せっかくバンドリの世界に転生したので全力で百合百合を眺めようと思ったら全員がノンケで絶望しました。 (月白猫屋(つきしろねこや))
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1.ぷろろ〜ぐ

 戸山香澄さんの誕生日に何か1本書きたいなと思いまして、思いつくままに書き殴ったネタ小説です。

 作者がまたふざけた物を書きたくなったら続きを書くやもしれません。


 

 

……あー、死ななかったのか、俺。

 

 

 いやいや、そんな事は無いハズだ。俺は確かにトラックに跳ねられたのは間違いない。

 しかも相手は大型トラックだぞ、助かる訳がない。

 

 まさか齢十六にして、この世界に別れを告げる事になるなんて思ってもみなかった。

 最近になって生まれて初めて出来た彼女にも振られていたし、楽しい事なんて何もなかったのは確かではある。だからといって、この結末はあまりにも悲しすぎやしないか。

 だってまだキスもした事が無いんだぞ。

 元カノとは手を繋ぐ程度で終わってたし、こんな事ならもっとあんな事やこんな事をだな……。

 

 その日も特に楽しい事も無く、下校時に下を向きながら横断歩道を渡っていたら、自分に向かって一直線に向かってくる大型トラックに気付いた時にはもう真横だった。

 あっという間に世界は暗転し、俺の意識は暗黒の、漆黒の、暗闇の、まぁいいや、とにかく死んだんだろう。

 

 他に悔いが残るとすれば唯一の趣味だった音ゲー、『バンドリ! ガールズバンドパーティー』が、もうすぐ周年イベントだったという事だけだった。

 

 結構ガチャをまわす為に(スター)を貯めていたんだけど……。

 

 もうそれは仕方がない。とにかく俺は死んだんだ、あの世に行くのか生まれ変わるのかは知らないが、次に生まれ変わる時はもう少し長生きしたいものである。体験していない事もまだまだ沢山あるもんね。

 さぁ、とりあえずあの世に『Dreamers Go!』、のハズだったのに、どうやら死なずに済んだようだった。

 

 力を込めてゆっくりと重い目蓋を上げると、眩い光の洗礼を受けた後に段々と焦点が定まってくる。しばらくすると白い天井がハッキリと見えてきた。

 目だけを動かして周りを見ると、白衣に身を包んだ看護師さんの姿が見える。どうでもいいけれど、俺は看護師さんのナース服はピンク色が好みだ。まぁ、本当にどうでもいいんだけれどね。

 状況から言えばここは病院のベッドの上、つまり命が助かってしまった事が理解できた。

 あっ、よくよく考えるとガルパのガチャも引ける。生きててよかったのかもしれない。

 

 

優璃(ゆり)! 優璃(ゆり)! 気が付いたの? 良かった……、本当に良かった……」

 

 

 俺に縋り付きながら、涙を流し続けているこのお姉ちゃんは誰?

 見た感じ俺よりは少し年上に見える。二十歳をようやく迎えたといった所だろうか。

 しかしそれよりもなによりも、この人はなかなかの美人さんだ。

 ツヤツヤの長い黒髪に、優しそうな印象を与えるすこし下がった目尻がとても癒される。身長も160cmを超えていそうだし、何よりその豊満な双丘に目を奪われる。ハッキリ言ってデカい。

 いやいや落ち着け俺、いまこのお姉ちゃんは俺に向かって『ゆり』と呼んでいたぞ。もちろん俺の名前では無い、ではいったい誰の名前なんだ?

 

 

美月 優璃(みづき ゆり)さん、聞こえますか? 美月(みづき)さん?」

 

 

 看護師さんが俺に問いかけてくる。

 まさか、いやまさかだとは思う。そんな事はアニメか漫画かネット小説だけの話だろ。

 体は動かないが、とりあえず頭だけを動かして点滴の管がアホほど繋がれている腕を見る。

 

 はぁっ? 嘘だろ! 夢か、死後の夢か何かか?

 

 以前の面影は微塵もなく、俺の腕は異常に細くなっていた。

 いや違う、細くなっているんじゃない、これは……。

 

 これは、女性の腕だ……。

 

 視線を体の方へ動かす。シーツが掛けられていたが、胸部の辺りがほんの少し、ほんのちょっぴりとはいえ盛り上がっている。

 麻酔が効いているのか体中が痺れていた。逆に言えば痺れている感覚があるという事は、これは夢ではなくて現実だという事を示している。

 

 

「わ、わたし……」

 

 

 うわっ、声のキーが高いな! それよりも何だよ、普段の俺は一人称で『わたし』なんて使わないだろ。

 もう間違いないこれはアレだ、転生ってやつだろ。しかも憑依転生で他人の体に入っちゃった感じのヤツだ。というか『ゆり』と呼ばれているこの子にいったい何が起こったんだ?

 もう訳がわからない。えっ? 何? 俺はこの先、『みづき ゆり』さんとして生きていかなければならない感じなのか?

 こういう時って、神様が出てきて親切にいろいろと説明してくれるものじゃないの?

 

 

「わたしは、ダレなの……?」

 

 

 途端に病室がざわめきだす。看護師さんは医師を呼びに病室を出て行った。

 あぁもう、心から言いたい。

 

 

 だから、一人称が何で変換されてしまうの!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

優璃(ゆり)、もうすぐ退院だって。お医者さんもびっくりしてたよ、驚異的な回復だって」

 

瑠璃(るり)、本当? 良かったぁ、ベッドに寝てるのも飽きてきてたんだよね」

 

 

 わたしが『瑠璃(るり)』と呼ぶこの女性は、どうやら優璃の姉らしい。年は二十歳。

 わたしの体は車に激突されたとはいえ、そこまで酷い怪我はなかった。俗に言う打ち所が悪かったというやつだった。

 瑠璃は、わたしが満足に動けなかった頃には体を拭いてくれたり、食べ物を食べさせてくれたりと、甲斐甲斐しくわたしの面倒をみてくれるとても優しくて大きな女の人。うん、まぁ色々な意味でね。

 昔のわたしなら迷わず交際を申し込みたいくらいに優しくて素敵な女性ではあるけれど、しかし今や俺はわたし、しかも瑠璃の妹らしい。

 

 神様、本当にもうちょっと考えてくれませんかね。

 

 瑠璃の剥いてくれた林檎を口を開けて、あーん、と食べさせてもらう。うん、妹も悪くないね。

 入院している間に色々と瑠璃から話を聞いて、自分が置かれている状況が段々とわかってきた。もちろん話を聞き出しやすくする為に名目上は記憶喪失になったという風にしている。実際に優璃が生きていた頃の記憶は持っていないので嘘ではなかった。

 

 生きていた……。そう、わたしにはわかる。優璃と呼ばれていた子はたぶん死んだ。

 瑠璃の話によれば横断歩道を渡っている時に、わたしと同じように居眠り運転の車に激突されたそうだ。

 まったく、年頃の女の子を轢くなんてその運転手は万死に値するね。

 病院に運ばれた優璃は懸命の処置もむなしく病室で息を引き取った、と思いきや急に息を吹き返したらしい。多分その時に、わたしの魂が優璃の体の中に入ってこの体は生き返ったんだと思う。だから今はこの体に優璃の魂は居ないはずだ。

 そしてそれはもう一つの真実を意味していた。わたしの魂が優璃の中に入ったという事は以前の俺、つまり男だった頃の自分は死んでいるという事だ。

 それはわたしを酷く絶望させた。何故ならガルパのガチャがもう引けないかもしれないという事を示唆していたからだ。

 パスワードとかアドレスとか覚えきれなくて、メモに書き置きをしていたんだよね。

 

 元カノ? 学校? そんなの知らないねぇ。

 

 細かい事は気にしないようにして相変わらず瑠璃にあーん、をしてもらっていると、個室のドアをノックする音が聞こえてきた。

 ちなみにわたしは立派な個室に入院している。事故を起こした相手が結構な資産家らしく、保証は手厚いみたいだ。

 それよりもふと気付いたけれど無意識にわたしって言ってしまっている事に気が付いた。このまま段々と女の子化してしまいそうで、なんだか怖い気分になる。

 

 

「失礼しまーす」

 

 

 寝ていた体を起こして来訪者を迎え入れる。

 扉が開き、遠慮がちに病室に入ってきた女の子は……美少女だった。

 紺色のセーラー服を身に纏い、肩口まである明るい髪色のストレートヘアにパッチリと見開かれた大きな瞳、すっと通った鼻筋に程よい厚みの唇。なにこの美少女、優璃の友達か何かか?

 いやそれよりもこの顔、どこかで見た事があるような……。

 

 

「いらっしゃい、香澄(かすみ)ちゃん」

 

 

 瑠璃の言葉で思い出した。そうだ、香澄だ。バンドリの戸山香澄(とやまかすみ)、あのキャラにそっくりだ。

 

 

……えっ?

 

 

 香澄と呼ばれた女の子は、涙目でわたしの手を取りながら今にも押し倒してきそうな距離まで近づいてきた。やばい、なんかいい香りがする。

 

 

「ゆりぃ、無事で良かったよぉ。ゆりに何かあったら、わたし……」

 

 

 今にも泣き出しそうな香澄の肩に、瑠璃が優しく手を添えた。

 

 

「大丈夫だよ香澄ちゃん。優璃ね、もうすぐ退院できるみたいだから、ちゃんと一緒の高校に通えるよ」

 

 

 瑠璃から優璃はこの春から女子校に通う予定だったとは聞いていた。しかしまさかこれは、いや間違いないだろう、ここは……。

 

 

「香澄ちゃん、高校って?」

 

「ゆり、私の事をちゃんと覚えてくれてるんだ! そうだよ、春からわたし達は花咲川女子学園に一緒に通うんだよ」

 

 

 やっぱりここはバンドリの世界なのか。ゲームの世界に転生って、ゲームか漫画かネット小説の話だけかと思ってたわ。

 しかしこれは良いぞ。バンドリといえば、女子高生達が青春を謳歌しながらキャッキャ、ウフフする世界じゃないか。それを間近で見られるなんて凄い役得じゃないか。

 

 

「えへへ、高校生になったらどっちが先に素敵な彼氏を作るか競争だね。ゆりは可愛いからすぐに彼氏を見つけちゃいそうだなぁ」

 

 

 ……はあっ⁉︎

 

 

 いやいや戸山香澄。キミは何を言っているのかね?

 バンドリの戸山香澄といえば、可愛いバンドメンバー達に囲まれてキャッ……もとい、キラキラドキドキしながらバンドライフを満喫しなくちゃいけないだろ?

 彼氏とか何を言っているのかな? そんな暇があるならキャッキャ、じゃなくてバンドで青春を謳歌しなくちゃダメでしょ。

 何より、わたしが尊い雰囲気を眺められないじゃない。

 『星の鼓動(ホシノコドウ)』は彼氏だったとか、そんなオチは許さないよ。

 ふむ、よし決めた! わたしが香澄を正しい道に導く。

 

 

「ねえ、香澄ちゃん?」

 

「んっ? どうしたの、ゆり」

 

 

 香澄の瞳をじっと見つめる。キラキラした瞳で本当に可愛いなぁ、この子。

 

 

「高校生になったらさ、とりあえず髪型を変えてみない? 雰囲気を変えたらもっとキラキラドキドキすると思う」

 

「キラキラドキドキも覚えているんだ。じゃあ、ゆりがわたしの髪型を考えてくれる?」

 

「まかせて! 香澄ちゃんに似合う、最高の髪型にしてあげるね」

 

 

 よしよし、香澄といえば星髪ヘア。これが第一歩、絶対に香澄にはバンドを始めてもらって、その美しい青春を『ガールズバンド』に捧げてもらうからね。

 違うものを彼氏に捧げたりなんかさせないよ。

 いや、そもそも彼氏とか作らせないから。

 

 わたしは負けない。絶対に女子高生達の平和を守って、キャッキャウフフを側から眺めてみせるんだから!

 

 



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2.初登校のドキドキ(なお登校前の模様)

 

 

「顔は綺麗なんだよね、顔は……」

 

 

 下着姿で姿見の鏡を凝視する。

 優璃(ゆり)はこう、なんというか、姉の瑠璃(るり)とは色々真逆だった。

 身長が160cmを超える瑠璃に対して、優璃の身長はおそらくギリギリ150cmあるかないか。目尻の下がった優しそうな瞳の瑠璃に対して、優璃の瞳はパッチリと大きいがややキツネ目で少し堅い印象だ。

 そしてドコとは言わないが、ボーンに対してショボーンだ。

 いや、身長にしては大きさは意外とあるのかもしれない。だが比較対象が悪い、あれは反則的な大きさだと思います、はい。

 ひとつだけ姉妹に共通点があるとすれば優璃も綺麗な黒髪ロングだ。お手入れは大変だけど、きっと優璃が大切にしていたんだろうなと思うとなんだか切る気にはとてもならなかった。

 

 

「……はぁ、まさか自分がブラを普通に付けているなんて、まったく信じられない」

 

 

 もちろんブラなんか付けた経験なんてなかったのに、いざ付ける時は自然に体が動いた。いつもの事といった感じで腕が動いて無事にホックも止めれた。

 なんだか不思議な感じだったけれど、それよりも男としてなんだか負けてしまったような気分になった事は秘密にしておく。

 

 無事に退院できたわたしは後遺症もなく、自宅で療養する事となった。

 自宅は二階建ての普通の一軒家、そこに姉妹二人っきりで住んでいる。

 姉からは聞いていたが、るりゆり姉妹の両親は既に他界していた、しかもレアな飛行機事故でだ。だから病院でわたしが目を覚ました時に、瑠璃が泣きながら喜んでいた事も理解できた。

 もし優璃が死んでいたら瑠璃は天涯孤独となっていた。家族を事故とはいえ全て失ってしまうなんて、とても心が耐えきれなかっただろう。それを聞いた時にはショボーンな胸がきゅうっと締め付けられる思いがした。

 瑠璃の為にも大切に生きていこうと思う。

 優璃にもらった命を大切に、『尊い』という至高の存在を眺める為にこの命を大事に使おうと思う。

 ちなみに生活費は、両親の保険金や事故の見舞い金などで当面の心配はないらしい、瑠璃も大学に通いながら優璃の面倒を見ていたようだ。

 ところで『るりゆり』って何かアニメのタイトルみたいな感じで可愛いな。

 

 部屋の扉がノックされた後、瑠璃が着替えは終わったの? と言いながら部屋の中へと入ってきた。

 ちょっと、わたし下着姿なんだけど、って姉妹だからいいのか。

 

 

「優璃大丈夫? 私が制服を着せてあげようか?」

 

「大丈夫だから、姉さんは下で待ってて」

 

 

 瑠璃の背中を押しながら部屋の外へ押し出す。

 事故にあった事が影響したのか、それとも元々そうだったのかは知らないけれど瑠璃はやたら過保護だ。

 食事もぜんぶ瑠璃が作るし、先日はお風呂に入っている時に背中を流すねって言いながら全裸でバスルームに入ってくる始末だ。

 わたしが女の子だからいいかと思っているのかもしれないけれど、そのツインミサイルは目の毒なので勘弁してくださいね、本当に。

 万事がいつもこの調子だから、このまま甘やかされ続けたら『るりママ、バブー』状態になってしまいそうな気がするので、なるべく自分で出来る事は自分でやっていこうとは思っている。

 

 今日がわたしの初登校だ、女子高なんてどんな世界か想像出来ないけれど香澄が居てくれると思うと力強いや、女の子と自然にコミュニケーションが取れるとかいう便利スキルは持ち合わせていないのでね。

 新品の制服に体を通して少しテンションが上がる。

 花咲川女子学園はワンピースタイプの制服でとても可愛い、着てみて思ったけれどデフォルトで結構スカート部分は短いんだよね。

 

 姿見で後姿をチェックする。うん、可愛い。

 

 ゆっくりと一回転してみる。うん、可愛い。

 

 膝から崩れ落ちる。何をやっているのわたし、これじゃ普通に女の子じゃないの。

 悲嘆に打ちひしがれていると、ガチャっという音がして部屋の扉が開いた。

 

 

「ゆり、ヨガでもしているの?」

 

「香澄ちゃん、とりあえずノックはちゃんとしようね」

 

 

 首を傾げてわたしを見ている香澄ちゃん。

 真新しい制服もよく似合っている、まぁゲームでいつも見ていたけれどね。

 わたし達は公立の中学校から受験をして花咲川女子学園に進学したらしい。

 なので二人共に制服は新品のお揃いだ。

 そして香澄ちゃんが何故この部屋にノックもしないで入って来たかというと、香澄ちゃんの家はお隣さん、つまり優璃と香澄ちゃんは幼馴染みという訳だ。

 るりゆり姉妹の両親が他界した時には、香澄ちゃんの両親に色々とお世話になったらしく今や家族同然の扱いらしい。

 なんとも幸せな状況だけれどやっぱりオカシイ。ゲームにもそんなキャラは存在していないし、香澄ちゃんの幼馴染みと言っていいのはギリギリ肉屋の元気娘と、ギリギリアウトの妄想金髪ツインテールくらいだったはずだ。

 ここは、わたしの知っている世界(ゲーム)と少し違う、だからか……。

 

 

「どう? この髪型似合ってる?」

 

 

 香澄ちゃんの髪はトレードマークとも言える星型に結ってあった。二人で一所懸命に考えて作ったんだよねぇ、って意外と凄く面倒くさかった。

 

 

「似合っているよ、凄く可愛い」

 

「えっ? あっ? そ、そう? なんだかゆりに言われると嬉しい、かな」

 

 

 おー、照れ顔いただきました、ありがとうございまーす。

 こっちまで笑顔になっちゃうや、可愛いって罪だねぇ。

 

 

「えへへ、これでモテちゃうかな? ナンパとかされちゃうのかな?」

 

「香澄ちゃんは元々可愛いから、余計にモテるよ(女の子に)」

 

「えー、そうなのかなぁ。もしかしたら、ゆりよりも先に恋人が出来ちゃうかもよぉ」

 

 

 なんだかやたらとこちらをチラ、チラ、と見てくるけれど心配しなくても大丈夫。わたしは彼氏を作らないし、あなたにも彼氏は作らせませんから。

 あなたはバンドを組んで、メンバー達とキャッキャウフフしながら青春を過ごすの。わたしはそれを眺めて幸せな気分に浸る、これがわたしの青春なのですよ。

 

 

「ところでゆり、約束を忘れてる」

 

 

 今度はわたしが首を傾げる、何か約束とかしてたかな?

 香澄ちゃんは頬を膨らませて、わたしの腕を引っ張り抱きついてきた。うわっ、こういうところのキャラは一緒なのね。

 それよりも、感触。制服越しとはいえ、柔らかな弾力が……。

 

 

「高校生になったら『香澄(かすみ)』、って呼ぶ約束だよ」

 

 

 優璃はそんな約束をしていたのか。約束なら仕方がない、うん、これは仕方がないね、呼び捨て……てへっ。

 

 

「あぁ、ごめんね香澄、ってこんな感じかな?」

 

「……うん、ありがと」

 

 

 今度は一転して満面の笑顔だ。こちらも釣られて笑顔になり、二人で思わず笑いあってしまう。

 すると突然部屋にカシャ、という音が鳴り響いた。びっくりして入り口の方を二人で見ると、スマホを掲げた瑠璃が立っている。

 

 

「はいはい二人共、そろそろ学校に行かないと遅刻しちゃうよ」

 

「あぁ! ごめんね瑠璃さん。それじゃ行こ、ゆり」

 

「あわわ、ちょっと待って香澄」

 

 

 香澄がわたしの手を引いて急いで部屋を出ようとするので、慌てて通学鞄を掴んで引っ張られるままに瑠璃の横を通り過ぎる。

 

 

「それじゃ姉さん、行ってきます」

 

「楽しんできてね。行ってらっしゃい」

 

 

 相変わらずカシャ、カシャ、とスマホを鳴らせながら瑠璃は片手を振っている。何だかお母さんみたいだよ、るりママ。

 玄関で座って靴を履いていると、香澄が待ちきれずに先に扉を開けてしまう。澄んだ春の日差しが差し込んできてちょっと目が眩んでしまった。

 優しい光に包まれている香澄の姿を見ていると、何かが新しく始まる予感にショボーンな胸が高鳴る。

 光り輝いている香澄がそっと手を差し出してきた。

 

 

「さあいこう、ゆり、わたしと一緒に」

 

「よろしく、香澄」

 

 

 香澄の手を取り立ち上がる。玄関から出てなんだか花の甘い香りが漂う道を二人で並んで歩き始めた。

 今日はクラス発表の日、あの子と香澄が初めて出会う大事なイベントが起こるはずだ。ここで躓くと香澄のクラス内カーストや、その後のバンド結成にも重大な問題が起きてしまう。

 わたしは油断しない、香澄が彼氏がなんちゃらとか言い出す世界だ。

 尊い世界は、絶対にわたしが守ってみせるんだから。

 

 

 あの、とりあえず香澄さん、そろそろ繋いだ手を離してくれません?

 同性とはいえ、童貞にはちょっと刺激的で心臓が痛いんですけど。

 

 

 



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3.パン屋のあの娘もノンケかい

 

 

 今年は桜の開花が遅かったのか、桜の花はまだずいぶんと残っていた。

 

 ひらりひらりと舞い落ちる名残り花の中を香澄と一緒に歩く。

 初めての登校でドキドキしているのか、それとも初めて女の子と一緒に登校しているからなのかは、よくわからないでいた。

 ただ緊張はしている、喉渇く、手に汗を滅茶苦茶かいている。

 元カノとはそんな体験をしていなかったんだよね、こんな事ならもっと青春をしとくべきだったのかなとも思う。

 それにしてもゲームをしている時は可愛い女の子ばかりが出てくるから特に何も感じなかったけれど、いざリアルな視点で香澄を見たらやっぱり美少女だなと思う。

 パッチリとした大きな瞳に太陽の光を弾くかのように輝いて見える肌。華奢かと思いきや意外と肉感的な手足。それに制服の膨らみから想像すると意外や結構な物もお持ちのようだ。

 この世界にはこんな美少女達がたくさん存在しているかと思うと、違う意味で色々とドキドキとしてくる。

 神様、もう本当にありがとうございます。

 

 

「わたし、ゆりと同じクラスがいいなぁ。ねっ、神様にお願いしよ」

 

 

 香澄が足を止めていきなりくっついてきた。体からふわりと爽やかな香りが届いてきて鼓動が少し早くなってしまう。わたしも足を止めて香澄に向かって全力の笑顔を向けた。

 

 

「いや、もうクラスは決まっているからさ、今から神様にお願いしても遅いと思うよ」

 

 

 めちゃくちゃ肩をぽかぽかと叩かれてしまった、なんで?

 ふとその時に桜の花びらが一枚、ふわりと香澄の柔らかそうな唇に舞い降りた。慌てた香澄が手で取ろうとする前にそっと唇から花びらを取る。

 

 

「桜も、香澄の事が大好きなんだね」

 

 

 花びらを摘みながら香澄を見つめると、段々と顔を赤くさせながらわたしの手から花びらを取り、そっとわたしの口に花びらを押し付けてきた。

 

 

「事故にあったせいなのかな、何か前と雰囲気が違うよ。なんだか凄く……」

 

 

 少し潤んだ瞳に見つめられて思わずドキッとする。ちょっと可愛い過ぎるんでやめてください香澄さんや。

 金縛りにかかってしまったように動けないでいると、香澄は何事も無かったかのように前を向いてひとりで歩き出してしまった。

 置いてけぼりをされてしまったけれど、慌てて先を歩く香澄のなんだかひどくご機嫌に見える背中に向かって、桜の花を掻き分けながら急いで追いかけた。

 

 

「ちょっと待ってよ、香澄」

 

「あー、キラキラドキドキしたいなぁ。やっぱり彼氏とか欲しいかもなぁ」

 

 

 前を歩く香澄はぶんぶんと鞄を振りながら、わたしに聞こえるようにわざと大きな声をだした。

 またそれか、それだけは諦めてもらいますからね。

 しかしゲームをやっていた時にもここまで露骨な恋人欲しいアピールは無かった気がする。

 おのれ神様め、何故に香澄をこうも男好きにしてしまったのか、まったくもって許すまじだよ。もう一度言う、許すまじだよ。

 幼馴染みが話す彼氏とのノロケ話なんて何の拷問だよ。許すまじだよ、わたしは尊い光景を見たいんですよ。

 無理矢理に香澄の横に並び、体の前側に持ってきた通学鞄をぽすぽすと足で蹴りながら歩く。

 

 

「香澄のキラキラドキドキは、そんなのじゃないと思うな」

 

「ゆりはわたしのキラキラドキドキは何だと思う?」

 

 

 香澄がわたしの顔を覗き込むようにして訊いてきた。

 以前にゲームをしていたので香澄が音楽でキラキラドキドキをしまくっていた事はもちろん知っている。だけど今それを言うのは違うかなと思う、だってネタバレは死罪っていうのは万国共通だからね。

 

 

「それを探す為に、わたし達は花咲川女子学園に行くんでしょう?」

 

「まぁ、確かにそうなんだけどぉ……」

 

「きっと出会えるよ、香澄のキラキラドキドキに」

 

 

 きっと出会えるよ。というか、わたしが出会わせるけどね。

 しかしなんだか香澄が急に不機嫌になったように見える。さっきまでご機嫌だったような気がしたのに、やっぱり女の子ってよくわからないや、まぁそんな事を言っている自分も女の子なんだけどね。

 ふと横から香澄を見るとやっぱりわたしより身長が少し高い。男のときは身長が170cmだったからゲーム画面を見ている時は何とも思わなかったし、気にも留めていなかった。それなのに今は自分より背が高い女の子を見上げているという光景がなんだか不思議で、ちょっと複雑な心境にもなってしまう。

 香澄からわたしって、どんな風に見えているんだろう。

 いまここに居るのは優璃であって優璃じゃない。わたしは、いつかちゃんと優璃になれるんだろうか。

 

 

「香澄、ところで何で拗ねているの?」

 

「すねてなーい、ゆりなんかしらなーい」

 

 

 めちゃくちゃ拗ねてるじゃない。あぁもう面倒くさくなってきた、香澄のマネをしちゃえ。

 えいっ、と言いながら香澄に抱きついてみる。柔らかな体の感触に思わずそのまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られてしまいそうになる。抱きつかれた香澄は驚くでもなく嫌がるでもなく、足を止めて俯きながら弱々しく呟いた。

 

 

「やっと思い出してくれたの? 前はゆりが先に抱きついてくれていたんだよ。全然くっついてくれないから、なんだかわたしの事を忘れちゃっているみたいな気分になって……ちょっと寂しかったよ」

 

 

 顔を上げてようやく微笑んでくれた。どうやら正解だったみたいだけれど、ひとつだけ言わせて欲しいかな。

 

 

 抱きつきキャラの香澄よりも先に抱きつくなんて、そんな事を思いつく訳がないって!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 緩やかな坂を登っていくと大きな校舎が現れ、遠くには校門の姿も見えてきた。まわりを歩く生徒達の間でおはようという挨拶が飛び交っているけれど、わたし達に話しかける子はいない。それもそのはずでわたし達は外部生、つまりまだ高校での友達はいないのである。

 中高一貫校の花咲川女子学園は、半分以上の生徒が中等部からの繰り上がりだ。前に記憶喪失のフリをして香澄に何で花女(はなじょ)を受験したのか聞いてみたら、妹の『あっちゃん』が中等部にいて何だか楽しそうだったのと、花女の制服が可愛いからって言っていた。実に香澄らしい志望動機だなって思う。

 ちなみに香澄の妹であるあっちゃん、こと戸山 明日香(とやま あすか)ちゃんは、一学年下の中学三年生らしい。

 らしい、というのも正直この子に関してはあまり記憶がない。バンドもしていなかったし、あくまでサブキャラクターのようなポジションだったと思う。

 しかし香澄の幼馴染みとしてこれはマズイですよ、あっちゃんに再会するまでに色々と情報を仕入れておかなければ、と考えて香澄にあっちゃんの事をさりげなく訊いたら、『可愛い』、『素直』、『勉強できる』、『わたしの事が大好き』、という単語の羅列が返ってきた。

 いやいや香澄さん、まったく人物像がイメージ出来なかったわ。

 

 初々しい気持ちで校門を抜けると掲示板の前に大勢の女の子達が集まってキャーキャーと騒いでいるのが見えた。

 いよいよ本日のメインイベント、クラス発表の場面がきた。

 ここで香澄は後々バンドメンバーになるパン屋の娘さんと友達になるイベントが発生するはず。

 失敗は許されない。万が一にもここで失敗をしてしまったら何も物語が動かずに、香澄がキラキラドキドキを求めて男漁りを始めてしまうかもしれない。

 人混みの最後列に二人で並ぶと、すぐに香澄は掲示板に夢中になってしまった。

 わたしは掲示板を見ずにまわりに視線を配る。すると来た、あのポニーテール姿は間違いない、パン屋の娘こと今回のターゲット山吹 沙綾(やまぶき さあや)だ。

 ふわふわの明るい髪をポニーテールで纏め、ぱっちりとした瞳に声がしっかりと出せそうな形の良い唇。おやおやまぁ、こちらも美少女な事で。

 タイミングを見計らい香澄の肩を自分の肩でちょっと押す。油断してバランスを崩した香澄は、隣に居た沙綾に肩をぶつけてしまった。

 はい、フラグ建て完了です。

 

 

「あっ! ごめんね」

 

「こっちこそ掲示板に夢中になってて、ごめんね」

 

 

 香澄と沙綾は再び掲示板で自分の名前を探し始めた。って、ちょおぃぃぃ香澄ぃぃぃ、折角のフラグを叩き折るもんじゃないよ。

 仕方がないのでわたしが彼女に近づいて制服に鼻をつけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。ゲーム内で香澄はパンの香りがするって言っていたけれど、普通に女の子らしい甘い香りがするだけだぞ、ずっとくんくんしていられる匂いだぞ。

 

 

「香澄、この子なんか良い匂いがする」

 

「あぁ、うちパン屋さんをやっているから」

 

「本当だ、美味しそうなパンの匂いがするね」

 

 

 香澄がわたしのマネをして匂いを嗅いでいると、お腹がきゅうっと鳴ったのが聞こえた。良かった、ぎゅるるとかいう音じゃなくて。

 その音を聞いた沙綾は、ポケットから飴を取り出すとたぶん香澄に渡したんだと思う。

 

 

「はいこれ、パンじゃないけど」

 

「わぁ、ありがとう。わたし戸山 香澄(とやま かすみ)、この子は幼馴染みの美月 優璃(みづき ゆり)ちゃん」

 

「私は山吹 沙綾(やまぶき さあや)、よろしくね。戸山さん達は何組?」

 

「香澄でいいよ、わたしも沙綾って呼ぶから。ちなみにわたしとゆりはA組」

 

「じゃあクラスメイトだね、色々な意味でよろしくお願いします」

 

「えへへ、沙綾とはもう友達なんだから、そんなに肩苦しくしなくてもいいよ」

 

「友達認定はやくない? ふふっ、まぁ二人共これからもよろしくね」

 

 

 あっ、わたしもA組なのね、しかしそれにしても今の状況がまったくわからない。それは何故かというと、沙綾の匂いを嗅ぐ為に腰をまげてちょうど沙綾のお腹の辺りに鼻をつけたのだけれど、それからずっと沙綾に頭を抱きしめられて髪を撫でられ続けていた。いくらわたしの身長がちょっぴり低いとはいえ、何かの小動物とかと勘違いしているのではないだろうか。

 

 

「あー、沙綾ズルい。わたしもゆりの頭を撫でたい!」

 

 

 いや香澄、あんたも撫でるのかい!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 クラスでの自己紹介などもそつなくこなして無事に初日のイベントはクリア出来たかな、最初はどうなるかと思ったけれどやっぱり油断ならないや。

 わたしと香澄と沙綾の三人は、帰る前に廊下で立ち話をする事にした。

 

 

「香澄の自己紹介、『キラキラドキドキしたいです!』ってインパクト凄すぎだよ」

 

「えー、だって他に思いつかなかったんだよぉ」

 

「私は良かったと思うよ、なんか香澄っぽい」

 

 

 わたしのツッコミに沙綾が優しくフォローを入れる。おっ、なんとなくわたし達ってバランスがいいかも。

 

 

「優璃の自己紹介も面白かったな。凄く緊張してあわあわとしていたよね、可愛いかったなぁ」

 

「でしょう! 沙綾もそう思うよね」

 

 

 前言撤回します。ちょっと考えてみてまわり全員が女の子なんだよ、そりゃ緊張もしますよ、だって免疫がないんだから。

 ところで何で香澄がドヤ顔をしているの?

 

 

「ところでみんな、彼氏とかはもう居たりするの?」

 

 

 沙綾が優しい笑顔で問いかけてきた。

 そうか沙綾、あなたもなのか。沙綾も神のイタズラで歪められてしまっているのか、マジ神様許すまじ。

 

 

「彼氏は居ないんだよねぇ、恋人は欲しいとは思っているんだよ」

 

「私もそんな感じだよ、優璃は?」

 

 

 唇を噛み、勢いよく沙綾の手を取ってから瞳をじっと見つめる。

 

 

「ダメだよ沙綾、彼氏なんかよりも沙綾が本当に求めている()()にきっとそのうち気付くと思うから」

 

「わ、私が本当に求めている()()?」

 

 

 わたしを見つめる沙綾の瞳が潤んで顔はみるみる赤くなり、握っている手をきゅっと握り返してきた。

 おっ、何かわたしの言いたい事が伝わったのかもしれない。沙綾、あなたは彼氏なんか作らずに香澄と一緒にバンドをするのです。

 

 

「あっ……、ゆっ、ゆりって見た目と違って意外と情熱的なんだね」

 

 

 沙綾が何故か顔を逸らしてしまって目線を合わせてくれない。大丈夫かな、ちゃんと伝わっているよね。お願いだから彼氏なんか作らないで、香澄達とキャッキャウフフをしている尊い光景をわたしに見せてくださいな。

 首を傾げながら心配していると、香澄が飛び込むようにしてわたしと沙綾の間に割り込んできた。

 

 

「あ、沙綾。わたしとゆりはこの後に部活の見学に行くんだけれど、沙綾も一緒に行かない?」

 

「私、家の手伝いとかあるから部活はやらないんだよね」

 

「そっかぁ残念。ゆり、仕方がないからわたし達で行こうか」

 

「ちょっと香澄、どうしたの急に」

 

 

 部活見学とか聞かされていないんですけど、と言う間もなく背中を押されて廊下を歩かされる。

 

 

「じゃあ沙綾、また明日ねぇ」

 

 

 香澄が沙綾に笑顔でぶんぶんと手を振っているので、わたしも顔だけ振り返って沙綾に声をかけた。

 

 

「さ、沙綾、また明日」

 

「二人とも行ってらっしゃい、ゆり頑張ってね。香澄も」

 

 

 そのまま香澄にぐいぐいと背中を押されて、わたし達は部活見学へと向かった。

 その後、香澄は何個かの部活を体験してみたけれど、何処もあまり満足出来なかったようだ。それはそうでしょ、香澄はこの先バンドに夢中になるのですから。

 何箇所かの部活体験を終えて、二人で下校を始めた。通学に使っている路面電車を降りて並んで歩く。春の夕暮れは早くて、もう街は朱色に染まりきっていた。やっぱり何処の部活もキラキラドキドキ出来なかったからか、香澄はどこか少し元気がない。

 

 

「香澄、ほら元気だして。そのうちきっとキラキラドキドキは見つかるって」

 

 

 香澄は『むー』と言いながら、やや俯き加減で歩き続ける。

 この先の曲がり角を過ぎればもうすぐ家だ、という所で香澄が急に足を止めた。気になって香澄の方を振り返ると、俯いたままの姿で左手をわたしに差し出していた。

 

 

「ゆり、繋いで。わたしに元気をちょうだい」

 

 

 考える前にまるでその声に吸い込まれるように手を握ってしまった。

 香澄は顔を上げてくれたけれど、夕陽に照らされているせいで顔色はよくわからない。でも握られた手に力がこもる程に、段々と素敵な笑顔になっていってくれた。

 

 

「幼馴染みなんだから、これくらい良いよね」

 

 

 そう言うと、香澄は飛びかかるように抱きついてきた。

 

 

「あわわ、香澄! 急に抱きつかないで」

 

「いいじゃん、幼馴染みなんだし。ゆりぃ、ぎゅー」

 

 

 散々抱きつかれて顔をすりすりされる。いや嬉しい事は嬉しいんだけど、ノンケでこのノリなら男の子はイチコロで香澄に夢中になっちゃうよ。

 香澄は天然で魅力的な女の子だ、やっぱり男は近寄らせないようにしなければならない。

 香澄の貞操と尊い光景は、絶対にわたしが守ってみせるんだから。

 

 

「ゆりぃ、ぎゅー。幼馴染みなんだし、幼馴染みなんだしぃ」

 

 

 いや香澄さん、どさくさに紛れて抱きつき過ぎじゃないですかね?

 

 



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4.【幕間】瑠璃さんのゆりゆり観察記(瑠璃視点)

 
 
 ゆりの姉である、るりさん視点の回でございます。
 
 
 


 

 

 もうすぐ優璃(ゆり)が帰ってくる頃かな。学校、楽しんでくれていたら良いんだけれど。

 

 シュシュで髪をひとつにまとめてからエプロンを付ける。それからキッチンに向かい夕食の準備を始めた。

 今日のメニューは初登校のお祝いに優璃の大好物にしちゃった。

 事故のせいで記憶は失ってしまっているけれど、好きな物はきっと変わらないよね。

 

 私のたったひとりの妹でただひとりの家族。優璃が退院してからは、私の生活は優璃最優先になっている。

 お父さんとお母さんが居なくなってから、私達は少しギクシャクとしていた時期が続いた。優璃も多感な時期だったからなのか、私に遠慮してあまり話しかけてはくれなかった。

 そんな日々が過ぎていき、優璃が中学卒業を控えたある日の夕方、優璃が事故に巻き込まれたという知らせを受け取った。

 目の前が真っ暗になって思わず気を失いそうになりながらもなんとか震える足で病院に向かい、お医者さんから危険な状態ですと話をされた時にもまた倒れそうになった。

 両親に続いて優璃まで私の前から居なくなってしまうかもしれない。

 そんなの耐えられない。神様お願いします、私の前から優璃を連れ去らないでくださいと必死に祈り続けた。

 祈りが通じてくれたのか、一時は危篤に陥った命が私の前から消えて無くなる事はなかった。

 意識を取り戻した優璃は事故以前の記憶をほとんど失ってしまっていたけれど、生きていてくれただけでもう充分だった。たとえ私の事を忘れていても、血の繋がりは消えはしない。また姉妹の絆はいちから作っていけばいい、生きてさえいればそれで……。

 

 入院してから数日経ち、優璃は意外な程にすんなりと私を姉と受け入れてくれた。

 記憶を失った事で優璃自身も不安だったのか、事故以前にはあまり見せてくれなかった甘えるような仕草も隠さなくなった。

 それが何よりも嬉しくて、優璃のお世話をする事が生きがいになった。満足に動けない頃は体を拭いてあげたり、着替えさせてあげたり、食事も私が食べさせてあげるようになった。

 この子には私しかいない、私が優璃を守るんだ、優璃には私が必要なんだと思うとたまらなく幸せだった。

 しばらく入院生活が続いてようやく退院の目処がたったある日、優璃がはにかみながら『姉さん』と呼んでくれた。前は『お姉ちゃん』だったけれど、そんな事はどうでも良かった。記憶を失ってしまったのに私を姉として認めようと頑張ってくれている。こんなに幸せな事があってもいいのと思ってしまった。

 はにかむ笑顔に、私の母性はすっかり撃ち抜かれてしまっていた。

 

 豆腐を切り終えて包丁を置き、両手でガッツポーズをして気合をいれる。

 この子は私が育てるの、だからもっとしっかり者にならないとね。優璃にとって母親であり、姉でもあり、そして恋人みたいな存在にならなくちゃ。

 ガチャっと玄関の扉が開く音がしたので、メインディッシュが入っているレンジのスイッチを入れて本格的に夕食の準備を始める。しばらくすると、制服姿の優璃が疲れた顔でリビングに姿を現した。

 

 

「姉さん、ただいま」

 

「おかえり優璃、疲れた顔をしているけれど、どうかしたの?」

 

 

 優璃は鞄を床に置いて、はぁっと息を吐きながらソファーへ乱暴に体を預けた。こらこら、そんな股を広げて男の子みたいだよ。

 

 

「いやもう香澄が元気過ぎてさ……ふにゅ、こにょ匂いは」

 

 

 優璃は急に背筋をピンと伸ばして顔をこちらに向けた。瞳を大きく見開いてこちらを伺う姿がまるで猫みたいでとっても可愛い。

 もの凄い早足でレンジの方に近づこうとしたから、体でブロックして侵入を防ぐ。どうやらレンジから漏れる香りで今日のメニューに気付いたみたいね。

 

 

「ふにゅ、うにゃぎだよね。今日はうにゃぎなの?」

 

「今日は初登校のお祝いに、優璃の大好きなうなぎの蒲焼きにしたよ」

 

「ふにゅ、うにゃぎ、ふにゅ、ふにゅ」

 

 

 良かった、うなぎ好きは変わっていないみたい。

 それにしても見た事ないくらいに興奮し過ぎて猫娘みたいになっている、なんだか頭に猫耳が生えてきそう。

 

 

「早く制服を着替えてきて。一緒に食べよ」

 

 

 優璃はふにゅ、っと頷いてからリビングに置いていた鞄を取って、二階の自室へと階段を登って行った。

 以前の優璃はあまり感情を表に出す娘じゃなかったけれど、事故で記憶を失ってからは感情表現がとても豊かになった気がする。

 あの子には不幸な出来事だったけれど、私にとっては不幸中の幸いだったのかもしれない。

 だって……、今の優璃って最高に可愛いんだもの。

 私に笑いかけてくれる顔や、お風呂に乱入した時に見せてくれる嫌そうな表情もとってもキュート。もうキュンキュンしちゃうくらい可愛い。

 いつか家に彼氏とか連れてくるのかなぁ。嫌だなぁ、優璃には私が居れば別に彼氏とか必要じゃないと思うんだけどな。

 

 丼にご飯をよそい、うなぎを崩さないようにそっと乗せてからタレをさっとかけると、甘い香りがキッチンに広がる。

 我が家ではうなぎを食べる時はお吸い物ではなくてお味噌汁が定番になっている。豆腐と長ネギのシンプルなお味噌汁をお椀に入れて本日の夕食は完成です。

 ぱたぱたと階段を降りる音がして優璃が姿を表したのだけれど、ちょっと、その服のチョイスは駄目だよ。

 優璃は夕食が置いてあるダイニングテーブルの椅子に座り、ふにゅ、ふにゅ、と言いながらうなぎを見つめているのだけれど、部屋着の上に羽織っている猫耳パーカーのせいでまんま猫娘に見えてしまう。

 あぁこれは駄目、可愛い過ぎて萌え死にしそうだわ。

 平静を装いながら椅子に座り、優璃と一緒にいただきますをしてスプーンを手に取る。

 

 

「ふにゅ、いただきます」

 

「ちょっと待って優璃」

 

 

 箸を丼に入れようとしていたところを止めて優璃の手から丼を奪う。眉間に皺を寄せて怪訝な表情を見せる姿もたまらなく可愛い。

 

 

「優璃は忘れていると思うけれど、我が家ではこうしてうなぎを食べる習慣なんだよ」

 

 

 手に持ったスプーンでうなぎとご飯をすくい、優璃の口へとスプーンを運ぶ。

 

 

「はい、あーん」

 

「あーん、はむ」

 

 

 余程うなぎが食べたかったのか、優璃は素直に口を開いてくれた。もちろんこんな習慣は嘘なんだけれど、いいの、今日から我が家ではうなぎをこうして食べる習慣に決めましたから。

 瞳を輝かせながら、はむはむとうなぎを味わっている。しばらくするとまた口を開けてきたので、スプーンでうなぎとご飯をよそい優璃の口へと運ぶを繰り返した。

 美味しい? って訊くと口をはむはむとさせながらこくこくと頷いている。

 もう、うちの妹が可愛い過ぎて困るんですけど。

 

 ふにゅ、って言いながら私の手からスプーンを奪うと、優璃はそのまま私の丼も奪ってしまった。

 別に言ってくれたら私のも食べさせてあげるのに、と思いながら見つめていると、ご飯とうなぎをスプーンに載せて私の口元へと運んでくれた。

 

 

「ふにゅ、あーん」

 

 

 少し感動して震えてしまったけれど、口を開けてスプーンを咥えた。うなぎの脂と甘いタレ、白米の味が口の中でハーモニーを奏でる。そこに優璃の愛情というスパイスが加わり、その旨さはこの世のモノとは思えない美味しさまで高まってしまった。

 はぁ、もう、実の妹と結婚できる方法とか無いのかしら。

 幸せな食べさせあいの時間はほんの瞬き数回で終わってしまい、ご馳走様をしてから一緒にお皿を洗う。

 

 

「姉さんありがと、凄く美味しかったよ」

 

「どういたしまして。それにしても優璃が可愛いかったなぁ、なんか子猫みたいで」

 

「やめて、思い出すと恥ずかしいから」

 

 

 照れたように顔を真っ赤にしながらお皿を洗う姿がたまらない。はぁ抱きしめたい、すりすりしたい。

 お皿を洗い終えて優璃は部屋へと戻ってしまった。テーブルを拭き、エプロンを外したところで私は急に思い立った。

 

 このうなぎ習慣を使えば、優璃と一緒にお風呂に入れるんじゃない?

