さあ──『喜劇』を始めよう! (Sakiru)
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第一幕 ─喜劇開演─
邂逅(ファースト・コンタクト)


 

 

 

 

『ブルァアアアアアアアァァァ――ッッ!』

 

 

 

 

 薄暗い洞窟──否、地下迷宮(ダンジョン)に咆哮が(とどろ)いた。

 空気が震え、近くに居た怪物達(モンスター)は本能に従い逃げ惑い、姿を眩ませる。

 異常事態(イレギュラー)に身体中が警戒音(アラーム)を鳴らしている。

 

 ──猛牛。

 

 本来なら地下迷宮の遥か下に棲息している牛頭人型モンスター──正式名称は『ミノタウロス』。

 上記で述べた通り、彼の棲息地──出没する階層は『上層』と呼ばれる此処ではなく『中層』だ。

 なら何故、『中層』ではなく『上層』に居るのか。

 それはダンジョンが引き起こした災禍(さいか)──ではない。

 数刻前。

 とある冒険者達とミノタウロスの群れが相対していた。問題は、その冒険者達が歴戦の戦士達であり、ミノタウロス達が本能でそれを悟ってしまったことにある。奇跡が起きても自分達が敗れ、死に至ることを予感した彼等は恥も外聞もなく、逃走を図った。

 全ては生き抜く為に。そしてその恐怖は凄まじく、『中層』から『上層』にまで彼等を駆り立てたのだ。

 

『ブルルゥゥゥゥ……!』

 

 ミノタウロスは理解していた。自分以外の同胞が奴等に狩られたのを。しかし、そこに悲しいという感情は湧かない。何故なら彼はモンスター。同じ種族と言えどそこに仲間意識はない。極論、自分が生きていれば良いのだ。

 彼は『上層』を我が物顔で闊歩する。

 彼は空腹をとても覚えていた。追手の気配は感じられない。少しなら時間があるだろうと判断し、『餌』を探す。標的(ターゲット)は勿論、格下だ。

 

『ブルルゥゥゥゥゥゥゥ……!』

 

 一度感じた空腹は彼の理性を奪っていく。『餌』が見付からないことに苛立ちを募らせていく。

 ズン! ズン! と巨体が動く度に地響きが鳴る。

 曲がり角を曲がろうとした、その時──。

 彼は『餌』を見付けた。それは一人の只人(ただびと)だった。

 

「……なんと! これはミノタウロスではあるまいか!」

 

 引き攣った笑みを浮かべる『餌』。目を見開いて、驚愕の声を上げる。

 ミノタウロスは、ニヤリ、と(わら)った。彼は本能で理解していた。

 目の前の人間は武器を持ち、防具を纏っているこそすれ──自分にとっては取るに足らない弱者であることを。

 

「ありゃりゃ……これはもしかしなくても絶体絶命のピンチなのでは? うん、間違いないネ!」

 

『餌』は顔を青ざめさせながらも、引き()りながらも、笑みを浮かべていた。

 何故か、ミノタウロスはそれが気に食わなかった。ああ、酷く気に食わない。

 自分は絶対的強者。なら『餌』は『餌』らしく恐怖で身体を強張(こわば)らせろ。そして絶望するが良い。自分の運命に。

 

『ブルモアアアアアアアアアアアアァァァ!』 

 

 咆哮を上げる。

 それはまるで嵐のような荒々しいもの。

 相手の戦意を(くじ)き、地に膝を着けさせる暴力の塊。

 だが、しかし──。

『餌』は膝を屈することなく、地面に足を着けていた。否、それは辛うじて、である。

 しかし己の意志(いし)で立っているのは事実。身体全体を震わせながらも、眦に涙を溜めながらも、『餌』は未だ尚笑っていた。

 そして『餌』は懐から何かを取り出した。

 それは一冊の手記。彼はさらに羽根ペンを取り出すと、何やら手を動かし始めた。

 

(つづ)ろう、我が英雄日誌。──『新米冒険者ベル・クラネルがダンジョンに潜っていると、なんと、()のミノタウロスが待ち構えていた! 嗚呼(ああ)、これぞ運命(うんめい)! ベル・クラネルは英雄になる為、彼の猛牛を討つため勇猛果敢に勝負を挑んだ!』──ふはははッ! まさかの展開に私のファンもきっと喜ぶだろうッ!」

 

 ミノタウロスは理解出来なかった。

 この絶望的な状況に、()えられないとばかりに笑声を上げる『餌』の行動が。

 それとも『餌』は自分が置かれている状況が分からないのではないだろうかとすら思った。

 

「ふむ、いやしかし……()()()()()()()()()()()()()。ミノタウロス。()の『雷公(イカヅチコウ)』を思い出す」

 

『餌』はぶつぶつと何やら呟いていた。

 

「しかし、何故ミノタウロスが『上層』に……? エイナ嬢の言葉を信じるなら、此処には居ない筈だが……。それともこれが、噂に聞く異常事態(イレギュラー)というものなのか? だとしたら恐ろしい!」

 

 ミノタウロスはこの時になってようやく理解した。

 目の前の『餌』が危険だということを。首筋に冷や汗が流れるのを感じた。

 しかし、同時に気に食わなくもあった。

 自分は先程──絶対的強者と出会って敗走を(きっ)したというのに。

 目の前の『餌』──否、『奴』は恐怖を押し殺して自分と正面から相対している。

 それが自分と『奴』の格の差を証明しているような……そんな気がしてならないのだ。

 だからこそ、決めた。

『奴』を()らうことを。

 血走った赤い目で『奴』を睨むと、『奴』はこれまでの笑みを引っ込めて真剣な顔になった。

 そして、高らかに叫ぶ。

 

「おお、ミノタウロスよ! 我が宿敵よ! 我が好敵手よ! これが私とお前の運命(さだめ)だと言うのなら、私は受け入れよう! ──いざ、参らん!」

 

 ──来るか! 

 ミノタウロスは身構えた。

 そして『奴』は動き──自分に背を向けた。

 

『ブルゥ……?』

 

 怪訝な声が喉から出る。

 そして我を取り戻した時には『奴』は凄まじい速さで自分から逃げていた。

 

「ミノタウロスとか無理ぃぃぃぃぃぃイイ!? 逃げるが勝ちなんだヨ!」

 

 脱兎の如く、逃げる。

 ミノタウロスは嗤った。口元を三日月型に歪め、熱い吐息を吐き出す。

『奴』はやはり『餌』だった。

 なら、ならば──狩りの始まりだ。

 足に力を入れ、地面を蹴る。兎を思わせる『餌』を喰らい、生きる(かて)にし、自分は奴等から生き延びるのだ。

 

 

 

 

§

 

 

 

「ぎゃあああああああ!? どうして追い掛けてくるんだ!?」

 

 ダンジョンに少年の悲鳴が響く。しかし彼の問い掛けに答える者は居ない。

 異様な静けさ、それを破るのは自分の滑稽(こっけい)な悲鳴だけだということに、少年は自嘲した。

 

「いやはや、ほんと、運が良いのか悪いのか……! 神々は私のことが好きなのかもしれないネ!」

 

 少年の(よわい)は十四。穢れを知らない純白の髪に、深紅(ルベライト)の瞳は兎を想起させる。

 格好良いより、可愛いと言われる顔立ち。しかし浮かべる笑みは胡散臭(うさんくさ)いもので、それが全てを台無しにしていた。

 

「自分の取り柄の『逃げ足』が速いことに、これ程までに感謝する日が来ようとは。人生とは何が起きるか分からないものだネ」

 

 少年と猛牛の鬼ごっこは辛うじて均衡を保てていた。

 少年──ベル・クラネルはLv.1の冒険者。さらにそこに『新米』という文字が先頭につく。彼が主神によって『神の恩恵(ファルナ)』を背中に刻まれ、冒険者登録をしてからまだ一月(ひとつき)も経っていない。

 対する猛牛──ミノタウロスはLv.2に該当する凶悪なモンスター。一般的にはLv.1の冒険者がどれだけ攻撃を仕掛けても傷一つ付けることすら叶わない。

 それだけ彼我の能力値(ステイタス)には差がある。

 だがしかし、少年と猛牛の鬼ごっこは続いていた。それは少年の異常なまでの『逃げ足』が最たる理由だが、それだけではない。

 

「ここは確か──右!」

 

 少年は闇雲(やみくも)に逃走しているわけではなかった。担当アドバイザーのハーフエルフによって強制的に頭の中に記銘された記憶──すなわち、彼が居る階層の構造を彼は記憶しており、それを想起し、活かしていたのである。

 事実、もし彼が先程『右』ではなく、『左』を選んでいたら。その先にあるのは行き止まり。

 つまり──詰み(『死』)だ。

 

「エイナ嬢には感謝しなくては。今度夕餉(ゆうげ)をご馳走するとしよう。うんそうしよう」

 

 自分が生きて帰ることが出来ればの話ではあるがな、と、内心で呟く。

 

「しかし、誰か助けは来ないものか。私が全速力で走れるのはあと五分……いや、見栄を張るのはやめよう。あと二分が限界か」

 

『ヴ……ヴォォォォオオオオオオオオ!』

 

「幸か不幸か、彼はとても疲れている。つまり、彼を追い掛けている冒険者が居る筈だ」

 

 冷静に思考を回す。

 鬼ごっこを継続していられる理由、その三つ目。それはミノタウロスが疲弊を帯びているからだ。何十階層もの階層を我武者羅(がむしゃら)に登った彼は、いくらモンスターと言えども体力を削っていた。

 

「どうする……? このまま地上を目指すか? いや、だがしかし、もし私以外の冒険者と遭遇したら。彼等が私と同様下級冒険者だったら──」

 

 それは絶対に避けなければならない。

 運良く上級冒険者と遭遇する、そんなことは考えない。

 何故なら、迷宮都市(オラリオ)に居る冒険者の過半数は少年と同様にLv.1の下級冒険者。

 その確率に()けるほど、少年は愚かではなかった。

 

「追手の冒険者が到着することを待つしかないか」

 

 方針を決める。

 自分がやるべき事はこの階層でミノタウロスを引き留めること。そして恐らくは居るであろう──居なかったら『死』である──上級冒険者が来るまでの時間稼ぎ。

 

「ならば此処は──左だ!」

 

 進路をギリギリの所で変え、そのまま直進する。数秒後、ミノタウロスもそこを通った。

 そしてモンスターは邪悪に(わら)った。

 

『ヴオオオォォォ──!』

 

 それは歓喜の雄叫びだった。

 それもその筈。

 目の前にあるのは行き場を遮る壁。

 つまりとうとう自分は『餌』を追い詰めたのだ! 

 

「ふはははははははは!」

 

 一方、追い詰められた『餌』もまた、笑っていた。

 

「私を追い詰めて嬉しいか、ミノタウロスよ! 貴殿のその高揚、昂りを肌で感じるぞ! 正直に言う── 私はぶっちゃけ怖い。いやほんとに怖いんですけど何で私がこんな目にいぃぃ!?」

 

 しかし次の瞬間には涙目になって現実逃避を始めた。

 

「私は何か悪いことをしたのか!? 否、一切していない! ……筈だ!」

 

 自分に自信がなく、一応、保険をかけておく。

 少年はさめざめと内心で泣きながらも、腰に差している長剣の柄に手を伸ばした。

 

「綴る余裕はないから、()()()! 敢えて言おう! 言おう、我が英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルは遂にミノタウロスと相対する。それは被害を限りなく抑えようとする想いからだった。しかしレベルの差は歴然! ベル・クラネルはそれを自覚しながらも剣を手に執った──!』──ふっ、多少は脚色しても良いよネ!」

 

『ヴオオオオオオオオオオォォォォッッッッッ!』

 

「おっと、これは失礼。ミノタウロスよ、これまでの非礼をお詫びする。これからは私も本気で行こう。一対一の真剣勝負だ」

 

 少年──ベル・クラネルは表情を引き締めた。そして自らの半身を抜く。

 その長剣は所謂(いわゆる)名刀ではない。ましてや『魔剣』でもなんでない。ギルドから借金して購入したごく一般的な長剣だ。

 これまでの数々のモンスターとの激闘により、刃こぼれが見られ、銀色の刀身は褪せている。

 このような貧弱な武器では、ミノタウロスと対峙するには不充分だ。

 それはベルも重々承知。

 

「──だが生憎! 私にはこの剣しか武器がない! そして私はこの剣と二週間の(ながい)付き合いがある! ならば私は信じよう! この相棒を!」

 

 ミノタウロスは不思議な思いだった。

『奴』が向けてくる剣が自分の筋肉を裂くとは到底思えない。表皮を切り裂けたら上々だろう。仮に骨まで届いても、そこで終わり。自身の厚い筋肉に『奴』の剣は阻まれるだろう。

 だが──。

 猛牛は『奴』の剣の切先から目を逸らせないでいた。

 そして自分が切り裂かれる有り得ない光景を幻覚する。

 

「遥か昔! 『古代(こだい)』の時代──()の英雄達は敵と戦う前に名乗りを上げていた。ならば、私もそれに乗っかろう。──私の真名はベル。ベル・クラネル! ミノタウロスよ、貴殿を討つ者だ!」

 

『ヴオオオオオオオオオオォォォォッッッッッ──!』

 

 少年と猛牛は正面から向かい合う。

 静寂が場を支配し、緊迫した空気が充満する。

 睨み合い、隙を伺う。

 最初に動いたのは──ミノタウロスの方だった。

 

『ヴオオオオォォ!』

 

 一歩で距離を詰め、豪腕を振るう。

 

「──ッ!」

 

 ベルは顔面に来た『死』を、すんでのところで上半身を反らすことで避けてみせた。そのまま後退する。

 顔にぶわっと脂汗が噴射する。

 

(危なかった……! 回避に専念していたから避けれた!)

 

 一瞬でも判断が遅ければ自分の顔は粉砕されていたと思うと震えが走る。

 無意識下でさらに後退し、背中に軽い衝撃。気付けば、ベルの身体は壁に追い詰められていた。

 

「完全に袋小路(ふくろこうじ)か……!」

 

 作っていた僅かな後ろの空間が無くなった。

 退路が完全に絶たれた。

 ミノタウロスも学習している筈だ。単調な攻撃はやめ、次は複雑なコンボを決めてくるだろう。

 そしてそれに自分が反応出来るか──? 

 

「ハハハ……正しく絶体絶命だな」

 

 乾いた笑いが出る。

 いっそ狂ったように笑えたらどれだけ良いだろうか。

 

「だが生憎。()()()()()()()()()()()()()()()。私の取り柄は『逃げ足』だけだからな。それに、私はまだ死ねない。私には願望(ねがい)がある。今度こそ──()()()()()()()()()()()()()()。そうだろう? ■■■■■■(ベル・クラネル)!」

 

 己を鼓舞する。

 そして手を前方に構え、(うた)を紡いだ。

 

雷霆(らいてい)よ全てを焼き尽くせ。全てを駆け巡れ。己が使命を全うせよ──」

 

『ヴルルルゥゥゥ……!?』

 

「──大勢(『九十九』)ではなく。また少数(『一』)でもなく。私は全ての人々(『百』)を助けよう」

 

 ただならぬ覇気(はき)に猛牛は唸った。

 そして、はたと彼は気付く。

 自分が一歩、後退していたことに。たかが一歩。されど一歩。その事実が──怒りが全身を駆け巡った。

 

「フッ、ハッタリも時には必要だネ。いざ参らん、ミノタウロスよ! 貴殿を、今、此処で討つ!」

 

『ヴオオオオオオオオォォォォッッッッッ!』

 

 やれるものならやって見るがいい! とミノタウロスが吠えた。

 それにベルはニヤリと笑って応える。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「すみませ──ん! 助けてくださ────い!」

 

『……ヴォ?』

 

 突如、打って変わった陽気な声にミノタウロスが怪訝な声を出した──次の瞬間。

 彼の怪物の胴体に一本の直線が縦に走った。

 

「いやはや、凄いものだ。これが第一級冒険者の力か」

 

 ベルが感嘆している間にも、ミノタウロスの身体には異変が次々と生じて行った。

 胴体の次は、自分が誇ってやまない胸部だった。上腕、大腿部(だいたいぶ)、下肢、肩口、そして──首と続いていく。

 

「すまない、ミノタウロスよ。()()()()()使()()()()()()()。本当に申し訳ない。私を卑怯者だと罵るが良いだろう」

 

 そう言って、『奴』は頭を下げた。そしてそれが、ミノタウロスが最期に見た光景でもある。

 自分が『奴』によって倒された訳ではないことは分かった。恐らく、背後に感じる絶対的強者が切り伏せたのだろうと当たりをつける。

 ミノタウロスは誓った。

 必ずや、自分が『奴』を殺すことを──。

 断末魔を上げる暇もなく、ミノタウロスは倒された。地に伏し、刹那、塵と化す。

 

「さて……」

 

 ベルは紫紺(しこん)の結晶……『魔石』と呼ばれる物を拾うと、ミノタウロスを倒した女性剣士に近付いた。

 その女性はとても美しかった。女神と見紛うような、とてもとても美しい女性。

 中でもとりわけ目を引いたのは、腰まで伸びた真っ直ぐな金髪。ダンジョンの薄暗い中でも燦然と輝くその金の光はあまりにも眩しい。

 その姿に、ベルは何処か()()()を覚えていた。

 

(嗚呼……『彼女』もこのように美しかったな……)

 

 懐かしい嘗ての思い出(きおく)に浸りながら、ベルは拾った魔石を見せた。

 

「これが彼の生命(いのち)の証だ。きみが倒したのだから、是非、受け取って欲しい」

 

「……良いの?」

 

「もちろんだとも」

 

「なら、貰うね……」

 

『魔石』を手渡すと、女性は僅かに微笑んだ。

 自分に向けられた美人の微笑みにベルは内心で狂喜する。もちろん、それを顔に出す訳には行かないが。

 

「助けてくれてありがとう。おかげで命拾いした」

 

「う、うん……どういたしまして……」

 

「ところで、あのミノタウロスはきみが──いや失礼。()()()が逃したモンスターかな?」

 

「……うん」

 

 それからぽつぽつと女性剣士は話し始めた。

 はっきり言って、彼女の話し方は上手ではなく、時系列もごちゃごちゃであった。

 しかし、ベルはそれを真剣に聞いていた。彼女が話し終わるのを待っていた。

 最後に彼女は一度言葉を区切ると、

 

「ごめん、なさい……」

 

「気にする必要はないさ、と言えれば良かったのだが。今後は是非とも気を付けてくれ。私のような新米冒険者では、些細な異常事態(イレギュラー)で死んでしまうからな」

 

 すると女性剣士は眦を下げた。ベルは彼女が落ち込んでいるのが何となく分かったので、「しかし!」と大声を出して注意を引く。

 

「──しかし! 貴女(あなた)のような美人と出会えたのだから良かったと思うようにしよう!」

 

「び、美人……?」

 

「ああそうだとも。貴女のような女性(ひと)と出会えて喜ばない男子(おのこ)は居ないサ!」 

 

「あ、ありがとう……ございます……?」

 

「いやいや、お礼を言うのは私の方さ! そうだ、この出会いをただの思い出にするのは惜しい。それでは(つづ)ろう、我が英雄日誌!」

 

 女性剣士が「英雄日誌……?」と訝しむ中、ベルは懐から一冊のノートと羽根ペンを取り出す。そして純白の、何も書かれてない(ページ)に黒の軌跡を刻んでいく。

 

「『冒険者ベル・クラネルは勇猛果敢にミノタウロスと戦ったが、善戦するも敗れてしまう。窮地を救ったのは金髪の女性剣士──』……失礼。貴女の真名(まな)を尋ねても?」

 

「……アイズ。アイズ・ヴァレンシュタイン……」

 

「『──なんと、アイズ・ヴァレンシュタインだった!』……ふむ、中々に良い内容だ」

 

 満足したのか、ベルは頷きながらノートをしまった。

 今度は女性剣士──アイズが尋ねる。

 

「えっと……貴方の名前は……?」

 

「おっと、これは失礼! 名乗る時は自分からするように心掛けているのだが、すっかりと忘れてしまっていた。どうか許して欲しい」

 

「う、うん……良いから、名前を教えて?」

 

「──ベル。ベル・クラネル。それが私の真名(まな)だ。どうかヨロシク! 【ロキ・ファミリア】所属の第一級冒険者──【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインよ!」

 

 そう言うと、アイズはぱちくりと瞬きした。

 

「私のこと、知ってたんだ……」

 

 それにベルは苦笑いで返した。

 

「無論だとも。私だけじゃない。迷宮都市(オラリオ)の冒険者は貴女の名前を知っているだろう。ましてや貴女の【ファミリア】は都市最大派閥。名声は世界中に届いているだろう」

 

『世界の中心』──迷宮都市(オラリオ)

 地下迷宮の『蓋』の機能を持つ摩天楼施設(バベル)

 そしてダンジョンに挑む冒険者。

 アイズ・ヴァレンシュタインが所属する派閥は迷宮都市の中でも最強集団の一角として(おそ)れられているのだ。

 

「えっと、きみは──」

 

「私のことは『ベル』と呼んでくれて構わない。代わりに、私も貴女のことは『アイズ』と呼んで良いだろうか?」

 

「う、うん……」

 

「ありがとう!」

 

 いやぁー、美人な女性の名前を下で呼べるだなんて、今日の私はついている! と一喜一憂するベルに、アイズは不思議な思いを抱いた。

 全てのことに反応し、喜びを(あらわ)にする。

 先程のミノタウロスとの戦いもそうだった。

 全てを見ていたわけじゃない。ただ、あの絶望的状況の最中にいても彼は笑っていた。

 それがアイズには不思議でしかない。少なくとも自分だったらそうは出来ない。ともすればそれは、自分が欲しくてやまない──彼女は熱い想いを秘めながら口を開けた。

 

「ねえ、ベル。きみは──」

 

 と、問い掛ける直前。

 ベルが残念とばかりに溜息を洩らした。

 

「おっと、お別れのようだ。アイズ、あの狼人(ウェアウルフ)の青年は貴女の仲間では?」

 

「あっ……ベートさん」

 

 ベルとアイズの視線の先には、一人の狼人が不機嫌そうに立っていた。

 目が合うと殺気が込められた視線が送られる。どうやら自分がナンパ紛いのことをしていたのを視られて居たようだ。獣人の五感は数多の亜人族(デミ・ヒューマン)の中でも頂点に位置する。ましてやあれだけ騒げば聞こえもするだろう。

 

「此処で一旦お別れだ。貴女は彼に付いていくと良い。私ももう、今日はダンジョンから出よう」

 

「……分かった。ねえ、ベル。もし良かったら、今度、話、しよう……?」

 

「おいアイズ!? そんな餓鬼(ガキ)に構ってねぇで早く行くぞ! フィン達が待ってる!」

 

 狼人(ウェアウルフ)が怒号を飛ばしても、アイズの耳には入らない。

 彼女の興味は自分よりも歳下──だと思われる──少年に注がれていた。

 熱意の目にベルは「困ったな」といった風に頬を掻く。

 

「私で良ければ喜んでお相手しよう」

 

「約束、だよ……?」

 

「ああ、約束だとも。私は紳士だから女性との約束は決して(たが)えないのサ!」

 

「アイズ!」 

 

「いま、行きます……ベートさん。じゃあね、ベル……」

 

 アイズは小さく手を振ってから、ベートは舌を打ってからベルの元から姿を消した。

 彼等を笑顔で見送ったベルは──ずるずると背中を壁に預けて地面に臀部を着けた。

 

「あー……疲れた……。死ぬかと思った。彼女があと少しでも遅ければどうなっていたことか……」

 

 腕の一本や二本、()われていても可笑しくなかったとベルは苦笑する。

 

「あのミノタウロスが下手に『知能』らしきものを得てくれていて助かった。それがなかったら、此処に辿り着く前に死んでいた……」

 

【ロキ・ファミリア】は何をしていているのだと各所に苦情が行っても文句は言えないだろう。

 ベルとしてもそれは同意見だ。

 ──『力』には責任が伴う。

 ましてや彼等を『英雄』と呼ぶ者は多い。そんな彼等がこのような()()()()で冒険者や市民からの信頼を損なうようなことがあっては駄目なのだ。

 

「うぅーむ……これは()の派閥に一つ貸しを作れたと思うべきか。しかし、自分から被害者面するのは避けなくては。あくまでも向こうから接触してくるのを待つべきだな」

 

 ベルとしても、殊更に事態を大きくはしたくない。

 しかし彼の思いとは別に第三者──特に、『娯楽』好きな神々は話を音速(マッハ)で広めようとするだろう。

 それに巻き込まれるのは面倒だ。いつだって神々は気紛れなのだから。

 

「さて、私ももう行こうか」

 

 これ以上の長居は危険だと判断する。

 此処は怪物達(モンスター)の巣であるダンジョン。

 先程アイズと会話を悠長に出来たのは、ミノタウロスの出現によってモンスター達が逃げていたからだ。

 しかし、彼等は(いず)れ気付くだろう。()の猛牛が倒されたことを、本能で理解するのだ。あるいは母なるダンジョンが報せるかもしれない。

 どちらにせよ、この階層に戻ってくるのは確定だ。

 壁を支えにしてベルは立ち上がる。そして眼下の景色を胸に刻んだ。

 

「ミノタウロスよ。私は約束しよう。今度こそ卑怯な手は使わず、貴殿と向き合うことを。その時は私の英雄譚の(いしずえ)になってくれ」

 

 此処で戦闘があったのを証明するのは地面に広がっている怪物の血だけだった。既に黒灰は散っていた。

 

(つづ)ろう、我が英雄日誌。──『ベル・クラネルは約束する。()の猛牛と再び戦うことを。それは冒険者としてではなく、一人の男子(おとこ)としての約束だった』──ああ、よもやこの生でもミノタウロスと(えにし)があるとは……」

 

 最後にそう呟いてから、ベルは緩慢とした動きで行き止まりの壁から離れていった。

 向かう先は地上。

 敬愛してやまない女神の元へ少年は帰還するのだ。

 



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管理機関(ギルド)





 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは世界で唯一地下迷宮(ダンジョン)を保有する都市である。

『大穴』を閉ざす『蓋』の役割を担う摩天楼施設(バベル)によって、怪物達(モンスター)の進撃を阻止することが出来ていた。

 そしてモンスターを倒した時に出る彼等の生命(いのち)の原石──『魔石(ませき)』。これを加工し様々な魔石製品を作り、または『魔石』そのものを換金することによって、オラリオは発展を続けている。

 これこそがオラリオが『世界の中心』と呼ばれる所以でもあった。

 そしてその迷宮都市(オラリオ)を実質的に支配しているのが、『管理機関(ギルド)』と呼ばれている組織だ。

 

「ようこそギルド本部へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

 ギルドの制服を身に纏った妙齢(みょうれい)のハーフエルフの女性──エイナ・チュールは今日も恙無(つつがな)く業務を全うしていた。

 迷宮都市(オラリオ)、北西のメインストリート。別名『冒険者通り』と呼ばれている大通り。そこに面して()っている大神殿──『管理機関(ギルド)』にエイナは勤めていた。

 その役職は受付嬢(うけつけじょう)

 様々な目的があってやって来る冒険者や一般市民の対応をする、いわば、ギルドの看板。受付嬢に選ばれるのは容姿が優れている美男美女ばかりだ。

 今日酒を飲まないかぁ? と下心丸出しな誘い文句を()りもせず言ってくる冒険者を笑顔で撃退しつつ、エイナは慣れた手つきで業務を行う。

 

「いやぁー、今日は平和だねえ」

 

「こらっ、業務中!」

 

「良いじゃん良いじゃん。実際暇な訳だしー」

 

 隣に立つ同僚──ミィシャ・フロットがエイナの窘めを躱しながら、そう、ほにゃりと笑った。

 彼女とは『学区』からの付き合いな為、性格も熟知している。すぐに気を(ゆる)めるのはどうにかして欲しいとエイナは常々思っていた。

 

「今はまだ閑散(かんさん)としているけど、もうすぐ一気に冒険者達が帰ってくるから」

 

「分かってるって。だからちょっとでも体力を温存しておきたいのー」

 

 夕刻を前にした午後の時間帯、殆どの冒険者はダンジョンに潜って日銭を稼いでいる。そして数刻もすれば、獲得した『魔石』を換金する為にギルドに押し掛けるだろう。

 その最高潮(ピーク)の忙しさは、この道に長く就いているエイナ達ギルド職員が思わず悲鳴を上げるほどだ。しかし冒険者はこちらの事情(など)知ったことではないと好き勝手に動く。この荒々しさ、身勝手さが冒険者が冒険者だと呼ばれる所以(ゆえん)なんだよねと、エイナは胸中で呟いた。

 

「それよりも、エイナは良いのー?」

 

 仕事をしている風を上手く装っている同僚に内心で舌を巻きながらも、エイナは「何が?」と聞き返す。

 ミィシャは笑いながらこう言った。

 

「ほら、もうすぐ()()()が来るんじゃないの?」

 

「うっ……! 確かにそうだね……」

 

 エイナは思わず苦虫を()(つぶ)したような表情(かお)になった。

 友人(エイナ)がこんな表情を浮かべるのを見るのは新鮮だなーと思いながらも、ミィシャは他人事のように言葉を続ける。

 

「いやぁー、今日はいったい、どんな風に熱烈な求婚(プロボーズ)をするのかなぁー?」

 

「〜〜〜〜〜〜ッ!? ミィシャ!」

 

 ダン! と(テーブル)を叩く。何事かと振り返る冒険者達。そしてすぐさま飛んでくる班長からの「私語が多いぞ、お前達!」という有り難き叱咤の言葉。

 エイナは顔を羞恥で真っ赤に染め上げ、(めじり)に涙を溜めて隣の友人を(にら)んだ。

 

「ごめんごめん。でも事実じゃん!」

 

 形だけの謝罪を言いながらも、ミィシャはそう言った。

 エイナは「うぐっ……!」と唸り声を上げ、しかし、否定することが出来なかった。

 

「冒険者なら尚更見掛け(ようし)で判断しちゃ駄目だけどさ。でも意外だよね。まさかあんな純朴そうな男の子がさ──」

 

「もうやめてミィシャ。お願いだから。私の精神力(メンタル)を必要以上削らないで……!」

 

 外聞も恥もなく懇願する友人の姿に、ミィシャは揶揄い過ぎたかなと少しだけ反省した。

 そしてフォローしようと口を開いた──その時だった。

 

 

 

「ふはははははははは! 私が此処に帰還したぞ! この未来の英雄、ベル・クラネルがな!」

 

 

 

 大神殿の唯一の出入口から、突如、大声が出された。

 何だなんだとロビーに居た全員が発生源に顔を振り向かせる。

 ミィシャが腹を抱えて爆笑する中──すぐに上司に叱られた──エイナは死んだ目で、嫌々ながらも声主に視線を送った。

 果たして、そこには一人の少年が居た。処女雪を思わせる白髪に、紅玉(ルビー)のような深紅(ルベライト)の瞳。最初、ウサギみたいで可愛いなと思ったのが遥か遠い昔のように──実際は二週間前だが──感じられる。黒色の外套(がいとう)に、腰に提げているのは一本の長剣。

 

「ふっ、(みな)の目が輝いて見える。このベル・クラネルを(うやま)っているのが感じられる!」

 

 自分の目が節穴(ふしあな)なのは疑わないのかとエイナは内心で突っ込んだ。

 

「そうだ、この想いを決して忘れぬように書いておこう。(つづ)るぞ、我が英雄日誌! ──『未来の英雄、ベル・クラネルがダンジョンから帰還すると、種族を問わず彼の凱旋(がいせん)を喜んだ。ベル・クラネルは彼等の想いに感極まって咽び泣く』── うむ。やはり、脚色も大事だよネ!」

 

 誇張表現にも程がある! と、くしくも、この場に居た全員が同じ感想を共有した。

 この時、種族という垣根を越えて彼等は心を通わせたのである。

 しかし、少年は何も気付かない。いっそ呑気な程に、彼は自身の武勇伝に酔いしれていた。

 

「……エイナ」

 

 周りの冒険者がこいつはヤベー奴だと距離をとるのを見ながら、ミィシャは顔を両手で抱えている友人に声を掛けた。

 たっぷりと数十秒を用いて、返答が来る。

 

「…………何?」

 

 ミィシャは意図して殊更に明るい口調で言った。

 

「ほら、ベル君帰って来たよ! 見たところ怪我もないよ! 良かったじゃん!」

 

「……ああ、うん。それは本当に良かったと思う」

 

「なら出迎えてあげないと!」

 

「……? 何で?」

 

 受付嬢とは思えない発言にミィシャは絶句した。

 そして慌てて周囲を確認する。

 幸い、今の会話は誰にも聞かれていないようだった。もし今のが誰かに聞かれていたら即刻解雇処分を通達されても文句は言えないだろう。

 ミィシャは思う。

 これまで自分はこの尊敬している友人に多大なる迷惑を掛けてきた自信があるが、まさか、自分が彼女を支える日が来ようとは……! 

 声を小さくし、ミィシャは現実逃避している友人に囁き掛けた。

 

「何でって、エイナ……ベル君の担当アドバイザーでしょう?」

 

「担当アドバイザー……? 誰が?」

 

「〜〜ッ! エイナだよ!」

 

 気をしっかり持てと両肩を強く揺さぶると、

 

「──ハッ! 私は何を!?」

 

 そこでようやく、エイナは我を取り戻した。掛けている眼鏡の位置を慌てて調整する。

 これなら何とかなりそうだとミィシャが安堵の吐息を吐き出し、注意を少年に戻すと──。

 

「そこのエルフのお嬢さん。今宵(こよい)は私と一夜を共にしませんか?」

 

 見目麗しいエルフの冒険者に声を掛けていた。

 堂々とナンパをするその姿に、周りの冒険者──男は尊敬の眼差しを、女は軽蔑の眼差しを送る。

 

「……私に許可なく触れるなッ!」

 

「あぎゃっ!?」

 

 綺麗なストレートの拳が少年の顔面にのめり込む。そのまま彼は白目を剝いて後ろに倒れた。

「おおっ!」と野次馬根性丸出しで傍観していた冒険者達がエルフに拍手を送った。

 なんてタイミングが悪い……! ミィシャはこの世界に神は居ないのかと嘆いた。そしてすぐに思い出す。嗚呼(ああ)──この世界に神は居たなと。

 だがしかし、現実はいつだって非情だ。ミィシャは涙目になりながら隣に視線を送り、

 

「ひっ……!」

 

 か細く悲鳴を上げた。

 果たして、そこに居たのは一人のハーフエルフの女性。

 ほっそりと尖った耳に澄んだ緑玉色(エメラルド)の瞳。セミロングのエメラルドの髪は光沢に溢れている。

 そして今、その並外れた容姿は彼女が浮かべている微笑によってさらに磨きが掛かっていた。

 ミィシャ・フロットは『学区』の頃からエイナ・チュールと付き合いがある。

 その彼女が断定しよう。

 ──あっ、これ本気で怒ってる(ガチギレだ)

 ミィシャは床を「いだだだだだだだ──!?」と転げ回っている少年に黙祷(もくとう)を捧げた。

 

「……私、行ってくるね。ミィシャ、暫く受付を任せても良い?」

 

「承知しましたぁ! 不肖ミィシャ・フロット、全身全霊で業務にあたらせて頂きますッ!」

 

「ありがとう、ミィシャ。今度ご飯奢るね」

 

 その言葉だけが救いだった。

 エイナはゆらりと椅子から立ち上がると移動を始めた。「チュール!?」と叫んだ獣人の上司の言葉も彼女には届かない。そのまま裏の事務所を通る。小休憩を取っていた受付嬢達が同僚のただならぬオーラにぎょっと目を剥いたが、触る神に祟りなしとばかりに視線を逸らした。

 

「全く、あの子は……!」

 

 ロビーに出たエイナはずんずんと大股で痛みに悶えている馬鹿者に近付く。ナンパをしてくる愚かな冒険者をひと睨みで撃退すると、少年を見下ろした。

 

「いだだだだだだだだだだだ!? あのエルフ、さてはドワーフの血を引いているのではないか? だがしかし、美女に(なぶ)られるというのは中々──」

 

 ぶつぶつと呟く少年は、修羅の存在に気付かない。

 

「まあ、しかし。これもまた経験だと思えば良いか。私は学習する賢い人間だからな! がははははは!」

 

 声を立てて愉快そうに笑う少年は、そこで初めて、ギルド本部が異様な静けさに包まれていることを感じた。

 いったい何事かと、もしやモンスターの襲来かと上半身を起こし──にっこりと笑うハーフエルフの女性と目が合った。

 だがここまで来ても少年は何も気付かない。笑みを浮かべて挨拶をする。

 

「おお、エイナ嬢ではないか。いやはや、今日もお美しい! そうだ、この後何か用事はあるだろうか? もしなければ夕餉(ゆうげ)をご馳走──」

 

 させて欲しい、と少年が言うよりも前に。

 エイナは遮って彼の名前を呼んだ。

 

「ベル君」

 

「……何かね、エイナ嬢。私の気の所為だろうか。巧妙に隠されているが、貴女から怒気を感じるのだが──」

 

「正座」

 

「…………は?」

 

 何を言われたのか分からず、少年──ベル・クラネルは素で聞き返した。

 そんな彼にエイナは笑みを深めて言う。

 

「正座」

 

「いや、エイナ嬢。智慧(ちえ)に長けた私ではあるが、流石に、脈絡なくそう言われると──」

 

「せ・い・ざ」

 

「──はいっ、喜んで!」

 

 ベルは屈した。

 そして俊敏な動きで硬い石畳の上に姿勢を正した。

 

「ベル君」

 

「何でしょう!?」

 

「私が何を言いたいのか分かる?」

 

 ベルは悟った。

 ここでの回答によって、自分の未来が変わることを。

 生か死か。

 世界はいつだって非情だ。

 ベルは必死に脳を回転させた。自分が生き残る術を模索する。あらゆるパターンを検証し──一つの答えに辿り着いた。

 少年は笑い、妙齢の女性は訝しんだ。

 そしてベルは何を思ったのか、こう宣った。

 

「どうか安心して欲しい! 私はエイナ嬢一筋だ! だからどうか、その嫉妬の炎を収めて──ぐへぇっ!?」

 

 ベルは宙を舞った。

 冒険者から歓声が、受付嬢から悲鳴が出る中、エイナはポキポキと手の骨を鳴らす。 

 

「ベル君」

 

「……は、はいっ!?」

 

「いつ、誰が正座を()いて良いって言ったのかな?」

 

「い、いやしかし……殴ったのはエイナ嬢……」

 

「何か言った?」

 

「とんでもございません!」

 

 ベルは後悔していた。

 嗚呼──つくづく今日は運が悪い。

 それを見たエイナはとうとう額に青筋を浮かべた。

 

「こんの、ベル君の馬鹿ああああああ!」

 

 雷が落ちた。

 それから一時間に渡り、大神殿の空気は()()()()()

 石畳の上でプルプルと震えながらも根性で正座する一人の少年と、エルフとは思えぬ鬼の形相で激怒する一人の妖精に声を掛けられる猛者(もさ)は誰も居なかった。

 その様子を目撃していた一人のヒューマンの男性は後にこう語った。

 

 ──これからは、受付嬢にナンパするのはやめようと心に誓ったぜ。

 

 

 

§

 

 

 

 ギルド本部には様々な施設が備わっている。例えばそれは、『魔石』を換金出来る換金所。例えばそれは、依頼人(クライアント)から出された冒険者依頼(クエスト)が貼られた大きな掲示板。ギルド職員の許可を得れば資料室に行き、ダンジョンの構造やモンスターの情報が書かれた資料集を閲覧(えつらん)することも可能だ。

 それらの中で、面談ボックスというものがある。これは冒険者とその担当アドバイザーが使用出来る部屋の総称だ。防音が施されているこの部屋でなら、部外者の耳を気にせずに内密な話が出来るのである。

 

「……エイナ嬢、怖かった」

 

 面談ボックスで少年──ベル・クラネルはソファーの上に腰を深く下ろして黄昏(たそがれ)ていた。

 彼の中で先程のあの出来事はすっかりと黒歴史(トラウマ)になっていた。

 

「つ、綴ろう……我が英雄日誌……──『調子に乗ったベル・クラネルは公衆の面前で怒られるという恥ずかしい思いをした。トホホ……』──うん、これを見返すのは絶対にやめよう……」

 

 ベルは早く我が家(ホーム)に帰りたかった。

 そして自分の帰りを待ってくれているであろう女神に抱きつき、慰めて欲しかった。

 あの幼女神ならきっと傷付いた精神(こころ)を癒してくれるだろうに……。

 しかし、それはまだ叶いそうにない。

 一時間にも渡る説教の後、エイナが強制的にベルをこの部屋に監禁したのである。

 

「逃げるなら今しかないが……あとが怖いか」

 

 ベルは正しい選択をした。

 心を無にして過ごしていると、控え目なノック音が出される。「どうぞー!」とベルが返事をすると、件の女性が現れた。

 

「……」

 

「……」

 

「「……」」

 

 両者、何も言わなかった。

 先に口を開いたのはベルの方だった。

 

「あー……私が言うのもなんだが、座ったらどうだい?」

 

「う、うん……ありがとう……」

 

 促され、エイナはベルの正面に座る。

 間に卓があって本当に良かったと、ベルは心からそうそう思った。

 流石にこの空気のままなのは良くないと、動こうと思ったその時。

 

「──ごめんベル君! 私、どうかしてた……」

 

 エイナが深々と頭を下げた。

 きょとんとするベル。

 そして慌ててこう言った。

 

「いやいや、エイナ嬢が謝ることは何もない。全ては私が悪いのだから。だからどうか頭を上げて欲しい」

 

「で、でも……」

 

「女性に頭を下げさせるのは紳士である私にとっては見過ごせないことなのだ。うん、ここは私も謝罪をすることでおあいこにしよう。──すまなかった、エイナ嬢」

 

「ううん、私もほんとうにごめんね」

 

「──よし、これで終わりだ! これ以上はループするからな!」

 

 そう言って、ベルは笑みを浮かべた。それに釣られ、エイナもクスリと笑みを洩らす。

 それを見たベルはうんうんと頷きながら。

 

「怒っている顔も良いが、やはり、貴女は笑っている方が魅力的だな」

 

 真面目な顔で、そう、口説いた。

 エイナは瞬く間に顔を真っ赤に染め上げた。

 彼女は分かっていたのだ。

 目の前の少年が本気でそう思っていることを。

 

「〜〜〜ッ! こら、大人を揶揄(からか)わないの!」

 

「痛いっ!?」

 

 額にデコピンを放つと、ベルは大袈裟に痛がった。

 おでこがー!? おでこがー!? と痛みに悶える振りをする様子を見て、エイナはもう一度クスリと笑った。

 

(これがあるから嫌いになれないのよね……)

 

 エイナにとって、ベル・クラネルという人間は不思議な存在だった。

 普段は歌劇(かげき)のような口調で話し、胡散臭(うさんくさ)い笑みを()り付かせている。それは神々が浮かべているものに限りなく近い。

 そして事ある(ごと)に騒ぎを起こす問題児である。

 何も、エイナがベルを叱ったのは今日が初めてではない。出会ってから今日に至るまで、二日に一回は説教していた。

 ベル・クラネルが冒険者登録をしてから二週間。

 この僅かな期間で、ある種、彼はギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)に名を刻んでいた。『古代』の時代からギルドの前組織はあったが、この速度で名前が乗るのはまず間違いなく最速だろう。

 だがしかし、不思議とエイナは少年のことを嫌いになれなかった。

 それは恐らく、時折見せる真剣な顔が原因だと彼女は考えている。

 ベル・クラネルはまだ(よわい)十四の少年だ。なのにも関わらず、彼はふと歳に不釣(ふつ)り合いな『顔』になる時があるのだ。

 

(ほんとう……不思議な子だなぁ……。女の子が大好きだと公言しているし、()りずにナンパはするし、けど、相手が本当に嫌なことはしないんだよね……) 

 

 だから、本当に不思議だとエイナは内心で呟いた。

 

「それでベル君。今日はダンジョン探索どうだったの?」

 

「今日は数匹のゴブリンを倒したな。奴等、徒党を組んで私を囲んだのだ!」

 

「へえー、それは珍しいね。モンスターは基本群れる──ましてや、連携を組むことなんて殆どないんだけど……」

 

「恐らくは私を恐れたのだろう。ふっ、自身の不利を悟り連携をとるのは敵ながら天晴(あっぱ)れだった。とはいえ、未来の英雄、このベル・クラネルの敵ではなかったがな!」

 

 不敵な笑みを浮かべ、ベルは調子に乗った。

 エイナはそれを見ても何も言わないし、何も思わない。

 これはいつもの事だからだ。最初は調子に乗るなと小言を言っていたが、何度言っても直らなかったのでもう諦めた。

 

「他はどうだったの? 到達階層は確か2階層だったよね?」

 

「ああ、そのことなんだが……エイナ嬢。これは巫山戯(ふざけ)ているわけではなく、真剣な話なのだが」

 

「う、うん……」

 

「モンスターが『中層』から『上層』……つまり、出現階層から大幅な移動をすることはあるのか?」

 

「……詳しく聞かせて」

 

 エイナは羊皮紙と羽根ペンを取り出し、メモをとる姿勢を作った。

 流石は優秀なギルド職員だと、ベルは内心で感嘆する。この短い会話から異常事態が起こったのだと察するとは、尊敬に値するのだ。

 

「実は先程──」

 

 それから数分に掛けてベルは語った。

 攻略階層を2階層から5階層に移し、ダンジョンに潜っていたことを。そして探索中、本来なら『中層』に居る筈のミノタウロスが『上層』に現れ、運悪く遭遇(エンカウント)、鬼ごっこを繰り広げたことを。窮地に陥ったところを【ロキ・ファミリア】に助けられたことを。

 

「アイズ──()の【剣姫(けんき)】は自分達がミノタウロスの群れを逃がしてしまったと言っていた。彼女の言葉を疑っているわけではないが、地下迷宮(ダンジョン)を運営している管理機関(ギルド)に尋ねたい。()()()()()()()()()()()()()?」

 

 鋭い眼差しがエイナを射抜く。

 ギルド職員は暫し黙考し、やがて、おもむろに口を開けた。

 

「ギルドとして言わせて貰うと──モンスターが逃走を図る、という事例(ケース)はこれまでなかったよ」

 

「なるほど……ならばこそ、今一度問いたい。そんなことが起こり得るのか?」

 

「……それについては、私は、『起こり得る』と答えるしかないかな。これまでに何度もベル君には散々言ってきたことだけれど、ダンジョンは理不尽──異常事態(イレギュラー)で満ち(あふ)れているの」

 

 緑玉色(エメラルド)の瞳を細めながら、彼女は言葉を続けた。

 

「『古代(古代)』の時代から『大穴』──ダンジョンはある。そして今は『神時代(しんじだい)』と言われている。けれど、それだけの年月が経っても尚、ダンジョンの謎は解明されていないんだ」

 

「分かっているのは人類の宿敵(モンスター)が産まれることだけか……。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……ベル君?」

 

「ああいや、何でもない。こちらの独り言だ」

 

 そういう事ならとエイナは腑に落ちないながらも引き下がった。

 話を戻し、結論を出す。

 

「モンスターは理性ではなく、本能で生きている。逆に言い換えれば、本能を刺激する程の『恐怖』という感情が芽生えたら、逃走を図ることは有り得ない話じゃないと思う」

 

「やはり、そうなるか……」

 

「ごめんね。あまり力になれなくて……」

 

「いや、充分だとも。むしろ話を聞いてくれて助かったくらいだ」

 

「今回ベル君は被害に遭ったわけだけど……どうするの? ギルドを通じて【ロキ・ファミリア】を糾弾することも出来るよ?」

 

 その言葉にベルはぱちくりと瞬きした。

 

「『糾弾』とは……これはまた過激だな」

 

「意図してではないとはいえ、【ロキ・ファミリア】の過失なことは間違いないからね」

 

「エイナ嬢……もしかして怒ってる?」

 

 ベルが恐る恐る尋ねると、エイナは当然でしょう! と憤った。

 

「今回はたまたまベル君は助かった。けど君も言っていたでしょう? あと少し遅ければ危なかったって」

 

「あ、ああ……確かにそう言ったが……」

 

「ベル君だけじゃない。下級冒険者はほんの些細な事で死んじゃうの。だから【ロキ・ファミリア】には自戒して欲しいって、私は思う」

 

 紡がれた言葉はエイナの本心だった。

 ギルド職員として、また、受付嬢として働く中で、彼女は様々な種族の多くの人達と出会った。

 そして同時に、多くの人達と死に別れた。

 エイナは口癖のように担当冒険者に言っている。

 ──『冒険者は冒険をしてはならない』と。

 矛盾している言葉だ。

 それはエイナも分かっている。

 しかし、思うのだ。

 冒険をして死ぬのなら、みっともなくとも、情けなくても良い。どうか生きて帰って欲しいと──。

 それはベルも分かっている。エイナの想いを彼は理解していた。だからこそ、彼は言う。

 

「いや、糾弾するのはよそう」

 

「……良いの?」

 

「ああ、構わないさ。どの道私が言わなくても、()の派閥は自ら今回のことをギルドに報告するだろう。もし隠してそれこそ『糾弾』されたら、【ロキ・ファミリア】は信頼を無くすのだから」

 

「……分かった。ベル君がそう言うのなら、私はもう、何も言わない」

 

 元より被害にあったのは自分ではない。

 少年が良いと言っているのだ、私情を入れるのはやめるべきだと己を(りっ)する。 

 

「話は終わりだ。私ももう帰ろう。愛しの我が主神を待たせているからな!」

 

 それではエイナ嬢、また会おう! 朗らかにそう挨拶をし、ベルは面談ボックスを出ようと──した所で、エイナに首元を摑まれた。

 

「ぐへぇっ!? え、エイナ嬢……! 流石の私も、この愛情表現はちょっと困る──」

 

「ねえ、ベル君。さっきは聞き流したけど、攻略階層を2階層から5階層にしたって言ってたよね?」

 

「……HAHAHA。何を言っているんだエイナ嬢。私は冒険者になってから二週間しか経っていない素人。そんな私が5階層まで攻略階層を増やせると本気で思っているのかね?」

 

 冷や汗を首筋に流しながら、あくまでも白を切るベルに、エイナはにっこりと笑って言った。

 

「ベル君知ってる? 殆どの新人冒険者はね、1階層や2階層じゃ戦った気がしないって言って、身の丈に合わない階層に足を運ぶの。そう例えば──5階層とかね」

 

「さらばだ!」

 

 ベルは俊敏な動きで拘束から脱却すると、「ふはははははは!」と高笑いしながら逃走を開始する。

 エイナが部屋を出た時には、ベルの後ろ姿は消え掛けていた。

 

「こらぁー! 待ちなさぁ──い!」

 

 返って来たのは「また会おう! 私の麗しの担当アドバイザーよ!」という全く嬉しくない言葉だけ。

 逃げ足はやっ! とエイナは思いながらも、可愛がっている担当冒険者を見送るのだった。

 窓口に戻ると、ミィシャが声を掛けてくる。

 

「お帰り。どうだったー?」

 

「……いつも通りだよ」 

 

「元気があって良いと思うけどなぁ」

 

「ミィシャは他人事だからそんな呑気なことを言えるんだよ……」

 

「あっはっはっ、まあね〜」

 

 話をしながら、エイナは表情を整える。

 大型時計は六時を指していた。

 ダンジョンから冒険者達が帰還する。

 瞬く間にギルド本部は混雑するだろう。対応に追われて、へとへとに疲れるのが目に見えている。

 しかし、それがエイナは嬉しいのだ。

 だってそれは、彼等が今日も無事に帰って来た証なのだから。

 

「ミィシャ」

 

「なにー?」

 

「今日のご飯期待してね。美味しいご飯を食べに行こうね」

 

「ほんとー!? やったー! エイナ大好きー!」

 

 はしゃぎすぎて本日何度目かの上司から叱咤される友人を尻目に、エイナは窓口に来た冒険者に笑みを向けて対応した。

 

「──ようこそギルド本部へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 

 今日も迷宮都市は平和だった。 

 



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(きざ)

 

 迷宮都市(オラリオ)を囲むのは厚く、高く、そして堅牢(けんろう)な城壁を思わせる『市壁』だ。

 決して他所からの侵入を許さず、都市に入る為には各所にある検問所を通る必要がある。検問所を通るのは簡単だ。『神の恩恵(ファルナ)』の有無を確認するだけで良く、迷宮都市(オラリオ)は新たな住人を歓迎する。

 しかし、一度都市内部に入ると都市外に出ることは難しくなる。各地を転々とする旅人や商人なら手続きは比較的楽だが、【ファミリア】に入団している冒険者は難しい。それはひとえに、都市外に戦力が流れるのを管理機関(ギルド)(おそ)れているからであり、それは冒険者だけでなく神々も同様である。申請してから許可が通るまで数週間掛かっても可笑(おか)しくない。

 迷宮都市(オラリオ)には八本のメインストリートが通っている。それぞれは方角を示す頭文字(かしらもじ)が付けられ──例えば、『北西のメインストリート』などと呼ばれることが多い。都市をホールケーキに見立て、それを八等分すると分かりやすいだろう。

 

「今日も摩天楼施設(バベル)が輝いている。嗚呼……神々が私達を見守ってくれている」

 

 都市の中心部に高く(そび)えているのは白亜(はくあ)巨塔(きょとう)。地下にはダンジョンが、そしてそれぞれの階層にはとある鍛治系【ファミリア】のテナントや、神々しか利用出来ない施設が備わっている。そして二十階から上は神々が居住している神々の空間(プライベートルーム)だ。

 迷宮都市の象徴(シンボル)とも言える【神塔(バベル)】に神々が住みたいと思うのは、そう、可笑しいことではない。下界の住人──子供達と親交を交わす男神(おがみ)女神(めがみ)も居れば、天界に居た頃のように子供達を見下ろし、孤高を好む神も居る。

 尤も、あくまでも摩天楼施設(バベル)はギルドの管理下にあり住居費に法外な値段を要求される為、【ファミリア】の財政を考えると二の足を踏む神々の方が圧倒的に多い。都市でも有数の派閥(はばつ)、その主神だけが居座ることを許された神聖領域だ。

 

「噂によれば、最上階には()の美を司る女神が住んでいらっしゃるのだとか。私も是非とも会ってみたいものだ」

 

 手を振れば自分の存在に気付いてくれるかもしれない! そう考えた少年──ベル・クラネルは居るかも分からない女神に無邪気に手を振った。

 どのような容姿なのか、頭の中で妄想する。もちろん、口にすることはしない。それは女神への不敬であり、また、もし万が一、女神の眷族にでも聞かれたら殺されるだろうからだ。噂によれば『過激派』というものもあるらしい。

 

「しかし、考えること、思うことは自由!」

 

 うへへへ……と気持ち悪い顔になっていると、周りの通行人が距離を置いて歩いているのが分かった。中には娘の目に手を当てる母親の姿もある。

 流石にこれはまずいと判断し、そそくさと中央広場(セントラルパーク)をあとにした。

 

「すっかりと遅くなってしまった……。罪滅ぼしに何か買っていこうか……」

 

 うがぁーっ! と憤る幼女神を想像して、ベルはくすりと笑った。想像ではなく、実際に起こりそうなのが面白い。

 ちょうど営業していた屋台に近付き、()(どり)なるものを二つ注文する。

 出来たてを頼むと、店主は快諾した。待つ間、何もしないのも退屈なのでベルは世間話に興じる。

 

「店主よ、最近の景気はどうだ?」 

 

「ははは、餓鬼がそんなことを気にするんじゃねえよ! だがそうだな……最近は好調だな。もうすぐ怪物祭(モンスターフィリア)が開かれるから、都市郊外から観光客がわんさか来る! 昼間は嬉しい悲鳴を上げているぜ!」 

 

「ほう……怪物祭(かいぶつさい)か。その祭は大層賑わうのか?」

 

「あたぼうよ。って、なんだ、怪物祭(モンスターフィリア)を知らないのか? あんちゃん、見たところ冒険者だろう?」

 

「恥ずかしい限りだが、私はつい数週間前に迷宮都市(オラリオ)にやって来たばかりの新米でな。住んでいた故郷(むら)も片田舎で、俗世には疎い自信がある!」

 

 自信満々に言うことかよ! ドワーフの店主は豪快に笑った。

 それから談笑して待つこと数分。

 店主は揚げた肉を小さな紙袋に包むと、ベルに手渡した。 

 

「期待の新人冒険者(ルーキー)には恩を売っておく。二個サービスしておいたぜ!」

 

「おおっ、なんと有難いことか。いやはや、実は私が所属している派閥は団員が私しか居なくてな。正しく零細【ファミリア】なのだ。店主の厚意、このベル・クラネルがしかと我が主神に伝えよう!」

 

「はっはっはっ! いちいち大袈裟(おおげさ)な奴だ!」

 

 代金を渡し、ベルは店主に礼を告げてから去った。

 走り去っていく少年をドワーフの男は見届ける。暫しの間感傷に浸り、やって来た美人な女戦士(アマゾネス)母娘(おやこ)の対応をするのだった。

 

「ああ、今日も素晴らしい出会いがあった。私は今日のことを絶対忘れないだろう!」

 

 ふはははははは! と大声を出して目抜き通りを疾走する一人の少年。男神は指をさして爆笑し、高潔なエルフは眉を顰め、小人族(パルゥム)の少年は目を輝かせた。

 表通りから細道に姿を消す少年を、彼等はしかと目に焼けつけたのである。

 そんな彼が辿り着いたのは、廃墟同然の教会。

 神々を崇む為に建てられた二階建ての施設は、その原型を辛うじて保っていた。石材は所々剥がれ、苔も生まれている。今にも崩れそうな遺物。それは長い年月の経過と、同時に、人々に忘れ去られた哀愁を醸し出していた。正面玄関真上には顔半分を失っている女神の石像。それはまるで御伽噺に出てくる、女神という概念でしかなかった存在を象徴しているかのように微笑んでいる。

 

「女神よ、今日も私は無事であった。これも貴女の導きだ。感謝する!」

 

 石像に語り掛けたあと、ベルは躊躇いなく教会に入る。そのまま慣れた様子で祭壇(さいだん)の奥にある小部屋に入った。

 書物が収まっていない棚は(ほこり)が積み重なっている。本をこよなく愛する彼の主神が掃除をしたいと常々言っているが、中々機会に恵まれないのが現状だ。

 

「女神よ! 我が(いと)しの女神よ! 私が帰ったぞ! 貴女の唯一の眷族、このベル・クラネルがな!」

 

 一番奥の棚の裏にある地下階段を降りながら、そう言い、境界の役目を担っている金属製のドアを勢いよく開け放つ。

 

「女神ヘスティア、今、帰ったぞ!」

 

「お帰りー!」

 

 ベルの呼び掛けに応えたのは一人の女子(おなご)と言っていい年ごろの少女だった。

 幼い顔付きに、低い身長。艶のある漆黒の髪の毛をリボンで二つに結い──人はこれを『ツインテール』と呼んでいる──瞳は銀色。だが何よりも目を引くのは身体に不釣り合いな成熟した双丘だろう。服の上からでも分かるその豊満な胸は彼女が少し動くだけでたわわと揺れる。

 ()の女神──ヘスティア。天界から下界に降り立った超越存在(デウスデア)の一柱である。

 彼女は紫色のソファーの上に寝転がり、仰向けの姿勢で薄い本を読んでいた。それは以前、ベルが彼女に勧めた英雄譚だった。

 ちょうど読み終わったのだろう。冊子を丁寧に傷が付かないように閉じた後、彼女は「うーん」と伸びをしながら呆れたように、しかし、慈愛の笑みでこう言った。

 

「相変わらず、きみは元気だねぇー。ダンジョンに行っていたとはとても思えない元気振りだよ」

 

「ふははは。元気で居ることは大事だからな!」

 

「はいはい、分かった分かった。そんなことよりもベル君、ご近所様に迷惑だからもう少し声は抑えてくれるかい?」

 

「あっ、はい」

 

 ベルは素直に頷いた。ご近所付き合いの重要性は村に居た時も、そして今も何一つ変わらない。

 少年は外套(がいとう)を脱ぎながら部屋を一瞥した。

 此処が二人の本拠(ホーム)『教会の隠し部屋』だ。人が住むにはまあまあの広さの部屋は、しかし、地下なので陽の光が届くことはない。照明となるのは定期的に購入し交換している『魔石灯』だけだ。四方の角に飾り付けている。

 

「それで? 今日の稼ぎはどうだったんだい?」

 

 夕餉(ゆうげ)を協力して準備していると──【ヘスティア・ファミリア】独自のルールである──ふと思い出したように、ヘスティアがそう尋ねた。

 堪らず、ベルは苦笑いする。

 

「……それよりも前に、まずは眷族(こども)の心配をするのが主神(おや)の役目じゃないだろうか」

 

「いやいやいや、ベル君が怪我を負うところは全然想像出来ないよ。ましてや、生命(いのち)の危機だなんてねえー」

 

「……まあ、信頼されていると思うようにしよう」  

 

 そう自分で納得した。

 ベルがヘスティアの眷族(こども)になり、はやくも二週間が経っている。それだけ一緒に生活をしていれば、主神(おや)のことは充分に理解出来るというものだ。

 ヘスティアは良くも悪くも『裏』がなかった。喜怒哀楽がはっきりし、いつも感情を爆発させている。ベルとの相性は抜群に良く、彼等が出会って間もなく意気投合したのは言うまでもないだろう。

 

「私の話は長くなりそうだから、食事中に華を添える形で良いだろうか?」

 

「お? なら期待するぜ?」

 

「ふっ、未来の英雄、ベル・クラネルの冒険譚の一幕をとくと語ろう。ヘスティアの方はどうだった?」

 

「ボクはねー今日も屋台のアルバイトをしてたよー。ははは……女神がアルバイトってこの世界も随分と世知辛くなったものだぜ──って、どうしたんだいベル君?」

 

 ベルの異変に気付いたヘスティアが尋ねる。

 少年はぶるぶると震えていた。

 それは歓喜からだった。

 

「幼女で黒髪で巨乳でボクっ娘! やはり素晴らしい! 少なくとも私の好みではある! これだけでもヘスティアの眷族になった甲斐(かい)がある!」

 

「そ、そうかい? いやぁー、何だか照れるなー」

 

 丸皿を二皿(テーブル)に乗せ、幼女神は頬を掻く。

 女神であろうと、手放しで褒められるのはそう悪いものではない。むしろ嬉しいのでもっと褒めて欲しいくらいだ。

 だがしかし、ベルはそんな彼女の気を知らないで、アルカイックスマイルを浮かべて地雷を踏んだ。

 

「私が言うのもなんだが、恥ずかしくないのか?」

 

「本当にその通りだね!? そして女神相手に失礼だぞッ!?」

 

 うがぁ──ッ! と二本の己の得物(かみのけ)を揺らし、ぺちぺちとベルの両頬を叩く。最初は笑って甘んじて受け入れていたが、段々と痛くなってきたのでやめて欲しいと少年は割と本気(ガチ)で思った。

 

「全く……ベル君はもう少しボクを敬っても良いと思うんだよね」

 

「アルバイトでなんとか日銭を稼いでいる女神をどう崇拝しろと?」

 

 正論で殴られ、ヘスティアは呻き声を上げた。

 

「うぐ……ふ、ふふんっ! でもねベル君! きみは次の瞬間にはボクを崇めるだろうさ! (テーブル)を見たまえ!」

 

 そう言って彼女が指さした先では、大量のじゃがいもの揚げ物を乗せた大丸皿が、(テーブル)の上に乗っていた。その量は計り知れず、(テーブル)の大部分を占有している。

 ベルは「これは……ッ!」と目を見開いた。

 

「みんな大好きジャガ丸くんではないか! ヘスティア、これはいったい……?」

 

「ふふんっ、バイト先のおばちゃんがくれたのさ! ボクが売上に貢献しているからそのご褒美だって!」

 

 どうだ、見たことか! とヘスティアは大きな胸を張った。たゆゆん、と双丘が音を立てて震えたが、女好きだと公言しているベルでも、流石に不敬なので欲情することはない。

 なので彼は冷静さを保ちながら追及することが出来た。

 

「実際は?」

 

「……今日売れ残った廃棄処分のジャガ丸くんさ。捨てるのも勿体ないからとおばちゃんに押し付けられたんだ」

 

「なるほど」

 

 ヘスティアは死んだ目になった。

 神々が言えたことではないが、人間(こども)達はすぐに掌を返す。

 売れ行きが良い時は「偉い偉い!」と褒めてくれるのに、少しでも悪くなると「全部売りなよ!」と無理難題を言ってくるのだ。

 これが最近社会的問題になっている職場虐め(パワハラ)なのかと思った程である。

 

「今晩の主食はこれだよ……ははっ、すまないねベル君。でも先に言っておくけれど、今晩は寝かさないぜ」

 

「お、おう……流石の私も苦笑を禁じ得ないところだ。だがヘスティアよ。喜ぶが良い。土産を買ってきたぞ」

 

 刹那、幼女神はぱあっと顔を輝かせた。 

 何だいなんだいと子供のように(はしゃ)ぐ彼女を窘めながら、ベルは先程買った例の物を取り出す。

 

「屋台で買ってきた揚げ鶏だ。店主に無理を言って揚げたてを用意して貰った」

 

「おおっ! 揚げ鶏なんて、ボク、久し振りに食べるよ! あれ? でも量が多くない?」

 

【ヘスティア・ファミリア】は貧乏である。常に火の車である為、食費は意識して必要最低限にしていた。

 しかし、ベルが小皿に盛り付けた揚げ鶏の数は四つである。はっきり言ってこれは『豪勢』だ。

 今日は何か祝いの日だったかな? と思案する己が主神に、ベルは得意気味に胸を張る。

 

「私の見事な交渉術によって、二個、サービスして貰った! そう、私の見事な交渉術によって!」

 

「お、おう……そんな、大事な事だから二回言いました感を出さなくても充分に伝わるけど。でもベル君凄いぞ! 流石はボクの眷族(こども)だ!」

 

「そうだろうそうだろう!」

 

 ベルは小鼻の穴をぷくっと広げた。

 談笑を交わしながら夕餉(ゆうげ)の準備をする。それは正しく、ヘスティアが願っていた家族(ファミリア)の在り方そのものだ。

 やがて、(テーブル)には色とりどりの──否、こんがりと焼けたきつね色の食べ物が並ぶ。両者の手元には専用のグラスがあるが、中身は酒ではなく水だ。しかし、ベルもヘスティアも酒はあまり好まないのでこれは大した問題ではない。

 

「野菜がないのが減点だね……」

 

「そうだなぁ……すっかりと失念していた」

 

「知り合いの女神が農業を営んでいるから、今度、無料(タダ)で貰えるものは何かないか聞いてみるよ」

 

 ヘスティアは堂々と他力本願でそう言った。彼女は神友(しんゆう)に頼ることを全く(いと)わないのだ。

 ヘスティアは知っているのだ。神の矜恃(プライド)なんてものでは腹は膨れないことを。

 そしてそれはベルも同じである。眷族として主神を諌めるどころか、「流石は我が女神。優秀なコネがあるとは」と感心していた。

 

「よしっ、それじゃあベル君。今日もダンジョン探索お疲れ様!」

 

「ヘスティアもアルバイトお疲れ様!」

 

「「カンパーイ!」」

 

 グラスを鳴らし、一気に呷る。喉の渇きを清涼な水で潤し、ベルとヘスティアは夢中になって手を動かし、口を動かし、時に笑いながら幸福な時間を過ごすのだった。

 本格的に今日の出来事を話したのは「ベル君。さっきの話を聞かせてくれよ」とヘスティアが思い出した時だった。

 早く早く、神の気は長続きしないんだぜ? と催促するヘスティアに、ベルはニヤリと笑い掛けた。

 

「ならば語ろう。未来の英雄、冒険者ベル・クラネルが今日繰り広げた愉快な冒険譚を!」

 

 ベルは身振り手振りを使って敬愛している主神にダンジョン内での出来事を滔々と語った。

 2階層で遭遇したゴブリンの群れ。徒党を組んで自分を囲む怪物達(モンスター)。その危機的状況を自分が如何にして打破したのか。

 ダンジョンで見てきた物、新たな発見、その全ての情景(じょうけい)をベルは吟遊詩人のように語るのだ。

 

「──ぷははははは! やっぱりきみの冒険譚は面白いなあ! 飽きることがまるでないよ!」

 

 腹を抱えて笑い転げるヘスティアに、ベルは口角を上げて応えた。

 

「おっと、お客人。いつもならもう終わっているが、まだ私の語りは終わらないぞ」

 

「……?」

 

 怪訝や表情を浮かべる少女に、少年はばっとソファーから立ち上がり言った。それはさながら、演説をするかのように。

 

「ダンジョンは異常事態(イレギュラー)で満ち溢れている。我々冒険者は直面する度に窮地に陥る。そして私も今日──遂に異常事態(イレギュラー)に見舞われた!」

 

「ちょっと待ってくれ!」

 

 ヘスティアが言葉を遮った。

 ベルは不満そうに唇を尖らせ、抗議する。

 

「……ヘスティア、これからが一番盛り上がるところなのだが」

 

「それは、ごめん。でも一旦終わりだ。ベル君、聞かせてくれるかい? その異常事態(イレギュラー)を。ボクは眷族(きみ)主神(おや)として聞かなければならない」 

 

「──それが貴女(あなた)神意(しんい)なら」

 

 ベルは口調を改め、ヘスティアに余すことなく全てを告げた。

 ダンジョンを探索中、本来なら『中層』に居る筈のミノタウロスが『上層』に現れ、運悪く遭遇、鬼ごっこを繰り広げたことを。窮地に陥ったところを【ロキ・ファミリア】に助けられたことを。しかし、元々の発端は()の最大派閥の失態であることを──。

 

「なるほどね……よく分かったよ。ごめんねベル君。辛い記憶を掘り起こしてしまって」

 

 辛かったね、そしてありがとう。ボクの所に戻って来てくれて──労わるように、炉の女神(ヘスティア)少年(ベル)の頭を優しく撫でた。

 ヘスティアは銀色の双眸を鋭くすると、おもむろに口を開けた。 

 

「まずはボクの意見を言わせて欲しい。きみの担当アドバイザーとボクは同意見だ。【ロキ・ファミリア】を糾弾、管理機関(ギルド)に頼んで相応の罰則(ペナルティ)を与えたい」

 

「いや、それは、しかし……」

 

「彼等が都市最大派閥と言われているのは流石のボクでも知っている。彼等の名声──成し遂げて来た『偉業』は神々(ボクたち)からしても素晴らしいと称賛出来る」

 

 ヘスティアは言葉を続けた。

 

「ボクはね、ベル君。【ロキ・ファミリア】の主神とはお世辞にも仲が良いとは言えない。子供(きみ)達の言葉を借りるなら、『犬猿の仲』ってやつさ」

 

「……それは初めて知ったな」

 

 苦笑するベルに、ヘスティアは「今初めて言ったからね」と言った。

 

「だから──そう、これは主神(ボク)()()だ。眷族(こども)(ロキ)によって生命の危機に瀕し、それを嘆き、憤った主神(ボク)の暴走だと思って欲しい」 

 

 それは眷族のことを想いながらも、愛すべき少年を巻き込まない為の都合の良い口上だった。

 

「その上で聞こう。ベル君、きみはどうしたい?」

 

 銀色の双眸(そうぼう)──神の瞳がベルの身体を射抜いた。

 さてどうしたものかと……ベルは悩む。

 自分の意見は変わらない。例えそれが敬愛している主神(ヘスティア)の御言葉であろうともだ。

 しかし、ベルは同時に分かっているのだ。ヘスティアが割と本気で怒っていることを。

 神に『嘘』は通じない。

神の力(アルカナム)』を封印されていようと──彼等彼女等が超越存在(デウスデア)であることに変わりはないのだから。

 だから、ベルは深紅(ルベライト)の瞳を見開かせて言った。

 

()()

 

「……ッ!」

 

「『()』は気にしていません。確かに『()』は彼等の不手際で生命を落とすところでした。でも、彼等は間に合ってくれた。英雄譚に出てくる本物の『英雄』のように。()()()()()()()()()()()()()──」

 

 頭を下げ、少年は女神に()()した。

 嘘偽りない本心を吐露し、どうか怒りを収めて欲しいと誠心誠意()()()をする。

 沈黙。そして静寂の末に──。

 はあ、と炉の女神(ヘスティア)は深々と溜息を吐いた。

 

眷族(こども)にここまで言わせてしまったんだ。これ以上は大人気ないか。──きみが赦すのなら、ボクも彼等を赦そう」

 

 頭を上げようとするベルに、ヘスティアは「でも!」と指をさして。

 

「ベル君、ボクとの約束だ。何があっても必ず本拠(いえ)に戻ってくるんだぞ!」

 

 そう言ったあと、ふん! とそっぽを向く。ツインテールの漆黒の髪が揺れた。

 ベルはぱちくりと瞬きした後、笑った。

 

「ああ、約束だとも。私は決して約束を(たが)えない。 ──例え……たとえ、みっともなく、情けなく、人々に後ろ指をさされようとも。必ずや私は貴女の元に戻ってきましょう」

 

 その言葉にヘスティアは満面の笑みを浮かべた。

 小指を差し出し、繋がれるのを待つ。ベルは苦笑してから、自身も小指を差し出す。

 繋がれ、絡み……手が縦に軽く振られ──約束が交わされた。

 

「いよっし、それじゃあ【ステイタス】の更新と行こうか!」

 

 ほらほら、うつ伏せになってとヘスティアは要求する。

 ベルはインナーを脱ぎ、背中を顕にした後、命令通りの姿勢になる。

 上半身に馬乗りになった彼女は自らの血を背中に落とし、その華奢な手でなぞり始めた。そして左端からゆっくりと刻印を施していく。

【ステイタス】──『神の恩恵(ファルナ)』。

 神々が扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】を、神血(イコル)を媒介にして対象の能力を引き上げる、神々にのみ赦された絶大な力。

 神々が下界の住人──子供達から崇拝されているのは、畏怖されるべきだと思われていると同時に、この力があるからという一面もある。

 

「おおー! ()猛牛(ミノタウロス)と鬼ごっこを繰り広げたことだけはあるね。『敏捷』の【ステイタス】が凄く伸びている! 良い【経験値(エクセリア)】になったみたいだね」

 

 ヘスティアが口にした【経験値(エクセリア)】とは、様々な経験を通して得られる事象の名前だ。

 それは言わば、その者が経験した──辿ってきた『軌跡』。神々はそれを引き抜き、成長の糧に変換する。

 もちろん、『経験』と言っても量と質がある。そして量と質、これら二つが積み重なり、神々に認められる程の『偉業』を成し遂げた時──冒険者は『昇格(ランクアップ)』を果たすのだ。

 

「はいっ、今日は終わりだ!」

 

「ありがとう、ヘスティア」

 

 馬乗りをやめ、更新している間に用意した別の羊皮紙に【神聖文字(ヒエログリフ)】を共通語(コイネー)に書き換えていく──【神聖文字(ヒエログリフ)】を読解出来るのは下界では限られている為──間に、ベルは服に腕を通した。

 

「はてさて、私は今日どれだけ成長出来たのか! 大変楽しみだ!」

 

 興奮した面持ちを隠せず、ベルはヘスティアから羊皮紙を受け取ると凝視した。

 

 

 

§

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I77→I82

 耐久:I5

 器用:I93→I96

 敏捷:F302→F396

 魔力:I0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【─】

 

 

 

§

 

 

【ステイタス】の概要は以下の通り。

 基本アビリティは『力』『耐久』『器用』『敏捷』『魔力』の合計五つ。さらに各アビリティは上からS、A、B、C、D、E、F、G、H、Iの十段階で能力の高低がある。Sに近ければ近い程優れた能力を持ち、逆にIに近ければ近い程能力としては劣っている。

 基本アビリティ──熟練度を上昇させる為には、その分野の行動をするしかない。例えば『敏捷』では、ひたすらに走るしかない。もちろん、闇雲に走るだけでは量こそ満たしても質は満たしていない為満足な上昇は見込めないが。尚、熟練度の数値はSに近づく程伸びなくなる。

 そして一番肝心なのが『階位(レベル)』である。Lv.1とLv.2の冒険者はレベルという数値上の観点から見ればあまり差はないように見えるが、これは大きな間違いであり、彼我には『壁』があるのだ。

 ベルがミノタウロスから逃げたのもこれが大きい。Lv.1の新米冒険者ベル・クラネルではLv.2に区別されるミノタウロスにはとてもではないが適わないのだ。

 

「こうして改めて見てみると、ベル君の【ステイタス】には大きな偏りがあるねえ」

 

 ヘスティアが指摘しているのは、『敏捷』の基本アビリティだ。他のアビリティと大きな差がある。

 言われたベルはドヤ顔で。

 

「『逃げ足』には自信があるからな!」

 

「それを自信に出来るのはきみくらいだよ……」

 

「そう褒めてくれるな」

 

 褒めてはないけどねとヘスティアは言ったが、ベルは全く気にしない。

 

「しかし、今日も『魔法』は発現していないか……」

 

 残念そうに溜息を吐くベルを、ヘスティアは「また言ってるよ……」と思った。

神の恩恵(ファルナ)』を刻んだその日から今日に至るまで、ベルは『魔法』の有無を気にしていた。

 神々が下界に降臨し、『神の恩恵(ファルナ)』を刻むようになり、下界の子供達は『魔法』を発現する可能性を得るようになった。それまで『魔法』は特定種族の専売特許であったからだ。

 

「前々から気になっていたけれど、ベル君はどうしてそんなにも『魔法』が欲しいんだい?」

 

「決まっているだろう。『魔法』は英雄の象徴と言っても過言ではないからだ!」

 

『魔法』は文字通り()()()()を起こす。

 必殺技、切札とも言い換えることが出来るそれを、殆どの英雄が持っていた。

 そして彼等は絶大な力で敵を薙ぎ払っていくのだ。

 言わば、『魔法』とは(はな)なのである。

 

(いず)れは数千の『魔法』を修得したいところだ。そして【千の人間(サウザンド・ヒューマン)】と呼ばれたい!」

 

 いやいや、多くても三つが限界だから! それとその二つ名にはどこか聞き覚えがあるぞ!? とヘスティアは指摘しようとして、すんでのところで思いとどまった。

 眷族(こども)の夢を正論で壊し、傷付けるのは趣味ではない。

 ──と、そんな時だった。

 ベルが疑問の声を出す。

 

「ヘスティア」

 

「何だいベルくん」

 

「今更ながら気付いたのだが……私の【ステイタス】の伸び、可笑(おか)しくない?」

 

「そうかい? ボクにはいつものように感じられるけれど?」

 

「いやしかし……」

 

「そう思うのなら、それは多分、ミノタウロスとの鬼ごっこが理由じゃないかな」

 

「なるほど……確かにそう言われれば納得出来る」

 

「話は終わりかい? 明日も早いからね、ボクはそろそろ就寝の準備を──」

 

 決して目を合わせることなくいそいそと就寝の準備を始めようとするヘスティアに、ベルは言った。

 

「この『スキル』のスロットは何だ? 消した跡のようなものがあるが……」

 

「……あ、あー。期待させているようなら謝るよ。それはボクのミスだ。安心してくれ。『スキル』は何も発現していないよ! 『魔法』もね!」

 

「お、おぅ……そんな風に言われると硝子(ガラス)の心を持つ私は(へこ)んでしまうが、よし分かった。しかし、超越存在(デウスデア)である貴女であってもミスはするのだなぁ」

 

「あっはっはっ! それはもちろんさ! 『神の力(アルカナム)』があるなら兎も角、今のボクはただの一般人だからね! 当然、ミスだってするさ!」

 

 そう言うと、ベルはヘスティアが拍子抜けるほどあっさりと「それは大変だな! がははははは!」と頷いた。

 

「ボクは寝る準備をするから、ベル君は夕餉(ゆうげ)の後片付けをお願いしても良いかな?」

 

「承知した。このベル・クラネル、皿をピカピカに磨き上げてみせよう!」

 

 お任せあれ! と意気込んで台所に歩むベルを、ヘスティアは見送った。

 そして彼の背中──正確には刻まれた【ステイタス】と、自分が書き写した羊皮紙を見比べる。

 

「おめでとう、ベル君。きみの大願(ねがい)はきっと果たされる。ボクはきみをずっと見守っていよう」

 

 小声で呟き、慈愛の眼差しを送るが、少年は皿にこびり付いた汚れと格闘しているのか微塵も気付かない。

 主神(おや)として眷族(こども)の成長をいつまでも、いつまでも──。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I77→I82

 耐久:I5

 器用:I93→I96

 敏捷:F302→F396

 魔力:I0

 

 《魔法》

 【】

 《スキル》

 【英雄回帰(アルゴノゥト)

 ・早熟する。

 ・想い(いし)が続く限り効果持続。

 ・想い(いし)の丈に応じて効果上昇。

 ・想い(いし)は伝播する。

 

 



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早朝、酒場の前での一幕

 

 むにゅんとした柔らかい感覚。

 まるで極上の抱き枕を思わせる感触。

 ベル・クラネルは(てん)にも昇る心地で長い睫毛(まつげ)を震わせ、深紅(ルベライト)の瞳をゆっくりと開いた。

 

「……ふっ」 

 

 無垢な少年はぱちくりと(まばた)きをし、一瞬の後には普段の軽薄な、胡散臭(うさんくさ)そうな笑みを浮かべた。

 上半身を起こそうとして──苦笑。目を下に落とせば、そこには敬愛している愛しい女神が自分をがっちりと拘束(ロック)していた。

 世の男共がこの光景を視界に収めれば、彼等は例外なく役得な少年に殺意と嫉妬の眼差しを送るだろう。そしてベルはそれに(おび)えるような玉ではないため、むしろ、得意気にドヤ顔を浮かべるだろう。

 

「【ファミリア】の今後を考えれば団員は少しでも多く増やしたいところではあるが……」

 

 構成員が増えれば(おの)ずと【ヘスティア・ファミリア】は発展するだろう。この素晴らしい()の女神に(つか)えようと思うだろう。そして等級(ランク)が上がり、迷宮都市(オラリオ)に居る冒険者や市民からの認知度も高くなるだろう。

 しかし、急激な発展は身を(ほろ)ぼすことをベルは知っていた。団員が増えるということは、それ即ち、誰かが死ぬ可能性が増えるということでもある。

 だが──と、ベルは(よだれ)を垂らしむにゅむにゅと幸福な表情を浮かべている主神を見て思った。

 

「もう暫くは一人で大丈夫か」

 

「うぅーん……や、やめろぅー……ジャガ丸くんが……ジャガ丸くんがぁー……!」

 

「さて、私も二度寝するとしよう」

 

 床に落ちていた毛布を何とか摑み、掛けてから、ベルは再び夢の世界に誘われた。

 ──数刻後。

 有明(ありあけ)の月が澄んだ青空に微かに存在を(あらわ)にしている。太陽が昇り、新たな一日の訪れを(しら)せていた。

 ベルは外套(がいとう)羽織(はお)り、万が一の非常時に備え、長剣を帯剣して西のメインストリートを散歩していた。バックパックやレッグホルスター、回復薬(ポーション)など、ダンジョンに必要な物は本拠(ホーム)に置いてきている。

 主神(ヘスティア)は今日もアルバイト生活をし、汗水を流しているだろう。

 普段ならこの時間、ベルもダンジョンに向かっているところだ。朝のこの時間帯は冒険者が比較的少なく、稼ぎ時なのである。

 だがしかし、今日は一週間に一度の休息日。これはベルとヘスティアが協議した末に決められた。

 ──『おいおい、毎日ダンジョンに行くつもりかい? どこぞの戦闘狂(バーサーカー)じゃあるまいし、休日くらいは用意しようぜ!』とは炉の女神(ヘスティア)の御言葉である。

 ヘスティアのその発言は間違っていない。連日ダンジョンに潜って身体を酷使しても意味はない。それでは良い【経験値(エクセリア)】は得られないし、魔物が巣食う地下迷宮(ダンジョン)で過ごすとかなり疲弊する。それは『上層』だろうが『深層』だろうが何一つとして変わらない。何故なら、ダンジョンは異常事態(イレギュラー)に満ち溢れているのだから。

 

「ふわぁ〜……しまった、もう少し惰眠(だみん)(むさぼ)れば良かったか」

 

 大きな欠伸を零しながら、舗装(ほそう)された石畳の上を歩く。

 西のメインストリートは市民街である。労働者が居住しているこの区画を冒険者が訪れることはあまりなく、彼等は(もっぱ)ら北西のメインストリート──『冒険者通り』に足を運びがちだ。暇さえあれば彼等は『冒険者通り』に足を向け、ギルド本部に赴き冒険者依頼(クエスト)が貼られている掲示板を見たり、あるいは、回復薬(ポーション)精神力回復薬(マインド・ポーション)の購入をしたり、武具屋の硝子(ガラス)棚から武器を眺めたり、道具屋(アイテムショップ)で店主と値切り交渉をしている。

 ベルはそれが嫌いなわけではないが、彼がこれまで過ごしてきた環境が、自然と足を市民街へ誘う。

 

「……ッ!」 

 

 足を止め、ベルはばっと振り返った。しかし、そこには誰も居ない。視線を右往左往、上下に動かすが、そこには何人も居なかった。

 奇怪な行動を取った只人に奇異の眼差しが送られる。

 

「気の所為か……? いや、だがしかし──」

 

 ──誰かに()られていた? 他人が聞いたら自意識過剰だと呆れるだろう、そんなベルの疑惑は、しかし、時間の経過とともに肥大化していった。

 

「……ッ! やはり間違いない。いったい誰だ?」

 

 変人だと眺めていた住民達が己の生活に戻っていく中、ベルは(あご)に手を当てて考え込む。

 

「……ああ、嫌な視線だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。さらに、悪意が微塵もないのも(たち)が悪い。可愛い女子(おなご)からだったら喜ぶ私であるが、これは遠慮したいものだ」

 

 瞳を閉じ、視線を探り当てる。何処から注がれているのか、その者が何処に居るのか。

 そして、ベルはおもむろに目を開けると。

 

「うん、分かんない。私が一流の冒険者──その道の達人なら違ったのだろうが、生憎、私にそのような(わざ)はないからネ」

 

 これ以上気にするのはよそうと結論に至った。

 時間を浪費するばかりであるからだ。

 

「不快なものではあるが、悪意はない。ならば、放っておこう。私達が出会う、その時まで」

 

 ──しかし、(きょう)が冷めてしまった。今日はもう散歩は中止しようとベルは思案する。

 教会に戻ろうと帰路につこうとした、その時だった。

 

「あの……」

 

「うわっと!?」

 

 驚きの声を出し、ベルはたたらを踏みながらも何とか反転、元凶に振り向いた。

 

「ご、ごめんなさい……驚かせるつもりはなかったんですけど……」

 

 そう言って気まずそうに頭を下げたのは、一人のヒューマンの少女だった。光沢のない薄鈍色(うすにびいろ)は後頭部で団子状で纏められている。同色の瞳は純真そのものといった具合で可愛らしい。白く、柔軟な肌は朝日に照らされとても輝いていた。

 そんな美しい彼女が身に纏っているのは酒場の制服だった。白いブラウスに膝下まで丈のある若葉色のジャンパースカート。さらにその上にはサロンエプロン。

 

「きみは……彼処の酒場のウェイトレスか?」

 

 そう言ってベルが指をさしたのは、カフェテラス付きの酒場だった。夜に繁盛する酒場は、基本的には、日が出ている時間帯は営業していない。事実、酒場の出入口には『準備中』という文字が共通語(コイネー)()られていた。

 ベルの確認に少女は笑顔で頷いた。

 

「はい! 貴方の仰る通り、私は彼処のお店──『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』で働かせて頂いています」

 

「そうか……おっと、名乗るのが遅れてしまった。すまない。私の名前はベル・クラネル。今はまだ無名の冒険者だ。貴女の真名を尋ねても?」

 

「シル・フローヴァと申します」

 

 どうか宜しくお願いしますとシルは笑みを湛えた。

 

「シル……素敵な名前だ。可愛らしい貴女にとても似合っている。そんな貴女を名前で呼んでも構わないだろうかッ」

 

「は、はい……それは全然構いません。お客様からも呼ばれていますから。えっと……私は何と呼べば良いですか?」

 

「出来れば『ベル』と! もちろん、無理強いはしませんが名前で呼んで頂けると嬉しいです。主に、この私がッ!」

 

「分かりました。それでは『ベルさん』と」

 

「ええ、それでお願いします!」

 

 いやー、昨日に引き続き私は女子(おなご)との出会いに恵まれているな! と喜ぶ少年に、シルは呆けてから、即座に営業スマイルで対応した。

 それは彼女が酒場で働くうえで身に付けた処世術である。困ったら取り敢えず笑みを浮かべる。これだけで人生大抵のことは何とかなると彼女は知っていた。

 しかしその完璧な笑みも、次の瞬間には罅が入ることになる。

 

「お嬢さん、仕事は放り出して今日は私とデートをしませんか?」

 

「あはは……お誘いありがとうございます。でももしそんなことをしたら私、解雇されちゃいますから」

 

「なんと! それは残念だ!」

 

「ええ、また今度誘って下さいね」

 

 シルは建前を使い、若干、ベルから距離をとった。

 この時になってようやく、彼女は『どうしよう……変な人に声を掛けちゃったかな……?』と軽く後悔を覚え始めていた。

 酒場で勤めている関係上、ナンパされたことはある。しかし彼等は飲酒をしており、言わば、酒に()まれていた状態だ。また、酒場という雰囲気がそれを容易にさせているし、一種の『娯楽』とも言える。

 だがしかし、まさか朝の大通りでいっそ清々しいくらいにナンパをしてくる輩が居るとは……こんな経験は一度もない。

 

(でも……こんな純真そうな子供が……) 

 

 処女雪を思わせる白髪は陽の光を反射し、角度によっては白銀にも映る。

 身体全体の線は細く、身長も並のヒューマンくらいか。

 歳は……幾つだろうか。例えば小人族(パルゥム)は子供から大人に歳を重ねても姿形はあまり変わらないし、長寿種族のエルフはその美貌を保ったままだ。

 しかし、『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた冒険者は例外である。『昇格(ランクアップ)』を果たした彼等は不老不死である神に近付き、老化の進行がレベルを重ねるにつれ遅くなるのだ。より厳密には、その者の最盛期の時代が長くなるのだが。

 目の前の可愛らしい顔立ち、その人相はまるで兎人(ヒュームバニー)だと一部の女性からは魅力に映るだろう。シルもそれは同感だ。

 だがしかし、彼が浮かべている笑み。ただ口を曲げているだけなのにも関わらず、そこからは軽薄さ……いや、胡散臭さを感じる。そしてそれは少年の魅力を帳消しにする程だ。

 

(悪い人じゃないとは思うんだけど……)

 

 悪人だったら私が気付くよりも前に他のみんなが動いてくれるだろうし……とシルはちらりと酒場を一瞥した。

 同僚は営業の準備を行っている。ちらちらと時折こちらを見ているが、それは純粋な興味だと分かった。

 そしてこの時も、シルが観察していることに気付いている筈なのに、少年は笑みを携え続けている。

 誰かに見られるということをされたら、多かれ少なかれ、何らかの反応を示すものだ。

 事実シルが話し掛ける前、ベルは()()()()の送り主を探していた。

 だがしかし、今の彼は何もしていない。いっそ、気付いていないのではと思う程、自然な状態を貫いている。

 

「ところで、貴女は何の用があって私に声を掛けたのだ? 美男子の私に一目惚れしたわけではなさそうだが……」

 

 自分で自分のことを『美男子』と言う人は初めて見た……とシルは思いながらも、纏い直した笑みで対応する。握っていた右手を開き、彼に見せた。

 

「これは……小さいが『魔石』か?」

 

 それは小さな欠片ではあったが、正しく魔物から獲得出来る『魔石』だった。半透明な紫紺(しこん)の砕片が太陽の光に反射する。

 

「先程ベルさんが不審な行為をしていた時に落とされましたよ?」

 

 言いながら、シルはベルに手渡した。

 

「かふっ……(めん)と向かって『不審な行為』と(ひょう)されると中々心に来るものがあるな……。──ありがとう、シル。大事な稼ぎを失うところだった。実は昨日、ギルドの換金所で換金するのをうっかり忘れてしまってな」

 

 ギルド本部での騒ぎが原因である。尤も、完全に自業自得なのだが。換金を忘れたと気付いたのは本拠(ホーム)に着き、暫くしてからであった。

 そして腰の調革(ベルト)に括り付けている、地味な色の巾着袋をベルは取り出す。村で住んでいた時から使っているそれは所々小さな穴があった。

 

「これは昔祖父が私に贈ってくれたものでな。見ての通りボロボロだが、愛着があるので手放せずにいるのだ。この小ささだ、落ちてしまうのも道理だろう」

 

「お役に立てたようで嬉しいです」

 

「ああ、全くその通りだ。貴女のおかげで私は九死に一生を得て、無惨に餓死に陥ることを防げた。つまり、貴女は命の恩人だと言える」

 

「ふふっ……ベルさんったら、そんな、大袈裟ですよ」

 

 女子(おなご)はくすくすと笑う。そんな彼女を見守りながら、ベルは妙案を思い付いたように声を上げる。

 

「そうだ、お礼と言っては何だが、今晩は貴女の職場で夕餉を戴こう」

 

「まあ! そんな……良いんですか?」

 

 売上が伸びる! そんな思いを巧妙に隠しながら、シルは申し訳なさそうに尋ねた。

 

「無論だ。生憎私が所属している派閥は零細【ファミリア】であるから多くは注文(オーダー)出来ないが、その代わり、我が主神も連れて行こう。これで少しは貢献出来ると良いのだが……」

 

「充分です! ミアお母さんもきっと喜んでくれます! お二人分の席、用意しておきますね!」

 

「ああ、頼む。美味しいご飯を楽しみにしていよう!」

 

「──シル。そろそろ戻ってきて下さい。ミア母さんが怒ります」

 

 話し掛けたのは薄緑色の髪を持つエルフの女性だった。

 その浮世離れした妖精の美貌に、ベルはいつものように思わずナンパをしようとして……すんでのところで思い留まった。

 

(危ない危ない……昨日、あのドワーフに勝るとも劣らないエルフに返り討ちされたばかりだ。あれは痛かった。それはもう痛かった。具体的には転げ回るくらいには。目の前の彼女も、もしかしたらそうかもしれない。うん、今回は自重しよう)

 

 昨日のギルド本部での公開私刑はすっかりとベルの黒歴史になっていた。

 元よりエルフは、同胞若しくは自分が認めた者以外が自分の身体に触れることを極端に嫌っている。

 それは『古代』から『神時代(しんじだい)』と時代が進んでも変わらない。多くのエルフは森に住み、外界と関わりを持とうとしない。

 そしてベルの咄嗟(とっさ)の判断は正しかった。ベル・クラネルは己の破滅を回避したのだ。

 

「リュー、すぐに行くね。それじゃあベルさん、私はお店に──ベルさん? どうかしましたか?」

 

 突然押し黙ったベルに、シルは体調を崩したのかと尋ねた。というのも、それ程までに彼の顔は死んでいたからである。

 

「……ああ、何でもない。何でもないんだ……だからどうか詮索はしないでくれ」

 

「え、ええ……」

 

「それじゃあ、私ももう行こう。シル、そして名も知らぬ美しいエルフよ。今宵(こよい)の夕餉を楽しみにしている」

 

「は、はい。待ってますね」

 

 ベルは最後に一度笑うと、別れを告げ、都市の中心部に向かっていった。

 まるで嵐のような男子(おのこ)を二人のウェイトレスは見送り、店内からの「お前達! 好い加減戻ってきな!」というお叱りの言葉に、彼女等は笑い合ってから素直に指令に従った。



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昼過ぎ、大通りでの一幕

 

 昼下がり。

 雲一つない快晴。今日も蒼空(そら)は青い。太陽が頂点に達してからややずれた頃、ベルは北西のメインストリート──通称『冒険者通り』を歩いていた。

 往来が最も激しくなる最高潮(ピーク)はとうの昔に過ぎている為、目抜き通りに冒険者の姿はあまり見られない。迷宮都市(オラリオ)の大半の冒険者は日が()し込まない地下迷宮(ダンジョン)に挑戦しているのだ。

 

「フッ、私は賢い。過去の失敗から学ぶことが出来る男子(おのこ)だ。そして私の直感が告げている。連日の営業妨害をしたら『出禁』を食らうと!」

 

 荘厳な大神殿をベルは忌々しそうに睨む。

 何でも管理機関(ギルド)要注意人物一覧(ブラックリスト)なる物を作っているという噂を以前彼は耳に挟んでいた。

 ギルドは迷宮都市(オラリオ)の支配者だ。そして彼等と最も繋がりがあるのは冒険者である。

 ギルドからの支援(サポート)を受けなければ冒険者は満足にダンジョン探索を行えない。

 場合によっては冒険者の名称を剥奪(はくだつ)されることもある。それは迷宮都市(めいきゅうとし)での居場所を無くすということと同義だ。

 ぶるりと、ベルは身を震わせた。

 

「よし、やはり今日は普通に入ろう。さっさと換金をして、さっさと出る。それが最善だ」

 

 決死の覚悟を持って、ベル・クラネルはギルド本部に足を踏み入れた。中庭を通過し、広いロビーに入る。すれ違った他の同業者が少年の(ただ)ならぬ雰囲気に何事かと注意していたが、それに彼が気付くことはなかった。

 黙っていても彼は騒動を起こしていたのである。

 そしてロビーの一角に設置されている『換金所』の列に並び始めた。

 

「……ふっ、任務完了(ミッションコンプリート)。我ながら気配を隠すのが上手いものだと自画自賛しよう」

 

 全然隠せていないが!? とベルの前に居た只人は内心で突っ込んだが、己のこれまでの経験が、『こいつには関わっちゃ駄目だ』と告げていた為何も言わなかった。

 中々列が進まず、ベルが飽き始めた頃だった。

 

「あれ? ベル君?」

 

 近くを通った受付嬢──ミィシャ・フロットがベルに気付き声を掛けた。

 刹那、ベルの二列前に並んでいた獣人の男が歯軋りした。

 ミィシャ・フロットは多くの冒険者から人気がある。

 鮮やかな桃色の髪は美しく、綺麗な女性が多い受付嬢の中で、彼女は珍しくも可愛い系だ。本人の性格は明るく、仕事を度々忘れてしまい()けているところもあるが、そこも含めて可愛いと──言わば、男子の理想の一つであった。

 冒険者の間で密かに行われている『ギルド受付嬢ランキング』では常に上位にランクインしている。ちなみに一位はエイナ・チュールだ。

 そんな彼女に声を掛けられるだなんて──いったいどんな奴だと、獣人の男は嫉妬の炎で身を燃やしながら、己の耳に集中した。

 獣人は五感──視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚──がどの種族よりも優れている。さらには『恩恵』を主神から授かっている為その感覚には磨きが掛かっている。聴覚に全神経を使う(さま)滑稽(こっけい)と言うことなかれ。これは男子(おのこ)の聖戦なのだ。

 

「おおっ、ミィシャ!」

 

 ──名前呼び……だとッ!? 獣人の男は驚愕で目をあらん限りに見開いた。彼は恥ずかしがり屋であったので、とてもではないが、異性の名前を呼ぶ、さらには、呼び捨てなど出来なかったのである。

 

「昨日は大変だったね〜。エイナ、怖かったでしょ! 怒ったエイナは無敵だからね!」

 

「ああ、それはとても怖かったとも。何ならすっかりと黒歴史になった程だ。いやはや、エルフが怒るとあのようになるのだなと、久し振りだったからかすっかりと忘れていたようだ。我ながら恥ずかしい」

 

 獣人の男は鼻で笑った。

 ミィシャが出した名前──『エイナ』とはエイナ・チュールのことだろうと推測する。優しいと(もっぱ)らの噂の彼女に怒られるとは、なんて情けない奴だと見下した。

 

「あれ? ベル君、エルフに知り合いが居るの? しかもその言い方だと仲が良いんだ?」

 

「……あー、随分と昔のことだ。今はもうエイナ嬢以外には居ない」

 

「あっ……ごめんね」

 

 そう言って謝罪をするミィシャに、ベルは「気にしないでくれ」と言った。

 

「ところで、今日は冒険者活動はお休みなんだ?」

 

 話題を変えるように、ミィシャが尋ねる。

 ベルは「ああ」と頷きながら。

 

「昨日はあの一件があったから『魔石』を換金するのを忘れてしまっていたんだ」

 

「あはは……なるほど。どうする? エイナに声掛けていく?」

 

「いや、やめておこうと思う。エイナ嬢も連日問題児(わたし)の相手をするのは疲れるだろう。すぐに帰るさ」

 

 自分が問題児なのは自覚しているんだなと、ミィシャは内心でそう思った。同時に、その自覚があるのならもう少し控えろとも思った。

 

「そっか〜、うん、分かったよ。じゃあ私もそろそろ行くね!」

 

 ばいばーい、とミィシャは事務所に向かっていった。

 自分が危惧していた展開にならなかったので、獣人の男は安堵の吐息を零す。ちょうど自分の番になったので、『魔石』を入れた包を片手に窓口の前に立つのであった。

 

 

 

§

 

 

 

「500ヴァリスか……分かっていたこととはいえ、やはり少ないな……」

 

 大神殿をあとにし、『冒険者通り』を歩きながら、ベルは気難しそうに(うな)った。

『魔石』を換金すると言えば聞こえは良いが、換金率は非常に悪いのが換金所の実情だ。『魔石』は大きければ大きい程より多くの金貨を得ることが出来、逆に小さければ小さい程に得られる金貨は少なくなる。

『魔石』の大きさは魔物の強さに比例する。何故なら『魔石』はモンスターの生命であり、人間で言うところの心臓だからだ。

 

「ふむ、やはり、『上層』では大した稼ぎにはならないな……」

 

 ダンジョンは『上層』『中層』『下層』そして『深層』の四つにカテゴライズされている。

 ベル・クラネルは二週間前に冒険者登録をしたばかりの新人だ。到達階層も5階層と駆け出しの駆け出しである。

 とはいえ、ベルに限らずオラリオに在籍している過半数の冒険者は『上層』で二の足を踏んでいるのが実情である。

『中層』への挑戦権は一般的には『昇格(ランクアップ)』を果たし、『器』を昇華させる必要があると言われている。パーティを組めばLv.1でも行ける可能性はあるが、どちらにせよ、Lv.2以上の上級冒険者が必須とされていた。

 

「シルにはあのように言ったが、これではあまりにも手持ちが厳しい。主神(ヘスティア)が汗水垂らして稼いできた金を使うわけにも行かないしな……」

 

 ベルが丸一日ダンジョンに(こも)って得られる『魔石』の総額は平均1500ヴァリス。

 はっきり言って生命(いのち)()してこれでは割に合わない。

 これまでベルはあまり気にしてこなかったが──無頓着とまでは行かなくても、それ程興味がなかった為──ここに来て初めて(わび)しい思いを感じた。

 そしてそれは他の冒険者も同様である。

 中には計算が合っていないと抗議する者も居るくらいだ。ギルドとしても間違いがあってはならない為、抗議があったら算盤を弾き直す。改めて提示した額を見て納得する者が大半だが、一部の者は巫山戯るなと恐喝を始める。もちろん、ギルドは一貫して対応を変えることはない。その為、彼等は時間を浪費して文句を言いながらも換金所をあとにするしかないのだが。

 

(日雇いのアルバイトでもやるか?)

 

 迷宮都市(オラリオ)は日を重ねるごとに発展している。

 都市の至る所では真っ当なものから胡散臭いものまで幅広く求人が出されている。

 思案しながら歩いていると、

 

「此処は……?」

 

 気が付けばベルは『冒険者通り』から北のメインストリートに足を運んでいた。

 この大通りは高級住宅街が近隣にあり──ギルド関係者も住んでいる──商店街として活気付いている。

 そして北のメインストリート界隈は主に服飾関係で有名だ。迷宮都市には──否、世界には様々な種族がそれぞれの営みを築いている。

 ヒューマン、エルフ、ドワーフ、小人族(パルゥム)女戦士(アマゾネス)、獣人等だ。そして獣人は狼人(ウェアウルフ)虎人(ワータイガー)兎人(ヒュームバニー)犬人(シアンスロープ)猫人(キャットピープル)等と分かれている。

 それぞれの種族は各々自分達の領域で生活をしている。神々が天界から下界に到来し、時代が『古代』から『神時代(しんじだい)』に移り、他種族とも関わりは持つようになり始めたが、エルフのように外界との接触を拒む種族も居る。それが嫌で出奔するエルフも中には居るが、彼等は同胞からは異端とされていた。

 

 そして此処は『世界の中心』──迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ。

 

 世界中の種族──亜人(デミ・ヒューマン)が集まるこの都市では現在に至るまで様々な揉め事が起こってきた。

 その一つが衣服である。

 例えば小人族(パルゥム)は成人になっても身長は殆ど伸びず、ドワーフは低身長で横幅がある。女戦士(アマゾネス)は姿形はヒューマンと同じだが、彼女等は露出度が高い衣服を好む。

 体格の問題に、その種族独自の趣味嗜好。

 衣服を仕立てる時に揉め事は絶えず、店と客との乱闘が起こった事例もある程だ。

 だが、そこに目を付けたのが商人達だ。彼等は種族ごとの専門店を多数構えることで需要と供給を成立させたのである。信頼と実績を瞬く間に勝ち取った彼等はそのまま規模を拡大し、これに乗じるように幾つかの商業系【ファミリア】が市場に参加した。

 こういった経緯があり、北の大通りは服飾関係で賑わっている。

 

「うぅーむ……女戦士(アマゾネス)の服は控え目に言っても際どいな。しかし、私好みではある!」

 

 店内に男一人で入ると警備員を呼ばれかねない為、店外に飾られている布面積が非常に少ない衣装を至近距離で吟味する少年の姿がそこにはあった。

 近くを通り掛かった犬人(シアンスロープ)の女性がドン引きしていたことにも気付かず、ベルは至って真剣に批評していた。

 

「──ハッ! 危ない危ない。時間を無為に過ごすところだった。なんて巧妙な罠だ」

 

 営業妨害で追い出してやろうかと店主が青筋を浮かべたところで、ベルは本来の目的を思い出した。

 同時に、あることを思い出した。

 

主神(ヘスティア)が勤めている場所は確かこの近くだった筈だ。今晩外食することを相談するとしよう」

 

【ヘスティア・ファミリア】は派閥を運営するにあたって独自のルールを設けていた。

 これ事態はおかしなことではない。多かれ少なかれ、どの【ファミリア】でも主神が神意(しんい)のもとで作っている。

 ベルが所属する【ヘスティア・ファミリア】では一つ、『外食をする場合は事前に主神に告げる』というものがあった。これは()の女神としての考えであり、彼女はこう言った。

 

 ──『ボク達は家族(ファミリア)だ。それなら出来るだけ、ボクは眷族達(こども)と一緒に過ごしたい。けど束縛する気は毛頭ないぜ。今はまだベル君に友人は居ないけれど、この都市で生活する以上、それなりの付き合いが生まれるだろう。それを否定する訳じゃない。むしろ思う存分にやってくれて構わないさ。ただし家族には一報すること。それさえ守ってくれれば、ボクは良いよ』──

 

 直接言うか、本拠(ホーム)に戻って羊皮紙に一筆するかの二択だ。その手の専門職(プロフェッショナル)に頼めば言伝(ことづて)廃教会(ホーム)に届けることも可能だが、少なくない費用が掛かってしまう。

 忙しなく往来する馬車に()かれないようにしながら、ベルは主神の労働場所を探した。

 しかし目抜き通りを行き来する交通量は多く、中々見付からない。

 

「私が獣人だったらジャガ丸くんの香ばしい匂いを嗅ぎ当てることが出来るのだが……いや、この人の多さだ。逆に気持ち悪くなりそうだ──ん? あれは……」

 

 そこでベルは長椅子(ベンチ)に腰掛け、仲良くジャガ丸くんを食べている一組の猫人(キャットピープル)の親子を発見した。服装と気配──『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれた者には独特の気配がある──からして市民だろうと当たりを付けながら、ベルはゆっくりと近付いた。

 

「突然すまない。私は【ヘスティア・ファミリア】所属の冒険者、ベル・クラネルという」

 

「は、はい……冒険者の方が私達に何のご用件が……?」

 

 母親は警戒しているのか、息子を抱き締めながらそう尋ねた。

 冒険者と市民の仲はそれ程良いものではない。むしろ一部の市民は冒険者を毛嫌いしている程だ。

 それはひとえに冒険者が荒くれ者の集まりだからである。冒険者には教養がない者が殆どだ。粗暴な口調、そして厳つい強面は市民からは恐怖の対象となりやすく、また、帯剣している為、益々拍車を掛けている。

 もちろん、彼等も全ての冒険者がそうであるとは思っていない。中には礼儀正しい者も居るのは理解している。

 だが彼等は潜在的に恐れていた。ともすればそれは、ダンジョンのモンスターよりも。

 それが分かっているから、ベルは敢えて、自分が冒険者だと名乗り、自らの真名(まな)を告げる。そして所属している派閥も明らかにすることで、自分の身分を証明した。

 

「親子の憩いの場を荒らすような真似をしてしまいすまない。ただ、貴女達に一つ尋ねたいことがあったのだ」

 

 母親は、この冒険者(しょうねん)は悪い人ではないと思った。

 こちらを気遣い、頭を下げる彼は粗暴な荒くれ者とは思えなかったのだ。

 

「私で答えられる範囲内だと良いのですが……」

 

「ああ、その心配は不要だ。貴女達が召し上がっているそちらのジャガ丸くん。それを何処で購入したのかを尋ねたい」

 

 母親が安堵の溜息を内心で吐きながら、答えようと口を開くその前に。

 

彼処(あそこ)だよ!」

 

 (よわい)六歳にも満たないであろう少年が元気良く答えた。

 息子の突発的な行動に慌てる母親を他所に、ベルは少年にさらに尋ねた。

 

「ふむ……彼処とは何処だ?」

 

「あっち! さっきお母さんに買って貰ったんだ!」

 

「おお、それは良かったな! ──なるほど……街壁近くか。ところで少年」

 

「少年じゃないよ! 僕はイフリード! 父ちゃんが付けてくれたんだい!」

 

 母親は息子の行動が末恐ろしかった。顔を青ざめていく彼女をどうして笑うことが出来ようか、否、出来まい。

 そんな母親を他所に、ベルは笑みを浮かべて「素晴らしい名前だ。とても似合っている」と優しく少年の頭を撫でた。

 

「では、イフリード。その店で幼い女神が居なかったか?」

 

「うん、居たよ! 僕と全然身長が変わらなくて吃驚しちゃった!」

 

「そうかそうか、それは驚くだろうな! ありがとう、きみのおかげで尋ね人が見付かった」

 

 もう一度イフリードの頭を撫で、ベルは最後に、唖然としている母親を見遣った。

 

「すまない。礼をしたいのだが、生憎、私には手持ちがなくてな。どうか許して欲しい」

 

「いえ、そんな! 全然大丈夫ですから!」

 

 恐縮そうに言う彼女をこれ以上刺激するのは良くないと考え、ベルは「本当にありがとう。親切な猫人(キャットピープル)の親子達」と言葉を残して別れた。

「ばいばーい!」と冒険者の背中に手を振るのを見て、母親は息子の将来は安泰だと謎の確信を抱いた。

 

「此処か……。とても賑わっているな」

 

 イフリードに教えて貰った方角を進むこと数分、ベルは迷宮都市の北部に辿り着いた。

 すぐ近くには関所があり、とある【ファミリア】が管理機関と連携して門番の役目を担っている。

 辺りをゆっくりと見渡し──ベルはある一点で瞳孔の動きを止める。そこからは食欲が唆られる『熱』が醸し出されていた。

 見付けたぞ、ベルは空腹を覚えながら小さな屋台に近付く。

 

「いらっしゃいませ! いらっしゃいませ! いらっしゃいませええええええええええええ!」

 

 客を歓迎する声が辺り一帯に響く。

 何事かと一人が足を止め、もう一人が足を止め、それが何度も続き、連鎖していく。

 

「ヘスティアちゃん! 今度はこっちを頼むよ!」

 

「おばちゃん、女神にも限界はあるんだぞ!?」

 

「ヘスティアちゃんなら出来る! あたしはそう信じている!」

 

「都合が良いことを言わないでくれぇー!?」

 

 幼い少女が悲鳴を上げながらもパタパタと忙しなく動く。彼女の漆黒の二本の髪の毛が宙を舞い、踊る。

 今しがた迷宮都市(オラリオ)にやって来たばかりの人々は『女神が働いている』という、これまでの価値観を根底から覆す信じられない光景にぎょっと目を剥き、都市に永住している人々は『ああ……今日も働いているのか』と憐れみの眼差しを送った。

 

「……話には聞いていたが、まさかこれ程とは」

 

 店の制服を着込み、素早く与えられた指示に応えるその姿は正しく専門職だ。

 ベルは本拠(ホーム)でダラダラと過ごしている彼女しか知らない為、新たな一面に少しばかり戸惑った。

 そして合点した。

 普段のあの怠惰な生活はこの過酷な労働環境(アルバイト)がそうさせているのだろう──と。しかし悲しきかな、ベルの推察は間違っており、幼女神(ヘスティア)は元からぐうたらな性格の持ち主である。

 売上に貢献するべく、長蛇の列に並ぶこと数十分。ようやくベルの番になった。

 

「ジャガ丸くん五種のチーズ味を二つくれ!」

 

「まいどー! チーズ味は他の種類よりも高いから一個50ヴァリス。合計100ヴァリスだよ!」

 

 ベルはジャガ丸くんを受け取り、さらにこう言った。

 

「店主よ! この『女神ヘスティアを思う存分に愛でよう!』という偉大な企画に参加したいのだが!」

 

 立て看板に共通語(コイネー)で書かれた文字を音読する。すると、齢50過ぎのヒューマンの店主はじろりと少年を見下ろした。

 

「ふぅーん……あんた、歳は?」

 

「十四だが……」

 

「なら良し! ヘスティアちゃん、こっち来て! お客さんがご指名だよ!」

 

「んにゃあっ!? またかいおばちゃん!」

 

 作業を他のスタッフと入れ替わり、ヘスティアは「ボクは愛玩動物(マスコットキャラクター)じゃあないんだぞ!?」とぶつぶつと言いながら、仕事場から出た。

 女神の威厳は無くなるが、しかし、同時にこれは幸運(ラッキー)でもあるのだ。時間制限こそあるが、この時間は忌々しい店主の監視がなくなるのだから。

 客も自分を可愛いと褒めてくれるし愛でてくれる、正しく、束の間の休息(レフト)なのである。正しく、ウィン・ウィンの関係だ。

 さて、今回はどんな子供かな。可愛いと尚良し──とヘスティアは客の前に立った。身長が低い自分を忌まわしく思いながら顔を見上げ──目の前の人物を見て、あらん限りに目を見開く。

 

「ベベベベベベ、ベル君!?」

 

「ヘスティア。今朝振りだな」

 

「どどどどどど、どうしてきみが此処に!?」

 

 自分が愛してやまない眷族(こども)の登場にヘスティアは動転する。一方ベルは普段の三割増しで笑みを受かべていた。

 

「実は今朝、とある女性と(えにし)が交わってな。彼女が働いている酒場に行く約束をした。ヘスティアも一緒に行かないか?」

 

「外食? しかもベル君と!? 行くいく、行くに決まっているじゃないか!」

 

 ぴょんぴょんとヘスティアは跳ねた。我が子(ベル)との外食、断る理由は一切ない。

『とある女性』発言は、まあ、女好きを公言しているので何も思わない。むしろよく、この奇天烈な少年と(えん)が交わったなと思った程だ。

 類は友を呼ぶらしいと聞いたことがある。一応、心の準備だけはしておこうとヘスティアは誓った。

 

「そうか! それは良かった!」

 

 満面の笑みをベルは浮かべ、そしておもむろにヘスティアに手を伸ばした。

 

「……ッ!? ベル君、何だいその手は!?」

 

 ベルは無言でニヤリと嗤った。そして胡散臭い笑みを携えてこう言った。

 

「この企画──『女神ヘスティアを思う存分に愛でよう!』は素晴らしいものだ。神々と子供達の交流、貴女はそれを推進している。眷族として貴女を誇りに思う!」

 

「……本音は?」

 

「合法的に女神と触れ合えるだなんて最高だネ!」

 

「言うと思った!」

 

「ヘスティア、いざ、お覚悟!」

 

 ボクはいったいどんな目に遭うんだ!? とヘスティアは頼りになる店主(おばちゃん)に助けを求める視線を送った。しかし悲しきかな、彼女は客への対応で多忙極まっていた。

 野次馬達は野次馬らしく何もせず傍観に徹していた。むしろ愉快そうに笑っている。男神(おがみ)がこの場に居ないことだけが救いだった。

 仮にも女神の窮地だぞとヘスティアは怒りを覚えるが、彼等は全力でスルーした。

 もう駄目だ……!? とヘスティアが目をきつく閉じた時だった。

 

「お疲れ様。いつも私の為にありがとう」

 

 あたたかい声。

 ゆっくりと、そして優しく、ベルはヘスティアの頭を撫でた。「へあっ!?」と狼狽える彼女に、無理矢理。

 (いたわ)るように、感謝の念を伝えるように。何度も何度も、時間の許す限り。

 ヘスティアが我を取り戻したのは、屋台から指示が飛んできた時だった。

 

「ヘスティアちゃん! そろそろ戻っておいで!」

 

「わ、分かったよおばちゃん!」

 

「おっと、もう時間か。それじゃあヘスティア、そういうことだから、今日は早く帰ってきてくれ」

 

「う、うん……」

 

 アルバイト頑張ってくれ! その言葉を贈り、ベルはジャガ丸くん片手に屋台を離れていく。ヘスティアが声を掛けようと思った時には既に雑踏の中に姿を消していた。

 

(全く……本当に困った眷族()だ)

 

 そう思いながらも、ヘスティアは笑った。

 女神の微笑みを運良く見ることが叶った人々はその美しさに息を呑む。

 彼女は「よし!」と言うと、てとてとと仕事に戻る。

 

「おばちゃん、戻ったよ! さあ、ボクは何をすれば良い?」

 

「おっ、何だいなんだい。そんなやる気を漲らせて。良い事でもあったかい?」

 

「おうともさ! 今のボクはいつものボクじゃない! それを今日の売上で証明しよう!」

 

 店主に臆することなく、堂々と啖呵(たんか)を切ったアルバイトに、この後山のように仕事が降り掛かることとなった。

 幼い女神は「うぎゃああああ!」と悲鳴を上げながらも、宣言通り全てを捌き切り、この日のジャガ丸くんの売上に多大な貢献をしたという。

 



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晩、『豊穣の女主人』での一幕

 

 燦然(さんぜん)と輝く太陽が西空に姿を消し、その代わりに現れたのは、くっきりと浮かぶ満月だった。 

 労働者が、冒険者が迷宮都市(めいきゅうとし)に居る全ての人々が一日の終わりに笑顔を浮かべ、(テーブル)を囲んで夕餉を楽しんでいた。そこに陽気な男神(おがみ)や美しい女神(めがみ)が混ざり、子供達を見守っている。

 

「ヘスティア、今日も太陽が沈んだ。人々を明るく照らす象徴が!」

 

「ああ、うん、そうだね。太陽……太陽かぁ……うわっ、嫌な(やつ)を思い出した……」

 

 往来が激しい西のメインストリート。北のメインストリートである『冒険者通り』では冒険者が多く見られるが、この目抜き通りは一般市民の姿が多く見られる。

 迷宮都市の主産業は魔石製品の製造及び輸出である。『魔石(ませき)』は魔物達の生命の源であり、世界で()()地下迷宮(ダンジョン)を保有する迷宮都市はこの特質を余すことなく活かしている。

 管理機関(ギルド)は魔石製品を製造する労働者を多く抱えており、世界中に求人を出している。ともすればそれは、冒険者よりも多いと言われているほどだ。

【ファミリア】に加入していない無所属(フリー)の労働者達は西の区画に住居を構え、働いている。正しく、此処は彼等にとって本拠(ホーム)なのだ。

 そんな大通りを一組の男女が(はぐ)れないようしっかりと手を繋ぎながら歩いていた。

 兄妹(きょうだい)と言っても通ってしまうその身長差から、殆どの市民は一度勘違いしてしまうが、すぐに女の子が女神であることに気付き、畏敬の眼差しを送っていた。

 

「こっちには全然来ないから新鮮だなぁー」

 

「そうなのか?」

 

「うん。アルバイト先の担当エリアだったら別の区画に行くことはあるんだけどねー」

 

 ヘスティアがアルバイトとして(つと)めているジャガ丸くんの屋台は都市の至る所で見ることが叶う。安くて美味しいという理由から、老若男女問わずとても人気だ。特に迷宮都市に初めてきた者達はその美味しさに絶賛するのが常となっている。

 そんな屋台にはそれぞれ担当エリアがあり、ヘスティアの担当は主に都市北部に該当していた。

 

「今日はごめんね。すっかりと遅くなってしまった。新人くんが盛大なミスをしてしまってね」

 

「そうか……それは災難だったな。具体的にはどうだったんだ? 差し支えなければ教えて欲しい」

 

「調理するジャガ丸くんを間違えるというものでね。ほら、ジャガ丸くんは沢山の種類があるだろう?」

 

「ああ、なるほど……」

 

 ジャガ丸くんが人気たる要因には、味の種類の豊富さも大きく関係してくる。熱狂的なファンも居るほどで、新商品が発売されると聞いた時には目を光らせ、情報収集に勤しみ、発売日当日の開店時間に並ぶ程だ。

 

「間違えてしまったから作り直す必要があるだろう? そのお客さんは待たせてしまうし、それだけじゃない。他のお客さんにも迷惑を掛けてしまう。さらには材料も一個分余分に使ってしまったからね、大変さ」

 

苦情(クレーム)は来なかったか?」

 

「迷惑を掛けてしまったお客さん全員にサービスをして許して貰ったさ」

 

 まあ、それが妥当だろうなとベルは納得した。

 信頼関係を構築するにはそれなりの時間が必要だ。しかし、その努力は些細な事で崩れてしまうもの。

 店主は正しい判断をしたと言えよう。

 

「でもその代わり、今日のノルマが増えてさー。達成しないと定時では帰さない! だなんて言われてね」

 

「女神を扱き使うだなんて、おばちゃんは凄いねぇー」と、ヘスティアは何処か達観したように嘆息した。

 良くも悪くも、迷宮都市の住民と神々の距離が近いことの証左だろう。

 

「それで? 目当ての酒場は何処だい?」

 

「うぅーむ……人が多くて中々みつからないな。すまないヘスティア。もう少し掛かると思う。疲れているだろうが、もうひと踏ん張り頑張ってくれ」

 

「ボクはもちろんだけど、ベル君も身長が高い訳じゃないから仕方ないさ。それに、眷族(きみ)と長く手を繋げられると思えば悪くない」

 

 人気のなかった早朝は様変わりし、西のメインストリートは本来の顔を出していた。

 小人族(パルゥム)とノームが歌を歌い、ドワーフが酒を(あお)りながら歌唱会を見物する。獣人の女性が大胆な服装で客引きをしているかと思えば、それ以上に露出度が高い女戦士(アマゾネス)の一行が羞恥心なんてものはまるで捨ててきたかのように我が物顔で闊歩し、男子(おのこ)の視線を集めている。

 

「おっ! ヘスティア、見付けたぞ! 彼処(あそこ)だ間違いない!」

 

 人波に酔わないようにしながら何とか間隙(かんげき)を縫って移動していると、ベルはとうとう目当ての酒場を発見した。

 石で造られたその建物は二階建てで、やけに奥行がある。大通りの中で一番大きい酒場はカフェテラスも併設しているが、今客は案内されていないようで静かだった。

 

「ほっほーう、此処(ここ)が、えっと──」

 

「『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』だな」

 

 出入口の前に飾られている看板をベルが代読する。

 ヘスティアは共通語(コイネー)を自分でも読み、

 

「店名をそのまま鵜呑(うの)みにするなら、此処の店主は女性なのかもしれないね」

 

「美人な女性だと尚良い!」 

 

「……きみは全然ぶれないね」

 

 主神は眷族に呆れてから、そっと店内の様子を窺った。

 

「おっ、彼女が女将(おかみ)かな?」

 

「何処だ! 何処に居る!? 若くて美人な女将は何処に!?」

 

 ベルは興奮しながらヘスティアに尋ねた。

 彼女は真顔である一点──具体的にはカウンターを指さした。

 それを見ようと純粋な少年は前のめりになり、

 

「……おぅ」

 

 次の瞬間には複雑な表情を浮かべた。

 果たしてそこ、カウンターには一人の女性が立っていた。恰幅の良いドワーフの女性が、フライパンを振るい、酒を振舞っている。

 期待が外れたことにやや落胆しながらも、ベルは厨房に視線を送ると、

 

「おおっ!」

 

 次の瞬間には瞳を希望一色で輝かせた。

 厨房で素早く動いているのは獣人──猫人(キャットピープル)だった。彼女達を視界に入れるだけで(いや)される人も多いだろう。

 浮かれている己の眷族の背中をゴツン! と拳で叩きつつ、ヘスティアは好評した。

 

「中々に良いお店じゃないか。特にベル君のような男子(おのこ)からしたら楽園(パラダイス)のようなものだろう」

 

 彼女の言葉を、ベルは引き継ぐ。

 

「ああ、その通りだとも。何せ、店主を含めたスタッフ全員が女性なのだから!」

 

「──ふふふ、気に入って頂けたようで嬉しいです」

 

 鼻息を荒くするベルに、店内から一人の給仕がやって来て、微笑んだ。

 ベルが「シル!」と喜ぶ横で、ヘスティアは『それ』を見て『違和感』を抱いた。やがてそれは大きくなり、彼女は蒼の瞳を見開く。

 

(なっ……!? こんなことが有り得るのか!?)

 

 ベルは、ヘスティアの異変に気付けない。それもその筈。炉の女神が全力で動揺を顔に出さないとしていたのだから。

 そんな彼女に彼は笑顔を向けて言った。

 

「ヘスティア、こちらこの酒場の店員であるシル・フローヴァ。シル、こちら【ヘスティア・ファミリア】主神、()の女神ヘスティアだ」

 

 ヘスティアは声を震えさせないことだけに集中した。

 

「……ベル君の紹介にあった通りだ。ボクはヘスティア。宜しく頼むよ、給仕君」

 

「こちらこそ、宜しくお願いいたします。女神様の舌を満足させられるよう、精一杯美味しいご飯を用意致しますね」

 

 給仕は、「さあ、中にどうぞ!」と二人を手招きし、

 

「予約されていたベル・クラネル様及びヘスティア様、ご来店でーす!」

 

 そう、声を張り上げた。

 そして刹那、スタッフ全員は作業を一旦やめ、

 

「「「いらっしゃいませ! ようこそ、『豊穣の女主人』へ!」」」

 

 シルに勝るとも劣らない大声を以て、それを歓迎の挨拶とした。

 ベルが「酒場って凄い!」と感動する中、ヘスティアは冷静さを取り戻す。

 

(疑問は尽きないけど……今考えてもしょうがないか……)

 

 そう思ったヘスティアは()()を無理矢理鎮め、「さぁさぁ、どうぞこちらへ!」と案内するシルを追った。

 そして、ベルとヘスティアはカウンター席に座る。丸椅子は座り心地がよく、女将の調理姿を見ることが出来るので、二人はとても喜んだ。

 

「あんたがシルが朝に騒いでいた変人冒険者かい? なんだ、どんな奴だと思っていたら、随分と可愛い顔付きじゃないか!」

 

 挨拶そうそう、女将が笑いながらそう言った。

 

「へん、じんッ……!?」

 

 自分をどんな風に紹介していたんだとベルはシルに顔を向けたが、彼女は素知らぬ顔で注文表を手渡す。

 まあ、そうなるだろうなぁーと本調子に戻ったヘスティアは寧ろシルに共感した。

 

「アタシはミア・グランド。見て分かると思うが、この酒場の店主さ!」

 

「はじめまして、ボクはヘスティア。こっちがボクの眷族の──」

 

「ベル・クラネルという! 今はまだ、ただのベル・クラネルだが、(いず)れ『英雄』になる者だ! 宜しく頼む、豪傑(ごうけつ)な女主人よ!」

 

 その宣誓は店内に大きく響いた。給仕は足を止め、冒険者は大言壮語を宣う愚か者を笑い、市民は何だなんだと食事を中止する。

 ヘスティアが『うわぁ……これ、追い出されるんじゃね?』と戦々恐々となった。

 店内が静寂に包まれる。

 店員達がギギギと音を立てて女主人に顔を向ける。彼女達は知っている。我らが偉大なドワーフの女将は、店を騒がす輩はたとえ客であろうと、それこそ神々であろうとも、その逞しい拳骨を全力で振り落とし、そして店から追い出すことを。

『あんの白髪頭(しらがあたま)、ニャにをバカなことをしでかしてくれたニャッ!』と猫人(キャットピープル)の店員が内心でベルに罵声を飛ばしながら、恐る恐るミアの様子を見守っていた。

 この場に居る全員が固唾を呑み──

 

「あっはっはっはっ!」

 

 ──突然出された笑い声にぎょっと目を剥いた。

 発生源は一人の女性。ドワーフの彼女はドワーフらしく豪快(ごうかい)に、豪傑に、大口を開けて笑い続けた。

 店員達が幻覚なのかと目を疑うのは仕方あるまい。

 数秒後、息を整えた彼女はニヤリと笑い只人(ただびと)を見下ろした。

 

「あっはっはっ──ベル・クラネルと言ったね。気に入った! 若造は大願を抱いてこそだ!」

 

「奇遇だな、私もこの店を気に入ったぞ! 掃除が行き届いている清潔な店内、美人なスタッフ、客席から漂う美味な匂い! 何よりも──この酒場には笑顔が()いている」

 

「当然さ! 此処は『豊穣の女主人』! どんなクソッタレな時であろうとも笑顔で美味い飯を食べられる場所だ!」

 

「とても素晴らしい! 私は貴女を尊敬する!」

 

 ヒューマンとドワーフ。

 種族の垣根を越えて、彼等は笑みを交わした。

 

「「あっはっはっはっはっはっ!」」

 

 その光景をヘスティアは目を細め、焼き付けていた。

 彼女は己の眷族が誇らしかった。どうだ、凄いだろう! と胸を張って神友(しんゆう)に自慢したかった。

 店内の雰囲気は最高潮(ピーク)に達した。上機嫌な女将が次々と指示を矢継ぎ早に飛ばし、従業員達は時に悲鳴を上げながらも笑顔で応える。

 

「さて、随分と前振りが長くなっちまったね。此処は酒場だ。話なんざ飯を食いながら幾らでも出来る」

 

「ああ、その通りだな。私もヘスティアも腹が減っていてしょうがない。これから味わうであろう美味への期待でな!」

 

「ははっ、そりゃあ良い。空腹は最高のスパイスだ。そんで、何を頼む?」

 

 その言葉にベルは意味深げに笑うと財布を取り出した。口を開け、上から覗き込む。ヘスティアも自分の財布を取り出し、そして真顔になった。

 ミアが「おいおい」と言いながら、

 

「……まさか金がないだなんて言うんじゃないだろうね?」

 

「まさか! ただ、恥ずかしながら私達は貧乏でな。財布と相談するのは許して欲しい」

 

 そういう事なら仕方ないね、と店主は頷いた。

 ベルとヘスティアは揃ってから笑いすると──あまりにも似ていた為、シルは驚いた──ひそひそと囁き合う。

 

「ベル君ベル君。手持ちはどうだい?」

 

「すまないヘスティア。日雇いのアルバイトをやろうと考えはしたのだが、親とはぐれてしまっていた子供の対応で出来なかった」

 

「それは仕方ないさ。寧ろそこで見知らぬ振りをしていたら怒っていたところだぜ。で、結局どうだい?」

 

「……へそくりを掻き集めたが、1000ヴァリスしかない。ヘスティアはどうだ?」

 

「ボクも似たようなものさ。給金が入るのは暫く先だからね。ボクの所持金は500ヴァリスだ」

 

「合計1500ヴァリスか……。これだけあれば充分──」

 

 だな、と言葉を(つむ)ごうとして。

 注文表をここで初めて見たベルは(うめ)いた。「ベル君!?」と心配してくれるヘスティアに彼は無言で渡す。

 

「た、高い……ッ!」

 

「うちは細部まで食材を選り好みしていますから。他のお店よりは少し高いですね」

 

「いやいやいや、ちょっと待ってくれ!? この額は『少し』なんてものじゃ……!?」

 

 基本的に、一度の食事は50ヴァリスもあれば充分だ。しかし、『豊穣の女主人』で出されている料理は全てその数倍から数十倍の価格だったのだ。

 流石に高過ぎるとベルは指摘しようとするも、

 

「ん? 文句があるのかい?」

 

 パキパキと手の骨を鳴らすドワーフを前に、ベルは屈した。ヘスティアも同様である。

 その代わり、せめてもの抵抗で、二人は睨む先を注文表に移した。

 結局彼等が料理を頼んだのは一番安いパスタで、それも来店してから優に二十分が経過した頃だった。

 

「おいおい、酒は要らないのかい?」

 

「ああ、不要だ。私もヘスティアも酒はあまり好まないからな。寧ろ苦手だ」

 

「冒険者の方がお酒を嫌うのは珍しいですね」

 

 まあ、と口元に手を当ててシルが驚いてみせる。

 

「ボクとしては嬉しいかな。ベル君はまだ十四だからね、この歳でお酒にハマるのは避けて欲しいものさ」

 

 眷族を想う主神として、ヘスティアはそう言った。

 

「……それよりも給仕君は仕事をしなくて良いのかい?」

 

「ええ、はい。今日はベルさん達がお越しになる前に精一杯頑張りましたから。今はその分休憩時間を貰っているんです」

 

 そうですよね? とシルは女将に確認する。ミアは頷きながらも、こう言った。

 

「お得意様が来るまでの間だよ。それまでは自由にするが良いさ」

 

「ありがとうございます、ミアお母さん」

 

 感謝の言葉に『お母さん』と呼ばれた彼女は無言の笑みで応えてみせた。

『豊穣の女主人』では、女将のドワーフは従業員のことを『娘』と呼び、『娘』は『お母さん』と呼んでいた。それは彼女達の絆の証であり、何人たりとも断ち切ることは出来ない。

 と、ベルが母娘の会話から疑問を一つ拾った。

 

「お得意様? 顧客でもいるのか? いや、この素敵な酒場なら居そうなものだが……」

 

「まあ、ベルさんったらお上手ですね。質問に答えると、その通りなんです。とある【ファミリア】の女神様が当店を偉く気に入ってご贔屓して頂いて……本日ご来店される予定となっています」

 

「へー! その女神は誰だい? もしかしたら神友かもしれないよ」

 

「ふふっ、秘密です。ですが、お二人とも驚かれると思いますよ?」

 

 可愛らしく唇に人差し指を当てて、シルはそう笑った。

 やがて熱々のパスタが二人の客の元に運ばれる。大丸皿一杯にでかでかと盛り付けられており、ベルとヘスティアは「おぉっ!」と瞳を輝かせた。

 

「美味そうだな! これなら()()高くても許せる!」

 

「そうだねベル君! この量なら()()()()()値段が高くても許容の範囲内さ!」

 

 相場よりは高いことを懲りずに言うものだから、これにはシルも苦笑いだった。

 

「「戴きます!」」

 

 ベルとヘスティアは合掌し、まずは一口分よそった。熱気を放つパスタをふぅー、ふぅーっと適度に冷やし、口の中に放り込む。

 

「「……ッ!」」

 

 変化は劇的だった。

 無言で一口、また一口と休む暇もなく手を、そして口を動かす。夢中になって食べ進める様は、傍目に見ていても味に魅了されていることは筒抜けだ。

 ものの数分で大丸皿は空皿に姿を変えた。ぷはぁーと水を飲んで息を整えているベルに、シルが尋ねる。

 

「パスタ、如何でしたか? 満足出来ましたか?」 

 

「ああ、とても! 想像を遥かに超えた美食だった。これなら何杯でも食べられそうだ」 

 

 その最上級の賛美に、従業員と女将は笑みを交換し、新しい顧客の誕生を喜んだ。

 

「ほら、特別サービスさ! 遠慮することはない、受け取りな!」

 

 みずみずしい数個の果実がデザートとして出された。ベルとヘスティアは「ありがとう!」と礼を告げてから、今度はじっくりと味わうように食べ始める。 

 食後のデザートを楽しみながら、二人の客と給仕は談笑する。話題は『豊穣の女主人』のこと、シルのこと、ヘスティアのアルバイトの生活のこと、そして何よりも盛り上がったのはベルの冒険記録だった。

 

「──ベルさんは凄いですね。私、ゴブリンなんて……とてもとても。出会っただけで腰を抜かしちゃう自信があります」

 

「今はまだ『上層』だから出会うモンスターは少ない。その為ゴブリンやコボルトしか居ないが、そのうち、もっと凶悪なモンスターが現れるだろう」

 

「まあっ! ベルさんは怖くないんですか?」

 

「フッ! 全然怖くないさ! ドヤァ!」

 

「こらこら、嘘を吐くんじゃないぞ! 給仕君、ベル君はこう言っているけどね、彼が初めてダンジョンに潜った時、ゴブリンを倒しただけで本拠(ホーム)に戻ってきてボクに報告してきたんだぜ? 『凄いぞヘスティア! 私でもモンスターを倒すことが出来た!』なんて言いながらさ」

 

「おっと、これは参ったな。我が愛しの女神よ。そこは男として見栄を張らして欲しかった」

 

 神々に『嘘』は通じない。下界では『神の力(アルカナム)』は封じられているが、それでも、彼等が超越存在(デウスデア)であることに変わりはなく、子供達の『嘘』など見通しなのだ。

 ベルが恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻いても、しかし、シルは笑わなかった。それどころか。

 

「他には何かありませんか? 私、ベルさんのお話、もっと聞きたいです!」

 

 童女のように話を急かす。

 ベルは可愛い女子(おなご)からのお願いにすっかりと気分が良くなって、己が繰り広げた冒険を──時に脚色しながら──シルに聞かせた。

 

「──以上だ。どうだった?」

 

「とても面白かったです。ベルさん、話すのがとてもお上手で……語彙力も高いですし。ついつい耳を傾けてしまいました」

 

 手放しで褒められ、ベルは「照れるな!」と後頭部を掻いた。

 一方、ヘスティアは内心で舌を巻いていた。シルは『嘘』は言っていなかった。しかし、神の直感が告げていた。この正体不明の娘は人をその気にさせる『技』を所持していることを。

 だがそれを責めるつもりは毛頭ない。シルがやったのは自分の気持ちを意図して増加させただけなのだから。

 

「ベル君、今日はそろそろお暇しようか」

 

「……む? おお、もうこんな時間か。そうだな、今宵の夕餉はもう終わりにしようか」

 

「ええっ!? もうお帰りになられるんですか?」

 

 残念そうにシルが振る舞う。

 これにはさしものベルも苦笑いを禁じ得なかった。

 

「すまない。私は冒険者活動が、ヘスティアはアルバイトが明日もあるからな。睡眠を取らなければ活動に支障をきたしてしまう」

 

「……そういう事なら、仕方がありませんね。ですが、絶対にまた来て下さいね? 約束ですよ?」

 

 シル・フローヴァの本心からの願いだった。

 それが分かっているから、ベルは頷いた。

 

「ああ、約束だとも。私は約束を決して違えない。そうだ、今日の貴女との出会いを書き記しておこう」

 

「おいおい、今日も持っているのかい?」

 

 と、呆れるヘスティアにベルは当然とばかりに頷いた。

 

「人生何が起こるか、それは神々も分からない。そうだろう?」

 

「あの、書き記すって……?」

 

 シルが疑問の声を上げる。それに答えたのはヘスティアで、「……まあ、見ていれば分かるよ」と言った。

 ますます意味が分からずシルは首を傾げたが、言われた通り黙って待つことにした。

 ベルは懐から一冊のノートと羽根ペンを取り出し頁を捲る。そして言葉を紡いだ。

 

(つづ)ろう、我が英雄日誌! ──『ベル・クラネルはある日の早朝、一人のヒューマンの女性と運命的な出会いをする。満月の夜、彼は主神と彼女の酒場に行った。そこで彼は楽しいひと時を過ごすのであった』── 冒険だけが物語(みち)ではない。そのことを今宵はもう一度認識することが出来た」

 

 そう言って、パタンと本を閉じた。

 シルは最初ぽかんと呆然としていたが、我を取り戻すと、今日一番の笑みを浮かべた。

 

「自分の活動記録を(のこ)すなんて、とても素敵ですね!」

 

「ありがとう。そう言って貰えると嬉しい。やはり貴女は素敵な女性だな」

 

「そ、そんな……素敵だなんて……!?」

 

「待たせたなヘスティア。それじゃあ行こうか」

 

 また女子(おなご)を口説いているぞ……とヘスティアは思った。しかも巫山戯ているのではなく、本心で言っているのだから恐ろしい。

 最後に女将に挨拶をしようと、二人が口を開けた──その時だった。

 

「ミア母ちゃーん! 来たでー!」

 

 陽気な声が出入口から出される。

「むむっ、この声、何処かで聞いたことがあるような?」とヘスティアが記憶を想起する中、声主は店に入る。

 

「お、おい……!」

 

「まさか!?」

 

 客達が目を見開き、驚きの声を上げる。

 状況が摑めないベルとヘスティアへ、シルは得意そうに胸を張りながら言った。

 

「ベルさん達もご存知でしょう。此処、迷宮都市(オラリオ)──いいえ、世界中に名声を轟かせている派閥を!」

 

「まさか、【フレイヤ・ファミリア】か!? ()の美の女神が此処に!? 何それ凄い! 是非一目見たい──」

 

「ではなくて──いえ、合っていると言えば合っていますが──他の派閥です。ここまで言えば分かるでしょう?」

 

 シルの問い掛けに答えるように、一人のエルフのウェイトレスが騒ぎを一刀両断して宣言した。

 

「ようこそ、【ロキ・ファミリア】の皆様。お待ちしておりました」

 

 都市最大派閥──【ロキ・ファミリア】。

 数多くの【ファミリア】が存在する迷宮都市、その(いただき)に降臨する探索(ダンジョン)系【ファミリア】だ。

 冒険者の誰もが彼等のように()りたいと願い、冒険者という職業を嫌悪する市民であっても、彼等を特別視し、支持する者は圧倒的に多い。

 店内は予期せぬ人物達の登場に大いに盛り上がった。

 

「あれが【剣姫(けんき)】……すんげえ上玉だな……」

 

「おい、やめろって。不用意に近付くと斬られるぞ」

 

「嗚呼……リヴェリア様……美しい」

 

「何で王族(ハイエルフ)が此処に居るんだろうなって、俺、いつも思ってるよ」

 

「キャー! フィン様よ!」

 

「可愛い──ヒッ、何処からか殺気が!?」

 

「おおっ、あれが歴戦のドワーフ、ガレス! なんて逞しい身体だ! まさに(おとこ)! そこに痺れる憧れるゥ!」

 

【ロキ・ファミリア】の構成員は主神の性癖がそのまま反映されている。男女比は女性の方が圧倒的に多く、彼等彼女等は例外なく美男美女だ。

 誰もが色めき立つ中で、しかし、その中で唯一沈黙を貫いている者が居た。

 ベル・クラネルとヘスティアである。

 彼等はシルを盾にして──当然、彼女一人では盾になる訳がないが──見付からないよう身を隠していた。

 

「べ、ベルさん……? ヘスティア様……?」

 

「……すまない給仕君。ボク達と彼等には実はちょっとした因縁があってね、なるべく顔を合わせたくないんだ」

 

「ええ……?」

 

「私からも頼む。特に【剣姫(けんき)】とあの狼人(ウェアウルフ)には絶対に見付かりたくない」

 

「ええっ!?」

 

 シルは割と本気で狼狽えた。

 冗談を言っていると思いたかったが、彼等の目は本気(ガチ)だった。特にヘスティアの顔は凄く、言葉では言い表せられない表情になっている。

 

「……分かりました、と言いたいところなんですが……私もお仕事がありますし……」

 

 ちらりとシルがそちらに一瞥すると、ちょうど、【ロキ・ファミリア】の団員達が席に着いたところだった。店内では収まらないので、外のカフェテラスをフルに使って──貸切状態である──ようやくである。

 そして一番の問題なのが、ベル達が警戒している人物は【ロキ・ファミリア】の中枢を担う冒険者である為、店内に居ることだった──幹部達は店内、それ以外はカフェテラスに案内された──。隅の席ならまだ何とかなるものの、ベル達がシルによって案内されたのはカウンター席である。もし彼女が席を離れればすぐに見付かるだろうことは想像に難くない。

 他の客の存在を気に掛けるとは思えないが、彼等は規格外の冒険者。五感は常人を遥かに凌駕するので、絶対にないとは言いきれない。

 

「シル!」「給仕君!」

 

 ──助けてくれ! 懇願の眼差しを送られる。

 シルが女将に『どうしましょう?』と視線を送り、相談すると、ミアは数秒の沈黙の後に溜息を吐いた。

 

「……シル、あんたは今日これで上がりな。あとは好きにするが良いさ」

 

「良いんですか?」

 

「仕方がないだろう。寧ろ因縁とやらで問題を起こされる方が困る。──その代わり! 今度うちに来た時はもっと多く注文するんだよ! じゃないと承知しないからね!」

 

 後半の言葉は脅しであったが、しかし、あたたかいものだった。

 ベルとヘスティアは忽ち笑顔になり、そして声を揃え、

 

「「ありがとうー!」」

 

 堪らずにシルは目眩を覚えた。ミアもやられたのか、一瞬、動揺を露わにする。

 それを見た猫人(キャットピープル)の従業員が「んにゃっ!?」と自分の目は節穴ではないかと疑った。

 

「よし、ベル君。ボクの髪の毛を下ろすんだ!」

 

「なるほど! 流石はヘスティアだ! 髪型を変えれば印象は大きく変わるだろうからな!」

 

 声を抑えながら騒ぐという高等技術を披露しながら、ベルとヘスティアは【ロキ・ファミリア】対策をしていく。

 ベルは主神の神意に従い、彼女のアイデンティティであるツインテールを解いた。髪を下ろした彼女はとても魅力的で、大人びている。

 

「だが困ったぞ。私はどうすれば……?」

 

「出来るだけ身体を小さく纏めるしかないと思います。幸いベルさんは大柄ではないですし……私が障壁となればギリギリ隠れられるかと」

 

「くっ……極東に伝わる奥義、『隠れ身の術』を私が会得していれば良かったのだが……致し方ないか」

 

 ベルとヘスティアは顔を見合わせてから、サッと机に突っ伏す。それはさながら酒に溺れているようだった。

 その状態で楽しそうに話をするのだから、シルはつくづく、変な人達だなぁと思った。

 

「ベルさん、ヘスティア様。今はまだ【ロキ・ファミリア】の皆さんは素面ですが、今回は『遠征』の帰還を(しゅく)しての宴会なので、すぐに酔われるでしょう」

 

「ほう、それで?」

 

「私の経験上、三十分も経てば周りに意識を割くことはないと思います。それは宴会が盛り上がる時間帯と、酒場に居る環境に身体が慣れるからです」

 

「……流石は専門職(プロフェッショナル)だねぇ。お客さんのことをよく視ている。ボクも見習いたいものさ」

 

「ありがとうございます、恐縮です。──私が隙を突いて二人を出口まで誘導します。宜しいでしょうか?」

 

 二人は無言でオーケーサインを出した。

 

「くそぅー……どうしてわざわざボク達が連中から隠れないといけないんだ……」

 

 女神ロキが「よっしゃあ、ダンジョン遠征みんなご苦労さん! 今日は宴や! 飲めぇ!」と音頭を取ったところで、ヘスティアが忌々しそうにボヤいた。

 

「えっと……どうして【ロキ・ファミリア】から隠れているんですか?」

 

 疑問に思っていたことをシルは遂に尋ねた。

 さてどう説明すれば良いのかと、ヘスティアは「ぐぬぬっ」とくぐもった声を出した。

 

(実際は向こうが悪いのに……! というか、そもそもロキは何をやっているんだ! ベル君の話を聞くに自己紹介はしていたのだから、ベル君の所属先を管理機関(ギルド)に尋ねて詫びの一つでも入れるのが常識じゃないのか!?)

 

 これでは自分達が【ロキ・ファミリア】に対して何か悪いことをして、逃げているようではないか。

 彼等──いや、()()は楽しそうに騒いでいる。肉をたらふく頬張り、酒を呷り、談笑している。それを意識した瞬間、段々とむかっ腹が立ってきた。

 だがしかし、ここで突撃する訳にはいかないのだ。それでは何も問題の解決にならない。何よりも、騒動を起こせば、この素敵な酒場の女主人と給仕に迷惑を掛けてしまう。

 結局ヘスティアはシルの質問に「すまない給仕君。事情があって答えられないんだ」と答えるしかなかった。

 

「今回の『遠征』はどうだったん?」

 

資料(レポート)は既に渡しているだろう」

 

「せやけどな、直接聞きたいんよ。自慢の眷族(こども)達の活躍を直接な」

 

 宴会の(さかな)になるのは、専ら『遠征』のことだった。主神の質問に、眷族達は答えていく。もちろん、団員以外に知られたくない情報は隠しながらだ。現に冒険者達が【ロキ・ファミリア】の話に興味津々であり、耳を傾けている。

 話が盛り上がるにつれ、料理の無くなる勢いも増していった。積もる前にウェイトレス達は空皿を下げ、代わりに、新しい料理を運んでいく。

 その様子をシルは遠目から眺めていた。猫人(キャットピープル)の同僚が『ヘルプっ!』とアイコンタクトを送ってきたが、自分はもう仕事が終わっている身。友人のエルフが助けを求めてきたら話はまた変わってくるが、ここは気付かない振りをする。

 

「……どうだい、給仕君? そろそろ決行の時じゃないかい?」

 

「うぅーん……そうですね。あと五分ほど我慢して下さい」

 

「あと五分もこの格好か……」

 

 頑張って下さい、とシルは女神を励ました。ヘスティアは微妙な反応を返す。

 シルが【ロキ・ファミリア】の様子を一瞥すると、酒が回ってきているのか、何人かは陶然とした表情を浮かべていた。

 

「お二人共、好機です。私が誘導しますから、付いてきて下さい」

 

「……分かったよ。よし、行くぞベル君!」

 

 ヘスティアが顔を上げ、ベルに声を掛ける。

 

「……」

 

 だがベルは何も反応を返さなかった。

 もしかして……と思いながら、ヘスティアは小さな手で少年の肩を揺さぶる。

 

「ベル君、行くぞ!」

 

「……」

 

「ベル君、ベルくーん!」

 

「…………」

 

 何てこったとヘスティアは思わず天井を見上げた。

 ベルは意識がなかった。

 より端的に言うと──寝ていた。熟睡である。

「ええ……」とシルが驚く。

 

「さっきから無言だったから、珍しく空気を読んでいると思っていたのに……!」

 

 ヘスティアはベル・クラネルの能天気さをすっかりと忘れていた自分を心から恥じた。

 だがしかし、自分を責めていても何も始まらない。今度は先程よりも強く肩を揺さぶったが、帰ってきたのは「すやぁ……」という寝息だけだった。

 どうにか無理矢理にでも起こそうとヘスティアがした、その時だった。

 

「──でもさー、まさかミノタウロスが逃げるなんて思わなかったよね」

 

 ピタリと、ヘスティアは硬直する。

 ゆっくりと声主に視線を送ると、果たしてそこには一人の女戦士(アマゾネス)の少女が居た。かなりの美少女だ。すぐ近くには同じ顔の少女が居て、恐らくは双子だろう。どちらが姉かは分からないが、とある身体の一部分を見て、彼女は妹だと確信した。 

 

「こらっ、この馬鹿ティオナ。その件については箝口令が敷かれているでしょうがっ」

 

「あっ、そうだった。ついうっかり……」

 

 しまったと、ティオナと呼ばれた少女が慌てて口を閉ざす。そして素直に「ごめん」と謝った。

 さらに黄金色の髪色の小人族(パルゥム)が諭すように言った。

 

「ティオネの言う通りだ。少なくとも此処では出さないで欲しい」

 

「だからごめんってばー。反省してるよ!」

 

「なら良いんだ」

 

 良くやったぞ名も知らぬ小人族(パルゥム)君! ヘスティアは喝采した。

 しかし、糸目の女神が疑問の声を上げる。

 

「何やそれ。うち、初めて聞いたわ」

 

「……ロキ、きちんと資料(レポート)を読んだかい? 最後の頁に赤文字で書いてあった筈だけれど」

 

 下手な口笛を吹いて誤魔化すロキ。

 ヘスティアは持てる限りの言葉を以て、不倶戴天の敵に罵詈雑言の言葉を送り、貶した。もちろん女神の矜恃で口には出さなかったが。

 だがしかし、これは最大の好機でもある。ロキが外聞も恥もなく駄々を捏ねる子供のように──というか、子供そのものだった──騒ぎ立てているものだから、眷族達はその対応に追われている。

 あの忌まわしい敵が山吹色のエルフの少女に詰め寄っている今しか機会はない。

 

「ベル君、起きるんだ! 帰るよ! このままじゃ彼等に見付かってしまう!」

 

「…………すやぁ」

 

 相も変わらず呑気に寝息を立てるベルを、ヘスティアは家族に加えてから初めて殴りたいと思った。

 何か妙案は──彼女は天啓を得た。

 

「彼処にフレイヤ──美の女神が居るぞ! ああ、なんて美しい──」

 

 効果は劇的だった。

 ベルは深紅(ルベライト)の双眸を見開かせ、ガバッと顔を上げる。

 

「美の女神!? 何処どこ、いったい何処に!?」

 

「よし、目覚めたね。遅くなってすまない給仕君。ボク達を出口に誘導してくれ」

 

「あ、あははは……はい、分かりました。それじゃあヘスティア様、ベルさん。移動しましょう」

 

 ヘスティアとシルが椅子から立ち上がるまでベルは「美の女神は何処に!?」とこの場に居ない女神を探していたが、謀られたのだとやがて理解すると、ガックリと両肩を落としながら彼女達に続いた。

 なるべく隅の方を歩きながら、出口に向かう。ウェイトレス達が店内を動き回ることでフォローに回った。

 その甲斐あって、とうとう辿り着いた。

 

「とても美味しい料理だった。次来る時はもっと財布が膨らんだ時にしようと思う。ミア母さんにも伝えておいてくれ」

 

「……迷惑をかけてしまってすまない。そしてありがとう、ボク達を助けてくれて」

 

「ふふっ、お礼なんてとんでもありません。知らないかもしれませんが、ミアお母さんが冒険者の方を気に入られるのは珍しいことなんですよ?」

 

「ほう……ならばその期待に応えられるよう、私は精進しようと思う」

 

「次の来店を、一同、お待ちしております!」

 

 別れの挨拶を済ませ、ベルとヘスティアは本拠(ホーム)に帰ろうとする。

 シルが頭を下げて見送る──その横を、一人の女性が通った。誰だろうかと頭を上げ、彼女は瞳を見開かせた。

 

「──待って」

 

 ベルはその声に聞き覚えがあった。

 まだ数回しか聞いていないが、彼女の声は記憶に残っている。その美声を、彼は決して忘れていなかった。

 

「すまないヘスティア。……どうやら見付かってしまったようだ」

 

「……はあ、結局こうなるのか。仕方がないさ、受け入れよう」

 

 だから謝らないでくれ。ボク達は家族(ファミリア)だろう? 主神(ヘスティア)の御言葉が嬉しくて、眷族(ベル)は笑みを浮かべた。

 そして、ゆっくりと身体ごと振り向かせる。深紅(ルベライト)の瞳が『彼女』の姿をしっかりと捉えた。

 果たして、『彼女』は居た。金髪の長い髪、同色の瞳。装備こそ身に着けていないが、間違えようがなかった。

 

「昨日振りだな、アイズ」

 

「うん……昨日振り、だね。こんばんは、ベル」

 

 そう言って、アイズ──【ロキ・ファミリア】所属、【剣姫(けんき)】の二つ名を持つアイズ・ヴァレンシュタインは小さく微笑んだ。

 



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そして、『道化』は宣言する

 

「すまないアイズ。話はまた後日にお願いしても良いだろうか」

 

「うん……大丈夫だよ……」

 

「ありがとう!」

 

 迷宮都市オラリオ、西のメインストリートにある『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』は沢山の人々から絶大な人気がある酒場だ。

 料理の価格は他の店よりも数倍から数十倍するが、それは食材を厳選しているからであり、また、複雑な調理がされているからであり、最初は苦情(クレーム)を言っていた客も、一度口にすれば夢中になる。また従業員は全員女性であり、彼女等は皆等しく美女美少女だ。ともすればそれは管理機関(ギルド)に勤めている受付嬢よりもである。

 女主人であるミア・グランドの『どんなクソッタレな時代であろうとも美味い飯を食べられる場所』という理念は達成されており、酒場はいつも盛り上がっている。

 そして、今日も店内は盛り上がっていた──一角を除いて。

 

「ベルさん……ヘスティア様……」

 

 新しく友人になったヒューマンの少年と女神を(おも)い、シルは物憂げな溜息を吐いた。

 友人であるエルフの女性が心配になって声を掛けようとするが、客の注文に捕まってしまった。

 シルは何度目かの溜息を吐く。自分に出来ることは何もない。何故ならば、自分はあの場に於いては部外者なのだから。忸怩(じくじ)たる思いを抱きながら、彼女は遠目から見守ることしか出来ないのである。

 果たして、彼女の視線の先には二つの集団が大きな(テーブル)を挟んで向き合っていた。

 

 ()()()()()()──【()()()()()()()】。

 

「あー、そろそろ話を始めようか」

 

 口火を切ったのは一人の小人族(パルゥム)だった。

 小人族(パルゥム)は様々な亜人族(デミ・ヒューマン)から差別の対象とされている。成人になっても姿形が変わらない彼等は、他種族から見下され、偏見の目で見られることは少なくない。

 だがしかし、彼は別だった。

 フィン・ディムナ──【勇者(ブレイバー)】の二つ名を持つ第一級冒険者。レベルはLv.6。都市最大派閥、【ロキ・ファミリア】を束ねる団長である。

 

「私も賛成だ。我々の都合でこれ以上無闇矢鱈(むやみやたら)に時間を奪う訳にはいかないだろう」

 

 次に口を開いたのは、種族特有の細く尖った耳を持つ一人のエルフだった。しかしその美貌は他のエルフとは一線を画している。彼女は王族(ハイエルフ)であり、多くの同胞から尊敬と敬意を持って接せられていた。

 リヴェリア・リヨス・アールヴ──【九魔姫(ナイン・ヘル)】の二つ名を持つ第一級冒険者。レベルはLv.6。【ロキ・ファミリア】首脳陣の一人である。

 

「そうじゃなあ……儂も同意見じゃ」

 

 濃い髭を(さす)りながらそう言ったのは、一人のドワーフだった。

 完成された身体とは、まさにこのようなものを言うのだろう。全身を覆うのは鋼の如し厚い筋肉だ。

 ガレス・ランドロック──【重傑(エルガルム)】の二つ名を持つ老兵であり、第一級冒険者だ。レベルはLv.6。彼もまた、フィンやリヴェリアと同じく【ロキ・ファミリア】首脳陣の一人である。

 

「面倒臭いことは早めに片付けるに限るしなぁ」

 

 最後に同意を示したのは、一人の女神だった。

 知略の女神──【ロキ・ファミリア】主神、ロキ。

 鮮やかな緋色(ひいろ)の髪を持つ彼女は、糸目の瞳を薄らと開け、にんまりと笑った。

 対して【ロキ・ファミリア】と対峙しているのは、一人の少年と一柱(ひとり)の女神であった。

 

 新興間もない零細派閥──【ヘスティア・ファミリア】。

 

「……良いだろう、話とやらをしようじゃないか」

 

 重たい口を開けたのは、漆黒の髪を持つ一人の女神。

 ()の女神──【ヘスティア・ファミリア】主神、ヘスティア。

 普段は二つに結っている髪を下ろしている彼女は、舐められないよう、精一杯低い声を出した。

 

「ベル君もそれで良いかい?」

 

 処女雪を連想させる髪を持つ一人の少年は、深紅(ルベライト)の瞳を閉じてその確認に無言で頷いた。

 主神(しゅしん)は眷族の様子を訝しく思いつつも、(あお)色の瞳を緋色(ひいろ)の瞳に向ける。

 ──此処に、両者の合意が成立した。

 今から始まるのは()()()()()()()()()()()

 果たして、先手を打ったのはまたもや【ロキ・ファミリア】陣営であった。

 

「はじめまして、【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナだ。神々からは【勇者(ブレイバー)】の二つ名を頂戴している」

 

 その後、リヴェリア、ガレスとフィンに続き、道化師(トリックスター)の眷族達は簡単に自己紹介を行う。【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインや女戦士(アマゾネス)の双子姉妹、狼人(ウェアウルフ)の戦士は割愛とした。

 

「最後に、彼女が──」

 

「久し振りやなぁ、ドチビ?」

 

 女神ロキが唇の端を吊り上げて、そう言った。

 ドチビと不名誉な渾名で呼ばれたヘスティアは顔を軽く引くつかせるが、挑発に乗っては駄目だと己を律する。

 その様子を見たフィンは深々と溜息を吐いた。自身の主神に対して。

 

「ロキ」

 

「ん、分かっとるよ」

 

「なら良い。今後は控えてくれ。ロキと女神ヘスティアの仲が悪いのは十分に分かったが、だからと言って、この場に持ち込んではならないよ」

 

「わーってるって! いつものじゃれ合いや、じゃれ合い。これがうちらのコミュニケーションや」

 

 だと良いけどね、とフィンは内心で呟いた。

 子供達の間でも喧嘩は絶えないのだから、それは神々であろうと何も変わらない。

 神達(おや)の仲が悪いからと、子供達の仲は良いのにも関わらず敵対することは、この迷宮都市(ダンジョンとし)ではよくあることだ。

 

(尤も……今回の場合は主神(ロキ)の一方的なものだろうけど)

 

 フィンは全てを理解していた。

 何故ロキがヘスティアに喧嘩を売っているのか。

 性格が合わない? なるほど、それもあるだろう。

 だが一番の問題は──()()()()()

 ロキにはなくて、ヘスティアが持っている物がある。

古代(こだい)』から『神時代(しんじだい)』に時代が移ろうとも、()()()()()()(いくさ)は変わらずにある。

 

 ──巨乳(持つ者)貧乳(持たざる者)

 

 ロキはヘスティアの、幼い身体に不釣り合いな大きな果実(むね)が気に食わないのだろう。妬ましいのだろう。

 事実、【ロキ・ファミリア】内でも一人の女戦士の少女が日々嘆いている。

 優れた頭脳を持つ首領はそこで考えを打ち切り、咳払いを打った。

 

「次は貴方達に自己紹介をお願いしても良いかな?」

 

「ほほぅ、ロキの眷族(こども)とは思えない程聡い子じゃないか。──ボクは炉の女神ヘスティア。【ヘスティア・ファミリア】の主神だよ。それでこっちの男子(おのこ)が──」

 

「……」

 

「──ボクの唯一の眷族、ベル・クラネルだ。宜しく頼むよ、団長君」

 

 そう言って、ヘスティアはにこりと笑った。

 普段の彼女を知る者が今のヘスティアを見れば、彼等は己の目を疑うだろう。

 ヘスティアは静かに怒っていた。蒼色の瞳の奥は煉獄の如く炎がゆらゆらと揺らめいている。女神としての矜持が神威(しんい)を出すのを抑えていた。

 

「先に言っておくけど、ボク達を此処に引き留めたことへの謝罪はいらないぜ? あぁだけど、あの女将くんには君達から後で謝っておいてくれよ?」

 

 さあ、話とやらをしようじゃないかと、ヘスティアは続けて言った。

【ロキ・ファミリア】の面々は表情を引き締めたものに変えた。

 神々の到来──【神時代(しんじだい)】になり、人々と神々の距離は物理的にも精神的にも縮まった。迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオではその傾向がとても強い。

 だがしかし、()()()()

 彼等は感じていた。目の前の女神には主神(ロキ)と同等、否、それ以上の敬意を持って向かい合わなければならないと──。

 

「女神ヘスティア。貴女の眷族から聞いているとは思うが、まずは我々の弁明を聞いて頂きたい。そしてどうかその曇りなき(まなこ)で裁決して頂きたい」

 

小人族(パルゥム)君──フィン君だったかな? 君は一つ勘違いしているぜ。君達の話を聞くのはボクじゃない。ベル君だ。ボクは主神として可愛い眷族(こども)()()を尊重するだけさ」

 

「……すまない、認識を改めよう。それでは、聞いて頂きたい」

 

【ロキ・ファミリア】首領が派閥を代表して、ダンジョンで起こったこと、その事実のみを滔々と語った。

 大規模の『遠征』の帰り、17階層でミノタウロスの集団と遭遇したことを。自分たちに恐怖して、()の猛牛が『中層』から『上層』にまで逃走したことを。自分達もすぐに追ったが、全てを仕留めるのに時間が掛かったことを。そしてそのうちの一頭が5階層──ベル・クラネルと接触したことを。【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが救出に間に合ったことを──。

 

「迷惑を掛けてしまった。本当に申し訳ない」

 

 最後にそう言って、フィンは深々と頭を下げた。続いて、リヴェリア、ガレスと続いていく。首脳陣の行動に若い幹部や下位構成員達が驚愕するが、次の瞬間、更なる衝撃が彼等に走ることになった。

 

「ウチも主神として謝罪するわ。すまんかったな」

 

 はあ、とヘスティアは内心で溜息を吐いた。

 本当に嫌になると、憂鬱(ゆううつ)な気分になる。

 ロキがどうかは知らないが、ヘスティアはロキのことをそこまで嫌っていない。……毎回会う度に自分の身長を揶揄(からか)ってきたり、貧乏であることを馬鹿にしてくるところは大嫌いだが、それでも、ロキ以上に嫌いな神、苦手な神は確かに居るのだ。

 そんな相手が頭を下げてきた。屈辱を感じながらも、主神(おや)として。

 ヘスティアとロキの付き合いはまだ短い。初めて会ってからまだ百年も経っていないだろう。

 しかし天界に居た頃の彼女の噂は、当時、教会に引きこもっていた自分の耳にも届いていた。それは決して良いものではない。寧ろ悪いものだ。

 美の女神は詳しく知ってそうだが──別段、そこまで興味はない。

 確実に言えることは、天界で暴れに暴れていたという知略の女神は眷族(こども)を持つようになってから、確かに変わったということ。

 

「ダンジョン内で起こった出来事は分かった。何でもダンジョンは異常事態(イレギュラー)に溢れているという。基本、ダンジョン内で起こったことは暗黙の了解で互いに干渉しないのだろう?」

 

 その確認に、歴戦の冒険者達は肯定の頷きを返した。

 

「なら、起こってしまった事故そのものを責めることは出来ないだろうね。怪物達(モンスター)が彼我の実力差を本能で察知し、逃げるだなんて……それこそ前例がなかったみたいだし」

 

 ただ、とヘスティアはここで目を細くした。

 

「一つ聞いておきたいことがある。君達は地上に帰還してから、管理機関(ギルド)に報告したかい?」

 

「無論だ、女神ヘスティア。我々には報告義務がある。それはダンジョンでの異常事態(イレギュラー)を発見したのもあるが──何よりも、我々の不手際で負傷者が出てしまったかどうかの確認をする為だ」

 

「被害は?」

 

「現段階では負傷者、死亡者ともにゼロだ。数日もすれば管理機関(ギルド)から報告を受ける手筈になっている」

 

 なるほど、とヘスティアは頷いた。「それは女神としても嬉しいよ」と言葉を続ける。

 己の眷族のみならず、他所(よそ)の派閥の冒険者も気に掛けるとは……フィンはヘスティアを神格者だと改めて認識した。

 

「本来なら我々は巻き込んだ冒険者達に釈明と謝罪をしなければならない。先程女神ヘスティアは『ダンジョンと異常事態(イレギュラー)だから』と仰ったが、我々が元凶なのは間違いないのだから」

 

 だが──と、団長は口を閉ざした。代わりに副団長が説明する。

 

管理機関(ギルド)から、貴方達への接触を禁じられていた。事件の規模がどれ程ものだったのか、また、正確な被害者の数が分かるまでは、勝手な行動は慎むようにと言われていた。各【ファミリア】にも管理機関(ギルド)から伝えられている筈だ」

 

 超越存在(デウスデア)である女神には、彼等が『嘘』を吐いていないことが分かった。

 しかしここで、彼女の脳内で更なる疑問が生まれる。

 

(ボク達にそんな通達来てないぞ?)

 

 とはいえ、それを言ったところで【ロキ・ファミリア】には直接関係ないことだ。

 フィン達もヘスティアの反応から察したが、尋ねるようなことはしなかった。揚げ足取りだと理解しているからである。

 

(ベル君の担当アドバイザーに明日、尋ねてみるとしよう)

 

 加害者は管理機関(ギルド)に報告し、その指示に従っている。それが分かっただけでも充分だ。

 まあ、昨日の今日で『遠征』の宴会を開くのはどうかと思わなくもないが。

 

「これはまだ主神(ロキ)とは相談していないが……団長(ぼく)としては、巻き込んでしまった全ての【ファミリア】に贖罪をしたいと考えている」

 

 そう言って、首領(フィン)主神(ロキ)に視線を送った。

 構わないかい? その確認に、ロキは「ええで」と即答した。

 

「ウチも資料(レポート)をちゃんと読んでなかったしな。『遠征』の処理に構いすぎたのは眷族達(こどもたち)じゃなくてウチの落ち度や」

 

 主神の殊勝な態度に、眷族達はただただ混乱するしかなかった。

 ヘスティアは彼等を一瞥してから、

 

「具体的にはどうするつもりだい?」

 

「今思い付くのは、金銭や武具の贈与に、冒険者依頼(クエスト)の無条件受注などだ。我々に出来ることならば、何でもするつもりだ」

 

「……まあ、妥当なところか。ベル君はどう思う?」

 

 主神としての役目は終わった。

 彼等から事情は聞いたし、一部の団員からは不満そうな気配がするが、小人族(パルゥム)の団長や、()()()()()()ロキから誠意を感じるのだ。

 正直なところ、先程ロキがあのような発言しなければ、ヘスティアは本気で怒っていただろう。ベルとの約束を破ってでも、彼女はたとえ独りであろうとも、都市最大派閥を相手にするつもりだった。

 あとは愛しい我が子がどのように受け止めるかだ。

 

「……」

 

 ベルは黙考していた。

 ()()が始まった時から、この(とき)に至るまで、彼は一切発言しておらず、深紅(ルベライト)の瞳は覗いていない。

 机に両肘を立てて寄りかかり、両手を口元に持っていき、表情を隠している。

 視線が収束しているのも気にせず、彼は考え込んでいた。やがて、

 

「【勇者(ブレイバー)】」

 

 おもむろに、ベルは短く二つ名を呼んだ。

 呼ばれた【勇者(フィン)】は、きたかと思いつつも、「何かな?」と首を傾げる。

 (まぶた)をあけると、ベルは重々しく口を開けた。そして、突拍子もないことを言い出した。

 

「貴方のことを【勇者(ブレイバー)】ではなく、フィンと呼んでも良いだろうか! 親しみを込めて!」

 

「……あ、ああ、それは全然構わないよ」

 

 戸惑いつつも、フィンは頷いた。

 するとベルは笑顔になり礼を言う。

 

「ありがとう! いやはや、どうにも私は二つ名というものが苦手でな」

 

「へえ……それはまた珍しいね」

 

昇格(ランクアップ)』を果たした冒険者には、神々からその偉業を称えられて二つ名が与えられる。

 そしてこの二つ名は子供達から絶賛されている。実のところ、神々は遊び半分で名付けているのだが。

 

「神々の名前付けの才能(ネーミングセンス)そのものは素晴らしいと思うのだがな。 特にフィン、貴方の【勇者(ブレイバー)】という二つ名には憧れる」

 

 その無邪気な称賛にフィンは内心で苦笑した。

 何故なら自分の二つ名は神々によって決められたものではないのだから。契約のもと、主神(ロキ)に頼んだに過ぎない。

 

「だがしかし、やはり私には合わないな」

 

「何か理由でもあるのかい?」

 

 純粋に気になったので、フィンは尋ねた。

 

「二つ名……異名とも言えるが、これではその人物のことをよく()れないだろう。私は神々からの贈物(二つ名)も大事だとは思うが、父や母からの贈物(真名)も大事にするべきだと思う」

 

「なるほど……確かにその通りだ。僕は何年も冒険者をやっているから慣れてしまったが、最初、他派閥の冒険者から【勇者(ブレイバー)】と言われるのには違和感を覚えたよ」

 

 ベルの考えはこれまでになかった視点だろう。

 と、ここでロキが「ほう」と少年に対して興味を抱き始めた。実のところ、彼女は早く【ヘスティア・ファミリア】との示談を終わらせたかった。

 大敵である巨乳幼女女神と誰が好き好んで一緒に居ようと思えるだろうか、否、思えない。

 何よりも、可愛い眷族達(こどもたち)の失態をこれ以上見たくないという主神(ははおや)の想いがあった。

 だがここに来て、ベル・クラネルという少年を()てみたくなった。

 フィンにアイコンタクトを送る。長年の付き合いによって、彼は主神の神意(しんい)を完全に理解した。

 

「さっき言った通りだ。僕のことは『フィン』と気軽に呼んでくれて構わない。何なら友人と思って欲しい」

 

「団長ッ!?」と巨乳の女戦士(アマゾネス)が驚愕の声を上げる。だがそれは【ロキ・ファミリア】の殆どの団員の心の内を一つに纏めたものでもあった。

 ベルは嬉しそうに笑い、手を差し伸ばす。

 

「ありがとう、私の新しい友人! 私のことも是非『ベル』と呼んでくれ」

 

「ははは、分かったよ。ベル、これから宜しく」

 

 只人(ただびと)小人族(パルゥム)の手が交わった。

 フィンは「それで、だ」と話を戻す。

 

「ベル、君は僕達の謝罪を受け入れてくれるかい?」

 

 両派閥に緊張が走った。

 山吹色のエルフの少女は金髪の女剣士に不安そうに「どうなるんでしょう……?」と尋ね、顔に刺青を入れた狼人の青年が目を細めた。

 ベルはそれらを全て()()()()、即答する。

 

()()()。貴方もさっき言っていたが、元よりダンジョンは異常事態(イレギュラー)で満ち溢れている。私が直面したのは今回が初めてだが、これも経験だと思えば良いだろう。何より、友の失敗を追及する訳にはいかないさ」

 

「ありがとう。【ファミリア】を代表して、再度の謝罪と、そして感謝を言うよ。それでベル、君は何を望む? 君はまだ駆け出しなのだろう? 僕個人としては武具が良いと思うが……」

 

 冒険者に成り立てだと、得られる収入はとても少ない。下手したら街の労働者達よりもだ。

 フィン達【ロキ・ファミリア】のような大手派閥なら、駆け出し冒険者であろうとも、それ相応の武器や防具を支給することが出来るのだが、【ヘスティア・ファミリア】のような零細派閥、ましてや振興したての派閥ではそうもいかず、管理機関(ギルド)の支給品──借金(ローン)を組む必要がある──を装備する者が大半だ。

 冒険者活動を初めて数ヶ月は貯金をすることは殆ど出来ず、生活や武具の維持費、回復薬(ポーション)の補充、さらには月に一度の管理機関(ギルド)への納税で消えていく。

 だからフィンは先輩冒険者として、そう、助言した。もちろん決定権はベルにあるので、彼の意思を尊重するが。

 どんな要望が来るのかと、フィンは静かに身構えたが、ベルは意外にもこう言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……すまない、それはどういう意味だい?」

 

 訝しむフィンをベルは不思議そうに見た。ぱちくりと瞬きしてから、

 

「フィン、貴方と友人になれた! この出会いだけで私は満足だ!」

 

 着けていた仮面に罅が走るのをフィン・ディムナは実感した。

 困惑し、動揺が走り、狼狽が襲う。

 その事に気付けた者は少ない。主神(ロキ)王族(リヴェリア)老兵(ガレス)等だ。

 

「だから私には何も必要ないさ」

 

「……なら、【ロキ・ファミリア】としてではなく、ベル・クラネルの友人、フィン・ディムナとして武器を贈らせて欲しい」

 

 派閥絡みではなく、個人でならどうだろうかとフィンは言った。

 ベルは苦笑いを浮かべた後、了承の頷きをする。

 

「ありがとう! それなら、ありがたく頂こう!」

 

「日にちはまた後日決めるとして……」

 

「ああ、話は終わりだ。貴方達は『遠征』の宴をやっていたのだろう? これ以上私達がこの場に居ては迷惑だ。そろそろ失礼する」

 

「気を遣わせてしまい、本当にすまないね」

 

「気にする必要はないさ。それと改まって謝罪をして来なくても良い。私達は和解したのだから。あとぶっちゃけ、あの廃教会(ホーム)を見せたくない」

 

 その言葉にヘスティアが真っ先に反応する。

 

「ちょっと待て! ベル君そんなこと思ってたのかい!?」

 

「HAHAHA!」

 

「笑って誤魔化そうとするんじゃないぞ!」

 

 先に丸椅子から立ち上がり、ベルはヘスティアに手を伸ばした。彼女は嬉しそうに握り、席から立つ。

【ロキ・ファミリア】の面々、そして『豊穣の女主人』の従業員達に一礼し、店を出ようとする。

 しかし、それを阻める者が居た。

 

「なぁ、少年」

 

 今まで必要以上に発言してこなかった知略の女神が、ベルを呼び止めた。

 ヘスティアに外で待っていて欲しいと伝え、彼はロキと向き合う。

 

「女神ロキ、何だろうか?」

 

 ジョッキを片手に、ロキは緋色の瞳を開眼させて静かに問うた。

 

「ジブンは迷宮都市(ここ)で何を望んでおるん? 何を為したいんや?」

 

 女神の問いに、ベル・クラネルは僅かな逡巡を見せることなく即応した。

 自分の憧憬を、大願を、決意を宣誓する。

 

 

 

「──私は『英雄』になりたい」

 

 

 

 静かな、しかし、身を焦がすような『熱』が『豊穣の女主人』に広がった。

 先程もベルは女主人にその発言をしており、それを聞いていた冒険者が数名、まだ店内に残っている。彼等は再度、大言壮語甚だしい夢を見ている餓鬼(愚か者)を嘲笑おうと──ベルを見て、思わず固まった。

 それはとてもではないが、駆け出し冒険者が出来る目ではなかった。それだけではない。齢十四の少年とは思えない程の、唯ならぬ覇気。

 

「何だよ……何だよあいつ……! 何であんな餓鬼があいつらと同じ──!」

 

 唇をわなわなと震わせたのは一人のヒューマンの男だった。彼もまた、迷宮都市(オラリオ)の殆どの冒険者と同じように、Lv.1の下級冒険者だ。

 冒険者歴は五年。しかしそれ程の年月を経ていても、彼は壁を突破することが出来ず、(くすぶ)っていた。

 そんな彼は随分と昔、偶然、見たことがあった。

 ──第一級冒険者が戦闘をするところを。

 階層は『上層』。魔物は、モンスターの中で最弱と言われているゴブリン。

 彼のモンスターは『神の恩恵(ファルナ)』が刻まれたての冒険者でも瞬殺出来る程に弱い。

 高次な『器』に至っている第一級冒険者であれば、撫でるだけで倒すことが可能だろう。

 戦闘は一瞬だった。

 ゴブリンは刹那の後にその身を灰塵(かいじん)と化し、残ったのは小さな『魔石』のみ。

 ともすればそれ、『戦闘』と形容すべきものではなかった。『惨殺』と言った方が良いだろう。

 だがしかし彼はそれを見て思った。否、思い知らされたのだ。

 下級冒険者と第一級冒険者の歴然の差を。そして彼は悟ったのだ。自分には才能がないことを。

 今、男の目には在りし日の記憶が想起されている。

 誰も何も音を紡げない中、静寂を破ったのはロキだった。

 

「くっくっくっ……!」

 

「……ロキ、彼に失礼だ」

 

 腹を抱えて笑う主神(ロキ)を、王族(リヴェリア)が眉間に綺麗な皺を寄せながら諌めた。

 しかしロキは大笑いをやめない。リヴェリアは不機嫌そうに顔を歪めるが、それ以上言うのは控えた。今のロキに何を言っても無駄だと、長い付き合いで理解しているからである。

 

()()()……面白いなぁ、ジブン。こんなに大爆笑したのは久し振りやわ」

「そうか、そうか! それなら私も、貴女が満足して頂けたようで何よりだとも!」

 

「引き留めて悪かったな。もう行って良いで。それと色々とすまんかったな」

 

「謝罪は不必要だと言ったが……いや、ここは受け取っておこう。さらばだ、【ロキ・ファミリア】の冒険者達よ、女神ロキよ」

 

 ああ、それと……とベルは遠くから事態を見守っていたシルに近付く。

 

「心配掛けてしまってすまない、シル」

 

「……もう、遅いです。さっきだって、ロキ様が呼び止めていなかったら、私のこと放置してそのまま帰っていましたよね?」

 

 ぷいっと顔を逸らし、私怒ってます! とアピールする。すぐ近くで酒を飲んでいた労働者が撃沈し、恋に落ちた。しかしすぐに勝ち目がないことを察し、失恋した。ここまで五秒にも満たない。

 ベルは「これは困ったな……」と頬を掻いてから、彼女の名前を呼んだ。

 

「シル」

 

「……」

 

「シル」

 

「…………何ですか?」

 ところが、ベルは気分を害さなかった。それどころか、寧ろ、返事をしてくれたことに心から嬉しそうに微笑んだ。

 

「約束だ。私はまたこの店にやって来る。美味しいご飯を食べに。そして、貴女に会いに来る」

 

 

 だから許して欲しい、とベルは言った。

 堪らなくなって、シルは俯いた。今、自分がどのような表情をしているのか、それを目の前の男に見られたくなかった。

 

「にゃニャッ!? リュー、落ち着くニャ! その包丁をどうするつもりニャ!?」

 

「そこを退()きなさいアーニャ! 私はあの不届き者と話をしなければ……!」

 

「話なんて嘘だニャ! あんの白髪頭の死体しか残らないニャア!?」

 

 外野が騒いでいるのを無視し、シル・フローヴァはやがて顔を上げると、ベル・クラネルに微笑んだ。

 

「約束ですよ。私、待っていますから。だから絶対に生きて帰ってきて下さいね?」

 

「ああ!」

 

「ふふっ……本当に可笑しな男性(ひと)。それじゃあ、ベルさん。さようなら」

 

 ベルは照れ臭そうに後頭部を掻いた後、足早に『豊穣の女主人』を今度こそ出ていった。

 従業員達の「ありがとうございました!」という声が大きく響き、店内は再び活気を取り戻して行った。

 夜空を見上げ、星々を眺めているヘスティアの元へベルは急いで向かう。

 

「やけに遅かったね? ロキの奴に変な事されなかったかい?」

 

「大丈夫、ちょっとした雑談だ」

 

「そっか……なら良し! すっかりと遅くなってしまったけれど、帰ろうか。ボク達の本拠(ホーム)へ!」

 

 来た時と同じように、二人は手を結ぶ。自分は此処に居ると、相手に伝える為に。

 

「しまった! 彼等にサインを強請(ねだ)るのを忘れていた!」

 

「君って奴は!」

 

 彼等は実の親子のように和やかに談笑しながら、帰路につくのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

【ヘスティア・ファミリア】が居なくなった『豊穣の女主人』では瞬く間に活気を取り戻していた。

 労働者や冒険者が明日に備える為続々と勘定を済ませる中、【ロキ・ファミリア】だけは変わらず騒いでいた。

 気付けば酒場に居るのは彼等だけであり、カフェテラスに居た下位構成員達も店内に通され始める。

 

「いやぁー、今日は災難だったわ。まさかドチビとかち合うとはなぁ」

 

 ぷはぁー! と、度数(どすう)が高い酒を呷りながら、ロキが忌々しそうにボヤく。

 ガレスが濃い髭を擦りながら、

 

「じゃが儂等の不手際であることに変わりはあるまいて。あの坊主と女神には感謝せねばあるまい」

 

「せやけども……あー! まさかウチがドチビに借りを作る日が来るなんてなぁ……」

 

 もう一杯! と新たに同じ物を注文するロキを見て、リヴェリアがその美貌を微かに歪めた。

 

「ロキ、飲み過ぎだ」

 

「ええやんええやん! 飲まんとやってられん!」

 

 ロキは自棄酒(やけざけ)を次々と飲んでいく。アルコールの濃い臭いをリヴェリアは手で払った。

 そのいつもの光景を見ながら、山吹色のエルフの少女──レフィーヤ・ウィリディスが「でも」と前置きし、

 

「なんか……凄い人でしたね」

 

 そう、感想を言った。

 レフィーヤの言葉に女戦士(アマゾネス)の少女──ティオナ・ヒリュテが同意を示す。

 

「私もそれ思った! うんうん、なんかこう、凄かったよね!」

 

「あんた……そんな馬鹿みたいなことを言わないでよ」

 

 呆れたように言ったのはティオナの実の双子の姉であるティオネ・ヒリュテだ。

 姉の言葉に妹はムッとした表情を浮かべる。

 

「ならさ、ティオネは何とも思わなかったの?」

 

「そんな訳ないでしょ。ただそうね……私の団長にデートの誘いをするだなんていい度胸しているわ」

 

「デートって……武器を買いに行くだけでしょ? それにあの子とフィンは同性じゃん!」

 

「関係ないわ、そんなの」

 

 ポキポキと手の骨を鳴らすのを見て、ティオナとレフィーヤは『また始まった……』とそれこそ呆れた。顔に出すと面倒になるので心の内に留めているが。

 ティオネ・ヒリュテがフィン・ディムナに惚れているのは【ロキ・ファミリア】なら周知の事実である。その本気具合は最早『執念』とさえ言え、彼女が事ある毎に意中の相手に求婚(プロポーズ)しているのは有名である。

 

「でも、アイズさんがあの人を連れてきたのには驚きました」

 

「そうね。急に立ち上がったかと思ったら、他派閥の冒険者と女神を連れてくるんだもの。一瞬誘拐かと思ったわ」

 

 それを聞いた金髪の少女──アイズ・ヴァレンシュタインは不満そうに唇を尖らせた。

 

「ベル達が店から出ていくのが……見えたから、だから……声を掛けようと思って……誘拐じゃない……」

 

「あー! ティオネ、アイズを傷付けた!」

 

「あんたね……頼むからそれ以上馬鹿面を晒さないでくれるかしら。妹がこれだと思われたくないわ」

 

「ま、まぁまぁ! えっと、話を戻しますけど、やっぱりあの人、凄い──いえ、変な人でしたよね」

 

 その表現には全員が頷いた。

 

「あのウェイトレスの女の子に『あんな事』を平然と言ったのも凄いけどさー」

 

『あんな事』とは、ベルの求婚同然の約束である。

 話題に挙がった二人は既に居ない。ベルはヘスティアと帰宅し、シルは二階にある自分の部屋に向かっている。

 エルフのレフィーヤが尖った耳を仄かに赤らめる一方で、女戦士(アマゾネス)のティオナはけらけらと笑っていた。

 

「私も大勢の前であんな事を団長にされてみたいわ」

 

「で、でも! 見た感じでしたけど、あの二人は今日が初対面だったと思います! なのに、そんな!」

 

「レフィーヤは固いなぁ」

 

 うぐっと、レフィーヤは言葉を詰まらせた。これは種族(エルフ)特有の()り固まった考えなのかと考え──いやそんな筈がないと思い直す。

 再び声を上げる前に、アイズがぽつりと言った。

 

「でも……あの人……嫌そうじゃなかった……」

 

「そ、それは……」

 

「私の勘違いかもしれないけど……」

 

「そんなことありません! アイズさんの勘違いじゃないです!」

 

「そ、そうかな……?」

 

「はい! 絶対です! だから自信を持って下さい!」

 

 尊敬しているアイズの為に、レフィーヤは見事なまでの手のひら返しをした。

 流石はレフィーヤだなぁと、双子の姉妹は同じ思いを共有した。彼女に()()()()()()が若干あるのは【ロキ・ファミリア】では周知の事実である。当の本人は知らないが。

 

「アイズがあの子を助けたんだよね? どんな感じだったの?」

 

「どんな感じ……?」

 

「んーっとさ、あの子、強かった?」

 

 ティオナの質問にロキも乗じる。

 

「ウチも気になる! アイズたん、教えてくれへんか」

 

「ロキも興味あるの?」

 

「──『英雄』になりたい。ウチらの前で、あんな啖呵をきったんや。都市最大派閥と言われているウチらの前でやで? めっちゃ気になるわー」

 

 リヴェリア、ガレスも聞く姿勢を作った。

 視線を一身に浴びるアイズは窮屈そうにしながらも、自身の考えを纏めていく。彼女は口下手であるので、時間が掛かった。

 

「強さは……分からない。えっと、直接戦っているところを見た訳じゃないから……」

 

 たどたどしくもアイズは言葉を続けていく。

 

「でも……脚は速いと思う。私とベートさんが追い付くのに時間が掛かったから……」

 

「ほう……なら『敏捷』のステイタスが高いと()て間違いないだろうな。とはいえ、Lv.1の冒険者がLv.2に区分されるミノタウロス相手に勝るとは思えないが……」

 

 リヴェリアの一般的な観点からの分析に、アイズは一度頷いた。

 

「ベルは……多分だけど、追手(わたしたち)の存在に気付いていたんだと思う……。他の冒険者を巻き込まないように……敢えて、追い詰められたんだと思う」

 

「なんと! 自分の生命(いのち)を顧みずにか! 随分と肝っ玉があるんじゃのう」

 

「うん。私達が来るのを見越していたように『助けて下さい』って叫んだの……」

 

「恐らくはダンジョンの構造を熟知していたのだろう。でなければ、そのような芸当が出来る筈もない」

 

「優れた担当アドバイザーが支援をしているようだ」と、リヴェリアは考察した。

 さらに彼女は考えを深くしていく。

 

「ミノタウロスを相手に『敗走』ではなく、『逃走』を図るその勇敢さ。異常事態(イレギュラー)に慌てることなく、何か原因があるのではないかと考えるその冷静さ。さらには()冒険者(他人)の危険を考慮出来る視野の広さをも併せ持っているのか」

 

「それだけじゃない……。あの子、ミノタウロスを倒すつもりだった……」

 

「……なに?」

 

「剣を、抜いてた……武器は管理機関(ギルド)からの支給品だったけど……」

 

「生存本能ではないのか?」

 

「……少なくとも、我武者羅ではなかった。必死だったけど、どこか余裕があったと思う……」

 

 何よりも、とアイズは言った。

 

「ベル……笑ってた」

 

 意味が分からず、一同は頭上に疑問符を浮かべた。

 

「戦闘狂じゃあ、ないんじゃな?」

 

 戦闘狂とは、魔物との戦闘そのものに生を見出し、そこに悦びを感じている異常者のことだ。ともすれば彼等は魔物よりも魔物に近いと言われている。

 アイズは首をふるふると振って否定した。

 

「ううん……そうじゃない。何だろう……ごめん、上手く説明出来ない」

 

「ずっと笑ってる、か。まるでこの馬鹿みたいね」

 

「馬鹿って言うなー!」

 

 うがぁー! と憤慨する妹を適当にあしらいながら、ティオネがそう言った。

 するとアイズは目を見開かせ、何度も頷く。 

 

「さっきもそう……ベル、笑ってた……」

 

「あっ、それは私も思ってました。団長やリヴェリア様が居るのに、何で普通に話せるのかなって」

 

「でもあの子、最初はずっと口を閉ざしていたじゃない? 自己紹介の時も主神にやらせていたし……」

 

 緊張していたのではないかと、ティオネのその疑問を否定したのはロキだった。

 丸椅子の上で上手に胡座をかきながら、女神は「ちゃうでー」と言った。

 

「あの少年はな、ウチらを観察してたんや」

 

「「「……は?」」」

 

「まあ、そう思うやろなー」  

 

 肉を頬張ってから、説明した。

 

「今回の事件は明らかにウチらの方が悪い。これは分かっとるやろ?」

 

「は、はい」

 

「けどなぁ……いくらウチらが悪いとはいっても、ウチらは【ロキ・ファミリア】や。対して向こうはどうや? 構成員たった一人の新興したての最弱【ファミリア】やで?」

 

 人間の心理的に、相手の方が『上』だと理解していれば、たとえ自分に一切の非がなくとも大抵は萎縮するものだ。

 フィンはヘスティアに、『自分達に出来ることは何でもする』と言った。その言葉に嘘はない。

 だが果たして、格上の派閥に『あれをして欲しい』『これをして欲しい』と言えるだろうか。

 何度も言うが【ロキ・ファミリア】は都市最大派閥である。

 迷宮都市では【ファミリア】間の抗争が認められている。もちろん、ある程度のルールはあるが、実質的には無いようなものだ。

 つまり被害に遭った【ファミリア】は【ロキ・ファミリア】に対して相応の態度をとることは出来るが、後に、文字通り潰される可能性があるということだ。

 

「大半の連中は金を要求してくるやろな。ディアンケヒトのような金の亡者なら話はまた変わってくるけどな」

 

「でも、それとあの子がどう関わってくるの?」

 

「言ったやろ、ウチらを観察してたって。あの少年はウチらがどんな組織体系なのかをずっと探っとたんや。主神はウチやけど、誰が決定権を持っているのか、それを見極めていたんよ。事実、少年はフィンとしか喋っとらん。まあ元々、リヴェリアもガレスも傍観してたから、すぐに分かったと思うけどなぁー」

 

「でもそれって可笑しくないかしら。団長、リヴェリア、ガレスの三人が私達(うち)の中核なのはかなり知れ渡っている筈じゃない」

 

「まだ迷宮都市(オラリオ)に来て間もないと考えればどうだろう。彼は二つ名システムに慣れていないと言っていたからな」

 

 冒険者だけでなく、街に住んでいる市民の間にも名を挙げた上級冒険者の名は伝わる。都市の支配者である管理機関(ギルド)が大々的に発表するからだ。

 

「あの……一つ聞いていいですか」

 

「なに、レフィーヤ?」

 

「皆さんは、その……あの人の最後の発言についてどう思われましたか?」

 

 計略の女神の問いに、只人は『英雄になりたい』と自身の意志を答えた。

 レフィーヤの目から見ても、ベルが『嘘』を吐いているようには見えなかった。

 

「レフィーヤはどう思ったん?」

 

「……私は、あの人なら出来るんじゃないか……『英雄』に至れるんじゃないかと、そう、思いました」

 

「ほーぅ。それはまたどうしてや?」

 

「えっと……上手く言えないんですけど……あの時のあの人の雰囲気が、皆さんにそっくり……いえ、それ以上に感じたんです……」

 

 レフィーヤ・ウィリディスは幹部候補である。

 現在Lv.3の第二級冒険者である彼女だが、将来は【九魔姫(ナイン・ヘル)】の後継者になることが期待されている。

 そんな彼女は偉大な先達が戦う姿を間近で見ることが出来ていた。特等席で視てきた。だからこそ、彼女はベル・クラネルの異常性に誰よりも気付いていた。

 

「あの人……まだ駆け出しなんですよね?」

 

「ああ、それは間違いないだろう。休息日だったのだろうから完全武装はしていなかったが、帯剣はしていた。予備(スペア)だとしても、あの武器では心許ない」

 

「ならやっぱり、あの人は凄いです。団長達が居る。他の皆さんも居る。あの人にとって、此処は地下迷宮(ダンジョン)以上に脅威を感じていた場所だったと思います」

 

「なんかそれだと私達が悪者みたいー」

 

「まあ、実際、悪者だったわよね」

 

 女戦士(アマゾネス)姉妹に苦笑してから、レフィーヤは言葉を続けた。

 

「でもあの人はずっと笑っていて。私がもし彼の立場だったら、そんなこと絶対に出来ません。だから、あの笑顔を見ていると……不思議と、あの人なら『英雄』になれるんじゃないかと、そう、思ったんです」

 

「レフィーヤ……もしかして……」

 

 ティオナがニマニマと笑いながら、静かに問うた。

 

「あの子のことが好きになったの?」

 

「〜〜ッ!? 何でそうなるんですか!?」

 

「いや、でもねぇ……」

 

「ティオナがそう思うのも無理ないわよ。だってレフィーヤ、貴女、とても真剣に言っていたもの」

 

「違います!? いえ、真剣は真剣ですけど! ああ、もう!?」

 

 エルフが感情を爆発させるのは珍しいことだ。そしてそれは、レフィーヤの長所でもある。

 基本的に妖精(エルフ)は他種族と関わりを持とうとしないが──特にドワーフや女戦士(アマゾネス)とは仲が悪い傾向にある──、彼女はその持ち前の性質によって他種族と仲を育むことが出来ていた。

 

「兎に角! 私は言いましたよ! 皆さんはどうなんですか!?」

 

 怖い怖い! と快活に笑いながら、まずはティオナが一言。

 

「私は分かんないかなぁ。ほら、私って馬鹿だし!」

 

「自分で言ってどうするのよ……」

 

「でも私、あの子と仲良くなれる気がするな。うん、今度会ったら話してみよっと!」

 

「答えになってないじゃない……。私はそうね、自分の目で見てないから何とも言えないわ」

 

 リヴェリア、ガレスもティオネと同意見なのを口にする中、次に発言したのはアイズだった。

 

「私も分からない。でも……あの子は強いと思う……。上手く言えないけど……うん、あの子は強い……」

 

「ほう、アイズが言うか」

 

 強さを追い求めるアイズ・ヴァレンシュタインが認めた。彼女の過去を知っている者の数少ない一人であるリヴェリアは、これは良い出会いかもしれないとベル・クラネルに対して感謝をした。それから彼女は、宴会中、一言も発言していない一人の青年に声を掛ける。

 

「ベート、お前はどうだ?」

 

「あぁ?」

 

「ちょっ、リヴェリア! ベートに聞いても意味ないって! どうせ『雑魚だろ』って言うに決まっているし!」

 

 顔に刺青を入れた狼人(ウェアウルフ)の青年──ベート・ローガは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、ティオナの言葉を否定することはしなかった。

 彼は生粋の実力主義者である。格下や弱者を嫌う彼は弱い冒険者を『雑魚』と蔑み、嘲笑している。当然、【ロキ・ファミリア】内での支持は皆無に等しい。

 しかしそんな彼はLv.5の第一級冒険者である為、誰も彼に逆らうことは出来ない。

 

「ベート、お前はあの少年──ベル・クラネルをどう思う?」

 

 ティオナの言葉を無視し、リヴェリアが再度問うた。

 彼女は不思議だった。

 普段の彼なら、先程の示談の際に乱入していても可笑しくないからだ。

 女神が居たから? いいや、彼は女神の御前であろうと立ち振る舞いを変えることはしない。

【ロキ・ファミリア】の立場をこれ以上悪くしないように我慢していた? これは多少あるだろう。彼も今回は【ロキ・ファミリア】に非があることは理解している。ましてや彼は幹部だ。軽率な発言を控えなければならないことは理解していた筈だ。

 だがしかし──あの時、あの場にはベル・クラネルしか居なかった。

 

「……質問を変えよう。ベル・クラネルはお前が唾棄し、忌み嫌っている『弱者』から『強者』に至れると思うか?」

 

 やがて、ベート・ローガは「チッ」と舌打ちしてから答えた。

 

「あの餓鬼が『強者』になれるかだと? ハッ、そんなの無理に決まってるだろうが」

 

「何故そう思う?」

 

「あいつには才能がねえよ。『英雄』だぁ? ハハッ、滑稽極まるぜ。あいつは『英雄』の『器』じゃない。精々が脇役(モブ)だ」

 

「ならば何故、あの時、いつものようにお前は嘲笑しなかった? 蔑まなかった?」

 

「……知るかよ、そんなもん」

 

 そう言って、ベートは酒を呷った。

 これ以上話す気はないと、暗にリヴェリアに告げる。エルフの団員が王族(ハイエルフ)であるリヴェリアに対して不敬だと怒りを(あらわ)にするが、そのリヴェリアはベートの言葉に満足したのか、「分かった」と言った。

 

「レフィーヤは肯定、ベートは否定。アイズたんやリヴェリア達はどっちも付かずか。そんじゃあ、最後に、まだ答えてない奴に聞くか──なぁ、フィン?」

 

 ロキがにんまりと笑いながら、話を振る。

 ベル・クラネルが酒場をあとしてから、フィン・ディムナは一言も言葉を発していない。

 彼はずっと沈黙していた。

 もちろん、それには皆気付いていた。しかし、ダンジョンに挑んでいる時と同等に真剣な表情で思考に耽る首領には、誰も声を掛けられなかった。

 

「……そうだね」

 

 おもむろに口を開けた。

 この場に居る全員が彼の言葉を待ち──そしてフィンは凛とした声を出した。

 

「僕達を前にして堂々と立ち振る舞えるその胆力、異常事態(イレギュラー)に陥った状況の中でも慌てずに対応出来る柔軟性、冷静さ。そして彼が浮かべている笑み──何もかもが、違和感を覚える。断言しよう。僕が十四の時はそんなこと出来なかったとね」

 

 何度目かのどよめきが湧き起こった。

【ファミリア】最古参のリヴェリアとガレスが沈黙していることからも、益々、フィンの言葉に信憑性が増す。

 

「その上で言おう──()()()()()。だが、僕は彼に『英雄』の片鱗を感じた」

 

【ロキ・ファミリア】の団長が一介の、まだ駆け出しの冒険者を認めた。

 ロキは、酒場に居るのが自分達だけで良かったと心から思った。もし万が一他派閥の神々が同席していれば、奴等は愉快そうにこの事を音速(マッハ)迷宮都市(オラリオ)中に広めるだろうからだ。

 

「しかし同時に……さっきも言ったが、どこか違和感を覚える。どうにもベル・クラネルという少年が視えてこない。『英雄』になりたいその大願(いし)は本物だろう。だが、底が視えない。不透明とも言える。──僕は今『英雄』ではなくて、『道化』を思い浮かべているよ」

 

 何より、とフィン・ディムナは最後にこう言った。

 

「親指の疼きがとまらないんだ。ベル・クラネルと相対してから、ずっとね」

 

「それは本当か、フィン」

 

 リヴェリアが目を見開かせながら問い質す。美貌を崩す彼女を見て、フィンは苦笑しながらも、確かに頷いた。

 親指の疼き──『勘』。第六感(シックス・センス)とも呼ばれるこれを、フィン・ディムナは所持していた。

 そして彼の『勘』はよく当たる。その殆どが危機を報せて来たものであり、【ロキ・ファミリア】がこの『勘』で窮地を脱したことは少なくない。

 

「どちらにせよ、あの少年が近いうちに『何か』を為すのは間違いないだろう」

 

 フィンはそう締め括った。

 その言葉を皮切りに、宴会は再開される。

 家族(ファミリア)が和気藹々と食事や交流をしているのを見ながら、フィンは一人「夜風に当たってくるよ」と言ってから席を外した。

 カフェテラスの席に座り、煌めく星々を見上げる。どれだけの時間を過ごしただろう。ガタン! と椅子を引く音がやけに大きく響いた。

 

「ウチも混ぜてや」

 

「そう言いながらも、既に座ってるじゃないか、ロキ」

 

 フィンがそう苦言を呈すると、ロキは意地悪そうに笑った。

 持ってきたジョッキを渡し、葡萄酒をなみなみと注ぐ。硝子がぶつかり合い、二人だけの宴が始まった。

 

「さっきはすまんかったな」

 

 店内から漏れ出てくる賑やかない声を聴きながら、ロキがぽつりと言った。

 

「それは資料(レポート)を読まなかったことに対してかい?」

 

「それもある。眷族(こども)達が無事に帰ってきたことが嬉しくてなぁ、すっかりと舞い上がってしもうたわ」

 

「ははっ、そういう理由なら怒れないよ」

 

『遠征』の間、ロキは眷族達の無事を祈ることしか出来ない。だからこそ、死者が出なかったことへの喜びがある。

 ──不意に。

 

「──フィン、あの少年は確実に(のぼ)ってくるで」

 

 そういう瞳をしていたと、女神は言った。さらに彼女はフィンが吐いた『嘘』を看破する。

 

「ジブンはさっきああ言ったけど、本当は分かってるんやろ?」

 

「……ああ」

 

「──『英雄』になりたい。あんな子供を視るのは久し振りや。オマケに二つ名システムへの拒否感。まるで一人だけ『古代』に居るみたいやな」

 

神時代(しんじだい)』の到来により、『古代(こだい)』──『英雄時代』は終わった。

 神々が授けた『神の恩恵(ファルナ)』により、人類は怨敵である魔物(モンスター)への対抗手段を得ることが出来た。

 

「何があろうと進む。『光』を失った一族、小人族(パルゥム)の為に。その誓いを果たす為、僕は此処まで至った」

 

 フィンの独白を聞いて、ロキは懐かしそうに笑った。

 

「昔のフィン達を見たら、他の眷族(こども)達は驚くやろうな。罵倒は当たり前、そこにあるのは自己中心的な考えだけ。仲間意識なんてものは皆無やったからなぁ」

 

「ああ、あの頃が懐かしい。我武者羅にダンジョンを走り抜けた、あの頃が。何度も死に掛けた。そして『冒険』をした。気に食わない相手が仲間になって行った。彼等と共に苦難を乗り越えた。ベルを見て、それを思い出したよ」

 

「今の立場は窮屈か?」

 

「困ったな……その質問はこの前、僕がアイズにしたものだ」

 

「何や……また無茶をしたんか?」

 

 フィンは「まぁね」とから笑いする。それから思考を元に戻した。

 無名の頃は『冒険』に挑むことが出来た。そして強大な壁に真正面から立ち向かい、超えてきた。

 しかし今の彼の立場は【ロキ・ファミリア】の首領である。

 構成員は随分と増えた。同時に、失う仲間も増えた。

 指揮官として、仲間の安全の為には迂闊な指示は出せない。自分の指示が、仲間の生死を変える。

 都市最大派閥団長の重圧(プレッシャー)が、いつも彼の小さな身体に負荷として掛かっている。

 

「ベルは僕の【勇者(ブレイバー)】という二つ名に対して、『憧れる』と言ってくれた。だが、彼が名前の由来を聞いたらどう思うかな」

 

「さぁなぁ」

 

小人族(パルゥム)は他種族からいつも見下されている。ダンジョンでは荷物持ち(サポーター)として扱き使われ、時には、生贄として差し出されることもある。──僕は同胞を照らす『光』になりたくて、一族再興という夢を抱いて此処まで来た。だから、そうだね。今の僕の立場は必然だ。後悔は微塵もない。だが──彼が『道化』ではなく、『英雄』に至った時、友人として彼を祝福しながらも……内心、僕はきっと浅ましくも嫉妬するのだろう」

 

 つまるところ、画策して今の名声を手に入れた『人工の英雄』が、自分自身が、フィンは嫌いなのだ。

 だからベル・クラネルの輝きに魅入られた。眩しいさえ思った。

 

「覚悟は微塵も揺らいでいない。一族復興の為、僕はこれからも突き進むだろう」

 

「ウチはずっとジブンを見守っているさかい。だから、まあ、頑張れや」

 

 するとフィンはぱちくりと瞬きした。

 激励の言葉を貰えるとは思ってなかったからだ。

 

「驚いたな……女神ヘスティアに当てられたかい?」

 

 否定するとフィンは思っていたが、意外なことに、ロキは「かもなー」と認めた。

 

「まさかドチビがあんなに怒るなんてなぁ……」

 

「随分と仲が悪いみたいだけど、仲良くする気は?」

 

「あるわけないやろ。ただまあ……ウチも、まあ、反省したっちゅーことや……」

 

 きょとんとしてから、フィンは大声を出して笑った。

 カフェテラスから店内にまでその笑声は届き、団員達が何事かと身を乗り出した。唯一、ティオネだけが「団長……素敵……!」と乙女の顔になっていたが。

 

「フィン、そんなに笑わなくても良いんちゃう!?」

 

「これは笑わずにはいられないよ。まさかロキから『反省した』なんて言葉が聞けるとはね!」

 

 キーッ! とロキは地団駄を踏んだ。

 フィンは呼吸を整えると言った。

 

「ありがとう」

 

「……何のことや?」

 

「ははっ、何でもないさ。そろそろ戻ろう。我慢が限界に達したティオネが此処に突撃して来そうだからね」

 

「苦労してんなぁー」

 

 二人は雑談を交わしながら、家族の元に戻って行った。

 フィン・ディムナ──Lv.6の冒険者。他種族から虐げられている一族再興の為、彼は仲間の為に槍を振るい、指示を飛ばす。

 他派閥のベル・クラネルと友人になった彼がこれから先どのような騒動に巻き込まれるか……それを知る者は、今はまだ誰も居ない。

 

 

 

§
  

 

 

 

 後にフィン・ディムナは語った。苦笑いとも、笑顔とも言える表情を浮かべて。

 

 

 

 

 

『──ベル・クラネルと友人になれたのは僕の人生に於いて最も不幸なことであり、同時に、最も幸福なことの一つだったよ』

 

 

 

 




気付いたら20000文字を執筆していた件について。
あれ、可笑しいな。
初期構成だと10000文字だったのに。いつの間にか二倍になっているぞ。

何故、こうなった?

でもご安心を。
無駄に描写があり、そして話が進まないのがSakiruクオリティなのです。
それに過去の『偉業』──25000文字には至ってないからまだまだ大丈夫!
誤字脱字は本当にごめんなさい。何回か確認しているんですげと……うん、精進します。

そして改めてご挨拶を。

どうも、Sakiruです。話すことは特にないので以上!

という訳でして、『第一幕 ─喜劇開演─』が今回のお話で閉幕しました。

第一幕のお話は、一人の少年──ベル・クラネルの紹介です。彼がどのような人間なのか、全てではありませんが、その根幹は表現出来た……と思います。思いたいですね(願望)。
彼の周りには炉の女神が居て、美しい受付嬢が居て、彼の帰りを待つ街娘が居て、そして、今回のお話で彼には友人が出来ました。
もちろん、彼に関わりがある人はもっと大勢います。そこに関しては後々登場してくれるでしょう。

何故この二次小説を書こうと思ったかと言うと、私がアルゴノゥトのことが大好きだったから、これに尽きます。
ダンまちのアプリ、通称、『ダンメモ』をプレイしている方ならこの気持ち、共感してくれると思います。
アルゴノゥトの物語が公開されていたのはアプリの二周年記念の時でして、現在はリューさん、ひいてはオラリオの『暗黒期』についての物語が三周年として紡ぐことが出来ます。面白いので是非プレイしてみた下さい。
と、宣伝をしつつ。
だったら今年じゃなくて昨年書いておけや! と思う読者の方もいるでしょう。私もそう思います。

でも今書きたくなったのだから仕方がないよネ。

タイトルにあるように、この二次小説は一貫して『喜劇』となります。
『悲劇』も『惨劇』も要らない、あるのは、『喜劇』だけで充分でしょう?
迷宮都市で『偉業』を為すのか、それとも、石に躓いて転んで頭を打って死ぬのか、それは分かりませんが、これからもお付き合いして頂けると嬉しいです。


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第二幕 ─怪物祭(モンスターフィリア)
治療師(ヒーラー)の友人へ、『道化』は説いた


 

 魔物(モンスター)地下迷宮(ダンジョン)から()まれ落ちる。

 壁から、天井から、至る所から彼等(かれら)()()()()()()()()から作られ、産声を上げるのだ。

 つまり──()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 人類が子供から大人へと発達と成長、そして老人へと老化を辿る一方で、彼等にはそれがない。

 モンスターは産まれた瞬間からモンスターであり、生物として確立(かくりつ)されている。下層に棲息(せいそく)しているモンスター程強大な力を有しており、『深層』のモンスターは正しく怪物(かいぶつ)、想像を絶する程だ。

 再度述べるが、ダンジョンはモンスターの『母胎(ぼたい)』である。

 だがしかし、これ以上のことは何も分かっていない。

 広大な地下世界が何時(いつ)作られたのか、人工のものなのか、それとも天然のものなのかすら判明されていないのだ。唯一分かっているのは、ダンジョンは『生きている』ということである。壁が戦闘の余波で破壊されたとしても、天井が崩落したとしても、ある程度の時間が経てば()()()()され、やがて元の姿に戻るのだ。

 ダンジョンへの疑問は絶えない。

 何故、何故、何故──? 多くの学者達が日々議論しているが、真相には至っていない。

 全知全能である筈の神々は、子供達に何も教えない。意図して隠しているのか、それとも、彼等でさえ知らないということなのか。

 とある(とき)、ある一柱(ひとり)の神が言った。

 

──『ダンジョンはダンジョンだろ。ダンジョンに他の何を求めてるんだよダンジョン』──

 

『未知』に挑み続ける冒険者の究極的な使命。

 それこそが、ダンジョンの謎を解明することであり、最終到達点であると言われている。

 

 

 

§

 

 

 

「ぜえ……ぜぇ……」

 

 一人の少年が、肩で息をしていた。

 (よそお)いは漆黒の外套(がいとう)。人体に於いて急所のみを保護している防具が鈍く光っている。左足に()かれているのはレッグホルスターであり、中にはぎっしりと試験管──回復薬(ポーション)──が詰められていた。

 そして調革(ベルト)の留め具に吊るされているのは──一本の片手直剣(ワンハンド・ロングソード)だ。

 ──冒険者ベル・クラネルは片手剣使い(ソードマン)である。

 彼の担当アドバイザーは「足に自信があるなら短剣の方が良いんじゃない?」と以前助言(アドバイス)を送っていたが、彼はそれを固辞していた。

 

「やはり独り(ソロ)では負担が大きいな……」

 

 つい今しがた倒したモンスター──『ゴブリン』の『魔石』を回収しながら、ベルは深々とため息を吐く。

 ベル・クラネルが冒険者活動を始めて、二週間と少し。彼は最近、独り(ソロ)での限界を感じ始めていた。

 ──独り(ソロ)

 文字通り、()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 そしてダンジョンでは、独り(ソロ)はあまり推奨されていない。

 単純に、独り(ソロ)では生存率が極めて低いのだ。モンスターは到達階層を増やせば増やすほど、つまり、下に行けば行くほど個体は強くなり、同時に、彼等との遭遇率(エンカウント)も上昇する。

 仲間が居れば連携が出来るが、独り(ソロ)ではそれが出来ない。モンスターの討伐、『魔石』の回収、そして近くに敵が居ないかの索敵(さくてき)等、全ての行動をたった一人でやらなくてはならないのだ。

 ましてや、ダンジョンは異常事態(イレギュラー)に満ちている。

 熟練(ベテラン)冒険者であっても、ダンジョンにはパーティを組んで潜っているのが実情だ。

 

「せめて私以外にも眷族が居れば……」

 

 しかし、パーティを組むことが難しい冒険者が居るのも事実だ。

 ベルが所属している【ヘスティア・ファミリア】のような新興したての派閥は構成員が少ない。つまり、パーティを組む仲間そのものが居ないのだ。

 とはいえ、他所(よそ)の派閥の冒険者とパーティを組むのは禁じられていない。

 だがこれも難しく、そもそも【ファミリア】という組織は内の結束は強くとも、外との繋がりが全然ないのだ。両派閥の主神(しゅしん)の仲が良かったり、あるいは、大手派閥なら話は変わってくるが。

 ましてやベル・クラネルはLv.1の駆け出し。ようするに、()()がないのだ。今のベルは、冒険者としての価値はゼロである。

 

支援員(サポーター)でも募集するか……? いやだが、私にそのような貯蓄はないか……」

 

 ベルが酒場──『豊穣の女主人』を利用してから、一日が経過していた。

 そしてつい一昨日(おととい)、【ヘスティア・ファミリア】の資産は皆無に等しくなった。『豊穣の女主人』での出費は、ただでさえ常に火の車である【ヘスティア・ファミリア】に大打撃を与えたのである。

 

「せめてもう少し下の階層に行けたら……」

 

 現在、ベルが探索している階層は1階層である。

 薄青色に染まった天井に壁。曲がり角、十字路、登り坂、下り坂等、一定間隔で道が形づけられており、太陽の陽が射さないのにも関わらず、内部は明るい。

 

『シャアッ!』

 

「……! 来たか!」

 

『グシャアアアアッ!』

 

 一匹のモンスター──『ゴブリン』が雄叫びを上げながらベルに襲い掛かる。

 考え事をしていたベルは判断が僅かに遅れたが、慌てることなく、片手直剣(ワンハンド・ロングソード)を鞘から(すべ)らせ、油断なく構えた。

 深紅(ルベライト)の瞳が犬頭を睨み付ける。

 ある程度腕が立つ冒険者がこの場に居たら、そしてベル・クラネルが駆け出しだということを知っていたら、その人物は()()()を覚えるだろう。

 それはとてもではないが、我流(素人)の動きではなかった。

 瞬時に於ける意識の切り替え(オン・オフ)は、戦闘行為そのものに恐怖を感じる者の(はや)さの比ではない。

 

「……ふっ!」

 

 ゴブリンの一撃をベルは余裕をもって避けた。

 武器での弾き(パリィ)は消耗度を考えしないようにしている。

 

『……グビャ!?』

 

 自身の必殺技が軽々と対処されたことにゴブリンは驚愕する。そしてそれは純然たる怒りに変貌し、口から()れる吐息は熱を伴った。

 

「今度は私の番だ!」

 

 その宣誓と共に、ベルは(あし)に力を込め──地を蹴った。

 背中に刻まれた『神の恩恵(ファルナ)』が熱を帯びる。これまでに積み上げてきた【ステイタス】が常人とは一線を画す速度を可能にした。

 ゴブリンが『……ッ!?』と目を見張った時には、既にベルは彼に肉薄していた。

 得物(えもの)の範囲に入った瞬間、冒険者は。

 

「うおおおおおお!」

 

 叫びながら直剣を閃かせた。

 銀色の軌跡が走り、それはゴブリンの首を切断する。どす黒い血が宙を舞い、地面に落ちた。

 この(とき)、彼は死を迎えた。変化は一瞬。彼の肉体を構成していた全てが虚無となり、灰塵(かいじん)と化す。地面に付着した血の跡も、まるで最初からなかったかのように無に(かえ)る。

 彼の存在を証明するのは、小さな紫紺(しこん)の結晶のみ。

 それを確認してようやく、ベルは肺に溜めていた二酸化炭素をゆっくりと吐き出した。

 

「ふぅー……勝てた!」

 

 いよっし! とガッツポーズを作る。そして勝利を喜んだ。

 他の冒険者が居たら指をさしてベルを笑うだろう。

 何せゴブリンは数多くいる魔物達(モンスター)の中でも最弱と言われているのだから。

 そのような小物相手に一喜一憂しているベルは笑い物の対象だ。

 しかしベルは喜んだ。どこまでも無邪気に喜んだ。

 

「ははは! まさかこの私が、ゴブリンを真正面から倒せる日が来ようとはな。いやはや、『(かみ)恩恵(おんけい)』とはよく言ったものだ」

 

 先天的に『魔法』を使えるエルフや五感が優れている獣人、力が強いドワーフ等、限定された種族なら魔物と戦うことが出来る。

 しかし、それ以外の種族は違う。彼等は『古代』に於いて、魔物の進撃に逃げることしか出来なかった。

 ところが、神々の到来によりそれは変わった。

神の恩恵(ファルナ)』が刻まれて間もない人間でも、ゴブリンのような下級モンスターなら倒すことが出来るようになったのだ。神々が下界の子供達に授ける『恩恵』の力はそれだけ凄まじく、無限の『可能性』を秘めている。

 

「もっと大きければ苦労しないのだがなぁ……」

 

『魔石』を回収しながら、ベルは忌々しそうにボヤいた。

 ベルが先程の戦闘の際、モンスターの弱点である『魔石』を狙わなかったのは、『魔石』の単価を少しでも上げる為だ。

『魔石』が大きければ大きい程、管理機関での換金率は上昇する。

 個体によって変わるが、ゴブリンやコボルトから取れる『魔石』は指先程の大きさしかない。

 少しでも稼ぎを増やす為、ベルは(たゆ)まぬ努力を続けている。

 

「仕方がない……次層に行くか。2階層だったらエイナ嬢も怒らないだろう」

 

 本音はもう2階層程下に潜りたいのだが、ベルは担当アドバイザーに怒られるのを忌避した。

 たとえ第一級冒険者が相手であろうとも、ベルの担当──エイナ・チュールは退かないだろう。それはひとえに、冒険者を死なせない為だ。

 

「確か……正規ルートはこっちか」

 

 T路地を右に曲がり、ベルは広大な面積を誇る1階層を迷うことなく攻略していく。

 エイナが主催している『勉強会』によって、『上層』の構造を完全に網羅しているおかげだ。

 ダンジョンを攻略するに当たり、ダンジョンの構造を理解することはとても大事だ。もし、逃走の末に行き止まりがあったら、それは死に直結している。また、自分が何処に居るのか分からなければ延々と彷徨(さまよ)うことにもなりかねない。

 戦闘とはまた違った種類の、見当識(けんとうしき)の才能が迷宮探索には必須とされている。

 

「あー……だりぃ! まだ1階層かよー!」

 

「文句言うなって。ほら、あと少しの辛抱だ!」

 

「早く酒飲みてぇー!」

 

「ったく、お前はいっつもそればかりだな」

 

 2階層に通じる階段をベルが降りていると、五人組のパーティとすれ違った。

 探索を終えたのか、早く地上に戻りたいと愚痴を言いながらも、彼等の顔には笑みがあった。

 

「……?」

 

 だが、そこでベルは自身の勘違いを悟った。

 パーティメンバーは五人ではなかったのだ。

 彼等の三歩ほど後ろを、一人の虎人(ワータイガー)が俯いて歩いている。

 

支援員(サポーター)……いや、これは荷物持(にもつも)ちだな……)

 

 他の五人が立派な装備を纏っているのに対して、彼だけが貧弱な装備だった。現在のベルの主武器(メインウェポン)と同じ片手直剣(ワンハンド・ロングソード)──管理機関(ギルド)からの支給品だ。

 そして彼だけが、重たいナップサックを背負っていた。装備の予備(スペア)として数本の大剣や長槍(ジャベリン)が留め具に括り付けられ、道具(アイテム)回復薬(ポーション)、そして『魔石』が大量に詰まっているのが窺える。

 

「ま、待ってくれ……」

 

 虎人(ワータイガー)がそう言ったが、彼等は止まらない。

 話に夢中になっていて聞こえなかったのか、それとも、敢えて無視をしているのか。

 どちらにせよ、彼の懇願は届かなかった。

 

「……俺は、俺はどうして……くそっ……!」 

 

 それは様々な感情が複雑に絡まった嘆きだった。

 彼はよろよろと足取りが覚束なくなりながらも、置いていかれないようにと歯を食いしばって追った。

 ──サポーター。

 冒険者でありながら、冒険者でない。直接的な戦闘はせず、支援を主な仕事とする()()()()のことだ。

 ある冒険者は言う。『支援員(サポーター)は最後の生命線だ』と。

 ある冒険者は言う。『荷物持ち(サポーター)は最高の生贄だ』と。

 先に述べた通り、神々が授ける『恩恵』によって、人類は怪物達(モンスター)と戦う手段を得た。

 互角以上に戦える、その可能性を得た。

 そう──あくまでも『可能性』である。

 つまるところ、『神の恩恵(ファルナ)』を背中に刻まれ、冒険者になったとしても。

 

 ──所謂(いわゆる)()()()()()()()()()()

 

 サポーターはその典型的な例だ。彼等には才能がなく、最弱モンスターであるゴブリンやコボルトであろうとも、一戦一戦が命懸けとなる。

 力がない者、『資格』がない者が辿る末路だ。

 また、たとえ『昇格(ランクアップ)』を果たした冒険者であろうとも、大派閥では勉強という意味合いを兼ねてサポーターをやらせている所もある。先輩冒険者が戦っている所を間近で見ることは、それだけでも価値があるからだ。

 そんなサポーターへの評価は両極端だが、殆どは蔑視の対象となっていた。

 

(ああ……くそ、嫌になる)

 

 一団と充分に距離が出来たところで、ベル・クラネルは静かに怒った。

 だがそれが『偽善』であると彼は自覚している。深呼吸し、頭を冷やす。

 

(落ち着け……私に出来ることは何もない。これは彼等の問題だ。他所の派閥の指針に首を突っ込んでは駄目だ。ヘスティアに迷惑を掛けてしまう)

 

 だが──と、ベルは再度思った。

 

(ああ……不愉快だ……)

 

 そんな時だった。

 

『『グビャビャビャ!』』

 

 二匹のコボルトが壁から産まれ出た。ぱちくりと瞬きしながら、視界を慣らしていく。

 近くに居るこいつは同族だと本能が理解していた為、共食いすることはなかった。

 彼等は何処かに餌が落ちてないかと辺りを見渡し、発見した。

 

『『グビャ……? グビャアアアア!』』

 

 彼等は獲物を見付けると、自分が先に喰らうと主張しながら、嬉々としてベルに襲い掛かる。

 だが、それは悪手の悪手だった。

 

「……」

 

 ベルは無言で抜刀した。そして。

 ──一閃。

 心臓部である『魔石』に、深々と傷が刻まれる。致命傷だった。

 コボルト達は呆気なく絶命した。断末魔を上げる暇もなく、短い生を閉ざしたのだ。

 

「冒険者には全員が全員、憧れてなるものではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、か……。この在り方は未だ変わらずか……」

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは『世界の中心』だ。

 様々な種族が己の野望を抱いてこの地を訪れる。

 だが、全ての人間がそうではない。

 また、人々はオラリオの『光』ばかり見ているが、都市東部には貧相街(スラム)がある。そして都市の支配者である管理機関(ギルド)は彼等には手を差し伸べていないのが実情だ。やっているのはささやかな支援だけであり、根本的解決を図ろうとはしていない。

『世界の中心』と言われていようとも、多くの国、街、村と同じように、『光』と『闇』どちらも内包している。

 

「……()()()()()()()()()()()()()

 

 ベル・クラネルには大願(ねがい)がある。それを果たす為には彼はまだまだ未熟であった。

 深紅(ルベライト)の瞳を一度閉ざし、ゆっくりと開眼。そこにあるのは、普段と変わらない胡散臭い笑みだ。

 

「ん……?」

 

 砕け散っている『魔石』を集めようと(かが)んだところで、ベルはある物に気が付いた。

 それは『ドロップアイテム』と呼ばれる物だった。

 基本的に、倒されたモンスターは『魔石』しか(のこ)さない。だが時折、身体の一部を残すことがある。これはそのモンスターが異常発達した部位であり、彼等の生命源である『魔石』が除去されても独立する力が備わっている。

 

「どうやら今日の私には運があるらしい。まさか二個もゲット出来るとは!」

 

 コボルトのドロップアイテムは『コボルトの爪』だ。

 ベルは上機嫌で鼻歌を歌いながら『魔石』と『コボルトの爪』を回収した。

 ドロップアイテムもまた、『魔石』と同様に、管理機関(ギルド)に持ち込めば換金することが出来る。通常、『ドロップアイテム』の方が換金額が高い。

 その後もベルは自分のペースで探索を続けて行った。ゴブリンやコボルトと遭遇しては剣を振るい、一刀のもとに斬り伏せる。

 

「──現在時刻は……もうこんな時間か」

 

 腕時計は夕刻を指していた。

 ベルは思案してから、来た道を戻っていく。今日は主神(ヘスティア)と共に担当アドバイザーと話し合う約束をしているので──事前予約(アポイントメント)は前日にしてある──そろそろ潮時だと判断した。

 それから幸運にも、ベルはモンスターと遭遇することはなかった。三十分後には『始まりの道』の螺旋(らせん)階段を登っていた。

 摩天楼施設(バベル)の地下一階、そのまま、円形広場(セントラルパーク)に出て、北西のメインストリートに足を運ぶ。

『冒険者通り』を早足で通り、荘厳な大神殿を目指していると、見知った顔の女性とベルは偶然にも出会った。

 

「こんにちは、クラネル様」

 

「……? おお、アミッド女医! 久し振りだな!」

 

 挨拶をされ、ベルは笑顔で再会を喜ぶ。そんなベルにアミッドと呼ばれた女性は微かに表情を崩した。

 彼女はアミッド・テアサナーレ。医療と製薬の派閥【ディアンケヒト・ファミリア】に所属している。神々から授けられた二つ名は【戦場の聖女(デア・セイント)】。此処、迷宮都市(オラリオ)一番の治療師(ヒーラー)として有名だ。

 

「相も変わらず、アミッド女医(じょい)は美しいな!」

 

 会って早々ベルがそう言うものだから、アミッドは困ったように長い睫毛を震わせた。

 アミッドは事実、美少女であった。精緻(せいち)な人形、と言っても良いかもしれない。腰まで伸ばした銀髪は陽の光を反射して白銀に輝き、女性の中でも低い身長に、整った顔立ちは正しく『人形』のようだ。

 そんなアミッドとベルは()()()()()()()()があった。従業員と客の関係ではない。【ディアンケヒト・ファミリア】では回復薬(ポーション)高等回復薬(ハイ・ポーション)をはじめとした様々な薬品が売られているが、ベルは一度たりとてそこで購入したことはない。彼は普段、【ディアンケヒト・ファミリア】とはまた違った【ファミリア】を利用している。

 (えにし)が交わったのは偶然である。ベルが迷宮都市にやって来たばかりの頃、とある出来事を契機に、二人は道で会えば話す間柄になっていた。

 道端に移動したところで、アミッドが尋ねる。

 

「クラネル様──失礼しました。ベルさんはダンジョンからのお帰りでしょうか?」

 

 職業柄、アミッドは物腰柔らかで丁寧な口調で話す。余程のことがない限り名前で呼ばず、(せい)で通している。

 しかし今は友人との雑談ということで、アミッドは少しだけ砕けた口調にした。

 それを知っているベルだから、先程の『クラネル様』には何も反応しなかったが、だがしかし、美しい女子(おなご)から名前を呼ばれるというのは嬉しいものだ。

 頬を緩めながら、ベルはアミッドの尋ねに頷く。

 

「ああ、そうだ!」

 

「随分とお早いお帰りですね。以前会った時はもっと遅かった筈ですが……」

 

「……凄いな。そんな昔のことを覚えているのか」

 

 ベルがアミッドと最後に会ったのは五日前である。

 月日の経過とともに記憶というのは朧気になるものだが、彼女はしっかりと覚えていた。

 ベルの感嘆をアミッドは誇ることもせず。

 

「職業柄、記憶力には自信があります。薬の調合方法や疾病の症状などを完全に覚えなければいけませんから」

 

 その言葉を聞いてベルは益々感心した。

 無邪気に送られてくる尊敬の眼差しにアミッドは微かに身動ぎしてから「こほん」と咳払いをする。

 

「……話を戻しましょう。何かお怪我でもされたのですか?」

 

 尋ねながら、アミッドはベルを観察する。

 その顔は治療師(ヒーラー)のものに変わっており、彼女は上から下までじっと情報収集(アセスメント)した。

 

「……どうやら、外傷は何もないようですね」

 

「怪我は一つもない。モンスターからは一撃も食らわなかったからな」

 

「そうでしたか。『逃げ足』に自信があるというのは本当だったのですね」

 

「あはは……まぁな。実はこの後管理機関(ギルド)に用事があるんだ。だから普段より早く切り上げてな」

 

「……まあ、そうでしたか。申し訳ございません、私の勘違いで時間を無為に取らせてしまいました」

 

 そう言って、アミッドは深々と頭を下げた。

 道の往来で女子(おなご)男子(おのこ)にそうするものだから、道行く人々は痴情のもつれかと誤解していく。二柱(ふたり)の男神がニヤニヤと笑いながらどうなるのかと賭事をしていた。

 これにはベルも苦笑いを浮かべるしかない。片頬を右手で掻きながら、

 

「どうか頭を上げて欲しい。貴女のような美人にそのような行いをさせては祖父(そふ)に怒られてしまう」

 

「しかし……いえ、承知しました」

 

 アミッドは微かに頬を赤らめながらも頭を上げた。

 

「貴女が謝罪することは何もない。私のことを心配してくれたのだろう? なら、私が貴女に感謝することこそあれ、怒りを抱くようなことはしないとも」

 

 それに時間は充分に余裕があるから気にしないで欲しい、とベルは笑い掛けた。

 アミッドも「ありがとうございます」と言い、笑みを零す。

 

「アミッド女医は何か用事でもあるのか?」

 

「ええ、市場に行くところです」

 

「ほう……調合に使う素材集めか?」

 

「はい。とはいえ、今日はあくまでも下見ですが……」

 

 それから二人は立ち話を楽しんだ。

 ベルはアミッドから製薬について尋ね──【ファミリア】の機密情報はもちろん聞いていない──アミッドはベルの冒険者活動について尋ねる。

 

「そういえば、ベルさんは知っていますか?」

 

「……? 何をだ?」

 

「先日、ミノタウロスが『上層』に出現したそうです。そのような噂が一部の冒険者の間に広まっています」

 

「……具体的にはどのようなものだ?」

 

「【ロキ・ファミリア】が『中層』でミノタウロスの群れを『上層』まで逃がしてしまったと。近いうちに管理機関(ギルド)が沙汰を下すとも伺いました」

 

「……そうか。そのような噂が…………」

 

 一瞬、ベルの表情が強張ったのをアミッドは見逃さなかった。銀色の視線が深紅(ルベライト)の瞳を射貫く。

 

「私の推測が間違っていたら申し訳ございません。それでも私は確認せずにはいられません。ベルさん、もしかしたら貴方は──」

 

「いいや、何もなかったとも」

 

「……!」

 

 ベル・クラネルが話し手の言葉を遮ることはごく稀だ。

 アミッドは表情を崩したが、すぐに元に戻した。そして自分は関与してはならないことを悟る。

 

「……これだけはどうか言わせて下さい。くれぐれも無理は()さらないようにお願いします」

 

「ああ、元々そのつもりだ。私の担当アドバイザーからも耳にタコが出来るくらい言い聞かされている。『冒険者は冒険をしてはならない』とな」

 

「私も同意見です。冒険者の方々が『未知』に挑むことは承知していますが……治療師(ヒーラー)としては、五体満足に帰ってきて欲しい。どうか、治療師(ヒーラー)の出番をなくして欲しいと、私は思っています」

 

治療師(ヒーラー)としての存在意義が無くなるような、矛盾したものだとは理解していますが……」とアミッドは言った。

 自虐する彼女にベルは不思議そうに尋ねた。

 

「誰もが傷付かないことを願うことの何が悪いんだ?」

 

「ですが……主神(しゅしん)が聞いたらきっと怒りをあらわにするでしょう。あの男神(おがみ)は金儲けが趣味ですから。もちろん、悪い神ではないと、理解はしていますが……」

 

「なるほど……確かに主神の方針というものは大事なものだ。本当……【眷族(ファミリア)】とはよく言ったものだよ」

 

「ベルさん……?」

 

 アミッドが怪訝な声を上げる。

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳を閉じて言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。蹂躙されていた土地を奪い返し、文明は大きく発展し、果てには『大穴』を塞ぐことすらも出来た。創設神と呼ばれる男神(おがみ)の『祈祷(きとう)』によって、魔物達の大進撃を抑えることにも成功している」

 

「……嘗ての時代に比べれば、今世は平和なのでしょう」

 

「ああ、そうだろう。だがしかし、今尚、地下迷宮(ダンジョン)の謎は解明されておらず──そして、()()()()()()()()()

 

「……停滞、ですか。確かに長年に渡って未到達階層は更新されておりませんが……しかし、人類は前進している筈です。より高度な文明を私達は(はぐく)み、日々、成長と進化を繰り返しています」

 

 停滞という言葉は不適切では? とアミッドが指摘する。ところが、ベルは彼女の言葉に頷きを返しつつもこう言った。

 

「アミッド女医、知っているか? 現代に於いての国家間戦争での定石(セオリー)を」

 

「無論、存じております。迷宮都市(オラリオ)付近には国家系【ファミリア】のラキア王国があり、()の国は此処に侵攻を繰り返していますから。私も治療師(ヒーラー)として参戦したことが何度かあります。──『質より量』から、『量より質』になりました」

 

「その通りだ。そして私は、これこそが停滞だと考える」

 

「……と、仰いますと?」

 

「──『神の恩恵(ファルナ)』が万能ではないことは重々承知だ。『恩恵』を授かって無限に強くなれる訳ではない」

 

 その末路が非戦闘員(サポーター)である。

 才能がない彼等は戦闘そのものに対する才能がない。つまり、【ステイタス】が微塵も上昇しない。純粋な支援員が『昇格(ランクアップ)』を果たした事例は片手で数えられる程だ。

 

「だがしかし、敢えて、私は言いたい。『質』と『量』どちらも満たさなければならない、と」

 

「それは……」

 

 アミッドは言い淀んだ。

 ベルの言いたいことは分かる。

 分かるが、彼女は彼の考えを『否』とした。

 

「現実問題として、それは不可能でしょう。大変申し上げにくいですが……ベルさんを含め、殆どの冒険者は未だにLv.1。神々に認められる程の『偉業』を為した者はそれ程多くありません」

 

「……そうだな。私も荒唐無稽な話をしている自覚はある。上級冒険者を増やすのは難しい。神々に認められる程の『偉業』……その難易度はとてつもなく高い。ならば必然、『量より質』──絶対的な『個』の力が有力視されてしまうのは避けられない」

 

 だが──と、ベルは自身の危惧を口にする。

 それは彼が迷宮都市(ダンジョンとし)にやってきた時からずっと抱いている(おそ)れ。

 そしてこれをベル・クラネルが誰かに話すのは、アミッド・テアサナーレが初めてである。

 

「もし、『世界の中心』と言われている迷宮都市(オラリオ)が未曾有の危機に陥ったら。そして、それが『量』と『質』どちらも兼ね備えたものだったらどうなる?」

 

 その質問にアミッドは答えることが出来なかった。

 必死に考えるが、正解は見付からない。そんな彼女に、ベルは張っていた表情を緩め、微笑みを携えて言った。

 

「私も貴女と同じだ。出来ることならば、誰もが笑顔でいて欲しい。誰も傷付かない世界になったら、それはどんなに良い世界になるのだろう」

 

 アミッドはベルの言葉を真剣に聞いていた。

 アミッド・テアサナーレは個人的な付き合いという観点なら、現時点では、彼の主神(ヘスティア)を除いたら、ベル・クラネルと最も親しい人間だ。

 彼等は夕餉を共にしたこともあるし、この前会った時は彼に回復薬(ポーション)を贈ったこともある。

 そして聡明な彼女は、出会った(とき)から少年に対して違和感を抱いていた。

 アミッドの記憶違いでなければ、目の前の少年は未だ齢十四だ。この歳の子供は外で友人達と遊んでいても不思議ではない。もちろん、事情があって冒険者登録をする人間は星の数ほど居るが……つい一ヶ月前だ。ベルが迷宮都市(オラリオ)に足を踏み入れたのは。

 地図にも載っていない小さな村でベルは祖父と暮らしていたという。

 

(やはり、『大人びている』と一言で片付けるには無理が……)

 

 普段は歳相応の子供だ。燥ぎ、騒ぎ、そして笑う。女子(おなご)が好きだと公言しているところが『歳相応』だと言えるかは分からないが、個性だと納得出来る。

 だが時折、ベル・クラネルは纏っている雰囲気を一変させることがある。──正しく、今のように。

 子供の背伸び? いいや、断じて違う。

 

(普段の振る舞いは演じているもの……?)

 

 思考の大海に深く意識が潜り掛けた──その時だった。

 

「すまない、話が随分と肥大化してしまった」

 

「いえ……とても実りのある話をすることが出来ましたから、寧ろ感謝します」

 

「なら良かった」

 

 ベルはさらに言葉を続け。

 

「アミッド女医のその大願(ねがい)はとても美しいものだと、私は思う」

 

「美しい、ですか……?」

 

 戸惑いを見せる彼女に、ベルは「ああ!」と力強く頷いた。彼女の銀の双眸を見詰める。

 

「私は貴女を尊敬する。貴女のような女性(ひと)と友人になれて良かったと心から思う。私のように救われる人が、これからも多く居るだろう」

 

「なっ……!?」

 

「だから、これは私の身勝手な願いだ。どうか、その大願(ねがい)を忘れないで欲しい。その優しさをずっと持っていて欲しい」

 

 アミッドはただただ狼狽えた。

 ベルが「すまない、そろそろギルド本部に行かなくては」と別れを切り出し、彼を見送るまで、彼女は呆然としていた。

 

「困りましたね……」

 

 自身の片頬に手を当てながら、アミッドは呟いた。

 彼女が精緻な人形と言われている最大の所以は、彼女の美貌だけではない。彼女は表情を全く崩さないのだ。もちろん、友人と会えば笑うし、あまりないが、怒りをあらわにすることもある。

 だがしかし、普段は常に真顔だ。それは治療師(ヒーラー)としての『技』でもある。治療師(ヒーラー)が動揺を隠せなかったら、それは患者に伝わり、不安を抱かせてしまう。

 本人の性質以上に、アミッド・テアサナーレは感情労働に従事(じゅうじ)しているのだ。彼女が患者に笑みを見せるのは、患者の容態が快復し、治療院を退院する時だけである。

 ところが、今の彼女は誰の目から見ても分かるくらいに動揺し、感情を表出していた。

 

「私ももう、行かなければ……」

 

 アミッドは深呼吸してから、ベルとは真逆の方向に身体を向けた。

 目指す先は市場だ。すっかりと習慣になっている行動をすれば、この、気持ちが良い鼓動もじきに収まると信じて、彼女は北西のメインストリートをあとにした。

 

 



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夜空の下で、少年と女神は語り合った

 

【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)──『教会の隠し部屋』は北西と西のメインストリートの間にある。

 管理機関(ギルド)で受付嬢のエイナ・チュールと面談したベルとヘスティアは、仲良く手を繋ぎながら帰路に就いていた。

 道中、屋台で手短に夕餉を済ませると、自宅に戻った。

 

「よし、ちゃちゃっと【ステイタス】を更新してしまおう。ベル君、横になるんだ」

 

 就寝前に、ヘスティアがそう言った。

 

「ああ、頼む」

 

 ベルは指示通り服を脱ぐとそのままベッドに入り、うつ伏せの姿勢で背中を女神に向けた。

 眼前の異性の身体に、天界の三大処女神の一柱(ひとり)であるヘスティアは最初の頃は気恥しさを覚えていたものだが、今ではそれももうない。

 代わりにあるのは、ゆっくりとだが鍛え上げられていく眷族の成長に対する喜びだ。

 女神は慈愛の眼差しで子供の背中を優しく一度撫でてから、自身の神血(イコル)を一滴垂らした。

 

 

 

 

§

 

 

 

ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I82→I92

 耐久:I5

 器用:I96→H100

 敏捷:F396→E410

 魔力:I0

《魔法》

【】

《スキル》

【】

 

 

 

 

§

 

 

 

 ヘスティアは羊皮紙(ようひし)に写された共通語(コイネー)を見て、口を半開きにして固まった。

 自分の目は節穴なのかと目を擦ったが、しかし、見える景色は何も変わらない。何か失敗(ミス)したのかとも思ったが、自分は仮にも女神である。そのような失敗(ミス)はしていないと胸を張って言える。

 

「……ヘスティア?」

 

 ぐぬぬと、内心で(うな)っていると、心配になったのだろう、ベルが声を上げた。我に返ったヘスティアは「ごめんよ」と謝罪してから、馬乗りをやめ、ベルが起き上がれるようにした。

 

「さてさて……今日はどれ程伸びたものか……」

 

 黒色の長袖に腕を通しつつ、ベルはヘスティアから羊皮紙を受け取った。

 欠伸を噛み殺しながら凝視すると、

 

「……」

 

 眷族(ベル)は先程の主神(ヘスティア)と同じように、口を半開きにして固まった。

 本気(マジ)で? とベルは初めて主神(しゅしん)に胡乱げな視線を送る。ヘスティアは愛しい眷族からのその視線に「ぐおっ!?」と傷心しつつも、無言で頷いた。

 

「それが、今の君だ」

 

 ベルは呆然としているようだった。

 やがて正気を取り戻すと、深紅の瞳をクワッと見開き、食い入るように羊皮紙を凝視する。

 

「す、す……!」

 

 す? とヘスティアが首を傾げた、その時。

 

「SUGEEEEEEEEEEEEEE!」

 

「んなぁぅッ!?」

 

「えっ、私凄くない? これならすぐに『昇格(ランクアップ)』出来るんじゃない!?」

 

 一部の魔物が持つという『咆哮(ハウル)』を連想させる程の歓喜の声に、ヘスティアは堪らず耳を両手で塞いだ。

 しかし、ベルの叫び声は鼓膜を刺激する。ヘスティアは自分が眩い光の柱となって天界(てんかい)に送還されるのを錯覚したが、女神の根性で堪えてみせた。

 

「はははははははは! HUHAHAHAHAHAHA!」

 

 この時初めて、ヘスティアは眷族のことがウザいと思った。そんな彼女の内心を他所(よそ)にベルの高笑いは止まらない。控え目に言って、彼は今、物凄く調子に乗っていた。

 

「あー……ベル君?」

 

 壊れたように笑い続ける眷族を見て、主神は一応、声を掛けた。

 

「あはははははははははははははは! ハッハー!」

 

「……駄目だこりゃあ」

 

 だがベルには何も届かなかったようで、一つしかない寝台(ベッド)を占領し、笑い転げる。

 ヘスティアは「はあ」とこめかみを押さえた。

 先日の酒場の時のような、美の女神で釣るという方法も、効きはしないだろう。これを当の本人が聞いたら怒るだろうが、言うつもりはないので大丈夫だ。

 

(仕方ない……)

 

 眷族(こども)を叱るのは主神(おや)の義務だとは思うが、ヘスティアは非常に疲れていたので、何より、今のベルに対応するのが面倒に感じたので、放置することにした。

 同じ空間に居るのは我慢出来そうになかったので、偶には夜空でも眺めようと思い立ち、クッション片手に地下室から一階に出る。

 腐り掛けている階段を慎重に登りながら、二階に行き、天井に穴が空いている箇所を発見、その真下に行き、クッションを床に放り投げ、その上に仰向けで寝転んだ。

 星空を眺めようと……、

 

「あはははははははははははははは! これが俗に言う、俺TUEEEEEEEEEEEEって奴か!」

 

 ──した所で、喧しい声がした。ガバッと勢いよく上半身を起こす。

 

「ええい、煩いぞ!? 此処まで聞こえてくるなんて……どんなに嬉しいんだか……」

 

 ヘスティアは女神だ。

 全知全能、『不変』である彼女は超越存在(デウスデア)である。子供達の成長を祝福することは出来るが、共感は出来ない。

 悲しくならないと言えばそれは嘘になるが、仕方がないことだと割り切っていた。

 

「ベル君には近所迷惑を考えて欲しいものだぜ……まあ、ご近所さんは居ないけど!」

 

 廃れた教会はその外観が原因で見る人の足を遠ざけているようで、近くに住民は居ない。

『古代』ならまた話は違ったが、『神時代(しんじだい)』に入り、神々の存在が証明された今代に於いて、女神への信仰はあまり流行っていないのだ。ましてや神々が最も多く住まう迷宮都市(オラリオ)なら尚更である。

 

「……」

 

 何処からか飛ばされてくる夜風がヘスティアの小さな身体を包み、一瞬の後には過ぎ去っていく。

『下界』から仰ぎ見る『天界』──星々の輝きは圧巻の一言に尽きた。こんな風に見えていたんだなぁとヘスティアは目を細める。だが彼女の意識の大半は別のことに割けられていた。

 

「【英雄回帰(アルゴノゥト)】かぁ……」

 

 神聖文字(ヒエログリフ)で書かれている原本をヘスティアは改めて読んだ。

 眷族には伝えていない部分を強く睨む。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:I82→I92

 耐久:I5

 器用:I96→H100

 敏捷:F396→E410

 魔力:I0

《魔法》

【】

《スキル》

英雄回帰(アルゴノゥト)

 ・早熟する。

 ・想い(いし)が続く限り効果持続。

 ・想い(いし)の丈に応じて効果上昇。

 ・想い(いし)は伝播する。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ヘスティアには悩みがあった。下ろした髪の毛を指で弄りながら、呟く。

 

「やっぱり異常だよなぁ……」

 

 女神は「はぁー」と深々と溜息を吐いた。

 彼女が言った『異常』とは何なのか。

 それは己の眷族(ベル・クラネル)の【ステイタス】の上昇具合である。

 ヘスティアの初めての眷族はベルだ。そんな彼女は神友から聞いた情報でしか『恩恵』の進捗具合は知らない。

 どのような方法なら熟練度が加算(プラス)されやすく、また、どのような規則性をもって魔法やスキルが発現するのかというノウハウを彼女は持ち合わせていなかったのだ。

 だが、彼女はれっきとした一柱(ひとり)の女神である。

 故に、ベル・クラネルの()()()が分かっていた。何かが可笑しいぞ、と思うくらいには。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。こんなにも早く易々と熟練度が上昇するなら、都市の殆どの冒険者は上級冒険者に到達していても可笑しくない」

 

 しかし、都市の過半数の冒険者は未だにLv.1。階位を上げるには至っておらず、『偉業』を成し遂げていない。

 

「原因はやっぱりこれか……」

 

 スキル──【英雄回帰(アルゴノゥト)】。

 そもそも『スキル』とは【ステイタス】の数値とは別に、一定条件の特殊効果や作用に(もたら)す効果のことだ。

【ステイタス】が『器』そのものを強化するものだとするならば『スキル』は『器の中』で特殊な化学反応を起こさせる。

 

「あの子が()()()()()()()なのは聞いていたけど……」

 

 蒼の瞳を閉じれば、あの日──ヘスティアがベル・クラネルと会った日の記憶が蘇る。

 中々に強烈な出来事だったが、今は良き思い出だ。

 そして、【ヘスティア・ファミリア】を結成する(とき)少年(ベル)女神(ヘスティア)に自身の『秘密』を明かしていた。

 

 ──『これから家族になるヘスティア(あなた)には隠し事はしたくない』

 

 笑いながら、そう、少年は言ったのだ。

 最初聞かされた時はただただ驚愕したし、実のところ、半信半疑であったのだが──神々は子供達の『嘘』を見破ることが出来るが、これは万能ではない。子供達の主観によっては『嘘』も『真』になるということだ──今はもう、()()()()()()受け入れるしかないだろう。

 ヘスティアは改めて思う。

 

(ベル君の()()がそうさせたのか……? いやでも、なら、どうしてあのタイミングで? それこそ『神の恩恵(ファルナ)』を刻んだ時に発現していても可笑しくない筈……)

 

 考えても考えても分からない。

 分かることといえば【英雄回帰(アルゴノゥト)】というスキルが『レア・スキル』であるということだ。

 発現しているスキルの多くは、内実、冒険者の間で共有されている効果効用が多い。

 スキルの発現自体は珍しいのだが、いざ蓋を開けてみると、名称こそ違うが、能力はだいたい似通っているケースが非常に多いのだ。同種族ならその可能性はさらにぐっと増し、例えばエルフなら魔法効果の補助、ドワーフなら『力』の補正等だ。

 だが、希少なもの──重複しない唯一無二(オンリーワン)なものを、神々は『レア・スキル』と勝手に呼んでいる。

 

「まあ、これに関しては当面の間はボクだけの秘密にして……」

 

『娯楽』に飢えた神々が聞き嗅ぎ付けたら面倒事になるのは必須。本拠(ホーム)に押し入って、無理矢理にでも知ろうとしても可笑しくはない。【ヘスティア・ファミリア】のような零細派閥ではとてもではないが抵抗出来ない。

 何よりも、愛しい我が子を守る為だ。

 

(ベル君がどんな反応をするのかは分からなけど……もし、これが驕りになったら……)

 

 子供達の(さが)だ。

 即席の自信、即席の力は──子供達を調子に乗らせてしまう。

 先程のベルのように。

 もちろん、ヘスティアはベルのことを理解している。あれは一時(いっとき)のもの、日を(また)げば無くなるだろう。

 だが、物事に絶対はない。

 ヘスティアはベルのことが好きだ。初めての眷族(こども)が彼で良かったと心から思っているし、毎日がとても楽しい。何故もっと早く彼と出会わなかったのだろうと思う程に。

 もう少し様子を見てからでも遅くはないと判断し、ヘスティアはそれを見て頭を悩ませた。

 

「次に分からないのが、この効果なんだよなぁ……」

 

 スキル──【英雄回帰(アルゴノゥト)】の効果は以下の通り。

 

 ・早熟する。

 ・想い(いし)が続く限り効果持続。

 ・想い(いし)の丈に応じて効果上昇。

 ・想い(いし)は伝播する。

 

 何度見ても頭が痛む。

 それ程までに埒外(らちがい)のことが書かれているのだ。

『早熟する』『想い(いし)が続く限り効果持続』『想い(いし)の丈に応じて効果上昇』の三つに関しては、まあ、分かる。それは今回の【ステイタス】更新で明らかになった。つまり、上記三つの効果は『器』を『成長』ではなく、『飛躍』させる効果があるということだ。だからこその、異常なまでの熟練度の上昇率。

 だがしかし、四つ目──『想い(いし)は伝播する』。これに関しては本当に分からない。

 

「アバウトにも程があるだろ……いや、【経験値(エクセリア)】として拾い上げたのはボクだけどさぁ……」

 

 はあ、と本日何度目かの溜息。

 心で再度読み上げる。

 

 ──『想い(いし)は伝播する』──

 

 噛み締めるようにして、頭の中で何度も反芻させる。ひとつひとつを、ゆっくりと紐解いて行く。

 そして、ヘスティアはある一つの『可能性』に達した。目を見開き、考察していく。

 

(まさか……いやでも、そんなことが起こり得るのか──?)

