にワイヤーガンでコックピットに取り付く。

 外部ロックを操作してハッチを強制開放。

 実弾を数発。

 機体を奪取。

 

 手順だけで見ればあっけないが、どこかで一つでもミスがあれば彼女の方が死んでいただろう。

 

 久しぶりの生身の戦場に、胸は異常な脈をうつ。何度も深く息を吸い、体に酸素を取り込む。

 目を閉じて数秒。そして目を開ければ、モニターはコロニーの内壁を映し出していた。

 

「上出来よ」

 

 まだ30秒程しか経っていないはずだが、ネクサスは自分の仕事を終わらせたようだ。さすがは()()の自信作といったところか。

 

 モニターの中、アークエンジェルと対峙するジンを睨む。

 ジンの操縦は久しぶりだが、体は覚えている。OSもあの頃と変わりないようだ。これなら彼女(ナチュラル)でも、ネクサスのサポートがあれば扱える。

 

 狙いはジン。その機動力もビーム兵器の弾速ならば、一瞬で撃ち抜ける。

 肝心なのは、敵がこちらを警戒していない一発目。ロックオン無しの、マニュアルでの遠距離狙撃。

 鼓動の高鳴りが手の震えを招く。モニターの照準が安定しない。

 

「補正、もっと強く」

 

 当たるのか。外してしまえば、コーディネイターの操る機体の前に勝ち目はない。

 アークエンジェルの周囲を飛び回るジンに照準を重ねる。一瞬でいい。動きを止めてくれれば。

 

 そのとき、アークエンジェルの放ったミサイルがジンへと命中した。

 そしてそれに驚いたのか、もう1機の動きが鈍る。

 

「当たれ!」

 

 バルルスから放った緑の光線は、正確にジンのコックピットを貫いた。

 大きな爆発が起きるが、コロニーへの損傷は軽微だ。

 

 しかし、アークエンジェルの攻撃が当たったジンは、その装備が発射され炎の尾を引きコロニーのメインシャフトに当たる。

 

 爆発とともにメインシャフトに大きく亀裂が入り、幾つものアキシャルシャフトがはじけ飛ぶ。コロニーが、悲鳴をあげるように大きく軋む。

 

 思わず、イロンデルは唾を飲む。コロニーの崩壊が始まっているのか、隔壁にヒビがはいった。

 

「アークエンジェル、無事か」

『この通信は…ジンから⁉ポワソン大尉、いったい何が…』

「ジンを鹵獲した。詳しい説明は後だ。ストライクを帰還させろ」

 

 これ以上、民間人の少年を戦闘に巻き込む必要はない。このビーム兵器があれば、フェイズシフト装甲ともやりあえる。

 

『しかし…』

「これ以上はコロニーがもたない。イージスも消耗している。私1人で十分だ」

『…了解。ストライクを帰還させます』

「完了しだいコロニーから退避しろ。私に構うな」

 

 挑発にイージスに向かって数発、ビームを撃つ。残弾は7。低出力の割に長持ちのしない欠陥兵器だ。

 

『何をするミゲ――っ!お前は誰だ!』

 

 黒髪の少年がモニターに表示される。ザフトの兵は皆若いと聞くが、この少年はストライクの少年と同程度ではないだろうか。

 

「地球軍の軍人だよ、ザフト兵」

 

 さらに1発撃てば、ストライクを無視してこちらに攻撃してきた。簡単に挑発に乗ってくれた。若さゆえの短絡的な思考。ある意味でザフトの特徴だ。

 御しやすい。

 

 しかし、敵の攻撃はジンにとって全てが致命傷になりえる。怒りで冷静さを欠いていても、コーディネイターであることに変わりはない。単調な回避行動を行えば、その進行方向へ閃光が走る。

 

「ネクサス、乱数回避の軌道を作って」

 

 狙いながらの移動ができる程、ナチュラルは器用ではない。ネクサスの補佐を受けながら攻撃を躱し、戦艦からイージスを引き離す。

 

「民間人の避難状況はわかる?」

『(^_<)-☆』

 

 モニターの片隅に、避難シェルターの利用状況が表示される。どうやら既に、シェルターは避難艇としてコロニーから離れているようだ。

 

 そして一瞬でも敵から目を離したのは、彼女の大きなミスだろう。ネクサスの警告も間に合わず、ジンの右腕は肉薄したイージスのビームサーベルによって切り落とされた。モニターの警告が機体の損傷を伝える。

 

 間髪入れずに迫る二太刀目を躱し、スラスターを吹かせて大きく距離をとる。唯一の対抗手段であるビーム兵器を失った。焦る彼女に、赤い装甲が襲いかかる。



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第3話 邂逅

世界の果てに辿り着いたら、あとは落ちるだけだ。
 
――『未知の道』


 崩壊が進むコロニーの中で『イージス』の凶刃が彼女へと迫る。その黄色い光に、彼女は死を覚悟した。しかし。

 

『やめろーー‼』

 その間に、緑の閃光が割り込んだ。2機の間を通った光は、そのまま隔壁へと命中し隔壁の亀裂が大きくなる。光の元に視線をやれば、白い『ストライク』の姿があった。

 なぜまだここに。『アークエンジェル』へ戻ったのではないのか。いや、その背中に担いだ装備が変化している。前に見たデータでの名前は『エールストライカー』だったか。わざわざ戦場に戻ってきたのか。

 

 ――いや、それよりも。

 

「早くアークエンジェルに戻りなさい。コロニーが崩壊します」

『でも――』

「早く!」

 

 言った時にはすでに遅く、隔壁の穴から空気が大量に放出し、それによって乱気流がコロニー全体に吹き荒れる。あちらこちらで爆発の炎が上がる。

 

 そしてそれがまともに確認できた、『ヘリオポリス』の最期の姿だった。

 機体の足元にも大きな亀裂が広がり、ぽっかりと大きな黒い穴ができる。乱気流が機体を大きく揺らし、3機のMSはコントロールを失った。それぞれの距離は気流に流されて離れていく。

 イージスがスラスターを吹かすが、押し流されているようだ。

 

 イロンデルの目には、まるでイージスがストライクに手を伸ばしているように見えた。

 

 凄まじい乱気流が機体を襲い、コックピットが揺れる。

 

「アークエンジェル、アークエンジェル応答願う!」

 

 ストライクの回収に向かってほしいが、まだ通信が安定せずノイズが返ってくるばかりだ。そのストライクも、通じるはずの短距離通信に答えがなく、気流に流され姿が遠のいていく。

 

 そして宇宙に放り出された彼女の目の前で、コロニーがバラバラになっていく。それは彼女にとって、『あの日』を思い起こさせるものであり、2度と見たくない光景だった。

 

「ぐ、うぅぅ!ああああ…ああああぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」

 

 割れるような頭痛を感じて、頭をおさえる。幾人もの叫び声や嘆きの声が、壊れたラジオの様に脳内に響くという()()。他人には理解されない、彼女の持つ『病気』の1つだ。

 

『(◜०﹏०◝)』

「はぁ…はぁ…大丈夫…大丈夫よ、ネクサス。私は大丈夫…大丈夫だから」

 

 座席の上で、彼女の意思と関係なしに震える手を、胸に抱きしめる。自分は生きている。胸の鼓動に意識を集中し、声を締め出す。

 無重力に漂うコックピットの壁に体を当てながら、彼女はポツリと零した。

 

「だから少しだけ。浸らせてね…」

 

 その声は、微かに震えていた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 コロニーの残骸に紛れて漂うストライクのコックピットの中では、ヤマトの荒くせわしない呼吸音だけが聞こえていた。

 

『X105 ストライク、応答せよ!ストライク!』

 

 通信機の声も耳に入らず、コロニーの中で出会った友人の事を思い返す。

 

「アスラン…」

 

 戦争から逃れるためにと別れた彼は、ザフトの兵士になっていた。ヘリオポリス崩壊の原因でもある、MSの一機『イージス』に乗って、ジンに乗っている人を殺そうとした。

 

「どうして…!」

『キラ・ヤマト!応答せよ!』

「は、はい!こちらX105 ストライク」

 

 名前を呼ばれてようやく通信に気付き、ラミアスに応答する。

 

『よかった、無事だったのね。機体は動かせるかしら』

「ええ。問題ありません」

 

 各所の駆動を確認しながら、ヤマトは答える。気流に流されるまま色んな場所にぶつかったが、このストライクはさしたる傷もついていない。フェイズシフト装甲とやらの恩恵だろうか。

 

『そちらの通信でポワソン大尉のジンを確認でき…かしら。まだ通信妨害の影響が強くて、ス…イクに届かせ…のが精一杯なの』

 

 通信にノイズが混じっているのは、そのためか。納得しながらヤマトは、短距離通信を飛ばす。

 

「こちらストライク、キラ・ヤマト。ポワソン大尉、応答願います」

 

 モニターにはジンがそう遠くないところにいると表示されている。届いているはずだ。

 そして少し待てば、コロニーの中で聞いた声が返ってきた。

 

『こちらジン、イロンデル・ポワソンです』

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

『えっと、ポ、ポワソン…大尉』

「イロンデル、で構いませんよ。民間人に階級を呼ばれるほど、偉くはありません」

 

 緊張した様子の少年に、イロンデルは優しく返す。

 

『アークエンジェルと、ストライクを介して通信を繋ぎます』

「了解。お願いします」

『…ポワソン大尉、ご無事ですか』

「ラミアス大尉も、艦は健在のようですね」

 

 アークエンジェルもストライクも、落とされることなくコロニーから脱出できたようだ。通信する余裕があるとすると、敵はこちらを見失ったのだろうか。

 

『艦の座標を送ります。自力で向かえますか?』

「ええ、色々と持ち帰るつもりですので、カタパルトを開けておいてください」

 

 先ほど、ジンで回収してきた、斬られた右腕とビーム兵器。そして自身の愛機である『メビウスゼロ』を、ジンの脇に抱えている。

 

『了解。2番カタパルトを開けてきます。1番にはストライクを入れるので、お間違えの無いよう』

「留意する」

 

 通信を切ったイロンデルは、ジンのコックピットを開けて宇宙へ出る。モニター越しに見るよりも暗い星の光が、瓦礫の間から彼女の視界に満ちる。

 技術部が言うには、暗すぎてパイロットが恐怖に駆られないよう、意図的に光を強くして表示しているのだとか。イロンデル個人としては、生で見る宇宙の方が好きだった。暗くて広い、全てを受け入れてくれるこの宇宙(ソラ)が、好きだった。

 

 そんな暗い闇を跳んで、ゼロ式のコックピットへと入る。少し離れていただけなのに、随分と落ち着くものだ。

 やはり、ナチュラルにはこちらの方が性に合っているのだろうか。

 

 そのまま三又の間に引っ掛ける形で、ジンを運ぶ。送られた座標に従って、アークエンジェルへと舵を切る。

 時々、かなりの速度で飛来する瓦礫を避けながら、ジンが外れないように気を配る。

 

『(*^^)v』

「ええ、そうね。確かにいい土産だわ。彼女が居たら、喜んだでしょうね」

『(;_;)』

「そんな顔しないでよ。もうすぐアークエンジェルよ」

 

 既に片側のカタパルトは閉じており、ストライクは帰還したようだ。

 艦との相対ベクトルを合わせて、カタパルト内部へと進入する。普段と違ってジンが引っかかっているが、その程度でミスをするほど彼女は不器用ではない。

 

 整備員の誘導に従って格納庫のドックに機体を固定する。ジンが一緒なので多少驚かれたが、後の事は彼らに任せてイロンデルはゼロ式から出た。

 

 格納庫の隅に鎮座しているストライクを見つけ、興味本位で近づく。今はフェイズシフト装甲が起動していないようで、その色は鈍い灰色だ。装甲に電力を流すことで、その出力に応じて色が変化すると言う。

 イロンデルは初めて聞いた時は、カメレオンの様だと思った。友人曰く、上手く調整すれば好きな色に変えられるらしい。

 

 機体の足元に人溜まりが出来ているのに気づく。どうやら、パイロットの少年を囲んでいるようだ。近くまでよると、フラガの声が聞こえた。

 

「きみ、コーディネイターだろ?」

 

 その言葉に、場の空気が凍りつく。無神経な言い方に、イロンデルはフラガを睨む。本人に悪気はないのだろうが、あまりにも場が不適切だ。周囲には地球軍人も複数いる。

 少年、ヤマトは躊躇ったが、フラガを見つめ返した。

 

「……はい」

 

 正直なのは良い事だが、やはり場が悪い。

 とたんに、ラミアスとバジルールの後ろに控えていた兵士が銃を構える。その銃口はヤマトを狙う。

 

 これは戦争の縮図だ。コーディネイターとナチュラルは戦っている。「コーディネイター」と聞いて反射的に銃を向けるのも、無理はない。

 

 しかし。

 

「銃を下ろせ」

 

 イロンデルは、ヤマトの前に立つ。丁度、銃口から庇う形だ。キツく兵士を睨み、命令する。

 

「民間人に銃を向けるな」

「そうだ!キラは敵じゃない!ザフトから俺たちを守ったの、見てなかったのかよ!」

 

 有無を言わせぬ物言いに続いて、そばにいた少年――彼の友人だろうか――が叫び、イロンデルの横に立つ。

 

 が、すぐさま彼女の手によって向こうにやられてしまった。

 

「貴方も民間人に違いはありません。自分から撃たれに来ないでください」

 

 そして、もう一度兵士を睨むと、ようやくその銃を下した。

 イロンデルはヤマトの方へ振り返り、深く頭を下げる。

 

「申し訳ありません。ザフトとの関係上、コーディネイターに対して警戒してしまう者もいます」

 

 ヤマトとしては自分よりも背の小さい、女の子とも呼べそうな目の前の人が軍人である事。さらに、自分に対して頭を下げていることに驚いて言葉が出なかった。

 

「確かに、ヘリオポリスは中立国のコロニーでした。戦火を逃れて移ったコーディネイターがいても、不思議ではないわね」

 

 艦橋から下りてきたラミアスが呟く。彼女はどうやら、コーディネイター差別者では無いようだ。横のバジルールは鋭く睨んでいるが、その物腰からして差別ではなく、敵兵かスパイではないかという懸念からだろう。

 

「いや、悪かったな。騒ぎにしちまって」

 

 騒ぎを引き起こした張本人が、悪びれない調子で言った。

 

「俺はただ聞きたかっただけなんだ。この『G』のパイロットになるはずだった奴らのシミュレーション、結構見てきたからさ。あいつら、ノロクサ動かすのにも苦労してたぜ」

 

 フラガはちょっと肩をすくめるときびすを返す。

 

「それをいきなり、あんな簡単に動かしてくれちまうんだからさ」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「ザフト艦の動き、つかめるか?」

 

 ラミアスの問いかけに、レーダーパネルを見つめるパル伍長の答えは冴えなかった。

 

「無理です。コロニーの残骸の中には、いまだ熱を持つものも多く、レーダーも熱探知も…」

「それは向こうも同じはずだ。動くなら今だろうな」

 

 イロンデルが、それを受けて考えを言う。

 

「それもそうだが、うかつに動いて見つかるのはごめんだぜ」

 

 ラミアスは考え込む。この艦の保有戦力と現状を、頭の中で整理する。

 

「…いま攻撃を受けたら、こちらに勝ち目はありません」

「だな。こっちにはイロンデルと俺のボロボロのゼロ式と、虎の子のストライクのみ。戦闘はな…」

「振り切るにも、相手はナスカ級です」

 

 ザフトのナスカ級は、高速艦として名高い。その速さは、地球軍の艦とは比較にならないとされる。データの上ではアークエンジェルもかなり速いが、やはりやすやすと覆せるものではない。

 

「なら投降するかい?」

 

 フラガはラミアスを試すように言う。

 本来ならなるはずのない、『艦長』という座に座る彼女。その両肩にのしかかる責任は、存外に重いものだ。それをあえて自覚させるような言い方は、彼女を追い詰めかねない。

 しかし彼女はしいて、きっぱりと言った。

 

「いえ、投降はしません。このアークエンジェルとストライクは、何としても大西洋連邦司令部へ運ばなければなりません」

「だが月本部とすら連絡の取れないこの状況でどうする?」

 

 今度はムウも、難しい顔で考え込む。

 そこにバジルールが口を挟む。

 

「『アルテミス』への寄港を具申いたします」

 

 その提案に、フラガとラミアスはは、はっと顔を上げ、イロンデルは逆に俯いた。

 

「あそこは現在の位置から、もっとも取りやすいコース上にある友軍です」

「『傘のアルテミス』か…」

 

 ほど近い宙域にある、ユーラシアの軍事衛星。アークエンジェルの所属する北大西洋連邦とは軍事同盟下にある。しかし…。

 

「でもこの艦には友軍の識別コードがないわ…」

「ですが、我々は物資の搬入もままならないまま発進しました。早急に補給が必要です」

 

 バジルールの言う通りだ。地球を挟んで対極にある月は、あまりにも遠い。戦闘がなかったとしても、途中で物資が足りなくなることは目に見えている。

 

「確かにな。それに相手はクルーゼ隊だ。戦闘も無しにすんなり逃がしてくれるとは思えん。それに、ストライクの少年が保護した救命ボートには多くの民間人が乗っていた。配給の切り詰めにも限界がある」

 

 クルーゼのしつこさは、地球軍の中でも有名だ。実際に何度も相手をしたフラガは、「うへぇ…」と呟いて顔を覆った。互いに苦渋を味わってきた関係だ。

 バジルールが続ける。

 

「事態はあちらにも理解してもらえるものと思います。アルテミスで補給を受け、そこから月本部との連絡をはかるのが、もっとも現実的な手段かと」

 

 確かに真っ当な意見だ。と、言うより他に案はないだろう。長距離航海も、戦闘による強行突破も不可能だ。

 

「アルテミスなぁ…」

「私は賛成だ。気がかりもあるが、他に手は無いだろう」

 

 イロンデルの賛同の言葉に、ラミアスは決心した。元々、ここ(コロニーの残骸の中)に居座っていても仕方がない。

 

「わかりました。本艦はアルテミスへ進路をとります」

 

 すぐにデコイの発射準備を整える。デコイの熱で敵のセンサーを引き付け、その間に一瞬だけエンジンを始動し、後は慣性で艦を進ませる。

 いわゆる、サイレントラン。

 

「アルテミスまで2時間ってところか」

 

 その間、いつ敵と遭遇するか分からない。クルー達に緊張が走る。

 

「デコイ発射。それと同時にメインエンジン噴射。アルテミスへの針路へ航路修正!」

 

 窓の外を一条の眩しい光が走る。それと同時に艦が方向を変えた。

 

「これで奴らを騙せると思うか?」

 

 フラガがイロンデルに他の者に聞こえないよう小声で囁く。その疑問は不安というより、確認の意味合いが強い。

 

「無理だな」

 

 彼女も小声で。しかし、ハッキリと断言する。

 

「他の相手ならともかく、今回はクルーゼだ。時間稼ぎが関の山だろうな」

「だよなぁ…」

 

 その答えを聞いて、フラガは短いため息を吐いた。自身と同意見であるという事は、予想は当たっているのだろう。やれやれと肩をすくませ、椅子にもたれかかって伸びをする。わかっていても、今は手の施しようがない。精々、アルテミスまでの無事を祈るだけだ。

 

 そんな彼を置いて、イロンデルは艦橋を後にした。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 イロンデルは、民間人で溢れる居住区を訪れていた。

 

 格納庫でちょっとした用事を済ませ、途中で迷子になっていた少女を両親の元へ送り届けた後。その一角、幾人かの十代の少年少女に声をかける。

 

「すみません。こちらにキラ・ヤマトさんがいると聞いたのですが…」

「――あ、あなたはさっきの…」

 

 その相手は、ドックで顔を見た若者たちだった。その中の1人がイロンデルに気付く。そして傍にあるベッドを指差した。

 

「キラは今、寝ちゃってます」

 

 見れば微かな寝息をたてて、ストライクの少年がいた。

 あんな事(コロニーの崩壊)に巻き込まれたのだ。無理もない。むしろ、寝ることができるだけまだましか。ここに来る途中には、不安からか眠ることすらできない人もいた。

 

「タイミングが悪かったようですね…」

 

 わざわざ起こすのも悪いだろう。話す機会はまたあるだろうし、別の機会にまた来よう。

 

 イロンデルがそう考えていると、前触れなく彼女の身体が宙に浮いた。

 

「かぁわいいぃ〜!」

「ッ!?……」

「お、おい!フレイ!」

 

 チラリと後ろを見れば、赤い髪をした少女がイロンデルを持ち上げていた。

 メガネの少年が彼女を止めようとするが、耳には入っていないようだ。肝心の彼女は、今は死んだような目でされるがままになっている。

 

「きれいな髪ー。肌ももちもちでお人形みたい」

「………」

 

 イロンデルの肌を撫でまわす少女、フレイ・アルスターは一向に彼女を離そうとしない。よく見れば、イロンデルのその頬がぴくぴくと痙攣しているのが見て取れた。

 

「あら。あなたの服、軍服じゃない。ダメよ、それを着れるのは軍人だけなの。子どもが着ていい物じゃないのよ」

「フレイ…。その人は軍人であってるよ」

 

 言い聞かせるように、メガネの少年がアルスターの肩に手を置いて言った。

 

「…え!?」

「ええ。地球軍所属、イロンデル・ポワソン大尉であります。…以後、お見知り置きを」

「ええぇぇえぇぇ!!!」

 

 狭い空間に、少女の叫びが響き渡った。

 イロンデルに触れていた手をパッと離して目を見開く。

 

「で、でも!こんなに小さ…!こ、こど…」

「年齢は23歳。子供ではありません。悪しからず」

「え…あ…でも……」

 

 驚きのあまり、赤髪の少女は息を飲む事しかできないようだ。そして、彼女の友人たちも同じようだ。

 

「に、23!?」

「大尉って、結構偉いんじゃなかったっけ」

「若作り…って感じじゃないよね」

 

 そして、それ程騒げば冬眠している熊でも目覚めてしまう。

 

「…うるさいなぁ」

「あ、キラ。起こしちゃったか」

 

 不満気に目を擦りながら、ストライクの少年が体を起こした。疲れが残っているのか、周りにいる面々をぼんやりと見回す。

 

「…えっと。お、おはよう?って、なんでイロンデルさんがここに?」

 

 戸惑いながらも、見知った友人たちの中に彼女が居ることに疑問をもった。

 

「おはようございます、ヤマト君。…少し話したい事がありましたので、こちらに伺いました」

 

 ピシリと姿勢を正して言うその姿は、彼女の見た目に反して確かに軍人のものだった。

 

「あの、俺達はいない方が良いですか?」

「そうですね…少しの間、席を外していただければ幸いです」

 

 ヤマトを残して、少年少女は連れ立って区画を離れていった。足音が遠ざかり、十分に距離が開いたと判断した所で、イロンデルが口を開いた。

 

「良い友人たちですね」

「え…あ…はい」

 

 向かいのベッドに座り、イロンデルは姿勢を崩す。警戒も嫌悪もない、自然な雰囲気をまとっていた。

 予想していなかった言葉に、ヤマトは一瞬言葉に詰まったが静かに肯定の返事を返す。コーディネイターとナチュラルが友達など、中立国だからだろうか。皆がそうあれば、と思わなくもないが、現実は非情だ。

 

「友達は大切にするべきである。…なんて、偉そうに言うことでもありませんが」

 

 彼女はどこか懐かしそうに虚空を見つめる。その様子は、外見と違い大人びて見えた。

 

「…あの、イロンデルさん」

「はい?」

 

 恐る恐る、ヤマトが尋ねる。

 

「あなたは…コーディネイターなんですか?」

 

 それは、コーディネイターである自分に親切にしてくれる事。外見にそぐわない年齢。MSを動かせる事からの推測であり。

 

 自分と同じ存在がいて欲しいという、彼の希望でもあった。

 

「…違いますよ、残念ながら。父も、母も、私自身も。コーディネイターではありません」

「で、でも!じゃあどうやってジンを!?」

 

 MSを動かせるのはコーディネイターのみ。それは世界の常識である。それを操る彼女は、コーディネイターだと考えるのが普通だ。

 

 故に、彼女は常識の外にある物を持っている。

 

「『彼』の手助けがあれば、私にも動すことができます」

「それは…人工知能…ですか?」

 

 懐から取り出したのは『ネクサス』の端末。ひと目見ただけで、それが何なのかヤマトには理解できた。

 

「友人からの贈り物です。私の…家族みたいなものです」

「――トリィー!」

 

 その時、ふいに電子的な鳴き声がして、緑色の小鳥がヤマトの肩にとまった。

 まるで本物の鳥のように、首を傾げたり、頭を動かしている。随分と精巧に作られたロボットのようだ。

 

「綺麗な鳥ですね。よくできている。これはヤマト君が作った物ですか?」

 

 ヤマトは顔を伏せた。少しの間そうしていたが、やがて意を決したように口を開く。

 

「…いえ…。友達が…くれた物です」

 

 それ以上は話したくないのか、少年は黙ってしまった。この戦争下では、複雑な事情でもあるのだろう。そう判断したイロンデルは、話を変えることにした。

 

「そういえば、ここに来た理由をまだ言ってませんでしたね」

 

 多少、強引な方が気持ちの切り替えが容易い。という、気取った友人の言葉を思い出す。

 

「個人的なものですが、感謝と謝罪をしに来ました」

「感謝…?…謝罪?」

 

 ヤマトはなんの事かあまり分かっていないようだ。

 元々、軍としては言わなくても良い事である。しかし、彼女自身の理念として言わなくてはならない事だった。

 

「先程、イージス――赤いMSから危ない所を助けていただき、ありがとうございました」

「あ、あれは…僕も無我夢中で」

「大事なのは結果ですよ。あなたがいなければ、私は死んでいたでしょう」

「そんな…死ぬなんて」

 

 所詮、一般人であるヤマトには、あまり馴染みのない言葉だろう。そして…。

 

「そんな戦場に、貴方と貴方の友人たちを巻き込んでしまったこと。謝罪します」

 

 彼女は深く頭を下げた。できるのはそれだけ。軍としては極秘開発の兵器が奪取された、など公にできるはずも無く。

 ヘリオポリスの崩壊も、ザフトが原因として処理されるはずだ。コロニーに突入するジンは、多くの人が見ている。

 

「……顔を上げてください」

 

 ヤマトはイロンデルに言った。

 

「確かに、巻き込まれたのは事実かもしれません。でも、僕達も貴女に助けてもらいました」

 

 しっかりと彼女の目を見て告げるその言葉は、お世辞や嘘の無い、綺麗な言葉だった。

 

「……フフッ。怒らないんですね」

 

 それを聞いた彼女は思わず笑みを零す。彼は真っ直ぐなのだろう。そう思う。守れてよかった。

 

 守る価値のある者を守れた事は、彼女にとって最も重要な事だ。

 

「では、そろそろ行きます。長居を失礼しました」

「…あの!イロンデルさん!」

 

 出ていこうとする彼女をヤマトは呼び止める。

 

「…また会えますか?」

 

 少しその言葉を考えると、イロンデルは微笑んだ。

 

「もちろんです。今は同じ船に乗っていますから」

「あ、そ、そうですね…。すみません、変な事言って」

 

 ヤマトは顔を赤らめ、恥ずかしそうに謝る。そんな彼に別れを告げて、区画を去る。

 行先はブリッジ。今後の動きを決める必要がある。



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第4話 進まぬ問題

「その空き瓶の中には何が入ってるんだい?」
「さあ。希望とかじゃない?」
 
チルウは小さな小瓶を、太陽にかざした。

――『散満惨然産残譚』より(C.E.54年 出版)


 宇宙要塞『アルテミス』に向けて進む『アークエンジェル』のブリッジでは、ラミアス、バジルール、フラガ、イロンデルの4人が話し合っていた。

 

「現状の課題は?」

 

 イロンデルが重々しく口を開く。データをモニターに写しながら、バジルールが説明を始める。現状、アークエンジェルの副艦長の席に座っている。

 

「はい。目下最重要の課題は、水と弾薬です」

 

 この艦はろくな準備もなく『ヘリオポリス』を出た。不足している物は多い。中でも、人間の生活に水は欠かせない。

 

「補給はアルテミスで受けられるはずです。水は問題ないでしょう」

「弾薬も、ある程度の戦闘なら大丈夫なはずだ」

 

 つまるところ、アルテミス頼りな訳だ。イロンデルは、不満のこもった息を吐いた。

 

「大量の民間人、不足した物資。オマケに行先はアルテミス。まったく、やってられんな」

「先程から、随分とアルテミスを不信がりますね。いくら所属が違えど、同じ連合軍です。そう心配しなくとも良いのでは?」

 

 イロンデルの言い方に、バジルールが疑問を挟む。そしてそれを受けた彼女は、忌々しげに吐き捨てた。

 

「…あそこの司令が嫌いなんだ」

「司令…というとガルシア少将のことね」

 

 その名前を聞いたイロンデルは、露骨に顔をしかめた。そして椅子に頬をつく。

 

「特に問題のある人物ではないはずです。何か理由が?」

「…」

「話してやれよ」

 

 黙ったイロンデルに、フラガが促す。椅子にもたれ掛かり、頭の後ろで手を組んだその姿は、見るからにどうでもいい。とでも言いたげであった。

 

「どうせ大した秘密じゃねぇんだ。下手に隠して、気まずいのもアレだろ?」

 

 気安く言うフラガを、イロンデルはキツく睨む。他人事と決め込んで好き勝手に口を挟むのは勘弁願いたいのだが。

 それでも、言っている事は正しい。現場の信頼関係は、戦闘に影響を及ぼす事も多々ある。

 

「『ヘカテー』にいた頃の上司だったんだ」

「ヘカテー…。確か、半年ほど前に落ちたユーラシアの宇宙要塞でしたね」

 

 ヘカテーは、かつて木星の開発を目的として建設された小惑星基地を要塞として再利用した物だ。開戦から数ヶ月経った頃に放棄されている。

 

「ザフトの奇襲によってリアクターが破壊され、爆発した。…と、言うのが放棄の理由とされています」

「それは嘘だ」

 

 バジルールの補足を、イロンデルは端的に否定する。

 

「嘘?…どういうことですか?」

()()()()()。と、言うべきか」

 

 つめよるバジルールを椅子に押し返す。代わりにラミアスがイロンデルに尋ねた。

 

「何か知っているの?」

「私は一時期、『ELS』…交換所属兵として、ユーラシア連邦に身を置いていました。そして運悪く…ですかね。ザフトに攻撃された時、ヘカテーに居ました」

 

 だからこそ知っている。

 

「…あれは奇襲じゃない。手引きした者がいたんだ」

 

 周囲から息を飲む音が聞こえる。ブリッジに居る全員が、イロンデルの言葉を聞き逃すまいと、耳を傾けている。

 

「索敵センサーに穴が開けられていた。接近に気づいたのは、敵の砲撃があってからだ」

「しかし、どうしてヘカテーを?あそこは特に重要な拠点ではなかったはず」

 

 バジルールの疑問に、イロンデルはラミアスに視線を移す。

 

「Xナンバーの開発者ならあの時、要塞に何があったのか知っているのではないですか?」

「GのOS…あるいは、その未完成品ね」

「その通り。より正確には、その作成者がいました」

 

 ザフトの狙いは間違いなく、彼女だったのだろう。要塞は、軍事施設はもちろん、居住区やライフラインまで完全に破壊されていた。ただの制圧にしては徹底的すぎる。その中にいた人間が目的だったならば、合点がいく。

 

「ちょっと待ってください」

 

 バジルールが言う。イロンデルは視線をやり、発言を促した。

 

「なぜそんな重要人物がユーラシア連邦の要塞に?G兵器は大西洋連邦が開発した物です。いくら同じ地球軍とはいえ、危険すぎます」

 

 模範的な軍人の抱く、当然の疑問であろう。それに関しては、開発者のラミアスの方が詳しい。

 

「同じ地球軍だからこそ、よ」

 

 味方であるが故に発生する障害。それは時に、いかなる敵よりも厄介な物だ。

 

「強力な兵器を極秘裏に、独自に開発していたなんて知れたら、関係が悪化するのは明らか。それを防ぐために、ELSを利用したの」

 

 ELSによってXナンバーの開発者の所属を変え、ユーラシア連邦に知らせずに()()()()()()事にする。そうすれば記録上、Xナンバーは地球軍が合同で開発したこととなる。当然、反発は生まれるだろうが表立って文句を言う輩はいなくなる。

 

 しかし所属を変えるということは、バジルールの危惧するとおりである。それがヘカテーの件で表面化した。開発者が所属しているという情報が漏れてしまったのだ。

 そして、ザフトの襲撃を招いた。

 

「これは私見ですが、ザフトを招いたのはガルシアでしょう」

「その根拠は?」

 

 フラガがからかうように口を挟む。以前、彼には話した事がある。それ故に余裕を持っているのだろう。

 

「公には、無い」

「なら何故、彼が手引きしたと?」

「……」

 

 イロンデルは硬く口を閉ざした。

 

「…ククッ。見せれねぇよな?後暗いもんな?」

「黙れ。いや、黙らせてやる」

「おっと、怖い怖い」

 

 依然ふざけた調子でブリッジの中を逃げ回るフラガを、鬼気迫る表情のイロンデルが追い回す。

 

「待て!!フラガ!!」

「待てと言われて待つ馬鹿は居ねぇだろ」

「馬鹿がほざくな!」

「おお、暑っついねぇ。近寄んなよ?」

「黙れ!!」

 

 やがて、丁度ラミアスの椅子を挟んだ形で睨み合う。いつの間にどこから取り出したのか、イロンデルの手にはナイフが握られていた。

 流石に危険と判断したラミアスが、彼女を宥める。

 

「落ち着いて。そんな物を振り回さないで」

「そうそう。そんな場合じゃないだろう?」

「フラガ大尉は少し黙っていてください」

 

 1度、場は落ち着きを取り戻す。しかし、問題は何も解決していない。それどころか、新たな問題が見つかるばかりだ。

 

「それでどうする?『ストライク』をそんな所へ持っていくのか?」

 

 フラガが尋ねるが、これは元々答えが分かりきっているものだ。ラミアスも、大した逡巡をすること無く言う。

 

「この状況で進路を変える余裕はありません。それに疑う理由がポワソン大尉の言葉のみです」

 

 イロンデルは苦い顔をするが、どうしようもない事実である。証拠があるにもかかわらず見せないのは、彼女に非があるとしか言えない。

 

「そのストライクについてなのですが…」

 

 バジルールが話す。それは他の者が話題にするのを避けていた問題であり、話題にしなければならない問題だった。

 

「そのパイロットが民間人の少年…しかもコーディネイターであるというのは、良くないのではないでしょうか」

 

 確かにそれは正しい。しかし、だからと言ってすぐに解決できるものではない。

 

「だがどうするよ。他に動かせる奴はいないし、ストライクを戦力にできないんじゃあ、俺たちに勝ち目はないぜ?」

 

 既に敵は『イージス』を実戦投入している。次の戦闘で残りの3機も繰り出すことは十分に考えられる。その時に対抗手段がメビウス2機では、相手にならないだろう。

 

「ポワソン大尉ならMSを動かせるのではないですか?」

「無茶を言うな。ストライクのOSを見てないのか?」

「しかし、貴女は『ジン』を動かせるのでしょう」

 

 バジルールとしても、藁にもすがる思いだった。誰か、正規の軍人がストライクに乗るべきだ。スパイかもしれないコーディネイターが乗るよりもずっと信頼できる。と、彼女は考えている。

 

「それはジンの完全なデータが『ネクサス』の中に入っていたこと。私がジンの操縦の経験があったからできた事だ」

「では、ジンのデータをストライクに導入すれば――」

「それで?わざわざ性能落として、のこのこ出ていって、いい的になれってのか?」

 

 フラガが苛立ちながら言う。自分たちは、戦場で戦う軍人だ。指示には従うが、机上の空論を述べるだけの人間に口を挟まれたくない。

 それは、イロンデルとしても理解できる。

 

「正直に言って、ジンでさえ動かすのが精一杯だ。さっきだってイージスに殺されかけた」

 

 自分はなんと無力なのか。

 イロンデルは椅子にもたれかかり、天を仰ぐ。

 彼を巻き込みたくないと思いながら、その力が無ければ生き延びることすらできないとは。

 

 ふと、ブリッジの通信機が呼び出し音を鳴らした。

 近くのアークエンジェルクルーが応答する。

 

「こちらブリッジ。…はい。………はい。……分かりました」

「どこからだ?」

「格納庫から、マードック軍曹です。人手不足のため、パイロットは自分の機体の整備をして欲しい。との事です」

 

 それもそうか。などと呟く。この船はどこも人手不足なのだ。自分でできる事は、自分でやる必要がある。

 

「よし。なら行くか。ここで燻ってるより、手を動かしてる方が思いつく事もあるだろ」

 

 フラガが腰を上げる。こんな時に楽観視できるのは、彼の長所か、短所か。

 

「あ、フラガ大尉の『メビウス・ゼロ』は大破してるので整備班が修理するそうです」

 

 確か、ガンバレルを失ったのだったか。パイロット1人増えた所でどうにもならないだろう。

 

「ならお前はここでせいぜい燻製にでもなってろ。私は整備に行ってくる」

 

 恨めしげに睨んでくるフラガを捨ておき、格納庫へイロンデルは向かう。

 

 そして、彼女の居ないブリッジで。

 

「そういやぁ、ストライクの整備はどうするんだ?」

 

 フラガはボソッと呟いた。



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第5話 整備と親睦

洞窟に入ると、そこには青い空が広がっていた

――『散満惨然産残譚』より(C.E.54年 出版)


 格納庫では、幾人もの整備員が慌ただしく作業していた。イロンデルは自分の『メビウス・ゼロ』に近づく。『ヘリオポリス』近域での戦闘で下部のガンバレルを失い、蒼い装甲も傷だらけだ。

 よく生きていると自分でも不思議に思う。まあ、そんな事は今までざらにあったが。

 

「ポワソン大尉!こっちでさぁ!」

 

 機体の近くで作業中の男性が、彼女に気付き声をかける。

 黒髪の壮年の整備員。コジロー・マードック軍曹だ。

 

「軍曹、頼んでいた物はできていますか?」

「ちょうど取り掛かるところで」

 

 マードックの指揮で、ゼロ式の中央のリニアガンが外される。そして、そこに新しい兵器が搭載された。

 

 『M69バルルス改 特火重粒子砲』。

 

 ヘリオポリスで鹵獲したジンが装備していた、旧式のビーム兵器だ。取り回しが悪く、出力も低い。

 それでも、ビーム兵器であることに変わりはない。

 Xナンバーの備えるフェイズシフト装甲を貫くには、十分な威力を持つ。

 

「ありがとうございます。後の調整はコチラでやれますね」

「では、我々はフラガ大尉の方を修理します。何かあれば呼んでくだせぇ」

 

 整備員を引き連れて、オレンジ色のMAへ去っていく。少人数ながら、確かな能力を持った人たちのようだ。

 物資は絶望的だが、わずかな希望を感じる。

 

「さて、『ネクサス』。準備はいい?」

『٩(ˊᗜˋ*)و』

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 ご機嫌な音楽をネクサスから流し、鼻歌と共にイロンデルは整備に取り掛かった。こんな時、アプリコットが有れば気分も上がるのだが、無い物ねだりは良くない。この状況では常に警戒する必要もある。

 

「〜♪あかい〜りんご〜…そらに…おちて〜♪」

 

 装甲の一部を展開し、中の基盤をネクサスと繋ぐ。トタチツテと、ネクサスを操作すると、複数のウィンドウが画面に映される。

 

「〜♪ Despite〜the lies … ♪that you're making〜♪」

 

 リニアガンを撃つためのプログラムを書き換え、バルルス用に調整していく。彼女自身は専門外なので、ネクサス任せだ。そしてその指示に従って、複数の配線を繋ぎ直し、メビウスのバッテリーとビーム兵器のカードリッジを同期させた。

 

「〜♪かがや〜く〜…ほしくずは〜…夜明けまで〜消えない〜♪」

 

 こうすれば独立している時よりビームの残弾が増える。まあ、逆に撃ちすぎるとゼロ式の方がエネルギー切れを起こしてしまう可能性があるが。

 

「〜♪降り積もる〜雪〜♪せか〜いのは〜て〜♪」

 

 できることなら、『ストライク』の装備である『57mm高エネルギービームライフル』か、『320mm超高インパルス砲「アグニ」』を使えれば良かったのだが。悲しいかな、ゼロ式の出力では満足に運用はできないだろう。

 

「〜♪いつ〜だ〜あって…♪ほんと〜うは…ん?」

 

 ふと、格納庫の奥。片腕の無いジンの隣に鎮座しているストライクを見る。胸の装甲が開き、コックピットが開いている。

 目をこらすとその中に、ヤマトの姿が見えた。

 

 民間人の彼が、どうしてこんな所に。

 

 不思議に思ったが、そう言えば彼がコーディネイターなのだと思いだした。人員不足の現状では、民間人にも協力をお願いしているのかもしれない。

 

 ナチュラルの軍人より、コーディネイターの民間人の方がよっぽど専門的な知識を持っている。下手に口を出しては迷惑だろう。

 邪魔にならないようにしていよう。困ったことがあっても、コーディネイターなら自分で解決できる。

 

 例え今、困ったような顔で周囲を見回して誰かに助けを求めていても、放って置いて問題はない。

 イロンデルはそう結論付けると、大して残ってもいない作業の続きを始めた。元々、他人と関わるのは得意ではないのだ。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「何か探してるのですか?」

「あ、イロンデルさん」

 

 フラガに言われて、半ば無理矢理ストライクの整備をするヤマト。そんな彼に、イロンデルが声をかけた。若干、呆れているような表情をしているのは何故だろうか。無重力にフワフワと浮かんでいる様子と相まって、瞑想しているかのような印象を受ける。

 

「えっと、ストライクの整備をしたいんですけど、どの器具を使っていいのかわからなくて…」

 

 軍の格納庫など、学生の自分には今までは関わりの無い場所だった。情報系の学校に通っていたので、何がどんな装置かは知っている。しかし、勝手に使っていいのかは分からない。

 

「そんな事ですか…。…ちょっと、そこの整備士!」

 

 イロンデルは適当な技師を呼び止める。フラガの機体を整備していたその技師は、手を止めてこちらへと跳んできた。

 

「ここの機具は使っても良いですか?」

「えっと…ちょっと待ってください。…大丈夫みたいです。それはMS用に配備されたものですので、メビウスや『ミストラル』には規格が合いませんから」

 

 手に持っていた端末で確認した後に、使用の許可をくれた。イロンデルが礼を言うと、技師はまた作業に戻っていった。

 

「…すんなり許可を貰えましたね」

「ええ。こんな状況では、埃を被らせて放置する訳にもいきませんからね」

 

 ヤマトの呟きにイロンデルが答えた。残った戦力を、少しでも万全な状態に近づけたいのだろう。そうでもなければ、自分のようなコーディネイターをMSに触らせてくれるはずもない。と、ヤマトは目を伏せる。コーディネイターだから、こうして機体の整備をさせられているとも言えるが。

 

「使える物はなんでも使わなければなりません。貴方も、遠慮する必要はありませんよ」

「……そうですね…」

「何か考え事ですか?」

 

 ふと顔を上げると、目の前に彼女の顔が浮かんでいた。それも、逆さまで。思わず、後ろのフェンスにまで下がる。彼の顔が少し赤くなった。

 

「抱え込むのは良くないですよ?」

 

 彼女は手足を使って、クルクルとその場で回転する。AMBAC(アンバック)と呼ばれる、無重力空間での姿勢制御の訓練動作である。

 それを知らないヤマトには、彼女が遊んでいるように見え、それが彼女の小さな外見と相まって、妖精のようだと思ってしまった。思わず笑みが浮かぶ。

 

「綺麗な顔で笑うのですね」

「えっ!あ、いや…すみません…」

「謝る事はありません」

 

 ふと回転するのをやめて、――カツン。と、軽い音をたてて、彼女は柵の上に立った。靴裏の磁石で固定されている。

 

「貴方が何を悩み、考えているのかは知りませんが」

 

 丁度、ヤマトに背を向ける形で佇む。こちらに顔を向ける気は無いようだ。

 

「どこかで吐き出さないと、いつか面倒な事になりますよ」

「面倒な…事?」

 

 イロンデルはそう言って、腰のワイヤーガンを取り出す。それを、遠くにある自分のメビウスへと向ける。

 

「かつての…私のように」

「え?」

 

 しかし、何もする事無くホルスターへと戻した。ヤマトはその意図が分からず、眉をひそめる。

 と、彼女がこちらに体を向けた。柵が足の動きに合わせて、小さな靴の音を響かせる。

 

「気が変わりました」

 

 そのまま柵から降り、同じ足場に立つ。さっきまで見上げていた視線は、今度は見下ろす形になった。その顔は、苦虫を噛み潰したように歪んでいる。

 

「どうかしたんですか?」

「『気が変わった』んですよ、少年君」

 

 ヤマトの周りを歩く。目的があるようには思えない。暇つぶしとでも言うように、軽い調子で言葉を紡ぐ。

 

「私の友人について、少し話しましょう」

 

 柵にもたれ掛かり、ストライクを睨みあげる。そして忌々しげにその灰色の装甲に目を滑らせる。

 

「彼女はコーディネイター…()()()

「でした…って」

「ええ。もう既に死んでいます」

 

 なんでもない事のように言う。その様に、ヤマトは言葉を失った。

 

「傲慢で、自信家で。他人の事なんて考えない、自分勝手なアバズレ女でした」

 

 悪態をつくが、その声に悪意は無い。むしろ、微かだが笑みすら見える。おそらく、正直な感想なのだろう。いや、正直な感想でその言葉が出てくるのはどうなのだろうか。

 

「本来なら彼女が、XナンバーのOSを設計するはずでした。しかし、その完成前に死んでしまった」

 

 なるほど。と、ヤマトは1人で納得する。

 ストライクのOSは、最初に見た時はお粗末な代物だった。それは開発者が途中で変わっていた事が原因なのだろう。情報系の学校に通う彼は、その厄介さをよく分かっている。途中で担当が変わると、最初から書き直す必要がある事もある。

 

「ひねくれ者で、嫌われ者で、厄介者。まったく…何で友人になったのか、当時の私は何を考えてたんでしょうね」

 

 そこまで酷評を並べられると、むしろどんな人物だったのか気になってくる。コーディネイターであるにも関わらず、地球軍に身を置いた理由も。

 

「その人は――」

「さて、そろそろ私は行きます。貴方も作業が終わり次第、休みをとるように」

 

 こちらの言葉を遮り、イロンデルが離れる。声をかけ直す暇もなく、ワイヤーガンをメビウスに放つ。遠ざかる姿を、見送るしかなかった。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 己が機体に近づくにつれ、イロンデルの眉間のシワが深くなる。

 強引に話を切り上げたのはわけがある。ネクサスに通信が入っているのが見えたのだ。そして、その発信先がブリッジであるのも分かった。

 ネクサスへの連絡手段を知っている人物は極僅か。そして今、最も可能性が高い者は。

 

「クソ野郎」

『なんだ、不敬罪で銃殺刑にされたいのか?』

 

 予想通り、相手はフラガだった。通信を入れた理由も察しがつくというものだ。

 

『すぐにブリッジへ来てくれ。不味いことになった』



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第6話 暗くて広い

最善を選べないのなら、せめて後悔の無い選択を。

――『未知の道』(C.E.46年 出版)


「何があった」

 

 ブリッジに着くなり、フラガに問いかける。遠くには『アルテミス』が見える。気づかなかったが、『ヘリオポリス』を離れてかなり時間が経っているようだ。

 

「見たらわかるぜ」

 

 クイクイと、展望ガラスの外を指差す。そのキザったらしい仕草に若干ムカついたが、イロンデルは言われた通りに外を見る。そして―

 

「ハァァァ……ここでか…」

「ここでだな」

「もう少しこう何というか、手心というか…」

「奴らにそれを期待するか?」

 

 暗い宇宙に見えたのは、アルテミス。防御設備――通称『アルテミスの傘』を展開している。そして今、この『アークエンジェル』の横を通る宇宙艦があった。

 その独特の青みがかった外装は、見間違えるはずもない。

 

「ナスカ級だけか?もう一隻、ローラシア級がヘリオポリスにいたはずだが」

「ええ。アークエンジェルの後方に、艦影を確認しています。恐らくはそれがローラシア級かと」

「…やってられんな」

 

 バジルールの補足に、イロンデルはため息を着く。まだアルテミスとは距離がある。ナスカ級はアークエンジェルを抜いて、アルテミスとの間に網を仕掛けるつもりだろう。ローラシア級と挟み撃ちが狙いか。

 

「クルーゼのやりそうな事だ。堅実で陰湿な奴らしい」

「まったくだな。アルテミスに駆け込む訳にもいかねぇし」

 

 アルテミスの傘は、正しく絶対防御。そのバリアは如何なる攻撃も通さない。つまり展開中の現在、相手が解除してくれるのを待つしかない。悠長に待っていては、敵がこちらに気付くだろう。時間の問題だ。

 

「エンジンを始動すると、敵もこちらを見つけるでしょう。MSを出されたらそれこそ一巻の終わりです」

「想定される敵の戦力は?…MSの数はどの程度になる?」

 

 今ここに、ヘリオポリスを襲った2隻共がいるということ。それはつまり、アークエンジェルと同様に敵も補給を受けていない、と見て間違いない。

 敵の『ジン』が少ないならば、強引に突破する方法も――。そこまで考えて、イロンデルはやはり無理だと思い直す。

 

「ヘリオポリス内部で3機を撃墜。周辺宙域でジン1機に損傷を与え、他に『シグー』が1機確認されています。通常、宇宙艦のMS搭載数が6機で――」

「いや、考える必要は無い」

 

 クルーの報告を遮り、椅子に座って深く項垂れる。その様子に不安に思ったフラガが、何か分かったのかと問いかける。

 

「奴らが何機、投入してくるか察しがついただけだ」

「へぇ…。で、何機なんだ?」

 

 尋ねるフラガに、イロンデルは視線だけを返す。自分で考えろ、ということらしい。顎に手を当てて、普段はあまりしない思考にふける。程なく、同じ回答に辿り着いた。

 

「…なるほどな。4機か。それは不味いな」

「あの男が来るよりはマシだろう。僥倖だな」

「言ってる場合かよ」

「あの…できれば説明して欲しいのですが」

 

 何やら2人だけで分かりあっている様子に痺れを切らし、ラミアスが口を挟む。この状況で蚊帳の外は御免だった。

 

「Xナンバーを相手取るってことさ」

「な、なぜそんな事が分かるのですか?」

 

 あまりに突拍子もない事に、思わず聞き返す。奪われたばかりの最新兵器が、敵として向かってくるなど考え難い。ザフトにとっても、中立国に攻撃してでも手に入れた機体を失うリスクは侵したくないはずだ。

 

 と、いうのが一般的な思考である。

 しかし、今回は当てはまらない。何故ならば。

 

「相手はクルーゼだからな。あいつなら何だって有り得る」

「それに、忘れたのですか。先程だって『イージス』を投入してきた連中ですよ」

「な、なるほど。確かにそうね」

 

 問題は山積みだ。Xナンバーが共通して搭載する、フェイズシフト装甲。実弾兵器を完全に無効化するそれは、この状況では厄介極まりない。

 

「俺の『メビウス・ゼロ』はフェイズシフト装甲を貫けない」

「私のゼロ式も、ようやく装備したばかりです。威力だって心許ない」

「では、やはり『ストライク』に頼るしか」

 

 ビーム兵器を主力とするストライクなら、十分な戦力になる。しかし、それには幾つか問題が発生する。

 

「だが、パイロットはどうする?私やフラガでは満足に扱えないぞ」

 

 その答えは知っている。知っているが、聞かずにはいられない。

 

「あの少年…キラ・ヤマト君…でしたか。彼しかいないでしょう」

「却下だ。彼は民間人だぞ。本気で言っているのか?」

 

 バジルールの言葉を、イロンデルは即座に否定する。そこにフラガが口を挟む。

 

「お前こそ本気か?」

 

 口調こそ変わらないが、その奥には怒気が含まれている。まっすぐイロンデルを睨み、彼女の言葉を待つ。

 

「ストライク無しで、どうやって敵の攻撃を凌ぐっていうんだ。俺とお前だけじゃ、Xナンバーを抑えきれない」

「作戦ならある」

 

 イロンデルは『ネクサス』をモニターと繋ぎ、付近の宇宙図を呼び出した。そしてそこに、4つの点を表示する。それぞれが示すものを確認していく。

 

「これがアルテミス。こっちが本艦。その距離はまだ近いとは言えない。そして、ちょうど間にナスカ級が1隻。本艦を挟むようにローラシア級」

 

 ネクサスを操作すると、時系列が変化していく。ほとんど動かないアルテミス。ゆっくりと停止するナスカ級。アルテミスに近づくアークエンジェル。それを追うように移動するローラシア級。

 

「このまま進めばナスカ級と接触するのは時間の問題だ。故に、それまでに攻撃を行う」

 

 アークエンジェルの点から、2つのMAを示す小さな三角が現れる。それぞれ、フラガ機とポワソン機である。

 

「エンジン始動と共にMAを射出。私が前方のナスカ級を機関停止に陥れた後、アークエンジェルは最大戦速でその横を通過する」

 

 単純な速度ならば、ローラシア級を振り切れる。ナスカ級さえどうにかすれば、十分にアルテミスに逃げ込む時間を稼げるはずだ。

 

「私がナスカ級に接近するまで、この艦はMSの攻撃に晒される。フラガにはその防衛を行ってもらう」

「なるほどな。で、どれぐらい凌げばいいんだ?俺のゼロ式には、ビーム兵器が無いぞ」

「発艦して2分だ」

 

 確信を持って言い切るイロンデルに、ブリッジは静まる。なぜそこまで自信があるのか、ラミアスには疑問に思えた。2分など、こんな風に話しているだけで過ぎてしまう時間だ。そんな僅かな間に、宇宙艦を行動不能にできるものか。

 

「そんな、不可能です!2分なんてたどり着くのが精一杯でしょう!」

 

 バジルールが当然の反応をする。確かに()()()メビウス・ゼロはMSを凌ぐ速度を持つが、2分では到達できない。

 

「私のゼロ式には『オーバーアチーブ』がある。この程度の距離なら、20秒も掛からない」

「馬鹿げた作戦だな」

 

 フラガが腕を組み、イロンデルの前へとやって来る。その小さな体躯を見下ろし、青い瞳と目を合わせる。

 

「…何か?」

「死ぬ気の人間に預ける命はねぇぞ」

「必要な犠牲だ」

「アホか。失敗して、この艦ごと沈むのがオチだ」

「やってみなければ分からんだろう」

「やるまでも無いって言ってんだろが」

 

 狭いブリッジで、2人が睨み合う。険悪な雰囲気がブリッジを満たす。

 

「分かれよ。ストライクを投入できれば、こっちの戦力は何倍にもなる」

「だからって民間人を巻き込むのか?我々は軍人だぞ。守るべき人を戦いに引きずり込んでどうする」

「それこそ、必要な犠牲ってヤツだろ」

「貴様っ!!」

 

 イロンデルがフラガの首に掴みかかる。が、容易く床に組み伏せられる。体格に差がありすぎる。腕を取り関節に逆向きの力を加え、固定する。

 背に乗ったフラガの片足に潰され、彼女が苦しそうな声を上げる。

 

「ぐっ、うぅ…」

「俺だってさ、好き好んで巻き込む訳じゃねぇよ。だがな、割り切るしかないんだ」

 

 もがく彼女をより一層強く押さえつける。呼吸音が断続的なものとなり、肺が空気を取り入れていないことを知らせる。

 

「フラガ大尉、力が強すぎます!」

「部外者は黙ってろ!」

 

 止めに入ったラミアスを一喝する。それ以上口を出してこない事を確認し、フラガは改めてイロンデルを見る。

 

「誰も巻き込まない。誰も死なせない。…そんな選択肢は無いんだ」

「う、る…い」

「お前の気持ちは分かるさ」

「…うるさい」

「でもあいつだって、こんな事は――」

「――だ…ま、れぇぇえええ!!」

 

 ――ペキッ――ドガッ!

 っという、間の抜けた音。それに続いて重い大きな音。

 

「なっ!?ぐぁ!」

 

 腕の関節を強引に外し、驚いたフラガが力を緩めた瞬間。拘束を振りほどいてその腹に両足を打ち込んだ。

 これには堪らずフラガは大きく下がる。

 

 ゆっくりと起き上がりながら、イロンデルは何度も息を大きく吸って肺に空気を取り込む。糸が切れた様に垂れ下がった左腕を庇いながら、フラガと相対する。

 互いに睨み合い、一触即発の緊張状態となる。そして一歩、足を踏み出した。

 

「し、失礼しまーす」

 

 が、突然ブリッジに聞こえた声に2人とも動きを止める。明らかに従軍者のものではない、怯えと緊張の混じった声。ブリッジにいる全員の視線が声の出処へと集まる。

 

「あ、え、っと…その。お、お邪魔でした?」

 

 メガネをかけた青年。たしか、ヤマトと共に居た学生だったか。彼に続いて3人、合計で4人が居るのが見えた。

 

「それは要件にもよりますが…まずは名前を名乗るのが礼儀ですよ」

 

 イロンデルは左腕を学生に見えないように隠す。血は流れていないが、服の下で赤く腫れ上がり民間人には刺激が強いだろう。先程までのピリピリした気配は鳴りを潜め、完璧に『民間人に求められる軍人』を演じる。

 

「相変わらず、名女優なこって」

 

 ボソリと呟くフラガを無視する。くだらない煽りに付き合う気は無い。そういう彼も、蹴られた腹をさすり痛みを誤魔化している様だ。

 

「は、はい。俺…じゃない、僕はサイ・アーガイル」

「ミリアリア・ハウです」

「トール。あ、トール・ケーニヒです」

「ぼ、僕はカズイ・バスカークと言います」

 

 先頭に立つアーガイルに続いて順に学生が名乗る。ヘリオポリスで保護した学生達。なぜ、ブリッジに来たのだろうか。戦闘を控えた今、大人しく区画に居てもらいたいのだが。

 

「本来なら民間人の立ち入りは禁止されていますが…。何か御用ですか?」

「あの…その。お、お手伝い。…できないかなって」

 

 おずおずと、アーガイルが言う。軍人と話すということに慣れていないのだろう。落ち着かない様子だ。

 

「手伝い…ですか?」

「この船、人手不足なんですよね」

「私達も、出来ることをしたいんです」

 

 ブリッジに居るものは誰も口にはしなかったが、その視線は1人に向けられていた。民間人が自ら戦いに参加したがるなど、先程の怒り具合からしてどうなるか分かったものではない。

 

 しかし、多くの心配を裏切りイロンデルは何も言わない。学生達の真意を探るように見つめているが、動きを見せない。代わりにフラガが対応を引き継ぐ。

 

「そうだなぁ…。通常なら民間人が軍事設備に触れるのは許されないが、今は状況が特殊だ。いいんじゃないか?なあ、艦長」

「え!?あ。は、はい。そうですね。力を貸して貰えるなら、こちらとしてもありがたいです」

 

 急に話を振られて、ラミアスは驚いた。形だけの艦長である自分に、気を使ったのだろうか。彼らの友人であるキラ・ヤマトはストライクの搭乗者だ。彼の信用を得るためにも、友人達が協力してくれるならありがたい。

 ふと、ラミアスの言葉を聞いたイロンデルが、ブリッジの出入口へと歩き出した。

 

「どこへ行くんだ?」

「頭を冷やしてくる」

 

 フラガの問に答えるが、その顔に表情は無く心中は伺えない。行動には出さないが、やはり不満なのだろうか。

 

「作戦はどうすんだよ」

「…分かってる。……割り切るさ」

「…そうか。なら、いい」

 

 学生の横を通り過ぎ、ブリッジから出ていく。

 その背中を誰もが静かに見送った。



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第7話 信じるものは

「彼は小人だろ?」
「でも態度は大きいわ」
 
――『散満惨然産残譚』より(C.E.54年 出版)


 一旦、学生達には軍服に着替えてもらう事にして1人のクルーに任せることにした。ブリッジはつかの間の平静を取り戻すが、状況は何も変わっていない。今にも敵のナスカ級は横を通り過ぎ、『アークエンジェル』の行く手を阻もうとしている。

 しかし、ブリッジにいる者の関心は別にあった。

 

「彼女…大丈夫かしら」

 

 ラミアスが呟いたのは、先程ブリッジを出て行ったイロンデルについてのこと。あれほど荒れると、この後に控える戦闘に影響が出ることも十分に考えられる。限られた戦力しかない状況では、そういった事はなるべく避けたい。

 

「イロンデルの事か?アイツはあれで良いのさ」

 

 他の者と違いそれなりに長い付き合いのあるフラガは、イロンデルの行動を全く心配していない様だった。今も蹴られた腹をさすりながら、『ストライク』の運用を前提にした強行突破作戦を考えている。シミュレーションを動かし、成功確率を計算する。

 

「あんなに怒っていたのに、あれで良いのですか?」

「ていうよりあそこでキレてなきゃ、俺があいつを蹴り飛ばしてたな」

「……それは、何か事情が?」

 

 途中まで出来ていた作戦計画を、全て消去して白紙に戻す。どうやら上手くいかなかったようだ。

 

「そりゃあ、あるさ。デカい事情がな」

 

 ストライクの装備や発艦のタイミングを変更し、何度目かも分からないシミュレーションを繰り返す。MS4機を凌ぎながら、敵艦に損害を与えるという難問は、そう簡単には解けない。

 

「だが俺から話す気は無い。その件に関しては俺だって部外者だ。アイツにとって重要なのは、『民間人が巻き込まれるかどうか』。だからあの小僧の意志が分からないのに作戦に組み込む事にキレた。さっき来た奴らは自分の意志で手伝いたいって言ったからな。それを尊重したのさ。……クソ、囮作戦でいくか?いや、防衛の戦力を減らすってのは…。なぁ、艦長」

 

 作戦に悩み、ラミアスに助言を求める。『Xナンバー』の開発者ならば、知っている事も多いだろう。出せる知恵は総動員しなければならない。

 

「仮に『ランチャーストライク』で狙撃をする場合、どの程度の距離までなら、()()()命中させられる?」

 

 もし長距離の狙撃が可能ならば、大きなアドバンテージになる。奪われたXナンバーには、射撃支援機の『バスター』も含まれる。アウトレンジからの一方的な被弾は避けたい。

 

「それ程長くは無いわ。戦艦並の威力を持つ『アグニ』は、その威力と引き換えに精密性が低下。距離が長くなるほど、プラズマエネルギーが拡散しやすくなって、真っ直ぐ撃てなくなるの」

「あわよくばナスカ級を直接…なんて上手くは行かない訳か。振り出しに戻ったな」

 

 ガシガシを髪を掻き乱し、フラガは頭を抱える。先に艦を叩いてしまえば、後はMSに集中できる。戦場に置いて数は勝敗を左右する重要な要因の1つだ。その差を可能な限り縮めたい。

 

 何か手がいる。戦況を変えうる、大きな一手が。

 何度もストライクと『メビウス・ゼロ』の武装を確認し、想定される他のXナンバーの兵装をモニターに羅列する。どうしてもその差は埋まらないのか。

 と、そこで。その様子を見ていたバジルールが声を上げた。

 

「艦長。特装砲の使用を提案致します」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 ストライクの整備を終え、ヤマトは居住区の廊下を歩いていた。先程友人のいた区画に戻ったが、アルスターを除いて誰もいなかった。

 あまり話したことの無い異性と2人っきりで居るのは、思春期の少年にとって難しい事だった。気恥しさから逃げたし、宛もなく歩いているのが現状だ。

 

 今、この船は『ヘリオポリス』の住人で溢れている。家を失った人。家族を失った人。重い雰囲気が漂い、誰も笑顔を見せない。それもそうだろう。これからどうなるのか。無事に安全な場所にたどり着くのか。そもそも、安全な場所に向かっているのか。

 何も『希望』が無いのだから。

 

「できた!」

 

 ふと、明るい声が響く。

 暗い静寂を打ち破る声に、ヤマトは発声源を探す。居住区の一画。硬く冷たい通路の上で、1人の少女を見つけた。 

 

「エル。他の人も居るんだから、大きな声を出しちゃダメよ」

「あ!ごめんなさい!」

 

 母親らしき女性に窘められるが謝る声すら大きい。なんというか、外見相応の活発な少女、という感じだ。周りの人間が肩を落とす中で、何故これ程元気なのだろうか。他の同年代の子供は静かにしているのを見ると、そういう年齢だから、という訳では無いだろう。何となく気になって、ヤマトは彼女の様子を観察する。

 

「あのお姉さんが何処に居るか、探さなきゃね」

 

 そう言う母親の手を握り、少女は駆け出した。ヤマトもこっそりとその後について行く。その探し人は誰なのだろうか。

 少し歩くと、少女の歩みが遅くなった。周囲は他と余り変わりのない十字路。彼女の目当てらしき人は見当たらない。

 

「あのね、さっきココでお姉ちゃんに会ったの!」

「じゃあこの近くに居るかもしれないわね」

 

 辺りを見回した母親が、ヤマトに気づく。少女の手を握ったまま彼の方へ近づいてくる。一瞬、付いてきたことを咎められるかと身構えたが、そのような様子は見られない。

 

「あの、すみません」

「は、はい。何ですか?」

「この近くで背の小さい、軍服を着た女の子を見ませんでしたか?」

 

 話しかけられ、少し戸惑う。しかし、彼女達の探している人物には心当たりがある。女の子と言われる軍人など、()()しかいないだろう。

 

「イロンデルさんの事ですよね。よかったらあの人の居そうな場所まで案内しますよ」

「助かります。ほら、エルも御礼を言って」

「ありがとう、お兄ちゃん!」

 

 元気な少女に手を握られる。何故なのかとその顔を見ると、眩しい程の笑顔があった。どうやら、連れて行ってと言いたいらしい。母親の方を見ると、困った様に眉をひそめながらも、どこか嬉しそうな顔をしている。

 無理に振りほどく訳にもいかず、幼子特有の高い体温を感じながら軍事区画を目指す。あの人の居場所を正確に知っている訳では無いが、ドックを去る際のイロンデルの様子からブリッジにいるのではないかという推測だ。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「すみませんが、ここから先は関係者以外の立ち入りを禁止しています」

 

 未だブリッジには遠い、軍事区画と居住区の境。ヤマト達は足止めをくらっている。その通路に立つ軍人は、自分たちを通すつもりがないらしい。

 それもそうだろう。素性の分からない人物を、おいそれと重要な場所には入れられない。それはヤマトも納得できる。

 

 納得できるが。

 

「会えないの?」

 

 右手に感じる温度を、今一度しっかりと握り返す。納得する訳にはいかない。この船の中で唯一見つけた笑顔を、消してはいけない。

 少女の前に膝をつき、目線を合わせる。

 

「大丈夫だよ」

 

 胸元から『トリィ』を取り出し、少女に見せる。その本物の鳥に近い動きは、少女の顔から不安を取り除いてくれた。少女の肩にトリィを乗せ、自分も気持ちを落ち着かせる。

 

 もう一度、軍人と向き合う。

 この少女をイロンデルと会わせる。そのために自分ができること。

 

「イロンデルさんに…よ、呼ばれたんです。後で私の部屋に来なさい。って」

 

 嘘だった。軍人の鋭い目が、ジロリとヤマトを睨む。明らかに疑っている。

 

「見たところヘリオポリスの民間人の様ですが。何故大尉が呼んだのか、気になりますね。よろしければ理由をお伺いしても?」

「そ、それは…その…」

 

 言わなければ。

 言うのだ。

 自分は――。

 

「僕は…」

 

 ダメだ。怖い。

 もし言ってしまえば、自分を見る目がどうなるのか。

 また銃を向けられるかもしれない。今度は庇ってくれる人はいない。隣の少女も、その母親も、自分を拒絶するかも。

 なら何も無かったことにして、去った方が賢い選択では無いか。仕方ないが、少女には諦めて――

 

「お兄ちゃん?」

『トリィ…』

 

 その声に、思考に没頭していた意識を覚醒させる。少女が不安そうに自分の顔を覗き込んでいる。トリィも、持ち主の気持ちを慮がるように鳴く。

 

 そうだ。

 

 自分に言い聞かせる。

 誓ったではないか。例えどうなっても、少女を会わせてあげる。笑顔を消さない、と。

 

「僕はコーディネイターです」

 

 その言葉に、目の前の軍人は目を見張る。後ろにいる少女の母親が、息を飲む音が聞こえた。

 言った。言ってしまった。

 もう後戻りはできない。

 

「では君がストライクを…。なるほど、大尉に連絡を取ります。少しお待ちください」

 

 距離を取った軍人が、通信機を通して話し出す。その内容は聞こえない。ただ、チラチラとこちらに視線をやる。

 

「コーディネイター…だったのね」

 

 少女の母親の声に振り向く。自然と、少女の手を離す形になった。その目に敵意は無いが、少し警戒している様にも見える。当然だろう。

 母親は少女を自分の傍に引き寄せる。少女自身はその意味がわかっていないようだ。キョトンとした表情で、母親とヤマトの顔を見比べる。

 

「あの白いロボット。動かしてたのはあなた?」

「…は、はい。そうですけど…」

 

 何が言いたいのか。その真意を探りながら、慎重に会話する。しかし、その必要は無かった。

 

「ありがとうございました」

 

 お礼を言われた。何故か。

 

「見ていたんです。私たちの脱出艇を助けてくれたのを」

「…えっと。どう、いたしまして?」

「本当に、助けてくださってありがとうございました」

 

 そう言って深深と頭をさげた。

 

 なんと言っていいか分からなかった。ただ、自分が正しい事をしたのだと認められた気がした。トリィが自分たちの周りを、心地よい鳴き声をあげながら廻る。

 

 自分の居場所を見つけたような。救われたような気がした。

 

「大尉と連絡が取れました。こちらに直接いらっしゃるそうです」

 

 眉間に深いシワを作った、誰が見ても怒っているとわかる表情をした小さな軍人がやってくるまでは。



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第8話 渦中に惹く

例外があるなら、原則もあるはずだ

――『箱庭の底には』


 ブリッジを出たイロンデルは、自室の中で呻いていた。

 

「痛い…痛い痛い痛い痛い!」

 

 赤ん坊が泣くのは、母親を呼ぶという目的の他に、自身のストレスを和らげるという効果があるのだとか。つまり、本能だ。叫べる場所では思い切り叫んだ方が体に良いらしい。

 関節が外れた左腕を気遣いながら、上着を脱ぎ捨てる。鏡を見ると、肩が赤く腫れ上がっている。無理矢理外したのだから当然ではある。

 

『┐( ︶⌓︶ )┌』

「うるさいわね。自業自得だって分かってるわよ」

 

 バカにした顔を表示する『ネクサス』をベッドに投げ捨て、関節を嵌める事を試みる。まずは現状でどれ程動くのか確認する。

 肩は動かない。当然だろう。肘は半分程度で痛みに耐えられなくなる。手のひらはある程度動く。骨は折れていないようだ。

 

 腕をしっかりと固定しないと、治療は難しい。誰かに押さえて貰うのが1番だが、あいにく頼れる相手がいない。医務室へ行くのは最後の手段にしたい。限られた医療物資を消費したくない。強引にくっつけるか。

 

 右腕を大きくスナップすると、その手のひらに細いナイフが握られる。かつて友人が作った小道具の1つで、両腕の前腕に隠されている。彼女曰く、あった方がかっこいい。らしい。

 困る物でも無いので、両腕に着用している。

 

「全く、やってらんないわね」

 

 口癖をボヤきながら、シーツの1枚を適当に細く切り裂く。

 

「痛っ!い。ぐぅ…クソ」

 

 痛みに耐えながら、左腕をベッドの柵に結びつける。可能な限りしっかりと固定する。右手を左肩に当て、はめ込む準備をする。

 

「3カウントよ。…1。……2。……さn」

『(・◇・)』

「何?」

 

 いざ覚悟を決めた時、ネクサスが音を鳴らす。その直後、壁に設けられた通信機に着信があった。結んだシーツを解き、応答する。

 

「イロンデル・ポワソンだ」

『こちらイシュー・レジンです。お休みの所、失礼します』

 

 確か軍事区画の見回りをしている男だったか。わざわざ自分に通信を入れる理由は、思い当たらない。

 

「要件を」

『はっ!コーディネイターを名乗る少年が、大尉に呼ばれた、と言いまして。そのような連絡は無かったもので、確認を』

「コーディネイターの少年?…『ストライク』の操縦者の事か」

 

 彼とそんな会話はしていない。つまり本人が嘘をついたか、本人を騙る者か。後者ならば、色々問題がある。まあ前者でもそうだが。

 

「その少年の特徴は?」

『背丈は160~170。体格は標準。髪色は茶髪です。緑色の鳥のロボットを所持しています』

 

 間違いなく彼だ。

 では何故、嘘をついたのか。それを知るには、本人に聞くのが手っ取り早い。つまり、嘘に乗っかる事にした。

 

「ああ、確かに来るように言ったな。すまない。連絡を忘れていた。私の部屋まで案内してくれ」

『分かりました。彼の連れも同様でよろしいですか?』

「連れ?」

 

 同じ学生か。彼らは今はブリッジに居るはず。そう言えば赤髪の少女がいなかった。連れとは彼女の事だろうか。まあ通していいだろう。しかし、その予測は裏切られる。

 

『大尉よりも小さな女の子と、おそらくその母親です』

「何?学生ではないのか」

『その可能性は低いかと』

 

 思わずイロンデルは目を覆う。いや、まだそうと決まった訳ではない。一縷の望みをかけて、確認を行う。

 

「彼は()()()()コーディネイターを名乗ったのか?」

『はい』

 

 今度こそ顔を覆い、深くため息をつく。最悪だ。この後を考えるとむしろ都合がいい。しかし、それはそれだ。

 まさか、彼は自分の立場を理解していないのか。

 

『いかがしますか。連れの方々も案内を――』

「いや、私がそちらに行く」

 

 ただの民間人を招き入れる訳にはいかない。仕方ないがこちらから出向こう。

 イロンデルは脱ぎ捨てた上着を再び羽織る。袖を通したい所だが、あいにく痛みが酷い。せめて見られないよう、右腕だけ通して前を閉じる。

 

「イタッ。行くわよ」

『(^▽^)o』

 

 何が目的かは知らないが、せめてタイミングは読んで欲しい。そもそも何故コーディネイターを名乗ったのか問い詰めたい所だ。中途半端に力を込めた事で腕の痛みは悪化している。意識していないと自然と眉間にシワがよる。

 

「やってられんな」

 

 本当に、やってられない。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「あっ!迷子のお姉ちゃん!」

 

 イロンデルの姿を見た少女が、駆け寄ってくる。勢いそのまま、彼女の胸に抱きつく。上着の中の左腕を巻き込む形になり、イロンデルの体を痛みが駆け抜ける。

 

「こぉ!こ、こんに、ちは。迷子の少女さん」

 

 なんとか表情を取り繕い、それでも片眉を歪ませながら少女を受け止める。痛い。痛いが、子供の前で泣き叫ぶのはダメだ。

 

「エル、急に抱きついたら危ないわよ。すみません、…えっと、イロンデルさん…と、お呼びすれば良いかしら」

「構いませんよ」

 

 母親が少女を引き離す。痛みから解放され、イロンデルは目の前の親子に分からないよう深く息を吐く。

 

「ほら、エル。イロンデルさんに渡す物があるでしょ?」

 

 母親が促すと、少女はポケットから何かを取り出した。青いそれは、イロンデルは何か分からない。

 

「これ!あげる!迷子のお礼!」

 

 つい数時間前、初めてこのような宇宙艦に乗り迷子になっていた少女を助けた。そのお礼ということか。わざわざ貰うものでもないが、邪険にしては可哀想だ。

 

「これは…?」

 

 手に取って観察するが、イマイチ理解できない。三角、四角、そんな幾何学の集まりが1つの形を作っている。手触りからして、紙でできているようだ。裏返したり、回してみて眺める。全くの不明だった。

 そんな様子に痺れを切らしたのか、少女が頬を膨らませて言う。

 

「折り紙!ツバメなの!」

「オリガミ…?」

 

 聞き覚えのない言葉に、思わず聞き返す。随分間の抜けた声が出てしまった。確か、昔読んだ本にそんな言葉が、あったような。無かったような。

 

「オーブの文化です。1枚の紙を折って色んな形を作る。動物とか、植物とか。昔は別の国の伝統文化だったらしいですけど」

 

 ヤマトの説明に、こんなものが1枚の紙でできているのかと不思議に思う。眺めるだけでは全く想像できない。

 その全体の形を見ると…なるほど。確かに翼を広げたツバメに見える。

 

「イロンデルって、ツバメのことなんでしょ?私調べたの!」

「えぇ…よく分かりましたね」

 

 興奮気味に喋る少女の頭を撫で、落ち着かせる。

 青いツバメ。イロンデルそのものを示すという事か。

 

「この子が1人で作ったんですよ。ちゃんとお礼がしたいって」

 

 よく見ると、端の部分が綺麗に合わさっていなかったり、折った箇所が歪んでいたり。どこかに拙さを想起させる。

 少女を見ると、頑張ったんだ。と、証明するようにその胸を張っている。ふんすっ!と、鼻で息を吐き、ドヤ顔が顔いっぱいに広がっている。

 

「ありがとう。エル」

「いへへ〜。お姉ちゃんもありがとう!」

 

 眩しい程の笑顔。こちらまで釣られてしまいそう。

 

 ――やはり言わない方がいいだろう。わざわざ暗い事を言う必要も無い。イロンデルはそう決めると、迷っていた言葉を胸にしまい込んだ。

 

「これは宝物にします」

「うん!大事にしてね!」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 元気よく手を振り去っていく少女を、見送る。

 

「またね!お姉ちゃん!」

「ええ。また会いましょう」

 