 

 我ながら悪魔の発想を思い付いてしまったのかもしれない。普段は嫌がって一緒に入ってくれないけれど、うなぎパワーを借りればイケるかもしれない。

 ようやく背中の流し合いという私の夢が叶ってしまうかもしれない。

 ゴクリと喉が鳴る。いや慌てたら駄目よ瑠璃(るり)、ここは大人の余裕を持って落ち着いて準備をしないと。

 私も部屋に戻って大学の課題などをしながら時間を過ごし、そろそろかなと時計を見ると夜の九時を過ぎていた。

 さて行きますかと気合を入れ、走るように脱衣所に行って秒速で服を脱ぎ、下着姿になってからお風呂掃除を始めた。

 床を磨き、湯船をピカピカにしてからお湯を張る。この後の至福の時間を想像して思わず鼻歌を口ずさんでしまっていた。

 ボディーソープやシャンプー、コンディショナーの残量も充分。

 瑠璃上等兵、無事に準備完了いたしました。

 脱衣所で身体を拭いて優璃の部屋へ向かい、ドキドキとしながらドアを軽くノックする。

 落ち着いて瑠璃上等兵、あなたの作戦は完璧よ。

 返事を待ってから扉を開けて部屋の中に入ると、優璃はベッドの上でごろごろとしながらスマホをいじっていた。

 

「あ、あのさ優璃、忘れていると思うけど我が家ではうなぎを食べた後は一緒にお風呂に入る事になっているんだよね。だからさ、一緒に……」

 

 優璃はベッドの上にちょこんと座り直して、私に最高の笑顔を見せてくれた。やりました、瑠璃上等兵やりとげました。

 

 

「姉さん、流石にそれは嘘だよね」

 

 

 はうっ、やっぱりバレてる。瑠璃上等兵、任務失敗であります。

 しょんぼりと肩を落としていると、優璃がベッドに立ち上がってそっと私の肩に手を添えてくれた。

 

 

「それに何で下着姿なの? 家でもちゃんと服を着ないとダメだよ」

 

 

 はうっ、さらに叱られた。

 二重(にじゅう)にしょんぼりとしていたら、優璃がベッドから降りて背伸びをしながら猫耳パーカーを羽織らせてくれた。

 

 

「ほら姉さん、体が冷えるよ。先にお風呂に入って温まって」

 

 

 コクンと頷き、すごすごと優璃の部屋から退散する。

 階段を降りたところで立ち止まり、猫耳パーカーをすんすんと嗅いでみる。ほんの少しだけ優璃の香りがしたけれど、ほとんどうなぎの匂いに浸食されてしまっていた。

 

 

 瑠璃上等兵、三重(さんじゅう)にしょんぼりであります。

 

 

 



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5.事前準備って大事なんだね

 

 

 爽やかな朝、爽やかな目覚め、とはいかないのが若者だよね。

 

 以前の優璃(ゆり)はどうだったのかは知らないけれど、わたしは朝が苦手だ。

 お布団の中は暖かくてどうしても離れがたく、わたしの魂を温もりの中に閉じ込めてしまう。抗えない、わたしはお布団様の奴隷なのだ。

 

 

「はいはい優璃、そろそろ起きなさいよ」

 

「……うにゅ、あと五分、いや三分でも」

 

 

 瑠璃(るり)がお布団様を引き剥がそうとするのを必死にしがみついて抵抗をする。やめてください、お布団様はわたしのご主人様なのですよ。

 

「早く起きないと、香澄(かすみ)ちゃんが迎えに来ちゃうよ。こんなだらしない姿を見られたくはないでしょ」

 

 その言葉に思わず飛び起きた。香澄に見られるのが恥ずかしいとかじゃなくて、こんな姿を見られたら絶対に飛びついてきそうだ。

 先日の学校帰りに抱きつかれてすりすりされた時も、長い時間に渡って離れてくれなかった。

 もし抱きつき(むすめ)のせいで遅刻なんかしてしまったら、先生に理由を言える訳がない。香澄に抱きつかれてて遅くなっちゃいました、なんて色々な意味で人生が詰むわ。

 

 

「朝ごはんも出来ているから、早く着替えて降りてきてね」

 

 

 瑠璃がウィンクをしてから部屋を出ていく。しかし美人で家事万能でしっかり者で優しくて落ち着いた大人って感じの瑠璃は、本当にチートキャラじゃないのかと思う。あんな完璧超人っているんだねっと、もしかして妹の優璃も家事とか出来ちゃっていたタイプだったのかな? だとしたらそれはマズイ、恥ずかしながら以前のわたしは家事どころか部屋の片付けさえもあまりしないズボラなタイプだったのですよ。

 これじゃ駄目だね、瑠璃の妹としてちゃんと家事を覚えなくては!

 

 

「……面倒くさい」

 

 

 はい、秒で心が折れました。さっさと着替えて朝ご飯を食べる事にします。

 下着を新しいのに替えてから制服を着る。意外な事に自分の体には何の感情も湧かないのに、他の女の子の体を見るのは今だに恥ずかしくて無理。同じ女の子の体なのにこの違いはなんだろう、ちょっと不思議な感覚だなと思う。

 まぁ他の女の子の裸が見たいのかと問われれば、やぶさかではないと答えますがね。

 ベッドに座ってタイツを穿く。下半身が涼しいのにまだ慣れていないからこれは手放せないし、なんかこの締め付け感が意外と好きかもしれない。

 通学鞄を手に取り、急いで部屋を出て洗面台へと向かった。

 

 

「はい優璃ちゃん今日も可愛いです」

 

 

 洗顔を終えてから、鏡に向かって日課にしている呪文を唱える。

 ズボラな性格なので、自分は優璃だと認識しておかないと肌とか髪とかのお手入れが手抜きになってしまうんだよね。

 それにしても男の時とは違って肌も陶器のようにつるつるとしている。だからという訳ではないんだけれど化粧はしない、というかわからない。化粧水とか乳液とかは知っているんだけれど、下地(したじ)とか意味わからない。

 何それ日焼け止め的なやつなの、というレベルである。

 最近は男の子でも化粧をする人が増えているけれど、わたしはまだ化粧は女の子がするものという古臭い意識が抜けていないのですよ。

 見た目はおんな! 頭脳はおとこ! その名は……やめておこう恥ずかしくなってきた。

 

 キッチンに着くと既にダイニングテーブルにはパンとスクランブルエッグが盛ってある皿と、マグカップに入った温かいスープが用意してあった。

 椅子に座っていただきますをしてパンに手を付ける。わたしはカリカリより若干ソフトな食感が残るくらいの焼き加減が好きなんだけど、まさに完璧ですよ瑠璃さん。

 はむはむとパンをかじっていると、瑠璃が背後にまわって髪をブラシですき始めてしまう、まったくどこまで気がまわるんですか瑠璃さん。

 こんな気が利いて落ち着いた大人になりたいものですよ、とパンをはむはむとしながら思いました。

 スープを飲み終わる頃にピンポーンと呼び鈴が鳴り、瑠璃が玄関まで迎えに行った。わたしも皿とマグカップをキッチンのシンクに置き、鞄を取って玄関へと向かう。

 

 

「ゆり、おっはよ!」

 

 

 星型ヘアの香澄が玄関で微笑んでいる。しかしこんな美少女が毎朝迎えに来てくれるなんて、こんな幸運があってもいいんでしょうか。

 まったくなんで自分は女の子なのかねぇ、マジ神様許すまじ。

 

 

「それじゃ姉さん、行ってくるね」

 

「瑠璃さん、行ってきまーす」

 

「行ってらっしゃい、気をつけてね」

 

 

 手を振って見送ってくれた瑠璃に別れを告げて玄関を出た。今日は曇り空だけれど、気温はほのかに温かくてなんだか春らしくて気持ちいい。二人で並んで道路に出たら香澄がピタッと足を止めてしまった。

 やれやれと思いながらもそれを合図にしてエイっと香澄に抱きつく。こうすると香澄は照れ笑いを浮かべて、とても上機嫌になってくれるのだ。

 

 

「もう、ゆりはすぐに抱きつくんだからぁ」

 

 

 いやいや香澄さん。あなた毎朝これをしないと不機嫌になるじゃないですか、昨日はすっかりこれを忘れていて大変な目にあいましたからね、そりゃ学習もしますよ、まぁ柔らかい感触と爽やかな香りはご褒美ですけどね。

 抱きついていた手を離してご機嫌な香澄と歩きだす。

 歩いていたら急に春の強い風が吹いてきて長い髪が乱れそうになってしまい、慌てて足を止めて髪を片手で押さえてなんとか耐え忍んだ。

 

 

「ひゃあ凄い風だったね、ごめんね早く行こう」

 

 

 笑いながら香澄を見るとこちらを放心したように見ている、首を傾げて香澄を見返すと慌てて前を向いて再び歩き始めた。

 

 

「ゆりって、普段はちっちゃくて可愛いのに時々凄く綺麗に見える時があるから不思議だなぁ」

 

「そう? 香澄の方がよっぽど美人だと思うけれど」

 

 

 香澄は歩きながらあさっての方向へ顔を背けてしまった。

 あれっ? もしかしてまた機嫌を損ねてしまったのかな。

 

 

「もう! そういうところだよ! そういうの他の人に言っちゃダメだからね」

 

 

 何故か怒られた、わたし何もしていないのに……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 今日は特に何事もなく無事に放課後を迎える事ができた。しかし女子高ってみんな香水とか使うからなのか教室の中が甘い香りで満たされているんだよね。こんな所に童貞の男子なんか居たらもうそれだけで昇天してしまいそうな気がする、って忘れていたけれど自分も元童貞男子だったわ。

 席で荷物を鞄に詰めていると、肩をポンと叩かれたのでふにゅっと後ろを振り返ると笑顔の沙綾(さあや)が手を振っていた。

 

 

「ゆり、暇だったら一緒に帰らない?」

 

「あーごめん沙綾、今日まで香澄の部活体験に付き合う約束なんだ」

 

 

 両手を合わせてゴメンナサイポーズをすると、沙綾は仕方がないかぁと少し残念そうな笑顔を作った。

 なんでだろう、沙綾は困った顔が凄く可愛い。何か庇護欲がそそられるというかギュッとしたくなる感じがする。

 

 

「もう、香澄ばっかりじゃなくてたまには私の相手もしてよね」

 

「沙綾は大切な人なんだからいつも見ているよ、ちゃんと気にしているからね」

 

 

 そう、沙綾は香澄の大切なバンドメンバーになってもらうんだから、ちょっと目を離した隙に彼氏なんか作られたらたまったものじゃありませんからね。

 

 

「大切ってそんなに……あ、相変わらずゆりは話が上手だね」

 

 

 沙綾が背中から頭を抱き寄せて髪を撫で始めた。最近はこれがすっかり癖になっているみたいだけれど、いつもより抱きつく力が強すぎるのか椅子の背もたれが背中に食い込んできて痛いです。

 

 

「ゆり、明日は私と一緒に帰ってくれる?」

 

「わかった、わかりましたから腕の力を緩めてもらえませんかね、超痛いよ」

 

「わかったならよろしい」

 

 

 腕の力は緩めてくれたけれど、頭を撫でる手は止めてくれない。あの沙綾さん、髪は良いんですけどちょこちょこ耳たぶを触るのはやめてくださいね、くすぐったくて笑ってしまいそうになるので。

 帰る準備を終えたのか、香澄がぱたぱたとわたしの席へと迎えに来た。

 

 

「ゆりぃ、お待たせ。あれ、今日は沙綾も一緒に行くの?」

 

「いや私は違うよ、ゆりと話をしていただけ」

 

「えー、沙綾も行こうよ。三人だときっと楽しいよ」

 

 

 沙綾は行かないと知って香澄は明らかに落胆したように肩を落とした。こういう素直な感情表現が香澄の魅力的なところだと思うのです。

 顔を上げた香澄は、わたしを見てぷくっと頬を膨らませたかと思うといきなりわたしの頬を両手で引っ張ってきた。

 

 

ひはひほ(痛いよ)ひゃひゅひ( 香澄 )はひ()?」

 

「いやなんとなくね」

 

 

 なんですかそりゃ、ちょっと理不尽すぎない?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 今日の部活体験でなんと全部活を制覇した香澄は、やっぱり何処もキラキラドキドキする事が出来ずに少し落ち込み気味です。

 よしやっぱり今日だ。フッフーン、わたしは転生者ゆえに未来を知る者、この帰り道で香澄は星のシールに導かれてツンデレ金髪ツインテール娘と深紅の星型ギター(ランダムスター)に運命的な出会いをするはず……はずだよね。

 昨日までの帰り道でまったく星のシールに気付く気配がなかったのだけれど、大丈夫だよね。

 わたし、不安になって事前に星のシールが貼っている場所を確認してまわったんだけれど、どうかこれが徒労に終わりますように。

 

 

「あっ! ゆり見て、あそこ何か光ってる」

 

「えっ? なになに?」

 

 

 やったー、フラグが死んでいなかった。神様もたまには良い仕事をしてくれるんだね。

 香澄は夕陽に反射してキラキラと光る場所まで走り寄ると、路肩に貼ってあった星型のシールを剥がし取った。

 

 

「星のシールだよ、とっても綺麗」

 

「本当だね、香澄は星が好きだから何か良い事があるかも」

 

 

 機嫌が良さそうな顔で笑う香澄が、夕陽に照らされてとってもキラキラとしている。

 やっぱり香澄は星の鼓動だっけ? 何かよくわからないけれど確かそんな感じのキラキラドキドキとした感じの……ってヤバイ、結局どちらも意味不明だったわ。

 とりあえず細かい事は気にしないようにして、何はともあれいよいよ香澄が音楽と出会うんだ、自然と少しテンションが上がってしまうのは別に普通だよね。

 

 

「良い事かぁ、ナンパなんてされたら困っちゃうなぁ、でもゆりがきっと嫌がるだろうしなぁ」

 

 

 ニヤニヤと嬉しそうにしながら星のシールをポケットに仕舞って、香澄は上機嫌で歩き出した。

 そのまま次のシールを素通りした辺りで、わたしの怒りは大爆発です。

 

 

 オイッ! カ、ミ、サ、マ、テメェ!

 

 

 はぁここまで邪魔をしますかね、わたしのただただ尊い光景が見たいという些細な願いを踏みにじりまくりですか。いいでしょう、そっちがその気ならやってやるです。神の因果律に逆らおうが、尊い光景は何よりも優先されなければならないのですよ。

 はぁ前もって星のシールが貼ってある場所を確認しておいて良かったですわ。

 

 

「ちょっと待って香澄、あそこにもシールが貼ってあるよ」

 

「あっ本当、キラキラしてて綺麗だね、なんだかゆりみたい」

 

 

 呑気にお世辞なんか言ってんじゃねぇ、って危うく金髪ツインテールみたいな口調になりかけたわ。らちがあかないので香澄の手を引いてシールの所まで連れて行き、さも意味があるんですよぉという風に次のシールを指差す。

 

「あそこにも貼ってある、ねぇ香澄、もしかしたらどこかに行く為の目印なんじゃないのかな、ちょっと行ってみようよ」

 

「あ、うん。ゆりが言うなら」

 

 

 なんで乗り気じゃねぇんだよ、って危うく盆栽が趣味の金髪ツインテールみたいなツッコミを入れそうになったわ。

 その後も香澄の手を引いて、わたし達は何かが始まる予感を感じながら星の導きを追って行くのでした。

 

 

……って無理矢理じゃねぇか、マジ神様許すまじだよ!

 

 

 

 



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6.ツンデレ金髪ツインテールというパワーワード

 

 

「ゆり早く、あっちにもシールがあるよ」

 

 

 手を引かれて陽が傾き始めた道を早足で歩く。最初の頃に見せていた乗り気の無さは何処へやら、始めてしまえば香澄は夢中になって星の導きを手繰り寄せ始めてしまった。

 わたしの努力が報われた気がしてなんだか気分が良いや、それにとっても楽しそうに星のシールを探している笑顔がとても可愛いらしい、やっぱり香澄には笑顔が似合うよ。

 あともう少しで目的地の『市ヶ谷 有咲(いちがや ありさ)』邸に着く。

 これから起きる出会いは本当に大事だ、香澄達が組む事になるバンド『poppin'party(ポッピンパーティー)』は香澄と有咲、それに深紅の星型ギターが巡り合う事で始まった。

 だからこのイベントだけは、血反吐を吐こうが何があろうが絶対にクリアしないといけないのですよ。

 可憐な尊きの為にわたしは走り続ける、それが青春というものでしょ。

 意思を込めて香澄が握ってくれている手を強く握り返す、離れてしまわないように、見失ってしまわないように……。

 

 

「ここ、なのかな?」

 

「多分そうだと思う、星に導かれちゃったね」

 

 

 辿り着いた先には『流星堂』と書かれている古風な看板が掲げてあるお店、ここが有咲の実家で確か質屋さんだったと思う。

 そのままシールを追っていくとお店の裏手まで続いて、年季が入った和風の門がある所で途絶えていた。ちょうど開いていた門からこっそりと庭を覗くと、昔ながらの日本家屋と離れには立派な蔵が見える。事前に星のシールを確認してまわった時には門が閉まっていたから中を見るのは今日が初めてなんだよね。

 離れにある堂々とした蔵、ここでバンドを組んだ香澄達は練習を重ねたり、キャッキャウフフの尊い日常をおくったりする場所。言わば聖地であり、これは聖地巡礼の旅なのですよ。

 

 

「あっ、ゆりってば勝手に入ったら怒られるよ」

 

 

 不法侵入上等といった風情で敷地に入り、ずんずんと蔵を目指す。男の人だったら問答無用で通報されてしまいそうだけれど、可愛い女子高生達ならまず大丈夫でしょ。いやぁ本当に女の子って無敵で最強だわ。

 きょろきょろと辺りを確認しながら香澄がおそるおそる後に続いて敷地の中に足を踏み入れた。

 ちょっと不思議に思う。ゲームの香澄って良い意味でも悪い意味でも猪突猛進なキャラだと思っていたんだけれど、この世界の香澄はそれに比べると少し大人しくて女性っぽい気がする。香澄の行動力が未来を切り開く展開も多かったから、その辺りは気をつけておかないといけないのかもしれない。

 

 蔵はありがたい事に扉が開け放たれていた。

 いよいよだ、星型ヘアと共に香澄の代名詞とも言える深紅の星型ギター(ランダムスター)がここに眠っているはず。

 これからの出会いを予感して胸がふくらむ、まぁ実際に胸が膨らむ訳じゃないんですけどね、ショボーンですわ。

 

 

「あのー、すいませーん! 誰か居ませんかぁ!」

 

 

 おそらく近くに居るであろう有咲に聞こえるように、わざと大きな声で問いかけてみる。

 そのせいか香澄がわたしの制服の袖を引っ張りながら不安そうな顔で見つめてきた。ごめんね、フラグ建ての為にはこれが必要なの。

 蔵の中に入ると古い建物独特の匂いが出迎えてくれた。視線を巡らせるといかにも蔵らしく色々な物が散乱している。きっと質流れ品とかなんだろうけれど骨董品なんか価値がわかるはずもないし興味もない。頭をきょろきょろとさせながら探すとありましたよギターケースが、きっとあれだ、あの中に深紅の星型ギターが……。

 

 

「両手を挙げろ!」

 

 

 突然の声にわたしと香澄は条件反射で両手を上げる。あぁもう、こうなるとわかっていたのに完全に油断をしてしまっていた。

 二人でゆっくり振り返るとやはり居た、『市ヶ谷 有咲(いちがや ありさ)』ちゃんだ。

 有咲は眉間に皺を寄せながら剪定ハサミをわたし達に突き付けている。ちょっと有咲さん。こんな美少女達が悪い事をする訳がないじゃないですか。

 

 

「わっ! ハサミは危ないよ」

 

「逃走経路も確保していないなんて間抜けな泥棒ね、って花女(はなじょ)……うちの学校かよ」

 

「同じ学校なの? 何年生? わたし一年A組だよ、この子も同じ」

 

「両手を挙げろ!」

 

「はいぃぃぃ!」

 

 

 はぁ、なんか良いなこの絡み、香澄と有咲は本当にいいコンビだわ。

 

 

「あんた達、名前は?」

 

戸山 香澄(とやま かすみ)、十五歳です!」

 

「あんたは? ちょっと、何をぼぅっとしてんの! 名前は?」

 

 

 無意識に有咲に近づいてツインテールに括られた髪を触る、金色に近い髪色はとても綺麗で毛の量も多いせいか思っていたよりもずっと存在感がある。

 

 

「髪、とっても綺麗だね」

 

「はぁ? ちょっ、おまえ何を……」

 

 

 身長は同じかちょっとだけ有咲の方が高いかもしれない。小さな顔に意外とパッチリとした瞳、口調はアレだけどやっぱり美少女だよなぁ。

 それに何より瑠璃に負けず劣らずのインパクト抜群な胸、この身長でその大きさだとさぞや肩凝りが酷いんだろうなと心配になる程の膨らみだ。

 

 

「髪とか女に褒められても嬉しくねぇし……あんた、名前なんていうの?」

 

 

 はいはい、女に褒められても嬉しくないとかそういう意味ですよね、男から褒められたら嬉しいという事ですよね。いやもうこの展開には慣れていますから大丈夫ですよ。ただ彼氏を作るのは諦めてくださいね全力で阻止しますから、彼氏なんて大人になってから作ればいいんですよ。

 

 

「……いつまで触ってんの、ねぇ、名前は?」

 

「あぁごめん、わたしは美月 優璃(みづき ゆり)だよ」

 

 

 無意識に髪を触り続けてしまっていた。髪から手を離して次に頬に手をあててみると、驚くほどに顔が小さいし肌もすべすべだった。いやぁゲームで人気があったのも納得だわ、ツンデレ金髪ツインテールの美少女なんて破壊力抜群だもんね。

 

 

「ちょっ、何?」

 

「人に名前を尋ねる時は自分も名乗らなきゃだよ」

 

「……市ヶ谷 有咲(いちがや ありさ)、ってなんで私が名乗らなきゃならないんだよ!」

 

 

 顔を真っ赤に染めながらも答えてくれる。流石は天性のツッコミ体質、嫌がりながらもノリが良いんだよね。

 有咲が可愛くてついつい抱きつくと顔がさらに赤くなり体を硬直させてしまった。隣に居た香澄も負けじと抱きついたら、なにやら恥ずかしさで有咲は体をぷるぷると震わせ始めた。いやぁこの反応は楽しいです。

 

 

「おまえらなんで急に抱きつくんだよ! 意味がわからねぇから!」

 

 

 いやまったく、ごもっともでございますよね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「あの有咲ちゃん、蔵の中を見せてもらってもいい?」

 

「はぁっ? それよりもなんで友達みたいな空気を出してんの? 私からしたらあんた達はたんなる不審者なんだけど」

 

「まぁまぁ有咲、そんな細かい事は気にせずに。さぁさ香澄、探検、探検」

 

「いきなり呼び捨てか! 少しは私の話を聞けよな」

 

 

 ツンデレのツンも美少女だと腹も立たないものだね、って有咲の方が腹を立ててたんだった。とはいえ目的はひとつだけ、ランダムスターが入っているギターケースに迷う事なく直行する。ギターケースの前に座り、香澄を呼び寄せていよいよ舞台は完成です。

 

 

「ねぇねぇ有咲、これ中身を見るね」

 

「まず先にケースを開けていいかを訊いてくれ、先に」

 

 

 有咲のツッコミはスルーしてケースに手を掛けて勢いよく開ける。

 よく見よ香澄、あなたがその青春を共に駆け抜ける事になる相棒、深紅の星型ギターことランダムスターの降臨である。

 

 

「…………」

 

 

 言葉も出ないか。よく見てこの木目の美しさ、女体のように滑らかな曲線を描くボディに年季を感じさせる薄汚れたネック、これこそが……アレレェ、オカシイゾォ。

 

 

「ギターだね」

 

「質流れのアコースティックギターね」

 

「…………」

 

 

 そっとカバーを閉じてゆっくりと立ち上がる。ふふふっ、それはそうよね、神が我に与えた試練がこんなに簡単な訳が無いよね。あまりにも事がうまく進み過ぎて思わず神様ありがとうと言うところだったわ。

 

 

 神様許すまじ!

 

 

 首振り扇風機のようにぐるぐると辺りを見渡すと、あったもうひとつギターケースが、しかも星のマーク入りだ今度こそ間違いない。

 アコギの入ったギターケースを壁際に押しやり、猛ダッシュで星のマーク入りのギターケースを二人の前に置く。今度こそお願いしますよ神様(嫌いだけど)。

 

 

「ねえねえ有咲」

 

「少しだけだかんな」

 

 

 もう以心伝心じゃん優しいなぁ。

 有咲がギターケースのカバーに手を掛けてゆっくりと開けてくれた。

 

 

「えっ? 何これ凄い、ゆり、星だよ! 星のギターだよ!」

 

 

 マジ神様サイコー! ありがとうございます、ありがとうございます。香澄が瞳をキラキラさせながらランダムスターを見つめている。これですよ、この光景が見たかったんですよ。

 しかしよくよく間近でランダムスターを見ると、輝く深紅のボディはギザギザで鋭角的なデザインだ。確かに星といえば星なんだけれど女の子が持つにしてはやっぱり攻撃的な印象を受けてしまう。

 

 

「はい、おしまい」

 

「え〜、ありさ〜、もう少しだけ」

 

「あぁもぅうぜぇ、わかったよ」

 

 

 有咲がすぐにカバーを閉めるというイジワル攻撃を繰り出すと、素早く香澄は腕を掴んでぶんぶん振り攻撃で反撃を試みる、結果はどうやら香澄が勝ちのようです。気持ちはわかるよ有咲、あの攻撃は色々と破壊力がヤバいよね。

 渋々と有咲が再びカバーを開けると、香澄は赤ちゃんを抱き上げるような手つきでランダムスターをケースから取り出した。

 瞳を閉じてゆっくりとギターを抱きしめながらその感触を確かめ始める。なんか良い雰囲気、少し感動しちゃうよ。

 手を伸ばしてランダムスターを奪い返そうとしていた有咲の手を掴んで、動けないようにしっかりと握っておいた。

 

 

「ちょっ、優璃なにを」

 

「シッ! このまま、ね」

 

 

 香澄の邪魔をされないように有咲の手をしっかりと握り締める。有咲もわかってくれたのか、わたしの手をキュッと握り返してくれた。

 

「お前ってちっちゃいわりに、結構大胆なんだな」

 

「いや身長は同じくらいじゃん、それとも胸か! 自慢か!」

 

「いやそういう話じゃ……」

 

 

 空いた手で香澄の方を指差すと、有咲も理解してくれたのか喋るのをやめてくれた。わたし達は手を繋いだまま、しばらく香澄の尊い姿を黙って見守った。

 それより有咲の手汗が凄い、もしかしてどこか体調が悪いのかな?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「あのギター凄かったね、なんかすっごくドキドキした」

 

「香澄、めちゃくちゃ瞳をキラキラとさせていたよね、よっぽど気に入ったんだ」

 

「うん! なんか運命を感じちゃったよ」

 

 

 市ヶ谷邸からの帰り道、上機嫌でわたし達は会話に花を咲かせていた。

 結局あの後すぐにもう来んなって蔵から追い出されてしまったんだけれど、あの顔はまた来てねという顔だった。うん、そうに違いないとしておこう。

 

 

「ねぇゆり、明日も見に行こうよ。わたし、ありさとも仲良くなりたい」

 

「いいね、有咲とも友達になりたいし。明日ね……明日……あした?」

 

「ゆり、どうかしたの?」

 

 

 明日、そう明日は沙綾と一緒に帰る約束をしていたんだった。

 まぁ沙綾も誘って蔵に行けばいいか、沙綾は優しいしきっと付き合ってくれるでしょう。

 いや待てよ、よくよく考えたら沙綾はお家の手伝いがあるから寄り道なんてしている時間は無いのかもしれない。

 仕方ない香澄の方を断ってと、いや待てよ、ここまで良い流れが続いているだけにもっと香澄と有咲の尊い絡みが見たい気もする。

 うーん、仕方がない迷った時は先約順、明日は沙綾と一緒に帰るとしますかね。

 

「香澄、明日はわたしちょっとだけだけだけど、帰りに用事があったんだわさ」

 

「えっ? じゃあわたしも付いて行こうか?」

 

「いやいや、それはちょっと訊いてみないとだわさ」

 

「ふーん、誰かと何処かに行くんだ。男の子? デートなの?」

 

「いやいやいやいや、そんな訳が無いってばよ」

 

「ふーん、あ、や、し、い」

 

 

 いやただ沙綾と一緒に帰るだけなんですけどね。

 あれっ? わたしなんだか手汗が凄い、もしかしてどこか体調が悪いのかな?

 

 

 







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7.なんて事ない日常のお話……なのか

 評価、お気に入りありがとうございます。
 続き書かないと、というヤルキスイッチに繋がっております。

 小説初心者ゆえ書き間違いも多く、誤字報告もありがたく利用させて頂いております。


 

 

 うーん、と思わず背伸びをしてしまう爽やかな朝晴れです。

 

 昨日の帰り道では、わたしが男の子とデートをする予定だと勘違いした香澄に無慈悲にも白状するまでずっとくすぐりの刑に処されました。道行く人達がやたらと生暖かい目で見守ってくれていたけれど、出来れば助けて頂きたかったものですよ(女性限定)。

 沙綾と一緒に帰る約束と白状してしまえばどうと言う事もなく、なーんだと軽く応えた香澄は何事もなかったかの様に笑顔を取り戻してくれた。それよりも軽く乱れた制服と髪型をどうしてくれるのかね。

 

 

「いやぁ、半泣きのゆりも可愛いよねぇ」

 

 

 いやいや、慰めになってねぇからな。

 

 

 玄関で靴を履きながら昨日の理不尽な出来事を思い返してみる。そもそもわたしが彼氏など作るはずがないでしょうに、それに香澄の方が可愛いから余程に危険だと思うのですよ。

 しかしよくよく考えてみれば沙綾と帰ると言うだけで何故に手汗をかく程に緊張してしまったのだろう?

 これはまさかあれか、もしかして親しくしていた女友達とは別の女友達と仲良くなってしまい、なんだか最初に仲良くなっていた女友達に悪いなぁ、とか思ってしまうという童貞男子にありがちな勝手な妄想を繰り広げてしまったのかも。

 実際には相手には何とも思われていないのに、コイツもしかしてオレの事を……とかいう自惚れ全開の勘違い系ムーブをしてしまっていたのかもしれない、いやきっとそうに違いない。

 はぁ恥ずかしい、女性経験値が足りていないとはいえこれは恥ずかし過ぎるわ。

 女の子である事を少しずつ受け入れてこれたかと思えていたのに、頭の中は依然として男の思考回路のままとは……香澄や沙綾の顔が恥ずかしくて見れませんよ、いや見るけど。

 気分がショボーンとしたまま瑠璃姉さんに行ってきますと告げて外に出ると、既に香澄が笑顔で待ち構えていた。

 待ち構えていたというのも玄関を閉めて挨拶をしようとしたら、それよりも早く香澄が飛びついてきたのだ。

 

 

「ゆり、おっはよ」

 

「わぷっ、香澄どうしたの?」

 

「えー、いつもの事だよ」

 

 

 いやいや普段はわたしが抱きつく係ですよね?

 

 

「ゆり、早く行こうよ!」

 

「ふにゃ、近い、近いって!」

 

 

 うわっ! 香澄の顔が目の前まで迫ってきてる。うわぁ、瞳が大きい……じゃなくて普段よりも距離が近いって、思わず覚悟を決めて瞳を閉じてしまいそうになったわ。

 にへら、と笑った顔も可愛いなまったく、なんでも許してしまいそうだぞ。

 だがしかし香澄はノンケ、いま向けられている笑顔もあくまで幼馴染みに対する親愛の情だ。いやいいんですよ彼氏を作っても、ただし大人になってからですけどね。残念ながら高校生の間はバンドをしてもらいます、そしてキャッキャウフフを眺めさせていただきますので悪しからず。

 

 少し強い春風の中を並んで歩く。もう慣れてしまったけれども、これもよくよく考えれば不思議な光景だ。もしわたしが男の子のままだったなら、いくら幼なじみでも他人から見ればカップルに見えてしまうだろう。だけど今のわたし達ではどう見てもただの友人にしか見えない、わたしは本当に女の子になってしまったんだとあらためて自覚してなんだか少し物悲しい気分になってしまった。

 駅に着いて通学に使っている電車に二人で乗り込む。そこまで混雑はしていないのだけれど、いつもわたし達は座席には座らずに立ち乗りをする事が定番になっていて香澄がつり革を掴み、わたしは香澄の制服を掴むのがいつものスタイルだ。いやわたしもつり革には届くんですよ、ただ腕がピーンとなりますけど。

 

 

「ゆり、いつも思うけど座ったら良いのに」

 

「いやもしかしたら痴漢とか現れるかも、香澄は絶対にわたしが守るんだから」

 

 

 もしかしたら油断した隙に電車が揺れて、たまたま通りかかった格好良い男の人がバランスを崩して香澄にぶつかったりとかしてさ、あっ、いま心臓がキラキラドキドキした……とかいうベッタベタな恋愛物語の始まり、なんて駄目ですからね。この世界の神様ならやりかねないのであらゆる可能性は排除です。

 

 

「じゃあわたしがゆりに痴漢をする」

 

「はいはい、人目を考えてくださいな」

 

「人前じゃなければ良いんだ」

 

「なんでそうなるの!」

 

 

 あーもう、近くに座っているおばさんに微笑まれちゃってるよ。わたしがこういう事を言ったら顔を真っ赤にして怒るくせに自分は平気で言うんだもんなぁ、本当にずるいと思う。

 

 

「ひゃう!」

 

 

 罰としてお尻を強く握ってあげました。こういう事をしても捕まる心配が無いというのは幼なじみの強みですな、はっ、はっ、はっ……ヤバイ、女の子のお尻を触ったの初めてかもしれない。

 なんというか柔らかいのに弾力があるというか、触ったら幸せな気分になれる魔法のクッションというか、うーん、確かめる為にもう一度くらい触っといた方が良いのかもしれないね。

 

 

「なんで触られたわたしより、ゆりの方が赤くなってるの!」

 

 

 えー、だってー、経験値が足りていないんだよぉ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 電車から降りて新緑に彩られた通学路を並んで歩く。道路に色濃く映し出された樹々の葉影が幾何学模様を描き、暖かな春風に揺らされる様はまるで楽しそうに遊んでいるようにも見えた。

 通学路を歩く他の生徒達も心なしかみんな楽しそうに見えてしまう、春っていう季節は本当に不思議な生命力をみんなに分け与えてくれるみたいだ。

 

 

「ゆりにお尻を触られたぁ」

 

 

 あの香澄さん、折角の爽やかな朝の雰囲気が台無しですよ?

 

 

「香澄が変な事を言うからでしょ」

 

「痴漢から守るって言っていたのに、実際はゆりが痴漢だった」

 

「人聞きが悪いわ!」

 

 

 笑顔で人を痴漢呼ばわりするものではありません。こういうのは幼なじみの他愛もない戯れ、別に他意はないんですよ。えぇ、あの感触は忘れませんけどね。

 笑顔だった香澄が顔を赤くしながら急に真剣な表情になってしまった。そんなにお尻を触られたのが恥ずかしかったのか、いやこれは本気で反省しなければ。

 

 

「本当にわたしをずっと守ってくれる?」

 

「大事な幼なじみだもの、守ってみせるよ(男から)」

 

「じゃあわたし、ゆりにずっと守ってもらおうかなぁ」

 

「任せて! 絶対にやり遂げてみせるからね(バンド結成)」

 

「……でもそれには幼なじみを卒業っていうか、その……」

 

「あっ、沙綾を発見。香澄、沙綾と合流しようよ」

 

 

 前方に沙綾の姿を見つけたので合流をする為に香澄の手を引いて駆け足で走りだす。

 

 

「沙綾! おっはよ」

 

 

 後から声をかけると、沙綾はふわりとポニーテールをなびかせながら笑顔で振り返ってくれた。

 

 

「二人共おはよう、相変わらず仲が良さそうで」

 

「まあね、今日は爽やかな天気で気持ちが良いね」

 

「確かに気持ちいいね……ってなんで香澄は膨れっ面なの?」

 

 

 ふと横を見ると香澄は風船のように頬を膨らませていて、半目でわたしの方を恨めしそうに睨んでいた。

 

 

「どうしたの香澄?」

 

「ゆりが悪いんだからね」

 

 

 わたしと沙綾は香澄が何を言いたいのかまったく理解できず、顔を見合わせて同時に首をかしげる事しか出来なかった。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 授業も終わり、帰り支度を済ませた沙綾がわたしの机まで迎えに来てくれた。わたしも準備を終えて席を立ち、この後の予定について話し合う事にした。

 

 

「ゆり、どうする? 私は特に予定は無いから時間があるなら何処かに寄っていこうか?」

 

「あー、そうだねぇ……」

 

「はいはい! わたし、行きたい所があります!」

 

 

 横から飛び込んできた元気な声の主を見やると香澄が意気揚々と右手を掲げている。突然の乱入に驚きながらも沙綾は香澄にどうぞと発言を促した。

 

 

「わたし、三人で有咲の蔵に行きたいです!」

 

「ありさのくら?」

 

 

 沙綾の頭上にクエスチョンマークが見えそうなので簡単に事情を説明すると、なるほどと納得してくれて今日は三人で蔵に立ち寄る事に相成りました。

 

 

「やった! わたし、さーやともいっぱい話をしたかったんだよね」

 

「あはは、それじゃ三人で行ってみますか」

 

 

 なんとなく香澄は乱入してくるだろうなという予感はあったけれど、沙綾はそれを優しく受け入れてくれた。沙綾は良い人だ、まるで菩薩様だよ、女神様のような優しさだよ。

 仲良く三人で教室を出ようとした時に、沙綾に肩を引っ張られてコソッと耳うちをされる。

 

 

「ゆり、この埋め合わせはちゃんとしてもらうね」

 

 

 あれっ? 気のせいかな優しい菩薩様かと思っていたら、何か段々と阿修羅様に思えてきましたよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 有咲の家に向かって三人で通学路を歩く。美少女に挟まれる形は中々に気分が良いものですよ、自分が男だったら石を投げつけられても文句は言えないかもしれないね。

 

 

「それで、有咲って子とは昔からの知り合いなの?」

 

「ううん、昨日初めて知り合ったんだよ」

 

「えっ⁉︎ それで今日もお邪魔して大丈夫なの?」

 

「うーん、わかんない」

 

 

 香澄の明らかに文字数の少ない説明に流石の沙綾も不安に陥ったようで、助けを求めるようにこちらに視線を投げかけてきた。

 

 

「まぁ有咲は言葉はキツいけれど内面は優しいっぽいから、多分大丈夫じゃないかな」

 

「そうそう、なんだかんだ言っても優しいんだよねぇ」

 

「あっ、そ、そうなんだ」

 

 

 御免なさい沙綾、本当は行ったら酷い目に合う予感しかしていないの。

 有咲の家に着いて裏口から中を覗くと、エプロン姿の有咲が蔵の前で途方に暮れたように立ち尽くしていた。

 

 

「あーりさ♪」

 

 

 香澄が裏口から声をかけると、こちらに気付いた有咲は左手でシッ、シッ、と追い払うような仕草を見せた。

 わたしと香澄は顔を見合わせて頷き合うと、沙綾の手を引いて庭の中へと足を踏み入れた。わたし達はあの仕草を早く来いよという気持ちの裏返しと思う事にしたのである。

 

 

「ちょっ! 見えてねぇのかよ! しかも人が増えてるじゃねぇか」

 

「まぁまぁ有咲、ところで何をしているの?」

 

「あーりーさー、昨日ぶり!」

 

「おまえらなぁ! 人の話をちゃんと聞けぇ!」

 

 

 わたしが問いかけるのと同時に香澄が横から有咲に抱きつく、目の前で繰り広げられる混沌とした光景に、沙綾はただ苦笑いをするしかない様子だった。

 

 

「あのさ、自己紹介をさせてもらっても良いかな? 私は山吹 沙綾(やまぶき さあや)、沙綾って呼んでくれると嬉しいかな」

 

「あんたはマトモな人みたいね、私は市ヶ谷 有咲(いちがや ありさ)。多分クラスは違うけど同い年よ」

 

美月 優璃(みづき ゆり)です」

 

戸山 香澄(とやま かすみ)です」

 

「おまえらには訊いてねぇ」

 

 

 冷たい事を言う有咲には両サイドからの抱きつき攻撃です。

 

 

「あぁっ、もう、うぜぇぇぇ! ところで何をしに来たんだよ」

 

「あぁそうだった! 香澄がまたランダムスターを見たいんだって」

 

「はぁ? お客でもない人にそうそうお見せする訳にはいきませんね」

 

 

 有咲つれないなぁと思っていると、話を聞いていた優しい沙綾がわたし達の間に入って助け船を出してくれた。

 

 

「まぁまぁ、ところで市ヶ谷さんは何をしていたの?」

 

「蔵の片付けをしようかと思っていたの、ばぁちゃんが蔵を綺麗にしたら好きに使って良いって言うからさ」

 

「じゃあさ、私達も片付けを手伝うから香澄にギターを見せてあげてよ、女の子ひとりじゃ重い荷物とか大変でしょ」

 

「……仕方ねぇなぁ、ちょっとだけだぞ。その代わり片付けはしっかり手伝ってもらうからな」

 

 

 沙綾に言われた事が図星だったのか、有咲は渋々といった表情で沙綾の提案を受け入れてくれた。

 みんなは気付いていないみたいだけれど、わたし達は誰もランダムスターがギターだなんて言っていなかった。だけど沙綾は初めからランダムスターがギターである事に気付いているみたいに話をしている。流石はバンド経験者だと思うけれど、今ここでそれを沙綾に訊く訳にはいかない。わたしはゲームをしていたから理由を知っているけれど、沙綾が音楽を辞めた理由は気軽に触れてはいけないし、今はまだその時期じゃない気がする。

 沙綾の横顔を見つめながら、わたしはひとつだけ心に決めた事があった。

 

 

「うんっ? どうかしたの、ゆり」

 

「なんでもないよ……沙綾、ずっと仲良しでいようね」

 

「私達、もうすっかり仲良しでしょ」

 

 

 何があっても沙綾にドラムを再開してもらって香澄達と一緒にバンドをやってもらう。

 そしてわたしはモブキャラとして影から尊い光景を間近で堪能させてもらうんだ。

 その為にもこの子達に男は近寄らせてなるものか、尊い楽園はわたしが護り抜いてみせるんだから。

 

 

 あっ、心に決めたのひとつだけじゃなかったわ。

 

 



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8.片付けが苦手な人だって居るんですよ

 

 

 

 油断大敵という言葉がありまして……。

 

 

 わたし達は今、市ヶ谷家の蔵を整理して掃除などをしている最中なのですがね、ふと思ったのですよ。

 

 あれっ? わたし何か忘れていない?