 

 ぶんぶんと頭を振って、浮かんだ自身の考えを否定する。その先を考えるのがヘスティアは怖かった。

 だが──と、彼女は思わずにはいられない。

 ()()()()()()()()()──と。ぶるりと身を震わせ、あることを思い出した。

 

「確か……明日は『神の宴』だったっけ。行く気はなかったけど……」

 

『神の宴』とは、下界に降り立った神々が顔を見合せる為に設けられた会合のことである。どの神が主催するのか、いつ開かれるのかは全然決まっていない。

 気ままで自由な神々は、ルールに縛られるのを嫌う神物が多いのだ。誰かが『宴開きまーす!』と宣言すれば、それを聞き付けた誰かが『オレ、参加しまーす!』と、そんな具合に開かれるのである。

 厄介になった神友に近況を報告しがてら、スキルについてはそれとなく聞いてみようと考えた。

 

「やばいなぁ……ドレスがないよ……。いや、確か一着あったっけ? でもあれ、かなりボロボロだったような気が……」

 

 仕立て屋を利用しようにも、そのような資金は【ヘスティア・ファミリア】にはない。

 ヘスティアは女神の矜恃(プライド)を捨て去り、私服で行くことを決めた。幸い今回の主催者は神格者(じんかくしゃ)である【群衆の主(ガネーシャ)】と聞いているから、ドレスコードで門前払いはされないだろう。他の神達からは笑われるだろうが、それは自分が我慢すれば良いだけだ。

 改めて思ったが、自分は主神として【ファミリア】運営について無知が過ぎる。神友に頭を下げてでも教えて貰わなければ。

 そんなことを考えながらぼーっと過ごしていると、不意に、視界上部に影が差した。

 ベルだ。

 目が合うと、少年は無邪気に笑った。

 

「あまり長居をすると風邪を引いてしまうぞ」

 

「……ボクが此処に居るのは誰の所為だと思うのかな?」

 

 ヘスティアがそうやって睨んでやると、ベルは困ったように片頬を掻いた。どうやら反省しているようだとヘスティアは考え、空いている右側を叩く。

 神意(しんい)を理解したベルは嬉しそうに頬を緩ませると「失礼する」と言ってから、ヘスティアの隣に寝転がった。

 そして持ってきた掛け布団をふわりと広げる。二人が入るには窮屈だったので、少し距離を縮めた。

 

「落ち着いたかい?」

 

「ああ、落ち着いたとも。すまない、迷惑を掛けたな」

 

「良いさ。この時間を君と過ごせる切っ掛けになったと思えばね」

 

 とことん甘いなぁ、とヘスティアは自嘲した。

 同時に、これは未来永劫変わらないのだとも悟った。

 ヘスティアは、ふと、今の状況を神友の貞潔(ていけつ)の女神が見たらどんな表情を浮かべるのかと思った。

 

貞潔の女神(アルテミス)はなぁ……きっと激怒するだろうなぁ……)

 

 三大処女神の一柱の彼女は、こと男女の触れ合いに関してはとても煩い。風の噂でこの下界に居ることは耳に挟んでいるが、果たして、彼女は何処に居るのだろうか。

 いつかまた会いたいなぁ、と思っていると。

 

「──ヘスティア」

 

 ベルが、話を切り出した。ヘスティアが「何だい?」と聞き返すと、彼は言った。

 

「私の【ステイタス】について聞きたいことがある」

 

 ベルは馬鹿でもなければ阿呆でもない。ましてや愚鈍でもない。

 彼だって理解している。

 自身の異常性を。

 そして恐らく、見当はついてるだろう。

 だがその上でベルはヘスティアに質問した。その意味が分からない主神(ヘスティア)ではない。

 

「ああ、そのことなんだけどね。ボクも考えていたんだけど……分からないんだ」

 

「ほう……分からないのか」

 

「うん、情けないことにね。女神失格だろう?」

 

「そんなことはないさ。『神の力(アルカナム)』が封印されている女神(あなた)子供(わたし)と変わらないのだろう。なら、全知全能……いや、()()()()の貴女が分からなくても不思議ではないさ」

 

「こらっ! そんなことを言っていると罰が当たるぞ!」

 

「ははは! それは怖い! いや女神であるヘスティアがそう言うと割と本気(マジ)で怖いので、その脅しはやめてもらって良いですか」

 

 全く……とヘスティアは呆れた。しかし、自分が笑っていることに気付く。

 大分毒されているなぁと自覚しつつも、まあ、これでいっかと彼女は思った。

 咳払いを打ち、ヘスティアはベルに言った。

 

()()()()なりに考えてみたけど……」

 

「ごめん。本当にごめん!」

 

 ヘスティアは普段の意趣返しがしたかったので、ベルの懇願をスルーした。そのまま言葉を続ける。

 

「訳が分からないが、今の君は成長期のようだ」

 

「成長期……? いや確かに、私の身長は徐々に伸びているが……目標185C(セルチ)!」

 

 ヘスティアは頭の中で現在のベル・クラネルの身長を思い出した。

 そして端的に一言。

 

「うん、無理だね」

 

「ごはぁっ!?」

 

「君、確か165C(セルチ)だろう。流石に185C(セルチ)は無理じゃないかなぁ……。良くて175C(セルチ)くらいじゃない?」  

 

「がはっ! 悪意のない言葉が私を傷付ける……」

 

 ベルは嘘泣きをした。そして懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出し。

 

「つ、綴ろう……我が英雄日誌……──『ベル・クラネルの偉大な夢は容赦なく女神によって否定されるのだった……』──

 

 慣れた手つきで走り書きしていく。

 ヘスティアは横からそれを眺めながら、あることに気が付いた。

 

「それ、もう(ページ)があまりないじゃないか」

 

「おっ、本当だ。羽根ペンもインクが少ないな……。だがそうか──もうここまで来たのか!」

 

 新しいのを買わなくてはな! とベルは嬉しそうに言った。

 

「その『英雄日誌』とやらは何冊目だい?」

 

 ふと疑問に思ったので、ヘスティアはベルに尋ねた。

 少年は「ふぅーむ……」と考える素振りを見せてから、やがて答える。

 

「確かこれで五冊目だった筈だ」

 

「五冊目!?」

 

 ヘスティアが驚く一方で、ベルはきょとんとしていた。それからさらに。

 

迷宮都市(オラリオ)は凄いな。私がこの都市に来て三週間が経とうとしているが、まさかたったこれだけで一冊丸々使うとは」

 

「ああ、うん……ボクは別の意味で驚いているんだけどね……」

 

 わざわざ書くような出来事(イベント)がそんなに有るのか……? とヘスティアは思ったが、すぐに思い直す。

 ベル・クラネルなら充分に有り得ると。

 ヘスティアは話が脱線していることに気付き、

 

「話を戻そう。兎にも角にも、今の君は成長期だ。【ステイタス】の伸びが他の冒険者達と比べるまでもない程に」

 

 彼女は言葉を続ける。

 

「このまま伸び続ければ、君は世界最速記録を達成するかもしれない。それは『偉業』なのかもしれない」

 

「……」

 

「だけどボクはそんなの望んでいない。ベル・クラネル。ボクの初めての眷族(こども)。どうか、油断しないでくれ。驕らないでくれ。死に急がないでくれ。絶対に生きて帰ってくれ。ボクを──独りにしないでくれ」

 

 言っていることが支離滅裂なのはヘスティア自身分かっていた。

 だが眷族(ベル)主神(ヘスティア)が何を言いたいのか分かっていた。

 彼は目を細め一度頷く。それは了承の証だ。

 

「約束しただろう。私は必ず本拠(いえ)に帰ってくると。貴女が待ってくれている、この我が家(いえ)に。だって私は、約束は必ずまもる男子(おのこ)だからな」

 

「そっか、そうだったね。なら、安心だ」

 

 二人は笑い合った。

 それから穏やかな時間がゆっくりと流れる。

 月を仰ぎ見ながら、ヘスティアは不意に。

 

「なぁ、ベル君」

 

「何だ?」

 

「君の願望(ねがい)は何だい?」

 

 そう問い掛けると、ベルは静かに声を立てて笑った。何故笑うのかと詰問すると、彼は可笑しそうに言う。

 

「先日、女神ロキにも同じ質問をされた」

 

 うへえ、とヘスティアは顔を歪めた。

 心当たりはある。恐らくはロキがベルを呼び留めた時だろう。こんな事なら外で待っているんじゃなかったと、彼女は過去の己を憎んだ。

 ベルは無言で蒼空(そら)に手を伸ばした。そしてぐっと宙を摑み、おもむろに。

 

 

 

 

「私は──『僕』は『英雄』になりたい。それが僕の大願(ねがい)です、ヘスティア(かみさま)

 

 

 

 自らの願望(憧憬)を口にした。

 此処に他の男神(おがみ)や女神が居たらどのような反応をするのだろうか、とヘスティアは考える。答えはすぐに出た。彼等彼女等の殆どは腹を抱えて笑うだろう。

 炉の女神(ヘスティア)は笑わない。笑う筈がない。

 自分の愛しい我が子の夢を笑うのは、親失格だ。

 だから、彼女は上半身を起こし、少年に笑い掛けた。伸ばされている手を優しく自身の手で包み込む。

 

 

 

「君ならなれる。ボクは確信している。だってボクのベル・クラネルは──」

 

 

 

 その女神の御言葉を最後まで聞いたベルは、心から嬉しそうに笑った。

 




原作と時系列が今回の話でずれていますが──ガネーシャ主催の『神の宴』は今回のお話の夜に行われていたと思われます──そこはお許し下さい!


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『神の宴』

 

【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)──『教会の隠し部屋』は忙しい朝を迎えていた。

 

「寝坊したァー!」

 

 うがぁー! とツインテールが暴れる。ヘスティアは悲鳴を上げながら身嗜みを整えていた。いっそ見事に、彼女は寝坊をかましてしまった。

 魔石製品の冷凍庫の扉を開けて──何も無いことに愕然(がくぜん)とする。そう言えば食材の補充をしていなかったな……と頭を抱えた。

 

「ヘスティア……朝から(うるさ)いぞ……」

 

 そう、欠伸を呑気にしながら文句を言ってきた己の眷族を、ヘスティアは強く睨んだ。

 ベルは掛け布団を被り直し、もう一度夢の世界に──。

 

「えぇい、そうはさせるか! 君も起きるんだ!」

 

「嫌だ! 私はもっと寝る! 何故かって? 眠たいからだ!」

 

 ヘスティアは激怒した。

 何故自分だけがこんな目に()わなければならないのかと。

 自分だってもっと惰眠を貪りたいのに!

 だがしかし、それは許されない。

 何故なら自分には労働が待っているのだから。『天界』に居た頃とは違うのだ。自分で汗水を流して身体を酷使しないと、この下界では生きていけないのだ……!

 

「えぇい! 良い加減にするんだ!」

 

「うぎゃ──ッ!?」

 

 ヘスティア、渾身の攻撃。又の名を、ツインテール・アタック。ベルは悲鳴を上げた! 

 ようやくベルが起床した時には、いよいよ、ヘスティアに時間の余裕はなかった。

 彼女は「ふわぁ……」と呑気に目を擦っているベルに向かって、朝の伝達事項を伝える。

 

「ベル君、ボクは今日【群衆の主(ガネーシャ)】主催の『神の宴』に行ってくる! そこではご飯が出されると聞いているから、今日は一人で食べてくれ!」

 

「ああ、分かった。久し振りに神友(しんゆう)と会うのだから、私には気を遣わず、存分に楽しんできて欲しい」

 

「おうともさ! それと、良いかい。くれぐれも問題事は起こさないでくれよ!?」

 

 そう言うと、ベルは心外そうに唇を尖らせた。軽い調子で「わかってるわかってる」と頷く。

 一抹どころか()()の不安をヘスティアは覚えたが、念を押している時間はないと判断、厳重に管理されている金庫から500ヴァリスを取り出し、彼に投げ渡す。

 

「それで彼処(あそこ)の酒場にでも行っておいで! 給仕君もベル君を待っているだろうから!」

 

「ありがとう」

 

 ベルがお礼を言った時には、ヘスティアは「女将君と給仕君に宜しくー!」と言い残し、階段を登っていた。

 主神を見送った眷族は苦笑とともに一言。

 

「やれやれ……落ち着きのない女神だ」

 

 友人や知人がこの場に居たら「お前がそれを言うな!」と突っ込みを入れただろうが、彼以外誰も居なかった為、彼の言葉は空気に溶けて行った。

 

「さて……私も支度(したく)を済ませるとしよう。ヘスティアから軍資金は渡されたが……自分の食い扶持くらい、自分で稼がなくては」

 

 うーん、と身体を伸ばし、ベルは寝台(ベッド)を名残惜しく思いながら本格的に活動を始める。

 何も無い冷凍庫を覗き込んで真顔になったりしながら、慣れた動作で装備を纏う。壁に掛けられている自身の愛剣を腰の調革(ベルト)に吊るしたところで、部屋の唯一の扉から、コンコンコン、というノック音が鳴った。

 ヘスティアが忘れ物でもしたのかと思ったが、すぐに、それは違うと思い直す。自分の家にわざわざノックをする必要はない。

 

「どちら様──」

 

 覗き窓がない為、扉を開けるまで向こうに誰が居るか分からない。主神に相談しなければならないと頭の片隅に記銘しながら、やや厚い扉を開けていく。

 しかし、彼の深紅(ルベライト)の瞳が人物を映すことはなかった。自分の聞き間違いかと疑ったところで、

 

「ははっ……すまない、(した)だよ」

 

 笑いを(こら)えた声が出た。

 聞き覚えがある声にベルは驚きながらも、言われた通り、視線を下ろす。

 果たしてそこには、小さな子供が立っていた。

 

「やあ、おはよう。先日以来だね、ベル・クラネル」

 

 挨拶しながら、目深に被っているフードを外す。鮮やかな小金色の髪に、碧眼(へきがん)(あらわ)になった。

【ロキ・ファミリア】団長──フィン・ディムナ。

 ベルはぱちくりと瞬きしてから、次いで、戸惑いの表情を浮かべる。

 

「ええっと……フィン、どうして貴方が此処に? それにその恰好はいったい……?」

 

 まるで正体を隠すかのような小人族(パルゥム)専用のローブを纏っている友人に、ベルは目を白黒させた。

 フィンは笑みを深めて、その質問に答えた。

 

「約束しただろう。ベル・クラネル。僕の友人。君に贈物(プレゼント)をするとね。──突然で申し訳ないが、今日は空いてるかな? もし空いているなら、僕とダンジョンに行かないかい?」

 

 

 

 

§

 

 

 

「うおおおおおおお! 急げ、急げー!」

 

 夜。

 今宵(こよい)も月が浮かび、人々を優しく照らす。魔石灯の街灯がつき、迷宮都市(オラリオ)に光を与えていた。

 人々がごった返すメインストリートを、一柱(ひとり)の幼い女神が身体を揉まれながらも進撃(しんげき)していた。

 

「まさか怪物祭(モンスターフィリア)とやらの準備が、こんなにも大変だなんて……」

 

 ここ最近、定時で終わってないぞ!? とヘスティアは雇用者である、通称、『おばちゃん』に愚痴を零した。

『天界』から『下界』に降りてきて、ヘスティアはまだ一年も経っていない。だから、近日中に開かれる催し──怪物祭(モンスターフィリア)について何も知らなかった。

 それが今回(あだ)となった。ヘスティアが勤めている『ジャガ丸くんの屋台』は、毎年、怪物祭(モンスターフィリア)に出店しているようで、今日はそのオリエンテーションだったのだ。オリエンテーション、といっても、毎年のことなのでヘスティア以外のスタッフは勝手を知っている為、すぐに終わり。訳が分からないまま矢継ぎ早に飛ばされてくる指示に従い、気が付いたら、今日一日を終えていた──と、言いたいところではあるが、彼女にはまだやる事があった。

 

「タクシーを使いたい……使いたいが、それは出来ない……!」

 

 横を通り過ぎていく馬車を睨む。

 世界で唯一『ダンジョン』を保有する迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは広い。世界中から(つど)う冒険者、労働者、市民、そして神々が住んでいるこの都市の総面積は諸都市とは比べるまでもない。そんな広過ぎる都市を徒歩で歩くのは時間が掛かるし、疲れると、他の移動手段が確立されるのは自然の流れであった。

 人を、そして物を輸送(ゆそう)する馬車を気紛れな神々がいつからか『タクシー』と呼ぶようになり、すぐに浸透したという経緯がある。

 そんなタクシーではあるが、当然、サービスを利用する為には対価──つまり、運賃が必要となる。これは運ぶ人数や物の重さ、彼我の距離などで変化する。

 零細派閥である【ヘスティア・ファミリア】にはそのような雑費に使うヴァリスはなかった。

 なので、彼女は走る。ひたすらに走る。やがて、彼女はとある建造物の前に辿り着いた。

 象の頭を持つ巨人像が、白い堀に囲まれただけの広い敷地の中で、胡座(あぐら)をかいて座っている。主張が激しいその象の大きさは30M(メドル)にも及ぶだろうか。威風堂々と胸を張るその姿に、見た者は例外なく感心したりだとか、呆れたりだとか、何かしらの感想を抱くのであった。夜ということで、現在は無数の魔石灯によってライトアップされていた。

 はっきり言って、とても目立っていた。

 そしてこれこそが、『都市の憲兵』を(にな)い、民衆から絶大な支持を得ている派閥──【ガネーシャ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『アイアム・ガネーシャ』である。主人によって貯金はたいて土地を購入及び建造したのは良いものの、団員からは専ら不評である。

 一番の原因は出入り口が胡座をかいた股間の中心だろう。古参の団員は慣れてしまったが、新参の団員はどういう事かと先輩や主神に直訴するのが恒例であった。

 そして今夜、此処(ここ)で『神の宴』が行われる。

 

処女神(ボク)が通るのは些か抵抗があるな……」

 

 恐るべしガネーシャ! とヘスティアは思った。その一方で。

 

「ガネーシャさんマジパネェっす」

 

「ガネーシャさん最高!」

 

「ガネーシャはガネーシャであったな」

 

 ニヤニヤと笑いながら、寧ろ、嬉々として男神達は通り、麗しい女神達は無表情で通っていく。

 入り口の派閥構成員に招待状を見せたヘスティアは、「あー」とわざとらしく言った。

 

「すまない。ボクの【ファミリア】はとても貧乏でね……ドレスが準備出来なかったんだ。そんな女神だけど、(はい)れるかい?」

 

「もちろんでございます。我々も、そして主神も、喜んで貴女を歓迎致します」

 

「それと……非常に申し訳なく思うんだけどね。今日は料理が出されると聞いているんだけど……」

 

「間違いありません。一流の料理人(コック)達が腕によりをかけて作った料理は絶品でございます」

 

「うん、それは美味しそうだ。うんうん、これぞ『下界』の素晴らしいところだよね。それでだ、これはお願いなんだけど……余った料理を頂くことは可能かな?」

 

 ようは、持ち帰りをしたいのである。

 これには獣人の男性団員も困る。マニュアルにはない対応だが、彼は冒険者。『未知』を『既知』に変えた彼は見回りに来た団長に指示を仰ぐ。

 

「団長」

 

「どうした、何か問題でもあったか?」

 

「こちらの女神が──」

 

 事情を聞いた団長の女性は即断した。

 自身よりも低い女神の目線に合わせる為、膝をつける。服が汚れるのも気にせず、彼女は言った。

 

「料理についてですが、承知致しました。元より毎年残っていたので助かります。明日、団員が本拠(ホーム)に伺いましょう」

 

 ヘスティアは自身の名前と、本拠(ホーム)の所在地を告げた。手続きを終え、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 

「本当に助かるよ! えっと、君の名前を聞いても良いかな?」

 

「【ガネーシャ・ファミリア】団長、シャクティ・ヴァルマと申します」

 

「ありがとう! 君のことは恩人として記憶しておくぜ!」

 

 シャクティは苦笑いした。神の気ままな性格から来た発言だと思ったからだ。

 それから彼女は「是非、楽しんでいって下さい」と言って案内係を呼ぶ。正装を着ている美人なヒューマンの女性のあとをヘスティアはてとてとと付いていった。

 

「女神ヘスティア。ちょうど今、主神(ガネーシャ)が宴の挨拶をしております。是非ともご清聴下さい」

 

 そう言いながら、彼女は大広間に通じる扉を静かに開けた。「ごゆっくりどうぞ」と慇懃に一礼をしながら送り出し、自身の持ち場に戻っていく。

 独創的な外装とは違い、大広間は落ち着いた内装となっていた。

 そして設けられたステージに、一柱(ひとり)の男神が立っていた。何を隠そう、象の仮面を被ったその男神こそが──【群衆の主】であるガネーシャである。

 

「本日はよく集まってくれたな(みな)の者! 今回の宴もこれ程の同郷者に出席して頂きガネーシャ超感激! 数百年振りに再会する神も居るだろう! 是非とも交流を楽しんでいって欲しい! 愛しているぞお前達! さて、積もる話はあるが、今年も例年通り三日後にはフィリア祭を開催する。どうか皆の【ファミリア】にはご協力をお願いしたく──」

 

 魔石製品である『拡声器』を使い、ただでさえ大きい地声が大きく部屋に反響する。

 ヘスティアは給仕から貰った葡萄酒(ぶどうしゅ)をちびちびと飲みながら挨拶を聞いていたが、他の神々は案の定、主催者の言葉など華麗に聞き流して各々雑談していた。

 会場は立食パーティーの形式が取られていた。先程の獣人の男性団員が言ったように、出される料理は、その全てがオラリオでも屈指の料理人(コック)が作る極上のもの。果実は瑞々しい光沢があり、配られている葡萄酒(ぶどうしゅ)はとある農業系【ファミリア】が栽培したものだ。

 

「殆どの神が居るんじゃないか……?」

 

 ヘスティアはざっと会場を見渡す。知り合いがそこかしこで見受けられるし、逆に、交流が殆どない神も居る。

『神の宴』の招待状は、主催者が招き入れられる分だけ配られる。【ガネーシャ・ファミリア】は迷宮都市(オラリオ)でも指折りの派閥であり、それは都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】に勝るとも劣らず、抱えている上級冒険者の数は最も多い。【群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】を標榜(ひょうぼう)しているガネーシャの派閥方針は都市の安寧。治安を維持する為、彼等は犯罪者を捕まえては管理機関(ギルド)に引き渡している。

 民衆からの支持率は他の【ファミリア】の追随を許さない。特にガネーシャは子供から大人まで、老若男女問わずの人気者だ。

 

「それでは諸君! 是非とも楽しんでいってくれ!」

 

「「「おお──!」」」

 

 ガネーシャ万歳! と調子が良いことを言いながら、神々がグラスをぶつけ合う。

『神の宴』の始まりだ。

 ヘスティアは、まず、瞳をギラつかせて近くのテーブルに近付いた。

 

「せっかくの立食形式(タダめし)だ……! ベル君には悪いけど、遠慮なくお腹をいっぱいにするぜ!」

 

 待機している給仕を呼び「踏み台を持ってきてくれ!」と頼む。兎人(ヒュームバニー)の青年は哀れみの目で見てから、要望に応えた。

 

「美味い……! とんでもなく美味い!」

 

 女神に矜恃(プライド)なんてものはなかった。

 小さな口を懸命に動かし、頬張る姿はまるで栗鼠(りす)のよう。この場に彼女の眷族が居たら「流石はヘスティアだ!」と主神に呆れることなく、寧ろ、感激するだろう。

 また彼女だけが正装ではなく、私服姿である。髪を下ろすことで大人っぽさを精一杯出しているが、彼女の()()はとても目立っていた。すぐに男神達の目に留まる。

 

「おいおい、あれってロリ巨乳じゃん!」

 

「ほんとだ、ロリ巨乳だ! す、すげえ……なんて凶器(おっぱい)だ……! あれだけで人を殺せるんじゃないか!?」

 

「っていうか、あいつ、下界に来てたんだな! てっきり天界で引きこもり生活を続けているものかと」

 

「いやいや、それがよ、最近は北のメインストリートでアルバイトしているんだぜ! 俺この前、子供に頭を撫でられているところ見た!」

 

「マジかよ! あのぐうたらで有名なロリ巨乳が!?」

 

「これはスクープだ! 新聞会社に情報を流せ! ウヒヒヒヒッ、どんな記事になるか楽しみだ!」

 

 品がなく笑いながら、男神達はヘスティアを酒の(さかな)にして盛り上がる。彼女の外見的特徴は多くの神達にとっては格好の揶揄(からか)い対象であるのだ。

 ヘスティアは、当然、それが分かっているので無視を決め込む。彼女の使命はただ一つ。少しでも腹を満たすことだ。

 

(でもなぁ……此処のご飯も充分に美味しいけど、彼処の酒場の方が美味しく感じるなぁ……)

 

 つい先日行った『豊穣の女主人』を思い出す。ヘスティアにとっては、恰幅の良いドワーフの店主が出してくれた料理の方が舌に合っていた。

 

(ベル君……今頃は酒場に居るのかなぁ? 問題を起こしてなければ良いけど……)

 

 連鎖的に、眷族(かぞく)のことも思い出す。

 ヘスティアはベルが問題事を起こしていないことを切に願った。

 尚、同時刻。ベルはとある友人と『豊穣の女主人』を訪れ、友人の奢りの元、調子に乗って料理を大量に注文していた。そして注文したものは良いものの彼の腹には全て収まらず、吐き気を催しながらも気合いでフォークを動かしていた。巻き込まれた友人も気合いで付き合っていた。

 そんな事を露も知らないヘスティアは、「まぁ、いっか」と持ち前の能天気さで綺麗さっぱり消し去ることにした。たとえそれが現実逃避だとしても、今は幸福に生きたいのである。

 次の料理に手を伸ばそうとしたところで、側から、

 

「何やってんのよ、あんた……」

 

「むぐっ!? ん──!」

 

「食べてから喋りなさい……」

 

 ヘスティアはもぐもぐもぐと一生懸命咀嚼(そしゃく)し、ごくんと嚥下(えんげ)し、声主に振り返る。

 蒼の瞳が映したのは、一柱(ひとり)の女神であった。燃えるような(あか)い髪に、同色の瞳、そしてドレス。耳につけている貴金属のイヤリングはその美貌を引き立てることが出来ておらず、負けてしまっているだろう。

 だが最も目を引くのはそれではない。顔半分を覆っている黒色の皮布だ。右眼を隠しているのは大きな眼帯。

 鍛冶の女神──ヘファイストスだ。

 

「ヘファイストス!」

 

「ええ、久し振りねヘスティア。元気そうで何よりよ。……神友(しんゆう)としては、もう少しマシな姿を見せてくれたらもっと嬉しかったんだけど」

 

 そう言って、ヘファイストスは溜息を重く吐いた。

 天井を見上げ、紅蓮の長髪を(きら)めかせる神友(しんゆう)を、ヘスティアは不思議そうに見た。

 

「何やら疲れているようだけど……大丈夫かい?」

 

「そうね……疲れを感じたのはたった今だけど、ええ、大丈夫よ」

 

 ヘファイストスは嘆息してから、自身の神友(しんゆう)はこういう奴だったなと思い出した。

 

「いやぁ、やっぱり此処にきて正解だったよ! 君に出会えただけでも価値があったものだ!」

 

「〜〜ッ!」

 

「どうしたんだい? 顔を赤くして? ……ハッ、もしかして熱でもあるんじゃ!?」

 

 大変だ! と騒ぐヘスティアを「大丈夫だから。本当に大丈夫だから!」と麗人は宥めた。

 それから、心配そうに上目遣いで見詰めてくる彼女に、ヘファイストスは内心で毒づく。

 

(落ち着きなさい……ヘスティアの()()はいつものこと。毎回反応していたらきりがないわ……)

 

 すぅーはぁーと深呼吸し、冷静さを取り戻す。

 向こうにペースを渡さない為、ヘファイストスは話を切り出した。

 

「随分と頑張っているみたいね。私の耳にも何回か入ってきているわ」

 

「えへへー、そうだろうそうだろう! 今の、社会の荒波に揉まれているボクは数ヶ月前のボクじゃないのさ! うん本当に数ヶ月前のボクは神生を舐めてたぜ……」

 

 死んだ目になりながらヘスティアがそうやって言うものだから、ヘファイストスはそのあまりの変化に驚く。

 ヘスティアが眷族──ベル・クラネルと出会い【ファミリア】を結成する前に厄介になっていたのが、何を隠そう、ヘファイストスである。

 ヘスティアよりも先に下界に降臨し【ファミリア】を築き、成功を収めていたヘファイストスは、神友(しんゆう)が下界に来たことがとても嬉しかった。

 それはもう……嬉しくて嬉しくて、本拠(ホーム)に泊める程には彼女達は仲が良かった。

 しかし、数ヶ月経ってもヘスティアは【ファミリア】を結成しようとしなかった。眷族の勧誘はやらず、ヘファイストスが貸し与えた部屋に引きこもり、下界の書物を読み漁り、気が向いたら食事をするだけの怠惰な日々。

 ヘファイストスはキレた。それはもう、キレた。

 これまでの友情が音速(マッハ)で無くなっていった。零にならなかったのが奇跡である。

 堪忍袋の緒が切れ、ヘファイストスはヘスティアを本拠(ホーム)から追い出した。しかし、ヘスティアはやれお金がないだの仕事先が見付からないだの雨風を凌げる場所がないだのと懲りずに神友(しんゆう)を頼った。

 元来面倒見が良いヘファイストスは、非常に対応に困った。ヘスティアを甘やかす訳にもいかず、かといって、放置して餓死させる訳にもいかない。

 女神が餓死で天界に(かえ)るなんてことがあったら後世にまで伝えられる笑い話である。

 結局、ヘファイストスは最後の情けでヘスティアに『教会の隠し部屋』を与え、さらには、アルバイト先も斡旋した。彼女の雇い主であるおばちゃんが女神であるヘスティアを遠慮なく()き使うのは、ヘファイストスからそのように言われていたからである。

 

眷族(こども)が出来て変わったみたいね……)

 

 最後に会ったのは、ヘスティアが「ボクにも眷族が出来たよー!」と笑顔で報告してきた時だ。

 あの時の笑顔はそれはもう素敵なもので、思わず、同性なのにも関わらず見惚れてしまった。

 

「【ファミリア】の運営はどう? って、聞くまでもないか」

 

 ヘスティアの服装、そして、声を掛ける前にやっていた行いから、芳しくないことは察せられる。

 

「いやぁ、中々お金が貯まらなくてね……。あっ、でもお金を借りたいだなんて言うつもりは毛頭ないから、そこは安心して欲しいな!」

 

 ヘファイストスは涙を流す思いであった。

 社会不適合者(ニート)の成長を感じる。これが、駄目な子供を持つ親の気持ちなのかと本気で思った。

 そんな中、一つの靴を鳴らす音が鳴った。いったい誰かとヘスティアは発生源を見て──絶句。

 

「ふふ……相変わらず仲が良いのね」

 

「き、君は……フレイヤじゃないか!」

 

 久し振りね、と彼女は微笑んだ。

 それを偶然目撃した一柱(ひとり)の男神がノックダウン、会場は何事かと大いにざわめく。

 彼女は、容姿端麗の神々の中でも、群を抜いていた。

 白磁を思わせる雪の肌。柔い臀部に、くびれのある細い腰。充分な質量を誇るその双丘はヘスティアのそれとはまた違った魅力で、妖艶(ようえん)であった。彼女の一挙一動に『美』がある。その美貌はもはや超越しているといっても過言ではないだろう。

 それもその筈、彼女は『美』に魅入られているのだから。

 美の女神──フレイヤ。

 それが女神の真名(まな)だ。

 

「な、何で君が此処に……ッ!?」

 

 ヘスティアの疑問に答えたのは、ヘファイストスだった。

 

「ああ、さっき丁度会ったの。久し振りーって挨拶して、じゃあ一緒に会場回ろうかって流れになって」

 

 軽いよ、軽過ぎるよヘファイストス!? とヘスティアは内心で叫んだ。

 とはいえ、感情の起伏が激しいヘスティアであるので、フレイヤは看破し、それから困ったように微笑んだ。

 

「私が居ては邪魔だったかしら?」

 

「い、いや、違うんだ! 違うんだよフレイヤ! 確かに処女神(ボク)美の神(きみ)が苦手だけれど、今回はそうじゃないんだ!」

 

 どういう事かと、フレイヤはヘファイストスと顔を見合わせ、首を傾げた。

 それだけでも男共は色めき立つ。麗しの美の女神に誰が声を掛けに行くか無言の心理戦が繰り広げられていた。

 一方、ヘスティアは『ヤバい!』という思いでいっぱいであった。

 言葉に出した通り、処女神(ヘスティア)美の女神(フレイヤ)とは相性が悪い。それは在り方として、仕方がないのだ。

 神というものは、基本的には移り気な性格の持ち主が多い。常に刺激を求めていると言えば聞こえは良いが、その本質はただの我儘だ。そんな彼等が涎を垂らして夢中になる程の力が──『美』を司る神にはある。

 下界の子供達がもし『美の神』の裸体を見れば、文字通り、昇天するだろう。

 それが本望だと宣う者も居る程だ。

 だが──いや、だからこそだろうか。『美の神』は例外なく()()()()()()をしている。

 程度はあるが、出来れば近付きたくない。それがヘスティアの思いであったが、しかし、今はそれ以上に彼女には隠し事があった。

 

(まずい……非常にまずいぞ!? もし万が一にでもフレイヤの耳に()()()()()が入ったら……)

 

 あの時の話とは、即ち、『豊穣の女主人』での出来事であった。熟眠していた己の眷族を起こす為、ヘスティアは美の女神をネタにしたのである。

 

(ああ、もう! 何で今日に限ってフレイヤが此処に居るんだ!? 普段は参加しないんじゃなかったのか!?)

 

 今日、『美の神』で参加しているのはフレイヤだけだ。

 だらだらと首筋に汗を流す神友(しんゆう)を、ヘファイストスは不思議そうに見ていた。

 

「そう言えば、ヘスティアも【ファミリア】を結成したそうね。おめでとう」

 

「な、何でそれを……!?」

 

「いやいや、私達のさっきの会話を聞いていただけでしょうが」

 

 ヘファイストスの突っ込みもヘスティアには届かない。

 フレイヤは蠱惑的(こわくてき)に微笑み、言った。

 

「ふふ、何か困ったことがあったら言ってちょうだい? 【ファミリア】を結成した時が一番大変でしょう?」

 

「は、HAHAHA! い、いやぁー、都市最大派閥を率いる君にそう言って貰えるだなんて、とても嬉しいなぁ!」

 

 迷宮都市で真っ先に名が挙がる派閥は二つある。

 一つ目は──【ロキ・ファミリア】。

 そして二つ目が──【フレイヤ・ファミリア】。

 この二つの【ファミリア】が迷宮都市(オラリオ)を代表とする都市最大派閥だ。

 両派閥の運営方針が両極端であることから、何かと比較されることが多い。

 

「気持ちだけ有難く受け取っておくよ!」

 

「そう? 私に気を遣っているのなら──」

 

「いやほんと! 大丈夫だから! ほ、ほら! 君のような大手派閥に気にかけて貰えるのは嬉しいけどさ、他の派閥からのやっかみもあるだろうし!」

 

 上擦った声を出しながらも断固とした口調で断った。

 残念だわ……と愁眉を下げるフレイヤ。

 女が三人寄れば姦しい。それが女神なら尚更だ。自然と、彼女達は注目を浴びていた。

 それもその筈。

 炉の女神であるヘスティアはその善性によって神々から一目置かれているし、鍛冶の女神であるヘファイストスは迷宮都市(ダンジョンとし)でも有数の鍛冶系【ファミリア】として数多の武具を打っているし、そして美の女神であるフレイヤはその美貌に加え、都市最大派閥を率いる主神であるのだから。

 沢山の神達からの視線を彼女達は感じていたが、無視を決め込んでいた。そんな彼女達の元に、一柱(ひとり)の女神が近付く。

 

「あら、ロキじゃない」

 

 真っ先に気が付いたヘファイストスが「久し振りね」と手を挙げて挨拶をした。

 

「……久し振りやな、ヘファイストス、フレイヤ……そんで、ヘスティア」

 

「「「……!?」」」

 

 三柱の女神は驚愕を表した。周りの神々もざわめきを起こす。

 この中で最も親交があるフレイヤが、面白そうに微笑みながら尋ねた。

 

「あら、ロキ。貴女がヘスティアのことを名前で呼ぶだなんて……私の記憶違いじゃなければ初めてね。体調でも悪いのかしら?」

 

 この場に居る全員の疑問を口にする。

 ヘスティアがロキの名前を出すことはあっても、その反対は全然ない。ロキがヘスティアの名前を呼ぶ時はいつも『ドチビ』だ。

 指摘されたロキは、苦虫を噛み潰したような表情になった。

 

「……んな訳あるかぁ」

 

「それにしては軽口にいつもの勢いがないけれど」

 

 ロキは仏頂面だった。それから、フレイヤは「ああ」と思い出した様に言った。

 

「思い出したわ。ロキ、貴女大変だったみたいね」

 

 さらに言う。

 

管理機関(ギルド)からの罰則(ペナルティ)……とても重たい物だったのでしょう? 遠征も異常事態(イレギュラー)の所為で失敗したと聞いているわ。大丈夫? お金なら貸してあげても良いわよ?」

 

 ロキは舌打ちをしたかった。フレイヤの笑みが心底憎たらしい。

 

(こんの色ボケ女神……!)

 

 心の中で思い付く限りの罵倒を飛ばす。

 元々彼女は気が長い性格ではない。だがしかし、ここで挑発に乗っては駄目だと己を(りっ)した。

 ヘファイストスが慌てて、

 

「私も眷族から聞いたわ。ロキの所が事件を起こすのは珍しいわね」

 

 都市の支配者である管理機関(ギルド)には様々な役割があるが、地下迷宮(ダンジョン)で起こった事件の発表もしている。それはひとえに、日々、変貌を繰り返しているダンジョンの脅威を冒険者に(しら)せる為。情報を発信し、冒険者が受け取り、対応する。これをしなければ異常事態(イレギュラー)が起こった際に生存出来ないからだ。

 そして、今朝、管理機関(ギルド)はある事件を発表した。

 ──『ミノタウロス上層進出事件』。これが事件の名前だ。

 都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】が起こしてしまったこの事件は既に迷宮都市(オラリオ)中に広がっていた。

 

「……なるほどね。『神の宴』に参加している、被害者の神達に改めて謝罪をしていた。そんなところかな?」

 

「……そうや。そんで、ヘスティア。お前が最後や」

 

 ふぅーん、とヘスティアは興味なさそうに、テーブルの上に置かれているパスタに手を伸ばした。だが、身長が低く手足が短い彼女では届かない。フレイヤと話をしながら、ヘファイストスが「はい」と取ってあげた。正に阿吽の呼吸である。

 それを見たフレイヤが「やっぱり仲が良いわ。妬けちゃう」と言い、ヘファイストスは「揶揄わないでよ」と言いったが、満更ではなさそうな様子だった。

 炉の女神は朱色の瞳を見詰め、静かに口を開けた。

 

眷族(ベルくん)があの時言っていた筈だ。謝罪は必要ないとね。それが分からない君じゃないだろう。でもロキ、君は屈辱を味わいながらもボクに頭を下げようとする。ああ、全く、とんでもない事だ」

 

 淡々と、ヘスティアは言葉を続ける。

 

「女神の矜恃(プライド)を捨て、眷族達の為に行動しようとする。それはとても偉いこと、素晴らしいことだ。同じ眷族(こども)を持つ主神(おや)として君を尊敬するよ」

 

「……」

 

「けどね、ベル君はそれを望んでいない。ロキ、何故か分かるかい?」

 

 ロキは答えなかった。

 当然だ。ロキとベル・クラネルの接点は皆無に等しいのだから。

 ここでロキが知ったかぶりをしたら、ヘスティアは憤慨していただろう。

 

「あの子はね、ロキ。本気で『英雄』になろうとしているんだ。英雄譚を聞いた子供が憧れるように。だから、もしあの子が此処に居たら、『やめてくれ』と言うだろう。()()するだろう。憧憬(あこがれ)の対象である【ロキ・ファミリア】がこんな些末な出来事で頭を下げるのを見たくないからだ」

 

 だから、と炉の女神は計略の女神に言った。

 

「──()()()

 

 ヘファイストスはヘスティアが誇らしかった。

 この女神と神友(しんゆう)で良かったと心から思う。ぐうたらで、すぐに(なま)けて、我儘を言う。けれど、人のことを考えられる、想いやれる彼女のことが、ヘファイストスは大好きだった。

 やがて、ロキは言った。

 

「……なら、うちは何も言わへん」

 

「そうか、分かってくれた──」

 

「でもなぁ、ウチの気が収まらん!」

 

 は? と呆然とするヘスティアに、ロキはビシッと指を突き付けた。

 

()()()! 【ロキ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】に、一度だけ、出来ることなら何でもやる!」

 

 ヘスティアはその言葉に青筋を浮かべた。

 距離を詰めると同時に、ロキは一歩後退する。伸ばした手は(くう)を切った。

 

「次会う時は背が伸びているとええな!」

 

「んなっ!? そう言う君だって、その無乳が膨らむと良いね。あっ、ごめん! 無いものに言っても意味ないか!」

 

「何やと!?」

 

「何さ!」

 

「「ぐぬぬぬ……!」」

 

 両者、睨み合う。それは彼女達恒例の行い。喧嘩──じゃれ合いだ。

 神達が好き勝手にどちらが勝つか賭けをする中、ヘスティアの攻撃をひらりと躱したロキは、へらりと笑い。

 

「ほな、さいなら!」

 

「こらぁー! 待てー!」

 

 待てと言われて待つ奴が何処に居るん! 高笑いしながらロキは走り去っていく。そのすぐ後をヘスティアが追従して行った。

 

「女神様!?」

 

【ガネーシャ・ファミリア】の団員が慌てて、後を追って行く。主神であるガネーシャは「俺が、ガネーシャだ!」と謎のポージングして場を湧かせた。

 

「ふふふ……本当に、貴女達と居ると退屈しないわ」

 

 フレイヤが今日一番の花を咲かせた。ヘファイストスは苦笑を浮かべたが、否定することはしなかった。

 

「それじゃあ、そろそろ私も行くわね」

 

「え!? もう行くの?」

 

「ええ、ヘスティアに当てられたのかしら。私の可愛い眷族(こども)達に会いたくなったの。それに──聞きたいことも聞けたから」

 

「……?」

 

 どういう事かとヘファイストスが首を傾げた時には、フレイヤはもう「また会いましょう。ヘスティアにも宜しく伝えておいて頂戴」と言って、背を向けていた。

 男神達が美の女神を引き留めようと──気を引こうと──群れるが、彼女は目をくれず出口に向かっていく。その様子を女神達は軽蔑の眼差しで見ていた。

 やがて、暫くすると、疲労困憊(ひろうこんぱい)な状態のヘスティアが戻ってきた。

 

「お帰り、その様子じゃあ、ロキを捕まえられなかったのね」

 

「ぜぇー、ぜぇー……お、可笑しい。曲がりなりにもボクはアルバイトをしているのに。なのに何で追い付けなかったんだ……!」

 

 ヘスティアは絶望していた。

 ヘファイストスは理由が分かっていたが、「何でかしらね?」と言うだけにしておいた。

 

「あれ? フレイヤは?」

 

「ついさっき帰ったわ。貴女に宜しくだって」

 

 伝言を受け取ったヘスティアは頭上にクエスチョンマークを浮かべた。彼女には腑に落ちない点があった。

 

()()()()()()()……」 

 

「変って、何がよ」

 

「フレイヤさ。ボク達はこれまで、接点が特になかったんだぜ? なのに『困ったことがあれば何か言って頂戴?』なんて言ってきてさ……うん、やっぱり可笑しいよ」

 

「そう? 私は彼女の善意だと解釈したけれど」

 

「だとしても、だよ。うぅーん、分かんないなぁ……」

 

 らしくもなく、ヘスティアは思考に耽る。だが、いくら考えても答えには辿り着かなかったので、頭の片隅にメモをするのに留めておいた。

 その後、数時間に渡って『神の宴』は開かれた。

 ヘスティアは天界から親交がある神々と再会を果たし、喜びを分かちあった。

 神々の時間の感覚は下界の子供達とはズレている。何故なら、彼等彼女等には時間という概念がないからだ。数百年振りに会っても「お(ひさ)ー」のたった一言で片付けられてしまう。これが超越存在であることの証であると、嘗て、とある学者が論文を発表したことがあった。

 

貞潔の女神(アルテミス)は参加してないみたいだね……」

 

 残念だ、としょぼんするヘスティアを、ヘファイストスが励ます。

 

「仕方がないわよ。彼女は、こういった催しはあまり好きじゃないから」

 

「そうだけどさぁー。せっかく会えると思ったのに」

 

「大丈夫。彼女もオラリオで【ファミリア】を築いているわ。近いうちに会えるわよ」

 

 それもそっかと、ヘスティアは頷いた。

 

「いやぁー、久し振りに皆と会えて良かったよ。特にデメテルと会えたのは良かったかな!」

 

「お裾分けを強請っておいてよく言うわよ……」

 

「失礼な! ただほんのちょっと、余っている分を貰えないかなぁって思っただけさ」

 

 話に挙がった『デメテル』は豊穣(ほうじょう)を司る女神である。彼女は農業系【ファミリア】を築いており、都市郊外で畑を耕し、農作物を収穫。それをオラリオを始めとした世界中の都市に流通させている。評価はとても高く、何を隠そう、今回の『神の宴』で出されている葡萄酒は【デメテル・ファミリア】の物から作られている。

 そんな彼女とヘスティアは親交があり、『野菜が欲しいな。チラッ、チラッ』と態とらしくアピール。デメテルはおっとりとした笑顔でお裾分けを約束してくれたのだ。

 

「ディアンケヒトにも言ってみなさい。『この儂が無料(タダ)回復薬(ポーション)を渡すぅ? 寝言は寝て言うんだな! ガッハッハッ!』って言うわ。間違いなくね」

 

「大丈夫さ、ボク達がお世話になっているのはミアハだからね」

 

 ああ言えばこう言うと、ヘスティアの屁理屈にヘファイストスは溜息を吐いた。本人は至って真面目に答えているのだから質が悪い。

 

「そう言えば、ミアハの姿を見ないわね」

 

「彼処もボク達と同じくらいに貧乏だからねえ。きっと、薬の開発でもしているんだろうさ」

 

 話題は尽きなかった。

『神の宴』は時間の経過に比例して盛り上がっていく。ガネーシャが何度も「俺が、ガネーシャだ!」とステージで叫ぶものだから、神達は腹を抱えて大爆笑。団員達は最初こそ諌めていたが、すぐに諦め、放置していた。

 しかし、流石に深夜の時間帯になれば会場を出ていく者がぽつぽつと出始める。男女率では女神の方が圧倒的に多い。敬愛している主神を迎えに来る眷族も居る程だ。

 ここから『神の宴』は二次会に移行し始めるのだ。

 

「どうする? まだ残る?」

 

 ヘファイストスが問うた。ヘスティアは「あー……」と、おずおずと神友(しんゆう)を見上げた。

 

「ヘファイストス、この後、用事はあるかい?」

 

「いいえ、ないけど」

 

 ぱあっとヘスティアは無垢な笑みを咲かせる。

 

「な、ならさ! 二人で何処か飲みに行かないかい?」

 

「ええ、それはもちろん構わないけれど……でもヘスティア、お金はあるの?」

 

「うぐっ……痛いところを突いてくるね。500ヴァリスくらいかな」

 

 視線を逸らしながら、ヘスティアは正直に打ち明けた。

 まあそうよねと、ヘファイストスは頷いた。彼女も通った道だから、共感出来る。

 しかし、そうではない性格の悪い神も居る。女神のあまりの所持金の少なさに、豪華な衣装に身を包んだ男神が高笑いした。

 

「がはははは! この貧乏人め! たったそれだけの額とはな!」

 

「し、仕方ないだろう! 【ファミリア】を結成してまだ一ヶ月も経っていないんだ!」

 

 男神──医療を司るディアンケヒトはその反論を鼻で笑って切って捨てた。

 彼は医療と製薬を提供している【ディアンケヒト・ファミリア】の主神である。腕が良い治療師(ヒーラー)を何人も抱え、売っている薬品はとても効能があり、迷宮都市(オラリオ)──ひいては、冒険者には欠かせない派閥だ。

 

(何でディアンケヒトが……? ヘスティアとはあまり面識はなかった筈だけど……)

 

 ヘファイストスが訝しむ中、彼はずんずんと大股でヘスティアに近付き、見下ろした。

 老人と若い娘が向き合っているその絵面は、犯罪臭を感じさせる。

 

「貴様の所の眷族だが」

 

 ディアンケヒトは、そう、話を切り出した。

 

「ベル君の事かい……?」

 

 まさか知り合いなのかとヘスティアは勘繰(かんぐ)る。

 ベルの交友関係の全てを彼女は知らないし、知る気もない。二人は確かに眷族(ファミリア)ではあるが、それでも、踏み入れてはならない一線がある。

 何かと問題を起こす少年のことだ。ディアンケヒトと繋がっていても可笑しくはない。

 身構えるヘスティアに、ディアンケヒトは言った。

 

「儂の眷族がベル・クラネルに助けられたと、本人から聞いている。また、友人であるともな」 

 

「は、はあ……」

 

「これを貧乏人に施してやる」

 

 言いながら、ディアンケヒトは懐から札束を取り出した。ヘスティアは差し出されたそれを反射的に受け取ってしまう。

 

「んにゃっ!?」

 

 目を丸くし、ヘスティアは奇声を上げた。

 それもその筈、なんと、その額は10万ヴァリス。貧乏人である彼女からしたら大金だ。

 

「な……なっ……!?」

 

 開いた口が塞がらない彼女を、ディアンケヒトは嘲笑う。

 

「ふふん、たったこれくらいで大袈裟な奴め!」

 

 巨万の富を築き上げている彼からすれば、10万ヴァリスなど端金(はしたかね)なのだ。

 神友(しんゆう)を馬鹿にされ、ヘファイストスが眉を顰める。

 

「それで? あんたはヘスティアに何がしたいのよ?」

 

「言っただろう、貧乏人への施しだとな! お前の眷族に伝えておけ! アミッドに変なことを吹き込むなと! 最近、妙に儂に反抗的で、手を焼いているのだ!」

 

 アミッドって誰だよとヘスティアは思ったが、ヘファイストスはその名前に聞き覚えがあった。

 迷宮都市(オラリオ)で一番の腕を持つ治療師(ヒーラー)の名前だ。多くの冒険者、多くの市民から絶大な人気を誇っている。

 

(ディアンケヒトに反抗的……? あの、人形みたいな彼女が?)

 

 ディアンケヒトの言葉は続く。

 

「アミッドめ……無料(タダ)回復薬(ポーション)を冒険者共に配りたいなどと言いよって」

 

「まあ、素敵なことじゃない」

 

 回復薬(ポーション)が充分に行き渡れば、冒険者達は傷を癒すことが出来る。魔物達(モンスター)の魔窟に挑み続ける彼等にとって、回復薬(ポーション)精神力回復薬(マインド・ポーション)は必需品だ。

 ヘファイストスの手放しの称賛に、ディアンケヒトはクワッと目を見開いた。

 

「素敵だと!? 製薬するのにどれだけの費用と手間が掛かっていると思う!? 貴様も武具を製造しているなら分かるだろう!?」

 

「それは、まあ、そうだけど……」

 

「なのにアミッドと来たら『重々承知です。あくまでも私個人の活動にするつもりですから、ご安心を』等とほざきおって」

 

 こいつも苦労しているんだなぁーと、ヘスティアは頭を抱えるディアンケヒトを見て、そう思った。

【ヘスティア・ファミリア】は探索(ダンジョン)系なので、考えるのは派閥の運営資金と管理機関(ギルド)に納める税金だけで済む。もちろん、派閥の活動が大きくなったら色々と積み重なっていくだろうが、それが訪れるのはまだ先のことだ。

 

「儂も、もう帰る! 次会う時はドレスを着れると良いな!」

 

 来た時と同様、ディアンケヒトはずんずんと大股で出口に向かっていく。

 

「ちょっ、待ってくれ! 結局、このお金は!?」

 

「勝手にするが良い! 眷族を助けて貰った礼金だ!」

 

 その言葉を残し、男神は会場をあとにした。それを目撃していた一柱(ひとり)の女神が驚愕する。ディアンケヒトは金にがめつい金の亡者として名を馳せているからだ。

 ヘスティアは「えぇ……」と最初こそ狼狽えていたが、すぐに瞳をきらきらと輝かせる。両手が摑んでいる札束を決して落とさぬよう握った。

 

「軍資金が手に入った! よし、ボク達も行こう!」

 

「あ、あんたね……それで良いの?」

 

「貰える物は貰うさ!」

 

 うきうき気分のヘスティアにどの言葉を投げても、彼女はあの手この手を使って受け取らないだろうことは想像に難くない。

 酒を一杯や二杯程度なら奢ることも吝かではなかったヘファイストスは、はあ、と本日何度目かの溜息を吐いた。きょとんと目を瞬かせるヘスティアに、苦笑をふんだんに混ぜた笑みを向ける。

 

「行きましょう。私の行き付けのバーを紹介してあげる。ヘスティアもきっと楽しめるわ」

 

「おおっ! それは楽しみだ!」

 

 二柱の女神は『神の宴』をひっそりと抜けた。

 だが、彼女達の交流は終わらない。話すことはまだ沢山あるのだから。

 

「そうだ、ヘファイストス。ボク、ある物を探しているんだけど──」

 

 星々が今宵も、下界を明るく照らしていた。 

 



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祭りの朝は騒々しい

 

 迷宮都市(オラリオ)は普段にも増して『熱気』に包まれていた。

 それもその筈。

 今日は一年に一回(もよお)される行事(イベント)──怪物祭(モンスターフィリア)が開かれるからだ。

 都市内部だけではなく、この日の為だけに世界各地から多くの観光客が訪れる。太陽が西空に顔を覗かせる早朝。都市の各所にある入り口には人々が詰め寄せている。

【ヘスティア・ファミリア】も、今日は普段よりも早めに活動を開始していた。

 

「胃もたれは治ったかい?」

 

 屋台の制服を綺麗に畳みながら、ヘスティアがそう尋ねる。ベルは皿洗いをしながら、

 

「ああ、このベル・クラネル! 完全復活した! ナァーザが処方してくれた薬のおかげだな!」

 

 と、元気よく答えた。

 ヘスティアが【群衆の主(ガネーシャ)】が主催した『神の宴』に参加し、ヘファイストスと飲みに行ったあと、彼女は本拠(ホーム)に戻ってきたのだが、ベルの無惨な状態に奇声を上げた。

 彼は『豊穣の女主人』に友人と行き、その友人の奢りということで、彼は調子に乗りに乗った。大量の料理を注文したは良いものの、途中から、彼の腹は満たされ始めたのだ。無論、店主であるミアが残すことを許す筈がなく、彼は友人を巻き込んで食べ切った。友人の肩を借りて──友人も吐気を催していたが、気合と根性で耐えていた──本拠(ホーム)に戻った彼は、そのまま寝台(ベッド)に担ぎ込まれたのである。

 ルンルン気分で我が家に帰ってきたヘスティアはそれはもう絶句した。己の眷族が寝台(ベッド)の上で苦しそうに(うめ)いているのだから当然である。

 深夜の時間帯ということで、店は何処もやっていない。ベルの友人が書き置きをしていくれていたから助かったが、それでも、ヘスティアは気が気ではなかった。アルコールが身体から一気に抜ける感覚と共に、彼女はベルを夜通し看病していたのである。

 

「全く……君はもうちょっと後先のことを考えたら良いんじゃないか?」

 

「ははは……本当にすみません」

 

「ミアハとナァーザ君には感謝してもし足りないよ」

 

「ほんとそれな!」

 

 朝になり、彼女は神友が営んでいる薬局──【ミアハ・ファミリア】の『青の薬舗(やくほ)』を訪ねた。

 営業時間外なのにも関わらず、笑顔で対応してくれたミアハは実際に症状を診ないと薬は処方出来ないと言われ、そのまま、往診してくれたのだ。早朝から起こされた彼の眷族──ナァーザ・エリスイスは最初こそ不機嫌だったものの、ヘスティアの「お金は二倍払う!」という一言によりやる気を漲らせた。

 結果、ベルの診断名は『胃もたれ』ということが判明した。酒場での暴飲暴食により、少年の胃は悲鳴を上げたのだ。

 

「今度会ったらきちんとお礼を言うんだぞ」

 

「ああ、もちろんだ。命の恩人だからな、礼は尽くすとも」

 

 具体的には回復薬(ポーション)をたんまりと買うさ、とベルは言った。

 何を隠そう、ベルは『青の薬舗』の常連客であった。そもそもヘスティアとミアハ、主神(おや)の仲が良い為、自然と、眷族(こども)も顔合わせを行うことになり。ナァーザは顧客になれとベルを脅迫。伝手(コネクション)はあった方が良いかと考えたベルは承諾した、という経緯がある。

【ヘスティア・ファミリア】は零細派閥だ。しかし、【ミアハ・ファミリア】もまた零細派閥だ。数年前までは中堅派閥として【ディアンケヒト・ファミリア】に勝るとも劣らなかったが、()()()()()を切っ掛けに派閥の等級(ランク)が低下。零細派閥の仲間入りをした。

 尚、余談ではあるが【ミアハ・ファミリア】と【ディアンケヒト・ファミリア】の仲は(すこぶ)る悪い。商売敵というのも理由の一つではあるが、主神と眷族の仲が悪い──というよりは、一方的に毛嫌いしているのだ。

 主神では、ディアンケヒトがミアハのことを。眷族では、ナァーザ・エリスイスがアミッド・テアサナーレのことを嫌っている。

 ナァーザもアミッドもベルの友人ではあるが、社会的な付き合いならナァーザが、個人的な付き合いならアミッドの方が仲が良かった。

 

「それじゃあ、ボクは今日もアルバイトがあるから」

 

「分かった。ヘスティアも大変だな」

 

 怪物祭(モンスターフィリア)はヘスティアが勤めている『ジャガ丸くんの屋台』にとっては稼ぎ時なのだ。安くて美味しいジャガ丸くんは市民、特に家計を支えている主婦から愛されている。そして迷宮都市(オラリオ)に初めて来る観光客にとってジャガ丸くんとは『未知の塊』だ。

 

「ああ、今日もお客さんに頭を撫でられるのか……ボク、これでも女神なんだぜ? でも雇い主には逆らえない……」

 

「私の主神がすっかりと『社畜』になっている」

 

 半眼になっているヘスティアを、ベルは複雑な表情で見た。同情は出来るが、彼女はそれを望んでいないので、「が、頑張ってくれ」と応援するのに(とど)める。

 

「……ベル君は今日、給仕君とデートなんだろう?」

 

 ベルは満面の笑みで頷いた。

 それを見たヘスティアは「ケッ」と唾を吐いた。女神にあるまじき行為である。しかし内心では給仕──シル・フローヴァに対して感心していた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()……)

 

 ベルが友人と『豊穣の女主人』を利用した時、彼女は、中々ご飯を食べに来てくれなかったベルに対して拗ねに拗ねてしまったのだ。

 少年が陽気に挨拶をしても彼女は塩対応をした。「つーん」と唇を尖らせる始末である。典型的な面倒臭い女性(おんな)のパターンであると、ヘスティアはそう思ったが、シルの策略はここからだった。

 ベルも罪悪感を感じていたので、謝罪と共に、何か贖罪をさせて欲しいと言った。シルは笑顔で受け入れ──これにはさしものベルも苦笑いを禁じ得なかった──怪物祭(モンスターフィリア)の日にデートをしろと要求してきたのである。

 

「あーぁ、良いなぁ! ボクだってベル君と二人きりで過ごしたことはあまりないって言うのに!」

 

 そのあからさまな態度に、ベルは何も言えなかった。

 ヘスティアの我儘は終わらない。

 

主神(おや)は汗水を流して労働するのに、眷族(こども)は可愛い女子(おなご)とデートかぁー! ああ、なんて羨ましい!」

 

「羨ましいって言ってるじゃん……」

 

「聞こえなーい! 何も聞こえないぞー!」

 

 ふむ……とベルは顎に手を当てて考えた。それから彼は反撃を開始する。耳を塞いでいるヘスティアに聞こえるよう、独り言を大きな声で呟く。

 

「残念だな……せっかくの怪物祭(モンスターフィリア)だ。日中は無理だが、夜くらいは二人きりでパーティーを開こうと──」

 

「わーい! パーティーだパーティー! 流石はベル君! わかっているじゃあ、ないか!」

 

 ヘスティアは手のひらを返した。

 いえーい! とツインテールが彼女の感情を反映させたかのように跳ねる。

 しかしそれは一瞬で、彼女は神妙な面持ちで口を開いた。

 

「ベル君」

 

「……? 何だ?」

 

 ヘスティアは言おうか言わまいか迷ったが、言うことに決めた。

 

「給仕君にはくれぐれも注意してくれ」

 

「それはいったい……?」

 

 訝しむ己の眷族に、ヘスティアは言った。

 

「いや、ボクの気の所為かもしれない。うん、だから、楽しんできなよ!」

 

「あ、ああ……」

 

「それじゃあ、パーティー楽しみにしているぜ!」 

 

 それからは迅速だった。彼女は準備を済ませると、キメ顔でベルにサムズアップする。

 

「東のメインストリートに今日は居るから! もし良かったら来てくれ! サービスするよ!」

 

 行ってきまーす! ヘスティアは駆け出していった。

 ベルは手を振って見送り、自身も着々と準備を進めていく。漆黒の外套(がいとう)羽織(はお)ったところで、壁に掛けてある長剣が目に留まった。

 

「祭には不要かもしれないが……一応、持っていくか。シルは美人だから、男子(おのこ)がやって来そうだしな」

 

 迷った末、手を伸ばして鞘ごと摑む。

 鞘から刀身を少し出すと、白銀の輝きが覗いた。それに思わずベルは頬を緩める。

 それは、昨日までの武器とは違った。管理機関(ギルド)の支給品とは違い、鍛冶師が丹精込めて打った一品である。

 

「ああ、早く使ってみたいものだ……友人から頂戴した君は、どれ程の性能を誇るのだろう」

 

 片手直剣(ワンハンド・ロングソード)──《プロミス》。それがこの剣の銘だ。ベルの友人、フィン・ディムナからの贈物(プレゼント)である。

 口角を上げてから、調革(ベルト)に吊るす。

 戸締りをしてから、ベルは外套を翻して本拠(ホーム)を出発した。薄暗い階段を上り、空を仰ぎ見る。

 

「今日も空は青い。正しく、祭日和と言える」

 

 空気を吸って、吐く。新たな一日の訪れに感謝し、ベルは駆け出していった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 西のメインストリート。怪物祭(モンスターフィリア)で賑わうのは円形闘技場(アンフィテアトルム)がある東のメインストリートである為、その対極にあるこの大通りは、普段と同じ様子であった。

 

「ベルさん、まだかなぁ……」

 

 目抜き通りに面している辺り一帯で最も大きな建造物──酒場、『豊穣の女主人』では、緩やかな時間が流れていた。開店の準備こそしているが、客は東に流れると記録が出されている為、時間にも精神的にも余裕があるからだ。

 その中で一人の少女が店内を彷徨(うろつ)いていた。所在なさげに右往左往しているものだから、とても危ない。

 

「シル、少しは落ち着くニャ!」

 

「で、でもアーニャ……」

 

「良いからそこの椅子に座ってるニャ! 衝突事故でも起きたら大変ニャ!」

 

 珍しくも正論を言われ、シルは「ごめんなさい」と素直に頭を下げ、カウンター席に腰を下ろす。そこはベルが以前座っていた場所であった。

 最初は暇潰しにと読書に興じていたが、すぐに集中は途切れ、ちらちらと何度も店の出入口を確認する。

 猫人(キャットピープル)のアーニャ・フローメルは同僚のその様子に「これは重症ニャ……」と引いたが、シルは心ここに在らずといった具合で、気付かなかった。

 一方、彼女の親友であるエルフの少女は。

 

「遅い……! やはりあの只人は信用出来ません!」

 

 未だに姿を見せない少年に対して殺意を膨らませていた。

 

「まぁまぁ、もうちょっと待ちなよ。約束の時間はまだ過ぎてないんだからさ」

 

「しかし……」

 

「リューの気持ちは分かるけどさ、まずは待とう」

 

 従業員の一人の人間(ヒューマン)の女性、ルノア・ファウストに宥められ、リュー・リオンは殺意を抑えた。

 その代わり、天井をぼんやりと眺めている親友に声を掛ける。

 

「シル」

 

「あっ、リュー。ベルさん、いつ来てくれるのかな?」

 

 リューは舌打ちをしたかったが、妖精(エルフ)矜恃(プライド)と理性を総動員して抑える。しかし、口から出る言葉に棘を隠すのは出来なかった。

 

「……あの只人(ヒューマン)はまだ来なさそうです。もしかしたら、約束を忘れているのかもしれません」

 

 ムッとシルは表情を歪める。

 

「ベルさんはそんな男性(ひと)じゃないわ」

 

「何故、そう言い切れるのですか。貴女とあの只人(ただひと)はまだ二回しか会っていないでしょう」

 

「それは……そうだけど……」

 

 親友の言葉にシルは反論出来る術を持たなかった。これはマズいと判断した彼女は、論点を少し逸らす。

 

「ねえ、何でリューはベルさんのことを『あの只人』って呼ぶの?」

 

「……それは、私と彼には何も接点がないからです」

 

「嘘。リューは真面目だから、すぐにファミリーネームで呼んでいるわ。特にそれが、私の友人なら尚更」

 

「それは……確かにそうですが……」

 

 今度は、リューが言葉に詰まった。

 シルは一度微笑んで言った。

 

「確かにエルフのリューからしたら、ベルさんはちょっと苦手な部類に入るかもしれない」

 

 高潔なエルフと節操なしの少年では、相性が悪い。それが異性ならもっと拍車に掛かるだろう。

 口を噤むリューに、シルは優しく問いを投げ掛けた。

 

「でも、本当にそう?」

 

「……? それはどういう意味ですか?」

 

 困惑するリューに、シルは言った。

 

「ベルさんが本当にふしだらな性格なら、リュー、貴女にだってナンパをしていると思うな。だってリューがこのお店で一番綺麗だもの」

 

「……ッ!」

 

「気付いた? ベルさん、リューにはまだ一度も声を掛けていないのよ?」

 

「……言われてみれば、確かにそうですね」

 

 同僚達は口説かれているが、自分にはまだ一度もなかったと、リューは思い出した。

 

「だから、リュー。難しいとは思うけど、どうか、ベルさんのことはファミリーネームで良いから呼んであげて。あの人も真名(まな)で呼ばれた方が嬉しいと思うから」

 

 お願いと、鈍色の瞳が碧眼を見詰める。

 やがて、リューは顔を逸らして、

 

「……分かりました。シルがそこまで言うのなら」

 

「ありがとう! リュー!」

 

 無垢な笑みを浮かべ、シルはリューに抱き着いた。

「し、シル!?」とリューは突然のことに悲鳴を上げるが、無理矢理引き剥がすことはしなかった。顔を熟れた林檎のように染め、なすがままにされている。

 

「リューが照れているニャ」

 

「ニャニャ! これは弄り甲斐があるニャ!」

 

「やっぱり仲が良いねえ」

 

 他の従業員達がニヤニヤと意地が悪く笑っているので、リューは後で報復することを決意した。

 と、そんな時だった。突如、大通りから、

 

「おはようございまーす!」

 

 途轍もない大声が出される。

 この場に居る全員がその声に聞き覚えがあった。

 間違いようもなく、『彼』だろう。

 ミアが近所迷惑だと青筋を浮かべているのを他所に、シルは床を蹴る。そして扉を勢いよく開け、笑顔で待人を出迎えた。

 

「おはようございます、ベルさん!」

 

 挨拶をされたベルもまた、笑顔で応える。

 

「ああ、おはよう! ベル・クラネル、只今参上!」

 

 ふははははは! と笑っていると、

 

「──へぶちッ!?」

 

 悲鳴を上げ、後ろに倒れた。ドサッと音を立てて、少ない通行人達が何事かと視線を送る。

「ベルさん!?」と慌てて駆け寄るシル。

 よろよろと上半身を起こし、ベルが近くを見ると、そこには一つのフライパンが転がっていた。

 

「まさか、これが当たったのか……?」

 

 確信を持ちつつも、小さく呟く。ぶわっと首筋に流れる冷汗。飛来してきた方をおずおずと見ると、そこには修羅が立っていた。纏っている覇気は他者を威圧し、恐怖を植え付ける。

 ベルは己の死を悟った。

 

「喧しいよ! 近所迷惑を考えな!」

 

 右手には既に別の得物(フライパン)が握られていた。生殺与奪の権が握られている。

 ベル・クラネルは冒険者である。彼は生き残る為、最善策を打つべく、頭を回転させた。

 そしておもむろに引き攣った笑みを浮かべると、すぐに立ち上がる。そしてにやりと笑った。

 

「……何だい、その気持ち悪い顔は」

 

 ミアが首を傾げた、その時だった。

 ベルはシルの手を摑むと、駆け出した。強引に引っ張られる彼女は「わっ!?」と声を上げる。

 

「べ、ベルさん!?」

 

「さあ、デートに行きましょう! この私が貴女をエスコート致します!」

 

 ベルが後ろを振り向いて笑い掛けると、シルはくすくすと笑って、繋がれている手が決して離れぬようにした。

 そして彼女は心から思う。

 

「嗚呼──やっぱり、貴方を誘って良かった!」

 

「おっと、その言葉は最後に聞きたかったものですが、なに、終わる時にもう一度引き出してみせましょう!」

 

 最後にベルは立ち止まると、ぽかんと呆然としている彼女の()()に挨拶をした。

 憎たらしいほどの満面の笑みで、宣言する。

 

「お宅の娘さん、お借りしまーす! 夜までには送り届けるのでご安心下さい!」

 

「こら、逃げるんじゃないよ! ったく……」

 

 ミアが溜息を吐いた時には、二人の姿は視界から消えつつあった。あまりの逃げ足の速さに舌を巻いたのは内緒である。切り替え、声を張り上げる。

 

「楽しんで行ってきな!」

 

 すると「行ってきます!」という声が小さいながらも届いた。ミアは若い男女を最後まで見送ると、地面に落ちているフライパンを回収してから、店内に戻った。

 そして愛娘達に号令を掛ける。

 

「お前達、今日も張り切っていくよ!」

 

「「「はい!」」」

 

 



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斯くして、祭りは始まった

 

豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』で合流した後、ベルとシルは手を繋いで、まずは白亜(はくあ)巨塔(きょとう)が建つ中央広場(セントラルパーク)に向かっていた。

 今日は迷宮(ダンジョン)都市(とし)全域でお祭り騒ぎとなるが、最も人が集まるのは会場である円形闘技場(アンフィテアトルム)(めん)している東のメインストリートだ。

 西のメインストリートにある『豊穣の女主人』から目的地に行く為には、そのまま、中央広場(セントラルパーク)を渡った方が早い。

 

「ベルさんは、オラリオに来てからまだ日が浅かったですよね?」

 

 シルの確認に、ベルは頷いた。

 

「ああ、その通りだ。ようやく一ヶ月が経とうとしているな」

 

「それまではどのように過ごされていたんですか?」

 

「これは以前言ったと思うが、祖父と暮らしていた。地図にも載っていない小さな村で、農業を営んでいた」

 

「まあ、そうだったんですか。つかぬ事をお聞きしますけど、【デメテル・ファミリア】に入団しようとは思わなかったんですか?」

 

 話に挙がったのはオラリオで一番の農業系【ファミリア】だ。

 経験があるならすぐに戦力になったでしょうと言うシルに、ベルは「うぅーむ」と悩ましげな声を出した。

 

「言われてみれば、その道もあったかもしれないな」

 

 だが、と彼はすぐにその可能性を否定した。

 

「私がこの地にやって来たのは、様々な理由がある。まずは祖父が亡くなったからだ」

 

「……! ごめんなさい、私……」

 

「いいや、謝る必要はないさ。祖父は愉快な人物だったから──こう言ってはなんだが──あまり悲しまなかった。話を戻そう。彼は私にとって育て親でもあったから、身寄りが無くなった私が生活に困り果てるだろうことは容易に想像ついた」

 

 村で援助を申し出てくれた大人が居なかった訳ではない。だが、ベルはそれを断った。

 

「これは契機だと思った。──私は祖父の葬儀を済ませると、すぐに旅立ちの準備をした」

 

「それから、迷宮都市(オラリオ)に?」

 

 こくりと、ベルは肯定する。

 ベルの話は珍しい話ではない。

『世界の中心』である迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは世界中から人々を求人している。それは冒険者として、あるいは、労働者として。生活に困窮する者、あるいは、家族の為に出稼ぎに遠方から訪れる者は決して少なくない。

 

「シルの言う通り、私には農業系【ファミリア】の方が良かったのかもしれない。しかし、私は冒険者になりたかった。最初こそ貧しい思いを経験しなければならないが、成功すれば巨万の富を築くのは不可能ではないし、何より──」

 

「『英雄』になりたいから、ですよね」

 

 引き継がれた言葉に、ベルは口角を上げた。

 シルは少年の夢を笑わない。それは彼の純粋で綺麗な想いが美しいと思うからだ。

 愚直なまでに想い続けているベル・クラネルのことが、シル・フローヴァは好きだった。

 

「ところで、シル」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 こてんと首を傾げる彼女に、少年は鈍色の瞳を真っ直ぐに見詰めた。

 そして笑顔で爆弾を放り投げる。

 

「その私服、とても似合っている」

 

「〜〜!?」

 

「給仕姿の貴女も魅力的だが、今日は何倍も美しい。普段は仕事上、お団子に髪の毛を纏めているが、今日は下ろしていてとても新鮮だな」

 

「〜〜〜〜!?」

 

「特にその首飾り(ペンダント)が美しい。何かの宝石なのだろうが……すまない、私はそこら辺に疎くてな。だがこれだけは言える。美しい貴女にとても似合っている」

 

「〜〜〜〜〜〜ッ!?」

 

 シル・フローヴァは瞬く間に頬を熟れた林檎のように染め上げた。無邪気に褒めて来た少年の顔が直視出来なくて、俯いてしまう。

 暴れる心臓が身体から飛び出そうな感覚に襲われる。全身に血が駆け巡り、顔の火照りは暫く収まりそうにない。

 彼女は、自分が情けなくてしょうがなかった。普段は自分が客相手にしていることなのに、少年にはそれがまるで通じない。

 最初はただの客として接するつもりだった。だが、たった三回会うだけで彼に気を許している自分が居る。ましてや相手は──。

 

(ベルさんは歳下。振り回されてばかりじゃ駄目!)

 

 ベルの言動は逢瀬(デート)に於いては正しかった。女性の身嗜みについて言及するのはマナーである。シルとしても親友(リュー)や同僚、母親(ミア)と相談をしながら着飾っていたので、褒められて悪い気はしないし、寧ろ、とても嬉しかった。

 だが、それはそれ、これはこれ。

 このままでは自分よりも歳下の少年に手綱を握られてしまう。職場で働いている時以上の気概で臨まなければならないと、シルは決意した。

 シルはそれとなくベルを観察する。恰好は普段の冒険者装備と変わっていない。防具は纏っていないが帯剣しており、漆黒の外套(がいとう)はとても似合っている。そして彼女は前回は気が付かなかったことに気付いた。

 

「ベルさん、武器を変えられたんですか?」

 

「気付いてくれたか!」

 

「え、ええ……」

 

 深紅(ルベライト)の瞳がキラキラと輝く。ともすればそれは、少年の感情がそのまま直接反映されているかのようにも感じられた。

 興奮気味にベルは捲し立てる。

 

「実はこれ、友人から貰ったものなんだ」

 

「ご友人、ですか?」

 

「ああ! フィンが私に贈呈(プレゼント)してくれてな!」

 

 ふふん、とベルは鼻穴を大きくした。

 シルは笑顔で「良かったですね!」と相槌を打ちながらも、内心では戦慄していた。

 少年の口から出た、フィンという言葉。まず間違いなく──【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナだろう。

ロキ・ファミリア(お得意様)】の団長、更には、迷宮都市でも数少ない第一級冒険者だ。知らない筈がない。

 偉大な冒険者が他派閥、さらには駆け出しの冒険者に武器を贈呈する。これの意味が為すことを、少年は知っているのだろうか。

 

「剣に名前はあるんですか?」

 

 それを悟られないよう、彼女はさらに尋ねる。

 ベルは機嫌よく答えた。

 

「──《プロミス》。それがこの剣の(めい)だ」

 

 プロミス、とシルは唇でその音をなぞる。

 意味は確か『約束』だった筈だ。

 

「鍛治職人さんは、どんな想いを込めて名付けたのでしょうね」

 

 ところが、ベルは頬を掻きながら衝撃的なことを言った。

 

「いや……それが、造り手は不明なんだ」

 

「……はい?」

 

「嘘ではないぞ」

 

「そこは疑っていませんが……」

 

 シルは思わずぱちくりと目を瞬かせた。それから改めて、調革(ベルト)に吊るされている長剣に視線を送る。

 自身はよく知らないが──辛うじて、片手直剣(ワンハンド・ロングソード)だということは分かった。冒険者の多くが使っている武器種だと、以前、冒険者の客から聞いた覚えがある。

 漆黒の鞘に装飾は一切されておらず、それは『刀身を入れる』以外の機能は必要ないと訴えているようだ。

 

「なら、これは何処(どこ)で買われたんですか?」

 

「【ヘファイストス・ファミリア】のテナントだ。これは私もつい先日知ったのだが、『バベル』の上階を丸々使って、()の鍛冶系【ファミリア】が武具を売っていたんだ」

 

「……でも、【ヘファイストス・ファミリア】には確か支店が幾つもありましたよね?」

 

「何でも、【Hφαιστοs】のロゴを使うのが許されているのは上級鍛冶師(ハイ・スミス)だけらしい。テナントで売られている武具はそれが許されていない物……つまり、下級鍛冶師が打ったようだ」

 

 なるほど、とシルはその説明に納得した。

 ある程度の品質でなければ、お店の名前を使うのは(ゆる)されないという訳だ。【ヘファイストス・ファミリア】では、上級鍛冶師(ハイ・スミス)になることが登竜門なのだろう。

 名称独占資格に近いかもしれないな、とベルは思った。

 

「でも、打った人の名前が不明だなんて……そんな事があるのでしょうか?」

 

「私も気になって尋ねてみたのだが、従業員(スタッフ)も流石に、そこまでは分からないらしい。名簿にも載っていなかったようだ。主神の女神ヘファイストスに確認するとは言っていたが……」

 

「ベルさんはその上でこの剣を選んだんですよね? 何か理由でもあるんですか?」

 

 もしかしてこれは名剣で、ベルはそれを見抜いていたのでは? とシルは期待する。

 そんな彼女に、ふっ、とベルは格好付けて言った。

 

「何となく!」

 

「えっ」

 

「目が引かれたのがこれだったんだ。一目惚れとも言えるが──そう、私はこの剣に運命(うんめい)を感じた!」

 

 渾身のドヤ顔でそう言われると、突っ込みを入れる気力が無くなる。

 シルは暫く悩んでいたが、何も言わないことに決めた。もし()()()()だったら店側が購入を止めるだろうし、【勇者(フィン)】も何かしら言うだろう。

 逆説的に言えば、剣の性能は最低限備わっているということになる。

 話していると、中央広場(セントラルパーク)に辿り着く。そのまま二人はバベルの下を通過し、東のメインストリートに足を進める。

 

「これは……凄いな!」

 

 ベルが驚愕の声を上げる。

 

「驚かれましたか? 此処の目抜き通りは観光街です。観光客や旅人を泊める宿屋や、見ての通り、屋台も多くあるんですよ」

 

 東のメインストリートは既に多くの人で混み合っていた。大通りの両端に立ち並んでいる多くの出店は盛況であり、至る所で雑踏を生み出している。

 頭上に紐で吊るされているのは二種類の(フラッグ)だった。それに気付いたベルが指をさして尋ねる。

 

「シル、あれはいったい?」

 

「獅子のシルエットが怪物祭(モンスターフィリア)を表す物。そして象頭が【ガネーシャ・ファミリア】の紋章(エンブレム)です」

 

「ということは、【ガネーシャ・ファミリア】がこの(まつり)の主催者なのか?」

 

「ええ、その解釈で間違っていません。より正確には管理機関(ギルド)の発案だと聞いていますが……実際にお祭を運営、進行しているのは【ガネーシャ・ファミリア】です」

 

 ベルは気になる点が幾つかあったが、疑問を心の内に留めておいた。

 (はぐ)れないように注意しながら進んで行くと、やがて、一際目立つ列が視界に映った。象の仮面を被っている【ガネーシャ・ファミリア】の構成員だと思われる人物が、『最後尾!』と共通語(コイネー)で書かれたプレートを掲げている。都市東部から続いているその出処(でどころ)は、円形闘技場(アンフィテアトルム)

 

「参ったな……まさかこんなにも混んでいるだなんて。完全に想定外だ。開場の時間まであと一時間はあるのに……」

 

 慌てるベルとは対照的に、シルは落ち着いていた。

 

「これでも少ない方ですよ?」

 

「そうなのか?」

 

「ええ、寧ろ私達は充分に早い方です。これから益々増えて行きますから。私、去年は出遅れてしまって……その時は中央広場(セントラルパーク)にまで伸びていました」

 

「……それは凄いな。いや待ってくれ。それだけの大人数を収容出来るのか?」

 

「もちろんです。あの円形闘技場(アンフィテアトルム)怪物祭(モンスターフィリア)の為だけに建造されましたから」

 

本気(マジ)か」

 

「ふふっ、本気(マジ)です♪」

 

 ベルは開いた口が塞がらなかった。

 小さな村で生活を営んでいた少年からすれば、迷宮都市(オラリオ)にある物全ては珍しく、それこそ、この地にやってきたばかりの頃は驚きと興奮の連続だった。

 一ヶ月が経ち慣れたと思っていたが、どうやら、それは自分の思い過ごしだったらしい。

 

「私達も並びましょう」

 

「あ、ああ……」

 

 ベルが神々が言うところの『カルチャーショック』を受けていると、ぎゅっと、繋がれる手に力が込められた。

 見ると、シルが優しく微笑んでいた。ベルは呆気に取られてから、すぐに調子を取り戻す。

 それから列は少しずつ進んで行った。その間二人は、久し振りに会えたカップルのように話に花を咲かせる。

 

「──一昨日は、フィンと一緒にダンジョンに潜っていたんだ。私の戦い振りを直接見たいと言ってくれてな」

 

「まあ、そうだったんですか。どうでしたか?」

 

「控え目に言って、とても楽しかった。沢山の助言(アドバイス)を貰うことが出来た。それに、第一級冒険者が戦う姿も見学出来たからな、値千金だったとも!」

 

「むぅー、【勇者(ブレイバー)】様が羨ましいです。私もダンジョンに行って、ベルさんの勇姿を見たかったなぁ……」

 

 多くの人が暇と戦う中、二人に話題は尽きなかった。

 

「──つい先日、あるお客さんが大層お酒を飲まれたんです。度数が高いお酒を何杯も注文なさって。冒険者の方だったのですが、何でも、失恋されたそうで……」

 

「なんと。それは気の毒だ」

 

「ええ。その方が狙っていたのはギルドの受付嬢だったそうなんですが……」

 

「彼女達は冒険者と一線を引いている節がある。特に恋愛なら尚更だろう。冒険者は常に死と隣り合わせだから、愛を誓い合った相手が帰らぬ人となっても可笑しくはない」

 

「私はその方の晩酌(ばんしゃく)に付き合っていたのですが、途中から、リュー……あの、エルフの従業員(ウェイトレス)に手を伸ばしてしまいまして」

 

「彼女は無事だったのか!?」

 

「ええ、リューは強いですから。返り討ちにしていましたよ。寧ろ怪我をしたのは冒険者の方で……。ミアお母さんも『うちの娘に手を出すとは随分と舐めた真似をしてくれたじゃないか!』って怒ってしまって、出禁になってしまったんです」

 

「……私も、いつ、そうなっても可笑しくないな。うん、これからは控えよう」

 

「ふふふ……ベルさんはすっかりとお母さんのお気に入りになっていますから、大丈夫だと思います。けれど、気を付けて下さいね? そうなったら私、とても悲しいですから」

 

 どちらも話し上手、聞き上手だ。

 ベルが話す時はダンジョンでの出来事が、シルが話す時は『豊穣の女主人』での出来事が挙がった。

 和やかに談笑していると、大きな歓声が飛んだ。【ガネーシャ・ファミリア】の構成員が野太い声を張り上げた。

 

円形闘技場(アンフィテアトルム)、開場です! 少しずつ、ゆっくりと、前に進んで行って下さい! 席は十二分に余裕があります! 慌てず、焦らず、スタッフの指示に従って下さい!」

 

都市(とし)憲兵(けんぺい)』が各所に配置される。

 ベルは統制が取れた組織に敬意を評したく思った。それから彼女に注意を促す。

 

「シル、絶対に手を離さないでくれ。(はぐ)れてしまったら合流は難しいだろうからな」

 

「もちろんです……と、言いたいところですが。もし仮に私が迷子になっても、貴方なら必ず見付けてくれるでしょう?」

 

「……ああ! 必ず!」

 

 程なくして二人はゲートを潜り、闘技場の中に入った。

 受付のロビーで切符(チケット)を購入し──ベルがシルの分も購入した──、【ガネーシャ・ファミリア】の指示に従い、流されるがままに席に案内される。

 そこでようやく小休憩が叶った。シルが差し出してくれた林檎汁(リンゴジュース)で喉を(うるお)したところで、ベルは眼下の景色にただただ圧倒される。

 

「これが、円形闘技場(アンフィテアトルム)! 凄い、これは凄いな!」

 

「もう、ベルさんったら。今日はそればっかり」

 

「いやだって、仕方なくない!? これで驚かなかったら何で驚くんだ!?」

 

 大袈裟ですね、とシルは言いながらも、少年の反応がとても面白くて笑みが隠せなかった。

 円形闘技場(アンフィテアトルム)の構造は地下、アリーナ、観客席、そして観覧席となっている。

 地下には祭に使用される様々な物が保管され、また、出場者の待機場所にもなっている。

 アリーナは『劇場』の役割を持ち、此処が実質的に怪物祭(モンスターフィリア)の舞台となる。東西南北にあるのは四つの扉。出場者は此処から登場する。

 観客席はアリーナをぐるりと囲むよう配置されており、四階に分けられている。一階──アリーナに最も近い席だ──が神々の席、二階が貴族階級、三階、四階が一般市民や冒険者達の席となっている。

 観覧席は闘技場最上部にあり、アリーナ全体を一望することが可能だ。未だに誰も座っておらず、「彼処はガネーシャ様の専用席なんです」とシルがベルに説明した。さらに彼女はあることを思い出す。

 

「すっかりと失念していましたが、ベルさんは怪物祭(モンスターフィリア)がどのような(もよお)しなのかご存知ですか?」

 

「いや、これが全く。自慢ではないが無知だな」

 

「なら、私が説明させて頂きますね。怪物祭(モンスターフィリア)は──」

 

 シルはにこやかに笑いながら滔々と説明した。

 怪物祭(モンスターフィリア)──又の名を、フィリア祭。それが年に一度開かれる行事(イベント)の名称だ。

 地下迷宮(オラリオ)で捕獲し、連れてきた──専用のカーゴを用いる──凶暴な怪物達を【ガネーシャ・ファミリア】の調教師(テイマー)が相手取り、倒すのではなく、手懐けるまでの一連の流れ──調教(テイム)を観客達に披露する。

 

調教(テイム)……そのような技術が今世には確立されているのか……」

 

「とはいえ、会得するにはそれなりの『時間』と『技』、何よりも、『才能』が欲しいそうですね」

 

 と、ここでベルが疑問の声を上げた。

 

管理機関(ギルド)が関係しているのはどういうことだ?」

 

「企画自体は管理機関(ギルド)の発案らしいんです。協力しているのが【ガネーシャ・ファミリア】の人達で……ごめんなさい。これ以上のことは……」

 

 謝罪する彼女に「充分だ。ありがとう」とベルは言った。

 

迷宮都市(オラリオ)の実質的な支配者は管理機関(ギルド)。なら何故、都市の平和を(うた)う立場である彼等が、わざわざ危険を(おか)してまでこのような企画を?)

 

 神々が天界から降臨した『神時代』の前──『古代』。その遥か前から、大陸の片隅には『大穴』があった。その起源が何か、未だに究明されていない。

 ただ唯一分かっていたことは、その『穴』が怪物達(モンスター)を産む魔窟だったということ。

 異類異形(いるいいぎょう)の魔物達は大穴から溢れ、地上に進出。人類は抗う術を持たず、徐々に、活動領域が狭まっていった。尊厳を取り戻す為、同胞の無念を晴らす為、あるいは、栄光を得る為──人類は種族の垣根を越えて一致団結。現世に於いて『英雄』と呼ばれる彼等の活躍により、人類はとうとう『穴』に辿り着く。

 果たして、『穴』の下にあったのは広大な地下世界。数多の階層によって分けられることから『ダンジョン』と命名された。

『穴』を塞ぐ『蓋』をするという名目で、塔と要塞が築かれ始める。これが迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの起源だ。

 管理機関(ギルド)の最大の使命、それはダンジョンを監視し、地上への進出を防ぐことに他ならない。

 

(冒険者と市民の間にある軋轢(あつれき)を埋める為……?)

 

『冒険者』は立派な職業だが、その実態は荒くれ者、無法者達が大半を占める。

 彼等のマナーの悪さが一般市民と軋轢を生み、それが何度も重なれば不満になるのは自明の理だ。

 

(魔石を得る為には冒険者達の協力が不可欠だ。だからこそ、管理機関(ギルド)が庇い立てしなければならないのは分かるが……)

 

 どうにも腑に落ちないな、とベルは内心で呟いた。

 一般市民の溜まったフラストレーションを発散させる為、ガス抜きをするのは理解出来る。緩衝材の役割を担っているのだろう。

 

(だが、他にも方法はある筈だ。あるいは、魔物達(モンスター)の脅威を無辜(むこ)(たみ)に知って貰う為か……?)

 

 ならば何故、調教(テイム)という形を取っている? ベルの疑問は尽きない。

 

(駄目だな。隠された意図があるのは分かるが……肝心の何かが分からない)

 

 思考が深くなっていった──その時だった。シルが「ベルさん!」と手を引いて意識を浮上させる。

 興奮しているのか、頬を赤らめて言う。

 

「来ますよ!」

 

 何が、とベルが言葉を発する直前。

 

「「「うおおおおおおおおおおおお!」」」

 

 突如として放たれた驚喜の声に、ベルは思わず両手で耳を塞いだ。隣のシルが「うわぁ──!」と(はしゃ)ぐ。

 すぐにベルは理由を悟った。

 東の大扉がゆっくりと開かれたのだ。

 

「ベルさん、あの方が調教師(テイマー)ですよ!」

 

 一人の女性が姿を現す。女戦士(アマゾネス)の彼女は露出が激しい華美な衣装を纏っていた。手を観客に向かって振りながら、アリーナの中央に進んで行く。

 男子(おのこ)達は野太い叫び声を喉から出し続けていた。反対に、女子(おなご)達は白けた目で馬鹿共を見ていたが。

 

「ベルさんは混ざらないんですか?」

 

 ベルは静観していた。「おおっ!」と驚きの声こそ上げたが、それは派手な演出にである。

 平生の彼なら身を乗り出しても可笑しくない。シルの揶揄うような、それで意地が悪い質問に、ベルは心外そうに。

 

「今は貴女との逢引(あいびき)中だ。流石の私も時と場所は選ぶさ」

 

 それにと、彼は言葉を続ける。

 

「シル、貴女の方が何倍も美しい。隠さず言うが、私は今、貴女の一挙一動に目を奪われている」

 

「〜〜ッ!? あ、ありがとう、ございます……」

 

 シルは撃沈した。

 やられたままで良いのかと己を叱咤するが、もう無理だともう一人の自分が泣き喚いている。

 そんな彼女に気付かないベルは、呑気そうに「おっ」と呟く。

 

「どうやら、モンスターが登場するようだ」

 

 ガガガガ! 歓声を覆すのは大きな機械音。観客は何事かと発生源──西の大扉に顔を向けた。

 既に扉は開かれていた。しかし、そこには誰も居ない。戸惑う観客。だがそれも、すぐに興奮に変貌する。

 

『ヴルゥウウウウウゥゥゥッッッッ!』

 

 一体の猪──『バトルボア』が巨体を揺らし、地面を震わせながら登場した。

 二M(メドル)にも及ぶ巨大な身体を包むのは焦茶色の体毛だ、鋭く太く長い犬歯(けんし)が口からはみ出しており、口からは大量の(よだれ)が流れている。

 縮まっていく両者の距離に比例して、観客はごくりと生唾を呑み込んで静かになる。

 静寂を破るようにして、ザザッというノイズが走った。

 ベルとシルは顔を見合わせ、それから、期待に胸を高鳴らせる。

 

『皆様大変お待たせしました! 怪物祭(モンスターフィリア)、開演です!』

 

 大歓声。そして、熱狂。

 女戦士(アマゾネス)調教師(テイマー)は慣れた動作で、背中に吊るしている大剣に手を伸ばした。唇を赤い舌で舐め、歪ませる。

 元来、女戦士(アマゾネス)という種族は他の亜人族(デミ・ヒューマン)よりも戦闘意欲が高く、聖地とされている闘国(テルスキュラ)では日中日夜殺し合いが行われているという。

 最初に動いたのは、彼女だった。

 

「はあッ!」

 

 気合いの雄叫びと同時に、一歩踏み込む。それだけでアリーナの地面に(へこ)みが出来た。瞬きの後に肉薄する。

 

「強いな……上級冒険者か……」

 

「あの方は確か、Lv.3の冒険者だった筈です。二つ名は忘れてしまいましたが……」

 

昇格(ランクアップ)』を果たした女戦士(アマゾネス)は【ステイタス】に物を言わせ、跳躍。ベル達の居る観客席の四階を越え、ある一点で静止。重力に従って緩やかに降下していく。

 

「行けー!」「格好良い!」「頑張れー!」

 

 観客の声援を受けた彼女は好戦的な笑みを浮かべ、そのまま最上段から大剣を振り下ろした。

 しかし、バトルボアは阿呆にもこの間何もしていなかった訳ではない。四足に力を込め、ドシンと構えていたのだ。迫り来るう攻撃に己の牙をもって立ち向かう。

 

「喰らいな!」

 

『ヴゥモウウウウゥゥッッッ!』

 

 激突──轟音。

 衝撃波が空気を振動させ、それは観客に伝わる。一階の神達は「うひょー!」と騒ぎ、二階の貴族達は「下らない催しだと思っていたが……面白い」と冷静に評論し、三階、四階の冒険者や市民達は「うおおおお!」と叫ぶ。

 火花が散り、数秒の均衡が保たれる。

 調教師(テイマー)は舌打ちを打ち、それから、大剣を持っているとは思えない素早く身軽な動作で後方回転。距離を取ろうと試みる。

 だが、その隙を見逃すバトルボアではない。僅かな溜め──直進。巨体が標的に向かって突進する。

 

「きゃー!」「危ない!」「避けてー!」

 

 婦人が悲鳴を上げ、虎人(ワータイガー)の男性が身を乗り出し、小さな子供が感情に身を任せる。

 見守られる女戦士(アマゾネス)は心配は要らないと伝えるかのように笑みを深めると、大剣を地面に深く突き刺した。鉛色の刀身が陽の光を反射する。

 彼女が取ったのは回避ではない。小細工が一切ない、真正面からの防御だ。

 

「来な! あたしが受け止めてやるよ!」

 

『ヴゥモウウウウゥゥ────ッッッ!』

 

 やれるものやってみろ! 観客はバトルボアからそんな言葉を聞いたような気がした。

 二度目の激突。

 その衝撃は先程のものよりも遥かに大きい。

 戦いそのものに免疫がない一般市民にとって、それはあまりにも刺激が強過ぎた。老若男女問わず、女戦士(アマゾネス)の無惨な姿を想像し、思わず目を逸らす。

 それはシルも一緒だった。隣のベルの腕に抱き着く。その様子を見ていた、後列に座っている独身男性が役得な少年に殺意を飛ばした。

 しかし、この場に居た冒険者(どうぎょうしゃ)は違った。

 

「大丈夫」

 

「……ベルさん?」

 

「ほら、彼女を見るんだ」

 

 優しい声音でベルがそう言うものだから、シルは恐る恐るもアリーナに視線を送った。

 そして、彼女はしかとその目で見た。鈍色の瞳が大きく見開かれる。

 

「凄い……! 一歩も引かず、本当に受け止めています!」

 

 果たして、彼女の言う通りであった。

 あの凄まじい攻撃を女戦士(アマゾネス)は完全にガードしてみせたのだ。その証左として、地面が大きく抉られている。

 

「「「うおおおおおおおおおおおお──!」」」

 

 何度目かの歓喜の声が闘技場に降り注いだ。

 重なり、次々と爆発していくそれは正に『声の爆弾』。

 一方でバトルボアは、

 

『ヴゥ……?』

 

 自身の渾身の一撃が効かなかったことが理解出来ず、困惑の声を上げた。

 自分の耳が聞いているのは何だ? それは悲鳴ではない。

 自分の眼が映しているのは何だ? それは獲物の血に塗れた屍ではない。

 困惑、戸惑い、事実の認識──それらは憤怒に変わる。

 

『ヴゥオオオオオオオオオオオッッッッ──!』

 

 咆哮。猪は眼を充血させ、敵を睨む。

 濃厚な殺気を一身に受けている筈の女戦士(アマゾネス)は、恐れることなく、にやりと獰猛に嗤った。

 

「良いだろう! 何度もあたしが相手してやる! だがなぁ、屈服するのはお前だぜ!」

 

 雌雄を決する為、両者はぶつかり合う。

 調教師(テイマー)が時に華麗に、時に激しく、縦横無尽にフィールドを舞う。笑顔は決して絶えさず、それはさながら踊り子のよう。銀閃が宙を切り、人々を魅了する。

 猪が荒ぶる闘志を解放する。全力で敵に挑み、フィールドを駆け巡る。躱されては、次は外さぬよう目を細めて狙いを定める。防御されては、次は壊せるよう地面を蹴る足に更なる力を入れ突進する。

 いつしか観客はどちらも応援していた。

 これは調教(テイム)という見世物だということは頭の中からなくなり、己を()して戦っている彼等に声援を送り届ける。

 変化が訪れたのは、とうとう、戦士の見事な一撃によって、猪の牙が折られた時だった。

 

『……ヴゥゥ』

 

 あれだけの闘志が嘘のように、バトルボアが大人しくなったのだ。

 調教師(テイマー)は戦意がないことを肌で感じたのだろう、大剣をゆっくりと納刀する。そしてあろうことか、武器を手放した。

 ざわつく観客を他所に、彼女は手を大きく広げてバトルボアに近付く。しかし、モンスターは格好の(まと)になっている彼女を襲うことをしなかった。

 

「よーし、良い子だ」

 

 鼻を優しく撫でる。それでも尚、バトルボアは動かない。それどころか、甘えるような声を出した。自ら女戦士(アマゾネス)の胸に飛び込む。

 有り得ない光景に観客が呆然としていると、先程と同じように、ザザッというノイズが走った。

 まさかと彼等が顔を見合わせていると。

 

調教(テイム)、成功だァ──!』

 

 拡声器によって、その報せが風によって届く。

 その言葉の意味を噛み砕いて理解するのに、皆、暫しの時間が必要だった。その間にもアリーナでは未だに調教師(テイマー)とバトルボアがじゃれついていた。

 

「素晴らしい(ショー)だった!」

 

 ぱんぱん、という音が最前列から出された。見れば、一柱の男神が拍手をしている。それは時間を掛けて伝播していく。

 

『見事に調教(テイム)してみせた、我ら【ガネーシャ・ファミリア】が誇る調教師(テイマー)と、勇猛果敢に戦いを繰り広げたバトルボアに、再度の拍手を!』

 

 優しい音が闘技場を包む中、そのようなアナウンスが流れた。口笛を吹く者、褒め称える者、観客はそれぞれの想いを出場者に届ける。

 女戦士(アマゾネス)調教師(テイマー)は最後に一礼してから、バトルボアを連れてアリーナを去った。その間もアナウンスは流れ続け、観客に暇を与えない。

 

『皆様、如何だったでしょうか? 事前予告もなく調教(テイム)が始まったものですから、驚かれた方も多く居らっしゃるでしょう! しかし我々は皆様に怪物(モンスター)の実態、その、一片をお見せしたかったのです! 先のモンスターは『バトルボア』と言い──』

 

 どの階層に出現するのか、どのような特性があるのかを、司会は分かりやすく説明していった。

 それが終わると、北南の大扉から合唱団が現れる。【ガネーシャ・ファミリア】が主な主催者ではあるが、他の派閥も提携している。オラリオでも人気の音楽系【ファミリア】の登場に、場は大いに盛り上がる。

 それから、様々な【ファミリア】の紹介が行われた。とある派閥は道具(アイテム)の新商品を発表し、またとある派閥は活動報告を行う。中でも人々の関心を集めたのは農業系【ファミリア】の【デメテル・ファミリア】であった。先日の『神の宴』で出された葡萄酒(ぶどうしゅ)が期間限定販売されるという宣伝が、主神である女神デメテルから発表されたのだ。

 

『──女神デメテル、ありがとうございました! それでは最後に、我らが主神、【群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】を標榜している、神ガネーシャから御言葉を頂きましょう!』

 

 観覧席をご覧下さい! 司会の言葉に従うと、果たしてそこには、象の仮面を被った一柱(ひとり)男神(おがみ)が仁王立ちしていた。人々を見渡している。

 

「あれが神ガネーシャか……随分と奇抜な恰好をしているのだな」

 

「ふふっ、気持ちは分かります。でも、素晴らしい男神様なんです。見て下さい、ベルさん! 闘技場の熱気は凄まじいですよ!」

 

 誰も彼もが【群衆の主】を視界に収めようと、首を懸命に伸ばす。

 構成員が拡声器を渡そうと近付いたが、彼の男神はそれを手で制した。そして、すうっと身体全体を使って息を吸い──。

 

「俺が、ガネーシャだ!」

 

 馬鹿でかい叫び声に、ベルは思わず両耳を押さえて「ええ……」と引いてしまった。だが隣の彼女や、他の観客──高潔な妖精(エルフ)や貴族までもが手を挙げ、声を上げているのを見て、なるほど、と頷く。

 田舎者(ベル)はそういう物だと己を無理矢理納得させると、叫喚に混ざり、自身も声を張り上げるのだった。

 



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舞台の裏側

 

 円形闘技場(アンフィテアトルム)が開場されてから、少し経った時間。

 時刻は午前九時を回る。東のメインストリートは大勢の一般市民、都市外部からの観光客、そして冒険者で賑わっていた。

 数え切れない出店が至る所で開いている。店主達の怒号の声が響き、客を取られまいと必死だ。その中でも幼い女神が売り子をする屋台は盛況を見せており、行列を作っていた。

 怪物祭(モンスターフィリア)の会場である円形闘技場(アンフィテアトルム)の門が開かれ、群衆は『都市(とし)憲兵(けんぺい)』である【ガネーシャ・ファミリア】の指示に従い、緩やかに動いていた。

 その中には白髪の少年と薄鈍色の少女が居て、はたから見たらカップルそのものだった。

 

「ふふっ……()とは無事に合流出来たみたいね」

 

 大通りに面する喫茶店、その二階。内装が木目調で温かい雰囲気がある店内、大通りを一望出来る窓際の席に、彼女は案内されていた。

 

嗚呼(ああ)、素敵な笑顔。せっかくの逢瀬(おうせ)だもの、存分に楽しみなさい」

 

 美しい銀の双眸(そうぼう)を開いて、彼女はそう言った。口元は緩んでおり、たおやかな微笑を浮かべていた。

 それを隠すかのように顔を、否、身体全体を隠す為、長い紺色のローブを纏っているが、たった布一枚で彼女の『美』を抑え込むのは到底無理な話であった。

 その証拠に、店内の視線という視線が彼女の元に──美の女神、フレイヤに注がれていた。

 フードを目深に被っているのにも関わらず、彼女の素顔は美しいと無条件に思わせる絶対的で圧倒的な『美』。

 店主から客まで意図せず魅了してしまった彼女は、しかし、それに構わずに目抜き通りを眺めていた。下界の子供達を吟味するように見ていると、

 

「まぁた、色ボケ女神が男探しをしておる」

 

 ギシリと、床を鳴らす音。店内は(とき)を取り戻した。

 近付いてくる複数の気配に、フレイヤはフードの下で浅く笑った。振り返り、待ち人を瞳に映す。

 

「よぅ、久し振りー」

 

「つい先日会ったばかりでしょう」

 

 そう言うと、「分かってへんなぁー」と人差し指を軽く振った。そのまま椅子を引き寄せ、我が物顔で座る。

 店内は再び(とき)を止めた。

 それもその筈。やって来た神物(じんぶつ)迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオでも屈指の知名度を誇る女神だったからだ。

 鍛冶神(かじしん)ヘファイストスの鮮烈な紅髪とはまた異なった、淡色の朱髪を後ろで結わえている。くたびれたシャツにパンツという服装は露出がかなりあったが、彼女のだらしない雰囲気がそれを見事に帳消ししていた。

【ロキ・ファミリア】主神──計略の女神ロキは欠伸を噛み殺しながら尋ねた。

 

「待たせたか?」

 

「気にしないで、少し前に来たばかり。寧ろ楽しい時間を過ごさせて貰ったわ」

 

「……なんやそれ。ジブンはボッチの方が好きなんか? 酒神(ソーマ)と相性が良いんちゃう?」 

 

「彼と一緒にされるのは嫌ね」

 

 ふぅーん、とロキは興味なさげに反応しつつも、その心の内では動揺があった。

 ロキとフレイヤはかなりの長い付き合いがある。だからこそ、彼女が社交辞令ではなく本心でそれを言ったのが分かった。

 

「うちまだ朝飯を食ってないんや。ここで頼んでもええか?」

 

「まあ、それは大変ね。朝ご飯は一日の活力。店主がさっき勧めてくれたものが幾つかあったわ」

 

 それに貴女、疲れているようだし、とフレイヤはロキの身体の不調を見抜く。ロキは「流石やな」と素直に称賛してから、従業員に適当なメニューを頼んだ。

 化粧で外面を取り繕っていたが、美の女神に誤魔化しは効かない。眼の下にあるのは隈だ。

 

管理機関(ギルド)からの罰則(ペナルティ)はかなり重たかったみたいね」

 

 そして原因も言い当てる。

 ロキは今度は称賛ではなく、舌打ちを(おく)った。それはフレイヤの言葉を事実だと認めたものだった。

 

「確か、被害者が所属する【ファミリア】への謝礼金、さらには、管理機関(ギルド)に納める税の増加だったかしら。これだけでも相当厳しいわね」

 

 仏頂面を作るも、反論はしない。

 フレイヤはロキの反応を楽しみながら、さらに追い打ちを掛けて行く。

 

「『遠征』は予期せぬ異常事態(イレギュラー)で撤退を余儀なくされた。大赤字ね。眷族(こども)達の士気も低いでしょう」

 

「オイ、ちょっと待て。その情報、異常事態(イレギュラー)のことはまだ公開されてない筈や。何処で嗅ぎつけた」

 

「あら、私も貴女と同様、都市最大派閥を率いているのよ? 『遠征』の日数を考えれば、すぐにそれくらいは判断がつくわ」

 

 あとは秘密ね、とフレイヤは(あや)しく微笑んだ。

 ぐぬぬ……ロキは低く呻く。ロキも独自の伝手(コネクション)は持っているが、フレイヤには遠く及ばない。彼女が本気を出せば、オラリオの秘密という秘密は暴露されるだろう。

 

「ところで、いつになったらその子を紹介してくれるの?」

 

「紹介がいるんか」

 

「もう、()ねないの。私と彼女は一応、初対面よ? 貴女が仲介してくれないと困るわ」

 

 フレイヤは対面のロキから視線を外すと、もう一人の訪問者に視線を送った。

 剣を腰に携え、ロキを護衛するかのように彼女の半歩後ろで控えて立っているのは、美しい金髪金眼の少女。

 

「アイズや。アイズ・ヴァレンシュタイン」

 

「あら、それだけ?」 

 

 女神が可愛らしく唇を尖らせたが、ロキはそれを鼻で笑って一蹴した。

 

「それで充分やろ。とはいえ、アイズ、こんな奴やけどこれでも女神やから、挨拶だけはしときぃ」

 

「……はじめまして」

 

「ええ、はじめまして。フレイヤよ、宜しくね、アイズ・ヴァレンシュタイン──いいえ、【剣姫(けんき)】と言った方が良いかしら?」

 

「……どちらでも、構いません」

 

「なら、主神(ロキ)が怒るから【剣姫(けんき)】と呼ばせて貰うわね」とフレイヤが言うと、アイズは小さく頷いた。

 口下手な彼女はそれ以上何かを言うことはせず、それきり、口を閉さず。ロキの「座ってもええよ」という言葉にこそ反応したが、やはり、頷くだけだった。

 フレイヤはその様子を静かに見守っていた。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。その可憐で女神にも決して引けを取らない美貌の正体は、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオでも希少価値が極めて高い第一級冒険者だ。最強の剣士は誰かと議題になったら、彼女の真名(なまえ)が挙がるのはまず間違いない。

 

「可愛いわね。男神(おがみ)達が評判するだけはある」

 

「せやろ、せやろ! うちの自慢の眷族(むすめ)や!」

 

「貴女が入れ込む理由も分かるわ」

 

「美の女神に褒められたで! やったなぁ、アイズ!」

 

 ヒュー! とテンションが上がる主神(おや)とは対照的に、眷族(こども)は無表情だった。一応、礼のつもりなのか、ぺこりと頭を下げる。

 

「どうして此処に彼女が……って、聞くまでもなかったわね。この後は一緒にフィリア祭を回るのかしら」

 

「正解や! ぐふふふふふ、私服姿のアイズたんとデートやで! どうや、羨ましいやろ!」

 

 ロキはドヤ顔でそう言ってから、言葉を続けた。ぽんぽんと愛娘(まなむすめ)の頭を叩きながら。

 

「それになぁ、この不良娘はすぐにダンジョンに行くからなぁ。母親(ママ)も怒り心頭や」

 

母親(ママ)……ああ、【九魔姫(ナイン・ヘル)】のことね」

 

「なんや、そこまで知ってたんか」

 

「この情報はかなり出回っているわよ? とはいえ、王族(ハイエルフ)の彼女だから、皆、半信半疑といったところかしら。特に妖精(エルフ)の子は信じられないみたい」

 

 カカッ、とロキは笑う。その間もアイズの頭を叩いていたが、彼女の言葉は事実なようで、目を伏して為すがままにされていた。

 フレイヤは紅茶で唇を湿らせると「それで?」と質問した。

 

眷族(こども)とのデートを後に回してまで、私に何の用かしら?」

 

怪物祭(モンスターフィリア)はまだ始まってすらないで。いや、そろそろ始まったんか? どちらにせよ、時間は充分にある。この前の宴の時はあんまし話せへんかったから、駄弁(だべ)ろうと思ってなぁ」

 

「嘘ばっかり」

 

 美の女神(フレイヤ)はフードの奥で銀の双眸を静かに開いた。それを見て、計略の女神(ロキ)も糸目を薄らと開ける。

 それまでにあった和やかな空気が、刹那の後に一変した。

 神威と神威のぶつかり合い。

 運悪く料理を運んできた従業員は立ち尽くした。此処から逃げるべきだと本能と理性が訴えているが、まるで足が動かない。見兼ねたアイズが席を立ち料理を受け取ると、兎人(ヒュームバニー)の男性は「ありがとうございますっ」と涙目で厨房に姿を消した。アイズは彼の姿を見て、先日知り合った少年を思い出す。

 

(話……まだしてない。いつになったら出来るんだろう)

 

 約束こそしているが、中々、機会に恵まれていなかった。アイズは忸怩たる思いを抱き、母親(リヴェリア)に相談しようと決める。

 

「「──ッ!」」

 

 喫茶店は既に二柱の女神の貸切となっていた。店主をはじめとした従業員は厨房に避難しガクガクブルブルと身体を恐怖で震わせ、客達はテーブルに代金を置いて退店している。

 

「用件は一つや。率直に聞く。今度は何やらかす気や」

 

「ふふふ……何を言っているの、ロキ?」

 

(とぼ)けんな。このあほぅ」

 

 ロキは眼光を鋭くすると、続けて言った。

 

「この前の『神の宴』に参加した理由は何や? ジブンら美の神は基本、宴に参加せんやろ。歓楽街の女王(イシュタル)が良い例や」

 

「ただの気紛れよ。たまには外の空気を吸いたいと思って。ほら、私は中々摩天楼施設(バベル)から出れないから。脱走を試みても眷族(こども)達にとめられてしまうの」

 

「ほーぅ、なら、情報収集に余念がないのはどういう事や? いつもは眷族達に一任しているやろ」

 

「それだと、まるで私が何か悪事を企んでいるみたいね」

 

「だからさっき言うたやろ。何をやらかす気や、とな」

 

「なら、もし私が悪事を企んでいるとしましょうか。貴女はどうするの?」

 

「決まっとるやろ──()()()()

 

 フレイヤは笑った。童女のように、無邪気に声を立てて笑った。

 アイズがぱちくりと瞬きする中、ロキは決して油断しない。目を細め、敵対派閥の主神を射貫く。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが誇る都市最大派閥──【ロキ・ファミリア】、そして、【フレイヤ・ファミリア】。

 両派閥の小競り合い、蹴落とし合いは何度も行われている。一度(ひとたび)、無法地帯である地下迷宮(ダンジョン)で鉢合わせば、彼等は無言で武器の矛先を向けるだろう。

 都市を巻き込む抗争こそ未だに行われていないが、主神の意向によっては、いつ勃発しても可笑しくない。

 絡まる視線、交わされる無言の笑み──そして、神威の激突。

 やがて、脱力したのはロキの方だった。

 

()()

 

 フレイヤは何も言わなかった。ただ、妖しい微笑を携えていた。

 だがしかし、ロキはかえって確信を持ったようだった。神威を霧散させ、呆れを隠さずに言う。

 

「これで何人目や、この腐れおっぱい」

 

 美の女神フレイヤには、一つの欠点があった。

 それは多情──つまり、男癖がとても悪いのである。それは神々の間では周知の事実であったが、彼等はそれも魅力だと(のたま)っていた。実際は女神の肩を持つことで、気に入られ、あわよくば男女の営みをしたいという下心があるのだが。

 気に入った異性──同性も稀にだがある。どちらも下界の子供達だ──を見付ければすぐさまアプローチし、自分のモノとする。権能である『美』を駆使するのに躊躇う理由は彼女になかった。

 

「うちの推理を聞くか?」

 

「ええ、是非」

 

「ジブンはある一人の可哀想な子供に目を付けた。せやけど、ある誤算があった。その子供は既に『神の恩恵(ファルナ)』が刻まれていた……ようは、他【ファミリア】の眷族だった」

 

 神であれば『恩恵』の有無は一目見れば看破出来る。

 

「ジブンはどうしてもその子供が欲しかった。せやけど、もしその子供がうちみたいな大手派閥だったら、【フレイヤ・ファミリア】であっても大損害や。だから『神の宴』に参加した。幸い、主催者は【群衆の主(ガネーシャ)】や。オラリオに居る全員に招待状は届く。ジブンは意気揚々と参加し、無事、何処の派閥の者なのかを探り当てた──こんな所やろ」

 

 ぱちぱちぱち、と拍手が送られる。それは正解だと認めるもの。

 推理を披露したロキの顔に達成感はなく、ただただ、面倒臭そうな表情を浮かべていた。

 フレイヤはにこりと笑い、こう言った。

 

「流石ね、ロキ。けれど満点ではないわ。私はその子が何処の【ファミリア】なのかを既に知っていたもの。その子は迷宮都市(オラリオ)に来てからというもの面白いことを沢山やっていてね、一部の界隈では人気らしいわ」

 

「はぁ? なら何でわざわざリスクを冒してまで……」

 

「そうね……色々とあるけれど、一番は主神(おや)に会いたかったから、かしら。その子のことを聞けるかもしれないでしょう?」

 

 理解出来ひんな、と計略の女神(ロキ)は頭を振った。

 自分ならもっと用意周到にやるからだ。やるからには徹底的に、それが彼女のポリシーである。

 だが、目の前の女神は敢えて取らなくて良いリスクを取ったという。それが彼女には理解出来なかった。

 深々と溜息を吐いたロキは、ぐでーっとテーブルに突っ伏した。外から聞こえてくる子供達の賑やかな声を拾い、笑みを浮かべる。その姿勢のまま、

 

「で?」

 

 と、脈絡もなく言った。

 フレイヤが首を傾げる気配を感じつつ、さらに尋ねる。

 

「どんなヤツや。聞かせろ。うちの心労を思えば、聞く権利がある筈や」

 

「随分と横暴なことを言うのね。けれど、そんな貴女は嫌いじゃないわ」

 

「しゃらくさい。はよ、言え。さっきも言うたけど、この後はアイズたんとのデートが待ってるんや」

 

「奇遇ね。実は私も、この後は用事があるの」

 

 フレイヤはそう言って、空を眺めた。

 雲一つない快晴。正しく祭り日和だろう。

 おもむろに、彼女は自身の銀の瞳を指さした。

 

「私の眼のことは知っているでしょう?」

 

 こくりと、ロキは頷いた。

 女神フレイヤには、『洞察眼』と言うべき下界の者──『魂』──の本質(いろ)を見抜く瞳がある。

 それは神々の間で使用禁止と取り決められた絶対無比な『神の力(アルカナム)』──ではない。あくまでもそれは性質、つまり先天的能力(スペック)であるので、ルール違反にはならない。

 彼女は以前からこの瞳を用い、天界に建つ自身の(やかた)へ、生前、『英雄』と呼ばれた下界の者を運んでいたのだ。

 

「阿呆な男神(おがみ)や子供達は、ジブンの正しか見ぃへん」

 

 美の女神が司るのは、『美』だけではない。

 ──『美』と、そして『愛』。正と負。

 それが彼女が併せ持つ二面性だ。

 彼女のお眼鏡にかなった者は幸運だと、一般的には言われている。何せ未来永劫美の化身に可愛がられるのだから。それは快楽の連続だ。

 だが──と、その意味を知っているロキはとんでもないと思う。

 それは無限に続く束縛に他ならないのだから。そこに自由はなく、女神から逃げる術はない。

 

「かぁー、やっぱそれ、チートやな、チート。死に腐れチートや!」

 

 天界から下界に場所を移しても、彼女の()()は変わらなかった。否、寧ろ酷くなったかもしれない。

 直接間近で『魂』を視ることが叶ったのだから。

【フレイヤ・ファミリア】が都市最大派閥と至った一因には、これが大きく関係している。『英雄』の『器』を最初から選定出来るのだから、ロキが非難するのは仕方がなかった。

 とはいえ、フレイヤはこれからも趣味を続ける気満々である。「話を戻しましょう」と言い、

 

「私はその時、自分の眼を疑ったわ」

 

「……どういう意味や?」

 

「言葉通りの意味よ」

 

 フレイヤは『熱』に浮かされたように、早口で言った。

 

「子供達の『魂』の本質(いろ)は千差万別。けれどね、ロキ。『英雄』と称される彼等の『魂』は、根本が酷似しているのよ」

 

「……それはうちとジブンの眷族も一緒なんか?」

 

「『個性』はあるけれど、あくまでも『根源』は同じね」

 

 へえ、とロキは驚く。

 彼女に構わず、フレイヤはさらに言う。

 

「けれど、あの子は違ったの。『魂』の在り方が違う、とでも言うのかしら。だから……ええ、私はとても驚いた。目を見張った。でもそれは、決して、私の見間違いではなかったの」

 

「なんや、まさか『運命』だとでも言うつもりか?」

 

「『運命』? いいえ、いいえ! あれは決して『運命』なんて言葉では片付けられない。敢えて言うならば──そう、『必然』よ」

 

 吐息は『熱』を伴っていた。

 自分一人で勝手に盛り上がっていくフレイヤを見て、ロキは堪らずに「お、おお……」とドン引きした。これ程までにドン引きしたのは初めてである。

 

(なんか……推しを語る『オタク』やな、今のこいつ)

 

 控え目に言って気持ち悪かったが、すぐに気付く。

 ──あっ、これいつものうちや。

 ロキは落ち込んだ。それはもう、落ち込んだ。

 アイズは二柱の女神を見ておろおろする。

 片や一柱(ひとり)は満面の笑み。片やもう一柱(ひとり)はどんよりとした空気を纏っているのだ。しかも後者は自身の主神だ。

 

「……まぁ、分かった。そんで、ジブンはその子供に夢中になっているということやな?」

 

「そうね」

 

「とうとう認めおったで、この色ボケ女神!」

 

 ふふっ、とフレイヤは笑った。

 その笑みを見たロキは、猛烈に嫌な予感に襲われた。

 

「ロキ、貴女には一つお願いがあるの」

 

「……うちは何も聞いておらん! 行くで、アイズ!」

 

「は、はい……」

 

 アイズに声を掛け、ロキは撤退を試みようとするが、時既に遅し。

 

「──(たか)羽衣(はごろも)

 

 ギクッ! ロキは文字通り固まった。

 壊れた機械のように顔を向けると、そこには、腹立たしい程に美しい微笑を浮かべている女神の姿が。

 

「……アイズ、すまんが店の外で待っててくれるか?」

 

「……? 分かりました」

 

 アイズは希薄な表情に困惑を浮かべたが、すぐに無表情に戻ると、フレイヤに一礼してから店を出た。

 それからロキは厨房に入ると、すっかりと身体を小さくしている従業員達に近付いた。

 

「本当にすまんが、暫く、店を貸してくれや」

 

「えっ? ええっ!?」

 

「ほな、これで堪忍な」

 

 混乱している彼等に、無理矢理、金貨を握らせる。それからにこりと微笑んでやると、彼等は顔を青ざめながら、店を出ていった。

 自分達以外に誰も居ないことを確認してから、ロキはどすんと椅子に座った。

 

「相変わらず、強引なんだから」 

 

「対価は払った。あんだけの額があれば一ヶ月は遊べる額や。文句は言わせへん」

 

「それが強引なのよ」

 

 指摘を無視し、ロキは「話を続けよう」と言った。焦りを見せる彼女とは対照的に、フレイヤには余裕があった。

 絶対的優位が今のフレイヤにはある。話を切り出す。

 

「以前貸した鷹の羽衣、欲しい?」

 

 突然のことに面食らいながらも、彼女は本能に従った。

 

「そ、そりゃ……欲しいもんは欲しいけども。あれはオキニやし……」

 

「私と貴女の仲だわ、特別に差し上げましょう」

 

 ほんまか! ロキは飛び付く。

 フレイヤは「女神の真名(まな)に懸けて」と約束した。

 

「何なら、今回、管理機関(ギルド)が【ロキ・ファミリア】に課した罰金──そうね、半分、私が払いましょう」

 

 けれど、とフレイヤはロキが反応するよりも早く。

 

「条件があるの。ええ、とても簡単な条件だわ。──今後の私の行動に目を(つむ)って頂戴」

 

「んなッ!?」

 

「お願い出来るかしら」

 

 それは『お願い』ではなく、『命令』だった。

 ロキは「ぐぬぬぬぬッ……!」と呻く。彼女からすれば、とても魅力的な提案だったからだ。

 まず、天界に居た際、フレイヤから奪った──借りた鷹の羽衣を贈呈(プレゼント)してくれるという。これはとても大きい。これは、使用者が着ると鷹に変身出来るという優れ物で、フレイヤに言った通り、お気に入りなのだ。

 更には、【ロキ・ファミリア】が背負った罰則……罰金も肩代わりしてくれるという。はっきり言って、今の【ロキ・ファミリア】は嘗てないほどの財政危機に陥っていた。『遠征』は事実上の失敗。そして、『ミノタウロス上層進出事件』が拍車を掛けている。【ロキ・ファミリア】への信頼度も、提携している【ファミリア】から落ちたという報告も出ている、既に何箇所かある程だ。

 そして、ハッと。ロキはあることに気付いた。

 

(……『神の宴』に出たのは、うちを釣る為か! 勘繰(かんぐ)ったうちを誘い込み、懐柔(きょうはく)し、行動をしやすくする。これがフレイヤの狙い!)

 

 してやられたと、計略の女神は美の女神を睨めつける。

 すると、フレイヤは悪戯が成功した子供のように、フードの奥で口角を上げた。

 

「……規模にもよる。周りにも被害が出るようなら、介入する。これが妥協案や」

 

「ええ、それで構わないわ」

 

 はあ──とロキは深々と溜息を吐いた。それからダン! ダン! とテーブルを強く叩く。

 

「負けや、負け! うちの負けや!」

 

(いさぎよ)いのね。てっきり、もっと粘るのかと思っていたわ」

 

「よく言うわ。うちがこの場所に来た時点で負け確やさかい。ああ、認めるしかないやろ。せやけどなぁ、覚え取れよ。次に勝つのはうちや!」

 

「楽しみにしているわ」

 

 フレイヤはそう言うと、一枚の羊皮紙を取り出した。自身の神血(イコル)で押印すると、テーブルの上を走らせ、ロキの元に届ける。

 此処に、『契約』が結ばれた。どちらも自分の真名を懸けており、反故することは出来ない。

 

「で、いつから行動するんや?」

 

 計略の女神の問いに、美の女神は答えた。

 

「今からよ」

 

「は、はぁ?」

 

「寧ろ、今日しか機会はないの。あの子の晴れ舞台はね」

 

「晴れ舞台……? 何や、その子供は芸人なんか?」

 

「ふふっ……ヒントをあげると、貴女も無関係じゃないわ」

 

 自分に関係がある? ロキはてんで意味が分かるず首を傾げた。

 

「あら、もうこんな時間。それじゃあ、私は行くわ。また会いましょう」

 

 困惑するロキを置いて、フレイヤは一方的に別れを告げる。ロキは何が何だかさっぱり分からず、店を出ていく彼女の背中を送ることしか出来なかった。

 大通りに出たフレイヤは、フードを目深に被り直す。無論、彼女の『美』がそれで隠蔽出来るはずもなく、偶然、その様子を視界に収めたヒューマンの男は胸を押さえた。

 彼女はそれに構うことなく、裏路地に足を向ける。美の女神は存在しているだけで騒動を起こす為、彼女は陽の光の下を歩くことはあまり出来ないのだ。目的地に向かっていると、前方に、一柱(ひとり)の女神と一人の青年が連れたって現れる。

 

「あら、フレイヤじゃない」

 

 数日振りね、とヘファイストスが気さくに手を挙げて挨拶をした。フレイヤはそれに応える。

 

「ヘファイストス様、お知り合いですか?」

 

 隣の青年が質問すると、ヘファイストスは「あんたねえ……」とこめかみを押さえた。

 

「フレイヤよ、フレイヤ。【フレイヤ・ファミリア】は知っているでしょう? そこの主神よ。私達のお得意様の一つでしょうが」

 

「ああ、なるほど。これは失礼しました、女神フレイヤ」

 

「ごめんなさい。この子、根っからの鍛冶職人なの。だから自分に興味がないことにはとことん興味がなくて」

 

 青年は心外そうに眉を一度上げた。

 ヘファイストスの謝罪に、フレイヤは「気にしないで」と手を振った。その代わり。

 

「もう、ヘファイストスったら水臭いわね。彼氏が出来たなら、教えてくれても良いじゃない」

 

「な、何を言っているのかしら!?」

 

「ふふっ、誤魔化したって駄目よ。今の貴女、宴の時以上に美しいわ。やっぱり傍には男子(おのこ)が居ないとね」

 

「〜〜ッ!?」

 

 ぼんっと瞬時に顔を熟れた林檎のように染め上げる。

 青年は先程の仕返しなのか、笑いながら。

 

「はは、言われてますよ、ヘファイストス様」

 

「貴方は黙っていなさい! ち、違うのよフレイヤ。この子はそんな相手じゃなくて──」

 

「あら、そうなの? ごめんなさいね、私の勘違いだったみたい」

 

「ぁ……い、いえ、勘違いでもなくて……」

 

 平生の冷静さは何処へやら、鍛冶の女神は情緒不安定に陥っていた。

 そわそわと落ち着かなく、青年に視線を送っては、目が合うと逸らすという行為を繰り返している。

 神達が今の彼女を見たら、口をあんぐりとさせ、乙女な麗人の姿に目を擦るだろう。

 

「せっかくの逢引(デート)をこれ以上邪魔しては馬に蹴られそうだから、私はもう退散するわね」

 

「なっ、ま、待ってフレイヤ!」

 

「ご機嫌よう」

 

 フレイヤ──!? ヘファイストスが女神の名前を叫んだ時には、もう、遅かった。

 ヘファイストスはがくっと項垂れ、嘆息する。そして、遭遇したのがヘスティアじゃなかっただけ良かったと思うようにした。

 

「ヘファイストス様、俺、工房に戻って良いですか?」

 

 さらに溜息を吐く。

 ヘファイストスはじろりと青年を見詰めた。

 

「貴方ねぇ……そう言って、もう既に何日もこもっているじゃない」

 

「いやぁー、【ヘファイストス・ファミリア】は最高ですね。鍛冶師一人ひとりに工房をくれるんですから」

 

「こら、煽てても何も出てこないわよ。それで? 今回は何日だったかしら?」

 

「三日ですね。でもヘファイストス様、三日だったら少ない方でしょう。椿(だんちょう)だって、これくらいはやっている筈です」 

 

「貴方達は頻度が可笑しいのよ、頻度が。全く……他の眷族(こども)達も真似するからやめなさい」

 

 善処します、と青年は笑いながら言った。

 態度からして反省していないのは丸分かりだったが、ヘファイストスは「程々にしておきなさいよ」と言うのに留めておいた。

 自分にも身に覚えがある故に、あまり偉そうには言えないのだ。

 

「せっかくのフィリア祭なのに……」 

 

 その代わりに唇を尖らせ、小さく呟く。

 青年は困ったように片頬を搔くと、ヘファイストスの手を取った。

 

「貴女も変わり者だ。なんで俺を選んだんだか」 

 

「先に告白してきたのはそっちじゃない」

 

 ああ、そうでしたねと青年があっけらかんと笑うものだから、ヘファイストスはすっかりと毒気を抜かれてしまった。

 

「それじゃあ、行きましょうか。時間が勿体ない」

 

「……色々と言いたいことはあるけれど、そうね、行きましょうか」

 

 二人は歩みを始める。

 女神と下界の子供。存在は違うが、その本質は同じだ。ならば、そこには確かに『愛情』がある。

 

「今回こもっていたのは、やっぱり──」

 

 青年は頷いた。

 

「俺の剣が、一本、売れたんです。それが嬉しくて、つい。他の奴等が聞いたら、何を今更だと思うでしょうが」

 

「……そうね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その『異能』を使ってね」

 

「そして、冒険者達(きゃく)はそれを求めている。だがそれは『俺の力』であって、『俺の打った剣』じゃない。だから──『俺の打った剣』は売れない。ましてや【Hφαιστοs】のロゴが彫られてないなら尚更だ」

 

「貴方にはその資格がある。【ヘファイストス・ファミリア】の中核を担う貴方には。けれど、貴方はそれをしない。いっそ、意固地になっていると思わせる程に」

 

「ええ、否定はしませんよ。『俺の打った剣』が店から離れることは全然ない。当然だ、製作者が分からない武器を買うのは、余程の酔狂者くらいだろうさ」

 

「でも、『貴方の打った剣』は売れた。おめでとう──って言うのは早いのかもしれないわね」

 

『青年の打った剣』が冒険者の手に渡ったことはこれまでに何回かあった。しかし彼の正体を知った者は、例外なく『青年の打った剣』ではなく、『青年の力』を見る。彼は落胆を隠しながら、しかし、鍛冶師として『力』を(ふる)うのだ。

 

(お願い、誰かこの子を視てあげて……)

 

 その光景をヘファイストスが何度目にして来たのか、それはもう分からない。

 だから感情の赴くままに打ったのね、とヘファイストスは胸中で呟く。彼女の視線は青年の背中に注がれた。

 果たしてそこには、一本の剣が吊るされていた。リーチからして、片手直剣(ワンハンド・ロングソード)だと見当をつける。

 

「出来に自信は?」

 

「あります。俺がこれまでに打ってきた作品、その最高傑作が更新されたと、自負があります」

 

 地味な色の鞘袋に包まれているそれは、未だに産声を上げていない。

 青年は自身の作品(こども)を一度優しく撫でた。さらに言葉を続ける。

 

「俺の思い過ごし、勘違いかもしれない。そんな筈がない、起こり得る筈がない。荒唐無稽な話だ。そんなことはわかっている。これまでもそうだった。だが、変だな。今回は違う。根拠はないのに、確信がある。何よりも、俺の血が騒いでいる。運命なんてものを信じる柄じゃないが──俺達の物語(みち)が再び交わろうしているのを感じる」

 

 燃えるような赫灼の髪を揺らし、同色の瞳を閉ざして。

 何かを懐かしむように。そして──()()()()()()()()()()

 青年は朗らかに笑う。

 

「俺は此処に居るぞ。もしお前が居るのなら、早く会いたい。俺を無二の友と呼んでくれた、お前にな」

 

 なぁ、お前はどうだ? と青年は喉奥でその言葉を紡いだ。

 主神(ヘファイストス)が息を呑んでいるのを気配で感じつつ、彼は空を見上げた。路地裏から覗く蒼穹に染みはなく──今日も空は青く、美しかった。

 



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斯くして、逃走劇は始まった

 

 怪物を見事調教(テイム)してみせた調教師(テイマー)に拍手が(おく)られる。賛美と称賛の声が闘技場を行き交う中、アナウンスが流れた。

 

『ここで怪物祭(モンスターフィリア)は昼休憩に入らせて頂きます! 次の開演は一時間半後ですので──』

 

 観客はそこでようやく、今の時間を思い出した。時刻は正午を回ろうとしている。

 彼等は現在時刻を認識すると、空腹を感じた。一度覚えるとそれを強く意識するもので、四方に巡らされ、外に通じているゲートに向かうべく、席を立ち始める。

 

「私達も行くとしよう」

 

「そうですね……時間も限られていますから」

 

 なら決まりだと、ベルは軽やかに席を立つ。そのままシルを見下ろし、手を伸ばした。

 彼女はぽかんとしてから、微笑むと、「お願いします」と差し出された手を取った。

 

「ごめんなさい。お昼、用意すれば良かったですね」

 

 昼食を予め用意してきた者達は既に風呂敷を広げていた。ベルはわざとらしく。

 

「貴女の手料理を食べられないのは非常に残念であるが、なに、(まつ)りで売られている料理は格別に美味しい。だから、次の機会を待つことにしよう」

 

「そうですねー」

 

「あれ!? 対応冷たくない!?」

 

「そんなことありませんよ」

 

 ただ、耐性がようやく出来てきただけだと、シルは内心で呟いた。今だって正直危なかったと、首筋には冷や汗が流れている。

 逸れないように注意しながら、混雑極まる廊下を渡りきり、ようやく、二人は闘技場正門に辿り着いた。

 

「凄いな……まだ人が並んでいるぞ」

 

怪物祭(モンスターフィリア)も世界的に有名になってきたのだと思います。それこそ、最初の年は数える程しかお客さんは居なかったそうです」

 

「それが今ではこれか……」

 

 ベル達が入場する際に並んだ列は、未だに多くの人で構成されていた。減るどころか寧ろ増えており、ベルはつくづく、早く並んで良かったと思った。

 

「さて、シルは何を食べたい?」

 

「そうですね……正直なところ、何でも構いません。ベルさんと一緒なら、どんな料理も美味しくなりますから」

 

「いやぁー、何だか照れるなぁー!」

 

 少年は少し頬を染めて、片頬をぽりぽりと搔いた。

 歳相応の反応を見て、シルは反撃はここからだと己を鼓舞する。歳上の矜恃(プライド)が試される時が来た。

 ふっふっふっと黒い笑みを巧妙に隠していると、ベルは「取り敢えず」と提案する。

 

「適当にぶらぶらと歩いてみないか。それが祭の楽しみだと思うのだが、どうだろう?」

 

「賛成です!」

 

「あとはそうだな……個人的な用事になってしまうのだが、ヘスティアの様子を見たい。何でも、彼女の勤め先が今日は此処で屋台を出しているそうなんだ」

 

「まあっ、そうなんですか! ヘスティア様はとても可愛らしい女神様ですから、さぞかし人気があるでしょう」

 

 そうだろうそうだろう! と眷族(こども)主神(おや)が褒められたものだから、鼻穴を大きくした。

 闘技場に続いている長蛇の列は、通行人の邪魔にならないよう、道脇で三列ほどになっていた。拡声器を持った『都市の憲兵』である【ガネーシャ・ファミリア】や管理機関(ギルド)の職員達が指示を出している。

 大変そうだと、ベルとシルが話をしていると、

 

「ベル君!」「やっほ〜!」

 

 二人の女性がベルに声を掛けた。

 ハーフエルフとヒューマンという、異なる種族の二人組は管理機関(ギルド)の制服を着ている。

 

「エイナ嬢、それにミィシャ!」

 

 三人は簡単に挨拶を交わした。それから、突然のことに戸惑っているシルの為にベルが仲介人になる。

 

「シル、こちら私の担当アドバイザーのエイナ・チュールだ。もう一人はミィシャ・フロットで、彼女もギルドに勤めている」

 

「改めまして、はじめまして。わたくし、ベル・クラネル氏の迷宮探索アドバイザーを務めております、ギルド事務部所属、エイナ・チュールと申します」

 

「同じく、ミィシャ・フロットでーす!」

 

 紹介された二人は慇懃(いんぎん)にお辞儀した。徹底的に仕込まれているその所作は美しく、接客業を担っているシルが戦慄を覚える程であった。

 

「エイナ嬢、ミィシャ。こちら私の友人のシル・フローヴァだ」

 

「はじめまして。西のメインストリートにある酒場、『豊穣の女主人』で主に給仕を担当しています、シル・フローヴァと申します。お二人とも、機会がありましたら、是非当店をご利用になって下さい。サービスしますから!」

 

 商魂たくましい看板娘の宣伝に、エイナとミィシャは苦笑いした。それから「今度、是非」と約束をする。

 挨拶が一通り終わったところで、ミィシャが若い男女(カップル)に尋ねた。

 

「何なに〜、ベル君達は逢引(デート)中〜?」

 

「ちょっと、ミィシャ!?」

 

 真面目を地で行くハーフエルフは「失礼だよ!」と親友を叱る。しかしミィシャはへにゃへにゃと笑うだけで、

 

「いやぁー、まさかベル君に意中の相手が居たなんて〜。今回のフィリア祭で射止めるつもりなのかなぁ〜?」

 

 このこの〜、と少年の頬を肘でぐりぐりする。

 ベルはにこにこと笑みを浮かべて、何も答えることはしない。下手な返答をすると、この、噂好きなミィシャによって広められることがわかっているからだ。

 そんな風に攻防を繰り広げていると、雷が落ちた。

 

「こら、ミィシャ!」

 

「は、はいぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 

 びくっとミィシャは両肩を震わせ、恐る恐る親友に振り向いた。果たしてそこには、阿修羅(あしゅら)が居た。

 

「ベル君が困っているでしょう! フローヴァさんだって!」

 

 堪忍袋の緒が切れたエイナは、それはもう恐ろしいオーラを纏っていた。ミィシャは姿勢を正して、

 

「ご、ごめんなさーい!?」

 

 悲鳴を上げる。

 ちょうど、美女達に囲まれている少年に野次を飛ばそうとしていたヒューマンの独身の中年男性は、すんでのところで命の危機を脱した。

 くどくどと衆人環視の前で親友から説教を受けたミィシャは涙目になりながら、頭を下げた。

 

「ごめんね、ベル君にフローヴァさん」

 

「私からもごめんなさい」

 

「気にしないで下さい。それと、私のことは『シル』と呼んで頂いて構いませんから」

 

 そういう事ならとエイナとミィシャも自身の真名で呼ぶよう訴え、シルは快諾した。

 

「全く……二人が許してくれたから良かったものの……ミィシャはもう少し落ち着きを持った方が良いよ」

 

「うっ……え、エイナだって気になっていた癖に」

 

「なっ!?」

 

 だってそうじゃん、とミィシャは反撃を開始する。

 

「エイナが先にベル君達に気付いたし」

 

「おや、そうなのか?」

 

「そうなんだよ。すぐに気付いてさ! 私の服の袖を引っ張って『ベル君が居る!』って言ってきたの」

 

「そ、それはそうだけど……」

 

 エイナは語尾を濁した。

 見覚えがある処女雪を思わせる白髪。さらには、聞き慣れてしまった、劇者を連想させる声色。それを彼女が先に発見したのは、紛れもない事実だった。

 頬を仄かに赤く染めながら、エイナはちらちらと街娘に視線を送る。それに気付いたシルは可愛らしく小首を傾げた。

 

(ベル君がこんな美人な女性(ひと)と……)

 

 まさか逢引(あいびき)しているだなんて、とエイナはその感想を胸に留めた。

 受付嬢エイナ・チュールは冒険者……特に自分が担当する冒険者とは仲が良い。ともすればそれは、先輩や上司から小言を度々貰うくらいには。

 そんな彼女は、ベル・クラネルという少年に対してさらに一歩距離を縮めているという自覚があった。

 彼に恋している訳ではない。そこは断定出来る。

 ──それじゃあ自分達の関係は? 

 暫く悩んだ末、彼女は答えを出した。

 ──出来が悪い弟を放っておけない姉。

 空気を読まないぶっ飛んだ言動。さらには、毎回のように爆弾を持ってくるのだ、しかも悪気がないのだから(たち)が悪い。

 つい数日前、彼が【勇者(ブレイバー)】を連れてギルドに訪れてきたのには思わず仰天し、一緒にダンジョンに潜ると言い出した時は思わず大声を出してしまった。その所為で上司からは叱責を受けてしまった。

 目を離すと何をしでかすか分からない問題児。それがベル・クラネルだ。何度同僚から憐憫の眼差しを送られたことか。何度親友に愚痴を零してしまったことか。

 そんな風に思っている弟が、歳上の女性──ベルが十四歳なため、推測になってしまうが間違いないだろう──、さらには、美少女とかなり親しげな様子で手を繋いで歩いていたのだ。その時のエイナの衝撃はとてもではないが、言葉では言い表せられない。現に今も二人の手は(むす)ばれている。

 弟の知らない面を見せられている気がして、また、母から引き継いでいる妖精(エルフ)の血によって、エイナが複雑な気持ちを抱いていると。

 

「お二人はやっぱり、怪物祭(モンスターフィリア)のスタッフとして?」

 

「うん、そうだよ! 【ガネーシャ・ファミリア】だけじゃ足りないからね! もうすぐ休憩が終わるから、戻ってきたところなんだ〜」

 

 元気良く答えるミィシャ。シルが美味しいご飯を出してくれる店に心当たりはないかと相談すると、彼女は破顔してから、すらすらと候補を出していく。

 終わったところで、エイナが「あっ」と声を上げた。

 

「ミィシャ、そろそろ行かなきゃ」

 

「あっ、ほんとだ!」

 

「ベル君、シルさん、私達は此処で」

 

「じゃあね〜!」

 

 ベルとシルは手を振って二人を見送る。彼女達の姿が見えなくなったところで。

 

「随分と仲が良いんですね」

 

 シルがそう言った。

 ベルは笑顔で首肯する。彼女の言葉の意味を考えず、

 

「ああ、とてもお世話になっている」

 

「……ふぅーん。そうなんですか」

 

 面白くなかった返答だったので、ふいっと、シルは顔を逸らす。

 

「し、シル……?」

 

 少年の戸惑った気配を感じながら、内心で自虐する。

 なんて面倒臭い女だろうかと、彼女は思った。

 見目麗しい女子(おなご)達と談笑するベルを見ていたら、嫉妬心がふつふつと湧いてきたのだ。今、彼と逢引(デート)しているのは自分だという思いがそうさせた。

 ある程度時間が経つと、次に覚えるのは自己嫌悪、そして、後悔。こんな身勝手な女だ、嫌われても文句は言えない。

 やってしまったという、悔恨の念を抱いていると、「シル」と名前が呼ばれた。謝らなくちゃという一心で振り返る。

 

「ベルさん、私──」

 

「ご飯を食べに行きましょう!」

 

「……え?」

 

 そこには、いつもと変わらない、胡散臭そうな、けれど優しい笑みを浮かべているベルが居た。

 

「貴女が不機嫌になったのは、お腹が空いたからだ。なら、美味しいものを食べましょう。そうすればきっと、貴女は笑顔になれる」

 

 シルは笑った。

 声を立てて、この、道化のように振舞(ふるま)う少年が面白可笑しくて、心から笑った。それから、穏やかな気持ちで言う。

 

「ごめんなさい、ベルさん」

 

「何について謝られたのかは分かりませんが、受け取りましょう」

 

「それと、私はあまり空腹じゃありませんから。もう……女性に失礼ですよ?」

 

「なんと! これは失礼しました!」

 

 ベルはにやりとすると、懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出した。朗々と(うた)い、すらすらと軌跡を刻む。

 

「綴ろう、我が英雄日誌! ──『美しい女子(おなご)とのデート中、少年ベル・クラネルは軽率な発言をしてしまい怒られるのだった』──うむ、女心とは難しいものだ」

 

「ふふ、ちゃんと勉強して下さいね」

 

 それから二人は、ミィシャが紹介してくれたうちの一つである、目抜き通りに面している喫茶店に入店する。

 

「これは……」

 

「お客さん、少ないですね……。可笑しいですね、ミィシャさんが言うには、此処のランチはとても美味しくて人気があるらしいんですが……」

 

 木目調で落ち着いた内装の店内は、しかし、席はあまり埋まっていなかった。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 顔を見合わせていると、ウエイトレスが殊更に明るい笑顔で近付いてきた。決して客を逃がさないという強い意志を感じさせる。

 彼女は「二名様、ご来店でーす!」と叫んだ。それに返すのは厨房に居る料理人や、給仕達。

 此処は喫茶店ではなくて酒場なのでは? とシルは思ったが、口には出さなかった。

 

「お好きな席にどうぞ!」

 

「だそうだが、シルは何処が良いとか希望はあるか?」

 

「うぅーん、そうですね……折角ですから、二階が良いです」

 

 シルがそう言うと、ウエイトレスは引き攣った笑みを浮かべた。それに二人は益々訝しく思ったが、今更退店することも出来ず、二階に通じる階段に向かう。

 二階は全て空席だった。シルは窓際の、大通りが一望出来る席が良いと言い、ベルは快諾した。ウエイトレスはいよいよ顔を青ざめさせていたが、専門職(プロフェッショナル)として根性を出し、注文を聞いた。「少々お待ち下さい!」と、脱兎(だっと)の如く姿を消す。

 

「私達が来る前に何かあったのでしょうか?」

 

「だろうな。おおかた、神が暴れたりしたのだろう」

 

「もうっ、ベルさんったら。ヘスティア様が聞いたら『不敬だぞ!』って怒られますよ?」

 

「ははっ、違いない」

 

 ベル達以外に客が居ないので、実質的に貸切状態だ。多少騒いでも注意を受けることはない。

 談笑を楽しんでいると、ものの数分で料理が運ばれる。先程のウエイトレスではなく、今度は兎人(ヒュームバニー)の男性だった。あまりにもぎこちなく、不振な動きに見ている方が心配になる。

 

「おおおおおおお待たせ致しました。こ、こちら──」

 

 彼は無事に仕事をこなすと、そそくさと厨房に姿を消して行った。

 微妙な空気が流れる中、ベルが気を取り直すように「食べようか」と言った。

 サーブされた料理は、噂好きのミィシャが紹介するだけあって、とても美味だった。しかし、店内に流れる何とも言えない空気。従業員達が必死に取り繕うとしているが、それは誰の目から見ても失敗していた。

 ベル達は食べ終わるとすぐに退店した。メインストリートに出ると、すぐに『熱』が彼等を襲う。

 

「ジャガ丸くんの屋台を探そう」

 

「ヘスティア様に会いに行くんですね」

 

 肉が焼ける香ばしい匂いが充満する大通り。至る所で商人達が露店を開いては客寄せをしている。

 ジャガ丸くんの屋台を探しつつ、ベルとシルの二人は店を覗いて行った。珍しい物や怪しい物など、商品は多岐にわたる。物色していると、シルが恥ずかしそうに。

 

「ごめんなさい。私、お手洗いに……」

 

「分かった。私は此処に居るから」

 

 シルの姿が見えなくなったところで、「さて」とベルは呟いた。

 

「デートをしたら、女子(おなご)に何か贈物(プレゼント)するのはマナーだと、祖父が言っていた。孫として、祖父の教えは守らなければ!」

 

 時間的猶予はあまりない。

 だが、ベルはこの時を虎視眈々と狙っていたのだ。手早く英雄日誌を取り出すと、書き出していく。

 

「綴るぞ、英雄日誌! ──『少年ベル・クラネルは女子(おなご)を喜ばせる為、一人、贈物(プレゼント)を探す。果たして彼女に見合う素敵な物は見付けられるだろうか。男子(おのこ)としての才能が、いま、問われる!』──いざ、参らん!」

 

 とはいえ、実の所、既に目星は付けてあった。露店に向かい、店主に「これが欲しい」と即決。綺麗に包装されたそれを受け取ると、急いで元の場所に戻った。

 

「良かった……間に合ったか」

 

 ふぅ、と息を吐く。

 それから数分後、シルがやって来た。何やら上機嫌のようで、鼻歌を歌っている。

 ベルが訝しんで「どうかしたか?」と尋ねても、

 

「いいえ、何でもありません♪」

 

「……?」

 

「さあ、行きましょうベルさん! さっき、小さな女神様が売り子をしていると、そんな話を耳に入れました!」

 

 シルがベルの手を引っ張り、案内する。雑踏を掻き分けていくと、二人は殊更大きい人集りを発見した。

 頭上に高く掲げられているのは、手書きのジャガ丸くんが写されている暖簾だ。

 

「これは……気軽に挨拶が出来る状況じゃないな……」

 

「並ぶしかないようですね」

 

 屋台は大盛況していた。【ガネーシャ・ファミリア】の構成員が一人配置されている。

 

「最後尾は此方です! 決して横入りしないよう、お願い致します!」

 

 指示に従い、ベル達が並ぶこと、数十分。

 ようやく二人の番がやって来た。小さな女神がトテトテと注文を聞きに来る。

 

「いらっしゃいませ──って、ベル君!? それに給仕君も!」

 

「約束通り会いに来たぞ、我が主神よ!」

 

「お久し振りです、ヘスティア様」

 

 己の眷族と知人の登場にヘスティアは驚いた様子を見せたが、すぐに我を取り戻すと「いやぁー、来てくれて嬉しいよ!」と破顔した。それから声を張り上げ。

 

「おばちゃーん、サービスしても良いかい!」

 

「ははっ、少しくらい構わないよ! ヘスティアちゃんのおかげで大繁盛だからね!」

 

「という訳だ、好きなものを頼むといいさ!」

 

 遠慮は無用だと、ヘスティアはグイグイとおすすめメニューを提示していく。

 神らしい強引な姿勢にベルとシルは苦笑いしてから、言葉に甘えることにした。怪物祭(モンスターフィリア)限定メニューを選ぶと、ヘスティアが「ありがとうございまーす!」と叫ぶ。打って響くように、跳ね返ってくる従業員達の声。

 

「はい、お待ちどお!」

 

 一つの紙袋が渡される。僅かに覗いている隙間からは香ばしい匂いが漂ってきた。

 

「ありがとう、ヘスティア」

 

「ありがとうございます。大事に食べますね」

 

「おうともさ! ベル君、しっかりと給仕君を家まで送り届けるんだぜ?」

 

「もちろんだとも」

 

「……給仕君も、ベル君が迷惑を掛けてないかい?」

 

「ふふっ、全然です♪」

 

「……なら良かったよ。──さあ、行った行った! 次々とお客さんが待ってるからね!」

 

 ヘスティアは急かすように、ベルの背中を押した。

 持ち場に戻っていく女神にお辞儀をしてから、二人は、そろそろ昼休憩が終わるので、会場に戻ることに決めた。

 ジャガ丸くんを食べ歩きしていると、不意に、

 

『────ッ!』

 

神の恩恵(ファルナ)』が刻まれ、常人よりも強化されたベルの聴覚が、その音を拾った。

 ぴたりと、ベルは足を止める。

 シルも釣られるようにすると、「どうかされましたか?」と尋ねた。

 

「気の所為か……?」

 

「ベルさん?」

 

「ああいや、何でもない」

 

 と言ったベルであったが、移動を再開することはしなかった。

 深紅(ルベライト)の瞳を右往左往させ、耳を澄ませ、抱いた違和感の正体を探る。

 

(あれは、いったい……?)

 

 獣のような遠吠えがベルは聞こえた気がしたのだ。

 怪物祭(モンスターフィリア)が再開された円形闘技場(アンフィテアトルム)からならモンスターの雄叫びだと納得出来るが、もうすぐで終わるとはいえ、今はまだ昼休憩中だ。

 虫の知らせというものなのか、一筋の脂汗が首筋に流れる。第六感(シックス・センス)に導かれるまま、彼は低い声を出す。

 

「……シル、此処を離れよう」

 

「ベルさん……?」

 

「何だか……嫌な予感がする」

 

 戸惑いと困惑の表情を浮かべるシルの手をやや強引に引っ張って、ベルは来た道を戻ろうとした──

 その時だった。

 

「きゃ、きゃあああああああああ!?」

 

 闘技場の方から、一つの悲鳴が出る。

 何事かと人々は振り返り──『それ』を瞳に映す。

 

『ルグァァアアアア……!』

 

 それは人類の敵であった。それは恐怖の象徴であった。

 妖しく濁った赤眼、強靭な肉体は見る者に恐怖心を抱かせ、足を竦ませた。

 (つんざ)くような金切り声が、誰かの口から出る。『それ』の真名を、唇を震わせながら紡ぐ。

 

「も、モンスターだあああああああああああ!?」

 

 ベルは見た。

 距離はある。だが、確かに見たのだ。

 我が物顔で表通りを闊歩する一匹の獣を。

 人垣が割れ、姿が明瞭となる。幸か不幸か、そのモンスターはベル達の方に来ることはなく、姿を眩ました。

 何故、モンスターが街に居るのか。その疑問を解く為、ベルは近くの【ガネーシャ・ファミリア】の団員を呼び止める。

 しかし、獣人の男が返したのは、

 

「お、俺も分からない!」

 

 というものだった。

 

「理由に心当たりは何もないのか!?」

 

「……まさか、檻から脱走したのか……?」  

 

「なッ──!?」

 

「誰かが檻から解き放ったとしか考えられない。鍵を使えば、容易な筈だ……」

 

 兎に角、君達は避難をしてくれ! そう言うや否や、『都市の憲兵』は走り去っていった。

 ベルは周りを見渡す。深紅(ルベライト)の瞳が映したのは、地獄絵図(じごくえず)だった。

 立ち尽くす者。逃げ(まど)う者。泣き喚く者。力がない市民は、突如として襲いかかってきた災厄(さいやく)に対処出来ない。

『都市の憲兵』とギルド職員が協力し、落ち着いて避難をするよう呼び掛けているが、何処が安全なのかすら分からないこの状況では無意味だった。寧ろ呼び掛けている彼等が動揺している為、かえって混乱を生み出している。

 

(くそっ……どうする!? どうすれば良い!?)

 

 思考を懸命に回す。

 現在分かっているのは──モンスターが脱走したらしいということのみ。それすら情報としては不明瞭だ。

 何匹逃げたのか、何処に居るのか。人々の狂乱と共に、情報は拡散している。迷宮都市(オラリオ)中に広まるのも時間の問題だろう。

 ベルは考えに没頭していた。故に、気付かなかった。普段なら気付いていたであろう、死の気配に。

 

「べ、ベルさん……!」

 

 シルが恐怖を乗せた声音で、ベルの服の袖を引く。

 そこでようやく、ベルは気が付いた。我に返った彼は、一直線に急接近してくる存在を視界に収める。

 

「んなっ……!?」

 

 愕然と口を半開きにする。

 あまりにも遅い判断──致命的なミス。

 建造物の屋根から屋根を渡ってきた魔物は、ベルを嘲笑うかのように上から見下ろした。

 交錯する異なる色の瞳。

 

『ルグググゥ……』

 

 獣は身軽な動作で地面に着地。衝撃で石畳が飛び散る。

 そのモンスターは純白な毛並みに覆われていた。ごつい体付きの中で両肩と両腕筋肉が異常に発達しており、隆起(りゅうき)している。銀色の頭髪は陽の光を反射して白銀(はくぎん)に輝き、背を流れており、それはまるで尻尾のよう。

 ベルは喉奥から掠れた声を出し、喘ぐ。戦慄と共に、獣の真名(まな)を言った。

 

「シルバー、バック……!」

 

 応えるように、シルバーバックは身体を大きく仰け反らした。猛々(たけだけ)しい轟きが天を貫く。

 

『ルグァアアアアアアアアアアアアアア!』

 

「……ッ!」

 

 意識を瞬時に切り替え、ベルは調革(ベルト)に吊るしている愛剣に手を伸ばし、勢いよく抜刀。純白の刀身が漆黒の鞘から()かれる。

 

(来るッ!)

 

 迫り来る攻撃に備えようと──したところで、ベルは目を見張った。

 

(違う、この軌道……! 狙いは私じゃない!?)

 

 シルバーバックはベルなど眼中になかった。

 この時のベルは何も知らなかったが──()()()()()()()()()()()()()()()()()怪物(どうほう)達の気配は既に幾つかなく、消失している。

 そして『目印』──目標はすぐそこにあった。つまり、達成出来るのは自分だけだ。ならば、そこに向かうのが道理。

 

「え……?」

 

 一歩踏み込んで、ベルから少し離れた所で呆然としているシルに剛腕を伸ばす。彼女の華奢な身体が大きな掌に包み込まれる、直前。

 

「──ッ!」

 

 すんでのところで、ベルが間に合った。右手で彼女を胸に抱き、野猿の腕から逃れる。しかしそのまま、受け身を取ることが出来ず背中から壁に激突した。

 鈍い痛みがじんわりと全身に広がっていく。

 

「がはッ……! けほッ……!」

 

「ベルさん! そんな……私を庇って……!」

 

「だ、大丈夫──、シル!」

 

「きゃっ!?」

 

 またもや間一髪。ベルはシルを抱き寄せ、魔の手から脱出した。

 

『グルルルルルゥゥウウウ……!』

 

 一度ならず二度までも邪魔されたシルバーバックが唸り声を出す。そして、邪魔者を強く睨めつけた。

 殺気が込められた視線がベルに襲うが、彼はそれに構わず思考を爆速的に加速させていく。

 

(シルを狙っている……!? だが、何故!?)

 

 道中、人間(えもの)は何人も居た筈だ。現に今も、逃げ遅れた市民が居る。なのにも関わらず、シルバーバックはベル達の──否、シルの前に現れた。

 

(違う……! シルバーバックだけじゃない! さっきのモンスターもそうだった!)

 

 怪物達(モンスター)に理性はない。あるのは、本能のみ。

 しかし、まるで、何か意図があるかのように。宝探しの遊戯(ゲーム)でもしているかのように、一心不乱に『何か』を探していた。

 ()()()()()()()()()()』──? 

 

(くそっ、だとするなら──脱走した全てのモンスターがシルを!?)

 

 思考の大波に呑み込まれる前に、ベルはかぶりを振った。考えている時間はない。

 ベルは地面に転がっていた愛剣を拾うと、納刀、シルの手を摑んで立ち上がらせる。

 目線を合わせ、深紅(ルベライト)の瞳と鈍色の瞳が絡まったのは一瞬。

 

「失礼!」

 

「えっ──きゃっ!?」

 

 ベルはシルを横抱き──俗に言う、お姫様抱っこ──をすると、裏路地に飛び込んだ。

【ガネーシャ・ファミリア】や管理機関(ギルド)の職員に保護を依頼することは出来ない。彼等は一般市民を避難誘導しなければならず、そこにシルが居たら意味がない。

 

「ははっ、()()()()()()()()……」

 

「あの時……?」 

 

「いや、何でもないさ」

 

 つまるところ、ベルが取れるのは時間稼ぎだ。

 数日前、()猛牛(ミノタウロス)にやったように、時間を稼ぎ、モンスターを引き付け、救助を願う。

 前回と違うのは、今回は独りでの逃走劇ではないということだ。

 シルを抱えた状態で何処まで、どれだけ逃げられるかと──噴出した汗が彼女の顔に流れ落ちた。

 そんな汗を、シルは手を伸ばして優しく拭った。それから、状況にそぐわぬ明るい声を出す。

 

「あのっ、ベルさん!」

 

「何だ!?」

 

「不謹慎ですが……私、かなり楽しいです!」

 

「た、楽しい……?」

 

「はい! だから、楽しみませんか?」

 

「……ええ、そうしましょう!──これから始まるは逃走劇! この先迷宮都市(オラリオ)で語り継がれるであろう、前代未聞、壮大な鬼ごっこの始まりです!」

 

 口角を上げ、笑う。

 薄暗い路地裏をベルは駆け抜けて行った。

 



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混沌と化す、迷宮都市

 

 ベル・クラネルとシル・フローヴァが銀の野猿(やえん)──シルバーバックと逃走劇を繰り広げる、少し前。

 昼休憩を終えた管理機関(ギルド)職員、エイナ・チュールとミィシャ・フロットは持ち場である、円形闘技場(アンフィテアトルム)南側、正門に戻っていた。

 

「お疲れ様です! エイナ・チュール、戻りました!」 

 

「同じくミィシャ・フロット、戻りました! お疲れ様でーす!」

 

「あ、ああ……チュール達か。お疲れ様」

 

 エイナ達の挨拶を、同僚の男性ギルド職員が返す。

 彼は気難しい表情をしており、それを見たエイナはミィシャと顔を見合せた。見れば、彼だけでなく全員が同じような表情を浮かべている。

 先程までにはなかった空気だ。

 アイコンタクトを取り、代表してエイナが尋ねる。

 

「あの……どうかしましたか? 何か問題が?」

 

「いや……問題と言える問題じゃないんだが。なんでも、西ゲートに配置されている職員達が何人かぶっ倒れたらしくてな。その対応を考えているところだ」

 

「問題じゃないですか!」

 

 くわっと、エイナは翡翠色(エメラルド)の目を見開いた。

 美人なハーフエルフに詰め寄られた男性職員は狼狽(うろた)え、それを見かねた彼女の親友が窘めることとなった。

 

「ぶっ倒れたって……熱中症ってことですか〜?」

 

 ギルドの制服は上質な素材で作られているが、雲一つない快晴の今日に於いては、遮るものがない日差しの下で職員は働くことになる。小休憩や昼休憩を度々挟んでいるとはいえ、熱中症で倒れても不思議ではないだろう。

 ところが、男性職員は首を振って否定した。

 

「いや……意識はあるみたいなんだ。ただ、腰を抜かしたみたいにへたり込んでいるらしくてな。多分、酒でも飲んで羽目を外し過ぎたんだと思う」

 

「うっわ〜」

 

「そんな訳だから、使い物にならなくてな。俺達の所から何人か人員を割くらしい。チュールとフロットも心構えはしておいた方が良いぞ」

 

 ミィシャはドン引きした。自身も職務に忠実とはあまり言えないが、流石に、それくらいの分別はあるつもりだ。とはいえ、最近は親友の愚痴に付き合っているのが殆どだが……。

 

(エイナ……カンカンだろうなぁ。ここ最近は問題児(ベルくん)の所為で沸点が低くなっている気がするし……)

 

 ちらりと、恐る恐る親友を見ると。

 エイナは顎に手を当てて真剣に考え込んでいた。

 同僚の情けなさには特に怒りを抱いていないらしいとミィシャが一安心したところで、エイナが小さく呟く。

 

「西ゲート……確か、そこって……」

 

「エイナ……? 気になることでもあるの?」

 

「あぁうん、何か引っかかるなあって思って。お酒だとしても、なんでお昼を過ぎたこの時間帯なのかな……?」

 

「それは……確かにそうだよね……」

 

「それに……ギルド職員(わたしたち)もそうだけど、何処のゲートにも【ガネーシャ・ファミリア】が配置されている。『都市の憲兵』である彼等がそんなことをするとは思えない……」

 

 エイナ・チュールは優秀である。ミィシャが事の重大さに顔を青ざめていく中、彼女は優れた頭脳を働かせていく。

 だが、どれだけ考えても答えには辿り着けなかった。

 下手に騒ぎ立てたら、怪物祭(モンスターフィリア)の運営に支障が出る。ましてやエイナは組織の末端でしかなく、身勝手な行動は出来ない。

 それ故に、エイナは親友に打ち明けることしか出来ない。

 

「ミィシャ、よく聞いて」

 

「う、うん……」

 

「私の勘違いだったらそれで良い。でも、もしかしたら予期せぬ事態が起こるかもしれない。だから、心の備えだけはしておこう」

 

「分かった!」

 

 ミィシャはエイナの言葉を呆れることもせず、馬鹿にすることもせず、そう言った。

 これまでに積み重ねてきた『親友』という信頼関係があるからこそ、彼女は即答出来る。

 それがエイナは堪らなく嬉しかった。「ありがとう」と感謝の気持ちを伝え、どうか、この不安が的中しないことを切に願った。

 

 

 

 ──怪物達(モンスター)が檻から脱走したという一報が彼女達に届いたのは、それから、わずか間もない時間である。

 

 

 

§

 

 

 

 光源が心許ない、暗く、湿った場所。

 此処は円形闘技場(アンフィテアトルム)、地下部にある大部屋。

 魔石灯(ませきとう)は一つを除き沈黙。至る所に影を生み出している。木箱や道具が床に散乱し、壁には武具が立て掛けられていた。

 そして──『檻』があった。鎖に繋がれているのは多種多様な魔物達(モンスター)。観客を楽しませる為、強いモンスターから弱いモンスターまで、幅広く地下迷宮(ダンジョン)で捕獲され、収容されているのだ。

 口から涎を垂らし、唸り声を上げ、時には脱走を図ろうとする音が頻りに響く。しかしダンジョンで採掘出来る特別な鉱石を用いて作られた檻はとても頑丈であり、破壊される事はない。

 (はな)やかな地上のアリーナとは打って変わって、舞台裏であるモンスターの控え室は陰湿だった。

 モンスターは此処から担当者によって、檻ごとアリーナへ地上に運ばれ、フィールドに居る調教師(テイマー)と相対──これを合図に、『調教(テイム)』という名の(ショー)が始まるのだ。

 そんな控え室に、一つの足音が近付く。

 

「何をしている!? もうすぐ昼休憩が終わるぞ!? 何故モンスターを地上に上げない!?」

 

 怒号(どごう)の声と一緒に、大部屋の扉が大きく開かれた。【ガネーシャ・ファミリア】の女性構成員がその美貌を歪めて室内に飛び込む。

 彼女は主神であるガネーシャから、裏方の班長を任されていた。その期待に応える為、怪物祭(モンスターフィリア)を成功させる為、彼女は張り切っていた。

 昼休憩が終わると、いよいよ怪物祭(モンスターフィリア)最高潮(ピーク)を迎えることは明白。この日の為に地下迷宮(ダンジョン)で捕獲してきた凶暴なモンスターを調教(テイム)する調教師(テイマー)には称賛と尊敬が(おく)られる。それを陰で支えるのが裏方の仕事だ。

 しかし、規定の時刻になってもモンスターは運ばれず。業を煮やした彼女が直々にやって来たのだ。

 

「全く……明かりを満足にもつけず!」

 

 近くの魔石灯のスイッチを入れ、光源を増やす。そして叱責の言葉をまずは送ろうとして、

 

「な──ッ!?」

 

 苛立ちが、驚愕に変わった。

 

「お、お前達……どうした!? 何があった!?」

 

 薄暗い室内に広がっていたのは、ことごとく床にへたり込んでいる仲間達の姿。

 この場に配備されている運搬係は四人。その全員が、腰を下ろした格好で、文字通り固まっている。

 驚愕に襲われたのは、一瞬。冷静さをすぐに取り戻した彼女は最寄りの仲間に近付いた。

 

「なんだ……これは……どうなっている!?」

 

 呼吸はある。外傷もなければ痛みに悶えている様子もない。命に別状はないが、尋常じゃない容態なのは明白だった。

 

「モンスターの毒か……? いやだが、観客への空気感染を考え、毒を扱うモンスターは捕獲していない筈……」

 

「あ……ぁ……」

 

「しっかりしろ! くそ、治療師(ヒーラー)を──!」

 

 細く漏れる声。上気した頬。定まっていない焦点。何もかもが『異常』だ。

 医療に精通していない自分では何も分からない。取り敢えず、仲間を横にさせようとした──その時だった。

 空気が、震えた。

 

(後ろに……誰か居る!? 私は曲がりなりにもLv.2だぞ! この至近距離で気付かないなんて──!?)

 

 階位(レベル)を上げた彼女の五感全てが、自分の背後に忍び寄った存在を告げていた。

 警戒音(アラーム)が頭に鳴り響く。危険だと、すぐに離脱しろと、本能が訴える。それに従い動こうとするも、

 

「あら、駄目よ? 動かないで?」

 

 金縛りになったように動かなくなった。

 気が付けば両眼が塞がれていた。やろうと思えばすぐにでも振り払えるだろう。

 しかし、恐ろしく滑らかな肌触りが。密着されている(やわ)な身体が。鼻腔(びこう)をくすぐる甘い香りが。

 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、四つの感覚が麻痺していく。機能が低下し、働かなくなっていく。

 

(これは……『()──)

 

 彼女が『答え』に辿り着くよりも前に。

 何者かが耳元で甘く囁いた。

 

「鍵は何処?」

 

「……か、ぎ……?」

 

「檻の鍵。モンスターを閉じ込めている、檻の鍵」

 

 既に、彼女に自由はなかった。生きるのも、死ぬのも、その(けん)はもう彼女にはない。

 条件反射のように従い、瞳孔を肥大化させ、がくがくと震える左腕を懸命に動かす。そして腰に着けている鍵束を手に取ると、檻の鍵を──何度も失敗しながら──肩の上まで持ち上げた。

 

「ふふっ……ありがとう」

 

 その感謝の言葉を彼女が聞くことはなかった。

 差し出した鍵が取られる、その事実を認識することすら無理だった。へにゃりと脱力し、臀部(でんぶ)を冷たい地面に下ろし、彼女は仲間と同じ結末を迎えた。

 

「ごめんなさいね」

 

 侵入者──美の女神フレイヤは、目深に被っていたフードをぱさりと取り外すと、そう、(あや)しく微笑んだ。

 神々は下界に降臨する際『神の力(アルカナム)』を封じている。下界の子供達と同じ目線に立ち、苦楽を共にするという目的を果たす為には、『神の力(アルカナム)』は不要だと判断され、破った神は例外なく天界に強制送還されるのだ。尚、強制送還された神が再び下界に戻ってくることは出来ない。

 だがしかし、神たらしめる性質はそれに該当しない。

 フレイヤに戦闘能力はない。

 しかしながら、彼女には『美』がある。否、この表現は適切ではないだろう。()()()()()()()()()()()()()

 ヒューマンや亜人族(デミ・ヒューマン)はもちろん、その『魅了』という名の支配力は神々にさえ通じる。

 

「さて……」

 

 フレイヤは静かに大部屋を見渡した。そのまま、中心部に向かう。

 あれだけあった雑音はすっかりとなくなっていた。(あら)わになった絶世の美貌は、モンスターでさえも惹き付ける。

 

「あの子の【ステイタス】を推測するに……ふふっ、難しいわ」

 

 たおやかな笑みを携え、独り言を呟きながらモンスターを一匹ずつ吟味(ぎんみ)していく。

 

「あまりにも弱いと話にならないし……かと言って、強過ぎるのも駄目。死者が出たなんて事態になれば来年の怪物祭(モンスターフィリア)が危ぶまれてしまう……それだと、【群衆の主(ガネーシャ)】に悪いわね」

 

 何より──面白くないと、女神は唇を吊り上げた。

 銀の瞳が爛々と輝き、妖しく光る。それに魅了されたモンスターが鼻息を荒くする。

 

「決めたわ。貴方から……貴方までにしましょう」

 

 果たして、選ばれたのは九匹の魔物(まもの)

 フレイヤは【ガネーシャ・ファミリア】の裏方班長から()()()鍵を使って檻を解錠した。モンスターを解き放つあまりにも危険な行為。しかし、美の女神(フレイヤ)に魅了されている彼等は大人しくしていた。やがて、「出て来なさい」と命令されると、素直に従う。

 ともすればそれは、調教師(テイマー)調教(テイム)をしているようでもあった。

 

「貴方達に、一つ、お願いがあるの。聞いてくれるかしら?」

 

『『『ヴアアアアアァァァッッッッ!』』』

 

「ふふふ……ありがとう」

 

 フレイヤはにこりと微笑むと、ローブの胸ポケットから一つの首飾り(ペンダント)を取り出した。

 上質な紐に、ペンダントトップが吊るされている。紫紺(しこん)の宝石が魔石灯の光を反射した。

 それはとある女子(おなご)が身に付け、とある少年が褒めた物に酷似していた。

 

「この首飾り(ペンダント)を着けている一人の女子(おなご)と逸れてしまったの」

 

『『『ヴゥ……?』』』

 

「探して、連れてきて頂戴?」

 

 返答は雄叫びだった。

 フレイヤはさらに言葉巧みに続けた。

 

「一番最初に連れてきた子には……そうね、美の女神(わたし)の寵愛を授けましょう」

 

 だから、頑張ってね? とフレイヤは囁いた。

 彼女の甘言を理性なき獣は疑わない。騙され、惑わされ、そして自身が味わうであろう快楽の絶頂を妄想する。

 その為にやるべき事は一つ。彼女の願いを叶えること、それだけだ。

 

「さあ、行きなさい」

 

 前払いとして、獣の額に唇を落とす。

 そして、九匹のモンスターが『世界の中心』である迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオに解き放たれた。

 数分もすれば笑い声は悲鳴に変わるだろう。

 しかしながら、フレイヤに罪の意識はなかった。何故ならば、彼女は女神。超越存在(デウスデア)である彼女と、下界の子供達では感性がまるで違う。

 彼女の目的はたった一つ。

 

「貴方が本当に『英雄』になりたいのなら、これくらいの『試練』は乗り越えてみせなさい。私も、あの子も、貴方の『勇姿』を見たいの」

 

 自身が見初めた子供の格好良いところを見たいという、何処までも自分本位な考え。その自己中心的な考えは、いっそのこと清々しい。

 

「本来なら、貴方が表舞台に登場するのはまだ先のことでしょうね」

 

 でも──、と一柱の女神は(わら)った。

 

「私は我慢出来ないわ。貴方の凛々(りり)しい姿を。貴方の雄叫びを。そして──貴方の『魂』の輝きを、私はこの眼で見たい」

 

 身体が火照(ほて)る。唇から()れる吐息には『熱』があった。

 そして意中の相手の真名(まな)を紡ぐ。

 

「──ベル・クラネル」

 

 銀の瞳を閉じれば、脳裏に浮かぶのは一人の少年の姿。

 穢れを知らない処女雪を連想させる白髪に、紅玉(ルビー)を遥かに凌ぐ輝きを持つ深紅(ルベライト)の瞳はまるで兎のよう。身長は同年代のヒューマンの子供と比べるとやや下回っているが、そこも可愛らしい。

 そして最後に──彼がいつも浮かべている笑み。フレイヤは特にそこが好きだった。子供が精一杯背伸びをしているようで、愛くるしい。

 もし彼が眼の前に現れたら、抱き締めて頭を撫で回す自信がある。

 満面の笑みを浮かべ、女神は言った。

 

「産声を上げなさい。迷宮都市(オラリオ)に──いいえ、世界に貴方の存在を轟かせなさい」

 

 

 

§

 

 

 

「ガネーシャ様、ど、どうしましょう!?」

 

 円形闘技場(アンフィテアトルム)を一望出来る、観覧席。

 そこには数名の【ガネーシャ・ファミリア】の構成員と、一柱の男神(おがみ)が緊急会議を開いていた。

 特徴的な象の仮面を被っている男神(おがみ)ガネーシャは、焦燥に駆られている団員の肩をぽんと叩くと。

 

「俺が、ガネーシャだ!」

 

「いや知ってますよ!? あと、緊急事態ですから巫山戯(ふざけ)ないで下さい!?」

 

「むぅ……慌てているお前を落ち着かせる為、俺の愉快な冗談(ジョーク)を披露すべきだと判断したのだが……」

 

 ガネーシャは「ガネーシャ、超ショック!」と言うと、メソメソと泣き真似をした。

 

「事態はどうなっている?」

 

 主神の代わりに尋ねたのは、一人の女性だった。群青色の長髪に、同色の瞳。怜悧(れいり)な顔立ちに、175C(セルチ)という長身は(まさ)しく『麗人』を連想させるだろう。

 多くの【ガネーシャ・ファミリア】団員が主神と同様、象の仮面を着けている中、彼女だけがこの場で唯一、その素顔を出していた。

 彼女の真名()はシャクティ・ヴァルマ。Lv.5の第一級冒険者であり、神々から与えられた二つ名は【象神の杖(アンクーシャ)】。【ガネーシャ・ファミリア】の団長である。

 

「まずは落ち着け。我々が不安そうにしていたら、観客達に伝播してしまう」

 

「は、はい!」

 

「それで、何匹脱走した? モンスターの種類は?」

 

「きゅ、九匹です! モンスターは──」

 

 最後まで報告を聞いた団長は神妙な面持ちになった。

 ふむ……と顎に手を当てて呟き、

 

「ガネーシャ、どう思う?」

 

 主神に意見を仰いだ。

 

「それは犯人のことか?」

 

「ああ。私が犯人なら、捕らえているモンスター全てを解き放つ。それにモンスターも問題だ。地下迷宮(ダンジョン)上層から中層辺りに棲息しているモンスターに限定している。中には下層のモンスターも居た筈だ」

 

悪戯(いたずら)に被害を広めるつもりがないのなら、何か別の狙いがあるのだろうな。陽動か、撹乱か……はたまた、(おれたち)の傍迷惑な気紛れ──『娯楽』なのかもしれん」

 

 だが、と【群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】は言った。

 

「俺達のやるべき事は決まっている!」

 

【ガネーシャ・ファミリア】は都市の治安を維持する派閥。『都市の憲兵』が動かない道理はない。

 

「大至急、モンスターを追え! また他の【ファミリア】との連携をとる! この場に居る神達に協力を要請するぞ!」

 

「皆の者、我らが【群衆の主(ガネーシャ)】の命令を聞いたな! 地位、名誉など捨てろ! 我々が守るべき民衆に絶対に傷を負わせるな!」

 

 了解! 主神と団長の号令を受け、『都市の憲兵』が動き出す。【ファミリア】の眷族同士、そして、主神への敬意があるからこそ、迅速な対応をすることが出来るのだ。

 

「さて、問題は──」

 

 観覧席から見下ろした先、観客席ではざわめきが起こっていた。昼休憩が終わって既に十分が経過している。

 ナレーションを担当している団員によって何とか場は持っているが、それも限界が近かった。聡い者は何か起こっているのではないかと訝み、席を立っている。

 

「ガネーシャ、すまないが(ショー)が始まるまでの時間稼ぎを頼む。ナレーションだけでは持たないだろう」

 

「ガネーシャ、了解!」

 

「頼む。私は現場指揮に移ろう」

 

 観覧席から立ち去るシャクティに、ガネーシャは激励を送った。

 

「此処は俺に任せろ! 何故ならば、俺が、俺こそが、ガネーシャだからだ!」

 

 根拠の欠片もないその自信満々の言葉を、シャクティは鼻で笑うことはしなかった。それは自身が仕える象神への絶対的な信頼があるからだ。

 遠のいていく背中をガネーシャは見送ると、仮面の奥で引き締めた表情を浮かべた。しかし、それは一瞬。すぐに笑みを作ると、観客達の視界に映るように仁王立ちする。

 

「おい見ろ! ガネーシャ様だ……!」

 

「ガネーシャ様自ら、何か説明があるのかしら……」

 

「そりゃそうだろ。だって、ガネーシャ様の挨拶は開演と終演だけだろ?」

 

 会場がざわざわと落ち着かない。

 連絡が回っていないナレーターが拡声器のスイッチのオンのまま「が、ガネーシャ様!?」と驚愕する。

 ガネーシャは揺れる空気を断ち切るため、大きく手を振った。この場に居る全ての視線を一身に集める。

 そして、大きく息を吸うと。

 

「俺が、ガネーシャだあああああああっ!」

 

 奇妙なポーズと共に、そう、叫んだ。

 彼にとって、下界の子供達全てが愛する大切な存在。故に、【群衆の主(ガネーシャ)】は熱苦しくも叫ぶのだ。

 

 

 

§

 

 

 

群衆の主(ガネーシャ)】の命令により、『都市の憲兵』がモンスターの追走(ついそう)と、都市の治安維持の為に動き始めた頃。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの東区画は混沌と化していた。

 

「も、モンスターが居るぞ! 何処かに、モンスターが居る! みんな逃げろ!」

 

「おい、そっちに行くな! そっちはモンスターが行った方向だぞ!」

 

 民衆の悲鳴と怒号が飛び交う。

 東のメインストリートは観光街となっている。ただでさえ人通りが激しい目抜き通りは怪物祭(モンスターフィリア)の開催も相まって、人が一人通るのも難しかった。

 

「我々の避難指示に従って下さい!」

 

 ギルド職員と【ガネーシャ・ファミリア】が協力して事態の鎮静化を図ろうと試みているが、それも意味は為さない。

 未だに正確な情報が現場に伝わってきていないのが主な原因だった。その為、声を張り上げることしか彼等は出来なかった。

 

「娘を、娘を知りませんか!? さっき逸れてしまって! ああ、私がしっかりしていれば!」

 

「落ち着いて下さい! 娘さんはきっと見付かります! まずは娘さんの特徴を教えて下さいますか?」

 

「は、はい……。娘はリタといって──」

 

 娘と逸れてしまった女性の対応をしたエイナは、母親を臨時的な避難場所──武装した【ガネーシャ・ファミリア】が広場で守っている──に送り届けると、その美貌を大きく歪めた。

 家族や大事な人と逸れてしまったと訴える人の対応をしたのは、これで十数件目。とてもではないが、すぐに見付けることは不可能だ。それが分かっているからこそ、エイナは気休め程度の言葉しか掛けられない。

 

(どうする……? どうすれば良いの?)

 

 歯痒い思いをする。

 現状分かっているのは、脱走したモンスターの数と種類だけだ。犯人探しは後にすると、【ガネーシャ・ファミリア】と管理機関(ギルド)は決定したらしい。

 組織の末端でしかないエイナ・チュールは上層部の指示に従うしかない。それが歯痒いのだ。

 

(冒険者が協力してくれているけど……モンスターを討伐したという報告はまだされていない……!)

 

 怪物祭(モンスターフィリア)にやって来る冒険者はごく僅かだ。

 迷宮都市の殆どの冒険者は地下迷宮(ダンジョン)に潜り、地上の騒動を知らない。

 また、数少ない冒険者に頼ろうにも、彼等は武装をしていない者が多数を占めていた。オフの日に帯剣する理由がないのだから、それも当然だろう。

 何か手はないかとエイナが思考を回転させる中、

 

「あの……モンスターが脱走したって聞いたんですけど……」

 

 一人の女性が彼女に声を掛けた。

 思考を中断させ「はい!」と先に返事をする。それから声主に視線を送ると、エイナは呆然としてしまった。

 

「あ、アイズ・ヴァレンシュタイン……」

 

 他のギルド職員や【ガネーシャ・ファミリア】も都市に名を馳せている第一級冒険者の登場にぴたりと動きを止めてしまう。

 すぐに我に返ったエイナは無遠慮にもアイズを観察する。防具こそ纏っていないが、腰の剣帯には細剣が吊るされていた。

 そこからの判断は早かった。ずいっと顔を近付けると、そのまま頭を下げる。

 

「あ、あの……?」

 

 頭上では戸惑った声が出された。

 ハーフエルフの奇行にミィシャも驚く中、それに構わずエイナは懇願した。

 

「お願いします! モンスターを討伐して下さい!」

 

 エイナは事情を簡単に説明した。

 要点が纏まっている話を聞き終えたアイズは、すぐに雰囲気を一変させた。後ろで成り行きを見守っていた主神に振り向き──金の瞳をやや見開く。

 そこには、苦虫を噛み潰したロキが居た。舌を鳴らし、忌々しそうに呟く。

 

「あんの色ボケ女神……! あー、くそがっ!」

 

「ロキ……?」

 

 今にも地団駄を踏みそうな勢いだった。

 ややして、計略(けいりゃく)の女神は糸目を薄らと開ける。

 

「……まっ、これは契約の範囲内や。文句は言われへんやろ。──ええで、アイズ。この際や、ガネーシャに貸しを一つ作れると思うようにするわ」

 

「うん……分かった……。協力します……」

 

「感謝します、【ロキ・ファミリア】!」

 

 エイナが代表してそう言うと、ギルド職員及び【ガネーシャ・ファミリア】は一斉に頭を下げた。

 都市最大派閥の主神は「ええって、ええって」と手を振ると、アイズに視線を送った。

 

「気を付けてな」

 

「うん……えっと、行ってきます……」

 

 その言葉を残して、アイズ・ヴァレンシュタインは風と共に姿を消す。エイナ達が気付いた時には、もう、彼女の背中は見えなくなるところだった。

 

「うちは何処に居たらええんや?」

 

「こ、此方です!」

 

 ギルド職員としてロキを避難所に案内しながら、これ以上被害が広がらないことをエイナは切に願った。

 同時に、弟のように思っている少年と、今日知り合ったばかりの少女の無事を祈る。二人の姿は見ていない。もし彼等がモンスターと運悪く遭遇したら──そんな考えが頭の中で浮かんでは沈み、浮かんでは沈みを繰り返す。

 

(ベル君じゃ絶対に(かな)わない……)

 

 怪物祭(モンスターフィリア)に出演するモンスターの強さにはバラツキがあるが、一匹足りとも、駆け出し冒険者が勝てる相手ではない。

 勝負にすらならず、喰い殺されるだろう。

 エイナは頭を振って思考を強引に断ち切ると、自分の責務に集中するのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 エイナ・チュールが【ロキ・ファミリア】の協力を取り付けた同時刻、東のメインストリートで『ジャガ丸くんの屋台』でアルバイトをしていたヘスティアは、蒼の瞳を揺らしていた。

 モンスターが脱走したという悲鳴が轟いたのが、数分前の出来事だ。今や誰もが我が身を大事にしている。

 

「いったい、何がどうなっているんだ……?」

 

「ヘスティアちゃん、何をしているんだい!」

 

「お、おばちゃん……」

 

「早く此処から避難するよ!」

 

 さあ、早く! と言われ、ヘスティアは言われるがままに雇用主の指示に従う。

 必要最低限の荷物を持って準備が終わったところで、ヘスティアは一人の少女が泣いているのを発見した。

 

「お母さん! おかあさーん!?」

 

 道のど真ん中で顔を濡らしているのにも関わらず、誰も、彼女に手を差し伸べない。彼女の周りには隙間が出来ていた。面倒事に巻き込まれたくないと、(みな)、意図して避けているのだ。

 ヘスティアは即断した。

 

「おばちゃん、ボクに構わず行ってくれ!」

 

「ちょっ、ヘスティアちゃん!?」

 

「ごめんよ。()の女神として、あの子を放っておく訳にはいかないんだ!」

 

 二本に()まれている漆黒のツインテールが踊った。制止してくるおばちゃんの手を振り払う。

 小さな身体を活かし、人々が密集している間隙を突く。やがてヘスティアは少女の前に辿り着いた。

 

「やぁやぁ。きみ、大丈夫かい?」

 

 あくまでも陽気(ようき)に声を掛けると、少女は「め、女神様……?」としゃくり上げた。それは本物なのかと疑っているようでもあった。

 ヘスティアはそれに応えるため、自身の豊満な胸を叩く。そして慈愛の眼差しと共に言った。

 

「ボクはヘスティア。炉の女神ヘスティアさ!」

 

「ヘスティア様……」

 

「おうともさ。ところで、君の真名(なまえ)は何だい?」

 

「……リタ」

 

「リタ……うん、良い名前だ。それでだ、リタ君。君はお母さんと逸れてしまったのかな?」

 

 そう尋ねると、リタと名乗った少女は思い出したように瞳を潤した。それを防ぐ為、ヘスティアは彼女の頭を撫でる。

 殊更に明るい声音で、励ましの言葉を贈った。

 

「大丈夫さ! きっと君のお母さんは見付かる!」

 

「……ほんとう?」

 

「ああ、本当だとも。きっと君のお母さんもリタ君を探している筈さ!」

 

「……お母さん、何処に居るのかな……。モンスターが逃げたんでしょう? お母さん、無事かな……?」

 

 優しい()だ、とヘスティアは思った。

 自分の心配ではなく、母親の無事を心配をしている。その純粋さは子供が持つ特権でもある。

 

「いよーし、ボクと一緒に来るんだ! 話を聞くに、広場が臨時的な避難場所になっているそうだから、君のお母さんもそこに向かっただろう」

 

「お母さん、そこに居るの……?」

 

「ああ、きっと居るさ! 居なくても大丈夫! 必ずボクが会わせてみせる! なんたってボクは炉の女神なんだから!」 

 

 そう笑い掛けると、リタは小さいながらも笑った。

「ボクの手を離すんじゃないぜ?」とヘスティアは彼女の手を握ると、広場に向かう。

 

「お父さーん! お母さーん!」

 

「ぐすっ……何処に居るの……!?」

 

「僕は此処に居るよ! 此処に居るから……!」

 

 その道中、何人もの迷子の子供を彼女は発見した。その度に炉の女神は立ち止まり、手を差し伸べる。

 気付けば十数人の子供達をヘスティアは導いていた。幼い見た目の彼女がぞろぞろと引き連れているものだから、自然と、注目が集まる。それを気にせず彼女は笑顔を振りまいていった。

 

「さあ、みんな、着いたぜ!」

 

 広場では何百人という規模の人数が収容されていた。

 出入口には武装した【ガネーシャ・ファミリア】及びギルド職員が各所に配置されている。それは即席の城壁を思わせた。

 ヘスティアは優しそうなギルド職員を捕まえると、自身の真名(まな)を告げる。

 

「すまない。ボクは【ヘスティア・ファミリア】主神、炉の女神ヘスティアと言うんだけど──」

 

「ヘスティア様!? ベル君の所の!?」

 

「お、おう……確かにベル・クラネルはボクの眷族だけど……えっと、君は?」

 

「も、申し遅れました! 私、ギルド事務部所属、ミィシャ・フロットです!」

 

 鮮やかな桃色の髪の毛を持つギルド職員は、元気よくそう名乗った。ヘスティアは女神の勘として、彼女なら任せられると判断する。

 

「ミィシャ君、後ろの子供達は親と逸れてしまっていてね。もしかしたら親が此処に居るかもしれない。多忙なところ悪いけれど、対応をお願い出来るかな?」

 

「承知致しました! 此処の避難所にも数名の親御さんがいらっしゃいます! きっと見付かります!」

 

「そうか! それは良かった!」

 

 ヘスティアは頷くと、くるりと半回転。子供達に笑顔を向けた。

 子供達は顔を輝かせると、ヘスティアに抱きついた。「ちょっ!?」と目を剥くミイシャを他所に、リタが笑顔で。

 

「ヘスティア様、ありがとう!」

 

 女神は慈愛の微笑みを浮かべた。

 

「良いかい? このお姉さんの言うことをきちんと聞くんだぜ? 炉の女神ヘスティアとの約束だ!」

 

「「「はーい!」」」

 

 元気良く返事した子供達を見て、ヘスティアはこれなら大丈夫そうだと判断する。そして「あわわわわ、女神様に何てことを……!」と先程の出来事(だきつき)で慌てているミィシャにアイコンタクトを送る。

 ギルド職員はすぐに冷静さを取り戻すと、手を大きく叩いて子供達の注意を引いた。

 

「それじゃあみんな! 私に付いてきて!」

 

「あっ、待ってくれミィシャ君」

 

 子供達を連れて行こうとするミィシャを、ヘスティアが引き止めた。「どうかなさいましたか?」と振り返る彼女に尋ねる。

 

「ボクの眷族は此処には居ないかな? あと、薄鈍色のヒューマンの女子(おなご)も」

 

 先程の会話から、彼女はベルと接点があると分かった。

 ヘスティアは大通りから広場に来るまでの道中、子供達を保護しながら、同時に、ベル・クラネルとシル・フローヴァの二人を探していた。

 しかしながら、ついぞ、蒼の瞳が二人の男女を捉えることはなかった。

 ミィシャは申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「私は見ていませんが……」

 

「そうか……引き留めて悪かったね。子供達を頼むよ」

 

「お任せ下さい! ヘスティア様も此処で待機をお願い致しますね!」

 

 見送ったヘスティアはベルとシルの安否が気になって仕方がなかった。此処に居ればすぐに会えると己に言い聞かせようとした──その時。

 

「ねえ、あの子達は大丈夫かしら……。モンスターに追われていったあの子達よ……」

 

「呪いでも受けてるのかもしれぬ……。どちらにせよ、儂等じゃ何も出来んかった……」

 

「それは、そうだけど……でもなら、せめて【ガネーシャ・ファミリア】の人達に……!」

 

 そんな会話が聞こえてきた。

 気になったヘスティアは「すまない!」と獣人の老夫婦に声を掛ける。

 

「今の話を詳しく聞かせて欲しい」

 

 小さな女神の登場に夫婦は戸惑ったが、すぐに表情を戻した。

 

「それがですね、女神様。猿みたいなモンスターが現れたかと思ったら、二人の男女に襲い掛かったんですよ」

 

「猿……? いやそれよりも、その二人というのは!? 特徴は何かなかったかい!? 何でも良い!」

 

 嫌な予感をヘスティアは覚えつつあった。

 女神の只事ではない様子に夫婦は顔を見合わせると、「ああ、そう言えば」と婦人が言った。

 

「女の子の方は可愛かったねえ。男の子は、珍しい髪色をしていましたよ」

 

「ああ、あれは確かに珍しかった。兎人(ヒュームバニー)に一瞬見えた程だからなぁ……」

 

「も、もしかして白髪紅眼じゃなかったかい!?」

 

 間違っていてくれ! そんな思いでヘスティアは尋ねたが、老夫婦は残酷にも「そう、それ!」と言った。

 それを聞いたヘスティアの行動は早かった。「どうもありがとう!」とお礼を言うと、広場から抜け出す。

 小さな女神の危険が伴う行動に気付いた【ガネーシャ・ファミリア】が「女神様!?」と声を出した時には、もう、彼女は雑踏の中に姿を消していた。

 

(間違いない! ベル君達だ! ベル君達がモンスターに襲われている!)

 

 理由を考えるが、すぐにどうでも良い事だと切り捨てた。大事なのは己の眷族と街娘が危機に瀕しているということ。

 

(ああ、もう! これじゃあ──!)

 

 人々が『壁』となって立ち塞がる。

 ヘスティアはこの時、自分の身体が小さいことを心から恨んだ。隙間を見付けては唯一の利点を活かして飛び込んでいるが、前に進んでいる実感は全然ない。

 いっそのこと神威(しんい)でも解放しようかと思ったところで、

 

「──ヘスティア?」

 

 頭上から声が降った。

 聞き馴染みがある声にヘスティアがはっと顔を上げると──そこでは、神友(しんゆう)のヘファイストスが見下ろしていた。

 



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兎と野猿の逃走劇

 

 冒険者ベル・クラネルはひたすらに走っていた。横抱きにしているのは友人の街娘シル・フローヴァである。

 そして彼の背中を追い掛けているのは、一匹の野猿(やえん)──シルバーバック。

 

「はあ……はあ……ッ!」

 

 顔から大量の汗を噴出させながら、ベルは最大速度を維持したまま石畳の上を蹴り続ける。

 しかし、笑みだけは決して()やさない。それは守るべき彼女を不安にさせない為だ。

 

(どうする……!? どうすれば良い!?)

 

 だがその笑みの裏側では、ベルは爆速的に頭を回転させていた。

 思索に()ける時間はない。

 そちらにかまけて僅かでも動作が遅れたら、追走してくる野猿の餌食になることは明白だからだ。

 だからこそ、絶妙なバランスで均衡を保つ必要がある。

 

()()()()()()()()()()……! ()()()()()()()()!?)

 

 およそ、十五分。

 それがベル達とシルバーバックが繰り広げている鬼ごっこの時間だ。

 ベルの見立てでは、それだけの時間があれば充分に救援が望めていたのだ。しかしながら、未だに救援は来ていなかった。

 

(何か他に異常事態(イレギュラー)でも発生したのか……? モンスターを脱走させたのは陽動(ようどう)!?)

 

 この時ベルは知らなかったが、脱走したモンスターは合計九匹。この事態を重くみた『都市の憲兵』たる【ガネーシャ・ファミリア】は事態の早期鎮静化を図るため、他の【ファミリア】にも協力を要請していた。【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインを始めとした第一級冒険者が受領し、瞬く間にモンスターを瞬殺。そして最後に残っていたのが、シルバーバックであった。

 ところが、此処で()()()のモンスターが地面から出現。それは()()であった。彼等は埒外(らちがい)の魔物の対応に追われることになり、結果として、ベル達に救援が向かっていない状況だったのだ。

 

『グアアアアアアアァァァァアアア!』

 

 野猿が怒りの咆哮を上げる。

 それは、彼我の距離が縮まらないことに対しての苛立ちだ。彼からしたら忌々しいことに、速度は僅かながらも兎の方が早かったのだ。

 最初は気の所為だと思っていたが、僅かにだが距離が離されていく。恐怖で足を止めろと何度咆哮を背中に浴びせても、兎は止まらない。寧ろその度に加速していく。

 

「に、逃げろ──ッ!」

 

「おいお前、こっちに来るな! せめてあっちに逃げろ!」

 

 代わりに悲鳴を上げるのは、民衆だ。ベル達の進路方向に偶然居合わせてしまった不運な彼等は、恨み言を吐き散らしながら目を剥いて別の路地裏に逃げ込む。

 迷宮都市(ダンジョンとし)の構造はとても複雑だ。方角を示した八本のメインストリートが通っており、表通りと表通りの間には様々な間道(かんどう)が行き交っている。

 

(まずい……もうすぐで南東のメインストリートに着いてしまう!)

 

 縦横無尽に東区画を駆け回っているが、それも限界に近かった。

 嫌な汗が首筋を(つた)う。すると、これまで無言でベルにしがみついていたシルが口を開けた。

 

「ベルさん、そこの角を左に!」

 

「シル!?」

 

「私の言う通りにして下さい!」

 

 反射的に、指示通りT字路を左に曲がる。そして、

 

「──!」

 

 言葉を失った。

 果たして、彼の前に現れたのは『雑多』としか言えない空間。(よじ)れたような何本もの通路、壁から不自然に突き出ている部屋の数々、入り混じる階段。路地を形成しているのは人家の群れ。

 

「これは……!」

 

「──()()()()()()()地下迷宮(ダンジョン)とはまた違った、もう一つの迷宮です」

 

 シルの言葉を受け、ベルは記憶を想起する。

『世界の中心』迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは、世界で唯一地下迷宮(ダンジョン)を保有している。そして迷宮(ダンジョン)は地下だけではなく、地上にもあった。

 オラリオは長い歴史を誇る。その歴史の中で、都市は発展と共に何度も区画整理を行ってきた。その秩序が狂った広域住宅街が『ダイダロス通り』に他ならない。尚、名称の『ダイダロス』とは、当時、区画整理を設計した人物の真名(まな)である。

 都市の貧民層(スラム)が住まう、この複雑怪奇な領域は一度でも道に迷えば最後、二度と出て来られないとまで言われている。真っ赤な矢印で壁に描かれているのは『道標(アリアドネ)』と呼ばれており、これを辿れば人工迷宮から抜け出せる。

 

(──エイナ嬢が言うには、地下迷宮(ダンジョン)と同規模の難易度があるらしいが……)

 

 担当アドバイザーから『講習』で教わったことをベルは思い出した。それから、腕の中にすっぽりと収まっているシルに問い掛ける。

 

「シル、どうして私を此処に……?」

 

「ダイダロス通りなら上手くいけば逃げ切れると思ったんです」

 

「それはそうかもしれないが……」

 

 ベルは言い(よど)んだ。

 眼前に立ち塞がる人工迷宮は未だに構造が解明されておらず、それは地下迷宮(ダンジョン)の未踏破領域と同義だ。地図(マップ)なんてものはない──完全なる『未知』。

 もし袋小路に陥ったら……それを懸念するベルに、シルが微笑み掛けた。

 

「大丈夫です。私が案内しますから」

 

 まるで近所の遊び場に行くような軽い口調だった。

 深紅(ルベライト)の瞳と薄鈍色の瞳が交錯する。

 僅かに引き離した距離を、今この瞬間にもシルバーバックは埋めている。

 ベルは決めた。演者のように大仰に言う。

 

「私が貴女を何処までも運びましょう」

 

「なら、私が貴方を何処までも導きます」

 

 人工迷宮の中にベルは飛び込んだ。数秒後、シルバーバックが遅れて追走する。しかしすぐに、野猿は足を止めた。

 

『グァ……?』

 

 漆黒の外套(がいとう)が陽の差さない迷宮街に同化し、隠蔽を可能にする。

 辺りを見渡している隙に、ベルはずんずんと距離を離していく。

 

「ベルさん、そこの階段を降りて下さい!」

 

「分かった!」

 

 言われるがままに、螺旋階段(らせんかいだん)を下っていく。目まぐるしく横にずれていく景色にシルは酔いそうになったが、何とか堪えた。

 それからベルはシルの指示通りに動いた。何本もの通路を渡ったり、階段を登ったり降りたり、傾斜が激しい坂道を駆け上ったりする。

 

「彼処のバラックで隠れましょう!」

 

 下り坂を降り切ったところで、そう、シルが提案した。彼女が指さした先には、粗末な一つのバラックが()っていた。今にも崩れそうな家屋から、人の気配は感じられない。

 

「だが追い付かれたら……」

 

「時間と距離をだいぶ稼ぎましたから、数分だったら大丈夫だと思います」

 

「いや、しかし……」

 

 渋るベルに、さらにシルは続けた。

 

「どちらにせよ、今後の方針を決めなくちゃいけません。今だったらその余裕もありますから」

 

 そう言うと、ベルは「分かった」と頷いた。横抱きにしている少女を丁重に下ろす。

 立て付けが悪い扉を開けると、

 

「ゴホッ、ゴホッ!」

 

 ベルは思わず噎せてしまった。

 目で見えるほどの尋常ではない埃。部屋を開けたことで空気と風塵が混ざる。

 室内を見渡すと、埃まみれの寝台(ベッド)とボロボロの掛け毛布が一枚あるだけだった。窓もなく、とてもではないが、此処で生活を営むのは不可能だ。

 何十匹もの(あり)が床を()っている光景は、女子(おなご)だったら悲鳴を上げても何ら可笑しくなかったが、シルは表情を崩すことはなかった。それどころか寝台(ベッド)を手で強く叩き、何重にも重なっている埃を落とした。そしてそれが終わると「これで座れますね」と笑顔を向ける。

 

(た、(たくま)しいな……)

 

 そんな感想を抱きながら、ベルはシルの隣に座った。ひと一人分空けた状態で少年が腰を下ろしたので、街娘は頬を膨らませて自分から埋める。

 ベルは最初こそ戸惑ったが、すぐに受け入れた。それから開口する。

 

「シルが先程言ったように、今後の方針を決めたい」

 

「ええ、そうしましょう」

 

 冒険者は自分の推測を口にする。

 

「【ガネーシャ・ファミリア】や他【ファミリア】の救援は望めないと思った方が良いだろう。ダイダロス通りを突破出来るとは思えない」

 

「ごめんなさい……私の所為ですよね……」

 

「謝ることじゃない。貴女が提案してくれなければ、今頃、迷宮都市(オラリオ)を無闇矢鱈に走り回っていただろう。そうしていたら、今こうして体力の回復も出来ず、モンスターに捕まっていた。だからありがとう。シルのおかげで私は今此処に居る」

 

「そんな、お礼を言うのは私の方です!」

 

 シルはベルの片手を両手で包み込むと、感謝の念を伝えた。

 

「助けは期待出来ない」

 

「ベルさんはあのモンスターに勝てないんですか?」

 

「……ああ。非常に情けなく言いづらいが、三合も持たないだろう」

 

「そんなに強いんですね……」

 

「……より正確には、私が弱過ぎるんだがな」

 

 ベル・クラネルがギルドで冒険者登録をしてから、まだひと月も経っていない。駆け出し冒険者である彼がダンジョンで潜れるのは浅い上層。

 対する銀の野猿──シルバーバックはベルの到達階層の遥か下、より具体的には11階層で出現する魔物だ。とてもではないが、駆け出しが(かな)う相手ではない。

 

「あれ? でもベルさん、あのお猿さんからは逃げることが出来ていましたよね?」

 

 シルが疑問の声を上げる。

 ベルはベルで、彼女の『お猿さん』という可愛らしい言葉に反応に困った。それから苦笑い気味に。

 

「私は『敏捷(逃げ足)』だけが取り柄だからな。だがいくら『敏捷』が高くても、他の基本アビリティが低ければ意味がない」

 

 最後に【ステイタス】の更新したのは昨日だ。

 ベルは背中に手を当てて、自身の【ステイタス】を思い出す。

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:G204

 耐久:I47

 器用:G230

 敏捷:D598

 魔力:I0

《魔法》

【】

《スキル》

【】

 

 

 

§

 

 

 

 数日前、友人のフィン・ディムナとダンジョンに潜っていて良かったと、ベルは心から思った。

 ベル独りでは到達出来ない階層に行くことが出来、より上位の【経験値(エクセリア)】を獲得することが出来た。もちろん、担当アドバイザーであるエイナ・チュールからは小言を貰った──もし独りで行っていたら説教だった。第一級冒険者である【勇者(ブレイバー)】が同伴していたから、小言だったのである──が、その経験がシルバーバックとの鬼ごっこを可能としていた。

 

「困りましたね……」

 

「ああ、とても困った。正直なところ、先程はあのように言ったが、運良く腕利きの冒険者がシルバーバックを討伐してくれることを祈るしかない」

 

「……」

 

 シルが何か言いたげにしていたことを、ベルは気付かなかった。

『戦略』という概念すらなく。

 突き付けられるのは残酷なまでの『現実』。

 それでもベルは──冒険者ベル・クラネルは何か手はないかと考えることを放棄しない。

 そもそも、とそこでベルはシルを横から悟られない程度に窺った。

 

(何故シルを狙う? 彼女に『何か』があるのか?)

 

 ベル・クラネルがシル・フローヴァについて知っているのは、彼女の勤め先が『豊穣の女主人』で、酒場の給仕をしているということだけだ。

 どんなに考えても、街娘がモンスターに襲われる理由が分からない。

 ベルが知らない彼女の一面があるのは間違いないだろう。まだ会って間もないのだ。事実、ベル・クラネルは一つ『秘密』を抱えている。知っているのは、祖父と主神(ヘスティア)だけ。

 兎にも角にも、そこに『何か』の理由があるのかもしれないし、あるいは、そうではないのかもしれない。

 事態は好転も悪化もせず、時間だけが過ぎていく。

 

『グルゥアアアアアアアアアアアッッッ!』

 

「「……ッ!」」

 

 野猿の咆哮が人工迷宮(ダイダロス)に響き渡る。

 怒りが込められたそれは、爆弾となって弾けた。微かに聞こえてくるのは住民達の悲鳴。

 

(どうする……これ以上隠れていては無辜(むこ)の民が……!?)

 

 街娘を追っているのは断定出来るが、(ごう)を煮やしたモンスターが民衆を襲わないという保証はない。

 決断の(とき)がすぐそこまでに差し迫っていた。

 

 

 

§

 

 

 

 シルバーバックは身を焦がすような『熱』に身体を委ねていた。その『熱』の正体は純然たる怒り。

 忌まわしき兎によって『目標』が持ち逃げられた。

 どうやら奴等には自分とは違って地下迷宮(こきょう)を思わせる此処への理解があるらしく、自分が戸惑っている間に隠れられてしまった。

 

『グルァァァァァ……』

 

 唸り声を上げながら人工迷宮を探索する。臭いを嗅ごうにも、自分は特別、嗅覚が鋭い訳ではない。兎の臭いを辿ろうにも、それが分からないのだ。

 ましてや。

 

「ヒィッ……な、何でモンスターが!?」

 

「逃げろ! 殺されるぞ!?」

 

 こうも沢山のヒトが居ると、臭いも紛れるというもの。

 目が合うと、滑稽なことに憐れな弱者は腰を抜かして尻もちをついた。普段だったら襲って食事をしているところだが、今は構っている時間はない。

 あの愛おしい女神との『約束』を果たすこと。そして女神の寵愛を受ける。

 それ以外は至極どうでも良いのだ。邪魔をするなと睨むだけで、脆弱な奴等は慌てて踵を返す。

 魔物達(どうほう)の気配は自分以外には感じられない。否、()()()()()()()()()()()、自分には関係ない話だ。

 つまり、女神の寵愛を受けることが出来るのは自分だけ。

 そのことに優越感を得ながら、シルバーバックは何も馬鹿正直に探す必要はないと考えた。

 脚に力を込め──跳躍。建造物の上に移動する。高い場所から睥睨(へいげい)すれば、見付かるだろうと考えた。

 

『ルガアアァァ……?』

 

 建物から建物へ飛び移りながら探すが、中々、兎と『目標』の姿は視界に映らない。

 そこでシルバーバックは気付いた。

 恐らく奴等は卑怯にも、建物の中にでも身を隠しているのだろう。

 その考えに至った瞬間、頭が沸騰する。苛立ちが募り、収まることはない。

 手当り次第に建物を壊し、(あぶ)り出そうとした、その時だった。

 

「ハッ、あの方に選ばれておきながら、なんてザマだ。兎一匹と娘一人すら見失うとはな」

 

 背後に一つの気配を感じた。

 シルバーバックはモンスターである。魔物である彼は『人語(ことば)』というものが分からない。

 だが、投げられたものが嘲りであることは分かった。

 憂さ晴らしに此奴を殺そうと振り返ったところで──シルバーバックは自身の死を錯覚した。

 

『グァ……ッ!?』

 

「彼我の実力差を理解するくらいの知能はあるようだ」

 

 果たして、振り返った先に居たのは一人の猫人(キャットピープル)だった。黒と灰の毛並みを持つ小柄な青年は長槍(ジャベリン)(たずさ)えている。

 シルバーバックは恐怖した。

 本能が警戒音(アラーム)を頭の中で(やかま)しくも鳴らす。そして告げている。

 ──自分は猫人(キャットピープル)には天地がひっくり返っても敵わない、と。

 自分が一歩動こうとしたその時には、長槍(ジャベリン)によって胸の魔石(いのち)ごと貫かれている。その確信があった。

 

「全く……あの方も困る女神(ひと)だ。それに娘も。何で俺が──」

 

 猫人(キャットピープル)の青年はぶつぶつと独り言を言うと、やがて「チッ」と舌打ちをした。

 機嫌の悪さを隠そうともしない彼は、石像のように固まっているシルバーバックに「おい」と声を掛けた。

 

「あのクソ兎の居場所を教えてやる。彼処だ」

 

 戸惑う野猿に、猫人(キャットピープル)が告げた。ある方向を手で示しながら。

 導かれるようにして暗褐色の瞳を動かすと、そこには、小さな木造家屋が建っていた。距離は遠い。あんな場所に隠れていたのかと、ただただ怒りが募る。

 

「あの方の御命令を遂行しろ。それがお前の義務だ。さっさと行きやがれ」

 

 言われるまでもない。

 終始上から目線で言ってくるのは気に食わないが、歯向かったところで自分が惨殺されるのは目に見えている。

 ならば──この屈辱を、この怒りを『力』に変えよう。

 気付いた時には猫人(キャットピープル)は姿を消していた。女神以外に見物している輩が居るのは残念だが、精々、指をくわえて自分が『約束』を果たし、寵愛を受けているところを見るが良い。

 

『グルゥアアアアアアアアアアアッッッ!』

 

 これは宣誓だ。必ずや女神との『約束』を果たすという誓いだ。

 雄叫びが人工迷宮に木霊する。すると天高く(そび)えている巨塔の頂上から、視線が注がれるのを感じた。

 間違えないようもない。女神だ、女神が自分の『勇姿』を見ようとしてくれている! 

『目標』は眼前にある。

 いくら兎が速く逃げようが、関係ない。一撃で屠ってみせよう。そうすれば邪魔者は居なくなる。邪魔者の始末は特に言及されていないから、殺しても構わないだろう。

 あとは『目標』を女神の御前に届けるだけだ。

 シルバーバックはググッと両手両脚に力を込めると、大きく飛び跳ねるのだった。

 

「……」

 

 その様子を猫人(キャットピープル)の青年は離れた所で眺めていた。シルバーバックを凝視している。

 そして移動しようとしたところで、彼は足を止めた。近付いてくる一つの気配を感知したのだ。

 待つこと数秒、一人の人物が現れる。その人物は気さくに手を挙げながら彼へ挨拶をした。

 

「よう」

 

 対面するのは初めてだが、猫人(キャットピープル)の青年はその人物のことを知っていた。

 迷宮都市(オラリオ)に居る殆どの冒険者は彼のことを知っているだろう。第一級冒険者とはまた違った名声がその人物にはあった。

 炎を連想させる赫灼(かくしゃく)の短髪に同色の瞳。黒色の着流(きなが)しはせっかくの上品さが損なわれ襤褸衣(ぼろそ)となっている。170(セルチ)を優に超える身長を誇る青年は、挨拶の返事がなかったことに落胆しつつも、視線を鋭く向けていた。

 

「……どうして手前(てめぇ)が此処に居る?」

 

 口火を切ったのは猫人(キャットピープル)の青年だった。

 尋ねられた赫灼の青年は肩を竦めてみせると、

 

「それは俺の質問だな。どうしてお前が此処に?」

 

「……」

 

(だんま)りか。ああ、じゃあ質問に答えよう。偶然にもうちの主神と、あの野猿(モンスター)が追い掛けている冒険者の主神が神友(マブダチ)らしくてな。そうなったら、助けない訳には行かないだろう? 主神の神意に従うのが、眷族(ファミリア)ってものだ。それくらいは俺にだって分かる」

 

「…………」

 

「恐らく、お前も主神の神意に従っているんだろうさ。見てたぜ、お前がシルバーバックを誘導するところをな。まあ、とはいえ。俺はお前が何処の誰かは知らないから、ギルドに報告するのは出来ないんだが……」

 

「やれやれ、もうちょっと俗世にも興味を持った方が良いかもな」と、赫灼の青年は呟いた。

 さらに言葉を続ける。

 

「それに、俺も()()()には個人的に興味があってな」

 

 だからさ──、と赫灼の青年は朗らかに笑った。

 

「そこ、通らせてくれるか」

 

 返答は簡単だった。

 猫人(キャットピープル)の青年が無言で長槍(ジャベリン)の穂先を向けたのだ。

 道を空ける気はないという、意志の表れだ。

 

「まっ、だろうな。寧ろわかりやすくて助かる。なら、強引にでも通らせて貰うぜ。此奴(こいつ)の試し打ちもしたかったところだしな」

 

 赫灼の青年は不敵に唇を曲げると、背中に吊るされている片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)に手を伸ばした。鞘袋ごと破り、勢いよく抜刀する。

 紅蓮の刀身が(あらわ)になった。

 それを見た猫人(キャットピープル)の青年は「チッ」と盛大に音を立てると、鋭い突きを放ったのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 無言の時間が流れる。

 ベルが打開策を必死に考える中、シルは横から何度か視線を送っていた。

 しかし、考え込んでいる彼には届かない。

 

(さっきの咆哮……! もう、すぐ近くに──)

 

 ベルがそう考えた、その時だった。

神の恩恵(ファルナ)』で刻まれた五感──聴覚が感知する。

 それはまるで、飛来物が風を切って上から下に下降しているような──。

 

「……ッ! シル!?」

 

「……え?」

 

 自分の直感を信じ、ベルがシルを抱き寄せると同時。

 バラックの天井が突き破られた。粗末な造りの木造家屋はあっさりと倒壊し、粉々に砕けた木の板が二人に降り注ぐ。街娘の悲鳴が音に掻き消された。

 土煙のような埃が舞う中、頭を手で守っていたベルは奥に居るであろう存在を強く睨め付けた──瞬間。

 煙を裂いて剛腕が伸びてきた。少女に魔の手が迫る。

 

「すまない!」

 

 そう、言葉を言いながら、返事を待つことなく、ベルはシルを右手で横に投げ飛ばした。「きゃっ!?」と少女が固い石畳に投げ落とされる音が出る。

 しかしながら、ベルは気遣うことも、謝罪をすることも出来なかった。

 

「べ、ベルさん!」

 

 擦りむいてしまった肘から血を流しながら、シルがよろよろと立ち上がった。

 一陣の風によって煙が晴れる。果たして、瓦礫と化した木材の上では、一人の少年と一匹の獣が超至近距離で相対していた。

 そして彼女は見た。見てしまった。

 ベルの左腕が野猿に握り潰され、そのまま身体が吊るされているところを。

 

「──ッ! ────ッ!」

 

 声にならない絶叫が口から洩れる。

 

(まず……い。これ……は、冗談抜きで……)

 

 激痛で顔を歪めるベルを、シルバーバックが投げ飛ばす。砲丸の如し勢いでベルは受身を取ることもままならず壁に激突し、口から大量の血を吐いた。

 

(『耐久』が低過ぎる……。友人(フィン)が言った通りになった……!)

 

 それは、ベルと一緒にダンジョンに潜った第一級冒険者であるフィン・ディムナが、駆け出し冒険者に告げた忠言だった。彼は僅か数刻でベル・クラネルの最大の弱点を、背中に刻まれている『神の恩恵(ファルナ)』を読み取ることなく見抜いていたのだ。

 ベル・クラネルの最大の弱点──それは、『耐久』の熟練度が他の基本アビリティと比べてずば抜けて低いこと。

 自慢の『敏捷(あし)』を活かした戦闘をベルは行っている。瞬く間に敵に肉薄し、また、距離を取ることで攻撃を喰らわないことを念頭に置いている。傷を負わないこと、それは良いことであるが、今回のような強敵と相対した場合、たった一撃で沈むことも充分に起こり得る。

 

(まずい……意識が……)

 

 視界が点滅する。ぼやけて見えるのは、野猿が少女に近付いていく光景。未だに救援は来ず、遮る者は居ない。

 耳鳴りがする。耳朶を刺激するのは、野猿の勝利の雄叫びと、少女の「ベルさん!」という悲鳴にも、泣き声にも似た音。

 意識が朦朧とする。

 

(全身が痛い。特に背中。左腕は感覚がないから、寧ろこっちの方が助かる。ああ、正直なところ泣きたい)

 

 思考が纏まらない。

 

(ここ最近は良いことがあり過ぎたから、そのツケが回ってきたのかもしれないなぁ……。特に美少女とばかり交流を深めていたから、嫉妬に狂った男神(おがみ)が天罰を降したのかも……)

 

 狂人のような考えすら浮かび上がる。

 

(うん、決めた。次にヘスティアと会ったら、彼女の胸にダイブしよう。そうしよう!)

 

 取り留めのないことが想起される。

 それは、ベル・クラネルが歩んできた物語(みち)だ。

 新しい記憶から、古い記憶に遡っていく。

 迷宮都市(オラリオ)でこれまで出会ってきた人物達が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。敬愛している主神、尊敬している数多くの友人達。

 次に脳裏に浮かぶのは、故郷での思い出。愉快な祖父と暮らしていた、愉快な毎日。両親が居なかった少年にとって、祖父が育て親だった。祖父と一緒に営んでいた生活は、とても大切な思い出として、これからも残り続けるだろう。

 

 ()()()──()()()()()()

 

 刹那、ベルは深紅(ルベライト)の瞳を開眼させた。

 右手を壁に当てて身体を支えながら、よろよろと緩慢な動作で立ち上がる。

 今まさに『標的』を捕らえようとしていたシルバーバックは、立ち上がった気配に思わず顔を振り向かせた。

 

『ルガァアアアア……!』

 

 あらん限りに目を見張る。

 果たして、そこには一人の雄が居た。

 瞠目している間に、彼は覚束ない足取りで歩く。何度も、何度も小石に躓き、転びそうになりながらも、動いていた。

 

「……アミッド女医に私は何を偉そうに言っていたのだろう。『人類は停滞している』か……ああ、なるほど。どうやら、停滞していたのは私の方だったようだ」

 

 恥じ入るようにベルは呟く。

 そしてシルバーバックと少女の間に割って入ると、鞘から剣を抜刀。その切先を魔物に向けた。

 

「ベルさん、無茶です! 私には構わないで、逃げて下さい!」

 

「シルの願いであっても、それを叶えることは出来ないな」

 

「お願いですから! 動かないで下さい! ベルさんが死んでしまいます!」

 

 少女が甲高い悲鳴を上げた。それは慟哭のようでもあった。

 

『……』

 

 シルバーバックは眼前の()を冷静に分析する。

 握り潰された左手は辛うじて原形を保ってこそいるが、とてもではないが使えないだろうことは想像に難くない。身体の骨は何本か折れている筈だ。

 己を散々苛立たせてくれた自慢の『敏捷(あし)』も、少し動いただけで激痛が全身に走り渡り、走るという行為すら難しいだろう。

 

『…………』

 

 なのにも関わらず、シルバーバックは油断が出来なかった。本能が、眼前の敵対者が対等だと告げてくる。

 紅玉(ルビー)を連想させる、深紅(ルベライト)の瞳に込められた強き意志。

 何よりも、絶望的な状況にも関わらず、今尚、浮かべている笑み。

 敵対者は唇をさらに曲げる。決然と、自身の想いを声に出して叫んだ。

 

「『女子(おなご)』たった一人守れずして何が『英雄』──何が『男子(おのこ)』だ!」

 

 ベルは顔だけ後ろを振り向かせて、優しく微笑んだ。薄鈍色の瞳を見詰めて、語り掛ける。

 

「安心して下さい、美しい女性(ひと)。私が貴女を魔の手から守ってみせましょう」

 

「ベルさん……でも!」

 

「どうか私に、貴女を守らせて下さい。どうか私に、貴女の笑顔を守らせて下さい」

 

「──!」

 

 シルは泣き笑いを浮かべると、やがて、大きく頷いた。

 

「お願いします、英雄様! 私を助けて下さい!」

 

 ベルは笑った。

 天まで届けと、声を立てて笑った。

 高らかに、人工迷宮に声を響かせる。何処までも元気良く、そして、何処までも滑稽に。

 自身の物語(ものがたり)を天に綴ろう。果てなく広がる青色のキャンバスに描くのだ。

 

「言おう、そして、綴るぞ英雄日誌! ──『()()ベル・クラネルは愛すべき女子(おなご)の声援を受けて、野猿(やえん)と対峙! 繰り広げられるのは死闘だった!』──

 

 そして、ベル・クラネルは(うた)った。

 

 

 

「さあ──『喜劇』を始めよう!」

 

 

 



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名も無き英雄(ベル・クラネル)VS銀の野猿(シルバーバック)





 

 紅蓮(ぐれん)の炎が巻き起こる。

 剣戟(けんげき)の音が鳴る。

 火花が(はじ)け散る。

 片手直剣(ワンハンド・ロングソード)長槍(ジャベリン)のぶつかり合い。

 

「分かってはいたが……あんた、強いな。Lv.5……いや、団長(椿)より強いなら、Lv.6か?」

 

「チッ、鍛冶師風情が……ッ!」

 

 迷宮街の建造物の屋根の上で、ある一つの戦闘が繰り広げられていた。

 赫灼の青年が感嘆すると、猫人(キャットピープル)の青年は忌々しそうにその美顔を歪める。

 

手前(てめぇ)……それは『魔剣(まけん)』だな」

 

如何(いか)にも。これは俺が打った『魔剣』だ」

 

 鍛冶師は何てことがないように軽く頷いた。

 猫人(キャットピープル)の青年は益々表情を険しくすると、向けられている片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)──否、『魔剣』に視線を注いだ。

 

 ──『魔剣』と呼ばれる武器がある。

 

 まず大前提として、普通の武器は使えば使う程に消耗し、刃こぼれし、やがて折れる。その度に使用者は新しい武器を求め鍛冶師に精製して貰う、あるいは、売られている物を購入する必要がある。

 それが『古代』から今尚引き継がれている、武器の在り方だ。

 しかしながら、神々の降臨──『神時代(しんじだい)』に突入した事によって、『神の恩恵(ファルナ)』の登場によって、その様式は些か変わった。

階位(レベル)』を上げた『昇格(ランクアップ)』。この際、『恩恵』を刻まれた者は『基本アビリティ』とはまた違った『発展アビリティ』を取得することが出来る。

 その者が積み重ねてきた【経験値(エクセリア)】によって『発展アビリティ』の選択肢は決まってくるが、そのどれもが、より専門的なものだ。

 そして、数多く確認されている『発展アビリティ』の中に『鍛冶』というものがあり、『神時代(しんじだい)』の鍛冶師にはそれが必須とされている。

『鍛冶』を持っている鍛冶師は打った武器に『属性』を付与することが出来る。

 例えばそれは、絶対に折れない武器や、絶対に切れ味が落ちない武器など、多岐に渡り──。

 

 そして中には、擬似的な『魔法』を生み出す武器(もの)もあり、人はそれを『魔剣』と呼んでいる。

 

 そして赫灼の鍛冶師は『魔剣』を打つことが可能だった。とはいえ、普通の上級鍛冶師(ハイ・スミス)とは少々事情が異なっているが。

 どちらにせよ、彼は『魔剣』を打ってきた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そのようにして、彼は富と栄誉を築き上げてきた。

 猫人の青年は彼を唾棄する。

 

()()()()()()()()()が……ッ!」

 

「そうだな。俺はその言葉を否定しない。否定なんてする余地がないからな。だが、俺が此処に居る。今はそれだけが重要だろ? それでは改めて名乗ろう。それが戦場の流儀(りゅうぎ)ってやつだからな」

 

「鍛冶師が戦場を語るなよ……!」

 

 赫灼の青年は不敵に笑うと、自己紹介した。

 

「──俺はヴェルフ・クロッゾ。【ヘファイストス・ファミリア】所属の鍛冶師(スミス)だ。神々から頂戴した二つ名は【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】。まあ、家名が二つ名なのは変だと思うが、宜しく頼む」

 

 それでお前は? と【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】が尋ねると、猫人(キャットピープル)の青年は舌を一度打ち、自らも名乗った。

 

「──【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】。【フレイヤ・ファミリア】所属、副団長アレン・フローメル」

 

 素っ気なくも、真名(まな)を教えてくれたことに、ヴェルフは朗らかに笑った。

 

「さて、もう一度言おう。そこを退いてくれないか」

 

 返答は無言の突きだった。

 音速の一撃がヴェルフを襲うが、彼はそれを冷静に『魔剣』で防ぐ。炎の(うず)が舞い上がり、アレンに襲い掛かるが、猫人(キャットピープル)はそれを軽い身のこなしで避けてみせた。

 その後何度か攻防を繰り広げるが、どちらも有効打にはならない。

 

「無理矢理にでも通ろうと思っていたんだが……それは出来そうにもないか。『魔剣』もあと数発が限界だしな。これは困ったな。『魔法』を使おうにも──」

 

「俺が詠唱(えいしょう)を許すとでも?」

 

「だろうなぁ……困ったことに、俺もお前も主神の神意(しんい)に従って此処に居る。つまり、退()く訳にはいかない」

 

魔剣鍛冶師(クロッゾ)】も【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】も、未だに本気を出していない。もし全力でぶつかり合ったら、二人の周りは更地になるだろう。

 

(それにしても……【フレイヤ・ファミリア】か。さっき会った女神(めがみ)がこの騒動に関わっているとみて間違いないんだろうが……)

 

 話は平行線の一途を辿る。

 ヴェルフもアレンも、どちらも折れる気がない。

 

(まずいな……早く行かないとあいつが死んじまうぞ)

 

 そう思った時だった。

 轟音が鳴り響く。

 見れば、少年が野猿によって腕を潰され、壁に投げ飛ばされ、背中から叩き付けられたところだった。

 

(おいおい、あれ、死んじまったんじゃ……!?)

 

 起きる様子がないのでヴェルフが心配する中、アレンは苛立たしげに懐を探っていた。そして液体が入っている一本の試験管を取り出す。

 それは万能薬(エリクサー)と呼ばれている回復薬(ポーション)。生命さえあれば、生きてさえいればどのような傷も治すとされている、いわば、『奇跡の薬』。

 眉間に皺が寄るのを自覚しながら、ヴェルフはワンオクターヴ音程を下げて問う。

 

「助けるのか?」

 

「……」

 

「どういうことだ。お前は──いいや、お前のとこの女神は何が狙いだ?」

 

 視線の応酬。

 嵐の前を思わせる異様な静寂。

 緊張が臨界点に届き掛けた──その時だった。

 

 

 

「『女子(おなご)』たった一人守れずして何が『英雄』──何が『男子(おのこ)』だ!」

 

 

 

 一つの宣誓が轟いた。

 ヴェルフとアレンが同時に発生源に顔を振り向かせると、そこには、一人の少年が立っていた。背後には、一人の少女。彼女を守るように、否、守り、野猿に真正面から向き合っている。

 

 少女が言う──私に構わず逃げて下さい、と。

 少年が言う──貴女を守らせて下さい、貴女の笑顔を守らせて下さい、と。

 

 立っているのもやっとな状態だった。左腕は辛うじて原形を保ってこそいるが、適切な治療を早期に施さなければならないのは一目瞭然。石畳には血溜まりが出来ており、今尚、血の雫がぽたぽたと落ちている。

 全身が傷だらけだ。

 生きているのが奇跡に等しい。ましてや、彼からしたら格上な相手に挑むなど、愚行に他ならない。

 だが、しかし────少年(かれ)は何処までも笑っていた。何処までも無邪気に、何処までも明るく。まるで『悪』という存在に触れたことがないように、いっそ、能天気に笑っていた。

 

「──はは、はははははははははっ!」

 

 それを見たヴェルフは腹を抱えた。背中に吊るしている鞘に紅蓮の刀身を納める。

 既に彼に戦意はなくなっていた。

 猫人(キャットピープル)の青年の訝しげな視線も気にせず、赫灼の青年は唇を吊り上げた。

 

「ああ、そうか! ()()()()()()()()()()!」

 

 笑声が止められない。

 感動が抑えられない。

 目尻に溜まった涙を取り払うと、ヴェルフは興奮しているのを隠さず言った。

 

「居たんだな、お前も! 此処に! 『世界の中心』である迷宮都市(オラリオ)に!」

 

手前(てめぇ)……何を言って……!?」

 

 猫人(キャットピープル)の青年の言葉は届かない。

 

「俺が此処に居るのも、お前が此処に居るのも! 全ては『偶然』だ! ああそうだ、『偶然』だとも! 俺の主神が『偶然』お前の主神と神友(マブダチ)で、そしてそこには俺が『偶然』居た! だが、『偶然』が何回も積み重なれば、それはやがて『必然』となる! なぁ、そうだろう!?」

 

 赫灼の青年は瞳を見開いて、瞬き一つすらせず、その光景に見入っていた。

 

「ああ、これが神の思し召しだというのなら感謝しよう! これまでの人生に、俺が生を受けたことに意味があったのだと、この出会い──()()()()()()()()()()()!」

 

 炎の瞳が映すのは、一人の少年。名も無き、英雄。

 

「さあ──『喜劇』を始めようぜ!」

 

 

 

§

 

 

 

 紅玉(ルビー)を思わせる輝きを放つ深紅(ルベライト)の瞳と、禍々しさを放つ暗褐色の瞳が交錯する。

 冒険者ベル・クラネルが相対するのは、怪物(モンスター)シルバーバック。

 ギルドで冒険者登録をしてから、ベルはまだひと月も経っていない。どんなに才に恵まれた者であろうとも、新参者が辿り着ける階層には限度がある。そしてシルバーバックが地下迷宮(ダンジョン)で出現するのは11階層。駆け出し冒険者であるベル・クラネルが(かな)う道理はない。

 また、身体の状態(コンディション)も最悪だった。

 背部から全身に広がる痛みはまるで猛毒のよう。少女を庇った際の代償として、左腕は握り潰されており、感覚は既になかった。

 もし此処に彼の友人であるアミッド・テアサナーレが居たら、彼女は表情を盛大に歪めるだろう。そして愚かにも『冒険』をする少年を(いさ)めるだろう。それは治療師(ヒーラー)としての判断であり、また同時に、友人を想ってのことでもある。

 あるいは、もし此処に彼の担当アドバイザーであるエイナ・チュールが居たら、彼女は表情を盛大に怒りに変えるだろう。『冒険者は冒険をしてはならない』という彼女の考えに真っ向から対立する行動を、弟のように思っている少年がやろうとしているのだから。

 そして、もし此処に彼の主神が居たら──()女神(めがみ)はきっと、心配しながらも、最終的には眷族(けんぞく)の『意志』を尊重するのだろう。

 

(モンスターらしからぬ『理性』がこのモンスターにはある! 『本能』にただ支配されている魔物ではなく、『理知』を持った怪物だと思わなくては!)

 

 すう、と息を吸い、ゆっくりと吐く。

 最初に動いたのは、ベルだった。

 

「行くぞ!」

 

 激痛で顔を歪めながらも、一歩踏み込み、自身の最大の武器である『敏捷(きゃくりょく)』を活かし、敵に肉薄する。

 だが、しかし。

 

『グルァアアアア────!』

 

 対するシルバーバックは懐に入られる前に、大きく後退した。

 振るわれた剣が空を切る。

 そう、シルバーバックは冷静に分析していた。

 シルバーバックが眼前の敵に対して抱いている印象は、『脚が速い兎』というものが第一に来る。

 分かっているのは、散々己を苛立たせてくれた『敏捷(あし)』の速さと、傷を負っているということ。逆に言えば、他は判明していない。あの非力な腕と片手直剣(ワンハンド・ロングソード)で自身を切れるとは思えないが、それも絶対という保証は何処にもない。

 今の攻防で、敵対者がどれ程減速しているのかが分かった。鬼ごっこしていた時よりも遅い。そして時間の経過、身体を酷使すればする程に減速していくだろう。

 慌てる必要はない。兎が自慢の脚を損なうのだ、それまで待ち、動けなくなったところを確実に仕留めれば良い。

 

(さあ、『布石』は打った。問題は此処から……!)

 

 脂汗が頬を伝う。それを拭うこともせず、ベルもまた、シルバーバックと同様、冷静に分析していた。

 

(私が勝つ為には、短期決戦に打って出るしかない。次の攻撃で、戦況を五分にしなければならない。問題があるとしたら──)

 

『力』がどれ程通じるかだと、ベルは考えていた。

 少しは表皮を切り裂けるのか、筋肉の壁に食い込むのか、あるいは、傷一つ付けることすら適わず弾かれるのか。自身の弱点である『耐久』よりは遥かに熟練度は高いが、果たして──それが最大の懸念事項だ。

 また、片手直剣(ワンハンド・ロングソード)《プロミス》を使っての実戦は、これが始めて。使い勝手が分からない剣で強大な敵に挑むことが如何に無謀なのかは、ベルは分かっているつもりだ。

 身体の状態は最悪。さらには己の半身である武器ですらこうなのだから、状況は絶望的だ。

 

(それでも……)

 

『英雄』に至る為、何よりも、背後で自身の勝利を信じてくれている少女を守る為。

 

(それでも──私は勝たなければならない!)

 

 僅かでも動くと全身が悲鳴を上げる。少しでもそちらに気を取られたら最後、待っているのは己の死。

 それを打ち消す為、己を鼓舞する為、冒険者は泥臭くも雄叫びを上げる。

 

「うおおおおおおおおお!」

 

 前傾姿勢となり──両脚に力を込め突進する。今度こそベルは敵の(ふところ)に入った。

 

『……ッ!?』

 

 シルバーバックは驚愕する。

 先程の攻防よりも、明らかに速い。そんな馬鹿なと目を見張る一方で、()()られたという激情が沸いた。

 先程の一撃は敢えて速度を抑えていたのだ。ベルが現状出せる最大速度はこれくらいだと思わせる為に。

 ──『技』と『駆け引き』。

 第一級冒険者がよく使う言葉だ。『神の恩恵(ファルナ)』が神々から授けられ、下界の子供達は『可能性』を手にした。その最たる例が『階位(かいい)』。『偉業』を成し遂げることで『器』を『昇華』させ、神に近付くとされる。

 だが、『能力』と『技術』は別物だ。つまるところ、どんなに『階位(レベル)』が高く、【ステイタス】が高くとも、それを使いこなせる程の『技術』が必要となる。

 

『──ッ!?』

 

 それこそ、『技』と『駆け引き』に他ならない。

 

『────ッ!?』

 

『駆け引き』に負けたシルバーバックは予想外の速度に反応が遅れる。

 ──回避、いいや、間に合わない! 

 奴が狙ってくるのは己の『魔石(しんぞう)』! ならば、守るべき場所は──! 

 胸部に埋め込まれている『魔石(いのち)』を守る為、シルバーバックは咄嗟(とっさ)に両腕を組んだ。

 だがしかし、ベルの狙いは『魔石(ませき)』ではなかった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおッッ!」

 

 野猿の領域に遠慮なく振り込むと、そこからさらに石畳を強く蹴る。あまりの圧力に罅が走るのも気にせず、力を溜め──そして、跳躍した。

 シルバーバックは目を丸くする。自身の眼の高さに、相手の深紅(ルベライト)の眼があるのだ。これまでずっと見下ろしていた相手が、同じ目線に居る。

 呆ける野猿に、ベルは一閃。

 銀閃が横に走った時には、シルバーバックの右眼の眼球は()られていた。

 

『……グァアアアアアアアア!?』

 

 痛みに苦しむ声が迷宮街に轟く。

 視界を永遠に喪ったシルバーバックは思わず手で右眼を覆ってしまう。べちゃりと付着したのは、己の血だ。気持ち悪い感触。

 

「まだだッ!」

 

 ベルは地面に着地すると、さらに連撃を叩き込むため、距離を詰めた。速度は普段の半分以下。

 だが、視野の右半分を失った野猿はこれまで当たり前にあった景色が欠けた為に対応出来ない。闇雲に手を伸ばすが、ベルはそれを右にステップして回避した。そしてシルバーバックの股を潜り、左脚のふくらはぎを切り付ける。

 

『グアアアアアアアアッッッ!?』

 

 左脚の下腿部(かたいぶ)から生じた痛みが野猿を襲う。巨体が地面に崩れ落ちた。起き上がろうとするが、ままならない。

 

(行ける……! この剣なら、私でもシルバーバックに傷を負わせられる!)

 

《プロミス》の切れ味は素晴らしいの一言だった。

 だが、シルバーバックもやられたままではいない。今度こそ身体を起こすと、反撃を開始する。

 

『グガアアアアアアアアアアァァァァ!』

 

 波状攻撃を繰り出す。

 両の手首に連結されている鎖を鞭のように振り回し始めたのだ。

 たとえ敵の姿が捉えにくく、距離感が狂っていようとも、鞭なら殴打よりも遥かに攻撃範囲が広く、命中率も高いとシルバーバックは考えた。

 地面を(えぐ)り、壁を削る。それはまさに暴風。空気を裂くのは不気味な風切り音だ。

 

(くそっ……これじゃあ近付けない!)

 

 近接武器の《プロミス》でしか、ベルは剣の間合いに入ることが出来ない。つまり、降り注ぐ攻撃の雨が止むまで耐え凌ぐしかない。

 そして、ただ出鱈目(でたらめ)に振り回せば良いシルバーバックとは違い、ベルには繊細な技術が求められた。

 時に剣の腹で受け止め、時に剣で弾き、時にステップをして躱す。

 それは、あまりにも危険な綱渡りだ。

 

「────ッ!?」

 

 拮抗していたかのように見えた戦闘は、突如、あっさりと幕切れとなった。

 言葉に出来ないほどの激痛がベルを襲う。攻撃を浴びた訳ではない。

 酷使され続けていた身体がついに()を上げのだ。

 動き続けていた足がついに止まる。追い打ちをかけるようにして、シルバーバックが放った横薙ぎの一閃が大気を切り裂いた。

 ベルは咄嗟に剣で受け止めることを選択。しかし、準備もままならなかったそれは防御とは言えず、途轍もない衝撃が小さな身体に及んだ。

 

「がはっ、ごふっ……!」

 

 口から血を吐き出す。壁に叩き付けられた時以上の吐血量。鮮やかな赤色の液体が石畳を浸食(しんしょく)していく。

 

(くそっ、まだだ……! まだ、倒れる訳には……!)

 

 ベルの思いとは裏腹に《プロミス》が手から滑り落ちる。キン、という金属特有の冷たい音が響き、それは剣の悲鳴のようでもあった。

 遅れるようにして身体が崩れ落ちた。ドサッ、というあまりにも小さな音が、風によって掻き消えた。それは少年の生命の灯火を表しているようでもあった。

 

(身体に力が入らない……)

 

 生命を維持する為、身体に安全機能が働く。

 

『グァァァァ……!』

 

 シルバーバックが、動いた。

 ベルは動けと身体に命令するが、ぴくりとも動かない。

 迫り来る『死』にベル・クラネルは何も出来ない。猛然と相対することも、情けなく逃げることも出来ない。

 

『グァァァァァァァァ……』

 

 そうしている間にも野猿は緩慢な動作で動く。彼自身も、随分と傷を負った。切られた部位を引き摺るようにして、ベルに近付く。

 地響きが鳴る。それはまさに絶望を表現している旋律。

 

 そして、(とき)が止まった。

 

 一つの影が、差した。

 顔を上げたベルは驚愕で目を見張る。

 果たして、そこには一人の少女が居た。守ると言った彼女が、そこには居た。

 

「シ……ルッ!」

 

 ベルに背を向ける形で、彼女は迫り来るシルバーバックと向き合っていた。

 掠れ声を出してベルが「逃げろ!」と言う。

「チッ!」と、遠目から見守っていた猫人(キャットピープル)の青年が駆け出す。歴戦の勇士である彼の脚は迷宮都市(オラリオ)で最速だ。「おい!?」と声を上げる赫灼の青年を置き去りにした。

 

「ありがとうございます、ベルさん。私を守ってくれて。私の笑顔を守ってくれて」

 

「……!?」

 

「実は私、貧相街(スラム)で生まれたんです。色々とあって、今は『豊穣の女主人』で働いていますが……」

 

「何を言って……──!?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 さらにシルは言葉を続けた。迫り来る巨体を瞳を逸らすことなく、じっと見詰めながら。

 

「私はこれまでに多くの人と関わってきました。随分と長く給仕として働いてきました。すると面白いことに、沢山の人が居ると、沢山の発見があることに気付いたんです」

 

『人間観察』って言うんでしょうか? とシルは自答した。

 

「そのおかげで、何となくですけど──分かるようになったんです。その人が怒っているのか、悲しんでいるのか。本当か、嘘か。だから、ベルさんのことも分かりました。まだ全ては分かっていませんけど……これだけは言えます」

 

 そして少女は振り向いた。

 少女が優しく語り掛ける。それはまるで、遺言のよう。

 

「貴方は優しい人。誰よりも優しい人。困っている人がいたら損得勘定関係なく、手を伸ばすことが出来る人。そして、人を笑顔にすることが出来る人だって、私は自信を持って言えます。きっと、ベルさんのような人が『英雄』と呼ばれるんだと思います。これから貴方に救われる人は沢山いるでしょう。だから──」

 

 薄鈍色(うすにびいろ)の長髪が風と共に揺れる。

 少女は最後に、淡く、そして(はかな)く笑った。

 

「だから、今度は私が。今度は私が、貴方を守らせて下さい」

 

 その時にはもう、少女の小さな身体は伸ばされた野猿の大きな手に収まろうとしていた。

 少女の微笑みが、彼女の言葉が檻に入ろうとしている。

 そして、(とら)われる──直前。

 

 再度──(とき)が、否、世界が静止した。

 

 今まさに長槍(ジャベリン)を投擲しようとしていた猫人(キャットピープル)の青年が琥珀色の瞳を大きく見開かせる中、赫灼の青年はそうなることがまるで分かっていたかのように笑みを浮かべていた。

 そして、シルバーバックは呆然と『それ』を見ていた。『それ』は、くるくると回転しながら落ちてきた。見覚えのある『それ』は──己の前腕に他ならなかった。

 

『グアアアアアアアアアアアァァァァッッ!?』

 

 身を焦がすような激痛に晒されながら、シルバーバックは片眼となった左眼で、それを凝視する。

 剣を切り上げた姿勢で、彼は硬直していた。

 紅い目から血の涙を流しながら。全身が傷だらけになりながら。生命を燃やし尽くそうとしながら。

 

「……言おう、我が英雄日誌。──『英雄ベル・クラネルは間一髪のところ、野猿に攫われそうな女子(おなご)を華麗に助けるのだった』──……ははは、脚色も大事だよネ」

 

 それでも、ベル・クラネルは笑っていた。

 いつもと同じようにへらへらと。何処か胡散臭い笑みを浮かべ、唇を曲げていた。

 

「はあ……はぁ……!」

 

 吐く息はとても荒い。肩だけで呼吸をしている状態だ。

 膝から崩れ落ちそうになるのを、気合いだけで堪えている。

 それはまさに『執念』。 

 シルを横抱きにすると、戦闘区域から離脱した。充分に離れた場所で少女を下ろすと、ベルは剣を構え直しながら、

 

「シル」

 

 そう、彼女の名前を呼んだ。

 それは、これから繰り広げる死闘の前にやらなくてはならないこと。

 ベルは道化(どうけ)のように口調を変えて、問うた。

 

「シル。貴女はさっき、私のことはまだ全部分かっていないと言いましたよね」

 

「は、はい……。私達はまだ出会って数日ですから……」

 

「私も同感です。ええ、貴女の言う通りだと思います。私達はまだ、知っていることよりも、知らないことの方が遥かに多い」

 

 沈黙する少女に、ベルは語り掛けた。

 

「なら、もっと多くのことを話しましょう。多くの時間を共有しましょう」

 

「……えっ?」

 

「そして、お互いのことを知っていきませんか?」

 

「お互いのことを、知る……?」

 

「はい! それはとても楽しいこと、面白いことです!」

 

「で、でも……人には誰しも、他人に知られたくないことがあると思います。それすらも、貴方は受け止められると言うんですか?」

 

 さあ? とベルは無責任にも首を傾げた。絶句するシルに、ベルは言葉を続ける。

 

「今は無理かもしれません。ですが、人生というものは、短いようで、とても長いもの。その果てに、いつかきっと、私達は真の意味で分かり合える(とき)が必ず来ます!」

 

「分かり合える……。本当に、ベルさんは……貴方は、そう、思っているんですか?」

 

「もちろん! 私はそう信じています!」

 

「──」

 

 シルは文字通り言葉を失った。それから、眩しいものを見るように目を細める。

 

「待っていて下さい、私の勝利を。そしてどうか見守っていて欲しい、貴女の美しい瞳で」

 

「──はいっ!」

 

 少女の言葉が少年に力を与える。

 それは人が、人だけが持つ『力』。

 たとえ小さくとも、それはやがて大きな奔流(ほんりゅう)となり『想い(いし)』となる。

 

「さて、随分と待たせてしまったな、シルバーバックよ」

 

 ベル・クラネルはシルバーバックを見上げ。

 そしてシルバーバックはベル・クラネルを見下ろした。

 

「私としたことが、すっかりと忘れていた。名乗りを忘れるだなんて、なんて失礼なことをしていたのだろう」

 

 深紅(ルベライト)の瞳と暗褐色の瞳が交錯する

 ベルも、シルバーバックも、その瞳に映すのは対等な敵対者のみ。

 

「私の真名はベル・クラネルという! 『英雄』に憧れ、何れ、『英雄』になる者! そして──貴殿を討つ者だ!」

 

『グアァアアアアアアアアアアッッッッ!』

 

 女神の思惑──『試練』を二人は超越する。

 ベル・クラネルは愛剣《プロミス》を。

 シルバーバックは左腕に巻き付けられている鎖を。

 両者は得物(えもの)を構え、少しずつ距離を詰めていく。どちらも、あるのは『勝利』への渇望のみ。

 それ故に、後退はなく。故にそこには──『意志(おもい)』があった。

 

『グルァアアアアアアアアアアッッッッ!』

 

 戦闘の再開の火蓋(ひぶた)を切ったのは、シルバーバックだった。

 鞭の範囲に入ると同時に、自身の剛腕で鞭を振るう。そこに『技』はない。しかしながら、並外れ、隔絶した力には足りない『技』を補う程の『能力(ステイタス)』があった。

 まともに受ければ死は確実。掠っただけでも大怪我であり、殆ど死に体のベルは掠り傷一つすら許されない。

 縦に振るわれた鞭がしなやかに()を描いてベルに襲い掛かる。それはまるで獰猛な蛇のよう。

 

「おおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 その必殺の一撃を、ベルは大きく横にステップして回避した。叩き付けられた鉄鎖(てつさ)は石畳を文字通り粉砕し、周囲に亀裂(きれつ)が走る。

 

「ナイス回避、流石私!」

 

 ベルはそれに構うことなく、ただただ前進する。速度は歩行よりも少し速い程度。自慢の速力は損なわれていた。

 シルバーバックの攻撃がさらにベルの進行を遅くする。縦に、横に、あるいは斜めに。ありとあらゆる角度からの攻撃を、ベルはギリギリのところで回避する。

 

『グアアアアアアアア!?』

 

 十回目の攻撃を避けられたところで、シルバーバックが驚愕の声を上げた。まぐれではないと認めざるを得なくなったのだ。

 次いで、兎一匹すら仕留められない自分に対しての苛立ちが湧いてくる。

 だが、此処で怒りに身を委ねては敵の思う(つぼ)だと、本能で理解していた。沸騰しかけた頭を冷やし、次の一手を繰り出す。

 

「うお、うおおおおおおおおお……──!」

 

 そしてそれはベルも同様だ。無限に等しい選択肢の中から、状況に適した最適解を刹那の思考から選び、実行する。思考回路は既に加重に負荷が掛かり、脳が割れるような痛みと、熱が濁流(だくりゅう)となって全身へ運ばれる。

 真正面から堂々と距離を徐々に詰めていくベルと、それを真正面から迎撃するシルバーバック。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

『グルァアアアアアアアアアアアアッッッ!』

 

 ベルも、シルバーバックも、どちらも満身創痍(まんしんそうい)だった。

 だが限界を何度も越え、立ち上がり、衝突する。

 正真正銘の真剣勝負。

 物語のような、綺麗な華々しさなどそこにはなく。あるのは、何処までも泥臭い激闘。

想い(いし)』と『意志(おもい)』のぶつかり合い。

 己を賭す者にしか出来ない、『意地』の張り合い。

 

「頑張れぇー!」

 

 一人、避難していた青年が人家の窓から顔を出し、叫び声を上げた。

 

「負けないで!」

 

「お兄ちゃーん!」

 

 また二人、人家の奥で身を潜め、抱きしめ合っていた母娘が人家の窓から顔を出し、声援を(おく)った。

 

「勝て、坊主!」

 

「踏ん張れ! くたばるんじゃねえぞ!」

 

「お前が負けたら、俺が嬢ちゃんを娶るからなぁ!」

 

 一人、一人、また一人……────。

 声が人工迷宮に響く度に、住民達が『源流』に足を運び、それは連鎖して広がっていく。

 

「「「勝てぇええええええええええええ!」」」

 

 一人の少年と、一匹の野猿の死闘を見届ける為に。

『英雄』が産声を上げる瞬間を、しかと目に焼き付ける為に。

 そして、長い、長い攻防の果てに──ついに、ベルは一歩、その領域に踏み込んだ。

 

「「「よっしゃあああああぁあああああ!」」」

 

 刹那、シルバーバックは即断する。中距離武器の鞭では、駄目だと。鉄の鎖が敵の身体に直撃するよりも前に、敵の方が速い。

 ならば──己の剛腕で迎え撃つのみ。

 シルバーバックは左腕を大きく引く。腰を捻り、一拍の貯蓄(チャージ)

 ──解放(バースト)

 迫り来る拳の前に、ベルは剣で受け流すことを選択した。攻撃の軌道の前に斜めに剣を差出し、そのまま軌道を逸らそうと試みる。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!?」

 

 未だ嘗て体感したことがない、身体の芯を根元から折ろうとしてくる衝撃に、ベルは声なき絶叫を上げた。

 あまりの摩擦に火花が飛び散り、視界を苛烈に染め上げる。それはまるで、剣の悲鳴のようでもあった。

 

(まずい……! このままじゃ剣が!?)

 

 折れるという、確信があった。

 そして、ベルの確信は的中する。

 純白の刀身に、ピキ、ピキッと小さな音を立てながら罅が入り始めた。

 片手直剣(ワンハンド・ロングソード)《プロミス》は凄まじい切れ味を誇る。しかしその反面、鋭さのみに特化した武器の耐久値は他の武器と比べてとても低かった。

 使い手であるベル・クラネルの、連続的な無茶な使用。そして極めつけは、野猿の発達した右腕を、実質、剣の性能だけで切ったことが、《プロミス》の損傷を、生命を削っていた。

 

「グルァアアアアア……!」

 

 ニヤリと、シルバーバックは獰猛に嗤うと、剣をへし折ろうと、さらに力を込める。

《プロミス》の罅は既に亀裂となっていた。ピキリ、と致命的な音が零れる。

 そして同時に──シルバーバックの攻撃がようやく終了する。軌道が逸らされた野猿の剛撃は、ベルに的中することなく、約一M(メドル)隣に着弾した。

 石畳が破壊され、破片となって舞う。塵芥(ちりあくた)が舞い上がり、土煙となる。

 

(くそっ、どうする!? )

 

 土煙の中を移動しながら、ベルは思考する。

 受け流しの代償はあまりにも大きかった。片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)《プロミス》の、刀身の半分から上が折られていた。

《プロミス》は死を迎えていた。

 

(この煙が晴れた時、それが最後の攻防の始まり! だが、私には武器がない。これでは戦えない! どうすれば──!?)