 イロンデルも優しく手を振り返し、その姿を送る。

 

「またね!」

「ええ、また」

 

「絶対ね!」

「ええ、必ず」

 

 やがて通路の曲がり角に消えるまで、そのやりとりは続いた。

 幼いなりに理解しているのだろうか。軍人という仕事が、どのようなものか。ついさっきまで話していた人が、出撃から帰ってくると死んでいる。――そんな世界を。

 

「それじゃあ、僕も戻ります」

「はい、そうですね。――とでも言うと思いますか」

 

 故に軽々しく、しかも無自覚に、片足を突っ込んだ少年を、見過ごす訳にはいかない。

 

「レジン一等兵。この少年を通すぞ」

「はっ!大尉の監視下ならば問題ありません」

「聞きましたね。ついてきなさい」

「は、はい」

 

 冷ややかな眼でヤマトを睨むと、彼を連れ立って歩き出す。

 

「あの…」

「黙ってついてくるように」

 

 質問も許されない。その声には怒気が含まれている。

 ヤマトもそれ以上は口を閉じ、おずおずと小さな軍人の後をついて行く。

 

 張り詰めた沈黙の中を歩くこと数分。

 

「入りなさい」

 

 彼女の部屋に通される。無機質な灰色の部屋。重力は変わらないはずなのに、踏み入った瞬間に体に重くかかるプレッシャーを感じる。これから何が始まるのか、ヤマトは予想できない。

 

「どうぞ座ってください」

 

 促されるまま、置かれた椅子に腰掛ける。1つしか無いので、イロンデルはベッドに座る。

 

「さて…さてさてさてさて」

 

 カツカツ…と、声に合わせて床を鳴らす。その度に、ヤマトは体が重くなるように感じた。

 

「さてさて。何から話しましょうか」

 

 今まで見たこともないような冷たい眼。無意識に、ヤマトの喉は唾を飲む。その小さな体躯からは想像できないようなプレッシャー。嫌な汗が頬を伝う。

 

「そうですね…。貴方は、何故ここに連れて来られたか分かっていますか?」

「貴女に呼ばれたって言ったから、とかですか?」

 

 その答えにイロンデルは深くため息をつき、目を覆う。望む答えでは無かったようだ。肺の中の空気を全て出したのでは無いかと思う程の、長いため息の後。指の間からヤマトを見つめる。

 

「コーディネイターを名乗ったからです」

「それは…でも、そうしないと貴女に会えないと思って」

「貴方はその意味を分かってない」

 

 ヤマトの言い訳を遮り、少し語調を強める。それほどに重要な事だ。

 

「民間人の居る所で、自分から名乗る事の意味。少しは考えてみると分かると思いますが」

 

 どんな意味があるのか。ヤマトは考える。しかし、いくら考えてもそれらしい答えは出てこない。

 

「わ、わかりません…」

「はぁ〜〜〜〜…はっはっはっは」

 

 ため息からそのまま、乾いた笑いが狭い部屋に響く。明らかに呆れている。

 

「あそこにいた親子にとって、貴方はヒーローなんです。それは分かりますね。…分かってくださいますね?」

「ヒーローって…そんな」

「大袈裟だと思いますか?言われたんじゃないですか?『守ってくれてありがとう』『貴方は命の恩人です』『貴方がいて良かった』。そんな言葉を」

 

 確かに言われた。おずおずと、肯定の意を込めて頷く。

 

「貴方はこれから、戦うことを望まれるようになります」

「え」

「当然でしょう」

 

 イロンデルはベッドから立ち上がりヤマトの前までやってくると、その胸に指を当てる。

 

「ヒーローに助けを求めるのは、物語の定番です。それも、不安な状況に置かれているのなら尚更」

 

 指を今度は眉間に移し、まるで銃を構えるような手を作る。

 

「あの親子には言いませんでしたが、まもなくこの艦は戦闘に突入します」

「っ!」

 

 思わず席を立ちそうになるが、眉間を抑えられて動けない。代わりに心臓の鼓動が速くなる。ようやく、ヤマトも彼女が何を言いたいのか分かった。

 

「私たち軍人は、当然戦います。それは報酬として給料が貰えるという俗物的な考えがあったり、この艦を守りたいという英雄的な志があったり。はたまた自分が死にたくないという本能的な願望があったり。戦う理由は様々です」

 

「しかし貴方が戦う時、何をその胸に抱くのか。それを気にする人は誰もいません。貴方に期待されるのは、戦って戦って戦って。さながら絵本に出てくるヒーローの様に、その身を削って人を守る事のみ」

 

「負けること、逃げることを許されない、軍人とは全く異なる立場に、今の貴方は置かれています」

「ぼ、僕はそんなつもりであの人達を助けた訳じゃ――」

「貴方の意思は関係ない。善意で助けられた人間は、助けた人に依存する。軍人があくまで職業なのは、ビジネスで戦う為です。英雄にならない為に」

 

 ――貴方はそのラインを超えてしまった。しかも無自覚に。

 

 そう言うとイロンデルは数歩下がり、ヤマトと距離をとる。背中や頬を嫌な汗が流れ、心臓は今にも飛び出してしまいそうな程にうるさい。

 彼女が何を言っているのか、完全に理解した訳では無い。それでも何を言いたいのかは分かった。

 

「僕は…僕は…どうすれば、いいんですか」

 

 縋るような、救いを乞うような眼をして、震えた声を絞り出す。

 

「私が何とかできれば良いのですが。しかし貴方は無自覚とはいえ、自分から英雄となった。…いや、なってしまった」

 

 イロンデルは冷たく言い放つ。

 

「私は…貴方に戦って欲しい。私たちだけではこの艦を守れない」

 

 イロンデルは唇を噛み締める。こんな事を言わねばならぬのか。まだ10代の子どもに。

 

「戦力が必要なんです。…貴方(ストライク)という力が」

「…戦わなきゃ、いけないんですか」

 

 己の力不足を悔いる。自分がもっと強ければ。こんな事にはならなかった。

 

「…どうか。お願いします」

「…」

 

 ヤマトは考える。自分は戦いたくなどない。しかし逃げ出したとて、どうにもならないだろう。もし逃げた事が周囲に知られたら、今度こそ拒絶されるかもしれない。あの母娘にも、軽蔑されるかもしれない。

 

 嫌だ。怖い。戦えば死ぬかもしれない。

 

 だが、拒絶されるのは…もっと怖い。彼女達と共に戦えば、コーディネイターであることも受け入れてもらえるだろうか。

 

「わかり…ました。……僕も戦います」

「――ッ!…ありがとう…ございます」

「今回だけです。今回だけ…皆を守るために」

「ええ。…ええ。それで構いません」

 

 ヤマトの言葉に、イロンデルは深く頭を下げる。1度だけ。…そう、1度だけだ。金輪際、こんな事はしない。

 

「おーい、イロンデル。作戦が決ま――。なんだ、小僧もいたのか」

 

 不意に扉が開き、資料を持ったフラガが入ってくる。

 

「…フラガ。彼は協力してくれるそうだ」

「よし。なら作戦の変更は無しだな。一緒にブリッジへ来てくれ。概要を説明する」

「了解…と、言いたいところだが先に行ってくれ。まだ腕がハマってない」

 

 上着の前を開く。ヤマトの目が驚いたように開き、逸らされる。やはり刺激が強かったか。

 

「なんだ。まだだったのか。何なら俺が嵌めてやろうか?」

「ふざけるな。お前は雑なんだよ」

「へぇへぇ。なら一人でやりゃいいさ。ブリッジで待ってるぜ」

 

 ヤマトを連れ立って、フラガが退室する。1人残ったイロンデルは、バタリとベッドに倒れ込む。虚ろな目で天井を睨み、少年とのやり取りを思い返す。

 

「……クソッ…」

 

 彼を追い詰めた。逃げ道を塞いだ。巻き込んだ。

 

 仕方の無い事だ。…とは、思わない。きっと、どこかで間違えた。もっと上手く動けば、彼を戦場に送らない道もあっただろうか。

 いや、そもそも自分の命が惜しいだけだ。最初の作戦ではストライクを勘定に入れていない。学生達が志願しなければ、フラガの言葉に折れる事も無かった。

 

「…ダメだな、私は」

 

 今さら何を考えているのやら。少年の参戦は決定事項。学生の志願も今は昔。部屋でうじうじ後悔している自分より、よっぽど誰かの役に立とうとしている。

 

『(´-ω-`)』

 

 小さな電子音と共に、ネクサスにある1文が表示される。電子書籍としてダウンロードした本にある言葉だった。

 

「『過去を振り返るのは余裕のある時にしろ』…ね。全く、変な本ばっかり入れるんじゃ無かったわ」

 

 下半身で反動を付けて、一気に起き上がる。肩に激痛が走るが、気にしていられない。やるしかないのだ。軍人として、給料分の仕事はこなさねばならない。

 

「…我ながら下手な言い訳ね」

 

 彼を巻き込んだ責任を果たす。今考えるのは、それだけにしよう。

 

「3…いえ、2カウントよ。グズグズしてられないわ」



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第9話 快適ではない邂敵

1歩踏み出せば、そこは未知ではない。

――『未知の道』(C.E.46年 出版)


 ブリッジの大型ディスプレイに、組み立てた作戦が表示される。

 

「こんな作戦、聞いたことがないな」

 

 母艦を囮にした、単騎での敵機強襲。

 もし平時にこんなものを立案した奴がいたら、ぶん殴って二度と作戦を任せない。今この状況でも、無謀だと却下するのが普通だ。

 

「どうせ貴様の案なのだろ、フラガ」

 

 それを思いつき、ましてや実行しようとするのはこの場においてただ1人。この無謀者。

 ご明察。とでも言うように、彼は口角を上げる。

 

「私の案とさほど変わりない様に見えるが?」

「いんや、俺のは全員生存を視野に入れてる。お前の自殺志願と一緒にすんなよ」

「ふん、どうだかな」

 

 イロンデルはもう一度、作戦の詳細を確かめる。

 

 機関を停止したフラガ機が、発進時の慣性のみで前方のナスカ級に接近。敵艦エンジン部に照準点を設定し、そこに『アークエンジェル』の特装砲――陽電子破城砲『ローエングリン』――による狙撃を行う。というもの。

 照準点を付けた際に敵に見つかるだろう。が、ナスカ級の搭載兵器だけであればフラガの腕なら容易に振り切れる。その時点でMSはアークエンジェルへの攻撃に集中しており、ナスカ級の防衛は手薄になっている。…だろう。という判断だ。

 

「強襲役はもちろん俺が行く。奴らの狙いである『ストライク』と、ビーム兵器を装備したイロンデル機は、艦の防衛に専念してもらう」

「ナスカ級との距離から考えて、稼ぐ時間は15分程度です。本来強襲揚陸艦であるアークエンジェルにも、ある程度の武装が整っています」

 

 雑にデータを見るだけでも、今までの地球軍の軍艦とは比較にならない豊富さだ。対空兵装、主砲、副砲に加え、件の特装砲まで備えている。1つの軍艦が持つのには、過剰とも呼べるかもしれない。

 

「幸い、学生達がブリッジの仕事を引き受けてくれたおかげで、正規兵を武装担当に回せます。自動制御がほとんどを担っている事もあり、使用が制限されるものはありません」

「ならこの艦そのものも戦力になる。敵が『Xナンバー』を投入してきても、時間稼ぎは可能だ」

 

 敵母艦をメインエンジン損傷に陥れることがてきれば、敵は撤退するはずだ。要塞『アルテミス』の前で航行不能になるのは避けたいだろう。

 

「分の悪い賭けだが、今できる最善か」

「では各員、配置に着いてください。パイロットの準備が整い次第、作戦を開始します」

 

 ラミアス大尉の号令で、ブリッジの全員がそれぞれの持ち場へと歩き出す。

 

「行くぞ、イロンデル」

「ああ。ヤマト君、こちらですよ」

「あ、はい!」

 

 何をしてたらいいか戸惑っている様子の少年に声をかけ、イロンデルはフラガとともにブリッジを退出する。

 初めての本格的な戦闘に、張り詰めた空気がアークエンジェル全体に広がっている。そんな中で自然と足取りも早くなる。

 

 イロンデルは、ヤマトの表情が暗い事に気がついた。

 

「あまり気を張っていては、空回りしてしまいますよ?」

「…何で皆が協力してるって言ってくれなかったんですか」

 

 じとっとした目で睨まれる。皆、というと他の学生達の事だろうか。

 

「必要無い。と、判断したからです」

「先に言ってくれれば、わざわざ頭を下げてくれなくても協力しました」

 

 声に苛立ちが見えるのは、疎外感からだろうか。仲間はずれにされたとでも考えたのか。

 

「だからですよ」

「え?」

「生半可な気持ちで戦場に出た兵士は、大抵の場合に無駄死にします。『誰かがやってるから』『皆と一緒がいいから』。そんな理由で戦って欲しくなかったんです」

「そんなこと…」

 

 無いとは言えない。と、ヤマトは思う。自分は強気な性格では無いし、周りに合わせる事も今まで何回もあった。

 

「……」

「貴方が戦うのは『皆を守りたい』から。という、貴方自身の気持ちを持っていて欲しいんです」

 

 イロンデルは彼には決して話さないが、友人たちの事を言わなかったのにはもう1つの理由がある。

 あくまで彼を巻き込んだのは自分である、という責任を負いたかったのだ。ワガママや自己満足の類だが、友達を言い訳にしたくなかった。友情は、時に深く人を傷つける物だと、イロンデルは身に染みて思っている。

 

「ここが更衣室だ」

 

 中に入ると、パイロットスーツの並ぶ棚に近づく。イロンデルやフラガの物と違い、Xナンバーのパイロット専用の青い物。その中の幾つかを取り出す。

 

「ヤマト君、君の身長は?」

「160ちょっとですけど…」

「あぁ…、ならコレですかね」

 

 1つをヤマトに渡す。最も小さいサイズであるが、それでも少し大きいはずだ。元々、モリナガ達正規のパイロット用のサイズなので、それで我慢してもらうしかない。

 

「では着替えてください」

「あの、どうやって着るのか知らないんですけど…」

 

 それもそうか。

 

「単純ですよ。服を脱いで、足から通すんです」

「服を脱ぐ…って、全部ですか!?」

 

 顔を赤くしたヤマトが叫ぶ。

 

「脱ぎたければどうぞ。肌着の上からでも問題は無いですが」

「あっ!そ、そう。そうですよね!すみません、早とちりしちゃって」

 

 ポットを置けば湯が沸きそうなほど赤い。横を見れば、同僚は笑いを堪えきれていない。

 

「ククッ!別に裸で着る奴は多いぜ?誰も気にしやしねぇよ」

「そう揶揄うな。脱ぐにしても脱がないにしても、早く着替えましょう」

 

 ファスナーを下ろし、イロンデルは雑に上着を脱ぎ捨てる。彼女の場合はインナーを着る必要があるので、肌着も全て脱ぐ。

 

「えっ!ちょ…!え!?」

「おいイロンデル。思春期の少年の前で肌を晒すなよ」

「ん?あぁ、これは失礼」

 

 上着を手繰り寄せ、その体を隠す。自分の体があまりに幼いので忘れていた。フラガのような昔から付き合いのある同僚ならともかく、よく知らない未成年の前でみだりに見せるものでは無い。

 

「先に男が着替えるから、ちょっと外で待ってろ」

 

 言われるまま、更衣室から出る。することも無く、手持ち無沙汰に壁にもたれ掛かる。

 

「…暇ね」

『┏( .-. ┏ ) ┓』

 

 男が着替え終わるのを待ちながら、両手でナイフを弄ぶ。先程嵌めた左肩は、正常に動くようだ。

 

「アプリコットが飲みたい…」

 

 あの甘酸っぱい琥珀色を思い出す。そういえば最後に飲んだのはいつだったか。記憶を辿れば、随分と前の事だと自分で驚く。『ヘリオポリス』への護衛任務が終われば飲もうと思っていたのだった。この状況では、もう少しお預けだろう。

 

「やってらんないわね」

 

 楽しみが遠のいた事に、愚痴がこぼれる。

 いや。もしかしたらアークエンジェルの積荷の中にあるかもしれない。軍艦に積むようなものでは無いが、嗜好品という意味では有っても不自然ではない。この作戦が終わったら探してみようか。

 

「楽しみが増えたわ」

 

 まあ無い時は無い時だ。代わりになる物はあるだろう。

 

「何が楽しみなんだ?」

 

 扉が開き、紫のパイロットスーツを着たフラガが出てくる。後ろに同じように着替え終わったヤマトを連れている。

 

「こっちの話だ」

「そうかよ。さっさと着替えてこい」

「わかってる」

 

 更衣室に入る直前、ヤマトとすれ違う。一瞬目が合うが、すぐに逸らされてしまう。いきなり肌を見せてきた相手故に、気まずさなどがあるのだろう。

 言葉を交える事無く、扉が閉まった。

 

 手早く服を脱ぎ捨て、インナーとパイロットスーツを身につける。今まで何度もしてきた事だ。

 3分もかからず着替え終わり、2人と合流する。

 

「さて、行くか」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「『メビウス・ゼロ』は2機共、1番カタパルトに配置するんだよ!ストライクは2番だ!」

「『ランチャーパック』、準備できました!」

「外部ケーブルの接続急げ!」

 

 格納庫に声が響く。

 3人のパイロットは、そんな作業員が未だに忙しなく動く中を歩く。

 

「じゃ、お先。戻ってくるまでこの船、沈めるなよ?」

「フン。貴様こそ、流れ弾に当たったら笑い話にもならんぞ」

「ハハッ。確かに言えてる」

 

 床を蹴り、フラガが自機へ離れていった。彼が搭乗次第、作戦が始まる。

 

「我々はフラガのゼロ式が発進した2分後、同時にアークエンジェルから出撃します」

 

 ストライクへ向かうヤマトに付き添いながら、イロンデルは作戦の詳細を確認する。

 

「前方のナスカ級。後方のローラシア級。どちらからどの機体が出てくるかは不明です。なので前もってどのXナンバーを相手取るか、決めておきましょう」

 

 実際には乱戦になるだろうから、ある程度のものでしかないが。

 

「目下、最も警戒すべきは『バスター』と『イージス』です」

「イージス…ッ!」

 

 ヤマトがその名前に反応を示す。そういえばヘリオポリスで交戦経験があったか。

 

「それぞれの装備は、一撃でこの艦に大きな損害を与えることができます」

 

 アークエンジェルの装甲材質は、ラミネート装甲と呼ばれる。これはビームによる攻撃を受けた時にそのエネルギーを熱に変換し、装甲全体に広げることで、損傷を軽減するという代物である。故にビーム兵器への耐久力は高いが、逆に実弾兵器には効果が期待されない。また、熱エネルギーの許容限界も決まっている。

 

 強力な実弾兵器を多数装備する、バスター。『アグニ』に匹敵する威力の『スキュラ』を撃てる、イージス。どちらかでも見逃してしまえば、手遅れだ。

 

「貴方にはバスターの相手をして欲しい」

 

 Xナンバーに共通して備わるフェイズシフト装甲なら、バスターの実弾兵器に耐えられる。また、バスターは遠距離支援機であり、距離を取られるとゼロ式では迂闊に艦から離れる事になってしまう。

 射程の長いアグニを装備した『ランチャーストライク』なら、アークエンジェルに取り付いたまま防衛できる。

 

「イージスと…そうですね、『デュエル』は私が引き受けます」

 

 デュエルは最初に開発されたXナンバーである。フレームや装甲などの実機テストを行う試験機としての面が強い。武装もオーソドックスで、特別なものもない。

 残りの1機――『ブリッツ』は、アークエンジェルに任せよう。装備はビーム兵器と、徹甲弾。ある程度ならラミネート装甲で防げる。

 

「2機を相手にするって…できるんですか?」

「…やらなきゃいけないんですよ」

 

 不安げなヤマトに返す。

 そう。やらなくてはならない。やるしかないのだ。

 

『メビウス・ゼロ、フラガ機。発進どうぞ!』

「…この声、ミリアリア?」

 

 アナウンスの声がし、オレンジ色のゼロ式が宇宙へ出ていく。通常の発進と違い、スラスターの光が無い。

 

「そろそろ始まります。また後で会いましょう」

「…わ、わかりました」

「怖い…ですか?」

「…はい」

 

 震えた声の少年に優しく問いかける。怖くて当然だ。これから始まるのは、戦争の一端。殺し合い。気を抜けば死ぬ。そんな場所。

 昨日まで…いや、数時間前まで普通の学生だった子供に見せるには、あまりにも醜い世界。ましてやその中に飛び込むとなれば、その恐怖はどれほどだろうか。

 

「貴方は何故戦うんですか?」

「え?皆を守るため…って、イロンデルさんも言ってたじゃないですか」

 

 更衣室に向かう通路でも似た事を話した。

 

「そう、貴方は皆を守ってください。そして、貴方を守るのが私の役目です」

「僕を…」

「こう、手を出してください」

「…こうですか?」

 

 手のひらを上にして、両手を前に伸ばす。何かを差し出す様な仕草。

 

「目を閉じて」

「目…?な、なんでですか?」

「おまじないですよ。昔、友人が教えてくれたんです」

 

 ゆっくりとヤマトが目を閉じる。その無防備な手のひらに向かって、イロンデルは思い切り己の両手を振り下ろした。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 カタパルト上のストライク。その操縦席の中で、ヤマトは何度も拳を握り、開く。スーツの上からは分からないが、痛みを持ち、熱を感じる手は、赤くなっている事だろう。

 彼女も強く叩きすぎたのか、ヒラヒラと痛みを誤魔化すように手を振っていた。

 

「今の、この手の痛みを覚えてください。それがある間、貴方は間違いなく生きています。痛みは、生きているという事に客観的事実を与えてくれる。…と、言うのが友人の言い分です」

 

 イロンデルに言われた事を思い返す。

 

「どうせその場で適当に言っただけでしょうけど」

 

 などとその後に言って笑っていた。実際にどのような効果があるのか分からないが、心配されているような気がした。

 今一度、手を握る。

 

「…大丈夫。あの人が守ってくれる」

 

 口にすると、驚くほど心が落ち着いた。出会ってからまだ長い時間は経っていないが、何となく頼りになる人だと思っている。大きく息を吐くと、ヘルメットのバイザーが少し曇る。

 

『やっほー。キラ』

「ミリアリア?何で?」

 

 通信用ウィンドウに表れたのは、友人の顔だった。さっきのアナウンスも彼女の声だった。そういった役職の手伝いだろうか。

 

『MA及びMSの管制を担当するから、よろしくね。と言っても、イロンデルさんには「私は後回しで良いのでヤマト君の方に集中してください」っ言われちゃったんだけど』

「ハハッ。あの人なら言いそうだ」

『もうすぐ出撃です。キラ・ヤマト、稼働状態で待機せよ』

 

 少しふざけているのか、そんな軍人口調で言われる。

 

「キラ・ヤマト、了解しました。命令まで待機します」

 

 こちらもわざとらしく背筋を伸ばした敬礼をする。見様見真似なので、本職の人が見たら馬鹿らしく思われるだろうか。

 軽く笑いあった後、通信が終わる。友人との会話で、肩の力が抜けるのを感じた。そう、自分は独りじゃない。守りたい人。守ってくれる人がいる。

 

 ストライクを起動すると、正面モニターにOSが表示される。

 

General

Unilateral

Neuro-Link

Dispersive

Autonomic

Maneuver Synthesis System

 

ガンダム…(G.U.N.D.A.M.)

 

 誰にも聞こえないよう、小さく呟く。

 ガンダム。何となくそう読んだ。深い意味はない。自分が乗る機体なのだ。好きに呼んでもいいだろう。肩肘張っても良いことはない。あの人も、そんなことを言っていた。

 なら、自分にできる最善を。

 

 みんなを守ること。

 それにだけ、集中すればいい。

 

『ストライク、発進どうぞ!』

 

 アナウンスが聞こえた。操縦桿をしっかりと握り、ペダルを踏み込む。

 

「キラ・ヤマト、『ガンダム』。行きます!!」



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第10話 戦闘行動

1歩踏み出せば、そこは道だ。

――『未知の道』(C.E.46年 出版)


「敵の戦艦を発見!」

 

 どうやら機関を停止し、宇宙の暗闇に紛れ込んでいたようだ。

 

「小賢しい事をしてくれる」

「隊長の読みが当たりましたな」

「所詮は単調な行動しかできん連中だ。容易いことさ」

 

 クルーゼが言う。既に『ガモフ』と『ヴェサリウス』による挟撃の体勢は整っている。

 

「敵艦、高熱源体を射出。数は2。機動兵器と思われます」

「『エンデュミオンの鷹』と『三つ首』か」

「熱紋から照合。『三つ首』の『メビウス・ゼロ』と『ストライク』です」

 

 クルーゼは仮面の下で眉をひそめる。フラガは出てこないのか?そう考え、彼の機体は武装を全て破壊した事を思い出す。殺すまではいかなかったが、そう易々と再び出てこられては困るというものだ。

 

「『G兵器』を全機発進。ターゲット自ら出てきたのだ。遠慮は要らん。ガモフにもそう伝えろ」

「了解。『イージス』、発進いつでもどうぞ」

 

 赤いG兵器、イージスがスラスターの光を残しながら飛び立った。クルーゼは、そのパイロットと先程した会話を思い出す。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「ほう、『ストライク』のパイロットは君の友人だったか」

「はい。と言っても、幼少の頃に別れたきりですが…」

 

 黒髪の少年、アスラン・ザラが懐かしむように言った。

 

「ならば君を部隊から外そう。かつての友人を撃つというのは心苦しいだろう」

「いえ、彼もコーディネイターです。ともすれば、こちら(ザフト)に来るように説得できるかもしれません」

 

 愚かだ。

 

 クルーゼは口に出さず、そう判断する。戦場で敵兵の説得を試みるなど無意味。上手くいく訳が無い。

 

「ほぅ…。では説得に応じない場合はどうする。君に武器を向けてきた時は?」

「…それは」

「覚悟が無いのなら、やはり出撃させる訳にはいかないな」

 

 言い淀むザラにクルーゼが冷たく告げる。その言葉を聞き、ザラは戸惑う。しかし、やがて顔を上げた。そして、きっぱりと言った。

 

「…いいえ。もしそうなったならば、私が彼を撃ちます」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 ガモフから飛び立つ3機のG兵器。『デュエル』『バスター』『ブリッツ』。

 

「フェイズシフト装甲、起動。これより戦闘に突入する」

『手柄は俺が貰っていいんだよな?』

「軽口を叩くな、ディアッカ。相手は三つ首だぞ」

『イザークは心配性だな。ニコルが移ったんじゃないか?』

 

 依然としてふざけた調子のバスターのパイロット、ディアッカ・エルスマン。それに苛立つのはデュエルに乗るイザーク・ジュール。

 

『まあまあ。慎重に行って損はありませんよ』

 

 ブリッツを駆るニコル・アマルフィが、2人を諌める。無駄に意識のリソースを割いている場合ではないのは確かだ。

 そうしている間に、『メビウス・ゼロ』の姿を捉えた。

 

「敵機確認。一番槍は俺が貰う!」

 

 デュエルのビームライフルが、緑の閃光を走らせる。牽制も陽動も無く放たれた一撃は当然通用する訳もなく。青いゼロ式は身を翻して容易く躱した。

 ゼロ式のガンバレルが展開しデュエルを挟む。実弾兵器は防ぐ必要すらないが、無駄に被弾してバッテリーを消耗するのは避けたい。発砲の直前に機体の高度を上げる。

 

 その動きが読まれていた。前方のそう遠くない所に、ゼロ式の主砲がこちらを狙っているのが見えた。

 

「何っ!?」

 

 背筋が凍る。しかしあの主砲は『リニアガン』のはず。直撃しても大した事は――。いや、あの形状はリニアガンではない。

 

『避けろイザーク!あれは『バルルス』だぞ!』

「ッ!?クソッ!」

 

 操縦桿を傾けるのでは間に合わない。シールドで対処する。防いだ後にカウンターを撃とうとするが、既に三つ首は射程圏外まで離脱していた。

 その機動力に、敵ながら感心してしまう。逃すまいと追おうとするが、その行く手をブリッツが塞いだ。

 

『落ち着いてください。このままでは向こうのペースです』

『そうそう。こっちが数で勝ってんだ。ゆっくり行こうぜ』

 

 バスターが2つの砲身を連結させ、『対装甲散弾砲』を放つ。広域制圧に優れるが、弾が広がるよりも先にその範囲外へ逃げられてしまった。

 

『相変わらずなんて速さしてやがんだ。単騎じゃマトモに当てらんねぇぞ』

「分かっている。別れて奴を追い詰め――」

『ロックオンされています!』

「散開!」

 

 会話のために近づいていた各機が、一斉にその場から離れる。直前までいた空間が、赤白い光に飲まれた。

 

「ディアッカと俺で三つ首をやる!ニコルとアスランは母艦を落とせ!」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

『いい腕ですね』

「避けられましたけど…」

 

 主砲『アグニ』の冷却を行いながら、ヤマトはイロンデルに答える。ストライクは今、『アークエンジェル』のカタパルトの上に張り付いている状態だ。供給ケーブルを使って母艦から直接電力を補充しているため、バッテリーは減らない。

 残弾を気にせず砲撃できる。砲身が溶けないよう、過度の連射は避けるように言われたが。

 

『大事なのは警戒させる事ですよ。民間人に初めての射撃で当てられたら、それこそ軍人の立場が無くなってしまいます。…あー』

「どうかしました?」

『先程、デュエルの気を引いたんですが、バスターもこっちに来ました。予定変更です。貴方はイージスの相手をお願いします』

 

 頭によぎったのは、イージスに乗っているだろう友人の事。彼を撃たねばならぬのか。いや、撃つのだ。でなければ、後ろの船が。皆の乗る船を守れない。守ると決めたのだ。

 緊張から唾を飲む。

 

『『スキュラ』はかなりバッテリーを消費しますから、気安く撃てる物ではありません。牽制してくれれば十分です』

 

 その音が聞こえたかどうかは定かではないが、そんな事を言ってくれる。

 

『もし無理なら言ってください。助けに行きますので』

「…いえ、やってみます」

 

 ヤマトは操縦桿を握り直した。きっとできる。自分なら、皆を守れる。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「キラ!…キラ・ヤマト!」

『アスラン!』

 

 ストライクへの個人通信。返ってきたのは、やはり彼の声だった。

 

『どうして君がその機体に!』

「お前こそ何故そこにいる!同じコーディネイターだろう!地球軍の味方をしているのは何故だ!」

『…あの船には友達がいるんだ!君こそなんでザフトなんかに!戦争は嫌だって…君も言ってたじゃないか』

 

 当てる気の無い砲撃を躱す。ビームが近くを通るだけで、計器にノイズが混じる。直撃すればタダでは済まない。

 

「キラ…!」

『アスラン!手伝ってください!』

 

 ロックオン波を知らせるアラート。敵艦からの銃撃が、イージスの装甲を叩く。アークエンジェルを攻めあぐねたアマルフィの声が、通信に割り込んだ。

 

『皆を…守りたいんだ!』

 

 赤白い光が機体の周囲に走る。牽制が目的か、はたまた当てたくないのか。それでも念の為に距離を取る。

 

「キラ…」

 

 まるで拒絶するかのような攻撃に、ザラは友人の名を呟くだけだった。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「ディアッカ、上だ!」

『分かってるよ!』

 

 そう言ってバスターが砲口を向けるが、ソコに既に三つ首の姿は無い。気を取られた隙に、ガンバレルの射撃ががら空きの背中に直撃した。

 

『クソ、鬱陶しい!』

 

 先程からずっとこの調子だ。警戒すべきは本体のビーム兵器のみ。なのにそちらに集中すると、意識外からガンバレルが刺してくる。表面上は何の問題も無いが、それはフェイズシフト装甲が稼働しているからで。少しずつだが確実にバッテリーを消耗させられている。

 かと言ってガンバレルを狙うと、本体のビームが放たれる。

 

 まるで3機のMAを同時に相手にしている気分だ。その全てがエース級の動きをする。やられることは無いが、落とすにはこちらの手が足りない。

 

『ニコルかアスランを呼ぶか?』

「こっちは本命じゃない。これ以上手はかけられない」

 

 どちらかのガンバレルさえ落とせれば、この関係は崩れる。だがそれをやるのは簡単じゃない。相手の一手…いや、三手先を読まなければ、三つ首は仕留められない。

 

「俺に合わせろ」

『いい案でも?』

 

 ニヤリと、ヘルメットの下でジュールが笑う。伊達に何度も交戦してきた訳ではない。今日こそ落とす。ナチュラルごときに良い様にやられてなるものか。

 

 そもそもガンバレルは長時間展開できる装備ではない。スラスターと銃身、燃料、弾薬、センサーを詰め込めば、バッテリーの容量は必然的に小さくなる。射撃の度に、という程ではないが攻撃が終わると充電の為に本体に接続する必要がある。

 

 その際に一瞬、足が止まる。その隙を突く。

 

 スラスターの出力を最大にして、一気に距離を詰める。元々武装の少ないデュエルは、スラスターの量に比較して高い機動性を持つ。流石に三つ首相手ともなれば追い詰めるとまではいかずとも、喰らいつくだけの性能はある。

 

「ぐ…うぅ!」

 

 もっとも、それができるパイロットは身体が座席に押し付けられるのに耐えられる者に限られるが。自動照準に任せる事しかできず、引き金を引いても避けられる。

 

 それでいい。今は相手の動きを制限する事。三つ首の目的は艦の防衛。故にこちらから離れる事は無い。

 

 ここだ。ジュールはそう判断し、機体の向きを敵母艦へ向けた。急な方向転換に、体に横向きのGがかかる。だが敵の虚をつく事ができた。MAは速度に反して旋回性能は低い。

 

 そして今、ガンバレルが展開した。左右から挟むようにこちらを狙う。艦には行かせないということか。

 

 狙い通りだ。

 

「今だディアッカ!」

『任せろ!』

 

 バスターの射撃を躱すために、三つ首が機体を上昇させた。立て直しを計るため、ガンバレルが接続される。

 

「もらったぁぁああ!!」

 

 その硬直は逃さない。ビームサーベルを抜き、一息に斬りかかる。狙いは機首だったがサーベルが触れる直前にゼロ式が動き、実際にはガンバレルの1つを斬るに留まった。爆炎で視界が塞がれ、センサーにノイズが混じる。

 

 その時、確かに油断したのだろう。炎の向こうから迫るビームに気づかなかった。僅かに逸れた一撃が、デュエルの脇腹を掠める。

 

「――ッ!?」

 

 ロックオン波は感知していない。手動(アナログ)で当てたのか。装甲の切れ目から激しいスパークが散る。バルカン『イーゲルシュテルン』で弾幕を張り、三つ首を追い払う。バスターの砲撃が差し込まれると、破損したガンバレルをそのままに離れていった。

 

『イザーク、被弾したのか?』

「継続戦闘に問題は無い。装甲の一部が溶けただけだ。だがバッテリー残量が少ない。先にストライクを落とすぞ」

『りょーかい』

 

 敵のG兵器さえ討てば戦果としては申し分ない。三つ首の挙動が気になるが、4対1の速攻でストライクを殺る。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 その時アークエンジェルのブリッチで、通信士が待ちに待った声をあげた。

 

「レーザー照準、来ました!」

「了解!『ローエングリン』、一番、二番、発射準備!」

 

 すかさずバジルールの号令が発せられる。

 

「陽電子バンクチェンバー臨界、マズルチョーク電位安定しました!」

 

 アークエンジェルの両舷機種にあるローエングリンの発射口が展開する。

 

「目標、前方敵母艦。撃てぇ!」

 

 その言葉と同時に、特装砲が火を噴く。ビームとは違う、プラズマの渦が宇宙を貫く。

 それは直前でロックオン波に勘づいたヴェサリウスの右舷を掠める。

 

「二番、敵艦右舷に命中。エンジンに被弾したと思われます」

 

 敵のナスカ級が向きを変え、この宙域を離脱していく。作戦は成功だ。

 

「展開中のXナンバーを追い払え。敵も引いていくはずだ」

 

 ブリッチの空気が弛緩する。当然だろう。だか、実際はそう甘くない。今も尚、目の前でイージスとストライクが接近している。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 既にレーザー通信でガモフへの撤退命令が出ている。

 

『皆を守りたいんだ!だから僕は!…君を……!!』

 

 アグニがこちらを向く。本当に撃つのか。どうしてお前が。操縦席のアラートが、ロックオンされた事を告げる。

 

「キラ…!」

 

 とにかく距離を。そう考えた所で、操縦席に重い衝撃が走る。どうやらアークエンジェルのミサイルが直撃したようだ。イージスの姿勢が崩れる。

 

 目の前の砲口に光が入る。…躱せない。……やられる!

 

『アスラン!危ない!』

 

 ブリッツが突っ込み、ストライクの胴体が弾かれカタパルトから投げ出される。供給コードが張り、外れる。そしてアグニが的外れの方向に、赤白い直線を描いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 操縦席のアラートが、バッテリーの残量低下を知らせる。フルパワーのビーム照射は、たった一撃でほとんどの電力を持っていった。撃つつもりなどなかった。

 

 イロンデルに言われた通りに、牽制だけ。なのにブリッツに蹴られ、咄嗟に操縦桿を握ってしまった。

 

 引き金を引いてしまった。

 

 暗い感情に溢れるヤマトに、更にロックオンの警告を告げる音が聞こえる。ブリッツのビームが、アグニを撃ち抜く。

 

「しま…っ!」

 

 アグニが爆発を起こし、ストライクが巻き込まれる。その衝撃で機体が揺さぶられる。

 直接のダメージは、フェイズシフト装甲のおかげで防がれた。しかしその反動でバッテリーの残量はゼロに。ストライクの装甲が、トリコロールから鈍い灰色に変色する。

 

 ――フェイズシフトダウン。

 

 その防御性能は無くなり、今の機体は無防備に近い。主砲を失い、まともな戦闘はできない。

 

『キラ!アークエンジェルに戻って!』

 

 ハウの無線が響く。まともな機動力も無いのにどう戻れと言うのか。そう叫びたいのを堪え、向きだけはアークエンジェルへと直す。

 だがモニターの向こうに、デュエルがライフルを構えるのが見えた。白い煙を引き、グレネードが発射される。あれが当たれば―。

 恐怖から思わず目を瞑る。

 

 その間に蒼い影が割り込んだ。

 

「イロンデルさん!?」

 

 損傷し黒煙の尾を引くゼロ式の機首が、グレネードの直撃を受ける。

 

「そんな!」

 

 ひしゃげた機体が、慣性のままに流れていく。スラスターの光が消え、パイロットが生きているかも伺えない。

 

「イロンデルさん!…イロンデルさん!!答えてください!」

 

 通信モニターは砂嵐を映すだけ。操縦席にまで爆発が届いているのか。

 

「嘘だ…イロンデルさん!聞こえてるんでしょ!…うわっ!」

 

 鈍い音ともに、機体に急加速のGがかかる。ストライクはMA形態に変形したイージスのアームに、がっちりと捕らえられていた。

 

「アスラン!」

『お前をガモフに…俺たちの母艦に連行する』

「嫌だ!僕はザフトになんか行かない!」

『いい加減にしろ!来るんだキラ。でないと、俺は…お前を撃たなきゃならなくなるんだぞ!』

「アスラン…!」

 

 その苦渋の混じった怒号に、ヤマトは何も言えなくなる。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「キラ!キラ!」

 

 ハウが必死に呼びかけるが、ストライクはイージスから逃れられない。

 

「彼を援護できないの!?」

「あれだけ密着されては無理です!ポワソン大尉は?」

「未だ連絡取れず。生死不明!」

 

 ブリッチでは緊張が高まる。こちらからは何も出来ないのか。

 

「そうだ、フラガ大尉。彼はどこにいる!」

 

 交戦状態ではない彼のゼロ式なら、この状況を打開できるのでは。

 

「まだこちらへの到達には時間が掛かります!敵が逃げるのが早いですよ!」

「クソ!」

 

 何か手は無いのか。見ているしかできないのか。拳を握りしめ、バジルールはモニターを睨む。

 

 その時、ハウが声の雰囲気を変えた。

 

「イロンデル大尉からレーザー通信です!」

「内容は!」

 

 生きていたのか。胸を撫で下ろすラミアスとは異なり、バジルールが冷静に通信の詳細を求める。ハウが通信の内容に目をやり、困惑しながらも言う。

 

「…『目を離すな』と」

「…それだけか?」

「は、はい。こちらからの通信には応答ありません」

 

 どういう事なのか。何をすれば良いかもわからず、ただモニターの中のストライクに、視線をやるばかりだ。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

『ヽ(`Д´)ノ』

「やるしか…ないの…よ。けん…権限を…ポワソンからエルピーへ移行。パスワード…『M80S』…セーフティ…解除」

『(´;――LP approval. Ready to accept.』

 

 血の付いた指で、キーボードを叩く。破損したパーツがスーツを突き破って肌に刺さっている。本当は抜きたい所だが、今はその時間すら惜しい。

 

「映像共有開始。…ネクサス、フルコネクト。仮想マップ形成。メインスラスター、リミッター解除。破損したガンバレルをパージ。余剰出力を『バルルス』へ譲渡。ターゲット…識別。シミュレート開始」

 

 割れたヘルメットを脱ぎ捨て、血を吐き出す。気管の何処かが出血しているのかもしれない。一度大きく息を吸って、ゆっくりと呼吸する。どろりと、目に流れ込んだ血を拭う。

 

「…フフッ。嫌な感触ね」

 

 今までに無いほど、鮮明に感じる。戦場で何度かあった、モニターではなく、気配で敵を探る感覚。液晶が壊れ、今は何も見えないが。それでも、どこに敵がいるか分かる。

 

「私には、敵が見える…」

《あんたにはそういう才能…みたいなのがあるのかもね》

「うるさい…黙っててよ」

 

 かつての戦友との会話を思い出した。人の苦悩を才能とは…お気楽なものだ。いや、彼女らしい…と言うべきか。

 操縦桿を握る。

 ならその才能を見せてろう。知るがいい、『瑠璃星の燕』の本領を。

 

「……『限界凌駕(オーバーアチーブ)』、起動(アクティベート)!」



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第11話 瑠璃星の燕

人は自身の優位性を守るためなら何だってする。

――『幾何学的恋愛感情』


「おいアスラン!どういうつもりだ!命令は破壊だぞ」

『捕獲でき…なら、そ…方がいい。このままガモフ…ザザ…連れていく』

 

 MA形態で『ストライク』を捕らえた『イージス』。ストライクはもがくが、パワーダウンしている事もあり大した抵抗になっていない。そのイージスの近くに、『デュエル』『バスター』『ブリッツ』が、寄り添って飛ぶ。

 もうこの宙域での戦闘に意味は無い。バッテリーの残量も少なく、早く母艦に帰るべきだ。だが、破壊目標であるストライクの処遇を巡って、ジュールとザラが言い合っている。

 

「貴様はいつもそうやって自分勝手に!」

『まあ…あ、落ち着い…ザザ…ください』

『別にいいんじゃ…の。ど…せクルーゼ隊長が…ザザ…める事なんだ』

 

 2人の間を取り持つように、アマルフィが宥める。そして揶揄うエルスマン。

 

「…通信のノイズが酷いな」

『ええ。こ…距離でここま…で雑音が混…ザザ…るのは初めてです』

 

 最初に違和感に気づいたのは、ジュールだった。通常の短波通信ならば有効距離は短いものの、電波妨害の中でも支障なく会話出来る。

 その通信手段にノイズが入るのはあまりない。気になったジュールが、通信機の具合を調べる。

 

「は?」

『何か…ったか?』

 

 間の抜けた声を出す。通信中の相手リストに、身に覚えのないものがある。かなりの量でデータがやり取りされており、それが通信回路全体に強い負荷をかけているようだ。

 その名前は――。

 

「『NEXUS』?なんの事だ?」

『俺の方にもある。ネクサス…誰…知…ザザ…ピーガガガガ』

 

 口にした途端、通信機のノイズが異常な程に大きくなった。相手の顔を映すモニターが砂嵐に覆われる。

 驚く暇もなく、ロックオン波を感知したアラートが鳴る。白いスラスターの光が遠くに見えた。

 

「何か来る!」

 

 光はあっという間にこちらへ接近し、そのまますれ違う。こちらがロックオンする暇すらない、信じられない程の速度。だがモニターが捉えたその特徴的な蒼い装甲は、見紛うはずがない。

 

「『三つ首』!!」

 

 機首からなおも黒煙を吐き、ガンバレルの一基は失われ、それでもまだ戦おうというのか。

 ビームライフルを撃つが、銃口を向けるよりも敵が動く方が速い。先程までと比較して、さらに動きが機敏になっている。正確な数値は分からないが、恐らくは3倍程度か。

 

「舐めるなよ!」

 

 ならばその動きの先を予測する。速度が上がっても動かすのは所詮ナチュラル。コーディネイターである自分が負けるはずがない。

 エルスマンとアマルフィも似た事を考えたのだろう。3機のG兵器が一斉にゼロ式に向けて射撃を始める。

 

 その時、ジュールは自分の目を疑った。

 

 三つ首の機体が、弾幕の中を進んでくる。こちらの攻撃を全て躱している。ロックオンし銃口を合わせても、引き金を引く前に補整が切れる程に動かれる。こちらの動きが完全に読まれているかのようだ。

 

 驚いている間に、敵はイージスへと攻撃する。『バルルス』ではなく『リニアガン』を使うのは、ストライクへの誘爆を防ぐためか。MA形態では防衛ができない。イージスがストライクを解放する。

 

「クソ、逃がすか!」

 

 離脱しようとするストライクに、ジュールはビームサーベルを抜き斬りかかる。せめてコイツだけでも。そう思い、三つ首から目を離したのが間違いだった。

 デュエルのサーベルを持った左腕を、緑の光が貫く。爆煙と振動にジュールが怯む。そのすぐ横を三つ首が通ったのを、煙の隙間から垣間見た。

 それはまるで、嘲るように。弄ぶように。

 

「こんのぉ!!」

 

 怒りに任せ、三つ首にライフルを乱射する。敵は機体を捻る。今度は下から攻撃するつもりか。そうは行くか。今度こそ落とす。

 

 いや、待て。敵機の姿に違和感が――。

 

「ガンバレルは何処だ⁉︎」

 

 残っていた一基のガンバレルが外れている。何処に展開した。そして視界の隅に、蒼を見つける。

 煙の中。機体の脇腹に。その2門の銃口が鈍く光る。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「イザァァァアアアク!!」

 

 デュエルの脇腹。すなわちフェイズシフト装甲が失われた場所に至近距離で被弾した。激しいスパークが機体を走る。決定的な損傷を受けたのか、機体が沈黙する。

 ジュールは無事か。エルスマンの背筋を嫌な汗が伝う。

 

『イザ…ク!イザーク!!応答してください!』

「っ!!…ニコル、通信が」

『ディアッカ?回線が回復したのですか』

「みたいだな。イザークは?」

『それが応答が…!来ました!』

 

 ノイズが無くなり、通信状態が良好になる。急いでジュールの安否を確認する。

 

『痛い…いたい、いたい』

 

 返ってくるのは呻き声だけ。詳細は不明だが、生きているようだ。ほっと胸を撫で下ろし、意識を敵に向ける。まだ攻撃をしてくるかもしれない。

 

 そう思った所で、再びエルスマンは凍りついた。

 

 目の前のそう遠くない所で、バルルスの砲門がこちらを狙っている。…だが、発射して来ない。先程までの変態機動が嘘のように、燕はじっとその場に静止している。落ち着いて見れば、左翼に付けられたライトが不規則に点滅している。

 

『このぉ!!』

「待て、アスラン。光信号だ」

 

 ライフルを構えようとするザラを制する。下手に刺激すれば、今度こそ誰かが殺されるかもしれない。

 点滅する光信号を解読する。どうやら暗号の類は使われていないようだ。

 

「『た・が・い・に…これ以上の戦闘は避けるべきである・102(デュエル)を連れてこの戦域を離脱されたし』」

『何!?』

 

 確かに互いに損傷が酷い。バッテリー残量から考えても、戦闘継続は困難だ。ジュールの容態も把握できていない。向こうもバッテリー切れのストライクを守りたいのだろう。ここが引き時か。

 

『しかし、キ…ストライクの捕獲が』

『我々も消耗しています。手柄はありませんが、このG兵器を破壊されるよりはマシでしょう。撤退命令も出ています』

『だが…』

 

 渋るザラを、アマルフィが説得しようとする。エルスマンは、遠くからこちらに近づく光を見つけた。

 

「それにどうやら、敵の増援も来たみたいだぜ」

 

 オレンジ色のゼロ式が、自分たちの周囲を遊行する。あの色は確か『エンデュミオンの鷹』だったか。手負いの状態で、無傷の彼を相手にしたくはない。ここは向こうの提案に乗るべきだろう。

 

 ブリッツが動かないデュエルを抱える。そして4機のG兵器は、ローラシア級『ガモフ』へと踵を返す。任務は失敗だ。

 

「俺たちの負けだな」

『…クソ!』

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 敵のXナンバーが引いていく。

 前方のナスカ級も航路を変えた。作戦は成功だ。

 

「…や、やった……のか?」

 

 アークエンジェルのブリッチの中で、誰かが呟いた。それを皮切りに、喜びの声が広がっていく。ラミアスもようやく肩の力を抜き、椅子にもたれかかった。

 

「グズグズするな!緊急着艦ネット、用意!医療班と整備班はドックで待機させろ!」

 

 その空気を引き締めるように、バジルールが指示を出す。一瞬、しんと静まる。そして指示の内容を理解し、それぞれが持ち場に戻った。

 そう、まだ戦闘は終わっていない。被弾したゼロ式の収容や、『アルテミス』への入港申請などやる事は山積みだ。

 

「ごめんなさい。私が言うべきだったわね」

 

 ラミアスが小声で謝罪する。本来は艦長がする仕事だ。しかしバジルールは、なんでもないとでも言うように肩を竦めた。

 

「突然に艦長の椅子に座るようになったんです。分からないことだらけで当然です」

 

 技術畑出身の自分では気づかない事が多い。支えてくれるなら、とても助かる。

 

「ありがとう」

「…いえ、礼を言われるようなことは」

 

 帽子を被り直し、バジルールが目を隠した。照れているのだろうか。

 

「ストライク、ゼロ式フラガ機、ゼロ式ポワソン機。着艦します」

 

 ハウの声がした。

 

「…ポワソン機大破。パイロット…せ、生死不明…だそうです」

 

 最悪の内容だった。



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第12話 負傷の末に

クソッタレな『明日』に乾杯

――『MUD-HATへようこそ』


「イロンデルさん!答えてくださいよ!」

「おい、イロンデル!冗談でも笑えないぞ!」

 

 ヤマトとフラガが、『メビウス・ゼロ』へ呼びかける。しかし、返ってくるのはノイズだけ。コックピットを映すカメラも砂嵐ばかりである。

 

 戦闘から帰還する際も、全く応答がなかった。機関も停止しており、フラガ機が牽引して『アークエンジェル』まで運んだのだ。もしかすれば、被弾の影響が操縦席まで届いているのか。だとすればパイロットは。

 

「こうなりゃ強引に開けるしかねぇな」

 

 フラガが通信機へと近づき、数字盤を叩く。周囲に見つからないように体で隠している。その操作は、ヤマトには見えなかった。

 

「頼むぜ…。出てこいよぉ…」

……『(卍ω卍)』

「来たな!ネクサス、イロンデルの様子は?生きてるのか?」

 

 通信モニターに、ネクサスの顔が表れた。彼女の様子を問うフラガの言葉にモニターが切り替わり、グラフを映し出す。微かではあるが、規則的な振動を記録している。

 コックピット内の振動。考えられるのは鼓動か。

 

「生きてはいるのか…そっちから開けられないか?」

 

 二重ロックになっているゼロ式のハッチは、通常なら外部から操作すれば開けられる。しかし今は、被弾によってそれが消し飛んでいる状態だ。ハッチ自体も大きく歪んでいる。

 最終安全策として、内部から手順を行えばハッチを爆破して脱出ができる。それをネクサスにしてもらえれば。

 

『( ° ° )三( ° °)』

「無理か…」

 

 こちらから何とかするしかない。イロンデルの詳細が分からない以上、あまり時間を掛けられない。フラガはマードックに声を掛ける。整備班の手を借りて、ハッチを開ける方法を考えなければ。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「気合い入れろ!…せーの!!」

 

 マードックの掛け声で、フラガを含む屈強な男たちは差し込んだ棒に力を込める。操縦席に通ずる扉を、テコの原理で外そうとしている。

 しかし、メビウス・ゼロの歪んだハッチはピクリとも動かない。

 

「こりゃダメだな。切断機持ってこい!」

「時間が惜しい。別の方法がある」

 

 ゼロ式の装甲は厚く、切断機では非効率だ。急を要するこの状況下では他の道を選んだ方がいい。だがフラガの考える方法は、少し離れた所にいるあの少年の心次第だ。

 ゼロ式から飛び降りたフラガが、ヤマトの方へ近づく。

 

「おい小僧。ストライクを動かせるか」

「僕が…僕のせいで…」

「おーい。聞いてるか?」

 

 機材にもたれ掛かり、暗く影を落としている。こちらの声が聞こえていないようだ。軽く肩を叩くと、ビクリと跳ねてようやく気づいた。

 

「…大丈夫か?」

「僕は、だ、大丈夫です。それよりイロンデルさんは!まだ助けられないんですか!」

「おいおい、落ち着けよ」

「落ち着いていられる訳ないでしょう!早く助けないと!」

 

 明らかに錯乱しているヤマトを、一旦肩を押さえて落ち着かせる。

 ふと、フラガはこの少年を哀れに思った。初めての戦闘で、知人…少なくとも顔と名前を知っている人が死にかけている。軍人である自分にとっても重い事が、この少年に降り掛かっているのだ。

 気が立っているのも、自分を庇って被弾した事に起因するのだろうか。

 

「あいつは今は危険な状況にいる」

「ぼ、僕にできることは無いんですか」

 

 ヤマトが詰め寄る。積極的なのは都合がいいが、まずは話を聞いてもらわなければ。

 

「ああ、あるぞ。お前にしかできないことが」

「教えてください。何をすればいいんですか」

 

 軽く煽ると、面白いように乗ってくる。

 

「お前がストライクのナイフ…『アーマーシュナイダー』だったか。それでゼロ式の扉をこじ開けてくれ。そしたら俺が中に入って、アイツを直接引っ張り出す」

 

 アーマーシュナイダーとは、ストライクの装備のひとつである。内蔵される超振動モーターによって刀身が高周波振動し、切れ味が増す。

 それがあれば、厚いゼロ式の装甲も容易く切り裂くとこができるだろう。

 

「僕にできるんですか」

 

 ヤマトが不安がるが、当然だ。うっかり深くまでナイフを刺せばコックピットを貫く可能性。また被弾した機体は、推進剤やオイルなど可燃性、爆発性のものが漏出している恐れもある。

 数える程しかMSに乗っていない少年に任せるには、些か荷が重いというものだ。だが、今回はやってもらわなければならない。

 

「安心しろよ。サポートにネクサス付けるから。…できるか?」

 

 内側からの観測を合わせれば、諸問題は解決できる。あとは本人にやる気があるか、どうかだが。

 

「やります。…僕がやらなきゃいけないんです」

「助かる。ならストライクで待機しててくれ。気負うなよ?お前ならできるさ」

 

 それらしく敬礼をして、ヤマトを見送る。思ったよりもスムーズに彼女を助ける算段が整った。あとはネクサスをストライクに同期させて、彼をサポートできるようにするだけだ。

 急いでネクサスに連絡を取り、その事を伝えなければ。救護班にも待機してもらおう。

 彼は手際よく、イロンデルの救出の用意を整える。

 

 もっとも。

 

「僕が…助けなきゃ。あの人を…僕が。僕なら…助けられる」

 

 それに集中してしまい、ヤマトの呟く声を聞くことはなかったが。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 救護班と、パイロットスーツを着たフラガがゼロ式の傍で待機している。何が起こっても良いように、緊急発艦システムが稼働状態だ。爆発の恐れがある場合は、宇宙空間に投棄する予定だ。そのパイロットごと。

 

『(^▽^)o』

「えっと…よろしくお願いします」

『(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑』

 

 ストライクの操縦席。その通信モニターにネクサスがでる。これから行う作業の重要性を考えると、場違いな程に呑気な顔だ。

 それにしても、前に見せて貰った時にも思ったが随分完成度の高いAIだ。まるで一個人のような顔をモニターに浮かべている。周囲の状況や今までの話の流れを読み取り、最適な表情を作り出す人工知能。複雑な思考パターンを持つソレはどのような仕組みで動いているのか、ヤマトには興味が尽きない。

 だが今行う事は、そのAIの持ち主の救出だ。

 

「じゃあ、イロンデルさんのゼロ式のデータを出して」

『 (=_=) 』

「だ、出してください」

『(^▽^)o』

 

 敬語でないと答えてくれないようだ。機械とは思えないほど気難しい。ふざけているのか。機械に苛立っても仕方がない。

 仕事はちゃんとしてくれるので、まあ割り切るしかない。

 

 引き出されたデータは彼女のゼロ式のスライスモデル。だがあくまで万全な状態のもの。現状には対応していない。あくまでこちらで考えるしかないか。

 

『 ('ㅂ' ) 』

「わ、すごい」

 

 その図面の一部が、赤く色を変える。箇所の場所からして、推進剤やバッテリー液の漏出の恐れもある場所か。ならそこを避けて切れば良いのか。

 

 ストライクが腰からアーマーシュナイダーを抜く。ゼロ式の装甲に刺すと、まるでバターのようにすんなりと刃が入る。

 

『(゚ロ゚;)』

 

 アラートが鳴り、ゼロ式の内部に小規模の爆発が起きる。装甲の一部が剥がれ、ストライクにぶつかった。

 

『大丈夫か、坊主!』

「え、ええ。推進剤が漏れてたみたいです。コックピットには影響がないはず…」

 

 被弾の影響か、想定より流出範囲が広い。このまま進めれば、本当にゼロ式が吹き飛ぶ。

 

「先に現状のデータを作りましょう。被弾部分の形状と損傷具合から、内部のモデルを作れるはずです」

『( ´ ▽ ` )ノ』

 

 モニターの下からキーボードを引き出す。深く息を吸い、モニターに集中する。

 

「外部形状から被弾時のエネルギーを推定……装甲の破壊数値……あの武器の破壊力……宇宙重量の影響を算出……」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 アークエンジェルから少し離れ、戦闘宙域から離脱したザフトの船。その一区画に彼はいた。

 

「イザークの容態は?」

「今は落ち着いてますが…酷い暴れようでしたよ」

 

 クルーゼの問にハハハと力なく笑う医師。頬が腫れているのは殴られでもしたのだろうか。周りを見れば、まだいくつかの器具が散らばっている。そして件の彼は、ベッドの上で力なく寝ている。

 

「あんまりなもので鎮静剤を使いました。話はできます」

「なるほど。すまないが…少し席を外してくれ。2人で話したい」

「では、扉の外におりますので」

 

 医師が頭を下げて部屋から出ていく。クルーゼはイザークのベッドの傍らに座る。

 

「起きているのだろう」

「……隊長」

 

 半分が包帯に覆われた顔で、片側だけ出された目がクルーゼを見る。本来ならばこのキズはもっと酷いものになる事も考えられたという。

 『デュエル』を含むG兵器に備わるセーフティーシャッターが『三つ首』の一撃を軽減した。敵の技術に助けられたと知れば今の彼がどれほどプライドが傷つくか分からない為、この事は伏せられている。

 

「傷の具合はどうかね?」

「…少し痛みますが、戦闘はできます。すぐにでもアイツを…三つ首を討ちに出れます」

「…」

 

 その目には明らかな憎悪が見える。ナチュラルのMAに良いようにやられ、自分の負傷が撤退する要因になった。プライドの高い彼にとって受け入れ難いことだろう。その恨みを晴らしたいのだろう。

 

「その意気は買うが、残念ながら我々には本国に帰るように命令が出た」

「っ!そんな!あの艦の追撃は!?ストライクの破壊は!?ここまで追い詰めたのに!…グゥッ!」

 

 上半身を起こし、こちらに身を乗り出す。ベッドから落ちそうな勢いだが、傷が痛むのか身をすくめた。

 

「落ち着きたまえ。命令が出たのは、私と…君に、だ」

「お、私に…ですか?」

 

 責任ある立場の隊長が呼ばれるのは理解できる。しかし、一個人である自分が呼ばれるとはどのような要件なのか。

 

「私は『ヘリオポリス』での事件に関して出頭命令。君には…エザリア・ジュール議員から個人的に通知が送られてきた」

「母上から…」

 

 思わぬ人物の名が出たと、ジュールが驚く。なぜ彼女がそんな通知を出したのか、理由が分からない。

 

「全く…何処に目耳があるか分からんが、君の負傷を知ったようだ。君は愛されているのだな」

 

 隊の中に間者でも仕込んでいたのだろう。息子が負傷したと聞き、いても立ってもいられなくなったか。

 

「傷が落ち着きしだい、アスランと共に我々は『ヴェサリウス』で本国へ向かう。あの船は『ガモフ』に引き続き追わせよう」

 

 評議会へ召喚されれば、ヘリオポリス崩壊の責任を追及されるだろうに、それに対する懸念はまったく感じられない。ジュールには、そんな上官が理解できなかった。

 

「戻る頃には、『デュエル』の改修も済んでいるだろう。君にはまだ、三つ首を討つ機会があるさ」

 

 そう言い残して、クルーゼは医務室を去った。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 クルーゼが次に訪れたのは、ガモフの格納庫だった。ザフト製の『ジン』に混じって、4機のG兵器が鎮座している。先の戦闘での実戦データを元に、OSの改良が行われている。

 精々がジンに毛が生えた程度のものだったソレを、各G兵器に対応したものにする。それだけで動きは機敏かつ柔軟になり、戦闘で優位にたてるだろう。

 

 その中で、他の3機と離れて整備されているデュエルに近づく。

 

「進捗は?」

「隊長。…八割は終わった…という所です」

 

 クルーゼの姿を見て敬礼するのを抑え、モニターと睨み合う技師に近づく。彼に頼んでいたのは、三つ首との戦闘時の通信障害の解析。不自然なタイミングで発生したからには、三つ首が関わっていると見るのが普通だ。ならば対策を講じなければ何度でもやられてしまう。

 

「正直に言って、仕組みは単純です。大容量の情報をリアルタイムで通信する事で、機器に負荷をかける。その通信は優先度が高いため、一時的にノイズという障害がG兵器間での通信に発生した訳です」

「なぜそんな上位の通信が?国際救難チャンネルでもなく、正規の通信コードだったのだろう?」

 

 ザフトと地球連合の間には、共通の通信コードが無い。個別に通信するならまだしも、G兵器という一括りと上位通信を行うのは、友軍でもなければできないはずだ。

 

「どうやら三つ首はG兵器の管理コードを握っているようです。奪取した際に全て書き換えたはずでしたが、かなり深いところに隠されていたのでしょう。巧妙ですね」

「なるほどな。なりふり構っていられず、奥の手を晒したわけだな」

 

 そのコードさえ失くしてしまえば問題は解決だ。わかってしまえばどうということはない。納得したように顎に指を添えるクルーゼを見て、技師が新たなデータを見せる。

 

「興味深いのはここからでして。やり取りされていたデータなんですがね?」

 

 再生されたのは4つの映像。G兵器のメインカメラの映像のようだ。

 

「どこを狙っているか筒抜けだったわけだな。あれだけの弾幕を躱せたのはそういう仕掛けか。分かれば単純だな」

 

 弾が来るとわかっている場所に身を置くのは愚かだ。狙えば狙うほど、敵に詳細な情報を与えていたということだ。クルーゼはあまり興味を持たなかったが、技師はそうではないようだった。

 

「それがですね。全く同じ状況で赤服たちにシミュレーションを行ったんですが、アスランが多少マシなだけで全員被弾したんですよ。あ、イザークはやってませんけど」

 

 赤服はザフトのコーディネイターの中でも優れた能力を持つ者に与えられる称号。なら三つ首はそれすらも凌ぐほどの能力を持っているのか。

 

「ありえない…とは言いきれないな」

「ナチュラルにそんな能力があるとは考えられません。何かしらの補助装置を使っていると思われます。まあこれまでも度々報告されてきた、三つ首の異常速度の要因が解明できただけでも良しとしましょう」

 

 友軍コードで他の機体から映像を共有し、常に立体的に状況を把握。死角が無くなり、自由に宇宙を飛び回る事ができるようになる。

 敵味方が入り交じる、乱戦の中でこそ真価を発揮する能力。

 今回はG兵器と、あるいはあの母艦からの映像で実行した訳か。

 

「早急の対応が求められるな」

「だからこそ、デュエルを改装するのです。『アサルトシュラウド』を元に、より速度に特化にするように」

 

 技師とクルーゼがデュエルを見上げる。被弾した脇腹を中心に、MS用強化パーツの増設作業が行われている。通常のそれとは違い、高出力スラスターが特に重きを置かれている。

 あの異常速度ならまだしも、通常時でさえその速度は負けている。その差を埋めなければ、三つ首を討つことは難しい。

 

「デュエルとイージスはヴェサリウスに移してくれ。改修ならば向こうでもできる」

了解(ラジャー)!」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 装甲に開けた穴に、フラガが突入する。

 

「お願いします…。どうか、あの人を…」

 

 ヤマトがコックピットの中で、震える。両手を合わせ、誰にでもなく祈る。

 あの戦闘から時間にして15分。救出開始からはざっと10分程度。ネクサスの描いていた振動図は、ストライクの影響で不定形だ。彼にできることは、祈ることだけ。

 ただひたすらにフラガの通信を待つ。そしてそのまま、1分…2分…時間が過ぎる。

 

『…こちらフラガ。イロンデルの生存を確認した。これから救助作業に入る』

 

 ヤマトはひとまずは胸を撫で下ろす。医療班が、事態に備えて駆け寄っていくのを見て、自分もストライクから降りて続く。

 フラガに抱きかかえられて出てきた彼女。そのパイロットスーツにはいくつもの穴が開き、血が流れ落ちている。髪が赤黒く染まり、その目は死んだように閉じられている。

 生存確認を聞いていなければ、誰もが死体だと思うだろう。

 

「医療班、こいつを頼む。意識不明、出血多量、骨も何本か折れてるみたいだ」

「この艦の設備では対応しきれないでしょう。応急処置を行い、『アルテミス』での治療が適切です」

「了解。艦長に伝えておく」

 

 フラガは彼女を担架に乗せ、後を医療班に託す。ヤマトの姿を認めると、そちらへと近寄った。スーツに付いた血の匂いが、ヤマトに届く。

 

「アイツを救えたのはお前のおかげだ」

「いえ…僕は何も」

「後数分でも遅れてたら、アイツは死んでた。よくやったな…キラ」

 

 フラガがヤマトの胸を小突く。軽く体が揺れ、彼のスーツにも血が付いた。ヤマトは自分の手を見る。あの人を助けられた。自分がいたから、あの人は助かった。

 

「…はい。ありがとうございます」

 

 自分なら皆を守れるのだと、拳を握る。



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第13話 嫌悪

信じたいものを信じろ。それがお前の価値を決める。

――『紅き夜に捧ぐ』


 雲間から太陽が照らすベランダにイロンデルは座っている。プラチナブロンドの長い髪が緩やかな風に揺れ、光を反射する。見る者全てが息を飲む程に美しい、まるで絵画のような空間。

 そのベランダに、1人の青年が近づく。

 

「また読書ですか、イロンデル様」

「シュエット…。ええ、本の世界は素晴らしいですから」

 

 シュエットと呼ばれた青年はイロンデルの傍まで行くと、その本の表紙を覗き込む。青い表紙に金刻印で飾られた題名を読む。

 

「前とは違う本ですね。『退廃的恋愛感情』…続編ですか?」

「ふふっ、ご明察です」

 

 イロンデルは栞を挟んで本を閉じると、シュエットと目を合わせる。

 

「何か御用でしょうか」

「お父様がお呼びです。『視て』ほしい、と」

「…そうですか」

 

 本を持って、屋内へと入る。その顔からは先程まであった笑みが消えていた。

 

「このところ、呼ばれる事が増えたように思います」

「ようやく事業が軌道に乗ってきたのです。それを磐石なものにしたいのでしょう」

「……なるほど」

 

 結局、あの人が求めているのはそんな事か。

 

「…全く、やってられませんね」

 

 後ろに控える青年には聞こえないよう、イロンデルは小さく呟いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 イロンデルは目が覚めると、己がベッドの上にいることに気がついた。

 

「…知らない天井か」

 

 随分と昔の夢を見ていた気がする。痛む頭を押さえながら身を起こすと、ぼやけた視界に人影を見つけた。

 

「起きたかい?随分とうなされていたようだけど」

「貴女は…ここはどこですか?」

 

 だらしなく着崩した軍服に、雑に白衣を羽織っている。ボサボサの長髪は、あまり手入れをされていないようだ。

 

「私はセゾン。この『アルテミス』の軍医だ。そしてここはアルテミス。たいして重要でもない地球連合の要塞。…他に質問は?」

 

 必死に頭を回して、これまでの記憶を辿る。最後の記憶は、『デュエル』の装甲の傷を撃ち抜いた事。確かその直後に視界が暗転したのだった。

 

「『アークエンジェル』…。私の乗っていた艦はどうなりましたか」

「ああ、あの白いヤツかい?今は要塞の中に収容しているよ。又聞きになるが、大した損傷は無いらしい」

 

 『ストライク』についても聞こうか迷ったが、あれは一応機密兵器だ。むやみに話題にする事もないだろう。

 それにしても損傷軽微で、あの包囲網を突破できたのは僥倖だ。

 

「そうですか…。よかった…ゥグッ!」

 

 大きく息を吐くと、脇腹に激痛が走った。手を当てると、どうやら包帯で巻かれていた。腹だけでは無い。よく見れば腕や足にも、満遍なく白い布が巻きついていた。服も、軍服やパイロットスーツではなく、病人が着るような薄い生地のものだ。

 

「…これは?」

「気づいたみたいだね。君、死にかけてたよ」

 

 聞けば、この要塞に運び込まれた時は酷い状態だったという。破損した金属片がスーツを突き破り、体内に残っていたと。骨が砕け、内臓も傷ついていたらしい。

 

「伊達に要塞じゃないからね。ここの設備が整って、優秀な医者―ああ、私の事だがね―がいたからよかったものの。こんなに早く目覚めるなんて予想外さ」

「アークエンジェルが寄港してから、どれほどの時間が?」

「精々が1時間じゃないかい?君の治療が終わってからなら、だいたい30分ぐらいかな」

 

 その時、壁の通信機が電子音を鳴らした。どうやら呼び出しのようだ。セゾンは一言断りを入れて、傍を離れた。

 

「はい、こちら第9区画医療棟549号室、セゾン・イストワール。…これはこれは、わざわざ何の御要件で?」

 

 体の調子を確かめると、腕の痛みは大した事がないようだ。包帯は大袈裟だが、傷は小さい気がする。

 

「…はい。………ちょうど目覚めた所です。会話に支障は無く、意識もはっきりしています」

 

 少し腰を捻った所で、脇腹…というより肋骨に痛みがあった。骨が折れていた所。治療によりヒビは塞がれたが、まだ完全には癒着していないようだ。

 

「……はい?……認められません。彼女はまだ………ふざけ――ッ!……いえ、わかりました。失礼します」

 

 通信を終えたセゾンが、不機嫌な顔を浮かべながらこちらに近づく。かなり苛立っているようだ。先の通信の内容は聞こえなかったが、何かあったのだろうか。

 

「司令から直々に命令が出た。直接会いたいそうだ。司令室に来いとさ」

「了解しました」

「…あの業突く張りめ。自分から来るべきだろうに」

「彼も司令ですから。色々と忙しいのでしょう」

 

 ベッドから降りて、1歩を踏み出す。と、視界に違和感を覚えた。少しふらつく。

 

「どうかしたかい?」

「いえ、何やら変な感じが…」

 

 壁にある鏡を覗くと、顔の半分が包帯に覆われていた。片目が塞がれ距離感が狂っているのか、真っ直ぐに歩くことができない。

 

「これは…」

「失明した訳ではないが、近くの裂傷を塞いだからね。包帯が取れるまで我慢してくれ」

 

 包帯の上から瞼を触ると、確かにその近くが痛んだ。

 

「大丈夫かい?杖でも用意しようか。それとも運び手を呼ぼうか」

「…平気です。しばらく歩けば慣れると思います。それより、部屋の場所を教えてください」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 一番サイズの小さい、それでも少し袖の余る軍服に着替えたイロンデル。壁に手をつきながら、それでも最初よりは自然に歩けるようになった。

 

「イロンデル・ポワソンであります」

「入りたまえ」

「失礼します」

 

 司令室の扉を開けると、タバコの臭いが鼻に入った。思わず顔をしかめる。

 

「苦手か?」

「けほっ…あまり慣れていないもので」

「その体躯では仕方あるまい」

 

 そう言ってニヤケながらガルシアは、咥えていた葉巻を擦り消した。消える直前の火が、濃い紫煙を吐く。

 

「傷はもう平気かね」

「はい。後は無理せず体を休めるように言われました」

 

 数瞬、互いに見つめ合う。腹の中をさぐり合う、鋭い目が交差する。自然と空気が張り詰める。初めて会った時から、この男が嫌いだ。常に腹に一物あるような態度もそうだが、何より中途半端に高価な葉巻の、その臭いが気に食わない。

 

「こうして顔を合わせるのは『ヘカテー』以来だな。あれからどうだね。背が少し伸びたようだが」

「ええ、まあ。少将は以前とお変わりないようで。遅ればせながら、昇進おめでとうございます」

 

 それでも表面上は友軍というやり取りを取り繕う。

 

「よしてくれ。『瑠璃星の燕』に祝われる程、偉くなったつもりは無い」

 

 そこでガルシアは言葉を切り、背後のモニターに映像を流し始めた。かなり望遠で撮られたもののようで、画質は良いとは言えない。しかし、その中心にある白いシルエットには見覚えがあった。

 

「先程の戦闘でも、随分と目覚しい活躍だったな」

「それは私だけの力ではありません。他の士官とは既に?」

 

 覗いていたのか。悪趣味な男だと、顔に出さずに思う。

 良くない流れを感じ、少し強引に話題を逸らす。

 

「ラミアス大尉とフラガ大尉。そしてバジルール中尉とは話したが。なかなかの災難だったと聞いた」

 

 ガルシアが、顔に下卑た笑みを浮かべる。まさか中立国のコロニーで兵器開発を行っていたなどとは言えず、イロンデルは曖昧な笑みで誤魔化す。

 同じ地球連合であっても、あくまで大西洋連邦とユーラシア連邦は別組織。下手にこちらが不利になる事を言えば、巡り巡ってどうなる事やら。特に今回は、相手がガルシアだ。その性格から言って、そんな美味しいネタを利用しない訳が無い。

 

「まさか艦長、副艦長が共に女性とは。『エンデュミオンの鷹』の血の気の多さにも驚いた。だがそれより、ラミアス大尉は明らかにその立場に慣れていないようだったが」

「…ええ、色々と事情が混みあっていまして。本来は技術部の所属だそうです。あの艦に乗る予定ではなかったとか」

「あの新兵器も、そこの開発かね?」

 

 今一番話したくない話題が出た。答えを言い淀むイロンデルを置いて、ガルシアがモニターにXナンバーの映像を流す。

 

「噂にあった、地球軍開発のMS…まさかこの目で見ることができようとはな」

 

 極秘のはずの情報をなぜ知っているのか。とは、疑問にすら思わない。この男の事だ。どうせ間者や賄賂などを使ったのだろう。

 ヘカテーでもそうだった。知り得る事ないことを知り、私利私欲の為に利用する男なのだ。

 

「…何か言いたいことでも?」

「そう気を荒立たせるな。何も、奪おうなどと考えている訳では無い」

 

 ガルシアが腕を組む。

 

「だがその技術が手の届く所にあるのに見ているだけなど、もったいないとは思わないかね?」

 

 まるで全ては自分の手の中にある、とでもいうように掌をにぎりしめる。恐らく、望みは出世の足がかりか。Xナンバーを手土産にすれば、こんな要塞ではなく地球本部の将校になるのは容易だろう。

 今、アークエンジェルの保有するXナンバーは『ストライク』のみ。そしてパイロットは()()()()()()()()。もしその事がガルシアに知られれば、スパイだなんだと理由を付けて拷問してでも情報を引き出そうとするかもしれない。

 

「…あれは大西洋連邦の兵器です。ユーラシア連邦が勝手に押収する事は認められていません」

「正規の兵器ならばな」

 

 モニターの映像が変わる。そこは現在のアークエンジェルの様子だろうか。銃を持った数人の兵士に、クルーや民間人が食堂へと集められている。

 その中には、ヤマトを含めた学生達や、エルの姿も確認できた。怯えた様に母親に抱きつく少女に、イロンデルの心が締め付けられる。

 

「だがあの艦は識別コードの無い、言うなれば()()()だ。私の権限でどうとでもできるのだよ」

「あなたは!」

「私の行いに…何かおかしい所でもあるかね?不審船の乗員は全員スパイの容疑がかけられている。拘束するのも当然だろう」

 

 やっている事は正当そのもの。識別コードの無いこちらに非がある。悔しさに歯ぎしりするしかない彼女を見て、ガルシアが勝ち誇った笑みを浮かべる。

 

「さて、君も不審船の乗員だ。拘留させてもらおう。…なぁに、あのMSの解析が終われば返してやる」

 

 ガルシアの合図と共に現れた兵士が、イロンデルの周囲を囲む。怪我を気遣ってか無理矢理組み伏せる事は無いが、それも些細な違いでしかない。

 

「あなたは!」

「これ以上話すことは無い。連れて行け」

 

 2人の兵士が彼女の腕を掴む。

 

「民間人に銃を向ける意味がお分かりですか!我々軍人は、彼らを守る為にある!それをお忘れか!」

「スパイ容疑者に銃を向ける事。どこに躊躇する理由がある?」

 

 イロンデルは引きずられながら、司令室から追い出された。兵士を振りほどき、閉じた扉に拳を叩きつける。

 

「…」

「大尉殿。大人しく我らと同行してください」

 

 銃を構えた兵士が、その肩に手を置く。

 

「……」

「…大尉殿?」

 

 イロンデルは考える。

 このままではガルシアの思い通りに事が進む。あの少年が見つかる前にアルテミスを出航しなければ。だが交渉は不可能だ。ならば脅すしかないか。

 周りの兵士は4人。全員が携帯小銃を所持。安全装置は恐らく外されていないだろう。まずは肩に手を置く1人。怯ませるだけでいい。その隙に2人目を制圧し、銃を奪う。安全装置を解除と同時に、残りの3人を撃てば――。

 

「…少し傷が痛んだだけだ」

 

 辞めだ。万全な状態ならともかく、負傷が響く現状なら精々が2人…むしろ簡単に反撃されてしまうだろう。片目も塞がっている。そんな怪我人に銃を突きつけられた程度で、あの男が降参する保証もない。『ネクサス』が有れば話は変わってくるが。

 今は大人しくしていよう。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 てっきり独房にでも入れられるかと思ったが、案内されたのは応接室だった。一目で高価とわかる、無駄な調度品に溢れた部屋。そこに先客が3名。

 

「イロンデル!」

「フラガ…。それにラミアス大尉と、バジルール中尉も」

 

 ロンデルを部屋へ入れると、兵士たちは出ていった。扉が閉まり、鍵が掛かる。なるほど。表立って牢獄に入れれば、管理記録に詳細が残る。ガルシアも抜け目ない。自分が不利になる証拠を残すつもりは無いらしい。

 

「怪我は平気か?どこか痛んだりしないか?…その顔の包帯は」

「ベタベタ触るな、鬱陶しい」

 

 纏わりつくフラガを押しのける。軽く押しただけだが、彼の体が下がる。()()()()()()()()()()()()のが原因だろう。ガルシアの言っていた、『血の気が多い』という発言と関係がありそうだ。

 

「別に何ともない。それよりも、私が気を失ってから何があった?」

「何ともないわけないだろ……。まあいいか。アークエンジェルがアルテミスに入ってからの事だよな」

 

 フラガが言うには、入港と同時にアルテミスの兵士が銃を持って突入してきたらしい。有無を言わさず拘束されたと。事情聴取という名目で士官3人が呼ばれ、現在状況に至る。

 

「補給に関しても望み薄。面倒な事になったな」

「まったくだ。全部があの野郎の思い通りと思うとムカつくな」

「ストライクのデータが盗まれるのは非常にマズイ事態だわ」

 

 ラミアスの言う通り、せっかくここまで運んできた機密兵器をまんまと横取りされることになる。イロンデルにとっては兵器のことは二の次だが。

 

「それなら心配しなくてもいいんじゃないか」

「何か策でも講じてるのか?」

 

 フラガが気軽に言うと、イロンデルは詳細を求める。この男がこんな態度をするのは、事態の深刻さが分かっていないか、それとも自信があるかだ。

 願わくば後者だが。

 

「キラに頼んで、ストライクをロックしてもらった。生半可な技術者じゃ、起動させることもできないはずだ」

「は?」

「どうした?そんな怖い顔して」

 

 頼んだ?あの少年に?