 

 周りでは有咲と香澄が重そうな段ボールをキャッキャと言いながら二人で運んでいたり、沙綾が真面目な顔で床掃除をしていたりというとても尊い光景に包まれて幸せ最高潮な訳ですが、何か大事な事を忘れている気がする。

 あっ! 思い出してきた、そうだ、香澄がバンドに興味を持つキッカケになったライブ鑑賞のイベントがまだ発生していない。

 あのイベントをこなさいとそもそも香澄がバンドを組もうと考えてはくれない。ヤバイ、あまりにも普通の女子高生活が楽しくて油断していたわ、あっぶねー。

 もうフラグが自動で建つとかの希望は持ちません。未来は自分で作るもの、動かなければ『尊い』を眺める事が許されない世界だと知ったのですよ。

 

 

「おーい、優璃」

 

「なに? 有咲」

 

「手伝え!」

 

「あいやこれは申し訳ござらん。拙者いまは大事な策略を練っている最中につき、いま暫くお待ちを」

 

「働け」

 

 

 有咲ちゃん、眉間にシワを寄せると折角の美人が台無しだよ。

 

 仕方がないので軽い荷物を片付けながらどうやってライブを見せようかなと考える、ぼうっとした意識のままちょうど目の前にあった古ぼけた箱をなんとなく開けてみると小さい掛け軸が入っていた。そっと手に取りジッと眺める、何か巻き物みたい、巻き物……。

 

 

「優璃、それを咥えて忍者の真似をしたら買い取りな」

 

 

 有咲ちゃん、現役女子高生のツバ付き掛け軸なんて価値が更に上がってしまうとか考えてはくれないのですかね。

 

 

「ゆり、ちゃちゃっと片付けよう」

 

 

 沙綾が優しい微笑みで語りかけてくれる。本当になんだろう、沙綾のお姉ちゃん指数の高さは異常だ。うちの瑠璃姉さんにも匹敵する安心感というか安定感がある。

 沙綾お姉ちゃん……いや悪くないね、って最近自分の中で妹属性が育ってきている気がする。これはマズイですよ、このまま女の子化が進めば神様の思う壺にはまり、ほれほれさっさとお前もノンケになってしまうが良いとなりかねない。いや誤解の無いように言っておくと、わたしは女の子が好きというよりかは尊いが好き、女の子達がキャッキャウフフをしている光景が好きなのですよ。

 

 

美月 優璃(みづき ゆり)さーん」

 

「はいなんでしょう、市ヶ谷 有咲(いちがや ありさ)さん」

 

「手伝え」

 

 

 アイヤー、ゴメンナサイヨ。チョトアタマ、ツカテタヨ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 沙綾がそろそろ帰らないといけないという事で今日の片付けは終了となりいよいよランダムスターの鑑賞タイムに突入です、っとその前に沙綾に借りていたシュシュを返さなくちゃ。髪が長いから片付けの邪魔になるって沙綾が髪を束ねてくれたんだよね、本当によく気がつく子だよ。

 

 

「沙綾、シュシュありがとう。助かったよ」

 

「どういたしまして、今度ゆりに似合う髪留めあげるね。私、ヘアアクセ集めるの好きなんだ」

 

 

 そう言うと沙綾が正面からいきなりわたしの体に両腕をまわしてきた。えっ、なに、抱きしめられる、と思っていたら髪を掴んで色々な髪型を作りながら遊び始めてしまった。

 

 

「うーん、どんなのがゆりに似合うかなぁ。黒髪だからあまり明るい色もなぁ」

 

 

 あの沙綾さん、これ密着していますよ。顔の辺りに丁度いい具合にあなたの柔らかなものがですね、思考を麻痺させる甘い香りと共に制服越しとはいえ押し付けられていますよ。ほぼ制服表面の硬い感触とはいえ、それでもムニっとした弾力はわかってしまうんですよ、さてはわたしを殺す気ですねあなたは……。

 

 

「おーい、イチャイチャするのもそのくらいにしとけよ」

 

「もう! ゆりは放っておいたらすぐにこれだから」

 

 

 有咲と香澄に怒られて沙綾がようやく体を離してくれた。優しく微笑んでくれてはいるけれど、わたしの心臓は破裂しそうな程に躍り狂って血圧が急上昇してしまい、思わず気を失ってしまいそうになりましたよ。

 あのところでそこの二人、わたしが怒られる要素はこれっぽっちも無いと思うんですけど。

 

 気を取り直してみんなでランダムスターの入ったギターケースを囲んで座る。有咲がゆっくりとケースのカバーを開くと輝くボディの深紅の星型ギター(ランダムスター)がその姿を現した。

 みんなで異彩を放つその姿に見惚れていると、沙綾が香澄にギターを装備してみたらと声をかけて手際よく準備を始めた。香澄を立たせてストラップを体に通してから左手でネックを握らせ、いかにもギタリストのようなポーズをとらせる。

 

 

「いや思ったよりも香澄、ギターが似合うね」

 

「本当? ゆりもどう思う、似合っているかな?」

 

「似合っているよ、香澄にピッタリと馴染んでる。ねっ、有咲」

 

「はぁ? まぁ……いいんじゃねぇの」

 

 

 はい、デレを頂きましたぁ、御馳走様でございまーす。

 それはそうとしてゲームでは見慣れていた香澄のギタリスト姿も生で見ると迫力が違う。少し照れ臭そうに笑いながらギターを持つ姿が自然でとっても魅力的、キラキラとした雰囲気が体から溢れていてこちらまで元気のお裾分けをされてしまいそうだ。やっぱりこの子は主人公に相応しい特別な魅力を持った女の子なんだよね。

 

 

「香澄がギターを弾いている姿が見てみたいなぁ」

 

「わたしも弾いてみたいなぁ」

 

 

 思わず心の声が漏れてしまっていたらしく、それに反応した香澄が指でジャーンとギターを鳴らしながら呟いた。

 

 

「それなら練習スタジオがある所が良いんじゃない。この辺りなら『C i RCLE(サークル)』っていうライブハウスがあるよ、まだ出来立てだから行った事は無いけれど」

 

 

 沙綾さんナイスアシストですよ、あれっ? でもゲームのシナリオで香澄達が行ったのってCiRCLE だったっけ?。

 必死にランダムスターを奪い返そうとする有咲とそれに抵抗する香澄のイチャイチャな光景を眺めて幸せな気分に浸っている間に、沙綾がスマホでCiRCLEの場所を調べておいてくれた。

 

 

「ほらここだよ、みんなわかるかな?」

 

 

 沙綾がスマホを見せると有咲はまぁわかると言い、香澄はなんとなくわかると言い、わたしはわからないと応えた。そもそも転生して日が浅いからまだ街中を把握しきれていないんだよね。

 

 

「優璃も地元民だろ、わからないって地図を見るの苦手なのか?」

 

 

 有咲が疑問に思うのも無理は無い、あまり自慢する事でもないけれど香澄の大切な仲間になる沙綾と有咲には説明しておいても良いかもしれない。

 

 

「地図がどうとかじゃなくてね、わたし……」

 

「ゆりはね、中学三年生の時に交通事故にあって記憶を失くしちゃったんだよ」

 

 

 えぇっ⁉︎ 香澄がそれを言っちゃうの? しかもかなりのドヤ顔で、ここはわたしのシリアスパートですよ。

 

 

「でもわたしの事は覚えていてくれた、二人で過ごした小さい頃の思い出は無くしちゃったみたいだけれど、わたしの存在は忘れないでいてくれたんだよ」

 

「そっか、二人は幼馴染みなんだよね」

 

「だから今は満足、わたしはゆりにとって特別なんだって思えるから」

 

 

 香澄が嬉しいとも悲しいとも判断のつかない笑みを見せると、沙綾は慈愛に満ちた瞳でわたし達を見つめ、有咲は瞳を閉じてうん、うんと頷いていた。

 わたしはそんな香澄を見て心が痛んでいた。今の優璃(わたし)は所詮ニセモノ、本物の優璃と香澄が一緒に歩んできた道を知る術は無いし理解する事も出来やしない。だからせめてこれからは新しい道を、香澄やみんなが笑って過ごせる未来を創っていきたいと思っている。後は尊い光景がもっと増えるように頑張っちゃいますからね。

 

 

「あー、だからわからない事も多いけれど、皆さんこれからも友達としてよろしくお願いします」

 

 

 笑顔で宣言をしたら香澄と沙綾は笑顔で頷いてくれて、有咲はキョトンとした顔を見せてくれた。

 

 

「えっ? それって勝手に私も友達認定されているんだけど?」

 

 

 有咲の手を取って瞳を真剣に見つめる、逃がしはしませんよ市ヶ谷有咲。

 

 

「有咲、わたし達はもう友達なんだよ」

 

「……まぁ、優璃がどうしてもって言うならさ、その友達っていうのにもなってやらない事もないかもしれないけど」

 

「わたしもありさと友達だよぉ」

 

「じゃあ私も友達って事で」

 

 

 わたしが握っていた有咲の手に香澄と沙綾の手が重ねられると、有咲の顔中がみるみる赤くなり体は微妙に震えだしてきた。

 

 

「やっぱ無理! やっぱナシ! ナシだから!」

 

 

 有咲の少し甲高くなった叫び声が蔵の中に響き渡ったのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 とりあえずCiRCLEに向かう為に四人で蔵から出発です。前を歩くのは何故かランダムスターを勝手に持ち出して抱えたままの香澄とそれを注意しながらも渋々といった風情で付き合ってくれている有咲、後方にわたしと沙綾という布陣だ。

 

 

「香澄、おまえのやっている事は泥棒と一緒だからな」

 

「えー、ギターがないと弾けないよ?」

 

「いやそれは売り物だから、持ち出しを許可した覚えはねぇから」 

 

 

 有咲に怒られてシュンとなる香澄、まぁ言われて当然といえば当然なんだけれど、それでもギターを奪い返して帰ろうとしないんだからこの頃から有咲は香澄に甘々なんだよね。

 ほっこりとした気分に浸りながら横を見ると歩く沙綾の表情が少し硬い気がする。やっぱり音楽を辞めた手前、ライブハウスに行く事に多少の抵抗感を感じているのかもしれない。あまりにも見つめ過ぎたのか視線に気付いた沙綾がこちらを向いて無理矢理に力の無い笑顔をつくった。

 

 

「ゆり、嫌だろうけどちょっと訊いていい?」

 

「ふにゅ、どうぞ」

 

 

 普段から穏やかな笑顔でいる事が多い沙綾の表情が怯えというか自信を失ってしまったかのような真面目な表情に変わり、わたしの手をキュッと握ってきた。

 

 

「記憶を失うってどんな感じなの? 良い思い出もだけど、つらい思い出とかを忘れる事が出来るってある意味……」

 

「うーん、日常生活に困る程ではないから大して不便は無いんだけれど、わたしにとっては十五才までの優璃は死んで、今は二度目の人生を歩み始めたって感じかな。やっぱり思い出が無いってのは困るしみんなにも悪いかなとも思ってる」

 

「それはそうだよね、ゴメンね何か変な事を訊いちゃって」

 

「沙綾、でもね……」

 

 

 沙綾が握ってくれている手を強く握り返す。

 わたしはゲームをしていたから知っているんだよ、優しいが故に誰も傷付けたくないし自分も傷付きたくない、頼もしく見えるその姿は臆病さの裏返しなんだってね。だけどそれが悪いなんて思わない、沙綾はきっと心が優し過ぎる女の子なんだと思う。

 

 

「良い思い出を失うのも嫌だったけれど、つらかった思い出を失ったのはもっと嫌だったんだ」

 

「どうしてなの? つらい思い出を忘れる事が出来たら幸せなんじゃないの?」

 

「使い古された言葉だけど『人間は経験をする事で成長する事が出来る』って、あれ本当の事なんだと思う。つらかった思い出があったとしても、その経験を知っていれば例え再び同じ事があっても()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃない」

 

「ゆりは……強いね」

 

 

 半分は嘘だ。わたしには男として生きた十六年分の経験がある、完全に白紙では無いけれどそれでも香澄や瑠璃姉さんとの距離感だってまだよくわかってはいない。

 俺は前の両親に何も親孝行をする事が出来ずに死んだ。だからせめて今度は、わたしは周りの人達が笑顔でいてくれる事を望んでいるしそうする為に努力は惜しまないと決めている。

 

 だって……折角こんな尊いが溢れる世界に来れたのだから。

 

 

「あー! またゆりとさーやが仲良しさんしてる! ありさ、わたし達も手を繋ごうよ」

 

「だからなんでだよ、それよりもうすぐCiRCLEに着くぞ」

 

「あっ、それじゃあ私はそろそろ帰らないといけないから、CiRCLEに行った感想はまた聞かせてね」

 

 

 沙綾が繋いでいた手を離して足を止めた。やっぱりライブハウスに入る勇気はまだ無いんだろうな、少し寂しい気分になるけれどそれでもきっといつか、香澄達のバンドメンバー五人が揃ってライブハウスに行けるその日が来るまで、わたしは諦めずに背中を押し続けるからね。

 

 

「むー、今度はさーやとも一緒に行きたい」

 

「それじゃあ私もこの辺で」

 

「ありさはダメー」

 

「だからなんでだよ!」

 

「またねぇ、さーや」

 

 

 香澄が有咲の背中をぐいぐいと押しながら沙綾に向かって手を振ると沙綾も笑顔で手を振り返した。わたしもじゃあ行くねと言って香澄の後を追おうとしたら沙綾に呼び止められてしまった。

 

 

「ねえ、ゆり!」

 

「うんっ? どうしたの沙綾」

 

「私、もっとゆりの事が知りたくなったかも」

 

 

 両手で鞄を後ろ手にまわして少し前傾姿勢になりながら、沙綾は心からの笑顔を見せてくれた。

 

 

「香澄と同じくらいに、ゆりにとって特別な存在になりたいかな」

 

 

 照れたように少し赤くなった顔は、今まで見せてくれたどの笑顔よりも澄みきっていてとても綺麗な微笑みだった。

 

 

 



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9.ライブ鑑賞、はっじっまっるよー

 

 

 スポットライトに煌々と照らされるライブハウスCiRCLEの看板を前に、わたし達は少し戸惑い気味に立ち尽くしていた。ゲームでは散々見慣れている筈のライブハウス、白と赤を基調とした店舗にオープンカフェも併設されたお洒落な雰囲気の外観と、段々と薄暗くなってきて夜の顔を見せ始めた街の風景とが相まって制服姿のわたし達は少し浮いてしまっている様な気がしたからだった。

 

 

「さっ、行こうよ二人とも、突撃突撃ー」

 

 

 芽生えつつあった乙女っぽい感情を無視して香澄がお構いなしにずんずんと店舗の中に入って行く。立ち尽くしていたわたしと有咲は顔を見合わせながら声を揃えて呟いてしまった。

 

 

「あの子、凄いね」

「アイツ、凄ぇな」

 

 

 お店の中に入ると広いフロアーには受付カウンターと円形のテーブルに椅子が数脚、壁に設置されているモニターからは誰だか知らない人のライブ映像が流されていた。それにしても店内のお客さんが多くて意外と賑わっている事に驚く、ゲームではモブキャラはカットされていたのか意外とCiRCLEって盛況だったんだね。

 

 

「ゆり、ありさ、こっちだよ」

 

 

 受付カウンターの近くで手を振っている香澄に近づきながらカウンターの方を見やると居ましたよ、ゲーム内ではナビゲーター役ですっかりお馴染み、みんなのお姉さんこと『月島(つきしま) まりな』さんだ。

 二十代なかばで人の良い優しいお姉さんという印象だったけれど、現物を見ると驚く程に綺麗な大人の女性だ。ラフに切り揃えられた肩口までの髪に優しい印象を与えるパッチリと見開かれた瞳、それらがスリムな体型と合わさって美人と呼ぶ事に何の違和感もない。ただ残念なところがですね、トレードマークのボーダー柄のシャツの地味さがその魅力を押し下げて男っ気の無い印象を与えてしまっている気がするんだよね。この人はちゃんとお洒落をしたらきっとモテモテになりそうな気がするんだけどなぁ。あっ、でもゲーム中では言及されていないだけで実際にはもう彼氏とか居るのかもしれないよね。

 

 

「あれっ、見ない子たちだね、もしかして初めてかな?」

 

「はい! わたしギターを弾きたいんです!」

 

 

 ちょっと香澄さん説明が足りなさ過ぎますって。ほら、まりなさんも困って苦笑いしちゃっているよ、仕方がないですねどうやらここはわたしの出番ですか。

 

 

「あの、練習用のスタジオがあるって聞いたんですけど」

 

「あぁ、そうなの。予約とかしてるかな?」

 

「飛び込みです。やっぱり無理ですか?」

 

「うーん、今はちょっと埋まっちゃっているね、うちは学生向けの料金設定にしているから予約しないと今の時間帯は厳しいと思うなぁ」

 

 

 まりなさんが申し訳なさそうに説明をすると香澄はがっくりと肩を落とし、有咲はほっと胸を撫で下ろしていた。しかしまだです、まだ終わらせはしませんよ。

 フンスと受付カウンターに両手を勢いよく着けてまりなさんに詰め寄る。身長の低いわたしにだってこれくらいの芸当は出来るのですよ、ちょっと足が宙に浮いていますけどね。

 

 

「あの、ライブとか今はしているんですか?」

 

「もちろんだよ! 折角だから観ていってよ、次に()るのは君達と同じ高校生のガールズバンドだから刺激になると思うよ」

 

「わたし観てみたい! ねえ二人共、ライブを観ていこうよ」

 

「いいね、行こうよ有咲」

 

「いえ、私は結構です」

 

 

 うわぁ、有咲がめちゃくちゃ猫を被ってお嬢様風になっているよ。そういえば有咲って人見知りだから知らない人の前だと緊張して硬くなってしまう性格だったのを思い出した、わたし達には最初からくだけた感じだったからすっかりと忘れていたよ。ところでそろそろ腕が限界なので足を降ろすとしますかね。

 ほいっと言いながら着地して振り返りざまに香澄にウインクをして合図を送り、笑顔で有咲に近寄って腕を絡ませ身柄を確保です。

 

 

「えっ、何で急に?」

 

「隊長! 今です!」

 

「高校生が三人でお願いします」

 

「はいはーい、高校生割引で合計千五百円になりまーす」

 

「ちょっ! そういう事かよ!」

 

「あらあら、ライブ会場は地下だからそこの階段を使ってねぇ」

 

 

 笑顔のまりなさんが指し示した先には地下へと降りる階段が見える。ひらひらと三枚のチケットを持ちながら香澄がこちらへ戻ってきた。

 

 

「ありさ、やったよワンドリンク付きだって」

 

「いやいやドリンクの問題じゃねぇからな!」

 

 

 有咲の大声にお客さん達が一斉に怪訝そうな視線を送ってきたけれど、何故かまりなさんだけは微笑ましそうな視線を送ってきた。

 

 

「ちょっと有咲さん、他の方々に見られていますわよ」

 

 

 有咲にコソッと耳打ちすると、我に返ったのかもうすっかり手遅れ感のある有咲猫を再び被り始めて、なんとかお嬢様感を取り戻そうと奮闘を始めた。

 

 

「もう香澄さんも優璃さんも冗談が過ぎますよ、せめて私に声を掛けてからにしてくださらないと」

 

「あらこれは失礼致しました。お優しい有咲さんなら訊くまでもないかと思いまして、それではそろそろ参りましょうか皆様」

 

「仕方がありませんね、参りましょうか香澄さん、優璃さん」

 

 

 お上品な微笑みを浮かべながらわたし達『劇団ネコ被り座』は、仲良く地下に続く階段へと進むのでした。

 

 

「二人とも、ちょっと怖いよ」

 

 

 香澄さん、こういう時にそういう事を言っちゃダメっす。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 地下へと降りる階段を一歩づつ進む事になんだか世界が変わっていくような不思議な感覚に包まれる。段々と薄暗くなってゆく様はまるで違う世界に繋がるトンネルに入ってしまったような気分だ。わたしも生ライブなんて初めてだから香澄じゃないけれど少しドキドキとした高揚を感じているのかもしれない。

 先頭を歩くのはギターを抱えながらウッキウキな香澄と、肩を落としながらトボトボと歩く有咲。対象的な二人の姿がなんだか微笑ましい気分にさせてくれる。

 階段を降りきった先で他のお客さん達が次々と突き当たりの部屋の中に入って行くのでどうやらあそこがライブ会場みたいだ、いよいよ運命の分かれ道に立った、ここで繰り広げられるライブに香澄がキラキラドキドキをしてくれないと香澄達のバンド『poppin'party(ポッピンパーティー)』は生まれない。ところでバンドって何処が出るんだろう、焦り過ぎて聞きそびれていたよ。

 

 ライブスペースの中へ足を踏み入れるとそこはもう別世界、そこまで大きくはない箱で決して満員という客数ではないけれど、ライブも始まっていないのに観客達の熱気で既に部屋の中は暑いくらいだ。立ち見とはいえ恥ずかしくてとても前列へ行く勇気は無いから部屋の後方へ陣取ってライブの開始を待つ事にした。

 

 

「うわぁ、わたしなんだかドキドキとしてきたよ」

 

 

 香澄が興奮したようにギターをギュッと抱きしめながら瞳を輝かせている。対象的に有咲はライブに興味が無さそうな雰囲気でふーんと言いながら辺りを見まわしていた。

 

 

「結構お客さん多いんだな」

 

「有咲大丈夫? 不安だったら手を握ってあげるよ」

 

「子供じゃねぇから、優璃こそ不安だったら手を握ってやるからな」

 

「あっ、それじゃお願いしまーす」

 

「はっ、バ、バカ、そんなのする訳がないだろ」

 

 

 有咲がからかってきたのですかさずお返しをすると、わたわたと慌てながらわたしと自分の間に香澄を引き入れてその背中に隠れてしまった。それにしても有咲の純情な反応は見てて本当に可愛いです。

 前触れもなくフロアーの照明が落ちてライブの開始を告げられる。辺りを静寂が包み込み、否が応にも期待感と緊張感を煽られて体に力が入ってきてしまった。

 

 

「にゃっ!」

 

 

 バンッという大きな音と共に強烈な光がステージを浮かび上がらせた。音に驚いて変な声が出ちゃったけれどそんな事は気にしない、なんだか隣の二人が保護者のような微笑みをしているけれどそんなのも気にしない事にする。

 眩く感じる照明に照らされたのは五人組のガールズバンド。ゲームにも出ていたバンドだからよく知っている。

 

 

After glow(アフターグロウ)です。みんな来てくれてありがとう」

 

 

 確か幼なじみ達で結成されたバンドでいかにも王道ロックといった曲が多かった印象だ。センターポジションでギターを装着しながらマイクを握っている女の子は、黒色のショートカットにひと筋の赤色メッシュを入れているのがトレードマークになっている美竹 蘭(みたけ らん)ちゃん。ゲームのサイトとかでは有咲と並んでツンデレツートップみたいな扱いをされていたっけ、恥ずかしがり屋で仲間思いの可愛い女の子だったはず。

 後列には赤色の長髪と高い身長、スラリとした体型に意思の強そうな瞳が宝塚にある歌劇団の男役のような雰囲気でみんなの姉御肌といった感じの宇田川 巴(うだがわ ともえ)ちゃん、パートはドラムだ。

 その横には栗色のショートカットに優しそうな印象を与えるクリッとした瞳、いかにも女の子らしい細っそりとした体型のキーボード担当羽沢(はざわ) つぐみちゃん。

 前列に視線を写すと蘭ちゃんの左隣にはベースの上原(うえはら) ひまりちゃん。ベイビーピンク色のふわりとした髪に有咲と同じく巨峰グループと呼ばれていた程の立派な物をお持ちのセクシー担当、と思いきや社交的で人当たりも良いからお色気担当というよりもみんなから弄られ担当のような扱いを受けていた愛されキャラだ。

 そして右隣にはギター担当のモカちゃん。シルバーグレーのショートカットに細い体型、パーカーを羽織っている姿がまるで少年のようにも見える可愛い女の子。幼なじみ達の中でも蘭ちゃんにとっては親友とも言える間柄だ。何故かモカちゃんの苗字だけが思い出せないけれど、まぁ直に思い出すでしょう。

 

 などとゲームの事を思い出している間にステージでも蘭ちゃんのメンバー紹介が終わったみたい。いよいよライブか始まる、色々な期待感が押し寄せてきて武者震いのように体が震えてしまうよ。

 

 

「いつも通り楽しんでいってね、いくよ! Scarlet Sky(スカーレットスカイ)

 

 

 軽快なギターの音で始まった曲はいかにも青春ロックといった感じでアフターグロウによく似合っていた。演奏の上手い下手はよくわからないけれど五人の息がピッタリと合っていてなんだかとても楽しそう。

 それよりも生音の強さに驚く、体の奥まで音が染み込んで心臓の鼓動までがリズムに支配されているみたいな奇妙な感覚に陥ってしまう。

 観客達の視線は全てステージの五人に向けられ、ステージの五人は音楽でそれに応える。今までは映像で一方通行のライブしか見た事が無かったけれど、ライブって観客ありきの芸術なんだとあらためて思ってしまった。

 

 

「凄い! 凄いよ! ライブって凄い!」

 

 

 ライブの音であまりハッキリとは聴こえないけれど香澄も喜んでくれているみたいだね。良かった、これでキラキラドキドキとしてくれて無事にバンドを始めてくれそうだよ。

 

 

 安堵した気分で横に居る香澄を見やった、筈だった。

 

 

 だけどわたしの視線の先に見えたのは……。

 

 

 どう見ても幼い少女、そして星々が無限に広がる美しい夜空だった。

 

 



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10.星の鼓動と戸山香澄と

 

 

 言葉を失うっていうのを二度目の人生にして初めて体験をしてしまった。

 

 

 ここはライブハウスの筈なのに、眼前に広がる光景はどう見ても夜の屋外。(ひら)けた大地には見渡す限りに暗く染まった草の絨毯(じゅうたん)が敷き詰められ、見上げた空には無数に(きらめ)く星々が見える。いったい此処はドコなんだろう?

 小さな光の集まりが天空にひとつの絵画を描き、星から発せられる光の洪水に身を委ねてしまったら、そのまま見知らぬ異世界に迷いこんでしまいそうだった。

 視線を戻すと少し先には、淡く浮かび上がったショートカットの髪を緩やかに揺らしながら、引き込まれているように満天の星空を見上げている小学校低学年くらいの女の子が見える。やけにその姿に不思議な違和感があると思ったら目線の高さがその子と同じくらいな事に気が付いた。

 視線を下げて自分の姿を確認してみると、胸の膨らみもないツルペタのTシャツ姿にミニスカートなのだけれど服のサイズが明らかに小さい。どういう訳か自分も少女の姿になってしまっているみたいだ。

 

 

「ゆりおねぇちゃん、おててをはなしたらいやぁ」

 

 

 弱々しい声のする方に顔を向けると、自分達よりひとまわり小さな女の子が泣きそうな顔でわたしのシャツを引っ張っていた。いったい自分の身に何が起こっているのか、これが現実ではないと頭では理解が出来ているけれど、目の前に映し出される光景があまりにもリアル過ぎて思考が追いついてくれない。

 

 

「あっちゃん、おねぇちゃんの手はここだよ」

 

 

 自分の意思とは関係なく口が勝手に言葉を紡ぎ始めてしまう。うん、と返事をした女の子はわたしの手をしっかりと握り締めて、不安そうな表情のまま強張る身体をそっと寄せてきた。

 さっきわたしはこの子を『あっちゃん』と呼んでいた、という事は少し先で星空を見上げている女の子は、まさか……香澄なの?

 

 

「ゆりちゃんスゴいよ! お星さまがいっぱいキラキラしてる、こんなの見たことないよ!」

 

 

 こちらを向いて叫んだ香澄らしき女の子は、うきゃーと感情の赴くままに叫びながらくるくると舞い踊り始めた。空から降り注ぐスポットライトを浴びながら夜の色に染まった草花のステージで踊る姿は、まるで妖精が楽しそうに遊んでいるような美しさを放っていた。

 

 

「かすみちゃん、くらいからあんまりはしゃぐとあぶないよ」

 

 

 幼いわたしが注意をしても聞く耳を持ってくれない香澄は、暫く踊り続けた後にパタリと草の絨毯の上に仰向けで倒れてしまう。その様子に慌ててわたしとあっちゃんが香澄の側に近づいて顔を覗き込むと、何事も無かったかのように無邪気にケラケラと笑っていた。

 

 

「もうかすみちゃん、ビックリしちゃった」

 

「あははっ、ごめーん。でもスゴいよ、お星さまが落ちてきそう」

 

「お星さま、ほんとうにキレイだよね」

 

「うん、キラキラとしててドキドキする。きっとこのドキドキはお星さまがくれたタカラモノなんだよ」

 

 

 寝そべったまま顔をこちらに向けてくる。幼い視線は真っ直ぐで、まるで新しいおもちゃを買って貰った時のような輝きに満ち溢れていた。

 

 

「ゆりちゃんにも聞こえた? お星さまのドキドキ」

 

「よくわからないけど、すごくドキドキしてるよ」

 

 

 わたしの返事を聞いた香澄はニコッと笑った後に勢いよく立ち上がった。Tシャツと短パンに纏わり付いていた草を払ってあげていたら、いきなり首に手をまわされて抱きしめられてしまった。

 

 

「ゆりちゃん、大きくなったらまたお星さまを見にこようよ。わたしとゆりちゃんとあっちゃんで」

 

「えー、やだよくらいのコワイもん」

 

 

 わたしの体にくっついたままのあっちゃんが心底嫌そうな声をあげる。それにしても不思議、これは現実では無い筈なのに抱きしめられた身体には香澄の圧力と興奮している呼吸の音まで感じられてしまう。

 

 

「あっちゃん、ゆりおねぇちゃんがあっちゃんをまもるからまた三人で来よう?」

 

「……ゆりおねぇちゃんやくそくだよ、わたしからはなれたらイヤだよ」

 

「ゆりちゃん、わたしもやくそくだよ。ぜったいにまた来ようね」

 

「うん! やくそく、三人でまたお星さまを見ようね」

 

 

 星明かりに照らされたわたし達は約束を交わした。優璃が居なくなった今の世界ではもう叶う事の無い願いを……。

 

 

 そうか……。

 これは優璃が幼い頃の記憶なんだ。失ってしまった筈の記憶を脳が映画のようにわたしに見せているのか。

 だけど、どうして今? いったい何の為に?

 ヤメてよ! 香澄と長い時間を掛けて絆を紡いだ優璃はもう居ないの!

 例えわたしと香澄が紛い物の幼馴染みだとしても、これから時間を掛けて本物になれるかもしれないのに、今更お前は偽物だなんて思い知らせないでよ。

 わたしはホンモノじゃない、そんなの言われなくてもわかってる。じゃあ本物って何なの? これから紡ごうとしている香澄との、みんなとの絆はいつまで経ってもニセモノだというの。

 

 

 どうして? ねぇ教えてよ優璃さん、貴女はわたしにいったい何を見せたかったというの?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ゆり! 凄いよ! 音楽って凄い」

 

「なんだよ優璃そんなに汗をかいて、そこまでライブに興奮したのか」

 

 

 香澄に肩を揺さぶられて現実世界に引き戻された。ステージの方を見やるとAfter glow(アフター グロウ)の人達が手を振りながら舞台の袖へと歩き出している。そうか、ぼうっとしている間にライブが終わっちゃったのか、蘭ちゃんの生歌をもっと聴きたかったな。

 額からは汗が何粒も筋を描いて流れ落ちていく。酷く冷たく感じるそれは興奮して流された物では無い事はよくわかっていた。

 

 

「どうした優璃? ぼうっとして」

 

 

 有咲に心配をされて我に返った。心の中はぐちゃぐちゃだけど、みんなに心配をかけちゃいけない、折角の良い流れを止めちゃダメだ。

 

 

「ついライブに夢中になっちゃった、有咲もしかして心配してくれたの?」

 

「はっ? そんなんじゃねぇし、ボケーっとしてた顔が何か面白かったからな」

 

 

 ドヤ顔で微笑む有咲が可愛い。良かった、なんだかんだ言っても有咲も楽しんでくれたみたいだ。

 和やかな雰囲気に安堵していると、急に香澄がわたしと有咲の肩を力強く掴んできた。

 

 

「わたし、バンドでキラキラドキドキしたい!」

 

「あっそう、まぁ頑張ればいいんじゃね」

 

「ねぇ二人共、バンドやろう! わたし、二人とバンドしてみたい!」

 

「やらねぇ」

 

「えぇっ? あーりーさー」

 

 

 香澄が有咲の肩を揺すってお願いをしている横で、わたしは呆気に取られてしまっていた。

 

 

 あれっ? 何でわたしがバンドに誘われているのかな? ゲームのシナリオと違いますよ香澄さん。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ねぇー、バンドしようよー」

 

 

 CiRCLE(サークル)からの帰り道、ギターを返す為に市ヶ谷家に向かって並んで歩く道中も香澄はしきりに有咲の勧誘を続けていた。

 

 

「興味が無い」

 

「あーりーさー」

 

「あぁうぜぇ、バンドをやりたかったら優璃とやれば良いだろ」

 

 

 まぁそう言われるよね、だけど世の中はそう上手くはいかないものなのですよ。

 

 

「そうしたいのはやまやまだけど、わたしね、事故をしてから指とかがスムーズに動かなくなっちゃったんだ」

 

 

 ハッとした顔をして二人は申し訳なさそうに目を伏せてしまった。

 まぁ半分は本当で半分は嘘なんですけれどね。事故のせい以前に元々の手先が超絶不器用なんだよね、リズム感も無いし絶対に楽器とか無理だと思うんだよ。

 それに香澄達のバンドpoppin'party(ポッピンパーティー)はやっぱりあの五人でポピパだと思うの、余計な異分子は要らないのですよ。

 まぁ最大の理由は外からポピパの五人を眺めてウホーしたいだけなんだけどね。

 それよりも早々に有咲を陥落させないといけないね、わざとらしく同情をひくように精一杯の悲しそうな顔を作って少し上目遣いで有咲を見つめる。

 

 

「だからね、この思いを有咲に託したいんだ。有咲がバンドを始めて香澄を支えて欲しいの」

 

 

 完璧です、これなら優しい有咲が『仕方がねぇな』とか言ってくれるのは間違いないでしょう。

 

 

「はっ? そんなの知らねぇ」

 

 

 はい、振られてしまいました、チクショウな感じでございますよ。

 

 

 市ヶ谷家に着くと、有咲は香澄からランダムスターを奪い返して素気なく帰るのかと思えば、玄関先で急に足を止めてしまった。

 

 

「まぁまた片付けを手伝ったらギターを見せてやるからな、じゃあな」

 

 

 それだけを言うと振り返りもせずに家の中に入ってしまった。もうそれってまた来いっていう事じゃん、どれだけツンデレなんだろうかあの子は。

 

 

「帰ろっか」

 

 

 うん、と返事をした香澄と並んで歩きだす。もうすっかり闇に閉ざされた景色はあの時みたいに星の輝きに照らされてはいない。空を見上げても本当に明るい星しか見えないくらいのパラパラとした星空だ。

 

 

「ライブ、とってもキラキラドキドキしたよ、まるで……」

 

「一緒に星空を見た時みたいに?」

 

 

 並んで歩いていた香澄の足がピタリと止まった。急な事に驚いて振り返ると持っていた鞄を地面に落とし、茫然とわたしを見つめる香澄の姿がそこにあった。しまった、迂闊な事をしてしまったのかもしれない、これではわたしが記憶を失っていないように見えてしまうじゃない。

 

 

「……覚えて、いるの?」

 

「いや、覚えているっていっても断片的で、よくは……」

 

 

 誤魔化しきれそうもないから正直に答えたけれど、わたしのバカ、中途半端な希望は後で絶望を与えてしまうだけだというのに。

 香澄の足が再び動き出してわたしに段々と近寄ってくる。違うの香澄、これは記憶のカケラというか浮かんでは消える泡沫(うたかた)の如くといいますか。

 などと慌てていたら、香澄は止まる事なくわたしにぶつかるようにして強く身体を抱きしめてきた。今まで感じた事がない程に強く、息が苦しくなってしまうくらいの力で。

 

 

「か、香澄、苦しいよ」

 

「あの時の星空、キラキラドキドキしたよね」

 

「あぁ、そうだね綺麗だった」

 

「やっぱり思い出していたんだ」

 

「全部を思い出した訳じゃないんだ、本当に断片的な映像だけ」

 

「それでも……」

 

 

 香澄の声が震えだしてきてしまった。最悪だ、なんだか優璃と香澄の大切な思い出を土足で踏み荒らしてしまった気分だ。こんな思いをさせてまで何でわたしは此処に存在してしまっているんだろう? そのまま優璃が残ってくれてわたしが消えてなくなればみんなが幸せだった筈なのに、神様はどうしてこんな残酷な事をするんだろうか? もし暇潰しの戯れとかだったらマジで神様許すまじだからな。

 

 

「わたし達があの時に感じた『星の鼓動(ホシノコドウ)』は思い出してくれたんだね」

 

 

 涙声で香澄が問い掛けてくる。香澄の温もり、柔らかな身体の感触、澄んだ空のような香りが此処に居る香澄が幻想ではなく現実の存在だと教えてくれる。だから余計に偽物のわたしには香澄の問いに答える資格はきっとないのかもしれない。

 

 

 だけど……だからそれがなんだっていうの!

 

 

 人の心に偽物も本物も無い、そこにあるのはただ想いだけだ。

 誰かを、みんなを幸せにしたい、自分だって幸せになりたい、そう願う心に優劣などあるはずもない。

 わたしだって優璃だ、優璃が為し得なかった想いを引き継いだってそれは本物の価値があるはずでしょう。

 わたしは以前の優璃になる事は出来ない。だけど、新しい美月優璃を創る事はきっと出来るはずだ。

 だから……いつかなってみせるよ、新生美月優璃というホンモノにね。

 

 

 

「ライブにもキラキラドキドキした?」

 

「したよ、久々にあの時の気持ちを思い出したもん」

 

「ならバンドやりなよ。わたしには出来ないけれどずっと応援するよ、いつかまた二人で……違う、みんなで星の鼓動を聴けるその時まで」

 

「ずっとだよ、ずっとわたしを見ててくれる?」

 

「約束します」

 

「じゃあ頑張る」

 

 

 わたしの体から離れた香澄は、涙の跡が残ったままの笑顔を見せながら右手の小指を差し出してきた。子供かよと思ったけれど、たまにはこんなのも悪くない。

 お互いの指を絡ませてしっかりと繋ぎ合わせる。今度こそ約束を叶えてみせるからね、それが出来た時にきっとわたしは本物に成れる気がするから。

 

 一度は死んで偽物からのスタート。上等ですよ、神様の試練だかなんだか知らないけれど、優璃はやってやりますからね。

 

 二人で空を見上げた。決して綺麗な星空ではないけれど、何だかいつもより星達が綺麗に見える気がする。まるでわたし達を励ますように、そして明日への道を指し示してくれるように……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ただいまー」

 

 

 玄関を開けて声を掛けると、瑠璃姉さんがリビングからゆっくりと姿を表してきた。エプロン姿でとっても綺麗だけれど、その足取りはゾンビのようなすり足で少し怖いですよ。

 

 

「ふふふ、おかえりなさい優璃ぃ、今は何時かなぁ? 連絡も無かったなぁ」

 

 

 あっ、遅くなるってメールをするのをすっかりと忘れていました。それよりあの姉さん、笑顔が怖いです、謝りますからどうか寛大(かんだい)なる御処置を。

 

 

「お姉様ごめんなさい、ついですね」

 

「ふふふふ、ご飯もすっかり冷めちゃったなぁ、寂しいなぁ傷ついたなぁ、どう慰めてくれるのかなぁ」

 

「ふにゅ! お、お許しを」

 

「罰として今日は一緒にお風呂に入って頂きます」

 

「にゃっ、いやにゃぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 逃げようとしたところで首根っこを掴まれ、そのままリビングへと連行されてお説教を散々されてしまうのでした。

 

 

 どうやらわたしの『尊い』への道は、まだまだ険しくて遠い道のりのようです。

 

 



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11.妹さんはからかい上手のようです

 

 

 何やら香澄は非常にやる気のようです。

 

 

 バンドを始めると決めた香澄は、有咲を説得する為に何故か毎朝迎えに行くと言い出し始め、そしてもはや当然のようにわたしも引き摺り出される事になってしまいました。応援すると言ってしまった手前まぁ自縄自縛なのだけれど、朝が弱い身体には地獄のような展開となって参りましたよ、早起きが得意な人とかは本当に自慢しても良いと思うのです。

 朝が早くなるという事でお弁当作りも大変だろうからと瑠璃姉さんにはお昼は学食でいいよ、と言ったのに優璃のお弁当は必ず作ると言われてしまいました。こんなに大切にしてもらって本当にうちの姉は女神です、最高です、もう大好きです、でも裸を見られるのは嫌いなので一緒にお風呂に入るのは勘弁してください。

 何か裸を見られるのって隠す所が無いから相手からしたらもう完全に女性な訳でして何の躊躇も見せてくれないのです。それが元男からしてみるとちょっと複雑な心境になるんだよね、自分が女の子だとは理解しているけれど自我ではまだまだ男だと思っていたいというか、女の子が恥じらう姿が見たいというか……。

 おっと間違いなく見る方は好きですよ。なんなら姉さんの下着姿はいつもガン見していますからね。

 

 はぁ早起き嫌い、体が重いと嘆きながら玄関を開けると、香澄が待っているのかと思いきや花咲川女子学園の制服を着たショートカットの女の子が玄関先の道路に立っていた。

 

 

「おはようございます、優璃さん」

 

 

 ブラウン色のショートカットを柔らかな風で揺らし、甘えん坊なイメージを抱かせる少しだけ目尻の下がった瞳。そんなイメージとは対照的に鋭角的なフェイスラインでクールな雰囲気をも併せ持つ美少女、ひと目見てわかったよこの子は香澄の妹の『明日香(あすか)』ちゃんだ。

 

 

「もしかして、あっちゃん?」

 

「記憶を失ったって聞いていましたけど本当だったんですね」

 

「そうなんだよ大変だったんだよ。だからあっちゃんとも久しぶりというか初めましてな気分なんだよね。あれっ? それよりも香澄は?」

 

「お姉ちゃんならもうすぐ来ると思いますよ」

 

 

 明日香ちゃんにとっても優璃は幼なじみの筈なのにやけに素っ気ない。それもそうか、自分の事を忘れられたらそりゃ気分が悪いものね。

 

 

「もしかして怒ってる?」

 

「怒ってはいませんよ、拗ねているだけです。お姉ちゃんの事は覚えているのに私の事は忘れているんですからね」

 

 

 上目遣いで様子を伺うと、明らかに怒っている雰囲気が感じられる。香澄より身長の低い明日香ちゃんだけど、それよりも更に少しだけ身長が低いわたしに年上の威厳を求めるのは難しい状況に追い込まれてしまった。

 対処に困って薄ら寒い作り笑いを浮かべていたら、緊張で体が動かなくなっているわたしに明日香ちゃんは真顔のまま近寄って来て耳元に顔を寄せてそっと小声で囁いてきた。

 

 

「私のファーストキスを奪ったのも忘れちゃったんですか?」

 

「はいぃぃぃ? きっ、きすぅぅぅ?」

 

 

 香澄とは違う甘いフルーツのような体臭に意識が酔いしれそうになる。予想もしていなかった言葉に思わず大声を出してしまったけれど、耳元から体を離した明日香ちゃんはわたしの反応を予想していたのかちょっぴり舌を出してイタズラっ子のような微笑みを浮かべた。

 

 

「まぁ幼稚園の頃の話なんですけどね」

 

「幼稚園……なんだそうか、もうあっちゃん驚かせないでよ」

 

「でも私の初めての人は優璃さんと思っていますから」

 

 

 物凄く語弊がありそうなセリフなんだけれど、瞳を細めながらの挑発的な笑顔がとても魅力的に感じられる。でもなんだろうこの小悪魔系な感じ、ゲームでは素朴で素直な印象くらいしかなかったんですけど。

 

 

「ゆりー、あっちゃーん」

 

 

 隣の家から出て来た香澄がこちらに手を振りながら駆け寄ってきた。はぁ、まったく天使のような無邪気な笑顔に癒されますわ、しかし天然系の姉に小悪魔系の妹とはなかなかに強力な美少女姉妹だねぇ。

 

 

「お待たせ、それじゃ行こうよ」

 

「うん、行こう優璃お姉ちゃん」

 

 

 えっ? いま優璃お姉ちゃんって。

 

 

 戸惑うわたしを見てまたイタズラっ子のようにクスリと笑った明日香ちゃんは、してやったりと言わんばかりの表情で歩き始めてしまった。

 

 

 ちょっとなにこの小悪魔系妹、無性に可愛い過ぎて困るんですけど!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「でもあっちゃん今朝はどうしたの? 部活の朝練でもあるの?」

 

 

 わたしを真ん中に挟み三人で並んで駅に向かって歩く。今日は曇りで日差しが弱いせいか、下半身がスースーとして少し肌寒く感じるのでまだまだタイツは手放せそうにもありません。しかし香澄もあっちゃんも素足だけど寒くはないのかね、男でさえこの時期にハーフパンツだと寒くて堪らないだろうに女の子って本当に凄いわ。

 

 

「受験勉強に集中したいから部活は早めに引退したけど、気分転換にたまには顔だけでも出そうかなって思ったの」

 

 

 こちらを見ずに素っ気なく答える明日香ちゃん、やっぱり嫌われちゃっているのかなと思うと切なくなる。もうちょっと上手く立ち回れていたら結果も違ったものになっていたのかもしれないと思うと悔しいや、ライトノベルによく居るハーレム系主人公は何であんなに周りから好かれまくるのかね、お願いですから好かれる方法とかあったら教えて欲しいものですよ。

 

 

「あっちゃんはね、ゆりがちっとも家に遊びに来ないっていっつも怒ってたんだよ」

 

「ちょっと! もう、お姉ちゃん!」

 

「今日だってね、ゆりに会ってたまには遊びに来いって文句を言う為に普段より早く家を出たんだよねぇ」

 

「そうなの? あっちゃん」

 

 

 明日香ちゃんの顔を覗き込むと頬を紅く染めながら目線を逸らしてしまった。なんだ寂しかっただけなんだ、どうやら嫌われた訳じゃなさそうで安心したよ。

 

 

「だって優璃お姉ちゃんがお姉ちゃんばっかり構って、私の事はすっかり忘れっぱなしなんだもの」

 

 

 ニヤニヤとした顔の香澄にからかわれた明日香ちゃんは先程までの素っ気ない態度は何処へやら、口を尖らせながら拗ねた口調で文句を言う姿がいかにも妹っぽい可愛らしさに満ち溢れていて堪りません。

 

 

「ゴメンねあっちゃん、今度ちゃんと遊びに行くからね」

 

 

 明日香ちゃんの手を握って応えると、キュッと手を握り返して頬を紅く染めたまま伏し目がちにコクンと頷いた。はうっ、何ですかこの可愛い生き物ヤバイです、それにしても妹の破壊力って凄まじいものだね、瑠璃姉さんの気持ちがちょっとわかった気がするよ。

 

 

「もう、妹の事を忘れないでよね」

 

「そうそう、嫁の事も忘れないでね」

 

 

 いや明日香ちゃんはわかるけれど、香澄はいったい何を言っているのかな?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 登校に使っている電車を降りて一息つく。有咲を迎えに行く為に明日香ちゃんとはここでお別れとなるのだけれど、電車に揺られている間に今度戸山家にお泊まりで遊びに行く約束を明日香ちゃんにさせられてしまいました。なかなかの素早い交渉術でかなりのやり手ですよこの子は、というか単にわたしがチョロイだけなのかもしれない。

 軽く手を振る明日香ちゃんに対して全力で手を振り返すわたしと香澄、もしかしたら似た者同士なのかなとも感じるけれど、いやいやわたしは香澄程に天然系ではないと思うのですよ。

 いつもの通学路から外れて通い慣れていない道を二人で歩く。曇天の空が景色を少しだけ薄暗い色に染めているけれど、道端に咲く名前も知らない花が色とりどりの原色で世界に彩りを与えてくれていた。なんだろうね、男の頃は道端の花なんか気にも止めていなかったのに、今は素直に可憐だなって思えてしまうよ……。

 

 やっべぇ、これって乙女化が進行してしまっているんじゃないのか?