 

 いくら考えても、ベルは打開策が考え浮かばなかった。

 そしてそれはシルバーバックも理解している。《プロミス》を折ったという感触が彼にはあった。

 そして無常にも、決戦の(とき)、そのカウントダウンが既に始まっていた。

 土煙が晴れるまで、残り五、四、三、二……──。

 

 

 

「鍛冶師として、武器を持たせないまま戦場に行かせる訳にはいかないな」

 

 

 

 誰かがそう言ったのを、ベルは聞いたような気がした。

 

 ──残り、一秒。

 

 土煙が晴れた。否、切り裂かれた。

 そして一つの大きな音と、衝撃が空を走り抜ける。

『何か』が降り立ったのを、ベルは感じ取った。正体を摑もうと目を細めた彼は、次の瞬間、息を呑む。

 

 ──(ゼロ)

 

 そこには、一本の(つるぎ)が地面に深く突き刺さっていた。

 武器種は、片手直剣(ワンハンド・ロングソード)

 無駄な装飾が一切施されていない、一本の(つるぎ)であった。

 刀身は何処までも荒々しく、何処までも猛々しく、そして何処までも美しい、紅蓮。

 見る者を引き付けて止まない圧倒的な存在感。

 

「──」

 

 導かれるようにして、ベルは(グリップ)に手を伸ばす。そして(つるぎ)を地面から引き抜いた瞬間、思わず目を見張った。

 恐ろしい程に、紅蓮の(つるぎ)はベルの手に馴染んだ。

 

(ああ……そうか……君はまた、(ぼく)を助けてくれるのか……)

 

 一つの、確信があった。

 ベルは胸中に言葉を留めると、シルバーバックに剣を突き付ける。

 そして──にやりと、笑い掛けた。

 

「決着をつけよう」

 

 シルバーバックは、笑って応えた。

 それから、腹の底から雄叫びを上げる。

 

『グアアアアアアアアアアアアッッッ──!』

 

 住民達は本物の魔物の咆哮に恐れ(おのの)いた。ビリビリと肌を震わせる轟音に、大の大人であっても腰を抜かす。

 だからこそ、彼等は冒険者の少年に畏敬の念を抱いた。

 冒険者の少年──否、『英雄』は威風堂々とした佇まいを崩していなかったから。漆黒の外套が風によって靡き、白髪が揺れる。唯一、深紅(ルベライト)の瞳だけが動じなかった。

 それはまるで『英雄譚』の一(ページ)

 凶悪な怪物に立ち向かう『英雄』の姿に、誰もが皆、魅入っていた。固唾を呑んで、目を極限まで見開いて、彼等は『名も無き英雄』の勇姿を魂に刻む。

 

「…………」

 

『…………』

 

 そして──無限に続くと思われた静寂が、破られた。

英雄(しょうねん)』と野猿(モンスター)は、同時に動いた。 

 

『グオオオオオオオオオオオ──ッ!』

 

 シルバーバックが一撃必殺の攻撃を繰り出す。

 より速く、より重く、より強く。

 全身全霊、己の全てを賭して解き放つ、至高の剛撃。

 

「オオオオオオオオオオオオオオ!」

 

 ベルは、小細工が一切ない、真正面からの打倒を決断した。

 剣を真上で振り被り、一拍、力を溜め──最上段から、勢いよく振り下ろす。

 一本の剣と剛腕の拳が激突した。

 そして──。

 

 ────紅蓮の華が咲き誇った。

 

 何処までも赤い、紅い、業火が剣から放たれる。

 それは全てを焼き付くし、燃やし尽くす猛火。

 炎が野猿を覆う。右腕から体幹。体幹から頭部、腰部。腰部から両脚に。美しい銀の体毛が焦げ落ち、身体が焼け、炭化していく。

 

『グアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!?』

 

 シルバーバックは悲鳴を上げた。否、それは『悲鳴』ではなく、『断末魔』であった。

 身体が崩壊していく。緩やかに黒灰となっていく。

 モンスターは最期まで生に必死だった。それはまさに『執念』であった。だが、『生』と『死』は万物に必ず訪れるもの。世界の(ことわり)に歯向かうことは(ゆる)されず、『死』に向かって行く。

 

『グァァァァァァ……』

 

 身体の崩壊が胸部まで侵食したところで、シルバーバックは敵対者を赤褐色の瞳に映した。

 紅蓮の(つるぎ)を地面に突き立て、辛うじて立っている。呼吸は乱れ、全身は傷だらけ。骨だって何本も折れているし、特に左腕は見るに堪えない程の損傷を負っている。

 だが、やはり──。

 敵対者は笑みを浮かべていた。何度も己を苛立たせ、憎悪さえ抱いた、けれど清々しい笑みだった。

 

「──私の、勝ちだ」

 

 嗚呼、とシルバーバックは思った。

 敵対者は何て言ったのだろうか。『人語(ことば)』が分からないモンスターは、初めて、そのことが悔やまれてしょうがなかった。

 だが、きっと。

 好敵手は忌々しくも『勝利宣言』をしたのだろう。

 ならば、自分がやることは決まっている。

 

『グァアアアアアアアアアアアアアア──ッ!』

 

 住民達が悲鳴を上げた。絶対悪たる怪物はまだ生きているのかと、その生命力に恐怖した。

 だが、ベルにはそれが勘違いだと分かっていた。

 それは純粋に、強者を、勝者を讃える声だ。

 シルバーバックの最期の想いを聴いたベルは、無言で頷いた。そしてやはり、憎たらしい程の笑みを浮かべ、餞別を込めて言った。

 

「綴るぞ、我が英雄日誌! ──『英雄ベル・クラネルは姑息な手を用いて、強大で勇猛な野猿に勝利した! 』──さらばだ、シルバーバック! 銀の野猿よ!」

 

 その言葉をシルバーバックが聞いたかは定かではない。何故なら、ベルの言葉が終わった時には、彼はもう黒灰となっていたからだ。

 だが、確かにベルは見た。死に向かう彼が、最期には獰猛な笑みを浮かべていたのを。

 黒灰が風によって飛ばされる。地上で死に絶えたモンスターが母なるダンジョンに(かえ)ることはなく、世界を旅することになった。

 残ったのは、ベルがこれまでの冒険者活動で見たことがない大きさの『魔石』。紫紺の結晶を手に取ると、ベルはそれを頭上に掲げ、観衆に告げた。

 

「怪物はこの私、ベル・クラネルによって打ち倒された! これ以上、この地に危機が迫ることはない!」

 

「「「うおおおおおおおおおおおおおお!」」」

 

 歓声が沸いた。

『英雄』に賛美が贈られる。

 

「やりやがったな、坊主ー!」

 

「格好良い……! 僕も、あんな風に!」

 

 大人達の尊敬の眼差し、子供達の憧憬の眼差しを一身に受けた『英雄』は、笑顔で手を振って応えた。

 そして、身体を引き摺って少女に歩み寄る。彼女は約束通り、少年の勝利を待っていた。

 

「お待たせしました、シル。貴女を追っていた野猿は、このベル・クラネルが倒しました」

 

 劇者のように、ベル・クラネルは大仰に言った。

 それから、鈍色の瞳を深紅(ルベライト)の瞳で見詰めて、静かに問うた。

 

「私は貴女を守ることが出来ましたか? 私は貴女の笑顔を守ることが出来ましたか?」

 

「……はいっ!」

 

「嗚呼、素敵な笑顔だ……。本当に良かった──」

 

 言葉が途切れた。

 少年が、よろめき、前に倒れる。住民達が悲鳴を上げる中、少女は優しく抱きとめた。

 服が血で汚れるのも気にせず、彼女は少年の耳元で囁く。

 

「もう良いです。ベルさん、もう、良いですから」

 

「……しかし、ミア母さんに私は、貴女を家に帰すと約束している。約束を反故(ほご)する訳には……」

 

「……いいえ。いいえ、貴方は約束を守ってくれました。だから──……もう、休みましょう?」

 

 少女がそう言うと、ベルは無垢な笑みを浮かべた。

 

「そうか……それなら、甘えさせて貰おうかな。ごめん、ちょっと休むよ……」

 

 歳相応の花のような笑みを浮かべ。

 襲いかかってくる睡魔に抗うことはせず、ベルは緩やかに瞼を閉ざしていった。

 そして、ベル・クラネルはひと時の眠りについた。その顔はとても穏やかなものだったと、後に女性は語る。

 



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斯くして、祭りは終わった

 

 昼。

 巨塔(きょとう)──バベル。

 地下迷宮(ダンジョン)の『蓋』の役割を担う摩天楼施設(まてんろうしせつ)は、二十階まではテナントとして【ファミリア】に貸し出されている。簡易的ながらも換金所があったり、食堂があったり、治療施設があったりする。階層を行き来するのは魔石製品で作られた昇降盤(エレベーター)であり、魔石製品を製造、輸出している迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオならではの移動方法だろう。

 二十階から上は神々が住んでいる。無論、法外な税金を納める必要がある為、この神々の領域(プライベートルーム)を使えるのは、都市でも有数の【ファミリア】の主神だけだ。

 その五十階、つまり最上階。壁一面を占領するのは長方形の硝子(ガラス)

 

「──ふふっ、ふふふふふふっ」

 

 一つの笑みが、零れ落ちた。

 彼女──美しい女神は魔石製品である立体映像機()を凝視していた。画面が映すのは、一つの動画であった。

 動画はやがて終わり、部屋には静寂が訪れる。

 

嗚呼(ああ)、もう終わってしまった……。仕方がないわね、もう一度見返すとしましょうか」

 

 その言葉が出た時には既に、動画は再び始まっていた。

 女神──フレイヤは「ありがとう」と、自身の神意を見事に察し、端末を操作した己の眷族に礼を言う。

 

「……いえ」

 

 黒と灰の毛並みを持つ小柄な青年──アレン・フローメルは無機質な声で、主神の御礼に返答した。

 女神の時間を邪魔しないよう、入り口の扉の横で立つ彼は、珍しくも、敬愛している主神に対して呆れていた。

 

(これ、何回目だ?)

 

 数えているだけでも、既に三桁に突入していた。

 三桁。つまり、百回以上。

 フレイヤが()()()()()をループしている回数である。

 

(他の連中がくたばるのも頷ける……)

 

 眷族の仲が良いとはお世辞にも言えない【フレイヤ・ファミリア】であったが、この時、被害にあった構成員達は僅かながらも距離が近くなった気がした。

 

「そう、そこよ! 嗚呼、なんて雄々しいのかしら!」

 

 死んだ目になっている自らの眷族にも気付かず、フレイヤは立体映像機(スクリーン)に夢中になっている。

 最初は優雅にソファに座り極上のワインを(たしな)んでいたが、次第にソファから離れ、動画を超至近距離で見るようになった、と本拠(ホーム)を出てバベルに向かおうとするアレンに報告してきたのは、憎き猪人(ボアズ)であった。

 あの時は機嫌が(すこぶ)る悪かったので──話しかけて来たのが怨敵でもあったのだから、さらに悪くなった──耳を貸さなかったが、なるほど、あれは『報告』ではなく、『忠告』だったのだと、アレンは本当に、本当に少しだけ、雀の涙ほどだけ感謝した。

 

(チッ……俺が地下迷宮(ダンジョン)に行っている間に、まさかこうなっているなんてな……)

 

 今にして思えば、【フレイヤ・ファミリア】本拠(ホーム)──『戦いの野(フォールクヴァング)』は、いつもは血飛沫と雄叫びが飛び交っているものだが、今朝はそれが少なかった気がする。そのことに気付かないほどアレンは機嫌が悪く、地下迷宮(ダンジョン)に『八つ当たり』をしていたのだ。

 

「すごい、凄いわ! ふふっ、『喜劇』! 『喜劇』ですって!? 女神(わたし)が課した『試練』を『喜劇』と言うだなんて、なんて不遜(ふそん)なのかしら!? 嗚呼、けれど、とても面白い!」

 

 貴方もそうは思わない!? 主神が同意を求めるように、物凄い速さで振り返るものだから、アレンは瞬時に端末を操作、動画をぴたりと静止させた。

 

「面白いかどうか聞かれれば、面白くないですね」

 

 そして自身の感情をそのまま吐いた。

 下界の子供であるアレンが嘘を吐いても、神であるフレイヤにはそれが通じない。

 かと言って、(だんま)りを決め込む訳には行かない。主神の質問に答えないのは【フレイヤ・ファミリア】の禁忌の一つだ。

 

「そう……貴方にもそう映るのね。アレンだけじゃない。ヘグニも、ヘディンも、小人族の四兄弟(アルフリッグ)達も、オッタルもそう。みんな、私に賛成してくれなかったわ」

 

 つまらない、と女神は無垢な少女のように頬を膨らませた。

 

「もう良いわ。今日はここまでにしておきましょう。明日はまた他の子と見るから」

 

 ここに一人、新たな被害者が生まれることが確定したが、アレンは何も思わなかった。寧ろ、晴れやかな思いすら抱いた。

 それを隠そうともせずに素早く端末を操作する己の眷族を、フレイヤは『清々しいわね……』とすら思っていた。全員もれなく、似たような表情なり行動なりするのだから、最初こそ拗ねたものだが、流石にここまで来ればフレイヤも慣れたものである。

 

「アレン、せっかくだから此処で【ステイタス】の更新をしてしまいましょうか」

 

「畏まりました」

 

 二人は天蓋付き寝台(ベッド)に移動した。そのままカーテンを閉める。

「おいでなさい」と声を掛ける主神に、眷族は慇懃に礼をすると、戦闘衣(バトル・クロス)を脱いで背中を(あらわ)にした。鍛え抜かれた上背(うわぜ)に、美の女神は微笑を浮かべる。

 自身の神血(イコル)を落として、フレイヤは慣れた手つきで【ステイタス】を更新していく。

 

「それで? 単独での『遠征』はどうだったかしら?」

 

「……攻略階層が幾つか増えましたが、その程度です」

 

「それは素晴らしい事ね。『騒動』から帰って来るなり『深層』に単独『遠征』に行きたいだなんて、貴方がそんなお願いをしてきたことにはとても驚いたけれど……ふふっ、やっぱり、『彼』に当てられたのかしら?」

 

 アレンは沈黙だけを返した。

 主神は素直になれない猫人(キャットピープル)を愛おしそうに目を細めて見ると、頭を何度か優しく撫でる。

 

「なら、貴方は『騒動』の顛末を知らないということになる。その間に何が起きたのか、教えてあげるわ」

 

「……それは【フレイヤ・ファミリア】に関係することでしょうか」

 

「いいえ? 直接的には関係ないわね。けれど、アレン、貴方は副団長だもの。迷宮都市(オラリオ)の世情は把握しておかないと」

 

 それに、久し振りに貴方と会えたんだもの、ゆっくり話をしたいわ──主神の我儘を、眷族は受け入れた。とはいえ、【フレイヤ・ファミリア】では主神が絶対である為、忠誠を誓っているアレンが断るという選択肢は元からないのだが。

 

「『騒動』──いいえ、『モンスター脱走事件』だったかしら。これが、管理機関(ギルド)が名付けた『騒動』の名前」

 

 とても物騒で、品がない名前だとフレイヤは言った。

 それから彼女は、滔々と話をする。

 

 年に一度に開かれる──怪物祭(モンスターフィリア)

 

 この行事(イベント)の歴史は長いとは言えない。都市の実質的な支配者である管理機関(ギルド)が発案したというこの催しは、最初の頃はウケがいいとは決して言えなかった。

 地下迷宮(ダンジョン)に挑む冒険者からは『パンと見世物』だと言われ、都市の住民達からは危険な怪物(モンスター)を地上に運ぶとはどういう事だと苦情(クレーム)が殺到した。

 しかし管理機関(ギルド)と、彼等に提携している【ガネーシャ・ファミリア】は非難の声に屈することなく怪物祭(モンスターフィリア)を決行。彼等の努力の甲斐があって、最初は少なかった観客は回を重ねる度に増えていき、迷宮都市(オラリオ)だけでなく、やがて世界全土に広がっていった。

 しかしながら、受け入れられ始めていた怪物祭(モンスターフィリア)は、今年、予期せぬ出来事に襲われることになった。

 

 それこそが、『モンスター脱走事件』。

 

 闘技場の地下で厳重に捕らわれていた怪物(モンスター)が、何者かの手によって檻から脱走──否、脱獄したのだ。何かを探し求めるように、モンスターは民衆を襲うことなく我が物顔で都市を闊歩した。それは『世界の中心』たるオラリオで起きてはならない事態だ。

 ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】は自分達だけでは早期解決が困難だと判断、冒険者達に協力を要請。幸か不幸か、その場には都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】の第一級冒険【剣姫(けんき)】をはじめとした屈強な冒険者が怪物祭(モンスターフィリア)を観戦に来ていた。また、主神である計略の女神、ロキが居たことも幸運に入るだろう。彼女は事態を知ると、眷族達に神意を出した。また【ロキ・ファミリア】だけでなく、その他多数の冒険者も協力を受諾。

 一時間も経たずにモンスターは討伐されたが、都市の東区画は封鎖されることとなった。安全が確認され、開放されたのは事件が起こってから一日後である。

 

「──ふふっ、今尚、民衆は怯えているわ。管理機関(ギルド)が正式に怪物達(モンスター)は討伐されたと発表したのにも関わらず。そこが子供達の可愛いところではあるけれど」

 

「……そうですか」

 

「あら? もしかして怒ってるの?」

 

「いえ」

 

 短く言葉を交わす。

 アレンは全ての元凶が主神であることを知っている。

 寧ろ自分は主神の神意(しんい)──『神の計画(シナリオ)』に加担したのだ。巻き込まれた民衆に思うところがない訳ではないが、その程度である。

 

管理機関(ギルド)には非難の声が殺到。北西のメインストリートは『冒険者通り』なんて言われているけれど、今は民衆の方が多いみたい。ギルド長(ロイマン)はあまりの忙しさに少しばかり痩せたそうよ?」

 

「……あの豚が少し痩せたところで、寧ろ、気持ち悪さが増すと思いますが」

 

 それもそうね、と美の女神は頷いた。

 

「モンスターの脱走を許してしまった【ガネーシャ・ファミリア】にも、管理機関(ギルド)までとは行かないけれど、非難の声が上がっていたわ。とはいえ、此方はすぐに止んだけれど」

 

群衆(ぐんしゅう)(あるじ)】であるガネーシャだからこそ、『都市の憲兵』としてオラリオの治安維持に貢献してきた【ガネーシャ・ファミリア】だからこそ、許しを得られた。

 あるいは、「すまなかったああああああああああああ!」と道のど真ん中で土下座を敢行するガネーシャを見て、毒気を抜かれたのかもしれない。

 どちらにせよ、他の【ファミリア】だったら駄目だっただろう。

 

「来年の怪物祭(モンスターフィリア)は開催されないでしょうね。再来年も危ぶまれているわ」

 

「……」

 

「ガネーシャや創設神(ウラノス)には悪いことをしてしまったわ」

 

 口ではそう言いつつも、女神フレイヤは反省している素振りを微塵も見せなかった。

 事実、彼女は反省などしていない。寧ろ、自身の『計画(シナリオ)』が達成されたことに大変満足している。

 神とは自身の感情に良くも悪くも正直なのだ。

 

「ロキの所は『モンスター脱走事件』の解決に大きく貢献したから、『ミノタウロス上層進出事件』の汚名を返上した。ふふっ、あの時のロキの表情(かお)……女神がしては駄目なものだったわ」

 

『事件』が起こった当日の夜、フレイヤはロキから呼び出しをくらった。会って早々殴りかかってきた彼女を思い出し、フレイヤは思い出し笑いをする。

 とはいえ、既に女神の間で『契約』はされている。破ることは赦されない。悔しそうに顔を歪める計略の女神はとても見物だった。

『ミノタウロス上層進出事件』の失態を今回の『モンスター脱走事件』に協力することで、【ロキ・ファミリア】は名誉挽回に成功した。

 

「そして──【ヘスティア・ファミリア】。ふふふっ、アレンは知らないでしょうけど、彼処の派閥は今、民衆からとても注目されているわ。いいえ、民衆だけでなく、一部の同業者(ぼうけんしゃ)神々(わたしたち)からも」

 

『モンスター脱走事件』で、一つの派閥が台頭した。

 その名も、【ヘスティア・ファミリア】。

 結成されてからようやく一ヶ月の零細派閥。構成員も僅か一人で、等級(ランク)は当然、最低の【I】。

 だが、この零細派閥は現在、最も注目されていた。

 その理由は、主に二つ。

 まず一つ目に、炉の女神ヘスティア。彼女は親と(はぐ)れてしまった子供達を見付けると、再会出来るよう手助けをした。その数、およそ迷子となってしまった子供達の全体の半数以上。幼い容姿の女神が、幼い子供達を引き連れ避難所に向かう姿は多くの住民に目撃されている。

 そして二つ目に、たった一人の眷族の少年。彼は執拗に追いかけて来る野猿──シルバーバックと対峙し、戦い、そして一人の少女を守り抜いてみせた。迷宮街で繰り広げられた死闘は口伝で瞬く間に都市中に広がり、新たな『新人(ルーキー)』の誕生にオラリオは湧いている。

 

「一つ、質問宜しいでしょうか?」

 

 珍しいことだと、フレイヤは益々思った。

 故に、彼女は赦す。

 

「良いでしょう。何でも答えてあげるわ」

 

 感謝申し上げます、と眷族は主神の慈悲に慇懃に答えると、静かに問うた。

 

「あの糞餓鬼──ベル・クラネルを貴女は見付けた。しかしながら、私はあの糞餓鬼が『英雄』になれるとは思いません。精々が『道化』でしょう」

 

「一日中尾行していた貴方がそう思うのなら、きっと、そうなのでしょうね」

 

 アレンは女神の神命に従い、怪物祭(モンスターフィリア)が開かれたあの日、ベル・クラネルと街娘の逢引を尾行していた。

 アレン・フローメルは迷宮都市オラリオでも数少ないLv.6。相手に気取られないよう、気配を殺し、空間に紛れることなど造作もない。

 

「けれど、貴方はその『道化』を視て──ダンジョンに潜っていったわ。貴方をそうまで駆り立てる『何か』が『道化』にはあった。違う?」

 

 つーっと、白く細い手でフレイヤは背中をなぞった。

 一度身体を震わせた猫人(キャットピープル)は、しかし、やはり沈黙する。

 それすらも美の女神にとっては可愛らしく映るのだ。蠱惑的な笑みを浮かべ、再度、背中をなぞる。

 

「それで? 貴方は何が聞きたいの?」

 

「──『道化』の『魂』の本質(いろ)についてです」

 

「ふふっ、ふふふふふふふふっ!」

 

 フレイヤは笑った。

 自分が想像していたものよりも、深い、深い意味がある質問だ。

 つまり、己の眷族はこう問うているのだ。

 ──糞餓鬼(ベル・クラネル)の何処に惹かれたのか。

 嗚呼、とても面白い質問だ。腹が捩れるくらいに笑声をあげる。

 暫くして、女神は『約束』を果たす為に口を開けた。

 

「あの子の『魂』の本質(いろ)わね……一言で言うならば──『透明』なの」

 

 どういうことかと、アレンは説明を求める。

 

「白でも、黒でも、赤でも、青でもない。あの子は『透明』。『透明』だということは、即ち、どの『色』にも『変色』出来るということ。だから、あの子は他者を惹き付けてやまない。だから──あの子の周りには笑顔が咲いている」

 

 でもね──と、フレイヤは言葉を続けた。

 

「あの子の『魂』の本質(いろ)は、本来、別の『色』のような気がするの。『()()()()()()()()

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「私にも分からない。私が主に司るのは『美』と『愛』。本質(いろ)を見抜く()こそ持っているけれど、逆に言えば、それしか出来ないの。これで良いかしら?」

 

「はい。感謝申し上げます」

 

「もう……オッタル達に使っているような口調で私は構わないのに、貴方は私の前ではそのように振る舞うのね」

 

「女神の御前ですから」

 

 唇を尖らせても、眷族は態度を変えることはしなかった。とはいえ、フレイヤはアレンのそういうところが好きなのだが。

 

「あの子はまだ療養中。【戦場の聖女(デア・セイント)】は人形だなんて言われているけれど、親しい間柄には過保護みたいね。お見舞いにでも行こうかしら」

 

「……」

 

「ふふっ、冗談よ」

 

 さて、とフレイヤは話を変えた。

 

「【ステイタス】の更新が終わったわ」

 

 実のところ、かなり前に更新は終わっていた。それはアレンも分かっている。

 フレイヤは敢えて口にすることで、二人きりの時間は終わりだと暗に告げたのだ。

 羊皮紙を手渡しながら、フレイヤは苦言を呈する。

 

「アレン、貴方相当無茶をしたわね。【ステイタス】の伸びが凄いわ。特に『耐久』が著しい。都市最速の貴方がこんなに傷を負うなんて……」

 

 だが最後には「よく頑張ったわね」と主神は眷族の喉を撫でた。猫人(キャットピープル)の青年は俯き表情を隠す。

 フレイヤはそれを見て気が変わった。悪戯心が芽生えたともいう。兎にも角にも、眷族の頑張りに応えるのは主神として当然であると建前をつくる。

 

「アレン」

 

 名前を呼ぶ。

 アレンが反応して顔を上げると、そこには裸の女神が居た。

 全てが目に毒だった。同時に、全てが『美』であった。

 

「おいでなさい」

 

 抵抗する暇もなく、アレンは女神の胸に引き寄せられたのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 夜。

【ディアンケヒト・ファミリア】の治療施設──その一室では、定期検診が行われていた。そして今検査は全て終わり、その報告がされようとしている。

 患者とその保護者が固唾を呑む中、その小さな身体に視線を集める治療師(ヒーラー)は淡々と言った。

 

「これなら戦闘行為に支障をきたさないでしょう」

 

「つ、つまりどういうことだい?」

 

 ヘスティアの問い掛けに、アミッド・テアサナーレはここで初めて表情を綻ばせて答えた。

 

「おめでとうございます。予定通り、本日をもちまして退院可能です」

 

 治療師(ヒーラー)の祝辞の挨拶に、ヘスティアは満面の笑みでガバッと己の眷族(こども)に振り返った。

 患者──ベル・クラネルは暫く呆然としていたが、やがて事態を把握すると、

 

「やったああああああああああああああ!」

 

 両の腕を思い切り天井に伸ばし歓喜した。

 釣られるようにして、ヘスティアは目尻に涙さえ浮かべて、ベルの胸にダイブした。ベルは敬愛している女神を難なく抱きとめる。

 

「「いえーい!」」

 

 ぱん、とハイタッチする。

 

「こほん。申し訳ございません、お気持ちは分かりますが、他の患者も隣室にいらっしゃいますので──」

 

 ──どうかご静粛にお願い致します、とアミッドが言うよりも早く。

 彼女の前に二つの手が出されていた。

 

「あ、あの……これは?」

 

 訝しむアミッドに、ベルが言った。

 

「ほら、アミッド女医も!」

 

 そう言って、ハイタッチを要求してくる。ヘスティアも同様だった。

 アミッドは考えた。【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師(ヒーラー)としてなら、ここは情に絆されることなく、厳しく諌めるべきだろう。だがしかし、彼の友人としてなら、どうだろうか。

 

(ディアンケヒト様が知ったら、なんて仰るでしょうか)

 

 そんな考えが一瞬(よぎ)ったが、アミッドはそれを無視した。とはいえ、自分の性格的に彼等のように振る舞うのはとても難しい。

 おずおずと見よう見まねで手を上げると、ベルとヘスティアはさらに笑みを深くした。

 

「「いえーいっ!」」

 

「……い、いえーい?」

 

 アミッドが小首を傾げる中、二度目の、ぱん、という小気味よい音がなった。

 じんわりと広がっていく痛み。だがそれは決して、嫌なものではなかった。

 

「ふふっ」

 

 目の前で、小さいながらも微笑する少女は、周りから『人形』だなんて言われているけれど、ベルにはとてもではないが、そうは映らなかった。

 

「アミッド女医、本当に世話になった。貴女のおかげで私は、今尚、生を謳歌することが出来ている」

 

「ボクからも御礼を言わせて欲しい。ありがとう、聖女君。いや違う、アミッド・テアサナーレ君。きみの尽力がなければ、ボクはたった一人の眷族を(うしな)っていただろう」

 

 一人の少年と一柱の女神は頭を深く下げた。

 アミッドは表情を元に戻して言葉を投げ掛ける。

 

「頭を上げて下さい。私は治療師(ヒーラー)として、当然のことをしたまでです。救える生命を救う、救えるよう模索する、それが治療師(ヒーラー)の使命の一つだと、私は──いえ、我々【ディアンケヒト・ファミリア】は考えています」

 

 それに、とアミッドは言葉を続けた。

 

「ベルさんは私の友人ですから」

 

「アミッド女医……!」

 

 感激したベルはガバッと顔を上げると、彼女の手を取ってぶんぶんと縦に振る。アミッドは苦笑しながらも受け入れた。

 それを見ながら、ヘスティアは予め用意しておいた衣服を、部屋の隅に設えてある棚から取り出した。

 

「はい、ベル君。病衣で出る訳にも行かないだろう」

 

「ありがとう、ヘスティア!」

 

 ベルの現在の服装は【ディアンケヒト・ファミリア】が支給している純白の病衣だ。白髪のベルにとても似合っていて、不謹慎ながらも、ヘスティアはその儚さから女子(おなご)だと思った程である。

 感謝の言葉を言いながら受け取ったベルは、まず最初に上着を広げると、

 

「おお、これが都会の服か! くぅー、格好良いネ!」

 

 感嘆の声を上げた。

 目を輝かせるベルに、ヘスティアは得意そうに胸を張る。

 

「へへん、そうだろうそうだろう! 何せ、このボクが選んだんだからね!」

 

「いやほんと助かる。私の外套(がいとう)は駄目になってしまったからなあ」

 

 漆黒の外套は先の戦いでただの布切れと化した。

 ヘスティアは転換期だと判断し、都市で今流行の衣服を丸々一セット眷族の為に購入していた。

 

「さっそく着替えるか。すまないが時間をくれないか」

 

「おうともさ!」「失礼致します」

 

 ヘスティアとアミッドは一旦病室を出ていく。廊下に出るとヘスティアはアミッドに近付いた。

 

「神ヘスティア……?」

 

 訝しむ彼女に、炉の女神は頭を深く下げた。

 

「ありがとう。きみのおかげでベル君は助かった。本当に、本当にありがとう」

 

「……先程も申し上げましたが、私は治療師(ヒーラー)として、彼の友人として、当然のことをしたまでです」

 

 だから気にする必要はないと口にする治療師(ヒーラー)に、ヘスティアは顔を上げた。

 

「確か【戦場の聖女(デア・セイント)】だったかな、きみの二つ名は。どうやらボクの眷族は、ボクの知らない所で素晴らしい子供と友人になっていたようだ」

 

「お褒めのお言葉、ありがとうございます。これからも神々から頂いた二つ名に恥じぬよう、精進致します」

 

「き、きみは固いなあ。そんな畏まった口調と態度、疲れないのかい?」

 

「……? 治療師(ヒーラー)として当然のことですから、何も疲れませんが……」

 

「そ、そうかぁ……」

 

 自分じゃ無理だと苦笑するヘスティアを、アミッドは不思議そうに見た。

 ここでヘスティアは声を抑え「ところで」と前置きして。

 

「今夜は来れそうかい?」

 

 何に、という言葉は口にしない。

 聡明なアミッドはすぐにその質問に頷いた。

 

「ええ、はい。今夜は主神から暇を貰っています。渋い顔はされましたが、説得しました。しかし申し訳ございません。雑務が多少残っていますので、開始には遅れてしまいます」

 

「全然構わないよ! いやー、良かった良かった! やっぱり人は多いに越したことはないからね!」

 

「しかし宜しいのですか? 私は他派閥の人間ですが……」

 

「勿論さ! きみならいつでも大歓迎だよ! ミアハの所も来るからね! ああ、だけど先に言っておくけれど、ナァーザ君とは喧嘩しないでくれよ?」

 

 アミッドは気まずそうに視線を逸らした。ヘスティアは心配になったが、まあ何とかなるだろと思うことにした。

 そんな二人に「着替え終わったぞ!」と扉越しに声が掛けられる。彼女達は顔を見合わせてから、病室に入る。

 

「どうだ、似合うか!?」

 

 部屋の中央では、新たな衣装に身を包んだベルが女性陣の反応を今か今かと待ち望んでいた。

 

「おお! 流石ボクの眷族だぜ! とても似合っているよ! くっ、お金があれば『撮影機(カメラ)』で永遠保存出来るのに……!」

 

 主神はツインテールを踊らせて口に出して賞賛した。

 ちなみに『撮影機(カメラ)』は魔石製品の一つであり、購入するにはかなりのヴァリスを用意する必要がある。ヘスティアはいつか絶対に入手してみせると意気込んだ。

 一方で、ベルの友人である少女は、

 

(こうして改めて見ると、ベルさんは中性的な顔付きですね……。所謂、『わいるど』風な服は似合わないでしょう……)

 

 少しズレた感想を抱いていた。

 勝色のフード付きロングコートの裾は膝下まで伸びている。覗き見えるのは墨色のインナー。そして漆黒のパンツに、同色のシューズ。

『神の感性』と『都市の流行』、何よりも『眷族の嗜好』を重視した、ヘスティア渾身のコーディネートだ。

 

「さあ、帰ろうぜベル君! ボク達の本拠(いえ)に!」

 

「ああ、帰ろう!」

 

 そこからは早かった。

 元より退院準備はしていたので、ものの数分もしないうちに準備は整う。ヘスティアとアミッドが先に部屋を出ていく中、最後にベルは振り返り、一礼するのだった。

 

「申し訳ございません。本来なら昼頃に退院出来たのですが……」

 

「仕方ないさ。急患が出たのだろう?」

 

「はい」

 

「なら、貴女はまた人を一人救ったということだ。友人として貴女を誇りに思うこそすれ、身勝手な怒りを抱くことを誰がするだろうか」

 

「そう言って頂けると嬉しいです」

 

 三人が廊下を渡っていくと、数名の【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師(ヒーラー)とすれ違う。彼等はベル達に会釈をすると、最後にアミッドに「お疲れ様です」と声を掛けた。

 

「アミッド女医はこれで仕事が終わりなのか?」

 

「はい。ベルさんの触診で本日の業務は終了となります。貴方達を見送った後、最後に雑務を済ませて終わりです」

 

「如何でしょう、美しい女性(ひと)。今宵、私と一夜を共にしませんか?」

 

「申し訳ございません。本日はこの後用事がありますので、ご要望には添いかねます」

 

「ふっ、そうか。ならば仕方ない! 次の機会にお願いしよう!」

 

 ヘスティアは思った。

 こいつ懲りねー、としみじみと思った。

 と言うか、主神(ははおや)の前でナンパをするか、普通? 

 そして流れるようにして振られている……というか、無視(スルー)されている。

 控え目に言って今のベルは非常に格好悪かったが、本人は至って傷付いていなかった。

 

(それにしても……ここまで清潔を保てていられるのは凄いな……。ボク達もそろそろ本拠(ホーム)の大掃除をしないとなぁ……)

 

 埃一つ落ちてない、ぴかぴかに磨かれた廊下を渡りながら、ヘスティアはただただ感嘆していた。

【ディアンケヒト・ファミリア】は都市でも少ない、二十四時間体制の派閥だ。これにより、駆け込み治療が可能となっている。治療施設は販売所と、治療の為の診療室・待合室の区画になっている。

 出入口に辿り着くと、アミッドは慇懃に一礼した。そして団員として患者を送り出す。

 

「改めまして、退院おめでとうございます。出来ることならば、貴方が二度と此処に運ばれてこないことを願います」

 

 それは、切実な願いだった。

 アミッドはこれまで多くの怪我人を治療してきた。そして、多くの死者を看取ってきた。

 治療師(ヒーラー)は告げていないが、【ディアンケヒト・ファミリア】の治療施設にベルが救急搬送されてきた時、患者は死の一歩手前だった。もしその場にアミッドが居なければ、彼は死んでいただろう。

 

「ああ、私もそう思う。それじゃあアミッド女医、また会おう」

 

「ええ、また会いましょう」

 

 別れの挨拶を交わし、ベルとヘスティアは施設をあとにした。

 アミッドは二人の姿が雑踏の中に消えるのを確認してから踵を返すのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 北西のメインストリート『冒険者通り』は地下迷宮(ダンジョン)から帰還を果たした冒険者達で今日も大いに賑わっている。ヴァリス金貨が詰まった巾着袋を振り回し、彼等は仲間と共に生還を祝っていた。神々もそこに混ざり、騒いでいる。

 そんな中、一柱の女神と一人の少年が夜の都市を歩いていた。見失わないように繋がれている手の『熱』が、互いの存在を証明し、相手に伝える。

 

「いよーし、ベル君! せっかくの退院祝いだ! 夕食は豪勢なものにしようじゃないか!」

 

 中央広場に差し迫ったところで、ヘスティアがそう提案した。ベルは「おお!」と目を輝かせる。

 二人が行く場所は決まっていた。確認する必要は皆無であり、自然と西のメインストリートに足を運ぶ。

 

「あっ、ヘスティア様だ!」

 

「こんばんは、女神様。本日は眷族とご一緒なのですね」

 

 道中、犬人(シアンスロープ)の親子がヘスティアに声を掛けた。ヘスティアは話しかけて来た彼等に最初こそ戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに「ああ!」と頷く。

 

「リク君じゃないか!」

 

「僕のこと覚えてくれているの!?」

 

「おいおい、ボクは炉の女神だぜ? 当然、覚えているに決まっているじゃないか!」

 

「わあっ、嬉しいな! お父さん今の聞いた!?」

 

「ああ、聞いたとも。良かったなリク」

 

 きゃっきゃっと白い歯を覗かせて喜ぶ息子を、父親は微笑ましく見た。

 ヘスティアがベルに二人を紹介する。

 

「ベル君、こちら犬人(シアンスロープ)のレブン君と、その息子のリク君だ」

 

「初めまして、レブンと申します」「リクだよ!」

 

 親子の挨拶に、ベルは誠意を持って応じる。

 

「これはご丁寧にありがとう! 私はベル・クラネル。いずれ『英雄』に至る者! そして炉の女神ヘスティアの唯一の眷族だ!」

 

 父親には握手を求め、息子には屈んで目線を合わせて自己紹介をする。

 ほう……とレブンは内心で驚いた。荒くれ者が多い冒険者の中でこのような誠実な対応が出来る者が何人居るだろうか。それと同時に、流石は炉の女神の眷族だと思う。

 

「ヘスティア、彼等とはどのような関係なんだ?」

 

「この前の『モンスター脱走事件』の時に、色々とあってね」

 

 ざっくりと答えるヘスティアに、レブンは「とんでもない!」と声を上げた。

 

「ヘスティア様が子供達を避難所に導いて下さなかったら、どうなっていたことか! 想像するのも恐ろしいですよ! 私は……いえ、私達は本当に感謝しているんです。ヘスティア様、貴女だけが子供達に手を差し伸ばしてくれたのですから……」

 

 そう言われた女神はむず痒そうに片頬を掻く。

 

(うぅーん、感謝されるのは嬉しいんだけどなあ……)

 

 先程の治療師(ヒーラー)もこんな気持ちだったのかとヘスティアは共感出来た。

 そう、炉の女神である彼女からしたら当然のことを行ったに過ぎない。だから、崇拝されても困るというのが本音であった。

 日頃から女神の扱いをされたいとは常々思っているが、これは自分が求めていたものとは少し違う。

 そんなジレンマに陥っていると、リクが「ねえねえ!」と声を出した。

 

「ヘスティア様、『ジャガ丸くんの屋台』でアルバイトしてるってほんと!?」

 

「ああ、そうだぜ」

 

「わぁー、女神様も働くんだ! 大変だね!」

 

「こ、こらリク! も、申し訳ございませんヘスティア様! 愚息がとんだ無礼を……!」

 

「あー、いや、良いんだ。全部事実だからね」

 

 苦笑い気味にヘスティアはそう言った。

 凄まじい勢いで何度も頭を下げる父親を、息子は不思議そうに小首を傾げて見ていた。しかし、すぐに再び喋り始める。

 

「今度、リタと一緒にお店に行っても良い?」

 

「勿論さ。楽しみに待っているぜ。リタ君にもそう伝えてくれるかい?」

 

「うんっ」

 

 約束だよ! とリクは興奮して言った。女神は「炉の女神の真名に誓って」と言って、まだ自分よりも低い子供の頭を優しく撫でた。

 それを父親は目を細めて眺めていたが、暫くすると二人に近付いた。

 

「ヘスティア様、私達はここで失礼します」

 

「うん? そうかい?」

 

 リクが不満そうに頬を膨らませる。

 

「えー、もっとお話したいよ!」

 

「これ以上はヘスティア様達に失礼だろう。それにリク。早く家に帰らないとお母さんに怒られるぞ」

 

「それは嫌だ! お父さん早く帰ろう!」

 

 素晴らしい切り替えの早さに、ヘスティアも、そしてベルも苦笑を感じ得なかった。

 

「じゃあ、ボク達も行こうか」

 

 親子と別れ、二人は再び歩みを始める。

『豊穣の女主人』に辿り着くと、店の入口前でベルが「あれ?」と疑問の声を上げた。

 

「店に照明がついていない……? 私の記憶では、此処の酒場に定休日はなかった筈だが……」

 

 普段多くの客で(ひし)めき合っている酒場は、まるで廃墟のように静かだった。カフェテラスはもちろん、店内から人の気配は感じられない。

 何か複雑な事情でもあったのだろうかとベルが思う中、ヘスティアが繋がれている手を離し、扉に手を伸ばした。

 

「へ、ヘスティア? 勝手に入るのは……」

 

 堂々と不法侵入しようとする主神を眷族は制止するが、女神は「大丈夫大丈夫!」と謎の笑顔で無視した。

 そして彼女は空いているもう片方の手でベルの右手を握ると──勢いよく引っ張った。

 

「さあ、行こうぜベル君!」

 

「ちょっ──!?」

 

 鍵は掛かっていなかった。暗闇が訪問者を迎え入れる。

 ベルはヘスティアに導かれるままに漆黒の闇の中を突き進んで行った。

 

(……?)

 

 夜目が徐々にきき始める中、ベルは視線を感じた。その数、一つや二つではない。しかし奇妙なことに害意や敵意といったものは含まれていなかった。

 どういう事だと戸惑っていると、突如、暗闇が晴れた。

 視界を埋め尽くす白い光。酒場の各所に設置されている魔石灯の電源が入ったのだろうと推測する中で、ベルは思わず目を細める。

 そして、目が慣れないうちに。

 

「「「退院おめでとう!」」」

 

 何重にも重なった声が爆弾となって炸裂した。

 さらにパーン! という、クラッカーの鳴る音が響いた。

 

「……!? ッ!?」

 

 驚愕に顔を染め、素で目を丸くするベルを、仕掛人達がにやにやと眺めていた。

 仕掛人は全員、ベルの知っている顔だった。

 まずは『豊穣の女主人』の従業員達。女将ミアをはじめ、シルやエルフのリュー、見目麗しい美女達が酒場の制服ではなく私服で居る。

 次に、【ミアハ・ファミリア】の主神ミアハと、その眷族であるナァーザ。こちらもまた、私服姿だ。

 最後に、管理機関(ギルド)の受付嬢であるエイナに、ミィシャ。こちらもまた、私服姿だ。

 やがて暫くして彼は我を取り戻すと、周りを見渡す。そしてさらなる衝撃が彼を襲った。

 

「ふっふーん! ベル君、周りも見てみるが良い!」

 

 言われるがままに、ベルは店内を見回した。

『豊穣の女主人』の内装は、ベルの知っている物ではなかった。配置されていたテーブルは一箇所に集められ、その上には料理を乗せた大皿が何枚も並べられている。ステーキ、スパゲティ、サラダといった料理から、世界各地の名物料理も見られた。壁にはペーパーファンや折り紙で作られた立体輪っかがカラフルに彩られ、店内を明るくしている。魔石灯の光量も調整されていた。その他様々な道具がそこかしこで見受けられる。

 そして最も目を引くのが、壁に掛けられている横断幕。達筆な共通語(コイネー)で『ベル・クラネル退院おめでとう!』と書かれており、人の目を集めること間違いなしだ。

 

「ベル君」

 

 呆然と立ち尽くす眷族の手を、主神は優しく取った。

 ヘスティアは愛しい我が子の深紅(ルベライト)の瞳を下から覗き込むと、にっこりと笑った。

 

「改めて、退院おめでとう。今回はきみの退院祝いのパーティーだ。楽しんでくれると嬉しい」

 

「……パーティー」

 

「ああ、そうさパーティーだよ。おいおい、まさか『約束』を忘れていたのかい?」

 

 意地悪そうにヘスティアが尋ねるとベルは「そんなことはない」と強く否定した。「ただ……」と少年は言葉を続ける。

 

「ただ……こんな豪華なパーティーになるなんて」

 

「ボクの巧みな交渉術によって、女将君から特別にお店を貸してもらってね。今日は貸切さ! そう、これもボクの巧みな交渉術のおかげさ!」

 

「はは……分かっているから二回も言わなくて良いぞ」

 

 先日の意趣返しをされたベルは苦笑を禁じ得なかった。

 一方で、呆れているのは酒場の女将である。「はあ」と溜息を吐くと。

 

「よく言うよ。交渉も何も、ただあたしに『パーティーを開きたいんだ!』って言うだけだっただろうに」

 

「ギクッ!? お、女将君それは言わないでくれよ!」

 

「あたしは正直者なのさ」

 

 そう言うと、二人の猫人(キャットピープル)が、

 

「確かに間違ってちゃないけどニャー」「それニャー」

 

 と、ひそひそと囁きあっていた。地獄耳の女将はそれを拾うと「あァ!?」と低い声でひと睨み。猫人(キャットピープル)達は下手な口笛を吹いて誤魔化した。

 青筋を浮かべるミアであったが、すぐに沈めるとベルに近付く。

 

「坊主、詳しい話は馬鹿娘から聞いている。何でも、小っ恥ずかしくなるような歯の浮くような台詞を何度も吐いたんだろう?」

 

 ぎろりと、睨まれる。ベルが反射的にシルに視線を送ると、彼女は「ふふっ」と微笑むだけだった。

 

「何か弁明はあるかい? 聞くだけ聞いてやるよ?」

 

 ベルは冷や汗を流しつつも、それを受け流す。言葉を撤回しない生意気な子供(ガキ)の頭に、ミアは母親としてゴツン! と拳を落とした。

 

「いだだだだだだだだだだだだだだ!?」

 

 しゃがみこみ、頭を押さえるベル。それを見たミアは凶暴に笑うと、

 

「だがまあ、良くやった。あんたは愛娘(シル)を守った。ベル・クラネル。あの時の『宣誓』を、あんたは破らなかった」

 

「……!」

 

「ありがとう。あんたは確かにその時、シルの『英雄』だった」

 

 ベルはがばっと顔を上げると、「ミア母さん!」と見上げる。豪傑な女将はにやりと笑った。

 

「あたしにここまで言わせたんだ。これからも精々、死なない程度に頑張んな!」

 

「ああ!」

 

「今日の料理は全てあたしが作った。このあたし自らがね。何を言いたいか、分かるね?」

 

「無論だ! 決して食べ残しはしないと誓おう!」

 

「はははっ、その意気や良し! さあ、たらふく食いな! 食べる子は育つよ!」

 

 そう言うと、ミアはずんずんと厨房に姿を消した。追加の料理を作る為、女将は鍋を振る。

 新たに香ばしい匂いが店内に流れる中、ヘスティアが「こほん!」と咳払いを打った。

 

「なんだか女将君に美味しいところを持っていかれたような気がするけれど、まあ、良いか! それじゃあ皆の衆、グラスを持って!」

 

 各々、自分が好きな果実汁や酒を手に取る。

 ベルはあまり酒を好まないので、無難に林檎汁を飲んだ。飲むにしても、後にしようと決める。

 ヘスティアは全員がグラスを手に持っているのを確認すると、おもむろに話し始めた。

 

「まずは今日、この場に集まってくれてありがとう。ボクはとても嬉しい。ボクの眷族が、こんなにも大勢の人達に愛されている。それが堪らなく嬉しいんだ」

 

 女神の御言葉を、子供達は静かに聞く。

 

「ベル君がオラリオに来て、一ヶ月が経った。皆も知っていると思うけれど、この子はどうしようもなく馬鹿だ。特に女性陣には多大なる迷惑を掛けているだろう。主神であるボクが許す、セクハラされたら遠慮なく()らしめてやってくれ」

 

 酒場の従業員達が笑顔で頷いた。

 

「この子は馬鹿だ。だから、この子が馬鹿をやった時は大いに笑ってくれ。そしてもし良かったら、その時は笑いながらも手を差し伸ばして欲しい。ベル君は一人じゃ何も出来ないから」

 

 それは女神の我儘だった。

 そして誰も、「嫌だ」と口にすることはしなかった。

 ヘスティアは「ありがとう」と微笑むと、液体がなみなみと入ったグラスを高く掲げた。

 

「さあ、祝おう! ベル・クラネルの退院を祝って──乾杯!」

 

「「「乾杯!」」」

 

 パーティーが開かれた。

 女神がたった一人の眷族の為だけに用意したパーティーが。

 主役のベルに沢山の声が掛けられる。

 

「シルから聞いたニャ! アーニャが褒めて遣わすニャ! 感謝するニャ!」

 

「少年のお尻、食べても良いかニャ?」

 

「シルバーバックを倒したんだって? 駆け出しなのに凄いよ!」

 

 まずは怒涛(どとう)の、酒場の従業員達の波状攻撃であった。二人の猫人(キャットピープル)、アーニャとクロエが「ニャニャ!」と騒ぎ立て、そこにヒューマンのルノアが混ざる。

 エルフのリューがベルに話し掛けようと試みていたが、結局、それは出来なかった。

 その様子をシルは一歩離れて眺めていた。

 

「ベル君、退院おめでとう!」

 

「おめでとーう!」

 

 次にベルに話し掛けたのは、エイナとミィシャであった。

 

「ベル、身体の調子はどうだ?」

 

「ベルー……久し振りー……」

 

 次にベルに話し掛けたのは、一柱の男神とその眷族であった。【ミアハ・ファミリア】主神のミアハと、犬人(シアンスロープ)のナァーザだ。

 

「神ミアハ! それにナァーザ!」

 

 男神ミアハは爽やかに笑うと、「お主が胃もたれになった時以来か」と再会を喜んだ。それから、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「すまぬな、ベル。私もナァーザもお主の見舞いに行きたかったのだが……」

 

「ごめんね、ベル……。今月分のお金を貯めるのに精一杯で……」

 

「その気持ちだけで充分だ。本当にありがとう。それでどうだ、貯まったのか?」

 

 心配するベルに、ナァーザは無表情で頷いた。

 

「うん……何とか。でも今月もやばいから、ベルにはうちをもっと贔屓にしてくれると嬉しいな……」

 

「ああ、勿論だ!」

 

「……あの優等生気取りの女も、ベルを取られて悔しいだろうな……。ざまぁーみろ」

 

 ベルはその言葉に笑顔のまま固まった。

 主神のミアハがすぐさま「ナァーザ!」と叱咤するが、彼女は肩を竦めるだけで、さらに続ける。

 

「ふふふ……ベルは【ミアハ・ファミリア】の顧客。絶対に他の派閥……ましてや【ディアンケヒト・ファミリア】には渡さない」

 

「はあ……すまぬなベル。私も常々注意はしているのだが……」

 

 苦笑い気味にベルが「慣れたから大丈夫だ」と口を開きかけた時だった。

 

「失礼致します。『豊穣の女主人』は此処で間違いないでしょうか」

 

 一人の少女が現れた。

 ベルはその声に聞き覚えがあった。というか、つい少し前に聞いたし、声主と話もしている。

 ベルとミアハが揃って硬直する中、彼女は彼等に近付いた。

 

「遅くなってしまい申し訳ございません、ベルさん。友人として言わせて下さい。退院おめでとうございます」

 

 友人の登場に、ベルはすぐに顔を輝かせた。アミッドも釣られて微笑を浮かべる。

 

「用事とはこの事だったんだな! 教えてくれれば良かったのに!」

 

「申し訳ございません、神ヘスティアから口外しないよう言われていましたから」

 

 それからと、アミッドはベルから視線を外し。

 

「ミアハ様も、エリスイスもこんばんは。先日以来ですね」

 

 まず先に反応したのはナァーザであった。

 

「遅刻とは恐れ入る……友人のパーティーよりも、仕事が大事なんだ……」

 

 アミッドはナァーザの煽りに淡々と返す。

 

「神ヘスティアには遅れることを伝えてありました」

 

「ふぅーん……そうなんだ。でも、私は無理だな……せっかく、大切な人が退院するのに、遅れるだなんて……うん、私には無理だよ」

 

「……エリスイス」

 

「あっ、怒った? でもごめん……怒らせるつもりはなかったの。ただ……私には出来ないことをやっていて……凄いなぁって思っただけだから……」

 

 そして、最後の一言がとどめとなった。

 

「貴女にとって、ベルは所詮、その程度の友人(ひと)なんだね……」

 

 明らかな挑発だった。そして、ナァーザも本気で言っていないことは分かっている。

 昔のアミッドであれば感情を抑えつつ、冷静に対応していただろう。

 だが、今の彼女は昔とは少しばかり違った。

 

「エリスイス……!」

 

 アミッドが静かに怒気を放ち始めるのを見て、ナァーザは一瞬怯んでしまう。

 しかしすぐに無表情ながらも口角を上げた。それはまるで、人形と言われている腐れ縁の彼女の成長を歓迎しているようでもあった。

 そして、緊張が臨界点を突破する──直前。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 ヘスティアが二人の間に立ち、両手をぶんぶんと振る。

 

「きみ達は何をしているんだ!? 二人の仲が悪いのは知っていたけれど、今は抑えてくれよ頼むから!」

 

 せっかくのパーティーなんだから! とヘスティアは言った。

 女神の正論に「うぐっ」と喉を詰まらせるナァーザとアミッド。視線を逸らす彼女達を、女神は蒼の瞳で見詰めていた。

 先に非礼を詫びたのはアミッドだった。

 

「申し訳ございませんでした」

 

 次にナァーザも「ごめんなさい……」と頭を下げる。

 ヘスティアは「今後は気を付けるように!」と言うと、持ってきた料理を二人に手渡した。

 

「極東には何でも『同じ釜の飯を食う』って(ことわざ)があるらしいぜ」

 

「おお、そうなのかヘスティア! して、その意味は?」

 

 ミアハが尋ねると、ヘスティアは笑顔で言った。

 

神友(しんゆう)曰く、仲良くなれるらしい!」

 

「素晴らしい! ナァーザ、そしてアミッドよ。どうだ、これでお主らも仲良く出来るだろう!」

 

 そんな訳ないだろ、と二人は同じことを思ったが、神の手前、否定することはしなかった。

 目でアイコンタクトを送り合い、渋々ながらも同じ料理を口にする。刹那、渋面は百八十度変わった。美味に頬を緩める彼女達を見て、ミアハは感動に打ち震えた。

 パーティーが盛り上がる中、それは唐突に起こった。アミッドが「ベルさん」と、ヘスティアと話をしていたベルに声を掛けたのだ。

 

「ベルさん、これをどうぞ」

 

 アミッドが懐から取り出したのは、数本の試験管が入った容器だった。試験管の中には緑色の液体が入っている。

 ベルが訝しむ中、声を上げたのはナァーザだった。

 

万能薬(エリクサー)……!」

 

 ミアハも「なんと……」と目を見張っている。

 ベルは『万能薬(エリクサー)』という単語に聞き覚えがあった。担当アドバイザーから講習で教わった。

 

「あ、アミッド女医……これはいったい?」

 

「差し上げます」

 

「……へ?」

 

 間抜け面を晒すベルの代わりに、ナァーザが詰問する。

 

「……どういうつもり?」

 

「どういうつもり、とは?」

 

 聞き返すアミッドに、ナァーザは苛立ちを声に含ませた。

 

「それ……まさか無料(タダ)で渡すだなんて言うつもり……?」

 

「無論です。寧ろ何故お金を取るのですか?」

 

「……貴女、巫山戯(ふざけ)てる?」

 

「至って真面目ですが」

 

 アミッドは本心から小首を傾げた。そんな彼女を見て、ナァーザは言葉を荒らげる。

 

「貴女の所……【ディアンケヒト・ファミリア】で売られている万能薬(エリクサー)の単価は50万ヴァリスは軽くこえる筈」

 

「「50万!?」」

 

 ベルとヘスティアは思わず顔を見合わせ、受け取った容器を見る。がたがたと持つ手が震えるのを、いったい誰が笑えるだろうか。

 彼等を一瞥してから、ナァーザはさらに問い詰める。

 

「しかもそれ、多分だけど貴女が直々に製薬したもの。違う?」

 

「ええ、仰る通りです。全て私がつくりました」

 

 さらりとアミッドが答えた。

 ベルとヘスティアはナァーザの質問の意図が分からなかったが、分かる者は戦慄を禁じ得なかった。

 アミッド・テアサナーレは迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオで最高位の治療師(ヒーラー)である。その彼女自ら製薬した万能薬(エリクサー)。その価値は測りしれない。オークションに掛ければ数百万にすら届き得るだろう。

 

「……もう一度質問する。貴女、何が目的?」

 

 ナァーザ・エリスイスは知っている。

 目の前のアミッド・テアサナーレという治療師(ヒーラー)のことを。何せ同業者であり、その付き合いはとても長いのだから。

 

「……貴女のそれは明らかに異常。いくら友人とはいえ、万能薬(エリクサー)をそんなに渡すのは可笑しい」

 

「そんなことは御座いません。懇意にしている【ロキ・ファミリア】の皆様にも、彼等が『遠征』に向かう際には渡しています」

 

「でも、ベルはまだ『遠征』とは縁遠い。どんなに順調に『昇格(ランクアップ)』を果たしても、あと数年は掛かる」

 

 ナァーザの指摘は理にかなっていた。

 万能薬(エリクサー)の効能は素晴らしいの一言に尽きる。生きてさえいれば擬似的な蘇生すら可能とするのが万能薬(エリクサー)だ。

 駆け出し冒険者であるベル・クラネルが使い始めるのは地下迷宮のもっと下の階層からだろう。

 

「此処にはミアハ様やヘスティア様が居る。嘘を吐けばすぐに分かる……」

 

 神々は嘘を看破する能力がある。

 そのことを引き合いに出して目を細めるナァーザに、アミッドはやはり真面目に言った。

 

「エリスイス、貴女が思っているようなことをするつもりは毛頭ありません。ベルさんが【ミアハ・ファミリア】と『契約』を交わしているのは知っています。私達商人にとって『契約』はとても大きい意味を持っています。それを破棄させようと──【ディアンケヒト・ファミリア】の顧客にしようという意図は全くありません」

 

 ちらりと、ナァーザは己の主神に視線を送った。受け取ったミアハは首を横に振り、嘘がないことを告げる。

 

「今回の件で私は確信しました。この人はこのままでは早死にすると」

 

 それは、多くの人を救い──多くの人の死を見てきた治療師(ヒーラー)の言葉だった。

 誰もが言葉を失う中、アミッドはベルに向き合う。

 

「ベルさん、私は貴方に死んで欲しくありません」

 

「アミッド女医……」

 

「私の身勝手な想い、受け取ってくれますか?」

 

 銀の瞳が小さく揺れる。

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳でもって彼女の瞳を捉えた。

 

「ああ、貴女の想い、受け取らせて貰う」

 

 アミッドは心底嬉しそうに微笑んだ。

 この時、ベルの瞳には彼女しか映っていなかった。 

 

「こ、こほん! さぁさぁ皆、まだまだパーティーは続くぜ!」 

 

 妙な空気が酒場に流れる中、ヘスティアが断ち切ろうと声を張る。

 ヘスティアの言葉に皆乗った。

 すぐに店内は和やかな雰囲気を取り戻し、至る所で笑顔という花が咲く。

 

「すまない、少し夜風に当たってくる」

 

 何故か尻を執拗に狙ってくるクロエをなんとか撃退すると、ベルはそう言ってカフェテラスに出た。

 通りを一望出来る席に座ると、ふぅ、と息を吐いた。夜空を暫く眺めていると、彼は近付いてくる気配に顔を向ける。

 

「お(しゃく)、しても宜しいでしょうか?」

 

「貴女のような美しい女性にして頂けるなら、とても嬉しい」

 

 シルはベルの口説き文句を華麗に無視すると、「失礼しますね」と対面に座った。

 そして持ってきた林檎汁の瓶を開けると、慣れた様子でグラスに注ぎ入れる。

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 渡された林檎汁を味わうようにゆっくりと飲む。

 

「何回も言われていると飽きてしまうでしょうが──退院おめでとうございます」

 

「ありがとう、シル。今回だけじゃない。何度も見舞いに来てくれて、本当に嬉しかった」

 

 迷宮都市(オラリオ)でのベルの交友関係はまだ狭い。

 主神であるヘスティアと、主担当であったアミッドを除き、足を運んでたのはシルだけだった。

 とはいえ、他にも見舞いに来てくれた人物はいる。

 担当アドバイザーであるエイナが親友のミィシャと一緒に来てくれた。エイナは無茶をしたベルに小言を言ったが、最後には「頑張ったね」と褒めた。美人のエルフに頭を撫でられてテンションが上がったベルであったが、「次からは講義、もっと下層の範囲もやろうか」という言葉によって死んだ顔になった。ミィシャだけが彼を慰めた。

【ガネーシャ・ファミリア】の主神であるガネーシャとその団長であるシャクティも、迷惑を掛けてしまったと頭を下げにきた。ベルが昏睡していた一週間の間に、面倒事は全てヘスティアが片付けており、つまり彼等が謝罪をする義務は事実上ないのだが、彼等はベルからの糾弾を受け入れる覚悟を持ってやってきたのだ。ベルは彼等の謝罪を正式に受け入れた。ちなみにこの時、ベルとガネーシャは通じるものがあったのが意気投合している。

 そんな風にベルの病室には様々な人達が来てくれた訳だが、朝、昼、夜の時間帯に見舞いにやって来たのはヘスティアとシルだけだった。

 

「貴女が来てくれたおかげで私は退屈せずに済んだ。ありがとう!」

 

 破顔するベルとは対照的に、シルは気まずそうだった。俯き、懺悔するように言葉を紡ぐ。

 

「そんな……私の所為でベルさんは大怪我をしてしまいましたから……。だから、私は……」

 

「──それでも貴女は来てくれた」 

 

「……!」

 

 シルが顔を上げると、そこには変わらず、いつもと同じように笑っているベルが居た。

 

「もし貴女に罪の意識があるというのなら、どうか、私の我儘を聞いて欲しい」

 

「私に出来ることなら、何でも言って下さい」

 

「笑って欲しい」

 

「……え?」

 

「貴女にはいつも笑っていて欲しい。だって、そんな悲しみを携えた表情は決して貴女には似合わないと思うから」

 

 その言葉を聞くと、シルは唇を尖らせた。

 

「本当に、貴方はズルい人。そう言われたら、笑わない訳にはいかないじゃないですか」

 

 少女の心からの笑み。

「素敵な笑顔だ」とベルは笑う。

 シルはその表情のまま、懐からある物を取り出した。

 

「あ、あの! これ、受け取ってくれますか?」

 

 差し出されたのは小包だった。

 戸惑うベルにシルは早口で言う。

 

「本当は怪物祭(モンスターフィリア)の時に渡そうと思っていたんですけど、でも、あんな事があって渡せなくて! ベルさんが贈物(プレゼント)してくれた時は持っていなかったから!」

 

 シルが見舞いに来てくれた時に、ベルは既に怪物祭(モンスターフィリア)で購入していた贈物(プレゼント)を渡していた。ちなみに選んでいたのは手巾(ハンカチ)である。

 暫く呆けていたベルだったが、「中、見ても良いだろうか」と確認する。「は、はい!」とシルの了承を得てから小包を開ける。

 

「これは……ミサンガか?」

 

 それは、黒色のミサンガだった。

 手首に巻き付けるタイプのそれを、ベルは手に取って眺める。

 

「ベルさんの願い事が叶うと良いなと思って選んだんですけど……」

 

 ベルはにかっと笑う。

 

「ありがとう、とても嬉しい! このミサンガが切れた時、それ即ち私が『英雄』になった時だろう! 大切にする!」

 

「喜んで頂けて私も嬉しいです」

 

「そうだ、これは是非シルに結んで欲しい。お願い出来るだろうか」

 

「は、はいっ!」

 

 月が照らす中、少女が少年の右手をとって、優しくミサンガを結ぶ。決して紐が解けないよう、想いを込めて強く結んだ。

 

「ありがとう。貴女に感謝を」

 

 ベルが無邪気に笑うのを見て、シルは堪らずに俯いた。今の自分の表情を、たとえ夜で見づらくても隠したかったから。

 彼女は椅子から立ち上がると、

 

「私、戻りますね!」

 

 返事を待たず、屋内に戻っていった。

 ベルは彼女を見送ると、「そろそろ出てきたらどうだ」と声を投げる。

 暗闇に紛れていた神物が「バレていたかぁー」と全く悪びれずに舌を出す。

 

「いやぁー、きみもほんとに罪な男だねぇー」

 

 神特有の野次馬根性丸出しの台詞に、ベルは思わず顔を顰めてしまう。

 

「ヘスティアは確か三大処女神じゃなかったか? そのような発言をしても良いのか?」

 

「如何にも。とはいえ、ボクは他の二柱に比べれば全然寛容さ。一番厳しいのは貞潔の女神(アルテミス)だね。彼女は恐ろしいから、もし会うことがあればくれぐれも注意するように」

 

 弓で射貫かれる可能性大だ、とヘスティアは至って神妙な面持ちで警告した。

本気(マジ)か……」と冷や汗を流す眷族に、彼女は別の話題を振る。

 

「ボクのサプライズ、どうだった?」

 

「とても素晴らしい、これに尽きる。まさかこのようなものが退院後にあるとは思いもしなかった」

 

「ふふん、ならベル君、きみはさらに驚くことになるだろう!」

 

「どういう事だ……?」

 

 ヘスティアはドヤ顔でその疑問に答えた。

 

「ボクのサプライズはまだ終わってないぜ!」

 

 そう言って、彼女はある物を取り出した。

 そしてそれをベルに「ほら!」と手渡す。

 

「これは……手記か……? それにこれは、羽根ペン?」

 

 ヘスティアは大きな胸を揺らし、やはりドヤ顔で言う。

 

「その通り! 手記は至って普通の物だけれど、羽根ペンはそうじゃないんだ! なんとこれはインクやペンナイフを必要としない魔石製品なのさ! ちなみにかなり高かったぜ!」

 

 さらに彼女は言葉を続ける。

 

「ほら、この前言っていただろう? 残りの(ページ)数が少なくなってきているって」

 

 それは、二人で星空を眺めていた時にした話だった。

 あの時のことを、ヘスティアは覚えていたのだ。呆然とする眷族を見詰めながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「きみの『冒険』は始まったばかりだ。『英雄』になりたいというきみの想い(いし)が続く限り、きみが、きみだけが紡ぐ『冒険』もまた、終わらない。だって、そうだろう? きみの物語(みち)は滑稽で、愉快で、そして腹を抱えて笑うようなものなのだから」

 

「ヘスティア……」

 

「最初の一頁目はボクに書かせて欲しい。駄目かな?」

 

 ベルは首を縦に振ることしか出来なかった。

 ヘスティアは声を張り、実に楽しそうに真っ白なノートに羽根ペンを走らせた。

 

「綴ろう、ボク達の英雄日誌! ──『ベル・クラネルは友人や神と共に楽しいひと時を過ごしたのであった!』──さあ、戻ろうぜベル君! 皆がきみを待っている!」

 

 手を取り、強引に立ち上がらせる。

 ベルは「ちょっ、ヘスティア!? 待ってくれ!?」と口では不満を言いながらも、顔が綻んでしまうのを抑えられなかった。

 




Sakiruと申します。
今回のお話をもちまして、『第二幕 ─怪物祭─』は終わりとなります。
読者の皆様のおかげで、第二幕を無事に終わらせることができました! 本当にありがとうございます!

第二幕のお話を執筆していて思ったのは、兎に角、戦闘描写がとても難しいということです。自分のイメージを文字にするというのはとても大変ですね。これからも精進します。

第三幕はどうしようか迷っていますが、すぐに更新することが出来ると思います。気長に待っていて下さい。

それでは、また会えたら嬉しいです。
最後に、アンケートに答えて下さると嬉しいです。






以下、私なりの第二幕の解説もとい言い訳です。興味がない人はスルーして下さいな。

①シルバーバックとの死闘について
この作品のベル君は通常の方法では、絶対に野猿シルバーバックには勝てません。それは作中でも述べていますが、一番に挙げられるのは【ステイタス】不足。読者の皆さんは気付いていたと思いますが、この作品のベル君がシルバーバックと戦った時は原作よりも【ステイタス】が低かったです。唯一、『敏捷』だけは勝っていましたが、それ以外、特に『耐久』は酷かった。そんなベル君は本格的な戦闘に入る前に左腕を潰されるという大怪我を負っています。気合と根性──『執念』で何度も立ち向かっていましたが、身体がそれについていけないのです。
原作とは違い、ヘスティアは居ない。【ステイタス】の更新は出来ず、更には、【ヘスティア・ナイフ】もありません。背中には守るべき少女が居ます。つまり、詰んでいます。勝てる要素はゼロに等しいです。
じゃあ、どうするのか?
その答えが、あれです。第三者の力を借りるしかありません。その力が『魔剣』でした。

②【魔剣鍛冶師】ヴェルフ・クロッゾについて
チートですね、以上!

③【フレイヤ・ファミリア】について
直接的な描写こそありませんが、実はベルとシルのデートを見守り……もとい、監視しています。アレンはその筆頭ですね。ちなみに、なぜ彼かというと都市最速だからです。
そして主神の神命によって、ベルとシルバーバックの死闘は構成員によって録画されています。フレイヤ様はめでたくオタクとなりました。

④【ロキ・ファミリア】について
原作と同じ展開を概ね辿っています。ただし、ベル君が迷宮街を原作よりも走り回った結果、アイズが戦闘区域に辿り着くよりも前に戦闘は終わりました。よって、ベル君がシルバーバックと戦っていたことは知りませんでした。騒動が落ち着き、管理機関が正式に発表した時に初めて知りました。

これからも宜しくお願い致します。
最後に、アンケートに答えて下さると嬉しいです。


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第三幕 ─才無き者(リリルカ・アーデ)
とある小さな少女の独白


 

 緩慢とした動作で歩く。

 吐く息は荒く、視界はぼやけ、手足にはもう感覚がない。背負っている大きなバックパックが小さな身体に重くのしかかり、心臓を圧迫する。

 それなのに、歩いていられるのは──。

 

「おい、ぼさっとすんな! 手前(てめぇ)は歩くこともまともに出来ないのか!」

 

 ──歩いていられるのは、そうしないと死ぬからだ。

 

「ちっ、この寄生虫が!」

 

 全く変わらない、ともすれば歩くのが遅くなった自分を見て、男は益々苛立ったようだった。「早くしやがれ!」という罵倒と共に、小石が投げられる。『神の恩恵(ファルナ)』を授かっている冒険者にとっては、小石であろうとも『凶器』にすることが出来る。

 

「……ッ!」

 

『凶器』が頭部に直撃した。視界が揺れ、開いた傷口から血が垂れてくる。しかし、それを拭う体力も、精神的な余裕も、時間もない。

 軽い脳震盪(のうしんとう)を起こす自分を見て、彼は溜飲が下がったようだった。

 

「おいおい、あまり荷物持ち(サポーター)に関わるなよ。俺らも穢れちまうだろうが」

 

「悪い悪い、あまりにもドン臭くてついな」

 

「まあ、気持ちは分かるがな。此処は地下迷宮(ダンジョン)だ。一ヶ月前の『ミノタウロス上層進出事件』といい、いつ異常事態(イレギュラー)が起こっても不思議じゃねえ。程々にしておけよ」

 

「わーってるよ」

 

 会話が聞こえる。

 彼等から聞こえてくる言葉は、自分にはどうしても吐き気を催す。『人語(ことば)』を話せない怪物達(モンスター)もこうして話しているのだろうかと、そんな下らない疑問が浮かんだ。

 

「さっさと来い! モンスターが湧くだろうが!」

 

 また、罵倒が飛んでくる。

 言葉の暴力には、既に慣れてしまった。寧ろ直接身体を殴られ、蹴られ、(なぶ)られたりしない分、今回のパーティメンバーは比較的まともだろう。

 偽りの笑みを浮かべ、自分が事なきを得ようとした、その時だった。

 

『『ギジャアアアアアッ!』』

 

 ダンジョンの壁から、数匹のモンスターが産まれ落ちる。奴等は自分達を視認すると、奇声を上げながら襲いかかってきた。

 

「ちいっ! 言ってるそばから出てきやがった! 後で覚えてろよ!」

 

 前言撤回。

 これは戦闘が終われば、『刑』が執行されそうだ。

 戦闘区域外から彼等の『冒険』を眺めながら、自問する。

 ──私は何者(だれ)だ? 

 答えたのは、もう一人の『私』だった。『私』は底冷えのする声で自答する。

 ──私は才無き者(サポーター)だ。

 何十、何百、あるいは、何千回も繰り返してきたやり取り。時々、自分は正気なのかと疑う程だ。

 戦闘はものの数分で終わった。

 

「ふぅ……危なかったな」

 

「だから言っただろう、ダンジョンでは何が起こるか分からないって」

 

「悪かったよ。反省してるって」

 

 仲間と勝利を分かち合う声が聞こえる。

 だが、それが、そのあたたかさが自分に向けられることは決してない。

 彼等の邪魔をしないよう、視界に映らないよう、自分は出来る限り首を縮めて『仕事』を行う。

 自分の『仕事』は簡単だ。

 彼等が倒したモンスター、その生命(いのち)の源である『魔石』や『ドロップアイテム』を回収するだけ。専門職(プロフェッショナル)としてはもっと多くの『仕事』が実際はあるのだが、彼等はそれを求めていない。故に、自分はそれを行わない。

 

「そう言えば、あれからもう数週間か」

 

「……? ああ、『モンスター脱走事件』か。街の奴等のごく一部はまだ管理機関(ギルド)苦情(クレーム)を言っているらしいぜ」

 

「馬鹿なこった。そんな暇があるならもっと他のことをやれっての」

 

「ははっ、違いない」

 

 自分が『仕事』をしている間、彼等は『休息時間』となる。魔物との戦いは神経をすり減らす為、雑談をすることそのものは悪くない。仲間とのコミュニケーションにもなるから、必要な行為だろう。

 しかし、完全に休憩しているかというと、そうではない。

 

「……」

 

 背中に視線を感じる。

 ああ、とてもとても嫌な視線だ。

 彼等は隠せていると思っているのだろうが、この、侮蔑の視線を本気で隠せていると思うのなら、自分は失笑する自信がある。

 

「しかし、おっかねぇな。モンスターが街を我が物顔で闊歩するっていうのはよ」

 

「ああ、そうだな。『暗黒期』の時も闇派閥(イヴィルス)の連中がそんな手を使ってきたって聞いたことがあるな」

 

 どうやら、彼等が話しているのは数週間前に起こった『モンスター脱走事件』についてのようだ。怪物祭(モンスターフィリア)の為に捕らえたモンスターが何者かによって檻から脱獄。犯人は未だに捕まっておらず、何人もの探偵が犯人を捕まえようと追っているらしい。とはいえ、自分には何も関係ない話だが。

 

「そういえば、知ってるか?」

 

「何をだ?」

 

「【ヘスティア・ファミリア】さ」

 

「なんだ、それ」

 

 悟られないように、耳を澄ます。

 ──【ヘスティア・ファミリア】。

 初めて聞く派閥の名前だ。情報は武器である。無料(タダ)で手に入るならそれに越したことはない。

 

「俺も、他の同業者(ぼうけんしゃ)から聞いたんだが……【ヘスティア・ファミリア】っていう派閥が、最近、注目を集めているらしい」

 

「そうなのか? 【ヘスティア・ファミリア】……俺は初めて聞いたが……」

 

「そりゃ、新興したての零細派閥だからな。構成員もたった一人らしいぜ」

 

 はあ? と男が疑問を口にする。

 

「そんな派閥がどうして注目されているんだよ」

 

「何でも、『モンスター脱走事件』の時に大立ち回りをしたらしい。主神の女神は餓鬼共の保護に一役買ったそうだ。そんで、これが重要なんだが……その唯一の眷族が駆け出しなのに倒したそうなんだ」

 

「倒したって……何をだ?」

 

「シルバーバック」

 

「……は?」

 

 聞いた男が呆然と呟く。

 自分も同じ思いだった。

 駆け出し冒険者がシルバーバックを撃破? 何だそれは、聞いたことがない。

 

「言っておくが、嘘じゃねえぞ。話を聞いた後に俺も確かめたんだが、事実、管理機関(ギルド)が公表した記録に【ヘスティア・ファミリア】の名前が書いてあった。本当に隅の方に小さくだけどな」

 

「ま、まじかよ……」

 

「ああ、俺もそれを見るまでは疑っていたんだが……。ギルドが嘘の報告をするメリットもないから、本当なんだと思う」

 

「そいつの名前は分かるのか?」

 

「いいや、それが分からないんだ。主神がギルドに眷族の名前を公表しないよう直談判したっていう噂があるが……」

 

 何だそれは、と男は言った。

 自分も同じ思いだった。

 普通なら隠さないだろう。Lv.1の駆け出し冒険者が格上のシルバーバックを倒したとなれば、一気に『期待の新人(ルーキー)』として名を広めることが出来るからだ。

 なのに、何故? 

 考えられるのは……──。

 

「イカサマでもしてんのか?」

 

「さぁなぁ。『神の力(アルカナム)』は下界では封印しているらしいが……。どちらにせよ、暇な神達はその『期待の新人(ルーキー)』を躍起になって探している」

 

「わざわざそんなことしなくても、ギルドに尋ねれば良いじゃないか」

 

 ギルドは都市の支配者だ。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオで組織されている全ての【ファミリア】の情報をギルドは持っている。等級(ランク)、構成員の人数などは公開されており、さらに調べれば、眷族のこともある程度のことは調べられる。

 だがしかし、そうも行かないようだった。

 

「これも主神がギルドに頼んだのか、構成員のことは公開されていないんだ」

 

「……おいおい、そんなのありかよ」

 

「ギルドとしても、被害者に命令されちゃ特例措置をとるしかなかったようだな。だがまあ、特徴は割れてる。戦闘を目撃していたダイダロス通りの連中曰く、『白髪で深紅の少年』らしいぜ」

 

「そんな在り来りな特徴じゃなあ。白髪は珍しいが、居ない訳じゃねえし。ましてやオラリオの人口を考えれば、わざわざ探すのは酔狂な奴等(かみがみ)くらいだろうさ」

 

 会話はそこで終わった。

 それもその筈、『仕事』を終えた自分が彼等に近付いたからだ。

 

「『魔石』及び『ドロップアイテム』回収終わり──」

 

「遅せぇよ!」

 

「──ガッ!?」

 

 腹を蹴られた、というのを認識した時には、自分は喉から唾を吐き出していた。

 ゲホッ、ゲホッと嘔吐(えず)く自分を見ても、彼等は表情を何一つ変えない。

 先程までの和やかな空気は一変、最悪なものに変わる。

 

「お前は役立たずの荷物持ち(サポーター)なんだ。分かってんのか?」

 

「……はい」

 

「ならせめて、自分の『仕事』くらいまともにやりやがれ!」

 

「……申し訳ございません」

 

 もう嫌だ、とは思わない。痛みで泣き喚くことも、もうすっかりとしなくなった。

 これは自分が成長した訳ではない。ただ、慣れてしまった、それだけのことだ。

 

「お前ら荷物持ち(サポーター)は俺達の慈悲でダンジョンに潜っていられるんだ。その事が分かっているのか?」

 

「……はい。私は冒険者様のご厚意によって、冒険を一緒にすることを赦されています。感謝の念は尽きません」

 

 無機質な声だ。自分でもそう思う。

 当然、言葉を聞いた男は激怒する。それを自分は聞いている振りをする。そして聞き流す。

 やがて、パーティメンバーが彼を諌める。何が起こるか分からないダンジョンで、一定時間同じ場所に留まることは愚の骨頂。さらに騒ぎ立てれば、音を聞いた付近のモンスターがやってくるだろう。

 

「……ちっ、やってられるか! 与えられた『仕事』もまともに出来ねぇなら、報酬の分け前はなしだ!」

 

 パーティメンバーの誰も、男に反対しなかった。

 多数決という暴力で以て、彼等は自分に何の恨みがあるのか、自分の意見に耳を貸すことなく決定した。

 それが悲しい、とは思わない。理不尽だ、とも思わない。

 ただ、『またか……』と思うだけだ。

 自分に限らず、これはよくあることなのだから。

 

「文句はあるかぁ?」

 

「……いえ、ありません。皆様の足を引っ張らないよう励みますので、ダンジョンを出るまではご一緒させて頂いても宜しいでしょうか」

 

「ああ、良いぜ良いぜ!」

 

 ハハハハハ! と高笑いが響く。

 馬鹿な男だと、つくづく思う。馬鹿なパーティだと、憐れみすら抱いてしまう。

 だが、最もその対象になるのは──自分だ。

 何故なら自分は、才無き者(サポーター)なのだから。

 ──サポーター。

 それは、ダンジョン探索時に於ける非戦闘員のことを指す。『冒険者』のダンジョン探索の負担を少しでも減らすことが、『サポーター』の役割だ。

 上記で述べたことが、管理機関(ギルド)の受付嬢が新米冒険者に教えることだ。

 自分はそれを聞いた時、思わず失笑してしまった。鼻で笑い、ギルドを見下してしまった。いいや、それは違うか。あの時自分は、『失望』したのだ。

 サポーターは弱者である。才能がなく、戦う術を持たない。【ファミリア】の仲間からも憐憫の眼差しで見られ、嘲弄さえされる。

 せめてギルドが何らかの『対応策』を取ってくれれば、才無き者(じぶんたち)はまだこんな思いをしなくて済むのだろう。だがギルドは現在に至るまで何も『対応策』を考えていない。

 ギルドだって認知はしているだろう。だが、『冒険者』ではなく『サポーター』の肩を持てば『冒険者』の不満が溜まる。そして迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの発展には『魔石』が必要不可欠。この都市は魔石産業で成り立っていると言っても過言ではないのだから。つまり、ギルドの優先順位は当然、『冒険者』が上に来る。

 至極当然のことだ。だが、頭ではわかっていても、『失望』するのは避けられなかった。

 

「……」

 

 無言で、パーティを追い掛ける。仲間を、ではない。パーティだ。

 自分は彼等のことを仲間と思っていないし、彼等もまた、自分のことを仲間と思っていない。

 例えば、自分がモンスターからの奇襲にあって襲われても、彼等は自分を決して助けようとしないだろう。その確信がある。

 

「ああ、そうだ、お前には一つ重大な『仕事』があった。お前にしか出来ない『仕事』さ。どうだ、嬉しいだろう?」

 

 男が振り返り、自分を見下ろす。

 返答をある程度予想しながらも「……何でしょうか?」と尋ねると、彼はニヤニヤと嗤いながら言った。

 

「『囮』さ!」

 

「……」

 

「モンスターに囲まれてヤバくなった時は、お前が『囮』になってくれ。なあ、良いだろう? 俺達はいつもお荷物のお前を守ってやっているんだ、当然、俺達がピンチになったら助けるよなぁ?」

 

 ()()()()()()

 自分は──私は、笑顔で言った。

 

「はい、喜んで!」

 

 自然と紡いだ言葉(うそ)を、男を含めたパーティメンバーの誰もが見抜けなかった。

 それも当然だ。彼等は自分のことを見ているようで、視ていないのだから。

荷物持ち(サポーター)は最高だぜ!」と喧しくも叫ぶ()()()()()を追いながら、私はその意味を考える。

 

 曰く──良きサポーターに恵まれなければ冒険者は真価を発揮出来ない。

 曰く──サポーターの働きがあってこそ冒険者はダンジョンに潜れる。

 曰く──サポーターは縁の下の力持ちである。

 

 そんな、綺麗に取り繕った残酷な言葉を思い返し、私は(わら)ってしまった。慌てて口元を押さえる。どうやら、洩れた笑声は聞かれなかったようだと安堵する。

 嗚呼、そうだ。

 何も間違っていない。私こそ、このような『奴隷』のような扱いを受けているが、都市でも有数の【ファミリア】は正しくサポーターを運用している。それはつまり、彼等はサポーターの存在意義を理解しているということだ。

 だが、と同時にも思う。

 いったい、どれだけの冒険者が理解出来るだろうか。

 専門職(サポーター)のことを仲間だと認識し、感謝し、時には命すら賭けられる……そんな奇特な者が、何人居るだろう。

 そんな者が本当に居るのなら──それはきっと、御伽噺に出てくるような『英雄』なのだろう。

 だからこそ、私は確信している。

 

 

 私にはきっと、『英雄』は現れない。

 何故なら私は、『冒険者』以上に『英雄』のことが嫌いだからだ。

 

 



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ギルド職員は違和感を覚えた

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの地下に広がる地下迷宮(ダンジョン)

 そのダンジョンを管理、運営しているのは都市の実質的な支配者たる管理機関(ギルド)である。

 そしてダンジョンに潜り凶暴な怪物達(モンスター)と戦う冒険者を支援する為に、ギルドは様々なサービスを行っている。

 その中の一つには当然、ダンジョンに関する情報の発信がある。その階層に出現するモンスターの情報や、開拓されている地図(マップ)の提供などだ。

 ダンジョンの構造は主に四つ。『上層』『中層』『下層』、そして『深層』だ。当然というべきか、下に行けば行くほど、出現するモンスターの脅威度は高くなる。自分の『階位(レベル)』に適した階層で地道に【ステイタス】を上げることがとても大事だと、ギルドの受付嬢は口を酸っぱくして新米冒険者に忠告している。

 冒険者と『死』は切っても切り離せない関係にある。ダンジョンは異常事(イレギュラー)に満ちていて、ほんの少しの油断で死に至ることは珍しくない。

 ギルドが公表している記録を統計的に見ると、最も死者が多いのは駆け出しの『新米冒険者』である。冒険者登録をしてから一ヶ月から二ヶ月の間に死ぬことが多い。

 その理由を一言で語るなら、『慢心』、これに尽きるだろう。

 時代は『古代(こだい)』から『神時代(しんじだい)』に移った。神々の下界への降臨により、下界の子供達は『可能性』という名の最大の武器──『神の恩恵(ファルナ)』を授かるようになった。魔法種族(マジックユーザー)でなくとも『魔法』の習得は可能となり、強力な『スキル』によって大逆転することも不可能ではない。

古代(こだい)』と『神時代(しんじだい)』、どちらが恵まれた環境にあるのかは問うまでもないだろう。

 なのにも関わらず、『新米冒険者』の死者はあとを絶たない。

 

 ダンジョンに慣れていないから? それはあるだろう。

 そもそも冒険者に向いていなかったから? それもあるだろう。

 運悪く、異常事態(イレギュラー)に襲われたから? それも大いにあるだろう。 

 

 だが、それらの理由以上に『新米冒険者』は『慢心』する傾向がとても強いのだ。

 1階層から4階層までは、『神の恩恵(ファルナ)』を授かって月日がそれ程経っていない冒険者でも──つまり、【ステイタス】が低い冒険者でも攻略は充分に可能だ。出てくるモンスターはゴブリンやコボルトといった下級(ざこ)モンスターばかりであるのだから、それは当然である。

 それを勘違いした『新米冒険者』は「ダンジョンは大したことがない」と思うようになり、潜る階層を増やしていく。やがて身の丈に合わない階層──5階層に進出し、そこで初めて、彼等はダンジョンの恐ろしさを身をもって知ることになる。

 だが愚かな『新米冒険者』を嘲笑うかのように、5階層からは階層の構造が複雑化し、出現するモンスターは強くなる。5階層が『最初の死線(ファーストライン)』と呼ばれる所以だ。

 どんなに『才能』があろうとも、それが【ステイタス】に反映されていなければ意味がない。『才能』だけで踏破(とうは)出来るほど、ダンジョンは甘くない。

 

(──その筈なんだけど……)

 

 ギルドに勤める、妙齢のハーフエルフの受付嬢、エイナ・チュールは眉間に皺を寄せ、思案に耽っていた。

 月日の経過というものは早いもので、自分がギルドで受付嬢になってから、既に数年が経っている。それなりの経歴(キャリア)があるという自負があるし、それなりの数の冒険者をこの翡翠色(エメラルド)の瞳で()てきたつもりだ。

 

「おーい、エイナ嬢ー?」

 

 そういう観点で視れば……と、エイナは目の前で「もしもーし?」と呑気に手を振ってくる少年を見詰める。

 つい一ヶ月前、自分が担当するようになったヒューマンの少年──ベル・クラネルはどうなのだろうかと、彼女は考えずにはいられない。

 だが答えは、今はまだ導き出せなかった。

 彼女は思考を断ち切ると、「こほん」と咳払いを打った。まずは呆けていたことの謝罪をし、「ベル君」と彼の名前を呼んだ。首を傾げる彼に、彼女は確認を込めてもう一度尋ねる。

 

「もう一度聞かせて欲しいんだけど……攻略階層、何階層まで増やしたの?」

 

「7階層だな!」

 

「……7階層。7階層かぁ……」

 

 はあ、と深々と溜息を吐く。

 それを見た、ベルの紅玉(ルビー)を連想させる深紅(ルベライト)の瞳がぱちくりと瞬きした。

 

「うーん……うぅーん……」

 

 とうとうエイナは悩まし気な声を出してしまう。

 此処に自らの種族に誇りを抱いている同族(エルフ)が居たら、「貴様、それでも高潔なエルフか!」と憤怒するだろう。

 だが幸いにして、此処はギルドの面談用ボックス。部屋に居るのは彼女とベルだけだ。彼が吹聴しなければ自分の痴態(ちたい)が知られることはないだろう。

 

(冒険者登録をしてからたった一ヶ月の新人(ルーキー)が7階層を攻略……)

 

 まぐれだと言えたなら、こんなにも反応に困らないんだけどなぁ……とエイナは思った。

 これまでにも、モンスターと遭遇(エンカウント)せず、運良く道に迷わず、『幸運』にも階層を攻略してきたという事例(ケース)はあった。

 その時、エイナは一貫してその冒険者を叱っている。『実力』だと勘違いする馬鹿な冒険者に、これまでに死んできた冒険者の記録を見せ、あくまでも『幸運』だったと告げている。

 だが、しかし──目の前の少年は事情が少々違ってくる。故に、反応に困る。

 

(この前の『モンスター脱走事件』の時、ベル君はシルバーバックを倒している)

 

 シルバーバックの出現する階層は7階層のもっと下の、具体的には11階層だ。エイナが話を聞いた際、ベル本人は「卑怯な手を使っただけ」と、言っていたが、『撃破』したという事実は変わらない。

 

(ベル君にそれだけの潜在能力(ポテンシャル)があるってこと……?)

 

 考えてもわからない。

 だからこそ、エイナは禁忌(タブー)を破ることにした。僅かばかりの好奇心と、何よりも出来の悪い弟のように思っているベルの身を守る為に。

 

「ベル君、現段階での【ステイタス】を私に見せてくれないかな?」

 

 冒険者がギルドに報告する義務があるのは、氏名、性別、種別、所属派閥、そして『階位(レベル)』だ。だが、それ以外の報告義務はない。【ステイタス】の【アビリティ】、『魔法』、『スキル』は個人情報として秘匿されている。それはどの【ファミリア】でも徹底していることだ。

 それをギルドの受付嬢が見せろと冒険者に迫る。その意味が分からないエイナではない。即刻解雇されても文句は言えないレベルの、規則破り。

 

「もちろん、今から見るものは誰にも言わない。『特例措置』にも違反していることは重々承知。『契約書』も書く。もし不快に感じたら、今すぐにこの部屋から出て、訴えてくれて構わない」

 

 エイナの翡翠色(エメラルド)の瞳と、ベルの深紅(ルベライト)の瞳が交錯する。

 いつもの和やかな雰囲気はなくなり、緊迫した空気が流れる。

 そしておもむろに、ベルは口を開けた。

 

「分かった。他ならないエイナ嬢が言うなら、私は従おう。ギルドには訴えないし、主神(ヘスティア)にも報告はしない」

 

「……ありがとう、ベル君」

 

 誠意を込め、エイナは深く頭を下げた。

 この一ヶ月の間に築かれてきた信頼関係がなければ、ベルはたとえ彼女であっても【ステイタス】を教えるつもりはなかった。

 

「ところで、エイナ嬢」

 

 勝色のロングコート、インナーの長袖を脱ぎながら、ベルは彼女の名前を呼ぶ。「な、なにっ!?」と、ベルに背を向け、布が擦れる音に赤面していたエイナは裏声を出してしまう。

 そのことを予想しながらも、ベルは紳士なので追及せず、代わりに疑問を口にした。

 

「【ステイタス】を見せるのは構わないが……【神聖文字(ヒエログリフ)】をエイナ嬢は読めるのか?」

 

神聖文字(ヒエログリフ)】は通常、神々が使う文字だ。『神の恩恵(ファルナ)』を背中に刻む際、神々は自身の神血(イコル)を以て、【神聖文字(ヒエログリフ)】で【ステイタス】を書いていく。

 普通の下界の子供では、【神聖文字(ヒエログリフ)】を読むことは非常に困難だ。

 

「ああ、それは大丈夫だよ。簡単なものだったら……【ステイタス】くらいだったら読めると思う」

 

「へぇー! それはまたどうしてだ? あっ、もしかしてエルフに代々伝わる叡智(えいち)の結晶だったりするのか!?」

 

 興奮するベルに、エイナは苦笑しながら手を横に振った。

 

「あはは……違う違う。私、学区に通っていたから。そこで総合神学を専攻していたの」

 

「私の担当アドバイザーが秀才だった件について」

 

「もうっ! 揶揄(からか)わないの!」

 

 軽口を叩く少年を注意する。

「脱ぎ終わったぞ」とベルが報告したので振り返ると、エイナは上半身裸の男を見た。

 

(い、意外にも筋肉あるんだなぁ……)

 

 自分は所謂、神々が言うところの『筋肉フェチ』ではない筈だが……半分流れている妖精(エルフ)の血と、これまで異性に対してあまり関心を寄せてこなかった耐性のなさで、エイナはほっそりと尖った耳を赤らめてしまう。

 眼鏡をかけ直し、よし、と気合を入れる。そして彼女は【神聖文字(ヒエログリフ)】の解読に入った。

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 (ちから):F354

 耐久(たいきゅう):H163

 器用(きよう):G273

 敏捷(びんしょう):B704

 魔力(まりょく):I0

 

 

 

§

 

 

 

神聖文字(ヒエログリフ)】を解読したエイナは文字通り固まった。言葉を失い、ただ呆然とベル・クラネルの【ステイタス】を見詰める。

 

(うそ……)

 

 自分の()を疑ってしまうが、見える景色は何も変わらない。

 

「エイナ嬢ー?」

 

 無言で立ち尽くしている自分を不審に思ったのか、ベルが声だけ飛ばしてくる。

 それに適当に返事をしつつ、エイナは考える。

 ベル・クラネルが冒険者登録をしてから、一ヶ月が経った。だが実際に冒険者活動を行っていた期間は一ヶ月にも満たない。週に一度取っている休息日、何よりも、ベルは数日の間昏睡状態となっていた。目が覚め、そこから、【戦場の聖女(デア・セイント)】が退院許可を出したのは覚醒してから一週間後。そこから、冒険者活動を再開してから、今日で一週間が経った。つまり、ベルの正式な冒険者活動履歴はひと月にも満たない計算になる。

 それだけの期間で、駆け出し冒険者が到達出来る【アビリティ】評価は精々がHだ。それも、かなり腕が立つ者に限った話である。

 評価Gだったら出来過ぎ──エイナ達ギルド職員は彼等を『英雄』の『器』だと思っているが──で、数こそ少ないが、事例(ケース)は何件かある。その最たる代表例が【剣姫(けんき)】だろう。わずか一年という期間で『昇格(ランクアップ)』を果たしたアイズ・ヴァレンシュタインは世界最速保持者(レコードホルダー)でもある。

 

(それなのに……一番低くて『耐久』の評価H? 一番高くて『敏捷』の評価B? 『敏捷』だけだったらもっと下の階層でも通じる……)

 

 エイナは目眩(めまい)を覚えた。

 頭痛で頭を押さえながら、何か『説得材料』になるものはないかと模索する。

 実はベルはオラリオに来る前、現主神(ヘスティア)とは別に他の神から『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていた。これがベストだろう。しかしながら、ベルはオラリオに来る前、地図にも載っていないような小さな村で祖父と過ごしていたという。神々を見たのもオラリオに来てから初めてだと言っていた。何よりも、都市に入る際、ギルドと【ガネーシャ・ファミリア】が『神の恩恵(ファルナ)』の有無を確認している。報告に上がってくるのが規則だが、それはなかった。

 つまり、これでは『説得材料』にならない。

 次に、銀の野猿──シルバーバックとの死闘でベル・クラネルの才能が開花した、という可能性。これは一見すると良いように見えるが、シルバーバックを倒した説明にならない。

 

(ベル君が言うには『魔剣』を使ったって言っていたけど……)

 

 恐らく、ベルとシルバーバックの戦いを見ていた誰かが『魔剣』を与えるという形で『助太刀』したのだと、エイナは状況から考えている。だったら直接助けて欲しかったと思わなくもないが。

『魔剣』は非常に強力な武器だ。数年前、()()()()()()が現れてからは『本物(オリジナル)』──並の『魔法』すらも凌駕する『魔剣』が迷宮都市(オラリオ)に流れている。恐らく、ベルが使ったのもその類の『魔剣』だろう。それを使えば、シルバーバックを倒すことも不可能ではない。

 だが、ここでさらなる問題が出てくる。ベルが最初から『魔剣』を使っていたなら、それで話は終わり。しかしながら、『助太刀』してくるまで彼はシルバーバックと戦闘をしている。これは迷宮街(ダイダロスどおり)の住民が見ていた、れっきとした事実だ。つまり、ベル・クラネルに『何か』があるのは間違いないと、誰もが思うだろう。

 そうなると──考えられるのは『スキル』だ。寧ろそれしか考えられない。

 ベルの『成長』を異常なまでに促進させる『スキル』が発現している、という線が濃厚だろう。

 

(でも……そんな『スキル』は聞いたことがない。私が聞いたことがないだけで前例はあるのかもしれないけど……だったら、ベル君の前にその人が話題になっても可笑しくない)

 

 そしてそれを裏付ける『証拠』もある。

『モンスター脱走事件』が解決した後、ギルドは()()()()()()である【ヘスティア・ファミリア】に謝罪を行った。

 まず【ヘスティア・ファミリア】への賠償金。その額、100万ヴァリス。エイナ個人としては少ないと思ったが、ヘスティアは受諾した。

 次に、ベル・クラネルの治療についてだ。主担当には、オラリオで最高位の治療師(ヒーラー)である【戦場の聖女(デア・セイント)】──アミッド・テアサナーレが選ばれた。ベルと友人であったこと、何よりも、アミッド本人がやらせて欲しいと自ら立候補したのである。それがなくとも、瀕死に近かったベルを治せたのは恐らく彼女だけであったので、彼女が選ばれていただろう。かかった治療費はギルド……ではなく、【ガネーシャ・ファミリア】が全て負担した。これは男神(おがみ)ガネーシャが申し出たことであり、ギルド長ロイマンが即決で受諾した。

 ヘスティアは「今後、二度とこのようなことが起こらないなら、ボクも、そして眠っているベル君も咎めはしない」と言い、ギルドと【ヘスティア・ファミリア】は和解──する直前で、女神はある要請、もとい()()をしてきた。

 

(まさか……ベル君の情報を非公開にして欲しいだなんて……)

 

 冒険者ベル・クラネルの公開されている情報を全て、非公開にして欲しいとヘスティアは要求したのだ。

 これは、ギルド以外、つまり他の冒険者や神々、民衆には知らせないで欲しいという内容のものだった。

 ギルド長は黙考のうちに、『特例措置』をとるにあたって、ある『条件』を出した。

 その『条件』は三つ。

 

 一つ目に、【ファミリア】が管理機関(ギルド)へ月に一度納める税金の増額。通常であれば等級(ランク)に応じた額を支払うが、その額を増やすというものだ。

 二つ目に、ヘスティア同伴のもと、ベル・クラネルの【ステイタス】の報告義務。これは『魔法』及び『スキル』は含まず、【アビリティ】と『昇格(ランクアップ)』した際に入手した【発展アビリティ】だ。書面ではなく、ギルド長が直接確認する。

 三つ目に、『特例措置』の期限だ。より具体的には、ベル・クラネルが『昇格(ランクアップ)』をするまでである。

 

 これらの『条件』を呑むのなら、『特例措置』を約束するとギルド長は言い、ヘスティアは頷いた。『特別措置』が適用されている期間中に、【ヘスティア・ファミリア】は力を付けることにした。

 これにより、冒険者ベル・クラネルの情報は完全非公開となった。またこれに伴い【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)の住所も非公開となった。

 当然、そのようなことをすればかえって益々目立つ。暇な神々は面白がって都市を彷徨(うろつ)いては本拠(ホーム)の特定に精を出している。

 そのリスクを承知の上で、ヘスティアは決断したのだろう──と、ベルの【ステイタス】を見たエイナは共感出来た。

『何か』があるのは隠せない。ならば、その『何か』の正体を探られないようにする。殆どの神々はエイナと同様『スキル』だと判断するだろうが、それ以上は決して踏み込ませないという、炉の女神の神意をエイナは悟った。

 

「……ありがとう。もう大丈夫だよ」

 

 ベルに声を掛ける。彼が着替え終わると、二人は再びテーブルを挟んで向かい合う。

 

「ベル君の【ステイタス】は見せて貰った。数値だけで判断するなら、7階層以下の攻略を許可しない訳にはいかない」

 

「……」

 

「装備も、大丈夫だと思う。そう、大丈夫だとは思うんだけど……」

 

 言おうか言わまいか、エイナは迷った。

 しかし、意を決して自身の考えを告げる。

 

「私はベル君が心配。テアサナーレ氏が言っていたことだけど、このままじゃベル君、死んじゃうよ……」

 

 ベルが大怪我をしたと聞いた時、エイナは気が気じゃなかった。彼の勝利を喜ぶ前に、なんて無茶で無謀なことをしたのかと思い、怒りすら覚えたものだ。

 いいや、それはエイナだけじゃない。ベルが昏睡していた一週間、彼と交友がある人達全員が彼を心配していた。特に先日知り合ったばかりの街娘は、まるでそれが義務かのように治療院を訪れていたらしい。

 

「……【経験値(エクセリア)】の質は下がっちゃうけど、暫くは5階層辺りで潜って欲しい」

 

 それはつまり、ベルの成長が遅くなることを意味していた。

 エイナは彼の夢を知っている。『英雄』に憧れ、なろうとしている彼を応援もしている。

 だが、エイナが忠言した内容は、その夢から遠ざくことだ。それをわかっていて、彼女は言う。

 

「もちろん、決めるのはベル君だから、それを尊重したいとは思う。だけど……──」

 

「分かった、ならそうしよう」

 

 あっさりとベルがそう言ったものだから、エイナは思わず「……え?」と洩らしてしまった。

 固まる彼女を不思議そうに見ながら、ベルはさらに言う。

 

「ヘスティアからも言われていることだが、何も焦ることはない。私は私のペースで活動を続けていくとしよう。それにまた怪我をしたら、アミッド女医に怒られそうだ」

 

「……ありがとう。私も精一杯、ベル君を支援するね」

 

「ああ、宜しく頼む」

 

 その後、話し合いはトントン拍子で進んで行った。

 まず、今週いっぱいは1階層から6階層で停滞することを決めた。6階層は『新米殺し』として有名な『ウォーシャドウ』が出現する階層だが、今のベルの【ステイタス】なら問題なく対処出来る。

『新米殺し』はウォーシャドウの他にもう一種類いて、問題はそちらの方だ。そのモンスターが現れるのが7階層から下の為、エイナは提案したのだ。

 

「それじゃあエイナ嬢、私はそろそろ行く。ヘスティアが腹を空かせて待っているだろうからな」

 

「えっ……わっ!? もうこんな時間!?」

 

 時計を見れば、既に十八時を過ぎていた。

 慌てて片付けを行い、二人は面談用ボックスを出た。

 

「ごめんね、時間を取らせちゃって」

 

「いやいや、美人と二人きりで話せたのだから、寧ろ楽しかったサ!」

 

「こらっ、またそう言って……大人を揶揄わないの!」

 

「イデッ!?」と後頭部を押さえるベルに呆れながら、廊下を渡る。やがてロビーに着くと、彼はエイナに向き合った。

 

「また会おう、エイナ嬢!」

 

「うん。くれぐれも気を付けてね?」

 

「ああ! それじゃあ!」

 

 別れの挨拶を交わすと、ベルは駆け出していった。遠ざかっていく彼を見ながら、エイナはその速さに驚いてしまう。

 それは駆け出し冒険者の速度ではない。あの調子ならすぐにでも評価Sに行きそうだ。

 事務所に戻ると、同僚のミィシャが「おつかれー」と笑いかけてきた。休憩を取っているらしい。仕事に行こうとするエイナを、彼女はとめてきた。

 どうやら班長からの指示で、エイナにも休憩の許可が降りているようだ。伝えてくれた彼女に「ありがとう」と礼を言い、一緒に休憩をとる。

 彼女と雑談をしつつも、エイナの意識は別のことに向けられていた。

 

(何だろう……何か『違和感』がある……)

 

『未知のスキル』が本当にベル・クラネルにあって、それを隠すにしても、ヘスティアがとった選択は大袈裟じゃないだろうか。

 冒険者の【ステイタス】は秘匿されなければならない。他派閥はもちろんだが、同じ派閥内の仲間であっても共有している【ファミリア】はごくまれだろう。

 仮に神々から何かを言われようとも、知らぬ存ぜぬを貫けばそれで良い。マナー違反なのは彼等であるのだから、ギルドを通して訴えることも可能だ。

 だが、【ヘスティア・ファミリア】はそれを取らなかった。

 

(『未知のスキル』以外に、ベル君には何か『秘密』がある……?)

 

 あるいは、そう思わせることがヘスティアの狙いなのだろうか? とエイナは考えるが、神の神意を読み切るのは同じ神であっても難しいものだ。

 学区では秀才と言われていたエイナであっても、超越存在(デウスデア)である神々の思惑を測るのは不可能であった。

 

「エイナー? 私の話聞いてるー?」

 

 話を振っても反応が芳しくなかったエイナを見て、ミィシャが覗き込んでくる。

 エイナは「ごめん」と謝ってから、親友との雑談を楽しむのであった。

 



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餞別の品

 

 太陽が東空に顔を出した朝。

 人々が今日の(いとな)みの準備を始めるように、零細派閥、【ヘスティア・ファミリア】もまた活動を始め、『教会の隠し部屋』からは賑やかな声が出されていた。

 

「ベルくーん、そこの皿を取ってくれー!」

 

「了解! いったい何処にある?」

 

「棚の一番上にある、大丸皿!」

 

 小さい台所(キッチン)を、一人の少年と一柱の小さな女神が使っている。ベルはヘスティアの指示通り、棚の上段にある大丸皿を手に取ると、彼女に手渡した。

 小人族(パルゥム)よりも身長は高いが、ヘスティアは幼女並みに身長が低い。高い所に手が届かない場合は脚立(きゃたつ)を使っているが、それでも届かない場合はベルを頼っていた。

 

「今日の朝食はデメテルから貰ったサラダをメインにしようじゃあ、ないか!」

 

「ははっ、了解だヘスティア。沢山貰ったからな、腐る前に食べてしまおう」

 

 つい先日、ヘスティアのアルバイト先に一柱の女神が訪ねた。

 その真名(まな)は、デメテル。豊穣(ほうじょう)を司る女神である。

 彼女は野菜を収穫したので、お裾分けをしたいとわざわざヘスティアに挨拶をしてきたのだ。

 というのも、現在、【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)の住所はギルドによって完全非公開となっている。デメテルは『(かみ)(うたげ)』の時にヘスティアと約束したことを覚えていたが、住所が分からないときた。困ったデメテルだったが、『ジャガ丸くんの屋台』でアルバイトをしていることを思い出し、訪ねたという訳だ。

 ヘスティアは感謝した。それはもう感謝した。

 他の神々(やつら)もこれだけ良い(かみ)だったら良いのにと思ったほどだ。感謝を込めて、ジャガ丸くんを何個かサービスした。

 それから数日後、【デメテル・ファミリア】の構成員が大量の野菜を持って訪ねてきたのである。ヘスティアとベルは廃墟に等しい教会を見られて恥ずかしく思い、近々、大掃除することを決めた。尚、その時デメテルはベルを見て「可愛らしい兎さんねぇー」と抱き締めており、ベルはヘスティアを超える双丘に鼻を伸ばしていた。処女神のヘスティアが激怒したのは言うまでもない。

 数分後、テーブルには野菜をメインとした朝食がずらりと並べられた。中でも大丸皿には色とりどりの(しゅん)な野菜が輝いている。

 いえーい! とハイタッチした後に、二人は極東の文化に倣って、手を合わせる。

 

「「いっただきまーす!」」

 

 フォークで瑞々しい野菜さし、口に頬張ると二人は頬を緩めた。【デメテル・ファミリア】の野菜は甘いのが特徴であった。

 ものの数分で朝食を(たい)らげると、ベルは冒険者装備に着替え、ヘスティアはアルバイトに向かう準備を始める。

 ベルが勝色(かついろ)のロングコートをベルが羽織ったところで、唯一の出入り口扉から、コンコン、というノック音が響いた。

 

「……誰だ?」

 

 ヘスティアが訝しむのも無理はなかった。

【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)の住所は現在、ギルドによって完全非公開となっている。暇な一部の神々が「俺が探すぜー!」と騒いでいるが、まさか廃教会の下に地下室があるとは、そしてそこが本拠(ホーム)になっているとは(つゆ)も思わないだろう。

 そうなると、考えられるのは【ヘスティア・ファミリア】の関係者である。『教会の隠し部屋』を提供してくれたヘファイストスか、【ミアハ・ファミリア】か、あるいは、【デメテル・ファミリア】か。はたまたあるいは、それ以外のベルの友人か。

 だが彼等は至って常識人なので、朝っぱらから相手の都合を考えずに訪問などはしない筈──そこでもう一度、コンコン、というノック音が鳴る。

 ヘスティアは数秒扉を見詰め、眷族に『ゴー!』というハンドサインを送った。神意を理解したベルは頷く。

 

「どちら様ですかー?」

 

 用心の為に剣を()げながら、ベルはあくまでも陽気に扉に近付く。そして恐る恐る扉を開けると、そこには予想外な人物がいた。

 

「おはようございます! 自分、輸送会社(タクシー)の者ですが……【ヘスティア・ファミリア】の本拠(御自宅)で間違いないでしょうか?」

 

「あ、ああ……そうだが……。タクシー……?」

 

「はい!」

 

 笑顔で返事をする虎人(ワータイガー)

 

(タクシー……。名前は聞いたことがあるが……)

 

 田舎出身のベルは『輸送会社(タクシー)』という名前こそ聞いたことがあるが、それが何なのかはまだ具体的に知らなかった。

 ベルは「ちょっと待ってくれ」と言うと、ヘスティアに顔を向ける。

 

「ヘスティア、すまないが対応を頼めるか?」

 

「あー、そっか。ベル君、まだこの都市に慣れてないもんね。分かった、ボクが対応するからきみは準備を進めていると良い」

 

「ありがとう」

 

 主神に雑事をやらせることに申し訳なさを感じつつも、ベルは言葉に甘えることにした。

 剣を調革(ベルト)に括り付け、胸当てをはじめとした各部位の防具を装着していく。

 

「えっ!? きみ、それは本当かい!?」

 

 ヘスティアの驚き声が大きく響く。

 ベルは何かあったのかと思いつつも、じきに分かることだと判断して最終点検を行う。

 彼の準備が完了したところで、宅配便の対応は終わったようだった。「ありがとー!」という明るい主神の声が出される。

 そしてすぐに彼女はベルを呼んだ。

 

「ベルくーん! こっちに来てくれ!」

 

「ああ、すぐ行く!」

 

「早く、はやく来てくれぇー! ボクじゃ重過ぎて支えるので精一杯だ!」

 

 訝しみつつ、救助要請に応える。

 そして彼は、荒い息を吐いて大量の汗を顔から噴出ヘスティアを見付けた。彼女は一本の長剣を、その小さな身体全身を使って持っていた。いや、支えていた、と表現した方が良いだろう。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

 急いで駆け寄り、ヘスティアから長剣を受け取る。ずしりと両手に収まったそれを見ながら、ベルは「ふぅー、死ぬかと思った……」と縁起(えんぎ)でもないことを言うヘスティアに労いの言葉を掛ける。

 長剣をテーブルの上に慎重に置き、ソファーにぐったりと倒れ込んでいるヘスティアに水道水を差し出した。インフラ整備がされているオラリオは、水道水をそのまま飲むことが可能だ。

 

「ほら、水でも飲もう」

 

「ありがとう……──ぷはぁー! 身体に染み渡る! でもなんだか朝から疲れたなぁ……今日、バイト行きたくないなぁ……」

 

「私はそれでも構わないが、サボると店主が怒るぞ」

 

「うへぇー! おばちゃん、ボクを女神だと思ってないからなぁ……。ま、まあバイト仲間の神友(しんゆう)に比べれば遥かにマシだけど……どちらにせよ、容赦なくクビって言われそうだよ……」

 

 げんなりとしつつ、ヘスティアは「あー、嫌だ嫌だ」と週明けの労働者のように振る舞う。

 しかしそれも、

 

「明日は確か、シフトは休みだろう? そう思えばやる気も起きないか?私も明日はちょうど休息日だから、頑張ろう!」

 

 というベルの言葉によって、奮起した。

 それを見て眷族は自分のことを棚に上げ、単純だなぁと思った。

 主神(おや)主神(おや)なら、眷族()眷族()である。

 

「──さて」

 

 気を取り直し、ベルとヘスティアはテーブルに置かれている長剣を上からまじまじと眺めた。

 

「ヘスティア、そもそも『タクシー』とは何だ?」

 

 時間にまだ余裕があることを確認し、ベルが尋ねる。

 

「『タクシー』っていうのはね、ベル君。神々(ボクたち)が勝手に名付けたものなのさ。それが子供達に浸透して、そう呼ばれている。元々の意味は馬車輸送だね」

 

 ヘスティアは自分が知っている知識をベルに披露した。

 神々が下界に降臨したのが千年前。つまり、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは千年という長い歴史を持っているということになる。長い、とても長い年月の中で都市は発展と改築を繰り返してきた。

 その最たる例が『ダイダロス通り』である。名匠(めいしょう)ダイダロスによって創造された迷宮街(スラム)は住民であっても、『道標(アリアドネ)』を見失い道に迷えば最後、死ぬまで彷徨(さまよ)うことになると言われている。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは広大だ。広過ぎる都市を行き来するのに、徒歩以外の代替行為(だいたいこうい)が模索、確立されるのは当然の帰結だった。

 その中で考案されたのが『馬車輸送』である。有料ではあるが、先程の虎人(ワータイガー)のように、人や物を指定先まで馬車が運んでくれるのだ。場所や時間帯は細かい所まで指定可能であり、迷宮都市(オラリオ)ではとても重宝されている。

 話を聞いたベルは「都会は凄いなぁ……」と田舎者丸出しの感想を抱きつつ、さらにヘスティアに尋ねた。

 

「タクシーでこの剣が届けられたのは分かった。誰が送ってきたのかは分かっているのか?」

 

「いや……それが、依頼人(クライアント)が匿名にしたらしいんだ」

 

 思ってもいなかったまさかの返答に、ベルは深紅(ルベライト)の瞳をぱちくりと瞬きしてしまう。

 

「そんなことが可能なのか?」

 

「可能らしい。一応、安全性の観点から輸送物に危険性がないのかだけは調べてあるらしいから、いきなり爆発することはないと思うけど……」

 

 どちらにせよ、まずは鞘袋を破る必要がある。ベルが丁寧に開封していくと、漆黒が覗いた。

 

(これは……)

 

 ベルは()()に見覚えがあった。

「ベル君? どうかしたかい?」と、手をとめる眷族にヘスティアが声を掛ける。彼は無言で作業を再開し、彼女はそれを見守った。

 やがて、一本の長剣が完全に現れた。

 武器種──片手直剣(ワンハンド・ロングソード)。華美な装飾がない漆黒の鞘が、魔石灯(ませきとう)の光を反射する。

 導かれるようにしてベルは(グリップ)に手を伸ばし、剣を鞘から解き放った。

 

「──」

 

 白銀の輝きに、ベルも、そしてヘスティアもただただ見惚れる。その美しさに息を呑むのも忘れ、二人は暫し、じっと見詰めていた。

 

「綺麗だね」

 

 ぽつりと、ヘスティアが感想を洩らす。

 ベルはそれに無言で頷き、同意を示した。柄から剣先まで、深紅(ルベライト)の瞳を大きく見開かせて眺める。

 そして彼は、剣の刀身に()()()()()()られているのを見付けた。

 ヘスティアもそれに気付き読もうと試みるが、「何だこれ……?」と首を傾げた。

 

共通語(コイネー)じゃない……? かと言って、【神聖文字(ヒエログリフ)】でもないし……うぅーん、種族特有の文字なのかな?」

 

 何か知っているかい? とヘスティアはベルに尋ねる。

 しかし彼は質問に答えることなく、その()()()()()を凝視していた。

 

(これは……そうか。やはりきみが……)

 

 確信する。

 そして彼は顔がにやつくのが抑えられなかった。

 

「はは、はははははははっ!」

 

「うおっ!? 急に大声を出さないでくれよ!」

 

「はははははははっ……──すまない、ヘスティア。詫びと言ってはなんだが、文字、分かったぞ」

 

 ええ!? と驚くヘスティアに、ベルは言った。

 

「──《プロミス─Ⅱ》。これが、この剣の(めい)だ」

 

「《プロミス─Ⅱ》……ああ、なるほど。この剣は()()なんだね」

 

 ヘスティアの言う通りだった。

《プロミス─Ⅱ》は、《プロミス》を引き継いでいる。刀身の長さや(グリップ)の部分など、いくつか《プロミス》とは異なるものの、大まかな形状は変わらない。

 

「確か《プロミス(前の剣)》はバベルの【ヘファイストス・ファミリア】のテナントで【勇者(ブレイバー)】君に贈呈(プレゼント)して貰ったんだっけ?」

 

「ああ、そうだ。その時も鍛冶師の名前は分からなかったのだが……。だが、確信した。()()()()()()()()()()()()()()()。まず間違いなく『彼』だろう」

 

 ヘスティアは真剣な表情を浮かべる。

 

「その『彼』もまた、きみと同じ『()()』を抱えていると思うかい?」

 

 その質問にベルは無言で頷いた。

 とんとん、と剣に刻まれている()()()()()を人差し指で指し示す。

 

()()()()()()()()()()

 

 ヘスティアは思わず、はあ、と溜息を吐いた。

 染みだらけの天井を見上げ、ぶつぶつと呟く。

 

「ヘファイストスと今度話をしないとなぁ……。いや、彼女はこの『秘密』を知っているのか……? あー、頭が痛い……」

 

 柳眉(りゅうび)を押さえ、この『爆弾(ひみつ)』をどう処理しようか迷う。暫く考えてから、ヘスティアは自分だけでは駄目だと判断した。

 早急にヘファイストスと密談をしよう、とそこで思考を断ち切る。

 

「……あれ? でもだったら、どうしてその『彼』は直接ベル君に届けようとしなかったんだろう?」

 

 そう、湧いた疑問を口にすると、ベルが「それなら簡単だ」とドヤ顔で言った。

 

「せっかくの再会だ。感動的なものにしないといけないだろう。恐らく『彼』も、そう考えているに違いない!」

 

「そういうものかい?」

 

「そういうものだ!」

 

 無限の(とき)を生きているヘスティア(女神)には、よく分からなかった。これも子供達との価値観の相違ってやつかぁ、とヘスティアは思うようにした。

 それから彼女は、「でも」とにっこりと笑いかける。

 

「良かったじゃないか。その『彼』とは随分親しい間柄だったんだろう?」

 

「無二の友だ」

 

「それなら、ボクは祝福しよう。おめでとう、きみたちが再会出来たのは『奇跡』に他ならない」

 

「……そうだな。ああ、そうだとも。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、友と再び()えるのはとても嬉しい」

 

 脳裏に浮かぶのは、一人の青年だった。嘗て自分を助け、支え、導いてくれた偉大な男を想起する。

 ベルは刀身を鞘に収めると、《プロミス─Ⅱ》を壁に掛けた。

 

「あれ? 使わないのかい?」

 

「……ああ、今は、まだ使うつもりはない」

 

「ふぅーん」と言いつつ、ヘスティアはベルが提げている武器に視線を送った。

 ベルがつい一週間前に適当な武具屋で買ったばかりの片手直剣(ワンハンド・ロングソード)──《ニュートラル》は、ギルドで支給されているものよりは性能は良いが、かと言って、それほど高い訳ではない。

《プロミス─Ⅱ》の方が遥かに良いだろう。そのことをヘスティアが指摘すると、ベルは「むしろそれが問題なんだ」と言った。

 

「未熟な私が使っては、この剣の性能を最大限に引き出せないだろう。武器に振り回されてしまう」

 

 異常な速度で成長するベル・クラネルであっても、その実態は、都市の半数以上の冒険者と同じようにLv.1の下級冒険者だ。

 下地がない状態で、身の丈に合わない武器を使っては、初めは良くても必ず後で行き詰まる。

 

「だから、もっと強くなってから──あるいは、必要な時に、使おうと思う」

 

「そっか……うん、きみがそう言うのなら、きっと、そうなんだろうね」

 

 冒険者のベルの言葉に、ヘスティアは納得した。そして時計を見て、「ンなっ!?」と声を詰まらせる。

 

「ヤバい! もうこんな時間だ! ベル君、ボクはもう行くから、戸締り頼むよ!」

 

 行ってきまーす! と幼い女神は本拠を慌てて出ていく。ベルは「行ってらっしゃーい」と主神を見送ってから、魔石灯のスイッチを切り、全ての魔石製品が沈黙しているのを確認する。

 最後に扉に鍵をかけると、ダンジョンに足を運ぶのだった。



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単独での迷宮探索

 

 ダンジョン5階層。

 管理機関(ギルド)が定めている、『最初の死線(ファーストライン)』。

 地下迷宮(ダンジョン)1階層から4階層までは『神の恩恵(ファルナ)』が刻まれて間もない者でも易々と攻略が出来る。しかしながら、5階層からは違う。ギルドが警報しているように、ダンジョンの構造は複雑化し、ゴブリンやコボルトといった下級モンスターとは一線を画す凶暴で凶悪な怪物達(モンスター)が冒険者に襲い掛かるのだ。

 そういう観点で見れば、この5階層から本当の意味での『冒険』が始まると言えるだろう。

 そして5階層の下、6階層で、冒険者ベル・クラネルは単独迷宮探索を行っていた。

 

「──ふっ!」

 

 単眼の(かえる)型モンスター──『フロッグ・シューター』の長い舌を使っての攻撃を、ベルは冷静に回避した。

 腰の調革(ベルト)に吊るされている直剣──《ニュートラル》に手を伸ばし、滑らかに抜刀する。

 

「うおおっ!」

 

 短い裂帛の声と共に、反撃に転じる。

 自身の攻撃が躱されたことに固まっているモンスターに、片手剣使い(ソードマン)は、その長い舌に向けて剣を振るった。

 

『……ッ!?』

 

《ニュートラル》が鮮やかな桃色の舌を綺麗に切断する。

 とてつもない痛みが支配し、堪らず、フロッグ・シューターは叫喚した。じたばたするばかりの蛙は、目の前に敵が居ることを忘れてしまう。

 

「うお、うおおおおおおおっ!」

 

 自慢の『敏捷』を活かし、ベルは彼我の距離を詰める。刹那のうちに範囲(レンジ)に足を踏み入れると、そのまま、渾身の回転斬りを放った。

 斬撃がフロッグ・シューターの分厚い肉を断ち切る。

 

『……グビャアアアアアアアアア!?』

 

 最期(さいご)に断末魔を上げ、フロッグ・シューターは事切れた。灰燼と化し、地面に付着していた血も綺麗さっぱり消滅する。ただ、『魔石』だけが彼の生命(いのち)を証明していた。

 一息ついてから、ベルが『魔石』を回収しようとした──直後、ビキッ、と音が鳴った。

 弾かれたように彼は顔を上げると、音の発生源を探る。

 ビキッ、ビキリ──と、音が大きくなっていく。

 

彼処(あそこ)か!」

 

 発生源は、ベルの後方左だった。

 ばっと彼は身体を反転させ、三歩ほど後退する。退路があることを確認すると、《ニュートラル》を鞘から抜き、その剣先を薄緑色の壁面に向けた。

 

(さあ、何が出る……?)

 

 最悪、逃走することも視野に入れながら、ベルが待つこと、数秒。

 やがて、壁を突き破って、一体の怪物が産まれ落ちる。その光景を見て、ベルは呟いた。

 

「ああ、全く……何度見ても見慣れないな……」

 

 怪物達(モンスター)はダンジョンから産まれる。

 人が人から産まれるように、彼等はそれが自然の摂理であるかのように、()()()()()から生を受ける。

 ダンジョンの謎の一つとして様々な研究者がその理由を研究しているが、未だに解明されていない。

 この光景を間近で見た新米冒険者が腰を抜かし、そのまま、冒険者を引退する事例(ケース)は枚挙に(いとま)がない。

 しかしそれは仕方のないことだろう。いくらギルドの担当アドバイザーから、あるいは、【ファミリア】の先達から事前に教えられていようとも、百聞は一見にしかず、耳で聞いただけの情報と、自分の目で見た情報に差異があるのは当然で、衝撃的だ。

 

『──!』

 

 産声を上げた怪物を見て、ベルは冷や汗を流した。

 

「『ウォーシャドウ』……!」

 

 果たしてそれは、一言で述べるとするならば、『影』だった。

 身の丈は160C(セルチ)程で、165C(セルチ)のベルとそう変わらない。頭頂部から手足の末梢(まっしょう)までその全身は黒一色に染まっており、ヒトに限りなく近いシルエットをしていた。しかし、それはシルエットだけである。動物に備わっている体毛や皮膚はなく、唯一、十字の形を描く頭部に、顔面と思われる手鏡のような真円状のパーツが嵌め込まれている。

『異形の怪物』──それが、ウォーシャドウだ。

 このモンスターによって殺される冒険者は数知れず、故に、『新米殺し』という二つ名が冒険者の間では広まっている。

 ウォーシャドウはゆらりと身体を起こすと、ベルに気が付いた。

 

『……』

 

 発声器官が備わっていない『影』が、不可思議な光沢を発する。

 そしてウォーシャドウが臨戦態勢をとる──それよりも早く。

 ベルは既に固い地面を蹴っていた。

 

「あああああああああっ!」

 

 右腕を限界まで引き伸ばし、射程(リーチ)を伸ばす。

 駆け出し冒険者では有り得ない『敏捷(きゃくりょく)』で、閃光となり、一本の線となる。

 先手必勝の突進攻撃。

《ニュートラル》の剣の切っ先は、ウォーシャドウのその顔の鏡面に直撃した。

 

『……!? ……ッ!?』

 

 驚愕だけを遺して、『影』はあっさりと消滅する。

 フロッグ・シューターよりも大きい『魔石』と、ドロップアイテムとして『ウォーシャドウの指刃』が地面に落ちた。

 ベルは勝利の余韻に浸ることなくそれらを回収すると、元の場所に戻ると、落ちたままのフロッグ・シューターの『魔石』も回収した。

 

「せいッ! おりゃッ!」

 

 やや狭い広間(ルーム)に移動すると、ベルはダンジョンの壁を、武器で何度も傷付けた。

 ダンジョンの性質の一つとして、修復機能がある。戦闘の余波で天井が崩落し、壁が壊れ、地面に穴が空いても、一定の時間が経つと何事もなかったかのように完全に修復されてしまうのだ。この間はモンスターの産生よりもこちらが優先される為、冒険者が休憩(レスト)をとる際に、この方法はよく使われる。

 ボディバッグから水筒を取り出し、ごくごくと喉を(うるお)す。適度に水分摂取をしなければ脱水となってしまうからだ。

 

「ふぅー……」

 

 ベルが腕時計を確認すると、現在時刻は十三時を少し過ぎた頃だった。

 

「昼食にするか」

 

 地上で予め購入しておいた携帯食を取り出す。

 うへぇと、げんなりしつつ、懐から手記と羽根ペンを取り出した。

 ダンジョンの中なので声を抑えつつ──普段のように大声を出し、近くを徘徊しているかもしれないモンスターがやって来たら休憩の意味がない為──、ベルは今日も日常を記載する。

 

「綴ろう、我が英雄日誌。──『冒険者ベル・クラネルは今日も独りでダンジョンに潜っていた。当然、彼の勇姿を見る者は居ない。当然、仲間も居ない。彼はそのことを嘆きつつ、一人寂しく昼食を取るのだった……』──嗚呼、温かいご飯が食べたい……」

 

 もぐもぐと機械的に携帯食を味わっていると、近付いてくる複数の気配をベルは察知した。

 モンスターかと剣を取り、身構える。

 しかしながら、ベルの心配は杞憂に終わった。気配の正体はモンスターではなく、人間──冒険者(どうぎょうしゃ)だったのだ。

 

「こんにちは!」

 

 ベルが朗らかに笑いかけると、一番前に居た強面(こわもて)の冒険者──パーティリーダー──は挨拶に応じることなく、じろりとベルを値踏みした。地面に置かれている、広がれた携帯食の袋、そして水筒を見ると、「チッ」と舌を打つ。

 

「なんだよ、使われてんのか」

 

 先客が居ることに対して、男は言った。背後に控えているパーティメンバーに、

 

「別の場所を探すぞ」

 

 と、指示を出す。

「えー、まじすかー!?」と、パーティメンバーは不満の声を上げたが、男がひと睨みすると閉口した。

 もう一つある出入口に向かう。

 

「待ってくれ!」

 

 ぞろぞろと広間(ルーム)から出ようとするパーティに、ベルは声を掛けた。

 まさか呼び止められると思っていなかった彼等は、何事かと足を止め、ベルに顔を向ける。パーティリーダーの男が代表して尋ねた。

 

「何だ?」

 

「遠慮することはない。此処を使うと良い」

 

「あァ?」

 

 リーダーだけでなく、他のメンバーも戸惑いの表情を浮かべた。そんな彼等に、ベルはさらに言葉を掛ける。

 

「此処で会ったのも何かの縁だ。貴方達も昼食を取りたいのだろう? どうだろう、一緒に食べないか?」

 

 ベルは殊明るい笑顔で、そう、提案した。

 その誘いにパーティは面食らう。彼等は顔を見合わせると、相談を始めた。

 

「おい、どうする……?」

 

「そりゃあ、場所を提供してくれるんなら、それに越したことはないが……」

 

「向こうが良いって言っているんだ、休もうぜ!」

 

「なっ、おい! 勝手に決めるな!」

 

 結局、彼等はリーダーの男に視線を送った。

 視線を一身に集めても、男は何も動じなかった。冒険者としての経歴(キャリア)はパーティの中で一番長く、それに伴って、一番強いのも彼だ。

 パーティに於いて『リーダー』という役柄はとても大きな意味を持つ。ヒエラルキーの中で頂点に位置するリーダーの決定に従うのが、パーティというものだ。

 

「お前、仲間は何処にいる?」

 

 まず最初に、男はベルに仲間の有無を確認した。

 

「居ない。私は単独迷宮探索者だ」

 

 ざわっと、パーティに動揺と、緊張が走る。

 基本的にダンジョンは複数人で探索を行う。それはギルドが推奨しているから、というのもあるが、単純な話、頭数が多ければ多いほど、生存率も上がるからだ。もちろん、多過ぎてはパーティ間での連携は行えない為、一般的に、パーティの上限は五人から六人と言われている。

 

「6階層で独りだと……? 信じられないな」

 

「そう言われても、事実なのだからしょうがない。私も仲間は欲しいと常々思っているのだが、残念なことに居ないのが現状だ」

 

 肩を竦めるベルを見て、男は目を細める。

 

「それで? さっきの話だが、いったいどういう了見だ?」

 

 その質問にベルは、はてと首を傾げた。

 

「どういう了見、とは?」

 

「時間が惜しい。率直に聞こうか。何が狙いだ?」

 

 ああ、とベルは思った。

 同時に、なるほど、とも思った。

 

「何も狙ってなどいないさ。主神こそ違うが、私達は同じ冒険者だ。言い換えれば、同士でもある。そして、貴方達は場所に困っている。ならば、助け合うのは当然だろう」

 

 さらに、ベルはパーティに言った。

 

「あとぶっちゃけ、独りでの昼食は寂しい。どうだろう、()()()()()()()()()()()()()()

 

 それはベルの本音だった。

 誰かとの繋がりを好む彼にとって、広大な地下世界での冒険は楽しい時間でもあったが、同時に、寂しい時間でもあったのだ。

 だがしかし、初対面のパーティにベルの事情など分かる筈がない。

 

「……お前、見ない顔だな」

 

 リーダーの男はそう言った。

 彼の冒険者歴は五年。『昇格(ランクアップ)』を目前に控えてこそいるが、『偉業』という壁を突破出来ないでいる、そんな、ごくありふれた下級冒険者だ。

 だからこそ、彼はLv.1の冒険者に対しての知識がある。しかし、これは何ら可笑しな話ではない。同じ『上層』を狩場とする同業者だ。名前こそ知らないが、顔は知っている──そんな関係を自然と、冒険者達は築いていく。

 男の記憶に、ベルの顔は記銘されていなかった。

 警戒を顔に滲ませる彼に、ベルは飄々と言う。

 

「見ない顔、というのが貴方の中でどれだけの期間なのかは分からないが。私はついひと月前に冒険者登録をしたばかりだ」

 

 はあ!? パーティの間に二度目の動揺が走る。

 彼等にとって、それは衝撃的だった。

 そして、男はそれを聞いて即決した。

 

「せっかくの申し出だが、断らせて貰う。俺達は別の広間(ルーム)に行く」

 

「そうか……それは残念だ。貴方達となら素晴らしい時間を共有出来ると思ったのだが……」

 

「俺はそうは思わないがな」

 

 行くぞ、とリーダーは指示を出す。メンバーの誰もな反対意見を出すことはしなかった。

 隊列を組み、パーティは行進する。

 

「ああ、そうだ。先輩として、アドバイスをしてやる」

 

 広間(ルーム)を出る直前、リーダーの男はベルに顔だけを振り向かせて言った。

 

「ダンジョン内での()()()異常事態(イレギュラー)を除いてご法度だ。よく覚えておけ」

 

 その言葉を言い残し、男は仲間を引き連れて広間(ルーム)をあとにした。

 

「……」

 

 ベルは彼等を見送ると、食べかけの携帯食を一口食べた。機械的に口を動かす作業を再開する。

 そして食べ終わると、薄緑色の壁に身体を預けながら、ぽつりと呟いた。

 

「過干渉はご法度、か……」

 

 先程言われたことを言葉に出す。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

【ファミリア】は神の『代理戦争』という側面を持っており、基本的にパーティは同じ派閥の団員で構成されている。他所(よそ)の派閥とパーティを組むのは、【ファミリア】の中で(あぶ)れた者や、ベルのように団員そのものが少ない者、あるいは、何かしら事情がある者だ。

 例外的に、階層主と呼ばれるモンスターとの『大規模戦闘』や、『遠征』の時は派閥を越えて助け合う。とはいえ、連携などはそこにはなく、ただの『数だけの集団』となるのが殆どだ。

 そして、男が告げたことは正論でもある。

 ダンジョン内で起こった事象は、原則、全て自己責任だ。生命の危機に瀕している時はその限りではないが、たとえ道端ですれ違っても先程のベルのように挨拶は交わさない。

 

「これも時代の変化か……いや、そうでもないな。あの時は種族の垣根があったのだから……」

 

 何かを懐かしむようにベルは呟いた。

 そして、彼の視線の先で振動が起こる。ダンジョンの修復が始まったのだ。

 あと数分もすれば、広間(ルーム)は完全に元の形を取り戻すだろう。

 ボディバッグを身体にかけて、《ニュートラル》を調革に括り付けた時には、修復は終わっていた。

 

「──来る」

 

 ビキ、ビキリッと音が鳴る。

 何度聞いた分からない、モンスターが産出される音。

 深紅(ルベライト)の瞳が開かれ、状況を把握すべく動く。

 

(手前の壁から一つ……天井から二つ、それにまだあるか。合計、四つ!)

 

『恩恵』で強化された聴覚が、正確に音の数を察知する。

 ベルは広間(ルーム)の中心に立つと、静かにその時を待った。

 間もなく、四匹のモンスターが天井から壁から、そして地面から誕生する。

 

「ウォーシャドウ……! しかも全部!?」

 

 思わず、ベルは喉から驚愕の声を出してしまう。

 休憩していた冒険者を嘲笑う為に、ダンジョンは牙を剥く。

【ステイタス】の熟練度では、ベルは充分にウォーシャドウの撃破が可能だ。しかしそれは一対一の話であって、相手が複数となると話は変わってくる。

 ベルを囲むように、覆うようにして、広間(ルーム)を、四つの『影』が差す。

 

「うあああああああああああッ!」

 

 即断即決。ベルは先程のウォーシャドウの戦闘と同様、敵が戦闘態勢を取る前に攻撃を仕掛けた。

 前傾姿勢になり、地面を強く蹴る。瞬きする間に敵の懐に潜り込むと、下段から上段へと《ニュートラル》を振り上げた。

 

『……!?』

 

『影』に線が走り、すぐに黒灰と化す。紫紺の結晶がころんと落ちた。

 この間、五秒。

 そしてこの間に、他のウォーシャドウ達は動いていた。獲物を仕留めるのは自分だと言わんばかりに、ベルに襲い掛かる。

 三方向からの同時攻撃。

 ベルは迷うことなく、空いている唯一の脱出路に飛び込んだ。刹那、ヒュン、と空気を裂く音が彼の耳朶を打った。

 その音の正体は、ウォーシャドウの鋭利な『指』。

 異様に長い両腕の先には三本の『指』が備わっており、鋭い切っ先を持った三指は『ナイフ』だ。そしてこの『ナイフ』こそが彼等の『武器』である。

 これが『新米殺し』と呼ばれる最大の所以だ。彼等は正しく『影』のように冒険者に接近し、その鋭利な『ナイフ』で殺戮(さつりく)の限りを尽くす。

 

『『『──、──!』』』

 

 鏡面の顔が、妖しく発光する。

 ウォーシャドウ達がベルに飛び掛かる。

 前から、横から、後ろからの連続攻撃をベルは躱し続ける。『敏捷』の【ステイタス】がウォーシャドウ達よりも高いからこそ出来る芸当であり、普通の駆け出し冒険者がこの状況に直面したら、既に腕の一本や二本切られているだろう。

 

(死角をつくるな! 常に動き回れ!)

 

 ある程度の空間がある広間(ルーム)を活かし、ベルは走り続ける。ウォーシャドウ達は彼を追うが、追い付けない。

 徒党を組み、ベルの行き先を予想して立ち塞がればそれは連携となり、『挟撃(きょうげき)』となる。

 だが、『本能』に従う魔物はその思考に至れない。あるのは、目の前の敵を自分が喰い殺すという『殺意』だけだ。

 

「うおっ、うおおおおあおおおお!」

 

 最大速度、からの急旋回(きゅうせんかい)

《ニュートラル》の切っ先を地面に食い込ませ、それを支点として、ベルは進行方向を反転させる。

 

『『『──!? ────!?』』』

 

『影』が、揺らめいた。

 それは動揺であり、驚愕であり、困惑であった。

 今まで追っていた敵が、今度は自分達に突進してくるのだ。

 突然のことにウォーシャドウ達は、一瞬、硬直してしまう。

 そして、その硬直は──明確な『隙』を生んだ。

 片手剣使い(ソードマン)は刹那のうちに彼我の距離を詰めると、まず、最も近くに居た『影』を切り裂く。

 

『─ッ!?』

 

 さらに、もう一度。

 

『──ッ!?』

 

 二匹のウォーシャドウが瞬く間に絶命した。

 しかしこの間に、最後のウォーシャドウは『ナイフ』を構えていた。

 長い両腕、六本の指爪がベルに振るわれる。

 だが、それよりもベルの方が速かった。

 担当アドバイザーから教えて貰った敵の弱点──『魔石』の場所目掛けて、《ニュートラル》で突き攻撃を放つ。

 鋭利な『ナイフ』がベルの眼前に突き付けられているが、身体を害すことはなかった。

 

「私の、勝ちだ……!」

 

『──!』

 

 爆散。

『影』は消滅し、黒灰となった。

 それは超至近距離に居たベルに降りかかり、処女雪のような白髪を穢す。

 ベルはそれを手でパッパッと振り落とすと、手拭いで汗を拭き取った。

 

「よし、次に行こう」

 

 広間(ルーム)に散らばっている『魔石』と、ドロップアイテムを回収すると、ベルはダンジョン探索を本格的に再開する。 

 

(エイナ嬢の言う通りだったな……今の私では、此処より下はまだ早過ぎる)

 

 複雑怪奇な構造。

 強力なモンスター。

 そして何よりもベルを苦しめるのは、間隔(スパン)の短さだ。

 モンスターとの遭遇率(エンカウント)が多くなり、それに伴い、疲労度も着実に蓄積されていく。

 単独迷宮探索者のベル・クラネルにとって、自身の体力管理はとても重要な意味を持つ。

 反面、【経験値(エクセリア)】は独占出来る為に熟練度は上昇しやすくなるし、『魔石』の換金額も独り占め出来る。

 単独(ソロ)か、集団(パーティ)か。

 どちらにもメリットとデメリットがある。

 担当アドバイザーの助言に従って良かったと心から思いながら、地図を片手に歩き続けていると、

 

『グギャアアアアアア!』

 

 前方からフロッグ・シューターが現れた。

 深紅(ルベライト)の瞳でモンスターを見据えると、ベルは討伐する為に駆け出した。

 



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ラッキースケベ

 

 時刻は十八時を回りつつあった。

 この時間帯になると、殆どの冒険者達がダンジョン探索を終え、地上に帰還する為に行動を始める。

 そして、駆け出し冒険者のベル・クラネルもまた、その一人だった。

『始まりの道』と言われている一本の道を通り、バベルの地下一階にある螺旋階段(らせんかいだん)を上っていく。

 

「あと少しだぞ!」

 

「ほら、頑張れ頑張れ!」

 

「肩貸してやるよ!」

 

 彼の周りでは、冒険者達の励まし合う声で溢れていた。

 その声を聞きながら上ること数分、ようやく、冒険者達は地上への帰還を果たす。

 肩の力を抜き、安堵の息を吐くのは自然の流れだろう。何せ彼等はつい今しがたまで怪物達(モンスター)魔窟(まくつ)地下迷宮(ダンジョン)で命の駆け引きをしていたのだから。

 

「うぅーん、空気が美味しいネ!」

 

 摩天楼施設(バベル)を出ると、ベルは大きく伸びをした。身体の緊張を(ほぐ)しながら、「さて、行くか!」と、北西のメインストリート──『冒険者通り』に足を向ける。

 他のメインストリートとは比較にならない程の『熱気』が、北西の目抜き通りでは充満していた。

 

「らっしゃいらっしゃい!」

 

「今なら魔道具(マジックアイテム)、半額引きでーす! 今だけですよ!」

 

回復薬(ポーション)は如何ですかー? 傷付いた身体をすぐに治せる、そんな素敵な回復薬(ポーション)は如何ですかー?」

 

『冒険者通り』は今日も大盛況のようだった。

 大通りで店を構えている店員達が声を張り上げて客の争奪戦に興じている。彼等にとって、今の時間は最高潮(ピーク)。商売敵に取られる訳には行かないと、男性冒険者には美しい女子(おなご)が、女性冒険者には格好良い男子(おのこ)が声を掛けていく。それが(トラップ)だと分かっていても、ついつい足を止めてしまうのが人間の性だろう。

 

「可愛い女の子が私にも声を掛けてくれないかなぁ! チラッ、チラッ!」

 

 売り子達でも選ぶ権利はあるのだと言わんばかりに、彼女達はベルから距離をとった。

 ベルがまだ少年だから許されているが、これが大の大人だったら『都市の憲兵』が呼ばれていただろう。とはいえ、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオでは『外見年齢詐欺』が(まか)り通ってしまうのだが。ちなみに、一番詐欺だと言われているのはとある有名な小人族(パルゥム)である。

 どちらにせよ、幸運にも、ベルは【ガネーシャ・ファミリア】の厄介になることはなかった。もしそうなっていたら主神(ヘスティア)が飛んできて、ガネーシャに土下座を披露していたのかもしれない。

『冒険者通り』を進んでいくと、やがて、荘厳な大神殿が現れた。この時間に訪ねる冒険者の多くは『魔石』を換金する為に来ている。摩天楼施設(バベル)でも『魔石』の換金そのものは出来るが、職員の数が少ないので混雑していたら時間が掛かってしまう。何よりも、ギルド本部にはギルド職員の窓口やダンジョンの情報が集まるので、こちらの方が多く利用されているのが実情だ。ギルドもそれが分かっているため、意図してバベルの職員は少なくしている。

 

「今日はどれくらいの稼ぎになったかなぁ……『ドロップアイテム』も何個か入手しているし、うん、とても楽しみだ!」

 

 金銭の獲得というのは冒険者稼業の醍醐味の一つだろう。自分の頑張りがそのまま反映されるのだから、殆どの者は純粋に楽しむ。

 それはベルもそうだ。金銭欲はあまり強くないが、それでも嬉しいものは嬉しいと、期待に胸を膨らませる。

 ヘヘへっとヴァリス金貨に囲まれている自分を妄想してだらしなく笑っていると──横の列に並んでいた冒険者がドン引きしていた──突如、ダンッ! と大きな音が響いた。

 

巫山戯(ふざけ)ているのか!?」

 

 それまで談笑し、賑やかな雰囲気にあった建物内が瞬く間にシンと静寂に包まれた。何事かと顔を見合わせ、発生源は何処かときょろきょろと辺りを見渡す。

 そして、ダンッ! ダンッ! と今度は先程よりも大きく、それでいて連続的な音が鳴った。

 

(これはいったい……?)

 

 それはちょうど、ベルが並んでいた列の最前列から鳴っていたようだった。

 

「もう一度確認しろ! こんなの可笑(おか)しいだろうが!」

 

「しかしながら──」

 

「うるせえ! まさかお前、俺が間違っているとでも言うつもりか!?」

 

 騒ぎは時間の経過と共に大きくなっていく。

 

(列が……?)

 

 奇妙なことに、ベルの前に並んでいた冒険者全員が、列を離れていった。隣の列に並び直していく。あれだけの長蛇の列が瞬く間に崩れていった。

 どういう事かと不思議に思っていると、一人の人物がベルに近付いた。

 

「ベルー……ベールー……」

 

 声を掛けられたベルが身体を振り向かせると、そこには一人の獣人の女性が居た。

「やっほー……」と抑揚のない声音で挨拶をする彼女に、ベルは笑顔で、

 

「ナァーザ!」

 

 と、友人の真名()を呼んだ。

 ナァーザ・エリスイス。ベルの友人の一人だ。 

 

「ギルドで会うのは初めてだな」

 

「そうだね……。普段はお店の切り盛りをしないといけないから。まあ、切り盛りする程忙しくはないけど……」

 

 そう言って、ナァーザは自虐の笑みを浮かべた。

 これにはベルも自慢の笑みが引き攣ってしまう。

「それなら、どうして此処に?」と彼が質問しようとした、その時だった。

 

「てめえ、いい加減にしろよ!」

 

 三度目の、怒号。

 ベルがそちらに顔を向けると、換金所では男の冒険者とギルド職員が変わらず言い争いをしているようだった。

 

「ナァーザ、あれはいったい……?」

 

 ナァーザは嘗て冒険者だった。とある『事件』を切っ掛けに引退してこそいるが、その『階位(レベル)』は上級冒険者、つまり、Lv.2であり、ベルよりも遥かに強い。

 何よりも、都会にまだ慣れていない田舎出身のベルとは違い、ナァーザは何年も迷宮都市(オラリオ)で生活を営んでいる。

 彼女は眠たそうな表情で一瞥すると、端的に答えた。

 

苦情(クレーム)

 

「く、苦情(クレーム)?」

 

 聞き返す駆け出し冒険者に、先輩冒険者は教えた。

 

「冒険者は日夜地下迷宮(ダンジョン)に潜っている。稼ぎを得る為にはより多くのモンスターを倒して、『魔石』を得る必要がある。そしてその『魔石』がそのまま、その日の稼ぎに直結する。そうだよね……?」

 

「あ、ああ、確かにそうだが……」

 

「なら、そこには当然、『期待値』が生まれる。ベルはあまり金銭欲がないみたいだけど……普通の冒険者なら、少しでも多くのお金が欲しい」

 

「あの人のようにね」とナァーザは男に聞こえないよう、小声でベルに言った。言葉を続ける。

 

「……でも、自分の『期待値』と、実際の『換金額』が同じな事は殆どない。多かれ少なかれ、振り幅があるのは避けられない……」

 

「じゃあ、あの冒険者は……」

 

「うん、ベルの想像通りだよ。まず間違いなく、自分の『期待値』に届いていなかった。それが認められなくて、ああやって、ギルド職員に苦情(クレーム)を言っている……」

 

 そう言って、ナァーザは興味が失せたかのように男から視線を切った。

 

「だ、だが……相手は冒険者だろう。ギルド職員が脅されたりとかは……」

 

「ううん、それはない。彼等は皆、肝が太いから……」

 

 彼女の言う通りだった。

 窓ガラスを一枚隔てているとはいえ、ギルド職員は冒険者に物怖じすることなく、真正面から言い争っている。その気迫は冒険者に勝るとも劣らない。

 

「みんな見慣れているから、誰も反応しない……。面白がるのは、神様達くらい……」

 

 事実、建物内のロビーの一角では、数名の男神が集まってニヤニヤと嗤っていた。

 

「俺、あの冒険者が勝つのに1000ヴァリス!」

 

「オレ、あの職員が勝つのに2000ヴァリス!」

 

「ふっ、私は敢えての引き分けに5000ヴァリス出そう!」

 

 見世物として楽しんでいる神々を、誰もが呆れた目で見ているが注意したりしない。彼等にとっては、これも『娯楽』なのだ。

 そして数分も経たずして、勝敗は決した。

 

「クソっ、今回はこれで勘弁してやるよ!」

 

「二度と来るんじゃねえ! このクソ冒険者が!」

 

 負け犬の遠吠えをする冒険者の背中に、ギルド職員が唾を飛ばした。

 

「「チックショー!」」

 

「ははは、俺の勝ちィ!」

 

 賭けに負けた男神は地団駄を踏み、勝った男神が高らかに勝利宣言をする。

 ベルがその様子を、何とも言えない顔で眺めていると、ナァーザが「ベル」と彼の名前を呼んだ。

 

「うん? どうかしたか?」

 

「ベル、まだ換金してないんだよね? なら、今行けばすぐに出来るよ……」

 

「ハッ、そうだった!」

 

 ベルが見ると、苦情を撃退した勇猛なギルド職員の列が空いていた。

 さしもの、荒くれ者が多い冒険者であっても、機嫌が悪いと思われる元には行かない。それはベルも同じで、出来ることならば遠慮したいところだった。

 それを表情から読み取ったナァーザは「安心して」と言い、そのまま言葉を続ける。

 

「あの職員は何年もギルドに勤めている。前の仕事を引き摺る程、あの人は愚かじゃない……」

 

「そういう事なら、ナァーザを信じて行ってみよう」

 

「私も用事があるから、それを済ませるね……」

 

 ナァーザは受付窓口に、ベルは換金所にそれぞれ向かう。

 彼女の言う通りだった。ギルド職員はベルに丁寧な対応をし、査定額を告げる。

 

「こちらの金額──5500ヴァリスで宜しいでしょうか?」

 

「ああ、それで構わない」

 

 ヴァリスを受け取った彼はどこか拍子抜けしつつも、ほっと胸を撫で下ろした。次に胸に満ちるのは喜びだ。確実に収入が増えている。それはつまり、ベルの成長を表していると言えるだろう。

 受付窓口に行くと、ナァーザはまだ用事を終えていないようだった。

 

(エイナ嬢もミィシャも、今日は非番か……)

 

 数個ある窓口に、彼女達の姿は見受けられなかった。

 友人と会えなかったことを残念に感じながらも、ベルは大人しくナァーザを待つことにした。

 今日の夕食は何にしようかと思案していると、話を終えたナァーザが駆け寄る。

 

「ありがとう。待ってくれていたんだ……」

 

「フッ、このベル・クラネル、幼少期より偉大な祖父から英才教育を受けている! 女子(おなご)を待つのは男子(おのこ)の役目サ!」

 

 ドヤ顔でそう宣うベルに、ナァーザは色々と勿体ないと思った。

 そんな彼女の内心を露も知らない彼は、「ところで」と前置きしてから尋ねた。

 

「それで、ナァーザはどうしてギルドに?」

 

「うん……。冒険者依頼(クエスト)を発注しようと思って……」

 

 これがその書類、とナァーザは羊皮紙を見せる。受け取ったベルは読みながら、担当アドバイザーの講義を思い出していた。

 

冒険者依頼(クエスト)……確か、エイナ嬢が言うには……──)

 

 冒険者依頼(クエスト)とは、簡単に言ってしまえば、冒険者に対する依頼の総称だ。

 依頼人(クライアント)と呼ばれる人達がそれぞれ抱えている問題を、冒険者が解決すると言えば分かりやすいだろう。

 依頼人(クライアント)は依頼の内容に見合った報酬を予め用意し、告知する。それを見た冒険者が冒険者依頼(クエスト)を引き受け、その見返りとして報酬を受け取る。

 それが冒険者依頼のサイクルであり、神々は『ギブアンドテイク』と呼称していた。

 

「モンスターからのドロップアイテムがどうしても欲しくてね……。お金が掛かるから、あまり冒険者依頼(クエスト)は出したくないんだけど、ミアハ様と相談して決めたんだ……」

 

「そうなのか……すまない、ナァーザ。私が受けられれば良かったのだが……」

 

 ナァーザ──【ミアハ・ファミリア】が今回の冒険者依頼(クエスト)で依頼しているドロップアイテムは、現在のベルでは到底敵わない、『中層』のモンスターから落ちるものだった。

 ベルの謝罪に対して、彼女は「大丈夫」と言った。

 

「ベルは今が一番大事な時期。下地を作って、少しずつ強くなっていけば良い……」

 

「ありがとう」

 

「それはそうと、回復薬(ポーション)は買って欲しいけどね……」

 

 隙あらば宣伝してくる彼女に、ベルは「もちろん!」と深く頷いた。

 

「【ミアハ・ファミリア】にはとても世話になっているからな。私が貴方達の商品を買うことで経営が少しでも良くなるのなら、いくらでも買おう」

 

「うん、ありがとう……」

 

 ナァーザは礼を告げると、言葉を続けた。

 

「くれぐれも、あの鉄仮面女──【ディアンケヒト・ファミリア】では買わないでね……」

 

「あ、ああ……」

 

「あの女、ベルにあんなことをして……。私達のお得意様を奪おうとするなんて、絶許(ぜっきょ)……」

 

「お、おーい? な、ナァーザさーん?」

 

 ベルの呼び掛けにもナァーザは反応せず、ぶつぶつと呪詛を吐き続けた。

 たっぷりと数分掛けて溜まっていたものを吐き散らした後、彼女はそこでようやく我に返り、「ごめん……」とベルに謝罪した。

 気にする事はないと彼は言い、

 

「あー、そろそろ出ようか」

 

 ナァーザはその提案に飛び付いた。

 

「そうだね……ミアハ様も、ヘスティア様も心配しているだろうし……」

 

 ギルド本部を出ると、二人は帰路につく。

 月が照らす街を、ベルとナァーザは談笑しながら歩く。そして西のメインストリートの外れにある深い路地裏に入った。

 日当たりが悪くじめじめとしている通路は人の気配を感じさせない。そこを進んでいくと、ぽつんと一軒家が建っており、此処が【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)でもあり、店でもある『青の薬舗(やくほ)』だ。

 五体満足の人体を模した紋章(エンブレム)が店の前の扉に看板として置かれていた。

 

「ミアハ様に会う……? 喜ばれると思うけど……」

 

 ベルは「うぅーん」と逡巡した後、首を軽く横に振った。

 

「……いや、せっかくの機会だが、今日はやめておこう。話し込んでしまったらこれ以上帰りが遅くなってしまう。代わりにと言ってはなんだが、神ミアハには宜しく伝えておいてくれないだろうか」

 

「うん、分かった……伝えるね。ありがとう、ベル、わざわざ送ってくれて……」

 

「礼を言われるようなことではないとも。女子(おなご)を家に送り届けるのは男子(おのこ)の責務だ!」

 

 それじゃあ、とベルは手を振ってナァーザに別れを告げると来た道を戻っていった。

 遠ざかっていく友人の背中が視界から消えるまで彼女は見送ると、本拠(ホーム)に帰るのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ナァーザと別れた後、ベルは寄り道をすることなく本拠(ホーム)の『教会の隠し部屋』に帰る為に走っていた。

 道中綺麗で美しい売り子達がベルを誘い、足がそちらに向きそうになるが、彼は鋼の意志でそれを断固拒否──することはなく、ふらふらと向かいそうになっては、すんでのところで踏みとどまるということを何度も繰り返していた。

 

「くぅ、これが迷宮都市オラリオの闇か! これは綴らずにいられない! (つづ)るぞ、英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルを襲うは、綺麗で美しい女子(おなご)達! 彼女達は甘い言葉を囁いては彼を取り合っていた! これぞ正にハーレム!』──ふっ、モテる男は辛いゼ……」

 

 自己陶酔にひたるベルを見て、今まさにキャッチをしようとしていた女子は回れ右をした。

 彼はそのことに気付くことはなく、そのまま西のメインストリートを進み、いくつもの小径が入り組んだ路地裏に入る。

 

「ふんふんふふーん♪」

 

 鼻歌を歌いながら走り、曲がり角を曲がろうとしたところで、

 

「……?」

 

 ベルは、近付いてくる足音に気付いた。

 慌てて急ブレーキするが、間に合わない。

 

「「……!?」」

 

 衝突。

 冷たく固い地面の上を何度も転がり、それでも二人は転がり続け、ついには壁に激突する。

 背中を強打した痛みで悶え、視界が点滅しつつも、ベルは状況を冷静に確認した。

 目の前は真っ暗だが、耳元で呼吸音が聴こえていた。

 

(私の上に誰かが乗っている……?)

 

 その推測は正解だった。何者かがベルに覆い被さるようにして彼の視界を奪っている。取り敢えずどかそうと考え、ベルが右手を伸ばすと。

 

 ──()()()()

 

 不思議な感触が手に広がった。正体を探ろうと、好奇心が疼き、今度は『それ』を摑んでみる。

 

「おおっ!」

 

 思わずベルは感嘆の声を出してしまう。『それ』の正体は俄然分からなかったが、その感触は決して嫌なものではなく、むしろ好ましいものだった。柔らかく、弾力がある『それ』はずっと触っていたいと思うほどだった。

 

(まるで天国みたいだ……!)

 

 ベルが、そう、思った時だった。

 

「きゃ、きゃああああああああああっ!?」

 

 耳元で、大音量の悲鳴が上がる。鼓膜を破ろうとするかの如く、声が『爆弾』となって強襲する。

 

「……!?」

 

 何事かと目を見張る間もなく、再度、ベルの身体は固い地面に打ち付けられた。同時に、重みもなくなる。

 先程よりも強烈な痛みで涙目になりながら、ベルが上半身を起こすと、そこには一人の女性が居た。

 その女性を見て、ベルは呆然と呟いてしまう。

 

「エルフ……?」

 

 長い耳に、雪の肌、そして常任離れした美貌。

 それは正しく、エルフだった。

 しかしながらその美しい顔は真っ赤に染められており、柳眉(りゅうび)は逆立っている。普段は整えられているであろう美しい蜂蜜色(はちみついろ)の長髪は乱れており、柑子色の瞳には何故か殺気が込められていた。

 ベルと目が合うと、彼女は唇をわなわなと震わせる。

 

「こ、この……下賎な……──!」

 

 罵倒を飛ばそうとしたのだろう、ということはこの状況に頭が追いついていないベルでも分かった。

 逃げ出したくなる気持ちをぐっと抑え、ベルは改めて謎のエルフを見た。

 エルフらしく、装いは肌の露出を出来る限り抑えたもので、剣帯には一本の長剣が括り付けられている。細く長い両腕は胸の前でかたく交差され……──。

 

「……」

 

 ベルは首筋に一滴の冷や汗を流した。

 再度、エルフの女性を見る。

 エルフらしく、装いは肌の露出を出来る限り抑えたもので、剣帯には一本の長剣が括り付けられている。細く長い両腕は胸の前でかたく交差され……──。

 

「…………」

 

 ベルは自分の顔が青ざめるのを感じた。

 最終確認の為に、もう一度だけ、エルフの女性を見る。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………………なるほど」

 

 長い、長い沈黙の末、ベルはそう呟いた。

 そう言うしかなかった。

 他に方法はなかったのだ。

 ベルは知った。そして分かってしまった。

 何故、初対面のエルフの女性が敵意を向けてくるのかを。

 自分が何をしでかしてしまったのかを。

 

「……」

 

 ベルの右手が開閉する度に視線は鋭さを増していく。そして徐々に剣に手が伸びていく。

 ダンジョンと同等、あるいは、それ以上に張り詰めた空気の中、ベルは思考を素早く巡らした。

 

(恐らく、いや、まず間違いなく私が先程摑んでしまったのは彼女の胸だろう。とても柔らかかったですありがとうございます──じゃなくて、このままだと殺されるのは明白! くっ、彼女がアマゾネスだったら良かったのに!)

 

 アマゾネスが性に自由奔放な種族なら、エルフという種族はその対極にある。他者との肌の接触は自分が認めた者以外認めず、自分の種族に誇りを持っているこの種族は頭が固いことでも有名だ。

 

(数々の女性をナンパしてきたこの私が女性に対して恐怖を抱くとは!)

 

 警戒音(アラーム)が頭の中で響いている。

 ぶつかったのは事故で、ベルが彼女の胸を揉んでしまったのは不可抗力で、情状酌量の余地は微かにあると、第三者がこの場にいたらそう考えるだろう。

 しかしそれはエルフには決して通じない。余程の変わり者を除いて、彼の種族は下賎な者には容赦しないのだ。

 

(逃走か、謝罪か、あるいは沈黙か!? だが、逃走をすれば追い付かれて殺されそうだし、謝罪をすれば問答無用で殺されそうだし、時間に身を任せて黙っていればやっぱり殺されそうだし!?)

 

 想起し、脳裏に浮かべるのは偉大な祖父。女子との関わり方を授けた師は、『うん、これは無理。ガンバレ★』と憎たらしい笑みで無責任にも弟子を死地へと送り届けた。

 ならばと、ベルはこれまでに会ってきたエルフの女性──ハーフを問わず──を思い浮かべる。しかし全員、ベルの助けを無視して見捨てた。

 

(これは綴らずにはいられない! 心に刻むぞ、我が英雄日誌! ──『無垢なる少年ベル・クラネルはその日、ラッキースケベに遭遇した! 相手はなんと麗しい美人なエルフ! しかしその代償は高い! 彼は殺されないように策を巡らせるのであった!』──フッ、私はこの出来事を未来永劫忘れない! もし子供が出来たら武勇伝として聞かせよう!)

 

 最低な事をベルは誓った。そして、すぅ、はぁと深呼吸する。

 エルフの女性はその様子を訝しむ。そして彼女はあることに気が付き何やら呟いた。

 

「貴方……確か……?」

 

 しかしベルは彼女の変化に気付かず。

 クワッと開眼させた。

 

(覚悟を決めろ、ベル・クラネル!)

 

 ベルの深紅(ルベライト)の瞳とエルフの柑子色の瞳が交錯した。

 

「貴方……──」

 

 彼女が言葉を紡ぐよりも早く。

 ベルは動いた。

 彼女の真正面に座ると、平伏して礼をする。それは極東の最終奥義『DOGEZA』だった。

 

「すみませんでしたあああああああ!」

 

 シン、と。

 静寂だけがそこにはあった。

 果たして、沈黙を破ったのは、エルフだった。おもむろに口を開ける。

 

「あ、あの、一つ確認したいことが……──」

 

 しかし、またもや彼女の言葉は遮られる事になる。ベルは地面を見詰め、心のままに叫んだ。

 

「本当に申し訳ない! 貴方の胸を揉んでしまった!」

 

「──んなッ!?」

 

「とても柔らかかったです大きかったですありがとうございます! 貴方の胸はとても素晴らしく、天国にいるような、そんな錯覚さえ抱きました!」

 

「──やわらっ、おおきっ……て、天国っ!?」

 

「しかしどうか、殺生だけは! 殺生だけはどうか堪忍を! 何卒、殺生だけは! 拙者、まだ生きとうござる!」

 

「──〜〜〜〜〜〜〜〜っ!?」

 

 体裁もプライドも何もかも捨てた土下座だった。途中から言葉も可笑しくなっている。

 この場に神々が居たら口笛を吹いていただろう。新たな伝説を作った少年を褒め称えるだろう。

 しかし悲しきかな、此処に居るのは土下座を敢行する少年と、羞恥と怒りで顔を真っ赤にしたエルフの女性だけである。

 控え目に行って、混沌(カオス)であった。

 彼女が口を開き掛けた──その時。

 

「「……!?」」

 

 二人は近付いてくる気配を察知した。

 

(足音……? それもかなり早い!)

 

 靴音の大小から、ベルはそう推測する。

 土下座を中止した彼は念の為、愛剣《ニュートラル》に手を伸ばし、いつでも抜刀出来るようにする。エルフの女性も同様で、鋭い視線を常闇に向けていた。

 数秒後、闇が裂かれる。

 

「ぼ、冒険者……ッ!」

 

 現れたのは、一人の少年だった。ベルの主神、ヘスティアよりも低い身長の彼は、小人族(パルゥム)と呼ばれている亜人族(デミ・ヒューマン)である。

 彼はヒューマンの少年とエルフの女性に驚きの声を出し、足を止めてしまう。

 

「待てやこの糞小人族(パルゥム)!」

 

 闇から怒声が飛ばされる。ベルが目を凝らすと、一人の大男がこちらに向かってきていた。

 小人族(パルゥム)の少年は「チッ」と舌を小さく打つと、背負っている荷物(バックパック)を暗闇──大男へ向けて放り投げた。

 パンパンに膨らんだ物体が一直線に進む。数秒も経たずして「んな!?」と悲鳴が上がった。

 大男が苦悶の声を上げる中、彼は逃走を開始する。

 

(慣れているな……)

 

 無駄のない動きに、ベルはそう評価する。

 荷物(バックパック)を捨てたことにより身軽となった小人族(パルゥム)は既に、通行人が行き交っている大通りに姿を消していた。

 

「はあ……はあ……く、くそっ! 逃げられた!」 

 

 数秒後にようやく、息を荒く吐きながら大男が闇から現れる。小人族(パルゥム)の少年が投げた荷物(バックパック)は顔に直撃したらしく、顔全体が赤くなっていた。

 背中に吊るされているのは身の丈程の大剣であり、右手には荷物が握られている。

 

「餓鬼に……エルフだと?」

 

 彼は小人族(パルゥム)の少年と同様、ヒューマンの少年とエルフの女性という組み合わせに驚く。すぐに我を取り戻し、少年を追って目抜き通りに突撃しようとするが、もう追い付けないと考えに至った。壁に拳を打ち付け八つ当たりをし、ある程度落ち着きを取り戻した彼は大通りに足を向ける。

 そんな彼の背中に、ベルは声を投げ掛けた。

 

「何かあったのか? もし良かったら話を聞かせて欲しい!」

 

 まさか呼び止められると思っていなかった大男はぴくりと反応すると、身体を反転させた。

 

「さっきの糞小人族(パルゥム)に金を奪われたんだよ」

 

「なに……? それは本当か!?」

 

「嘘を言ってどうするんだ」

 

 冷たく固い地面の上で胡座をかくと、彼は事情を話し始める。

 

「完全に油断していたぜ。あの野郎、契約の最終日に動くことを決めていたんだ。今日の稼ぎをそのまま盗みやがった」

 

「『魔石』の換金を一人で行かせたのか?」

 

「ああ、今思えば迂闊だったがな。すっかりとこの数日で奴を信用していたんだ。最後にひと仕事させて欲しいって言われてな、頷いたのが間違いだった」

 

 唾を吐き捨てる。

 さらに大男は忌々しそうに言葉を続ける。

 

「サポーターとしての腕は超一流だった」

 

「そうなのか」

 

「ああ、特に、『環境』を作るのが上手かった。機転も利いたし、あいつのおかげで助かったことも何回かあった。少なくとも、俺がこれまでに雇ってきた中では随一だった」

 

「そうか、それで……」

 

「気が付けば俺を含めたパーティメンバー全員が、あいつの事を認めていた。信頼とまではいかなくとも、信用していた。今にして思えば、それは『罠』だったんだろうさ」

 

 信用させるのは目的の為の『手段』だったのだと、大男は言葉を吐き捨てる。

 

「……間違いねえ、あいつが最近噂になっている『小人族(パルゥム)』だ」

 

「噂?」

 

「なんだ、知らないのか。お前も俺と同じ下級冒険者だろう?」

 

「ああ、確かにそうだ。まだ駆け出しの駆け出しだな」

 

 だろうな、とベルの装備を見た大男は頷いた。

 

「最近、俺達の間で話題になっているんだ。『手癖の悪い小人族(パルゥム)がいる』ってな。小人族(パルゥム)であることしかわかってねえ。あいつは男だったが、中には、女から騙されたという話も聞いている。単独犯か、あるいは、複数犯か。それさえもまだ何も分かってねえんだ」

 

「だが、ギルドは何も言っていなかったぞ。情報掲示板にもそのようなことは公開されていなかった」

 

「ははっ、馬鹿が。そんな小さな事じゃ管理機関(やつら)は動かねえよ」

 

 都市の運営者、そして支配者たるギルドには様々な役割がある。

 大男が『小さな事』と言った通り、()()()()()()は迷宮都市オラリオではよくあることだった。

 冒険者が一般市民に暴行を加えた、などということがあれば話は別だが、ギルドは冒険者間のトラブルには基本的には介入しない。

 

「あー、くそっ、小人族(パルゥム)の癖に!」

 

 怒りが再度募った大男は、ドンッ! と先程と同じように壁を殴り付けた。

 

「じゃあな。お前も精々気を付けろ」

 

 そう言って別れを告げる彼に、ベルは「待ってくれ」と声を掛けた。

 

「まだ何かあるのか?」

 

「これを」

 

「あ?」

 

 訝しむ大男。

 ベルは笑みを浮かべ財布からヴァリスを取り出すと、彼に駆け寄って手渡した。

 

「何の真似だ。同情か?」

 

 厳しい視線で大男はベルを射抜く。

 しかしながら、ベルは首を横に振って言った。

 

「正当な報酬だ。受け取って欲しい」

 

「……報酬だと?」

 

「貴方のおかげで私は意義がある情報を入手することが出来る。ならば、その対価を支払うのは当然のことだろう」

 

 さらにベルは言葉を続ける。

 

「遠慮することはない。偉大な先達が後進の指導をしてくれた。その授業料だと思って欲しい」

 

 大男は逡巡した後に、「なら、貰うぜ」と言った。

 ニヤッと、口の端を吊り上げる。

 

「面白いな、お前」

 

「ははは、褒め言葉として受け取っておこう」

 

 そんな訳ねえだろ! 大男は声を立てて笑うと、「じゃあな」と言って今度こそ別れた。

 笑顔で手を振り彼を見送ると、ベルは浮かべていた笑みを引っ込めた。そして今のやり取りを傍観していたエルフに顔を向ける。

 

「さて、美しいエルフよ。話が出来ずすまなかった。まずは、これまでの数々の非礼を心から詫びさせて欲しい」

 

「本当に申し訳ない」と、頭を深く下げるベルを、エルフの女性は無言で見詰める。

 そして、二分が経過した頃、

 

「……顔を上げて下さい」

 

 エルフはヒューマンにそう言った。

 おずおずと言われるがままにベルは上げる。断頭台に上がる心境で、下される『裁定』を待つ。

 彼女はベルから向けられてくる、真っ直ぐな深紅(ルベライト)の瞳から目を逸らしつつ、「か、確認したいことがあるのですが……」と言った。

 

「確認したいこと?」

 

 首を傾げるベルに、彼女は「そうです」と頷く。

 そのまま続けて、確信を込めた口調で問うた。

 

「貴方、ベル・クラネルですよね?」

 

「……? あ、ああ、確かに私は絶世の美男子ベル・クラネルだが。しかし美しい女性(ひと)、私達は初対面だろう? 何故、私の真名(まな)を?」

 

 その問いに、彼女は答える。

 

「こうして直接会って話すのは初めてですが、私達は初対面ではありません」

 

「えっ、そんな馬鹿な!? この私が貴方のような美人なエルフを忘れるだなんて!?」

 

 美人、という言葉に尖った耳をほんのりと赤くしつつ、彼女は「いいえ、確かに会っています」とベルの言葉を否定した。

 

「──『ミノタウロス上層進出事件』」

 

 その言葉が彼女の唇から出た瞬間、ベルはおどけた言動をやめ、真剣な顔になる。

 まさか、という推測がやがて確信に変わり、顔に広がっていく。それから彼は珍しくも溜息を吐いた。

 

「ああ、そうか。確かにそうなるのだろう。あの場に貴女は居たのだろうな」

 

「仰る通りです。私はあの時カフェテラスに居ましたから。貴方とは一切言葉を交わしていません」

 

 エルフの女性は優雅に一礼した。

 

「はじめまして。私の真名()はアリシア・フォレストライト。【ロキ・ファミリア】所属の冒険者です。神々から頂いた二つ名は【純潔の園(エルリーフ)】。宜しくお願い申し上げます、ベル・クラネル」

 

 ベルは驚愕を隠せなかった。

 ──アリシア・フォレストライト。

 彼女は都市最大派閥の【ロキ・ファミリア】、その構成員であり、都市でも少ない第二級冒険者だ。

 流儀に則り、ベルも名乗り返す。

 

「私の真名()はベル・クラネル。【ヘスティア・ファミリア】所属の冒険者であり、そして、何れ『英雄』に至る者だ!」

 

 この場に第三者が居たら滑稽だと嘲笑う者が多数だろう。駆け出し冒険者が第二級冒険者、ましてや都市最大派閥の構成員に、自分の身の丈に合わない夢を語るのだ。

 アリシアはベルの夢を笑うことはしなかった。しかしながら、肯定もしなかった。

 ただ無言で、自分の派閥の団長と、幹部の一人である少女が興味を示している若いヒューマンの少年を見詰める。

 やがて、彼女は話を切り出した。

 

「……先程のあれは、お互い、不幸な事故だったと思うようにしましょう」

 

「い、良いのか!?」

 

「……良くはありません。恋仲でもない、ましてやほぼほぼ初対面の異性に……む、胸を揉まれるなど! エルフとしてあるまじきことです! 本来なら責任を取って貰わなくてはなりません!」

 

「責任と言うと……それは、婚約か!? 私としては貴女のような女性と結婚出来るのは非常に嬉しいのだが!?」

 

「なななななななな、何を仰るのですか!?」

 

 自分が敬服している王族(ハイエルフ)にでも万が一知られたら想像するだけでも恐ろしい! とアリシアは言った。

 呼吸を整えると、「しかし」と彼女は言葉を続ける。

 

「……私も不注意でしたから。普段ならこのような失態は冒さないのですが、久し振りの非番で浮かれていて……いえ、これはただの言い訳ですね。申し訳ございません、ベル・クラネル。怪我はありませんか?」

 

「ああ、私は見ての通り無傷だとも。アリシアも大丈夫か?」

 

 ベルが名前を言うと、エルフの女性はぴくりと眉を動かした。

 それを見たヒューマンの少年はしまったと後悔する。エルフという種族の頭の固さは名前の呼び方一つでも有名なのだ。

 慣れない二つ名呼びにしようかと思い、まずは謝罪をしようとする。しかしそれよりも早く、アリシアは嘆息してから言った。

 

「……アリシアで構いませんよ、ベル・クラネル」

 

「ありがとう!」

 

 ぱあっと顔を輝かせ、子供のように無邪気に喜ぶ少年を見て、妙齢の女性はくすりと、ここで初めて笑みを漏らした。

 

「夜ももう遅い。本拠(ホーム)まで送っていこう」

 

 時刻は既に二十時を過ぎていた。

 女性は家に送り届けるべし、という祖父からの英才教育を受けているベルがそう申し出ると、アリシアは逡巡してから首を横に振った。

 

「それには及びません。貴方は他所の派閥。敵対こそしていませんが、異なる派閥の構成員が必要以上に交流するのは宜しくないですから」

 

 それに、と彼女はベルを上から下まで見て言葉を続けた。

 

「貴方のその恰好、ダンジョンに行かれていたのでしょう?」

 

「その通りだが……」

 

「なら益々大丈夫です。此処から私の本拠(ホーム)までは遠い。戻ってくる頃には深夜となっているでしょう。身体を休ませる為にも、そして、貴方の帰りを待っているであろう女神ヘスティアの為にも、貴方はすぐにでも帰るべきです」

 

 優しい声音でアリシアは言った。

 ベルは彼女の優しさに甘えることにした。実際、彼の帰りを幼い女神が待ち侘びているだろう。

 

「ありがとう、ならそうさせて貰う。それじゃあ……」

 

「ええ、また機会がありましたら」

 

 背を向け、本拠(ホーム)に帰ろうとするベルを「あっ」とアリシアが声を出して呼び止める。

 

「思い出しました。もし良ければ、今度、アイズと話をしてあげて下さい」

 

「ああ、彼女とは話をする『約束』を交わしているのだが……すまない、言い訳となってしまうが、中々時間が取れなくてな」

 

「それはあの子も承知しています。団長もアイズも、貴方のことを心配していました」

 

 アリシアが先日の『モンスター脱走事件』について言っているのが、ベルはすぐにわかった。

 

「もうすぐ、私達【ロキ・ファミリア】は次の『遠征』に向かいます。今は【ファミリア】総出で準備をしているところです。どうかその前に、あの子と話をしてあげて下さい」

 

「しかと承知した。それから、頼みがある。彼女とフィンには、心配をかけてすまなかったと伝えてくれないか」

 

「私の種族、エルフの矜恃にかけて『約束』しましょう。今晩にでも伝えます」

 

「引き留めて申し訳ございません、良い夜を」とエルフは頭を下げると、魔石灯が明るく照らし、雑踏極まるメインストリートに入る。

 彼女を見送ったベルは新たな出会い、縁が交わったことを嬉しく思いながら、今度こそ本拠(ホーム)に帰るのだった。

 

「……ベル・クラネル。話に出てきた女神ヘスティア。あの人が噂の……」

 

 その後ろ姿を、一人の少女が路地裏に身を隠し、息を潜めて眺めていた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 三日後。

 ダンジョン探索に行こうと、バベルの下にある中央広場(セントラルパーク)を通るベルに、一つの声が掛けられる。

 

「冒険者様、冒険者様。冒険者様の支援をさせて頂く、サポーターは欲しくないでしょうか?」

 

 今日も素敵な天気ですねと、彼女──犬人(シアンスロープ)の少女は人好きのする笑顔を浮かべながら、ベルに近付いた。

 



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サポーター

 

 ベルは珍しくも戸惑(とまど)っていた。

 困惑していた、と言った方が適切かもしれない。

 

「ええっと、すまない。ちょっと待ってくれ」

 

 そう断りを入れてから、突然声を掛けてきた目の前の少女を、ベルは改めて失礼のないように観察した。

 身長はおよそ100C(セルチ)。敬愛している主神(ヘスティア)もかなり低身長だが、それよりも低いだろうか。

 装備は、地味なクリーム色のゆったりとたローブ。警戒を解くためか彼女はフードを外し、幼い顔と獣人の特徴である犬耳を出していた。

 そして何よりも目を引くのは、背中に背負われている、小さな身体には不釣り合いな大きなバックパックだ。現在中にはそれ程入っていないのか(しぼ)んでいるが、パンパンに膨らんだらギョッとするだろうなと、そんな謎の自信をベルは抱いた。

 

(数々の女性を私はこれまでナンパしてきたものだが……まさかその逆が来ようとは! しかもこんな少女に……ええい、私は幼女趣味(ロリコン)ではないぞ! って、あれ……?)

 

 そして彼は強い既視感を覚える。三日前、路地裏での出来事を想起する。

 

(あの時の小人族(パルゥム)の少年も、ちょうど彼女くらいの背丈だったような……──)

 

 しかしながら、それは有り得ないことだとベルは考える。

 何故なら、目の前の少女は小人族(パルゥム)ではなく犬人(シアンスロープ)。可愛らしい耳に、尻尾が生えていることからそれは間違いない。本人の意思に応じてぴこぴこ、ぴょこぴょこと動くことから『付け耳(ファッション)』でないことは一目瞭然だった。

 何よりも、目の前の犬人(シアンスロープ)は少年ではなく、少女。女装をしているにしては完成度が高過ぎるが故に、ベルは他人の空似だと思った。

 

「あのぅー、冒険者様?」

 

 じっと見詰められ、犬人(シアンスロープ)の少女が戸惑いの声を出した。ベルは「すまない」と謝罪してから、用件を尋ねる。

 

「申し訳ないが、もう一度尋ねさせて欲しい。私に何の用だろうか?」

 

 彼女は気分を害した様子を微塵も窺わせず、

 

「冒険者様、サポーターは欲しくないでしょうか?」

 

 先程と同じ台詞を言い、そしてつぶらな瞳を向けた。

 ベルは自分の聞き間違いでなかったことに驚いた。自身がダンジョン探索に毎度ながら思っていることを初対面の少女に当てられたからだ。

 そんな様子の冒険者を見て、彼女は苦笑し、ベルの背中──ボディバッグを指さした。

 

「冒険者様がお独りでバックパック──冒険者様はボディバッグですが──を持っている時は、大抵、サポーターが必要な方が多くいらっしゃいますから」

 

 その観察眼にベルはついつい瞠目(どうもく)してしまう。

 取り敢えず詳しく話を聞こうと思った彼は、中央広場(セントラルパーク)に置かれているベンチに彼女を誘った。通行人の邪魔にもなると考えたからだ。これには彼女も賛成のようで、その提案に頷く。

 二人はひと二人分の距離を置いて横に並んで座るや否や、彼女は問い掛けてきた。

 

「それで、どうでしょうか。リリをサポーターとして冒険者様の冒険にご同伴させて頂けないでしょうか?」

 

 にっこりと笑いながら、犬人(シアンスロープ)の少女が──意図してなのかそうではないのか──ずずいっと距離を詰める。

 ベルは、ズササッ、と詰まった分横に移動しながら、彼女に質問を返した。

 

「幾つか聞きたいことがある。結論はそれからでも良いだろうか?」

 

「はいっ、もちろんです! リリも、後で問題になるよりもその方が良いですから!」

 

 答えられる範囲なら何でも答えます! と笑顔で言う彼女に、ベルは「それじゃあ、一つ目」と尋ねた。

 

「私の真名()はベル・クラネルという。まずは、君の真名(なまえ)を教えて欲しい」

 

「おっと、これは失敬。リリとしたことがすっかりと忘れていました。(わたし)はリリルカ・アーデと申します」

 

 ああ、とベルは合点がいった。

 彼女が時々口に出していた『リリ』というのは、リリルカ・アーデという少女の愛称なのだろう。

 確かにリリルカという名前は長いからな、とベルはすんなりと納得する。それに、幼い子供が自分のことを愛称で呼ぶのは珍しくない。

「出来れば、『リリ」と気軽にお呼び下さい」と言う彼女に頷きつつ、二つ目の質問をする。

 

「リリは無所属(フリー)なのか?」

 

 無所属(フリー)とは何処の派閥に入っていない者だ。【ファミリア】には神の代理戦争という側面がある。それに巻き込まれるのを嫌う人は一定数以上居る。だが反面、『神の恩恵(ファルナ)』を授けて貰えない為、仕方なく何処かの派閥に入る者が多い。ダンジョン探索するにあたって、獣人やドワーフ、エルフといった一部の種族は例外だが、基本的には『恩恵』が必要なのだ。

 犬人(シアンスロープ)の少女を迎え入れてくれる【ファミリア】はあるのだろうか、そんな疑問を口にするベルに、リリルカはこの応対は慣れているのかすらすらと答えた。

 

「いえ、リリは【ファミリア】に入っていますよ。派閥は【ソーマ・ファミリア】という探索(ダンジョン)系です。そこそこ有名だと思いますが……クラネル様の反応だと、ご存知ないようですね」

 

「すまない。言い訳をさせて貰うと、まだこの都市にやって来てからまだ日が浅くてな……まだまだ知らないことが多いんだ」

 

「いえいえ、迷宮都市(オラリオ)は広いですから。その分派閥も多くあります。【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】など、世界にも名声を轟かせている派閥なら兎も角、ほんの少し有名な派閥じゃ知らなくても仕方ありませんよ」

 

 だから気にしないで下さい、とリリルカは言った。

 ベルはその言葉に甘えつつ、三つ目の質問を投げ掛ける。

 

「しかしリリ、どうして他所の派閥の私に声を掛けてくれたんだ? あまり歓迎されないことなのだろう?」

 

 これまでに何度も、ベルは先達にそう言われてきた。ベルが彼等と交流を深めようと近づく度に、彼等は拒絶と敵意を向けてきた。

 リリは、恥じるように俯いて告白した。

 

「リリはこんな小さな身体ですから、ろくに武器も持てませんし、まともに振れません。おまけに、戦う才能もなくて……同じ【ファミリア】の人達は、最初こそ手を差し伸べてくれたんですが……愛想を尽かされてしまいまして。頼み込んでもパーティにすら入れて貰えず……」

 

 ははは、と犬人(シアンスロープ)の少女は自嘲の笑みを浮かべた。

 

「そんな訳でして、【ファミリア】にリリの居場所はありません」

 

 以来、ずっとサポーターとして生計を立てているのだと彼女は言った。居場所がないから【ソーマ・ファミリア】の本拠(ホーム)では寝泊まりせず、安い宿屋で薄い毛布を被っているとも。

 

「【ファミリア】の関係を気にされているのでしたら、それは大丈夫です。主神様──ソーマ様は他所の派閥には未来永劫興味を持ちませんから。そちらの派閥が攻撃をして来ない限り、クラネル様に害が及ぶことはないでしょう」

 

「……」

 

「リリとしては、是非ともクラネル様には雇って頂きたいです。リリの腕を見たいと言うなら、今日はお試し日でも構いませんし、一週間という短期契約でも全然構いません」

 

「…………」

 

 リリルカ・アーデの話を、ベル・クラネルはずっと黙って、目を伏せて聞いていた。

 

「クラネル様……?」

 

 何も反応を示さないベルを不審に思い、リリルカが疑問の声をあげる。

 しかしベルはやはり沈黙したままだった。

 彼が口を開いたのは、一陣の風が彼等を横切った時だった。

 

「最後に、聞きたいことがある。とはいえ、これには答えても答えなくても良い。そして先に言っておこう。私の中で既に結論は出ている」

 

 その上で聞きたいことがある、とベルは言った。

 リリルカは何のことだろうかと思いつつ、「何でしょうか?」と尋ねた。

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳をゆっくりと開眼させ、静かに問うた。

 

「君は、今の立場をどう考えている?」

 

「……えっ?」

 

「リリルカ・アーデ、君はサポーターだろう?」

 

 その確認にリリルカは当然だと頷いた。そんな彼女に、ベルはさらに問い掛ける。

 

「君はサポーターのことをどのように思っている? それを聞かせて欲しい」

 

 リリルカ・アーデは即答する。

 

「冒険者様のお零れに預かりたいと思う、そんな、貧乏で薄汚い卑怯者。それが私達サポーターですよ」

 

 にっこりと、人好きのする笑みを携えて。

 リリルカ・アーデはそう言った。

 

「……そうか」

 

 ベルはそんな彼女を、数秒、見詰めると、おもむろにベンチから立ち上がる。そして彼女の前に立つと、笑って言った。

 

「サポーターについてだが、宜しく頼む。私も常々、()()が欲しいと思っていたところなんだ」

 

「ほ、本当ですかっ!?」

 

「ああ、嘘は吐かないとも。人間的な相性の問題もあると思うから、今日はお試し日にして、明日以降の契約を考えたいと思うのだが、どうだろう? もちろん、報酬は払わせて頂くが……」

 

「それで構いません! 宜しくお願いいたします!」

 

「よし、じゃあ早速行こう! 時間は有限だからな!」

 

 ほら、とベルはリリルカに手を差し出した。

 少女は「えっ?」と声を上げ、少年を見上げる。彼女はまじまじとそれを見詰めると、おずおずと躊躇いがちに摑んだ。勢いよく引っ張られ、立たされる。

 

「……」

 

 その時にはもう、ベルは摩天楼施設(バベル)へ歩いていた。リリルカは慌てて彼の背中を追い掛ける。

 

「クラネル様、ちょっと待って下さい!」

 

「HAHAHA! とうとう私にも仲間が出来たぞ! これぞまさに王道的展開! くぅー、胸のワクワク、ドキドキがとまらないネ!」

 

「クラネル様ぁー!?」

 

 高笑いをしながら邁進(まいしん)するベルを見て、他の冒険者達がドン引きしながら自然と道を空ける。

 リリルカは小さな手足を懸命に動かして少年のあとを追った。その光景を見ている周りの人々から同情と憐憫の眼差しが送られてくるが、それに反応する暇もない。

 

「いざ参らん! 今日も(つづ)るぞ、英雄日誌をな!」

 

「英雄日誌!? 何ですか、それ!?」

 

「ふはははははははははははは!」

 

 こうして、彼等のダンジョン探索が幕を開けた。

 



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予兆

 

 リリルカ・アーデの冒険者歴──否、サポーター歴は長い。これまでに彼女は多くの冒険者と長期契約なり短期契約をして、そして多くの冒険者をその目で()てきた。

 だから、だろうか。

 自然と彼女は、その人物が()()するか否か──つまり、その者に『(うつわ)』があるかどうかが分かるようになっていた。その目の性能は管理機関(ギルド)のギルド職員と同等、否、それ以上かもしれない。

 どちらにせよ、()()である地下迷宮(ダンジョン)で視てきた彼女にしか視えない部分は確かにあった。

 

()()

 

 それが最初に、リリルカ・アーデがベル・クラネルに抱いた率直な感想だった。

 

『──ッ!?』

 

 場所は、ダンジョン6階層。『新米殺し』として名を馳せている魔物──ウォーシャドウが声にならない断末魔をあげて、『影』を消滅させた。

 見慣れた事象、肉体から黒灰への変質を見ながら、リリルカは改めてそう思った。

 

(本当にこれで冒険者登録してから少しなのでしょうか? ウォーシャドウを息一つ乱さず()()するなんて……そんなの、駆け出し冒険者じゃ逆立ちしても無理です。寧ろ痛い目に遭うでしょうに)

 

 それなのに、とリリルカはベルに視線を向ける。

 彼は勝利したことを喜ぶこともなく、辺りの警戒をしていた。

 これもまた、()()()()()()()()()()()()

 彼等は戦闘行為が終わるとその度に一喜一憂し、警戒を疎かにしがちなのだ。実際、そのような事例(ケース)は枚挙に遑がない。

 

「リリ、頼めるか? 私は引き続き警戒しているから」

 

 抜刀したまま、ベルが顔だけ振り向かせてリリに指示を出す。冒険者とサポーターがパーティを組む場合、基本的には冒険者に決定権がある。

 

「はい! お願いします!」

 

 返事をしながら、リリルカは自分の仕事を行った。サポーターとして『魔石』を回収する。『ドロップアイテム』は落ちていなかったが、低確率で発生する為に仕方がないだろう。

『魔石』をバックパックに放り込み立ち上がると、彼女は彼に報告を行った。

 

「『魔石』回収しました!」

 

「ありがとう。じゃあ、探索を再開するとしようか」

 

「はいっ!」

 

 ベルを先頭にして、パーティが移動する。

 長い一本道の通路を渡りながら、リリルカは先程の思考に戻った。

 

(これまでにモンスターと遭遇(エンカウント)してきた回数は、今のウォーシャドウで二十一回目。何でしょうか……どうにも『違和感』を感じます)

 

 突き詰めると、それだった。

 パーティを組んで最初に戦ったのはゴブリンだった。場所はダンジョン1階層。ゴブリンはコボルトと並んで最弱モンスターと呼ばれており、サポーターのリリルカ・アーデでも倒すことが出来るほどの雑魚モンスターだ。そして、ゴブリンをベルは瞬殺した。その時は、随分と思い切りがいいなと思った程度だった。

 しかしながら、時間の経過、モンスターと遭遇する度に、彼女の中には『違和感』が芽生えていた。

 

(確かに単独迷宮探索者(ソロエクスプローラー)ならダンジョン内での全ての事象を自分一人で対処しなければなりませんから、その分、経験値が蓄積されていても不思議ではありませんが……)

 

 前を歩く背中を、リリルカはじっと見詰める。

 

(今にしたってそうです。こんな長い一本道、普通なら挟撃(きょうげき)を恐れて後ろを何回か振り返っても良い筈。少なくとも、これまでにリリが契約してきた冒険者は漏れなく全員そうでした)

 

 リリルカとしては、それは当たり前のことだと思っていた。凶悪なモンスターに挟み撃ちにされる恐怖は、とてもではないが言葉では言い表せられない。

 だが、ベルは一度たりとて後ろを振り返っていない。恐らく、ずば抜けて視線──気配の察知能力が高いのだろう。これもまた、駆け出し冒険者らしくない。

 しかしながら、その『違和感』ばかりにとらわれる訳にも行かない。本来の仕事を疎かにしては本末転倒だ。

 

「ベル様、少し早いですが休憩(レスト)に入りませんか?」

 

 サポーターが意見を口に出すと、怒る冒険者は多い。先にも述べた通り、パーティの行動に関する決定権はサポーターではなく冒険者にあるからだ。

 それをわかっていて、リリルカは敢えて言った。半日もずっと行動を共にしていればその人柄は何となく分かるというもので、今回の契約相手(暫定)なら大丈夫だと判断したからである。

 

「うぅーん、今何時だっけ?」

 

「午前十一時を半分ほど過ぎています」

 

「分かった。確かに少し早いが昼食にしよう。正直助かる。初めてのパーティプレイで疲れていたんだ」

 

「この先に広間(ルーム)がありますから。そこで休憩(レスト)に入るのはどうでしょう?」

 

「ああ、そうしよう!」

 

 顔だけ振り向かせ、ベルは笑顔を向けた。それにリリルカはにっこりと笑みを返す。

 休憩が間近になり心が浮き立つ冒険者。その彼等を嘲笑うかのように、前方五(メドル)の壁に亀裂が走る。

 

「来ます!」

 

「了解! リリルカは背後の警戒を頼む!」

 

 はい! とサポーターは返事した。

 背中を向かい合わせるベルとリリルカ。

 冒険者パーティが声を飛び交わしている間に、モンスターの産生(さんせい)も終わったようだった。

 ベルの前に、三匹の魔物が出現する。二匹はコボルト、もう一匹はフロッグシューターだった。

 

「うおおおおおおっ!」

 

 雄叫びを上げながら、ベルが突進する。リリルカというサポーターが居るおかげで、彼は前の敵だけに集中することが出来ていた。

 自慢の『敏捷(きゃくりょく)』を活かし、瞬きのうちに、最も近くに居たコボルトの懐に入る。

 

『グァ!?』

 

 あまりの速さにコボルトが驚愕の声を出す。その時にはもう、剣は振るわれており、胴体が真横に切られていた。

 同族が瞬殺されたことに愕然とする時間は、モンスターにはなかった。次にフロッグシューターが倒され、コボルトも黒灰となる。

 

「ふぅー、終わった!」

 

 一分にも満たない戦闘を終わらせた当事者は、ただ、そう言うのみだった。

 指示された仕事を行う傍ら、ベルの今の戦闘を見ていたリリルカは呆然としてしまう。

 

(やっぱり強い。()()()()()()()()()()。この人の【ステイタス】が、この階層に適していない。7階層……いえ、8階層すらも恐らく可能でしょうか)

 

 そう思いながら、サポーターは提言した。

 

「この、長い一本道も残り僅かです。このまま走り抜けてしまいましょう」

 

「分かった!」

 

 冒険者はサポーターの提案に頷くと、ゆっくりと走り始めた。

 リリルカはバックパックを落とさないよう注意しながら、ベルに付いていく。

 数十秒後、パーティは広間(ルーム)に辿り着いた。二人で協力して内部を破壊する。ダンジョンが自己修復に充てる時間を利用し──この間、ダンジョンの産生率が低下する──休憩に入る。

 

「ベル様、こちらに座って下さい。地面は汚いですから」

 

 そう言って、サポーターはバックパックからレジャーシートを取り出すと、それを広げた。ポンポン、とシートを叩き、ベルに腰を下ろすように促した。

 

「ありがとう、リリ。とても助かる」

 

「いえいえっ」

 

「それじゃあ、失礼して。それにしても、こんな物もあるんだなぁ」

 

「街に売られていますよ。耐熱、耐水性があるので、リリはかなり重宝しています。まあ、些か値が張りますが、長い目で見れば購入を検討しても良いかと」

 

「そうだなぁ……ヴァリスが貯まったら買おうかな」

 

 以前と比べたら【ヘスティア・ファミリア】の収入は増えているが、それでもまだまだ経営難だ。武器や防具、本拠(ホーム)の維持費、食材の購入ギルドへの税の納金など、支出は数多くある。

『モンスター脱走事件』でギルドから多額の謝罪金が渡されているが、それは緊急事態に使おうと主神(ヘスティア)と話している。

 味気ない携帯食を食べながら、二人はコミュニケーションを図った。

 それは、リリルカがベルに質問をした時に起こった。

 

「そういえば今更ですが、ベル様は何処の神様の派閥に属されているんですか? もしかして【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】だったり?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ベルは苦笑しながら「違う違う」と首を横に振った。

 それから、過去に思いを馳せるように言った。

 

「どちらの派閥にも入団しようと思ったのだが、門前払いをされた」

 

「そ、そうですか……。でもそれも仕方がないかもしれません。都市でも有数の派閥は構成員が多いですから、いつでも募集している訳じゃなかった筈です」

 

「ああ、ギルド職員にもそう言われた。そのうえで門を叩いたのだが、門番に追い払われてしまってなぁ」

 

「えっ」

 

「確かこんな風に言われたな──『貴様のような子供が栄えある【ロキ・ファミリア】に入団するなど、あと半月は早い! それまで待て!』って言われてさ……」

 

 まじか、とリリルカは内心で思った。朝から思っていたことだが、今回の契約相手は頭の螺子(ねじ)が少々外れているのかもしれない。

 それを巧妙に隠しつつ、彼女は相槌を打った。

 

「それでベル様は結局、何処の【ファミリア】所属なんですか?」

 

「私は、炉の女神ヘスティアの眷族だ。つい一ヶ月前に新興したばかりの最弱【ファミリア】だから、知らないかもしれないが……」

 

 頬を掻きながらベルが言うと、リリルカはハッと目を見開いた。

 

「【ヘスティア・ファミリア】!? 【ヘスティア・ファミリア】って、あの!? それは本当ですか!?」

 

「あ、ああ……嘘は吐いていないが……」

 

「ベル様が【ヘスティア・ファミリア】の団員で、まさか、『モンスター脱走事件』の際にシルバーバックを倒していた冒険者様だっただなんて!」

 

「リリ、落ち着いて……」

 

「これが落ち着いていられますか! リリは今、お試しとはいえ、期待の新人(ルーキー)とパーティを組んでいるんですよ!?」

 

 ベルが宥めるが、リリルカに言葉は届かず、彼女は興奮したように顔を真っ赤に染める。

 その様子を見た駆け出し冒険者は素の表情で思わず、

 

「えっ、なに、私ってそんなに有名なの?」

 

 と言った。

 リリルカはぶんぶんと何度も頭を縦に振る。

 

「冒険者の間では、ベル様の情報はそこそこ出回っています。冒険者登録をしてから僅か一ヶ月で、野猿シルバーバックを撃破! 噂にならない方が可笑しいです!」

 

「あー、そうなのか?」

 

「そうです! ベル様は自分の規格外さを自覚すべきです! 行き過ぎた謙遜は嫌味になるんですから!」

 

 ずずいっと、リリルカは顔をベルに近付けた。

 ベルはやはり苦笑だけを浮かべていた。

 

「……そう言われてもなぁ、私は武器に救われただけだから。あれは決して人に誇れる勝利ではなかった。彼もきっと、あのような幕引きで残念だっただろう」

 

 だからそんな、褒められるようなことじゃないとベルは肩を竦めた。

 

「……ベル様がそこまで言われるのなら、これ以上この話はしません」

 

「ありがとう、そうしてくれると助かる。あともう一つ頼みがあるのだが、聞いて貰えるか?」

 

 小首を傾げるリリルカにベルは要望を伝える。

 

「私のことはなるべく他の人には言わないで欲しい。困ったことになってしまう」

 

「ああ、はい、それくらい、頼まれることでもありませんよ。契約相手の個人情報を漏洩してはならないのは、規則(ルール)ですから」

 

「それは助かる。私の知らぬ間に、主神が色々と手を回してくれたみたいでな」

 

「【ヘスティア・ファミリア】は現在、公開されている情報がゼロに等しいですからね。しかし、ヘスティア様の判断は正しいかと。こう言ってはなんですが、零細派閥が急に台頭しても、他の派閥からやっかみを受けて、最悪、潰されかねませんから」

 

 実際過去にそのような事件が起こったそうです、とサポーターは言った。

 本来【ファミリア】とは年単位で力を付けるものなのだ。数多の派閥が犇めく迷宮都市オラリオで地盤を築き上げるのは難しい。

 

「ところでさ、リリ」

 

「はい? 何でしょうか?」

 

「何度か言おうと思ってはその度に言いそびれていたのだが……『ベル様』って何だ?」

 

 自分を売り出していた最初はファミリーネームでリリルカはベルのことを呼んでいたのだが、パーティを組んでからは少年のことを『ベル様』と敬称をつけて呼んでいた。

 そのことがベルにはずっと引っかかっていた。彼の疑問に、サポーターの少女は何て事のないように答えた。

 

「仮契約の段階ではありますが、上下関係を付けているだけです。リリはサポーターですから」

 

「それはまたどうして。確かにリリはサポーターだが、それ以上に私達は仲間だろう」

 

「……仲間、ですか」

 

「ああ。それがたとえ長期であろうと、あるいは短期であろうと、期間は関係なく、一緒に戦った仲間の筈だろう」

 

 リリルカはその言葉を聞いて、一瞬、言葉に詰まった。

 

「……ベル様はお優しいのでそう言ってくれますが、こればかりはそうとしか言い様がありません」

 

 それが当然のように、彼女は真顔になった。

「先程も申しましたが」とサポーターの少女は言葉遣いを丁寧なものにして言った。

 

「支援者だなんて言われてこそいますが、私達(サポーター)の実態はただの荷物持ちです。冒険者様(ベル様達)が最前線で戦う中、私達(サポーター)は後ろから戦闘を突っ立って眺め、雑事をするだけ。才能がない私達(サポーター)には、それしか出来ませんから」

 

「……」

 

「例えば、ベル様は(わたし)の提言を真剣に考えてくれていますが、他の大多数の冒険者様は違います。彼等からすれば、それは『生意気な行為』なんです。たとえ私達(わたしたち)にその気はなくとも。私達(わたしたち)が彼等と対等な関係を築こうとしたら、彼等は怒るでしょう。何故なら、私達(わたしたち)は『弱者(サポーター)』なのですから」

 

「…………」

 

「そして(わたし)は、このサポーター(わたしたち)の在り方は当然のことだと思っています」

 

『リリ』という一人称すら使わず。

 彼女は事務的な口調で、そう、言葉を締め括った。

 

「……分かった。他ならない君がそう言うのなら、私もそのように振る舞うとしよう」

 

「ありがとうございます、ベル様」

 

「だが、もし何かあったら──言いたいことがあるのなら、その時は遠慮なく言って欲しい」

 

 深紅(ルベライト)の瞳が、リリルカの榛色の瞳を射抜いた。

 彼女は喉を詰まらせてから、無言で頷いた。

 

(変な人……)

 

 胸中で、そう、呟く。

「あっ、そうだ!」と少年が声を出す。

 

「もう一つ聞きたいことがあったんだが……どうしてリリはフードを被っているんだ? 街で私に声を掛けてくれた時は、取っていただろう?」

 

「ああ、それはベル様に警戒されないようにですよ。いきなり顔が分からない相手が声を掛けたら驚くでしょう?」

 

「それは確かに」

 

「リリがフードを被っている理由は簡単です。恥ずかしながら、リリの毛並みはぼさぼさで。あまり人には見られたくないなと思っていまして」

 

 視線を逸らしながら彼女が言うと、ベルは頷きを返した。

 

「なるほど。君達獣人の毛並みの質は昔日から争われていると聞く。確か、質が良い毛並みを持っている者ほどモテるのだろう?」

 

「……驚きました。まさか同族以外で知っている人がいるだなんて。ベル様は博識なんですね」

 

「ははっ、まぁな!」

 

 ドヤ顔になるベルを見て、()()()()()()()()()()

 そして、リリルカは広間(ルーム)の状態を確認した。時間はだいぶ経っている。

 破壊されたダンジョンの修復は、彼女の予測ではあと少しで終わるところだった。それはベルも分かっていたようで「行こう」と声を出す。

 

「私が後片付けをします」

 

「頼む」

 

 リリルカが自分の『仕事』を終わらせ、報告を行おうとベルに近付くと、彼は懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出していた。

 

「ベル様、それは?」

 

 契約相手のプライベートな事かもしれない。だが、リリルカは知的好奇心を抑えることが出来なかった。

 彼女の質問にベルは「フッ!」と笑って答えた。

 

「これは後世に残す為の私の遺産だ」

 

「えっと、それはどういう……?」

 

 後世? 遺産? と困惑するリリルカ。

 ベルは手記の表紙を軽く撫でると、さらに言った。

 

「──英雄日誌。英雄ベル・クラネルの面白可笑しく、滑稽(こっけい)な物語。それを私は日々書いている」

 

「『英雄』……。ベル様は『英雄』になりたいのですか?」

 

「ああ! 私は『英雄』になりたい!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ベル様ならきっとなれます!」

 

「ありがとう! そう言って貰えると嬉しい!」

 

 ベルは笑った。

 踊る心に従って、羽根ペンをすらすらと走らせる。

 

(つづ)るぞ、英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルは新たな仲間と共にダンジョンに潜る! これで彼はぼっち飯を食わずに済むことになったのだった!』──ぼっち飯はとても悲しい……」

 

 仲間の少女からの憐憫の眼差しを受け、ベルはこほんと咳払いを打つ。

 そして、午後の探索を始めようと声を掛けた。

 

「午後も頑張ろう、リリ!」

 

「はい、ベル様!」

 

 彼等の迷宮探索、午後の部が開始された。

 

 

 

 

§

 

 

 

 白亜の巨塔、その最上階。

 カーテンが閉め切られた部屋に陽光が射し込むことはなく、天井に付けられている魔石灯も起動されていなかった。

 その中で、暗闇を裂く強烈な光。それは、魔石製品である立体映像機(スクリーン)だった。

 一つの動画が、最大音量で流れている。画像は最高質なもので、それは『現実』となっていた。

 そしてそれを間近で眺める──一柱の女神。

 

『私の真名(まな)はベル・クラネルという! 「英雄』に憧れ、何れ、「英雄」になる者! そして──貴方を討つ者だ!』

 

 画面に映るのは、一人の少年。彼の咆哮が、誓いが爆発する。

 女神は「フヘヘヘヘヘヘ」と笑った。それは、間違っても女神がしてはならない顔だった。ましてや、美の女神である彼女なら、尚更。

 しかし、彼女にとってそんな事はどうでも良かった。

 眷族の前であるということも忘れ、ただただ()()される。

 

『決着をつけよう』

 

 そして、繰り広げられる死闘。自分の眷族の方が華麗に銀の野猿を倒せるだろう。『技』と『駆け引き』など、比べるまでもない。

 だが、しかし。

 女神はやはり魅了されていた。いいや、彼女だけじゃない。目の前で見せられたら、誰もがそのようになる。その確信が、彼女にはあった。

 何処までも続くかのように思われた死闘が幕を閉じる。何者でもない少年によって、銀の野猿は討たれた。

『英雄都市』にその名を刻んだ少年を称える声が響く。それはまるで、英雄譚の一頁のようで──。

 ブツ、と音を立てて。

 映像はそこで終わった。音はなくなり、画面も暗くなる。

 完全な静寂と暗闇が神々の領域(プライベートルーム)を包んだ。

 女神の眷族が、これまで通り動画を再生(ループ)させるためにリモコンを操作しようとするが、その前に、彼女が一言、

 

「──飽きたわ」

 

 と、呟いた。

 刹那、眷族は動かしかけていた手を止める。

 

「飽きたわ」

 

 再度、同じ言葉を言う女神。

 眷族は長年の付き合いから、彼女が返事を求めていることを察した。

 

「……飽きられましたか」

 

 猪人(ボアズ)の眷族──オッタルは主神にそう言った。

 フレイヤは「ええ」と軽く頷く。銀の長髪を指でくるくると弄りながら。

 

「流石に何回も観ると飽きてしまうわね」

 

「……左様ですか」

 

「オッタル、貴方、呆れてる?」

 

 武人は沈黙のうちに、「恐れながら」と認めた。

 

「ここ数週間、何千回も観ていらっしゃいますので……」

 

 オッタルの指摘通りだった。

 フレイヤは()り付けられたように同じ動画を観続けていたのだ。

 食事や入浴など、生活を送るにあたって必要な行為こそ眷族達の説得によって辛うじて行っていたが、それがなければどうだったかと、団長である彼は思わずにはいられない。もし万が一、敵対派閥……【ロキ・ファミリア】にでも主の醜態が知られるようなら、その時は迷宮都市を舞台にして大抗争が起こるだろう。

 そんな危惧を彼が抱いていたとは露知らず、フレイヤは言った。

 

「貴方達も楽しめば良かったのに」

 

「……」

 

「冗談よ、冗談」

 

 口をへの字に曲げるオッタルに、フレイヤは笑い掛けた。

 最高級のソファーに腰掛けながら、女神は思う。

 ──彼女の今の関心事はただ一つ。

 少年、ベル・クラネルについてだ。時間が経てば経つ程に、彼の雄姿をもう一度見たいという想いが膨らんでいく。

 動画では、もう駄目だ。

 この渇きを潤すためには、足りない。

 

「かと言って、怪物祭(モンスターフィリア)の時のようにはいかないわよね。何か良い方法はないかしら……」

 

 女神は考えた。

 長い、長い時間考えた。

 武人は彼女の後ろに控え、ただそこに居た。

 

「──そうだ」

 

 呟きが、落とされた。

 妙案を思いついた美の女神は笑った。

 そして、オッタルに声をかける。

 

「オッタル」

 

「何でしょうか」

 

「頼みを聞いて貰えるかしら」

 

「畏まりました」

 

 即答だった。

 フレイヤは面白そうに尋ねる。

 

「あら、私は何も言ってないけれど。もしかしたら、貴方に無理難題を頼むかもしれないわよ?」

 

「構いません。自分は、その為に居るのですから」

 

「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるじゃない。ありがとうオッタル」

 

「……滅相もございません」

 

 女神の微笑みに、猪人(ボアズ)は短く答えた。

 フレイヤはそれを咎めない。己が愛している眷族が照れているのだとわかっているのだから。

 揶揄おうかと、そんな考えが一瞬浮かんだがやめておく。

 これから頼むのはかなり彼に言ったように、かなりの無理難題なのだ。それに応えようとしてくれる彼に意地悪をするのは誠意ではないだろう。

 

「私は何をすれば良いのでしょうか?」

 

 オッタルの質問に、フレイヤは答えた。

 

「あの子は『英雄』になりたいと頑張っている。【戦場の聖女(デア・セイント)】や彼のアドバイザーが過保護だからか、本人の実力に見合わない浅い階層でダンジョンに潜っているようだけれど、それもすぐに解禁されるでしょう。ようやくあの子にも、仲間が出来たようだし」

 

「……フレイヤ様?」

 

「ああ、最後まで聞いてちょうだいオッタル。あの子は『英雄』になりたいと頑張っている。なら、『英雄』に相応しい『武器』を、まずは与えましょう」

 

 まさか、とオッタルが息を呑む。

 本気かと思わず主に視線を送るが、それが冗談ではないことをオッタルは知っている。

 フレイヤはソファーから立ち上がると、部屋の片隅にある本棚に足を運んだ。

 

「これは、私の『試練』を『喜劇』に変えてみせたご褒美。そして同時に、新たな『試練』の始まりを告げるものでもある……」

 

 中段にある一冊の分厚い本に手を伸ばすと、そのまま取り出した。本の表紙を撫でながら、「それに」と熱い吐息を出す。

 

「私自身、興味がある。あの子の『可能性』が。幾千、幾万の『可能性』という選択肢の中から、あの子は何を摑み取るのかしら」

 

 それが気になって仕方がないのだと、女神は童女のように笑った。

 

「私が彼に渡しましょうか」

 

「あら、駄目よオッタル。あの子が驚いてしまうわ」

 

「……」

 

「ああ、ごめんなさい。傷付けるつもりはなかったの」

 

「…………いえ、お気になさらず」

 

 しょぼんと、誰の目から見ても分かるほどにオッタルは落ち込んだ。

 もしここに他の眷族──例えば、派閥幹部がいれば口をそろえて「キモイ」ということ間違いないだろう。まず間違いなく罵倒を飛ばすだろうなと、フレイヤは確信した。

 正直にいえば、可愛い眷族達にはもう少し仲良くして貰いたいのだが……気長に待っているとしよう。

 

「これは酒場に持っていくわ。あとは自然とあの子に渡るでしょう」

 

「……しかし、女神ヘスティアが気付かないでしょうか」

 

「ヘスティアも他の神と同様、『何か』には気づいてはいるでしょう。忘れがちだけれど、彼女の神性(しんせい)は高いのだから。()()()()()()。核心には至らない。しかし、貴方の言うことも一理あるわ。なら、街娘(シル)ではなくて、ほかの子に渡して貰いましょう。それならヘスティアもそれほど警戒はしないと思うわ」

 

 さらに彼女は言葉を続ける。

 自身に忠誠を誓っている、己の最強の眷族に言った。

 

「オッタル、頂天(ちょうてん)である貴方の目に、あの子がどう映ったのか、その報告を聞くのを楽しみにしているわ」

 

 都市最大派閥──【フレイヤ・ファミリア】。

 その団長にして、都市最強の冒険者。

 Lv.7【猛者(おうじゃ)】──オッタル。

 武人の猪人(ボアズ)は主神の神意に従うことを示すため、頭を垂れた。

 



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心の距離に、小さな少女は戸惑った





 

 時刻は、十六時三十分を少し過ぎた頃。

 ベルと、リリルカの暫定パーティは今日のダンジョン探索を終え、獲得した『魔石(ませき)』を換金する為にギルドを訪れていた。

 

「こちらが換金額となります」

 

「ありがとう、感謝する」

 

 今の時間、ギルドの利用率はそこまで高くはない。最高潮(ピーク)の時間帯はまだ後だ。利用するのは人込みを嫌う冒険者が大半だった。

 差し出された二つの巾着袋をベルは礼を言って受け取ると、すぐに窓口から離れた。そのまま、待たせている犬人(シアンスロープ)の少女に近付く。

 

「お待たせ、リリ」

 

「いえいえ、それ程待ってはいませんよ」

 

 リリルカはにっこりと笑った。

 二人はギルドの片隅にある簡易的な休憩所となっているエリアに移動すると、テーブルをはさみ、向かい合う形で椅子に腰掛けた。

 

「まずはダンジョン探索お疲れ様! リリのおかげで本当に楽だった! ありがとう!」

 

「いえいえ、リリはサポーターとして当然のことをしたまでですから」

 

「そうだとしてもだ! 君の仕事度合いが高いのは私でも分かったぞ!」

 

 べた褒めしてくる雇用主に、サポーターの少女は「あ、ありがとうございます」と言い、フードの奥で顔を若干赤らめた。

 

「色々と話すことはあるが……まずは、今日の報酬だな」

 

 きた、とリリルカは気取られないように身構えた。榛色の目を細め、値踏みするようにベルを見る。

 

「これだ!」 

 

 ベルは先程職員から受け取った二つの巾着袋をドン! と置いた。そうすると、中に入っている金貨がジャラジャラと音を立てた。

 

「今日の稼ぎは、なんとなんと、8500ヴァリスだ!」

 

 最高金額大幅更新! と、ベルが満面の笑みで喜んだ。リリルカは「おめでとうございます!」と口で言いつつも、まあ、それくらいだろなと思っていた。

 駆け出し冒険者のベル・クラネルとは違い、リリルカ・アーデはサポーターでこそあるが、長い年数ダンジョンに潜っている。それだけ潜っていれば、換金せずとも、おおよその価値は推し量れるようになるというものだ。

 

(本当ならもっと多く稼げた筈ですが……)

 

 話し合いの為に早期にダンジョン探索を切り上げたのもそうだが、何よりも、ベルの【ステイタス】に合った階層で潜っていれば『魔石』の質は向上し、その分、多く稼げただろう。

 惜しくはあるが、長い目で見れば良いだろう。

 そう思いながら、リリルカは置かれている二つの巾着袋に視線を送った。分かりづらいが、片方が大きく、もう片方が小さく膨らんでいる。

 

(大きいのが七割、小さいのが三割といったところでしょうか)

 

 三割ということは……今日の自分の稼ぎを脳内で算盤(そろばん)を弾いていると、ベルが笑いながら、

 

「はいこれ、今日の分け前!」

 

 と、リリルカに大きい方の巾着袋を渡した。

 それがさも当然のように、ごく自然と、少女の手の平に乗せる。

 ずしりと重たい感覚が、ゆっくりと身体に広がった。

 

「…………え?」

 

 文字通り固まるリリルカを、ベルは不思議そうに見た。

 数十秒かけて彼女は我を取り戻すと、恐る恐る尋ねた。

 

「べ、ベル様! これは何かの間違いではありませんか!?」

 

「……? 間違いなんてないが。あっ、もしかして少なかったか? でもこれ以上はちょっと……。知っているとは思うが、【ヘスティア・ファミリア】は貧乏だからなぁ──」

 

「そうではなくて!」

 

 思わずリリルカは叫んだ。

 このエリアを管轄しているギルド職員が視線を送ってくるのも気にせず、彼女は、憎たらしいほどに呆けているベルに言った。

 

「これ、逆ですよね!?」

 

 言いながら、受け取ってしまった巾着袋と、未だテーブルに置かれている巾着袋を交互に指さす。それを受けても、ベルは表情を変えることはなかった。

 

「いいや、これで合っている」

 

「で、ですが! これはあまりにも可笑しいですッ!」

 

「り、リリ、声がでかい。見てくれ、ギルド職員が恐ろしい形相でこちらを見ているから」

 

 リリルカが言葉に従って振り返ると、ベルの言った通りであった。

 目が合うと、獣人の男性がポキポキと骨を鳴らす。

「す、すみません……」と彼女は職員に何度も頭を下げる。誠意は伝わったようで、彼は嘆息してから自分の業務に戻った。

 

「ははは、これはもう次はないな! もしかしたら、出禁になるかも!」

 

 何が面白いのか呑気に笑う少年。

 そんな少年に、リリルカは小声で訴える。

 

「ベル様、もう一度言いますがこれは可笑しいです。これではベル様の取り分が少なくなってしまいます」

 

「それが何か問題でもあるのか?」

 

「大ありです! お試し日なのですから、三割……いえ、二割貰えれば充分です。七割は誰がどう見ても多過ぎます!」

 

「おおっ、まさか見ただけで割り振りがわかるとは! 流石だな!」

 

 おちょくっているのかと怒声を飛ばすのを、リリルカは堪えた。

 

「……兎に角、これを私は受け取れません。ベル様のと交換して下さい」

 

「それは出来ない」

 

「は、はあ!?」

 

 もう何が何だか訳が分からず、リリルカは混乱する。

 そんな彼女に、ベルはやはり笑って言った。

 

「私は君と今日ダンジョン探索をした。その評価が、これだ。だから遠慮なく受け取ってほしい」

 

 今度は、リリルカは呆然とした。

 自分よりもリリルカの方がダンジョン探索に貢献していたのだと、ベルは言外に言ったのだ。

 

「……リリはモンスターと一度も戦っていませんが」

 

「確かに君はモンスターと直接は戦っていない。だが、それが何だというのだろう」

 

「……リリにこれだけの価値があるとは思いませんが」

 

「いいや、私はそうは思わない。人を価値があるのか否かでは測りたくないが──リリ、君は強いよ」

 

 強い、言葉だった。

 リリルカは自然と、少年の瞳を見詰めていた。

 燃えるような、赤く、美しい深紅(ルベライト)の瞳がそこにはあった。

 

「そうだな、じゃあ、こうしようか」

 

 リリルカは目を逸らすことが出来なかった。

 黙って彼の言葉を、聞いていた。

 

「リリルカ・アーデ、私と正式に長期契約を結んでほしい」

 

「……え?」

 

「明日から私と一緒に、ダンジョン探索をして欲しいと言っている」

 

 それはサポーターが願ってもみなかった言葉だった。少なくともリリルカはその為に行動していた。

 冒険者側から言ってくることなど、とても珍しいことだ。もし仮にリリルカが断り、他のサポーターがベルのことを知ったら、同業者は我先にと自分を売り込みに行くだろう。

 本人は何も自覚していないが、それ程、ベル・クラネルという冒険者は()()()()なのだ。

 ()()()()()──。

 リリルカは長い沈黙の末、おむろに口を開く。

 それはあくまでも、サポーターとしてだった。事務的に、淡々と言う。

 

「……宜しいですか。長期契約は短期契約とは異なり、前払金を払って頂きます。他のサポーターがどうかは知りませんが……」

 

「承知した」

 

「……また同様に、期間内に契約を解除される場合は、違約金として前払金の二倍の額を払って頂きます」

 

「解除する気は全然ないから大丈夫だな!」

 

「……期間はどうされますか。最長で半年ですが」

 

「ならそれで!」

 

 その後、長い時間をかけてリリルカは説明する。

 ベルは笑顔でずっと聞いていた。

 

「……最後に報酬ですが──」

 

 ここで初めて、彼女の言葉を遮ってベルは言った。

 

「山分けとしよう!」

 

「…………それでは、そのような形でお願いします」

 

 そう言うと、リリルカはバックパックから一枚の羊皮紙を取り出した。

「これは?」と首をかしげるベルに彼女は言った。

 

「契約書です。内容に目を通し、納得して頂けるようならサインをお願いします」

 

「ふっ、私の達筆な字が披露される日が来ようとはな!」

 

 ドヤ顔でベルはサインした。

 リリルカはそれを確認すると厳重にファイルに仕舞った。そのまま、「それでは」と席を立った。

 

「私はここで失礼します」

 

「えー、もう少し話していかなーい?」

 

「……明日の準備がありますから。それではベル様、明日からお願いしますね」

 

 ダンジョン探索時よりも軽くなったバックパックを背負い、リリルカはベルに別れを告げた。

 

「また明日! リリ!」

 

 少年の無駄に大きな声が身体にぶつかる。だが彼女はそれに応えるはしなかった。ギルド職員の怒声が響いていたが、振り返ることはせず、ロビーを足早に渡った。

 地面だけを見詰め、足だけを動かす。

 

「……!」

 

 出口を通ったところで、人とぶつかった。よろめき、尻餅をつく。

 しまったと、リリルカは思う。もしぶつかった相手が()()()()()()なら面倒臭いことに……。

 

「申し訳ございません。怪我はありませんか?」

 

 幸いにして、ぶつかったのは女性のようだった。

 差し出された手を、躊躇してから摑み、ゆっくりと立ち上がる。そこでようやく、リリルカは相手の顔を見ることが出来た。

 美しい、精緻な人形のような少女がそこには居た。

 

(【戦場の聖女(デア・セイント)】……)

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオで最高位の治療師(ヒーラー)

 直接の面識はないが、彼女は都市を代表する治療師(ヒーラー)だ。知らない筈がない。

 そんな彼女と、目が合った。

 美しい紫水晶(アメジスト)の瞳に、思わず引き寄せられる。それは色こそ違ったが、別れたばかりの少年の瞳にどこか似ていた。

 

「貴女──」

 

 アミッドが何かを言い掛ける、その前に。

 リリルカは「ありがとうございます。ぶつかっていしまい申し訳ございませんでした」と言うと、彼女の返事を待たずして駆け出した。

 

(何で)

 

 闇雲に走りながら、なぜ駆け出したのかとリリルカは自問する。しかしいくら考えても、答えは得られなかった。

 

 



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和解

 

 大きな荷物を持った少女が駆けていく。

 アミッドは追いかけようかと逡巡(しゅんじゅん)したが、やめることにした。

 

(彼女の顔……気にはなりますが……)

 

 迷いを断ち切るように頭を振り、大神殿の中に入る。

 そして彼女はすぐに、妙な空気が流れていることに気が付いた。(いぶか)しみつつも、本来の目的──冒険者依頼(クエスト)の発注を果たすために窓口に足を運ぶ。

 

「全く君は! 何度言ったら分かるの!」

 

「お、落ち着けチュール! 一回深呼吸するんだ!」

 

「班長は黙ってて下さい!」

 

 アミッドは足をとめた。

 

「この声……何処(どこ)かで聞いたことがあるような……? 気の所為でしょうか?」

 

 治療師(ヒーラー)であるアミッドは、職業柄、多くの人と交流がある。そう思うということは友人ではないにしろ、知人であるということだろう。

 そう結論付け、気になった彼女は目的を後回しすることに決めて騒動の元に足を運んだ。

 彼女以外にも気になった冒険者や神々は居たようで、二重程の層が出来上がっていた。

 身長が低いアミッドでは、背伸びをしても見ることは出来そうになかった。仕方がないと、事情を話し通して貰おうとした時だった。

 

「君、怒られるのがこれで何回目かわかってる!?」

 

「ふっ、私の記憶通りなら十六回目だな! ドヤァ!」

 

「自信満々に言うことじゃありません! 君が問題を起こすたびに担当アドバイザーの私が始末書を書いているんだからね!? わかる!?」

 

「それは悪いことをした! そうだ、詫びと言ってはなんだが、今晩、ディナーに行かないか? 実は今晩は一人でな! よし、そうしよう!」

 

「は・な・しを聞きなさいッ!」

 

「ぐへえええええええええええええええっ!?」

 

 アミッドは察した。

 騒動の中心に居るのは自分の友人なのだと。

 最近──といっても、ついひと月前なのだが──友人となった少年のことを彼女は尊敬しているが、こういうところは真面目な性格の彼女とは相性が合わないようだった。

 そしてもう一人、アミッドと同じ性格の持ち主が居たようだった。

 

「もう堪忍袋(かんにんぶくろ)()が切れた!」

 

「……へ?」

 

「『……へ?』じゃありません! こっちに来なさい! 今日という今日は逃がさないからね! 班長すみません、面談用ボックス暫く使います! 人手が欲しくなったら教えてください!」

 

「あ、ああ……それは構わないが……」

 

「ありがとうございます! さあ、行くよ!」

 

「ぎゃあああああああああああああああああ!? 誰かお助けえええええええええええええええええ!?」

 

 少年の悲鳴が大きくギルドに響く。人垣を割って現れたのは、怒り心頭なハーフエルフのギルド職員と、首根っこを(つか)まれてずるずると引き()られている少年だった。

 主神が眷族の為に贈呈(プレゼント)したロングコートは、彼女の思いもよらないところで傷むこととなった。

 

(ベルさんに……確か、チュールさんでしたか)

 

 ああそうだと、アミッドは思い出す。先日のパーティーの時に挨拶だけは交わした女性だ。確か、友人(ベル)の担当アドバイザーだと言っていたか。

 野次馬の冒険者と男神(おがみ)達が「ヒュー!」と揃って口笛を吹き、冒険者相手でも物怖じしない偉大な受付嬢を称賛する。

 しかし、その当人の彼女はそれが耳に入っていないようだった。

 

(声を掛けるのは……やめておきましょう)

 

 そう判断した彼女は何も見なかったことに決めると、本来の目的を果たす為に受付窓口に向かうのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 ギルドにはそれなりの数の面談用ボックスがある。この部屋は防音となっており、外では出来ない内密な話をすることが可能だ。

 そして、その最奥の部屋。そこでは現在。

 

「全く君は! どうして問題事を毎回起こすのかな!?」

 

「すみません、許して下さい。すみません……」

 

「謝って済むようなら、【ガネーシャ・ファミリア】はいないよ!」

 

「はい、仰る通りです。本当にすみません……」

 

 ()が起こっていた。

 エイナによって強制連行されたベルは、彼女から有難いお話──もとい、説教を受けていた。ちなみに、本来の用途よりもこちらの方が使用度は高かったりする。冒険者登録をしてからまだ半年も経っていないのにも関わらずだ。

 柳眉(りゅうび)を逆立て激昂する、妙齢の美しい女性。マゾヒストがもしこの光景を見れば、その者は嬉々としてこの場に加わるだろう。

 しかしベルは至ってノーマルだった。往生際が悪い彼は最初こそ何とかやり過ごそうと頭を回したが、それを見抜けないエイナではない。易々と看破すると、「そこに座りなさい!」と強く一喝。

 ここでようやく、ベルは逃れられないと観念した。壊れた魔道具(マジックアイテム)のように「すみませんすみませんすみませんすみません」と言葉を繰り返す。

 

「──ベル君ももう十四歳なんだから、そろそろ落ち着きを身に付けなさい! 分かった!?」

 

 出来が悪い弟を叱る姉のようにエイナがベルを睨むと、その出来が悪い弟はこくこくと頷いた。顔はすっかりと青褪めている少年がそこには居た。

 これは本格的に反省したのだと解釈したエイナは「ふぅ」と息を吐き、纏っていた剣呑(けんのん)な雰囲気を消滅させた。そこに居るのは、多くの冒険者を(とりこ)にしてやまない優しいエルフの女性。間違っても修羅ではない。

 ホッと安堵するベルに苦笑いしながら、彼女は「ちょっと待ってね」と一言断ると、ソファーから立ち上がると、扉を開けて顔だけ出した。

 

(まだ大丈夫かな……?)

 

 ロビーから聞こえる喧騒がまだ最高潮(ピーク)のそれではないと判断したギルド職員は、扉を閉めると再びベルの対面に腰掛けた。

 

「最近はどう? 無茶してない?」

 

 翡翠色(エメラルド)の瞳に、別の色が灯った。

 心配してくるエイナを安心させる為、ベルは殊更に明るい笑みを浮かべて言った。

 

「大丈夫、無理も無茶もしていない。エイナ嬢の『冒険者は冒険をしてはならない』という教えを忠実に守っている。最後に会ってから今日に至るまで、ずっと6階層で潜っていた」

 

 それは良かったと、エイナは心から返した。

 彼女の気持ちを嬉しく思いつつ、ベルは「いくつか相談したいことがある」と話を切り出す。担当アドバイザーは勿論と頷くと、彼の言葉を待った。

 

「まずだが、そろそろ次の階層に行きたい。7階層より下にだ」

 

「……そうだね。ベル君の【ステイタス】を考慮すれば、許可しない訳にはいかない、か。だけど、くれぐれも気を付けて。7階層からは『キラーアント』が出現してくるから」

 

『キラーアント』は『ウォーシャドウ』と並ぶ、『初心者殺し』として数多の駆け出し冒険者を屠ってきたモンスターだ。その脅威度は高い。駆け出しを抜けた冒険者であっても殺される事例(ケース)は年間多く挙げられている。

 しかしながら、異常な成長速度を誇るベル・クラネルなら話は少々変わってくる。とはいえ、彼が赴くのは異常事態(イレギュラー)に満ち溢れているダンジョンだ。そこに絶対はなく、慢心や油断は決して許されない。もし愚か者がいるようならば、ダンジョンは遠慮なく牙を剥くだろう。

 ベルはアドバイザーの忠告を改めて胸に刻み込み、しっかりと頷く。

 

「それで、もう一つ相談……いや、報告があるんだが」

 

「……? そうなの? 私てっきり、今ので終わりだと思っちゃった」

 

「寧ろ、今から話す方が大事だな」

 

 早とちりしてしまったことを詫びつつ──羞恥心も覚えながら──、エイナは咳ばらいを打った。「それで?」とベルに尋ねる。

 

「実は今日、とあるサポーターの少女と長期契約を結んだ」

 

 ああなるほど、とエイナは納得する。ベルの言った通り、確かにこちらの方が重要だろう。

 少年の担当アドバイザーは眼鏡を掛け直すと、さらに尋ねた。

 

「【ヘスティア・ファミリア】はベル君しか構成員は居ない。つまり、君が契約した相手は無所属(フリー)か、違う派閥の人ってことになるよね。どっち?」

 

「後者だ。派閥は【ソーマ・ファミリア】。名前はリリルカ・アーデ」

 

「リリルカ・アーデ……聞いたことがない名前だね。けどそれ以上に、【ソーマ・ファミリア】か……」

 

 微妙な顔をするエイナに、ベルは気になって尋ねた。 

 

「何か問題でもあるのか? 彼女からは抗争には発展しないと断言されているが……」

 

「……ちょっと待っててね」

 

 エイナはベルに一言言うと、一回、面談用ボックスから出た。廊下を渡り、そのまま事務室に向かう。同僚達に一声掛けながら大型のファイルを手に取ると、そのまま部屋に戻った。

 

「エイナ嬢、それは?」

 

「簡単に言うと、【ファミリア】図鑑かな。都市に本拠(ホーム)が置いてある【ファミリア】の情報がここには載っているの。これには二種類あって、一つが、誰でも閲覧可能なもの。もう一つが、私達ギルド関係者しか閲覧できないもの。私が持ってきたものは前者」

 

「【ヘスティア・ファミリア】はどうなっているんだ?」

 

「殆どの情報が非公開となっているかな。これはベル君、君の情報もだけどね」

 

 ほら、とエイナは【ヘスティア・ファミリア】の頁を開くとベルに見せた。彼女の言う通り、ブラックボックスと化しているのを、ベルは確認した。

 

「話がちょっと脱線しちゃったけど、これが【ソーマ・ファミリア】の情報だね」

 

 テーブルの上に乗せると、エイナは読み上げていった。

 

「【ソーマ・ファミリア】は、君の【ヘスティア・ファミリア】と同様に探索(ダンジョン)系【ファミリア】。けど、他の【ファミリア】と違うのは商業系【ファミリア】としての側面も持っているということだね」

 

「複数系統の【ファミリア】……。そんなことが許されているのか」

 

「うん、それはもちろん。探索(ダンジョン)系、商業系、なんて(くく)りは大雑把なものだから。それに……冒険者はいつ何が起こるか分からないでしょう? 第二の人生(セカンドライフ)を見越して、冒険者活動と並行して堅気の職業に従事している人も一定人数はいるかな」

 

「なるほどなあ、私も歳をとったら主神(ヘスティア)と一緒に店でも経営してみようかな……」

 

「まだ十四歳なんだから、老後のことは考えない!」

 

 それもそうだな、とベルは笑って頷く。

 

「それで、商業というのは何を行っているんだ?」

 

「お酒の販売」

 

 思いもしなかった回答に、ベルは面食らってしまう。エイナは「気持ちは分かるよ」と相槌を打ちながら、補足説明する。

 

「品種や市場に回す量自体は少ないけど、味は『絶品』って評判みたい。需要はかなり高くて、でも供給が少ないから普通のお酒よりは高いみたいだね」

 

 以前、同僚から勧められた記憶を思い出しながら、エイナはそう言った。さらに彼女は説明を続ける。

 

「【ファミリア】の単純な(くらい)としては、中の中。飛びぬけた実力者──第一級や第二級冒険者──はいないけど、ここの団員は皆平均以上の実力を持っている。あとは……うわっ、構成員の数がとても多いね」

 

「神ソーマはそれだけの神格者(じんかくしゃ)だということか」

 

 一般的に【ファミリア】の団員が多ければ多いほど、その【ファミリア】の主神は敬わられているとされる。

 しかしながら、エイナは「うぅーん」と首を捻った。

 

「それはどうかなあ。あの男神(おがみ)は良い噂も悪い噂も皆無だから。他の神様達との交流もないと聞いているしね」

 

「交流がない……? リリルカもそう言っていたが……何か理由でもあるのか?」

 

「それは私もわからない。『未知』──『娯楽』を求めて神々は『天界』から『下界』に降臨したけれど、神ソーマにとっては、この下界に何も感じなかったのかもしれない。だから、本拠(ホーム)にずっといるのかもね。あの神が外に出ただけでちょっとした騒動になるくらいだから」

 

 そう思うとちょっと悲しくなるけど、と言って、エイナはファイルを静かに閉じた。

【ソーマ・ファミリア】の概要を伝えた彼女は「これらの話を踏まえて、私の意見を言わせて貰うと」と前置きしてから、自身の考えを口にした。

 

「担当アドバイザーとしては、そのリリルカ・アーデ氏に問題がないようなら大丈夫だと思う。まあそうは言っても、君は既に長期契約を結んでいるから、詮無き事だけどね」

 

「ははは、それはすまない」

 

「だけど、くれぐれも気を付けて。ベル君、【ヘスティア・ファミリア】は他の【ファミリア】とは違う。もしかしたらそのサポーターは君がベル・クラネルだと知った上で近付いてきたのかもしれない。いくらギルド(わたしたち)が特例措置を取っていても、これには限度がある。彼女の前では迂闊に【ファミリア】の情報を喋らないように」

 

「承知した。注意しよう」

 

 話は終わった。

 二人は面談用ボックスから出ると、並んで長い廊下を渡る。ロビーからは喧騒が聞こえエイナは頑張って対応するぞと、内心で己を奮い立たせた。

 廊下が終わり、別れるというところで、エイナはふと足を止めた。つられて止まるベルに気になった質問をする。

 

「ねえ、何でベル君は短期じゃなくて長期にしたの?」

 

 通常なら短期から長期に移行するものだが、ベルはその逆をしている。

 何か理由があるのなら聞かせてほしいと尋ねる彼女に、ベルは笑って、

 

「秘密!」

 

 と返した。そのまま彼は「じゃあ、エイナ嬢、私はここで!」と言うと、彼女の返事を待たずして走り出す。エイナは呆れて「さっき叱ったばかりなのに」と溜息を吐くと去っていく背中を見送った。

 

 

 

§

 

 

 

 エイナに別れを告げたベルはギルド本部を後にすると西のメインストリートに足を運んだ。目的地は行きつけの酒場、『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』。

 空腹を覚え、腹部をさすりながら表通りをすすんでいく。辺り一帯で一番大きな建造物を発見した彼はもう我慢ならないと駆け出した。

 

「いらっしゃませー……って、白髪頭じゃないかニャ!」

 

 猫人(キャットピープル)のウェイトレス、アーニャが「久しぶりニャー!」とベルを歓迎する。明るく元気がある彼女とベルの相性は良く、かなり仲が良くなっていた。ちなみに『白髪頭』というのはベルの渾名(あだな)である。

 

「今日はお一人かニャ?」

 

「ああそうだ。ヘスティアはバイト仲間と夕餉を共にするらしくてな」

 

「にゃニャ、一人でのご飯は寂しいもんニャ! ちょっと待ってニャ! 空席があるか確認するニャ! それまでそこの椅子に座っててニャ!」

 

 そう言って、ウェイトレスは店内に入った。ベルは彼女を待ちながらも、空腹で可笑しくなりそうだった。酒場から漂う料理の匂いで必死に誤魔化す。

 待機椅子に座り、目の前を往来する人々をぼんやりと眺めていると、ベルは隣に人の気配を感じた。

 

「お待たせニャ! ささっ、お客様どうぞこちらへニャ!」

 

 グイグイと背中を押してくる彼女に苦笑いしながら、ベルは入店する。アーニャによってベルの来店は伝えられていたようで、ウェイトレス達は顔を綻ばせて歓迎した。

 

「いらっしゃいませ、ベルさん!」

 

 両手に料理を持ったシルが、客に持っていく途中でベルに声を掛けた。

 

「ごめんなさい、今、お店忙しいので挨拶はまた後で! アーニャ、ベルさんに失礼のないようにね?」

 

「心外ニャ! ミャーが何年ここで働いていると思っているんだニャ!?」

 

 アーニャの訴えは聞き届けられなかった。

 フシャー! と彼女が憤りを感じていると、キッチンから、

 

「早く席に案内しな!」

 

 という、女将(おかみ)の声が飛んでくる。命令にアーニャは身体をびくんと震わせると、引き攣った笑みでベルを案内した。

 通されたのは、カウンター席の隅だった。

 

「ごめんニャ、ここしか空いていなかったニャ」

 

「気にすることはないさ。店が繁盛していて何よりだ」

 

「当然ニャ! ミア母ちゃんの飯は世界一ニャンだから!」

 

 ふふん、と胸を張りながら母親を自慢する娘。彼女の言葉を証明するように店内は満席だった。一般市民や冒険者がここまで混ざる酒場というのは珍しく、広い迷宮都市(オラリオ)でも数少ない。

 彼女はお冷と注文(オーダー)票をベルに手渡すと「ごゆっくりどうぞニャ!」と言って他の客の対応に回った。

 

「さて、今日は何にするか……」

 

 独り言を呟きながら注文(オーダー)票を開くと、酒場にしては()()()()()()が目に入る。文句でも言おうものなら女将に殺される為言わないが。悩んだ末、ベルはナポリタンスパゲティーに決めた。

 

「すいませーん! 注文(オーダー)決まりましたー!」

 

 声を出して挙手を──手を挙げる必要はない──すると、手が空いているウエイトレスがすぐに客に駆け寄ってきた。

 

「……注文(オーダー)を伺いに参りました」

 

 ベルの席にやって来たのは、美しい妖精(エルフ)だった。表情は他のウエイトレスと比べると固いが、本人の真面目さがその佇まいから伝わってくる。

『豊穣の女主人』の殆どの従業員とそれなりの仲になれたと思っているが、彼女──リュー・リオンとはまだ全然であった。

 

(しかしやはり、エルフが酒場に居るのは珍しいな……)

 

 内心で、呟きを落とす。

 エルフという種族は自分が認めた者以外との交流を嫌う。肌の接触など言語道断で、彼等彼女等に殺されても「ああ、仕方ないな」となってしまうのだ。だからこそ、ベルが先日起こしてしまった『事件』で、アリシア・フォレストライトに殺されなかったのは非常に幸運だったと言える。

 そんなエルフが酒場で働くというのはとても珍しいことである。『豊穣の女主人』の従業員は全員容姿が整っているが、それでも、エルフの彼女には敵わない。

 

「……注文(オーダー)は」

 

 そんな風に考えていると、リューが愛想の欠片もない仏頂面で尋ねた。

 ベルが慌てて注文(オーダー)を伝えると、

 

「……畏まりました。ナポリタンスパゲティーですね。他にご注文はありますか?」

 

「ならば、貴女のスマイルを一つ──あっ、すみませんすみません冗談です。林檎汁(リンゴジュース)一つお願いします」

 

 身の危険を感じたベルは慌てて言い直した。リューはやはり仏頂面で「少々お持ちください」と言って女将に伝えに行く。

 ふう、と安堵の溜息を吐いた彼はボディバッグから一冊の本を取り出した。余暇時間の読書用として持ち歩いているのだ。

 

「ごめんなさいね、ベルさん」

 

 読書をしている彼にシルが近付く。

 

「謝られるようなことがあったか?」

 

 不思議そうに首を傾げるベルに、彼女は苦笑い気味に答えた。

 

「リューのことです。彼女、人付き合いがあまり得意ではなくて……」

 

 言いながら、黙々と業務しているエルフのウエイトレスに視線を送る。

 接客業としては、客へのある程度の『サービス』は求められる。その最たる例が『笑顔』だろう。

 不機嫌そうに嫌々と応対されるよりは、笑顔で──たとえ営業のものでも──応対された方が良いだろう。それが美人なら尚更だ。

 

「誤解されてしまうんですけど、リューはとても優しいんです。だから、その……」

 

「みなまで言わなくても、分かっているさ。彼女はシルが言うように優しい。こうして見ればすぐに分かる」

 

「えっ?」

 

「例えば──ほら、料理を運ぶとき。他のウエイトレスとぶつからないように細心の注意を払っている。それだけじゃない。料理をテーブルに置くときも床に落ちないようにしているし、他にも様々なことに気を遣っている。彼女はとても素晴らしいエルフだ」

 

 シルはポカンとベルの言葉を聞いていた。そして感極まったように彼の手を取る。

 

「流石ベルさんです! 私、信じていました!」

 

「はっはっはっはっはっ、そうだろうそうだろう!」

 

 おだてられた彼は一頻り笑うと、「しかし」と。

 苦笑いしながら言った。

 

「私は多分、彼女から嫌われているのだろうな。そう感じる」

 

「ええっ!? そ、そんなこと……」

 

 ないですよ、とシルは言えなかった。思い当たる節が幾つかあるらしく、気まずそうに沈黙する。

 

「すみませーん、こっち、良いですかー!?」

 

「あっ、はーい! すぐに伺いまーす! ごめんなさい、ベルさん。私もう行かないと……」

 

 これ幸いとシルは「また後で来ますね」という言葉を残して離れていった。ベルは苦笑すると、料理が来るまでの間、読書に興じた。

 

 

 

§

 

 

 

「ミア母さん、注文(オーダー)です。ステーキを一つお願いします」

 

「あいよ!」

 

 ドワーフの女将に注文(オーダー)を伝えたエルフのウエイトレス──リュー・リオンは次の業務に移ろうと、彼女に背を向ける。しかし、背中に声が掛かった。

 

「待ちな」

 

 女将のミアだ。そして彼女が従業員を呼び止めるときは、その者が叱られることを意味する。

 これまでに何度もリューは()()なドワーフに折檻を受けてきた。脊髄反射で逃げたくなるが、もしそうしようものならば、あとがとても恐ろしい。

 それに、と彼女は思う。

 

(怒られるようなことはしていない筈ですが……)

 

 しかしそれはあくまでもリューの主観でしかない。雇用主から見れば、何か至らない点があったのかもしれない。

 そう思いながら振り返ると、彼女は調理しながら言った。

 

「お前、いつまであの坊主を認めないつもりだい」

 

 その言葉は、リューに深く刺さった。

 何も言えないでいると、母親は「全く……」と深々と溜息を吐く。

 

「まあ、エルフのお前とあの坊主は相性が合わないのかもしれないがねえ……」

 

「……それは」

 

「口答えするんじゃないよ。結果として坊主とまともに話せていないじゃないか」

 

 鋭い指摘に、娘は口を噤んでしまう。

 ミアはフライパンから目を外すことなく、さらに言葉を続けた。

 

「あたし達は接客業だ。全ての客が、あたし達にとって『良い客』じゃない。それはお前も分かっているだろう」

 

「……ええ、それは分かっています」

 

「そりゃあ、そうだ。お前も此処で働いて長いからね。まあ、お前に限らずそうだが……」

 

『豊穣の女主人』で働いている従業員は全員『訳あり』だ。過去に『何か』があった者をミアが『娘』として迎え入れている。

 そしてその例に漏れず、リュー・リオンも彼女──より正確にはシル・フローヴァに拾われた身だ。その恩義を彼女は決して忘れていない。

 

「あの坊主は『良い客』だよ。金こそあまり落とさないが、頼んだ料理は必ず美味そうに食べているし、何より、あの歳で『作法』を身に付けている」

 

「『作法』ですか……?」

 

「ああ、そうだよ。酒場での礼儀をあの生意気な餓鬼は知っている。親の教えが良かったのか知らないがね」

 

 フン、とミアは面白くなさそうに言った。

 

「まあ、それはどうでも良いことだ。問題はリュー、お前にある。それは分かっているね?」

 

「……」

 

「あんたが本当に無理だと感じているなら、態々こんなこと言わないよ。時間の無駄だし、頑固なあんたに言っても聞きやしないんだから」

 

 うぐっと、リューは言葉に詰まった。反論出来なかったからだ。ミアはさらに畳み掛ける。

 

「さっきはああ言ったが、お前はもう、あの坊主を認めている。だが、難儀な性格が邪魔をして認められない。おおかたそんなところだろうさ」

 

 図星だった。

 ──リュー・リオンはベル・クラネルを既に認めている。

 少なくとも尊敬に値するヒューマンだとは思っている。

 契機は──怪物祭(モンスターフィリア)の時に起こった『モンスター脱走事件』。何者かによってモンスターが地上に脱走、都市東部は恐慌状態(パニック)に陥った。そして、その中にはベルと親友(シル)がいた。執拗に追いかけてくるモンスターから、ベルは少女を守り切ってみせた。駆け出し冒険者が相手するには荷が重すぎる銀の野猿と対峙し、見事、討伐した。

 リューを除く『豊穣の女主人』従業員全員がベルに対して好意的なのは、その一件があったからだ。『家族』を守った恩人なのだから、そうなるのは当然の帰結だろう。

 リューも、ベルにはとても感謝している……しているのだが、切っ掛けを(つか)めずにいる。

 人付き合いがあまり得意ではないリュー自身の性格と、エルフの()()()()()が合わさって、これまでの非礼と、何よりも、感謝を伝えられずにいる。本当は先日のパーティーの時にするつもりだったのだが、声を掛けることさえ出来なかった。

 

「……ミア母さん、私はどうすれば……」

 

「知らないよ、自分で考えな」

 

 それだけ言うと、ミアは会話を終わらせてしまう。

 にべもない返事に、リューは身勝手だとわかっていても憤りを感じてしまう。ドワーフらしい、根拠も何もない雑な回答だ。

 だが──ミアの言う通りだろう。ここからは自分で考えなければならない。

 自分なりの『答え』を出すまで、裏方から出ることは許されない。皿洗いをしながら、リューは打開策を考える。

 だが、しかし。

 いくら考えても、妙案は思いつかなかった。情けないと思うと同時に、焦りも芽生えてくる。

 

「はあ」

 

 大きな溜息。俯いていた顔を上げ、出所に恐る恐る顔を向ける。

 ミアは再度「はあ」と溜息を吐くと、ドワーフにしては大柄な身体をズンズンとリューに近付けた。無意識のうちに後ずさるリューだったが、壁に背中がぶつかってしまい、退路が断たれてしまう。

 ミアは「ほら」と言うと、料理を乗せたトレーを強引に持たせる。それは、ベルが注文(オーダー)したナポリタンスパゲティーだった。

 

「時間切れだよ。さっさと行きな」

 

 これ以上リューに時間を与えていては人手が足りなくなるという判断だった。

 それは彼女も分かっている。自分一人空いた穴を同僚達が必死に埋めてくれていることは分かっている。だが、この状態で戻るのはかえって迷惑を掛けることになるのではないかと思わずにはいられない。

 

「み、ミア母さん……」

 

「早く行きな! 坊主が腹を空かせて待ってるよ!」

 

「は、はい!」

 

『豊穣の女主人』で、ミアの命令は絶対だ。逆らおうものなら、たとえ神であろうとも拳骨が頭に振り落とされる。

 それは嫌だと、考えるよりも先に身体が勝手に動き、そして気付けばリューは料理片手に動いていた。

 

「頑張って、リュー」

 

 すれ違った親友から、小声で励まされる。

 その言葉を強く胸に抱き、リューは奮起する。

 リュー・リオンは『冒険』に臨んだ。

 ──対象は読書中であった。酒場という騒音の中、彼は黙々と本を読んでいる。普段の賑やかさ、騒がしさはすっかりとなくなっており、リューは早速の異常事態(イレギュラー)に面食らった。とても話しかけづらいが、やるしかない。意を決し、声を掛ける。

 

「……お客様、読書中申し訳ございません」

 

「……? ……おおっ、来たか!」

 

「……大変お待たせ致しました。こちらナポリタンスパゲティーとなります」

 

「ありがとう! うはぁー! 美味しそう!」

 

 会話は僅か数秒で終わった。その事実にリューはショックを受ける。

 

(……分かってはいたことですが、私にこの仕事は合っていない……!)

 

 自分が情けなくなっていると、「あー……」と、声が出される。

 困ったように少年は笑っていた。

 

「私に何か用か?」

 

 それは彼からすれば当然の疑問であった。

 料理を届けたのにも関わらず(ベル)から離れようとしない従業員(リュー)がいるのだ。気にならない筈がない。

 ──これが最後の機会(チャンス)だ! 