 

 顔を覆い、思わず口から出かかった呪詛を飲み込む。もし胸の傷が痛まなければ、思い切り殴りつけているところだった。

 せめて痛みが引くまで大人しくしていようと思ったが、予定変更だ。今すぐに行動を起こす必要がある。

 

 イロンデルは部屋を歩き回り、壁や天井を観察し始める。

 

「どうしたんだよ、そんなに慌てて」

 

 能天気な男が言う。それが彼女を苛立たせるが、個人的な感情を後回しにできる程度には彼女は大人だった。

 

「かの兵器を起動できないとなれば、ガルシア少将が『起動できる人間』を探し始める。あの少年が見つかるのも時間の問題だ」

 

 動かせないだけなら、データの吸出しだけで解放されることも考えられた。しかし起動からできないとなれば、彼らは躍起になって探し始めるだろう。

 しかも最悪なのが、彼がコーディネイターであるということだ。もしストライクのパイロットである事が隠せても、コーディネイターである事がバレてしまえば。強引にでも拘束されるだろう。

 

 彼を守らねばならない。

 

「ああ、確かに悪手だったな」

「それも最悪のな」

 

 壁を指先でなぞる。そしてようやく、目当ての物を見つけた。照明のスイッチパネル。その隙間に爪を挿し込み、カバーを外す。剥き出しの配線が露になると、イロンデルはフラガに腕を出した。

 

「お前が持っているんだろう」

「あ?何をだよ」

「とぼけるな。ネクサスに決まっている」

 

 ネクサスを接続し、まずはアルテミスの内部地図を取得する。中央サーバにアクセスして管理コードが入手できれば万々歳だが、それは贅沢というものだろう。少なくとも監視カメラの映像さえ手に入れば、後はこちらでどうにでもなる。

 

「あー…、ネクサス…ね。…はは、やっべぇー…」

 

 しかし、フラガはバツが悪そうに頬を掻くばかり。

 

「おい…まさか」

「…キラに預けてる」

 

 仮にも個人の所有物を、本人の許可なく他人に持たせるのはどういう事か。それにあの中にはかなりの機密情報が入っている。民間人が知れば、それだけで拘留する理由になる程のものもある。

 

「お前という男は…」

「いや、ホントにスマン。あいつの方もネクサスが気になるって言うもんでさ…」

 

 あの少年の好奇心にも困ったものだ。だからといって貸し与える方もどうかしてるが。

 

「彼が中を見たらどうする」

「大丈夫だと思うぜ?伊達に()()()の傑作じゃねぇんだから」

「…だと良いがな」

 

 あれが普通のAI端末ならば彼女もここまで心配していない。だが『彼』はかなりの気分屋だ。その行動を完璧に予測できるのは、おそらく制作者である戦友だけ。…のはずだ。彼女並の頭脳を持つ人間など、コーディネイターの中にもそうそう居ない。

 

 それはそれとして。どうやってこの部屋から出るか。それが問題だ。天井には空気口が設けてある。1人が足場になり自分が跳び上がれば、格子に手が届きそうだ。だが大きな音がすれば、扉の外に居る見張りが駆け込んで来るだろう。

 フラガと目線だけで合図すると、彼はヒラヒラと手を振った。『手錠があるから無理だ』という事らしい。ならば、プランBだ。

 

「…全く、肝心な時に役に立たん男だな」

「……なるほどな。さすがは名女優……なんだと!?」

 

 頷いたフラガがイロンデルに詰め寄る。大袈裟に机を揺らし、上に置かれた物を落とす。

 

「もう一度言ってみろクソガキ」

「役立たずと行ったんだ。どんな思考回路をしていれば『彼』を少年に預ける?あれは私の物だぞ!」

「あんな小道具に頼りきってる小娘がよぉ!好き勝手言いやがって!」

 

 彼女の襟を掴みあげる。小さな体が床を離れて宙に浮く。イロンデルは傷が痛んだのか、顔を顰める。しかし、以前アークエンジェルであった時と違い、どこか余裕そうだ。

 

「フラガ大尉!」

「外野はすっこんでろ!」

 

 そのまま壁に勢いよく押し付ける。今度こそイロンデルが苦痛の声を上げた。棚の物が落ち、ガラス器が割れる。

 

「お前たち、何をしている!!」

 

 その音が聞こえたのか。見張りの兵士が2人、部屋の中へ入ってきた。組み合うフラガとイロンデルに、銃を突きつける。

 

 ニヤリと、先程まで争っていた2人が口角を上げた。目線を合わせ、頷き合う。

 

「小芝居だよ、マヌケ」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「で、ここからどうするんだ?」

 

 意識を失った見張りから鍵を奪い、フラガが手錠を外す。

 

「私は要塞の格納庫へ行く。奪取されたストライクはそこにあるはずだ」

 

 司令室で見た映像を思い出す。区画番号からして、8番格納庫。アークエンジェルが入港したドックに程近い場所だ。

 見張りの所持していた銃は、フラガとイロンデルがそれぞれ一丁ずつ持ち合う。

 

「1人で平気か?」

「その方が身軽に動ける。お前はラミアス大尉とバジルール中尉を連れて、アークエンジェルの出航準備を頼む。ストライク奪還後、速やかに脱出する」

「了解」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 蚊帳の外で話が進み、何が何やら理解が追い付いていないラミアスとバジル―ル。認識できていることは、目の前の尉官たちがアルテミスの兵士を殴りつけてその装備を奪っているということだ。明らかな反逆行為。しかるべき処罰を待てば、間違いなく銃殺刑だ。

 

「ストライクの奪還?アルテミスを脱出?何を言っているんですか。ここは友軍の要塞ですよ⁉」

「先に手を出してきたのは向こうだ。アークエンジェル内では民間人が銃を向けられている。『我々はこれを反逆行為と判断し、ヘリオポリスの避難民を保護するためにアルテミスを脱出した』。…以上が大義名分だ。何か質問は?」

 

 イロンデルは淡々と説明しながら兵士の手足を縛り、布を噛ませて即席の猿轡にした。通信機を取り上げて部屋の隅に転がす。

 このままここでじっとしていても、ストライクのデータを奪われ、自分たちは何の成果もない。もう事態は動き出している。この小さな大尉のいうことに従うしかないと、ラミアスとバジル―ルは思った。

 

「通信チャンネルを683に合わせろ。お前の判断で私たちを待たずに出ていい」

「先に言うが……待つからな」

 

 扉を開き、イロンデルはフラガ達と別れる。



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第14話 部外者故に

どんなに大雨でも、雲の上はいつだって快晴だ。

――『GIZAGIZAファンタスティック』


「大丈夫かな、あの人」

 

 食堂に集められたヤマト達は、ただ時間が過ぎるのを待っている。アーガイルの呟きに、ヤマトはビクリと肩を震わせた。

 

 自分は、誰も守れなかった。ただ旧友と言い争って、騒いでいただけだ。『アークエンジェル』を守ったのはあの人。そして、自分を守って、あの人は傷ついた。

 脳裏に浮かぶのは、赤く黒い液体に濡れた彼女の姿。むせ返る程の錆びた鉄のような臭い。死んでいるかのように生気のない白い顔。ゼリーの様な塊になった血肉がパイロットスーツの裂け目から零れ落ちた、生々しい音。

 思い返すだけで吐き気がする、死の気配。震える手を胸に抱き、自分を落ち着かせる。

 

「キラ…顔色悪いぞ」

「ああ、うん…」

 

 大丈夫だ。あの人は生きてる。フラガが言っていたのだ。

 …大丈夫なはずだ。更衣室で見た、彼女の裸体を思い出す。無数に傷跡が走り、色が薄くなった部分がまだら模様になった肌。きっと何度も死線を越えてきたのだろう。なら今回も…きっと。

 

 ポケットから預かった『ネクサス』を取り出し、その液晶を覗く。何も映さない黒い画面に、自身の顔が反射する。

 

「…少し疲れてるのかも」

「おいおい、しっかりしろよ」

「はは、は…。そうだ…ね」

 

 アーガイルの励ましに、何とか笑って答える。笑顔が引き攣った自覚があるが、どうやら気付かれなかったようだ。

 

「ちょっと、静かにしてよ。騒ぐと撃たれるかもしれないわよ」

 

 ハウがこっそりと周囲を見ると、監視の兵士が巡回している。彼らは『アルテミス』に入港した時、突然乗り込んできた。有無を言わさずここに押しつめられた。

 彼らの言い分ではこちらの方に非がある、との事だが。それはあくまで軍人の言い分。それに納得した者は少ない。睨む人、怯える人。誰も好意的な感情を持っていない。同じく集められたマードックの様な整備兵達も、仏頂面をしている。

 

「さて、皆さん。大変窮屈な思いをされている所、恐縮なのですが…」

 

 自分たちにそんな思いをさせている張本人。本人が名乗るには、アルテミスの司令であるガルシアが、まるで演説をするかのような仰々しい口調で話し始めた。

 

「我々はあの白いMSのパイロットを探しております。お心当たりのある方はおりませんか?」

 

 胡散臭い言い方で喋る男は、どうやら自分を探しているようだった。素直にヤマトが立ち上がろうとした時、その肩をマードックが抑える。

 

「なぜ我々に聞くんです?艦長たちは教えてくれなかったからですか?」

 

 ヤマトはようやく、入港前にフラガがストライクをロックするように命じた理由が分かった。

 

「君たちが知る必要はない。聞かれたことに答えたまえ」

 

 マードックが答える。

 

「フラガ大尉ですよ。連れて行った時に聞かなかったんですかい?」

「ふん。先程の戦闘はこちらでも確認している。『メビウス・ゼロ』の存在もな。生きている兵士の中で、あれを扱えるのはフラガ大尉と、ポワソン大尉のみだ。…それとも、今度はポワソン大尉が乗っていたとでも言うつもりかね?」

 

 あえて挑発するような物言いにマードックが歯噛みする。ガルシアはあたりを見回し、誰も答える者がいないとみるや、より演技臭い大きな声で話し始めた。

 

「まさか大した損傷もしていないMSに、あれほどの重傷を負った彼女が乗っていたと?まあ彼女も人間だ。腕が落ちていることもあろうな。ろくに役目も果たせないようなパイロットなど、野垂れ死ぬのがどおりだな」

「何も知らないくせに!」

 

 好き勝手に喋る彼にイラつき、ヤマトはマードックの手を払いのけて立ち上がる。

 役目を果たせない?あの人が?

 怒りを込めた眼で睨むが、ガルシアは意に介さない。むしろ子どもの癇癪を見るような冷めた顔でこちらを見ている。それが益々、ヤマトの神経を逆撫でする。

 

「あの人はみんなを守った!見ていたんでしょ!」

「ああ、もちろんだとも。あのMSを庇う所もね」

「なら訂正してください。あの人を侮辱するのは許さない!」

 

 しかしガルシアは訂正するどころか、こちらを見て口角を上げた。

 

「なぜそこまで躍起になる?まさか、そのMSに乗っていたのが君だったとでも?」

「う…。そ、それは―」

 

 周りを見れば、全員の瞳がヤマトに集中している。あれだけ大声を出したのだから当然だろう。この中で、ストライクのパイロットだと宣言したらどうなるか。

 戦闘に出る前の、あの人との会話を思い出す。

 

 そして、こう思う。自分はもう戦ったのだから言ってもいいのではないか。どうせいつかは皆に知られることかもしれない。ならば、ここで言っても変わらないのではないか。

 

「…そうですよ。あれに乗っているのは僕ですよ!」

「ふん。その強がりは見上げた心意気だ。だが、あれは君のようなひよっこが扱えるモノではあるまい。勝手なことをするな!」

 

 ガルシアは突然ヤマトに殴り掛かった。だがコーディネイターであるヤマトにとって、その拳は脅威にはならない。あっさりとそれを躱し、勢い余った彼に足払いをかけた。ガルシアの体がみっともなく床に転がるのを、兵士が目を丸くして見る。

 

「あなたに殴られる筋合いはありませんよ!」

「なんだと⁉舐めた口を!」

 

 ガルシアの顔が赤く染まる。兵士たちがヤマトを拘束しようとする。

 

「やめてください!」

 

 立ち上がって間に入ろうとしたアーガイルが突き飛ばされた。アルスターが悲鳴を上げ、その体に駆け寄る。

 

「やめてよ!その子がパイロットよ!だってその子、コーディネイターだもの!」

 

 マードックたちが痛恨の表情になり、ユーラシアの兵士は唖然と立ち止まる。ヤマトは彼らの視線をはね返すように、睨みつけた。

 ユーラシアの兵士に連れられ、ヤマトが食堂を出ていく。

 

「お兄ちゃん!」

 

 そこに少女が駆け寄った。止める母親の手も間に合わず、ヤマトに抱きつく。

 

「エル…」

「お姉ちゃんがいなくて…お兄ちゃんもどっかに行くの?」

 

 潤んだ瞳で見上げられる。彼女なりに、あの人の事を案じているのだろう。そして、自分の事も。

 

「邪魔だ、ガキンチョ」

「!…やめてください!」

 

 雑に引き剥がそうとする兵士の手を止め、エルと顔の高さを合わせる。両手を肩に乗せて、優しく言い聞かせる。

 

「大丈夫だよ。…ちょっと離れるだけだから」

「ほんとぉ?」

「うん。本当だよ。僕が嘘ついた事、あった?」

「…ない」

 

 頭をゆっくりと撫で、少女を母親に託す。

 

 ヤマトがいなくなった食堂で、アーガイルがアルスターをなじった。

 

「なんであんなこと言うんだよ、おまえは!」

「だって。ホントの事じゃない」

 

 しかし、アルスターは全く罪悪感が無いようだった。むしろ、自分が何をしたのかを正しく認識できていないようだ。

 

「地球軍が何と戦ってると思ってんだよ!」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 前方から足音を聞いたイロンデルは、通気孔の中に身を潜める。こういう時はこの体躯は便利だ。格子の隙間から窺うと、2人分の足が通り過ぎて行った。

 他愛もない無駄話をしている事から察するに、ストライクの事は知らないのだろう。ならばアークエンジェルの拘束は、ガルシア及び少数グループの仕業ということか。最悪、要塞1つをまるまる相手取る事も有り得たがその心配は無くなったと言っていいだろう。

 足音が遠ざかり、通気孔から這い出る。

 

 先程聞こえた放送によると、ザフト艦が離れたため絶対防御の『傘』を閉じたらしい。脱出の際に邪魔になるので僥倖だ。

 

 色々とこちらに都合のいい様に事が運んでいる。うまくいけば大した苦労もなく脱出できそうだ。

 

 何度か見回りの兵士をやり過ごし、格納庫へたどり着く。無駄に広いその場所には数機の『メビウス』と、そして目立つようにストライクがあった。

 機材の影に隠れながら、MSに近づく。その周囲には人集り。ガルシアとその部下、恐らくは技術士か。見つからないよう身を潜め、様子を窺う。

 

「さて、どうしたものか」

 

 かの少年がストライクの操縦席にいるのを、開いたハッチから確認した。その周りに、技術士が3人。その装いからして武器は持っていないだろう。なら気を配るべきは、足元の4人の兵士たち。イロンデルと同じ携帯自動小銃を装備している。その中心にいるガルシアとビダルフも、護身用に拳銃を持っているはずだ。

 

 正面からの制圧は現実的ではない。下手に刺激すると、少年に危害が及ぶことも考えられる。それは最悪の事態だ。

 

「やってられんな…」

 

 耳を澄ますと、彼らの会話が聞こえた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「OSのロックを外せばいいんですね?」

 

 ヤマトはストライクの操縦席に座った。ガルシアは彼の顔を覗き込み、意味ありげに笑みを作る。

 

「むろん、それはやってもらうがね。…君にはもっと色んなことができるだろう?例えばこのMSの構造を解析して、複製品を造るとか、逆に、有効な兵器を造るとかね…」

「僕は民間人です。軍人じゃない。そんなことする理由がありません」

「だが…君は『裏切り者のコーディネイター』だろう?」

 

 ねちっこく発せられたその単語に、ヤマトは衝撃を受けた。

 

「うらぎりもの…!?」

「どんな理由でかは知らないが、どうせ同胞を裏切った身だ。ならばユーラシアで戦っても同じだろう?」

 

 機嫌をとるような気持ちの悪い猫なで声。

 

「違う!…僕は…」

「いや、地球軍につくコーディネイターというのは貴重だよ。君は優遇される。…ユーラシアでもな」

 

 これまでの人生で、ヤマトは自分がコーディネイターだと強烈に自覚したことがなかった。自分がどちらにつくなんて、考えたこともない。

 だが、敵か、味方か。中間なんて存在しない。それが戦争なのだ。

 

 その事実を、この汚らしい男に突きつけられたのだ。

 

 無意識のうちに、手がポケットを撫でる。あの人は、自分の事をどう思っているのだろう。目の前の男と同じ、便利な道具にしか思っていないのかもしれない。

 いや、そんなことがあるわけが無い。ヤマトは否定する。自分の命をかえりみず、守ってくれたのだ。そんなことを考えるなんて、恩知らずすぎるだろう。

 何度か深呼吸をする。そうだ。あの人なら受け入れてくれているはずだ。ネクサスを握りしめる。

 

 迂闊にも、ガルシアの目の前で。

 

「おや、それは何かね?」

「っ!?別に何でも無いですよ!」

 

 慌ててポケットに戻すが、既に遅い。まるで新しい獲物を見つけたかのように、ガルシアが身を乗り出してくる。

 

「何でも無いかはこちらで決める。それを渡したまえ」

 

 腕を掴まれる。取り上げる気か。

 ダメだ。

 これはあの人の…。

 

『友人からの贈り物』

『家族みたいな』

 

 彼女の言っていた事を思い出す。絶対に渡してなるものか。がむしゃらに暴れて、ガルシアをコックピットから蹴り出した。

 

「うぐぅ…こちらが手を出さないと良い気になりおって!引きずりだせ!」

 

 リフトに尻もちをついたガルシアは、こちらを睨みつけると怒った声で言った。技術士がヤマトに近づこうと腕を伸ばしてくる。

 

 やめて…嫌だ…来ないで!

 

 少年の心に恐怖が湧き出す。誰か…助けて…。

 

「そこまでだ!」

 

 ふと、知っている…そして、一番聞きたかった声が格納庫に響いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 姿を見せたイロンデルに、ガルシアの周りの兵士が銃を構える。刺激する危険性を考慮し、銃は前もって機材の下に隠した。それに()()()友軍のためか、撃ってはこない。

 

「な、何故…君が、ここに」

「ガルシア少将。ストライクを返してもらいますよ」

 

 相手が戸惑い冷静さを欠いている今が好機だ。努めて落ち着いた声で、要求を伝える。だが簡単に引き下がるほど、彼も甘くない。

 

「何を言うかと思えば、私は『不審船の貨物を調べている』にすぎん。むしろ返却を求めるならば、何か後暗いことがあるのかもしれん。脱走者である君を()()した後で、より詳細な調査をせねばな」

 

 ガルシアが手を挙げると、それを合図に兵士が銃の安全装置を解除した。その手が降りた瞬間、自分は蜂の巣になるだろう。

 

「『ヘカテー』での愚行を繰り返すおつもりですか」

「…なんの事か分からんな」

「あの日私は―いや、あの日()私は殺されそうになりました」

「あそこは戦場になったのだ。そんな事もよくあるだろう」

 

 あくまでもしらを切るつもりらしい。だがここで逃してしまえば、アークエンジェルの脱出は不可能だ。穏便にいけば良かったが、そうもいかないか。

 イロンデルは一度、肺の空気を入れ替える。ここからは、慎重に言葉を選ばなければ。交渉ではなく、脅迫を。

 

「襲ってきたのが…ユーラシアの人間だった、としてもですか?」

 

 そこでガルシアの眉が動いた。兵士たちも動揺したのか、銃口が揺れる。いい兆候だ。

 

「かるくシメると全部吐いてくれましたよ。階級、所属、命令の内容…もちろん、誰からのものなのかも。もっと使える部下を用意するべきでしたね」

「デ、デタラメだ!…何を…何を証拠に、そんなことを!」

 

 急に焦りだし、リフトの上で喚き出す。意味もない癖にリフトを下げた。こちらに声をより大きく聞かせたいらしい。それでしか優位性を保てない程に瓦解している事に気が付かないとは。

 表情を変えず、イロンデルはほくそ笑む。上手い具合にストライクから離れてくれた。所詮、出世しか頭にない男だ。とりあえずはヤマトを危険から遠ざける事ができた。

 

 ストライクの胸部をチラと見ると、少年はご丁寧に顔を覗かせてこちらを見ている。これより先に話を進めると民間人にはかなり()()()()()話になるので、聞かないで欲しいのだが…。

 

「無いだろう!ああ、そうとも…どうせ貴様の虚言にすぎん!」

 

 少年に集中して何も答えなかったからか、ガルシアが少し威勢を取り戻したようだ。

 

「そいつは反逆者だ!この場で撃ち殺してしまえ!!」

『あ゛あ゛あ゛あ゛!!ゆ、指が…!俺の指がぁ!』

 

 錯乱したような命令に割り込むかのように、男の叫びが響いた。心当たりのあるのは、この場においてイロンデルのみ。そして、予想より早い状況の変化に、彼女はストライクの胸部を見上げる。

 

「ネクサス…まだ早い…!」

 

 持ち主が銃を向けられて焦ったか。判断が早すぎる。まだ少し揺さぶれる余裕があった。MSの外部スピーカーに繋いだのか大音量で再生される、かつてのヘカテーでの音声記録。

 

『質問には速やかに、正確に答えろ。もう一度だけチャンスをやる。所属と、名前を言え』

 

 嘔吐くように叫ぶ男の声が終わり、あの時の自分の声。かなりイラついていたのがその声からも読み取れる。実際、寝起きにいきなり襲撃されたのでそれもある。

 いや、あの時起こしてきたのは戦友なので、イラつきの矛先はそっちだったのだが。

 

『へ、ヘカテー第二区画制御部隊…統括。スレーヴ・フレイル…中尉だ』

 

 仕方ないのでこのまま続行しよう。あまり少年に聞かせたくないのだが。

 

「この名前に覚えはありますか?」

「あ、ああ。部下だからな。…と、当然だ」

 

 イロンデルの問いかけにガルシアは喉をつまらせながら答える。この程度の質問で動揺するならば、これ以上進めば楽に要求を飲んでくれそうだ。

 

『では中尉殿。なぜ貴方はこんな所に?ELSの少尉の個室など、用がなければくるはずなどありませんが』

『そ、それは…待て、言う!言うから!!やめろぉぉぉおあああ゛あ゛あ゛!!』

 

 不要な部分はカットして欲しかったのだが。男の嘆きなど、長く聞いているだけで気が滅入る。

 

『ガ、ガルシア大佐からの特命だ。…ザフトの襲撃の前に、ELSの技術中尉を拘束せよ、と』

『ザフトの襲撃とは、なんの事だ?』

 

 ここが本題。ガルシアは隠し切れないほどに目が泳ぎ、明らかに気が動転している。兵士たちも記録の内容に意識が向いているのか、銃口が下がっている。

 

『今から凡そ30分後、S区画の方向からザフトの二個大隊が攻撃を仕掛ける手筈だ。我々はそれに紛れて技術中尉を連れてこの要塞を脱出する、と』

『何人の兵士がそれを知っている?』

『わ、私を含めて、ガルシア大佐直轄の私兵隊のみだ』

 

 もう十分だろう。

 手を振ってストライクのメインカメラに合図をすると、記録の再生が終了した。

 

「さて、ガルシア少将。いや、裏切り者ジェラード・ガルシア。この記録は公にはしていない。その意味が分かるな?」

「な、な…な、何が…望みだ」

 

 ガルシアはもはや冷静さの欠片もなく、膝がガクガクと震えている。この記録を上に報告すれば、首が飛ぶだけでは済まないだろう。イロンデルの立場としても本来はすぐに報告するべきなのだが、Gの情報が漏れることを恐れ、当時戦友から止められた。今回はそれが功を奏したといえるだろう。

 

「まずは、拘束している民間人の解放。これは当然だな。それから先程も言ったようにストライクの返還。そして、アークエンジェルへの補給をしてもらおうか。これだけの要塞だ。物資も余裕があるだろう」

「…わかった。その要求を呑む」

 

 拒否権などありもしないのに、それでも精一杯に面子を保とうとする様は、まさしく滑稽という言葉が似あう。多少の障害はあったが、ストライクの機密は守られ、物資の問題も解決だ。アークエンジェルの脱出は、案外通常の出航になるかもしれない。

 

 そう思った瞬間、鈍い地響きが格納庫を揺らした。片目のふさがったイロンデルは平衡感覚を失い、片膝をつく。何が起こった?

 副司令が無線に叫ぶ。返ってきたのは狼狽した声だ。

 

「管制室、この震動は何だ!」

『わ、分かりません!カメラに機影無し!レーダーにも反応ありません!』

「だがこれは爆発の震動だろうが!」

 

 もう一度揺れた。今度は近い。激しい揺れが、イロンデルを揺らす。恐らく、これは攻撃だろう。下手人として候補にあがるのは、アークエンジェル。しかし、それなら管制室も把握するはずだ。と、なると外部からの侵入者。

 機影の無い攻撃を、彼女は『ヘリオポリス』で経験している。

 

「『ブリッツ』か…!」

 

 機影が無いのは、遠く距離を取ってからのサイレント・ランか。『ミラージュコロイド』を起動していたなら、バッテリーも消耗しているはず。

 震動が弱まった隙に、近くのメビウスに駆け出す。今の状況でアークエンジェルと鉢合わせされては困る。他のXナンバーが、いつ増援に来るかも分からない。アークエンジェルを脱出まで先導するため、或いは時間稼ぎのためにMAに乗り込もうとした。

 

「わっ!?」

 

 その体を、死角から迫った大きな金属の手が掬いあげる。

 いつの間に起動したのか、ストライクが動いていた。イロンデルはその手の上で起き上がる。その間にストライクは歩き出し、彼女の位置は床から10mにまで登った。これでは降りられない。

 

「どういうつもりですか?」

 

 開いた胸部に問いかけると、緊迫した顔の少年が答える。

 

「また戦うつもりなんでしょ、そんな包帯だらけの体で!」

「当然です。早く降ろしてください」

「嫌です。絶対に!」

 

 ストライクの進む先は、アークエンジェルのいた発着所。既に色んな場所から火の手が上がっている。震動も大きくなり、イロンデルは落ちないように指にしがみつく。火の粉が頬を撫で、熱を感じる。

 

「わがままが言える状況じゃないんですよ。アークエンジェルを先導しないと敵と鉢合わせになるかもしれない」

「なら、僕がやります。貴女もコックピットに入ってください!」

 

 ストライクが手を胸部に持っていく。必然的に、イロンデルとヤマトの目が合った。どうやら彼は、譲る気はないらしい。

 

「貴方は民間人です!戦場に放り込むことはできません」

「でも僕はコーディネイターです。貴女が乗らないと、僕も動きませんから!」

 

 気がつけばそこはエアロックの前。扉を開けば、そこから先は真空。生身では生きられない。ここでイロンデルが食い下がっても、彼は従わないだろう。

 

 渋々コックピットに入ると、後ろのハッチが閉じた。少しばかり見つめ合う。計器やスイッチだらけの操縦席は、2人分の座る所などない。

 

「…えっと、その…膝の上…とか、どうです…か?」

「…ハァ…他にありませんね。失礼します」

 

 それでも座席に体を固定するベルトは1人分しかない。揺れに耐えるためにイロンデルは少年の腕に抱きつく。髪がヤマトの鼻にあたり、その匂いが彼の鼻腔をくすぐった。アルスターやハウのような同世代の少女達とは違う匂い。

 

 錆びた鉄の臭い。

 血の臭いだ。

 

「ネクサス、エアロックの開放を。減圧している時間は無い」

『( ・ω・)ゞ』

 

 重い音がして、エアロックが開く。内部の空気が一気に流れ出し、その勢いに押されてストライクが揺れる。その振動で、ヤマトは上の空になっていた意識をとりもどす。

 

「アークエンジェル、応答せよ」

『…こちらアークエンジェル。イロンデル、無事だったか』

 

 フラガが応答した所を見ると、既にアークエンジェルは奪還しているようだ。なら、民間人達も解放されただろう。

 

「問題は無い。ストライクと合流した。アルテミスを脱出する。敵を避けるため先導する」

 

 ネクサスの得た監視カメラの映像によると、既に『バスター』も攻撃に加わっている。彼らの手にかかれば、傘の無いアルテミスなどひとたまりもない。逆に『イージス』と『デュエル』の姿がないのは、恐らく損傷したナスカ級と共に撤退したのだろう。

 アルテミスの発着所は、上から見ると十字に伸びている。敵の侵入した場所とは反対の方向に、アークエンジェルとストライクは合流を目指す。

 

「行きましょう。グズグズしていられません」

「…は、はい。じゃあ、動かします」

 

 アルテミスは陥落した。

 アークエンジェルはストライクを先導にし、辛くもその爆発から逃れたのだった。



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第15話 親と子

「Alstroemeria 起動。これより…正義を実行する」

―― 『くだらないジャッジメンター』


 本国『プラント』に寄港した『ヴェサリウス』から降り立ったアスラン、ラウ、イザークの3人は、軍事ステーションを離れるシャトルに向かう。その道中、アスランはイザークの傷を横目で見る。

 

 自分がかつての友人を撃ちたくないばかりに、仲間の負傷を招いてしまった。そして何より、彼は自分を撃とうとした。

 覚悟が無いのは自分だけだ。皆は命を懸けて戦っている中で、腑抜けたことを考えている。

 

「おい、アスラン」

 

 暗い表情をするアスランに、イザークが顔を向けずに声をかける。

 

「な、なんだ」

「お前。まさかこの傷が自分のせいでできただなんて、考えてないだろうな」

「それは…」

 

 ちょうど考えていたことだ。イザークの声に含まれる感情から、すぐに否定も肯定もできない。言いよどむアスランを置いて、イザークが続きを話す。

 

「たしかに、『ストライク』の破壊を渋ったのはお前だ。そのせいで『三つ首』の逆襲を招いたのも事実」

「…そうだな」

 

 ぐうの音も出ずに、その言葉を肯定する。ストライクを破壊していれば、三つ首の攻撃はなかっただろう。あそこまで損傷した機体で戦う理由がなくなるのだから。昔の友人を撃つことを嫌った結果、現在の友人を失うところだった。イザークを命の危険にさらしてしまった。

 

「すまな――」

「だが」

 

 アスランの謝罪を遮る。

 

「俺が被弾したのは、俺の技量不足が原因だ」

 

 そこで初めて、イザークはアスランと目を合わせる。

 

「それを勝手に、自分の責任にするな。こっちがみじめになる」

「…ああ、わかった。すまな…いや、ありがとう」

「ふん。礼を言われることなどない」

 

 イザークはそう言うと、歩みを速めた。その顔はアスランからは見えない。だが、アスランには先ほどまでの暗い感情はなかった。

 そうだ。自分の友人はキラだけではない。イザーク、ニコル、ディアッカ…。そして既に戦死した、ラスティにミゲル。他にも大勢の友がいる。当然キラも大切だが、彼にこだわってしまっては彼らに申し訳が立たない。

 ザフトとして、赤服として、その責務を果たす。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 シャトルには先客がいた。その人物に、アスランとイザークは驚き目を見開く。一方、ラウは不敵に笑った。

 

 1人は男。名はパトリック・ザラ。40代半ばの、軍事ステーションには不相応なスーツを着た鋭い顔付き。現在の国防委員長。そして、アスランの実父。

 

 そしてもう1人は。

 

「イザーク!」

「母上⁉︎な、なぜここに」

 

 エザリア・ジュール。彼女はイザークの姿を認めると、座席から立ちその胸に抱いた。負傷した傷を気遣って、優しく、そして温かく。

 

「その包帯…痛くない?気分が悪いとか、目眩がするとか、そんなのも平気なの?」

「は、母上…お、僕は大丈夫ですから…。離れてください」

「大丈夫なわけないでしょ!貴方が負傷したと聞いた時、どれだけ心配したか…」

 

 友人と上司の前で母親に抱きしめられるという、思春期男児にとってはかなり恥ずかしいこと。しかしその気持ちも分かっているのか、イザークも無理に押しのけようとはしない。

 

「ジュール議員。お気持ちはわかりますが、今は立場を弁えてもらいたい」

「…コホン。これは失礼しました」

 

 ラウが言うと、エザリアはようやく息子から離れた。

 それぞれが席に着きシャトルが発進すると、パトリックはラウに見せつけるようにレポートを掌で叩いた。

 

「君の意見には私も賛成だ。奴らめ、厄介なものを造りだしてくれたものだ。問題は、それが高性能であること。パイロットのことなど、どうでもいい」

 

 その言葉に、アスランははっと顔を上げた。その彼を父は冷たい目で、一瞥した。久々に再会したとは思えない、よそよそしい関係。アスランはふと、ジュールたちを見る。言葉は交わさず、席も離れているにも拘らず、その間には絆が感じられた。

 その関係を、羨ましいと思った。

 

「その箇所はジュール議員が訂正しておいた。…あの三つ首が操った、とな。あちらの機体のパイロットもコーディネイターだったなど、そんな報告は穏健派を騒がせるだけだ」

 

 ザフトにおいて、三つ首は謎が多いパイロットだ。その存在が初めて報告されたのは『血のバレンタイン事件』の数ヶ月後。恐らくそれまでも兵役はしていたのだろうが、目立つようになったのはそこからだ。

 わかっているのは、その名前とナチュラルであること。スパイを放っても、不確かな物しか得ることができなかった。

 

 あまりに不明な点が多く、いっときはその優れた戦闘技術から、ナチュラルであると判明するまでは『裏切ったコーディネイター』、『地球軍が作った生体兵器』。果ては『超処理能力を持った人工知能』などと、根も葉もない噂が飛び交ったものだ。

 

「あのパイロットなら、MSを扱っても説得力がありますから。…腹立たしいですが」

「アスラン、君も自分の友人を、地球軍に寝返った者として報告するのは辛いだろう」

 

 ラウも優しい調子で言い足す。まるで彼が罪人になってしまったような言い方に、アスランの胸が痛んだ。

 

 彼らの乗ったシャトルは、ゆっくりと最高評議会が開かれる都市『アプリリウス・ワン』へ近づいていく。



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第16話 キズモノ

その別れは少年を英雄へと変えた。
それが望むものではなかったとしても。

――『ナイトマイヤー』


 『アルテミス』を脱出した『アークエンジェル』一行は、周囲の安全を確認した後、『ストライク』を収容した。そのコックピットから出てきた2人を見て、マードックが驚く。

 

「大尉殿、ご無事でしたか!フラガ大尉から聞いてましたが、その包帯は…」

「支障はありません。私の『メビウス・ゼロ』の修理はできていますか?」

「そりゃあ総動員でやってますが…」

 

 彼が示す先にある格納庫の奥に置かれたその機体は、装甲が全て剥がされ内部機構の処理を行っているようだ。とても戦える状態には見えない。

 

「コックピットが半分吹き飛んでたんでさ。それと、メインスラスターなんざ酷いもんです。リングが焼き付いてマトモには動きませんぜ」

「『オーバーアチーブ』の代償と言った所です。なるべく早く修理を頼みます。またいつ戦闘になるか」

「分かってます。しかし物資が足りない事にはどうにも…」

 

 アルテミスで補給が受けられれば、事情も違っただろう。無いものは無いのだが。

 

「別のMAがあればよかったんですが」

「はは。それこそ、ないものねだりですね」

 

 ブリッジで他の尉官と共に、解決策を見つけなければ。こういう時に閃くのはフラガだが。存外、もう思いついているかもしれない。

 

「ヤマト君、貴方は住居区画に戻りなさい」

「でも」

「戻りなさいと言っているんです。話があるので後で伺います」

 

 きつい調子でイロンデルがヤマトに言い聞かす。彼は何か言いたそうにしていたが、ブリッジに向かうことがイロンデルの優先事項だ。イロンデル自身も彼と話さなければならない事があるので、後で()()()()()話し合うつもりだ。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「で、現状の問題は何一つ解決していないわけだが」

 

 難しい顔で尉官らが顔を合わせる。その顔は浮かない。アルテミスでは『ブリッツ』の邪魔が入り、補給ができなかった。この艦に不足している物を挙げるとキリがない。

 中でも、水と弾薬。特に水は生活に欠かせない。配給を切り詰めるにも限界があり、既に民間人にも制限を課している状況だ。

 

「月の基地とはまだ距離があり、補給が無ければ近いうちに底を尽きます」

 

 制限が長く続けば、それだけ彼らにも不満が溜まる。心労から体調を崩す人が出てくる事も考えられる。またいつザフトに襲われるかも分からない。

 

「可能な限り早く、補給を。そうでなくとも、物資を調達する必要があります」

「そこで俺からの提案なんだが」

 

 フラガが言葉尻に被せるように言葉を発する。そして、メインモニターにとある宙図を出す。現在地からほど近い宙域のようだ。その周囲には地球軍やザフトの基地はないはず。補給できるような場所ではない。

 提案の意図が読めず、周囲の視線がフラガを見る。

 

「ジャンク屋と取引しないか?」

「…ジャンク屋…ですか?」

 

 戦場跡から兵器やデブリを集めて商売をする者たち。地球軍とザフトの戦争により激化する戦争の中で、もっとも漁夫の利を得ることのできる立場にある。

 当然その行いは非合法であり、地球軍の中でも何度か掃討作戦が計画された事がある。しかし彼らは狡賢い。作戦の立案を知るや、民間人として振る舞うようになる。ガサ入れをしても証拠は挙がらず、結局は放置するというのがオチだった。

 

「過去に何度か、話題が耳に入った事がある。確かこの辺りに、小さい規模の拠点があったはずだ」

「たしかに水や弾薬を取り扱っているでしょうが、取り引きとなるとこちらから差し出す事ができるものがありません」

 

 まさかタダで、宇宙では限られた資源である水を貰えるということは無いだろう。それは彼も承知している。

 

「あの『ジン』があるだろ。片腕が無いだけでほとんど損傷がないMSだ。良い値がつくと思うぜ」

 

 『ヘリオポリス』でイロンデルが鹵獲した物の事だろう。斬られた腕も、軽い処置で接続できる程度。取り引きは可能だろうが。

 

「ストライクの情報が漏れる危険性を考えると、その案は採用するべきではない」

「だが他に手があるか?いや、無いね。他にどこで補給ができるっていうんだ」

 

 識別コードのない艦に物資を提供してくれる場所など、それこそアングラな物しかないだろう。彼の言っていることは至極真っ当だが、イロンデルはどこか違和感を覚えた。

 

「ザフトの襲撃も警戒する必要があります。どこか隠れられる場所を探すべきではないでしょうか」

「なら奴らに匿って貰えばいい。取り引き相手を売り払うほど、奴らは馬鹿じゃない」

 

 何かを焦っているのか。何故そこまでジャンク屋にこだわる?まるで他の方法を出させないようにしているかのようだ。

 

「匿う程の価値が我々にあるでしょうか」

「取引するものが多ければそれぐらいしてくれるだろ。なんならデブ…いや、あのジンをイロンデルが操ったことを添えれば、ナチュラルが使えるMSと思い込むんじゃないか?それでアレの価値は跳ね上がる」

「しかし、それでは騙すという事に」

「操ったのは事実だ。少し隠し事をして、勝手に向こうが勘違いをするだけだ」

 

 言い直した言葉は『デブ』。唇の動きから見て、その後に何文字か続くはずだ。単語は恐らく名詞だろう。となると、候補は多くない。この状況に相応しいのは。ジャンク屋に関連するもの。

 

「デブリ…だな」

 

 小さくイロンデルが呟くと、フラガが身を固くした。実にわかりやすい。ではデブリを言い淀んだ理由は何か。

 

「おい、イロンデル」

「デブリ…この近くならデブリベルトか?」

 

 デブリベルトの中なら、速度さえ落とせば比較して安全に進行できる。死体漁りに躊躇いがないなら、放棄された戦艦から物資の回収も可能だろう。

 デブリに身を隠せることを併せるとジャンク屋より余程安全だ。

 

 それをなぜ言わないのか。むしろ、隠そうとするのか。

 デブリベルトに何がある?

 

 答えは簡単。忘れるわけがない。『あの日』の遺産。過去の罪。

 

「『ユニウスセブン』か」

「イロンデル。その思考をやめろ。俺の案に乗れ」

 

 フラガが焦ったように言う。やはり隠したいことは『血のバレンタイン』のこと。彼がそれを遠ざけようとする理由は一つ。

 

「これはお前の為に言ってるんだ」

「優先するべきは艦だ。私じゃない」

 

 自分のことなどどうでもいい。あそこにはコロニーに使われていた水が凍りついて残っている。戦場跡には艦の残骸も多いだろう。身を隠し補給ができるなら、それに越したことはない。

 

「あそこに近づけば、お前がどうなるか――」

「それでこの艦に乗っている全員に不便な思いをさせると?いいか。この艦に乗っているのは軍人だけじゃない。民間人も大勢居るんだぞ」

 

 フラガとイロンデルが睨み合う。いや、イロンデルが睨むとフラガは気まずそうに視線を逸らした。イロンデルは噛み付くような視線を止めない。

 

「何か事情があるのでしょうが、小官はポワソン大尉の意見に賛成します」

 

 以前のような取っ組み合いになってはたまらない。と、バジルールが口を出す。

 2対1になり分が悪いと踏んだフラガが、同調を請うようにラミアスを見る。艦長の言う事は、その艦の中で絶対となる。彼女の言葉で行き先が決まる。

 

「私は…私も、向かうならばユニウスセブンが最適だと、思います」

「…そうかよ」

 

 こうして、アークエンジェルはユニウスセブンへと進路を決めた。そしてそこで補給…墓場荒らしを行い、デブリベルトに紛れて月へ向かうことができる。合理的で、背徳的であるが。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 イロンデルの指示で住居区画へと戻ったヤマトは食堂へと向かった。中に入ると多くの視線が彼に向けられる。

 

「ほら、あの子が」

「…コーディネイターがなんで…」

 

 聞こえてくる小声を聞こえないフリをする。コーディネイターの何がいけないって言うんだ。自分は何も悪いことをしていないのに。

 

「……」

「キラ!こっちこっち」

 

 先に食事をしていたケーニッヒ達が笑いかけ、アーガイルは気まずそうな表情のアルスターをつついた。食卓に並ぶのは、艦の苦しい状況を反映してか非常食糧が主だ。なんとも味気ない。ヤマトが席に着くと、アルスターが意を決したように声をかけた。

 

「あ、あの!キラ、この間はごめんなさい!」

 

 突然の謝罪に驚くヤマトに、アーガイルが口を添える。

 

「ほら、アルテミスでさ…」

 

 ヤマトの脳裏にフラッシュバックするのは、あの時彼女が言ったこと。顔が強張るが、無理にでも笑顔を作る。

 

「いいよ、べつに。気にしてないから。…ホントのことだし」

 

 とたんにアルスターが笑顔になる。そして、傍らにアーガイルを見上げ、褒めてくれと言わんばかりにすり寄った。

 

「あ、お姉ちゃん!」

 

 少女の声に目を向けると、エルがイロンデルに抱き着いているのが見えた。少女は楽しそうに笑い、対する彼女も困った顔をしているが、どこか楽しそうだ。だがその包帯に覆われた顔を見て、ヤマトの表情が曇る。自分がもっと真剣に戦っていれば、彼女は傷つかなかったかもしれない。誰にも気付かれないように、唇を噛み締める。

 エルと別れたイロンデルがこちらへ来る。慌てて、表面だけでも平静を取り繕う。

 

「ヤマトくん。少し私の部屋まで付き合ってくれますか」

 

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「…アルテミスでの件は、本当に申し訳ありませんでした」

 

 部屋に入ると、イロンデルがヤマトに謝罪した。

 

「あそこの司令が裏切り者であるということは知っていましたが、他に選択肢が見つからなかったのです。貴方に危害が及ぶことを考えていませんでした」

 

 そう言って、彼女は深々と頭を下げた。ヤマトは、前にもこんな事があったなと思った。あの時と違うのは、自分がそれなりの覚悟を持ってストライクに乗ったということだ。今回も『巻き込まれた一般市民』として扱われるのは、ふさわしくないだろう。

 

「いえ、僕の方から首を突っ込んだ事ですし。…それよりその傷、大丈夫なんですか?あの時も、揺れただけで倒れてましたし…本当は酷いんじゃ」

 

 アルテミスが震えた時、格納庫で倒れたのは彼女だけだった。他の軍人は驚きこそしていたが踏ん張っていたにもかかわらずだ。

 

「ああ、あれは、まあ。見ての通り片目が塞がってますから。どうにも平衡感覚が狂ってるようで。ふふ、恥ずかしい所を見せてしまいましたね」

 

 自身の顔の包帯を撫でながら、照れたように笑う。表情からは分からないが、もしかしたら深刻な傷なのかもしれない。そもそもあんなに壊れた機体にいたのだ。最悪の場合、失明もありえるのでは。

 そう心配したが、聞けば目そのものを怪我した訳ではないらしい。

 

「それ…その傷…。ちゃんと治るんですか?」

「あそこの軍医が言うことには、治療は終わっているそうです。時間が経てば包帯も取れます」

「…その人は、()()()()()んですか?」

 

 つい先ほど、友軍に裏切られたばかりだ。気になるのも仕方がない。

 

「私はできると思いますよ。変な事を仕込むほうが手間ですから。コーディネイターがそんな事をするとも思えませんし」

「そうですか…よか――え?」

 

 聞き逃してはいけない単語が彼女の口から出た。その驚きに一瞬、頭の回転が止まる。

 

「今、なんて?」

「信用できると言ったんです。まあ第一印象しかありませんから――」

「そ、その後です!」

「コーディネイターがそんな事をするとは思えない…ですか?」

 

 聞き間違いでは無かった。

 コーディネイター。確かにそう言った。思い出すのは、要塞であの男に言われたこと。

 

『裏切り者のコーディネイター』

 

 地球軍に就くコーディネイターは貴重。その言い方なら、あの要塞にはコーディネイターがいないと考えるのが妥当だ。第一、民間人の自分を引き摺り出す意味がない。

 

「ど、どうして、その人がコーディネイターだと?」

「言ってしまえば偏見ですが。この時代に自分の腕に自信がある人は大体コーディネイターだと思っています」

 

 確かに偏見もいいとこだ。だが納得できないわけではない。かつて『ヘリオポリス』で在籍していた学校でも、成績優秀者は軒並みそうだった。かく言う彼自身も、専門分野に関して自分の知識に自信があるかと言われればYESと答えるだろう。

 しかし、それではやはりあの男の言っていた事と矛盾する。

 

「地球軍の中に、コーディネイターってどれぐらいいるんですか?」

 

 その問いに、イロンデルは驚いたように目を開く。そして顎に手を当て、考え込んだ。まさか聞いてはいけないことだったかとヤマトは後悔したが、やがて彼女は答えた。

 

「決して多くはないでしょう。ですが、一定数は在籍していると思いますよ」

 

 その後、彼女は色々と『地球軍のコーディネイター』について教えてくれた。

 表立ってコーディネイターを公表している人は少ない…というより、存在しないと言っても過言ではない。それはこの戦争が『コーディネイターとナチュラルの戦争』であり、敵がもれなく()()だから。

 敵を差別対象とすることで兵士の士気を保つのは、古今東西の戦争で行われてきたことだ。それが自軍にいるとなると、良く思わないのも当然だろう。

 

「1つ、愉快な話をしましょう」

 

 明るくは無いが重い調子でもない、そんな笑みを小さく浮かべている。むしろ、無理矢理軽く言おうとしているようにも見えた。

 

「『ブルーコスモス』…という組織を知っていますか?」

「それは…まあ、はい。有名ですから」

 

 その名をコーディネイターの間で知らない人はいないだろう。

 それは自然主義を掲げる団体の名称。

 そしてコーディネイター迫害の先頭。

 

「私の友人はブルーコスモスに所属していたんですよ」

「え⁉︎友人って、コーディネイターだったんじゃ…」

「意外かもしれませんが、ブルーコスモスの中にもコーディネイターはいます。自分の遺伝的形質を憎んでいる者とか。面白い話でしょう?」

 

 確かに聞く人が聞けば、滑稽だと思うだろう。拒絶している対象がその団体の中にいるのだから。

 

「彼女の場合はそんな劣等感ではなく、研究費が目当てでしたが。まあうまくやっていたそうです」

 

 イロンデルは少し笑った。そして軽く咳払いをする。

 

「話が逸れました。私が言いたいのは、アルテミスでの貴方の行動。あんな事は二度としないでください」

 

 彼女が『メビウス』に乗ろうとしたのを邪魔したこと。その事について言っている。だが、叱るような語調であるが、怒っているわけではないようだ。嫌われたわけではないと、ヤマトは顔に出さずに安心する。

 

「安心するような事ではありませんが」

 

 しかし彼女にはバレてしまった。眉間の皺が深くなったのが、包帯の上からでもわかる。少し気まずくなり、ヤマトは視線を泳がせた。

 

「結果的には良かったものの。もしブリッツや『バスター』と会敵していれば、貴方の命が危なかったんですよ?」

「それは…イロンデルさんも同じじゃないですか。それなら僕が戦ったほうがなんとかなると思ったんです」

 

 ヤマトの抗議にイロンデルはため息を吐きながら目を覆う。子供扱いされている様で、ヤマトは少し心がざわついた。

 

「貴方は()()()なんですよ?本来なら戦う必要すら無いんです。それを(軍人)の代わりに戦うなどと…」

「でも…」

「確かに貴方を巻き込んだのは私です。こんな事を言うのもおこがましいですが、貴方を頼るわけにはいかないんですよ」

 

 民間人だから。巻き込んだから。そう言って自分を遠ざけようとしている。気遣いは嬉しい。だがそれでは。

 

「それじゃあ貴女を守れない…!守りたいんです。僕は!」

 

 もう二度と、死にそうな彼女を見たくない。目の前で失うようなことが、あってなるものか。

 イロンデルの目が驚きとは違う、何かを拒絶するように見開かれる。しかし熱くなったヤマトはそれに気づかない。荒立つ感情のままに声が出る。

 

「使えばいいじゃないですか。僕の力を!」

 

 咄嗟に出た言葉だった。あの男に道具の様に扱われ、自暴自棄なっていたのだと、後になって思う。

 

 だがそれは、彼女の前で決して口にしてはならない言葉だった。

 

――パチンッ…と、乾いた音が部屋に響いた。

 

 ヤマトは思考が止まり、今起こった事を理解しようとする。ただ頬の熱を感じた。イロンデルは顔を俯かせ、表情はうかがえない。だが振り抜いた手は震えている。

 

「勝手な事を…言わないでください」

「イロンデルさん…」

「…ブリッジで…ムウ達が呼んでいます。お友達を連れて…向かってください」

 

 その追い出すような、絞り出すような言い方に何も声を掛ける事ができず、ヤマトは部屋を後にした。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 きっと自分は間違えた。それが取り返しのつかないものであるかは、まだ分からないが。



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第17話 罪状の一端

相手が人でないならば、如何様に殺しても殺人ではない。

――『ナイトマイヤー』


『大丈夫だよ、イロンデル。僕が君を守るから』

『その眼…さすがは私の娘だ』

『愛しているわ、イロンデル。貴女は使える娘よ』

 

 イロンデルは幻聴に耳を塞いだ。

 それでも頭の中に響く声に、胃の中の物が込み上げる。

 

 ベッドの上で震えるその姿を見る者は無い。ただ心配そうに、『ネクサス』の灯りだけが暗い部屋を照らしていた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「よし、じゃあ解散!」

 

 学生達に『ユニウスセブン』での補給の手伝いをお願いしたフラガは、そう言ってこの会議を終わらせた。ユニウスセブンに到着するまでまだ時間がある。それまで待機してもらう。

 多少の反感はあったが、彼らもこの事態の緊急性は理解しているのだろう。

 

「…フラガ大尉。ヤマト君の頬を見ましたか?」

「あぁ。…たぶん、イロンデルだな」

 

 彼の赤くなった頬は、その小さな跡から学友の物では無いだろう。そしてこの場に彼女が戻っていない事を併せて考えると察しがつくというものだ。

 

「民間人に手を挙げたとなると、いささか問題があります」

「…大目に見てやってくれ。あいつもちょっと…()()()()してるからさ」

「しかし…彼女が暴行などとは…」

 

 ヤマトを巻き込むとなった時に、あれだけ反抗した。それは彼を傷つけたくなかったからというなら、その行動は不自然だ。余程の理由があるのか。あるいは溜まった疲労からの癇癪か。

 

「フラガ大尉。…やはり我々にも、彼女の『事情』を説明してはもらえませんか?」

「それは…」

 

 フラガは頬を掻き、視線を逸らす。

 

「どの様な理由があれ、民間人への暴行は重罪です。情緒酌量の余地が無ければ、最悪の場合は銃殺も考えられます」

「そりゃあ、そうだけどよぉ…。…ちょっと待ってろ」

 

 彼が通信機を操作する。程なく、掠れ気味ではあるが小さな彼女の声が返ってきた。

 

「…俺だ。…察しが良いな。……話していいか?…わかった」

 

 短いやり取りだけで会話が終わり、フラガは皆の方へ向く。

 

「さて何から話したらいいか…。先に言っとくが、俺だって又聞きだ。正確な情報かはわからんぞ」

 

 そうは言うが、誰も聞くのをやめようとしない。諦めた彼は、ゆっくりと語り始める。

 

「…ユニウスセブンが崩壊した時、あいつはあの場にいたんだ」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 ――C.E70 2月14日:ユニウスセブン近域

 

『ケツに憑かれた!援護を!』

「了解」

 

 イロンデル・ポワソン()()は操縦桿を倒し機体を捻る。そして僚機の背後にいた『ジン』に『リニアガン』を浴びせた。

 その一撃は背部スラスターを貫通し、胸部に大穴を空ける。バランスと操縦士を失った敵機は、炎を吐き出しながら大きな爆発を起こした。

 

『助かったよ』

「次が来ます」

 

 休む間もなく爆発に気づいた新手が、こちらに向かってきた。

 イロンデルの機体は()()()()()4()()()ガンバレルを展開させ迎撃する。僚機と同時に八方からの射撃で、易々と処理した。

 

 既に戦闘は激戦となり、そして敗色が濃い。このままでは全滅もあり得る。その時、オペレーターから通信が届いた。

 

『ミネイ隊は全機、旗艦『ドビュッシー』へ帰還せよ。これはサザーランド大佐からの直命である』

『…だとよ。帰るぞ』

 

 こんな状況でわざわざ前線から戦力を割くとは。それも直命で。何か考えがあるのか。この戦況を一変させる秘策が。

 

 戦艦の中に入り、機体から降りる。格納庫の片隅に、出撃の時には無かった見慣れない円筒形の物体が見えた。何か…ミサイルのような。

 よく観察しようと思ったが、その前に彼女に抱きつく者がいた。

 

「イロンデルー!」

「わぷっ。…タカミネ技術中尉」

「違うでしょ?ナギって呼びなさい。階級もいらないから」

 

 タカミネのフレンドリーな言い方に、イロンデルは疲れた様にため息をつく。毎度のやり取りだ。

 

「上官に向かってその様な事はできません」

「このこのー。ナギって呼べぇー」

「酒臭い……」

 

 タカミネはイロンデルの後ろに回り、その頬をむにむにと摘む。相手をするのも面倒なのか、イロンデルはされるがままだ。しかし僚機から降りる人影を見つけると、彼女を振り払って姿勢を直す。

 その人物はこちらにやって来るとヘルメットを取る。互いに敬礼を交わす。

 

「さっきは助かった。さすがはウチのエースだな」

「それほどでも。ミネイ隊長がご無事で何よりです」

「相変わらずの堅物だな。もっと肩の力を抜いたらどうだ」

 

 彼は最近になって生やし始めた口髭を、まだ慣れていないのか指で弄る。

 

「しかし、なぜ俺たちを呼び戻したのやら。中尉、何か知らないか?」

「さぁ?私はただの整備長だし、戦略的な事はなーんにも聞いてないわ」

 

 やがて、ここに彼らを呼び出した張本人が姿を表した。ウィリアム・サザーランド。コーディネイター嫌いで有名な、過激な思想の持ち主だ。噂ではあるが、『ブルーコスモス』とも繋がりがあるらしい。

 

「…これだけか?ミネイ中尉、君は仮にも中隊長では無かったのかね?」

 

 そんな彼はこの場に並んだ2人…ミネイとイロンデルを見て、不機嫌そうに眉をひそめる。12人いたパイロットがその6分の1にまでなっているのだ。

 

「は。既に我が隊は壊滅的損害を被っており、継戦は困難であります」

「ふむ。やはり使()()しかないな」

 

 そう言うとサザーランドは円筒の近くにいた整備兵に合図をした。何も描かれていない白い円筒は、『メビウス』の下部へと取り付けられる。

 

「何かの兵器ですか、アレ」

 

 タカミネがサザーランドに問う。その眼は上官に向けるにしては険悪なものだ。

 

「ふん。コーディネイターなんぞに教える必要は無いな」

 

 彼は意に介する事すら無い。だが彼女の方も下がる気はない様だ。

 

「私の知る限り、あの形状の兵器は1つしかない。あれは――」

「新開発のEMPミサイルだ」

 

 円筒がなんなのかを言おうとする彼女を遮るように、サザーランドが言った。

 

「ユニウスセブンの中心にある発電機や中央コンピュータに撃ち込み、敵勢力の混乱を図る」

 

 控えた部下がボードを使って図解する。その説明によると、その兵器を砂時計の様な形をしたユニウスセブンの、ちょうどくびれの部分に当てる必要があるらしい。

 確実に当てるために兵器をメビウスに装備し、近くまで運ぶ。

 

「君たちゼロ式部隊には、その護衛を命じる」

「しかし、それでは民間人に多数の被害がでると思われますが…」

 

 発電機が停止すればインフラも止まる。コロニーは複数の動力源があり、完全に絶たれるわけではないだろう。だが病院のような施設で電気が止まれば。

 

「ふん。コーディネイターなど、いくら死のうがどうでも良い」

 

 ミネイが問いかけるが、サザーランドはそれを一蹴した。

 

「作戦名は『ピースキャリー』だ。成功を期待する」

 

 それだけを言うと、サザーランドは身を翻して去っていった。そもそも艦長が指揮をせずに格納庫に来ることがおかしい。あの新兵器が余程気になるのだろうか。

 

「…ま、命令は命令だ。いくぞポワソン少尉」

「了解」

 

 ヘルメットを被り、自機に向かう。と、イロンデルをタカミネが引き止める。ヘルメットのバイザーを上げると、そっと耳打ちをしてきた。

 

「イロンデル。あのミサイルは撃たせちゃだめよ」

 

 普段の軽い雰囲気が無い。誰にも聞かれないよう、周囲を警戒している。撃たせてはならないとはどういうことか。

 

「あれは核よ。もし撃てば、何万人も罪の無い人が死ぬ。この戦争は取り返しがつかなくなるわ」

 

 イロンデルは困惑した。だから何だと言うのだろう。命令はミサイルの護衛だ。それが核であれEMPであれ、守る対象に違いはない。

 

「私は軍人です。命令を遂行します」

 

 タカミネを押し退ける。感情無く言うその言葉に、説得はできないと判断した彼女は、イロンデルの手に小さなデバイスを握らせる。

 

「これをゼロ式のHUBに繋ぎなさい。アナタを守ってくれるわ」

 

 興味無さげにその機械を見た後メビウス・ゼロへと向かうその後ろ姿に、タカミネは聞こえないように呟いた。

 

「ダメよ、イロンデル。あそこには……アナタの…」

 

 コックピットに入ったイロンデルは、補給が終わった自機のパラメータをチェックする。渡されたデバイスを取り付けると、モニターに初めて見る表示が出た。

 

Neuro-Link

Educational

Xing

Tool

 

 意味を理解する前に表示が消え、普段通りの画面になる。その後のセットアップにも支障は無く、なぜ渡されたのか彼女の目的がわからなくなる。

 

『先に俺が出る。お前はメビウスの後に殿だ』

「了解」

 

 それでも任務は任務だ。ハッチから宇宙へ出ると、遠くない所に戦場の爆発があった。もう既に旗艦の近くまで戦線が後退しているのか。この乱戦の中を編隊を組むのは困難と判断し、兵器を装備したメビウスは全速力で目的地へと向かわせる。近づいて来る敵をイロンデルとミネイが迎撃するという算法だ。

 敵も雑兵のメビウスより、精鋭部隊であるゼロ式を優先して狙ってくる。

 

 その中で、一際速いスラスターの光があった。敵の新型かと思われたが、その機影からジンのようだ。どうやら各部にスラスターが増設されている。

 

『『ジン・ハイマニューバ』…。敵のエースだ!』

 

 他の敵と比べ、動きが違う。手練れだ。

 

『迎撃を!』

 

 言われるまでもない。2機の合わせて8基のガンバレルが火を吐くが、ジンは踊る様に回避した。こちらの動きを読み、その上で遊ばれている。

 ここで時間を取られるわけにはいかない。メビウスを護るという任務の都合上、ジンに集中できない。ならばこのエースをここで足止めし、目的の達成を優先する。

 

「あれは私が」

『任せたぞ』

 

 隊長とメビウスを先行させる。それを見送ったイロンデルは、ガンバレルを操りジンを囲む。先程の回避の動きからして、通常の攻撃では相手にもならない。

 ガンバレルの操作を手動(マニュアル)に切り替える。通常ならオートパターンで攻撃を行うそれを、操作盤に乗せた己の指の動きで操る。

 それぞれの指で個別にガンバレルを動かすという、微妙なズレも許されないその技は、戦場という環境でできるのは彼女と、そして別の隊にいるという青年の2人だけだった。

 

 こちらの動きの変化を悟ったのか、ジンの動きが変わる。踊る様な流線的な機動から、回避を優先した直線的なものに。

 どうやら向こうも、こちらを真剣に相手するようだ。

 

 互いに高機動の機体。めまぐるしく入れ替わる攻防。ガンバレルが被弾し、手数が減る。直撃弾が敵の手を捥ぐ。

 一進一退。それでいい。ここで敵を足止めすることが、作戦の成功につながる。

 

『…ポワソン…聞こえるか』

「隊長」

『すまん…。ドジ…踏んじまった』

 

 モニターの反応を見る。そこには血だらけになったミネイがいた。どうやら操縦席に被弾したようだ。

 メビウスは健在。ならやる事は1つ。自分が代わりにメビウスを護るだけのこと。

 

「バックアップを」

『いや…不要だ』

 

 ミネイの返答に面食らう。所詮メビウス1機。戦場で孤立すれば瞬く間に撃墜される。作戦が失敗してしまう。

 

「それでは任務が…命令が…っ!」

 

 意識が逸れた隙を見逃してくれるはずもなく、ジンが迫る。フットペダルを踏み込み、攻撃を躱す。

 

『俺たちは軍人だ!殺人集団じゃない!人を…護るんだ!』

「隊長!」

『…これは…命令だ!…頼んだぞ、イロンデル‼︎』

 

 モニターが眩しい光に染まり、センサーから隊長機の反応が消えた。

 視界の中にある爆発のどれかが、彼の死に様なのだろう。こんなに呆気なく、付き合いのあった者を失うのか。

 

『何をしている、ポワソン少尉‼︎メビウスが孤立しているぞ。ミサイルを守れ‼︎』

 

 サザーランドからの指示が飛ぶ。頭が混乱していても、身体は命令に従って機体を動かす。

 

 敵軍の中で果たしてメビウスは、大した損傷もなく存在していた。この作戦を任されるだけあって、腕の良いパイロットなのだろう。だが多勢に無勢。イロンデルの機体も損傷を受け、大きな戦力にはならない。

 

 そう判断する目の前で、メビウスがミサイルを撃った。その直後、ジンの攻撃がメビウスに当たり、機体が爆散した。ミサイルは有効射程ギリギリ。気づいた敵機が防衛に向かう。

 イロンデルはその油断した背後から攻撃して撃墜する。こちらに銃口を向ける敵中隊から逃れながら、ミサイルの行手を見る。

 

 敵はアレが核だとは気づいていない様だ。戦場の中のミサイル1つ。見逃してしまう事もあるだろう。

 

 放って置いても、作戦は成功する。

 放って置いたら、虐殺は成功する。

 

 大佐の言葉。中尉の言葉。

 

『護れ』

 

 ――何を?

 

 『ミサイル』を。

 それは命令だから。

 

 『人』を。

 それは命令だから。

 

 命令、命令、命令、命令、命令…。

 …命令?

 

「…()は」

 

 機体の向きを変え、ミサイルへ砲口を向ける。熱源を探知。照準を固定。

 震える指を、何とかトリガーに置く。

 

 そして引鉄を――

 

 

 

 ――引いた。

 

 真っ直ぐ放たれた弾丸は、狙い違わずミサイルへ向かう。

 暗い宇宙を駆け抜けたソレは、割り込んだ影に弾かれた。

 

 その正体はジン・ハイマニューバ。損傷痕からして先程交戦した機体と同一。

 なぜ敵が、ミサイルを守る?不可解だ。

 

 疑問に思うイロンデルを置いて。

 

 ミサイルがユニウスセブンに吸い込まれた。

 巻き起こったのは激しい光。

 核の光。

 

 モニター越しでも手で遮らなければ目が眩む程の光。もう長居する意味はない。踵を返して母艦へ機首を向けた。

 

 その直後。

 

 『何か』がイロンデルを包み込んだ。

 ゾッとするような気配が背筋を伝う。心臓が冷たい手で握られたような感覚。

 

「…あ…あぁぁぁあああ……」

 

 何千、何万もの声が彼女の中で反響する。

 

「ぁぁぁあああああ゛あ゛あ゛‼︎」

 

 万力で頭を潰されるような、ミキサーで脳を掻き回されるような痛みが、彼女を支配する。操縦席の中で正気を無くし、苦しみから逃れる様に暴れた。

 そして響く声の中で一際強く、彼女に聞こえる。

 よく知っていた声。懐かしい声。忌々しく、愛おしい声。

 

「父様…母様……!……シュエット‼︎」

 

 思い出される記憶に、彼女は意識を手放した。

 

『-・ ・ -・・- - ・- -・-・ - ・・ ・・・- ・- - ・』

 

 見る者の居ないコックピットで、小さな電子音がこだまする。それはタカミネから渡されたデバイスから発せられる。その音に合わせる様に、イロンデルのゼロ式は動き出す。

 

 大混乱の戦場を、彼女を生かせる為に。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「…以上が、ユニウスセブンにまつわるあいつの過去だ」

 

 フラガの語りが終わると、アークエンジェルのブリッジは静寂に包まれた。各々がその内容を理解する。

 

「ユニウスセブンに大尉のご家族が…」

 

 誰の呟きかはわからない。

 どんな心情なのだろうか。血筋のものを手にかけてなお、地球軍に身を置くのは。あの悲劇を止められる立場にあって、止められなかったというのは。

 

「それからだそうだ。あいつが民間人を巻き込むのを嫌がるようになったのは。ナギの野郎も苦労したらしい。なんせ、エースパイロットが精神崩壊したんだからな」

 

 そんな彼女がヤマトを巻き込んでいる現状をどう思っているか、想像に難くない。

 

「やはり彼を『ストライク』に乗せ続けるのは、彼女にとっても良くないのでしょうね」

「しかし、それではやはり戦力が…」

 

 今の状況は彼女の精神に大きな負担を掛けているのだろう。それは突発的な行動を引き起こし、ヤマトに暴行を加えるという結果に至った。

 

「あいつが割り切ってくれりゃあ楽なんだがなぁ」

 

 フラガが言うがそう簡単に済むなら彼女自身も苦労していないだろう。最初に巻き込むことを話し合った際に取っ組み合いになった様に、彼もその事はわかっている。

 

「…あの」

 

 ふとブリッジに通じる扉が開き、少年の声がした。

 そして入ってきたのは意外な人物。全員が驚き目を開く中で、少年は意を決したように口を開いた。

 

「お願いがあります」



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第18話 誇りの定義

ハロー、青春。グッバイ、純粋。

――『中毒的恋愛感情』


「以上が今回の報告になります」

 

 ラウは一礼し、後方に戻る。いつも通りの何を考えているか読めない仮面と、無表情の口元。対して席に座る議員の表情は重苦しい。

 

 ――G兵器。

 

 ザフトの持つMSを遥かに凌ぐ性能の新兵器。今までこちらが持っていた質で勝るというアドバンテージを、覆して余りある脅威。

 そして何よりナチュラルがMSを動かしたという報告が、彼らを騒がせていた。

 

「イロンデル・ポワソン…ですか」

「やはりあの者はコーディネイターなのではないですか?」

「情報では確かにナチュラルだと、そう結論づいたはずですが?」

「あんな不確かな情報、当てにはなりません!肖像すらまともな物とは言い難い。あれではどう見ても子供の写真にすり替えられている」

「もたらされた情報は正確な物だ!そんな憶測で話さないでいただきたい!」

「しかし一説では『ユニウスセブン』にいたという――」

 

 1人の呟きで、議会の熱が跳ね上がる。それを止めるように、パトリック・ザラが咳払いをした。

 

「皆さん、静粛に。今議論するべきはパイロットの事ではない。この兵器がいかなるものか、その能力、危険性、対象についてではありませんか」

 

 威厳ある声に議会は静まる。それを確認したパトリックは目でアスランに報告を促す。冷たい目にアスランは一瞬身を硬くするが、それでも息を整えてG兵器のデータの解説を始めた。

 

「まず私が搭乗した『イージス』について――」

 

 アスランが話し始めると、ラウは踵を返して部屋から出た。アスランが1人で残る事になるが、彼のことは使える部下だと思っている。問題はない。ラウが興味あるのは、むしろ彼女の方だ。それについて進展がないのなら、ここにいる意味は薄い。

 

「全く、お堅い連中ばかりで…()()()()()()

 

 彼しか居ない通路で、彼は誰かに向けて呟いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 ラウが訪れたのは、自身の母艦が着港している格納庫。窓から(宇宙)が見える。その暗い世界を、一条の光が走っている。

 

「調整は終わったかね?」

「あ、隊長。そっちの報告は終わったんですか?」

「堅苦しいのはどうも苦手でな。アスランがうまくやってくれるだろう」

 

 技師のリーダーに近づき、進捗を問う。

 

「既に『デュエル』の改修は実装済みです。現在、パイロットのテスト飛行の段階にあります。…こちらネムラ。イザーク、隊長がお見えだ」

 

 技師が通信を送ると、宇宙(ソラ)を駆けていた流星が動きを変えてこちらへと向かってくる。なるほど、その速さから気付かなかったがそれはMSだった。

 デュエルに外部装甲を付けた、マッシブな印象を受ける。

 

「名付けて『デュエル・アサルトシュラウド』。ジン用に開発された強化パーツを流用してます」

 

 デュエル・アサルト(A)シュラウド(S)は母艦『ヴェサリアス』のアレスティング・ギアへと両足を乗せて減速する。まじまじとその姿を見ると、通常のASと細部が異なっている。特にその背面。ブースターやスラスターが増設されているようだ。

 

「私の知っているパーツとは違うな」

「流石は隊長殿。めざといですね」

 

 ラウの気づきに技師は調子を良くし、モニターに図面を表示する。どうやらデュエルASの三面図の様だ。

 

「この改修における仮想敵は『三つ首』です。あの速さ…生半可な改修では追いつけません」

 

 『アルテミス』での戦闘の映像。三つ首の速度に、デュエルは喰らいつくのが精一杯だった。敵に守るべき対象があったから良いものの、正面戦闘では翻弄されていた。

 

「故に背部をメインに推進基を増設。各部に姿勢制御用のスラスターも増やしています」

 

 通常時はその推進力で。あの異常速度を見せた時は機動力で上回る。

 そこまでの性能ならパイロットへの負荷が心配されるが。

 

「イザークが希望したんですよ。どうしてもアイツに勝ちたい、とか言ってましたけど」

 

 デュエルのコックピットから、他の技師の手で彼が引っ張り出される。この低重力下にあってなお自力で動けない程に消耗しているようだ。そのパイロットスーツもひとまわり大きく、Gの負担を軽減するのに苦労しているとわかる。

 

「随分と疲れているようだな、イザーク?」

「ハァ…ハァ……。隊…長…」

 

 イザークはヘルメットを脱ぎ捨て、流れる汗を拭う。顔が紅潮しているのはGの影響か。水分補給のボトルを差し出すと震える手でそれを受け取った。

 

「傷の具合はどうだ?」

「……何とも…ありません。……見ての通りですよ」

 

 その顔には傷痕が無い。怨みだのなんだの言って彼は残そうとしていたが、その母親から消した方が良いと言われると、渋りながらも了承した。怨みよりも家族への想いが勝ったとでも言うのか。

 ラウとしても変に傷痕を残して戦闘に支障が出ても困るので、消してもらうつもりだった。

 

「『ガモフ』からの通信によると、『足付き(敵の艦)』は『アルテミス』を脱し、デブリベルトへ逃げ込んだようだ。我々はアスランが戻り次第に出発するが…君はどうする?……聞く必要は無かったな」

 

 負傷したという手前、本人の希望なら戦う必要はない。だがイザークの目を見た時、ラウはそうなる事は無いと分かった。

 

「必ず三つ首を…この手で討つ。…それまでは戦いをやめる気はありません」

「…その意気だ」

 

 イザークの肩に手を置き、ラウはヴェサリアスの中へと消えていく。

 

「…多少は面白くなりそうだ。……ねぇ、イロンデル?」

 

 その不穏な声は誰かの耳に届いただろうか。



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第19話 眠り姫 或いは 生ける屍

綺麗事ばかり並べたこの世界は、美しく、醜悪だ。

――『渇き雨の残響』


 身の丈に合わない程の大きなベッド。そこで啜り泣く、小さな少女。灯りの無い部屋には、窓から差し込む月明かりだけが照らしていた。

 

「…イロンデル様、泣いているのですか?」

「…夢を見たの。……シュエット、貴方が消えてしまう夢を」

 

 いつからそこに居たのだろうか。青年は優しく微笑むと、少女の枕元に歩み寄る。そして優しく、その長い髪を撫でた。

 

「悪い夢は忘れましょう。大丈夫ですよ。私はここにいますから」

 

 少女は赤く腫れた目を彼に向ける。青年は指でそっと残った涙を拭いた。

 

「…本当に?…ずっと…居てくれる?」

「ええ、もちろん。だから今は眠ってください。きっと、素敵な夢が見られますよ」

 

 少女は再び横になると、泣き声はやがて寝息へと変わり始めた。そして意識が霞み始めた時、微かに、それでも確かに、彼女の耳に誓いが届いた。

 

「…何があっても、兄さんが守ってやるから。僕の力は…その為にあるから」

 

 きっと今度は幸せな夢を見れるだろう。彼女はそう思えた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 イロンデルは身を起こし、そこで初めて自分が気を失っていた事に気が付いた。時計を見ると、時間としては20分程度。頭痛の酷さから『ユニウスセブン』が近づいている事を悟る。

 脳髄を焼く様な痛みはその強さを増すばかり。心なしか顔の傷まで熱を持ち、痛み止めを飲む為にイロンデルは一度医務室に向かう事にした。

 

「お姉ちゃーん!」

 

 個室を出ると、待ち構えていた様にエルがいた。ここは仮にも軍事区画として、民間人の立ち入りは制限されている。どうやってここに。と、その後ろを見ると合点がいった。

 一緒にいるのは、軍服に身を包んだ学生たち。なるほど。彼らと同伴ならば立ち入り禁止は通れるだろう。

 

 だが何故自分を訪ねてきたのか。それを問うと、彼女は後ろ手から沢山の四角い紙を取り出した。

 せいぜいが17cm平方の小さな紙。メモ用紙でも画用紙でも無さそうだ。

 

「折り紙‼︎一緒にやろ!」

「オリガミ…ですか」

 

 個室の棚に置いた、以前貰ったツバメを振り返る。あれから何度か眺めてみたが、結局どのような作りになっているのかわからなかった。やると言われても、自分はオリガミについて何も知らない。

 

「すみませんが私は……わかりました。やります」

 

 断ろうと思ったが、涙目の上目遣いは反則だろう。傷の熱は我慢できない訳ではないし、そもそも医務室に薬があるのかさえわからない。今回の補給という墓荒らしが終わってからでも良い。

 

 少女に手を引かれ通路を進む。ついてくる学生たちの中に知った顔が欠けている事にイロンデルは気がついた。

 

「ヤマト君は?姿が見えませんが…」

「キラなら、何か用事があるとかでどっか行っちゃいました」

 

 用事とは。イロンデルは疑問に思ったが、『ストライク』の整備でもするのだろうと判断した。以前も彼がしていた事であり、そう考えるのは自然な事だった。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「むむむ…むむ、むぅ」

「ここを折ってー。それでここも折るでしょ?」

「……むぐぅ。うぐ、うごご」

「あっはは!変な顔ぉー」

 

 彼女の人生初のオリガミは、大苦戦だった。エルに教えて貰いなが作っているが、その教え方がかなり大雑把であった。

 

「ここ開くの。…そこじゃなくて、ここ!」

「ここですか?」

「その横だってば!」

「ぬぅ…」

 

 作っているのは同じ『花』。ユニウスセブンへの献花にするという。ならばイロンデルも手伝わない訳にいかず、彼女としても出来るだけ丁寧に作りたいのだが、いかんせん初めての経験で思うようにできない。

 何とか1つ、作ってみたものの。形は歪み、ゴミと言われた方が納得できる。

 ちらりと視線で助けを求めるが、学生たちは微笑ましそうにこちらを見ているだけだ。

 

「…何か言いたい事でも?」

 

 なんとなく癪に触る。普段ならそんな事は無いのだが、今は頭痛でどうにもイラつきやすい。

 

「あ、いえ。…ふふ。なんか、姉妹みたいだなって」

「そ…うですか」

 

 イロンデルは頬がひくつくのを感じたが、平静を装う。

 

 姉妹。なるほど。容姿は似ているとは言えないが、外見の年齢だけならそうも見えるかもしれない。

 なんとなしにエルの頭を撫でる。

 

「んー?なーに?」

「ふふ。いえ、何でもありませんよ」

 

 少女はくすぐったそうにするが嫌がる事はなく、むしろ嬉しそうに髪を擦り付けてくる。

 

「イロンデルさんは兄弟とか居ないんですか?一人っ子?」

「いえ…上が1人。……しばらく…会っていませんが」

「ふーん。会いたくないの?」

 

 アルスターの何気ない問いに喉が干上がる。

 やはりユニウスセブンに近づく事で精神に影響が出ているのか。

 

「お姉ちゃん…?」

 

 撫でる手が止まったのを、エルが不審がる。

 ああ、ダメだ。そんな顔をしては。まるで自分が彼女を守れていないようではないか。

 

「…少し休みます。…ごめんなさい」

 

 だが心配そうにこちらを気遣うのを返す余裕もない。震える足で無理やり立ち上がり、一歩踏み出した所で。

 

『…こちらへ……来てください』

 

 そんな幻聴と共に、彼女の視界は90度傾いた。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「イロンデルさん!」

 

 彼女が倒れたという知らせを聞いたヤマトは、急いで医務室に駆け込んだ。数人の人垣をかき分け、彼女を見つけた。

 

 小さく寝息を立てている。イロンデルの状態を表す心電図は規則的な凹凸を描き、彼女に異常があるとは思えない。

 

「身体には問題ありません。傷も『アルテミス』での治療もあってか随分と回復しています。ただ何というか、生きるという意思が感じられない…とでも言いましょうか、目覚めるのを拒否している。…そんなふうに感じられます。…医者としては落第点な診断ですが」

 

 そう言う『ヘリオポリス』の医者もお手上げのようだ。

 何故起きない。

 

「…やっぱこうなるかよ」

 

 遅れて部屋に入ったフラガが呟く。

 かつてその精神が限界を迎えた場所で、肉体にも大きな負荷がかかっている。余程の人間でなければ、いつ心が折れても不思議ではない。

 ブリッジで聞いてしまった、彼女の過去。それを背負っているのに、平気でいられるはずがないのに。

 

「……」

 

 自分が負荷をかけたのか?