 

 いやいや待て待て、確かにわたしは女子高生だ。女の子である事も受け入れていこうとも思っているけれどそれにしても変化が急過ぎない? このままの速度で乙女化が進行してしまったら、そのうち香澄と温泉とか行って二人で素っ裸を見せ合ったって別に何とも思わなくなるって事でしょ。

 いやいやいや待ってくださいよ女の子が恥じらう姿も尊きものですよ、『わぁ香澄って胸が大きくて羨ましいなぁ』とかそんな台詞に尊さの欠片も無いでしょうが!

 許すまじ、許すまじですよ自分、及び神様。

 何としても尊いは護らなければなりません、まぁそれ以前に香澄と一緒にお風呂に入る勇気なんて今はこれっぽっちも無いのですがね。

 

 

「さっきから何をブツブツと言っているの?」

 

「いや気にしないでいいから、それよりも香澄、迎えに行くって有咲とは約束とかしているの?」

 

「約束なんかしないよぉ、みんなで学校に行けたら楽しいもん、ゆりだってそうでしょ」

 

 

 鞄を振り回すように一回転しながら香澄は微笑んだ。間一髪で鞄を避けれたけれど、有咲が素直に『うん! みんなで行こう』とは言ってくれる訳が無いんだよねぇ。まぁそうなれば香澄の為にこの優璃さん、実力行使もやぶさかではございませんがね。

 

 

「あははははは……」

 

 

 ちょっと香澄さん、さっきからグルグルと回り続けて何やら完全にヤバイ感じになっちゃっていますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 市ヶ谷家の門から中を覗くと、かっぽう着を付けた有咲のおばぁちゃんらしき女性がホウキで庭を掃いているのが見えた。どうやらこちらの姿に気付いてくれたようなので軽く会釈をすると、微笑みながら右手で手招きを始めたので二人で顔を見合わせてからおばぁちゃんの元へ歩み寄った。

 

 

「おはようございます!」

 

 

 二人で揃って挨拶をすると、有咲のツンケンとした感じとは似ても似つかぬ温和で品のある微笑みを浮かべてくれた。

 

 

「有咲の友達かい?」

 

「はい! 友達です」

 

「そうかい、迎えに来て貰ったのに悪いけど有咲はまだ寝ているんだよ、そうだねぇ部屋まで行って起こしてきてくれるかい? あたしが言っても中々起きてくれなくてねぇ」

 

「わかりました! わたしに任せてください!」

 

 

 胸を張って拳で叩く香澄、絶対に嫌がられるだろうけれど有咲って押しに弱い所があるから、こういう押しが強い時の香澄とはなんだかんだ言っても相性が良いんだよね。

 玄関から家の中に入っておばぁちゃんに教えてもらった部屋の前に立つ、障子戸を音が鳴らないようにゆっくりと開けて部屋の中へと侵入すると、女の子の部屋特有の甘い香りが充満していた。瑠璃姉さんの部屋も良い香りがしていたけれど、女性の部屋って何であんなに良い香りがするのだろうね。自分の部屋がちょっと心配になってきたよ、まさか汗臭いとかだったら流石に泣いちゃいますよ。

 部屋を物色しているとベッドで安らかな寝息を立てている有咲を発見したので、香澄と顔を見合わせて頷き合いベッドの傍らに二人で座って有咲の様子をそっと伺う。

 横向きで眠っている姿は、まさか侵入者に監視されているとは想像もしていないであろう程に油断しきっているご様子。当然ながら髪型は普段のツインテールではなくストレートで、無造作に流れている金色の髪が少し頬にかかっているのが何とも魅惑的です。しかし美少女の寝顔をこうして拝めるなんて本当に女の子になって良かったですわ、もう神様ありがとうございます。

 香澄が有咲の頬を指先で軽く突ついてみると、うーんと唸りながら掛け布団で顔を隠してしまった。なんだか楽しくなってきたので布団をゆっくりと剥ぎ取って有咲の顔に近づき、わたしも頬を軽く突いて遊んでみた。

 

 

「んー、ばぁちゃん寒い」

 

 

 あっ、と思う間もなく布団と勘違いしたのか有咲がわたしの体を掴んで布団の中に引きづり込んでしまい、そのまま自分の身体に強く押し付けてくるように抱きしめられてしまった。

 パジャマ一枚を通して感じる有咲の暖かい体温と甘い香り、そして息が出来ない程の柔らかな肉の感触。なんだこれ、胸にしては柔らか過ぎるし何より本当に呼吸が出来なくて苦しい。このままだと胸の圧力に負けて色々な意味で昇天してしまいそうだよ。

 苦しくて唸る事しか出来ないわたしの異変を察知したのか香澄が有咲の身体を揺すってなんとか起こそうと奮闘を始めてくれた。

 

 

「ありさー、朝だよぉ、起きなよぉ」

 

 

 香澄さんそれじゃ優し過ぎますよぉ、有咲が目覚める前にわたしが窒息してしまいますよぉ。

 真面目に苦しくなってきたので許してくださいよ。急いで有咲の脇腹に手を這わせて思い切り鷲掴むと、『あひゃあ』と何処から出したのかわからない奇声を発して抱きしめていた腕の力をようやく緩めてくれた。

 胸の圧力から解放された事で慌てて顔を上げると、キョトンとした表情の有咲と目が合ってしまった。

 

 

「あっ、おはよう有咲」

 

「おはよう……って、はああああぁぁぁぁ? 何でお前が此処に居るんだよ!」

 

 

 有咲さん、寝起きにそんな大声を出したら喉に良くないと思いますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「不法侵入に傷害未遂、犯罪のオンパレードじゃねぇか!」

 

「おばぁちゃんにね、有咲を起こしてきてってお願いされたんだよ」

 

 

 有咲に責められても笑顔でサラリと流す香澄さん素敵っす。

 無事に起きてくれた有咲を加えて仲良く三人で登校です。えぇ、家を出てからずっと有咲に怒られていますが傍目から見れば仲が良さそうに見えている筈なので多分大丈夫です。

 

 

「だいたい朝から何の用事で来たんだよ」

 

「せっかく()()になったから、一緒に学校に行きたいって思ったの」

 

「いや()()って私は認めた訳じゃ……」

 

 

 何やらモジモジと体を揺すり始めてしまいましたよ、どうやら有咲は『友達』というワードに弱いようです。人見知りでプライドも高いからきっと上手く友達が作れなかったのだろうなと思う。

 それにしても二人の雰囲気を見ていると、やっぱり香澄と有咲は相性が良いみたいだ。これは暫く有咲の事は香澄に任せておいても大丈夫そうだね、ならわたしは次なるターゲットに狙いを定めるとしますか。

 次なるターゲットはpoppin'partyのベース担当にしてバンドの主な作曲も手掛ける縁の下の力持ち、『牛込(うしごめ) りみ』ちゃん。

 人見知りだけれど根は社交的な有咲とは違って、りみちゃんは内気で引っ込み思案という内向的な性格だった筈だ。これは攻略には中々に手強い予感がしますが尊い光景の為に挫ける訳にはまいりません。何としてでもりみちゃんにはバンドをやってもらいますからね。

 

 

「おーい、優璃」

 

「何? 有咲」

 

「お前まさか私に変な事をしていないよな?」

 

「いや何もしていないよ、ただ有咲の胸は柔らかいなって」

 

「傷害! いや強姦未遂だ!」

 

 

 いやいや有咲さん、むしろわたしが窒息させられそうになった被害者なのですけど?

 

 

 

 



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12.内気なあの娘はベーシスト

 
 
きらら系を目指しています(大嘘)
 
 


 

 

 我らが母校である花咲川女子学園一年A組は、女子の集団とは思えない程にほのぼのとしていて仲良しな雰囲気に包まれているんだよね。元男からすれば小学校や中学校とかでの女子グループって、何かピリピリとしていて怖い印象があったのだけれど優しい世界ってやっぱり素敵だわ、女子の怒った顔が堪らないとかいう性癖も持ち合わせていないので、どうせ見るのなら素敵な笑顔を見ていたいものですからね。

 そんなスクールカーストとは無縁な空気のクラスにおいてさえ、わたしと香澄と沙綾がよく一緒に居るように、クラスの中でも小規模な仲良しグループというものが新学期早々には自然と出来てしまうものなのです。

 そして次のターゲットである『牛込(うしごめ) りみ』ちゃんはどうかというとその引っ込み思案な性格が災いしてかクラスでも目立たないグループ、端的に言えば半ボッチなポジションに収まってしまっているようです。

 実はA組に振り分けられた時から、後にpoppin'party(ポッピンパーティー)のメンバーになる沙綾を入れた三人を常に横目でチェックしていたのでまぁ間違いはありませんね。

 因みに有咲は隣のB組ですが、さぞかしわたし達が居ない事で寂しい思いをさせているかと思うと心苦しい限りですよ。

 

 

「有咲、クラスが隣だからって寂しがらないでね」

 

「はぁっ?」

 

 

 もの凄く冷たい視線を送りながら有咲はB組へと入って行きました。

 さてと気を取り直して今はりみちゃんだ。やはり自然と仲良くなるには無理矢理にでもお昼休みで一緒にお弁当を食べながら過ごすっていうのが一番だよね。無理矢理っていう所が全然自然じゃないけれど、そこは陽キャラっぽく振る舞って強引に引っ張り出そうかなと思っている。

 騒めく廊下から香澄と一緒に挨拶をしながらクラスに入ると、みんなも普通におはようと気軽に返してくれる。とりあえず自分の席に座り鞄を置いてひと心地つくと、いきなり後ろから手をまわされて抱きしめられた。

 

 

「ひゃう⁉︎ 沙綾?」

 

「おはよう、ゆり」

 

 

 今日は頭を撫でるのではなく、わたしの頭の上に顔を載せて挨拶をしてきた。なるほど新しいパターンですか、しかしこれでは沙綾の顔は見えないし椅子の背もたれのせいで胸の感触もわからないしで、わたしにとっては何ひとつ良い事がないので勘弁して頂きたい形ですよ。

 荷物を席に置いた香澄もわたしの席に寄ってきて、どうやらいつもの雑談タイムに突入の雰囲気です。

 

 

「さーや、おはよう」

 

「香澄もおはよう、CiRCLE(サークル)はどうだった? ギターは弾く事が出来たの?」

 

「ううん、スタジオが空いていなくてギターは弾けなかったの、でもその代わりにライブを観たんだよ。同い年くらいの女の子達がしてるバンドで凄くキラキラとしてて興奮したなぁ、わたしもバンドやりたいと思った! ねっ、さーやも一緒にバンドしようよ」

 

 

 わたしを抱きしめている腕の力が少し強くなったのがわかった。バンドに誘われるというのは音楽を諦めた沙綾にとってはトラウマを刺激される事であり、それと共に音楽が好きだという本心との葛藤を産み出してしまう行為なのだろうとも思う。

 

 

「ほら私は家の手伝いとかもあるしバンドは無理かな、ゴメンね」

 

「そうかぁ、それなら仕方がないのかなぁ、残念」

 

 

 心から残念そうに香澄は肩を落とした。今ここでわたしが沙綾に口出しをしたりする事はしない、もしも口出しをした所で拒絶されるだろうし最悪わたし達と距離を取ってしまう事もあるかもしれない。心の中を覗き見るには、知り合ったばかりであるわたし達の絆はまだまだ弱すぎるのだ。

 

 

 あのそれよりも沙綾さん、わたしをロックしている腕に力が入ったせいでショボーンな胸を押し潰してしまっている事に早く気が付いて頂きたいものですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 わたしが転生をして新たな人生を歩むうえで、せっかくの原作知識チートを無駄にしないようにみんなの背中を押す役目をしていこうとは思っているのだけれど、いかんせんゲームの中での知識しかなくそれもエンジョイ勢だったが為に細かい設定までは把握していないという中途半端具合、まったくどうせならちゃんとしたチートをくださいよ神様。女の子から理由もなく無差別な好意を向けられるとか気が付いたら女の子に囲まれてハーレムが形成されているとか色々あったでしょうがマジ許すまじ、ってよくよく考えたら女子高もある意味でハーレムか、まわりは女の子ばっかりだしね。

 自己完結をさせて勇気を奮い立たせる。明日のハーレム、じゃなくて未来のバンド結成の為にもまだまだ頑張らないといけないからね。

 

 休憩時間になったところでわたしは彼女の席へと歩み寄る、まるで虎が獲物に気付かれないように足音を消して忍び寄るように、己の目的を悟られない為に背後から眼光だけは鋭く息を殺しながら粛々と。

 りみちゃんの横まで歩いて行って足を止める。急にクラスメイトが立ち止まった事に驚いてこちらを向いたところで彼女の方へ向き直り左手を掴んで自分の顔を近づけた。

 

 

「はわわ⁉︎ みっ、美月(みづき)さん⁉︎」

 

優璃(ゆり)でいいよ、りみりんって何か楽器をやってる?」

 

「いきなり渾名(あだな)呼びなん⁉︎」

 

「まぁまぁ、この指の硬さは何か楽器をやっているっぽいと思って」

 

 

 口から出まかせである。指が硬くなるのなんてスポーツをしていても普通に起こり得る事だしね、りみりんがベーシストだという事を知っているわたしの原作知識持ちを生かした立ち回りに過ぎないけれど、かまをかける事には成功したようで瞳を見開きながら何でわかるのという顔で驚いてくれている。

 黒色のショートボブはふわりと柔らかそうな形を描き、小さな顔に驚いて見開かれた瞳はくりっとしていてまるでリスみたいに小動物的な可愛いらしさがある。身長はわたしと同じくらいだから多分150cmくらいかな、そして何よりもですね……仲間だね、その控えめな胸にシンパシーを感じざるを得ないよ、香澄とか沙綾とか普通にボリュームがあるから間に挟まれたわたしはずっと寂しかったのですよ、まぁ有咲とかはツンデレ金髪ツインテールのロリ巨峰持ちとかチートキャラ過ぎてお話になりませんけれどね。

 

 

「ゆ、優璃ちゃんよくわかったね、ベースをちょっとだけしているよ」

 

「りみりんの事はずっと気になっていたんだ。いつかわたし(達)と一緒に歩んで欲しいと思っていたからさ」

 

「はわわ、い、一緒にってどういう……き、急にそんな事を言われてもまだ優璃ちゃんの事をよく知らないし……」

 

 

 りみりんがもじもじと体をくねらせながら顔を真っ赤にして俯いてしまった。本当に引っ込み思案で恥ずかしがり屋さんなんだろうね、女の子らしい仕草がわたしには無い部分でとても微笑ましい気分になるよ。

 

 

「うち、こういうのに慣れてへんからまずは友達になってね、それから……」

 

「あれっ牛込さん? ゆり何をしているの、牛込さんが困っているじゃない」

 

 

 いつの間にか沙綾が隣に来ていたので事情を説明しようと顔を向けると、いつものしょうがないなぁという困り顔をしているのだけど視線が何処か一点を見つめているようなので視線の先を追っていくと、どうやらりみりんの手を握り締めているわたしの手を凝視しているようですね。なる程これでは不審者扱いをされても仕方がないかもです。

 

 

「いや山吹さんこれはちゃうんよ、そういう事じゃなくてね」

 

「牛込さん関西の人なの? 何か凄く可愛い」

 

「あ、あのね、中学生の頃にこっちに越して来たからまだ時々ポロッと出てきてしまうの」

 

 

 一瞬だけ沙綾の方を向いたけれど、また直ぐに顔を紅くして俯いてしまう。りみりんの引っ込み思案も可愛いとはいえ、自分を前面に曝け出す事になるバンドをやっていくには中々に高い壁になりそうだね。

 

 

「それより沙綾、りみりんベースをやっているんだって」

 

「りみりんって牛込さんの事なの?」

 

「えっ⁉︎ りみりんベースが出来るの、凄い!」

 

 

 沙綾の背後から突然に湧き出した香澄がわたしと反対側の方へ座り、りみりんの右手を取って強く握り締めた。

 

 

「りみりん、バンドをやっているの?」

 

「ううん、バンドはやっていないよ」

 

「それならわたしとバンドやろう!」

 

「はわわ⁉︎ 戸山さんちょっと」

 

 

 こういう時の香澄は本当に有無を言わせないキラキラとした目力を発揮する。この雰囲気に大人しいりみりんが逆らえる筈もないのだけれど、一応駄目押しをしておくとしますかね。

 

 

「わたしからもお願い、香澄とバンドをしてあげて欲しい」

 

「優璃ちゃんまで……わかった、みんなとバンドするね」

 

「やったぁ! りみりん有難う!」

 

 

 香澄が喜びのあまり万歳をしてから抱きつき、抱きつかれたりみりんは更に顔を紅くして慌てふためいた。

 

 

「はわわ、みんなよろしくね」

 

「あっ、りみりん言い忘れていたけどわたしと沙綾はバンドをやらないんだ」

 

 

 わたしの言葉を聞いたりみりんは、こちらを向いてまた瞳を見開き小動物のような可愛い顔で驚いてくれた。

 

 

「な、なんなんそれぇ」

 

 

 うん、りみりん良きツッコミでございますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 放課後は有咲家に立ち寄って蔵の片付けを手伝う予定です。沙綾は家の手伝いで今日は不在なのだけれど、何か今日はりみりんと勧誘話をした後くらいからみんなで居る時にやたらと頭を撫でられたり抱きしめられる事が多くなった気がする。

 割とボディタッチの多い娘なのでわたしは心配ですよ、例え沙綾にその気は無くとも男の子なんてちょっとボディタッチをされたら直ぐに勘違いをしてしまう単純な生き物なのです。えぇわたしも男の子のままだったなら『こいつ……』とか絶対に思ってしまう事でしょうよ。これはやはり沙綾の純潔はわたしが護らなければならないようですね、沙綾に言い寄る男は全て闇に葬りますのでどうか大人になるまで大人しく待ってあげてくださいな。

 

 そんな事を考えながら市ヶ谷邸に到着してみると、有咲は既に蔵の片付けを始めていた。

 

 

「ありさー、会いに来たよぉ」

 

「どうせギターにだろ」

 

 

 香澄が声を掛けると素っ気ない返事が返ってきた。

 もう有咲も捻くれているなぁ、ギターも当然だけれど香澄もわたしも有咲と仲良くなりたいのが真の目的なのに。

 三人で片付けを始めると、有咲もあんな捻くれた事を言っておきながら香澄と二人でわちゃわちゃと楽しそうに荷物を運んでいる、その姿がとても可愛いくて尊いのでこれだけでも手伝いの報酬としては充分でございますよ。

 わたしも小さい荷物を運びながらふとりみりんの事を思い出す。ここまでフラグを建てれば次のイベント発生は確実だろう、りみりんがバンドに本気で打ち込む決意を固める為に必要な事とはいえ、なるべくなら穏便に済ませておきたいところではある、その為にもわたしに出来る事は……。

 

 

「ふう、あらかた片付いたな」

 

「あのありさ、その……」

 

「ギターだろ、約束だからどうぞ」

 

 

 満面の笑みで喜んでいる香澄を見て有咲も嬉しそうにしている。香澄はランダムスターの入っているギターケースに近寄って取手を掴み勢いよく持ち上げると、ガキっという金属音がした後に腰の辺りまで持ち上がっていたケースが取手だけを香澄の手に残したまま激しく床に打ち付けられてしまった。

 

 

「大丈夫か! 怪我はしていない?」

 

 

 蔵の中に有咲の叫び声が響く、わたしも慌てて香澄の元に近寄り様子を伺うとあまりの出来事に取手を握っている手は震え、顔は色を失ったように青ざめて瞳からは涙が今にも溢れ出しそうになっていた。

 

 

「わ、わたし、ごめん、ごめんなさい、ギターが……」

 

「怪我をしていないなら良い、取手が駄目になっていただけだし」

 

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 

 座ってギターケースを開けてみてランダムスターの状態を確認する。弦は切れていたけれど本体は大丈夫そうに見えた、それよりも茫然自失とした香澄のショックの方が気がかりだ。

 

 

「ごめんなさい、わたし、わたし」

 

「香澄……戸山香澄(とやま かすみ)!」

 

「はいっ!」

 

 

 有咲の大声に香澄も我に返ったみたい、わたしもこのイベントを思い出してきたけれどここは有咲が主役になるべき場面だ。

 わたしと有咲は顔を見合わせて頷き合う、言葉は交わさなくてもそれだけでお互いの意思が通じた気がした。

 

 

「香澄、行くよ!」

 

「そうだね、まだこれは死んでいないものね」

 

「ど、何処に行くの?」

 

 

 取手はもう外れてしまっているからわたしと有咲でギターケースを抱えて持ち上げる。再び顔を見合わせてから香澄の方へ顔を向けて声を揃えて叫んだ。

 

 

『楽器店! ギターを修理するよ!』

 

 

 蔵の入り口で靴を履き直して今度はわたしと香澄でギターケースを抱え上げ薄暗くなった外へと歩きだす。有咲は後ろに続きながらスマホで楽器店の場所を確認し始めた、香澄を見ると泣き出しそうになるのを必死に堪えてギターケースを落とさないようにしっかりと掴んでいる。原作では無事に修理する事が出来るのだけれど、この世界でもその通りになる保証なんて何処にもないから信じるしかない、香澄と相棒であるランダムスターの絆が運命で結ばれている事を。

 

 

「大丈夫だ香澄、きっと直る」

 

 

 有咲の言葉が頼もしい、疲れてきた腕に少しだけ気力が戻ったよ。

 雲が厚く敷き詰められた空に星は見えない、普段より沈んだ景色の中でギターケースを抱えた奇妙な女子高生三人組は楽器店へと向かう、わたし達の大切な相棒を生き返らせる為に、未来を自分達の意思で手繰り寄せる為に。

 

 

 



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13.有咲の変化は物語の序曲を告げる

 

 

 明るい店内という物がこれ程までに有り難く感じられたのは、真夏の夜に突然アイスが食べたくなって汗だくになりながらコンビニに向かった中学二年生の時以来かもしれない。

 

 まだ夜というより夕方の時間帯だけれど、視線の先に映る『江戸川楽器店』の看板と明るい店内の照明がやたらと眩しく浮かんで見える。

 まるで長い宇宙旅行の果てに母なる地球へと舞い戻ってきた旅人のような、または理不尽極まりない難易度の迷宮クエストをやっとの思いでクリアして無事に地上への帰還を果たせた冒険者のような、何やら不思議な感動さえ味わえてしまった。

 だけどこれからが本当の旅の始まり、わたし達は祈るような気持ちでギターケースを抱えたままお店の自動ドアをくぐった。

 

 

「あの、すみません」

 

「はーい、おっと電話してくれた娘達だね、ボンジュース! ようこそいらっしゃいましたー」

 

 

 えっと、わたし達と店員さんらしきお姉さんとの気持ちのギャップ差が酷すぎるのですが。

 笑うとふにゃっとした顔になる垂れ下がった瞳が特徴的な店員さん。最初の一言でわかりましたよ、この人はやべぇタイプの人です。

 それとボンジュースって何ですか? 新手の柑橘系な飲み物とかですかね?

 

 

「あの、ギターを落としてしまって」

 

「おおっと! それはギターちゃんもさぞかし痛かっただろうねぇ、それじゃその可愛いお手々であそこのカウンターに居る怖そうなお姉さんの所まで運んじゃってぇ!」

 

「ひな! うるさいよ」

 

 

 ひなと呼ばれたやべぇ店員さんが指差したカウンターには、エプロンを見に纏って凛と佇む可愛らしい店員さんが見えた。良かった、どうやらこちらはまともそうな店員さんみたいだ。

 ギターケースをカウンターの上に載せると、凛として無表情な店員さんはケースを開けて深紅の星型ギターを取り出すとじっくりと点検を始めた。

 

 

「見た感じ致命的な所は無さそうだね、店長に見てもらうから少し預からせてもらうよ。ひな! 店長に渡してきてもらえる?」

 

 

 はいよっと返事をしてひなさんはギターを受け取り店の奥へと消えて行く、その姿を心配そうな表情で見送る香澄の背中に手を添えると、不安から震えていた身体の緊張が少しだけ和らいでくれた気がした。

 

 

「それじゃこの隙に受付を済ませてもらえるかな?」

 

 

 落ち着いていて頼もしそうな店員さんは、カウンターの下から受付表の紙と何故かそこそこ大きなぬいぐるみを取り出してきた。

 

 

「まずはここに名前を書いてくれにゃ」

 

 

 落ち着いていて頼もしそうだった店員さんは、取り出したぬいぐるみを抱きかかえたかと思えばその腕を持って器用に動かしながら受付表の書き方を説明していく。

 その様子に戸惑いながらもとりあえずは香澄が代表として受付表に書き込みを始めた。

 

 

「にゃにゃ! そこじゃないにゃ! そこは住所を書くところにゃ!」

 

 

 先程まで頼もしそうだった店員さんはいったい何処に行ってしまわれたのでしょう、今や喋るぬいぐるみと化してしまった女の人を前に、わたしと有咲はただただ茫然とするしかなかったのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 とりあえず三人で椅子に座って修理を待つ事にした。不安そうに俯く香澄が心配だから右手を握ってあげておいて、後が怖いからと空いた手を使って瑠璃(るり)姉さんに少し遅くなるというメールを打つ。

 

 

《姉さんゴメン、今日も少し遅くなりそうです》

 既読。

 

 

《イモウト、ヨアソビ、アネ、フアン》

 

 

 瑠璃姉さん何故にカタカナなの?

 

 

《香澄と一緒だから心配しなくても大丈夫だよ。ご飯は後でチンでもするから先に食べててね》

 既読。

 

 

《アネ、フテネスル、イモウト、ツメタイ》

 

 

 だから何故にカタカナ、少し怖いんですけど。

 

 

《冷たい訳がないでしょ、姉さんの事は大好きだからね》

 既読。

 

 

《待ってるから気をつけてね、私も優璃の事が大、大、大好きだよぉ》

 

 

 ふむ、姉さんはわたしの事を少々可愛がり過ぎではないでしょうか、もっと瑠璃姉さん自身の時間を大切にして欲しいと妹は願っているのですよ。

 

 やがて奥のスタッフルームから大事そうにギターを抱えて出てきたひなさんがカウンターの上にランダムスターをそっと置いた。俗に言うプチプチに包まれた姿からは、無事に修理を終える事が出来たのかその見た目から判別をする事が出来ない。

 

 

「美少女の皆さん、ひなちゃんから大切なお知らせがあります」

 

 

 瞳を閉じてやや悲しそうな表情が最悪の事態を連想させる。有咲が香澄の左手を、わたしは香澄の右手をそれぞれ握り合う、わたし達は心をひとつに繋げて審判の時を待った。

 

 

「このギターは……弦が切れた程度で本体は問題無しだってぇ、にっぱー! 良かったねぇ」

 

 

 ひなさんが腰を仰け反らせながら勝ち誇ったように告げてくれた瞬間、わたしと香澄は声には出さない叫びを上げながら有咲に抱きついた。嫌がるかと思ったけれど、有咲もほっとした表情でわたし達の感情を黙って受け止めてくれた。

 暫く三人でしっかりと抱き合った後に、香澄がランダムスターに近寄りそっと優しく指で触れた。

 

 

「痛かったよね、ごめんね、本当に直って良かった」

 

 

 後から香澄の背中を眺めても、あれだけ不安で身体を震わせていた面影はもう無い、その姿に安堵してわたしもそっと有咲の横に移動して感謝を伝える。

 

 

「ありがとうね、有咲」

 

「お前ら……香澄と優璃の為にやった訳じゃない、私がしたくてした事だし」

 

「んー、本当に?」

 

「優璃……うぜぇ」

 

 

 前屈みになって有咲の顔を覗き込むと、頬を紅くして顔を逸らされてしまった。やっぱり有咲は優しくて素敵な女の子だよ、だからこそ香澄と一緒にバンドをしている姿が見たいと思ってしまうんだ。

 

 

「ただねぇ、リィちゃんどうぞ」

 

 

 ひなさんがぬいぐるみの店員さんに声を掛ける、なるほどこのぬいぐるみの黒子さんはリィさんという方なのですね。

 

 

「うん、ギターは大丈夫だけどケースはもう駄目だね、新しく買った方が良いと思う」

 

 

 覚悟はしていたけれど、ギターの修理代にギターケースを新調ともなると結構な出費になるかもしれない。わたし達の不安そうな表情を察したひなさんは、香澄に近寄って肩に手を置きもう片方の手を大きく振りかぶった。

 

 

「そんな心配そうな顔をしている可愛い女の子達に耳寄りな情報! なんと江戸川楽器店には学割制度というものがあるのだよ! はい、リイちゃんどうぞ」

 

「高校生は持ってけこの小娘価格で二十パーセントオフだにゃ、おすすめが知りたければわにゃしに訊くのにゃ」

 

 

 いやぬいぐるみに訊けと言われても……あの、普通の店員さんは他に居られませんかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 江戸川楽器店から出て三人で有咲の家に向かう。歩く香澄の背中には真新しいギターケース、三人でお金を出し合って買った特別な宝箱だ。

 

 

「ごめんね、有咲にも優璃にもお金を出してもらっちゃって」

 

「本当にね、予想外の出費だったわ」

 

 

 有咲の言葉に香澄はシュンと肩を落としてしまう。そんな様子にひと息だけ溜め息をつくと、有咲は香澄の正面に移動して自らの腰に手を当てながら確かな口調で言葉を続けた。

 

 

「そのギターは私の持ち物だから私が修理代を負担するのは別に普通の事、だからあんたが気に病む必要はないから」

 

「でも、わたしが落としたりしなかったら……」

 

「ちなみにそのギターを調べてみたら売値が三十万円くらいするけど」

 

 

 高校生からしたら結構な金額にわたしと香澄は黙り込むしかなかった。あの星型ギターってそんなに高かったんだ、ギターの相場なんて知らないからせいぜい四、五万程度かと思っていたよ。

 

 

「香澄、そのギター好きなの?」

 

「好きだよ、格好いいし可愛いもん」

 

「……じゃあ永遠に貸してあげる」

 

 

 有咲の言っている事の意味がわからず二人で首を傾げていると、有咲は何かを決意したかのように頬を紅く染めて唇に力を込めた。

 

 

「三十万円だろうと私にとっては只のガラクタ、だから香澄が大事にするって言うのならずっと『貸して』あげる、売るんじゃなくて貸すだけだからね」

 

「ありさ、いいの? わたしが持ってても」

 

「だからあげるんじゃなくて貸すだけだから、しかも条件付き!」

 

「条件って?」

 

 

 わたしの問いにいよいよ顔全体が真っ赤になってしまった有咲は、わたし達に向かって勢いよく指を指した。

 

 

「二人とも、と、友達になってもらうからな! それが条件だから!」

 

「なにそれぇ」

 

 

 指先を震わせながら叫んだ有咲を見つめている香澄の頬を涙が一筋流れる、その表情は悲しみの欠片も無く柔らかに微笑んだ優しい泣き顔だった。

 わたしも二人の尊い光景に貰い泣きしそうになってしまい、感情が爆発してしまう前にと勢いよく有咲に飛び付いて抱きしめた。

 

 

「有咲、その条件はもうとっくにクリアしてるよ」

 

「ま、まぁ知ってるけどな」

 

 

 暫く有咲の色々な感触を愉しんでいたら、トントンと背中を叩かれたのでゆっくりと有咲から身体を離すと、後に控えていた香澄が入れ替わりに有咲をしっかりと抱きしめた。

 

 

「大切にするね、ありさもランダムスターも」

 

「契約だからな、しっかり守れよな」

 

「……うん」

 

 

 香澄と有咲、そして真紅の星型ギターとの絆が紡がれる瞬間を無事にこの目で見る事が出来た。

 しかしいくらわたしが未来を知っているといっても予言者にはなれない、それは何故かというと知っているのが物語(ゲーム)のシナリオであって現実(リアル)にはその通りにはならないと思っているからだ。

 なにせわたしの知っている物語にはそもそもわたしという人間は存在していない、わたしというイレギュラーな存在がこの世界にどのような影響をもたらしているのか予測なんて出来る筈がない。

 だからこの先わたしはきっと何度も選択肢を間違えてしまうだろう。挫けて膝を崩してしまう事もあるかもしれない、だけどきっと何度だって立ち上がる事が出来る筈だ。

 

 周りにいる素敵な人達の為に……。

 その先にある可憐な『尊い』の為に……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 有咲を家まで送っていき帰ろうとした時に、ちょっと寄っていけと言われたので三人で再び蔵の中へ足を踏み入れると、有咲は床にあった隠し扉を開けてその中へと入って行ってしまった。わたし達もその後に続いておそるおそる地下へと繋がる階段を降りてみると、色々なアンプや古めかしいレコードプレイヤーなどが並ぶまさに音楽部屋と言っていい地下室の光景が広がっていた。

 

 

「ここは元々じっちゃんの秘密基地だったんだって」

 

 

 有咲の言葉を他所にわたしは感動の渦に飲み込まれていた。

 此処ですよ、此処がpoppin'partyの聖地なのですよ、メンバー達が練習をしたり他愛もないお喋りをしながら絆を深めていった場所、そこにわたしは足を踏み入れてしまったのです。はぁマジ神様ありがとうございますとたまには感謝しておいてあげますかね。

 わたしと香澄が感心しながら辺りを見渡していると、なにやら急に有咲がもじもじと身体をくねらせ始めた。

 

 

「それでな、ここなら音も出せるからわざわざスタジオに行かなくても蔵で練習すればいいんじゃね」

 

「ありさ、いいの?」

 

「まぁ友達だしな、ただし! ひとつだけ条件がある」

 

 

 ひとつだけってつい先程も条件がぁとか言っていたよね?

 

 

「お昼ご飯を一緒に食べて欲しい」

 

「もう、それくらいお安い御用だよ」

 

 

 笑いながら香澄が有咲に抱きつくと、有咲はまた顔を紅くして身悶えを始めたので微笑ましくその光景を眺めていると、有咲がわたしをじっと見つめている事に気が付いた。

 ふぅ、やれやれですよ。

 

 

「えい! 有咲、これからもよろしく」

 

「お前らいちいち抱きつくなよなぁ!」

 

 

 あの有咲さん、心の中でひと言だけ叫んでもいいですかね……。

 

 

 ツンデレどころかすっかりデレデレじゃねぇかよ!

 

 

 



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14.【幕間】瑠璃さんのゆりゆり観察記、二杯目(瑠璃視点)

 
幕間劇はオリキャラ回となっております。

こういう妄想キャラ好きなんす……。


 

 

「ねぇ瑠璃(るり)、週末って暇してない? サークルの先輩がさぁ美月(みづき)を飲み会に連れて来いって煩いんだよね」

 

 

 暖かな春陽(しゅんよう)に照らされながら大学の構内へと向かう通路を一緒に歩く我が親友こと『蒲田 音羽(かまた おとは)』は、ほとほと困ったという風に頭を掻きながら呟いた。

 170cm近い身長と切れ長で綺麗な瞳、身長と反比例しているとしか思えない程のコンパクトな顔に桃花色のショートカットが良く似合っている。

 プロポーションも長い手足に細身の身体とはいえ出ている部分は過不足なく綺麗なシルエットを描いていて、アルバイトで読者モデルをしているというのも納得する程の美人な女の子。

 性格も気さくで男女を分け隔たりなく扱うので性別を超えて人気が高く、既に学内ではモテモテとの噂は半ば常識化していた。

 私にとっては出来過ぎた友達、まぁ(ひね)くれた見方をすれば美人な彼女の引き立て役といったところかな。

 

 

「私がお酒が苦手な事くらい知っているでしょ」

 

「まぁそれは知っているけど」

 

 

 私だってお酒を(たしな)んだ事くらいはある。

 ちょうど二十歳を迎えた日に音羽の家でお酒を試し飲みした時に、音羽は平気そうだったのに私は直ぐに気分が悪くなってしまって、結局はずっと介抱されっ放しになってしまった。

 あんな苦くて気分が悪くなる飲み物にはなるべくなら関わり合いにはなりたくありません、それにしてもあの時は翌朝に起きたら何故か音羽のベッドで二人とも下着姿で眠っていたのには思わず笑ってしまったっけ。

 

 

「たーのーむーよー、うちの大学の『孤高の黒薔薇』が来てくれたら私が英雄(ヒーロー)になれるんだからさー」

 

 

 横から縋り付かれてお願いをされたけれど、気にしないようにして音羽を引き摺るように構わず歩き続ける。

 

 

「音羽が居れば事足りるでしょ、私達の『咲き誇る赤薔薇』さん」

 

「だうぅ、しかし変な称号を付けたがるよね、うちの連中」

 

「本当にね、音羽は美人だからいいけど私はねぇ」

 

 

 いくら音羽が美人だからといっても、オマケである私にまで称号を付けなくてもいいと思うのよね。

 

 

「わかってないなぁ瑠璃は魅力的だよ、それもとびきりの」

 

「何処がなの? 地味だし愛想も無いし」

 

 

 音羽は縋り付いていた身体を離してまた横に並んで歩き出した。モデルをしている時とは違って普段は薄化粧とはいえ、それでも道行く男の人達が無意識に足を止めてしまう程の雰囲気がある。

 

 

「慈愛に満ちた優しそうな瞳に優雅な立ち振る舞い、それに何と言ってもね」

 

「はぁ……いったい何をしているのかしら?」

 

「えぇと、胸を触っていますが」

 

「変わらないわね、音羽は」

 

 

 音羽のやたらと胸を触る癖は私達が知り合った母校である羽丘女子学園時代から変わっていない、彼女が言うには得難い感触との事だけどお互いにもういい大人なのでこういう行為は卒業して欲しいのだけれど。

 

 

「この魔力のせいか、男共には瑠璃の方が圧倒的に人気があるんだよね」

 

「言いたい事はわかるけれど、あまり喜べる話じゃないわね」

 

「男なんてそんなものでしょ、頭の中はエロで埋まっているみたいだし」

 

「胸から手を離さない音羽には説得力が無いわよ」

 

「まぁ私もこの魔力の虜である事は否定しないね」

 

 

 手のひらを指先で強く(つね)って胸から手を引き剥がす。これもいつもの事で音羽が抓られた所をふー、ふー、と息を吹き掛けるまでが一連の流れになっていた。

 

 講義の時間まではまだ余裕がありそうなのでベンチに座って話を続ける事にした。少し前の時季までは人々が行き交うアスファルトの道路が桜のカーペットで明るく彩られていたのに、今はもうその痕跡すらなく路面は無機質な冷たさを感じる色に染まってしまっている。

 季節は移ろい変わっていくのに、相変わらず何も変わらない私達の関係はとても有り難くもあり、こそばゆい青春の残像でもあるのかもしれない。

 

 

「それで最近どうなの? 優璃(ゆり)ちゃんの様子は」

 

 

 脚を組み、空を見上げながら音羽は落ち着いた声色で訊いてきた。皆は知らないけれど明るくて社交的な音羽は仮の姿で、素の彼女は結構ぶっきらぼうでズボラな男の子っぽい性格をしている。

 

 

「優璃? 相変わらず可愛いよ、いやむしろ最近は可愛さに磨きがかかってきたというか」

 

「いやそういう事じゃなくてさ」

 

 

 また頭をポリポリと掻き始める、これも変わらない音羽の癖で男の子みたいだから止めた方が良いと何度となく言っても、瑠璃の前だけだから許してと訳のわからない言い訳でいつも逃げられてしまっている。

 

 

「日常生活に支障は無いみたい、高校で新しい友達も出来ているみたいだから心配しなくても大丈夫だよ」

 

「その割には未だに優璃ちゃんにべったり過ぎじゃないの? 最近は私が誘っても全然遊びに出て来ないし」

 

「きっとまだ記憶を失って不安だと思うからね、優璃には私が付いていてあげないと」

 

「本当にそうなのかな? 私には瑠璃が優璃ちゃんの方に少し依存しているように思えるよ」

 

 

 胸の中で少し薄暗くて黒い感情が渦巻いた。あんな事故に遭って記憶まで失ってしまった優璃の辛さが音羽にわかる訳が無い、私が、私だけが優璃を支えられるのに。

 

 

「音羽にはわからないよ」

 

「別に嫌味じゃないよ、唯一の家族である優璃ちゃんが大変な目に遭って心配なのもわかる。だけど生活の全てを優璃ちゃんに捧げて瑠璃の人生はどうなの? この先に彼女が独り立ちをした時に瑠璃が抜け殻になってしまいそうなのが私は心配だな」

 

「そんな事……」

 

 

 何も反論をする事が出来ない。今の私には自分の身よりも優璃の方が大切かもしれない、いつか優璃が大人になって巣立っていった時に私はいったい何を思い、この手には何が残るのだろう。

 

 

「まぁそうならないように私が時々はこうやって注意していくし、何時でも親友である音羽さんを頼ってくれても良いからさ」

 

「昔からこういうところは音羽の方がしっかりしているのよね」

 

「私が家事だけは壊滅的なように誰だって得手不得手はあるじゃない、私達はお互いが足りないところを補えるからずっと親友でいられていると思うんだ」

 

 

 こちらを向いて屈託の無い笑顔を見せる音羽がやたらと頼もしく見える。

 全部が納得出来る訳じゃないけれど、自分の事をわかってくれている人が居てくれるというのはきっと幸せな事なんだろうな。

 

 

「という訳でこの親友の為に飲み会に行ってくれるよね?」

 

「飲み会には行きません」

 

 

 音羽を置いてベンチから立ち上がる、陽が差してきた路面は少し明るい色に染まりだして暖かさも増してきたみたい。

 

 

「だけど……」

 

 

 振り返って音羽の鼻頭に人差し指を添えた。

 

 

「また音羽の家に遊びに行くね、どうせ部屋は散らかり放題でしょう?」

 

「なる程ね、そちらの提案の方が余程に魅力的だわ」

 

 

 音羽の反応を確認して校舎へと歩きだした。少し歩いたところで再びベンチに座ったままの彼女の方へ振り返る。

 

 

 これは私の覚悟と宣言だ。

 

 

「でもまだまだ優璃を愛でるからね、だって世界で一番可愛い妹なんだもの」

 

 

 苦笑いをしながら片手を上げる音羽に別れを告げて再び歩き出す、頬を撫でる風は花の香りがしていてなんだかいつもより背筋が伸びて足が軽くなっている気がした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「はい、今日も妹は夜遊びでございますか」

 

 

 優璃からのメールを何度も見返しながら家のソファーで身悶える。

 高校に無事に入学をする事が出来て友達も順調に増えていっているみたい、それはきっと幼馴染みである香澄ちゃんの存在が大きくて色々と助かっているのだと思う。

 とても有り難く感じているし感謝もしている、だけど、だけどね香澄ちゃん……。

 

 優璃をもう少し可愛がらせてください!