 ここを逃せば、自分は、自分が忌み嫌ってやまない『エルフ』になってしまうとリューは思った。

 何より、対象に気を遣われているのだ。ここで「何でもありません」と言おうものなら彼の尊厳を傷つけることになるし、親友(シル)も失望の眼差しを向けてくるだろう。

 すぅー、はぁーと深呼吸する。その間ベルは黙ってリューを待っていた。

 

「ベル・クラネル。これまでの数々の非礼をお詫び申し上げます」

 

 その言葉は酒場の喧騒を()いた。

 頭を深く下げるウエイトレスに、多くの客が何事かと奇異な視線を送る。

 だが、リューにとってそれらは全てどうでも良かった。

 ベルがどのように反応するのかが、彼女にとっては全てだった。

 何を今更かと怒るのか、あるいは、怒りを通り越して呆れているのか。

 ただ、その時をじっと待つ。そして、その時は来た。

 

「貴女が言っている『非礼』が何か私には皆目見当がつかないが、そうだな、受け取ろうと思う」

 

「……ありがとうございます。そして、改めて言わせて欲しい。シルを──私の親友を守ってくれてありがとう」

 

「礼を言われるようなことではないが、これもまた、受け取ろうと思う。だからどうか、顔を上げて欲しい」

 

 リューは言われるがままに顔を上げた。

 目が合うと、ベルは笑いながら。

 

「知っているとは思うが、名乗らせて欲しい。私の真名()はベル・クラネル。どうか、貴女の真名(なまえ)を教えて欲しい」

 

「……リュー。私の真名()はリュー・リオンです」

 

 それはもうとても嬉しそうに顔を綻ばせ。

 自分の右手を挙げながら、ベルはさらにいった。

 

「今はまだ無理かもしれない。だが、いずれリュー、貴方と触れ合ってみたいものだ」

 

 リューは彼から、邪な思いを何も感じなかった。

 だから彼女は気付けば「そうですね」と言っていた。

 



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魔導書(グリモア)

 

 夜が()けていく。

 ベルが『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』に来店してから数時間が経っていた。

 この二時間、ベルは最初に注文したナポリタンスパゲティーだけでは許さないと女将から直接言われ、軽食を幾つか頼んでいた。一般市民の客は明日に備え既に退店しており、今を全力で生きている冒険者が酒場で騒いでいる。深夜に差し迫ろうとしているこの時間、新規の客が訪れることはあまりなく、入り浸っている冒険者達が頼むものといえば軽食に酒類だ。

 最高潮(ピーク)が過ぎればウエイトレス達にも余裕が生まれる。休憩を女将から言い渡された彼女達が続々とホールから姿を消す中、二人のウエイトレスが残っていた。

 

「それでそれで! ベルさん、それからどうなったんですか!?」

 

「シル! クラネルさんに近いです! 離れて下さい!」

 

 店内の隅の方にあるカウンター席。そこでは街娘(シル)が鈍色の瞳を輝かせ、話の続きを冒険者(ベル)に迫っては、それを妖精(リュー)が懸命にとどめるという光景があった。

 親友から引き剥がされたシルは顔をほんのりと赤く染めると、小さな声で「ご、ごめんなさい……」とベルに謝罪した。

 ベルは笑顔でひらひらと軽く手を振ると。

 

「気にしないでくれ。寧ろありがとうございますいっそのこともっと近付いてくれて構わない──すみませんリューさん冗談です。だからそのフォークの先をこっちに向けてこないで下さい!?」

 

「リュー!?」

 

 うわあ!? 悲鳴を上げるベルとシル。

 リューはゆっくりと手を(おろ)すと、至って真面目な表情で忠告した。

 

「クラネルさん、ふざけた言動はやめて頂きたい。私も手荒な真似はしたくありません。ですが、くれぐれもご注意を。()()()()()()()()()()()()()

 

 コクコクと、壊れた魔道具(マジックアイテム)のようにベルは何度も首を縦に振った。

 冷や汗を大量に流しながら、目の前の妖精に冗談は通じないのだと己の胸に刻んだ。

 賑やかな雰囲気から一転、一瞬で殺伐とした空気が流れる。それを断ち切ろうと、

 

「そ、それで!」

 

 と、シルが声を出した。

 ベルとリューの介入を許さず、彼女は続けて言う。

 

「明日からベルさんはもっと下の階層に行かれるんですよね?」

 

 これ幸いと、ベルは「そうなんだ!」と流れに乗った。

 

「ついに私にも仲間が出来たことだからな。明日からの探索が楽しみでしょうがない」

 

「それは良いことだ。単独(ソロ)での迷宮探索(ダンジョンたんさく)には限界がありますから。ちなみに、何階層に行かれる予定ですか?」

 

「明日は7階層に行こうと思う」

 

 ほう、とリューは感嘆の溜息を吐き「それは凄いことだ」とベルを素直に称賛した。

 

「既に担当アドバイザーから言われているとは思いますが、ダンジョンは7階層から本性を現します。サポーターと契約を結んだそうですが……前線で戦うのはクラネルさん、貴方だけだ。キラーアントと戦闘になったら瞬殺……は難しいでしょうが、出来るだけ早く仕留めなさい。囲まれたら脱出は難しくなるでしょう」

 

「ありがとう、そうする。しかし、実感がとても込められているが……リューは実際に戦ったことがあるのか?」

 

 それは当然の疑問だった。

 理にかなった助言は、経験者でなければ出来ない。

 

「えっとベルさん、それはですね……」

 

『豊穣の女主人』の従業員の殆どは『訳あり』だ。彼女の過去を知っているシルが口を開きフォローに回ろうとするが、しかし、他ならないリューが彼女を制止した。

 心配してくれる親友に「ありがとう、シル」と、彼女は薄く微笑むと、ベルに向き合った。

 

「クラネルさんがこれからも冒険者として活動していくなら、いずれ、私の事を知る機会があるでしょう。ならその前に、私自身の口から伝えたい」

 

「とはいえ流石に全てを話す訳にもいきませんが」と言うと、彼女は懐かしむように目を細めた。

 

「貴方の推測通りです。今でこそ違いますが……私は嘗て冒険者でした。そこそこ腕が立つ冒険者であったという自負もあります」

 

「そうなのか……」

 

「私が忠言出来たのはその経験があったからです」

 

「教えてくれてありがとう。先輩からの貴重なアドバイスだ、必ず役に立ててみせよう」

 

 そう意気込む駆け出し冒険者を、先達は眩しそうに眺めた。

 

「シルー、休憩終わりだって!」

 

 ヒューマンのルノアが近付いてきて、シルに声を掛けた。

 

「えっ、もう!?」

 

「いやいや、充分に時間経ってるから。時計見なよ」

 

 呆れたようにルノアは笑った。

 

「行きましょう、シル」

 

 リューがそう言いながら椅子から立ち上がると、ルノアは「ちょっと待って」と言った。メモの切れ端を彼女に手渡しながら告げる。

 

「リューは三十分後に入れだってさ」

 

「ええっ!? リューだけ何で!?」

 

「他の子との休憩の調整の為だってさ! だからほら、行くよシル。気持ちは分かるけど、ミア母さんに怒られたくないでしょ」

 

 その脅し文句はシルに効いたようだった。

 はぁーい、と渋々ながらも返事をすると、彼女はベルに挨拶した。

 

「それじゃあベルさん、私はここで失礼しますね。ゆっくりとしていって下さい。あとできればご飯も沢山注文していって下さいね」

 

 丁寧にお辞儀をすると、シルはルノアと共にカウンター席から離れていった。

 ベルとリューは二人を見送ると、顔を見合わせる。無言で視線を交わし、彼等は会話を続行することに決めた。

 

「ダンジョンについて、まだまだ聞きたいことがある。良ければ教えて欲しい」

 

「良いでしょう。先達として、私が教えられる範囲なら教えます」

 

 ダンジョンは『未知』の塊だ。そして『未知』とは即ち、異常事態(イレギュラー)である。

【ヘスティア・ファミリア】は新興したての零細派閥であり、ベル・クラネルしか眷属は居ない。

 普通の【ファミリア】なら新参者は先輩から指導を受けるが、【ヘスティア・ファミリア】ではそれが出来ない。

 これまでは担当アドバイザーからでしかダンジョンに関する情報を入手出来なかったが為に歯痒い思いをしていたベルだったが、今、それが出来ようとしていた。

 

「それじゃあ、まずだが──」

 

 メモ帳を取り出し──英雄日誌ではない別の物──ベルは先輩冒険者に様々なことを質問していった。特に彼が聞いたのは、モンスターの対処法。モンスターと実際に戦闘経験があるリューの言葉は、ギルド職員とは違った説得力があった。

 

「──ありがとう、とても参考になった!」

 

 あらかた教えてもらいたいことを聞いたベルが、リューに笑顔を見せる。頭を深く下げる少年に、彼女は薄く微笑みながら「頭を上げて下さい」と声を掛けた。

 

「今思えば、私に後輩は居ませんでした。【ファミリア】で末っ子だった私は、誰かの相談に乗るということがあまりなかった。少しでも役になれたのなら良かったです」

 

 それに、と彼女は言葉を続ける。

 

「扱う武器種が同じなのも助かりました。恥ずかしながら、他の武器種の心得はあまりないので。しかしクラネルさん。貴方の体格、それに戦闘様式(スタイル)を考慮すれば片手直剣(ワンハンド・ロングソード)ではなく短剣(たんけん)やナイフの方が適しているのではないですか?」

 

「ははは、よく言われるよ」

 

「何か、理由でも?」

 

 リューがそう問うと、ベルは「うぅーん」と悩まし気な声を出した。おもむろに彼は口を開けて独白する。

 

「理由という理由は特にないのだが……。ナイフを武器屋で試し振りした時、しっくりとこなかったんだ。他の武器種……大剣に戦斧(せんぷ)長槍(ジャベリン)──ああ、特に弓は全然駄目だったな。的に全く当たらなかった。どうやら私には、遠隔武器の才能は皆無らしい」

 

 いやはや恥ずかしいな、とベルはポリポリと片頬を掻く。

 しかしリューは笑うことなく、寧ろ「なるほど」と()に落ちたようだった。

 

「人には向き不向き、それぞれ適性があります。違和感を抱きながら無理して使うよりは、自分が使いやすい武器で戦いに臨む方が良いでしょう」

 

「そう言って貰えると嬉しい。やはり、貴女は優しいな」

 

「……他に何か聞きたいことはありますか」

 

「そうだなあ……あっ、もう一つだけ! これは妖精(エルフ)のリューにしか聞けないことだと思うのだが……」

 

 自分にしか聞けないこと? そう疑問に思いながらも、リューは「言ってみて下さい」と促した。

 ベルは相槌(あいづち)を返しながら尋ねた。

 

魔法種族(マジックユーザー)である妖精(エルフ)に聞きたい。『魔法』とはどのように発現するのだろう?」

 

「『魔法』ですか……」

 

「ああ、そうだ。私もやはり男子(おのこ)だからな、是非(ぜひ)とも『魔法』は修得したいと常々思っているのだが……これがまた、中々発現しなくてな……。何か条件でもあるのか?」

 

 ベルの質問にどう答えるべきか、リューは考えを纏める為に時間を使った。

 やがて、彼女はおもむろに口を開けると「一般的なことになってしまいますが」と前置きしてから、静かに説明を始めた。

 

「ご存知のことだとは思いますが、『魔法』とは『奇跡』です。一種の超常現象(ちょうじょうげんしょう)とも言えるでしょう。そして同時に、自然の摂理に反してもいます」

 

「そうだろうな。炎やら水やら風やらと、昔は神々の御業(みわざ)だと言っていたものだ」

 

「……?」

 

「ああいや、何でもない。話を続けてくれ」

 

 促され、リューは再開した。

 ベルからメモ帳を借りると、羽根ペンをすらすらと走らせていく。

 

「『魔法』は大別すると二つに分けられます。先天系と後天系です。先天系とは私のような妖精(エルフ)をはじめとした魔法種族(マジックユーザー)──つまり、対象者の素質や種族の根底に深く関わってきます」

 

「確か──『神時代(しんじだい)』の前、『古代(こだい)』では魔法種族(マジックユーザー)はその潜在的長所から修行、儀式によって早期修得が見込められていて……偏りこそあるが強力且つ規模の高い『魔法』が多いそうだな」

 

「その通りです。今でこそ『神の恩恵(ファルナ)』によって『魔法』と同時に『詠唱』も発現していますが……(いにしえ)の時代は魔法種族(マジックユーザー)が文字通り零から『詠唱』を考え、模索し、正常に発動するように研究していたのだと伝えられています。その際は事故──『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』が日常茶飯事だったのだとか」

 

「そう考えるとやはり、『神の恩恵(ファルナ)』の規格外さが分かるというものだなあ……」

 

「ええ、そうですね。そして後天系は『神の恩恵(ファルナ)』を媒介にして芽吹く『可能性』、自己実現と言えるでしょう。その人物が歩み、紡いできた物語(みち)……獲得してきた【経験値(エクセリア)】によってその人物だけの『魔法』が発現します」

 

 つまるところ、とリューは言った。

 

「『魔法』を修得したいというのなら、『冒険』をする必要があります」

 

「『冒険』か……」

 

「人の数だけ『冒険』はあり、そして意味があります。私も、他の上級冒険者もそうでした。人も、神々でさえも称える『偉業』を成し遂げた時、その者は『階位(レベル)』を上げることが許されます」

 

「『偉業』……『昇格(ランクアップ)』……まだまだ先のことだな……」

 

 リューは、賢者のようにその言葉を少年に贈った。

 

「クラネルさん、結局は『切っ掛け』です。特に後天系なら尚更でしょう。何に関心を抱き、認め、焦がれ、愛し、憎み、喜び、怒り、哀れみ、嘆き、崇め、悲しみ、憧れ、縋り、そして渇望するか。『魔法』とは先程も言った通り『奇跡』であり、そしてその『奇跡』を呼び起こすのは──クラネルさん、貴方自身だ」

 

 私が言えるのはここまでですと、彼女は言った。そして「時間です。私ももう行かなければ」と言うと、席から立ち上がった。

 

「ありがとう、本当に参考になった!」

 

「……いえ。寧ろ、抽象的なことしか言えずすみません。それではクラネルさん、私は此処で失礼します」

 

 そう言って仕事に戻るリューを、ベルは「仕事頑張ってくれ!」という言葉と共に笑顔で見送った。グラスに微かに残っていた果実汁(ジュース)を飲み切ると、現在時刻を確認すると、深夜の二十三時に差し掛かろうとしていた。

 

「そろそろ帰るべきか……」

 

 ベルは明日もダンジョンに行く予定だ。

 さらに明日からは長期契約を結んだサポーターの少女、リリルカ・アーデと行動を共にする。万が一寝坊でもしたら彼女からの心証は悪くなるだろう。

 そう考えたら早かった。ベルが帰り支度を始めると、来店時と同様、アーニャが近付いてきた。

 

「帰るのかニャ?」

 

「ああ、流石にな。これ以上はミア母さんにもどつかれそうだ。ヘスティアもそろそろ本拠(ホーム)に帰ってきている頃合いだろう」

 

「納得ニャ! そんじゃあ白髪頭、ちょっと待っててニャ! すぐに伝票を持ってくるニャ!」

 

 そう言ったウェイトレスは一度客の前から離れていった。彼女を待つ間、ベルは暇な時間を潰すべく店内をぼんやりと眺める。そして彼は「ん?」と疑問の声を出した。

 

「これは……インテリアか?」

 

 それは、白色の分厚い本だった。ベルの後ろの壁に立てかけてあった。ぽつんと置かれていたそれに、彼は今の今まで気付いていなかった。

 

(インテリアにしては……失礼だが、この酒場には合っていないような……)

 

『豊穣の女主人』は料理の味が絶品であることはもちろんだが、内装にも充分客への配慮がされている。豪華過ぎず、さりとて簡素過ぎず。冒険者と一般市民、どちらにも好かれるよう設計されている。

 木目調の落ち着いた壁に、白一色の本はあまりにも適していなかった。表紙には子供が書きなぐったかのようなでたらめな幾何学模様(きかがくもよう)が走っており、題名(タイトル)すらなく、どこか不気味深い印象をベルは抱いた。

 気になって本を凝視していると、アーニャが伝票を持って戻ってくる。

 

「白髪頭、お待たせニャー……およよ、どうかしたかニャ?」

 

「アーニャ、この本なのだが……」

 

 ああ、とウェイトレスは笑顔で頷いた。伝票を渡しながら、彼女はさらに笑みを明るくし言う。

 

「それはお昼に見付けたニャ。多分、というか間違いなく客の忘れ物ニャ。ミア母ちゃんの指示で此処に置いているんだニャ!」

 

「忘れ物か。こんな分厚い本を忘れる人もいるんだなあ……」

 

「全くもってその通り、とんだ迷惑だニャ! ──本日の合計、1000ヴァリスとなるニャ!」

 

「丁度で頼む」

 

「畏まりましたニャ! ……1000ヴァリス丁度であることを確認したニャ!」

 

「見送るニャ!」と言い、アーニャはベルを外まで見送ろうとするが、彼はカウンター席を立たず、尚も客の忘れ物だという本を魅せられたように凝視していた。

 アーニャはそんな彼に笑い掛けながら提案した。

 

「そんなに気にニャるなら、読んでみるかニャ?」

 

「えっ、良いのか?」

 

「うちでは忘れ物を保管するのは見付けてから一日……明日の昼までニャ。今日の営業もあとちょっとで終わるから、多分、忘れたことに気付いた客が取りに来るとしても明日ニャ。だから明日の朝に返してくれれば問題ニャイ! ……お願いします何も言わずに受け取って下さい。じゃないと──」

 

 最後に小声でアーニャは何かを呟いたが、ベルはそれを拾えなかった。

 瞠目するベルに本を強引に押し付けると、アーニャは「さあ、早く帰るニャ! ミア母ちゃんの雷が落ちるニャ!」と催促する。

 ニャーニャとひっきりなしに鳴く彼女の迫力にベルは負けた。ボディバッグに謎の本を仕舞うと、身体に掛け、背中を押されながら出口に向かう。

 

「一名様、ご退店ニャー!」

 

「「「ありがとうございました、またお越しくださいませ!」」」

 

 ウエイトレス達に見送られ、ベルは『豊穣の女主人』から出た。月と、魔石製品である街灯が照らす大通りまでアーニャは付き添うと、彼女は手を軽く振ってから酒場に戻っていった。

 ベルは「帰るか」と呟くと【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)に帰るべく帰路に就いた。

 大通りを出て、いくつもの小道を通り、やがて視界に映るのは寂れた教会。先日の休みに【ファミリア】総出──そうは言ってもたった二人だが──の一日掛かりで掃除をし、素人ながらも補強工事をしたおかげで倒壊することを多少は防ぐことが出来そうだった。

 用心の為に、誰にも尾行されていないのを確認してから、彼は『教会(きょうかい)(かく)部屋(べや)』がある地下に繋がる隠し廊下を降り、鍵を挿して静かにドアを開ける。玄関の魔石灯(ませきとう)のスイッチをオンにし、光量を調整する。

 

「ただいまー」

 

 小声でそう言いながら、ベルは小さいリビングを通過し、そのまま寝台に向かう。

 寝台(ベッド)の上では掛け毛布を被って、主神であるヘスティアが既に就寝しており、安らかな寝息を立てていた。

 眷族は彼女に毛布を掛け直し、「さて」とまずはロングコートを脱いだ。ハンガーに吊り下げ、ロッカーに収納するとそのまま寝間着に着替える。

 リビングに置かれているテーブルにはヘスティアからの書置きの手紙があり、ダンジョン探索の労いの言葉が書かれていた。

 それを読んだベルはそれはもう嬉しくてすぐにでも寝台(ベッド)に飛び込みたかったが、雑事が少々残っているのでまずはそれに取り掛かった。

 ヘスティアの横で臥位(がい)になった時は日を跨いでいた。

 

「全てを読むことは出来ないが……さわりの部分だけでも読もうか」

 

 ベルはうつ伏せの姿勢で両肘で顔を支えながら、預かった謎の本を読むことにした。

 古めかしい匂いがする表紙を捲ると、そこでようやく、謎だった題名(タイトル)が明らかになる。

 

「何々……──『自伝・鏡よ鏡、世界で一番美しい魔法少女は私ッ ~番外・めざせマジックマスター編~』……副題、『ゴブリンにもわかる現代魔法! その一』……わぁお」

 

 素でベルは言葉を漏らした。

 これまでに多くの書物を彼は読んできているが、ここまでぶっ飛んだ題名(タイトル)は記憶にない。

 とはいえ、題名(タイトル)だけで判断してはならないことも彼は理解している。それでも彼は「魔法少女って何?」と突っ込まずにはいられなかった。

 脳が警戒音(アラーム)を鳴らすが意を決し、頁を捲る。

 

「内容はかなりまともだな……本当に良かった」

 

 題名(タイトル)にあったように、内容は『魔法』についてだった。偶然にもベルはつい先程、『豊穣の女主人』でリューと『魔法』について話して貰ったばかりだ。

 彼女から教わったことを復習をしながら、読み進めていく。

 また一頁、頁を捲る。

 

「しかし……これはいったい何だ?」

 

 一文と一文の間に細かく走っている『文字』。

神聖文字(ヒエログリフ)】は流石に読めないが、ベルは共通語(コイネー)をはじめとし、大半の亜人族(デミ・ヒューマン)の文字を読むことが出来るのだが──これはとても珍しいことで、大半は共通語(コイネー)と、その人物の種族の言語しか読めない──、そんな彼でも、その『文字』には見覚えがなかった。

 

「『文字』じゃなくて……『数式』、あるいは、それに準じたものか……?」

 

 疑問を抱きつつも、ベルは文章を目で追い、手をとめなかった。

 無意識下で、彼はそうしていた。

 また一頁、頁を捲る。

 ──刹那。

 それまであった『記号』の羅列とは打って変わり、突如として、【絵】が現れた。

 ベルは寝ているヘスティアを起こさないよう、静かに息を呑んだ。

 

(これは……?)

 

 それは【絵】であり、同時にそれは【顔】であった。

 時間の経過と共に()()は目を、口を、鼻を、耳を。首から下の身体がゆっくりと形成されていく。

 それまで見えていた光景ががらりと変わり、誰も居ない、音もしない、痛いほどに静寂に包まれた空間にベルは居た。だがしかし、彼は驚きこそすれ、不思議と恐怖はしなかった。

 深紅(ルベライト)の瞳を閉ざし、その(とき)を待つ。

 次に彼が瞼を開けた時には、

 

「……」

 

 視界に映る景色がまた変わり、天高く昇っている太陽と、無限に広がる蒼穹だけが、そこにはあった。

 光があり、風が旅をし、音が旋律となって鳴り響く。

 そして、一人の青年が、いつの間にかベルの正面に佇んでいた。

 

『──』

 

 黄金の防具。風によって揺れるは漆黒のマント。腰の調革(ベルト)に留められているのは二本の美しい長剣。

 処女雪を思わせる純白の髪に、燃えるような深紅(ルベライト)の瞳を輝かせて。

 ──青年は、笑っていた。

 口角を上げ、憎たらしいほどの清々しい程の笑みで、朗らかに笑っていた。

 ベルは、目の前の人物をよく知っていた。

 

「──」『──』

 

 二人の深紅(ルベライト)の瞳が交錯する。

 青年はおもむろに口を開けると、ベルに笑い掛けながら高らかに言った。

 

『さあ、始めようか! (ぼく)(わたし)の英雄問答を!』

 

 少年は笑い返し……──そこで彼の意識は暗転した。

 



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発現

 

 新しい一日が幕を開ける。

 太陽が東空の彼方に顔を出し始める頃、下界の住民達は起床してそれぞれの人生を歩くべく用意をしていた。

【ヘスティア・ファミリア】もその例に洩れず、(さび)れた廃教会の地下では賑やかな声が飛び交っていた。

 

「ベル君にもようやく仲間が出来たのか!」

 

「ああ、そうなんだ! 今日から彼女と一緒にダンジョン探索をする予定だ!」

 

「ほうほう! それは朗報だ! いやぁー、本当に良かった! ただでさえ色々と心配な君なんだ、独り(ソロ)でのダンジョン探索は前々から反対だったんだよ!」

 

「はっはっはっ、過保護だなぁヘスティアは!」

 

「はっはっはっ、そう思うならもっと落ち着いた言動をして欲しいところだけどねぇ!」

 

「「はっはっはっはっはっ!」」

 

 普通の人なら朝方のテンションは低いものだが、この二人にそれは当てはまらないようだった。この場には二人しか居ないのにも関わらず、その賑やかさ、騒がしさは数十人のそれにも匹敵(ひってき)するだろう。

 そんな彼等は現在、【ステイタス】の更新を行っていた。ヘスティアがベルの背中に跨って更新していく中、ベルが彼女に昨日の出来事について報告する。

 

「それで? そのサポーターの少女──リリルカ・アーデ君だっけ? その子はどんな子なんだい?」

 

 ヘスティアがベルにそう質問した。

 愛している眷族が選んだ子なら大丈夫だとは思っているが、万が一の事もある為、主神として聞いておく必要があると判断してのことだ。

 ましてや現在の【ヘスティア・ファミリア】は管理機関(ギルド)の特例措置によってほぼ全ての情報がブラックボックスと化している。冒険者ベル・クラネルの情報も同様の処置がされているが、情報を集めることは決して不可能ではない。ダイダロス通りの住民達からベルの人相を聞いて回れば、彼の元に辿り着くことは充分に可能だ。

 ベルは「そうだなぁ……」と呟きながら、顔をヘスティアに振り向かせて言った。

 

「サポーターとしての腕は一流、いや、()()()だと思う。自分の『仕事』に誇りを抱いている印象も見受けられた」

 

「なるほど、それなら安心だ。他には?」

 

「良い子だと思う。愛嬌も良いし、話していて楽しい。ただまあ、気になることは幾つかあるが……」

 

「気になること?」

 

「ああ。だが、ヘスティアが心配するようなことじゃないから安心して欲しい」

 

 そう言われて、「オッケー!」と言う程ヘスティアはお気楽ではない。

 前言撤回。

【ファミリア】を結成する前は一時を凌げればそれで良いと思っていたのだが、眷族が問題児な為せめて自分だけはマトモになろうと決意していた。

 

(嘘は吐いていないか……)

 

神の力(アルカナム)』こそ封印しているが、ヘスティアが炉の女神であり超越存在(デウスデア)であることに変わりはない。故に、子供(ベル)が嘘を吐いていないことが分かる……と言いたいところではあるが、この能力はそこまで万能ではない。

 嘘というものは主観的な情報を多く含んでいる。

 つまり、ベルが先程の発言を本心から言っていたとしても、ヘスティアから見ればそうではない、ということが充分に起こり得るのだ。これはその逆も然りで、使い所が難しいのである。

 なら、どうするか──。

 そこまで考え、ヘスティアは己を恥じた。

 

眷族(けんぞく)を信じないで何が主神(おや)だ。自分ではなく、ボクはこの子を信じないといけないのに……)

 

 深く反省した彼女は、気を付けようと胸に刻んだ。

 ただし、「くれぐれも気をつけるんだよ」と注意喚起することは忘れない。

「もちろんだ!」と返事だけは良いベルの声を聞きながら、ヘスティアは【ステイタス】更新を進めていく。

 

(いやぁ……最初こそ手間取ったものだけど、慣れたものだなぁ……)

 

 それが何だか、ヘスティアは堪らなく嬉しかった。

 自分の大切でかけがえのない眷族と、一緒に成長しているような、そんな感じがするからだ。

 胸をあたたかくしながら指を動かしていく。

 あと少しで終わるところで、

 

「あれ?」

 

 ヘスティアは、そう、声を出した。

 慌てて口を塞ぐがベルには聞こえていて、彼は顔だけ振り向かせて怪訝そうに「ヘスティア?」と尋ねた。

 

「どうかしたのか?」

 

「な、何でもないよ! もうちょっと待ってくれ!」

 

 そうか? と顔を伏せるベル。

 ヘスティアは嘘を吐いてしまったことを後悔するが、それは後だと己を叱咤する。

 

(どういうことだ……? 『()()()()()()()()()()()()()?)

 

 そんな馬鹿なと思うが、決して間違いではなかった。

 炉の女神(ヘスティア)にとって、ベル・クラネルは初めての眷族だ。【ファミリア】の運営方法は毛が生えた程度の知識しかないし、他の子供に『神の恩恵(ファルナ)』を授けたことがない故に比較対象がなく、神友(しんゆう)達から聞いた情報でしかそれが出来ない。

 神友(しんゆう)達から聞くところによると、『魔法』というものは突然出てくるようなものではないらしい。

 そりゃそうだ、とヘスティアは全面的に同意見だ。今でこそ『神の恩恵(ファルナ)』によって『魔法』は誰にでも発現し得る『可能性』になっているが、それはあくまでも『可能性』でしかない。

 そんな簡単に自己実現されたら困るというのがヘスティアの意見であり、他の神々もそうだろう。

 

(昨日の探索で何か『切っ掛け』でもあったのか?)

 

 いやでも、とヘスティアは否定する。

 ベルの報告からは、そのようなものはなかった。精々がサポーターの少女と長期契約を結んだくらいで、他は至って普通だったと聞いている。

『魔法』が発現するような出来事は起こっていない。

 つまり、何か他に要因があったと考えるべきだろう。

 

(例の『スキル』──【英雄回帰(アルゴノゥト)】が関係しているのか? でも、『スキル』が『魔法』に干渉することなんて起こり得るのか?)

 

 ベル・クラネルには数々の『秘密』がある。

 彼の『秘密』を知っている数少ない者の一人であるヘスティアは、何がなんだかさっぱり分からなくなってきていた。

 

(だけど、問題はそこじゃない。問題は……このまま『魔法』をこの子に授けるかどうかだ)

 

 理由は分からないが、ベル・クラネルは現在『魔法』が修得可能になっている。

 それならすぐにでも『魔法』を──『奇跡』を起こす力を己の眷族に授ける、という訳にはいかない。

 他の子供だったら、ヘスティアは迷うことなく授けていただろう。自分の新たな力に目覚めた眷族と共に喜びを分かちあっていただろう。

 だが──。

 ヘスティアは悩んでいた。

 

(どうする? 今のこの子に……ベル君に『力』を授けるのか?) 

 

【ヘスティア・ファミリア】は複雑な事情を抱えている。ただでさえ一部の冒険者や神達から注目されているというのに、『魔法』を()()しただなんてことが知れ渡ったら、その時は迷宮都市(オラリオ)全域に【ヘスティア・ファミリア】の名前と、その眷族であるベル・クラネルの名前が認知されることになるだろう。

 活動を続けていく【ファミリア】なら必ず起こる現象だ。宿命と言ってもいいかもしれない。

 だが、それはあまりにも【ヘスティア・ファミリア】には時期尚早だ。構成員が一人の零細派閥など、他の派閥からしたら()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 本来なら着実にゆっくりと力をつけていき、その時の準備をするのだ。最大派閥と言われている【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】だってそうだったのだと、ヘスティアは当時を知る神友から聞いている。その階段を駆け登るのは愚の骨頂だとも。

 ギルド長と取引をして特例措置がされているが、これ以上、ベルが活躍したら庇い立ては不可能であり、【ヘスティア・ファミリア】の情報は公にされるだろう。

 

(ああそうだ、時期尚早だ。【ファミリア】にとっても、駆け出しのベル君にとっても、『魔法』という『奇跡』は身の丈に合わない)

 

 だが、とヘスティアは思わずにはいられない。

 

(もし『魔法』の修得の有無でベル君の生死が分かれるとしたら……?)

 

 ベルが挑んでいるのは異常事態(イレギュラー)が頻繁に起こる地下迷宮(ダンジョン)だ。死者は後を絶たず、大手派閥の構成員であろうと死ぬ時はあっさり死ぬ。

 ましてやベル・クラネルがこれまで直面してきた出来事を思えば──『ミノタウロス上層進出事件』や『モンスター脱走事件』など──これからも巻き込まれる可能性は極めて高いだろう。

『英雄』に憧れている少年ならば、尚のこと。

 なら、眷族の為に主神がやるべき事は──。

 

(あの時、ボクは誓った筈だ。この子を……ベル君をずっと見守るって)

 

 葛藤を振り払い、ヘスティアは決断する。閉じていた蒼色の瞳を開け、止めていた手を再び動かした。

 自分の想いも宿れと、そう思いながら【ステイタス】の更新を行い、そして、終わらせる。

 

「待たせてしまったね。これで終わりだ」

 

 背中に跨るのをやめると、ヘスティアは寝台の上で正座となった。これは神友(しんゆう)の武神から教わったもので、何でも、厳粛な場に用いられる座法らしい。

 彼女の真剣な顔に当てられてベルも真似する中、先程までの喧騒が嘘だったかのように、本拠(ホーム)は静寂に包まれた。

 おもむろに、ヘスティアは「こほん」と咳払いを打つと、ベルの深紅の瞳を見詰めた。

 

「それじゃあ、まずは口頭で【ステイタス】を言おう」

 

 羊皮紙に写したベルの軌跡を、彼女は紡ぎ始める。

 

「『力』が【E】の497。『耐久』が【H】の182。『器用』が【F】の352。『敏捷』が【B】の786。『魔力』が【I】の0だ」

 

 一番高い熟練度である『敏捷』が評価値【A】になろうとしていることに目眩を覚えつつ、ヘスティアは「そして」と言葉を区切ってから、慈愛の微笑みを浮かべた。

 

「──おめでとう」

 

「……え?」

 

「今回の【ステイタス】更新で、とうとう君にも『魔法』が発現した」

 

「ふふっ、事態が呑み込めてないようだね。なら、君が認識出来るまで何度でも言おう。ベル君、君は『奇跡』を行使出来るようになった」

 

 ぽかんと、ベルは口を半開きにして呆然としていた。

 ヘスティアの言葉を「……『魔法』?」と無意識で呟き、呆然とする。

 ()女神(めがみ)はそんな彼を笑うことはしなかった。

 もう一度優しく微笑みかけると、口で言うよりも、自分の目で見て貰った方が早いと判断し「ほら!」と羊皮紙をベルに手渡した。

 早くなる動悸(どうき)を抑えつつ、ベルが確認すると、

 

「……ほ、本当に発現している!」

 

 がばっと勢いよく顔を上げ、驚愕の表情でそう言った。

 ヘスティアは「だからさっきから何度も言っていることだろう」と今度は苦笑した。それを見たベルは段々と顔の表情をだらしなく緩めていく。

 あっ、とヘスティアが嫌な予感を覚えた時には、もう、遅かった。

 

「うひょー! キタコレ──────ッ!」

 

 いつかの夜のように、ベルが大声を出す。

 ヘスティアが「うおっ!?」と仰け反る中、彼は腹を抱えて笑っていた。

 

「フハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 

「う、五月蝿いぞ!?」

 

「ついに、ついにだ! ついに私にも念願の『魔法』が発現したぞ! 夢の一つが叶った!」

 

「えぇい、少しは落ち着くんだ! そしてボクの話を聞けぇー!?」

 

 ヘスティアが必死に窘めるが、ベルには届かなかった。これはもう放置するしかないと悟った彼女は購入しておいた耳栓をすると、黙々とバイトの準備を始めた。

 

「これは綴らずにはいられない! 綴るぞ、我が英雄日誌! ──『少年ベル・クラネルは長年の夢であった『魔法』を修得した! これより始まるは無双劇! 『魔法』を修得した彼は数々のモンスターを薙ぎ倒していくのだった!』──ふっ、私は応援者(ファン)の皆にこう伝えたい。夢はいつか叶うとな!」

 

 彼女がバイト先への用意を終えた時にようやく、ベルは冷静さを取り戻した。叱り付けるのもこれまでの付き合いで億劫になってきているヘスティアは「ほら」と冷水が入ったグラスを渡すだけに留めた。

 

「それじゃあ、幾つか話をしよう。まずはこの『魔法』についてだ」

 

 ヘスティアが、そう、話を切り出すとベルは無言で頷いた。真剣な顔で羊皮紙を再度読むと、彼女は言った。

 

「これは()()()()だ。ベル君、この『魔法』はまだ使っちゃ駄目だ」

 

「……理由を聞いても良いか?」

 

「そうだね……幾つかあるけど、まず一つ目に、今の君じゃ『魔法』を行使出来ない。いや、訂正しよう。【ステイタス】に刻まれている以上、君は『魔法』を(うた)うことが出来る。でもボクの見立てだと、それは一回か二回で、とてもではないが連発出来ないだろう。ましてや『魔力』の評価値【I】0である君じゃあ、使ったらすぐにでも精神疲弊(マインドダウン)する筈だ」

 

 精神疲弊(マインドダウン)? と初めて聞く単語にベルは首を傾げた。

 ヘスティアは「これはボクの神友(しんゆう)から聞いたことだけどね」と前置きしてから説明する。

 

「『魔法』を行使するには二つの絶対条件がある。それが『詠唱』と『精神力(マインド)』と呼ばれるものだ。これはベル君も知っているね?」

 

「ああ、無論だ。確か、『詠唱』は『砲台』の役割を持っていて、詠唱文が長ければ長い程に『魔法』の威力、効果が強くなる。そして、『魔法』を行使するにあたって『精神力(マインド)』と呼ばれるエネルギーが必要となるのだったな」

 

「その通りだ。『精神力(マインド)』という体内にあるエネルギーを消費し、『詠唱』することで初めて『魔法』は起動される。精神疲弊(マインドダウン)とはその精神力がない状態をさすらしい」

 

「『精神力(マインド)』がないとどうなるんだ?」

 

「気絶するそうだよ。症状が酷い時には死に至ることもあるらしい」

 

 そこまで言われれば、ベルも一つ目の理由に合点がいった。

 魔物の巣であるダンジョンで意識を手放すことはまさに自殺行為だ。モンスターに襲われ、そのまま殺されるのがオチだろうと冒険者の顔になった彼は推測する。

 

「そして、この詠唱文……都市でも限られた魔術師しか修得していないって噂の()()()()()で間違いないだろう。当然、その分消費する『精神力(マインド)』は増える訳だから……」

 

「なるほどな。確かにヘスティアの推測通りになりそうだ」

 

 ベルはそれから、「他に理由はあるのか?」と主神に尋ねる。

 

「二つ目だけど、この『魔法』はあまりにも強力過ぎる。反則級(チート)とも言えるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「だが、それが『魔法』というものじゃないのか?」

 

「これが炎やら風やら水やらと、そんな簡単な超常現象を起こす『魔法』だったら話は別なんだけどね。君のこれは派手さはあまりない。どちらかと言うと地味な物だろう」

 

「じ、地味……」

 

 ぐさっと、ヘスティアの遠慮がない言葉のナイフがベルの胸に深く刺さった。

 蹲るベルを見て、彼女は慌てて「ご、ごめんよ!」と謝罪してから、言葉を続ける。

 

「でもねベル君。こういった地味な物こそ、真価を発揮したら最も恐ろしいと、ボクは思うな。話を戻すけど、この『魔法』は非常に強力だ。主神命令とさっきは言ったけれど、この『魔法』を使うのは非常に危機的状況に陥った時のみにして欲しい」

 

「……分かった。それが貴女の神意(しんい)だと言うなら、私はそれに従おう」

 

「ありがとう、そうしてくれると助かるよ。それと、ごめんね。せっかく『魔法』が発現したのに……」

 

「謝るようなことじゃないさ。【ヘスティア・ファミリア】の立ち位置が非常に不安定なのは理解しているつもりだ。これ以上注目を浴びるのを避けたいと思うのは、私も同じだ」

 

 ぽん、とベルはヘスティアの頭に手を置くと「だから気にしないで欲しい」と笑った。

 ヘスティアが嬉しくなって笑い返すと、彼は「さて、私も準備をするとしよう」と言って、正座をやめて寝台から立ち上がると探索の用意を始める。

 その様子をヘスティアは眺めていた。

 

「それにしても、何で急に『魔法』が発現したのだろう?」

 

「寧ろボクが聞きたいくらいさ。何か思い浮かばないのかい?」

 

「うぅーん」とベルは勝色のロングコートを着ながら悩まし気な声を出した。

 ベルの種族はヒューマンだ。魔法種族(マジックユーザー)でない彼が『魔法』を修得する為には何かしらの『切っ掛け』が必要だ。『魔法』が発現する程の『出来事』があれば身に覚えがあるのが通常だが、ベルにはそれがないと言う。それがヘスティアには不思議だった。

 

「昨日は普通にダンジョン探索しただけだしなぁ……。変わったことと言えばリリルカと会ったことくらいだぞ」

 

「それ以外は?」

 

「それこそ全然身に覚えがないな」

 

 そっかぁー、とヘスティアが返す中、ベルはテキパキと装備を纏っていく。相も変わらずの軽装に苦笑いしながら、何となく寝台(ベッド)に目を向けると、ヘスティアは「あれ?」と疑問の声を出した。

 

「ベル君、この本は何だい?」

 

「……? ああ、それか。昨日『豊穣の女主人』で借りてきたものだ。客の忘れ物のようでな、特別に貸して貰った。ダンジョンに行く前に返しに行こうと思っている」

 

「……ふぅーん。まあ、ベル君の趣味が読書なのは知っているから、そこに驚きはしないけど……。しかし、わざわざ借りてきたんだ、面白い内容なのかい?」

 

 ヘスティアが下界に降臨する前、つまり天界で過ごしていた頃。彼女は教会に引きこもり本ばかりを読んでいた。

 下界に来てからも本好きは変わっておらず、暇さえあれば今でも読んでいる。最近は眷族(ベル)の影響を受けて英雄譚に手を伸ばしており、彼が村から飛び出してきた時に持ってきた英雄譚を暇さえあれば読んでいた。

 興味を示す彼女に、ベルは「読んでみるか?」と尋ねた。

 

「時間には余裕があるから、そうさせて貰うよ」

 

「分かった。それなら、読んでいてくれ。私は道具(アイテム)の確認をしているから」

 

「はーい!」

 

 ヘスティアはベルの了承を得ると、枕元に置かれていた分厚い本に手を伸ばす。

 数々の本を読破してきたという自負が彼女にはあったが、その本から異質な物を感じ取った。

 

「変わった本だなぁ……これ、何処かの厨二病の闇が詰まった本じゃないだろうね?」

 

「ははは、まあ、そう言いたくなる気持ちは分かるが……私の記憶が確かなら、内容は至って真面目だった筈だぞ」

 

「その言葉を信じよう。えーっと、何なに……──」

 

 そこで言葉が途絶えた。

 

(いやいやいやいや、きっとボクの気の所為だ)

 

 ヘスティアはそう思った。

 すぅー、はぁーと深呼吸する。

 そして眼下の本に目線を下げると、彼女は絶句した。

 

「ヘスティア、そろそろ私は出ようと思うのだが……」

 

 冒険者装備に身を包んだベルが、ヘスティアに声を掛ける。それまで彼は、彼女が真剣に読書していると信じて疑わなかった。だから静かなのも気にしなかったし、邪魔しないように物音を出来るだけ立てないようにもしていた。

 しかし、それは彼の思い違いだった。

 ヘスティアは表情が固まっていた。虚無、と言えば良いだろうか。普段の喜怒哀楽に満ちた顔はすっかりと色を無くしていた。

 

「へ、ヘスティア……?」

 

「……」

 

「おーい?」

 

「…………」

 

 心配になったベルが彼女の目の前で手を振るが、ヘスティアは無反応だった。

 

「うあ、ああああ……!」

 

 そんな掠れた声が喉から出たのは、暫く後だった。

 

「うわああああああああああああああああ!?」

 

「うおっ!?」

 

「うわああああああああああああああああ!?」 

 

 悲鳴にも似た絶叫が、ベルの鼓膜を襲う。

『教会の隠し部屋』が揺れる錯覚に陥りながらも、眷族は主神に何事かと尋ねた。

 ヘスティアは蒼色の瞳を大きく見開いて答える。

 

「これ、魔導書(グリモア)じゃないか!」

 

 主神が狂乱する一方、耳にしたことがない単語にベルは「魔導書(グリモア)……?」と復唱する。

 何だそれはと首を傾げるベルに、ヘスティアは苦虫を噛み潰したような表情で言った。

 

「……これはね、ベル君。簡単に言うと『()()()()()()()()だよ」

 

「……すまない、つまりどういうことだ?」

 

「……この分厚い本を読むだけで、『魔法』が発現する。種族や経験値(エクセリア)関係なくね」

 

 今の君がそれだ、とヘスティアは言った。

 理解が徐々に追いついていくベルに、彼女はさらに言葉を投げる。

 

「君に『魔法』が発現したのはこれが原因だ。それしか考えられない。その証拠に……ほら、見なよこれを」

 

「……真っ白?」

 

 書物に求められる文字の羅列が無くなっているのを、ベルはその目で見た。

 ヘスティアがパラパラと最初から最後まで頁を捲っていくが、ベルは黒色の軌跡を視界に入れることが出来なかった。

 

「この状態になっているということは、魔導書(グリモア)が効果を発揮したってことだ。こうなった魔導書(グリモア)に価値はない。文字通り、ただの奇天烈書(ガラクタ)だ」

 

「……ち、ちなみに本来の価値はどれくらいあるんだ?」

 

「HAHAHA、そうだねぇ……【ヘファイストス・ファミリア】の一級品装備と同等、もしくはそれ以上かな」

 

「……マジか」

 

「……本当と書いてマジと読むくらいにはね。魔導書(グリモア)を作成する為には『魔道』と『神秘』っていう【発展アビリティ】が必要でね……それはつまり、最低でも階位(レベル)がLv.3以上じゃないと無理なんだ……」

 

 二人は無言で視線を交わし合う。

【ファミリア】という組織は、主神と眷族から成り立っている。子は親に似るとはよく言ったもので、似たような性格、思想を持った者が集まったのが【ファミリア】だ。

 そしてヘスティアとベルの根本的な性格や思想は同じだ。二人はこの時、全く同じことを考えていた。

 それ即ち。

 

「「どうやって隠そう」」

 

 顔を見合せ、同じことを口にする。

 この場には二人しか居ないのにも関わらず、彼等は顔を近付け、小声且つ早口で意見を交わす。

 

「確認だけどベル君。これは誰かの忘れ物なんだよね?」

 

「そう聞いている。私からも質問良いかヘスティア。賠償は無理だよな?」

 

「無理無理、絶対無理だよ! ボク達の総資産は100万ヴァリスと少し。そんなお金じゃあ、低級の魔導書(グリモア)だって買えないよ!」

 

「なるほど、つまり、私達が取れる手段は──」

 

「白状するか、しないかだ。そしてボクは後者を強く勧めよう。忘れ物をした人が良い人で許してくれる、なんてことは起こらないと思うべきだ。確実に怒り狂い、ボク達を訴えるだろう。借金で済めば御の字、もしその人が大手派閥の構成員だったら潰される!」

 

「私もそこには激しく同意ではあるのだが。それはそれとして、もしバレたらどうする? そっちの方がリスキーじゃないか?」

 

「適当に話をでっち上げれば良いさ。ベル君は確かに魔導書(グリモア)を借りた。でもいざ本を読んでみると不思議なことに、それは効果を失っていたただの奇天烈書(ガラクタ)だった。これでどうだい?」

 

「神の前では意味がないぞ!」

 

「くぅー、これだから神ってヤツは!」

 

 知恵を出し合うが、妙案は思い浮かばず。

 ふとヘスティアが時計を見れば、時間が差し迫っていた。彼女はわざとらしく「タイヘンダー!」と声を上げる。

 

「ボク、モウスコシデバイトノシフトダヨ! ゴメンネベルクン、ボクハサキニデルヨ!」

 

「ヘスティア!? そんな嘘だろ!?」

 

「アア、ハヤクイソガナイトナー! ──すまないベル君、世界は神より気紛れなんだ!」

 

 ヘスティアはそんな名言を残して、本拠(ホーム)を飛び出して行った。「ヘスティアー!?」という、愛しい眷族の制止を振り払い、彼女は今日も労働に勤しむ。

 残されたベルは、伸ばしていた手を静かに降ろすと唇を強く噛んだ。

 

「……こうなったら奥義、土下座をするしかない! うおおおおおおおおおおおお!」

 

 ベルは眦を上げると、奇天烈書(ガラクタ)をボディバッグに入れ、準備を手早く整えてから本拠を飛び出した。

 雄叫びを上げながら全速力で街道を走り抜け、西のメインストリートにある酒場──『豊穣の女主人』向けてひた走る。

 自慢の『敏捷』を以て、わずか数十分で彼は酒場に辿り着いた。肩で息をする彼に、ちょうど掃き掃除をしていたシルが驚きながら声を掛ける。

 

「ベルさん、おはようございます。ごめんなさい、お店はまだやっていなくて……」

 

「ああ、おはようシル! すまないが挨拶は簡略化させて貰う!」

 

「それは全然構いませんが……どうされました? そんな風に慌てて……呼吸も荒くして。今日もダンジョン探索に行かれるのでしょう? ちょっと待って下さい、お水を持ってきますから──」

 

「アーニャ、アーニャは居るか!? まずは彼女と話がしたい!」

 

「あ、アーニャですか? 彼女は今日、用事があるようで、お店には居ませんが……」

 

 タイミングが悪い! ベルは思わず毒を吐きたくなったが「なら!」と声を上げる。

 

「なら、ミア母さんを! ミア母さんを呼んでくれ!」

 

「は、はいっ! すぐに呼んで来ますね!」

 

 そう言ってシルが呼んでこようとするが、そうするよりも前に女将がフライパン片手にやってきた。顔に青筋を何本も浮かべ、野太い声を出す。

 

「朝っぱらからなんだい、騒々しい! 近所迷惑を考えな!」

 

「お叱りは尤も! だがまずは私の話を聞いてくれ! その後にいくらでも受けよう!」

 

 必死さを感じ取った彼女は「あァン?」と訝しげにベルを見下した。

 

「しょうもない話だったら承知しないよ! 話は店でだ! シル、坊主に水でも出してやりな!」

 

 女将は従業員に指示を出すと、その巨体を店内に消していった。残されたベルとシルは顔を見合わせてから、慌てて彼女を追い掛ける。

 準備をしていた従業員達が機嫌が悪い母親を見て恐怖する中、「それで?」とミアが話を早速切り出した。 

 シルが用意してくれた水を呷ると、彼はボディバッグから奇天烈書(ガラクタ)を出し、おずおずと彼女に見せた。

 

「実は──」

 

 眉を顰めるミアに、ベルは説明した。

 全てを聞き終えた彼女は「ちょっと見せてみな」と奇天烈書(ガラクタ)を奪い取る。

 

「……確かに魔導書(グリモア)だね、これは。なるほど、これを坊主が読んじまったってことか」

 

「ああ、そうなんだ! ミア母さん、私はいったいどうすれば──」

 

「まっ、読んじまったもんは仕方がない。ラッキーだったと思いな」

 

「はぁ!?」

 

 その発言に、ベルはぎょっと目を剥いた。

 まさかミアからそのようなことを言われるとは露も思っていなかったからだ。

 

「これ、物凄く高価なのだろう!?」

 

「そうだねえ……しかもこれは見た所最上級のものだ。いったい幾らになるか、あたしには見当もつかないよ」

 

「だったら!」

 

「忘れていった方が悪い。普通、こんな分厚い本を忘れるかい?」

 

 ミアはさらに言葉を続ける。

 

「これはね、そういう物なのさ。坊主が読まなくたって、これを見付けた冒険者は自分の物だと嘘を吐いて使っていたよ」

 

「それは、そうかもしれないが……」

 

「坊主もそうだろう。最初は読んじまったことを隠そうとしたんじゃないのかい?」

 

 その指摘に、ベルは何も言い返せなかった。気まずそうに視線をふいっと逸らす。

「フンッ」とミアは鼻を鳴らす。仏頂面で、ぶっきらぼうに言った。

 

「別に咎めている訳じゃないさ。言っただろう、これにはそれだけの価値がある。寧ろあたしは感心しているくらいさ。まさか、過程はどうあれ告白してくるだなんてねえ。小心者というか、何と言うか……」

 

「ははは、正論過ぎて何も言い返せない。ちなみにだが。私が嘘を吐いていたらどうしていた?」

 

「半殺しの刑にしていたよ」

 

 即答され、ベルは引き攣った笑顔を浮かべた。それを見て、ドワーフの女性はニヤリと嗤う。

 

「どちらにせよ、坊主に本を貸したのはこっちだ。坊主が不安に思うようなことは何もないさ」

 

 それに、と。

 彼女は店内の壁に掛けられている大型時計を見て言葉を続ける。

 

「保管期限もあと数時間で切れる。普通、魔導書(グリモア)なんて物を忘れたと気付いたら一縷の望みをかけて慌てて戻ってくるさ。さっきの坊主みたいに喚きながらね」

 

「ハハハ……」

 

「笑い事じゃないよ。店の評判が落ちたらどうしてくれるんだい、全く」

 

「本当にすまない。以後気を付けよう!」

 

「……はあ、反省はしているが、後悔はない。そんな顔で堂々と言われると怒る気も失せてくるね。──兎に角、そういう事だ。あと数時間で馬鹿な客が戻ってくるとは思えないが、その時はこっちが対応する。分かったね」

 

 有無を言わせない口調で女将が言うものだから、小心者な冒険者はコクコクと頷くしかなかった。

 彼女はニヤッと唇を吊り上げると、豪快に笑って「さあ!」と大声を出した。

 

「さっさと行きな! 今日もダンジョンに行くんだろう!」

 

 その言葉を受けてベルは強く頷いた。

 

「ありがとう、ここで失礼する! また近いうちに必ず来るから、その時は宜しく頼む!」

 

「それは構わないが、もっと金を落としな!」

 

「おっと、ダンジョンが私を呼んでいる! さらばッ!」

 

 ベルは酒場をあとにし、天高く聳える白亜の巨塔目指して駆けていった。

 こうして今日も、少年の愉快な一日が始まる。

 



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思わぬ場所での再会





 

 リリルカ・アーデというサポーターの少女と契約したことは、それまで、単独迷宮探索者(ソロエクスプローラー)であったベル・クラネルにとって多くの利益を(もたら)した。

 真っ先に挙げられるのは、戦力が増強したことである。

 サポーターという専門職(プロフェッショナル)でこそあるが、その実態が冒険者──『神の恩恵(ファルナ)』を背中に刻んでいる超人であることに変わりはない。強化された五感によって、モンスターの強襲や奇襲を察知することが可能だ──亜種族(デミ・ヒューマン)だと、さらに種族特性が追加される。例えば、小人族(パルゥム)だと視力の向上である──。

 それはつまり、ベルがこれまで一人で行って来た様々なことを彼女に割くことが出来るということであり、これによって、ベルは戦闘に集中することが可能となった。

 次に、ダンジョン探索時間の長時間化だ。冒険者の収入はモンスターから得られる『魔石』である。多くのモンスターを狩らなければ収入は増えない。

 そして『魔石』が物質である以上、『魔石』を収納するボディバッグがやがて詰まるのは自然なことだ。

 その度にベルは、地下にあるダンジョンから地上にあるバベルの簡易的な換金所に行く必要があった。

 しかしながら、リリルカというサポーターの少女と契約したことによってこの問題は解決され、長時間、ダンジョンに潜ることが可能になった。これによりベルの収入は格段に増えるようになった。

 朝の早い時間から二人一組(ツーマンセル)のパーティは進撃を続け──彼等が現在居るのは6階層、その最深部である。

 

「ここから先が7階層か……」

 

 下層に続く階段を見据え、ベルが感慨深げに呟いた。

 半歩後ろで従者のように控えているリリルカに尋ねる。

 

「リリはここから先には行ったことがあるのか?」

 

「ええ、何度かありますよ。とはいえ、リリはサポーターなので戦闘を直接したことはなく、いつも冒険者様の戦闘を見守っていただけでしたが……」

 

 ハハッ、と自嘲の笑みを浮かべていたリリルカだったが、

 

「それでも凄いさ! これからはリリ先輩と呼んでも良い!?」

 

 それもベルの言葉で打ち消されてしまう。

 絶句している彼女に彼は笑顔を向けると、「よし!」と意気込んだ。

 

「いざ行かん! 7階層へ!」

 

 そう言って、ベルは下層に続く階段を下りていく。その後ろを、リリルカは慌てて追いかけた。靴音が反響する中、ベルが、

 

「ダンジョンは自然物なのか、それとも、人工物なのか。こうして階段を下りていると益々分からなくなるな」

 

 自然物とは思えないほどに舗装された道を見ながら、そう、疑問を口にした。

 するとリリルカが「そうですね」と頷きを返す。

 

「ダンジョンの謎を解明するのは冒険者の責務でもあり、義務ですからね。研究者の方も頑張ってはいますが難しいでしょう」

 

 ダンジョンの謎はあまりにも多い。

 これまで多くの研究者が危険を承知したうえで足を運んでいるが、「分からない」と、心底悔しそうに口を揃えて言っているのが実情だ。それでも尚彼等の探求心はなくならず、半年に一回は学会が開かれている。しかし、成果はあまり出ていなかった。

 冒険者がダンジョンの秘密を知るのが先か、はたまた、研究者がダンジョンの謎を解明するのが先かと、神々は面白がって賭け事をしている。

 意見を交わし合いながら下りていくと、階段が終わり見える景色が変わる。

 

「さあ、着きましたよベル様。ここが7階層です。多くの駆け出し冒険者がこの階層で戦死しています」

 

「ああ、注意していこう」

 

 パーティは頷き合うと、地図(マップ)を片手に進んでいく。

 数歩歩いたところで、二匹のゴブリンが目の前に現れる。リリルカが「ベル様!」と彼の名前を呼ぶよりも前に、ベルは駆け出していた。愛剣の≪ニュートラル≫を鞘から抜き、そのまま突進攻撃に移行する。

 急接近してくる白兎にゴブリン達がぎょっと目を剥く。その間もベルは走り続け、加速していった。

 

「おおおおおおおッ!」

 

 領域に足を踏み入れ、≪ニュートラル≫を真一文字に大きく()いだ。銀閃が走り、ゴブリン達の首から上をすっぱり切った。

 生命が絶たれたモンスターは断末魔を上げ、間もなく黒灰と化した。

 ベルは「ふぅ」と軽く息を吐くと振り返ってリリルカに指示を出す。

 

「リリ先輩、お願いしまーす!」

 

「……は、はい! すぐに!」

 

 サポーターは慌てて返事をすると『魔石』に近寄った。

『リリ先輩』という言葉に反応する余裕が彼女にはなかった。

 リリルカの胸中にあるのは一つの『違和感』だった。

 

(やっぱりそうです。私の気のせいじゃありません!)

 

『魔石』を背中のバックパックに放り込みながら、心の中で驚愕を形にする。

 それを表に出さないように細心の注意を払い、「『魔石』の収集が終わりました」と報告する。ベルは一度頷いてから、「ありがとう!」と言うと移動を開始した。

 

「あっ、そう言えばリリ知ってるー?」

 

「何がですか?」

 

「これは私も最近知ったことなのだが──」

 

 話題を振ってくるベルに、『仕事』として答えつつも。

 リリルカの意識の半分は他のことに意識を割けられていた。やっぱり、と先程と同じ思いを今度は強く抱く。

 

(この人、昨日一緒に潜った時よりも確実に、格段に強くなっています……!?)

 

 最初は気の所為だと思っていた。

 しかし、道中に()いて──モンスターと遭遇(エンカウント)し、戦闘に入るたびにそれは『気のせい』から『違和感』に変わり。

 そして今の戦闘で『違和感』が『確信』に変わった。

 

(基本アビリティの伸びがあまりにも可笑しいです! 1や2じゃありません、10──もしかしたらそれ以上!?)

 

 リリルカ・アーデはサポーターである。彼女は多くの冒険者をその目で視てきている。様々な冒険者と契約を結んできた彼女の経験値はとても高い。自然と、観察眼が培われていた。

 その観察眼を以て評価を出すならば──ベル・クラネルは『異常』そのものだった。

 結論が変わらないことを分かっていながらも、そんな馬鹿なと考え直す。

 

(戦闘様式(スタイル)一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)からの一撃必殺。これを加味すれば、これまでの戦闘から考えられるに最も一番高いのは『敏捷』で、その逆は『耐久』で間違いないでしょう。数値に(かたよ)りが出るのは仕方がないことです)

 

 問題は、と彼女は続けて思考する。

 

(一番高い『敏捷』の数値が高過ぎます! リリの推測が正しければ評価【B】の後半です……!?)

 

 何だそれはと、リリルカの頭は混乱する。

 

(この人が冒険者登録をしてからまだ二ヶ月も経っていません! それなのに、評価【B】!? もしこのまま順当に成長すれば【剣姫(けんき)】の記録をあっさりと打ち破りますよ!?)

 

 現状、世界最速所持者(レコードホルダー)は【ロキ・ファミリア】に所属している冒険者、【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインだ。幼い少女がたった一年で『器』を昇華させたことに、当時、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは大いに湧いた。

 神々からは新たな『偉業』を褒め称える称賛が、同業者(ぼうけんしゃ)からは淡々と怪物を屠る姿から畏怖が彼女に贈られた。

 その後も彼女の躍進(やくしん)は止まらず──現在彼女は都市最強派閥の幹部となり名を馳せている。

 しかしながらそのアイズ・ヴァレンシュタインでも、言い換えれば、才ある冒険者であっても『昇格(ランクアップ)』するのに一年掛かったのだ。彼女が日中日夜、暇さえあればダンジョンに潜っていることは周知の事実であり、これはつまり、一年が数値的な限界であることを示している。

 

(でも、この人は違う! やっぱりこの人には『何か』がある!)

 

 もしこのままベル・クラネルが成長──否、飛躍し続けた場合。リリルカの推測では、あと一ヶ月もあれば彼は『昇格(ランクアップ)』するだろう。

 これは主神(ヘスティア)管理機関(ギルド)に特例措置を要求する筈だと、リリルカは深く納得する。零細派閥の【ヘスティア・ファミリア】にはいっそ絶望的なまでに『力』がない。大手派閥に目を付けられたらその時点で潰されるだろう。

 眷族(ベル)と【ファミリア】を、何がなんでも守るという女神の神意をリリルカは感じ取った。

 

「──来た!」

 

 先を歩くベルが短く言葉を発する。

 思考を断ち切ったリリルカが顔を上げると、そこには一匹のモンスターが居た。

 四本の足に二本の細い腕に、大きな双眼。赤一色に染められた身体もまた大きく、その姿は何処か(あり)彷彿(ほうふつ)とさせる。

 

「『キラーアント』!」

 

 そのモンスターの真名(まな)を言うと、ベルは素早く後退しリリルカと合流した。

『新米殺し』として異名を持っている怪物は二種類。それがウォーシャドウと、ベル達の目の前に居るキラーアントに他ならない。

 

「ベル様、気を付けて下さい!」

 

 リリルカの忠告に、ベルはこくりと頷く。深紅(ルベライト)の瞳で巨大蟻を見据えた。

 キラーアントが普通の蟻と違う点は二つ。

 一つはベルと同等の身体の大きさを誇るという点。

 もう一つは、その括れた腰を起点にして上半身が擡げるようにして起き上がっている点だ。

 

『キシャアアアアアアア──ッ!』

 

 キラーアントが叫び声を上げながら四本足を動かし、巨体に見合わない速度でベルに迫る。

 ベルは抜剣し戦闘態勢に入ると、リリルカに指示を出した。

 

「リリは辺りの索敵を頼む! 何かあったら教えてくれ!」

 

「分かりました! ご武運を!」

 

「ああ!」

 

 威勢よく答えると、ベルは前屈みになって突進する。

 敵対者の思わぬ速度に巨大蟻は『キシャアアア!?』と驚愕の声を出すが、すぐに負けじと加速した。

 約十(メドル)ほどあった彼我(ひが)の距離が瞬く間に詰まり、二者は本格的に戦闘に入る。

 先に仕掛けたのはキラーアントだった。発達した計四本の鉤爪(かぎつめ)を振るう。(いびつ)に湾曲した爪がベルを捉えようと空間を裂いた。

 

「──ッ!」

 

 必殺の一撃を、ベルは地面に身体を滑り込ませ、ぎりぎりのところで回避した。そのまま片手剣使い(ソードマン)は敵の背後を取ると、お返しとばかりに得物を上段から振り下ろす。

 しかし。

 ガンッ! という不協和音が大きく鳴る。

 

「クッ……!?」

 

 ベルが顔を歪める。

 彼の愛剣《ニュートラル》は、キラーアントを切り裂くことが適わなかった。じんじんという痛みが手に広がる。

 

(聞いてはいたが、やはり硬い!?)

 

 キラーアントが身に纏っている硬殻(こうかく)は並大抵の武器では切り裂くどころか傷一つすら付けられない。正しく最硬(さいこう)の『鎧』である。

 中途半端な攻撃では弾かれてしまい、身体が仰け反って致命的な隙を晒してしまう。

 そう、今のベルのように。

 

「ベル様、逃げて下さい!」

 

 切羽詰まった声をリリルカが出す。

人語(ことば)』を解さないキラーアントであったが、その音の響きから好機(チャンス)だと判断。

 獰猛に(わら)い、四本の鉤爪を振るう。ベルの身体を引き裂こうと、鋭い武器が迫る。

 しかし。

 ベル・クラネルは諦めていなかった。

 

「まだ、だ……ッ!」

 

 喉から苦しげな声を絞り出しながら、仰け反った姿勢のまま右脚を振り上げる。それは蟻の下顎(かがく)に直撃し、キラーアントの身体を大きく揺らした。

 

『キシャア!?』

 

 想定していなかった下からの攻撃に、キラーアントは吃驚する。傷こそ負わなかったものの、意表を突かれたモンスターは攻撃が中止され、そのままバランスを崩してしまった。

 決定的な隙が生まれる。

 

「うああああああああああああ!」

 

 反撃に転じたベルが雄叫びを上げる。

 姿勢が乱れている巨大蟻に再度肉薄すると、零距離から、硬殻と硬殻の隙間目掛けて《ニュートラル》を突き立てた。

 ──そしてこれこそが、キラーアントを倒す為の定石(セオリー)である。

 前述した通り、キラーアントの硬殻は並大抵の武器では切断出来ない。【ステイタス】の基本アビリティの一つである『力』の評価値が高ければそれは可能であるが、武器が消耗されてしまい、最悪、真っ二つに折れてしまう。

 しかしながら、この硬い硬殻が隙間なく身体を覆っているかというと、そうではない。硬殻と硬殻の間には隙間があり、そこから微かに(のぞ)く肉質は非常に柔らかく急所となる。

 無論、小さな隙間に剣を突き立てるのは至難の業だ。ましてや、駆け出し冒険者なら尚更である。

 だが、ベル・クラネルにはそれが当て(はま)らなかった。

 

『キシャアアアアアアアアアアアアア!?』

 

 キラーアントが絶叫を上げる。

 紫色の体液が傷口から噴出し、ベルの顔に飛び散った。だが、それに怯むベルではない。

 さらに力を込め、剣を深く刺し込む。

 キラーアントの絶叫は、やがて断末魔に変わっていった。双眼から光が無くなり、身体が黒灰と化す。

 強敵を倒したベルであったが、その顔には余裕がなかった。

 

「間に合いませんでした! ベル様、左から二匹のキラーアントが接近中!」

 

 雇用主の指示通り、辺りを警戒していたサポーターが、そう、報告する。

 ベルが声に従って左に視線を送ると、そこには二匹のキラーアントが『キシャシャ!』と気持ち悪い声を出していた。

 

「さらに右からも一匹! 背後からも二匹!?」

 

 悲鳴が大きくダンジョンに木霊した。

 ベルは表情を歪めると、抜剣したままの状態でリリルカと合流する。

 

「すまない、時間が掛かった!」

 

「……反省は後にしましょう! それよりも早くキラーアントを倒さないといけません!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 頷き返しつつも、脂汗が一滴、ツーっと額から頬を伝って落ちていった。

 

(完全に失敗した! クソっ、エイナ嬢とリューにあれだけ散々言われたのに!)

 

 キラーアント達が現れたのは偶然ではない。

 ──キラーアントは絶命する際に仲間を呼ぶ強烈なフェロモンを辺りに散布する。散布されたフェロモンを感知した同族は仇討ちとばかりに発生源に移動し、そこに居る冒険者に問答無用で襲い掛かるのだ。

 キラーアントがウォーシャドウと並んで『新米殺し』として呼ばれる最大の所以(ゆえん)がこれである。

 

「まずは背後の二匹を倒す! リリ、援護を頼めるか!?」

 

「し、しかしベル様、私のクロスボウじゃ……!」

 

「牽制だけで充分だ! 頼む!」

 

「……わ、分かりました!」

 

 その言葉を聞いた時には、既にベルは地を駆けていた。

 宣言通り、背後に居る巨大蟻に突進する。キラーアントが反応するよりも前に、ベルは大きく跳躍。迎え撃とうとするキラーアントだったが、ベルの方が微かに早く、すれ違い際に首を切断した。

 絶命したキラーアントが黒灰と化すのを見届けることなく、ベルはそのまま、近くのキラーアントに切りかかる。

 鉤爪の攻撃を弾き(パリィ)し、『鎧』の隙間に《ニュートラル》を刺し込む。さらに力を込め、急所である『魔石』を穿(うが)った。

 

「ベル様! 右のキラーアントが接近中です!」

 

「了解! リリは左の二匹の足止めを!」

 

「はい!」

 

 リリルカに指示を出しつつ、ベルはさらに疾駆する。休む暇など彼にはない。

 二人一組(ツーマンセル)のパーティとはいえ、実質的に戦力となるのはベルだけだ。つまり、ベルが前線を維持出来なくなった時に、このパーティは崩壊する。

 

「せあああああッ!」

 

 ダンジョンに潜る前、予め武器屋で購入しておいた投げナイフを懐から二本取り出すと、そのまま連続的に投擲する。空間を裂いたナイフは一本は外れたが、もう一本はキラーアントの片眼に直撃した。

 

『シャアアアアアアアアアア!?』

 

 視界が半分潰されたキラーアントが悲鳴に満ちた叫び声を出す。紫色の血が噴出し、地面を汚した。

 その隙を見逃さないベルではない。《ニュートラル》の鋭利な切っ先を巨大蟻の首筋に合わせる。

 一瞬の貯蓄(チャージ)。そして、解放(バースト)

 

「うおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 一条の光となり、ベルは駆け抜けた。

 首を大きく穿たれたキラーアントは最期の抵抗とばかりにフェロモンを散布しようとするが、その前にベルがとどめを刺す。

 しかし、キラーアントはまだ残っている。

 ベルは身体を反転させると、すぐに地を蹴り次の戦場に向かう。

 

「こ、このッ!」

 

 そこでは必死に、リリルカがクロスボウから矢を発射している姿があった。

 発射された矢はキラーアントの硬殻を貫通する程の威力を持っていなかった。堅牢な『鎧』に阻まれ、地面には(やじり)が折れた矢が転がっている。

 だが彼女に与えられた任務は討伐ではなく、足止め……時間稼ぎだ。

 ジリジリと少しずつ距離は詰められていたが、彼女は立派に『仕事』を果たしていた。

 

「すまない、待たせた!」

 

 死角から攻撃し、ベルは瞬く間に二匹のキラーアントを屠ってみせると、リリルカにそう詫びを入れた。

 最初の苦戦が何だったのかと彼女は心底思ったが、それを口には出さず笑みを浮かべて「いえ!」と言う。

 

「助けて頂きありがとうございます、ベル様!」

 

「いや……寧ろ礼を言うのは私の方だ。リリが居なかったらどうなっていたか、考えるだけでもゾッとする」

 

 だからありがとう、とベルは張り詰めていた表情を解いてそう言った。

 その無邪気な笑みを見たリリルカはフードの奥で目を見開かせると、小声で、

 

「……どういたしまして」

 

 と、言葉を返した。それから早口で「『魔石』回収します」と、返事を待たずにベルに背を向けた。

 彼からの視線を浴びながら、リリルカは跳ねた心臓を落ち着かせるべく時間を掛けて『魔石』を集める。

 

「終わりました、ベル様」

 

「ああ、ありがとう。それじゃあ行こうか」

 

「はい」

 

 ベル達はダンジョン探索を再開した。

 地図(マップ)を片手に、7階層をゆっくりと慎重に進んでいく。

 探索をする中で、キラーアントとウォーシャドウという、最悪のコンビが立ち塞がったり、数匹のキラーアントと遭遇(エンカウント)したりしたが、ベルはリリルカの支援(サポート)のもと撃破していった。

 そして数時間後。

 二人の前に、下層に続く階段が現れる。

 

「凄いですよベル様! 7階層完全攻略です!」

 

 リリルカが喜びの声をあげる。彼女は続けて言った。

 

「これなら8階層以下も潜れると思います! ベル様、明日からはそうしませんか?」

 

 冒険者は笑みを浮かべてから、「いいや」と、ゆっくり首を横に振った。

 不思議そうに首を傾げるリリルカに、ベルは苦笑してから言った。

 

「まだ駄目だ。下に潜るのは早いと思う」

 

「……そうでしょうか? 何か異常事態(イレギュラー)が起こっても、ベル様なら打破出来る実力があると、リリは思いますが……」

 

「いいや、全然だ。嬉しいけど、リリ、それは買い被りだよ。今は即席の連携でどうにかなったが、これより先に行くならもっと考えないといけないだろう。どちらにせよ、精進しないとなあ……」

 

「……ベル様は向上心がとてもあるのですね! リリ、尊敬します!」

 

「あー……、うん、ありがとう」

 

 リリルカの言葉にベルが歯切れ悪く答えた、その時だった。

 二人の眼下の階段から、賑やかな話し声が届く。リリルカが目深にフードを被り直す中、ベルは万が一に備えて《ニュートラル》に手を伸ばした。

 

「ねえ、本当に良かったのー?」

 

「あのねえ……あんた、まだ言ってるの?」

 

「えー!? だってさー!」

 

「……団長が許可を出したのよ。だから大丈夫よ」

 

「あ、あのっ、私もティオナさんと同じ気持ちです!」

 

「うんうん、やっぱりレフィーヤもそう思うよね!」

 

「……リヴェリアも付き添いで残っているから大丈夫よ。あの子もひょっこりと帰ってくるわ。っていうか、さっきから煩い。ダンジョンなんだから少しは静かにしなさいよ! そうですよね、団長!」

 

「そうだね、ティオネの言う通りだ。(みな)の気持ちは分かるが、此処がダンジョンであることを忘れてはいけないよ。たとえ此処が僕達にとっては安全な場所であっても、ダンジョンに絶対はない──おや……?」

 

 現れたのは、ベルが知っている人物達だった。

 否、彼のみならず迷宮都市(オラリオ)全ての冒険者が彼等のことを知っている。

 都市最大派閥──【ロキ・ファミリア】。その精鋭達が、二人の前に現れた。

 リリルカが息を鋭く呑む中、ベルは笑みを深めて声を掛ける。

 

「フィーン!」

 

「ちょっ、ベル様!?」

 

「おひさー!」

 

 呼びかけに答えたのは、集団の先頭に居た小人族(パルゥム)だった。

 黄金色の髪を揺らし、穏やかな笑みを浮かべて手を軽く挙げる。

 

「やあ、ベル。久しぶりだね、壮健そうで何よりだ」

 

「おいおいおいおい、私達の仲だろう! そんな他人行儀な挨拶はよしてくれ!」

 

「はっはっはっは、今は完全なプライベートとは言えないからね。どうか許してほしい」

 

 二人が仲良く話す一方で。

 彼等の仲間はすっかりと外野となっていた。

 

「あー! あの子、何だっけ! あの時の!」

 

「馬鹿ティオナ! 私達が迷惑を掛けた相手でしょうが! 幹部なんだから覚えておきなさい!」

 

「うぐっ、えっと……──そうそう、思い出した! ミノタウロスの男の子だよね! えっと、確か名前は……」

 

「ベル・クラネルです、ティオナさん」

 

「そうそう! あれ? でもあの子、何でフィンと仲良く話してるの?」

 

「……そりゃあ、まあ、色々とあったのよ。あんたには言っても分からないと思うけど。でもまあ、あんなに楽しそうな団長を見ると……ふふふっ」

 

「ティオネさん、その黒い笑顔を収めて下さい!?」

 

 アマゾネスの姉妹とエルフの魔導士が顔を突き合わせて話す。次に彼女達はリリルカに視線を送った。

 

「あの子、仲間なのかな?」

 

「そうじゃないかしら。見たところサポーターのようね」

 

「あたし、暇だから声を掛けてくる!」

 

「ちょっ、この馬鹿!」

 

 アマゾネスの少女が人好きのする笑顔で、リリルカに近付いた。

 リリルカは此処から逃げ出したくてしょうがなかったが、身体が金縛りにあったように梃子(てこ)でも動かない。

 

「やっほー、はじめまして! あたし、ティオナ・ヒリュテ。君の名前は!?」

 

「……は、はじめまして。リリルカ・アーデと申します」

 

 よろしくねー! と向日葵のような明るい笑顔を顔いっぱいに咲かせるティオナ。

 顔が引き攣らないようにつとめながらも、その裏側では、リリルカは混乱の極致に居た。

 

(自己紹介なんて必要ありません貴方達は都市を代表する冒険者なんですから知っていて当然です!? っていうか、何であの人は【勇者(ブレイバー)】と親しそうなんですかおかしいですよね!? 仮にも相手は都市最大派閥の団長ですよ!?)

 

 沈黙するリリルカを、ティオナは不思議そうに見た。

 姉のティオネが「はあ」と溜息を吐き、事態の収拾を図るために動き、他の団員も自然と彼女に続いていく。

 その様子を、ベルとフィンは数歩離れた位置から見ていた。

 

「あー、すまないねベル。団員が失礼なことをしてしまった」

 

「大丈夫だ、気にしないでくれ。あとで私もフォローするから」

 

「そうしてくれると助かるよ」

 

 フィンはそう一度笑うと「さて」とベルを見上げた。小人族(パルゥム)の碧眼がヒューマンの深紅の瞳を見詰める。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ははは、そうでもないさ。まあ、何度か死に掛けたが……この通り元気だとも。とはいえ、死にかけるのは痛いから嫌だがな」

 

 ベルがそう肩を竦めると、彼の友人は「違いない」と苦笑を返す。

 

「すまない、ベル。見舞いに行こうとも思ったのだが、かえって迷惑を掛けると思っていかなかった」

 

「謝るようなことじゃないさ。フィンにも立場があるからな。その気持ちだけでもうれしいさ」

 

【ロキ・ファミリア】の団長が他所の【ファミリア】の見舞いに行ったという情報が流れれば、色々と邪推する者が現れる。それを回避する為、フィンはベルが【ディアンケヒト・ファミリア】が所有している治療院で入院していることを伝手で知ってはいたが、見舞いにはいけなかった。

 

「しかし……驚いたなあ。まさかもう、7階層を攻略しているとはね」

 

「私だけの力では此処まで到底辿り着けなかったさ」

 

「へえ……駆け出しにありがちな慢心もないようだね」

 

「ところで」と話題転換し。

 フィンはベルから視線を外してリリルカに視線を送る。

 

「おめでとう、君にも仲間が出来たんだね」

 

「ありがとう! 一緒の【ファミリア】だったら尚良かったんだがな」

 

「おや、違うのかい?」

 

「ああ、まあな。何処の【ファミリア】かは本人の許可がないから言えないが」

 

「へえ……」

 

 意味深げにフィンは呟くと、碧眼を細めた。

「フィン……?」と訝し気な声を出すベルに、彼は首を横に振って言った。

 

「いや、何でもない。それよりもベル、何でも先日、アリシアと会ったようだね。彼女が僕に報告してきたよ」

 

「……彼女、何か言っていたか?」

 

「いや、特別何かを言ってはいなかったが……何かトラブルでもあったのかい?」

 

 その質問に、ベルは「ハハハ」と全力の苦笑いで答えた。

 これは何か二人の間で出来事(ハプニング)があったようだと、彼は察したが、友人のよしみで追及するのはやめた。

 

「しかし、残念だな。アイズが此処に居れば良かったんだが……。彼女は今、此処よりもっと下の階層に居てね、会うことは出来ないかな」

 

「あー……すまない。言い訳になってしまうが、約束は覚えているのだが……」

 

 謝罪するベルに、フィンは「仕方がないさ」と言った。

 

「【ヘスティア・ファミリア】は現在、迷宮都市(オラリオ)でも複雑な立ち位置にあるからね。こうして偶然的に会わないと、話は難しい」

 

「本当に申し訳なく思う。アイズには、身の回りがもう少し落ち着いたら此方から伺うと伝えて貰っても良いか?」

 

「それはもちろんだ。何だったら、本拠(ホーム)を訪ねてくれ。主神(ロキ)や他の団員には僕から伝えておこう」

 

「良いのか……? 私達は敵対こそしていないが、敵を陣地に入れるようなものだろう?」

 

「ははっ、客室に通すくらいだったら何も問題ないさ」

 

 そういうことならと、ベルは甘えることにした。いつか必ず行くことを約束する。

 

「ベル達はまだ潜るのかい?」

 

「ああ、そのつもりだ。特にキラーアントとの戦闘に慣れたい」

 

「キラーアントか……あの巨大蟻には駆け出しの頃、僕も相当てこずった記憶があるよ」

 

 へえ、とベルは意外そうにフィンを見てしまう。

 慌てて謝罪するが、彼は「いや、良いんだ」と軽く笑って流した。

 

「今でこそ『階位(レベル)』を上げて下の階層に潜っているけれど、皆、最初の頃は苦労したものさ。それは上級だろうと、下級だろうと変わらない」

 

「なるほどな……覚えておこう」

 

「そんな、覚えるようなことではないさ。さて、そろそろ僕達も行こうかな」

 

 そう言うと、フィンは仲間のもとに向かった。

 

「すまない、皆。友人との再会に嬉しくて、ついつい長話をしてしまった」

 

「いえ団長! 全然大丈夫です!」

 

「ははは……うん、ありがとうティオネ。だからちょっと離れてくれないかな。友人の前でそれは流石にやめて貰いたい」

 

「くぅ……、分かりました……!」

 

 文字通りの血涙を流し、ティオネは渋々ながらもフィンから離れる。それから、想い人から見られない位置でベルを強く睨んだ。

 当然、それに気付かないフィンではない。こめかみに手を当てながら、重い溜息を吐くと「すまないね、ベル」と謝罪する。ベルは苦笑い気味に気にするなと言った。

 

「ベル、機会があったらまた会おう」

 

「ああ、またな!」

 

 再会を約束し、ダンジョン内での束の間の交流はそれを合図にして終わった。

【ロキ・ファミリア】を見送った後、リリルカが「ベル様」と名前を呼んでベルに話しかける。

 

「ベル様はあの方達とどのような関係なんですか?」

 

「友人だな。それがどうかしたのか?」

 

「……いえ、何でもありません。申し訳ございません、変なことを聞いてしまって」

 

「いや……それは全然大丈夫だが。それよりも、さっきは大丈夫だったか?」

 

「ええ、皆さんとてもお優しい方達でしたから。年頃の少女のようでしたよ」

 

 そう言ってリリルカは朗らかに笑うと、殊更に明るい声を出した。

 

「さあ、時間はまだまだあります! リリは何処までもベル様についていきますよ!」

 

「……そうだな。よし、じゃあ探索を再開しようか!」

 

「はいっ!」

 

 二人は頷き合うと、ダンジョン探索を再開するのだった。

 



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女神の問いに、武人は答えた





 

 (かつ)て大陸の果てと呼ばれた場所に『大穴』はあり、そこに、『世界の中心』──迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオはある。

 その中心、天高く(そび)え立つ摩天楼(まてんろう)施設、『バベル』最上階。

 

「……」

 

 美の神フレイヤは悠然と窓際(まどぎわ)に立ち、眼下に広がる光景をじっと眺めていた。銀の双眸(そうぼう)が子供達に注がれ、下界を俯瞰(ふかん)する。それは、絶対的な女王として君臨している彼女だけの特権だった。

 もしこの場に画家が居たら、その人物は美神の様子を後世に伝えようと奮闘するだろう。己の才能、これまでの努力はこの瞬間の為だけにあったのだと、そんな妄想に()りつかれるだろう。

 従者達が主の時間を邪魔しないよう神室(しんしつ)の隅で控える。

 静寂に包まれた空間。

 それが、不意(ふい)に破られた。扉の開閉音が静かに鳴り、空気が震え、訪問者の訪れを告げる。従者達が慇懃(いんぎん)に敬礼する中、その人物はゆっくりとフレイヤに近付いた。

 

「お待たせ致しました、フレイヤ様」

 

 訪問者が声を掛ける。低く、重みのある音色が彼女に届いた。

 フレイヤは眼下の景色を目に焼き付けると、銀の長髪を揺らしながら振り返った。訪問者を見ると、ぱちくりと瞬きし、声を立てて笑う。

 

「ふふ、ふふふっ」

 

「……」

 

「ああ、ごめんなさいオッタル。あまりにも貴方の姿が見慣れないものだから、つい笑ってしまったわ」

 

「…………いえ、お気になさらず。私も滑稽だと自覚しておりますゆえ」

 

 フレイヤは再度謝罪し、無言で引かれた椅子に腰掛けた。「ありがとう」と今度は礼を言い、そこで改めて、直立している自身の眷族を見る。

 オッタルは普段の装いではなく、全身鎧(フルプレートアーマー)を身に纏っていた。頭部のヘルメットこそ女神の御前であるから外しているが、それ以外は金属の鎧でがっちりと隙間なく覆っている。

 偉丈夫の上に重ねられたそれは、ただ硬い『鎧』ではなく堅牢な『城壁』を思わせる。

 

「その鎧は何処で買ったのかしら」

 

「今回一度きりの使用となりますので、適当な武具屋で購入致しました」

 

 そう、とフレイヤは相槌(あいづち)を打つ。

 さらに彼女は、腰に提げられている長剣に視線を送る。

 

「大剣を背中に吊るしていない貴方も随分と久しぶりね。『暗黒期』……【暴喰(ぼうしょく)】の時以来かしら」

 

「……仰る通りです。今回は自身の得物ではなく、相手に合わせた方が良いと判断致しました」

 

「なるほどね……。その剣は?」

 

「防具と同じく、適当な武具屋で購入致しました。ただし、()の少年が使っている武器、それと同等だろう性能を持つ剣を選びました。これならどちらかが折れるということはないでしょう」

 

 なら良し、と主神は自身の神意(しんい)を完全に理解している眷族を褒め、満足げに頷いた。

 大仰に畏まる眷族へ苦笑を浮かべながら、彼女は「さて」と話を切り出した。

 

「報告によると、あの子のサポーターは今日、月一回の【ファミリア】の集会でいないわ。つまり──」

 

「……独り(ソロ)のところを狙える、ということですね」

 

「ええ、その通り。あの子は孤立していなければならない。巨大で強大な壁に直面しなければならない。そして、たった(ひと)りで乗り越えなければならない。それが()()()()()の幕開けを告げるのだから」

 

 それは相手のことをまるで考慮しない、自分本位の考え方だった。

 

「時間が惜しい。あの子はもうダンジョンに潜っているわ。オッタル、最終確認を行いましょうか」

 

「……畏まりました、フレイヤ様」

 

 それから二人は『計画』に綻びがないかを確認していく。

 女神が尋ね、武人が答える。時には、その逆もあった。

 数十分後、問答が終わり、残すは『計画』──否、『試練』の開始のみとなった。

 

「それでは、私は此処で失礼致します。必ずや貴女様の神命(しんめい)を全うし、叶えてご覧になりましょう」

 

 (こうべ)を垂れ、膝を床につけ、ヘルメットを脇で抱え。

 眷族は(ひざまず)いて主神に誓うと、神室(しんしつ)から退室するべく立ち上がった。

 最後に一礼し、彼が神々の領域(プライベートルーム)をあとにする直前。

 女神が「オッタル」と言い、彼を呼び止めた。振り返る彼に、彼女は静かに尋ねた。

 

「あの子と会う前に聞きたい。今貴方は、あの子にどんな印象を受けているのかしら?」

 

「……」

 

副団長(アレン)はあの子のことを『道化(どうけ)』だと評していたわ。『英雄』の『器』ではないと言っていた。ええ、それは彼の言う通りなのかもしれない。事実、あの子は『道化(どうけ)』のように振る舞っているのだから」

 

「…………」

 

「だから、聞いておきたいの。貴方があの子に抱いている印象を」

 

 主神の問い掛けに、暫し、眷族は沈黙を返していた。

 秒針が一周した時、彼はおもむろに口を開ける。

 

「私は()の少年のことを貴女様が御覧になられていた動画でしか知り得ていません。故に恐れながら、その印象となってしまいますが……」

 

 女神の銀の双眸をまっすぐ見詰めながら、武人は、そう断りを入れる。

「構わないわ」と言うフレイヤに、彼は感謝の言葉を述べてから質問に答えた。

 

()の少年は──」

 

 紡がれた言葉。

 都市最強、『頂天(ちょうてん)』たる冒険者──【猛者(おうじゃ)】オッタルの言葉を聞いて、フレイヤは満足したようだった。浮かべている笑みを深いものとし、大きく頷く。

 

「ありがとうオッタル、行って頂戴。任せたわね」

 

「はっ!」

 

 最敬礼し、今度こそオッタルは神室(しんしつ)をあとにする。見送ったフレイヤは暫く銀の瞳を閉じて長考していたが、おもむろに椅子から立ち上がった。

 そして、オッタルが来る前にしていたように再び窓際に立つ。継ぎ目のない巨大な窓硝子(ガラス)からは迷宮都市(オラリオ)を一望することが可能だ。

 彼女は目を細め、眼下の景色を眺める。

 

「さあ、『最強』を相手に貴方はどうするのかしら。戦うのか、逃げるのか、それとも……──私は応援者(ファン)だもの、貴方がどんな選択をしてもそれを尊重しましょう。でも、そうね……我儘だとは分かっているけれど、どうか私を楽しませて?」

 

 ──ねえ、ベル? と。

 そんな呟きが、彼女の唇から零れた。



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嵐の前の静けさ

 

 ダンジョン、8階層。

 此処(ここ)の階層と一つ下の階層、9階層はこれまでのダンジョンの景色と地形が大きく変化する。

 まず広間(ルーム)の数が増え、また広い。広間(ルーム)広間(ルーム)を繋ぐ通路は短いものばかりで、それに伴って天井の高さが10(メドル)近くにもなる。

 壁面も木色に変わり(こけ)(まと)わりつく。それが影響されているのかは分からないが、それまで砂利(じゃり)しかなった地面には短いながらも草が生え草原となっている。頭上の天井から降り注ぐ燐光(りんこう)は太陽を連想させるだろう。

 6階層から『(かげ)異形(いぎょう)』であるウォーシャドウが、7階層からは『巨大蟻』であるキラーアントが出現するが、8階層及び9階層は新種のモンスターは出現しない。その代わり、ダンジョン・ギミックとして出現するモンスターが強くなっている。ゴブリンやコボルトといった低級モンスターもそれは同様であり、雑魚だからと甘く見ていると痛い目に遭う。

 つまり、この二つの階層はこれまでの総まとめだ。

 

「──せああああっ!」

 

 深い踏み込みと同時、ベルは愛剣《ニュートラル》を最上段から振り下ろした。

『グブッ!?』とコボルトは絶叫を上げる。脳天から身体を一直線に切り裂かれ、魔物(まもの)断末魔(だんまつま)(のこ)しながら()った。

 

「ふう……」

 

 ほっと息を吐いたベルは、辺りの地面を見渡す。そこには黒灰と、数々の紫紺(しこん)の結晶体──モンスターの生命の源である『魔石』が転がっていた。

 全て、ベルが倒したモンスター達が遺した『遺品』である。ベルは剣を鞘に納めると、『魔石』の回収を行った。

 ──ベル・クラネルがリリルカ・アーデと正式に長期契約を結んでから早くも数日が経とうとしていた。この間、所属派閥が異なる異色のパーティは到達階層を順調に増やし、9階層にまで進出していた。

 しかしながら、今日、サポーターの少女はベルの傍にいなかった。彼女が所属している【ソーマ・ファミリア】で、今日は月に一回の集会が開かれる為、休暇を欲しいと前日に申し出ていたためである。

 久し振りとなる独り(ソロ)に、ベルは寂しさを抱きつつもダンジョンに潜っていた。独り(ソロ)ということで、今日は安全を考慮して9階層ではなく8階層で狩りを行っている。

 

「うげっ、もう十八時を過ぎているか。しまった、ここ最近はリリに任せっぱなしだったからなぁ……。反省反省!」

 

 サポーターの有難みをひしひしと感じつつ、全ての『魔石』を回収する。

 

「しかし、気の所為か……? 先程からモンスターとあまり遭遇(そうぐう)しないような……。冒険者がこの階層にそれだけ居るということか?」

 

 冒険者がモンスターの産生率を超えるほどにモンスターを狩ると、ダンジョンから産まれ落ちるモンスターが間に合わなくなる。結果、遭遇率(エンカウント)の減少に繋がる。

 

「仕方ない。帰りが遅くなってしまうが、今日は次で最後にするか」

 

 次の進路を決める為に、ベルは懐から一枚の羊皮紙(ようひし)を取り出して広げる。そこにはダンジョンの地形がこと細やかに描かれていた。地図(マップ)と呼ばれるものであり、冒険者はこれを見ながらダンジョン探索を行う。

 これは管理機関(ギルド)が無償で冒険者に支給しているものであり、ダンジョンに挑戦するベル達にとって必需品だ。現在のベルの到達階層は9階層なので、彼は九枚分所持している。近々十枚目を貰おうと考えていた。

 

「よし、行くか」

 

 次の目的地を定め、冒険者は次の狩場に移動を開始する。

 こうして簡易的な任務(ミッション)を課すことで、彼はダンジョン探索への意欲を維持、向上させている。目的や目標なく行うのは非効率的であり、身に力が入らないと考えているからだ。

 横幅が広い通路を進んでいると、

 

『シャアアアアアアアアアアッ!』

 

 一匹のニードルラビットが現れ、ベルに襲い掛かる。

『ニードルラビット』。額に鋭い角を生やした(うさぎ)型モンスターである。普通の兎より少々大きい身体をもったこの魔物は兎らしく俊敏(しゅんびん)な動きで敵を翻弄し、自身の武器である角で敵を貫き、致命傷を負わせる。

 ドロップアイテムでもある『ニードルラビットの角』は武器の素材としても使われ、作られた武器は凄まじい強度を持つ。

 

「……っ!」

 

 一直線に迫りくる、ニードルラビット。

 ベルはぎりぎりまで敵を引き付けると、角で貫かれる直前で身体を大きく(ねじ)ることで(かわ)す。

 ニードルラビットが驚愕で『……!?』と鳴く中、ベルは反撃を開始する。彼我の距離を瞬き一つのうちに詰め、一閃。

 最期(さいご)の瞬間になってようやく、兎は、自分が速さで負けたのだと認識した。しかしその時には遅く、彼は屈辱感を抱きながら絶命した。

 

「うぅーん、なんだか同士討ちをしている気分になるネ」

 

 何故だか複雑な気持ちになりつつ、ベルは地面に落ちている『魔石』を回収しようとする。

 しかし、通路の奥から新手が現れる。二頭のゴブリン、キラーアント、ウォーシャドウが地面を走り、空中に巨大蛾『パープル・モス』が飛んでいる。

 ここまで異なる種類のモンスターが通路という閉鎖的区間で集まっているのは珍しいことだが、ギルドに報告されている事例(ケース)がないわけではない。

 それを見たベルは素早く頭を回転させた。

 

(数が多い。どうする、ここは一回、広間(ルーム)に撤退するか……?)

 

 8階層の通路は基本的には短い。とはいえ、それはあくまでも他の階層と比べた時の話だ。運が悪いことに、ベルは広間(ルーム)広間(ルーム)の中間点に居た。先程まで居た広間(ルーム)に戻るためには、彼の自慢の脚力をもってしてでも数秒の時間を要する。

 

(一番恐ろしいのは挟撃だ。もし背後から襲ってくるモンスターが、今迫りつつあるモンスターと同等、あるいはそれ以上の数が居たら……)

 

 その先を想像し、ベルは指針を定める。

 

(此処で打破するしかない……!)

 

 撤退ではなく、交戦を冒険者は選択する。己に活を入れ、戦闘態勢をとった。

 懐に忍ばせている投げナイフを取り出し牽制しようとしたところで、冒険者は違和感を抱いた。深紅(ルベライト)の瞳を細め、迫りつつあるモンスターの一団を注意して観察する。

 

(何だ……? どうにも様子が可笑(おか)しいような?)

 

 その違和感は正しかった。

 目の前にベルという敵が居るのにも関わらず、今現在に至るまで、どのモンスターも威嚇や警戒の声を上げたりしていない。彼等はすぐそこにベルが居ることに気が付いていないようだった。

 彼我の距離がある程度詰まったところで、モンスターはそこでようやく敵の存在を認知したようだった。集団の先に居る二頭のコボルトが声を上げ、後ろに続いていた他のモンスターも雄叫びを上げる。

 

「せあッ!」

 

 しかしながら、その時にはもう、ベルは動いていた。狙いを定め、投げナイフを二本、連続的に巨大蛾目掛けて投擲(とうてき)する。

 空中を飛んでいたパープル・モスは一本目は避けたが、もう一本のナイフが羽に当たってしまい、悲鳴を上げながら垂直に落下。真下に居たコボルトと衝突する。パープル・モスはぶつかった衝撃で死に至り、小さな体躯のコボルト達は押しつぶされて窒息死した。

 後続のキラーアントとウォーシャドウが同族の()(ざま)に驚く中、ベルは既に黒灰と化している死骸(しがい)を飛び越え、先制攻撃を仕掛ける。

 

(まずは──ウォーシャドウから!)

 

 キラーアントは絶命時に特別なフェロモンを散布し、仲間を呼び寄せる非常に厄介な習性がある。確実に仕留める為、ベルはキラーアントではなくウォーシャドウを先に倒すことにした。

 振るわれた鉤爪を《ニュートラル》で弾きし、ベルは隙を晒すキラーアントの横を通って、ウォーシャドウに切り掛かる。

 

『──、──ッ!?』

 

 三本の黒爪を削ぎ落とし、敵の胸部を貫く。

 消滅する『影』を尻目に、片手剣使いはそのまま大きく腰を落とすと、

 

「うお、うおおおおおおおおおお!」

 

 半回転攻撃を繰り出した。真一文字に振られた《ニュートラル》が、今まさに攻撃してきていたキラーアントの鉤爪と激突する。

 ベルとキラーアント。

 双方の得物がぶつかり合い、激しい火花が散る。

 一瞬の硬直の末、制したのは──剣士だった。

 強化された【ステイタス】、『力』の『基本アビリティ』は巨大蟻の『力』を超えていた。

 身体が大きくよろけ、キラーアントは姿勢を崩す。ベルはさらに一歩踏み込むと、硬殻と硬殻の間に長剣を深く突き刺した。

 

『キシャアアアアアアアアアアッ!?』

 

 体内の『魔石』を穿たれたモンスターは口から紫色の液体を(こぼ)しながら最期に一度(うめ)き、身体を黒灰に変容させた。

 戦闘が終了する。

 ベルは肩で息を吐くと、無性に、草木の上で寝転がりたい衝動に駆られた。自制心で収めると、納刀してから『魔石』を回収する。

 紫紺の結晶が何処にも落ちていないのを確認すると、ベルは通路の奥を目を細めて凝視した。広間(ルーム)の入口は見えるがそこまでで、内部がどうなっているかまでは見えない。

 考えるのは、先程の魔物達の様子。

 

(さっきのモンスター……まるで、何かに怯えていたような……?)

 

 チクリと、脳が静かに警報を鳴らし始めた。引き下がるなら今しかないと訴えてやまない。

 本能がそうすべきだと強く主張する。

 

「──行こう」

 

 だがしかし、冒険者は退路ではなく進撃を選択した。

 いつでも抜剣出来るよう愛剣の(グリップ)を強く握りながら、ゆっくりと進んでいく。

 通路を渡り終え──立方体の広間(ルーム)、その境目に立つ。一辺30(メドル)、高さ10(メドル)はあるだろうか。8階層特有の広間(ルーム)の大きさに圧倒されながらも、ベルは中に入る。

 そして、彼は目の前の光景に呆然と立ち尽くした。

 太陽を思わせる光が草木に降り注ぐ。その草木の中に、きらきらと光を反射させる物質があった。それを確かめたベルは表情を変えてしまう。

 

「『魔石』……!? これが全部!?」

 

 自分の目が節穴なのではないかと、何度も瞬きし、擦ったが、それは間違いではなかった。

 十や二十ではない、五十にも及ぶ数の生命(いのち)の結晶。

 紫紺の結晶、『魔石』が広間(ルーム)の至る所に転がっており、それが無秩序に散らかっている。

 初めて目の当たりにする光景に、ベルは愕然とした。

 

「いったい……何が……?」

 

 掠れた声が自分の口から洩れたということに気づくのに、暫し、ベルは時間を要した。

 刹那。

 ──ゾクリ、と。

 ベルは悪寒と戦慄を覚えた。

 

「…………ッ!」

 

 考えるよりも遥かに早く。

 これまでのダンジョン探索で培われてきた経験が、ベルを動かした。瞬時に《ニュートラル》を鞘から抜き、中段の構えを取る。

 ──広間(ルーム)の中心部に、その者は悠然と立っていた。

 身に纏うは金属製の全身鎧(フルプレートアーマー)。胸部、両腕、両脚、そして顔に至るまで全身を覆っている。男か、女かすら判別はつかない。腰の調革(ベルト)に留められているのは一本の長剣。

 特別、装備が優れているという訳ではない。ベルと同等──駆け出しが抜けつつある冒険者が使うような、言ってしまえば、粗悪品の武具。

 しかしながら、ベルは過去最大限に警戒していた。深紅(ルベライト)の瞳で人物を見据える。

 

「……あなたが、これをやったのか?」

 

 答えが分かり切っている質問を、ベルは敢えてした。

 謎の人物は数秒後、短く答える。

 

「そうだ」

 

 重く低い声がヘルメットの奥から出され、ベルの耳朶(じだ)を打つ。ベルはその声音から謎の人物が男性であると判断した。

 

「……お前が、ベル・クラネルだな」

 

 それは、質問という(てい)こそしているが、その実、質問ではなかった。

 故に、ベルは無駄な問答を飛ばすために首肯する。

 男はゆっくりと手を鞘に伸ばしながら、言葉を続けた。

 

「ベル・クラネル。駆け出しなのにも関わらず銀の大猿(シルバーバック)を撃破した『期待の新人(ルーキー)』」

 

「……!」

 

「お前が次代の世代を牽引(けんいん)する『器』の持ち主かどうか……俺に()せてみろ」

 

 そう言うと、男は鞘から長剣を抜いた。

 

「待ってくれ、そもそも貴方はいったい……!?」

 

 ベルの必死な訴えを、男は無視した。

 彼と同じように中段の構えをとり、その剣の切っ先を向ける。距離は十分離れているのにも関わらず、喉元に突き付けられているような、そんな錯覚を片手剣使い(ソードマン)は覚えた。

 大量の冷や汗をかく少年に、男は言った。

 

「知りたければ、剣で聞くが良い」

 

 分からないことがあまりにも多すぎる。頭が混乱する。

 何よりも、脳が、『逃走』しろと訴える。戦いにすらならないと生存本能が確かに告げる。ああ、それは正しいのだろう、とベルは思う。

 

「────」

 

 濃厚な『死の気配』を感じる。此処まで自分が『恐怖』を抱き、『死』を覚悟したのはいつ振りだろうかと、ベルは考えた。

 銀の大猿(シルバーバック)の時か。あるいは、猛牛(ミノタウロス)の時か。

 ()

 それは否だ。

 (さかのぼ)り、(よみがえ)り、想起されるのは遥か昔日(せきじつ)の記憶だ。今も尚『魂』に刻み込まれ、決して色褪(いろあ)せない記憶──それは言わば、少年の『原点』。

 ダンジョンにあるまじき無音。完全な静寂が広間(ルーム)を支配する。

 そして、彼は──ベル・クラネルは。

 静かに、深紅(ルベライト)の瞳を開眼(かいがん)させた。

 呼気を整え、闘志を燃やす。

 分からないことは依然と多い。だが、此処で応えなければならないと、そう思った。

 

「──来い」

 

 その言葉に、ベルは。

 額から一滴の汗を流しながらも、にやりと、いつものように笑って返してみせた。

《ニュートラル》の(グリップ)を握る手にさらなる力を込める。

 中段から下段に剣を構え直し、

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお──ッ!」

 

 腹の底から雄叫びを上げながら、冒険者は地面を一直線に駆け抜けた。

 



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期待の新人(ベル・クラネル)VS謎の冒険者





 

 草木が舞い上がる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお──ッ!」

 

 雄叫びを上げながら、片手剣使い(ソードマン)はロングコートを(なび)かせながら高原を駆ける。

 下段突進技。間合いに入った瞬間、ベルは《ニュートラル》を斜め左から斬り上げた。ベルの最大の武器──『敏捷』を活かした先制攻撃からの一撃必殺。

 これまで戦ってきたモンスターだったら、今の一撃で首を()ねていただろう。そうではなくとも戦況を彼のペースに持ち込めていただろう。

 ()()()()()

 ベルの必殺の一撃はいとも容易く、敵の長剣によってとめられていた。強引に押し込もうと力を入れるが、まるで岩のように梃子(てこ)でも動かない。

 

「……ッ!」

 

 ベルは飛びのくと、(まじり)を決して立ち向かう。

 

「せああああああああああああッ!」

 

 片手剣使いはこれまで培ったきた剣技を繰り出した。

 真上からの振り下ろし。真下からの斬り上げ。水平斬り。突き技。

 それら全てがあっさりと難なく長剣で受け止められ、阻まれる。特別な技術は何もなかった。受け流しているわけでもなければ、小手先の技術を弄しているわけでもない。

 ただ、ベルの一撃一撃を真正面から全て受け止める。

 赤子の手をひねるように、男は淡々とベルの攻撃を()()した。

 

(強い……! 途轍(とてつ)もなく、強い!)

 

 これまで戦ってきたモンスターとは比べ物にならない強さにベルは(おのの)いた。浮かび上がった生唾(なまつば)を飲み込み、ベルは完全とまではいかずとも彼我の実力差を感じ取った。

 

(『昇格(ランクアップ)』をしているのは間違いない。『階位(レベル)』はLv.2……いや、それ以上か!?)

 

 自身との隔絶とした『器』の差に、ベルは思わず一人の友人を思い浮かべる。

 尊敬している、一族復興の為立ち上がったという小人族(パルゥム)の友人を。

 彼と一回ダンジョンに潜った時、ベルは無理を言って彼が戦うところを見させて貰っていた。

 その時に感じた戦慄(せんりつ)畏怖(いふ)憧憬(しょうけい)を──ベルは今、目の前の男にも抱いている。

 しかし同時に、『違和感』も覚えていた。

 

(『神の恩恵(ファルナ)』による『階位(レベル)』の差があるのは、まだそれは良い! 私と彼に雲泥(うんでい)()があるのも潔く認めよう! だが──)

 

 彼は、そう、思わずにはいられなかった。

 

()()()()()()()()()!? ()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

 幾度攻撃を放てども、敵の姿勢を崩すことが出来ない。その堅牢さは『城壁』──否、『要塞』すら思わせる。

 男はまるで壊れた魔道具(マジックアイテム)のようにして、ベルの攻撃を正確無比に次々と落としていく。男の動きには無駄が一切なく、ベルは彼との天と地の差を見せ付けられる。

 二連撃の水平斬りが処理された時、

 

(そうか……!)

 

 ようやく、ベルは『違和感』の正体を悟った。

 自分の推測を確かめる為、彼は再度斬り掛かる。下段からの斬り上げ──ではなく、フェイントを入れ、鋭い突き技を放つ。だがベルの攻撃はまたもや男によって受け止められる。

 激しい火花が散る中、ベルはついに確信を抱いた。

 

(やはりそうだ! 私の動き全てが読まれている! 私の剣の太刀筋、予備動作、攻撃動作、そして私でさえ自覚していない癖さえも、この男は知っている!)

 

 ベルは目の前の男のことを知らない。他者との繋がりを尊ぶ彼は、これまでに出会ってきた全ての人々を記憶している。故に、男とは初対面だと断言出来る。

 だが、男はベルのことを知っているようだった。そのことからベルは、恐らく、今回の戦闘は綿密な計画の元で行われていることを推測する。

 

(まずい、情報戦で既に私は負けていた!)

 

 この時初めて、ベルは焦りを感じた。

 それまでは冷静だった思考が徐々に纏まりを無くしていき、冴えていた剣技が精細さを欠けていく。

 

(クソッ、何か、何か手はないのか……!?)

 

 自身の技が全く通じない現実に打ちのめされそうになるも、強靭な意志の力で恐怖と絶望を振り払い、ベルは深紅(ルベライト)の瞳で前だけを見据える。

 

「うお、うおおおおおおおおおおおっ!」

 

《ニュートラル》を閃かせ、右上からの斜め斬りを雄叫びと共に放つ。だがこれさえも軽くあしらわれ、ベルは体勢を崩し致命的な隙を晒してしまう。

 大量の冷や汗が流れ、顔を歪める。防御は間に合わない。ベルは自身が長剣で斬られ、地に伏すのを覚悟した。

 

「……」

 

 だが。

 剣がベルの身体に当たる直前で、男は振っていた手をとめた。

 ()()()

 ベルは驚愕で目を見開きつつも、即座に体勢を整え、大きく距離をとる。追撃を彼は恐れていたが、男はそれをしなかった。ベルをヘルメットの奥から見詰め、本来だったら今ので終わりだったと暗に告げる。

 見逃されたことにベルは唇を噛み締め、男を強く睨む。

 

「…………」

 

 しかしながら、男は悠然とした佇まいを一切崩さない。ヘルメットで顔を隠している彼は、やはり、無言のまま剣を中段で構え、その鋭い切っ先を向ける。

 ──お前の力はこんなものか。

 ヘルメットの奥から、ベルは、そう言われた気がした。

 ならば、と。

 乱れていた呼吸を整え、深紅(ルベライト)の瞳を極限まで細める。闘気(とうき)を練り上げ、集中する。

 ベルはゆっくりと攻撃の予備動作に移った。腰を落とし重心を限界まで下げ、左手を前方に(かざ)す。剣を持っている右手を肩の上で大きく引き、狙いを定めた。

 貯蓄(チャージ)……──そして、解放(バースト)

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお────ッ!」

 

 一条の光となり、ベルは一直線に(くう)を駆け抜けた。いっそ愚直なまでに進み続け、加速し、彼我の距離を瞬く間に詰める。

 ──突進攻撃。

 ベルはありったけの意志を込め、その攻撃を繰り出した。

 だがそれさえも、男には届かなかった。その場から一歩も動くことなく男は剣の刀身で受け止め、完全に防いでみせた。

 防がれた反動で身体が仰け反りそうになるも、ベルはそれに抗い身体を無理矢理動かす。

 

「まだだ……ッ!」

 

 悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、そこから一歩、さらに踏み込む。

 そして、連続攻撃を行う。剣を振る右腕を加速させ、剣士はギアをさらに上げた。

 

「あああああああああああああああああああ──ッ!」

 

 高速で突き技を何度も放ち、敵の防御を崩そうと試みる。しかしそれだけではまるで足りないと告げるかのように、男は何処までも冷静に対応し、次々と攻撃を落としていった。

 本来片手直剣(ワンハンド・ロングソード)は、長槍(ジャベリン)細剣(レイピア)のような、突き技に特化した武器種ではない。用途はあくまでも斬撃だ。無理な使い方をすれば通常よりも遥かに消耗し、壊れるだろう。

 ならばと、ベルは突き技をやめた。見破られると分かっていながらフェイントを入れ、《ニュートラル》を上段に構える。そこから振り下ろし、斬り上げ、そして、大きく跳躍し──落下と共に全力の上段斬りを放った。

 だがしかし、ベルの渾身の一撃を、男は剣ではなく左手の人差し指と中指で挟んで(つか)んだ。

 

「なッ……!?」

 

 有り得ない防ぎ方に愕然とするベルは、瞬間、今が戦闘中であることを忘れてしまった。

 男は剣士の動揺を見逃さず、ここでようやく初めて迎撃行動に移った。その丸太のように太い腕を突き出し、大きな掌でがっちりとベルの腕を摑む。そして大きく薙ぎ、ベルを放り投げた。砲丸のように飛ばされ、ベルは壁面に背中から打ち付けられる。

 骨が砕ける音と衝突音が混ざり合って大きく鳴り、広間(ルーム)に響き渡る。

 

「が、ぁ……っ!」

 

 ベルは『くの字』になって地面に倒れた。えずきながら口から大量の血を吐き散らし、緑色の草木を赤い液体で変色させる。苦悶で顔を歪め、呻き声を出すのをやめられない。全身が燃えような痛みが、痛苦(つうく)が、連続的且つ断続的にベルを襲う。

 だが、ベルがその痛みに浸っている時間はなかった。

 ピキ、ピキッ、と小さな音が芽吹き、大きくなっていく。

 ベルが激突した部分を中心に亀裂が走り始めたのだ。それは枝木のように壁面全体に広がっていく。その数秒後、本格的に決壊を始めた。

 ()()

 それはまるでダンジョンが悲鳴を上げているようでもあり、また、怒りの声を上げているようでもあった。

 

「──ッ!」

 

 ベルが剣を杖にして身体を起こした時には、もう、遅かった。流星群が降ってかかる。

 瓦礫と化した壁に埋もれる直前、ベルは顔を向けて男を見る。

 男はその場から一歩も動かず、やはり、ただ悠然とそこに佇んでいた。ヘルメットの奥でどのような表情を浮かべてるのか、ベルはそれが気になったが、それを知ることは出来なかった。



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『洗礼』

 

 ダンジョン8階層。

 数多くある広間(ルーム)の中で、その広間(ルーム)は半ば崩壊していた。四面ある壁面のうち、一つが完全に崩落してしまっている。(こけ)が纏わりついている瓦礫の山が積まれていた。

 通常なら有り得ない光景。

 多くの冒険者が、これはダンジョンの異常事態(イレギュラー)だと考えるだろう。しかし、それは違う。この事象は人為的に引き起こされたものであり、ダンジョンが(もたら)した災禍(さいか)ではない。

 そして、その犯人は広間(ルーム)の中心部に立っていた。全身を鎧で覆っているその男は悠然と佇んでいる。

 

(──しまった。加減を間違えてしまった)

 

 ヘルメットの奥で、男──オッタルは悩まし気な表情を浮かべていた。

 傍から見たら無表情そのものであったが、彼の主神が今の眷族を見たら盛大に笑うだろう。

 

(分かっていた事とはいえ……やはり、手加減というものは難しい……。白妖精(ヘディン)だったらもっと上手くやれたのだろうか……)

 

 ヘルメットで押しつぶされている猪人(ボアズ)の特徴的な両耳がさらに押しつぶされる。そして彼は深々と溜息を吐いた。

 

(防御の際の制限(ハンデ)はないが……攻撃をする際、フレイヤ様から言い渡されていた制限(ハンデ)はLv.2になりたての冒険者程度。先程のあれは明らかにそれを超えていた……)

 

 自分の愚かさに呆れて何も言えなくなった彼は、死んでもこの事は、主神以外には口外しないことを決めた。

 副団長の猫人(キャットピープル)小人族(パルゥム)の四兄弟にでも聞かれたら罵倒と嘲笑が贈られるだろうからだ。口下手なオッタルはその口撃(こうげき)にとてもではないが堪えられないだろう。

 

()()()()()()()()()()()()()()……まずは生存しているかどうかだな……)

 

 オッタルは目の前の瓦礫の山を見据えた。

 彼としては、今すぐにでも救出したいところではあるのだが──救える生命があるのなら、救った方が良いだろう──それは駄目だと主神からきつく言い含められている。

 とはいえ普通なら、死んでいると考えるのが妥当だろう。

 いくら『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれていて『耐久(たいきゅう)』の『基本アビリティ』の数値が高くても、人間なのだから死ぬときは死ぬ。

 オッタルのように『階位(レベル)』の昇華を幾度も重ねればその限りではないが、崩落に巻き込まれた少年はLv.1の下級冒険者。ましてや彼の戦闘様式(スタイル)から推測されるに『耐久』の数値は最も低いだろう。

 それ故に、少年は既に息絶えていると考えるのが普通だ。瓦礫の下には亡骸があると考えるのが普通だ。

 ()()()──と。オッタルはその考えを両断した。

 

(目が死んでいなかった。ならば、生きている。生きていなければならない)

 

 崩落に巻き込まれる直前、オッタルは目的の少年──ベル・クラネルと目が合った。絶望に襲われながらも、深紅(ルベライト)の瞳はその輝きを失っていなかった。

 紅玉(ルビー)を連想させる少年の瞳には光が灯り『生』への執着があったと、オッタルは思う。

 

(フレイヤ様から仰せつかった神命、必ずや果たさなければ……)

 

 オッタルの任務は二つある。

 一つ目は──ベル・クラネルを徹底的に痛めつけること。

 これはある程度達成しているとオッタルは判断している。この目的は少年に『洗礼』を与えること、そして『泥』を被らせることだ。

 駆け出しという身でありながら、少年は銀の野猿(シルバーバック)を討伐している。それがたとえ『魔剣』の一撃であろうとも、それまで死闘を繰り広げたのはあくまでも少年自身だ。他の団員がどう思っているかは知らないが……オッタルは、少年の『執念』が『運命』を『必然』に変え、『奇跡』を手繰(たぐ)り寄せたのだと思っている。

 だからこそ、フレイヤは少年に一度『敗北』を与えたいのだろう──オッタルは彼女の神意(しんい)をそのように汲み取っていた。

 

 ──何故なら、『勝者』は常に『敗者』の中にいるのだから。

 

 フレイヤは、天地がひっくり返っても到底及ばない相手がいることを少年に教えたいのだ。そしてそれが務まるのは、都市最強の冒険者であり『頂天(ちょうてん)』たるオッタルだけ。

 とはいえ、

 

(あまりにも早過ぎる……)

 

 何も、自分と少年をぶつけるのは今でなくとも良いとオッタルは思う。それこそ『昇格(ランクアップ)』した時にでも行えば、井の中の蛙であることを伝えられるだろうに。

 だが、早過ぎるとは思うが──逆に言えばそれだけだ。時期尚早(じきしょうそう)ではある。もしオッタルがフレイヤに訴えればもう少し後になったかもしれない。しかしそれは先送りでしかなく、早いか遅いかの違いでしかない。

 それが分かっているからこそ、眷族の彼は主神の神命(しんめい)に従うのみである。

 前述したように、彼は、一つ目の任務はある程度達成していると考えている。

 少年の剣技を、彼は全て()()した。少年が繰り出した数々の攻撃を、彼は全て落とした。

 それは、オッタルとベルの間に隔絶とした『階位(レベル)』の差があるから出来た。それは、これまで培ってきた『技』と『駆け引き』に歴然とした差があるから出来た。

 ()()()()()()()()

 オッタルはベル・クラネルの全てを知っていた。剣の太刀筋から、予備動作、攻撃動作、そして自覚していない癖に至るまで彼は事前に知っていたのだ。

 

(あの観賞会も、この時の為だったと思えば……)

 

 オッタルをはじめとした全構成員が巻き込まれた【フレイヤ・ファミリア】の黒歴史(トラウマ)。汚点ともいえるそれを思い出し、彼はヘルメットの奥で苦々しい表情を浮かべた。

 それは、フレイヤと一緒に一つの動画を観ることだ。

 これだけを聞くと『何だ、そんなことか』と思う(やから)が出るだろう。寧ろ、『美の女神と一緒に時間を過ごせるだなんて最高じゃん!』と、きっと思うだろう。

 だが、違う。それは違うのだと、オッタルは思わずにはいられない。

 あれは正しく苦行だったのだと──仲が決して良くない【フレイヤ・ファミリア】全ての眷族は口を揃えて言うだろう。

 

 ──主神と観た動画の内容を一言で言うならば、『死闘』だった。

 

 一人の少年(ベル・クラネル)銀の野猿(シルバーバック)と生命を削り合い、殺し合う『死闘』。

 主神が最近執心している少年の戦う動画を観るのは、苦痛だ。それは当然のことだろう。何で身も心も、文字通り全てを捧げている彼女と一緒に、彼女が気にかけている男の動画を観なければならないのか。これには多くの眷族が彼女に直接苦情(クレーム)を入れた。しかし彼女は鼻歌を歌うだけでまるで聞き入れず、童女のようにきらきらと瞳を輝かせて、一緒に観ようと誘ってくる。恋慕している相手にそんなことを言われたら、従うしかない訳で。

 渋々ながらも彼等はその誘いに頷いた。

 動画を観た後、殆どの眷族達は一応の納得をみせた。甚だ認めがたくはあったものの、その動画、その『死闘』には人を惹き付け、夢中にさせるものがあったのだ。

 そうして、彼等はさらに考えた。

 きっと我等の主神はこの動画を通して、もっと精進するよう我等に伝えたかったのだろう、と。

 ならばそれに応えなければならない。女神の期待に応えずして何が眷族か。都市最強派閥に属している者として、やらなければならないことがある。

 新たな武勲(ぶくん)を立てようと決意し、衝動に駆られるままダンジョンに突入しようとする眷族。しかし、フレイヤはそんな彼等に声を掛けた。

 

『あら、何処に行くの?』

 

『…………はい?』

 

 眷族達は首を傾げた。

 そんな彼等を彼女は不思議そうに見て、

 

『ほら、もう一度観ましょう?』

 

 と、誘った。

 唖然とする彼等を尻目に彼女は端末を操作し、動画を再生させた。

 出鼻が(くじ)かれてしまったが、再生されてしまった以上仕方がない。彼等はもう一度付き合うことにした。

 そして終わった時、今度こそとばかりに彼等はフレイヤに挨拶をしようとする。しかし時遅く、その時には再び動画が始まっていた。『神の力(アルカナム)』を本当に封印しているのかと彼等は一様に思った。

 流石に三回目となれば飽きがくる。立体映像機(スクリーン)の画面に大きく映っている少年が死なないかなぁと、寧ろ、モンスターであるシルバーバックを胸中で応援することにした。

 数分後、動画が終わる。

 

『さあ、もう一度観ましょうか』

 

 フレイヤはそう言って、とても素晴らしい笑顔で端末を操作する。そんな彼女に眷族は恐る恐る尋ねた。

 

『あ、あのフレイヤ様……?』

 

『……? どうかしたのかしら?』

 

『一つお聞かせ願いたいのですが……あと何回ほど御覧になられるおつもりでしょうか?』

 

 その質問に、フレイヤは心底不思議そうに首を傾げて言った。

 

『回数は分からないわ。私が飽きるまでよ』

 

『さ、左様ですか……』

 

『ええ、そうよ。さあ、もう一度一緒に観ましょうか!』

 

 笑顔でそう言う女神を、誰がとめられようか、否、誰もとめられない。

 それから【フレイヤ・ファミリア】全団員は『冒険』に臨んだ。ダンジョンに潜っていた団員を引き戻し、わざわざ専用のシフト表さえも制作したほどだ。このシフト表を作るにあたっても、当然、犬猿の仲である彼等であったので大いに揉めた。なお、主神の許可のもと単独で『遠征』に行っていた副団長の猫人(キャットピープル)には多くの非難が寄せられ、彼のシフト時間は他の者よりも増えた。

 しかしこれを乗り越えた者はごく僅か。歴戦の第一級冒険者のみ、この『冒険』を突破した。とはいえ、彼等も無傷で突破したわけではない。解放された頃には、精魂尽きたように死んだ魚の目になっていた。バベルから出て太陽の光を浴びた時、そこでようやく彼等の生命は完全に吹き返した。

 この観賞会により【フレイヤ・ファミリア】は、事実上、機能停止した。もし【ロキ・ファミリア】が抗争を仕掛けてきたら危なかったと、オッタルは割と本気(ガチ)で思っている。

 ──兎にも角にも。

 話が大きく脱線してしまったが、そのような経緯があって【フレイヤ・ファミリア】に所属している殆どの眷族はベル・クラネルに対して特効があるのだ。

 

(一つ目は問題ない。問題は、二つ目だ──)

 

 一つ目は順調だ。

 問題は二つ目にあるといって良い。

 二つ目の任務は──ベル・クラネルに『魔法』を使わせることだ。

 少年が魔導書(グリモア)を読んだのをオッタルは知っている。作戦決行前は、そのあまりの杜撰さで上手くいくのかと思っていたが、何とか少年の手に渡り、そうして彼は『魔法』を発現させた。

 この『()()()()』で、少年に『魔法』を使わせること。これが二つ目の任務だ。

 しかし、これはとても難しい。発現した『魔法』がどのようなものか分からない以上、オッタルも迂闊な行動は出来ない。

『魔法』の可能性は文字通り無限大だ。先天系ならある程度の傾向があるが、後天系──ましてや最高品質の魔導書(グリモア)なら、使用者の望む『魔法』が修得出来るだろう。

()()()()、『()()()()。『階位(レベル)』の差をひっくり返すことも充分に可能であり、大番狂わせ(ジャイアントキリング)が起こることは何も珍しくない。

 それ故に、オッタルは最大限警戒する。

 しかしながら少年に『魔法』を使わせることが目的である以上、オッタルは初見で対応しなければならない。『未知』に挑むということが『冒険』だというのならば、彼は今『冒険』していると言えよう。

『魔法』や『スキル』はその者を映す鏡だ。その者が歩んできた軌跡(みち)が、紡いできた物語(ものがたり)が大きく関係してくる。

 何に関心を抱き、認め、()がれ、愛し、憎み、喜び、怒り、哀れみ、嘆き、崇め、悲しみ、憧れ、(すが)り、そして渇望するか。

 その者の強い意志(ねがい)が『魔法』や『スキル』となるのだ。

 

『あの子の周りはとても面白いわ。ええ、とても面白い。駆け出し冒険者でありながら多くの冒険者と(えにし)が交わっている。【戦場の聖女(デア・セイント)】、【勇者(ブレイバー)】、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】、さらには【純潔の園(エルリーフ)】まで──都市を代表する冒険者と、彼は何故か繋がりがある』

 

 女神がそう言っていたのをオッタルは思い出した。

 ならば、少年はどのような『魔法』を発現させたのだろうかと、彼は考える。

 攻撃魔法かもしれない。少年は『英雄』を目指している。それならば数々の英雄達が使ってきたような、業火や暴風といった超常現象を引き起こす『魔法』かもしれない。

 あるいは、回復魔法かもしれない。【戦場の聖女(デア・セイント)】と交流があるのなら、彼女に影響を受けていても何ら可笑しくない。それこそ彼女に酷似している『魔法』かもしれない。

 あるいは、付与魔法(エンチャント)かもしれない。発現している者は少ないが、非常に強力な『魔法』だ。炎や風といった『属性』を身に纏うことが出来る付与魔法(エンチャント)は攻守ともに非常に優れている。

 あるいは、それ以外の『魔法』かもしれない。

 そこまで考え、オッタルは、唇の端が僅かに吊り上がっているのを自覚した。

 

藻搔(もが)き、足掻(あが)き、弱さを呪い、死への恐れを捨てた者だけが、己の限界を超え高みを目指すことが出来る。名も無き少年(ベル・クラネル)──お前にその覚悟があるか?)

 

 眼光を鋭くし、オッタルは物言わぬ瓦礫を見詰め続けた。

 そして──()()()()()()

 異常なまでに発達した聴覚が、小さな物音を拾う。瓦礫の山が微かに、しかし確実に動いたのだ。

 ──刹那。

 地面に幾何学的(きかがくてき)な紋様が走る。それは『魔法』が発動されることを告げる(しら)せだ。

 

 

 

「──……【笑おう、たとえどんな苦難があろうとも】

 

 

 

 その呟きが静かに零れたのを、オッタルは確かに()いた。彼はヘルメットの奥で唇を曲げると、その現象を眺める。

 紋様は広間(ルーム)全体に広がり、時間の経過と共にそれは濃くなっていく。大小の黄金の粒子が浮かび上がり、立ち(のぼ)っていく。

 そして瓦礫の山が崩れ、一人の剣士が現れた。

 胸当てをはじめとした防具は破損しており、その機能は完全に失われている。邪魔だと判断したのだろう、防具を捨ててロングコートを身に纏っているだけとなっていた。

 処女雪を思わせる白髪は灰を被ったせいで穢れているが、紅玉(ルビー)を連想させる深紅(ルベライト)の瞳は眩い輝きを放っていた。

 

(負っていただろう傷が完治している……? 回復薬(ポーション)──いや、恐らくは万能薬(エリクサー)か)

 

 万能薬(エリクサー)は生きてさえいればどんな傷も治癒(ちゆ)する効能を持つ。その単価は非常に高く、駆け出し冒険者が所持できるような物ではない。

 しかしそれは、普通の駆け出し冒険者ならの話だ。

 

(なるほど……フレイヤ様が仰っていた【戦場の聖女(デア・セイント)】が過保護とは、こういうことだったか……)

 

 オッタルは腑に落ちた。そして彼は、それを卑怯だとは思わない。人との繋がりもまた、その者の強さだからだ。

 寧ろ、その方が都合が良い。

 意識を切り替える。表情を引き締めたものにした武人は腰の鞘から抜いた剣を上段で構え、その時をじっと待った。

 

 

 

§

 

 

 

 大小の黄金の粒子が紋様から立ち昇り、少年の身体を優しく包んでいく。

 少年は、歌を長く()んでいた。

 ──()()()()()

 オラリオでも限られた魔導士しか修得していない『魔法』である。

 魔力を練り、『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を起こさないように制御するのが難しいのだろう。少年は長剣を地面に深く刺し杖代わりにし、身体を支えていた。

 

「──【約束の刻がきた。さあ、『喜劇(きげき)』を始めよう】!

 

 ついに『詠唱』を完了させた少年は──ベルは、にやりと不敵に笑い。その『魔法』を高らかに(とな)えた。

 

 

 

「──【アナステイスィス・イロアス】!

 

 

 



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魔法(アナステイスィス・イロアス)

 

 歌が、()まれていた。彼は、長い、とても長い歌を()んでいた。

 名も無き少年(ベル・クラネル)が紡ぐのは彼の想い(いし)だ。

 そして、対峙している全身型鎧(フルプレートアーマー)の男──オッタルはその歌を()いていた。

 ()()()()()()()()

 それは当然のことだ。敵が『切り札』を切るのを黙って見逃すのは余程の間抜けだけだ。彼が攻撃を仕掛ければその瞬間にベルは『詠唱』をやめるだろう。辛うじて制御できていた魔力が暴れ『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を引き起こすかもしれない。膨大な魔力が爆発し巻き込まれたら、最悪、ベルは死ぬだろう。

 だが、今回だけは見逃さなければならない。何故なら、今回の『手合わせ』の目的の中には、ベル・クラネルが発現させた『魔法』を確認することが含まれているのだから。

 

「──【約束の(とき)がきた。さあ、『喜劇(きげき)』を始めよう】!

 

 広大な草原に刻まれていた、幾何学的(きかがくてき)紋様(もんよう)が一際輝く。広間(ルーム)全体に展開されていたそれがそうなるものだから、現在、広間(ルーム)は光で満ちていた。

 自分には害がないことを確認したオッタルは、その紋様をじっと観察する。最初は『魔法円(マジックサークル)』だと思っていたのだが、それは違うと自身の考えを否定した。

 

(奴の『階位(レベル)』はLv.1。魔法円(マジックサークル)を出現させられない筈だ……)

 

 魔法円(マジックサークル)を展開する為には、基本アビリティから派生した発展アビリティ『魔導(まどう)』が必要だ。

『魔法』を極めし者──エルフをはじめとした魔法種族(マジックユーザー)が最たる例──が『昇格(ランクアップ)』を通じて発現することが可能な、『スキル』とは別枠の魔力特化項目。威力強化、効果範囲拡大、精神力(マインド)効率化など、『魔法』を行使するうえで様々な補助を(もたら)魔法円(マジックサークル)は、『魔導』の発展アビリティを手に入れた上位の魔導士の(あかし)であり、魔導士を目指すなら必要不可欠とされている。

 つまり『昇格(ランクアップ)』を果たしていなければ『魔導』は修得出来ず、同時に、魔法円(マジックサークル)も展開されない。ベル・クラネルの『階位(レベル)』はLv.1であり、その実態は下級冒険者だ。ましてや彼は片手剣使い(ソードマン)であり、主神から魔導士を目指しているだなんてことをオッタルは一度も耳に入れていない。

 

(そうなると……これは魔法円(マジックサークル)に似て非なるものということになる。恐らく、奴の『魔法』に関係しているのだろう。そうでないと説明がつかない)

 

 立ち昇っていた数々の黄金の粒子がベルの身体を優しく包み込む。それはまるで新たな生命(いのち)芽生(めば)えたかのような、美しい光だった。

 来る──と。

 オッタルはその(とき)が来たことを悟った。(さび)色の瞳を剣先のように細め、相手を見据える。

 

 

 

「──【アナステイスィス・イロアス】!

 

 

 

 名も無き少年(ベル・クラネル)が咆哮する。

 その魂の雄叫びが引鉄(トリガー)となり、『魔法』が完成された。眩い閃光が走り、広間(ルーム)を一瞬覆う。

 光が収まる共に、展開されていた紋様が消失する。

 そしてオッタルはヘルメットの奥で驚愕の表情を浮かべ、目を大きく見張った。

 黄金の光粒を身に纏ったベルがそこには居た。数えるのも億劫になるほどの(なが)き闘争に身を置いてきた彼であったが、目の前の現象は今まで見たことがない。

 自派閥の魔法剣士──【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】や、敵対派閥ではあるが都市最強の魔導士──【九魔姫(ナイン・ヘル)】なら、この現象を説明出来るのだろうかと、彼は考えた。とはいえ、居ない人間のことを考えても意味はないのだが。

 

(最も可能性が高いのは付与魔法(エンチャント)だが……いや、違うな。『根幹』が違う。これはまるで──伝承にある精霊の加護のようだ……)

 

 攻撃魔法でも、回復魔法でも、付与魔法(エンチャント)でもない。一目見ただけでは判別つかない『魔法』。

 今オッタルは『未知』に遭遇している。そのことを認識した瞬間、彼は自身の冒険者の血が騒ぐのを感じた。

 広間(ルーム)には再び静寂が訪れる。しかしそれは先程までの静寂とはまるで違う、嵐が来ることを告げるものだった。

 ベルはロングコートの内ポケットから手記と羽ペンを取り出すと言った。

 

(つづ)るぞ、英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルがダンジョン探索を行っていると、全身鎧(フルプレートアーマー)の男が突如として現れた。剣を此方に向けて立ちふさがる男に、彼は自身の敗北を予感する。しかし彼は感情に突き動かされるままに自身も愛剣を抜き、『切り札』である『魔法』を行使して挑みかかるのだった!』──我が真名(しんめい)はベル・クラネル。行くぞ、名も知らぬ冒険者よ!」

 

 ベルは地面に深く刺していた長剣を抜くと、その鋭い切っ先をオッタルに向けた。深紅(ルベライト)の瞳を強く輝かせる。

 オッタルはその言葉、その気高き意志に応える為、短く答えた。

 

「──来い」

 

 にやりとベルは笑うと、地面を強く蹴った。

 先程の戦闘の幕開けと同様、下段突進攻撃。片手剣使い(ソードマン)は雄叫びを上げながら広原を駆け抜け、彼我の距離を詰める。

『魔法』の効果を確認する任務がある以上、オッタルは迎撃行動に移れない。少なくとも最初の一回は身体を張って受けなければならない。それ故に、彼が出来るのは防御のみ。警戒しつつ、彼は基本の構えを取ろうとし──目を見開かせた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 すぐ目の前に、ベルが居たのだ。既に間合いに入っている、ベルが。剣士は今まさに下段から上段へ斬り上げようとしていた。

 

「──ッ!」

 

 動揺は一瞬。オッタルはすぐに冷静さを取り戻すと、長剣で攻撃を受け止める。しかし、またもや驚くべきことが彼を襲った。

 

(先程よりも──()()()()()!)

 

 内心は吃驚(きっきょう)でいっぱいだったが、オッタルはそれを隠してベルの攻撃を防ぎ切った。考える時間を稼ぐため、力任せに──先程の二の舞を防ぐために今度はしっかりと力加減をしている──腕を()いでベルを自身から離す。片手剣使い(ソードマン)は自ら飛びのくことで衝撃を減少させ、ダメージを負うことを防いだ。

 オッタルは眼光を鋭くし、ベルの深紅(ルベライト)の瞳を見詰める。

 対応出来たのは、『階位(レベル)』に差があったからだった。もし同じ条件……オッタルがLv.1だったら今の一撃は押し通され、攻撃を()らっていただろう。

 

(何たる、脆弱。何たる、惰弱……!)

 

 自分の弱さに怒りが沸々と湧いてくるが、今はそれを呑み込む。兎にも角にも、どのような『魔法』か探るためには実際に戦うしかない。

 オッタルは次の攻撃に備えた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 ベルが果敢(かかん)に攻撃を仕掛ける。自身の行動が読まれていることを考察したのだろう、斬撃にほんの僅かなアレンジを加えている。

 オッタルは長剣でそれら全てを真っ向から受け止めながら、やはり、と自身の勘違いでないことを確信した。

 

(……()()()()()()()()()()()()()。防具を捨てて身軽になったことを加味しても可笑しい。攻撃も重くなり、武器の使い方も洗練されている。明らかに異常だ)

 

 ベルの連続攻撃を落としながら、彼はさらに思考した。

 

(『階位(レベル)』の昇華──いや、違うな……)

 

『魔法』の可能性は無限大だ。強制的な『昇格(ランクアップ)』を行う『魔法』──それが魔導書(グリモア)(かい)しての後天系なら、可能性としては充分にあり得るのだろう。前例は未だないが、頭から否定するようでは冒険者はやれない。

 だが──と、オッタルはその推測を打ち消した。

 というのも『階位(レベル)』が昇華されたら、それは一目瞭然で分かるからだ。だが、今のベルの『階位(レベル)』は依然としてLv.1であり、その範疇(はんちゅう)は超えていない。

 そうなると考えられるのは──そこまで考え、彼は答えに辿り着いた。

 

(【ステイタス】補正──より厳密に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 速度が増したのも、攻撃が攻撃が重くなったのも、武器の扱いが上手くなったのも──『敏捷(びんしょう)』『(ちから)』『器用(きよう)』の数値が上昇したと思えば納得出来る。

 だが、腑に落ちない点もある。

 剣を持っていない左手でベルの殴打を摑みつつ、オッタルは疑問を解決させる為がさらに思考する。

 

(『スキル』で発現するのが一般的だが……)

 

 多くの上級冒険者が、基本アビリティを補正する『スキル』を所持している。とはいえ、効果を発揮させるためには一定の条件を達成させる必要があるのだが。

 何故、『スキル』ではなくて『魔法』として発現したのか。ましてや超長文詠唱という形でだ。

 オッタルの疑問はそこにあった。

 

(奴の『魔法』にはまだ『謎』があると考えた方が良いだろう)

 

 オッタルはそこで思考を断ち切った。

 任務はこれで達成した。これならば主神もきっと満足するだろう。あとはベルに死なない程度の痛手を負わせ、『敗北』を与えればそれで良い。

 いつ、他の冒険者が来るかもわからないのだ。『手合わせ』が長引けば長引くほどにそのリスクは高まる。念のために全身鎧(フルプレートアーマー)で正体は隠しているが、これも絶対の保証はない。例えば宿敵の『三首領』が来たら一発でバレるだろう。特に小人族(パルゥム)の少年とベルは友人関係にあると主神から聞いている。友人が襲われていたら彼は『弱小【ファミリア】を大人げなく襲っていた襲撃者から守る』という大義名分を掲げて喜々として長槍(ジャベリン)を向けてくるに違いない。いやまあ、彼でなくとも、オッタルと敵対関係にある冒険者全員がそうするだろうが。

 兎にも角にも、これ以上はもう良いだろう。そう考えたオッタルは戦闘を終わらせる為に動こうとして……──、

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 

 

 雄叫びが、上がった。

 咆哮が、(とどろ)いた。

 ベル・クラネルの深紅(ルベライト)の瞳は未だに光を放っていた。まるで楽しくて仕方ない遊戯(ゆうぎ)に興じているかのように、少年は唇を曲げている。

『魔法』という『切り札』を切ったのにも関わらず埋まらぬ差。それが分からないほど彼は馬鹿ではない。しかしながらそれに絶望することなく……寧ろ、光をさらに輝かせて、少年はオッタルに立ち向かっていた。

 

「──」

 

 それを見たオッタルはヘルメットの奥で声なき声を上げ、笑った。

 嗚呼、主神の命を確実に遂行するならば、ここで強制的に『手合わせ』を終わらせるべきだ。それは分かっている。そうすべきだとも思う。

 だが、彼はその考えを切り捨てた。剣士の上段からの振り下ろしを受け流す(パリイ)する。そのまま反撃に転じ、長剣を一閃した。

 ベルは一瞬深紅(ルベライト)の瞳を大きくするとすぐに反応し、直撃する寸前で回避した。

 

「ようやくやる気になったか!」

 

 待ちわびていたように──事実、待ち侘びていたのだろう。ベルが感情のままに叫んだ。

 オッタルはそれに応えるように攻撃の準備姿勢に入った。

 制限(ハンデ)は負っている。発揮出来るのは本来の力の数割にも満たない。本拠(ホーム)戦いの野(フォールクヴァング)』で行われている『殺し合い』と比べるまでもない。ましてや、文字通り本気で殺しにかかってくる第一級冒険者達と比べるなど烏滸がましいにもほどがある。

 だが、それでも────。

 少年の深紅(ルベライト)の瞳が告げてくるのだ。もっと戦いたいと、もっと強くなりたいと。何よりも、『英雄』になりたいと。

『英雄』に憧れ、なろうとしている名も無き少年の想い(いし)に応えずして、何が先達(せんだち)だろうか。

 多くの人々が自分を『頂天(ちょうてん)』と讃える。

 多くの人々が自分を『最恐(さいきょう)』と畏怖する。

 ()()()()()()()

 自分は応えなければならない。都市最強の冒険者として、何よりも美の女神(フレイヤ)の眷属──【猛者(オッタル)】として。

洗礼(せんれい)』を、『(どろ)』を、『敗北(はいぼく)』を、『産声(うぶごえ)』を上げたこの冒険者に与えなければならない。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは何時(いつ)の時代もそうだった。先達は次代の『英雄』の(ひな)達にそうして発破(はっぱ)をかけ、その後ろ姿を見せ続けてきた。

 

(フレイヤ様はこうなることを予感していられたのだろうか)

 

 巨塔(バベル)()つ前、主神と交わした会話を思い出す。だがそれは今考えても詮無きことだろう。

 副団長(アレン)が単独遠征をした理由が、オッタルはよく分かった。なるほど、これは焚き付けられると納得する。

 そして彼は意識を完全に切り替え、

 

「──行くぞ」

 

 その言葉を贈った。

 刹那、武人は駆け出す。全身型鎧(フルプレートアーマー)を装備しているとは到底思えない速度で彼我の距離を詰め、上段から剣を勢いよく振り下ろした。

『手合わせ』ではなく──『戦闘』の火蓋が切られた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 剣戟(けんげき)の音が広間(ルーム)に響く。

 それは、剣と剣が激突する音であった。

 それは、男子(おのこ)男子(おのこ)の意志がぶつかり合っていることを告げる音であった。

 ──『戦闘』が始まってから三分が経過した。

 二人の冒険者は(しき)りに立ち位置を入れ替え、何度も交錯する。短い草木は踏み潰され、それは時間の経過と共に増えていく。

 数々の銀閃が走る激しい攻防の中、

 

(やっぱり、強いなあ!)

 

 ベルはただただ感嘆していた。感動しているとも言えるかもしれない。

 理由は分からないが、敵が制限(ハンデ)を負って戦っていることは一目瞭然だ。その状態の彼に此方(こちら)は全力を出し、限界を超え、主神(ヘスティア)から禁止されていた『魔法』という『切り札』──【アナステイスィス・イロアス】を発動させたのにも関わらず、まるで歯が立たない。

 

 ──【アナステイスィス・イロアス】。

 

 ベル・クラネルが発現させた、彼だけの固有魔法(オリジナル)

 その効果はオッタルが推測していた通りのもの。即ち──【ステイタス】、厳密には『基本アビリティ』の補正。黄金の粒子がベルの身体に宿っている間、『(ちから)』『耐久(たいきゅう)』『器用(きよう)』『敏捷(びんしょう)』『魔力(まりょく)』──全ての『基本アビリティ』の数値に補正が入り、上昇している。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 しかしながら、これだけの効果だけだったら彼の主神はこの『魔法』の使用を禁止していない。彼の『魔法』にはもっと別の効果があるが、この『戦闘』では関係ないことだ。

 奥の手を出しても相手にならない。隔絶とした差は全く埋まらない。この事実にショックを受けないと言えばそれは嘘になる。

 

 だがそれ以上に感じているのは──強烈な『憧憬(しょうけい)』だ。

 

 これ程までの敵と戦ったことは一度もない。その異次元の強さには、本当に同じ人間なのかと猜疑心すら覚えるというものだ。

 ベルは、目の前の男が都市最強の冒険者であることを知らない。【猛者(おうじゃ)】であることを知らない。冒険者の『頂天(ちょうてん)』であることを知らない。

 それでも彼は、男が遥か『高み』に居て、そこに甘んじることなく、今尚登り続けていることを感じ取っていた。

 

(限りなく『英雄』に近い──『英雄候補』と私は今戦っている! ああ、嬉しくて仕方がない! 楽しくて仕方がない! これが迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ、これが冒険者!)

 

神時代(しんじだい)』になってから、千年。その長い歴史を感じずにはいられない。『英雄都市』の別称は何も間違っていなかった。

 心が浮き立つ。顔が自然と笑みを形作る。

 そして。

 声を上げるのをやめられない。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお──ッ!」

 

 雄叫びではなく、それは叫喚(きょうかん)だった。ベルは心の声に従い、喉が痛むのも気にせずに腹から声を出す。

 ──『戦闘』が始まってから六分が経過した。

 何度目になるか分からない撃ち合い。激しい火花が飛び散り、二人の冒険者の視界を染め上げる。

 それを全く気にせず、ベルは瞳孔を拡大させ、ヘルメットを越して視線を絡める。目の前の敵が次には何をするのか、気配から予測する。

 この時、世界には二人しか居なかった。此処が危険極まるダンジョンであることすら忘れ、敵を打破することだけを考える。

 

(もっと、もっと速く……!)

 

 自分の最大の『武器』は『敏捷(きゃくりょく)』だ。なら、脚をとめるな。もっと、もっと速く動けと己の身体に強く念じ、命令する。

 ベルは呼吸することすら忘れ、極限の集中状態に入った。

 加速する。加速する。加速する。身体に纏っている黄金の光粒が残光となり、軌跡となる。

 少しでも敵の反応を遅くさせ敵の『要塞』を崩そうとベルは攻撃に修正をするが、男は容易くそれを落として甘いとばかりに鋭い反撃を繰り出す。剣士はそれを瞬間的反応速度だけで対応すると、学んだことを活かしさらに剣技に修正を加える。それを延々と繰り返す。

 それは劇的な『変化』ではなかった。才有る者だったらそれを瞬時に理解し、すぐに『技』へと昇華させるだろう。ベル・クラネルのそれは才有る者と比べるとあまりにも遅い。

 誰かに指摘されずとも、ベルはそれを百も承知している。だが、それでも彼は歩くことを決してやめない。自分が歩いている道程は間違っていないと信じ、ゆっくりと、自分のペースで『高み』を目指す。

 ──『戦闘』が始まってから、九分が経過した。

 するとおもむろに、粒子の輝きが淡くなり始めた。全身を包んでいた無数の光が徐々に空間に溶け始め、それは時間の経過と共に増えていく。

 ()()

 それが、【アナステイスィス・イロアス】の効果持続時間だった。あと五十秒弱でベルの【ステイタス】は元に戻るだろう。ならばと──ベルは深紅(ルベライト)の瞳をさらに輝かせた。攻撃をより激しく、より重く、より鋭くする。

 まだ『上』があったのかと敵はヘルメットの奥で驚愕するも、それをすぐに否定した。『壁』を自身の想い(いし)で壊したのだと気付き、面白いと唇の端を吊り上げる。

 

「来い、もっと俺に見せてみろ」

 

 言われなくてもそうするさ! ベルは咆哮を轟かせる。

 刹那、女神によって刻まれし背の刻印が灼熱の色に燃え上がった。

 限界解除(リミット・オフ)

 少年の強き想い(いし)の丈が臨界点をぶち破り、『神の恩恵(ファルナ)』を超克(ちょうこく)する。彼の想い(いし)呼応(こおう)するかのように、散っていった筈の黄金の粒子が再び収束し身体を包んだ。

 

「うお、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 絶叫を上げながら滑空するように広原を突き進み、ベルは攻勢をかける。

 敵の直前でくるりと身体を横に捻り、片手剣使い(ソードマン)が剣を左斜め下から斬り上げるも、武人は長剣で受け止めた。

 火花が閃光となって二人の眼を焼き付けるも、それに構わず二人は剣を振るう。

 剣が交わり、弾かれ、交わる。激しい攻防、剣技の応酬。それはまるで剣舞のようだった。

 敵の重い一撃を何とか凌いだベルは、最後の攻撃を繰り出した。バックステップで意図的に距離を作り、僅かな時間を稼ぐ。腰を落とし重心を限界まで下げ、左手を前方に(かざ)す。剣を持っている右手を肩の上で大きく引き、狙いを定めた。

 五秒に満たない貯蓄(チャージ)──解放(バースト)

 敵の『要塞』を壊そうと、小細工なしの真正面から超高速で突貫した。

 突撃槍(ペネトレイション)

 武人はその心意気に応えようと、突き技を放った。

 両者の剣の鋭い切っ先が真正面からぶつかる。膠着したのは一瞬だった。

 そして、純白の世界の中で。

 ピキッ、ピキッと《ニュートラル》に亀裂が走っていくのをベルは見た。しまったと思った時には亀裂は剣の刀身に行き渡り、次の瞬間、呆気なく破砕する。ベルの剣を労わらない使い方に《ニュートラル》がとうとう音を上げたのだ。

 想定していなかったことにベルは硬直してしまい、そのまま奔流に呑まれた。抗う術を持たない身体は紙切れのように吹き飛ばされ、草木の上を何度も転がる。

 痛みで顔を歪めながらもすぐに体を起こそうとするベルだったが。

 

「……終わりだな」

 

 そんな言葉が送られた。

 ベルが視線を下げれば、喉元に剣の切っ先を軽く当てられていた。身体を包んでいた黄金の光粒も完全に溶け消え、『魔法』の効果が切れたことを告げる。

 男はベルを見下ろし、『敗北』を突き付ける。

 ベルは最後まで巻き返す方法が何かないか探ったが──戦意を静かに消失させた。苦笑いと共に、彼は言う。

 

「ああ、終わりだ。そして……私の完敗だ」

 

 男はその言葉を聞くと剣を引いた。腰の調革(ベルト)に留められている鞘を取り外すと、剣を仕舞った状態でベルに差し出す。目を丸くするベルに、彼は言葉少なく言った。

 

「……剣がなくては帰りが危険だろう」

 

「それはそうなのだが……しかし、貴方は大丈夫なのか?」

 

「……『上層』だったら得物(えもの)などなくても拳一つで事足りる」

 

 本当(マジ)かよとベルは思わず素で言いそうになったが、それを抑える。取り繕うように「ありがとう」と言って、彼は差し出された剣を受け取った。

 鞘から抜き出して確かめると、剣の性質は《ニュートラル》とほぼ同等のようだった。傷こそあるが、刃毀(はこぼ)れはしていない。剣の扱いでも負けたことに対して、片手剣使い(ソードマン)はもう笑うしかなかった。

 ベルは負っていた傷を癒す為に回復薬(ポーション)をガブガブと一気飲みする。傷が塞がったことを男は確認すると、背を向けて広間(ルーム)の出口に歩き始めた。

 

「待ってくれ! 貴方の真名()を、私はまだ聞いていない!」

 

 ベルが慌てて立ち上がり、そう、声を掛けると、男はぴたりと立ち止った。顔を振り向かせず、彼は背を向けた状態のまま言った。

 

「知りたければ、貴様も『此方(こちら)』に来るが良い。そうすれば、道は何れ交わるだろう」

 

「──なら、その時は! その時は再戦してくれるか!?」

 

「……良いだろう。その時は手加減なしで戦おう」

 

 そう言うと、男は広間(ルーム)をあとにした。

 ベルは彼を見送ると、すぐに、此処に居たら危険だと考えた。瓦礫(がれき)を漁り、下敷きになっていたボディバッグを引っ張り出すと身体に掛け、そして最後に地面に散らかっている大量の『魔石』とドロップアイテムを見た。

 これは自分が倒したモンスターから落ちた物ではないが、ベルは回収することにした。『魔石』を放っておくと『強化種』──通常のモンスターが『魔石』を喰らうことで変異する種──が出現する為、『魔石』の放置はご法度だ。

 疲弊している身体に鞭を打って、まず、『魔石』とドロップアイテムを一箇所に纏める。途中モンスターが何体か出現してきたが瞬殺する。

 それを数十分掛けて行い完了させると、ベルはボディバッグから、風呂敷を取り出して広げ──主神(ヘスティア)神友(しんゆう)から幾つか貰ってきた──そこに置いて包んで落ちないようにきつく結んだ。8階層という浅い階層であることが幸いだった。モンスターから落ちる『魔石』は小さいからだ。

 ベルはそれを背中に担ぐと地上に帰還する為、重たい身体を引き()って歩くのだった。

 



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『英雄』の在り処を、地精霊(ノーム)は語った





 

 太陽が燦々(さんさん)と輝き、東空に(のぼ)っていた。照りつく光と心地よい風を浴びながら、今日も人々は新たな一日を歩む。

 リリルカ・アーデは希望で顔を輝かせている彼等を見て羨ましく思った。自分には到底無理だと自虐し、彼等を極力視界に映さぬようフードを被り直す。

 摩天楼施設(バベル)の下にある中央広場(セントラルパーク)、そこに設置されているベンチに腰掛けてぼんやりと空を見上げた。

 

(遅いですね)

 

 広場(パーク)に置かれている時計を一瞥(いちべつ)すると、約束の時間が既に過ぎていた。

 約束の時間になっても、待ち人は来なかった。数日前に長期契約を結んだ雇用主が今日までに遅刻したことはなかったのだが──まあ、こんな日もあるだろうと考え、そう考えた自分に何よりも驚いた。慌てて顔を強く叩き、言い聞かせる。

 

(しっかりしなさい、リリルカ・アーデ。あの人は冒険者。(リリ)が忌み嫌ってやまない人種です)

 

 リリルカは胸中で呪文のように唱えた。強く念じ、開きかけていた心の扉を閉め、鍵を掛け直す。

 そして彼女は雇い主が来ない理由を考えた。一番に考えられるのは──そこで、人影がさした。降りかかる声。

 

「あー、間違っていたら申し訳ないけど。君がリリルカ・アーデ君かい?」

 

 幼いながらも美しい声音に導かれ、リリルカは顔を上げる。

 目の前には、肩掛けバッグを肩にかけている一人の幼い少女が立っていた。

 彼女は(つや)のある漆黒の髪の毛を二つに結んでいた。整っている顔に、幼い身体には不釣り合いな双丘(そうきゅう)。彼女の蒼の瞳が、リリルカの栗色の瞳をじっと見詰めていた。

 ──女神(めがみ)だ。

 下界の子供であるリリルカはその『神性』を感じ取った。しかしながら、と不思議にも思う。相手は自分のことを知っているようだが──少なくとも名前を知っているのは確定──彼女は女神のことを知らない。初対面の筈だが……怪訝な顔になる彼女を見て、幼い女神は顔を輝かせた。

 

「クリーム色のフード付きローブに、栗色の瞳に同色の髪の毛。そしてボクよりもほんの少し高い身長。ふっ、やっぱりボクの勘違いじゃなかったぜ」

 

 ドヤ顔になる少女を見て、リリルカは『あっ、これは神だな』という感想を抱く。彼女はそれを悟られないように注意しながら、にこりといつものように笑顔を浮かべた。

 

「確かにリリ──失礼致しました──(わたし)は、貴女の仰る通りリリルカ・アーデです。しかしながら女神様。(わたし)の記憶違いでなければ、私達は初対面の筈ですが」

 

「記憶通り、ボク達は今日が初対面だ。名乗るのが遅くなってすまないね。ボクはヘスティア。()の女神ヘスティアさ。ベル・クラネルの主神だと言えば早いかな」

 

「ベル様の……主神様?」

 

 小首を傾げるリリルカに、ヘスティアは「おうともさ!」と深く頷いた。

 喜怒哀楽が激しい女神だなと思いながら、なるほど、とリリルカは頷き返す。

 

「それで、ヘスティア様は(わたし)に何のご用件でしょうか? ベル様が未だに来られていない事と何か関係があるのでしょうか?」

 

 ある程度答えを予想しながらリリルカが尋ねると、ヘスティアは「ああ、そうだ」と言った。

 それから彼女は心から申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ヘスティア様!?」

 

 超越存在(デウスデア)である女神に頭を下げられては、下界の子供であるリリルカにとっては堪ったものじゃない。近くを通り過ぎる人々から奇異(きい)の目で晒されながら、彼女は女神に顔を上げるように懇願した。

「すまないね」とヘスティアはもう一度謝罪をすると、リリルカの先程の質問に答えた。

 

「ベル君は急遽休暇をとることになった。だから今日は、君とはダンジョン探索に行けない。当日の(しら)せになってしまい本当にすまないと思っている」

 

 謝罪を受け取る前に、まず疑問が生まれた。

 

「は、はあ……それは分かりましたが。それはまたどうしてですか?」

 

 契約相手のプライベートに必要以上に踏み込むのは限りなくマナー違反だと分かってはいたが、リリルカは敢えて尋ねた。知る権利が自分にはあると主張する。

 ヘスティアは気分を害した様子を微塵も見せなかった。彼女はきょろきょろと辺りを見渡し、会話に聞き耳を立てている者が居ないことを確認すると、顔をリリルカに近付けて囁いた。

 

「……実はね。昨日のダンジョン探索中、謎の冒険者にベル君が襲われたんだ」

 

「……ッ!? 失礼ですが、それは本当ですか?」

 

「嘘だったら良かったんだけどね、残念ながら本当さ。ボクの眷族は昨日、ボロボロの恰好で本拠(ホーム)に帰ってきたんだ」

 

 ヘスティアは苦々しい表情でリリルカに語る。

 防具は全て破損、ロングコートも傷んでしまいとてもではないが着れる状態ではないという。幸い、友人から貰っていた回復薬(ポーション)のおかげで傷は全て塞がっていたらしい。とはいえ、回復薬(ポーション)は傷を治癒(ちゆ)する効能はあるが、失った体力までは戻らない。

 

本拠(ホーム)に帰ってくるや否や、力尽きたように眠ってしまってね。一晩経っても身体が怠そうで微熱があったから、懇意にしている【ファミリア】に診て貰ったんだ。その診察の結果、今日一日は寝台(ベッド)の上で寝るように言われてしまってね。今は看て貰っているんだ」

 

 主神であるボクが伝令役として此処に来たんだ、とヘスティアは言った。言葉を続ける。

 

「此方の都合で君には迷惑を掛けてしまって本当にすまないと思っている。ベル君も君の事を気に掛けていてね、せめて謝罪は自分の口から言いたいと言っていたが……病人を外に出す訳には行かないから無理矢理寝かしつけてきた。だから、という訳じゃないけれど、どうか許して欲しい。この通りだ」

 

「は、はい! それは仕方がないことですから! だから頭を下げないで下さい!」

 

「そうかい? いや、しかし……」

 

「寧ろわざわざ足を運ぼせてしまい申し訳ございません! ええ、ですから大丈夫です! 本当に!」

 

 今にも再び女神が頭を下げそうな雰囲気を出していたので、リリルカは早口で制止した。

 ヘスティアは「ごめんよ」と言ってから、肩掛けバッグを漁って巾着袋を取り出した。怪訝な顔になるリリルカの前で、彼女は袋を開けると中身を確認する。相当の金貨が詰まっているようで、ジャラジャラと音が鳴る。

 

(不用心……いえ、これは無警戒ですね)

 

 自分が周りからどう映っているのかを、目の前は女神はまるで考えていない。

 冒険者がダンジョンに行く朝の混雑時は過ぎているが、周りに人が居ない訳では決してない。幼い容姿の彼女が大金を持っていたら奪おうとする人間が居ても可笑しくない。それが女神に不敬だと分かっていても、犯行に及ぶ不届き者は一定数居るのが迷宮都市(オラリオ)だ。

 リリルカが内心では呆れていることを知らず、ヘスティアは中身を確認すると、

 

「よし、きちんと入っているね! はいこれ、アーデ君。これが迷惑料だ!」

 

 そう言いながら、リリルカに巾着袋を差し出した。

 リリルカは反射的に手を伸ばして受け取ってしまい、ずしりと重たい感覚が来たところでようやく我を取り戻した。

 

「あ、あのっ、ヘスティア! これ、かなりの大金なのでは!?」

 

「まあ、そうだね。20000ヴァリスかな」

 

「に、20000ヴァリス!?」

 

 中央広場(セントラルパーク)にリリルカの叫び声が大きく響いた。金の亡者である冒険者達が一斉に顔をこちらに向けてくる。

「おいおい、驚き過ぎだろう」とヘスティアが彼女の反応を見て呑気に笑う中、リリルカは迷った末に女神の手を取って歩き始めた。

 

「お、おーい? アーデくーん、何処に行くんだーい!?」

 

「場所を移動させて頂きます!」

 

「ヒュー、君も大胆だねえ!」 

 

「なっ……! 此処にいると危ないからですよ! 他意はありません!」

 

「まさか二人きりのデートを、自分の眷族以外の子供とするだなんて! これも下界の『娯楽』って奴かなぁ! あとでベル君に自慢しよう!」

 

 こ、女神(こいつ)……! リリルカは歯噛みした。先程まではこの迷宮都市(オラリオ)では非常に珍しい善性の持ち主だと思っていたのだが、その印象は一瞬で覆った。

 しかしながら、同時に、確かにこれは雇用主(ベル)の主神だとも納得する。今のヘスティアはダンジョン探索中にも関わらず、急に騒ぎ出すベルととても酷似していた。

 怒りを抱きつつ、彼女は安全な場所を探す。とはいえ、心当たりは一つしかないのだが。中央広場(セントラルパーク)を出て、北西のメインストリートに入る。

 魔道具(マジックアイテム)道具(アイテム)回復薬(ポーション)を売ろうと近付いてくる売り子をシッシッと手で追い払い、荘厳な大神殿──ギルド本部に入った。ロビーを横切って隅に設置されている休憩所に移動し、対面ソファに腰掛ける。

 

「なるほどねえ……確かに此処なら安全だ。よく思いついたものだね」

 

 感心したのか、ヘスティアがそう褒めた。

 ギルド本部にはギルド職員が常駐している為、金に目が眩んだ冒険者達に襲われる心配がない。管理機関(ギルド)の保護下に入ろうという彼女の判断はとても正しかった。

 

「ボクもギルドには用があったから助かったよ。それでアーデ君。君はボクに何を言いたいのかな?」

 

 そう尋ねてくるヘスティアに、リリルカは受け取ってしまっていた巾着袋をテーブルの上にドン! と置いた。彼女は女神の瞳を見詰め、説明する。

 

「ヘスティア様は、Lv.1の五人組パーティが一日に稼ぐ大まかな額をご存知ですか?」

 

「いいや、全然だ。恥ずかしながら、ボクはそこら辺に疎くてね。教えてくれるかい」

 

「約25000ヴァリスです。多少上下はしますが、この額がボーダーでしょう。ヘスティア様、これははっきり言って多過ぎです。そもそもの話、(わたし)がこれを貰う訳にはいきません。(わたし)は今日、ダンジョンに潜らないのですから」

 

 仕事していないのに給料を貰う訳にはいかないと、リリルカは申し出た。これは彼女の中で自分に課している規則(ルール)だった。『正当な報酬』以外は決して報酬として貰わないというものだ。

 ヘスティアは「おお!」と言うと、ウンウンと頻りに首を縦に振った。

 

「分かる、分かるぜ君のその気持ち! こう、罪悪感があるんだよねえ! ボクも突然おばちゃんから『はいヘスティアちゃん、これあげるよ!』って言われながらお金を渡されたら戸惑うよ!」

 

 共感してくるヘスティアに、リリルカは笑みを浮かべて「そうでしょう!」と、相槌を打った。

 

「ヘスティア様は女神様であるのにも関わらずアルバイトしていらっしゃるんですよね。とても素晴らしいことだと思います」

 

「えへへ~、そうかなあ! っておや、どうしてそのことを?」

 

「ヘスティア様はとても人気がありますから。何回か、『小さな女神様が働いているジャガ丸くんの屋台』のことを聞きまして」

 

 ほほう! と言うと、ヘスティアは鼻の穴を大きくした。得意げに胸を張る。大きな双丘がぶるんと音を立てて揺れた。自分の身体に多少なりともコンプレックスがあるリリルカは一瞬だけ真顔になってしまう。

 すぐに笑顔を纏い直した彼女は、ヘスティアに「そういうことですから」と言った。

 

「申し訳ございませんが、このお金は頂けません。ベル様にもそうお伝え下さい」

 

「うぅーん、しかし、そういう訳にもいかないんだよね。自分の事を棚に上げてしまうけれど、今日の稼ぎがないと君も困るだろう?」

 

「ご心配して頂きありがとうございます。ですが(わたし)は大丈夫です。一日くらい稼ぎがなくても野垂れ死にはしませんから。それにベル様には日頃からよくして頂き、お給金を多く貰っているので、多少ですが貯金もあります」

 

 最後にリリルカが笑みを向けると、ヘスティアは降参だと告げるかのように両手を挙げた。巾着袋をバッグの中に入れる。彼女はひらひらと手を振って、苦笑いしながら言った。

 

「しかし、君もその若さで苦労しているみたいだね。いや、安い同情じゃないぜ。気分を害したなら謝ろう」

 

「いえ、(わたし)はまだ恵まれていますよ。歓楽街に売り飛ばされたり、貧民窟(スラム)で細々とした生活を送るよりかは遥かにマシです。そう思わないと彼等に失礼でしょう」

 

 リリルカが自嘲気味にそう言うと、そんな彼女を女神は真っ直ぐと見詰めた。蒼の瞳が銀色に変色する。

 自分の全てが見透かされているような気になって、子供は視線を逸らした。ヘスティアは一度笑うと、「ところで」と話題を振った。

 

「まだ時間は大丈夫かい?」

 

「……? ええ、一日暇になったので大丈夫ですが……」

 

「そうか、なら君には色々と聞きたいことがあるんだ。是非とも聞かせて欲しい」

 

 聞きたいこと? 何だそれはと小首を傾げるリリルカに、ヘスティアは好奇心で顔を輝かせながら「うん!」と言った。

 

「聞きたいのは他でもない! ベル君についてだ! ダンジョンに潜っている時のベル君について教えて欲しい!」

 

「は、はあ……」とリリルカは思わず半端な返事をしてしまう。ヘスティアはテーブルをダンッ! と強く叩くとツインテールを躍らせながら力説した。

 

「ボクは知りたいんだ! あの子がどんな風に冒険しているのかをね! 何故かって? それはボクがあの子の主神(おや)だからさ!」

 

「へ、ヘスティア様声が大きいです! 声量を抑えて下さい!? 見て下さい、ギルド職員がこっちを睨んできてます!?」

 

 リリルカが慌ててそう言うと、ヘスティアは「むぅ」と頬を膨らませながら顔をギルド職員に向けた。

 そこには、美しいエルフのギルド職員が居た。眉を(ひそ)め、二人をきつく睨んでいる。

 身の危険を感じたヘスティアは咳払いを打ち、今度は落ち着いた様子で話した。

 

「ボクは、あの子がダンジョンに潜っている間基本的にはアルバイトをしている。バイトをしながらいつもあの子のことが心配なんだ。あの子は、ほら、薄々感じているかもしれないけどトラブルメーカーだからさ」

 

 眷族(こども)を想う主神(おや)の独白は続く。

 

「だからさ、いつも心配でね。ボクの方が早く本拠(ホーム)に帰宅するから、ボクはいつもあの子を待っている。ダンジョンは異常事態(イレギュラー)で満ち溢れている。生命の絶対の保証はない。帰宅時間だって、ここ最近は君という仲間が出来たからか遅くなっている。ああ、誤解しないでくれよ? 君を責めている訳じゃない。寧ろ君には感謝しているくらいだからね」

 

 話が少し脱線してしまったと、ヘスティアは詫びてから話を本筋に戻す。

 

「【ステイタス】を更新する時、あの子からダンジョンで起こったことをいつも聞いている。最近は君が話題に挙がることも少なくない。でも……だからかな。余計に気になるんだ。あの子が普段、どんな風に冒険しているのかをね。ましてや昨夜、全身をボロボロの状態で帰ってきたからさ、知りたいと思ったんだ」

 

 だから良ければ教えて欲しい──女神の御言葉に子供は考えるよりも早く頷いていた。

 それからリリルカはベルについて語った。ダンジョンでモンスターと戦う姿や、ひやりと危なかったこと、危険極まるダンジョン内なのにも関わらず突然大声を出してモンスターを引き寄せてしまったことなど、この数日間での出来事を彼の主神(おや)に伝える。

 全てを聞き終えたヘスティアは優しく微笑んで言った。

 

「ありがとう、とても面白い話だったよ」

 

「い、いえそんな……」

 

「そう畏まらないでくれ……って、言っても無理か」

 

 ひたすら恐縮するリリルカに、ヘスティアは苦笑した。

 ──そんな時だった。

 突如、ギルド本部に怒声が響いたのは。

 

「てめえ、ふざけてんのか!?」

 

 ビクッ! とヘスティアは小さな身体を震わせると、恐る恐る発生源に顔を向けた。

 それは、ギルドに設置されている換金所から出されたようだった。冒険者と思われる一人の男が、ギルド職員と激しい口論をしている。

 

「あれは……何だい?」

 

「ああ、ヘスティア様は初めて御覧になられますか。あれは金の亡者の冒険者が、『魔石』の換金率が低いと苦情(クレーム)を言っているんです」

 

「うへぇー、それは大変だねえ。とはいえまあ、彼がそうなってしまうのも仕方がないかもしれないな。ダンジョン探索は文字通り命懸けなのだから」

 

 とはいえ、自分の眷族はあのようにはなって欲しくないと思うが。そう思うヘスティアとは対照的に、リリルカの目は冷ややかだった。

 

「いえ、あれは冒険者の恥晒しですよ。全く、とても恥ずかしいです」

 

「お、おぅ……。なかなかに手厳しいね……」

 

「身内が騒ぎを起こしているのですから、こうなるのも必然でしょう」

 

「身内……? それじゃあ、彼は──」

 

「ええ、あの冒険者は私と同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員です」

 

 ヘスティアの言葉を引き継いで、リリルカはそう言った。

 反射的にヘスティアはもう一度換金所に視線を送った。

 冒険者の男の様子は只事ではなかった。まるで何かに掻き立てられるようにギルド職員に詰まり、もっと多く換金しろと迫っている。背中に吊るしている大剣を今にも抜剣しそうな勢いだ。しかしながらギルド職員も肝っ玉があるのか引かず、真正面から睨み返している。

 換金所周辺では一触即発の雰囲気が流れていた。

 女神の勘が、あれは──あの冒険者は『普通』ではないと告げる。彼女は視線を戻すと、真剣な顔でリリルカに尋ねた。

 

「……あれは君の仲間なのだろう? とめなくて良いのかい?」

 

「無駄ですよ、(わたし)が声を掛けてもあの冒険者はとまりません。それに、(わたし)はあの人のことを知っていますが、あの人は(わたし)のことを知りませんから意味はないでしょう」

 

「……それは可笑しいだろう。同じ【ファミリア】に属しているんだ、そんなことが起こる筈が……」

 

「【ソーマ・ファミリア】の構成員はとても多いですから。人数だけなら大手派閥とも渡り合えます。それだけ多いと『顔は知っていても名前は知らない』ことも起こりますよ」

 

「……それは、そうかもしれないが……」

 

「それに、大丈夫ですよ。すぐに終わります」

 

「大丈夫って何が……!?」

 

「ほら、見て下さいヘスティア様。『口論』が終わりました」

 

 そんな馬鹿なと思いながらヘスティアが顔を向けると、リリルカが言った通りの光景が広がっていた。

 苦情を言っていた冒険者の男はギルド職員に唾を飛ばすと、舌打ちと共にギルド本部を出て行ったのだ。ギルド職員の「もう来るんじゃねえ!」という言葉を無視し、男は立ち去った。

 愕然とするヘスティアに、リリルカは言った。

 

「ギルド職員に楯突(たてつ)けば、私達冒険者は彼等の支援(サポート)を受けることが出来なくなります。最悪、要注意人物一覧(ブラックリスト)に登録されるでしょう。そうなったら『冒険者』という称号が剥奪され、ダンジョンに潜ることも出来なくなります。あの人もその境界が分からないほど愚鈍ではないということでしょう」

 

 やや間をおいて、ヘスティアは静かに問うた。

 

「ソーマは……主神はこのことを知っているのかい」

 

「さあ、どうでしょうか。組織の末端でしかない(わたし)には分かりません」

 

「なッ!?」

 

 驚愕で目を見開かせるヘスティアとは対照的に、リリルカはどこまでも落ち着いていた。

 リリルカがこれまでに語った【ファミリア】の実情に、ヘスティアは己の考えをぶつけようとして──それはマナー違反だと気付き口を噤んだ。

 各【ファミリア】にはそれぞれの運営指針がある。それに口出しをすることは禁じられている。それは都市の支配者である管理機関(ギルド)も同様であり、何か大きな問題事が起きないと対応しない。

 それ故に、ヘスティアは質問することしか出来ない。

 

「ベル君から聞いているけど、昨日は【ソーマ・ファミリア】は月に一度の集会があったそうだね。その集会にソーマは出席していたのかい?」

 

「いいえ、出席していませんよ。あの方は趣味神なので、【ファミリア】の運営には基本的には口出ししません。団長がソーマ様の代わりに(わたし)達組織の末端に指示を出し、(わたし)達はそれに従います」

 

「……」

 

「ヘスティア様はそれで【ファミリア】の運営が上手くいくのかとお思いでしょう。その疑問に答えると、答えは『イエス』です。極論を言えば、主神は『神の恩恵(ファルナ)』を刻み、【ステイタス】を更新するだけで良いんですよ」

 

 リリルカが言ったことは何も間違っていなかった。『神の力(アルカナム)』があるなら話は別だが、下界に降りた神は無力だ。『全知零能』である神は、一部の神を除いて戦うことすらままならなくなる。そう、彼女が言ったことは何も間違っていない。

 元より【ファミリア】の根幹はそこにある。

 神は『神の恩恵(ファルナ)』を授ける。

 下界の子供達はそれに感謝して神の為に動くことを誓う。

 それが分かっているからこそ、ヘスティアは何も反論出来なかった。

 

「君は……君は──いや、何でもない。忘れてくれ。今日はありがとう、君と話が出来て良かったよ」

 

「いえいえ、滅相もございません。ところでヘスティア様は先程ギルドに用があったと仰っていましたが、何の御用が?」

 

「……ああ、ベル君の担当アドバイザーと話があってね。しかしどうやら、彼女は今日此処に居ないようだから帰るよ」

 

「では、出口まで一緒に」

 

 リリルカとヘスティアはソファから立ち上がり、ギルド本部をあとにした。大通りに出て、二人は別れの挨拶を交わす。

 

「恐れ入りますが、ベル様には『お大事になさって下さい。今後とも宜しくお願いいたします』とお伝え頂けますでしょうか」

 

「君の言葉、確かに伝えよう」

 

「それではヘスティア様、(わたし)は此処で失礼致します」

 

 最後に一礼して、リリルカはヘスティアに背を向ける。雑踏に紛れる彼女をヘスティアは無言で見送った。

 

 

 

§

 

 

 

 雇用主の主神と笑顔で別れを告げたリリルカは、己の行動を反省していた。

 

(神には嘘が効きませんから……ほんと、困ったものです。話すのに疲れてしまいます)

 

 とはいえ、感触としてはそう悪くなかったと思う。少なくとも悪い印象はもたれていないはずだ。身内が馬鹿なことをしていなければもっと良かったのだが……そこは仕方がないと思うことにした。

 リリルカは誰にも尾行されていないことを確認すると、大通りから路地裏に入った。光がまるで射さない小径を通る。柄の悪い男達──所謂、日陰者達が真昼間から酒を飲んでいるのを尻目に、彼女は歩みを進めていった。

 角をいくつも曲がり、複雑な構造の道程を慣れた動きで歩いていくと、目当ての建物が現れた。

 少し開けた場所に佇んでいる木製の建造物──骨董品店『ノームの万屋(よろずや)』。

 リリルカはこの店の常連だった。ドアを開け、括り付けられている鐘を鳴らす。

 

「おお、お前さんか。会うのは久し振りかのぅ」

 

 カウンターで情報誌を読んでいたその老人はリリルカの来店に気が付くと、そう、声を掛けた。赤い帽子を被り──毛がないので隠しているのだろうとリリルカは思っている──白い髭をこれでもかと蓄えている彼は『地精霊(ノーム)』と呼ばれている精霊の一人である。

 精霊は、神に最も近しいとされる種族だ。『古代』の時代、『古代の精霊』達が神々の代わりに『力』を『英雄』達に与えていたということもあり、神の次に慕われている。基本的に精霊は自我が薄いのだが店主──ボム・コーンウォールははっきりとした人格を持っていた。

 リリルカは差し出された冷水を受け取りながら答える。

 

「……ええ、そうですね。最近は新しい雇用主のもとで働いていますから。必然的にこの店に来ることもなくなります」

 

「そうか、そうか。それは良かったのぅ」

 

「……世間話は後でも出来ます。まずは鑑定の結果を教えて下さい」

 

 爺との再会を喜ぶよりもよりもそっちの方が優先度が高いのじゃな……店主は寂しそうにそう嘆きつつ、一度、店の奥に姿を消した。硝子(ガラス)のケース内に並べられている色とりどりの宝石群を眺めながら待つと、店主はすぐに帰ってきた。

 その両腕には一本の短剣が大事そうに抱えられている。ボムはカウンターの上にそれを置くと結果を告げた。

 

「鑑定の結果、申し分のない得物じゃった。流石は『クロッゾの魔剣』と言ったところかのぅ。しかもまだ一度も使われていないときた。文句の付けようのない一級装備品じゃよ、これは」

 

「当然です、(わたし)もかなり危ない橋を渡ったのですから」

 

「声を上げて驚いてしまったわい」

 

「……そうですか。腰を痛めないで良かったですね」

 

「ほんと、お主は冷たいのぅ……。顔に似合わぬ毒舌。はあ、もう少し愛嬌というものを覚えた方が良いと思うんじゃが。そんなんじゃ嫁の貰い手が見付からんぞ」

 

 遠慮ない言葉にイラっとしつつも、リリルカは平静を装って言う。

 

「……それで、結局幾らですか」

 

「そうじゃのぅ……300万ヴァリスでどうじゃ」

 

「それでお願いします。支払いはいつもの方法で!」

 

 現金な奴じゃ……と呆れる店主を他所に、リリルカは内心の喜びを抑えることが出来なかった。

 300万ヴァリス。鑑定を依頼する前におおよその予想はつけていたが、その額には驚き、ついつい喜んでしまうというものだ。

 そこからは淡々とやり取りが進み、ものの数分で終わった。今日は一日暇だ、良い額を提示してくれた店主に付き合うのも悪くないだろう。いや、それが良い。

 リリルカは有頂天だった。そんな彼女を見て、ノームはおもむろに口を開けた。

 

「のぅ……そろそろやめにせんか?」

 

 それまでの機嫌の良さが、そのたった一言でなくなる。無表情になるリリルカに、ノームは窘めるように言った。

 

「最近、冒険者の間で噂になっとるよ。手癖の悪い小人族(パルゥム)が金品を盗んでいるとな。パーティ全体が被害に遭ってからは下級冒険者を中心に広がっておる」

 

「……」

 

「お主の『秘密』にまで辿り着く者が現れても可笑しくはない。いや……もう現れている。先日はそのパーティに『正体』がバレてしまったのじゃろう?」

 

「…………」

 

「儂はお主の『協力者』じゃ。もしお主が管理機関(ギルド)に突き出されたら、一緒に捕まる覚悟はとうの昔に出来ておるし、それを違える気はさらさらない。じゃがなあ……そろそろ潮時じゃと思うんじゃ」

 

 ノームはさらに言った。優しい言葉を投げかける。

 

「今ならまだ間に合う。数週間──一ヶ月もすればお主のことは忘れ去られるじゃろう。だから、のぅ、これを契機に足を洗ってはどうじゃ。お主──リリちゃんの事情は分かっている。住む場所がないというなら此処を使っても良いし、何なら一緒に──」

 

「ごめんなさい、ボムお爺さん。それは出来ません」

 

 言葉を遮って、リリルカはそう言った。

 口を閉ざすノームに、彼女は無表情で言葉を続ける。

 

(わたし)は……リリは【ソーマ・ファミリア】の眷族です。(わたし)が此処に居ることを知られたら、冒険者達は此処を襲いにくるでしょう。少なくとも、前回はそうでした。(わたし)が言えたことではありませんが、冒険者は屑です。自分のことしか考えず、目先の欲に従い、周りのことなんて何も考えない……」

 

「リリちゃん……」

 

 悲しそうに目を伏せるボムに、リリルカは「でも!」と叫んだ。

 

「でも、あと少しでそれも終わりです! 【ソーマ・ファミリア】を脱退し、一般市民になれば、彼等もリリに構うことはないでしょう! そして、目標金額まであと少しです。今回の『クロッゾの魔剣』であと本当に少しになったんです。今の雇用主は比較的良い方で『正当な報酬』を貰っていますから、犯行に及ぶつもりはありません」

 

 だから──と彼女は言葉を続ける。

 

「だから──リリが【ソーマ・ファミリア】を脱退したら、その時はっ! 一緒に住んでも、良いですか……?」

 

 此処が、この小さな店がリリルカにとって最後の居場所だった。『運命』という言葉がリリルカは大嫌いだが、しかし、ボムとの出会いは『運命』という言葉で表現しても良いと思っていた。

 だから、それに縋ってしまう。最後の『希望』に頼ってしまう。

 静寂が降る。長い長い時間の末、ボムはおもむろに頷いた。

 

「リリちゃんが心からそれを望むなら、こんな老いぼれの爺でも良いのなら、儂は喜んでお主を歓迎しよう」

 

 リリルカはその言葉を聞いて顔に花を咲かせた。

 仮初のものでない、彼女の本当の笑顔。そんな彼女を見ながら、ボムは声を掛けた。

 

「お主は『冒険者』が──『英雄』が嫌いじゃったな」

 

「……? ええ、そうですが……それがどうかしましたか?」

 

 小首を傾げるリリルカに、ボム・コーンウォールは──地精霊(ノーム)は彼女の栗色の瞳を真っ直ぐ見詰めながらぽつりと言った。

 

「『英雄』はまるで『風』じゃ。ふらりと現れては、歴史に名を刻んでいく。かと思えばすぐに居なくなってしまう。それを延々と繰り返す。今この瞬間も『英雄』は産声を上げているやもしれん」

 

「……何を言いたいんですか?」

 

「リリちゃん、『英雄』は確かに居るんじゃよ。ましてや『英雄都市』と言われている迷宮都市(オラリオ)なら尚の事。『神時代』になってからはやくも千年が経っておる。嘗ての最強派閥(ゼウス・ヘラファミリア)が壊滅してからは数年じゃ。両派閥が『黒龍』に敗れたと聞いたときはもう駄目かとも思ったものじゃが……しかし、それは大きな間違いじゃった。『英雄の雛』は残っていたのじゃ。雛達は成長し、悪が台頭し、支配した『暗黒期』を乗り越えた。そして今代(こんだい)。これ程の『英雄候補』が集まるということも珍しい。きっと『約定(やくじょう)』は果たされるじゃろう」

 

「……だから、ボムお爺さんは何を言いたいんですか!?」

 

 脈絡のない話に苛立ったリリルカが声を荒らげるが、ボムはそれを無視する。そして精霊は言った。

 

「きっと、リリちゃんの前にも『英雄』は現れる。儂はそう思う」

 

 ──そんな訳がない! リリルカは声を大にしてそう言いたかった。ボムの言葉を否定して『英雄』なんていないのだと、存在しないのだと言いたかった。

 少なくとも彼女はそう思っていた。

 だが、この時彼女はボムの言葉を否定出来なかった。反論出来なかった。

 それは、この世で最も信頼しているボムが言ったからかもしれないが、あるいは──。

 リリルカはそこまで考え、迷いを断ち切るように顔を横に振ると、カウンターの上に置かれていた宝石を手に取った。懐に大事に入れる。

 

「次は【ファミリア】を脱退した時に来ますね」

 

 ボムに別れを告げ、リリルカは骨董品店を出た。

 路地裏を通って、目抜き通りに向かいながら、リリルカはボムから言われたことをもう一度考えた。

 ──きっと、リリちゃんの前にも『英雄』は現れる。

 リリルカはフッと嗤った。ボムには悪いが、その言葉を否定する。

 

(ボムお爺さんの言う通り、『英雄』は居るのかもしれません。でも、私には絶対に現れない。だって(リリ)は──)

 

 ────何もない『才無き者』なのだから。

 



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聖女の大願(ねがい)

 

 太陽が燦々(さんさん)と輝き、東空に昇っていた。照りつく光と心地よい風を浴びながら、人々は生活を営む為に準備をしていた。

 ──早朝。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの中心部、天高く(そび)え立つ白亜の巨塔へ完全武装した冒険者達が引き寄せられる。

 そして、その中には白髪紅目の少年が紛れていた。

 近くの冒険者達が私服姿の彼に奇異の視線を寄越すのも気にせず、彼は西のメインストリートをずいずいと進んでいく。自分が目立っていることに、彼は全く気付いていなかった。

 少年──ベルは中央広場(セントラルパーク)に出た。バベルを取り囲むようにして作られている円形広場は冒険者達の集合場所となることが多い。ベルもその例に漏れず、サポーターの少女とは此処で会っていた。すぐ下に地下迷宮(ダンジョン)がある事から、現地集合とも言えるだろう。

 

(リリは何処だろう……?)

 

 ベルがきょろきょろと辺りを見渡してパーティメンバーを探していると、一つの声が後ろから掛けられた。

 

「ベル様、此方ですよ」

 

 その声に従って振り返ると、そこには彼の仲間である犬人(シアンスロープ)の少女──リリルカ・アーデが居た。目深に被っているクリーム色のフードの奥では、栗色のつぶらな瞳が輝いている。

 彼女はにこりと柔和に笑いながら「おはようございます!」と挨拶した。ベルも笑顔で挨拶を返す。

 

「リリ、昨日は──」

 

「謝罪は結構です」

 

「だ、だが……」

 

「ヘスティア様から充分過ぎる程に頂いているので大丈夫ですよ。それよりも……──」

 

 リリルカは台詞を遮ってそう言うと、ベルの全身を観察した。武器である長剣こそ腰に()げているが、彼女が記憶している物ではない。恐らく予備(スペア)だろうと推測する。何よりも、ベルが私服姿だったので、彼女はこのように推測した。

 

「ベル様、怪我がまだ完治されていないのでしょうか?」

 

 身体の容態を心配してくるリリルカに、ベルは「いいや!」と笑顔を向けた。

 

「身体はナァーザ──懇意(こんい)にしている【ファミリア】に診て貰い、主神(ヘスティア)に看病して貰ったからすっかりと良くなった。これも『神の恩恵(ファルナ)』のおかげかな」

 

「おお、それは良かったです。冒険者は身体が資本。ましてやベル様はこれからがダンジョン探索の本番ですからね。本当に良かったです」

 

「ただ、武器と防具がなくなってしまってな。だから本当にすまない、リリ。二日連続……いや、君にとっては三日連続となってしまうが、今日もダンジョン探索は中止にさせて欲しい」

 

「それは構いません。しかしながらベル様、昨日は緊急事態だった為キャンセル料を頂きませんでしたが、今回はそちらの都合なので頂きます」

 

 そう言うと、リリルカはバックパックの中からファイルを取り出すと、一枚の羊皮紙をベルに見せた。

 そこには彼女が語った内容が書かれており、詐欺ではないことを証明している。ベルは目を通して頷くと、財布から指定額を取り出した。リリルカに「これで良いか?」と言いながら手渡す。彼女は足りていることを確認すると、無言で頷いた。

 

「それではベル様、明日からも宜しくお願いいたしますね。場所と時間は此処で宜しいでしょうか?」

 

 そう尋ねるリリルカに、ベルは「ああ、それで構わない」と言うと、彼女が離れないうちに、そのまま言葉を続けた。

 

「リリは今日、この後何か用事はあるか?」

 

「……いいえ、何もありませんが」

 

「そうか、それは良かった! なら、もし良かったら私の買い物に付き合って欲しい!」

 

 リリルカが怪訝そうにしながらも答えると、ベルは顔を輝かせて彼女を誘った。身体を硬直させる彼女に、彼はさらに続けて言った。

 

「私は冒険者としてはまだまだ駆け出しだ。私よりも断然冒険者歴が長いリリに、教えて欲しいことが山のようにある!」

 

「は、はあ……。しかし、ベル様、買い物とは武器と防具のことですよね。リリがどうこう言うのではなく、ベル様ご自身が選ばれる方が良いと思いますが」

 

「それはそうなのだが、君は長い間サポーターをやっているのだろう? その視点が是非とも欲しいんだ!」

 

 期待で輝く深紅(ルベライト)の瞳がリリルカを真っ直ぐと見詰める。ずいっと顔が近付けられ、彼女は「うぐっ」と言葉に詰まった。

 これは本当に既視感(デジャブ)がある。彼の主神も昨日、似たようにリリルカににじり寄ってきた。数秒の沈黙の後、彼女は詰められた距離を離しながら言った。

 

「あー、もう! 分かりました! 確かに暇ですし、ベル様にお付き合いしますよ!」

 

 やけくそ気味にそう叫ぶと、周りの冒険者達が「何だなんだ!?」と好奇の眼差しを送ってくる。カアッ、と羞恥で表情を赤く染めたリリルカは、声を上げて笑っているベルを強く(にら)んだ。

 

「……それで、何方(どちら)に行かれるのですか?」

 

「うーん、そうだなぁ……。リリは何処が良いと思う?」

 

「……もしかして、何も決めていなかったんですか?」

 

 その質問に、ベルは何故かドヤ顔で大きく頷いた。

 

「ぶっちゃけ、私は都市の構造を全く知らない!」

 

 ベルがそう言うと、リリルカは呆れの眼差しを彼に送った。嘆息すると、彼女は「それなら」と提案した。

 

「【ヘファイストス・ファミリア】はどうでしょうか。ちょうどすぐ上にテナントがありますよ」

 

 言いながら、上空──厳密には、摩天楼施設(バベル)を指す。蒼穹に伸びる五十階建ての巨塔には神々の領域(プライベートルーム)や食堂、治療施設などがあるが、その中には【ヘファイストス・ファミリア】のテナントがあった。

「なるほど、そう言えばそうだった。すっかりと失念していたよ」とベルは笑うと、一度考える素振りを見せる。

 

「【ヘファイストス・ファミリア】以外ですと……次に名前が上がるのは【ゴブニュ・ファミリア】でしょうか。知名度は【ヘファイストス・ファミリア】に比べると低いですが、腕が立つ鍛冶師(スミス)を何人も抱えています。私の弓矢──リトル・バリスタもこの【ファミリア】製です」

 

「へえ……そうなのか。他にはどのような【ファミリア】があるんだ?」

 

「そうですね……リリが知っているのは……──」

 

 ベルはリリルカの話を聞くと、かえって、何処の店に行くのか決めかねたようだった。両腕を組んで悩まし気な表情を浮かべる彼に、サポーターは提案する。

 

「時間は充分あります。まずは最寄りの【ヘファイストス・ファミリア】に行けば良いと思います」

 

「……うん、そうだな! そうしよう! それじゃあ行こうか、リリ!」

 

 ベルとリリルカは方針を決めると、摩天楼施設(バベル)に入る為に台形の穴を潜った。この穴は混雑しないよう、一階部分に張り巡らされている。門を潜ると、白と薄い青を基調とした大広間が二人を迎えた。ちなみに、ダンジョンはこの地下に広がっている。

 バベル一階は玄関の役割があり、主要施設は二階からだ。二階は簡易的な食堂があり、三階にはギルド本部と比べると規模は小さいが換金所が備わっている。

 

「あれ? 魔石昇降器(エレベーター)がないぞ?」

 

 階段を使って三階まで昇り、広間の中心に向かうと、ベルが戸惑いの声を上げた。

 一階から三階までは階段での昇り降りだが、これより先は階段ではなく昇降盤を用いる必要がある。文字通り、階層間を昇降盤が行き来するのだ。これに搭乗者が乗ることによって、階段よりも早く、体力を使わずに行き来することが可能となっている。この昇降盤は魔石製品の一つであり、神達が『エレベーター』と呼んでいたことから、下界の住人達もあやかってそのように呼んでいた。

 しかしながら、いくつもある筈の円形の台座は一つもなかった。リリルカが「今は全部起動されているみたいですね」と、ベルの疑問に答える。

 

「ベル様は【ヘファイストス・ファミリア】のテナントに行ったことがありますか?」

 

「ああ、一度だけだが。その時は友人──フィンが案内してくれた」

 

「……そ、それは良かったですね」

 

 引いたようにリリが呟く。

 二人が喋りながら待っていると、程なくして、一つの昇降盤が降りてきた。ベルとリリルカが降りてくる搭乗者の為に道を空ける。昇降盤はゆっくりと地面に着いて、やがて停止した。

 

「……」

 

 昇降盤には一人の男が乗っていた。獣人の特徴の一つである獣耳──猪人(ボアズ)かと、ベルは推測する。二(メドル)を優に超える逞しい体躯(たいく)を誇るその男は、『武人』という言葉がとても似合っていた。

 男の視線が、二人に注げられる。そして、(さび)色の瞳がベルの深紅(ルベライト)の瞳と交錯した。数秒、見つめ合う。

 

(この男、何処かであったことがあるような……。この異様な存在感、もしかして──)

 

 ベルは違和感を抱き正体を探ろうとするが、それよりも早く、男が先に視線を切った。男はベルとリリルカが事前に用意しておいた空間を通ると、そのまま、一言も言葉を発せず立ち去った。

 

(あれだけの巨体なら足音が出そうなものだが……凄いな、全然立たなかった。彼という存在をまるで感じさせなかった)

 

 感嘆しつつも、やはりベルは違和感を拭い去れない。一番可能性が高いのは『あの男』だが……そこまで考え、彼は思考を断ち切った。もし自分の推測が正しくとも、証明する手筈がない。何よりも、『あの男』とはきっといつか、道の交わる時が来るのだから、その時を待とうと思った。

 そしてベルは、仲間の少女が尋常ではない様子に気が付いた。身体を震わせているリリルカに目線を合わせ、慌てて声を掛ける。

 

「リリ、どうした、大丈夫か!?」

 

「……だ、大丈夫です」

 

「いや、大丈夫って、そんな様子で言われても──」

 

「……本当に大丈夫ですから。ベル様、まずは魔石昇降器(エレベーター)に乗りましょう」

 

 そう言われてしまっては、ベルは一度引き下がるしかなかった。彼はリリルカを連れて台座に乗ると、備え付けられている装置を操作する。すると魔道具は起動し、昇降盤は地面から離れて浮遊し──昇り始めた。硝子(ガラス)とはまた違った材質の透明な壁が円を囲むよう立っている為、何かの事故で落ちることはない。

 昇降盤が一定の速度で上階へ昇る中、リリルカが落ち着きを取り戻して言った。

 

「さっきの男性ですが……間違いありません、あれは【猛者(おうじゃ)】です」

 

「……【猛者(おうじゃ)】。それって確か──」

 

「ええ……【猛者(おうじゃ)】オッタル。私達が今すれ違ったのは、迷宮都市(オラリオ)最強の冒険者ですよ」

 

 世情に疎いベルであったが、【猛者(おうじゃ)】のことは何度か耳に入れていた。

 都市最強派閥の一角【フレイヤ・ファミリア】に所属している冒険者。『階位(レベル)』はLv.7であり、ベルの友人である【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナよりも『階位(レベル)』としては一つ上だ。そしてこのLv.7という数値は迷宮都市(オラリオ)内では彼以外所持していない。ピラミッドの頂点に位置している彼は【猛者(おうじゃ)】という二つ名以外にも『頂天(ちょうてん)』という異名がある。

 

「……何をされた訳ではありません。ただ、至近距離で対峙しただけです。ただそれだけのことで私は心臓が握られているような錯覚に襲われました」

 

 お恥ずかしいところをお見せしました、とリリルカはベルに謝罪した。ベルは「謝るようなことじゃない」と彼女をフォローする。

 魔石昇降器(エレベーター)の浮遊感に身を委ねていると、比較的顔色が良くなったリリルカが呟いた。

 

「しかし、【猛者(おうじゃ)】のあの装備……ダンジョンに行かれるのでしょうか」

 

「……? それはどういう意味だ? 冒険者なのだから、ダンジョンに潜るのは当たり前だろう?」

 

「ええ、ベル様の疑問は尤もです。ですがそれは、あくまでも下級冒険者の話になります」

 

 言っている事が分からず、ベルは首を傾げた。そんな彼にリリルカは苦笑すると、言葉を続ける。

 

「リリ達のような下級冒険者は自分の好きなタイミングでダンジョンに潜ることが出来ますが、上級冒険者……都市を代表する第一級冒険者になるとそれは難しくなります」

 

「それはまたどうしてだ?」

 

「一つは、【ファミリア】を守る為です。ベル様もご存知だとは思いますが、【ファミリア】の活動には神々の代理戦争という側面があります。今は平和ですから想像が難しいですが、昔は【ファミリア】間での(いさか)い──『抗争』が日中日夜起こっていたそうです。第一級冒険者は【ファミリア】での最強戦力となる訳ですから、基本的には、主神の許可を得ずにダンジョンでの長期間の滞在は出来ません」

 

 もう一つは、と彼女はさらに続けていた。

 

「もう一つは、都市を守る為です。【ファミリア】はあくまでも一組織でしかなく、管理機関(ギルド)には決して逆らえません。これは【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】といった大手派閥も例外ではなく、【ファミリア】は管理機関(ギルド)の指示に従う義務があります。そして、その中には都市を守ることが含まれています」

 

「都市を守る……? 外敵でも居るのか?」

 

「ええ、居ますよ。一つは人類共通の敵である『モンスター』。特に世界三大冒険者依頼(クエスト)である『黒龍』がもし迷宮都市(オラリオ)を襲って来たら、その時は第一級冒険者から下級冒険者まで、全ての冒険者が立ち向かうでしょう」

 

 世界三大冒険者依頼(クエスト)。そして、『黒龍』。それらの言葉を、ベルはこれまでの人生で何度か聞いている。それは、人類の悲願であり、冒険者達の最終到着地点の一つだ。

 

「もう一つは、闇派閥(イヴィルス)対策です。先程も言いましたが、今の迷宮都市(オラリオ)はとても平和です。しかしながら、数年前──闇派閥(イヴィルス)という『悪』が台頭した時代がありました」

 

「確か……『暗黒期(あんこくき)』だったか」

 

「そうです。リリ達がまだ子供の時、絶望に覆われた時代がありました。冒険者、民衆を問わずして死者は後を絶たず、同族であるヒトを殺し合う……そんな時代が数年前までは『世界の中心』である迷宮都市(オラリオ)にありました」

 

「ある意味、モンスターよりも劣っていたでしょうね」とリリルカは言うと、さらに言った。

 

「その『暗黒期』を終わらせたのが、現在の第一級及び第二級冒険者達です。【猛者(おうじゃ)】は先の戦いで敵の最高戦力を倒した功績があります。ちなみに、ベル様のご友人であるフィン・ディムナ様は迷宮都市(オラリオ)全ての【ファミリア】を纏めあげ指揮をとりました」

 

「それは……凄いな……」

 

「この時ばかりは【ファミリア】の垣根を越えて冒険者達は協力しました。闇派閥(イヴィルス)という共通の敵を打破する為、あくまでも一時的なものではありましたが──結果的に『悪』は倒され、『正義』が勝ちました」

 

「それは良かったが……しかし、闇派閥(イヴィルス)対策とはどういう事だ? 迷宮都市(正義)が勝ったのだろう? それなら、その必要はないんじゃないか?」

 

 ベルのその疑問に、リリルカは静かに首を横に振った。

 

「確かに勝ちましたが、完全勝利ではありません。黒幕である邪神(じゃしん)を天界へ送還したことで『暗黒期』は終結しましたが、幹部達は逃走、生き延びていました。その後も幹部達は活動を続け──数年前に全幹部は死んだという報告がされていますが、依然として、闇派閥(イヴィルス)は掃討されていません。つまり、『悪』が再び牙を剥くことは充分にあり得ます」

 

「…………」

 

「他にも、迷宮都市(オラリオ)を落とそうと毎年のように攻めてくる王国(ラキア)や対抗してくる魔法大国(アルテナ)……その他諸外国対策など──有事の際には第一級冒険者が動きます。『責任』とも言えるでしょう。なので彼等はリリ達のように気楽にはダンジョンには潜れませんし、管理機関(ギルド)の許可なくして都市外に行くことは禁じられています。もし破ったらかなり重たい罰則(ペナルティ)が課せられるでしょう」

 

 そこまで話を聞いたベルは一度瞬きすると、何かを憂うように溜息を吐いた。

 リリルカは隣に立つ彼の普段とは違う様子に驚きながらも「話を戻しますが」と脱線していた話を本筋に戻した。

 

「【猛者(おうじゃ)】がダンジョンに行くのはかなり久しい筈です」

 

「そうなのか……」

 

「第一級冒険者がダンジョンに行くところを他の冒険者が目撃したらすぐに情報は広まります」と、リリルカは言った。彼女は続ける。

 

「つい最近は【女神の戦車(ヴァナ・フレイア)】が単独での『遠征』を行い、見事成功させたらしいですし……【猛者(おうじゃ)】もそれに近いのかもしれませんね」

 

 リリルカがそう締め括ると、魔石昇降器(エレベーター)が静かに停止した。二人の目的のフロアに到着したのだ。

 バベルの四階から八階は【ヘファイストス・ファミリア】がテナントを独占している。高い金額を請求されるのにも関わらず、数階層に渡って店を出しているのは【ヘファイストス・ファミリア】だけだ。四階に近いほど高い性能を誇る一級品装備が、八階に近いほど品質は下がっていき……ベル達が現在居る八階では【ヘファイストス】のロゴは許されていない……つまり、【鍛冶】の『発展アビリティ』を修得していないLv.1の鍛冶師(スミス)の作品が売られている。

 フロアには片手直剣(ワンハンド・ロングソード)長槍(ジャベリン)、弓矢など……様々な種類を取り扱っている専門の武具の専門店があり、制服を着た【ファミリア】のスタッフや無所属(フリー)のアルバイターが常勤している。

 

「さて、ベル様。まずは何を見ますか? いえ、失礼しました。まずは予算を聞かせて下さい」

 

「100000ヴァリスかな」

 

「100000ヴァリス!? ──ハッ、失礼しました。そ、それは……かなりありますね」

 

 戦慄するリリルカ。

 ベルは苦笑いしながら右手の人差し指で片頬を掻き、リリルカに朝の出来事を語った。

 

主神(ヘスティア)が良い物を買って来いと言ってくれたんだ。流石に100000ヴァリスは多いから、こんなには要らないと言ったのだが……まるで聞き入れてくれなかった」

 

「あははは……しかしヘスティア様のお気持ちも分かるような気がします。ベル様はどうやら巻き込まれ体質(トラブルメーカー)のようですし、過保護になるのはある意味当然だと思いますよ」

 

「……まあ、そうだな。彼女には心配を掛けているし、甘んじて受け入れようと思う」

 

 リリルカはにこりと笑うと、「まずは何を探しますか?」とベルに尋ねた。

 

「うぅーん、そうだなあ……まずは防具から見ようかな。主武器(メインウェポン)は次に見て……目に留まるのがなかったら、他の店を案内して欲しい!」

 

「分かりました! ベル様は軽装ですから……確か、此方に取り扱い店があった筈です!」

 

 リリルカの案内のもと、ベルはとある防具店に入った。そこは軽装を取り扱っている専門店であり、店内には数名の冒険者達が先客として居た。その横にはスタッフがおり、客の相談や質問に応じている。

 ベル達に気が付いた、齢四十ほどのドワーフの男が「いらっしゃい!」と声を張って挨拶した。

 ベルはそれに明るく返しながら、スタッフに話しかけた。

 

「すまない、出来る限り軽く且つ急所を守れる防具を探しているのだが……」

 

「なるほど、幾つか見繕ってみましょう」

 

「頼む」

 

 スタッフとは一旦そこで別れ、ベルはリリルカと一緒に店内の中を歩く。軽装、と一口に言っても様々な物があり、気になった商品を手に取って確かめる。

 軽く叩いて強度を推し量っていると、スタッフがベル達に声を掛けた。

 案内された大きな(テーブル)にはずらりと防具が並べられていた。金額は高い物から低い物まで、ベルが指定した性能に近い物を取り敢えず選んだ、とスタッフは言った。お礼を言いつつ、早速、ベルは一つ一つを吟味していく。

 

「──うん、これにしようと思う」

 

 スタッフやリリルカと相談した結果、ベルは一つの防具を選んだ。

 それはライトアーマーだった。胸当てや膝当て、小手、腰部など、最低限の箇所を守っている。逆に言えば、最低限の箇所しか守られていない。

 素材にはドロップアイテムである『キラーアントの硬殻』を主に使っており、確かな防御力がある。そして何よりも、軽い。

 ベルの要望である『出来る限り軽く且つ急所を守れる防具』をこのライトアーマーは体現していた。

 価格の25000ヴァリスを支払うと、スタッフが輸送会社(タクシー)を使って届ける事が可能であることを説明する。

 

「送料は無料です。今晩の夜にでも届くでしょう。如何しますか?」

 

 ベルは逡巡してから、それを丁重に断った。

【ヘスティア・ファミリア】は現在管理機関(ギルド)によって大半の情報が秘匿されている。その中には住所も含まれており、安易に漏れるようなことはするべきではないと判断した。

 

「それなら、ボックスに入れますね」

 

 スタッフはそう言うと、慣れた動作で素早く木製の箱に詰め込んだ。蓋をすると、ベルに手渡す。

 ベルは「ありがとう!」と笑顔でお礼を言うと、スタッフに見送られながら退店した。先に出ていたリリルカと合流する。

 

戦闘衣(バトル・クロス)は北のメインストリートで買うとして……次は主武器(メインウェポン)か。リリ、案内を頼めるか?」

 

「はい! ベル様、此方ですよ!」

 

 リリルカはそう言って、ベルを次の店に案内した。八階から七階に移動する。そこはベルが使用している片手直剣(ワンハンド・ロングソード)を取り扱っている専門店であり、何本もの剣が壁に掛けられていた。武器収集家(コレクター)が見れば興奮するだろうな、とベルはそんな感想を抱く。

 店内に入ると、先程の店と同様、自分が希望している物をスタッフに伝える。案内されたテーブル席で待っていると、リリルカが「ところでベル様」とベルに話し掛けた。

 

「前々から気になっていましたが、ベル様はどうして片手直剣(ワンハンド・ロングソード)を使っていられるのですか?」

 

「……ああ、その事か」

 

「気分を害されたのなら申し訳ございません。ですが、ベル様の体格、そして戦闘様式(スタイル)を考えれば、一番適しているのは短剣やナイフだと思いますが」

 

「どうにも、他の武器種では違和感があるんだ。何ていうのかな……身体が武器に振り回されるというか……」

 

「なるほど。そうなると、ベル様に適性のある武器種は限られているということになりますね。これだけは絶対に使えないという物はありますか?」

 

「弓矢かな。距離感がいまいち摑めなくてな」

 

 恥ずかしそうに苦笑いするベルに、リリルカは「そんな事はありませんよ」とフォローする。

 

「近接戦闘を主流とする剣士が遠距離武器を使う際、ベル様のようになる方は決して少なくありません。遠近、どちらの戦いも出来る万能型の冒険者はあまり居ません」

 

 リリルカがそう言ったタイミングで、数名のスタッフが長剣を抱えてやってきた。テーブルの上に慎重に置き、見映えよく綺麗に並べる。

 スタッフを代表して、ヒューマンの男がベルに言った。

 

「お客様が希望した、『頑丈な剣』は此方となっています」

 

「ああ、ありがとう。何かあったらまた呼ばせて貰う」

 

「畏まりました。その際は何なりとお申し付けください」

 

 スタッフは一礼すると、邪魔しないようにベル達から離れて行った。

「さて」とベルは気合を入れると、並べられた武器を俯瞰(ふかん)する。鞘に収納されているそれらは当然ながら傷一つなく、酸化や劣化の影響を受けている様子も外からでは見られない。ベルが鞘から刀身を抜いて確かめていると、リリルカが不思議そうに話し掛けた。

 

「『頑丈な剣』をベル様は欲しいようですが、それはまたどうしてですか? ベル様の戦闘様式(スタイル)──一撃必殺と一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)を考えれば、耐久度よりも切れ味の方を優先された方が良いのではないでしょうか?」

 

「私もそうは思うのだが……私の剣の扱いがあまりにも悪すぎて、すぐに駄目にしてしまうんだ。実は恥ずかしながら、冒険者になってからまだ数ヶ月も経っていないのに剣を何本も折っていてな」

 

「あー、確かにそれはありますね。実のところ、ダンジョン探索中リリも何回か思っていました」

 

 仲間の少女である突然の告白に、ベルは苦笑を深くした。「そういう訳だから」と彼は手に持っていた剣をリリルカに見せる。

 

「まずは耐久度がある剣を使って、武器の扱い方を矯正しようと思う」

 

「そういう事なら納得です。不壊武器(デュランダル)なら『決して折れず、壊れない』という属性があるのでベル様に一番適していると思いますが……これは一級品装備なのでまだ手が届きませんね」

 

「まあ、いつかは装備出来ると思ってコツコツとお金を貯めるさ」

 

 ベルはそう言うと、本格的に商品を見始めた。スタッフの許可を得て、気になった剣を空振りし、使い易さを確認していく。自分に合わないと感じた物はすぐに返し、スタッフが新たに持ってきてくれた物を受け取り、試し振りを何度も繰り返す。

 空気を裂いていると、椅子に座っていたリリルカが声を掛けた。

 

「前々から気になっていたのですが、ベル様の戦い方は我流ですか?」

 

「……? そうだが、それがどうしたのか?」

 

「いえ……ただ、我流にしては随分と完成されているなと思いまして」

 

「そうか?」

 

「ええ、はい。少なくとも、剣の(グリップ)を握ってからひと月しか経っていない者ではないかと思います」

 

 リリルカはフードの奥で探るように目を細めて、そう、感想を言った。それに気付かないベルは「ありがとう!」と無邪気に喜ぶ。

 それから数分後、

 

「──うん、これが一番手に馴染む」

 

 試し振りを終えたベルは一本の長剣を手に取った。ベルがそれまで使っていた《ニュートラル》よりももやや太い刀身の両刃の刀剣。重量も《ニュートラル》と比べるとあるが、【ステイタス】が伸びているので、重すぎて振れない、という事は決してない。

《プロシード》という銘を持つ長剣は、(すみ)で塗られたかのように柄から剣先まで漆黒だった。何も知らない者が見たら真剣ではなく木剣だと思うだろう。鞘も同色の漆黒であり、整合性が取れている。

 

「スタッフ、忙しい所すまないがこれを買いたい!」

 

 値段の50000ヴァリスを払ったベルは、防具を買った時と同様、輸送会社(タクシー)サービスを丁重に断った。

 するとスタッフが「それなら、少々お待ち下さい!」と言い、店の裏に回った。一分も経たず戻ってきた。

 

「こちら、剣帯です。差し上げます。宜しければお使い下さい」

 

「えっ、良いのか?」

 

「はい! 是非ぜひ!」

 

「お気になさらず!」と笑顔で言うスタッフ。

 ベルは逡巡した後、言葉に甘えることに決めた。受け取った剣帯に《プロシード》を差し、身体に巻き付ける。

 スタッフに見送られて店を出たベルとリリルカの二人は、魔石昇降器(エレベーター)があるフロアの中心部に向かった。

 

「リリ、四階に行って一級品装備を見ても良いか?」

 

「構いませんよ、ベル様」

 

 円形の台座に乗り、ベル達は七階から四階へ移動した。【ヘファイストス・ファミリア】最高峰の武具が売られているとだけあって、四階には、一目見て歴戦の冒険者だと分かる者達が大勢居た。

 陳列棚(ショーウィンドウ)に鎮座している商品には【Hφαιστοs】のロゴが必ず何処かに掘られており、煌びやかに輝いている。当然、値段はとてつもなく高い。このフロアにある商品を買う事が出来るのはひと握りの冒険者であり、一種のステータスと言えるだろう。

 

「わぁお……【ファミリア】の全財産を投げ打っても、一つも買えないぞ……。というか、この長剣なんて家が建てられるんじゃ……」

 

「ちなみに、先程リリが言った不壊武器(デュランダル)は──高いのだとだいたい1億ヴァリスします」

 

本当(マジ)か」

 

 ベルが思わず素で呟くと、リリルカはにっこりと「本当です」と言った。

 金銭感覚が可笑しくなりながら、フロアを見て回る二人。そして彼等は一つのコーナーで立ち止まった。

 

「凄いな……これが全部『魔剣(まけん)』か……」

 

 その店で取り扱っているのは、全て『魔剣』だった。

 ──『魔剣』。

 使うだけで『魔法』を引き起こす異端の武器。流石は【ヘファイストス・ファミリア】と言うべきか、『魔剣』専門店も幾つか開かれていた。

 

「お客様、当店をご利用されますか?」

 

 上級冒険者だと思われる獣人の男が、店に入ろうとするベル達に声を掛けた。【ヘファイストス・ファミリア】の紋章が制服に縫い付けられていることから、派閥の構成員である事が分かる。

 

「ああ、そのつもりだ。とはいえ、見ての通り私達にはこの素晴らしい『魔剣』を買える程の財力はない。だから、見て回ることだけになってしまうが……」

 

「構いません。ただし、当店のルールとして、装備は全て預からせて頂きます。無論、退店される際に返却致します」

 

 それがルールならと、二人は持っている物全てを店に預ける。そして彼等は店に入った。

 

「凄い、としか言えないな……!」

 

 数えるのも億劫になる程、多くの『魔剣』が売られていた。

 強盗されないようにする為か、他の店とは段違いに厳重に保管されている。勤務しているスタッフも多く、まるで国宝扱いだな、とベルは思った。

 

(いや……事実国宝だな。『魔法』を──『奇跡』を人為的に引き起こせるのだから、こうなるのは当然か……)

 

 ベルとリリルカは無言で店を回った。

 

(……?)

 

 その最中ベルはある事が気になったが、それを口に出す事はしなかった。数分後には店内を一周する。客である以上、迷惑行為をしなければベル達はもっと居ても良いのだが、彼等はそれをせずすぐに退店した。

 預けた物を全て返却して貰ったベル達は、フロアに設置されているベンチに腰掛けた。

 

「リリ、一つ気になった事があるのだが……」

 

「はい? 何でしょうか?」

 

「今行った店に売られていた『魔剣』だが、安くなかったか? それとも、私の感覚が可笑しいのか?」

 

 ベルの質問に、リリルカは「そこに気付くとは流石ベル様です」と称賛してから、肯定の頷きを返した。

 

「ベル様の感覚は至って通常です。先程行ったお店で売られている『魔剣』は安いです」

 

「やはりそうか……。殆どが100万ヴァリスから1000万ヴァリス辺りだっから、可笑しいと思ったんだ。そうなると、さっき行った店は比較的安い商品を取り扱っていたのか?」

 

「いいえ、それは違いますよベル様。迷宮都市(オラリオ)の『魔剣』の相場が、それです。とはいえ、『普通の魔剣』の話になりますが」

 

「『普通の魔剣』……? それはいったいどういう事だ?」

 

 ベルは意味が分からず困惑する。

 そんな彼に、リリルカは説明を始めた。

 

「『魔剣』という武器は『魔法』を放つ事が出来るとされています。とはいえ、厳密にはこれは違い、『魔法』を超えることは出来ないとされています。いつ砕けるか分からない、絶対に折れる武器。つまり『魔剣』とは『魔法』の劣化版でしかありません」

 

 しかしながら、とリリルカは続ける。

 

「ところが、数年前──『暗黒期』末期に、『魔法を超える魔剣』が突如として出ました。それは当時の【九魔姫(ナイン・ヘル)】の『魔法』を超える程の威力を持っており、全てを燃やし尽くす業火を生み出したそうです。たった一人の鍛冶師(かじし)が打ったその『魔剣』は迷宮都市(我々)の勝利に大きく貢献したと記録に残っています」

 

「……」

 

「それまでの常識を、その『魔剣』はあっさりと覆しました。記録によれば、あまりにも危険な為、『魔剣』を鍛冶師に打たせないようにすべきか議論されたことも何度かあるようです。しかしながら、未だに結論は出されておらず『保留』扱いとなっています。そして、その鍛冶師は現在も、求められるがままに『魔法を超える魔剣』を打ち続けています」

 

「…………」

 

「現在、迷宮都市(オラリオ)にあるおよそ半分の『魔剣』はその鍛冶師が打った物だと言われています。当然ながら、価値としては『普通の魔剣』が『魔法を超える魔剣』に劣るようになります。結果、相場が下がるようになったのです」

 

 ベルはリリルカの言葉を黙って聞いていた。そして、閉ざしていた深紅(ルベライト)の瞳をおもむろに開けると、腰に提げていた長剣の鞘を優しく撫でる。

 

「教えてくれてありがとう、リリ。それじゃあ、バベルを出ようか」

 

 リリルカに小さく笑いかけ、ベルはベンチから立ち上がると魔石昇降器(エレベーター)に向かった。

 二人は四階から一階に降り、玄関を出る。強い陽射しを浴びながらベルはリリルカにお礼を言った。

 

「今日はありがとう、リリ。とても楽しい時間を過ごすことが出来た!」

 

「いえいえ、そう思って頂けたのならリリも嬉しいです。しかしベル様、他の物はどうされるのですか?」

 

「あとは一人で買いに行こうと思う」

 

「分かりました。そういう事なら、リリは此処で失礼しますね。確認ですが、明日からダンジョン探索を再開する、という事で宜しいでしょうか?」

 

「ああ! 明日は身体の調子が良かったら、10階層に進出しようと思っている!」

 

 ベルがそう言うと、リリルカは「おお!」と驚いた。それから満面の笑みで言う。

 

「ならばリリも、頑張るベル様に負けぬよう、精一杯のサポートを行わせて頂きます!」

 

 それではベル様、さようなら! と彼女は別れの挨拶をすると、円形広場を出ていった。

 ベルは彼女を見送ると、北のメインストリートへ足を運んだ。この大通りは衣服関係を取り扱っている店がとても多くあり、各種族を対象とした店が営業している。冒険者が身に纏う戦闘衣(バトルクロス)も売られている。

 

「ヘスティアが教えてくれた店は……──」

 

 今回、ベルはそれまで使っていたロングコートを購入しようと考えていた。着心地が良く、これからはその店を贔屓にしようと思っていたのだ。

 ヘスティアが描いた簡易的な地図を見ながら大通りを進んでいくと、ベルは、人集りが一つ道端に出来ていることを見付けた。気になって近付くと、人集りの中心部では屋台があるようだった。

 

(ジャガ丸くんの屋台か何かか……?)

 

 ジャガ丸くんは迷宮都市(オラリオ)で非常に有名である。子供のオヤツとして、主婦が買う事も珍しくない。

 最初はそう思ったベルだったが、すぐに自身の考えが間違っていることに気付く。というのも、集まっている人々は殆どが『神の恩恵(ファルナ)』を授かっている冒険者だったからだ。

 ベルが首を傾げた、そんな時だった。

 

「此方では、回復薬(ポーション)を無償で配っております。お一人様数個限定ではありますが、宜しければ持っていって下さい」

 

 女性特有の美しいソプラノの声がベルの耳朶を打つ。

 ベルはその声に聞き覚えがあった。どうやらこの騒動を作っているのは友人のようだと気が付いた彼は、人集りが崩れるまで待つことにした。

 

(……)

 

 邪魔にならないよう遠くから眺める。数分後、それまであった人集りはすっかりとなくなり、屋台と一人の女性だけが残っていた。

 

「申し訳ございません、回復薬(ポーション)は在庫がつい先程無くなってしまいました……──ベルさん」

 

 その女性は作業していた手を止めて顔を上げると、紫水晶(アメジスト)の瞳をやや大きくさせた。

 

「久し振りだな、アミッド女医!」

 

「……久し振り。そうですね、直接会って話すのは久し振りですか」

 

「……?」

 

「いえ、何でもございません。こんにちは、ベルさん。お久し振りです」

 

 まるで精緻の人形のような少女──アミッド・テアサナーレはそう言うと、薄く微笑んだ。

 そして、彼女はそのままベルの全身を観察し、両腕に抱えられているボックスと身体に巻かれている剣帯に視線を送る。

 

「買い物をされているのですか?」

 

「実はそうなんだ。装備一式を買っていてな。あとは戦闘衣(バトル・クロス)だけだ」

 

「ああ、なるほど。此処……北のメインストリートは服飾関係で賑わっていますからね。私も行きつけのお店があります」

 

 彼は屋台を一瞥してから、「今は暇か?」と尋ねた。

 

「ええ、特に用事はありませんが……」

 

「そうか、それは良かった! どうだろう、久し振りに昼食を共にしないか?」

 

「……そうですね。私もベルさんには話したい事がありますから」

 

「少々お待ち下さい」と彼女は断りを入れると、屋台を引いて近くの有料駐車場に向かった。

 有料駐車場とは、馬車や屋台を停める場所であり、都市の各地にある。【ファミリア】が運営するものから民間団体が運営するものまで様々であるが、共通サービスとして、一定額の代金を前払いする必要がある。ちなみに、道端に長時間無断駐車した場合、通報を受けた管理機関(ギルド)がやってきて差し押さえられてしまい、高額な金額を支払わなければならない。

 ベルはアミッドが手続きを終えるのを待ち、終えた彼女と合流すると適当な飲食店に入った。北のメインストリートは服飾関係で賑わっているが、飲食店がカフェやレストランがない訳ではない。

 そして、二人は適当なカフェに入った。ベルが従業員に話をし、隅の席に案内して貰う。

 

「好きな物を頼んでくれると嬉しい。強引に連れてきてしまったせめてもの謝罪だ」

 

 アミッドは迷ってから「そういう事でしたらご厚意に甘えさせて頂きます」と言い、それでも、比較的安い料理を選んだ。その事に苦笑しながら、ベルもまた適当な料理を選ぶ。

 従業員を呼び注文すると、数分後、サービスされた。

 

「先程は何をしていたんだ? 良かったら教えて欲しい」

 

 昼食を食べ終えた頃、ベルがアミッドに尋ねた。

 アミッドは美しい紫水晶の瞳でベルの深紅(ルベライト)の瞳を真っ直ぐと見詰め、その質問に答えた。

 

回復薬(ポーション)を無償で皆様に配っておりました」

 

「そうか……。理由を尋ねても良いだろうか?」

 

「ええ、勿論です。私も貴方に聞いて欲しいと思っていましたから」

 

 アミッドはそう言うと、話を始めた。

 

「以前お話したことを覚えていらっしゃいますか? とはいえ、ひと月近い前の事なので覚えていらっしゃらないかもしれませんが……」

 

「……いいや、覚えているさ」

 

 ベルが猛牛(ミノタウロス)に襲われた翌日、彼等は偶然大通りで会い、話をしていた。その時の会話の内容を、彼は今まで忘れることなく覚えていた。

 

「貴女はあの時『治療師(ヒーラー)の出番をなくして欲しい』と言っていたな」

 

「ええ。そして貴方は、こう、仰っていました。『出来ることならば、誰もが笑顔でいて欲しい。誰も傷付かない世界になったら、それはどんなに良い世界になるのだろう』と──ヒトが居る限り、血は流れます。傷を負う人は絶対に消えてなくなりません」

 

「……そうだな、悲しくて悔しいことに、それは歴史が証明している。争いを完全になくすのは実質不可能だ。時にはモンスターと、またある時は同族であるヒトと。愚かとしか言い様がないが……これが、ヒトだ」

 

「私も同意見です。そして私は、私に何が出来るのかを考えました。その答えの一つが、先程の活動です」

 

「……それが、回復薬(ポーション)を無償で配る事か?」

 

 彼女は頷くと、強い口調で言った。

 

「『需要』が沢山ある一方で、『供給』がまるで足りません」

 

「『供給』?」

 

「ええ、そうです。それは医療従事者であったり、技術であったり、医療を提供する施設や医療道具であったり──何もかもが足りません。ヒトを傷付け、殺すことは容易ですが、治すことはとても難しい……。例えば、新薬を開発する為には多大なる実験と、何よりも時間が掛かります」

 

『世界の中心』である迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオではあるが、未だに解明されていない難病は数多くある。医療技術が全く発達していない国は数知れず。この世界に於いて、医療に精通している者はモンスターの脅威や世界の総人口と比べたらあまりにも釣り合っていない。

 

「だからこそまずはその足掛かりとして、回復薬(ポーション)を無償で配る事を決意しました。冒険者、民衆、老若男女問わず配ります。迷宮都市(オラリオ)に医療を定着させ──そして何れは、世界に」

 

「……」

 

「荒唐無稽である事は百も承知です。全ての人に理解される事はなく、偽善者だと非難される事もあるでしょう。今はまだ夢物語でしかなく、同時に、『理想』でしかありません」

 

「…………」

 

「しかし、同時に私と志を同じくする者も現れる筈です。たとえそうではなくとも、私はこの活動を続けます」

 

 言葉を言い終えると、静かに、「貴方はどう思われますか?」と彼女は尋ねた。

 それまで必要以上に口を開けてこなかったベルは──最上級の笑顔と共に自身の偽らざる想いを伝えた。

 

「素晴らしい事だと思う。嗚呼、貴女のその大願(ねがい)はとても美しく、それでいて優しいものだと心から思う。この前も言ったが、貴女のような素敵な人と友人になれたことはとても嬉しく、私の誇りだ」

 

「そ、そこまで言う程ではないと思いますが……」

 

「私は貴女を応援する。いいや、私に出来る事があれば遠慮なく言って欲しい。誰かを笑わすことしか芸がない私ではあるが、どうか頼って欲しいと思う」

 

「……ありがとうございます。その時は、必ず」

 

 アミッドが重くそう言うと、ベルは「約束だ」と一つ笑った。

 

「しかし、主神は何も言わなかったのか? 話を聞いている限りでは、貴女の主神こそが真っ先に反対しそうなものだが」

 

「……そうですね。最初に相談した時はそのように言われました。『そんな金にならん事をやるのは許さんぞ!』と言われてしまいました」

 

「そ、そうか……。だが、先程活動をしていたという事は納得してくれたんだな」

 

「いいえ、まだです。まだ渋っていらっしゃいます」

 

 その言葉に、ベルは思わず、素で「え?」と洩らしてしまった。

 右手で失言を隠す彼に、アミッドは淡々と言った。

 

「先程の活動は【ディアンケヒト・ファミリア】としてではなく、個人的な行いです。その証拠に、派閥(ファミリア)の制服は着ていないでしょう?」

 

 ベルが見れば、確かに彼女の言う通りだった。

 現在の彼女は、白と青を基調とした派閥の制服ではなく、薄い桃色の衣服を着ていた。髪型も髪を下ろしておらず、銀の長髪を後頭部の高い位置で纏めている。

 

「活動は休日に行っています。【ファミリア】の活動を疎かにしなければ、主神も口出しはしてきません」

 

「そ、そうなのか……。ちなみに、配っていた回復薬は?」

 

「仕事の合間を縫って私が製薬しています。必要な材料があればダンジョンにも行っています。とはいえ、安全圏の『上層』までですが。それ以降は管理機関(ギルド)を通して冒険者依頼を出しています」

 

 当然のように言うアミッドに、ベルはただただ感心するしかなかった。

 

「貴女の行動で助けられる人は絶対に居る」

 

「そうだと良いのですが……」

 

「私が保証しよう。此処に居る私が正にそれなのだから。つい一昨日も助けられたばかりだ」

 

 ベルが笑みを浮かべる。

 アミッドは微笑みを返そうと、

 

「……? 申し訳ございません、ベルさん。今何と仰いました?」

 

 ──した所で、アミッドは怪訝な表情になる。

 ベルはそれに気付かず、満面の笑みで質問に答えた。

 

「実は、貴女が以前くれた万能薬(エリクサー)のおかげで九死に一生を得てな! 危うく死ぬ所だったのだが、なんとか助かった!」

 

「……」

 

「礼を言うのが遅くなったが──本当にありがとう!」

 

 心からの感謝の念を込めて、頭を下げる。

 アミッドは暫く無言だった。

 数秒後、彼女は「頭を上げて下さい」と静かな声音でベルに言った。

 

「……詳しく、話を聞かせて頂けますか。貴方の身に何が起こったのかを、余すことなく全て」

 

 外面だけを見ると、アミッドは普段と変わらず物腰が柔らかかった。

 しかしその様子を見て……寧ろ、ベルは確信を持った。

 ──あっ、これは怒られるパターンだ! とベルは敏感に己の末路を予見した。口が滑った事が悔やまれて仕方ないが、退路はない。彼は大量の冷や汗をかきながら説明する。

 

「じ、実は一昨日──」

 

 一度言葉に詰まってから、ベルはアミッドに白状した。

 一昨日、ダンジョン探索中に謎の冒険者に襲われた事。戦闘に臨んだが、まるで敵わず手酷くやられた事。その際にアミッドが渡してくれた万能薬(エリクサー)を使った事など。

 

「──と、このような事があったのだが……」

 

「……」

 

「あ、アミッド女医? おーい?」

 

 沈黙する友人が怖くなってベルは名前を呼ぶが、反応が返ってくることはなかった。

 賑やかなカフェの中、ベル達が居る一角だけ異様な静けさに包まれる。それは従業員達は追加注文を取りにこない程だ。

 空気を読めない男子だとこれまでの人生に於いて散々言われてきたベルであったが、今ばかりは身動ぎ一つせず大人しくしていた。

 

「──……なるほど。話はよく分かりました」

 

 数分後──ベルにとっては正に地獄のような数分だった──、アミッドがそれまで閉ざしていた口をおもむろに開いた。

 恐怖で身体を震わせている少年に、彼女は嘆息してから、紫水晶(アメジスト)の瞳を向けた。

 

「まずは、ベルさんが五体満足で居ることに喜びましょう。私の渡した万能薬(エリクサー)が役に立ったのなら、それは本当に良かった事です」

 

「あ、ありがとうアミッド女医──」

 

「とはいえ……話を聞いている限りでは、あまりにも『無謀』──いえ、この際厳しく言いますが、『蛮勇』だったと評せざるを得ません。ベルさん、貴方は戦う前から敵わないと感じていたのでしょう?」

 

「そ、それは、まあ……」

 

「ならば、逃走する事も出来た筈です。実際に出来たかどうかは分かりませんが、その選択を思い浮かべられましたか?」

 

 うぐっ、とベルはその指摘に喉を詰めてしまう。そんな彼を見て、アミッドは「図星ですか」と溜息を吐く。

 

「貴方にも譲れない『何か』があったのでしょう。それは分かります。しかしながら、些か軽率だと言わざるを得ません」

 

「……すまない」

 

「ご自愛して下さい。私から言えるのは、これだけです」

 

「……肝に銘ずるよ」

 

 ベルが重い口調でそう言うと、アミッドは眉間に寄っていた皺を元に戻した。

 

「とはいえ、不自然な点が幾つかありますね」

 

 彼女の言葉にベルは首を傾げる。

 アミッドは「これはあくまでも憶測の域を越えない推測ですが」と断りを入れると、自論を展開した。

 

「はっきりと申し上げると、ベルさんの身の回りには突発的な事件が起こり過ぎています。『ミノタウロス上層進出事件』に『モンスター脱走事件』──そして今回の『襲撃』。ましてや襲撃者はベルさんだと断定した上で襲ってきました」

 

「……何らかの関係性があると言いたいのか?」

 

「『ミノタウロス上層進出』については、運が悪かったとしか言えないでしょう。此方は【ロキ・ファミリア】が起こした不祥事だと分かっています。しかし、他の二つは違います。『モンスター脱走事件』の犯人は未だに捕まっていません」

 

『都市の憲兵』である【ガネーシャ・ファミリア】が懸命に捜索しているが、アミッドの言う通り、事件を引き起こした犯人は依然として逮捕されていない。

 

「さらに、今回の『襲撃』。【ヘスティア・ファミリア】は管理機関(ギルド)によって殆どの情報が未公開となっています。情報を集める事は充分に可能ですが、ベルさんだと断定した上で接近するのは難しいでしょう」

 

「……なるほど。つまり貴女は、『モンスター脱走事件』と今回の『襲撃』は同一犯の仕業だと言いたいのだな」

 

「証拠となるものは何もありませんが、そうなります。脱獄したモンスターは民衆を襲いませんでした。調教(テイム)されていたのか、他の手段かは分かりませんが……操られていたのは間違いありません。しかし、ベルさん達は違った。貴方達が狙われていたのは間違いないでしょう」

 

「ふむ……確かに言われてみれば、執拗に追われていたような気がする」

 

「そして、今回の『襲撃』。もし襲撃者が同一の人物もしくは関係者だとしたら、全て辻褄が合うと、私にはそう思えて仕方がありません」

 

 そんな馬鹿な、と一笑に付すことは可能だ。

 アミッドが自分で言ったように、証拠となるものは何もない。根拠が一つもないこれは妄想とも言えるだろう。

 だがしかし、ベルはそれをしなかった。真剣な表情で考えに没頭する。

 

(あの男が戦う前に言っていた──『次代の世代を牽引する『器』の持ち主かどうか』という言葉。この言葉の意味が文字通り、そして、私の推測通りなら……)

 

 そして彼はその表情のまま、彼女に言った。

 

「答えには至ってないが、その道筋は見えた気がする。ありがとう、アミッド女医」

 

 話は終わった。

 二人は席を立つと会計し、カフェを出た。眩い光に目を細め、彼等は向き合った。

 

「今日はありがとう! とても楽しい時間だった!」

 

「私こそ、ありがとうございます。話を聞いて頂き、とても嬉しかったです」

 

「それじゃあ、また会おう!」

 

 別れの挨拶を交わし、ベルはアミッドと別れた。そして戦闘衣(バトルクロス)を買う為に服屋に行くのだった。

 



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少女の『違和感』は、確信に変わった

 

 ダンジョンには現在、大まかに四つの区分がある。『上層』『中層』『下層』『深層』だ。そしてLv.1の下級冒険者が到達できるのは『上層』までであり、階層で表すと12階層までとされている。というのも、『中層』に区分されている13階層からはLv.2相当のモンスターが出現するからだ。

 ダンジョン探索をするにあたって、地下迷宮(ダンジョン)を管理、運営している管理機関(ギルド)は冒険者に様々な支援を行っている。その中の一つとして、ダンジョン階層ごとの基本アビリティ評価に到達基準を設けている。これは強さの指標、とでも言えば良いだろう。○○階層に行くためには最低でも評価【〇】が欲しいということをギルドが公表することにより、冒険者は身の丈に合わない階層に無茶せず行くことがなくなり、結果的に死亡率が減少するのだ。具体的に述べると、1~4階層が【I】〜【H】、5〜7階層が【G】〜【F】、8~10階層が【E】〜【C】、そして11~12階層が【B】〜【S】である。とはいえ、これはあくまでも参考であり、その域を出ることはないのだが。

【ステイタス】の『基本アビリティ』を上げる為には長く、険しい道程を歩く必要がある。最初こそポンポンと数値は加算されていくがすぐに打ち止めとなり、その後は停滞に等しい加算率となってしまう。冒険者は果てしなく長い時間と血の滲むような努力の果てに自分を強化していくのだ。

 それが、一般的な冒険者の成長の過程である。

 しかし……()()()──と。

 目の前の光景はいったい何なのだろうと、サポーターの少女──リリルカ・アーデは心から思った。

 広い面積を誇る広間(ルーム)の中心部で、黒衣の剣士と巨大蟻(キラーアント)が戦闘を行っていた。剣士──ベル・クラネルが彼我の距離を詰め、剣の間合いに入る。

 

「せああああああああああああああああッ!」

 

 剣士が、裂帛(れっぱく)の気合いと共に片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)を水平に振る。白銀の軌跡が真一文字に走り、キラーアントの巨躯を斬った。胴体を切断された巨大蟻は悲鳴を上げながら地面に落ち、すぐに絶命する。身体が黒灰と化し、紫紺の結晶『魔石』だけが遺物として残る。

 

「リリー、頼めるー?」

 

 ベルが剣を持っている右手をブンブン振って、戦闘を見守っていたリリルカに声を掛ける。つい数秒前まで、生死のやり取りをしていたとは思えない屈託のない笑顔だ。

 サポーターの少女は「すぐに!」と返事をする一方で、

 

(可笑しいです可笑しい可笑しいです!?)

 

 ベルに近寄りながら、胸中で叫んでいた。浮かべている柔和な笑みの裏側では、頭を抱えてそんな馬鹿なと衝撃を受けていた。

 彼女が考えていること。それは雇用主であるベル・クラネルについてだ。地面の上に転がっている『魔石』を集めながら、思考に耽る。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!?)

 

 可笑しい、とリリルカは再度強く思った。

 そこには、『確信』だけがあった。『疑問』や『違和感』など挟む余地がない程のもの。

 彼女は今しがたの戦闘を振り返る。

 

()()()()()()()()()()()()()!? キラーアントを硬殻ごと切断した!? 業物でも何でもない、普通の剣で!? )

 

 キラーアントの硬殻(こうかく)は凄まじい強度を誇る。ドロップアイテムである『キラーアントの硬殻』は防具の素材として用いられ重宝されており、鍛冶師に持っていくと高い値で売却することが可能だ。

 その硬殻を、ベルは真正面から斬った。

 これが武器の性能なら、まだ納得出来た。彼は折れてしまった《ニュートラル》の代わりに、昨日、《プロシード》という長剣を購入した。武器の性能では《プロシード》の方が勝るだろうが、この長剣の最大の長所は耐久値であって斬れ味ではない。《ニュートラル》よりもほんの少し斬れ味が良いのは認めるが、逆に言えばそれだけ。

 武器の性能という一因だけでは目の前の現象を説明出来ない。

 つまり──巨大蟻の防御力を軽々と凌駕するほどの【ステイタス】──『力』と『器用』の『基本アビリティ』が今のベルにはある。

 

(『耐久』はまだ一撃も攻撃を喰らっていないので分かりませんが……『基本アビリティ』の殆どは恐らく評価【B】! 最も高いであろう『敏捷』は恐らく評価【A】──いいえ、下手したら【S】でしょう!)

 

 これまでの戦闘からベル・クラネルの現在の【ステイタス】を推測する。そんな馬鹿なと思い、何度頭の中で算盤を弾いてもこの結果になってしまう。

 ()()S()】。()()()()()()()()。その境地に今の少年は立っているというのか。

 

(冒険者になってからまだひと月しか経っていないんですよ、この人は!? それなのに軒並み高評価!? これを異常といわずして、何を異常というんですか!)

 

 有り得ない! 馬鹿げている! リリルカは声を大きくして叫びたかった。ダンジョンという危険地帯でなかったら、きっとそうしていただろう。

 だが、他ならないリリルカ自身が分かっていた。自分の計算は何も間違っていないと。多くの冒険者を視てきたことによって培われた観察眼は正しいと分かっていた。

 

(リリとダンジョンに潜っていないたった数日の間に、何があったというのですか!?)

 

 誰がどう見ても、今のベルは『異常』だ。『成長』という言葉では言い表せられない。()()()()()()()()()()。これではまるで、『成長』ではなく『飛躍』だ。万人がぶつかる『壁』を、彼は既にぶち壊している。それもいとも簡単に。

 とはいえ、見当が全くついていない訳ではない。契機となったのは、恐らく──。

 

(この人を襲った、数日前の襲撃。【ステイタス】の熟練度が馬鹿みたいに伸びたのはこれで間違いありません。それ程の相手、だったという事でしょうか……)

 

 今のベルの【ステイタス】は『昇格』寸前のLv.1のものだと推測される。そのベルをいとも簡単に倒したという事は──襲撃者は最低でもLv.2だったという事は容易に想像出来る。

 Lv.2──上級冒険者。迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの上位五十パーセントに、その冒険者は位置しているということだ。

 

(『冒険』をした、と言えばこの熟練度の上昇率にも頷ける……()()()()()()。この事象には何らかの……もっと別の『何か』があるとみて間違いないでしょう)

 

 原因は間違いなく襲撃だ。だが他にも理由がある……そうでないと説明出来ないと、リリルカは胸中で呟いた。

 一番に考えられるのは『改造』だろうか。神々が天界から下界に降臨するにあたって、幾つかの制約──『神の力(アルカナム)』が代表例だろう──を自身に課しているのは有名な話だ。その制約を破って、彼の主神(ヘスティア)眷属(ベル)に『改造』を施す。それなら、この驚異的な『昇華』にも納得がいく。

 だが──と、彼女はこの考えを打ち消した。数日前に会った女神が、悪事を働かせられるような精神の持ち主にはどうしても思えなかったからだ。あれが演技なら超越存在(デウスデア)だから、と思うしかないだろう。

 次に考えられるのは『スキル』だろうか。【ステイタス】の成長速度を上昇させる『スキル』……前例はないが、可能性としては充分にある。

 

(──異常存在(イレギュラー)

 

 そんな言葉を、リリルカは思わず想起した。

 もしそうだとしたら──『レア・スキル』を彼が所持しているのならば、とても恐ろしいことだ。この『スキル』が公表されたら、他の冒険者や神達はこぞって彼に詰め寄るだろう。発現条件を探る為に、人体実験を行おうとする研究者も出るだろう。

 

炉の女神(ヘスティアさま)管理機関(ギルド)を脅したのがここにあるのだとしたら、なるほど、彼女(めがみ)の行動も腑に落ちます。とはいえ、このような事をすれば余計に注目を集めるでしょう。現に今も、【ヘスティア・ファミリア】を探っている人達は一定数居ます。彼女はこの展開を想像しなかったのでしょうか……)

 

 疑問は絶えないが、これ以上の思考は無理だ。リリルカは考えを一度断ち切ると、ゆっくりと立ち上がって声を張った。

 

「ベル様、終わりました!」

 

 リリカルが殊更に明るい笑顔と声で雇用主に報告すると、ベルは目線を合わせて「ありがとう」と言った。

 二人は話し合うと、次の広間(ルーム)へ移動することに決めた。辺り一帯のモンスターはあらかた狩り尽くしたと判断したからだ。

 

(……仕掛けてみましょうか)

 

 これ以上は考えても憶測の域を超えない。ならば、直接聞けばいい。そうでなくとも、揺さぶりを掛けよう。

 関係を築いたばかりなら論外だが、現在はある程度の信頼関係を築けている。

 それは主観的な自分の思い込みでなく、客観的な事実だ。

 女性、愛嬌が良い、元気がある、そして何よりも──()()()()()()()()()

 それが自分なのだから。

 

「それにしても、驚きました!」

 

「驚いたって、何がだ?」

 

「何がって、ベル様の強さにですよ! リリが居ない間にベル様はとても強くなられているのですから、驚くに決まっています!」

 

 即断即行。

 次の目的地に移動する最中、リリルカはさり気なくを装って仕掛けた。普段通り、雇用主の二歩後ろを歩いているので彼女の表情が見られることはない。

 表情というものはとても厄介だとリリルカは思っている。多かれ少なかれ、自分が抱いている感情が表情として反映されてしまうからだ。このポジションは最適の位置だろう。

 リリルカの言葉に、ベルが返事をしたのは数秒が経った頃だった。

 

「強い、か……。どうだろう、強くなりたいと思って精進はしているが……私はまだまだ弱いさ」

 

「ふふっ、ご謙遜を。ベル様が強くなければ、他の下級冒険者は塵芥(ゴミ)ですよ」

 

「……時々思うが、リリってかなり毒舌だよネ」

 

 しまった、とリリルカは思った。慌てて「そんな事ないですよ!」と否定する。

 引かれてしまったのは失策だ。すぐに雰囲気を纏い直し、より柔らかいものにする。

 

塵芥(ゴミ)は言い過ぎましたが、ベル様の強さは本物ですよ。現に、あと数十分もすれば10階層へ続く階段が見えてくる筈です。これは他の下級冒険者とは比較にならない進み具合です」

 

「そうか?」

 

「はい、そうです! ましてやリリはサポーターで戦えませんから、このパーティは実質、戦力として数えられるのはベル様だけです。つまりベル様は単独(ソロ)で迷宮探索をしているようなものなのですよ!」

 

 リリルカが、そう、声高に力説すると。

 ベルは足を止めてリリルカに向き合い「それは違う」と否定した。

 えっ、と言葉に詰まるリリルカに、彼は首を横に振る。

 

「それは違うぞ、リリ。私が戦えるのは君が居るからだ。君という仲間が居なければ、私はまともに戦えないよ」

 

「ご、ご謙遜を──」

 

「いいや、謙遜ではない。私はあくまでも事実だけを言っている。謙遜しているのは、寧ろ君の方だ」

 

 台詞を遮られ、リリルカはベルにそう言われた。

 目線を合わせ、ベルは深紅(ルベライト)の瞳を真っ直ぐとリリルカの栗色の瞳を見詰める。

 リリルカはその眩い輝きからそっと目を逸らす。そんな彼女に、ベルはさらに言葉を投げ掛けた。

 

「リリ、君は強い。私よりも、ずっとずっとな」

 

「……そんな事、ありませんよ。ベル様と違って才能が無いリリは、一人で満足に戦うことすら出来ません」

 

「才能、か……。君は私に才能があると、そう思うか?」

 

 その質問に、リリルカは考えるよりも早く頷いた。それはそうだろう、と思考が不随して追い付く。

 彼女から見れば、目の前の少年は──『才能の塊』だ。

 猛牛(ミノタウロス)に追い掛けられても生き延び、銀の野猿(シルバーバック)を撃破し、日を跨ぐごとに強くなっていく彼を、いったい誰が『弱者』だと言うのだろうか。彼の友人である【勇者(フィン・ディムナ)】も、そこを見抜いているから【ファミリア】という垣根を越えて、友人関係を築いているのだろう。

 本心から頷くリリルカを見て、だが何故か、ベルは苦笑した。そして衝撃的なことを言う。

 

「私に才能があるように見えるのなら、それは大きな勘違いだよ、リリ」

 

「勘違い、ですか……?」

 

「ああ、勘違いだ。少なくとも、君が思い描くような天賦の才は、私にはない。そのうち鍍金(めっき)が剥がれるだろう」

 

 それはどういう事か、とリリルカは気になって仕方がなかった。しかしその前にベルが歩き始めたので、タイミングを見失ってしまった。

 

(もし、この人の言葉が本当だとして……。天賦の才がこの人にはなくて、凡人だとして……。なら、それを自覚しているこの人は、どうして強くなろうとするのでしょう……?)

 

 ──努力は無意味だと分かっている筈なのに。

 いいや、それよりも。

 リリルカは前を歩くベルの背中をじっと見詰めた。

 

(どうしてこの人は、『英雄』になりたいのでしょう……?)

 

 今までは気にならなかった、少年の大願(ねがい)

 荒唐無稽、無知蒙昧だと陰で思っていた、少年の願望(ゆめ)

 その想い(いし)が何処から来るのか、リリルカはそれが気になって仕方がなかった。

 



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看破

 

 夜。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの一日は夜になったからと言って終わる訳ではない。寧ろそれは逆であり、所謂(いわゆる)『夜の店』が開店を始め益々賑わいをみせる。

 そして、西のメインストリート。表通りに数多く()っている建造物の中で、群を抜いて大きいその酒場は熱気に包まれていた。

 

(酒場に来るのは……いつ振りでしょうか……)

 

 クリーム色のローブに身を包んだ少女──リリルカ・アーデはフードの奥から酒場を静かに見渡した。

 神、冒険者、一般市民が楽しそうに食事を共にしている。これはとても珍しいことだ。基本、冒険者と一般市民の仲はあまり良くなく、関わりを持つことは少ない。より厳密には、荒くれ者が多い冒険者を、一般市民が避けている。彼等が好意的に接するのは第一級冒険者くらいなものである。だからこそ、北西のメインストリートは『冒険者通り』だと言われているのだ。

 だが、この酒場──『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』はどうやら違うようだ。見れば、職種関係なしにテーブルを共にしている組が幾つかあり、彼等は楽しそうに時間を共有している。

 

(『豊穣の女主人』──冒険者の間では割と有名な酒場。美女美少女が勢揃いの店員に、美味しい料理。しかし、料理の価格が相場よりも遥かに高いので、下級冒険者が通うのは難しい……)

 

 頭の片隅にあった情報をリリルカは掘り起こした。

 なるほど、確かにこれは繁盛するなと腑に落ちる。料理の価格が高くなっているのは店の維持費によるものだろう。それでも、これだけのレベルを維持するのは並大抵ではない筈だ。何処かの派閥が援助していても可笑しくはないと、彼女は睨んでいる。徽章(エンブレム)が店内の何処にも飾られていないから、憶測の域を超えないが。

 

(まさかリリが此処に訪れる日が来ようとは……)

 

 此処で出される一品で、回復薬(ポーション)をはじめとした様々な道具(アイテム)を購入する事が出来るだろう。そして、リリルカは迷わず此方を選ぶ。

 彼女にとって食事とは生命活動を維持、継続させる為だけの行為であり、そこに『楽しい』という感情は湧かないからだ。

 だから、一時の満足感よりも、少しでも生存率が上がる方を選ぶのは当然だろう。そして、この方が遥かに合理的だと彼女は思っている。

 だが──。

 対面に座っている雇用主は自分とは違う考えの持ち主のようだ。

 騒々しい店の中、白髪紅眼の少年は重厚なステーキを頬張っていた。ガツガツ、そんな擬音が適しているだろうか。それはもう、美味しそうに食事をしている。リリルカは既に食べ終えている為──一番安い料理を注文した──手持ち無沙汰となり、何となく彼を見る。

 

「リリ、どうだ此処は!? 素晴らしい酒場だと思わないか!?」

 

 注がれる視線に気付き顔を上げると、彼はそう言った。

 話し掛けられたリリルカは思考を中断すると、にこりと笑みを浮かべて頷いた。

 

「はいっ、とても素晴らしいお店だと思いますよ!」

 

「そうだろう、そうだろう!」

 

「此処以上の酒場をリリは知りません! ベル様は凄いですね!」

 

 リリルカがベタ褒めすると、少年──ベル・クラネルは自分の事のように胸を張り、頬をゆるませた。気分が良くなったのか、「リュー、果実汁(ジュース)をもう一杯頼む!」と、追加の注文(オーダー)を近くを通り掛かったエルフのウェイトレスに言う。

 

「クラネルさん、今日は随分と羽振りが良いですね」

 

 注文(オーダー)を受け取ったウェイトレスはどうやらベルの知人のようで、その場に留まった。

 エルフの言葉に、ベルは上機嫌で言った。

 

「最近ようやく、収入が安定してきたからな!」

 

「ほう……それは喜ばしい事だ。しかし、くれぐれも注意して下さい。貴方は冒険者だ、あまり散財しないように」

 

「はーい! わっかりましたー!」

 

 本当に分かっているのか、ベルは元気よく返事した。

 はあ、と見目麗しい妖精は嘆息すると、次にリリルカに視線を見せた。

 

「追加注文はございますか」

 

「……いえ、私はありません」

 

「畏まりました。それではお客様、少々お待ち下さい」

 

 ウェイトレスは慇懃(いんぎん)に一礼すると、注文(オーダー)を伝える為に厨房に向かっていった。その様子をリリルカはジッと観察する。

 

(此処に居る酒場の従業員……殆どが『神の恩恵(ファルナ)』持ちですね)

 

神の恩恵(ファルナ)』の有無は神でなくとも見抜くことが出来る。独特の気配、とでも表現しようか。意識すれば分かることだ。

 

(流石に『階位(レベル)』までは分かりませんが……確実に言えるのは、上級冒険者が何人か居ますね。特に、今のエルフに、二人の猫人(キャットピープル)、そして、ヒューマン。この四人はかなりの手練(てだれ)でしょう)

 

 恐ろしい酒場だと、リリルカは内心で戦慄した。そこら辺の弱小【ファミリア】が束になって襲いかかっても撃退されるのが容易に想像出来る。

 とはいえ、『神の恩恵(ファルナ)』持ちが飲食店に勤めているのはさして珍しい話ではない。荒くれ者が多い冒険者は度々食い逃げを企む。その抑止力として、店側は『神の恩恵(ファルナ)』を持っている者を雇うという訳だ。上級冒険者だったら大歓迎されるだろう。

 それを考慮しても、この酒場は戦力が過剰だと思うが。特別な理由でも何かあるのかもしれない。

 

「リリは追加注文しなくて良かったのか?」

 

 分析をしていると、ベルがステーキを頬張りながら尋ねてきた。リリルカは「ええ!」と肯定の頷きを返した。

 

「リリはもうお腹いっぱいですから。これ以上はとてもでないですが食べられませんよ。無理して注文(オーダー)して残す訳にはいきませんから」

 

 そう言うと、ベルは何故か真顔で相槌を打った。

 

「そうだな、己の限界を知ることはとても大切だ」

 

「は、はあ……。まあ、確かにそうですね」

 

 話の規模が一気に大きくなった事に困惑しながらも、言っている事は間違っていない為、リリルカはそのように返事をした。

 そう、言っている事は何も間違っていない。

 特にアルコール。『酒は飲んでも飲まれるな』という言葉があるように、自分がどれ程のアルコール摂取量で酔い始めるのかを知っておくことは大切だ。

 誰かと酒を飲み交わした事が一度もないため言い切ることは出来ないが、自分はかなり飲める方だとリリルカは思っている。とはいえこれは、『普通の酒』ならの話ではあるが。

 

(嫌な事を思い出しました……忘れましょう……)

 

 脳裏に一瞬浮かんだものをすぐに消す。

 

「あれは(さかのぼ)ること数週間前、友人と此処を訪ねた時のことだ──」

 

 リリルカがそうしていると、ベルが苦い顔で独白を始めた。また始まった、と普段なら思うところだが、今回はこれに乗るとしよう。

 友人とたらふくご飯を食べたは良いが一歩も動けなくなり、友人に介抱されたという実に情けない話を聞いていると、気配が一つ近付いてきた。

 恐らくは注文(オーダー)を届けにきたウェイトレスだろうか。そう思いながら視線を向けると、予想は的中していた。

 

「ベルさん、こんばんは!」

 

 そこには、一人の少女が満面の笑みを浮かべて立っていた。

 薄鈍色の髪に、鈍色の瞳。整った顔立ちの少女だ。

 先程のエルフが『綺麗』という分類ならば、この少女は『可愛い』と分類されるだろう。とはいえ、それはあまり関係がない事だ。彼女は誰がどう見ても『美少女』なのだから。

 ──街娘。

 彼女を一言で表現するなら、恐らくはこれが一番適しているだろう。

 そしてどうやら、エルフと同様、彼女もベルの知り合いのようだ。それも、ファミリーネームではなく『ベルさん』と呼んだことから、相当仲が良いことが窺える。

 リリルカが悟られない程度に観察する中、ベルは軽く手を挙げて挨拶に応えた。

 

「おおっ、シル! こんばんは!」

 

「はいっ! お久しぶりです!」

 

 シル、と言われた少女はそれだけでさらに破顔した。彼女はベルに、注文(オーダー)を受けた果実汁(ジュース)を手渡す。それから、驚愕すべき事に、彼女はトレーに乗せていたもう一本の果実汁(ジュース)をリリルカの目の前に置いた。

 

「あ、あのっ! 私は注文(オーダー)していませんが!」

 

 慌ててそう言うと、ウェイトレスは微笑んでこう言った。

 

「ミアお母さんがサービスしてくれました。それからベルさん、ミアお母さんからの伝言です」

 

「うん? 彼女が何か言っていたか?」と首を傾げるベル。

 そんな彼に、シルは受け取った伝言を思い出しながら唇を動かした。

 

「えっと──『いつもこれくらい頼みな!』だそうです。ベルさん、今日は沢山召し上がっていますから」

 

「ああ、なるほど。それなら、私も伝言を頼めるか。『それが出来たら苦労しない! 美味しい料理をいつもありがとう!』と!」

 

「ふふっ、分かりました。確かに伝えますね」

 

 シルは綺麗な一礼を披露すると、厨房に足を向けた。

「あっ、ちょっと!?」と、リリルカが声を出した時には遅く、給仕は厨房に姿を消していた。

 

「べ、ベル様、これはどうすれば!?」

 

「サービスって、言っていたから、有難く受け取れば良いと思うぞ!」

 

「そういう訳にはいきません!」

 

 リリルカが断固拒否の姿勢を見せると、ベルは不思議そうに彼女を見た。

 何が不満なのか分からない、分かりやすいくらいに彼の表情が雄弁に語っている。

 えぇい、どうして分からないのか! そう思いながら彼女は説明した。

 

「ベル様なら兎も角、リリは今日初めて此処を訪れたんですよ!? 常連でもなんでもないリリにサービスしても意味がないじゃないですか!」

 

「えー、そう?」

 

「そうです! リリがもう一度此処に来て、貰った恩を返そうと思えば話は別ですが、向こうからしたらその確証はないじゃないですか! つまり、不利益の方が大きいでしょう!?」

 

「まあ、確かにそれはそうかもしれないが。リリって時々、凄く面倒臭い事を言うよネ」

 

 ベルは呆れたように、苦笑いを浮かべた。

 彼のその反応を見て、リリルカは思わず「なッ……!」と逆に言葉に詰まってしまう。

 自分は面倒臭いのかと自問自答をする彼女に、ベルはこう言った。

 

「ミア母さん──店主からしたら、これは本当に『サービス』だと思う。それ以上でも、それ以下でもなくな。ただの気紛れだと思えば良いさ」

 

「……」

 

「彼女に他意はない。私がいつもよりも奮発してお金を払って、それに気を良くしたからサービスをしようと思った。本当にそれだけの理由だと思う」

 

 リリルカにはさっぱり分からなかった。自分が店主の立場だったら、このような無益な行いは決してしないだろう。

 そう考えていると、ベルは「それに、だ」と言葉を続けた。

 

「損得勘定を考えれば、『損』ばかりでもないだろう。この『サービス』を切っ掛けにリリ、君がこの酒場を気に入って、もう一度来ようと思えば、それは確かな収益となる。そうだろう?」

 

「……それは、そうかもしれませんが。しかし、リリには理解出来ません。それは希望的観測でしょう?」

 

 ところが、ベルはリリルカの言葉に対して首を横に振った。

 

「いいや、希望的観測ではないとも。リリ、君はもう一度、いや、何度も此処を訪れるだろう!」

 

「……その根拠が何処から来るか尋ねても?」

 

「ああ、もちろんさ。──私が居る。これが根拠となる!」

 

 はあ? と、訳が分からずリリルカは首を傾げた。

 そんな彼女を見て、ベルは得意気に胸を張ってドヤ顔になった。

 イラッとしつつも、その先を促す。

 

「私がリリとパーティを組んでいる限り、この酒場を利用することは確定だ!」

 

「ああ……そういう事ですか。しかしベル様、揚げ足を取らせて頂きますが、パーティを解散したら話は別では? あまり文句は言いたくありませんが、此処で出される料理はどれもこれも高過ぎます。リリが此処に訪ねる事はないでしょう」

 

 リリルカが、そう、指摘すると。

 窮地に追いやられた筈のベルは、何故か益々、ドヤ顔の濃度を濃くした。

 

「いいや、それは否だ! 仮に契約期間が過ぎてパーティを解散したとしても、やはり、私はリリを此処に連れてくるだろう! 何故ならば、私が君と一緒に食事をしたいからだ!」

 

「──んなっ!?」

 

「パーティを解散したら私達は赤の他人になるのか? いいや、いいや! 声を大にして言おう! それは否だと! たとえそうなったとしても、私達が繋いだ(えにし)は簡単にはなくならない!」

 

 握り拳を作り力説するベル。

 騒々しい店内の中、彼の声は一際大きく響いた。何だなんだと注目を浴びているのも気にせず、まるで演説をするかのように、彼は言葉を紡ぐ。

 

(なんて恥ずかしい事を平然と……!)