 ヤマトは自己嫌悪する。自分を庇ったから。自分が弱いから。

 

 自分が…友人を撃つことを躊躇ったから。

 

「…イロンデルさん」

 

 彼女の手を握る。自分を打った手。その温もりは、彼女が生きている事を伝えてくる。痛みは生きている証だと、出撃前に彼女は言った。だがきっと、この熱も生きている証のはずだ。

 

 彼女に打たれた時のことを思い出す。

 なんと傲慢なのだろう。力があるだけで戦えると思うなんて。なんの覚悟もないくせに。そして戦場に出て、何もできなかった。躊躇い、怖がり、そして守られた。

 足手纏いもいいとこだ。

 

 力だけでは、何もできない。

 

 例えそれが。

 

 コーディネイターであったとしても。

 

 アナウンスがユニウスセブン残骸への接近を告げる。ヤマトは誰よりも速く医務室を出た。彼女が眠る今、自分が代わりにならなければならない。



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第20話 誰がツバメを殺したのか?

真実とは、往々にして残酷なものだ。

――『散満惨然産残譚』より


『――イロンデル』

 

 声が聞こえた。

 

「―イロンデル」

 

 彼が呼んでいる。

 

「さあ、起きて」

 

 誘われるように目を開けると、イロンデルが地球にいた頃の部屋だった。なるほど、これは夢だ。だがいつもの夢とは違う。ぼやけた様な記憶ではなく、はっきりと、自分が立っているという自覚がある。

 追体験とは違う。この場にいるという意識。

 

 初めての経験に混乱していると、後ろでドアの開く気配がした。

 

「まだ寝ているのかい、イロンデル?」

 

 入ってきたのは…シュエット。彼がいるという事は少なくとも8年以上前の記憶か。その背格好は最後に見た時と比べてまだ幼い。少年のようだ。

 

「兄様、おはようございます」

 

 答えたのは自分ではない。ベッドから起き上がった小さな影。

 小さな彼女。

 

 記憶の中のイロンデル。

 

 少女と揶揄される自分よりも数段小さい、幼女の頃の彼女。薄蒼いネグリジェを着た彼女が身を起こし、シュエットの方に近づく。

 

「…また本を読んでいたのかい?夜更かしは感心しないな」

「ごめんなさい。どうしても読むのがやめられませんでした」

「はぁ…。まあいいけど。早く着替えるんだ。今日は僕にとって大事な日なんだから」

 

 淡々と用事だけを言い、少年は出て行った。随分と冷たい。

 そうか。この頃はこんな関係だった。

 

「…やってられない。…ってこういう時に言うんだっけ?わかんないや」

 

 だが幼女は気にする気配はない。当然だ。慣れているのだから。そして何より、彼の心が自分を受け入れていることを理解している。

 

 幼女が着替えているのを直視するのは、いくらなんでも気まずい。現状を確かめるため、自分がいる部屋を見回す。記憶の中にあるままの部屋。

 わかったのは物を動かせないということ。どれだけ力を込めても、まるで手応えがない。扉も動かないので、部屋から出る事ができない。あくまでも記憶を見ているだけということか。

 

 そして気になったのは壁一面にならんだ本棚と、そこにびっしりと詰められた本だった。何冊かのタイトルが読めなくなっている。記憶の中という事は曖昧なものが霞んでいるのか。逆に読めるものははっきりと読める。

 

――『くだらないジャッジメンター』

――『そこのけそこのけ私が通る』

――『冬の麦わら帽子』

――『画家の30日と小説家の300日』

 

 『ネクサス』の中にも入っている、イロンデルのお気に入りの蔵書。今でも時々読み返している。

 ふと、1番好きな本が見つからない事に気がついた。だがそれは、幼女の枕元にあった。ページが開かれ、栞が挟まれていないことを見ると、読みながら寝落ちでもしたのだろう。

 

――『 散満惨然産残譚(さんまんさんぜんさんざんたん)

 

 病床の少女チルウと元冒険家の中年ミツルが、夢の世界で繰り広げる冒険譚。外の世界を知らない故に夢の世界を創り出した少女と、外の世界を知ってなおも知らない事に挑戦する中年。その関係性と世界観は、ハマる人にはハマる一種のマニアックノベルと評価された。

 売り上げは振るわず、数年で絶版となってしまったが。ここにあるのは、その初版。C.E.71において、現存するのはほんの数冊程度だろう。

 

 隙間の空いた窓から風が入り込み、パラパラとページをめくる。どうやら文章も、記憶に残っていないとボヤけるようだ。この小説は詩的な言い回しや回りくどい言葉が多く、辞書並みの厚さを持つ。しかし他の作家が書いたら文庫本サイズになる。という、ジョークがあるほどだ。

 

『洞窟に入ると、そこには青い空が広がっていた』

 不条理な夢の世界を表した、イロンデルの好きな一文だ。チルウは物心ついた頃から病床にあり、外に出た事が無かった。現実では窓から見えるだけの小さな空が、夢の世界では目の前に広がっている。そんな夢が叶う、夢の世界。イロンデルは彼女に自分を重ねていたのかもしれない。

 そして物語の中で、夢の世界の非現実的な状況に直面するとミツルは決まってこう言った。

 

『やってられんな』

 

 自分の常識が通用しない世界で、それでもチルウを導いていく道先案内人としてのキャラクターがイロンデルは好きだった。

 

 そうこうしていると着替えが終わり、幼女が出て行く。閉じ込められてはたまらないと、自分も素早く扉を通った。

 その時一瞬視界に霧がかかったかと思うと、今度は大きな部屋に立っていた。

 

 部屋の中には自分を除いて4人。幼女のイロンデルと、その父と母。そしてシュエット。

 

「わかっているな、シュエット」

「はい。お父様」

「お前はこのテストをクリアしなければならない。それも完璧に。そのために高い金を払ってお前を作ったのだ」

「…わかっています」

 

 なるほど。どうやら自分は記憶を辿っているようだ。原因はわからない。おそらくは『ユニウスセブン』に接近した事で彼らの思念を感じ、それに自分の『病気』が感化されたのだろう。つくづく忌々しい。

 

 この記憶は十数年、地球でのことだ。彼らの家系には代々、『予知能力』や『読心術』ができるという超能力者が誕生していた。その力を持って権力を増し、貴族として栄えたという。

 しかしそれも今は昔。長い間能力者は生まれず、家は落ちぶれた。当主であるコルボは再興の秘策として、コーディネイターに手を出した。

 

「お前には能力がある。…そう思わせるだけの才能を、お前に注ぎ込んだ」

 

 コルボが示すのは、テーブルの上に並んだ5つの短銃。形は様々で大きさも違う。

 

 これから行うテスト。この5つの中から、実弾の入っていない物を選ぶ。どれに入っているかを知っているのは出題者である当主のみ。被験者はその心を読み、正解を当てる。通常は能力の()()がある者が行い、それ故に長年の間行われることの無かったもの。

 

 シュエットに能力は無い。込められた弾による微妙な重心のズレを感じ、そしてコルボの表情から見分ける事が求められる。

 

「…まず、コレです」

「なるほど」

 

 コルボはシュエットが選んだ短銃を手に取って、彼の眉間に狙いを定める。引鉄を引くと、カチリと軽い音がするだけだった。

 

「次だ」

 

 もし実弾が入った物を選べば被験者は死ぬ。能力を持たない者は必要ない。

 流石はコーディネイターといったところか、彼は次々と弾のない物を選んだ。しかし最後に2個が残ったところで、彼に迷いが出た。何度も持ち上げ、コルボの表情を確かめる。しかしその顔は鉄面皮のように動かない。

 実弾の入った銃の数は、コルボしかしらない。この2個は、両方に入っているか、片方だけか、或いはどちらにも入っていないか。

 

「……これを…」

「……」

 

 ようやく選んだ1つを、彼はコルボに渡す。

 受け取った銃をシュエットに向ける。

 

 その間に過去のイロンデルが割り込んだ。

 

 この瞬間に、彼女の運命は変わった。

 

「何のつもりだ」

「…ダメ。…痛いから」

「……」

「…痛いのは、ダメだから…」

 

 目は見開き、焦点が定まっていない。その異常な様子にコルボは気がついた。

 

「兆し、か。…面白い」

 

 開いた窓に狙いを変え、引鉄を引く。バンッ。と、重い音がして弾丸が放たれた。

 

「…我が娘に感謝する事だな、役立たず」

「お父様、僕は――!」

「迷った時点でお前に価値は無い。…いや、お前の危機に反応したのか?…なら価値はあるな。家名を剥奪し、使用人にする。…わかったら去れ」

 

 すがるシュエットを無視し、コルボは過去のイロンデルに近づく。

 

「お前を正式に我が嫡子とする」

「私は…私の……私が、私を…」

 

 何かに怯えたように震える彼女の肩を抱く。この時彼女は、初めて死の気配を感じ、その冷たさと静かさに混乱していた。

 

「…私の言う事を聞け。イロンデル…」

 

 優しく囁き、彼女を懐柔する。

 そしてこの後およそ10年に渡り、その能力を利用して彼は『怪物』と呼ばれる程に富を拡大していく事になる。

 

「……どうでもいい。こんな記憶なんて」

 

 現在のイロンデルが吐き捨てる。今更こんな物を見たところで、彼らが生き返るわけでもない。彼らが死んでしまった事への負い目こそあるが、自分はその事を嘆いたりはしない。

 そもそも、自分は彼らに愛されてなどいなかったのだから。

 

「…本当に?」

 

 ふいに声をかけられた。自分しかいないはずの記憶の中で。驚いて声のした方を見ると、過去のイロンデルが佇んでいた。

 

「馬鹿な⁉︎」

 

 記憶の中の彼女は、コルボと共にいる。では目の前の幼女は?…何が起きている?こんな事は…ありえない。記憶の中に別の同一人物がいるなどと。

 

「兄様が貴女をどう思っているのか…本当にわかっているのですか?」

 

 謎の幼女は淡々と自分を問い詰める。

 わかっているか、だと?ああ、わかっている。解ってしまう。

 

「…それが私の…『病気』なのだから」

「そうやって病気と呼んで拒絶しているのに?…思い込みたいのではないの?……彼を…()()()()()()()と」

「黙れ!所詮は記憶の中の人形が‼︎」

 

 憤怒と共にその細い首を手にかけようとするも、まるで手応えがなくすり抜ける。

 

「貴女はこうやって記憶を再生して、せめて愛された記憶を自分の物にしたいだけ」

「うるさい!死人が口を出すな‼︎」

 

 黙らせようとしても、手が空を切る。何度も、何度も何度も。

 

「どんなに記憶に縋ったところで、貴女(イロンデル)(イロンデル)にはなれません」

「私はお前とは違う‼︎」

「なら何故、こんな記憶を見るのですか?」

 

 何なのだ、こいつは。今までこんなのが出てきた事はない。幻影か?

 

 或いは…本当に()()なのか?

 

「『黙れ』『うるさい』…。そうやって拒絶してばかりでは、いつまでも貴女は貴女に成れないわ」

 

 彼女が手をかざすと、自分の意識が遠退く。視界がぼやけ、体が引き戻される感覚。

 

「見つけなさい。…知りなさい。貴女の生き方を」

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 イロンデルが目を覚ますと、そこは『アークエンジェル』の医務室だった。

 周囲に誰もいない、静かな空間。だが彼女の胸はうるさいほどに鼓動を繰り返す。自分の存在を主張するように。



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第21話 墓場漁り

糸繰り人形は、操者の鏡。
心が狂えば糸が切れるぞ。

――『劇団スルートニック』


 『ユニウスセブン』では凍りついた水が見つかった。戦場の残骸からは保存食や弾薬が。

 学生達や手の空いている兵士にはその回収作業を行わせている。

 

「物資の問題は解決した…と、言っていいでしょう」

「…そうね」

「…何か気にかかる事でも?」

 

 バジルールの報告に上の空で答えたラミアス。

 

「少し意外だったのよ。もっと抵抗があると思っていたわ」

 

 言葉を選ばずに言えば、やっている事は『死体漁り』或いは『墓荒らし』だ。一般人の感性から見れば拒否を示すのが当然だろう。だが学生達は、驚きと困惑を顔に浮かべる事はあっても、嫌がる事は無かった。

 特に気になったのがヤマトの反応だ。

 

「彼が真っ先に了承したのが大きいのかしら」

 

 故意では無いとはいえイロンデルの過去を聞かせてしまった。それ以降だろうか。どこか落ち着いている…というより、凪いでいるというか。端的に『わかりました』とだけ言って、さっさと『ストライク』で哨戒に出てしまった。

 以前はもっと情緒があった気がするが。

 

「聞き分けのいいのは良いことではないですか?彼も、()()()()()を分かっているのでしょう」

「…だと良いのだけれど」

 

 どこか胸騒ぎを覚えるが、ティーンエイジャーにはよくある事なのだろうか。何もないと良いのだが。

 と、通信機が内線の着信を告げる。どこからかと確かめると、医務室からの様だ。このタイミングなら、イロンデルに関する事か。そう思い応答すると、出てきたのは本人だった。

 

「大尉⁉︎お体の方は平気なのですか!」

『…ええ、心配をかけました。ただの……貧血です』

 

 大量出血した人間が言うと笑えない。それに医師の診断では貧血ではなかったはず。だがそれを問い詰めても何も変わらないだろう。こちらを心配させまいという気遣いだろうか。

 

『ひとつお願いが。『ミストラル』を1機、借りれませんか?』

 

 ミストラルは小型の作業用MP(モビルポッド)。現在は物資の搬送に『アークエンジェル』内の全てを投入している。1機程度ならば作業に遅れが出ることもないだろう。

 

「それは構いませんが…目的は?」

『…墓参りを』

 

 ラミアスは軽率な問いを恥じた。当たり前だ。彼女の家族は、彼女が防げなかった悲劇の場所に眠っている。その慰霊を望むのは当然。

 

「…失礼しました。そういう事なら構いません。マードック軍曹に手配させます」

『感謝します』

 

 簡易な敬礼で通信が終わる。

 

「大尉は大丈夫なのでしょうか。顔色が優れない様でしたが」

「本人がそう言った以上、こちらから手を焼く訳にもいかないわ。…大丈夫な事を祈りましょう」

 

 物資の問題が解決したと思ったたら、今度は人の問題か。順風満帆とは程遠い。と、ラミアスとバジルールは同じ溜息をついた。

 

「一応、フラガ大尉には知らせておくべきかしら」

 

 彼女の同僚であり、その過去を知る彼なら、何か問題があれば対処してくれるだろう。同じ戦闘職という面から、ヤマトのケアもしてくれるかもしれない。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「はい、こちらフラガ。…って、艦長。どうかしたのか?」

 

 フラガの『メビウス・ゼロ』は現在、ユニウスセブンの周囲を哨戒している。物資の輸送ルートは戦闘経験の浅いストライクに任せ、こちらはザフトの追手を警戒するのが目的だ。

 敵影は確認できないが、何かアークエンジェルのセンサーに引っ掛かったのかと、考えた。先程、つい新しい戦闘痕をした()()()の残骸を見つけたばかりだ。

 

『ポワソン大尉がユニウスセブンへ向かったので、念のため報告しておこうかと』

「へぇー、イロンデルがユニウスセブンにねぇ…。…ユニウスセブンに⁉︎」

 

 結構呑気してた彼。あまりの驚きに体が跳ね、天井にヘルメットをぶつけた。その衝撃は頭にも伝わり、一瞬目が眩む。

 

「ぃいってぇー。…んで、イロンデルはなんて?」

『墓参りをしたい。と、言っていましたが…』

「………わかった。あいつがやりたいってんなら、やらせてもいいだろ」

 

 通信が終わると、フラガは慌ただしく操作盤を叩く。部外者の手前ああは言ったが、どう考えても異常だ。阻止するつもりは無いが、問題があっても困る。

 

「ったく、あのクソガキ…。『ネクサス』?…ネクサァース?……ンネクサス!」

『( ︶⌓︶ )zzz』

「聞こえてんだろうが!…あ、いや、イロンデルは呼ぶな」

 

 呼び出したのはネクサス。こちらを馬鹿にした様な態度だが、本来はこの調子だ。前のようにイロンデルに危機が迫っている状況でも無い限り。

 

「あいつのバイタルと現在地の詳細を、リアルタイムで俺の機体に送ってくれ」

『(o˘д˘)o』

「なあ、頼む。あいつがもし自殺なんかを図ってみろ。ヘルメットを取れば2分で死ぬ場所だぞ」

 

 これは極端な話だが、実際の所あり得なくは無い。それだけ、ユニウスセブンという場所は彼女にとって重要な場所なのだ。

 

『( °Д°)』

「わかったか?なら、絶対にあいつにはバレない様にな」

『…バレたらどうなるんだ?』

「そりゃあぶん殴られ……いつから聞いてた?」

『全部だ。…随分と()()()()をしているな?』

 

 いつの間にか通信モニターが彼女を映している。着信があった時点で知られていたのか。フラガの手が汗を握る。これはまずい。

 

「あー…見逃してくんね?」

『…次やったら、お前をロリコンのストーカーだと言いふらすからな』

 

 だが彼女は許すようだ。普段ならばもう少し咎める、というか失望が声に混じるはずだが、それだけ心がまいっているのか。

 

『安心しろ。自殺なんてしょうもない事はしない』

「ホントか?」

『彼らの墓で死ぬのはお断りだ』

 

 そういう彼女の顔からは、心情が察せられない。だが今の自分ができることは、彼女を見送ることだけだ。ここでどれだけ止めても、結局は通信を挟んでいるのだから。

 

「なら…帰ってこいよ。ちゃんと」

『フフッ…、大袈裟なヤツだな。…当然だろう』

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

「『帰ってこい』…ねぇ…」

 

 残骸に開いた大穴にミストラルを近づけ、イロンデルはコックピットから出た。背部に装着した推進装置で瓦礫の間を進む。

 第6感とでもいうのだろうか。どこかから呼ぶ声がする。行き先は迷わない。だが近づく程に、頭痛が酷くなっていく。思考が纏まらず、焦点が定まらない。

 自分の中に、自分ではない()()を感じる。段々とそれが強くなっているのがわかる。

 

「帰れるでしょうか…私のままで」

『( ̄∀ ̄)』

「あ、口調…んんっ!段々ナギに似てきたよね、アナタ」

 

 もし、本当に彼に愛されていなかったとしたら。…或いは、本当は愛されていたのだとしたら。

 

「私は…何を思うだろうか」

 

 後悔、懺悔、侮蔑、嫌悪…。確かに言えるのは、決して穏やかなものではないということ。

 もしかしたら引き返すべきなのかもしれない。覚悟がないのなら、触れるべきではないのかもしれない。

 

 怖い。

 だが知らないのは、もっと怖い。

 

「ここに来ても、知れるかどうかも分からないのに」

 

 無駄足になるだろうか。

 目の前の目的地。核の爆発で倒壊した家屋。かつてユニウスセブンで『イロンデルの家族』が暮らした家。

 

 地球にいた頃よりも二回り以上は小さい、こじんまりとした物だったようだ。息子がコーディネイターであっても、ナチュラルがここで生きていくには日陰者になるしかなかったようだ。

 

 扉の吹き飛んだ玄関を潜る。

 

「さて、お宝探しと行きましょうか……なんてね」

『( ・ω・)』

 

 戯けた調子で声を出してみるも、それで頭痛が退くわけでもなし。いっそのこと砕けてくれと思う様な痛みを誤魔化しながら、イロンデルは瓦礫をひっくり返す。

 

「ま、こうなるな」

 

 少し探して見つかったのは、3人分の死体。イロンデルの父親、母親。そして、兄。損傷が酷く原型を留めていない肢体もあるが、間違いは無いだろう。

 そして予想していた事だが。

 

「何も無いじゃないか」

 

 何も無い。自分の存在を証明する物は、何も。

 愛されていたかの前に、覚えているかどうかさえわからない。その程度の存在じゃないか。

 

「ハ…ハハ…ハハハハハハハハ!…アッハッハッハ‼︎‼︎」

 

 笑え。笑え。笑え。

 

「ハーッハッハッハッハ‼︎」

 

 笑ってやれ。

 

「ハハハハ…ハ……」

 

 誰か、笑ってくれ。

 

『(._.)』

「…バカね。こんなの、なんの意味も無いのに」

 

 来なければ良かった。もう彼らを死に追いやった事を後悔する事は無いだろう。24万3718人には申し訳ないし、彼らの鎮魂を願う。だが目の前の3人に対しては、何も思うことができない。

 

「…さよなら」

 

 野晒しになった死体を弔う事もできず、ミストラルに戻ろうとした。

 

「……これは」

 

 ふと瓦礫の隙間から覗く溝が目に止まった。床材とは違う意図的に作られた物。不自然に作られたそれをよく観察すると、どうやら地下室へと通じる扉のようだ。

 

「コロニー内に地下室?…まさかな」

 

 通常コロニーに設けられる事は無い。わざわざ外壁に近づくという事になり、シェルターとしての安全性は下がるし、物置ならば上に拡張した方が安く済むからだ。

 にもかかわらず有るということは、何かある。

 

 邪魔な瓦礫を除けると、その全貌が現れる。

 

「ご丁寧にまあ…豪勢な鍵まで」

 

 アナログとデジタルの合成鍵。鍵を挿したうえで電子ロックを解除する必要がある。余程秘密にしたいのか。

 

「開けれる?」

『(^▽^)』

 

 コロニーの崩壊により電力は来ていないが、この程度なら『ネクサス』を繋げることで復旧できる。電子ロックは問題ない。そしてアナログの鍵だが、大した苦労もなく見つかった。

 

 シュエットの死体の首から下がったネックレスに、不釣り合いに大きな鍵が繋がれている。肌身離さず…というところか。

 スーツの中の空気は余裕があるわけではないが、だからといって見逃すつもりもない。手短に探索を済ませよう。

 

「さて…」

 

 重い扉を強引に開くと、梯子があった。

 

「何が出るかな?」

 

 ネクサスの灯りを頼りに、下へと降りる。物置ですらないだろう小さな空間にあったのは、台の上に置かれたガラスドームだった。

 その中には、1枚の写真と…2冊の日記帳が漂っている。

 

 ドームから取り出し、写真を覗き込む。

 

「イロンデル…」

 

 齢15歳の頃の姿。それは『自分』ではなく、『彼女』の姿。『彼女』が死ぬ、数日前に撮られた物だろう。

 

 なるほど。これは墓だ。遺体は無く、写真だけだが。わざわざ地下室に作られているのは、隠したいから。それでも宇宙にまで逃げても作っているのは、そういう事だろう。

 

「愛されて…いたのですね」

 

 だが自分はどうだ?どこに存在証明がある?

 何も無い。

 

「私には…何も…」

 

 心に湧き上がるのは、後悔。

 知らなければ良かった。最初からしていなかったはずの期待は、僅かに残っていたものも粉々に砕け散った。

 

「ざまぁ見ろ…」

 

 次に出てきたのは、怒り。

 

「…ざまぁー見ろ!私を捨てた罰だ‼︎生きているのは私だ‼︎お前らの様な自分勝手な生物が!私の様なモノを生み出した‼︎…何が死者の蘇生なものか!何が永遠の命なものか!……何が…何が…人の夢なものか…!」

 

 好き勝手に期待し、好き勝手に絶望して、好き勝手に自分を捨てた、彼らに。

 

「……愚か者ばかりだ…!」

 

 そして何より、愛される事を望んでいた、自分に。

 

 ヘルメットの中に水滴が浮く。

 ああ、泣いているのか。

 

 …馬鹿だなぁ。

 

 こんなにも羨ましいのか。『彼女』が。

 愛されるということが。

 

 この写真も、恐らくは日記帳も、彼女が愛された証だ。自分には無い物が、こんなにも焦がれるものだとは。写真と日記を手に取り、胸に抱く。

 

「…暖かい」

 

 伝わってくる想いが、どこか心地よい。自分にもできるだろうか。いつか、自分を愛してくれる存在が。

 夢の中で彼女が探す様に言ったのは、コレのことだろうか。日記をパラパラとめくる。

 

「読めないな」

 

 暗がりでバイザー越しとなると、どうしても文字が掠れてしまう。スーツの空気も残り少ない。日記と写真をポーチに入れて、地下室から出る。

 

『――――』

「っ⁉︎」

 

 一瞬、強い感情を感じた。この気配は、確かヤマトのもの。

 胸騒ぎがする。

 

 何か…とても嫌な予感が。



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第22話 弱虫 泣き虫

触れ合う程に
その刃は鋭く研がれ
より深く、痛く、この身に突き刺さる

──『だから、どうか、泣かないで』


 『アークエンジェル』の格納庫にて。

 

「おーい、坊主!出てきたらどうだ?」

 

 硬く閉じた『ストライク』のハッチに、マードックが呼びかける。だが一向に出てくる気配はない。

 格納庫に帰ってきて少し経つが、そろそろ出てきてもらわなければ目の前の問題も解決しないというものだ。

 

「どうするよ。この拾い物」

 

 格納庫にあるのは、ストライクが回収してきた救難ポッド。自分で拾ってきたのだから、その始末は自分でしてもらいたいのだが。開けようとしたが、なんらかの電子ロックが掛かっているようで、外部からの操作を受け付けない。

 コーディネイターの彼ならば、あるいはプログラムの書き換えで開けられるかもしれないのだが。

 

「軍曹!何があったのですか⁉︎」

 

 帰還したイロンデルが、マードックに近づく。

 

「いやー、それが俺らもよくわからないんですよ。坊主はコックピットに籠りっきりになっちまいまして」

「…籠りっきり?」

「通信も断絶。完全に拒絶状態ですよ」

 

 光の消えたストライクを見上げる。閉ざされたハッチの向こうから、少年の気配を感じる。弱々しい、怯えたような。

 

「…そうですか」

 

 彼がストライクに乗っているのは、自分が倒れて代役が必要になったからだ。つまり。

 

「私のせいか…」

 

 では何があって、彼をそこまで追い詰めたのか。知る必要がある。あわよくば解決できれば良いが。

 

 マードックと別れ、イロンデルはストライクのハッチに取り付く。

 電源を落としているのか、MSの目からは灯りが消えている。ハッチを何度か叩くが、応答は無い。

 

 外部ロックを解除するしかないか。

 

◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥◣◥

 

 初めて…人を殺した。

 

 ヤマトは暗いコックピットで思い返す。殺人という実感が、今になって彼を掌握していた。物資を搬送していた『ミストラル』に気づいた『ジン』―― 長距離強行偵察複座型の攻撃から、友人を守るために。

 

 仕方なかった…のだろうか。その機体の装備は、ミストラルに直撃しても破壊できないような弱い物だった。もし投降を呼び掛ければ、応じたのではないだろうか。

 あの時はそんな考えは浮かばなかったし、今となっては後悔でしかない。もし落ち着いていれば、殺さずに済んだのではないか。

 

 いまさらそんな、愚にもつかない思考が頭を回る。

 

「…僕は…」

 

 弱い。

 

 今までの戦いは全部、()()にひっついていただけだった。当てる気のない腰の退けた攻撃。動くだけで精一杯な弱虫。

 『デュエル』からの砲撃。『アルテミス』での暴行。

 いつだって守ってくれたのは、イロンデルだった。

 

 『ヘリオポリス』でも、ジンを撃ち()()()()()()()()()()()『アークエンジェル』を守った。自分はかつての友人(アスラン・ザラ)に気を取られて、何もしていない。

 

 ふと、視界に光が入る。

 

「…大丈夫ですか?」

 

 声の主を見た時、思わずその胸に飛び込んだ。自分より一回り小さな体に手を回し、抱きつく。彼女は戸惑いながらも、ヤマトの頭を優しく撫でた。まるで子供をあやす様に。

 

「何かあったんですね。話さなくて構いません。ゆっくり、落ち着いてください」

 

 視界から光が消える。彼女が気遣って閉めてくれたのだろう。その優しさに甘えるように、ヤマトは大声を出して泣いた。

 

「大丈夫。大丈夫ですよ。貴方は大丈夫」



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第23話 短絡的後悔

錆びた心を愛してくれ

――『同胞同士』


 着替えもせずに自室に戻ったイロンデルは、ヘルメットを力任せに壁に叩きつけた。大きな音がして壁が凹み、ヘルメットは床に落ちる。それだけでは苛立ちは治らず、その凹みを何度も殴る。

 

「…!…!…!」

 

 殴っているうちに凹みは大きくなり、そしてようやく、息を荒立ててはいるが、彼女は落ち着いた。

 

「随分と荒れてるな」

「ムウ…」

 

 いつから居たのか、ドアにフラガがもたれていた。彼にしては珍しく、その顔は深刻そうだった。

 

「彼は人を殺した」

「らしいな」

 

 『ネクサス』が調べた『ストライク』の記録。そこにあったのは、彼が『ジン』を撃破しそのパイロットを殺したという事実だった。

 

「私の代わりに出たからか?」

「…かもな」

 

 イロンデルは額を壁に打ち付ける。開いた傷が包帯に赤いシミを作る。その姿が見ていられず、フラガはゆっくり語りかける。

 

「お前の責任じゃない。お前が居ても居なくても、キラは出撃したさ」

「私がさせない。彼は民間人だぞ」

 

 そう言ってフラガの言葉を否定した時、彼はイロンデルにとって信じられない…いや、信じたくないことを言った。

 

「あいつはもう民間人じゃない。キラ・ヤマト二等兵…軍人だ」

 

 それを聞いた時、イロンデルは膝から崩れた。恐れていた事だった。彼を扱う時、彼女は相手が民間人だとして接してきた。民間人だがらと、彼の戦闘参戦には消極的であり、戦況でもなるべく下がるように指示してきた。

 

「いつからだ」

「…1つ謝る。お前の過去を、アイツに聞かせちまった」

「ーッ!」

 

 固く握りしめた拳を彼に叩きつけようとして、思い留まる。彼も故意にやった訳ではないだろう。それに今殴っては、話の続きを聞くことができない。

 

「それを聞いたアイツは、お前が何を背負って戦っているのかを知った気になった。そんで自分も、ちゃんと責任を背負って戦いたいって言ったんだと思う」

「誰が…誰が許可した」

 

 いくらコーディネイターでも、勝手に言うだけでは軍人にはなれない。申請して認可される必要がある。

 僅かな沈黙の後、フラガは言った。

 

「俺が推薦して、艦長が認可した。あいつは喜んでたよ。『これでちゃんと戦える』『あの人と一緒に戦える』ってさ」

「あの子は何を考えているんだ!」

 

 そんな理由で軍人になる人がいるか。自分のやった事を理解しているのか。責任を持って戦うことの意味を彼は知らない。実際に敵を撃墜してどうなったかは知る限りだ。

 

「とにかく決まっちまったもんは仕方ないだろ。あいつが自分から戦うって言ったんだ。俺らとしては都合がいい」

 

 彼の言っている事は正しい。もしストライクを躊躇いなく前線に送り出す事ができるなら、敵を退ける力は何倍にもなるだろう。後方でちまちま狙撃するよりも効率的だし、何よりMSの機動性を十分に発揮できる。

 

「割り切るべきなのだろうな」

 

 既に事は進んでいる。後悔ばかりでは前を向く事すらできない。そして何より、他にも問題は山積みだ。その1つは、ヤマトが持ち帰った救難ポッドの中に入っていた人物。

 

 敵国の歌姫、ラクス・クラインだ。

 

 

 ブリッジではラミアスとバジルールが、その扱いについて話し合っていた。そこにフラガと、軍服に着替えたイロンデルも合流する。

 クライン嬢の扱いは非常に難しい。彼女がただのコーディネイターならまだしも、敵国プラントの重鎮の令嬢という肩書は場合にもよるが戦局を変えうる程のジョーカーになる。

 

 現在は部屋に隔離という措置をとっているが、もし出歩いて『コーディネイターに恨みを持つ人間』に出会えばその安全は保証できない。特に今は『ヘリオポリス』での事もあり、彼らに不信感を持つ者で溢れている。

 

「そういえばキラはどこにいるんだ?」

 

 フラガが言った。イロンデルも気付いていなかったが、彼はもう民間人ではなく軍人だ。このような会議の場には参加するのが責務だ。だがバジルールが言うには、彼は件の令嬢の相手をしているのだという。

 同じコーディネイターの方が、彼女も落ち着くだろうという采配らしい。

 

「ふーん、そういうもんか」

 

 フラガは納得したようだが、イロンデルは気がかりだった。さっきストライクの操縦席で見た彼はほとんど錯乱に近い、トラウマを抱えたように見えた。深い後悔が彼から感じられたのを覚えている。

 もし彼女との接触が彼にとって悪影響になる事が考えられるなら、イロンデルはそれを防ぎたい。

 

「私も彼女に会えるか?」

 

 まずは彼女がどんな人間なのか知りたい。



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第24話 厄介者たち

 果たしてザフトの歌姫、ラクス・クラインはどのような人物なのか。彼女の隔離されている部屋を訪れた。

 話した時間は長いとは言えないものだったが、イロンデルは早々に彼女と会話をすることを諦めた。

 

 視点というのだろうか、物事の捉え方が違いすぎる。

 

「今回は危ないところを保護していただき、ありがとうございました」

 

 などと、戦争中の敵国の艦で隔離されている状況で宣うのだ。普通の民間人でももう少し警戒するだろう。それを本気で言っているのだから堪らない。いや、本気なのだろうか。イロンデルは相手の感情を察する事ができる時があるが、クライン嬢はいまいち心が読みづらい。裏があるようには見えないが、何を考えているか分からないのだ。

 この調子で話しているとこっちの神経が疲れる。ヤマトが自分よりも先に話したらしいが、まあこれなら悪影響はないだろうとイロンデルは判断する。

 

 このような類を天然というのだろうか。

 一応は隔離措置を続ける事を告げ、部屋の電子鍵を閉じる。内側からは開けられないし、外からもパスワードが要るので彼女は安全だ。

 

『(o_o)』

『ナンダ!イタッペラ!!』

『(^ ^)』

『ヤンノカッ!』

『([∩∩])』

 

 ネクサスが彼女の持っていたピンクのロボットに興味を示していたが、見る限りはただ会話ができるだけのオモチャのようだった。

 彼女は『ピンクちゃん』と呼んでいた球状のロボ。まさかハッキング能力などはないだろう。

 

 

 そんな事があって、少し日が経った頃。クルー達が俄に騒いでいた。なんでも、友軍との連絡が取れたという。

 相手は地球軍の第8艦隊。確か司令官はハルバートン。穏健派で有名な人物だったか。

 

「私の、直接の上司です。信頼できます」

 

 そう言うラミアスの言葉にイロンデルは安心する。『アルテミス』の二の舞はごめんだった。

 第8艦隊は『アークエンジェル』の補給のため、先遣隊を放ってくれている。うまく合流できればいいが。

 

 不安材料は多い。

 例えば、ラクス・クライン。彼女をどう扱うのか。彼女の存在は戦争を終わらせることも、さらに激化させることもできるだろう。

 例えば、キラ・ヤマト。コーディネイターでありながら地球軍に所属する少年。新兵器『ストライク』を自在に操り、熾烈な戦闘を潜り抜けてきた。その手腕は見逃せるものではない。

 例えば、ラウ・ル・クルーゼ。数度追い払うことはできたが、そんな事で諦めてくれる男ではない。今もなお、こちらを襲う隙を探っているに違いない。

 

「これより本艦は先遣隊と合流します。各員は配置に着いて」

「了解」

 

 いつクルーゼが現れるか分からない。警戒を厳に。だがようやく友軍と合流できるという知らせは、彼らに対して久しぶりの明るい知らせだった。

 

 

 しかしいつだって物事は円滑に動く訳では無い。合流間近になった所で、レーダーにジャミングが入った。

 敵襲だ。艦影はザフトのナスカ級が1つ。『アルテミス』近域で航行不能にした艦だ。

 

「あのストーカーどもめ。しつこいな」

「先遣隊に応援を要請しろ。我らだけでは対処しきれない」

「了解」

 

 先遣隊がどれ程の戦力なのかはわからない。恐らく連携は取れないだろう。ならこちらは遊撃隊として動くのがベストか。

 

「敵の推定される戦力は?」

「おそらく『イージス』。そして『ジン』が複数かと」

 

 それだけで相手としては充分すぎる。だが最悪の場合、さらに『デュエル』が出てくるかもしれない。前回の戦闘で損傷を与えたが、コーディネイターの技術力なら既に修復しているだろう。

 

「私とフラガはアークエンジェルの護衛をしよう。先遣隊にもそう伝えてくれ」

 

 イロンデルの指示に管制官が通信を飛ばす。そこにフラガが口を挟んだ。

 

「キラはどうする?まさか出撃させないなんて言わないだろうな」

「…ならストライクは後方で待機だ。代わりに私が前線に出る」

「大丈夫なのかよ。お前の機体、まだ完全には直ってないんだろ?」

「贅沢は言えん。やれることをやるだけだ」

 

 『ユニウスセブン』跡地で回収した残骸から、なんとか彼女の機体は()()()()()()()にまで修復できた。だが破損したメインエンジンは量産の物に変えられ、『オーバーアチーブ』は実質封印となってしまった。

 

「では準備できしだい、出撃を。あまり時間がありません」

 

 

 イロンデルは着替える前に、医務室で顔の包帯を解いた。ついさっき血が流れたが、もうほとんど塞がっているようだ。

 

「すごい回復力です。貴女は本当にナチュラルなのですか?」

「…まあ、少し生まれが特殊なので。それでも私はナチュラルですよ」

 

 医師の言葉に曖昧に返した後、イロンデルは通路でヤマトに出会った。アルスターと何かを話していたようだ。

 

「ヤマトく…失礼。ヤマト()()()、準備はいいか?」

 

 その胸に光る階級章は、軍服には合っていてもやはり幼さの残る少年には不釣り合いな物だった。だが本人が志願したのだ。民間人ではなく、ちゃんと軍人として接するべきだ。

 

「あの、イロンデルさん。合流する船に、フレイのお父さんが乗っているんです」

「あぁ。ブリッジで確認した。このままではあの艦は戦闘に巻き込まれるだろうな」

 

 民間人である彼が何を思って戦艦などに乗っているのか。娘が心配なのかも知れないが、その危険性を理解しているとは思えない。

 

「フレイと約束したんです。守ってあげたいです」

「なるほど…。…分かった。陣形を組み直そう」

 

 彼を単独で動かすのは本望ではないが、自分が付き添っては本艦の防衛が手薄になる。敵の狙いがアークエンジェル及びストライクであると読むなら、敵のXナンバーは艦に集中するはずだ。

 彼の抜ける穴は自分が代わりになればいい。

 

 それに今はもっと気にすべき事がある。

 ヤマトの精神状態だ。

 

「ヤマト二等兵。君は…敵を『殺せる』か?」

「…⁉︎」

 

 もし不安定な状態で戦場に出れば誤った判断や躊躇を招く。砲弾飛び交う中でのそれは、すなわち死と同義といっても過言ではない。

 

「誰かを守るというのは、その敵を討つという事だ。追い払うのではない」

 

 武器を奪うだけでは、またいずれその手に殺意を持って向かってくる。今度はもっと強力な物を持って。それはいずれ戦火をより強大な物へと変えてしまう。

 

 ならやはり、殺すしかないのだ。

 

「…それは…」

「今すぐに答える必要はない。だが一度出撃すれば、誰も待ってはくれないぞ」

 

 イロンデルの言葉にヤマトは俯く。

 答えなど、そんな簡単に出るものではない。

 だが状況は待ってはくれない。パイロットに出撃を急ぐアナウンスが聞こえた。

 

「軍に身を置くとはそういう事だ。軽い気持ちでいると…死ぬぞ」

「…はい。イロンデル…大尉」



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第25話 混じり合う閃光の中で

 その戦場は圧倒的なまでに一方的だった。

 

 ヤマトは周囲で為す術なく爆散していく『メビウス』を、視界の隅に捉える事しかできない。

 『ストライク』は今、目の前の『イージス』を相手にするのことで精一杯だ。

 

『キラ、どうして俺たちが戦う⁉︎それがお前の意思なのか⁉︎』

「アスラン…!」

 

 敵の動きが今までとはまるで違う。ストライクのソレと同等。だがMSに乗って日の浅いヤマトにとっては突き放されこそしないが、喰らいつくことしかできない。

 守ると約束したはずのアルスター氏が乗っている『モントゴメリ』から離れてしまった。今それを守っているのはイロンデルの『メビウス・ゼロ』だ。『デュエル』に絡まれながらも纏わりつく『ジン』を的確に退けている。

 

「またあの人に…!」

 

 彼女の助けが無ければ何もできないのか。

 いや、違う。決めたではないか。彼女の役に立ってみせる。そのためなら何だってしてみせる。

 

「僕は…戦うんだ。…き、君とだってぇ‼︎」

『キラッ⁉︎』

 

 ビームサーベルを抜き、ヤマトは()に斬りかかる。イージスはそれを軽く躱した。やはり技量では敵わない。それでも。

 

『本気なのか!本当に…お前は……俺と』

「こンのぉおおおッ‼︎」

『くっ…⁉︎』

 

 割り込んできた『ジン』を一刀のもとに斬り伏せる。胴体から2つに別れた機体が爆散した。パイロットは生きていないだろう。

 

 これが戦うと言う事だ。

 彼女の言った通り、敵を殺すと言う事だ。

 

 彼女と共に戦うのなら、それが平然とできなくてはならない。

 ならば、やってみせる。

 

「もうあの人に…傷ついて欲しくないから!」

『あの人…?』

 

 互いの機体が接近し、盾と剣が何度も交差する。

 それは熾烈を極め、横槍を入れる隙すらない。

 

 それは彼らが互いに集中しているという事であり。

 

 他の物が目に入っていないと言う事だ。

 

 それは決して、戦場ではやってはいけないこと。

 

 そこで戦っているのは、自分1人ではない。

 

『ヤマト二等兵、何をやっている!!艦が孤立しているぞ!!……民間…が入って…な!!』

 

 途中で途切れたバジルールの通信に驚きながら、『モントゴメリ』に目を向ける。彼女が守っていたはず。ならば孤立するはずが。

 その船にメインカメラを向けた時、ヤマトは絶句した。

 数ヶ所に被弾し、黒煙を吐く戦艦。その近くにあったのは、ガンバレルを失い、エンジンが大きく損壊した蒼いメビウス・ゼロ。

 

「イロンデルさん‼︎…そんな⁉︎」

 

 あの人が簡単にやられる訳がない。そう思っていたのに。通信を飛ばして安否を問うが、応答はない。不自然な雑音が伝えるのは、ジャミングか。

 急いで彼女の元へ近づこうとするが、イージスがその邪魔をする。

 

 その時、一際大きな緑の光が戦場を裂いた。

 敵の船から放たれたソレは、モントゴメリを撃ち抜く。

 巨大な爆発。眩しい閃光が広がった。

 

 

 アークエンジェルは、クライン嬢を実質的な人質とすることで一時的な休戦状態を作り出した。

 

 人質。

 

 決して正義とは呼べない方法に、ヤマトは艦のドッグのなかで悔しがる。

 イロンデルの現在の扱いはMIA。戦闘中行方不明だ。それは音信不通で死体が発見されていないからにすぎない。本当ならばすぐにでも飛び出して彼女を探したい。だがそれではせっかく作りだした小康状態を壊しかねないし、艦を無防備にすれば『みんなを守る』という彼女との約束まで破ってしまう。

 

「…クソッ‼」

 

 手すりを殴りつける。力任せに何度も。コーディネイターの力はだんだんと金属を歪めていく。その力があったとしても、あの人を助けることができなかったのだと、酷い自己嫌悪に陥る。

 

 そんなことをしているとにわかにドックが騒がしくなった。見ればラミアスやバジル―ルのような本来ならブリッジにいるはずの人間までいる。何かあったのかと不思議に思っていると、ヤマトは突然横から抱き着かれた。

 

「キラー!」

 

 胸に押しつけられた顔は見る事ができないが、その赤い髪は見間違えるはずもない。フレイだった。その瞬間、ヤマトは彼女との約束を思い出した。

 咄嗟に彼女を跳ね除ける。

 

 責められると思った。彼女の父親を守れなかったことを。船の爆発と共に死なせてしまったと。

 

 だがこちらへ向ける彼女の顔は、明るい笑顔があった。そしてその口から、ヤマトにとっては信じられないことを言った。

 

「ありがとう!パパを守ってくれて!」

「…え?」

 

 そんなマヌケな返しをすることしかできなかった。

 守った?誰を?

 彼女の父親は死んだんじゃなかったのか?

 

 そう思っていると、ドックに1つの小さな船が入ってきた。どうやら脱出艇のようだ。それを見たラミアスらが、船の出入り口へ向かって敬礼をする。

 降りてきたのはなんと、フレイの父親。アルスター氏だった。

 彼はドックを見回して何かを探す。そして見つけたのだろう。こちらへ…いや、隣の娘へ向かって笑顔で手を振った。フレイもそれに答え、アルスター氏へ駆け出す。そして再会を喜び合って抱き合う。

 

 親子水入らずというやつだろうが、こちらはそうもいかない。ラミアスは敬礼を解き、彼に話しかける。

 

「ご無事で何よりです。本艦の臨時艦長、マリュー・ラミアスであります。艦が爆発した時はまさかと思いましたが、脱出艇を使われていたとは。信号を捉えたときには安堵しました」

「そちらの大尉殿には礼を言っても言いきれん。彼女があの艦長を急かしてくれなければ、私はブリッジで爆発に巻き込まれていただろう」

 

 聞こえた会話にヤマトの顔が曇る。アルスター氏が言っているのはイロンデルの事だ。結局、自分がするべき艦の護衛も、アルスター氏を守ることも、彼女が代わりにやってくれた。

 自分の無力さが情けなくなってくる。口では何と言っても、頭ではどう思っても。何もできていないじゃないか。

 

 想いと力があっても、結局…自分は誰も守れていないじゃないか!

 

 悔し涙が頬を伝う。こんな時に泣く事しかできないのか。気づけば噛み締めた唇から血が流れていた。

 

『艦長、及び役職のある者は直ちにブリッジへ!繰り返す。速やかにブリッジへ集合せよ』

 

 突如として入った通信に顔を上げる。後悔する時間も無いのか。袖で涙を拭いてヤマトは走る。ラミアスらも何事かと緊張した顔で。

 

 

 ブリッジのメインモニターには、ザフトからの通信映像が出ている。どうやら国際救難チャンネルを使用してこちらへ接触してきたようだ。そこに映されるものを見て、ヤマトらの顔が固まる。

 

『やぁ、地球連合軍の諸君。私はラウ・ル・クルーゼ。細かい自己紹介は省略させてもらう』

 

 狭い部屋。モニターの中心には仮面を付けた男が立っている。目を奪われたのはその後ろ。

 

『さて、君たちが非人道的な方法で我が国の歌姫を人質にしたのはとても腹に据えかねることだ。が、我々も同様の手段を取る事にした』

 

 椅子に縛りつけられている彼女。その小さな体は間違える筈もない。

 

『そちらのパイロット。イロンデル・ポワソンの身柄をこちらで預かっている』

 

 気を失っているのだろうか。顔を下げたまま、彼女は身動き1つしない。かろうじて呼吸をしているのが分かった。

 

『仲良く交換といこうじゃないか。君達が歌姫の身を傷つけない限り、こちらも乱暴をする気はない』

 

 クルーゼが手を挙げると、傍に控えていた男がイロンデルに銃を向ける。

 

『だがもし…2時間以内に望ましい返答が得られない場合、こちらは独断で動かさせてもらう。よくよく考えることだ』

 

 そう言って、一方的に通信は切られる。

 誰もが言葉を失い、ブリッジは不気味な静寂に包まれた。

 

 人質の交換に応じれば、躊躇う理由の無い敵は瞬く間にこの船を蜂の巣にするだろう。だからと言って応じなければ…彼女が…。

 

 2時間という猶予は、短すぎるように思えた。



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第26話 敵艦にて

増長した正義ほど扱いやすいものは無い

──『かつての英雄の二人旅』


 イロンデルは目覚めた時、自分がベッドの上だと気がついた。

 

「…またこのパターンか」

 

 ヘリオポリス崩壊以降、何かあったらベッドに寝かされていた事が続いている気がする。自分の精神が不安定であることは自覚しているが、こうも続いては心配というより面倒だと感じてしまう。

 

「これは…不味いな」

 

 起き上がろうとしても身体が動かない。いや、強く拘束されて動けないのだ。寝起きの頭がようやく、気を失う前の事を思い出す。

 戦場で機体が操作不能に陥り、その状態で戦艦の爆発に巻き込まれたのだった。ここで拘束されているという事は、ここは敵艦の中だ。

 自分のパイロットスーツは脱がされ、身につけているのは簡素な物。恐らくは捕虜用の。ポケットも無い。それは彼女に深刻な問題を自覚させる。

 

「……『ネクサス』!」

 

 彼がいない。ここに拘束される時に奪われたか。

 

「クソッ!この…こんな拘束など…!」

 

 無理矢理外そうとしてもキツく縛られて身動きが取れない。戦闘中に開いた傷から鮮血が流れ、衣服に赤いシミを作る。だがその痛みすら頭に入らないほど、彼女は焦っていた。傍に『彼』がいないのはそれほどまでに深刻なことだった。

 

「目覚めたようだな」

 

 そんな時、部屋の扉が開いて男が入ってくる。仮面を付けた男は彼女の様子を見て不敵な笑みを浮かべた。

 

「私はクルーゼ。といっても、自己紹介など不要だろうがね」

「一応は『はじめまして』か?こうして直接会うのは」

 

 戦場で何度も相対した仇敵。その仮面の奥で何を考えているのか、イロンデルには読み解けない。ラクス・クラインと同じように感情の読めない男。その存在を彼女は警戒する。

 

「そう睨まれるのは良い気分ではないな。私としては君と会話をしに来たのだが」

「ふん。尋問の間違いだろう?」

「拷問よりはマシだと思いたまえよ。ザフトには君を怨む者も多い。平和的に話せるだけ、私で良かったな」

 

 クルーゼは椅子に座りこちらへ微笑む。それは見た目だけなら優しい笑みだったがイロンデルはどうしても気味の悪いものを感じられずにはいられない。

 

「さて、イロンデル・ポワソン。2人きりで話せる時間は少ない。だから単刀直入に訊かせてもらう」

 

 名前を知られている事にもはや疑問など抱かない。へたに動揺して隙を見せる方が恐ろしい。だが彼の口からでた言葉は彼女を驚愕させるに足り、なお余るものだった。

 

「君は『ノア』と呼ばれる人物に覚えはあるか?」

「…知らん。知っていても答えんがな」

「だろうな。では少し言い換えよう。ノアは連合の機密情報内で使われるコードネーム。つまり偽名だ。本名は……『ナギ・タカミネ』」

「…」

 

 ノアを知っていることについては、どうせスパイを放っていたのだろう。だがその名前がナギを示すことを知っている。それはどんな諜報機関のトップも知らないことのはずだ。

 

「彼女は『G兵器』……Xナンバー、或いは単にGとも呼ばれるモノの開発に携わっていた…などと()()()()のことを話しているのではない。私が知りたいのはそれ以前…『LP計画』についてだ」

「⁉︎」

「知っているようだね」

 

 思わず反応してしまったことを後悔するが、もう遅い。彼は確信を得たようにニヤリと笑う。彼女にはその笑みが悪魔のように思えた。深い闇を感じさせるような微笑だった。

 

「LP計画…正式な名前は『Lucina Paradox』だったか?誕生の女神の名を冠するとは随分な皮肉じゃないか」

 

 彼はどこか可笑しそうに、しかし忌々しげに笑う。笑顔のはずであるのに、イロンデルは背筋に冷たいものを感じずにいられない。

 

「優秀なナチュラルのクローンを生み出し、コーディネイターをも凌ぐ才能を持つ兵士を量産する計画。…まさに『誕生の矛盾』。名付け親はロマンチストの詩人らしい。まぁそれもノアなのだが。妙に気取った彼女らしい…。そう思わんかね?」

「…」

 

 彼と彼女のナギに対する印象が同じなのは、それだけクルーゼが彼女のことをよく知っているということに他ならない。ザフトの人間がそこまで彼女と親しかったのか?

 

「だが計画は既に凍結したはずだ。実験体も全て破棄された…のではなかったか?何故君のような者が存在している?」

「…私はロードアウトされた唯一のモデルだ」

「『LPシリーズ』の01か?いや、アレは酸素に反応して細胞が急激に劣化する欠陥品だった。…ならそれ以降。…LP02か。そうか、だからポワソン…うお座か。イロンデルシリーズか。フフフ…面白いな。まさに秘部…いや、恥部だな」

 

 彼は何かを考えながらブツブツと独り言をする。だがそこで扉のほうを睨み、急に会話を切り上げる。

 

「…優秀な部下というのも考えものだな。もっと話していたかったが」

「待て!答えろ。貴様はなぜそこまで知っている?」

「…知りたいか?なら後で私の部屋に来るといい」

 

 煙に巻くような言い方にその顔を睨むが、彼はそれをいなして部屋を出ていく。そしてそれと交代するように、別の少年たちが入ってきた。

 

(…若い…いや、幼い)

 

 ヤマト二等兵とそれほど変わらないのではないだろうか。

 イロンデルの目を引いたのは、彼らの先頭に立つ2人だった。

 

(赤服とは、流石はエリートの部隊か)

 

 敵軍にまで名の通るクルーゼの部隊。それは秘密兵器の略奪を任せられるほどであり、ならば赤服がいるのも当然というものだ。

 その中でも、集団の先頭に立つ少年にイロンデルは僅かな驚愕を覚えた。こちらを殺さんばかりの憎悪を込めて睨む白髪の少年よりも。

 彼はヘリオポリスでイージスに乗っていた。そして、世間に関心が無い彼女でも良く知っている、ザフトの重鎮の御曹司。

 

(アスラン・ザラ…だったか?)

 

 モニター越しでは分からなかったが、今見るとそれ程までに地位の高い子供がクルーゼの下にいたのかと、彼女は気づく。

 

「尋問室に運ぶぞ」

 

 彼がそう指示すると、数人の少年がイロンデルに手錠を掛ける。

 

「洗いざらい吐いてもらうとしよう」

 

 

「『ストライク』のパイロットは誰だ?」

 

 尋問室で机に手錠を繋がれるやいなや、アスランがこちらに問いかける。

 

「……アホなのか?貴様は」

「何?」

「あのな?少しは私に精神的動揺をさせてから質問しろ。例えば『先程隊長と何を話していた?』と聞くだけでも、私は答えづらい質問に黙り込みそこから畳み掛けるように色々と聞けば良いだろ」

 

 何の前置きも無くいきなりそんな事を訊くのは、クルーゼ程の怪物でもなければ愚策でしかない。こちらの立場が弱いという自身の優位性に則ったものでもなく、気になったから訊いたという感じだ。

 たった一言の質問から、イロンデルは目の前の少年が直情的であり、駆け引きの類が苦手なのだと察する。あのクルーゼの部下とは思えない程に、真っ直ぐで、そして愚かだ。

 

 壁に貼られたマジックミラーの奥から複数の殺気を向けられていても、目の前の少年が恐るに足らない故に、イロンデルはクルーゼの時とは違う落ち着いた気持ちでいた。

 

「答えろ!」

 

 声を荒げ机に拳を叩きつける様も、彼女から見ればただの強がりでしかない。

 

「悪いが喉が乾いていてな。水の一杯でも飲まなければ答える気にもならん」

「この…!いや、アンタが答えなければあの艦を沈めてもいいんだぞ!」

 

 脅し文句すらこちらに情報を与える拙い言葉だ。

 

「では私の艦は無事だということか。わざわざ私を人質にしたのは手出しできない状況になったからか?」

「…!」

 

 自分の失言に気づいたのかアスランは慌てて口を閉じるがもはや遅い。イロンデルは『アークエンジェル』が無事だという確信を得た。だがここでその事を指摘するつもりはない。下手に指摘すればまた感情的に喚き散らすだろう。

 

「ふん。なら私の身の安全は保証されたも同然か。おい、喉が渇いたぞ。水を持ってこい。酒でも良いぞ。酔った方が口が軽くなるかもしれん。ま、貴様みたいなお堅いアホ面ばかりでは酒など用意していないか?常に自分に()()()()もんな?……おっと失礼。言い過ぎた。反省してるぞ?靴でも舐めてやろうか?」

「このっ!!──」

「おう殴れ殴れ。自分が人質を尋問しているのだと知って殴れ。なぁ、おい、私は親切だよな?こうして貴様にわざわざ警告してやってるんだから。それを踏まえてよく考えろよ?少しは回る脳みそをしているんだろうな…おマヌケくん?」

「ぐ…!!」

 

 アスランは額に青筋を浮かべ、冷静さの欠片も見受けられない。これが演技だとしたら大したものだがイロンデルはそうではないことを見抜いている。

 

 その時だった。

 彼女はこめかみの辺りに刺すような刺激を感じる。他のものよりも一層鋭く、強い殺意。

 それから逃れるように頭を逸らすと、銃声と共に額を僅かに掠める感覚があった。イロンデルの視界が赤くなり、血が流れたのだと気づく。目の前の少年に集中して反応が遅れた。

 

「…チッ!」

 

 血を拭いながらマジックミラーにできた弾痕に意識を向ける。

 

「何をしてるレギン‼︎」

「コイツはクランの仇なんだぞ!お前らは憎くないのかよ!…離せ!」

「ラクス様が人質になっていることを忘れたのか⁉︎独房へ連れていけ!」

 

 どうやら殺意を抑えることのできない未熟者がいたようだ。

 

「…おうおう、血気盛んなことだな。グラン・ギニョール共め」

 

 これでは尋問どころではないだろう。目の前で狼狽えているアスランを煽り、イロンデルは頬杖をつく。垂れた血が机の上に赤い水溜まりを作っていく。

 

「部下の指導ぐらいしっかりしておけよ。独断専行など、戦場では愚策にしかならんぞ?」

「……」

「それにしても、まさかクライン嬢が人質か。私の身が捕虜にしては好待遇だと思っていたが、そんな理由があったとはな」

「…コイツを医務室に戻すぞ。これでは尋問もできない」

 

 忌々しげにそう告げるアスラン。

 数人の兵士と入れ替わる彼を、イロンデルは更に煽る。

 

「ああ、そうしてくれ。ついでに、馬鹿が付けたこの傷の治療もしてくれると助かるがな」



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第27話 人の業の産物

 敵艦の医務室で手錠を嵌められたイロンデル。傷の手当ては非常に雑だったが更に傷をつけようという害意は感じられなかった。こちらが大人しくしておくという意志を見せると、人質の監視に人数を割くのを嫌ったのか一人を残してザフト兵は退室していく。

 

「コイツは俺が見ておく」

「…大丈夫か、イザーク?」

「……平気だ」

 

 一人残った白髪の少年は、明確な敵意を持って彼女を睨む。

 一方、イロンデルは彼の事は全く記憶にない。どこかの戦場で相対した者の1人だろうか。と、漠然とした認識をするだけだ。

 

 そんな少年は彼女に問いかける。

 

「…何故、さっきの戦闘で本気を出さなかった?」

「意味が分からんな」

「とぼけるな!」

 

 彼はイロンデルに詰め寄る。

 

「前に見せた()()()()のことだ!何故さっきは使わなかった!」

 

 襟首を掴まれながら、イロンデルはようやく彼の言っているのが『オーバーアチーブ』のことだと気づく。先程はそもそもメインエンジンが一般的な物に変わっていたので使えなかったのだが、そんなことをわざわざ敵に教えることもない。

 

「お前に対して使うまでもない。と思ったからだが?」

「その結果がこうして人質になっているのだとしてもか⁉︎俺の知っている『三つ首』は戦場で手を抜くヤツじゃない!」

「悪いがお前と相対した記憶が無くてな。どこかで出会った雑兵か?」

 

 少年は歯を強く噛み締め、憤怒と共に彼女の襟を掴む。余程気に障ったようだ。

 

「俺は『デュエル』のパイロット、イザーク・ジュールだ!貴様をさっき、殺そうとした男だ!」

「…ほぅ、貴様が…。意外だな。せめて傷は負わせたと思ったが、随分と綺麗な顔をしてるじゃないか」

「くっ…!」

 

 彼は忌々しげに顔に手を当てるが、そこに傷は無い。

 

「私の方はご覧の様だ。よくもやってくれたな、と恨むべきか。はたまたよくやった、と称賛すべきか…」

 

 イロンデルは頭に巻いた包帯を見せつける。今でこそ余計な雑魚が手を出したが、元々はデュエルの砲撃を受けた傷だ。

 

「この傷の借りは必ず返す。その命をもって支払ってもらうぞ」

「それはこっちのセリフだ!」

 

 憎悪ではなく純粋な敵意を向けてくる相手は珍しい。イロンデルは目の前の少年に興味が沸いた。

 

「それにしても…貴様こそ、私を殺さなかったのは何故だ?殺せる時に殺さないと…後で痛いしっぺ返しを喰らうぞ」

 

 捕虜になった自分が言うのはブーメランもいいところだと、彼女は顔に出さずに自嘲する。

 

「か、借りを返しただけだ!俺は貴様に見逃された!」

 

 『アルテミス』前での戦闘のことか。あの時はイロンデルも重傷を負って瀕死だったために『ネクサス』が勝手にやった事だったので、彼女としてはむしろ借りを作ってしまった形になるのだが、敵のイザークには知る由もないか。

 

「プライドの高いことだな。ザフトらしい」

「ぐ…」

 

 そこで黙ってしまうのは自覚しているからだろう。熱くなりやすいが馬鹿というわけではないらしい。イロンデルはイザークに対して嘲りよりもむしろ好意的な感情を抱いた。ストレートに敵意を向けてくる相手は嫌いではない。からかいがいのある少年だ。

 

「貴様を殺すのは戦場でだ!貴様の全力を、俺の力でねじ伏せて見せる!」

「できるものならやってみろ。イザーク・ジュール」

「望むところだ!受けた傷は百倍にして返してやる‼︎」

 

 

 少しの間イザークと話していると、ふいに扉が開いて男達が入ってきた。明らかに害意を持った集団にイロンデルは警戒する。

 イザークも場違いな来客を不審に思ったのか、彼らに訊ねる。

 

「何だ?」

「捕虜を連れて行く」

「そんな命令は受けていないが?」

「………まだ届いてないだけだろ。来い」

 

 男は手錠を引っ張る。

 

「痛いぞ。もっと丁重に扱えよ」

「…ナチュラル風情が」

「おっと。今の私はかの有名なラクス・クライン嬢と同じ価値のある人質だが?」

「生意気を!」

「よせ!」

 

 感情のままに手を上げようとする男をイザークが制する。

 

「コイツの言っていることは事実だ。これ以上危害を加えると規律に反するぞ」

「……分かっている」

 

 男はゆっくりと手を下ろし、イロンデルを引っ張る。

 

「とにかくコイツは連れて行く」

 

 

「入れ」

 

 男達が彼女を薄暗い一画の扉の前に連れてきた。

 彼女を押し入れると、彼らは内側から鍵を閉じる。イロンデルは部屋中から剣呑な気配を感じた。

 

「イザークはああ言うが、それでも抑えきれない憎悪というものもある。理解してくれるよな?」

 

 突然、男が殴りかかってくる。だがその感情が筒抜けだったイロンデルは、身を捻ってそれを躱す。

 

「…分かっているさ。…でもな」

 

 ガラ空きの脇腹に、深く膝を打ち込む。

 

「容易く晴らせる訳がない…というのは貴様らでも理解できるよな?」

 

 彼女の挑発に堰を切ったように、部屋にいた男女は襲い掛かる。

 それをいなし、躱し、イロンデルは時折反撃する。

 

 だが多勢に無勢。やがて1つの拳が彼女の腹に突き刺さる。

 

「ぐっ!…ゲホッ…!」

 

 深く沈んだ衝撃に、イロンデルは胃の中のものを吐き出す。

 

「死ねよナチュラル‼︎」

 

 うずくまった彼女の顔に蹴りが飛ぶ。倒れたその身体に幾重の足の豪雨が降り注いだ。

 脳が揺れ意識を失い、更なる痛みで意識を取り戻す。

 口からこぼれるほどの出血が重なって、イロンデルは身体を動かすことすらできない。

 

(これが業の報いか…)

 

 命令に従い人を殺し、それを後悔してなお、やはり現実は彼女を否定する。

 

(無様なものだ…。だが…私にはお似合いか…)

 

 死の気配が濃厚になってきた時。

 

「貴様ら‼︎何をやっている⁉︎」

 

 閉ざされていたはずの扉が打ち破られる。

 霞む視界の中、イロンデルは入ってきた少年を見る。この声、そして特徴的な白髪。

 

(イザーク…だったか…)

 

 先程は敵意を向けた、その少年を想いながら。彼女の意識は完全に落ちていった。

 

 

「……生きているのか」

 

 イロンデルが目覚めた時。そこは誰かの個室なのだと分かった。

 

「目が覚めたかね?」

 

 目の前に座っているのは、感情の無い顔をしたクルーゼだった。イロンデルは完全に覚醒しようと顔を振る。…が、それは頬の痛みによって妨げられた。

 

「…いっ…」

「すまないな、私の部下が。厳重に注意をしたので許して欲しい」

「…どうでもいい」

 

 口内に不快な粘度を感じそれを床に吐き出すと、かなりの赤い色が混ざっていた。気晴らしにもう一度唾を吐き捨てる。手入れの行き届いた床に複数の血の斑点が出来上がった。

 

「…後で掃除をさせないとな」

「掃除ができる知能があるのか?ザフトというのは感情任せの猿しかいないんじゃないのか」

「…君は我らを『ザフト』と呼ぶのだな」

 

 イロンデルの苛立ちをクルーゼは気にした様子もない。

 

「そう呼んで何が悪い?」

「いや、大抵の地球軍人は『コーディネイター』と呼ぶのでね」

「それは生まれの呼称だ。組織の呼称としては不適切だ」

 

 どうでもいい事を聞かれて彼女の感情は更に荒立つ。

 しかし、やはり彼は気にしない。

 

「生まれの呼称を嫌うのは、君が『ナチュラル』でも『コーディネイター』でもないからかね?…()()()()()()()()()()()()だからか?」

「……私はナチュラルだ」

「君がそう思うならそうなのだろう…。君の中では…な」

 

 クルーゼは彼女の前に立つとその顔を覗き込む。

 

「かの『LP計画』で生み出された哀れなる落とし子。人の業の産物」

「貴様に聞きたい。…何故計画を…どこまで知っている?」

 

 彼女が仮面を睨むと、クルーゼは不気味に笑う。

 

「フフッ。知っているさ、何もかも。君が試験管から産み落とされる前からね」

「何だと…?」

「言葉で言っても伝わりづらいかな?だが私は『コレ』に頼りたくないのでね」

 

 彼は机からデバイスを取り出す。それはイロンデルにとってとても馴染みのあるものだった。

 

「『ネクサス』…!貴様が持っていたのか」

「こんな気色の悪い機械をよく平気で持ち歩けるものだ。新型相互一体学習人工知能搭載携帯端末。前身は神経接続型だったが、独立させここまで小型に収めるとは…流石はノアだな」

 

 彼の言葉にイロンデルは驚愕する。目の前の男はネクサスが何であるかを理解している。

 

「ナギ・タカミネ…コードネーム『ノア』は、とても高い能力を持ったコーディネイターだった。MS操作プログラムの開発に着手したが、それが完成する前にグリマルディ戦線にて基地の自爆に巻き込まれて命を落とした。…悲しいことにな」

 

 クルーゼは天井を見上げる。その表情も、感情も、イロンデルには分からない。

 

「しかし…彼女の本当の顔は別にある。遺伝子研究の専門家でもあったのだ。彼女は『コーディネイターを凌駕する()()を持つナチュラル』を産み出す計画の先導者だった」

「それがLP計画の目的だった」

「そう…その通りだ、イロンデル・ポワソン」

 

 イロンデルが自分の言葉に乗ったのに気を良くしたのか、クルーゼは更に語る。

 

「計画の出資者はコルボ・エーンガスという地球の資産家だった。彼は落ちぶれていた一族を立て直す程の商才があったが、とある事故によって娘を失ってしまった。彼はもう一度娘と同等の力を持った存在を手に入れたかった。その娘はナチュラルとしてとても優秀な『能力』を持っていた故に、計画の素体として適切だった。……彼女の名は──」

 

「──イロンデル・()()()()()

 

 喉が干上がるのを感じた。

 

「すぐに彼女の死体から細胞が採られ、クローンの作成が始まった。ノアは計画の以前に『別のクローン』の開発にとある博士の下で携わった経験があったが、死体から作り出すというのは初めてだった。そのためか最初に産まれた『LP01』は大気に触れると細胞が急激に劣化してしまう失敗作だった。その欠点を解決するために彼女は以前の開発データを参考にし、『LP02』という完全なクローンの作成に成功した」

 

 クルーゼはこちらに顔を向ける。

 

「それが君なのだろう。…イロンデル…()()()()

 

 何も感じ取れない男はその仮面の下に何を考えているのだろうか。

 

「そしてノアが携わった『別のクローン』が私だ。ノアに習って洒落た言い方をするなら、君と私は同じ親に造られた兄妹になるのかもしれないな」

 

 イロンデルは必死に自分を落ち着ける。目の前の男が自分と同じ産まれなら、情報を知っていることに説明がつく。ここまで自分に入れ込むのも自分に共通する部分があるからだろう。だが、己は目の前の男とは違う。そう自分に言い聞かせる。

 

「しかし君は、『完全』ではあっても『完璧』ではなかった。肝心の『能力』が()には確認できなかったのだ。失望したコルボは出資を打ち切り、()()の兄、シュエット・エーンガスがコーディネイターであることを隠れ蓑に宇宙へ上がり『ユニウスセブン』に身を隠した。その後の彼らの顛末は君も知るところだろう?」

 

 彼はいやらしい笑みを浮かべる。

 

「資金援助が打ち切られ、計画は凍結された。開発されていた『LPシリーズ』は全て処分されたと思っていたが…こうして会えるとはな。ノアの事だ。大方、既にある程度成長していた君を殺すことを渋ったのだろう?彼女はどのような者であれ、命を尊重する人間だからな」

 

 ずいと、彼はイロンデルに顔を近づけた。それは仮面の奥の、感情が読めない目が透けて見えるほどに。

 

「無様だな。人の業の結晶が、死ぬはずだった運命すら他者に歪められのうのうと命令に従う人形として生きている。世界に捨てられてなお、君は何を志しその生を歩んでいるんだ?」

「……生きる理由など、生きながら探せばいい。そうナギに教わった」

「…クク…フハハハ…ハーッハッハッハ!」

 

 堪えきれないというように彼は笑う。

 

「ナギ……ノア…ノアノアノア‼︎つくづく忌々しい女だ‼︎死して尚もその遺物が世界を喰い荒らす!仮初の電気信号を命などとほざいて‼︎」

 

 そしてそれが無かったかのような表情の失せた顔をした。

 

「生きながら探すだと?悠長なことだ。ならばここで死ねばどうなる?君の命は無価値のまま終わるのか?」

 

 そう言って彼女の眉間に銃を突きつけた。それは決して脅しではなく、いつでも引き金を引くつもりだとイロンデルは分かった。

 だがそれでも、彼女に怯えは無い。

 

「人の価値を決めるのは自分では無く他人だ。私を知る者が必ず私に意味を見出す。貴様がここで私を殺すなら、いつか必ず…その者が貴様の喉を食い破る!」

「……」

 

 少しの静寂が無限にも感じられる緊張の中。2人のクローンは銃を挟んで見つめ合う。

 その静寂を破ったのは、机に置かれた通信装置だった。

 

『隊長。敵艦より通信です。捕虜の交換をしたい、と』

「…フッ、君は随分と部下から好かれているらしい」

 

 銃をしまいながら、クルーゼは通信機に応答する。

 

「私だ。その交換ならいつでも受け入れるつもりだと伝えろ」

『相手はアスランを交換手に指名しています。よろしいですか?』

「アスランを?…その理由は聞いたか?」

『いえ…。しかしラクス様が彼の婚約者であることは有名です。恐らくはその由縁かと』

「…なるほどな。捕虜は私の部屋にいる。直接ドックへ連れて行こう」

『隊長自らが…?分かりました。準備しておきます』

 