 

 一緒にご飯を食べたいし、ショッピングとか行って着せ替えをして楽しみたいし、二人で旅行とかもしたいし、一緒にお風呂に入りたいし、なんなら毎晩おやすみのチューとかもしてあげたい。

 

 はあぁぁぁ妹成分が、優璃優璃エキスが最近は足りていないのよぉ。

 

 いや待って瑠璃一等兵、先日も遅くなったお詫びに一緒にお風呂に入るという至福の時が訪れた事を忘れちゃダメであります。

 ならばこのまま夜半に帰宅ともなれば、今度のお詫びも再び一緒にお風呂に!

 いやいやお待ちなさい瑠璃一等兵、それは勿論としてそろそろ次なる段階を要求しても(よろ)しいのではないでしょうか。

 こちらは妹成分不足という補給線が絶たれた状態で奮戦しているのであります、ならばもっと本陣には価値の高い要求をして(しか)るべきではないのでしょうか。

 それは納得なのであります、ならば求める物はひとつのみ、我ら『脳内優璃親衛隊(イモウトスキー)』は満場一致にて本陣への要求を宣言する。

 

 我らは優璃と一緒のオフトゥンで就寝する事を要求するのであります!

 

 くはっ、これが叶えられたら優璃の可愛い寝顔とか、優璃の優しい寝息とか、もしかしたら寝相で私にキュッとしがみ付いてきたりしてなんかして。

 いやそれと共におやすみとおはようのチューというボーナスまで付属とかありえる話ですよね、くはぁ、幸せが過ぎるでありますよ。

 

 早く帰って来て欲しいという心配と、遅くなってもそれはそれでという矛盾した気持ちが頭の中でせめぎ合う、いや出来れば遅い方が有難いのは偽り難い本音なのだけれど。

 

 

「ただいまー」

 

 

 優璃ちゃん意外と帰宅が早い! もう少し妄想していたかったのに。

 

 

「おかえり、今日は何か良い事があったの?」

 

「えへへ、やっぱりわかる?」

 

 

 リビングの床に鞄を置いた優璃はひとめ見ただけでわかる程に機嫌が良くてニコニコとしている。

 ま、まさか告白されたとか? まさかそれで彼氏が出来たとか?

 可愛いから男の子も放っては置かないだろうけれど、流石にまだ高校に入学してから日が浅いですよいくらなんでも早くないかな? いやそれ以前に私が合格を出さないと優璃の彼氏とは認められないのですよ?

 

 

「また友達が出来たんだ、とっても可愛くて優しい娘だよ」

 

 

 友達かいぃぃぃ、あぁ良かった。

 

 

「そうなんだ、優璃が高校に馴染めているみたいでお姉ちゃんも嬉しいよ」

 

「いつも心配かけてごめんね。今日は汗を掻いているから先にシャワーを浴びてくるね」

 

 

 鞄を手に取って部屋への階段を登って行ってしまった。あれれ優璃ちゃん、お風呂は夕食の後に一緒に入るとかじゃないのですか?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「いただきます」

 

 

 今日のメニューは煮込みハンバーグ、優璃がお風呂に先に、先に入ってしまったが為に温め直した自慢の逸品です。

 

 

「姉さん、おいひぃ」

 

「ふふ、ありがと」

 

 

 満面の笑顔が可愛い過ぎます。

 えっと神様、この可愛さ新種の生き物をホルマリン漬けにして部屋に飾って置いても良いですか?

 

 

「家事も出来て、落ち着いていて優しいなんて本当に姉さんは凄いなぁ、わたしはそんな大人になれそうな気がしないや」

 

「私と同じになる必要なんてないわ、優璃はきっと素敵な女性になると思うな」

 

「うーん、それでも姉さんはずっとわたしの憧れなんだろうなぁ」

 

 

 なんですか褒め殺しですか、いやもう優璃の可愛さにこちらはとっくに殺されているのだけれど。

 ちょっと神様、この愛しさ満点の生き物を蝋人形(ろうにんぎょう)にしてリビングに飾って置いても良いですか?

 

 優璃の褒め殺しを受けてご機嫌な気分のままに夕食を終えて一緒にお皿を洗う、この短いひと時も今や私にとっては大切な時間になっているのです。

 

 

「そういえば香澄がね、多分その内にバンドを始める事になると思うよ」

 

「バンドって音楽の? もしかして優璃もするの?」

 

「わたしはしないけど、香澄の事は応援していくつもり」

 

 

 香澄ちゃんがバンドをねぇ、活発な子だとは思っていたけれど部活じゃなくてバンドとは予想の斜め上の事をしてくるなぁ。

 

 

「だからこれからも帰りが遅くなる事もあるかも、ごめんね迷惑かけて」

 

「心配はするけれど、優璃の事は信用しているから香澄ちゃんをしっかり支えてあげなさい」

 

 

 お皿を洗い終わってタオルで手の水分を拭った優璃が、そっと両手で私に抱きついてきた。

 

 

「やっぱり姉さんはわたしの憧れだよ、大好き」

 

「もう、絶対に私の方が優璃の事を大好きに決まっているよ」

 

 

 顔を上げた優璃と微笑み合う、はぁもう、瑠璃一等兵の妹成分は充填完了でありますよ。

 

 

「それじゃそろそろ部屋で勉強してくるね」

 

「はいはい、無理しないようにね」

 

 

 私の身体から離れて優璃は階段を登って行ってしまった。

 私もリビングのソファーに座ってのんびりとする、しかしそれにしても幸せなひと時だったなぁ、やっぱり私の妹は世界で一番可愛いと思うのです。

 天井をぼんやりと眺めていたら、何か大事な事を忘れていた事に気付いた。

 

 あれっ? オフトゥンミッションどこいったのかな?

 

 あの、音羽上官殿……。

 瑠璃一等兵は泥沼の戦場からまだまだ離脱が出来そうもないのであります……。

 

 

 



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15.お昼休みって楽しみな時間だよね

 

 

 学生だろうが社会人だろうが、きっと誰もが大好きに決まっているお昼休みの時間となりました。

 学校の中庭にある新芽も柔らかな芝生の上に輪の形で座って、わたし達五人はそれぞれお弁当やパンなどの包みをいそいそと広げ始めます。

 朗らかな日差しが差し込んできて包み込まれるような暖かさの中で、可愛い女の子達と仲良くお弁当をつつき合えるとはなんと幸せな事でしょうか、思わず自然と笑顔になってしまいますよ。

 

 

「あれっ? 市ヶ谷さんも一緒なんだね」

 

 

 沙綾が実家である『やまぶきベーカリー』の紙袋を膝の上に乗せながら声をかけると、何故か有咲は自身満々のドヤ顔を見せ付けてきた。

 

 

「まぁ香澄と優璃に誘われたからな」

 

「えぇっ⁉︎ ありさがお昼御飯を一緒に食べたいって言ったよ」

 

「記憶にねぇな」

 

 

 香澄が瞳を見開きながら反論をすると有咲はわかりやすく視線を逸らしてしまった。

 いやわたしの記憶でも確かに有咲が言い出したのは間違いないのですが、これも照れ隠しかと思えばなんだか可愛いらしく思えてしまうのが不思議です。

 有咲とわちゃわちゃと言い合っていた香澄が、ふと沙綾の方を見て小首を傾げた。

 

 

「さーやはいつもパンだよね、流石はパン屋さん」

 

「パンは好きだし朝はバタバタと忙しいから手軽だしね、私もだけれどそれを言ったら牛込さんも同じだよ」

 

「ひゃうっ!」

 

 

 黙って座っていたりみりんが急に名前を呼ばれた事で跳ね上がる程の驚きを見せ、彼女がその手に持っている『やまぶきベーカリー』の紙袋がガサッと音を鳴らした。

 りみりん、その袋の中に貴女の大好物のパンが入っているのをわたしは見なくとも知っているのですよ、くるくるっとしていて甘いパンだよね。

 

 

「だって、やまぶきベーカリーのパンが凄く美味しいから」

 

「牛込さんは常連さんなんだよ、毎度有難うございますだよ」

 

「はわわ、やめてよ山吹さん」

 

 

 沙綾が座りながら感謝の意味で頭を下げると、顔を真っ赤に染めたりみりんは、慌てて袋を横に置いてから沙綾の方へ向かってわたわたと両手をバタつかせた。

 はぁしかし何ですかねこの光景は、とっても可愛らしいし和むのです。

 

 

「優璃ちゃんも生暖かい微笑みしないでぇ」

 

 

 りみりん、生暖かい微笑みをしているのは香澄と有咲もなので、決してわたしだけの話ではないのですよ。

 

 

「しかし牛込さんは優璃だけ名前呼びなんだな」

 

「あのそれはね、優璃ちゃんから名前で呼んでって言われたの、それに私のお姉ちゃんも『ゆり』っていう名前だから親近感が湧くのかな」

 

 

 有咲がお弁当の玉子焼きを口に運びながら問いかけると、りみりんは大好物であるチョココロネを両手で持ちながら恥ずかしそうに答えた。

 

 

「お姉ちゃんは三年生でね、『Glitter☆Green(グリッター グリーン)』っていうバンドをやっているんだよ」

 

「じゃあ牛込さんはお姉さんの影響でベースを始めたの?」

 

「そうだよ、お姉ちゃんは私の憧れだもの」

 

 

 沙綾の問いに笑顔で答えるりみりんの姿に深く何度も頷いた。素敵なお姉ちゃんに憧れる気持ちは非常にわかるよ、わたしも瑠璃姉さんにはあらゆる面で敵わないと思っているからね。

 

 

「へぇ、それじゃ香澄にはあらゆる意味で大先輩だな」

 

「はいはーい! わたしからひとつ提案があります」

 

 

 有咲の弄りを聞き流した香澄が勢いよく右手を上げた、別にクラス会ではないのだから普通に発言すれば良いと思うのだけれど、そんな行動が却って香澄の可愛いらしさを際立たせていたりするから始末が悪いのです。

 

 

「合コンとかは却下だからね」

 

「もう! ゆり、そんな事じゃないよぉ」

 

 

 こちらを向いて唇を尖らせながら反論してくる、一応とはいえ念を押しておかないとこの世界の神様は信用ならない存在なのですよ。

 

 

「わたし達の間では名字呼びは無しにしたいと思います!」

 

 

 おっ、中々に建設的な意見だと思いますよ、予めそう取り決めておけばお互いに恥ずかしさも薄れるというものですからね。

 

 

「確かにもう友達なんだし名前呼びの方が親しみが湧くよね」

 

「私も別に問題は無いかな」

 

 

 わたしと沙綾が賛同する横で、有咲とりみりんは恥ずかしそうに顔を伏せてしまう、その様子を見ていたら何やら悪戯心が湧いてきましたよ。

 

 

「確か有咲は、沙綾とりみりんを名字呼びだったよねぇ」

 

 

 有咲の肩が反応してビクッと動く、ヤバい何かゾクゾクとしてきましたのでお次はりみりんを弄るとしましょうか。

 

 

「そしてりみりんもわたし以外はまだ名字呼びだよね、さぁりみりん、早くみんなを名前で呼んであげて」

 

「はわわ、恥ずかしいよ」

 

 

 りみりんは顔を更に紅く染めて俯いてしまった。いやぁこのリアクションが可愛すぎて堪りませんな。

 

 

「ちょっとゆり、みんなが困っているじゃない」

 

「いや沙綾さんや、これは儀式みたいなものなのですよ、二人が早く名前呼びに慣れてくれるようにわたしが心を鬼にしているのです」

 

 

 表情が自然と緩んでしまいますがそんな事は気にせずに二人を弄り倒していると、有咲が無言でお弁当の蓋を閉めて、沙綾とりみりんもパンを袋に仕舞ってしまった。

 

 

「優璃、お前調子に乗りすぎだかんな」

 

「優璃ちゃん、意地悪し過ぎだよ」

 

「ちょっとお仕置きが必要だね」

 

 

 あれっ、皆さん笑顔が怖いですよ、そして何で段々とにじり寄っているのですかね、これはちょっと危ない予感がしますよ。

 慌てて香澄に助けを求める視線を送ったら、何が起きたのかがわからずにキョトンとしていた顔をこちらに向けた後に、何かを思いついたかのように両方の口角を上げた。

 

 

 あっ駄目だこの子、楽しそうな方に付きやがった。

 

 

 優璃、優璃ちゃん、ゆり、フッフーン、と言いながら四人がにじり寄ってくる。まるで気分は断頭台へと向かうマリーアントワネットだ、更に死刑執行人の四人全員が半目のまま薄ら笑いを浮かべているところが余計に怖い。

 

 

 四人が塊となってわたしを押し倒してきた。下から見上げると逆光のせいで表情がよく見えないけれど香澄が笑っているのだけは何となくわかったわ。

 

 

「さぁお仕置きの時間だよ」

 

 

 あの神様、都合の良い話なのですが少しは助けてくれてもいいのですよ?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 生命力に溢れた芝生の上で無惨にも横たわる少女の瀕死体がひとつ、見開かれた瞳には光は無く、断末魔の叫びを誰の耳にも届ける事が出来なかったかのように口は半開きのままとなっていた。蹂躙され尽くしたその様はこの世界が如何に力が無き者に無慈悲かという事を如実に物語っている、まぁその瀕死体はわたしなのですけどね。

 

 

「ひ、酷いと思います……」

 

 

 泣きたい気持ちを抑えて抗議の声を上げても、この鬼っ娘共は聴こえない振りをして昼食を再開しやがりましたよ。

 先程は謝るまで四人がかりで毎度お馴染みのくすぐり刑に処されました。しかしこれはいわば集団リンチであり現代社会の闇とも言える行為なのです、可憐な乙女にこの様な非道な仕打ちをする事は決してあってはなりません、したがって呪詛の言葉をひとつくらい心の中で呟いたところで天罰が降る事はありませんよね。

 

 

 ちょい香澄! どさくさに紛れて胸を触って遊ばないでください、それはわたしの役目なのですよ!

 

 

 心の中で叫んだ事で少しだけ気分が晴れたので、わたしも輪の中に戻ってお弁当の蓋を再び開ける、せっかく瑠璃姉さんが作ってくれたお弁当を残すなど妹としては有り得ませんのでね。

 

 

「ゆり、髪に葉っぱが付いたままだよ」

 

「ふにゅ、ありがと沙綾」

 

 

 隣に座っている沙綾がわたしの髪に名残惜しそうに付いていた古葉を払ってくれた。その優しい姿からは、先程までわざわざ靴を脱がせてから嬉々とした表情で脚全体をくすぐり続けた鬼っ娘と同一人物とはとても思えませんよ。

 

 

「ところでさ、みんなはどんな人がタイプなの?」

 

 

 沙綾の唐突な質問にわたしを含めた四人全員が吹き出してしまった。

 

 

「はあ? 何を突然に言い出すんだよ」

 

「んー、わたしは一緒に居て楽しい子かなぁ、さーやは?」

 

「私は一緒に居て安心できる人かな、意外と甘えたがりなんだよね」

 

 

 照れているのか頬を紅く染めた有咲が入れたせっかくのツッコミを軽く流して香澄と沙綾は平然と会話を続けた。別に好きな男のタイプなど聞きたくはないのだけれど興味が無いと言えば嘘になります、なにせ色々と対策が建て易くなるというものですからね。

 

 

「りみりんと有咲は?」

 

「私は、王子様みたいな人かな」

 

「私はその……優しい人」

 

 

 ヤバイです、照れながらタイプを告白する二人が可愛い過ぎです。しかしそれはそれ、この『恋愛破壊者(ラブコメブレイカー)』の称号を持つわたしの目の黒いうちは野郎との恋愛などさせませんので。

 

 

「それでゆりはどうなの?」

 

 

 沙綾が前屈みで覗き込むようにして訊いてきた。ポニーテールに束ねた髪が下に垂れ下がって綺麗なうなじが丸見えですよ、その健康的な首筋にかぶり付いても良いのですかね?

 しかしこれは困りました、男の子との恋愛なんて百年後の日本の人口は何人だろうというくらい興味が無いのでなんと答えたものですか。

 

 

「うーん、タイプは特に無いんだけど、強いて言うならわたしが好きになった人が好き」

 

「なんだよその哲学的な返答、もっとハッキリと言えよな」

 

 

 有咲に怒られたけれど、野郎に興味などある訳がないでござるなんて言ったら引かれそうだし、恋愛よりも尊いの方が至高でしょうとか理解されそうもないしなぁ。

 

 

「うーんつまり、わたしはみんなの事が大好きだよ」

 

 

 あれっ、何でみんな顔を紅くして俯くの? これはやっぱりドン引きされてしまったのでしょうか、やはりガールズトークというものは中々に難しいと痛感です。

 

 あのね神様、こういう時こそ助け舟(話術スキル)を寄越しやがっても良いのですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 放課後に有咲家の蔵に立ち寄った後に、夕陽に照らされた帰り道を香澄と並んで歩く。

 少しづつ陽が長くなって春の終わりを感じるけれど道路に映し出された二人の影は長くて色も淡い、髪を揺らしながら通り過ぎてゆく風もこの時間だと少し肌寒く感じて、まだまだ夏の訪れは遠そうな雰囲気だ。

 時折通り過ぎる車のエンジン音と遠くから微かに聴こえてくる虫さん達の合唱、ふと横を見れば背中にギターケースを背負ったまま優しい表情で歩いている香澄の姿がある。

 とても不思議だけれど香澄と一緒に居る事が今の自分の中では当たり前になりつつある事がなんだか気恥ずかしくて嬉しいとさえ思えた。

 

 

「りみりんのお姉さん達のライブ楽しみだね」

 

「うん、きっと大人なバンドで格好良いんだろうなぁ」

 

 

 りみりんのお姉さん達のバンドが今度ライブをするというので沙綾を除いたみんなで観に行く事になった。

 あまりにも沙綾が頑なに固辞するので香澄も流石に諦めたのだけれど、寂しそうな笑顔を作った沙綾の姿をただ見ているだけというのはやっぱり違うのかなと思う、彼女の閉じきった心の扉に触れる為にもわたしがもっと主体的に寄り添う事が必要なのかもしれない、例えそれが独善的や偽善と言われようともだ。

 

 

「あっ、それより香澄?」

 

 

 小首を傾げながら笑顔を向けてきた香澄にわたしも満面の笑顔を返す。

 

 

「お昼休みにさ、どさくさに紛れてわたしの胸を制服の上から触っていたよね?」

 

「えっ⁉︎ なんの事かなぁ」

 

 

 ほほう露骨にしらばっくれますか、ならば宜しい目には目を胸には胸を、復讐するは我にありですよ。

 通学鞄を肩に掛け直してから両手でニョキニョキと何かを握るポーズを取った。

 

 

「えっ? 嘘だよね? こんな往来の場所でそんな事はしないよね」

 

 

 ほほう先日に往来の場所でわたしをくすぐりの刑に処した貴女がそれを言いますか。

 無事に罪悪感のハードルを超えて笑顔のままにじり寄る、香澄は何とか逃げようと算段している様ですがその重いギターケースを担いだままではわたしから逃げる事は叶いませんよ。

 

 

「めちゃくちゃ揉み尽くす!」

 

「いや、こんな場所で……」

 

 

 顔を真っ赤に染めて腕で必至に胸を庇っている姿に思わず鼻息も荒くなってしまいますよ、それではそろそろ頂きますのでお覚悟を。

 

 

「二人とも何をしているの?」

 

 

 ニョッキニョキのポーズをしたまま声がした方へ振り向くと、いつの間にか怪訝そうな表情を浮かべたあっちゃんが立っていた。

 

 

「あっちゃーん、ゆりに襲われるよぉ」

 

「えっ⁉︎ どういう事?」

 

 

 わたしが固まった隙をついてあっちゃんの背後に香澄が隠れてしまう、しかしこれは不利な状況に陥りました、これではわたしが只の不審者みたいじゃないですか。

 

 

「いやあっちゃん聞いてくれるかい、そこの被害者のように隠れているお姉さんがお昼休みにわたしの胸を嬉々として触っていたのですよ、その復讐の為に致し方なくこのようなですね」

 

「お姉ちゃんそんな事をしているの?」

 

「冗談でだよ、幼馴染みの胸なら少しくらい触るよ」

 

 

 えっ⁉︎ 何ですかその謎理論は?

 

 

「もう、仕方がない人達だなぁ」

 

 

 しっかりとした足取りで目の前まで歩み寄って来たあっちゃんが突然わたしに向かって胸を突き出してきた。

 

 

「はい、お姉ちゃんの替わりに触っていいよ」

 

 

 えっ⁉︎ 何ですかこの謎展開は?

 

 

「いやあっちゃん、わたしは胸が触りたい訳じゃなくてね」

 

「優璃お姉ちゃんなら触ってもいいよ、でも優しくしてね」

 

 

 香澄程ではないけれど程良い制服の膨らみについつい目が奪われてしまう。

 いやいや何を言ってんのこの娘は、確かに胸は触りたいですけれどそんな……あぁやっぱりこの娘はやり手です、対女性経験値が低い者の弱点である『グイグイ来られると逆に引いちゃう』を的確に突いてきましたよ、これでわたしは情けない事に金縛りに遭ったように動けなくなってしまいました。

 

 

「くっ、あっちゃん……」

 

「どうしたの? いいよ、優璃お姉ちゃん……」

 

「こ、これで勝ったと思うなよぉ!」

 

「何処に行くの? 帰る方向は一緒でしょ」

 

 

 年下に完全敗北の惨めさから走って逃亡しようとしたら冷静に呼び止められてしまいました。

 

 

「さっ、みんなで帰ろう」

 

 

 仲良く並んだ三個の長い影を揺らしながら茜色に染まった道を家に向かって歩く、真ん中で平然として落ち着いた顔を見せている勝者にわたしと香澄はこう思うしかなかったのでした。

 

 

 イモウトツオイと……。

 

 

 ちなみに帰ってからやっぱりあっちゃんの胸に触ってみたかったとベッドの上で身悶えした事は言うまでも無い話です。

 

 

 

 



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16.ドリル会という名のドリル回

 

 

 今日の放課後は校門の外でりみりんのお姉さん達のバンドである『Glitter⭐︎Green(グリグリ)』と初顔合わせの段取りとなっております。

 残念ながら沙綾はお家に早く帰らなければならないという事で不在ですが、残りのわたし達四人組は少し浮ついた気分でその時を待っているのでした。

 

 

「りみりんのお姉さんてどんな人かなぁ、楽しみだなぁ」

 

「香澄は本当に浮かれ過ぎだろ」

 

 

 香澄をからかう有咲ですが、人見知りの貴女が小刻みに脚を震わせながら緊張している事にはとっくに気が付いているのですよ、まぁそれでも帰らずに付き合ってくれているのですから本当に可愛いと言いますか、いじらしいと言うべきでしょうか。

 そんな余裕な態度を見せているわたしなのですが、実はグリグリというバンドはあんまり記憶に残って無いのでちょっと緊張してしまっているのはみんなには気付かれていない筈です。

 

 

「あっ! きらきら星の美少女達じゃないかぁ、ボンジュース!」

 

 

 かなりの緩んだ垂れ目の顔に新種の柑橘系飲料みたいな挨拶をするこの人は江戸川楽器店のやべぇ店員さんである『ひなさん』か、まさか同じ高校とは思わなかったですよ。

 もしやひなさんが居るならばと思っていたら案の定といった具合に、ひなさんの後から少々キツネ目で固い印象を与えるぬいぐるみさん、いやいや『リィさん』が当たり前の様にぬいぐるみを抱えたまま校門から姿を現した。

 

 

「久しぶり、その後ギターの調子はどう?」

 

 

 いや普通に喋るのかい! そこは逆にぬいぐるみで久しぶりだにゃとか言って欲しかったわ。

 まぁこのままリィさん達とランダムスターの話で盛り上がりたいところですが、今日はお二人のお相手をする時間は余り無いのです、なにせこの後に大事な面会がございますのでね。

 

 

「ひなさん、リィさん、ボンジュース!」

 

「香澄、ノリノリじゃん!」

 

 

 テンションも高めにひなさんとハイタッチをしている香澄に思わずツッコミを入れてしまう、もしもこんな個性的な人達と一緒の所をグリグリの人達に見られでもすれば、可愛い新入生であるわたし達の第一印象がフリーフォール並の勢いで下降しかねないのがそりゃ心配にもなるってものですよ。

 

 

「マイシスターりみちゃんも元気かい?」

 

「ひなちゃん、違うよ?」

 

 

 いやひなさん嘘なのかい! 思わず一瞬だけ信じてしまいそうになったわ。

 しかしりみりんもひなさん達と知り合いなのね、まぁ楽器をしているのなら楽器店の人と知り合いでも別に不思議ではないのですが。

 有咲に抱きついたりわたしを振り回したりと暴れ回るひなさんをなんとか(なだ)めていると、あらたに校門から出てきた上級生らしき二人に場の空気が一気に変わってしまった。

 二人はわたし達が騒いでいる方へ近寄って来て、ギターケースを背中に抱えた方の先輩が腰に手を当てながら声を掛けてきた。

 

 

「みんなお待たせ、それじゃ先に自己紹介をしておきますか、私はりみの姉でグリグリではギターボーカルをしている『牛込(うしごめ) ゆり』、姉妹共々よろしくね」

 

 

 優しそうでありながらも意思が強そうな瞳を緩ませながら、肩先までの髪を柔らかく揺らして微笑む姿は如何(いか)にもお姉さんといった落ち着きを感じさせる美人さんです。

 あの、それよりもみんなってどういう……。

 

 

「キーボード担当の『鰐部 七菜(わにべ ななな)』よ、宜しくお願いするわ」

 

 

 長い黒髪をひとつ結びで纏め、教養を感じさせる切れ長の瞳を隠す眼鏡姿が理知的な雰囲気を醸し出しています。七菜さんは挨拶するなり美しい所作で深々と頭を下げてこられたので、それに釣られて思わず全員が深々と頭を下げて挨拶を返してしまいました。それにしても二人共に160cm超えくらいはありそうな身長でいかにも先輩といった貫禄がありますね。

 

 

「私はベースの『鵜沢(うざわ) リィ』、こっちのうるさいのがドラムの『二十騎(にじっき) ひなこ』、よろしく」

 

「リィちゃん、ひーどーいー」

 

 

 思わず瞳を見開いてリィさん達を見返してしまった。えっとまさかとは思うのですが、わたし達が騙されているという可能性は無いですよね?

 

 

「この娘、ちょっと失礼な事を考えてないかにゃ?」

 

 

 リィさんがぬいぐるみの腕を使ってわたしを指差したけれどそりゃ仕方がないですよ、ゆりさん達に比べてひなさん達のキャラが異質過ぎますのでね。

 とりあえずわたし達も自己紹介を済ませて顔合わせは無事に終了です。

 

 

「でも二人も『ゆり』が居るとややこしいわね、優璃ちゃんではゆりと区別をしづらいし」

 

 

 七菜さんが顎に手を添えて熟考を始めてしまった、個人的には両方とも『ゆり』でも良いんじゃね、とは思うのですがきっと几帳面な性格をされているのでしょう。

 

 

「ユーリーとか格好良い」

 

 ひなさん、それはただ語尾を伸ばして言い難くしただけですよ?

 

「りゆ、とか?」

 

 リィさん、それはただ文字を逆にしただけですよね?

 

「ゆっちゃん?」

 

 七菜さん、熟考した答えがそれですか?

 

美月(みづき)さん?」

 

 ゆりさん、この流れで名字呼びは寂しいっす。

 

 

「いやもう『ゆっちゃん』でお願いします」

 

 

 このままこの人達に考えさせていたらその内『ユリアームストロング』とか突拍子もない事を言い出してしまいそうなので、なんとか無難なところで手を打って頂きました。

 

 

「さて、それではドリルか」

 

「リィちゃん了解! さぁ美少女達よ、わたしに付いてくるがよい」

 

 

 この後の予定としてはファミレスに移動してドリンクバー会、意訳して女子会です。ひなさんがわざとなのか毎回ドリルカイと言い間違えるらしいので、グリグリではファミレスに行く事をドリルという隠語で言う事が定着している様です。

 前方をグリグリの人達が歩き、後方を私達が続く形でファミレスへと向かいます。香澄とりみりんが楽しそうに笑いながら歩いているのに対して、先程から全く喋っていなかった有咲は人見知りによる緊張の連続でまるで長距離走をした後の様に疲弊しきった顔をしています。

 

 

「有咲、大丈夫?」

 

「えぇ、大丈夫でございますわよ」

 

 

 おやおや完全に頭が熱暴走を起こしているみたいで何処かの令嬢みたいになっていますよ、少し落ち着いてもらわないとその内に緊張で意識を失いかねないですね。

 有咲の頬を右手の人差し指でプニっと押すと、無言でわたしの腕を取った後に強く手を握ってきた。少し汗ばんだ(てのひら)が有咲の頑張りを物語っている様でなんだかとっても優しい気持ちになってしまいます。

 

 

「落ち着いた?」

 

「別に焦ってねぇし、友達とファミレスに行けるの嬉しいとか思ってねぇし」

 

 

 有咲さん、緊張のせいか心の声がだだ漏れになっていますよ?

 

 

「優璃にひとつだけお願いがあるんだけど」

 

 

 ふにゅっと有咲の方へ顔を向けると、急に手を引っ張られて身体を引き寄せられた。

 

 

「ファミレスの席は隣に座って! もし両隣をグリグリの人に挟まれたら、多分緊張で私は死ぬ」

 

 

 泣き出しそうな顔でお願いをしている姿が可愛い過ぎます、たまに見せてくれる有咲のデレは本当に何と言うか……色々と凶悪過ぎてヤバイですね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「それでみんなはどのパートを担当しているのかしら?」

 

 

 七菜さんが温かい紅茶を口へと運びながら会話を切り出してくれました。その動作も優雅で品格を感じさせるものでしたが、いかんせん手に持っているのがドリンクバー用のコーヒーカップなのが少々残念な感じを醸し出しています。

 

 

「はいっ! わたしがギターでりみりんがベースです!」

 

 

 香澄が元気な声で応えてからりみりんと顔を合わせて微笑んだ。

 ここだ、このタイミングだ……。

 

 

「香澄はギターボーカルです、そしてりみりんがベースで有咲はキーボードになります、わたしは応援係といった感じです」

 

「ゆり……?」

 

「はぃ⁉︎ ゆ、優璃なにを……」

 

 

 みんなが驚いた顔を見せている、それも当然で香澄はギターを演奏する事しか考えていなかったろうし、有咲に至ってはキーボードどころかバンドをやるとも言っていない。

 

 

「香澄ってとっても歌が上手いから絶対にギターボーカルに向いていると思うんです」

 

「じゃあ香澄ちゃんは私と一緒だね、てっきりゆっちゃんか有咲ちゃんがボーカルかと思ったよ」

 

 

 ゆりさんが香澄に向かって微笑むと香澄も戸惑いながらも笑顔を返した。

 香澄がボーカルをどうするのかなんてきっと考えてはいなかっただろうけれど、これでpoppin'(ポピパ)partyのボーカルは戸山香澄という流れが決定付けられた筈だ。

 

 

「市ヶ谷さんはキーボードなのね、わからない事があれば私に遠慮なく訊いてね」

 

「いや……あの……は、はい……」

 

 

 七菜さんの圧力に有咲も何も言い返せずに頷くしかなかった。

 多少強引だとは思うけれど有咲は背中を押さないと絶対に動いてはくれないだろうから仕方がない、先程から隣に座る有咲に思いっきり太腿を抓られていて叫び出したいくらいに痛いけれど、何とか我慢をして笑顔を崩したりはしません。

 

 しかし自分でも酷い事をしているなとは思う、二人に何も確認をせずに勝手にバンドの流れを作ってグリグリさんを証人のように利用した形にしてしまった。

 少し弱気に思っているのかもしれない、有咲は背中を押すきっかけさえあればバンドを始めてくれるとは思っていたけれど、最悪のパターンは香澄がギターに専念して楽器の出来ないわたしをボーカルにしようと考えてしまうかもしれないという事だ。

 優しい香澄ならおそらくそうしようとするだろうけれどそれはわたしの望む形では無い、ゲームで知っているけれど香澄の歌は周りに暖かさと希望を感じさせる太陽のような特別な物、それをわたしへの気遣いで埋れさせてしまうなんてとても認められないよ。

 だから先手を打って香澄がギターボーカルという流れを作ったんだ、自分勝手で自己満足なサイテーの行動だとしても、尊いオタクとしてはポピパの形を崩す事はどうしても考えられないのです。

 有咲は……後で謝るしかないかな、でも背中を押すには良いタイミングだったとは思うんだよね。

 

 

「ドラムは? ドラマーが居ないじゃん! ゆっちゃんドラムやろうよ、わたしが教えてあげるからさぁ」

 

「ひな、嘘を言うな嘘を、あんたはオモチャが欲しいだけでしょ」

 

 

 立ち上がって力説するひなさんにリィさんが即座に否定の言葉を投げ掛ける、ひなさんのオモチャなんてもはや地獄絵図しか想像が出来ないのですがね。

 

 

「リィちゃん、可愛い女の子は全てわたしのものなのだよ」

 

 

 拳を握り締めて鼻息も荒く高らかに宣言をする姿にはある意味感心してしまいそうですが、話している内容は只の『へんたいふしんしゃさん』なので尊敬は永遠に出来そうもありませんよ。

 

 

「それでどうかなゆっちゃん、マイシスターになってくれるよね?」

 

「えぇ是非、来世でお願いします」

 

 

 残念ながら今世では縁が無かったという事で。

 わたしも大概な尊い信者ですが、へんたいふしんしゃさんとは方向性が違うのですよ、ハーレムとは入るものではなく眺めるものなのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 ファミレスから出てグリグリの人達との別れ際にゆりさんからライブチケットを頂きました。絶対に観に来てねと笑顔で言われたのを香澄が喰い気味に絶対に行きますと返事をしたのが面白くて全員で笑ってしまいました。

 いやみなさん良い先輩達でりみりんのお姉さんもしっかりとしていて頼りがいがありそうです、これからもりみりんとは妹コンビとしてお姉ちゃん話に色々と華が咲かせそうですね。

 うまい具合に話も進み良い気分のまま家路につく筈だったのですが、只今わたしは有咲家の蔵で正座をさせられております。

 

 

「やってくれたなぁ、優璃さんよ」

 

「ふにゅ、御免なさいです」

 

 

 蔵の地下にある秘密基地、そこに設置してあるソファーにお奉行様のような雰囲気で有咲が座り、わたしはその前で怯えた村娘のように震えながら尋問を受けているのです。

 ツインテールに括った髪が今にも怒りで逆立ちしそうですが、それよりも身体の前で組んだ腕の上に二つの立派な巨峰が乗っかっている光景が気になって仕方がありませんよ。

 因みにりみりんはゆりさんと帰ってしまったので蔵には有咲と香澄とわたしのみとなっております。

 

 

「いやそれよりも、何で私が楽器が出来るって知ってんの?」

 

「母屋にピアノがあったし、有咲に兄弟は居ないっておばぁちゃんが言ってたからきっと有咲がピアノを弾いていたんだろうなって」

 

「ちびっ子名探偵か! 親が弾いているとか考えなかったのかよ」

 

 

 なる程そういう発想もあったのかと驚いてしまった。ゲーム知識があったからピアノは有咲用だと決め付けてしまっていたけれど、思い込みは判断を誤らせる事もあるからこれからは気を付けて動かないといけないね。

 先程まで頭から湯気が立ちそうな勢いで怒っていた有咲が、何かを考えているように眉間に皺を寄せながらソファーに一緒に座っている香澄の方へ視線を向けた。

 その視線に気が付いたのか、有咲に向かって香澄が柔らかく微笑んだ、飾り気もなく只々正直に言葉を紡ぐ。

 

 

「わたし、ありさと一緒にバンドしたいな」

 

 

 いつもの力強い話し方ではなく、その姿はあくまでも優しく、有咲に向かって素直に自分の心根を伝えている。

 有咲にも香澄の思いが伝わったのか、先程までの怒りは鳴りを潜めてしまい照れたように顔を伏せてしまった。

 しかしこれが主人公(ぢから)というものか、それと比べて計算高い自分の姿がなんだか醜く思えて少々落ち込んでしまいそうですよ。

 

 

「優璃も私にバンドをやって欲しいのか?」

 

 

 いつものツンとした話し方ではなく少し甘えた声色に乗せてわたしの気持ちを訊いてきた、ここは茶化すところでは無いから真摯に心の内を話そうと思う。

 

 

「わたしは見たい! 有咲がキーボードを弾いている姿を、香澄やりみりん達と一緒に輝いている有咲が観たいの! だからお願い、わたしに有咲を支えさせて」

 

 

 有咲は観念したかの様に紅く染まりきった顔を上げてわたしと香澄を交互に見た後、身体の力を抜いて照れ隠しなのか不器用な笑顔を作った。

 

 

「友達にそこまでお願いされたら仕方ねぇよな、やってみるよバンド」

 

「あーりーさー!」

 

 

 香澄が喜びのあまりソファーに押し倒すように有咲に抱きついた。わたしも有咲に抱きつきたかったのだけれど、正座のせいで足が痺れてしまい全く動けませんでしたよ。

 

 

「香澄! いちいち抱きつくなよなぁ、あっ、それと優璃!」

 

「ふにゅ?」

 

「ちゃんと私を支えろよ!」

 

 

 足が痺れていて辛いですけどなんとか香澄に押し倒されたままの有咲に近付いて優しく額に手を添えた。

 

 

「勿論だよ、わたしも頑張るね」

 

「優璃……正座を崩して良いとは言ってねぇぞ」

 

 

 神様! 鬼っ娘が此処に居ますよ何とか退治をして頂けませんかね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 蔵からの帰り道、夕暮れに染まったわたしと香澄は気分も上々と足取りも軽く並んで歩いていました。

 

 

「良かったね、有咲がキーボードをやってくれるみたいで」

 

「ゆりのおかげだよ、ありがとう」

 

 

 決め手は香澄だったと思うのだけれどまぁ感謝されるのは素直に嬉しい、気分良く横を向くと何故かそこに香澄の姿は無かった。

 

 

「ゆりぃ、ぎゅうぅ」

 

「ひゃっ⁉︎ な、何事?」

 

 

 いきなり香澄が後ろから抱きついてきたので驚いて通学鞄を落としそうになりましたよまったく、それにしても香澄は顔同士を擦り合わせるのが好きなので化粧をしないわたしには遠慮なく顔を寄せて来てしまうので緊張が毎回半端ないです。

 

 

「ねぇゆり、わたしが歌うのを好きな事も思い出したの?」

 

「思い出したというか、口が勝手に言い出した感じ」

 

 

 ゲームで知っている癖に、本当にわたしは嘘ばっかりだ。

 だけどそれでもいいと思っている、例え嘘を吐くにしても騙して相手を不幸にしたい訳じゃないのなら、その嘘は優しさと言っても良いんじゃないかと。

 みんなが笑顔になれるのならわたしはこれからも嘘に塗れよう、虚構がいつか現実へと成ってくれる事を願いながら……。

 

 

「やっぱりわたしの事を特別だと思ってくれているんだよ」

 

「そうなのかな、まぁ大切な幼馴染みだしね」

 

 

 これは嘘じゃない、出来たばかりの幼馴染みという矛盾した関係だけれど、今のわたしにも香澄は大切な存在になってきているから。

 

 

「それより香澄、引っ付いていたら歩き難いよ」

 

「えへへ、やだぁ離れないよ、もうずっと離さないから」

 

 

 香澄を背中に担ぐようにして家路を急ぐ、早く帰らないと瑠璃姉さんに怒られるし、何より背中越しに感じる香澄の胸圧といい漂う爽やかな香りといいわたしの心臓が大きく動揺して破裂しちゃいそうなのですよ。

 

 

 



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17.ラスボスはやっぱり強そうな方が良いよね

 

 

 

 誰だって苦手な事はあるし、誰だって不安に駆られる事もある。

 そんな不安定さが自然で、それが人間らしいという事なのかもしれない。

 

 

 

「有り得ねぇな」

 

「ありさもそう思うよね」

 

「優璃ちゃんせっかく可愛いのに」

 

 

 ライブハウスCiRCLE(サークル)に併設しているオープンテラスのカフェで只今わたしは香澄達に真顔で詰め寄られております、えぇその原因は自分でも何となく察してはいるのですよ。

 りみりんは膝丈までのワンピースに可愛らしいジャケット姿、有咲も膝丈までのプリーツスカートに上着は長袖とはいえフィット感が強くて妙な色気を感じてしまう服装で、よもや香澄に至ってはいくらタイツを穿いていると言っても中が見えちゃうんじゃねっていうくらいのミニスカートにパーカー姿で、もう色々な部分が気になって気になって仕方がないのです。

 制服姿には多少見慣れていたのですが、私服姿というのも新鮮な物で改めてやはり美少女達だよなぁと思ってしまいますね。

 

 

「香澄、お前ちゃんと言ってやれよな」

 

「だってゆりが男の子避けにはこれが良いって言うんだもん」

 

「優璃ちゃん、今度一緒に服屋さんに行こ?」

 

「いや皆様お気持ちは理解出来ますが流石に酷くないかな?」

 

 

 確かにほぼ部屋着のジャージ姿ですけれど意外とこれが暖かいのですよ?