 

 それを間近で聞かされるリリルカは、とてもではないが、冷静ではなかった。

 今日ほど、自分がローブを着ていて良かったと思った日はない。フードがあるおかげで、自分の、熟れた林檎のように真っ赤な顔を隠すことが出来るのだから。

 これが共感性羞恥というヤツだろうか。

 フードを目深に被り、時が過ぎるのを待つ。数分後、ようやく語り終えたベルは、やはり、ドヤ顔のままリリルカに話し掛けた。

 

「──と、いう訳だ。これで分かってくれたか、リリ?」

 

 分かる訳がないだろう! そう叫びたいのを堪えつつ、リリルカは笑顔を浮かべて頷いた。

 彼女は沸騰した頭を冷やす為、サービスされた果実汁を一気に呷る。それを見たベルは「さっすがー!」と口笛を吹いた。

 

(我慢……我慢ですよ、リリルカ・アーデ。たとえイラッとしても、それを表には出してはなりません)

 

 自己暗示をひたすらに掛ける。

 それを知らないベルは呑気に食事を再開していた。リリルカは胸中で溜息を深く吐くと、自分も再開する。

 そうして暫くすると、気配が一つ近付いてきた。軽やかな靴音が耳朶(じだ)を打つ。

 

「ベルさん!」

 

 来たのは、先程のヒューマンの少女だった。

 だが先程とは違い、制服の上からエプロンをしていない。休憩中なのだろうかと訝しむリリルカを他所に、彼女はベルに話し掛けた。

 

「ミアお母さんからお暇を貰いました。御一緒しても宜しいでしょうか?」

 

「私は全然構わないが……」

 

 言いながら、ベルはリリルカに視線を送った。

 リリルカとシルは初対面だ。会話を交わしたことは当然なく、もう少し段階を踏むべきだと、ベルは考えているのだろう。

 その気遣いを他の場面でも見せて欲しいと思いつつ、

 

「リリも構いませんよ」

 

「えっ、良いのか?」

 

「はい! 一人よりも二人、二人よりも三人の方が楽しく時間を過ごせますから!」

 

 雇用主の顔を立てた方が長期的に見れば得があると判断し、思ってもいないことをペラペラと言う。

 それでもベルは迷っていたようだったが「本当に大丈夫ですから!」と、リリルカが再度言うと、シルの同席を認めたようだった。

 

「ありがとうございます!」

 

 シルは満面の笑みでお礼を言うと、店の奥から使われていない椅子を持ってきた。

 そして、ベルとリリルカの中心──否、ややベル寄りの位置に椅子を置くと、彼女は腰掛けた。それから彼女はリリルカに正対すると自己紹介を行う。

 

「はじめまして、私はシル・フローヴァと申します。此処、『豊穣の女主人』に給仕として勤めております」

 

「ご丁寧にありがとうございます。(わたし)はリリルカ・アーデと申します。現在は此方──ベル・クラネル様の専属サポーターをしております」

 

 流石に、自己紹介を返す時にフードを被ったままなのは失礼なので、リリルカは一瞬だけフードを外すと、そう、挨拶を交わした。

 にこり、といつものように人好きのする笑顔を浮かべる。

 するとシルは、「あっ」と小さく声を()らした。怪訝な表情になるベルとリリルカに、彼女は申し訳なさそうに。

 

「ごめんなさい、私、リリルカさんの事をずっと小人族(パルゥム)の女の子だと思っていました。犬人(シアンスロープ)だったんですね」

 

 ああ、その事かと思いつつ、リリルカは「いえいえ」と優しく言った。

 

「よく間違われて、慣れていますから。どうぞお気になさらず。私も身長が伸びて欲しいとは常々思っているのですが、中々思うようにはいかず……」

 

「まあ……そうだったんですね。あっ、私の事は気安く『シル』と呼んで下さい」

 

「分かりました。それでは、『シル様』と、そう、呼ばせて頂きます。『様』を付けるのは私──リリの癖なので気にしないで下さい」

 

 分かりました! と元気よく頷いたシル。

 彼女はテーブルの上に置かれている注文(オーダー)表に手を伸ばすと、「ベルさん、この料理とても美味しいんですよ! ミアお母さんが何回も何回も試行錯誤して完成させた一品で! 今度是非召し上がって下さい!」とアピールを始めた。

 

(ほほぅ……これはやはり……)

 

 その様子を見て、ニヤリ、とリリルカは嗤った。

 黒い笑みをフードで巧妙に隠しつつ、二人──より厳密には、シルを観察する。

 

(恋する乙女、というヤツですか)

 

 同性であるリリルカには分かっていた。

 シルがベル・クラネルに対して恋慕している事を。

 単なる友人では有り得ない距離の近さ、計算された表情など──あからさまに好意を出している。

 可愛い顔には裏があるとよく言うものだが、ほほぅ、中々に狡猾(こうかつ)ではないか。

 

(まあ、この人がそれに気付いている様子はありませんが)

 

 ベルの様子は平生と何も変わっていない。動じることなくシルと会話を楽しんでいる。余程の鈍感なのか、あるいは、女慣れしているのか。

 彼の歳は確か十四だったか。ならば、恋というものに疎くても何ら可笑しい話ではないだろう。

 だが、彼は女好きを公言している。ダンジョン中、すれ違った女性冒険者に意気揚々と声を掛けた回数は数しれず、そしてその度に軽くあしらわれていた。リリルカはその様子を(あざけ)りの表情で見ていたが──ベルはショックを受けていて気付かなかった──、そのような人間の彼が他者の好意に気付かないほど鈍感なのだろうかと考えると首を傾げてしまう。

 

(それに、この人がモテるようにはあまり思えません)

 

 失礼なことだとは若干思うが、そう、リリルカは思わずにはいられない。 

 顔や体格など、全体の素材は良い部類だと思うが、それを打ち消すほどの短所がある。

 そう、彼の言動だ。まるで演者のような巫山戯た言動は、大多数の人間はそこに苛立ちを覚えるだろう。寧ろ刃傷沙汰になっていないのが奇跡だと個人的には思っている。

 

(この女性が惚れる程の魅力があるとは思えませんね)

 

 何故彼女程の美少女が、とリリルカは不思議だった。たとえばシルがそこら辺の若い男子(おのこ)を誘えば、十人中九人は頷くだろう。頷かなかった一人は、その男子(おのこ)にとって彼女がタイプの女性ではなかったか、あるいは、余程の愚か者かのどちらかだ。

 そしてどうやら、ベルはその一人のようだ。少なくとも、そのように見受けられる。彼なりの考えがあるのかもしれない。

 

「今日、ヘスティア様はいらっしゃらないんですか?」

 

 シルが、ベルにそう尋ねた。

 ベルは「ああ」と頷くと事情を説明する。

 

「なんでも今晩は、交流がある神友と夕食を共にするらしい。わざわざ摩天楼施設(バベル)で出迎えてくれてな、そう言われた」

 

「なるほど。それで今晩は此処に来てくれたんですね」

 

「その通り! そう言えば、リリにこの店を紹介していなかったと気付いてな、彼女も連れてきた。それに彼女と外食をした事は未だになかったからな」

 

 リリルカは「そうですね!」と頷いた。自分も同じ思いを持っていた、と暗に伝える。

 するとベルは額面通りに受け取り、喜んだ。「相思相愛だー!」と喧しく叫んでいると、

 

「黙りな! 他の客に迷惑を掛けるんじゃないよ!」

 

 厨房から野太い声が轟く。

 刹那、厨房から黒い物体が飛んできた。少なくとも、リリルカにはそれが何か最初は分からなかった。反応する事すら出来なかった。

 それはベルの顔面に直撃すると、彼を強制的に黙らせた。

 それはなんと──フライパンだった。そう、フライパンだったのだ。

 ドサッ、と椅子から転げ落ち、痛みで(もだ)え苦しむ彼を、酒の(さかな)にして騒ぐ他の客達。酒場に新たな笑いが起こる。

 どうやら、此処の女将は相当肝っ玉が大きいようだと思っていると、シルが「べ、ベルさん!? 大丈夫ですか!?」と慌てて近付き、介抱した。

 

「HAHAHA、相も変わらずミア母さんは恐ろしいネ」

 

「あぁン、何か言ったかい!?」

 

「今日もミア母さんは素敵で美しいと言いました! いやもう、ミア母さんサイコー!」

 

 此処の女将は相当肝っ玉が太いと同時に、相当の地獄耳らしい。店内は彼女の領域(テリトリー)だと思った方が良さそうだ。

 ベルは女将に軽口を叩くと──涙目になっているのは触れない方が良いだろうか──、シルの手を取って椅子に座り直した。

 その時、シルが何かに気付いたのか「あれ?」と声を上げる。

 

「ベルさん、今日は剣を二本提げていられるんですね?」

 

 彼女の指摘通りだった。

 腰の調革(ベルト)の留め具には、長剣が左右一本ずつ留められていた。

 

「私の記憶違いでなければ、確か一本だったと思いますが……」

 

 シルは可愛らしく小首を傾げながら、懐疑的な視線を剣に注ぐ。そんな彼女に、ベルは「いいや、合っている」と言った。

 

「大変恥ずかしいのだが、実はダンジョン探索中、主武器(メインウェポン)として使っていた剣が破砕してしまったんだ。私の使い方が粗雑だったのだと思う」

 

「まあ……そのような事が起こったのですね。でも、こうしてベルさんが無事だったので良かったです」

 

「ありがとう、そう言って貰えると嬉しい」

 

 ベルはそう言って、シルに笑顔を見せた。

 しかし次の瞬間には表情を真剣なものに変え、剣士の顔付きになる。

 

「私が迷宮都市(オラリオ)に来て、冒険者になってからまだ半年も経っていない。なのにも関わらず、私は何本もの剣を駄目にしてしまっている」

 

 リリルカとしても、それは気になっていた。

 彼は時折、後先を考えずに行動する事がある。武器の扱い方にそれは顕著に出ており、内心、いつか剣が折れないかとヒヤヒヤとしていた。

 自覚があるなら、すぐに直せるだろう──戦闘経験がない者はこう言ってくるだろう。結論から言ってしまえば、それは無理だ。本人でさえ自覚していなかった『癖』なら尚更。矯正(きょうせい)するには長い時間と弛まぬ努力が必要となる。

 

「だから、いつ壊れてしまっても問題がないように、これからは予備(スペア)も予め用意しておこうと思ったんだ」

 

「なるほど……ですがベルさん、剣を何本も提げていては戦闘の邪魔になりませんか?」

 

「普通なら、そうなるだろう。だが私には頼りになるサポーターが、リリが居る。話し合いをした結果、ダンジョン探索中は彼女に持って貰う事になった」

 

「そうなんですね! しかし、リリさんは重く感じないんですか?」

 

 シルが恐る恐る、といった具合で尋ねてきた。

 リリルカの身体は小さい。外面からだと、重量がある荷物を持てるとは思えなかったのだろう。

 

無所属(フリー)のサポーターなら無理でしょうが、リリは『神の恩恵(ファルナ)』を主神から授かっています。【ステイタス】が低くとも、荷物を持つくらいは出来ますよ。剣が一本や二本増えたところで、何も問題はありません」

 

神の恩恵(ファルナ)』が刻まれているか刻まれていないか。これだけでも能力値は大きく関わる。冒険者を外観だけで判断してはいけない、とされているのはこれによるところが大きい。

 とはいえ、これ以外にも『理由』はあるのだが、いくら雇用主であるベルであっても、打ち明けるのは無理だ。

 

「しかしベル様、予備(スペア)を持っていたんですね」

 

 予備(スペア)の武器を所持するのは、そう、珍しい話ではない。ダンジョンでは何が起こるか分からない。ベルは極端に多いと思うが、武器が戦闘中に破砕する事は充分に起こり得ることだ。どれだけ入念に剣の手入れをして点検を重ねても、そこに絶対はない。

 だが、ベルにはまだ早い話なのも事実。浅い階層の上層で、そのような強敵と遭遇(エンカウント)する事は殆どないし、何よりも、駆け出し冒険者が予備(スペア)の武器を用意するのは金銭的な面からも難しい。

 それ故に、朝、ベルから相談を持ち掛けられた時は驚いた。

 ベルは店員に声をかけて皿を下げて貰うと、剣を留め具から外してテーブルの上に置いた。片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)ということもあり、テーブルから少しはみ出してしまう。彼は周りに極力迷惑がかからぬよう置く場所を微調整すると、改めて、リリルカとシルに見せた。

 

「えっと……ごめんなさい。私、どちらが主武器(メインウェポン)でどちらが予備(スペア)なのか分かりません……」

 

 シルが困ったようにそう言った。

 その反応は当然だろう。知識が何もない人間が見ても、分かることはそう多くない。

 せめて区別出来る点が何かあれば良いのだが、並べられた二本の長剣は殆ど同じだった。漆黒の鞘に刀身が収まっており、辛うじて、剣の(グリップ)の色で見極める出来る。片方は鞘と同色の漆黒であり、同化している。もう片方は白銀であり、魔石灯の光を眩く反射していた。

 

「こっちが、昨日リリと一緒に購入した主武器(メインウェポン)──《プロシード》だ。そしてこっちが、予備(スペア)の武器の《プロミス─Ⅱ》だな」

 

 ベルが剣の銘を言う。

 その言葉に反応したのは、シルだった。

 

「《プロミス─Ⅱ》……? ベルさん、それって!?」

 

 ベルは顔を向けてきた彼女に、笑顔で頷いて「そうだ」と言った。すると彼女は瞳を輝かせ、《プロミス─Ⅱ》に魅入った。

 事情を知らないリリルカはさっぱり訳が分からず、視線でその先を促す。

 

「これは嘗ての愛剣の正式な後継だ。シルの目の前で折れてしまったから、気にかけてくれていたようだ」

 

「なるほど! そのような経緯が!」

 

 リリルカは相槌を打ちながら、《プロミス─Ⅱ》を改めて観察する。

 

(普通に業物(わざもの)じゃないですか、これ!)

 

 ダンジョン探索中はまじまじと観る余裕がなかった為に確信には至らなかったが、今()て確証を得た。

 この片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)──《プロミス─Ⅱ》は業物だ。刀身が鞘に収められている為、詳しいところまでは分からないが──リリルカ自身、鍛冶師(スミス)という専門職(プロフェッショナル)ではないこともある──、少なくとも、《プロシード》よりは優れた性能を持っているだろう。

 このような剣をいったい何処で入手したのか、という疑問がリリルカの中で生まれる。

 

(……駄目ですね。今持っている情報だけでは到底分かりません)

 

 せめて《プロミス─Ⅱ》を打った鍛冶師が誰か分かれば手掛かりとなり得るのだが、それも難しい。見たところ、製作者の真名()は彫られていないようだ。

 通常なら、製作者の真名()は彫られるものだが──何か理由があるのかもしれない。

 そのようにリリルカが考えている横で、ベルとシルの二人は話を咲かせていた。

 

「まあっ、今日はさらに下の階層に行かれたんですか!」

 

「まぁな。とはいえ、今日はあくまでも下見で、すぐに引き返したのだが」

 

「ふふっ、それでも凄いです。ベルさんのような冒険者様がいらっしゃれば、オラリオは安泰ですね!」

 

「えー、そう思うー!? 嬉しいなぁー!」

 

 リリルカは胸中で深い溜息を吐いた。こうなった雇用主の対応はとても面倒臭いのだ。まあ、完璧な人間はいないから仕方ないとは思うが、もう少し落ち着きを持って欲しい。

 シルはベルからダンジョンの話を聞いて、より一層瞳の輝きを強くした。冒険者が語る数々の出来事──時折誇張しているが本質的には嘘ではないため、まあ、良いだろう──を、街娘は興味深そうに聞き入る。

 リリルカからしたら、それは理解出来ないことだ。何故、危険極まるダンジョンや凶悪なモンスターの話を聞いて、楽しむことが出来るというのか。

 

(まあ……確かに、この人の話し方は上手な部類だとは思いますが)

 

 だが、ベルの話には『華』がない。階層主(モンスターレックス)や、下層に潜んでいる大型モンスターとの一騎討ちならまだ分かるが、彼の到達階層は未だ上層であり、英雄譚のような物語性は皆無だ。

 今日、遂に到達した10階層から出現するモンスターならその条件には一致するだろうが──10階層からは『オーク』といった大型級モンスターが出現し、ダンジョンの構造はより複雑化する為──今日はあくまでも下見、偵察のようなものであり、モンスターと遭遇(エンカウント)する前に引き返した。

 

(恋は盲目ですから、この人にとっては一緒に話が出来るだけでも良いのかもしれません)

 

 そのように考えながら時間を過ごしていると──何もせず座っていると空気を壊してしまう為、時折、相槌を打ったり補足説明をしたりした──先程のエルフのウェイトレスが近付いてきた。

 

「シル、休憩時間がじきに終わります」

 

「えっ、もう?」

 

「かなりの時間が経っていますよ。他のお客様も帰宅を始めています」

 

「……あっ、本当。分かった、リュー。すぐに戻るね」

 

 ミア母さんが怒声を飛ばす前にお願いします、とエルフは言うと、ベルとリリルカに恭しく一礼してから去っていった。

 

「私達もそろそろ出ようか」

 

「そうですね、そうしましょうか」

 

「おっと、失礼! その前に(かわや)に失礼する!」

 

 我慢していたようで、ベルは早足で厠に向かった。

 武器を置いていくのは些か軽率だが、まあ、それが普通だろう。誰も、人の目がある店内で盗まれるとは思わない。

 だが、リリルカからしたらそれはやはり軽率だ。たとえば、今、ベルを暗殺しようとする者がいたとする。そして暗殺者に襲われたら、ベルは為す術なく殺されるだろう。

 無論、その可能性は極めて低い。しかし、零ではない。ましてや数日前にベルは襲撃されたばかりなのだから、もっと警戒するべきだろう。

 これはあとで小言を言うべきか……──そこまで考え、彼女は栗色の瞳を見開いた。

 

(これではまるで、リリがあの人の事を心配しているようではありませんか!?)

 

 そんな馬鹿な!? とリリルカは驚愕する。

 一度冷静になるべきだ。そう、考えた彼女は帰り支度を始めた。

 

「リリさん」

 

 シルが話し掛けてきた。

 いったい何だと思いながら、「何でしょうか、シル様?」と完璧な笑みで尋ねる。

 すると、彼女は微笑を携えて衝撃的な事を言ってきた。

 

「リリさん、貴女、ベルさんに『嘘』を吐いていますね」

 

 刹那。

 ゾクッ、とリリルカの肌が粟立(あわだ)った。

 リリルカは全身の震え、そして、張り詰めた表情をフードで隠しながら、シルに「何を仰っているのですか」と言う。声が上擦らなかったのは日頃の行いの賜物(たまもの)だろう。

 

「ふふっ、怖がらないで下さい。貴女に危害を加える気は、私には毛頭ありません」

 

 シルは変わらず微笑みながら、言葉を続ける。

 

「このお店には長年勤めています。給仕として沢山のお客様と接してきました。ベルさんのような素敵なお客様もいらっしゃれば、素行があまり良くない冒険者様もいらっしゃいます」

 

「……それで、シル様は何を仰りたいのですか」

 

「ああ、ごめんなさい。話がやや脱線してしまいましたね」

 

 シルは、そう、謝罪の言葉を口にすると、リリルカに正対する。

 感情が灯っていない鈍色の瞳が、リリルカの栗色の瞳を射貫いた。

 

「これはベルさんにも以前言いましたが、私、『人間観察』が趣味なんです」

 

「……それは、立派なご趣味ですね」

 

「そう言って頂けると嬉しいです。──だから、自然と分かるようになりました。その人が何を思っているのか。喜んでいるのか、怒っているのか、(かな)しんでいるのか、楽しんでいるのか。その人が本当の事を言っているのか、あるいは、嘘を吐いているのか。そしてリリさん、貴女は嘘を吐いている」

 

「──ッ!?」

 

 息を呑むリリルカ。

 

「ごめんなさいね、リリさん。私、リリさんをずっと()ていました。ベルさんの仲間になった貴女がどのような人間(ひと)か、無性に知りたくなってしまって」

 

「ああ、でも……」と、シルは何でもないように言った。

 

「それは、リリさんも同じですよね」

 

 バレていた!? と、そう、思った時には遅かった。

 驚愕は表情として反映され、間抜け面を晒してしまう。

 

「リリさん、自分を誤魔化すのがとてもお上手ですね。私、これまでに似たような人と何度も出会ってきましたが、リリさんほどの人とはまだ出会ったことがありません」

 

「……」

 

「貴女は『嘘』を吐いている。『言葉』や『表情』、『態度』といった様々な武器を使って、貴女は自分の本心を巧妙に隠している」

 

「…………」

 

「私も詳しくは知りませんが【ヘスティア・ファミリア】の情報は管理機関(ギルド)によって秘匿されているそうですね。とはいえ、情報を完全に封じ込めるのは事実上不可能でしょう。そして、本気で探そうと思えばベルさんを見付けることは可能でしょう。以前、ベルさんから話を聞いた限りでは偶然だと思っていましたが……どうやら、それは違うようです。貴女は偶然を装って、ベルさんに意図的に声を掛けた。違いますか?」

 

 恐ろしい、と思った。

 リリルカには、目の前の少女がただの街娘だとは思えなくなっていた。

 

「……何が目的ですか」

 

 その嗄声(させい)が自分のものだと気付くのに、数秒の時間を要した。

 ここまで来れば、自分に出来ることは何もない。言い逃れる事は出来るだろうが、そうしたら、シルはベルに忠言するだろう。

 ベルがシルの言葉を信じるかどうかは分からないが、親しい相手からの忠告だ、気にはとめる筈だ。

 つまり、ここでの最善手は完全降伏を認めること。間違っても刃向かってはならない。

 

(一番考えられるのはパーティ解消でしょうか)

 

 意中の相手の仲間に女性が居るのだ。恋する乙女からしたら、いつ奪われないかと気が気でないだろう。

 シルの言葉を身構え、リリルカは今か今かと待つ。気分は最悪で、吐気すら催していたが、今は堪える時だと己を叱咤する。

 だが。

 シルは不思議そうに首を傾げながら、こう言った。

 

「私に目的は特にありませんよ」

 

「……え?」

 

「ああ、勘違いさせてしまいました。私はただ、自分の推測が正しかったかどうかの確認がしたかっただけです」

 

 何だそれは、と胸中で呟くリリルカに、シルは「ごめんなさいね」と軽く謝った。

 

「嘘は一般的には悪いと言われていますが、はたして、本当にそうでしょうか。嘘を吐いた事がない人は極めて少ないと思います。なら、この世界中に居る殆どの人は悪人になってしまうでしょう」

 

「……しかしそれは、程度によって変わってくるでしょう。嘘を吐く回数や、その嘘の質が悪ければ、それはやはり悪ではありませんか」

 

「そうですね。ですが、私にはそれが分かりません。リリさんがベルさんに、何か言えない『隠し事』があって、『嘘』を吐いているのは分かりましたが、逆に言えばそれだけです」

 

 さらに彼女は続けた。

 

「私にも『秘密』はあります。恐らくは、ベルさんにもあるでしょう。誰にも打ち明けられない『秘密』の一つや二つを持っていることは何も珍しい話ではなく、寧ろ当たり前だと、私は思います」

 

「……」

 

「ただ、くれぐれも注意して下さいね。もしかしたら私の他にも、リリさんの『嘘』に気付く人がいるかもしれませんから」

 

 そして最後に、彼女はこう言った。

 

「個人的なお願いですが、ベルさんのこと、お願いしますね。あの人、すぐに無茶をして『誰か』を助けようとしますから」

 

「……それは、困った人ですね」

 

「ええ、本当に困った人です。でもリリさん、ベルさんは貴女の事も助けようとすると思いますよ。きっと、彼が憧れている『英雄』のように」

 

「……『英雄』ですか」

 

「そうではなくとも、あの人は貴女に手を差し伸べる」

 

 シルは、そう言って微笑んだ。

「ごめんなさい、私、お仕事に戻らないといけません。次のご来店お待ちしております」と言葉を残して、彼女は店の裏側に姿を消した。

 そして、呑気に鼻歌を歌いながら、ベルが戻ってきた。帰り支度を既に終えていたリリルカを見て、「さっすが!」と褒める。

 勘定を済ませ──ベルが全て支払った。リリルカは断ろうとしたが、強引に押し切られてしまった──二人は酒場をあとにした。月光と魔石灯で彩られた大通りを歩く。

 

「リリ、明日も宜しく頼む!」

 

「はい! リリこそ宜しくお願いいたします!」

 

 別れの挨拶を交わし、リリルカはベルと別れた。

 月の光すらも届かない路地裏を歩き、薄汚れた、安さだけが取り柄の宿屋に向かう。

 

(もう二度と、あの酒場には行きたくありませんね……)

 

 まさか初対面の人間に本性を見抜かれるとは思わなかった。

 今日の出来事は黒歴史(トラウマ)になりそうだと思っていると、不意に、視線を感じた。

 

「……?」

 

 辺りを見渡すが、誰も居ない。リリルカの視力は良いが、それでも尚、見える所には誰も居なかった。

 

(あっ、彼処に猫がいますね)

 

 一匹の黒猫が、リリルカをジッと見ていた。琥珀色の瞳が暗闇の中で光っている。

 黒猫はリリルカと目が合うと、「にゃーん」と一度鳴いてから姿を晦ませた。

 黒猫と人間の視線を間違えるとは、相当、疲れているに違いない。ダンジョン探索に、先程の黒歴史(トラウマ)があったのだ、それも当然だろう。そう認識すれば、身体が一気に重くなった。

 

(早く帰って、今日はもう寝ましょう)

 

 リリルカは気合を入れてバックパックを背負い直すと、帰路につく。

 ──この時、彼女は疲れていた。

 普段だったら警戒し、自分が納得いくまで『視線』の正体を調べていただろう。だが疲弊し、注意力が散漫となっていた彼女は『視線』の正体が黒猫のものだと決めつけてしまい、それを怠ってしまった。

 彼女は最後まで、暗闇から注がれる悪意に気付くことはなかった。

 



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仲間(かのじょ)』を信じると、愚かな『道化』は言った

 

 早朝。

 迷宮都市(オラリオ)の中心部からやや離れた場所にある廃教会。その隠された地下室から、一人の少年が姿を現した。

 

「行ってきまーす!」

 

「行ってらっしゃーい! 気をつけるんだぞー!」

 

 背中に届くのは、彼が敬愛している女神の言葉。ベルは顔だけ振り向かせて笑顔を向けると、【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)──『教会の隠し部屋』をあとにした。

 ベルが間道を縫うように進んでいると、建造物の隙間から朝日が射し込んだ。朝特有の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、少年は石畳を蹴る。腰の調革(ベルト)に留めている二本の長剣がカチャカチャと軽快な音を立て、着ている漆黒のロングコートの裾が風に(なび)く。

 

「おはようございまーす!」

 

 道中、ベルはすれ違った街の人々に挨拶をしていく。

 声を掛けられた彼等は顔を向け、ベルの姿を目にすると笑顔を浮かべた。

 

「おはよう、今日も早いのねぇ。私の息子にも見習わせたいわぁ」

 

「おいおい、髪の毛跳ねてるぞ! 直せ直せ! 他の連中に笑われちまうぞ!」

 

 ベル・クラネルが『英雄』に憧れ、感情の赴くままに村を飛び出して迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオに来てから、一ヶ月とやや少し。

 最初こそ彼等は冒険者のベルを警戒していたが、徐々に彼の人柄を知っていき、挨拶に応えるようになっていった。

 

「ほらっ、これを持っていけ!」

 

「おっと! これは見事な林檎(りんご)だ! 貰っていいのか!?」

 

「ははっ、だから渡したんだろうが! 冒険者は身体が資本だろう、もっと食え!」

 

「有難く頂戴する! 御礼は出世払いで頼む!」

 

「相変わらず調子の良いことを言うなぁ!」

 

 ベルは中年男性に礼を言うと、頂いた瑞々しい林檎を齧りながら、都市の中央、天高く(そび)え立つ白亜の巨塔へ足を進めた。

 数十分後、ベルは中央広場(セントラルパーク)に出た。バベルをぐるりと囲むようにして作られた円形広場には、既に多くの冒険者が居る。

 表情を引き締め、入念に装備の確認をしているのはベルと同様、今からダンジョンに潜る朝方の冒険者だ。逆に安堵の表情を浮かべ、装備が所々汚れたり破損したりしているのはダンジョンから帰還を果たした冒険者である。

 

(リリは……まだ来ていないか……)

 

 集合場所であるベンチに到着するも、仲間の姿はまだなかった。

 円形広場の各所に設置されている時計をちらりと一瞥すると、集合時間よりもだいぶ早い時間に到達していた。

 その事実にベルは苦笑を禁じえなかった。いつにも増して張り切っているのが自分でも分かる。

 とはいえ、それは仕方なかろう。何せ今日から本格的に、新たな階層の攻略を始めていくのだから。

 今日からベルとリリルカのパーティは10階層に進出する予定だ。これまでは慎重に慎重を重ねて8階層から9階層を狩場としてきたが──担当アドバイザーが許可を中々出さなかったというのも大きい──、今日からはさらに下の階層に行く事となっている。

 

(世界は広い。私よりも強い冒険者は数知れず、彼等は私の遥か先に居る)

 

 先日の謎の冒険者による襲撃で、ベルは、世界の広さを改めて実感した。

 (やぶ)れた事への悔しさは勿論ある。自分がこれまでに培ってきた経験、技術、駆け引き──全てがまるで通用しなかった。悔しいに決まっている。

 だが、それ以上にベルの中には強烈な憧憬があった。自分も彼処の階位(ステージ)に行くという願望が、決意が、想い(いし)(つの)り、それは無限の原動力となっている。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ。文字通り『世界の中心』である広大な都市には、数多くの『英雄候補者』が居るのだ。まずは、自分もその一覧(リスト)に名を連ね、(やが)て、『英雄』へ──。

 ベルが妄想をしていると、彼は、近付いてくる一つの気配に気が付いた。勢いよく顔を振り向かせる。

 

「リリ、おはよう──」

 

 随分と早かったな、という挨拶は言葉にならなかった。

 何故なら、そこに彼の仲間は居なかったからだ。代わりに居るのは、強面の大男。身の丈を軽く超える大剣を背中に吊るし、ベルを見下ろす。

 

「貴方は、確か……──」

 

 そして、ベルは彼に見覚えがあった。

 数週間前の出来事を思い返し、記憶の人物と目の前の人物を一致させる。

 

「おお、覚えていたか。そうだ、だいぶ前だが、俺達は会っている。まあ、あの時はエルフも居たが」

 

 ベルは「ああ、久し振りだな」と挨拶を返しつつ、彼の事を完全に思い出していた。

 それは、ベルが【ロキ・ファミリア】所属のアリシア・フォレストライトと初めて会った時の事だ。ベルの前に居る大男もまた、その場に居合わせていた。彼は自身のパーティから『魔石』を盗んで行った小人族(パルゥム)の盗人を追っており、偶然、遭遇したのである。気になったベルが彼から小人族(パルゥム)の盗人について話を聞き、情報料として金貨を一枚支払ったところで、彼とはそこで別れた。

 たった一夜の出会いであり、それ以降、ベルと彼が会ったことは一度もなかった。

 

「それで、私に何の用だろう?」

 

 当然の疑問を、ベルは口にして尋ねた。

 突然の再会に困惑するベルを見て、大男は笑った。友好的な表情を満面に浮かべ、ベルに尋ねる。

 

「なあ、今、暇か?」

 

「……? まあ、暇ではあるが……」

 

「そうかそうか、それなら良かった! 少し話がある、こっちに来てくれないか?」

 

「それは構わないが、しかし、何の話だ?」

 

 大男はベルの質問が聞こえなかったのか──あるいは、聞こえない振りをしたのか──、「付いてこい」と一方的に言うと、歩き始めた。ベルは離れていく背中を見て、彼に付いていって良いのか逡巡する。

 

(これは、何だ……? 悪意や敵意、害意ではない。だが、この男からはそれに近いものを感じる)

 

 結局、ベルは大男の背中を追うことに決めた。

 そして、ベルは、自分の中で警戒度が時間と共に高まるのを感じる。大男と居る時間が長くなればなるほど、彼の表情は固くなっていった。

 大男が案内したのは、中央広場(セントラルパーク)から少し離れた、人目につかない場所だった。

 人の気配がしない路地裏で、二人は正対する。

 大男はそれまで浮かべていた表情をすぐに消し去ると、

 

「お前、あのチビと連んでいるのか?」

 

 と、ベルに尋ねた。

 予想もしなかった突然の質問に、ベルは困惑を隠せない。

 台詞の中で出た、『チビ』という、誰かを表現する言葉が気になりつつ、ベルはゆっくりと、慎重に答えた。

 

「『チビ』というのが私の仲間であるのなら、そして、連むというのがパーティを組んでいるという意味合いならば、貴方の質問に私は『そうだ』と答えよう」

 

「相も変わらずムカつく話し方だぜ。まあ、そんな事はどうでも良い。確認だが、お前はサポーターを雇っている、という事だな?」

 

「如何にも」

 

「そして、お前は今からそのサポーターとダンジョンに行く、これで合っているか?」

 

「……ああ、そうだ」

 

 度重なる質問。

 ベルが可笑しく思いながらも肯定を返すと、大男はニヤリと嗤った。その様子をベルが不思議に思う中、大男はさらに尋ねた。

 

「俺とお前が初めて会った時、俺が小人族(パルゥム)の盗人──いや、盗賊を追っていたのを覚えているか?」

 

「覚えているとも」

 

「そりゃ、良かった。さて、まあ、話は面倒だから色々とすっとばすが──俺が追っていた奴が、お前のサポーターだと言ったら、信じるか?」

 

 大男の口から出されたのは、ベルにとってあまりにも衝撃的な事だった。

 だがしかし、驚きは一瞬。

 ベルは驚愕を一旦胸の中に仕舞うと、冷静に問う。

 

「貴殿の追っていた盗賊が、私の仲間だと仮定しよう。だが、この仮定は成立しないだろうさ」

 

「ククッ、面白い事を言いやがる。それはまたどうしてだ? 根拠があるんだろう? 是非とも聞かせてくれよ」

 

 とても愉快そうに、大男は唇を歪める。

 ベルは大男を直視しながら、自身の考えを口にした。

 

「第一に、私の仲間の種族は犬人(シアンスロープ)だ。貴殿が追っていたのは小人族(パルゥム)だろう、種族が根本的に違う」

 

「それだけか?」

 

「第二に、私もあの時は小人族(パルゥム)の顔を見たが、少年──つまり、男性だった。私の仲間は可愛らしい女子(おなご)だ、間違っても男子(おのこ)ではないよ」

 

 大男は面白い劇を間近で見ているような表情で、終始、ベルの話を聞いていた。

 そして彼は、唇を吊り上げると言った。わざとらしく驚いた様子を見せる。

 

「おっと、確かにそうだった! だが、俺は何も嘘は言っていないぜ。そこら辺で暇をしている適当な神を此処に呼んできて、立証してやっても良い」

 

 超越存在(デウスデア)たる神には、下界の子供の『嘘』を見抜く能力がある。

 ベルは「ふむ……」と考え込むと、大仰な身振りを見せた。

 

「そうか、貴方がそう言うのであればそうなのだろう。私の仲間が盗賊──あるいは、盗賊の仲間である可能性は極めて低いが、確かにある」

 

「ククッ、疑いたくない気持ちは分かるがなぁ」

 

「ああ、疑いたくないとも。それで貴方は、わざわざ私にこの事を教えに来てくれたのか?」

 

 大男は「ああ、そうさ!」と、言った、

 

「とはいえ、それだけじゃないがな」

 

「……なに?」

 

 訝しむベルに、大男は顔を近付ける。そしてベルの耳元で、小声で囁いた。

 

「おい、提案がある。あの糞小人族(パルゥム)をはめるのに協力しろ」

 

「……はめる、とは?」

 

「決まっているだろ、報復さ」

 

「……」

 

「あいつは俺のパーティから金を盗みやがった。しかも後になって確認すれば、小狡い事に、ギリギリバレない程度に自分の分け前を増やしていやがった」

 

 その時の事を思い出したのか、大男はあからさまに苛立った様子で、唾を地面に飛ばした。

 怒気がベルに伝わる。

 それから、「だから、報復するんだよ」と大男は続ける。

 

「お前はいつも通りダンジョンに潜れば良い。あとは適当に別れて、ダンジョンで孤立させろ。あとは俺達がやる」

 

「…………」

 

「どうだ、悪い話じゃないだろう。作戦は絶対に成功する。お前は何もせず、金を貰えるんだ。何なら前金をやっても良い」

 

 ベルは肯定も否定もせず、沈黙を保っていた。顔を俯かせ、大男の話を聞いていた。

 

「報酬は、そうだな──」

 

 そして、大男はそれに全く気付かない。参加するのが当然であるかのように、彼は話を進めようとする。

 

「作戦決行日は──」

 

「悪いが、断らせて貰う」

 

 大男の言葉を遮り、ベルは、そう言った。

 

「──……?」

 

 大男は、困惑する様子を見せた。何を言われたのか分からないと、顔に出ていた。

 そんな、呆然としている彼に、ベルはもう一度、笑みを携えて言った。

 

「すまないが、貴殿の誘いには乗れない」

 

 ここでようやく、大男はベルの言葉を完全に理解したようだった。信じられないとばかりに目を見張る。

 

「て、てめえ、俺の話を聞いていなかったのか!?」

 

「いいや、聞いていた。私の仲間が、貴方の追っている盗賊と同一人物の可能性がある、という話だろう」

 

「だったら分かるだろ! てめえも俺達と同様、あいつの獲物にされようとしているんだよ!」

 

 大男は激昂し、怒鳴り声をあげた。鋭い視線をベルに送り、凄んでみせる。

 ベルは怯えることなく相対すると、深紅(ルベライト)の瞳を向けた。

 

「先程から疑問に思っていたのだが、何故、貴方はそうだと確信を抱いているのだ? 根拠があるのだろう?」

 

「……ああ、当然だ。忌々しいことに、あいつは特殊な『魔法』を持っていやがるんだよ」

 

「……『魔法』だと?」

 

「ああ、そうだ。あいつは『魔法』を使うことで、姿形を自由自在に変化させることが出来るのさ。俺はその瞬間を見ることが出来たから、あいつが盗賊だと分かったんだよ」

 

 まるでマジックの種を明かすように、大男は得意げに言った。

 

「なら何故あの時、私にそうだと言わなかった? 貴方はあの時、『手癖の悪い小人族(パルゥム)』が居るとは言っていたが、その者が男か女か、単独犯か複数犯かすら分からないと言っていた筈だろう」

 

「ハッ! あの時は初対面だったお前に、どうしてそこまで親切に言う必要がある。そんな義理は微塵もないだろうが」

 

 ベルの指摘に、大男はそう言った。

 

「これであいつの正体が分かっただろ。あいつはクソみてえな人間なのさ」

 

「……クソみたいな人間、か」

 

「ああ、そうだ。才能が何も無い奴が行き着くのが役立たず(サポーター)だ。あいつらは俺達冒険者が最前線で戦うのを何もせず呑気に眺めている。こっちとしては同行させてやってるだけで感謝して欲しいくらいだ。何せ『経験値(エクセリア)』を稼げるんだからなぁ!」

 

 彼はさらに続ける。

 

「だと言うのに、あいつらと来たら金を寄越せと言ってきやがる。こっちが何度断っても、あいつらは金を寄越せと迫ってきやがる。仕方なく払ってやれば、今度は少ないと文句を言ってきやがる!」

 

 ここで、ベルは一つ気になる事があった。恐る恐る尋ねる。

 

「聞かせて欲しい。リリ──リリルカには、いくらほどの金額を?」

 

「1000ヴァリスだ! どうだ、大金だろう!」

 

 ベルは言葉にこそしなかったが、内心は吃驚でいっぱいだった。

 

(……1000ヴァリスだと? たったそれだけしか、彼女に払っていなかったのか?)

 

 あまりにも少な過ぎると、ベルは思った。

 ダンジョンは危険地帯だ。凄腕だろうと駆け出しだろうと関係なく、死ぬ時はあっさり死ぬ。それがダンジョンである。それでも尚、ダンジョンへ挑戦する冒険者が後を絶たないのは、危険に見合った利益を得られるからだ。

 ベルや大男が活動している上層では一攫千金を狙えるモンスターはあまり出現しないが、中層からはそれが出来る。

 

「本当にそれが、彼女達『サポーター』へ支払うべき正当な報酬だと、貴方は思うのか」

 

「ああ、思うぜ。1000ヴァリスあれば回復薬(ポーション)を何本購入出来ると思う? 品質を問わず、安い回復薬(ポーション)なら何本も買う事が出来るだろうさ」

 

 その言葉は事実だった。

 例えば、【ミアハ・ファミリア】では売られている回復薬(ポーション)の最低価格は500ヴァリスだ。そしてベルは専属契約を結んでいる為、二割割引されている。

 だが、それでも、ベルは納得出来なかった。

 

「何だ、その顔は。文句でもあるのか?」

 

 大男はベルの態度に気付き、眼光を鋭くした。

 ベルはその言葉に答えず、ただ黙って大男を見詰める。

 そしてベルは、最後に尋ねた。

 

「何故、管理機関(ギルド)を介して訴えない。証拠はあるのだろう、ならば、都市の支配者たる彼等に任せれば良い」

 

「ハッ、それこそどうして奴等を頼る。奴等に任せたら、意味がないだろうが」

 

「……なるほどな。つまり貴方は、あくまでも直接報復をしたいのだな」

 

 当然とばかりに大男は頷いた。

 緊迫した空気が流れる中、大男は言った。

 

「てめえは一つ勘違いをしている。悪いのは金を盗んだ向こうだ。誰がどう見ても、俺達が『正義』に映るだろうさ。寧ろ他の奴等──特に被害にあった同業者(ぼうけんしゃ)は俺達の事を称えるだろうよ」

 

「……そうかもしれないな。貴方の言う事は正しいのだろう」

 

「なら、最後にもう一度だけ聞いてやる。俺らの計画に参加するか、あるいは──」

 

 俺らと敵対するか、と大男は続けた。そして彼はわざとらしく、背中に吊るしている大剣に手を伸ばす。

 ベルの返答によっては、大男は鞘から剣を抜き、その切っ先を向けるだろう。

 そのつもりがなくとも、脅しとしては充分だろう。大男はベルよりもひと周りもふた周りも大きい体格を誇っている。両者とも『神の恩恵(ファルナ)』をそれぞれの主神から授かっているが為に一概には言えないが、それでも尚、体格差というのは戦闘に於いて大きなアドバンテージとなる。

 緊張は臨界点に突入しようとしていた。重苦しい空気が漂い、この場を静寂が支配する。

 そして、ベルは──平生と変わらず、笑った。

 

「すまない、やはり貴方の誘いには乗れないよ」

 

「なッ……!? てめえ!?」

 

「彼女に罪があるのだとしても、それを裁くのは管理機関(ギルド)の筈だ。客観的視点から見ることが出来る第三者を挟まなければならないと、少なくとも私は思う。直接仕返しをしたいという、貴方の気持ちも分からなくはないが」

 

「ハッ、ようはヘタレているんだろう、この臆病者が! てめえは失敗を恐れているだけのビビりだ!」

 

「ははっ、確かに、私は小心者だがな!」

 

 笑声が路地裏に響く。

 大男は顔を歪めると、再度、怒声をあげようとする。

 しかしその前に、ベルは自身の意志を明らかにした。

 

「私が直接その現場を見たのなら話はまた変わってくるが、そういう訳ではない。どうやら、貴方の言っている彼女と、私の知っている彼女はまるで違うようだ。ならば私は、ほぼほぼ初対面の貴方よりも、仲間である彼女を信じよう」

 

「チッ! 言いたいのはそれだけか! なら、此処で──!」

 

 沸点に達した大男はそう言いながら、勢いよく抜刀しようとする。

 そして、完全に鞘から抜く──直前。

 

「本当にそれで良いのか」

 

 ベルの、落ち着き払った声が彼をとめた。

 身体をぴたりと硬直させる大男に、ベルは静かに忠告する。

 

「此処は地上だぞ」

 

「……ッ!」

 

「それが分からない、貴方ではあるまい」

 

 大男は表情を盛大に歪め、ベルを睨んだ。

 何度でも述べよう。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの支配者は管理機関(ギルド)だ。そして、支配者たるギルドには、地上で起こった出来事に関して対処する義務がある。

 冒険者が地上で何か問題事──それこそ、刃傷事件を起こし、ギルドの要注意人物一覧(ブラックリスト)に載った者は、この都市で非常に生きづらくなる。

 罰則(ペナルティ)として『冒険者』という地位を剥奪されれば、その者はギルドからの支援(サポート)を受けられなくなる。よき相談相手である担当アドバイザーはなくなり、何よりも痛手となるのは、ダンジョンで獲得した『魔石』及び『ドロップアイテム』の換金が出来なくなる事だ。それはつまり収入がゼロになるという事だ。

 また、所属している派閥へ多大なる迷惑を掛けるという事にも繋がる。要注意人物一覧(ブラックリスト)に名前が載った場合、ギルドは公表する。要注意人物一覧(ブラックリスト)に名前が載った者は他者から『危険人物』という目で見られる為、それは自然的に、その者が所属している【ファミリア】にも向けられるのだ。そして主神は、【ファミリア】の体裁をこれ以上悪化させぬよう、その者を切る──『強制脱退』を科すことが多い。

 一番重たい罰則(ペナルティ)は──牢屋行きであり、刑罰だ。ギルドが定めた一定期間、あるいは、終身するまで、牢獄で過ごさなければならない。刑期を終えて出所したとしても、『犯罪者』という烙印が押されている為、真っ当な方法で生活を営む事は不可能に近い。

 

「……ギルドが重い腰を上げるとは思わないが」

 

「さて、それはどうだろう。それはやってみないと分からないだろうさ」

 

 両者、睨み合う。

 一分、沈黙が場を覆った。

 そして、先に視線を切ったのは大男だった。剣の柄を摑んでいる右手をゆっくりと慎重に離す。彼は舌を一度打ってからベルに背を向けると、それ以上何も言わず、姿を消した。

 

(……行こう、リリが待っている)

 

 ベルは石畳を蹴ると、中央広場(セントラルパーク)に戻った。

 中央広場(セントラルパーク)の各所に設置されている時計をベルは確認する。幸いな事に、集合時間にはまだ達していなかった。

 とはいえ、時間に余裕がある訳ではない。ベルは速度を上げた。

 集合場所である円形広場には既に、リリルカが居た。ベンチに腰掛け、ぼんやりと朝空を眺めている。

 

(……? なんだ? いつもと様子が違うような?)

 

 ベルが、そう、違和感を覚えた時。

 

「あっ、ベル様!」

 

 近付いてくる足音に気付いたのだろう、リリルカは顔を振り向かせてベルの名前を呼んだ。ぴょん、と立ち上がり、ベルを迎える。

 

「おはようございます、ベル様! 今日も素晴らしいお天気ですね!」

 

 そう挨拶しながら、リリルカはベルに笑顔を向けた。

 人が好むような、可愛らしい笑顔だ。見た者は彼女の笑みに釣られて頬を緩ませるだろう。

 

「おはよう、リリ!」

 

 リリルカは笑みでそれに対応すると、「おや?」と小首を傾げた。

 

「ベル様、お疲れですか? 息が若干乱れていらっしゃいますが」

 

「あー、実は急いで来たんだ。HAHAHA、寝坊してしまってネ」

 

「それはまた珍しいですねぇ」

 

「いやはや、恥ずかしい限りだ。私もリリのように時間に余裕を取るべきだな」

 

「いえいえ、リリが時間厳守なのは当然ですよ。リリは、ベル様に雇われている身。遅刻など許されません」

 

「はははっ、流石だなぁ」

 

 ベルは呼吸を落ち着かせると、リリルカに声を掛けた。

 

「すまない、待たせてしまった。それじゃあ、リリ、今日も宜しく──」

 

 頼む、という言葉が出る前に。

 リリルカが被せて言った。

 

「申し訳ございません、ベル様。ダンジョンへ行く前に、少々、話があります」

 

「話……? それは何だ?」

 

 リリルカがこのように断りを入れたのは、初めての事だった。戸惑いの表情を浮かべるベル。

 リリルカは顔を上に上げ、ベルを見上げた。

 ベルの深紅(ルベライト)の瞳と、リリルカの栗色の瞳が交錯する。

 だが、それは一瞬だった。

 リリルカは視線を逸らすと、俯いた。そして、深々と頭を下げる。

 

「申し訳ございません、ベル・クラネル様。現在(わたし)達が結んでいる長期契約ですが、解除して頂いても宜しいでしょうか」

 

 感情を押し殺した、無感情な──いっそ、冷徹さまで感じさせる声で。

 リリルカはベルに、そう言った。

 



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斯くして、時計の針が進んだ Ⅰ

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ、その中心部に建っている巨塔、バベル。

 そして、そのバベルの二階、簡易食堂。大半の冒険者がダンジョンに潜り始めているこの時間帯、此処に訪れる者は少ない。数十個ほどテーブルが並べられているが、着いている者は片手で数えられる程度。

 そして、四隅の一角。そこを一組の男女が陣取っていた。彼等はテーブルを挟んだ状態で向き合っている。

 憩いの時間を過ごす為の場である食堂にはあまり相応しくない重苦しい空気が、辺り一帯に流れていた。食堂の従業員として派遣されているギルド職員や他の客は早々に『訳あり』だと察し、一定の距離を置いている。

 

「──早速だが、話をしたい」

 

 口火を切ったのは、少年──ベル・クラネルだった。普段ある、朗らかながらも胡散臭い笑みはそこにはない。真剣な表情を浮かべ、深紅(ルベライト)の瞳を目の前の少女に送る。

 

「長期契約を解除したいとは、どういう事だ?」

 

 問い詰めないよう配慮しながら、ベルは目の前の少女──リリルカ・アーデに静かに尋ねた。

 それは、ほんの数十分前の事だ。

 ダンジョン探索中をする為、ベルはパーティメンバーであるリリルカとバベルの下にある中央広場(セントラルパーク)で待ち合わせをしていた。集合時間になり二人は合流した。そして、ベルが「いざダンジョンへ!」と、気合を入れている時にリリルカが彼を呼び止めて言ったのだ。

 

『──申し訳ございません、ベル・クラネル様。現在私達が結んでいる長期契約ですが、解除して頂いても宜しいでしょうか』

 

 当然、ベルは混乱した。

 リリルカの突然の申し出に瞠目し、暫し、言葉を失った。

 数十秒が経った頃にようやく彼は我を取り戻し、取り敢えず、場所を変える事にした。外で話すような話題ではないと判断したからだ。リリルカはこうなる事を予測していたようで、「バベル二階、簡易食堂に行きましょう」と提案し、ベルは了承した。

 そして、現在に至る。

 ベルは契約内容を思い出しながら、リリルカに再度投げかけた。

 

「契約期間の終わりはまだだいぶ先の筈だろう?」

 

『冒険者』ベル・クラネルが『サポーター』リリルカ・アーデと契約を結んでから、二週間弱。短期での契約ならそろそろ期間が終わるだろうが──短期契約の期間は最大でもひと月ほどであり、早ければ一週間、最短一日で終わりを迎えることは珍しくない。この日雇いこそが短期契約の最大のメリットであり、『冒険者』が『サポーター』を雇う際はこの契約を取ることが多い──、二人が結んだのは長期契約であり、その期間は半年。

 しかしながら、契約期間の半分にもまだ達していない。

 リリルカが契約解除を打診する相応の『理由』があるだろうと、ベルは推測した。

 

「私に何か至らぬところがあるのなら、遠慮なく言って欲しい」

 

 ベルが真っ先に考えたのは、自分の不手際だった。

 人間関係が良好か不良かはとても大事な事だ。それが、危険な状況に常時晒されるダンジョン探索なら尚の事だろう。信頼関係が構築されていなければ、自分の命を相手に預ける事は決して出来ない。

 ところが、リリルカは首を横に振った。簡易食堂に来て初めて、口を開く。

 

「いえ、ベル様に何か問題がある訳ではありません。報酬はきちんと毎回頂いていますし、契約内容は全て遵守されています」

 

「そ、そうか……。私としては、君に迷惑を掛けている気しかないのだが……」

 

「ふふっ、いえ、そのような事はありませんよ。あまり自覚されていないようですが、ベル様はリリ──私達サポーターからすれば最高の契約相手ですよ」

 

 リリルカはベルを安心させるように薄く笑うと、自分を罰するように顔を俯かせる。

 

「これは全て、私の問題です。私が全て悪いんです」

 

「……そう思う、理由を聞かせて欲しい。あまりこう言った事は言いたくないが、私にはそれを聞く権利がある筈だ」

 

「ええ、仰る通りです。私には事情を説明する義務が発生し、ベル様には聞く権利があります」

 

 より一段と重苦しい空気が二者の間に流れる。

 リリルカは横に置いていたバックアップから一枚の羊皮紙──契約書を取り出すと、ベルが見えるようにテーブルの上に置いた。

 

「一言で申しますと、【ファミリア】が原因です」

 

 その言葉を聞いて、ベルはハッと深紅の瞳を見開いた。思い当たる節がある。

 まさか、と思いつつ、彼は尋ねた。 

 

「私が【ヘスティア・ファミリア】で、君が【ソーマ・ファミリア】なのが問題なのか」

 

「……ええ。迷宮都市(オラリオ)の暗黙のルールの一つである、不必要な【ファミリア】間の交流は禁止。これが原因です」

 

【ファミリア】は『神の眷族』だ。言い換えれば、神が運営する組織であるという事である。そして【ファミリア】には『神の代理戦争』という側面がある。

 神々は自らの派閥を率いていく事で『娯楽』に興じている。ある一人の下界の子供は、これを『盤上遊戯(ボードゲーム)』と呼んでいる。

 主神が『指し手』であり、眷族が『駒』だ。

 とはいえ、全ての神々が『盤上遊戯(ボードゲーム)』を楽しんでいる訳では決してない。下界の子供達との交流をする為の手段(ツール)として利用する神。あるいは、生活を営む上で仕方なく『神の恩恵(ファルナ)』を授け、その見返りとして下界の子供達に生活を援助して貰う神など、様々な思惑がある。

 そして、全ての神々が【ファミリア】を結成する訳でもない。

 だがそれは下界全体での話であり──迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオには少々当て嵌らない。住居を構えている大多数の神が【ファミリア】を結成し、都市の支配者たる管理機関(ギルド)に申請、登録している。

【ファミリア】には様々な系統があるが、その多くは探索(ダンジョン)系だ。

 地上で唯一地下迷宮(ダンジョン)を保有している都市、というのも理由だが、何よりも、此処は『英雄達の街』。その時代を担う『英雄』が産声を上げる地なのだ。

 先述した通り、【ファミリア】は『神の代理戦争』という側面を持っている。【ファミリア】という組織体系を作るにあたり、神々は幾つかのルールを定めた。

 その代表的な物こそが『相互不干渉』である。【ファミリア】は必要時を除き、他【ファミリア】とは交流をしない。

 無論、時代の流れと共にこれを形骸化されつつはある。

『古代』から『神時代(しんじだい)』へと転換してから、千年。

 下界に降臨する神々は増え、そして、子供達も増えた。絶対悪たるモンスターが居る以上、他者との繋がりがなければ人類は生存出来ない。【ファミリア】という垣根を越えて協力する事も多くなり──直近の大きな出来事だと『暗黒期』である──また、子供達の自主性を尊重する主神が多い事もあり、近年は【ファミリア】同士が親睦の場を設ける事も多い。

 だがしかし、【ファミリア】という組織の根元には、未だにこの不文律がある。

 

「──つまり、男神(おがみ)ソーマに私との関係を断ち切れと言われた、という事か?」

 

 ベルがそう確認をとると、リリルカは頷いた。

 

「より正確には、団員にですが。今朝、私が利用している宿屋に押し掛けて来まして、そう、言われました」

 

「なっ……! それだけなのか? 他には何か言われなかったのか? 理由とか、説明されなかったのか?」

 

「はい、それだけです。彼等はそれだけ言うと立ち去りました」

 

 彼女はさらに続ける。

 

「正直に申しますと、私も、突然の事で非常に混乱しています。これまでは何も言われなかったのですが……」

 

「……さらに聞かせて欲しい。リリ、君は私と長期契約を結んでいた事を誰かに言っていたのか?」

 

「ええ、勿論です。主神──いえ、厳密には【ファミリア】の団長へ事前に申し出る必要があり、許可を得なければなりませんから」

 

「その時は何も言われなかったのだな?」

 

「ええ、はい」

 

 ベルは「ふむ……」と呟くと、さらに質問した。

 

「思い当たる理由は何かないのか?」

 

「いえ、何も思い当たりません。先程も申し上げましたが、何も前振りなく言われたのです」

 

「そうか……」

 

 ベルは相槌を打つと、閉口する。深紅(ルベライト)の瞳を伏せ、思考に耽る。

 数秒後、彼は(まぶた)を閉ざしたまま、再度、口を開けた。

 

「『男神(おがみ)ソーマは、【ファミリア】の運営はあまり積極的ではない。故に、他所の派閥にも興味は持たない』──と、君は言っていた筈だ。私の担当アドバイザーにも、相談をした際に似たような事を言われた。男神ソーマの気が変わったのか?」

 

「それは、分かりません。とはいえ、その可能性は充分にあるでしょう。神とは、良くも悪くも自由気ままな性格の持ち主ですからね」

 

 神の思惑を完全に推測するのは不可能だと、リリルカは言い切った。

 それから、彼女は深々と頭を下げると懇願するように言った。

 

「こういった経緯があり、非常に申し訳ありませんが、長期契約を解除して頂きたいのです」

 

「……」

 

「無論、此方(こちら)の都合で一方的に迫っていますから違約金は支払わせて頂きます」

 

「…………」

 

「突然の事ですから団員に抗議し、一週間の猶予は貰いました。ベル様にはこの間に代わりのサポーターを雇って頂ければと思います。もし見付からないようでしたら、私が知り合いに掛け合いましょう。ベル様なら彼等も歓迎します」

 

 ベルはリリルカの言葉に返事をしなかった。

 そして、静まり返り、長い沈黙が二人の間に訪れる。

 疎らに居た他の客は既に簡易食堂を出ており、ベル達を除いて客は居ない。

 従業員であるギルド職員が厨房で皿洗いをする音だけが、空間を振動させていた。

 そして、

 

「──分かった」

 

 ベルは、短くそう言った。

 話を終えた二人は簡易食堂を出ると、バベルの下で別れた。ダンジョンに潜り始めるには些か時間が遅く、最悪、帰りが日を跨いでしまうと判断したからだった。

 だがそれ以上に、ベルは、今の状態でダンジョンへ行ったら危険だと思ったのだ。

 

「……」

 

 リリルカから告げられた、突然の離反。

 ベルはこの事を受け止められなかった。故に、足は自然と北西のメインストリート、管理機関(ギルド)へ動いていた。

 信頼しているハーフエルフのアドバイザーの元へ、彼は向かった。



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予感

 

 管理機関(ギルド)の歴史は長い。

 その起源は、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが出来る前、否、神々が降臨する前の時代──『古代(こだい)』にまで遡る。

 名称こそ違うが、ギルドの役割を担う組織はあり、現代に至るまで引き継がれているのだ。

 ギルドが迷宮都市(オラリオ)の運営者であり、支配者たる要因となっているのが正にこれであり、この組織は長きの間人類に貢献してきた。

 そして、迷宮都市(めいきゅうとし)北西のメインストリート──通称、冒険者通りに、ギルド本部は建っている。

 大神殿の最上階、重厚な(かし)の扉の前に、ハーフエルフのギルド職員──エイナ・チュールは立っていた。

 

(いつ来ても緊張するなぁ……)

 

 胸中でエイナは、毎度ながらに同じ感想を抱いてしまう。

 はあ、と思わず溜息が(こぼ)れそうになる。

 右手首に着けている腕時計を確認すると、丁度、約束の時間を指した所だった。数秒待ってから、扉を三回ノックする。するとすぐに、

 

「入れ」

 

 という、野太い声が出される。

 声のトーンからして、発声主は機嫌が悪そうだった。うわぁ、最悪だ……と思いつつ、エイナは「失礼致します」と言ってから、両開きの扉を静かに開けて入室した。

 部屋の中は『(ぜい)』の限りを尽くしていた。壁一面にはとてつもなく大きな本棚があり、ぎっしりと分厚い本が並べられている。様々な亜人族(デミ・ヒューマン)の文字が背表紙に書かれており、部屋主の頭の良さを匂わせていた──基本、自分の種族の文字と、世界各国の標準語である共通語(コイネー)の二つしか、この世界の住人は習得していない──。その他にも、豪奢な絨毯(じゅうたん)(つぼ)や絵画など、部屋の至る所に調度品が置かれている。贅沢好きな神々であっても、この一室に張り合うのは難しいだろう。出来るのはほんのひと握り、バベル上階の神々の領域(プライベートルーム)に住居を構えている神々だけだ。

 普段よりも姿勢を正しながら、そして、足音を立てぬよう細心の注意を払いながら、エイナはこの部屋の主の元へ足を運んだ。

 

「四十二秒の遅刻だぞ、エイナ・チュール」

 

 その人物は会って早々、エイナに嫌味を言った。エイナよりも明るい緑色の瞳が細められる。

 長く細い尖った特徴的な耳はエイナに酷似しているが、その伸びは彼女よりも長い。それは、純血種であるエルフだという事を表していた。

 しかし逆に言えば、この特徴的な耳がなければ、彼を『エルフ』だと見抜く事は難しいだろう。

『エルフ』という亜人族(デミ・ヒューマン)は、基本的には容姿端麗である。

 だが、彼に『容姿端麗(ようしたんれい)』という言葉はお世辞にも相応しくなかった。

 通常職員よりも遥かに質の良いスーツを押し上げるのは、腹の肉だ。横腹のある体型は控え目に言っても『肉付きが良い』とは言えず、短い両足両腕、弛みきっている顎も相まって『(オーク)』──とある受付嬢が命名したとされる──である。

 典型的な豪遊貴族だなと、彼の事を何も知らない者が見たら、そのような感想を抱くだろう。

 しかしながら、それは、大きな間違いである。

 彼の真名(まな)は──ロイマン・マルディール。

 彼こそが、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの最終決定権を持つ──ギルド長であった。

 

「貴様が浪費した四十二秒。この時間に私は資料を読む事が出来た。これが迷宮都市(オラリオ)の大きな損害に繋がったら、貴様はどのように責任を取るつもりだ?」

 

「……」

 

「何か言ったらどうだ、エイナ・チュール?」

 

 エイナは言い返したかった。

 時間丁度で入室したら文句を言うだろうがとか、そんな事を言われても困るとか、そう、言いたかった。

 

「申し訳ございませんでした。以後、気を付けます」

 

「ふんっ、気を付けるだけで直るとは思えんがな!」

 

「……ッ!」

 

 イラッ。

 エイナは、自分のこめかみに青筋がくっきりと浮かぶのを感じ取った。

 以前はこれしきの事では何も思わなかったのだが、最近、どうにも自分は沸点が低くなっている気がする。これも、自分の担当冒険者の所為だろう。そうに違いない。

 とはいえ幸いにも、深々と頭を下げているおかげで露見する事はなかった。

 数秒、謝罪の意を示す為に最敬礼を取っていると「もう良い、顔を上げろ!」と怒声が飛ぶ。

 言われた通りに指示に従うと、エイナは、表情を歪めているロイマンと目が合った。

 

「何だ? その目は? 不服そうだな?」

 

 目が合っただけで口撃される、この理不尽さ。

 エイナは、もし自分が純血腫のエルフなら違うのだろうかと、そのような妄想をする。

 エイナ・チュールはハーフエルフだ。

 ヒューマンの父と、エルフの母が結ばれてこの世に生を受けた。

 尊敬している両親は、種族という垣根を越えて愛を(はぐく)み、そして、エイナという娘を産んだ。

 最近はそうでもないが、昔、それこそ『古代』では『ハーフ』は『半端者(はんぱもの)』と言われていた。

『半端者』──この世界の最大の蔑称の一つとされている。

 それというのも、昔は現代以上に種族という『壁』があった。神々が下界に居ぬ時代、『古代』に於いて、人類が滅亡の危機に瀕した理由の一つがこれであると、とある歴史家は評している。

 つまり、モンスターという『絶対悪』を前にしても、広義的にみれば同じ人類である筈の彼等は、中々、手を取り合おうとしなかったのである。それは己の種族への矜恃(きょうじ)であったり、他種族への侮りや蔑みであったり、あるいは、価値観の相違であったりする。事実、大国や小国、村など、多くの人々が死んでいる。

 超越存在(デウスデア)である神々が降臨し『神時代(しんじだい)』に突入してからは『半端者』は禁句の一つとして数えられるようになり、街中でこの言葉を聞くことは激減した。

 とはいえ、口には出さないだけで、心中で思っている者は一定数──否、大勢居ると、エイナは思っている。

 それは、彼等がふとした拍子に見せる嘲りの表情や、視線から感じ取る事が出来るのだ。

 そして恐らく、目の前の純血種(ロイマン)もまた、その一人だろう。

 だがしかし、ロイマンはその見た目とは裏腹に非常に優秀だ。エイナもまた優秀な成績で学区を卒業し、狭き門を通ってギルドに入職したが、ロイマン・マルディールはその比ではない。

 それは、彼のギルド長の勤務歴にあるだろう。

 ──百年。

 彼は一世紀に渡って、ギルド職員として都市の発展、ひいては、人類に貢献してきたのだ。長寿種族であるエルフだからこそ、このような芸当が出来たと言えよう。

 ロイマンは、同族であるエルフからは『ギルドの豚』だと唾棄(だき)されている。これは、エルフらしからぬ醜悪な見た目や、種族の誇りを捨てたからだと言われている。自分の種族への誇りがどの亜人族(デミ・ヒューマン)よりも強いエルフにとって、今のロイマンは一族の印象を下げる汚点でしかないのだ。

 とはいえ、エイナとしてはあまりそうは思わない。少なくとも、『汚点』などと思える筈もない。

 彼もまた、『英雄候補』の一人なのだ。

 現に、都市を代表する第一級冒険者達は緊急事態の際はギルド長の指示に従っている。『悪』が跋扈(ばっこ)した『暗黒期(あんこくき)』では、()の【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナと連携、協力していたという記録も残っている。そして、エルフの絶対的崇拝対象である王族(ハイエルフ)もまた、一定の敬意は持っているようで、ロイマンの見た目や言動には思う所があっても、公に言及していない。

 何よりも、厳格で公平な──ギルドの『真の主』たる迷宮都市(オラリオ)の創設神が、百年という長きに(わた)って、ロイマンをギルド長に選任している理由がない。

 ──とはいえ。

 それは、傍観者だから抱く出来るものであり、このように、当事者になると話は些か変わってくるのだが。

 

「また時間を浪費した。──本題に入ろう」

 

 ロイマンは表情を少し変えると──不機嫌そうなのは変わっていないが──そのように話を切り出した。

 エイナとしても助かるので、無言で相槌を返す。

 

「話というのは、あの小僧──ベル・クラネルへの『特例措置』についてだ」

 

 来た、とエイナは表情を引き締めたものに変えた。

 今日、何故エイナが執政室に呼ばれたのか。エイナのような組織の末端が首長と話すという事は滅多にない。

 だからこそ、彼女は獣人の班長に通達された時、真っ先に一つのことを考えた。

 そして、それは正解だったようだ。

 

「女神ヘスティアと管理機関(我々)が契約した『特例措置』。それについて書かれている。貴様はこれをベル・クラネルに渡せ」

 

 言いながら、ギルド長は一通の白い封書を執務机の上に置いた。

 視線で促され、エイナは丁重にそれを受け取る。

 封書にはギルドの封蝋が施されており、ロイマン・アルディールの署名と捺印がされていた。

 ──『特例措置』。

 それが、管理機関(ギルド)と【ヘスティア・ファミリア】が結んでいる契約だ。

 それは、冒険者ベル・クラネルの情報を全て非公開にするという内容。

 通常、冒険者登録された『冒険者』はギルドの管轄の元、情報が公開される。この開示される情報は、氏名、所属派閥、階位、種族、性別等といった、他者に露呈しても問題ない範囲の内容だ。

 だが、先日の怪物祭(モンスターフィリア)の際に起きた『モンスター脱走事件』。

 この事件に巻き込まれた冒険者ベル・クラネルは脱走した銀の野猿(シルバーバック)と戦闘、見事撃破し、民間人を守り抜き、事件の鎮静化に貢献した。

 不思議な事に、ベル・クラネルを除けば被害者は居なかったが、被害者たる彼は昏睡状態に陥ってしまった。幸い、都市最高位の治療師(ヒーラー)である【戦場の聖女(デア・セイント)】が担当となった為に死には至らなかったが、主催者たる管理機関(ギルド)及び【ガネーシャ・ファミリア】が謝罪をするのは当然の事だった。

 その謝罪を受け取ったのは主神であるヘスティアだった。自由奔放、自分勝手な神が多い中、彼女は珍しく善性の持ち主であった。

 だからこそ彼女は、眷族()が巻き込まれてしまった事を大いに嘆いたし、主催者に怒りを抱いた。しかしながら、彼女は『怒る』だけで、彼等に『恨み』を持つ事はせず、眷族(ベル)の意思を汲んで謝罪を受け取り、二度とこのような出来事が起こらないように言った。

 そして最後に、ヘスティアはギルドへ一つの要望──否、命令をしてきたのである。

 それこそが上記の『特例措置』である。ギルド長はその条件として、ベル・クラネルは昇格(ランクアップ)するまでの間、月に一回、背中に刻まれた【ステイタス】をギルド長へ報告する義務を課した。

 

「承知致しました。必ずクラネル氏に渡します。渡した後、報告は必要でしょうか」

 

「必要ない」

 

 ロイマンは短くそう言うと、執務机の書類に目を落とした。

 どうやら、話は終わったようだった。

 先程の彼の言葉は間違いではない。ギルド長の仕事量は他の職員よりも遥かに多く、山のように積まれている紙の束がそれを証明している。

 そこでエイナは、ふと、疑問を持った。

 

(どうして、ギルド長がわざわざ私にこれを?)

 

 何も、多忙極めるギルド長が時間を作る必要はない筈だ。エイナの上司から、エイナに渡すよう指示を出せば良い。

 そうすればロイマンも、毛嫌いしているエイナと顔を合わせる必要がなくなり、もっと穏やかな気持ちでいられるだろう。ただでさえ彼はオラリオの神達から玩具(おもちゃ)のように扱われ、精神的ストレスを毎日のように抱えているのだ。

『特例措置』という、例外中の例外のこれを思えば分からなくはないが……どうにも腑に落ちない。

 だがしかし、自分にそれを確かめる事は出来ない。組織の末端でしかないエイナにとって、上層部の決定──ましてや、最高権力者たるギルド長の指示に従う事は絶対である。

 

「それではギルド長、失礼致します」

 

 一応挨拶をしてから、エイナは退室しようと扉に向かった。

 

「待て」

 

 しかし、最後に一礼しようとしたタイミングで、声が掛けられる。

 まだ話があったのか、これはまた怒られるパターンかとエイナが身構える中、ロイマンは顔を書類から上げることなく言った。

 

「貴様の冒険者だが、問題行動が多過ぎる」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 ロイマンは「全く」と露骨に溜息を吐くと、さらに毒を吐く。

 

「元から荒くれ者が多い奴等だ、問題行動を起こすのは仕方がない。だが、この小僧はなんだ、えぇ?」

 

 言いながら、ロイマンは数枚の羊皮紙をエイナに見せる。

 それは間違いなく、エイナが数日前に書いた始末書だった。残業し、苦心して書いた当時の出来事が脳裏に()ぎる。

 

「事ある毎に騒動を起こす。ギルド本部で起こした騒動だけでも、両の手では既に足らん」

 

「申し訳ございません! 私も常々注意しているのですが……」

 

「黙れ、貴様の言い分など聞いていない。担当アドバイザーである貴様の監督不行き届きだとは思わないのか?」

 

「うっ……」

 

「さらには、厳格に取り締まる側である貴様も、これを見た限りでは何回か騒動を大きくしているようではないか、えぇ? ギルド職員として恥ずべきだと思わないのか?」

 

 エイナは何も言い返せなかった。それは当然の事だ。ロイマンが言っているのは全て事実であり、反論の余地などないからだ。

 頭を深く下げ、今度は心から最敬礼する彼女に、ロイマンは露骨に溜息を吐いた。

 

「これでは、何の為に我々が女神ヘスティアの命令に従い、『特例措置』を取っているか分からんではないか」

 

「はい、仰る通りです」

 

 正論という、ロイマンの口撃が続く。

 あと数歩歩けば執務室から出られるが、部屋主の許可を得ずにそうすれば、どうなるのかは目に見えている。

 故に、エイナは頭を下げるしかなかった。

 

「ただでさえ、ここ数ヶ月の間に様々な事が起こっているのだ。貴様もそれは知っているだろう。我々ギルドはその対応に追われているのだぞ」

 

 疲れたように、ロイマンは溜息を吐いた。

 オラリオでは、『モンスター脱走事件』が。都市外では、王国(ラキア)が軍の整備をしているという報告も上がっている。

 

「近日中には神会(デナトゥス)が開かれる。それに間に合わせるようにしてか、『冒険』をして昇格(ランクアップ)する冒険者どもが後を絶たない。ただでさえその対応で忙しいというのに、最近は一部の【ファミリア】が騒動を起こしている。それに怯えた民間人からも苦情(クレーム)が大量に流れ込んでくるわ……全く、これだから冒険者どもは……」

 

「……」

 

「さらに、つい数日前には、ダンジョン8階層の一部地帯が崩落したと、下級冒険者が報告してきた」

 

「……ッ!」

 

「どうした、これは先日の会議で議題に上がっただろう。まさか忘れている訳ではあるまいな?」

 

「い、いえ!」と、エイナは慌てて首を横に振った。

 ロイマンは目を細め「まあ、良い」と言うと、話を再開する。

 

「とはいえ、知っての通り、ダンジョンには再生機能がある。我々ギルドが依頼し、【ガネーシャ・ファミリア】が派遣した冒険者が到着した時には殆どが既に元通りだ。『犯人』にどのような目的があったのかは分かっていないが、そこで『戦闘』があったのは明白。如何なる異常事態(イレギュラー)が起ころうとも、上層のモンスターが破壊するのは不可能、我々ギルドは此処で派閥抗争が起こったと仮定している」

 

「全く、困ったものだ。【ロキ・ファミリア】が猛牛(ミノタウロス)を取り逃した事もあって、最近は下級冒険者達が煩くて仕方がない」という、ロイマンのボヤきを、エイナは表情を崩すことなく聞き流した。

 冷や汗が流れていないか心配で仕方なかったが、ロイマンの反応を見る限りでは大丈夫のようだ。

 

「貴様の担当冒険者はどうにも巻き込まれ体質(トラブルメーカー)のようだ。注意を促しておけ。小僧の攻略階層がどの程度かは知らないが、上層での『事件』だ、関係ない話ではないだろう」

 

「は、はいっ!」

 

 エイナはそう返事をしてから、一つ気になった。

 そして逡巡してから、「あ、あの」と恐る恐る尋ねる。

 

「ギルド長、クラネル氏に何か思う所があるのですか?」

 

「何? それはどういう意味だ?」

 

「す、すみません! ただ、随分とクラネル氏を慮る様子でしたので……」

 

「ある訳ないだろう。仮にあったとしても、貴様にそれを教えると思うか?」

 

「い、いえっ!」

 

「ならば、早く仕事に戻れ。封書を渡すのと、警告するのを忘れるな」

 

 最後に釘を刺すと、ロイマンは閉口した。それから二度とエイナには目をくれず、物凄い速度で羽根ペンを動かし、資料を捌き始めていく。

 エイナは一礼してから、今度こそ執務室を出た。分厚い樫の扉を静かに閉め、充分に離れた所で息を吐き出す。

 

(つ、疲れた……)

 

 エイナはつくづくそう思った。今のたった数分の出来事が彼女に齎した精神的ダメージはとても大きく、真面目な性格な彼女であっても、仕事場に戻りたくないと思わせる程だった。

 しかしながら、帰るのが遅くなれば同僚達に迷惑が掛かる。エイナは少しだけ歩く速度を平生よりも落としながら、自分の持ち場に戻る。

 

(ベル君が巻き込まれ体質(トラブルメーカー)、か……。ヘスティア様も以前仰っていたけど、本当にその通りだよね……)

 

 すれ違った職員に会釈しながら、エイナは考える。

 

(まさかギルド長も、8階層の出来事すらも、ベル君が関わっているとは思わないだろうなぁ……)

 

 先程ロイマンが口にしていた、8階層での異常事態(イレギュラー)。その事をエイナは、どのギルド職員よりも知っていた。

 何せ、それには自分の担当冒険者が大きく関わっていたからだ。

 数日前、女神ヘスティアがエイナの元へ訪ねてきた。そして彼女は言ったのだ、ベルが『謎の冒険者』の襲撃にあったという出来事を。

 その話を聞いた時、エイナは思わず「それは本当ですか!?」と、失礼ながら、ヘスティアに聞き返してしまった。すぐに、眷族(こども)の事を強く想っている主神(おや)が嘘を吐く理由がないと気付いて謝罪をしたが、それだけの衝撃だったのだ。

 我を取り戻したエイナに、ヘスティアは、ギルドが『犯人』を調査する事は可能なのかと尋ねた。そしてエイナは、『否』と口にした。

 無論エイナとて、そう言いたくてそのように言った訳では断じてない。

 出来の悪い、しかし、可愛いと思っている弟分が大怪我をさせられたのだ、ギルド職員としては失格だが、許せる筈もなかった。

 しかしながら、ギルドが調査するのは現実的に考えて不可能だった。

 まず一つに、広大な迷宮都市(オラリオ)からたった一人を探し当てるのは難しい、という事。せめて特徴があれば話はまた変わってくるが、その襲撃者は徹底して自身の身を秘匿していたらしい。ベルを余裕で相手出来る、という点を加味すれば上級冒険者の可能性もあるが、冒険者ベル・クラネルのレベルはLv.1であり、彼が敵わない相手は星の数ほど居る。

 

(せめて地上なら、私も少しは役に立てたんだけどな……)

 

 だがそれ以上に、ベルの襲われた場所が悪かった。都市の市街ならギルドも重い腰を上げるだろうが、彼が襲われた場所はダンジョン。

 ダンジョンは地上の目が届かない無法地帯である。つまりこれは、『殺人』が起きる可能性があることを示唆している事に他ならない。

 ロイマンもボヤいていたが、冒険者は荒くれ者が多い。まともな冒険者など全然居ない。すれ違った時に肩がぶつかったから殴る、何となく自分が気に入らないから殴るなど、彼等は些細な事で喧嘩をする。要注意人物一覧(ブラックリスト)に載ることを恐れて市民には手を出さないが、彼等は同業者が相手なら遠慮なく喧嘩を売り、そして上等だと言わんばかりにそれを買う。

 その『喧嘩』がダンジョンでの『殺し合い』になり、やがて、最終的には【ファミリア】の『抗争』へと行き着くのだ。

 管理機関(ギルド)は都市上での出来事には関与するが、逆に言えば、それ以外での出来事にはあまり関与しない。

 これを逆手に取り、冒険者は度々ダンジョンで『殺し合い』をするのだ。モンスターという共通の脅威が巣食うダンジョンでの『殺し合い』は、下手したら、彼等が『モンスター』とも言えるだろう。

 そう言った事情を伝えると、ヘスティアは引き下がった。一応、被害届を出す事は出来るのでそうするのかとエイナが尋ねても、彼女は断った。

 その理由が、エイナには分かる。ただでさえ、冒険者ベル・クラネルは良くも悪くも注目を浴びているのだ。『モンスター脱走事件』が起こってから数週間が経ち、彼の噂は下級冒険者の間で広まっている。『特例措置』の真偽を確かめる為、暇な神達はギルド本部へ足を運び、【ヘスティア・ファミリア】を探っているし、腕が立つ『情報屋』は既に何らかの情報を掴んでいるかもしれない。

 もしこの状況で、ベルが事件にまた巻き込まれたと知られたら、彼は神の玩具(おもちゃ)となるだろう。ヘスティアはそれを少しでも回避しようとしているのだ。

 とはいえ、これも時間の問題だろう。驚異的な速度で成長し、攻略階層を順調過ぎるほどに増やしている名も無き少年(ベル・クラネル)が台頭するのは、そう、遠くない。

『英雄』に憧れ、そうなれるように邁進(まいしん)している彼が、そのようになるのは仕方がない事だ。避けては通れない道だろう。現に、迷宮都市を代表する第一級冒険者達──『英雄候補』達もまた、自身の真名()をそのようにして轟かせてきた。

 

(でもベル君には──【ヘスティア・ファミリア】にはまだ、その土台が整っていない)

 

 いくつもの『過程』をすっ飛ばして、ベルは飛躍している。まるで死に急いでいるように。

 ヘスティアは少しでも『その時』が来るのを遅らせているのだ。たとえそれが微々たるものであったとしても。

 そしてそれは、エイナも同様だ。

 だからエイナは、本来なら報告すべき事をしていない。自分は何も知らないと装い、無関係であると演技している。

 公正で()らなければならないギルド職員がこのような姿勢をとっている事が周囲にバレたら、その時は重たい罰が彼女に科せられるだろう。

 

(もしそうなったら、その時は【ヘスティア・ファミリア】に入団しようかな?)

 

 第二の人生(セカンド・ライフ)を妄想しつつ、エイナは事務室に戻る。

 此処はいわばギルド職員の休憩室。無論、休息する為の専用の部屋が用意されているが、ギルド職員は忙しい。休憩中に助っ人に入る事は珍しくなく、いつでも入れるようにと、この事務室が休憩室のような扱いをされていた。

 同僚達に挨拶をしながら、エイナは自身の机に向かった。椅子に腰掛け、大きく伸びをする。

 

「チュール。少し早いが、昼休憩に入れ。一時間後、現場に行くんだ」

 

「承知致しました。しかし、良いのですか?」

 

「ああ。ギルド長の相手は疲れただろう、その状態で冒険者や神の対応をするのは大変だ。この一時間で体力を戻しておくように」

 

 犬人(シアンスロープ)の上司はそう言うと、事務室をあとにした。恐らく、エイナが抜けた穴を埋めるのだろう。エイナは上司に深く感謝した。

 

「エイナ・チュール、戻ってきていますか?」

 

 お昼の準備をしていると、聞き馴染みのある声が事務室に響いた。

 学区から付き合いのある、親友兼同僚のミィシャ・フロットはエイナと目が合うと駆け寄ってきた。エイナが用件を問うと、彼女は言葉を砕けたものにして言った。

 

「エイナ、ベル君が来ているよ。大事な話があるって」

 

「大事な話……?」

 

「うん、ベル君、とても真剣な顔をしていた。だからエイナ、早く行ってあげて──」

 

 そこでミィシャは、エイナが今正に昼休憩に入ろうとしている事に気付いたようだった。「ご、ごめん」と、慌てて口を閉ざす。

 

「ベル君には面談用ボックスで待っているように伝えるね」

 

 そう言って事務室を出ようとするミィシャを、

 

「ううん、私、行くよ」

 

 と、エイナは言って引き留めた。

「えっ」と顔を振り向かせるミィシャに、エイナは言う。

 

「私もベル君には用があったから、ちょうど良いかなって」

 

「エイナ、ついさっきまでギルド長の所に行っていたんでしょ!? 大丈夫? 無理してない?」

 

「うん、大丈夫だよミィシャ。そんな事よりも、ベル君の方が心配だから」

 

「で、でもっ!」

 

 ミィシャがそう叫んだ時には、エイナは必要な物を持って既に事務室を出ていた。

 廊下を早足で渡りながら、先程のミィシャの言葉を振り返る。

 

(ベル君が、真剣な顔をしていた。『何か』あったんだ)

 

 いつもは朗らかに笑い、見ているこっちもつい釣られて笑ってしまう少年が。

 そんな彼が真剣な表情を浮かべていると、友人は言ったのだ。

 エイナは表情を引き締めると、自分の担当冒険者の元へ急ぐのだった。

 



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妖精の忠告

 

 管理機関(ギルド)が冒険者の支援(サポート)の一つとして提供している面談ボックス。

 この部屋を利用する冒険者は彼等の豪胆な性格と半比例するようにして意外にも多い。いくつも用意された部屋は必ずと言っていいほど何処かが使われており、深夜であっても魔石灯(ませきとう)(あか)りがついているのは珍しくなかった。

 それはやはり、彼等の赴く場所が危険極まる地下迷宮(ダンジョン)だからだろう。

 異常事態(イレギュラー)が日常茶飯事のダンジョンでは、毎日、死者及び行方不明者があとを絶たない。亡骸(なきがら)を地上に持ち帰ることが出来るのは本当に(まれ)であり、時には、人肉(なきがら)を『(おとり)』としてモンスターに差し出し、モンスターが興味を引いている間に逃走するという事もある。

 彼等の抱えている不安は大きい。その不安を少しでも解消出来るよう、また、彼等の生存率が少しでも高まり地上に帰還することが出来るよう、ギルドは惜しみない支援(サポート)をしている。

 そして、幾つも並べられている部屋の最奥。その面談ボックス扉の取っ手には『使用中』の札が掛けられていた。 

 

「話をする前に、これを渡しておくね。忘れちゃうといけないから」

 

 ベルの真正面に座っている妙齢の女性──エイナ・チュールはそう言いながら、一枚の白い封書をベルに手渡した。

 

「これは……?」

 

「その中には重要書類が入っています。『特例措置』について書かれていますので、女神ヘスティアと共に必ず確認して下さい」

 

 ベルの疑問に、ギルド職員は畏まった口調で説明した。

 なるほど、と彼は納得してボディバッグの中に大事に仕舞う。その様子をしかと見届けたエイナは、

 

「それで、ベル君。相談事って何かな?」

 

 そう、ベルに尋ねた。

 ベルは表情を変えると、エイナにこれまでの経緯を話し始めた。

 

「──そっか。そんな事があったんだね……」

 

 全てを聞き終えたエイナはそう呟くと、テーブルに置いていたティーカップに手を伸ばす。唇を湿らせながら、担当冒険者から聞いた話を脳内で纏めているようだった。

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳でその様子をじっと見詰めていた。

 

「ごめんね、ベル君。私の聞き間違いがあるかもしれないから、もう一度だけ確認させて欲しい」

 

「ああ、分かった」

 

 こくり、とベルは首を縦に振る。

 ベル自身、先程よりかは落ち着いていたが、完全に頭が追いついている状態でない事は自分自身で分かっていた。エイナの申し出に感謝しながら、自分も紅茶を一口飲む。

 エイナはベルの準備が整った事を認めると、「まずだけど」と、切り出した。

 

「今朝、ベル君は契約しているサポーター──リリルカ・アーデ氏と合流する前に、一人の冒険者に声を掛けられた。その人物は君に、『アーデ氏は賊であり、ベル君は騙されている』と言った。ここまでは合っている?」

 

「ああ、寸分(たが)わず合っている」

 

「そしてその冒険者と別れた後、君はアーデ氏と合流した。そしてアーデ氏はベル君に、長期契約を解約してパーティを解散したいと、そう、言ったんだよね?」

 

「その通りだ。何の前触れもなく告げられてしまった」

 

「彼女はパーティ解散の理由として──【ソーマ・ファミリア】の団員が彼女の元を訪ね、ベル君とのダンジョン探索をやめるよう迫るように言ってきた、って言ったんだよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

 そう言うと、エイナは翡翠色(エメラルド)の瞳を閉ざして顎に手を当てた。そのまま長考に入る。

 ベルもまた、時間を無駄にせぬよう必死に頭を回す。

 壁に掛けられている時計の秒針が三周ほど回った、その時。

 

「私としては、ベル君、君はそのままパーティを解散した方が良いと思う」

 

 エイナ・チュールは険しい表情で、そう、自身の考えを告げた。

 彼女の口から放たれた言葉を受け、ベルは思わず、

 

「なっ……!?」

 

 と、声を()らしてしまう。何故ならその言葉は、ベルが奥底で願っていた『言葉』ではなかったからだ。

 ベルはこの時まで、エイナがベルに全面的に協力してくれると思っていた。否、思い込んでいた、と言った方が良いだろう。これまでの彼女との付き合いが、無意識下でベルにそう思わせていたのだ。

 

「……」

 

 深紅(ルベライト)の瞳を極限にまで開き、ベルは暫し、呆然と口を半開きにするという醜態を晒してしまう。

 エイナはその様子を嘲笑うこともなく、蔑むこともなく、笑うこともなく、同じ表情で言った。

 

「君の担当アドバイザーとしても、そして、私個人としても、私の考えは決して覆らない。ベル君、君は早急にアーデ氏──ううん、【ソーマ・ファミリア】と縁を切るべき」

 

 何故だ!? と、ベルは反射的に、そう、言い返す所だった。

 理性がなく本能で生きる獣のように、思考や論理を投げ捨てて、エイナに叫ぶところだった。

 それはともすれば、駄々を()ねる子供のように。

 だがしかし、ベルはそうなる一歩手前で踏みとどまった。(あえ)ぐようにして、声を必死に(しぼ)り出す。

 

「……それは何故だ、エイナ嬢? 何故、貴女はそのような忠告をする?」

 

 これまでにベルはエイナに様々な相談事をしてきた。

 その度に彼女は担当アドバイザーとして、彼の友人として、彼の悩みに真摯に向き合い、相談に乗り、彼を導いてきた。

 そして彼女は寄り添うようにして、ベルの意志を尊重してきた。

 だが今のエイナはこれまでとは違い、ベルに()()をしている。

 その事がベルにとっては不可解であり、『子供の癇癪』を未然に防ぐことに繋がった。

 

「理由はもちろんあるよ。まず一つ目は、アーデ氏が言っていたように──彼女が【ヘスティア・ファミリア】ではなくて、【ソーマ・ファミリア】だから」

 

 またそれか、とベルは渋面を作った。

 思っていることをそのまま顔に出して辟易する彼へ、エイナはさらに言う。

 

「良い機会だから言っておくね。ベル君、君が考えている以上に、【ファミリア】同士が付き合う事は難しいの。対等な関係を築くことはとても困難で、友好的な付き合いを継続する為には余程の善神(ぜんしん)──それこそ、神ヘスティアのような神格者じゃないとまず無理」

 

「……そんな事はない筈だ。確かに、最初はそうかもしれないが……」

 

「たとえ君やヘスティア様がその派閥(ファミリア)と仲良くしたい、親睦を深めたいと思っていたとしても、相手が君達の言動を信じる訳じゃない。寧ろ、君達が笑顔を浮かべるほど、手を伸ばすほど、彼等は警戒心を抱き、強くするかもしれない。『抗争』を画策しているのかもしれないと、思われてしまうかもしれない」

 

「……っ」

 

「その反応だと、自身の身でもって何回か体験しているようだね」

 

 図星を突かれたベルは、押し黙るしかなかった。

 ダンジョン探索中、ベルが他の冒険者を見付けて声を掛けても、彼等は喜ばしい顔を決してしなかった。武器の(グリップ)に手を伸ばされる事こそなかったが、彼等は同業者(ベル)の存在をあまり快く思っていなかったようだった。

 

「……これでは、何も変わっていない。いいや、寧ろ後退している」

 

 前髪を乱暴に掻きながら、ベルはそう言った。

 

「べ、ベル君……?」

 

 戸惑うエイナを尻目に、ベルは溜息を漏らす。

 

「……これでは、何の為に時代が移ったのか分からない。ああ、本当に……【ファミリア】とはなんて面倒な体系なんだ。超越存在(デウスデア)たる神々、それに仕える眷族。神々の代理戦争という側面──これら全てが、()()となってしまっている」

 

 この時エイナは、ベル・クラネルに対して何度目になるか分からない『違和感』を抱いた。

 それは彼女がこれまでベル・クラネルと接する上で感じてきたものであり、未だ、答えの見えないものだ。故に彼女は、その『違和感』に少しでも近付こうと思い、暫しの間、様子を伺うことに決めた。

 

「ああ、確かに。今世(いまよ)はとても素晴らしい。人類は簡単に、凶悪なモンスターに対応出来るだけの術を持てるようになった。そして、彼等の死骸から得られる『魔石』を調査、その仕組みを解明することにより利便性が極めて高い魔石製品なんてものも生まれているし、新たな魔道具も日々開発されている。これもひとえに、神々が天界からこの下界に降臨してくれたおかげだ。()()()()()()()()()()()

 

 少年の言葉は、呟きは続く。

 

「『古代(こだい)』から『神時代(しんじだい)』に移ってから、()()。それだけ永久(とわ)に等しい年月が流れてなお、人類は未だ──」

 

 それ以降の独り言を、エイナは聞き取ることが出来なかった。

 ただ、それがエイナには、慟哭(どうこく)のようにも、嘆きのようにも聞こえた。

 ベルが何を視ているのか、その眩い深紅(ルベライト)の瞳は何を映し、ベルはそれをどのように捉えているのか、エイナはそれが気になって気になって仕方がなかった。

 しかし、エイナはどうしても尋ねることが出来なかった。否、決して聞いてはならないと、本能で悟っていた。今の、何かに苦しみ、喘いでいるベルに下手な声掛けをしてはならないと、身体中が訴えていた。

 

「……話の腰を折ってしまってすまない、エイナ嬢」

 

 やがて、ヒューマンの少年はハーフエルフの視線に気付くと、そう言いながら頭を下げた。

 それにエイナは一瞬だけ表情を柔らかいものにして「ううん、気にしないで!」と片手を振って応える。それから彼女は表情と共に話を戻した。

 

「次に、アーデ氏が所属している【ソーマ・ファミリア】が問題」

 

「……彼女の主神、男神ソーマが【ファミリア】の運営方法を変えたことか?」

 

「それもあるけど、私が問題視しているのはもっと別の所かな」

 

「どういう事だ……?」

 

 エイナの言っている意味が分からず、ベルは首を傾げる。ベルからすれば、自身の言った方が問題だと考えていたからだった。

【ファミリア】を運営するのはその【ファミリア】の主神である。面倒事や雑事を嫌い、眷族の団長や副団長、幹部達に仕事をそのまま放り込むという駄目神も中にはいるが、それでも【ファミリア】の方針や規律などの最終決定権はその主神にある。

 そして主神の神意(しんい)に眷族は従う義務がある。どんなに主神と仲良くなろうとも、反対に、どんなに主神の事を嫌ったとしても、『線引き』はしなければならない。

 

「確かにそこもある。でもそれとは別で、【ソーマ・ファミリア】とは関わらない方が良い理由があるんだ」

 

「しかし私が相談した時、エイナ嬢は許可をくれたではないか」

 

「あの時は私も【ソーマ・ファミリア】についてはあまり知識がなかったから、上辺だけの情報を見て、そのように判断してしまった。その点については私に落ち度がある」

 

 エイナは一度謝罪をすると、言葉を続けた。

 

「実は最近、【ソーマ・ファミリア】の構成員が沢山の問題行動を起こしているの。まあ、ベル君も問題行動は起こしているんだけどね」

 

 うぐっ、とベルは言葉に詰まった。ダラダラと大量の汗を顔中に流す。

 顔を青くしている問題児に「注意するように」と、ギルド職員は何度目になるか分からないが釘を刺す。

 

「『冒険者』は荒くれ者が多い。素行が良い『冒険者』は全体の一割にも満たない。多かれ少なかれ、『冒険者』は『市民』から煙たがられている。此処……北西のメインストリートは『冒険者通り』と言われているけれど、これは『冒険者』と『市民』を隔離する意味合いも兼ねているの」

 

「そうだったのか……確かに、可笑しいとは感じていたが……」

 

「それでも尚、管理機関(ギルド)には毎日のように苦情(クレーム)が来ていて、『市民』のフラストレーションは溜まる一方」

 

「……そうか、だから怪物祭(モンスターフィリア)が催されるのか」

 

「正解。管理機関(ギルド)が【ガネーシャ・ファミリア】と協力して開くこの催し物は『冒険者』ではなく『市民』に向けたもの。『市民』の溜まりに溜まったフラストレーションをここで発散させるという目的があるの」

 

 ギルド職員の説明に、ベルは「なるほど」と、相槌を打つ。しかし、彼が怪物祭(モンスターフィリア)の当日に感じた『違和感』、その全てを払拭出来た訳ではなかった。

 寧ろ、『違和感』は強くなったと言っても良いだろう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──つまるところ、ベルはこの点が気になって仕方がなかった。

『市民のフラストレーションを発散させる』という目的を達成する方法は他にもあるだろう、とベルは考える。都市の安寧を担う管理機関(ギルド)と、『都市の憲兵』たる【ガネーシャ・ファミリア】が、『モンスターの脱走』を想像しなかったのだと、ベルにはとてもではないが思えなかった。

 

(つまり、怪物祭(モンスターフィリア)にはエイナ嬢が教えてくれたものとは別の『目的』があると考えられるか……)

 

 その『目的』が何か、ベルには分からないが、留意しておいた方が良いと彼は判断した。

 

「話を戻すね。さっきも言ったように、管理機関(ギルド)には毎日沢山の苦情(クレーム)が来るの。そして最近は、とりわけ【ソーマ・ファミリア】関連のものが多いんだ」

 

 そう言って、エイナはベルに、【ソーマ・ファミリア】の構成員が起こした数々の問題行動を、具体例を挙げながら聞かせた。

 それは、言ってしまえばよくある事で、色々と彼女に迷惑を掛けているベルは、自身の事を棚に上げて【ソーマ・ファミリア】の事を悪くいう事は出来なかった。

 

「一番多いのは『魔石の換金額が少ない』っていう訴えかな」

 

「魔石の……? 私も何度かそのような光景を目撃した事はあるが……」

 

「【ソーマ・ファミリア】はとても酷いの。こちらの説明を彼等は聞かず、担当の職員に殴りかかろうとしてくる事も何度かあった」

 

「だ、だがそれは……言ってしまえば、よくある事なのではないか?」

 

 少なくとも、ベルはそのようにナァーザ・エリスイスから教わっている。ベルから見てみても、ギルド職員は慣れた様子で凄んでくる冒険者を撃退していた。

 そしてエイナは、ベルの指摘に深く頷く事で『日常茶飯事』だと認めた。

 

「よくある事だからこそ、君達冒険者に負けず劣らず、その異常──その『異常事態(イレギュラー)』に私達は敏感なの。事実、挙がってきた事例では、その職員が『死』を覚悟したという報告もある」

 

「なッ……!?」

 

 ベルは驚愕で深紅(ルベライト)の瞳を見開いた。

 もしエイナの……そのギルド職員が感じたものが本当だとしたら、それは『(すご)み』という言葉で片付けられるものでは断じてない。

 それは、『脅迫』だ。

神の恩恵(ファルナ)』を授かっている『冒険者』と違い、管理機関(ギルド)に勤めている『ギルド職員』は例外なく『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていない。これはオラリオの創設紳が、真の『中立の立場』に立てるように願ったからだ。

 つまり『ギルド職員』は、広義的な意味で分類するならば『市民』という扱いになる。もし万が一にでも刃傷事件にでもなれば、その時、管理機関(ギルド)はどのような沙汰を下すのだろうか。

 

「私も何回かその様子を見た事があるけれど、皆、何かに取り憑かれているかのようにお金に執心していた。混乱……ううん、狂乱、とでも言えば良いのかな」

 

「それはまたどうして……?」

 

「欲深い冒険者だから仕方がない……そう言われてしまえばそこまでなんだけど、私はこれを、とても慎重に取り扱わないといけないと思っている」

 

 冒険者に限らず人の欲というものは恐ろしいから、とエイナは呟くようにして言った。

 異常なまでの金銭欲──その理由をベルが考えていると、エイナは確認するように尋ねた。

 

「ベル君、君は『英雄』になりたくてこの都市にやってきた。そうだよね?」

 

 脈絡のない突然の話題転換。

 それに若干戸惑いつつも、ベルは自信を持って即答した。

 

「ああ、その通りだ。『英雄になりたい』──祖父の死後、私はこの想いでこの『英雄の都』に足を踏み入れた。そして、この迷宮都市(オラリオ)で過ごせば過ごすほど、私のこの想いは強くなっている!」

 

 その宣誓に、エイナは思わず苦笑を浮かべた。

 何度聞いたか分からないその言葉は、今尚、強い輝きを放っている。初めて会った時は『子供の夢』だとあまり本気で対応せず、寧ろ、早々に『現実』を見せるべきだと思っていたものだが、気が付けばエイナは、ベルのことを応援していた。

 そしてだからこそ、彼女は言わなければならない。

 

「『英雄』を目指している君にとって、【ソーマ・ファミリア】は『汚点』となるかもしれない。それでも、君は良いの?」

 

「……『汚点』だと?」

 

「うん、『汚点』。君がどんなに華々しい──それこそ、神々が称えるような『偉業』を成し遂げたとしても、もしそこに『汚点』があれば君への評価は下がると思う。この場合の『汚点』はつまり……柄の悪い、悪い噂があとを経たない冒険者と付き合いがあるっていう事。そうなったら、人々はどう思うかな。人の悪意は恐ろしい。そして、ヒトは『悪』にあっさりと身を委ねてしまう。彼等は──世界は、君の事を『英雄』ではないと言うかもしれない」

 

 そして、エイナは本格的に()()に掛かった。

 

「ベル君、アーデ氏は……君が雇ったサポーターは、本当に信用出来るのかな?」

 

「エイナ嬢、何を言って……?」

 

「ごめんね、ベル君。先に謝らせて欲しい。今から私、君に嫌なことを言うから。でも、それでも敢えて私は言うよ。君の担当アドバイザーとして、君の友人として言わなければならないから」

 

 エイナのその言葉に、その気迫に、何よりも、その翡翠色の瞳に。

 ベルはその覇気に戦き、顔を強張らせ、息を鋭く吸ってしまう。

 

「まず、君とサポーターの出会い。あまりにも唐突過ぎるそれは、()()()()()()()()()()()管理機関(ギルド)は女神ヘスティアの要請のもと、君、ひいては【ヘスティア・ファミリア】の情報を完全に非公開にして秘匿しているけれど、本気で調べ上げようと思えばこれもあまり意味はない。ましてや君と銀の野猿(シルバーバック)の戦いは、多くのダイダロス通りの住人が目撃している。そして迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオには腕が立つ『情報屋』が数多くいる。本腰を入れれば、君に辿り着くことは容易に出来る。そのサポーターは偶然を装って、君が新興派閥の【ヘスティア・ファミリア】所属のベル・クラネルだと確信したうえで近付いてきたんじゃないのかな」

 

「……」

 

「君はさっきこう言ったよね。『そのサポーターが悪事を働いているかもしれない』って。勿論、そうだと決め付けるのは良くないよ。もしかしたら君に迫ってきた冒険者こそ、ベル君を騙して窮地に追いやろうとしているのかもしれない」

 

「…………」

 

「あるいは、ベル君を以前襲ってきた『謎の冒険者』の仲間なのかもしれない。そのサポーターは【ファミリア】の会議があると言っていたけれど、実はそれは嘘で、ベル君が独りの状況を意図的に作ったのかもしれない。『謎の冒険者』が君を襲撃しやすいよう、君の攻略階層を教え、夜というダンジョン」

 

「………………」

 

「そのサポーターは、ベル君、何か人に言えないような後ろめたい事をやっているんじゃないのかな?」

 

「……………………」

 

「どうして君はそこまでしてその『サポーター(彼女)』に拘るの?」

 

「……………………それは」

 

「本当はベル君も気が付いているんでしょう? そのサポーターが何か重大な『隠し事』をしているかもしれないって事は。そのサポーターが君に『嘘』を吐いているっていう事は。それでも君は、そのサポーターに拘るの?」

 

 少年の心の内を見透かしているかのように、ハーフエルフの女性は揺れる深紅(ルベライト)の瞳を自身の翡翠色(エメラルド)の瞳で射抜いた。 

 そして、その質問に、その問い詰めに──ベルは。

 重く閉ざしていた口をおもむろに開け、その言葉に応えた。

 

「それでも、『僕』は──」

 



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覚悟

 

 太陽が西空に沈みつつある頃。

 下界の住人達は迫りつつある夜に備えようと動いていた。

 外で遊んでいた子供達が、働いていた労働者達が、ダンジョンに潜っていた冒険者達が、それぞれの(ホーム)に戻っていく。彼等を待っている者達は夕餉(ゆうげ)の準備を既に始めており、表通りは良い匂いで一杯だった。

 ()の女神としては、それが堪らなく嬉しい。今の季節、暖炉に火は(とも)っていないが……それでも、人々の幸福をヘスティアは感じ取る事が出来るのだ。

 家庭生活の守護神(ヘスティア)はその為なら協力を惜しまないし、自分に出来る事ならやるつもりだ。

 とはいえ、だ。

 ヘスティアは、こう思わずにはいられない。

 

(くそぅー!? どうしてボクはまだ働いているんだ!?)

 

 可笑しい、あまりにも可笑しい──ヘスティアは何度目になるか分からない疑問を胸中で叫ぶ。

 ヘスティアは文字通り身を粉にして働いていた。幼女ほどしかない小さな身体を動かし、懸命に働いていた。

 そんな彼女の勤務先は『ジャガ丸くんの屋台』であり、勤務地は北のメインストリートだ。神友(ヘファイストス)に無理を言ってこの職場を斡旋(あっせん)して貰った彼女が、この職に就いてからはや二ヶ月が経とうとしている。最初こそ『新人』という言い訳が出来たが、ついこの前独り立ちした影響で、自分で考えて動く必要が出てきた。

 彼女は神々の中でも屈指の面倒臭がり屋だ。多くの神友(ヘファイストスやミアハなど)が彼女の甘えん坊で他力本願で楽観的な性格を直そうと、天界に居た頃にあの手この手を使って試行錯誤していたが、結局、彼女の精根は矯正されなかった。

 だがそんな彼女も、万能の力である『神の力(アルカナム)』を喪って下界に降臨してからは、そんな甘い事は言えなくなってしまった。

 一日ニート生活? 

 人は決して叶わない夢を『儚い』と言っているのだと──この前眷族(ベル)に言ったら腹を抱えて爆笑された。イラついたのでツインテール・アタックをお見舞いした──ヘスティアは早々に学んだ。というか、学ばざるを得なかった。

 北のメインストリートは服飾関係でとても(にぎ)わっている。市民、冒険者を問わずしてこの表通りは人で満ち溢れており、同時に、この目抜き通りにはほぼ全ての亜人族(デミ・ヒューマン)が集まる。

 

「ヘスティアちゃん、注文が来たよ! チーズ味を三つだ!」

 

「あいあいさー! お客さんには五分掛かると言ってくれ!」

 

「それじゃあ遅すぎる! 四分で用意しな!」

 

「イエス、マム!」

 

 その疑問も、店主から矢継ぎ早に送られてくる指示によって深く考える時間はないのだが。

 夕刻のこの時間帯を逃せば、『ジャガ丸くんの屋台』を利用する客は激減する。ジャガ丸くんの需要は『美味しさ』と『安さ』にあるが、その反面、『量』はあまりないのだ。子供達のオヤツや軽食にはなるが、主菜にはなれない。精々が副食だ。つまり、一日の最後の勝負に、ヘスティア達は臨んでいるのだ。

 ヘスティア含めた全従業員がそれは分かっている。故に声が嗄れるまで、否、声帯を潰すその一歩手前まで、従業員は声を絞り出し、客引きをしているのだ。

 

(本来ならボクのシフトは二時間前で終わっているのに……。うぅ……早くお家に帰りたいよう……)

 

 弱い自分が、そう、嘆く。

 しかし、今の店の状況で上がるのは気が引けた。ここで「すんませーん、ジブン、帰って良いっすかー?」などと言おうものなら、確実に恨みを買うだろう。それを避けたいヘスティアは、ただ無心で業務に徹することにした。

 

「追加注文だ! サラダ味を頼むよ!」

 

「時間は!?」

 

「さっきのチーズ味と同時だ!」

 

「そんな……無理です! 店長、これ以上はとても手が回りませんッ!?」

 

 今日入ったばかりの新人が、そう、悲鳴を上げた。おお……! と、ヘスティア含めて他の従業員は思う。新人だというのに何ていう勇気の持ち主だという感嘆からだった。

 彼が言ったのは事実であった。

 今の人員と設備では絶対に間に合わない。客を待たせて謝罪する未来が、ヘスティアにはありありと浮かぶ。

「せめてあと二分遅らせて欲しい!」と、あろうことかその新人は叫んだ。

 そしてその叫びに、この屋台の店主──おばちゃんは怒鳴(どな)り返す。

 

「手が回らない!? なら、手を増やしなァ!」

 

 ひぃっ!? と、哀れな青年は先程とは別の意味合いの悲鳴を出した。

 この光景を何度見たことか……と、ヘスティアはじゃが芋を揚げながら思った。これは何も珍しい事ではなかった。新人が受ける『洗礼』だと言えよう。無論、ヘスティアだって受けた。あの時は自分が女神である事を一時忘れ、恐怖で涙目になったものだ。

 

(普段は優しくて良い人なんだけどナァー)

 

 今の店主は、どこぞの酒場のドワーフの女主人だ。

 いつもは従業員の事を大切に扱い、暴言や暴力は決して振るわない素敵な女性なのだが……月末は人が変わったように豹変(ひょうへん)すると、先輩に教えて貰った。

 というのも、月末はその月の売上を上層部に報告しなければならないのだ。ヘスティアには分からないが、この世界で生き残っていくのは生半可な道ではないらしい。事実、先月は一つの屋台が客が来なさ過ぎて潰れたという。ああ、ここは下手したらダンジョンよりも危険地帯なのかもしれないと、その話を聞いた時は思ったものだ。

 とはいえ、ヘスティアが勤めているこの屋台は安泰だ。迷宮都市(オラリオ)に八本通っているメインストリートという立地、さらには幼い女神(ヘスティア)が勤めている事もあり売上はいつも黒字だ。

 しかしそれでも尚、おばちゃんは少しでも売上を上げようと必死なようだった。特に最近は、とある男神(おがみ)が勤めている別店舗が女性の間で人気という情報が流れてきたこともあって、神経をとがらせている。

 ヘスティアはその男神に心当たりが物凄くあったが、誰にもこの事を打ち明けていない。もしこの事を知られれば面倒事に巻き込まれるのは目に見えているし、その男神は神友なので頑張って欲しいと思うのだ。

 

「あと少ししたら【神月祭】が行われるんだ! その時は今の三倍は忙しくなるんだよ! 覚悟を決めな!」

 

 うへえ、とヘスティアは思った。

 その【神月祭】とやらが何か彼女は知らないが、怪物祭(モンスターフィリア)といい、この都市は祭事(さいじ)をやりすぎじゃないだろうか。

 取り敢えずその日は指定休……それが出来なければ有給休暇を取ろう──と、彼女が決心していると、

 

「くそっ、分かりました! やってやりますよ! 俺の本気を今、ここで出します!」

 

 新人が、()えた。

 本気っていったい何だよとか、本気出せるだけの余力があるのなら早く出して欲しかったとかヘスティアや他の従業員達が揃って思う中、唯一、おばちゃんだけは笑っていた。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 雄叫びが轟く。

 そして新人は、目にもとまらぬ速度で手を動かし従業員の間を縫って動き始めた。その動きは常人では決して到達出来ないものであり、超越存在(デウスデア)たるヘスティアはいち早くその絡繰(からく)りに気付く。

 

「君、冒険者だったのか!?」

 

 それは『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていなければ出来ない動きだった。

 驚愕するヘスティアを見て、その新人は、にやり、と獰猛に笑う。それから彼は自分に出来る事を光の速度でやっていった。

 残像すら見えそうな速度で動き続ける新人に従業員達が呆気にとられ、目を丸くし、作業の手を止める中。

 何がなんだか分からなかったが、ヘスティアは気付けば叫んでいた。

 

「みんなー! このビッグウェーブに乗るしかないぜぇ──ッ!」

 

 

 

 

§

 

 

 

 帰路についたのは日がすっかりと沈み、とうの昔に月が浮かんでいる頃だった。

 結論を言えば、あの後、店は滞りなく回った。それも全て、あの新人のおかげである。なんと末恐ろしいことに、彼はたった一日で殆どの業務を修得したのだ。あと教育するのは細かい所だけで、店主は満面の笑みで独り立ちを許可した。

 自分はその何倍も時間が掛かったんだけどなぁ、とヘスティアは思ったが、自虐はしても嫉妬する事はなかった。寧ろ、すげぇー、という思いで一杯であり、ただただ感心した。自分が素早く動く事は未来永劫出来ないと彼女は自覚しているし、他者と比べても良いことは何もないと分かっていたからだった。

 

(でもあの子……どこの派閥に属しているのかな?)

 

 気になったヘスティアが尋ねても、その新人は曖昧に答えるだけで答えをはぐらかした。まあ、何処に所属していようともヘスティアには直接的には関係ない為、本気で調べようとは思わない。

 

「ベル君、もう帰ってきているかなあ?」

 

 テクテクと歩きながら、自身の唯一の眷族を想う。

 順調過ぎるほどに到達階層及び攻略階層を増やしていっている少年は最近、本拠(ホーム)に帰ってくる時間が遅くなっていた。ダンジョン探索を進めるという事は、その分、より下の階層に潜ることを意味しており、当然ながら往復時間も増えるのだ。さらについ先日からはサポーターを雇い始めているので、深夜の時間帯に帰ってくる事も珍しくなかった。

 今後、【ファミリア】の『遠征』で日帰りが出来なくなり地上に帰還するのは数週間後、という事もあるだろう。

 勿論、ヘスティアはそれが嬉しい。自身の眷族()の成長を喜ばない主神(おや)が居るならヘスティアは見てみたいくらいだ。

 しかし同時に、寂しさも感じてしまう。眷族(こども)の無事を願って本拠(ホーム)に独りで待つのは、寂しがりやなヘスティアにはとても堪えるものになりそうだった。

 

「はぁ……ベル君と夕餉を共に出来るのも、今のうちだけかもしれないなあ……」

 

 いくつもの間道を通りながら、ヘスティアは溜息と共にそう呟いた。

 やがて程なくして、(さび)れた廃教会が姿を現す。此処に人が住んでいるとは……ましてや【ファミリア】の本拠(ホーム)だとは誰も思わないだろう。

 

「最近は地震も多いからなあ……早く建て替えたいぜ……」

 

 管理機関(ギルド)から賠償金で貰ったので、建て替えるだけのヴァリス金貨自体はあるのだが……このお金は緊急事態に使うと眷族と相談して決めてある。【ファミリア】運営の最終決定権は主神であるヘスティアにあるが、彼女は、出来るならそのような事はしたくないと考えていた。

 あまりにも地震が続くようならまたその時に相談しよう、と忘れないように頭のメモに書き込みつつ、彼女はキョロキョロと辺りを見渡した。尾行されていないか確認すると──全知零能(ぜんちれいのう)である彼女が行っても効果はあまり期待出来ない事は承知の上で──、彼女は地下に続く階段に足を向けた。

 ガチャ、と鍵を開け、

 

「うおっ!?」

 

 と、驚愕の声を上げた。

 暗闇に満ちていると思っていた本拠(ホーム)が魔石灯の明るい光で満たされていたからだ。

 眩い光に思わず手を翳し、目が慣れるまで待つ。まさか敵襲かとヘスティアは身構えた。

 しかし、彼女のそれは杞憂(きゆう)で済む事となった。

 

「お帰り、ヘスティア!」

 

 そう言って彼女を笑顔で出迎えたのは、他ならない、彼女の唯一の眷族であるベルだった。

 少年の姿を認めたヘスティアは一日の疲れが何処かに弾け飛ぶのを感じた。その代わりにやって来たのはあたたかい気持ちだった。

 どうしてベルがこんなにも早い時間に? という疑問を忘れ、彼女は、にぱあっ、と笑顔を浮かべた。「ベルくぅーん!」とそのまま彼の腰に抱き着く。

 

「ただいまベル君!」

 

「ああ、お帰りヘスティア。シフト表を見る限りでは随分と遅くなったようだが……大丈夫か?」

 

「大丈夫、大丈夫さ!」

 

 この通り元気さ! と、ヘスティアは自身の豊満な胸を叩く。

 ベルはその元気振りに苦笑すると、ヘスティアを優しく離して彼女の手を握り、そのまま、玄関から居間に連れて行く。

 台所からは良い匂いと共に鍋から白い湯気が立ち昇っていた。俎板(まないた)の上には包丁と切りかけの野菜が置いてあり、きっと、夕食を作っていたのだろう。

 

「晩御飯の準備は私がしておくから、ヘスティアは先に湯浴みして汗を流すと良い。風呂はもう沸かしてあるから」

 

「それは本当かい!? なら、遠慮なくお先に失礼するよ!」

 

 眷族に雑事をさせてしまうことに心の中で詫びつつも、ヘスティアは厚意に甘える事にした。既に用意されていた寝間着とバスタオルを抱え、脱衣所に入る。

 髪を()んでいるリボンを外し、小さな箱の中に大事に仕舞う。これは眷族が初めて贈ってくれた宝物だから、無くすようなことがあってはならない。

 次に、純白のドレス染みた私服や下着類を脱ぎ、洗濯機の中に放り込む。文明の利器であるこの魔石製品のおかげで、主婦は寒い季節、手が(かじか)むことが激減したという。

 浴室に通じる扉を開けると、凄まじい熱気がヘスティアの身体を襲い、視界が湯気で覆われた。

 曇っている窓硝子(まどガラス)を手で拭くと、それは女神の裸体を映した。光沢のある漆黒の髪は際限のない光を放ち、整った顔は見る者全てを惹きつけ、美しい(あお)色の瞳はどんな宝石よりも輝いている。未成熟の幼い身体に反する双丘、その谷間は部屋の暑さに応じてやや桃色に染まっている。すらりと伸びた肢体(したい)はどんな芸術品にだって再現出来ないだろう。

 

(扉の向こうには男子(おのこ)が居るというこの状況……貞潔の女神(アルテミス)が聞いたらカンカンに怒りそうだなあ……)

 

 皮膚を傷つけないよう細心の注意を払いながら石鹸(せっけん)で身体を擦っていると、ふと、『大の恋愛アンチ』の神友をヘスティアは思い出した。

『彼女』は元気に過ごしているだろうか……最後に会ったのは、もう、数十年も前の事か。天界にあるヘスティアの神殿に『彼女』はよく来てくれた。今思えば、随分と心配を掛けたものだ。同じ処女神、という事もあるだろうが……『彼女』は自身の仕事の合間を縫っては遊びに来てくれた。一緒に本を読んだこともあれば、『彼女』が狩りをしている所を近くで見させて貰った事もあったか。

 迷宮都市(オラリオ)に【ファミリア】の籍があるのは既に確認済みで、会いたいとも思うのだが、未だに再会出来ていないのが実情だ。というのも、『彼女』の【ファミリア】は本籍を都市に置きながら、例外的に、都市外での活動が許されているようで、現在、【ファミリア】の本拠(ホーム)には誰も居ないらしい。何でも、過去の『偉業』──『暗黒期』での活躍と実績が創設紳の許しを得るのに繋がったのだとか。

 創設紳とはヘスティアも面識がある。それこそ最後に会ったのは千年も前のことだが、『彼』は『彼女』と同等、否、それ以上に厳格で真面目だ。その『彼』が特例で許可を出したのだというのだから、我が神友ながら、いったいどれだけの事をやらかしたのか……。

 

「早く会いたいな──いや待てよ。あの子はベル君と気が合うかな……?」

 

『彼女』は三大処女神の一柱だ。いやまあ、斯く言う自分(ヘスティア)もその一柱なのだが……『彼女』は処女神である事を誇りに思っている。

 女子(おなご)が大好きだと公言している眷族(ベル)とは馬が合わない可能性が高い。いや最悪の場合、眷族が粗相をしてしまい、怒り狂った『彼女』によって矢で射抜かれるかも……。

 この前は半ば冗談交じりでベルに警告していたが、これは念の為、彼等を引き合わせるのは時期(じき)を見てからにしよう。

 そんな決意をしつつ、ヘスティアは身体についている石鹸の泡を汚れと共にシャワーで洗い流した。

 そして、

 

「ふぅ~~~~……」

 

 湯船に浸かる。湯温はヘスティアに合わせてあるのか最適で、気持ち良い。

 思わず感嘆の溜息を吐いてしまうのは仕方がない事だと自己弁護する。身体を伸ばし、しっかりと肩まで浸かる。

 使いすぎると魔石の交換が早くなってしまう為に、浴槽いっぱいにお湯が入っている訳でも、充分な広さがある訳でもないが、ヘスティアはこれで満足している。神塔(バベル)にある神聖浴場に興味がない訳ではないが……あそこは女神達で姦しいし、噂で聞くところによると、昔の話だが、とある男神によって覗き見されたこともあるらしい。何よりも神聖浴場を使う為には高い使用料を払う必要があり、常に火の車である【ファミリア】の事を思えばとてもではないが行けない。

 

「いやあ……それにしてもウチのベル君は優秀だぜぃー……」

 

 それは最近、ヘスティアが常々思っている事だった。

 普段の()()からはあまりそう思われないが、一緒に住んでいる彼女はベル・クラネルの優秀さをひしひしと感じていた。

 一般的な料理なら出来るし、家事も問題なく出来る。流石に神々が扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】は修得出来なかったようだが、幼少期、様々な種族の英雄譚が読みたいと育ての親に強請った影響で大半の亜人族(デミ・ヒューマン)の言語の読み書きも出来る。ヘスティアが疲れていたら必ず声を掛けてくれて相談に乗ってくれるし、優しいし、何より、一緒にいて楽しい。

 主神の贔屓目から見ても、眷族(ベル)は非常に優秀だ。

 

(これでもう少しマトモで変態じゃなかったら女子(おなご)からモテているだろうに……)

 

 それこそ、彼が時折口にしている『ハーレム』も夢ではないだろう。まあ、処女神(じぶん)の眷族である以上、その夢は絶対に叶えさせないつもりだが。

 

「もっと可愛げがあればなぁ……」

 

 もしそうだったら、ヘスティアはあっさりとハートを射抜かれていたかもしれない。「この出会いは運命だァー!」と、街中で叫び出しそうだ。

 しかし、そんな世界線を想像する事が彼女には出来なかった。仮にも処女神である自分が自身の眷族にゾッコンになる姿は見るに堪えないし、他の処女神から怒られそうだ。

 それにベルに対して失礼だろう。

 自身を(いまし)めたヘスティアはこれ以上はのぼせると考え、浴槽から出ることにした。最後に上がり湯をズバーン、と、いつもよりも思い切り掛け、脱衣所に出る。バスタオルで全身の水気を拭い取り、フェイスタオルで髪を拭く。長い髪をたった一枚で完全に乾かすことは困難で、彼女はもう一枚使用した。タオルで髪を()き、普段着に酷似している純白の寝間着を着る。

 居間に出たヘスティアは、まず、テーブルの上に料理が並べられているのを確認した。どれも美味しそうで、彼女のお腹が、くぅ、と鳴る。

 へへへへっ、と涎を垂らしながら、ヘスティアはソファーの上で横になり仰向けで本を読んでいるベルに声を掛けた。

 

「ベルくーん、上がったよ! 君も入りなよ!」

 

「……」

 

「……? おーい、ベル君?」

 

 ヘスティアの呼び掛けに、ベルは反応しなかった。

 余程読書に集中しているのだろうか。同じ趣味を持つヘスティアとしては、対応に困る事となった。強引にでも本を奪い取る事は出来ればしたくない。

 しかし、そうもいってられない。風呂を無意味に沸かし続けるほどの余裕が【ヘスティア・ファミリア】にはないし、何よりも、出来上がっている料理が冷めてしまう。

 どうしたものかと腕を組んで悩んでいると……彼女はふと違和感を抱いた。

 数分が経つというのに、一向に、本の(ページ)が捲られないのだ。何回も読み返したくなる程の場面だとしても、可笑しい。

 数秒の逡巡の後、

 

(えぇい、(まま)よ! とうっ!)

 

 覚悟を決め、ヘスティアはベルの腹の上にダイビングした! 

 

「ぐへぇっ!?」

 

 意識外からの突然の衝撃に、ベルが本を床に落として悲鳴を上げる。

 ベルは痛みで悶え苦しみ、ソファーの上で溺れるようにして両手両足をジタバタと動かす。そして、ヘスティアごと床に落ちた。

 

「へ、ヘスティア……? 急にいったいどうした?」

 

 腹を撫でつつ、ベルがヘスティアに尋ねる。

 ヘスティアは情けなく「ごめんよぅ」と謝りながら理由を話した。

 

「……ベル君の様子が変だったからさ、心配になって」

 

 ヘスティアがそう言うと、ベルはぱちくりと瞬きした。

 

「様子が変だった? 私がか?」

 

「うん、変だったよ。ボクが何度話し掛けても石像のように反応なかったし」

 

「そうか……」

 

 そう呟くと、彼は謝罪の言葉を口にする。

 

「すまないヘスティア。少し考え事をしていた」

 

 考え事? ヘスティアは疑問を抱きつつも、

 

「そうだったのか……。ごめんよ、ベル君。もう少し待つべきだったね」

 

「いや、寧ろ助かる。きっと堂々巡りしていただろう」

 

 ベルはそう言うと、「よっこらしょ」とヘスティアごと身体を起こした。

 

「私も湯浴みをしてこよう。夕餉は見ての通り準備してあるから、先に食べていて構わない」

 

「いや、待つさ。ボクは独りではなく君と一緒に食べたい」

 

「ははっ、そうか。ならすぐに上がるようにするとしよう!」

 

 そう言いながらベルは入浴の準備を始める。必要物品を持って脱衣所に歩みを進める途中で、彼は思い出したように「あっ、そうだ!」と突然叫んだ。

 いったい何事かと驚くヘスティアを他所に、ベルはダンジョン探索時に携行しているボディバッグを漁る。そして彼は一枚の白い封書を取り出し、それをヘスティアに手渡した。

 

「これは何だい?」

 

「今日、エイナ嬢から渡された。『特例措置』について書かれている重要書類だと説明を受けた」

 

「……なるほどね。分かった、君がお風呂に入っている間に読んでおこう」

 

「頼む」

 

 ベルはそう言って、今度こそ脱衣所に姿を消した。

 ヘスティアは笑顔で見送ってから、封書を裏返す。そこには管理機関の捺印(なついん)と、ギルド長ロイマン・マルディールの署名(サイン)がされていた。

 中に入っているだろう羊皮紙を傷つけないよう細心の注意を払いつつ、彼女は(はさみ)で封書の上側を切る。そして綺麗に折りたたまれている羊皮紙を取り出すと、書かれている内容に目を通した。

 ──羊皮紙には以下の事が掛かれていた。

 一つ目は、『特例措置』の執行日。これは一週間後に行われるようで、月末の月末だ。同時にこの日は、管理機関(ギルド)への納税の期日でもある。『特例措置』の『条件』の中には、『【ファミリア】の等級(ランク)よりも多い額の税金を納める』事も含まれている為、この日に税を納めろという指示だろう。

 二つ目は、この執行日に行われる内容が書かれていた。上記の『納税』以外にも、もう一つ、『冒険者ベル・クラネルの【ステイタス】報告義務』が【ヘスティア・ファミリア】には課せられている。この【ステイタス】の範囲は『スキル』や『魔法』は含まず『基本アビリティ』──『(ちから)』『耐久(たいきゅう)』『器用(きよう)』『敏捷(びんしょう)』『魔力(まりょく)』といった【ステイタス】の基礎的な部分──だ。

 その他注意事項など、全てを読み終えたヘスティアは思わず、

 

「はあ……──」

 

 と、悩まし気な声を出してしまう。

 遂にこの日が来たか、という心境だった。

 

「あー、どうしようかなぁ……。流石にこれは誤魔化せないしなぁ……」

 

 ヘスティアはブツブツと呟きながら、ファイルから、最新のベル・クラネルの【ステイタス】が書き込まれている羊皮紙を取り出した。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:A882

 耐久:C678

 器用:A806

 敏捷:S939

 魔力:F300

 

 

 

 

§

 

 

 

「これを見せたら、どうなる事やら……」

 

 考えるだけでも恐ろしい、とヘスティアは身震いした。

 羊皮紙に書かれている内容全てが『バグ』を疑うレベルで可笑しかった。もし他の神が()()を見たら、一瞬、自分の目が節穴なのではないかと疑うだろう。そして次の瞬間には引き()った表情を浮かべるだろう。

 ヘスティアが『神の恩恵(ファルナ)』をベルに授けてから、まだ二月(ふたつき)も経っていない。それなのにも関わらず、ベルは有り得ない数値を叩き出している。

 

(これもレア・スキル【英雄回帰(アルゴノゥト)】に()るものか……?)

 

 ベル・クラネルが発現させたスキル──【英雄回帰(アルゴノゥト)】。このスキルが発現してから、少年の爆発的な成長、否、昇華は始まった。

 

(とはいえ、このスキルだけとは思えない。そしてボクには心当たりがある。まず間違いなく、ベル君を襲った『謎の冒険者』が原因だ)

 

 それだけ、『謎の冒険者』に襲われてからの上昇率とそれ以前の上昇率は違う。

 忌々しい事この上ないが、皮肉な事にも、『謎の冒険者』との交戦がベルの『英雄』になりたいという想い(いし)の丈をより一層強くしたのだろう。

 

「数値だけなら、『昇格(ランクアップ)』が可能なんだよなぁ……」

 

 ベルにはまだ告げていないが、数値だけを考えるなら『昇格(ランクアップ)』は充分に可能だ。

 しかし、ベルはまだ『昇格(ランクアップ)』を遂げていない。いや、ヘスティアが意図してさせていないのだ。

 その理由は主に二つ。

 一つ目は、ヘスティアがまだ、『昇格(ランクアップ)』の時期ではないと判断しているからだ。

昇格(ランクアップ)』を果たす時、それまであった【ステイタス】は最低評価の【I】になる。しかしながらそれは見かけ上の話であり、その前までの数値は、言わば潜在値として『貯金』される。

 例えば同じLv.2の全く同じ【ステイタス】同士の冒険者が戦った場合、その『貯金』の有無によって勝敗が決することは珍しい話ではない。ヘスティアから見れば、『力』『器用』『敏捷』の評価項目は大変素晴らしく申し分ないが、反対に『耐久』は全然駄目だ。一撃被弾してノックアウトではこれから先のダンジョン探索でベルは確実に死に至る。主神としては最低でも評価【B】、出来れば評価【A】になって欲しい。『魔力』も同様で、彼の特異性を考えて精神疲弊(マインドダウン)が起こらない評価にまでして欲しいと思っている。

 二つ目は、というかこれが最大の理由だが、数値は足りていても別の理由で『昇格』出来ないのだ。より具体的には、上位の【経験値(エクセリア)】が足りない。

 そしてヘスティアには、これが腑に落ちないでいた。

 

銀の野猿(シルバーバック)に『謎の冒険者』との死闘。この二つとも、ベル君にとっては格上だ。銀の野猿(シルバーバック)には勝利をしている。『謎の冒険者』には惨敗してしまったけれど、【経験値(エクセリア)】の質としては今の彼にとっては最高だ。それは【英雄回帰(アルゴノゥト)】の効果上昇からも間違いない」

 

 しかしそれでも尚、上位の【経験値(エクセリア)】が何故か足りないのだ。

 

「どうしてだ……? 普通なら間違いなく『偉業』に数えられる筈だ。それなのにどうして『昇格(ランクアップ)』が出来ない?」

 

 何か根本的な原因があるのは間違いない。しかしヘスティアはいくら考えてもそれが何か分からなかった。

 結局、ヘスティアは考えるのをやめた。どんなに誤魔化そうとしたってバレるものはバレる。ましてや『特例措置』は彼女自身が管理機関(ギルド)に要求したのだ。女神として契約を反故にする事は決して赦されない。

 羊皮紙を白い封書の中に仕舞ったところで、ベルが脱衣所から出た。フェイスタオルを首に掛け「上がったぞ」とヘスティアに報告する。

 それから二人はテーブルを挟む形で椅子に腰掛けると、合掌した。

 

「「いただきます」」

 

 挨拶をして、ヘスティアとベルは夕食を取った。

 ベルが作った料理は美味であり、ヘスティアは瞬く間に自分の分を食べてしまう。しかしベルの食の進み具合はとても遅かった。

 普段はこの時間、和気藹々とした空気が食卓に流れるものだが、今日はそれがない。その理由は明らかで、ベルが黙々と食べているからだ。

 ヘスティアが声を掛ければすぐに笑みを浮かべて反応するが、それもすぐになくなり、()()()()()表情に戻る。

 

「……」

 

 ヘスティアが食べ終わってから数分後になってようやく、ベルはようやく料理を食べた。

 

「ご馳走様。ヘスティア、皿洗いは私がするからゆっくりして──」

 

「座るんだ、ベル君」

 

 椅子から立ち上がろうとするベルを、ヘスティアは留めた。

 ぱちくりと瞬きする彼に、女神は蒼の瞳を向ける。

 そして彼女は「はあ」と溜息を吐くと、

 

「君、何か悩みがあるね?」

 

 と、そう言った。

 ベルは一瞬だけ深紅(ルベライト)の瞳を大きくすると、視線を逸らし、ヘスティアの顔を見ようとしなかった。

 だがヘスティアはそれを許さない。女神の問いに答えない不届き者を罰する為、彼女は椅子からぴょん、と降り立つと少年の前に回り込み逃げ道を潰す。

 

「あー、ヘスティア? 距離が近いような気がするのだが?」

 

「おいおいベル君、これがいつものボク達の距離だろう? 今更何を言うんだい?」

 

 大量の冷や汗を額から頬に流すベルに、ヘスティアはさらにズズいっと、追い打ちとばかりに顔を近付けた。

 

(やっぱりそうだ……)

 

 至近距離で少年の深紅(ルベライト)の瞳を見詰め、ヘスティアは確信した。

 ぐわあっ、とベルに襲い掛かる。

 

「さあ、吐くんだベル君! 吐かないとボクの最終奥義、ツインテール・ビッグバンアタックスラッシュを喰らわせるぞ!」

 

「そ、そんな奥義があっただなんて初めて聞いたぞ……」

 

「フフン、当然さ! たった今適当に思いついたばかりだからネ!」

 

 ヘスティアはそう言いながら、親指を立ててドヤ顔を浮かべた。

 それを見たベルは脱力し──薄く笑った。それから彼は深く息を吐き「参ったなあ」と言った。

 

「貴女には敵わない。『彼女』もそうだったが……貴女達はいとも簡単に私の心中を察し、そして当ててくれる」

 

「おいおいおい、そんなの当り前じゃないか。ボク達は家族(ファミリア)で、そしてボクは君の母親(おや)だぜ?」

 

「ははっ、ははははははははっ! そうだったな!」

 

 盲点だったというように、暫くの間、ベルは声を立てて笑った。

 それから数分後、ベルは真剣な表情を浮かべるとヘスティアに言った。

 

「ヘスティア、話がある。聞いてくれるか?」

 

「ああ、聞かせてくれ」

 

「実は今朝──」

 

 ヘスティアはベルの話に耳を傾けた。

 今朝、以前に会った冒険者に声を掛けられた事。契約しているサポーターが実は身分を偽った『賊』であり、少年は騙されている事。サポーターと合流したら【ファミリア】の運営方針が変わった事を理由に、契約解除を迫られた事。その後担当アドバイザーに相談に行ったところ、早急に【ソーマ・ファミリア】と縁を切るように言われた事。

 それらの事柄をヘスティアは時折相槌を打ちながら、傾聴に徹する。

 

「なるほど。話はよく分かったよ」

 

 話を聞き終えたヘスティアはそう言うと、それまで伏せていた蒼の瞳をおもむろに開けた。

 

「アドバイザー君が言った、【ソーマ・ファミリア】の問題行動についてはボクにも一つ心当たりがある。派閥の団員が換金額が少ないとギルド職員に詰め寄っている所を、この前目撃したんだ。そして率直な感想を述べるならば、その時の彼等は、『正気』だとはとても思えなかった」

 

「……『正気』ではない、か。エイナ嬢もそのように言っていたな」

 

「うん、そうだ。彼等は換金額が少ない事に憤りを覚え、そして抗議をしていた。それは単なる『金銭欲』なのか……それとも別の何かへの『執着心』から来るものなのか──そこまでは分からないけれど、()()()()()()()()()()()()。これが個人ならまだ良い。でも話を聞く限りだと【ソーマ・ファミリア】の殆どの構成員がそれに魅入られている」

 

「まるで美の神の『魅了』のように……」と、ヘスティアは言うと、言葉を続けた。

 

「それに派閥の内情も、どうにも()()()()。大手派閥とも張り合える団員数……彼等は本当に主神(ソーマ)に忠義を誓っているのか?」

 

「私もそこは気になっていた。ギルド職員(エイナ嬢)団員(リリ)曰く、男神ソーマは【ファミリア】運営にあまり積極的ではないようだ。なのにも関わらず眷族の数は多い。もしかしたら彼等の『執着』がここに関係しているかもしれないな……」

 

 ヘスティアはベルの深紅(ルベライト)の瞳を真っすぐと見詰めながら、言った。

 

「べル君、ボク達が考えている以上に【ソーマ・ファミリア】の闇は深そうだ。アーデ君とこれからもダンジョン探索をしたいと言うのなら、避けては通れない道だ」

 

 女神はさらに続ける。

 

「下手したら【ソーマ・ファミリア】との抗争に発展するかもしれない。そうでなくとも、今以上に【ヘスティア・ファミリア】は複雑な立ち位置に置かれるだろう。そのサポーターが何か後ろめたい事をしてるのはほぼ確定で、ボク達にメリットは何もない。何よりも、彼女自身が君との縁を切ろうとしている。助けが必要なら、彼女はそんな事を言わないだろう」

 

 女神はさらに問い詰める。

 

「それでも君は、彼女との縁を大事にするのかい? アドバイザー君にも言われたんだろう? もし君が『英雄』になった時、彼女の存在が『汚点』になるかもしれないと。それが分かっていながら君は、自ら愚行を犯すのかい?」

 

 少年はその問い掛けに答えた。

 

 

 

「それでも──それでも『僕』は、あの子を笑顔にしたい」

 

 

 

 ベルはヘスティアの蒼の瞳を真っすぐと見詰めながら、言った。

 

「あの子は……リリはずっと笑っているんだ。誰もが好むような笑みを浮かべて、いつもニコニコと笑っているんだ。でもそれは打算的なもので、本心から来るものじゃない。そしてあの子は、自己評価が途轍もなく低い。自分には何も出来ないのだと、価値が無いのだと思い込み、自虐的な笑みを浮かべている。『僕』達が晴れ渡るような青空の下で日々を過ごす中、あの子は灰色の空の下で『僕』達を遠くから嘲笑い──寂しそうに見ているんだ」

 

「だから、助けるのかい? 助けを求めているのかも定かではない少女(あの子)を? もし君が助けても、あの子が感謝するとは限らないよ?」

 

「別にそれでも良い。『僕』を恨んでくれても構わない。いつかあの子が心から笑い、この世界の美しさに気付いてくれたら、それで」

 

 そのベルの言葉を聞いた、ヘスティアは、

 

「『お節介』……いいや、違うな。君のそれは酷く独善的な『エゴ』だよ」

 

 と、呆れたように指摘する。

 ベルはその批判に、にやり、と笑みをもって応えた。それから彼は真剣な表情で宣誓する。

 

「ああ、これは『僕』の『エゴ』だ」

 

「……開き直っている自覚はあるかい?」

 

「勿論、あるさ。それが『エゴ』だろうと、『偽善』だろうと構わない。『僕』が笑われるのは良い。馬鹿にされるのも、後ろ指を刺されるのもいい。理解される事など最初から求めていないのだから」

 

「……ベル君、きみは」

 

「そして、『僕』にはそれに向き合う覚悟がある」

 

 ヘスティアは「ハア」と深々と溜息を吐いた。

 

(何だ、『答え』は既に出していたんじゃないか。いや、『答え』は元から出していたのだろう)

 

 それこそ、少年が初めて少女に会った時に。

 悩んでいたのは恐らく、自分(ファミリア)への迷惑だ。担当アドバイザーからの忠告が、何よりも、少年の優しさが、一歩踏み出すのを躊躇わせていた。

 ならば、【ファミリア】の主神として、彼の母親(おや)として、やるべき事は決まっている。

 

「『覚悟』という言葉を(ボク)を前にして使ったんだ。撤回する事は今更出来ないよ。それは分かっているね?」

 

「無論だ。言葉は、人と人とが結ぶ尊きもので──覚悟とは、その者の強い意志を表しているのだから。『僕』に二言はない。彼女が本当に『悪事』を働いているというのなら、仲間の『僕』が責任を取る」

 

 少年の深紅(ルベライト)の瞳に揺らぎは見られなかった。寧ろ、彼が言葉を放つ度、その輝きは強くなり、眩い光を放つ。

 そして、炉の女神(ヘスティア)は静かに言った。

 

「それなら、ボクに見せてくれよベル君。君が紡ぐ、新たな物語をさ」

 



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『英雄候補』による考察

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ最北部、北のメインストリートから一つ外れた街路の脇に、その建物は建っていた。

 狭い敷地面積に無理やり築かれたような(やかた)は、仰ぎ見た者の首が痛くなる程の高さを誇っていた。高層の塔が槍衾(やりぶすま)のように幾つも重なり、お互いを補完し合っている。各塔の屋根が剣山のように突出し、見る者を威圧させる。巨塔(バベル)の次に高い建築物だと説明されても納得出来るだろう。

 一言で言うならば、『長邸』。

 それが、【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)──『黄昏(たそがれ)(やかた)』であった。

 そして、その大食堂。主神であるロキの方針によって個人の時間差こそ認められているものの、眷族は基本的にこの場所で食事を取る事となっている。食事を共にする事で交友を深め、家族(ファミリア)の絆を深めるという考えからだった。

 五十人以上の眷族と、その主神が夕食を食べ始めていた。

 

「ねぇー、なんか最近、アイズに元気なくなーい?」

 

 賑やかな話し声が絶えない大食堂に、殊更明るい少女の声が響いた。

 声主は、褐色肌が特徴的な少女であった。初見ではヒューマンだと思われがちだが、彼女はアマゾネスという亜人族(デミ・ヒューマン)の一人である。

 明るく(ほが)らかに笑いながら、その少女──ティオナ・ヒリュテは、そう、話題を振った。

 

「そうね、確かに……。アイズ、どうしたの? ついこの前、私達に先駆けして『昇格(ランクアップ)』したとは思えない顔よ?」

 

 ティオナの話題に真っ先に反応したのは、彼女と瓜二つに似ている少女であった。

 

「あっ、ティオネもそう思う?」

 

 ええ、とティオネと呼ばれた少女は肯定の頷きを返す。

 ティオネ・ヒリュテ。彼女はティオナの親族であり、実の双子の姉であった。

 

「わ、私もそう思いますっ! アイズさん、元気がないというか……いつも以上に、何を考えているか分からないというかっ!」

 

 ティオネに賛同の意を示したのは、長い山吹色の髪が特徴的なエルフの少女──レフィーヤ・ウィリディスであった。

 彼女は、コクコク、と小さな首を縦に振りながら、周りの反応を窺う。

 

「あァ? そうかァ?」

 

 対して、疑問の声を上げたのは頬に刺青(いれずみ)を入れた狼人(ウェアウルフ)の青年──ベート・ローガであった。

 これに答えたのは、ティオナだった。彼女はフッと、小馬鹿にしたように笑ってから。

 

「ベートみたいな無神経男には、女の子の繊細な気持ちは分かんないよーだ!」

 

「何だと手前(テメェ)!?」

 

「わー! ベートが怒ったー! そんなんじゃまた、リヴェリアから拳骨を貰うよー!?」

 

「うるせぇ!? だいたい、手前(テメェ)のような()()()()()()に『女の子の繊細な気持ち』だなんて誰も言われたくねぇよ!」

 

 そう言いながら、ベートはティオナの胸を指さす。

 そこには平らな胸があった。そう、それはまな板だった。

 

「な、何だとぅ!? ティオネー、ベートが言っちゃいけない事を言ったぁー!」

 

 ワーワーギャーギャー、と、アマゾネスの少女と狼人(ウェアウルフ)の青年が喧しくも騒ぎ立てる。

 それは食事には相応しくない光景であったが、誰も取り合う事はしなかった。我関せずとばかりに沈黙を貫き、自分が食べたい料理を口に運ぶ事に専念する。中にはどちらが勝つのか内密に賭け事をする者も居た。

 至る所で話し声、笑い声が引き起こされる。これが、世間が畏怖している都市最大派閥の実態であった。

 数十分後、大食堂はようやく静けさを取り戻しつつあった。大半の団員が席を立ち食堂をあとにしてそれぞれの時間を過ごそうと行動に移る中、【ロキ・ファミリア】の幹部陣を筆頭に、何人かの団員は残っていた。

 

「それで? アイズは結局、何を考え込んでいるの?」

 

 ティオネがそう言いながら、未だ開口していない一人の少女に話し掛ける。

 それまで喧嘩をしていたティオナとベートが変わった空気を敏感に感じ取り黙る中。

 

「……」

 

 その少女──アイズ・ヴァレンシュタインは自分が視線という視線を集めている事を自覚すると、金の瞳をゆっくりと開け、窮屈そうに身動ぎした。

 

「えっと……その……」

 

 数秒後、唇から困ったような、それでいて悩まし気な声が零れ出る。

 それを見た周囲の面々の反応は様々だった。

 

「何だアイズ、はっきり言えよ。そんなんじゃ何も分かんねぇぞ」

 

「もー! ベートうるさーい! そんな高圧的な言い方じゃ、アイズも話すに話せないじゃん!」

 

「あぅ……アイズさん尊い……」

 

「煩いのはあんた達よ。レフィーヤは早く戻ってきなさい」

 

 ベートが苛立ち、ティオナがアイズを庇い、レフィーヤが恍惚とした表情でトリップする。

 話が一向に進まないので、唯一、この中で比較的常識人であるティオネが話を纏める立ち位置にいた。

 

「アイズ、貴女のペースで構わないわ。良ければ、話を聞かせて欲しいの」

 

「でも……そんな大層な話じゃないよ……?」

 

「それでも良いわ。それが大きいだろうと小さいだろうと、抱えている悩みがある。そっちの方が大事じゃない」

 

 ティオネはアイズをそう説き伏せながらも、内心では驚いていた。

 アイズは最近でこそ様々な表情を見せるようになり始めていたが、それでも、内向的な傾向が未だに根強い。

 彼女が興味を示すものはこれまでダンジョン探索に関連するものが多く、この反応から察するに、それではないのだろう。

 また、直近の彼女の悩みの種である『昇格(ランクアップ)』も、先日、たった一人で『階層主(モンスターレックス)』を斃した事で解決している。近日中にでも主神が管理機関(ギルド)へ正式に報告し、迷宮都市(オラリオ)に新たな伝説が刻まれる事となるだろう。

 そのような彼女が、普通の少女のように何かに悩み、考え込むという事はとても珍しいのだ。

 

「勿論、無理に言う必要はないわ。貴女一人で解決出来ると思うならそれで良いし、私達が頼りなく思うなら団長(フィン)副団長(リヴェリア)に相談すれば良い」

 

 そう言うと、アイズは首を横に振った。

 

「ち、違う……そんな事はないよ……」

 

 アイズは仲間を信頼している。数多の戦場を共に駆け抜けてきた仲間だ、流石に彼女の『秘密』全てを打ち明ける事は出来ないが、今抱えている問題なら相談出来る。

 そして彼女は覚悟を決め、ゆっくりと言った。

 

「あ、あのね……男の子に声を掛ける為には、どうすれば良いと思う?」

 

 刹那。

 文字通り、空気が凍った。それまであったあたたかな空気が瞬く間に凍り付く。

 狼人(ウェアウルフ)の青年と妖精(エルフ)の少女が引き攣った笑みを浮かべる中、アマゾネスの妹は面白そうに「おお〜!」と言った。

 そして、その中で真っ先に我を取り戻したのはティオネだった。彼女は辺りを見渡し、自分達以外誰にも話を聞かれていない事を確認すると、ひとまずは安堵の溜息を吐く。

 そんな、それぞれの反応を示す仲間達を、アイズは不思議そうに眺めていた。

 

「えーっと、ごめんなさいねアイズ。私達の聞き間違いかもしれないから、もう一度聞かせて欲しいわ。貴女、気になっている男性(おとこ)が居るの?」

 

「……? うん、そうだけど……?」

 

「「……っ!?」」

 

 狼人(ウェアウルフ)の青年と妖精(エルフ)の少女が声なき悲鳴を上げているのを気にせず、ティオネは動揺を抑え込みながら、【ロキ・ファミリア】の幹部として慎重に尋ねた。

 

「その男性(おとこ)は身内? それとも、他所(よそ)?」

 

 前者であってくれと、ティオネは切実に願った。

 しかしながら、その願いは儚くも砕け散る事となる。

 

「……? 違う派閥(ファミリア)の子、だけど……?」

 

 本気(マジ)か。

 そう思い、ティオネはアイズの金の瞳を覗き込むが、その輝きに淀みは見られなかった。

 いや、まだだ。アイズは『声を掛ける方法』を聞いただけであり、その相手が意中の相手なのかどうかは判明していない。

 彼女の口下手で若干コミュ障な性格を考えれば、単に知り合いの可能性だって充分に有り得る。知り合いならそんな方法聞くまでもなくね? と告げてくる脳を殴り飛ばし、ティオネはさらに尋ねた。

 

「その男性(おとこ)の事を、アイズはどう思っているのかしら?」

 

「……? どう思うって?」

 

「そ、それはつまり──」

 

 穢れを知らない純粋な瞳と共に尋ねられ、ティオネは思わず言葉に詰まった。

 うぐっと、彼女がたじろんでいると、横に座っているティオナが「はいはーい!」と元気よく挙手しながら言った。

 

「その子のことを好きなのかって、事だよ!」

 

 ティオネは妹を久し振りに褒めた。同時に、考え無しの行動を貶しもしたが。

 狼人(ウェアウルフ)の青年は興味がない振りこそしていたが、それが演技なのは誰の目にも明らかだった。

 妖精(エルフ)の少女は絶望に染まりきった表情で、滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 そして、数秒後、アイズは不思議そうに小首を傾げながらも答えた。

 

「好きかどうかは分からないけど……嫌いではない、と思う……。少なくとも悪い子じゃない、かな……?」

 

 それは事実上、好意を寄せていると宣言しているようなものだった。

 狼人(ウェアウルフ)の青年が硬直し、妖精(エルフ)の少女が壊れたように笑い、アマゾネスの少女が「ヒューヒュー!」と口笛を吹く中。

 ティオネは真剣な表情で尋ねた。

 

「アイズ……もし良かったら、その相手が何処の派閥で、誰なのかを教えて貰えるかしら」

 

「えっと……ごめん、それは出来ない、かな……。あの子に迷惑を掛けちゃうから……」

 

 迷惑を掛ける、という言葉を、ティオネはそのまま返す。

 

「貴女の気持ちは分かるわ。私も貴女の友人として、応援したいという気持ちはある。これは嘘じゃない」

 

「……? うん、ありがとう?」

 

「でも、私達は【ロキ・ファミリア】よ。そして私達はその幹部。私達は私情を殺してでも【ファミリア】に、ひいては主神のロキに尽くさなければならない」

 

「そんな事思ってもない癖にー──イダッ!? 何するのさティオネ!?」

 

 余計な事を言ってくる馬鹿な妹(ティオナ)を制裁しつつ、ティオネはさらに問い掛けた。

 

「この事は私達以外に誰かに言った?」

 

「うん……。フィンと、リヴェリアと、アリシアには相談したよ……。でも三人とも、まだ時期じゃないって……せめてもう少し待った方が良いって、そう、言われた」

 

 ここでティオネは幾つか疑問を覚えた。

 団長(フィン)副団長(リヴェリア)に相談するのは分かる。派閥を率いる立場の二人だし、ここにドワーフのガレス・ランドロックと主神のロキを含めれば、彼等の付き合いは此処にいるどの面々よりも長い。無論、付き合いの長さが全てとは思わないが、アイズはこれまで相談事はその三人や主神にしていた筈だ。

 だが何故、アリシアにまで相談する必要があるのだろうか。確かにアリシアは団員達から姉のように慕われており、ティオネも信頼しているが、彼女は典型的なエルフでもある。とてもではないが、アイズが名前も知らぬ男と交際する事を歓迎するとは思えないのだが。

 一番引っ掛かるのは『もう少し待て』という言葉だ。確かに最近は色々と忙しく、【ロキ・ファミリア】は新たな勢力との戦いに身を投じ、さらには、『遠征』が目前に控えているが、どうにもそれとは違う意味のニュアンスを感じる。

 

「団長達が待てと言ったのでしょう。なら、待ちなさい」

 

 派閥の長からの命令は絶対だと暗に告げるも、アイズは意外な事に食い下がった。

 

「『遠征』が始まる前にどうしても、あの子に会いたいの……」

 

 うぐっ、とティオネは言葉に詰まった。

 アイズのらしくない強情さはさておいて、ティオネ自身、その気持ちは分かるからだ。

『遠征』は文字通り命懸けだ。自分達は都市を代表する第一級冒険者だが、その自分達でさえ、下手をすれば死ぬ。

 ましてや今回の『遠征』の目的は、誰も辿り着いた事がない未到達階層に進む事だ。何が待ち受けているか分からない『未知』に、自分達は挑む事になるのだ。

 当然、死ぬ気は毛頭ない。その為に修練を重ね、武具を身に纏い、仲間と連携するのだ。

 しかしそれでも尚、絶対の保証はない。ダンジョンは容赦なく牙を剥き、『深層』は異常事態(イレギュラー)の連続となる。

 死地に赴く前に自分が懸想する相手と会いたい──その乙女の心が、ティオネは痛い程分かる。彼女自身、団長(フィン)に恋をしている身だ。もし恋慕している小人族(パルゥム)の少年が他の派閥に居たら、ティオネは派閥幹部という立場を捨ててでも夢中になるだろう。

 

「うぐぐぐぐぐぐ……!」

 

 ティオネは葛藤した。

 狼人(ウェアウルフ)の青年がアイズに相手は誰かと詰め寄り、妖精(エルフ)の少女が相手に怨嗟(えんさ)の念を送り、馬鹿な妹が呑気に笑っている中、彼女だけは思考を放棄すること無く考えていた。

 

「ごめん……やっぱり、自分で考えるね……」

 

 相談相手の様子を見て、アイズはそう言った。平生は無表情な彼女であったが、それが『落胆』だと言うことは誰の目にも明らかだった。

 ティオネは、これで良いのかと自問自答する。

 恐らくアイズはこれから、たった独りで戦うのだろう。全ては、意中の相手と結ばれる為に。アイズを溺愛している主神(ロキ)と、彼女を実の娘のように想っている母親(リヴェリア)が他所の派閥の男性との交際を認めるかは分からないが、彼女はそれでも戦っていくのだろう。

 異なる派閥との結婚はそれだけ至難の道なのだ。そんな茨の道を、彼女は歩もうとしている。

 それを、自分は黙って見ているのか。自分の恋慕の相手は身内に居て良かったと思いながら、彼女が戦う様を遠くから眺めているのか。

 いいや、そんな事があってはならない。あって良い筈がない。

 自分は、自分だけは彼女の味方でいなければならない。

 ティオネはこの時、自分が性に奔放なアマゾネスで良かったと心から思った。種族という大義名分を使えば、友人を応援する事は何ら可笑しくない。

 決心する。ティオネはこの時すっかりと、『冒険』する心構えだった。たとえ多くの敵を作ろうとも、アイズの味方で居ようと己の『魂』に誓う。

 

「待ちなさいアイズ」

 

 席を立ち、大食堂から出ようとするアイズを引き留めた。怪訝な表情で顔を向けてくる彼女に、ティオネが宣言しようと口を開き掛けた、その時だった。

 大食堂に、一組の男女の話し声が近付いてきた。

 

「ふぅ、ようやく夕ご飯か。すっかりとお腹が空いてしまったよ。この時間、皆はもう食べてしまっているね」

 

「しかし『遠征』が近付いている今、少しでもやれる事はやらなければなるまい」

 

「そうだね。嘗ての最強派閥(ゼウス・ヘラ)が辿り着いていない『未知』に、僕達はこれから挑戦していく事となる。ああ、これぞまさに『冒険』だ。今までは先達(せんだち)の背中を追うだけだった」

 

「それが今変わろうとしている、か……。団員達の士気は高いぞ、フィン。これなら期待以上の働きをしてくれそうだ」

 

「それは何よりだ。『遠征』直前ではあるけれど、ラウル達第二軍も肩慣らしに『小遠征』を企画しているからね」

 

「確か、アリシアが言い出したのだったな。彼女らしからぬ突発的なものだと聞いた時は思ったが……何か心変わりがあったのだろう」

 

「皆、最近はダンジョン探索へ益々意欲を見せているね。【フレイヤ・ファミリア】もダンジョンに潜っているみたいだ。僕もそうしたいよ」

 

「残念だが、それは出来んぞ。『遠征』を目前に控えている今、首脳陣の私達が仕事を放り出しては【ファミリア】の運営が回らなくなる。あのガサツなドワーフだって事務仕事をしているのだぞ」

 

「それは分かっているさ、リヴェリア。ただ、僕もそろそろ次の階位(ステージ)に手を掛けたいんだよ」

 

「それならば余計に、『遠征』への準備を抜かりなく行わなければ。明日は【ヘファイストス・ファミリア】の元へ伺うのだろう?」

 

「ああ、そうさ。丁寧に挨拶をしてこなければね。返事は既に貰っているから、そんなに気を張るものでもないけれど」

 

「いや、ロキの監視をしっかりと頼むぞ。あの女神が何か粗相をしそうで、私は気が気でない」

 

「HAHAHA、うん、まあ、注意しておこう」

 

「ああ、頼むぞ──おい何だ、その笑い方は?」

 

「おっと失礼。友人の笑い方の癖が移ってしまったようだ」

 

「全く、お前は……。くれぐれも他の団員の前ではやらないようにしてくれよ」

 

「HAHAHA、分かってるサ。いやごめん、反省したから詠唱を唱えないでくれ。冗談だと分かっていても震えてしまうよ」 

 

 そう言いながら大食堂に入ってきたのは、小人族(パルゥム)の少年と美しい妖精(エルフ)の女性だった。

 彼等が訪室した瞬間、それまであった緩い空気がピシッと締まる。

 それもその筈、彼等こそが他ならない【ロキ・ファミリア】の団長と副団長なのだから。

 末端の団員が席をたち敬礼する中、

 

「あー、フィンにリヴェリア!」

 

 ティオナが嬉しそうに手をブンブンと振り、二人に声を掛けた。

 刹那、それまであった緊迫とした空気が嘘のように霧散する。こういった所は凄いなと、彼女の姉は素直に評価していた。

 フィンとリヴェリアは「こっちに来てー!」というティオナの誘いに苦笑いで応えた。カウンターで料理を受け取り、幹部陣が居る席に近付く。

 

「お疲れ様です、団長、副団長(リヴェリア)

 

 この場を代表して、ティオネがそう挨拶する。

 フィンはそれに「うん、ありがとう。皆もお疲れ様」と笑みを浮かべて返した。それを直視したティオネは赤面して撃沈する。だが、いつもの事なので誰も取り合わなかった。

 

「まだ残っていたのかい。てっきり僕はリヴェリアと二人悲しく夕食を食べるものだと思っていたよ」

 

「むっ、何だその言い方は。まるで私と食べる事が不服のようだな」

 

「HAHAHA──コホン、失礼。まさか、そう思う筈がないよ。もしそんな事を言ってしまえば、僕は世界中のエルフを敵に回してしまう」

 

 そう言って、フィンは一度笑ってから、勘違いさせてしまったことを謝罪した。

 リヴェリアは王族(ハイエルフ)だ。殆どのエルフが彼女の事を尊敬している。もし万が一にでも彼女に不敬をすれば、その時はエルフという種族を敵に回す事と同義だ。

 

「それで、どうかしたのかい? ベートが此処に残っているのも珍しい。彼が残る程の何か面白い話題でもあるのかな?」

 

 フィンが団員達を見渡しながら、そう、尋ねた。

 その質問にティオネは、さてどうしたものかと思い悩む。

 この場で彼の質問に答えられるのは自分だけだ。

 馬鹿な妹は厨房に無理を言ってお代わりを頼んでいるし、狼人(ウェアウルフ)の青年と妖精(エルフ)の少女はすっかりと撃沈している。フィンとリヴェリアが此処に来たことは流石に認識していると思うが。

 アイズに言わせる訳にもいかないだろう。となると、必然的に、自分しか居ない。損な役回りだと思いつつも、意中の相手と話せる事に喜びを感じながら答えようとするが。

 

「ちょっと、皆に相談していた……」

 

 他ならないアイズが、そう言った。

 ティオネが驚愕する中、フィンとリヴェリアは「ほう」と揃って息を吐く。

 

「まさか、アイズが僕達以外に何かを相談する日が来ようとはね」

 

「そうだな。とはいえ、私としては驚きよりも嬉しさの方が優る。これも成長と言えるだろう」

 

 両者の偽りのない感想にアイズは羞恥心を覚えた。

 頬を赤く染めながら、こくり、と小さく頷く。

 フィンは穏やかに笑いながら、

 

「それでアイズ、君は何を相談していたんだい? 見た所、解決策は見付かってないようだし、僕達で良ければ一緒に相談に乗ろう」

 

 と、善意でそう言った。

 

「えっと……──」

 

「お言葉ですが、団長達の出番はありません。私達でアイズの悩みを解決してみせます!」

 

 アイズが何かを言う前に、割り込む形で、ティオネが叫ぶ。

 小人族(パルゥム)の少年の面食らった表情を脳内の記憶領域に刻み込みんでいると、リヴェリアが言った。

 

「なら、ティオネ達に一任するとしよう」

 

 その言葉を聞き、ティオネは安堵した。問題の先送りでしかないが、これで多少は時間が稼げるだろう。

 相手は強大だ、まずは準備を怠る事なく──ティオネがそう考えていると、アイズが。

 

「ううん……ティオネには悪いけど、フィンやリヴェリアにも聞いて欲しい。どの道、団長(フィン)の許可が欲しくなるから」

 

 真剣な表情でそう言った。

 その覇気から問題の重要性を感じ取ったのだろう、フィンとリヴェリアは顔を見合わせてから表情を引き締めた。

 

「僕の許可が必要、か。いいよアイズ、言ってみると良い。まずは話を聞く事からだ」

 

 うん、とアイズは頷いた。

 ここまで来れば止められないとティオネはそう判断し、行く末を見守る事に決めた。

 張り詰めた空気がアイズを中心に流れ出る。

 いつの間にか復活していた──瀕死の状態ではあったが──ベートとレフィーヤが固唾を呑み、ティオナがお代わりした料理をガツガツと食べ、そしてフィンとリヴェリアが少しばかり身構えた。

 そして、アイズは打ち明けた。

 

「あの子と──ベルと話したい。まだ駄目かな……?」

 

 反応は主に二つに別れた。

 

「ちょっと待って、『ベル』って確か……」

 

「うん、あの男の子だよね。私達が迷惑を掛けちゃった相手でしょ」

 

「チッ、あの兎野郎か……」

 

「ベル・クラネル。あの人が私のアイズさんを……! ああ、恨めしい! これが神々が言うところの『寝盗られ(NTR)』ですか!?」

 

 ティオネとティオナが記憶から掘り起こし、ベートが苛立ちながら舌を打ち、最後に、レフィーヤが手巾を噛みながら怨嗟の念を送る。

 一方で、フィンとリヴェリアの反応はというと冷静に話していた。

 

「ああ、なるほどね。確かにそれは僕の許可が必要だ。しかし、友人と会いたいか……。うーん、これは困ったね。リヴェリアはどう思う?」

 

怪物祭(モンスターフィリア)──『モンスター脱走事件』から既に数週間が経っている。あの少年への関心も幾らかは薄らいできているだろう。神々の興味も、月末に開かれる神会(デナトゥス)に向いている筈だ。そういう意味では、向こうが断らなければ私は良いと判断するが」

 

「……そうだね、そこには僕も賛成だ。とはいえ僕達が下手に接触すれば、邪推する者も現れるだろう」

 

 その会話を聞いた面々は瞠目した。

 彼等はそれまで、団長と副団長の立場に居る二人は絶対に、アイズの交際を認めないと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、意外にも、アイズにとって良い方向に進もうとしている。

 

「う、うわあああああああああああん!?」

 

 とうとう我慢出来なくなったのだろう、レフィーヤが奇声を上げた。

 

「れ、レフィーヤ……? どうしたの? 大丈夫?」

 

 心配したティオナが声を掛けるも、レフィーヤには届いてないようだった。他の面々が──彼女の師であるレヴェリアでさえも──妖精(エルフ)の少女にドン引く中、彼女は椅子から立ち上がると、現実逃避をするように大食堂を嵐のように去った。

 

「な、何だアイツ……」

 

 ベートが、思わずと言ったように呟く。

 リヴェリアは嘆息し、眉間に手を当てながら言った。

 

「どうにも話が可笑しい方向に進んでいる気がするのだが……これは私の気の所為か?」

 

「いや、僕も同じように感じていた。ティオネ、君達はアイズの相談事をどのように解釈しているんだい? まずはそこから擦り合わせよう」

 

 フィンの質問に、ティオネは恐る恐る答えた。 

 

「私達は、その……──アイズが他所の派閥……ベル・クラネルに懸想していると、そのように思っていました。彼に声を掛ける為にはどうすれば良いのか、その相談を受けていました」

 

「……なるほどね」 

 

 フィンはそう呟くと、続けて言った。

 

「うん、これは多分、アイズが悪いかな」

 

「えっ?」

 

 まさか責められるとは思っていなかったアイズが、ぽかん、と間抜け面を晒す。

 フィンはそんな彼女を一瞥すると、公言する。

 

「アイズが僕の友人──ベル・クラネルに会いたがっているのは事実だ。その相談は僕とリヴェリア、ガレス、アリシアが前々から受けていた。主神(ロキ)も相談事自体は知っている。その上で断言しよう。彼女が件の少年に会いたがっているのは、彼に恋をしているからではない」

 

 そうだろう? と、目でアイコンタクトされ、アイズは何がなんだか分からなかったが、兎に角首を縦に振った。

 リヴェリアが補足するようにさらに言う。

 

「恐らく、この子の天然発言(考えなしの言葉)が誤解を生んでしまったのだろう」

 

「……私もしかして、(けな)されている?」

 

 アイズが遅まきながら反応するのを尻目に、ティオネは深く納得した。確かに言われてみれば、こちらが驚愕すればする程、アイズの反応はあまり芳しくなかったような気がする。

 

「レフィーヤには私から後で言っておこう。彼女の師としても、言うべき事があるからな」

 

 ティオネが早とちりしてしまった事を恥ずかしく思っていると、リヴェリアが若干の怒気を放ちながら言った。

 すると空気を変えるように、ティオナが「でもさー!」と、アイズに尋ねる。

 

「恋をしてないのは分かったけど、何でアイズはそこまでしてその子に会おうとするの?」

 

 ティオナはそれが疑問だった。

 彼女の知る限りではあるが、アイズがベルと接触したのはたった一回──いや、二回か。そしてその二回とも、話す時間はあまりなかった。

 最近はティオナやレフィーヤなどと雑談を話す間柄になりつつあるが、それは彼女達の積極的なアピールがあったからだ。それまでのアイズはダンジョン探索にしか眼中がなく、四六時中ダンジョンに潜っていた。

 そのような彼女が、他所の派閥の、異性の男子(おのこ)に会いたいと訴えている。その理由がティオナは知りたかった。

 

「それは、えっと……──」

 

 ティオナ、ティオネ、そしてベートが聞く姿勢を取り、視線を集中させる。

 しかしアイズが答える前に、フィンが口を開いた。 

 

「アイズ、何もそこまで答える必要はないさ。これ以上は彼女個人の問題だからね」

 

 フィンのその言葉は全くもって正論だった。

 アイズは「ごめんね」とティオナ達にしながらも、助け舟を出してくれたフィンに心の中で感謝した。そして、脱線した話を戻す。

 

「酒場でベルと会う約束をしてから……もう少しで一ヶ月が経とうとしている。フィンやアリシアは会っているのに……私だけ会えていない。これは不公平……」

 

「しかしそれは、お前が無計画にも『階層主(モンスターレックス)』に挑んだ弊害もあるだろう」

 

 不満を口にするアイズを、リヴェリアが窘めた。

 

「うぐっ……」

 

 言葉に詰まり、アイズは呻き声を上げる。

 リヴェリアが言ったのは事実であった。先日、アイズは自身の『壁』を壊す為にたった一人で階層主(モンスターレックス)に挑み──リヴェリアの『魔法』による補助がありはしたものの──勝利を収めた。

 この『偉業』により彼女はLv.5からLv.6に『階位(レベル)』を上げた。

 しかしパーティから離脱した事により、フィン達がベルとダンジョンで遭遇した時に居なかったのである。

 その事をティオナから聞いた時、アイズは、それはもう落ち込んだ。念願の『昇格(ランクアップ)』をした事さえも忘れてしまう程に。

 まるで呪われているかのように、約束を交わした少年と会えない。

 団長(フィン)副団長(リヴェリア)に相談するも、【ヘスティア・ファミリア】に迷惑が掛かることを理由にされ、会いに行くことは許可されなかった。ガレスは「会いたいのなら会いに行けば良い」と言ってくれたが。

 

「向こうから会いに来てくれれば──それがベストだね」

 

「確か、少年には本拠(ホーム)への出入りを許可したのだろう? ならば近いうちに来るのではないか?」

 

「ンー……それは何とも言えないな。ベルは今地盤を固めている時期だ。ダンジョン探索や【ヘスティア・ファミリア】の事情を考えれば、やはり、まだまだ多忙だと思うよ」

 

 団長と副団長の会話を聞き、アイズは風向きが悪い事を察した。

 このままでは少年と話をする事が出来ない。焦る彼女を見たティオナが優しく話し掛けた。

 

「ねっ、さっきも聞いたけどさ。何でアイズはそこまでしてその子に会いたいの?」

 

 フィンに諌められた事は百の承知の上で、ティオナはその質問を投げる。

 実の姉が深い溜息を吐くのを無視し、彼女はアイズの金眼をジッと見詰めた。

 そして数秒後、

 

「知りたい事が……あるの……」

 

 ぽつりと、アイズの唇から呟きが落ちた。

 

「あの時……あの子は──ベルは猛牛(ミノタウロス)に戦いを挑んでいた……」

 

「それって、私達が取り逃したミノタウロスの事だよね?」

 

 アイズはこくりと頷く。たどたどしくも続けた。

 

「ミノタウロスは、強い。冒険者になって日が浅い駆け出し冒険者じゃ……絶対に勝てない」

 

「そうだね、アイズの言う通りだ。『恩恵』を背中に宿している僕達とは違い、モンスターには【ステイタス】という目に見えた数値はない。僕達は何体ものモンスターを倒す事で情報を集め、そのモンスターの強さを推定している」

 

「うん。そしてミノタウロスの推定『階位(レベル)』は──Lv.2強。Lv.3のパーティですら全滅させるだけの脅威がある」

 

 それは、幾千幾万ものモンスターを切り捨ててきた【剣姫(けんき)】の評価だった。

「なのに」とアイズは言葉を続ける。

 

「あの子は本気で猛牛(ミノタウロス)に勝とうとしていた……少なくとも、私にはそんな風に見えた」

 

「しかし件の少年は時間稼ぎをしていたとも、アイズ、お前は言っていた筈だ。私達の到着を待ち侘びていたように声を掛けてきたとも。ならば、それは矛盾しているだろう」

 

「確かにそうよね。もしベル・クラネルが本気で戦おうと──『冒険』に臨もうとしていたのなら、アイズに助けられた後の反応は可笑しいわ」

 

 リヴェリアとティオネの指摘に、アイズは「違うの」と金の瞳に力を込めて言った。

 何がどう違うのだと顔を見合わせる二人に、彼女はどうにかして伝えようとするが、口下手が災いして上手くいかない。

 

「簡単な事だろ。ババァが言っている『矛盾』はあくまでも結果でしかないって事だ」

 

 アイズに助け舟を出したのは、意外な人物だった。

 

「それはどういう意味だい、ベート?」

 

 フィンが面白そうに尋ねると、今まで口を閉ざしていた狼人(ウェアウルフ)の青年は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「時間稼ぎをしていたのは本当だろう。だが同時に、あの餓鬼(ガキ)は『もしも』の時を考えていた。アイズや俺達が間に合わなかったらという仮定だ」

 

「あー! なるほどね! つまりあの子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「……馬鹿なお前にしては珍しく的を射ているな」

 

「ムキーッ! だから馬鹿って言うなァッ!」

 

 罵り合いを始めようとする二人を、フィンが「まあまあ、落ち着いて」と笑いながら窘める。

 

「しかしながら、Lv.1の彼では土台無理な話である事に変わりはあるまい。私ならば戦意は失わずとも戦おうとはせず、撤退するだろうな」

 

 リヴェリアの言葉に対して『臆病者』だと言う者は居なかった。

 この場に居るのは第一級冒険者。(まこと)の戦場を知らない『半端者』とは違い、彼等は多くの『勝利』と同時に『敗北』も味わっている。それを延々と繰り返した果てに、彼等は立っているのだ。

 

「アイズやお前達も大概だが……流石に『神の恩恵(ファルナ)』を刻まれて間もない頃に『格上』と戦い、勝利を収めよう等とは思わないだろう」

 

「さて、それはどうかな。その状況に陥らなければ分からないよ、リヴェリア。君も言ったが、皆、血気盛んだからね」

 

「それはそうだが、私は今、あくまでも『常識』の話をしている」

 

 それもそうだね、とフィンは両肩を竦めた。それから彼は冷静に続ける。

 

「『常識』なら、多くの人間は逃げるだろう。それが冒険者になりたての駆け出しなら尚更だ。いや、『逃走』を出来るだけでも凄いと僕は評価するよ」

 

「……そうですね、私も団長に同意見です。彼は、私やティオナ、ベートのような身体能力に秀でた亜人族(デミ・ヒューマン)でもなければ、リヴェリアやレフィーヤのような『魔法』に秀でた魔法種族(マジックユーザー)でもない。アイズの規格外じみた『付与魔法(エンチャント)』もない。只人です。何も『武器』がない人間が異常事態(イレギュラー)という『未知』に遭遇し、膝を屈することなく思考を保てただけでも素晴らしいでしょう。多くの人間は猛牛(ミノタウロス)と遭遇した時点で死んでいますから」

 

「だがベル・クラネルは違った、という事か。彼は猛牛(ミノタウロス)の上層進出という異常事態(イレギュラー)に疑問を抱き、自分が取れる最善とは何かを考えた。そして彼は僅かな人間しか取れない選択肢の中から答えを出し、疑問を抱く事なく実行してみせた……」

 

「それだけじゃないよね。フィリア祭の時も、確か、あの子は銀の野猿(シルバーバック)を討伐しているんでしょ? これも充分に可笑しいよ」

 

猛牛(ミノタウロス)には劣るけど、銀の野猿(シルバーバック)も強い……。あの時のベルじゃ勝てない……と、思う……」

 

 リヴェリアが真剣な表情でフィンに尋ねる。

 

「フィン、お前は一度ベル・クラネルとダンジョン探索に赴いていたな。あの時は社会的な付き合いだからとさほど気にならなかったが……お前は少年の戦う様子を実際に見て、どのような感想を抱いた?」

 

「私も、気になる……。ベルと会うのが駄目って言うなら、せめてそれだけでも……!」

 

 アイズの必死な訴えに、フィンは「そうだね」と言うと考え込むように碧眼を閉ざした。数週間前の出来事を思い返すように、彼はリヴェリアの質問に答えた。

 

「最初に抱いたのは『驚愕』だ。ベルは既に、自分の戦闘様式(スタイル)を確立していた」

 

「なに……? それは本当か?」

 

「下らない嘘は吐かないさ、リヴェリア。とはいえ、君の疑念も分かるよ。僕もそうだったからね」 

 

 苦笑いするフィンに、リヴェリア達は何も言えないでいた。

 早期での戦闘様式(スタイル)の確立。

 口で言うのは簡単だが、実際に行うのは非常に難しい。自分の体格、性格、使う得物、特技、それら全てを自己覚知し、統合し、自分なりの戦い方を修得していく為には途方もない努力と、何よりも、長い時間が必要となる。

 

「戦闘様式(スタイル)の確立は、安定性──言い換えれば効率性に繋がる。ベルは難なくモンスターを倒していったよ。でも、それは才有る者なら有り得ない話じゃない。傲慢かもしれないが、此処にはその前例が居る」

 

 第一級冒険者達は皆等しく『才能の塊』だ。

 一を教えれば十を得る。学ぶのではなく、完全に自分の技術とする事が可能だ。

 

「だからこれには、すぐに呑み込める事が出来た」

 

「なら団長は、いったい何に『驚愕』されたんですか?」

 

 ティオネの質問に、フィンは勿体ぶらずに即答した。

 

()()()()

 

 小人族(パルゥム)の少年が言った意味が分からず、ティオネは思わずティオナにアンタは分かった? と視線を送った。しかし当然とばかりにティオナは首を横に振る。

 

「ねぇー、ベートは分かる?」

 

「……」

 

「無視するなァー!」

 

 何度目になるか分からない喧嘩が起こる前に、アイズが慌てて自分の考えを──たどたどしくはあったが──言った。

 

「それは……落ち着いているって事……?」

 

「それもある。猛牛(ミノタウロス)の件からも分かるように、彼の視野は広い。でも、僕が言っているのはそことは少し違う」

 

「そ、それって……?」

 

「彼は──ベルは異常な程に『死』の気配に敏感なんだ。強襲してくるモンスターを察知し、慌てることなく剣を構え、そして迎え撃つ。何を当たり前の事を、と思うだろう。だが、この当たり前を出来るようになるのはとても難しい」

 

 アイズにもその覚えはあった。

 浅い層──『上層』はまだ良い。しかし『中層』からは違う。モンスターの産生(ポップ)率は『上層』とは比較にならないほど上がり、遭遇(エンカウント)率も跳ね上がる。

『上層』でしっかりと心構えを身に付けていなければ、瞬く間にモンスターの物量に押し潰されるのだ。

 

「少なくとも、駆け出しが出来る芸当じゃないよ。それがましてや、迷宮都市(オラリオ)に来るまではただの農家だった少年なら尚更だ」

 

「だがフィン、少年が『嘘』を吐いている可能性もあるだろう」

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは下界で唯一地下迷宮(ダンジョン)を保有しているが、何も、この地でしかモンスターと戦えないかと言われるとそうでもない。

 今も『古代』からの生き残りが、世界中に散らばっている。地下迷宮(ダンジョン)に比べると遥かに弱いが、敵がモンスターである事に変わりはない。

 あるいは、モンスターでなくとも同族(ヒト)が居る。王国(ラキア)を筆頭に、この世界には多くの軍事国家があるのだ。

 リヴェリアの理に適った指摘に、フィンは答えた。

 

「僕も疑問に思って確認したけれど、きっぱりと否定されてしまったよ。その時神はいなかったから信憑性はあまりないけどね」

 

「お前が見抜けない『嘘』があるのなら、それはそれで異常だがな」

 

王族(ハイエルフ)の君に褒めて頂けるとは、嬉しい限りだ」

 

 フィンは(おど)けるように笑うと、自身の考えを口に出した。

 

「あの時の様子から判断するに、彼は『嘘』は吐いていない。しかし同時に、『真実』も話していなかった」

 

 どういう意味だ? と団員達が顔を見合わせる中、小さな首領は真剣な表情で続ける。

 

「いくら考えても分からないんだ。憶測の域を出ないものばかりで、根拠には決してならない。そして、アイズが言っている彼の『強さ』は恐らく、ここにあるだろう」

 

 フィンはアイズの金色の瞳を見詰めながら、優しく語り掛けた。

 

「アイズ、君の気持ちは分かるつもりだ。しかし、相手の事も考えなければならないよ。これは分かるね?」

 

「う、うん……」

 

「【ファミリア】の団長としては、まだ待つべきだと言わざるを得ない。なに、ベルは美しい女子(おなご)に興味津々のようだから、君の誘いを忘れている訳では決してないさ」

 

 私も美しい女子(おなご)と言って欲しい! と興奮するティオネとは反対に、アイズの反応は微妙なものだった。

 

「そうかな……?」

 

「そうだよアイズ! もっとお洒落すれば絶対にモテるって! こんなに可愛いんだからさ!」

 

 ティオナが握り拳を作り、そう、力説する。そんな彼女をベートは半眼で見ていた。

 フィンは笑うと、最後に意味深にこう言った。

 

「とはいえ、偶発的に会う事もあるだろう。お互い顔は知っている仲だ。挨拶程度ならするのが礼儀だろうね」

 

「……ッ! 分かった、そうする!」

 

 アイズはそう言うと、表情を微かに緩めた。

 ティオナが「あぁー、やっぱり可愛い!」と抱きつく中、ティオネとベートは呆れたように溜息を吐く。

 暫くした後、四人は席を立った。他の団員も大食堂をあとにし、広い空間にはフィンとリヴェリアの二人のみとなった。

 

「良かったのか、あのような事を言って」

 

 静まり返った空気の中。

 リヴェリアが、フィンにそう切り出す。

 

「あのような事とは?」

 

「惚けるな。先程のアイズへの言葉だ。まず間違いなく、あの子は明日から『遠征』まで少年を探し、偶然を装って声を掛けるだろう。それが良いのかと尋ねている」

 

「良いか悪いかと聞かれたら、まあ、悪いね」

 

「なら……!」

 

 咎めるような言い方に、フィンは両肩を竦める。

 

「仕方ないさ。アイズの不満は尤もで、近いうちに爆発するのは時間の問題だ。そしてその時までにベルが本拠(ホーム)を訪れるかは分からない」

 

「だから実質的に許可を出したのか?」

 

「怖い顔をしないでくれよ、リヴェリア。君だって最近のアイズの成長を喜んでいたじゃないか」

 

 リヴェリアは「それとこれとでは話が違うだろう」と反論する。

 異なる【ファミリア】が関係を築くのはとても難しい。【ファミリア】が神の代理戦争という一面を持つ以上、そこにはどうしても打算が絡んでくる。

 現在でこそ都市最強派閥【ロキ・ファミリア】とて畏れられているが、力が無かった頃は仲間だと思っていた【ファミリア】から騙される事が何回かあった。

【ファミリア】の今後を憂う副団長を、団長は笑いながら窘めた。

 

「大丈夫さ、リヴェリア。アイズはかなり成長した。【ロキ・ファミリア】の幹部としての心構えは君が徹底的に叩き込んだ。そうだろう?」

 

「それはそうだが……しかし、私はやはり心配なのだ。あの子が何か問題事を起こしそうでな。そういう意味では主神もそうだが……あの子はそれ以上だ」

 

母親(ママ)だねぇ」

 

 誰が母親(ママ)か!? と、リヴェリア反射的に言葉を返す。

 フィンは「ごめんごめん」と軽く謝りながら、再度、言った。

 

「どちらにせよ、二人が会わないという可能性も高い。この迷宮都市は広いからね」

 

「……だと良いがな」

 

 リヴェリアは諦めたように溜息を吐くと、トレーを持って椅子から立ち上がった。

「もう行くのかい?」と声を掛けるフィンに、彼女は振り返って言う。

 

「今からレフィーヤに灸を据えなければならないからな」

 

「ああ、なるほど……。夜ももう遅いから、程々にしときなよ」

 

「それは無理な相談だ。彼女は私の後釜だ、師匠として弟子を教育せねばなるまい。それにそろそろ、次の階位に進んで欲しいからな、その話もするつもりだ」

 

 リヴェリアはそう言うと、大食堂をあとにした。

 だだっ広い空間と化した大食堂に一人残されたフィンは、何となく思い立ち、窓から夜空を覗く。

 しかしながら、そこに美しい月は浮かんでいなかった。

 

「そう言えば、雨が続くと言っていたな。合羽の準備をしておこう」

 

 彼の碧眼には、幾層にも重なって出来た灰色の雲が映っていた。ヒュー、ヒューッと、強い風が窓を叩く。

 そうして暫く眺めていた、その時だった。フィンは右手を持ち上げ、親指を注視する。

 

「親指が(うず)く。また『何か』が起こるのか……?」

 

 そう呟き、睨むようにして目を細める。

 碧眼が捉えるのは、常闇。

 フィンは嘆息すると、何れ直面するであろう新たな戦いに備える為動き出したのだった。

 



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斯くして、時計の針が進んだ Ⅱ

 

 

 

 頑張れば報われると、そう、思っていた。 

 

 

 

 例え、生まれ育った環境が劣悪(れつあく)だったとしても。

 例え、幼少期の頃から孤独な人生を歩もうとも。

 例え、何も取り柄が無くて『才能』が無くとも。

 

 

 

 例え──自分の存在が否定されようとも。

 

 

 

 必死に足掻いて、藻掻いて、生きてさえいれば。

 (いず)れは幸せな未来が、希望で満ち溢れた明日が来るものだと、そう、思っていた。

 

 

 

(いま)』ではない『何時(いつ)か』、英雄譚に登場するような『英雄』が自分を見付けてくれると。

 手を差し伸べてくれると。

 助けてくれると。

 そう思い、願い、(すが)っていたのだ。

 

 

 

 だって、此処は『英雄都市(オラリオ)』。

 数多の『英雄候補』が集い、鎬を削り合い、軈ては『英雄』が誕生する地なのだから。

 

 

 

 愚かな(わたし)は──リリは、そう、信じていたのだ。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ザアザア、ヒューヒュー、と。

 リリルカ・アーデの一日は、そんな、水と風が窓を叩く音で始まった。

 

(朝……)

 

 有って無いような薄い毛布を剥がし、リリルカはゆっくりと身体を起こした。

 

「最悪な寝覚めですね」

 

 額に手を当てながら、そう、呟く。嫌な汗がじっとりと身体全体に纏わり付いていた。

 内容はあまり覚えていないが、『悪夢』を見たのは明らかだった。最近は快眠が続いていた為に、不快感と、何よりも暗い気持ちが倍増となる。

 ぱちくりと何度か瞬きをし、意識を覚醒し憂鬱な気持ちを取り払おうと試みる。霞んでいた視界は鮮明になり、時間と共に脳が活性化していくのを感じた。

 視線を窓に向けると、そこには灰色の空が映っていた。幾層にも重なった積乱雲により、太陽は完全に隠されてしまっている。

 

(ああ、そう言えば……大雨警報が出されていましたっけ。すっかりと忘れていました)

 

 数日前に見た情報誌の内容を思い返し、リリルカは嘆息した。

 情報誌を購入する事は都市や世界の情勢を知る為の必要対価だと思っていたが、こうもその内容を忘れてしまっては意味がない。

 そのような事を何処か他人事のように思いながら、少し動くだけで不協和音を出す寝台(ベッド)から離れた。

 建て付けの悪い雨戸を開けて外の様子を窺うと、大量の水と風が彼女の小さな身体を襲う。次の瞬間、身体は全身くまなくびっしょりと濡れていて、床は一面水浸しとなっていた。

 衣服が濡れる不快感にも構わず、リリルカは顔をひょっこりと出して顔を見上げた。

 そこでは灰色の景色が広がっていた。

 槍の如く降り注ぐ雨は壁や住居の雨戸を叩き、裏路地を駆け抜ける強烈な風は店の看板を大きく揺らし今にも吹き飛ばしそうだ。雷が落ちていないのが奇跡だろう。

 

(これを吟遊詩人が見たら何て詠むのでしょうか)

 

 ぼうっと見詰めながら、ふと、下らない事を考える。恐らく、大半の吟遊詩人は悲観的な表現をするに違いない。そして事実に更なる加筆をする彼等の事だ、『最悪な朝の始まり』であったり『モンスターが引き起こした大災害』であったり、『神の怒り』であったりと、彼等は誇大気味に詩を紡ぐのだろう。

 

(それならあの人は、何て詠むのでしょうか……?)

 

 思考は分岐し、一人の少年が脳裏に浮かんだ。

 白髪紅目の只人(ヒューマン)。何が面白いのかいつもヘラヘラと笑い、後先考えず本能だけで生きていそうな愚か者。

 彼は、この天気を見て何を一番に思うのだろう。沢山の人のように憂鬱な表情を浮かべるのか、あるいは、それとは違った表情を浮かべるのか。

 嗚呼(ああ)、だが、まず間違いなく。

 次の瞬間には、彼は、あの手記に何かを書き殴るのだろう。自分が思った事、感じた事、考えた事を衝動的に綴るのだ。

『英雄日誌』という、傍から見れば訳の分からない無意味な自伝をまた重ねるのだろう。自分もいつの間にか述べられていて、とても恥ずかしいのでやめて欲しいと抗議したのだが、口が回る彼に言いくるめられてしまった。

 しかし、今思えばそれも悪くないかもしれない。自分のような存在価値の無い人間が、例え『脇役(モブ)』であっても登場するのだ。ならば、この世界に生を受けた甲斐が少しばかりはあったのだろう。

 

(そろそろ、行かないと──)

 

 我に返り、リリルカは雨戸を閉めようとして……考え直してやめた。

 ただでさえ床は一面水浸しになっていて、部屋の至る所には水が飛び移っているのだ。今更閉めた所で意味はないだろう。何よりも、最悪なサービスを提供しているのにも関わらず、こちらが『訳あり』だと敏感に察するや否や高い宿泊料を請求してきた意地悪な宿主にせめてもの報復をしたかった。

 この宿を使う事はもう二度とないだろうから、恨まれようが関係ない。店主の怒り狂った様子を想像し、先程とは一転、何処か晴れやかな気持ちになった。

 ボロボロのハンガーラックから普段纏っているクリーム色のローブを羽織るも、既に全身濡れているので、すぐに濡れてしまう。とはいえ、雨具の用意をしていなかった以上、これから素っ裸で雨の中に入るのであまり関係ないのだが。

 こういう時、癪ではあるが『神の恩恵(ファルナ)』の有り難さを感じる。一般人よりも屈強な肉体を持つ神の眷族は、病に対しても耐性を持っているからだ。そうでないと、閉鎖的空間である地下迷宮(ダンジョン)で『遠征』など出来る筈もない。

 

「よいしょ」

 

 防水仕様のカバーを被せたナップサックを背負い、フードを目深に被る。

 忘れ物が無いか確認し、そして、部屋から出る直前。

 リリルカは唇を動かし──『希望』でもあり、『呪い』でもある『詠唱(ことば)』を囁いた。

 

「──【貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの】

 

 リリルカが言い切った──刹那。練り上げられた僅かな『魔力』が波動となり、小さな光が彼女の身体を包む。

 そして、光が消え落ちて闇に混ざった時。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その外見は亜人族(デミ・ヒューマン)である犬人(シアンスロープ)の耳に極めて酷似していた。

 少女はその獣のふさふさとした耳の触り心地を確認すると、ニイッ、と嗤う。

 全てを嘲るように、全てを諦観するように。

 

「さあ、今日も行きましょう。今日を入れてあと二日、楽しい楽しいダンジョン探索の始まりです」

 

 少女はそう呟くと、薄暗い廊下を独り歩くのだった。

 



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斯くして、時計の針が進んだ Ⅲ

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは朝から悪天候に襲われていた。

 大量の雨と強風が都市を、ひいては都市に暮らす人々を襲う。最近は快晴が続いていたが為に、住民達が受ける精神的苦痛はかなり倍増していた。

 管理機関(ギルド)は天気予報士と呼ばれる専門職(プロフェッショナル)から話を受け、大雨警報を早期から発令。不要不急の外出を禁止とした。住居が安定していない貧民窟(スラム)の住民には建築系【ファミリア】に強制任務(ミッション)を課し頑丈な仮設テントを設置させた。

 これにより現在、都市を出歩く者は少ない。

 とはいえ、それはあくまでも『一般人』の話である。

 八本あるうちのメインストリート、その一本だけは平生と変わらず賑やかであった。

 

「おぉい、風強いな!? こりゃ普通じゃねえぞ!?」

 

「飛ばされるんじゃねえぞ!? あっ、あくまでも商品な!?」

 

「何だとゴラァ! 俺が飛ばされても良いって言うのか!?」

 

「貴重な商品が駄目になるよりかは何倍も良いだろうが!」

 

 北西のメインストリート──通称『冒険者通り』。此処だけはこの悪天候の最中であっても普段と変わらない様子を見せていた。

 街路に並んでいる屋台の数は三十にも及び、その全てが様々な魔道具(マジックアイテム)を駆使して対策をしており、寧ろ、雨音と風音を弾き飛ばす勢いで目抜き通り往来する『客』に声を掛けていた。

 そう、商人が居るという事は、逆説的に言えばそこには『客』が居る事と同義だ。

 そして、『客』──『冒険者』達は装備の上から合羽を纏った状態で掘り出し物を探していた。

 

「おい、何だこの回復薬(ポーション)の値段は!? 吹っ掛けてくるのにも限度があるだろうが!? これなら【ディアンケヒト・ファミリア】で買った方がまだマシだぞ!」

 

「なにぃ、()の【万能者(ペルセウス)】が製作した魔道具(マジックアイテム)だと!? おい店主、嘘を吐いているんじゃないだろうなァ!?」

 

「今日から『中層』に行くんだが、精霊の護符──サラマンダー・ウールはあるか!? 値段は問わないぞ!」

 

 野太い叫び声が響く。冒険者達は自分が追い求める商品は何処にあるのかと店主に尋ねていた。時には、自分が納得しない値段を請求されて怒鳴り声を上げる事も。

 彼等は今日も日銭を稼ぐ為、あるいは、自分の欲望(ゆめ)を叶える為、ダンジョンへ赴く。その為の労力を彼等は厭わない。

 その一方で、朝から酒場に屯している冒険者も居た。

 

「聞いたか!? もうすぐ【ロキ・ファミリア】が『遠征』するってよ!」

 

「そんなのとっくの昔から知ってるよ! とはいえ、今回の間隔(インターバル)は随分と短いが……何か理由でもあるのか?」

 

「それも重要だが、一週間後には神会(デナトゥス)があるぞ! 俺、つい二日前に『昇格(ランクアップ)』したんだ! どんな『二つ名』が授けられるか楽しみでしょうがないぜ!」

 

「数週間後には【神月祭(しんげつさい)】も催されるぞ! 噂によれば、今年の【神月祭】には彼の貞潔の女神(アルテミス)様が居らっしゃるとか!」

 

「「「なにィ!? それは本当かァ!?」」」

 

 通りに並んでいる酒場では冒険者達が集い、情報を交換している。朝っぱらから酒を飲んでは騒いでいた。

 外では屋台が、内では酒場や店が。悪天候など関係ないとばかりに普通に営業している。一般市民がこの光景を見れば呆れるか、理解出来ないと倒れるだろう。

 だが、彼等には関係ないのだ。冒険者である彼等の稼ぎ先は異常事態(イレギュラー)が日常茶飯事な地下迷宮(ダンジョン)。その適応能力は随一だ。

 天候など一切関係ない。精々、巨塔(バベル)に行く際に濡れるくらいであり、それだって対策を講じれば何も問題ないのだ。寧ろ彼等はダンジョンに潜る同業者が減る事を望み、少しでも自分に利益が出る事を期待してすらいる。

 管理機関(ギルド)から派遣されたギルド職員が「危険ですから本日は本拠(ホーム)でお過ごし下さい!」と声を出しているが、彼等はそれを歯牙にもかけない。寧ろ、若くて可愛い女子だったらナンパをする始末だ。

 荒くれ者が多い冒険者がこの程度で静かになる筈がない。管理機関(ギルド)としてもそれは重々承知のうえだが、彼等にも都市を守るという立場がある。故に、新人職員が駆り出される事となっていた。

 

「……」

 

 様々な亜人族(デミ・ヒューマン)が忙しなく道を往来する中、一人の子供が歩いていた。合羽を着ることも、傘を差すこともしないで道端を独り歩く子供を、酒場で酒を飲んでいた数名の男が見付ける。

 

「何だよ、アレ? 小人族(パルゥム)か?」

 

「外見上は完全にそうだな。ははっ、馬鹿だな。この雨を対策していなかったのか? やっぱり小人族(パルゥム)は今日も落ちぶれているなぁ!」

 

「いやいや、よく見ろよ。ナップサックは防水仕様されているぞ」

 

「って事は、自分の雨具の準備だけ忘れたのか! 何て間抜けな奴だ!」

 

 違いない! 男達はゲラゲラと笑い、子供を酒の肴にした。

 品性の欠片もない笑いはすぐに伝染し、瞬く間に、酒場は下卑た笑いで包まれる事となる。酒に呑まれている彼等は顔が真っ赤で、正常な思考をとうの昔に無くしていた。

 

(陰口でないだけ、まだマシと言えますか)

 

 子供──リリルカ・アーデは自分が嘲弄の標的(ターゲット)にされている事を分かっていながら、聞こえない振りをしていた。振り返って抗議の視線を下手に送ろうものなら、面倒事に巻き込まれるのは確実。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 この場に留まって絡まれるのを避ける為、彼女は目当ての道具屋に足を運ぶ。そして数十分後、目的地に辿り着くと店が汚れるのも気にせず躊躇なくそのまま店内に入った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 北西のメインストリートから二本ほど外れた小道に、その道具屋(アイテムショップ)は建っていた。

 店内は店主を除けば無人だった。

 それも仕方ないな、と店主であるヒューマンの男は店内に流れる音楽をぼんやりと聴きながら思う。

 何せ早朝という時間帯に加えてこの悪天候だ、他の店を差し置いて、中途半端な立地にあるこの店にわざわざ足を運ぶ物好きはいないだろう。

 一応店は開けたが、この調子が続くなら今日の売上は零になりそうだ。

 そう思った、その時だった。

 

 カラン、コロン。

 

 店の唯一の出入口である扉に括り付けた鈴が、軽やかな音色を奏でた。

 

「へい、らっしゃい──うげっ」

 

 店主は最初こそ歓迎の表情を浮かべたが、入店した客を視界に入れるや否や顔を顰めた。

 というのも、その客は全身ずぶ濡れの状態だったからだ。

 クリーム色のローブを目深に被っている所為で、正体は分からない。体格から察するに、小人族(パルゥム)亜人族(デミ・ヒューマン)の子供だろうか? 

 彼は面倒な客だと敏感に察するも、追い出す事はしなかった。『冒険者通り』は激戦区であり、店を維持するのはとても難しいのだ。元より、相手するのは冒険者。店に直接的な損害を生み出したら直ちに魔道具(マジックアイテム)の警鐘を鳴らし『都市の憲兵』たる【ガネーシャ・ファミリア】を呼ぼうと、魔道具(マジックアイテム)の置かれている位置を確認し、いつでも通報出来るように構える。

 多少の『訳あり』なら目を瞑ろう。

 その人物は他の商品に目を()れることなく長台(カウンター)に近付くと、囁くようにして言った。

 

「すみません、店主様。ダンジョン探索用に、探している道具(アイテム)があるのですが」

 

 女性特有の高音。

 店主はそこでようやく、目の前の客が女性である事を知った。

 とはいえ、未だに正体不明なのは変わらない。

 確実に言える事は、彼女が『恩恵持ち』だという事だ。『冒険者通り』に近い場所に建っている道具屋(アイテムショップ)に訪れている点もそうだが、何よりも、小さな身体に背負われている不釣り合いなナップサック。これがそれを証明している。普通の子供なら平然と歩く事は出来ないだろう。

 とはいえ、子供だからと油断は出来ない。小人族(パルゥム)の外見は生まれた時から死ぬ時まで殆ど変わらないし、『神の恩恵(ファルナ)』を授かっている冒険者ならば『神に近しい存在』となっているからだ。

 外見が幼いからだと警戒を解くのは愚の骨頂。迷宮都市(オラリオ)の常識の一つである。

 

「……何だい? 自慢じゃあないが、ウチは大半の道具(アイテム)なら取り扱っているよ」

 

 自然と、喉から出た声音は低くなっていた。

 しかし、少女は気分を害した様子を微塵も見せなかった。

 

「そうですか。なら安心ですね」

 

 そう言って、少女はにっこりとフードの奥で微笑んだ。

 無邪気な可愛らしい笑みだと、店主は思わず警戒を幾許(いくばく)か解いてしまう。

 

「それで? 探してる物は何かな?」

 

「ええ、実はトラップアイテムを探していまして。より具体的には──」

 

 少女の言葉を聞いた店主は「なるほど」と頷いた。

 

「それなら有るよ。冒険者がよく使う道具(アイテム)でもあるからね」

 

「わあっ、それは良かったです。これなら、()()()()も喜ばれるでしょう」

 

()()()()()……? まあ、良いか。それで、幾つ欲しいんだい?」

 

 リリルカはその質問に即答する。

 

「お店にある在庫、全て」

 

「……? お嬢ちゃん、今なんて?」 

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 店主は自分の聞き間違いでない事を確認すると、堪らずに目を見開いた。

 そして、彼は今一度少女を見る。栗色の瞳と目が合うと、少女はにっこりと先程と同様に笑った。

 

「……一応、確認するけどね。お嬢ちゃん、これを何に使うつもりだい?」

 

 すると、少女は意味が分からないとばかりに小首を傾げた。逆に彼女は、不思議そうに尋ねる。

 

「こちらの商品の用途は一つだけでしょう?」

 

 何か他にあるのですか? 彼女の瞳がそう問い掛けてくる。無垢な瞳を向けられ、店主は「うぐっ」と言葉に詰まった。

 

「あー、いや、何でもないよ……」

 

 結局、店主はそう言って(にご)すしかなかった。それから彼は頭を振って切り替えると、商談を始める。

 

「しかし、店に置いてある全てか……」

 

「買い占めはお店のルールで駄目だったりしますか? それならば、許される限りでも構いませんが」

 

「いいや、そういう訳じゃないんだが。かなりの量だ。失礼だが、お嬢ちゃん、お金はあるのかい?」

 

 払えるだけの金を所持しているのかと、店主は尋ねる。倉庫に置いてある物も含めれば数十個にもなり、当然、その分だけ価格は高くなる。

 相手は冒険者だ。ここで値段を提示し、しっかりと確認しなければ面倒な事になる。実際、何度か『都市の憲兵』を呼ぶハメになった事もある。

 これまでの経験を活かし、彼は少女に算盤を弾いてみせた。

 

「これだけの額だ。どうかな?」

 

「構いません。先に支払わせて頂いても宜しいでしょうか」

 

「あ、ああ……私としてもその方が助かるが……」

 

 店主が正直にそう言うと、少女は面白そうにクスクスと笑った。

 そして彼女は懐に手を伸ばすと、三つの宝石を見せた。

 

「これは……?」

 

 訝しむ店主に、少女は「ご存知ありませんか?」と言った。

 

「ノームの宝石ですよ、店主様」

 

「なっ……! これが!?」

 

 店主は思わず叫んでいた。

 ノームの宝石や鉱石はとても貴重だ。土精霊が生み出すこれらには確かな『信用』と『価値』がある。

 更には、少女が見せてきた宝石はどれもがかなりの大きさだった。初めて見る現物に、店主は興奮を隠せないでいた。

 

「申し訳ございません、実はヴァリス金貨の手持ちはあまりなくて。こちらでも宜しいでしょうか」

 

「も、勿論だ! でも、良いのかい? こんな貴重な物を三つも?」

 

「ええ、喜んで。お店を汚してしまった罪滅ぼしもしたいですから」

 

 少女は笑みを携えて言った。

 そこからの商談は早かった。店主は少女の気が変わらないうちに、彼女が欲しいと言った品物を掻き集めてみせた。そしてわずか数分後、長台(カウンター)の上にはそれが山のように積み重なっていた。

 

「ありがとうございます。おかげで助かりました」

 

 少女は花のような笑みを見せると、宝石を店主に渡した。受け取った彼が「おお……!」と感動している間に、彼女は淡々と慣れた様子で購入した品物を纏めていた。

 そしてナップサックの中に入れると、店を出ようとする。

 

「お嬢ちゃんは、やっぱり冒険者なのかい?」

 

 気付けば店主は、そのような当たり前の質問をしていた。

 遅れて、しまった、という後悔が募る。不必要な会話を拒む客は多いからだ。店主は何となく、今回の客はそのタイプだと思っていたのだが、しかし、彼女は出口の前で足を止めると、振り向いてこう言ったのだ。

 

「いいえ? (わたし)は『冒険者』ではありませんよ?」

 

「……え?」

 

(わたし)は『サポーター』。無力で卑しい寄生虫なのです」

 

 唇を歪め、戯けるように少女は言うと、呆然とする店主を置いて店を出ていった。

 そして店主が我に返ったとき、そこには、水浸しになった床だけがあった。

 



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本拠崩壊

 

「ヘスティア、こっちは塞いだぞ!?」

 

「よくやったぞベル君! よし、これでもう大丈夫──うわあああああ!? 次はこっちか!?」

 

「何ィイイイイイイイイイ!? わーお、それは大変だネ!」

 

他人事(ひとごと)のように言うなァ!?」

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが悪天候に襲われる中──【ヘスティア・ファミリア】本拠(ホーム)『教会の隠し部屋』は普段と同様、否、それ以上に騒々しかった。

 

「コンチキショー! 何で雨漏りしてるんだァー!?」

 

 ヘスティアが半泣きしながら、我慢ならぬとばかりに叫ぶ。

 その嘆きの声に、ベルは「HUHAHAHA!」と高笑いで返した。それから彼は真顔になって正論を言う。

 

本拠(ホーム)がボロいからね、仕方ないネ☆」

 

「ゴフッ!?」

 

「地下の此処まで聞こえてくる雨音に暴風だ、こうなるのは必然だろう」

 

 そう言って、ベルは本拠(ホーム)の唯一の出入口を見た。鉄製の分厚い扉には大量の水が攻め込まれており、嫌な音がひっきりなしに鳴っている。鍵を掛けてこそいるが、突破されるのは時間の問題だろう。

 つまり刻々と、本拠(ホーム)水没という何も笑えない事態が近付いてきているのだ。

 ヘスティアは両手で顔を覆うと絶望の表情を浮かべた。

 

 ──二十分前。

 

 ピチャ、と。

 ヘスティアは頬に冷たい何かが当たるのを感じた。最初は気の所為だと無視を決め込んでいた彼女であったが、数秒後、もう一度同じ感覚を抱いた。これは何か可笑しいとようやく思い、重たい瞼を擦りながら目を開けると、ちょうど、上から何かが降ってくるところだった。

 慌てて目を閉じ、その何かを受け止めた彼女は、そこでようやく、その正体が水だと突き止めた。

 ここで彼女は疑問を抱く。何故水か落ちてくるのか? という、至極当然な疑問だ。

 そしてヘスティアが覚醒(かくせい)した時、彼女は天井から雨音と強風を聴いた。同時に、彼女は悟った。

 ──あっ、これヤバいヤツだ。

 そこからのヘスティアの行動は早かった。普段の鈍臭さを『古代』に置き去った彼女は状況の把握にまずつとめた。そして、危機的状況であるのにも関わらず呑気に爆睡している眷族を叩き起したのだった。

 

 ──そして、現在。

 

「──やめろ、やめてくれェ!? ボクが聞きたいのは正論なんかじゃない! 慰めの言葉だァ!?」

 

 うわぁーん! と、ヘスティアはとうとう幼子のように泣き出した。それは眷族に何も言い返せない悔しさだったり、自分は仮にも女神なのにどうしてこんな思いをという怒りだったり、まともな本拠(ホーム)で暮らせない自分への不甲斐なさだったりと様々であった。

 主神(ヘスティア)が崩れ落ちる中、眷族(ベル)は。

 

「……ハッ! インスピレーションが湧いたぞ! これは書かずにはいられない!」

 

 天井を塞ぐ手をとめ、懐から手記と羽根ペンを取り出した。そして彼は意気揚々と羽根ペンを走らせる。

 

「非常事態でも、否、非常事態だからこそ(つづ)るぞ! 英雄日誌! ──『冒険者ベル・クラネルが主神の必殺技(ツインテールビッグバンアタックスラッシュ)によって起こされると、なんと、本拠(ホーム)が浸水の被害に遭っていた! 廃墟同然の本拠(ホーム)だ、こうなるのは運命、必然と言えよう! 嗚呼、このまま本拠(ホーム)は水没してしまうのか!? ベル・クラネルの冒険はこんな所で終わってしまうのか!? 次号をお楽しみに!』──フッ、長い人生を歩んできた私ではあるが、このような経験は始めてだ……」

 

「悠長にそんな事を言っている場合かァ!」

 

「ギャアアアアアアアアアアアア!?」

 

 再度、ヘスティアから最終奥義(ツインテールビッグバンアタックスラッシュ)を喰らい、ベルは堪らずに断末魔をあげた。

【ヘスティア・ファミリア】は非常事態であろうとも通常運転であった。

 ──五分後。

 天井から降ってくる水は一向にやむ気配がなく、寧ろ増えていた。部屋に散らかっていた木材を掻き集めては蓋をして対処していたが、時間と労力の無駄だと彼等は早々に判断した。

 そして、ベルとヘスティアは寝台(ベッド)の上で向き合っていた。どちらも真剣な表情を浮かべている。

 

「さて、ベル君。ボク達【ヘスティア・ファミリア】が結成してからあと少しで二ヶ月だ。新興派閥なのにも関わらず、ボク達はこれまでに何度も危機的状況に()ってきたけれど、今回はその比じゃないだろう。いやほんと本気(マジ)で。絶体絶命、【ファミリア】の存続を()けた戦いにボク達は挑まなければならない! ──おっ、このお茶美味しいねえ! ウチには無かったと思うけど?」

 

「そうだな。とはいえ、その理由を考えたら実に情けない話なのだが。もしこの話が外部に漏れたら、私達は迷宮都市(オラリオ)の人気者になれるだろう。うん、間違いないネ! ──これは以前、近所のおばちゃんから頂いたものだ。何でも、極東の物らしい。極東は茶が盛んなようでな、様々な種類があるのだとか」

 

「そうだ! 迷宮都市(オラリオ)の全派閥の笑いの種となるだろう! ボク達はそれを何としてでも防がなくちゃあ、ならない! しかし悲しきかな、すぐ近くには絶望がある! つまり(ジ・エンド)って事だ! ──へえ! 今度神友(タケミカヅチ)に詳しく聞いてみるよ! ご近所というと……ああ、いつも良くしてくれる三人家族のご家庭だね。今度御礼に言いに行くよ」

 

「うぅむ、何とかならぬものか。外部に助けを求めようにも、その手段がないからなぁ。やれやれ、昔日(せきじつ)は『未来はきっと世界中の人達と話せるぞ!』と言っては(みな)に笑われたものだが、時代はまだまだ追い付いていないか。──そこの家族だが、最近、妹家族が子供を授かったらしい。そこで何でも、ヘスティアに名付け(おや)になって欲しいのだとか。頼めるか?」

 

魔道具(マジックアイテム)の開発も中々難しいからねえ。まあ、神々(ボク達)からすれば魔石製品の発明こそ革命だけど。ほんと、ヒューマンは凄いねえ。発想力とでも言うのかな? 正直な所、この分野に関してはどの種族よりも飛び抜けて秀でてると思うよ。──名付け(おや)かぁ、これは責任重大だねぇ。それじゃあ今度、その妹夫婦と会ってみるよ。子供は親の影響を受けるから、どんな為人(ひととなり)か知っておきたいんだ」

 

「何でも今代(こんだい)の『英雄候補者』の中には魔道具(マジックアイテム)の製作に長けた者がいるのだとか。もし話す機会があったら提言するとしようかな。──女神である貴女が突然会いに行かれたら彼等も驚いて恐縮するだろう。私が伝言役となり、日程を調整しよう」

 

「まあ、言うだけなら自由で無料(タダ)だしね。言うだけ言ってみると良いさ。──すぐには無理かなぁ。ある程度は考えておくのが礼儀だと思うし……」

 

「そうするさ。何よりも、その人物は絶世の美女らしい! くぅー! 是非お目にかかりたい! さぞや美しいのだろう! 会うのが楽しみだ! ──それに関しては問題ない。聞いた所によると、妹夫婦は都市外の村で住んでいるらしい。だが妊娠した事で都市に永住する事を決めたそうだ。近々大きな祭……【神月祭(しんげつさい)】? だったか。その時に来るらしいからまだ少し先だな」

 

「……ハア、きみってヤツは。昨晩の格好良さは何処へ行ったのやら。──分かった。それなら、ゆっくり考えておくよ」

 

 真剣な表情を浮かべながら、彼等は真剣な話と雑談を交互に繰り返すという、無駄な高等テクニックを披露していた。

 話題が右に行ったと思ったらすぐに左に行くようなものだ。普通の人間なら途中から頭がこんがらがるだろうが、この二人は例外なのか、ごく自然に会議をしていた。しかもお茶を飲みながら。

 先程は呑気な眷族を叱咤し、主神としての威厳を見せていたヘスティアだが、今ではすっかりとそれが消え失せてしまっている。

 もうどうにでもなれ、という諦めの気持ちが彼女の大半を占めていた。お茶をのんびりと飲みながら、【ヘスティア・ファミリア】はゆっくりと静かに壊滅を迎えようと──。

 

「──って、してたまるかァ!? 嫌だよ!? ボクは嫌だよ!? こんな形で天界に送還されるだなんて!?」

 

 下界に居る神々からはニヤニヤと笑われながら見送られ、そして天界に戻ったら「おっかえり〜。はいこれ、お前の仕事なぁ〜」と大量の雑事をニヤニヤと笑われながら放り込まれる未来が見える。

 それは嫌だ。それだけは嫌だ。同じ『社畜』でも、下界の方が遥かにマシだ……! 

 ヘスティアはクワッと蒼の瞳を極限まで開くと、打開策を本気で考えた。

 ベルもまた、夢半ばで死ぬのは御免蒙るので、巫山戯るのをやめて思考を回す。

 そして二人は、

 

「「本拠(ホーム)は捨てよう!」」

 

 全く同じタイミングで、全く同じ事を口にした。

 ぱちくり、と。

 ベルとヘスティアは数秒見詰め合う。そして、自分と同じ考えを相手もしている事を認めると、ニヤリ、と口元を歪ませた。

 

「このままでは本拠(ホーム)共々命尽きるのは必至。ならばその前に!本拠(ホーム)を捨てて脱出しようという作戦だな!」

 

「その通りだ! 譲ってくれたヘファイストスには悪いけど、一度放棄だ! なぁに、優しい彼女だ、きっと許してくれるさ! それにこれを機に掃除も出来る! 一石二鳥だ!」

 

 二人の作戦はとてもシンプルだった。

 ベルが言ったように、あと数分もすれば最後の砦である出入口は大量の水に耐え切れず壊れるだろう。そうなれば当然、せき止められていた水は本拠(ホーム)に浸水する事となる。ならばその前に脱出すれば良いという、『逃げ』の一手だった。

 廃墟同然とはいえ、仮にも派閥の本拠(ホーム)を手放すというのは危険な行為だ。他派閥の主神が聞いたら正気かと疑う案件だが、しかしながら現状、【ヘスティア・ファミリア】に打てる手はこれしかない。

 

「問題はその後だ。何処に逃げる?」 

 

「そうだなぁ……流石に退廃地区(スラム)はなぁ……。それこそ他派閥から攻め込まれたら勝ち目はないし、『ダイダロス通り』は魔窟と聞くし」

 

 ベルの質問に、ヘスティアは「うぅ〜〜ん」と両手を胸の前で組んで唸った。

 

管理機関(ギルド)は一般市民の避難誘導やら何やらで多忙を極めているだろう。そこにお邪魔するのもなぁ……」

 

 そして彼女は、ぽんっ、と手を叩いた。

 そして、至って真顔で言う。

 

神友(ミアハ)の所に転がり込むか」

 

 それはあまりにも突拍子のない且つ他力本願な考えだった。

 ヘスティアは己の考えを口にする。

 

鍛冶神(ヘファイストス)の所でも良いけど、ボクには()()がある。とはいえ、優しい彼女の事だ、ぶちぶち文句を言いながらも泊めてくれるだろう。正直な所、ボクも彼女の所で厄介になりたい。彼処での生活はとても快適だったからね」

 

「なら、何故?」

 

「神の直感サ。何だろう、もしヘファイストスの所に行ったら、今日ボクは天敵と会う気がするんだ」

 

 なるほど、とベルは頷いた。

 それから彼は自身の考えを口にする。

 

「私もヘスティアに賛成だ。【ミアハ・ファミリア】と私達は専属契約を結んでいる。言わば私達は一蓮托生! きっと助けてくれるに違いない!」

 

 それはあまりにも他力本願な考えだった。

 犬人の女性が半眼で物言いたげに見ている気がしたが、ベルはそれを気の所為だと思う事にした。

 

「「フッ、フハハハハハハハハッ!」」

 

 ベルとヘスティアは何度目になるか分からない共感を覚えていた。

 やはり、自分達は根本的な考え方が似ている! 

 派閥(ファミリア)サイコー! と狂喜乱舞し、踊りを始める二人を止められる者は居ない。あるいは、もしこの場に彼等の友人が居れば「似ては行けない部分で似てどうする!」と突っ込むだろうが。

 

「「いえーす!」」

 

 ベルとヘスティアはハイタッチすると、それまで呑気に過ごしていたとは思えない速度で動き出した。 

 

「私の場合、必要なのは──」

 

 ベルはまずダンジョン探索用の装備を全て纏めた。現在の主武器(メインウェポン)である《プロシード》に、予備(スペア)の武器である《プロミス─Ⅱ》。軽装の防具に牽制用の投げナイフ。貯えていたありったけの回復薬(ポーション)に、友人(アミッド)から貰った万能薬(エリクサー)

 次に、故郷から持ってきた思い出の数々。祖父から受け継いだ沢山の英雄譚と書物、これまでに紡いできた『英雄日誌』。そして最後に、派閥の総資産であるヴァリス金貨。【ヘスティア・ファミリア】の貯金は現在、約125万ヴァリス。金庫に厳重に閉まっていたヴァリス金貨を幾つかの巾着袋に分けた。

 

「ボクの場合、必要なのは──」

 

 ヘスティアもまた、準備を順調に進めていた。

 まず絶対に無くしてはならないのは、【ファミリア】の運営に関わる重要書類だ。これを無くせば面倒な事になるのは必至だろう。幸い、眷族が纏めて整理してくれていたおかげで、書類の在処に困る事はなかった。魔道具(マジックアイテム)の封筒に纏めて入れる。

 次に、アルバイトの制服である。これは借りている物の為、無くしたり破いてしまった場合は弁償しなければならず、それは全額自己負担となっていた。予備(スペア)もタンスから取り出し、肩掛けバッグの中に入れる。

 そして最後に、数日分の洋服だ。次いつ本拠(ホーム)に帰って来られるか分からない為、洋服は必要だろう。自分とベルの分をタンスから適当に取り出し、リュックサックの中に入れる。

 

「「準備出来た!」」

 

 ベルとヘスティアは全く同じタイミングで、全く同じ事を言った。互いにサムズアップし、彼等は出口に立つ。

 錆だらけの重厚な扉は、ギシギシと悲鳴を上げていた。耳を澄まさずとも、大量の水が地上から落ちているのが分かる。

 

「……ゴクリ」

 

 この扉を開けた時の光景を騒々し、ヘスティアは思わず生唾を呑んだ。

 そんな彼女を安心させるかのように、ベルは彼女の手を握って笑いかけた。

 人の温もりを感じたヘスティアは我を取り戻すと、にこり、とベルに笑い返す。そして、ぎゅっ、と少年の手を強く握った。

 

「よし、開けるぞ!」

 

「ああ、何時でも構わないぜ!?」

 

 ヘスティアはベルの号令に、そう、叫び返した。

 ベルは「宜しい!」と口元を三日月に歪めると。

 左腰の調革(ベルト)()められている剣──《プロミス─Ⅱ》を鞘から抜いて声高に言った。

 

「言おう、英雄日誌! ──『ベル・クラネルと主神が相対するは災害級の暴雨! 彼等は命を賭し、槍の如く降り注ぐ雨と、身体を吹き飛ばす程の烈風が待つ街中に身を投じるのであった!』──行くぞ、ヘスティア!」

 

 ベルはそう言うと、《プロミス─Ⅱ》を上段から振り下ろした。狙うは、扉の鍵部分。

 銀線が(ひらめ)くと同時、鍵は切れた。そして、最後の防波堤は決壊を起こす。

 

「「……ッ!?」」

 

 それまでせき止められていた大量の水が、雪崩込むように地下室を襲う。ベルとヘスティアの身体は瞬く間に覆われ、呼吸を奪われた。

 想像以上の事象にベルは動揺を隠せない。

 だが彼はすぐにそれを切って捨てた。

 

(行くしかない! 私は兎も角、ヘスティアは下界の住人と能力は変わらないのだから!)

 

神の力(アルカナム)』を封じている女神は全知零能。『神の恩恵(ファルナ)』を授かっているベルとは違い、今の彼女は幼子だ。

 ベルは眦を吊り上げると、ヘスティアを荷物ごと抱き抱えた。決して離れぬよう、彼女の小さな身体を抱き寄せる。

 ヘスティアは一瞬だけ驚くと、すぐに力を抜いてベルに身体を委ねる。それは、自分を守ろうとしてくれる少年への信頼からくるものだった。

 ベルは彼女を抱く片手に更なる力を込めると、一歩、水中で歩き出した。【ステイタス】の『力』にものを言わせ、彼は水を蹴って暗雲立ち込める地上へ向かうのだった。



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避難

 

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが猛烈な悪天候に襲われる中。

 西のメインストリートを、一組の男女が傘やレインコートを着ないで歩いていた。否、歩くという表現は不適切で、()う、という表現が最も適しているだろう。

 

「ぎゃあああああああああああ!? ベル君、風で飛ばされるぅぅぅぅぅぅ!?」

 

「私にしっかりとしがみつくんだ! 絶対に離さないでくれ!?」

 

「おっとベル君、それは所謂『振り』ってヤツかい──ぶへぇっ!?」

 

「HAHAHAHAHA! 『振り』なら良かったがな! 生憎本気(ガチ)だ!」

 

「くそぅ────!? これが世界の終焉ってヤツか!?」

 

 荒れ狂う暴雨と吹き荒れる暴風が支配する表通りを、少年(ベル・クラネル)幼い女神(ヘスティア)は突き進んでいた。

 槍の如く降り注ぐ雨によって、二人の視界は遮られていた。時折覗き見える魔石灯(ませきとう)の頼りない光とこれまでに培ってきた地理感覚を活用して、彼等は目的地である【ミアハ・ファミリア】本拠(ホーム)──『(あお)薬舗(やくほ)』へ一心不乱に向かっていた。

 

「ベルくぅぅぅぅぅん!? そろそろボク限界だよ!? このままだとポッキリと()って、光の柱になって天に昇るよ!?」

 

「それは困るから是非とも耐えてくれ!」

 

「コンチキショー!?」

 

 女神としてあるまじき発言をしながら、ヘスティアはこの現状を嘆いた。

 しかしながら、彼等は着実に進んでいた。表通りから裏道に入り、光が全く差さない常闇の中を歩く。

 

「ぜぇ……ぜぇ……!」

 

「こひゅー……こひゅー……!」

 

 ベルとヘスティアの体力は限界に近かった。

神の恩恵(ファルナ)』を刻まれているベルは一般人とは比較にならない程の力がある。しかしながら、道中ずっとヘスティアをずっと抱き抱え、さらには、大量の荷物を背負っていては、体力が尽きるのは仕方のない事だった。

 しかしそれ以上に、ヘスティアの消耗は酷かった。本来の住処である天界なら話は別だが、神を神たらしめる要因の一つである『神の力(アルカナム)』を封印している彼女は下界の子供と同等の体力しかない。幼女でしかないヘスティアにとって、今回の決死の避難は精神的にも物理的にも厳しいものがあった。

 

「い、意識が……遠のく……」

 

「ヘスティア、気をしっかりと強く持つんだ! 貴女が此処で天に昇ってしまったら、私一人だけが住民の笑い者となってしまう!? それは嫌だぞ!?」

 

「オイ、そこは嘘を吐いてでも『貴方との別れが悲しい!』とか『ヘスティアー!』とか言って叫んでくれよ! そうじゃないと、ボク達に家族(ファミリア)の絆がないみたいじゃないか!」

 

「神に『嘘』は通用しないからネ、仕方ないネ!」

 

「あとで覚えておくんだぞ!?」

 

 たとえそれが空元気だとしても、仲良く言い争いをする事で彼等はそれを活力にしていた。だが、しかし、それにも限界はある。

 

「ヘスティア……?」

 

「……」

 

「……ッ! しっかりするんだ、ヘスティア!」

 

 眷族の言葉にすら、もう、ヘスティアは返す気力がなくなっていた。

 ベルが庇っているとはいえ、天から降り注ぎ身体に刺さる雨は氷のように冷たく、体温を下げるばかりだ。生暖かい風はただただ不快で、彼女は顔を顰めてしまう。

 

(まずいな……このままだと冗談抜きで生命に関わってくる。早く『(あお)薬舗(やくほ)』に行かなければ。避難先としても、彼女の容態を診て貰うとしても……)

 

 ベルはとても冷静だった。

 ぐったりとするヘスティアの意識、彼女の置かれている状態を正確に把握する。

 そして彼は深紅(ルベライト)の瞳を見開くと、ゆっくりと、されど必死に一歩を踏み出す。

 そして。

 

「……すまない、ヘスティア。緊急事態だ、使わせて欲しい。──……(わら)おう、たとえどんな苦難(くなん)があろうとも】

 

 謝罪の言葉と共に、『詠唱(ことば)』を唱えた。

 刹那、少年の身体から魔力が練られる。そして彼を中心として、幾何学的(きかがくてき)な紋様が地面に描かれた。

 すると紋様の線から大小の黄金の粒子が立ち昇り、ベルとヘスティアの身体を優しく包んでいく。

 灰色の世界の中で尚、その眩い輝きは辺り一帯を照らしていた。自宅に避難している住民達が突然の光に何事かとカーテンを続々と開ける中、ベルはそれに構う事はなかった。

 

(つむ)がれるは『喜劇(きげき)』。(やみ)()くは希望(きぼう)(ひかり)暗黒(あんこく)時代(じだい)終焉(しゅうえん)を、(ほろ)びを(むか)える世界(せかい)(わら)いと(すく)いを(もたら)せ】

 

 二度目の『詠唱』は一回目よりも滑らかだった。だが()()()()()である『魔法』を完成させる為の膨大な魔力を制御する事は難しく、未だ慣れていない。故にベルは『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』せぬよう細心の注意を払いながら、確実に、それでいて早く『詠唱』を紡ぐ。

 

「──【約束(やくそく)(とき)がきた。さあ、『喜劇(きげき)』を始めよう】──【アナステイスィス・イロアス】」

 

 詠唱者(ベル)が最後に名称を言うと、地面に描かれた紋様はより一層の輝きを放ち──。

 そして、『魔法』は完成され、発動された。

 ベルはその事を確認すると、重心を限界まで下げ、右脚に力を入れた。そして深紅(ルベライト)の瞳を輝かせると同時、地面を思い切り強く蹴る。

 その様子を見ていた近隣住民達が「あっ!?」と驚愕の声を上げた時には、もう、少年は光となって駆けていた。人々は最後に、残っていた黄金の粒子だけを見るも、それも数秒後には何も無かったのように霧散してしまう。結局、彼等は今の出来事を忘れる事に決めたのだった。

 

「ヘスティア、あと少しの辛抱だ! 『青の薬舗』に着くぞ!」

 

 暴風が逆風となって襲うが、只人の動きは微塵も揺らがなかった。暴雨が視界を遮断し、数えるのも億劫になるほどの数多の冷たい水が身体を刺すが、只人には何も意味がなかった。

 黄金の粒子を身に纏い、ベルは表通りを駆け抜ける。そして、目的地がある裏路地へ飛び込んだ。

 

「──ッ! 見えたぞ、ヘスティア!」

 

 胸に抱いている少女に励ましの声を贈り続ける。

 ヘスティアはその声に反応すると、蒼の瞳をおもむろに開けた。そして儚くも美しく笑みを眷族(むすこ)に向けた。

 

「……そうか。それなら……良かったよ……」

 

 たどたどしくも、ヘスティアはそう言った。それから、ぐったりと脱力する。綺麗な蒼の瞳は閉じられ、その視線をベルに向ける事はなかった。

 ベルは一瞬だけ顔を歪めると、すぐにいつもの笑みを貼り付かせる。両脚にさらなる力を込め、加速。少年の強き想い(いし)に呼応するかのように、黄金の光は強烈に光り輝いた。

 路地裏の更なる深部に入ったベルは、深紅(ルベライト)の眼を凝らす。

 

「見付けた!」

 

 少年の喉から反射的に出た声は喜色で滲んでいた。

 線のように走る雨に紛れ、魔石灯の光が辺りを照らしている。外界と隔離されているかのようにぽつんと()っている一軒家──【ミアハ・ファミリア】本拠(ホーム)、『青の薬舗』。風で飛ばされる事を危惧してか、派閥(ファミリア)徽章(エンブレム)が描かれた看板は店内に片付けられていた。

 ベルは疲弊している身体に鞭を入れる。そして、最後の力を振り絞って数十(メドル)の距離を詰めた。

 

「早朝からすまない! 私だ、ベル・クラネルだ! 中に入れて頂けないだろうか!?」

 

 黄金の粒子が消えた──『魔法』の効果が切れた──事にも一切構わず、ベルは両開きの木扉をやや強く叩いた。そうする事で、自分の存在を住民に伝えた。

 数秒も掛からずして、ベルは、扉越しに人の──神の神威(しんい)を感じ取った。

 

「ベル……? 扉を隔てた先に居る其方(そなた)よ。其方(そなた)、ベルと名乗ったか?」

 

 ベルは声主をすぐに察した。

 その気遣い、その優しい声音は薬神(やくしん)そのもの。扉一枚を隔てて、男神ミアハが立っているのを、ベルは確信した。

 男神(おがみ)の質問に、ベルは声を張り上げて答える。

 

「如何にも! 我が真名()はベル・クラネル! 貴方達【ミアハ・ファミリア】と専属契約を結んでいる者──【ヘスティア・ファミリア】所属ベル・クラネルだ! 【ファミリア】壊滅の窮地に遭った為、貴方達に助けを求めて此処に参った!」

 

「何……? 【ファミリア】壊滅の窮地だと? それは誠か?」

 

「我が真名(しんめい)、そして、敬愛する我が主神に賭けて誓おう! どうか、私達を助けて頂きたい!」

 

 ベルが強くそう叫んで懇願すると、すぐに返答はきた。

「待っておれ。すぐに扉を開けよう」という言葉と共に、ガチャ! と鍵が解錠される。外開きの為ベルが半歩下がったタイミングで、木扉はおもむろに開放された。

 

「いったい何があったのだ、ベル──ッ!?」

 

 男神ミアハはベル達の姿を認めると、気遣いの表情から驚愕の表情へと変えた。

 髪色と同色である群青の瞳を細めると、彼は背後に控えている唯一の眷族に声を飛ばした。

 

「ナァーザ、すまぬが暖炉の用意をしてくれぬか。幾つか薪が残っていたであろう。それを使えば()い」

 

 分かりました、と返事をするナァーザに「頼むぞ」と言うと、ミアハはベルに優しく微笑んだ。

 

「この悪天候の中、よくぞ私達を頼ってくれた。まずは入るが中に()い、そして、身体をあたためるのだ。話はそれからでも遅くなかろう」

 

「すまない、男神ミアハ。貴方のお慈悲に感謝を」

 

「そう畏まるでない。私達は隣人、助け合うのは当然なのだから」

 

 そう言うとミアハはベルに近付いて、ベルの背中の荷物を取った。「このような重い物を背負って此処まで来たのか」と驚きながら、彼は本拠(ホーム)に入っていく。一般人に等しいミアハがそれを持つのはたいへん苦労するだろうに、それを全く抱かせない振る舞いだった。

 

「ありがとう」

 

 ベルは、そう、万感の思いで感謝の言葉を口にした。

 この感謝の気持ちを決して忘れぬよう心に誓い、彼はヘスティアと共に『青の薬舗』に入るのだった。

 



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神々の憂慮

 

 倦怠感(けんたいかん)

 それこそが、ヘスティアが意識を取り戻した時に抱いた身体の異変だった。

 

「怠い……」

 

 身体を起こそうとするも、自分の思うように身体が動かない。力を入れようと試みるもまるで上手くいかない。視界は鮮明(クリア)になったかと思いきやぼやけ、断続的な頭痛が襲ってくる。

 とてもではないがこれは無理だと、ヘスティアは起き上がるのを渋々ながら諦めた。その代わり今にも閉じそうな眼を強引に開け、事態の把握につとめる。

 目の前にある天井は、自分がいつも目覚めた時に見る物ではなかった。ボロさ、という点では共通しているが、ヘスティアの知っている本拠(ホーム)の天井は頭上の物よりも遥かに汚れていて、罅が走り、今にも破片が落ちてきそうだった。

 顔を左に向けてみれば、やはり、見慣れた景色はそこにはなかった。【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)教会(きょうかい)(かく)部屋(べや)』は地下にある為、窓がない。そうだというのに、そこには雨戸があった。()()()()()()()()

 うんしょ、と、ヘスティアは顔を反対側に向ける。そこで彼女は部屋の全容を把握した。ロッカーの中には沢山の空き瓶や医療器具だと思われる物が仕舞われている。壁の一角に置かれている本棚には沢山の本が並べられていて、そこから取り出したのだろう、テーブルの上には何冊もの本が塔となって積み上げられていた。娯楽品といったものは全然なく、生きていくうえで必要な物だけがこの一室にはあった。

 そして再び仰向けになろうとした時、クシャッ、という物音がヘスティアの鼓膜を打った。思うように動かない右手を懸命に動かして枕元に手を伸ばし、それを摑む。手触りが、羊皮紙のそれだと教えてくれた。

 それを顔面に引き寄せ、そこに書かれている文面を読む。読み終えた彼女は「ああ、そうか」と納得がいったように溜息を吐いた。

 

「ボク達の本拠(ホーム)、無くなったんだっけ……」

 

 その事実だけが、ヘスティアの胸中を満たした。

 そして彼女は、自分の置かれている状態を正確に把握する事に成功した。

 

「あー、ミアハに土下座をしないとなぁ……」

 

 此処は、【ミアハ・ファミリア】本拠(ホーム)──『(あお)薬舗(やくほ)』。

 本拠(ホーム)の『教会の隠し部屋』が豪雨によって崩壊された【ヘスティア・ファミリア】は、助けを求めて知己の仲である薬神の派閥(ミアハ・ファミリア)を訪れたのだ。

 そして、その豪雨はまだ続いている。窓を鳴らす雨音に、ヘスティアは思わず重い溜息を吐いた。

 

 

 

 

§

 

 

 

「ナァーザ特製の粥だ。味は美味く、栄養も満点。其方の疲弊し切った身体を癒してくれるだろう」

 

 男神(おがみ)ミアハはそう言いながら、出来たてホヤホヤの粥とスプーンをヘスティアに渡した。

「ありがとう」と小さな笑みと共にヘスティアは感謝の気持ちを伝え、一口、お粥を口に入れた。

 

「……うん、美味しいよ。とてもね」

 

「そうかそうか、それは実に良かった。心配はあまりしていなかったのだが、その様子なら味覚は正常のようだな」

 

「……おいおい、恐ろしい事を言わないでくれよ」

 

 ヘスティアがそう指摘すると、薬神は「すまぬ、職業柄故にな」と申し訳なさそうに謝った。

 それを受け、うぐっ、とヘスティアは言葉に詰まる。彼女としてはあくまでも冗談のつもりだったのだが、真面目な男神(おがみ)には通じなかったようだ。

 

 ──ヘスティアが目覚めてから、数十分が経った。

 

 メモが遺された羊皮紙を読んだ後、ヘスティアは如何にして自分の覚醒を伝えようかと悩んだものだが、それはすぐに杞憂(きゆう)に終わった。すぐにミアハが夕刻の巡回に来たからである。

 

「しっかし……まさか、殆ど一日中寝ていたとはねぇ……。全然その実感がないや」

 

 ヘスティアが呟いたように、壁に掛けられている時計は十八時を指していた。彼女の記憶が確かなら、本拠(ホーム)が崩壊したのは朝方だ。

 つまりそれ程の長時間、ヘスティアは寝台(ベッド)の上で寝込んでいたという事に他ならない。

 ミアハはその呟きを拾うと、神妙(しんみょう)な面持ちで頷いた。

 

「其方の眷族が運んできた時はもっと酷い状態でな、とても驚いたぞ」

 

「ハハハ……。迷惑を掛けてごめんよ……」

 

 シュン、と項垂れるヘスティア。

 落ち込む女神を、ミアハは「気にするでない。其方が無事で誠に良かった」と笑顔と共に慰めた。

 それを受けたヘスティアは思わず胸を抑えて、

 

「おぉう」

 

 と、呻いてしまう。

 それを状態の悪化だと勘違いして焦る男神を他所に、ヘスティアは心底思った。

 

(な、なるほど……これが噂に聞く、ミアハの『スケコマシ』ってヤツか)

 

 自分が処女神じゃなかったら堕ちていたかもしれない。

「ど、どうかしたのか!?」と尚も勘違いし純粋に心配してくれるミアハが、処女神には恐ろしく映った。

 

「──ベル君はダンジョンかい?」

 

 動揺を抑えつつ、目覚めてから気になっていた事を口にして尋ねる。

 ミアハは無言で頷くと、居住まいを正した。そして、ヘスティアが眠っていた数時間の出来事を説明した。

 

「ベルは意識を失っていた其方を『青の薬舗』に運ぶや否や、其方の診察を頼んだ。そして命に別状がないことを知ると、今度はダンジョンに行くと言い出してな。衣服はびしょ濡れ、身体は消耗し、精神枯渇(マインド・ダウン)の前触れ、さらにはこの悪天候の中でダンジョンに行くなど、正気の沙汰ではない。無論、私とナァーザは今日はやめるよう説得したのだ。だが──」

 

(みな)まで言わなくても分かるよ。ありありとその光景が目に浮かぶ。あの子はミアハ達の説得を聞きつつも、ダンジョンに行くの一点張りだったんだろう?」

 

「──その通りだ。そして、私達はベルを言い負かす事が出来なかった。ベルの目が、自分は絶対に引かないと如実に物語っていてな。私達は精神力(マインド)が枯渇している彼に精神力回復薬(マジック・ポーション)を渡す事と、其方宛への手紙を受け取る事しか出来なかった」

 

 手紙? と首を傾げるヘスティアの前で、ミアハは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。

 ヘスティアはそれを受け取ると文字に目を通す。普段から自伝を書いているだけはあり、ベルの字はとても達筆だ。だが今回は慌てて書いた為か形が崩れてしまっている。濡れた手で羽根ペンを走らせたのだろう、水の跡が数箇所ついていた。

 

「えっと──『拝啓、我が愛しの主神よ! この手紙をご覧になっているという事は目が覚めたのだろう! 薬神(ミアハ)から貴女の生命に危機が無いことは伝えられたが、まずは目が覚めた事が嬉しく思う!本当に良かった! ──そのような状態の貴女を残すのは非常に心苦しいが、昨晩話した通り、時間がない。それ故に、私はダンジョンに赴こうと思う。嗚呼、慈愛の女神よ、主神(おや)を置いて死地に飛び込む眷族(こども)の愚行をどうか許し(たま)え! 親不孝者のベル・クラネルより』──どうして手紙でもこんなに賑やかに出来るのかな……?」

 

 これも一種の才能かぁ、とヘスティアは眉間に手を当て嘆息する。そして、ミアハに笑顔を見せた。

 

「まあ、聞いての通りだ。ベル君は今、厄介な問題を抱えていてね。しかも早急に解決しないといけないんだ。だからミアハ、気にしないでくれ」

 

「……そういう事であるのなら、承知した。──さあ、粥が冷めてしまう。その前に完食してくれると、ナァーザもよろこぶだろう。話はそれからでも良いだろう」

 

 言われるがままに、ヘスティアはスプーンを再度動かして粥を頬張った。

 頬を緩ませ、ほう、と感嘆の吐息を吐き出す。

 

「それにしても、全く、ミアハが羨ましいぜ。これだけ美味しい料理を毎日食べられるなら、男冥利に尽きるだろう」

 

「うむ、自慢の娘の手料理だ。毎食美味しく戴いているとも。父としては自慢の娘だ、そろそろ、男子を本拠(ホーム)に連れてきて欲しいのだがなぁ……」

 

「そ、そうだね……」

 

 ミアハの言葉に頷きながらも。

 本気かこいつ、とヘスティアは半眼をつい送ってしまう。

 

(どうしてナァーザ君が自分に恋をしているとは思わないのかなぁ……?)