 通信を終えると、彼はイロンデルに向き合う。

 

「その傷で帰られては新しい厄介事になりかねんな」

「貴様らが付けた傷だ。その責務ぐらい背負え」

「謹んでお断りしよう」

 

 クルーゼは机からアンプルを取り出した。透明な液体の入ったソレが怪しく揺れる。

 

「君が愚かだったら良かったのだが、生憎現実は甘くない。安心したまえ、痛みは一瞬だ」

「何を言って…グッ!」

 

 警戒するイロンデルの腹に彼の足が突き刺さる。痛みから悶える彼女の口にクルーゼは素早く液体を流し込んだ。

 吐き出さなければならないと分かっていながら、人としての機能が液体を飲み込む。

 直後に彼女の身体が熱くなった。

 

「な…何を!…飲まぜだ…!ゲホッ…グッ…ァア゛!」

「細胞活性剤だ。ナギのお手製でね。君には親しみ深いだろう?その効果は私のような老い先短い者なら老化を軽減し…」

 

 熱が頬や額など、傷付いた場所に集中する。火傷したのかと思うほどの高熱が彼女を襲う。

 やがてそれが収まると、イロンデルは体の痛みが消えていることに気がついた。

 

「…君のような者なら傷を治療する」

 

 包帯が取られ鏡を向けられると、確かに傷痕は残っていたがそれは塞がっていた。傷痕は眉間から眉を横切り目尻にまで続く細い線を描いていた。

 

「乙女の顔を傷付けてしまったことを謝罪しよう。私のように仮面でも付けるか?」

「ハロウィーンでもないのにか?そんな悪趣味なものに縋るほど私は落ちぶれていない」

 

 口内に異物を感じて吐き出すと、血とは違う赤黒い肉塊が混じっていた。治療の跡だろう。

 

「あまり床を汚さないでくれないか…」

「これは失礼。貴様の顔に直接掛ければ良かったか?」

「…君はあまり『彼女』に似てないな」

「…?」

 

 言葉の意味が分からず首を傾げるが、彼はそれ以上その事に関して口を開かなかった。

 

「君を返す前に所持品を返そう。あまり長居されては困る物もあるからな」

 

 ネクサスやパイロットスーツが、クルーゼの手からイロンデルに返される。手錠が解かれ、彼女は着替えるよう指示された。

 

「女の着替えを見て興奮する変態か、貴様は」

「生憎と女児性愛者(ロリコン)では無い。君の裸に興味があるのは否定しないが」

「やはり変態じゃないか」

「君の挑発は止むことが無いな。流石の私も苛立ってしまいそうだ」

 

 言葉ではそういいながらも笑みを浮かべたまま、服を脱いだイロンデルの背中をクルーゼは仮面越しに観察する。

 

「その傷、戦闘によるものではないな。何かの実験の後か?」

「『何もかも知っている』と言ったのはそっちのはずだが?」

「脊椎に沿うように点々とした跡。そこに何かしらのケーブルを刺されたのだろう?恐らくはより大きな機械と接続するための。君の体は見た目より改造されているようだな」

「…答える義理はない」

 

 着替え終わった彼女はそそくさと自ら手錠を嵌める。

 

「さっさと連れて行け。貴様とはもう話したくない」

 

 

 クルーゼに引かれドッグへ着くと彼女の身柄は簡易的なカプセルへ閉じ込められた。それを、交換人であるアスランが乗った『イージス』が掴み上げる。

 

「『ゼロ式』は返してくれないのか?」

『…人質の交換だ。その他は交渉の内容に含まれない』

「愛想がない回答じゃないか。貴様の隊長の方がまだ話してくれたぞ?」

『…』

 

 アスランは沈黙した。会話にならない相手はつまらない、とイロンデルはカプセルの壁にもたれかかる。発進と共にGが彼女を襲うが、ゼロ式で慣れた者にとっては何とも感じなかった。

 

 目の前に白いMSが見える。『ストライク』…。キラだろうか。

 

(あまり目立つ行いはして欲しくないのですが…)

 

 ストライクは敵が狙っている本丸。今は人質交換という体を取っているが、それが終われば破壊を躊躇う理由はない。この交換が終わった直後に攻撃される可能性もある。

 

 両者の動きが止まる。通信を行なっているのだろうか。

 

「…ネクサス」

『(`^´)> 』

 

 

 やがて短い会話の後、ストライクのハッチが開きそこから宇宙服を纏った人物が現れる。ノーマルスーツではないのでクライン嬢か。スーツが膨らんでいるのは中に普通のドレスを着ているからだろう。

 自分が入っているカプセルが投げられ、ストライクとイージスの中間でクライン嬢とすれ違う。

 

「…」

『──』

 

 回線の無い会話は聞こえない。だが僅かに見えた口の動きと感情から、イロンデルは彼女が何を言いたかったのかを察する。

 

──『キラ様をお願いします』

 

「だから貴女が嫌いなんだ…」

 

 他人を見透かしたような言動が。

 あるいはそれは同族嫌悪なのだろうか。

 

 ストライクがカプセルを受け取りその封を切る。抜け出したイロンデルはストライクの装甲にワイヤーガンを放ち、そのハッチへと身を進ませる。

 

『イロンデルさん‼︎無事ですか⁉︎』

「ええ。さぁ、早く艦に戻りましょう」

『はい!』

 

 ストライクのコックピットに入る直前。

 彼女は背後からの刺すような気配を感じた。敵艦にいた時と同じ。しかし今度は遅れない。

 

「危ない‼︎」

 

 少年を突き飛ばしその反動で自分も動く。

 コックピットシートに小さな穴が空く。

 

 弾痕。

 

 下手人は言うまでもなく。

 

「アスラン・ザラ…!」

 

 傍らにクライン嬢を抱き、硝煙を上げるピストルをこちらに構える少年。

 次射が来る前にハッチを閉じて通信機を叩く。呼び出すのは同僚の、この場で既に動いているであろう男。まだ動いていないなら後で尻を蹴飛ばすと思いながら。

 

「フラガ‼︎」

『お、イロンデルか。無事だったみたいだな。てっきり奴らに強姦か虐待かされてるのかと思ってたぜ』

 

 その軽口に答える余裕は無い。だが彼はやはり準備していたようだ。パイロットスーツの彼にイロンデルは怒鳴りつける。

 

「さっさと出ろ。奴らはヤる気だ‼︎」

『だろうな。ムウ・ラ・フラガ、メビウス・ゼロ、出るぜ‼︎』

 

 『アークエンジェル』から橙色のMAが現れると同時に、敵艦から『ジン』が放たれる。

 

「クルーゼ…!」

 

 考えることは同じか。

 直ぐにでもここは戦場になる。少年に帰艦するように言おうとした。その時だった。通信機からクライン嬢の声がする。

 

『ここを戦場にすることは、私ラクス・クラインの名に置いて否定します。双方共に銃を収め、私の身の安全を保証していただきたく思います』

 

 今までの印象とは異なる確固たる意志を持った宣言。それに逆らうということは全面戦争にも発展しかねない。

 

『…だとよ。どうする?』

 

 自分で答えも出ているだろうにフラガがイロンデルに問いかける。無駄な問答は嫌いだ。それをしてくるこの男も嫌いだと思いながら、イロンデルは忌々し気に眉にシワを寄せる。

 

「…さっさと退け。私もヤマト二等兵と共に戻る」

『了解。…おっと、そうだ。帰った後、暴れるなよ?』

「…?」

 

 フラガの最後の言葉に彼女は首をかしげる。暴れる要因などあるはずないだろう。

 

 既に正式に兵役しているヤマト二等兵が、おそらくは正式に艦長らの認可を受け、正式に人質を交換しただけなのだから。



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第28話 茶番劇と僅かな交流

 『アークエンジェル』に戻りゆくイロンデルは『ストライク』のコックピットの中で不愉快な感覚に眉を歪める。原因は母艦から感じる視線だ。

 

「…これからのことを考えると…やってられんな」

「すみません…。僕が勝手にやったから…」

「確かに悪手ではあったな。彼らがそう易々とクライン嬢を切り捨てるとも思えない。時間を宣言したのは我々の思考力を奪うためだろう」

 

 クルーゼはどこまでも狡猾な男だ。その言動の全てに裏があると警戒してもなおこちらの一手先を読んでいる。

 キラはまんまと翻弄され、マリューらの許可を得ることなく捕虜交換という行動をしてしまった。クライン嬢が場を収めてくれたから良かったもののそれが無ければこの艦は既に轟沈していただろう。

 

「…ごめんなさい」

 

 彼は深く項垂れる。後悔しているのだろう。彼は優しい子だ。他人に反対されると分かっていながら、それでも誰かの為にできることをした。

 イロンデルは眉の皺を和らげ、彼の頭をヘルメットの上から優しく撫でた。

 

「けれど、私が助かったのは君のおかげだ。君が行動しなければ私は殺されていたかもしれない」

「……」

 

 彼は顔を上げて彼女と目を合わせる。その驚きと恐怖が混じった表情にイロンデルは微笑みかけた。

 

「ありがとう…ヤマト君」

「っ⁉︎……はい‼︎」

 

 ストライクがドッグに着艦すると、複数人の兵士が駆け寄ってきて銃口を向ける。捕虜を逃した下手人が帰ってきたのだから当然だろう。

 友軍に殺意を向けられるのを好む人間などいるわけがない。キラが緊張しその手が強張るのをイロンデルは感じた。その震える手に、そっと自分のを重ねる。

 

「貴方は大丈夫ですよ。…私がいます」

 

 やってられない。

 だが、だからこそ。

 自分がやらなければならない。

 

 

「彼に反抗の意思は無い。その物騒な物を下ろせ」

 

 キラに先立ってコックピットから降りたイロンデルは周囲の兵士に命令する。

 

「いいえ大尉。そうもいきません。彼は今スパイの容疑がかかっています」

「…なら安全装置は外すなよ」

「分かっています」

 

 イロンデルがキラに合図をするとようやく彼も降りてくる。

 

「キラ・ヤマト。捕虜逃亡の援助を行い我らの情報を敵に漏洩させた容疑が君にかかっている。…しかし、大人しく我々と同行すれば手荒な真似はしないと約束しよう」

「…はい」

 

 兵士がキラに手錠をかける。

 

「私も同行する。重要参考人として処理してくれ」

「了解しました。大尉殿ならそう言うかと思い、既に艦長に連絡済みです」

「そ、そうか…」

 

 少し図々しいかとも思っていたが、彼らには読まれていたようだ。

 少し待っているとラミアスとバジルールが険しい表情でドッグへとやってきた。

 

「……」

「………」

 

 ナタルに睨まれてイロンデルの後ろに隠れるキラを横目に、彼女はマリューに意識を向ける。

 

「状況は把握しています。直ぐにでも取り掛かりましょう」

「話が早くて助かるわ。こちらの手筈は整っています」

「それは僥倖。…では、段取り通りに」

 

 

 個室の中で、キラを囲んでマリューら尉官が口論を交わす。

 

「えーっと…。以上の事からして、キラの行いは十分に情緒酌量の余地があると…私、フラガは判断するものであります。最適な処置としては執行猶予を持たせた上での…なになに…禁錮3ヶ月が該当するかと…って、これちょっと重くないか?」

「黙って台本を読め」

「なんだよ、思った事を正直に言っただけだろ?」

「それが余計だと言っているんだ。第一に貴様が軍規を暗記できていればそれを用意する手間は無かったのだぞ」

「ならお前は第6条の第C項を暗唱できんのかよ」

「『甲は全責任を持って乙を被保護の対象とし、いかなる場合に置いても乙を保護しなければならない。武力の行使は乙が国家間での闘争に巻き込まれた場合に最高機関によって許可された場合にのみ実行することができる』。…これで満足か?」

 

 フラガはイロンデルの答えにパラパラと規律書をめくり、該当するページを開く。そしてそれが1文字すら違っていないことに血の気が引いた。

 

「…うわ。マジだ。…お前、気持ち悪いぞ。よくこんな呪文を覚えられるな」

「軍人のくせに暗記していないお前の方が問題だ。そんなのでよく今まで闘ってこれたものだ」

「上が知ってりゃ下は楽だからな」

「貴様が上に立つのを嫌う理由がよく分かった。怠け者め」

「利口と言ってくれ」

「2人とも、そこまでよ」

 

 口論を始めたイロンデルらをマリューが止める。キラ・ヤマトの処遇について話しているというのに。この2人はいつも何かあれば言い争っている。それは互いに認め合った戦友であるからこそなのだろうが、そのせいで他のクルー達は2人を止めるのに苦労する羽目になる。

 せっかく作った台本に沿ってもらわなければ、本当にキラに対して重罰を課さなければならなくなってしまうではないか。彼女は検察官役であるナタルにこの茶番の続きを促す。

 

「バジルール少尉、反論はありますか?」

「はい。ヤマト二等兵は異例な措置とはいえ既に軍籍にある者です。その責任に対する自覚が欠如していたと、小官は判断いたします。無責任な行動により本艦を危険に晒した事は反逆行為に他なりません。複数の軍法に違反しており、銃殺を、私、バジルール少尉は進言するものであります」

「……」

 

──『銃殺』。

 

 あらかじめ知らされていた流れではあるが、その言葉にキラは息を飲む。

 

「ラミアス大尉。発言の許可を」

「重要参考人の発言を許可します」

 

 その様を見て、頭の冷えたイロンデルは自分の役割を果たすために口を開く。

 

「ヤマト二等兵は私の指示に従って行動しました。以前の戦闘より、彼は臨時ではありますが私の僚機(バディ)として即席のサインを教示しています。『気を失っている()()』をしていた私から捕虜交換の指示を受け従ったのです。処罰を受ける責は私にあります」

 

 この場の全員が知っている通り実際は本当に気絶していたし、彼にサインなど教えていないのだが、そんな事は些事だ。嘘も嘘と証明できなければ真実と相違無い。

 

「その指示に然るべき理由がありますか?」

「はい。私が所有する『ネクサス』は製作者である、故ナギ・タカミネ技術中佐の権限により複数の重要な情報が管理されています。それがザフトの手に渡れば戦況を変え得ると判断し、小官の独断で彼に指示をしました」

「なるほど。分かりました」

 

 マリューは顔を上げて今回の騒動の処罰を宣言する。

 

「キラ・ヤマト二等兵の行動は軍法第3条B項に違反、第10条F項に違反、第13条3項に抵触します。また、イロンデル・ポワソン大尉の行動は軍法第3条C項に違反、第9条F項に違反します」

 

 違反した法は2人とも充分に銃殺に値するものだ。だがそうならないように、そうさせないように台本を用意した。

 

「しかしヤマト二等兵は上官であるポワソン大尉の命令に従ったに過ぎず、またポワソン大尉も情報漏洩を防ぐためにやむを得ない判断でした。よって2人とも今後はより熟慮した行動を求めるものとし、これにて本法廷を閉廷します」

 

 つまりはお咎め無しということだ。

 閉廷宣言と共に部屋の中の全員が肩の力を抜く。ナタルはそそくさと部屋を出て行き、ムウは持っていた規律書を机の上に投げると大きく伸びをした。イロンデルはキラに退室するように言った。少年が出て行くと、マリューは小さくため息を吐き議事録を閉じる。

 

「…ふぅ。こんなとこかしら」

「寛大な措置に感謝します。ラミアス大尉」

 

 疲れた様子の彼女にイロンデルは労いの言葉をかけ、自分の尻拭いをさせてしまった事を謝罪する。

 

「いえ。私にできることと言ったらこれぐらいだから」

「可能を実行できる人間がいる。それはとても心強いことです」

「そう言って貰えると嬉しいわ」

 

 イロンデルとマリューは微笑み合う。

 と、そこにイロンデルの肩を組みながら笑いかける男がいた。

 

「おいおいイロンデル。俺への労いの言葉は無しか?」

 

 イロンデルはその手を振り払い、若干鬱陶しそうにフラガに向く。

 

「ご苦労様。…これで満足か?」

「何だよつれねぇなぁ」

「少しは軍規を覚えたらどうだ?それができる頭をしているのならな」

「お?言ってくれるじゃねぇか。喧嘩なら言い値で買うぜ?」

「お前には常に最安値で売ってやる。それに良い機会だ。前々から貴様には組み伏せられたり掴みあげられたりでな。宇宙(ソラ)より広い私の心も、ここらが我慢の限界だ」

「てめぇの辞書に『我慢』なんて言葉があったとは驚きだ。ちゃんと付箋貼ってるか?蛍光ペンでライン引いとけよ、クソガキ」

「はいそこまで」

 

 マリューが強引に間に入って、今にも噛みつきそうな2人を離す。

 

「何故貴方達はいつもそうやって何かあれば取っ組み合いを始めようとするの。たまには大人らしく落ち着いた関係を心がけたらどうですか」

「でもよ艦長、元はと言えばこいつが先に」

「元も先もありません!」

「…分ぁかったよ」

 

 一転して冷めた様子でフラガは下がる。マリューはイロンデルに視線を移して彼女にも確認する。

 

「貴女も。分かったわね?」

「ラミアス大尉がそうしろと仰るなら」

「何度も言っています」

「…善処します」

 

 

「おや、バジルール中尉。どうかしたのか?」

 

 部屋を出て自室に戻ろうとしていたイロンデルは通路で彼女と鉢合わせた。真剣な顔で資料を持っていたので何事かと気になった。

 

「はい。今回の件を航海記録に残すべきか、艦長に相談しようと思いましたので」

「クライン嬢のことか」

「重大さを鑑みれば残さないわけにいきませんが、そうしてしまうと先程の軍法裁判もそうする必要があります」

 

 あの『茶番』は下された判決こそ実質無罪だが、見る者が見ればその不誠実さで裁判長役であったマリューが今度は責任能力の欠如で訴えられかねない。

 それは避けたい。

 

「艦隊との合流も控えています。それまでに判断しなければなりません」

「貴官には苦労をかけてばかりだな」

 

 先ほどの『茶番』でも、彼女に嫌な役を押し付けてしまった。

 

「いえ。元々ブリッジに配属される予定だった人員の中では、私がトップですから」

 

 仕方ないことです。と、ナタルは笑いながら言った。

 

「何となくで良い。ラミアス大尉を支えてやってくれ」

「副長として最善を尽くします」

「あまり型にハマり過ぎるな。高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応するのが、上手にやるコツだ」

「……それは『行き当たりばったり』と言うのでは?」

「…そうとも言う」

 

 イロンデルは誤魔化すように、一度咳払いをした。

 

「とにかく、慎重に進めてくれ。場合によっては私を生け贄(スケープゴート)にしても構わない」

「…流石に重く考えすぎでは?ハルバートン少将は穏健派で有名です。そこまで酷いことにはならないでしょう」

「最悪を想定しただけだ。私も彼とは面識がある。どのような人物かは知っているつもりだ」

「そういえば候補生達の教導をしていたのでしたね」

「MSの操縦経験があったからに過ぎない。それに彼らが死んだ今となっては全て無駄なことだ。もっと早くに彼らを送り出しておけば…」

 

 イロンデルは顔に影を落とした。あまりにも深刻な話に、ナタルは強引に話題を変える。

 

「…MSの操縦経験とは?連合が初めて開発したのが『Xナンバー』のはずですが、それ以前に?…そう言えば『ジン』を動かした経験があったと仰っておりましたが」

「ナギの戯れに乗せられてな。精々が基本動作程度だったのだが、あの馬鹿女はどうやら少将に報告していたらしい」

「なるほど…」

「…何か気になるのか?」

 

 彼女が顎に手を当てて考え込むのを見て、イロンデルは問いかける。やがて彼女は妙案を思いついたとでも言うように顔を上げた。

 

「現時点での本艦の戦力は大幅に低下しています」

「私の『ゼロ式』が失われたからな。ザフトが返してくれれば良かったのだが」

 

 あの機体はイロンデルの長所に合わせナギが改修を行った物だった。イロンデル自身も愛着があり今でも失ったという自覚は薄い。

 

「ポワソン大尉にはジンの操縦経験があり、基本動作や戦闘を行うことができます」

「ネクサスのサポートありきだが、確かにできる」

 

 『イージス』などのXナンバーを相手にするのは的も良いところだが、同じジンならば拮抗できるだろう。

 

「そして本艦の格納庫には損傷してはいますがジンが鎮座しています」

「…待て。…まさか」

 

 イロンデルは彼女の言おうとする事を察した。それはナチュラルには不可能であり、しかし彼女には可能な事だった。

 

「あの機体を修理すれば大尉殿の新しい乗機になるのではないでしょうか」

「ジンとXナンバーの戦力差は知っているだろう?出て行ってそのまま死ねと言いたいのか?」

「ヤマト二等兵にOSを改善してもらえばその差を埋めることも可能ではないでしょうか」

「……ふむ。確かに良い案に聞こえるな」

 

 ナタルの言う事は机上の空論ではない。彼は初めて『ストライク』を動かした場面でもその場でOSを書き換えジンを撃ち破った。そしてそのOSは従来の物の二回り上の性能を持つ。

 

「ジン自体も損傷した腕を回収しています。『ユニウスセブン』手に入れた物資の中にはで同一規格の部品もありました。短時間で改修できるはずです」

「…分かった。ヤマト二等兵に伝えておこう。貴官はマードック軍曹に話を通しておいてくれ」

「了解しました」

 

 敬礼をしてナタルと別れた後、イロンデルはヤマトの個室へ向かう。

 記憶によればコーディネイターとは特定の分野に特化した才能を持つと言う。ならば彼の才能はそのような電子工学に特化しているのだろうか。それにしては身体能力も高いようだが。

 とにかく彼に言ってナチュラル用のMSのOSを作ってもらわなければならない。かつてナギも苦労したそれをたった1人の少年に実現できるのか。イロンデルは少しだけこれから先の苦労を案じた。

 

 

 しかしその苦労は全く心配するに及ばなかった。正確にはそれ以前の問題だったのだ。

 

「嫌です」

「ヤマト二等兵、これは命令だ」

「絶対…絶対絶対ぜぇーったい!お断りします‼︎」

 

 断固として拒否する少年を前にしてイロンデルは頭を抱えるのだった。



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第29話 萌芽する意志

「〜♪〜〜♪」

 

 クルーゼは自室で穏やかな鼻歌を歌う。意味もなく歩き、或いは座り、また或いは出鱈目な音頭を取る。

 

「…フッ。ここまで晴れやかな気分になるのは久しぶりだな」

 

 相対して、会話して、理解した。

 

「イロンデル・ポワソンか…」

 

 コピーは所詮コピーでしかなかった。あんな下劣な存在が彼女から生まれたなどと思いたくもないほどに乖離していた。

 例えオリジナルが『彼女』だったとしても相手が人形ならば躊躇う理由もないと言うものだ。

 

「もし君とあの人形が同一的存在ならばどうしようかと悩んでいたが、今やそれも無駄な思考だと分かったよ」

 

 彼は机の引き出しの奥の奥。誰も知らない聖域から一冊の本を取り出す。それは彼の聖書。この世界で唯一与えられ、そして奪われた光の残滓。表紙に刻まれた文字は『散満惨然産残譚』。かつて淡い恋を抱いた少女から譲り受けた物。

 本に手を置いてクルーゼは過去に浸る。絶望した己の命に僅かに生きることを教えてくれた『彼女』との、暖かい時間。

 

 初めて彼女と会った時。

 初めて声を聞いた時。

 初めて偽りない笑顔をすることができた時。

 初めて彼女を欲した時。

 

 そして……

 

 初めて心に穴が空いた時。

 

 その穴は深く、暗く、黒い。何を入れても満たされることは無く、より強い渇きとなって彼を苦しめている。

 

 確かにあった希望は、世界によって奪われた。だから世界に復讐するのだ。世界中から希望を滅し、彼女が死んだのは世界が間違っていたからだと証明するために。

 だが今となって彼女と同じ顔をした異物が現れた。同じ顔をして、同じ声をして、しかし全く違う人格を持っている。

 

 あんなモノが存在していい筈がない。

 

 彼は虚空に語りかける。そこに誰かがいるのか、誰もいないのか。それは彼にしか分からない。いや、彼自身も分かっていないのかもしれない。

 

「あんな人形は壊してしまおう。君を道具にしたゴミ共のように。君を奪った世界だって…()は否定する。…だから少しだけ…もう少しだけ待っていてよ、イロンデル」

 

 歪んだ笑みを浮かべ、彼は問いかける。

 

「全部終わったら…君はまた……笑ってくれるよね?」

 

 他に誰も居ない部屋に、孤独な男の独り言が残響を残した。

 

 

「イロンデル・ポワソン…か」

 

 イザークは天井を見上げる。

 今までは『三つ首』と呼んでいた敵兵。だがこれからは違う。

 

「…待っていろ。この手で必ず貴様の首を取る。俺の誇りに掛けて」

 

 自分がコーディネイターだから、ではない。相手がナチュラルだから、でもない。彼女を倒すにはそんなくだらないことに固執してはならない。

 全力で潰すと宣言した時、彼女は言った。

 『やってみろ』と。

 

 その挑発に乗ってやる。

 アイツは必ず、また戦場に現れる。機体を失ってもそれで折れるわけがない。絶対に、また自分の前に現れてくれる。

 そんな確信があった。

 

「俺の全力を…貴様の全力で打ち破ってみせろ…!俺はその先を行ってやる。俺以外に殺されるな。俺が…俺だけが…貴様を殺せる男だ‼︎」

 

 決意を堅くする。

 彼女は強い。自分よりも。

 だが、だからこそ。自分は彼女に勝たなければならない。

 

 その目に闘志をたぎらせ、彼は宣言する。

 

「首を洗って待っていろ…」

 

 他に誰も居ない部屋に、拳を握る少年の独り言が反響した。

 

 

「…イロンデル・ポワソンか」

 

 アスラン・ザラは廊下を歩きながら独りごちる。

 ラクス嬢とあの敵兵を交換した時、キラは確かに言った。

 

『この人を守りたいって思ったんだ。だから君とは行けない』

 

 迷いながらのようではあったが、それでも彼はそう宣言した。

 

「あの女がお前の戦う理由なのか?」

 

 自分が今の友のため、或いは父母の為に戦うように。

 かつての友はあの兵士のために戦っているのだろうか。

 

 ならば…。

 

「ならあの女が死ねば…」

 

 お前はこっちに来るのか?

 それは何の根拠もない仮定の話だ。だがもしかしたら…。

 そんな願望がアスランの中に芽生える。

 

「あの女にキラは騙されてるんだ。俺が目を覚ましてやらないと」

 

 キラは純粋な子供なんだ。あの女に耳触りの良いことを吹き込まれて洗脳されているに違いない。でなければ自分に銃を向けてくるものか。

 

 正しいのは自分だ。

 正義(ジャスティス)はザフトにある。

 

 悪者は殺さなければならない。

 

「大丈夫だ、キラ。…俺が必ずお前を、あの女から救ってみせる」

 

 他に誰も居ない通路に、哀れな少年の独り言が反響した。

 

 

 奇しくも時を同じくして、三つの殺意が彼女に向く。

 

 それは三者三様で全く異なる意味を持ち。

 

 されど望む結果に違いは無く。

 

 もたらす結末は何となるか。

 

 それは神すら知らぬこと。

 

 だが賽は投げられたのだ。

 

 そんなことも露知らず。

 

「──くしゅんっ!」

 

 件の軍人はくしゃみを1つするだけだった。



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第30話 軍人とは

「……」

「……」

 

 MSパイロットに与えられた、さして広くない個室の中で。イロンデルとキラは見つめ合う。そしてイロンデルは先程も言ったことを再び口にする。

 

「…『ジン』のOSを私が機体を十全に操れるように改良して欲しい」

「嫌です」

「……」

 

 キラもまた先程と同じ答えをした。このままでは埒があかないとイロンデルは思い、もう一歩進んだ質問をする。

 

「…何故そこまで拒否する?」

「だって…そうしたら…。イロンデル大尉…イロンデルさんはまた戦場に出て行くんでしょ?」

「当然だ」

「ならお断りします」

 

 キラはやはり受け付けない。

 

「何故私が出撃するなら改造を断る?貴官に不都合は無いはずだ」

「…もう貴女に傷付いて欲しくないからです」

「…はぁ…」

 

 イロンデルは呆れの混じったため息を吐く。彼の答えはあまりにも馬鹿げている。戦うということは誰かを傷付けるという事であり、であるならば逆に自分が傷付けられることは必然だからだ。

 そんな当たり前のことを今更拒否されるとは思わなかった。

 

「貴女がいない分も僕が戦います。だから船に居てください」

「貴官にそれ程の力があるとでも?忘れているなら思い出させてやるが、相手はコーディネイターなのだぞ」

「なら僕だってコーディネイターです。同じぐらいの力はあります」

 

 確かにキラは他のコーディネイターと比較しても負けない能力を持っていると言えよう。今までこの艦が沈まないでいられたのも彼の助力があってこそだ。

 だが所詮は1人の人間だ。独りでできることなど限られている。

 

「同じ力を持っているから何だ?貴官は今までの戦闘で、一度でも『Xナンバー』を撃墜したのか?」

「それは…。そ、それは!イロンデルさんも同じじゃないですか!」

「だから共に戦う必要があるのだ。貴官とフラガと、私。1つでも欠ければどうなるか、分かるだろう?」

「……」

 

 数とは戦争において最も重要なファクターだ。その3分の1。『アークエンジェル』を入れても4分の1。25パーセントが無くなるとなれば起こる結果は明白。

 彼もそれを察していない訳がない。それでも、ただ目の前の兵士に死んで欲しくないという理由だけで受け入れることを拒んでいる。

 

「貴官の望み通りに、私が生き残ったとしよう。それで私は『ああ良かった。他の人は死んだが私は無事だ』と胸を撫で下ろせば良いのか?」

「そ、そんな事は!」

「貴官が言っているのはそういう事だ」

 

 目の前の少年は幼すぎる。

 戦場という環境は彼には残酷過ぎる。

 

 それでもイロンデルは、少年を追い込まなければならないのだ。

 そうしなければ誰も守れない、自身の未熟さ故に。

 

「…貴官が望まないなら改良はいらん。今のまま出撃するだけだ」

「ッ⁉︎そんなことをしたらアナタは…!」

 

 『ヘリオポリス』での事が思い出される。『ネクサス』のサポートを精一杯受け、それでも足りずに『イージス』に殺されそうになった。

 前の戦闘から敵の動きが最適化されているのは分かっている。つまり、より容易く殺されるということだ。

 彼女を殺したくないのならOSの改良をしなければならないのだ。

 

「…僕は…僕は…!」

「繰り返し…いや、少し意味合いを変えよう。『ジンのOSを私が機体を十全に操れるように改良()()』。これは私の権限を持って行う命令だ」

 

 命令。

 それは軍人である限り逆らう事が許されない物。

 

「貴官が軍人として私と共に居たいというならば、その立場を自覚しろ」

「……イロンデルさん…僕は…」

「分かったな?ヤマト()()()?」

「……分かり…ました」

 

 こちらを睨みながら悔しげな様子で頷く彼を見て、イロンデルは踵を返して退室する。

 

「ジンの準備が整い次第、連絡する。それまでは自由にしろ」

 

 納得する必要はない。ただ受け入れるしかないのだ。

 それが軍人という存在なのだから。

 

 

「イロンデルさん…!」

 

 独り残されたキラは膝をついて慟哭する。

 彼女の言っている事は正しい。

 

 1人で何もできなかったのは誰だ?

 戦場で足手纏いになったのは誰だ?

 彼女が傷付いた原因は誰だ?

 

 自分だ。

 

「僕が弱いから…覚悟が無いから…」

 

 でも。

 

 それでも。

 

「僕は…貴女に死んで欲しくない‼︎」

 

 他に誰も居ない部屋に未熟な軍人の叫びが木霊する。

 

 

「…だとしても、です。ヤマト君」

 

 扉に背を付けていたイロンデルは叫びを振り払いながら歩き出す。

 

「君が私を守りたい以上に、私は君を守らなければならない」

 

 少年が戦場に立つならば、その前に自分が居なければいけないのだ。

 

「よぉ」

「…フラガ」

 

 すぐ側の角を曲がった所でフラガが壁にもたれていた。

 

「俺の部屋で少し話せるか?」

「ここでは不味いのか」

「ああ。その傷痕の話、キラに聞かせたくないだろ?」

 

 彼はイロンデルの額を指差す。

 

「艦長らはお前の傷の治りが早いってことで納得してるが、俺の目は誤魔化せねぇぞ。その傷、そんなにデカくなかったろ」

「…めざといヤツだな」

 

 フラガはイロンデルを『ゼロ式』から助け出したので包帯で隠される前の状態を知っている。先程の戦闘に出る前には無かったものが帰ってきたら既に完治しているなど気付かないはずがない。

 

「洗いざらい吐いてもらうぞ」

「…はぁ。分かった」

 

 

「いつも思うことだが、お前の部屋は意外と綺麗だな」

「軍学校で躾されたからな。…って、意外は余計だ!」

 

 ベッドは整えられ、床に散らばった物も無い。彼の性格からは想像もできないとイロンデルは思った。

 だがそんな事はどうでもいい。

 

「それで、何があってお前の傷は治ってんだ?」

 

 彼は前置きもなく訊いてくる。無神経な彼にイロンデルは少しだけイラつきながら、ゆっくり口を開く。

 

「…クルーゼだ」

「はぁ?なんでアイツの名前が出てくるんだよ」

 

 イロンデルはシワひとつ無いベッドに雑に座る。対応するようにフラガは椅子に腰掛けた。

 

「アイツが細胞活性剤を持っていた」

「ナギの薬を?何でだ?そりゃ、医療用の薬だけどよぉ。コーディネイターがわざわざ持つなんておかしいだろ」

 

 コーディネイターの肉体の耐久力や回復能力はナチュラルのそれを凌駕している。余程の重傷でない限り薬に頼る必要はない。

 が、イロンデルは知っている。クルーゼはコーディネイターではない。

 

「アイツは…ナギが生み出したクローンだった」

「なっ⁉︎…じゃあお前と同じ──」

「私と()()は違う‼︎」

 

 彼の言葉を怒り立って否定する。しかし、それではまるで同じだと認めるようなものだと気付いて、すぐに冷静になる。そしてそんな自分を嫌悪する。

 

「私は…私は、決して…あんなヤツと…同じではない!」

「あ、ああ。悪かった」

 

 フラガは慌てて謝る。これはイロンデルにとってその根幹(アイデンティティ)に関わる問題なのだと気づいた。おそらく『民間人を巻き込むこと』と同じか、それ以上に重要なのだろう。なら他人である自分が易々と踏み込んでいいものではない。

 そう結論づけ、肩で呼吸をしながら自分を落ち着けようとする彼女に話の続きを促す。

 

「確かにクルーゼとお前は違う。…で、クルーゼは何か言ったのか?」

「アレは『LP計画』を知っていた」

「あの気色悪りぃのを?」

「……」

 

 確かにナチュラルを後天的に改造して能力を与えるというのは、常人から見れば忌避感を覚えるのだろう。それが死体から細胞を取り出して作っているというのも拍車をかけているかもしれない。

 

「…気色悪いというのは否定しないが…一応、私はそこの生まれなんだぞ」

「おっとすまん。で、続き続き」

 

 彼はさして反省の様子もなく話を促す。

 イロンデルはそんな彼に呆れ半分諦め半分のため息を吐く。

 

「…アレは他にも様々なことを知っていた。『ノア』のこと。『ネクサス』のこと。…貴様や私よりもそれらに詳しいかもしれない」

「俺は元々ナギから愚痴混じりにしか聞いてないが…お前よりもか?」

「私とて彼女から聞いたのは懺悔に近いものだ。恐らくクルーゼはより深く知っているだろう」

 

 銃を向けられた時、僅かにだが彼から感じた憎悪。

 それは深く暗く、そして重いものだった。

 あの時は、その憎悪が自分に向けられたものとばかり思っていたのだが…今になって思えば違う気がした。

 彼の目が何を見ていたのかは分からない。だがそれを野放しにするのは良くないという確信があった。

 

「フラガ。クルーゼは殺しておかなければならない」

「そりゃまた物騒なこと言うじゃねぇか」

 

 イロンデルの静かな言葉にフラガは苦笑いを浮かべるが、彼女の瞳に剣呑な光が宿っているのを見て笑みを消す。

 イロンデルは本気だった。

 

「何でそこまで…」

「…アレはダメだ。あんなモノが存在していいはずがない」

 

 彼女の『勘』が叫んでいる。クルーゼはやがて世界を滅ぼしうる存在だと。

 根拠は無い。だが確信していた。

 

 フラガはしばらく考え込み、やがて結論を出す。

 

「……無理だけはするなよ?」

 

 自分には彼女を止める資格は無い。ならばせめて、彼女の意思を尊重しようと思ったのだ。

 

「大丈夫だ。私は死なないさ」

 

 イロンデルの言葉にフラガは一瞬だけ目を丸くすると、次の瞬間にはいつものようにニヤリと笑う。

 

「そいつは頼もしいねぇ」

「ふん、当たり前だ。私を誰だと思っている」

 

 イロンデルは不敵な笑顔で返す。そんな彼女をフラガは眩しげに見つめる。

 

「その顔、ナギにそっくりだ」

「それは褒め言葉じゃないだろう」

「いや、褒めてるぜ?自分の生き方に正直な奴はそういう笑い方をするのさ」

「ふむ……。嫌な気はしないな」

 

 イロンデルは少しだけ頬を染める。彼女にとってナギは親友であり戦友で、そして親でもある。人間としては尊敬していないが、親しい者と同じ顔ができたというのはクローンである自分にとって嬉しい事だった。

 

「似ている…か」

「何か気になるのか?」

「…いや、何でもない」

 

 クルーゼが言っていた、イロンデルとは似ていない『彼女』とは誰だったのだろうか。だがそれを気にする意味もないとイロンデルは思い直す。

 

「そう言えば、貴様とクルーゼも似ているな」

「はぁ⁉︎冗談よせよ!」

 

 彼は否定する。実際、彼とアレはあまり似ていない。髪色などは似ていると言えなくもないが、内に秘められた感情はかけ離れている。だがイロンデルの『勘』は、どこか共通点を感じ取っていた。

 しかしそれはあまりにも根拠としては希薄だ。

 

「いや、そっくりだ。特に私に下劣な目を向けてくる所がな」

「ネクサスに監視させようとしたこと気にしてんのかよ。言っておくがな、俺はちゃんと大人のレディにしか興味ないっての」

「…あぁ、だからよくラミアス大尉の胸を見ていたのか」

 

 これこそほんの冗談のつもりだったが、彼は目に見えて動揺する。

 

「何でバレて…」

「カマをかけただけだが…本当にやっていたのか…。とんだセクハラ野郎だな」

「しょうがねぇって!あんなデカいのが揺れてんだぜ⁉︎」

「もういい。喋るな。セクハラが移る」

「移るか‼︎」

 

 その後も彼は、動くのを見るのは人間の狩猟本能だ、ミスディレクションだ、不可抗力だ、などと言うが醜い言い訳にしか聞こえない。

 

「それに俺の好みは足首が細い方がいいし…」

「うわ。近づくな。こんな所で純潔を失いたくない」

「お前は論外だクソガキ‼︎俺はロリコンじゃねぇ‼︎」

「…ラミアス大尉も足首が細いよな?」

「……頼む。艦長には黙っててくれ」

 

 まるで命乞いをする様は正しく無様だった。

 

「…哀れだな、変態」

「うるせぇ…」

 

 イロンデルは非常に珍しく、彼に憐れみを抱いたのだった。

 艦内の空気が悪くなるのを防ぐため。そして僅かばかりの彼の名誉のために、イロンデルは黙っておこうと思うのだった。



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第31話 2人の距離

「複数の艦影を確認。照合します」

 

 通信士のパルが言う。間もなくその正体が『アークエンジェル』の全員が心待ちにしていた存在だと分かる。

 

 地球連合軍第8艦隊。

 智将と称されるハルバートンが率いる大規模な艦隊だ。数十にもなる軍艦とアークエンジェルは合流を果たす。

 

「ま、何とかなったな」

「…だな。『ジン』の改修は不要だった」

 

 ラクス嬢をザフトに引き渡してから、彼女達は襲撃も無く静かに航行することができた。イロンデルはその静寂に不気味さを感じたものの、実際には何も起こらなかった。

 

「それはまだ分からんぜ?お前がMSを動かせるかもってことを知れば、提督さんも目の色変えるだろうよ」

「不確定な事をほざくな」

「ジョークだよ、ジョーク。マジになるなって」

「全く…貴様というやつは…」

 

 笑うフラガと呆れるイロンデルのやり取りを横目に、操舵手のノイマンは艦隊の旗艦『メネラウス』に本艦を横付けする。

 

「しかし、いいんですかね?こんなデカいのの横に…」

「提督もこの艦をよくご覧になりたいんでしょ。自らこちらにお出でになるということだし」

 

 ノイマンの冗談混じりの懸念にマリューは微笑みながら返す。その言葉にイロンデルは少しばかり驚愕を覚えた。普通ならこちらから出向くからだ。それをわざわざ見に来るとは、余程アークエンジェルと『Xナンバー』の開発計画に力を入れたのだろう。周囲の反対もあったと聞く。これからの戦況を左右する兵器として期待していたのだろう。

 『ストライク』を残してその他の全てを失った事をイロンデルは悔いる。

 

「イロンデル大尉、私と一緒に来てくれるかしら?」

「…?構いませんが…」

「こっちのことは頼むわね、ナタル」

「了解しました」

 

 ブリッジを出たイロンデルは、隣を歩くマリューの顔を見上げる。その視線に気づいたのか、彼女はイロンデルに顔を向けた。

 

「…何かしら?」

「あ、いえ。随分と肩の力が抜けたなと思いましたので」

 

 初めて『ヘリオポリス』で見た時はもっと強張った表情をしていたが、今は穏やかな笑みすら浮かべている。ナタルに命令をした際の語気もはっきりとしていた。

 こうして艦隊と合流し荷が降りたのもあるのだろうが、今の彼女は艦長という肩書きに相応しい女性に見えた。

 

「そうかしら?」

「背筋が伸びています。自分の行いに自信がある証拠ですよ」

 

 イロンデルの言葉に彼女は恥ずかしそうに少し頬を染めた。

 

「色んな人に支えられているだけよ。ナタルやフラガ大尉。それとキラ君を含む学生たち。もちろん、貴女にも」

「私は…戦うことぐらいしかできませんから」

「そんなこと無いわ。キラ君と私達の関係があるのは貴女が取り持ってくれたからよ?」

「上手くできているでしょうか…」

 

 イロンデルは自分の行為を思い返す。ずっと彼を追い詰める事しかしていないのではないだろうか。彼が今軍籍に身を置いているのは、自分の力不足が原因だ。もっと彼のそばにいてあげたい。

 

「私達の中で最も貴女に心を開いているのは間違いないわ」

「だと良いのですが」

「彼も大変だと思うけど、貴女に支えて欲しいの」

「…微力を尽くします」

「私達もサポートするわ。これからもお願いね」

 

 結局、できる事をやるしか無いのだ。それはどんな状況でも変わらない。軍人ならば率先してやらなければならないのだ。

 

「ところで、どこに行くのか聞いていませんが…」

「格納庫よ。キラ君と話そうと思ってたの。今まであまり時間が取れなかったでしょ?」

「なるほど。それで私を呼んだのですね」

「貴女も自分のMSの出来栄えは気になるでしょ?」

「確かに。俺も気になってたんだ」

「……フラガ」

 

 会話に割り込んだ声に振り返れば、彼はいつも通りの緩んだ顔をしていた。

 

「何だよ。良いだろ?ブリッジに居ても暇なんだよ」

「ストーカー、セクハラと来て、つきまといか。いよいよだな」

 

 イロンデルはじっと顔を睨む。それを受けて立つように彼は彼女の顔を覗き込む。

 

「勝手に言ってろ被害妄想娘」

「事実に基づく確信だ変態野郎」

「てめぇのそのちんちくりんの体に興味持つ変わり者がいるとでも思ってんのか?ク〜ソ〜ガ〜キ〜?」

「は?」

「あ?」

 

 目と目の間で火花を散らし合う2人。だが今この場にいるのは2人だけではない。

 

「興味深い話をしてるわね」

「うげっ⁉︎」

「ひっ⁉︎」

 

 ゾッとするようなマリューの冷たい目に睨まれた2人は揃って冷や汗を流す。つい先日も似たような事で怒られたばかり。マリューの目が全く笑っていない。

 

「えー…っと…。そうだ!機体の整備をしなきゃな!…お、俺は一足先に行くぜ!」

「あ!待てフラガ!私も──」

「イロンデル大尉?」

「──ぴゅぃっ⁉︎」

 

 我先にと逃げる薄情者を追いかけようとした彼女の肩を、がっしりとマリューが掴む。

 

「…何度も…何度も何度も何度も…言ったはずよね?『落ち着いて』『大人らしく』振る舞って、と」

「あの…ええと…コレはですねそのあの…同僚とのコミュニケーションでありまして‼︎…決して争っていたわけではありませんですはい‼︎」

 

 目を四方に泳がせ早口に言い訳を捲し立てる。

 

「…そう!フラガが悪いのです‼︎アイツがストーカーまがいの事を──」

「確かにフラガ大尉は多少不純な所もあるけれど、貴女を心配して行動してくれてるのよ?」

「…だとしてもですね⁉︎四六時中付き纏われては私にもプライバシーというものが…」

「子どもっぽいこと言わないの。偶には彼の事も想ってあげて?」

 

 まるで母親のような慈愛の顔をする彼女に、イロンデルも言葉が詰まる。苦虫を噛み潰したような顔で渋々了承すると彼女は手を離してくれた。

 そして2人してフラガの後を追うのだった。

 

 

 格納庫の中、ずっと置き物だった『ジン』は腕の修理が終わり、そのコックピットのハッチが開かれている。

 中に座るキラはモニターと『ネクサス』に映るデータを見比べ、プログラムを何度も調整する。

 

「ここは自動化しても良いと思います。前のシミュレーションの結果から考えると、イロンデルさんが操作するよりその都度ネクサスさんが動かした方がスムーズにいきます」

『(°▽°)』

 

 既に何度かシミュレーションを行いその都度修正はしているが、やはりナチュラル用OSの開発は難しい。それでも少しずつ進んでいると、キラは手応えを感じていた。だがここでネクサスが新たな提案をする。

 

「え⁉︎姿勢制御は完全手動(マニュアル)⁉︎そんな…無茶ですよ!」

『(`・∀・´)』

「そりゃ…設定はできますけど…。…わかりました」

 

 僅かな慣性すら影響がある宇宙空間でそれを行うのは、卓越した感覚と裏打ちされた経験が無ければ非常に難しい。経験のないキラは機械の補正に任せているが、ネクサスは彼女ならそんなものはいらないと言う。

 

『( ̄∀ ̄)』

「そっか、戦闘中は臨機応変な対応が必要なんですね。普段はあの人が。緊急時には貴方が補佐する。そういう分担にするんですね」

 

 イロンデルが通常のナチュラルと比較すると優れた能力を持っていることにキラは気付いていた。ならばそれを活かすべきだという提案を素直に受け入れた。

 このAIの能力はキラも舌を巻く程だ。今まで収集した全てのデータを元に最適な行動を計算し導き出している。

 これ程の情報処理能力は他の最新鋭のコンピュータでも不可能だろう。それが手の平に収まるサイズになっていることにキラは僅かに戦慄を覚えた。だが、味方であれば頼もしい、と意識を入れ替える。

 

「…だったらストライクのOSを流用できませんか?僕が自力や機械任せでやってたのを貴方が担当する。ある程度のデチューンは必要ですけど、これまでのデータを活かせれば…」

『( ・∇・)』

「分かりました。この次のテストで変えてみましょう」

 

 そう言って作業を続けるキラに、格納庫にやってきたフラガが声を掛ける。

 

「よ!進んでるか?」

「ムウさん」

 

 コックピットハッチに寄りかかる彼に気づき、キラは手を休めて顔を上げる。

 

「≪史上初!ナチュラルの操るMSの誕生!≫…って感じか?」

「そんな簡単にはいきませんよ。まだ実際に(宇宙)で動かしたことすらないんです。どんなにシミュレーションを繰り返しても僕の書いたOSをあの人が動かすんだと思うと…自信が持てなくて」

「あんま気にすんなよ。どうせ何かあってもネクサスが何とかしてくれるさ。な?」

 

 宇宙では1つの障害で命を落とすのも珍しくない。MSで戦闘を行うのならば、尚更だ。書く文字一つ一つに他人の命が掛かっているとおもうと、どうしても心が弱ってしまう。

 しかしネクサスはキラの事などどうでもいいと言うようにフラガに意識を向けていた。

 

『( ‐ ω ‐ )』

「相変わらず俺に冷たいねぇ。クソガキ(イロンデル)そっくりに頭の硬いこった。()()()ウェアだけに…ってか?」

『(#^ω^)』

 

 怒りの顔したネクサスはジンにハッキングを掛けた。物理的に最深部に繋がれた状況なら操縦すらできるのが彼の恐ろしい力だ。

 ネクサスの操作を受けたジンは直ったばかりの右腕で器用にフラガを掴み上げる。人体に負担が掛からない程に弱く、しかし自力では抜け出せない程の強さ。

 完璧な力加減だ。

 

『( っ˙˘˙ )ノ』

「うおっ⁉︎ネクサスゥ⁉︎」

 

 そしてそのまま振りかぶって。

 

『(っ'ヮ')╮Ξ〇』

「ちょっ!?うおあああぁぁぁ…ぁ…!!」

 

 投げた。

 

 無重力の空間を遠くなっていくフラガの絶叫を聴きながら、キラはただ呆然と眺めているだけだった。

 

 

「……大丈夫か?」

 

 格納庫を出てすぐの所で壁に手をつき肩で息をしているフラガを、イロンデルが心配そうに見つめる。

 

「ぜぇ…ぜぇ…いや…ゲホッ。三半規管は…鍛えてるつもりだったんだが…ハァ…。野球のボールになった気分だ…」

「お前がここまでグロッキーになるのは珍しいな。何があった?」

「……いや、なにも……」

 

 先程のネクサスとのやりとりを思い出し、フラガは苦笑いを浮かべた。どうせ話しても馬鹿にされるだけだと思ったからだ。相手がイロンデル1人なら言っても良かったが今はその隣にマリューがいる。僅かにでも喧嘩腰になれば今度こそ自分も一緒に怒られてしまうだろう。

 そんな彼の気遣いを察してかイロンデルも深く追及することは無かった。 

 

「そうか。なら水でも飲んで来い」

「そうする…ゲホッ」

 

 フラフラと去っていく彼を見送るとイロンデルはマリューに目配せする。

 

「どうです?私にも彼を気遣うことぐらいできるのですよ」

「フフッ。ええ、そのようね」

 

 マリューはイロンデルが気遣いを見せた事に驚きつつも、微笑ましいものを見るような表情を浮かべた。イロンデルは彼女の反応が理解できず首を傾げる。少しばかり子ども扱いされているような気分がしたが、まさか彼女が自分をそんな風に見ることは無いだろう。

 気を取り直してイロンデルは整備長のマードックを呼び止めた。

 

「軍曹、ヤマト二等兵はどこにいますか?」

「おや大尉殿。それに艦長も。坊主ですか?ちょっと待って下せぇ。…おーい!坊主‼︎大尉殿がお見えだ‼︎」

 

 マードックがジンに呼びかけるとその中からキラが顔を覗かせた。

 彼はMSを蹴って無重力の中を近寄ってくる。

 

「どうだ、進捗は?」

「前回の結果を踏まえて反応係数を5%上昇させています。運動加速も16%上げたのでそれに合わせてネクサスさんの補整も強くなっています」

「なるほどな」

 

 イロンデルは機体を見上げる。

 

「ラミアス大尉。次のテストは実際に宇宙で行いたいと思います」

「え⁉︎」

「そうね。腕の修理も終わったようだし、そろそろ実地テストをしても良いでしょう」

「そんな⁉︎」

 

キラは抗議の声を上げた。宇宙でそれを動かすのは今までやったことがない。自分の書いたものにミスがあるとは思っていないし、それがどこまで通用するのか試したい気持ちはあるのだが、同時に恐怖心もあった。

 

「あれはまだそんな段階じゃ…」

「ずっと先延ばしにするわけにもいかない」

「そりゃ…そうですけど」

 

 イロンデルに言われてキラは言葉を詰まらせる。確かにいつまでも引き伸ばす訳にはいかない。

 だが怖いものはやはり怖いのだ。

 俯く彼に、イロンデルは諦めたようににため息をついた。

 

「はぁ…。分かった。今回はこれまでのようにシミュレーションだけにしよう。が、次回は必ず宇宙で実地テストだ」

「まとまったようね。ならイロンデル大尉は機体のテストを」

「了解しました」

 

 マリューの提案に従ったイロンデルは彼女らから離れ、ジンへと向かった。

 その背中を見送る少年は静かに唇を噛んだ。

 

 そんな彼にマリューは話しかける。

 

「ここまでの協力、色々感謝するわ」

「僕は…僕にできることをしただけです」

「本当に、大変な思いをさせたわね」

「ええ、まぁ…」

 

 空返事をするキラはマリューに意識が向いていないようだった。彼がどこを見ているのかと視線を辿ると、それはジンだった。

 

 

「彼女が心配かしら?」

 

 そう問いかけるとキラはようやくこちらを向いた。

 

「…僕なんかが心配しても、何にもあの人の助けにはなりませんよ。本当は分かってるんです。ジンは宇宙にでても何の問題もない。ネクサスさんもそれは間違いないって言ってました。…でも、もしあの人がジンに乗って死んだら…それは僕のせいになるんじゃ…ないかって…。そう思うと……手が震えて…。可笑しいですよね。あの人の助けになりたくて軍人になったのに…結局ずっと助けられてる」

 

 キラはこれまでのことを思い返す。

 今まで暮らしていたコロニーが襲われ、自分はMSを操り、かつての友は敵になっていた。初めての戦闘で死ぬかと思った。『コーディネイター』、『裏切り者』と謗られた。民間人と軍人の立場の違いを知った。彼女を守りたくて人質を交換したら銃殺になりそうになった。

 大変という言葉で片付けるにはあまりに残酷な出来事だった。

 

 だが。

 

「イロンデルさんが居てくれたから…」

 

 いつだって自分の前には彼女が居た。

 気付いているだけでも、自分を『デュエル』から庇って傷付き、さらにその身体に無理をさせて自分が守れなかったフレイの父親を守った。

 もっと彼女の力になりたくて軍人になったが、まだ自分は弱いままだ。

 

 自己嫌悪の渦に陥る少年を見て、マリューは掛ける言葉を探す。

 

「『デュエル』の攻撃で彼女は死にそうになった。それでも彼女が今生きているのは、間違いなく貴方の助けがあったからよ?」

「それだって死にそうになった原因は僕です。マッチポンプも良いところですよ」

「もう!そんなに自分を虐めないの!貴方はこのアークエンジェルに乗ってる皆、貴方を頼りに思っているのよ?それは彼女も変わりないわ」

「僕を…頼りに?」

「貴方の力は他の誰よりもイロンデル大尉を助けてる。ちゃんと自分を褒めてあげて?」

「…そうかも…しれませんね」

 

 キラは深く呼吸して肺の空気を入れ替える。我が身に掛かる責任の重さに少し神経質になりすぎた。

 確かに自分は弱い。

 だが持っている能力はここにいる誰にも負けないのだ。

 

 

 ()()()()()()()()なのだから。

 

 

 今だけはそんな自分の力を彼女は必要としてくれている。だから、ここで立ち止まる訳には行かない。

 

 キラは並び立つジンとストライクを見上げる。

 機体と、それを操る人間。その差は真逆の方向に開いている。

 それでもいつか、彼女の隣に立てる日が来るだろうか。

 

 ふとその機体のコックピットに近づく人影に気づいた。

 

「あれは…ムウさん?」

 

 

 閉じられたコックピットの中。仮想上の空間が映し出されたモニターにイロンデルは集中する。

 

 

「x軸慣性挙動の修正を」

「右腕の操作が敏感すぎる。デッドゾーンを6上げて反応曲線を4下げて」

「上下移動時の推進出力加速は50%で良い。左右は80」

「メインスラスターの入力検知が遅い。デッドゾーンを0にして」

『('◇')ゞ』

 

 少しでも気に入らない所があればネクサスに修正を命じる。3Dモデルで再現された敵のジンを『重斬刀』で袈裟切りにした時、後ろからロックオンされたと示す警告音が鳴る。とっさに操縦桿を倒すとビームライフルの緑光が眩しく視界の脇を過ぎた。

 

「『イージス』か」

 

 Xナンバーに対抗できる武器は無い。追撃を躱して距離を取る。

 が、他のXナンバーを遥かに上回る速度の機体がモニターに映ったかと思うと、ビームサーベルの煌めきが視界を埋め尽くした。

 

「…ふぅ」

 

 『Shot Down(撃墜された)』と表示されたモニターから目を逸らしながらイロンデルは息を吐く。

 

「イザーク・ジュール…。…ハハ、敵わんな」

 

 自分を落としたのは再現されたデュエルだ。前回の戦闘で得られたデータを元に構築したが、やはり速い。あの速度はイロンデルが『メビウス・ゼロ』のオーバーアチーブを発動させた時に匹敵する。イロンデル自身が反応できても機体の動きが追い付かない。

 

「ヤマト二等兵に伝えておくか」

『!(^^)!』

「…へぇ、ストライクのOSの流用?なんだ、もう考えてくれてたのね」

 

 敵艦での交流から推測するとイザークは必ず自分を狙ってくる。そう彼女は確信していた。ならデュエルとジンの速度差を埋めなければ戦いにすらならない。

 

 そこまで考えていたところで、前触れなくジンのコックピットハッチが開いた。

 入ってくる光にイロンデルは少し眼を細める。

 

「どんな感じだ?五体満足のMSは」

 

 入ってきたフラガはどうやら体調も治ったようだった。

 

「何ともならん。Xナンバー共とジンの速度差を埋めなければ話にならん」

「ふーん。追加の推進器は付けられないのか?」

「『ジン・ハイマニューバ』のパーツは無い。ここにあるのはこのジンと、装備していた重斬刀だけだ」

 

 改めて考えると武器が頼りないにもほどがある。Xナンバーを相手取るなど夢のまた夢。

 

「かといってどこかからジンのパーツを持ってくることも()()()だ」

「『不可能』ねぇ…」

「どうかしたか?」

 

 顎に手を当てて思案する彼にイロンデルは尋ねる。

 フラガは少しして、したり顔で微笑んだ。

 

「不可能って言われたら可能にしたくなるのが、この『不可能を可能にする男』なんだよ」

「何か思いついたのか?」

「この艦にはジン以外に何がある?」

「…つまらんジョークに付き合う気は無いぞ」

「良いから、考えてみろって」

 

 フラガに促されるまま、イロンデルはアークエンジェルにある物を思い浮かべる。わざわざ『ジン以外』と言ったということは、機動兵器に関することだろう。

 

「ストライク、『ミストラル』、『メビウス・ゼロ』…ぐらいか」

「その中でジンに使えるパーツを持っているのは?」

「存在しない」

「そりゃあ何でだ?」

「規格が違うからだ。接続部、電流電圧、制御するユニット。ジンに合う物は1つもない」

 

 何を当たり前なことを聞くのか、とイロンデルは頭に疑問符を浮かべた。

 だがフラガは彼女が悩んでいるのが楽しいようで、口角をはっきりと分かるぐらいに上げた。対してそれがあまり面白くない彼女は声に僅かな苛立ちを滲ませる。

 

「…降参だ。答えを教えろ」

「規格の違いは埋められるだろ?」

「どうやって?」

「聞くところによると第8艦隊は技術職の集まりらしいぜ。そこのメカニックと…」

『( ゚Д゚)』

 

 フラガは手を伸ばしてネクサスを取る。

 

「コイツが居る」

「…接続は物理的に繋げ、電圧などの制御はネクサスが行う…ということか?」

「そういうこと。できるだろ?」

『(´_ゝ`)』

「何だよその顔。できるんだろ?」

『(´◉◞౪◟◉)』

「分かんねぇっての!」

「それだけ余裕があるならできるってことだ」

「くっそ~。せっかく俺がカッコよく決めようとしたのに…」

 

 フラガはネクサスを彼女に返し、気を取り直すように咳ばらいをした。

 

「と、とにかくだ。規格の差が無くなるならここにあるパーツも、艦隊が持ってくるだろうストライクの予備パーツも自由に使えるってことだ。艦長とかの許可はいるだろうけどな」

「…なるほどな」

 

 今までそれを利用するなど考えもしなかった。フラガの提案が無ければジンの能力はどん詰まりだっただろう。認めるのは癪だが。

 イロンデルは先ほどのシミュレーションの結果から必要とされるパーツを考える。

 

「確か私のゼロ式の予備パーツが余ってたよね。それをジンに付けれない?」

『(^_-)-☆』

 

 ガンバレルを遠隔操作兵装としては使えないだろうが、他のパーツと組み合わせて追加スラスターにできるはずだ。

 

「あとはビーム兵器ね。ストライクの武器の中でジンが使えそうなのは…」

 

 ビームライフルと『アグニ』はエネルギー消費が激しい。それにデュエルの速度では狙いを振り切られる。

 だとすると近接兵装が良いだろう。ジンのバッテリー容量は少ない。追加バッテリーを装備可能で、一撃でXナンバーを屠ることができるもの。

 

 モニターに装備を羅列させ思考するイロンデルの横で、ネクサスは早くも規格差を埋める制御プログラムの構築を始めている。率先して彼女の補佐をするその姿を見て、フラガはポツリと愚痴をこぼす。

 

「…ったく、ホントにクソガキに従順な奴」

「……」

『(#^^#)』

 

 ピタリと彼女らの手が止まるのを見て彼は愚痴を聞かれたことを悟った。

 

「…やっべ」

 

 即座に身を翻して機体から離れようとするが、2度と逃がすイロンデルではない。

 

「ネクサス、右腕の動作確認よ」

『(・ω・)/』

「そうは行くかっての!」

 

 だがフラガも負けていない。AMBACを使って体を回転し、迫る巨大な掌を避けた。

 

『(*‘ω‘ *)』

「んなぁぁああ‼」

 

 が、回転して不安定になったところを逆に左手に捕まえられた。相変わらず完璧な力加減で逃げることはできない。

 まるで先ほどの再演だった。

 

『m9(^Д^)』

「またやってくれたなクソAI。俺の身体能力が悪けりゃ怪我してたぞ」

「『また』だと?なんだ?さっきも馬鹿なことをやったのか。どうせ貴様が挑発したんだろ」

「ぐっ…。無駄に鋭いな」

「馬鹿の考えは読みやすくて助かる」

「他人を煽ることしかしないガキよりかマシだ。ちっとは協調性って言葉を調べたらどうだ?」

 

 直前まであったはずの互いに支えあう良き同僚という雰囲気は何処へ消えたのか、互いに煽り合う腐れ縁に変わっていた。

 

「貴様は自分の状況が圧倒的に不利だと分かっていないらしいな」

「クソガキとクソAIが2人がかりでやっておいて、それでそんなデカい口が利けるとは大したもんだぜ。体と心と器はちっせぇのにな!」

「…ほう」

 

 イロンデルはネクサスに指示を出し左手を上げる。するとジンが真似をするようにフラガごと左手を高く掲げた。

 

「な、何する気だ⁉」

「以前ナギが言っていた…。地球の島国には左手を上下させる運動があったのだと」

「はぁ⁉」

 

 何をされるか大体の予想ができたフラガは目に見えて動揺し始める。

 

「分かった謝る!もうクソガキとか言わねぇ‼」

「…本当か?」

「マジマジ!」

 

 イロンデルは思案するような顔をした。フラガは解放されるかと希望を持った。

 だがその儚い願いは──。

 

「だが断る」

 

 そんな言葉と共に振り下ろされる左腕によって打ち砕かれた。

 

「んのおおぉぉぉおお‼」

「上げてぇ、下げてぇ、上げてぇ、下げる。いち、に、さん。に、に、さん」

「ぎゃあああ!」

 

 一定のリズムで動くイロンデルに追従してジンは手を動かす。その度にフラガの視界は激しく揺さぶられる。

 

「無理!イロンデル!これ無理だって!!」

「ハッハッハ〜!『不可能を可能にする男』なんだろ?耐えてみせろよ」

『( ゚∀゚)o彡°( ゚∀゚)o彡゜』

「無理と不可能はちがぁぁああ!無理ヤバい無理ヤバい無理ぃ!!…ムゥウリィィイイ!!」

「ハッ!ざまぁ無いな!」

 

 その様子をずっと下から見ていたマリューは完全に呆れた表情を浮かべる。

 

「あの2人ったらまた…。本当に懲りないんだから…」

 

 もう本格的に放っておくしかないのだろうか。アレはアレで互いのストレス解消になっているのだろう。そうだそうに違いない。

 

「ぜってぇ許さねぇぞ‼」

「負け犬の遠吠えより気持ち良いものはないなぁ!」

「覚えてろよぉおぉお!」

「そんな無様な姿なら忘れたくても無理だ!」

「このクソガキがぁぁああ‼」

 

 マリューは少し頭が痛くなってくるのを黙殺した。

 対して彼女の隣にいるキラはその光景を見てフラガが少し羨ましかった。あれぐらい遠慮なく彼女と接することは、自分には到底できないことだったからだ。笑っている彼女は、軍人らしくない、イタズラをする子どものような顔をしている。

 

「…楽しそうですね」

 

 思わずそう呟いてしまう。

 

「あれを楽しそうって言えるなら、貴方もこの環境に慣れてきたってことかしら」

 

 見ているだけで疲れる光景を後ろに、マリューは大事なことを少年に言っていないことを思い出した。

 

「そうだわ。貴方に訊いておきたいがあるの。…もう必要無いでしょうげど、一応ね」

 

 マリューは一度深呼吸をして、キラと向き合う。

 

「提督に申告すれば退軍できるけど、貴方はどうしたい?」

 

 



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第32話 艦隊との合流

 連絡船から降りた人物に、ブリッジにいる人物は全員揃って敬礼をする。

 

「ヤマト二等兵、もっと脇を絞めなさい」

「は、はい!」

 

 ナタルに注意され慌てる彼を見て、イロンデルはそう言えばマトモな敬礼など教えていなかったと思い返す。そんな時間など無かったのが原因だが。そしてナタルがそこまで厳しく言うのは、目の前にいる人物が半端な敬礼が許される相手ではないからだ。

 

「お久しぶりです。ハルバートン提督」

「ラミアス大尉か。敬礼を解いてよい。堅っ苦しいのは苦手でな」

 

 艦隊の指揮を執る智将ハルバートン。彼はブリッジの者たちを一通り眺めた後、フラガとイロンデルに微笑む。

 

「君たちが居てくれて助かった。大層な活躍をしたと聞いているぞ?」

「はは。さして役にも立ちませんでしたが」

「…軍人としての責任を果たしたまでです」

 

 フラガは気まずそうに頭を掻き、イロンデルは感情を消した声で答えた。

 

「フラガ大尉、随分とやつれているように見えるが、平気かね?」

「いやぁ〜。ちっこいガキに日頃の鬱憤を晴らされまして」

「窮屈な生活では不満も溜まるだろう」

「特に子どもは癇癪起こしがちで─「んんっ!」─って、何でもありませぇ〜ん…」

 

 相変わらずの軽口にイロンデルは向こう脛を蹴ろうとしたが、途中で挟まれたマリューの咳払いに2人して慌てて姿勢を正す。つい先程、非常に強い剣幕でフラガとイロンデルは彼女に叱られたのだ。

 

「ふむ。まあ怪我はしないようにしてくれ」

 

 ハルバートンはそれに気付かず頷いた後、視線を動かし学生達に目を向けた。

 

「彼らがそうかね?」

「はい。ヘリオポリスの学生達です。操艦を手伝ってもらいました。彼らの手助け無しでは本艦はここまで辿り着けなかったでしょう」

「そうか。君達には感謝してもしきれないな。良い知らせと言ってはなんだが、家族については安心して欲しい。無事を確認している」

 

 提督の言葉に学生たちは一斉に安堵の息を吐く。それは何よりも嬉しい報告だった。

 イロンデルもまた、誰にも気づかれないように安堵する。自分たちの事情で巻き込んでしまった民間人が無事だったことは彼女にとっても喜ばしいことだった。

 

「良かったな」

 

 目敏くその様子に気づいた傍らの同僚の声に、彼女は僅かに頷いて返した。

 

「…そして、君がそうかね?」

 

 ハルバートンは少年たちの中で唯一階級章を付けたキラに問いかける。キラはビクリと肩を揺らす。

 

「君が『ストライク』を?」

「…はい」

 

 イロンデルは何かあれば彼を庇えるように身構える。

 コーディネイターの存在を将校らが容易く許すとは思っていない。例え相手が穏健派であろうと必要あれば自分が身代わりになるつもりだった。

 

 しかしハルバートンは何のことでもないようにキラに微笑みかける。

 

「この状況の中、よく頑張ってくれた。君の境遇は理解しているつもりだ。できる限り、君に都合が良いようにしよう」

 

 

 そんな艦隊とそう離れていない宙域で。

 

「『ツィーグラー』と『ガモフ』、合流しました」

 

 アデスの報告にクルーゼは僅かに口角を上げる。

 

「準備はできてるか?」

「はい。我らも他の艦も、可能な限りMSを搭載しています」

「では、()()としようか」

 

 敵艦隊の航路は予測済みだ。月本部ではなくそのまま地球の地球軍最重要拠点、アラスカに降ろすのだろう。そこに入り込まれると手出しはできない。

 だが、その直前に絶好の機会がある。

 

「…人形など、さっさと死んで欲しいものだが」

 

 クルーゼはあの軍人少女を脳裏に浮かべながら、ポツリと呟いた。確実に殺すにはその機会を待つのが良い。今は伏龍の時だ。

 

「隊長、お願いがあります」

 

 ブリッジに入ってきた白髪の少年は、真剣な顔でそんな彼に言葉を掛ける。

 

「イザークか。どうかしたか?」

 

 彼は息を吐き、そしてまっすぐにクルーゼを見た。

 

「アイツの相手は俺1人にやらせてください」

「ふぅむ…」

 

 クルーゼは顎に手を当てて考える。

 彼の言っているのはイロンデル・ポワソンのことだろう。彼は()()に一度負け、そして雪辱を果たした。ラクス嬢に邪魔をされ殺すまではいかなかったが、乗っていたMAは奪っている。

 

「アイツは必ず、戦場に出てきます」

 

 イザークの言葉には『そうあって欲しい』という願望が混じっているが、クルーゼも似た予測をしている。

 だがその時に、必ずアレを殺せるだろうか。

 彼の眼から憎悪が消えている事にクルーゼは気づいていた。

 手を抜くことは無いだろうが、殺すのには一歩足りないのではないか。

 

 ならば、数で囲んで確実に死んでもらうのがクルーゼの目的に合致する。

 

「アスラン達を近くに配置する。君は自由に動いて良いが、各自の判断でアレに攻撃することを許可しよう」

「……分かりました」

 

 イザークは苦い顔をするが、私情を押し通すことはできないと分かったのだろう。大人しく引き下がった。

 だがブリッジを去る直前に、一言呟く。

 

「待っていろよ、ポワソン。お前は…俺が……‼︎」

 

 

 『アークエンジェル』の隊長室に集められた尉官たちは、提督とその副官と会談をしていた。

 

「戦艦一隻とMS一機。そのために『ヘリオポリス』を犠牲にしたと知れば、アラスカが何というか」

「地を這うゴキブリ共に大空を舞う鳥の狩りは分からない。奴らに宇宙の何がわかる!」

 

 副官ホフマンの苦言に提督は皮肉を交えて返す。

 

「それを守れたということが重要なのだ。問題にすることなど無い」

「ではコーディネイターの少年のことは?これも不問に?」

 

 ホフマンはなおも含みある言い方で言う。それに対して口を開いたのはイロンデルだった。

 

「彼は自らと同じ生まれを持つ者と戦うことに苦しんでいました。それでもなお、私たちのために戦ってくれた。それを責めることなど、どうしてできましょう」

 

 戦うことを強いたのは自分たちだ。だからこそ、僅かでも、その罪滅ぼしをしなければならない。彼が痛めつけられることなど、二度とあってはならない。この場にいる尉官全員が同じ気持ちだった。

 

「しかしこのまま解放するわけにもいかんだろう」

「その点については問題ありません」

 

 ホフマンの反論にナタルが言葉尻を被せる。厳格な軍人である彼女だからこそ、自らの意思で同胞となった彼を責めさせたくなかった。

 

「ラミアス艦長が彼の意思を確認しました。彼は今後も軍に残ることを志願しています」

「……」

 

 イロンデルは彼女の言葉に唇を噛む。その原因は自分にあると思っている。本来ならば彼は民間人のままで良かったはずだ。それなのに、彼女は彼を戦場に引きずり込んだ。それだけの理由があったとはいえ、それが良いことだったわけがない。

 

「しかし…コーディネイターなのだろう?」

 

 ホフマンは暗に裏切る可能性を示唆している。だがナタルはそれにしっかりと言い返す。

 

「彼はポワソン大尉を慕っています。これまでの行いを鑑みるに、十分に信頼できると小官は判断いたします」

「…だがなぁ」

 

 彼はまだこちらの言葉を信じ切れていない。それほどまでにコーディネイターとナチュラルの溝は深い。

 

「それはあくまで現場の信頼関係に過ぎん。何かあれば容易く切れる関係だ。…確か、彼の両親は地球にいたのではなかったか?」

「…チッ」

 

 良いことを思いついたとでもいうような彼の言葉に、イロンデルは隠すつもりもなく舌打ちした。

 

「…人質にするつもりで?」

 

 眉間にしわを寄せ、拳を硬く握りしめ、彼女は一歩前に出る。

 

「おい、イロンデル」

「黙ってろ」

 

 副官との間に割って入ろうとするフラガを押しのける。相手をキツく睨みながら、イロンデルは再度問いかけた。

 

民間人(彼の両親)を人質にし、彼に戦いを無理強いする……と?」

「……必要ならな」

「──ッ‼」

 

 湧きあがった怒りに任せるように彼女は──。

 

「止めないか‼」

 

 それはハルバートンが激しくデスクを打った音で中断された。

 

「強制されて戦う兵士が何の役に立つ!」

「…申し訳ありません」

 

 自身の上官に一喝されホフマンは渋々と引き下がる。

 

「君もだ、ポワソン大尉。今回はその同僚に免じて不問にするが、すぐに手が出るのは良くないぞ」

 

 そう言われてイロンデルは、振りかざした拳がフラガに止められているとようやく気が付いた。

 

「…⁉す、すみません!」

 

 慌てて姿勢を直す。ハルバートンは少し声のトーンを落とし、沈痛な面持ちをする。

 

「問題は『これから』のことなのだ。アークエンジェルには現在の人員のまま降下してもらう」

 

 その言葉にマリューたちは一瞬息を止めるが、仕方ないことだと思い直す。

 補充要員が乗っていた先遣隊が全滅したのだ。もう艦隊には割ける余裕がないのだろう。

 

「状況が状況のため、アークエンジェルの護送は時間を掛けるつもりだ」

「私も賛成いたします。前回の敵襲からザフトの襲撃がありません。つまり次の準備をしているということです。…そして絶好の機会がもうすぐ訪れる」

「アークエンジェルの大気圏突入…ですね」

 

 大気圏突入は僅かな角度のズレで空中分解に繋がる。敵はそのズレを誘発するだけで良い。

 

「先にヘリオポリスの避難民達を『オーブ』に降ろし、万全の体制で敵を迎え撃つ」

「オーブに直接…ですか?」

「政治的な要因だ。我らの領地を介す事なく彼らを返し、地球軍がオーブに隔意を持っていないことを証明する」

 

 流石は智将だ。その場の判断だけではなく、今後の事も見据えている。オーブはXナンバーの開発に技術提供をした。それに真摯な対応をすることで良好な関係を維持するつもりだろう。

 

「航路としては東アジア共和国の上空から緩やかな角度でシャトルを降下させる。ザフトもオーブ国民を巻き込んでで喧嘩したくないだろう。コーディネイターに友好的な地球国家は少ないからな」

「了解しました」

 

 ヘリオポリスでの襲撃はXナンバーが原因だった。それを破壊したいならアラスカ降下を待てば良い。彼らも無理には襲ってこないだろう。

 

「それまで各自休息をとるように」

 

 そう言って会談は終了した。

 

 

「さっきはすまなかった」

「ったく、熱くなりすぎだぜ」

 

 通路を歩くイロンデルは隣のフラガに謝罪する。もし彼が止めることなくあの拳がホフマンに当たっていれば、イロンデル個人だけではなく他のクルー全員に処罰が下っていただろう。

 

「…悪かった」

「謝んなよ。ああいうの、お前らしくて好きなんだから」

 

 彼は強めにイロンデルの頭を撫で、鼻歌まじりに早足で去っていった。

 もっと恩を着せても良いはずなのに、彼はそれをしない。自分を気遣っているのだろうか。と、イロンデルはそんなことを考える。

 

「私らしい…か」

 

 イロンデルは窓に反射した自分と目を合わせる。彼に荒らされた髪を手櫛で整えると、幼い顔に不釣り合いの傷跡が目立った。そっと指先でなぞると、僅かに痛みと熱を感じる。薬で強引に治癒させたせいで痛覚に異常が起きているのだろう。

 

「…悪くない。なかなか似合っている」

 

 少し頬が緩む。

 『彼女』に存在しないソレは、間違いなく『自分』である証明だ。

 

「ポワソン大尉、少しいいかね?」

 

 不意に彼女に掛かる声に、イロンデルは反射的に姿勢を正して振り向く。

 そこに立っていたのは思っていた通り、ハルバートンだった。

 

「話をしないか?…私の艦でな」

 

 

「除隊許可証?」

 

 サイは渡された書類を見て、何故軍人ではない自分たちにそれが渡されるのか疑問に思った。

 