 そもそもなのですが決して自ら望んでこの様な私服姿という訳では無いのです、女子の服装などまだよく解っていないので瑠璃姉さんに服のコーディネートを頼んだら、ふわりと広がる花柄の膝上ミニスカートに何の意味があるのというくらいに袖が爆発したような形をしている上着を着せられてしまいました。

 姉さんが可愛い可愛いと言うので姿見で確認をすると確かに似合ってはいるのですが、ちょっとこれは無理でございます、こんな女の子然とした服装は気恥ずかしくてとてもみんなには見せられません。

 散々写真を撮って満足した姉さんが部屋から出て行ったのを確認してから、素早くジャージに着替え直してこっそりと家から抜け出したという次第です。

 以前の優璃は割と可愛い服が好みだったのかもしれませんが、流石に元男のわたしには少々ハードルが高いと言わざるを得ませんね。

 女の子を見る事は好きなのですが、女の子の自分が見られているという感覚は中々持てそうにもありませんよ。

 

 

「みんながナンパとかされないようにわたしがラフな格好をして威圧するのですよ!」

 

「はぁ? ここでナンパしてくる男なんか居ねぇだろ」

 

「優璃ちゃん心配し過ぎだよ?」

 

「そうだよゆり、ガールズバンドを観にくる男の子はあまり居ないよ?」

 

 

 はいっ? みんな何を言っているのかな?

 ガールズバンドや女性アイドルのライブなんて観客の殆どは男性なのが当たり前ですよ?

 

 

「ガールズバンドは女の人に大人気なんだよ」

 

 

 飾り気の無い香澄の笑顔を見れば真実を語っている事は容易にわかる、慌てて周りを見渡して見ると数少ない男性達は見せつける様に恋人同士で来ているようで確かに女性の人数の方が圧倒的に多い。

 何だろうこの心の中を掻き回されるような不安感は、この世界の常識と自分が持っていた常識との微妙なズレを体感する事がこれ程までに心の動揺をもたらすなんて思いもしなかった。

 やっぱりわたしは違う世界に来てしまったんだと実感してしまう、まぁナンパをされる心配が少なく済むのは願ったり叶ったりなのですがね。

 

 

「まっ、私くらい可愛い女の子ならナンパとかされても不思議じゃないけどな」

 

「あー、そーですねー、かわいいもんねー」

 

「何で棒読みなんだよ!」

 

 

 有咲が腰に手を当てドヤ顔を見せつけてきましたが、あえて素っ気ない返事をすると香澄とりみりんがクスッと笑ってくれました。

 確かにみんな可愛いから声を掛けられても不思議ではないけれど、それはもう許すまじな事態ですので全力でぶっ潰して差し上げましてよ。

 

 

「ゆり、他の娘に声を掛けられてもホイホイと付いて行ったら駄目だよ」

 

「あぁ優璃なら有り得そうだな」

 

「優璃ちゃん、気を付けなくちゃ駄目だよ?」

 

 

 何の心配ですかね、わたしは飴に釣られるお子ちゃまではありませんよ?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 店内に入ると今日は数バンドが演奏する合同ライブらしく以前に来た時よりも観客らしき人の数が多い事に驚いてしまった、もしかしてわたしが知らないだけで意外とグリグリって知名度が高いのかもしれないね。

 まだ慣れない店内で人を避けながら三人でカウンターに向かうとボーダー柄のシャツでお馴染みのまりなさんが笑顔で出迎えてくれた。

 

 

「おやっ、また来てくれたんだね、いらっしゃーい」

 

「わたし達の事を覚えているんですか? 凄い!」

 

「制服姿の女子高生は好きなんだよ、いやぁ懐かしいなぁ青春だよねぇ」

 

 

 まりなさんは香澄の驚きを受けて感慨に耽る様に瞳を閉じて物想いを始めてしまった。

 いやしかし良かったですよ、女子高生が好きと聞こえた時点ではまさかこの人もやべぇタイプなのかと少々警戒しそうになりましたからね。

 

 

「月島! 何を呆けているんだ」

 

「ひゃいっ! もうオーナー、ちゃんと真面目にやっていますよ」

 

 

 奥の通路から現れた人に一喝されて思わず変な声をあげたまりなさんは、白髪に片脚が悪いのか杖をついた妙齢の女性に向かって誤魔化す様に笑顔を向けた。

 白髪の女性は見た目から言えばもうおばぁちゃんと言っても差し支えない年齢に見えるけれどその眼光は鋭く、睨まれたら冷や汗でも掻きそうな程の威圧感がある。

 でも初対面なのにわたしはこの人を見た事がある気がする、確かゲームにも出ていたような……?

 

 

「なんだい私の事をじっと見て、顔に何か付いているとでも言いたいのかい」

 

「あっ、いえ、すみません初対面なのに」

 

 

 思わず咄嗟に頭を下げて謝ってしまった、はぁ真面目に怖いです何ですかこのラスボス感は、明らかに只者ではない雰囲気ですよ。

 下げた頭を上げると何故かラスボスさんはわたしの目の前まで近寄って来ていて、杖を持っていない左手をわたしの方へと伸ばしてきましたけれどこれはまさか死亡フラグですか? アニメでよく見る顔にアイアンクローをされたまま持ち上げられちゃう例のあれですか?

 恐怖で動けないでいると、ラスボスさんは優しくわたしの頭の上に手を置いて柔らかく微笑んだ。

 

 

「目当てのバンドでもあるのか」

 

「はい、グリグリさんと知り合いなので」

 

「そうかい、ライブは一期一会の出会いだ、その時にしか感じられない想いを楽しみな」

 

 

 わたしが頷くとラスボスさんは満足したのか頭から手を離してくれました、固い掌だったけれどとても暖かくて……あれっ? 意外や優しい人なのかもしれないね。

 

 

「月島、しっかりやるんだよ」

 

「オーナー、今日はずっと居てくれないんですか?」

 

「私はもう引退した身だ、しゃしゃり出る気は無いね」

 

 

 片手を上げながら奥の通路へと消えて行くオーナーさん、いやぁラスボス感たっぷりで格好良いと思うよね、ねぇみんな……。

 

 

「そっかぁ、香澄ちゃん達もバンドするんだね、初ライブはウチで宜しくね」

 

「はい! 絶対にライブしますから」

 

「香澄、その前にメンバー集めだろ」

 

「えへへ、そうだね」

 

 

 ちょいちょーい、今のラスボス登場の流れは完全に無視ですか?

 微笑ましい会話の最中に悪いのですが、わたしだけが怖い思いをしたみたいで何だか納得が出来ませんよ。

 

 

「あのまりなさん、さっきの人は?」

 

「あぁ詩船オーナーね、此処が改装をする前は『SPACE(スペース)』っていうガールズバンドの聖地って呼ばれていたライブハウスだったんだけど改装を機にお店の名前も変えちゃってさ、しかも第一線から退くってお店にもあまり出てくれなくなっちゃったんだよ、とっても厳しい人だけど音楽を愛していてね、私は今でも尊敬しているんだ」

 

 

 まりなさんの言葉の端々からオーナーへの畏敬の念が感じられる、今でさえあの迫力なら昔はそれこそ何人か闇に葬っていそうな気はするのですが。

 

 

「でもゆりに声を掛けた時は凄く優しそうだったよね」

 

「本当だね、普段はもっと近寄り難い雰囲気なのに」

 

 

 あっそうか、りみりんはお姉さん達のライブを観る為にCiRCLE(サークル)にはよく来るのか。

 

 

「それはあれじゃないかな、小学生のお孫さんに良く似てたとか」

 

 

 まりなさん、いくら身長がちょっぴり低めとはいえ華も匂い立つ女子高一年生に向かって何を言っているのですかね?

 まったく失礼極まりないですよって、何でわたしは女子高生である事を誇っているの? 何かもう男であった意識が段々と薄れていくのが本当に恐ろしくなってきましたよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「りみりんのお姉さん達、もう最高にキラキラしてたね」

 

「やっぱり場数だよな、堂々としてるっていうか」

 

「わたし達も早くライブとかしてみたいよねぇ」

 

 

 ライブを観終えた香澄と有咲が興奮も醒めやらぬといった顔で感想を述べ合う横で、りみりんはその姿を微笑ましそうに眺めていた。

 一見すると和やかな光景だけど、わたしはりみりんの笑顔に一抹の違和感を感じてしまった。その笑顔はどこか力が無く、まるで他人行儀に遠目から眺めている様にも見える。

 やはり避けられないのかな、原作では自らの内気さと自信の無さからバンドをする事から逃げ出そうとしたりみりんだけれど、わたしが居てもやっぱり流れは変わらないのかな。

 

 

「そういえばライブの後に、お姉ちゃんが控え室に顔を出してって言ってたよ」

 

「えっ⁉︎ 本当に⁉︎ わたし行きたい!」

 

「マジかぁ、何か緊張してくるわ」

 

 

 ふふっと笑ったりみりんを先頭にして先輩達の待つ控え室へと向かう、スキップをしながらはしゃぐ香澄を、下着が見えそうだからと有咲が何とか抑え付けようと奮闘をしている姿が可愛らしいのですが、わたしはりみりんの様子がどうにも気になって仕方がありません。

 りみりんが控え室のドアをノックしてから室内へと入ると形容し難い熱風のような物がわたし達の間を擦り抜けていった、ライブ後の残った熱というかライブに出演していた人達の想いというかそんな熱さを感じさせる空気が控え室の中を満たしていて少し緊張感が増してしまいます。

 椅子に座っていたゆりさん達が手を振ってくれたので、側まで近寄ってお疲れ様でしたとみんなで声を掛ける。

 

 

「楽しかったぁ、みんなライブはどうだった?」

 

「はい! 皆さんとっても輝いていて、凄くキラキラドキドキしました」

 

 

 ゆりさんの問いかけに香澄は両手を体の前で組み瞳をキラキラと潤ませながら喜びを伝え、わたし達もそれを見ながら何度も笑顔で頷いた。

 

 

「それなら私達も頑張った甲斐があるというものだわ」

 

 

 どうやら七菜さんはライブの時は普段の眼鏡姿と違ってコンタクトにするようで、今は雰囲気が凄く大人っぽい美人さんと化していますね。

 

 

「ゆっちゃーん、わたしも褒めておくれ」

 

 

 何とか耐えましたが思わず女の子みたいな悲鳴を上げそうになりましたよ、ほのぼのとした雰囲気に油断していて後からひなさんが迫っていた事に全く気がつきませんでした。

 

 

「少し物足りないけど、まぁこれはこれで」

 

 

 あの何でお尻を鷲掴みにしているのですかねこの人は?

 呆気にとられて動けないでいると、ひなさんはリィさんに頭を叩かれてから引き摺られる様に連行されて行きました。

 

 

「もうひなさん、ゆりに触るのはわたしの特権なんですよ」

 

「どんな特権だよ!」

 

 

 香澄の冗談にツッコミを入れようとしたら有咲に先手を打たれてしまいました。流石は天然のツッコミ係、素晴らしいタイミングです。

 まぁ確かにそんな権利を売り出した記憶は無いのですが、最近おかしいとは思っているのです、わたしは触られるよりも触る側の筈なのですよ。

 

 

「りみも早くライブが出来たら良いね、絶対に観に行くから」

 

「あっ……うん……」

 

 

 りみりんは下を向いて弱々しく頷いた、いつもの恥ずかしがってという感じでは無くて心ここにあらずといった様子だ。

 

 

「りみ……?」

 

 

 ゆりさんもりみりんの異変に気付いたのか心配そうに顔を覗き込んだ。

 

 

「あ、あの……わ、私……」

 

「りみりん!」

 

 

 次に続く言葉をわたしは知っている、なるべくならそれを言わせたくはなくて無意識にりみりんの手を掴んだ。

 その瞬間、閃光が走ったかの様に視界が白く染まり何も見えなくなってしまった。あまりの眩しさに思わず瞳を閉じてしまったけれど徐々に閃光が収まってきた段階で恐る恐る瞳を開けてみた。

 

 なに? 何が起きたの?

 

 目の前に広がる光景を表現すればそれはお菓子の森、木はフランスパンの様な見た目をしていて切り株はまるでバームクーヘン、遠くに見える山はチョココロネのようにぐるぐるとした形をしている。

 視線を移すと輝くパン粉が敷き詰められた砂場に、りみりんがまるでお姫様の様な純白のドレスを身に纏って力なく座り込んでいた。

 理解する事が難しい状況だけれど、とりあえずりみりんに声を掛けようとしたその時、頭の中に声の様なものが響き渡った。

 

 

『怖い、怖い怖い、誰かに観られるのが怖い』

 

 

 それは確かにりみりんの声の様に聴こえる、だけど決して口から発せられた声じゃない、これは多分……りみりんの心の声だ。

 

 

『無理だよ、私には出来ない』

 

 

 その声色は迷いと諦めに満ち溢れ、今にも押し潰されそうな悲しみの色に染まってしまっていた。

 悔しいけれどやっぱりこの流れは避けられないのか、だけどりみりん、それでも敢えてわたしはこう言わせて貰うよ。

 

 知ってた!

 

 だけどわたしは諦める事はしない、例え(いや)がられ(きら)われてでも、りみりんの未来をきっと切り拓いてみせるからね!

 

 

 




 
 この世界線ではSPACEは既に存在していないのでSPACEのオーナーはオリジナル設定での出演になります。
 当作品はオリジナル設定も多く原作を知っている方には少し混乱させてしまう事もあるかとは思いますが、パラレルワールドという逃げ道で許してくだされ。


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18.こ、これがチートスキルってやつですかぁ?

 

 

『人前で演奏なんて出来ないよ』

 

 

 ぐるぐるキャンディみたいな太陽に綿飴みたいにふわふわな雲と、まるで自分が絵本の登場人物にでもなってしまった気分だ。

 

 

『失敗しちゃったらみんなに……』

 

 

 踏み締める度にサクサクと音を鳴らすパン粉の砂地に足を取られそうになりながらも少しづつ彼女に近付いて行く。

 歩く間も頭の中にはりみりんの声が絶え間なく響き続けるのが少し辛い、彼女の葛藤、そして自身の不甲斐なさへの怒りみたいな感情が直接的に心の中へ流れ込んできてしまう。

 なんとか側まで近寄ってへたり込むお姫様に向かって手を伸ばそうとしたら、透明な壁みたいな物に阻まれて触れる事が出来なくなっている、まったくこういう罠はお約束の様に存在しているのですね。

 

 

「りみりん!」

 

 

 透明な壁を叩きながら叫んでみても何の反応も返ってこない、俯いたままの姿は硝子のショーケースに入った人形の様に命の輝きをまったく感じさせてはくれなかった。

 何度も、何度も壁を叩くけれどヒビひとつ入ってくれない、もし此処がりみりんの精神世界だとするならばこれは特殊能力、つまりチートスキルなんじゃないの?

 神様、チートスキルをくれるならもっと万能な力にしてくださいよ、ただ観る事だけでわたしの声も気持ちも届かないのならチートとはとても言えないでしょうが!

 

 

『せっかく出来た友達に嫌われたくない』

 

 

 そんな事ある訳ない! そんな事で嫌いになるなら友達なんかじゃない!

 お願い届いてよ、わたしの声。

 

 

「あぁもう! マジ神様許すまじ」

 

 

 渾身の力を込めて壁に体当たりをしようと足を踏み込んだ瞬間、まるで蟻地獄に嵌ったように体がパン粉の砂地に沈み込み始めてしまった。

 何なのいったい、まだりみりんに届いていない、伝えたい事が、知って欲しい気持ちが沢山あるのに。

 願いとは裏腹に体はどんどん砂地に嵌まり込んで行く、悔しい、こんな能力がいったい何の役に立つと言うの。

 

 

「りみ、りみぃ!」

 

『それでも私は……』

 

 

 叫びながら伸ばした手は何も掴む事が出来ずに、そのまま無情にも体はパン粉の海に引き摺り込まれ、視界は絵本の世界から再び閃光へと包まれてしまった。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 瞳を慌てて開けてみるとそこはみんなの居る控え室、りみりんはわたしに急に手を握られた事で瞳を潤ませながらも驚いた顔でこちらを見ていた。

 何か言葉を掛けたいのに、なまじりみりんの気持ちを知ってしまったせいで気の利いた台詞ひとつも口から出てきてはくれない。

 ここで物語の主人公なら格好良い名言とか飛び出す筈なのに、わたしの緋色の脳細胞は全くもってモブキャラ程度の機能しか持ち合わせていないのが実に腹立たしい限りです。

 

 

「優璃ちゃん……ごめんね」

 

 

 りみりんはわたしの手を振り解くと悲しみを堪えた顔のまま控え室から逃げ出す様に走り去ってしまった。

 余りに突然な出来事に全員が茫然としている中で急いで香澄に近寄って両肩を掴んだ。

 

 

「香澄! りみりんを追ってあげて」

 

「ゆり、いったい何が?」

 

「わからないけれど今はりみりんをひとりにしちゃ駄目な気がするの、彼女とバンドをしたいのなら、いま寄り添うべきは香澄だよ」

 

 

 香澄がわたしの瞳を真剣に見つめ返す、それ以上の言葉は要らないしそれだけで香澄には全てが伝わってくれると信じている。

 

 

「わかった、行ってくるね」

 

 

 香澄は軽く頷くとりみりんの後を追う為に部屋を飛び出して行ってくれた。

 唖然としたままの有咲の手を取り、今にも心配して部屋から飛び出してしまいそうに立ち上がったゆりさんの前に立ち塞がる。

 

 

「ゆっちゃん……りみはどうして?」

 

 

 これから話す事は自分でも無茶苦茶で無理矢理だと思う、それでも香澄や有咲の、そして何より内気なお姫様が長い眠りから目覚める為には必要な事だと思いたい。

 

 

「有咲、そしてグリグリの皆さん、わたしの話を聞いて頂けますか?」

 

 

 香澄には香澄の役割がある、ならばわたしにしか出来ない役回りもきっとある筈だ。

 神様とやら見ていなさいよ、意味不明な能力を得たわたしの道化師としての役割を、きっちりと見せ付けてやりますからね!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 あれから数日、香澄と有咲には放課後にゆりさん達と行動を共にしてもらっております。

 みんなにお願いしておいて何ですが、この局面に至ってはわたしの出来る事はそう多くないのです、主役はあくまで香澄達ですのでね。

 という訳で今日は珍しく沙綾と下校です、よくよく考えてみると沙綾と二人っきりでの下校は初めてかもしれませんね。

 

 

「それでゆりは色々と奮闘している訳なんだね」

 

「わたしは何もしていないよ、頑張っているのは他のみんなだしね」

 

 

 一歩づつ進む度に柔らかく跳ねる沙綾のポニーテール、心なしか普段より歩く速さが遅いのかぴょこんぴょこんと踊っている様に見えて何だかとても可愛く思えてしまいます。

 沙綾にも今回の一連の流れは事細かく報告してある、りみりんの友達でもあるし何より今は直接には関係ないとはいえ将来のバンド仲間の事はしっかりと知っておいて欲しいと思ったからだ。

 

 

「でもゆりは本当に香澄が大切なんだってわかるよ」

 

「うーん、それはちょっとだけ違うのかな」

 

 

 自分の予想していた返答とは違ったのか沙綾は足を止めて不思議そうな表情を向けてきた。

 

 

「香澄達がバンドを始める時にみんなを支えるって言ったからね、だから香澄も有咲もりみりんも、そして……」

 

 

 沙綾の手を取ってしっかりと握り締める、柔らかくてしっかりと暖かみのある手をわたしは決して見失ったりはしないよ。

 

 

「もしこの先に沙綾が香澄達とバンドをしたいって思ったのなら、わたしは沙綾の事も全力で支えるよ」

 

「もう、私はバンドはしないよ……」

 

 

 露骨に視線を外して力無く呟いた姿はある意味で予想通りの反応だった、でも今はこれで良い、少しずつでも沙綾の心に近付いて寄り添っていけるように成れれば。

 

 

「もしもの話だよ」

 

 

 そうあくまで今は仮定の話、だけど沙綾はわたしから視線を外しても決して手を振り解こうとはしなかったという事に、少しだけ未来への希望を抱いてしまうんだ。

 

 

「私としてはバンドどうこう以外でもゆりに支えて欲しいかもなぁ」

 

「いや別に支えますけれど何か急に甘えん坊みたいになってるよ」

 

 

 暗くなりそうな雰囲気を変えたかったのか何やらはにかんだ笑顔を見せてくれた。もう沙綾ったら照れてしまう程に無理矢理な話の持っていき方までして気を遣おうとしなくても良いのに、本当にこの娘は優しい人だなと思ってしまいますね。

 

 

「何か不思議とゆりには我儘が言いたくなるみたいだね」

 

「何それ、お手柔らかに頼みますよ」

 

 

 顔を見合わせて笑い合う、自然な沙綾の笑顔は本当に可愛くて素敵だよ、だからいつも気兼ねなく笑える居場所を、笑い合える仲間達がいる世界を絶対に創ってみせるからね。

 

 

「あのさ、今日はこのまま手を繋いで帰りたい気分かな」

 

「はいはい、それくらいならお安い御用ですよ」

 

 

 沙綾は(にこ)やかな表情を見せると歩き易くする為か手を握り直し始めました、なるほど指と指を絡ませて握られると手が離れてしまう心配も無いので便利だねって……はうっ‼︎

 

 

「さっ、帰ろうよ」

 

 

 とても良い笑顔ですけれど沙綾さんや、これって漫画本とかでしかあまり見た事が無い特別な仲良しさん達がするというとっても恥ずかしい手の繋ぎ方ではないですかぁ。

 あわわわ、はわわわ、汗を掻いていないよね、手汗がびっしょりとか無いよね、ひゃあぁ、もう色々と恥ずかし過ぎて死にそうになりますよぉ。

 何故か一昔前のロボットみたいなカクカクとした歩き方をしてしまいますが別に緊張などしてはいない筈です、なんといっても転生して以来は女の子に触れる機会も多くなっておりますので、手を繋ぐくらいはもはや慣れっこなのですよ。

 

 

「ゆり顔が真っ赤、女の子同士なんだから緊張しなくても良いのに」

 

 

 それは言わないでくださーい。そりゃ沙綾からしてみたら何とも思わないかもしれないけれどわたしはですね、あぁちょっと待ってください繋いだ手の腹を親指を使ってくすぐるのはやめてくださーい、思わず変な笑いが漏れそうになってしまうのですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 結局は沙綾が手を離してくれなかったので、実家である『やまぶきベーカリー』まで一緒に帰る羽目となってしまいました。

 せっかくなのでお店の中に入ってみると、パンの芳醇な香りが充満していて思わずお腹が鳴ってしまいそうです。

 もう夕方という事もあってパンの種類も大分売り切れてしまっている様子で、菓子パンの類はどうやらメインの棚に集約されてしまっているみたい。

 歩きながら棚を見ていくとありました、りみりんの大好物であるくるくるっとした形が可愛い『チョココロネパン』、ふむふむそれに真っ赤なソースがとっても辛そうな『レッドホットドッグ』、何故か胡麻の替わりに黒光りするチョコがトッピングしてある『メタリカあんパン』などなどネーミングセンスは置いておいてもとても美味しそうなパンが色々と並んでいます。

 

 

「はい、ゆり専用ポイントカードをあげるね」

 

 

 制服姿から普段着にエプロン姿へと着替えた沙綾がお店のポイントカードを渡してくれました。しかし元々の家庭的な雰囲気のせいかエプロンを身に纏った姿がとても清楚で甘えたくなる魅力が溢れていますね。

 渡してくれたポイントカードを見ると沙綾の手書きでわたしの名前がしっかりと記されていました。

 

〝♡ゆりちゃん♡〟

 

 思うのですが女の子って何にでもハートとかを書くのが好きだよね、何だか沙綾の女の子らしくて可愛い一面が垣間見れてとても微笑ましい気分になってしまいましたよ。

 二人で微笑み合っていたら、制服のポケットに容れていたスマホから着信を知らせる音が鳴り出したので慌ててメールを確認すると『至急蔵へ来られたし』との若干古臭い文言が有咲から送られてきていた。

 何か予感めいたものを感じたので急いで向かおうとも思いましたが、とりあえずお土産用にする為にチョココロネを三個ほど買っていく事にします。

 

 

「因みに沙綾、ポイントカードが一杯になったらどうなるの?」

 

「そうだね、私の部屋に泊まりで遊びに来て頂きます」

 

 

 えっと沙綾さん、そんな特典は産まれてこのかた二度目の人生においても聞いた事が無いのですけれど?

 それにその台詞だと特典というよりかは強制ですよね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 秘密基地である蔵の中に駆け込んで地下への扉を開けると、丁度ギターの減衰していく残響が耳の側を駆け抜ける様に擦り抜けていった。扉を締めながら階段をゆっくりと降りていくと、ランダムスターを装備した香澄の姿にソファーに座った有咲、それにゆりさんの姿も見える。

 

 

「遅っせぇぞ」

 

「これでも急いだのですよ」

 

 

 まるで彼氏面の様な台詞の有咲ですが、今回の事はわたしからお願いした身ゆえ何もツッコミを入れないでおきましょうかね。

 

 

「どうやら大丈夫そうですね」

 

 

 やまぶきベーカリーの袋を抱えたままゆりさんに問いかけると、右手の親指を力強く立てながらウィンクをしてくれました。

 

 

「とりあえず簡単な三つのコードならもう大丈夫だと思う、それに有咲ちゃんがピアノ経験者だからしっかりと支えてくれそうだしね」

 

 

 その言葉を受けて有咲を見やると、いつもの片側の口角を上げたドヤ顔を見せ付けてくれました。最近なんだかこのドヤ顔も可愛らしく思えてきたのでやっぱり慣れというものは怖いですね。

 香澄がランダムスターを装備したまま近寄って来て、何やらふんふんと鼻を鳴らしながら瞳を輝かせております。

 

 

「香澄も色々とありがとうね」

 

 

 頭を撫でながらお礼を言うと、えへへ、と言いながら照れ笑いを浮かべて喜んでいます。

 しかし何ですかねこの可愛らしい天使は、何だかお隣の家の天使様にいつの間にか駄目人間にされてしまいそうな危ない無邪気さですよ。

 

 ギターを降ろした香澄も加えて四人で作戦会議です。とりあえずお土産のチョココロネを三人に配って少し重くなりそうな空気を持ち直したいと思います。

 ライブの後に走り去ったりみりんを追って行った香澄の話では、りみりんはやはり人前で演奏する事が怖いからバンドは出来ないと言っていたらしいです。

 その場で強引にバンドに誘い続けなかった香澄の判断は素晴らしかったです、自信が無い人に無理矢理やらせようとしたところで余計に頑なになってしまうだけだと思いますからね。

 

 

「優璃、でもこれって大丈夫か? りみをもっと傷つけたりしないかな」

 

「こればかりはやってみないとわからないよ、でも絶対に成功させたいとは思ってる」

 

 

 有咲の心配も理解が出来る、場合によっては彼女をもっと追い込んでしまう可能性も否定は出来ない。

 だけどりみりんの精神世界でパン粉の海に呑み込まれる寸前に聞いた、彼女の心からの声をわたしは信じたいんだ。

 

 

「私はゆっちゃんに賭けたいと思ったよ、りみは私の背中を追って音楽を始めたけれど、やっぱりバンドをして自分だけの音を見付けていって欲しいと願っているもの」

 

 

 優しいゆりさんの言葉に少し救われた気がする。もし、もし仮に今回の計画が灰燼に帰してもその責任は全てわたしにある、例えわたしは嫌われても香澄達とは友達でいて欲しい、その事だけは最後にお願いをするつもりだ。

 

 

「それにりみを託すなら香澄ちゃん達なら安心だよ、みんな良い子ばかりだからね」

 

「わたし、りみりんともバンドをしたいです」

 

「まぁ、賽は投げられたってやつだよな」

 

 

 みんなの気持ちはひとつに纏まりましたので後はやるだけですね、ソファーから立ち上がって拳を握り締めながら高らかに作戦決行を宣言です。

 

 

「それでは『オペレーション・チョココロネ』、発動です」

 

「優璃……その名称な、凄くダサい」

 

 

 ちょいとこのツンデレ金髪ツインテールは何を言っているのですかね?

 ダサいとか関係ないのですよ様式美ですよお約束ですよ、今のはみんなで『えいえいおー!』の流れではないですかぁ!

 

 

 



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19.決戦前夜は大変です

 

 

「神様、もしも私に魔法が使えたのなら、この窮屈な世界から羽ばたき自由に大空を舞う事が出来るのでしょうか?」

 

 

 貧相な身なりに箒を携えた美しい少女は、漆黒に染まった空を眺めながらそう呟いた。疲れを宿した顔に寒さで微かに震える身体、終わる事のない労働に精神は徐々に疲弊していき、口から漏れるのは弱々しいため息のみとなっていた。

 

(この箒に跨って空を飛べたなら……)

 

 魔法の才能に恵まれなかった少女は、自身の弱さに歯痒い想いを抱きながらも箒の柄を力無く握り締める事しか出来ずにいた。

 

(天空から光が、これって……)

 

 漆黒の空から眩いばかりの光が少女を照らす、少女は思わず膝を着き両手を胸の前で組みながら祈る様に瞳を閉じた。

 

(もしかしたら天に私の願いが届いたのでしょうか、信心深く毎日のお祈りを欠かさなかった私をいつも見ていてくださっていたのでしょうか、あぁ神様お願いでございますどうかこの憐れな娘をお救いくださいませ)

 

 その想いに応えるかの様にひとつの人影が歩み寄って来る、弱々しく座り込む少女はそれを天からの御使いかと瞳を輝かせ期待を込めた眼差しで迎えた。

 

 

「優璃ちゃん、片付けは終わった?」

 

「あっ、まりなさん掃除はだいたい終わりました」

 

 

 薄暗い照明の中でCiRCLE(サークル)のライブステージを掃除していたのですが、なんとなく演劇の舞台に立っている様な錯覚に陥りまして思わず異世界魔法少女物の様な妄想を膨らませてしまいました。

 丁度気持ちが乗って来た辺りでスポットライトに照らされたので、恥ずかしげも無く物語のヒロインに成り切ってしまったみたいな演技をしてしまいましたよ。

 

 

「本当にすみませんでした、我儘を聞いて頂いて」

 

「いやぁ丁度この時期は週末しかライブイベントは無いし、それに何か面白そうじゃない?」

 

 

 今回の計画をまりなさんに相談したら思っていたよりも簡単に了承をして頂けました、まぁ当然の事ですがそれなりの代償は有るのですがね。

 魔法のホウキ扱いにしていた床拭き用のモップを掃除用具置き場に片付けてからまりなさんに近付くと、そっとわたしの肩に右手を置いてにこりと微笑んでくれました。

 

 

「それに使用料なら、ちゃんと優璃ちゃんが体で払ってくれるみたいだしね」

 

 

 優しい笑顔が怖いです、いやしかし本当にまりなさんが女性で良かったですわ、もしも今の台詞を男の人から聞かされたら間違いなく泣きながら交番に駆け込むところですよ。

 片付けも終えて二人で談笑をしながらスタッフルームに入ると、まりなさんの同僚で黒髪のポニーテールに優しそうなくりっとした瞳の『咲紀(さき)』さんが温かい紅茶の注がれた紙コップを渡してくれました。

 ふわりと優しげな雰囲気にCiRCLEのロゴが入ったエプロンもよく似合っているとても綺麗なお姉さんなのです。

 お礼を言ってから椅子に座り、柔らかな湯気と心が落ち着く芳香を放っている紅茶にゆっくりと息を吹き掛けてから口を付けます。

 転生後に知ったのですが優璃ってかなりの猫舌なのです、以前に気付かず熱いスープに口を付けて漫画の様な叫び声を上げた苦い経験がありますので、流石に同じ失敗は出来ませんよ。

 

 

「あちゅ」

 

 

 どうやらまだ熱かったみたいですね、再び数回程ふー、ふー、してから改めて紅茶を喉に流してみます、しかしこの鼻を抜ける香気はやはり紅茶の醍醐味ですね、とても美味しゅう御座いますよ。

 ふとまりなさん達を見れば何故か二人共にわたしの方を見ながら笑顔で黙っています、しかも咲紀さんに至ってはまるで母親の様な慈愛に満ちた表情になっていますね。

 

 

「どうかしました?」

 

「いやだって、ねぇ?」

 

 

 二人で顔を見合わせて笑っておられますがわたしには何が何やらといった気分です、もしかしたら額に肉という文字でも書かれているのですかね?

 

 

「いよいよ明日だね、優璃ちゃんの方は大丈夫なの?」

 

「準備は整いましたので、後は癪ですが神様に祈るしかないです」

 

 

 まりなさんの問いに苦笑いで応える、いよいよ翌日に迫った『オペレーション・チョココロネ』を前にわたしの心は不安だらけだ。

 無敵の主人公なら結末は全てハッピーエンドなのかもしれないけれど、わたしはどちらかと言えばモブキャラの立ち位置ですのでバッドエンドを迎える事も当然に有り得る話ですからね。

 

 

「しかし美月(みづき)もよくこんな事を実行しようと思ったよね、普通なら思いついてもやろうとは考えないよ」

 

「自分でも頭おかしいって思いますけれど、お祭りは派手な方が面白いじゃないですか」

 

 

 咲紀さんが紅茶を飲みながら興味津々といった声色で訊いてきた、まぁ確かにライブハウスじゃなくても有咲家の蔵や学校を使うという手段もありますがそれでは足りないのですよ、優璃的に劇的成分が物足りないのです。

 

 

「愛する男の為に、って言うのなら少しは理解が出来るけれど友達の為にここまでするのは驚きだわ」

 

「咲紀ちゃんも私の為ならここまでしてくれるよねぇ?」

 

「まりなさんの為にですか……まぁ無いです」

 

「当たり前の事なんだけれど、何だかちょっとお姉さん悲しいよ!」

 

 

 まりなさんのボケに年下であろう咲紀さんが無慈悲にツッコミを入れていくスタイルは中々に面白いですね、流石にCiRCLEの看板娘なお二人です。

 

 ライブステージの使用料を甘く見ていたわたしに、まりなさんは此処でアルバイトをしながら返してくれたらいいよと提案してくださいました。

 オーナーでもないのに何という豪気な方でしょうか、流石は皆のお姉さんと呼ばれるだけはありますよ。

 

 

「でもわたしみたいな音楽知識も無い高校生が、ライブハウスのアルバイトをしても大丈夫なのでしょうか?」

 

「それは大丈夫だよ、優璃ちゃんに求めているのはそういう事ではないから」

 

「では何を……?」

 

 

 それはねぇと言いながら顔を見合わせた後に、お二人はとても良い笑顔でわたしを指差しました。

 

 

「CiRCLEのマスコットとしてだよ!」

 

「ご冗談は三十路を過ぎてから仰ってください」

 

「ちょっと咲紀ちゃん、優璃ちゃんが毒舌だよ」

 

「いえ、私にはまだ遠い話なので」

 

「私だってまだまだ未来の話ですぅ」

 

 

 まったくもう、わたしがマスコットとは何を考えておられるのでしょうか。

 良いですか、マスコットと呼ぶに相応しいのは可愛らしい見た目に愛くるしい仕草、そういったトニカクカワイイ存在なのです。

 元男に愛くるしい仕草を求めるとか何の冗談ですかね、想像しただけでも鳥肌が立ちそうになりますよ。

 

 

「まぁ殆ど片付けとか掃除とかがメインだけれど心配しないで、慣れていくまでお姉さん達が手取り足取り優しくその体に教えてあげるからね」

 

 

 あのぅ、やっぱり泣きながら交番に駆け込んでも宜しいですかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 帰宅して食事を済ませてから翌日の打ち合わせの為に香澄の部屋に寄ったのですが、お恥ずかしい事にわたしにとっては初めての訪問になるのでかなり緊張してしまっているのを誤魔化す為に、如何にもリラックスしているかの様にカーペットにうつ伏せの姿勢で有咲とりみりんにメールを打っております。

 香澄の部屋は女の子らしくカラフルで甘い香りが充満していて何だか心が自然と沸き立ちますし、カーテンやベッドシーツが全て星柄なのが如何にも星好きの香澄らしいですね。

 

 

「わたしにもアルバイトの話をして欲しかったなぁ、ゆりとアルバイトがしたかったなぁ」

 

ぞでぼでぃ、がずび、ぼぼだでぃ(それより香澄、重たい)

 

 

 うつ伏せの体の上にパジャマ姿の香澄が掛け布団の様に覆い被さりながらわたしの髪を弄って遊んでいます。

 本来ならとても嬉しいシチュエーションの筈なのですが、わたしは香澄より体が小さい事もあって体重が伸し掛かるのがかなり息苦しいので勘弁して欲しいです。

 

 

「あぁ! お姉ちゃん優璃お姉ちゃんに何をしているの!」

 

 

 扉を開けてこの光景を目撃したパジャマ姿のあっちゃんが、素早く動いて香澄を背中から剥ぎ取ってくれました。

 ふぅ、呼吸も楽になりましたし助かりましたよあっちゃん、でも先程は扉をノックもせずにいつの間にか部屋に入って来てたよね、香澄もでしたが戸山家ではノックの習慣が無いのですか?

 

 

「もう、お姉ちゃんばっかりズルい」

 

 

 香澄を剥ぎ取った勢いで何故かわたしも仰向けに転がされ、更に何故か丁度お腹の辺りにあっちゃんは頭を乗せて横になってしまいました。

 

 

「ちょっと違うかも」

 

 

 何かが気に入らなかったのか体勢を立て直してわたしの左横にもそもそと移動してからわたしの腕を伸ばして腕枕の体勢で寝転んでしまい、おまけに伸ばした腕を自分の首に巻きつけて固定するという完璧さです。

 満足したのかその姿勢のままあっちゃんは携帯を弄り始めてしまいました。

 何ですかね、お風呂上がりで淡く漂う髪の香りといい温もりの色濃く残る体温といい、この妹は間違いなくわたしを殺しにきていますよ。

 

 

「ゆり、明日は頑張るからね」

 

「頑張らなくてもいいよ、りみりんとバンドがしたいっていう想いが出せたらそれで」

 

「りみりんの為に頑張っているゆりの思いに応えたいもん」

 

「りみりんだけじゃないよ、有咲の、香澄の為に頑張れるの」

 

「もう、格好良すぎだよ」

 

 

 居場所を取られた香澄がベッドの縁に腰を掛けながら気合いを口にしてくれる、それにしてもこんな尊いオタクの無茶振りにみんなが優しく乗ってくれている事には感謝しかない、だからりみりんの為になる事を信じて、明日はきっと……。

 

 

「優璃お姉ちゃんは相変わらずお姉ちゃんの為に頑張るんだね、私にはあまり構ってくれないのになぁ」

 

「あっちゃん、大事な妹の事は忘れていないよ」

 

 

 わたし達のやり取りを横目で見ていたあっちゃんが、拗ねた口調で不満を露わにしていますが可愛い妹の事をもう忘れたりはしません。

 ただあっちゃん、首に廻してある腕を時折甘噛みするのは止めてくださいね、その度に心臓がドキドキとしてしまいますのでね。

 

 

「じゃあ優璃お姉ちゃん、今日は私の部屋で一緒に寝てね?」

 

 

 えっと何を急に言い出したのですかこの妹は?

 体を動かして上目遣いでお願いとか、わたしが男だったら確実に昇天してしまう台詞ですよ小悪魔系にも程があるってものですよ。

 

 

「あっちゃん駄目だよ、今日は久しぶりにわたしの部屋に泊まる予定だもん」

 

 

 香澄が腕を組んでお姉さん風に言っていますが、そもそもそんな約束はしていませんよね?

 

 

「いっつもお姉ちゃんの部屋じゃん、たまには私も優璃お姉ちゃんと一緒に寝たい」

 

「お姉ちゃんも久しぶりだからね、これは譲れないよあっちゃん」

 

 

 わたしを挟んで姉妹が火花を散らしておりますがどちらの部屋にも泊まったりはしませんよ、明日が本番なのにそんな事態になったら緊張して安眠など出来そうにもありませんのでね。

 

 

「いや明日の為に今日は帰るよ、お泊まりはまた今度ね」

 

 

 二人が同時にえー、と不満気な声を上げる、こういうところは息がぴったりと合っていて流石は姉妹だなぁと思ってしまいます。

 良いタイミングなので立ち上がり帰ろうとしたら、何故か香澄が自分の枕を抱えて一緒に立ち上がりました。

 

 

「もうしょうがないなぁ、それじゃ行こうか」

 

「ちょっと待ってお姉ちゃん、私も枕を持って来るから」

 

「いやいやお待ちなさい、そこの美人姉妹はいったい何をする気なのかな?」

 

 

 二人は同時に首を傾げて不思議そうな表情を見せてくれていますが、まさか、まさかですよ。

 

 

「ゆりが帰るって言うから仕方なく泊まりに行こうかなって、ねぇあっちゃん?」

 

 

 えっと二人共、わたしの話をちゃんと聞いてくれていたかな?

 あっちゃんもこくこくと頷いていますけれど香澄の天然とは違って絶対に確信犯でしょ、駄目ですよひとつのベッドに川の字で寝るなどわたしの心臓が爆発して死亡確定の未来が見えるので絶対に無理です。

 

 

「わたしの部屋はシングルベッドだから三人で寝るとか無理だよ、明日の為にも今日は諦めようね」

 

 

 わたしの説得を受けて香澄が眉間に皺を寄せて枕を強く抱きしめました、何とかこれで諦めてくれたら良いのですが。

 

 

「確かにゆりのベッドだと三人は無理だね、仕方がないからやっぱりわたしのベッドでみんなで寝よう」

 

「それしかないよねお姉ちゃん、優璃お姉ちゃんには私の枕を貸してあげるから私は優璃お姉ちゃんを枕にするね」

 

 

 何故に人の話を聞いてくれないのですかねこの姉妹は?

 あぁ神様、信心深くは無いので毎日のお祈りはしておりませんが少しは助けてくれませんかね?