 

 彼の唯一の眷族、ナァーザ・エリスイスは他ならないこの男神(おとこ)に好意を抱いている。その事は彼女から何度か相談を受けているし、誰が見てもそれは一目瞭然だ。一度たりとて恋愛をした事がない──求婚(アプローチ)された事は何度かあるが──処女神(ヘスティア)でさえ分かるのに、この男神と来たら全く気付かない。

 朴念仁(ぼくねんじん)にも程がある。いや、これはただ『鈍い』という言葉で片付けて良いものなのかと、ヘスティアは内心で唸った。

 どうして目の前の薬神(ミアハ)といい、武神(タケミカヅチ)といい、鍛冶神(ヘファイストス)といい……周りの神友はこうも面倒臭いのだと──ヘスティアは自分の事を棚に上げてつくづくとそう思った。

 

「改めて、謝罪と感謝をしたい」

 

 夕食を平らげたヘスティアは、真剣な顔を浮かべてそう切り出す。そして、【ヘスティア・ファミリア】の主神は深々と頭を下げて言った。

 

「ボク達を助けてくれて、本当にありがとう。君達が居なければ【ヘスティア・ファミリア】は文字通り壊滅していただろう。今回の出来事、そして恩を決して忘れはしないと、ボクの真名(しんめい)、ボクの魂に誓おう」

 

「うむ。その言葉、この私──薬神(やくしん)ミアハが受け取った」

 

 薬神(ミアハ)はそう言うと、炉の女神(ヘスティア)にこのような提案をした。

 

「其方達【ヘスティア・ファミリア】が新たな本拠(ホーム)を見付けるまで、あるいは、建てるまで、好きなだけ此処に居ると良いだろう。まあ尤も、私達【ミアハ・ファミリア】も知っての通り零細派閥な為、あまり豪華な出迎えは出来ないが……その分、気持ちだけでも其方達を歓迎しよう」

 

「わあっ、それは嬉しいな! ありがとう神友(ミアハ)! やっぱり、持つ者は神友(マブダチ)だね!」

 

「はっはっはっ! 実に都合のいい言葉だが、其方が言うと全く気分を害されないのだから不思議だな!」

 

 ミアハはそう爽快に笑うと、そこから一転、同情の眼差しをヘスティアに送った。

 

「しかし、其方達も不運が重なるな。新興派閥がここまで厄介事──失礼、面倒事に巻き込まれるのは聞いた事がないぞ」

 

「待ってくれミアハ。言い直して貰った所悪いけど、それ、あまり意味がないからね」

 

「すまん。まあ、私も神だからな。許してくれよ」

 

 ミアハは神の中では神格者だ。しかし彼が『娯楽』を求める神である事に変わりはない。

 ヘスティアは「ハア……」と深々と溜息を吐くも、それ以上追及するのはやめた。彼女がミアハの立場なら、恐らく、似たような態度を取るだろう。つまり、お互い様という事だ。

 

「始まりはひと月前。【ロキ・ファミリア】が取り逃した猛牛(ミノタウロス)との逃走劇。次は、怪物祭(モンスターフィリア)で繰り広げた銀の野猿(シルバーバック)との死闘。謎の冒険者からは迷宮(ダンジョン)探索中に襲われて大怪我を負わされた。そして今回は本拠(ホーム)の崩壊か……うむ、盛り沢山であるな!」

 

【ヘスティア・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】は正式に同盟を結んでいる訳ではないが、実質的にはそのような関係を築いている。

 それ故にヘスティアは、何か大きな出来事が起こればその都度報せていた。

 

「余程の不運が重ならなければ、こうはならぬと思うのだが」

 

「ベルは余程の巻き込まれ体質(トラブルメーカー)のようであるなぁ……」と感想を漏らすミアハに、ヘスティアは唇を尖らせた。

 

他人事(ひとごと)のように言わないでくれよぅ。もう、解決しないといけない問題が沢山あり過ぎて、ただでさえボクの頭は限界なんだ」

 

 やれやれだぜ、と頭を振るヘスティア。

 ミアハは愉快そうに笑いながらも、助言を送る。

 

「しかし、それが派閥(ファミリア)の主神というものだ。早いか遅いかの違いだけだぞ? 【ファミリア】運営を行うにあたって必ず直面する『壁』。これを乗り越えられなければ【ファミリア】の拡充は不可能だ」

 

「【ファミリア】の拡充、かぁ……」

 

「如何にも。今はまだ眷族はベル一人しか()らぬが……きっと遠くない未来、【ヘスティア・ファミリア】の門を叩く子供が訪れるであろう。そうして仲間を増やし、幾つもの『壁』を踏破し、【ファミリア】は少しずつ成長していくのだ」

 

「偉大な先達である君にそう言われると、言葉の重みを感じずにはいられないね」

 

「『偉大な先達』か……。私達には似合わぬ響きだな」

 

 失笑するミアハを見て、ヘスティアは眉を顰める。

 

「……おいおい、らしくないじゃないか。今でこそ【ミアハ・ファミリア】は等級(ランク)が低いけれど、昔日は違ったのだろう? それこそ数年前に起こった都市滅亡の危機──『暗黒期(あんこくき)』の際は大活躍だったんだろう?」

 

「……誰がそのような事を其方に吹き込んだのだ?」

 

「ヘヘン! 決まっているだろう! ボクの神友、ヘファイストスさ!」

 

「……で、あろうなぁ」

 

 ミアハが遠い目をする目の前で。

 神友の鍛冶神から聞いた情報をヘスティアは記憶から掘り起こした。

 ──『暗黒期』。

 七年前、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ──ひいては下界全土を巻き込んだ絶望と嘆きの時代。『正義』と『悪』が己の主張をぶつけ合った、熾烈で苛烈な戦い。

『正邪決戦』、或いは──『歴史の転換期』の一つ。

【ミアハ・ヘスティア】は『正義側』として参戦、医療という分野で大活躍したのだと聞いている。

 

「昔は【ディアンケヒト・ファミリア】と並ぶ程の医療系【ファミリア】だったそうじゃないか」

 

【ファミリア】には幾つかの系統がある。

 最も多いのは探索(ダンジョン)系。迷宮都市(オラリオ)に本籍がある派閥の殆どはこれであり、【ヘスティア・ファミリア】もこれに属している。都市を代表する最強派閥も探索(ダンジョン)系である事から最も注目を浴びやすく、『華』であると言えよう。

 探索(ダンジョン)系の他には、鍛冶系や農業系、漁業系、国家系といったものがある。

 そして、医療系。この派閥は文字通り、医療を提供している。とはいえ、この派閥は数える程しかない。それには幾つか理由があるが、今回は割愛とする。

 話に挙がった【ディアンケヒト・ファミリア】は医療系【ファミリア】の頂点に位置する派閥と言っても差し支えない。多くの治療師(ヒーラー)薬師(ハーバリスト)その他多くの専門職(プロフェッショナル)を抱えているこの派閥は、都市の住民から絶大な支持を得ている。

 その【ディアンケヒト・ファミリア】と、【ミアハ・ファミリア】は嘗てライバル関係にあったのよ──神友から聞いた言葉を頭の中で反芻(はんすう)させるヘスティアに、ミアハは苦い表情で言った。

 

「……とはいえ、それも其方が言ったように昔の事だ。今ではその【ディアンケヒト・ファミリア】に多額の借金(ローン)をし、【ファミリア】運営は辛うじて行えている状況だ」

 

「でもそれは、眷族(ナァーザくん)の為だろう?」

 

「……ヘファイストスにはそこまで言った記憶はないのだが」

 

「そりゃあ、そうだよ。だってナァーザ君から直接聞いたからネ!」

 

 パチン、とウィンクするヘスティア。ミアハが真顔になる中、彼女は表情を正すと優しく言った。

 

「そして君はそれを後悔していない。ボクは君の、そういう所が本当に凄いと思うし尊敬しているんだ」

 

 だから自分を卑下しないでくれよ、とヘスティアは諭した。

 長い付き合いで今更ではあるが、どうもこの男神は自己評価が低い。

 尊敬している神友が必要以上に卑下するのが、彼女には我慢ならなかった。だから彼女はそれが傲慢だと分かっていながら、思っている事をそのまま口にした。

 

「女神である其方にそこまで言われれば、これ以上はよそう。確かに、私は悲観的になっていたのかもしれぬな。気付かせてくれてありがとう、神友」

 

「うん、どういたしまして! しかし、君がまさかそこまで思い込むだなんて。無理には聞かないけれど、今月分の返済額は用意出来た、あるいは、出来そうなのかい?」

 

「それは……。まあまあ、と言った所だ……」

 

 ミアハは困ったように笑うと、ヘスティアから視線を僅かに逸らした。

 誠実な男神にしては珍しい仕草に、鈍臭いと自覚しているヘスティアでさえも察してしまう。

 

「あー……えっと、ごめんよ」

 

 ミアハは「謝る必要はない」と言ってから、言葉を続けた。

 

「承知の通り、私達【ミアハ・ファミリア】は【ディアンケヒト・ファミリア】に借金をしている。それもかなりの多額──いや、()()だ。私達は毎月、向こうが指定してきた額を納めなければならない」

 

「居候させて貰うのだから、幾らか出そうか?」

 

「その申し出はとても嬉しいが、それでは私達の関係が(いびつ)となってしまう。元よりこれは私達の問題なのだから、其方達が気に病む必要はないのだ」

 

 ヘスティアは「なら良いけどさ……」と引き下がりながらも心配だった。

 彼女は【ミアハ・ファミリア】の事情をミアハ本人から聞いているが、その全容までは流石に知らない。つまるところ、どれだけの額を借金しているのか分からないのだ。

 知己の仲とはいえ、踏み越えてはならぬ一線というものはある。ヘスティアも重々それは分かっているので、追及は出来ないでいた。

 

「……しかし、其方達の厚意を無下(むげ)にするのも忍びない。もしもその時が来たら頼りにさせて貰うが、良いか?」

 

「モチのロンさ!」

 

「とはいえ、ベルが定期的に回復薬(ポーション)を購入してくれるだけでも、我々としては非常に助かっているのだが。やはりどうしても、顧客の獲得は難しくてなぁ」

 

 私には商才がないのだろうか、と首を傾げるミアハ。

 

「容姿が整っている神々(ボクたち)が売り子に出れば、一定の売上は期待出来そうなものだけど……?」

 

「最初の一回目は好感触なのだがなぁ……。どうしても二回目、三回目と繋がらぬのだよ」

 

「あー、ボクもその気持ちは分かるなぁ。ほら、一応ボクも『ジャガ丸くんの屋台』で働いているけどさ、常連さんを作るのは大変だと、そう、ひしひしと感じているんだよね」

 

 二柱(ふたり)の神は揃って苦笑した。しかしながら、ヘスティアもミアハもそこに苦しみはない。彼等にとっては、これも下界の醍醐味である『娯楽』なのだ。

 下界の子供達と同じ目線に立ち、苦楽を共にする。それが、神々が下界に降臨した理由の一つである。

 

「私も大通りに足を運んでは、回復薬(ポーション)を売ろうとしているのだが、最近は見向きもされなくなってしまった」

 

「そりゃあ、また何でだい? 君の誘いを断るだなんて、そんな子供がいるとは信じられないよ!」

 

 ──ましてや女子(おなご)が。

 という言葉を呑み込みつつ、ヘスティアは問うた。

 

「いや、無視をされるという訳ではないのだ。此方が話し掛ければ、皆、話には付き合ってくれる。だが、回復薬(ポーション)を売ろうとすると全く駄目なのだ」

 

「へえ……何か理由でもあるのかな?」

 

 うむ、と薬神(ミアハ)は頷いた。

 分かっているのなら勿体ぶらないで教えてくれと、ヘスティアは思いながら目で続きを促す。

 するとミアハは奇妙な事に、どこか嬉しそうな表情を浮かべた。そして、言う。

 

「其方も知っているであろう──アミッドだ」

 

「……? アミッドって、あのアミッド君かい?」

 

「ああ、そうだ」

 

 話に挙がった人物を、ヘスティアは知っている。

 アミッド・テアサナーレ。【ディアンケヒト・ファミリア】に所属している、都市最高位の治療師(ヒーラー)

 だが、そのアミッドがどのように関係しているのだろうか。疑問を浮かべるヘスティアに、ミアハは説明した。

 

「これは噂で聞いたのだが、最近、アミッドは奉仕活動(ボランティア)を行っているようでな。何でも……不定期ではあるが、回復薬(ポーション)を住民達に配っているようなのだ。それも無料で」

 

「へぇー! それはまあ、凄いねぇ!」

 

「そうだろう、そうだろう!」と、ミアハは何故か自分の事のように胸を張ると、これまた何故か誇らしげに何度も頷く。

 

「まあ、そのような理由があってだな。ただでさえアミッドは都市最高位の治療師(ヒーラー)、さらにはあの美貌で人気だった。そんな彼女が自ら屋台を引っ張って活動を始めたと言うのだから、皆、そちらに関心が寄せられてしまうのだよ」

 

「なるほど……それは確かに、そうなるのも仕方ないかもね。あの子はとても優しいから」

 

 アミッドは眷族(ベル)のよき友人だ。そして、命の恩人でもある。彼女が居なければ、銀の野猿(シルバーバック)との死闘で大怪我を負ったベルはそのまま死んでいたかもしれないのだ。

 他人を思いやる心を持った優しい治療師(ヒーラー)を思い浮かべ、ヘスティアは腑に落ちた。

 だがそれとは別に、ヘスティアには腑に落ちない点があった。

 

「でも、可笑しくないかい?」

 

「……? 可笑しいとは、何がだ?」

 

「ずばりミアハ、君の反応さ。アミッド君の人柄は兎も角、彼女は【ディアンケヒト・ファミリア】の所属だろう。彼女の行いによって、君達【ミアハ・ファミリア】は少なからず損害を受けている。だと言うのに、派閥(ファミリア)の主神である君は喜んでいるじゃないか。それが可笑しいのさ」

 

 その指摘に、ミアハは「うむ」と一度肯定した。

 しかし同時に、男神は笑いながらもこう言った。

 

「あの女子(おなご)眷族(ナァーザ)は、いわば同期なのだ。二人の仲があまり良好でない事はヘスティアも知っているだろうが、それでも、険悪な訳ではない」

 

 その理由の一つは他ならない君だけどね、という言葉をヘスティアは呑み込んだ。

 ナァーザ曰く、アミッドもまたこの男神に好意を抱いているようなのだ。とはいえ、最近は分からなくなったとも言っていたのだが。

 まあそれがなくとも、ナァーザとアミッドが純粋な交友関係を築くのは難しい気がする。ヘスティアに置き換えれば、あの不倶戴天の敵である道化の女神(ロキ)と仲良く遊ぶようなものだ。

 

「アミッドは昔日から『精緻な人形』だと言われてきた」

 

「『精緻な人形』か……。それはまた、反応に困る呼称だね」

 

「……うむ、私も同意見だ。あの美貌も()事乍(ことなが)ら、彼女の無表情がそうさせてしまった。私はそれがずっと気掛かりだったのだ」

 

 だが、と男神は続ける。

 

「ナァーザも感じているだろうが……最近のアミッドは良い意味で変わった。私は、それが嬉しいのだ」

 

「……そうか、確かにそれなら喜ばずにはいられないね。子供達の緩く、それでいて確かな『成長』を感じたんだ。ああ、君の気持ちが分かるよ」

 

 ヘスティアとミアハは笑いあった。

 数秒後、笑みを収めた男神は思案顔になる。そして、顎をさすりながら疑問の声を上げた。

 

「……しかし、何がアミッドを変えたのだろうな。私が声を掛け、眷族(ナァーザ)が幾ら煽り散らかして喧嘩を吹っ掛けても──恥ずべき事ではあるが──感情を覗かせる事はあっても、彼女の本質的な部分は変わらなかった。私は、それが気になって仕方がない」

 

「さて、ね……。悠久の刻を生きるボク達とは違い、子供達の一生は短い。ほんの些細な出来事で子供達は影響を受ける。良くも悪くもね。そしてそれは、子供達の新たな一面を引き出すのさ。だからきっと、今回もその一つなんだと思うよ」

 

「……それもそうだな。故に私達は、あの子達の物語を見守る事しか出来ないのだから」

 

 二柱(ふたり)の神は寂しそうに笑いあった。

 それから、ミアハは「ところで」とヘスティアに尋ねる。

 

「先程其方が言っていた、ベルの抱えている問題とは何なのだ? 主神である其方を──言い方は悪いが──放置するなど、普段のベルでは有り得ぬ事であろう?」

 

「い、いやぁー、それはどうかなぁー? ベル君って適当な所があるし、有り得ない事ではないと思うけど!?」

 

「……ヘスティア、誤魔化すのがあまりにも下手だぞ」

 

 ゴフッ、とヘスティアは呻いた。神友からの容赦なくも鋭い指摘はそれだけ効いたのだ。

 多くの神は腹に一物がある。様々な『仮面』を所持しているのは何ら珍しくない。

 だがヘスティアはそれが苦手だった。思っている事、考えている事が表情に出てしまう彼女にとって、心理戦など無理だった。

【ファミリア】に神の代理戦争という側面がある以上、もっと上手くやらなければとは思うものの、それが出来ていたら苦労はしていない。

 項垂れるヘスティアを、ミアハは慌ててフォローする。

 

「と、とはいえだ! 人には……ひいては、神にだって得意不得意はある。其方のそれは確かな魅力だ。だからこそ私やヘファイストス、アルテミス、それにゼウスやヘラといった大神(たいじん)でさえ、其方を認めていたのだから」

 

「その分、アポロンという男神(傍迷惑な奴)には求婚されまくったけどねぇ!」

 

 思い出したくない顔を思い出してしまい、ヘスティアは顔を顰めながら叫んだ。

 ミアハは気の毒そうにしながらも、更なる爆弾を放り投げる。

 

「そのアポロンといえば、この迷宮都市(オラリオ)で派閥を率いているぞ。中堅派閥として、そこそこの知名度を誇っている」

 

本当(マジ)かよ!?」

 

「うむ、本当(マジ)だ」と頷くミアハに対して、ヘスティアは女神にあるまじき表情を浮かべた。

 ミアハは苦笑すると、脱線した話を戻した。

 

「無理には聞かぬが、もし良ければ教えて欲しい。何か力添えが出来るやもしれぬ」

 

 その何処までも誠実な言葉を、ヘスティアは突っ()ねる事が出来なかった。【ミアハ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】以上に余裕がない。だと言うのに、他者を思いやる気持ちを持てるのは素晴らしい事だと、炉の女神は薬神へ更なる敬意を抱いた。

 激しい葛藤の末、「他言は無用だぜ?」と一応釘を指してから話をする。

 

「実はベル君は最近、集団(パーティ)探索をしているんだけど」

 

「うむ、それは以前聞いたな。名は聞いておらぬが……確か、其方とそう変わらぬ身長の女子(おなご)だったか。それがどうかしたのか?」

 

「その子供が『訳あり』のようでね」

 

 ほう、とミアハは片眉を上げた。

 ヘスティアが他者の評価をする際に『訳あり』だと濁らせるのはとても珍しい。

 

「其方がそう評するのだ、余程なのだろうな」

 

「やめてくれよ、ミアハ。ボクは傲慢な神にはなりたくないんだ」

 

「それはすまぬ。前言撤回させて欲しい」

 

 ヘスティアはミアハの謝罪を受け入れると、複雑な表情のまま暫し固まった。

 

「それ程までに()()のか?」

 

「……それが、何とも言えないんだ。ボクがその子と会った回数は数える程しかない。眷族(ベルくん)の方が遥かにその子の為人(ひととなり)を知っているのは間違いないんだけどね……」

 

「しかし、ベルがパーティメンバーに選んだのだ。その子供の性格が悪い、という事はないのだろう?」

 

「……そこもまた、何とも言えないのさ。──『嘘』は何一つ吐いていなかった。それは間違いない。でもミアハ、『嘘』を吐いていないからといって、それが真実であるとも限らないだろう?」

 

 ミアハはその確認に頷いた。そして「なるほどな」と神妙に頷いた。

 

「表向きは良い。だが、その内面までは完全には推し量れない──つまるところ、その子供は意図的に『自分』を隠している。それもかなり上手に、と言ったところか」

 

「……全くもってその通りさ」

 

 ヘスティアは嘆息すると、腕を組んで悩まし気な声を上げる。

 

「さらには、あの子が所属している派閥も問題のようでね」

 

「ほう……ちなみに、何処だ?」

 

「【ソーマ・ファミリア】さ」

 

 ヘスティアが教えると、ミアハは「ソーマ……?」と首を傾げる。ややあって、男神(おがみ)は思い出したように言った。

 

「そのような男神(かみ)も確かに居たな。すまぬな、ヘスティア。すっかりと忘れてしまっていた」

 

「謝る必要はないぜ、ミアハ。殆どの神も君と同じだろうさ」

 

 ミアハは苦笑を返した。

 

「──と、まあ、中々に厄介な問題でね。ボクの見解を言わせて貰うと、その子以上に派閥の方が闇が深くて、どうにもきな臭いんだ。ミアハは何か知っているかい? もし何か知っているなら……何でもいい、教えて欲しい」

 

「ふむ……」とミアハは顎を擦りながら思考を巡らした。ヘスティアは期待の目を向けるが、すぐに打ち砕かれる事となる。

 

「【ソーマ・ファミリア】か……すまぬ、ヘスティア。私は()の派閥については有益な情報は何も持ちあわせておらぬ。微かに知っている事柄も、其方のと大して変わらないだろう」

 

「……そっか。いや、良いんだミアハ。元からこれはボク達【ヘスティア・ファミリア】の問題さ。君達を巻き込む訳にもいかないしね」

 

 その言葉に、ミアハは眉を顰めた。

『巻き込む』というヘスティアの表現に、もっと別の意味合いを感じたのだ。

 

「……もしや其方、『抗争』にまで発展させるつもりか?」

 

『抗争』。

【ファミリア】と【ファミリア】が衝突し、都市を舞台にして争う。小さなものから大きなものまで、千年の歴史を持つ迷宮都市オラリオでは、数え切れぬ程の『抗争』が繰り広げられてきた。

 炉の女神は蒼の瞳を閉ざすと、一拍置いて言った。

 

()()()()()()()。ボクも、そしてベル君も──出来る事ならば争いは避けたいからね」

 

「……だが、必要になったらするのだろう? 私にはそのように聞こえたぞ」

 

「どうだろう。ボクは別に未来を見通せる訳ではないから、何とも言えないさ。ただ、きっと、未来のボクが決断をする」

 

「……何ともまぁ、適当な考えだ。自分の事になると面倒臭くなってしまう……ああ、実に其方らしい」

 

 ヘスティアは苦笑いすると、さらに言った。

 

「眷族が主神に覚悟を見せた。決断をした。ならば主神もそれなりの覚悟は決めておくのが道理だろう? ボクは格好良い女神でいたいのさ、息子の前では特にね」

 

「……そうか。ならば私は、何も言うまい」

 

「ありがとう、神友(ミアハ)

 

 ヘスティアは微笑み、神友に感謝の言葉を伝えた

 ミアハは笑い返すと、「あっ」と突然声を上げた。

 

「どうかしたのかい?」

 

「……ヘスティア、朗報だ。【ソーマ・ファミリア】──男神(ソーマ)について知っていそうな神物(じんぶつ)を思い出したぞ」

 

「ええっ!? それは本当(マジ)かい!?」

 

「ああ、本当(マジ)だ。普段の態度こそアレではあるが、彼ほどの善神はそうは居ないだろう。何せ、迷宮都市(オラリオ)の秩序と安寧に大きく貢献してきたのだからな」

 

「うおおおおおおおおお! それはいったい!?」

 

 にやり、と。

 ミアハはドヤ顔で口を開けた。

 

「我らが【群衆の主(ガネーシャ)】だ」

 

 挙がった神物の名に、ヘスティアは暫し呆然と固まった。そして我を取り戻した瞬間、彼女は自分が体調不良だと言うことを忘れて、

 

「ガネーシャだってぇえええええええええ!?」

 

 と、叫ぶのだった。

 そしてヘスティアは、「俺が、ガネーシャだッ!」と謎のポージングをする変態(ガネーシャ)を思い浮かべるのだった。

 



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斯くして、時計の針が進んだ Ⅳ

 

 分厚い灰色の雲が地上を(おお)う。

 槍の如く降り注ぐ雨が石畳で舗装された路地を強く打ち、万象を吹き飛ばす暴風が魔石灯や店の看板を激しく揺らす。稲妻(いなずま)が走り、閃光が地上を瞬く。

 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオが久方振りに活動を休止する一方で、この悪天候の中だからこそ動く者達が居た。

 場所は、都市東部。ダイダロス通り──またの名を、貧民窟(スラム)。一定の生活水準を満たさない者達が此処での生活を余儀なくされている。とはいえ、迷宮都市(オラリオ)貧民窟(スラム)はほかの国家の貧民窟(スラム)に比べれば遥かにマシである。粗末な家屋(かおく)が煩雑に建っており、あまりにも頼りない光が壁の隙間から漏れていた。

 此処での生活を余儀なくされている者も居るが、敢えて此処を選んでいる者も居る。

 貧民窟(スラム)は、太陽が照らす表通りを歩けない犯罪者達の巣窟でもあった。

 ダンジョンと同等、否、それ以上に複雑極まる迷宮街(ダイダロス通り)を完全に把握している者は居ないとさえ言われており、それは『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』や都市の運営を担っている管理機関(ギルド)も含まれている程だ。地図(マップ)でも作ればその限りではないが、現在、そのような物は一切公開されていない。標識(アリアドネ)を見失えば最後、この迷宮街からの脱出は不可能だと言われており──だからこそ此処は、『悪』が隠れるのにはもってこいの場所だった。

 そして、やや大き目の木造建築物(バラック)。一つしかない出入口にはヒューマンの男が立っていた。部外者が万が一にも入らないよう、目を光らせて監視している。

 その建築物の中には、十数名の亜人族(デミ・ヒューマン)が集まっていた。最も多いのはヒューマンで、次に獣人が多い。

 彼等は漏れなく全員『冒険者』だった。大剣や細剣、長槍(ジャベリン)といった各々の得物(えもの)を側に置き、巨大な円卓(ラウンドテーブル)を囲んでいる。武器や防具には【ファミリア】の徽章(エンブレム)が刻まれているが、それはバラバラだった。異なる【ファミリア】の眷族が一堂に会する事はとても珍しい。

 

「──時間だ。『会議』を始めようか」

 

 ニヤリ、と何処までも醜悪に。

 一人の中年の獣人が、静寂を裂いてそう言った。それに無言で頷く冒険者達。

 他ならない彼こそが、この集会を開いた開催者だった。故に、司会進行役は必然的に彼となる。

 

「報告を」

 

 獣人の男とは違う徽章(エンブレム)の冒険者が答える。

 

「指示通り、対象(ターゲット)が例の餓鬼とダンジョンに潜るまで尾行を行った。この雨が味方したな。奴は俺達に気付かずに、裏通りの道具屋(アイテムショップ)道具(アイテム)を購入した。これは店主にも確認済みだ。まず間違いなく、明日動くぜ」

 

「ほう! 奴の利用している換金所が分かればと思っていたんだが……そうか、それは上々だ。クックッ、意外にも早いじゃねえか。()()()()()()。馬鹿正直に守るとは露も思っていなかったが……俺はてっきり、ぎりぎりまで餓鬼を隠れ蓑にすると思っていたんだがなぁ。予想は外れたか」

 

「どうだろうな。その換金所についてはまだ調査中だ、すまねえ」

 

「いや、良いさ。これだけ広い都市だ、短期間で探すのは難しいだろうよ」

 

 司会者は謝罪を受け取ると、次の報告をするように言った。

 

「それで……奴が隠れ蓑にしている例の餓鬼について、何か分かったか?」

 

「すまねえ……それが、何も分かっていない。腕利きの情報屋を雇ったんだが、連絡が途絶えた。その後、路地裏で倒れているのを発見したんだが……ありゃ、駄目だ。廃人同然だったぜ」

 

何だそれは、と顔を見合せる参加者達。己の意見を交わすも、答えは出されない。

 

「……まあ、良い。餓鬼一人で出来る事なんてたかが知れている。敵対するというのなら、それはそれで好都合だ。その時に始末すれば良いだろうさ」

 

 そう、司会者は結論を出す。

 

「とはいえ、作戦が勘付かれている可能性もあるか。決行日は明日にする。異論がある奴は?」

 

 誰も発言せず、口を挟まなかった。司会者はそれに満足そうに頷く。

 

「最終確認を行う。とは言っても、やる事はとても簡単(シンプル)だ。標的は明日、餓鬼を裏切るだろう。力が無い奴(サポーター)独り(ソロ)になったらダンジョンからなりふり構わずに脱出するしかない。()()()()()()()()()()

 

 ──異論がある奴は? 

 再度の問い掛けに、やはり、名乗り出る者は居なかった。

 司会者は笑みを深めると、声を張り上げて言った。

 

「俺達は『被害者』だ。異なる派閥(ファミリア)の俺達がこうして集まり、手を取り合い、協力出来るのはそれが理由だ。そうだろう?」

 

 そうだそうだ! と賛同する冒険者達。

 

「俺達はあの糞小人族(パルゥム)に騙された。金を奪い取られた。何も出来ねえ荷物持ち(サポーター)の癖に、生意気にも程がある!」

 

「俺のパーティからは『魔剣』が取られた! ただの『魔剣』じゃない! 『クロッゾの魔剣』だ! せっかく他のパーティから上手く奪ったというのに! ああ、今思い返しても苛立つぜ!」

 

「俺はモンスターの『ドロップアイテム』を! クソがっ、貴重な『ドロップアイテム』を盗みやがって!」

 

「俺は冒険者依頼(クエスト)の報酬が! せっかく苦労して達成したと言うのに!」

 

 室内を満たすのは怨嗟の声。

 共感の声はまるで止まず。彼等は一様に憎々しげな表情を浮かべていた。

 だがしかし、その矛先は、彼等の怒りをぶつけるべき相手は此処には居ない。故に彼等は剥き出しの感情を(あらわ)にする。鬱憤(うっぷん)はまるで晴れず、寧ろ強まる一方だった。

 

「結構。大いに結構じゃねえか! そうだ、俺達はあの糞小人族(パルゥム)に騙された! 時には金を奪い取られ、時には武器を盗まれ、時には命の危機を感じた奴も居るだろう!」

 

 獣人の男は憎悪を歓迎するかのように、両手を大きく広げた。彼と同じ徽章(エンブレム)の冒険者は唇を三日月に歪めた。

 膨張していく殺意。何処までもどす黒い負の感情。

 

「何度でも言おう! 俺達は『被害者』だ! だからこそ、『正義』は俺達にある!」

 

 賛同する声が上がる。

 そう、彼等は『被害者』だった。『糞小人族(パルゥム)』の被害にあった。故に自分達は正しいのだと、『悪』ではなく『正義』として獣人の男の招集に応えたのだ。

 

「怒りをぶつけるのも良い! 恨みをぶつけるのも良い! 奴と同じ眷族(ファミリア)の俺が赦そう!」

 

 その言葉の意味を彼等は正確に読み取った。

 獣人の男は『殺害』でさえも認めると、そう、宣言したのだ。

 あまりにも行き過ぎた『報復』。否、これは既に『報復』ではなく『復讐』へと変容していた。

 同じ神血(イコル)を流しているとは思えない台詞。

 だが誰も声を上げない。誰も疑問を持たない。彼等は正常な思考のまま、その『復讐劇』に名を連ねる事を認めた。

 

「邪魔者は全て壊せ、殺せ! 舞台は無法地帯(ダンジョン)! 刃傷沙汰など管理機関(ギルド)によって『いつもの事』だと切り捨てられるからなぁ!」

 

 獣人の獣の如き嘲笑が響く。

 場の盛り上がりは最高潮だった。密閉された室内に、激情が充満する。それはまるで感染症のように荒くれ者達に伝染し、いつしか彼等は『殺人衝動』に駆られていた。

 

「解散、と言いたい所だが」

 

 獣人の男はそう言うと、不意に片手を挙げた。

 それが合図だったかのように、彼と同じ徽章(エンブレム)の眷族が静かに動いて奥に消えた。いったい何だと参加者が顔を見合わせる中、彼等は数秒もしないで戻ってくる。

 だがしかし、数秒前とは違う点が一つ。彼等の両手には硝子瓶が抱えられていた。まるで宝石を扱うかのように、慎重に運ばれる。

 やがてそれは全員に配られた。

 

「おい、何だこれは?」

 

 一人の槍使いが疑問の声を上げた。他の冒険者からも同様の視線が出される。

 獣人の男はそれら全てを受け取ると、笑いながら答える。

 

「見て分かるだろう、酒さ。せっかくだ、景気付けに飲もうと思ってなぁ」

 

 なるほど、と冒険者達はすぐに納得した。この面々で楽しむ、最初にして最後の嗜好品。彼等はそれまであった緊張を(ほぐ)すと、目の前に置かれている硝子瓶を注視する。飾り気のない瓶の中には、透明な液体がなみなみと入っていた。

 

「何だこれは、初めて見るな。それに、美味そうにも見えない」

 

 先程質問した槍使いが感想を漏らす。それを拾った隣の大男が、信じられないとばかりに驚愕の声を上げた。

 

「おい、そりゃあ何の冗談だ!? お前、これを知らないのか!?」

 

「……悪かったな。俺はあまり酒を嗜まないんだよ」

 

「はぁ!? だとしても、これを知らないのか!? おいおい、あまり俺を笑わせないでくれよ!」

 

「……おい、あまり俺を怒らせないでくれ。身内なら兎も角、初対面のお前にそこまで言われる筋合いはないぞ」

 

 たちまちに、一触即発の空気が流れる。槍使いの男は静かに柄へと手を伸ばした。

 それを見た獣人の男は面倒そうに溜息を吐くと、ぱん、と手を叩く。

 

「言っただろう、俺達は『協力者』だ。少なくとも今はな。喧嘩をおっぱじめるのは良いが、それは後にしてくれや」

 

 鋭い視線を浴び、槍使いの男は舌打ちと共に引き下がった。

 緊迫した空気が幾分か和らぐ。それを感じ取った大男は我慢ならぬと言わんばかりに、司会者へ問い掛けた。

 

「これ、本当に貰って良いのか!? 飲んじまって良いのか!?」

 

「ああ、良いぜ。言っただろう、これは景気付けだとな」

 

「うぉぉおおおおお! これだけでもこの作戦に乗った甲斐があったというもんだぜ!」

 

 大男が喜色に塗れた声を上げると、もう飲んで良いのかと司会者に顔を向ける。

 槍使いの男が大男の様子に呆然とする中、司会者は一度笑って「まだだ」と制した。硝子瓶を持ち上げながら、彼は円卓(ラウンドテーブル)を見回した。

 

「知らない奴も何人か居るようだから、ここで紹介を。これは俺達の【ファミリア】……ひいては、俺達の主神が造っている酒でなぁ。身内贔屓じゃねえが、味は絶品。これ程景気付けに向いている酒を俺は知らないぜ」

 

 へえ、と何も知らなかった者達が感心する。好奇心が刺激された彼等は酒瓶にゆっくりと手を伸ばした。そして一人の男が、白紙に書かれている銘柄を読み上げる。

 

「『ソーマ』……? これがこの酒の名前か?」

 

「ああ、そうだ。主神と同じ名前なのは、まあ、気にしないでくれ。何せ、うちの主神はだいぶ変わっているからなぁ」

 

「まあ、神々は例外なく変神だが」

 

「ククッ、違いない。とはいえ、うちの主神はドがつくほどの暇神(ひまじん)であり、趣味神(しゅみじん)だかな!」

 

「はははっ、何だよそれは!」

 

 ドッ、と場は大いに賑わった。

「さて、乾杯だ」と瓶の栓を抜く司会者。刹那、酒には似つかわしくない独特な甘い匂いが漂った。違和感は一瞬。こういう酒なのだと認識した他の冒険者は司会者に倣うようにした。室内は瞬く間に甘い匂いで充満する。

 そして、司会者は酒瓶を高く上げる。それに倣う参加者。

 

「作戦の成功を、何よりも糞小人族(パルゥム)への復讐を祝って──乾杯」

 

「「「乾杯!」」」

 

 音頭が取られ、彼等は酒瓶を口元に運んだ。ごくり、と『ソーマ』を喉に通し、

 

「何だこれは……!? 美味ぇ!? とんでもなく美味いぞ!?」

 

 驚愕の声を上げた。

 目を見張り、透明な液体を凝視する。その反応を見た大男は「そうだろう!」と、今度は馬鹿にする事なく満足そうに頷いた。

 槍使いの男は大男の言葉が聞こえていないのか、ひたすらに酒を呷っていた。数秒も掛からずに酒瓶は空となる。

 

「おい、『ソーマ』はこれだけなのか!?」

 

 お代わりはないのか、と尋ねる槍使いの男。

 飲み終えた他の冒険者も声を上げる。

 

 ──『ソーマ』はないのか。

 

 獣人の男は笑って答えた。

 

「あるとも。お前らも安心しろ! 今日はお前達の為に大量の『ソーマ』を用意した!」

 

 うおおおおおおおおお! と歓喜の声が溢れ出る。

 鮭瓶が彼等の元に運ばれる。だがすぐに空となる。

 

 ──『ソーマ』はないのか。

 

 酒瓶が運ばれる。だがすぐに空となる。

 

 ──『ソーマ』はないのか。

 

 酒を求める声は途絶えない。快楽を求める声は途絶えない。

 

 ──『ソーマ』を。『ソーマ』を寄越せ。

 

 何時しか彼等の口からは『ソーマ』という単語しか出てこなかった。

 酒に溺れ、彼等は欲望のままに『ソーマ』を求める。此処に集まった目的を忘れ、酒を飲む。

 

 

「美味ぇ!」

 

 飲む。

 

「美味ぇ、美味ぇ!」

 

 飲む、飲む。

 

「美味ぇ、美味ぇ、美味ぇ!」

 

 飲む、飲む、飲む。

 

「美味ぇ、美味ぇ、美味ぇ、美味ぇよ!?」

 

 飲む、飲む、飲む、飲む……──飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む飲む。

 彼等が『ソーマ』を求めれば求める程、酒は出された。

 会話はそこにはなかった。あるのは、ゴクン、という酒を飲む嚥下の音だけ。

 もしこの場に正常な思考の持ち主が居れば、この異常な光景を見て絶句するだろう。

 涙を流し、涎を垂らし、狂気的な笑みを浮かべながら酒を呷る彼等は──とてもではないが『人間(ヒト)』とは言えなかった。

(ケモノ)』。

人間(ヒト)』の身体をした『(ケモノ)』がそこには居た。理性はなく、本能のままに生きる彼等は正しく『(ケモノ)』であった。その在り方はあるいは、『モンスター』にすら劣るかもしれない。

 だが、その『狂宴(きょうえん)』は。

 唐突にあっさりと幕を下ろす事となる。

 

「おっと、これが最後の『ソーマ』だ。悪いなぁ、これ以上の『ソーマ』は出せそうにない」

 

 困ったもんだぜ、というわざとらしい言葉。

 瞬間、獣人の男の首元には幾つもの剣の切先が当てられた。銀の光が鈍く光る。

 彼の本来の仲間が「おい、大丈夫か!?」と心配し、応戦しようと武器の柄に手を伸ばす。だが、獣人の男は片手をゆっくり上げて仲間を制した。

 

「ああ、全く。最後まで話を聞けよ、この馬鹿野郎共が」

 

 その言葉とは裏腹に。

 獣人の男は笑みを浮かべていた。愉快そうに唇の端を吊り上げる。まるで、この狂乱を歓迎するかのように。

 

「『ソーマ』がもっと欲しいのなら、俺達の命令通りに動く事だな。明日一番活躍した奴に、報酬として『ソーマ』をやろう」

 

「それは本当か!? 嘘なら殺すぞ!?」

 

「嘘じゃねえよ。何なら俺達の主神──酒神(ソーマ)の名に誓おうじゃねえか」

 

 獣人の男が宣言する。

 すると、当てられていた武器はゆっくりと収められた。

 虚空を見詰め、『ソーマ』と呟く冒険者達。

 それを見て、獣人の男は笑った。彼の仲間も笑った。

 

「準備は整ったぜ。明日が楽しみだなぁ、えぇ?」

 

 ──アーデ? 

 その言葉は闇に溶け、男達の笑い声だけが響き渡った。



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自分は応援者(ファン)なのだと、美神は微笑んだ

 

 豪雨は依然として続いていた。

 前日よりは弱くなっているものの、通常よりも断然と強い雨である事に変わりはない。 迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオは今日もまた休まざるを得なくなった。

 そして。

 

「ハア──」

 

 天を()巨塔(バベル)、その最上階。

 美の女神フレイヤは都市を見下ろして、静かに溜息を吐いた。美しい銀の長髪を細い指で弄る姿は、芸術家が見たら卒倒するだろう。

 最近フレイヤは機嫌がすこぶる良かったが、今はすこぶる悪かった。「ハア……」ともう一度溜息を吐く。

 

「……雨は嫌ね。恵みの雨なら話は別だけれど、これはただの災害。これじゃあ、子供達が輝けない」

 

 雲の隙間から時折、魔石灯(ませきとう)の微かな光が()れる。それは人々が生活を営んでいる事の証だが、フレイヤが見たいのは絶妙に違った。

 女神(フレイヤ)が見たいのは、子供達だ。

 下界で暮らす子供達の『魂』──その色を視る事が出来るフレイヤにとって、物理的に視界を遮られる今の天気は嫌いな部類に入る。これでは日課の、『魂』の識別が出来ないからだ。

 

「ヘディン、貴方はこの雨をどう思う?」

 

 フレイヤは視線を外すことなく、背後に控えている人物に声を掛けた。

 果たしてそこには、一人の妖精が立っていた。透き通るような白い肌に、闇の中でも(きら)めくであろう金の長髪。眼鏡を掛けたその双眸(そうぼう)は細く、理知的な雰囲気を醸し出している。ヘディン、と呼ばれたそのエルフは主神の問い掛けに即答した。

 

「貴女と同じく、私もこの雨は好きません。行き過ぎた恵みは全てを奪う災害となります故」

 

「そう。貴方も私と同じ考えだったのね。嬉しいわ、ヘディン」

 

 そう言って、フレイヤは眼下の景色から視線を外すと、ヘディンに微笑を向けた。

 普通の男子(おのこ)ならそのたった一つの微笑だけで天にも昇る幸福感を覚えるものの、ヘディンは身動ぎ一つせずに慇懃(いんぎん)な態度を崩さない。フレイヤはヘディンのそれが長所だと思っていたが、同時に、詰まらないとも思っていた。最愛の眷族の一人である黒妖精(ダークエルフ)ならもっと面白い反応を示してくれるだろう。とはいえ、居ない人物の事を考えても仕方のない事だ。

 

「天気予報士によると、あと三日は続くみたい。幸いにも『神会(デナトゥス)』には間に合いそうだけれど、この不快な景色を三日も眺めるのは退屈ね」

 

「恐れながら、カーテンを閉めましょうか。さすれば貴女の鬱憤も、多少は紛れるでしょう」

 

「有難い申し出だけれど、それは断らせて貰うわ。本当に稀にだけれど、貴方(こども)達の強い輝きが見えるのよ。とはいえ、それは見慣れているものだけれど……この際、それは仕方のない事だと割り切りましょう」

 

 フレイヤの言葉に、ヘディンは頷きを返した。会話はそこで終わり、フレイヤの興味は再び灰色の世界に注がれる。ヘディンは主の邪魔をしないよう、努めて空気と化した。

 そうして、フレイヤが暇を持て余していると。

 

「失礼致します! フレイヤ様、至急報告がございます!」

 

 控え目なノック音と共に、一人のヒューマンが入る。男は【ファミリア】の構成員だった。

 ヘディンは心の中で舌を打った。控え目なノック音と反比例するかのように声が大きい事もそうだったが、せっかくの主との二人切りの時間を邪魔されたのが、妖精にとってはただただ不快だった。

 とはいえ、それを表に出す事はしない。その代わり、裏で罵倒の限りを尽くす。

 

「何かしら?」

 

 フレイヤは眷族の振る舞いには特に言及せず、端的に要件を尋ねた。

 美しい銀の瞳を向けられてヒューマンは赤面するも、己の仕事を果たす為に何とか自我を取り戻す。そして懐から一枚の羊皮紙を取り出し、主神に近付くと手渡した。

 

「──なるほど、ね」

 

 羊皮紙に書かれた共通語(コイネー)を一読すると、フレイヤはそう呟いた。それから、自身の眷族に優しく微笑んだ。

 

「ありがとう。貴方が送り届けてくれたこの手紙によって、私の退屈も無くなったわ」

 

「い、いえ! 恐縮です!」

 

「ふふっ、そんなに畏まらないで。確か貴方は『昇格(ランクアップ)』間近だったかしら。『神会(デナトゥス)』がすぐに控えているけれど……もしそれまでに貴方が『男』を見せてくれたら、ご褒美を上げましょう」

 

「本当ですか!?」

 

「ええ、本当よ。私の真名(まな)にかけて約束するわ。だから、頑張って?」

 

 ヒューマンは「はい!」と元気よく返事をすると、最敬礼をしてから神室をあとにした。バタバタという雑音を聞かされ、ヘディンは本拠(ホーム)に帰ったら直々に制裁を与える事を心に決めた。

 すると、そんなヘディンの内心を見透かすかのように、フレイヤが窘める。

 

「あまり厳しくしちゃ駄目よ、ヘディン。あの子の良い所はそこにあるのだから」

 

「……承知致しました。善処しましょう」

 

「はあ……まあ、良いわ」

 

 フレイヤは嘆息すると、改めて、手に持っていた羊皮紙に視線を落とした。

 

「ふふっ」

 

 万人を魅了する微笑みを浮かべる、美の女神。そして上機嫌な表情を見せながら、ヘディンに話し掛けた。

 

団長(オッタル)から(ふみ)が届いたわ。どうやら、あともう少しで準備が完了するみたい。今は最終段階に入っているとの事よ」

 

「……そうですか。しかし、やけに遅い。それ程、苦戦していたのでしょうか」

 

「ええ、そうみたいね。とはいえ、それだけオッタルも本気だという事でしょう。副団長(アレン)と同じように、あの子もまた、闘志を漲らせている。この任務が終われば、単独遠征をしたいと申し出てきたわ。【剣姫(けんき)】が『階層主(モンスターレックス)』を倒してLv.6に至ったそうだから、その対抗心もあるでしょうけれど」

 ヘディンはフレイヤに言った。

 

「オッタルがダンジョンに潜ってから既に数日が経過しています。『深層』ではなく、『中層』に滞在している事は他の【ファミリア】にも知られています」

 

「それは私の耳にも入っているわ。何でも、私達と【ロキ・ファミリア】の『抗争』の前触れだと騒いでいる男神も居るそうね」

 

「仰る通りです。そして偶然にも、【ロキ・ファミリア】は『遠征』を間近に控えています。そのような憶測が飛び交うのは仕方のない事でしょうが……【ロキ・ファミリア】も少なからず警戒しているようです」

 

「とはいえ、本気でそう思っている訳ではないでしょう。私もロキも、戦う時は今じゃないと考えているもの。けれど、『都市最強』のオッタルが不可解な行動をすれば、警戒せざるを得ない」

 

「如何致しましょう?」

 

 フレイヤは「ふむ」と考える仕草をとる。しかしすぐに解除すると、どうでも良いように答えた。

 

「放置しておきなさい。今回のような憶測が飛び交うのは何も初めてではないのだから。いつものようにすれば良いわ」

 

 承知致しました、とヘディンは主の意向に賛同を示した。同時に──有事の際は動け、という女神の神意も受け取る。

 ヘディンは【フレイヤ・ファミリア】の『(ブレーン)』を実質的に担っていた。主神が信を寄せる数少ない相手でもあり、何かあれば頼っていた。

 妖精が頭の中で多くの策を練る中、フレイヤは「そう言えば」と話し掛けた。

 

「そう言えば、貴方の意見をまだ聞いていなかったわね。【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】たる貴方に聞くのが一番だというのに、聞く機会がなかったからすっかりと失念していたわ」

 

「……?」

 

「ねえ、ヘディン。貴方はあの子の『魔法』が何か分かる?」

 

 唐突な話題に困惑を隠せないでいたヘディンだったが、フレイヤの言葉を最後まで聞き、何の事を言っているのか理解した。

 

「確認ですが、ベル・クラネルが発現した『魔法』でしょうか」

 

「ええ、そうよ。他ならない貴方の口から聞きたいわ」

 

『魔法』を得意とする魔法種族(マジックユーザー)たる、妖精(エルフ)。ヘディンは昔日(せきじつ)、その妖精の『王』だった。とはいえ、正統な王族(ハイエルフ)ではない。これには複雑な事情が関係しているのだが、兎にも角にも、白妖精(ホワイトエルフ)が【フレイヤ・ファミリア】の中でもトップクラスの『魔法』の使い手であることは確かだった。

 そして彼は、おもむろに口を開ける。

 

「オッタルからの報告書は私も目を通しています。そして結論を申しますと──申し訳ございません、現段階では『未知』としか言えません」

 

 その返答に、フレイヤは意外だと感じた。

『未知』というあまりにも抽象的な表現を、ヘディンが用いるとは思っていなかったからだった。

 

「全く分からないのかしら?」

 

「いえ、そのような訳ではございません。大凡(おおよそ)の効果は考察出来ております」

 

 矛盾した回答に、フレイヤは小首を傾げた。銀の瞳でその先を促す。

 

「オッタルが感じたように、奴の『固有魔法(オリジナル)』──『アナステイスィス・イロアス』は【ステイタス】の補正で間違いないでしょう。より厳密には【ステイタス】の『基本アビリティ』……『力』『耐久』『敏捷』『器用』『魔力』の五つの評価値を上昇させています」

 

「そうね。それは私も同じ考えだわ」

 

「そして、この効果が奴の『固有魔法(オリジナル)』を表していると言えるでしょう」

 

「ようは、追加効果(バフ)だという事よね。ならヘディンは、何を以て『未知』と断定しているのかしら?」

 

 ヘディンは一拍置いてから、静かに答えた。 

 

「まず一つは、『魔法』の詠唱式です。はっきりと申し上げますが、()()()()()()()

 

「弱い……? 自身の【ステイタス】を上昇させるこの『魔法』が? 【ステイタス】の上昇は強さの証明だと、私は思うのだけれど?」

 

「ええ、通常ならそうでしょう。例えばLv.1の冒険者とLv.2の冒険者。普通なら、Lv.2の冒険者の方が強いと考えるでしょう」

 

 第一級冒険者ならその限りではないが、一般的には『階位(レベル)』の差は覆す事は出来ないとされている。

 だが、ベル・クラネルが【アナステイスィス・イロアス】は隔絶したその壁を壊す事が出来る可能性を秘めていると、オッタルから直接報告を受けたフレイヤは考察していた。

 しかしヘディンは、それが弱いと評価した。その根拠を、派閥(ファミリア)の『(ブレーン)』は語る。

 

「私が弱いと言ったのは、今から申し上げる所にあります。【ステイタス】の補正、なるほど、通常なら強い部類に入るでしょう──()()()()()()()()()()()()

 

「……なるほどね。貴方の言いたい事が分かったわ」

 

「納得して頂けて幸いです。つまり、私が言いたいのは──」

 

「『アナステイスィス・イロアス』には、もっと別の効果がある、という事ね」

 

 仰る通りです、とヘディンは主の言葉に頷いた。妖精は眼鏡のレンズの奥で、より一層目を細くした。

 

「『魔法』に於いて『詠唱』とは、『砲台』を意味しています。詠唱式が長ければ長い程、練られる『魔力』はより強く、より濃くなる。フレイヤ様もご存知でしょうが、『魔法』の強弱をする際、この詠唱式の長さを比較するのが一般的です」

 

「そうなると、あの子の『魔法』にはもっと別の効果があると考えられるわね」

 

「私が申した『未知』が、そこです」

 

 しかしながら──と、ヘディンは続ける。

 

「手掛かりが全くない訳でもございません。オッタルが見たという、地面に浮かんだ『謎の紋様』。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()魔法円(マジックサークル)とは似て非なる()()が、彼の『魔法』の『根幹』を為しているのはまず間違いないでしょう」

 

 そして最後にヘディンは、このように言った。

 

「これ以上の推測は申し訳ございませんが、難しいです。私のような先天性(エルフ)ならまだ多少は絞り込めますが、ベル・クラネルは魔導書(グリモア)を介しての後天性。さらには、最高品質によるものです。オッタルの報告にあったように、本来の効果が何かは中々推測が出来ません」

 

「だからこそ、貴方は『未知』だと評したのね」

 

「はい、仰る通りです。力及ばず、申し訳ございません」

 

 ヘディンは深く頭を下げ、女神の許しを乞うた。

 そして眷族の謝罪に、主神は「謝る必要はないわ」と声を掛ける。さらには、「頭を上げなさい」とも命令を出した。

 

「オッタルのように、『魔法』を直接見た訳ではないのだから、仕方のない部分は多分にある。寧ろ貴方は良くやったわ、ヘディン」

 

「はっ! お褒めに与かり光栄です!」

 

 フレイヤは微笑を浮かべると、「ねえ、ヘディン」と眷族に静かに問うた。

 

「貴方、私に聞きたい事があるわね?」

 

「……」

 

「ふふっ、可愛い子。貴方のそういう真面目な所、私は好きよ」

 

 フレイヤは笑みを深くした。そして彼女はどこか面白そうに言った。

 

「良いわ、貴方の質問に答えましょう。報酬を与えなければ、神として失格だもの」

 

「……ならば、ご厚意に甘えさせて頂きます。最近、フレイヤ様は大きく動かれているように感じられます。その理由を知りたいのです」

 

「あら、それは心外ね。寧ろ私は、今まで以上に静かにしているつもりだけれども」

 

 それは、確かな事実ではあった。

 フレイヤが少年を見初めてひと月が経っている。だが女神は、表立っては何も動いていなかった。この場合の表立ってとは──少年を自身の派閥に招き入れる事である。

 とはいえ、招き入れる、という表現では適切ではない。フレイヤのそれは『強奪』であった。一般人なら比較的容易く出来るものの、他派閥となればそれは難しくなる。

 それがたとえ零細派閥であろうとも、面倒事は避けられない。

 だが、美の女神であるフレイヤはそれを気にしていなかった。男子(おのこ)であろうと、女子(おなご)であろうとフレイヤには『魅了』がある。あるいは、都市最強派閥という絶対的な『力』がある。それを見せ付けられたら、相手は絶対的女王であるフレイヤに屈服せざるを得なかったのだ。

 だからこその、『強奪』である。

 これに真正面から対抗出来るのは【ロキ・ファミリア】くらいだ。

 見初めたら、即行動。それがフレイヤの基本的な行動指針であった。

 ところが、今の所という注釈こそつくものの、美の女神は動いていなかった。今までの行いをその目で見てきた眷族からしたら、それは不思議で仕方のない事だった。

 

「興が乗らなかった、とでも言おうかしら。あの子を視界に映したのは本当に偶然で、欲しいとも思ったのだけれども……動こうとは何故か思わなかったのよね」

 

 フレイヤはさらに続けた。多分、と前置きする。

 

「不遜にも女神からの『試練』を『喜劇』だと宣ったあの子の愉快な言動をもっと観たいと……そう、思ったからかしら」

 

「なるほど。ベル・クラネルへの貴女の行動は分かりました。しかしながら、私が伺いたいのは別の所にあるのです」

 

「それは何かしら」

 

「……何故、あの小人族(パルゥム)にも貴女は干渉されているのですか?」

 

 フレイヤは微笑を浮かべ、続きを促した。

 主神からの許可を得たヘディンはさらに言った。

 

「ベル・クラネル……ひいては、【ヘスティア・ファミリア】を嗅ぎ回っている情報屋の始末は分かります。女神ヘスティアが管理機関(ギルド)と秘密裏に結んでいる契約を尊重すれば、必要な事でしょう」

 

「……」

 

「しかし、貴女は小人族(パルゥム)にまで干渉されていらっしゃる。危険を冒してまで、彼女に助言をされていらっしゃる。彼女も貴女のお眼鏡にかなったのでしょうか?」

 

 現在、フレイヤの『執心』の対象は少年ただ一人。

 ところが、フレイヤは少年とは別に、一人の小人族(パルゥム)に『助言』を独断で行っていた。ヘディンはそれを『大きく動かれている』と表現して嗜めながらも、彼女の神意を尋ねていた。

 

「そうね……」

 

 フレイヤは考える素振りをみせると、その問いに答えた。

 

「あの子が私の所に来るのも、それはそれで面白そうではあるけれど……恐らく、あの子では耐えられないでしょう。『魂』が輝き始める前に潰れるわ、間違いなくね」

 

「……ならば、何故?」

 

「それはきっと……私以外の手で『魂』が変わる所を見てみたいからかしら。今のあの子の『魂』は、今の外の景色と同じ。幾つもの分厚い雲が重なって、本来の光を閉ざしている。女神(わたし)が声を掛ければ、すぐにでもそれを視れるでしょう。でも、それは何処か違う気がするのよね」

 

 フレイヤはそう言うと、ヘディンから視線を外した。そして再び、眼下の景色に想いを馳せる。

 そして女神は突然、「ふふっ」と微笑みを浮かべた。目を細め、熱い吐息を吐き出す。

 

「つまるところ、私はあの子の応援者(ファン)なのよ」

 

 顔を振り向かせてフレイヤが言うと、知的な妖精は珍しくも困惑を浮かべるのだった。訳が分からない、という内心が表情に出る。

「幾つもの『魂』が集まっている。舞台は既に整えられているわ。他者を、世界を、そして自分自身さえも嫌っているあの子に、貴方はどうするの?」

 ──ねえ、ベル? 

 



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斯くして、時計の針は止められない Ⅰ

 

 豪雨が迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオを襲う。槍の如く降り注ぐ雨が都市の人々の視界を奪う中、その建造物は尚、都市を照らしていた。天然物ではなく人工の魔石灯の光でこそあるものの、都市の象徴である巨塔(バベル)は天を()き、輝いていた。

 そして、その光に引き寄せられるようにして巨塔を目指す人々が居た。冒険者、と呼ばれている彼等は今日もまたダンジョンに挑む為に動いている。

 そして、摩天楼施設──その、一階。日中であればバベルを囲っている中央広場を集合場所にしている冒険者であるが、雨という事もあり、今日は室内を集合場所にしている者が殆どであった。

 

(──遅いですね……)

 

 リリルカ・アーデもまたその一人であった。現在は雇用主を待っている最中であり、手持ち無沙汰な状態だった。

 クリーム色のローブ、そのフードの奥で考える。

 

(本来なら今頃は、あの人がとっくに来ても可笑しくはない筈なのですが……)

 

 それは、先日の一件と似ていた。しかしながら、前回とは違いそこまでの心配はない。

 

(とはいえ、この悪天候です。中止しようと思っても可笑しくはありません)

 

 今日ダンジョンに行く冒険者は例外なく金の亡者だ。普通なら今日は休息日(レスト)にして、派閥(ファミリア)本拠(ホーム)で過ごすのだが、ダンジョン探索をする冒険者が少ないこの時を彼等は稼ぎ時だと考え、わざわざ雨に身体を濡らしてまで本拠(ホーム)から足を運ぶのだ。

 あるいは、怪物(モンスター)との戦闘そのものに快感を覚える狂戦士(バーサーカー)か。はたまたあるいは、生活に困窮している零細派閥か。

 

(……あともう十分待って来なければ去りましょうか)

 

 他の契約者なら話は変わってくるが、現在の契約者ならリリルカが無断で休んだとしても事情を話せば理解を示すだろう。

 

「今日は冒険者が少ない! いいかお前ら、必ずいつもの二倍……いや、三倍は稼ぎを得るぞ!」

 

「いやいや、そんなの無理だって!」

 

「無理じゃねえ、やるんだよ! それに質の良い【経験値(エクセリア)】を得れば『昇格(ランクアップ)』だって夢じゃねえ! お前、【ステイタス】の数値は充分に足りているって、主神に言われているんだろう?」

 

「『昇格(ランクアップ)』も大切だが、俺としては探索に行く前に身体を一回洗いたい。なあ、やっぱりシャワー室を使おうぜ?」

 

「そんな無駄な時間はなぁい! さっき見た、あの長蛇の列を忘れたのか! 今から並んだら、正午になっちまうぜ!」

 

 目の前を、一つのパーティが通った。彼等は和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気で地下へ通じる螺旋階段(らせんかいだん)へと姿を消す。

 リリルカは「チッ」と小さく舌を打つとフードを目深に被り直した。だが視界を遮った所で周囲の声が途絶える訳ではない。また一つ、耳障りな喧騒が耳朶(じだ)を打つ。

 

「おいお前ら、知っているか? 最近何でも、【猛者(おうじゃ)】がダンジョンに潜っているらしいぜ」

 

「……【猛者(おうじゃ)】って、あの【猛者(おうじゃ)】か? それは本当か?」

 

「ああ、信頼出来る(すじ)からの情報だ。『上層』から『中層』にかけて居るらしい。目撃者もかなり出ているそうだ」

 

「……それはまた、珍しいな。『都市最強』からすれば、『上層』はおろか『中層』でさえ、まるで物足りないだろうに。何か理由でもあるのか?」

 

「さあなぁ。ただ……『これではまるで足りん』って、【猛者(おうじゃ)】がモンスターを倒した時に独り言を言っていたのを聞いた奴が居るらしい」

 

「そりゃあ、そうだろうよ。【猛者(おうじゃ)】の『階位(レベル)』は都市で唯一のLv.7だぜ」

 

「そうだろう? 噂じゃあ、【イシュタル・ファミリア】が『ちょっかい』を掛けるって話だ。イシュタル様とフレイヤ様の仲が悪いのは周知の事実だからなぁ。俺達からすれば、どっちも美の女神で、お目にかかれるだけでも幸運なんだが」

 

「俺が聞いたのだと、『遠征』する【ロキ・ファミリア】への襲撃、なんて話もあったぞ。まあ、いくら【猛者(おうじゃ)】でもたった一人じゃ【ロキ・ファミリア】を相手取るのは厳しいと思うから、これはデマだと思うが」

 

「とはいえ、それは困るぜ。無法地帯のダンジョンだ、()り合うのは自由だが、せめてもっと下の階層でしてくれよ。ただでさえ最近は『上層』で異常事態(イレギュラー)が沢山起こっているんだ。これ以上増やされちゃあ、俺達下級冒険者が軒並み死んじまうぞ」

 

「全くだ。ほんと、勘弁して欲しいよなぁ……──」

 

 遠ざかっていく声。

 そしてまた一つ、喧騒が耳朶(じだ)を打つ。

 

「あと数日もすれば『神会(デナトゥス)』が開かれる。今回はかなり多くの冒険者が『器』を昇華させたらしい」

 

「へぇ、そりゃあ楽しみだな」

 

「今期で一番話題となっているのは、【タケミカヅチ・ファミリア】のヒューマンの女だ。確か……『ヤマト・(ミコト)』だったか」

 

「ほっほーう! 名前からして、極東の出身か!? さぞかし美人なんだろうなぁ!」

 

「神曰く、『大和撫子(やまとなでしこ)』って言うそうだぜ!」

 

 遠ざかっていく声。

 聞き取れた情報をリリルカは全て記銘(きめい)し、保持した。

 情報はあればある程良い。だった一つの情報が人生を左右する事だってある。それが、魔物が跋扈(ばっこ)する魔窟なら尚の事だ。

 そして、十分が経った。

 リリルカはベンチから立ち上がると、最後に辺りを見渡した。だが、待ち人たる白髪紅眼の少年──ベル・クラネルは見えなかった。まあ、彼の場合は目で見るよりも耳で聞いた方が遥かに発見しやすいのだが。

 とはいえ、これだけ待ったのだ。言い訳としては充分だろう。そう判断したリリルカは床に置いていたナップサックに手を伸ばした。

 本当は今日『決行』する予定だったが、明日でも構わないだろう。そして背中に背負い、今まさにバベルを出ようと足を向けた──その時。

 

「フハハハハハハハハッ! いやぁー、雨が痛いネ! それはもう痛い! 私の美しい顔が潰されるかと思ってしまった!」

 

 幾つもある出入口の一つ、そこから喧しい声が出された。それは、それまであった喧騒すらも吹き飛ばしてしまう。

 何事かと冒険者達が視線を発生源に向ける中、どこに笑う要素があるのか、声主は尚も笑声を上げていた。いったい何が面白いのか、とても愉快そうに。

 

(うげっ……!)

 

 リリルカはその声に聞き覚えがあった。いや、聞き慣れてしまった、と表現するのが適切か。

 表情を歪める彼女を他所に、その声主はさらに叫ぶ。

 

「何ということだ! この悪天候の最中であっても、こんなにも大勢の冒険者がダンジョンに潜るというのか! 自分の事を棚に上げて言わせて貰うが、みんな、自分の欲望に素直過ぎじゃなーい?」

 

 この場に居る殆どの冒険者がその言葉にイラッとした。

 

(あー、もう! お願いですから黙っていて下さい静かにしてて下さい騒ぎを起こさないで下さい!?)

 

 しかしリリルカの懇願虚しく。

 現在進行形で騒ぎを引き起こしている馬鹿は、自分が注目されている事など(つゆ)も思わないのか。

 

「すみませ──ん! これ、何の列ですかー? えっ、シャワー室の列? わぁお、これは大変だ! うーん、私が仮に並ぶとして、利用出来るようになるのはいったい何時頃だろう? えっ、十二時間!? なんと、それは実に面白い!」

 

 リリルカは目眩(めまい)を覚えた。同時に、頭が痛く感じた。

 あとほんの少しでも早く判断をして、この場から離脱していれば良かったのに! 

 他ならない自分がつい先程思ったばかりではないか。目で見るよりも耳で聞いた方が遥かに発見しやすい、と。

 

(──いえ、待ちなさいリリルカ・アーデ。まだ希望は残っています。幸い向こうは気付いていません。つまり、今ならまだ間に合います!)

 

 自分が置かれている状況を冷静に考える。幸い、彼我の距離は充分にある。さらには、向こうが自分に気付いている様子もない。

 今ならまだ、バベルからの離脱は可能だ。出来る事ならばそうしたい。誰が好き好んで、面倒事に関わりたいと思うだろう。

 そうだ、そうしよう。今日この時を持って少年とのパーティは解散だ。別れの挨拶など不要、『決行』するのは今この時だ。

 

「ヘイヘイヘイヘーイ! そこの美しいエルフよ、私の仲間を見なかったか? 犬人(シアンスロープ)女子(おなご)で、クリーム色のローブを着ていて、大きなナップサックをいつも背負っているのだが!」

 

「知らん。それよりも私に近付くなヒューマン」

 

「辛辣!」

 

 リリルカはついに『決行』した。

 出来る限り身体を小さくし、音を立てずに雇用主とは反対方向に向かう。ゆっくりと、着実に、時には大胆に。

 その間もベルは周りの人間に声を掛けては、リリルカの所在を尋ねていた。無視されても可笑しくないが、不思議な事に、みんなベルの質問に律儀に答える。

 

「ふむ……目撃情報は今の所なしか。私の方が先に到着した、という事か……? だが彼女が時間に遅れるとは思えないのだが……」

 

 ベルが顎に手を当ててそう呟いた、その時。

 一人の亜人族(デミ・ヒューマン)が「おい」と横からリリルカに話し掛けた。肩に手を置き、行動を静止する。

 胡乱な眼差しを向けられた馬人(エクウス)の男は、たじろぎながらも言った。

 

「なあ、アンタじゃないのか? あの餓鬼の言っている仲間は」

 

「……何の事でしょう? 生憎、私の友人や知人にあの方のような愉快な御仁はいませんが」

 

「いや、そうは言ってもな。あの餓鬼が言っている条件に、アンタは見事に的中と思うんだが」

 

「はて、そうでしょうか」

 

 コンチキショー! リリルカは内心、そのように叫んでいた。普段は自分の存在など気にも掛けない癖して、どうしてこのような時に限って注目するのか。

 馬人(エクウス)の男はリリルカを見下ろすと、不意に、スンスンと鼻を鳴らした。そして、特徴的な鼻をリリルカに近付けて……顔を盛大に歪めた。

 

「……アンタ、臭くないか。何だか肉臭い。シャワーを浴びたらどうだ?」

 

「失礼ながら、初対面の相手、ましてや女子(おなご)にそのような事を仰るのは非常識かと思いますが」

 

「そりゃあ、その通りだが。雨の所為で紛れているが、もし天気が晴れだったら俺以外の奴も言うだろうさ」

 

 チッと、リリルカは内心で舌を打った。これだから五感の優れた獣人は嫌いなのだと罵倒する。

 顰め面をフードで隠しつつ、リリルカは馬人(エクウス)の男に言った。

 

「何度も言いますが、私ではありませんよ。もう宜しいですか。先を急いでいますから、失礼致します」

 

 これ以上の会話は危険だ。

 男の言葉を待たず、リリルカは動き始めた。走って脱出したかったが、バベル一階は沢山の人で密集している。この悪天候の中、わざわざ雨に濡れて外で待ち合わせをする者は居ないのだから当然だ。大きな荷物を背負っているリリルカが走れば人とぶつかる危険性がある。

 スタスタと早歩きで動いていると、

 

「おい、お前の言っている仲間はアイツじゃないのか?」

 

 背後で、そんな声が聞こえた。

 思わず足を止め、そちらにゆっくりと顔を向かせる。見れば、馬人(エクウス)の男が少年に話し掛けていた。

 

(余計な事を……!)

 

 チッ、と今度こそ舌を打つ。

 そして、話を聞き終えたのだろう。ベルは馬人(エクウス)が指さす方向──即ち、リリルカが居る場所を見た。

 紅玉(ルビー)のように美しい深紅(ルベライト)を瞳を直視してしまい、リリルカは堪らずに目を逸らした。ベルはリリルカの行動を特に言及せず、ただいつものように笑みを浮かべる。

 

「見付けた! おーい!」

 

 右手をブンブンと大きく振り、大声を出す少年に多くの視線が寄せられる。しかしながら、その本人は気が付いていないようだった。そして自然と、リリルカとベルの間には一本の道が作られていた。

 ベルは馬人(エクウス)の男に礼を言うと、リリルカの居る場所まで一直線に駆け寄ってくる。逃走は不可能だと判断し、リリルカは大人しく現実を受け止める事にした。

 

「すまない、待たせたな! おはよう!」

 

「……あー、はい、おはようございます。それでは、今日も宜しくお願い致しますね」

 

「……? どうかしたか? 元気がないように見えるが」

 

 棒読みで挨拶をすると、ベルが目線を合わせてリリルカの瞳を覗き込んできた。強烈な輝きを放つ紅い瞳を一切見ることなく、リリルカは「何でもありませんよ」と答える。

 周囲の人間は興味がなくなったのか、リリルカとベルに注目することはなくなっていた。

 リリルカは意識を切り替えると、にこりと、人好きのする笑顔を浮かべる。

 

主神(ヘスティア)様の容態はどうですか?」

 

「だいぶ良くなった。元気にしているよ。それはもう元気で、居候先の主に怒られていたな」

 

「それなら、良かったです。これで心置きなくダンジョン探索に集中出来ますね!」

 

 そう言うと、ベルは苦笑いを浮かべた。

 リリルカは昨日のうちに、雇用主から【ファミリア】の状態を教えられていた。暴雨によって本拠(ホーム)が崩壊した事、主神(ヘスティア)が体調不良で倒れた事などだ。いくら契約を結んでいるとはいえ、他派閥の人間に【ファミリア】の重要な情報を教えるのは愚かとしか言えなかったが、指摘はしなかった。

 痛い目を見れば良い、という邪な考えがあったのもそうだが──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(今更、覚悟を己に問う必要はありません。いつものように、やれば良い。そう……それで良いのです)

 

 チクリ、と。

 胸に痛みが走った。リリルカは深呼吸をしてそれを無かった事にすると、雇用主に申し出た。

 

「さあ、行きましょう。ダンジョンへ!」

 

 ベルが何か言うよりも前に、リリルカは地下へ通じる螺旋階段(らせんかいだん)に足を向けた。

 背中に注がれる深紅(ルベライト)の瞳から逃げるように、リリルカはダンジョンに行くのだった。

 



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斯くして、時計の針は止められない Ⅱ

 

 ダンジョンは複雑怪奇(ふくざつかいき)な構造をしており、下の階層にいくほど1階層に対する面積は広くなっていく。

 そして、各階層にはそれぞれ『役割』がある。例えば、6階層から7階層はウォーシャドウやキラーアントといった『初心者殺し』が出現し、数多くの駆け出し冒険者を亡き者にしている。例えば、8階層から9階層はそれまでの『上層』の総まとめであり、新しい種類のモンスターが出現しない代わりに、ゴブリンやコボルトといったモンスターが手強くなった状態で現れる。

 

 そして、ダンジョン10階層。

 

 この階層から、ダンジョン探索は新たな段階を迎える事となる。

 10階層の性質──それは『(もや)』だった。

 地面から立ち昇ってくる霧は冒険者の視界を物理的に奪い、自分が居る場所を(まど)わせる。それは焦りを(まね)き、やがて、正常な思考能力を失ってしまう。作り自体は8階層及び9階層を引き継いでいるものの視野の遮断はとても脅威だ。事実、この『靄』に狂わされた冒険者は数知れず、そのまま地上に帰還出来なかった者はあとを絶たない。これまであった天井からの摩訶不思議な光も完全には届かず、朝霧を連想させるようなものとなっている。

 各広間(ルーム)に点々と、あるいは森林のように生えているのは枯木であり、中には上から下にいくにつれて先端が尖るという()()なものも見られる。この緑のない木々が、10階層の不気味さをより一層強く演出していた。

 

(そう言えば……この階層に来るのは随分と久し振りですね。最近の契約者は()()()ばかりでしたから、それは仕方の無い事ですが)

 

 ひと一人が通るのがやっとな細長い廊下を通りながら、リリルカはそんな事を考えていた。焦りや混乱はなく、何処までも冷静だった。それもその筈、リリルカがこの階層に来るのは今回が初ではない。両の手では数え切れない程の回数を彼女はサポーターとして探索に同伴している。

 もちろんそれは精神的なものであり、サポーターであるリリルカがこの階層のモンスターと戦う事は出来ないのだが。下手すれば一撃掠っただけで致命傷になりかねない。

 

(そういう意味では、この人は一人前と言えるでしょうね)

 

 自身の数歩先を歩く剣士の少年──ベル・クラネルの背中を見て、リリルカはそのように評した。

 

(分かっていた事とはいえ……やっぱり可笑しいです。この人はどうしてこんなにも落ち着いているのでしょうか)

 

 何度目になるか分からない、疑問。そして、違和感。ダンジョン探索に於ける移動の時間は、考え事をするのに適していた。周囲に意識を割くことを忘れずに、リリルカは思考を巡らす。

 

(これまでの階層は視界だけは保証されていました。しかし、この10階層にはそれがない。そして、視界の確保は戦闘に於ける最も重要な要素(ファクター)な筈です)

 

 普通なら、不安になる。環境が劇的に変化したのなら、それは当然の事の筈だ。

 だと言うのに、ベルは至って自然体だった。10階層に降り立ったその時こそ『英雄日誌(えいゆうにっし)』なる自伝を書いていたが、それ以降は特に何も無い。

 新種モンスターとの戦闘も問題なく行えており、今の所は順調そのものだ。

 

(気配察知能力に長けている事は分かっていましたが……それにしては余裕があります)

 

 担当アドバイザーの教えがあったからだと──そのギルド職員が開く勉強会が強烈(スパルタ)なのは冒険者の間では有名で、リリルカも知ってはいるが──本人は言っていたが、しかし腑に落ちない。百聞は一見に如かず、と極東の言葉にあるように、他人から聞くのと自分の眼で実際に見るのとでは全然違う筈だ。

 まるで慣れているかのように、駆け出し冒険者は気負うことなく普段と何ら変わらない状態で探索をしていた。

 

(まあ……この人の高い【ステイタス】に攻略階層が適していないのも理由の一つに入るでしょうが)

 

 リリルカの見立てでは、片手剣使い(ソードマン)の【ステイタス】は10階層どころか、その下の階層ですら通じるものだ。流石に『中層』には届かないだろうが──一般的に、『中層』からは第三級冒険者になる必要がある為──『上層』の最奥部まで易々と辿り着くだろう。

 本当なら今日、リリルカは11階層を主に探索するつもりだったのだが、少年に次々と降り掛かった異常事態の所為で攻略階層は中々増えていなかった。はっきり言って、神々で言う所の『ヌルゲー』状態となってしまっている。

 とはいえ、それはあくまでも【ステイタス】という数値の話である。この厄介極まる『靄』という特質は『中層』まで続くから、この10階層で完全に慣れる必要がある。

 そのように考察していると、通路を抜けて広間(ルーム)に出た。代わり映えしない景色に、リリルカは思わず溜息を吐いた。

 リリルカの記憶が確かなら、10階層で最も広い広間(ルーム)だ。10階層の最難関として有名な広間(ルーム)であり、耳を澄ませば同業者の雄叫びが聞こえた。

 そして、暫く進んでいると、不意に──()()()()。何かが折れる音が前方から出た。さらに別方向からも、同じ音が発生する。

 耳障(みみざわ)りな雑音に、リリルカはフードの奥で眉を(しか)める。そして、前に居る剣士に声を飛ばした。

 

「ベル様!」

 

「分かっている! リリ、私から離れないように!」

 

「言われるまでもありません! 音の数と大きさから推測するに、恐らくは()()()、それも二体です! ベル様なら大丈夫かと思いますが、お気を付けて!」

 

 その忠告にベルは笑みをもって応えると、腰の調帯(ベルト)に吊るしている剣の(グリップ)に手を伸ばした。滑らかな動作で漆黒の片手直剣(ワンハンド・ロングソード)──《プロシード》を抜くと、油断なく中段の構えをとる。

 そうして待つ事数秒──おもむろに、ベル達の頭上に大きな影がさした。

 

『ブグッゥゥゥ……!』

 

 そのモンスターは低い(うめ)き声を上げながら、のそっと霧の中から姿を現した。

 茶色の肌を持つ巨躯(きょく)に、豚を思わせる頭部。ずるずると剥けた体皮が腰の部分を覆っており、それはまるでボロ衣のスカートのようだった。

 ()()()()()()()()──()()()。それが、管理機関(ギルド)が公式に認めている、モンスターの真名(なまえ)だった。

 剣の切っ先を首元に向けながら、ベルが言った。

 

「既に何回か戦ってはいるが……やはり、大きいな!」

 

 その言葉に、リリルカは内心で激しく同意した。約三(メドル)の巨体は、人間の本能を大きく刺激し、恐怖心を引き起こす。

 初めて見た時は想像以上の大きさに恐怖し、身震いが止まらなかったものだ。その様子を見た、当時パーティを組んでいた冒険者には情けないと嘲笑されたものだが。嫌な記憶を振り払い、リリルカは神経を研ぎ澄ませた。

 

「──、ベル様、二体目です! 二時の方向です! 距離はまだあります! まずは目の前のオークを先に倒して下さい!」

 

「了解! リリ、増援に気付いたら言ってくれ!」

 

「承知しました!」

 

 会話はそこで終了した。そしてリリルカは、剣士が対応出来るぎりぎりの所まで後退した。

 これ以降、サポーターのリリルカに出る幕はない。邪魔にならないよう観戦するだけだ。

 ベルが雄叫びを上げてオークに突進攻撃する。リリルカはそれを眺めながら、ニヤリ、と唇を吊り上げたのだった。

 当然、命のやり取りをしているベルがその様子に気が付くことはなかった。

 



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斯くして、時計の針は止められない Ⅲ

 

 大型級モンスター──オーク。太く丸まった体型をしているこのモンスターは、その見た目通り動き自体は遅い。ベルがこれまでに戦ってきた猛牛(ミノタウロス)銀の野猿(シルバーバック)と比べるまでもないが、丸太を思わせる腕から繰り出される一撃には注意が必要だ。

 

(まずは攻撃を回避! そこから反撃する!)

 

 白髪紅眼の片手剣使い(ソードマン)──ベル・クラネルは現在、オークと交戦していた。ベルから数歩離れた場所では、サポーターとして雇っているリリルカ・アーデが控えており、戦闘を静かに見守っている。

 彼我の体格差は一目瞭然だった。しかし、ベルは約三(メドル)の巨体に臆することなく、冷静に敵を見据えていた。

 

『ぶるぐぁぁぁぁぁ……!』

 

 白兎のその不遜な態度を、オークは不快に感じた。暗褐色の瞳の輝きをより強くして異質な呻き声を上げながら、右腕を振り被り、そのまま殴りかかった。

 被弾すれば致命傷とまでは行かなくとも、それなりの負傷をする事は明確。しかしながら、ベルにとってその攻撃はあまりにも遅いものだった。 

 

「ふっ」

 

 黒衣の剣士は右に軽くステップをする事で華麗に(かわ)すと、そのままオークの懐に入る。そして、真下から斜め上へ剣を斬りあげた。

 黒閃が走った次の瞬間、オークの身体から大量の血が噴出する。絶叫を上げるモンスター。

 

(浅い……!)

 

 ベルは深紅(ルベライト)の瞳を細め、そのように判断した。オークの身体は脂肪の塊であり、心臓にあたる『魔石』を傷付ける事は意外にも難しかった。

 

「ベル様、もう一体がすぐそこまで近付いています! 次で確実に仕留めて下さい!」

 

 サポーターからの戦況報告と、指示が飛ぶ。

 ベルにとってリリルカ・アーデというサポーターは非常に頼りになる存在だった。非戦闘員である彼女は戦況を見渡せる位置に常におり、その都度、必要事項を報告してくれる。

 それはつまり、これまでベル一人で行ってきた負担を減らす事に繋がる。結果、ベルは余分な事を考えずに済み、戦闘に集中する事が出来ていた。

 そして、ベルは迷うことなく指示通りに動く。上へ振り上げていた剣を、今度は下に振り下ろした。先程の攻撃で体皮は抉られている為、そこに更なる一撃を加える。

 ベルの愛剣《プロシード》は今度こそ『魔石』を()ったようだった。使用者がそれを感じた瞬間、オークの身体は黒灰と化した。紫紺の結晶がころん、と地面に転がる。

 一息つきたいところだったが、状況がそれを許さなかった。『靄』の中から、茶色の肌を持つ巨体がのっそりと現れる。 

 

「うげっ!」

 

 オークの姿を認め、ベルは思わず顔を顰めた。

 姿形は全く同じだったが、今回のオークには先程と違う点が一つあった。先程のオークが素手だった事に対して、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ──『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』。

 通常、モンスターは武器を持たない。武器を持つ事は冒険者の『特権』であり、モンスターは生まれ付き持つ牙や爪といったもので攻撃をする。

 神々が降臨する前の『古代』、人類がモンスターを撃退する事が出来た理由の一つがこれだった。本能で生きるモンスターとは違い、人類には理性があり、知恵があった。他者と協力し、武具を製造し、怪物に少しでも対抗出来るように成長していったのだ。

 しかしながら、その『特権』は10階層から無くなる。

 冒険者の進行を止める一手として、母なるダンジョンが我が子であるモンスターに『力』を授ける。その『力』こそが天然武器(ネイチャーウェポン)であり、『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』である。

 例えば10階層の『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』は『特殊な枯木』であり、先が細い枯木の枝が無骨な武器へと変化するのだ。

 

「武装したモンスターか。流石の私も戦った事はないな!」

 

 武装、と言っても冒険者が扱う物と比べたら性能は遥かに劣る。しかしながら、このダンジョンの支援(サポート)は非常に厄介だった。事実、10階層での死者数は『上層』でも最も多い分類に入っている。

 視野を妨げる、『(もや)』。オークをはじめとする大型級モンスターの出現。そして、『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』。これら三つの要素が複雑に絡まり、『壁』となって冒険者に立ちはだかるのだ。

 

「ベル様、来ますよ!」

 

 リリルカの声が鋭く飛んでくる。ベルは目の前の敵に意識を向けると、攻撃に備えた。

 

『ぶるぅぅっっ……!』

 

 豚のような鳴き声を上げながら、オークは棍棒を最上段から振り下ろした。

 その必殺の一撃を、ベルは左にステップして回避する。先程の戦闘と同じように回避しようと──して、ゾクリ、と。

 片手剣使い(ソードマン)は悪寒を感じた。それを信じ、先程よりも大きくステップし、距離をとる。

 

「ぶるぅぅ……!?」

 

 棍棒という武器を持ったオークの一撃は子兎の脳天に直撃する事はなく、そのまま空振りとなる。オークは驚愕の声を上げ、慌てて止めようとするも、全体重を乗せた攻撃を途中で静止する事は出来なかった。結果、棍棒はそのまま地面に当たる事となる。

 ズドン! という衝突音と共に、地面に亀裂が走る。それは周囲を巻き込み、霧を切り裂き、草木がぱらぱらと舞った。

 

(危なかった……!)

 

 額から頬に一滴の冷や汗が流れる。

 もしベルが先程と同じようなステップをしていたら、衝撃波に巻き込まれて少なくない傷を負っていただろう。

 自分の直感を信じて良かったと思いながら、ベルは反撃に出た。自慢の『敏捷』で瞬きのうちに敵に肉薄し、斬撃を見舞う。

 

『ぶるぅぅぁああッ!?』

 

 止まない斬撃の数々に、オークは悲鳴を上げた。

 

「せあああああああッ!」

 

 裂帛(れっぱく)の雄叫びと共に、突進攻撃する。《プロシード》の切っ先は心臓部を穿(うが)ち、『魔石』を砕いた。刹那、断末魔(だんまつま)を上げながらオークは地に伏し、黒灰と化した。

 空気に溶けてゆくそれを見届け、ベルは一息つこうとするも、

 

「ベル様、増援です! 今度は三体! 足音から察するに、恐らくは三体ともオークです!」

 

 サポーターの報告によって、中断される。意識を向ければ、確かに、リリルカの言う通りだった。地響きが徐々に近付いてくる。

 恐らくはオークの上げた悲鳴を、近くに居た同種が聞き付けたのだろう。敵討(かたきう)ちという概念は本能で生きるモンスターにはない筈だが、事実として、増援が来た。

 剣に付着した血を振り払うと、ベルは双眸(そうぼう)を細めた。眦を決し、戦闘を続行する。

 

「一番近いのは真正面! その次が二時、最後に十時の方向です!」

 

「分かった!」

 

 リリルカの言葉に返事をしてから、ベルは霧の中に飛び込んだ。海を思わせる『靄』を、サポーターの言葉通りに進む。

 滑空するように前進する事数秒、茶色の肌が視界に入った。足音を立てぬよう注意しながら、ベルはオークの背面に回り込み、跳躍する。背中に担いでいた剣を、首筋目掛けて真横に振った。

 

『ぶるぅぅあああああああ……!?』

 

 首を切断され、豚頭が地面に落ちる。切断面からは大量の血が飛び出た。ジャンプしていたベルはそれを回避する事が出来ず、その返り血を浴びてしまう。ヘスティアに怒られるなあ、と思いつつ着地した。

 そして、体勢を整えようとした、その時。

 

「……ッ!?」

 

 ブンッ! と霧を裂いて、大剣がベルの顔面に迫っていた。

 それが直撃する寸前、冒険者は【ステイタス】にものを言わせて上半身を逸らすことで回避する。前髪の毛先がぱらぱらと数本切られ、ベルはぶわっと全身の産毛から冷や汗を出した。

 もし瞬間的判断が出来ずに直撃していたら、今頃は天界に昇っている頃だろう。決して油断していた訳ではなかったが、ベルは気を引き締められる思いだった。

『靄』というダンジョン・ギミックの厄介さを痛感する剣士を見下すように、オークが嗤いながら姿を見せる。左手に握られているのは、今まさにベルの生命を刈り取ろうとした無骨な大剣だった。 

 

(あれも『迷宮の武器庫(ランドフォーム)』か……! エイナ嬢から話は聞いていたとはいえ、本当に厄介極まる!)

 

 そのように奥歯を噛み締めていると、さらにもう一個、ベルの頭上に影が差した。

 もう一体のオークが、遂に合流したのだ。タチの悪いことにこのオークも無骨な棍棒を装備している。

 一対二の状態に、ベルはどうしたものかと迷う。このまま戦闘を続行しても良いが、一度体制を立て直すべきか。

 

「リリ、どうする!?」

 

 相談をしようと、ベルは後ろを振り返った。しかしながら、ナップサックを背負った小柄な少女は見えない。先程まではぎりぎり視認出来る距離に居たが、相次(あいつ)ぐ戦闘によって彼我の距離が離れてしまっていたようだった。

 気配は感じ取れるので、リリルカの所在はある程度分かるものの、安否までは分からない。

 一度合流すべきだとベルは判断し、後退しようとするも。

 

「リリは無事です、ベル様! それよりも目の前のオークに集中して下さい!」

 

 霧の海を掻き分けたリリルカの言葉によって、足を止めてしまう。そんなベルに、更なる声が飛んでくる。

 

「本当に大丈夫なのか!?」

 

「ベル様、リリは亜人族(デミ・ヒューマン)です! ヒューマンのベル様よりも視力は良いです!」

 

 全ての能力が平均的で器用貧乏なヒューマンとは違い、亜人族(デミ・ヒューマン)には何かしらの種族特性がある。犬人(シアンスロープ)であるリリルカ・アーデは、ベル・クラネルよりも五感が優れている筈だ。

 犬人(シアンスロープ)の言葉を信じるのならば、この『靄』の中でも向こうからはベルの姿が見えるという事になる。

 

(だがしかし、私から見えないのではあまり意味がない。非戦闘員(サポーター)のリリを守る為には、やはり、ここは合流すべきか……?)

 

 ベルは葛藤する。

 しかしながら、自分の中で答えを出す前に「ベル様!?」と、仲間の悲鳴じみた声が出された。

 思考を中断しハッと我に返ると、大剣を持ったオークが攻撃の予備動作に移っていた。

 

『ぶるぅぅ……!』

 

 余所見(よそみ)をしている余裕があるのか? モンスターからの嘲りを、片手剣使い(ソードマン)は確かに感じ取った。

 オークは緩慢な動作ながらも腰を捻り──大剣を横に振った。

 薙ぎ払い。

 ベルは咄嗟に《プロシード》を構え、その一撃を真正面から受け止める。途轍もない衝撃が剣から全身に伝わり、渋面を作る。身体はやや後退し、草木にはその跡がくっきりと残った。

 だが、敵の攻撃はそこで終わりではなかった。

 

『ぶるぁああああああああ──ッッ!』

 

 獣声と共に、棍棒が振り下ろされる。まるで連携を取っているかのような、絶妙なタイミング。

 回避は間に合わないと即断し、ベルはそれをパリィした。《プロシード》の刀身を、棍棒が滑る。すぐ隣に棍棒は落ち、衝突音と共に地面が割れた。

 

(反撃をするなら、今しかない!)

 

 ベルは眦を決すると、防御から攻撃に転換した。棍棒を持ったオーク、その(また)を潜り抜けて大剣使いの前に躍り出る。

 

『ぐるぁあ!?』

 

 突如として目の前に現れた子兎に、オークは驚愕の声を上げた。慌てて迎撃しようとするも、その時には既に、ベルは間合いに入っていた。

 下段から中段──左下から右上へ逆袈裟斬りを行い、そのまま巨体の背面へ回る。無防備なその背中向けて、剣士は渾身の一突きを放った。贅肉を抉り、そのまま『魔石』を穿つ。

 大剣使いのオークは前方の棍棒使いのオークを巻き込み、倒れ込みながら絶命した。

 巻き込まれた棍棒使いオークはそのまま前に倒れ、ズドン! と盛大な音を立てながら、うつ伏せとなる。手に持っている棍棒を闇雲に振るうも、それがベルに当たる事はなかった。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 ベルはオークの巨体に乗ると、そのまま連続攻撃を仕掛けた。そして最後に豚頭の後頭部を斬り、息の根を止める。

 勝利の余韻に浸りたい身体を理性で抑えつつ、ベルは三百六十度辺りを見渡した。しかしながら、仲間の少女は見えない。先程まで感じ取れていた気配も薄くなり、朧気なものになっている。それだけ物理的距離が離れてしまったのだろうか。

 

「リリ! 無事か!?」

 

 付近に居るであろうモンスターに聞こえる事を覚悟しつつ、ベルは声を張り上げた。耳を澄まし、少女の声を聞き漏らさないようにする。

 ところが、返答は来なかった。

 

「リリ! 聞こえるなら、返事をしてくれ!」

 

 声が嗄れるのも厭わずに、ベルは必死に呼び掛けた。嫌な汗を背筋に流しながら、ベルは微かな気配を頼りに動き始める。

 だがどれだけ走っても、ベルはリリルカと合流出来なかった。両者の【ステイタス】を考えれば、とっくに合流出来ていないと可笑しいのに。

 そして、それが出来ていないのには、明らかな理由があった。

 

「……ッ! そこを通してくれ!」

 

 一つ。大声を出しながら動き回るベルを、モンスターが感知して襲いかかってきた事。その度にベルは足を止めざるを得ず、戦闘を始めなければならなかった。

 

(リリも動いているから、中々合流出来ない!)

 

 さらに、もう一つ。それはリリルカもまた、ベルと同様に動いているという事。

 合流出来ると思った時にはモンスターが襲い掛かり、その戦闘中にもリリルカは移動している。『靄』がなければ最短で仲間の元に駆け付けられるというのに、この霧の海がベルを邪魔して思うようにいかない。

 まるで、そこに何者かの『意思』があるかのように。

 

「──邪魔だッ!」

 

 霧の中から現れたモンスターを、一撃で屠る。

 膝から倒れるオークの横を通り抜けながら、ベルは思考を巡らした。

 

(こちらの呼び掛けには、一切の反応がない。モンスターに襲われたのなら悲鳴が一つあっても良い筈だが、それもない。一人の所を、あの冒険者達に襲われたか?)

 

 脳裏に浮かぶのは、自分に声を掛けてきた一人の冒険者。

 大剣使いの男はベルに、リリルカ・アーデに騙され、復讐を企てていると言っていた。その復讐劇に、リリルカは登壇している──そこまで考え、ベルはそれは違うと却下した。

 

(恐らくは、徒党を組んでリリに接近する筈。だがこの広間(ルーム)には現在、私達以外に冒険者は居ないように感じる)

 

 確証はないものの、この広大過ぎる広間(ルーム)を駆け回ったベルの直感が、そうだと告げている。

 一度冷静になるべきかと、ベルは呼気を整えようとするも、

 

『グギャアアアアアアア!』

 

 霧の中から現れたゴブリンによって、それもままならない。鋭利に発達した爪を最小限の動きで躱し、そのまま反撃に転ずる。隙を晒した敵に、片手剣使い(ソードマン)は連撃を叩き込んだ。

 

(まずいな……体力が消耗してきたか……)

 

 霧の海を走り回った所為で蓄積されつつあった疲労という毒が、徐々にベルの身体を蝕んできた。怪我は負っていないものの、回復薬をレッグホルスターから取り出して一気に呷る。回復薬は傷を癒す事が主な用途だが、少しなら体力の回復も見込められている。

 

「……っ!?」

 

 空となった容器を投げ捨て、深呼吸をした時。

 突如として鼻腔を襲った()()によって、ベルは吐き気を催した。咄嗟に片腕で口元を覆うも、その強烈な臭いを遮断する事は無理だった。

 

(何だ、これは……!? さっきまでは無かった筈だ!)

 

 空気と一緒に、その異臭を吸い込んでしまう。これ以上此処に居たら鼻が捻じ曲がりそうだった。

 

(ダンジョン・ギミックの一つか!? だがそんな事、エイナ嬢は一言も言っていなかったし、情報もなかった!)

 

 担当アドバイザーから受けた講習を思い返すも、そのような事をあの優秀なギルド職員は言及していなかった。

 まっさきに浮かんだのは──異常事態(イレギュラー)。ダンジョンが気紛れを起こし、この現象を起こしているのか。

 

(まずは発生源を突き止めて、この目で確認しなければ……! 本当に異常事態(イレギュラー)ならギルドへ報告しなければならない!)

 

 異常事態(イレギュラー)に直面した際、冒険者は管理機関(ギルド)へ報告する義務がある。似たような事態が起こった時に少しでも対策出来るように、情報共有をする為だ。

 ベルは目を凝らして臭いの元を探すも、『靄』の所為で思うようにいかない。

 

(この広間(ルーム)全体に広がってしまっている……! いや、あるいは、この階層全域に!?)

 

 広間(ルーム)はすっかりと臭いが充満してしまった。

 そして、ようやく。

 ベルは臭いの発生源を発見する。

 それは生々しい血肉であった。それは見付からないように、枯木の根元にあった。ベルは膝を曲げ、それよよく観察する。

 

(これは確か……トラップアイテムか……?)

 

 担当アドバイザーが講義の際に教えてくれた、(トラップ)用の道具。特殊な加工をされているこの血肉は、人にとってはただ臭いだけの品物であったが、モンスターにとっては涎を垂らす程の好物である。

 ダンジョンには数多くの冒険者(どうぎょうしゃ)が居る。冒険者は少しでも【経験値(エクセリア)】を得ようと、これを用いて付近に居るモンスターを誘き寄せ、狩りの効率を上げる事がある。

 嫌な予感を覚えつつ他の枯木の根元を確認すると、そこにもまた、脂の乗った血肉が置かれていた。少し離れた場所に置かれているのを直接見て、ベルは表情を険しくした。

 

異常事態(イレギュラー)ではない……! ()()()()()()()()()()()()()()! 何者かが、確かな『意思』を持って!)

 

 そして、この事態を引き起こせるのは──。

 だがしかし、ベルが答えに辿り着く前に、

 

『ぶるぁああああああああああ──ッ!』

 

 霧の向こうから、低い雄叫びが出される。それに呼応するかのように、獣声は続く。

 

(落ち着け……! 優先事項を見誤るな! まずは──)

 

 しかし、ベルのその考えを嘲笑うかのように。

 それまで沈黙していたダンジョンが目を覚まし、牙を向けた。

 

 ()()()──、と。何処からか音が鳴る。

 

 その聞き慣れた音を拾い、ベルは奥歯を噛み締めた。

 亀裂音は徐々に大きくなっていき、

 

『ぶるぁああああああああああ──ッッ!』

 

 ついに、壁面からモンスターが産み落とされる。ズドン! と巨体が地面に着地した音が連続する。

 広間(ルーム)では地響きが絶え間なく響いていた。血肉求め隣の広間(ルーム)や廊下からはモンスターがやって来て、呻き声を上げる。それは出来の悪い音楽のようであった。

 ──『怪物の宴(モンスター・パーティー)』。

 10階層以下の階層でダンジョンが引き起こす、モンスターの大量発生。

 今回の現象は厳密にはそれではないが、極めてそれに近かった。

 

(クソっ、どうする……!?)

 

 冷や汗と脂汗が混ざり、ベルの全身に流れる。そして気が付けば、ベルは数体のモンスターに囲まれようとしていた。

 ダンジョンが提供する天然武器(ネイチャーウェポン)を装備するモンスターを前に、片手剣使い(ソードマン)は打開策を考える。

 

(一か八か、突貫するしかないか……!?)

 

 塞がれようとしている空間。退路が断たれたが最後、待っているのは蹂躙(じゅうりん)だろう。

 この階層に出現するモンスターは、ベル・クラネルには決して敵わない。それだけ彼我の力には歴然たる差がある。それこそ『上層』の最奥部──12階層ですら、攻略は可能だ。

 ()()()()()()()()

『古代』から『神時代』に移り、戦いの基本は『数』から『質』へと変化した。だがそれでも、『数』が『質』を凌駕する事はよくある事だった。

 詰まるところ──ベル・クラネルは窮地に追いやられていた。

 

 ()()

 

 ベル・クラネルにとってそれは、いつもの事だった。

 

 深紅(ルベライト)の瞳が強烈に光り始める。絶望的状況ながらも戦意はまるで喪失しておらず、あるのは身体を熱くさせる闘志のみ。

 女神の施した『神の恩恵(ファルナ)』が、少年の強き想いに応えるように燃えた。

 そして覚悟を決め、ベルが地を蹴った──その時だった。

 

 

 

「やっぱり、貴方はその選択を取りますか」

 

 

 

 その声と共に、暴風が吹き荒んだ。その風の刃は『靄』を切り裂き、ベルの目の前に居たモンスターを吹き飛ばした。オークの巨体がボールのように飛んで行くのを見て、ベルは呆然と立ち尽くしてしまう。

 暴風が来た方向に視線を送ると、ベルは驚愕の声を上げた。

 

「リリ!?」

 

 廊下へと通じる出入口に、リリルカ・アーデは立っていた。振りかぶっていた短剣を懐に入れると、彼女はベルに言った。

 

「流石にこの危機的状況に陥れば、貴方の絶望した顔を拝めるかと思いましたが……それはどうやら、リリの思い違いだったようですね。非常に残念です」

 

「リリ、大丈夫か!? 怪我はしていないのか!?」

 

「……ハハッ、貴方は本当に愉快ですね。ああ……全く、反吐が出そうですよ」

 

 ベルが必死の声掛けを、リリルカは無視していた。目深に被ったフードの奥から、ベルへ視線を送る。

 そして、ベルが今まで聞いた事のない底冷えた声を出した。

 

「言いたい事は色々とありますが──貴方とは此処でお別れです」

 

「ッ!? リリ、何を言って!?」

 

「言葉通りの意味ですよ。今までお世話になりました」

 

 そう言って、リリルカは頭を下げた。最後にフードを外し、素顔を見せる。

 犬人(シアンスロープ)特有の、ふさふさとした可愛らしい犬耳。だがそれを打ち消す程の、光が灯らない昏い眼差し。表情に活力は一切なく、あたたかみのない冷然とした顔。

 そして、リリルカは唇を滑らかに動かした。

 

(ひび)十二時(じゅうにじ)のお()げ】

 

 その『詠唱(ことば)』を聞いた後、ベルは言葉を失った。何故ならば、それまでリリルカにあった獣の耳が無くなっていたからだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 犬人(シアンスロープ)の特徴を失った少女は、ベルから見れば全く他の種族の亜人族に見えた。そして、自身の直感がそれを肯定する。

 リリルカ・アーデは『犬人(シアンスロープ)』ではなく、『小人族(パルゥム)』の少女だったのだ。

 呆然とするベルに、リリルカは嘲弄(ちょうろう)の笑みを向けた。

 

「こういう事です。おっと、これ以上の長居は無用ですね。非力なリリではあっという間に殺されてしまいます」

 

 そして、リリルカ・アーデは言った。

 

「さようなら。貴方とはもう二度と会う事はないでしょう」

 

 その言葉を残して、小人族(パルゥム)の少女は踵を返した。

 

「リリ、待ってくれ! まだ話は終わっていない!」

 

 ベルが遠ざかっていく背中に声を掛けるも、リリルカはそれを無視した。

 やがて払われていた霧が再び立ち込め、『靄』となって視界を遮った。

 今ならまだ間に合うとベルは追い掛けようとするも、周囲に居るモンスターがそれを許さない。まるで彼女の仲間であるかのように振る舞い、天然武器(ネイチャーウェポン)を突き付ける。

 それが、ベルにとってはただただ不快だった。

 

「私の邪魔をするなッ!」

 

 ベルはそう言うと、最も近くに居るオークへ斬撃を浴びせるのだった。

 



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斯くして、時計の針は遡る Ⅰ

 

 その小人の少女がこの世界に生を受けたのは、十五年前の事だった。

 生誕した場所は、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオ。

『世界の中心』とも『英雄の都』とも言われている、世界で最も熱い都市。

 しかしながら少女が生まれた時、迷宮都市(オラリオ)の治安は『最悪』の一言で尽きた。

 

 理由は──『三大冒険者依頼(クエスト)』の失敗。

 

 それは、普通の冒険者依頼(クエスト)とは似て非なるもの。普通の冒険者依頼(クエスト)依頼人(クライアント)が『個人』なのに対して、三大冒険者依頼の依頼人は『世界』だ。そして受注対象者は、オラリオの冒険者全員。

 依頼内容は、三体の怪物(モンスター)の討伐。

 とはいえ、そのモンスターは普通のモンスターでは断じてない。神々が降臨する前の(いにしえ)の時代から、このモンスターは生存している。今でこそ管理機関(ギルド)の創設紳の『祈禱(きとう)』によって『モンスターの地上進出』は阻止されているが、神々が居ない古代の時代にそのような事が出来るはずもなく、下界には大量のモンスターが跋扈(ばっこ)していた。

 三体のモンスターはその生き残りだ。

 しかし、ここで疑問に思う者が居るだろう。

 ──何故、神時代に入ってから討伐されていないのか? と。

 人々は神々から絶大なる恩恵、『神の恩恵(ファルナ)』を授かった。文明は大きく発展し、『魔法』や『スキル』を獲得、『階位(レベル)』を昇華させる者も現われた。下界を蹂躙(じゅうりん)していた怪物は撃退され、都市外に残っているのはその子孫だけとなっている

 千年もの間、何故、その三体のモンスターだけは討伐されなかったのかと、そう疑問に思うだろう。

 答えは簡単だ。子供でも簡単に、すぐ想像出来る。

 

 ──そのモンスターが、あまりにも強かったからだ。

 

 そう、そのモンスターはあまりにも強大過ぎた。人類は何度も()の怪物に戦いを挑んだが、その(ことごと)くが返り討ちにあい、戦死した。人類の出した知恵は届かず、世界の代表者たる『英雄候補』達が束になってもまるで敵わなかった。古の時代、『大英雄』と呼ばれた猛者が挑んでも黒き獣には歯が立たなかったのだと歴史には残っている。

 その三体のモンスターの名は──陸の王者(ベヒーモス)海の覇王(リヴァイアサン)、そして、黒龍(こくりゅう)である。

 いつしか、その三体のモンスターを打倒する事が、下界全土の『悲願』となっていた。

 永久に等しい時間が流れ──遂に、力を蓄え、再び挑む者達が現れた。

 その者達は当時で最も強かった冒険者の一団だった。

【ゼウス・ファミリア】及び【ヘラ・ファミリア】。

 両派閥(ファミリア)は神時代の初期から結成されている【ファミリア】であり、都市最強派閥だった。

 最大『階位(レベル)』は女神の眷族であり、何と恐ろしい事に──Lv.9。現代の都市最強の冒険者【猛者(オッタル)】よりも、二つも上である。

 Lv.9以外にも、Lv.8やLv.7などの冒険者が多く所属していた。現代の都市最強派閥(ロキ・フレイヤファミリア)はまだその領域に達していない、というのがその時代を知る者達の評価である。

 人々の声援と測り知れない重圧を背に、彼等は戦った。

 陸の王者(ベヒーモス)を【ゼウス・ファミリア】の眷族が、海の覇王(リヴァイアサン)を【ヘラ・ファミリア】の眷族が止めを刺した。しかし二人の眷族は高い代償を払い、戦線から離脱してしまう。

 だが、人々は歓喜した。あれだけ強大で絶対的な強さを持つモンスターを、彼等は斃したのだ! と。 

 人々は期待した。彼等なら最後の一体、あの黒龍すらも斃し、下界は恒久的平和をモンスターから勝ち取るだろう! と。

 老人が、子供が、吟遊詩人が、迷宮都市(オラリオ)で残った冒険者が、精霊が、そして神々がその戦いの行く末を気にした。

 そして、無限に等しい時間が流れ、その一報は瞬く間に世界に届いた。

 

 ──【ゼウス・ファミリア】及び【ヘラ・ファミリア】全滅。黒龍討伐失敗。

 

 最初は誰もがそれを信じなかった。

 あの、いくつもの『偉業』を成し遂げ数多の『伝説』を残してきた最強集団が敗北した。その事実を信じられなかったのである。

 人々がそうだと認識させられたのは、辛うじて生き残った生存者がオラリオに帰還した時だった。

 武器は破砕し、防具は大破し原型を留めていなかった。何よりも、常に自信に満ち溢れていた表情には『闇』が付き纏い、ギラギラと輝いていた瞳にも光が一切灯っていないのが、決定打となった。

 人類は、怪物(モンスター)に敗れた。

 この事実に直面した時。

 とてもあっさりと、『希望』が『絶望』に変わった。いいや、転覆した、と表現した方が良いだろう。

 

 人々が、世界が嘆き──ここから()()()()()が始まる。

 

 始まりは、ゼウス・ヘラファミリアの迷宮都市(オラリオ)からの追放。三大冒険者依頼(クエスト)の失敗、黒龍の討伐失敗の責任を負わされたのである。責任を負わせたのは、他ならない世界だった。そしてこれに乗じる形で計略の女神(ロキ)美の女神(フレイヤ)が結託し、彼等を都市から追い出そうと動く。ゼウス・ヘラファミリアは主戦力を失っていた為、抵抗出来るだけの力が残されていなかった。本来は介入すべき、また両派閥と長い付き合いのあった管理機関(ギルド)は、しかし、『時代の変わり目』を察したのか、庇い立てする事なく黙認。

 栄華の極みから衰退の一途を辿った両派閥(ゼウス・ヘラ)は都市から姿を消した。

 ゼウス・ヘラファミリアの後釜として最強派閥に名を連ねたのが、【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】である。以降、現代まで両派閥は都市最強派閥として君臨し続ける事となる。

 だが、千年の歴史を持つゼウス・ヘラファミリアの壊滅は、想像よりも大きな影響を下界に及ぼした。

 ゼウス・ヘラファミリアはそれはもう好き勝手に振る舞っていたが、それが許されるだけの『力』を示していた。つまるところ、彼等は言わば、世界の安寧を維持する『防衛装置』の役割を担っていたのである。

 しかし、その『防衛装置』は壊れた。【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】にはそれを担えるだけの『力』がまだ備わっておらず、それを担う事は出来なかった。

 

 結果──『悪』が台頭する事に繋がった。

 

 人々の心の揺らぎを『悪』は見逃さなかった。『悲願』が打ち砕かれ絶望する民衆を嘲笑うように、あるいは、今こそだと哄笑するように、『悪』は迷宮都市(オラリオ)を覆った。

 犯罪行為を繰り返す無法者達、甘言に惑わされ『悪』に寝返る人々、遂には闇派閥(イヴィルス)という過激派集団すらも結成され、数多の邪神が暗躍した。

『悪』に立ち向かうべく『正義』が立ち上がった。

【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】を筆頭に、多くの派閥、多くの人々が『悪』を打破しようと奮起した。

 

『暗黒期』と後世で呼ばれる──『正義』と『悪』の戦いはこのようにして始まり、迷宮都市(オラリオ)ひいては下界全土を巻き込むようになった。

 

 そして、そのような混沌極まる戦乱の時代の最中、その少女──リリルカ・アーデはこの世に生を受けたのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 リリルカ・アーデが物心を覚えたのは、三歳の頃だった。

 両親に初めて教えて貰った言葉は、

 

『金を持ってこい』

 

 という、()()だった。

 そして彼女が最初に覚えたのは、否、覚えさせられたのは物乞いの方法である。

 

「おかねを……誰か、おかねを……。おかねをください……」

 

 ()()ぎだらけでぼろ雑巾同然の服を(まとっ)て、素足で薄汚い通りの端に立ち、道行く人々に声を掛ける。頭を精一杯下げ、たどたどしくも覚えた言葉を使い、掠れた声を絞り出す。背中に『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていなければ野垂れ死んでも可笑しくない極限の状況だ。

 赤ん坊に等しい幼い少女が小さな両手を前に出している光景を見た通行人の反応は様々だった。はなから彼女に気付いていない者、顔を(しか)める者、憐憫(れんびん)の眼差しを向ける者、嘲弄する者、気付かないふりをする者など、彼等は様々な反応を示す。

 

「おかねを……だれか……」

 

 実の両親に叩き込まれた台詞(ことば)譫言(うわごと)のように繰り返す少女は、誰がどう見ても惨めだった。

 幼い子供であっても、向けられる視線が『気持ち悪い』ものだということは分かっていた。

 しかしそれでも、彼女はその行いをやめなかった。朝に太陽が東空に昇り始める前から夜に月光が闇夜を照らし出すまで、彼女は石像のようにそこから一歩も動かず、物乞いをしていた。

 

「これ、もし良かったら……」

 

 時折、通行人が優しく声を掛けながら金貨を少女の手の中に落とす。

 リリルカはそれが『同情』だと分かっていた。そしてその中には自分への嫌悪感が多大に含まれている事も感じ取っていた。

 それが分かっていながら、彼女は。

 

「ありがとう……ございます……!」

 

 と、儚い笑みを自演しながらお礼の言葉を言った。

 するとその通行人は何かを達成したような表情を浮かべる。そして「これからも頑張って!」と言いながら少女の頭を撫でると、雑踏の中に消えていった。

 リリルカは深々と頭を下げ、見送った。自分の心が悲鳴を上げ、尊厳というものがなくなっていくのを感じ取りながら、情けなさに苦しみながら、彼女は頭を下げ続けた。

 そして彼女は数秒後、頭をゆっくりと上げると、

 

「だれかおかねをください。だれか……おかねをください……」

 

 壊れた魔道具(マジックアイテム)のように、再度、物乞いを再開した。

 一部始終を見ていた通行人の、奇異と、気味悪がっている視線を浴びながら、少女は延々とそれを続ける。

 

「かえろう……」

 

 通行人が消え、闇が地上を支配した頃。

 ふと思い出したように、リリルカはぽつりと呟いた。

 重たい身体に鞭を打ち、引きずるようにして路上を歩く。しかしそれも長くは続かず、最後は這うようにして身体を動かし、自身の(ホーム)に向かった。

 程なくして、彼女の家──【ソーマ・ファミリア】の本拠(ホーム)が視界に映った。門番から侮蔑の視線を一身に浴びながら門を潜り、割り当てられている自分の部屋に行く。

 

「金は持ってきたか」

 

 リリルカを出迎えたのは、「お帰り」や「お疲れ」と言ったあたたかいものとは正反対の、不機嫌そうで、温度を一切感じさせない男の声だった。

 ビクッと身体を震わせながら発生源に顔を向けると、そこには、彼女と背丈があまり変わらない小人族(パルゥム)の男が居た。

 その人物は他ならない、彼女の実の父親だった。

 

「た、ただいま……」

 

「金は持ってきたか」

 

「ヒッ……!」

 

 自身の娘が帰宅したことなど至極どうでも良いように、小人族(パルゥム)の男は先程と同じ言葉を、先程よりも語尾をやや強くして言った。

 それは、家族に向けて使う言葉でも態度でもなかった。無言でリリルカを睨み、粘着質な瞳を送る。

 リリルカは目尻に涙を溜めながら、恐る恐る、両手を父親に差し出した。そこには、決して落とさぬよう大事に持っていたヴァリス金貨が何枚かあった。

 そして、

 

「チッ、これだけか……」

 

 舌打ちと共に、取られた。同時に、それまであった重みが、跡形もなく消え去る。

 

「……っ」

 

 嗚咽が洩れる。

 小人族(パルゥム)の男は「ハア」と露骨なまでに溜息を吐くと、ついさっきまでいた寝台(ベッド)に向かった。そこには小人族(パルゥム)の女──リリルカの実の母親が死んでいるかのように横になっており、父親は彼女が被っていた薄い毛布を剝ぎ取ると、それを自分に身体に被せて眠りについた。

 男は自分の娘が項垂れたまま立ち尽くしている事に興味を一切示さず、また、娘に感謝の言葉を送る事もしなかった。

 幼いリリルカはこの時ハッキリと、自分の親がどうしようもないほどの屑だという事を確信した。

 

 

 

§

 

 

 

 路上を行き交う人々に物乞いし、酒場や飲食店の裏口にあるゴミ箱から食べられる食べ物を拾い集める。

 本拠(ホーム)に居るのは寝る時だけにしようと、リリルカは徹底的に決めていた。本拠(ホーム)に居ても良いことは文字通り一つもなく、ならば、少しでも生存率を上げる為に外に出ようと考えたからだった。

 路上と本拠(ホーム)を往復する日々を通して、彼女は様々な事を学んでいった。

 一つは、本拠(ホーム)と同等かそれ以上に、外の世界は危険だという事だった。二日、もしくは三日の間隔でどこからか爆発音と悲鳴が聞こえた。あるいは、それに類似た騒動がひっきりなしに起きていた。

 リリルカは知らなかったが、この時、迷宮都市(オラリオ)は『暗黒期』の初期を迎えていた。これにより、迷宮都市(ダンジョンとし)の各地で無法者達が暴れ始めていたのである。幼い子供でしかなかった彼女が被害に遭わなかったのは運に因るものが大きいだろう。

 もう一つは、冒険者は(クズ)であるという事である。リリルカは自分の派閥(ソーマ・ファミリア)だけが屑だと当初は思っていたのだが、そんな事は全然なかった。好き勝手に振る舞い他人の迷惑を一切鑑みない彼等が、リリルカの目にはどうしようもなく屑に映った。荒くれ者が多いのは下級冒険者だけで、上級冒険者は違うという意見も聞いた事もある。だが彼女からすれば、力を持っていながら何もしないのであれば、やはりそれは同じ屑であった。何よりも、『神の恩恵(ファルナ)』を背に宿している以上、自分もその冒険者の一員だと思われる事が我慢ならなかった。

 

 そして最後に自分が属している派閥──【ソーマ・ファミリア】の事。

 

 当然ながら、【ソーマ・ファミリア】は男神(おがみ)ソーマが結成した派閥(ファミリア)である。しかしながら男神(かれ)は、【ファミリア】運営にあまり意欲を見せなかった。自身の眷族(こども)にも興味を示さない。派閥の定例会議に出席した事も片手で数えられる程しかないようで、派閥の団長に任せっきりにしている。流石に【ステイタス】の更新は行っていたが、それ以外では眷族と関わる事はせず、自身の神室に引き籠っていた。

 外に出て情報を集めるまではそれが普通だと思っていたが、それが『異常』だと気付くのにそこまでの時間は掛からなかった。年端も行かない少女が気付いたのだ、彼女以外も団員もそれには気付いている。

 なのにも関わらず、眷族の数は多い。普通なら打診するか、あるいは、転宗(コンバージョン)する道を選ぶ。しかし奇妙な事に誰もそれをしない。それどころか入団希望者はあとを絶たず、毎日のように本拠(ホーム)の門は叩かれる。

 これがリリルカには甚だ疑問だった。自分の(おや)を悪くは言いたくなかったが、男神(ソーマ)はお世辞に神格者とは言えなかった。なのに何故、彼のもとに眷族は集まるのか。

 そして実にあっさりと、その答えは見付かった。

 

 ──『()』。

 

 端的に言うならば、それだった。

 機嫌よく教えてくれた団員によれば──。

 ソーマは『月』と『酒』を司る神。そして、そんな彼が作る『酒』は『普通の酒』とは一線を画す美味なのだと、その団員は語った。

【ソーマ・ファミリア】の眷族は『ソーマが作る酒』──『神酒(ソーマ)』を求めてやまないのだと、その団員はさらに言った。危険な薬物とは違い、『神酒(ソーマ)』は人体に危害を及ぼす材料は一切使われていない。なのにも関わらず、『神酒(ソーマ)』は薬物とは比べ物にならない程の美味を誇る。これが出来るのは『酒』を司る『(ソーマ)』だからだと、その団員は興奮しながら言った。

 つまるところ、眷族の崇拝の対象は『ソーマ』ではなく『神酒(ソーマ)』だったのだ。

 その話を聞いた時、リリルカは驚きよりも困惑が勝った。幼い子供に酒の善し悪しなどを熱烈に説明されても分かる筈もなかったのだ。

 その団員はさらに言った。主神は必要最低限の派閥運営と酒造りに専念する為にこの『神酒(ソーマ)』を『賞品』にしているのだ、と。

【ファミリア】に貢献すればする程、『神酒(ソーマ)』が下賜される。両親がリリルカに再三金を集めるように言った理由はそこにあったのだ。

 何だそれは、とリリルカは思わずにはいられなかった。幼い子供であっても、自分が所属する【ファミリア】が異常なのはすぐに分かった。いや、これはもう【ファミリア】ですらないだろう。ただの烏合の衆だ。『神酒(ソーマ)』が欲しいなら皆で協力すれば良い。子供のリリルカでも思い浮かぶ事だった。だが彼等はそれをしない。他の団員に渡さぬよう、自分だけが満たされる為だけに行動する。

 それはもはやヒトではなく、ただの畜生だった。

 

 

 

§

 

 

 

 気が付けば、両親が死んでいた。

 いくら経っても部屋に戻ってこず、流石に不審に思ったリリルカが団員に聞いたところ、何でも無謀なダンジョン攻略をして呆気なく死んだらしい。

 自分の身の丈に合わない階層に挑んで死ぬのは、この業界では何も珍しくはないのだそうだ。恐怖の対象でさえあった両親のあっさり過ぎる死に、この世界はいつだって弱肉強食なのだと、リリルカは無感動に思った。

 団員が両親の死を馬鹿にしていても、両親の死を酒の肴にし盛り上がっている現場を目撃しても、リリルカは何とも思わなかった。

 両親が自分に愛情もって接してくれなかった、この事実が、彼女の感覚を壊していた。そこに悲しみはなく、ただ、現実だけがあった。

 こうして、リリルカ・アーデは天涯孤独の身となった。

 派閥の本拠(ホーム)に居ながら、彼女に居場所はなかった。最後の肉親すら無くなった彼女に、居場所などある筈もなかったのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 空腹を覚え、何か食べる物はないかと本拠(ホーム)を彷徨っていた時だった。

 

「あ……」

 

 リリルカは目の前に現れた人物──否、神物(じんぶつ)に声を失った。

 そこには、【ソーマ・ファミリア】の主神である男神(おがみ)ソーマが居た。ボサボサに伸ばした前髪の隙間から、墨色の瞳を覗かせてリリルカを見下ろす。

 

「かみ……さま……?」

 

 纏う神威は正しく超越存在(デウスデア)のそれであったが、自身の唇から洩れたのは半信半疑の声だった。すぐに不敬を働いたと気付いたリリルカが慌てて「す、すみません!」と頭を下げるも、ソーマはただそこに無言で佇んでいた。

 暫く、無言の時間が流れた。

 耐えられなくなったリリルカはおずおずとソーマを見上げた。

 茫洋とした男神だった。ボサボサな黒髪に、白色の作業着は汚れている。不潔なリリルカとそんなに大差ない身なりだったが、この神が団員から畏れられているのは知っていた。崇拝の対象が『神酒(ソーマ)』であっても、神は神という事だろう。

 思えば、眷族(リリルカ)主神(ソーマ)とこうして対面するのは初めての事だった。団長や幹部なら話は違うが、リリルカのような下位構成員は【ステイタス】の更新時でしか会えないという規則(ルール)があった。とはいえ、主神は基本的には神室に籠っているので、それがなくても会えないと思うが。

 リリルカの栗色の瞳と、ソーマの墨色の瞳が交わる。

 

「……」

 

 やはり、ソーマは何も言わなかった。ただじっと、リリルカを見詰めている。

 一方、リリルカの視線はソーマからやや外れていた。男神が抱えている小さな紙袋、それにリリルカの目は釘付けとなっていた。袋からは油と塩の香ばしい匂いが漂っている。後になって、リリルカはそれがジャガ丸くんという揚物だと知った。

 くぅ、と腹の虫が鳴る。かあっ、と羞恥のあまり赤面するリリルカであったが、そんな彼女にソーマはゆっくりと近付いた。

 そして、

 

「……」

 

 無言で紙袋をリリルカに差し出した。

 突然の出来事に、リリルカの脳の処理が追い付かなった。一方、間抜け面を晒す彼女とは対照的にソーマの表情は微塵も変わっていなかった。

 

「頂いても、宜しいのですか……?」

 

 リリルカがおずおずと尋ねるも、返答はなかった。

 リリルカはそれを、肯定と受け取った。都合の良い解釈の可能性は充分にあったが、目の前のご馳走に我慢が出来なかった。

 紙袋から狐色の揚物を取り出し、(かじ)る。

 

「……ッ!」

 

 一口食べ、リリルカは衝撃を受ける。

 ──美味しい。

 これまでに食べてきたどんな物よりも、遥かに美味しかった。調理された料理はこんなにも化けるのかと、リリルカは震えた。

 

「あ、あの……ありがとう、ございます……」

 

 指に付着した油と塩を舐め取った後、リリルカは拙くもお礼を言った。ところが、やはり、ソーマは何も言わなかった。

 そして、ソーマはゆっくりと歩き始めた。離れていく背中を、リリルカは激しい葛藤の末に追い掛けた。

 ソーマが向かったのは、当たり前ではあるものの神室だった。ここまで来ればもはや関係ないと、リリルカは若干自棄になりながら神の領域に踏み入った。

 リリルカが落ち着きなくソワソワしていると、ソーマは小皿の上にジャガ丸くんを数個乗せると、椅子の上に置いた。

 それが自分に与えられた物だという事に、リリルカはかなりの時間を要した。その結論に至った時、ソーマは既に自分の食事を終えており、酒造りを行っていた。

 ジャガ丸くんを秒で食べ終えると、リリルカは眠気に襲われた。主神が居る前で寝るなどと、不敬にも程がある。もし団長や幹部陣に知られたら待っているのは暴力だ。せめて寝るなら自分の部屋でと思うものの、リリルカの意識は眠りの世界に誘われた。そして、閉じた瞼から一粒の透明な雫が落ちる。

 

「……」

 

 ソーマは酒造りを無言で中止すると、床で横になっている幼い子供を抱き抱えた。自身の寝台(ベッド)まで運ぶと、暖かな毛布を彼女に被せる。そしてやはり無言で一瞥すると、作業に戻る。

 程なくして、ごりごりという、乳鉢と棒を用いた植物の混和の音が奏でられ始めた。

 眠っている少女の瞼からは涙が止まらず──リリルカ・アーデはこの時初めて、他者からの愛を貰った。

 これが最初で最後の、主神からの温もりだった。

 

 

 

§

 

 

 

 年月が経ち、迷宮都市(オラリオ)は『暗黒期』の中期を迎えていた。闇派閥(イヴィルス)の活動が本格的になり、『悪』が『英雄の都』を陥落させようと悪事を働かせていた。

 リリルカ・アーデは六歳の誕生日を迎えていた。とはいえ、誰も祝ってはくれなかったが。生活は何も変わっていなかった。物乞いと物拾いに一日を費やし、食料や雀の涙ほどの金を得る。限界だと思った時だけソーマの神室に向かい、食事を恵んで貰っていた。主神(ソーマ)眷族(リリルカ)の来訪を拒絶する事はなかったが、大々的に受け入れる事もなかった。とはいえ、リリルカにとってその対応はとても有難いものだった。

 何の為に生きているのだろうかと自問自答の日々を繰り返していたある日、【ファミリア】の全団員に召集がかかった。

 主神(ソーマ)は居ない、眷族のみの集会。

 薄暗い広間の隅の席を陣取りながら、リリルカは憂鬱な気分だった。他の団員に絡まれないようにと、切に願う。

 そして、一人の男が急造の壇上に登った事で集会は開始した。

 

「よく集まってくれたな、諸君。今日から私が団長となったザニスだ。主神(ソーマ)様の代わりに、今後は私が派閥の指揮を執る」

 

 ザニスと名乗った男は、【ソーマ・ファミリア】の中では強者だった。何せ、Lv.2の上級冒険者である。つまり彼は、迷宮都市(オラリオ)に在籍している冒険者の過半数よりも強いという事だ。神々が認める程の『偉業』を、二十代前半のヒューマンの男が成し遂げたその事実に、他の団員達は畏怖の念を抱かざるを得ない。

 リリルカが嫌な予感を覚えていると、ザニスは格好付けたようにパチッと指を鳴らした。そして、団員達に空の杯が配られる。

 いったい何だと団員達が顔を見合わせる中、新団長は衝撃的な事を言った。

 

「今後、【ソーマ・ファミリア】はさらなる拡張を目指す。今の迷宮都市(オラリオ)は時期も時期だ。聞く所によると、巷では『暗黒期』等と呼ばれているそうではないか。そこで、だ。新たな入団者を交え、この時代の荒波を越えてゆこう──この『神酒(ソーマ)』は、我らが主神(ソーマ)様からの期待の証だ。これに応えるように」

 

 ザニスはにやりと嗤いながら、全団員に『神酒(ソーマ)』を与えるとそのように宣言した。これには皆、驚くしかない。そのような事はこれまで一度もなかったからだ。

 新規入団者がラッキーだと喜んでいる横で、リリルカをはじめとした、元から居た団員は知っていた。

 主神が『神酒(ソーマ)』を善意で配る事など有り得ない。まず間違いなく、これは団長が酒蔵から盗み出したものだろう。

 だが、それが分かっていながらリリルカはなみなみと『神酒(ソーマ)』が入った杯に手を伸ばしていた。下位構成員であるリリルカが『神酒(ソーマ)』を飲んだ事は一度もない。何故両親があんなにも狂っているのか、その理由を知りたいと子供ながらの好奇心が疼いていたのだ。危険だと告げてくる脳からの警戒音を無視し、どこまでも幼いリリルカは杯を手に取る。

 団員達の唇が甘く涼しい芳香に寄せられるのを見て、ザニスは醜悪に笑った。

 

「派閥の発展を願って──乾杯」

 

 音頭と共に、リリルカは一口『神酒』を呷った。

 そして、

 

「────」

 

 リリルカ・アーデはヒトから畜生に成り下がった。

 

 

 

§

 

 

 

神酒(ソーマ)』を飲んだその日から、リリルカ・アーデの生活は一変した。これまでの生活習慣であった物乞いや物拾いは完全になくなり、ソーマの部屋へ訪れる事もなくなった。

 その代わり、リリルカはダンジョンへ潜るようになった。両親の死地でもあるダンジョンへ毎日のように赴き、魔物を狩り、『魔石』を得て、ヴァリス金貨に換金する。

 

 ──飲みたい。

 ──あれが、飲みたい! 

 ──もう一度、あの美酒を! 

 

神酒(ソーマ)』を飲む為の、基準(ノルマ)新団長(ザニス)が定めたそれを達成しようと、リリルカは躍起になっていた。

 否、それはリリルカだけではない。あの極上の美酒を飲んだ全ての団員がそうだった。例外があるとすれば、それは日頃から『神酒(ソーマ)』を飲んでいた極わずかな団員達。

 

 ──もっと、もっと! もっと稼がないと! 

 

【ソーマ・ファミリア】は団長の私物と化した。『神酒(ソーマ)』という魔力に取り()かれた団員達は何も気付かず、上からの命令に疑問も持たず従う。

 全ては、あの美酒をもう一度飲む為に。少しでも団長や幹部陣に気に入られようと近付き、少しでもおこぼれも貰おうとする。

 時には、犯罪行為に手を染める事もあった。だが、管理機関(ギルド)や『都市の憲兵』は着々と力を付け始めていた闇派閥(イヴィルス)の対応に掛かりきりとなっており、もっと細かい所まで目を向ける余裕がなくなっていた。これは首謀者であるザニスの狡猾さを物語っていると言えよう。【ソーマ・ファミリア】はこうして、『表』だけでなく『裏』ともコネクションを持つようになったのだ。

 

「──はあ、はあ、はぁ……!」

 

 派閥が静かに悪事を働く一方で、リリルカのダンジョン探索はお世辞にも順調とはいえなかった。

 リリルカ・アーデの種族は小人族(パルゥム)である。背が低い小人族(パルゥム)は他の亜人族(デミ・ヒューマン)とは違い、強い『武器』を持っていなかった。これが、小人族(パルゥム)が蔑視される最大の所以である。

 事実、小人族(パルゥム)から『英雄』が誕生した例は一つしかない。

 また、種族特性に加えて──リリルカ・アーデには才能がなかった。それを、ダンジョンに初めて挑戦した時に彼女は悟った。

 だからリリルカが出来たのは、安全圏である上層でゴブリンやコボルトといった低級モンスターを倒す事だけだった。この二種類のモンスターなら、才能がない彼女でも戦えた。ひとえに、『神の恩恵(ファルナ)』があった為である。

 

「──いまっ!」

 

 リリルカの戦闘スタイルは実に単純(シンプル)だった。

 物陰で息を潜め、敵が一匹になった所を背後から奇襲する。それを延々と繰り返し、リリルカはダンジョンと向き合っていた。

 それはあまりにも効率が悪い方法だった。だが、まともに戦えない彼女には、これしか方法が残っていなかったのだ。

 幼い小人族(パルゥム)は己の無力さを呪った。

 

 だが、彼女の絶望はまだ始まってすらいなかった。

 

 限界はすぐに訪れた。

 武器の整備費、消耗品である道具(アイテム)補充と、ダンジョン探索での稼ぎを遥かに上回る出費に、リリルカは嘆くしかなかった。黒字となった日は一度もなかった。

 さらには、単独(ソロ)での慣れない戦闘。ボロボロの身体に、日に日に消耗していく精神。

 残酷なまでのハイリスク・ローリターン。

 彼女は挫折を味わった。

 主神に泣きつき【ステイタス】を更新して貰っても、上昇値は微々たるもの。微塵も変わらない数字の羅列は、リリルカの才能の無さを無慈悲に伝えてくる。

 リリルカは『冒険者』から『サポーター』への転換を余儀なくされた。

 

 そして、絶望が始まった。

 

「ま、待って下さい! 事前の話と違います!?」

 

「あ? 何だ? 文句でもあんのか?」

 

「そ、それは……!」

 

 サポーターとなったリリルカは、自派閥ではなく他派閥の冒険者と臨時パーティを組むようにしていた。自派閥の人間と組んでも、待っているのは醜い報酬の奪い合いであり、下位構成員のリリルカではまともな報酬さえ得られないと判断したからである。

 その判断は正解でもあり、同時に、間違いでもあった。

 他派閥の冒険者もまた、同じ扱いをリリルカにしたからである。彼等は小人族(パルゥム)で才能がないリリルカの事を嘲笑い、そして虐げた。

 分け前が貰えないのは当たり前であり、寧ろ貰える方が珍しい。時には覚えのない罪を非難されタダ働きを強要された。一番こたえたのは自衛用の武器や回復薬(ポーション)を奪われた事である。

 

 ──どうして、自分ばかり……。

 

 報酬だと与えられた食べかけの鳥肉をゴミ箱に捨てながら、リリルカは自問自答を繰り返した。

 何故、自分だけこのような思いをするのだろう。何故、何故、何故……。

 しかしリリルカは、それが間違いであったとすぐに気付く事になる。

 

「おらっ、さっさと歩け! モンスターと出くわすだろうが!」

 

 出された怒声に身を震わせるも、声主は臨時パーティの誰からでもなかった。発生源に視線を送れば、一つのパーティが近付いてくる。そして、すぐに原因は分かった。

 そのパーティは六人パーティだった。リリルカの目から見てもバランスの良いパーティであったが、少し離れた所に一人の虎人(ワータイガー)が居た。そして、その虎人(ワータイガー)はパーティ全員の荷物を無理やり背負わされていた。

 同族(サポーター)だと、一目見てすぐに分かった。

 

「獣人のクセして戦えないお前を雇ってやっているんだ! もっとキビキビと動け!」

 

 その罵倒に答える気力すら、虎人(ワータイガー)には残されていないようだった。ふらふらとした足取りで、パーティの後ろをついて行く。

 リリルカのパーティとそのパーティがすれ違った時、リリルカは虎人と目が合った。自分と同じように目が死んでいるのを見て、リリルカは自分だけが嫌な思いをしている訳ではないのだと悟った。

 

 小人族(パルゥム)。全種族から『ちんちくりん』だと蔑視される対象だ。

 才能が無い『サポーター』。ただの荷物持ち。代えがいくらでも効く消耗品。

 

 居てもいなくても変わらない存在。それがリリルカ・アーデなのだと、彼女は知った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、また年月は流れる。

 迷宮都市は『暗黒期』の末期を迎えていた。とうとう『悪』が『正義』を喰らおうと襲いかかって来た。『正義』は『悪』を倒そうと、【ファミリア】の垣根を越えて協力するようになりつつあった。

『大抗争』の終わりを、都市の住民は予感しつつあった。

 一方。

 ずっと蝕まんできた『神酒(ソーマ)』の魔力がようやく尽き、リリルカ・アーデは【ソーマ・ファミリア】から逃げ出す事を決めた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 リリルカ・アーデは【ソーマ・ファミリア】から逃げ出した。

 幼い子供であったリリルカにとって、世界はちっとも優しくなかった。理想を抱く事さえ許されないこの世界に、リリルカは嘆いた。

 自殺を考えなかったと言えば、それは嘘になる。だが、リリルカは『痛み』の恐怖を中途半端に知っていた。苦痛を知っていた。それ故に、死に踏み切る事が出来なかった。

 神の眷族の肩書きを捨て、無所属(フリー)の一般人に成りすましたリリルカはささやかな幸せだけを願った。

 だが、その願いさえも世界は許さなかった。

 

「お爺さん、お婆さん……ッ!?」

 

 一般人に成りすましたリリルカは、とある老夫婦が営む花屋に身を寄せていた。優しい老夫婦はリリルカを受け入れ、彼女を孫のように接した。

 リリルカは己の願いが叶ったのだと思った。これから、この老夫婦とずっと生きていこうと心に決めていた。

 しかし、その環境は無残にも破壊された。

 他でもない、【ソーマ・ファミリア】の構成員によってだ。彼等は逃げ出したリリルカを見つけ出すと、お前はこちら側の人間だと告げるかのように建物を徹底的に壊し、全てを奪っていったのだ。騒動が終わった後、リリルカは『管理機関(ギルド)』に被害届を出すもこのご時世ではよくある事だからと見向きもされなかった。

 冒険者達が邪悪に笑いながら去っていった後、リリルカは老夫婦の元へ駆け寄った。破壊され尽くした建物以上に、老夫婦は傷付いていた。すぐに治療を施さなければ後遺症が残る可能性があった。

 しかし、老夫婦は差し出されたリリルカの手を強く振り払った。

 

「え……」

 

 向けられる嫌悪と非難に、リリルカは呆然とするしかなった。

 優しかった老夫婦はそこには居なかった。居るのは、自分を睨み付ける()()()()

 嫌だ、やめてくれ、どうかその言葉を言わないでくれと心が叫ぶも、声に出す事は出来なかった。

 何故ならば、それは己の罪だからだ。自分の弱さで、赤の他人を巻き込んだのだ。ならば、それを受け止めるしかない。

 

「──お前なんかと会わなければ良かった」

 

 この日、リリルカ・アーデの『何か』が壊れた。

 



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斯くして、時計の針は遡る Ⅱ

 

 慕っていた花屋の老夫婦に拒絶されてからというもの、リリルカ・アーデの『何か』が壊れた。それが『こころ』なのだと気付くのに、彼女は数年の年月を要する事になる。

 リリルカはそれきり、日々、自堕落に生きていた。強制的に戻された本拠(ホーム)の狭い自室で、寒さもろくに(しの)げない薄い毛布を頭まで被って外界との関わりを無くした。そうしてぼんやりと、植物のように一日を過ごしていった。

 とはいえ、生物である以上食事は取らなければならない。その時は生物の本能に従って街の路地裏を彷徨い、ゴミ箱を漁り、空腹を持ち越していた。ただでさえ細かった身体はさらに細くなり、骨と皮だけになっていった。

 とはいえ結果論ではあるものの、リリルカの行動は正しかったと言える。

 何故なら、迷宮都市(オラリオ)では『正義』と『悪』の戦い──『暗黒期』が末期に突入していたからだ。闇派閥(イヴィルス)と呼ばれる過激派は『絶対悪』と名乗る邪神の登場によって纏まりを見せるようになり、日夜問わず事件が相次いでいた。『正義』はこれを重く受け止めるようになり、派閥の垣根を越えて協力体制を取り、『悪』に対抗していた。

 もしもリリルカが街に出ていたら、その戦いに巻き込まれていた可能性は高いだろう。

 そして──『正邪決戦』と呼ばれる戦いが行われ、邪神を天界へ送還した事で『正義』が勝利した。これを以て『暗黒期』は幕を閉じ、今の迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオへゆっくりと時間を掛けて再生する事になる。

 

 それが、今から七年前。リリルカ・アーデが八歳の頃だった。

 

 

 

§

 

 

 

「おい、さっさと歩け! このノロマ!」

 

 罵声が飛ぶ。それが自分に向けられたのは考えるまでもない事だった。

「申し訳ございません」とリリルカは形だけの謝罪をし、雇用主である男のあとを懸命に追う。追いついた頃には既にモンスターとの戦闘が始まっており、サポーターである彼女はそれを見守る事しか出来なかった。

 

 ──迷宮都市(オラリオ)が平和を取り戻した一方で、リリルカの生活は殆ど何も変わっていなかった。

 

 他者から虐げられる日々はちっとも変わらなかった。それ故に彼女は非戦闘員である『サポーター』としてダンジョンに潜り日銭を稼いでいた。

 本来は仲間である【ソーマ・ファミリア】の団員から侮蔑の眼差しを向けられようが、他の派閥の冒険者から荷物持ちとして扱われようが、それでも彼女は連日のようにダンジョンへ足を運んでいた。

 罵倒され、暴力を振るわれる。それがどんなに理不尽な事であっても、リリルカ・アーデは表では偽の笑顔を、裏では氷のような無表情を浮かべて従順な下僕として『冒険者』に雇われる道を選んでいた。

【ソーマ・ファミリア】の呪縛から解き放たれたいという思いはあったものの、それは無理だと半ば諦めていた。

 何故なら、派閥(ファミリア)の脱退は非常に難しいからだ。

 たとえ末端であったとしても、派閥に属するという事はその派閥の情報を持っているという事になる。もし脱退者が敵対派閥に転宗(コンバージョン)した場合、最悪【ファミリア】の崩壊を招く事に繋がる。

 それ故に、主神が眷族の脱退を認める事は非常に少ない。

 善神なら眷族の意思を尊重する事もあるだろうが、脱退希望者に無理難題な『試練』を与える事は珍しくないと聞いていた。暇を持て余している神はそれを『娯楽』としてニヤニヤと眺めるのだ。

 主神(ソーマ)がどのような対応をするかは分からないが、団長(ザニス)の定めた新たな規律により、主神と面会するにはノルマ──それも法外な額のヴァリスを献上しなければならなくなった。例外は幹部陣である。今の【ソーマ・ファミリア】は団長の私物と化している為、たとえそのノルマを満たしたとしても新たなノルマが課されて終わりだ。

 そうして気が付けば、リリルカは地上へ帰還していた。場所は、バベルの下にある中央広場(セントラルパーク)。そこからやや離れたベンチだ。

 

「いよーし! 今日もダンジョン探索ご苦労さん!」

 

 パーティのリーダーである強面の獣人が、そう労いの言葉を掛ける。右手にはヴァリス金貨が入った巾着袋があった。少し揺れるだけで軽快な金属音が鳴る。たった今ギルド本部で換金してきた、今日の収入だ。

 

「今日の総収入から、お前たちの活躍度合いによって引いた額を配るぞ」

 

 待ってました! と言わんばかりにパーティの間で歓声が出た。

 

「ただ、予想よりも少ない気がするが……まあ、気の所為だろうな。よしそれじゃあ、始めるか」

 

 異なる派閥の眷族が組む臨時パーティ、そのサポーターとしてリリルカは今日、ダンジョン探索を行っていた。【ソーマ・ファミリア】に居場所がないリリルカがダンジョンに潜る為には、こうして、どこかの臨時パーティに混ざるしか方法はない。『荷物持ち(サポーター)』でしかないリリルカ・アーデに単独(ソロ)という自殺行為はとてもではないが出来なかった。

 パーティリーダーがメンバー一人ひとりに労いの言葉を掛けながら、報酬を配っていく。そして最後に、リリルカの番となった。それまで笑顔を浮かべていた獣人の男は彼女の前に立つと「チッ」と露骨な舌打ちをすると、

 

「ほらよ、これがお前の取り分だ」

 

 と、不機嫌そうに金貨を数枚地面に落とす。その額、わずか10ヴァリス。それが、今日のダンジョン探索に於けるリリルカの貢献度だとパーティリーダーは告げた。

 

「まさか文句があるとは言わないよな。なあ、サポーター?」

 

 身体の小さな小人族(リリルカ)を見下ろしながら、獣人は見下した笑みを浮かべる。他のパーティメンバーも似たり寄ったりの表情を浮かべており、誰も、リリルカを庇わなかった。

 

「おい、拾わないのか?」

 

 無言を貫くサポーターに、パーティリーダーがヘラヘラと笑いながら声を掛ける。しかし彼は次の瞬間、驚愕で目を見開く事となる。

 

「ありがとうございます、冒険者様! こんなにも多くのお金を頂けて、嬉しいです!」

 

 何故なら男の予想とは違い、リリルカは満面の笑みを浮かべていたからだ。それどころか感謝の言葉を言っている。

 これには男も困惑せざるを得なかった。同時に、自分の思い通りに行かなかった事への苛立ちが生まれた。しかしそれをぶつける事は出来なかった。その時には既に、リリルカは帰り支度を終わらせていたからである。

 

「それではまた、ご縁がありましたら宜しくお願いいたしますね!」

 

 そう言って深々と頭を下げた後、リリルカは臨時パーティから離れた。中央広場から人混みのある大通りに入り、そこから裏路地へ。

 そして周りに誰も居ない事を確認してから、彼女は「ふぅ」と小さく息を吐いた。

 

「全く……分かっていたとはいえ、たったの10ヴァリスですか。舐めるにも程があるでしょうに」

 

 人好きのする満面の笑みなど、そこには欠片もなかった。あるのは、周りを凍てつかせる冷笑のみ。

 

「まあ……良いです。その方が私も心置き無く対応出来るというものですからね」

 

 そう呟きながら、リリルカはローブの内ポケットから一つの短剣を取り出した。鞘から刀身を少し抜くと、鈍い光が月光に反射する。

 リリルカはそれを見詰めながら、ニヤリと獰猛に嗤った。

 

「ふふっ、今回は楽ちんでした。あまりにも不用心ですよ、冒険者様?」

 

 この短剣はリリルカのものではない。これは、先程のパーティメンバーの予備武器(サブウェポン)であり、盗品であった。

 ダンジョン探索中、隙を晒した愚かな冒険者からリリルカが拝借したのだ。いつになったら自分の武器が無くなっている事に気付くのか、その時に浮かべるであろう表情を想像し、リリルカは悪い笑みを深くする。

 

 ──リリルカ・アーデは『悪』に堕ちていた。

 

 花屋の老夫婦から拒絶され、世界の不条理さを叩き付けられた彼女は、綺麗事を一切信じなくなった。残酷過ぎる現実に『こころ』は砕かれ、尊厳は踏み(にじ)られ、そして、居場所が何もない少女がその道を辿ったのは当然の帰結と言える。

 真っ当な方法では生きていけないのだと、リリルカは悟ったのだ。

 以後、リリルカ・アーデは様々な悪事に手を染めるようになる。()()はその代表例だった。外見上無垢な容姿を持つ彼女にとって、相手の懐に入るのは造作もない事だった。サポーターとして培われた観察眼を活かして初めてヴァリス金貨を盗んだ時はあまりにも呆気なく成功したものでとても驚いたものだ。

 そして徐々に『技術』すらも身に付けた彼女は、表では『サポーター』、裏では『盗賊』として活動する事となる。

 とはいえ、彼女が本来搾取される側の人間である事には変わらない。その本質は変わらない。

 

「──チッ、これしか持ってねえのか! この役立たずがよ!」

 

 案山子(かかし)のように殴られ、蹴られ、汚い地面に顔をつけるリリルカに、獣人の男が苛立ちの声を上げる。

 その男の真名()は、カヌゥと言った。彼は【ソーマ・ファミリア】の団員であり、リリルカを度々標的(ターゲット)にしては金や武具、道具(アイテム)を搾取していた。

 

「……」

 

 全身から血が出るが、リリルカは止血しなかった。痛みで悲鳴を上げる事もせず、反抗する事もせず、人形のように静かだった。

 その態度は益々カヌゥからの怒りを買い、暴力はより一層激しくなった。

 

「ソーマ様の『神酒(ソーマ)』も飲まず、よく頑張っているなぁ、アーデ?」

 

 力尽きる自分をカヌゥとその取り巻きたちが見下ろす中、集団から一歩離れた場所で傍観していた細面のヒューマン──【ソーマ・ファミリア】団長ザニスが歪な笑みを浮かべながらそう言った。

 団長の立場にあるザニスは、本来ならカヌゥとその一味を取り締まらなければならない。だがしかし、彼はカヌゥたちの行いには何も言わず、傍観していた。それどころかまるで面白い(ショー)だとでも言うかのように、主神の酒蔵から盗み出した『神酒(ソーマ)』を飲んでいる。

 

「何か願い事でもあるのか、アーデ?」

 

 団長からの問い掛けに、団員は何も答えなかった。さっさと答えろとカヌゥから追撃が来るのも構わず、沈黙を貫く。

 

(願い事……? そんなもの、ありはしませんよ)

 

 この派閥からの脱退は半ば諦めている。団長にその旨を伝えたら、法外な額のヴァリスを要求された。主神(ソーマ)との面会も叶わず、まずは金を用意しろ、話はそれからだと言われる。

 

「団長、やっぱり娼館(しょうかん)にでも売っちまいましょう」

 

「ふむ……何故、そう思う?」

 

「こいつは居てもいなくても良い人間ですぜ。それなら、いくら『ちんちくりん』な小人族(パルゥム)と言えど、繁華街にでも連れていけば変態が声を掛けてくるでしょう。そうすれば多少は纏まった金になりまさぁ」

 

「なるほど、確かにそれは一理あるな」

 

 ザニスは相槌を一度打つと、顎に片手を当てて考えた。そして彼から結論が出される、その直前。

 

「お前達、何をしている」

 

 それまで無かった、野太い声。

 リリルカはぼんやりと、偶然誰かがここを通り掛かったのだろうと考えた。

 

「おお、チャンドラの旦那! 今日もダンジョンへ?」

 

「そんな事は何も関係ない。それよりもお前達は今、何をしている?」

 

「へ、へい! 実はですねぇ……──」

 

 瞼をゆっくりと開けると、リリルカの視界にはうっすらと、ずんぐりとした筋骨隆々の輪郭が浮かんだ。

 そして、チャンドラというドワーフの男が最近入団した事を思い出した。この派閥で最近頭角を現しているLv.2の戦士だ。今の所は自分を虐げず、害にもなっていないドワーフの顔を思い浮かべながら、二人の会話を聞く。

 チャンドラは心底呆れたように「はぁ……」と溜息を吐くと、一言、

 

「やめておけ」

 

 と、強い口調で言った。

 まさかの返答にカヌゥが動揺する中、チャンドラはさらに続ける。

 

「こいつは曲がりなりにも『恩恵』を持っている。そんな女を売ったとしても、密偵か何かだと疑われるだけだ。もし女神イシュタルの癇に障ったらどうするつもりだ」

 

「うぐっ……」

 

「ドワーフの俺が言える事ではないが、もっと考えろ。短絡的な行動は身を滅ぼすだけだ」

 

 カヌゥがチャンドラの指摘を受けて言葉に詰まる。

 力を振り絞って顔を上げると、ドワーフの男はリリルカを守るかのように背を向けていた。

 そして彼はそれ以上何も発言せず本拠(ホーム)に足を進める。

 先程までの騒ぎが嘘であるかのように、裏庭には不気味は程の静寂が訪れた。

 それを破ったのは、ザニスだった。

 

「ふむ、そうだなぁ……。よし、決めたぞ」

 

 ザニスは相も変わらずリリルカを見下ろしながら、結論を出したようだった。

 

「チャンドラの言う通り、娼館に売るのはよそう。アーデにはこれからも我が派閥に尽くして貰おうじゃないか。お前達も、それで良いな」

 

 団長の決定に、カヌゥ達一般団員は逆らわない。同意の返事をする。

 もう行け、とザニスからの命令を受けたカヌゥとその一味は裏庭から姿を消した。

 

(みじ)めだなぁ、アーデ。だが、それが良い。面白いものを見せてくれよ」

 

 ザニスはそう哄笑すると、『神酒(ソーマ)』が入っているワインを口元に傾けた。全て飲み終わると、地面に落とす。パリン、と硝子の砕ける音が小さく鳴った。

 裏庭に一人残されたリリルカは、ゆっくりと立ち上がった。全身は傷だらけ、着ている衣服も土まみれであり、自分が卑しい存在なのだと告げてくる。

 

「……!」

 

 ギリッと、歯噛みする。

 リリルカは全てが憎かった。自分を虐げてくる冒険者が、あるいは神でさえもが憎かった。

 復讐したくて堪らない。報いを受けさせたい。自分が味わった絶望を、嘆きを、この激情を与えてやりたい。

 だがそれは出来ない。自分は搾取される側の人間だからだ。『力』が何もない自分には、『何か』を変える事が出来ない。

 こうして、胸の内にドス黒い復讐心を仕舞いながらも、リリルカは絶対的弱者である『サポーター』から抜け出せないでいた。裏の顔である『盗賊』で得られる収入にも限度はあり、憂鬱な日々は変わらなかった。

 

 

 

§

 

 

 

 それから、さらに数年が経った。

 迷宮都市(オラリオ)はすっかりと平和を取り戻し、【ロキ・ファミリア】及び【フレイヤ・ファミリア】が名実ともに都市最強派閥となっていた。人類の悲願である『黒龍』の討伐を果たす為、冒険者達はダンジョンに日夜潜っており、『冒険者の街』は活気に満ちていた。

 その一方、この時リリルカ・アーデは十二歳になっていた。何も変わり映えしない生活に心底嫌気がさしながら泥を被る日々。何の為に生きているのか自問自答しながら、彼女は『表』と『裏』の活動を続けていた。

 

 そして──生まれてから十二年と半年が経った時。

 

 リリルカ・アーデに、二度目の転機が突然訪れる。

 

「変身魔法──【シンダー・エラ】。これが私の固有魔法(オリジナル)……」

 

 それは、気紛れだった。

 流石に少しは【ステイタス】が上昇しているだろうと考えたリリルカは多額のヴァリスを派閥に納め、【ステイタス】更新を行った。とはいえ結果は想像通りの微々たる上昇であったのだが。

 しかし渡された羊皮紙に、これまでなかった『魔法』の欄に記入があった。最初は何かの間違いかと主神(ソーマ)におずおずと声を掛けるも、返答はなく。それが事実なのだと理解するのに少しばかりの時間を要した。

【シンダー・エラ】。それが、リリルカ・アーデに発現した固有魔法(オリジナル)だった。その効果を簡単に述べるとするならば、それは変身魔法だった。彼女が変身したい『誰か』を強く想像すればする程、その変身はより完璧なものになる。

 

「これはまた、何とも言えない『魔法』ですね……」

 

 格安の宿屋の、ボロボロの寝台(ベッド)の上で羊皮紙を睨む。派閥の本拠(ホーム)では誰が盗み聞きしているのか分からない為、すぐに移動したのだ。

 リリルカは「はぁ」と溜息を吐いた。攻撃魔法だったら文句なしだったのだが、それは嘆いた所で仕方のない事だろう。

 寧ろ『魔法』を取得出来た事に喜ぶべきだ。『古代』に比べて発現確率は大幅に上昇したとはいえ、『魔法』が希少なのは変わっていない。神曰く『神の恩恵(ファルナ)』とはあくまでも『促進剤』でしかなく、それを活かせるかどうかは自分次第なのだそうだ。

 

「変身魔法……せっかく発現したのですから、役立てたいですよね……」

 

 三つあるうちのスロット、そのうちの一つを埋めているのだ。有益に使わなければ宝の持ち腐れだろう。

 羊皮紙に書かれた【シンダー・エラ】に関する記述は以下の通り。

 

【シンダー・エラ】

 ・変身魔法

 ・変身後は詠唱時のイメージ依存。具体性欠如の場合は失敗(ファンブル)

 ・模倣推奨

 ・詠唱式【貴方(あなた)刻印(きず)(わたし)のもの。(わたし)刻印(きず)(わたし)のもの】

 ・解呪式【(ひび)十二時(じゅうにじ)のお()げ】

 

 何か妙案はないかと思考に耽ける。

 小人族(パルゥム)ではなく、他の亜人族(デミ・ヒューマン)に変身すればどうだろうか。そうすれば『ちんちくりん』だと馬鹿にされる事はないだろうし、多少はまともなパーティに入れて貰えるかもしれない。

 

「いえ、何も変わりませんね」

 

 しかしその考えを、リリルカは自虐しながらすぐに切り捨てた。『冒険者』なら兎も角、自分は『サポーター』だ。他種族の『サポーター』が()き使われているのを、何度もこの目で見てきた。屈強な虎人(ワータイガー)でさえも顎で使われるのだ、たとえ他種族に成り済ましても意味はないだろう。

 実用的な運用方法を考えなくてはならない。

 リリルカ・アーデという小人族(パルゥム)の少女が死んでいるかのように見せ掛け、【ソーマ・ファミリア】から逃げ出す事も考えたが、それも難しいだろう。疑問に思った眷族が主神であるソーマに聞けばすぐにバレる事だ。主神は『恩恵』を授けた己の眷族(こども)の生死が分かるからである。

 

 リリルカは改めて再度、羊皮紙に書かれている記述を読み返した。頭の中で何度も言葉を反芻させ、この変身魔法の使い道を模索する。

 そして、蝋燭(ろうそく)の火が消えた暗闇の中。光が全くない部屋で、彼女はふいに唇を歪めた。

 

「ふふっ、あははははははっ……! そうだ、これなら上手くやれば出来る! 出来る筈です! あははははははははははっ!」

 

 導き出した結論。それにリリルカは満足した。

 そして彼女はどこまでも邪悪に笑い、『悪』の産声を上げたのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 さらに月日は進む。

 リリルカ・アーデが【シンダー・エラ】を手に入れてから半年後の、十三歳の誕生日を迎えた頃。

 

 少女は、復讐を実行した。

 

 雨が降る、迷宮都市。その、裏路地。

 

「待ちやがれ! この盗賊が!」

 

「奴を絶対に逃がすな! 盗まれた物の中には『魔剣』もあるんだぞ!」

 

 激しい怒声と罵倒が飛び交う中、美しいエルフの少女が荒い呼吸を繰り返した。小さな身体を活かし俊敏に動く彼女を、追手である男達は捕らえきれないでいた。

 水が跳ねる音と、けたたましい足音が奏でる音楽。それも数分後には終わっていた。

 追手を完全に()いたエルフの少女は壁にもたれ掛かると、呼吸を落ち着かせる。そしてその可憐(かれん)で美しい顔を歪めると、唇を開いた。

 

「──(ひび)十二時(じゅうにじ)のお()げ】

 

 その解呪式が出された、刹那。エルフの少女の身体を、灰色の光膜が包み込む。

 次の瞬間、そこにはエルフの少女は居なかった。その代わりに居るのは、雨で栗色の髪を張り付かせた小人族(パルゥム)の少女──リリルカ・アーデだった。

 彼女は冷たい手を震わせながら、胸に抱えていた包みを開く。するとその中には、金銀に輝く腕輪や指輪といった冒険者用装身具(アクセサリー)稀少種(レアモンスター)戦利品(ドロップアイテム)、さらには小型ナイフの『魔剣』さえもが入っていた。

 

「やった……やった! やってやりました! ざまぁ──みろっ!」

 

 歓喜と嘲弄が混じった声が響く。

 

「ふふっ、この『魔法』があれば、私は……ッ!」

 

【シンダー・エラ】が発現されてからこの半年間、リリルカはずっと変身魔法について研究していた。どのような効果なのか、持続時間はどれ程なのか、様々な実験を行い理解していった。

 そして彼女は、復讐の為にある計画を立てる。それは、他種族に化けた上で臨時パーティに入り、隙を突いて金品や冒険者の武具を奪うというものであった。

 結果は、この通り。大成功である。

 

「あははははははははははっ!」

 

 必死に我慢しようとするも、それは出来なかった。腹を抱えて彼女は笑い声を上げる。

 そうしていると、被害者である男達の怒号が聞こえてくる。リリルカは奪った金品を包みの中に入れると、ちょうど近くに置いてあった樽の中に放り投げた。

 そのタイミングで、男達が姿を現す。男達はリリルカの姿を認めると、険しい表情を浮かべながら近付いいてきた。

 

「おい、そこの小人族(パルゥム)! 聞きたい事がある!」

 

「はい、何でしょうか冒険者様?」

 

「お前とそう背丈が変わらないエルフの餓鬼を見なかったか!?」

 

「いいえ、申し訳ございませんが見ていません。しかし冒険者様、そのような形相で何かあったのですか?」

 

「ああ、実はその糞餓鬼に装備を盗まれたんだ! 中には『魔剣』もあったんだが……ちくしょう! 絶対に許せねえ!」

 

「まあっ、そのような事があったのですね。冒険者様の仰る通り、許せるものでは到底ありません。とっ捕まえてギルドに連行しましょう!」

 

 嘘だらけの言葉。

 しかし男達は、リリルカの言葉を信じる。何故なら男達の目の前に居るのは無関係な『小人族(パルゥム)』であって、探している『妖精(エルフ)』ではないからだ。

 見掛けたら教えてくれ、と彼等は言葉を残すと走り去っていった。リリルカはニコニコと彼等を見送ると、樽の中に放り込んでいた盗品を回収する。

 

「誰も疑いませんでした。それだけ私の変身が完璧だったという事でしょう」

 

 作戦は成功した。それを確かめたのなら、これ以上の長居は無用である。

 

「さあ──『復讐劇』を始めましょうか、冒険者様?」

 

 灰色の雨空を仰ぎ見ながら、リリルカは壊れた魔道具(マジックアイテム)のように狂った笑い声を上げ続ける。

 こうして、リリルカ・アーデの復讐が始まったのだった。

 



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斯くして、時計の針は遡る Ⅲ

 

 リリルカ・アーデは復讐(ふくしゅう)を始めた。

 発現した変身魔法【シンダー・エラ】を用いて架空の人物に成り済まし、無力で弱者の『才無き者(サポーター)』として臨時パーティに紛れ込んだ。そして従順な振りをしながら隙を見計らい、冒険者達の装備やヴァリス金貨を盗んでいった。

 被害者の中には自分の所属派閥【ソーマ・ファミリア】も含まれており、成功した時には少し溜飲が下がる思いだった。

 だが、リリルカ・アーデはそれで復讐をやめる事を是としなかった。

 変身魔法はあまりにも『劇薬』だった。この『魔法』は使用者の使い方によっては良い事にも悪い事にも使える。そしてリリルカ・アーデは復讐が(もたら)す快楽に抗えなかった。『悪』に身が()ちた以上、待っているのは破滅のみ。『悪』の迎える最期を、彼女は何度も『暗黒期』の時にその目で見てきた。

 それ故に彼女は今更足を洗えないと思っていたし、そのつもりは全くなかった。

 自分の瞳がすっかりと(にご)っていると気付いたのは、ふと、道具屋(アイテムショップ)に置いてある等身大鏡を見た時だった。ダンジョンからの帰り、ボロボロのローブにモンスターの黒灰を被る自分はあまりにも滑稽だった。それでいて手には眩く光る盗品があるのだから、そのリアルに思わず笑いそうになってしまった程だ。

 リリルカは、自分が不幸だとは思っていなかった。否、そう思うようにしていた。

 何故ならば、自分よりも酷い境遇の人間は星の数程居るからだ。

 不器用なドワーフが庇いたてしてくれたおかげで、娼館(しょうかん)に売られずに済んでいる。もし娼婦になっていたら、今頃は純潔などとうに、犯され尽くされているだろう。

 迷宮都市(オラリオ)に『奴隷制度』がないおかげで、『奴隷』としてではなく『冒険者』として活動出来ている。

神の恩恵(ファルナ)』を曲がりなりにも授かっているおかげで、一般人とは一線を画す超人的な身体能力と生命力を持っている。

 変身魔法が発現したおかげで、真っ暗だった人生に、たった一筋とはいえ光がさした。

 そう、何も悲観的になる事はない。自分よりも劣悪な環境で生きている人間はごまんといる。それなら多少は我慢しなければ彼等に失礼だろう。

『上』には『上』が居るように、『下』には『下』が居る事を忘れてはならない。そして頂点が存在する『上』とは違い、『下』はあまりにも泥沼で底が見えないのだ。

 齢十三歳の少女がして良い思考ではない。だがあまりにも凄惨な人生を送っている彼女の価値観は既に壊れており、それを指摘する者も当然居なかった。

 たった独りで完結している人生。それがリリルカ・アーデの物語となっていた。

 

「──お前さんだろう。最近巷で有名になっている『盗賊』は」

 

 盗賊活動に本腰を入れ始めてから一年と半年が経った。この時リリルカ・アーデは十四と半年を迎えており、冒険者達の間で彼女の存在は囁かれるようになっていた。

 曰く『サポーターとして活動している盗賊が居る。多くの被害が出ているが、その正体は不明。分かっているのは小さな体格の持ち主であるという事のみ』というもので、下級冒険者を中心に広がっていた。

 そして、一番最初にその盗賊がリリルカ・アーデだと突き止めたのは、赤いトンガリ帽子を被った髭を生やしている地精霊(ノーム)だった。

 

「はて、何の事を仰っているのでしょう」

 

 ドクンと震えた心臓の音を巧妙に隠しながら、リリルカは目の前の地精霊(ノーム)を観察する。

 精霊とは、神に最も近いとされている種族だ。神時代に入る前、『古代』の時代では『英雄』に力や武具を授けたと伝えられている。現代でも他種族から尊敬されている亜人族でもある。

『ノームの万屋(よろずや)』という骨董品店(こっとうひんてん)を発見したのは本当に偶然だった。リリルカは試しで利用したその時に、この店を贔屓にする事を決めた。ノームは宝石や金属に関しての目利きが優れているという伝承があるのは知っていたが、それが正しかったのだと知ったからだった。また『神に近い』と言われているだけあって、その地精霊(ノーム)──ボムは小さな身体のリリルカを目にしても差別や偏見の目を向けてくる事はなかった。あからさまに嘲笑してくる店も数多くあった為に、リリルカはそこを高く評価した。

 以後、リリルカは盗品をこの骨董品店に持ち寄っては地精霊(ノーム)に鑑定して貰い、それを売っていた。

 

「お前さんも同業者じゃろうから、その盗賊の噂を一度は耳に入れた事があるじゃろう」

 

「ええ、そうですね。知っていますよ。しかし店主様、その盗賊は『正体不明』なのではなかったのですか?」

 

「そうじゃな。確かにそのように聞いておる」

 

「それでは、何故?」

 

 にっこりと人好きのする笑みを浮かべ、リリルカが尋ねる。その質問に対して、ボムは真剣な表情を浮かべた。

 

「根拠は三つある。一つ目は、被害者達の盗品と同じような物を、お前さんが持ってきておる事。二つ目は『正体不明』ながらも、その体格は分かっておる。お前さんと同じくらいの小さな背丈であるという事」

 

 チッ、とリリルカは胸中で舌打ちした。

 二つ目は仕方ないとはいえ、一つ目は己の失策だったか。普段なら盗んでから暫く日を置いてから鑑定して貰っていたのだが、今はどうしても欲しい道具(アイテム)があってすぐに依頼していたのだ。それが仇となってしまったか。

 そしてボムは、三つ目の根拠を口にした。

 

「最後に、爺の『勘』じゃな」

 

「……はい?」

 

「おお、そのような目を向けるでない。お前さんのような娘に馬鹿にされたような目を向けられると、心が折れそうになるからのぅ」

 

 傷心しているボムに、リリルカは言った。

 

「お爺さんの根拠とやらを黙って聞いていましたが、それは根拠とは言えないのでは。似たような物を持ってきたのはたまたまでしょう。その盗賊の体格が小さいのは私も知っていますが、しかし、それも偶然です。第一、この世界には小人族(パルゥム)という亜人族(デミ・ヒューマン)が居ます。私は獣人の子供ですからまだ小さいだけで、それでは彼等に対して風評被害甚だしいでしょう。一族の勇者である【勇者(ブレイバー)】が聞けば憤慨ものでしょうね」

 

 頭の中で事前に考えていた言葉を、リリルカはすらすらと口にする。

 

「そして三つ目ですが、論外ですね」

 

 そう言って、リリルカはボムの憶測を一刀両断した。

 これだけ言われたら普通の感性の人間なら多少なりとも堪える素振りを見せるものだが、しかし、ボムはそれを微塵も見せなかった。

 

「爺はなぁ……これでも精霊じゃ。お前さんも知ってはいるじゃろうが、精霊は基本自我を持っておらぬ」

 

 急にいったい何の話だとは思いつつも、リリルカは話を聞く姿勢をとった。

 

「『古代の大精霊』のような大それた力を爺は持ち合わせてはおらぬが、これでも精霊じゃ。神々がこの下界に降臨するまでは、精霊(ジジィ)達が『英雄』に『力』を授けてきた」

 

「つまり、何が言いたいのでしょうか?」

 

「精霊にはそれなりの能力がある、という事じゃよ。例えば、そう、今こうして話しているお前さんが嘘を吐いているか、そうではないか等も分かる」

 

 超越存在の神々のような確実性はないがのぅ、とボムはその白い髭を擦りながら言った。

 

(何ですかそれは、初耳です!? 精霊についてはまだ分からない事も多くあるとはいえ……まさかそのような能力があるだなんて!?)

 

 フードの奥で目を見開き、動揺を表に出してしまう。そして、スッと警戒の眼差しを送った。

 

(ここは裏路地、憲兵を呼ぶ為のブザーを鳴らしたとしてもすぐには来ないでしょう。ここでの最適解は──)

 

 逃走だ、それしかない。

 念の為に【シンダー・エラ】を用いていて良かった。この店から逃げ切ればあとは普段と同じ手口を使えば良い。この骨董品店を今後利用出来ないのは残念だが、まずは身の安全を確保しなければ。

 リリルカはそっと、ローブのポケットに手を入れた。そして、常備している煙幕玉(グレネード)を握る。これを床に投げ付けれた瞬間、室内は煙で充満する。その隙に逃げるしかない。

 

(カウント、開始。五、四、三、二……──)

 

 一、と胸中で呟き身体を動かそうとした、その時だった。

 

「のぅ、教えてはくれないか。どうしてお前さんは、他人から物を奪う……?」

 

 その言葉を聞いた時、ピタリと、リリルカの身体は止まっていた。

 彫像のように固まる盗賊へ、地精霊(ノーム)は言葉を投げ掛けた。

 

「お前さんは既に何度もウチを利用しているのぅ……。ヴァリス金貨が欲しいにしても、ある程度は纏まった金額を得ている筈じゃ。違うかのぅ?」

 

「……」

 

「まだ若いじゃろうに、何をそんなに焦っておる。莫大な借金を抱えているにしても、何か理由がある筈じゃ。それを爺に教えてはくれまいか?」

 

 リリルカは何も答えられなかった。ただ、地精霊(ノーム)を見詰める事しか出来ない。

 

「……」

 

 考えが纏まらない、思考が乱れる。

 生まれて初めて向けられる、気遣うような視線に、リリルカは何も反応出来なかった。

 神に近しいとされる、精霊。神々が下界に降臨した今なお、他種族から畏怖される存在。その意味が、リリルカは何となくわかった。

 

「安心せい、話を聞いた所でこの老耄(おいぼれ)には何も出来はしない。一応ブザーは置いておるが、こんな寂れた場所にある店じゃ。鳴らした所で意味はないじゃろう」

 

「……」

 

「お前さんの話を聞かせてはくれまいか?」

 

 穏やかな口調で、あくまでもリリルカの意思に委ねるとボムは言った。

 久し振りに掛けられた、あたたかい言葉。それにリリルカは絆されてしまう。そして彼女は俯きながら、ポツポツと話し始めた。

 

「リリは……(リリ)は……──」

 

 設置されている大型時計(オールクロック)が静かに針を刻む。

 長い時間を掛けて、リリルカは己の誕生から現在に至るまでの、これまでの人生を全て言った。

 

「──なるほどのぅ……」

 

 それまで沈黙していた地精霊(ノーム)が、おもむろにそう呟いた。彼は髭を擦りながら、複雑な表情を浮かべていた。

 

「『暗黒期』が終わった今は『新たな時代』の節目ではあるが……これはまた、難しい問題じゃ」

 

 地精霊(ノーム)は深刻な表情のまま、さらに続けた。

 

()()()()()()()()()()()。『英雄候補』は先の大戦で入れ替わったが、未だに『最後の英雄』は現れず。ただ……『平和』という『停滞』がある」

 

「……」

 

「『百』を救う『英雄』は未だ()らず。先の大戦で救われなかった『一』が、お前さん達のような存在なのじゃろうな……」

 

 地精霊(ノーム)が何を言っているのか、リリルカはさっぱり分からなかった。ただ何となく、自分達とは違う視点を持っているのだと、漠然と分かった。

 

「よし、決めたぞ」

 

 ボムはそう言うと、リリルカに穏やかな笑みを向けた。

 

「お前さん、名前は?」

 

「何故、それを……?」

 

「ええい、良いから言うのじゃ。顧客の名を覚えておいて損はないじゃろう」

 

「全く、これだから最近の若者は……」とブツブツ呟くボム。

 彼の質問に答える義理はない。寧ろ真名()を伝えたら、それこそ管理機関(ギルド)や【ガネーシャ・ファミリア】に通報されるかもしれない。それが自殺行為なのは明白だったが、全てが面倒に感じていたリリルカは投げやりに答える。

 

「リリルカ。リリルカ・アーデです」

 

「そうか。それじゃあ、リリちゃん。お前さんさえ良ければ、これからもウチに来なさい」

 

「……え?」

 

「お前さんの行いは世間から見れば褒められたものじゃあないだろうがなぁ……話を聞いた上で、爺はリリちゃんが『悪』だとは断言出来なくなった」

 

『悪』という言葉に、リリルカはぴくりと反応する。第三者から言われたその言葉を、彼女は噛み締めていた。

 

「爺はこれからも、お前さんとの取引をやめるつもりはない。リリちゃんはどうじゃ?」

 

「……そうですね。お爺さんがリリを管理機関(ギルド)や『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』に連れていかないと言うのなら、それで構いません」

 

「ああ、約束じゃ。爺の真名()──ボム・コーンウォールの名にかけて誓おう」

 

 真名(なまえ)にかけて誓ったとしても、平然と約束を破る者は沢山いる。目の前の地精霊(ノーム)もその一人である可能性がある。『約束』という薄っぺらい言葉がリリルカは大嫌いだったが、もはや全てが面倒臭くなっていた為、その言葉に頷いておいた。

 これ以上ここに長居したくない、リリルカは今それしか考えていなかった。適当に挨拶をして店を出ようとする彼女の背中へ、引き留める声が届く。

 

「その代わり、条件がある」

 

「……? 何ですか? まさか、やめろだなんて言うつもりはありませんよね?」

 

 もしそうなら今の話はなかった事にすると暗に伝えるも、ボムは「そうではない」と言った。

 それならいったい何だと怪訝(けげん)になるリリルカへ、ボムは言った。

 

「お前さんは普段、『サポーター』としてダンジョンに潜っているのじゃろう?」

 

「ええ、そうですが」

 

「それなら、お前さんは『サポーター』としての仕事を全うするんじゃ。それで尚、お前さんの仕事度合いに見合った報酬が意図して支払われなかった時に初めて、冒険者から装備や金銭を奪うのじゃ」

 

 何だそれは! とリリルカは思わず激昂(げっこう)しそうになった。今でこそ『サポーター』としての仕事は適当にやっているが、最初は真面目にやっていた。一生懸命に働き、少しでも冒険者の役に立とうとした。

 だがそんな自分達(サポーター)を嘲笑うかのように、奴等(ぼうけんしゃ)はそれに全く応えなかった。

 だと言うのに今更、真面目に働けだと? そんな綺麗事を言えるのはその現場を一度も見た事がないからだ。

 頑張れば頑張った分報われる? そんなのは決して叶う事のない、弱者が願うただの幻想だ。

 ボムへ振り返ったリリルカは、そう言おうとした。しかし、それは出来なかった。

 

「……ッ!」

 

 地精霊(ノーム)の浮かべている表情が、今日見てきた中で最も真剣なものだったからだ。

 思わず怯むリリルカへ、地精霊(ノーム)は優しく諭すように言った。

 

「必ずどこかに、お前さんを正しく評価する冒険者が居る」

 

「……そんな人、居ませんよ」

 

「いいや、そんな事ある。『英雄』と同じじゃ。ある日突然、リリちゃんの前に風のように現れるじゃろうて」

 

 そう、強く断言する地精霊(ノーム)

 リリルカはそれに、何故か反論出来なかった。何故かは分からない。彼が確信を持っているからなのか、自分がヤケになっているのだけなのか──恐らくは後者だろう。

 そして気が付けば、リリルカは言っていた。

 

「……分かりました。ただし冒険者が応えなかった場合、リリは容赦なく彼等に牙を剥きます。それで文句はないですね」

 

 それだけ言い残して、リリルカは骨董品店をあとにした。

 これが『盗賊』リリルカ・アーデと『精霊』ボム・コーンウォールとの出会いだった。それは見方を変えれば、『古代』にあった、『英雄』と『精霊』の契約のようでもあった。

 

 ──それ以降、リリルカ・アーデは『サポーター』と『盗賊』の二つを本格的に兼業する事となる。

 

 予想通り、彼女がいくら真面目に働いて役に立ったとしても、冒険者達が対応を変える事はなかった。それ所か忙しなくダンジョンを動き回る小さな『サポーター』を馬鹿にし、見下していた。これが現実なのだと彼女は思っていたので、特にショックを受ける事はなかったが。だがその反面、今まで僅かながらに感じていた罪悪感は綺麗さっぱりと無くなっていた。自分の働き具合を計算出来るようになるまで成長していた彼女は犯行に及ぶ際、それを基準にして盗みを行うようになっていた。とはいえ、あまりにも酷い『外れ』を引いてしまった時はそんなの関係なしに『魔剣』や高等回復薬(ハイ・ポーション)、ドロップアイテムなんかを遠慮なく盗んでいたが。

 そうして、何十、何百と臨時パーティに同行していくと、本当に──本当に稀ではあったが、リリルカへきちんと報酬を支払う冒険者が居た。

 

「あ、あのありがとうございました! あなたのおかげで、モンスターととても戦いやすかったです! 僕達のパーティの稼ぎじゃこれが限界なんですけど……もし良かったら、またお願いしたいです!」

 

「今回はあんがとさん。ほれ、持っていけ。それにしてもアンタ、凄いねぇ。【ファミリア】に居場所がないって言っていたが、もし良かったらウチに来ないか? 主神なら俺が説得するからよ!」

 

「ま、まぁ……? あんたには世話になったし? 別に感謝していなくもないし? えぇい、良いからこれを受け取りなッ!」

 

 彼等からその言葉を受け取った時、リリルカの胸にじんわりとあたたかいものが広がった。それが身体全体へ伝わると、ポカポカした。心地よかった、嬉しかった、久しく流していなかった涙さえ流れた。

 この時リリルカはようやく、これまでの過酷な人生が少し報われた気がした。傷だらけの『こころ』が少し癒えた気がした。

 この出来事によって、地精霊(ノーム)の言った事が事実なのだと認めざるを得なかった。

 以降、リリルカはボムへ信頼を寄せるようになる。嘗てのトラウマが蘇らなかった訳ではなかったが、『ノームの万屋』へ赴く際は細心の注意を払うようにした。

 だが本当の意味で、彼女を必要だと言ってくれる存在はまだ居なかった。

 

 そして──十五歳の誕生日をボムと迎えてから少し経った頃。

 

 リリルカ・アーデはある日、ダンジョン探索中にある噂を拾った。

 それは、先日の怪物祭(モンスターフィリア)での出来事。何者かが、【ガネーシャ・ファミリア】が捕獲していたモンスターを檻から街へ解き放った事件だ。

『モンスター脱走事件』と呼ばれるこれを、【ロキ・ファミリア】をはじめとした大派閥が解決する中で、一人の駆け出し冒険者が銀の野猿(シルバーバック)と死闘を演じ、見事討伐して見せたという内容だ。

 あまりにも胡散臭い話だ。

 リリルカも初めて聞いた時はそのように思った。だが、少し調べてみればあまりにも疑問点が多かった。というのも、その噂の広がり方があまりにも奇妙だったのだ。『娯楽』に飢えているこの都市が、信憑性は兎も角として、これだけの話題をわざわざ寝かせる訳がない。

 この都市に於いて、噂は噂の域をすぐに出て明るみになる。

 つまり、何者かが意図して噂の範疇(はんちゅう)に押し止めているのだ。それでいて下級冒険者を中心にゆっくりと広がりつつあるので、奇妙だと判断するのは当然だろう。

 だがすぐに、リリルカは興味を失った。話の真偽は兎も角、何者かが意図している以上、下手に探りを入れたらどうなるのかは分かりきっている。首を突っ込むのは愚か者のする事だ。

 

 ──そう思っていたリリルカだったが、幸か不幸か、彼女はその噂の人物と出会いを果たす事になる。

 

 とあるパーティから『クロッゾの魔剣』を盗んだ際、変身魔法を解除する場面を追手に見られてしまったのだ。

 大剣使いの大男から逃げている時に、リリルカは運悪く一人のヒューマンと美しいエルフと鉢合わせてしまう。二人に構う事はせず走り続けたおかげで、幸いにも追手を撒く事は出来たが、バックパックを現場に残したままだった。追手が回収しているだろうなと半ば思いつつも時間を置いてから戻ると、そこではヒューマンとエルフが会話をしていた。

 そして彼女は、そのヒューマンこそが噂の人物なのだと確信に至った。

 名は、ベル・クラネルというらしい。

 話を盗み聞きすると、どうやら怪物祭(モンスターフィリア)以前に【ロキ・ファミリア】が起こした事件『ミノタウロス上層進出事件』にも深く関わっていたようだ。

 銀の野猿(シルバーバック)に、さらには猛牛(ミノタウロス)まで。偶然生き残ったとは到底思えない。

 あとの話はとても簡単だ。ベル・クラネルに興味を持ったリリルカは偶然を装って彼に接触を図った。もちろん、本来の姿ではなく、【シンダー・エラ】を用いて犬人(シアンスロープ)に変身した上でだ。単独(ソロ)で活動しているのは遠目から見てすぐに分かったので、いつもと同じ手法を用いて接近した。

 そうして、リリルカ・アーデは、ベル・クラネルとパーティを組むようになったのだ。



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斯くして、時計の針は──

そして、少女は少年に出会った。
それは、運命的なものではなかった。それは、打算によるものだった。しかしそれすらも必然的に辿る道筋だったの言うのなら、それは、『運命』以外の何物でもないだろう。


 

 ベル・クラネルという『冒険者』は、リリルカ・アーデをはじめとする『サポーター』にとって理想的な雇用主だったと言える。

 まず、報酬をきちんと払う事。『サポーター』への偏見や差別意識を、迷宮都市(オラリオ)に所属している大多数の『冒険者』は持っている。それによって約束の報酬を支払わない事例(ケース)は多く出ていた。あるいは、最終的には報酬を支払っても、それを渋る冒険者は多くいた。

 だがしかし、ベルは全く違った。それが当然であるかのように、彼は何も躊躇(ちゅうちょ)する事なく報酬を支払った。しかもその日の収入の半分だ。はっきり言って、異常である。通常なら二割貰えれば良い方であり、この対応にはさしものリリルカも驚愕(きょうがく)せざるを得なかった。

 次に、『サポーター』への理解が極めて高いという事。『冒険者』には『冒険者』の領域があるように、『サポーター』には『サポーター』の領域がある。その境界線をベルは熟知しているかのようだった。あるいは、その姿勢を見せた。パーティを結成した時、初めに話し合ったのはそこである。そこで互いの考え方や意向を擦り合わせ、あとは実際に行ってみてまた話し合う。それを何度も組み合わせ、『役割』を確立していく。そうする事で、パーティの練度は格段に上がる。

 単独(ソロ)での迷宮探索をしていたベルからその話を振られた時、リリルカは目を丸くしたものだ。

 他にも、ベルは『サポーター』にとっての理想を体現してみせた。

 そう、ベル・クラネルはビジネスパートナーとしては最高だった。

 

 ──()()

 

 リリルカはベルの事が嫌いだった。

 

 否、『嫌い』という表現は適切ではないだろう。

 リリルカはベルの事が『苦手』だったのだ。

 何か嫌な事をされた訳ではない。寧ろダンジョン探索中、彼に助けられた事は数知れず。

 普段のふざけた言動から誤解しがちだが、ベルは冷静な思考の持ち主だ。リスクを常に考えるリリルカとの相性は抜群だった。

 だがしかし、リリルカはベルの事が苦手だった。

 いつからか、と問われればリリルカはこのよう即答する。

 ()()()()()、と。

 そう、リリルカはベルと初めて言葉を交わした時から、彼の事が苦手だった。そしてそれは日を重ねるごとに強くなり、苦手意識として根付いた。

 底なしに明るく、常に浮かべているその笑みが。

 ふざけた言動をして周囲を呆れさせ、しかし最後には笑いに変えるその魅力が。

 常人とは比較にすらならない圧倒的な速度で飛躍する、その『才能』が。

 自分のような『才無き者(サポーター)』にも手を差し伸べてくれる優しさが。

 その姿が。

 その、()(かた)が。

 リリルカ・アーデを狂わせる。

 ベル・クラネルはあまりにも眩しかった。まるで燦々(さんさん)と輝く太陽のように、周囲の人間を照らす。

 羨望の眼差しを何度向けたか分からない。

 何度嫉妬したのか分からない。

 だが、それ以上に気に入らないのが──『英雄』への憧れ。

 出会った時からベルは常々言っていた。『英雄』になりたいのだと。その為に『英雄都市(オラリオ)』にやって来たのだと。自分の夢を熱く語っていた。

 紅玉(ルビー)のように光り輝く深紅の瞳に陰りや淀みは一切なく、未来への展望で()ちていた。

 それが、リリルカの癇に障る。

 それが、リリルカの逆鱗に触れる。

()()』? 『()()()()? 

『英雄』などこの世界にはどこにも居ない。

 だって、そうだろう。もし本当に『英雄』が居るのなら。

 あの日、虐げられていた自分を救ってくれた筈だ。『才無き者(サポーター)』の烙印(らくいん)を押されている自分達を救ってくれた筈だ。

『暗黒期』を終わらせた『英雄候補』達もそうだ。彼等は確かに無辜の民は救ったかもしれないが、その根底にある問題を解決しなかった。解決出来なかった、とも言える。

 もしあの時彼等がこの問題に向き合っていたら、自分達の境遇は大きく変わっていただろうに。実際『悪』に堕ちた者の中にはそういった事情を抱えている者が大半だった。

『真性の悪』はほんとに極わずかで、殆どはそうせざるを得なかった彼等なりの事情があった。だと言うのに、『正義』はそれをまるで考慮しない。

 一度『悪』に堕ちたのなら、過程はどうであれ『悪』なのだと勝手に決め付ける。そして『暴力』をもって解決した。

 そういった人間を、リリルカは何度も目にしてきた。

 今なら、地精霊(ボム)の言っていた意味が分かる。

 自分達は切り捨てられた『一』なのだ。『九十九』に選ばれなかった、『一』。大勢を救う為に選ばれた『生贄』が、自分達なのだ。

 

 ──私は『英雄』になりたい。

 

 街を歩いている時、ダンジョン探索を行っている時、ベルは事ある(ごと)にその台詞を口にしていた。

 それに適当に同調しながらも、リリルカは、本当にいつか『英雄』とやらになりそうだとも思っていた。

 

 もしも、『英雄』の定義を『階位(レベル)』だとするのなら。

 

 何度でも言おう。ベル・クラネルはあまりにも異常だった。たった二ヶ月程で『基本アビリティ』の数値が【A】や【B】に至るなど、そのような前例は一度もない。あの【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインで一年、【猛者(おうじゃ)】オッタルでさえ二年掛かったと言うのに、少年は飛躍し続けている。いつか大きな『冒険』に挑み、それを見事乗り越えたら『昇格(ランクアップ)』は確実だろう。

 曲がりなりにも『サポーター』として片手剣使い(ソードマン)の戦い方を間近で見ていたからこそ、リリルカはそれを他の誰よりも実感していた。

 だと言うのに、何故か、少年の自己評価は低いようだった。

 リリルカが褒める度にベルは苦笑いして、そんな事はないさ、と口にする。調子に乗ることはあれどそれは『演技』に過ぎず、本当の意味で調子に乗ったり慢心したりする姿を、リリルカは一度たりとて見た事がない。

 

 ──君が思い描くような天武(てんぶ)の才は、私にはない。そのうち鍍金が剥がれるだろう。

 

 その言葉を聞いた時、訳が分からなかった。

 だって、そうだろう。

 ベル・クラネルは誰の目から見ても『才能の塊』だ。だと言うのに何故、そのように言うのか。

 謙遜している? いいや、そんな風には見えなかった。

 あれは、心の底からそう思っているから出てきた言葉だった。少なくともリリルカの瞳には、そのように映った。

 そもそも『鍍金』とは何だろうか。その意味がリリルカにはさっぱり分からない。

 そのように『違和感』を抱きながら、リリルカはベルとパーティを組んで行った。

 そしてふと、このままこの人とパーティを組むのか、と考えた事がある。

 しかしその考えを、リリルカは鼻で笑って切り捨てた。

 長期契約こそ結んでいるが、それはベルがLv.1だからだ。リリルカの方が現場をよく知っているから、まだサポート出来ている部分があるに過ぎない。そのうち自分の手助けなど『余計な行動』になるだろう。あるいはそうではなくとも、ベルがLv.2に『昇格(ランクアップ)』して上級冒険者の仲間入りを果たしたらそこでお別れだ。

 話でしか聞いた事はないが、『中層』は『上層』とはまるで違う、文字通りの別世界だと聞く。モンスターとの遭遇率(エンカウント)、モンスターの種類、強さ、そしてダンジョン・ギミックなど枚挙に(いとま)がない。そこにLv.1の『サポーター』風情が入り込む余地はない。

 そのうちベルの方からパーティ解消を言ってくるだろう。

 だがそれに何とも言えない複雑な感情が芽生えかけている事に、この時のリリルカは気付いていなかった。

 

 そして──パーティ解消は前触れなく訪れた。

 

 気紛れに寄った『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』という酒場から宿屋に帰った時、リリルカは冒険者達に取り囲まれた。普段ならそのようなヘマはしない。そもそも取り囲まれる前に、リリルカは謎の視線を確かに感じ取っていた。

 だがとある街娘との会話で疲れていたリリルカはそれを気の所為だと判断してしまった。その結果、自ら敵を案内してしまっていたのだ。間抜けだと自分で思う。

 

「やっと見付けたぜ、この糞小人族(パルゥム)が!」

 

 武器を首筋に突き付け、冒険者達は一様に殺気をリリルカへ向けていた。

 突然の事に何がなんだかさっぱり分からなかったリリルカだったが、すぐに冷静さを取り戻すと事態の把握につとめる。

 

「……」

 

 冒険者達の顔には、どこか覚えがあった。それもその筈、彼等は以前、リリルカがパーティを組んでいた相手だった。正当な報酬を支払わなかった為、彼等の武具やヴァリス金貨を盗んだのだ。

 

「よう、探したぜ。この、薄汚い小人族(パルゥム)め」

 

 そう言ってニヤリと笑う、大男。彼を見て、リリルカは全て腑に落ちた。

 彼には変身魔法【シンダー・エラ】を解呪する場面を見られており、リリルカ・アーデの正体を知られていた。どうやら彼は被害者達を集め、自分に報復しないのかと話を持ち掛けたようだった。

 自分を三百六十度包囲する冒険者達。絶体絶命のピンチである事は誰の目にも明らかだった。鼠一匹すら通さないと、圧力を掛けてくる。リリルカもそれは重々承知していたが、気が付けば、口角が上がっていた。

 

「おい、何を笑っていやがる。この状況が分かっているのか?」

 

「ふふっ、いえ、失礼致しました。まさかこんなにも大勢の方を巻き込むとはな、と思いまして」

 

 リリルカに戦闘能力は皆無だ。だと言うのに、自分を警戒するかのように武器を構えている彼等が滑稽に映ってしまい、仕方がなかった。

 

「それで? 皆様は何をご希望でしょうか?」

 

 全てが面倒臭い、とリリルカは態度に出しながら尋ねる。

 リリルカは逃走など一切考えていなかった。自分の最期は決定した。それなら逆らうだけ、抵抗するだけ全て無駄だ。それならば全てを受け入れて身構えていた方が遥かに良い。

 

「お前……ッ!」

 

 ふてぶてしい態度を取るリリルカを見て、大男が声を荒らげる。他の冒険者も同様であり、憎しみを込めた視線を小人族(パルゥム)へ注いだ。

 そして、大男が大剣を振りかぶった、その時。

 

「落ち着いてくだせぇ、旦那。ここでこの小人族(パルゥム)を始末するのは些か面倒な事になりますぜ」

 

 芝居がかった喋り方。聞き慣れた声が、リリルカの耳朶(じだ)を打つ。

 まさかと思いつつもそちらに視線を送る。するとそこには冒険者達から一歩離れた場所で、獣人の青年が薄笑いを浮かべながら立っていた。

 その顔を見て、これまで無表情だったリリルカの顔が初めて揺れ動く。

 その人物を、リリルカはよく知っていた。天敵と言っても良いだろう。リリルカが顔を顰めていると、大男が青年へ詰め寄る。

 

「だがせっかくの機会だ。ここで報復しないで、いつ報復するんだ!」

 

「まあまあ、落ち着きなさいな。とはいえ、旦那の気持ちは分かりますがねぇ」

 

「何をケラケラと笑っていやがる。それともなんだ、まさかこの糞小人族(パルゥム)を庇い立てするんじゃねえだろうな!?」

 

 しかしその獣人──【ソーマ・ファミリア】所属、カヌゥは依然として軽薄に笑っていた。そして目を細めると、冷静に指摘する。

 

「旦那、ここは地上ですぜ。いくら路地裏とは言え、管理機関(ギルド)や『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』が来ないという保証はない。違いますかい?」

 

「それは、確かにそうだが……」

 

「俺も、この小人族(パルゥム)を許すつもりはないですぜ。何せ被害者の中には派閥(ファミリア)の仲間も含まれているんでね」

 

 カヌゥはさらに続ける。

 

「だが、ここは地上だ。旦那、俺の言いたい事、分かるでしょう?」

 

「チッ、分かったよ。ここはお前の言う通り退いてやる」

 

「さっすが旦那! それが賢い選択でさぁ」

 

「黙れ。糞小人族(パルゥム)、覚えとけよ。俺達はお前を絶対に許さないからな」

 

 大男はそう言葉を吐き捨てると、仲間を連れて闇の中に消えていった。

 カヌゥは人の気配が完全に無くなったのを確認すると、獲物を見つけた動物のようにその瞳を爛々と輝かせた。

 

「久しぶりだなぁ、アーデ?」

 

 リリルカが沈黙すると、カヌゥは「おいおい、無視するなよぅ」とケラケラと笑いながら旧友に接するかのように手を軽くあげた。そしてリリルカへ近付くと、右足を少女の腹部へと振り上げる。

 

「──ッ!?」

 

 途轍(とてつ)もない衝撃を受け、リリルカの小さな身体は玉のように跳ね飛んだ。ドサッ、と音を立てて地面に倒れる。

 腹を押さえながら嘔吐(えづ)く彼女を、カヌゥは面白そうに眺めていた。そして首根っこを掴むと、自身の目線に強制的に合わせる。

 

「あの大男から話を聞いた時は半信半疑だったがなぁ。まさかお前に変身魔法だなんて『魔法』があるだなんて、思いもしなかったぜ」

 

「……」

 

「奴等、本拠(ホーム)に来てな。こう言ったんだぜ? 『リリルカ・アーデは何処だ!』ってなぁ……。当然、門番達は何がなんだか訳が分からねぇ。戦争遊戯(ウォーゲーム)でも仕掛けてきたのかと混乱しててよぅ。偶然通り掛かった俺が話を聞いてやれば、奴等は何でも被害者なんだそうだ」

 

 視線を合わせないリリルカへ、カヌゥはさらに続けて言った。

 

「団長や幹部陣は幸か不幸か本拠(ホーム)を留守にしててなぁ、俺が派閥(ファミリア)の代表として対応する事になった訳だ。良かったな、アーデ? 優しい俺が居てよ?」

 

「……」

 

「そんな優しい俺が話を聞いてやれば、奴等はお前に報復したいと言い出しやがった。当然、俺は反対したぜ? そこは管理機関(ギルド)や【ガネーシャ・ファミリア】に任せるべき案件じゃねえのかってなぁ?」

 

 嘘塗れの言葉を平然と事実かのように言いながら、カヌゥは邪悪な笑みを深めた。

 

「奴等が何をするのか、分かったもんじゃねえ。最悪刃傷沙汰になる。それは困る。俺は奴等に暫く付き合ってやる事にした。その時は怒りもじきに収まると思っていたんだが、奴等、相当頭にきてたみたいでなぁ」

 

「バベルの出入口に立って、血眼になって盗賊(おまえ)を探している様は滑稽そのものだったぜ」とカヌゥは当時の事を思い出したのだろう、腹を抱えて笑った。

 それにリリルカが思わず眉を顰めていると、カヌゥは急に真顔になってから、言った。

 

「だが、奴等の『執念』は凄かった。その結果が、これだ。奴等はお前を見付けてみせた」

 

 ダンジョンから出る所をよりによって大男が見付けたのだと、獣人の青年は忌々しげに言った。

 

「そうなりゃあ、あとは簡単だ。そうだろう?」

 

 なるほど、とリリルカは腑に落ちた。ようは今の今まで尾行されていた、という事だろう。

 気配に敏感なベルが気付いていなかったのは意外だったが、街はダンジョンとは違って人の気配で溢れ返っている。少年が察知出来なくとも不思議な事ではない。

 

「話は分かりました。それで、カヌゥ様は何をお望みになられているのですか?」

 

「話が早くて助かる。曲がりなりにもお前は【ソーマ・ファミリア】の一員だ。奴等がいつ管理機関(ギルド)に訴えるか、それが俺は心配で堪らないのさ」

 

「……なるほど。つまり(わたし)に、『囮』になれと仰るのですね?」

 

 その通り、とカヌゥは相槌を打つ。

 

「奴等は近いうち、ダンジョンの中で仕掛けるだろうさ。お前は『餌』になって引き付けろ」

 

「……」

 

「あとは俺達がやる。どうだ、簡単だろう?」

 

 ダンジョンは無法地帯。迷宮内で起こった出来事は全て自己責任という形になる。

【ファミリア】の抗争もダンジョン内で行われる事は多い。カヌゥはそれを利用しようと言っているのだ。

 つまり、ダンジョン探索中に大男を始めとした冒険者をリリルカが『餌』となって引き付ける。そしてリリルカが襲われている時に、カヌゥが偶然を装って登場する。そして、『仲間が他派閥に襲われているのを見た為、仕方なく交戦した』という大義名分を得て、カヌゥとその一味が大男達と戦闘し、リリルカは助けられるという寸法だ。

 なんて下らない茶番劇なのだろう。リリルカは心から思った。

 

「俺達は仲間だろう。仲間がピンチなら助けてやるさ。そうだろう?」

 

 吐き気がする程の笑みを浮かべながら、カヌゥがそう言った。

 リリルカは頭の芯まで冷たく感覚になりながら、低い声音で尋ねる。

 

「……見返りは?」

 

「見返りだとぅ? おいおい、そんなもの必要はないぜぃ? 俺達は仲間だろぅ?」

 

「ただまぁ、お前が助けてくれたその礼にくれるって言うんなら、貰うけどなぁ」とカヌゥはわざとらしくそう言った。

 そして、どこまでも見下した目で見ながら、リリルカの頭を勢いよく踏む。

 

「お前がこれまで奪ってきた金品、全てを寄越せ」

 

「……ッ!」

 

「当然だろう。俺達は文字通り命を賭けて仲間(おまえ)を助けるんだ。相応の報酬があって然るべきだ」

 

 ギリッ、とリリルカは奥歯を噛み締める。これまでの半生を寄越せと言っているも同然だからだ。

 あまりにも舐め(くさ)っているその要求を、しかし、拒否する事は出来ない。ここで拒否を示せば、カヌゥは大男達の元へ突き出すだろう。どのような仕打ちを受けるのか、想像も難しい。

 だが、それは別に良い。盗賊になり、『悪』に堕ちた時から覚悟していた事だ。

 一番恐れているのは、そこではない。そんなリリルカの内心を見透かすかのように、カヌゥは言った。

 

「お前が随分前に身を寄せていた花屋だが……あの後、店を再開したそうだな」

 

 ドクン、と。リリルカの心臓が大きく動いた。フードの奥で瞳を揺らす彼女へ、カヌゥはさらに続ける。

 

「おかしな話だよなぁ。店を再開するにしたって、その為にはある程度の資金が必要だ。爺と婆にそれだけの貯蓄があるとは思えねぇ」

 

 それ以上何かを言う前に、リリルカは必死になって懇願していた。

 

「分かりました、分かりましたから! だからどうかカヌゥ様、お願いします。それだけはやめてください……!」

 

「ククッ、最初からそう言えば良いんだよ。これで取引は成立だ」

 

 リリルカは悔しくて仕方がなかった。これは取引では断じてない。これは、脅迫だ。

 もしリリルカが応じなければ、カヌゥは店を再開した老夫婦に襲撃するだろう。一般人に危害を与えたら管理機関(ギルド)も重たい腰を上げるだろうが、この迷宮都市ではいつもの事だ。そのように判断されるのは明白だ。

 老夫婦だけではない。今この瞬間にもカヌゥはリリルカの『弱点』を探っている。心の拠り所である『ノームの万屋』に辿り着くのも時間の問題だ。

 

「期限は一週間。いまお前はヒューマンの餓鬼とパーティを組んでいるな?」

 

「……ええ、はい」

 

「その餓鬼をいつものように裏切るんだ。決行の合図は、俺が指定する道具屋(アイテムショップ)に寄った、その翌日だ」

 

「……当日は、どうすれば良いのでしょうか?」

 

「俺が指定するポイントに来い。どうだ、馬鹿なお前でも簡単に出来る事だろう」

 

 その命令に、リリルカは力なく頷く。

 カヌゥは満足そうに嗤うと、最後に、リリルカの身体を自身の足で押し潰した。そして、苦悶の声を出すリリルカに構うことはせず闇夜に姿を眩ませる。

 

「ゲホッ……ゴホッ……!」

 

 咳き込みながら立ち上がる。

 口の中は、血の味がした。もったいないとは思いつつも、ローブの胸ポケットから回復薬(ポーション)を取り出して一気に呷る。

 身体の傷が塞がり、治ったのを確認する。リリルカは緩慢とした動作で、安宿へ足を運ぶ。

 

 ──私は『英雄』になりたい。

 

 ふと、少年のその言葉が頭の中で反芻(はんすう)される。同時に、もう一つ別の事も思い出した。少年は一度だけ、たった一度だけリリルカにもその誘いをしてきた事があった。

 

 ──もし良かったら、リリも一緒に『英雄』にならないか。

 

 ──……『英雄』、ですか? リリが? 

 

 ──ああ、そうだ。世界は『英雄』を欲している。一人よりも、二人。二人よりも、三人。もし君が同じ道を歩んでくれるのなら、これ程頼もしい事はない。

 

 その時は丁重に断った。自分のような存在が『英雄』だなんて、なんて詰まらない愚劇なのだろうかと、そう思ったからだ。

 空を仰げば、憎たらしい程の夜空が広がっている。満天の星々、そして悠然と闇夜に佇む月が恨めしい。

 リリルカは昏い瞳で、無限に広がるキャンパスを見詰め続けた。

 

 

 

§

 

 

 

 そして、リリルカはベルにパーティ解消を訴えた。

 他所の派閥(ファミリア)と不必要に関わってはならないという、暗黙の了解。そして、神の気紛れによる運営方針の変更。それらを表の理由とする事で、雇用主に訴えた。

 ベルは納得出来ないと顔に出しながらも、最終的には頷いてくれた。

 カヌゥから言い渡された期限は一週間。その一週間のうちに、リリルカは動いた。

 まずは、ボムへ別れの手紙を送った。郵送会社(タクシー)を用いて、差出人を不明にした状態で『ノームの万事屋』に手紙を送る。そこにはこれまでの感謝の言葉と、もう二度と会う事は出来ないという旨の別れの言葉を綴った。そして、この時リリルカは、管理機関(ギルド)へも一通の手紙を送った。

 そして、ベル・クラネルにはせめてもの償いとして、自分の代わりとなる『サポーター』を見繕う事にした。

『冒険者』とは違い、『サポーター』にはあまり【ファミリア】の垣根はない。何故なら等しく、『サポーター』は惨めな思いをしているからだ。(あり)が群れるように、『サポーター』もまた群れる。情報共有を行い、時には影で助け合い、自分達の生存確率を少しでも上げているのだ。このコミュニティがいつ形成されたのかは分からないが、『サポーター』なら殆どの者が属している。

 何度でも言うが、ベル・クラネルはリリルカ達『サポーター』にとって最も理想的な『冒険者』だ。変身魔法を用い妖精(エルフ)の少女に身を扮し、コミュニティへ久方振りに顔を出したリリルカは、ベルの存在を彼等に伝えた。最初は疑っていた彼等だったが、リリルカは『超一流のサポーター』として彼等の間に名を馳せている。その発言力は大きい。リリルカは訳あってパーティ解消する事を伝えると、誰か自分の代わりに『ベル・クラネルのサポーター』にならないか尋ねた。

 しかしいつまで経っても、自ら名乗りあげる者はいなかった。すぐに誰かしら名乗り上げ、一つしかない席を取り合うとばかりに想像していた為、この展開に驚いてしまう。

 そんな彼女へ、虎人(ワータイガー)の男が「お前の代わりが務まると自惚れる奴はここには居ないさ」と言ったのだ。その言葉に、周囲の亜人族(デミ・ヒューマン)は首を縦に振った。

 さらに別の狼人(ウェアウルフ)の女性が「あんた、口ではそう言いながらもその冒険者と離れたくないって顔に出ているよ」と言った。

 虎人(ワータイガー)の言葉には同意出来るが、狼人(ウェアウルフ)の言葉にはまるで同意出来なかった。

 あの、夢へ向かってひた走る少年と離れたくない? それを、この自分が思っていると? 

 何て詰まらない冗談(ジョーク)だ、とリリルカは鼻で笑いたかった。しかしその狼人(ウェアウルフ)が下らない事を言わないのを、リリルカは知っていた。

 そしてその狼人の言葉に、周囲の亜人族は先程の虎人と時と同じように首を縦に振ったのだった。

 それなら、他を当たります。そう言って足早に立ち去ったリリルカは、コミュニティのサポーター達がにやにやと笑っているのに気が付かなかった。

 それからリリルカは幾つかのコミュニティへ顔を出しては同じ提案をしたが、その返答はどこも同じだった。

 そして最終的に、リリルカは諦めた。知人が自分の代わりになればと声を掛け続けたが、彼等には何故かその気が微塵もないらしい。唯一の心残りはそこだが、ベルの事だ。すぐに新しい『サポーター』を雇うだろう。その『サポーター』が優秀だと尚良いが、こればかりは『運命』とやらに願うしかなかった。

 それから、リリルカはカヌゥの命令通り、指定された道具屋(アイテムショップ)に寄ると、ある道具(アイテム)を買い占めた。それは、モンスターを誘き寄せるトラップアイテム。特殊な加工がされているこの血肉は高価なものだが、冒険者達から金品を奪ってきたリリルカにとって買い占める事は造作もない。

 リリルカはこのトラップアイテムを、ベルを罠に嵌める目的の為だけに購入した。『上層』に出現するモンスターでは、ベルの相手は務まらない。『上層の主』と言われている『インファント・ドラゴン』も含まれるだろう。

 彼を裏切ったところで、すぐに追い付かれてしまう。それを回避する為、考えた策がこれだった。

 すなわち、トラップアイテムを用いた『人為的な怪物の宴(モンスター・パーティー)』を引き起こす。大量のオークに取り囲まれれば、さしものベルも苦戦は免れないだろう。『数』が『質』を上回るのは神時代(しんじだい)に於いて少なくなったが、ない訳ではないのだ。

 

 

 

§

 

 

 

 そして、時は『現在(いま)』に戻る。

 リリルカ・アーデは当初の計画通り人為的な『怪物の宴(モンスター・パーティー)』を引き起こし、ベル・クラネルを裏切った。

 

 

 

§

 

 

 

「はあ……はあ……ようやく、9階層ですか……!」

 

 これだからダンジョンは! そう叫びたい衝動(しょうどう)を抑えつつ、荒い呼吸を何度も繰り返す。

 リリルカは小さな身体を懸命に動かして、全力で走っていた。いつも背負っているナップサックはそこにはない。ダンジョン探索中にモンスターから得た『魔石』とレアドロップごと、走るのに邪魔だと道端に捨てたからだ。

 頭に叩き込んだ地図(マップ)沿()って、目的地へ最短距離で向かう。

 

『グルァ……!』

 

 だが、ここはダンジョン。

 リリルカが広間(ルーム)に躍り出ると、9階層仕様のゴブリンが中央に居た。侵入者の気配を感じ取ると、その赤褐色の双眸(そうおう)を向ける。

 ゴブリンと言えど、その強さは9階層のもの。当然、非戦闘員(サポーター)のリリルカはまともに戦えば苦戦を強いられる。

 それをリリルカは知っている。それ故に、まともに戦うつもりは毛頭ない。

 

「邪魔ですッ!」

 

 懐から一本の短剣を取り出し、それを勢いよく振る。

 ゴブリンはせせら笑った。短剣の射程(リーチ)では、自分には届かない。長槍(ジャベリン)ならあるいは届いただろうが、目の前の小人は自ら隙を晒したも同然。

 しかし次の瞬間、ゴブリンは驚愕で声を上げた。何故なら気が付くと、自分の身体が宙を舞っていたからだ。

 

『──グルァアッ!?』

 

 何をされたのか分からないまま、そのまま壁に激突する。骨が折れる音と共に、モンスターは絶命した。

 コロン、と落ちた小さな紫紺の結晶。リリルカはそれを一瞥(いちべつ)する事もなく、広間(ルーム)を横切った。

 

(やっぱり、『魔剣』は便利です……!)

 

 そう思いながら、抱えている短剣を見る。

 この短剣は『魔剣』だった。『魔剣』は擬似的な魔法を繰り出す事が出来る優れ物であり、この『魔剣』は強力な風を生み出す事が可能だった。

 ちなみにこの『魔剣』は盗品ではない。リリルカが奥の手として、ヴァリス金貨を貯めて購入したものだ。

 

(とはいえ、あと数回が限度でしょうか。それまで持ってくれると良いのですが)

 

『魔剣』は普通の武器とは違い、使用回数に制限がある。短剣の刀身には(ひび)が走り始めており、その寿命が残り少ない事を使用者に教えていた。

 

「8階層……!」

 

 階段を駆け登り、8階層に辿り着く。

 ベルを出し抜いて裏切ったのが、11階層の最奥。そこからこの階層に辿り着くまで、多くの時間と体力を消費してしまった。

 もしベルが居たらもっと短い時間で、そこまで体力を削らなかっただろう。

 チリ、と脳に響く痛み。ベルの事を少しでも考えた瞬間、リリルカの身体と『魂』に傷が入る。

 

(大丈夫、大丈夫です……! あの人は、強い! 絶対に生きています! あの憎たらしい笑みを浮かべて、平然と生きているに違いありません!)

 

 雑念を振り払い、前だけを見据える。その先にあるのが自身の破滅だと分かっていても、足を止める訳にはいかない。

 もし、もしも万が一──無いとは思うが、ベルがリリルカの事を追って来ていたら。そして、リリルカを連れ戻そうとしていたら。

 それだけは絶対に、何としてでも避けなくてはならない。未来の『英雄』に『悪』を見せてはならないと、リリルカは強迫観念に駆られていた。

 

「そこを退いて下さいッ! 申し訳ないですが、貴方達に構っている暇はありませんッ!」

 

『魔剣』と自身の唯一の得物──リトル・バリスタを駆使し、リリルカは『サポーター』とは思えない速さでダンジョンを駆け上っていく。

 8階層を突破し、7階層へ。この時には既に『魔剣』は破砕しており、その役目を果たしていた。そしてここが、カヌゥが指定した階層だった。肩を息をしながら、獣人の青年が指定した広間(ルーム)がある方向へ身体を向ける。

 

(分かっていたとはいえ、正規ルートから離れていますね)

 

 ダンジョン探索に()いて、正規ルート以外を利用する冒険者はまず居ない。『未知』が待っているもっと下の階層なら兎も角、ここは『上層』。先達(せんだち)の活躍により完全攻略されている為、旨味がないのだ。

 そしてリリルカは、ついにそこへ辿り着いた。だだっ広い広間だ。

 中心部まで進んだ所で、背後で、人の気配を感じ取る。それと同時に、殺気が飛ばされてきた。

 

「よくも来やがったな、この糞小人族(パルゥム)が!」

 

 リリルカが振り返ると、そこには大男をはじめとした冒険者達が立っていた。全員、殺気と共に武器を抜いている。

 広間(ルーム)の出入口は三つ。その三つ全てを、冒険達は人壁となって塞いでいた。とはいえ、そんな事はリリルカにとって些事(さじ)でしかないのだが。

 

「カヌゥの言う通りだった。やっぱり、あいつの言う事は全て正しい」

 

「……?」

 

 その奇妙な言い回しに引っ掛かりを覚え、尋ねる。

 

「貴方、何を仰っているのですか?」

 

「黙れ! その汚い口を開くな!」

 

 大男はそう言うと、声を張り上げた。

 

「お前等、こいつが女だからと言って容赦(ようしゃ)するんじゃねえぞ!」

 

 そして、大男がリリルカへ襲い掛かる。少し時間を置いて、他の冒険者もリリルカへ迫った。

 

「ぁ……」

 

 小さな悲鳴と共に、非力なリリルカは組み伏せられた。汚い地面に顔をぶつけ、砂利を被る。だがうつ伏せになる事は許されず、大きな手で顔を(つか)まれる。そして、一発、二発、三発と顔面を強く殴られた。

 

「なあ、どんな気持ちだ? 騙した相手からこうして復讐される気分は!?」

 

「……ッ!」

 

「教えてくれよ、なあ! 何か言えよ、この糞小人族(パルゥム)がぁ!」

 

「……ッ! ……ッ!?」

 

 骨の折れる音が鳴った。口の中が切れる感覚がした。顎の割れる音が大きく響いた。

 栗色の髪は鷲掴みにされ、今にも千切れてしまいそう。

 

「……」

 

 殴られ、蹴られ、また殴られ、また蹴られる。冒険者達による圧倒的な暴力が小さな身体に襲いかかってくる。

 痛い、と身体が悲鳴をあげた。やめてくれ、と『魂』が泣き叫ぶ。それを、リリルカは理性を総動員して堪える。

 地面には鮮血と胃液が混じった液体が広がっていた。意識が朦朧(もうろう)し、このまま視力が失われるのかと錯覚するほど、視界がぼやける。

 そして、どけだけ経ったのか。数十分にも、数時間にも感じられる時間が経った頃、ようやく、暴力はやんだ。

 だが、まだ彼等の復讐は終わっていない。むしろ今までのは前哨戦に過ぎない。

 死体のように横たわるリリルカ。その頭上で、大男がまるで理性を失ったかのように笑声を上げる。

 

「こいつの身ぐるみ、全部剥げ! さぞかし貴重な武器や道具を持っているだろうさ! そしたら、あの『酒』を飲めるぞ!」

 

 聞き捨てならない単語が、リリルカの耳に届く。その瞬間、朦朧としていた意識は一気に()え渡った。

 

「……『酒』とは、何の事を指しているのですか」

 

「あぁ!? 黙れ! 手前には何も関係ない事だろうが!」

 

 そう言って、大男はリリルカの頭を強く踏み付けた。

 しかしリリルカはそれに構わず、再度尋ねた。

 

「どうか、教えて下さい。『酒』とは何の事を指しているのですか?」

 

 大男は「チッ」と舌を打つと答えた。

 

「お前も派閥(ファミリア)の団員なら、存在は知っているだろう? お前のとこの主神が造っている『酒』さ!」

 

「ま、まさか……!」

 

「そう、その通り! 『神酒(ソーマ)』さ!」

 

 その単語が、大男の口から出た時。

 リリルカは思考を一瞬無くしていた。自分だけ時が止まったかのような、そんな感覚に陥る。

 大男は今、確かに『神酒(ソーマ)』と言った。

 ──『神酒(ソーマ)』。

 その実物を見る事も、その名前も二度と聞かないと心に決めていた、自分の運命を変えたモノ。

 気持ちの悪さを覚えながら、リリルカは必死になって、何故大男の口から『神酒(ソーマ)』の名が出たのかを考える。

 しかし彼女が答えに辿り着くよりも前に、大男が自ら答えを口にした。

 

「正直に言うとなぁ、俺も、そしてこいつ等も、お前への復讐なんざ最早(もはや)どうでも良いんだよ」

 

「なっ!?」

 

「今はただ、あの極上の『酒』を! 『神酒(ソーマ)』が飲みたい! それだけだ!」

 

 大男の言葉に同調するかのように、他の冒険者が「『神酒(ソーマ)』! 『神酒(ソーマ)』!」と連呼する。

 やめろ、やめてくれと、リリルカは顔を強張らせる。そして、悟った。

 目の前の人間全員、既に『神酒(ソーマ)』の魔力に取り()かれている。理性は蒸発し、頭の中が『神酒(ソーマ)』で埋め尽くされている。

 リリルカにはそれが分かる。分かってしまう。

 何故なら彼等は、数年前の自分にそっくりだったからだ。ダラダラと(よだれ)をみっともなく垂らすその姿も、光が一切灯らない瞳も、その狂気に染まりきった笑みも。自分が過去浮かべていたものに他ならない。

 恐らく昨晩、カヌゥは『神酒(ソーマ)』を盗み出したのだろう。【ファミリア】の中では横行しているであり、カヌゥは幹部でこそないものの、【ファミリア】に所属している期間はとても長い。『神酒(ソーマ)』を何本か手に入れるのはそう難しい話ではないだろう。そして彼は、彼等に振る舞った。その結果が、これだ。『神酒(ソーマ)』の魔力がいつ切れるのかは分からないが、それまで彼等は人の形をした『ケモノ』となる。

 

「あいつは言ったんだよ! お前から金品を巻き上げたその時、『神酒(ソーマ)』をくれるってなあ!」

 

「落ち着いて下さい! そんなの嘘です!」

 

「手前の言葉なんて聞いちゃいねえよ! さあ、お前等! 『神酒(ソーマ)』の為だ、やるぞ!」

 

 声を掛け続けるも、リリルカの言葉は彼等には届かなかった。

 非力なリリルカはとてもあっさりと、装備を剥がされてしまう。リトル・バリスタも、道具も、回復薬も、懐中時計も、ローブも、そして、少年から盗む形となった長剣も。気が付けば、リリルカの身体は布だけの服となっていた。

 

「チッ! これだけしかないのか!」

 

 大男が苛立つ。

 地面に無造作に置かれた数々の装備品。そこに高価なものが一つもなかったからだ。

 

「待てよ、この長剣。結構な業物じゃないか?」

 

 大男の仲間の一人が、純白の刀身を鞘から出しながらそう言った。

 

「あっ、でも製作者の真名()がどこにも掘られてないな。売っても大した額にはならなそうだ」

 

「いや、そんな筈がねえ! これ以外にも価値のある物がある筈だ!」

 

「けどよ……そんなのないぜ」

 

「チッ! お前、『魔剣』はどうした!? こいつのパーティから盗んだだろう!?」

 

 リリルカは思わず、呆れた声を出した。

 

「そんな物……とうの昔に売り払っていますよ。何を馬鹿な事を仰っているのですか。その剣は今盗んできたものです。とはいえ、価値はあまりなさそうですが」

 

「それなら、売って手に入れた金はどこにある!? そもそもお前、本当に無一文じゃねえか!」

 

「……さて、どこにあるのでしょう」

 

 リリルカはせせら笑うと、言った。

 

「もしかしたらお腹の中にあるかもしれませんね。あるいは口の中かもしれません。とはいえ、貴方達に教えるつもりはさらさらありませんが」

 

 たちまち、大男の表情が憤怒に染まった。そして、彼が拳を振りかぶった、その時。

 

「待ってくだせえ、旦那」

 

 三つある出入口、その一つから、カヌゥが姿を現した。冒険者達が顔を向ける中、カヌゥは邪悪な笑みをその顔に張り付かせて、リリルカと大男の元へ近付く。

 

「やけに遅かったじゃないか、カヌゥ。どこに行ってたんだよ」

 

「ちと、野暮用がありやしてね。それにしても……随分とやられたなぁ、アーデ?」

 

 カヌゥは芝居がかった口調で地に伏すリリルカを見下ろすと、彼女の脇腹を横から思い切り蹴った。ドサッ、と音を立てて崩れ落ちる。

 仮にも同じ派閥(ファミリア)に所属しているというのに、カヌゥは傷だらけのリリルカを見ても表情一つ変えなかった。

 

「見てくれよ、こいつ、金目(かねめ)のものをちっとも持っていねぇんだ!」

 

「……そいつは、本当ですかい?」

 

「ああ! 地上のどこかに隠しているとは思うんだが、全く答えやしねえ!」

 

「なるほど、なるほど……」

 

「だが、俺達はお前の指示通り動いた。約束通り『神酒(ソーマ)』を! 『神酒(ソーマ)』をくれるよな!?」

 

 そう訴える大男を、カヌゥは冷たい眼差しで見た。そして、深々と溜息を吐くと残念だと告げるかのように首を横に振った。

 次の瞬間、獣人の青年は残忍な笑みを浮かべる。

 

「それじゃあ、あんたらは用済みだ」

 

「……? 何を言っている?」

 

「まだ分からないんですかい? ──ここで死ねと、そう言っているんだよ」

 

 銀線が走った。同時に、悲鳴が上がった。

 カヌゥが自身の得物で、大男の肩から胴体を斬ったのだ。血飛沫(ちしぶき)が勢いよく舞う。

 

「ぐあああああああああああ!?」

 

 ドサッ、と大男が音を立てて倒れる。地面でのたうち回りながら、カヌゥを見上げる。

 

「て、お前! 何をしやがる!」

 

「何って、決まっているでしょうがぁ。『偶然通り掛かった俺は、【ファミリア】の仲間が襲われているのを目撃した。仲間を救う為、俺は武器を手に執った』──餓鬼でも分かる物語ですぜぃ、旦那ァ?」

 

「こ、この野郎!? お前等、この糞獣人に──ッ!?」

 

 大男が彼の仲間にそう指示を出し掛けた、その時。

 広間(ルーム)の出入口に、新たな冒険者が現れる。先程大男達がリリルカの退路を塞いだように、彼等もまた、全く同じ事をした。

 その冒険者達の顔に、リリルカは見覚えがあった。それもその筈。彼等は全員、同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員であり、カヌゥの一味だった。

 

「ぁ……! ぁ……ッ!?」

 

 そしてようやく、大男達は自分達が置かれている状況を理解したようだった。絶望で顔を歪める彼等へ、カヌゥは無慈悲な宣告をする。

 

「死ね」

 

 その合図と共に、【ソーマ・ファミリア】が大男達へ襲い掛かる。一度始まった悲鳴の連鎖は止まらず、リリルカはそれがただただ不快だった。

 

「俺達は数だけは多いですからねぇ……旦那達が俺達よりも強いのは知っていますが、それでも同じLv.1。流石にこの『数』には勝てないでしょう」

 

 しかしその言葉は、泣き喚く彼等へ届いていなかった。

 そして気が付けば、広間(ルーム)に響いていた不快な音が無くなっていた。

 

「あぁ……!」

 

 物言わぬ死体の数々を、リリルカは呆然と、(くら)い瞳で見詰める。

 リリルカと関わったばかりに、彼等は悲惨な末路を迎える事になった。彼等が死んだ原因は、自分にある。その事実を認めた瞬間、リリルカは吐き気を催した。胃液を地面にぶちまけ、荒い呼吸を繰り返す。

 

「さぁて……次はお前だぜ」

 

 獣人の男はそう言うと、しゃがみ込んでリリルカに目線を合わせた。

 

「こいつらが死んだのは、お前の所為だ。お前が、こいつらを死に追いやった。良かったなぁ、アーデ、冒険者(おれたち)に復讐出来て」

 

 絶望に染まった自分の顔が、彼の瞳に映る。

 

「約束通り来てやった。自分の命を顧みず、お前を助けに来てやった。感謝しろよ、アーデ?」

 

「はあ……はぁ……!」

 

「さあ、どこに盗んだ金品を隠していやがる。お前の事だ、本拠やあの拠点とは違う別の場所に隠しているんだろう。それを教えろ」

 

 嫌らしい笑みを浮かべながら、カヌゥが尋ねる。

 

「おい、早く答えろ。いつモンスターが来るのかも分からねえんだ」

 

 だが、リリルカは荒い呼吸を繰り返すばかりで、それに答えなかった。

 下卑(げび)た笑みがだんだん無くなり、代わりに、苛立ちがカヌゥに募っていく。

 

「オラッ、さっさと答えろ!」

 

 蹴られる。

 リリルカの小さな身体はそのまま壁へ激突した。また、何処かの骨が折れた──そんな事を他人事のように思う。地面に横たわる彼女は虫の息だった。コヒュー、コヒュー、と喘鳴(ぜいめい)を繰り返す。

 だが、カヌゥはそれを見ても暴行を止めない。少しでも早くリリルカが口を割るよう、彼女の顔面を殴り、踏み付け、蹴る。

 顔の形が変わるのではないかと思った時、ようやく、カヌゥは暴力を中止した。肩で息をしながら、その憤怒に染まり切った顔をリリルカへ近付ける。ギラギラとした眼光が、リリルカの身体へ注がれた。

 

「何を渋っていやがる。それとも何だ、今更、自分の犯した罪を自覚したとでも言うつもりか?」

 

「……」

 

「それなら、言ってやる。俺も、そしてお前も! 俺達は同じ『悪』なのさ! その事実を認めろ!」

 

 そうだ、とリリルカは朦朧とする意識の中で頷いた。

 カヌゥの言う通り。自分が【ソーマ・ファミリア】を忌み嫌ってきたのは同族嫌悪に他ならないのだ。

 生まれ育ってきた環境がどれだけ劣悪だったとしても、その選択をして来たのは自分自身。

 それは、分かっている。

 だが、だが仕方なかったのだ。そうするしか方法がなかった。その方法しか知らなかった。

 真っ当に生きられたら、それで良いに決まっている。だが、それはできなかった。自分は全ての分岐点に於いて、致命的なまでに間違い続けたのだ。

 それが、この十五年という年月。それが、リリルカ・アーデの物語。

 それ故に、自分はまた選択を誤るのだろう。

 リリルカは最後の力を振り絞って目を開けると、カヌゥを強く睨み付けた。

 

「絶対に……!」

 

 みっともなく吐血しながら、けれど、ありったけの意志を掻き集めて宣言した。

 

「絶対に──貴方達には、教えません……ッ!」

 

「ッ!?」

 

「たとえ(リリ)が貴方達に居場所を教えたとしても……貴方達は(リリ)を虐げる! 大切な人を傷付ける! それなら……いっそ、ここで死んだ方がマシです!」

 

 ポカン、とカヌゥは間抜け面を晒した。

 そんな彼を、リリルカは嘲笑う。べーっ、と舌を出して煽った。

 

「残念でしたね、冒険者様。生憎、(わたし)は貴方達を微塵も信用していません」

 

「……ッ!?」

 

(わたし)は今日……死ぬ覚悟を持ってここに来ました。そして今頃、管理機関(ギルド)には一通の手紙が届いている事でしょう。その内容は……ふふっ、判明するまでのお楽しみです。貴方達が独房にぶち込まれるのが楽しみですよ、ええ!」

 

 その言葉で、カヌゥは全てを悟った。自分達は、この醜い糞小人族(パルゥム)に利用され、騙されたのだ。自分達がこれまで散々してきた事を、そのままやられた。

 その事実に、カヌゥをはじめとした【ソーマ・ファミリア】は唖然とする。

 我を取り戻した獣人の男は顔を真っ赤に染め上げると、怒りで身体を震わせた。

 

「それなら望み通り、ここで死ね!」

 

 そう言って、カヌゥは自身の得物の(グリップ)を強く握った。そして、彼が武器を振り下ろし掛けた、その時。

 突然、広間(ルーム)の壁に、亀裂が走った。

 その音を聞いた全員が、今まさにリリルカを殺そうとしていたカヌゥでさえもが硬直する中、その亀裂音は少しずつ大きくなっていく。

 ダンジョンに潜る冒険者なら、その音が何かを知っている。それすなわち──モンスターの誕生。

 だが普段聞いているものと、今広間(ルーム)に響いているのは違うようだった。

 

「おい、カヌゥ! やけに音、大きくねえか!?」

 

「数が多いぞ!? これ、一つや二つじゃねえ!? 下手したら……それ以上!?」

 

 四方の壁全面に、亀裂が走る。

 

「おいおい……まさか、異常事態(イレギュラー)だとでも言うつもりかぁ!? ここは『上層』だぞ!?」

 

 余裕を失った切羽詰まった声が、広間(ルーム)に反響する。

【ソーマ・ファミリア】の構成員が焦燥に駆られる中、カヌゥはギリッと歯噛みした。彼の中では今なお、迷いがあった。ここで何の収穫も得ずに退散するのは、彼のプライドが許さなかった。

 だがそれ以上に、カヌゥには退けない理由があった。先日、彼は大男達に『神酒(ソーマ)』を振る舞っている。最初の一本以外は安酒を出していたが、逆に言えば最初の一本目は──かなり水で割っていたが──本物の『神酒(ソーマ)』だった。纏まった金が手に入るからと、団長から特別に後払いの形で貰ったものだ。当然、カヌゥにはそれを払う貯蓄はない。リリルカから奪った金品で代用しようと考えていたからだ。

 本拠(ホーム)に戻ったら、ザニスはカヌゥへ金を払えと迫ってくるだろう。金を払えないとバレるのも時間の問題であり、もしそうなったら派閥での境遇がどうなるかは想像すらも恐ろしい。

 

「お、おいカヌゥ! 早くずらかるぞ!? これ以上はやべえ!?」

 

「この音……フロア全体に響いてやがる!? いやもしかしたら、別の階層でも!?」

 

 何だよ、それは! 一人の【ソーマ・ファミリア】が狂ったように悲鳴を上げる。

 

「『怪物の宴(モンスター・パーティー)』か!? でもあれは11階層以下で、しかも稀に起こるものだろう!? ここはその遥か上の7階層だぞ!?」

 

「分かんねえよ! ただもしこの音が、俺達の想像通りなら、そういう事だろうが!」

 

 カヌゥは激しく葛藤した。時間は差し迫っている。だが、ここでリリルカから金品の居場所を聞けずに撤退したら、待っているのは自身の破滅。

 どうする──? 

 そして彼が決断出来ずにいると、その時は必然的に訪れた。

 

『キシャアアアアアアアアアアア!』

 

 母なるダンジョンから、モンスターが生まれ落ちた。壁から着地したそのモンスターは、誕生した事を喜ぶかのように産声を上げる。そして次々と、そのモンスターの同種が生まれていった。

 そしてそのモンスターを見た冒険者達は、等しく絶望の表情を浮かべた。

 

「キラーアント……」

 

 7階層から出現する、『初心者殺し』。ダンジョンが冒険者へ用意する、初めての『洗礼』。

 だが彼等は『階位』こそLv.1なものの、駆け出し冒険者ではない。7階層の巨大蟻なら問題なく対処出来る【ステイタス】はある。

 

「う、うわあああああああああ!?」

 

 一人の冒険者が恐怖という衝動に突き動かされ、キラーアントへ攻撃を仕掛けた。

 

「馬鹿野郎──ッ!?」

 

 思考の海から戻ったカヌゥが声を荒らげるも、それはあまりにも遅い声掛けだった。

 剣の切っ先は、巨大蟻(キラーアント)の甲殻と甲殻の隙間にある柔らかい肉を()っていた。

 

『シャアアアアアアッッ!?』

 

 広間(ルーム)に、モンスターの鳴き声が響き渡る。キラーアントはのたうち回ると、ぐったりと地面に倒れた。

 致命傷なのは、誰の目にも明らかだった。あと一撃、もしくは放っておけばモンスターは死に至るだろう。

 

「おい、誰か早くソイツを始末しろ!」

 

 カヌゥから命令が出されるも、誰も、足が(すく)んで動けなかった。カヌゥは舌打ちしながら瀕死のキラーアントに接近し、とどめを刺す。

 黒灰と化すモンスターを見届けていた【ソーマ・ファミリア】の構成員達だったが、ある一人が出入口へ身体を向けた。

 

「こんな事している場合じゃねえ! 悪いがカヌゥ、俺は逃げさせて貰う!」

 

「なっ!? ちょっと待って!」

 

「キラーアントの特性を考えれば当然だろうがッ!」

 

 制止する声を無視して、その【ソーマ・ファミリア】の構成員は広間(ルーム)をあとにした。

 彼が言った、キラーアントの特性。それは瀕死時に、仲間を引き寄せる特別なフェロモンを出すという事。今のキラーアントはカヌゥが倒したものの、既にこの広間(ルーム)には十数体の同種が生まれ落ちている。

 原因不明の異常事態(イレギュラー)が発生していようとも、モンスターはそんなの関係なしに冒険者へ牙を剥く。キラーアントを一撃で殺し切る事が出来るだけの実力者なら兎も角、カヌゥ達にそのような実力はない。

 つまりここでの最善策は、逃走以外の何物でもない。

 逃げ出した一人を皮切りに、それに続く者が現れる。これまでカヌゥの指示通りに動いていたのが嘘だったかのように、彼等は自分勝手に動いた。

 

「何をチンタラしていやがる、カヌゥ!? 置いていくぞ!?」

 

「……クソが! しょうがねえ! お前等、撤退だ!」

 

「もう始めてるよ!」

 

 自分達の置かれている状況を、カヌゥは把握した。

『上層』での異常事態(イレギュラー)

 まず、自分達が居る広間(ルーム)が問題だった。この広間(ルーム)は正規ルートからだいぶ離れている。仮に正規ルートに戻った所で、そこから地上まで時間は掛かる。そして、時間は恐らく夜間。ただでさえ夜間帯は冒険者が少ないと言うのに、連日続いている豪雨の所為で、今ダンジョンに潜っている冒険者は極めて少ないだろう。ダンジョン探索中は互いに不干渉の暗黙の了解があるが、この異常事態(イレギュラー)が起こった時は話が別だ。だが頭数そのものが少なければ意味はない。ましてやそれが下級冒険者なら尚更だ。

 

「おい、出入口からモンスターが!?」

 

 その声に釣られてカヌゥが視線を送れば、三つある出入口、そのうちの二つが広間(ルーム)にやって来たモンスターによって塞がれ始めていた。影の異形(ウォー・シャドウ)巨大蟻(キラーアント)をはじめとしたモンスターが、暗褐色の瞳を光らせる。

 幸い最後の出入口からは、まだモンスターの気配はなかった。仲間と共にそこへ向かおうとしたカヌゥだったが、ふと、足を止める。

 そして死体も同然のリリルカへ近付いた。そして服の襟を摑むと、そのまま持ち上げて移動を開始する。

 

「カヌゥ、正気かお前!? まさかアーデを連れ戻すつもりなんじゃないだろうな!?」

 

 カヌゥはそれに、何も答えない。モンスターの横を通り抜け、広間(ルーム)を渡る。そして仲間へ合流すると、撤退するよう命令を出した。

 リリルカを脇に抱えているカヌゥへ物申したいと雄弁に顔で語りながらも、【ソーマ・ファミリア】の構成員は押し問答は時間の無駄だと理解していた為素直に従う。

 カヌゥは道を切り開いていく彼等を見ながら、リリルカの頭を強く叩いた。そして、声を掛ける。

 

「さて、アーデ。お前には一つ、最後のひと仕事をして貰うぜ」

 

「……」

 

「ほら、見えるだろう、あのモンスターの大群がよ。俺達は今からとんずらするが、奴等に追われて挟み撃ちにでもあったらまず間違いなく助からねえ」

 

 リリルカが重たい瞼を開けてみれば、そこには、モンスターが大量に居た。広間(ルーム)から抜け出した冒険者を、怪物達はどこまでも追いかけて来るだろう。

 そして、カヌゥはリリルカの耳元へ口を寄せて、囁いた。

 

「お前が、『囮』になるんだ。それで全部、チャラにしてやるよ」

 

 その言葉の意味を理解する前に。

 リリルカの視界は、揺れていた。今日何度目になるか分からない浮遊感。

 まるでゴミが放り捨てられるかのように、リリルカの身体は綺麗な放物線を描きながら宙を舞う。そして着実に迫りつつあったモンスターの頭上を飛んでいき、ちょうど、広間(ルーム)の中心部に落ちた。

 当然、モンスターはリリルカを見る。仰向けになって天井を見詰める彼女を、モンスターはすぐに取り囲んだ。

 

「最後に役立ってくれよ、『サポーター』」

 

 その言葉が、哄笑と共に残される。遠くなっていく人の気配、それを感じ取る。

 リリルカはぼんやりと、自分の置かれている状況を把握する。だがそれは考えるまでもない事だった。幼子でさえ簡単に解けるだろう。

 カヌゥは自分達がより助かる道を選ぶ為、リリルカを『囮』にした。それ以上でも、それ以下でもない。

『弱者』はいつだって、真っ先に切り捨てられる。それは自然界の摂理だった。

 

「あは、あはは……」

 

 何だか可笑しくなって、リリルカは笑い声を上げた。

 分かっていたとはいえ、やはり、自分の末路はこうなった。じきに自分は、モンスターに喰われる。そして、死ぬ。

『魂』は『器』から剥がれ、天界に向かう。そこで『魂』は浄化され、『何時(いつ)か』再び、自分は生まれ変わるのだ。神々はそれを、輪廻転生(りんねてんせい)と言う。

 

「神様……どうか、お願いします。来世はもう少し、マシな(わたし)にして下さい……」

 

 見ているか定かでない神に、リリルカは言った。

 

「高貴な身分でなくても良いです。お金持ちの家に生まれなくても良いです。身体が不自由だって構いません」

 

 ただ──と、続ける。

 

「どうか次の(リリ)を……(ひと)りにしないで下さい……」

 

 嗚呼(ああ)、全く。

 

「寂しかったなぁ……」

 

 自分の溜めていた想いを、吐露する。

 誰かからの愛情とは縁遠い人生だった。

 誰かから、必要とされたかった。生きていて良いのだと、ここに居て良いのだと、一緒に居たいのだと、その言葉がずっと欲しかった。

 だが──、そこまで悪い人生ではなかった。

 本拠(ホーム)で虐げられていた自分を救ってくれた、愛情とは何かを教えてくれた、顔も覚えていない『誰か』が居た。

 ほんの些細な時間ではあったけれど、他者と接する上で、あたたかさを知った。幸福だった。

 屑ばかりだと思っていた冒険者だったが、中には真っ当な冒険者も居た。

 自分を『悪』だと断じる事は出来ないと、そう、言ってくれた精霊が居た。

 これまでの人生が映像となって、走馬灯のように記憶から掘り起こされていく。

 そして、最後に見たのは。

 

 ──私は『英雄』になりたい! 

 

 傲岸不遜、大言壮語にもそう言う少年の姿だった。記憶の中でも彼は不敵な笑みを浮かべていて、自分の夢が叶うのだと信じて疑っていなかった。

 

(あの人は……大丈夫でしょうか……?)

 

 ふと、断続的に続く意識の中で、そんな疑問が芽生える。

 カヌゥ達も言っていたが、今の『上層』は可笑しい。異常事態(イレギュラー)の範疇を超えている。『怪物の宴(モンスター・パーティー)』など、本来なら起こってはならないのに、ごく自然と当たり前であるかのように起こっている。

 だが、心配不要だろう。きっと今頃、ドヤ顔を浮かべているに違いない。

 

(ああ、そう言えば……あの人の剣、返せなかったなぁ……)

 

 霞む視界の中、目を凝らせば、少年の長剣は横たわっていてモンスター達に踏まれていた。使用者を失った剣はただそこにあり、このままひっそりと朽ちていくのだろう。今後、成長した少年の相棒となっただろうに。

 ナップサックを捨てた時に、一緒に捨てようとも思った。だがそれは出来なかった。もし生きて地上へ帰還する事が出来たら、郵送会社(タクシー)を使って彼の元へ返そうと思っていたからだ。

 しかし、それは出来そうにない。地精霊との約束を破ってしまったな、と後悔が残る。

 

(……)

 

 意識が遠くなっていく。

 これはいよいよだな、と他人事のように思う。全身から力が抜け落ち、瞼が閉じていく。

 そう言えば、と。死の淵に立ちながら、リリルカは昔読んだ論文を思い出した。

 その論文によると、人は死ぬ時、聴覚と触覚だけは最期の時まで残されているそうだ。死にゆく人を必死に思い留まらせようと、声を掛けて手を握る人々の行動には、確かな意味があったのだ。

 とはいえ、自分には何も関係のない事だが。最期に聴くのがモンスターの鳴き声とは、何とも最悪だ。

 だが、それで良い。これで良い。

 そして、リリルカの『魂』が『器』から洩れ出した、その時だった。

 

『『『キシャアアアアアアアアアアア!?』』』

 

 悲鳴が出た。それは、人間のものではない。それは、モンスターのものだった。

 最初小さかったそれは徐々に大きくなり、そして不思議な事に、近付いてくる。

 死の淵に立つ人間は、最期まで聴覚と触覚は残されている。

 リリルカは、確かに地面の揺れる音と、何者かの気配を感じ取った。

 はあ、はあ、と荒い吐息。仲間を殺された事に対してか、怒りを表す上げるモンスターの鳴き声。

 

 ──()()()()()()()()()

 

 恐らく、手を伸ばせば届く距離だ。

 ああ、だが、力が入らない。それ故にリリルカは、本当に、本当に最後の力を振り絞って、重たい扉をこじ開けるように、瞼をゆっくりと開けた。

 視界は霞み、物体の輪郭を中々捉えない。だが、自分は小人族(パムゥム)だ。種族特性として、小人族(パムゥム)の視力は他のどの亜人族(デミ・ヒューマン)よりも優れている。

 栗色の目を凝らすと、まず、漆黒の靴が目に入った。同時に、服の裾も。

 下から上に目を動していくのにつれて、リリルカの目は見開き、表情は驚愕で彩られていく。

 その戦闘衣(バトルクロス)の色には、覚えがあった。その後ろ姿には、見覚えがあった。その純白の髪を、会ってからずっと見てきた。

 

「なん、で……」

 

 言葉が、唇から()れる。

 そして、その言葉は、目の前の人物に届いたようだった。剣を油断なく構えながら、ゆっくりと、顔だけ振り向かせる。

 

「なん、で……!」

 

 同じ言葉を、今度は強く、自分の意志で口にする。

 そうすると、目の前の人物はきょとんとした顔になった。それから、優しく微笑(ほほえ)んだ。

 

「あとはもう、大丈夫。『僕』が、君を助ける」

 

 ベル・クラネルは優しく、いつものように唇を曲げながら、リリルカ・アーデへそう言った。

 




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斯くして、時計の針は進み続ける

これは、『喜劇』ではない。だが、『悲劇』でもない。
これは──。


 

「もう、大丈夫。『僕』が、君を助ける」

 

 ベルが──ベル・クラネルが、そこには居た。漆黒(しっこく)のロングコートを(なび)かせて、リリルカの目の前に威風堂々と立っていた。

 リリルカが呆然とする中、彼は広間(ルーム)に散らばっている死体へ深紅(ルベライト)の瞳を向けていた。物言わぬ彼等を見た彼は、唇を()み締めると、何事かを呟いた。そして最後にリリルカを見ると、表情を微かに綻ばせた。

 

「……ああ、でも、良かった。本当に、良かった」

 

 まるで自分が生きているのが心底嬉しいように満面の笑みを浮かべると、優しい笑みを向ける。

 しかし、リリルカはそこに安堵(あんど)しなかった。それ所か、混乱の極致にあった。それまで朦朧(もうろう)としていた意識が一気に覚醒し、視界も良くなる。虫の息である事に変わりはないものの、風前の灯火だった生命が少し吹き返す。

 

(何で……!? どうしてこの人が、今、此処に!?)

 

 脳内を埋め尽くすのは、何故、という疑問。そして、混乱ばかり。

 リリルカがベルをダンジョン11階層で出し抜いてから、既に数時間が経っている。オークに囲まれた片手剣使い(ソードマン)が死んでいるとは思っていなかったものの──そのように思い込んでいたものの──ここは7階層であり、さらには正規ルートからも大きく逸脱している。

 

「何で……!? どうして、貴方が!?」

 

 喉が痛むのも気にせず、掠れ声を出して強く問い掛ける。

 三度目になる、問い。だがベルの反応は変わらず、ただただ不思議そうに首を傾げるばかりで、答えを中々口にしない。

 

「なん、で……ッ!?」

 

 四度目の疑問を口にした時、吐血する。まだ流れる血があったのかとリリルカが咳き込んでいると、ベルは「少し待っててくれ」と慌ててレッグホルスターに手を入れた。そして中を漁ると、液体が入った一本の試験管を取り出す。

 

「ゆっくり飲むんだ。そうすれば、傷もすぐに塞がるだろう」

 

 そう言いながら、ベルはリリルカの口へ液体を注いだ。

 ひんやりとしたそれを、リリルカは時間を掛けて身体へ流していく。

 そうすると、不思議な事に、ベルが言った通りになった。全身の、傷という傷が瞬く間に塞ぎ()えていく。痛みが引いた、ではなく、文字通り無くなった。

 

「これは……いったい……?」

 

 回復薬(ポーション)なのは間違いないだろうが、リリルカの知っているそれではない。この即効性に、効能。

 思わず呟くリリルカへ、ベルは軽い調子で答えた。

 

万能薬(エリクサー)だな」

 

 ブホォ、とリリルカは思いっきり()せ込んだ。「リリ!? ここで死ぬのは早いぞ!?」と縁起でもない事を大声で喚くベルを他所に、驚愕で目を見開く。

 今、目の前のヒューマンは何て言った? 

 聞き間違いでなければ、万能薬(エリクサー)と言ったか? あの、死んでなければどんな傷も治すと言われている万能薬(エリクサー)? 一本50万ヴァリスはする、第一級冒険者のみが購入出来る万能薬(エリクサー)? 

 それを今、自分に使ったと? そう、言ったのか? 

 サァーッと顔を青褪めるリリルカとは対照的に、ベルは腹ただしいことに、とても呑気そうに笑っていた。「いやぁ、良かった良かった!」とかほざいていやがる。

 

「どうしてこんな貴重品を、貴方が持っているのですか!?」

 

「どうしてって言われても……貰ったからだからとしか言い様がないな」

 

「嘘を吐かないで下さい!? 誰が貴方のような下級冒険者に渡すというのですか!? その人は余程のお人好しか、ただの馬鹿です!?」

 

 青筋を浮かべたリリルカは、さらにベルへ食ってかかった。

 

「そんな事よりも、いい加減、答えて下さい! 何で貴方が、此処に居るんですか!?」

 

「何でって、君を追ってきたからだが」

 

 それ以外に何の理由があるんだ? と深紅(ルベライト)の瞳が語っている。それに言葉を詰まらせつつ、リリルカはさらに追及した。

 

「……貴方がオーク達を突破したとしても、此処は7階層、さらには正規ルートから大きく外れています。リリを見つけ出せる筈がありません」

 

「そうだな、その通りだ。実際、此処まで来るのにそれはもう苦労したぞ」

 

 うんうん、とベルはげんなりとした顔になりながら何度も首を縦に振る。だが次に彼は、衝撃的な事を言った。

 

「だがそれは、私が一人ならの話だ」

 

「……えっ?」

 

「運良く、それはもう美しい妖精(エルフ)に助けられてなぁ! うん、思わず()れてしまう所だった! それ程に美しい剣技だった!」

 

「……はぁ?」

 

「まあ、そんな事があったんだ。彼女に事情を話して、此処まで導いて貰ったんだ」

 

 何だそれは、とリリルカは疑いの眼差しを向けてしまう。あまりにもベルに都合の良い展開だ。下手な小説の方がまだ説得力のあるというもの。

 だが、それを否定する事は出来なかった。ベルの言った通りなのだ。一人ではこんなにも短時間であのオークの大群を突破し、この階層まで辿り着くことは不可能に近い。しかし、もし協力者が居たのなら話は違う。

 

「……その妖精(エルフ)は、今、何処に?」

 

「他の冒険者を助けて貰っている。道中、沢山のモンスターが居た。恐らく上層全域で、この異常事態(イレギュラー)が発生しているだろうからな」

 

 なるほど、とリリルカは納得した。ベルに手を貸した美しい妖精(エルフ)とやらは恐らく、上級冒険者に違いない。そうでなければベルもわざわざ冒険者依頼(クエスト)を依頼しないだろう。

 

「……リリがダンジョンから出ている可能性は考えなかったのですか」

 

「いや、それはないと考えていた。いくら君が優秀だとしても──こう言っては何だが──『サポーター』ではすぐに限界が来る。君が誰かから呼び出しを受けているのだと、私は考えた」

 

「……そう、ですか」

 

 リリルカは複雑な思いだった。

 助けてくれた事に感謝すれば良いのか、あるいは、何を余計な事をと憤れば良いのか。

 いいや、違う。もっと根本的な事だ。何故ベルは、危険を冒してまで自分を追ってきたのか。その答えを、まだ聞いていない。

 口を開けて問い掛けようとするも、

 

『『『キシャアアアアアアアアアアッッッ!』』』

 

 耳をつんざく雑音(ノイズ)によって、それは出来なかった。

 リリルカとベルが揃って顔を向ければ、そこには、各々の得物を大きく振りかざしているモンスターの姿があった。俺達の存在を忘れていた訳じゃないだろうな! と、そんな主張が聞こえてくるようだった。

 

「さて、悠長に話している時間はもうないようだ」

 

 ベルはそう呟くと、顔付きを剣士のものへと変えた。そして長剣を中段に構えながら、モンスターと相対する。

 今まさに、戦闘の火蓋が切って落とされようとしていた。その直前に、リリルカはベルへ叫んでいた。

 

「まさか、この数を相手に戦うおつもりですか!?」

 

「ああ、そうだ。そうするしか、私達が生き残る術はない」

 

「無理です! 絶対に無理です!? いくら貴方が強くても、この『数』では無理です!?」

 

 ベルの【ステイタス】を考えれば、此処──7階層のモンスターは格下と言える。だがそれは、あくまでも一対一の話だ。

 広間(ルーム)に居るモンスターは数え切れない。ベルが広間(ルーム)に突入してきた時に蹴散らしたモンスターも、既に補充されている。ベルを助けた妖精(エルフ)が居たら話はまた違ってくるが、今この場に戦える者はベルしか居ない。

 これは言わば、たった一人で大国の軍勢と戦うようなものだ。幼い子供でも、それが蛮勇なのだと分かるだろう。

 多勢に無勢。

 それが分からないベルではない筈だ。此処での最善策は、ただ一つ。カヌゥ達がそうしたように、自分を『囮』にする事。そうすれば、ベルは助かるだろう。彼のずば抜けた脚力なら、追ってきたモンスターを振り切る事が出来る。

 

「お願いですから、逃げて下さい!?」

 

 ところが、ベルはリリルカの懇願を聞き入れるつもりが全くないようだった。初めてされる無視に、リリルカは胸がチクリと痛む感覚を覚える。

 表情を歪める、リリルカ。前を向いているベルは、後ろに目がついているかのようにこのように言った。

 

「やめてくれ。私は君の、そんな表情(かお)は見たくはない」

 

「何を言って……!? それなら、(リリ)の言う通りにして下さいよ!?」

 

「それは、出来ない。言っただろう、君を助けるとな。その言葉を撤回する気は毛頭ないな」

 

 ベルはそう言うと、会話を断ち切った。そして一度深呼吸すると、モンスターへ名乗りを上げる。

 

「我が名はベル・クラネル! 行くぞ、大いなる魔物よ! いざ尋常に、勝負!」

 

 冒険者の名乗りに呼応するように、モンスターも鳴き声を上げた。

 こうなったらもう、リリルカにはとめられない。せめて邪魔にならないよう、後ろに下がる。

 緊迫した空気が流れ、広間(ルーム)は一瞬、静寂に包まれた。そしてそれが合図だと示し合わせていたかのように、両者は一斉に走り出す。

 

「うおおおおおおおおおおお!」

 

 魔物の群勢へ、一人の剣士が挑む。

 片手剣使い(ソードマン)は長剣を中段から下段に構えると、そのまま勢いよく突進した。一条の光が走り抜ける。そしてリリルカが気付いた時には、数匹のモンスターが悲鳴を上げて倒れていた。

 

「まだだ、行くぞッ!」

 

 今のは軽い挨拶だと言わんばかりに、片手剣使い(ソードマン)は猛攻を開始する。

 ゴブリンの身体を一刀両断し、キラーアントを硬殻(こうかく)ごと斬り伏せ、ウォーシャドウを影ごと断ち切る。敵の位置を持ち前の能力で察知し、自身の最大の武器である脚力を最大限に活かして敵を翻弄(ほんろう)する。

 

「おおおおおおおおおおおお──ッッ!」

 

 その雄叫びと共に、ベルは上段から剣を振り下ろす。身体が縦に裂かれたゴブリンは、その断面図を見せたまま絶命した。

 

(強い……強過ぎる!? いくら此処が7階層とはいえ、あまりにも出鱈目です!?)

 

 一騎当千、そんな言葉がリリルカの脳裏に浮かんだ。ごくりと生唾を飲み込む。

 自分の心配や不安は杞憂(きゆう)だったのかと、そう、思わずにはいられない。

 これは戦闘では断じてない。これは、蹂躙(じゅうりん)だ。虐殺とも言えるだろう。『神の恩恵』を宿した人間とは、こうまで強くなれるのかと戦慄する。

 そして、リリルカが冒険者へ畏怖の念を抱き始めた時だった。

 キラーアントを纏めて三体屠ったベルが、険しい顔付きでリリルカの居る場所へ走ってくる。随分と余裕のない表情だ、とリリルカが思った時だった。

 

「伏せろ!」

 

 反射的に従い、しゃがみ込む。そして作られた空間に、銀の線が眩く走った。

 それとほぼ同時、すぐ背後で、モンスターの鳴き声が聞こえた。恐る恐るゆっくりと振り返れば、そこには、魔石を穿たれたウォーシャドウが仰け反っていた。影の異形(ウォーシャドウ)はせめて一矢報いようと思ったのか、その長い鉤爪(かぎつめ)をリリルカへ向ける。

 だが、片手剣使い(ソードマン)はそれを見過ごさなかった。鋭くも重い連撃を叩き込む、魔石を粉々に砕く。刹那、心臓部を破壊されたモンスターは黒灰となった。

 

「あ、ありがとう……ございます……」

 

 慌てて口を塞ぐも、出た言葉は撤回出来ない。

 リリルカが激しく後悔する一方で、ベルは剣に付着した血を振り落としながら顔を顰めた。

 

「くそっ、分かってはいたが、やはり数が多いな。これじゃあジリ貧だぞ……」

 

 額から頬に流れる汗を手で乱暴に拭いながら、ベルがそう愚痴る。愚かにも接近してきたコボルトの首を()ねると、溜息を吐いた。

 体力はまだ余裕そうだったが、それも時間の問題だろう。

 リリルカは広間(ルーム)をゆっくりと見渡す。異常事態(イレギュラー)はまだ微塵も終わる気配を見せない。既にベルは何十体ものモンスターを屠っているが、未だに『底』は見えず。こうしている間にも、何処かでモンスターが生まれ落ちているのだろう。

 いつ、この異常事態(イレギュラー)は鎮静するのだろう。いつ、この無限地獄が終わるのだろう。終わりの見えない戦いに、ベルが戦意を保てているだけでも凄い事だった。

 

「何か策を考えなければ……──うん? あれは?」

 

 ぶつぶつと呟いていたベルが、何かに気付いたように疑問の声を上げる。そして近付いてきていたモンスターを纏めて一掃すると、駆け出した。

 そこにあるのは、冒険者達によって剥ぎ取られ、雑に放置されていたリリルカの所持品。ベルはそれらを全て回収すると、深紅(ルベライト)の瞳を動かした。目当ての物を見付けたのか「良かった!」と喜びの声を出す。

 それらを持ってリリルカの元へ戻ると、彼はにこにこと満面の笑みを見せた。

 

「ありがとう、リリ。君が、預かってくれていたんだな」

 

 そう言って、ベルは沈黙するリリルカへ一本の長剣を見せる。彼の予備──《プロミス─Ⅱ》だ。

 そして彼は、至って真面目に、衝撃的な事を言った。

 

「良かった……! これなら、うん、何とかなりそうだ!」

 

 何を言っているんだと、リリルカは叫びたかった。

 確かに《プロミス―Ⅱ》は業物(わざもの)だ。主武器(メインウェポン)である《プロシード》よりも優秀な性能なのは間違いない。

 だが、それが何になる。扱う武器を変えたからと言って、ベルの戦闘力が上昇する訳ではない。それ所か普段使わない予備(スペア)を使うのだから、そっちの方が心配だ。

 

「もう少し、此処で待っていて欲しい。きっと、この状況を打破してみせる!」

 

 懐疑的になっているリリルカへ、ベルが力強く言った。その言葉に、リリルカは投げやりに答えた。

 

「……もう、好きにして下さい。どの道、リリ達は死ぬんです。それなら、貴方の好きなようにして下さいよ」

 

 こうなるのなら、ベルが来る前にさっさと死んでいれば良かった。そうすれば、こうしてむざむざと生き永らえる事もなかった。

 自然と、リリルカの顔は俯いていた。考えるのは後ろ向き、悲観的な事ばかりで目の前の現実から必死に目を逸らす。

 だが。

 そんな自分を見透かしているかのように、前に立っているベルが強い口調で言った。

 

「リリルカ・アーデ!」

 

 名前を、呼ばれる。ハッとなり、リリルカは顔を上げた。

 深紅(ルベライト)に輝く瞳が、自分を射抜いていた。燃えるような熱い眼差しが注げられる。

 

「私は、君の事情は何も知らない! 君の境遇も、君の秘密も、君が抱えている複雑な想い(きもち)も!」

 

 だから──、と少年は続けて叫んだ。

 

「──だから、『道化(ぼく)』は踊ろう! そんな『道化(ぼく)』だから、君を助けられる! それを今、此処で証明してみせる!」

 

 そう言うと、ベルは《プロミス―Ⅱ》を腰の調帯──左側は《プロシード》で埋まっている為、空いている右側──に留めた。パチッ、と小さな音が鳴る。

 そして彼は懐から一冊の手記と羽根ペンを取り出すと、朗々と声を出して言った。

 

(つづ)るぞ、英雄日誌! ──『英雄に憧れる少年ベル・クラネルはその日、ダンジョン探索中に仲間と逸れてしまう! 麗しい妖精(エルフ)に助けられた彼は、今まさに魔物から襲われようとしていた仲間の元へ駆け付ける事が出来た! そして彼は仲間を救う為、たった一人で困難に立ち向かう!』──さあ、この物語も終演だ!」

 

 ベルはそう宣言してから手記と羽根ペンを懐に仕舞うと、左手で漆黒の鞘から白銀の長剣を抜いた。

 右手には、《プロシード》が握られ。

 そして左手には、《プロミス―Ⅱ》が握られ。

 片手剣使い(ソードマン)は二本の片手直剣(ワンハンド・ロングソード)を慣れた動作で滑らかに構えると、魔物の群勢と相対した。

 

「行くぞ──ッ!」

 

 裂帛の気合と共に、ベルが突進攻撃をする。

 黒と白の軌跡が空間に走り、一瞬遅れて、モンスターが絶叫をあげた。

 剣風はやまず、数々の斬撃が魔物の身体へ刻まれていき、モンスターの群勢は瞬く間に数を減らしていく。

 

『『『グギャアアアアアアアア!?』』』

 

 剣士の猛攻をとめられるモンスターは居なかった。光が通った後には黒灰と紫紺の結晶が残る。

 

「うおおおおおおおおおお──ッッ!」

 

 それは、剣舞だった。荒々しくも美しい、剣舞。

 

「強い……!? まだ、『上』があったなんて!?」

 

 目の前で行われる一方的な殺戮(さつりく)の数々。それにリリルカは何度目になるか分からない驚愕を覚えた。

 ベル・クラネルという冒険者が強い事は知っていた。その成長速度がずば抜けている事も分かっていた。

 だが、今回のそれは今までの中で一番のものだった。

 先程の剣士も充分おかしかったが、今の剣士はそれ以上におかしい。

 二振りの剣を華麗に振るい、モンスターを殲滅していく様子は見る者に心地良さすら抱かせるだろう。

 だが、それはおかしい。おかしい筈だ。ベル・クラネルの基本的な戦闘様式(スタイル)は忠実的な一刀流であり、二刀流ではない。事実これまでのダンジョン探索に置いて、彼がそのような発言や行動をした事は一度もなかった。

 二刀流は手数が増える分、扱いがとても難しい。何故ならそれは、二本の剣を同時に扱うのと同義であり、脳に少なくない負荷が掛かるからだ。また非利き手で利き手と同等の技量で剣を振る事は至難の技であり、実践で使う為にはかなりの時間と努力が必要だ。

 

(リリ)は何か、とても大きな思い違いをしていたのではないでしょうか……?)