「民間人が設備に触れるのはどんな状況でも問題がある。それを解決するために遡って君たちを軍に()()()()()()ことにした。これは形式的なものだ。意志は君たちに任せる」

 

 ナタルはそう説明する。だが学生たちはここにいない、最も深く兵器に関わった友人のことが気がかりだった。

 

「…あの、キラのは…」

「彼には先に渡している。いらない、と突っぱねられたがな」

「そうですか…」

 

 ナタルが去った後、学生たちはそれぞれに渡された書類を見る。

 これがあれば、こんなことになる前のように『何も知らない民間人』に戻れるのだ。

 

 今までのように戦争は他人事で、何処で誰が死んだのかを数字でしか知らなかった頃に。

 

「…それは…嫌だな」

 

 トールは手にした紙を破いた。

 

「知らない軍人が戦ってるんじゃない。皆知ってる人達だ。それが朝のニュースの数字になってるなんて、俺は嫌だ」

 

 後戻りできる機会を手放したことは、少しだけ怖い。だがそれ以上にここで背を向けることはできなかった。

 

「…そうだな」

 

 それに倣うように他の3人も許可証を破った。

 

「キラとイロンデルさんには怒られるかもしれないけど」

「私たちだってできることをやらないと」

「これで俺たちも軍人か…。ちゃんと階級章とか貰えるかな」

 

 バラバラになった紙切れが床に落ちるのを見て、学生たちは顔を見合わせて笑うのだった。

 

「フレイと親父さんには後で説明しないとな」

 

 サイは自らの婚約者とその父親が何というかを考え、恐らくとんでもない雷が落ちるだろうと思った。そんな彼の肩にトールが手を置く。ニヤリとした口元は煽る気満々とアピールしていた。

 

「フィアンセってのは大変だねぇ~。ま、俺たちのアツアツなところでも見て精々羨ましがってくれたまえよ」

「絡み方がウザいし表現が古いよ」

「お、さっそく僻みか?」

「言ったなコイツゥ!」

 

 ドタバタと組み合う2人に、それを傍から見ていたミリアリアは呆れた息を吐く。トールとは恋人同士だが、彼のやんちゃな面には少し困っていた。

 

「何で男の子って…。子供なんだから」

「元気があるのは良いことじゃないか」

「…それもそっか」

 

 カズイの言葉に諦めを多分に含んで頷く。

 

「みんなぁ~…って、何してるの?」

「あ、フレイ。男子が馬鹿やってるとこ。そっちは?」

 

 彼女は父親と共に別の部屋に居たはずだった。見れば扉の外に彼もいる。一緒にこっちに来たようだ。

 

「ヘリオポリスの人達は向こうの船に移動するんだって。地球に降ろしてくれるって言ってたわよ」

「そうなのか」

「うん。だから一緒に行こうかなって」

 

 フレイの言葉に彼らは気まずそうにはにかむ。トールはお前が言え、とでも言うようにサイの脇腹を小突いた。

 

「あー、それなんだけど、さ。俺たち、ここに残ることにしたんだ」

「えー⁉︎どういうことよ!」

 

 予想以上の剣幕にサイはたじろぐ。

 それでも何とか、理由を説明した。

 自分たちの選択。決意。

 それは誰かの言葉で容易く変わることない、確かな覚悟だった。

 

「…ふーん。色々考えたのね」

「ま、俺たちなりにな」

「そっか…。じゃあ…私も軍に入る!」

 

 感心したようなフレイは一転してそんなことを言う。

 

「はぁ⁉︎何言ってんだよ!」

「フレイ、それは…」

「パパは黙ってて!私だけ仲間外れなんて嫌なの!」

「だが…」

「お義父さんの言う通りだよ。俺は君にそんなことして欲しくない」

 

 感情的に言う彼女を父親とサイは諌めようとする。しかしフレイも下がらない。彼女もまた自分の在り方を決めようとしてた。そしてそれはきっと彼女なりの覚悟なのだろう。だからこそ彼らはそれを否定できなかった。

 

 だが、新たに部屋に入ってきた少年がそれを否定する。

 

「ダメだよ。誰かを理由に戦うなんて」

「…キラ」

 

 部屋の入口に立つ彼はフレイに厳しい視線を向けていた。フレイも下がらず、その目を睨み返した。

 

「コーディネイターには分からないのよ‼︎アンタが良くても私たちは死ぬかもしれないのよ⁉︎」

 

 それは学生たちが無意識に考えなかったことだった。戦場に出るということは死と隣り合わせということなのだ。自分たちが『数字』になる可能性を彼女は言っている。

 だから彼女は反論する。自分も仲間外れになりたくないから。

 

 キラはそんな彼女の言葉に首を振った。

 

「僕がさせない。皆を守るのが僕のいる理由だから」

 

 その一言は重く、同時に強い意志を感じた。

 フレイはその眼差しを受けて何も言えなかった。

 そしてキラは続ける。

 

「…それにイロンデルさんが言ってた。『皆がやってるからと戦う人間は無駄死にする』って。…君は何の力にもなれないよ」

 

 最後は冷たい声音だった。フレイは一瞬怯むが、すぐに怒りに震える声で返す。

 

「私だって!皆を守りたいって思ってる!」

 

 それを聞いたキラは少し悲しそうな顔をした。

 

「守りたいだけで守れるなら…あの人はあんなに傷ついてないんだよ」

 

 その呟きは誰に向けたものなのか。

 フレイはもう言葉を返さなかった。

 

「──感謝するよ。キラ・ヤマト君。娘を説得してくれて」

「…いえ」

 

 フレイが去った後に彼女の父親にキラは感謝された。キラは僅かに警戒をもって彼に相対する。少年は彼がブルーコスモスの高官であることを知っていた。そんな相手が感謝をしてくるなど、ただ事ではない。キラの脳裏に『アルテミス』での会話が想起された。嫌な記憶に眉間にしわが寄る。

 だが、アルスター氏は苦笑して手を振るだけだった。

 

「そう気を荒立たせないでいい。私はブルーコスモスだが、それ以前にフレイの父親だ。娘を危険から遠ざけてくれた君に冷たく当たるほど礼儀知らずではない」

 

 彼の言葉には偽りを感じなかった。

 

「親というのは誰しも、子に健やかに生きて欲しいと思うものだ」 

 

 

「なんか久しぶりな気がするな。こうやって揃うの」

 

 静けさが戻った部屋でサイがふと漏らした。同じ艦に居てもパイロットとブリッジクルーが揃うのは作戦前のミーティングぐらいなものだ。

 何となく昔に戻ったような気がして少し心が落ち着く。

 

「どこ行ってたんだ?」

「『ジン』の調整。イロンデルさんの要望とかをまとめてたんだ」

「キラは大変ね。パイロットに整備兵。一人二役って感じ」

 

 ヘリオポリスが崩壊して以来、彼は働き通しだ。コーディネイターといえど流石に疲労が溜まっているようで、目の下には僅かに隈があった。

 あまり寝ていないのではないだろうか。

 

「なんでこっちに?」

「あの人が見つからないから、もしかしたらここかもって思って」

「キラはあの人にお熱だもんねぇ」

「…そんなんじゃないよ」

 

 茶化すミリアリアを彼は静かに否定する。

 

「あの人に助けられた。助けられてばかりだ。少しでもそれを返せるなら、僕はそうしたいんだ」

 

 

 『メネラウス』の提督の部屋。イロンデルは提督に連れられてそこに入る。

 

「紅茶は飲むかね?地球産の良い茶葉があるんだが」

「嬉しいお誘いですが、茶の類は苦手でして」

「アプリコットが好きだと聞いたが?」

「それは…その…恥ずかしい話なのですが、リキュールの方で…」

「ああ、酒か。そういえば大層な酒豪だとタカミネが言っていたな」

「ハハッ…。お恥ずかしい限りです…」

 

 ハルバートンは自分の分だけお茶を淹れると、椅子に座って一口啜る。

 机の上に紙の山があるのはアークエンジェルの合流までずっと読んでいたからだろう。

 

「いやはや、人の縁とは分からんものだな。まさかこんな形で再会するとは思わなかった。候補生たちの育成が終わればもう会わないはずだったからな」

 

 彼は優しい目でイロンデルを見た。

 イロンデルはその目を見返す事ができなかった。

 

「報告書は既に読んでいる。色々と苦労を掛けたな」

「…申し訳ありません。小官の不手際で彼らを…」

 

 イロンデルは顔に影を落とす。それを読み取った提督はあえて軽く声を掛ける。

 

「そう落ち込むな。死んだ人間は帰って来ない。今生きている我々が、彼らの犠牲を無駄にしないようにすれば良い」

「…そうですね」

 

 争いが生まれる限り犠牲は増え続ける。

 それを終わらせる為に提督はMSの開発に躍起なのだ。

 

「ストライクのデータは必ず我らに勝利をもたらす。それまでの辛抱だ」

 

 ストライクは必ずアラスカに届けなければならない。

 イロンデルは決意を固くした。

 

「そういえば聞いたぞ。ジンを動かすプランがあるそうだな」

「はい。ヤマト二等兵の助力によりOSは完成間近です。武装の面については報告書にて申告させていただいた通りであります」

「支援を惜しむ気は無い。あるものは遠慮なく使ってもらって構わん、ストライクの予備パーツも、多少ちょろまかしても上は気にせんだろうよ」

「感謝します」

 

 ビーム兵器が使えるならG達にダメージを与えることができる。

 さっそく人員を借りてジンを改修しなければ。

 

「アラスカ降下まで時間はある。その際に予測される襲撃に備え、ポワソン少佐及びヤマト少尉のMS操縦技術の練度を高めてくれたまえ」

「了解し──失礼、提督閣下。小官の階級は大尉、キラ・ヤマトは二等兵ですが…」

「言っていなかったな。アークエンジェルの各員はそれぞれ昇格させる」

「…はぁ、了解しました」

 

 この状況下では階級による束縛がどんな不都合になるか分からない。それを防ぐための措置だろう。

 

「このペースなら再来年には大佐になれそうです」

「ハハッ。二階級特進なら直ぐにできるぞ?」

「ご勘弁を」

 

 しかし、キラは二等兵からいきなり少尉に昇進とは。二階級特進どころではないスピード出世だ。

 

「彼にはまた苦労を背負わせることになりますね」

「下っ端というのはそういうものだ。提督になっても私は中間管理職からは抜け出せん」

「それはそれは。私は大尉で満足したいものです」

「生憎だが君は少佐だ。既に苦労は背負っているよ」

「パイロットには身に余る階級ですね」

 

 提督の冗談にイロンデルは笑って返す。

 

「では、その地位に相応しい働きをしましょうか」

 

 

「これよりMS運用プログラム試作6号のテストを始める。操縦者イロンデル・ポワソン。観測者キラ・ヤマト及びマリュー・ラミアス。目的は実際に宇宙空間での行動のテスト。同時にキラ・ヤマトに対する基礎訓練を行う。撮影カメラ、チェック。システム、起動。オールグリーン。イロンデル・ポワソン、発進する」

 

 イロンデルはそう言って機体を宇宙に踊らせる。

 これは現状でのOSの実地テストだ。提督も見ているこの試験は有用なデータとして地球軍に利をもたらす。

 と、そんなことを考えながら機体を動かそうとした時。

 

「おっと!う…おおっ!」

 

 機体がコマのようにクルクルと回り出す。何とか姿勢を戻そうとしても回転が反対になるばかりで安定しない。

 ストライクが急いでジンを抱しめ、ようやく回転が治まる。

 

「大丈夫ですか?」

「すまない。やはりシミュレーションとは勝手が違うな」

 

 キラの気遣いにイロンデルは苦笑する。

 

「ここは地球の重力が少しあるみたいです。補正を強めますか?」

「そうだな。ネクサス、お願い」

『(^∇^)』

 

 その後はストライクに追従して、基本的な移動を練習する。スペックはジンのままであり、イロンデルが不慣れであることも相まって着いていくのがやっとだ。

 だがだんだんとコツを掴んだ彼女はスラロームやバレルロールを行うことができるようになった。

 

「よしよし。分かってきた」

 

 ネクサスのサポートも機体の改修も無しでここまでやれるのならば、より実戦的な動きを学ぶ行程に移れるだろう。

 彼女は母艦へと通信を入れた。

 

「模擬戦をやります。《メビウス》のようなMAで行うものと同じですので提督閣下もMSの性能が分かりやすいでしょう」

「了解したわ。開始の合図はこちらで行います」

 

 ラミアスからの返事を確認し、イロンデルはキラに説明をする。

 

「ロックオンし、模擬銃で撃つ。当たっても振動とアラームがあるだけで殺傷力は無い。安心しろ」

 

 アークエンジェルから信号弾が上がると同時にイロンデルはペダルを踏み込んだ。

 

 

「ほぇ〜、やるねぇ」

 

 アークエンジェルのブリッジでその様子を眺めているフラガは感心した声を漏らした。

 目の前では2つの光が付かず離れずのドッグファイトをしている。

 

「イロンデルの奴……、アレはMAの軌道だな。まだMSには慣れてないのか?……って、当然だよな」

 

 彼は独り言を言いながら、2人の決闘に思わず感心してしまう。

 

 少し前まで民間人であったのにイロンデルに着いていくキラが凄いのか、コーディネイターに着いていくイロンデルが凄いのか。

 

「流石は『少尉』と『少佐』ってわけだ。俺もあれぐらいできたりするのかね」

「無理だと思いますよ。キラ君が言うには、OSの反応数式をイロンデル少佐専用にしているそうですから。評価としては『ザフトのものよりピーキー』、だそうよ」

 

 傍らのマリューに問いかけるとそんな答えが返ってくる。何となく予想していた通りで、彼は笑みをこぼしながら肩をすくめた。

 

「あらそ。クソガキそっくりのじゃじゃ馬ってことか」

「それ、彼女が聞いたらまた喧嘩になりそうね」

「黙っといてくれよ?」

「はいはい」

 

 

「おかえり!おっと失礼。ご無事の帰還、何よりでございますです、キラ・ヤマト()()殿!」

「只今帰還した。トール・ケーニッヒ()()()。……プッ!ハハハ!」

「アハハハハ‼︎似合わねぇ〜!」

「お互いに、ね」

 

 訓練から戻ったキラはアークエンジェルのドックにストライクを置き、トールとくだらない冗談を交わす。

 

「ストライクはこっちに置くんだな」

「うん。向こうの船はMSの運用を想定してないからジンを置いたら他に置き場所が無いんだ」

 

 キラはスーツから軍服に着替えると艦と艦を繋ぐ連絡船に乗り込んだ。

 ヘリオポリスの避難民は数が多く数度では移動しきれていない。その列の最後尾に並ぶ。

 

「あ!お兄ちゃん!」

 

 その姿を目敏く見つけたエルが列の前方から駆け寄ってくる。

 

「エルちゃん、走ったら危ないよ」

 

 そんな小言を言いながらも、キラは笑顔で受け止める。

 

「お兄ちゃんも一緒に行くの?」

「ううん。僕はイロンデルさんと一緒だよ。こっちに残るんだ」

「へー。お兄ちゃんもグンジンさんなんだね!」

「……うん。そうだよ。僕も……軍人だ」

 

 キラは少女の無邪気な言葉に返す。

 そうだ。自分は軍人なのだ。

 責任と義務を持ち、命令に従う軍人。

 そのためならば『人殺し』すらやってのける。

 

「お兄ちゃん!悪い人をいっぱいやっつけてね!」

「──‼︎」

 

 その言葉にキラは息が詰まった。

 

 連絡船に乗った後でも、彼はその言葉の意味を考え続けた。

 

 少女にとって、ザフトは『悪い人』なのだ。

 もちろん、『軍人』であるキラにとっても彼らは『敵』だ。

 ……だが、『悪い人』なのだろうか。

 

「悩んでも仕方ない……のかな…」

 

 未熟なキラには判別がつかない。

 

「イロンデルさんなら……」

 

 彼女ならきっと、模範的な軍人として答えただろう。

 

『敵を殺す』

 

 そこに躊躇いがあってはいけないのだ。

 だが彼はできなかった。

 

「……アスラン」

 

 かつての友人を思いながら、キラは窓に額を付けた。

 その冷たさが心地良い気がした。

 

 

 合流してから数十時間が経った頃。艦隊は避難民のシャトルを降下させる準備に入っていた。高度を下げ始める。

 それに寄り添うアークエンジェルに居たフラガは嫌な感覚に眉をひそませる。

 

「……来たな」

 

 相変わらず最悪のタイミングだ。

 

 メネラウスのブリッジも慌ただしくなる。原因は微かに捉えたザフトの艦影。明らかに交戦の意思を持っている。

 

「ザフトの戦艦を確認。ナスカ級1、ローラシア級2」

「避難民がいると伝えろ」

「ダメです。電波障害が強く……」

 

 こちらの話を聞く気はないのだろう。今シャトルを出せばいい的だ。降ろす前に敵を追い返さなければならない。

 

「仕方ない。各艦に通達。総員、第一戦闘配備!」



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第33話 低軌道会戦

「……随分と慌ただしいですね」

 

 パイロットスーツのイロンデルは提督の隣を歩きながら、周囲の様子を端的に評価した。

 大規模な艦隊の一員だというのに、彼らはまるで戦闘に慣れていない新兵のようだ。

 そう彼女は考えたが、ハルバートンはその意見を肯定する。

 

「私の部隊は技術者が多く、それ故に戦う事が無かったのだ。だから上からの印象も良くない。日陰者の苦労だよ」

 

 戦闘慣れしていない、ということか。

 

「では私も出ます。最優先は民間人の保護。そして『アークエンジェル』と『ストライク』が無事ならGのデータはアラスカに届きます。ここで私が落ちても損害は軽微です」

 

 単なるリスクマネジメントとして提案する。しかしその言葉に提督は渋い顔をした。

 

「そういう言い方は感心しないな」

「必要な犠牲です。彼らが無事なら無駄になりません」

 

 イロンデルはあくまで淡々と告げる。

 ハルバートンはその言葉の裏に苦悩が渦巻いているのを見抜いたが、あえて口にしなかった。口にすれば迷いが生まれてしまうと分かっているからだ。

 

「……そうだな」

 

 彼は重く頷くと、MAのひしめく格納庫へイロンデルを連れ立った。

 兵士達はそれに気付くと、姿勢を正しながらも不安そうに彼らを見る。

 

「彼らに発破を掛けてやってくれ。かの英雄『瑠璃星の燕』の言葉なら彼らも勇気付くだろう」

「……了解しました」

 

 イロンデルは床を蹴って宙に体を浮かせると、腹の底から声を出す。

 

「全隊傾注‼︎」

 

 幼いながらもしっかりと通る声に、その場の全員が彼女に集中する。

 

「……この戦いで死ぬ者もいるだろう。全員死ぬかもしれない」

 

 イロンデルは言葉を吐く。

 彼らを死地へと送る為に。

 

 だからせめて、耳触りの良い()()()を。

 

「だが、希望はあるのだ!それは貴官達自身であり、貴官達が守るべき者でもある!アークエンジェルが無事に地球に降りたなら、新たなる力をもって必ずザフトを打ち負かすことができる。貴官ら……命を賭けよ‼︎己が身を捨て、彼らを守れ!誇りある地球軍人としてその責務を果たせ‼︎その意志のある勇敢な者よ!私と共に来い‼︎」

 

 彼女は精一杯の声で叫ぶと、最後に胸の前で拳を強く握った。

 その姿はまさしく英雄の名に相応しい勇姿であった。

 

「おおぉおーッ!!」

 

 一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が上がった。

 兵士達は奮起し、拳を突き上げ叫ぶ。

 

「総員!出撃準備‼︎」

「了解‼︎‼︎」

 

 彼等の顔には恐怖など欠片もなく、ただひたすらに強い決意があった。勇足でそれぞれの役割へと戻っていく。

 

「…………」

 

 それを見つめるイロンデルの横顔に複雑な表情を浮かべている事に気付いている者は誰もいなかった。

 

「見事な演説だった。貴官は後方でもやっていけるのではないか?」

「ありがたい申し出ですが、お断りし……ゲホッ…」

「大丈夫かね?」

「失礼。声を張るのが苦手でして」

 

 何度か咳払いをして喉の調子を取り戻す。そしてイロンデルは顔に陰を落とし、提督にしか聞こえない声で言った。

 

「……部下に死ねという上官は屑の極みです。そんな者にはなりたくありませんでした」

「それは私ら将校への嫌味かね?」

「あっ…⁉︎いえ、そういうわけでは──」

「分かっている。揶揄っただけだ」

 

 提督は微笑むと彼女の肩に手を置いた。

 しかし彼女の暗がりは晴れない。

 

「軍人は……軍人は英雄などではありません。誇りや希望…そんなくだらない物の為に死なせるなど……」

「だが人は死ぬ。だからこそ、その意味を我々が作らなければならない」

「……ですね」

「戦争など早く終わるべきだ。願わくば、その勝利が我々になるように、な」

「……はい!」

 

 イロンデルは提督の言葉を受け止め、力強く返事をした。

それを見てハルバートンも満足気に笑う。

 

「頼んだぞ」

「ご命令とあらば」

 

 そう言うとイロンデルは敬礼をする。ハルバートンもそれに倣うと、二人は同時に手を下ろした。

 

「では閣下、行って参ります」

「史上初のMS同士の戦争だ。最大の戦果を期待する」

「お任せください。明日の新聞の一面を飾ってみせましょう」

 

 イロンデルは不敵な笑みを浮かべると、颯爽とした足取りで自機へ向かった。

 

 

【挿絵表示】

 

 修復された『ジン』の前でギリギリまで調整をしていたキラは、近づく彼女に気がついた。イロンデルは軽く敬礼をし、彼を労う。

 

「よくこの短時間で仕上げてくれた」

「僕がやったのはOSぐらいです。細かい所はネクサスさんがやってくれましたから。それに部隊の人たちがハードの方を。切り貼りするだけだから楽だった、って言ってました」

「充分だ」

 

 イロンデルは生まれ変わったジンを見上げる。

 機体そのものは、敵と誤認する事を防ぐために機体の各所に青いマーキングがされている程度。

 イロンデルのパーソナルカラーなのは、整備兵達の遊び心だろうか。

 

 そして武装は敵のジンやGと相対するために複数追加された。

 

 まず目を惹くのが左腕だ。

 肩の装甲が『ソードストライカー』に変わっている。ビームブーメラン『マイダスメッサー』、前腕部には小型シールドを兼ねたロケットアンカー『パンツァーアイゼン』。これらは接近戦で有効だ。

 

 左腰部には対艦刀『シュベルトゲベール』。この機体のメインウェポンだ。ビーム兵器な事もあり、一撃でGを両断可能なその威力を持つ。敵ジンに対してビームを切り実剣として使う事で、エネルギーの消耗を抑えることができる。

 長大な剣を片腕で保持する為に、機体の二の腕からはMA『ミストラル』のアームが追加されている。

 

 この装備は艦隊が予備のストライカーを1つずつ用意してくれていたからできたものだ。感謝してもし切れない。

 

 そして。

 

「『ゼロ式』……。…もう一度、私と共に飛んでくれ」

 

 イロンデル専用メビウス・ゼロ。その大型スラスターを2基、後腰部から伸びたジョイントアームに接合した。『メビウス』のスラスター関節を流用しフレキシブルに動くそれは速度増加と共に姿勢制御を行う。

 その下から伸びるリニアガンもGは難しくとも敵ジンには効く。

 

「リミッターは70%に設定しています。違う規格の物を無理矢理くっつけてありますから、それが安定して運用できるラインというわけです」

「越えるとどうなる?」

「すぐに……ではないでしょうが、間接などに限界が来て自壊します」

「なら外しておけ。即座に破損するのでなければこちらで調整できる」

「でも……!」

 

 キラが渋るのは当然だ。速度超過で自壊が起これば、良くても体一つで宇宙に放り出され、最悪の場合は爆破に巻き込まれて即死。

 だがイロンデルは顔に笑顔を浮かべる。

 

「信じろ。私の腕を。貴官が組み上げた機体を」

 

 欠陥のある機体など、乗りこなせばどうということはない。そう胸を張る。

 

「…僕が……」

「この戦争、私の戦果は貴官の成果だ」

 

 イロンデルはキラの胸を小突く。

 

「ありがとう。これで私も戦える」

 

 そうイロンデルは笑いかける。しかしキラの顔色は優れなかった。

 

「……何かあるのか?」

「……いえ」

「……そうか。……おや?」

 

 彼の否定の言葉を強くは追及せず、イロンデルは視線を移した。その先には降下を待っていた避難民を乗せたシャトルがあった。アルスター父娘や、エルの姿が見えた。

 窓から見える少女は彼女に気が付き、嬉しそうに手を振った。

 イロンデルもまた微笑んで手を振り返す。

 

 そしてゆっくりと、キラに、そして自分に言い聞かせるように言う。

 

「……守りたいだけで誰かを守れるほど、私は強くない」

 

 これまでの戦いでずっと思い知らされてきた。

 失ったもの。奪ったもの。巻き込んだもの。

 数えるとキリがない。

 

「思いだけでは無力です」

 

 思っているだけでは、何も成すことはできなのだ。

 

「だからせめて、嘯くのです……。『私は軍人だ』と」

 

 イロンデルは振り向くと、真っ直ぐな瞳で言った。

 

「責任がある。義務がある。責務がある。だから守る」

 

 胸の中に燻るものを吐き出すように続ける。

 

「守り抜きます。軍人として。この身に代えても」

 

 彼女は自分の覚悟を宣言する。

 それを見たキラは少し俯きながら口を開く。

 

「もし……もし…、相手するのが…例えば!……昔の友達…だとして、も……です、か?」

「……意味深な質問ですね」

「い、いえ!深い意味は無いんです……。…ただ、訊いてみたくて……」

 

 イロンデルは怪しむような目を向けるが、彼は目を背けて言葉を濁した。

 その様子に彼女は少しだけ笑い、そして凛として答える。

 

「例え友人でも、昔の仲間でも。それが『敵』ならば、私は殺します」

「そう……ですよね…。すみません。変な事を訊いて……」

 

 イロンデルの淡々とした答えに納得すると、キラは申し訳なさそうな顔をする。

 彼女の返答は、自分が望んだものと正反対だった。

 

 だがそれでも、その答えが正しいのだと思った。

 

 彼女がそう言うのだから。

 

 それが、正しいことなのだ。

 そしてそれはきっと、自分もしなければならないことなのだろうとも思った。

 

「…あの……イロンデルさ──」

《MA隊、発艦体勢に入れ!繰り返す──》

 

 改めて問いかけようとするキラを遮るかのように、出撃の警報がドックに鳴り響く。

 目の前の軍人(イロンデル)はその音に反応するように鋭い表情へと変わる。

そしてキラへ向き直り、敬礼をした。

 

「貴官はすぐにアークエンジェルに戻れ。心配するな。落とさせはしないさ」

 

 彼女はキラに背を向けた。

 

「……行かないで‼︎」

「おっと……」

 

 離れようとする彼女にキラははとっさに抱き着いた。自分より遥かに小さな体を、必死になって抱きしめた。

 彼女を失うのが怖かった。戦場で命を落としてしまうのでは、と考えてしまったからだ。

 

「行かないで……ください…」

 

 それは嫌だと、体が勝手に動いていた。まるで駄々をこねる子供のように。そんなことをしても彼女を困らせるだけだというのに。

 

「……一緒に居て……」

 

 イロンデルは、彼がどんな気持ちなのか、なんとなく分かる。

 胸に回された彼の手に己のものを重ねる。

 

「……君は温かいですね」

「…イロンデルさんだって」

 

 互いの温もりが、確かに生きているのだと教えてくれる。

 だが同時に思う。

 この熱が冷めれば、もう二度と会えないかもしれないと。

 

 少年の腕の中で彼女は微笑み、そして優しい諭すような声で言った。

 

「貴方のことは私が守ります。貴方は皆を──」

「僕は……貴女を守りたい」

 

 彼は強い口調でそう言った。

 今伝えなければ、きっと後悔する。そう思って出た言葉だった。

 

 キラは思う。

 この人の傍に居たいと。

 この人を死なせたくないと。

 この人は僕の大切な人で、絶対に失いたくなくて、だから、だから……。

 

「どこにも行かないで。僕の傍にいて……」

 

 腕の力を強め、精一杯に思いを絞り出した。

 

 だが彼女は、その想いに応えることはできない。

 なぜなら、彼女は軍人だから。

 軍人である以上、命令に従わなければならない。

 そこに彼女自身の思いが存在してはいけないのだ。

 

 だから、ゆっくりと首を横に振る。

 

「……すまない。…私は軍人だ」

 

 その答えに、キラの顔が悲痛に歪む。

 戦うために生きている。そしてその命令を果たすため、彼女は戦地に赴く。

 だがその言葉の意味を、何とかして飲み込む。

 

「………分かってます。でも…どうか……死なないで」

 

 彼女の髪に顔を埋め、懇願するように呟く。

 

 

 どれくらいそうしていたかは分からない。だが恐らく、本当に短い間だったのだろう。

 やがてイロンデルが言った。

 

「もう良いでしょうか?」

 

 キラは自分がずっと彼女の体を強く抱いていることに気が付く。

 

「……ごめんなさい。苦しかったですよね」

 

 彼女はキラの腕を解き、正面から向かい合う。涙を滲ませる彼に手を伸ばし、優しく頬を撫でる。

 その温もりを感じながら、イロンデルは穏やかに微笑みかけた。

 

「いえ……違います。…心地良かった。……しかし、慣れてはいけないのです。…私は……貴方も…いつ死ぬか分からないから」

 

 彼女は知っている。

 この世界の理不尽さを。人が簡単に死んでいくことを。

 キラも思い知らされたはずだ。

 戦争が、どれほど非情なものかを。

 

 イロンデルはそっとキラから離れる。

 

 そんな彼女に、やはり少年は泣きそうな顔をして消え入りそうな声でそう言った。

 

「アークエンジェルで待ってます。絶対……絶対…帰ってきて……」

 

 その願いを聞き届けると、イロンデルは少しだけ困ったような顔をしたがすぐに笑顔で返した。

 そして最後に一言だけ残していった。

 

「……また会いましょう。…ヤマト君」

 

 彼女は背を向けて自機に向かう。

 キラはその背中が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。

 

 

 

「メインスラスター、チェック。電圧計、正常。各間接の動作確認、終了。……オールグリーン」

 

 イロンデルは淡々と作業を終わらせていく。

 OSが起動すると、モニターに名前が表示される。今までの物とは全く異なるOSをキラは導入したようだ。その名前をイロンデルは読む。

 

「General Unilateral ……何これ?」

『(°▽°)』

「ストライクのOS?……『ガンダム』?ヤマト君はそう言ってたの?」

 

 そういえばそんなことを言っていたと、彼女は思い出した。

 OSの頭文字を並べて、ガンダム。ネクサスと同じ読み方(アクロニム)だ。

 

「ナギと貴方といい、ザフトといい、それがコーディネイターのセンスってこと?…はぁ、ならこの機体もガンダムってわけ?」

『┐(´-`)┌』

「好きに呼べば…って、勝手ね」

 

 ガンダムという名前と、この機体の外観を頭の中で比べる。

 

「……ガンダム。ガンダムねぇ…」

 

 仮にストライクをガンダムの代表とするなら、それは全体的に角張っていて鋭利な印象を受ける。そして、特徴的な頭部のV字アンテナとデュアルアイ。

 

 どうにもしっくりこない。

 

「いや、この機体はジンでしょ」

 

 丸みのある装甲。鶏冠のアンテナ。モノアイ。

 ガンダムという名前の、正反対にある機体だ。

 

 イロンデルはそう結論を出し、友軍識別のコードに《鹵獲ジン》と打ち込む。

 

『( ゚Д゚)』

「機体の呼称?名前はジンのままでいいんじゃない?」

 

 が、そこでネクサスがさらに抗議の声を上げた。

 その名前では()()()()ではないと言いたいらしい。

 

 代わりに提案してきた名前は──。

 

 

「『キマイラ(QU.IM.A.IR.A.)』……?」

 

 

QUad

IMmorality

Arms

IRregular

Armament

 

 

 『4本の不道徳な腕と不法な武装』。

 この機体を表すのに相応しい名前だという。

 ジンをベースに、ストライク、メビウス、メビウス・ゼロ。そのパーツが無理矢理に合成されている様子は、確かに似合っているのかもしれない。

 

 だがそれを表すにしても、発音も無茶苦茶の、とんだバクロニムだ。

 

「まったく……、ナギそっくりの詩人ね」

 

 イロンデルは苦笑しながらもそれを受け入れ、出撃準備を再開する。

 

「神経接続の設定はゼロ式を流用する。細かいとこはそっちに任せるから、よろしくね」

『( ̄◇ ̄;)』

「……MSとMAで脳使用率が違うって…?制限が緩すぎる?調整に時間がかかる…?そんなの後回しにして。動けば良いのよ。性能が落ちたら意味無いんだから」

『(・Д・)』

「あーはいはい。最適化最適化ってうるさい。そんなにデータが欲しいなら戦いながら取って。私は余裕無いんだから」

 

 厄介な所はネクサスに押し付けた。

 彼ならなんとかしてくれるだろう。

 

 イロンデルはヘルメットを被りバイザーを下ろすと、臨時として与えられた部隊に通信を入れる。

 

「作戦内容は先刻各部隊長に伝えた通りだ。第2、第4、第5部隊はローラシア級Aの右翼側。第3、第6、第7部隊は左翼側から挟撃。残りは陣形を維持しつつ敵を迎え撃て。第1はローラシア級Bの撃破及び、Gの足止めを行う。各員常に編隊を意識しろ。MSとMAは戦力差が大きい。孤立すれば直ぐに堕とされるぞ」

 

 内容を聞いた部下の一人が、心配そうな顔をする。

 

『少佐殿。第1部隊が貴官お一人と言うのは、やはり……』

「では訊くが、貴官らはMSと同じように動けるのか?」

 

 イロンデルが逆に問うと彼は気まずそうに沈黙した。

 つまり、そういうことだ。

 

 部下とのやり取りを終えると、今度はアークエンジェルに繋げる。

 

「アークエンジェルは艦隊中央にて防衛体制を取りつつ待機していてください。敵の狙いは貴女方。わざわざ矢面に立たせるわけにいきません」

 

 マリューはその指示を受け入れつつも、何かできることはないかと必死に考える。

 

『今のうちにアークエンジェルが降下するのはどうでしょう?』

「……いいえ。下はユーラシア領。この前のようないざこざが起きないとも限りません。貴女方は必ず、直接アラスカに降りてください」

 

 しかし、イロンデルは首を横に振る。キラとアークエンジェルの無事は、必ず守らなければならない。

 

『……了解。…ご武運を』

「そちらも」

 

 そのやりとりを最後に、イロンデルは通信を切った。

 そして最後に、キラの顔を思い浮かべる。

 

 ──また会いましょう。

 

 そう言って別れたが、次に会えるのはいつになるだろうか。

 それはきっと、近くないのだろうなと、漠然とした予感を持った。

 

 そして、全てのチェックを終え、一度だけ深呼吸した。自機の固定ロックを解除する。

 

「イロンデル・ポワソン、『ジン・キマイラ』、発進する」

 

 後方のハッチから機体を宇宙へと滑らせる。漆黒の空間へ飛び出すと、あまり時間を置かずに敵艦からも大量の光の群れが現れる。

 

「さて…。いざ実戦…だな」

 

 寄せ集めの機体でどこまでできるのか。

 

「やってられないな」

 

 お決まりの言葉を呟き、パネルを操作しながらネクサスに指示を飛ばす。

 

「敵艦の数は3。マップにマーク。敵MSはジンとXナンバーを識別、可能な限り追い続けて」

 

 敵の数が多い。

 なら自分にできることは1つだけだ。

 

「最初から本気で行くわ。管理権限を移行。セーフティ解除、ネクサス──フルコネクト。……グッ!…くぅ……‼︎なにこれ……。何か…来る…⁉︎…んんっ!……ああ、気持ち良い…‼︎」

 

 おかしい。

 この行程は何度もしてきた。なのに、今回はいつもと違う。

 異常な昂ぶりと共にイロンデルは操縦桿を握る。

 

「さぁ、行くぞ。『瑠璃星の燕』の顕現だ!」

 

 暗い宇宙の中に、ジンの単眼が暗い光を宿す。

 それは敵を狩るために。

 

 引き抜いた対艦刀が殺戮の開始を告げる。

 

「私の生まれた意味を教えてやろう。その身をもって味わうが良い、雑兵共‼︎」

 

 そう宣言し、イロンデルはスロットルレバーを押し込み加速する。スラスターを大きく吹かし、戦場となる宙域へと向かった。

 

 

「生意気なんだよ!ナチュラルがMSなど!」

「3…いや、4機目だ!」

 

 弾を乱数軌道で回避し、射撃後にできた隙を突いて敵に迫る。

 

「冥府行きの片道切符は大安売りだ。私がパンチしてやるよ、雑兵‼︎」

「速──⁉︎何でジンにそんな動きができんだよ!!…う…うわぁぁぁあああ──‼︎‼︎」

 

 片腕を斬り飛ばし、そのままコックピットを串刺しにした。

 

 目の前で友軍を殺され激昂したのか、別のジンが突進してくる。

 

「ナチュラル如きに!これ以上仲間をやられてなるもんかぁ‼︎」

「ノロノロと(スコア)になりに来てくれてご苦労だったなぁ、5機目!」

 

 分かりやすい直線軌道の斬撃をいなし、背部スラスターにリニアガンを浴びせる。そして推力を失った敵機を地球へと蹴り落とした。

 

「重力に囚われ燃え尽きろ‼︎」

 

 ジンに大気圏突入の能力は無い。あのMSは程なく棺桶に転職するだろう。

 

 そんな敵には目もくれず、イロンデルは己の高揚感に支配されていた。

 

「……これが……モビルスーツ…」

『──』

「かなり良い感じよ。もう少し上げても大丈夫そう」

『──』

「……そうね」

 

 ネクサスを通じて身体が機体と繋がっている。

 MAを動かすよりも、より近く感じる。

 

 人型兵器同士の親和性。有機と無機の人機一体兵器。

 

「『LP計画』……、私が造られた意味……」

 

 それが今、ここに、存在している。

 

「……興奮してきた…!」

 

 脳が快楽物質を生産していくのが分かる。

 五感全てが貪るように欲している。

 

「もっと……もっと!」

 

 振るう刃は、まさに一撃必殺。

 戦場に舞う燕の如く、彼女は戦場を飛び回る。

 

 そして血走った眼は新たな獲物を見つける。

 自分が最も得意とする相手。

 『ゼロ式』を駆る頃から何度も落とした、大きいだけの愚鈍な標的。

 

「機動力こそが接近戦における最大のアドバンテージ。それがないノロマな亀共は!己の死すら自覚できないんだよなぁ‼︎」

 

 その言葉と同時に敵艦に勢いよく突っ込む。対空砲火を的確に躱し、ローラシア級の船首に深く対艦刀を突き刺す。

 

「一刀両断だ!」

 

 そのままスラスター出力を上げる。前から後ろまで横一文字に溶断された戦艦はそこから爆炎を上げて轟沈した。

 

「なかなかの快感。クセになりそうだ」

 

 正しく『対艦刀』。戦艦を落とすのは気分が良い。鈍重な大きいだけの的を好き勝手にボコボコにするのはたまらないものだ。

 その興奮を引鉄に、決して外してはならない理性というリミッターが次々と外れていく。

 

「ああ……!この感じ…!最高にハイってやつだ‼︎」

 

 彼女の口角が歪に上がる。血栓が開き体温が上昇する。アドレナリンの過剰分泌により、瞳孔が開く。イロンデル・ポワソンは、完全に我を忘れて戦闘に没頭していった。

 

 

 アークエンジェルの艦橋では戦闘の激しさに息を飲む者が多かった。名将が率いる艦隊が一方的に墜とされていく。

 それはまるで悪夢のような光景だった。

 しかしその中において、フラガはイロンデルの動きに呆れたようにため息をつく。

 

「あーらら…。クソガキのやつ、完全に()()てやがる」

 

 彼女らしからぬ強引な力押しの戦い方を見たフラガは、モニターに向けて呟いた。

 

「ネクサス、ちゃんとセーフティしてるんだろうな……」

 

 そんな彼の心配をよそに、イロンデルは次々と敵を葬っていく。

 しかし、それは決して余裕のある戦いではなかった。

 普段の彼女なら全体に目を見渡し、もっと適切に動けるはずだ。だが今は、ただ目の前の敵を順番に相手しているだけ。

 それでは必ず限界が来る。

 

「はぁ……。ナギと約束しちまったしなぁ…」

 

 脳裏に浮かぶのは、かつての同僚の言葉。

 

《『今度』は……あの子の面倒、ちゃんと見てあげてね》

 

 それと同時に、とある少女を思い返す。

 自分の前では常に表情を殺していた、人形のような少女。

 唯一笑いかけてくれたのは──。

 

「…あぁ、クソ。……らしくねぇぜ…」

 

 だが振り払うように頭を振ると、フラガはマリューに声をかけた。

 

「艦長、俺は出るぞ」

「しかしイロンデル少佐は《待機》と……」

「あのガキのお()りは俺の役目なんでね」

 

 それに──。

 彼は横目で少年の姿を見る。

 

「キラは居ても立っても居られないようだし……な」

 

 モニターには、無数の敵機が映っている。それを見ていると、恐怖心や不安感がどんどん湧いてくる。

 無力な自分が情けなかった。

 顔は青ざめ、体は小刻みに震えている。

 

 ──怖い。

 また人が死ぬ。

 

 あの人が、死ぬ。

 

 もう、あんな思いはしたくない。

 だから僕は、戦う。

 それが、僕がここにいる理由なんだ。

 

「僕が……守るんだ!」

 

 そういうが早いかキラは格納庫へと走っていた。

 

「血気盛んだねぇ」

 

 フラガは苦笑しながら、改めてマリューに向く。

 

「……どうする?艦長?」

 

 彼女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「…そうね。……これより本艦は戦闘に介入します!推力最大!全員、第1戦闘配備‼︎」

 

 

 また1機ジンを撃破したイロンデルは、程遠くないところにナスカ級を見つけた。

 忘れもしない。ずっと追いかけてきたのだろう。

 

 ならば、そこに『アレ』が居るのだ。

 殺さなければならない存在が。

 

「次は貴様だ仮面野郎!」

 

 割り込んできたジンを容易く両断し、敵艦に迫る。

 

「高みの見物とはいい身分だなオイ!」

 

 その艦橋にまっすぐ剣を向けた。

 

「そのまま殺してやるよ‼︎」

 

 その時、横からデュエルが突っ込んで来る。

 キマイラにタックルし、機体を突き飛ばした。

 

「貴様の相手は俺だ!」

 

 その姿を捕らえた時、イロンデルのボルテージが一段と上がる。

 今まで考えていたものが吹き飛び、高まる感情を抑えられない。

 

「クハハッ‼︎来たか!イザーク・ジュール‼︎遅かったじゃないか。呑気に昼寝でもしていたのか!?」

「ヌかせ!!」

 

 キマイラはデュエルを振り払うと、誘うように距離を取る。

 その挑発に乗る形で、2機は宇宙を駆けた。

 イロンデルは愉悦に歪む顔を隠そうともせず、口を開く。

 

「もう速度差は存在しない。存分にやり合おうじゃないか!」

「望む…ところ…だ!!」

 

 息絶え絶えなイザークの声が返ってくる。

 

「何だ、本人がもたないのか?頑張れよ」

「なめ…る…な!!」

 

 強がってみせるが息が荒くなっているのが分かる。苦し紛れの射撃を、優雅に躱す。

 

「ちょこまかと!避けるだけか‼」

「そういうのはぁ!一度でもまともに当ててから言うものだ‼︎どこを狙っているつもりだ?目隠しでもしてるのか⁉︎」

 

 イロンデルは嘲笑う。

 この男は強い。それは間違いないが、今の自分はそれ以上に研ぎ澄まされている。

 

「傷が疼く…!熱くなるなぁ‼︎」

 

 ふと彼女の視界にジンが入った。こちらに横槍を入れるつもりだろう。

 それを見たイロンデルは、嬉々とした声を上げた。

 

「いい所に居たな‼︎雑兵風情が‼︎」

 

 正面からそのコックピットを貫く。

 

「ほら、目眩しだ‼︎」

 

 串刺しの敵を遠心力でデュエルへと放り投げた。

 激しい爆発と爆煙が2機を遮る。

 

「かーらーのぉ!どーん‼︎ってなぁ‼︎」

 

 それを突き破り、キマイラは対艦刀を振り下ろす。

 が、デュエルはシールドをそれに合わせた。

 

「2度も同じ手は喰らわん‼︎」

「ハハハ‼︎ならばもう一手だ!避けてみせろよ‼︎」

 

 

 その戦闘を見ていたディアッカは思わず舌を巻く。

 

「前よりも速いぞ!」

「いや、単純な速度は同程度。MSの旋回能力を得て体感速度が上がっているだけだ」

「厄介さは上がってるってことだろ!」

 

 アスランは冷静な分析を返しながら、戦場を舞う『燕』を睨みつける。

 

 アイツがキラを地球軍に誘ったんだ。そうに違いない。

 そうでなければ優しい彼が自分たちの敵になるものか。

 そんな怒りが沸き起こる。

 

「俺たちも加わるぞ」

「しかしイザークは黙って見ていろ、と……」

 

 ニコルが制止しようとするが、それを振り切る。

 

「今、ここで、あの地球軍人を討つ」

「イザークも無理してるみたいだし、俺たちが手助けしても文句言わないでしょ」

 

 アスランの感情を知らず、ディアッカは気楽に言う。

 

「ナチュラルにはない連係プレイを見せてやろうぜ」

「……分かりました。僕が先行します」

 

 ニコルも渋々と頷いて、機体の姿を消した。

 

 

 

 右から来る!

 

 イザークは正確に制御し、そちらに機体を向けた。

 機影を捉えると同時に引き金を引く。

 

「掛かったなアホが!!」

「なっ!?」

 

 イロンデルは一瞬だけスラスターを逆噴射した。

 ビームは僅かにキマイラを逸れる。

 

「MS操縦の経験は貴様が上でも!MS相手の戦闘は私の方に分がある!!」

 

 キマイラは急加速し、そのまま突進する。

 

「取った!!……ッ⁉︎」

 

 剣が空振った。いや、剣を持った右腕は動かず、それを支点に無重力の空間を機体が動いた。

 腕が動かなかった原因は()()()()。『勘』に従ってガンバレルを撃つと、そこに黒い機体が現れる。射出したクローでジンの腕を掴んでいた。

 その機体を視認すると、イロンデルは思わず舌打ちをする。

 

「ブリッツ…‼︎」

 

 イザークに集中し過ぎた。読み損なったか。

 

「貴女は危険だ。このまま堕とします!」

「グゥゥウウ…‼︎」

 

 クローで掴んだままブリッツはキマイラを振り回す。

 イロンデルは反撃しようにも、遠距離武器は実弾だけしかない。相手もそれを知ってこの戦術を仕掛けてきたのだろう。

 

「PS装甲を起動していれば貴女に有効打はありませんよね!」

「…調子に……乗るなよ雑兵が!」

 

 アンカーを放ちブリッツの脚部を掴むと、スラスターの出力を上げる。

 

「速い…!…クッ!」

 

 一時的にだがブリッツを上回った。

 迎撃の徹甲弾を躱す。

 

「知ってるか雑兵!黒光りするGは!見つけ次第駆除するに限るってなぁ‼︎」

「──な⁉︎」

「奪われたG……。まずは1機‼︎」

 

 その腹に対艦刀を──。

 

「僕だって赤服だ‼︎」

 

 ニコルは右腕からサーベルを発振し、迫る凶刃を受け止めた。

 と同時にかち合った対艦刀が折れる。

 対ビームコーティングが無いからだ。

 

「──⁉︎右──‼︎」

 

 予想外の欠陥に舌打ちする暇もなく、イロンデルは更なる視線から逃げるように機体を動かす。

 しかし動作が遅れ、右前腕がビームの狙撃を受けた。

 遠い場所でバスターが砲身を煌めかせる。

 

「グレイト!良い陽動だ、ニコル。どうだ、今回は当てたぜ?小鳥ちゃん?」

「いい連携だな!狡猾で厄介極まるよ‼︎」

 

 マニピュレーターが壊れた。

 左手に剣を持ち変え、イロンデルは即座に体勢を立て直すと再び距離を取った。

 思い通りに機体が動かないことに苛立ちを覚える。

 

「機体の反応が遅い!これでもか⁉︎ネクサス!補正して‼︎」

 

 彼の忠告を無視したツケが回ってきたか。

 そんな彼女に今度は『イージス』が迫った。

 

「お前を殺す」

「ハハッ!私は人気者だな!!」

 

 迫るイージスの両手の剣を盾で防ぐ。

 

「リンチはザフトのお家芸か?」

 

 額に冷や汗を流しながら、イロンデルはアスランを挑発する。

 だが彼はそれを耳に入れず、怒鳴る。

 

「アイツを騙して戦わせているんだろ!!」

「はぁ?何の話だ⁉︎知らんぞそんなの!」

「お前が悪いんだ‼︎」

 

 叫びと共に剣を振るう。

 それは正確にキマイラの左腕を狙った。

 

「貴様は一体何なんだ!!人の話はちゃんと聞け!」

 

 動きを読んだ彼女は半身で避ける。

 だが足から発振したサーベルが下から迫り、壊れた右腕を肩から切り取った。

 

「また右腕か!!せっかく直したばかりだと言うのに!!」

 

 バランスが崩れる。

 アスランの猛攻にキマイラは押され始めた。

 

「チィ‼︎ガンダム共め!面倒臭いのが多いな!」

 

 あえて軽口を混ぜて愚痴を言う。だが全く余裕はない。このままでは負ける。

 イロンデルは焦り始めていた。

 

 イージスは変形し、そのクローでキマイラに掴みかかる。

 

「強引なハグはレディに嫌われるぞ!」

 

 蹴りを与えて一度は離脱するも、行手をバスターの砲撃が阻む。一瞬止まった隙を逃さずブリッツがクローで拘束してきた。

 立て直したイージスのその中心部が光を帯びる。

 

「『スキュラ』──⁉︎」

 

 小型シールドでは防ぐことができない、絶対的な破壊が彼女を襲おうとしていた。

 

「僕が守るんだぁぁぁあああ‼‼」

 

 突然と現れたストライクが、イージスを蹴り飛ばして射線を変えた。

 ライフルを連射しGを追い払うと、キマイラに通信を入れる。

 

 イロンデルの目の前のモニターにはアークエンジェルで待っているはずのキラの顔が映った。

 

「イロンデルさん!!大丈夫ですか!!」

「あ…ああ。…助かった」

「イージスは僕が‼︎」

 

 彼はそう言うと、こちらの答えも待たずに飛び去る。

 呆気にとられているイロンデルに、僅かに遅れてきたゼロ式が近づく。

 

「ヤバかったな、イロンデル!」

「馬鹿者‼︎何で出てきた‼︎」

 

 フラガの気遣いに咄嗟に怒鳴ってしまう。

 彼がここで墜とされたなら、それこそここまで戦った意味が無くなってしまう。

 

「ちったぁ自分のナリ見て言いやがれ!今のお前を放って置けるかよ‼︎」

「余計なお世話だ!」

「よく言うぜ‼︎落とされそうだったくせに!」

 

 フラガは怒鳴り返すと、戦場を見渡す。

 アークエンジェルはナスカ級と対艦戦闘をしている。これは放置しても良さそうだ。

 メネラウスはユーラシア級に近づかれている。互いに損傷が激しいようだ。

 

 だがやはり最も警戒するべきはGだろう。彼らを野放しにはできない。

 

「俺はどれを引き受けようか?」

 

 その言葉を受けたイロンデルは火照った頭で僅かに考え、そして判断する。

 今はデュエルとの戦闘に集中したい。

 ならば、厄介な敵はこの男に任せても問題はないだろう。

 彼の腕はそれなりに信用している。

 

「バスターを止めろ!!アレに好き勝手されては軍艦が落ちるぞ!」

「りょーかい。お前も無理すんなよ。ただでさえトリップ状態なんだからな!」

「手が抜ける相手か‼︎」

「……なら()()には気をつけろよ‼︎」

「ハッ!約束はできんぞ!」

 

 イロンデルはフラガの忠告を鼻で笑い、対艦刀の柄尻から新たにビームサーベルを発振させるとスラスターを吹かして飛び去った。

 

「…心配なんだよ。イロンデル……」

 

 デュエルとぶつかり合うキマイラを、彼は見ることしかできなかった。

 

 

 ストライクとイージスは互いの盾と剣を混じり合わせる。

 

「君がイロンデルさんを傷つけるっていうのなら!!」

 

 キラはイージスを戦艦の残骸に押し付ける。

 

「『敵』なら殺すしかないんだ‼︎」

 

 ラクスを返した時に、彼はあの人を撃った。

 殺意の籠った弾丸は、ストライクのシートに、自分の後ろに跡を残している。

 

「あの人を守るためには‼︎」

 

 彼がその殺意を抱いている限り、彼女は危険にさらされる。だから殺さなければならない。

 例え、それがどんな人間であってもだ。

 

「君を殺す‼」

 

 それが守るということだ。

 それが正しいことなのだ。

 

「なんで……お前が…‼︎」

 

 問いかけるアスランに、キラは自分が何であるかを叫ぶ。

 

「僕は‼︎地球連合軍の‼︎『キラ・ヤマト少尉』なんだぁぁああ‼︎‼︎」

 

 アスランはその叫びを聞き、苦しそうに歯噛みする。

 しかし同時に理解した。

 

 キラは自分の意思で戦っているのだ。

 

 自分たちはもう……『敵』同士なのだ。

 

 昔とは違う。

 

「お前がそう言うなら……俺も……‼」

 

 アスランは押し付けられた機体を押し返し、剣を振るう。

 

「お前を討つ!」

 

 それをストライクは盾で受け止めた。

 

「イロンデルさんは……僕が守る!!」

 

 キラはそう誓い、ライフルを腰撃ちする。

 イージスは距離を取って変形するとスキュラを放つ。

 

「絶対に!守るんだ‼」

 

 彼は自覚しているだろうか。

 その意思が空回っていることに。

 独りよがりの、子供のワガママでしかないことに。

 

 

 イロンデルとイザークはつかず離れずの攻防を繰り広げる。

 

「貴様を殺すのは俺だ‼︎」

「クハハッ!来い‼︎イザーク・ジュール‼︎私に殺されに‼︎」

「その減らず口もここまでだ‼︎」

「良いねぇ!」

 

 純粋な敵意がイロンデルを刺す。

 その痛みが心地良い。

 

「来いよ‼︎()()()()()()()君よぉ‼︎」

 

 彼女は笑いながら、サーベルをデュエルのシールドに何度も叩きつける。

 

「デカい口叩いておいてこの程度か‼︎なぁ⁉︎」

 

 盾を跳ね上げ、ガラ空きの胸部を蹴り飛ばす。

 

「俺は‼︎負けない‼︎」

 

 衝撃に耐えながらイザークは吠え、操縦桿を握り直す。

 

 負けてたまるか。

 

「俺の力はこんなもんじゃない‼︎‼︎」

 

 その時だった。

 イザークは不思議な感覚に陥った。

 

 瞬間、彼は自分の中の力が湧き上がるのを感じた。

 そして、その力は彼をさらなる高みへと押し上げる。

 

 彼女の動きが分かる。

 次はどう来るか。その次は。

 ……見える。

 

「貴様は俺が……!」

 

 相手の動きが見えた。

 

「俺が殺す!」

 

 イロンデルは鋭さを増した敵意に顔色を変える。

 

「動きが変わった⁉︎ネクサス、補正修──間に合わないか‼︎全制限を解除‼︎私に合わせろ‼︎……グゥゥゥウウウ‼︎‼︎」

 

 脳髄が焼けていく。

 

 熱い。

 

 熱い。

 

 

 ……気持ち良い!

 

 

「──クヒィ……!クキャキャキャキャ‼︎」

 

 イロンデルの喉が今までに無かった音を発する。

 激痛すら感じず、イロンデルは笑った。

 狂喜した。

 

「アヒャヒャヒャヒャ‼︎良ぃいい気分だ‼︎」

 

 快楽に任せるように彼女は機体の出力を最大まで上げる。

 

「貴様は私が……!」

 

 キマイラのフレームが軋み、自壊を始める。だがそんな事はどうでもいい。

 

「私が殺す‼︎」

 

 それだけでいい。

 彼女もまた、己の限界を超えようとしていた。

 

 異常な軌道を描く敵にイザークは驚愕する。

 

「何だ⁉︎その動きは⁉︎」

 

 先ほどまでの動きとはまるで別物。獣のような、野生的な戦い方だ。

 パイロットが保つ訳がない。同じ高機動型のMSに乗っているから分かる。Gに体がやられ、意識が無くなるはずだ。

 

 まるで自分が食われるような錯覚を覚える。だが今一度、彼は敵を睨みつけた。

 それでも、彼は退くわけにはいかない。

 

「例え貴様がどうあろうと‼︎俺がやる事に変わりは無い‼︎」

「ヒャハハ!蹂躙してやる‼︎」

 

 尋常ではない速度で2つの光はぶつかり、離れ、またぶつかる。

 その度に互いに傷つき、傷つける。

 命を削り合い、ぶつかり合う。

 

「オラァ!死ね!死ねぇ‼︎」

 

 破損した液晶がスーツを裂く。流れた血がバイザーにこびり付くが、それを拭う手間すら惜しい。痛みなど感じない。

 この男を殺す。それ以外に何も考えられない。

 

 こちらの動きが読まれるなら、さらにその先を。

 己の細胞の全てが目の前の相手を倒す事に集中する。

 血が滾り、思考が冴える。

 イロンデルは加速する世界に酔っていた。

 

 鼓動が、呼吸が、煩い。

 早く殺せと急かす。

 その通りだ。殺せば良いのだ。

 脈動すらノイズになる時間。

 

 そうか。

 

 これが。

 

「これが『生体CPU』か‼︎()()‼︎」

 

 神経の末端に至るまでが高揚を求めている。細胞が沸騰しそうだ。

 もっと速く動けと、身体中が叫ぶ。

 それは、ただの人間の肉体では耐えられない領域。それを動かしているのだから当然、負荷も大きい。

 イロンデルの体は悲鳴を上げていた。

 

 しかし彼女は笑う。

 

「楽しいなぁ!」

『──』

「黙っていろネクサス‼︎私は……」

 

 そうだ。

 (LP02)は──。

 

「私はこの瞬間の為に造られた‼︎」

 

 私を殺せ!

 その前に貴様を殺す‼︎

 

 この男の全てを引き摺り出し、引き千切り、踏み潰し、砕き、殺し尽くす。

 その欲求だけが、今の彼女の全てだった。

 

「キヒャヒャヒャヒャァア‼︎死ねぇ‼︎‼︎」

 

 袈裟斬りは防がれるが、サブアームでデュエルのレールガンをもぎ取る。

 

「バラバラに引き裂いてやる‼︎」

 

 リニアガンを浴びせ姿勢を崩すが、敵は二の太刀を躱して距離を取った。

 

「ハァ…!ハァ…‼︎…もっとぉ…!もっと深く!激しく‼︎」

 

 乱れる呼吸をそのままに、ビームを避けてもう一度迫る。

 

「脳が蕩ける程の殺し合いを‼︎」

 

 高まりすぎた血流が眼孔を破り血涙を流す。視界が紅く染まっていく。

 もう、何もかもがどうでも良い。

 ただこの瞬間を楽しむ為だけに、イロンデルは戦っている。

 

「貴様も染まれ‼︎ジュール‼︎」

 

 だがその2人きりの時間を邪魔する者が、彼女の行く手を阻んだ。

 予想外から機体に衝撃が加わり、キマイラは体勢を崩す。

 

 ゼロ式だ。

 

「ドアホ‼︎ラリッてんじゃねぇ‼︎」

 

 あまりにもイロンデルの異常な動きを見かねて、フラガが戻ってきたのだ。

 ガンバレルを質量武器として使い、キマイラの動きを止めたのだった。彼は同時にリニアガンをデュエルに撃ち、一度下がらせる。

 

 イロンデルは心地よい時間を遮られたことに憤った。仲間である彼にすら殺意が沸いてしまう。

 

「フラガ‼︎邪魔をするな!殺──『──‼︎』──グゥ⁉︎…ネクサス……」

 

 ネクサスが彼女の神経に直接痛みを与え、ようやくイロンデルは自分がどのような状況だったか自認する。

 

「早く設定をデフォルトに戻せ!これ以上続けるとマジで自滅するぞ‼︎」

「そう……だな…」

 

 ネクサスを操作して制限を元に戻すと、体中を痛みが走る。

 二日酔いよりも100倍酷い頭痛と吐き気がする。

 

 だがその不快感が、自分が生きていることを客観的に教えてくれた。

 頭が徐々に冷静さを取り戻していく。

 

「助…かった……。ありがとう」

「礼は戦闘が終わってからな。俺はバスターの方に戻るが、お前も早いとこケリ付けないと『()()()()』になるぞ」

「……分かっている」

 

 フラガが離れると、デュエルはこちらを睨みつけていた。

 

 そうだ。まだ戦いの最中なのだ。

 

「悪いな。お節介な奴が邪魔をしてしまった」

 

 イザークと向き合うように、サーベルを構え直す。

 そして彼女は息を整えた。

 

「……続きをやろうか」

 

 その言葉が聞こえたかは分からない。

 

 だがイザークは応えるようにスラスターを吹かし、再びこちらに突っ込んできた。

 イロンデルはその斬撃にシールドを合わせる。

 相手の出方を見ながら、あくまで冷静に戦闘の流れを読み取った。

 キマイラは既に半壊。無理に動けば機体が空中分解する。

 

「さっきまでの威勢はどうした‼︎」

 

 今度はイザークが苛烈に攻撃する。

 その荒れる感情が伝わり、彼女は釣られてしまいそうになる。この男とずっと殺し合っていたくなるのだ。

 

 それは駄目だと、イロンデルは自分に言い聞かせる。

 

 一瞬の思考の隙間。そこに滑り込むように、敵の刃が襲う。

 それを紙一重で回避する。

 

「貴様相手にそんなものは不要だ」

 

 落ち着いて挑発を返す。

 

「舐めているのか‼︎」

「貴様の知るところでは無い」

 

 振るわれる剣を避けながら、イロンデルは相手の腕の動きを観察していた。

 イザークは、怒りに身を任せながらも正確に斬り込んでくる。

 それがどれだけの技量を必要とするかは、同じパイロットだからこそ分かる。

 

「俺は誓った!貴様の全力を捩じ伏せてみせると‼︎」

「知らないと言っている」

「それに応えろ‼︎」

 

 その言葉と共に彼は渾身の突きを繰り出す。

 イロンデルは狙い通りの瞬間が来たことにほくそ笑む。

 

 機体を僅かに動かして、剣先を避ける。

 突きは殺傷力の高い反面、『点』での攻撃だ。『線』である斬撃よりも躱しやすい。

 

「鈍い‼︎」

 

 だがイザークも負けていない。デュエルの体を強引に捻って、その攻撃を斬撃へ変化させる。

 イロンデルは避けず、左腕のシールドで受けた。

 金属が砕ける音が響き、衝撃がコックピットまで伝わる。

 

 しかしイロンデルは読みが当たったことに、今度こそ笑い声を上げた。

 

「ハハッ!誘ったんだよ!」

 

 確かに、Gの()()はPSで堅牢に守られている。キマイラの搭載したビーム兵器は対艦刀のみであり、右腕を失った今は盾と同時に使用できない。故に攻撃を加え続けることで、PS装甲の前にキマイラは成す術が無い。

 

 だが、()()()()は?

 

 デュエルは今、斬撃の為に腕は伸び、強引に姿勢を変えたために盾は構えることはできない。

 何の変哲もないフレームは、何にも守られていない。

 

 両腰のリニアガンを一点集中で発射する。

 

 激しい爆煙が起こる。

 

「……直撃のはずだろうが‼︎」

 

 イロンデルは吐き捨てた。まだ殺意をはっきりと感じてしまったのだ。

 そう思った瞬間、視界の端からデュエルの姿が現れた。

 キマイラの砲撃は関節部を狙ったが、イザークはコーディネイターの優れた反射神経で対応し、関節を曲げて増加装甲を間に合わせたのだった。

 

 彼はまだ動けたのだ。

 その勢いのままサーベルを振るい、キマイラのコックピットを狙う。

 彼女は咄嵯に盾で受け止めるが、勢いを殺すことができない。

 

「グ──!パワーが負ける……‼︎」

 

 イザークに押し込まれ、イロンデルの視界が前へと流れていく。

 

 少しして強い衝撃が機体を襲う。何かにぶつかった。

 イロンデルは、それは戦艦の残骸だと推定した。

 

「チィッ!スラスターだけでも最大に──」

『──‼︎』

「何⁉︎黙っててよ‼︎」

 

 こうなればもう構っていられない。

 そう思った彼女に、ネクサスが警告を発した。空気を読まない彼に苛立つが、彼は繰り返して警告する。

 

『───』

「後ろ……?…これは──⁉︎」

 

 イロンデルは背部カメラの映像を見て絶句した。

 

「シャトル…⁉︎いつの間に⁉︎」

 

 それはメネラウスにあったはずの、避難民を乗せたシャトルだった。

 

「どうなっている……‼」

 

 ジンを操作して足底をデュエルの胸部に押し当て、そのまま蹴り飛ばす。

 

 一瞬できた隙にシャトルの状態を確かめる。表面装甲に細かい傷ができているが亀裂は無い。

 気付けば、周囲の残骸はユーラシア級の物とは別に、メネラウスの物も混じっていた。

 2隻の艦は相打ちになり、提督は己が身を犠牲としながらもこのシャトルを守ったのだと、イロンデルは理解した。

 

 窓の人影が、彼女のモニターにはっきりと映し出される。

 

「エル…」

 

 怖いのだろう。彼女は不安そうに母親に抱き着いている。

 

 

「…大丈夫ですよ」

 

 届かないと分かっていながら、イロンデルは少女に優しく語りかける。

 

「守ってみせます‼︎」

 

 コックピットに鳴る警告音が、攻撃の予兆を知らせた。

 

 それに目をやると、ライフルを構えたデュエルが。

 

 ライフルの先端には、眩く輝くエネルギーが収束している。

 その輝きが意味することを、彼女は知っていた。

 

 避ける?

 論外だ。

 盾で防ぐ?

 飛散したビームがシャトルに当たる。

 迎撃は?

 相手が撃つ方が早い。

 

 必死に頭を回す。

 

 つまり今できる『最善』は……‼

 

「射線予測!相対距離!速度!…ここ‼」

 

 キマイラは左手を振りかぶった。

 

 対艦刀の投擲。

 意表を突いた一撃。

 

 放たれたビームをサーベルは切り開き、そのままライフルに突き刺さる。

 

 爆発が起き敵の姿勢が乱れた。

 その隙にイロンデルは国際救難チャンネルを開いて通信領域を最大にする。可能な限り遠くまで、多くの者に聞こえるように。

 

 そして叫ぶ。

 

「撃つな‼︎これは『ヘリオポリス』の避難民を乗せたシャトルだ!国際条約に基づき、双方共に攻撃を中止しろ‼︎」

 

 当然、すぐには誰も止めない。

 イロンデルは敵の攻撃からシャトルを守りながら、繰り返し訴える。

 

「シャトルへの攻撃は条約違反だ‼︎繰り返す!攻撃を止めろ‼︎」

 

 しかし、それでも止まらない。

 イロンデルは歯噛みする。

 こんなことなら、もっと早くに説得しておくべきだった。

 

 彼女の目の前にデュエルが現れる。

 

「く……!」

 

 反撃するべきか?しかしこちらから攻撃すればそれこそ言葉に説得力が消えてしまう。

 逡巡する彼女を差し置いて、デュエルの背後からさらに数機のジンが。

 

 思わず最後に残った武器、ビームブーメランに手が伸びそうになる。

 それを何とか抑え込み、祈る。

 

 どうか。

 どうか止まってくれ。

 

 イロンデルは願う。

 

 そんな彼女に声が響いた。

 イザークの声が。

 

「その言葉に嘘は無いな?」

「ああ……ああ、無い‼」

 

 聞こえてきた短距離通信に、イロンデルは心の底から叫んだ。

 

「…分かった。俺から皆に伝える」

 

 僅かな沈黙の後にイザークがそう言うと、デュエルとそれに従うジンは武装を捨て手を上げる。

 

「そのシャトルに手出ししない。だがそれが降りたら……また戦うぞ」

「それでいい……。…ありがとう」

 

 やがて、シャトルの周りからMSが離れていく。

 イロンデルは心の底から安堵し、泣きそうになった。

 

 だがまだ安心することはできない。

 意識を切り替え、シャトルと通信をつなぐ。

 

「操縦席、応答せよ」

 

 まだこの戦争が終わったわけではない。すぐに離脱してもらわなければならない。

 そのことをパイロットに伝えようとするが、返ってくるのは沈黙だけだった。

 

「操縦席、応答願う。パイロット!……居ないのか⁉︎」

 

 不安になったイロンデルが機首を覗くと。

 そこには誰も居なかった。

 

 このシャトルは地球の重力に曳かれて落ちているだけだ。イロンデルは一瞬呆然としたが、我を取り戻す。

 

「ネクサス!現地点からオーブへの降下角度を算出して!」

 

 不適切な角度で突入すれば中は蒸し焼きだ。シャトルの軌道を変えなければならない。

 ネクサスの出した情報を読み取ると、イロンデルはキラを呼び出す。

 

「ヤマト少尉、シャトルの角度を修正する。手伝ってくれ」

「了解!」

 

 2機のMSはシャトルに取りつく。

 

 

 その様子を見ながら、不気味な笑みを浮かべる存在が居た。

 先ほどまでアークエンジェルと撃ち合っていたナスカ級、ヴェサリウス。その艦橋。

 

「……やれやれ。イザークの甘さにも困ったものだな」

 

 クルーゼは独り言にしては大きな声で言った。

 

「『敵に騙され逃亡兵を見逃す』など、後で裁判に掛けられても仕方ない。最悪の場合は銃殺かもしれん」

「隊長…?」

 

 周囲の部下が不安げに呼びかけるが、彼は構わず続ける。

 いや、むしろ聞かせるように彼は自分の部下たちに語りかける。

 

「アレに軍人が乗っていない証拠が……どこにある?」

「それは……」

 

 部下たちは戸惑うが、彼は気にせず続ける。

 まるで、自分以外の全員が理解していないかのように。

 

「例え真実であっても、証拠が無ければ嘘と相違無い」

「しかし……」

「逃した敵1人が同胞を10人殺すのだ」

 

 その言葉は恐怖心を煽り、彼らの心に入り込む。

 敵を殺すのは『正しい』ことだ。仲間を守るためには、敵を滅ぼさなければならないのだ。

 

 もう誰も意見しようとしないのを見て、クルーゼは口角を上げた。

 そして、決定的な一言を。

 彼は口にした。

 

「全機に通達。シャトルを狙え」

 

 

「貴様ら正気か⁉︎」

 

 再び攻撃を始めたジン達にイロンデルは戸惑う。しかも今度はシャトルを明確に撃墜対象にしているのが見て取れた。

 

「ジュール……‼︎貴様ぁぁああ‼︎」

 

 シャトルを守りながら、イロンデルは()()()()()()()()()に怒りをぶつける。

 

「違う……俺は…本当に信じて──」

「これが貴様らのやり方か⁉︎ナチュラルなら全て敵だと!殺すべき相手だと!そう言いたいのか⁉︎」

「そんなことは──」

「信じた私が馬鹿だったよ‼︎」

 

 敵の言葉に耳を貸したのが間違いだった。

 イロンデルは通信を一方的に切り、ブーメランを手持ちのサーベルにしてジンを切り裂いていく。

 

「フラガとヤマト少尉はGを引き剥がせ‼︎ビームが当たれば一撃で落ちる‼︎」

 

 もう話し合いはできない。こうなれば、敵は全て滅ぼすしかないのだ。

 

「右──左が先か⁉︎」

 

 シャトルに取りつくジンは多い。その装備と狙いを分析し、的確に墜としていく。だが一向に状況は変わらない。

 

「シャトルの損害状況をリアルタイムで出して‼︎早く‼︎」

 

 大気圏突入に耐えるためにその外装は厚いが、無敵ではない。亀裂が入れば突入に耐えられないかもしれない。

 目に入ってきた情報にイロンデルは1機ずつ相手をしていては手遅れになると判断した。

 

 撃墜したジンから機銃を奪う。

 

「対多射撃プログラムを新規構築!マルチロックオン‼︎」

 

 その命令をネクサスが受け、その液晶画面が敵の捕捉位置を示す。

 

「くたばれゴミ共‼︎」

 

 リニアガンと機銃を合わせた3つの銃撃が放たれる。

 

「後ろ⁉︎しま──‼︎」

 

 背後に回り込んだジンの動きに反応しきれず、その重斬刀がキマイラの頭を切り飛ばした。

 モニターの映像が補助センサーに切り替わる。入ってくる情報が大きく制限された。

 自身の能力を上げて補うしかない。

 

「メインカメラが⁉︎…ネクサス!もう一度だ‼︎セーフティ解除‼︎シナプス融合を上げてニューロン操作を開始!私の命は度外視しろ!」

『──』

「早くしろ‼︎私が死ぬぞ‼︎」

 

 ネクサスの警告を振り切ってスラスターの出力を120%まで上げる。

 同時にあの異常な興奮が襲い掛かってきた。

 

「キャハッ!死ね──『──‼︎』──…グゥ…!…守る!……守る守る守るゥウゥァァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛‼︎‼︎」

 

 己の中で暴れようとする衝動を理性で無理矢理閉じ込める。

 狂気と紙一重の集中力でイロンデルは敵を撃破していった。

 

 それを見ていたイザークは、今の状況が理解できなかった。彼は混乱していた。

 

「隊長!止めて下さい!アイツはそんな嘘を吐く奴じゃない‼︎シャトルが降りてから戦えば良いでしょう⁉︎」

「何を言うかと思えば……くだらない」

 

 クルーゼに問いかけるが、彼は鼻で笑った。

 

「今敵を撃たねば次の機会はいつになる?それまでに何人の同胞が死ぬ?」

「民間人を巻き込んでまでやることじゃない!」

 

 イザークが叫ぶ。

 自分はこんなことがしたくてザフトに入ったわけではない。確かにナチュラルが憎いと思った。だがそれは相手が軍人だからだ。あのシャトルに乗っているのは、地球軍とは何も関係のないヘリオポリスの民間人。ならばこんな方法を選ぶ必要はない。

 

 そう訴えるが、やはり彼は意に介さない。

 

「死人に口は無い。それに……最初に撃とうとしたのは君だ。ここでシャトルを見逃せば、どの道君は裁判にかけられる。君の母にも迷惑がかかることになるぞ?」

 

 家族のことを出され、イザークは黙り込んでしまう。

 もう既に彼の置かれた状況は、彼一人ではどうにもできない。

 

 イザークとの通信が終わると、クルーゼはモニターを注視する。

 自らの身をすり潰すように戦う『燕』は、必死にMSを追い払っている。

 

「ああ、そんな無防備な姿を見せないでくれ」

 

 クルーゼは無意識のうちに呟いていた。

 シャトルを守ることに集中している燕は、こちらのことなど気に掛ける余裕も無い。

 

「シャトルがそんなに大事か?」

 

 だからそこまでして守るのか?