 

 

 




 
オリジナル展開とはいえ、十万字近く書いてアニメ一期の三話分もこなしていないという事実に絶望しました。


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20.独りじゃないから、一人じゃないから

 

 

『オペレーションチョココロネ』

 

 牛込(うしごめ)りみにバンドをさせたい委員会(会員一名)によって秘密裏に立案された本作戦は、周辺勢力の助力も有り順調な推移を見せていた。

 本作戦の最終目標は、あくまで対象者の自立による音楽活動の開始であり強要等の強引な手法は用いない事を前提としている。

 あくまでも目的は誘導であり、決して委員会の欲望を叶える為だけの手段で無い事は予め確認済みである。

 そして満を持して決行日を迎える事が出来たのは僥倖であり、私としても本作戦の成就を願っているのは間違いない。

 だが忘れてはならない、経験豊富な先達とは違い私達はあまりにも作戦遂行には素人である事を、例え魂が削り取られ孤高に叫び出したくなろうとも光放つ新世界の扉が開くその時まで、我らは決して血に塗れた歩みを止めてはならないのだ。

 

 全ては、尊き世界の為に……。 

 

(著、花咲川女子学園高等部 一年B組 市ヶ谷有咲)

 

 

 

「優璃さん」

 

ひたい、ひたいって(痛い、痛いって)

 

「勝手に人の名前を騙って変なレポートを書かないで頂けます?」

 

 

 休憩時間の一年B組でしおらしく自分の席に座っていた有咲に、左耳を引っ張られながら顔を近付けられて小声で凄まれております。

 せっかく授業中に必死に書き上げた文章を見せに来たのですが、有咲が普段とは違う口調を使っているところを見ると、どうやら未だにクラスの中では擬態である有咲猫を被り続けているみたいですね。

 B組のみなさーん、この猫被りは化けの皮を剥ぐと只のツンデレ金髪ツインテールの残念系美少女なんですよぉ、って充分過ぎるポテンシャルだったわ。

 

 

「心配しなくてもそこまで緊張はしていないから」

 

 

 耳から手を離して片肘で頬杖をついた有咲は、気怠そうな表情をしながらもあっさりとわたしの真意を見抜いてしまった。

 そういえば普段の雰囲気から忘れていましたが、確か有咲は学年主席くらいの学力がありますから洞察力はそれなりに有るのかもしれないね。

 

 

「どちらかと言うと、わたしの方が緊張しちゃっているかも」

 

「何それ、お前が緊張しても仕方がねぇだろ?」

 

「まぁそうなんだけどね」

 

 

 作戦などと高尚な言い方をしたって、今回のイベントはノリと勢いで突っ走るだけの計画性の欠けらも見えない代物だ。

 いや例えどれだけ綿密に計画を建てたところで所詮は絵に描いた餅でしかなく、秋の空模様のように移ろいゆく他人の心情なんてとても予測が出来る筈も無いのだけれど。

 

 

「そもそも何でりみにそんなに拘るんだ? まぁ私の時も多少強引だった気はするけどな」

 

「もし本当に嫌だったらそれでも良いんだ、でもりみりんや有咲はそうじゃない気がしたの……ってこれは言い訳だよね。本当はただ見たいだけなんだよ、香澄と有咲とりみりんが一緒にバンドをしている姿を」

 

 

 自分の考えが正しいだなんて思ってはいない、でも待っているだけで望みが叶うとも思ってはいない。

 自分の足で歩き出さなきゃ、どれ程の時が過ぎようとも瞳に映る景色が変わる事は無いのを知っているから。

 

 

私は優璃とも一緒に……

 

「んっ? 何か言った有咲?」

 

「何でもねぇ」

 

 

 頬杖で支えていた顔をふいっと逸らされてしまいましたが、有咲の紅く染まった顔色から察するにきっと照れながらもわたしを励ます言葉を掛けてくれたのでしょうね、本当に優しい女の子ですよ。

 

 

「とにかく、今回の事が失敗したってメンバーが三人からニ人に戻るだけでゼロになる訳じゃないだろ、りみとは友達なんだからどう転ぼうがもう私達は『一人きり』に戻る事は無いんだからな」

 

「ほほぅ、有咲それって……?」

 

「訊き返すな、いいから早く香澄の所へ戻れよな」

 

「うん、色々とありがとうね」

 

(うるさ)い、ウザい、早く行け」

 

 

 背中に掛かる棘のありそうな言葉も優しさの音色を奏でていた。

 そうだよね有咲、もうわたし達はひとりじゃないし、りみりんだって決して独りきりにはさせたくないから。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 放課後の夕陽に染まるライブハウスCiRCLEに併設してあるカフェテラスで、今回の主役であるりみりんと待ち合わせをしております。一応の名目上はわたし達がグリグリの練習を見学したいという事でCiRCLEに集合となっているのです。

 バンド入りを断ってからわたし達の輪に近寄り難そうにしていたりみりんですが、お姉さんのゆりさんからわたし達の面倒を見るように頼まれてはなかなか断れないという事は計算済みなのですよ。

 

 

「優璃ちゃんお待たせ、香澄ちゃん達は?」

 

「どうやら香澄達は待ちきれずに先に入っていったみたいだね」

 

「ふふ、香澄ちゃんらしいね」

 

 

 制服姿のりみりんがいつも通りのふんわりとした笑顔を見せてくれていて何だか申し訳ない気分になりますが、これからの一大ドッキリ企画の為には心を鬼にしなければなりません。

 緊張を隠しながらお店の中へと入り、いよいよリセットボタンもセーブポイントも無い一発勝負の大芝居の始まりですよ。

 受付に居るまりなさんに目配せしてからりみりんの手を引いて、練習スタジオではなくライブ用のスタジオに向かって歩き出した。

 思わぬ方向へと歩くわたしに戸惑いながらそっちじゃないよと言ってくれるりみりんへ、なるべく感情を表に出さない様にして今日はこっちみたいだよと応える。

 わたしの心臓は驚く程に早鐘を打ち鳴らし、りみりんの顔さえもまともに見れないくらいに緊張しているけれど、結局あの精神世界ではりみりんの手を掴めなかった事を忘れてはいないから、いま握り締めたこの手を見失いたくはないし絶対に離したくもないのです。

 

 普段より重く感じる扉を開けて薄暗い部屋に入ると、ステージの上で眩いスポットライトに照らされた制服姿の女の子が二人、深紅の星型ギターを装備した香澄とその斜め後方にはキーボードと共に有咲の姿が浮かび上がっていた。

 

 

「優璃ちゃん、これって?」

 

「りみりん、ライブを観よう」

 

 

 りみりんの背中を押して部屋の中央まで連れて行き、後から抱きしめる形で逃げられない様にした。

 後は主人公たる香澄、それに相棒たる有咲を信じるしかない。

 いや違う信じるんじゃないわたしは確信しているんだ、どれだけジグザグで大変な道であろうとも香澄達なら未来への道程を決して見失ったりはしないって。

 

 静寂に包まれたステージに立つ二人は、柔らかく瞳を閉じていた。

 誰かを想うように、何かを伝えたくて、何かを知って欲しくて。

 そのまま数度の深呼吸の後、香澄は瞳を開けてスタンドマイクの前に歩み寄った。

 わたしも香澄が歌うのを見るのは初めて、少し興奮して身体が震えてしまうよ。

 さぁ行こうみんな、煌めく星空は無いけれどわたし達だけの空を切り開いていこう!

 

 

ーーライブハウスCiRCLEへようこそ!

 

 

 マイクを通して初めて聴く声は、どこまでも優しくて伸びやかだった。

 やっぱりステージに立つ香澄は何処か特別だ、いつもは明るい天然系だけど今の姿は世界中の誰もが一瞬で恋に落ちちゃう様なポップでゴキゲンなロマンティック女子だよ。

 

 

ーー聴いてください! トゥインクル・スターダスト!

 

 

 スタンドマイクから半歩下がってピックを構えたのを合図に、有咲がキーボードで優しく伴奏を始めた。

 ピアノの経験は有ってもキーボードの経験は無いって言っていたのに、その指先は踊るように滑らかな動きをしている、口にしないだけで沢山の練習をしてくれたんだろうなと思うよ。

 やがてキーボードの音色にタイミングを合わせるように香澄がピックを振り下ろすと、アンプから唸るようなギターの叫び声が流れ始めた。

 まだ三つのコードだけの演奏なのに、充分に聴ける仕上がりになっているのはグリグリの人達が色々とコード進行を考えてくれたからと聞いている。

 そして何より、香澄達がりみりんの為に必死になって練習をしていたのも知っている。

 

 

トゥインクル♪ トゥインクル♪ ひーかーるー♪ おーそーらーでーひーかーるー♪

 

 

 香澄の歌声は綺麗というよりかは暖かくて、心の深いところが何だかゆっくりと溶かされていきそうだった。

 伸びやかな声を支えるようなランダムスターの音色が気持ちいい、深紅の星型ギターはそこに有るのが当然みたいな顔で香澄の胸元に収まっていた。

 

 

わーたーしーはーうーたーうー♪ どーきーどーきーしーてーるー♪

 

 

 りみりんを抱きしめている腕を離して隣に並んだ、この演奏を彼女がどう感じてくれているのかはわからないけれど、夢中でステージを眺めている横顔は観客というよりは演者の視線で観ている表情に感じる。

 

 

トゥインクル♪ トゥインクル♪ ひーかーるー♪ おーそーらーでーひーかーるー♪

 

わーたーしーのーうーたーがー♪ とーどーくーとーいーいーなー♪

 

 

 有咲がしっかりとリズムキープをしてくれているおかげか香澄も落ち着いてギターを弾けているみたいだ。

 二人とも素敵だった、踊っている訳でもないのに音楽をするのが楽しいという想いが輝きと煌めきとなりながらその身から放たれ暖かな音を紡いでいく。

 

 

ぐーるーぐーるーまーわーるー♪ おーそーらーのーほーしーよー♪

 

 

 演奏が終わりギターの減衰していく残響が暗闇の中へと吸い込まれステージの上には再びの静寂が訪れた。

 ステージには三つのスポットライトが光の柱を造っていた。

 ひとつは香澄、もうひとつは有咲、そしてもうひとつにはピンク色のボディも可愛い四弦ベース、ゆりさんに持って来てもらったりみりんの愛用ベースを照らしている。

 ステージの最前に立った香澄がりみりんに笑顔で語り掛け始めた。

 

 

「りみりん! びっくりしてくれた?」

 

「もう香澄ちゃん、色々と手が込み過ぎだよ」

 

 

 頬を掻いて照れ隠しをしている香澄を見つめるりみりんの表情は、苦笑いながらも何だか楽しそうだ。

 

 

「やっぱり本番って緊張しちゃうね、いっぱい練習した筈なのにいっぱい失敗しちゃったよ」

 

「香澄ちゃん、だから私には……」

 

「でもね、後に有咲が居るって思ったら何だか頑張れたの、自分には仲間が居るって自分は独りじゃないって思えたから最後まで頑張れたんだ、だからりみりんが居てくれたらきっともっと心強いと思うしりみりんにもそう思って欲しい」

 

 

 香澄が勢いよく右手を差し出した。りみりんにとってもpoppin'party(ポピパ)にとっても大事な架け橋となる連結器、その手を取ったらきっと何処まででも走れるし何時までだって夢が見れるに決まっている。

 そっとりみりんの背中に両手を添えた、もうきっとりみりんは気付いていると信じてるから後は少しの勇気を載せてあげるだけだ。

 

 

「りみりん、怖いと思う時には周りを見て、横にも後にも観客席にもいつだってわたし達が居るから。何度だって躓いたって良いじゃん、みんなで失敗を笑い飛ばしながら行こう」

 

 

 貴女はこちら側に居るべき人じゃないから、だから最初の踏み出しはわたしからのプレゼントだよ。

 小さくほんの僅かに頷いてくれたのを見届けてからそっと両手でりみりんの背中を押すと、一瞬だけこちらを振り向いてから香澄達の方へ歩み寄って行った。

 そうだよりみりん、ポピパのみんなを側から眺めて百合百合しい気分に浸るのはわたしの役得なのですからね、これは誰にも譲る気は無いのですよ。

 

 

「だから……楽しもう、りみりん」

 

 

 香澄の手を取ってステージへと上がったりみりんは自らのベースを装備すると手早くチューニングを済ませてふぅっと息を吐き出すと香澄達に向かってしっかりと頷いた。

 やがてアンプからベースの低音が響きだす、音符という名前の小人さん達が規則正しく行進しているようなビートだけど、所々で跳ね回る小人さんの遊び心がとても楽しい、思っていたよりもりみりんってベースが上手で驚いてしまったよ。

 りみりんのベースに有咲のキーボードの音色が重なる、それを見つめていた香澄に二人が合図を送り香澄もスタンドマイクの前に立ってギターを構え、軽く深呼吸をしたステージの三人が観客席に立つわたしに視線を向けてくれた。

 その視線に応える為に右手を勢いよく突き出した、勿論親指は全力で天に向けてね。

 

 

「やったね、ゆっちゃん」

 

「ゆりさんも色々と有難う御座いました、りみりん大丈夫ですかね? ちゃんとした答えは訊いて無いですけど」

 

「りみの顔を見たらわかるよ、何か吹っ切れた表情をしているからね」

 

「そうですか……」

 

 

 香澄と有咲の演奏にベースという土台が加わった事でそれぞれの音が混じり合う感覚がさっきとは段違いだった。

 ステージベースを奏でているりみりんも本当に楽しそうな顔をしている、どうやら『オペレーション・チョココロネ』は何とか成就してくれそうですね。

 安堵感からふうっと身体から力が抜けてしまいそうですが、何とか堪えてゆりさんと三人の演奏を眺め続けた。

 

 

 独りじゃないから、周りにはキミを見ている仲間が居るから。

 

 一人じゃないから、躓いて転んでもきっと誰かが手を引っ張ってくれる筈だから。

 

 ひとりじゃないから、誰かの手を引いてあげたいと思えるんだ。

 

 

 りみりんの精神世界でパン粉の砂地に飲み込まれる時に最後に聞いた彼女の心の声を、わたしは信じきる事が出来て本当に良かった。

 

 

 その時にわたしの耳にはハッキリと聞こえたんだ。

 

『それでも私は、みんなとバンドがしてみたい』

 

 力強い、確かな想い、恥ずかしがり屋さんの奥底に眠る素直な感情がね……。

 

 

 

 



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21話.責任と青春の狭間で

 

 

 今回の作戦はりみりんのバンド加入という形で無事に幕を降ろす事が出来た。

 しかしあまりにも事が上手く運び過ぎるので、もしかしたらわたしにも物語の主人公的な運命補正力でもあるのではないかと少しだけ調子に乗ってしまいそうですよ。

 香澄達とステージの後片付けをしている間も笑顔が止まりません、床を滑るモップも心なしか普段より踊るように軽く感じられてしまいますね。

 

 

「あんた達、ちょっといいかい」

 

 

 やたらと落ち着いて据わった声が聞こえてきて思わず体が固まってしまいました。調子良く浮かれまくっていた頭にまるで冷水を浴びせ掛けられた気分のまま、ゆっくりと声のする方へ視線を向けると詩船オーナーが杖を付いた姿勢でこちらに鋭い視線を送っています。

 雰囲気からするとお怒りになられているのでしょうか、マズイですよ表情に笑顔の一欠片すらも伺えません。

 

 

「まったく、此処はライブハウスで学芸会の発表をする為の場所じゃないんだよ」

 

「いや、あのオーナー……」

 

 

 言い訳を述べようにも何も言葉を紡ぐ事が出来ない、確かに言われている通りでライブハウスのステージを私用で好き勝手に使っていた事は否定しようもない事実だ。

 急いでオーナーの元に歩み寄る、これはわたしがひとりで考えて行った事なのだから叱られるのはわたしだけで良い、何とかみんなには迷惑が掛からないようにしないと。

 

 

「オーナー、これはわたしが」

 

「月島から聞いているよ、あんたが言い出したんだってね」

 

「そうです、だから悪いのはわたしだけなんです」

 

「誰も悪いなんて言ってはいないさ」

 

 

 わたしを見つめるオーナーの視線が鋭さを増して心の中に突き刺さるみたいに痛いけれど、視線を外したら駄目だ。

 

 

「音楽はやりたいヤツが好きにやれば良い、ただ此処はライブハウス、観客を相手にステージを魅せる場所なのさ、勘違いをしてもらっちゃ駄目だね」

 

「それは……御免なさいです」

 

「だからあんた達にはペナルティーを受けてもらうよ」

 

 

 心配したのかみんながわたしの後方に集まって来てしまった、駄目だよこの責任はわたしだけが被るの、みんなには関係ない。

 

 

「あんた達がバンドを組んでこのステージに再び立ちたいのなら、その前に私のオーディションを受けてもらう、それが今回のペナルティーだ」

 

「そんな待ってくださいオーナー、罰ならわたしだけが受けますから、みんなは悪くないから」

 

「確か美月(みづき)だったね、あんたは何も解っちゃいない。行動には責任が伴うという事も、自分が起こした事で周りにどんな影響があるのかも」

 

 

 俯いて両手の拳を強く握りしめる、本来なら周りを楽しませるのが道化師の役割なのに自分の浅はかな行動のせいでみんなに迷惑を掛けてしまうなんて情け無い、これじゃ調子に乗った只の子供(クソガキ)でしかないじゃない。

 

 

「わかりました、絶対にわたし達はオーディションに受かってみせます!」

 

 

 力強い言葉に驚いて顔を上げると、いつの間にかわたしとオーナーの間に香澄が割って入っていた。

 

 

「受かれば良いんだろ、面白そうじゃねぇか」

 

「わ、私も頑張ります!」

 

 

 両隣りを見れば有咲とりみりん、三人とも揺るがない視線をオーナーに向けていた。

 

 

「良い返事だ、その時が来たならいつでも声を掛けな」

 

 

 少しだけ微笑んだオーナーはわたし達に背を向けるとゆっくりと出口に向かって歩き出した。

 

 

「美月!」

 

「はひっ⁉︎」

 

 

 急に歩みを止めて名前を呼ばれた事で、展開に思考が追いついていなかったわたしは思わず間抜けな返事をしてしまった。

 

 

「後悔をするのならやりきった後に存分にすれば良い、どんな結末を迎えるかなんて走り始めたばかりのあんた達に解る訳がないだろう」

 

 

 オーナーが杖を右手で強く床に打ちつけると静寂に包まれた部屋の中に甲高い音が響き渡り、その衝撃波がまるで弾丸の様にわたしの胸を撃ち抜いて通り過ぎていく。

 

 

「だから俯かずに顔を上げて周りを見な、自分が押した背中達がどんな音を紡いでいくのかをあんたは最後まで見守る義務がある筈だ、それが行為の代償である責任ってやつなのさ」

 

 

 有咲とりみりんが肩に手を添えてくれる、香澄も振り向いて力強い瞳のまま頷いてくれた。

 参りましたよ、自分が何とかするとか責任を取るとか本当に調子に乗って自惚れていたみたいだ、結局はわたしの方がみんなに支えられているなんてね。

 肩の力を抜いて息を吐き、みんなを見渡してから再び大きく息を吸い込んだ。

 

 

「はい! 必ずみんなをステージに立たせてみせますよ」

 

「まったく引退したっていうのに、これはどうやら月島に上手く乗せられたようだね」

 

 

 オーナーは此方を振り向かないまま再び歩き出した、その背中を四人で見送りながらわたしは暗く底の見えない天井を仰ぎ見た。

 

 

 

 きっとこれからも誰かを助けようとしたり、男だった癖に情け無く誰かに助けられたりもするのだろう。

 わたしは英雄(ヒーロー)でも主人公(ヒロイン)でも無い。

 だから何度だって転んだって良いんだ、顔や服が泥だらけになったって肘や膝を擦りむいたって、その痛みが自分は歩いているっていう証になってくれるのだから……。

 

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「あう、あうぅぅ」

 

「はい優璃、何よさっきからどうしたの?」

 

 

 実家のダイニングテーブルに突っ伏したまま唸っているわたしに、瑠璃(るり)姉さんがミルクたっぷりの温かいカフェオレを差し入れてくれました。

 はぁもう今日の取り乱した自分を思い出していたら、情け無いやら恥ずかしいやらで顔が赤色矮星の様に赤くも熱くもなるってものですよ。

 

 

「何かさぁ、格好つけても自分はまだまだお子ちゃまなんだなぁって」

 

 

 一連の出来事を説明すると、眼鏡姿の姉さんはマグカップを両手で包み込みながら優しく微笑んでくれた。

 

 

「でも良かったじゃない、そのりみりんていう娘もバンドをしてくれる事になったのでしょう」

 

「そうなんだけど、結局わたしがやった事でみんなに迷惑を掛ける形になったし、もうちょっと格好良く決めたかったというか」

 

「優璃が色々と考えて頑張った事がちゃんと伝わってみんなが一歩を踏み出す切っ掛けになったのならそれで充分じゃない、例えそれが格好悪い姿だって結果としての価値は変わらないわ、それにね……」

 

 

 カフェオレの入ったマグカップを口に運んでから姉さんは言葉を続けた。

 

 

「どんなに無様な姿でも現実的では無い無茶だと思える行動も、友達の為なら損得なんて考えずに走れてしまう。それはきっと今という時期しか出来ない事だから、恥ずかしいとかそんな事は大人になってから思い出として語れば良いのよ、だからまだまだ走り続けなさい。青春ってきっとね、馬鹿馬鹿しい事を全力で楽しめる時間なのだと思うわ」

 

 

 優しく頭を撫でられる、本当に姉さんは大人なのにわたしは駄目だなぁ、解ってはいるけれど何だかちょっと悔しくて情け無い気分になるや。

 

 

「青春か……ところで、何でしれっと隣に香澄が座っているのかな?」

 

「えっ⁉︎ 何と言っても瑠璃さんは姉としての見本だからね」

 

「いや質問の答えになってないし」

 

 

 何故か香澄が当たり前のように隣でカフェオレを啜っておりますが可笑しいですね、今日は我が家に誘った覚えはまったくないのですが?

 

 

「御免ね香澄ちゃん、優璃が色々と無茶をしたら宜しくね」

 

「任せてください、わたしがちゃんと側で見張っていますから」

 

「おやおやお二人さん、わたしのイメージが少しオカシクないですかね?」

 

 

 二人が楽しそうに笑っていますが何なのですかね、本来なら暴走キャラは香澄でわたしが抑え役になる立場の筈ですよ。

 

 

「ところで香澄ちゃん、お風呂は入ってきたの?」

 

「いえまだです。着替えは持って来たのでゆりと一緒に入ってしまいますね」

 

「いやいやいやいや香澄さんや、ツッコミドコロが満載だけどとりあえず何故にお泊りが確定しているのかな?」

 

「別にいつもの事だよ? それよりも早くお風呂に入ってしまおうよ、今日は色々と頑張ったから疲れたでしょ?」

 

 

 香澄と一緒にお風呂……?

 香澄の全裸? 香澄の胸? 香澄のお尻? 香澄の……。

 いやいやいやいやそんな事になったら目が血走って鼻息も荒くなるから、間違いなく挙動が怪しくなり過ぎて変に思われるから無理ですわ。

 

 

「か、香澄さん、わ、わたくしお風呂は一人で入りたいお年頃なんですぅ」

 

「えー、中学生まではよく一緒に入ってたじゃん」

 

「そうなの香澄ちゃん聞いてよ、優璃ったら最近は恥ずかしがって一緒に入ってくれないの、お姉ちゃんもねすっごく寂しく思っているのよ」

 

 

 わたしは男だった時でもひとりでお風呂に入るのが好きだったのですが、もしかして女の子同士は一緒にお風呂に入るとかが当たり前の世界なのですかね?

 正直に言ってしまえば確かに香澄の裸は見たいですけれどそんな度胸はありません、わたしは純真なのですよ決して臆病者という訳ではないのですよ!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 お風呂から上がって部屋に戻ると、薄暗い照明の中で白いスウェット姿の香澄がわたしの勉強机をじっと見つめていた。もしかしたらお風呂に乱入してくるかとも思って戦々恐々としていましたが、どうやら大人しく部屋で待っていてくれたようですね。

 

 

「照明もっと明るくしたら良いのに、何を見ているの?」

 

 

 香澄に声を掛けながら窓際まで歩いてカーテンを開ける、今日は空が澄んでいていつもより綺麗な星明かりが世界を明るく照らし出していた。

 

 

「ゆり、これを見て」

 

 

 香澄は机の前壁に貼っているコルクボードに色々な写真と共に飾ってあった星型のイヤリングを手に取ると、愛おしそうに両手の掌に乗せたままわたしの横に並んだ。

 

 

「覚えてはいないと思うけれどこれはね、半分しか無い半端なイヤリングなんだ」

 

 

 確かにずっと不思議には思っていました、片方しかないのにわざわざビニール袋に入れてまで大事そうに飾ってあった事が。

 

 

「これのもう片方はわたしの部屋にあるんだよ。昔にね、わたし達は二人で一つだよって一組のイヤリングを片方づつ持ち合う事にしたんだ」

 

「そうなんだ、ゴメンねそんなに大切な事を忘れちゃってて」

 

「それは仕方ないよ、だからまたイヤリングに約束してくれる? わたしとゆりはこれからも大切な友達で最高の幼馴染みだって」

 

「約束しますよ、このイヤリングに誓ってね」

 

 

 窓から差し込む星明かりに照らされながら香澄は心から嬉しそうな笑顔を作った、淡く光るその表情は本当に可愛いくて、この笑顔を守りたいって本気でそう思えてしまった。

 

 

「あっそうだ香澄、ちょっと手を貸してくれる?」

 

 

 香澄は少し恥ずかしそうに手を差し出してくれた、いやせっかくなのでわたしの特殊能力を試してみようかと思っただけなのです、決して香澄の内面を覗いてみたいとか下衆な欲望を発揮している訳ではないのです、あくまで研究の為であり能力の把握をする為の実験なのですよ。

 心を落ち着かせてからゆっくりと香澄の柔らかい手を包み込む、すると……。

 

 

「あれっ?」

 

 

 再び握り直してみる、二度、三度と握り直してみる……。

 

 

 マジで、か、み、さ、ま、ゆ、る、す、ま、じ!

 

 

 手を握っても全く能力(スキル)が発動しねぇじゃん、任意で使えないなんてとてもじゃないけれどチートとは呼べねぇぞ神様テメェ!

 

 

「もう、ちゃんと離れないように握ってよ」

 

 

 指を絡めてしっかりと握り締められてしまいました、あのぅわたしこの握られ方はとっても恥ずかしくて少し苦手なんですけど。

 

 

「これからもちゃんとわたし達を……わたしを見ててね、ゆり」

 

「もちろん! ちゃんとみんなをステージに立たせるってオーナーにも約束しちゃったし、これからも全力で頑張りますよぉ」

 

 

 香澄を、poppin'partyのみんなを絶対にあの輝くステージに立たせてみせる、そんな小さな夢とも言える新たな決意を大切な幼馴染みの横顔に誓った。

 

 

「ゆりの……バカ……」

 

 

 えぇっ⁉︎ さっきまで最高にほのぼのとした雰囲気に包まれていた筈ですよ、何故にわたしは急に怒られているのでしょうか。

 ちょっと神様、女の子が見せる急な機嫌の変化って、女の子になってみても少しも理解が出来ないのですがどうしたら良いのか教えて貰えませんかね?

 

 

 

 




 香澄さんの暴走キャラを優璃さんに移植してみたら、どうやら香澄さんが只の美少女ヒロインになってしまったようですが果たして許されるのであろうか。


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22.初めてだけど初めてじゃないお泊まりの夜

 

 

 やっぱりですね、こうなる事が解っていたので今まで必死になって避けてきたのですよ。

 

 

「何かすっごく久しぶりだね、こうやって一緒に寝るの」

 

 

 鼻から下を掛け布団で隠した香澄が、テンションも高めな声を出しながらこちらに顔を向けております。

 仰る通り優璃と香澄にはよく有った出来事なのかもしれないですが、わたしにとっては美少女と一緒に就寝をするなんて初体験な訳でして、それはもう間違いなく緊張をして眠れそうもなくなるのは自明の理だったのです。

 ベッドに一緒に入り仰向けに並んで寝そべる、ただそれだけの行為で血圧の数値が何十か跳ね上がってしまったのではないかと思うくらい鼓動の強さがハッキリと感じられてしまいますよ。

 

 

「そう言われてもわたしには記憶が無いからなぁ」

 

 

 無意識に呟いた言葉にむむぅと不満気な声を漏らした香澄は、わたしの肩を掴んで身体を無理矢理に横向きにさせてしまった。

 横向き同士で向かい合う形になった目の前には上目遣いの恨めしそうな顔、あっちゃんがよく見せてくる小悪魔的な可愛いさの上目遣いとは違って香澄のはどこか甘えた、油断しきった表情で見つめてきている。

 大きな瞳から覗く長いまつ毛や拗ねたように少しだけ突き出した唇、いつもの無邪気な表情からは程遠い魅惑的な雰囲気に、わたしはまるで魂を抜かれてしまったように香澄の顔から目を逸らす事が出来なくなってしまった。

 閉め忘れていたカーテンの合間から弱々しく差し込んでくる星明かりの照明のおかげで、部屋の中は決して真っ暗な闇という訳でもないのですが、お互いの息遣いしか聞こえてこない暗がりの中でも香澄の潤んだ瞳だけが何かを主張するかのように浮かんで見えて、なんだか胸の奥底を緩く締め付けられているみたいに少し息苦しいです。

 

 

「嫌かな? わたしは凄く嬉しいけど……」

 

「嫌な訳が無いじゃん、少し緊張しているだけだよ」

 

「嬉しいって言ってくれないと嫌です」

 

「我儘過ぎない? まぁでも少し安心してる、何でかはわからないけど」

 

 

 滅茶苦茶に緊張をしているのと同時に何処か心の奥底では安らぎを感じている事もわかる、もしかしたらわたしの中に残る優璃の残魂が不思議とそう感じさせているのかもしれないね。

 

 

「それなら許します、えへへ、確かにこうしていると安心するよね」

 

 

 香澄はわたしの手を取ると、自分の身体に押し付けるようにしてしっかりと握り締めながら瞳を閉じた。

 ちょっと待って香澄さん手に胸の弾力と暖かさが直接的に伝わってきていますよ、うわっ服やブラジャー越しでもわかる張りのある柔らかさ、マシュマロかなと思ったらそれよりも滑らかなふわふわの……えっとわたしの胸にはこんな感触は無いのですが大きさですか? 大きさ故のアドバンテージですかぁ?

 

 いやいやわたしの胸だってですね……おのれ神様許すまじ!

 

 まぁそんな事よりもこんなの意識するなと言う方が無理です。実際にいま押し付けられている手に意識が全集中してしまっているというのに、この感触を味わったままだと一向に眠気が訪れてはくれないと思うのですよ。

 

 ひとりでわたわたと慌てふためいていると、香澄から小さな寝息が流れ始めたのが聞こえた。

 ゆっくりと乱れのない寝息、その優しいリズムを聴いていたら溶けるように感情の荒波が穏やかになっていくのがわかる。

 それはそうだよね、始めたばかりの楽器を使ってやった事もないギターボーカルをやり切ったのだもの、わたしなんかよりも余程に疲れているよね。

 

 

「ありがとう香澄、わたしを助けてくれて」

 

 

 安らかな寝息をたてる香澄の寝顔は少し幼く見えてしまう程に安心しきった表情で……ってこれはやべぇ、呼吸が止まりそうになるくらい可愛いかもしれない。

 少しだけ開いた唇もとても柔らかそう、この顔を見合わせた距離だとちょっと動いたら触れてしまえるような、もしこのまま唇同士が触れ合ったのなら心の奥底にいったいどんな感情が湧いてきてしまうのだろうか。

 

 …………()めた。

 

 最低な思考を冷凍庫にぶち込んでキンキンに凍らせたくらいには冷めた。

 この安心しきっている幼い寝顔も、わたしに寄せる絶大な信頼も全ては以前の優璃に向けてのものだ。

 わたしは優璃の体を借りているだけの存在なのに、危うく香澄の信頼を自分に向けてのものと勘違いをしてしまうところだった。

 そんな程度の存在でしかない自分が、今まで優璃が長年に渡って築き上げてきた信頼を目先の衝動に身を任せて根底から崩してしまうなんて許されない、許される訳がない。

 もうわたしは四六時中エッチな妄想に浸る思春期の男子では無いのです、香澄の青春を陰で支える立派な親友に成らなければいけないのですよ。

 それが本来の優璃が体現する姿であり、香澄が求める幼馴染みの在り方なのですから。

 しかしそれにしても危なかったです、ノンケである香澄に迂闊な行為をして全てを台無しにしてしまうところでしたよ。

 油断して顔を覗かせた欲望という名の獣を退治して、わたしも寄り添うように体を寄せて瞳を閉じた。

 

 

 一緒に頑張ろうね、香澄……。

 

 

 それは兎も角としてですね、手には堪らない感触だし身体からは石鹸の爽やかな良い香りだしで、果たしてわたしは本当に眠る事が出来るのでしょうかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 微睡(まどろ)みの沼に浸かっていた意識が、優しくて暖かい感触によって(すく)い上げられるように覚醒していく。

 重い目蓋を上げると慈愛に満ちた表情で見つめている天使の顔、あれれ、わたしはもしかして再び死んでしまったのでしょうか。

 

 

「おはよう、ゆり」

 

「んにゅ、おはよう香澄」

 

 

 未だ意識が淡い(かすみ)の中を漂っているせいで、瞳も半目しか開ける事が出来ずにかなり間抜けな面構えのままで挨拶を返します。

 早朝とも言える時間帯だというのに、わたしとは違って香澄は本当に朝が強いと思うのですよ。

 

 

「それじゃ軽く家に寄って着替えてからまた迎えに来るね、ほらほら、ゆりも早く起きて学校に行く準備をしないと」

 

「はいはいって、もう香澄は何で朝からそんなに元気なの?」

 

「えへへ、内緒だよ」

 

 

 やたらと上機嫌な姿を見ていると羨ましく思えてしまいます、朝が弱い人間からするとこの時間帯に機嫌が良いなんて事はほぼ起きない事象ですのでね。

 

 

「それじゃ行ってくるね」

 

「はいはーい……って、ぐえっ⁉︎」

 

 

 突然にお腹に向かってダイブをされました。胃の中は空っぽなので良かったですが、危うく心臓が止まるかと思った程の衝撃でしたよ。

 

 

「もう! 行ってらっしゃいだよ」

 

「わがりまじだがら、がらだをどげでぐだざい」

 

 

 体をどけながら香澄はわたしの手を握ってベッドから引き起こしてくれた。

 そのまま立ち上がったわたしに優しく抱きつくと、先程までとはまるで違う小声で行ってきますと囁いた。

 男の時なら頭を撫でながら格好をつけて行ってらっしゃいと言うところなのでしょうが、今は香澄よりも背が低いので頭に手を乗せてみてもあまり様にはならないみたいです。

 それでも頭を撫でられて嬉しそうな姿を見ると、わたしも何だか幸せな気分になりますよ。

 

 

「行ってらっしゃい、香澄」

 

「うん、直ぐにまた来るね」

 

 

 わたしの体から離れて手持ちの荷物を掴むと、笑顔で小さく手を振りながら部屋を出て行った。

 さてわたしも準備をしようかなと首の辺りをポリポリと掻きながら姿見を覗くと、髪は寝癖で跳ねているし部屋着のジャージは胸の辺りまでチャックが下りていたりと非常にだらしない格好になっていますよこれは、流石にこんな姿を見られていたかと思うと恥ずかしくなってしまいます。

 ありゃりゃ、それに首を掻きすぎたのか少し紅くなっていますね、まぁこの程度なら直ぐに消えてくれそうなので問題無しですが、もうちょっと女の子らしくお淑やかにならないと香澄に呆れられてしまいそうで少し不安になってきましたよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 窓際の席に座っていると背中に柔らかな春の日差しが降り注いできてとても暖かくて気持ちが良いです。

 しかしそんな幸せな気分とは裏腹に、まさか授業の課題にしてこれ程までに高い壁に阻まれる事があるのかとわたしは憔悴してしまっていた。

 

 物事を成すのに集中力というものは非常に重要な意味を持っている。

 視界から脳へと送られた情報は、高度に処理された信号へと変わり手足を動かす命令となる。その際に集中力というものが伝達を早める潤滑油の様な役割を果たしつつ、その度合いが深まる程に処理スピードと正確性も加速度的に増していくのだ。

 つまりこのミッションは……。

 

 

「はい、無理ゲーです」

 

 

 家庭科の実習でポーチの制作をしているのですが、裁縫をしようにも余りにも手先が不器用過ぎて作業はまるで進まず、僅かに残っていた集中力という名の根気がまるで砂漠に水を撒いたかの如く呆気なく蒸発してしまったようです。

 

 

「ゆり、早々に諦めずに頑張る」

 

「ふにゅ、沙綾は器用に何でも出来そうだなぁ、裁縫まで上手だしパンも作れるみたいだし」

 

「まだ小さな弟や妹もいるからね、家事は頑張って覚えている最中なんだ」

 

 

 向かいの席に座る沙綾はあっという間にポーチを作り終え、沙綾の横に座るりみりんも苦戦をしながらも順調にポーチが出来上がりに近づいている模様です。

 

 

「沙綾が居ればわたしが裁縫を出来なくても別に問題は無いんじゃないかな? という訳で沙綾をみんなで嫁に貰おう」

 

「優璃ちゃん、現実逃避をし過ぎて理論が滅茶苦茶だよ」

 

 

 りみりんに冷静にツッコミを入れられましたが仕方がないのです。とても時間内に課題を終わらせられる気がしないのですよ。

 

 

「それだったらゆりがお嫁に来たらいいんじゃない? 私が家事をしてゆりがお店番するとか」

 

「ふむ、それも有りか」

 

「えー駄目だよぉ、みんなで同じ学校に進学して部屋も借りてみんなで住もうよぉ」

 

「香澄ちゃん私達まだ高校一年生だよ、ちょっとだけ気が早過ぎると思うな」

 

 

 今日はりみりんのツッコミがやたらと切れ味が良いですね、いやそれよりもわたし達四人が座る作業台の大部分を占拠している物体が大問題なのですよ。

 

 

「あの香澄さんや、流石にギターケースを入れる袋って規模が大き過ぎると思うし、ケースを更に袋に入れるってそもそも意味が無いんじゃないかな?」

 

「えぇっ⁉︎ 可愛くない?」

 

「あはは、流石に無理があるんじゃないかな」

 

「さーやまで! もう絶対に作るもん、わたしのランダムスタ子ちゃんを入れる可愛い袋を」

 

「香澄ちゃん、ギターケースに名前を付けているんだね……」

 

 

 三人で苦笑いをしていると、香澄が瞳を見開きながらムキになってランダムスタ子の魅力を語り始めてしまいました。いやこれってわたしのポーチよりも余程に無理ゲーでしょ、裁縫というレベルを超えていて終わりを全く想像する事が出来ないわ。

 

 

「はい時間です、課題が終わらなかった人は放課後に居残りで製作をしてくださいね」

 

 

 先生が手を叩きながら時間切れを告げると教室からあぁっ、という三つの断末魔の声が上がった。

 二つはわたしと香澄、最後の一つは遠くの席に座っていた腰まで届く絹糸のような美しい黒髪の女の子『花園(はなぞの) たえ』ちゃんだった。

 よくよく見れば、たえちゃんの机にもギターケースが置いてありますね、まさか香澄と同じくらいやべぇ発想をする人間が他にも居る事に普通は驚きそうなものですが、わたしは花園たえちゃんをよく知っているので然程には驚いたりはしません。

 そう、たえちゃんは香澄達が作る事になるバンド『poppin'party(ポッピン パーティー)』のリードギター担当になってくれる筈の女の子なのです。

 美しい黒髪に160cmを優に超える身長、端正な顔立ちにスレンダーな体からすらりと伸びた長い手足と、見た目はモデルと言われても納得の女の子です。

 ただその独特な感性ゆえにゲームをプレイしていたユーザー界隈では、黙っていればバンドリでも最上位クラスの美女という褒めているのか何なのかよく解らない称号が付与されていたのを覚えています。

 

 

「あらら、二人ともご愁傷様だね」

 

「二人とも大丈夫だよ、やっていればいつかは必ず終わるからね」

 

 

 すっかり油断をしていたわたしと香澄は、沙綾とりみりんの慰めの言葉に只々こうべを垂れながら力無く頷くしかなかったのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 遠くから微かに届く部活動に励む生徒達の声、幻想的な茜色に色づく夕陽に染め上げられた放課後の家庭科実習室で、わたしと香澄は課題の続きをする為に向かい合って座った。

 わたしは鞄の中から裁縫キットを、香澄はギターケース(ランダムスタ子)から深紅の星型ギター(ランダムスター)をそれぞれ取り出して準備を始めます。

 

 

「ってなんでやねん、課題をやるんとちゃうん?」

 

「おぉ、何か本場っぽいよ」

 

 

 ストラップを体に通して準備を終えた香澄からは、頑張って課題を終わらせようという気概が全く感じられませんね。

 やれやれな気分に浸っていると、実習室の扉が音を立てて開きギターケースを背中に担いだ花園たえちゃんが姿を現した。

 その姿を確認した香澄がギターを抱えたまま笑顔で彼女の元へと駆け寄って行くので、慌ててわたしも裁縫キットを机に残したままその背中を追った。

 

 

「花園さんもギターを弾くの? 実はわたしもなんだよ」

 

 

 ようやく入り口に居る二人のところへ近寄ると、香澄の問い掛けに彼女は瞳を見開くようにして固まっていた。

 大きな瞳にすっと通った鼻筋、可愛いというよりかは綺麗という言葉が相応しいまさに美女だわこの娘。

 彼女は瞳を見開いたまま右手の人差し指を力無く香澄に向けた。

 

 

「変態さんだ……」

 

「えぇっ⁉︎ へ、変態じゃないよ」

 

 

 会話もまともにした事が無いクラスメイトに変態呼ばわりをされた香澄は、助けを求めるようにこちらに視線を送ってきますがわたしも何と応えたものかと首を傾げる事しか出来ません。

 

 

「ウサギだ……」

 

 

 おかしな事を言い出した彼女を見れば、香澄を指していた指が今度は此方に向けられています。

 おっとこれは見過ごせませんよ、例え百歩譲って香澄が変態なのはまぁいいとしても、わたしに至っては既に人類でもなくなっているではないですか、いったい何を言っているのですかねこの娘は?

 

 時間が止まったかのように固まってしまったわたし達を茜色の夕陽が優しく照らし続けていた、ってこの後にどう収拾をつけたらいいんですかぁ!

 

 

 



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【2021お正月短編】

正月用の読み切り短編です。

本編と直接の繋がりは無く、時系列も無視した独立短編となっております。
本編との相違でややこしいかもしれませんので程よい時期にこの話は削除する事になるかとは思いますが、それまで楽しんで頂けたら幸いです。

独立短編という事もあり、主人公が本編よりもアホの子になっていますがギャグテイストで書いたのでそこはお許しください。

 
 



 

 

 そう、この時ばかりは幼馴染とかご近所とかは関係ないのです。

 今まさに戦場に立つわたし達に情けなどある筈もありません。これは血と涙と生と死と己のプライドを秤に掛けた、年に一度のサバイバルなのですよ。

 もはや自分でも何を言っているのか解りませんが此処は戸山家のリビング。

 そしてリビングテーブルの上には夢が詰まっている筈のポチ袋が六つほど燦然と輝いております。

 

 テーブルの前にはわたし、香澄、あっちゃんのお年頃三人娘。

 そして今日は一月一日の元日、つまりこれはお年玉争奪戦であり今年の運を占う重要な行事なのですよ。

 

 

『戸山家、美月家合同お年玉争奪大会ルール』

 

 1、ひとつづつポチ袋を選んで各人二袋、計六袋のお年玉で運勢を占う。

 2、お年玉の内訳は一万円が四袋、五千円が一袋、千円が一袋の内訳とする。

 3、選ぶ順番はじゃんけんで決めるとする。

 4、二週目は逆の順番で選ぶとする。

 5、触る等の行為は違反、見た目だけで選ぶ事。

 

 

 わたしは知らないのですが去年までは一万円は二つだったのが高校生になったという事で増額となったらしいです。これは今年あっちゃんが高校に進学するので来年はもっと期待出来そうですね、むふふ。

 既に選ぶ順番はわたし、あっちゃん、香澄の順番で決まっております。

 さてそろそろ始めるとしますか、いくら幼馴染の二人とはいえ情け無用でいかして頂きますよぉ!

 

 気合を入れてポチ袋達を凝視すると、惑わせる為か色々と手の込んだ罠が仕掛けてありますね。

 二つは無地で何の変哲も無い物、一つは牛のイラスト入り、一つは花丸マークが書いてある物、一つは『ハズレ』と書いてある物、そして最後の一つはやたらと分厚い物。

 

 

『一週目: それぞれの旅立ち』

 

 顎に手を添えてじっくりと考えます。普通に考えれば怪しいのは『ハズレ』の袋と分厚い袋ですね、特に厚い方は遊び心がある姉さんなら千円札が十枚入っていると見せかけて中には白紙の紙と千円札が一枚だけという事も充分に有り得ますからね。

 

 早くしてというあっちゃんの冷たい視線を浴びながらも最初に選ぶのはズバリ、花丸マークの袋ですね。こんなに派手な印なのでまぁ無難に一万円で間違いは無いでしょう。

 あっちゃんは無地の袋を、香澄は牛のイラスト入りの袋を迷いも無くそれぞれ選びます。おやおやお二人さん此処は戦場ですよ、確かな戦略と慎重な行動が無ければ待っているのは爆死という凄惨な未来だけなのですよ?