 

 一つの仮説が、リリルカの頭の中で立てられていく。

 だが、それが完成する事はなかった。

 

「これで──最後だッ!」

 

 遂に剣士の宣言通り、最後のモンスターが倒される。キラーアントは悔しそうに鳴き声を小さく上げると、地に伏して絶命した。

 

「はあ……、はあ……ッ!」

 

 荒い呼吸を繰り返しながらも、ベルは立っていた。

 周囲には黒灰、魔石、そしてドロップアイテムが落ちている。この戦果がたった一人の駆け出し冒険者によるものだと説明しても、信じる者は居ないだろう。

 そしてどうやら、異常事態(イレギュラー)はいつの間にか終わりを迎えていたようだった。モンスターを一時的に産みすぎたダンジョンはとても静かで、此処が戦場なのを忘れてしまう程だった。

 

「……」

 

 ベルは最後に、剣に付着していた返り血を振り払うと、二つの長剣を鞘に収めた。そしてゆっくりと、リリルカへ近付いてくる。

 リリルカは無意識のうちに、後ずさっていた。それは畏怖からくるものだった。両足が絡まり、ドサッと尻もちをつく。

 

「……」

 

 少年の顔を見たくなくて、リリルカは俯いた。注げられる深紅(ルベライト)の瞳から逃げる。

 

「リリ」

 

 ベルが、自分の名前を呼ぶ。

 リリルカはそれを、聞こえない振りをする。

 

「リリ!」

 

 ベルが、自分の名前を強く呼ぶ。

 リリルカはそれを、両耳を両手で塞いで遮った。

 だがそれをした所で、完全に音を遮断出来る訳ではない。どれだけ強く耳を(おお)っても、彼の声が聞こえる。

 その度にリリルカの心は震えた。だが彼はそれをやめない。リリルカが答えるまで、何度も、何度も名前を言った。

 

「……どうして」

 

 リリルカは遂に観念した。ぐったりと項垂れながら、小さく呟く。

 

「……どうして、そこまでして(リリ)を助けるのですか」

 

 喘ぐように、ベルへ問い掛ける。

 そしてその問いに、ベルは即答した。

 

「仲間を助けるのに、理由なんて必要ないさ」

 

 当たり前のように、紡がれる言葉。

 だがリリルカは、それを信じられない。信じられる筈もない。他者を信じた所で良い事なんて一つもなかったからだ。

 

「ハッ、仲間? 仲間ですか?」

 

 演技をする。

 リリルカは鼻で笑うと、顔を上げてベルを見上げた。そして彼の顔面へ唾を吐き、思い切り嘲笑う。

 

「貴方はそう思っていたのですか。(リリ)の事を仲間だと」

 

「そうだ。私達は仲間だろう」

 

「それは貴方の勝手な勘違いですよ。(リリ)は一度も、貴方の事を仲間だと思った事はありません」

 

 リリルカは唇を歪めると、さらに続けた。

 

(リリ)が貴方に近付いたのが、偶然だと思いましたか」

 

「違うのか?」

 

「ええ、違いますとも。(リリ)は貴方に意図的に近付きました。『期待の新人(ルーキー)』と呼ばれている貴方に興味を持ったのですよ。そしてこれまでと同じように、貴方から武器や魔石、金銭を奪うつもりでした。今回の収穫は、貴方の業物な予備(スペア)。預かっていた? ハッ、それは貴方の勘違いですよ!」

 

「何と、そうだったのか。それは全然知らなかったな! それで、私とのパーティはどうだった?」

 

「……最悪でしたよ、貴方とのダンジョン探索は。他のパーティ、特に女性冒険者にはひっきりなしに話し掛けてはナンパをしますし、その高いテンションには辟易とさせられましたし、全てが最悪でした」

 

「そうか、そうか! これは手厳しい! だが正論過ぎて何も反論出来ないな!」

 

「まだまだ、他にもありますよ。だいたい、前から思っていましたが、貴方は──」

 

 それから、リリルカはこれまでの鬱憤を晴らすべく堂々とベルに悪態を吐いた。どれだけ自分が迷惑を被ったのか、どれだけ尻拭いをしてきたのか。それら全てを言葉にしてぶつける。

 だがどれだけ罵倒しようとも、ベルは不快そうにしなかった。眉を顰める事もなければ、傷付いた様子も微塵も見られず、ただ何故か、笑顔でリリルカの言葉を聞いていた。

 それに、リリルカは苛立ちが募っていくのを感じながら。言葉を段々と強くしていく。

 

「これで、分かりましたか! (リリ)は貴方をたったの一度たりとも仲間だと思った事はありません! ええ、そうです! はっきりと言いましょう! (リリ)は、貴方が大っ嫌いです!」

 

「そうか、私は君に嫌われていたのだな。いやはや、普通にショック!」

 

 わざとらしくベルはそう言った。だがしかし、リリルカの目には、彼が傷付いているようには見えなかった。

 それどころか浮かべている笑みは深くなっており、心底嬉しそうな顔だった。

 それが、リリルカの神経を逆撫(さかな)でる。

 

「何なんですか、貴方は! 何でこんなにボロクソに言われているのに、そんな、笑顔を浮かべているのですか!? 馬鹿なんですか!? 阿呆なんですか!?」

 

「フッ、あるいはマゾヒストなのかもしれないぞ」

 

「こ、このッ……!?」

 

 頭に血が上る。気が付けば、リリルカは荒い呼吸を繰り返していた。おかしい、どうして自分はこんなにも疲れているのだろう。

 こんなの、自分らしくない。いつもの自分は冷静沈着で、落ち着いて物事を判断する事が出来る。だが、この少年と話せば話すほど、そこから離れていく。

 これでは、そこら辺にいるただの少女のようではないか。

 それは、認められない。認めてなるものか。そしてリリルカは、激情に駆られるまま言ってしまった。

 

「何が、『英雄』ですか! 笑わせるのも程々にして下さい! 『英雄』なんて居ない! 貴方も、『英雄』になんてなれはしない!」

 

 ハッ、と我に返った時には遅かった。致命的なまでに遅かった。

 慌てて口を塞ぐも、その動作に意味は無い。発言を撤回する事は出来ない。

 

「なあ、リリ」

 

 ベルが、とても柔らかく口を開いた。彼は優しく微笑むと、穏やかな声音でリリルカへ問い掛けた。

 

「君は、『英雄』が居ないと、そう思うのか?」

 

「……当たり前です。もし『英雄』なんて存在(もの)が居れば、世界はもっとより良くなっているでしょう。(リリ)のような人間も、今頃は救われている筈です」

 

「そうだな、そうかもしれない。君はきっと、その時助けられなかった『一』だったのだろう。そして君は、他にも『一』が居る事を知っているのだろうな」

 

 その言葉に、リリルカは頷いた。

 

「誰も、切り捨てられた私達(『一』)を見ない。あるいは見ても、見なかった振りをする。またあるいは、より多くの人を救う為の犠牲になれと強要する。違いますか?」

 

「違わない、とは言えない。私が否定した所で、君はそれを経験している。その時居なかった私がいくら言っても、意味はないだろう」

 

「そうでしょう、そうでしょう! ええ、何度でも言いましょう! 『英雄』なんてものは居ないって! あるいは居たとしても、それは人工的なもの! そのような紛い物を、(わたし)は、犠牲となった私達(『一』)は『英雄』とは断じて認めないっ!」

 

 慟哭が、広間(ルーム)に大きく響いた。それを受けて、ベルは。

 

「君の言う通りだ。『百』を救える『英雄』は未だに現れていない。誰かの犠牲に成り立つ、誰かの幸福。それは間違っているのだろう。『九十九』か、『一』か。いつだって世界は、『九十九』を選んできた」

 

 ベルは、とても悲しそうに笑った。

 その姿に何故か胸を痛めながら、リリルカはそれを隠して嘲笑を浮かべる。

 

「……これで、分かったでしょう。『英雄』になりたいだなんて……(リリ)に言わせれば、それは下らない夢でしかありません」

 

 少年の夢を一蹴する。

 だが、リリルカの想像した反応を、彼はしなかった。それどころか愉快そうに笑い声を上げる。

 

「下らない、か。確かに私の夢は下らないのかもしれない。何を時代錯誤な事を言っているのだと呆れられた事は数しれず。お前には無理だ、やめておけと言われもした」

 

 だが、それでも──と、ベルはおもむろに深紅(ルベライト)の瞳を開けるとリリルカに語った。

 

「それでも、『僕』は言うんだ。『英雄』になりたいって、何度でも、ずっと言い続けるんだ。そうしないとさ、リリ、本当に『英雄』が居なくなってしまうよ」

 

「……理解、出来ません。そもそも、何故、貴方はそこまでして『英雄』に執着するのですか」

 

 それは、リリルカがベル・クラネルと出会った時から抱いていた疑問。

 それに、ベルは笑いながら答えた。

 

()()()()()()。誰かの幸せを、誰かの笑みをこの目で見たいからだよ。それだけの理由さ」

 

「……独善的で傲慢な思考ですね。貴方のそれは余計なお世話というものです。偽善とも言えるでしょう」

 

「同じ事を主神(ははおや)にも言われたよ。だが、それで良い。それが良い」

 

 そして、ベルはリリルカへ目線を合わせる。

 深紅(ルベライト)の瞳が、栗色の瞳を優しく覗き込んでくる。綺麗だ、とリリルカは思ってしまう。

 

「この前も言ったが、君は強いよ。君の強さは、その優しさによるものだ」

 

 彼を否定しろと脳が命令してくる。今すぐに逃げろと警戒音を出してくる。だがリリルカは動けない。もう少し、もう少しだけと子供のように駄々を捏ねてしまう。

 

「『僕』は、君の事情は何も知らない。それでも、君がこれまで一生懸命に頑張ってきた事は分かる。全部が分かるとは言わないけれど、少しは分かるよ」

 

「……」

 

「何度でも言おう。君は、とても優しい一人の女の子だよ。こんなどうしようもない、馬鹿で、阿呆な『僕』に力を貸してくれていた。一生懸命、陰で頑張ってくれていた。他ならない君が、さっき、それを教えてくれた。それが『僕』は、とても嬉しいんだよ」

 

「…………っ」

 

「才能の有無は何も関係ない。他の誰かじゃ、駄目なんだ。努力を知っている君だから、『僕』は君と一緒に居たいんだ。一緒に楽しく過ごして、ダンジョンで一緒に冒険して、酒場で美味しいご飯を一緒に食べたいんだ」

 

 あたたかい言葉が花束となって贈られる。

 冷えきった『こころ』がゆっくりと時間を掛けて溶けていくのを感じた。『魂』が氷解していく。

 目尻に溜まっていく涙を必死に落とさないようにしながら、リリルカはベルの言葉を聞いていた。

 

「『僕』は、『英雄』になりたい。でも、『僕』一人じゃ、『英雄』にはなれない」

 

 独りで出来る事はとても少ないから、と少年は言う。

 

「一人よりも、二人。二人よりも、三人。そうやって少しずつ増えていけば、いつか、『百』を救える。『僕』はそれを信じている」

 

 そして、ベルは言った。

 

「同じ夢を持ってくれる、『仲間』が欲しいんだ」

 

 その言葉を受けて、リリルカは。

 

「ぁ……」

 

 間抜け声を出す。そして、少年と出会った時の事を思い出した。

 

 ──サポーターについてだが、宜しく頼む。私も常々、()()が欲しいと思っていたところなんだ。

 

 そうだ……そうだった。

 ベルは、最初から言っていた。自分の事を仲間だと、何度も、何度も何度も執拗いくらいに言っていた。

 自分はそれを聞き流していた。ただの方便だと考え、まともに取り合ってこなかった。

 だが、違った。全然、違ったのだ。

 勘違いをしていたのは、自分だった。ベルは最初から、自分の事を()ていたのだ。殻に籠っている自分を、その深紅(ルベライト)の瞳でずっと見詰めていたのだ。

 いつか、リリルカが殻を破る時を信じて。だが自分はそれに気付く事が出来なかった。

 それ故に、ベルは今回このような策に出たのだろう。もう我慢ならないと、強引にでも殻を壊そうとしたのだ。そしてそれは、成功した。

 

「っ……!」

 

 その事にようやく気付いた途端。

 あっさりと、涙腺が決壊した。涙が零れ落ちていき、地面にはシミが出来た。

 

「っ……! っ……!」

 

 何度も手で目元を拭うも、全く意味がなかった。それどころか、たちまち手も濡れてしまう。

 そんなリリルカに手巾(ハンカチ)を差し出しながら、ベルが優しく言った。

 

「下ばかり見ていても、良い事なんて一つもないよ」

 

「……でもっ! 上を見た所で意味なんか……っ!」

 

「いいや、意味はあるさ。リリルカ・アーデ、たとえ辛くても、悲しくても、最後には顔を上げるんだ。そして、笑おう。馬鹿みたいに声を出して、盛大に笑うんだ! そうすれば絶対、良い事がある。『僕』の培ってきた、人生観だ」

 

「何ですか、それ……。随分と、舐め腐ったものですね。反吐が出そうですよ」

 

「ははっ、よく言われる!」

 

 そして、少年は優しく言った。

 

「まずは帰ろう、リリ。あたたかいスープを飲んで、あたたかいご飯を食べよう。地上は雨で冷えているだろうから、あたたかい毛布を被りながら寝台(ベッド)で寝よう。明日になったらおはようの挨拶を交わそう。その後は、一緒にこれから先の事を考えよう」

 

「……」

 

「そして、全てが解決したらまた一緒に冒険をしよう。リリルカ・アーデ──小さくも頼りになる、心優しい『支援者(サポーター)』。『僕』には、君が必要だ」

 

 それは、その言葉は。

 リリルカがずっと欲しかった言葉だった。ずっと、焦がれてやまなかった言葉だった。

 

「ごめん、なさい……っ!」

 

 嗚咽と共に、謝罪の言葉が自然と口から出た。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 謝罪を繰り返す。これまでに犯した罪を、リリルカは本当の意味で理解した。

 ベルは、何も言わなかった。ただリリルカを真正面から見詰め続け、泣きじゃくる彼女にそっと寄り添った。

 

 ──きっと、リリちゃんの前にも『英雄』は現れる。儂はそう思う。

 

 地精霊(ノーム)の言葉が、ふと、脳裏に蘇った。

 

(お爺さん、やっぱり、『英雄』は居ませんよ──)

 

 今は、まだ。

 リリルカの前に現れたのは、御伽噺に出てくるような『英雄』ではなかった。

 リリルカの前に現れたのは、『英雄』になりたいと願う、今はまだ、名も無き『英雄(しょうねん)』だった。

 



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微睡み

 

 心から安心して、睡魔に身を委ねる事が出来るのは随分と久し振りの事だった。

 あたたかい。これが、人が与える温もりなのかと、リリルカはぼんやりと思った。時折、身体が小さく揺れる感覚がする。臀部(でんぶ)には、誰かの手の感触があった。自分は恐らく、背負われているのだろうと予想を付ける。

 コツン、コツン、と鳴る複数の静かな靴音。それを子守唄にしていると、近くから男女の会話が聞こえてくる。眠っている自分を考慮してくれているのか、小声だった。

 

「全く、無茶をし過ぎです、ベル・クラネル。貴方が強い事は団長から聞いてはいましたが、貴方はまだ駆け出し冒険者の身。勇敢と蛮勇を履き違えては行けませんよ」

 

 凛とした声が女性の口から出される。

 注意された男性、ベルはそれにこう答えた。

 

「おっと、これは手厳しい! 肝に銘じておこう! ふははははははっ!」

 

「静かになさい。此処はダンジョン、騒いではモンスターから狙われますよ」

 

「よく言われる、善処しよう!」と、ベルは言うと、声音を真剣なものに変えて静かに尋ねた。

 

異常事態(イレギュラー)はどうなった?」

 

「貴方の推測通り、収束しています。幸い、被害者は居ませんでした。この連日の豪雨と夜間帯の時間帯でダンジョンに潜っている冒険者が少なかったのが大きいのでしょうね。他のパーティメンバーにも確認して貰っていますから、漏れはない筈です。大丈夫でしょう」

 

「貴女達がそう言うのなら、そうなのだろう。そうなると、死者は彼等だけか……。私がもう少し早く間に合っていれば、あるいは……」

 

「ベル・クラネル、その考えはよくありませんよ。それに、仮に貴方がその瞬間に間に合っていたとしても、事態は益々混乱していたでしょう。貴方が彼女を助け出す事も出来なかったかもしれません」

 

「……そうだな、そうかもしれない。だが、私はいつも『もし』を考えてしまう。これが良くない考えなのは貴女に言われるまでもなく承知しているのだがな。それでも私は、つい、考えてしまうのだよ」

 

「……分かっているのなら、私からこれ以上言う事はありません。ただ、重々気を付けなさい。貴方が本当に『英雄』を目指すというのなら、避けては通れない道でしょうから」

 

「ああ、分かっているよ。ありがとう、やっぱり、私の目に狂いはなかった。貴女は、とても優しい妖精(エルフ)だな」

 

 ベルがそう言うと、女性は「ごほっ、ごほっ!?」と思い切り()せ込んだ。会話が一旦途切れ、暫し、女性の噎せ込みが続く。

 煩いなぁ、と思ってリリルカは薄らと(まぶた)を開けた。天井から光が差し込み、その眩しさに顔を顰める。すぐに瞼を閉じ、そのあたたかさに再び身を委ねる。同時に、足を動かして少し強めに蹴った。苦笑いの気配。

 

「今日一番の幸運は、貴女達に出会えた事だろう。本当に感謝している」

 

「……礼には及びません。不干渉が暗黙の了解とはなっていますが、緊急時には【ファミリア】の垣根を越えて協力をする必要がありますから」

 

「そうは言うがな、私が……いや、私達が助けられた事に変わりはない」

 

「意外にも律儀なのですね。しかし、それは不要です。ましてや私達は貴方に大きな借りがありますから、それを少し返されたと思えば良いでしょう」

 

「ありがとう。そう言って貰えるとありがたい」

 

「とはいえ。短期遠征からの帰還中、強烈な悪臭がすると獣人の仲間が言ったので、急いで駆け付けてみれば、驚いたものです。まさか貴方が、もう11階層に到着していたとは。さらにはあの数の大型級(オーク)とも互角以上に戦っていた……自分の目を疑ってしまいます。実際、私の仲間もそうでしたから」

 

「ふっ! 主神曰く、今の私は成長期のようだからな!」

 

「成長期で片付けられる事では断じてありませんが……いえ、これ以上はよしましょう。同じ派閥(ファミリア)の仲間であっても、【ステイタス】は秘匿されなければなりませんから」

 

 会話がまた、途絶える。

 靴音がコツッ、コツッとしたものに変わった。上下に揺れる事から、恐らくは階段を上っているのだろう。だが、いくら経ってもそれは変わらず。ダンジョンと地上を結ぶ螺旋階段だろうか。

 

「そう言えば、ベル・クラネル。アイズが会いたがっていますよ。いつになったら会うおつもりですか?」

 

「うぐっ……すまない、それについては弁明の余地もない。私も彼女とは話をしたいと思ってはいるのだが……」

 

「責めている訳ではありません。貴方にも事情があるのは重々承知していますから」

 

「そう言って貰えると助かる。だが、この私が女子との『約束』をすぐに果たせないとはな。全く、自分が恥ずかしくて仕方がない」

 

「兎にも角にも、あの子は依然として貴方に会いたがっています。この雨が無かったら迷宮都市を彷徨いていたでしょう。何か言伝があると安心するでしょうから、頼めますか」

 

「そうか、分かった。それなら、貴女の言葉に甘えよう。──ところで話は些か変わるが、貴女達は近々『遠征』に行くと噂で聞いたのだが、間違いはないか」

 

「ええ、そうですね。三日後からの予定です」

 

「なるほど。それなら彼女には、このように伝えてくれ。『美しい人よ。私は明後日の午後、貴女に会いに行きます』と。『遠征』直前で申し訳ないが、それが最短だ」

 

「……良いでしょう、承知しました。【ファミリア】には私から話を通しておきます。ただし、ベル・クラネル。本拠(ホーム)に来る際はくれぐれも用心して下さい。念の為、帯剣して来るのをすすめます」

 

「えっ、何それ怖い。もしかして私、闇討ちされちゃったりする?」

 

「……ノーコメントでお願いします」

 

 引き攣った笑いが、ベルから出された。それが面白くて、リリルカはざまぁみろと愉快な気持ちになる。

 

「だが、そうか。『遠征』か! 良いなー! 私も行きたいなぁー!」

 

「貴方にはまだ早いですよ。いくら強いとは言っても、まだLv.1の下級冒険者なのですから。私の【ファミリア】でも、『遠征』に行けるのは第二級冒険者からだと決まっています」

 

「第二級と言うと……Lv.3からか! それは凄い!」

 

「その第二級であっても、サポーターとしてでの起用です。余程の事がない限り、前線に立つ事は許されません」

 

「ゴクリ。おっと、思わず生唾を飲み込んでしまった。それ程、ダンジョンの下層は危険だということか……」

 

「アイズに会ったら、その辺について尋ねると良いでしょう。その方が、口下手なあの子も話しやすいでしょうから」

 

「気遣い! これが包容力抜群、美人お姉さんの力か! くぅ、性癖という名の扉が、また新たに開かれてしまうぞぅ!」

 

 気持ち悪い、と女性がおぞましそうに言った。同時に、ズササッ、と離れていく気配。目を開けて見なくとも、女性がドン引きしているのが分かった。

「おっと、失言だったか!」と全く懲りてなさそうな様子の彼に、女性は深い溜息を吐いた。

 

「はあ……全く、先程の凛々しい表情は何処にいったのですか。話せば話す程、私は貴方が分からなくなります」

 

「私はミステリアスボーイだからネ!」

 

「……困ったヒューマンです」

 

「よく言われます。おっ、もうすぐ地上だな」

 

 その言葉から暫くして、上下の揺れが無くなった。靴音も変わった事から、恐らく、螺旋階段を上り終えたのだろう。そうなると此処は、バベルか。

 

「あそこに居るのは……貴女の仲間か?」

 

「そうですね。どうやら心配して、私を待ってくれていたようです。ベル・クラネル、私は此処で失礼致します」

 

「ああ! 彼等にも、私が心から感謝している事を伝えておいて欲しい!」

 

「ええ、確かに伝えます。そして最後になりますが、私は貴方に言わなければならない事があります」

 

 女性は真剣な声音で、こう言った。

 

「貴方は、彼女を助けたいと私達に言った。仲間を説得して貴方に手を貸す事を今回は決めましたが、次回もそうするとは限りません。この意味が、分かりますか」

 

「……ああ」

 

「それなら、良いです。私達に啖呵を切ってみせたのです、必ずや助け出してみせなさい」

 

「……ああ! ありがとう、美しい妖精(エルフ)! 優しい貴女と再び会えて良かった! 我が友、アリシア・フォレストライトよ!」

 

 ベルの言葉と共に、去っていく一つの気配。

 アリシア・フォレストライト……その名前には覚えがある。リリルカが重たい瞼を開けてみれば、蜂蜜色(はちみついろ)の長髪が特徴的な、エルフの後ろ姿が映った。

 ベルはエルフを見送ると、出入口に足を向けた。

 どうやら豪雨はまだ続いているようで、ザーザー、と雨音が響く。強風はやみつつあるのか、音は聞こえなかった。

 管理機関(ギルド)から、無料で支給しているという雨合羽を受け取ったベルは、それをリリルカの身体ごと羽織った。

 そして外に出ると、帰路に就く。天から降り注ぐ水は、恵みのものか災厄のものか。

 だが、雨はいつか必ずやむだろう。今はまだ降っているが、遠くない未来、雲は晴れる。そして燦々と輝く太陽が顔を出し、地上を照らすだろう。

 

「──」

 

 そう、やまない雨はない。その事を、自分は少年に教えて貰った。下ばかり向いていても意味はない。それが正しいかどうか、それはまだ分からない。

 だから、まずは言われた通りにしてみよう。俯いている顔を上げよう。そして、唇を曲げて、ぎこちなくも笑ってみよう。

 今はまだ心から笑えないけれど、いつか、笑える日が来ると信じて。

 




長かった……とても、長かった。そんな第三幕『才無き者』も、これでようやく終わりです。

第三幕だけで四十話近くも使っておりますが、初期構成ではここまで長くなかったです。本当です、信じて下さい。
しかし気付けばこんなにも長くなってしまい、読者の皆様には忸怩たる思いをさせてしまい、申し訳ございません。
中々話が進まないのが私の作品の特徴ではありますが、今回は本当に、中々話が進みませんでした。

しかし、言い訳をさせて下さい。
今回の第三幕は、今後の物語の基盤となります。そうなる部分も各話に散りばめさせて頂きました。特に、【猛者】オッタルとの戦闘は大反響を当時頂きまして、良かったと思います。
それ故に、慎重に、丁寧に、話を進めていく必要があったのです。

第三幕は、ベル・クラネルではなく、リリルカ・アーデが主な主人公となっています。
第三幕の途中から、特に終盤からは彼女視点で物語が進みました。
作中で述べたとおり、『冒険者とサポーター』の関係なら、二人は相性抜群です。しかし、『ベル・クラネルとリリルカ・アーデ』になると、それは違ってきます。
何故なら、ベルが持っているものを、リリルカは持っていないからです。例えば、主神に恵まれているベルとは違い、リリルカは主神から放置されています。破竹の勢いで成長するベルとは違い、リリルカは自力での成長は絶望的です。
このようにして徹底的に比較させてきました。
そんなリリルカが、ベルの事をどのように思っていたのか──それは、ここまで読んで下さった読者の皆様は既に知っていると思います。

今回のお話では、前話にある通り、『喜劇』という言葉は使いませんでした。その理由は、彼女の物語を『喜劇』という言葉に当て嵌めたくなかったからです。どうしても違和感が拭いきれませんでした。

また、ベルを助けたエルフについても説明させて頂きます。まさかまさかのアリシア・フォレストライトでした。これは彼女が初登場した時から、決めていました。アイズにしようかなとも思いましたが、まだ時期じゃないと判断し見送っています。これについては今後補完しようと思います。
ソード・オラトリアについては、フェルズが頑張ってアイズに接触しました。

そんな第三幕ですが、如何だったでしょうか。感想や評価を頂けると幸いです。
アンケートを行っていた各話のサブタイトルについてですが、話数が多くなってきた為、今後、実施していきます。これまでのお話にも順次サブタイトルをつけていきます。

第四幕は、今度こそ、短めに終わらせるつもりです(確固たる意思)。
リリルカの問題については、第四幕の冒頭で触れたいと思います。原作では有耶無耶となってあまり深く追及されていませんでしたが、この二次小説ではある程度のケジメはつけたいと考えています。

そして、読者の皆様が望んでいるであろう展開になるかと思います。私もこの話を強く望んでいましたから、外れてはいないでしょう。

そんな第四幕のタイトルは──『好敵手(ライバル)』。

しかし、少し準備期間に入りたいと思います。これまで投稿してきたお話の誤字・脱字の確認を行い、より面白いと思って頂けるよう構成を見直します。なので、気長にお持ち下さい。

それでは、またお会いしましょう。


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第四幕 ─好敵手(ライバル)
とある男神の日記


第四幕──開幕。

約半年ぶりに更新しました。短いですが、第四幕の触り部分としてはこれくらいが良いかなと思います。
また、匿名様からまたもや素晴らしいイラストを頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。

それでは、またぼちぼちと投稿を再開していきますので宜しくお願いします。
なお、前回の反省を活かし、第四幕は短めの話数で行きます。


【挿絵表示】



 

 一つ、日記を残そうと思い、オレは今羽根ペンを握っている。

 今朝、『あの方』から伝書鳩が飛ばされてきた。定期報告はしているが、それとは別件かと思い文書を読むと、そこには一つの指示が汚い字で書き殴られていた。いつも以上に汚かった為読解するのにかなりの時間を要してしまったのは、ここだけの秘密にしておこう。

 とはいえ、『あの方』から指示を受けるのは、何も、これが初めての事ではない。突然的なのにも慣れているが、今回はいつもとは少しばかり違うようだった。

 指示の内容は、『古代の王国の遺跡調査』。嘗て栄華を極めたが、現在はその影すら残っていない滅んだ王国。歴史となったもの。その残滓を調査しろという内容だ。

 

『古代の王国』。いったい何でそんな所にとオレは一瞬頭を悩ませたが、それもすぐに無くなった。

 

『あの方』から、話は既に聞いている。

 正直な所、にわかには信じがたい話だったが──これもまた『下界の可能性』なのだろう。そう思えば、すんなりと受け入れられた。

 とはいえ、話が話なだけに詳細は書けないが。これを知る神物は、出来る限り少なくした方が良い。それだけのブラックボックスだ、これは。

 

 だがそれ以上に、オレ自身、興味があった。

 

 遠い昔の事になるが、『あの方』が随分と興奮していた時期があった。その時、オレ達はそんな事に構う程の余裕がなかったのだが、声を上げて爆笑していたのは覚えている。それまでとある女子に激怒していたのが嘘だったかのように、まるで子供のようにキラキラと瞳を輝かせていたあの()()()は、とても印象的だった。

 

 その理由が、きっとそこにはあるのだろう。

 

 オレは、それが気になって仕方がない。

 

 そして願わくば、この調査が人類の前進に役立つ事を祈ろう。

 

 何故なら神々(オレ達)は見守る事しか出来ないのだから。

 

 

 

 ──神々(オレ達)がこの下界に訪れる、何千年も前の話。

 

 

 

 人類は大陸の果てから現れる『絶対悪』(モンスター)によって絶滅の危機に瀕していた。

 村が、街が、国が滅ぼされた。大国であろうと一夜で滅ぼされ、人類は種族を問わず虐殺された。

 空は支配され、海は血で汚され、森は焼かれた。

 そんな、嘆きと絶望しかない時代。人々に笑顔はなく、ただ、涙と絶望だけがあった。

 それが神々(オレ達)が降臨する『神時代』以前の時代──『古代』だ。

 

 だが、そんな時代であっても──否、そんな時代だからこそ、立ち上がる『英雄()』が居た。

 

 彼らは精霊の手助けこそあったが自身の力でモンスターを倒し、手を取り合い、ついには『大穴』にさえ到着してみせた。

 もちろん、そこには多大なる犠牲があった。何千、何万、それ以上の犠牲を払い、彼らは少しずつ人類の領域を取り戻して行ったのだ。

 神々(オレ達)ですらドン引きする程の『偉業』を、彼らは成し遂げていたのだ。

 

 それ故に、神たるオレは思う。

 

 もし『英雄』(彼ら)が今の時代を見たら何を思うのだろうか、と。

 

 その答えが、今回の調査で分かるかもしれない。

 



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灰被りの少女

暫くは休止の予定でしたが、アニメを見て、これは書くしかないと思ったので投稿を再開します。



 

『夢』を、見ていた。

 

 それは、記憶。

 自分が嘗て体験し、そして、意図的に忘却した忌まわしき『罪』。

 

『お(ばあ)さん、これは何ですか?』

 

『それかい? それはね、リリちゃん。有名な童話だよ』

 

『……童話?』

 

『ああ、そうだよ』

 

『夢』の中で、幼い少女と老婆が話をしている。

 幼い少女は、自分。手の中には、(ほこり)を被った薄い本があった。

 老婆は、自分が本当の家族のように錯覚していた虚像。懐かしいねえ、と口元を(ほころ)ばせる。

 

『私もリリちゃんと同じくらいの時には、よく、お母さんに読んで貰ったものさ。読んでみるかい?』

 

 にっこりと、老婆が笑う。

 自分は──リリルカは、「お願いします!」と甘い声を出した。老婆の傍に近寄り、上目遣いで見上げる。

 老婆は笑みをさらに深くすると、よく通る声で、朗々と読み始めた。

 それは今にして思えば、なんて事ない、よくある創作物(フィクション)だった。

 悪戯好きの精霊に魔法を掛けられ、絶世の美女に変身してしまうみすぼらしい灰被りの少女。

 淡い夢を見る為王宮に向かった少女は王子に見初められるが、魔法が解けてしまい灰被りに戻り逃げ出してしまう。

 だが王子は少女を見つけ出し、そのまま二人は結ばれる。

 めでたしめでたし。

 ハッピーエンド。

 幸せな結末。

 そんな、よくある話だった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 あたたかな匂いがする──それが、リリルカが目覚めてから真っ先に思った事だった。(まぶた)をおもむろに開けると、古ぼけた印象を受ける天井が視界に映る。そして視線を横に移したリリルカは「えっ!」と驚愕の声を出してしまう。

 しかしそれは仕方のないことだろう。何せすぐ近くに女神の美しい顔があったのだから。

 

「こら、ベル君! 君ってやつはまた人様に迷惑を掛けて! 怒られるのはボクなんだぞぅ! むにゃむにゃ……」

 

 そう寝言を漏らす神物、()女神(めがみ)ヘスティアはとても可愛らしい寝顔を無防備に晒していた。幼女を思わせるその寝顔に神聖さを感じてしまうのは、やはり彼女が女神だからか。

 何故、ここに女神が? 超越存在(デウスデア)とまさかの同衾(どうきん)している事実に混乱し、当然の疑問が頭を埋め尽くす。そしてすぐにリリルカはその答えにたどり着いた。

 

「そうだ、リリは、(わたし)は……あの人に助けられて……」

 

 フラッシュバックする。

 薄暗いダンジョンで、自分は『光』を見たのだ。

 そうだ、自分は助けられたのだ。自分の復讐劇に巻き込んではならないと思い突き放したのにも関わらず、結局、助けられてしまった。

 しつこいくらいに、愚直なまでに『仲間』だと言ってくる、あの少年に。

 

「助けられたんですよね……(わたし)……」

 

 あれからどれだけの時間が経っているのかは分からない。しかし、目を閉じればその時の光景は思い浮かべられる。

 

「……」

 

 自分を『仲間』なのだと、あの少年は言ってきた。自分が必要なのだと、一緒に冒険をしたいのだと、あの少年はその深紅(ルベライト)の瞳で訴えてきた。

 こちらが何度強く拒絶しても少年──ベル・クラネルは手を伸ばしてきた。騙されていたことを知らされた後でも、その意志が変わることはなかったのだ。

 向けられたその熱い想いに、リリルカはついに根負けしてしまった。

 これはもう認めるしかないと──この人の『仲間』になりたいのだと、共に居たいと、そう思ってしまったのだ。

 

 そんな思いをもう一度抱くだなんて、自分はほとほと、愚か者なのだろう。

 

 だから、リリルカは差し伸べられた手を取った。そして、引き上げられた。

 その選択が、今、この寝台(ベッド)で横になっていることに繋がるのだろう。

 この選択を後悔しない──とは思わない。否、思えない。それはリリルカのこれまでの培ってきた人生観によるものだ。後悔だらけの人生を送ってきた自分は、これからもきっと、後悔し続けるのだろう。

 だが、それでも。

 それでもこの選択を後悔はしたくないなと、リリルカは思った。

 少年のあの笑顔をまた見たいと、思う。

 

「──こらぁ、待つんだベル君! 今日という今日は逃がさないぞー! ──ハッ、なんだ、夢かぁ……」

 

 ガバッと、ヘスティアが突然起き上がった。夢から覚めた彼女は眠たそうに眼を擦っていたが、リリルカの視線に気が付くと気まずそうに視線を逸らし。

 

「や、やぁ……おはよう、リリルカ君……」

 

 そう、挨拶をしてきた。

 リリルカはそれに挨拶を返そうとして……──何て答えたら良いのだろうと思案してしまう。

 ヘスティアは眷族(ベル)から何が起きたのか聞かされている筈だ。自分がこれまで少年を騙していた事を、ダンジョンで罠にはめた事を知っている筈だ。

 彼女が眷族(こども)の事をとても大切に思っているのは、この前話した時に知っている。そんな優しい女神に、自分はどんな顔をして向かい合えば良いのだろう。

 

(まずは、謝罪……? それとも──)

 

 そんな考えが堂々巡りしているリリルカ見て、ヘスティアは苦笑いを浮かべた。にっこりと綺麗な笑みを浮かべると、両手を大きく広げてリリルカに身体を近づける。

 身体が反応をする、その前に──リリルカはヘスティアによって、優しく抱き締められた。

 

「っ……!?」

 

 突然の出来事に硬直してしまう。

 目を見開くリリルカの頭を撫でながら、ヘスティアは耳元でこう囁いた。

 

「色々と言いたい事はある。怒りも、悲しみもある。でも、その前に──これまでよく頑張ってきたね、リリルカ君」

 

「ぁ……」

 

「本当に、君はこれまでよく頑張ってきたよ」

 

 その、何処までも優しい言葉を聞いて。

 リリルカは気付けば、静かに涙を流していた。

 誰かの温もりに包まれる事の意味を、リリルカはようやく、知る事が出来た。

 ヘスティアは身体をおもむろに離すと、リリルカを真正面から見詰めながらこう言った。

 

「さあ、まずはあたたかな朝ご飯を食べよう。まずは、そこから。そしてそれから、一緒にこれからの事を考えよう」

 

 その誘いに──コクン、と。

 ごく自然と、小人族(パルゥム)の少女は首を小さく動かしたのだった。

 

「行こう! ボクもお腹がペコペコだ!」

 

 女神はそれを見ると朗らかに笑い、少女の手を取る。

 それはまるで、迷子の子供を案内するかのようだった。



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悪い魔法が解ける時

このお話が難産だったばかりに、投稿が遅くなりました。ごめんなさい。他のお話は並行して執筆しているので、次は早めに投稿出来るかと思います……多分。


 

 リリルカがヘスティアに連れられて階段を降りてすぐに、香ばしい匂いが鼻腔(びこう)をくすぐった。

 匂いの元を辿ってみると、小さなテーブル一杯に料理が並べられている。スープからは湯気が上り、恐らく、コーンポタージュだろう。

 

「おっ、来たか! おはよう、二人とも!」

 

 そう言って笑顔で挨拶をしてきたのは、ベルだった。既に椅子へ腰掛けていた彼は読書をしていたらしく、その両手には本が握られていた。

 意外だなと、リリルカは思う。普段の騒々しさを考えれば、彼が読書家なのは全く想像出来ない。

 少年が見せる新たな一面に戸惑いを隠せない。

 

「おはよう。ヘスティア、そして、小人族(パルゥム)女子(おなご)よ」

 

 そうしていると、上座の位置にいる群青色の髪を持つ男性が、おもむろに口を開けた。

 

「神様……」

 

 リリルカがぽつりと呟くと、その男性──男神は静かに微笑む。

 

「はじめまして、私の神名()はミアハ。しがない薬神だ。私は其方の名前を既に知っているが、其方の口から聞きたい。其方の真名()は何だ?」

 

「……リリルカ・アーデと申します」

 

「うむ、良い名前だ。宜しく頼むぞ、リリルカよ」

 

 そう言うと、男神は穏やかに微笑んだ。

 その威力たるや、恐るべし。ドクンと心臓が跳ねる音を聞いたリリルカは、この男神が女誑しなのを女の直感で察した。

 

「あ、あの……此処は何処なんでしょうか?」

 

 その質問に答えのは、今まで沈黙していた犬人(シアンスロープ)の女性だった。彼女は眠たげな様子でリリルカを見ると、平坦な声を出す。

 

「此処は……私とミアハ様の住処。【ミアハ・ファミリア】の本拠(ホーム)──『青の薬舗』だよ」

 

「な、なるほど……。それは分かりましたが、何故、リリ……失礼、私が此処に? それにヘスティア様達も此処に居らっしゃるのですか?」

 

「うん、良い質問だね……。簡単に答えると、【ヘスティア・ファミリア】の本拠(ホーム)がこの前の豪雨で崩壊したから……。ヘスティア様とベルは、今、うちで居候(いそうろう)している……」

 

「……そう言えば、そんな事言っていましたね……」

 

 リリルカがそう呟くと、ヘスティアとベルは「いえーす!」と何故か得意げに頷いた。

 そして、ミアハとナァーザを見ると陽気に言う。

 

「「お世話になってまーす!」」

 

 自分達の置かれている状況を、この二人は理解しているのだろうか。

 そんな思いを込めて居候先の男神とその眷族を見るも、視線を逸らされてしまった。

 

「いやぁー、しかし、ナァーザ君のご飯は最高だね! 正しく、家庭の味だよ!」

 

「そうだな! きっと、ナァーザの家族を想うその気持ちがこの料理の隠し味となっているのだろう! 正しく、愛に勝るものはない!」

 

「や、やめてよ……二人とも……恥ずかしい……」

 

 言葉では嫌そうに言っているが、犬人(シアンスロープ)の口元は確かに緩んでいた。男神も「そうだろう、そうだろう!」と何度も首を縦に振っている。

 この人誑し共め! リリルカはそんな称賛(ばとう)を二人へ送った。

 

「ボク達【ヘスティア・ファミリア】と【ミアハ・ファミリア】はマブダチなのさ! 困った時は助け合う、言わば、お隣さん!」

 

「な、なるほど……仲が良い事は、とてもよく分かりました」

 

【ヘスティア・ファミリア】は言わずもがな、【ミアハ・ファミリア】も相当のお人好しなのだろう。

 そうでなければ、派閥の本拠(ホーム)に余所者を居候させる訳がない。

 

「さて、自己紹介も済んだ。まずは朝食を食べよう。話はそれからでも遅くはあるまい」

 

「ミアハに賛成だ! 私の腹の虫が鳴ってしまう前に朝食を食べよう!」

 

 ミアハの言葉に、ベルが強く同意する。

 ヘスティアが呆れたように嘆息していると、ナァーザがグラスに液体を注いでいった。

 何だろうかと訝しんでいると、「悪いけど」と薬神の眷族は言った。

 

「これ、ただの水だから……味は期待しないで……」

 

「あっ、はい。い、いえ、頂けるだけでも助かります!」

 

「それなら良いけど……」と呟くように言ったナァーザへ、ベルがフォローのつもりか、何故かリリルカを見ながらこんな事を言った。

 

「そうだぞナァーザ! それに、あまり幼い時から果実酒ばっかり飲んでいると身体に悪いからな! なぁ、リリ!」

 

 カチン、と来た。

 リリルカは頭の血管が切れるのを感じながら、テーブルから身を乗り出して、この失礼極まるヒューマンへ詰め寄る。

 

「それはリリが小さな子供だと言いたいのですか!? えぇ!?」

 

「えっ、違うの?」

 

「リリは十五です! 貴方よりも歳上です!?」

 

「「えー!? うっそ──!?」」

 

 ブチッ。

 口をあんぐりと開けるヘスティアとベルに、リリルカはキレた。

 

「嘘じゃありません! というか、ヘスティア様は神様なんですから、リリが嘘吐いてないの分かるでしょう!」

 

「そ、それはそうなんだけどさぁ……」

 

小人族(パルゥム)は成人を迎えても、あまり身体が大きくならないんです! それは知っている筈でしょう!」

 

「いや、まあ、勿論知っているよ……」

 

 口をモゴモゴと動かすヘスティア。

 その煮え切らない態度に苛立ちが募るのを感じながら、リリルカは標的を生意気な歳下小僧へ変えた。

 

「それこそ貴方のご友人のフィン様はアラフォーですからね!? 沢山の女性が可愛いと言っていますが! アラフォーですから!」

 

「うぅーん、そう言われると犯罪臭がするな。もしかして私の友人は、性癖が捻じ曲がっているのかも……」

 

「一族の代表を自認しているあの人が、そんな訳ないでしょう! 女好きを公言している貴方じゃないんですから!」

 

「おっと、これは何も反論出来ないネ!」

 

 テヘッ、とわざとらしくアルカイックスマイルを浮かべるベル。

 その巫山戯た態度に、もう我慢ならないと必殺奥義リリルカ・パンチを繰り出そうとしていると。

 今度こそ、ミアハが呆れたように言った。

 

「其方達。早く食べないと、せっかくのスープが冷めてしまうぞ」

 

 見れば、湯気が上っていたスープは見るからに熱量が少なくなっていた。

 リリルカはベルを強く睨んだ後、かっ込むようにスープへ手を伸ばした。

 少し温くなってしまったスープ。今の自分にはこれくらいがちょうど良いのだと、リリルカは思った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 朝食を食べ終えた後、リリルカは率先して後片付けを手伝った。

 只より高いものはない。極東にはそんな慣用句があるのだと聞いた事がある。

 

「──さて、これからの事をそろそろ話そうか」

 

 ヘスティアが静かに口を開けた。どうやら、彼女が司会を務めるようだ。

 そこに普段の快活明朗さはなく、女神特有の神聖さを出している。

 居住まいを正すリリルカに、視線が浴びせられる。その視線を、リリルカは甘んじて全て受け止めた。

 

「リリルカ・アーデ。まずは、きみの事を話して欲しい。きみにはその義務がある筈だ。違うかい?」

 

「……仰る通りです」

 

「それが分かっているのなら、どうか、これまでのきみの物語を教えて欲しい。嘘偽りなく、きみがその瞳で見てきた景色を、その小さな身体で体験してきた事、全てを」

 

 目の前の、自分とそう変わらない体格をした少女は正しく『神』だ。

 死後、下界の住人は天に昇る。そこで『神』に『魂』を見透かされ、漂白され、次の生を授かると言われている。

 輪廻転生が、この世界では起こっている。

 これは、それと同じだ。ここが、自分の人生──物語に於ける分岐点なのだと、リリルカは悟った。

 

「詰まらない……よくある話です。それでも、良いですか?」

 

「ああ、良いとも。言っただろう、ボクはきみの話を聞きたいんだ。勿論、ボクだけじゃないぜ? 此処に居る皆が、同じ事を思っている」

 

 女神が、ほんの少しだけ微笑む。

 リリルカは、女神から視線を外し、女神の眷族を見た。

 紅玉(ルビー)を思われる深紅(ルベライト)の瞳は閉ざされていて、その表情も俯いている所為で伺えない。

 普段の巫山戯た言動からは想像出来ない、静かな佇まい。それはまるで、賢者のようだった。

 いったい、どれが少年の『本物』なのか。

 リリルカにはそれが分からない。だが、少年が贈ってくれた言葉はきっと『本物』だ。

 

「リリは……私は……──」

 

 それから、リリルカは沢山の時間を費やして己の半生を語った。

 生まれた時から【ソーマ・ファミリア】の眷族になる事を余儀なくされた事。

 両親は自分には無関心だった事。その癖、実の娘から金銭を要求していた事。

【ファミリア】に自分の居場所が無かったこと。一時期は『誰か』に面倒を見てもらっていたが、それもすぐに無くなった事。

神酒(ソーマ)』の魔力に取り()かれ、文字通りの『獣』に堕ちた事。ダンジョンで蒸発した両親と同じように、喉の渇きを癒す為に『神酒(ソーマ)』を求めた事。

神酒(ソーマ)』の魔力から解放され、一時、仮初の平和の中で穏やかな生活を送ったこと。だが【ファミリア】の仲間から嫌がらせを受け、冒険者への『復讐劇』を始めた事。その為の『武器』として、発現した変身魔法を駆使し、冒険者から金品や武具を騙し取っていた事。

 土精霊(ノーム)に出会い、考え方を変えた事。数こそ少ないが、中には善良な冒険者がいた事。同じ境遇の仲間が出来た事。

 

 そして、打算的に少年へ近付いた事。

 

『夢』を楽しそうに語る少年に表では共感しながら、しかしその裏では唾棄すべき存在だと思っていた事。

『英雄』を夢見る少年が、眩しくて、それでいて 憎くて仕方がなかった事。

 それら全てを、胸の内を、自分の本性を。

 リリルカは嘘偽る事なく、明かした。

 

「──以上が、私の話です」

 

 リリルカは、泣かなかった。

 寧ろ、決して泣くまいとすら決意していた。

 泣いた所で自分の犯した罪が変わらない事を、幼い小人は知っていた。それは時期尚早な、大人の考えだった。

 平坦で、無機質に、リリルカは言葉を言った。それは自分の犯した罪と向き合う時間であり、必要な階段だった。

 そしてリリルカは席から立ち上がると、頭を限界まで下げる。小人の身体に、上から視線という名の重圧が降り掛かる。

 

「本当に、申し訳ございませんでした」

 

 謝罪の言葉を、口にする。

 それは騙してしまった少年へであり、眷族(むすこ)を想う主神(おや)へであり、恐らくは事情を知りながら匿ってくれている薬神とその眷族へであった。

 

「……」

 

 女神は、ただ黙って話を聞いていた。それは彼女だけでなく、薬神もそうだった。

 シンとした静寂の中。

 最初に口を開けたのは、炉の女神だった。

 

「頭を上げるんだ、リリルカ・アーデ。きみの謝罪は分かった。これ以上は不必要だ」

 

 その御言葉に従い、リリルカはゆっくりと顔を上げた。

 

「話を聞かせてくれてありがとう、リリルカ・アーデ君。だけど一つ、きみにはまだ話してない事があるね?」

 

「……え?」

 

 意味が分からず、リリルカは呆然と聞き返してしまった。

 だが、自分の聞き間違いはなかった。

 炉の女神は蒼の瞳で、小人の栗色の瞳を見詰めてくる。

 それを真正面から受け止めつつも、リリルカはヘスティアの神意を測りかねていた。

 

「あ、あの、ヘスティア様! リリは……私は全て話しました! 嘘ではありません、本当に、全て話しました!」

 

「本当に、そうかい?」

 

「……っ」

 

 リリルカは押し黙り、自分と向き合った。

 話してない事? そんなの、本当に思い当たらない。だって、そうだろう。今更何を隠そうと言うのだろうか。

 そう思い、再度女神を見るも、反応は変わらず。

 無言の時間が無為に流れる。それに、不安と焦りが少しづつ積み重なっていく。

 

「ベル君、ミアハ、ナァーザ君。少し、席を外して貰って良いかい?」

 

 次に口を開けた時、ヘスティアはそう言った。

 そしてリリルカが驚いている間に、一柱の男神と二人と眷族は無言で頷くと席を立ち、部屋から出ていってしまう。

 ドアが閉められた音が、痛いほどに部屋に響く。

 リリルカは混乱の極致にあった。そんなリリルカへ、ヘスティアは言う。

 

「さて、これで二人きりだね」

 

 聞き耳を立てている気配はない。

 ヘスティアの言葉通り、今この場には、リリルカとヘスティアの二人しか居なかった。

 

「本当に、ボクの言いたい事が分からないのかい?」

 

「は、はい……」

 

「そうか……」

 

 そう言ったヘスティアは、次にはこう言った。

 

「それじゃあ、話を少し変えようかな。思えば、きみだけに身の上話をさせるのは不公平だからね、ボクの話をしよう」

 

「え……?」

 

 突然と話題転換に戸惑うリリルカを無視し、ヘスティアは神の如く自分のペースで話し始めた。

 

「ボクがこの下界に降臨したのは、つい先日の事だ。ようやく順番がやって来てね」

 

「は、はぁ……そうなんですか……」

 

「下界にはそこまで興味はなかったんだ。ただ、ヘファイストスやアルテミスといった、ボクの神友が揃って下界に降りるもんだからさ、置いていかれるのが嫌で、ボクは引きこもっていた神殿を飛び出した訳だ」

 

「寂しいのは辛いからね」とヘスティアは続けて言う。

 

「オラリオに降りたボクは、すぐに神友の本拠(いえ)を訪ねた。久し振りにあった彼女はとても元気そうで、再会を喜んでくれた」

 

 ヘスティアは『久し振り』と口にしたが、それは果たして本当に『久し振り』なのだろうかとリリルカは訝しんだ。

 神と下界の住人ではそれこそ、時間の尺度が違う。もしかしたらヘスティアの言う『久し振り』は『何百年振り』かもしれないのだ。

 リリルカは黙って、ヘスティアの話を聞く事にした。それが彼女の神意に繋がると思ったからだ。

 

「彼女は、行くあてのないボクに、暫くウチに泊まるように言ってくれた。当然、ボクはその言葉に甘えた」

 

 当然なのか、とリリルカは反射的に突っ込みそうになった。

 ヘスティアがあまりにも堂々としているものだから、自分の価値観が可笑しいのかと自問自答してしまう。

 

「下界は『娯楽』で充ちていた。神々(ボクたち)が忌避してやまない『退屈』とは、この下界は程遠いものだった。それこそ、ジャガ丸くんにボクは感銘を受けた程だぜ」

 

「は、はぁ……」

 

「まあ、それから暫くして、ボクは神友から追い出された訳だけど」

 

 堪忍袋の緒が切れた彼女はそれはもう怖かった、とヘスティアは当時を思い返しながら、しみじみと言った。

 この女神はもしかしたらかなりのぐうたらなのでは? とリリルカの中で疑惑が生まれる中、ヘスティアは話を続ける。

 

「居候先を失ったボクは駄々を()ねて、彼女が管理していた廃教会を譲渡して貰った。そして、そこに住み始めた」

 

「は、はぁ……」

 

「教会には沢山の本があった。こう見えてもボクは元々読書家でね、埃を被っていた物語の中に没頭するのは、そんなに苦じゃなかった。だけどある日、ボクはある事を思い出した。そう、ご飯の問題だ」

 

「それは、まあ、そうでしょうね……」

 

 餓死寸前となったヘスティアは必死な思いで神友に泣き付いたが、相手にされなかったという。

 だがヘスティアは諦めなかった。最後の頼みだ、一生に一度のお願いだと縋り付き、神友はそれに折れたという。

 それからヘスティアは餓死を回避した後、現在のアルバイト先を斡旋して貰い、生計を立て始めたとの事だった。

 

「おっと、その呆れ顔は中々に堪えるね」

 

 ヘスティアが傷付いたように言う。

 だが、リリルカからすればヘスティアは羨ましい事この上なかった。

 ヘスティアの図太さ、そして、何だかんだと言って彼女を世話する神友。それは独りぼっちのリリルカからすれば、ある意味、理想でもあった。

 

「ボクはバイト先で怒られ、女神の矜恃なんてものを無くしながらも毎日を必死に生きていた。それと同時に、【ファミリア】の勧誘も行っていたのだけれど、ボクの眷族になりたいと言ってくれる子供は全く現れなかった」

 

 それは仕方のない事だった。

 何せ今の時代、【ファミリア】はそれこそ星の数ほどあり、ましてや『世界の中心』と呼ばれるオラリオで、途中参加者のヘスティアが【ファミリア】を築くのはとても難しかっただろう。

 ようは、ヘスティアには需要がなかったのだ。

 

「あの方とは、何処でお会いになられたのですか?」

 

 それ故に、不思議であった。

 目の前の女神と、あの少年はどのようにして出会ったのだろうかと。

 リリルカの初めての質問に、ヘスティアは嬉しそうにしながら答えた。

 

「詳しい話はまた後日するけれど、まあ、そうだね。あれは偶然でもあり、必然でもあったかな」

 

「……? どういう事ですか?」

 

「そのままの意味さ。話し掛けたのはボクだったんだけど、家族になりたいと申し出てきたのはベル君の方からだった」

 

 そして、女神は少年に自身の血を授け、二人は家族になったと言う。

 

「それからボク達は、今に至るまで家族として過ごしている」

 

 どこまでも穏やかな笑みを浮かべ、ヘスティアは言った。

 

「……」

 

 リリルカは複雑な気持ちだった。

 否、言葉を選ばないで表現するのなら──嫉妬で気が狂いそうだった。

 羨ましかった。

 自分とは違い、他者からこんなにも愛される少年が。そして、他者を愛せる少年が。

 そんなリリルカの心情を、ヘスティアは簡単に見抜く。それまでの柔らかな雰囲気から一転、威圧的な物に変わった。

 神性さを帯びた銀の瞳に射抜かれ、リリルカは呼吸さえ忘れてしまう。

 

「ボクは、きみを許すつもりはない」

 

「ッ……!」

 

「当然だろう。たった一人の可愛い我が子が騙されていたんだ。許せる筈がないだろう。生憎、ボクは慈愛とは程遠い女神でね、自分の気持ちには正直なのさ」

 

 そしてヘスティアは、致命的な一言を口にした。

 

「ボクは、きみが嫌いだ。大嫌いだよ、リリルカ・アーデ」

 

 直接浴びせられる、嫌悪の言葉。

 ヘスティアの言葉に、嘘偽りは微塵も感じられなかった。

 

「……」

 

 押し黙るリリルカを、ヘスティアは無言で見詰める。

 来た、と思った。

 女神の審判が、遂に訪れたのだ。

 

 

 

「──ここまで言われても、分からないのか」

 

 

 

 ヘスティアの声音には、苛立ちが含まれていた。

 だが、リリルカにはそれが分からない。

 本当に、分からないのだ。

 女神は溜息を吐くと、こう言った。

 

「仕方がない。これが最後のチャンスだよ、リリルカ・アーデ君。これを逃したら最後、ボクはきみを問答無用で管理機関(ギルド)に突き出す。ベル君が何を言おうと、主神権限で、きみとの接触を禁ずる」

 

 分かったね? とヘスティアが言う。

 リリルカはその意味が分からなかった。だが本能で、必死に頷いた。

 

「リリルカ・アーデ。きみは薄汚れている、卑しい奴だ。そうだね?」

 

「……はい」

 

 そうだ、自分は灰を被っている。薄汚れている。小汚く、醜い。

 

「リリルカ・アーデ。きみは犯罪者だ。経緯はどうあれ、きみは超えてはならない一線を超えてしまった。きみは『悪』に染まった。同情の余地はない。そうだね?」

 

「…………はい」

 

 生きる為に始めた犯罪が、快楽の為の犯罪になっていた時期があった。それは否定出来ない事実だ。

 

「リリルカ・アーデ。きみは独りだ。主神、眷族、仲間、全てから見放されたきみは、これまでも、そしてこれからも独りだ。そうだね?」

 

「………………」

 

「おや、違うのかい?」

 

 答えに詰まるリリルカを、ヘスティアは不思議そうに見詰める。

 

「…………」

 

 リリルカは、この問答に何の意味があるのかさっぱり分からなかった。この問答に何の必要性があるのか、何故、ヘスティアが二人きりになりたいとベル達に言ったのか、これっぽっちも分からなかった。

 それ故に、リリルカは考える。

 考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて──それでもやっぱり、分からない。

 

「さあ、ボクの質問に答えるんだ」

 

 考える時間すら、女神はくれない。

 

「さあ、さあ!」

 

 女神が、答えを迫ってくる。顔をリリルカに近付け、退路を断つ。

 

「リリは、私は……──」

 

 そして。

 

「……違う……」

 

 リリルカは何も考えず、己の心のままに、気が付けば言っていた。

 

「私は……独りじゃ、ありません……」

 

「何を言うのかと思えば。いやはや、片腹痛いねリリルカ君。きみは独りさ」

 

「……違います。確かにヘスティア様の言う通り……昔の私は、独りでした。でも、今は違う!」

 

 そうだ。

 違う。

 全然、違う。

 一緒に生活しようと、提案してくれた心優しい地精霊(ノーム)が居る。

 同じ境遇の、同士が居る。

 何よりも──こんな自分を助けようとしてくれている、少年が居る。

 

「私は、その言葉だけには首を縦に振れません。だって、もしそうしたら、私はまた、あの人を裏切ってしまう! あの人から笑顔を、奪ってしまう!」

 

「……」

 

「ヘスティア様の仰る通りです。私は、罪を犯しました」

 

 リリルカはヘスティアの瞳を臆すことなく、真正面から見詰めた。

 

「私はもう、自分から逃げません。自分自身と向き合い、この罪を背負っていきます」

 

「……それで? きみはこれから、どうするんだい? 具体的には?」

 

「まずは、管理機関(ギルド)に自首します。そして、私はあの人の元に必ず戻ります」

 

「戻って、どうするんだい?」

 

「冒険を」

 

 リリルカはもう、迷わなかった。

 

「あの人と一緒に、冒険をしたい」

 

「あの子は本気で『英雄』になろうとしている。きみは、あの子の速度について行けるのかい?」

 

「ついて行きます、必ず。だって私は、あの人の『サポーター』ですから」

 

 言い切る。

 決意を、本当の想いを、女神に宣言した。

 

「…………そうか」

 

 無限にすら思える時間の果てに。

 ヘスティアは、そう、呟いた。

 そして一度顔を俯かせ、もう一度、顔を上げる。そこには、それまでの剣呑な雰囲気が嘘ではないかと思わせるほどの、魅力的な笑顔が浮かんでいた。

 

「その言葉を、待っていた!」

 

「……へ?」

 

 呆然とする、リリルカ。

 そんなリリルカに、ヘスティアはこう言った。

 

「リリルカ・アーデ。きみは、あまりにも自罰的だね。ボクから言わせて貰えば、きみは考え過ぎだよ」

 

「考え過ぎ……?」

 

「ああ、そうさ。きみは悪人になんて、元々向いていなかったんだよ。それなのにきみときたら、全て、自分が悪いのだと思い込んでいるじゃないか」

 

「そ、そんな事……!」

 

 ない、とリリルカが否定するよりも前に、ヘスティアは断言する。

 

「勿論、きみにも責任は十分にあるさ。だがきみがそうならざるを得なかったのは、周りの大人や環境が悪かったからだよ」

 

「……っ」

 

「この迷宮都市(オラリオ)には『奴隷制度』がないね。それはきっと、この都市が『英雄の都』と呼ばれているからなんだろうけど……それ故に、矛盾点も多い」

 

 それがどういう意味なのか、リリルカには分からなかった。

 だが唯一、恐らく、今のヘスティアは神の視点で論じているのだろう、という事だけは分かる。

 

「話を戻そうか。きみは、自分の答えを出した。それがボクの求める、最低条件だった訳だ」

 

「最低条件……?」

 

「ああ、そうだよ。きみはきっと、ボクがきみを、女神として断罪すると思っていたんだろう?」

 

 内心思っていた事を当てられ、リリルカはビクッと身体を上下させた。

 だがそんなリリルカへ、ヘスティアは何て事のないように言う。

 

「きみ達子供の悪い癖だよ、それは。今どき誰も、そんな事はしないぜ。まず間違いなく、皆、自分の事は自分で決めろと言うだろうさ」

 

「……」

 

「その人にとっての悪い事をした時、人は、少なからず罪悪感を抱く物だ。それは主観やこれまで培ってきた倫理によるものだ。結局の所、罪悪感なんてものはね、自分で自分を許せるかどうかでしかないんだよ」

 

 リリルカは、その言葉を胸に刻んだ。

 

「きみは、チャンスを棒に振らなかった。おめでとう、そしてよくやった、リリルカ・アーデ。きみはまだ、やり直せるよ。この炉の女神が保証しよう」

 

「はい……はいっ! ありがとう、ございます……!」

 

 リリルカは泣いた。声を出して、泣いた。

 そして涙が乾き、しゃくり声が収まった頃、ヘスティアは「さて!」と暗い空気を飛ばすように大声を出した。

 

「これからの事を考えようか! 本題はそれだからね!」

 

 そうだ、いつまでも下を向いていては駄目だ。

 自分の事は自分で考えないと。そう決意したリリルカは、ふと、ある違和感に気が付いた。

 人の気配が、全然しないのだ。此処、『青の薬舗』がどれだけの広さの本拠なのかは分からないが、それにしても、全く、人の気配が感じ取れない。

 あの喧しい少年ならば、話が終わり次第、この場に戻ってきそうなものだが。

 

「あ、あのヘスティア様……? 他の方達はどちらにいらっしゃるんですか?」

 

「ああ、その事なんだけどね。実は、ベル君達が席を外したのは決まっていた事だったんだ。彼等には一つ、頼み事をしていてね。今はその用事を済ませて貰っているという訳さ」

 

「は、はあ……」

 

「ボクの見立てでは、そろそろ帰ってくると思うよ」

 

 それから、数分後。

 部屋の外から、複数の気配と話し声が聞こえた。その中には、少年の声も混じっていた。

 

(どんな顔をして会えば……? いえ、まずは改めて、謝罪と、感謝の言葉を……──)

 

 ドアが開かれるのを、リリルカは待った。

 そして、その時は来た。

 

「迷える小人族(パルゥム)の少女よ! 俺が、ガネーシャだぁああああああああ!」

 

 ……。

 そこには、象の仮面を被った上半身裸の変態が居た。

 あちゃー、とヘスティアがこめかみを押さえる中、変態の後ろから、ベルが現れた。

 リリルカと目が合うと、彼はにっこりと笑った。

 

(あっ、これ嫌な予感……!)

 

 そう思ったその時には、遅かった。

 

「私が、ベル・クラネルだぁあああああああ!」

 

「喧しいです静かにして下さい!?」

 

 思わず怒鳴った自分は悪くないだろう。

 リリルカは、心からそう思った。

 



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ロイマン・マルディールが送る受難の日






 

 その日、ギルド長──ロイマン・マルディールは朝から胃痛がした。とはいえ、それは最近ずっとのことだった。

 というのも、あと数日で『神会(デナトゥス)』が開かれる。

 その為の資料作りはギルド長しか出来ない仕事であり、ギルド長の捺印(なついん)が欲しい案件もこれに付随してくる為、控え目に言っても過重労働(オーバーワーク)である。

 ただでさえ最近は怪物祭(モンスターフィリア)で起きた事件の苦情(クレーム)処理で忙しかったというのに──当時に比べれば落ち着いたが、まだまだ厄介な苦情(クレーム)は多く寄せられている──、数日後には『神会(デナトゥス)』が控えているのだ。

 ロイマンはこの『冒険』から心底逃げ出したかったが、自分以外に出来る人間は居ないため、仕方なく向き合っていた。【戦場の聖女(デア・セイント)】特製の胃薬がなければ、ロイマンは何度か倒れていただろう。

 

「ギルド長、こちら新たに『昇格(ランクアップ)』を果たした冒険者の資料です! 確認宜しくお願い致します!」

 

「おのれ、冒険者! またもや『昇格(ランクアップ)』を!?」

 

 部下から資料を受け取りながら、唸り声をあげる。

 だが、この資料は『神会(デナトゥス)』で神々に提出する物であり最も注目される。不備があったら神々から『全く〜、頼むぜギルド長〜』とダル絡みされることは明白──というか、ギルド長に就任したばかりの頃にされた。何だったら今でもされる──だ。

 本来、『昇格(ランクアップ)』はとてもめでたいことだ。オラリオに在籍している冒険者のうち過半数がLv.1の下級冒険者の現状を踏まえれば、『昇格(ランクアップ)』はオラリオの戦力増加に繋がり──つまり、金になる。

 それはとても喜ばしい事だ。金になると言うことは、経済が回るという事であり、都市の発展に直結する。

 

「だが何故、冒険者はいつもこうなのだ!? 何故、『神会(デナトゥス)』直前に申請をしてくる!?」

 

「それはもちろん、『二つ名』が欲しいからだと思いますが。三ヶ月に一度しか、開かれませんし」

 

「そんな事は分かっとるわ!」

 

 ダンッ! と、ロイマンはテーブルを強く叩いた。最高品質の素材の所為で、手が痛い。

 なんとも間抜けな姿を見せるギルド長を部下は呆れた目で見ると、「それでは、失礼します」と退室した。

 

「ぐぬぬ……これだから冒険者は困るのだ! 奴らにはもっと計画性を持って貰わねば困る!」

 

 提出期限ぎりぎりになって、嬉々として申請用紙を持ってくる冒険者達。それを受理し、資料を纏めて『神会(デナトゥス)』へ提出するのはギルドの役割だ。

 だが憎き冒険者達はそんな苦労も露知らず、自分勝手に行動している。

 それが冒険者だと言われたら、そうまでなのだが。

 

「胃痛に加えて、頭痛もしてきた……やめよう、これ以上は私の頭がどうにかなりそうだ……。うぅ……何故私はエルフになったのだ……優秀な自分が憎い……」

 

 三ヶ月に一度、『神会(デナトゥス)』は開かれる。

 一世紀もの間管理機関に勤め、十数年前にはついにギルド長に就いたロイマンだったが、毎回、死に物狂いでこの『冒険』に臨んでいた。

 これを乗り越えたら【ディアンケヒト・ファミリア】へ健康診断に行こう。絶対に、絶対にだ。

 ロイマンはそう強く決意すると、充血した目で次の資料と格闘するのだった。

 そうして、何とか午前中の業務を終え、休憩時間に入る。

 今だけは休む事が出来る。そして、優雅な昼食を終えた頃だった。

 

「ギルド長、大変です!」

 

 ノックもせず、執務室に一人のヒューマンが入ってくる。

 そのことにロイマンが苛立ちと不快感を覚える中、その職員はそんな事は些事だと言わんばかりに荒い呼吸を繰り返していた。

 どうやら、余程の『何か』があったようだ。

 

「落ち着け、今のお前は見苦しいぞ。ギルド職員たるもの、もっと冷静さを持て」

 

 だが、ロイマンは部下の動転ぶりを見ても何も動じなかった。

 それは当然のことだ。百年という長い年月、管理機関(ギルド)の最高権威者に就いているロイマンにとって、『異常事態(イレギュラー)』は日常茶判事だからである。

 どうせ娯楽に飢えた神の奇行か、何処ぞの冒険者が喧嘩でもしているのだろう。よくある事だ。

 そんな推測は、あっさりと裏切られる事となった。

 

「【ソーマ・ファミリア】所属の冒険者から内部告発文が届きました!」

 

 ロイマン・マルディールは思わず天井を見上げた。そして、心底思った。

 どうしてこのタイミングなのだ、と。この世界に神は居ないのか──いや、居た。だが余程、神は自分の事が嫌いのようだ。

 腹を抱えて大爆笑している神の姿がありありと脳裏に思い浮かぶ。

 

「えぇい、すぐにそれを持ってこい! 内容にもよるが、至急、緊急会議を開く! 役職者以上の者は全員参加するように伝達しろ!」

 

 ロイマンは優秀なエルフだった。優先順位をすぐに決めたギルド長は、部下に指示を出す。

 今日も残業かと思いつつ、ロイマンは並行して今の報告について思考を巡らせた。

 

「【ソーマ・ファミリア】か……以前、それこそ暗黒期からキナ臭いのはあったが、決定的な証拠がなくて取り締まれなかった。もしや、自分の【ファミリア】を裏切ったのか?」

 

 どちらにせよ、慎重な対応が求められるだろう。

 部下から文書を受け取り、ロイマンはすぐに目を通す。羊皮紙数枚にわたって書かれた直筆の文字は、書いた者の感情がそのまま反映されたような荒々しい物だった。

 

(これは……想像していたよりも、()()。まずは『あの方』へ報告を……)

 

 全てを読み終えたロイマンが対応を検討していた所に、一人の獣人がノックをして入ってくる。これだから獣人は嫌いなのだと、ロイマンは思った。優雅さの欠片もありはしない。

 

「ギルド長、失礼します! 大変です!?」

 

「えぇい、さっきから何なのだ!? 私の方が大変だわ!」

 

 感情のままに怒声を飛ばす、ロイマン。

 しかしこれはいつもの事だった。獣人の女性職員はロイマンの悲鳴を無視すると、報告を行った。

 

「【ヘスティア・ファミリア】──女神ヘスティアがギルド長に話があると! 眷族もお連れしています!」

 

 その名前を聞いた瞬間、ロイマンは泣きたくなった。

 最近、管理機関(ギルド)の悩みの種である派閥(ファミリア)だ。彼らの用件に心当たりがありつつも、ロイマンは静かに尋ねた。

 

「……そうか。それで、女神のご用件は?」

 

「月に一回の、『ステイタス』報告だとの事です!」

 

「えぇい、それは今日じゃないぞ! あと数日は日がある! 女神にはそう伝えるのだ!」

 

 しかし、獣人の部下は「それは既にお伝えしました!」と首を横に振った。そして、続けてこう言う。

 

「何でも……【ステイタス】の報告とは別に話したい事があるようです」

 

「それは何だ!? 当然聞いているのだろうな!?」

 

「それが……ギルド長にのみ話したい内容だそうでして……」

 

 その言葉を聞いて、ロイマンは盛大に顔を歪めた。

 

「【ヘスティア・ファミリア】には三十分後に私が行く事を伝えろ」

 

 指示を出す。

 部下が執務室を慌てて出ていく中、今日は確実に厄日になるとロイマンは悟った。

 

 

 

§

 

 

 

 三十分後。

 ロイマンは胃痛を抱えながら、部下に手配させた応接間に向かっていた。顔を盛大に歪めながら、廊下のど真ん中を通る。すれ違った職員が決して視線を合わせようとしない程、今のロイマンの精神状態は良くなかった。

 応接間の前に立ったロイマンは深呼吸を繰り返した。額から流れる脂汗を手巾で何度も拭い、ネクタイを結び直す。

 たとえ相手が零細派閥であろうとも、相手は女神とその眷族だ。慎重な対応が求められる。

 管理機関(ギルド)こそが『都市の支配者』だと、多くの人間は思っているだろう。

 ギルド長からしたら、その認識は正解でもあり間違いでもある。

 迷宮(ダンジョン)都市オラリオの運営権を管理機関(ギルド)が持っているのは、()()()()()があった為に過ぎない。管理機関(ギルド)は都市の運営と秩序を保つ為、緊急時には【ファミリア】へ命令する事が出来るが、これは、管理機関(ギルド)と【ファミリア】の強い信頼関係がなければ出来ない。

 中立であることを願った創設神の神意により、ギルド職員は『ステイタス』──『神の恩恵(ファルナ)』を授かっていない。

 それはつまり、冒険者が管理機関(ギルド)叛逆(はんぎゃく)した時には何も出来ないという事だ。

 もしそうなったら、この迷宮都市──ひいては、この下界は文字通り崩壊するだろう。その一歩手前までいったのが七年前の『暗黒期』であり、ロイマン・マルディールは同じ(てつ)を踏む気はさらさらなかった。

 それ故に、ロイマンはたとえ相手が零細派閥であろうと敬意を持って対応する事を決めている──とはいえ、それはあくまでも必要時であり、普段はそんな事全く思っていないが──今は弱くとも、将来、力を付ける可能性は無限大にある為だ。

 ましてや相手は、最近、一部の間で話題になっている『期待の新人(ルーキー)』だ。

 真名を、ベル・クラネル。(よわい)十四になったばかりの少年。種族はヒューマン。

 ロイマンとしても、その『期待の新人(ルーキー)』──ベル・クラネルには複雑な感情を抱いていた。

 それは正しく、正と負の感情。

 正は、『モンスター脱走事件』の時に巻き込んでしまった若干の申し訳なさ。もし、ベルが銀の野猿(シルバーバック)を倒していなければ都市の住民に被害が出ていたかもしれない。迷宮都市(オラリオ)を愛するロイマンにとって、それは容認出来るものではなかった。

 負は、問題行動起こしすぎだろ! というものだ。ベルが起こした数々の問題行動。担当アドバイザーには既に言っているが、あまりにも多過ぎる。正直、貸し借りはこれでチャラにしたいくらいだ。

 だがそれ以上に感じるのは、ベル・クラネルという人間の底知れない不気味さだ。

 ロイマンは、ベルと直接話した事は一度もない。【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院に入院中、管理機関(ギルド)の体裁の為に見舞いへは行っていたが、結局、その機会には恵まれなかった。それ故に、担当アドバイザーからの報告書と人伝に聞いた情報でしか判断出来ない。

 

(奴が『英雄候補』足る資格を持っているか、このギルド長が直々に見定めてくれるわ)

 

 何でも、ベル・クラネルは『英雄』になりたいと吹聴しているらしい。

 ベル・クラネルは齢十四の少年だ。現実を知らない子供──と断言するのはあまりにも早計。

 前例は、いくらでもある。()()()()()()()たるロイマン・マルディールは、それを重々承知している。

 

「失礼致します」

 

 ノックをし、ロイマンは優雅に入室した。

 応接間のソファーに、二人の男女が座っている。

 

「やあ、ギルド長君。こうして話すのは数日振りだね」

 

 ヘスティアがにこやかに笑いながら、そう、ロイマンヘ声を掛けた。

 

「ええ、そうですな」

 

 そしてロイマンもまた、ヘスティアと同様、否、それ以上に深い笑みを浮かべて挨拶を返した。

 もしこの場に他のギルド職員が居たら、思わずギョッと目を剥くだろう。

 

「本日はお越し下さりありがとうございます。改めまして、自己紹介をさせて頂きます。私、ギルド長を創設神から任命されております、ロイマン・マルディールと申します」

 

「うん、わざわざありがとう。それじゃあ、ボク達も自己紹介しようかな。ボクは炉の女神ヘスティア、こっちは、眷族のベル・クラネルだ」

 

「初めまして、ギルド長! 私はベル・クラネル! こうしてお会い出来てとても嬉しく思う! 貴方とは前々から話したいと思っていたんだ!」

 

 ヘスティアとベルが、ロイマンに自己紹介する。

 ロイマンは「ええ、宜しくお願い致します」と表では朗らかに返しながら、その内心では、相手を──特に、ベル・クラネルを値踏みしていた。

 報告書通りの、騒々しさ。特に、詐欺師を思わせる胡散臭い笑みはまるで神のようで気に食わない。

 だが、礼儀は弁えている。背筋はピンと伸びており、自分への敬意も隠していない。ロイマンは自分の容姿が馬鹿にされているのを知っているが、少なくとも、目の前の少年からは何も感じない。あるいは、ロイマンに感じさせないだけの演技をしているのだろう。

 冒険者らしくない、冒険者。

 

(いや、敢えて言うのなら──『道化(どうけ)』か)

 

 それがロイマン・マルディールがベル・クラネルに抱いた第一印象だった。

 

「ギルド長、話が終わったら、この後個人的に二人きりで話がしたい! 勿論、貴方に時間の都合があればで全然構わないのだが!」

 

「申し訳ございません、クラネル殿。この後は業務がありまして、また後日で宜しいでしょうか?」

 

「そうか、分かった! こちらも無理を言って済まない! それでは、また後日! せっかくだ、その時は貴方行きつけの店で食事をしたい!」

 

「…………度々申し訳ございません、クラネル殿。私は管理機関(ギルド)に属している身、ましてやその長たる私が一人の冒険者と必要以上に接する訳にはいきませぬ」

 

「むっ、それもそうか。残念!」

 

「申し訳ございません」と誘いを断った事を謝罪しつつ、ロイマンは内心でベルへの警戒度を上げる。

 

「それで、お二人は本日何のご用件でいらっしゃいますかな?」

 

「うん、まずは『特例措置』に則って、ベル君の現在の【ステイタス】を報告しようと思ってね」

 

「なるほど。しかし女神ヘスティア、こちらがお願いした日まで、まだ数日ありますが……」

 

 言外で、【ヘスティア・ファミリア】の行動は非常識だと指摘する。

 

「それについてはごめんよ、ギルド長君。これはあくまでもついでなんだ。他のギルド職員から伝わっていると思うけれど、本題は別にあってね」

 

「……その内容を、伺っても宜しいですかな?」

 

「ああ、もちろんさ。実はボクの眷族は他派閥の眷族とパーティを組んでいたんだけれども、迷宮(ダンジョン)探索中に騙されてしまってね。幸い、この子は無事だったんだけど……その事を相談したいんだ」

 

 そこでようやく、ロイマンは【ヘスティア・ファミリア】の用件が分かった。

 そして、一つ思い出す。確か、部下のハーフエルフが提出してきた報告書には、ベル・クラネルが他派閥の眷族のサポーターと長期契約を結んだ事が書かれていたか。

 

「……確認ですが、その他派閥とは……──」

 

「【ソーマ・ファミリア】さ」

 

 ヘスティアが()()()()()()答えた。

 

「なるほど、話はよく分かりました」

 

 ロイマンは鷹揚(おうよう)に頷きながらも、内心では面倒事になったと舌打ちしていた。

 何の因果かは知らないが、このベル・クラネルという少年は余程の巻き込まれ体質のようだ。

 

「それでは先に、クラネル殿の【ステイタス】をお教え頂けますかな?」

 

 ロイマンは話を切り出した。この後控えている話を思うと気が重いが、これで少しでも気を紛らわせよう。

 ヘスティアが頷き、ベルを無言で見遣る。眷族は主神の神意に従い、着ていた黒色の平服を脱いだ。

 

(ほう、思ったよりも鍛えているな)

 

 露になった冒険者の上半身を見て、ロイマンは率直にそう思った。

 冒険者歴二月にも満たない冒険者にしては、身体が出来ている。

 

「それじゃあ、【ステイタス】の『(ロック)』を解錠する。とはいえ、『特例措置』に則り、『基本アビリティ』のみとするよ」

 

 そう言うと、ヘスティアは掛けていた『(ロック)』を解錠した。男子にしてはやたらと綺麗な白肌に、黒色の文字──神々が扱う【神聖文字(ヒエログリフ)】が浮かび上がってくる。

 

「これが、今のベル・クラネルの【ステイタス】だ」

 

 いくら『期待の新人(ルーキー)』とはいえ、『基本アビリティ』の評価は精々が【F】か【G】くらいだろう。

 そんな予想は、あっさりと外れた。

 

「ンなっ……!?」

 

 驚愕で目を見開いたロイマンは、自分の目が節穴なのではないかと疑った。

 ロイマンは異常な数値を見せるそれを、呆然と見詰める他なかった。

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:S940

 耐久:C672

 器用:S930

 敏捷:SSS1126

 魔力:E491

 

 

§

 

 

 

(馬鹿な……!? 有り得ない!?)

 

 否定の言葉を脳内で作るも、目の前の数値は変わらず。それが事実なのだと、淡々と突き付けた。

 

「──何故ボクが、『特例措置』をお願いしたのか、これで分かってくれたかな?」

 

 声のした方に顔を向ければ、いつの間にそこに居たのか、ロイマンの半歩後ろにヘスティアが立っていた。

 

「め、女神ヘスティア……これは一体……!?」

 

 具体性に欠けた質問。それはロイマンが普段から忌避してやまない、衝動的なものだった。

 だがそんな事は今どうでも良いと思える程、ロイマンは目の前の光景が未だに信じられなかった。

 

「言っただろう、これが今のベル・クラネルが居る階段(ステージ)だとね」

 

 女神の言葉に嘘は微塵も感じられなかった。

 ロイマンは驚愕を振り払うように顔を振ると、再度、少年の背に刻まれた【神聖文字(ヒエログリフ)】を見返した。

 

(何なのだ、この【ステイタス】は……ッ!?)

 

 ロイマン・マルディールは一世紀という長い年月の間、管理機関(ギルド)の最高権威者に就いている。それを可能にしているのは本人の能力の高さもあるが、エルフという長寿種族なのが最大の要因である。

 そしてこれまでの間、ロイマンは様々な異常存在(イレギュラー)を見てきた。特に近年は冒険者の黄金時代とでも言うべきであり、この『英雄の都』では数多くの『英雄候補』が誕生している。

 

(たった二月で、ここまでの階段(ステージ)に到達出来る筈がない! 『神の恩恵』とは、そういった物では断じてない!)

 

神の恩恵(ファルナ)』とはあくまでも、『可能性』。『促進剤』に過ぎないのだ。

 だがベル・クラネルのそれは、その範疇ではない。一体何をどうしたら、こうなるのか。

 

「先に言っておくけれど、『改造』なんて事は一切してないよ。それはボクの真名(しんめい)に懸けて誓おう」

 

 神々がその真名(しんめい)()ける時、そこには言葉以上の重みと意味が伴う。言わばそれは、その神の存在、その在り方を証明するという事。

 破れば、それは神ではなくなる。

 

(だが……だが! 『改造』と言われた方がまだ納得出来るというものだぞ、これは!?)

 

 女神は『改造』をしてないと言った。

 だが優秀なエルフは、優秀であるが故にその言葉に納得出来なかった。

 

(一番の問題点は全アビリティが二月とは思えない程の評価を得ている事──ではない! 何なのだ、()()S()S()S()】とは!? このような評価項目、聞いた事も見た事もない!)

 

『基本アビリティ』の最高評価は評価【S】の999が限界だった。それ以上は上がらず、冒険者は評価【S】や評価【A】に到達するとそこで見切りをつけ、『昇格』を果たす。

 それが、これまでの常識だった。

 だが、ベル・クラネルはその常識を軽々と破った。否、文字通り壊した。常識なんてものは知らないとでも言うかのように、自分の限界など知らないとでも言うかのように。

 アビリティの限界突破──それを、もう一段階、超えている。

 

(『偉業』……!)

 

 ロイマン・アルディールは、これを『偉業』だと思った。

 千年。

 神時代(しんじだい)が始まって、千年。千年もの間誰も到達した事がない地点に、ベル・クラネルは立っている。

 

(いつ『昇格(ランクアップ)』しても可笑しくない! もしそうなれば、【猛者(おうじゃ)】はおろかあの【剣姫(けんし)】の記録を塗り替える!)

 

 そして恐らくは、二度とその記録が変わる事はないだろう。

 

(恐らくは……『スキル』が関係しているに違いない)

 

 もし本当に女神の言う通り、『改造』されていないのだとしたら、この驚異的な成長……否、飛躍を説明するには『スキル』や『魔法』しか考えられない。

 冷静さを取り戻したロイマンは、自分の視線が、少年の【ステイタス】の下部分……即ち、『スキル』や『魔法』が書かれているスロットに下がるのが堪えきれなかった。

 だが、女神が許可したのは『基本アビリティ』の数値のみ。

 そして、ロイマンは引き際を弁えていた。ヘスティアが見ている前で一歩後ろに下がると、少年へ声を掛ける。

 

「確認致しました。もう宜しいですぞ、クラネル殿」

 

「あっ、終わったー? くぅー、エルフの美顔にジッと見詰められると、胸がドキドキしちゃうネ!」

 

「ハハハ……何をご冗談を」

 

 テンション高い少年に、ロイマンは大人の対応をした。内心ではヒューマンを罵倒していたが。

 

「そして、これが今月分の納税だ。確認してくれ」

 

 ヴァリス金貨の入った巾着袋を、ヘスティアが手渡してくる。ロイマンはそれを受け取ると、すぐに確認する。

【ヘスティア・ファミリア】の等級(ランク)は最低評価であり、その分、管理機関(ギルド)への納税額も少ない。だが『特例措置』に則り、額はその二倍となっている。

 

「こちらも確認致しました。問題ありません」

 

 ロイマンはそう言うと、ギルド長の捺印がされた納税証明書をヘスティアへ手渡した。

「ありがとう」とロイマンヘ短く礼を言ったヘスティアは、彼等にとっての本題に入る。

 

「さて、それじゃあ、申し訳ないけれどボク達の相談に乗ってくれるかい?」

 

「ええ、勿論ですとも神ヘスティア。私達管理機関(ギルド)は冒険者への協力を惜しみません」

 

 すると、少年がピクりとロイマンの言葉に反応を示す。一瞬、眉を顰めたのをロイマンは見逃さなかった。

 何か気に触るような事を言っただろうかと内心で思いつつ、ロイマンは話を続ける。

 

「それでは、お話をお聞かせ下さいませ」

 

「ああ……──と、言いたい所だけど。ギルド長君、実はこの話には他の者も交えてしたいんだ。良いかな?」

 

「……? それは、この件の関係者という認識で問題ないですかな?」

 

 ギルド長の質問に答えたのは、女神ではなくその眷族だった。

 

「私が呼びたいのは、()()。全員が当事者だ」

 

『私が』? 

 その言い回しに引っ掛かりを覚えつつも、ロイマンはその提案に頷いた。

 それは、『モンスター脱走事件』で迷惑を掛けてしまった【ヘスティア・ファミリア】に頭が上がらないという思いがあるが故の判断だった。

 少しでも【ヘスティア・ファミリア】からの管理機関(ギルド)への心象を良くしなければならない、という打算があった。

 

「承知しました。呼んで頂いて構いません」

 

「ありがとう、ギルド長。すぐに呼んでこよう」

 

 ベルはそう言って笑みを深めると、部屋を出ていった。

 

「あー、ギルド長君」

 

「はい、何でしょうか?」

 

 ロイマンが返事をすると、ヘスティアは何故か口篭りつつこう言った。

 

「先に言っておこう。今、ボクの眷族は怒っている」

 

「……怒っている? それは、何故ですかな?」

 

「それは──」

 

 ヘスティアが答える、その直前。

 ノックの音がし、少年が戻ってきた。言葉通り、背後には人を連れている。

 というか、そのうちの二人をロイマンはよく知っていた。

 

「神ガネーシャ! それに、【象神の杖(アンクーシャ)】!?」

 

 そこに居たのは、象の仮面を被った上半身裸の神と、群青色の髪を持つ麗人だった。

【ガネーシャ・ファミリア】主神のガネーシャと、その団長、シャクティ・ヴァルマである。

 

「俺が、ガネーシャだッ!」

 

「ガネーシャ……それは先程やったばかりだろう……」

 

「うむ、そうだな! だが、やらなければならない! それが、ガネーシャである!」

 

 想像さえしなかった二人の登場にロイマンが混乱していると、最後尾に居た人物がおもむろに、ロイマンの前に出た。

 栗色の髪に、同色の瞳。ヒューマンの子供か、それとも小人族(パルゥム)か。

 ロイマンがそう訝しんでいると。

 ベルが、深紅(ルベライト)の瞳を輝かせながら決然とこう言った。

 

「ギルド長。話というのは、今のオラリオが抱えている問題についてだ。私はそれについて、今此処に居る貴方達と議論したい」

 




次のお話で、リリルカ・アーデのお話は一区切りつきます。
約四十話も使って、私が何を書きたかったのか。何を伝えたかったのか。それは次のお話で明らかになるかと思いますが、ここまでついてきてくれている読者の皆様なら察しているかもしれませんね。


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問題提起(クエスチョン)

 

 雰囲気が、一変した。

 否、豹変と言った方が適切だろう。

 ロイマンはそれと対峙(たいじ)した瞬間、自然と背筋を伸ばし臨戦態勢を取っていた。

 

「この都市、オラリオが抱えている問題……? それを、此処に居る者で議論したいと?」

 

「ああ、その通りだ。とはいえ、直接的に話を交わしたいのはあくまでも貴方だ、ギルド長」

 

 燃えるような深紅(ルベライト)の瞳が、妖精の碧眼をまっすぐ射抜く。

「なるほど」とロイマンは表向きは優雅に頷きながら、目の前の得体の知れない存在について思考を巡らした。

 

(何だ……!? 何なのだ、この圧力は!?)

 

 驚愕が支配する。

 それだけ、ベル・クラネルが見せた変化は衝撃的だった。

 その辺に居る少年ではなく、又、感じていた『道化』のそれでもない。

 ロイマンは、自分が誰と相対しているのか見失いそうになっていた。

 

()()()()()()()()超越存在(デウスデア)のそれとは全く違う。強いて言うならば、まるで、【勇者(フィン)】と話しているようだ……)

 

 脳裏に思い浮かぶのは、黄金色の髪を持つ小人族(パルゥム)。あの少年も、目の前の少年のように、ギルド長の自分が相手でも生意気な態度を……。

 

(……違う! 【勇者(ブレイバー)】ではない!)

 

 思い違いを正す。

 フィン・ディムナのそれは、格上の相手にそうだと幻覚させる為の、自分が対等に見せる為の演技。小人族(パルゥム)蔑視が今尚ある下界で戦っていく為、小人族(パルゥム)の少年が身に付けた処世術。

 だが、違う。

 違うのだ。

 目の前の只人(ベル・クラネル)のそれと【勇者(フィン・ディムナ)】のそれは似て非なるもの。

 何故、此処に【ガネーシャ・ファミリア】の団長とその主神が居るのか。

 今尚正体を明かしていない小人族(パルゥム)女子(おなご)は誰なのか。

 まず先に聞かなければならない事がある。

 だがロイマンはそれを些末な疑問だと断定し、切り捨てる。

 

「それがクラネル殿……貴方の本当の用件なのですね?」

 

「ああ、そうだ。私は一度、これについて都市運営者と話をしたいと思っていた。これまでは機会に恵まれなかったが、今がその時なのだろう」

 

「なるほど……して、その疑問とは?」

 

 静かに尋ねるロイマンに、ベルもまた静かに答える。

 しかし彼は、話題転換を図った。左隣に座っている女子の肩を持つ。

 釣られて、ロイマンも彼女へ視線を送った。

 

「まずは、彼女の話を聞いて欲しい。彼女は私の仲間のリリルカ・アーデ。所属は【ソーマ・ファミリア】だ」

 

 ロイマンは思い出した。

 少年の担当アドバイザーが上げてきた最新の報告書。その中には、少年が他派閥のサポーターを長期契約した事が書かれていた。

 その相手が、緊張した面持ちをしている小人族(パルゥム)の少女なのだろう。ロイマンが視線を向けると、栗色の瞳が揺れた。

 

「り、リリルカ・アーデと申します……」

 

 萎んでいく語尾。最初は上げていた顔も、自己紹介が終わった頃には下を向いていた。

 

小人族(パルゥム)め……)

 

 ()()()()小人族(パルゥム)()()()姿()()()()()()()()()()()()()()。この場に相応しくない振る舞いに、エルフのロイマン・マルディールは彼女を侮蔑の眼差しで見てしまう。

 そして、それは限りなく悪手だった。

 只人が見詰めていた事に、平生より余裕がないエルフは気が付かなかった。

 

「彼女は、同じ【ファミリア】の冒険者から酷い扱いを受けている。まずは、彼女の話を聞いて欲しい」

 

「……それが、クラネル殿の話に繋がるのですかな?」

 

「ああ、そうだ。避けては通れない」

 

 只人が、そう、断言する。

 ロイマンは逡巡の後に、頷き返した。

 

「…………ならば、良いでしょう。──お願い出来ますかな、アーデ殿?」

 

「は、はい! 良くある話なのですが──」

 

 そう言って断りを入れた小人族(パルゥム)の話は、取るに足らない、『良くある話』だった。

 曰く、生まれは【ソーマ・ファミリア】。両親は幼い頃に無謀な探索によりダンジョンで蒸発し、小人族(パルゥム)の上に戦う才能の無かった少女は『冒険者』の道を諦めて『サポーター』として生きるようになり、仮にも同じ神血(イコル)を流す眷族からは奴隷のような扱いを受け搾取されているのだと言う。

 だが、とロイマンは思う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。寧ろ歓楽街に売られ娼婦(しょうふ)になっていたり、都市外に出荷されて奴隷になったりしていないだけ遥かにマシだ。

 そう。

 これ以上の『不幸話』など、これ以上の『惨劇』など、この世界には星の数ほどある。

 

「ギルド長、管理機関(ギルド)に一通の文書が届いている筈だ」

 

「……ええ、届いておりますが。それが何か?」

 

「それは、此処に居る他ならない彼女が書いたものだ。そうだろう、リリルカ?」

 

「は、はいそうです! 私が書きました!」

 

 リリルカが強く頷いた。

 そして小人族(パルゥム)のサポーターは、事の経緯を話し始める。

 他派閥の冒険者(ベル・クラネル)とパーティを組み、中々の稼ぎを得ている事を【ファミリア】の集会時に知られてしまい、少年を裏切り金品を騙し取れと脅迫された事。

 それを受けてとうとう、少女に微かにあった【ファミリア】への愛情が綺麗さっぱりなくなり、彼等が練ってきた『計画』へ協力する振りを決め、自分の命を賭けて復讐する事を決意した事。

 

「……私が此処に居るのは、本当に偶々です。元より私は昨日、死ぬ気でいましたから。だから私は、あの文書を書いたんです」

 

 復讐の一つとして管理機関(ギルド)へ内部告発文を送り、歪み切った【ファミリア】の在り方を是正して欲しいと、リリルカ・アーデは切実に嘆願した。

 時間にして、数分。その数分が、少女のこれまでの物語(じんせい)を表していた。

 それらを聞いたロイマンは内心で、

 

(ふん、下らんな)

 

 心底どうでも良いと思っていた。

 ロイマンの、小人族(パルゥム)のサポーターへの認識は何も変わっていなかった。

 

(そもそもの話、この話が真実である証拠は何処にもない。気になる点も幾つかある。内部告発文の内容も然り。内容が盛られている可能性が高くなった。愚かな娘だ)

 

 だがそれを指摘するつもりはない。

 ロイマンにとって大事なのは、下らない『過去』ではなく、『未来』。都市最高権威者として、都市の安寧と秩序、そして発展の為にのみロイマン・マルディールの心は動く。

 それが、ギルド長としての務めだとロイマンは疑わない。

 全ては、人類の『悲願』を果たす為。

 その為の労力を、ロイマンは厭わない。

 

「アーデ殿の話はよく分かりました。アーデ殿の勇気を、私は称えましょう。そして必ずや、その覚悟に応えてみせますとも」

 

 ギルド長としての言葉を、ロイマン・マルディールはつらつらと続ける。

 

「内部告発文の真偽の確認を込めて、当事者たるアーデ殿には後日改めて話を伺いたい。宜しいですかな?」

 

「は、はい。それは勿論です」

 

「ありがとうございます。そして、一つ謝罪を。我々が動けるのは、もう少し後になるでしょう。何しろ、今の管理機関(ギルド)は『神会(デナトゥス)』の準備で多忙故」

 

 管理機関(ギルド)にとって、今の最優先事項は『神会(デナトゥス)』である。その点を強調すると、小人族(パルゥム)の少女は「はい、分かっています」と承知した。

 そんな彼女へ、これまで沈黙を貫いていた【象神の杖(アンクーシャ)】が声を掛ける。

 

「元より、【ソーマ・ファミリア】には昔から悪い噂があった。それこそ、『暗黒期』の時からな。だが決定的な証拠がなかった──いわゆる、『グレー』というものだ。アーデ、他ならないお前からの密告があれば真実が白日のもとに晒されるだろう。私達【ガネーシャ・ファミリア】も、管理機関(ギルド)への協力は惜しまない。そうだろう、ガネーシャ」

 

「YES、ガネーシャ!」

 

『都市の憲兵』の言葉に、少女が安堵の表情を浮かべる。

 と、ここで、ベルが口を開いた。

 

「リリルカは【ソーマ・ファミリア】の眷族から、死んだと思われている筈だ。そうだろう、リリルカ?」

 

「え、ええ。恐らくは……ですが……」

 

「彼女にはもう、自分の【ファミリア】に居場所がない。もし戻ったら、今以上に危険な目に遭うだろう。だから、私達【ヘスティア・ファミリア】が身柄を預かりたい」

 

 正直な所、小人族(パルゥム)の逃げ場所などロイマンにとってはどうでも良かった。

 だがそれとは別に、一つの疑問が生まれたのも事実であった。

 

「此処に居る【ガネーシャ・ファミリア】は頼らないのですかな?」

 

 そう、何も【ヘスティア・ファミリア】である必要はないのだ。

 それこそ、『都市の憲兵』たる【ガネーシャ・ファミリア】に任せれば良い。民を守る。それがこの派閥の役割であり、責務だ。

 眷族がたった一人しか居ない零細派閥の出る幕はない。【ガネーシャ・ファミリア】が最も適任だ。

 

「いいや、これについてはこれ以上第三者を巻き込む訳には行かない」

 

「……ほう。それは、何故?」

 

()()()()()()改宗(コンバージョン)()()()()()()()()()()。それが答えだ」

 

 ロイマンは自分の耳を最初疑った。思わず目の前の只人を見返すも、前言撤回される事はなかった。

 

改宗(コンバージョン)だと……? この小人族(パルゥム)に、それだけの価値があるとでも?)

 

 只人から視線を外し、じろりと、小人族(パルゥム)の少女を見る。視線が合うと、少女は居心地悪そうに身動ぎした。

 ギルド長は次に、只人の主神に顔を向けた。話が始まってから現在に至るまで一言も言葉を発してこなかった女神へ、声を掛ける。

 

「……女神ヘスティア。クラネル殿が仰った事は、貴女も認めているのですかな?」

 

「ああ、勿論さ。ベル君だけじゃない。ボクはこの()を、眷族(むすめ)にしたいと思っている」

 

 蒼の瞳は揺れることなく、女神の神意を表していた。

 

「……他派閥からの改宗(コンバージョン)はとても難しい。失礼ながら、それをお分かりになられていない」

 

 改宗(コンバージョン)

 それは所属している派閥から、他の派閥へ移籍する事。無所属(フリー)からの勧誘とは違い、この改宗(コンバージョン)制度を用いる事はとても難しい。

 何故ならば、『所属している派閥の主神の許可』が絶対的な必要条件としてある為だ。

 神の代理戦争の側面がある【ファミリア】運営に於いて、改宗(コンバージョン)とは、自分の派閥の情報がそのまま漏洩してしまうというリスクがある。それを防止しようと思うのは当然である。

 余程の善神(ぜんしん)でなければ、改宗(コンバージョン)は成立しない。

 ギルド長の指摘を、零細派閥の団長は「そうかもしれないな」とあっさりと認めた。

 

「だが、私達は彼女を助けると決めた。その為なら何だってするさ」

 

 理解出来ない、というのがロイマンの本音だった。

 これが例えば、優れた魔法を持つ妖精(エルフ)や力自慢の土の民(ドワーフ)なら分かる。

 だが、何故、この小人族(パルゥム)なのか。【勇者(ブレイバー)】や【炎金の四戦士(ブリンガル)】のような才覚が、この小人族(パルゥム)にあるとでも言うのだろうか。

 

(まさか。この小人族(パルゥム)の『器』は正しく凡夫のそれ。間違っても『英雄の器』でもなければ、『英雄候補』の末席に名を連ねる事さえ出来やしない)

 

 それが、ロイマン・マルディールの見立てであった。

 そして、ロイマンは自分の考えが正しいと思っている。

 それ故に、ロイマンは分からない。()()──。

 

「──何故、リリルカをそうまでして助けようと思うのか」

 

「ッ!?」

 

「ギルド長、貴方の考えは凡そこのようなものだろう」

 

 自分の内心を当てられ、ロイマンは目を見開いた。

 驚愕するロイマンヘ、ベルはこう言った。

 

「人を助けるのに、特別な理由が必要だとは私には思えない。──リリルカは私の大切な仲間だ。そして、仲間が困っているのなら、何とかしてあげたい。助けたい。私は、そう思っているだけだ」

 

 続けて、ベルは言った。

 

「ギルド長の言った通り、シャクティ達に任せる方法もあるとは思う。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 責任の所在を言っているのだと、ロイマンは理解した。

 

「……承知しました。元より、私のはただの疑問。それが【ヘスティア・ファミリア】の総意なのであれば、それを尊重しましょう」

 

「ありがとう、ギルド長」

 

 そう言うと、ベルは歳相応の無邪気な笑みを浮かべた。

 これにより、リリルカ・アーデの身柄は【ヘスティア・ファミリア】が預かる事になった。

 これから先どうなろうと、最悪、『抗争』にまで発展しようと、管理機関(ギルド)と【ガネーシャ・ファミリア】は感知こそするが、干渉はしない。

 そう言った取り決めが今()された。

 

「さて、話の続きをさせて欲しい」

 

 そして、迂遠(うえん)していた話が続く。

 そう、今しがたの話はあくまでも話の『本筋』ではない。勘違いしそうであるが、始まってすらないのだ。

 

「────問おう」

 

 そう言った只人の瞳は、今日一番の輝きを放っていた。見る者を惹き付ける、宝石の紅玉(ルビー)にも似た深紅(ルベライト)の瞳。

 その瞳を(もっ)て、()は言った。

 

「『冒険者』と『サポーター』の間に生じている不和。管理機関(ギルド)はこれについてどう思っている?」

 

「ッ……!?」

 

「私は、それを知りたい」

 

 その声音は、今まであったものとは程遠く、ゾッとする程の冷たさを帯びていた。

 そこで、ロイマンは思い出す。

 少年の女神が事前に告げてきた、忠告を。

 

 ──先に言っておこう。今、ボクの眷族は怒っている。

 

 ロイマンは改めて、ベルを見た。

 そしてロイマンは、女神の言葉の意味をようやく理解した。

 得体の知れない『何か』──正しく、異常存在(イレギュラー)が目の前に居る。

 

「私は何も『サポーター』という概念そのものを否定している訳ではない。個人差というものはどうしても生まれてしまう。才能という言葉で一括りにはしたくないが、それは事実としてある」

 

 だが、と只人は言葉を続ける。

 

「ギルド長、それを考慮しても彼等の境遇……いや、環境と言おうか。あまりにもそれは、劣悪だ。此処に居るリリルカのように、私はダンジョン探索中、沢山の『サポーター』が『冒険者』から虐げられているのを見た」

 

 言葉が段々、重くなっていく。

 

「強靭な肉体を持つ虎人(ワータイガー)が、正しく『荷物持ち』のような扱いをされていた。彼だけじゃない。殆どの『サポーター』が大なり小なり似たような扱いをされている。顔を俯かせ、身体を酷使し、その働きに見合った正当な報酬が支払われる事は殆どなく、自分自身を追い詰めている」

 

 地下迷宮(ダンジョン)という現場で見てきた者からの言葉を、地上という安全地帯に居るギルド長は否定しない。

 

「彼等はそれを、受け入れてしまっている。モンスターと戦う才能がないのだと、()()()()()()()()()()()()()()。そう自分に言い聞かせ、諦観してしまっている。私は、それが許せない」

 

 只人はそう言って、自身の想いを口にした。

 

「……そんな事を、思っていたんですね」

 

 この部屋に来て初めて見せる少年の激情に、仲間の小人族(パルゥム)の少女が戸惑いの表情を浮かべる。

『群衆の主』とその眷族が口を閉ざし静観する中。

 

「……良いでしょう。クラネル殿の疑問に答えましょう」

 

 ロイマンはギルド長として、『冒険者』の疑問に答える事を了承した。

 ティーカップに手を伸ばし、すっかりと冷めてしまった液体を飲み干す。その後、自身の碧眼を深紅(ルベライト)の瞳に向ける。

 

「まずですが、クラネル殿が先程仰った問題は我々も把握しています」

 

「つまり、その上で容認をしていると?」

 

「一つ、訂正を。容認ではありません。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ロイマン・マルディールは一呼吸置き、被害者(リリルカ)一瞥(いちべつ)してから説明する。

 

「クラネル殿が【ヘスティア・ファミリア】に所属しているように、殆どの冒険者は各々、神の派閥(ファミリア)に所属しています。何故だか分かりますかな?」

 

「モンスター──引いては、ダンジョンが危険だからだろう」

 

「如何にも、その通りです」とロイマンは肯定する。それから、長寿種族たる妖精は言った。

 

「神々がこの下界に降臨したのは、およそ千年前。それまで人類は、精霊の助力こそありましたが自分達の力でモンスターと戦ってきました。この辺りの歴史は、ご存知ですかな?」

 

「ああ」と少年は、即答した。

 

「空は支配され、海は血で汚され、森は焼かれた。そんな、嘆きと絶望しかない時代だった。人々に笑顔はなく、ただ、涙と絶望だけがあった」

 

 まるでその目で見てきたかのように、只人は吟遊詩人が詩を(うた)うように言った。真意の読めないその表情は、書物から得た情報をそのまま口にしているとは、ロイマンには到底思えなかった。

 

「──一つ、この世界の物語(れきし)を振り返りましょうか。クラネル殿の疑問に答える為には、それが必要でしょうからな」

 

 妖精は時代を送り届ける賢者の眼差しで、おもむろに話し始めた。

 

「『古代』初期──人類の生存領域はとても狭まっていたと、数少ない文献には書かれています」

 

「そうだな。私も、認識の齟齬があるのならそれを把握しておきたい」

 

 独特な言い回しをする、只人。

 ロイマンがそれについて尋ねる前に、ガネーシャがらしくなく静かに頷いた。そして、男神は言う。

 

「俺達はその時天界で色々あったからな。下界の様子を定期的に見ていたのは余程の神格者(じんかくしゃ)か、余程の暇神(ひまじん)だけだった」

 

「あの時は本当に大変だったみたいだね。まあ、ボクは自分の神殿に引きこもっていたから詳しくは知らないけど」

 

()()()()()()()()()()()()()()()好々爺(こうこうや)()()()()()()。だがあの好々爺も、その時までは激怒していたからな。だからこそ、それまでの雷霆が嘘だったかのように大神の領域が晴れたのには驚いた」

 

 下界の子供たるロイマンには、男神と女神が何を言っているのか推し量る事は出来そうになかった。

 こほん、とギルド長は咳払いをすると話を戻す。

 

「……今尚、正確な時機(じき)は不明ではありますが──()()()()()()()()()()()()()()()()()()。現代で『英雄』と呼ばれる者達が立ち上がり、魔物の侵攻を徐々に押し返し始めたのは」

 

 ()()、人類が反撃の狼煙(のろし)を上げたのか。

 ()()、人類が曲がりなりにも種別の垣根を越えて団結を見せるようになったのか。

 

切掛(きっかけ)』──『引鉄(トリガー)』は何だったのか。

 

 今尚学者達の間で定期的に議論されている議題の一つが、それだ。

『何か』が起こったのは間違いない。だが、その『何か』が何かは未だに解明されていない。

 だが、『誰か』が意図的に隠しているのは間違いない。まるで真実を知る者は居なくて良いように、巧妙に隠されている。

 何故ならば、そうでなければ説明がつかないからだ。当時の価値観や時代背景を考慮すれば、現代から見てもそれは疑いようのない『偉業』である。

 

「昔日の『英雄』達の活躍により、人類は少しずつ活動領域を拡大していきました。そして、大陸の『大穴』──即ち、此処、ダンジョンへ辿り着いてみせたのです」

 

 ギルド長は話を続ける。

 

「『大穴』から溢れ出てくる大いなる魔物。その魔物と戦いながら『橋頭堡(きょうとうほ)』を築くのに、一体どれだけの犠牲と時間が掛かったのでしょう。そして維持が可能になると、今度は『大穴』を監視する者が必要となりました。それが現代に於ける管理機関(ギルド)です」

 

 それはつまり、管理機関(ギルド)の歴史とは人類史とほぼほぼ等しいという事を意味している。

 それを理解したのだろう、小人族(パルゥム)の少女が生唾を呑み込んだ。

 

「時代はさらに流れ……突如として、何の前触れもなく、神々が天界より降臨されました。そして、神々は私達下界の住人に『(かみ)恩恵(おんけい)』を授けて下さったのです」

 

 下界に降臨するにあたり、神々は『神の力(アルカナム)』を封印した。そして全知全能から、全知零能になった。

 神々は『神の恩恵(ファルナ)』を望む者に与え、子供達はそれに感謝し衣食住を提供した。

 神々と子供達による共存生活はそのように始まり、今尚、この形は続いている。

 それこそが、【ファミリア】という神による派閥運営である。

 

「先程申し上げた、『領域ではない』という意味がそこにあります。知っての通り、【ファミリア】とは『神の代理戦争』の一面がある。その【ファミリア】の問題は、その【ファミリア】で解決しなければならないのです」

 

 ギルド長がそう言うと、『都市の憲兵』、その団長も続いて言った。

 

「ギルド長の言う通りだ。余程の例外がなければ、中立の立場である管理機関(ギルド)が【ファミリア】へ干渉する事は出来ない。それを行使する時も、慎重な対応が求められる。もしその対応が間違っていた場合、管理機関(ギルド)への信用はなくなり、有事の際の命令権も剥奪されてしまうだろう」

 

 もし管理機関(ギルド)という抑止力が無くなれば、この迷宮都市は無法都市となる可能性が高い。

 

「クラネル殿の指摘は何も間違っていません。認めましょう。『冒険者』と『サポーター』の間には不和があります。それこそ、『冒険者』と『民衆』以上に大きいと言えるでしょう。なまじ、同業者でありますから」

 

『冒険者』から見た『サポーター』は、才能がない落ち溢れ。自分達がモンスターと命のやり取りをしているのを、安全地帯の後方から眺めている卑怯者。『荷物持ち』でしか用途はなく、代わりなど幾らでも居る有象無象。

『サポーター』から見た『冒険者』は、決して逆らう事の出来ない加虐者。逆らえばモンスターの餌にされ、『荷物持ち』として雑に使われる。精一杯働いてもそれに応じた賃金は発生せず、搾取されてしまう。

 強者と弱者。

 それがこの二つの関係であり、本来の『支援者(サポーター)』からは程遠く、決して対等ではない。

 

管理機関(ギルド)は把握こそしているが、動く事は出来ない。つまり、そういう事か?」

 

「ええ、そうです。そして──」

 

 ロイマンはその先を言おうか言わまいか判断に迷った。

 そしてその逡巡を、只人は事も無げに言い当てる。

 

「そして、管理機関(ギルド)は『サポーター』ではなく、『冒険者』の肩を持つ。そうなのだろう?」

 

「……ッ! ええ、そうですな……」

 

 ギルド長の言葉を、只人の少年は予想していたようだった。

 そこに落胆はなく。

 悲しみもない。

 ただ、『事実』を確認する。

 

「迷宮都市の主産業は、魔石製品の輸出だと聞いている。魔石製品によって、この都市は発展を重ねてきたと言っても過言ではない。違うか?」

 

「仰る通りでございます。そして、それを作る為の材料……魔石は『冒険者』がダンジョンから持ち帰ってきたものです」

 

「『冒険者』か、『サポーター』か。管理機関(ギルド)としては、利益を出す『冒険者』を優遇するのは必然か」

 

 良く調べている、とロイマンは舌を巻くばかりだった。

 この只人からは、子供のような癇癪が微塵も感じられない。

 

(考え方が、大人のそれではないか。本当に十四なのか……?)

 

 事前準備を入念に行い、この場に臨んでいる。

 ()()()()()()()()()()()小人族(パルゥム)()()()()()()()()()()()()()()()()()。本人にその気はなくとも、ロイマンにはそう映ってしまっている。

 

「話は分かった。問題解決が難しいのも、管理機関(ギルド)の事情も分かった。その上で、私はギルド長に問題提起しよう──このままで、本当に良いのか?」

 

「……と、仰いますと?」

 

「貴方達も分かっている筈だ。『冒険者』と『サポーター』の不和……これを放置し続ければ、大きな火種となる事は」

 

 言葉に詰まる、ギルド長。

象神の杖(アンクーシャ)】が「どういう事だ、クラネル」と只人へ尋ねる。

 

「搾取され続けてきた彼等が、本当に搾取され続ける事を甘んじて受け入れるだろうか? 私には到底、そうは思えない。不満は溜まり、やがて爆発する。何も不思議じゃないだろう」

 

「……それは、どのように爆発するんだ?」

 

「私の予想では、かなりの規模になる。──()()。たった一人でも大きな問題を起こせば、彼等は同士を助ける為に助けるだろう。これまで一度でも不当な扱いを受けてきた者達は徒党を組み、『冒険者』──引いては、管理機関(ギルド)へ牙を剥くだろう」

 

 それを想像したのだろう。【象神の杖(アンクーシャ)】はその整った顔を歪めた。

 次に疑問を持ったのは、自分の境遇を話した後、いっそ不自然な程に口を閉ざしていた小人族(パルゥム)の少女だった。

 

「……確かに、『サポーター』の不満はかなりの物です。しかし、『冒険者』様や管理機関(ギルド)に歯向かうとは到底思えません。それにこう言っては何ですが、仮に暴動を起こしてもすぐに鎮圧されるのがオチなのでは?」

 

「そうだな。まず間違いなく、私達や管理機関(ギルド)命令の元招集された多くの派閥によって、瞬殺されるだろう。だが一度でもそれが起きたら、それは『禍根』となる」

 

「……『禍根』、ですか。そうかもしれません。しかし私には、先程申し上げたように、全てを投げ打ってでも自滅する道を『弱者(わたしたち)』が選べるとは思えません」

 

「大半の人間はそうだろう。だが中には──いや、だからこそ、とでも言おうか。それが分かっていて尚選べる者が居る。それは『勇気』でもあり、『蛮勇』でもある」

 

象神の杖(アンクーシャ)】がそう言うと、小人族(パルゥム)の少女は中途半端に頷いた。

 二人の会話が終わり、応接間には何度目かの静寂が降りた。

 そして全ての視線が、只人の質問に答えていない妖精に向けられる。

 ロイマンは、おもむろに口を開けた。

 

「現状が良いとは、私達も思っていません。クラネル殿の懸念は尤もなものです。それは認めましょう。しかし、現実的にどうすれば良いのでしょうか?」

 

「『サポーター』への支援を、今以上に強化する。それしかないだろう」

 

「なるほど。それで、その具体的な内容は?」

 

 ギルド長が問うと、只人の『冒険者』は即答した。

 

「幾つかあるが──例えば、正当な報酬を受けていない『サポーター』に、迷宮都市(オラリオ)が彼等へ支払う、というのはどうだろう?」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 ロイマンはソファーから勢いよく立ち上がり、只人を強く睨み付けた。

 

「巫山戯ているのか、貴様は!?」

 

 相手が客人である事も、神の御前である事すらも忘れ、ロイマン・マルディールはこれまでの丁寧な対応をやめ、怒声を上げていた。

 今、ロイマンの目には憎たらしい程の澄まし顔をしている只人しか入っていなかった。

 

「先程から下手に出て貴様の話に耳を貸してやっていたと言うのに、何だ、それは! まさか本気で言っている訳ではあるまいな!?」

 

「いいや。私は至って本気だよ、ギルド長」

 

「それならば貴様は、現実が何も見えていないただの夢想家(ロマンチスト)だ! いや、それにすら劣る!」

 

 だがギルド長の怒りを直接浴びても、冒険者は表情一つすら変えなかった。それどころか、笑みを浮かべる始末。

 それが益々、ロイマンの癪に障る。

 

「貴様は、自分が何を言ったのかその意味を分かっているのか!? 如何に荒唐無稽、机上の空論なのか、分かっているのか!? どうなのだ、()()()()()()!?」

 

「そう聞かれると、首を縦には振れないな。だが私が思い浮かぶだけでも、もしそれをやろうと言うのなら、解決すべき問題と課題は山のようにある」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! だと言うのに、何故、そのような提案をしてくる!?」

 

 ロイマンは碧眼をギラつかせ、ベルの深紅(ルベライト)の瞳を真正面から射抜く。

 

「ああそうだろう! 確かにそうだ! 確かに『サポーター』へ最低賃金を設ければ、『サポーター』は満足するだろう! だが、それ以外の者はどうだ!? 前線で命を張っている『冒険者』はどうだ!? 迷宮都市の財源で出すと知った時の、民衆の反応はどうだ!? それだけではない! 貴様のした提案は、これまでの管理機関(ギルド)と【ファミリア】の信頼関係を無にするものだ!」

 

『冒険者』は激怒するだろう。ただでさえ彼等には、『サポーター』を雇ってやっているという意識がある。それだと言うのに、『サポーター』へ手厚いサポートをすると知ったら不満が生じるだろう。

 民衆は戸惑うだろう。何故、自分達が都市に収めている税金がその事に使われるのだろうか、と。

 そして、【ファミリア】──引いては、各派閥の主神は自分の興じている遊戯(ゲーム)に茶々を入れられたと思い、その矛先を管理機関(ギルド)へ向けるだろう。

 

「この時間は正しく浪費でしかなかった! もう、貴様と話す事は何も無い!」

 

 その言葉が喉から出た瞬間、ロイマンは、自分が目の前の只人に『期待』していたのだと自覚した。

『期待』……そう、『期待』していたのだ。

 もしかしたら、この只人こそが久しく登場していなかった『英雄候補』になれるのではないかと、そう、心のどこかで思っていたのだ。

 だがそれは、『失望』に変わった。

 せめて二柱の神と【象神の杖(アンクーシャ)】には謝罪をすべきかと思った、その時。

 

「貴方は、この都市を愛しているのだな」

 

 ごく自然と、ロイマンはベルへ身体を向けていた。

 ベルは、とても穏やかだった。口角を上げ、とても嬉しそうに笑っていた。

 

「オラリオを愛している……!? 何を言うのかと思えば!」

 

「違うのか? いいや、違わないだろう?」

 

「……っ」

 

 口を閉ざすロイマンへ、ベルは言う。

 

「貴方のこれまでの発言は、都市の未来を憂いた物ばかりだった。そこに、貴方の個人的な感情はどこにも無かった。貴方は、公私混同しない優れた組織の長で──尊敬に値する、とても素晴らしい妖精だ」

 

 ロイマンは、自分の内に秘めている想いを口にした事は全くない。それこそ、自分が仕えている創設神や、付き合いの長い生意気な小人族(パルゥム)を除けば、ゼロに等しい。

 それ故にロイマン・マルディールは他ギルド職員から『豚』と呼ばれているし、冒険者からは嫌われているし、神々からはちょっかいを掛けられている。

 だが、それで良いとロイマンは思っている。理解者など居なくても、この『英雄の都』が栄えてくれれば、それで良いのだ。

 そんなロイマンの内面を、ベルはその深紅(ルベライト)の瞳であっさりと見透かしてくる。

 動揺するロイマンへ、ベルは賢者のように言った。

 

「どうか、今一度考えて欲しい。貴方はきっと、先程のリリルカの話を聞いて『良くある話だ』と思ったのだろう」

 

「……っ」

 

「貴方のそれは、間違ってはいない。そう……本当に、『良くある話』なんだ。だけど、それを『当たり前』にしては駄目だと、私は思う。『当たり前の悲劇』程悲しい物語は、この世にはないと思う」

 

 ベル・クラネルの言葉は、とても重かった。

 

「そうして見向きもされてこなかった『一』が『百』になった時──私達はそれを『悪』と看做(みな)してしまう。私は、それを防ぎたい」

 

 その言葉を受けて、ロイマンは『暗黒期』を思い出した。

『英雄の都』で起きた、『正義』と『悪』の戦いを。

 

「最初から『一』を切り捨てるのは、やっぱり、おかしいと思う。『サポーター』だけじゃない。この世界には『誰か』が手を伸ばすだけで救える『一』が、確かにある」

 

「……だが、それで『一』を救ってどうするというのだ。もしそれで大多数の『九十九』が救えなければ、意味がなかろう」

 

「その通りだ。それ故に、私は何度でも言おう。まずは目の前の救える『一』を。『一』は『二』となり、『三』となり……段々と大きくなっていく。そうする事で、『九十九』の先──『百』に繋がる。そして、その中には産声を上げていない『英雄の雛』が居る。私は、そう信じている」

 

 それを聞いたロイマンは、鼻で笑おうとして──出来なかった。

 あまりにも都合の良い話だと一蹴する事が、この時のロイマンには何故か出来なかった。

 

(まさか……この私が、ほんのわずかでも共感したとでもいうのか?)

 

 自問自答する。

 

「……何の『力』もない貴様に言われても、説得力が欠片もないわ」

 

 苦し紛れの皮肉も、只人にはまるで効かない。

 

「私は、『英雄』になりたい」

 

「……ッ」

 

「ロイマン・マルディール。迷宮都市(オラリオ)を愛し、この世界を陰から守護する偉大なる妖精よ。どうか、力を貸して欲しい」

 

「…………ッ!」

 

「そろそろ、時代を前に進める(とき)が来た」

 

 差し出された右手。

 ロイマンは周りを見た。

 女神と男神は穏やかに見守り、【象神の杖(アンクーシャ)】と小人族(パルゥム)の少女は真剣な表情を浮かべている。

 

「……」

 

 憎たらしい程の満面の笑みを浮かべている少年の手を、ロイマンは手に取り、すぐに離した。

 

「──良いだろう、貴様に、ほんの少しだけ賭けてやる。私にここまで言わせたのだ、折れてくれるなよ、只人」

 

 

 

 

§

 

 

 

 話が終わった。

 先に【ガネーシャ・ファミリア】が、次にリリルカ・アーデが、そして最後に【ヘスティア・ファミリア】が応接間からソファーから立ち上がった。

 

「待て、ベル・クラネル」

 

 部屋を今正に出ようとするベルを、ロイマンは呼び止めた。

 応接間には、妖精と只人の二人しか居ない。

 そして、ロイマン・マルディールは兼ねてからの疑問を、異常存在(イレギュラー)へ尋ねた。

 

「貴様、何者だ?」

 

 それは、ロイマンが何度も抱いてきた疑問。

 齢十四とは思えない『知識』に、それを活用する『知恵』。他者を圧倒する『覇気』に、惹き付けてやまない『魅力』。

 何よりも最後に見せた、普通の人間では思い浮かべられない──『未来への展望』。

 

「貴様もしや、滅亡した国家の生き残りか? そこの『王族』だったのではないか?」

 

 そう、ロイマンが尋ねると。

 ベルはきょとんとした顔になり、次の瞬間。

 

「あは、あははははははははははっ!」

 

 何が面白いのか、腹を抱えて大笑いした。

 苛立ちを見せるロイマンへ、ベルはすぐに笑いを収めると、こう言った。

 

「いいや、残念ながら違う──私は、ベル。ベル・クラネル。『()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()()()()

 




三ヶ月振りの更新となってしまい申し訳ございません。
今回のお話もまた、難産でした。二回ほど最初から書き直し、今回ようやく、自分が納得のいくお話になりました。
題名の『問題提起』はどういう意味なのか。読者の皆様は分かってくれたと思います。今回のお話はそれだけの意味がある物となっています。
感想等頂けるととても嬉しいです。


そして、次話の題名は『今代の英雄候補達』と書いて『ロキ・ファミリア』と読みます。お楽しみに!

§

追記
小説版『アルゴノゥト』、皆様はお読みになられましたか? まだ読まれてない方は、是非、書店に行って手に取って下さい。きっと、後悔しないと思います。自信を持って勧められます。


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今代の英雄候補達(ロキ・ファミリア)

 

 その日、アイズ・ヴァレンシュタインは朝からソワソワしていた。毎日欠かさず行っている朝の鍛錬は普段の精彩さを欠き、朝食時も食堂の喧騒さが全く耳に入らず友人のアマゾネス姉妹から何度も声を掛けられた程だった。彼女を慕う山吹色の妖精(エルフ)はそれが可憐だと騒ぎ立てていたが。

 アイズは元々、戦闘時以外はぼんやりとしている天然少女だった。最近は他派閥の少年について──それこそ、()()()()()()()()()想いを馳せているのを知っている。

 だが、それを加味しても可笑しい。アマゾネス姉妹の妹、ティオナ・ヒリュテはそれを直感で悟っていた。

 

「ぐぬぬ……」

 

 両腕を組んで友人の今朝からの様子について考えるも、悲しきかな、地頭が良くない彼女がどれだけ考えても答えに辿り着く事はない。

 現実はいつだって残酷だ。

 そしてティオナは考える事を放棄した。手っ取り早く、本人に聞けば良いのだ。

 ティオナが思考していた間に、アイズは朝食を済ませ大食堂を後にしていた。普段よりもだいぶ食事時間が短かったような気がするが、これは気の所為ではないだろう。

 兎にも角にも、行動指針は定まった。

 

「アイズー!」

 

 すっかり冷めてしまった朝食を文字通り丸呑みし、ティオナは食器を下げると食堂を飛び出した。その後ろ姿を、彼女の姉は呆れて眺めていた。

 それから数分後、ティオナは食堂に戻ってきた。ガックリと肩を落としながら、姉の隣に座る。

 

本拠(ホーム)を探し回ったけど、見付けられなかった……」

 

「あら、そう。それは大変だったわね」

 

「ダンジョンにでも行ってるのかなぁ?」

 

 アイズを探すも金髪の少女を見付けることは出来なかった。本拠(ホーム)に居なければ、彼女が行く場所は大概ダンジョンである。

 だがしかし、妹の予想を姉は「馬鹿ね」と一刀両断する。

 

「明日、私達は『遠征』に行くのよ? それなのにダンジョンに行く訳がないじゃない」

 

「うぐっ、それはそうだけどさぁ……。アイズなら有り得るじゃん。準備運動とか言ってさ」

 

 言葉を詰まらせながらも反論するティオナだったが、ティオネは「絶対にないわ」と否定する。

 その断定に、さしものティオナも違和感を覚えた。

 

「もしかしてティオネ、アイズが何処にいるのか知ってる?」

 

「さてね」

 

「あー! それは知っている時の反応だ!」

 

 ティオナは怒った。

 つまりティオナの数分間にも及ぶアイズ探しは全て無駄だったという事だからだ。

 ティオナの推測通りなら、この意地の悪い姉は無駄だと知りながら黙っていたという事になる。

 こんな事が許されて良いのか、否、良くない。

 

「ねー! 教えてよー!」

 

 ティオネの両肩を強く摑み、ガクガクと激しく揺らすティオナ。

 それは傍から見れば姉妹がじゃれ合っている微笑ましい光景だったが、当事者たる姉の心境は『うぜぇ』というものだった。

 

「朝からうるさいわよ、この馬鹿ティオナ!」

 

「なっ!? 馬鹿って言った! 実の妹に! 朝から酷くない!?」

 

「朝だから言うんでしょうが!」

 

 ギャーギャーと騒ぎ立てるアマゾネス姉妹。派閥団員達はいつもの事だと相手にしない。それ所か一瞥もせず、皆、神妙な面持ちをしていた。

 普段の喧騒さが嘘かのように、大食堂は異様な静けさに包まれていた。

 

「……みんな、表情固いね」

 

「そりゃ、そうでしょう。『遠征』は文字通りの命懸け。ましてや前回の事を思えば尚更。寧ろあんたみたいに楽観的な奴の方が珍しいわ」

 

 姉の辛辣な言葉にも、ティオナは「そうかなぁ」と首を傾げる。

 

「だってさ、その日は絶対に来るんだよ? それならさ、少しでも楽しく過ごしたいと思わない?」

 

「……あのねぇ」

 

 妹の呑気過ぎる発言に、ティオネは怒りを通り越して呆れてしまう。

 皮肉を口にしようとした、その時だった。

 ()()()()本拠(ホーム)()()()()()()

 

 

 

「たのもー!」

 

 

 

 それは、とてもよく通る声だった。

 少年と青年の狭間特有の、男子の声。【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)、『黄昏の館』は突如として襲ったその大音声によって困惑が支配した。

 

「ふっ、ここに訪れるのはこれで二度目だな! 一度目は門番に為す術なく追い払われてしまったが、今の私は一味違う! 何故ならば! 私は! 今日! ここに招待されたのだからな!」

 

「ふはははははははは!」と大食堂にまで響く高笑い。その雑音に多くの団員達が顔を顰める中、ティオナはこの声にどこか聞き覚えがある気がしていた。

 

「ちょっ、団長達の配慮を!?」

 

 ティオナが首を傾げるその横で、ティオネは慌てていた。

 

「へーい、そこの門番! 会うのは二ヶ月振りだな! 元気にしてたー?」

 

「黙れ! 貴様のような変質者と私が知り合いな訳ないだろう!」

 

「えー!? でも私達、一度会ってるゼ☆」

 

 見目麗しいエルフの団員が不快極まるとばかりに表情を険しくする中、その雑音はそんなの知ったこっちゃないと言わんばかりに響く。

 

「いやー! 今日も良い天気だネ! おっ、あの雲は何だか鮭に似てない? そう言えばこの前読んだ本に、鮭を好む馬が昔居たとか書いてあったな!」

 

 他者の事を一切考えない、自分本位の意味不明な言動。

 数人の団員が敵襲かと武器を執ろうと動き始める、その直前。

 ティオネは顔付きを変えると、口を静かに開けた。

 

「あなた達は此処で待機してなさい。対応は私達『上』がするわ」

 

「そんな、ティオネさん達の手を煩わせる必要はありません! 僕達が対応を──」

 

「同じ事を二度言わせる気?」

 

 派閥幹部の言葉を、下位団員はそこでようやく完全に理解した。

 これは自分達のような組織の末端が関わってはならない案件だ、と。

 

「そういう事だから、悪いわね。皆、気にはなるだろうけれど『遠征』の準備は怠らないようにしなさい」

 

「「「は、はい!」」」

 

 団員達の返事を聞いたティオネは静かに微笑むと、今なお小首を傾げているティオナの後頭部を引っ叩いた。

 ゴンッ! と軽快とは程遠い音が鳴る。

 

「痛ったァーい!? 何すんの!?」

 

「ボサッとしてるあんたが悪い。ほら、行くわよ」

 

「行くって、何処に!?」

 

 涙目になりながら後頭部を摩る妹に、姉は顔だけ振り向かせて言った。

 

「あんたが探してた、アイズの所よ」

 

 

 

 

§

 

 

 

 アイズ・ヴァレンシュタインはソワソワしていた。ティオナの想像通り、朝から──否、数日前からソワソワしていた。

 無論、そこには理由がある。

 約一ヶ月前、アイズは一人の少年と『約束』を交わしていた。だがそれは中々果たされる事はなかった。

 それは仕方のない事だった。自分は曲がりなりにも派閥の幹部であり、他派閥の少年と気軽に会いに行ける立場ではない。そして少年は少年で、落ち着く暇もなく様々な出来事に巻き込まれているらしかった。

 だが、それも今日で終わりだ。

 数日前、少年と偶然会った仲間のエルフが──自分はあれから一度も会えてないというのに、二度も会っているという。拗ねたのは内緒だ──気を利かせて今日という日をセッティングしてくれた。執拗(しつこ)いくらいに何度も確認したから間違いない。

 そう、アイズは今日という日を心から待ち侘びていたのだ。

 だがそれも、つい先程までは、という注釈がつくが。

 

「えぇい、良い加減にしろ! 貴様! 何をしに此処へ来た!? 此処が【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)だと知っておきながらの狼藉か!?」

 

「おっと、まずは槍を下ろそうか。じゃないと、私が死ぬからネ」

 

「ふざけているのか、貴様!? 何だその舐め腐った態度は!?」

 

「ムッ、それは違うぞ。私はいつだって大真面目だ」

 

「尚悪いわ!」

 

 目の前で繰り広げられているやり取りを前に、アイズは呆然と立ち尽くしていた。

 騒動を聞いて真っ先に此処に辿り着いたのは自分で、今回は誰にも先を越されてないと安堵したのが数刻前のようにすら感じる。

 その安堵を、アイズは今激しく後悔していた。

 

「私は貴方の仲間に招待されて、此処に来た!」

 

「嘘を吐くな! 誰が貴様のような胡散臭い者を本拠(ホーム)に招き入れるか!」

 

「おっと、これは手厳しい!」

 

 アイズは仮にも派閥幹部だ。下位団員が処理出来ないと判断した場合、代わりに対応する責務がある。

 というか、彼を招待したのは他ならない自分。そう言った意味でも、自分が動くべきだろう。

 だが、アイズの足は一向に動き出そうとしなかった。ここで彼等に声を掛けたが最後、抵抗虚しく、あそこに巻き込まれると本能が訴えてくるのだ。

 何故か。

 それは門番が相手をしている人物が、見るからに怪しい恰好をしていた為だ。十人が十人、変質者だと断定するだろう。

 

「しかし、心外だな。一体、私の何処が胡散臭いというのだ!?」

 

「その恰好以外に何がある!?」

 

 門番が突っ込みを入れる。

 それを受けても、変質者は心底不思議そうに首を傾げるばかりだった。

 さて、その変質者の装いと言えば──虹色のコートに、ニードルラビットを模した仮面だった。

 

 ……。

 …………もう一度、言おう。

 

 

 変質者は虹色のコートに、ニードルラビットを模した仮面を被っていた。

 

 

 その破壊力や凄まじく、もし此処に神が一柱でも居ようものなら腹を抱えて地面を転げ回るだろう。そして神速で新たな伝説が生まれるに違いない。

 アイズは、自分が口下手である事を自覚している。もし此処にアマゾネスの友人が居れば通訳もお願い出来たのだが、今此処には居ない。

 つまり、詰みだ。ダンジョンでは凶悪なモンスター相手に無双しているアイズ・ヴァレンシュタインにも、出来る事と出来ない事がある。

 

(どうしよう……どうすれば良いんだろう……)

 

 結果、現実逃避しオロオロする少女が誕生した。

 だが、そうは言っても事態の鎮静化を図る必要がある。それこそ門番が【ガネーシャ・ファミリア】でも呼ぼうものなら益々混沌と化すだろう。

 

(で、でも……私が声を掛けないと……)

 

 アイズの中に居る、幼い少女(アイズ)が『頑張れー!』と応援している。

 そして、アイズがなけなしの勇気を振り絞ろうとした、その時だった。

 

「やあ。相も変わらず、君の周りは賑やかだね」

 

 アイズがハッと背後を振り返ると、そこには黄金色の髪を持つ小人族(パルゥム)の姿があった。

【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナである。さらにその後ろにはアマゾネス姉妹や狼人(ウェアウルフ)も見受けられる。二階の窓からは、王族(ハイエルフ)土の民(ドワーフ)が眼下を見下ろしていた。

 

「来たぞ、友よ! 遅くなってしまい済まないな!」

 

 少年が大きく手を上げる。

 フィンは「本当に、相変わらずだね」と苦笑しつつも、それに応じた。

 

「団長! それに、皆さんも!?」

 

 槍の穂先は少年に向けたまま、門番が顔を振り向かせる。まさか上層部がわざわざ出向いてくるとは思っていなかったのか、そこには驚愕の色がありありと浮かんでいた。

 

「あー、済まない。『彼』は僕が招待していた客人だ。昨日伝えていたと思うけどね」

 

 本当はアイズだが、団長であるフィンが招いたという(てい)にしてある。どうやら今日の門番係には話をしていたようだった。

 

「た、確かにそれは事前に伺っていましたが……」

 

 そう言い淀んだ門番は、途中でハッと変質者を見やった。

 まさか、この変質者が? そう疑心暗鬼に陥る門番に、変質者は得意げに答える。

 

「フッ、【ロキ・ファミリア】の主神は天界きっての道化師(トリックスター)だと耳に挟んだ。それならば、郷に入っては郷に従えという極東の格言がある。私はそれに倣ったまで!」

 

「な、なァ……!?」

 

「そして、驚くが良い! この仮面の下に隠されていた、我が絶世の美男子と呼ばれる所以(ゆえん)の顔をな!」

 

 そう言うと、変質者は仮面を脱いだ。

 白髪紅眼の少年。処女雪のような白髪に、紅玉(ルビー)のような輝きを持つ深紅(ルベライト)の瞳。その姿を見て、アイズは何処か懐かしさを覚えていた。

 

(えっ? 私今、何て……?)

 

 その知らない感情にアイズが困惑する中、少年の素顔を見た門番は衝撃を受けたように呟いた。

 

「ふ、フツメンだ……」

 

「ゴフッ!? さ、流石美男美女しか居ないと(もっぱ)ら評判の【ロキ・ファミリア】……。私の顔面偏差値でようやく、フツメンとはな……」

 

「いや、確かにウチは美男美女が多いが。顔面偏差値の暴力だが。それを差し引いても貴様の顔はフツメンだと思うのが」

 

「うーん、容赦ない言葉が私の心を抉る! 」

 

 盛大に顔を引き攣らせながら、そう強がる変質者。

 門番もそこで、目の前の相手が注意人物──ある意味では注意人物なのだが──ではないと判断したようだった。槍の穂先を下ろす。

 それを見たフィンが、門番へ声を掛けた。

 

「──と、まあ、そういう訳だ。通して貰っても良いかい?」

 

「は、はい! 勿論です、団長!」

 

 門番はすっかりと萎縮してしまっていた。団長が苦笑しながら「気にしなくて良いよ。寧ろ、彼の人柄をまだ理解し切れてない僕の落ち度だ」とフォローする。

 それを見たアイズは、今しかない! と思った。今なら声を掛けられると、そう、思った。

 そして、アイズが口を開く、その直前。

 

「おっ、ドチビのとこの眷族やないか! フィンから話は聞いとったが、来たんやな! 久しゅうー!」

 

 ……。

 開き掛けた口のまま、石像のように固まるアイズ。

 その横を通り少年へ近付くと、ロキは「何やなんや!」と腹を抱えて笑いだし始めた。

 

「何やその仮面! 何処に売っとるん!?」

 

「フッ、何処にも売ってないさ! 何故ならこれは、私が作った物だからな! つまり、世界で一つだけの物(オンリーワン)!」

 

「何やて!? ジブン、見掛けからは想像出来ひんけど、器用なんやなぁ!」

 

女子(おなご)にモテるための努力を、私は決して欠かさない! モテるためには自分を磨く必要があるからな!」

 

「ヒュー! そのドヤ顔、クソほどウザい! その顔面殴りたいでー!」

 

 少年とロキが会って話すのは、アイズの知る限りでは今回で二度目の筈だ。

 だが二人は、まるで旧知の仲でもあるかのように和気藹々(わきあいあい)と談笑している。

 

「まさか、そのコートも自分で作ったんか!?」

 

「残念ながら、それは違う。北のメインストリートで売られていた所を買ったんだ!」

 

「あそこは服飾関係で賑わってるからな! それにしても、このド派手なコートを選ぶだなんて、ジブン、センスなさすぎ!」

 

「はっはっはっ! そう、褒めてくれるな!」

 

「褒めてないっちゅうねん!」

 

 笑い声が通りに響く。

 アイズが呆然と立ち尽くしている間に、話はトントン拍子で進んで行った。

 

「ロキ、彼を気に入ったのは分かったけれどそろそろ中に通そう。ご近所さんに迷惑だからね」

 

「せやな。よっしゃ、行くでぇ! ジブン、着いてこい! ウチが直々に案内したる!」

 

 ロキに肩を回され、少年は移動する。

「アイズ! 良かった、元気そうで何よりだ!」という少年の言葉も、アイズには届かない。

 

「今日は君一人で来たのかい?」

 

「ああ。ヘスティアは諸事情で忙しくてな!」

 

「ねー、あたし、君と何処かで会った事があるような気がするんだけど、どうかな?」

 

「い、妹が逆ナンしてる!? えっ、まさかあんたこういうのがタイプなの!? こういうのが好みなの!? 衝撃の事実なんだけど!?」

 

「……チッ。雑魚が」

 

 そして気が付いた時には、アイズは一人取り残されていた。ヒュゥゥゥ、と風が一つ通り抜ける。立ち尽くすアイズに、門番が「あ、アイズさん?」と遠慮がちに声を掛けてた。

 暫く俯いていたアイズだったが、数秒後、おもむろに顔を上げると門番へ静かに尋ねる。

 

「ベルは……何処……?」

 

 極限まで細められた金の瞳。

 その美しさの中から、門番は得体の知れない恐怖を感じる。あっ、これはヤバい。下手に答えたら死ぬ。言葉に詰まる門番へ、再度、同じ言葉が投げられる。

 

「お、恐らくは応接間だと思われますが……」

 

 門番が何とか舌を動かしてそう答えると、アイズは「そう」と短くだけ言った。

 そして、唇を小さく動かし、呟く。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 刹那。

『風』が、吹き荒んだ。

 突如として出現した暴風に、門番は為す術なく吹き飛ばされる。そして槍を杖代わりに立ち上がった時には、アイズの姿はそこになかった。

 

「一体、何だったんだ……?」

 

 朝からとんだ騒ぎに巻き込まれたものだと、門番は長嘆せずにはいられなかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 文字通りの『風』となりアイズが応接間に辿り着いた時には、既に場は盛り上がっていた。廊下まで聞こえてくる笑い声。それに疎外感を覚えながら、扉をガチャリとわざと音を立てて開ける。

 

「ん? おお、アイズ。何処行っとったんや? アイズが呼んだんやから、ちゃんと居なきゃダメやでー?」

 

 出入口にぽつんとアイズが立っていると、幸いな事に主神(ロキ)が気が付き声を掛けてくれた。

 何処に行くも何も、勝手に動いていたのはそちらの方だとアイズは心底思ったが、放心していて出遅れたのは事実。

 

「はい……ごめんなさい……」

 

 形だけの謝罪を口にしつつ、アイズは室内に入る。

 応接間には、主神であるロキと団長であるフィン、そして客人である少年のみが居た。どうやら他の団員は居ないようだ。一緒に移動していた為、居るものとばかりに思っていたのだが。

 

「何の話をしていたの……?」

 

 用意されていたソファーに座りながら、アイズは首を傾げた。その質問に、ベルが答える。

 

「このソファー、座り心地がとても良いなと思ってな。それを女神ロキに伝えた所、なんと、この部屋は【ロキ・ファミリア】が所有する応接間の中でも最も高いグレードだと聞いてな。それで盛り上がっていた所だ!」

 

 それの何処に盛り上がる要素があるのだろうか。

 口下手でコミュニケーションが苦手なアイズには甚だそれが不思議だった。

 

「しかし、この客室を使うのは随分と久し振りだね」

 

 ふと思い出したように、フィンが呟いた。

 アイズの記憶が正しければ、この応接間を使った事は数える程しかない。

 フィンの言葉に、ロキが頷く。

 

「せやな。最後に使ったのは、『暗黒期』の時ちゃうか?」

 

「そうかもしれないね。そうか……あれからもう、七年が経ったのか……」

 

 感慨深げにフィンが呟く。

『暗黒期』はアイズも覚えている。『正義』と『悪』との戦いに於いて、【ロキ・ファミリア】は当然『正義』側に立ち戦った。数々の派閥(ファミリア)を纏め上げたのが此処に居るフィンであり、『正義の陣営』は小人族(パルゥム)指揮の元奮戦したのである。その中には、当時まだ幼女と言っても差し支えなかったアイズも含まれていた。とはいえ、母親代わり(リヴェリア)にはギリギリまで参戦を渋られていたが、当時のアイズ・ヴァレンシュタインの階位(レベル)はLv.3。上級冒険者を出し惜しみする余裕など、当時のオラリオには無かったのである。

 

「さて、それじゃあ僕とロキは一度席を外そうかな。アイズがこれ以上妬いたら大変だからね」

 

 茶目っ気たっぷりに小人族(パルゥム)の少年が笑う。

 カァーッ、とアイズが雪の肌を赤く染めると、その様子を見たロキが「アイズたん、()えー!」と叫んだ。後で絶対にシバこう。アイズは心に決めた。

 

「それじゃあ、ベル。また後で話そう」

 

「ああ、是非!」

 

 ベルが頷いたのを見ると、フィンは「行こうか、ロキ」と主神へ声を掛け、そのまま部屋を出ていった。

 広い客室の中、ベルと改めて向かい合う。金の瞳で少年を見詰め、アイズはすぐに気が付いた。

 

(前会った時よりも……強くなっている……?)

 

 冒険者としての直感が、そう告げてくる。

 

(詳細な能力値(ステイタス)は分からないけど……かなり良い評価アビリティを得ている……筈……)

 

【剣姫】として磨き上げた観察眼が、そう断定する。

 だが──と、アイズは思う。

 何をどうしたら、こうなるのだろうか。

 分からない。

 知りたい。

 

「あー、アイズ……?」

 

 ハッと、アイズは我に返った。見れば、ベルが困ったように方頬を掻いていた。

 どうやら少年が困る程、自分は夢中になって見詰めていたようだった。

 それを自覚した瞬間、アイズは自分の顔が熱くなるのを感じた。顔を俯かせる。

 

「アイズ」

 

 少年に名前を呼ばれ、アイズは無視する訳にも行かず、おもむろに顔を上げた。そこには、とても綺麗な輝きを放つ深紅(ルベライト)の瞳と、無邪気な笑みがあった。

 目が合うと、ベルは笑みを収めて真剣な表情を浮かべた。

 

「会いに来るのが遅くなってしまって、本当に済まない。随分と待っただろう」

 

 そう言って、頭を下げるベル。

 

「う、ううん……えっと、大丈夫だから……頭を上げて……」

 

「だが……」

 

「本当に、大丈夫だから。君が中々来れなかったのは、分かるから。それにアリシアから、約束を忘れていた訳じゃないって聞いているから……」

 

 だからどうか、頭を上げて欲しい。

 アイズは謝られるのに慣れていなかった。迷惑を掛ける事は数あれどその逆を殆ど経験してこなかった彼女にとって、誠意が込められた謝罪はむず痒かった。

 何よりも、アイズは何故か分からなかったが、少年が自分に謝るのが嫌だった。

 

「ありがとう。君は、とても優しいな」

 

 頭を上げたベルが、そう言って笑う。

 それにアイズは心臓がザワついてしまう。

 さっきから、アイズはこんな調子だった。『彼』と話す度、『彼』が笑みを見せてくれる度に心臓が飛び跳ねて、ぽかぽかとしたあたたかい気持ちになる。

 

「それではお言葉に甘えて、真面目モードは終わりにしよう!」

 

 そう言うと、ベルは笑った。

 その笑い方に、アイズは何処か既視感を覚えた。

 少年の笑い方と、数少ない友人のアマゾネスの少女の笑い方が似ているような気がしたのだ。

 気の所為かと内心で首を傾げているアイズに、ベルはこんな無茶振りをしてくる。

 

「アイズ、せっかくの再会だ! 楽しい話をしよう!」

 

「た、楽しい……?」

 

 戸惑うアイズに、ベルは「ああ、そうだ!」と頷く。

 

「楽しい話題が良い! クスッと笑えるとさらに良いな!」

 

 アイズは困った。それはもう、困った。

 何度でも言うが、アイズ・ヴァレンシュタインは自分が口下手でコミュニケーションが苦手なのを自覚している。幼少期からダンジョンに潜り、強くなる為の一心でモンスターと戦ってきた弊害である。

 最近でこそ派閥の団員と会話をしようという気持ちが芽吹き始めてきたが、相手を楽しませる話題など今の自分には提供出来そうになかった。

 例えるなら、駆け出し冒険者が階層主(モンスターレックス)と戦うような物である。

 

「えっと……その……あっと……」

 

 あうあう、と口を動かすも中々言葉にならない。

 幼い少女(アイズ)が『頑張れー! そこだー! 差せー!』とエールを送ってくるが、無理な物は無理だった。所で、差せって何だろう?

 情けなくなり、中途半端に開いていた口が閉じようとした、その時。

 

「難しく考える必要はありませんよ、淑女(レディ)

 

 ベルが口調を態とらしく変えて、そう言った。

 だがその表情はとても穏やかで、優しさで満ち溢れていた。

 

「失礼しました、困らせるつもりはなかったのですが。私は、貴女と話せるだけで十分に楽しいのです」

 

「でも……私……何も……」

 

「意気消沈する必要は何処にもありません。貴女はとても魅力的な女性だ。それも、貴女の魅力の一つなのです」

 

「……本当に?」

 

「ええ!」

 

 笑顔で断言する、ベル。

 それがアイズは堪らなく嬉しくて、何処か懐かしい気持ちになった。

 

(懐かしい……? 何で?)

 

 何度目になるか分からない、違和感。

『彼女』が疑問を持っていると、『彼』は演者のように言葉を続けた。

 

「そうだ! ここは、貴女という女性に恥をかかせてしまった私を詰る場面です!」

 

「えっ!?」

 

 違和感が遥か彼方に飛び、アイズは素っ頓狂な声を出した。

 

「どうか思い切り罵声を飛ばし、冷たい目で私を見下ろして下さい! 蔑んだ表情を見せてくれるとさらに良いです!」

 

「……!? ──っ!?」

 

「さあ! 遠慮する事はありません! さあ、さあ!」

 

「ば、『馬鹿』……?」

 

「ブヒィー!」

 

 豚のような鳴き声を上げ、ベルは身体をクネクネと動かした。控え目に言って、とても気持ち悪い。

 だが、アイズは気が付けば口元を緩めていた。笑っている、と自覚するのに数秒掛かった。

 

「ああ、素敵な笑顔。やはり、貴女にはそれが似合う」

 

 軽薄な男子(おのこ)がナンパする時に使いそうな文言。

 だがしかし不思議な事に、『彼女』はそれが不快ではなかった。『彼』が心からそう思い、そう言ってくれているのが伝わってくるからだ。

 

「まだ沢山、話したい。良い……?」

 

「勿論」

 

 それからアイズは、ベルと話した。

 とはいえ、アイズは基本的には聞き手に回りベルが話し手になる事が多かったのだが、それでも、アイズから勇気を出して話題を振るとベルは傾聴してくれた。

『彼女』は奇妙な感覚を覚えていた。『彼』と過ごす時間はとても居心地が良く、愛おしさすら抱き始めていたのだ。

 それが可笑しな話である事を、アイズは重々承知していた。出会ってまだ数回の相手に、このような感情を抱くなど、可笑しな話に決まっているだろう。

 

「それにしても、アイズ達は明日『遠征』か! 凄いなー!」

 

 少年の称賛を受け、アイズは思考を切り上げる事に決めた。今はまだ、答えを出さなくても良いだろう。

 話題は当然と言うべきか、ダンジョン探索に関係する物にシフトしていた。

 

「ベルも、いつか行けるようになるよ……」

 

 順調に強くなり階位を上げ、到達階層を増やしていけば自ずと『遠征』をする必要がある。

 アイズが先輩冒険者としてそう諭すと──初めて歳上の威厳を出せて、幼い少女(アイズ)はガッツポーズをしていた──駆け出し冒険者のベルは「それもそうだな!」と素直に頷いた。

 

「だがまだまだ先の話になりそうな気がするな。私はまだLv.1だし、派閥(ファミリア)も私しか居ないしな」

 

「……そうだね。ベルは今、独り(ソロ)?」

 

「いいや、今は頼りになるサポーターを雇っている。二人一組(ツーマンセル)だな」

 

「そっか……」

 

 アイズは酷く安堵した。

 もしベルが単独迷宮探索者(ソロエクスプローラー)なら、忠告しようと思っていた為だ。独り(ソロ)はメリット以上にデメリットの方が大きい。一部の昇格(ランクアップ)を重ねた上級冒険者なら話は別だが、下級冒険者ならパーティを組むのが定石(セオリー)だ。

 だが同時に、アイズは心配だった。

 そのサポーターを悪く言うつもりは一切ないが、『サポーター』はあくまでも非戦闘員である。戦闘員がベル一人なのはとても心配だった。

 

「『上層』なら、今のパーティ構成でも大丈夫だと思うけど……もし昇格(ランクアップ)して『中層』に行けるようになったら、もう一人『冒険者』を入れた方が良いかな」

 

「やはりそうなのか。そうなると、至急、パーティを募集した方が良いかもしれないな」

 

「……?」

 

 その言い方に、アイズは引っ掛かりを覚えた。それを解消すべく、静かに尋ねる。

 

「今のベルは、何処まで行けるの?」

 

「それはダンジョン探索で、という意味だよな?」

 

「うん」

 

 アイズが一度頷くと、ベルは衝撃的な事を言った。

 

「到達階層は10階層だな。次の探索の際には、11階層まで行こうと思っている」

 

「……………………え?」

 

 アイズは固まった。

 駆け出し冒険者の言葉を聞き間違えたかと思った。

 それ故に、アイズは聞き返す。

 

「じゅっ、10階層……?」

 

「ああ、そうだ」

 

「もっと上の階層じゃなくて?」

 

「ああ、そうだ」

 

 アイズは、自分の耳が正常である事を知った。

 そして、その言葉を正しく理解した瞬間、金の瞳を大きく見開かせた。

 

(その話がもし本当なら……ベルの能力値(ステイタス)は、Lv.1の中でも上澄みに居る……?)

 

 自分の立てた考察を、アイズは最初信じられなかった。

 だが現実問題、10階層は『上層』の奥部に位置付けられている。かなりの高評価アビリティを得ていなければ、地上への帰還は出来ない。

 

(凄い……)

 

 アイズは素直にそう思った。

 冒険者になってからまだ二ヶ月も経っていないというのに、『上層』を踏破しようとしている。はっきり言って異常である。

 

(これは、昇格(ランクアップ)もすぐにあるかも……)

 

 もし本当にそうなったら、それは間違いなく『偉業』だ。自分の持っている、一年という世界最速記録(ワールドレコード)を塗り替える事になるだろう。アイズにはその事については特に強い拘りはないが、神々や他の冒険者が知れば大騒動になる事間違いなしだ。

 

(どうやったら、そんなに強くなれるんだろう)

 

 アイズ・ヴァレンシュタインの中で、一つの疑問が生まれる。

 否、それは適切な表現ではなかった。

 アイズ・ヴァレンシュタインは、ベル・クラネルを呼んだ本来の用件を思い出した。

 

「ねえ、ベル」

 

 雰囲気を一変させ、アイズは【剣姫】の顔を見せる。

「アイズ……?」と突然の事に困惑の声を上げる少年に、アイズはソファーから身を乗り出して顔を近付け、囁くようにして尋ねた。

 

「君はどうして、そんなに強いの? どうすれば、そんなに強くなれるの?」

 

「……それは勘違いだ。私は、強くなんてないよ」

 

「ううん、君は強い。君と初めて会ったあの時から、不思議だった」

 

 アイズの金の瞳とベルの深紅(ルベライト)の瞳が交錯する。それは、何かが起これば互いの唇が触れてしまいそうになる程の超至近距離。

 

「私は、強くなりたい。だから、君の強さの理由を教えて欲しい」

 

「今よりも、強くか?」

 

「うん、そう」

 

 言葉を交わす。

 アイズは、答えを聞くまで引くつもりがなかった。

 そして、それをベルは感じ取ったのだろう。()()()()()()()()()、アイズの両肩を優しく摑み、ゆっくりと押し返した。

 

「さっきも言ったが、私は強くなんてないさ」

 

「そんな事はないよ。だって、君はもう10階層に居る。私はそんなに早く行けなかった」

 

「それは仲間が居るからだ。彼女が居なければ、私はもっと上の階層に居たよ」

 

「……それなら、どうしてあの時猛牛(ミノタウロス)と戦おうとしていたの?」

 

「生命の危機に瀕していたんだ。例え勝てなくても、足掻こうとはするさ」

 

「それは、嘘。あの時の君は、猛牛(ミノタウロス)に勝つつもりだった。違うの?」

 

「ああ、違う。私は格好付けたがりだからな。きっと貴女の目には、そう見えたのだろう」

 

 段々と苛立ちが募っていくのを、アイズは感じた。

 それを感じ取ったのだろう、()()()()()()()()()()()

 

「何度でも言おう。私は、強くなんてない。そのうち、鍍金が剥がれるだろう」

 

 そう言うと、ベルは苦笑を浮かべた。

 だが、違う。それは、アイズの欲しい答えではない。

『彼』が自虐するのを、『彼女』は決して認められなかった。

 

「……君は、私に中々会いに来てくれなかった」

 

「あ、ああ……そうだな」

 

 突然の話題転換にベルは戸惑いを見せるも、アイズの言葉を肯定した。

 そしてその隙を、アイズは突く。自分でも卑怯だと分かっていながら、だがこれしか思い浮かばないのだからと言い聞かせ、話を続ける。

 

「君は、私に一つ償いをしなければならない。うん、そうするべき。違う……?」

 

「ま、まあ確かにそうだな。というか、そのつもりでは元々あったのだが」

 

 曖昧に頷く、ベル。

 言質を取ったアイズは、無表情で淡々と、その償いを要求した。

 

「それなら──ベル、私と戦って欲しい」

 

「ああ、良いぞ………………──え?」

 

 きょとんと、恐らくは素の表情で固まるベルを見て。

 アイズはしてやったりと笑うのだった。

 



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駆け出し冒険者(ベル・クラネル)VS第一級冒険者(アイズ・ヴァレンシュタイン)

 

「友人の家に遊びに行ったら、その友人と戦う事になった件について」

 

 本の題名(タイトル)にしたら売れるかもしれない。らしくもなく、そんな現実逃避をしながらベル・クラネルはそう呟いた。

 場所は、【ロキ・ファミリア】本拠(ホーム)──『黄昏(たそがれ)(やかた)』。その中庭で、ベルは遠い目をしながら空を見上げた。

 

(ああ、空が今日も青い。今日も、この世界は平和ダナー)

 

 雲一つない、快晴。普段は心躍るこの景色を見ても、今のベルの内心の暗雲を晴らす事は出来そうになかった。

 

「ベル……?」

 

 我が家(ホーム)に帰りたい、帰って幼女神(ヘスティア)に甘やかされたいと思っていると、正面に立つ金髪金眼の少女がベルの名前を呼ぶ。

 現実逃避をやめ、ベルは目の前のアイズを見た。そこには、遠慮がちに自分を見詰めてくる少女が居た。

 

「ごめんなさい……やっぱり、嫌だった……?」

 

 上目遣いで、そう言ってくるアイズ。ベル・クラネルはボディブローをされた気分だった。

 

(心の中で綴るぞ、英雄日誌! ──男子(おのこ)諸君、美少女の上目遣いは何時の時代も良い物だ! もしその場面に運良く立ち会えたら、目を大きく開けて心に刻むように!』──フッ、我が人生に一片の悔いなし)

 

 風と共に消滅しようとする、ベル。お星様になっても下界の様子は見守っていようと決意するが、再度、少女に名前を呼ばれて意識を取り戻した。

 

「やっぱり、やめる……?」

 

 ベルが気が付いた時には、アイズの顔は超至近距離にあった。女神と見違う美貌に、ベルは羞恥する以上に感嘆してしまう。

 あの薄暗いダンジョンで初めて会った時と同じように、『彼』は『彼女』から目を逸らせないでいた。

 

「やめるとは、面白い事を言うな。言い出したのは貴女だろう?」

 

「うっ、そ、そうだけど……。でもベル、この話を持ち掛けた時から、その……詰まらなそうだから……」

 

「詰まらなくはない。貴女と居る時間はとても楽しい。これは決して嘘じゃないさ」

 

「本当……?」

 

「ああ、我が真名、我が主神に賭けて。ただそうだな……貴女の目にそう映ったのなら、それはきっと、この状況に戸惑っているからかもしれないな」

 

 そう言いながら、ベルは辺りを見渡した。

 

「皆さん、勢揃いですね!」

 

 

 ベルとアイズを取り囲むように、【ロキ・ファミリア】の団員が立っている。抜剣こそしていないが、彼等から送られてくる奇異の眼差しは、普段そう言った類の物に慣れている『道化』と言えど堪える物があった。

 この状況は言うならば、子兎が獅子に囲まれているような物である。当然、退路はない。

 何も、最初からこうだった訳ではない。

 アイズからの要求を、ベルは内心はどうであれ了承した。そうなると、今度は何処で戦おうか、という問題が浮上し、金髪金眼の剣士が選んだのが、この中庭であった。

 案内された片手剣使い(ソードマン)の駆け出し冒険者は、なるほど、確かにこの広い空間(スペース)なら模擬戦を実施するのは何も問題ないと頷いた。

 いざ始めようと二人の剣士が剣の柄に手を伸ばした所で、一人のヒューマンの女性魔道士が偶々通りかかり、その場面を見てしまった。

 

『ア、アイズさんが人殺しになっちゃいますー!?』

 

 その女性魔道士は、真剣な表情を浮かべているアイズを見て誤解してしまった。そう、『模擬戦』ではなく『虐殺』だと思い込んでしまったのである。

 結果、彼女の叫び声に釣られて他団員が数人足を運び、騒動も時間の経過と共に大きくなってしまい──現在に至る。

 

「HAHAHA……」

 

 引き攣り笑いを浮かべるのに、ベルは精一杯だった。友人の治療師に慰められたいと、思わずにはいられない。

 

「アイズー? 一体どうしたのー!?」

 

 膠着した状況の中、人垣を掻き分けて一人の少女が明るい声と共に飛び出してきた。

 

「ティオナ……」

 

 オロオロしていたアイズが、ホッと安堵の吐息を出す。

 ベルから見ても、アイズと、この元気な褐色肌の少女──恐らくはアマゾネスだろう──の仲は良いように窺えた。

 ティオナ、と呼ばれたその少女は、ニコニコと向日葵(ひまわり)が咲くように、眩しい笑顔を浮かべている。

 

「えーっと、改めて、初めまして! あたしはティオナ・ヒリュテ!」

 

 そう言って、ティオナが人好きのする笑みをベルに見せた。

 アマゾネスの少女が『初めまして』と言ったように、ティオナとベルは顔こそ何度か合わせていたものの、言葉を交わした事はまだなかった。

 ベルもまたそれに笑顔で答えつつ、自己紹介をする。

 

「初めまして、ベル・クラネルだ」

 

「うん! 宜しくね、()()!」

 

 ベルの名前を嬉しそうに言う、ティオナ。その事に、アイズが何故か衝撃を受けたように固まっていた。

 アマゾネス特有の距離の詰め方ではなく、これは生来の性質に因る物だろうな、とベルが考察していると。

 

「それでさ、二人は何をしようとしていたの?」

 

 ティオナが二人にそう尋ねた。

 ベルはアイズに、ここは自分が話そうと目配せをする。アイズが頷いたのを確認し、事情を説明しようとした、その時。

 

「それは僕も気になるな。教えてくれるかい、アイズ?」

 

 人垣の向こうから、凛とした声が出された。

 自然と人集りが崩れ、声主が現れる。そこには、小人族(パルゥム)の少年を先頭にして、王族(ハイエルフ)土の民(ドワーフ)、アマゾネス、狼人(ウェアウルフ)が立っていた。

 

「フィ、フィン……それに、みんなまで……」

 

 悪戯(イタズラ)がバレた子供のように、アイズの顔が顔面蒼白になっていく。

 その様子を見ながら、ベルは友人の小人族(パルゥム)へ話し掛けた。

 

「先程振りだな、フィン」

 

「うん、そうだね。そろそろ二人の会話が終わったと思い部屋に言ったら、既にもぬけの殻だったから驚いたよ。それで君達を探していたら、中庭から騒動を感じ取ってね。全く、君はとことん巻き込まれ体質のようだ」

 

「はっはっはっ、そう褒めてくれるな」

 

「褒めてはないけどね」

 

 ベルと軽口を叩き合き終えると、「それで?」とフィンがアイズへ尋ねた。

 

「アイズ、君は今から客人に無理言って何をしようとしていたのかな?」

 

「フィン、それはだな──」

 

「悪いけど、ベル、君には聞いていない。僕は仮にも派閥の団長で、アイズはその幹部だ。僕は、部下からの報告を受け状況を把握する責務があり、アイズは上司の僕に報告する義務がある」

 

 そう道理を説かれてしまえば、ベルに出る幕はなかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 アイズは胃が痛かった。

 それもこれも、全ての原因は自分にあるのだから始末が悪いのだが、兎にも角にも、この状況を打破するべく、必死に頭を回転させていた。

 だが、相手は団長である。ましてやフィンは、自分の育て親とも言える間柄であり、下手に嘘を吐こうものなら一瞬で看破されるだろう事は想像に難くない。

 だがしかし、フィン以上に恐るべき相手が今この場には居た。無論、自分を娘のように想ってくれている王族(リヴェリア)である。アイズは、彼女の顔を見たくなかった。絶対に怒っているだろうからである。

 結果、アイズは取った──取れる行動は一つだけであり、それは潔く白状する事だった。

 

「えっと……ベルと、戦おうと、していました……」

 

「それは何故だい? 何か理由があるのだろう?」

 

 当然の質問に、アイズは答えられない。

 口を(つぐ)むアイズを見て、フィンは態とらしく長嘆した。心が抉られる為、やめて欲しい。だが、この育て親はこれが一番自分に効果がある事を熟知している為やめないだろうとも、アイズには分かっていた。

 

「ねえ、どうしてアイズはベルと戦いたいの? こう言っちゃ悪いけどさ、ベルはアイズの相手にならないよ? それなら、あたしやティオネとかと戦った方が良くない?」

 

 ティオナが心底理解出来ないと言うように、疑問を口にする。

 確かに、女戦士(アマゾネス)の言葉は正しかった。

 だが違うのだ、アイズが少年と戦いたい理由はそこにはない。

 そんなアイズの内心を、フィンの碧眼は事も無げに見抜く。

 

「なるほど、つまり、完全に『私情』という事だね」

 

「………………はい。ごめん、なさい……」

 

 居た堪れなくなり、アイズは頭を下げた。その事に、事態を遠巻きに眺めている他団員達から、どよめきの声が上がる。

 幼い少女(アイズ)はすっかり涙目で、白旗を上げていた。だが、それを考慮するフィンではない。淡々と、言葉を続ける。

 

「アイズ、君の気持ちはある程度は分かるつもりだ。言葉に出来ないでいる、その理由も察してはいる」

 

 頭上から降り掛かる団長の言葉は、とても重い。

 

「しかしそれなら、何故、事前に言ってくれなかったんだい? そうすればもっと穏便に、話を進める事が出来たと言うのに」

 

 フィンの言う通りだった。

 ベルから言質を取ったアイズは、彼の気持ちが変わらないうちに動く事ばかりを考えており、その行動が招く結果を何も考えないでいたのだ。

 

「派閥団員同士での模擬戦なら、僕は何も言わないよ。寧ろ推奨している。だが彼は、他派閥──ましてや、僕達が以前迷惑を掛けてしまった【ヘスティア・ファミリア】だ。この意味が、分かるね?」

 

「……はい」

 

 アイズが頭を下げたままそう言うと、フィンは「頭を上げて」と言った。

 そして、今度はフィンが【ロキ・ファミリア】の団長として、ベルに頭を下げる。 「団長!?」とアマゾネスの団員が驚愕の声を上げた。

 その動揺は他団員にも広がっていったが、フィンはそれを無視した。

 

「ベル・クラネル、団長の僕から謝罪させて頂きたい。突然の事に戸惑っただろう」

 

「その謝罪を受け取ろう。元より、私にも責任はある。何より、今の私は【ヘスティア・ファミリア】としてではなく、貴方達の友人としてこの場に居る。気にする事はない。あとそちらのアマゾネスからものすんごい殺気が送られてきているので早く頭を上げてくださいお願いします」

 

「……ありがとう。寛大な言葉、感謝するよ」

 

 そう言うと、フィンは頭を上げた。団長としてではなく、友人としての笑みをベルへ向ける。

 そして、アイズに顔を向けると言った。

 

「さて、説教は終わりだ。アイズ、彼と模擬戦をやれば良い」

 

「い、良いの……?」

 

「相手の許可も、一応は得ているのだろう。通すべき筋は今通した。それなら、団長の僕が止める理由はないな」

 

 笑みを浮かべ、フィンは「それに」と続ける。

 

「僕も、友人の成長度合いには興味があるからね」

 

 その言葉を聞いて、アイズは確信した。つまりフィンは、アイズを利用したのだ。

 フィンが新しく友人となった只人に興味津々なのは、アイズを含めた【ロキ・ファミリア】の主要メンバーなら知る所である。

 だが、互いに派閥(ファミリア)を率いる立場の二人が模擬戦とはいえ戦うとなると、問題はないが色々と面倒な事になり兼ねない。

 他団員の目が沢山あるこの状況で、フィンがらしくもなくアイズに公開説教したのは、ベルの退路を完全に断つ為だったのだ。

 

(大人ってズルい)

 

 幼い少女(アイズ)も同意を示すように、ぷんすかと頬を膨らませている。

 だがしかし、フィンの手助けがなければアイズ一人でこの流れにする事は出来なかっただろう。

 アイズは内心の複雑な気持ちに蓋をすると、ベルに話し掛けた。

 

「ベル……お願い出来る……?」

 

 返答は、苦笑いが一つ。

 それを見る度、アイズは心臓がキュッと痛む。何故かは分からない。今日何度目になるか分からない、正体不明の想い。

 それに気が付かない振りをふりをして、アイズは返事を待った。

 

「……分かった。戦おう」

 

「ありがとう」

 

 アイズは短く礼を言うと、ベルとフィンから離れた。そして今度こそ鞘から剣を抜き、その切先を相手へ向ける。

 

「『模擬戦』という形を取るのなら、審判が必要だね。どうだろう、ここは僕が──」

 

「その話、ちょいと待った!」

 

 フィンが言い終わるよりも前に、声が出される。この場に居る全員が声主に顔を向けると、そこには、ニヤニヤと嗤っているロキが居た。

 

真打(しんうち)、登場! ってな!」

 

「何が真打よ。どうせ、登場する時機(タイミング)をずっと見計らっていただけじゃない」

 

 ティオネが呆れたように指摘するが、ロキは「聞こえなーい! 何も聞こえないでー!」と両耳を塞いで無視を決め込む。

 そして、こう言った。

 

「話は他の眷族から聞いたで! その審判、ウチがやったるわ!」

 

「あー……申し出はありがたいけれど、ロキには難しいんじゃないかな」

 

「なんやと!? フィン、それはどういう意味や!?」

 

 説明を求めるロキに、フィンはその根拠を言った。

 

「そのままの意味さ。『神の力(アルカナム)』があるなら話は別だけれど、今のロキはそれを封印している身、全知零能だ。とてもじゃないけれど、二人の剣戟を視認する事さえ難しいんじゃないのかい?」

 

 確かに、とアイズは思った。

 武神ならまた話は変わってくるだろうが、ロキは計略の女神だ。間違っても、肉弾戦を主とする女神ではない。

 フィンの指摘に、ロキは降伏だと言わんばかりに両手をヒラヒラと振った。

 

「ちぇっ、分かった、分かったわ! 仕方ない、ここはフィンに譲ったる!」

 

「ただ単に派手に登場したかっただけだろう、お前は」

 

「そうとも言う! 流石リヴェリアママ!」

 

「誰が母親(ママ)だ、誰が!」

 

【ロキ・ファミリア】恒例の即興芝居(コント)。それを見たベルが眩しそうに目を細めているのを、アイズは見逃さなかった。

 

「やはり、良い家族(ファミリア)だな」

 

 そう人知れず呟いたベルは、「女神ロキ」と、リヴェリアと言い合っているロキへ話し掛けた。

 

「貴方の眷族と戦う事を、貴方の大事な娘に剣を向ける事をどうか許して欲しい」

 

「ジブン、思いの外真面目やなぁ。──えぇで、ウチが認めたる。その代わり、今ジブンの出せる全力で戦うんやで。間違っても、ウチのアイズの顔に泥を塗らんといてや」

 

「我が主神に賭けて誓おう」

 

 ロキは満足気に頷くと、「そんじゃ、楽しみにしとるわ」とベルから離れると、胡座をかいて芝生の上に座った。そして何処からかジョッキを取り出すと、それを呷る。

 

「こんな昼間から酒を飲む人間が何処にいる!」

 

「此処にいるやん」

 

「開き直るな! ロキ、今日という今日はその性根を叩き直してくれる!」

 

「えー、神に性根と言われても困るんやけど」

 

 話が全く進まないので、アイズは、主神と母親のやり取りを聞かない事にした。

 今は、目の前の少年に集中せねば。

 それはフィンも感じていたようで、話を進める。

 

「あー、それじゃあ、審判は僕が務めよう。一応、ルールを決めておこうかな。アイズ、君には制限(ハンデ)を設ける。良いね?」

 

 その確認に、アイズは頷いた。

 ベル・クラネルの階位(レベル)がLv.1なのに対して、自分はLv.6。普通に戦えば、戦いにすらならないのは明らかである。

 アイズは何も、この模擬戦に勝ちたい訳ではない。

 少年の強さの秘訣を知りたい。ただ、それだけなのだ。

 

「ハンデとして、アイズ、君にはLv.1相当の出力しか許可しない。とはいえ、それは難しい面もあるだろうから大きく逸脱しなければ良いとする。また、『魔法』も禁じる。そして、使う武器は『剣』じゃなくて『鞘』だ」

 

 間違っても少年を傷付けてしまわぬよう、刀身のある『剣』ではなく『鞘』を使えという命令。アイズは素直に頷き、ティオナに主武器(メインウェポン)の愛剣を預けた。

 

「反対にベル、君には特に制限(ハンデ)は設けない。思う存分に戦ってくれ」

 

「ああ、分かった。遠慮なくそうさせて貰う」

 

 ベルも条件を承諾する。

 

「最後に、勝敗についてだけど──そうだね、急所への寸止め、もしくは戦意喪失にしようかな。あと、ベルに身の危険を感じたら審判が介入するから宜しくね」

 

 審判の言葉に、アイズとベル、二人の剣士が頷く。

 

「二人とも、準備は良いかい?」

 

「うん」「ああ、何時でも良いぞ」

 

 フィンが数歩後ろに下がり、ようやく、その時は来ようとしていた。

 

(……やっぱり、戦い慣れている……)

 

 アイズの中にあった違和感が、今、確信に変わった。

 独特な構えは、見た事がない。何処かの流派か、我流で培った物か。

 どちらにせよ言えるのは、決して『素人』ではないという事。

 

「──始め!」

 

 審判が、片手を振り下ろしてそう宣誓した。

 だが、アイズも、そしてベルも。

 二人の剣士は動かなかった。

 

(開始と同時に突貫してこなかった。やっぱり、この子、冷静だ)

 

 アイズ・ヴァレンシュタインはベル・クラネルの事をそう評した。

 ベルの一番高い勝率は、それだった。最初の一撃に全てを賭け、渾身の一撃をお見舞いする。

 だが、片手剣使い(ソードマン)はそれをしなかった。それは彼が、アイズに防御された時の反撃を恐れた事の証拠であり、無謀だと判断したからである。

 

(この子は……ベルは、『臆病』なんだね)

 

 血気盛んな冒険者が聞いたら、きっとベルの事を臆病者だと、なんて情けない奴なんだと嘲笑するだろう。

 だがしかし、アイズはそうは思わない。

 

(彼我の実力者を瞬時に理解するのは、簡単なようで難しい。そして、逃げるのは何も悪い事じゃない。この子は、逃げた先に得られる物がある事を知っているんだ)

 

 それが堪らなく、『彼女』は嬉しかった。無謀と勇敢を履き違えていないという事は、単純に生存率の向上を意味している。

『彼』が『生』にしがみついている事に、『彼女』は安堵を覚えたのだ。

 

 無音の時間が流れる。

 

 そして、一陣の風が通り過ぎ──その瞬間、アイズはベルへ攻撃を仕掛けた。

 

「凄い、ベル」

 

 心からの感嘆を込めて、アイズが呟く。

 アイズの大上段からの振り下ろしを、ベルは自身の剣の刀身を横に倒し受け止めてみせたのだ。

 

「次、行くよ」

 

「……ッ!」

 

 数々の斬撃を繰り出す。

 ベルはそれを全て、ギリギリの所で対処してみせた。特に受け流し(パリィ)の技術は目を見張る物があり、第一級冒険者のアイズ・ヴァレンシュタインをして、その練度は『武器』だと認めた。

 だが。

 

(…………?)

 

 違和感を覚えたのは、四度目の攻撃を防がれた時だった。

 一度大きく距離を置き、アイズは小首を傾げる。

 

「ハア、ハア……!」

 

 既に荒い呼吸を繰り返す駆け出し冒険者を、第一級冒険者は無言で暫く見詰めた。

 

(何だろう、これ……?)

 

 違和感が、増大していく。

 それを抱きながら、アイズは突き技を仕掛ける。これに対し、ベルは右にステップをする事で回避、初めての隙を見逃さず反撃を開始した。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 裂帛の雄叫びと共に、ベルがアイズに攻撃する。それは駆け出し冒険者とは思えない程冴えた剣技だったが、アイズには届かない。

 

「やっぱり、第一級冒険者は凄いな!」

 

 心からそう思っているのだろう。送られてくる称賛は聞いていて気持ちが良い。

「ありがとう」とお礼を言いつつも、アイズの胸の内はモヤモヤとしていた。

 

(間違いなく、ベルは強い。基本アビリティの熟練度も、その殆どが高い。私は、こんなに早く強くなれなかった。やっぱり、ベルは凄い。私なんかより、よっぽど。それなのに……──)

 

 ──どうして自分は、ベル・クラネルの実力がこんな物なのかと思ってしまっているのだろう。

 そこで、アイズは我を取り戻した。

 なんて傲慢、なんて失礼な事を自分は思ってしまったのだろうと、自己嫌悪する。

 だがしかし、一度芽生えてしまったそれは払拭されなかった。

 

(ねえ、君の力はそんな物なの……?)

 

『鞘』で片手剣使い(ソードマン)の斬撃を受け止めながら、アイズは深紅(ルベライト)の瞳を見詰めた。だが模擬戦に必死な少年はそれに気が付かない。

 

(私は……私は……──)

 

 金の瞳を細める。

 自分でも気が付かないうちに、アイズの『鞘』を握る手には力が込められていた。

 そして、ギアを一つ上げる。

 

「……ッ!?」

 

 当然、ベルもすぐに気付く。驚愕は一瞬。刹那のうちに冷静さを取り戻した片手剣使い(ソードマン)は、置いていかれないよう懸命にしがみつく。

 だが全てを防ぎ切る事は出来ず、身体のあちこちに『鞘』が当たってしまう。審判はそれを有効打とは数えず、模擬戦は続く。

 時間の経過と共に上がっていく、ギア。

 

「す、凄いっす……。制限(ハンデ)を負っているとはいえ、アイズさんにあれだけ付いていけるなんて……」

 

 そう呟いたのは、ヒューマンの青年だった。同じ種族として思う所があるのか、その青年──ラウル・ノールドは驚嘆の眼差しをベルへ送っていた。

 だがそれが、アイズには酷く雑音(ノイズ)に聞こえた。少年が褒められるのは自分の事のように嬉しい筈なのに、それ以上に何故か感じる不快感。

 

「──ッ!?」

 

 ベルの反応が次第に遅れ──ついに、受け流す事に失敗し、剣が手から落ちてしまった。

 咄嗟に回避行動を取るも、それは間に合わない。

 そしてアイズは、激情に支配されたままがら空きの胴体に『鞘』を──。

 

 

 

「────そこまでにしろ」

 

 

 

 獣を思わせる低く、獰猛な声。

 刹那。

 ガキィン! と。

 アイズの『鞘』が、真下から吹き飛ばされた。クルクルと回りながら宙を舞い、カラン、と音を立てて『鞘』が芝生の上に落ちる。

 

「……ベート、さん?」

 

 アイズが困惑の声を上げる。

 狼人(ウェアウルフ)の青年──ベート・ローガが、まるでベルを守るようにして、右脚を蹴り上げた状態で立っていた。

 否、居るのはベートだけではなかった。ふらつき後ろに倒れるベルの身体を、ティオナが後ろから支える。

 

「ベル、大丈夫? 怪我は……──って、聞くまでもなくボロボロだよね。──ティオネ、万能薬(エリクサー)持ってきて!」

 

「はぁ!? 精々が高等回復薬(ハイ・ポーション)よ! 『遠征』を明日に控えているのに、万能薬(エリクサー)なんて使える訳──」

 

「良いから! すぐに持ってきて! あたしが後で立て替えるから! だから早く! お願い!」

 

「……っ。ああ、もう! 分かったわよ! ちょっと待ってなさい!」

 

 妹の激しい剣幕に押され、姉はその『懇願』に素直に従い、中庭を一度離れた。

 その後ろ姿をぼんやりとアイズが眺めていると、審判のフィンが近付いてくる。

 

「ベート、これはどういう事だい? 何故、二人の模擬戦に割って入ったのかな?」

 

「……あァ?」

 

 フィンの質問に、ベートは不機嫌そうに鼻を鳴らすばかりで中々答えなかった。

 そのまま中庭を立ち去ろうとするが、その進路方向にロキが立ち塞がる。

 

()ちぃな、ベート。ウチも気になるさかい」

 

「……ロキ」

 

主神(ウチ)からの頼みや。堪忍や、ベート」

 

 ロキの顔は、普段の表情からは想像できない程、真剣だった。

 主神の神意に、眷族は逆らえない。「チッ」と舌打ちした狼人(ウェアウルフ)は、左頬にある刺青(いれずみ)を歪めた。

 

「俺は雑魚が嫌いだが、雑魚をいたぶる趣味はねぇ。その様子を見て愉しむ、そんな屑にはなりたくねぇ。ただそれだけだ」

 

 その言葉は短剣(ナイフ)のように、アイズに刺さった。

 頭の中で、ベートの言葉が何度も巡る。

 立ち尽くすアイズを一瞥してから、ロキが「なるほどなぁ」と言った。

 

「つまりベートの目には、二人の『模擬戦』が『公開処刑(リンチ)』に映ったんやな?」

 

「フン……そこの馬鹿もそうだったみたいだがな」

 

 そう言って、ベートはティオナに視線を向ける。普段のティオナなら馬鹿と言われたら憤慨するが、何故か、それをしなかった。

 

「質問には答えてやった。もう良いだろ。俺は行くぞ」

 

「……ん、えぇよ。ありがとうな、ベート」

 

「チッ!」

 

 眷族は主神に舌打ちすると、ゆっくりと歩き出した。他団員が恐れをなすように、獣人に道を開ける。

 だが狼人(ウェアウルフ)の青年は中庭を出る時機(タイミング)で、何を思ったのか一度立ち止まると、ティオナに介抱されているベルを一瞥する。

 狼人(ウェアウルフ)の琥珀色の瞳と、只人の深紅(ルベライト)の瞳が交わる。

 

「おい、只人」

 

「……何だろう、狼人(ウェアウルフ)

 

「お前この前、『英雄』になりたいとかほざいていやがったな」

 

「……ああ、そうだな」

 

()()()()()。雑魚のお前には、『英雄』なんて目指すだけ時間の無駄だ。雑魚は雑魚らしく生きろ、虫唾が走る」

 

「…………」

 

 そう唾を吐き捨てると、狼人(ウェアウルフ)の青年は今度こそ中庭を出ていった。

 

「ほら、万能薬(エリクサー)持ってきたわよ──って、何この空気? お通夜みたいじゃない」

 

 ベートと入れ替わるにして、ティオネが一本の試験管を持って戻ってきた。【ディアンケヒト・ファミリア】の徽章が刻まれているそれは、間違いなく万能薬(エリクサー)である。

 

「そんなのどうでも良いから、それ頂戴!」

 

「はいはい、分かったわよ。別に深手を負っている訳でもないんだから、急ぐ必要はないでしょうに」

 

 呆れたように言うティオネから万能薬(エリクサー)を奪い取り、ティオナはそれをベルに見せた。

 

「ベル! これ飲んで!」

 

「いやでも、気持ちは嬉しいが、そこのお姉さんの言う通り、何も万能薬(エリクサー)を飲む必要は──」

 

「良いから、黙って飲む!」

 

 試験管の封を開け、ティオナは強引に万能薬(エリクサー)をベルに飲ませた。数秒後には体力や傷が快復したようで、笑みを浮かべる。

 ゆっくりと立ち上がったベルは、転がっていた自身の愛剣を手に取るとそのまま鞘に納めた。そして、困ったように片頬を掻く。

 

「あー、今日は私、そろそろお暇しようかな?」

 

 気を遣っているのは誰から見ても明らかだった。そして、それを拒むだけの理由を、【ロキ・ファミリア】は持ち合わせていなかった。

 主神のロキが「済まんなぁ」と言い、客人を送るように団員へ指示を出す。

 

「あたしが本拠(ホーム)まで見送るよ。良いでしょ、ロキ?」

 

「……ん、ティオナならウチも安心や。任せたで!」

 

「うん! ──行こっか、ベル」

 

 ティオナに手を引かれ、ベルが移動を始める。

 待って、とアイズは言いたかった。だがそれを口にする事は出来なかった。

 そんなアイズの胸中を感じ取ったのか、ベルが、顔だけ振り向かせて言った。

 

「アイズ、また会おう」

 

 そこにあったのは、笑顔だった。普段から浮かべている無邪気な笑みを、少年はアイズに見せてくれた。

 それが、それだけがアイズには救いだった。

 

「……うん。またね、ベル」

 

 その言葉を紡ぐのに、アイズは勇気が必要だった。そしてそれに、ベルはやはり笑顔で応えた。

 それから、只人の少年は友人の小人族(パルゥム)の少年へ深紅(ルベライト)の瞳を向けた。二人は無言で頷き合うと、視線を切ったのだった。

 最後に、ベルは【ロキ・ファミリア】にこう言った。

 

「【ロキ・ファミリア】、偉大なる先達よ! 明日からの『遠征』、その成功を陰ながら私も祈らせて貰おう! 貴方達には不要だろうが、敢えて、この言葉を贈らせて欲しい! 頑張れ、と!」

 

 その言葉を残して、少年は『黄昏の館』を後にした。

 斯くして、ベル・クラネルの【ロキ・ファミリア】への訪問は幕を閉じたのである。

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、アイズ・ヴァレンシュタインが次にベル・クラネルと会ったのは、始めて会った日と同じ場所──ダンジョンであった。

 

 




ベートさん、マジかっけぇす! なお話でした。

当初のプロットだと、原作と同じようにアイズがベルをボコボコにして膝枕! という展開だったのですが、キャラクターが勝手に動いてこうなりました。それはつまり、これがこの作品の軌跡だという事なのでしょう。

明日も同じ時間に投稿します。

そして明日のお話で、物語は大きく加速します。お楽しみに!


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女神による、試練(きげき)筋書き(シナリオ)

 

 ダンジョン、17階層。『中層』と呼ばれるこの階域(かいいき)に足を運ぶ事が出来るのは、『偉業』を一度以上成し遂げた者のみ。

 

「──良いぞ。だが、足りんな」

 

 正規ルートを離れた広間で、剣戟の音が響いていた。

 広間(ルーム)の中央で、一人の冒険者が悠然と佇んでいた。

 冒険者の頂天(ちょうてん)──オッタル。『中層』でありながら軽装なのにも関わらず無傷なのは、彼が【猛者(おうじゃ)】たる証である。だが彼を知る者がもし此処に居れば、その者は疑問を抱くと共に首を傾げるだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)。それはあまりにもアンバランスであり、事実、その武器種は彼の主武器(メインウェポン)でもなければ予備(スペア)でもなかった。

 

「どうした、早く立て。いつまでそこで横になっているつもりだ」

 

 冷徹な声で、オッタルは広間(ルーム)の壁を背に倒れている『それ』──モンスターに声を掛ける。

 

『ヴゥゥァ……!』

 

 モンスターは、誰の目から見ても傷だらけであった。五体満足なのが不思議なくらいであり、身体中の至る所からどす黒い血が噴出している。だが傷ついて尚洩れる覇気は普通ではなく、大きな目玉は紅く血走っており、憎々しげにオッタルを睨む度胸があった。

 

「まだ足りん。もっと、もっと出せ。出し尽くせ。それが選ばれたお前の義務だ」

 

『ヴゥゥゥゥゥ……!』

 

 モンスターの唸り声を、オッタルは無視する。懐から紫紺の結晶、『魔石』と呼ばれるそれを取り出した。

 そして、それをモンスターの口に躊躇なく放り投げた。飼っている動物に餌を与えるように、ごく自然とである。

 もしこの場に他の冒険者が居たら、その冒険者は驚愕で目を見開くだろう。

 何故ならば、モンスターが『魔石』を喰らう事は『強化種』の誕生になり兼ねなく、百害あって一利なしである為だ。

 それは当然、オッタルも分かっている。

 

「さあ、喰え。お前はまだ、強くなれる筈だ」

 

 結晶が砕け散る音と共に、モンスターが大量の涎を撒き散らしながら『咆哮(ハウル)』を轟かせる。下級冒険者が聞けば行動停止(スタン)となるそれを直接浴びても、オッタルは表情一つ変えない。

 

「──次だ。構えろ」

 

 忠誠を誓う女神の神意に応えるべく。

 猪人の武人は淡々と、粛々と、課せられた使命を果たす為、()すべき事を()す。

 モンスターの雄叫びと剣戟の音が鳴り止んだのは、それから、暫く後の事だった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 人々が寝静まる、深夜の時間帯。

 天にまで聳え立つ巨塔(バベル)、最上階は今尚明かりがついていた。雲の上にある為、下界の住人がそれに気付く事はない。

 美神が微笑みながら眼下を見詰めている事を知るのは、ごく少数の人間だ。

 神々の領域(プライベートルーム)に、一人の妖精が現れる。眼鏡を掛け、美しい金の長髪を持つ白妖精(ホワイトエルフ)(かしず)くと、簡潔に用件を告げた。

 

「フレイヤ様、団長(オッタル)より報告が上がって来ております」

 

「……そう。『準備』が出来たのね」

 

 眷族からの報告を聞いたフレイヤは、銀の双眸をそちらに向ける事なく呟いた。

 

「そうなると──時機は、明日と言った所かしら」

 

「恐らくは」

 

「ふふっ、()()()()()

 

 フレイヤは口角を上げ、手に持っていたワインのグラスを上げた。冷たく射し込む月光が、白ワインを映し出す。

 

「ねえ、ヘディン」

 

「はっ、何でございましょう」

 

「あの子は、この前私が与えた『試練』を『喜劇』と言ったわ。それなら今回も、あの子はそう言うのかしら」

 

 ヘディンはそれに答えない。口を閉ざし、無言を貫く。

 何故なら白妖精(ホワイトエルフ)は、主神が答えを求めている訳ではないと理解している為だ。

 主神の神意──即ち、話の傾聴に徹する。

 

「オッタルは随分と気合いが入っているみたい。それだけの『仕込み』をしていたという事でしょう」

 

「……恐らくは、そうでしょう」

 

「あの子、死んじゃうかもしれないわね」

 

 そう言った女神の口調に、悲しみは含まれていなかった。彼女にとって、ただ予想される未来を口にしただけに過ぎないのである。

 超越存在たる美神にとって、『生』か『死』かなどあまり関係ないのだ。

 

「誂えた『試練』は、一体何なのかしら」

 

「こちらの報告書に、全て書かれています」

 

 差し出される封書。フレイヤは「ありがとう」と礼を言うとそれを受け取り封を切った。

 中には、数枚の羊皮紙が入っていた。

 

「ふふっ。オッタルったら、こんなにも丁寧に書かなくても良いのに」

 

 寡黙な武人による、無骨な字。だがそれは決して汚くはなく、読み手の事を最大限に考えられていた。

 そしてフレイヤはそれを一瞥しただけで、その羊皮紙を眷族に返す。

 

「オッタルには悪いけれど、これを読む気にはなれないわ。だって、明日には全て分かる事だもの。楽しみは取っておくとしましょう」

 

 それはあまりにも自分勝手な言動だったが、それを指摘する者も、それを諌める者も居ない。

 何故ならば、巨塔(バベル)を統べる女神は女王。

 誰も逆らおうとはしないし、眷族はそれを承知で仕えている。

 

「あの時の貴方風に言いましょう。さあ──『試練(きげき)』を始めましょう」

 

 グラスの中に入っている液体を全て飲み干し、フレイヤは何処までも妖艶に笑う。

 



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パーティ

 

「おお、この目玉焼きとても良く出来ているぞ! 流石ナァーザだ!」

 

「……ありがとう。でも最近は卵の物価が高くなってきているから……大変……」

 

「そうだよねー! ボクのバイト先も、ジャガ丸くんの値段がちょっと上がっちゃってさ! お客さんから時々苦情(クレーム)を貰うんだよね!」

 

「うむ。最近はあらゆる物の物価が上がっていると聞く。私達のような弱小派閥(ファミリア)にとっては一大事だな」

 

 連日続いた豪雨は嘘であったかのように、迷宮都市は快晴が続いていた。

 それはまるで神々や精霊が祝福をしているようだと、吟遊詩人は(うた)う。

 そして早朝の時間帯、【ミアハ・ファミリア】本拠(ホーム)──『(あお)薬舗(やくほ)』もまた、訪れた一日に感謝しながら準備を行っている所だった。

 

「あ、あのっ!」

 

 それまで黙っていたリリルカが、意を決したように顔を上げた。それまでの会話を中断し、ベル、ナァーザ、ヘスティア、ミアハが小人族(パルゥム)の少女へそれぞれ顔を向ける。

 

「ずっと思っていたのですが! リリ、此処に居ても良いんでしょうか!?」

 

 それは、リリルカが尋ねようと何度も思っては中々口に出せないでいた事だった。

 リリルカ・アーデはベル・クラネルに助けられてから現在に至るまで、【ミアハ・ファミリア】にて厄介になっていた。平たく言えば、居候である。

 その疑問に答えたのは、ベルだった。自信満々に言う。

 

「何を言っているんだ! 良いに決まってるじゃないか!」

 

「……おいおい。居候しているボク達が言える事じゃないだろう」

 

「うーん、ド正論だネ☆」

 

 女神が呆れたように溜息を吐くと、ベルはアルカイックスマイルを浮かべて流した。

 

「リリルカよ、どうしてそう思うのだ?」

 

 男神が優しい笑みを携えて、そう尋ねる。

 その藍色の瞳を直視出来ず、リリルカは小声で答えた。

 

「皆さん知っての通り、リリは犯罪者なんですよ……? それなのに、こんな、匿うような真似……」

 

「だがそれは、既に先日解決した事だろう。其方は『犯罪者』ではなく、『被害者』だ。少なくとも管理機関(ギルド)はそのように判断している。違うか?」

 

「そ、それは違います!」

 

「それは何故だ?」

 

「だってそれは……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 事実だった。

 ベルが『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』すら抱き込んで、リリルカが『被害者』だと強く主張する事で、彼女に疑惑の目が向けられる事はなかった。リリルカは必要時以外口を閉ざし、ベルの話に矛盾点が生じないようにしていた。そういう風に、事前にベルから言われていた為だ。

 

「……確かにリリは内部告発文を書いてそれを管理機関(ギルド)に送りました! でもそれは本当に偶々で! せめて死ぬ前に一泡吹かせたくて! こんな……自分の罪を有耶無耶にしようだなんて、そんなつもりは!」

 

 そんなつもりはなかったのだ。本当に、なかったのだ。何せリリルカは、死ぬ気でいたのだから。

 

「……リリは、どうすれば……」

 

 リリルカ・アーデは迷っていた。

 だが過程はどうであれ、結果として、リリルカ・アーデはベル・クラネルに助けられた。そして、これからも生きる事を選んだ。

 その事実は変わらない。それ故に、リリルカは迷う。

 すると。

 

「まあ、良いじゃないか。確かに君は一度道を間違えたけど、今は反省している。そしてその事実を、此処に居るボク達は知っている。それで十分だろう」

 

 ヘスティアがパンをモグモグと咀嚼しながら、そんな適当な事を言った。驚愕するリリルカを他所に、ベルが「ヘスティアだって、私と同じ居候の身。つまり、同じ穴の狢。説得力に欠けるぞー!」と意趣返しをする。

 ヘスティアはそれを無視すると、蒼の瞳を向けて言った。

 

「折り合いを付けるのは、君自身だよ。自分を(ゆる)せるのは、自分だけなんだ。それを他者に求めちゃ駄目だぜ」

 

「うむ、ヘスティアの言う通りだ」

 

「ヘスティア様、それにミアハ様……」

 

 女神と男神の言葉に、リリルカは考え込む。神々は、それを尊んだ。

 それこそが子供達の特権だとでも言うかのように、神々は助言や見守るこそすれ、介入はしない。

 朝食が終わる頃、考えを纏めたリリルカは頭を下げて言った。

 

「……改めて、お願いです。知っての通り、私には帰る場所がありません。これからも、お世話になっても宜しいでしょうか?」

 

「無論、構わぬ。ナァーザも、良いな?」

 

「私はどちらでも……ただ、居候するなら、家事とか手伝ってくれると嬉しいな……」

 

「はい、喜んで!」

 

 久しく浮かべていなかった満面の笑みを浮かべ、リリルカ・アーデは物語を再度紡ぎ始める。

 その様子を、ベルとヘスティアは穏やかな顔で見守っていた。

 

 ──賑やかな朝食を終え、『青の薬舗』は本格的に一日の活動を開始した。

 

 家主である【ミアハ・ファミリア】は店を開ける準備を。

 居候している【ヘスティア・ファミリア】及びリリルカ・アーデはダンジョン探索の準備を。尚主神のアルバイト先であるジャガ丸くんの屋台は本日休みであり、ヘスティアは【ミアハ・ファミリア】を手伝う事となった。

 ヘスティア、ミアハ、ナァーザが、ダンジョンへ赴くベルとナァーザを見送るべく玄関に集まる。

 

【貴方の刻印(きず)は私のもの。私の刻印(きず)は私のもの】──【シンダー・エラ】

 

 リリルカがその詠唱を口ずさんだ瞬間、魔力の光と共に姿形が大きく変わった。()()()()()()()()小人族(パルゥム)()()()()()()()()()()()()。身長こそ変わっていないもののその特徴は間違いなく亜人族(デミ・ヒューマン)のそれであり、その髪と瞳はベル・クラネルと同じ白髪紅眼である。

 

「おお! すっごいね! これが君の『魔法』かい?」

 

 ヘスティアが感嘆したようにぱちぱちと拍手を送った。

 その確認に、リリルカは肯定の頷きを返す。

 

「はい、そうです。これがリリの発現したたった一つの魔法──【シンダー・エラ】です」

 

「私も初めて見た……変身魔法……?」

 

「仰る通りです、ナァーザ様。体格を変える事は出来ませんが、それ以外の事なら大体可能です。衣服すらも想像(イメージ)する事で変更出来ますが、逆に言うと正しく想像(イメージ)出来なければ失敗します」

 

 リリルカ・アーデが発現させた固有魔法(オリジナル)──【シンダー・エラ】は使い所を間違えなければ強力な魔法だった。

 事実、聡いリリルカはこの魔法の有用性にすぐに気が付いて悪用し、盗賊家業を行っていたのである。

 

「苦渋の決断ではありますが、リリはこの人の歳の離れた妹、という設定で行きます。実際、この迷宮(ダンジョン)都市でそれはあまり珍しくありませんから」

 

「うおおおおおお! 新たな扉が開かれる!? くぅ、だが私は幼女趣味(ロリコン)でも妹趣味(シスコン)でもないぞぅ!?」

 

「あの! リリは貴方よりも一個上ですからね!?」

 

「それはそれで有り!」

 

 とてもイイ笑顔で親指を立てるベルに、青筋を浮かべるリリルカ。そんなリリルカに、ナァーザが面倒臭さを隠さずに溜息を吐きながら、話を進めた。

 

「それで……? リリルカはそんなに大きな荷物を持って大丈夫なの……?」

 

 犬人の指摘通り、支援者(サポーター)の荷物はとても多くあった。地味な色のバックパックは市場で売られているのを買い直した物であり、既にある程度膨らんでいる。留め具には、一本の長剣──ベルの予備(スペア)である《プロミス─Ⅱ》──と数本の『魔剣』が留められていた。

 

「いくら『恩恵』持ちでも、Lv.1のリリルカじゃ厳しくない……?」

 

「ご心配には及びません。リリにはそれを補助する『スキル』がありますから!」

 

「へえ、そうなんだ……それは凄いね……」

 

 僅かに目を見張り、ナァーザがそう言った。

 それを聞いたベルも、会話に混ざる。

 

「可笑しいとは思っていたが、やっぱり『スキル』のおかげだったんだな」

 

「ええ。『縁下力持(アーテル・アシスト)』。無いよりはマシの『スキル』ですが……これに助けられてきたのも事実ですね」

 

縁下力持(アーテル・アシスト)』とは、一定以上の装備過剰時に於ける能力補正。能力補正が重量に比例するこの『スキル』は、簡単に言えば、沢山の荷物を持ち運ぶ事が可能になるという物だ。

『スキル』の発現は本人がそれまで歩んできた物語に大きく影響する。この『縁下力持(アーテル・アシスト)』は、これまでのリリルカ・アーデの象徴とも言える『スキル』だろう。

 

「しかし、良かったのか? 私達に『魔法』と『スキル』の事を話して?」

 

 基本的に、能力値(ステイタス)は秘匿すべき物だ。それは例え、同じ主神を持つ【ファミリア】という組織の中でも同様である。

 らしくないリスクを冒す行動にベルが疑問を投げると、リリルカは「別に」とそっぽを向いて言った。

 

「……これから先の迷宮(ダンジョン)探索を思えば、隠す方が身の危険だと思っただけです」

 

「ふぅーん。そっかぁー!」

 

「……何ですか、その含み笑いは?」

 

 ニマニマと笑うベルにリリルカが尋ねると、ベルは言わなくても良いのに、先程と同様、とてもイイ笑顔を浮かべて、空気を読まずこう言った。

 

「リリが私の事を仲間だと思ってくれているんだと思ってな! これ程嬉しい事はないだろう!」

 

「〜〜!? あ〜もう! 本当に、貴方って人は!?」

 

 顔を真っ赤にしてリリルカが怒鳴るも、ベルにはまるで効かない。

 ベルは、誰が見てもハイテンションだった。

 

「それじゃあ、行ってくる! 今日の稼ぎは期待しててくれ! 何せ、リリルカとの本当の意味でのダンジョン探索が始まるからな! ガハハハハ!」

 

「いやいや、言っておきますけど、仕事は真面目にやっていましたからね!? 手なんて抜いてませんからね!?」

 

「フッ、それなら益々期待出来るというものだ! 今の私に死角なし!」

 

 リリルカのそんな指摘すら、今のベルにとっては気分を良くするものでしかなかった。

「行ってきまーす!」と元気良く『青の薬舗』を飛び出し、巨塔(バベル)へ向かう。落ち着きのないベル・クラネルは人の話を聞かない事でも友人間の間では有名だった。

 

「あー、もう! 待って下さい!? ──えっと、それじゃあ、行ってきます」

 

 置き去りにされた事に憤慨しつつも、リリルカは控え目に『行ってきます』の挨拶を口にする。それは小人族(パルゥム)の少女が『青の薬舗』を帰るべき家だと思っている証拠であった。

 

 

 

§

 

 

 

「……それで? ダンジョンに行くのではなかったのですか?」

 

 ベルに追い付いたリリルカが、そう尋ねる。

 その質問に、ベルは「そうなのだが」と前置きしてから言葉を続ける。

 

「その前に、『豊穣(ほうじょう)女主人(おんなしゅじん)』に寄っていこうと思う」

 

「『豊穣の女主人』と言うと……この前行った酒場ですね?」

 

「ああ、そうだ。最近は色々とあったから、あまり行けてなかった。私の直感が告げてくる。そろそろ一度顔を店に行かないとあとが怖い」

 

 主に金を落とせと言ってくる女将(ミア)とか、無言の黒い笑みを浮かべてくる給仕(シル)とか。

 ベルが身体をぶるりと震わせ戦々恐々としていると、リリルカが顔色を少し悪くさせながらこう申し出た。

 

「すみません、リリは先に行ってても良いですか?」

 

「……それは構わないが、何か理由でもあるのか?」

 

「えーっと……そう、道具(アイテム)を補充したくてですね! 実は幾つか足りない物があったんですよ!」

 

「……? 昨日、ヘスティアと買い足しに行っていたのではなかったか?」

 

 ベルが昨日【ロキ・ファミリア】へ足を運んでいた間、ヘスティアとリリルカの二人は仲良くショッピングへ出掛けていた。ショッピングと言っても、ダンジョン探索用の買い足しである。

 ベルの指摘に、リリルカはギクッと視線を彷徨わせる。

 

「実はですね……──」

 

 暫く経って、リリルカは観念したように白状した。

 給仕(ウェイトレス)のシル・フローヴァに疑いの目を掛けられてしまった事。幸い、盗賊家業をしていた事は露呈しなかったものの、リリルカの中では苦手意識が芽生えてしまい、出来れば極力顔を合わせたくない事を打ち明けた。

 

「そんな事があったのか。初耳だな」

 

「……そりゃあ、そうですよ。今言いましたからね」

 

「兎も角」とリリルカは続けて言った。

 

「あの時とは違い、今のリリは犬人(シアンスロープ)ではなくヒューマンです。どうしても言うのなら一緒に行っても良いですが、リリの事はどのように説明するのですか?」

 

「まあ、確かにそうだな。まさか、リリの事情を一から十まで全て説明する訳にも行かないし……分かった。そういう事なら、暫くは近付くのをやめよう」

 

「ええ、それでお願いします」

 

 ホッと、リリルカがベルの返事を聞いて胸を撫で下ろす。

 摩天楼施設を囲っている中央広場(セントラルパーク)で合流する事を約束し、ベルは一旦、リリルカと別れた。

 朝風を感じながら西のメインストリートに出て、そのまま酒場へ向かう。『OPEN』の看板はまだ出ていない。

 

「シルー! ミア母さーん! 私が来たぞ! このベル・クラネルがな!」

 

 分厚い扉を何度か叩き、来訪を告げる。

 反応はすぐにあった。「朝から何だニャ!? 煩いニャア!」と言いながら、猫人(キャットピープル)の女子が扉を開ける。

 

「おおっ! アーニャじゃないか! 久し振りだな!」

 

「うげぇ!? 誰かと思ったら白髪頭ニャ!?」

 

 ベルの姿を認めた瞬間、アーニャは面倒臭さを隠さずに溜息を吐いた。

 

「お(ミャー)のテンションには、さしものアーニャと言えど付いて行けないニャ。やれやれニャ」

 

「いやぁ、それ程でも!」

 

「褒めてないニャ呆れてるニャ」

 

 そう言うと、アーニャは再度溜息を吐いた。

 そんなアーニャへ、ベルは「そう言えば」とある事を思い出して言った。

 

「ミア母さんから既に聞いてるとは思うが、アーニャが貸してくれた本、他の客が忘れてしまった魔導書(グリモア)だったみたいでな」

 

「ニャニャ!?」

 

「ミア母さんには怒られなかったか?」

 

 アーニャはあからさまに視線を右往左往させた。そして、上擦った声を出す。

 

「だだだだだ大丈夫ニャ!? ニャーは大丈夫ニャ!?」

 

「いやいや、その反応を見て『そっか、それなら良かった!』と言う程私は鈍感ではないぞ。そうか……やっぱり、ミア母さんに怒られたんだな!?」

 

「違うニャ!? ミア母ちゃんは大丈夫だニャ!? 寧ろ同情されたニャ!?」

 

「……? 同情? 何で?」

 

「何でって、そりゃあ……──コホン。兎も角! 本当に、本っ当に大丈夫ニャ! そんな過去の事をグズグズと考えているから、お(ミャー)の髪の毛は白くなるんだニャ!?」

 

 唾を飛ばす勢いでニャーニャーと喚く猫人(キャットピープル)は、ベルの目から見ても様子が変だった。

 

「私のこれは地毛なのだが、それはそうとして……」

 

 詳細を知りたかったベルだが、アーニャの尋常ならざる様子から、これは決して口を割る事はなさそうだと判断。気にはなったが大人しく引き下がった。

 そうこうしていると、ドスンドスン、と巨体が近付いてくる音と共に怒声が飛んでくる。

 

「こんの、アホンダラ共が! 朝から煩いよ! 近所迷惑を考えろと、何回言ったら分かるんだい! えぇ!?」

 

 ベルとアーニャは顔を青ざめた。顔を見合わせた二人が恐る恐る顔を向けると、そこには、文字通りの(オーガ)が居た。

 

「今日という今日は許さないよ! 二人とも、そこに立ちなァ!」

 

「「はいぃぃぃぃぃ!」」

 

 悲鳴を上げ、ベルとアーニャは正座をした。それから数分に渡り、二人は女主人の折檻を受けるのだった。

 

「ところでミア母さん、今日はシルは居ないのか?」

 

 後頭部にたんこぶを作ったベルが──アーニャは手こそ出されていないが、馬車馬の如く働かされる事になった──、店内を見回しながら首を傾げる。すっかりと友人と言える間柄となった給仕達の中に、薄鈍色の髪を持つ女子は居なかった。

 

「シルは今日休みです、クラネルさん」

 

 女将の代わりに、見目麗しい妖精(エルフ)が答える。

 

「……そうか。それは残念だ。とはいえ、此処に来た事実は変わらない。リュー、シルには私が来た事を伝えて貰って良いか?」

 

「承知しました。伝えましょう」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 リューに礼を言い、ベルは「それじゃあ」と建物から出ようとする。

 そんなベルを、「待ちな!」とミアが呼び止めた。

 

「坊主、まさか一銭も支払わないで出ようって言うんじゃないだろうね?」

 

「いや、そうは言っても店はまだやっていないのだろう? それに、朝食は済ませてきたし……」

 

 流石にこれ以上腹に何か入れたら、ダンジョン探索に支障をきたしかねない。ベルの胃袋は普通の大きさなのだ。

 

「昼飯は?」

 

「えっ?」

 

「昼飯はどうするつもりなんだい?」

 

 聞かれるがまま、ベルは答えた。

 

「適当な携行食にするつもりだが……」

 

「そうかい。それなら、ちょっと待ってな」

 

 ベルの返事を聞くや否や、女将は厨房に立った。魔石製品を操作して火を付け、その上にフライパンを置き油を敷く。

 困惑するベルに、ミアは視線を寄越す事なく言った。

 

「特別サービスだ。昼飯の弁当、作ってやる」

 

「……良いのか?」

 

「言っておくけど、無料(タダ)じゃないからね! 分かったかい!?」

 

 その言葉を聞いたベルは、満面の笑みを浮かべた。懐から巾着袋を取り出し、それを数枚長台(カウンター)の上に置く。

 

「二人前頼む、女将!」

 

「あいよ!」

 

 客の注文に、女将は威勢の良い声で答えた。

 長台(カウンター)席に座りベルが弁当の完成を待っていると、「クラネルさん」とリューが話し掛けてきた。

 

魔導書(グリモア)を読んでしまったとの事ですが、『魔法』は使いこなせてますか?」

 

「ああ、それがな……実はあんまりだ」

 

 以前、ベルは嘗て冒険者だったというリュー・リオンに『魔法』について相談していた。その内容は主に『魔法』の発現方法だったが、ベルは魔導書(グリモア)を読む事で強制的に発現させ、入手に至っている。

 

「詳しく話を伺っても宜しいでしょうか?」

 

「もちろんだ! と言いたい所だが……私の『魔法』は少し特殊でな。主神からもあまり使わないよう言われているんだ」

 

「……なんと。本当に、貴方は不思議な御仁ですね」

 

 僅かに驚きを見せ、リューがそう言う。

 ただせっかくの親切心を無下にするのも申し訳なく、ベルは一般的な範囲での質問をする事にした。

 

「何回か使って思ったのは、魔力を練る事の難しさだな。これはやはり、何回も経験して慣れるしかないのだろうか?」

 

「そうですね、基本的にはそうなります。魔法適正のある妖精(わたしたち)とは違い、クラネルさんのような只人は『神の恩恵(ファルナ)』を受ける事でその『可能性』が芽吹いていますから」

 

「そうか……そうなると、道は長そうだな……」

 

 げんなりとした表情を浮かべるベルに、リューは真面目な表情で言った。

 

「最初は棒立ちの詠唱で構いません。魔力を練り、そして『魔法』を放つ。まずはこれを意識して下さい。それに慣れ、問題なく出来るようになったら次は並行詠唱へ挑戦するのが良いかと」

 

「並行詠唱か……」

 

「ええ。攻撃、防御、回避、移動などと言った様々な行動を同時に行いつつ『魔法』の詠唱を行う事です。当然、棒立ちでの詠唱とは難易度が段違いですが。しかしこれを極めれば、移動砲台となる事も決して夢ではありません」

 

「ちなみに、リューは出来るのか?」

 

「人並みには修得しています」

 

 真顔でリューは頷いた。

 何でこんな凄い人が酒場の給仕(ウェイトレス)なんてやっているんだろう、ベルは心からそう思った。

 

「クラネルさんなら大丈夫だとは思いますが、『魔力枯渇(マインド・ゼロ)』と『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』にもくれぐれも気を付けて下さい。どちらも死に直結しますから」

 

魔力枯渇(マインド・ゼロ)』とは、精神力(マインド)が文字通り枯渇している状態の事を指す。これが無くなった際、気絶すれば御の字で重症だと後遺症を患う事例(ケース)もある。

魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』とは、『魔法』を使う為に練った魔力、集中力の欠如等によって制御(コントロール)に失敗し、それが魔力という純粋なエネルギーのまま暴発する事を指す。

 

「特に『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』は危険だ。クラネルさんにはまだ縁のない話かもしれませんが、他派閥との『抗争』の際、敵魔導士が『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を利用し自爆覚悟で突貫してくる事もある。手負いの魔導士にはくれぐれも注意して下さい」

 

「ああ、肝に銘じるよ」

 

「それなら良かった。しかし、先程も言いましたが……貴方は不思議な御仁だ。初めて『魔法』を発現させれば殆どの冒険者は大なり小なり調子に乗り痛い目にあいますが……話をしている印象ではありますが、貴方からそれはあまり感じられない。何か理由でもあるのですか?」

 

 妖精の瞳に見詰められたベルは、こう惚ける。

 

「さて、どうだろう。自分では分からないが、魔法種族たる貴女にそう言われると言うのなら、きっとそうなのだろうな」

 

「……なるほど。つまり、答える気はないという事ですね」

 

「はははっ、『秘密』の特権は、何も女子(おなご)だけの物じゃないという事だ」

 

 ベルが大きく笑っていると、ドン! と長台の上に風呂敷で包まれた弁当箱が置かれる。

 

「待たせたね! 注文通り、二人前だよ!」

 

「ありがとう、ミア母さん! 食べる時が今から楽しみだ!」

 

「フンッ、世辞は良いよ! 次来る時はもっと金を落としていきな! 分かったね!?」

 

「ああ、約束だ」

 

 冒険者はいつ死ぬとも分からない職業である。それを分かっていながら、ベルは『次』を約束する。

 冒険者の返答に、女将は満足したようだった。両腕を組み、「ほら! いつまでそうしているんだい!」と言う。

 これ以上の長居は危険だと判断し、ベルは慌てて椅子から立つと出口へ足を向けた。

 

「リュー! それじゃあ、行ってくる!」

 

「お気を付けて。ご武運を」

 

 妖精の給仕に見送られ、ベルは片手を振りながら酒場を後にする。そして、仲間との合流場所──巨塔に向けて走り始めるのだった。

 

 

 

§

 

 

 

 西のメインストリートの石畳を走るベルは、普段よりも人の往来が激しい事に気が付いた。

 

「……? 何かあるのか?」

 

 疑問を抱きつつも、足を止める事はしない。これ以上仲間の少女を待たせると皮肉を言われる未来が、ベルの脳裏にはありありと浮かぶ為である。

 

「バベル……? いや、中央広場(セントラルパーク)に集まっているのか?」

 

 それは正解だった。

 ベルが西のメインストリートを出て中央広場(セントラルパーク)に差し掛かろうとした時には、朝の時間帯とは思えない程、沢山の人が居たのである。

 これにはベルも足を止めざるを得なかった。走り抜けるだけのスペースは僅かにあったが、ぶつかる可能性の方が高いと判断した為だ。ゆっくりと歩いていると、ベルは、ある事に気が付く。

 

(冒険者も多いが……一般市民の方が多い)

 

 ダンジョンへ向かう冒険者。それ以上に、一般市民が多く居る。彼らは一様に、興奮しているようだった。顔を輝かせている子供達に、笑顔を浮かべている大人達。

 中央広場(セントラルパーク)の至る所では出店が開いており、客を呼び込む声が行き交っている。

 

「道草食いすぎですよ!」

 

 その声にハッとベルが下を向くと、そこには不機嫌丸出しのリリルカが居た。本人は睨み付けているつもりなのだろうが、その愛くるしい容姿の所為で迫力はあまりない──とは、さしものベルも言わなかった。

 

「そんなにも、あの給仕と長話をされていたんですか?」

 

「いや、彼女は休みだった。実はだな、リリ。ミア母さんが親切に弁当を作ってくれてな! 今日の昼食は期待して良いぞ!」

 

「……なるほど。手土産があるのなら、まあ、許しましょう」

 

 リリルカとしても、味気ない携行食は出来れば避けたいらしかった。

 中央広場(セントラルパーク)の隅に移動し、弁当を慎重にバックパックへ入れるサポーターを見守りながら、ベルは情報通の彼女へ尋ねる。

 

「この沢山の人は一体何なんだ? 皆、熱に浮かされたように興奮しているように見えるが」

 

「ああ、そう言えば貴方はまだこの都市にきてまだ日が浅かったですね。これは、『見送り』ですよ」

 

「……『見送り』?」

 

 首を傾げるベルに、リリルカはナップサックを背負い直して言った。

 

「ええ、今日は【ロキ・ファミリア】の『遠征』が始まる日ですから。皆、その『見送り』に来ているのです」

 

「確かに今日は『遠征』があると聞いてはいるが……こんなにも集まるのだな……」

 

 時間の経過と共に、人々は増えていく。

「興味があるのなら、見に行きましょうか」と、リリルカが提案する。ベルはそれに頷いた。

 

「そろそろ、貴方のご友人……【勇者(ブレイバー)】が演説を始める頃だと思います。急ぎましょう」

 

 リリルカの後を追い、ベルは中央広場(セントラルパーク)を移動する。

 そして、人集りが一番大きい場所に辿り着く。数えるのも億劫になる程の何重もの『層』に、ベルは驚愕する。

 そして。

 ベル・クラネルはその光景を見た。

 

「──総員、これより『遠征』を開始する!」

 

 白亜の巨塔を背に、一人の小人族(パルゥム)が声を張り上げる。

 左右の傍らに控えているのは、土の民(ドワーフ)の大戦士に王族(ハイエルフ)の魔導士。

 そして三人と向き合うようにして、都市を代表する派閥の眷族が整列していた。

 それまでの喧騒が嘘であったかのように静寂が生まれる。

【ロキ・ファミリア】団長──【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナは自身の長槍(ジャベリン)を石畳の上に突き立て、『演説』を始める。

 

「階層を進むにあたって、今回も部隊を二つに分ける。最初に出る一班は僕とリヴェリアが、二班はガレスが指揮を執る! 18階層で合流した後、そこから一気に50階層へ移動! 僕等の目標は他でもない、未到達領域──59階層だ!」

 

 ()()()()()()()()()

 この場に居る全員の耳朶(じだ)を震わせるそれは、決して大声でもなければ叫び声でもなかったが、まるで『風』のように行き渡った。

 

「君達は『古代』の『英雄』にも劣らない勇敢な戦士であり、冒険者だ! 大いなる『未知』に挑戦し、富と名誉を持ち帰る!」

 

 都市の住民が。

 冒険者が。

 神々が。

 多くの人々が見守る中で、【勇者(ブレイバー)】は宣言する。

 

「犠牲の上に成り立つ偽りの栄誉など要らない! 全員、この地上の光に誓って貰う──必ず生きて帰ると!」

 

 暫しの別れを惜しむように、【ロキ・ファミリア】が蒼穹に想いを馳せる。

 そして、【勇者(ブレイバー)】は号令を放った。

 

「遠征隊、出発だ!」

 

【ロキ・ファミリア】が(とき)の声を上げ、『見送り』に来た人々が大歓声を上げた。

 

「──と、まあ、こんな感じですね」

 

【ロキ・ファミリア】が白亜の巨塔へ行った後も、中央広場(セントラルパーク)には暫く熱気があった。

 

「……少し、意外ですね。貴方ならもっと騒ぎ立てると思っていたのですが……いっそ気持ち悪いくらいに落ち着いていますね」

 

 それまで興味なさそうに『演説』を冷ややかに見ていたリリルカが、ベルに話し掛けた。

 話を振られたベルは「そうでもないさ」と答える。

 

「事実、興奮した。同時に、感動もしたよ」

 

 続いて、ベルは言った。

 

「今尚、この『文化』は残っているのだと思うと嬉しいな。きっと、『彼等』もそう思うだろう」

 

「……? それはどういう意味──」

 

「ベルさん」

 

 リリルカの言葉に被さるようにして、ベルに声を掛ける人物が居た。

 精緻な人形を思わせる銀髪の少女は、「おはようございます」と挨拶をする。

 

「アミッド女医!」

 

 友人との久し振りの再会に、ベルが喜びの声を出す。

 

「驚いた! まさかこんな所で会えるだなんて!」

 

「ええ、そうですね。普段はあまり此処には来ませんから。今日は、【ロキ・ファミリア】の皆様へ、餞別の品を渡す為に来ました」

 

「そうか!」

 

 ベルと話をするアミッドは、そこでリリルカに目を向ける。

 ベルは初顔合わせを手伝った。

 

「アミッド、こちら最近私の仲間になったリリルカ・アーデだ。この前会った時に話題に出しただろう。──リリルカ、こちら私の友人のアミッド・テアサナーレだ」

 

 初めましてと、握手を交わすアミッドとリリルカ。

 そしてそのタイミングで、アミッドが小首を傾げリリルカに尋ねた。

 

「失礼、私、貴女と何処かでお会いした事がありますか?」

 

「い、いえ。初対面ですが……」

 

「……そうですか。失礼致しました。気の所為だったようです」

 

 奇妙な会話をする二人がベルは気になったが、追及するのは憚られた。

 

「そうだ! 貴女から貰った万能薬(エリクサー)のおかげで、また命拾いした! ありがとう!」

 

 ベルが笑顔でお礼を言った、その瞬間。

 それまで薄いながらも微笑みを浮かべていたアミッドの雰囲気が、文字通り、豹変した。

 

「いやぁー、本当に助かった! 感謝してもし足りないくらいだ!」

 

 リリルカが、『あっ、これ地雷を踏みましたね』と察する中、それに気付かないベルは呑気に笑っていた。

 

「ベルさん」

 

 そんなベルに、アミッドは真顔で一歩詰め寄る。

 そこでようやく、ベルは友人の不穏な気配に気が付いた。

 

「ア、アミッド女医……?」

 

万能薬(エリクサー)を使った……? ベルさん、どういう事ですか? 詳しい説明を求めます」

 

 ベルは悟った。

 あっ、これ怒られるパターンだ、と。

 

「正座して下さい」

 

「い、いやぁー? アミッド女医、流石の私も人の往来の激しいこの場所でそんな事をする勇気はないと言うか何と言うか……──」

 

「そんな事?」

 

「はいもちろん喜んでそうさせて頂きます」

 

 光の速度で正座し、ベルは恐る恐る友人を見上げた。

 アミッドは無表情だった。目も一切笑っておらず、人形のような整った顔は、却って見る者を恐怖に追いやるだろう。

 その様子を、熱気から冷めつつあった街の人々は遠巻きに眺めた。だが好奇の眼差しも、怒れる聖女には些事でしか無かった。

 

「説明、して下さいますね?」

 

「……はい」

 

 紫水晶の瞳に見下ろされながら、ベルは懺悔した。

 ダンジョン探索中に『怪物の宴(モンスター・パーティー)』に遭い、仲間のリリルカが深手を負った事。その傷を癒す為に、万能薬(エリクサー)を使った事。

 全てを聞いたアミッドは、「なるほど、経緯は分かりました」と言い、項垂れているベルに声を掛けた。

 

「冒険者である以上、異常事態(イレギュラー)に遭遇するのは日常茶飯事ではありますが……本当に、貴方はよく巻き込まれますね」

 

「ははは、そう褒めてくれるな」

 

「褒めてはいません」

 

「…………はい、すみません」

 

「いつまでそうしているつもりですか。立って下さい」と中々に理不尽な事を言ってくる友人に、ベルは、絶対に逆らわないようにしようと決意した。

 古今東西より、普段優しい人間を怒らせると怖いのだ。

 

「……あまり、私を心配させないで下さい。万能薬(エリクサー)を使ったと聞いて、また、貴方の身に何かあったのだと……」

 

「ありがとう。心優しい友人を持てて、私は幸せだ」

 

「……またそう言って誤魔化すのですね」

 

「ああ、いや……そういうつもりではなかったのだが……」

 

 片頬を掻きながら、ベルは困ったように笑った。

 アミッドは溜息を吐くと、表情を戻して言った。

 

「お時間を頂いて申し訳ございません。お二人とも、ダンジョンに行かれるのですよね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「そうですか。それなら、くれぐれもお気を付け下さい。ご武運を」

 

 そう言うと、アミッドは一礼してから離れていった。

 その後ろ姿をベルが眺めていると、薄情にも、ベルが懺悔している間赤の他人の振りをしていたリリルカが合流してくる。

 

「貴方はとことん、奇妙な縁を持っていますね」

 

「……そうかな?」

 

「そうですよ。【勇者(ブレイバー)】と言い、【戦場の聖女(デア・セイント)】と言い……これからの私を思うと、今からでも頭痛と胃痛がします」

 

 続けて、リリルカは言った。

 

「所で、アミッド様とは本当にただのご友人なのですか? 随分と親しいご様子でしたが」

 

「……? まあ、仲が良いとは思うが、それだけだな」

 

「………………はあ。なるほど、なるほど。よく分かりました」

 

「……? 何がだ?」

 

「べっつにー!」

 

 べーッ! と舌を出し、リリルカはバベルへ走っていく。ベルは首を傾げながら、その後を追うのだった。

 摩天楼施設に入ると、先に出発した筈の【ロキ・ファミリア】の遠征隊が他の冒険者の邪魔にならないよう隅に居た。

 

「まだ居たんだな」

 

「今は冒険者のダンジョンへの出入りが最も激しい時間帯ですからね。時間を少しズラしているのでしょう」

 

【ロキ・ファミリア】のような大手派閥が『遠征』の為とは言え『上層』を通り抜ける際にモンスターを倒すと、他弱小派閥から批判が向けられてしまう。それを防ぐ為の措置である。

 リリルカの説明に、ベルは納得した。

 

「声を掛けなくても良いのですか? 今更、ダンジョンに行くのが遅くなっても文句は言いませんよ?」

 

 それはリリルカなりの気遣いだった。

 しかし、ベルは少し考えた後に首を横に振る。

 

「……いや、良い。それは昨日済ませてきた。私の出る幕はないさ」

 

「そうですか。それなら、行きましょうか」

 

 ベルはその言葉に頷くと、最後にもう一度だけ【ロキ・ファミリア】を一瞥してから、ダンジョンへ通じる螺旋階段を降りるのだった。

 



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搾取してきた者の末路

 

 ダンジョン、11階層。

 霧が立ち込め視界もままならないこの階層で、大型級モンスター、オークの豚のような悲鳴が響いた。

 

「……チッ、こんなんじゃ全く金にならねぇ!」

 

 その獣人の男──カヌゥは『魔石』の小ささに舌打ちすると、近くに生えていた枯木に八つ当たりした。

 それを見たパーティメンバーが、「まあ、落ち着けよ」と窘めるも、それは火に油を注ぐだけだった。

 

「黙れ! 課せられたノルマを達成しねぇと、団長に殺されるんだぞ、こっちは!? 分かってんのか!?」

 

「別に殺されはしないだろ。ただ、奴隷のように扱われはするだろうけどよ」

 

「同じ事だろうが、この馬鹿野郎が!」

 

 カヌゥの怒声がダンジョンに響く。

 パーティメンバーが「おい、静かにしろよ! モンスターが来たらどうするんだ!」と慌てる中、カヌゥの苛立ちは募るばかりであった。

 

「ちくしょう……本来なら今頃は、派閥幹部になっている予定だったのによ!」

 

 それもこれも、とカヌゥはゴブリンを斬殺しながら感情のままに叫んだ。

 

「それもこれも、全てはあの糞小人族(パルゥム)の所為だ! 死んで尚、俺の足を引っ張ってきやがる!」

 

 脳裏に思い浮かぶのは、自分がこれまで虐げ、搾取してきた小人族(パルゥム)だった。

 

「全てが完璧だった。ああ、全てが完璧だったんだ! それが……クソッ!」

 

 触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに、パーティメンバーは放置する事に決めたようだった。

 元々、カヌゥ達には仲間意識など微塵もない。このパーティの中で最も強いのがカヌゥだから、カヌゥをパーティリーダーにしているに過ぎない。もしカヌゥ以上の人物が居れば、彼等はカヌゥを見限りその人物に付き従うだろう。

 ただ同じ派閥(ファミリア)に属している、赤の他人。それが彼等の共通認識である。

 

「糞が! あいつが、あの糞小人族(パルゥム)の所為で!」

 

 カヌゥは、とある計画を立てており、それを実行した。だがそれは失敗に終わり、現在、窮地に追いやられていた。

 

 

 ──全ての始まりは、他所の派閥(ファミリア)の冒険者から声を掛けられた時だった。

 

 

 その冒険者は、【ソーマ・ファミリア】の団員を探していると言った。普段ならそんな面倒事無視をするカヌゥだったが、その日は機嫌が偶々良く、話を聞いてやろうと思ったのだった。

 その冒険者曰く、【ソーマ・ファミリア】所属のサポータ──―リリルカ・アーデに金品を騙し取られたの事だった。同じ派閥(ファミリア)の団員が行った事へのケジメを付けろと、その冒険者はカヌゥへ訴えた。

 話を聞いたカヌゥだったが、当然、それに頷く筈もない。

 カヌゥからしてみれば、騙される方が悪いのだ。それ所かカヌゥは、リリルカを評価さえしていた。どうやら自分が暫く面倒を見ていなかった間に、あの弱者は抗う術を身に付けたようだ。

 冒険者の話を聞いたカヌゥは、適当にあしらう事にした。リリルカにこの話をネタにして脅すのは確定だが、それはそうとして、他派閥との面倒事など起こしたくもない。

 そんなカヌゥの態度からそれを察したのだろう、その冒険者──ゲドと名乗った大剣使いの大男は言った。

 自分だけでなく、他の冒険者パーティも被害にあっている。その被害はとても大きく、中には貴重な『魔剣』や『ドロップアイテム』を盗まれた所もある──と。

 それを聞いたカヌゥは、疑問に思った。あの弱者にそれだけの事が出来るだけの力があるとは、曲がりなりにも同じ派閥に属しているカヌゥには思えなかったのだ。

 そんなカヌゥへ、ゲドはその理由を言った。

 ゲド曰く、リリルカ・アーデには『魔法』があり、それを使って悪事を働いているというのだ。

『魔法』。

 それは、一部の冒険者だけが発現出来る『可能性の塊』。『神の恩恵(ファルナ)』により、人類の全種族がそれを可能としたのは事実だが、それでも必ず発現出来る訳ではない。それがましてや、小人族(パルゥム)なら尚の事である。

 甚だ疑わしいと思うカヌゥへ、ゲドは力説した。曰く、金品を騙し取られた事に気付いたゲドがリリルカを追うと、丁度、『魔法』の『詠唱』をしていた所であり、姿形が変わったのだと言う。

 話を最後まで聞いたカヌゥは、黙った。そんなカヌゥへ、ゲドは責任を取れと言う。もしも知らぬ存ぜぬを貫き通すのなら、それなりの対応を取るとも言った。

 なるほど、とカヌゥは思った。どうやらこれは、中々に大きな騒動になっているようだ。思えば最近、冒険者パーティが盗賊に襲われ『魔石』をはじめとした金品を奪い取られている、と下級冒険者の間で噂になっていた。

 そしてその盗賊とやらが、自分の所属している派閥の団員であり、自分がこれまで可愛がってきた小人族(パルゥム)らしい。

 黙りこくるカヌゥを見て、苛立ったゲドが胸倉を摑んでくる。

 カヌゥは、悪知恵の働く男であった。迷宮都市(オラリオ)の大半の冒険者と同じLv.1の下級冒険者でこそあったが、その冒険者歴は長い。『冒険』とは程遠い安全重視の迷宮探索しか行ってきたカヌゥだったが、塵も積もれば山となるとはその通りで、その能力値(ステイタス)は平均を大きく超えていた。

 そしてそんなカヌゥの【ソーマ・ファミリア】での立ち位置は、幹部候補、と言った所だった。

 カヌゥはそろそろ、この曖昧な立ち位置に嫌気がさしていた。

 そして、カヌゥは一つの妙案を思い付く。

 カヌゥはゲドに、この事を知っているのは他に誰か居るのか尋ねた。その質問に対し、ゲドはまだ誰にも言っていないと答える。だが被害者に声を掛けつもりだと続けて言った。

 自身の胸倉を摑むゲドの手を払い除け、カヌゥはそのまま大男の鳩尾を右手で殴った。ドスン、という音と共にゲドが苦悶の声を上げながら尻餅をつく。

 カヌゥはゲドを見下ろしながら、一つの提案をした。

 それは、報復をしようという内容だった。騙し取られた金品を奪い返し、強者(ぼうけんしゃ)に逆らった愚かな弱者(サポーター)を共に懲らしめようというものだった。

 そして拍子抜ける程あっさりと、ゲドはそれに乗った。ゲドは生粋の荒くれ者であり、管理機関(ギルド)や『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』といった連中に頼るのではなく、自分の手でカタをつけないと納得しない質だった。

 ゲドと別れた後、本拠に戻ったカヌゥは派閥の取り巻きを集めて計画を話し、賛同を得たのだった。

 作戦をより完璧なものにすべく、カヌゥは独自に動いた。

 まず、リリルカ・アーデが冒険者達から騙し取った金品を換金する為に利用している換金所を探した。しかし幾ら探しても、その店は見付からなかった。それは無理もなかった。ゲドの話が真実なら──カヌゥは未だに、リリルカが『魔法』を発現させた事を認められずにいた。それはカヌゥだけでなく、他の取り巻き達も同じだった──リリルカは言わば、変身魔法を所持している事になる。ゲドにその瞬間を目撃された以上、当然、あの警戒心が高いリリルカが変身魔法を駆使して尾行を撒くだろう事は想像に難くなかった。

 換金所の捜査は難航していたが、吉報があった。

 偶然にもゲドが声を掛けていた被害者の一人が、西の表通りにある酒場へ入るリリルカを目撃したのだ。

 報告を受けカヌゥが現場に向かうと、リリルカは、白髪紅眼の冒険者と一緒に居た。リリルカは小人族(パルゥム)ではなく、犬人(シアンスロープ)の姿形だった。どういう事だと首を傾げるカヌゥヘ、少し遅れて合流してきたゲドが、それこそが変身魔法によるものだと説明した。

 最初こそ訝しんでいたカヌゥだったが、その犬人(シアンスロープ)を注意深く観察してみた所、それが事実なのだと認めざるを得なかった。纏っている雰囲気にその所作は、正しく、姿形こそ違えども間違いなくリリルカ・アーデのものだったのだ。

 この時ようやく、カヌゥはリリルカ・アーデが『魔法』を発現させている事をようやく認めた。

 リリルカには、同伴者が居た。長剣を腰に携えた、白髪紅眼の冒険者である。

 その冒険者は見た目からしてまだ餓鬼(こども)だったが、世間を知らなさそうな田舎者のようだった。リリルカとその餓鬼(こども)は酒場で小一時間ほど過ごした。

 そして利用している宿屋に突入し、ゲド達被害者が居なくなった後で、カヌゥはリリルカと話し──脅迫した。

 それは、かねてからの計画通り、ゲド達被害者を始末する事だった。報復を終えた後、ゲド達がどのような行動をするのか分からない。もし管理機関(ギルド)や『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』に告発されれば、【ソーマ・ファミリア】の立場は危うくなる。それを避ける為、ゲド達を始末するのは既定路線だった。

 その為には、被害者を一箇所に集める必要がある。場所は無法地帯であるダンジョンとし、リリルカは被害者達を誘い出す『囮』になれと、カヌゥは命令した。

 リリルカにとってもそれは、悪い話ではなかった。カヌゥにこそこれからも搾取はされ続けられるが、捕縛され、要注意人物一覧(ブラックリスト)に載るのと比べたら雲泥の差である。元よりリリルカ・アーデは搾取される側の人間であり、何も変わらないのだ。

 カヌゥはさらに、助ける報酬として、これまで盗んできた金品を寄越せとリリルカへ迫った。トラウマをほじくり返してやれば、リリルカは寧ろ懇願してきた。

 リリルカが恐怖で身体を震わせながら頷いたのを見た時、カヌゥは自分の練った計画が達成されるのを確信した。

 カヌゥは派閥に仇なす存在を片付けた事で、派閥への立場をより盤石にする事が出来る。上手く行けば、派閥幹部にだってなれるだろう。更には、リリルカから金品を取り上げる事も出来る。

 そんな風にカヌゥがほくそ笑んでいると、ゲドが一つの提案をしてきた。それはあの白髪紅眼の餓鬼(こども)を誘い、協力関係を築こうというものだった。

 カヌゥはそれを承知した。本来の計画を思えば、関係者は例外なく舞台に上がった方が良い為だ。だがしかし、白髪紅眼の冒険者には冒険者らしくない精神の持ち主だったようで、勧誘は失敗に終わる。

 そもそもの話、その餓鬼の事は幾ら調べても分からなかった。雇った探偵は何故か連絡が途絶え、見付けたと思えば廃人になっていた。何者かの意思がそこに介在しているのは間違いなく、カヌゥは餓鬼については見逃す事に決めた。

 そして最後に、カヌゥは計画をより確実な物にする為動いた。

 それは、【ソーマ・ファミリア】が一般に販売している『神酒(ソーマ)』、それを数本、盗む事であった。無論、これは派閥の規律に反している行為である。見付かれば団長をはじめとした幹部陣から罰則を受けるだろう。否、『罰則』など生温い『粛清』がそこにはある。

【ソーマ・ファミリア】の眷族は、この『神酒(ソーマ)』が如何に強力な酒なのか知っている。ともすればそれは、神でさえ酔うと──超越存在(デウスデア)たる神が本当の意味で酔う事はないのだが──界隈では言われている程だ。下界の住人、ましてや、『神酒(ソーマ)』を初めて飲む者はその魔力に例外なく取り憑かれる事となる。酒好きな冒険者なら尚更だ。

 カヌゥはゲド達にこれを配った。最初の一本目こそ本物の『神酒(ソーマ)』であったが、意識が混濁したゲド達は、二本目から普通の水が出されている事に終始気が付かなかった。これにより、ゲド達はカヌゥの傀儡となった。

 そして、作戦決行日。

 カヌゥはゲドを含む被害者を当初からの計画通り裏切り、ダンジョンで始末した。これまで奪ってきた金品の在処をリリルカが白状しなかったのは想定外だったが、使い道の無くなったリリルカに価値はない。カヌゥは押し寄せるモンスターから逃げる為、リリルカを文字通りの『餌』にした。

 

 ここまでは完璧だった。

 

 そう、完璧だったのだ。計画に狂いが生じたのは、それからだった。

 リリルカはカヌゥヘ、衝撃的な事を言った。

 ダンジョンへ赴く前、リリルカはなんと、管理機関へ内部告発文を送っていたのだと言う。

 それはとんでもない『爆弾』だった。死ぬ覚悟を持ってあの場に来たという小人族(パルゥム)の言葉は、虚勢でも何でもなかったのである。

 もしこの『爆弾』が爆発すれば、派閥はとんでもない事になる。

 本拠(ホーム)へ帰還したカヌゥは、すぐさま団長へこの事を報告した。

 そして、全てを聞き終えた団長は、嘆息してからこう言った。

 

「お前の勝手な行動の所為で、派閥(ファミリア)は存続の危機に瀕する事になった。どう落とし前をつける?」

 

 カヌゥは何も言えなかった。

 そう、一連の計画は全てカヌゥの独断だったのだ。手柄を独り占めにしたいと思ったが故に、カヌゥは取り巻きにも口外しない事を厳命していたし、団長をはじめとした幹部陣にも何も相談していなかったのである。

 さらに悪い事に派閥(ファミリア)の酒蔵から『神酒(ソーマ)』を盗んでいた事も、団長に知られていた。つまり、泳がされていたのである。

 こうして、カヌゥの立場は無くなった。

【ソーマ・ファミリア】はこれまでの悪事の証拠を隠す為奔走する事になり、カヌゥは団長から罰則として厳しいノルマを言い渡される事になった。それはカヌゥのような下級冒険者が稼げない額の大金であり、カヌゥは派閥(ファミリア)の奴隷となる事が決定したのである。

 カヌゥの犯した失態は取り返しのつかない物であったが、それでも、それだけのノルマで済んだのはひとえにカヌゥの能力値(ステイタス)によるところが大きい。

【ソーマ・ファミリア】は構成員こそ多かったが、上級冒険者は現在団長だけであった。その為、下級冒険者の中でも上澄みに居るカヌゥの能力値(ステイタス)は、団長や幹部陣からしたら切って捨てるのが惜しかったのである。

 ちなみに、ではあるが。

 主神のソーマは派閥がこのような状況に置かれていても、動く事をしなかった。主神は今まで通り、派閥運営を団長とした眷族に丸投げしていたのである。

 

 ──こうして、全てを失ったカヌゥはらしくもなく真面目に迷宮探索を行っている。

 

 自分から離れようとする取り巻きを、カヌゥは暴力による支配で逃がさなかった。カヌゥからしたら、計画に賛同した時点で一蓮托生である。自分だけこのような仕打ちを受けるのを認められる程、カヌゥの器は大きくない。

 

「これじゃあ、何の足しにもなりやしねえ!」

 

 ゴブリンを剣で串刺しにし、カヌゥは苛立ちのままに叫んだ。地面に落ちた小さな『魔石』をパーティメンバーに拾わせながら、カヌゥは脳内で本日の稼ぎを計算する。

 だが、全く足りなかった。

 ノルマには勿論、これでは生活の足しにもなりはしない。

 また悪事を働くにしても、今は出来ない。派閥の他団員に、自分の行動は監視されている。少しでも気取られたら最後、今度こそ、カヌゥは終わるだろう。

 苛立ちが焦りに変わりつつあった、その時だった。

 

「向こうから、変な音がしないか?」

 

 パーティメンバーの一人が、そんな事を言い出した。

 

「あァ……? 他の冒険者がモンスターと戦っているんだろうよ」

 

 そんな事を一々言わなくて良い。

 そう思ったカヌゥだったが、念の為、聴覚に神経を注ぐ。

 そして、獣人の耳はその音を拾い上げた。

 

「これは……戦闘音か? いやだが、それにしては大き過ぎるような……」

 

 聞こえてくるのは、特徴的な金属音。それに混ざって、複数の女の声がする。

 

「おい、カヌゥ。行くのかよ?」

 

 発生源に足を進めるカヌゥヘ、パーティメンバーが不安を隠さずに言った。

 カヌゥは顔だけ振り向かせ、その質問に答えた。

 

「遠目から見るだけだ。この階層には視界を遮る『靄』がある。仮に『抗争』を行っていたとしても、遠距離からならバレはしない」

 

「だ、だけどよぅ……」

 

「黙れ。ダンジョンに於いて、些細な情報不足が死に直結するんだ。いいから、俺の指示に従え」

 

 カヌゥがひと睨みすると、パーティメンバーは「わ、分かった」と渋々と言った感じで頷いた。

 他のパーティメンバーにもカヌゥが目を向ければ、彼等は慌てて頷いた。

 カヌゥを先頭にして、パーティは発生源に向かう。近付けば近づく程、その音は大きくなっていた。

 そして、カヌゥ達はそこに辿り着き──呆然と立ち尽くした。

 

「死ねぇええええええええ!」

 

 本気の殺意と共に放たれるその言葉は、カヌゥ達を戦慄させるには充分だった。『靄』の中から、微かに、複数の人が見える。

 

「アマゾネスか……?」

 

 最初は、カヌゥはそれがヒューマンだと思った。

 だが肌面積の多い戦闘衣(バトル・クロス)を見て、それがアマゾネスだと予想する。

 そして、カヌゥはそのアマゾネスの戦闘衣(バトル・クロス)に塗られている派閥の徽章を見て、思わず息を呑んだ。カヌゥと同じく、それを見たパーティメンバーも愕然とした声を出す。

 

「お、おいカヌゥ! あいつら、もしかして……!」

 

「……分かってる。一々騒ぎ立てるんじゃねえ。あいつらは──【イシュタル・ファミリア】だ」

 

【イシュタル・ファミリア】。それは迷宮都市でも上位に位置する派閥であった。派閥等級(ランク)は【B】。何人もの上級冒険者が所属しており、その殆どはアマゾネスで構成されている。

 中でも第一線で活躍する彼女達は『戦闘娼婦(バーベラ)』としてとても有名だった。

 

「な、なんでこんな『上層』に【イシュタル・ファミリア】が居るんだよ……」

 

 それはカヌゥも同じ思いだった。【イシュタル・ファミリア】のような派閥が『上層』に居る理由。それは一体何なのだろうか。

 そして、その疑問はすぐに答えが出た。

 

治療師(ヒーラー)、回復が遅いよ!」

 

「もっと攻撃を激しくしろ!」

 

「あー、もう! 何でたった一人を相手にたおせないの!? 可笑しいよ!?」

 

「文句言っている暇があるならもっと速く武器を振りなァ!」

 

 どうやら、戦闘娼婦(バーベラ)達は何かと戦っているようだった。発言をそのまま受け取ると、相手は一人のようで、彼女達は連携を密に取り、何かと戦っているようだった。

 戦闘は時間の経過と共に激化し、地面から立ち昇る『靄』さえも吹き飛ばしそうだった。

 

「一体、誰と戦っているんだ……?」

 

【イシュタル・ファミリア】が倒し切れない相手など、数は絞られてくる。

 思い当たるのは──そこまで考えたカヌゥだったが、それよりも先に、正体が分かった。

 

「────温い」

 

 獣にも似た、低い声。

 一閃。

 それと同時に響く戦闘娼婦(バーベラ)達の悲鳴。『靄』が吹き飛ばされ、辺り一帯の視界が良好となる。カヌゥ達が隠れている場所が巻き込まれなかったのは幸いだっただろう。

 そして、カヌゥ達は見る。そこに居たのは、衝撃の人物だった。何故こんな所に居るのか分からないが、それは間違いなく、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオの冒険者の頂天に位置する冒険者にして武人だった。

 

「お、【猛者(おうじゃ)】……!」

 

 迷宮都市唯一のLv.7。【フレイヤ・ファミリア】団長の【猛者(おうじゃ)】オッタルが、そこに居た。

 パーティメンバーが顔面蒼白になる中で、カヌゥはまだ冷静だった。

【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】。両派閥とも、美神を主神とする派閥(ファミリア)である。そして冒険者の間では、【イシュタル・ファミリア】が【フレイヤ・ファミリア】を一方的に敵視しているのはあまりにも有名だった。

 今回のこの戦闘も、恐らくはそれだろう。

 そして、カヌゥは思い出す。そう言えば最近、【猛者(おうじゃ)】の目撃情報が『中層』にあった。Lv.1のカヌゥは関係ない──管理機関(ギルド)が推奨している『中層』の最低能力値(ステイタス)はLv.2である──とあまり関心を寄せていなかった。

 

「──退()け。これ以上は本格的な『抗争』になるぞ」

 

 片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)を一度鞘に納め、【猛者(おうじゃ)】がそう言った。それは忠告であった。

 長い黒髪を持つアマゾネスが【イシュタル・ファミリア】を代表して、自身の獲物を油断なく構えながら尋ねた。

 

「それなら教えてくれるかい? 【猛者(おうじゃ)】、何で『上層』に居る? あたし達はそれを知るまで本拠へ帰ってくるなと、イシュタル様から厳命されているのさ」

 

 そう言ったそのアマゾネスは「ところで」と【猛者(おうじゃ)】へさらに尋ねた。

 

「あんたが大事そうに守っている『それ』……一体、何が入っているんだい?」

 

 釣られてカヌゥが見てみれば、アマゾネスの言う通り、【猛者(おうじゃ)】の後ろには物資運搬用の大型カーゴがあった。

猛者(おうじゃ)】は簡潔に答える。

 

「お前達には関係ない事だ」

 

「そうかい。それなら、あたし達はまだ退けないねぇ」

 

 そう言うと、アマゾネスは仲間達に「行くよ!」と指示を出す。【イシュタル・ファミリア】は一斉に攻撃を仕掛け、【猛者(おうじゃ)】を打破せんとする。

 異次元の戦闘が再開する中、パーティメンバーの一人が「おい、そろそろ離れようぜ……」とパーティリーダーであるカヌゥへ言った。

 だがカヌゥの耳に、その言葉は入っていなかった。

 そして、カヌゥはある一点──即ち、大型カーゴを凝視しながら言った。

 

「あのカーゴ、奪うぞ」

 

「「「……ッ!?」」」

 

 パーティメンバー達が、驚愕の声を出す。

 そしてそのうちの一人が、「おい、カヌゥ。正気か!?」と言った。

 

「あのアマゾネスが言った通りだ。【猛者(おうじゃ)】が身を呈して守る程の価値が、あれにはある。恐らく、中身は【猛者(おうじゃ)】が『深層』から持ち帰ってきた『魔石』や『ドロップアイテム』だ」

 

「そうだとしてもよ、相手は【猛者(おうじゃ)】だぞ! 【フレイヤ・ファミリア】を敵に回すつもりか!?」

 

「今は【イシュタル・ファミリア】から攻撃を受けている。流石の【猛者(おうじゃ)】も相手取るのは苦労しているようだ。隙をつけば、奪取は可能だ」

 

「そういう事じゃねえよ! カヌゥ、やっぱりお前可笑しいぜ! いくら何でも無理だ!」

 

 それは正論だった。

 遠く離れたこの場所にさえ戦闘の余波は来ているのだ、近付く事でさえ至難の業である。仮に大型カーゴを奪取したとしても、【猛者(おうじゃ)】はカヌゥ達の事を覚えるだろう。

 そしてカヌゥ達の元に辿り着くだろう。

 それはつまり、都市最高派閥たる【フレイヤ・ファミリア】に目を付けられる事を意味する。そうなったら最後、【ソーマ・ファミリア】は比喩抜きで跡形もなく消し飛ぶだろう。

 だがカヌゥは、その正論を切り捨てた。

 

「手拭いで顔を隠し、派閥(ファミリア)の徽章も隠せば問題ない」

 

「だ、だけどよぅ……」

 

 弱音を吐くパーティメンバーの胸倉を、カヌゥは本気で摑んだ。至近距離で獣人の睨みを浴びたメンバーは、恐怖で歯をガタガタと鳴らす。

 

「俺も、お前達も! 待っているのは破滅だ! なら、ここで賭けるしかねえ! それが出来ねえなら、冒険者なんてやめちまえ!」

 

 カヌゥにはもう、何も無い。失う物もない。

 仮に失敗したとしても、身の破滅が早くなるだけに過ぎない。

 成功確率はゼロに等しいが、決してゼロではない。それならば、賭けるしかないのだ。

 それは開き直りであった。

 それは『冒険』とは程遠く、『蛮勇』ですらなかった。

 だがしかし、カヌゥの言葉がパーティメンバーの胸を打ったのもまた、事実であった。

 

 

 ──そしてこれが、カヌゥ達の分岐点だった。

 

 

 覚悟を決め、カヌゥはパーティメンバーと頷き合うと息を潜めてその時を待った。

『靄』を最大限利用し、腰を低くし、必ず生まれるであろう隙を待つ。

 そして、その時は来た。戦闘娼婦(バーベラ)達の攻撃を防ぎ終えた【猛者(おうじゃ)】が、反撃に出たのだ。大型カーゴから離れ、【イシュタル・ファミリア】へ足を進める。

 

「──今だ! 行くぞ、手前等!」

 

 指示を出し、カヌゥは身を隠していた枯れ木から飛び出した。

 作戦は上手く行った。【猛者(おうじゃ)】が気が付いた時には既に、カヌゥ達はカーゴを押して『靄』の中に姿を消していた。

 

「愚かな。まあ……良い、これで『舞台』は整った」

 

 武人がそう呟いたのを、逃げるのに必死なカヌゥ達は拾う事が出来なかった。

 カーゴはとても大きく、運ぶのには苦労した。だが興奮した神経はそれを疲労とせず、カヌゥ達は無事に正規ルートから外れた広間(ルーム)に辿り着く。

 

「よし、開けるぞ」

 

 広間(ルーム)の出入口にパーティメンバーを立たせ、見張りとする。カヌゥは他のパーティメンバーに、カーゴを開ける事を告げる。

 中に入っているであろう沢山のお宝を妄想しながら、カヌゥはゆっくりとそれを開けた。

 

「…………へ?」

 

 それは誰の声だったのか。

 パーティメンバーの物だったのかもしれないし、カヌゥ自身の物だったかもしれない。

 だがそんな事は些細な事だった。

 カヌゥ達はその中身を見て、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。

 

「お、おい……! これって、まさか……!?」

 

 パーティメンバーの一人が顔を青ざめさせながら、驚愕の声を出す。他のメンバーも似たようなものであり、目の前の現実を直視したくないと目を逸らす。

 だが、それは出来なかった。

 大型カーゴ、その中に閉じ込められていたものは、カヌゥ達が夢見ていたお宝とは程遠いものだった。

『それ』は正しく、絶望であり、恐怖の象徴であった。

『それ』はカーゴから逃げ出さないよう鎖で雁字搦めに束縛されていた。

 だがそれには、何の意味もなかった。

 

『ヴルゥゥゥ……!』

 

 唸り声を出した、そう思った時には既に遅かった。致命的なまでに、遅かったのだ。

 カヌゥ達は判断を誤った。

『それ』を一目見た瞬間に逃げ出せば、助かった可能性はまだあったのだ。

 だが想像とは真逆のものがカーゴの中にはあり、『それ』はカヌゥ達の思考を奪い去ってしまったのだ。

 結果。

 ぴちゃり。

 何かがカヌゥの頬に付着した。恐る恐る手に触れると、それはドロリと気持ちが悪い液体であった。

 

「…………ぇ?」

 

 その赤い液体を見た時には、遅かった。

 カヌゥはゆっくりと、隣を見た。パーティメンバーが立っていた場所には、そのパーティメンバーは居らず、代わりに、物言わぬ肉塊があった。

 そして、それがパーティメンバーの物だと認識した瞬間──ここでようやく、カヌゥの思考は正常さを取り戻した。

 

「うぁ、うわぁああああああああああ!?」

 

 情けなく悲鳴を上げたのは、このパーティの中で最も弱いメンバーだった。だがその悲鳴も長くは続かない。

『それ』は煩わすそうに鼻を鳴らすと、カーゴの中に入っていた大剣を握り──ぶんっ、と空気が振動したかと思えば、そのパーティメンバーの首から上は無くなっていた。

『それ』は正しく、真正の『怪物』だった。

 

『ヴゥオオオオオオオオオオオオッッ──!』

 

 雄叫び──聞く者も強制停止させる『咆哮(ハウル)』が広間(ルーム)に響く。

 それは、『産声』でもあるようだった。

『惨劇』が幕を開けた事を意味し、カヌゥは、自分が決定的なまで選択を間違えた事を悟るのだった。

 

 ──それから、数刻も経たず。

 

 ダンジョン、9階層。パーティメンバーを犠牲にし逃走を図り、道中、沢山の冒険者に『怪物進呈(パスパレード)』を行ったカヌゥだったが、何と驚くべき事に『怪物』はそこまで追ってきた。

『怪物』は正しく、異常存在(イレギュラー)だった。

 

「畜生……! 畜生!?」

 

 鼻水を垂らすカヌゥに戦意はなかった。奥の手として隠し持っていた『魔剣』も『怪物』にはまるで効かず、その体皮にほんの少しの傷をつける事しか出来なかった。

 辺りにあるのは、冒険者の死体。自分も今からその仲間入りを果たすのだと、カヌゥは恐怖で一杯だった。

『怪物』は殺しを愉しむように、カヌゥをジリジリと壁に追い詰めた。

 そして。

 ゆっくりと時間を掛けて、大剣を頭上に振り上げる。

 

「────やめ……!」

 

 懇願の言葉は、形にならなかった。

 カヌゥが最期に見たのは──どす黒い血ですっかりと染められた大剣を振り降ろす、『怪物』の眼だった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 人間だった肉塊を『怪物』は見下ろす。広間(ルーム)に敵は居らず、自分だけが立っているのだと理解するのに数秒の時間を要した。

 刹那、『怪物』は腹の底からの雄叫びを上げた。

 そして人肉には目もくれず、『怪物』は来た道を戻る。大剣から赤い液体が滴るのも構わず、『怪物』は広大な地下迷宮を徘徊する。

 

 

 

 

§

 

 

 

 白髪紅眼の少年と、少年に付き従う小人族(パルゥム)の少女がこの『惨劇』を目撃するのは、それから数刻後だった。

 

 




前回お伝えした『パーティ・プレイ』という題名は、中止しました。その代わりが、今回の題名です。

今回のお話は、話としてはとてもあっさりとしていたかと思います。前半部分は地の文が占めていましたしね。
因果応報、自業自得。
読み終えた後、そんな四字熟語が思い浮かぶでしょうが、ダンまちの世界ってその辺結構シビアなんですよね。原作ベル君の周囲はあまりそうではないのですが……ダンジョンという危険な『未知』に挑戦する冒険者の末路は、非業の死を遂げる時もあれば、今回のような結末になる時もあるのだと思います。

さて。

次話の予告題名は、本当にそうなります。

次話──「斯くして、『彼』は『運命』と再会した」


今回の章は、次話からいよいよ起承転結の『転』に入ります。
恐らく、多くの読者の皆様が楽しみにして待ってくれていた事でしょう! そんな次話は明日の18時に更新予定です!
お楽しみに!