 命に代えてまでして。

 

 ああ、素晴らしい精神だ。

 哀れ極まりない。

 

「だが君は知っているか?大切なもの程、世界は容易くそれを踏み潰す」

 

 クルーゼは火器管制を行うクルーに声を掛ける。

 

「主砲のコントロールを私に」

 

 その言葉に、クルーは戸惑う。だが隊長の命令に背く権利は無い。ただ言われるままに権限がクルーゼに渡される。

 彼は照準を操作して、狙いを合わせる。

 

 狙うのは当然、ただ落ちているだけの的。

 

「引鉄は私が弾く」

 

 とても楽しそうに。

 まるで新しい玩具を与えられた子供のように。

 嬉々として、こう口にした。

 

「その苦しみを……君も知るが良い、人形(コピー)

 

 その言葉と同時に、人差し指をトリガーに掛けた。

 

 シャトル付近にいたMSに一斉に知らせが届く。

 

「射線警報⁉︎」

 

 イザークはその報告に戸惑い、思わず声を上げた。

 ヴェサリウスの主砲がシャトルを撃ち抜こうとしている。

 

「──クソォォオオ‼︎」

 

 イザークは、何かを考えるより先に機体を動かした。

 

 デュエルはシャトルを庇い、ヴァサリウスの砲撃を盾で受ける。

 MSのライフルとは比較にならないエネルギーが盾を溶かし、機体の左手を抉る。

 

 だが射線は逸れ、シャトルは守られた。

 彼はこの場で唯一頼れる存在を呼ぶ。

 

「ポワソン‼︎俺を人質にしろ‼︎」

「何を──」

「俺を信じろ‼︎他に手はない‼」

 

 通信に応えた彼女は何故彼がこのようなことをしたのか困惑しているようだった。だがイザーク自身にも説明できなかったし、今は説明している時間がない。

 第2射が放たれればもう防ぐ手はないのだ。

 

「……分かった」

 

 1度騙されたと思っているイロンデルはこれが何かの罠ではないかと迷ったが、彼の言うように他の選択肢が無いと分かっていた。

 アンカーでデュエルを捕らえ手繰り寄せ、ブーメランの刃先をそのコックピットに向ける。

 

「この者を殺されたくなければ攻撃を止めろ‼︎この警告は一度しかしない‼︎」

 

 スピーカーから聞こえるイロンデルの声に、ザフトの者たちは一斉に攻撃を止める。

 イザークは赤服で、プラント議員の御曹司だ。直情家で熱くなりやすいところもあるが、それもまた魅力の一つとして多くの者に慕われている。そんな彼が人質とされた今、隊長の判断を待つよりも先に彼らは動きを止めた。

 

 戦場が硬直したことでイロンデルはアークエンジェルに通信を入れる。

 

「アークエンジェル‼︎今のうちにこの宙域を離脱しろ!アラスカへ向かえ‼︎」

「しかし……」

「今しかありません!奴ら、私が去れば艦を狙う。提督の犠牲を無碍にしない為にも、Gとアークエンジェルは必ずアラスカに届けねばならないのです!」

「………しかし…!」

「しつこい!私はシャトルと降ります!フラガとヤマト少尉を回収してください‼︎」

 

 敵がシャトルを狙った以上、警戒は解けない。離れることで人質の効果が薄れてしまえばビーム一つで爆散する。

 

 シャトルの降下に合わせて戦場から離れようとするイロンデルにキラは寄り添おうとした。

 彼女を守りたいから。

 

「イロンデルさん‼︎」

「来るな‼︎」

 

 だが彼女はキツい口調で彼を拒絶した。

 ストライクがこちらに付いてくれば、敵に良い口実を与えてしまうだけだからだ。

 

「貴官はアークエンジェルに戻れ‼︎」

「……でも‼︎」

「皆を守れ!これは()()だ‼︎」

「──ッ!……了……解…」

 

 『命令』という言葉を使われ、『軍人のキラ・ヤマト少尉』は従うしかなかった。

 機体に命令を打ち込むと、自動操縦で艦に戻っていく。

 

 コックピットの中でキラは、モニターに映った彼女の機影に縋った。

 

「…行かないで……」

 

 それがどんどんと小さくなっていく。

 

「貴女が居ないと……」

 

 ストライクがアークエンジェルへと戻りカタパルトハッチが閉じると、彼女の姿はもう見えなくなる。

 それでもキラはモニターに泣きついたままだった。

 

「お願いだから……傍に…。……僕を…守って……」

 

 そのワガママは、誰にも届かない。

 

 

「どうしますか、隊長?」

 

 離脱していく足付きを見ながら、アデスは隊長に問いかけた。

 

「………」

「……隊長?」

「……ええい‼︎」

「──⁉︎」

 

 クルーゼは忌々しげにコンソールに拳を叩きつけた。

 今まで見たことの無い彼の荒ぶりように部下達は身をすくめる。

 

「……おっと、失礼。……フフ。ついイライラしてしまった。……私も()かな?」

「ご、御冗談がお上手ですね……」

「ああ、()()だとも。私がそんな老いぼれに見えるかね?」

 

 クルーゼは冷たい仮面で部下を一瞥した。

 

「……我らは『足付き』を追う。ラルエナのジン小隊を観測員としてこの宙域に留め、Gを回収しろ」

 

 仮面の下で不愉快に眉を歪め、彼は歯噛みした。

 絶好の機会を逃した。

 ストライクかあの艦が人形に付き添えば、如何にでも言い訳が効いたのだが。

 

「随分と頭が回るじゃないか。……()()()のクセに…」

 

 贋作の割にはよくやったと褒めてやろう。

 だが、これで終わりにする気はない。

 必ずその首を討ち取り、『彼女』への慰霊にしてやる。

 

 まずは手始めにあの艦を沈めてやる。

 紛い物が居た場所など、既に穢れきっているのだ。

 

「……精々生き延びろ、イロンデル・ポワソン…。君は私が殺すのだ…!」

 

 全ては『彼女』のために。

 『彼女』を否定した世界を、否定するために。

 そう誓うクルーゼは、足付きの追跡を始める。

 

 

「嫌だねぇ。上を抑えられちゃ満足にくつろげないっての」

 

 パイロットスーツのままのフラガはブリッジで愚痴る。

 今アークエンジェルの後方には、ずっと追いかけて来たナスカ級がピタリと離れずにいる。

 まるでストーカーだ。

 

「で、どうなんだ?アラスカに着きそうか?」

「無理です」

 

 操舵手のノイマンに確認すれば、端的で絶望的な答えが返って来た。

 当然の答えだ。

 

「キラは?」

「ストライクから出てきていません。機体の調整中、とのことです」

 

 そう言われては無理に召集もできない。

 

「このまま奴らが傍観してくれれば良いんだがなぁ……」

 

 それがあり得ないことだと分かっているクルー達は沈黙する。

 どうにもクルー達の雰囲気が重い、とフラガは椅子に座りながら天井を仰ぐ。

 いつもならイロンデルが何かしら気を引き締める事を言ってくれるのだが。

 

「……調子が出ないねぇ」

 

 いつも通りの気楽さを何とか繕い、フラガは独り言のように呟いてみた。

 だが、やはり反応は無かった。

 

 そうして淀んだ空気のアークエンジェルがヨーロッパの上を通過していた時だ。

 

「──もう一度来たか!」

「ナスカ級、速度を上げて接近を開始しました!」

 

 フラガの反応と同時に敵の電波障害を検知した。

 

「……降りましょう…」

 

 マリューが重く声を発した。

 

「イロンデル少佐が居ない今、彼らを正面から撃ち破るのは難しいわ。下は大西洋連邦領土。バスターさえ退ければ、逃走は容易になる」

「上を抑えられている今、我が方の不利です。降下しながらの戦闘になります」

「フェイズ3までに戻ってくれば良いんだろ?楽勝楽勝!クソガキのいない分は俺がカバーしてやるよ」

「……頼みます、フラガ大──失礼。フラガ少佐」

「おう!任せとけって!」

 

 フラガは笑い、ナタルとマリューの案を受け入れた。

 すぐにストライクを出撃させ、防衛させなければならない。

 マリューも気を引き締め、ミリアリアに指示をする。

 

「キラ君に連絡を──」

「ストライク、発進準備完了!出しますか?」

「え⁉…え、ええ」

 

 どうやら既にカタパルトに乗っているようだ。

 早すぎる準備に驚くが、今は時間が無い。許可を出し、カタパルトを開放する。

 

「ストライク、発進どうぞ!」

 

 キラはその声を聞き終わらないうちに出力を上げて艦から飛び出した。

 『エールストライカー』を装備したストライクの装甲がトリコロールに変色する。

 同時に敵艦からもジンが数機と、3機のGが現れる。

 

「……イロンデルさん…」

 

 キラは少しだけ目を閉じて、()()()の言葉が聞こえないかと期待した。

 聞こえてほしいと願ってしまった。

 

 自分を守ってくれる声を。

 自分が守りたかった声を。

 

 だが──

 ──やはり、何も聞こえなかった。

 

 もう彼女は……居ないのだ。

 

 分かっていた事なのに、キラはそれを思い知らされてしまった。

 無力感に打ちひしがれていると、アラートが被ロックオンを知らせる。

 

《誰も待ってはくれない》

 

 彼女の言葉が木霊のようにキラの頭に浮かんだ。

 

 操縦桿を握る手に力が入る。

 モニターにはこちらに向かってくる()艦と、その前方に展開する()機。

 

 自分が彼らから皆を守らなければならない。

 

《誰かを守るというのは、その敵を討つという事だ》

 

 また、彼女の言葉が浮かぶ。

 

 もう居ない彼女。

 ………何故、居ないんだ?

 いつも僕を守ってくれたのに……。

 

 ……何で…?

 

 …………ああ、そうか。

 

「君達が……」

 

 敵機を睨み、キラは叫ぶ。

 

「君達がぁあ‼︎‼︎」

 

 そうだ。

 彼らが。

 

 ヘリオポリスが壊れたのも。

 自分がMSに乗ることになったのも。

 あの人が傷ついたのも。

 

 あの人が傍に居ないのも。

 

 全部。

 全部全部全部全部全部……‼︎‼︎

 全部君達のせいだ‼︎

 

「君達さえ……君達さえ居なければぁぁああ‼︎」

 

 彼の中で『何か』が弾けた。

 それは怒りなのか憎しみなのか悲しみなのか、それともまた別の感情なのか分からない。

 ただ、その激情が彼の心を埋め尽くしていく。

 

 なのに、頭だけは冷静だった。不気味なほどに正確に敵の姿を認識できる。

 

 ストライクはサーベルを引き抜くとイージスに斬りかかる。

 敵は盾を合わせるが、キラはそれを蹴り上げて胴体を無防備にした。

 

 そのコックピットに突きを繰り出そうとするが、その直前に右方向からバスターが砲を構えているのが認識できた。

 機体を捻って最小限の動きでビームを躱し、優先する標的をバスターに切り替える。

 僅かに遅れてきたフラガにイージスとブリッツの足止めを任せ、キラはバスターを睨む。

 

 思えば彼女もあの機体のビームを被弾してから形勢が不利になったのだ。

 今、仇を討ってやる!

 

 盾を前方に構え、そのまま突進する。

 と見せかけ、衝突の直前に操縦桿を傾けてその背後に回り込んだ。

 そのまま地球の方向へ強く蹴りつける。

 追いかけてもう一度。

 また追いかけてもう一度。

 

 そのまま地球へと、確実に落とす。

 

 重い砲を装備したバスターは重力に惹かれて落ちていく。

 そこにトドメのライフルを構えた。

 

 だがゼロ式を振り切ったイージスが邪魔をする。

 

「また君か……‼︎」

 

 何故いつも邪魔をするんだ。

 僕は敵を撃つだけなのに。

 それが『正しいこと』なのに。

 

 キラは機体の向きを変えてイージスと相対する。

 

 何度も激しくぶつかり、その間にどんどん高度が下がっていく。

 MS形態での推力なら、エールストライカーを装備したストライクの方が優っている。つまり引き留めるだけこちらの有利になる。

 

 そう判断したキラはイージスとの接近戦を続けた。

 

「キラ!そろそろフェイズ3だ‼︎アークエンジェルに戻るぞ!」

「…了解です」

 

 フラガの通信に頷く。

 イージスは今、重力に引っ張られて上手く身動きできない。

 ここで()()ことができないのは残念だが、あの人の命令は『皆を守る』こと。

 

 軍人なら命令を守らなければ。

 

 もう一度だけイージスを蹴り飛ばし、ストライクは離脱しようとする。

 

 だが突然、アラートが鳴った。

 

「え──うわっ⁉︎」

 

 集中力を切らしていたキラは急いでモニターを確認するが、何も無い。だが確かな衝撃が機体を襲った。

 

「バックパックが…‼︎」

 

 損壊を表示するモニターが、背部に直撃を喰らったと報告する。

 頼りにしていたストライカーが失われ、機体が重力に惹かれる。

 

 望遠モニターが重力圏からイージスを引っ張って離脱するブリッツを確認するが、キラにできる事は何も無い。

 ただ落ちていくだけだ。

 

「……助けて…!」

 

 加熱していくコックピットで、彼は泣き叫んだ。

 

「助けて‼︎イロンデルさん‼︎‼︎」

 

 誰にも聞こえないと分かっていても、彼は叫び続けた。

 

 アークエンジェルがストライクを回収するために降下を合わせてくる。

 

 キラはそれが、彼らを危険に晒す事になると悟った。

 

「……ごめんなさい…」

 

 涙が溢れ出るのを止められない。

 

 命令を守れなかった。

 あの人の最後の声を裏切ってしまった。

 

「…僕は誰も……守れない…」

 

 ストライクは熱に包まれ、地球へと落ちていく。

 

 その先には、アフリカの砂漠が広がっていた。



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第34話 仮面の奥に燻るモノ

「どういう事だ‼︎説明しろ‼︎ラウ・ル・クルーゼ‼︎‼︎」

 

 プラントの会議室でエザリア・ジュール議員は乱暴に机を叩き、目の前の男に吠えた。

 だが彼は表情を変えず、淡々と返す。

 

「……ですから、先程も申し上げた通りです。イザークは《敵に騙され、その後人質となって共に地球へ降下した》。私が確認できたのはそこまでであります」

 

 クルーゼは若干鬱陶しそうに言った。

 この女が怒るのは分かっていたことだが、ここまで感情的になるのは予想外だった。

 

「納得できるか‼︎あの子が人質にされただと⁉︎それも貴様の()()のせいで‼︎」

「はい。射線警報は出ていたはずですが、燕を討つ事に固辞するあまり見落としてしまったのでしょう」

「そんなわけがあるか‼あの子を侮辱する気か‼」

 

 エザリアが激昂するのも無理はない。彼女は愛息家だ。

 だがここは静粛であるべき場所なのだ。

 

「落ち着きたまえ、ジュール議員」

「この状況で落ち着くことができますか⁉︎イザークが……()()が消息不明なんです‼︎‼︎」

 

 議長であるシーゲルが宥めるが、彼女の熱は引かない。

 周りの議員も落ち着けようとするが効果は無かった。

 

「データによれば、Gには大気圏突入に耐える能力がある。実際にバスターに乗っていたディアッカ・エルスマンは、ジブラルタル基地にて保護されたそうじゃないか」

「だからといってイザークが無事な保証はありません‼︎()()『燕』と共に降りたのですよ⁉︎」

「それは……」

 

 『燕』──イロンデル・ポワソンは、プラントにおいて『非情で冷酷な殺人鬼』と風評されている。(ザフト)には決して容赦せず、無慈悲に殺す狂人である、と。

 では捕まったイザークはどうなったのか。エザリアは考えるのも恐ろしかった。

 

「すぐにでも捜索隊を出さなくてはなりません‼︎カーペンタリア基地に連絡し降下予測地点を重点的に──」

「──エザリア」

 

 パトリック・ザラが重い声で彼女の言葉を遮った。

 

「……君の息子は()()となった。憎きナチュラルの手によってな」

「ザラ議員……!……し、しかし!まだ死んだと──」

「君が重視すべきは何だ?息子か?違うだろう?」

 

 確かにそうだ。彼女の立場なら、今は息子の安否より重要な事がある。

 彼の言葉を受け止め、深く呼吸をして自分を落ち着かせる。それでもその手は震えていたが、それを隠して言う。

 

「コーディネイターの未来……です…」

「そうだ。我らは一刻でも早く、我らを蝕むナチュラル共を殲滅せねばならん」

 

 ザラは、まるでそれがプラントに住む全ての人間の総意であるかのように言った。

 クライン議長は過激すぎる言い方に眉を歪ませたが、今ここで言い争っても意味が無い。それに、その言葉に賛同する者が多くいることも事実であった。

 

「過ぎた言葉を言ってしまった。申し訳ない、クルーゼ」

 

 頭が冷えたエザリアは謝罪する。彼への怒りはまだ残っていたが、これ以上喚いても何もならない事は理解していた。

 

「いえ、ご子息の身を案じるお気持ちはよく分かります」

 

 クルーゼは言葉とは裏腹に表情の無い顔で答える。

 そしてザラに顔を向けた。

 

「ザラ議員の言う通り、すぐにでも奴らを討ち倒さなければなりません。我が隊の者がこれ以上欠ける前に……」

 

 クルーゼは肩を震わせて顔を伏せた。その様子からは、イザークを失った悲しみが強く伝わってくるかのようだ。

 周りの議員達もその様子に心打たれ、同時に我が子は大丈夫かと心配になる。

 

「皆まで言う必要は無い、クルーゼ。我らの悲願は必ず果たされる」

「……ええ…。……そうでしょうとも…」

 

 ザラの言葉を聞いてもただ肩の震えが増すだけで、彼は顔を上げなかった。

 これ以上この場に留めるのは酷だろうと見かねたクラインが退室を許可する。

 

「誤射の責任などについては決まり次第、追って連絡する。退室したまえ」

「……失礼…します…」

 

 クルーゼはフラつきながら、覚束ない足取りで部屋を出て行った。

 

 

 薄暗い自室に帰り着くまで、彼はずっと肩を震わせていた。

 そして中に入り鍵を閉めると、ようやく顔を上げる。

 

「……ククッ…!」

 

 その顔は笑っていた。

 

「フフハハハハハ!!」

 

 そして、堪えきれないというように吹き出した。それは、見る者によっては狂気すら感じさせるものだった。

 ひとしきり笑うと、今度は両手を広げ天を見上げる。

 

「見たかいイロンデル!アイツらの顔!まるで僕が悲しんでいるように見えたらしい!」

 

 演技1つで馬鹿みたいに踊るサル共め。あの場で哄笑しなかった自分を褒めてやりたいぐらいだ。

 

「本当に笑えるよ!可笑しくてたまらない!」

 

 クルーゼはまた笑う。

 

「……人間というのはつくづく愚かだ」

 

 だが、その嘲笑が終わると逆に口を歪ませた。

 仮面を脱ぎ捨て、ベッドに倒れる。そして枕に顔を埋めた。

 

「愚か者しかいないのさ……‼」

 

 先程の会議で報告しなかったことが1つある。

 イザークが、《まるでシャトルの盾になるように砲撃をくらった》ことだ。

 

 クルーゼはその考えを、気のせいだと切り捨てていた。

 イザークはコーディネイターだ。ナチュラルが乗った船を庇うことなど、万に一つもありはしない。

 

「有り得ないんだ。人間などという()()()()が歩み寄るなど…‼︎」

 

 上げた顔には、僅かに涙が滲んでいた。

 

「でなければ……君が…殺されるものか…‼︎」

 

 脳裏に浮かぶのは、『彼女』とのかけがえのない日々。

 

 親に甘えてみたかった。友達を作って遊びたいと思ったこともあった。

 それがありえないと解ってしまった。

 

 そんな孔の空いた自分を……『彼女』が満たしてくれた。

 

 笑って、怒って、泣いて……。

 そしてまた笑うことができた日常。

 

 自分が生きていると思えた。

 生きて良いのだと……信じることができた。

 

 何よりも、『生きたい』と願った時間。

 

 もう二度と……帰ってこない……。

 

「君は馬鹿だ……‼︎…何故こんな間違った世界で生まれてしまったんだ…!」

 

 目を拭い、しかしどれだけ叫ぼうが、現実は変わらない。

 泣いても、願っても、悲しんでも、懺悔しても、叫んでも、呪っても、殺しても、逃げても、縋っても、欺いても、誑かしても……。

 

 彼が愛した少女は……もういないのだ。

 

「……あぁ分かってるよ…!僕に任せて‼︎」

 

 クルーゼは顔を上げ、棚の引き出しから薬を取り出してそのまま飲み込んだ。

 

「君が正しいんだと……世界が狂っているんだと…証明してみせるよ‼︎」

 

 鏡に映った自分と目が合う。

 憎い憎いその顔を殴れば、ヒビが無数の眼を映す。

 その瞳に映る感情は、深い絶望だけだった。

 

「君の声が聞こえないのはアレのせいだ‼︎」

 

 狂った瞳で、虚空に向かって叫んだ。

 『彼女』と同じ顔をした『紛い物』へ、怨嗟を込めて叫ぶ。

 

「あの贋作のせいだ‼︎」

 

 そうだ。

 あの人形が『彼女』を穢しているから。

 

「アレを殺さないと…!……そうさ!クローンなんて最初から存在してはいけなかったんだ‼︎」

 

 再び、彼の顔に笑みが浮かぶ。

 三日月に開いた口が憎悪を吐きだす。

 

「世界が間違っているなら……君の理想は何の意味もない‼︎」

 

 崇拝する『彼女』の言葉を思い返す。

 そしてそれを否定する。

 

「この世界に生きてはいけない者も……居るんだよ…」

 

 これは『彼女』への裏切りかもしれない。

 だが、それでも良かった。

 

 新しい仮面を棚から取り出し、それを付けた彼は、先程とは打って変わって落ち着いた口調で言う。

 

「……私はラウ・ル・クルーゼだ」

 

 激情を仮面に隠して、彼は自分自身を騙す。そしてそれでも変わらない胸の内を虚空に呟く。

 

「君の笑顔のためなら、何だってやってやるさ」

 

 その口調は冷たく無機質なものになっていた。

 

「その為に……このゴミの様な命を…延ばして来たんだ……」

 

 それだけが、偽りだらけの自分に出来る唯一の贖罪だった。

 

「だから…」

 

 彼は願う。

 その顔は笑って(壊れて)いた。

 

「……笑ってよ…」

 

 まるで呪いのように響いたその言葉に、誰も答えてはくれなかった。



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第35話 砂漠の大天使

 アフリカ大陸の北端。その砂漠地帯。

 

 それが、現在アークエンジェルが居る場所だ。

 

 ザフトの勢力圏。

 その中に単艦で降りてしまった。

 

 ブリッジで、ナタルとマリューはブリーフィングをする。

 

「仕方のない事だったとはいえ、やはりここに降りたのは間違いだったのかしら……あの機体を諦めてでも、アラスカに降りていれば──」

「そんな事はありません。『ストライク』を見捨てる事こそ、軍への裏切りです」

「……そう言ってくれるのね」

 

 自らの甘さを間違いではないかと悩むマリューに、ナタルは励ましではなくとも支えになる言葉を言った。

 

 マリューは卓上の地図と睨めっこをする彼女の横顔を見る。

 ナタルは出会ったばかりの頃の印象から少し変化していると、彼女は思った。

 軍に忠実である事に変わりは無いが、まだ艦長の立場に慣れていない自分を補おうとしてくれている。

 本来なら座る事のない椅子に座って、命が消えていくのが嫌でも目に入るマリューにとって、ありがたい事だった。

 

「……何か?」

 

 送っていた視線に彼女は気付く。

 マリューは少し微笑んだ。

 

「いえ。何でもないの。…ただ……私が迷った時、助言してくれる貴女がいる。…それはとても心強いわ」

 

 頼りっぱなしではいけないと思う反面、頼れる人が傍にいるという安心感がある。

 その言葉にナタルは驚いたように目を開き、それを軍帽で隠す。

 僅かに沈黙し、顔を上げた。

 

「……私は…私の役目を果たします。それだけです。……ポワソン少佐のように…」

「…そうね」

 

 ()()の名前をあえて口にする声に、ブリッジの全員が身を硬くした。

 

 イロンデルは大気圏に『ジン』に乗って落ちていった。

 

 その機体に突入に耐える能力は……無い。

 突入の衝撃で機体が壊れるか、内部の温度で蒸し焼きにされるか。

 彼女はそのどちらかになったのだ。

 

 それはつまり、『イロンデル・ポワソンは死んだ』という可能性が非常に高い──いや、()()だということだ。

 

 今まで当たり前のように居た存在がもう居ない。

 

 それはアークエンジェルに乗る、『1人を除く』全員にとって、初めての事だった。

 

「よ!元気してる?」

 

 重い空気を払うように、その唯一の例外であるフラガがコーヒーカップを片手に呑気にブリッジに入ってきた。

 

「どうしたどうした。皆揃って辛気臭い顔しちゃって」

「フラガ少佐…」

 

 クルーの肩を荒く叩きながらコーヒーを啜る姿に、マリュー達は毒気を抜かれる。

 

「イロンデルが居なくて寂しいのは分かるけどさ、少しはリラックスするのも大事だぜ?」

「彼女は生きている……。そう思いますか?」

 

 『死んだ』ではなく『居ない』という言葉を選んだことに、マリューは気付いた。

 

「んー…。何て言うかなぁ……」

 

 彼はコップをデスクに置くと、少しだけ遠い目をした。

 彼がこんな顔をするのは珍しいなと、マリューは思った。

 彼の瞳には哀愁が宿り、それが一層普段とのギャップを感じさせる。そして、どこか悔やむようでもある。

 

()と違うんだよ。アイツは死んでない。そう思っちまうんだ」

 

 彼は再びコーヒーを手に取ると、それを飲み干す。

 空になったカップの底を見つめる。そこには、誰かの顔が映っているかのように。

 

「……ま、俺の勘だけどな」

 

 だがそれも一瞬のことだった。すぐに気を取り直すかのように笑い、肩をすくめた。

 

「それに!アイツが生きていようが死んでいようが。俺たちの状況が変わるわけでもないだろ?」

「……そうですね」

 

 マリューは釣られるように小さく笑うと、自身の頬を両手で叩き、意識を切り替える

 彼の言う通り暗い顔をしていても何も変わらないのだ。ずっと沈んでいるわけにもいかない。

 

「各員、現在把握できる状況を確認。ナタルはそれを整理して。いつまでもここに留まるわけにいかないわ。この先どう動くか、考えましょう」

「了解しました」

 

 ナタル達は敬礼をして応えると、端末を操作する。これからどうすればいいかは分からない。だが、何もしないでいては何もできない。『可能』を『実行』に。確かイロンデルもそんな事を言っていただろうか。

 

 それを見たフラガは、艦長席の隣に立つ。

 仕事を始めたマリューの横顔を見て、彼は満足げに笑みを浮かべた。

 

「良いねぇ。『ラミアス()()』って感じだ」

 

 わざと立ち位置を自覚するような言い方をしたのは、彼なりの気遣いだろうか。そんな彼に彼女は艦長として指示を与える。

 

「フラガ少佐は艦隊より引き受けた新型MA『スカイグラスパー』の調整を。いつ敵が現れるか分かりません」

「りょーかい」

 

 彼は気の抜けた返事をして、ブリッジを去った。

 ナタルは作業の手を止めないでマリューに声をかける。

 

「……彼は変わりませんね」

 

 変に緊張してしまっているのが馬鹿らしくなってくる。

 周りのクルー達も良い具合に肩の力が抜けたようだ。

 

 だがマリューは、顔に少し影を落として答える。

 

「そう振る舞っているのよ」

 

 最も彼女と近しい場所に居た彼が、何も思わない筈がない。

 それでも自分達を気遣って、いつも通りを演じてくれているのだ。

 そんな彼に、彼女は心の中で感謝した。

 

◾️

 

 ブリッジを出て程近い男性用トイレの洗面台。

 激しく音を立てて流れ落ちている蛇口を気にする余裕も無く、彼は鏡と向き合う。

 

「……しっかりしろムウ・ラ・フラガ‼︎俺が弱気になってどうする‼︎」

 

 前髪から滴る水滴が台へと落ちていく。

 

「アイツは生きてる‼︎そう思え‼︎」

 

 何度目かも分からず、また顔を洗う。

 

「…大丈夫だ……!俺の『勘』を信じろ!()()()とは…違う……‼︎」

 

 脳裏にフラッシュバックする。

 

 

 冷たい雨。

 小さな微笑み。

 激しい閃光。

 強烈な爆音。

 目の前で飛び散る『あの子』の臓腑と手足。

 横たわり赤く染まった白金髪。

 

 

 今でも鮮明に思い出す、最初に見た『人が死ぬ瞬間』。

 

「──違う……違うだろ!……あの子はアイツじゃない…!」

 

 何度も自分に言い聞かせるように呟く。

 フラガはタオルを取ると、乱暴に顔を拭いた。

 

「あぁ……クソ!……ホントに…らしくねぇなぁ」

 

 フラガは再び、鏡の中の自分を見据える。そこに映る男は、不機嫌そうな表情をしていた。

 眉間にできる皺を必死に伸ばす。

 

「ちゃんと生きてろよ……クソガキ…」

 

 笑顔を作り、いつも通りの『気さくで軽薄な飄々とした男』を取り繕う。

 それが今の自分の役割だと、フラガは理解していた。

 

 

 

 闇の中で、佇む彼女が見える。

 

「イロンデルさん!」

 

 キラは前に進もうと必死に足を動かすが、彼女との距離は縮まらない。

 声をかけても、彼女は振り返らない。

 

「君のせいだ」

 

 彼女はこちらを見ないまま呟いた。

 キラはその言葉に、思わず足を止めた。

 

 虚空から、彼女を取り囲むように複数のMSが現れる。彼らは憎悪に満ちた目で彼女を睨むと、武器を構えた。

 

 デュエルの射撃が彼女を吹き飛ばす。

 ブリッツのサーベルが彼女を焼き焦がす。

 バスターの砲撃が彼女をバラバラにする。

 

 その度に彼女の死体はキラを責める。

 

「君のせいだ」

「ち、違う…!僕は──」

「君のせいだ」

「僕は──」

「君は私を守れなかった」

 

 散らばった死体にはフラガやマリュー、サイやトールたちのモノが混じっていた。

 彼らは一様に、責めるような眼でキラを睨む。

 

「何で守ってくれなかったんだ」

「力があるのだろうに」

「見殺しにしたな」

「裏切り者め」

 

 無数の怨念の声が、彼の耳元で囁く。頭を振って振り払おうとするが、その声は消えない。

 彼の視界は真っ赤に染まった。

 それは、血の海だった。

 

 キラとイロンデルの間に1人の少年が立っている。

 

「アス……ラ…ン」

 

 血と同じ赤い服を着た彼は、拳銃を彼女へと構える。

 

「やめ──」

「お前が殺したんだ」

 

 アスランがそう言った瞬間、乾いた音がして世界が暗転した。

 

「──…うぁぁあああ あ あ あ あ ‼︎‼︎」

 

 悲鳴と共に、キラは目を覚ました。

 

「キラ、起き──」

「イロンデルさんがっ!あの人が‼︎‼︎」

「おい!どうしたんだよ‼︎」

 

 医務室で、目覚めないキラを心配していた学生達は急変した彼の様子にたじろぐ。

 キラが異常なのはすぐに分かった。何の意味もなくベッドの上で暴れていた。壁に手足をぶつけることも厭わず、目は泣きながら虚空を見るばかりだ。

 

 このままでは良くないと、彼らはガムシャラに暴れる彼を押さえつけた。

 

「キラ!キラ‼︎しっかりしろ‼︎」

「嫌だ‼︎嫌だぁぁあ‼︎‼︎」

 

 トールが上半身を抑えるが、その力に負けてしまう。

 

「サイ!カズイ!手伝え‼︎」

 

 医師が運悪く席を外しているのを恨めしく思った。3人がかりでようやく腕と体と足を拘束する。

 だがキラはそんな事には気づかず、むしろ振り解こうと暴れる。

 

「死んじゃう!僕が守らないと‼︎」

「落ち着け!」

 

 サイとカズイは彼を羽交い締めにする。

 こんなことを友人にしていいのかと迷ったが、今はそうするしかなかった。

 

 そこまでしてようやく、キラは落ち着き始める。

 

「守らないと……守ら…」

 

 うわ言のように同じ言葉を連呼しながらではあったが、これまでのことを認知できたようだ。

 だがそれでも、キラは涙を流し続けた。そして、静かに呟いた。

 

「……守れなかった…」

 

 キラはもう一度、確かめるように友人たちに言う。

 

「守れなかったんだね……」

 

 誰もその言葉を否定できなかった。

 

 

「……キラの様子は…?」

 

 戻ってきた医師がキラの診察を終えると、部屋の外でトールはいの一番に尋ねた。

 だが医師は首を横に振った。

 

「分からん。鎮静剤を打ったから、しばらくは大丈夫だと思うが、俺だってコーディネイターを診るのは初めてだ。精神分野は専門外だしな」

 

 艦隊から配属された軍医の説明に彼らはさらに不安げな顔になる。無理もない。あの時のキラは正気を失っていた。

 

「とりあえず言っておくと、身体は内臓も含めて問題無い。……だがどうもなぁ」

 

 医師は口ごもりながら続ける。

 

()が参っちまってるみたいだ」

「……心…?」

「そうだ」

 

 医師はゆっくりと、噛んで含めるような口調で言う。

 

「『鬱病』『トラウマ』『PTSD』……そういう類のものだ。戦場で()()なると厄介なんだよ」

 

 その言葉に、皆黙り込んでしまう。彼が何故あんな風になったか、大体の予想はついていたからだ。

 慕っていたイロンデルが、目の前から離れていったこと。

 ストライクに乗り命の奪い合いの中に身を置くキラにとって、今まで守ってくれていた存在が居なくなってしまったことがどれだけショックだったのかは、つい先ほど見せつけられた通りだ。

 

「『より力を持てる肉体、知識を得られる頭脳』──なんて言われるが、結局は同じ『人』に過ぎないのかもな」

 

 医師の言葉に誰もが納得していた。

 体が強くても、頭が良くても、心は脆く弱いものなのだと。彼らは思い知らされるばかりだった。

 

「本来なら落ち着いた所でゆっくり治すのがセオリーだが、今はそうもいかん」

 

 今居る場所は敵地だ。そして敵は待ってくれない。

 

 医師は沈痛そうな面持ちで続ける。

 

「彼が戦ってくれないと、俺達はすぐ死んじまうんだから」

 

 フラガという優秀なパイロットがいるとはいえ、彼はMA専門だ。イロンデルが居ない今、ストライクまで欠けてしまえばどうなるか。

 それを想像してしまったのだろうカズイは、怯えた表情をした。

 

 キラが戦わなければ。

 キラが敵を殺さなければ。

 キラが皆を守らなければ。

 

 どこまで彼に頼れば気が済むのだろうか。

 サイは自己嫌悪した。

 

「………俺達……何もできないんだな…」

 

 キラは今、眠っているらしい。だからといって、自分たちが何をしてやれるわけでもない。慰めてやるのも違う気がした。

 同じ戦場に居ても結局ブリッジで座っているだけ。

 彼を助けることはできない。

 

「……ま、時々で良いから気にかけてやってくれ。こういうのは俺みたいな部外者より君達友人の方が彼も落ち着くさ」

「……はい」

 

 そう返事したトールだったが、自分に何かできるとは思えなかった。

 

 

 扉から漏れてくるその会話を、キラはベッドの上で聞いてしまった。

 

「……死ぬ………皆……死ぬ………」

 

 夢の光景がぶり返す。

 赤い赤い血の海。

 バラバラになって散らばった──

 

「忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ!」

 

 枕に顔を押し付けて声を殺す。

 

 あれを現実にしたいのか⁉

 僕が戦わないといけないんだぞ‼

 分かっているのか⁉

 

 キラは自分を責め立てた。

 

「僕が──僕が守らないと……‼︎」

 

 もう二度と、あんな思いはしたくない。

 

 ………だから

 ……そのためなら

 

「敵は全部…殺してやる……!」



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第36話 燃える一撃

 砂丘の天辺からアークエンジェルを観察する男が居た。

 彼は白亜の戦艦の様子を見終えると、傍の部下に声をかける。

 

「ちょっと突っついてみようか」

「ええっ⁉︎今からですか⁉︎」

 

 何気ない日常会話のように言ったその言葉に部下は驚く。

 

「あれは()()クルーゼ隊が1人失った程の敵ですよ⁉︎」

「だがそれで第8艦隊を壊滅させ、ツバメちゃんも落としたんだろ?向こうに欠けが有って、こっちには無い。ここは砂漠で僕達のフィールドだ。立て直される前に仕掛けるぞ、ダコスタ」

「……ハァ…。…分かりましたよ、バルトフェルト隊長殿」

 

 ダゴスタはため息を吐きながら力無く頷いた。

 なんだかんだでいつも隊長は成功している。なら今回も大丈夫だろう。

 そう思っている。

 

()からの情報によれば、ストライクのパイロットはイロンデル・ポワソンらしいですから。正規のパイロットが居ない今、ぶつかるには絶好のチャンスかもしれませんね」

「………その情報が正しいなら…な」

 

 燕は鹵獲されたジンに乗っていた。だが先の第8艦隊との戦闘でもストライクは確認されている。それを操ったのはナチュラルだとされているが、そんな雑兵でクルーゼ隊が1機でも墜とされるものなのだろうか。

 既に矛盾している情報を、一体どうして信じられようか。

 

 それを確かめるためにも、戦力評価が必要なのだ。

 

「準備ができ次第に動くぞ」

「了解!」

 

 片手のコーヒーを啜りながら、彼は砂丘を滑り降りた。

 

「さぁ!戦争を始めようか‼︎」

 

◾️

 

 キラはストライクの操縦席の中で、その調整をしていた。何かしていないと落ち着かなかった。ただ目の前のことに集中して、他のことを考えたくなかった。

 だが一区切りつく毎に、視線は外部モニターに移る。

 

 格納庫に居ると、自分でも気付かぬ内に探してしまうのだ。

 周りの人より二回り小さくて、着慣れているはずの軍服は袖が少し余っていて、なのに立ち振る舞いは軍人らしくて、いつも自分を気にかけてくれた彼女を。

 

「イロンデルさん……」

 

 彼女は居ない。

 

「何で……」

 

 何故彼女がここにいないのか。答えは既に知っている筈なのに、心はそれを拒絶する。そして考える事を止めたくても、勝手に考えてしまう。

 

「……あ、ああ…………」

 

 震え始める自分の体を抱きしめ、押さえつけようとして──

 

──《君は暖かいですね》

 

「ぁああぁあああ……」

 

 彼女との最後の記憶が蘇ってしまう。

 

 彼女の熱が上書きされていくようで……

 彼女が生きていた証が消えていくようで……

 

 動機が激しくなる。視界が震える。息が出来なくなる。

 

 苦しい。

 

 誰か助けて欲しい。誰でも良いからこの苦しみから救ってくれ。

 そう願いながら、ただただ苦しむ事しか出来なかった。

 

 その時だった。

 

「おーい!キラ‼︎」

 

 それを打ち消すように、彼を呼ぶ声がした。

 気が付くと胸の苦しさは無くなっていた。

 

 キラがコックピットから顔を出して下を覗くと、ストライクの足元に友人達の姿が見えた。

 キラは昇降ワイヤーを降りて彼らと同じ高さに立つ。

 

「飯にしようぜ!」

 

 トールが笑顔で言う。後ろのサイ達も笑っている。

 

「お前もまだだろ?」

「…カロリーバーなら食べたよ。水も飲んだし」

 

 だがキラは、気にかけてくれる彼らに不愛想な答えしかできなかった。

 せめて無理矢理口角を上げる。しかしそれは不自然極まりなく、誰の目から見ても強がりだと分かった。

 

「いやいや、足りないって」

「大丈夫だよ。僕はコーディネイターだから」

 

 キラは今度こそちゃんと笑ってみせた。だがそれは暗く澱んだ笑みだった。

 

「君達とは体の『性能』が違うんだ」

 

 その言葉を聞いた途端、トール達は皆一様に顔を曇らせる。

 それでもサイは、何とか言葉を紡ぐ。

 

「えっと……じゃあ…俺らが飯食うのに付き合えよ」

「ストライクの調整で忙しいんだ」

 

 キラは素っ気ない。

 しかしここで退いてはいけないと、カズイが言う。

 

「せ、精々30分ぐらいだって。そんな間にできることなんて、たかが知れてるだろう?」

「そうよ。見てるだけで良いから」

 

 ミリアリアも食い下がった。

 今のキラを独りにするのは良くないと、皆知っていた。

 

 キラも友人たちの気遣いに気が付かないほど馬鹿ではない。

 表情は冴えなかったが、それでも渋々と頷く。

 

「……分か──」

《レーザー照準を確認!緊急離床する‼︎》

 

 ナタルの声が放送で響くと同時に、艦全体が激しく揺れる。

 

《接近中の熱源有り!敵勢力と判断!総員、第一戦闘配備‼︎》

 

 それを聞いて、キラの顔色が変わる。

 怯えと恐怖と憎悪が混じった、負の感情に染まった顔に。

 

「おい、これって……」

 

 トール達が驚く中、キラは格納庫を走り出す。

 向かう先は当然、ストライクだ。

 

「あ、待てよキラ!」

「ブリッジへ行くんだ!早く‼︎(ストライク)を出せ‼︎」

 

 目の前の、友人(地球軍人)に命令をし、自身もコックピットへ上がる。

 出撃用の予備設定を焦る指で呼び出す。

 文字を打ち間違いエラーを吐くモニターに、彼は乱暴に拳を振り下ろす。

 

「なんなんだよ‼早く……早くしないと……皆が…‼」

 

 早く早く早く早く早く‼︎

 そうだ…!あの人の言う通りなんだ…‼︎

 

──《誰かを守るというのは、その敵を討つという事だ》

「……分かってます…」

 

 誰かを殺さなくちゃ……誰も守れないんだ!

 

「こちらブリッジ!キラ、準備は──」

「さっさとハッチを開けろよ‼︎敵を殺せないだろ‼︎⁉︎」

 

 通信に映るミリアリアに、彼は怒鳴った。

 

「落ち着いて!まだ命令は出ていな──」

「出てる‼︎《皆を守れ》‼︎イロンデルさんが言った‼︎」

 

 あの人の最期の命令だ。

 軍人ならそれを守らないと。

 それを守るために、あの人を見捨てたのだから。

 

(ストライク)が出ないと皆死ぬぞ‼」

 

 フラガはMAの重力設定に手間取っている。

 ならば自分が出なければならないのだ。

 

 その言葉を聞いて艦長が、渋々ではあったが出撃許可を出す。

 それを聞き終わる前にキラはペダルを踏みこんでいた。

 

 

 相手は獣型のMS──『バクゥ』だ。

 

「クソッ…!こんな奴らに……‼」

 

 砂に足を取られながら、キラはランチャー『アグニ』を構える。だが砲身を動かすとその反動で足がまた沈んだ。射撃は的を外れる。

 

「接地圧ぐらい……‼」

 

 敵の攻撃を跳躍し躱す。と同時にキーボードを叩き始めた。複雑な行程を間違えることなく、正確に文字を羅列していく。

 

 そんな、空中で動きが緩慢なストライクを狙い、バクゥがミサイルを放つ。

 キラはレバーに手を変え避けるが、その動作がもどかしかった。

 

「こんな時イロンデルさんが居たら──何を考えているんだ‼」

 

 自分に叱咤する。

 また彼女に頼ることを考えている弱い自分を心の中で罵倒した。

 

「僕はコーディネイターなんだぞ‼︎」

 

 誰よりも力があるんだ‼︎

 

「だから僕が…──クッ⁉」

 

 気が抜けていた一瞬の隙に、バクゥが1機横を抜けていく。

 それが向かう先にはアークエンジェルがあった。

 

「待て……‼」

 

 キラは追いかけようとするが、運動プログラムの修正は不完全でストライクは片膝をついてしまう。

その間にも、バクゥはアークエンジェルに近付いて行く。

 

「何とかしないと……皆が!……こんな時…イロンデルさんが居れば……!」

 

 あの人なら。

 何時だってどんな時も僕や皆を守った。

 あの人ならこんな奴ら、容易く殺せるんだ。

 あの人は『正しい』人だから。

 あの人のする事に間違いなんて無いから。

 

 ……なら、なんでここに居ないんだ。

 それは──

 

《お前が───》

「うるさい!うるさいうるさいうるさい‼︎」

 

 キラは内から湧く声を黙殺した。

 それ以上考えてはいけない。

 

 今やらなければいけないことは、敵を殺すことだ。

 

 まだ砂に足が取られる。

 だが銃口さえ補正できれば問題ない!

 

「あの人ならできる!」

 

 今まで以上の速さでキーボードを叩く。

 

 そしてバクゥのミサイルが放たれようとした瞬間、アグニの砲撃が正確に機体を消し飛ばした。

 

「……やった…‼︎」

 

 殺せた。

 守れた。

 あの人の言う通りにすれば良いんだ‼︎

 なら、敵は全部殺さないと‼︎

 

 体勢なんてどうでも良い!ただ早く殺せば良い!

 

「僕が…!僕が守らなきゃいけないんだ‼︎」

 

 スラスターを全開にし、次の敵機へと向かう。

 アークエンジェルからもフラガのスカイグラスパーが飛び立った。敵の艦を探るらしい。キラはそれを見送ることなく、残った敵へと突進していった。

 

「命令を守るんだ!だから……敵は死ね‼︎」

 

 ストライクの動きを完全に砂漠に適応させる。

 その様子を見てバクゥ達は砂丘の陰に退き始めた。

 

「逃すもんか…‼︎」

 

 ここで殺さなければまた襲ってくる。追い返すだけではダメだ。

 武装の出力を最大にし、砂漠ごと撃ち抜く。

 

「死ね‼︎死ね‼︎死ねぇぇええ‼︎‼︎」

 

 横方向にそのまま薙ぎ払えば、砂丘を赤く溶かす熱戦が扇を描いた。露わになったバクゥ達は半身或いは全身が爛れ、見る間に爆散した。

 

「……はぁ…はぁ」

 

 極度の緊張が息切れを引き起こすが、まだ敵勢反応は消えていない。

 

「まだ死なないのか…⁉︎」

 

 3機が照射から逃れた。

 コックピットに鳴る警告音は、被ロックオンかバッテリーレッドゾーンか。キラの頭ではもう判別できなかった。

 

 敵のランチャーを避け、必死に打開策を考えようとする。

 だが何も思い浮かばなかった。

 

「僕は……僕は…‼」

 

 その時、複数の戦闘バギーが砂丘を乗り越え躍り出た。

 

 

 バギーの集団と協力しストライクはバクゥらを倒すことができた。

 着底したアークエンジェルの前で彼らは、車両から降りた。そうやら話がしたいようだ。

 

「こういう荒事はクソガキの方が得意なんだけどねぇ……」

 

 外とを繋ぐハッチの前で、フラガは拳銃をいじりながらいつも通りの軽薄な口調で言った。

 それを見るマリューの視線に気づき、彼は肩をすくめる。

 

「血生臭いのは嫌いなんだ。意外だろ?」

「嫌いなのは面倒事でしょう」

 

 ピシャリと言い返され、浮かべていた笑いが歪んでしまう。今度はマリューが意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「……言うようになったじゃねぇの」

 

 イロンデルの影響かもしれないと、何というか負けた気分になりながら、フラガはハッチを開けた。

 

◾️

 

 武装したアラブ系の男たちは『明けの砂漠』と名乗った。

 そのリーダー格であるらしいサイーブは、アークエンジェルの各員の名前を知った後フラガに興味深そうに話しかける。

 

「『エンデュミオンの鷹』か!じゃあ『瑠璃星の燕』も何処かに居るのか?」

 

 その問いに気まずそうな様子を見て、件の人物がそこに居ないことを悟り、残念そうにした。

 

「なんだ、居ないのか。謎多き凄腕エース、一目見たかったんだがな」

()()()……ですか?」

 

 マリューが聞き返す。

 サイーブは大仰にうなずいた。

 

「だってそうだろ?出回ってる写真がどう見ても8歳ぐらいのガキなんだから」

「実際には『クソ』が付くけどな…」

 

 相変わらずの口をきくフラガをマリューは小突く。サイーブはその様子に苦笑し、続けた。

 

「経歴も詐称だらけらしいじゃないか。せめて姿だけでも…って思ったんだが、流石にそう上手くはいかねぇか」

「アンタらゲリラだろ?会わなくて良かったよ。アイツはそういうのに良い顔しないぜ?」

「あんな小狡い戦い方と一緒にするなよ。レジスタンスと言ってくれ」

 

 フラガの言い方にサイーブの後ろにいた少年、アフメドが噛み付く。それに同調するように周りも文句を言い出した。

 

「あーらそ。プライドがお高いのね」

 

 だがフラガはそれを聞き流し、むしろ小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 そんな彼の態度を見て、ムッとするアフメドだったが、サイーブに止められる。

 

 彼は傍らに立つストライクに一瞬目をやった後、つい先ほど戦闘を行った場所を振り返った。

 アグニから放たれたビームの熱は、砂をガラス化させるに充分であった。

 夜の闇の中で、今も砂漠は赫灼としている。

 

「凄い威力だな。『ヘリオポリス』が墜ちるわけだ」

 

 その名前を出され、クルー達の間に動揺が走る。

 

「ウチの情報を舐めてもらっちゃ困る。コロニーに大穴空けたのはあの砲撃だろう?」

 

 口調こそ疑問形だが、確信に満ちた目だった。

 

「あれはザフトが──」

「それも、その()()はアンタらだろ?」

 

 やはり知っていたかと、マリューはひるむ。

 この男の情報はいったいどんな経路をしているかも分からず、油断できない。

 

 その時、ストライクのハッチが開いてキラが降りてくる。

 勝手に降りてきて身を晒すことの不用心さにマリューは心の中で呆れた。

 そんな彼はサイーブを睨んだ。

 

「……僕のせいだって言いたいんですか」

 

 その声には怒気が混じっている。だがサイーブは冷たく返す。

 

「違うって言いたいのか?」

「それは………」

 

 キラは口ごもり、視線を落とした。サイーブの言っていることは正しい。

 自分があの時、ちゃんと動いていればこんな事にはならなかった。

 キラは唇を噛んで黙り込んでしまった。

 

「…!お前‼︎」

 

 不意に少女の声がして、キラの視界が空を映した。後頭部にザラザラした感触があり、砂漠に倒れたのだと気づく。視界の端に拳が見えた気がしたが、声の主に殴られたのだろうか。

 砂を払いながら身を起こせば、周囲の様子が一変していた。

 

 フラガが金髪少女に拳銃を向け、大柄な男が少女を庇うようにその前に立っている。アフメド達も一斉に銃を抜き、事態を見てアークエンジェルのクルー達が控えていたハッチから飛び出して自動小銃をレジスタンスに構えている。

 

 場は一気に火薬庫に変貌していた。

 今ここで殺し合いが起きてもおかしくない。

 

 大柄な男が抵抗しないことを示すように両手を上げ、フラガに言う。

 

「彼女は……ちょっとした()()だった。許してくれ」

「へぇー?じゃあ俺がその『ちょっとした弾み』とやらで引鉄を引いても許してくれるっての?」

 

 対する彼は口調こそいつも通りの軽薄さだったが、声に怒気を多分に混ざっていた。

 周囲の緊張が更に高まっていく。

 

「それはお前が思っている以上の問題を引き起こすことになるぞ」

「馬鹿なゲリラ1人でか?何か『裏』でもありそうだな?」

 

 男の言葉にフラガは挑発で返した。

 

「ムウさん」

 

 キラが体に付いた砂を払いながら立つ。

 

「僕なら大丈夫ですから」

「拳じゃなくて弾なら死んでたんだ」

 

 フラガは厳しい表情で言った。

 

「また目の前で死なれてたまるかよ……!」

 

 そう言って彼は譲らない。それを止める言葉をキラは持っていなかった。

 

 だがそこで、マリューが艦長として命令を出す。

 

「フラガ少佐。銃を下ろしさない」

「………了解」

 

 フラガはその言葉に従い拳銃を下ろしたが、不機嫌さを隠そうとしなかった。

 マリューはサイーブ達に向き直る。

 

「申し訳ありません。こちらも複雑な事情がありまして」

「謝罪は必要ない。非があったのはこちらだ」

 

 サイーブはそう言うと少女を一瞬だけ叱るような眼で見た。

 

「拳1つで始まる惨劇もある…。組織に身を置くなら、個人的な衝動は控えなければならない」

 

 彼が合図をするとレジスタンス達も銃を下ろす。

 

「アンタら宿無しだろ?敵の敵は何とやら。殴ってしまったお詫びというわけではないが、匿ってやろう」

 

 

 同時刻。

 

 バルトフェルトは基地へと戻る車の上で、先程の戦闘を思い返していた。

 戦力評価自体は果たせたが、同時に多大な犠牲も出してしまった。

 

「これは僕の判断ミスだな」

 

 砂に足を囚われているのを見て母艦に強襲を仕掛けさせたが、その直後にストライクの動きが変わった。

 

「あれがナチュラルだって?上はどこで情報をイジったんだか」

 

 信用できない味方というのは厄介なものだ。

 こうなれば、自分で情報を集めるしかない。

 

「町に根を張れ。僅かな情報も逃すな」

 

 指揮車を運転する副官に命令する。

 

「ああ、それからゴシップ雑誌もチェックしておいてくれ」

「……それは、何故です?」

「いいから」

 

 怪しげな笑みを浮かべる隊長を見て、副官はため息をついた。

 バルトフェルトはそんな彼の肩を叩く。

 

「不確かな情報の中にも、少しぐらい真実が混じってるもんさ」



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第37話 手を

「ようこそ。我らの前哨基地へ」

 

 サイーブが洞窟の中へ案内する。

 そこには弾薬や物質などが雑多に積まれている。

 

「こんなところが基地?随分とこぢんまりしてんな。掃き溜めみたいだ」

 

 フラガが皮肉を込めて言う。

 レジスタンス達は不機嫌な眼で彼を睨むが、彼は意に介さない。

 

「コーヒーは?」

 

 サイーブが空気を変えるように湯気の立つカップを差し出した。

 マリューはそれを受け取ろうとするが、やはりフラガが遮った。

 

「何が入ってるか分からねぇ物を飲めってか?」

 

 露骨に眉間に皺を作り、相手を睨んでいる。

 サイーブは気にしていないようだが、周囲のレジスタンス達は警戒を強める。

 

「ちょっと、フラガ少佐」

 

 みかねたマリューは彼の服を引き壁際に寄る。

 

「流石につんけんしすぎです。一時的にでも協力する以上、もう少し愛想良くしてください」

 

 彼自身もそう感じているのだろう。そう言われると気不味そうに目を逸らした。

 

「…警戒は必要だろ」

「やりすぎです」

 

 言い訳を切り捨てると、彼は天井に目を移して息を吸った。そして、吐くと同時に表情を消す。だがそれは一瞬のことで、すぐに元の顔に戻った。

 

「………悪い。ちょっとイライラしててさ」

「気持ちは分かりますが……」

「らしくない…よな?」

 

 フラガは小さくため息を吐く。

 

「…分かってる。少し風を浴びてくるよ」

 

 背中を向け、彼は1人で去っていく。

 

「……ごめんなさい」

「気にするな。彼のような存在が居れば、我々も深く同情しないで済む」

 

 マリューの謝罪にサイーブは笑いながら、卓上に広げた地図の前に彼女らを案内する。だがマリューはそれに集中することができなかった。

 それを見たナタルがそっと彼女に言う。

 

「艦長。こちらは私が見ておきます」

 

 だがマリューは、悩みながらも首を横に振った。

 自分の今の立場を理解しているからだ。

 

「……私は艦長としてここに居なければならないわ」

「では艦長として、この副長の進言をご一考いただきたく」

 

 何てことを言うのだと、マリューは彼女を少し睨んだ。そう言われてしまうと考えざるを得ないではないか。

 こちらの視線を受けナタルが微笑むのを見て、マリューは降参するように頷いた。

 

「…ありがとう」

「こちらはお任せください。後で纏めた物を報告します」

 

 ナタルはこの場の最高責任者として、レジスタンス達と意見を交わし始めた。

 

「あの船の高度は──」

「それなら太平洋を──」

「補給の確保が──」

 

 その会話を彼女に任せ、マリューは場を離れる。

 

◾️

 

 洞窟から出たフラガは近くにあった岩に腰掛ける。そして今なお夜明けには遠い黒い空を睨んだ。

 

「何やってんだろうなぁ……俺って…」

 

 彼は自嘲気味に呟く。

 

「お前が居れば──って……本当にバカだな」

 

 いや。今の自分を見てもイロンデルは、バカとも言ってくれないだろう。

 ただ冷たい、失望した目を向けるだけだ。

 だが今は、そんなものでもいいから欲しかった。

 

「あーあ……。…らしくねぇなぁ!」

 

 普段の自分は、もっと飄々として、いい加減で、その場しのぎの言葉を何の責任も無く、無神経に言う男だったはずだ。

 なのに今は、それができない。

 

「……ちくしょう…」

 

 分かっている。

 彼女が居ないのが辛いのだ。彼女の死を受け入れられない自分が居るのが、たまらなく嫌なのだ。

 

「……親父が失望するわけだ…」

 

 何にもできないクセに何でもできるフリをして、見たくない物から目を逸らしている。

 『不可能を可能にする男』などと自称しても、()()()は『あの時』から何も変わっていない。

 

「……イロンデル…」

 

 その名を持つ、『あの子』も、『クソガキ』も。

 目の前から消えてしまう。

 手を伸ばすことすらしなかった自分は、何と無能な男なのか。

 

「…フラガ少佐……」

 

 ふと心配そうな声と砂を踏む音が、彼の思考を妨げた。

 フラガが振り返るとそこにはやはりマリューが居た。

 

「何?嗤いに来たの?」

 

 フラガはわざと茶化すように言った。

 

「暇なんだねぇ、艦長って立場は」

 

 そう言ってまた空を見上げる。彼女は何も言わず、フラガの隣に座った。

 

「色々面倒事が溜まってるんだろ?」

 

 沈黙に耐えられなくなったのか、フラガの方から口を開いた。

 

「それを押し付けたのは誰でしょうね?」

 

 マリューも冗談混じりに返す。

 

「……ほぉんと、言うようになりやがった…」

 

 軽口を叩くと、彼は大きく息を吸い、吐き出した。

 だが、そこで言葉を止めてしまった。

 すると今度はマリューが独り言のように切り出す。

 

「貴方が無責任な人間だというのは、これまで共に過ごして分かっています」

 

 いきなり酷いことを言う。とフラガが驚いて隣を見ると、彼女は真っ直ぐこちらを向いていた。

 その目から逃れるように彼はすぐに目を伏せた。それはまるで叱られる子供のような顔だ。

 マリューは少し笑い、続ける。

 

「それが素なのか、そう振る舞っているのかは置いておいて、ですが」

 

 フラガは何も答えない。ただ黙って聞いている。マリューには、自分より年上のはずの彼が、とても幼く見えた。

 彼女は彼の肩に手を置く。

 フラガは一瞬だけビクリとしたが、振り払おうとはしなかった。

 

「貴方から見れば私は頼りないでしょうが、それでも自分の役目は果たしたいと思っています。……誰かに支えて貰わないと、マトモに立つことすらできません」

 

 肩に置かれた手から彼女の体温が伝わってくる。それはとても温かくて、冷え切った心をほぐすようだった。

 

「その手助けくらい、貴方に期待させてください」

 

 その言葉を聞いたフラガは、目を閉じ、何かを振り払うように首を振った。

 そして眼を開ける。

 そこにはいつもの彼らしい笑みがあった。

 

「君は強いねぇ」

 

 飄々と言いながら立ち上がる。

 

「女の尻に敷かれるのは勘弁なんだけどな」

「…セクハラですよ」

「え、そう?ちょっとは多めに見てよ」

「仕方ないですね」

 

 顔にまだ暗がりはあったが、それでも幾分か晴れやかなものに変わっていた。

 

 

 キラはアークエンジェルに迷彩ネットを掛け終えると、ストライクから降りてネットの張り具合を計測する。どうやら問題無いようだ。

 そんな彼に、金髪の少女がおずおずと近づいた。

 

「……さっきは悪かった」

 

 キラと顔を合わせると、彼女はまず謝罪した。深く頭を下げる。

 

「下手な言い訳をする気は無い。私のせいで誰かが死ぬところだった」

「……別に…良いよ。…殴られて当然だし」

 

 彼は先程の戦闘を思い返す。

 エネルギー切れのストライクにバクゥが迫った時のことを。

 

「……役に立てなかった」

 

 キラは呟くように、そして悔いるように言った。それは自分の無力さを再確認するようだった。

 

「君達が来なかったら……皆死んでたんだ…」

「お前って根暗なんだな」

「え?」

 

 いきなりの暴言にキラは呆気に取られた。対する少女もその自覚は無いのか、言葉を続ける。

 

「私達が着くまで持ち堪えたのはお前が居たからだろ?」

「……フフ」

 

 キラはその言葉を咀嚼しようとし、その前のあまりにストレートな罵倒に笑ってしまう。

 

「何がおかしい!」

「君は楽観的なんだね」

 

 そんなふうに考える事は今のキラにはできない。

 何か考える時間があると、その隙間を埋め尽くすように自己嫌悪が湧いてくる。それは自分の力が足りないからだ。もっと上手くできたはずだと、どうしても思ってしまう。

 

「お前はもう少し前向きになった方が良いぞ」

 

 少女は呆れたように言うが、キラはその言葉を受けることはできなかった。

 

「──あ、居た居た」

 

 そこに友人たちが現れた。

 何か用かとキラが問いかけると、彼らは揃って笑いながら言った。

 

「飯にしようぜ」

「さっきは食い損ねただろ?」

 

 友人たちの気遣いにキラが躊躇っていると、ミリアリアは居心地悪そうにしていた少女にも声を掛ける。

 

「そっちの……」

「……カガリ・ユラだ。カガリでいい」

 

 カガリは僅かに考えた後で名を答えた。

 

「カガリも一緒にどう?私達同年代みたいだし」

「協力するんだし、同じ釜の飯を食おうぜ」

 

 そう言われ断る理由も無かったカガリは、戸惑いながらもその提案を受け入れる。

 

「僕は…もう少しここに居るよ。機体の整備をしないと」

 

 話を切り上げるのに丁度良いタイミングだと思ったキラは友人たちに断りを入れた。

 だがそうはいかないとトールがキラの背後に回り込んで肩を押す。

 

「キラも何か食えよ。何も食わなきゃ、力も出ないぞ」

 

 だがキラは今はどうしても、何かを食べたいという気になれなかった。トールの手を振り払う。

 

「……いらない。食欲が無いんだ」

 

 それを聞くと、友人たちは困った表情を見せた。それでも何かを食べさせなければと、考えを巡らせる。

 そしてトールが妙案を思い付いたとでも言うように笑った。

 

「キラが食べないなら、俺も食べないぞ」

 

 トールが腕を組むと、それに合わせるように腹の虫が鳴った。

 あまりにも緊張感の欠けた音にカガリも含めた友人たちは吹き出してしまう。

 

「コーディネイターだって腹は空くだろ?」

 

 今一度トールはキラに笑いかけた。するとキラも、仕方がないと困ったように頷いた。

 

「分かったよ。食べる」

「じゃあ行こうぜ!」

 

 友人たちに強引に手を引かれ、彼は歩き出す。しかし今度はその手を振り払うことはなかった。

 

 

 『食事』といっても、今の状況で配給されるものはレーションのような簡易的なものばかりだった。敵地の中で離脱の予定も分からないのだから、仕方ない。

 

「軍隊の飯ってどんなもんかと思ったが、私らと変わらないんだな」

「砂の中で食べるのじゃない分、マシだけどね」

 

 カガリの言葉にカズイが返す。

 そもそもレーションというものはおいしく作られていない。おいしく食べるコツは他人と会話をしながら、その味について思考しないことだ。

 

「ほら、キラも食べろよ」

 

 だがそれを差し引いても、キラの食事の進みは遅かった。

 開封だけされた物を前にして、カトラリーすら持とうとしない。

 

「ああ、うん…」

 

 サイが促すと、ようやく1口だけ口に入れた。ゆっくり咀嚼し、飲み込む。

 その姿を穴が開くほどしっかりと観察したトールが、それと同じ量を食べる。

 

「……そんなに見られると食べづらいんだけど」

「ちゃんと食べてるか見てないと分かんないだろ」

 

 そう言って彼はまたキラを凝視する。

 

「トールって、意外と馬鹿だよね」

「何だよ‼︎そりゃ、お前と比べりゃそうだけど……」

「ああ、ごめん。そんなつもり無くてさ」

 

 思わず零れた言葉にトールは反論した。キラも自分の言ったことがそのまま受け取ればただの罵倒でしかないことに気づき、やや焦りながら取り繕う。

 

「……なんて言うか、一直線…みたいな。そんな感じ」

 

 トールの真っ直ぐな姿勢に、キラは自然とそんな言葉を口にしていた。するとサイがそれを茶化す。

 

「そういうなら考え無し、だろ?」

「あはは!確かに!」

 

 ミリアリアも同意し、友人たちに笑いが起きる。

 

「……フフ…──!」

 

 それに釣られるように、キラも思わず笑みが溢れる。

 だが彼は直ぐにそれを消した。手で口を抑え、無理矢理にでも。

 

「…どうかしたか?」

「……うん。…ちょっと……」

 

 トールの問い掛けに、キラは曖昧な返事をした。

 

 落ち着かない。

 彼らと居ると自分の中の緊張が緩んでしまう。今敵が来たら、出撃までにかかる時間が増えてしまう。そしたら今度こそはこの中に居る誰かが……大切な友人たちが………。

 

 手が震え出し、呼吸が荒くなる。

 

「キラ?また顔色悪いぞ。本当にちゃんと食った方が良いって」

 

 サイが再び食事をするように促すが、キラはただ首を振るだけだ。

 

「……ご…ごめ…ん。やっぱり、整備に行かないと」

 

 コックピットに居たい。

 あそこに居なければ。

 

 彼は揺らめきながら椅子から立ち上がる。

 

「毎回キラがやる必要も無いって。マードックさんとかも居るんだし」

 

 カズイの気遣いに彼はまた首を横に振る。

 

「行かなきゃいけないんだ……。…何か……何か役に立たないと…」

 

 うわ言のようにそう繰り返す。

 

「僕が守らなきゃ……」

「ちょっと待てよ!」

 

 明らかに異常な様子で、このまま行かせてはいけないとサイが慌てて彼を止めに入る。

 少し乱暴に掴みかかろうとした。そうしてでも止めたかった。

 

 だが、それがキラに届くことは無かった。

 

「うるさいな‼︎」

 

 キラは思い切り腕を振るって彼を突き飛ばす。ただ振り払うには力が強すぎた。サイは激しく転倒し、床に倒れ伏す。トールたちがそんな彼に駆け寄るのを、キラはじっと見ていた。

 そして彼らに向かって、冷たい声で言い放つ。

 

「……やめてよね」

 

 その豹変ぶりに、トールは呆然とするしかない。他の皆も同じく言葉を失っている。

 そんな彼らにキラは続ける。

 

「……僕を気遣うのは」

「キラ……?」

 

 戸惑いながら、サイが思わず名前を呼んだ。だが彼はそれに答えない。ただ、友人を見下して言う。

 

「……僕に優しくしないでくれよ…!」

 

 サイは彼が泣いているのかと思った。だが、キラの瞳からは涙が溢れる気配すらない。

 彼はただ、こちらを睨み付けていた。

 

「何言ってんだよ……お前……」

「俺達……友達じゃないか」

 

 トールがそう告げると、キラは表情を歪ませた。そして歯を食いしばりながら言葉を絞り出す。

 

「僕は戦わなきゃいけないんだ……!…イロンデルさんの──…そうだ。そうなんだよ…。あの人の…命令を……守らなきゃ…」

 

 キラ自身、彼女の名を出すことはしたくなかった。だがもう口にしてしまった。

 彼女との記憶が脳裏に浮かぶ。それに吞み込まれていく。

 

「あの人は約束したんだ……。アークエンジェルに帰ってくるって……。…また会いましょうって……。……傍に居て欲しかった……」

 

 口に出すともう止まらなかった。

 ずっと体の中で渦巻いていた後悔と自虐が、津波となって押し寄せてくる。

 

「……僕が守れなかったから…あの人は居ないんだ……。…君達はここに居るんだ……」

 

 そしてキラはトールたちに、いや、彼らにではない。自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。

 

「全部……僕のせいなんだ…」

 

 ヘリオポリスが壊れたのも。

 あの人が居ないのも。

 この艦が砂漠に不時着したのも。

 

「僕のせい……。…そうだ。僕が悪いんだ……!」

 

 皆を危険に晒している原因が誰なのか。宙吊りになっていた問いが答えを見つけてしまった。

 

「僕なんかが思い上がって!何の役にも立ってないクセに‼︎何がコーディネイターだよ!何が地球軍人だよ!僕は何も守れてない‼︎」

 

 彼はもはや何も見えてはいない。己の内から湧き上がる黒い感情に急き立てられるように叫び続け、ただ自分を責め続ける。

 

「キラ……」

 

 サイは床に座り込んだまま、ただ名前を呼んだ。

 キラは声を止め、ゆっくりと彼を見下ろした。

 

「──ああ、ごめん。少し疲れてるんだ」

 

 先程までの激情が嘘のように、静かな声を発する。

 サイは自分の言葉が彼には届いていないのだと痛感した。

 

「お前……大丈夫なのかよ…」

 

 それでもサイは友人を案じ、そう問いかけた。

 

「大丈夫だよ。安心して」

 

 キラは笑顔で答える。

 不気味で歪で、見るに堪えないその笑顔にサイは二の句を次げなくなる。もはや会話が繋がっているかも分からなかった。

 そんな顔で、キラは言う。

 

「皆、(ストライク)が守るから」

 

 キラは友人たちの顔をぐるりと見渡した後、もう一度微笑んだ。

 

「……ごめんね。…僕、弱くってさ」

 

 細く長い、震えるような声だった。

 

「…でも……コーディネイターだから」

 

 その震えを誤魔化すように、キラは拳を握る。だが友人たちには、その姿が痛ましく見えるだけだった。だが彼はそれで自分を騙せていると錯覚したままだった。

 

「僕にしか、ストライクは扱えないんだ」

 

 そして彼は己の弱さを呪い、ひたすらに戦うのだ。

 戦って、戦って、殺す。

 死ぬまで、ずっと。

 

「僕が殺さないと……。…そうしないと……皆死んじゃうから…」

 

 キラは虚な目をして去っていく。

 それを誰も、止められなかった。

 

 

 格納庫のストライク。そのコックピットの中で、キラは膝を抱えてい泣いていた。

 

 1人になりたかった。1人で考える時間が欲しかった。

 だが1人で居れば、悪い考えだけが浮かんでいく。

 

「……ごめんなさい…」

 

 涙で濡れた口から零れるのは、後悔と懺悔だった。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい‼︎」

 

 何に謝ればいいのかも分からないまま、キラはただ謝る。

 

「僕は……僕はぁ……!」

 

 嗚咽しながら、先程の友人たちに対する行いを悔いる。

 

「貴女が居ないと何もできないのに……‼︎」

 

 彼女が居ればこんなことにはならなかった。

 そして、彼女が居ないのは自分のせいだ。

 

「僕は間違えたんだ……‼︎…貴女の言いつけを破って…アークエンジェルで待っていなかったから…‼︎」

 

 あの人ならあんな状況からでも完璧に敵を殺して生還したに違いない。

 あの人は強い人だから。

 あの人は間違えないから。

 あの人はいつも『正しい』んだ。

 

「なんで……僕は…!……こんな…‼︎」

 

 弱くて醜い、間違ってばかりいる奴なんだ。

 

 彼女への()()を裏切った事に、キラは自己嫌悪する。

 自分を許せないという衝動に身を任せ、自らの手首を掻きむしった。

 

「……痛い…」

 

 皮が剥がれ、赤く変色していく。

 

「痛い……痛くて…安心できる……」

 

 心地良かった。

 でも、まだ足りない。

 もっと傷つけ。もっと苦しめ。報いを受けろ。

 

 全部僕が悪いのだから。

 

「もっと痛くしないと……」

 

 血の滲む手首に、さらに爪をたてる。

 

「痛い……。…はい……痛いです…。……だから…生きてる。…そうですよね?……イロンデルさん」

 

 血の匂いがした。

 アルテミスで嗅いだ彼女の匂い。

 舌で味わうと彼女と同じに成れる気がした。

 彼女と同じに成れば、もっと強くいられる。

 

「僕が強くなくちゃ…」

 

 その表情は歪んだ笑顔のまま── キラ・ヤマトは己を呪う。

 

「僕には『力』があるんだ。それに『命令』も」

 

 『思い』なんて必要ない。そんなものでは、何も守れない。

 それが、キラが戦争で学んだことだ。

 

「この2つがあれば……僕は…誰だって殺してやる…‼︎」

 

 血濡れた口を三日月に歪める。

 

「殺さなきゃいけないんだ…!あの人みたいに…!」

 

 あの人がしたように。

 あの人がされたように。

 

 何と簡単な答えなのだろうか。

 

「ハハ…ハハハハッ…‼︎」

 

 壊れかけた笑い(泣き)声が、ストライクのコックピット内に響く。

 それはこの艦に居る誰の声よりも幼く、まるで子供が癇癪を起しているかのように聞こえた。

 

 

 誰も待ってはくれない。

 

 その言葉を証明するかのように、夜更けの町タッシルは『虎』により焼かれた。

 

 慌てて向かったレジスタンス達に付き添ってフラガやナタルもそこを訪れたが、不思議と死者はいなかった。バルトフェルトは事前に警告を行い、食料や弾薬を失わせるだけに留めたのだ。

 

 大量の避難民が身を寄せ合う光景に、フラガは独り言のように零す。

 

「全く、ここにイロンデルが居なくて良かった、なんて思う時が来るとはね」

 

 隣にいたナタルが意外そうに彼に振り向いた。

 

「アイツらの手癖なのかねぇ。物を消して人を残すってのは…」

 

 フラガは燃える町を見ながら、皮肉そうに笑った。

 

「人は残って、物資は消えた。次どうなるか分かるか?…残った物を奪い合うのさ。殺してでもな」

「そんな……」

 

 ナタルが信じられないという顔をする。だがフラガは首を横に振った。

 歴史が証明している事実だからだ。そのようなことが、何度も繰り返されている。

 

「敵は手を出さずに見てれば良い。……さぞ滑稽だろうよ。せっかく見逃してやった命が自滅していくんだからな」

 

 彼はナタルに向き直る。

 

「『エイプリルフール・クライシス』。アンタも知ってるだろ?…これはソレの再現だよ…」

 

 それはかつて、プラントにより地球に数多のNJ(ニュートロン・ジャマー)が撃ち込まれた事件だ。原子力発電が不可能になり、地球全体が深刻なエネルギー不足に陥った。そして何億人もの餓死者が出た悲劇。

 規模こそ小さいが、今ここで起こっていることはそれと同じことだった。

 

「『自分達は不必要に命を奪っているのではありません』ってか?合理的だよな。直接撃つより精神的な疲労は少ないし弾も節約できる。相手に選択肢を与えたフリをして、その醜い所を曝け出す。そう言うのを相手するのは楽だぜ?『自分達は正義の為に戦ってる』って安心できるんだから」

 

 フラガは燃える町を見て静かにそう告げた。ナタルは思わず身を強張らせる。

 

「……何とかしてやりたいがな……。俺達だってギリギリだ」

 

 フラガはそう言って首を横に振った。

 

「もし彼らが『虎』へ降伏するなら……」

「…助かるだろうな」

 

 ナタルの問いかけにフラガは答える。

 

 『クライシス』の時もそうだった。プラントに──コーディネイターに従属するならば支援は受けられたはずだ。

 そうでなくとも、残ったエネルギーや資源を復興に向けていれば被害は軽減できた。

 

「……でも、アイツらはそんな事しない」

 

 憤り反撃の声を上げるゲリラ達をみながら、フラガは心底軽蔑しながら言い切った。

 彼らは、地球の多くの国がそうだったように──

 

「プライドが高いからな」

 

 男達は武器をバギーに積み込んでいく。止めようとする者の手を振り払って。少ない物資を更に擦り減らし、残される者の事を考えずに。

 

「こういうの、アイツは一番嫌いなんだ」

 

 全く無関係な民間人までもが巻き込まれる、この惨状が。

 

「ここにアイツが居たら…荒れただろうな」

 

 狡猾な虎に、プライドに固辞するゲリラに、そして何よりこの事態を防げなかった自分に、怒り狂っただろう。

 その行き場の無い矛先は間違いなくこちらに向いただろうなと、フラガは冗談混じりに考えるのだった。

 

 そんな彼の耳に、ふとバギーの音がする。

 ゲリラ達は碌な下準備も無く、手持ちの装備だけで反撃に行くようだった。

 てっきり、地雷や罠を仕掛けて翌朝にでも行くのだろう。それまでに少しは頭も冷えるだろう。などと思っていたフラガは、そのあまりにも短絡的な行動に歯噛みする。

 

「……ああクソ…。やっぱ居た方が良かったかもな…!」

 

 砂丘を駆け降りて彼らに向かう。

 こういう役目は彼女の受け持ちだ。自分には似合わない。

 それを分かっていながら、彼は男達に怒鳴りかける。

 

「オイお前ら!まさか敵討ちに行こうなんて言うんじゃないだろうな‼︎」

「このまま泣き寝入りなんてできるかよ!」

 

 フラガの呼びかけに答えた彼らは、もはや理性的では無い。貧弱な装備で、本気で虎に勝てると思っているようだった。

 フラガは舌打ちする。

 

「ならここにいる家族を置いていくのか?コイツらを遺族にして、頼りになるはずの男手もない、奪われるだけの弱者にでもしたいのか⁉︎ああ良いさ。置いていけば良い!女も子供も!『使い道』はいくらでもあるもんな‼︎」

 

 フラガの怒声に、男達が一瞬怯む。だがすぐに怒りを向けた。

 

「てめぇ…‼︎」

 

 1人の男がバギーを降りて彼に迫る。彼は殴りかからんばかりその胸ぐらを掴んだ。だがフラガは平然とし、笑いすら浮かべている。

 

「何だよ、置いていきたいんだろ?自分のプライドを優先して、無意味に死にたいんだろ?」

「んだと……⁉」

 

 男の拳が震える。

 

「彼の言う通りだ」

 

 が、それは割り込んだ声に止められた。

 サイーブだ。彼は周囲の惨状を見渡し、静かに、だがよく通る声で言う。

 

「残った物資を集めろ。今後の身の振り方も兼ねて配当を決める」

「俺たちに『虎』の犬になれっていうのか‼」

 

 男が今度はサイーブに噛みつく。

 

「守るものを間違えるな‼」

 

 だが彼は倍の勢いで怒鳴り返した。

 普段見ない彼の激昂にレジスタンス達はたじろぐ。それ以上の反論が無いことを確認すると、彼は町の重役達のところへ向かった。レジスタンス達も渋々ではあったが、物資の輸送を手伝い始める。

 

「……やれやれだな」

 

 フラガは溜息と共に砂漠に腰を下ろした。

 

「俺が言わなくても良かったか」

 

 無駄に似合わない事をしてしまったと、彼は苦笑する。するとそこに、カガリがやってきた。

 

「アンタ……嫌なやつだな」

「分かりやすい評価をしてくれてどうもありがとう。……自覚はあるさ」

 

 フラガは肩をすくめる。カガリはそんな彼をしばらく睨んでいたが、やがて視線を逸らす。

 

「でも……虎よりは良いやつだ」

「…そりゃどうも」

 

 カガリはそう言って去っていった。

 残されたフラガは、燃える町と避難民を見て考える。

 

 正直に言って、虎が本気なら虐殺もできただろう。

 それをしなかったのは、気紛れか、慈悲か。

 

 物思いに耽るフラガに、今度はナタルが近づいた。

 

「……あのような言い方は余り褒められたものではありません」

「知ってるよ。でも、誰かが言わなきゃいけないことだ」

 