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斯くして、『彼』は『運命』と再会した

 

 ダンジョンに、剣戟の音が響いていた。

 

「十時、影の異形(ウォーシャドウ)が二体! 三時の方角からゴブリンが三体接近中です!」

 

「分かった! ──はぁああああああああ!」

 

 信頼出来る支援者からの報告に冒険者は了承の返事をし、雄叫びを上げる。

 愛剣である《プロシード》を(ひらめ)かせ、迫り来るモンスターの群れに立ち向かう。

 剣戟の音が終わったのは、それから間もなくであった。

 

「お疲れ様です。随分と調子が良さそうですね」

 

 差し出された手拭いに「ありがとう」とベルはお礼を言いながら受け取り、顔を一度拭く。

 

「これなら当初の予定時刻よりも早く、11階層に行けそうですね」

 

 現在、ベルとリリルカが居るのはダンジョン7階層。そこからモンスターとの遭遇(エンカウント)率や休憩時間の確保、様々な要素からリリルカがそう計算する。

 

「少し早いですが、一度、この階層の広間(ルーム)を安全地帯にして本休憩を取りましょう」

 

「分かった」

 

「予定としては、8、9階層を最大速度で突破。9階層最奥の広間(ルーム)付近にて、本日最後の小休憩を。その後、10階層を突破して11階層へ。目標としては、半分は踏破したいです」

 

「そうか。それなら、そうなるよう頑張るとしよう」

 

「貴方の能力値(ステイタス)なら十二分に可能です。答える必要はありませんが、殆どの『基本アビリティ』が高い評価を得ているのでしょう?」

 

「流石だな。隠さず言うと、リリの推測通りだ」

 

「そうでしょうね」と、リリルカは考えを的中させたのにも関わらず特に喜ばなかった。

 優秀な支援者(サポーター)は、雇用主の現在の力量を正しく理解していた。

 

「さあ、次、行きましょう。時間は有限です。少しでもモンスターを倒して、『魔石』を地上へ持ち帰らないと行けませんからね」

 

「ああ、そうだな」

 

 ベルはパーティメンバーと頷き合うと、再び移動を始める。

 それからベル達は、リリルカの予測通り破竹の勢いで迷宮探索を進めて行った。

 今のベル・クラネルにとって、7階層では物足りない。巨大蟻(キラーアント)の硬い甲殻でさえも、能力値(ステイタス)の『力』補正によって、甲殻を『魔石』ごと一刀両断出来る。6階層から出現する影の異形(ウォーシャドウ)が繰り出す鋭利な鉤爪状の指も、冒険者の影すら掠められない。

 そしてベル達は、7階層最奥の広間(ルーム)に到着する。

 そして予定通り、この広間(ルーム)を安全地帯として活用する。とは言え、モンスターが完全に産まれない訳ではない。モンスターを産むよりもダンジョンの維持を優先するというダンジョンの特性を利用し、壁や天井、地面といった箇所に攻撃する事でダンジョンの意識を誤認させ、一時的にモンスターの湧出を送らせているに過ぎない。

 

「そう言えば、あの時みたいに剣は二本使わないのですね」

 

 酒場の女将が用意してくれた弁当を美味しく食べ終えた頃、ふと思い出したように、リリルカがそんな疑問を口にした。

 栗色の瞳が、ナップサックの留め具に固定されている一本の長剣に向けられる。

 

「あー、いや、使いたいには使いたいのだが……」

 

 言い淀みながら、ベルも、自身の深紅(ルベライト)の瞳を長剣──《プロミス─Ⅱ》に向けた。その剣は、まるで眠っているかのように漆黒の鞘に収まっている。

 

「何か理由でもあるのですか?」

 

 その質問に、ベルは中々答えない。

 らしくないベルに怪訝な表情を浮かべながらも、リリルカはサポーターとして提言する。

 

「あの時の貴方の攻撃力には目を見張るものがありました。今後の探索を思えば、理由もなしにそれを使わない手はないでしょう。手を抜ける程、ダンジョンは決して甘くありません」

 

「分かった、分かった。理由を言おう」

 

 観念したようにベルは両手を上げて降参の意を示すと、理由を言った。

 

「使えるには使えるんだがな。どうやら今の私では、制限時間(タイムリミット)があるようなんだ」

 

「……制限時間(タイムリミット)、ですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 ベルは重く頷くと、真剣な表情で続けて言った。

 

「私もこの前の一件で初めて知ったのだが……同時に剣を二本扱うというのは思っていた以上に脳と身体を酷使するようだ」

 

「……なるほど。それなら納得出来ます」

 

 一度そう頷いたリリルカだったが、それで引き下がる事はしなかった。「それで?」と質問を重ねる。

 

制限時間(タイムリミット)と言いましたが、具体的にはどれくらいですか?」

 

「……あー、いや、その……何て言ったら良いのかな……」

 

 歯切れの悪い返答をするベルに、リリルカは困惑する。

 数秒後、ベルは衝撃的な事を言った。

 

「非常に言い辛いのだが……分からないんだ、それが」

 

「……はい?」

 

「う、嘘じゃないぞ。本当に分からないんだ。ただ言えるのは、私の限界が来た時だと思う。正直、あの時も途中から頭痛がしたし、いつもより疲れていた」

 

 片頬を掻きながら、ベルはらしくなく、ほとほと困ったように笑った。

 それを見たリリルカは、ベルが冗談を言っている訳ではないと分かってくれたようだった。

 

「……それなら、『使い時』を間違えないようにしないといけませんね」

 

 顎に手を当てて、リリルカは思考する。

 

「理屈はさっぱり分かりませんが……敢えて理由付けするのなら、今の貴方の階位(かいい)の限界が、そこなのかもしれませんね」

 

「……階位(かいい)の限界?」

 

「ええ、そうです。とはいえ、あくまでも可能性の一つでしかありませんが」

 

 そう前置きしたリリルカは、仮説を展開していく。

 

「『理想』と『現実』が一致していない。とはいえ、全くそうという訳ではない。それ故に、頭痛や体力の消耗といった形で肉体という『器』が悲鳴を上げる」

 

「……」

 

「『魂』に『器』が追い付いていない状態と言っても良いかもしれません。そして、『器』を昇華させる方法はたった一つ──『昇格(ランクアップ)』です」

 

 避けては通れない道だと、リリルカは断言する。

 

「『昇格(ランクアップ)』とは、超越存在(デウスデア)たる神に近付く事と言われています。そして、その果てに貴方が目指す『英雄』が()る」

 

「……そうだな。リリの言う通りだと、私も思う」

 

 ベルが神妙に頷いた。

 そして、リリルカはベルに尋ねる。

 

能力値(ステイタス)的には、貴方はいつでも『昇格(ランクアップ)』出来るのでしょう?」

 

「ああ。隠しても意味がないから言うが、その通りだ」

 

「それなら、貴方に必要なのはより質の高い【経験値(エクセリア)】となります。言わば……──」

 

 その先に続く言葉を、ベル・クラネルは知っている。

 深紅の瞳で制すると、冒険者は結論を口に出した。

 

「──『冒険』か」

 

「ええ」と、リリルカは深く頷いた。

 

「『冒険』なくして、『器』の昇華は有り得ないでしょう。今代の『英雄候補』達も──嘗ての『英雄』達も、『冒険』を乗り越えてきました」

 

『冒険』とは、自身の物語を一頁進める事である。

 それこそが『冒険』であり、それは大きな意味を持つ。

 

「とはいえ、不可解な点があります」

 

「……不可解な点? それは何だ?」

 

 首を傾げる、ベル。

 リリルカは真剣な表情を浮かべ、深紅の瞳を下から覗き込んだ。

 

「私の見立てが正しければ、貴方は既に上位の【経験値(エクセリア)】を得ている筈なのです。いえ、そうでなければ可笑しい」

 

 そう言うと、リリルカ・アーデはこれまで彼女が何度も抱いてきた『違和感』を口にした。

 

「『モンスター脱走事件』の時。貴方は銀の野猿(シルバーバック)と戦い、勝利しています」

 

「だがそれは前にも言っただろう。あれは、『魔剣』という反則手を使ったに過ぎないと」

 

「そうだとしても、です。その時の貴方にとって、銀の野猿は格上だった。本来なら勝てない相手だった。そうでしょう?」

 

「ああ、そうだ。だから私は『魔剣』を──」

 

「そこですよ、そこ」

 

 ベルの発言を遮り、リリルカは強調する。そして、生じている認識のズレを言った。

 

「貴方は勘違いをしているようですが……何も『冒険』とは、必ずも真正面から臨む必要はないのです。一体の強大なモンスターに、パーティを組んで戦いを挑むのを貴方は卑怯だと言うのですか?」

 

「いや、そうは思わないが……」

 

「貴方が頑なに認めない『魔剣』もそれです。もし『魔剣』を使う事が反則手なのだとしたら、神様達はそれを言っていますし製造を認めません」

 

 リリルカはさらに言った。

 

「『過程』はどうであれ、貴方は格上に勝った。ましてや、『魔剣』を使うまで貴方はたった一人で戦っていたと聞いています。後ろに、無辜の民を庇いながら」

 

「……」

 

「リリから言わせて貰えば、これは間違いなく『冒険』です。そうでなくても、上位の【経験値(エクセリア)】になっていなければ可笑しいです」

 

「まだまだ他にもあります」と、リリルカは持論を披露する。

 

「以前、話に出た正体不明の『謎の冒険者』からの襲撃。さらには……その、リリを助ける為に行った7階層での大立ち回り。リリが知っているだけでもこれだけあります」

 

 そして、リリルカ・アーデはベル・クラネルに投げ掛けた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()? それが分からなければ、貴方はずっと、今の貴方のままです」

 

「それは……──」

 

 ベルはそれに答えようとして、中々、二の句が継げなかった。

 そんなベルを、リリルカは呆れもせず笑いもせず、ただ無言で見詰める。そして、遠慮がちにベルの手を取ると言った。

 

「どうか、進む道は間違えないよう注意して下さい。その先の破滅を、リリはよく知っています」

 

「……ああ、肝に銘じる。そして、考え続けるよ。ありがとう。やっぱり君は、とても優しいな」

 

「〜〜っ!? 全く、貴方はいつもそうやって!?」

 

 ダンジョンに居る事を忘れ、顔を真っ赤にしたリリルカが叫び声を上げる中。

 ベルは探索を再開すべく立ち上がると、浮かべていた笑みを収めて呟いた。

 

「私にとっての『冒険』、か……」

 

 

 

 

§

 

 

 

 支度を終え、ベル達は広間(ルーム)から出るとダンジョン探索を再開した。7階層から8階層へ下に降りる。

 特に苦戦する事なくモンスターを倒し、そのまま9階層へ。

 

「変ですね……」

 

 階段を降りていると、リリルカがそんな疑問を口にする。

 足を止めベルが振り返ると、リリルカはこう言った。

 

「他の冒険者と、全くすれ違いません」

 

「……そうか?」

 

 腑に落ちないベルに、リリルカは再度言った。

 

「8階層に来てから、他の冒険者を一度も見掛けていません。それが、変です」

 

 そう言うと、リリルカは懐から懐中時計を取り出した。

 

「時間は、お昼を少し過ぎていますか……。この時間、ダンジョンに足を運ぶ冒険者は統計的に最も多い筈……」

 

 ブツブツと呟く、リリルカ。

 そんなリリルカへ、ベルは言った。

 

「今日は【ロキ・ファミリア】の遠征開始日だろう。彼等にモンスターが倒されると踏んで、敢えて休息日にしているんじゃないのか?」

 

「……そう、かもしれませんね」

 

 ベルの推測に、リリルカは歯切れ悪くも頷いた。

「申し訳ございません。進みましょう」と謝罪をするサポーターへ、ベルは気にするなとフォローする。

 歩みを止めていた足を再び動かし、階段を降りる。そして、9階層へ到着する。

 

 

 そして、それから僅かの時間でベル達は再び足を止めた。

 

 

 9階層の最深部。この広間(ルーム)には10階層へ続く階段がある。

 ベルとリリルカは、顔を見合わせた。

 

「……やっぱり可笑しいです。この階層に来てからたったの一度も、モンスターと遭遇していません」

 

「ああ、そうだな。リリの言う通りだ。流石の私も、これは可笑しいと思う」

 

 ダンジョンは下の階層へ行く程、モンスターの出現率及び遭遇(エンカウント)率が上昇していくという特徴がある。それなのにも関わらず、ベル達は9階層へ到着してからたったの一度もモンスターと遭遇(エンカウント)していなかった。

 

「それに、他の冒険者とも一度も会ってない。戦闘音も聞こえない」

 

 いくらベルが耳を澄ませども、冒険者の雄叫びやモンスターの唸り声、剣戟の音は聞こえなかった。

 ダンジョンには決して相応しくない、静寂。

 ベルの中で、選択肢が二つ生まれる。

 行くか、行かないか。

 単純にして究極の二択。

 それを前にして、ベルは逡巡し、決断する。

 

「──行こう」

 

「……分かりました」

 

 リリルカは、サポーターとしてベルの判断を尊重した。

 通路に入り、短い一本道を渡り終え、次の広間(ルーム)へ。

 そして、『それ』を見た時、ベル達は立ち尽くした。

 

「なん、ですか……これ……!?」

 

 リリルカが目を大きく見開かせ、驚愕の声を出す。

 それは、ベルも同じ思いだった。

 ベルは自分の目が最初信じられなかった。だが、何度瞬きしても視界は変わらず、それが夢や幻ではなく現実だと証明していた。

 

「これ全部、血、なのか……?」

 

 ベルが思わず呟くが、それを拾う者はいなかった。

 9階層の広間(ルーム)は、一つ一つの面積が大きいという特徴がある。芝生を思わせる草原は、その殆どが赤く変色していた。

 

「……あれは!?」

 

『それ』を発見したベルが、駆け出す。草木を踏み締め、一直線に進む。

 

「ちょっと待って下さい!? まずは状況把握を!?」

 

 背後から飛んでくる制止の声を無視してベルは走り、『そこ』に辿り着く。『そこ』は四つあるうちの一つの壁であり、地面と同様、赤色に染まっていた。

 そして、そんな壁と同化するようにして、身体を預けて一人の冒険者が居た。頭から血を流し、全身が血塗れの男の肩を、ベルは自分の手が汚れる事も厭わずに強く摑む。

 

「大丈夫か!? 声は聞こえるか!?」

 

 必死に声を投げ掛けるも、冒険者からの返答はなかった。全身から力という力は抜けているようで、ベルの手には手応えというものがまるでない。

 頭部は何か大きな衝撃を受けたのか変形している。特徴的な耳から、辛うじて獣人である事が分かった。瞳孔は恐怖で大きく開いている。口は中途半端に開き、何か言葉を紡ごうとしているようだった。それが悲鳴か、あるいは遺言なのかは分からない。

 

(死んでいる)

 

 冒険者が既に物言わぬ亡骸となっている事を、ベルは認めざるを得なかった。

 そして、亡骸は一つだけではなかった。遠目からでは分からなかったが、冒険者の遺体は他にもあった。共通しているのは、彼等の表情が『絶望』その物であるという事。

 

「勝手に動かないで下さい! ──……え?」

 

 片膝をつき歯噛みしているベルに、リリルカが合流する。最初こそ怒声を上げていたリリルカだったが、最後は疑問の声を出した。

 異変に気が付いたベルが顔だけ振り向かせると、リリルカは信じられないとばかりに目を見開かせ、呆然としていた。

 そして、リリルカは戸惑いの声を出す。

 

「カ、カヌゥ様……?」

 

「知っているのか!?」

 

 ベルが尋ねると、リリルカは「は、はい」と頷いた。

 

「この人は……リリと同じ【ソーマ・ファミリア】の構成員です。そして、リリを標的にしていた連中……その筆頭でもあります」

 

「何だと!?」

 

「……カヌゥ様だけじゃありません。この人も、この人も……みんな、【ソーマ・ファミリア】の構成員で、カヌゥ様に従っていた人達です。とはいえ、見知らぬ顔も中にはありますが……」

 

 衝撃の事実に、ベルは驚愕する事しか出来なかった。

 

「一体、どういう事だ……!?」

 

「分かりませんよ! 分かりませんが……この人達が誰かに殺されたのは確実です……」

 

「見て下さい」とリリルカは、カヌゥの頭部を震えながら指さす。そこには見るも無惨な傷が出来ていた。

 サポーターは顔面蒼白させながらも、冷静さを捨てていなかった。傷の周囲をよく観察し、その結果を報告する。

 

「この傷……斬り傷によるものだと思います」

 

「斬撃……? つまり、冒険者という事か?」

 

「……その可能性が高いかと。影の異形(ウォーシャドウ)をはじめとしたモンスターの可能性も高いですが……カヌゥ様はLv.1の中でしたら上位の能力値(ステイタス)があったと記憶しています。ましてや此処は、9階層です。モンスターに後れを取る事はほぼほぼ無いかと思います」

 

 同じ【ソーマ・ファミリア】という派閥に属しているからこそ、リリルカの言葉には説得力があった。ましてや、散々虐げられてきたのだ。文字通り、身をもって知っている。

 

「……『抗争』か?」

 

「その可能性はありますが……低いでしょう。【象神の杖(アンクーシャ)】が仰っていましたが、【ソーマ・ファミリア】は『都市の憲兵(ガネーシャ・ファミリア)』が注意を向けていて尚、決定的な証拠を隠し通してきました。それは団長の手腕によるところがとても大きいですが、代々、【ソーマ・ファミリア】は立ち回るのが上手かったのです」

 

「……それは厄介だな」

 

「どちらにせよ」と、リリルカは締め括った。

 

「この付近はとても危険です。今すぐに地上へ撤退しましょう」

 

 それは非常に合理的な選択だった。

 Lv.1の上位に居る冒険者を倒せるのは、それだけの力量を持つ冒険者であるという事。もしかしたら上級冒険者かもしれない。

 その者の狙いが何か分からない以上、この場に留まるのは危険でしかない。

 だがしかし、ベルはそれが合理的だと分かっていてなお即決出来なかった。

 

「……待ってくれ、他の冒険者も襲われているかもしれない」

 

「何を仰っているのですか。此処は、法の効かないダンジョンです。私達冒険者はそれを覚悟してこの地下迷宮に挑んでいます。全て、自己責任です」

 

「だ、だが──」

 

 ベルの言葉を、リリルカは強い口調で遮った。

 

「この状況下に於ける最適な行動は、地上に戻り可及的速やかに管理機関(ギルド)へ報告する事です。すぐにでも原因究明の為、上位派閥へ強制任務(ミッション)が出るでしょう。私達のような下級冒険者に出る幕はありません」

 

 リリルカ・アーデは緊急時であっても……否、緊急時だからこそ、正しい判断が出来る人間だった。

 いっそ冷徹な程に、リリルカは現実を見ていた。

 

「断言します。貴方のそれは、ただの『偽善』です」

 

『偽善』。

 リリルカ・アーデのその表現は、何も間違っていなかった。

 ベル・クラネルは、それを分かっている。他ならないベル自身が、それを理解している。

 

「それでも──その『偽善』で助けられる人が居るのなら。『僕』は、その人を助けたい」

 

『道化』は愚かにも踊る事を選んだ。

 そして『道化』がそうする事を、仲間の少女は知っていた。

『道化』の選択を、仲間の少女は糾弾しようとして……──出来なかった。

 

「ああ、もう! 本当に、本っ当に! 貴方って人は!?」

 

 リリルカはベルを強く睨んだ。だが、それだけだった。

 

「リリは何度も言いましたからね! 後で後悔しても知りませんからね!?」

 

 ぷんすかと怒りながら、リリルカは生きる為に装備を整える。

 それが優しさから来るものだと、ベルは分かっていた。

 冒険者達の遺体を一箇所に纏め──リリルカは複雑そうな表情を浮かべていたが、丁寧な処置を行った──そして、9階層をあとにする。

 普段よりも長く感じる階段を降り、10階層へ。

 10階層最大の特徴にしてダンジョンギミックである、『靄』がベル達の視界を遮る。

 

「リリ、いつもよりも近くに居て欲しい」

 

「……ええ」

 

 言葉を短く交わし、ベルは普段よりも神経を張り詰めながら辺りを警戒する。

 

「静かですね……」

 

 真後ろに居るリリルカが、囁くようにして言った。

 10階層も9階層と同様、否、それ以上に異様な静寂が支配していた。

 オークの豚のような唸り声も、インプやバッドバットの奇怪な鳴き声も聞こえない。

 何よりも、人の気配が全く感じられなかった。

 

「誰か! 誰か居ないのか!?」

 

 危険を承知で、ベルは叫んだ。広間(ルーム)に大きく反響するが、望んだ返答はない。

 それでも声掛けを継続しながら歩いていると、突然、リリルカが「あっ」と小さな悲鳴を出した。直後、ドサッと物音が立つ。

 

「リリ!?」

 

「だ、大丈夫です……どうやら、枯木の根に躓いたようで……──ヒッ!?」

 

 先程ほどとは温度の違う、悲鳴。

 ベルが後ろを振り返った時、リリルカは尻もちをついていた。その固まった表情で、ずるずると地面を後退する。

 

「こ、これ……まさか……」

 

 恐怖に染まった声。

 だがそれは、ベルも同じ思いだった。リリルカが躓いたそれを凝視する。

 

「冒険者の……腕……なのか?」

 

 呆然と、ベルはそれを手に取る。

 それは疑いようもなく、人体に於ける右腕だった。小指が本来曲がらない方向に曲がっており、親指は第一関節上から無い。

 

「……」

 

 腰を落として目線を低くし、ベルは辺りを見回した。地面から立ち昇る『靄』を睨め付けるようにして凝視する。

 そして、ベルはそれを見た。

 

「ヒッ……ッ!?」

 

 リリルカの小さな唇から、悲鳴が洩れる。

 それは、ベルも同じ思いだった。深紅の瞳を大きく見開かせ、『それ』を映す。

 

「これ全部……死体、なのか……?」

 

 その嗄声が自分のものだと言うことに、ベルは暫くの間気が付かなかった。

 肉塊が、広間(ルーム)の至る所に転がっている。

 血だらけの、物言わぬ亡骸。

 刃こぼれした武器──武具に掘られている、派閥を象徴する徽章。

 広間(ルーム)は既に、冒険者の墓場となっていた。

『惨劇』が、ベル達の目の前にあった。

 

「うぁ……ぁ……。だれか……」

 

 今にも掻き消えそうな、呻き声。

 

「リリ! 今の声、聞こえたか!?」

 

「はい、確かに!」

 

 ベルはリリルカと顔を見合わせ、全神経を使って発生源を突き止める。

 

「……だれか……たすけ……」

 

 耳朶を打つ、小さな生命の声。

 

「……また聞こえた!」

 

「恐らく、九時の方向です!」

 

 リリルカと頷き合い、ベルは地面を蹴った。道中、視界の端には幾つもの死体が映る。背後で仲間が悲鳴を上げるのを聞きながら、ベルは発生源に向かう。

 

「──居ました! 枯木に身体を預けています! 数、二!」

 

 小人族(パルゥム)亜人族(デミ・ヒューマン)の中でも視力が良い。『靄』の中、ベルよりも先に発見したリリルカが、端的に報告する。

 そしてベルも、自身の深紅(ルベライト)の瞳で生存者を映し出す。サポーターの報告通り、枯木の幹に二人の冒険者が身を寄せ合っていた。

 

「大丈夫か!?」

 

 大丈夫でない事は明白だったが、そう、声を掛けずにはいられなかった。

 

「頼む……たすけて……くれ……」

 

 冒険者は、ベル達と同じ二人一組(ツーマンセル)のパーティのようだった。一人は片目を潰され、そしてもう一人は──いつ事切れても可笑しくない程の重傷を負っている。

 

「まだ……死にたくない……」

 

 助けを求めていたのは、どうやら、片目を潰されている冒険者のようだった。

 今にも手放しそうな意識を意地で繋ぎ続け、助けを呼んでいたのだ。全ては自分と、仲間が助かる為に。

 

「リリ、私はこの重症の冒険者を診るから、こっちの冒険者を頼む! 応急処置は出来るか!?」

 

「出来ます!」

 

 優秀な支援者(サポーター)は、ベルが指示を出すよりも早く動き出していた。恐怖で身体を震わせながらも、リリルカ・アーデは自分をしっかりと持っていた。

 ナップサックから救急箱を取り出し準備を進める頼もしい仲間を視界に収めつつ、ベルは改めて重傷者を見た。

 頭部には右眼の上に横三CM(センチメドル)の深傷。それ以外にも、全身の至る所に切傷や深傷、打撲や内出血が見られた。

 

(だが、それ以上に……この胸の傷! 深い! 使われたのは長剣……いや、大剣か……?)

 

 心臓部付近にある、大きな傷。傷口からは血が流れ、目を凝らせば、骨や内臓が露出しているのが見て取れた。

 

(普通の治療じゃ到底間に合わない!)

 

 ベル・クラネルは冒険者だ。治療師(ヒーラー)ではない。簡単な傷なら応急処置は出来るが、これはどうしようもなかった。

 

「こちら、応急処置終わりました! 恐らく、命に別状はないかと思います!」

 

「……そうか、分かった。ありがとう」

 

 ベルはリリルカに礼を言うと、片目を潰されている冒険者が這うようにして縋り付いてきた。

 

「頼む……たのむよ……仲間を……なかまを、どうか……」

 

 仲間を助けて欲しいと、片目を潰された冒険者は何度も懇願する。だが本当の意味での限界が来たのだろう、その譫言も途絶えてしまう。

 意識を失った冒険者を、ベルは抱きとめる。

 

「この人はもう……助かりません……」

 

 リリルカが小さな声で、そう言った。

 それは、今まで思ってはいても口にしてこなかった、これから起こるであろう事実だった。

 

「……撤退しましょう。貴方は兎も角、リリは小柄です。ましてや、ナップサックもあります。荷物を限界まで捨てても、とてもではないですが、人ひとりを抱えて運ぶ事は出来ません。貴方がそれを担うとしても、手が塞がるのですぐに戦闘態勢を取れないでしょう。なので、モンスターはリリが『魔剣』を使って倒します。それしか方法はありません」

 

「……」

 

「幸い、こちらの冒険者は間に合います。目は治るか分かりませんが……。恐らく、他に生存者は居ない……居たとしても、リリ達ではこれ以上助けられません。助けられるこの人を、確実に助けましょう」

 

 それは、非常に合理的な判断だった。

 否、ベルとリリルカの命を最優先にするという意味でなら、それは非合理だった。

 リリルカはベルに、譲歩しているのだ。

 

「今は一刻も早く地上へ帰還しなければなりません。ええ、そうです……。リリ達は判断を間違えました。リリ達の想定を、『これ』は遥かに超えています。『これ』は正真正銘──異常事態(イレギュラー)です」

 

 そして、リリルカ・アーデは悔恨の表情を浮かべながら、

 

「リリ達では、この問題を解決出来ません」

 

 そう、断言する。

 言う事を言ったリリルカは、パーティリーダーが判断を下すのを待った。

 十数秒経って、ベルは言った。

 

「……そうだな、君の言う通りだと私も思う。──撤退しよう」

 

「はい!」

 

 返事をするリリルカ。

 しかし、ベルはナップサックを背負い直そうとするサポーターへ「ただし」と言った。

 

「助けるのは一人じゃない。二人だ」

 

「……は?」

 

 リリルカが呆けた声を出した時には、ベルは既に行動に移していた。レッグホルスターから一本の試験管を取り出し、その蓋を開ける。

 

「ちょっ、それ、万能薬(エリクサー)ですよね!? 正気ですか!?」

 

 ベルが何をしようとしているのか、聡いリリルカはすぐに理解した。驚愕と制止の声に、ベルは顔を向ける事なく言った。

 

「助けられる手段があるのなら、それを使わない手はないだろう」

 

「……そうだとしても! 貴方のご友人は、貴方の為にそれを渡した筈です! さっきも言いましたが、それは『偽善』……いえ、ただの『押し付け』でしかない! 何故、名前も知らない赤の他人の為に貴方はそうまでするのですか!」

 

 到底理解出来ないとばかりに、リリルカが強く叫んだ。

 その疑問に、ベルはやはり顔を向ける事なく答える。万能薬(エリクサー)の液体を冒険者の口に流し込みながら。

 

「言っただろう、助けられる手段があるのならそれを使うと」

 

「だから! それが理解出来ないんですって! リリの時もそうでした! あの時も貴方は万能薬(エリクサー)を使いましたよね!? それがどれだけ貴重なのか、貴方は分かっているんですか!?」

 

「分かっているとも」

 

 そこで初めて、ベルはリリルカを見た。

 真剣な表情を浮かべ、「分かっているさ」と再度同じ事を言う。

 

「これは、私のような駆け出し冒険者が持つには不相応な品物だ。これ一本を作るのにどれだけの時間と労力が必要なのかまでは知らないが……」

 

「なら!」

 

「だが、これが友人の優しさと努力の結晶である事は知っている。きっと、あの優しい彼女は呆れるだろう。怒りもするだろう。だがしかし、それ以上に! 私の行動を、彼女は尊重してくれる! 私は、それを確信している!」

 

 ベルはそう言い切ると、試験管を傾けて入っていた液体を冒険者の口に全て流し込んだ。

 効果はすぐに表れ、冒険者の全身という全身にあった傷口が塞がれていく。浅い呼吸は落ち着きを見せ、悪かった顔色も普通となった。

 

「私が二人を運ぶ。リリは当初からの計画通り、モンスターと遭遇(そうぐう)したら『魔剣』で倒してくれ」

 

「……仕方ありません。言いたい事はまだまだ山ほどありますが、それは生きて帰ってからにしましょう」

 

 リリルカはそう言うと、思考を切り替えた。ナップサックの留め具から炎を出す『魔剣』を取り出す。

 

「それと、リリ。これを渡しておく」

 

「……良いのですか?」

 

「ああ。寧ろ、もっと早く渡しておくべきだった」

 

 ベルはそう言いながら、万能薬(エリクサー)を二本リリルカへ手渡した。

 

「残っている万能薬(エリクサー)はリリに渡したので二本、そして、私が持っている一本の計三本。もし必要になったら、遠慮なく使うんだ」

 

「……分かりました」

 

 リリルカが重く頷いたのを見て、ベルは微笑んだ。

 そして立ち上がると、辺りを警戒しながら指示を出す。

 

「出せる限りの最大速度で、私達はこの階層から脱出する。まずはそうだな……7階層だ。7階層を目標地点とする。異論はあるか?」

 

「ありませんが、進言を幾つか。7階層で改めて負傷者の経過観察及び小休憩を取りましょう。また、戻る最中もし他の冒険者と会ったらこの異常事態を情報共有。信に足る人物なら、協力を要請。これでどうでしょうか?」

 

「それで構わない。願わくば、フィン……【ロキ・ファミリア】と運良く会えれば良いのだが。あそこには都市を代表する冒険者が勢揃いしている。『遠征』中で申し訳が立たないが、恥を忍んで助けを求めるしかないだろう」

 

 サポーターと話し合い、ベルは方針を定めた。

 そして、移動を開始するべく、まずは片目を失った冒険者を担ごうとした、その時。

 遠吠えが、聞こえた。

 

『──ォ、────ォオ』

 

 その瞬間。

 ベルは反射的に《プロシード》を鞘から取り出し戦闘態勢を取っていた。腰を低くし、油断なく中段の構えを取る。

 険しい顔付きを見せるベルに、しかし能力値(ステイタス)の低いリリルカは聞こえなかったのか首を傾げた。

 

「一体、何を……?」

 

「────来る!」

 

 ベルがそう言った、その瞬間。

 

『ヴゥオオオオオオオオオォォォオオ──ッッ!』

 

 耳朶(じだ)を震わせる、轟音。

 ベルとリリルカが顔を顰め耳を抑えて尚、それは貫通して脳を──『魂』さえ揺らした。

 

(何だ……!? 何だ、これは!?)

 

 それは、()く者を恐怖へ陥れる魔の旋律。

 堪え切れなくなったリリルカが脱力しながら地べたに座る中、ベルは深紅(ルベライト)の瞳を極限まで開けて目を逸らまいとした。

 

『────ォォォオオオオオッッ!』

 

 時間にして、数十秒。

 体感にして、数時間。

 それはゆっくりと、終わりを迎えた。

 だがそれは、始まりに過ぎず。

 否、まだ始まってすらいなかったのだと、ベルはこれから身をもって知る事となる。

 

(……ッ、何だ、この感覚……!?)

 

 ベルは大量の冷や汗と脂汗を全身から流しながら、奇妙な感覚に陥っていた。

 

(……知っている! 私はこれを、知っている!)

 

 ドクン、ドクン、と響く心臓の鼓動。

 鳥肌が立ち、荒くなる呼吸。

 恐怖……? 

 それもある。

 だが恐怖以上に感じるのは、興奮だった。

 

(まさか……そんな……!?)

 

『魂』がそれを知っていると、ベル・クラネル──『彼』に訴え掛ける。お前はそれを知っている筈だと、それに会っている筈だと力説する。

 

 それはともすれば、祝福であるかのようだった。

 

 地響きのような足音と共に。

『靄』の中から、シルエットが浮かび上がってくる。

 

 そして、『絶望』を──これから幕を開ける『惨劇』を告げるかのように、それは、とてもゆっくりと現れた。

 

 人間を遥かに超える背丈に、遠目から見ても鍛えられていると分かる屈強な身体。

 右手に持っているのは、鮮血で染まった大剣。

 一対の角はその右角が根元から折られておりアンバランスであり、口元からは涎が垂れている。

 血走った紅い目が眼下を睥睨する。

 ベルはその場に立ち尽くし、呆然とそれを眺める事しか出来なかった。

 

「なん、で……そん、な……!」

 

 リリルカが有り得ないとばかりに呟く。その声音は絶望で満ちており、これまで持ち続けた精神は折れ、彼女は屈してしまっていた。

 だがしかし、ベルはそれを心配する事が出来なかった。

 構えていた剣も中途半端になり、無防備を晒してしまう。過呼吸になりそうな呼吸を何とか落ち着かせ、それでも尚、震えている唇を必死に動かした。

 

「ミノ、タウロス……!」

 

 ダンジョン、10階層。

 本来出現しない筈の、牛頭人身の『怪物』──ミノタウロス。

 

 見えない『糸』が引き合せるように。

 あるいは、そうなる事が最初から決められている必然であるかのように。

 

 

 斯くして、『彼』は『運命』と再会した。

 



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怪物(ミノタウロス)

 

 異常事態(イレギュラー)

 それは広大な地下迷宮(ダンジョン)で度々発生する、『理不尽』にして『絶望』。

 発生する頻度が最も高いのは、『深層』。反対に最も低いのは、『上層』である。

 その『上層』に、異常事態(イレギュラー)にして異常存在(ミノタウロス)が現れた。

 

(有り得ません有り得ません有り得ません!?)

 

 ダンジョンの冷たい地面に力無く臀部をぶつけながら、リリルカの脳は目の前の現実を受け入れられずにいた。

 だが、何度瞬きしても視界は変わらず。否応なしに現実だと突き付けてくる。

 ともすれば、その牛頭人身の『怪物』は悠然と佇んでいた。

 

(何で『上層』に、ミノタウロスが居るんですか!?)

 

 リリルカ・アーデは優秀にして現実主義者(リアリスト)だった。

 優秀であるが故に、目の前の『それ』が現実なのだと認めざるを得なかった。

 津波のように大きく荒ぶる感情を置き去りに、理性が今起こっている出来事を分析してしまう。

 

(この『惨劇』を引き起こしたのはこのミノタウロスで間違いありません。カヌゥ様も、その他の冒険者も! このミノタウロスが、全て殺した!)

 

 仮説を立てていく。

 

管理機関(ギルド)が定めているミノタウロスの推定階位(レベル)は、上級冒険者に匹敵するLv.2! Lv.3の冒険者ですら、油断は決して出来ない『怪物』!)

 

 それ故に、ミノタウロスが出現する階層はリリルカ達の居る階層よりも遥かに下である。

 そう、ミノタウロスは『上層』に出現して良いモンスターでは断じてない。

 本来、この牛頭人身の『怪物』は『中層』にて冒険者を待ち構えているのだ。

 

(──それなのに! 何故、ミノタウロスが此処に!?)

 

 これまで見てきた数々の冒険者の死体。

 間違いなく、彼等はこの『怪物』によって葬られたのだろう。状況証拠ではあるが、リリルカはこの推測を確信している。

 分からないのは、何度も抱くこの疑問。

 即ち──何故、『上層』にミノタウロスが居るのか。

 

(階層を越えてきた……? いいえ、それも有り得ない! 通常、階層越えはあってもそれは精々が二つ程! もしこのミノタウロスが遠路遥々階層越えを決行したとしても、道中、上級冒険者と会敵している筈!)

 

 ミノタウロスは確かに強い。

 リリルカのような下級冒険者が束になっても敵わないだろう。

 だが、昇格(ランクアップ)した上級冒険者なら違う。そして、上級冒険者の探索先は『中層』であり、『中層』以降はパーティを組む事が定石(セオリー)であり、単独(ソロ)で迷宮探索出来るのはほんのひと握りの強者だけである。

 リリルカの考え通りなら、ミノタウロスはこの階層に辿り着く前に上層冒険者のパーティと何度か会敵している筈であり、そこで討たれていなければ可笑しいのだ。

 

(そうだと言うのに……!)

 

 ミノタウロスは、すぐ目の前に居る。

 彼我の距離は、地面から絶えず立ち昇ってくる『靄』が邪魔して判別難しいが、150……いや、100M(メドル)程だろうか。

 100M(メドル)

 あまりにも心許ない距離だ。

 サポーターのリリルカをして、この距離なら数秒も掛からず通り抜ける事が出来る。

 つまり、自分が殺されるのに数秒も掛からないという事に他ならない。

 

(……ッ! 落ち着きなさい、リリルカ・アーデ! 思考の優先順位を間違えてはなりません!)

 

 頭を振り、リリルカは一度深呼吸した。

 考えるべき事は、それではない。

 今考えるべきは、目の前の異常存在の対応方法だ。そうでなければ、この場面を生き延びる事は出来ない。

 リリルカはミノタウロスから自分の雇用主へ視線を動かした。流石と言うべきか、リリルカよりも先に我を取り戻し愛剣《プロシード》を構えている。

 

(ですが、幾らこの人が強いとは言っても、ミノタウロスには敵わない! 打つべき手は、逃走! それしかない!)

 

 結論を出す。

 そして、自身の考えをリリルカは雇用主へ伝えようと口を開けるが、それよりも、

 

『ヴァアアアアアアアア──ッ!』

 

 ミノタウロスの方が早かった。

 広間(ルーム)どころか、この階層全域に響いているのではないかと思わせる程の雄叫び。

『怪物』はその巨体からは想像も出来ない程の速度で、走り始めた。その向かい先は──。

 

「ぁ……」

 

 その向かい先は、リリルカ自身だった。

 どうやらこのミノタウロスはこの数秒の間に、誰が一番弱いのか判別したようだった。

 その走り方に迷いは一切なく、最短距離でリリルカに突撃する。

 

(あ、足が……。足が、動かない……)

 

 頭ではこの場からの離脱をすべきだと分かっているのに。

 リリルカの足は、身体は。

 ちっとも動いてくれなかった。

 地面に縫い止められているかのように、リリルカは、ともすれば呆然と、『怪物』が近付いてくるのを眺める事しか出来なかった。

 

『ヴゥモアアアアアアア──ッッ!』

 

 リリルカの小さな身体を、巨大な影が覆い尽くす。

 反射的に顔を上げた時には、ミノタウロスはすぐそこに居た。

 正しく、その顔は『怪物』。『恐怖の権化』ですらあった。

 一瞬、視線が交わる。

 そしてリリルカは見てしまった。

 ミノタウロスが嘲笑を浮かべ、見下ろしている。

 

「………………ぁ」

 

 上段から、大剣が無造作に振り下ろされる。

 当たれば、絶命は確実。

 自分の小さな首は何の抵抗を示す事も出来ず()ねられるだろう。

 その確信が、リリルカにはあった。

 瞼を閉ざす時間もなく。

 一秒後に訪れるであろう、死の痛みに備える事も出来ず。

 リリルカはぼんやりと、迫り来る大剣を眺める事しか出来ない。

 そして、大剣がリリルカを斬り裂こうと──するよりも、前に。

 

「させないッ!」

 

 決然とした声。

 次いで。

 

 ガキィン────! 

 

 耳を(つんざ)く金属音と共に、激しい火花が飛び散る。

 リリルカが見ると、白髪紅眼の剣士──ベルが、リリルカとミノタウロスの間に割って入っていた。

 

(助けられた……!)

 

 急速に、止まっていた脳が回転する。

 リリルカは今起こった──起こっている出来事を受け止める。

 今正に斬り裂かれようとしていたリリルカを、ベルが助けてくれたのだ。

 振り下ろされた大剣に対し、斜め右からの斬り上げを以て真正面から迎え撃っている。

 だが、膠着はすぐに終わりを迎えようとしていた。

 見れば、剣士の身体は真上からの圧力により徐々に動いていた。

 

「……グッ! ──リリ、離れてくれ!」

 

 苦悶の声を出したベルが、リリルカに離脱を指示する。

 それを受け、リリルカは考えるよりも先に動いていた。

 足に力を込め、後方へ大きく下がる。

 

「せぁあああああああ!」

 

 リリルカが戦闘領域から安全圏へ移動を完了させると、ベルは雄叫びを上げながら大剣を自身の長剣で受け流す事に成功していた。

 ズドンッ! と質量の大きい物が地面にぶつかる音が出て、亀裂が走る。

 

『ヴモォッ!?』

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

 受け流しに成功したベルは、出来た『隙』を見逃さなかった。体勢を崩すミノタウロスの懐に入り、その横腹を渾身の力で押す。

 

『ヴゥモァアアアアアア!?』

 

 驚愕の声を出す、ミノタウロス。

 元々右に傾いていた巨体はあっさりとそのまま倒れ、次いで、地響きが出る。

 

(す、凄い……!)

 

 リリルカは目を見張り、感嘆する他なかった。

 あのミノタウロスを相手に、ベルは戦えている。

 これならもしかして──そんな愚かな期待を、ベルは見透かしたようだった。

 

「リリ、逃げてくれ!」

 

 剣の切っ先をミノタウロスに向け、リリルカの数歩前に立つベルがそう言った。

 

「……え?」

 

 困惑するリリルカに、ベルは切羽詰まった声で衝撃的な事を言った。

 

「私じゃ、このミノタウロスに勝てない!」

 

 リリルカは最初、何を言われたのか分からなかった。

 リリルカの頭の中は、疑問で埋め尽くされた。

 

(逃げる……? 何で……? いえ、それよりも──この人は今、何て言いましたか……?)

 

 そうだ、聞き間違いでなければ、ベルはこう言った。

 

 ──『私じゃ、このミノタウロスに勝てない!』

 

 理解出来なかった。

 ベル・クラネルがそんな事を言うのを、リリルカはこれまでたったの一度だって聞いた事がない。

 だって、そうだろう。

 ベルは、自分が仕えているこの冒険者は。

 こちらが呆れるくらいに楽天家で、不幸なんて知らないと言わんばかりにいつも馬鹿みたいに笑っていて……──そうやって、窮地を乗り越えてきたのだ。

 そうだと言うのに。

 

「リリ、早く! ミノタウロスの注意は私が引き付ける! だから、ミノタウロスが立つよりも先に、此処から逃げるんだ!」

 

 ベルの声には余裕がない。焦燥感に駆られ、その声音には恐怖すら含まれているようだった。

 まるで、目の前の『怪物』の異常さを知っているかのような言動。

 

「──ッ、リリッ!」

 

 顔だけ振り向かせ、ベルがリリルカの名前を呼ぶ。

 そこに、いつもある優しさやあたたかさはなかった。

 

「この場から離脱し他の冒険者に状況を報告、助けを求めるんだ! 私はこの場に残り、時間を稼ぐ!」

 

 それは非常に合理的であった。

 この場で戦えるのはベルだけだ。残りは負傷している冒険者が二人と、戦闘が出来ない『荷物持ち(サポーター)』。

 全員での逃走は出来ない。仮にベルが負傷者を纏めて抱えて運んだとしても、ミノタウロスは余裕で追い付いてくるだろう。

 この場に居る全員が助かる方法は、一つしかない。

 それ即ち、ベルが言った通りの事である。

 ベルが『囮』となり時間を稼ぎ、その間にリリルカは他の冒険者へ助けを求め、その冒険者にミノタウロスを倒してしまう。

 

(ですが、それって……!)

 

 成功確率は限りなくゼロに近い、作戦とも言えない品物だ。

 問題は山のようにある。

 まず第一に、ベルが時間稼ぎを出来るのか。ミノタウロス相手に勝てないと断言したベルが、それを遂行出来るのか。

 第二に、リリルカが他の冒険者を見付けられるのか。この広大な地下迷宮(ダンジョン)の中で、冒険者を意図的に探すのは至難だ。

 第三に、仮に冒険者を探し当てたとして、その冒険者が力を貸してくれるのか。原則、ダンジョンで起こった出来事はその全てが自己責任として扱われる。助けを求めたとして、必ずそうなるとは限らない。

 第四に、此処は『上層』。仮に力を貸してくれる冒険者が現れたとして、その冒険者が強いかどうかは別問題である。運良く上級冒険者と会えるのだろうか。

 ぱっと思い付くだけでもこれだけあるのだ。

 それが分からないベルではない筈だ。

 リリルカは何となく……そう、何となくではあるが、徐々にベルの事が分かってきていた。

 普段の姿は仮のもので、本当は、自分と似たような性質の持ち主だという事に。

 それはきっと、『道化』と言うのだろう。

 ベル・クラネルは仮面を被り、『道化』のように振る舞い、舞台を踊っている。

 

「リリ、何をしている!? 早く行ってくれ!?」

 

 仮面を外したベルが叫ぶ。その深紅(ルベライト)の瞳は、今正に立ち上がろうとしているミノタウロスに向けられていた。

 

「いや、だって……それは……!」

 

 リリルカが二の句を継げないでいると。

 ベルは決定的な一言を口にした。

 

「──ッ、リリルカ・アーデ、これは命令だ!」

 

 パーティリーダーのみが行使出来るそれは、逆らう事の赦されない絶対的な権限である。

 それを今、ベル・クラネルは初めてリリルカ・アーデに行使した。

 その意味が分からないリリルカではない。分からない筈がない。

 つまり、ベルはこう言っているのだ。

 

 自分を置いて逃げろ、と。

 

 ミノタウロスに勝てないと断定したベルは、せめてリリルカだけでも生き延びれるよう、そして、その事に負い目を感じさせないよう『建前』を使っているのだ。

 パーティリーダーの命令であれば、パーティメンバー、ましてやサポーターが断る道理はない。

 他者から誹謗中傷される事もなければ、管理機関(ギルド)も兎や角言ってくる事はないだろう。

 それはベル・クラネルの優しさであった。

 だがそれは同時に、残酷であった。

 

『ヴルゥゥゥ……!』

 

 荒い息を吐き出しながら、ミノタウロスが大剣を杖代わりにゆっくりと立ち上がっていく。

 猶予は、無かった。

 

「──行ってくれ、リリ!」

 

 それは、懇願であった。

 そして何処までもリリルカ・アーデは現実主義者(リアリスト)であり、何よりも、『弱者』であった。

 

「うわ……、うわああああああああああ!?」

 

 リリルカはベルに背を向けると、叫喚を上げながら走った。

 無我夢中に、上の階層へ通じる階段を目指した。

 自分の弱さを呪う事しか、まだ何者でも無い少女にはそれしか出来なかった。

 



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舞台への切符

 

 ダンジョン、『上層』。

 その7階層に、冒険者の大規模パーティが居た。

 全員が全員、例外なく尋常ではない覇気を出しており、その纏っている防具や鞘に仕舞われている得物は上級鍛冶師(ハイ・スミス)によって製作された一級品である。

 それもその筈、彼等は迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオを代表する冒険者──【ロキ・ファミリア】である。

 先頭に立つのは黄金(こがね)色の髪を持つ小人族(パルゥム)。そのすぐ傍に、魔導士の王族(ハイエルフ)。さらにその後ろに、金髪金眼の剣士、獣人の戦士、女戦士(アマゾネス)の姉妹と続いている。

 彼等のただならぬ重圧(プレッシャー)を付近のモンスターは感じ取っているのか息を潜めているようであり、ダンジョンであるのにも関わらず、異様な静けさがそこにはあった。

 それ故に、パーティの行進は必要以上にダンジョンに響いていた。

 

「それにしても、凄いねー! まさか【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師(ハイ・スミス)が『遠征』に来てくれているんだなんてさ!」

 

 殺伐としたダンジョンには似つかわしくない、元気溌剌(げんきはつらつ)とした声。

 声主のティオナは「不思議ー!」と首を傾げながら、背後を振り返った。少し距離を置いて、支援者(サポーター)──そうは言っても、全員第二級冒険者であるが──と、その中に鍛冶師が混ざっていた。

 そう、今回の【ロキ・ファミリア】は【ヘファイストス・ファミリア】に協力を持ち掛け、合同で『遠征』を行っている。

 ティオナの疑問に答えたのは、彼女の姉だった。

 

「この馬鹿ティオナ。ミーティングで話し合った事をもう忘れたの?」

 

「あはは、そうかも! だって難しい話は、あたしにはよく分からないし!」

 

「開き直らない!」

 

 姉の叱咤も、妹には届かない。何処吹く風とばかりに、ティオナは呑気に笑っている。

 そんなティオナに、王族のリヴェリアが話し掛けた。さながら賢者のように諭す。

 

「ティオナ、私達が前回の『遠征』で撤退を余儀なくされたのは、何故だ?」

 

「えーっと……そうだ! あの変なモンスターの所為だよ!」

 

「その通りだ。我々は未知のモンスターと会敵し、武器を溶かされてしまった。不壊属性(デュランダル)の武器は出来る限り用意したが、鍛冶師は居て困らない。これからの『遠征』は特にそうなるだろう。今回の『遠征』はその試験運用も兼ねているのだ」

 

 厳かな口調で言われたティオナは、「なるほど!」と大きく頷いた。

 

「本当に分かっているのかしら……」

 

 ティオネが溜息を吐く。

 妹の将来を案じる姿は、正しく姉だった。

 そこで、先導していた団長のフィンが速度を落とし、会話に混ざる。

 

「神ヘファイストスには相当無理を言ってしまった。不壊属性(デュランダル)の武器は勿論だけれど、上級鍛冶師も多くを派遣して貰っている。それは僕達に対する期待と信頼があるからだ。ティオナ、分かってはいると思うけれど、くれぐれも粗相がないようにね。まあ、君なら大丈夫だとも思っているけれど」

 

「うん! あたしは大丈夫だよ! だけど、【ヘファイストス・ファミリア】に武器を見て貰うのはなんか新鮮かも! いつも【ゴブニュ・ファミリア】にお願いしてるから!」

 

 そう言うと、ティオナは身の丈を軽々と超える大剣に手を伸ばした。『神の恩恵(ファルナ)』、重ねてきた昇格(ランクアップ)がなければ構える事さえ満足に出来ないだろう。

 

「しかし、ティオナの気持ちは私にも少しある。まさか『彼』も来てくれるとはな……」

 

「……? 『彼』?」

 

 リヴェリアの言及している人物が分からず、ティオナは首を傾げた。姉のティオネも眉を顰める中、それまで黙って話を聞いていた金髪金眼の剣士がぽそりと言った。

 

「【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】……」

 

「嘘!? ()()魔剣鍛冶師(クロッゾ)()()()()()()()、団長!?」

 

 ティオネが驚愕の声を上げる。

 そして、団長のフィンは「ああ」と頷いた。

 

「神ヘファイストス曰く、彼自ら志願してきたそうだよ」

 

「鍛冶師は変わり者が多いですが、その中でも【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は飛び抜けていると聞いた事があります。変わり者筆頭のあの椿でさえ手を焼いているとか……」

 

「まあ、そうだね。僕は何度か顔を合わせて話した事があるけれど、確かに彼は変わり者かな」

 

 苦笑する、フィン。

 話についていけないティオナが姉に「【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】って、誰?」と尋ねると、ティオネは有り得ないとばかりに妹を思い切り詰った。

 

「アンタねえ、まさか【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】を知らないの!? 嘘でしょ!?」

 

「嘘を吐いたってしょうがないじゃん! 知らないものは知らないもん! その人と会った事があれば話は別だけど、全くないし!」

 

「今度こそ開き直ったわね!?」

 

 ギャーギャーと、アマゾネス姉妹の言い合う声がダンジョンに響く。

 そこに、「チッ」と舌を打ったのは狼人(ウェアウルフ)だった。不機嫌極まると言わんばかりに刺青を歪める。

 

「お前達は此処が何処だか忘れたのか、あァ? その耳障りなキーキー声をやめろ」

 

 言い方こそ問題あったが、ベートの言葉は正論だった。

「うぐっ」と、これにはアマゾネス姉妹も言葉に詰まる。度を越した騒ぎは控えなければならない。

 黙る彼女達に、リヴェリアが静かに口を開ける。

 

「ティオナ、『暗黒期』は流石に知っているだろう?」

 

「うん、まあ……。でもそれだって、伝聞だよ。あたしととティオネはその時迷宮都市(オラリオ)に居なかったし……。知っている事は少ないよ」

 

「ある程度の概要を知っているなら、それで良い。──『彼』……【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……突如? 参戦? 迷宮都市(オラリオ)の産まれじゃないの?」

 

「違う。【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】の出自はラキア王国だ」

 

 ラキア王国とは、度々迷宮都市(オラリオ)へ侵攻してくる国家である。噂では、近々何度目かの侵攻を計画しているという事だった。

 

「ふぅーん。でもさ、それだと可笑しくない? 確かその『暗黒期』って時はさ、迷宮都市(オラリオ)の出入りが今以上に厳しかったんでしょ?」

 

「その通りだ。特に末期になると、都市にある全ての門に『都市の憲兵』が常駐し、厳しく検問していた。それにより、人や物の動きは制限される状態にあった」

 

「それじゃあ、その人はどうやって都市の中に入ってきたの?」

 

 その疑問に、リヴェリアは苦笑と共に答えた。

 

「決まっている。都市の外壁を壊したのだ、彼は。常識外れの『魔剣』を使ってな」

 

「…………へ?」

 

 ティオナは最初、リヴェリアが冗談を言ったのだと思った。

 しかしこの王族(ハイエルフ)がそう言った類の冗談を好まないのを、ティオナはよく知っている。

 だが、だからと言っておいそれと信じる事も出来ない。口を中途半端に開けるティオナを見兼ねて、フィンがリヴェリアのフォローに入る。

 

「リヴェリアは末期と言ったけれど、より厳密に言うとそれは違う。彼が現れたのは、最終決戦の終盤の終盤でね。リヴェリアとアイズはその時ダンジョンに居たから直接見てはいないけれど、僕は地上で指揮を執っていたから、よく覚えているよ。あれには僕も驚いた。良くも悪くも、ね」

 

 フィンは当時の事を振り返りながら言った。

 

「あれはそうだな……適切な表現は難しいけれど、強いて言うなら、『獄炎』が一番しっくり来る。『古代』にあったという、『精霊の奇跡』。僕はあの時、思わずそれを連想したよ」

 

「フィンがそこまで言うだなんて……そんなに凄かったんだね」

 

「ああ、そうだ。『暗黒期』が終わった後、私もこの目で彼の打った『魔剣』が使われる所を見た事がある。そして、断言しよう。当時の私よりも、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】の打った『魔剣』の方が上だった。出力、という面の話ではあるがな」

 

「嘘でしょ、リヴェリア!?」

 

 これに驚愕したのは、ティオネだった。ティオナも信じられないと言わんばかりの表情をしている。

 何故なら、リヴェリア・リヨス・アールヴは迷宮都市の中で最高位の魔導士である。

 アマゾネス姉妹をはじめ、【ロキ・ファミリア】の団員達はそれを知っている。何度、王族(リヴェリア)の『魔法』によって窮地を脱したか分からない。

 

「他の同族(エルフ)が居る前ではとても言えないがな、れっきとした事実だ。Lv.6に至った今でこそ私の方が上だがな」

 

「そうだとしても、にわかには信じがたいわね……」

 

「うん、全然想像出来ないよ……」

 

 顔を見合わせる、アマゾネス姉妹。

 

「今の迷宮都市(オラリオ)には、二種類の『魔剣』がある。一つは、従来通りの『魔剣』。言わば、『魔法』の劣化版だね。そしてもう一つが、彼の打った『魔剣』──別名、『クロッゾの魔剣』だよ」

 

「あっ! そう言われると思い出したかも!」

 

 ティオナが「確か」と、頭を捻りながら言う。

 

「『クロッゾ』って、原典(オリジナル)が不明の一族だよね」

 

「どういう意味よティオナ?」

 

 姉に尋ねられたティオナは、水を得た魚のように滔々と答えた。

 

「『クロッゾ』って言うのはね、ティオネ。簡単に言えば、『精霊』と交わった一族なんだよ。この交わるって言うのはね、『クロッゾ』って人が『精霊』を助けたは良いものの死にかけて、その助けた『精霊』から血を与えられた事を意味するんだ。『クロッゾ』は元々無名の鍛冶師だったんだけど、彼の造った作品は何故か全然売れなくて……でも、『精霊』の血を与えられてからは不思議な武器──『魔剣』を打てるようになったんだよ!」

 

「早口で何を言っていたのかよく分かんないけど……つまり、『魔剣』の根源が、その『クロッゾ』って鍛冶師にあるのね?」

 

「その通り! それで、原典(オリジナル)が不明って言ったのにはね勿論理由があって! 『初代クロッゾ』が『古代』の人物なのは間違いないんだけど、いつから表舞台に登場したのか現代でも全く分かっていないんだよ! これってとても変な事でね! 誰かが意図的に隠していたと言われているんだ!」

 

 ティオナは興奮していた。

 何故ならば、ティオナは英雄譚が大好きなのである。休みの日はまだ見ぬ英雄譚を求めて古書店を巡っている程だ。

 

「とはいえ、『クロッゾの物語』の幕引きはとっても呆気なかったんだけどね……」

 

「あんたとは違って英雄譚に詳しくない私でも、それは知ってるわ。『クロッゾの魔剣』は凄過ぎた。最初はモンスター相手に使われていたそれが、何時しか人相手に使われるようになり……『クロッゾの魔剣』は対人兵器として使われるようになったよね」

 

「……うん、そうなんだ。そして『クロッゾの魔剣』は、『精霊』が好むとされている森や湖、つまり、自然を焼き払うまでに至ったの。『クロッゾの魔剣』の力の源は、あくまでも『精霊』。怒った『精霊』は、その殆どの『クロッゾの魔剣』を壊した……」

 

 それは、調子に乗った罰だった。『精霊』によって『クロッゾの魔剣』が後、『クロッゾの系譜』は『特別な魔剣』を打つ事が出来なくなってしまった。

 また、『クロッゾの系譜』はラキア王国に仕え貴族の地位を与えられていたが、この出来事により没落してしまう。

 

「ねえ、その【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は本当に『クロッゾ』の子孫で、『クロッゾの魔剣』を造る事ができるの?」

 

「ああ、そうだ。事実、管理機関(ギルド)から公開されている彼の【ステイタス】がそれを証明している」

 

 フィンの言葉に、ティオナは「えっ!?」と驚いた。

 

「【ステイタス】を公開しているの!? 何で!?」

 

 一般的に、【ステイタス】は例え派閥の仲間同士でも秘匿すべき物である。

 それを管理機関(ギルド)が大々的に公開しているというのは、あまりにも変だ。

 ティオナの疑問に答えたのは、意外にもベートだった。

 

「決まってんだろ、奴は奴隷なのさ」

 

「……奴隷?」

 

「首輪を付けられているんだよ」

 

 要領を得ない回答に、ティオナは困惑してしまう。

 

「『暗黒期』が終わり、都市の情勢が落ち着いた頃、彼の処遇を決める話し合いが設けられた。ティオナ、これが何故か分かるかい?」

 

「何故って……そんなの、あたしには分かんないよ」

 

「答えは簡単だ。同じ過ちを防ぐ為だよ」

 

 フィンは碧眼を一度閉ざすと、当時の事を振り返っているのだろう、神妙な面持ちで言った。

 

「【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】──いや、敢えて『彼』と言おうか。最初に言った通り、『彼』は突然現れた。手土産と言わんばかりに『クロッゾの魔剣』を持ってね」

 

「先程言ったように、『クロッゾの魔剣』は当時の私の『魔法』よりも強かった。そして『彼』は、それを製造する事が出来る……出来てしまった」

 

「リヴェリアの言う通りだ。当時の迷宮都市(オラリオ)にとって、いいや、世界と言っても良いかもしれないか……『クロッゾの魔剣』はそれだけ危険だったんだ、ティオナ。何せ、本当に突然、何の前触れもなしに現れたんだ。迷宮都市(オラリオ)……引いては、世界はね。『彼』を疑ってしまった」

 

 フィンは言葉を続ける。

 

「『彼』の処遇については、神会(デナトゥス)で激しく議論されたと聞く。だが当然、出身であるラキア王国に返すという訳には行かなかった。『彼』の力はあまりにも強大且つ危険だったから、迷宮都市(オラリオ)で管理したかったんだよ。あるいは、反則(チート)を疑う神も居たようだったけれど……『彼』は『クロッゾの魔剣』さえ除けば、『彼』は凄腕の鍛冶師であり、何よりも、少し変な人間だった。そして紆余曲折の末、『彼』は【ヘファイストス・ファミリア】所属となったという訳だ」

 

「その人は、嫌じゃなかったの?」

 

「そうだね、普通ならそう思うだろう。『彼』は第一級冒険者である僕達以上に『自由』がない。都市から出る事も決して認められないだろう。だけどね、ティオナ。『彼』は話をしに言った僕にこう言ったんだよ──『こうなる事は分かっていた。俺は鍛冶師だ、それさえ出来れば、それで良いさ』とね」

 

「……それなのに、何故、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は来たのですか? 私には理解出来ません」

 

 ティオネがそう言う。

 それはティオナも同じ思いだった。何かに縛られる等、そこに『自由』や自分の意思が存在しないだなんて、それは『奴隷』と変わらない。

 

「元々、『彼』は迷宮都市(オラリオ)へ来ようとしていたらしい。その時機(タイミング)が偶々『暗黒期』だったと、『彼』は言っていたけれど……その理由は、多くは語ってくれなかったよ」

 

 それまで何も関係のなかったフィンに全てを曝け出す道理はない。

「ただ」とフィンは言葉を続けて言った。

 

「どうやら『彼』は、待っているらしい」

 

「待っている……? それって、何?」

 

「そう思って僕も聞いたら、答えはとても簡潔だったよ。──『船』だ」

 

「……『船』?」

 

「ああ」とフィンが頷く。

 

「何でも、『彼』は『船』を待っているらしい」

 

 あまりにも抽象的だと、ティオネは思った。

 何の事かさっぱり分からない。

 リヴェリアが停止し掛けた話を進める。

 

「兎にも角にも、そう言った経緯があり、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は都市監視下の元で鍛冶をするようになった。後は知っての通り」

 

「それじゃあ、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は本当に、ずっと『クロッゾの魔剣』を造ってきたの?」

 

「ああ、その通りだ。求められるがままに、ずっと、ずっとな」

 

 それはとても悲しい話だと、ティオナは思う。

 皆、『クロッゾの魔剣』を通してしか【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】を見ていないような気がするのだ。

 

「【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】は工房に住んでいる──そう言われている程でね。あの椿が困っているくらいだと言えば伝わるかな」

 

「椿がですが!?」

 

 椿と言えば、試し斬りで『深層』に向かうような頭可笑しい鍛冶師の筆頭である。鍛冶師でありながらその階位は何と第一級冒険者に匹敵するLv.5。ティオナやティオネ、ベートと同じだ。今回の『遠征』でも参加して貰っており基本的にはサポーターの役目をお願いしているが、緊急時には戦って貰う可能性がある。

 

「だから、【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】の姿を見た事がある人はとても限られていてね。まあ、闇派閥(イヴィルス)の事とかを考えるとその方が良いんだろうけど……見た事があるのは、【ロキ・ファミリア】だと主神のロキに、団長の僕、リヴェリア、ガレス、後はアイズかな」

 

 正体不明の鍛冶師。それがアマゾネス姉妹の抱いた感想だった。

 

「ね、アイズはその人に会った事があるんだよね? どんな人だった?」

 

「……何年も前だから、覚えてない、かな。だけど……うん、不思議な人だった、気がする……」

 

「そっかー! ありがとう、アイズ!」

 

 ティオナがお礼を言うと、アイズは「ううん、ごめんね」と謝罪し、小さく呟いた。

 

「でも……何で、今回の『遠征』に来てくれたんだろう……?」

 

「……確かにそうね。──団長、先程【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】自ら志願してきたと仰っていましたけど、それは本当なんですか?」

 

「ああ、嘘ではないさ。何だったら、僕とロキが、女神ヘファイストスと椿と話し合いをしている所に突然現れてね。『俺も連れて行ってくれないか』なんて言うもんだから、あれには驚いたよ」

 

 そう言うと、フィンは苦笑した。

 

「でもその人って強いの?」

 

 ティオナが思った事を口にする。

 

「あ、アンタねえ!」

 

 ティオネはティオナの頭を全力で叩きながらも、内心では良くやったと妹を褒めていた。

 あまりにも直接的な質問だったが、それは的を射ていた。

 いくら破格の出力を出せる『クロッゾの魔剣』を打てたとしても、鍛冶師である事に変わりはない。もし『遠征』中、事故に巻き込まれて死ぬような事があれば、それは世界の損失である。

 勿論、【ロキ・ファミリア】とて全力で護衛はする。それを条件に、【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師を『遠征』に同行して貰っているのだ。

 だが、ダンジョンに絶対はない。

 もし観光気分なら、ただのお荷物だ。

 しかしそんなティオネの危惧を杞憂だと言ったのは、何と驚くべき事に、アイズだった。

 

「それは大丈夫……あの人は、強いよ」

 

 何処までも強さを追い求め続けている剣士の一言。

 そこに、リヴェリアが補足説明する。

 

「【魔剣鍛冶師(クロッゾ)】の階位はLv.4だ。充分に戦える」

 

「嘘!? 何でただの鍛冶師が!?」

 

「まず、迷宮都市(オラリオ)に来ていた時点で『彼』の階位(レベル)はLv.2だった。そして、『暗黒期』での活躍が偉業として扱われ、そのままLv.3へ昇格。あれから七年が経っているのだ、さらにもう一つ上がっていたとしても可笑しくはあるまい」

 

「それでもLv.4……椿の一つ下じゃない。あたし達冒険者の立つ瀬がないじゃない」

 

「そうだね。それなら、追い付かれないよう精進するしかないだろう」

 

 フィンの言葉はとても重たかった。

 小人族(パルゥム)率いる冒険者の集団は、順調にダンジョンを進んでいき、9階層へ。

 異変に気が付いたのは、団長のフィンだった。

 

「──総員、止まるんだ」

 

 静かな指示。

 すぐさま、団員達は指揮官から出された指示に従う。

 それから数分経っても、フィンは次の指示を出さないでいた。

 

「団長、一体どうしたんですか?」

 

 隊列の後方から団長に近付き直接質問をしたのは、ヒューマンの青年だった。ラウル・ノールド。Lv.4の第二級冒険者であり、【ロキ・ファミリア】の二軍の中でも中心的存在である、その役割は二軍と一軍を繋ぐ橋渡しだ。

 

「他の皆が困惑しています。このままじゃあ……」

 

 ラウルの言う通りだった。

 団員達は指示に従ってこそいたが、説明のないそれに戸惑いを隠せないでいた。

 此処が『下層』や『深層』なら分かる。何故ならそこは異常事態(イレギュラー)が日常茶判事だからだ。

 だが、此処は『上層』。例えどのような異常事態が起こったとしても、都市を代表する冒険者たる自分達が対応出来ない筈がない。

 それは自負であり、事実だった。

 それ故に、二軍以下の団員達は団長の突然の指示が分からなかった。顔を見合わせ、小声で自分の意見を交わす。

『遠征』が始まってからまだ数刻も経っていない。ましてや、目標到達地点である『深層』はまだ遥か下である。

 これ以上は士気に関わるかもしれない──ラウルはそれを危惧し、それを防ぐべく、指揮官のフィンに直接聞いているのだ。

 そしてその質問に、フィンは。

 

「ラウル、この階層に来てから僕達は何回モンスターと遭遇(エンカウント)したかな?」

 

 質問を質問で返した。

 ラウルは面食らいつつも、すぐに冷静さを取り戻し答えようとして。

 

「ええっと……──あれ……?」

 

 言葉の途中で、ラウルは首を傾げた。まさかと考え直そうとする部下に、団長は先回りして言う。

 

()()()()()()()。この階層──9階層に来てから、次の広間(ルーム)で半分を越える。そうだと言うのに、僕達は一度も、モンスターの姿はおろかその鳴き声も聞いていない」

 

「……ッ!?」

 

「最初は気の所為だと思っていたんだけどね。どうやら、そういう訳ではないようだ」

 

 そこまで言われれば、ラウルにも分かった。

 フィンは異常事態(イレギュラー)を警戒しているのだ。

 だが、とラウルはこうも思う。

 何度も言うが此処は『上層』。フィンは警戒し過ぎではないか、と。

 そんなラウルの内心を見透かすように、リヴェリアが言った。

 

()()()()()()()()()()。調べた所、数日前では8階層の広間(ルーム)の壁が崩落し、つい数日前では、7階層で『怪物の宴(モンスター・パーティー)』が起こった形跡があり、そこには共に十数名の冒険者の遺体があったという。もし本当に『怪物の宴(モンスター・パーティー)』が起こっていたのだとしたら、それは真正の異常事態(イレギュラー)だ。知っての通り、『怪物の宴(モンスター・パーティー)』は10階層以下の階層から起こるからな」

 

「何ですか、それ……あまりにも頻度が……」

 

「そうだ、ラウル。あまりにも頻回過ぎる。下級冒険者の間では、ダンジョンが変質したという噂が広がっている。そして、その可能性は決してゼロではない」

 

 副団長の言葉はとても重たかった。

 ラウルは猛省した。考えがあまりにも浅かった。

 見れば、戸惑っている自分達二軍とは違い、一軍のアイズやティオネ、ベートと言った面々はそうではない。考えるのが苦手なティオナですらそうだ。

 全員、真剣な表情を浮かべいつでも対応出来るよう準備をしている。

 これが第一級冒険者なのだと、ラウルは戦慄する。同時に、自分では彼等のような存在には決してなれないのだという諦めがあった。

 考えを纏めた指揮官が、ラウルに声を掛ける。

 

「──このまま此処に居たら、ガレス達に追い付かれてしまうか。ラウル、警戒を厳にするよう伝えてくれ」

 

「そ、それじゃあ……」

 

「ああ、前進する」

 

「承知しました! 確かに伝えます!」

 

 ラウルは力強く頷くと、後方へ戻って行った。

 フィンの指示の元、冒険者の集団は歩みを始める。歩幅は小さく、行軍速度は遅くなったが、それは仕方のない事だと彼等は割り切っていた。

 

「……四人、来るぞ。この足音からして、何かから逃げているな」

 

 獣人のベートが、その音を真っ先に拾い迅速に報告した。

 

「流石だね、ベート」

 

「こんだけ静かならすぐに気付く。それに……だいぶ余裕がないみたいだな」

 

 団長からの称賛を、ベートは鼻を鳴らして答えた。

 数秒遅れて、他の団員達もその音を聞く。

 そしてさらに二分後、十字路の左手から、四人の冒険者達が取り乱した形相で接近してきた。

 ベートの報告通り、頻りに背後を振り返っており、何かから逃げているのだと推測出来る。

 

「フィン、どうする? 声を掛けるか?」

 

 副団長が団長に確認を取る。

 基本的にダンジョンの中では相互不干渉が暗黙の了解となっている。

 だがそれは、緊急時を除いた話だ。

 フィンはリヴェリアから視線を外し、後方に控えているティオナを見る。

 

「ティオナ。彼等に声を掛けてくれるかい?」

 

「分かった!」

 

 ティオナは元気良く即答し、近付いてくる四人の冒険者達の所へ向かう。

 

「ねえ、どうしたのー?」

 

 緊張さの欠片もない、間延びた声。

 冒険者達はそこで初めて、【ロキ・ファミリア】の存在に気が付いたようだった。慌てて急ブレーキし、足を止める。

 

「うわぁ!? 何だ──って、げえっ!? 【大切断(アマゾン)】!?」

 

「その反応はちょっと……いや、かなり嫌だなぁ!? ──フィンー、声掛けたよー」

 

「良くやったね。ありがとう、ティオナ。下がっていてくれ」

 

「はーい!」

 

 ティオナは笑顔で頷くと、元の場所に戻った。「あんたにしちゃ良くやったじゃない」と、姉に褒められ、妹は素直に喜んだ。アイズもコクコクと頷く。

 

「ロ、【ロキ・ファミリア】がどうして此処に!?」

 

「僕達は『遠征』中だ。──そんな事よりも、一つ伺いたい。貴方がたの先程の様子は普通じゃなかったように思いますが……何かありましたか?」

 

 四人の冒険者達にとって、その質問は現実を思い出すのに充分だった。

 恐怖で身体をガタガタと震わせながら、自分達が来た方向を凝視する。

 

「安心して下さい。此処には僕達が居ます。【ロキ・ファミリア】が貴方がたを保護しましょう」

 

「ほ、本当かっ!? う、嘘じゃねえよな!?」

 

「ええ。僕達の主神──女神ロキに誓って」

 

「ですから、教えて下さい」とフィンは優しく笑い掛けた。

 四人の冒険者達にとって、その言葉は正しく救いだった。そして、そのうちの一人──パーティリーダーと名乗った──がおもむろに口を開く。

 

「み、ミノタウロスだっ!」

 

 予想だにしていなかった言葉に、【ロキ・ファミリア】の面々は呆けてしまった。

 フィンは冷静に質問を重ねる。

 

「ミノタウロスと言うと、あのミノタウロスですか? 『中層』に出現する、牛頭人身の『怪物』だと?」

 

「あ、ああ! そうだ!」

 

「見間違いではなく、それは確かですか?」

 

「見間違いだったらどんなに良かったか! 俺達も奴を見たのは初めてだったが、間違いねえよ!」

 

 フィンは冒険者の顔を見詰めた。

 恐怖で表情を引き()らせてこそいるが、その瞳は理知を宿している。錯乱はしていないと判断する。

 

「ミノタウロスを見た場所は?」

 

「こ、この下! 10階層! ば、場所は確か──」

 

 手を震わせながらも懐から地図(マップ)を出し、ある一点を指さした。

 正規ルートから随分と外れている。フィン達の現在位置から全速力で向かっても数十分は掛かるだろう。

 フィンは碧眼を細めると、次の質問をする。

 

「下はどのような状態ですか?」

 

「10階層に通じる付近の広間(ルーム)には冒険者の死体が転がっていた! そして10階層はもっと酷い! あ、あれは地獄だ!」

 

「此処までの道中、生存者は見掛けましたか?」

 

 とはいえ、それは絶望的だろう。

 言葉にこそしなかったが、フィンはそう考えていた。それは他の【ロキ・ファミリア】団員も同様である。

 ミノタウロスはLv.2に分別(カテゴライズ)されるモンスター。Lv.1の下級冒険者が敵う道理はない。

 この四人以外に生存者が居るとは、到底思えなかった。

 ところが、そんな【ロキ・ファミリア】の予想を彼等は否定した。喘ぐようにして、声を絞り出す。

 

「せ、生存者は、居る!」

 

「……数は?」

 

「ひ、一人だ! 俺達は今日の探索が終わったから地上に向かっていたんだが、その道中、ミノタウロスと戦っているあいつを見たんだ! あいつは俺達に逃げろって言って……俺達はあいつを見捨てちまって……!」

 

 後悔しているのだろう、パーティリーダーの男は拳をどすんと土の上に落とした。

 だがフィンは、共感しなかった。寧ろこのパーティリーダーは正しい選択をしたとすら内心では思っていた。

 もし自分が同じ立場だったら同じ事をするだろうからだ。名前も知らない赤の他人と、自分を含めた仲間の命。比べるまでもない。フィンは躊躇なく後者を取る。

 此処は、ダンジョン。冒険者はそれを承知でこの迷宮に挑戦するのだから。

 恐らく、彼等が見捨てたというその冒険者も既にミノタウロスに敗れているだろう。

 だが、それを言葉にするのは憚られた。

 

「その冒険者の特徴は? 何かありますか?」

 

 フィンの何度目になるか分からない質問に、パーティリーダーの男は答える。

 そして、その回答はこれまで冷静だったフィンの思考を空白にさせた。

 

「種族はヒューマン! 白髪の子供だった! あとは……そうだ、片手剣を使っていた!」

 

 碧眼を揺らし、フィンは息を一瞬止めてしまった。

 ヒューマン。白髪。子供。片手剣を使う剣士。

 その外見的特徴は、自分の友人と酷く一致している。

 

「ねえ、それってあの子じゃないの……?」

 

 そう呟いたのは、ティオネだった。

 フィン以外の【ロキ・ファミリア】団員も、皆、同じ人物を脳裏に思い描いていた。

 

「ねえ……その子は、本当に一人、だったんですか……?」

 

 これまで事態を見守っていたアイズが、静かに、けれど鋭い視線を向けて問い掛ける。

 

「そうだよ! 確かあの子、サポーターの女の子と一緒だった筈!」

 

 ティオナがアイズの意図を読み、声を上げた。

 だが、パーティリーダーの男は申し訳なさそうにしながら、曖昧に答える。

 

「そ、そこまでは分かんねえ。あいつと言葉を交わしたのは一瞬だったんだ。情けないが、俺達もすぐにその場から逃げたから……」

 

「そんな……!?」

 

 ティオナが悲鳴にも似た声を出した。

 

「な、何だ……どういう事だ……?」

 

「失礼。その冒険者が、僕達の友人かもしれない可能性があってね」

 

 フィンの口調には、それまであった敬語がなくなっていた。

 取り繕うのをやめ、小人族(パルゥム)の【勇者】は団員達に次の指示を出す為、口を開く。

 

目覚めよ(テンペスト)

 

 ──だがそれよりも、動く人物が居た。

 眩い輝きを放つ金の長髪が宙を舞う。

 

「ちょっ、アイズッ!?」

 

 ティオネが声を出す。

 だが、『風』を纏ったアイズにその制止は届かなかった。その後ろ姿は瞬く間に点となり消えていく。

 付与魔法(エンチャント)を使い、文字通りの『風』となったアイズに追い付ける者は居ない。それは【ロキ・ファミリア】最速のベートも含まれる。地の能力値(ステイタス)なら話は別だが、魔法を使っている間はアイズに軍杯が上がる。

 

「──ラウル」

 

「は、はいっ!?」

 

 フィンが名前を呼ぶと、返事はすぐに来た。

 

「僕達はアイズの後を追う。まず、君達は彼等を保護しガレス達と合流。そして六人一組のパーティを組み、彼等を地上まで送り届け、この異常事態を管理機関(ギルド)へ報告するんだ。合流地点は18階層、『迷宮の楽園(アンダー・リゾート)』とする。そして、この部隊の指揮権を一時、ラウル、君に預ける。頼めるね」

 

「は、はいっす!」

 

「良い返事だ。皆を頼むよ」

 

 フィンは笑みを浮かべると、部隊に背を向けた。

 リヴェリア、ティオネ、ベートの三人が既に居り、フィンを待っている。

 

「全速力でアイズの後を追い、合流する。その後は10階層へ行き、ミノタウロスと会敵し撃破。そして、彼等が見たという生存者を探し出す」

 

「「「了解」」」

 

 10階層目掛けて、フィン達は走り出した。




次話──『舞台はすぐそこに』

今月中の更新目指して頑張ります。


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舞台はすぐそこに

 

 アイズ・ヴァレンシュタインは全力で駆けていた。

 場所はダンジョン、9階層。第一級冒険者たるアイズにとって、例えるなら、この付近の階層は本拠(ホーム)の庭のようなものだった。

 頭に叩き込んでいる地図(マップ)を思い浮かべながら、最短距離で下の階層──10階層へ向かう。

 

(もっと急がないと……!)

 

 先程まで、アイズは【ロキ・ファミリア】の遠征部隊の中に居た。『深層』を目指すアイズ達にとって、『上層』のモンスターは敵ではない。少しの雑談と共に、『遠征』は順調に進んでいた。

 だが、あからさまに取り乱していた四人の冒険者を発見。団長のフィン指示の下、声を掛けると彼等はこんな事を言ってきたのだ。

 

 10階層にミノタウロスが居りそれから逃げてきた、と。

 

 にわかには信じがたい話だ。ミノタウロスは『中層』に出現するモンスター。たとえ階層越えをしたとしても、それは精々一つから二つほどが関の山であり、10階層にまで移動するなど有り得ない。

 それがこれまであった、ダンジョンの常識。

 だがフィンが言ったように、最近のダンジョン──特に『上層』は可笑しい。

 あまりにも、異常事態(イレギュラー)が起こり過ぎている。とてもではないが、経験の少ない下級冒険者では乗り越えられないだろう。

 ダンジョン内に於いて、冒険者は相互不干渉という暗黙のルールを敷いている。ダンジョンで起こった様々な事象と直面した際は自己責任という形が取られている。

 だが緊急時は違う。度を越した異常事態(イレギュラー)の際はパーティや派閥の垣根を越えて協力する事もある。

 団長は緊急時だと判断し声を掛けて話を聞くと、10階層にミノタウロスが居ると彼等は言ったのだ。

 正直な感想を言うのなら──他の団員もそうだったであろうが──アイズは半信半疑だった。ミノタウロスは『中層』に出現するモンスター。『上層』に現れる道理はない。

 或いは、先月自分達が引き起こしてしまった『ミノタウロス上層進出事件』の際の生き残りかとも一瞬思ったが、もしそうなら管理機関(ギルド)がそれを公表している筈だし甚大なる被害が既に出ているだろう。

 どちらにせよ、真偽を確かめる必要がある。

 派閥(ファミリア)を代表して団長(フィン)が詳しい話を聞いていく。地図を用いた正確な場所、10階層の状態等だ。

 そして最後に、生存者の確認。

 とはいえ、それは絶望的だろうとフィンは考えていたに違いない。事実、アイズはそうだった。

 もし本当にミノタウロスが出現したのなら、或いは、ミノタウロスと同等のモンスターが出現したのなら、下級冒険者の手には負えないだろう。

 生存者は彼等だけかもしれないな、とアイズがぼんやりと思っていると──パーティリーダーを名乗った男は、生存者は一人居ると、そう言った。

 何でも、その人物がミノタウロスに襲われている場面に彼等は遭遇してしまい、その人物から逃げるよう言われ、その言葉のままに逃走をしたらしい。

 その人物は余程のお人好しだな、とアイズは思った。自分が命の危機に瀕しているというのに、他の人の命を優先する事だなんて、中々出来ない事だ。

 そして、その人物がまだ生きている可能性は極めて低いだろう。

 言葉にこそしなかったが、アイズをはじめとした【ロキ・ファミリア】の面々はそう思った。

 せめて勇気ある行動をした冒険者の遺体を持ち帰ろう──フィンは恐らく、そう思ったに違いない。【勇者(ブレイバー)】という二つ名の如く、ファン・ディムナは勇気ある者に敬意を表すことに躊躇いがない。

 フィンは彼等にその人物の特徴を聞き、パーティリーダーの男はこう言った。

 

 ──『種族はヒューマン! 白髪の子供だった! あとは……そうだ、片手剣を使っていた!』

 

 アイズは最初、何を言われたのか分からなかった。

 それは彼等に質問したフィンもそうだったに違いない。何故なら、それまで淀みなく冷静に質問を重ねていた小人族(パルゥム)は、ほんの僅か、けれど確かに息を一瞬止めていたのだから。

 彼等の語った、この下の階層でミノタウロスに襲われ、そして戦っているという人物の特徴は。

 それは、アイズの知っている──ベル・クラネルのそれに酷似していたのだ。

 そんなまさか、という思いがあった。

 アイズは彼等に、本当にその人物が一人だったのかと質問した。昨日会った時、ベルは言っていた。サポーターを雇い二人一組(ツーマンセル)でダンジョン探索を行っている、と。それはもう嬉しそうに。

 団長の顔を立てる事など、アイズの頭からはすっかりと抜け落ちていた。

 友人のティオナが、アイズの意図を読み通訳してくれた。

 だが返答は、分からない、というものだった。

 

(あの子が──ベルが。ミノタウロスと、戦っている……!?)

 

 その瞬間。

 アイズは魔法の詠唱を口ずさんでいた。風属性の付与魔法(エンチャント)、【エアリアル】。

 魔力を練り、『風』を纏う。そしてアイズは後の事なんて何も考えず、衝動に駆られるままに走り出していた。

 

 ──そして、現在。

 

 アイズは9階層の最奥部に辿り着こうとしていた。

 

(この廊下を抜ければ、この階層の最奥部……!)

 

 そこには、10階層へ繋がる階段がある。

 曲がり角のない直線。アイズは脚に力を込め、走り抜けようと──した所で、廊下の奥から、小さな人影が現れた。

 

「……ッ!?」

 

 ぶつかるのを阻止すべく、慌てて急ブレーキする。幸い間に合い、事なきを得た。

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

 アイズは謝罪しながら、バックステップし少し距離を取る。

 人影の正体は、とても小さな少女だった。地味な色のローブに、身体に不釣り合いな大きさのナップサックを背負っている。

 小人族(パルゥム)か。或いは、ヒューマンか。

 そんな思考は、少女の顔立ちを見た瞬間吹き飛んだ。

 白髪紅眼。

 ベルのそれと、少女のそれは酷似していた。もし此処にベルが居て、兄妹(せつめい)だと言われたら信じるだろう。

 ミノタウロスから逃げてきた冒険者が見たという生存者は彼女の事なのか──そんな思考が、アイズの脳を一瞬支配する。

 アイズの金眼と、少女の紅眼が交錯した。

 その瞬間。

 

「あ、あのッ! もしかしたら貴女は、アイズ・ヴァレンシュタイン様ですかッ!?」

 

 少女が、切羽詰まった様子、されどその顔に希望を宿しながらアイズに顔を寄せた。

 アイズは面食らいながらも、コクコクと、首を縦に振る。何がなんだか分からなかったが、そうすべきだと脳が指示を出していた。

 

「良かった……! 【ロキ・ファミリア】が居る! ヴァレンシュタイン様──【剣姫(けんき)】様達は『遠征』でダンジョンに居る、という事で間違いないでしょうか!?」

 

「は、はい……」

 

「無礼を承知で冒険者依頼(クエスト)をお願いしたいです! 今すぐに!」

 

 冒険者依頼(クエスト)

 少女は確かに、そう言った。

 アイズはそれに、首を横に振って答える。

 

「ごめんなさい……私、今急いでいるの……!」

 

 一言、謝罪する。

 この少女には悪いが、付き合っている暇はない。何やら切羽詰まっている様子だが、それは自分も同じだ。

 寧ろ、この会話で貴重な時間を失っている。

 視線を合わさず立ち去ろうとするアイズを、しかし、少女は「待って下さい!?」と呼び止める。

 

「話を! どうか、話を聞いて下さいッ!?」

 

 両手を大きく広げ、少女はアイズの眼前に立った。

 強行突破するか否か、アイズは逡巡する。

 だが無理矢理押し通れば、少女は怪我をするだろう。だが今は、少年の安否が──。

 そんなアイズの内心を見透かしているかのように。

 少女は、瞳を濡らしながら叫んだ。

 

「どうかお願いです! あの人を、助けて下さい! 貴女は、あの人のご友人だと聞きました!」

 

 アイズは足を止め、少女に問い掛ける。

 

「──詳しく、話を聞かせて」

 

 それから、一分後。

 アイズは少女のナップサックを背負い、少女を抱きかかえながら走っていた。

 少女はリリルカ・アーデと名乗り、ベルとパーティを組んでいるサポーターだとも言った。

 ベルが雇っている支援者(サポーター)とは、彼女の事だったのだ。

 話を聞くと、こうだった。

 ベル達はフィン達【ロキ・ファミリア】同様、9階層の異変に気が付いた。その原因を追求する為に奥へ進んだ所、冒険者の死体を発見。そして10階層に降りると、二人の負傷した冒険者を発見し彼等と一緒に地上へ帰還しようとした所に、ミノタウロスが出現した。

 ベルは自ら『囮』となり、リリルカに撤退を命令したという。

 そして一度は雇用主の命令に従ったが、リリルカは思い直し、打開策を考えたという。

 それこそが、ミノタウロスが現れる前に雇用主と考えていた当初の方針──即ち、【ロキ・ファミリア】への冒険者依頼。

 ベルがフィンやアイズと友人だと聞いていたリリルカは、サポーターでありながら単身でダンジョンを放浪し、いつ来るかも分からない、もしかしたら既に下層へ行っていたかもしれない【ロキ・ファミリア】の遠征部隊を探していたのだ。

 モンスターにこそ襲われる事はなかったが、道中、何度も躓き転んだと言うリリルカの身体には擦り傷をはじめとした外傷が沢山あった。

 回復薬(ポーション)を手渡しながら、アイズは問う。

 

「ミノタウロスが現れた場所は分かる?」

 

「10階層に降りてすぐの広間(ルーム)です!」

 

 リリルカが端的に報告してくる。先程まで涙を流していた人物とは到底思えない。

 これまでの説明も非常に分かりやすかった。ベルから話は聞いていたが、このサポーターはとても優秀だ。恐らく、下級冒険者の中でもかなりの場数を踏んでいるのだろう。

 アイズ達は10階層へ通じる広間(ルーム)に辿り着く。

 広間(ルーム)には、保護した冒険者達が言っていた通り、ミノタウロスに敗れたと考えられる敗北者の姿がある。

 物言わぬ彼等の遺体は、しかし、きちんとした処置がされていた。聞けば、ベルとリリルカが行ったという。

 遺体については、自分を追ってきているであろう仲間達がこの後に対応するだろう。

 そう結論付け、アイズは下の階層へ通じる階段へ向かう。

 

「舌、噛まないようにしてね」

 

「えっ──きゃああああああああ!?」

 

 リリルカの悲鳴が響く。

 駆け下りるのも億劫だと思い、そのまま飛び降りたのだ。

 体感にして数(メドル)の距離だったが、アイズの身体は無傷だった。高い能力値(ステイタス)を持つ上級冒険者にのみ許される行為だ。

 

「これだから……上級冒険者は……!」

 

 ごめん、と言う余裕はアイズにはなかった。

 

(霧が……邪魔……!)

 

 10階層から12階層は『迷宮の構造(ダンジョン・ギミック)』として『靄』がある。地面から立ち昇るそれはアイズ達の視界を遮った。

 

「【剣姫(けんき)】様、あの人とミノタウロスが居ません!?」

 

 リリルカが声を上げる。

 焦燥感を抱くリリルカとは対照的に、アイズは内心で、やっぱりなと思っていた。

【ロキ・ファミリア】が保護した冒険者達が教えてくれた場所は、此処ではなかった。

 推測にはなるが、リリルカがこの場を離れた後、ベルはミノタウロスを違う場所へ誘導したのだろう。その時に、【ロキ・ファミリア】が保護した冒険者達がベルとミノタウロスを見たのだ。そして彼等はそのまま逃走を開始、非戦闘員(サポーター)であるリリルカを追い抜き【ロキ・ファミリア】に保護されるのに至ったのだろう。

 

「【剣姫(けんき)】様、あちらの枯木に負傷者が二名居ます! リリ達が応急処置した冒険者様達です!」

 

 そう言って、リリルカは負傷者が居るという方角を指さした。

 

(どうしよう……可能性は低いと思うけど、モンスターが出て来ないと考えるのは、違う)

 

 それは希望的観測だ。

 

「その人達は、かなり危ない状態?」

 

万能薬(エリクサー)を飲ませたのでひとまずは大丈夫だと思いますが……リリは治療師(ヒーラー)ではない為、断定は出来ません」

 

 その負傷者が意識を失っているにせよそうではないにせよ、保護する必要がある。

 だが、この場に居るのはアイズとリリルカの二人のみ。

 どちらかがこの場に残る必要がある──どうすれば良い。

 そんなアイズの葛藤を見透かしているかのように、リリルカがおもむろに口を開き、こう言った。

 

「……【剣姫(けんき)】様、負傷者の方々は私が見ます」

 

「……でも、それだと……」

 

「リリには万能薬(エリクサー)があります。それに数本ですが、『魔剣』も。仮にモンスターが襲ってきても、すぐに倒れる事はないでしょう」

 

「だから」とリリルカはアイズの金の瞳を真正面から見詰めながら言った。

 

「あの人をどうか、助けて下さい。お願いします、【剣姫(けんき)】様」

 

 深々と頭を下げ、リリルカがアイズに懇願してくる。

 アイズは長い葛藤の末、頷いた。

 

「……分かりました。私の仲間がもうすぐ来ると思います。それまで、堪えて下さい」

 

「はい!」

 

 リリルカが深く頷く。

 アイズは頷き返すと、再び走り始めるのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 走る。

 走る。

 走る。

 全速力で、走る。

 手遅れにならないように。助けられるように。

 

(後少しの筈……!)

 

 そう思った、その時だった。

 

 ──キィン。

 

『器』を五回昇華させ、その分、超越存在(デウスデア)たる神に近付いたアイズの聴覚がその音を拾う。

 聞き間違いではない。それは、金属音だった。

 方向転換し、発生源へ進む。

 金属音──剣戟の音は少しずつ、しかし着実に大きくなって行った。同時に人間の雄叫びと魔物の咆哮もそれに混ざり、音楽を奏でているようだった。

 

(次……ううん、次の次の広間(ルーム)……!)

 

 特定に成功する。

 そしてとうとう、アイズは目標地点直前の広間(ルーム)に突入しようとした──その時。

 

「止まれ」

 

 一声が投じられた。

 

「──ッ!?」

 

 何て事ない、そのただの一言に、広間(ルーム)に入ったアイズの足は止まっていた。

 広間(ルーム)の中央に、一人の人間が立っている。

 (さび)色の髪に、同色の瞳。二(メドル)を超える身の丈に、背中に担がられているのは一振の大剣。頭部には、獣人を示す特徴的な耳が生えている。

 纏っている覇気は凡庸のそれではなく、他者を圧倒する。

 

(何で……どうして……!)

 

 金の瞳を大きく見開かせ、アイズは呆然と、その人物の真名を呟いた。

 

「【(おう)(じゃ)】……!」

 

 冒険者の『頂天(ちょうてん)』、【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 都市最強の冒険者が、アイズ・ヴァレンシュタインの前に立ちはだかっていた。

 




次話予告──『【猛者】の真意』。


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1ベル

前話の後書きでお伝えしていた予告『【猛者】の真意』をやめ、『1ベル』へ変更しています。

1ベル
意味:劇場に入って貰う『客入れ』の時に鳴らすブザー音や鐘の事。


 

 ダンジョン、10階層。

 正規ルートから外れた広間(ルーム)にて、二人の冒険者が対峙していた。

 片や、【ロキ・ファミリア】所属──【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタイン。都市最強の剣士として名が挙げられる、金髪金眼の美しい剣士である。その階位はLv.6。ダンジョン中毒者とも言われ、モンスターを屠る姿は別名、【戦姫(せんき)】。

 もう片や、【フレイヤ・ファミリア】所属──【猛者(おうじゃ)】オッタル。都市最強にして、『最恐』。錆色の髪に同色の瞳の武人。数多の冒険者の(いただき)に立つその姿は正しく『頂天』。その階位は下界で二人しか居ないとされているLv.7。

 どちらも、迷宮都市(ダンジョンとし)オラリオを代表する冒険者である。

 その二人が、ダンジョン10階層という比較的『上層』にて相対していた。

 

「そこを、通して下さい……。その奥に、私の友人が居るんです……!」

 

 最初に口を開けたのは、アイズだった。

 この遭遇が偶然ではないと内心で確信しながらも、自分の目的を告げる。

 今のアイズにとって、目の前の【猛者(おうじゃ)】はどうでも良い存在だった。そんな事よりも、この奥で『怪物(ミノタウロス)』に襲われているであろう少年(ベル)のもとへ駆け付けたいという想いの方が勝っていた。

 だが──。

 

「ならん。俺は、止まれと言った筈だ」

 

 オッタルはアイズの言葉を切り捨てた。

 錆色の瞳を剣のように細め、アイズを射止める。思わず言葉に詰まるアイズに、オッタルは言った。

 

「【剣姫(けんき)】、手合わせ願う」

 

 アイズは金の瞳を目いっぱい広げ、驚愕の表情を浮かべた。

 

「何で……!?」

 

 その疑問に、オッタルは答える。

 お前は一体何を言っているのだと、至極当然と言った顔で。

 

「俺達は敵対派閥。ならば、こうなるのは何も可笑しくあるまい」

 

「そう、かもしれないですけど……!」

 

 納得出来ないと、アイズは言った。

 オッタルが所属している【フレイヤ・ファミリア】とアイズ・ヴァレンシュタインが所属している【ロキ・ファミリア】は敵対派閥である。

 だが両派閥とも都市最高戦力であり、もし全面戦争なんて事になれば周りへの被害は尋常ではないだろう。文字通り、世界が動く事となる。

 緊張は常時あるが、少なくとも、雌雄を決するのは今ではない。

 それが両派閥の共通認識だった。

 だった筈だ。

 

「本気、なんですか……!?」

 

 アイズが尋ねる。

 オッタルは、それに、抜剣する事で答えた。

 

「来い、【剣姫(けんき)】」

 

「──ッ」

 

 戦闘は【剣姫(けんき)】からの攻撃で幕を開けた。

 踏み込みからの袈裟斬り。下級冒険者なら視認すら出来ない神速の一撃。

 だがそれを、【猛者(おうじゃ)】は何なりと防いでみせる。

 

「──温い」

 

 火花が飛び散り、空間を一瞬照らす。

 至近距離で両者は瞳を交錯させ、互いの意思を見逃さぬようにする。

剣姫(けんき)】の長剣を【猛者(おうじゃ)】は弾くと、お返しと言わんばかりにそのまま斬り払いを披露する。対する【剣姫(けんき)】は弾かれた勢いを逆に利用しそのまま回転斬りを行う事で迎撃した。

 

「そこを、退()いてッ!?」

 

退()かんと言っている」

 

 オッタルはアイズの言葉を再度切り捨てると、空いている片手で殴り掛かった。

 アイズはそれを、上半身を横に倒す事で避ける。眩い輝きを持つ金髪が宙を舞った。これ以上は危険だと判断し、アイズは一度大きく跳躍。剣の間合いから脱出する。

 静寂が広間(ルーム)を包もうとするが、それを遮る音がした。

 

「うおおおおおおおおおおおッッ──!」

 

『ヴゥアアアアアアアアアアッッ──!』

 

 人間の雄叫びと『怪物』の咆哮。

 耳朶を打ったそれに、アイズは顔を歪めた。今こうしている間にも、少年はミノタウロスと戦っている。この広間(ルーム)の先で、絶望的な戦いに臨んでいる。

 今すぐにでも助けに行きたい。死なせたくない。

『彼』と、話したい事が沢山ある。

 だがそれは出来ない。眼前に居るのは『最恐』であるが故に。

 

「此処を通りたければ、俺を倒す事だ」

 

 それは、あからさまな挑発だった。

 

「──ッ! 【目覚めよ(テンペスト)】ッッ!」

 

 詠唱を口にし、アイズ・ヴァレンシュタインは『風』を纏い直す。アイズの激情に呼応してか、『風』は平生よりも荒々しく、『暴風』と言っても差し支えなかった。

 だが、オッタルはそれを見ても表情一つすら変えない。大剣を構え直し、待ちの姿勢を取る。

 刹那、アイズは地を蹴っていた。先程の比ではない速度で剣の間合いに入る。

 

「ああああああああああッッ!」

 

 連続攻撃。

 一撃一撃が途轍もない破壊力を持つ斬撃を、アイズは行う。

 直撃すればオッタルとて無傷ではいられない攻撃。

 その全てを、オッタルは大剣で迎え撃った。真正面から受け止める。

 そして、武人は呟いた。称賛を僅かに込めて。

 

「そうか──新たな高みに至ったか、【剣姫(けんき)】」

 

 それは紛れもなく、【猛者(おうじゃ)】オッタルが【剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインを認めた瞬間だった。

『器』を昇華させ、昇格を果たした『英雄候補』を、【猛者(おうじゃ)】は歓迎する。

 

「だが、足りん。まだ温い」

 

「……ッ!」

 

 圧倒的な経験値の差。研鑽(けんさん)を積み上げてきた『技』に、幾度もの死闘で培ってきた『駆け引き』。

 それこそが、【猛者(おうじゃ)】オッタル。今代(こんだい)の『英雄候補』の中で、最も『英雄』に近いとされている武人。英雄競走(レース)の暫定一位。

 

「それなら──!」

 

猛者(おうじゃ)】の更なる挑発に、【剣姫(けんき)】は応える。

『暴風』をさらに強くし、剣に纏わす。それは付与魔法(エンチャント)の領域から大きく外れていた。

 そして、【剣姫(けんき)】は『切り札』を切る。

 

「──リル・ラファーガ!」

 

 それは言うなれば、風の閃光。

 超大型、若しくは、階層主専用の神風が一直線に突き進む。

 広間(ルーム)を縦断するその大風の螺旋矢に対し、オッタルはカッと目を見開く。それは都市最強の冒険者が本格的な行動をしなければならないと思った証拠であった。

 全身の筋肉を隆起させ、それまで片手で扱っていた大剣、その柄を両手で強く握り締める。

 そして、大上段から勢いよく大剣を振り下ろした。

 

「ああああああああああああ──ッッッ!」

 

「オオオオオオオオオオオオ──ッッッ!」

 

 神風と剛閃。

剣姫(けんき)】と【猛者(おうじゃ)】がぶつかり合い、ダンジョンの階層に地響きが走る。

 そして、爆音が巻き起こった。

 全身を殴り付ける衝撃波。一瞬後、両者は反動で後方に吹き飛ぶ。

 攻撃の相殺が発生した。

 

「……嘘」

 

 尻餅をついたアイズが、呆然と呟く。

 相手を殺さぬよう無意識の手加減をしていたとはいえ、今の一撃──『リル・ラファーガ』は紛れもなくアイズ・ヴァレンシュタインの『切り札』である。喰らえばひとたまりもない。

 そうだと言うのに。

 オッタルは立っていた。超然と佇み、纏っている覇気は微塵も衰えていない。

 ()()()()

『最恐』の武人は純粋な『力』のみで、アイズ・ヴァレンシュタインの必殺を防いでみせたのだ。

 

「見事だ、【剣姫(けんき)】」

 

 オッタルが、心からの称賛の言葉をアイズへ送る。

 武人の身体には幾つもの裂傷が出来ていた。纏っていた防具は壊れ、破損してしまっている。大剣は刀身が折れ、事前に置いていたのであろう、オッタルは壁に立て掛けていた予備(スペア)の柄を片手で握った。

 そして、最初の位置──広間(ルーム)中央へ戻る。

 どうする、とアイズの中で焦りが募っていく。アイズの切り札を以てしても、オッタルを抜ける事は出来なかった。

 敵対派閥云々はただの建前である事など、アイズはとうに分かっていた。理由は不明だが──オッタルは本気で、アイズを少年の元へ行かせまいとしている。

 

「どうして……貴方は……」

 

 地面から立ち上がり、アイズは尋ねた。答えが返ってくる事はないだろうと予想しながら。

 だが、その問いに、オッタルは答えた。

 

「【剣姫(けんき)】よ、貴様とて分かるだろう。この先にあるのが、何なのか」

 

「……」

 

 アイズは押し黙り、オッタルの言葉を肯定した。

 アイズとて、分かっている。分かっているのだ。

 聞こえてくる雄叫びは決して絶えず、無くなる気配は全く感じられない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まさか俺達が、それを否定する訳にはいかんだろう」

 

 それはオッタルなりの、諭しだったのかもしれない。

 あまりにも言葉足らずだったそれは、しかし、事実だった。

 

「……」

 

 だがそうだとしても、アイズは。

 アイズ・ヴァレンシュタインは。

 或いは、『彼女』は。

 それを認める訳には行かなかった。

 

「そうだとしても……! 私は、あの子の所に行く!」

 

「……そうか。ならば、言葉を交えるのはこれで終わりだ。何度も言おう。此処を通りたければ、俺を倒す事だ」

 

 そう言うと、【猛者(おうじゃ)】は大剣を構え直した。今度は最初から両手で柄を握り、手加減はしないと暗に告げる。

剣姫(けんき)】もまた、長剣の切っ先を向け戦意を表した。

 

 そして、緊迫した空気が爆発を迎えようとした──その時。

 

「アイズ、やっと追い付いた──―って、何で此処に【猛者(おうじゃ)】が居るの!?」

 

 驚愕の声と共に現れたのは、女戦士(アマゾネス)のティオナだった。パーティから飛び出したアイズを追って来たのだ。

 アイズの横に並び、「どういう事!?」と説明を求める。

 

「えっと……──ッ!?」

 

 状況を説明しようとしたアイズだったが、それは出来なかった。

 そんな暇は与えないと言わんばかりに、オッタルが攻撃した為だ。

 それをアイズは、何とか長剣で受け止める。

 激しい剣戟を繰り広げる二人を見て、ティオナは状況がさっぱり分からないと首を傾げた。

 だが、それは一瞬。表情を変えると、戦闘領域に躊躇いなく入った。

 

「【大切断(アマゾン)】……!」

 

「あっ、【猛者(おうじゃ)】もそんな風にあたしを言うんだ! ショック!?」

 

 眉間に皺を寄せるオッタルを見て、ティオナが心底不服だと言う。その思いを乗せ、自身の得物である超大型近接武器を振り回す。

 ティオナの参戦により、戦況は変わりつつあった。

 さしもの【猛者(おうじゃ)】と言えど、第一級冒険者を二人相手取るのは難しい。ましてや【剣姫(けんき)】の『切り札(リル・ラファーガ)』を真正面から受け止めたのもあり、反応に遅れが生じつつあった。

 だが、それでも【猛者(おうじゃ)】は膝を付かない。それどころか益々戦意を漲らせ、大剣を縦横無尽に振るう。

 

「やっぱり、強い!?」

 

 後方に吹き飛ばされ、壁に直撃したティオナが「痛てててて」と言いながら、自身の得物を杖にしながら立ち上がろうとする。

 だがそれよりも、オッタルの方が早かった。アイズをティオナの逆方向に追いやり、身体を反転。此処で仕留めるとティオナに迫り、大剣を上段から振り下ろす。

 

「ティオナ!?」

 

 アイズの悲鳴が広間(ルーム)に響く。

 だが、ティオナが斬られる事はなかった。二人の間に割り込んできた一人の獣人の蹴りによって、受け止められていたのだ。

 

「一旦下がれ!」

 

「……ッ、ありがとう、ベート!」

 

 お礼を言い、ティオナは両足に力を入れて戦闘領域から離脱した。安全圏まで後退し、高等回復薬(ハイ・ポーション)を一気飲みする。

 仕留め損なった女戦士(アマゾネス)をオッタルは見送る事しか出来ず、その代わりに、眼前の狼人(ウェアウルフ)を睨む。

 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】……!」

 

「おい、この猪野郎。手前(てめえ)、何をしているのか分かっているんだろうなぁ、あぁ!?」

 

 その返答は簡潔だった。

 大剣の一閃。

 ベートは顔の刺青を歪めると、それを大きく回避。後方のティオナ、そしてアイズの下まで下がり合流しようとするも、猛追撃がベートに迫る。

 派閥(ファミリア)の中で最も脚の速いベートだったが、二つもの階位が離れていてはそう上手くいかない。徐々に回避は追い付かなくなり、遂にその切っ先が獣人の首筋を捉える。

 

「させないわよ!?」

 

 だがその寸前で、高速で飛来してきた湾短刀(ククリナイフ)が大剣に直撃、軌道を逸らす。

 

「ティオネ!」

 

 アイズが、参戦してきた女戦士(アマゾネス)の名前を叫ぶ。

 土煙が巻き起こり、それは迷宮構造(ダンジョン・ギミック)の『靄』と混ざる。さしもの第一級冒険者であろうと、視界が完全に遮られては戦闘の継続は難しく、【猛者(おうじゃ)】は追撃を中止し、【ロキ・ファミリア】の冒険者達は今度こそ合流を果たした。

 そして土煙が晴れた時、【猛者(おうじゃ)】と【ロキ・ファミリア】は睨み合っていた。どちらも戦意を隠さず、緊張が走る。

 だが、静寂が訪れる事はない。

 

「うぁあああああああああ!」

 

『ヴォオオオオオオオオオ!』

 

 奥の広間(ルーム)から届く、二種類の叫喚。

 ティオナ、ティオネ、そしてベートがピクリと反応を示し、顔付きをさらに険しくさせた。

 そして、ティオネがアイズに小声で言う。

 

「此処に来るまでの途中、あの子の仲間を名乗る女の子を保護したわ。女の子も、その女の子が必死に守っていた二人の負傷者も無事よ」

 

 その言葉を聞いて、アイズはホッと安堵の息を吐いた。

 

「……良かった」

 

「今は団長と副団長(リヴェリア)が保護してる。きっと、すぐに来てくれるわ。──それで、あの子はこの広間(ルーム)の奥に居るのね?」

 

「うん」

 

 ティオネの問いに、アイズは頷いた。

「そう……」と言ったティオネはキッと猪人(ボアズ)の武人を睨みながら、妹と仲間の狼人(ウェアウルフ)に言う。

 

「四対一とはいえ、相手はあの【猛者(おうじゃ)】よ。しかも何の冗談か、アイツは私達を通すつもりがないらしいわ。本気でね。どうする?」

 

 その質問に、二人は即答した。

 

「決まってる。押し通る!」

 

「当たり前の事を聞くんじゃねえよ」

 

 その頼もしい返答に、ティオネはにやりと口角を上げた。

 そして、アイズに囁く。

 

「私達が絶対に隙を作る。アイズ、あんたは先にあの子の所に行きなさい」

 

「……分かった。その、ごめん……」

 

 アイズは金の瞳を伏せ、謝罪した。

 仲間達の強さを疑う訳ではないが、ティオネが言った通り、相手はあの【猛者(おうじゃ)】だ。さらに言えば、三人の階位はLv.5。Lv.7の【猛者(おうじゃ)】とは二つも階位が離れている。苦戦は必至となるだろう。

 だが、そのアイズの謝罪をティオナは受け取らなかった。大双刃(ウルガ)で空気を切り裂きながら、こう言った。

 

「こういう時はね、アイズ! 『ありがとう』って言って欲しいな!」

 

「……うん。ありがとう、皆!」

 

「どういたしましてっ!」

 

 ティオナは笑顔を浮かべると、アイズのお礼を受け取った。そして、

 

「行っくよー!」

 

 威勢よく飛び出した。

 弓から放たれる矢のように飛んでいく女戦士(アマゾネス)を、彼女の姉は「この馬鹿ティオナ!」と怒声を上げて追い掛ける。すぐに戦闘が再開し、剣戟の音が響く。

 

「おいこら、このバカゾネス共!?」

 

 それに本当の罵声を出したのは、ベートだった。

「チッ」と舌を打った狼人(ウェアウルフ)の戦士は、アイズを見る事なく、参戦の時機を伺いながら言う。

 

「【猛者(おうじゃ)】と戦えるのは歓迎だ。──だがな、あの只人をお前は本当に助けたいと言うのか?」

 

「……はい」

 

「それは何故だ?」

 

 理由を問われ、アイズは戸惑った。

 超実力主義を掲げるこの狼人(ウェアウルフ)が、ただの悪人でない事はアイズも知っている。恐らくは、彼なりの考えがあるのであろう事も、何となく察している。

 だがそれを加味しても、今のベートは、アイズの知っているベート・ローガではないように感じられた。

 

「フィンもお前も、あの只人に随分と拘っている。それは何故だ?」

 

「何故って……」

 

「俺には──()には理解出来ないな。あの只人は無知蒙昧、大言壮語を周囲に吹聴するただの愚か者、『道化』でしかないというのに。そうだと言うのに、お前達はあの『道化』に過度な期待を押し付けている」

 

 普段の粗暴な口調からは考えられない、落ち着いた口調。一人称も変わっている。纏っている雰囲気も、違う。

 別人なのではないかと、アイズがそれに混乱する中、女戦士(アマゾネス)達と【猛者(おうじゃ)】の戦闘は激化していく一方だった。だがよく見れば、徐々にではあるが女戦士(アマゾネス)達が追い込まれている。

 会話する時間的余裕は、ない。だがベート・ローガは話を続けた。

 

「お前はあの只人に、何を望んでいる?」

 

 その静かな問い掛けに、アイズは。

剣姫(けんき)】アイズ・ヴァレンシュタインは。

 或いは、ただのアイズ・ヴァレンシュタインは。

 また或いは、『彼女』は。

 

「……」

 

 すぐに答える事が出来なかった。

 呆然とするアイズを見ても、しかし、ベート・ローガは責めなかった。

 琥珀色の瞳を細め、ただ前を見据え、言う。それは彼なりの助言だった。

 

「この先にあるのは、何人たりとも立ち入る事が赦されない『舞台』だろう。そして私達は、ただの『観客』でしかなく、『舞台』が終わるまで観るしかない」

 

「……」

 

「お前がそこに行こうとするのなら、自分の立場と、何を本当にしたいのかを今一度考え直す事だ」

 

「……ベート、さん。貴方は……」

 

「──私が奴の姿勢を崩す」

 

「……っ」

 

「私から言えるのはこれだけだ」

 

 そう言うと、狼人(ウェアウルフ)の戦士は獣の如き雄叫びを上げた。派閥(ファミリア)最速の脚力を以て参戦する。

 

「おっそーい!?」

 

 ティオナが文句を言う中、ベートはそれを無視した。獰猛な【凶狼(ヴァナルガンド)】が捉えるのは『最恐』のみ。

 

「よぅ、猪野郎。俺達にその座を明け渡す準備は良いか、あぁ!?」

 

 その挑発に、【猛者(おうじゃ)】は大剣の一撃を以て答える。

凶狼(ヴァナルガンド)】のメタルブーツと【猛者(おうじゃ)】の大剣がぶつかり、激しい火花を飛ばす。

 そこに【大切断(アマゾン)】と【怒蛇(ヨルムガンド)】の二人が加勢し、【ロキ・ファミリア】の冒険者達は高度な連携を見せる。

 だが、三人の猛攻撃を受けて尚、【猛者(おうじゃ)】は倒れなかった。第一級冒険者を三人相手取り、互角の戦いを見せている。

 だが、数的不利なのには変わりない。さしものオッタルも、全ての攻撃を捌くのは不可能だった。

 そして、アイズ達の目的は撃破ではない。

 

「──仕掛けるぞ!」

 

 僅かに姿勢を後ろへ揺らした【猛者(おうじゃ)】。それを、狼人(ウェアウルフ)の琥珀色の瞳は見逃さなかった。

 仲間の女戦士(アマゾネス)達に号令を掛ける。

 刹那、【ロキ・ファミリア】の冒険者達は打って出た。

 

「喰らえーッ!」

 

「喰らいなさいッ!」

 

大切断(アマゾン)】によって大双刃(ウルガ)が走り抜け、【怒蛇(ヨルムガンド)】の湾短刀(ククリナイフ)が交差する。

 

「ぬぅ……!?」

 

 初めて、【猛者】が苦し紛れの声を出した。

 絶対防御に綻びが生まれる。

 

「喰らいやがれえええええええ!」

 

凶狼(ヴァナルガンド)】が叫び声を上げながら、渾身の蹴りを放った。

 そしてその一撃は、【猛者(おうじゃ)】の絶対防御を破るのに至る。

 猪人(ボアズ)の巨体は吹き飛ばされ、そのまま背中から壁面に直撃。刹那、壁は地響きと共に崩落を始めた。

 

「今だよ! 今しかない! 行って! アイズ!」

 

 ティオナがそう言った時には、アイズは駆け出していた。

 

「ありがとう!」

 

 仲間達に礼を言いながら、長方形の広間(ルーム)を走り抜ける。そして【猛者(おうじゃ)】が守護していた通路口に飛び込むと、その先へ疾走するのだった。

 

 ──アイズ・ヴァレンシュタインが広間(ルーム)を出ていった、その直後。

 

 瓦礫の山を粉砕し現れるは、【猛者(おうじゃ)】オッタル。全身という全身に傷を負っている猪人(ボアズ)の武人は、しかし、戦意を無くしていなかった。

 己が守護していた通路口を見、金髪金眼の剣士を追い掛けようと試みる。

 

「そうはさせないわよ」

 

 だが【猛者(おうじゃ)】の前に、【怒蛇(ヨルムガンド)】が立ち塞がった。両隣に居るのは、【大切断】に【凶狼(ヴァナルガンド)】。三人とも視線を鋭くし、オッタルの一挙一動にしている。

 立場が逆転したのだと、オッタルは悟った。

 

「──やれやれ、これは困ったな」

 

 緊張に満ちた広間(ルーム)に、一声が投じられる。

 

「フィン……!」

 

「やぁ、オッタル。こうして君と、ダンジョンの中で会うのは随分と久し振りだね」

 

 オッタルが頬を歪めると、フィンは旧来の共に再会したかのように、にこやかな笑みを浮かべた。

 その背後には絶世の美貌を持つ王族(ハイエルフ)。そしてさらに後ろに居るのは、身体に不釣り合いな大きなナップサックを背負っている女子だった。

 

「それでオッタル、どうする?」

 

 小人族(パルゥム)の少年による、要領を得ない質問。

 その質問の意味を、オッタルは正しく理解し──構えていた大剣を静かに下ろし、そのまま納刀した。

 

「各員に告ぐ。武器を下ろすんだ」

 

「で、ですが団長!? コイツは──」

 

「二度は言わないよ、ティオネ」

 

「────失礼、しました」

 

 ティオネは己の非礼を言うと、湾短刀(ククリナイフ)を仕舞った。姉に倣い、ティオナも続く。最後にベートが「チッ」と舌を打ち団長の指示に従った。

 

「ありがとう。済まないね、皆」

 

 フィンはそう言うと、「さて」とオッタルに近付いた。

 

「此処を通して貰っても良いかな、オッタル?」

 

「……好きにするが良い」

 

「ありがとう。それなら、遠慮なく。──ティオナ、先に行ってて良いよ。君も彼の事が気になるだろう」

 

「うん!」とフィンの声掛けにティオナが返事する。そして駆け出そうと……したが、その直前に身体を反転。フィンの後ろにいる少女の所に行き、膝を屈伸させて目線を合わせた。

 

「ねっ、君!」

 

「な、何でしょう……?」

 

 戸惑う少女に、ティオナは言った。

 

「君、ベルのサポーターだよね。リリルカちゃんでしょ?」

 

「それは、そうですが……。その、どうして私がリリルカ・アーデだと分かったのですか?」

 

「……? だって私達、一度会ってるじゃん!」

 

 何を言っているの? とティオナは首を傾げる。

 それに対し、少女──リリルカ・アーデは驚愕の表情を浮かべた。確かに数日前、二人はダンジョンの中で会話をしている。だがその時のリリルカは自身の変身魔法【シンダー・エラ】により、犬人(シアンスロープ)の姿になっていた。ローブのフードを目深に被っていた為、髪色や瞳の色は本来の自分の物であり、今化けている白髪紅眼のヒューマンとはかけ離れている。

 そのリリルカを、ティオナは何て事のないようにあっさりと見破ったのだ。これが第一級冒険者なのかとリリルカが戦慄する中、彼女の内心を知る由もないアマゾネスの少女は「リリルカちゃん」と再度声を掛けた。

 

「あたしと一緒に行こう! その方が早いよ!」

 

 言いながら、ティオナは手を差し伸べた。

 そして、リリルカはその手を迷う事無く強く摑む。

 

「お願いします! どうかリリを、あの人の所へ!」

 

「うんっ! それじゃあ──行っくよー!」

 

 ティオナは笑顔でリリルカの小さな身体を引き上げた。

 

「えっ」

 

 素で声を出すリリルカは、ふわりと宙を舞い。そのまま地面へ落下する。

 視界が揺れるリリルカだったが、地面とぶつかる事はなかった。

 ティオナがリリルカの身体を俵担ぎの要領で、ギシッと固定していた為だ。

 これは何か既視感があるような具体的には先程何処ぞの女剣士にお姫様抱っこをされたがと困惑リリルカだったが、この場にもう一人居るアマゾネスと目が合った。

 

「あー……愚妹(ぐまい)が、ごめんなさいね?」

 

「えっ」とリリルカが反射的に聞き返した時には遅かった。

 

「レッツ、ゴー!」

 

「きゃああああああああああああ!?」

 

 ダンジョンに響く悲鳴。

 通路口に消えたティオナとリリルカの二人を、ティオネはこめかみを押さえながら見送った。

 

「ティオネとベートも先に行ってて構わないよ」

 

 フィンの声掛けに、しかし、女戦士(アマゾネス)狼人(ウェアウルフ)はこう答える。

 

「いえ、私は団長と一緒に居たいので」

 

「勘違いすんな。俺は雑魚に興味ねえ。アイズとあのバカが居れば向こうは良いだろうが」

 

「それに」とベートは猪人(ボアズ)の武人を睨み付けながら言った。

 

「この猪野郎がいつまた動くか分かんねえからな」

 

「……俺にはもう、お前達と敵対する意思はない」

 

「ハッ、その言葉を信じるのは頭がお花畑で出来ている奴だけだろうよ」

 

 オッタルの言葉を、ベートは鼻で笑った。

 そこで、小人族(パルゥム)の少年が動いた。おもむろに歩き出した彼は、猪人(ボアズ)の武人にゆっくりと近付く。

 

「【ロキ・ファミリア】団長、フィン・ディムナが【フレイヤ・ファミリア】団長、オッタルに問う。何故僕達と、この時間、この場所で矛を交えた?」

 

「何故とは面白い事を言う。敵を討つ事に、時と場所を選ぶ道理はない。違うか」

 

「尤もだ。それでは、重ねて問おう」

 

 フィン・ディムナは碧眼を細めて、己の倍以上の身体を持つ武人を見上げた。臆する事なく、堂々と。体格差などただのハリボテだと告げるその姿は、正に、小人族(パルゥム)の『光』そのもの。

 

「今回のこれは、派閥の総意──ひいては、君の主の神意と捉えて良いのだろうか? 女神フレイヤは、僕達【ロキ・ファミリア】と全面戦争を望んでいるのだろうか?」

 

「……」

 

「もしそうであるのなら、僕は(ただ)ちにこの薄暗い迷宮から地上へ戻り、僕達の主神にして計略の女神たるロキに報告しなければならない」

 

 オッタルの顔付きが険しくなる。

 ベートとティオネも息を呑む中、唯一、小人族(パルゥム)の少年と長い付き合いのある王族(ハイエルフ)だけは態度を変える事なく悠然と傍に居た。

 

「だが──」

 

 重苦しい沈黙の中、小人族(パルゥム)の少年はそこから一転、明るい口調で言った。

 

「もしこれが僕の勘違いであるのなら。僕はこの勘違いを悪戯好きの主神にバレないよう振る舞うだろう」

 

 そこに、リヴェリアが喉奥で静かに笑いながら乗っかる。

 

「何て言うつもりだ、フィン?」

 

「そうだね──『猪かと思ったら牛頭人身の怪物だった! 靄の所為で見間違えてしまった!』なんて、どうかな」

 

「傑作だな、それは。あの女神も腹を抱えて笑うに違いない」

 

「そうだろう? 最近出来た愉快な友人を真似てみたのさ」

 

 笑い合う小人族(パルゥム)の少年と、絶世の美貌を持つ王族(ハイエルフ)

 二人のやり取りをティオネが羨ましそうにしている中、ベートは放っていた戦意を完全に霧散させた。

 そして、笑いを収めたフィンが「さて、返答は?」と改めて尋ねた。

 小人族(パルゥム)の碧眼と、猪人(ボアズ)の錆色の瞳が交錯する。

 そして、先に視線を逸らしたのは猪人(ボアズ)だった。

 

「……俺の独断だ。勘違いをさせたのなら、謝罪しよう。俺は元々、口が達者ではないからな。俺に非があるようだ」

 

「それはよく知ってるよ。何せ、僕達は『腐れ縁』だからね」

 

「……生意気な小人族(パルゥム)め」

 

 オッタルは少しだけ口元を緩めると、静かに歩き出した。想い人を馬鹿にされたと思ったティオネが鬼の形相と化す中、それを無視し、フィンの横を素通りする。

 

「お前達が徒党を組む以上、俺に勝ち目はない」

 

「そう言って貰えると助かるよ」

 

 フィンが苦笑を返す。

 それ以上言葉を交わす事はなく、斯くして、【ロキ・ファミリア】と【猛者(おうじゃ)】の予期せぬ遭遇は幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 背後で宿敵達が動いたのを、オッタルは感知する。

 そして、らしくなく、猪人(ボアズ)の武人は溜息を一つ落とした。

 

「申し訳ございません、フレイヤ様」

 

 謝罪相手は、自らが仕えている美神。

 己の力不足をオッタルは恥じ、敬愛している主神からの神命を完全に果たす事が出来なかった己自身に怒りを抱いていた。

 

「フレイヤ様……今も、ご覧になられているのでしょう。()の者の戦いを」

 

 ──ええ、もちろんよ。オッタル。貴方はよくやってくれたわ。

 

 オッタルはフレイヤが微笑を携えながら答えたのを、確かに聴いた。

 そして、オッタルの耳は拾う。

 雄と雄の魂の咆哮を。雄叫びを。勝利を摑み取らんとする、勝者でもなければ敗者でもない、まだ何者でもない者達の産声を。

 

「覚悟は見た。そして、『泥』を与えた」

 

「ならば」とオッタルは続ける。

 それは、激励。

 それは、冒険者の『頂天』たる【猛者(おうじゃ)】が贈る発破だった。

 

「次にやるべき事は決まっている。お前が本当に俺のもとに来ようとするのなら、この戦い、乗り越えてみせろ。さすれば、俺達の道は再び交わるだろう」

 

 そして最後に、オッタルは言った。

 

「──『冒険』を。『英雄』ならば、『冒険者』ならば『冒険』をするが良い。これは、お前が刻む物語だ。誰にも譲らず、自分の物だと声高に主張し、前に進む事だけを考えろ」

 




次話予告──『2ベル』。


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2ベル

2ベル:舞台に於いて、開演直前に鳴るベルの事。本ベルとも言う。


 

 ──物語は、リリルカ・アーデがベル・クラネルの命令により離脱した刻まで遡る。

 

 

 

§

 

 

 

「うわ……、うわああああああああああ!?」

 

 背後で聞こえる、叫喚。遠ざかっていく足音。

 それを背に受けたベル・クラネルは顔を大きく歪めた。そこに普段ある笑みはなく、悔恨の念に駆られている。

 

「……ごめん、リリ」

 

 その謝罪を受け取る人間は既に居らず、行方を失ったそれは、誰にも聞かれる事なく溶けていった。

 

「ほんと、格好悪いなぁ……」

 

 自嘲の言葉を発し、自嘲の笑みを浮かべる。

 そこに、普段のベル・クラネルは居ない。居るのは、嗚呼、『道化』という仮面を外した少年のみ。

 少年は──『彼』は嘆いていた。自分の力不足さを。

 仲間の少女に逃げろとしか言えなかった自分自身に、怒りさえ抱いていた。

 だが、『彼』が感傷に浸っていられる時間はなかった。

 

『ヴォオオオオオオオ──ッ!』

 

「……ッ!?」

 

 真上から振り下ろされる大剣。

 ベルはそれを右に大きくステップする事で回避した。刹那、地面が地響きと共に(えぐ)れる。

 途轍もない破壊力を持つその攻撃に、ベルは冷や汗を流した。

 

『ヴルゥゥゥウウウウ……!』

 

 喉を鳴らし、ミノタウロスが低く唸る。

 視界を遮る『靄』を貫通して送られてくる血走った紅い眼。ベルはそれを真正面から見返す。

 

「逃がしてはくれなさそうだな……」

 

 とはいえ、逃げるという選択肢はベルにはない。

 もしベルがミノタウロスから逃げおおせたとしても、この付近にはまだ仲間の少女が居る。ベルとは違い、リリルカに戦闘力は皆無。襲われたら、必ず死ぬ。

 それに、ベルが守るべき相手はリリルカだけではない。

 

(私が逃げたら、あの冒険者達が襲われる。意識が無い彼等に、助かる道理はない)

 

 ちらりと、ベルは後方の枯木を一瞥した。そこには、ベル達が助けた冒険者達が居る。万能薬(エリクサー)を飲ませた為一命は取り留めているが、それでも危険な状態なのは変わらない。すぐにでも治療師(ヒーラー)に診て貰う必要がある。

 幸い、ミノタウロスはまだ彼等に気が付いていないようだった。その暗褐色の瞳が今映しているのは、ベルのみ。

 

「これは困ったな」

 

 その呟きに答えるように、ミノタウロスが大きく吼える。

 

『ヴォオオオオオオオオ──ッッ!』

 

 ベルは意識を切り替え、愛剣《プロシード》を構え直す。

 そして、次の瞬間。

 ミノタウロスが『靄』を吹き飛ばしながら突進してきた。

 防御では受け切れないと判断し、ベルは左に大きく跳躍、それを躱す。だが猛牛の攻撃はそれで終わらず、身体を反転させると、今度は大剣を振るった。

 その巨体に似合わぬ速度に瞠目しながらも、ベルはその一撃を長剣で受け流す。

 激しい火花を飛び散らせながら、金属の塊が地面に直撃した。

 鼓膜に響く轟音に顔を顰めながらも、ベルは反撃に出る。大剣を受け流され重心が前に行っている猛牛の懐に入り、斬撃を入れた。そのまま戦闘領域から離脱し、少し乱れた呼吸を整える。

 

「分かってはいた。分かってはいたが……強い!」

 

 数度剣を交え、ベルはミノタウロスの化け物じみた強さを感じ取っていた。

 

(やはり、リリを避難させて正解だった。とてもではないが、そこまで視る余裕がない)

 

 一筋の冷や汗が流れる。

 

(『神の恩恵(ファルナ)』を背中に宿している私達と違い、モンスターに階位や能力値(ステイタス)という概念はないが……これに当てはめた場合、『基本アビリティ』の殆どが私よりも上を行っている)

 

 集めた情報を統合し、結論を出す。

 流石、本来は『中層』に出現するモンスターだと感心すらしていた。

 

(唯一、ほんの僅かではあるが……私の『敏捷』の方が上か。そうでなければ、今頃私はあの大剣に斬られていただろう)

 

 さらにベルは思考する。

 

(それにこのミノタウロス……戦い方を明らかに知っている。今までも何度か理知を宿し掛けたモンスターと戦ってきた事はあるが……このミノタウロスはまたそれとは違う。そのように感じる)

 

 それは言わば、擬似的な『技』と『駆け引き』。

 そして、浮上してくる『違和感』。

 それは時間の経過と共に大きくなり、放置してはならないと脳が警告してくる。

 

調教(テイム)……? いや、そうだとしたら何故調教師(テイマー)が付近に居ない?)

 

 調教について専門的な知識をベルは持ち合わせていないが、調教師が付近に居なければ調教されたモンスターは指示に従わないという事は分かる。

 

(どちらにせよ、何者かの思惑を感じずにはいられない。一体、誰が? 何の目的で? それに……この、何処から送られてきているのかちっとも分からない視線は何だ?)

 

 遥か頭上から視られているような、そんな錯覚。

 だがいくら考えようとも、ベルは答えに辿り着けなかった。そこに至るまでの必要な情報が欠けている。

 

『ヴァアアアアアアアアアアア──ッッ!』

 

 考え事をしている余裕はあるのかと、ベル目掛けてミノタウロスが突進してくる。

 ベルは前方に身を投げ、そのまま前回転した。猛進してくる雄牛、その股の間を潜り抜ける。

 

『ヴォ!?』

 

 ミノタウロスが初めて、驚愕の声を出す。

 目標を見失った猛牛は急ブレーキし、慌てて背後を振り返った。

 だがその時には、ベルは既に剣を振り抜いていた。

 

「せああああああッ!」

 

『魔石』があるであろう胸部に、ベルは跳躍。渾身の突き技を放つ。

 普通のモンスターなら、この攻撃で『魔石』を穿(うが)たれ、ベルの勝利となっていただろう。

 だが、ミノタウロスにはその常識が通じない。

 

「……なッ!?」

 

 深紅(ルベライト)の瞳を大きく見開かせ、ベルは驚愕した。

 ベルの愛剣《プロシード》はモンスターの『魔石』を穿つ所か、その皮膚さえ裂いていなかったのだ。

 

(攻撃がまるで通じない……!?)

 

 元より、《プロシード》は斬れ味よりも耐久が優れている武器である。だがそれを加味しても表皮すら破る事が出来ないとなると、ミノタウロスの『耐久』が桁違いである事をベルは痛感せざるを得なかった。

 

(このミノタウロス、私の想定を軽々と凌駕している……!)

 

 柄を握っている右手から全身に伝わる振戦に、ベルは顔を歪めた。

 そしてベルが地面に着地した瞬間に出来た隙を、ミノタウロスは見逃さない。

 大剣を横凪に一閃させる。

 その一撃をベルは両足を大きく広げ、且つ上半身を前方へ倒す事で躱した。頭頂部の髪が数本裂かれる。

 だがそれに意識を割く余裕はなかった。

 

「──」

 

 ゾクッ、と悪寒がベルの背中に走る。

 直感を信じ、ベルは両脚に力を込めて前転。刹那、ベルの背後で、ブンッ、という空気を裂く音が出た。次いで、地響きが耳朶を打つ。

 

(危なかった……! 今のは、本当に危なかった……!)

 

 地面から立ち上がり、直剣を構え直しながらベルは大量の冷や汗を流す。あとほんの少しでも判断が遅れていたら、上半身と下半身が分断されていただろう。

 

(くそっ、体力の消耗が激しい)

 

 息を整えながら、ベルは喉の渇きを水の代わりに回復薬(ポーション)で癒す。

 攻撃も、防御も、回避も。

 ベルは全ての行動(アクション)を全力で行うことを強いられていた。

 言葉で言うのは簡単だが、実際に行うとそれが如何に大変なのか、それは本人でなければ分からない。

 

(私じゃあ、このミノタウロスの肉を断つ事が出来ない。せめて《プロミス─Ⅱ》があれば……いや、あったとしても、通じるかどうか……)

 

 ミノタウロスの猛攻撃をいくら必死の思いで掻い潜み懐に入ったとしても、こちらの攻撃が通らないのであれば意味がない。

 

(これじゃあ、ジリ貧だ……!)

 

 深紅(ルベライト)の瞳が映す猛牛に、疲れは見られない。

 闘志は衰えを見せず、寧ろ、その殺意は攻防を繰り広げる度に濃くなっている。

 

『ヴォオオオオオオオオオオ──ッッ!』

 

 殺意を純粋な暴力に変換し、猛牛が突進してくる。ベルはそれを左に大きくステップする事で回避した。

 だが、モンスターの攻撃はそれで終わらない。

 その巨躯からは考えられない程の軽快な動きで、身体を反転、再度突進する。

 

「……ッ!」

 

 ベルは歯噛みしながらも、今度は右に身を投げ出した。直後、それまでベルが立っていた場所に猛牛が襲い掛かる。

 躱されたミノタウロスはその代わり枯木にぶつかるも、まるで意に介さない。文字通り、全てを破壊しようと嵐の如く唸る。

 ベルはそれを耐え忍びながら、ある決断をした。

 

「──ッ! こっちだ、ミノタウロス!」

 

 大剣を受け流し、ベルが叫ぶ。そしてぴょんと兎のように跳ねると、大きく距離を取った。

『靄』で両者の視界が遮られる、その前に。

 ベルは再度、ミノタウロスに声を掛ける。

 

「こっちだぞ、ミノタウロス! 私は此処に居るぞ!」

 

 そう言うや否や、ベルはミノタウロスに背を向けて走り始めた。

『靄』の中を突っ切り、全速力で駆け抜ける。

 

『ヴォォォ──!』

 

 すぐに、ミノタウロスは雄叫びを上げて猛追を始めた。

 地面を大きく揺るがす足音が、ベルの耳に届く。

 だが、ベルに焦りはない。寧ろ目論見が上手くいったのだと、内心では安堵していた。

 

(──これで良い。これでミノタウロスが、リリの所に行く可能性は無くなった。幸いにも、私はどうやら『餌』として数えられたという事だ)

 

 ベルとミノタウロスの鬼ごっこが始まる。

 

(思えば、私は何時だって逃げているな)

 

 自嘲の笑みを浮かべる。

 ベルの──『彼』の求める英雄像とは程遠い、逃走劇。やはり格好付けるのは自分には難しそうだと、『彼』はつくづく思った。

 

(とはいえ、すぐに終わらせるつもりはない)

 

『敏捷』に限ってはベルの方が僅かに上であり、殺し合いでは劣勢を強いられるベルではあるが、こと鬼ごっこに於いては対等だった。

 さらにベルは、次の一手に出る。

 

「済まない、鍛冶師よ。外させて頂く!」

 

 隣の広間(ルーム)へ通じる廊下を走りながら、ベルは胸部のプレートアーマーの留め具を外した。それが地面に落ちるのも構わず、続いて、両肘や両膝といった関節に着けている防具も外す。

 防具を全て外したベルが纏うのは、勝色の戦闘衣のみ。少しでもミノタウロスとの距離を離す為の行動と、選択。

 だが当然、これにはリスクがある。

 もし一撃でもベルがモンスターから攻撃を喰らった場合、それは致命傷となり得る。否、致命傷と言わず即死の可能性だってある。

 

(リスクは承知! 元より、私の装備は軽装。防具はあってないようなもの! それなら、防御力を犠牲にしてでも『敏捷』に賭けた方が良い!)

 

 この行動と選択が正しかったのか。それは現段階では分からない。結果だけが真実となる。

 通路を駆け抜け、広間(ルーム)に入る。数秒後、ミノタウロスもまた広間(ルーム)に入った。

 

『ヴォオオオオオオオ──!』

 

 背後で聞こえる怒声。

 ベルはそれを無視し、ミノタウロスと絶妙な距離を維持しながら別の通路へ入った。

 300(メドル)はありそうな一本道を、ベルは一刻でも通り抜けようとする。

 その時。

 ヒュウウウウウ──、という空気を裂く音をベルの耳は拾った。

 気の所為かと思ったそれは段々と大きくなっていき、ベルに近付いているようであった。

 ベルが顔だけを振り向かせると、同時。深紅(ルベライト)の瞳が、迫り来る銀の凶刃を捉える。

 

「ぐあッ!?」

 

 痛みの声を上げ、ベルは倒れた。足が絡まり、顔から地面にぶつかる。

 

(一体……何が……?)

 

 右脇腹に激しい熱があった。そして、そこから生じる、言葉では言い尽くせない痛み。

 点滅を繰り返す視界。瞬きを何度も行ったベルは、自身の身体を貫くそれを見た。

 

「大剣……?」

 

 呆然と呟いたベルは、そのまま深紅(ルベライト)の瞳を闇に向ける。

 その向こうでは、ミノタウロスが中途半端な姿勢で固まっていた。そう、それはまるで、何かを思い切り前方に投げたような。

 そして、ベルは瞬時に理解する。

 速度では自分に分が悪いと悟ったミノタウロスが、この直線を利用して、大剣を投擲したのだ。人間とは違い、並外れた膂力を持つモンスターによるその遠距離攻撃は、瞬く間に彼我の距離を詰めた。

 モンスターには有るまじき思考力。そしてそれを実現せんとした判断力に、実行力。

 

「かはっ……ごふっ……!」

 

 状況を理解した瞬間、ベルは口から大量の血を吐き出した。

 

(急所は……外れている……)

 

 地面から立ち昇る『靄』が視界を遮ったのと、何より、それまであった両者の物理的距離が最悪の事態を回避させた。

 ほんの少しの誤差。されどその誤差により、ベルは即死を免れた。

 

「はあ……はあ……ごふっ……」

 

 壁に手を当てえずきながら、緩慢とした動きで立ち上がる。地面には夥しい量の血の海が広がっていた。

 全血液量の30パーセント以上が短時間で失われると血圧低下となり、40パーセント以上の出血では意識が無くなり生命の危険があると言われている。

『恩恵』持ちの冒険者であれど、その身体はあくまでも人間であり、ましてや、階位がLv.1のベル・クラネルはその理の内に居る。

 すぐにでも止血措置をはじめとした、或いは、回復薬(ポーション)による応急処置が必要な状態。

 だが状況が、それを決して許しはしない。

 

『ヴォオオオオオオ……──』

 

 遠くからベルの様子を眺めていたミノタウロスが、生存を確認。今度こそ息の根を止めようと突進を再開した。

 これまでの努力が水の泡となり、彼我の距離が瞬く間に無くなっていく。

 

(くそっ……!)

 

 絶体絶命の窮地。

 だがそれでも、ベルは生への執着を決して手放さなかった。

 左脇腹に刺さっている大剣、その柄を右手でグッと強く握る。そして、それを勢いよく抜いた。

 

「ぐぅぅぅぅぅぅ!?」

 

 顔を大きく歪めながらも、ベルは立っていた。傷口からは蓋が無くなった事により出血があり、血の海を益々広げていく。

 全身という全身から発汗しながら、されどベルはそんな事はどうでも良いと言わんばかりに、迫り来る猛牛だけを瞳に映す。

 

「……せぁああああああああああああああああ!」

 

 感覚が無くなりつつある両手で大剣の柄を握り直し──力を振り絞り、ミノタウロス目掛けて投げる。

 

『ヴォオ!?』

 

 自分が投擲した大剣がまさか返ってくるとは思っていなかったのだろう。ミノタウロスは驚愕の声を上げ回避行動を取ろうとするも、狭い一本道に於いては、モンスターの巨体が逃げられる場所はなかった。

 また、走る事に全集中していた事もあり、ミノタウロスは判断を一瞬遅らせてしまう。

 その結果、ミノタウロスは自ら進んで飛来してくる大剣と激突する事になった。

 

『ヴァアアアアアアアアアアア!?』

 

 ミノタウロスが上げる、初めての悲鳴。

 だがベルには、それを喜ぶ余裕は一切無かった。

 今のうちだと感覚のない身体を動かし、通路の壁を伝い歩く。

 数十秒後、ベルはようやく通路を渡り終えた。

 

『ヴァァアアアア……!』

 

 通路の奥から聞こえてくる、ミノタウロスが痛みで苦しむ鳴き声。

 それをぼんやりと聞きながら、ベルは群生している枯木の陰に身を潜ませた。

 

「はあ……はぁ……──」

 

 両肩を大きく上下に動かし、紫色に変色した唇で呼吸を繰り返す。その度に激痛が脳髄を走り、ベルは狂ってしまいそうだった。

 痙攣を起こしている右手をレッグホルスターに向かわせ、悪戦苦闘しながらも、一本の試験管を取り出す。

 万能薬(エリクサー)

 友人の治療師が持たせてくれた、万が一の回復手段。

 

「……」

 

 容器に入っている液体、それをベルは一気に飲み干した。

 刹那、効果がすぐに現れる。

 それまであった激痛は無くなり、左脇腹の傷口も塞がり、体力も大きく回復した。

 全回復。

 

(ありがとう……)

 

 心の中で、自分を救ってくれた少女に感謝の言葉を言う。もし彼女が居なければ、ベルはとうの昔に死んでいただろう。

 だが、その助けもここまでとなる。

 貰った時は数本レッグホルスター入っていた万能薬(エリクサー)も、今回ので最後。厳密にはあと二本あるが、それはリリルカに託している。聡いあの支援者なら、使うべき時に使ってくれるだろう。ベルにはその確信がある。

 

「さて、と……」

 

 枯木の幹に手を当てながら、ベルはゆっくりと立ち上がった。身体の動きに支障はないのを確認する。

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

 そして遂に、モンスターが唸り声を上げながら広間(ルーム)へやって来た。

 先程まで無かった新たな傷を、ミノタウロスは携えていた。左眼が大きく抉れており、その瞳は光を映していない。

 ベルの必死の行動は、確かにミノタウロスに届き、隻眼にさせていたのだ。

 

『ヴァルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア──ッッッ!』

 

 怒りの咆哮。

 ベルはそれを肌で感じながら、勝利の女神はまだどちらにも笑っていない事を確信する。

 そしてミノタウロスはベルを視認すると、助走をつけて大きく跳躍。その巨躯で矮小な人間を押し潰そうとする。

 

「来るか、ミノタウロス!」

 

 愛剣《プロシード》を構えたベルは頭上から迫り来る『怪物』を見上げ、睥睨してくる暗褐色の瞳を、自身の深紅(ルベライト)の瞳で返した。

 そしてギリギリの所で、片足に力を込め、横に大きくステップを取り、空からの攻撃を躱す。

 ズドォン! という衝撃音。一瞬、『靄』が吹き飛ぶも、すぐに土煙が巻き起こる。

 

「ああああああああああ!」

 

 着地し、ミノタウロスが硬直した瞬間を見逃さず、ベルは反撃に出た。懐に侵入し、渾身の回転攻撃を放つ。

 だがその一撃は大剣で受け止められ、金属同士が衝突すると、激しい火花が飛び散る。

 膠着状態は終わり、そのまま流れるようにして剣戟に移る。

 ミノタウロスの攻撃をベルは受け流し、ベルの反撃をミノタウロスは防御する。

 命を賭したそのやり取りは正しく剣舞。

 広間(ルーム)から広間(ルーム)、通路から通路へと場所を変え、両者は何度も激突する。そして場所は正規ルートから既に外れていた。

 

(──相手が隻眼の状態であっても、劣勢は変わらずか!)

 

 視界の半分が失われているとは思えない程、ミノタウロスの立ち回りは凄まじく、ベルは戦慄せざるを得なかった。

 万能薬(エリクサー)という回復手段を用いたベルとは違い、ミノタウロスはその身一つと大剣で戦っている。

 

「流石、と言っておこう!」

 

『ヴォオオオオオオオオ!』

 

 ベルが心からの称賛を送ると、お前もな! と言わんばかりの返事と共にタックルがされる。それを寸での所で回避しながら、ベルは己の心が沸き立つのを確かに感じていた。

 

(嗚呼──やはり……私は、『僕』は! このミノタウロスに……!)

 

 昂る感情。抑え切れない『想い(いし)

 意図的に蓋をしていたそれが、ゆっくりと、今正に取れようとしていた。

 だが。

 

「お、おい!? あれってまさか、ミノタウロスじゃねえか!?」

 

 刹那。

 ベルはそれに蓋をして我に返る。ミノタウロスの剛撃を受け流し、後方へ大きく後退。

 声がした方へ顔だけ向けると、四人組の冒険者達が呆然と立ち尽くしていた。

 

「ま、間違いないですよ、リーダー! ミノタウロスです!」

 

「何で此処にミノタウロスが居るんだよ!?」

 

「知りませんよ!?」

 

 本来此処には居ない筈の『怪物』に、冒険者達は混乱していた。顔を見合わせ騒ぎ立てる。

 そして、それをミノタウロスは雑音だと思ったようだった。ベルから注意を外すと方向転換し、彼等の方へ突進する。

 

「お、おいこっち来んぞ!?」

 

「ど、どうします、リーダー!?」

 

「どうするって言われたって……!?」

 

 迫り来る『怪物』を前に、冒険者達は動けないでいた。突然の異常事態(イレギュラー)に思考が追い付かず、咄嗟の判断すら出来ない。

 無防備を晒す彼等の元へ、ミノタウロスが強襲する。

 

「や、やめ……っ!?」

 

 その懇願は、あまりにも遅かった。

 甚だ不愉快だと言わんばかりに、或いは、お前達はこれだけで充分だと言わんばかりに。

 ミノタウロスはとても雑に大剣を振り、冒険者達の首を刎ねようとする。

 

 ──この時。

 

 ベル・クラネルには三つの選択肢があった。

 一つ目は、ミノタウロスと冒険者達の間に入り、助ける事。

 二つ目は、逆に彼等へミノタウロスを押し付ける事。『怪物進呈(パス・パレード)』とされるこれは、ダンジョンでは冒険者の間で頻繁に行われる事である。だが『命あっての物種』という共通意識が冒険者にはあり、生き残る為には致し方がなく、やるのもやられるのもお互い様という考えがされている。もしベルが彼等へ『怪物進呈(パス・パレード)』を行った場合、ベルは問題なく撤退が可能だ。だがそれは、彼等の命を犠牲にする事と同義である。

 三つ目は、彼等を助けた上で状況を報告、協力を仰ぎ、ミノタウロスと戦うという事。相互不干渉が暗黙のルールとなっている迷宮探索ではあるが、緊急時には協力する事もある。

 ベルには、ミノタウロスの太刀筋がよく視えた。静止しているのではないかと思う程だった。だが少しずつではあるが物体は動き、世界は待ってくれない。

 

(──)

 

 そして。

 ベル・クラネルは、思考の前に身体を動かしていた。

 地面を思い切り蹴り、両者の間に、ベルは入る。

 ガギィィィィン。

 肉体を刎ねる音ではなく、金属が衝突する音が出る。

 

「…………えっ」

 

『…………ヴゥ!?』

 

 冒険者とミノタウロス。両者の喉から出る、驚愕と困惑が混じった音。

 ベルはミノタウロスに笑い掛けた。

 

「どうした、ミノタウロス! お前の相手はこの私だぞ!?」

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

「らしくないな、このような精細さを欠いた一撃など、何にも怖くない! ほら見るがいい、私の剣が、お前の剣をしっかりと受け止めているぞ!」

 

 これまで受け流ししか出来ていなかった『怪物』の攻撃を、ベルは初めて防御していた。

 人語(ことば)は分からずとも、それが挑発なのだとミノタウロスは悟ったのだろう。叫喚を上げると、その瞳に片手剣使いを再度映した。

 

『ヴォオオオオオオオオオ──ッ!』

 

「あああああああああああ──ッ!」

 

 再開する剣戟。

 そして、ミノタウロスの上段からの一閃を受け流したベルは、呆けている冒険者達へ声を掛ける。

 

「此処は私が引き受ける! 貴方達は一刻も早くこの場からの離脱を!」

 

「だ、だが……それは……」

 

 我を取り戻したパーティリーダーの男が言い淀んだ。

 彼から見ても、ベルは防戦一方だった。ベルの言う通りに従うという事は、それはベルを『囮』にする事と同義であり、見捨てるという事に他ならない。

 だが、パーティリーダーの男には責務がある。それはパーティメンバーの命を危険に晒さないという、リーダーとしての責務だ。それが出来なければリーダーの資格はなく、情に流されず適切な判断をする器がパーティリーダーには求められる。

 そんな葛藤を、ベルは見抜いていた。地面を転がり、ミノタウロスと一度距離を取り、顔だけを向ける。

 

「私も隙を見て撤退する! だから、早くッ!」

 

 一秒に満たない、視線の交錯。

 

「……分かった! ──そして、済まねぇ」

 

 その謝罪を、ベルは聞こえなかった振りをした。

「行くぞ!」とパーティリーダーの男が仲間達に声を掛け、去っていく。

 名も知らぬ冒険者達の背中が遠ざかっていくのをベルは一瞥すると、意識を切り替えた。

 

「さあ、まだまだ行くぞ、ミノタウロス!」

 

『ヴォオオオオオオオ──!』

 

 只人と『怪物』は、何度目になるか分からない衝突をした。

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、現在。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベルとミノタウロスの戦闘は終わろうとしていた。

 どちらが勝者になろうとしていたのか、それは明らかだった。

 

「はあ……はぁ……っ……!」

 

 片膝を着き、呼吸を激しく繰り返す。ベルの身体には至る所に傷が出来ており、その純白の髪は土と砂利で汚れていた。

 その一方で、ミノタウロスは健在だった。小さな傷こそいくつもあるが、傷らしい傷と言えば何者かに折られた片角と、ベルの必死の抵抗で偶然出来た光を宿さない片眼だけであった。

 

 ──終わりは、とてもあっさりとしたものだった。

 

 モンスターの膨大な体力と比べた時、人間の体力はあまりにも少ない。

『怪物』の攻撃を受け流し、小さな隙があれば反撃に出ていた只人だったが、遂にその体力が切れてしまったのだ。回復薬(ポーション)も既に底を尽いている。

 

「クソッ……!」

 

 言葉に力はなく、ぼやける視界の中、ベルは眼前のミノタウロスを見上げる。

 

『ヴゥゥゥ……!』

 

 ミノタウロスは、勝者の雄叫びを上げなかった。この結末を甚だ残念だと思っているかのように、ベルには見えた。

 そして、もし本当にミノタウロスがそう思っているのであれば、それはベルも同じだった。

 

(結局……)

 

 深紅(ルベライト)の瞳を閉じ、ベルは思う。

 

(結局、駄目だったなぁ……。必死に戦って、今度こそはって思ったけど。でも、やっぱり、『僕』じゃ……──)

 

 刻一刻と近付いてくる地響き。

 ベル・クラネルの命は、あと僅かもなかった。

 そして、『勝者』が凱旋をすべく、『敗者』へその大きな剣を突き立てようとした、その時。

 

「────ベルッ!」

 

 静寂が破られた。

 ベルも、そして、ミノタウロスも。

 突如生まれたその声に、顔を向ける。

 広間(ルーム)の出入口に、アイズ・ヴァレンシュタインが息を荒げて立っていた。

 その表情はとても険しく、顔を大きく歪めている。

 

(どうして……)

 

 ベルがそう思う中、アイズはベルの姿を認めると安堵の表情を一瞬浮かべる。しかし次の瞬間には元に戻り、その殺意をミノタウロスに向けた。

 その視線を受けたミノタウロスは本能で彼我の実力者を悟ったのだろう、怯えたように数歩後退る。

 

「待ってて、今、助けるから……!」

 

 抜剣したアイズが、ベルにそう言った。

 だがベルには、アイズの言葉は届いていなかった。呆然と目を見開き固まるその姿は正に滑稽であったが、そんな事もベルにはどうでも良かった。

 

(どうして……)

 

 ただ、何度も同じ事を思う。

 

(どうして……!)

 

 ベルの中で、言葉にならない激情が爆発した。

 

(どうして、貴女が!)

 

 ベルは自分が情けなくて、不甲斐なくて仕方がなかった。

 よりにもよって、『彼女』にまたもや助けられようとしているだなんて。

 そんな事、ベル・クラネルには。

 或いは、『彼』には。

 到底容認出来ない事だった。

 

(立たないと……! 立って、戦わないと!)

 

 それは、ただの『意地』である。

 男子(おのこ)としての、下らない、されど決して譲れない『意地』。

 

(また『僕』は、同じ事を繰り返すのか……!?)

 

 脳裏に過ぎるのは、忘れない、忘れられる筈もない、『魂』に刻まれた記憶。

 あの時と同じ事を繰り返そうとしている事実に、ベルは何よりも恐怖した。

 だが。

 

(立たないと行けない……そう、思っているのに! 身体が動かない!)

 

 動けと強く念じるも、ベルの身体は、その指先すらも動かなかった。

 それが『彼』には堪らなく悔しかった。

 

(何で、なんで!)

 

 自問自答を繰り返す。

 何故自分はこんなにも無力なのかと、何の為に此処まで来たのだろうかと。

 

「良かった、間に合ったぁー!」

 

 場にそぐわない、明るい声。新たに友人となったアマゾネスの少女がそこには居た。

 

「ティオナ」

 

「うわ、ほんとにミノタウロスだ! よし、それじゃあアイズ、サクッと倒しちゃってよ!」

 

「今そうしようと思ってた」

 

 ベルにとっては戦場でも、第一級冒険者たる彼女達にとっては違う。

 この場の主導権は、ベルでもなければ、ミノタウロスでもない。

 とてもあっさりと、彼女達に握られていた。その当たり前の事実が、今のベルには直視出来ない。

 

「ほら、リリルカちゃん! 着いたよ! 戻っておいでー!」

 

 ティオナの口から出た名前に、ベルはハッとなった。よくよく見れば、仲間の小人族(パルゥム)の少女が、女戦士に米俵のように担がわれていた。

 そこでベルは、何故、彼女達が此処に来る事が出来たのか、その理由を悟った。

 リリルカは当初の方針通り、遠征中の【ロキ・ファミリア】へ助力を願ったのだろう。地上へ帰還せよというパーティリーダーの命令を破り、自分の命を危険に晒してまで。

 

「う、うーん……」

 

 地面に降ろされたリリルカは、ふらふらと覚束ない足取りだった。目をグルグルと回していた彼女は、しかし我を取り戻すと、栗色の瞳をめいっぱい広げて──ベルの姿を認める。

 ベルの深紅(ルベライト)の瞳と、リリルカの栗色の瞳が交錯した。

 そして、リリルカは大きく頷くと、今正にミノタウロスへ向かおうとしていたアイズの袖を引っ張り、こう言った。

 

「待って下さい! あれは、リリ達の獲物です!」

 




次話予告──『前』へ!


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『前』へ!

 

「待って下さい! あれは、リリ達の獲物です!」

 

 それが自分の口から出た言葉だという事に、リリルカは自分自身で驚いた。

剣姫(けんき)】が。

大切断(アマゾン)】が。

怪物(ミノタウロス)』が。

 只人の少年が。

 驚愕の表情を浮かべ、固まっている。だがその視線はリリルカに集中しており、リリルカは、自分舞台照明(スポットライト)を浴びている気分になった。

 そして、新たな観客が現れる。

 

「これは……一体、どういう状況かな?」

 

 通路の奥から投じられる疑問の声。数秒経たずして、黄金色の小人族(パルゥム)が現れる。その背後に居るのは、見目麗しい王族(ハイエルフ)に、アマゾネス、狼人(ウェアウルフ)。【ロキ・ファミリア】の主要団員達だ。

 小人族(パルゥム)の少年は、アイズとティオナの視線を追ったのだろう、リリルカへその碧眼を向けた。

 小人族(パルゥム)を代表するその瞳に見詰められ、リリルカは吐き気を覚えた。だが決して逸らしてはなるまいと、強く見詰め返す。

 そして、大きく息を吸って──大胆不敵に宣言した。

 

「手出しは無用! あれは、リリ達の獲物です!」

 

「ちょっ、リリルカちゃん!? 何言ってんの!?」

 

 ティオナが驚愕の声を出す。

 それはこの場に居る全員の思いを代弁したものだった。

 

「……なるほど。どうやら、ただ友人を助ければ良い、という話ではなさそうだね」

 

 小人族(パルゥム)の少年が、そう言った。

 嗚呼、ほんと、なんて居心地が悪いのだろうか。脇役でさえない自分が何故、このような思いをしなければならないのだろうか。

 だがこの気持ち悪さも、今はどうでも良かった。

 この激情、この憤怒に比べれば、そんな事は些事でしかない。

 

「【大切断(アマゾン)】様、荷物を運んで頂きありがとうございました! それでは、リリは行きます!」

 

「ちょっと、リリルカちゃん!? 行くって、何処に!?」

 

 心配してくるティオナの声を振り払い、リリルカはバックパックを背負って駆け出した。

 目標は、決まっている。

 栗色の瞳が真に映しているのは、ただ一人のみ。

 

 

 

 

§

 

 

 

「い、行っちゃった……」

 

 小人族(パルゥム)の少女が駆けていく。

 その身体には不釣り合いな大きなナップサックを背負い──広間(ルーム)中央、少年と『怪物』が居る場所まで走っていく。

 

「と、とめなきゃ──」

 

 慌てて追い掛けようとするティオナだったが、

 

「待つんだ」

 

 黄金色の小人族(パルゥム)が待ったをかける。

 団長からの指示に、ティオナは思わず足を止めてしまう。その代わり、顔を振り向かせてその真意を問うた。

 

「フィン、どうして止めるの!? 早く助けないと、二人共死んじゃう!」

 

「どうやらあの小人族(パルゥム)には、何か考えがあるようだ。まずはそれを確認してからでも遅くないだろう」

 

「いやいや、そんな悠長な事言っている場合じゃないでしょ!?」

 

 確かに第一級冒険者である自分達が本気を出せば、次の瞬間にはミノタウロスを惨殺する事が出来る。

 だがそれでも、只人の少年と小人族(パルゥム)の少女が危険である事は変わらない。

 ましてや、ここは異常事態(イレギュラー)だらけのダンジョン。絶対はない。先程そう言ったのは、他でもないフィンではないか。

 

「アイズはどう思う? すぐに助けた方が良いよね?」

 

「……わたし、は……」

 

 ティオナは同意を求めるも、アイズは歯切れ悪く口を動かすばかりだった。

 それがティオナは理解出来なかった。

 ほんの数分前まで、【ロキ・ファミリア】の中で只人の少年の身を一番案じていたのは彼女だ。それが今では、違うというのか。

 金の瞳を揺らすアイズは、ややあって。

 

「ごめん……」

 

 と、小さく謝罪の言葉を口にする。

 アイズが広間(ルーム)に到着したのと、ティオナがリリルカを担いで広間(ルーム)に到着したのに時間差は殆どない。精々一分くらいだろう。

 その一分の間に、アイズの決心を変えるだけの何かがあったのだろうか。

 アイズだけじゃない。リリルカも広間(ルーム)に来るまでは少年の無事を願っていた筈だ。だからこそ彼女は【ロキ・ファミリア】に冒険者依頼(クエスト)を依頼したのだ。

 そうだと言うのに、リリルカも広間(ルーム)に到着する否や、それとは真反対の事を言い出した。

 

「リヴェリア、何とか言ってよ!」

 

 俯いているアイズから視線を外し、ティオナは副団長のリヴェリアに話を振った。

 だが、王族(ハイエルフ)の彼女は翡翠色(エメラルド)の瞳を伏せると首を横に振った。

 

「ティオナも知っているだろう。迷宮探索に於いて、モンスターと戦うのは早い者勝ちだ。そして私達より先に、ベル・クラネルはミノタウロスと戦っていた。そしてまだ決着はついていない。ならば当然、その権利は向こうにある」

 

 リヴェリアの言う事は一理ある。確かにそれは、冒険者同士の諍いを防止する為の暗黙の了解となっている。

 だがティオナは到底納得出来なかった。

 

「決着はついていないって……リヴェリア、それ、本気で言っている訳じゃないよね!?」

 

「そうかもしれない! そうかもしれないけど、今はそんな事気にしてる場合じゃないよ! ねえ、ティオネ! ティオネはあたしと同じ意見だよね!?」

 

「私は団長に従うわ」

 

「この馬鹿ティオネ!」

 

 この非常時に於いても、実姉の行動方針は何一つ変わっていなかった。さも当然と言ったような即答だった。

 性に忠実なアマゾネスとしてはそれで正しいのだろうが、人としてはそれで良いのだろうか。

 命令違反にはなるが、やはりここは自分が助けに行かなくては──そう、ティオナが思った時だった。

 それまで沈黙していた狼人(ウェアウルフ)が口を開けたのは

 

「やめておけ。お前が行った所で、門前払いされるのがオチだ」

 

 ティオナはべートを見た。琥珀色の瞳は広間(ルーム)中央に向けられており、ティオナを見ていなかった。

 

「ベート、それってどういう意味?」

 

「言葉通りだ。お前にとってはそうかもしれねぇ……だが、あいつ等にとっては違う。だからあの小人族(パルゥム)のガキは動いたんだろうぜ」

 

「そう言って……『雑魚』を助けるのが嫌なだけなんじゃないの?」

 

「フンッ、さぁな。──それよりも見てみろ、事態が動くぞ」

 

 ベートは鼻を鳴らすと、以後、意識をティオナに向ける事はしなかった。

 そして、ティオナは見た。

 只人の少年を背に庇うようにして、小人族(パルゥム)の少女はミノタウロスと向かい合っている。

 恐怖で身体を震わせながら、しかし、決して膝を屈する事はせず。

 小人族(パルゥム)の少女は大いなる魔物と睨み合っていた。

 その光景を見た瞬間。

 

「……嗚呼、良かった──」

 

 何故か。

 自分でも分からないけれど。

 ティオナ・ヒリュテは心からの安堵の吐息を出していた。

 その理由を『彼女』はまだ()らない。

 

 

 

 

§

 

 

 

 観客が各々席に着き。

 ようやく、『舞台』が幕を開ける。

 

 

 

 

§

 

 

 

「リリ、何を……!?」

 

 少年と、『怪物』。

 リリルカは、両者の中間地点に立った。

 そして、片膝をついている少年を背に庇い、大いなる魔物と向かい合う。

 

「逃げるんだ、リリ! そこに居たら、ミノタウロスに……!」

 

 切羽詰まった声。少年がここまで余裕のない声を出すのなんて、リリルカはこれまで想像さえしてこなかった。

 だが、その声をリリルカは無視した。何を言われようと此処を退く気はない。

 視線を鋭くし、ミノタウロスを睨め付ける。

 

『ヴルゥゥゥ……』

 

 ミノタウロスが唸り声を上げながら、リリルカを見下ろした。そしてすぐに、詰まらない、とでもいうかのように鼻を鳴らす。

 取るに足らない相手だと品定めされたのだ。

 ミノタウロスの隻眼は、小刻みに身体を震わせるリリルカをしっかりと見ていた。

 事実、リリルカは恐怖していた。

 

(怖い! とんでもなく、怖い! 何度向き合っても、恐怖が込み上げてきます!)

 

 本能で感じる、生物としての圧倒的な格。リリルカが逆立ちしても、この真性の『怪物』には傷一つすら付けられないだろう。

 対峙しているだけで恐怖により足は竦み、視界は濡れてくる。

 正しく恐怖の権化だと、リリルカはつくづく思った。

 

(でも……!)

 

 崩れ落ちそうな膝を叱咤し、リリルカは顔だけ振り向かせ、背後の少年を見る。

 そして。

 

「リリ……」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()、リリルカの怒りは頂点に達した。

 舌打ちしたくなる気持ちを堪え、決断する。それからリリルカの行動に、迷いはなかった。

 

「──ッ!」

 

 懐から取り出すのは、短剣。その切っ先を、ミノタウロスへ向ける。

 ミノタウロスは咄嗟に大剣を振りかぶるも、その出だしはあまりにも遅かった。リリルカを『弱者』だと早々に決め付けていた為だ。

 そして、その『強者の驕り』こそがリリルカの狙いだった。

 

「喰らえッ!」

 

 短剣に力を込め、真横に一閃する。

 迎撃は間に合わないと判断し、攻撃に備えたミノタウロスだったが、次の瞬間、驚愕の声を出す事となった。

 短剣の切っ先から、突風が生まれたのだ。

 

『ヴォオオオオオ!?』

 

 リリルカが使ったのは単なる短剣ではなく、風を生み出す『魔剣』だった。

 暴風は『靄』やミノタウロスの巨体すら後方に吹き飛ばした。仰向きに倒れたミノタウロスは一刻も早く立ち上がろうとするも、またもや、リリルカの方が早かった。

 

「目を閉じて下さい!」

 

 

 

§

 

 

 

 ベルは最初、それをぼんやりと他人事のように眺めていた。

 しかし、リリルカが懐から手投げ玉を取り出し、それをミノタウロスの眼前目掛けて思い切り投げた所で、我に返る。

 緩やかな弧を描いた手投げ玉は、ミノタウロスの顔近くで落ちて爆発するのと、ベルが瞼を閉じたのは全く同時だった。

 刹那。瞼越しでも感じられる程の眩い光がベルを襲う。

 

『ヴォオッ!?』

 

 悲鳴を上げるミノタウロス。

 突如襲った眩いばかりの閃光に、魔物は混乱する。

 リリルカが投げたのは、『閃光玉』という道具(アイテム)であり、目眩しを誘発する手投げ系道具(アイテム)であるこれは、迷宮探索に於いて冒険者から重宝されている。

 とはいえ、素材となるのは中層以下からで採集出来る素材な為値段は張り、下級冒険者が携帯する事は殆どない。

 それをリリルカが所持していたのは、万が一の事態に備えての事だったのだろう。そして小さなサポーターは今がその時だと判断したのだ。

 

「動きますよ! 舌を噛まないように!」

 

 声が掛けられると同時、前方から身体を押され、ベルは尻もちを着いた。そしてベルのロングコートの襟が摑まれる。ぎょえっと悲鳴を上げる間もなく、そのまま地面を引き摺られた。

 ズルズルと激しい音を立てながら、ベル達はミノタウロスから離れる。やがて、風の短剣で吹き飛ばしていた『靄』も戻り、気が付いた時には、牛頭人身の『怪物』はベルの視界から消えていた。

 リリルカがベルを運んだのは、広間(ルーム)の出入口だった。アイズやフィン、ティオナといった【ロキ・ファミリア】が居る出入口とはちょうど対角線上にある。

 

「取り敢えず、此処まで来れば少しくらい話は出来るでしょう」

 

 ベルを広間(ルーム)の壁へ放り投げたリリルカが、ミノタウロスが居る広間(ルーム)中央部分を一瞥してから口を開く。

 

「色々と言いたい事は沢山ありますが……そんな事よりも話すべき事があります。【ロキ・ファミリア】にはあのように言いましたが……貴方は、どうしたいですか?」

 

「…………え?」

 

 呆然と聞き返すベルに、リリルカは「ですから」と続ける。

 

「ミノタウロスと戦うか否かです」

 

「……ッ!」

 

 ベルは息を呑み、顔を上げた。

 リリルカは至って真面目であった。真剣な表情で、その栗色の瞳を細めている。

 

「どうして……」

 

「どうしても何も、あのミノタウロスと最初に会敵したのはリリ達です。貴方もご存知でしょう。迷宮探索に於いて、モンスターと戦うのは早い者勝ちです。その権利は今、リリ達にあります。なのでリリは、パーティの一員としてパーティリーダーの貴方に尋ねているのです」

 

「このまま戦闘を継続するか否か」と、リリルカは一度区切った。

 だがしかし、ベルが聞きたいのはそういう事ではない。

 

「……リリも見ただろう。私は……ミノタウロスに負けたんだ。後少しアイズが……【ロキ・ファミリア】が来るのが遅かったら。私は今頃斬り伏せられているだろう」

 

「そうかもしれませんね。でも、貴方はまだこうして生きている。それが今の全てです」

 

「リリ、君は彼等に救助を依頼したのだろう? それなら益々、私達にその権利はないと思うのだが……」

 

「確かにリリは【剣姫(けんき)】様に冒険者依頼をお願いしました。しかしそれはあくまでも、貴方の救助。ミノタウロスの討伐ではありません」

 

「それは、屁理屈じゃないかな……」

 

 ベルの指摘を、リリルカは無視した。

 

「兎にも角にも、まずは貴方の意向を聞かせて下さい。【ロキ・ファミリア】へ改めてお願いするのは、それからでも遅くありません。元より、彼等は貴方に借りがありますから、リリ達を尊重してくれる筈です」

 

『ミノタウロス上層進出事件』に於いて、【ロキ・ファミリア】は【ヘスティア・ファミリア】に借りがある。それは計略の女神たるロキが炉の女神たるヘスティアに約束している事であり、主神の神意に眷族は逆らえない。

 事実、こうしてベル達が話している間にも、第一級冒険者たる彼等に動く気配は見られなかった。団長の【勇者(ブレイバー)】が他団員達を様子を見るように指示出しているのであろう事は、ベルにも分かる。

 そして閃光玉の効果から脱却したミノタウロスがベル達へ襲いかかってきていないのも、彼等が睨みを利かせてくれている為であろう。

 本来なら、敵を目前に、こうして悠長に話す時間はない。

 

「さあ、もう一度聞きます。貴方の意思を聞かせて下さい」

 

 その真っ直ぐな問い掛けに、ベル・クラネルはすぐに答えられなかった。

 仲間の栗色の瞳を見返していたベルだったが、ややあって、逸らしてしまう。

 

「…………私には、無理だ」

 

 小さな、とても小さな声で、ベルは独り言のように言った。

 それを拾ったリリルカは、淡々とした口調で尋ねる。

 

「何が無理なのですか」

 

「……言っただろう。私じゃ、ミノタウロスには勝てない」

 

「何故?」

 

階位(レベル)が違う。リリも知っているだろう、ミノタウロスはLv.2に分類されるモンスターだ。対して、私はLv.1の下級冒険者……敵う道理はない」

 

「そうかもしれませんね。他にはありますか?」

 

「攻撃が通じない。私の剣技じゃ、皮膚さえ傷付ける事が出来なかった。対してミノタウロスは、私に一撃でも当てれば良い。そんなの、勝負にすらならない」

 

「攻撃手段については、『魔剣』や予備(スペア)があるでしょう。試してみる価値はあるのでは?」

 

「いいや、実際に戦った私には分かる。分かるんだ。あのミノタウロスは、『魔剣』じゃ止められない。予備(スペア)……《プロミス─Ⅱ》は分からないが、試すにはリスクがあり過ぎるだろう」

 

「他には?」

 

「見ての通り、私は傷だらけだ。体力も切れてしまった。立つことさえままならない。こんな状態じゃ、戦えない」

 

「それなら、万能薬(エリクサー)があります。貴方がリリに渡していた、万能薬(エリクサー)が。これを使えば、それは解決出来るでしょう」

 

「そうだな。だが……やはり、無理だ。私には、無理なんだ……」

 

 沢山の博打をしなければならず、それでようやく、公平で対等な勝負になる。

 勝率は限りなくゼロに等しい。

 ベルには、自分がミノタウロスを倒す姿を全く想像出来なかった。

 脳裏に浮かぶのは、先程の光景。片膝を着く自分と、その自分の首を()ねようと大剣を構えるモンスター。

 

「何度も言わせないでくれ……これ以上、私を惨めな男子にしないでくれ。私じゃ、ミノタウロスには勝てない……!」

 

 それは、懇願だった。

 そしてベルの心は、今正に折れようとしていた。

 だがそれを、阻む者が居た。

 

「ハア────」

 

 頭上より降りるのは、長嘆。

 

「それじゃあ、貴方は諦めるのですか。『英雄』になる事を、諦めると言うのですか? あの言葉はやはり嘘だったのですか?」

 

「それは……」

 

「此処で立ち上がらずして、何が『英雄』ですか。リリは今でも『英雄』なんて居ないと思っていますが、そんなリリでも、これ位は分かります。()()()()()()()()()()()()()。それはご自分でもお分かりになっているのでしょう」

 

 その指摘に、ベルは押し黙った。

 リリルカの言う通りだった。

 此処が、自分の分岐点であるという事など、ベル・クラネルは百も承知している。

 あの牛頭人身の『怪物』が自分の『運命』である事など、誰かに言われるまでもない。

 何故なら、『約束』したのだから。姿形は違えども、もう一度戦おうと、『約束』したのだから。

 ベル・クラネルは──『彼』は、それを()っている。

 

「……分かっている。分かっているとも!」

 

 吐き出した語尾は、震えている。

 気が付けば、ベルは感情のままに口を動かしていた。

 

「此処で逃げたら……諦めたら駄目だって事くらい、分かっているさ。だから、戦ったんだ。必死に、命を懸けて戦ったんだ。でも、駄目だった。私じゃあ……──『僕』じゃあ、あのミノタウロスには勝てない!」

 

「本当に?」

 

「実際に、勝てなかった! 『僕』はあの(とし)から何も変わっていない! 能力値(ステイタス)がいくら上がったって、『僕』は今でも、弱いままだ……」

 

 そして、ベルが俯いた瞬間。

 ベルの身体は、グイッと上に持ち上げられていた。ハッとベルが目を開けると、そこにはリリルカの栗色の瞳があった。

 その瞳は、燃えていた。

 

「いい加減にして下さいッ! さっきから何なんですか、貴方は!」

 

 ベルは呆然と、自分の胸倉を摑んでいるリリルカを見詰めた。

 

「我慢していましたが……それももう、限界です! 貴方はアレですか、自分が物語の主人公だとでも思っているのですか!?」

 

「……」

 

「もしそう思っているのなら、滑稽ですらない! だってそうでしょう!? 貴方の物語は、『冒険』は! まだ始まってすらいないのですから! そんなの、架空の物語(フィクション)でしかない!」

 

「……ッ」

 

 息を呑む、ベル。

 リリルカはベルを強く睨みながら、言った。

 

「貴方が何故昇格(ランクアップ)出来ないのか、その理由がたった今分かりました! 貴方は恐れている! 『冒険』する事を! 『冒険』に失敗する事を! そして、そのたった一度の失敗を全てだと思っている!」

 

「何を……」

 

「これまでの殆どが、貴方にとっては『冒険』であって『冒険』ではなかった! 貴方がこれまで強敵と戦ってきたのは、その殆どが成り行きでしかなかった!」

 

 それは、事実だった。

『ミノタウロス上層進出事件』の時も。

 怪物祭の『モンスター脱走事件』の時も。

『謎の冒険者』から襲われた時も。

 第7層でリリルカ・アーデを助ける為、数多のモンスターと対峙した時も。

 そして──今も。

 ベル・クラネルは自らの意志で最初から戦いに臨んだ訳ではない。そうしなければならない状況だった。だから戦いに身を投じたに過ぎない。

 唯一、『謎の冒険者』から襲撃された時は違ったが──それは完敗している。

 

「そんなの、絶対に『英雄』じゃありません! 他人に振り回されるのは──そして、それを良しとするのはただの『道化』でしかない! 今の貴方は、真実、『道化』です!」

 

 押し黙るベルに、リリルカは必死に語り掛ける。

 大切な事を思い出して欲しいと、その瞳は言っていた。

 

「でも違うでしょう!? 貴方は、『道化』ではなくて『英雄』になりたいのでしょう!?」

 

「……ッ!」

 

「それなら! 諦める言い訳を、作らないで下さい! 自分で逃げ道を、作らないで下さい! 貴方は、ベル・クラネルは! 冒険者でしょう!?」

 

「…………でも、『僕』一人じゃ……!」

 

「リリが居ます!」

 

 そして、リリルカ・アーデは叫んだ。

 

「貴方が仰ったのでしょう! 『英雄』には、一人じゃなれないって! 同じ夢を持つ、『仲間』が欲しいんだって!」

 

 ベルは、深紅(ルベライト)の瞳を見開かせた。

 リリルカ・アーデは──心優しい小人族(パルゥム)の支援者は、訴え続ける。

 

「リリは、ただの荷物持ちなんかじゃない! 貴方の、()()()の! 仲間です! 支援者(サポーター)です! ベル様がミノタウロスを倒せる自信がないと仰るのなら、リリが支援して、勝利に導いてみせます!」

 

「──」

 

「だからいい加減、本音を聞かせて下さいよ! 本当の想い(いし)を、伝えて下さいよ!」

 

 その言葉に、ベルは。

 

「────あは、あはは」

 

 リリルカと再会してから初めて、心からの笑みを浮かべた。そして、声を出して笑う。涙さえ浮かべて、笑う。

 

「つ、ついに気でも狂いましたか……!?」

 

 戦慄するリリルカが、ベルの胸倉を摑んでいた両手を離す。当然、ベルは「ぐへぇ!?」と落下、地面と激突する。

 だがそれでも、ベルは暫く笑い続けていた。そしてそれが収まる時、そこには普段通りのベル・クラネルが居た。

 胡散臭く、けれど何処までも明るく笑う、楽天家のベル・クラネルが。

 

「ああ……そうだ……。『僕』はなんて、馬鹿だったんだろう……愚かだったんだろう……。『僕』は何も分かっていなかった……。分かっていたつもりになっていただけで、何も分かっていなかったんだ……。本当、何度目になるのかなぁ……」

 

 独り言を呟く。

 ベルは、ゆっくりと、とてもゆっくりと身体を起こし始める。時間を掛け、片膝をついたベルは、リリルカと目線を合わせた。

 

「ごめん、リリ。『僕』が間違っていたよ。ああ、そうだ。勝手に『絶望』して悲観主義者になるだなんて、『僕』らしくない!」

 

「ほんとですよ、全く!」

 

「今こそ笑おう! 一人じゃなくて、二人で、一緒に! そうすれば、何にも怖くない!」

 

 そして、リリルカの栗色の瞳を真正面から見詰めて、言った。

 

「『僕』は……『僕』は、『英雄』になりたい!」

 

「知ってますよ、そんな事」

 

「だが今はそれ以上に、あのミノタウロスに勝ちたい! あのミノタウロスに好敵手(ライバル)だと認められて、その上で、勝ちたいんだ! それが、『約束』だから! でも悔しいけど……本当に悔しいけど、『僕』一人じゃ、あの『怪物』には勝てない!」

 

 自分一人では勝てない事を、ベルは認める。悲観的ではなく、客観的に。

 ベルはそれを受け入れ、「だから!」と、続けて言った。

 

「リリ、君の力が必要だ! 助けて欲しい! 力を貸して欲しい! そして──一緒に、『冒険』をしよう!」

 

 その誘いにリリルカ・アーデは呆れ、しかし次には頷いた。その言葉を待っていたと言わんばかりに、即答する。

 

「何を今更。リリは、ベル様のサポーターです。答えは既に決まっています」

 

「──! ありがとう!」

 

 子供のように顔を輝かせ、ベルは何処までも無邪気に笑った。

 そして──今度こそ、立ち上がる。

 地面に転がっていた愛剣の柄を強く握り締め、敵が居る広間(ルーム)中央を見詰める。

 そして、ベル・クラネルは。

 或いは、『彼』は。

 懐に仕舞っていた『英雄日誌』を取り出すと、羽根ペンを走らせた。

 

「綴るぞ、英雄日誌! ──『一度の敗北後、ベル・クラネルは小さくも頼りになる仲間と共に、猛牛と再戦する! さあ、『冒険』の始まりだ!』──

 

 誰にも譲れない想いを胸に。

 只人の少年と小人族(パルゥム)の少女は、今日、初めて『冒険』をする。

 




次話予告──『神話継想(リ・プロローグ)


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神話継想(リ・プロローグ)

 

「最後に確認を。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そこは承知していますね?」

 

「ああ、分かっている。長期戦になれば、私達に勝ち目はない」

 

 小人族(パルゥム)のサポーターから渡された万能薬を飲み干しながら、ベルは頷いた。

『怪物』ミノタウロスには無尽蔵とすら思える程の『体力』があり、相手を一撃で沈める『力』があり、そして攻撃を喰らっても倒れない『耐久』がある。

 ベル・クラネルとリリルカ・アーデが大いなる魔物に勝利する為には、短期決戦しかない。

 

「『技』と『駆け引き』──第一級冒険者がよく使っている言葉があります。これはリリの所見ですが、『技』は恐らく同等。それ故に貴方は生き永らえる事が出来ていた」

 

「『駆け引き』も同等……と言いたい所だが、あのミノタウロス、学習能力が抜きん出ている。それだけじゃない。全く通じなかった訳ではないが、私の事を以前から知っているような……そんな戦い方をしてくる」

 

「まさか、モンスターに『理性』……『自我』があるとでも?」

 

「断定は出来ないが、本能で動く獣だとは思えないな」

 

「……なるほど。実際に戦っているのはベル様ですから、その直感をリリは信じましょう。それなら益々、『駆け引き』では負けられませんね」

 

 共有された情報を基に、リリルカは打開策を考える。

 

「このまま普通に突撃しても、普通に返り討ちに遭うのが目に見えています。勝利条件は短期決戦、これは絶対に変わりません。そして短期決戦する為には……」

 

「相手の意表を突くしかない。そこから一気に勝負に出よう」

 

「問題は、その方法ですね」

 

 生半可な物じゃ、ミノタウロスは戸惑いこそすれ動揺はしない。

 リリルカ・アーデは考える。

 ベル・クラネルの戦法は一撃必殺。自慢の脚力で(もっ)て敵の懐に入り、そのまま急所を狙うという物だ。

 だが相手は『耐久』に優れたミノタウロス。魔石を狙った突き技も、表皮を裂く事さえ出来なかったとベルから聞いている。

 そして同じ攻撃を許す程、ミノタウロスは甘くない。

『手札』が欲しい。

 リリルカ・アーデはそう考える。

 自分が仕えている主が、あの牛頭人身の『怪物』と対等に戦う為の、『武器』が欲しい。

 何でも良い。

 手段は問わない。

 これは、殺し合いなのだから。

 最後に立っていた者が『勝者』であり、それが結果となる。

 

 そして、長考の末。

 

 リリルカ・アーデは一つの結論を出す。

 栗色の瞳をナップサックの留め具に固定されている、一本の銀の長剣に向けた。

 

「これなら何とか……? いやでも、それでもあと『一手』足りない?」

 

 ブツブツと呟く、リリルカ。

 そんな彼女へ、ベルが「リリ」と名前を呼んだ。

 

「実は、『僕』一人じゃ出来なかった事があるんだ。それを相談したい」

 

「……詳しく聞かせて下さい」

 

「うん。実は、『僕』──」

 

 ベルはリリルカに説明した。

 それは主神が他言無用だと厳命した、ベル・クラネルの『切り札』。

 最初はその『切り札』にただただ驚愕していた小人族(パルゥム)のサポーターだったが、説明を聞き終える頃には顎に手を当てて考え込んでいた。

 

「どうかな。『僕』は、これに()けるしかないと思う」

 

「……正気ですか?」

 

「もちろん」

 

「……失敗すれば、貴方は即死しますよ?」

 

「だが成功すれば、『僕』達の勝利は確固たるものとなる。そうだろう?」

 

「……リリがヘマをしないとは、思わないんですか?」

 

 その疑問に、ベル・クラネルは即答する。

 

「思わないさ。微塵も」

 

「……ッ! あぁ、もう! 本当に、貴方って人は!」

 

 リリルカはそう毒吐くと、観念したように溜息を吐いた。

 それを了承の合図だと判断したベルは、笑顔を浮かべる。

 

「──」

 

 そしてベルは、広間(ルーム)中央に鎮座しているミノタウロスへ深紅(ルベライト)の瞳を向け、純粋な殺意を飛ばした。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ミノタウロスはその場から動けないでいた。

 本当なら、自分の前から閃光と共に消えた『奴等』を追い掛け、この手でその首を()ねたかった。

 だが動けなかった。何故ならば、自分よりも格上の相手が睨んできている為だ。

 

『ヴルゥゥゥ……』

 

 唸り声を上げながら、ミノタウロスは隻眼となった暗褐色の瞳をそちらに向ける。

 そこには、六人の亜人族(デミ・ヒューマン)が立っていた。武器を向けられている訳ではないが、ミノタウロスは本能で察知する。

 文字通り、一挙一動を監視されている。

 

『ヴォオオオ……』

 

 その六人の亜人族(デミ・ヒューマン)は──此処に来る前、自分と戦っていたあの猪の雄に雰囲気が似ているように思えた。

 

『……』

 

 ベル・クラネルの推測通り。

 ミノタウロスには『自我』とでも言うべき物があった。

 それは先天的な物か。或いは、後天的な物か。

 それはミノタウロス──『彼』には分からない。興味もない。

 気が付けば『彼』には『感情』があり、それを、より高次元に昇華させるだけの『思考力』があった。

 

『ヴルゥゥゥ……』

 

『彼』は考える。

 あの猪の雄と、先程まで戦っていた只人──戦い方が酷似していた。

 扱っていた武器も、間合いの取り方も、剣技も。

 種族も体格も違う二人だが、『彼』には同じ様に思えてならなかった。

 猪の雄と、只人。どちらが強いのかは語る迄もない。

 それ故に、『彼』は一方的に只人を蹂躙する事が出来たのだ。

 とはいえ、自分の振るった大剣の軌道を、ああも連続で逸らされるとは思わなかったが。

 

『彼』は知らない。

 

 全てが、とある美神が用意した物であるという事を。

 超越存在(デウスデア)たる神の手のひらの上で踊らされている事を、『彼』は知る由もない。

 

『……』

 

 強いと言えば、と。

 今も自分を牽制してきているあの六人の亜人族(デミ・ヒューマン)と、猪の雄。

 一体、どちらが強いのだろうか。

 それは分からないが──確実に言えるのは、自分よりも遥かに強いという事である。

 だが彼等に、自分を殺す意思はないらしい。

 敵意は感じるが、殺意は感じない。

 ……少なくとも、今は。

 自分を殺さない理由が何かあるのだろうと、『彼』は悟っていた。

 

 そして──不意に。

 

 ミノタウロスは殺意を感じた。

 六人の亜人族(デミ・ヒューマン)から視線を外し、向けられてくるそれを追う。

 

『ヴォオオオオオ……!』

 

 ミノタウロスは感情のままに、鳴き声を上げていた。

 鬱陶しい『靄』で姿は見えないが……確かにそこに居る。距離はまだ離れているが、自分を見詰めている。『彼』にはそれが分かった。

 降ろしていた大剣の柄を握り直すと、方向を転換、その殺意を真正面から受け止める。

 六人の亜人族(デミ・ヒューマン)が動く事はなかったが、敵意は向けてくる。

 だがどうやら、邪魔をするつもりはないようだった。

 恐らく、これを待っていたのだろう──そう予想をつけたミノタウロスは、次の瞬間には、そんな事はどうでも良いかと思考から捨て去った。

 今はただ、この純粋な殺意に応えるべきだろう。

 そして、ミノタウロスはこの感情の正体を()る。

 

 これは、『歓喜』だ。

 

 戦いをまだ繰り広げられるという、『喜び』。

 だが、それだけではない。

 これは、何だ。

 ()()()()()()()

 名も知らぬ『歓喜』とは別の『感情(おもい)』が身体を駆け巡る。

 ニヤリ、と。

 

 そして。

 

「うおおおおおおおおおおおお──ッ!」

 

 雄叫びと共に。

『靄』の中から、只人の剣士が突っ切ってきた。

『彼』は口角を上げると、自身の大剣で以て迎え撃つ。

 

 

 

 

§

 

 

 

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 地面から立ち昇る『靄』を突っ切り、ベルが突撃する。

 

「せあああああああああ──ッ!」

 

 だがその攻撃を、ミノタウロスは大剣の腹で受け止めてみせた。

 激しい火花が飛び散り、ベルとミノタウロスを照らす。

 そこから始まる剣戟。

 両者は殺意を隠す事はせず、寧ろ剥き出しにして命を奪い合う。

 その様子を見守るのは、都市最強派閥──【ロキ・ファミリア】。

 

「本当に良かったのか、フィン。始まってしまった以上、私達に出来る事は何もないぞ」

 

「ああ、それで良い。僕達は彼等の『冒険』を見届けるんだ」

 

 フィン・ディムナの碧眼は、リヴェリアに向けられていなかった。縦横無尽に動く只人の剣士を追っている。

 

「先日のアイズとの模擬戦といい……フィン、そろそろ真意を教えてくれないか。流石に目に余るぞ」

 

「真意なんてものは何もないさ、リヴェリア。僕はただ、ダンジョン探索に於けるルールを守っているに過ぎないよ」

 

 あくまでも白を切るフィン。

 それに納得出来ないリヴェリアは、立ち尽くしているアイズに声を掛ける。

 

「アイズ、お前は良いのか。あの少年を最も気に掛けているのはお前だろう」

 

「……」

 

「アイズ?」

 

 リヴェリアが名前を呼んでも、アイズからの返答はなかった。その金の瞳は、フィンと同様、眼前の戦闘に向けられている。

 リヴェリアは嘆息すると、仕方なく、意識を元に戻した。そして、戦況を分析する。

 

「……よく戦っている。冒険者になってから半年も経っていないと説明しても、信じる者は居ないだろう。能力値(ステイタス)に振り回されている訳でもなく、驕りも感じない。恐らく、Lv.1の中でも上澄みに居るだろう」

 

「だが」と王族(ハイエルフ)翡翠色(エメラルド)の瞳を細めて断じる。

 

「それはあくまでもLv.1の話。Lv.2に分類(カテゴライズ)されているミノタウロスに勝つ為には、その程度では不十分だ。このままでは少年の方が先に体力が切れ、先程の二の舞となるだろう」

 

「本当にそうかな?」

 

「……何?」

 

 聞き返すリヴェリアに、フィンはやはり、碧眼を向ける事なく言った。

 

「リヴェリア、確かに君の言う通りだろう。それは十分に起こり得る未来だ。だが、先程とは決定的に一つ異なる事があるのも事実だろう?」

 

 リヴェリアは暫く思案し、まさかと思いつつ尋ねる。

 

「まさか、あの小人族(パルゥム)のサポーターの事を言っているのか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 まさかの肯定に、リヴェリアは眉を顰める。

 

「こう言っては何だが、サポーターに出来る事はないだろう」

 

「僕はそうは思わないな。証拠に、絶体絶命のベルを助け出してみせた。何も出来ない訳ではないよ」

 

「そうだな。確かに私も、あの小人族(パルゥム)の行動には驚いている。とても勇敢な行動だったと、素直に称賛もしよう。だがな、フィン。彼女はサポーターだ。これ以上出る幕はない」

 

 これは何も、リヴェリア・リヨス・アールヴがリリルカ・アーデを侮蔑している訳ではない。

 サポーターだからという職業差別をしている訳でも、小人族(パルゥム)だからという『小人族(パルゥム)蔑視』をしている訳でもない。

 あくまでも、『冒険者』と『サポーター』という役割の話をしている。

 続けて、リヴェリアは言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()。だが、それを押し付けてはならないだろう」

 

 フィン・ディムナは小人族(パルゥム)の置かれている現状を憂い、『一族の光』となるべく冒険者になった。だが小人族(パルゥム)で活躍しているのはごく少人数である。

 そんな経緯もあり、彼は新たな同士になり得んとする人間を待ち望んでいる。

 だが彼はリヴェリアの指摘を否定する。

 

「これは押し付けじゃないさ、リヴェリア。これは、確信だ。この碧眼()で直接、彼等の様子を視ていたからね」

 

「まさか……この距離で、『靄』もあるというのに視えていたのか?」

 

「ああ」とフィンは事も無げに頷く。

 当然と言ったような口調で、小人族(パルゥム)の【勇者(ブレイバー)】はその理由を語る。

 

「僕達小人族(パルゥム)は視力が良い。ましてや僕は、Lv.6だ。流石に全部は『靄』があったから無理だったけど、一部始終は視れたさ」

 

 フィン・ディムナは確かに視た。

 リリルカ・アーデがベル・クラネルの胸倉を摑み、必死に訴えていたのを。

 そしてそれから、ベル・クラネルが剣を()ったのを。

 

「互いに互いを補完し合っている、良いパーティだ。そして格上と戦う際の定石(セオリー)は、今も昔も変わらず、徒党を組む事だよ」

 

(ぼく)達がそうしてきたようにね」とフィンと言った。

 

「……お前がそこまで言うのだ。それならば、私はこれ以上何も言うまい」

 

 ここで初めて、フィンはリヴェリアに顔を向けた。

 そして、笑みを浮かべて「ありがとう、リヴェリア」とお礼を言った。

 それに対し、リヴェリアも笑みを浮かべる。

 

「何、構わんさ。それに私も、あの少年に興味がない訳ではないからな」

 

 今代を代表する『英雄候補』が集う、【ロキ・ファミリア】。そんな自分達に、『英雄』になると堂々と宣言した只人の少年。

 それが無知蒙昧の大言壮語なのか。

 或いは本当に、『器』があるのか。

 王族(ハイエルフ)のリヴェリアはそれを見極めんと翡翠色(エメラルド)の瞳を細める。

 その先ではベルが、戦闘が始まってから九回目の受け流しに成功していた。

 

「本当によく凌いでいる。受け流しという『技』に限っては、第二級冒険者並か」

 

「それだけじゃないよ。彼の最大の『武器』は『速さ』だ」

 

 感嘆の吐息を出したリヴェリアに、フィンが補足する。

 

「僕と一緒に迷宮(ダンジョン)探索した時とは比べ物にならない。あれは恐らく、天性の物だろうね」

 

 攻撃を受け流したベルがそのままミノタウロスの懐に入り、二度の斬撃を見舞った。しかしそれは固い筋肉に阻まれ、擦り傷程度にしかならない。

 ベルは顔を顰めると、すぐに大きく跳躍。ミノタウロスと距離を取り深呼吸を繰り返す。

 

「決定力に欠けますね」

 

 そう言ったのは、それまで沈黙していたティオネだった。フィンの隣に陣取る女戦士(アマゾネス)は、やはり、戦士の顔となって断言する。

 

「いくらあの子が『敏捷』に優れ、並外れた『技術』を持っていたとしても、あの子にはミノタウロスを倒せるだけの突破力がありません」

 

 そこでさらに、狼人(ウェアウルフ)のベートが加わった。

 

「……それだけじゃねえ。あの餓鬼の得物、造りからして耐久性を優先しているな。斬れ味が圧倒的に足りねぇんだ」

 

「へえ。あんた、武器の目利きなんて出来るのね。初めて知ったわ」

 

「ふんっ」

 

 ティオネが驚くと、ベートは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「お前等の言う通り、あの餓鬼に勝ち目はねぇ」

 

「だが」と狼人(ウェアウルフ)の戦士は琥珀色の瞳を細めると続けて言った。

 

「それは、馬鹿正直に真正面からぶつかった時の話だ。そしてあの餓鬼は『道化』ではあっても、『愚鈍』じゃねぇだろ」

 

「……ふぅん。あんたにしては、随分とあの子の事を高く買っているのね」

 

「高く買うだぁ? ハッ、それこそ有り得ねえ。俺はただ事実を言っているだけだ」

 

 アマゾネスの指摘を、狼人(ウェアウルフ)の青年は鼻で笑って飛ばした。

 そして観客達が話している間にも、劇は進んでいく。

 

『ヴォオオオオオオオオ──ッッ!』

 

「ああああああああああ──ッッ!」

 

 十回目の、受け流し。

 激しい火花が飛び散る中。

 只人の剣士が、雄叫びとは別の言葉を初めて発した。

 

「今だ──リリッ!」

 

 返答は、無言。

 しかし、主の呼び掛けを待っていたかのように。

 ベルが支援者の名前を言い終える時には、何処からともなく、手投げ玉が投げられていた。

 

「閃光玉……! まだ持っていたのね!」

 

 ティオネが驚愕と共にその道具名を言った瞬間。

 地面に落ちた手投げ玉はワンバウンドし──眩い閃光と共に爆発した。

 

『ヴォ!?』

 

 ミノタウロスが驚愕と悲鳴の声を上げる。大剣を横薙ぎするも、既にそこには只人は居ない。

 

「だが、目眩しをした所で……!」

 

 リヴェリアがローブの袖で顔を覆いながら、そう呟く。

 閃光玉は最初の一回目が最も大きな効果を出す。しかし二回、三回と使えば使う程にモンスターはその光に慣れ、混乱から脱却するまでの時間が短くなる。

 また、使用する時機(タイミング)も重要だ。

 何故この時機で閃光玉を使用したのか──リヴェリアの疑問に答えるように。

 ベルが叫んだ。

 

「リリッ!」

 

 そして、今度は返答があった。

 

()()()()()()()! 十秒後、三時の方向に飛ばします!」

 

 その声がした方向に、【ロキ・ファミリア】が目を向けると。

 そこには枯木に身を潜ませていたであろう小人族(パルゥム)が立っており、特注品だと思われるクロスボウを構えていた。

 

「カウント、十、九……──」

 

 その栗色の瞳は極限まで細められ、発射する時機(タイミング)を口頭で仕えている主に報告している。

 

「あれ、変よ! 番えているの、矢じゃない!」

 

 そう声を上げたのは、ティオネだった。

 

「あれは……剣? いや、もっと厳密には、片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)か?」

 

 小人族(パルゥム)勇者(ブレイバー)が、初めて驚きを露にした。

 女戦士(アマゾネス)の指摘と、小人族(パルゥム)の少年の言う通り、小人族(パルゥム)支援者(サポーター)が番えていたのは本来番えるべき矢ではなく長剣だった。

 

「あれをミノタウロスに飛ばすつもりか。見た所、『魔剣』ではなさそうだが……」

 

 リヴェリアが疑問を口にする中。

 

「いや待て。あの剣、まさか……」

 

 長剣を凝視したフィンが、ある事に気が付く。

 それとほぼ同時、遂にカウントはゼロとなる。「行きます!」と小人族(パルゥム)支援者(サポーター)が銀の長剣を発射した。

 風を切ってそれは一直線に突き進み、只人のもとへ向かう。そしてちょうど真横に、それは地面へ突き刺さった。

 

「そうか……そういう事だったのか……!」

 

勇者(ブレイバー)】がある確信を抱くのと、同時。

 剣士は左手で墨色の長剣の柄を、右手で銀の長剣の柄を握った。

 

「二刀流……?」

 

 それまでずっと沈黙していた【剣姫(けんき)】が金の瞳を大きく見開かせ、その唇を動かして呟いた。

 そして、観客達が呆然とする中。

 只人の剣士が、二本の長剣を持って走り出す。

 

「うおおおおおおおおおおお──!」

 

 勝利をもぎ取る為に、ベル・クラネルは雄叫びを上げ続ける。

 

 

 

 

§

 

 

 

「……ッ!」

 

 ガタッ、と。

 美の女神フレイヤは衝動に駆られるままに椅子を蹴飛ばし、立ち上がっていた。

 その美しい銀の瞳は愕然と見開かれており、目の前で宙に浮かんでいる円形の窓を凝視する。

 

「……!?」

 

 神々が下界に降臨するにあたり──『娯楽』に興じるにあたり、神々が話し合い定めた『規律』がある。

 それは、『神の力(アルカナム)』の行使の禁止。もしこれを破った場合、その神は規律違反となり天界へ強制送還される仕組みとなっている。

 だが、全ての『神の力(アルカナム)』が禁じられている訳ではない。

 フレイヤが()ているこの窓──『()()()』は『神の力(アルカナム)』の一つである。本来の用途としては天界から下界を覗く為の千里眼めいた能力であり、この『神の鏡(アルカナム)』は下界のとある催しの為にのみ使用許可が出ている特例でもあった。

 だが特例といえど、神一柱(ひとり)の独断で使って良い訳では断じてない。もし私的に使用し他の神に露見すれば即刻強制送還となっている。

 そしてこの『神の鏡』は各チャンネルパターンに於いて特定の波動が出ており、使用すればまず間違いなく最寄りの神達に察知されてしまう。

 それでは、何故、フレイヤは『神の鏡』を使用し且つ使用してから少なくない時間が経っているのにも関わらず今なお下界に居るのか。

 理由はとても簡単である。

 その美貌を用いて、他の神達を誑し込んだからに他ならない。

『今日一日限り』『どの【ファミリア】にも不利益を出さない』『ダンジョンの一部分』という契約の元、リスクを承知で、フレイヤは特等席に着く事を願ったのだ。オッタルをベルに襲撃させ『泥』を被せたのも、オッタルにベルが戦う相手を見繕わせたのも。

 

 全ては、この『舞台』を観る為。

 

 その為だけに、フレイヤは動いていた。

 窓の中では、ベルが二本の長剣を自由自在に扱いミノタウロスへ連撃を叩き込んでいる。

 初めてとは思えないその様子と想定外の出来事に、フレイヤは眷族から上がってきた報告書を読み直す。

 その中には、戦闘中に武人が感じた『違和感』が書かれていた。

 

「そう言えば……オッタルだけじゃなくて……」

 

 フレイヤはさらに思い出す。

 それは以前、土の民(ドワーフ)の酒場にて、そこの給仕の妖精が只人の剣士と話していた事。

 そうだ、確か彼女はこう言っていた。

 

『しかしクラネルさん。貴方の体格、それに戦闘様式(スタイル)を考慮すれば片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)ではなく短剣やナイフの方が適しているのではないですか?』

 

 その問いに対して、只人は『適性がないから』と答えていた。

 だが、それは違うのではないだろうか。いや、適性がないというのは本当なのだろう。

 だがそれ以上に理由があるのだとしたら、どうだろうか。

 片手剣直剣(ワンハンド・ロングソード)に拘る理由──そこまで考え、フレイヤは疑念を抱く。

 そして、確信に至った。

 

「前提を、間違えていたというの……!?」

 

 ベル・クラネルは片手剣使い。

 そう、思っていた。それはフレイヤだけではなく、多くの者がそうだろう。

 だが、それは違った。違ったのだ。

 ベル・クラネルの本当の戦闘様式(スタイル)は──二刀流だったのだ。

 

「ふふ、ふふふふふふっ!」

 

 フレイヤは笑った。

 そして、童女のように銀瞳を輝かせ、身を乗り出して窓を覗く。

 

「嗚呼……なんて! なんて、美しい光景なの!?」

 

 

 

 

§

 

 

 

 左手には《プロシード》。

 右手には《プロミス─Ⅱ》。

 鍛冶師達がその情熱を込めて造り上げてくれた二本の長剣を、決して落とさぬよう、その柄を強く握る。

 先程まであった恐怖が嘘であったかのように身体は何処までも軽く、しなやかだった。

 雁字搦(がんじがら)めになっていた思考は冴え渡っており、あらゆる感覚器官が敏感になっているのが分かる。

 そして、何よりも。

 敬愛してやまない女神から賜った、この身体の背に刻まれている『神の恩恵(ファルナ)』。

 それが今までで一番『熱』を帯び、それが闘志へと変換されている。

 迫り来る大刃を左手の剣で受け止め、空いている胴体を右手の剣で突く。

 頭上から浴びせられる『咆哮(ハウル)』、強制停止しそうになる身体を想い(いし)だけで乗り越え、自身の雄叫びで相殺する。

 連撃を叩き込みながら、ふと、思った。

 

 もし。

 

 もしも。

 

 もしも、負けたら──そんな一瞬湧き出てきた考えを一蹴する。

 負けを覚悟して勝負に挑むのは馬鹿だ。

 だって、そうだろう。

 目の前のミノタウロスも。

『僕』も。

 自分の勝利を信じ、微塵も疑っていない。

 そしてこの『冒険』を乗り越えられたら、『僕』は『英雄』になれるのだろうか。

 或いは、『英雄』に一歩近付けるだろうか。

 

『英雄』。

 

 いつから憧れているのか、いつから焦がれているのか、それはもう覚えていない。

 

 だけど、憧憬があった。

 

『前』の『僕』じゃ果たせなかったこの想い(いし)を、『今』の『僕』なら、果たせるだろうか。

 それは、分からない。

 誰にも分からない。

 他の人にだって、精霊にだって──神にだって。

 だから、『僕』は航海をするんだ。

 この果ての見えない大海を突き進むんだ。沢山の人と、沢山の想い(いし)を乗せて。

 

『僕』は決して独りじゃない。それを、『僕』は()っている。

 

 だから。

 

 さあ、笑おう。

 

 周りの人も巻き込んで、一緒に笑おう。

 

 さあ、何度でも笑おう。

 

『僕』は世界(ここ)に居るのだと、声高に主張しよう。

 

 これが、『僕』の『冒険』。

 

 これが、『今』の『僕』が紡ぐ『冒険(きげき)』だ。

 

 

 

 

§

 

 

 

 誰も、目を離せないでいた。

 

 何故ならそこには、『冒険』があった為だ。

 

【ロキ・ファミリア】──『英雄候補』達は自分達が乗り越えて来たこれまでの『冒険』を懐かしく思い返しながら、しかし、何故自分があの場に居ないのだという嫉妬心を抱えながら、今回は観客としてその『舞台』を観る事に落ち着いていた。

 只人の剣士と『怪物』の戦闘は、佳境を迎えつつあった。

 

「まさか本当に、あの小人族(パルゥム)が活躍するとはな……」

 

「そうね。私もあれには驚いたわ──団長はこうなる事が分かっていたんですか?」

 

「まさか。僕達はあのミノタウロスと同様、彼等の『駆け引き』にまんまと負けたのさ」

 

 リヴェリア、ティオネ、フィンがそれぞれ言う。

『技』と『駆け引き』。今代の『英雄候補』──引いては、第一級冒険者達がよく使う言葉である。

 ベル・クラネルはたった今、『技』と『駆け引き』のどちらに於いても、ミノタウロスを明確に上回っていた。

 そしてそれは、一方的な蹂躙(ワンサイド・ゲーム)から対等な勝負へと変化を見せている。

 

『ヴォオオオオオオオオ!』

 

 ミノタウロスが驚愕と怒りの声を上げる。

 謎の閃光を喰らい視野が回復したと思ったら、それまで一刀で戦っていた相手が二本の刀で猛攻撃をしてきたのだ。

 その衝撃は凄まじく、なまじ『自我』が芽生えていたミノタウロスだからこそ、その動揺から抜け出すのは簡単ではなかった。

 

『ヴォ!? ヴォオオオ!?』

 

 銀の長剣から繰り出される攻撃を、ミノタウロスはすんでの所で回避する。

 そして大きく後ろへ跳躍し、距離の確保に努める。

 だが当然、ベルがそれを許す筈もない。滑空するように地面を蹴り、瞬く間にミノタウロスへ肉薄する。

 

「せああああああああああ!」

 

『ヴォオオオオオオオオオ!』

 

 下段からの斬り上げを、ミノタウロスは大剣の腹で受け止めようとするも、ベルの方が速かった。

《プロミス─Ⅱ》がモンスターの下腹部から胸部まで滑らかに走る。

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオ!?」

 

 傷口から血を噴出させながら、ミノタウロスが悲鳴を上げる。

 それはモンスターが初めて出す悲鳴だった。致命傷とまでは行かないまでも、深手である。

 ベルはそのまま追撃しようとし、すんでの思い留まる。

 股の間を前転で通り抜け、巨体の背後に回る。

 そして、その選択は正しかった。

 苦痛に表情を歪めたモンスターが、手にしている大剣を振り回したのだ。もしベルが攻撃態勢に入っていたら、回避が間に合わなかったかもしれない。

 

「うおおおおおおおお!」

 

 声を上げ、只人は銀の剣と墨色の剣を振るう。

 

「おい、どうなってやがる。あの得物……これまで使っていた物とは斬れ味が段違いだぞ」

 

「あれは多分、僕が以前ベルに贈呈(プレゼント)した物だ。業物だとは思っていたけれど……まさかミノタウロスの肉を断ち切る程だとはね」

 

「断ち切る所じゃねえ。あれは、Lv.1が持って良い品物じゃねえだろ。ミノタウロスにも効いてるじゃねえか。フィン、手前……駆け出しに何を持たせてやがる」

 

 狼人(ウェアウルフ)の戦士は、《プロミス─Ⅱ》の異常性を見抜いていた。

 身の丈に合わない武器は使い手を腐らせる。

 ベートの指摘に、フィンは「僕が持たせた訳じゃないさ」と肩を竦めて言った。

 

「あれは摩天楼施設(バベル)のテナントで、ベルが偶々手に取った物だ。ベート、君も知っているだろう。あそこのテナントには無名の鍛冶師が打った武器が売られている。粗悪な物から、掘り出し物もある。ベルは当たりを引いた。それだけさ」

 

「チッ」

 

 ベートは舌打ちすると、それ以上追及する事はしなかった。

 

『ヴルゥゥウウウウウ……!』

 

 ミノタウロスが苦しげな声を出す。防戦一方であり、叩き込まれてくる連撃に対応が追い付いていない。致命傷こそないが、その巨躯には確実に傷が出来ていた。

 だが、しかし。

 

(まだだ……! まだッ!)

 

 まだ足りない、とベルは歯噛みする。

 二刀流を駆使しても、ミノタウロスを倒せていない事が何よりの証明だった。

 確かに今は、ベルが押している。

 だがその優位性は時間の経過と共に無くなりつつあった。単純に、ミノタウロスがベルの剣技を学習し始めている為だ。

 攻防を重ねれば重ねる程、何者かに調教され、『自我』が芽生えたモンスターはゆっくりと、しかし着実に学習していく。

 

(もっと……! もっと速く!)

 

 全身を余す事なく使い、ベルは攻撃速度を速める。

 

(《プロシード》じゃ駄目だ! 《プロミス─Ⅱ》でなければ、このモンスターには攻撃が通らない!)

 

《プロミス─Ⅱ》の時でのみミノタウロスは防御行動に入り、逆に《プロシード》の時は意に介していない。自分を殺し得るのが銀の長剣なのだと、ミノタウロスは理解している。

 

(クソッ……!)

 

 あとほんの少しで、ミノタウロスは完全に二刀流に慣れるだろう。

 最上段から振り下ろされた一撃を、二本の長剣を交差させる事で受け止めながら、ベルはその時が来るのをひしひしと感じていた。

 だが、ベルは不味いとは思ってこそいたが、焦りや絶望は感じていなかった。

 冷静に、自分が()すべき事を()す。

 横薙ぎに振られた大剣を、二本の長剣で真正面から迎撃する。両手から全身に伝わる痺れに顔を顰めながらも、そんな暇はないと意識を戦闘に注ぎ込む。

 

(あと少し、あと少しの筈だ……!)

 

 それは、願望ではなく。

 それは、可能性として起こり得る一つの結果。

 ベル・クラネルはそれを、今か今かと待っている。

 

 そして、その(とき)は訪れる。

 

 ピキリ、と。

 

 それまで無かった異音が小さく、しかし確実に鳴った。

 その出処は、ミノタウロスが持つ大剣。

 

『ヴォ!?』

 

 ミノタウロスが動揺し、身体の動きが止まる。

 

(これを待っていた……!)

 

 武器は摩耗する。その事を、ベル・クラネルは身を以て知っている。

 にやりと笑うと、後方へステップ。《プロミス─Ⅱ》と《プロシード》を重ね合わせ、一瞬の溜め(チャージ)と共にそれを解放(バースト)、地面を強く蹴った。

 矢から放たれた矢の如く、ミノタウロスへ接近する。

 

「あああああああああああ!」

 

 狙うは、ミノタウロス──ではなく、()()()()()()()()()()()()()()

 急接近してくるベルに、ミノタウロスは反応が遅れてしまいそれを許してしまう。

 

 ガキィイイイイイイイン! 

 

 異質な金属音が大きく広間(ルーム)全体に響く。

 そして。

 ビキッ! と。

 大剣は音を立てながらその刀身を失い、ただの鉄屑と化した。

 

「武器破壊!? 偶然!?」

 

「違ぇ。あいつは狙っていたのさ」

 

 無造作に労る事なく酷使し続けてきた代償をミノタウロスは払う事になったのだと、狼人(ウェアウルフ)は断言する。

 

「さあ、勝負を決めるなら今だぜ」

 

 決定的な『隙』。

 それは、ベルも十分理解している。

 

(勝負に出るなら、今しかない──!)

 

 そう思った、その時だった。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──ッッッ!』

 

 ミノタウロスが今までで一番、大きく叫んだ。

 

強制停止(スタン)を狙ったのか……?)

 

 今のベルに『咆哮(ハウル)』は通用しない。ミノタウロスはそれを分かっている筈だ。

 だが何故そうしたのか。

 苦し紛れの行動かとベルは訝しみつつも、勝負を付けるべく駆け出す。

 そして、あと三歩で剣の間合いに入ろうかとした、その時。

 ミノタウロスが突然、右手を斜め後ろに伸ばした。そこにあるのは──枯木。そしてその巨木を、猛牛はその剛腕で勢いよく引き抜いた。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──ッッッ!』

 

 ミノタウロスが、再度、()える。

 それは、母なる迷宮(ダンジョン)に向けてのものだった。

 刹那、愛しい我が子の想いに応えるように──枯木は無骨な大剣となる。

 そしてミノタウロスは大剣でベルの攻撃を受け流すと、そのまま後方へ跳躍、距離を取った。

 

迷宮構造(ダンジョン・ギミック)……迷宮の武器庫(ランド・フォーム)……!」

 

 ベルは歯噛みした。

 これでは幾ら武器破壊しようとも意味がない。ミノタウロスは何度でも母なる迷宮からの供給を利用するだろう。

 

定石(セオリー)としては、迷宮の武器庫(ランドフォーム)に使われそうな物を破壊する事だが……!)

 

 ミノタウロスはそれを見逃す程甘くない。

 

(クソッ……頭が、頭が痛い……!)

 

 こめかみを押さえ、ベルは顔を歪める。二刀流の限界時間がすぐそこにまで迫っているのだ。

 それだけではない。体力も既に三分の二程失っている。

 

「ヴォオオオオオオオオオオ!」

 

 攻撃してこないベルに対して、ミノタウロスが声を上げる。戦いはまだ終わっていないと主張しているようだった。

 モンスターと人間の体力には天と地の差がある。それを今、ベルは痛感していた。

 

「はあ、はあ……」

 

 呼吸を繰り返し、ベルは脳が正常に動くように酸素を身体中へ巡らせる。

 深紅(ルベライト)の瞳にはまだ光が宿っており、寧ろ、その輝きはどんどん強くなっていく。

 

「さあ、ベル。どうする?」

 

勇者(ブレイバー)】が問い掛ける。

 そして、ベルは決断する。

 ベルは敵の暗褐色の片眼を自身の深紅(ルベライト)の瞳で睨み付けると、仲間の名前を叫んだ。

 

「リリ──ッ!」

 

 刹那、『靄』の向こうから閃光玉が投げられ、爆発する。

 小人族(パルゥム)の支援者は傍観せず、いつ来ても良いよう、仕えている主から指示が来るのを待機していたのだ。

 眩いばかりの光量。しかし三度目ともなればミノタウロスに驚きはなかった。

 

『ヴォオオオオオオ!』

 

 地面を蹴り、ミノタウロスは大きく後退する。大剣を振り回し牽制しても、今のベルなら容易く掻い潜ってくるという確信があったが故の判断だった。

 視界を取り戻すまでの数秒を稼ぐ為、ミノタウロスは『靄』を利用し身を隠そうとする。

 対する、ベルは。

 

(行くぞ……最後の『駆け引き』!)

 

 ミノタウロスへ攻撃を仕掛ける訳でもなく、自身もまた『靄』の中に姿を晦ます。

 それまでの剣戟が嘘であったかのように、広間(ルーム)は不気味な静寂に包まれた。

 

「一体何が狙いだ……?」

 

「分からないわ。ただ、『次』で本当に決着がつく気がする」

 

 二人の観客が囁き声を交わす。

 だが、他の観客達も感じ取っていた。

 この『舞台』が静かに、しかしゆっくりと、終焉へ向かっていっている事に。

 そして、それを告げる『音』が出る。

 

「──(わら)おう、たとえどんな苦難(くなん)があろうとも】

 

 それに真っ先に気が付いたのは、リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 都市最高位の魔導士たる彼女が神々から与えられた二つ名は【九魔姫(ナイン・ヘル)】。

 

「これは……『魔法』の詠唱か……!?」

 

 リヴェリアは確信する。

 この魔力の独特の揺れは間違いなく、『魔法』を発動する為の事前段階であると。

 

「──(つむ)がれるは『喜劇(きげき)』。(やみ)()くは希望(きぼう)(ひかり)暗黒(あんこく)時代(じだい)終焉(しゅうえん)を、(ほろ)びを(むか)える世界(せかい)(わら)いと(すく)いを(もたら)せ】

 

 詠唱が進むと同時、【九魔姫(ナイン・ヘル)】のみならず他の『英雄候補』達も気付く。

 

「ねぇこれ、長文詠唱じゃない!?」

 

「あの光……何?」

 

 金の瞳を細め、アイズがそれを凝視する。

『靄』がある為視認しづらいが、小さな、しかし金の粒子が地面から立ち昇っている。

 

「光だけじゃない。あれは……何だ……?」

 

 そして、この中で最も視力が良い小人族(パルゥム)のフィンがそれを見付ける。

 地面に描かれている、幾何学的な紋様。

 

魔法円(マジックサークル)……?」

 

「いや、違う。あれは魔法円(マジックサークル)ではない」

 

九魔姫(ナイン・ヘル)】が【勇者(ブレイバー)】の推測を否定し、【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】と同じ結論をすぐに出した。

 翡翠色(エメラルド)の瞳を見開かせ、リヴェリア・リヨス・アールヴは断定する。

 

「威力強化、効果範囲拡大、精神力(マインド)効率化など、『魔法』を行使するうえで様々な補助を(もたら)すのが魔法円(マジックサークル)だが──あれには一切、そのような効果はない」

 

「じゃあ、あれは何だい?」

 

「『魔法』に関係しているのは間違いないだろうが……現段階では、分からない。正しく、『未知』だ」

 

 魔法種族(マジックユーザー)たる妖精の回答に、他の【ロキ・ファミリア】団員達は今日一番の驚愕の表情を浮かべた。

 

『……ヴォ? ヴォオオオオオオオオオオ!?』

 

 これまで隠れていたミノタウロスが声を上げる。

 モンスターは『靄』を突っ切って現れると、辺りを見回した。

 

「気付かれた!? まさか、こいつも魔力に反応したの!?」

 

 ティオネの推測が正しいとでも肯定するかのように。

 ミノタウロスは暗褐色の隻眼を色濃く光らせ、その巨体をゆっくりと動かす。

 そして、黄金の煌めきと地面に走っている光の線の一部を視認したのだろう。

 

『ヴァアアアアアアアアアアアアアアア──ッッッッ!』

 

 憎悪に満ちた声を、大いなる魔物は上げた。

 そして、大剣を地面へ放り捨てる。

 

「「「……!?」」」

 

【ロキ・ファミリア】の冒険者達が息を呑む。

 ここで得物を捨てる理由など──そんな彼等の思考を読んでいるかのように。

 ミノタウロスは両腕を地面に振り下ろし、そのまま踏み締め、頭を低く構えた。

 臀部の位置は高く、所謂四つん這いの姿勢になったその姿は、正しく猛牛。

 

『ヴルゥゥゥゥ……!』

 

 ミノタウロスが、静かに唸った。

 それは、追い込まれたミノタウロスが度々見せる姿勢。己の最大の角を用いたそれは、進行上の全てを文字通り粉砕する『切り札』である。

 片角とはいえ、それはとても強力無比なラッシュとなり得る。掠っただけでも、只人の身体は紙切れのように吹き飛ばされるだろう。

 

「『魔法』が完成する前に勝負を付ける気!?」

 

「非常に合理的だ。あのミノタウロス、薄々感じてはいたが『普通』ではない。『知性』すら感じるぞ」

 

怒蛇(ヨルムンガンド)】が目を剥き、【九魔姫(ナイン・ヘル)】が冷静に評する。

 

「──嗚呼(ああ)、しかし、(だれ)名乗(なの)りを()げぬというならば】

 

 ミノタウロスが貯蓄(チャージ)する中、ベルの詠唱は続いていた。

 

「駄目……間に合わない……!」

 

剣姫(けんき)】でもなく、剣士でもなく、ただの少女となって、『彼女』は悲痛な声を上げた。

 そして、その時。

 

 突如として、暴風が吹いた。

 

 一度ならず、二度、三度と連続的にそれは起こった。

 それは辺り一帯どころか広間(ルーム)全体の『靄』を吹き飛ばしてしまう程だった。

 視界が良くなった広間(ルーム)

 対峙している只人と、猛牛。

 そしてリヴェリアが、やや離れた場所に立っている小人族(パルゥム)を見付ける。

 

「あの小人族(パルゥム)がやったのか……? それにあれは、『魔剣』……?」

 

 短剣タイプの『魔剣』を振り下ろした姿勢で、リリルカはいた。

 

「一体何の為にそんな事をするのよ。これじゃあ、自分から居場所を明かしているようなものじゃない」

 

 事実だった。

『靄』が一時的にとはいえ吹き飛ばされている現在、ミノタウロスはベルを視認している。

 その彼我の距離、約五(メドル)

 突進するにはやや助走が足りないが、それまでも只人を殺すには十分だ。

 何の意図があって、そのような事をするのか。

『英雄候補』達が訝しむ中。

 

「……ッ!」

 

『……ッ!』

 

 ベルとミノタウロスが睨み合い──両雄の互いの想いが絡み合う。

 一瞬に満たない意思疎通。

 そしてミノタウロスが、ニヤリ、と獰猛に笑った。それは勝利を確信した笑み。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──ッッッ!』

 

 ミノタウロスが、突撃する。

 地面を強く踏み締めながら最短距離を走り抜ける。

 

「ベル……!」

 

 ただの少女であったアイズが悲鳴を上げた。だがすぐに剣士の顔付きとなると、腰の長剣へ手を伸ばす。

 Lv.6のアイズ・ヴァレンシュタインなら、まだ十分に間に合う。ミノタウロスがベルへ到達するよりも前に、アイズがミノタウロスの進路上に立ち、斬る方が早い。

 だが、アイズはそれが出来なかった。アイズが地面を蹴るよりも前に、アイズの手は横から伸びた手でがっしりと摑まれた為だ。

 

「ティオナ、どうして!?」

 

 顔を向け、アイズは険しい表情で言った。

 どうして止めるのか、アイズには甚だ不思議だった。

『舞台』が始まってから一度口を開かず、ずっと『彼』を目で追っていたティオナは、やはり、アイズの目を見る事なく言った。

 

「大丈夫だよ」

 

 ティオナの顔に、不安の文字はなかった。ただそこには、普段浮かべている、向日葵(ひまわり)のような笑顔があった。

 

 そして、その刻は訪れる。

 

 彼我の距離を瞬く間に詰めてくる『怪物』。

 だが只人の剣士に──ベル・クラネルに、恐れはなかった。

 

「──、行くぞ、ミノタウロスッ!」

 

 声高に宣言し、ベルもまた、突進をする。

 

(詠唱はまだ終わっていない。だと言うのに、何故撤退ではなく前進を選んだ……? 若さ故の判断か?)

 

『魔法』は完成しておらず、練り上げられ、今にも爆発しそうな魔力がベルの身体が覆っている。

 

(あれでは、いつ『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』しても可笑しく……──)

 

 そこまで思考し、【九魔姫(ナイン・ヘル)】は翡翠色(エメラルド)の瞳を見開かせた。「まさか!」と息を呑み、都市最高位の魔導士はベルの狙いを正しく理解し、愕然とした表情を浮かべた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお──ッッッ!」

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──ッッッ!』

 

 ベルも、ミノタウスも。

 互いに、互いの事しか眼中になかった。

 一気に縮まる間合い。瞳の中で大きくなっていく互いの姿。

 二本の長剣が同時に振り上げられ、一角が巻くように右肩へ溜められる。

 振り下ろしと、掬い上げ。

 激突する互いの得物。

 膠着する戦闘──その間隙。

 

「「「──!?」」」

 

『英雄候補』達が絶句する。

 ベルが二本の剣の柄、それを突然離したのだ。支えが無くなった事により銀の長剣と墨色の長剣が吹っ飛び、地面に転がる。

 

『ヴォ!?』

 

 ミノタウロスが純粋な驚き声を上げる。

 そして、モンスターが晒したその『隙』を冒険者は見逃さない。

 硬直するミノタウロス。その巨体の下に、ベルは滑らかに入り込む。そして傷を負っている腹部に右手を突っ込んだ。

 

「──【『英雄(えいゆう)もどき』の……、私が……、名乗りを……、上げようッ】

 

 たどたどしい詠唱は、『魔法』の失敗へ繋がる。

 

 ド──────────────ンッッッ! 

 

 制御(コントロール)に失敗し、練り上げられた膨大なその魔力は、純粋なエネルギーとなって暴発した。

 爆風と土煙が舞い、観客達は堪らず手で顔を覆った。

 

「あの子……正気? 『魔力暴発』を意図的に起こして、特攻するだなんて」

 

 信じられないと言うように、ティオネが呆然と呟く。他の観客達も内心で同意する中、土煙が晴れていく。

 そして、観客達は『舞台』の結末を目撃する。

 

『ヴォオ……ヴォオオオ……』

 

 立っているのは、『怪物』ミノタウロス。

 剛角を失い、身体の至る所には深手を負い、その傷口からは紫紺の大きな結晶が露出していて尚──だがそれでも、大いなる魔物は地面に立っていた。

 

『ヴォオオオオオオオオオオオオ……!』

 

『怪物』が、猛る。

 その隻眼にはまだ闘志が宿っていた。

 

「うそ……」

 

 アイズが、唖然とする。その金の瞳はミノタウロス……ではなく、少し離れた場所で地面に横たわっている只人へ向けられていた。

 全身血だらけのベルが、そこには居た。処女雪のような白髪も染められており、ロングコートもただの襤褸と化している。

 

「こひゅー……こひゅー……」

 

 浅い呼吸を繰り返しているベルは、今にも事切れそうだった。

 アイズだけでなく、他の観客達も察する。

 

 ベル・クラネルはミノタウロスに敗れた。

 

 臨んだ『冒険』に失敗した。

 少年は、憧れている『英雄』にはなれなかったのだと。

 

「ここまでか……」

 

九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴが翡翠色(エメラルド)の瞳を閉ざし呟く。

 

「よくやったけど、ここまでね……」

 

怒蛇(ヨルムンガンド)】ティオネ・ヒリュテも同意する。

 

「……」

 

凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガが無言で琥珀色の瞳を細める。

 

「ベル……ベル……!」

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが悲痛な表情で少年の身を案じる。

 

「……」

 

勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナが疼く親指を擦りながら、その場に佇む。

 

 だが。

 

『舞台』はまだ終わっていないと、主張する者が居た。

 

 

 

「まだだよ。まだ──終わっていない!」

 

 

 

 ティオナ・ヒリュテが叫ぶ。

 

「そうだよね!?」

 

 刹那。

 その問い掛けに答えるように。

 たたたっ、と、小さな足音が出た。

 

「いま、だ……リリ……」

 

 ベルが笑った。

 その小さな亜人族(デミ・ヒューマン)──リリルカ・アーデは【ロキ・ファミリア】の横を通り過ぎると、そのまま脇目も振らず一直線に走る。

 

「うわああああああああああッ!?」

 

 悲鳴とも雄叫びとも取れる叫喚の声を上げながら、リリルカはミノタウロスの前に躍り出る。

 そして、右手で持っていた短剣を思い切り振った。

 刹那、剣の切っ先から爆炎が生まれた。それはミノタウロスの胸部──体内から露出している魔石へ直撃し、紫紺の結晶がビキッと音を立てて砕け散る。

 

『──ッ!?』

 

 断末魔を上げる暇もなく。ただそこには、驚愕だけがあった。

『怪物』ミノタウロスは身体を一瞬膨張させた後、その肉体を黒灰とした。

 

 誰も、何も言わない。

 

 ただ、シンとした静寂がそこにはあり──『舞台』が幕を閉じたのだという事を告げていた。

 

「──もしも」

 

 小人族(パルゥム)の少年が、おもむろに口を開く。

 そこには、羨望があった。そこには、嫉妬があった。

 だがそれ以上に、そこには称賛があった。

 

「もしも、この『舞台(ものがたり)』に名を付けるというのなら」

 

『英雄候補』の一角として、小人族(パルゥム)を代表する【勇者(ブレイバー)】として。

 何よりも、友人として。

 フィン・ディムナは年甲斐もなく興奮した表情を満遍に浮かべながら、言った。

 

「それはきっと、こうだろう。即ち──『人が、雄牛を倒す物語』。或いは、『雄牛が、人を倒す物語』」

 

 ベル・クラネルVSミノタウロス──勝者、ミノタウロス。

 改め。

 ベル・クラネル&リリルカ・アーデVSミノタウロス──勝者、ベル・クラネル&リリルカ・アーデ。

 斯くして、少年少女は『冒険』に臨み、見事、乗り越えたのだった。

 

 神々でさえも認める『偉業』が、達成された。

 

 

 

 

§

 

 

 

 仲間達が、『舞台』を終えた主役達に近付いていく。アイズが一番先に駆け出し、その次にフィン、リヴェリア、ティオネ、ベートでさえも続いていく。

 

 だけどあたしは、それに続く事が出来なかった。

 

「────」

 

 途轍もない頭痛があたしを襲い、呼吸をするのでさえ苦しかった。

 

 倒れなかったのは、立っていられたのは、奇跡に等しかった。

 

 それは、ある種、立ち眩みのようなものだった。

 

 だけど、その一瞬で。

 

(あたし)』は、全てを思い出したのだ。

 

 頬を伝う熱い液体。それが自分の涙だと気が付くのに、かなりの時間を要した。

 

(あたし)』は、泣いていた。

 

 けどそれは、悲しいからじゃない。

 

 悲しいから、泣いているんじゃない。

 

 もう一度逢えたのが堪らなく嬉しくて、あたしは泣いていたんだ。

 

 口角を上げて、唇を綻ばせて。愛おしさを胸に抱いて。

 

 だから、さあ。

 

(あたし)』は笑うよ。

 

 何度でも、『貴方(きみ)』と一緒に。

 

 




お久しぶりです、Sakiruと申します。
物語を作っていく上で、今回のお話はどうしても書きたかった訳ですが……自分的には、少し、書き切れなかった思いがあります。それはひとえに私の力量不足であり、まだまだ精進せねばならないと思うばかりです。


感想や評価を頂けると、とても励みになります。

誤字脱字報告も、いつもありがとうございます。

読者の皆様が居なければ、ここまで来れませんでした。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます、これからもよろしくお願いいたします。

さて、それでは最後に次のお話について少しだけ。


§

物語の頁が、一つ、進んだ。
死闘の末、『怪物』ミノタウロスを倒したベル・クラネルはその報告をする為、久方振りにギルド本部へ足を運んでいた。

「今の君に、次の層は行かせられないかな」

担当アドバイザーに意気揚々と報告するも、しかし、返ってきたのは思いもよらないものだった。
また、居候先である【ミアハ・ファミリア】には今月分の借金を払えとディアンケヒトが訪ねてきており──。

三ヶ月に一度開かれる神会。

登場する男神と、その眷属。

そして、舞台はダンジョン18階層へ移る。


「ヘスティア、魔法の使用許可を」


この日。
歴史が、動いた。

第五幕──『英雄よ(アナスティスィス)立ち上がれ(イロアス)


§

この後21時に、第四幕最後のお話を投稿いたします。よろしくお願いいたします。


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始源

 

 それは、懐かしい記憶。『僕』は、夢を見ていた。

 

 日は沈み、寒さはまだまだ続いている。暖炉が優しい火の音を鳴らしている、そんな、冬の日。

 地図にも載っていないような、小さな村。そこから少し離れた場所に建っている、小さな木造りの家。

 

 そこに、『僕』とお祖父ちゃんは住んでいた。

 窓辺の椅子に腰掛けているお祖父ちゃんに、『僕』はゆっくりと近付いた。

 

『お祖父ちゃん、今日は何を読んでくれるの?』

 

 お祖父ちゃんの手の中には、一冊の本があった。

『僕』はぴょんとお祖父ちゃんの膝の上に座ると、下から大好きな顔を見上げて聞いた。

 

『この前の、『炎の英雄』みたいなお話?』

 

 お祖父ちゃんは自分で英雄譚を書き(つづ)っては、それを幼い『僕』に読み聞かせてくれていた。

 それはとても面白くて、話に出てくる登場人物達はとても格好良くて、自分もああなりたい、ああなれたら良いな、と憧憬の念を覚えていた。

 

『そうじゃなぁ……』

 

 白い髭を擦りながら、お祖父ちゃんが答える。

 

『それは、最後まで聞いてからのお楽しみじゃ!』

 

 孫の『僕』がドン引くくらいのニヤニヤとした気持ち悪い笑みを浮かべ、お祖父ちゃんはそう言った。

 勿体ぶらずに教えてくれても良いのにと、幼い『僕』は少し拗ねた。

 唇を尖らす『僕』の頭を、お祖父ちゃんはその大きくて優しい手で撫でる。

 たとえ自分の居る場所が小さな世界だったとしても、たとえ両親が居なくても、『僕』は何も不満に思っていなかった。『僕』は、とても幸せだった。

 

『そんじゃあ、始めるぞ!』

 

 お祖父ちゃんが、表紙を捲る。表題(タイトル)を見る暇もなかった。

『僕』はそれに文句を言おうとして……出来なかった。

 だって、そこには。

 子供のようにワクワクとした表情を浮かべている、お祖父ちゃんが居たからだ。

 初めて見るその表情に、とても驚いたのを覚えている。

 幼い子供ながらに、この話は、大人でさえもそうさせてしまうだけの面白さがあるのだと期待した。

 

 

 

§

 

 

 

 それはとても こっけいで だれでも えがおにしてしまう

 

 

 えいゆうに あこがれた ゆかいな 英雄のお話

 

 

 

§

 

 

 

 それは英雄になりたい青年が、猛牛にさらわれた王女様を助けにいく物語。

 時には悪い人に騙され。

 時には王様にも利用され。

 それでも、騙されていることにも気付かない。

 友人の知恵を借りて。

 精霊から武器を授かって。

 なし崩し的に王女様を助けてしまう……。

 

 

 

『──どうじゃ、ベル? これは儂一番のお気に入りでなぁ……』

 

 お祖父ちゃんが、何かを懐かしんでいるかのような口調で、『僕』に感想を聞いてくる。それだけお祖父ちゃんにとって、大事な物語だったのだろう。

 開かれている頁には、挿絵があった。

 

 自信満々に囚われの姫に手を差し出す英雄と、英雄の背後を慌てて指差す姫君、そして後ろから忍び寄っている大きな牛人の魔物。

 

『ここがイチオシのシーンでな! どうじゃ、どうじゃ!?』

 

『僕』はそれに答える事が出来なかった。

 頭痛が、『僕』を襲っている。心臓が早鐘のように脈を打ち、息をするのが苦しくて、視界がぼやける。吐き気さえ催しながら、『僕』は堪える。

 だが同時に、懐かしさを感じていた。制御の効かない感情。気が付けば、『僕』は目尻から涙を流していた。

 

 

『ベル……? おい、ベル! どうしたんじゃ、しっかりせい!』

 

 俯く『僕』のただならない様子に、お祖父ちゃんが気付く。慌てて『僕』の両肩を揺すり、必死になって声を掛けてくれる。

 

『医者に診せる必要が……? えぇい、こうなったら、ディアンケヒトかミアハの所に行くしか……!』

 

 ぶつぶつと何事かを呟くお祖父ちゃん。

 だけど、『僕』にはどうでも良かった。

 お父さんから受け継いでいるという深紅(ルベライト)の瞳で、お祖父ちゃんを真正面から見詰める。

 

表題(タイトル)……』

 

 身体を止めるお祖父ちゃんに、『僕』は声を絞り出して、震えながら尋ねた。

 

『この本の表題(タイトル)、何ていうの……?』

 

 お祖父ちゃんは、『僕』の質問に答えた。

 海よりも深い智慧に富み、未来を見通す賢者のような、神様のような瞳で、『僕』の深紅の瞳を見詰めながら、囁くように言った。

 

 

 

「──『アルゴノゥト』」

 

 

 

 その言葉が、最後の引鉄(トリガー)だった。

 

 その日。

 その時。

 その瞬間。

 

 

 

『僕』は、『始まり』を思い出した。

 

 

 



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第五幕 ─英雄よ(アナスティスィス)立ち上がれ(イロアス)
昇格(ランクアップ)


第五幕、開幕です。
よろしくお願いいたします。


 

 摩天楼施設(バベル)にある、治療施設。その、一室。

 そこでは現在、()()()()()()()()()()()()

 

「良いですかベルさん再三申しますが貴方はもっとご自分のお身体を大事になさるべきですええそうです私が渡していた万能薬(エリクサー)がなかったらどうなさるおつもりだったのですかこれは反省が必要ですええそうです私は怒っています怪我をする事ではなく貴方の無鉄砲さにですこれが分かりますか分からないでしょうね貴方には」

 

「はい、仰る通りです、はい……すみません……」

 

 ベル・クラネル十四歳は、ただひたすらに謝罪を繰り返す魔道具と化していた。

 紅玉(ルビー)のような輝きを持つ深紅(ルベライト)の瞳も虚ろとなっており、無心となっていた。

 

「お聞きになっていますか、ベルさん!」

 

 今にも胸倉を摑みそうな勢いで、銀の治療師(ヒーラー)──アミッド・テアサナーレが顔を近付ける。

 神々から精緻な人形、と評されているその美形が、今は修羅になっていた。

 

「き、聞いているよアミッド女医。うん、本当だ。嘘じゃない」

 

 大量の冷や汗を流しながら、ベルは答える。さり気なくを装って距離を取ろうとするも、アミッドはそれを逃がさない。目を細め、ガシッと両手を強く握る。

「ひいっ!?」と情けない悲鳴を上げるベルに、アミッドは竜の息吹(ドラゴン・ブレス)もかくやという勢いでさらに言った。

 

「私が貴方に何本万能薬(エリクサー)をお渡ししたと思いますかええ貴方はその数を覚えていないでしょうねだから私も言いませんしかし何故『上層』でそんなに何回も死にかけるのですか貴方は可笑しいとは思わないのですか思わないのでしょうね貴方は」

 

「あ、あのアミッド女医……? そろそろ私もこの姿勢に疲れてきたと言うか……」

 

「何か仰いましたか」

 

「イエナニモ」

 

 美しい紫水晶(アメジスト)の瞳に射抜かれ、ベルは堪らずに深紅(ルベライト)の瞳を逸らした。甘んじて、極東から伝わったという正座を続ける。正直足が痺れてどうにかなりそうだったが、ここは男子(おのこ)の踏ん張り所だと我慢するしかなかった。

 

「いやー、それにしても長いねぇ」

 

 説教を受け続ける眷族を眺めているのは、女神ヘスティア。彼女はむしゃむしゃと林檎を食べながら、他人事のように呑気そのままだった。

 壁にかけられている時計を一瞥する。

 

「おいおい……もうそろそろ二時間かい? リリルカ君、何とかしてくれよ」

 

 声を掛けられたリリルカは、げんなりとした表情を隠しもせず、首を横に振った。

 

「無理ですよ。リリにそんな命知らずな真似が出来る訳ないじゃないですか」

 

「だよねー」

 

「まぁ」と、ヘスティアは続けて言った。

 

「自業自得だから、仕方ないかー」

 

 そう割り切れば、ヘスティアの行動は早かった。

 林檎を食べ終えたヘスティアはリリルカに、バベルのテナントを散策しようと誘う。暇を持て余していたリリルカもそれに賛同し、幼い女神と小人族(パルゥム)の少女はそのまま部屋を出ていった。

 斯くして、ベル・クラネルは見捨てられたのだった。

 

「ベルさん貴方は私の気持ちが分かりますかヘスティア様が本拠(ホーム)に訪れてきたと思ったら私を見るなり泣き出して何とか宥めて話を伺ったら貴方が重傷を負ったと聞かされた時の私の気持ちが」

 

 アミッドは執拗に追及していた。

 それに、ベルは困ったように笑うばかりだった。

 だがその反応はアミッドにとって地雷そのものであり、視線は鋭く一方だった。

 

「はあ……はあ……はあ……」

 

 アミッドが落ち着きを取り戻したのは、それから暫く経ってからだった。

 荒い呼吸を繰り返すアミッドに、ベルは恐る恐るコップに水を注いでみせる。

 

「あー……その、水を飲んだらどうだろう?」

 

「……頂きます」

 

 そう言うと、アミッドはごくごくと水を飲んだ。余程喉が渇いていたのだろうな、とベルはその様子を見て現実逃避気味に考える。

 それから、ベルは頭を下げて謝った。

 

「すまない。アミッド女医にはいつも迷惑を掛けているな。ありがとう」

 

 それは、ベルの本心だった。

 いつだってこの優しい治療師(ヒーラー)に、ベルは助けられている。

 今こうしてベルが生を謳歌出来ているのは、彼女の献身があってこそだった。

 

「迷惑だなんて、そんな事を仰らないで下さい」

 

 アミッドはそう言うと、続けて言った。

 

治療師(ヒーラー)として、傷付いている人を助けるのは当然の事です。迷惑だと感じた事など、私は一度もありません」

 

「それとも」と、アミッドは尋ねた。

 

「私を頼る事は、貴方にとっては迷惑なのですか」

 

「まさか! そんな事はないさ!」

 

 ブンブンと首を横に激しく振る、ベル。

 アミッドはその必死なベルを見て、初めて口を綻ばせた。

 しかし次の瞬間には治療師(ヒーラー)の顔となり、患者を諌める。

 

「『魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』と精神枯渇(マインドゼロ)にはそれだけの危険性があります。命を落とす可能性も、決してゼロではありません」

 

「……」

 

「そうまでして、勝ちたかったのですか?」

 

 その問いに、ベル・クラネルは無言で頷いた。

 

 ──ベル・クラネルとリリルカ・アーデが『冒険』を終えてから、丸一日が経過していた。

 

 リリルカが使用した短剣型の『魔剣』により、『怪物』ミノタウロスの魔石は爆散した。残ったのは紫紺の結晶の破片と、黒灰だけだった。

 勝利を収めてみせた冒険者達だったが、その余韻に浸る事は出来なかった。

魔力暴発(イグニス・ファトゥス)』を意図的に起こし、その発生源となったベルが身体の至る所に重傷を負っていた為である。

 こうなる事が分かっていたリリルカは狼狽える事もせず、迅速に適切な処置を施した。自身がベルから預かっていた万能薬(エリクサー)を取り出し、それを飲ませた。その効能はすぐに表れ、ベルは九死に一生を得たのだった。

 しかし保有している魔力を全て『魔法』に費やしたベルはそのまま精神枯渇(マインドゼロ)となり気絶してしまった。

 ベルとリリルカを地上まで運んだのは、狼人(ウェアウルフ)の青年とアマゾネスの少女だった。【ロキ・ファミリア】最速の狼人(ウェアウルフ)は団長から指示され、アマゾネスの少女は自分から名乗り出たのである。尚、アマゾネスの少女と金の少女がこの時、自分が行くと主張し言い合いになっていたのを幸か不幸かベルは知らない。

 狼人(ウェアウルフ)の青年がベルを、アマゾネスの少女がリリルカを摩天楼施設(バベル)にある治療施設へ運んだ。そしてほぼ無傷のリリルカがヘスティアへ状況を報告、その報告を受けたヘスティアは【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院へ直行、アミッドへ泣きながら抱きついた。

 アミッドはすぐにベルのもとへ駆け付けた。主神のディアンケヒトが個人に肩入れするなと制止していたがそれを無視し、心配で、必要であれば『魔法』による蘇生も視野に入れていた。

 アミッドが診察してから暫く経って、ベルは目を覚ました。全身の倦怠感は精神枯渇(マインドゼロ)の特徴的な症状であり、ベルは丸一日の安静を言い渡されたのである。

 

「──他の誰かに負けるのは良い。けど、『彼』に負けるのだけは嫌なんだ」

 

 ぽつりと、ベルは言った。

 

「それは、何故?」

 

「ただの『意地』だよ」

 

 ベルは後頭部をぽりぽりと掻きながら、続けて言った。

 

「アミッド女医からしたら、納得は難しいと思う。でも、どうしても、これは譲れないんだ」

 

「……それが例え、自分の命を危険に晒す事になってもですか」

 

「ああ、そうだ。アミッド女医は怒るだろうが……こればかりは仕方ない。多分、もしそうしなかったら、『僕』は『僕』で居られないと思う」

 

 アミッドは暫く黙っていた。銀の瞳を伏せ、考え込んでいるようだった。

 それから彼女はおもむろに口を開けると、溜息を吐いた。

 

「ベルさん……貴方はやはり、分かってはいましたが、『冒険者』なのですね」

 

 紫水晶(アメジスト)の瞳に見詰められ、ベルは頷く。

 そして己の在り方を、宣言した。

 

「そうだ。『僕』は、冒険者だ」

 

 それはとても力強い響きだった。

 アミッドは微笑むと、ベルの手を取って言った。

 

「──おめでとうございます。『冒険』を乗り越え、そして無事に帰還した貴方(がた)を私は誇りに思います」

 

「ありがとう、アミッド女医」

 

 ベルはアミッドと笑みを交わし、見詰め合う。

 穏やかな時間を二人は過ごし、それまでヘスティアとリリルカが戻ってくるまで続いた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 治療師(アミッド)から退院許可を貰い、ベルはヘスティアとリリルカと共に摩天楼施設(バベル)を出た。

 ベルにとっては数日振りの陽の光である。綺麗な茜空に、目を細めた。

 

「ミアハとナァーザ君が待ってる。寄り道せずに帰ろうか」

 

 ヘスティアの言葉に、ベルとリリルカは揃って頷いた。

 中央広場(セントラルパーク)から表通りへ入り、そのまま裏路地へ。暫く歩くと、三人の居候先である【ミアハ・ファミリア】本拠(ホーム)、『(あお)薬舗(やくほ)』が目に見えてくる。

 我が家のような気楽さで、ベルとヘスティアは扉を開けた。チリン、と鈴が軽快な音を鳴らす。その後にリリルカが二歩遅れて中に入った。

 

「いらっしゃいませ……──って、何だ。ヘスティア様達か。お帰りなさい」

 

「おいおい、ナァーザ君。もう少し笑顔を見せてくれても良いんじゃないかい?」

 

「最初は笑顔……でしたよ。まあその後、ヘスティア様達だと分かったので……やめましたが……」

 

 ナァーザの言葉に、ヘスティアは溜息を吐いた。

 

「良いかい、ナァーザ君。接客はとても大切だぜ。お客さんに少しでも好印象を与えといて悪い事はそうないよ」

 

「でもそれは、お客さんが来たらの話……ですよね……。うちは今日も、閑古鳥が鳴いてますよ……」

 

「うぐ……ご、ごめんよ……」

 

 ナァーザの自虐に、ヘスティアは言葉を詰まらせてながら謝った。

 犬人の彼女は「気にしてないので、大丈夫です」と言うと、ベルに視線を寄越して小さく微笑んだ。

 

「お帰り……ベル……」

 

「ああ、ただいま!」

 

「『冒険』、したんだってね……」

 

「ああ! リリと二人でな!」

 

 ベルは笑顔で頷き、リリルカの肩に手を回した。

「ちょっ、やめて下さいベル様!?」と声を上げるリリルカに、ベルは笑って言う。

 

「良いじゃないか、リリ! 私と君だったから、あの『冒険』を乗り越える事が出来たんだ! リリもそう思うだろう!?」

 

「それは、まあ……そうですけど……」

 

 もにょもにょと口を動かし、リリルカは照れていた。

 堪らず、小人族(パルゥム)の少女の頭をベルは撫でる。次の瞬間、リリルカは羞恥から怒りの表情へ変え、失礼な只人を睨んだ。

 

「子供扱いしないで下さい! この前も言いましたが、リリはベル様よりも歳上なのですからね!?」

 

「おっと、これは失礼! ただリリがあまりにも可愛かったから、つい手が伸びてしまった! つまり、私ではなく可愛いリリが悪い!」

 

「何ですか、その暴論は! だ、だいたい、可愛いだなんて……そんな、思ってもない事を言わないで下さい!」

 

「このベル・クラネル、相手を褒める時は一切嘘を吐かない事を信条としている! 故に、先程の言葉に嘘はない!」

 

 リリルカ・アーデはキレた。ドヤ顔を見せるベルの脛へ、何度も蹴りを入れる。そこに躊躇いや遠慮といったものはなかった。

 それを見たヘスティアは、にっこりと笑った。

 

「うん、さらに仲良くなったみたいだね!」

 

「そうだとも!」「違います!」

 

 ベルとリリルカの言葉が被る。

 そんな二人に、ナァーザは苦笑を落とした。

 そして受付の奥から、薬神(やくしん)ミアハが現れる。

 

「奥まで其方達の賑やかな気配が伝わってくるぞ」

 

 柔和な笑みを浮かべ、男神(おがみ)は只人と小人族(パルゥム)をそれぞれ見た。

 

「お帰り、ベル、リリルカ。其方達の帰りを、嬉しく思う」

 

 その言葉に、ベルとリリルカは揃って頷いた。

「さあ、夕餉(ゆうげ)にしよう。実はな、馳走(ちそう)を用意してあるのだ」とミアハが言い、案内する。

 ダイニングでは、ミアハの言う通り、豪華な食事がテーブルの上に並べられていた。

 

「おお、とても美味しそうだ!」

 

 子供のように目を輝かせる、ベル。その様子を、他の面々はあたたかく見守る。

 しかし席を着こうとするベルへ、ヘスティアが声を掛ける。

 

「食事の前にベル君、やるべき事がある」

 

「……やるべき事?」

 

「ああ、そうだ。【ステイタス】の更新をしよう」

 

 女神の蒼の瞳に見詰められ、ベルは静かに頷いた。

 ミアハ、ナァーザ、そしてリリルカに見送られ、ベルはヘスティアと共に二階へ行くのだった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 簡素なベッドの上で、ベルは上着を脱いだうつ伏せの姿で横になった。

 ヘスティアがすぐに跨がり、女神とその眷族は密着する。決して誰も、この神聖な儀式を邪魔する事は許されない。

 

「それじゃあ、ベル君。今から【ステイタス】の更新をするよ。良いね?」

 

「ああ、頼む」

 

 ヘスティアは「分かった」と言うと、粛々と始めた。神血を眷族の背へ注ぎ、『可能性』を広げる。

 無言の時間が流れる。魔石灯の照明が、ベルとヘスティアの顔を照らす。

 それから暫くして、ヘスティアは手を止めてベルへ声を掛けた。

 

「終わったよ」

 

「そうか、ありがとう」

 

「このまま口頭で、伝えても良いかな」

 

「勿論だ」

 

「うん」とヘスティアは頷くと、羊皮紙に転写した【ステイタス】をゆっくりと読み上げる。その口調は淡々としたものであった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 ベル・クラネル

 Lv.1

 力:SS1014

 耐久:S900

 器用:SS1012

 敏捷:SSSS1257

 魔力:D504

 

 

 

 

§

 

 

 

 最後まで聞いたベルは、静かに息を吐いた。

 ベル・クラネルの現在(いま)の到達点を、噛み締める。

 これで、【ステイタス】の更新は終了である。

 

 ──()()()()()()

 

 ヘスティアはベルから離れようとしなかった。そしておもむろに、その小さな身体をベルへ近付けると、後ろから抱き締める。

 

「ヘスティア……?」

 

 怪訝な声を出すベルに、ヘスティアは感情を押し殺しそうと……しかしそれは適わずに言った。

 

「──()()()()()。【()()()()()()()

 

 所要期間──約一ヶ月半。

 モンスター撃破記録──3526。

『偉業』──『怪物』ミノタウロスの討伐(など)

【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの一年という世界最短記録を大幅に塗り替え。

 この日正式に、ベル・クラネルは『英雄候補』の一角として名乗る事を認められた。

 

 そして、停泊していた『船』は(いかり)を上げて次の航海へ行く。

 新しい『風』が、静かに吹き始めていた。

 



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