 フラガにとって『父親の都合で子供が振り回される』というのは、絶対に見過ごせない事だった。

 その先にあるものを彼は知っている。心を蝕む眼を。そして、目の前で消えた命を。

 あんなものが繰り返されて良いはずが無いのだ。

 

「…イロンデルならそうしただろうよ」

 

 そう言って誤魔化すように笑う。

 

「別にどっちが『悪い』とか『正しい』って話をしたいわけじゃない。地球軍だってやる事やってるしな」

 

 そもそも『クライシス』は『血のバレンタイン』の報復だ。

 その惨劇も、元はプラントが規約を無視したからであり、その規約が作られたのもまた、地球側が重い規制を敷いたからだ。その規制ができた理由も──。

 辿ればキリが無い。

 悪意が悪意を造り、悲劇が悲劇を呼ぶ。そしてその悪意や悲劇はまた、新たな惨劇を産み出す。

 絶滅戦争になっていないのが不思議なくらいだ。

 

 ……それとも…()()なっていないだけか。

 

「《誰かが区切りを付けなきゃ、人はどこまでだって殺し合う。そういう生き物だ》」

 

 彼らしからぬ詩的で悲観的な言葉に、ナタルは不思議そうな顔をしてしまう。

 

「な〜んて、な。ナギの言葉だ」

 

 フラガはその顔に気づいて、ふざけた調子で付け足した。だが少し、湿っぽい語調になってしまう。

 

「頭が良い奴は何で揃いも揃ってウジウジしてんのかねぇ」

 

 そう言ってフラガは伸びをする。無理をしているのは明らかだった。

 

「アイツが言うには、《墓穴は自分で掘るもの》なんだとよ」

 

 その時の彼女の姿をフラガは忘れない。

 涙を流しながら、自分の膝の上で静かに泣く姿を。

 

「…上から目線でメソメソされちゃあな」

 

 夜明けが近づき白ばむ空に、彼は今は亡き彼女を偲ぶ。

 

「たまんないよ……。…いつも笑ってた女が、目の前で泣いてる姿は……」

 

 その声は、ナタルには酷く物悲しく聞こえた。

 

「……マリューには言わないでくれよ?」

 

 取り繕うようにフラガは笑う。ナタルは少しだけ目を逸らしてしまった。

 

「……約束します」

「ありがとう」

 

 フラガはそう言って彼女に背を向けた。彼は、今の自分の顔を見られたくなかったのだ。

 

 だが彼はすぐに周囲の違和感に気づき、立ち上がった。

 ナタルが心配そうに問う。

 

「どうされました?」

「バギーの音が止まってない…!」

 

 フラガはそう叫んで走り出した。ナタルも慌てて追いかける。

 音源を辿れば、サイーブが若い衆に叫んでいた。

 

「お前ら何やってる‼︎」

「うるせぇ‼︎他所者に言われて引き下がれるか‼︎」

「どのみちここはもう終わりさ‼︎」

 

 見る間に砂煙を上げ、ランチャーを片手にした男達が数台のバギーで走り出した。

 

「待て!アフメド‼戻れ‼」

 

 カガリの声も届かないようだった。

 サイーブやキサカは車を回し、飛び乗った彼女と共に男達を追いかけ始める。

 

「……区切りをつけられない奴もいるってことかねぇ」

 

 フラガは端的にそう評価した。

 

「艦長に連絡を‼」

「だよねぇ」

 

 ナタルの叫びに彼は緩く答えた。

 彼らを引き留められなかったことを怒られるだろうか。何と言い返そうか考えながら、フラガはアークエンジェルに通信を繋ぐ。

 

 

 バルトフェルトは後方から追いかけてくるバギーを見て、すっかり青くなった空を見上げる。

 

「もっと多いと思ったが…読み負けたか。…いや、天使様が入れ知恵したのかな?」

 

 部下達に指示すれば、彼らは容易くレジスタンス達を蹴散らし、すり潰した。

 ()()()反撃でバクゥ1機が足を損傷したが、その程度だ。

 

 その頃になってようやく、『虎』が待っていた別の標的が姿を見せた。

 

「……さて、お手並み拝見だ。…連合の『白い悪魔』殿」

 

 

 動きの良いバクゥを何とか撃退したキラは、無惨に散ったゲリラ達を見下ろす。

 

「『命令』を無視するからこんな事になるんだ」

 

 コックピットのシートにもたれて、、キラは呟く。

 

「……『思い』なんかじゃ…何も守れない…」

 

 やっぱりあの人は正しいんだ。

 

「『力』が無きゃ……誰も守れない」

 

 蒸れた手首の傷がズキズキと痛んだ。

 不快なはずなのに、今は何よりも心地よかった。

 

 無意識のうちに、キラはまたその傷に爪を這わせていた。

 

 

 やがて日は高く昇る。

 タッシルの避難民を抱えたレジスタンス達も、戦闘で消耗したアークエンジェルも、補給が必要だった。

 

 そこでナタル達は軍需品を。カガリが日用品を調達することにし、キラはカガリの護衛に任命された。

 

 そのことをアークエンジェルでマリューから聞かされ、キラは嫌がる顔をした。

 

「僕が出かけてる間に敵襲があれば…」

「安心しろよ。俺がいるから」

 

 彼女の半歩後ろからフラガがにこやかに言う。

 

「でも……」

 

 キラはなおも何か言いたげだ。

 

「気張りっぱなしじゃ疲れるぞ。時々サボるのも大事なんだよ」

「……イロンデルさんならここに残ります」

 

 フラガはそれを聞いて少しバツの悪そうな顔になる。

 そこで旗色が悪いとみたマリューが、キラ(軍人)が従わざるをえない言い方に変える。

 

「護衛として、彼女と共に買い出しに行きなさい。これは艦長としての『命令』です」

「…………了解」

 

 マリューにそう言われればさすがに反論もできず、キラも渋々だったがカガリ達と共に町へ出かけたのだった。

 

 

 それなりの人員が出ていき閑静になったブリッジで、フラガはマリューに淹れたコーヒーを差し出す。

 

「珍しいな。アンタが『命令』なんて言葉を使うなんて」

「…ええ」

 

 彼女はそれを受け取り、口に含む。

 

「……実は──」

 

 そうしたのには訳がある。マリューはつい先ほど知った情報を彼にも話すことにした。

 それを聞いて、さすがのフラガも驚愕を顔に出す。

 

「PTSD…⁉︎キラが…⁉︎」

「…ええ。軍医やキラ君の友人から聞いたの」

 

 昨夜は友人に対して暴行()()まで起こしたそうだ。サイが報告しに来たが、誰もケガをしていないので罰則などは無しにして欲しいと頭を下げていた。

 だがキラの状態は、このまま放置できるものではない。

 片時も…寝る時でさえ、ストライクから離れたがらず、先程も『命令』を使ってようやく外出してくれた。

 今のうちに何か策を練ることができないだろうか。

 

 そこでマリューはフラガに良い案は無いかと問いかける。

 

「ストレス解消法…?」

「ええ。そういうの、知らないかしら?」

 

 ベテランパイロットの彼ならば、とマリューはそう思ったのだ。

 

「うーん……俺の場合は…」

 

 フラガは少し考えて、口を開く。

 

「……アンタだな」

「え、わ…私…⁉︎」

 

 自分を出される理由が分からずマリューは戸惑った。フラガは彼女の、カップを持つ手に視線を向け、そして笑った。

 

「昨日は助かったよ」

「ああ、そういうこと……」

 

 マリューは苦笑いしてカップをテーブルに置く。

 

「時々、またお願いしても良い?」

「……まあ、あれぐらいなら…」

 

 マリューがそう答えると、彼は嬉しそうに笑った。その笑顔に彼女も笑う。

 だが、この方法はキラには合わないだろう。他に参考になりそうなことは無いかとマリューは考え、彼が慕う()()ならどうしたのだろうかと思った。

 

 そういえば、フラガが言うには彼女もまた複雑な状況に陥ったことがあったのだったか。

 

「イロンデル少佐は…以前に精神崩壊したと聞きました。そこからどうやって回復を…?」

 

 『血のバレンタイン』における彼女の顛末。その時に聞いたことだ。

 フラガは視線を中空にさまよわせ、少し迷ってから床に目を落とした。

 

「アイツは………あの方法は…参考にならねぇよ…」

 

 重い空気を吐きだし、短くそう答えただけだった。

 これ以上それについて訊いてはいけないのだろうと、マリューは察した。

 

「では日常でのストレスケアは?」

 

 またフラガは視線を迷子にするが、今度はあっさりと答える。

 

「んー…んー………酒だな」

「酒…⁉︎」

 

 思わずオウム返しに驚いてしまった。

 

「あの見た目で…⁉︎」

「俺の部隊にいた頃は、部屋に入ればいつも新しい空き瓶が5、6個転がってたぜ」

 

 マリューにはとても信じられなかったが、なるほど確かに酒はストレス解消に良いと聞く。だがいくらなんでも飲みすぎではないだろうか。

 

「…止めなかったんですか?」

「おいおい冗談だろ?」

 

 フラガは笑い飛ばした。

 

「クソガキと戦争でもしたくなきゃ、アイツの酒にはノータッチ!……それが俺の隊の不文律になってたくらいだよ」

 

 そう言って肩をすくめてみせる。

 

「一度取り上げた事があったんだが……酷かったぜ…本当に…」

 

 見るからにゲッソリとした顔で、フラガは肩を落とした。

 

「………キラ君には真似させられないわね」

 

 マリューは苦笑いを浮かべながら、話題を移す。

 

「ではその貴方の部隊の、他の方々は?」

 

 この際総当たりだ。何か1つでも参考になれば良いが。

 フラガも少し考えて、かつての仲間たちを思い返す。

 

「コララインとナンネイラ……女達は、時々イロンデルと呑んでたな」

 

 どこから仕入れてきたのかも分からない酒の入った瓶を囲んでいた、とフラガは言う。

 

「2人共イロンデルにベッタリだったからな」

 

 女同士で集まって、嫌なことは酒で流していたのだろうと彼は続けた。

 

「クソガキに付き合って飲むから毎回ベロベロでさ。服とか脱ぎ散らかして裸で潰れてんのよ」

 

 昔の思い出に浸っているのか、彼は懐かしむような顔をする。

 

 あの頃は彼にとって、軍にいた時間の中で最も楽しい時間だった。

 心から信頼できる上司。生意気でノリの良い部下達。クセが強いが有能なメカニック。

 全てが揃っていた。

 苦労はあったがそれすらも心地良かった。

 

「俺たち男連中はそういうのを覗いてたりしてたな」

 

 正確に表現するなら覗き見ではなく、目の前で堂々と酒盛りをしていたので嫌でも目に入ってきただけだが。

 

「どっちの体が良い、性格はどっちだ…とかな」

 

 フラガは昔を思い返して笑った。選ばれなかった方が拗ねて酒瓶を投げてきたのも、今では大切な思い出だ。

 

「クソガキが寝た後でしっぽり──」

 

 そこまで言ってようやく、彼は自分を見るマリューの目が氷点下であることに気がついた。

 慌てて咳払いをする。

 

「…ま、まぁ…!キラも女を抱けば良い感じに緊張も解れ──」

 

 が、取り繕うように言った台詞で、その目は更に冷たくなる。もはや絶対零度だ。

 

「………えー…あー……もしかして…セクハラだった?」

「察しが良くて助かります‼︎」

 

 彼女は荒々しくカップをデスクに叩きつけ、席を立つと足早にブリッジを出ていく。

 

「あ、ちょ…!待てよマリュー‼︎ごめんって‼︎」

 

 フラガも慌てて追いかけるが、彼女は取り合わない。

 

「近寄らないで‼︎不潔です‼︎」

「悪かったってばぁ!」

「反省の色がありません‼」

 

 そうして2人は艦橋を出ていく。

 

「……犬も食わないってヤツだよなぁ……」

 

 それを見送った当直のチャンドラは、ぽつりと感想をもらした。



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第38話 正誤

 キラは大量の買い物袋を持ちながら、眩しい光を降らせる太陽を忌々しく睨んだ。

 頼まれた買い物はもうすぐ終わりそうだが、その時間すら勿体無いと思っていた。彼は1秒でも早く、アークエンジェルに──ストライクのコックピットに──帰りたかった。

 

「……何で僕がこんな事を……」

 

 今この瞬間にだって『敵』は自分達の命を奪おうとしているに違いないのに。

 こんな所でこんな事をしている暇はないのに。

 

 キラは歯嚙みする。

 

「おい!何ボケっとしてるんだよ!早く来い!」

 

 カガリが振り返ってキラを急かした。

 彼は知らぬ間に足を止めてしまっていた。

 

「面倒な物は無いが、だからって止まってる暇は無いんだぞ!」

 

 呆れ声を出しながら、彼女はキラの手首を掴んだ。

 

「痛っ……!」

 

 鋭い痛みが腕を走り、キラは思わず袋を落としてしまう。

 

「あ…す、すまん。怪我してるのか?」

 

 カガリは慌てて手を放し、心配そうにキラを覗き込む。

 だがキラはその眼から逃げるように顔を背け、何もなかったかのように袋を拾い上げた。

 

「………大丈夫」

 

 彼はカガリの顔を見ずにそれだけ言うと、また歩き出した。

 

「見せてみろ。悪化したら良くない」

「あ……」

 

 カガリは再度キラに駆け寄り、彼が何か言い返す前にその袖を捲った。その手首の内側には、赤黒い傷が太い線状にカサブタを作っていた。握ってしまった時に開いたのか、その縁から血漿がにじみ出ている。

 

「お前!どうしたんだよこの手首‼︎」

 

 彼女は思わず叫んだ。

 彼女もレジスタンスとして活動する中で多くの傷を見てきた。それゆえ、キラのそれが戦闘によるものではないと理解できた。自傷行為でもしたかのような傷跡が、キラの腕には痛々しく刻まれていた。

 

 だがキラは表情を変えずに答える。

 

「大丈夫。痛いから」

「はぁ……⁉」

 

 彼女は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。そんな彼女に対して彼は続ける。

 

「痛いから生きてるんだって、イロンデルさんが言ってたんだ。痛くて、熱くて、生きてるって思えるんだ」

 

 淡々と言うその姿はまるで幽鬼のようで。

 

「だから大丈夫」

 

 キラはカガリに微笑みかけた。

 だがその笑みを見た彼女はゾッとした。そして同時に、彼が抱える心の闇の深さと危うさを理解した。

 彼女は得体の知れない恐怖を覚えたが、それを振り払いキラに詰め寄る。

 

「……お前……馬鹿か‼」

 

 その剣幕にキラは呆然としてしまう。彼女が声を荒げる理由が分からなかった。

 

「痛いから生きてるなんて……そんなのあるか‼︎」

 

 カガリは怒ったように、キラの襟首を掴んで続ける。

 

「生きてるかどうかなんて…そんなの無くても分かるだろ‼︎」

 

 彼女は襟から手を離し、今度はその手でキラの手を握りしめた。

 

「目が見える!音が聞こえる!熱も匂いも感じてる!心臓だって動いてんだろ‼」

 

 彼女はキラの心臓の上に重ねた手を置いた。

 そしてキラの目を見て叫んだ。

 

「生きてるんだ‼私達は‼」

 

 キラは握られた手から、カガリの体温を感じた。そしてその手が震えていることも。

 昨日レジスタンス達が無謀な敵討ちをして少なくない数の死者が出た。彼女はそれを目の前で見たのだ。『死』を恐れないはずがない。

 それでも彼女は、自分達が生きていると言うのだ。『痛み』なんか無くとも。

 

「でもイロンデルさんは──」

「そいつが何て言うかなんか知るか‼︎私は生きてる‼︎そうだろ⁉︎」

 

 彼女はキラの襟を揺さぶり、まくし立てる。

 

「自分が生きているって思えないなら!この手は何も感じないのかよ‼」

 

 カガリはキラの手を強く握りしめた。

 その手の温度が心地よくて、自分の手に感じる他人の体温が嬉しくて。彼は彼女の手を握り返していた。

 

「……うん……そうだね……」

 

 彼女の震えを止めるように。

 

「……ちゃんと生きてるよ……」

 

 その手は、確かに温かい。

 

「……ありがとう……」

 

 自然と、キラの口から言葉が出ていた。

 それを聞いたカガリは、泣くのを我慢するように顔をくしゃりと歪めた。そして握った手を放すと顔を背けてしまった。

 

「……と、とりあえず!その傷は応急処置しないとな!必要なものを買いに行くぞ!」

 

 彼女は早口でまくし立てると、買い物袋を持って歩き出す。キラはせめて荷物を持とうと追いかける。だが彼女も怪我人にそんなことはさせられないと譲らなかった。

 結局は半分ずつ持つことになり、キラとカガリは並んで歩く。

 

「ったく!余計な買い物だ。お前のせいだからな!」

 

 カガリは横を歩くキラの顔をキッと見た。その視線を受けて彼はまた暗い顔になってしまう。

 

「……そうだね。…僕のせいだ」

「冗談だよ!」

 

 また心の傷に触れてしまったとカガリは焦りながら、慌てて前言を撤回した。それと同時に、キラの持つ精神的な不安定性に心配になるのだった。

 

 カガリは売店に着くと薬と包帯を買い、近くのベンチにキラを座らせる。

 

「レジスタンス仕込みだから痛いだろうが、堪えてくれ」

 

そう言うと彼女は何の遠慮もなく薬液をキラの手首に掛けた。焼けるような痛みがキラを襲い、大きく眉を歪めてしまう。

 カガリはそれに気づき、包帯を巻きながら顔を向けずに言う。

 

「……また『大丈夫』なんて言ったらぶっとばすからな」

「……勘弁してよ」

 

 もうすでに一度殴られているのだ。

 キラは困ったように言うと、カガリの笑い声が聞こえた。

 そして彼女は、仕上げとばかりにキュッと包帯を縛り上げる。

 

「……痛たっ!」

 

 キラは思わず声を上げるが、カガリは満足げだった。

 

「よし。ちゃんと痛がったな」

「…君は意地悪だ」

 

 キラは恨みがましく言う。

 痛いのは、もう嫌だった。

 

「優しくされたくないんだろ?」

「……ごめん」

「謝るならアイツらにだな」

 

 カガリはそう言うとキラの手を取って、自分の手を重ねる。彼女はその温かさをキラに伝えようとするように、ぎゅっと握りしめた。

 キラは驚いた顔をしたが、すぐに薄く笑う。

 

「……そうだね。ちゃんと謝らないと」

 

 重ねた手から彼女の温もりと震えを感じ取る。自分達はまだ生きているという。そしてそれを実感させてくれる。

 

 少しの間そうした後、カガリは思い出したように言う。

 

「とりあえず美味いもの食うぞ。栄養が無きゃ治る傷も治らない」

 

 そしてキラに手を差し伸べた。

 だが彼はその手を取ろうとはせず、申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「お腹は空いてないよ」

「なら無理矢理詰め込んでやる‼︎良いから来い!」

 

 カガリは強引にキラの手を取ると、その手を引いて歩き出した。

 

「ドネル・ケバブって知ってるか?チリソースで食うのが美味いんだ!」

 

 

 カフェで2人が寛いでいると、派手なアロハを着た軽薄そうな謎の男が声をかけてきた。彼とカガリがソースの好みやらで言い合いをしている中、『ブルーコスモス』の過激派が銃を撃ちながら突入してくる。

 キラはカガリを庇って物陰に隠れる。

 

「応戦しろ!遠慮はいらん!」

 

 謎の男は纏う雰囲気を変えると、店のあちこちに潜んでいた者達に鋭く命令を発する。

 その何者か達はブルーコスモスと撃ち合い、その最中で誰かの手からか溢れた銃が、キラの前に転がってきた。

 

 キラは咄嗟にそれを手に取り…───

 

 ──……動けなかった。

 

 彼の頭の中で、ぐるぐると思考が回る。

 

 彼らは撃ってきた。

 なら『敵』だ。

 違う。ザフトじゃない。

 でもこのままじゃカガリが殺される。

 『命令』を守れ。

 撃ち返さなきゃ。

 殺さなきゃ殺されるだけだ。

 でも相手は民間人かも。

 民間人は守らなきゃ。

 ブルーコスモス。

 イロンデルさんの友達もそうだった。

 なら『敵』じゃないのか?

 この男達はどうだろう?

 ザフトかもしれない。

 じゃあ『敵』だ。

 でも僕達に撃ってこない。

 

 …どっちが『敵』なんだ?

 

 ──……分からない。

 

 イロンデルさんならどうする?

 あの人なら。

 『正しい』人なら。

 『軍人』なら。

 

 ………どうするんだ…?

 

「──おい!」

 

 カガリの声にハッとする。

 

 そうだ。

 誰も待ってはくれない。

 何かしなければ。

 

 視界の隅で襲撃者が1人、アロハ服の男に銃を向けていた。

 

「危ない!」

 

 キラは咄嗟に銃を投げ、怯んだ襲撃者を蹴り倒した。

 それと同時に襲撃者の鎮圧は終わり、辺りは静かになる。

 

 隠れていたテーブルの陰からカガリが彼に駆け寄った。

 

「武器を持ってボーっとするな!撃たれたいのか‼︎」

「…ごめん……」

 

 キラは静かに謝った。

 

「い、いや……こっちも強く言い過ぎた。仕方ないよな。怪我してるんだし」

 

 しおらしい様子にカガリは調子が狂う。

 彼女は少し狼狽えながら彼に優しく言う。

 

「無理するなよ?」

「……」

 

 キラはただ俯いていた。

 その時キラの視界に、先程倒した襲撃者が映る。

 どうやらまだ息があるようだ。

 

 キラの喉が干上がる。

 

 キラは彼に攻撃した。ならば襲撃者たちはもう『敵』なのだ。アスランとも、そうであるように。攻撃したなら、されたなら。それは『敵』だ。

 

 キラの頭に、また彼女の言葉が蘇る。

 

── 誰かを守るというのは、その敵を討つという事だ。追い払うのではない。

 

 彼女の言葉を守らなければならない。

 

「……殺さなきゃ…」

 

 キラは虚ろな目で、倒れた襲撃者に向かう。落ちていた拳銃を拾うと、その重さが嫌なくらいにはっきりと感じられた。

 

 殺せ。殺せ。殺せ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!

 

 血反吐を吐きそうな酷い嫌悪感が襲う。心臓が苦しい。手の震えが止まらない。

 だが、それは『間違い』だ。

 

 『正しい』のは……。

 

「あの人が『正しい』んだ……。…そうだ。…いつだって──」

 

 あの人の様にすれば良い。あの人と同じに成れば良い。

 

「止まれ‼︎」

「──やあやあ!先程は助かったよ、若人達」

 

 カガリが手を掴んで止めるのと同時に、アロハの男が彼の前に立ち塞がる。

 男は自然な動作でキラから銃を取り上げると、大げさに感謝の言葉を述べた。

 

「お礼に僕の家に招待しよう。服の汚れも落とせるよ。遠慮は必要無いさ」

 

 そう笑みを浮かべる彼に、店内の仲間らしき者が、生存している襲撃者たちを拘束しながら声を掛ける。

 

「隊長、彼らの処遇はいつも通りでよろしいですか?」

 

 『隊長』と呼ばれたその男は、何でもない事のように返す。

 

「ああ、構わん。丁重に送り返して差し上げろ」

 

 カガリは目の前の男が誰なのか分かった。

 その名を息をのんで呟く。

 

「……アンドリュー・バルトフェルト…」

 

 『虎』が目の前にいる。

 彼女は焦りながらキラの手を掴み直し、やや焦りながら離れようとする。

 

「いや、気にするな。こっちも用事が立て込んでるんだ。早く帰らないといけないから」

「あー…それはお気の毒に」

 

 だがバルトフェルトは気軽な姿勢を崩さず、襲撃まで腰掛けていたテーブルに目をやった。

 キラ達が済ませたはずの買い物袋は、銃撃に巻き込まれ見るも無残なゴミ溜めと化していたのだった。

 

「台無しになった物も弁償する、と言えば断るのは不自然だろ?」

 

◾️

 

 キラ達は『虎』に案内され、豪華なホテルの一室に通された。

 

「部下達に買い物に行かせた。少し待てば帰ってくるだろう。アイシャ、彼女に着替えを頼む」

 

 バルトフェルトは妙に舌足らずに話す女性にカガリを預けると、キラをソファに座らせた。

 

「レディ達が帰ってくるまで、()()しようじゃないか」

 

 おどけた調子でそう言った。

 コーヒーや『Evidence01』についての雑談をしていると、彼はキラがそれを『希望』と評したことに興味を持った。

 彼は不思議そうにキラに言う。

 

「君は……実に()()()()だ」

「え…?」

 

 キラが戸惑いながら訊き返すと、彼は静かな調子で話す。

 

「迷い無く武器を持つクセに、それを使う事に躊躇いがある。かと思えば殺人を実行しようとする。そしてここでは『希望』を口にする」

 

 バルトフェルトはコーヒーカップを机に置くと、改めてキラの目を見る。その目は射抜くように鋭い。

 

「てっきり『狂戦士(バーサーカー)』の類かとも思ったが、どうやらそうではないらしい」

 

 そして小さく笑って言った。彼はソファに深く座り直すと、背もたれに身体を預けてリラックスした姿勢を取る。だがその目は鋭さを失ってはいない。

 キラは居心地の悪さを感じながらも、その目から視線を逸らせずにいた。バルトフェルトは目を細めると口を開く。

 

「何と表現すれば良いのか……。…そう……誰かの…『真似』をしてるみたいだ。それも……酷い猿真似を」

 

 キラは思わず目を見開く。そして図星を突かれたかのように息を詰める。その様子を見たバルトフェルトは愉快そうに笑った。

 

「お、当たりって感じだね。ハハハ!」

 

 その姿は激しくキラを苛立たせた。

 怒りによって、先程の襲撃のことが思い出される。この男はキラの邪魔をしたのだ。あの人への()()の邪魔を。

 

「……何で彼らを殺さなかったんですか」

「ん?……ああ、カフェでのことかい?随分と話が飛んだなぁ」

 

 彼が邪魔したせいで、キラは襲撃者を殺せなかった。『正しい』ことができなかったのだ。

 眉間にシワを刻み彼を睨むが、バルトフェルトは気にせず肩を竦めると軽い調子で言う。

 

「だって気分悪いだろう。既に制圧した男を後から殺すなんて」

 

 バルトフェルトは笑いながら、キラから視線を外しカップを持つ。

 

「僕はそういう事はしない主義なんだ」

「貴方は間違ってる」

 

 苛立ちを抑えきれずに、彼の言葉を遮って強く言う。その言葉で部屋の空気が冷える。

 

「……『間違い』…ね」

 

 彼はゆっくりとコーヒーを口に含むと味わうように目を閉じて飲み込む。そしてカップを置くと目を開いた。その目は先程よりも鋭く光っているように見えた。

 

「そう言うなら君は──」

「おまたせ」

 

 バルトフェルトが何かを言おうとしたところで、突然に扉が開き、アイシャがカガリと共に部屋に戻った。彼女は少しだけバルトフェルトをたしなめる。

 

「アンディ。あんまり意地悪な言い方しちゃダメよ」

「ごめんごめん。ちょっと熱が入ってしまった」

 

 バルトフェルトはそう言うと、軽く手を振りながらニコリと笑う。

 

「待っていたよ、麗しのレディー達」

 

 彼は調子良く言うとカガリ達に座るように促した。カガリはキラの、アイシャはバルトフェルトの隣に。それぞれが座るとバルトフェルトもソファに座り直す。

 彼はキラの方を見ながら言った。

 

「さて、ようやく()()に入れる。……うーん…何から始めようか。困ったぞ。話したい事は多いのに時間は少ない」

 

 彼は困った様子で考え込むと、アイシャに助言を求めた。彼女は少しも悩まず、まるでこうなる事を予期していたかのように、落ち着いた様子で口を開く。

 

「なら簡単なやつからやると良いわ」

「グッドアイデアだ、アイシャ」

 

 彼は確かにそうだと納得した様子で頷いた。

 

「ではそうしよう」

「──ッ⁉」

 

 いきなりバルトフェルトは銃を構えた。

 

 キラはとっさにカガリを庇う態勢をとるが、直前まで座っていたからか上手く体を動かせなかった。

 そんな彼を無視して、バルトフェルトは続ける。

 

「知らない人について行ってはいけない、と御両親から教わらなかったのかな?」

 

 その声色からは先程まであったはずの軽い雰囲気が消え失せて、静かに、しかし獰猛な獣のような威圧感を持っていた。彼は今にも引き金を引きそうな様子で銃口を向けてくる。

 キラは必死に頭を回して事態の解決方法を考える。だが彼の力ではカガリを守る事は愚か、逃げる事もままならないだろう。

 そんな中でカガリは座ったまま、まっすぐ『虎』を睨み返す。

 

「アンタが誰かは知っている」

「なら尚更だ」

 

 バルトフェルトは依然として銃を構えたまま、彼女と視線を交わす。

 カガリはキラの肩に手を置いて落ち着かせるように叩くと、ゆっくりと落ち着いた口調で言う。

 

「私達が何なのか、知ってるみたいだな」

 

 その言葉を聞いたバルトフェルトは感心したように肩を竦めた。

 

「……へぇ。もっと噛みついてくるかと思ってたけど、意外と理性的なんだね」

 

 それは挑発のようにも聞こえたが、純粋な感心も含んでいた。

 カガリは僅かの間目を閉じ、そしてゆっくりと開くと再び『虎』と目を合わせた。そして一拍おいて口を開く。

 

「個人的な衝動のままに動けば、1人死ぬだけで済まなくなる。……身をもって学んだ」

 

 キラを殴ったカガリも。先日のレジスタンス達も。衝動に身を任せた結果は最悪と呼ぶべき状況に陥っただけだった。

 

「私達を殺す気なら、何度もチャンスがあった。…なのに、しなかった。だから、今……アンタは撃たない。……まだ…」

 

 『虎』は狡猾だ。つまり何か目的があって、こうしている。

 そう思いカガリは警戒は緩めず、しかし敵対心を抑えてバルトフェルトと見合った。

 彼は何も言わず、銃も下ろさない。

 

「──フフフフッ…」

 

 だが鈴の転がるような笑い声が、場に響いた。

 

「貴方の『負け』ね。アンディ」

 

 アイシャはさも可笑しそうに彼の方を見た。バルトフェルトもまた、肩を崩して苦笑する。

 

「言わないでよ、アイシャ。僕にだってプライドはあるんだから」

「敗者は潔く負けを認めなさいな」

「それができたら苦労しないよ」

 

 彼はそう言うと、カガリ達に対してキザっぽく笑った。

 

「君の言うことは中々大人びている。『死んだ方がマシ』より断然話しやすい」

「負け惜しみ」

「プライドがあるんだってば」

 

 アイシャの茶化しにバルトフェルトは笑って返す。

 彼は銃を懐に仕舞うとソファに深く腰掛けた。その様子を見てカガリもようやく力を抜く。釣られてキラも警戒を少し緩めた。

 それを見たバルトフェルトは楽しそうに笑う。

 

「いやぁ、見事に僕の負けだ!素晴らしいよ」

 

 先程の雰囲気からガラリと変わり、フランクな態度で彼はカガリ達に向く。キラはどちらが『虎』の本性なのか分からなかった。

 

「君達について、『察し』はついてる。でも、証拠が無いから追及しない。これはちょっとしたジョークさ。無警戒じゃ僕の名が廃る」

 

 これでも一応『虎』だからね。と、バルトフェルトは笑った。

 

「あくまで僕は『戦闘に巻き込まれた民間人を屋敷に誘った』だけ。実は今朝、とても面白い記事を見つけたんだ。オーブに関することだったから、君達オーブ人もコレに興味があるんじゃないかって思ってね」

 

 彼はデスクから雑誌を取ってくると、キラ達に見せるように広げた。そこに載っている写真が目に入る。

 

「──‼……コレは⁉︎」

「凄いよねぇ。ナチュラルがMSを動かしちゃうんだから」

 

 バルトフェルトはキラがただ驚愕しているだけだと思っているようだった。だがキラにとってはその言葉も耳に入らない程の衝撃だった。彼の頭の中は『何故』や、『どうして』、『どうやって』と言った言葉で埋め尽くされ、ぐるぐると視界が回る。あまりの混乱に動けなかった。

 

 カガリは雑誌の記事をすらすらと読み終わると、そこに大きく書かれた文をなぞる。

 

「《史上初!ナチュラルの操るMSの誕生!》……。随分と陳腐な見出しだな。思いついた奴はアホだ」

「そうかな?僕は端的で分かりやすくて良いと思うけど」

「アンタとは分かり合えないな」

「ソースの好みくらいに世界が分かりやすければ良いと僕も思うがね」

 

 カガリの言葉にバルトフェルトは大袈裟に肩を竦めて応えた。彼は雑誌を捲り、写真を指差す。

 

「しかもシャトルを救った英雄!こっち(ザフト)の子も手を貸したみたいだけど、よくやるもんだ。こんな女の子が」

 

 そこには、その『MSを操縦した地球連合軍人のナチュラル』と『プラント議員の御曹司でザフトの赤服のコーディネイター』が、間に『オーブ連合首長国代表首長』であるホムラ代表を挟んで、握手している姿があった。

 

「実に()()()()写真だが、それだけ世間に対する印象は強い。流石は『オーブの獅子』だ」

 

 彼らの一歩後ろに立つ男──ウズミ・ナラ・アスハ前代表──を見てバルトフェルトは言う。それを聞いてカガリの目が少し鋭くなった。『虎』もまた、その真意を探るようにその目を見る。

 ……が、すぐに彼は降参とでも言うように両手を上げて苦笑する。カガリはフンと鼻を鳴らして顔を背けた。

 

 その状況は緊迫とも弛緩とも異なる独特な空気だったが、そんな中でキラは何も頭に入らなかった。

 

 キラは写真に目を奪われたままだった。

 

 その『地球連合の軍人』に。

 

 子供用の病院服から覗く手足は満遍なく、顔も半分が包帯に覆われた姿。だが僅かにその隙間から覗く眼は、体躯は、髪色は。

 思い出さない日などなかった。

 

 間違い無く……彼女だった。

 

「イロンデルさん……」

 

 死んだと思っていた。

 

「良かった……無事だった……」

 

 その事実にキラは心の底から安堵した。同時に胸の中に熱いものが込み上げてくるのを感じる。

 

「…生きてた……生きててくれたんだ……」

 

 彼の目から涙が流れる。その涙を拭おうともせずに、ただ噛み締めていた。

 

 

 だがそれはすぐに止まることになった。

 

 

「困るんだよね。こういうことをされちゃうと」

 

 バルトフェルトはそう言うと、ゾッとする程に冷たい目でキラを見た。そして彼は、底冷えするような冷たい声で告げる。

 

「まるで僕らが『悪者』みたいじゃないか」

 

 空気が張り詰める。

 

「ほら見てよ。ここの文──《人の持つ『正しい心』を彼女達は示した》──だってさ。まさに『悪者』に襲われた罪無き民衆を救う英雄(ヒーロー)。……参っちゃうね」

「何が間違ってるっていうんですか」

 

 赤く腫れた目でキラは殺気を込めてバルトフェルトを睨む。しかし、彼は全く動じなかった。

 

「間違ってるなんて言ってないさ」

 

 そう言うと彼は、キラに笑いかける。だがその目は全く笑っていなかった。

 

「『間違い』……君はさっきもそう言ったな」

 

 彼はそう言うとゆっくりとソファから立ち上がった。

 

「じゃあ逆に訊くが、君は何が『正しい』と思ってるんだ?」

「あの人が『正しい』んだ……。あの人がやること、全部が。敵を殺すこと…だって」

 

 キラは何かに呪われたかのように、そして自分に言い聞かせるようにそう答える。カガリは心配そうにキラの方を見たが、何も言えなかった。

 バルトフェルトは一瞬哀れむような目でキラを見つめる。

 

「…君は──……うん、まぁ…分かる。君が地球軍なら……と()()したなら、上官の命令は絶対だし、僕らはザフト。即ち敵同士だ」

 

 彼は困った様子で頭を搔く。そしてコーヒーを飲み干すと、丁寧にソーサーの上に乗せて置いた。

 再びカガリとキラの目を交互に見つめる。そして静かな口調で諭した。

 

「ザフトの人間として正直に言おうか。シャトルは撃墜するべきだった。何故なら一度でも攻撃したなら、生き残りがそれを広める。それはコーディネイターに対する悪評を生みかねないからだ」

 

 バルトフェルトは手を組み直すと続ける。

 ──まるで教師が生徒に教えるように。

 

「一部の者がしたことは、全体に広がる。ならいっそのこと全滅させた方が誤魔化せる」

 

 彼の口から紡がれる言葉は、確かな論理性を持っていた。だがその言葉の一つ一つに容赦無く刃物を突きつけられているかのような圧力があった。

 

「『死人に口無し』……といってしまうのは味気ないかな?」

 

 例えその下手人がザフトの人間てあろうと如何様にでも言い訳できる。屁理屈を真っ当な意見に変容させ実質無罪にすることだってできるだろう。

 

「この女の子も、シャトルを見捨てるべきだった。そうすればあの艦は砂漠に落ちず、無事にアラスカに辿り着けただろう。ザフトを糾弾する口実にもなり得た。だがそれをしなかったのは……君の言葉を借りるなら、軍人として『間違った』判断だ」

 

 キラは奥歯を噛み締める。

 どうして彼女まで否定されなければならないのか?その言葉を否定したかった。だがバルトフェルトの言う事は正論だった。キラは返す言葉も見つからずに俯く。

 それを見たバルトフェルトは小さくため息をついた。

 

「……ただ、それはあくまで『組織』としての考えだ」

 

 その言葉にキラは顔を上げた。バルトフェルトの口調から、微かにだが優しげなものが混じったように感じられたからだ。

 

「僕『個人』は、シャトルを助けてくれたことに感謝したいよ。……それが例え、『間違い』であったとしてもね」

 

 バルトフェルトは再びソファに戻るとゆったりと腰掛ける。そして優しげな顔で微笑んだ。

 それはキラが初めて目にする表情だった。その目はこちらを真っ直ぐ見ていた。

 

「もう一度訊こう…。…君は何が『正しい』と思う?」

 

 

 キラとカガリを帰らせた後で、バルトフェルトは窓の外を見ながら傍らのアイシャに声を掛ける。

 

「アイシャ、知ってるかい?アヒルって鳥の雛は、初めて見た物を親だと思い込むんだってさ」

 

 その言葉はまるで独り言のようだった。まるで今日の天気の話をするように。あるいはお気に入りの詩集を朗読するように。

 アイシャは黙ってバルトフェルトの言葉を聞く。

 

「それが同種でなくても、鳥でなくても、ましてや……生物でなくても」

 

 ただ愚直にその存在の後を付いていく。居心地のいい池でも、死と隣り合わせの道路でも。その雛はただ意味も知らずにそれが『正しい』のだと信じて追いかける。

 

「あの少年はそれに似ている」

 

 そして彼の場合は、もっと酷いようだ。

 

 まるで親鳥を失った雛。

 翼の動かし方も知らずに巣から落ちた子供だ。

 見様見真似で翼を動かし、未熟な羽で飛べると信じている。

 

「ああいうのを相手するのは……疲れるんだけどねぇ」

 

 窓の外を見つめていたバルトフェルトはゆっくりと彼女の方を見る。アイシャも柔らかく微笑むと彼に告げる。

 

「貴方は『虎』よ」

「分かってる」

 

 捕食者は獲物に慈悲など掛けない。

 それはとうの昔から分かっていることだ。だがどうしても、情というのは産まれてしまう。

 

「君は僕を『間違ってる』と言うかい?」

「言って欲しいなら、そうするわ」

 

 彼女はそう言うと彼の横に立つと優しくバルトフェルトの頭を撫でる。その目は慈愛に満ちていた。

 

 ──少なくとも、バルトフェルトにはそう見えた。

 

「『戦争』……なんだよねぇ…」

 

 1人の『思い』など、何の意味も無い。

 

「……アイシャ。…ごめん」

「謝らないで、アンディ」

 

 彼は目を閉じた。

 

 

 キラはアークエンジェルに戻る帰路で、バルトフェルトとの会話を思い返していた。最後の質問に、彼は答えられなかった。バルトフェルトの部下達が戻って来たのを時間切れにして、逃げるように別れる事になってしまった。

 

「……アイツはタッシルを焼いた」

 

 隣のカガリもまた、振り返るように呟いた。

 

「それは……ザフトにとっては…『正しい』判断だった。……でも私達にとっては、そんなわけない」

 

 敵を討つ事を咎める者はいない。そうしなければ自分達が討たれるだけだから。

 だが彼は、『殺す』ことをしなかった。

 

「その時誰も殺さなかった事は………どっちだったんだろうな」

 

 ザフトにとっても、レジスタンスにとっても。

 ──あるいは彼自身にとっても。

 

 キラは考える。

 

 『虎』は僕達(地球連合)の敵だ。

 

 ……でも……。

 

 (キラ)の敵……なのだろうか。

 

「イロンデルさんなら……」

 

 あの人なら、何と言うのだろうか。

 

 正しい──いや、あの人は本当に『正しい』のか?

 そうでないなら、あの人が言ったことは『間違い』なのか?

 だが、ではどう考えればいいのか?

 

 ……分からない。

 

 僕は一体どうすればいいのだろうか?

 …何で僕は戦ってるんだ?

 ……僕は何がしたいんだ…?

 

 キラは答えが欲しかった。

 

 

 帰還予定時刻に戻らなかった謝罪と、イロンデルの生存を報告するために、キラはカガリに物資を渡してブリッジへ向かう。

 

「遅くなってすみませ──」

「おい見ろよこの雑誌‼︎」

 

 クルーの1人が、入ってきたキラに勢いよく突き出す。そこにはやはり、イロンデルの姿があった。ナタル達が買い出しの中で見つけ、あるだけ購入して持って帰ってきたらしい。

 ナタルは彼女にしては珍しく、安心させるようにキラに言う。

 

「無事だったんだ。ポワソン少佐は」

「ああ……はい。…知ってます。ついさっき──」

 

 『虎』に出会った事を報告したキラに、友人達が気まずそうに近づく。

 

「キラ……。…その……サイが……ストライクを…」

 

◼️

 

 フラガは他の者達から少し離れて、窓の外に顔を向けていた。

 

「良かった……ちゃんと生きてた…」

 

 人知れず肩を震わせる背を、マリューが優しく叩いた。

 振り向いた彼は、慌てて目元の雫を袖で拭く。

 

「…たっ……たく!ま〜た傷だらけになりやがって!おまけにこんな幼稚な服まで着せられて、まさにクソガキだぜ!」

 

 彼は気丈に笑い、わざと大きな声を出す。

 

「あーあ!『英雄』だなって持て囃されてバッカバカしいっての‼︎艦長!これコピーしてくれ!後でたっぷり揶揄ってやらないとな‼︎」

「はいはい」

 

 マリューは呆れと安堵を混ぜた顔で苦笑した。

 

◾️

 

 プラントの1つ『アプリリウス』にあるビル。その一室から騒がしい声が扉を貫いて響く。

 

「ジュール議員!落ち着いてください‼︎」

「うるさい!今すぐオーブへ行く‼︎」

 

 秘書の静止を振り払い、エザリアは必要最低限の物を鞄に詰めていく。

 机の上には件の雑誌が、例のページで開かれて置かれていた。

 

「外交問題になります‼︎」

「イザークの無事をこの目で確かめるだけだ‼︎」

「絶対それだけで済まないでしょ‼︎⁉︎」

 

 秘書の女性は何とか止めようと必死に説得するが、そんなもので止まる彼女ではない。

 

「良いからシャトルを準備しろ‼︎」

「御子息の無事はオーブから返答があったではありませんか!」

「風見鶏共の言う事など信用できるか‼︎」

 

 エザリアは足早に秘書の横を通り抜け、扉に手を掛けた。

 だが逆に向こう側から扉が開き、パトリック・ザラが部屋に入ってきた。エザリアはとっさに姿勢を正す。パトリックはそんな彼女に冷ややかな視線を送る。

 

「穏健派の連中が騒いでいるぞ、エザリア」

 

 彼は机の雑誌を一瞥すると、重い口を開く。

 

「君にも接触があったのだろう?」

「……はい。クライン議長から、直接」

「ふぅむ…。…シーゲルめ。やはり手が早いな」

 

 政敵にして昔馴染みの動きに、彼はどこか苦虫を噛み潰したような表情をした。だがすぐに鋭い視線を治してエザリアに向けた。

 

「君を例の『作戦(オペレーション)』から外す。速やかに資料を引き継ぎ、しばらく大人しくしておけ」

「……息子に会うな、と。そう言う事でしょうか」

 

 彼女は素早くパトリックが何を言いたいのかを察した。イザークは穏健派から目をつけられた。彼を通じて内通者を送り込んでくるかもしれない。或いは彼自身が無自覚のうちにその役割をしてしまう可能性もある。

 

「そうだ」

「納得しかねます」

 

 パトリックは重々しく頷く。だがエザリアには到底受け入れられる話ではなかった。

 彼は無言で彼女を睨みつける。その殺気に秘書が怖気づき、思わず数歩後ずさった。

 

「前にも言ったはずだ。我々が案じるべきことは──」

 

 彼女はパトリックの目を真っ直ぐ見る。

 強い意志と──覚悟を持って。そして毅然とした態度で言い放った。

 

「私はイザークの母親です‼︎」

 

 2人は互いに睨み合った。

 

「息子以上に重要な事などありません‼︎貴方に何の権限が有ってそれをお止めになるのですか⁉︎」

「ナチュラルを滅ぼさねば君や息子の命も脅かされたままになる」

「息子に会う事とナチュラルの殲滅に何の関係が⁉︎貴方の言葉は過激が過ぎます‼︎」

 

 エザリア自身、いわゆるザラ派のNo.2であり、思想はパトリックと似通っている。だが決定的に違うのは、彼女の行動がイザークの為であるということだ。

 そのたった1つの、そして絶対に譲れない異なる部分が、パトリックとエザリアの衝突する原因となっていた。

 

「……君は私の部下だ」

「それ以前にあの子の母親なのです‼︎貴方が認めないならクライン議長に掛け合います!」

 

 エザリアは肩を怒らせ彼とすれ違う。

 もはや分かり合うことはできない。

 

 そう判断したのは、()()()だった。

 

「………残念だ」

「──⁉︎」

 

 パトリックが合図をすると、銃を手にした兵士が部屋に入ってくる。あらかじめ扉の向こうに配備していたのだろう。彼らはエザリアと秘書の身柄を拘束した。

 身動きできない彼女に、パトリックは冷たく告げる。

 

「情報漏洩は最も警戒しなくてはならないことだ。少しの間、不自由な生活をしてもらうことになる」

 

 彼は彼女と目を合わせないまま、兵士に命令を下しエザリア達を部屋の外へ連れ出させる。

 扉が閉じる直前、パトリックは少し視線を上げ長い息と共に言葉を吐く。

 

「君に手荒な真似はしたくなかった……」

 

 それは、もしかしたら後悔や自虐を含んでいたかもしれない。だが声を受け取ったエザリアには、どこまでも傲慢な台詞に聞こえた。

 

「……勝手な事を…!」

 

 睨みつけたまま、彼らは扉に隔てられた。

 

◾️

 

 ああ、まったく。この世界はいつも不都合ばかりが起きる。

 世界がアレを許容するなど、あってたまるか。

 アレはこの世界に存在してはならないもの。何としても切除しなければ。

 

 クルーゼはビルの一室の扉を開ける。だがそこに居たのは、目的の人物ではなかった。

 

「おや、ザラ議員もこちらにいらしていたとは」

「クルーゼか」

「ジュール議員はおいでではありませんでしたか」

「………ああ。しばらく表に顔は出せない」

 

 イザークの事で彼女と話したかったのだが、まあ良い。どうせ後で訪ねるつもりだったのだ。

 それよりも、アレについてなんとかしなければならない。

 

「実は、是非とも貴方の耳に入れたい情報がありまして」

 

 切り札を切るのは焦り過ぎかもしれないが、この際どうでもいい。過程はどうであれ、結果的にアレが死ねばそれで良い。『世界は間違っている』。その証明以上に望むものなどありはしない。

 

「イロンデル・ポワソンが……『血のバレンタイン』に関わっているということを」

 

 パトリック・ザラの目が驚愕に開く。

 そしてそれが憎悪に変わるのを見て、クルーゼは顔に出さずに笑った。

 

 ……だから精々、憎み合ってくれ。

 

◾️

 

 地球にもまた、雑誌に興味を惹かれた男が居る。

 

「軍はアレの回収について何と?」

 

 窓の外の海中に顔を向けたまま、ムスタ・アズラエルは問いかけた。側近は手元の資料をめくり、報告する。

 

「オーブから返答がありました。《現在療養中の身であり、容態が落ち着くまで返還はできない》とのことです」

「相変わらず盗人猛々しいですねぇ…」

 

 アズラエルは雑誌をデスクに投げ捨てた。

 こんな写真を撮っておいてよくそんな事が言える。()()我々(ブルーコスモス)の物だというのに。

 所詮は化け物(コーディネイター)にひれ伏す裏切り者。そんな奴らに甘い態度で居る軍の上層部も腑抜けている。

 

「MSについてもノアが情報を流したそうじゃないですか。今頃、量産機でも造っているのでしょうねぇ」

 

 オーブという国はコウモリだ。味方面していながら、確実にこちらの血を啜る。そのクセに何食わぬ顔で『コーディネイターとの共存』などという馬鹿げた疫病(思想)をばら撒く害獣だ。

 

「……まったく。大人しく首輪をすればいいものを」

 

 アズラエルは一度深呼吸して眉間の皺をほぐすと、なるべく落ち着いて話を変える。

 

「それにしても、アレがMSを動かすとは。かの『LP計画』とやらも全くの無駄では無かったようですね」

 

 彼自身も噂でしか知らなかった。よもやその産物が未だ現存しているとは、嬉しい誤算だ。

 

「凍結となったのは残念でしたが、これを機に再始動させましょうか」

 

 手を組みながら、彼は昔を回顧する。少しは使える『道具』だからと目にかけていた彼女を。

 

「ノアはよく言っていました。《ナチュラルとコーディネイターの差は可能性と初期値の差》だと。あのジョージ・グレンもオリンピックでは銀メダル。長い歴史の中でコーディネイターを超える能力を持つナチュラルも誕生する、と」

 

 夢のような言葉だ。薄い根拠で僅かな可能性に縋ったものでしかない。だが思い返せば、彼女なりの持論だったのだろうか。

 

「アレのオリジナルが……そうだったのかもしれませんね」

 

 ノアは分かっていたのだろうか。

 その能力を解析して再現、量産すら可能にできたのだろうか。

 彼女が死んだ今となっては、その答えは闇に消えてしまったが。

 

「随分と()()()ことをしてしまいました」

 

 だが彼女が悪いのだ。求めた物を与えてくれないのが。

 使えない道具は処分するしか無いのだから。

 そして処分することで得られた物もある。

 

「新型『生体CPU』……何と言いましたか…確か……そう、『ブーステッドマン』。彼らの調整は?」

「はい。ノアの遺体から回収した『装置』の解析は進んでいます。新しい薬物の情報を入手できました。現在はそれを試行している段階です」

「よろしくお願いしますよ」

 

 コストとリターンの釣り合いが大切なのだ。

 化け物(コーディネイター)を利用するのはそのため。

 

 笑みを浮かべる彼に、側近は現状の課題を言う。

 

「しかし、データの深刻な損傷と堅牢なセキュリティがあり、これ以上はかなりの時間を食われます」

「『アンジー(ANJ)』と『ザギ(T.H.E-G.I)』の存在は確認できましたか?」

「それを示唆する資料こそ見つかりましたが、あくまでそれ止まり。設計図などはありませんでした。もっと深部を解析できれば……あるいは…」

「……そうですか」

 

 ここまで解析できたことすら奇跡に近い。大元の、正真正銘のノアの作品が必要だ。

 

「やはり『鍵』が要りますか……」

 

 彼は手元のPCを操作し、サルベージしたデータ群を呼び出す。

 そこに映されるのは、禍々しいとすら形容できる、全く未知の機体だった。

 

「先日入手できた設計図……このMSを造ります」

 

 側近もそのデータを確認するが、アズラエルの言葉に難色を示す。

 

「……『支配(ドミネート)』ですか。しかしあの機体はメインシステムが完全にブラックボックスと化しており、再現すらできていません。現段階での製造は急過ぎるのでは……」

「艦とセット運用のMS。『ランチェスター』ではなく『ドミナント』。……コーディネイターらしい考え方です」

 

 彼は面白そうに──実際とても面白いので──笑う。

 今まで散々手を焼いてきた『道具』を、彼女自身の遺したものによって裏をかくことができるのだ。

 

「やれMSの設計をさせろ。やれ戦艦の設計をさせろ。やれこの部隊に異動させろ。……一体どれだけの無駄な時間と資金を彼女に渡したやら」

 

 払ったコストに見合うリターンを。

 死者に払う礼儀などありはしない。文句があるなら生き返れば良い。その『より優れた知能』とやらで。

 

「足りない部品は取り寄せましょう。アレは必ず回収してください。オーブが何と言おうと、です」

 

 アズラエルは側近に指示すると、最初と同じように窓の外を向いた。そこに広がる海に、視線を這わせる。

 

「かつて神が世界を沈めた時。もっと選ぶべきでした」

 

 笑みと共に彼は言う。

 

「残す人間はノアではなかった」

 

 半端に残すから、面倒なことを後世に押し付けてしまうのだ。だからきっちり掃除しなければ。

 

「『ノアの遺産(ノアズアーク)』……。ちゃんと有効活用してあげましょう」

 

 人間というのは、配られたカードで勝負するしかない。

 だから、無駄なく使わなくては。『切り札(ジョーカー)』は持っているだけでは紙屑と同義でしかない。

 

 ああ、楽しい。

 勝者の側に立つというのは。



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第39話 友人

 少し前、キラ達がバルトフェルドと会っていた頃。アークエンジェルの格納庫。物陰に隠れて、数人の人影が動く。

 

「……よし、良いぞ」

 

 その1人、先頭を行くトールが後続に合図する。

 サイ、ミリアリア、ガズイが続き、鎮座するストライクへと整備士達の目を掻い潜って近づく。

 

「……ねぇ、ホントにやるの?」

「ここまで来て何言ってんだよ」

 

 心配そうなカズイにサイは言い返した。

 

「そうだけど……こんなのバレたら…」

「じゃあキラがあのままでも良いのかよ!」

「それは……」

「アイツ、好き勝手言いやがって。あんな言い方無いだろ!」

 

 キラはあの時言った。

 

《僕にしかストライクは扱えないから》と。

 

 その突き放す言い方に、正直に言うなら『頭に来ていた』。

 

 コーディネイターがナチュラルに敵わないのは知ってる。

 きっと、本気で喧嘩したって簡単にやられるだけだろう、という事もサイは分かっていた。

 それでも、その差は思っているより小さいのかもしれない。

 彼の頭の中には、そんな考えがあった。

 

「もうコーディネイターだけがMSを使えるわけじゃない」

 

 ナチュラルであるイロンデル・ポワソンが、その差を超えた。

 彼女の行いが歪ながらも希望となり、今の彼を動かしていた。

 

「あの人だってできたんだ。なら、俺たちだって可能性はある」

「本当に行くの、サイ?」

「…行く」

 

 彼は傍にあった汎用のヘルメットを被ると、ストライクのコックピットを見上げた。

 

「何かあったら俺が責任を取る。お前らが共犯になったら俺が行く意味無いんだから、ちゃんと売り渡せよ」

「固定ロックの解除までは手伝うけど……後はお前次第だ」

 

 ふとカズイが気になることを言う。

 

「何であの人はMSを動かせたんだろう?」

 

 そう。おかしいはずなのだ。

 AIのサポートだけで誰にでもできるなら、イロンデルより前にも居たはずだ。

 

「……分かんねぇよ。あの人、何も教えてくれなかったし」

 

 サイは首を振った。

 

 自分達は訊かず、彼女は語らなかった。

 だから、知らない。

 

「でも、コーディネーターじゃないことは教えてくれた」

 

 だから自分にだっててきるはずだ。

 彼はコックピットに入り、友人たちが機体から離れていくのを確認する。

 

 強張る手でそっと操縦桿に触れる。それだけで嫌な汗が出てくる。

 その重さが──この兵器がどれだけ恐ろしい存在なのか、直接体に叫んでくる。

 

「アイツ……こんなのを乗り回してるのか…」

 

 ブリッジからオペレーターとして眺めるのとは違う。

 

 モニターの小ささ。薄暗い光源。計器の量。この空間そのものの圧迫感。

 そのどれもが不快だ。

 それらを一身に受けるキラの重圧を、サイはようやく理解した。

 

 硬い唾をなんとか飲み込み、ようやくレバーを握る。

 

「お前だけが背負う必要なんて無いんだ」

 

 哨戒や監視だけでも代れるなら、その間キラは休める。

 

「キラ…。……俺だって、イロンデルさんみたいに…ナチュラルでも…!」

 

 少しでも。

 ほんの僅かでも。

 

 彼の助けになりたかった。

 

◾️

 

 モニターに映るパトリック・ザラは、声高々に述べる。

 

「あのナチュラル、イロンデル・ポワソンは、我々が忘れる事などできない『血のバレンタイン』の実行犯であったのです‼︎」

 

 その言葉はプラントに所属する人間なら誰もが耳を傾けてしまう。

 

「今更数えられる程の人を救ったとて、その手は既に血塗れている!それを見ぬフリをし英雄と持て囃すなど、犠牲となった尊い命をドブに捨てるのと等しい行いです!」

 

 彼はただ己の正義のため、一点の曇りもなく糾弾する。

 

「私は断固たる意志をもって、このナチュラルに罪を払わせる‼︎」

 

 パトリックは力強く宣言する。

 

「プラントの民よ。『正しい』選択を!」

 

 パトリック・ザラの演説はプラント市民の心を掴み、彼の言う事は正しいと心底思わせてしまう。

 

「……いやぁ、ザラ議員は演説が上手い」

 

 バルトフェルドはテレビを消すとゆっくりと椅子に体を預けた。

 

「次の議長選では彼が優勢かな?」

 

 『血のバレンタイン』はそれだけ重い。これではナチュラルとの共存を掲げるクライン現議長は厳しい立場になった。

 

 しかし、パトリックはどうやってこの情報を手に入れたのだろう。

 

 ザラ派ならこの時期まで秘匿する必要は無い。

 穏健派が今更垂れ込むとは思えない。

 

「誰かが隠していた。だが誰だ?」

 

 何のために?そもそもどうやってこの情報を?

 

 疑問は尽きない。

 こういう時は思考が悪い方へ向かってしまう。

 バルトフェルドは、まるでその『誰か』が世界を悪い方へ陥れようとしているかのような錯覚すら感じた。

 

「……本当に信用ならないな」

 

 そろそろ見切りを付ける時かもしれないと、彼はコーヒーを一口飲んだ。

 まるで口に合わない、酷い雑味がした。

 

◾️

 

 サイが動かすストライクは、マトモに動くことすらできなかった。

 無断でMSを動かした彼は、その責任を負い1週間の謹慎となっていた。

 友人たちと共に、彼の居る小部屋の前でキラは動きを止める。

 

「キラが開ける必要無いんだよ?」

「……いや、あるよ」

 

 カズイの言葉に答える。

 

「でもサイの方が怒るかもだし──」

「その時はちゃんと殴られる」

 

 これは自分でケジメを取らなくてはならない。もしここで誰かに任せるような人間なら、それこそ誰にも顔向けできなくなるような気がした。

 だからキラは、自分で扉を開けた。

 

「………何だよ」

 

 壁際で膝を抱えていたサイはキラの姿を確認すると険しい目で睨む。

 キラは彼が自分を責めているように感じ怯んだが、何とか堪えて一歩部屋に踏み入った。

 

「ちゃんと自分で言いたいから……」

 

 そう言ってキラはサイから数メートル離れた所で立ち止まると、深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

 

 サイは何も言わずにただキラを見ている。本当は言いたいことがあるのだろうが、まずはキラの言うことを聞く気のようで口を噤んだ。

 

「何もかもがうまくできなくて……君達に八つ当たりした」

 

 キラは言葉を絞り出す。それは彼という人間がいかに不誠実であるかを表すもの。だがそれを伝えるのが彼の責任であり償いだ。

 

「あの人みたいに成りたくて………成らなきゃいけないのに…成れなくて…。……僕だけコーディネイターで…パイロットで……皆とは違くて…」

 

 彼の声は震えていた。それは先の見えない不安からか、あるいは自身の不甲斐なさか。サイもカズイ達も、その弱々しい声を黙って聞く。

 

「えっと……それで……何だか独りになった感じがして……でも皆に死んで欲しくなくて……あの人みたいにしなきゃ、ってなって……。でも……君達がこうなってるのも僕のせいで…」

 

 彼の目には涙が溜まっているが、キラは泣くまいと懸命に堪える。

 

「……だから…その……間違ってるのは僕で…正しいことがしたくて…でも……ダメで……全然できなくて……皆にも嫌な思いをさせて……」

 

 そして彼はサイに目を向ける。まるで拒絶されるのを怖れるかのように、少しだけ顔を背けながら。

 

「だからせめて…敵を…殺さなきゃって……君達を守らなきゃって…それで、…えっと……それをしなくちゃいけないから…」

 

 しどろもどろになり、もう自分がどう喋っているのかも分からない。そんな自分に嫌になる。

 

「ああもう…!もっと上手く言いたいのに……」

 

 ちゃんと言えない悔しさにキラは歯噛みする。ここで伝えなければいけないのに。

 

「……もういい」

 

 頭を抱える彼に、それまで黙っていたサイが言う。

 空いていた距離をゆっくりと縮め、キラの前まで近寄った。あと一歩で触れ合うところまで。

 

「もう分かった。いや、分かってたんだ」

 

 サイは険しい顔をして、自分の言葉を確かめるようにゆっくり話す。

 キラに聞こえるようにゆっくりと。

 

「……良いか。俺も言いたい事は纏まってない。だからお前に当たり散らすぞ」

 

 今度は自分が話す番だとキラに言った。彼が頷くのを確認して、サイは深呼吸する。

 

「よし。…すぅ……はぁぁぁあ…」

 

 そしてもう一度息を吸って、口を開く。

 ストライクのコックピットに座って、ようやく分かったことを。キラがどんな奴なのかを。

 

「お前は‼︎とんでもない大馬鹿だ‼︎この分からず屋‼︎」

 

 最後の一歩を踏み出し、キラの襟を掴む。

 

「ちょ──!サイ‼︎」

「ミリィ、このままにしてやろう」

 

 後ろで見ていたミリアリアが止めようとしたのをトールが抑える。これは止めてはいけない、ここで吐き出さなければならないことだ。

 

「俺達の言う事に耳も貸さないで!そんなに自分を虐めて楽しいのかよ‼︎

 

 サイはキラの服を掴んだまま、吠える。

 

「ストライクに乗っても!お前が1人の人間だってことに変わりはないんだ‼︎」

 

 それはキラに対してだけではなく、あれほど凄い機体に乗って戦うキラを、『コーディネイターだから』という一言で片づけた自分たちにも向けた言葉だ。

 

「コーディネイターだから何だ‼︎お前は凄いよ…!MSを動かして、敵をやっつけて、俺達を守ってる…‼︎それがどれだけ凄いことか……俺は分かる!俺は満足に動かしてやることもできなかったから…‼︎」

 

 サイの手が震えている。

 

「でも……‼︎お前だって完璧じゃない‼︎」

 

 キラは目を見開く。

 

「傷ついて……悲しんで……苦しんでる……‼︎それで…それを独りで抱え込んでる……‼︎」

 

 サイはそれがどうしようもなく悔しかった。そしてそれが自分の責任だと感じた。

 

「やっと分かったんだよ。あそこ(ストライクのコックピット)に入ってみて……」

 

 トールもカズイもミリアリアも、何も言えなかった。ただサイの言葉を受け止めるしかできなかった。

 キラがコーディネイターだから自分たちとは違うのだと決めつけた。その壁を作っていたのは自分達だと理解したからだ。

 だからその壁を壊さなければならない。

 

「ナチュラルとかコーディネイターとか……パイロットとかオペレーターとか……!そんなの……どうでもいいだろ……‼︎」

 

 こうやって戦争に巻き込まれるまでは、意識するまでも無くどうでもいいものだった。こうして戦争に巻き込まれても……昔とは違っていても、きっとまたそんなこと関係ない関係になれる。

 互いに歩み寄ることができるなら。

 

「俺達は……」

 

「俺達はお前と友達で居たいんだ。……助けたいんだよ……キラ…」

 

 様々な感情が入り混じって歯を食いしばるサイ。

 だがキラはやはり顔を合わせられなかった。

 

「君達に……何ができるっていうんだ…」

 

 《助けたい》。

 その個人的な感情が、戦場でどれ程の価値を持つか、キラは知っている。

 

 無価値だ。

 

 そんなものでは誰も、何も、守れない。

 守れなかった。

 

「何もできねぇよ‼︎俺達は…弱いんだ…!」

 

 サイだって分かっている。

 

「お前に戦いを押し付けて…!俺達は座って見てるだけだ…‼︎お前の代わりなんてできっこないんだ…‼︎」

 

 サイは自分達が何もできないことを自覚している。トールも、カズイもミリアリアも。そしてキラも。何もできない自分が不甲斐ない。自分が弱いのを知っているからこそ、その無力感がより強くのしかかる。

 

「何かできなくちゃ何もしてくれないのかよ!何かしてくれなきゃ何もできねぇだろうが‼︎」

 

 自分で言っていて酷い責任転嫁だと思う。が、今はそれでも良かった。そうでもしなければキラは独りのままなのだ。

 

「俺達に愚痴るくらいしてくれよ!悩んでるなら教えてくれよ!」

 

 キラの目を見据え、サイは必死に訴えた。せめて彼に伝わって欲しかった。

 

「友達だろ‼」

 

 損得も打算も立場もない、純粋な友達。

 そうありたいのだ。

 

 友達なら支え合いたい。だがそれができないのが悲しい。何もできないことが悔しかった。

 それに答えるように、やがてキラは口を開く。

 

「……ありがとう」

 

 言葉はそれだけで十分だった。

 

 サイが手を離すと、キラは力が抜けたようにその場に座り込んだ。慌ててトールが駆け寄ると、キラは弱々しくも笑う。

 

 どうやら色々な緊張の糸が切れてしまったようだ。

 そのままの体勢で、キラは今悩んでいることを相談し始める。

 

 独りで居た時よりもゆっくり、しっかり。

 

 

 ある程度ながら物資の補給を終えてクルー達は、ブリッジでサイーブも交えて今後の予定を相談する。そしてこの場でマリューはようやく、ナタルの報告を聞くことができた。

 

「……つまり、オーブを補給地点にするのね」

 

 それは彼女の口から出るとは思わなかったアイデアだ。

 

「意外だわ。貴女がこんな方法を提案してくるだなんて」

 

 今までの彼女ならむしろ反対する側だっただろう。ナタルも自身の変化を自覚しているのか、手元にファイルを持ちながら以前言われた言葉を諳んじる。

 

「《高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に》。ポワソン少佐の言葉です」

「……それって『行き当たりばったり』じゃないの?」

「小官もそう言いました」

 

 ナタルは苦笑し、そして切り替えるように咳払いをして資料に目を向ける。

 

「デュエルがあの国に渡った以上、ストライクの秘匿に固辞する必要はありませんから」

 

 雑誌の写真には、大破してはいたが確かにその機体の姿が載っていた。オーブの技術力ならば解析も簡単だ。そして元々それを製作したモルゲンレーテもある。

 もはや秘匿に意味は無い。

 

 とはいってもそれだけで頭の硬い軍の将校達が許すはずがない。後から情報漏洩の罪に問われるだろう。故にそれなりの理由が必要だ。

 

「『太平洋を渡るための物質の補給が必要だった』といえば()も理解してくださるでしょう」

 

 地中海のジブラルタルとアフリカそのものはザフトの手にあり、ユーラシアへの陸路と最短距離の大西洋への道が塞がれ使えない。では反対の太平洋海路はというと一気に通過できる距離ではない。宇宙で受けた補給量と合算しても十分に通用する言い訳だ。

 マリューは頷きながら、最後に一つ言う。

 

「全て艦長の独断だ。と、付け加えておいて」

 

 どう言い訳を並べても誰かが責められるのは明らかだ。酷いことにはならないだろうが、マリューはナタルの将来の道が閉ざされることが嫌だった。

 

「しかし……」

「貴女にまで責任を負わせるわけにはいかないわ」

 

 元々マリューは技術部門の所属だ。戦艦から降ろされることになったとしても元の椅子に戻るだけで済む。だが彼女は違う。

 

「……私は副長として──」

「気持ちはありがたいわ。でも、艦長としての命令よ。従ってくれるわね?」

「……………了解しました。…ラミアス艦長」

 

 納得していないことを全面に出しながらではあったが彼女は食い下がるのを止めた。

 マリューは少し申し訳ないと感じたが今選択できる手段としてこれ以上のものは思いつかなかった。まだ不安要素は多いのだ。

 

「でも、あの国がすんなりと受け入れてくれるかしら」

 

 オーブは他国の侵略を許さない。武装した戦艦でいきなり訪ねて快く補給させてくれるとは思えなかった。門前払いで終われば御の字。でなければその場で轟沈だろう。その点はナタルも予め考えている。

 

「ポワソン少佐の回収を要件にするつもりです」

「なら逆に、出るための建前が必要になりそうね」

 

 マリューは顎に手を当てて考える。

 現状唯一の『MSを操るナチュラル』を容易く手放すはずがない。オーブに限った話ではない。連合軍も喉から手が出る程に彼女を欲しているはずだ。入国の理由を彼女にするならばちゃんと連れて帰らなければ上にどんなことを言われるか。

 

「まさか国防軍を打ち破って、なんて訳にはいかないか……」

「戦争したいんですか」

 

 ムウの言葉をマリューが却下する。彼も本気ではないだろうが冗談にもできない。

 ナタルも他の者もまだ名案がないのだろう。皆沈黙し、思案に耽る。

 

「話は聞いた。我々にも噛ませてくれ」

 

 その時ブリッジの扉が開き、カガリがキサカを従えて入ってきた。何事かと視線が彼女に注がれる。

 マリューが視線で入ってきた訳を尋ねると、彼女は凛として言った。

 

「私達が居ればオーブと交渉できる」

 

 彼女は何も気にしていないようだが、後ろに控えたキサカは胃の痛そうな顔をしていた。サイーブが鋭い眼で彼を睨めばその顔色が更に青くなる。が、カガリを止めようとはしなかった。

 

「アンタら……ただのゲリラじゃねぇな」

 

 フラガがカガリに提案の意味を探るように問う。交渉可能という言葉が真実ならば都合が良いが、そのような立場をレジスタンス程度の者が持っているとは思えない。

 

「お前の言った『裏』だ。深く追及されると困る」

 

 カガリはそう言ってそれ以上説明しない。今問い詰めるのは無意味だろう。

 フラガはマリューに向いた。

 

「思ってたより厄介そうだぜ、艦長?」

「使えるものは使います」

 

 この状況では手段を選んでいられない。マリューは即決で頷いた。

 

「うへー、了解」

 

 分かりやすく肩を落としながら、フラガはキサカに近づいて耳打ちする。

 

「もしかして、敬語使った方がよろしいでしょうか?」

 

 もしや『やんごとなき』立場ではあるまいかとヒソヒソと聞くが、キサカは首を横に振った。

 

「……いや、()()必要ない」

「俺、あの子に銃口向けたんだけど…国際問題になったりしちゃう?」

 

 最初に出会った時のことだ。キサカもそれについて覚えていた。彼は苦笑いする。

 

「寛大な処置を期待するんだな」

「オーノー……」

 

 今度こそ本当に彼は肩を落とした。

 あの時衝動のままに行動してしまったことを、今になって後悔するのだった。



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第40話 無知の知は贖罪に成り得ず

 パイロットスーツを着たキラは1人、食堂の椅子に座って考える。

 これから『虎』と戦うのだ。

 

 前にキラと接触した際の会話からして、アークエンジェルが東の鉱区に向かう事は彼も承知しているだろう。レジスタンスが協力するのも織り込み済みのはずだ。

 

「………」

 

 あの人が『敵』であることは分かっている……つもりだ。

 だがどうしても『間違っている』とは思えなかった。

 

 そんな彼と戦うことが『正しい』ことなのか?

 《そんな訳ない》と《そうするしかない》の2つが、キラの中でせめぎ合っている。

 

「腹が減っては戦はできぬってな!ナギもたまには良い事言うんだよ」

「ムウさん……」

 

 悩むキラの横にフラガが現れ、彼にケバブを押し付ける。

 

「食っとけよ。パイロットは食事も仕事!」

 

 彼は自分の分にヨーグルトソースをかけると思い切りかぶりついた。そんな彼を見ながらキラはチリソースを手に取る。

 

「ソース……。イロンデルさんは何をかけたでしょうね」

「またアイツのこと考えてるのか?ここ(砂漠)を切り抜けてオーブに着いたらまた会えるって」

 

 キラは最近何かあれば《イロンデルさんは──》だ。

 フラガは気を強く持つように励ます。

 

「サイ達と話してて思ったんです。僕らはあの人のこと、何も知らないんだって」

 

 キラは続ける。

 彼女について知っていることは全て見かけだけ。彼女自身からは何も教えてもらっていない。なのに理解した気になって、同じになれば良いだのと……

 

「何も知らないくせに盲信して……本当に馬鹿でした」

 

 キラは言葉を切り、フラガと目を合わせる。

 

「だから、ちゃんと知りたいんです。あの人のこと」

 

 どんな小さなことでもいい。今度会った時にしっかりと彼女と向き合うことができるように。

 この艦の中で最も彼女と親しいのは彼だ。今抱いている偏見、妄執を断ち切るために、他の者から見たイロンデルのことを知りたい。

 

 フラガはキラの瞳に宿るものが先日と比べて変化していることに気が付いた。

 これが若さかと、少し自嘲を挟んでから、自分の知る彼女ならどうしたかを答える。

 

「アイツはソースみたいな調味料は全部かける派だよ。ヨーグルトもチリも全部大量にかけて食うだろうな」

「…なんか意外です。そんなにかけないのかと思ってました」

 

 それではソースの味しかしないだろうな。などとキラは可笑しく思った。

 

「子供舌だからな。卓上調味料を全部ぶっかけてから食うんだよ」

 

 味の組み合わせも考えず何をかけているかも自覚していないような料理という概念そのものを否定するような食べ方が、彼女のスタイル。実はフラガは彼女の味覚障害を疑っている。原因はアルコール依存症だ。間違いない。

 

「それで気に入らなきゃ俺に押し付けるんだ。クソガキはバカ舌のクセに好みにうるさくて困る。コーヒーを『廃油』っていう奴だ」

「あはは…」

 

 泥水に喩えるなら聞いた事があるが、そんなに嫌いなのだろうか。キラもコーヒーは口に合わなかったがそこまでの言い方はしない。

 

「意外と口が悪いんですね」

「意外かぁ?」

 

 フラガは軽く笑うキラに安心した。どうやら何か踏ん切りがついたらしい。悩むだけ無駄だと悟ったのか、それとも彼女に会って確かめるべき事を見つけたのか。それは分からないがどちらにしても前進だ。自然と言葉も軽くなる。

 

「ナギのせいだ。酒の味を教えたのもアイツだし、あの汚ったねぇ言葉遣いもな。悪い所ばっか似ちまって……おかげでコッチが苦労してんだよ」

「その言い方だと、ナギさんがイロンデルさんのお母さんみたいですね」

「んっ──!ゲホッ!」

 

 彼はむせ、慌てて水を飲む。

 

「そっ!そんなんじゃ……ゲホ、ねぇんだよ。ただの同僚だよ」

 

 咳き込みながらも彼は否定する。そして少し考えた後キラに質問する。

 

「お前、ナギのこと、イロンデルからどう聞いてる?」

「地球軍のコーディネイター、イロンデルさんの親友。ネクサスさんを造った人で……後はブルーコスモスだった。ってことは聞きました」

「……性格とかは?」

「えっと……アバズレだとか何とか……」

「そのあたりか……」

 

 キラの答えを聞き、何故かフラガは安心したように息を吐いた。

 

「何かあるんですか?」

 

 キラが興味深そうに聞く。何せ数少ない、知っている中では唯一の同じ『地球軍のコーディネイター』。ある意味ではイロンデル以上に気になる人物だ。

 

「いや。何も」

 

 だがフラガは言葉を濁す。

 

「ま、今はとりあえず腹ごしらえだ」

 

 キラが追及する前にそう言って自分のケバブを食べ終えると、包み紙を雑に丸めてゴミ箱に放り込む。

 

「知ることが良いこととは限らない……。知らなければ良かったことも、この世界には山ほどある」

 

 マジメな声で静かにそう言った後は、いつも通りの軽薄さに戻る。

 

「あんま細かい事気にしてると、将来禿げるぞ」

 

 話題を逸らしているのは明らかだったが、キラは乗ることにした。他人が隠そうとしていることを無神経に問い詰めることに抵抗があったのだ。

 

「僕の遺伝子にそれは無いと思いますよ」

「え、そんなのありかよ。羨ましい奴」

 

フラガは自分の髪を手櫛でいじる。

 

「いつか絶対禿げそうな気がするんだよなぁ。ストレス(クソガキ)のせいで」

 

 失礼な気がしたが小さく笑ってしまう。

 

 結局それから、イロンデルやナギについてのことは何も聞けなかった。

 そしてキラは『虎』と戦うのだった。

 

 

 そしてやはり、現実はどこまでも非情だった。

 

「降伏してください!勝負は着きました!」

「戦場にレフェリーはいない!」

 

 イロンデルの言葉が『正しい』かどうかに関係なく。

 守りたいものを守るために今のキラにできることは──

 

「殺したくないのに……‼」

 

 敵を殺すことだけだった。

 

 

 そしてアークエンジェルは、砂漠を抜けるのだった。



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