 

 

『二週目: 残り物には福がある……はず』

 

 さて二週目に突入し今度は香澄からのスタートとなります。どうやら今回は選ぶのに迷っている様なので、ここらで少し揺さぶりを掛けておきますかね。

 

「意外と裏をかいて『ハズレ』とかに良いのが入っていそうだよね」

「うーん、そうなのかなぁ?」

 

 香澄はわたしの言葉を受けて『ハズレ』の袋を手に取った。

 マジか素直過ぎるでしょ、どれだけ良い子なのよちょっぴり心が痛んだわ。

 でも御免なさい香澄、これは非情な勝負なのですよ油断したら死あるのみなのですよ。

 もしもその袋が千円札だったのなら、この後に行く初詣ではわたしが沢山奢ってあげるから許してね。

 

 一番危険そうな地雷が撤去されて残るは二つ、しかし目指すからには最高額の二万円を狙うのは女の子なら当然です。

 順番が廻ってきたあっちゃんも眉間に皺を寄せて悩んでいる表情を見せています。

 わかりますよあっちゃん、分厚い袋は露骨に怪しいですし無地の袋が二つとも一万円というのも少々疑わしいですからね、ようはどちらの危険度が高いのかという話ですよ。

 

 先程のやり取りを見ていたあっちゃんに迂闊な振りは通用しない予感がするので、今回は目線を使ってそれが欲しいんだよぉアピール作戦をしようと思います。

 じぃ、じじじぃっと無地のポチ袋を凝視します。これだけアピールをすれば優しいあっちゃんならきっと気を遣って分厚い袋の方を選んでくれる事でしょう。

 

 とその時、まるでアニメのスローモーション映像を見ているかのようなゆっくりとした動きで、わたしの視線の先を細くて綺麗な指が通り過ぎて行った。

 

 まっ、まさかです……。

 

 わたしもスローモーションのような動きであっちゃんに視線を送ると、彼女はこちらを一瞥(いちべつ)する事もなく真っ直ぐな視線で一直線に無地のポチ袋へと手を伸ばしています。

 

 こ、こちらを気にもしていないですって……仙人か、それとも解脱したのかあっちゃん!

 

 作戦も虚しく無地のポチ袋は取られたのですが、危険度から言えばさしたる違いもないので勝負は引き分けという事にしておきます。

 いやむしろここからが本番です。二万円と一万五千円では大きな差がありますからね、期待でショボーンな胸も高鳴るってものですよ。

 

 

『結果発表』

 

 1、一週目開封。

 

 戸山香澄選手、牛さんポチ袋、一万円。

 戸山明日香選手、無地ポチ袋、一万円。

 美月優璃選手、花丸ポチ袋……。

 

『忍耐は苦い。しかし、その実は甘い。by野口英世』

 

 

 英世さんこんにちは、じゃねぇぇぇぇ!

 

 

 いや偉人ではあるけれど今はお呼びじゃないですぅ、凛々しい肖像画ですが今は出てこないでくださいよ、あぁもうよりにもよって千円札を引くとか何の報いなのですかぁ!

 

 2、二週目開封。

 

 戸山香澄選手、ハズレポチ袋、諭吉さん。

 戸山明日香選手、無地ポチ袋、諭吉さん。

 

 

 オウッ! ノオォォォォォォォォ! ガッデム!

 (意訳:マジっすか⁉︎)

 

 

 開封する迄もなく残された結果はもう五千円のみ、つまりは今回の設定最低金額である六千円を引き当てるという神引き、いや悪魔引きだわこんなの。

 涙目になりながら分厚い袋を開けて樋口さんを眺めるとしましょうか。

 えっと、英世、英世、英世、英世、英世、確かに五千円で間違いないですね。

 

 

 ってここでも貴様か英世ぉぉぉぉぉぉぉぉ!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 この世の絶望を味わったわたしはリビングソファーにうつ伏せの死体となって横たわるしかありませんでした。

 香澄とあっちゃんがゆさゆさと揺すりながら慰めてくれるのですが、こんな欲望に塗れた敗者にはこれがお似合いの姿なのですよ。

 

「あけまして、おめでとうございます」

 

 天使のような爽やかな声が玄関の方から聞こえてきます。これは沙綾の声ですか、そういえば今日はポピパのみんなと初詣に行く約束でしたね。

 おめでとうございますという明るい声がリビングの中を行き交います、えぇわたしは先程おめでたくはない出来事に見舞われたばかりなのですがね。

 

「うわっ、何これ優璃どうしたの?」

「優璃ちゃんまだ寝てるの?」

「起こす時には首の後ろを掴むんだよ」

 

 驚く有咲は理解が出来ますが、りみりんとおたえは何を言っているのですかね?

 

「うーん、それがねぇ」

 

 香澄が一通り説明をすると、沙綾がわたしを抱き起こしてから横に並んで座った。

 そのまま頭に手を廻すと、自分の傾けた頭へこちんと優しく当てた。

 

「大丈夫、この先はきっと良い事が沢山あるよ。私達と一緒に楽しい思い出を数え切れないくらい作ろう」

「沙綾ぁ、ありがとう」

 

 触れ合う頭を通じて沙綾と心を通じ合わせる。優しい友達に囲まれてやっぱりわたしは幸せ者なんだと思い知りますよ。

 いやそれよりも香澄とあっちゃんは何故に頬と脇腹をそれぞれ抓っているのですかね、とても痛いですし今はとっても尊い場面だと思うのですよ。

 

 

 準備を終えて初詣に行く為に家から外に出ると、澄み渡った青空とはいえ凍えるような冷たい風が容赦なく全身を包み込みます。

 帽子も手袋も着けているのに、指先の感覚が麻痺してしまう程の寒さに体も思わず縮こまってしまいそうです。

 

「優璃お姉ちゃん、早く行こう」

 

 あっちゃんが満面の笑顔で腕を絡めて寄り添ってきます、可愛いらしい妹の笑顔に先程までの敗北感もすっかり消え去ってしまいますね。

 前を歩くポピパの五人も本当に仲が良さそうで、わたしはこの五人を眺める事がやっぱり大好きなようです。

 

「ゆり、あっちゃん、早く早く」

 

 香澄の弾んだ声に手を振って応えます、おっと新年の抱負をまだ言っていませんでしたよ。

 

「今年も神様許すまじ、これで勝ったと思うなよぉ!」

 

 叫んだ声は澄んだ青空の彼方に吸い込まれていきます。驚きながらも笑うみんなの姿を見ながら、今年も良い一年になる事を心の中で願うのでした。

 

 

 あっやべえ、これから初詣に行くのに神様の悪口を言っちゃった。

 

 

                      おしまい。

 

 

 



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23.接客はとっても難しいです

 

 

 知らない世界を探求するというのはとても刺激的であると同時に、肉体的にも精神的にも相当な労力を必要とする訳でして。

 

 煌びやかに店内を彩る照明、そして壁に設置してある小さくて可愛らしいスピーカーからはご機嫌なロックチューンが流れています。

 此処はガールズバンドの人達御用達であるライブハウスCiRCLE、今日は店員の咲紀さんがお休みなので代役としてまりなさんと一緒にカウンターに入る事となったのですが、音楽知識が皆無の為にお客さんが何を言っているのか意味がさっぱり解らず、頭の上にクエスチョンマークを何個も浮かべながらまりなさんに訊きにいくという作業を何回も繰り返しております。

 

 そもそもがおかしいのです、元々掃除のお姉さんとしてアルバイトに入った筈なのに、何故に素人のわたしがカウンター業務をしているのですか。

 しかも今日に限ってわたしの方にばかりお客さんが寄ってきていますし、まったくお客さんのお姉様方にはエプロンの胸元に付けた『見習い』という名札が見えていないのでしょうかね。

 

 

「まりなさん、流石にカウンター業務はまだ無理ですよぉ」

 

「優璃ちゃん順調だよ、やはり私の眼力に間違いはなかったみたいだね」

 

 

 いや何を言っているのですかこのミスボーダー柄シャツは、明らかに初心者丸出しで慌てふためいてしまってお客さん達に生暖かく微笑まれているのにですよ、これは虐めですか可愛がりなのですか、もしかして適材適所という言葉をお家に忘れてきてしまったのではないですか?

 

 

「優璃ちゃんって小さくて可愛いから年上に可愛がられそうな予感がしたんだよねぇ、マスコットには最適だよ」

 

「ムキーです! 小さいとか言わないでくださいよ!」

 

 

 両手を上げて抗議しますが頭を押さえ付けるようにして撫でられてしまいます。

 はっきり言って不愉快ですね、わたしは可愛いとか言われても嬉しくも何ともないのです、やっぱり元男としては格好良いとか素敵とか言われたいのですよ。

 

 

「ほらほら優璃ちゃん、お客さんが待ってるよ」

 

 

 まりなさんが指し示す方を見やると、黒髪に一筋の赤色メッシュを入れたショートボブの女の子がわたし達のやり取りを冷めた瞳で見つめていた。

 花咲川女子とは違うブレザーの制服に身を包み背中にはギターケース、鋭さのある視線も相まって少し怖そうな印象を与えています。

 とりあえず接客用の笑顔を見せながら彼女の前に立ち、最初の挨拶を交わすとしましょうか。

 

 

「いらっしゃい蘭ちゃん、えっとAfter glow(アフターグロウ)は練習スタジオだったよね」

 

「えっ⁉︎ あっ、はい」

 

「んっ? どうしたの蘭ちゃん」

 

 

 アフターグロウのギターボーカルである美竹 蘭(みたけ らん)ちゃんは瞳を見開きながら驚いたようにわたしの顔を凝視している。

 いったいどうしたのでしょう、もしかしてわたしの顔に柿の種でも付いているのですかね?

 

 

「ていうか多分初対面だよねあたし達、いきなり下の名前呼びとか馴れ馴れしくない?」

 

 

 しまったです懲りもせずにまた軽率な言動をしてしまいました。ゲーム慣れしていた事もあってもうすっかり知り合いの気分でしたが、この世界では話もした事が無かったというのにこれでは只のチャラくて無礼な人ではないですか。

 

 

「いやあの御免なさい、ほ、ほら以前に観たライブで蘭ちゃんが凄く可愛いかったなぁって、そ、それでね、えっと……」

 

「ププッ、慌て過ぎでしょ、ねぇ名前は何ていうの?」

 

美月(みづき)……優璃(ゆり)……」

 

 

 ゲームではクールで格好良いイメージだった蘭ちゃんが急に見せたふわっと緩んだ笑顔は驚く程に柔らかで、思わず見惚れてしまいそうになるくらいに可愛いらしく思えてしまった。

 

 

「それで優璃、今日は何番スタジオ?」

 

「んー、今日は二番スタジオだねって蘭ちゃん呼び捨てしてるし」

 

「お返しだよ、わかった二番ね」

 

 

 何だかすっごく負けた気分がしますが、しかしこのままやられっ放しで終わる優璃さんではないのです。

 

 

「蘭、行ってらっしゃいですよ!」

 

 

 練習スタジオに向けて歩き始めていた蘭ちゃんが足を止めて此方に振り返った。見るが良いです、わたしもお返しをしちゃいましたのドヤ顔を見せつけてあげますよ。

 

 

「……変な娘」

 

 

 口元に手を充ててクスリと笑ってから再びスタジオに向かって歩き出してしまった。歩きながら片手を上げて合図を送る姿が悔しいけれど男前です、これはもう負けた気分どころではなく格好良さでは完敗してしまったようですよ。

 

 

 蘭ちゃんがスタジオに入ってから暫くして、続々とアフターグロウのメンバー達も来店してきてどうやらバンド練習が始まったようです。しかし蘭ちゃん以外のメンバー達も可愛らしい娘達ばかりで、本当に俺得というか素晴らしい世界だなと痛感してしまいますね。

 漸く人がまばらになった店内で少し気を緩めると、ふと昨日の出来事を思い出して溜め息が出そうになった。

 

 夕陽に染まる家庭科実習室で、わたしは翌日のアルバイトに行く為に必死に課題をこなしていたのですが、意気投合した香澄とたえちゃんは課題そっちのけとばかりにギターを弾き始めてしまいました。

 たえちゃんのギターテクニックは素人目に見てもとても上手で、右手と左手が別の生き物みたいに滑らかに動く様を、わたしと香澄は驚いて目を丸くさせながら見入ってしまった。

 出会い頭に香澄を変態呼ばわりしたのはどうやらランダムスターが原因のようで、たえちゃんが言うにはあのギターを好きな人には変態しか居ないとの事です。

 因みにわたしをウサギ呼ばわりしたのは小さくてぴょんぴょんとしているからという事らしいのですが何なのですか、もっと格好良きものに例えて欲しいものですよ。

 そんな触れ合いを続けながらもわたしは何とか課題を終わらせる事が出来たのですが、香澄達は先生が退校時間を知らせに来るまでギターを弾き続けてしまい残念ながら今日も居残りとなってしまったのです。

 

 しかしそれよりもわたしの心を大きく曇らせているのは、知識チートといえる転生時に持っていたゲーム知識が段々と薄れていっている事に気づき始めたからだった。

 現に昨日知り合ったばかりのたえちゃんや沙綾がpoppin'partyのメンバーになる事は覚えているのに、どうやってバンドに加入したのかという記憶がまるで奥深い森の中へと迷い込んでしまったかのように思い出せなくなってきている。

 段々と転生前の記憶が薄れていって、いつか完全に優璃と同化してしまうかもしれないという事に、わたしは少しばかりの恐怖と後悔の念を抱いていた。

 

 

 転生前のわたしには両親と出来の良い兄貴が居た。

 兄貴と比べて平凡だったわたしは両親からはあまり可愛がられず、割と好き勝手に過ごした人生だった。

 別にわたしが死んだって兄貴が居るなら大丈夫だろうと思い、特に今までは感慨に耽る事さえ無かった。

 

 だけどいざ転生前の記憶が薄れてくると、たったひとつの後悔だけが心の隅で痛いと泣き叫ぶようになった。

 それは最期の時まで遂ぞ家族に言う事が叶わなかった言葉……。

 

『ありがとう、そしてごめん』

 

 決して好きな家族ではなかったけれど、それでも生きているうちにありがとうという言葉をどこかで伝えるべきだったかもしれないと、暗くて冷たい心残りが胸の中へと静かに降り積もっていった。

 この後悔を忘れてはいけない、忘れたくはない。この後悔を糧にして新しい家族や周りの人達を大切にしていきたいと思っているんだ。

 だからお願いだよ神様、この気持ちだけはわたしの中から連れ出さないでください。

 

 

「あのすみません、次の予約を」

 

「あっ、ごめんなさい予約ですね」

 

 

 俯いていた顔を上げると、アフターグロウのキーボード担当である羽沢(はざわ) つぐみちゃんが戸惑った表情を浮かべながらカウンターの前に立っていた。

 

 

「どうしたの優璃? 顔が悪いけど」

 

「ムキー! 蘭、それを言うなら顔色が悪いですよ!」

 

「その切り返し、悪くないね」

 

 

  蘭ちゃんが後方から顔を出してボケを入れてくれました。もしかして気を使ってくれたのでしょうか、わたしの切り返しに軽く微笑んだ顔も可愛いですねコンチクショウですよ、まぁそれはそれとして蘭ちゃんは見た目のキツい印象とは違って実際はとても優しい女の子みたいです。

 

 

「何だ何だ、二人は知り合いなのか?」

 

「いや今日が初対面だよ」

 

 

 興味津々といった風に笑顔で割り込んできたドラム担当の宇田川(うだがわ) (ともえ)ちゃんの言葉に蘭ちゃんが素っ気ない返事をすると、アフターグロウの面々は瞳を丸くさせながら驚きの表情を浮かべた。

 

 

「おおぅ、あの人見知りの蘭が初対面の人と仲良くなるとは珍しいねぇ」

 

「はぁ? モカ何を言ってるの」

 

「ねぇねぇ名前は? 年はいくつ? 学校はどこ?」

 

 

 少しおっとりとした喋り方が特徴のリードギター担当青葉(あおば) モカちゃんに、ぐいぐいと質問を投げ掛けてくるベース担当の上原(うえはら) ひまりちゃん。幼馴染みだけで結成されたアフターグロウは見ているだけでも仲が良いのが雰囲気で解ります。

 

 

「優璃はね、あたし達のファンなんだって」

 

「いや、前に観たライブが初めてだったからファンとかまだ……」

 

「えっ何? さっき言ってたよね、ライブを観て……」

 

 

 わたしと蘭ちゃんは顔を突き合わせて先程の会話を思い出す、そう確かにあの時わたしはライブでの蘭ちゃんが可愛かったって言って……。

 

 

「ちょっとちょっと、二人とも顔が赤いよ」

 

 

 ひまりちゃんが顔を覗き込みながら発した言葉を合図に、わたし達は咳払いをしながらお互いに視線を外した。しかし明らかにあの時のわたしは言葉のチョイスを間違えてしまっている気がする。

 

 

「とにかく覚悟して優璃、あんたを絶対にアフターグロウのファンにしてみせるから」

 

 

 頬を紅く染めながら蘭ちゃんがわたしに向かって宣言をすると、それを見ていた他のメンバー達はオモチャを見つけた時の子供のような笑顔を浮かべた。

 

 

「あららぁ、キミも大変だねぇ、これは蘭に気に入られてしまったようですなぁ」

 

 モカちゃん、その喋り方だと全然大変そうな事態に感じないのですけど。

 

「まぁ余裕だろ、何と言ってもあたし達の音楽は最高だからな」

「そうそう、すーぐ夢中になっちゃうんだから」

 

 巴ちゃんもひまりちゃんも、絶対に蘭ちゃんの話に乗っかって楽しもうとしているよね?

 

「大丈夫だよ怖くないよ、みんな優しい人達ばかりだからね」

 

 ちょっと待ちなつぐみちゃん、何やら優し気に頭を撫でてくれているけれど、もしかして貴女はわたしを中学生か何かと勘違いしていないかい?

 

 

「いや元から充分に格好良いと思っているし、別にファンとか拘らなくても良くない?」

 

「何か気に入らない……、とにかくもう決めたから、優璃をあたしのファンにさせるから」

 

 

 相変わらず顔が赤いまま勢いで言い切った蘭ちゃんは、メンバー達を引き連れて颯爽とした足取りで店を出て行った。ただモカちゃんと巴ちゃんは悪戯っ子のように笑っていたからいまいち締まりは有りませんでしたけれど。

 

 あっ、それよりもスタジオの予約はどうするんだろう?

 

 ふむ、中々に上手くはこなせませんね、やはり接客ってとても難しくてわたしには向いていないと思うのですよ。

 

 

 



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24.言葉のチョイスって難しいよね

 

 

「えっ⁉︎ まだ課題が終わってねぇの?」

 

「うぅ、実はそうなんだよぉ」

 

 

 学校の中庭でいつもの五人組で輪になって座りお昼休みのお弁当タイムを楽しんでおりますが、香澄が家庭科の課題を終わらせていない事に有咲は少々ご不満の様子です。

 うららかな春の日差しに心の中まで暖まりそうなものですが、眉間に皺を寄せてまでの解りやすい表情が少し気になります。果たして機嫌を悪くする程の話でも無いかと個人的には思うのですが。

 

 両隣に座る沙綾とりみりんの様子を窺うと、二人共にどうしたものかといった困惑した表情をみせています。やれやれここは優璃さんの出番ですか、仕方がないですね軽く違う話題を挟んで場を和ませるとしましょうか。

 

 

「そういえば先日バイトの時にたまたま格好良いボーカルの人と知り合いになったよ、一見すると怖そうだったけど話してみたら凄く可愛らしい感じで好印象だった」

 

 

 小鳥のさえずり、風に揺れる木々の葉音、お昼休みの賑やかな生徒達の声、その全てが鮮明に聴こえてくる程の静寂がわたし達の場所だけを支配した。

 あれっ? 場を和ませるどころか瞳を輝かせながら此方を見たりみりん以外の全員が表情を失って黙り込んでしまいましたよ。

 

 

「優璃ちゃん凄い、その人に声を掛けられたの?」

 

「いや最初に声を掛けたのはわたしからなんだけどね」

 

「はわわ、優璃ちゃん大胆」

 

 

 そりゃ接客ですから自分から声を掛けますって、しかしそれにしても五月の足音も近づいてきたというのに何だか今日はやけに風が冷たいですね。

 

 

「へぇ、それじゃゆりからナンパをしたんだ?」

 

 

 ナンパって沙綾、わたしは店員だよ。とツッコミを入れようと隣に座る彼女の方へ顔を向けると、悲しいかな無表情のジト目に出迎えられてしまいました。

 

 

「そんなのわたし聞かされていないよ?」

 

「信じらんねぇ、意外とフットワークが軽いんだな優璃は」

 

 

 瞳に輝きが見えない香澄にドン引きの冷たい視線を向けてくる有咲、おやおやまさかですが皆さん、もしかして何か重大な勘違いをしていらっしゃるのではないですかな。

 

 

「それで優璃ちゃん良い感じなの? その男の人と付き合ったりしちゃうの?」

 

 

 やはりですかまったく慌てん坊な人達ですね、そもそもわたしが男に声を掛ける訳がないでしょうが。

 いやよくよく考えてみたら、もしかしてわたしの方が自分達よりも先に彼氏が出来る事が許せないとかそういう意味なのかもしれない。

 もしそうなら許すまじですよ、わたしに彼氏は要らないし貴女達にも高校の間は彼氏を作らせてはあげませんからね。

 ただでさえノンケだらけで絶望しそうなのに、キャッキャウフフの尊い光景を壊されるのはとても許される事ではないのですよ。

 

 

「格好良いけれど男の人じゃないよ、ガールズバンドのボーカルの娘だよ。もうみんな何と勘違いしているのやら」

 

「何だよ男をナンパしたのかと思っただろ、びっくりさせんなよな」

 

「そうなんだぁ、優璃ちゃんの恋話が聞けるかと思ったのに」

 

 

 有咲とりみりんが勘違いからの照れ笑いを浮かべてくれました。どうやら有咲の機嫌が良い方に向かってくれたようでこちらも一安心です。

 

 

「でもゆりから声を掛けたんだよね?」

 

「ふぅん、格好良いんだぁ、ふぅん」

 

 

 何故か沙綾と香澄の表情に変化がありませんね、ちゃんと男子の話では無いという説明をしているのに、まったく二人共わたしの話をしっかり聞いてくれないと困っちゃいますよ。

 

 

「あっ、おたえだ。ちょっとわたし行ってくるね」

 

 

 光を失っていた香澄の瞳に生き返ったような輝きが戻ったかと思ったら、慌ててお弁当箱を片付けてから勢いよく立ち上がりちょうど渡り廊下を歩いていた花園たえちゃんに向かって走り出して行った。

 というかもう『おたえ』呼びなのか、相変わらず距離感を縮めるのが上手いね香澄は。

 

 

「あの人って確か花園さんだよね、いつの間に香澄と仲良くなったの?」

 

「あの二人は揃って課題の居残り組だし、ギター絡みで意気投合したらしいよ」

 

 

 食べ終えたお弁当箱を袋に包みながら沙綾の質問に答え、その袋を膝の上に乗せてから香澄達を見やると、二人で会話を楽しんでいるのが遠目からでもよく伝わってきます。

 このまま香澄に頑張ってもらって、おたえが素直にバンドを始めてくれたらわたしも楽で嬉しいんだけどな。

 

 胸の奥に淡い期待を残したまま有咲の様子を確認すると、また眉間に皺を寄せて俯いてしまっています。

 えっと何やら振り出しに戻ってしまったような状態なのは、多分わたしの気のせいですよね。

 

 あまり深く考えないようにしていると、芝生の上に乗せていた右手の小指に沙綾の左手の小指がそっと重なった。思わずびっくりして沙綾の方へ顔を向けると、感情の見えない何だか寒気のするような笑顔がそこには待ち構えていた。

 

 

「ゆり今日はバイト無かったよね、たまには一緒に帰ろうか」

 

「えっ、あの沙綾……ちょっと圧力が凄くないかな?」

 

「私と帰るよね?」

 

「はぁい、了解いたしましたぁ」

 

 

 何故か背中を冷たい汗が一筋流れていきます。あぁもういったい何なのですかこの混沌としたお昼休みは、わたしはもっとキャッキャウフフのふんわりとした光景がお望みなのですよ!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ごめんね、じゃあまた明日ね」

 

 

 下校を始めた生徒達の波の中、校門の前でわたしと沙綾はりみりんに手を振ってから歩き始めます。

 課題の居残りで不在の香澄といつの間にか帰っていた有咲は仕方がないとしても、りみりんまで用事があるとの事で結局は二人で帰る羽目となっております。

 夕方とはいえ陽が長くなってきたのか、傾いてきた太陽も顔を赤くするにはまだ至っていません。

 それでも並んで歩くわたし達の影が段々とその身長を伸ばしてきているような錯覚に包まれて、何だか一日の終わりを感じて少し寂しい気分に浸ってしまいそうです。

 歩く沙綾の横顔を観察しても特に機嫌が悪そうにも見えませんし、いったいお昼の恐ろしさは何だったのでしょうかね。

 

 綺麗な首筋から続くふわりとしたポニーテールがよく似合っていて、香澄達の可愛いさともおたえの綺麗さとも違う、無理矢理に言葉にするならずっと見ていられる安心感のある美人なんだよね沙綾って。

 

 

「うんっ? どうかしたの?」

 

 

 横顔に見惚れていた視線に気付いたのか沙綾がこちらを向いて優しく微笑んだ。目が合った事で湧き出した恥ずかしさに顔が赤くなりそうになるのを誤魔化す為に、慌てて正面を向いて話題を振る事にした。

 

 

「昼間の有咲って少し様子が変じゃなかった?」

 

「うーん確かに、怒っているというよりかは拗ねているという感じだったね」

 

 

 何故そんな事になっているのか見当もつきません、これは明日にでも有咲の家に様子を伺いに行った方が良いのかもしれないね。

 

 

「でも私、有咲の気持ちもちょっと解るかもしれない」

 

「本当に⁉︎ 沙綾さん解説プリーズ」

 

「ほら、お昼休みにゆりがナンパをした時の話をしてくれた時にね、不思議と胸の奥がモヤモヤっていうか、何か嫌だな寂しいなって思ったの」

 

 

 いや接客であってナンパでは無いのですがねって、まさか私も早く彼氏を作らなくちゃって焦ってきたとかではないよね、それだけは勘弁してくださいよ。

 はぁ許すまじですよ、いくら誤解とはいえ男を意識させる発言をしてしまった自分に許すまじですよ。

 

 

「だからもしかして有咲も寂しいのかなってね」

 

 

 ああぁやっぱりですぅ、寂しいとはつまり彼氏が欲しいって意味でしょ、これはもう最悪の流れじゃないですかぁ。

 これは早急に有咲の心根を確認しておかないといけませんね、対応が遅れればその内に彼氏が出来たからバンドはやらないとか言われてしまうかもしれないですよ。

 

 

「元気がないよ、ゆり」

 

 

 右側を歩く沙綾の左手の甲がわたしの右手を何回かノックしてきた。

 これは多分そういう意味なのだろうなと思って、沙綾の指を包み込むようにしてお互いの手を緩く重ねた。

 

 

「沙綾は彼氏とか欲しいと思ってる?」

 

「うーんどうだろう、今はそんな気分では無いかな」

 

「そっか、わたしも彼氏とか興味ないから沙綾も一緒だね」

 

「でもそこそこ気になっている人は居るんだけど、その感情が何なのか自分でもよく解らないんだよね、ちょっと初めての感情っぽいからさ」

 

 

 えっと何ですかその意味深なセリフは、それって少女漫画的な『もしかして私……』とかいうやつなんじゃないんでしょうか。

 なる程です、それではとりあえずアサルトライフルを入手してくるので、相手の男の居場所をさっさと教えて頂けませんかね?

 

 

「ゆり凄く嫌そうな顔をしてる、そんなに私に恋人が出来たら嫌なんだ」

 

 

 踏み切りに差しかかる辺りで、まるで心臓の鼓動を打ち鳴らしたような甲高い音をさせながら遮断機がゆっくりとわたし達の進路を塞いだ。

 

 

「嫌とかじゃないよ、でも……」

 

 

 自分の浅ましい考えを見透かされたような気恥ずかしさで沙綾の方を見れないでいると、彼女は握っていた手を解いてあらためて指を絡めた繋ぎ方で握り返してしまった。

 

 

「ゆりがこの手を離してくれなかったら、きっと私……」

 

 

 やがて列車が激しい轟音と振動をたてながら目の前を通り過ぎて行く。

 列車によって引き起こされた突風に煽られたのか何故かバランスを崩してしまったわたしは、沙綾の腕に身体を預けるようにもたれかかってしまった。

 慌てて顔を上げると至近距離に沙綾の顔、風に踊るわたしの長い髪と沙綾のポニーテールにした髪がまるでじゃれ合うように触れ合いながら交わっていく。

 そんな中でも沙綾は驚く訳でもなく、ただわたしの瞳を真っ直ぐに見つめていた。

 少し色素の薄い青みがかった瞳は吸い込まれてしまいそうな程に綺麗で、わたしは時が止まったかのように沙綾の瞳から視線を逸らす事が出来なくなってしまった。

 

 どれ程の時が過ぎたのか、鳴り響いていた轟音が過ぎ去った後に訪れた一瞬の静寂で現実世界に引き戻されたわたしは、慌てて沙綾の体から離れて照れ隠しの笑顔を作った。

 熱くなっていく胸の内を悟られない為にゆっくりと上がっていく遮断機に視線を向けていたら、沙綾が此方を見ずに繋いでいた手にきゅっと力を込めてくれた事に気が付いた。

 何でだろう。それがとても嬉しくてわたしも彼女の感触を確かめるようにしっかりとその手を握り返してしまった。

 

 やっぱりずっと沙綾と仲良しな友達でいたいな、みんなとずっと一緒に居れたらいいのになと本気で思えてしまうよ。

 でももし沙綾やみんなに好きな男の子が出来てしまったら、わたしは友達としてちゃんと応援してあげなくちゃいけないんだよね。

 何か嫌だなぁ、女の子になってしまったから思うのだけれど、とりあえずチャラい男など漏れなく全員が無人島にでも行ってくれないものですかねぇ。

 

 

「行くよ、ゆり」

 

 

 並びながら踏み切りの線路へと足を踏み出して行く。

 これからもどんなに歩き辛い道だってこうやって一緒に歩いて行こうね、大切な沙綾さん。

 

 

 しかしよくよく考えてみれば男の子に意識がいかないようにする為には、やはりみんなにはバンドに夢中になってもらうしかなさそうですね。

 おっと更に燃えてきましたよ、これは優璃さんの尊い世界実現の為にもっともっと頑張っちゃいますからねぇ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 時刻は夜の十時、只今わたしは香澄の部屋のベッドに腰掛けております。

 右隣には香澄が座り、左隣には何故かあっちゃんが膝枕の体勢で横たわっております。

 おかしいですね、先程メールで『重大な問題が起きたから部屋に来て』と呼び出された筈なのですがね。

 

 

「香澄、重大な問題が起きたんじゃなかったの?」

 

「大問題だよ! その名もゆりがナンパをして困る件について」

 

「いやそれ接客だし、そもそも男の子相手じゃないし」

 

「でも可愛い娘って言った」

 

 

 香澄が拗ねたように唇を尖らせながら、右手を取って自分の太腿に挟み込んでしまった。ちょっとそれはやめてもらえませんかドキッと心臓が跳ね上がってしまいますのでね。

 

 

「それは由々しき事態だね、優璃お姉ちゃんには私達に対する謝罪を要求します」

 

「あっちゃん、何故にそうなるのか理由をお教え願えますかな」

 

 

 両方の口角を釣り上げるように笑うあっちゃん、絶対にこれはわたしを困らせて楽しんでいるよね。

 

 

「だってこれからも可愛い娘や格好良い娘がいたら声を掛けるんでしょ」

 

「あのさ、接客だから可愛い可愛くないとかは関係ないからね。そもそもそれにね」

 

 

 二人が揃ってわたしの顔を見つめる。ふぅ、まったく困った姉妹ですよ。

 

 

「目の前にとびっきりの可愛い姉妹が居るのにさ、わざわざ可愛いからって理由で他の人をナンパする訳が無いじゃん」

 

 

 今度は二人が揃って顔を背けた。そのまま香澄は頭をわたしの肩に寄り掛け、あっちゃんはお腹に顔を押し付けるようにして抱きついてきた。

 

 

「ゆりはずるいと思います」

 

「うん、優璃お姉ちゃんはずるい」

 

 

 おっと論破ですか、これはわたしの勝ちで宜しいのではないですかね。

 

 

「それより香澄、今日の有咲の様子って変じゃなかった?」

 

「えぇっそうなの? ごめんよくわからなかったかも」

 

「とりあえず明日からも注意して様子を見ていこうか」

 

 

 香澄はこくこくと何度も頷きながらも太腿に挟んだ手をちっとも離す気は無さそうで、更には腕に抱きついてぐいぐいと引っ張る素振りさえ見せ始めました。

 これは泊まっていきなよの合図でしょうか、しかし残念ですが今日は瑠璃姉さんに許可を得ていないので大人しく帰宅させて頂きますよ。

 まぁそれ以前に香澄と一緒に寝ると胸が高鳴って正気では居られなくなるので、お泊まりは偶にしてもらわないと精神が持ちませんのでね。

 

 おっとそれはそれとしてあっちゃん、こそっとジャージをめくって下着を確認するのは止めて頂きたいのですが?

 この膝枕の体勢だとお尻ぺんぺんするのは容易いのですよ、もしかしてお仕置きをされたいのですかね?

 

 

 

 



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25.女の子は面倒くさい、でも可愛い

早いもので小説に触れるようになって一年が経ちました。

 


 


 

 

 非常に危ないですね、何やらとても嫌な展開となってきましたよ。

 

 いつものように朝のお迎えに市ヶ谷家に行ってみるとおばぁちゃんからはもう出て行ったよのお返事、普段は面倒くさがる有咲を引き摺るようにして登校しているというのに、今日に限っては先に出掛けてしまうなんてもうこの時点で既に不穏な空気が漂ってはいたのです。

 

 お昼休みを待って香澄とB組に迎えに行ったらクラスメイトからは市ヶ谷さんは早退したよと言われる始末です。ヤバイですねこれは、どうやら本格的に拗らせてしまっているみたいですよ。

 

 

「ありさどうしたんだろう、何か怒らしちゃったのかな」

 

「うーん、沙綾は拗ねているだけじゃないかなって言っていたけどねぇ」

 

「なんでだろう、心配しちゃうよ」

 

「まぁ最近は蔵にも寄れてないからなぁ、とりあえず帰りに有咲の様子を伺いに行ってみるから香澄は早く課題を終わらせなよ」

 

 

 伏し目がちに頷く香澄は少し落ち込み気味に見える。もしかしたら自分のせいなのかもと気にしているみたいだけれど、これはきっと一人だけの問題では無いんじゃないかと思う。

 

 元気を出してもらう為に軽くお尻を叩くと、飛び上がる程に驚いてからジト目で睨んできた。

 それを無視して頭を撫でてあげると今度は恥ずかしそうに瞳を閉じる。本当にころころと表情が移り変わっていく様が可愛いし、またそれが香澄の一番の魅力であるとも思っていたりする。

 まぁ香澄のトレードマークとも言える独特な髪型のせいで頭を撫でるのには少し慣れが必要とされるのですが、それにしても最近クラスの中で香澄の髪型が猫耳と認知されてきているのを少々不満に思っておりまして、これは星の突起部分をイメージした斬新な髪型なのですからそこは勘違いしないで頂きたいものですよ。

 

 

 という一日を振り返ってみたのは良いのですが、夕暮れ時の市ヶ谷家の裏門前で、わたしとりみりんはまさに途方に暮れたようにその先に足を踏み出せずにいます。

 いかんせん拗ねた女の子の対処方法など知りもしませんし、もし泣かれでもしたら途方に暮れて充電の切れたラジコンのようにぴくりとも動けなくなってしまいそうな予感がしますよ。

 

 とりあえずスマホで家にきたよとメッセージを送ってから、重い足を引き摺るようにして敷地内へと踏み入ります。

 はぁぁぁ面倒くさいです、女の子って何で直ぐに怒ったり拗ねたりと直情的なのでしょうか、もっと論理的な思考をした方が世界は平和になると思うのですよ。

 

 

「有咲ちゃん、お家に居ないのかな?」

 

 

 玄関先で待つ事五分、一向に有咲はその姿を見せてはくれません。

 不安に押し潰されそうなりみりんを見ているのも辛いので、とりあえず呼び鈴を鳴らしてから引き戸を開けて声を掛けてみると、奥からおばぁちゃんが現れて有咲は部屋だよと教えてくれました。

 

 ほほぅ居留守でございますか、良いでしょうならば戦争です。

 お邪魔しますと声を掛けてから有咲の部屋へと向かいます。わたしは兎も角として、りみりんにまでこんな顔をさせてしまっては残念ながら甘い顔は出来ませんよ。

 

 

「うりゃぁ、ヒキコモリツインテール出て来いやぁ!」

 

 

 両手で障子を勢いよく開けながら叫ぶと、座椅子に座っていたらしい有咲がひいぃと言いながらバランスを崩して後方に倒れ込んでしまった。

 そのまま後ずさりして逃げようとしている有咲の顔の横に両手を着けて逃げ道を塞ぐように馬乗りになる。

 

 

「か、勝手に入って来るなよな、不法侵入じゃねぇかよ」

 

「友達の家だから問題無しですよ。それよりもいったい何で拗ねているの? 理由を言ってくれないと解らないでしょうが」

 

「どんな理屈だよ……ていうか理由とか特にねぇ、拗ねてねぇし怒ってもいねぇ」

 

 

 明確に視線を逸らしている姿からは本心を吐露しているとはとても思えませんが、でもそれを知る為に便利なのかもしれない例の特殊能力を使うのは何だか気が引けるというか、今じゃないなという思いが不思議と湧いてきています。

 それはそれとしてわたしの隣で両手をばたつかせながら慌てているりみりんの動く様子が、まるで小動物のような愛くるしさ満点の可愛いさで思わずぎゅっと抱きしめたくなりますね。

 

 

「じゃあ何でわたし達を避けるのさ」

 

「避けているのはお前らじゃねぇかよ」

 

「えぇっ⁉︎ 別に避けてないじゃん」

 

 

 相変わらず顔を背けて視線は合わせてくれないけれど、覇気の無い弱々しくて甘えた声色は普段の有咲っぽくはなくて、その姿が不思議と血が上っていた頭を少しだけ冷静にしてくれた。

 

 

「バンドをやろうって言ってたのに蔵には寄り付きもしねぇし、香澄はお昼御飯を一緒に食べる約束も忘れてるしで、最初の契約を破ってるのは優璃達じゃねぇかよ」

 

 

 えっ拗ねている原因ってそこですか?

 小学生なのですか? 初めての友達付き合いなのですか? ちょっとその発想は不器用過ぎやしませんかね。

 

 一瞬だけ呆れ返りそうになったけれど、受け取り方を変えて見れば有咲がそれだけわたし達の事を真剣に考えているとも言える話だ。

 冷静になって考えればそれはとても嬉しい事で、わたしの下で頬を紅くしながら顔を背けている姿を見ていたら、自然と愛しくて堪らない気持ちが胸の中から溢れ出してしまった。

 

 有咲の背中に手を廻してゆっくりと抱きしめる。

 こうやって身体を密着させる事で、有咲を大切に思っている気持ちがちゃんと伝わってくれたら良いのにな。

 それにしても胸同士が合わさっているというのに、このボリューム感の違いはいったい何なのですかね、しかもそれがちょっと悔しいと思ってしまっているわたしの気持ちも何なのですかね。

 

 

「ちょっ! 何で抱きつくんだよ」

 

「わたし達が有咲の事を大切に思っているのが伝わっていないのが悔しいの」

 

「それは……まぁ知っているけど」

 

 

 有咲も不器用な手つきでわたしを抱きしめてくれた。あぁこれはちょっと駄目かもしれない、背中に掛かる圧力がわたしの心を暖かな色に染めていくのが嬉しくて離れたくなくなってしまいそうです。

 

 

「だからちゃんと約束は守って、優璃も私に逢いに来て」

 

「うん、ちゃんとするから。これからも有咲の事を大切にするからね」

 

 

 さっきよりも有咲が強く抱きしめてくれて、より交わった体温がわたし達の間にあった心の壁をゆっくりと溶かしてくれていくような気がした。

 何なのでしょうか有咲の凶悪なデレの破壊力は、危険ですよこんなの男の子なら一撃で撃沈してしまう事は間違い無しの可愛さですよ。

 

 

「あのぅ二人共……仲直りしたって事で良いのかな?」

 

 

 不意に掛けられた声に驚いて顔を上げると、りみりんが優しく微笑みながらわたし達の頭に手を置いてくれた。

 

 

「ごめんね有咲ちゃん、一人だと勇気が出せなかったけど、これからは香澄ちゃん達となるべく来るからね」

 

「ま、まぁ練習場所は蔵だし、勝手に来ればいいんじゃねぇの」

 

 

 頬を紅く染めっ放しの有咲とそれを見て微笑むりみりん、いやこれは中々に尊い光景でございますよ。

 ほのぼのとした空気を切り裂くような振動がメールの着信を教えてくれたので中身を確認すると、どうやら香澄も心配が拭えなかったようで早々に課題を切り上げて此処まで来てしまったようです。

 

 

「有咲、香澄も迎えに来たみたいだよ」

 

「はぁ? えっと……あぁもう仕方がねぇなぁ」

 

 

 有咲から体を離すと、彼女は渋々といった体で立ち上がり頬を軽く掻きながら部屋から出て玄関へと向かった。

 暫くすると玄関の方から会話をしている声が流れてきたので、りみりんと頷き合ってから気付かれないようにそろりとした足取りで玄関の方へと足を向けた。

 死角からりみりんが顔だけを出して様子を伺い始めたので、わたしもりみりんを背後から抱きしめるような形で寄り添い肩に顔を載せてから二人の様子を大人しく見守った。

 

 

「香澄達も上手くいくと良いね」

 

「うんそうだね、でも優璃ちゃんちょっとくすぐったいかも」

 

 

 契約違反だろ、という声が聞こえてきます。どうやら有咲はその言葉がいたくお気に入りのようですがそんなのに負けるな香澄、頑張って喰らい付いていって。

 

 

「負けないで、頑張れ香澄」

 

「ゆ、優璃ちゃん……息が耳に……」

 

 

 りみりんも心の中で応援してくれているのか体が若干震えてきています。

 心が通じ合ったようでとても嬉しいです、一緒に応援しようという気持ちを込めてりみりんに抱きつく力を少し強めた。

 

 

「もっと仲良くなっていくには、きっとこういうのも必要なんだよ」

 

「そ、そうなのかな……嫌じゃないけどまだちょっと恥ずかしいよ」

 

 

 確かにりみりんの言う通り、ぶつかり合いの喧嘩って後から思い出すとちょっと恥ずかしいものだよね。

 

 

「おーい、二人ともこっちに来て」

 

 

 おやおやどうやら覗いていた事はバレバレだったようですね。急な有咲の声に驚いたのか力が抜けたようにりみりんが腰を落としてしまったので、慌てて前側に周って手を差し出した。

 

 

「りみりん大丈夫?」

 

「うん、こういうのにも慣れていかないと、頑張るね優璃ちゃん」

 

 

 顔中が赤くなるほどの気合が入っている姿がとても格好良いです。

 りみりんはわたしの手を取って立ち上がると、その手をしっかりと握り締めたまま歩き始めてしまいました。

 あれっそういえばりみりんと手を繋ぐのは初めてかもです、何だか恥ずかしいような嬉しいような、ちょっと背中がむず痒い気分になってしまいますよ。

 

 

 玄関先まで行くと半泣きの香澄に抱きつかれた有咲がすっかり困ってしまっているようです。有咲の顔を見れば解りますがどうやら無事に仲直り出来たようでとりあえずは安心しました。

 

 

「ちょっとみんな、蔵まで来てくれるか?」

 

 

 有咲に連れられて蔵の地下にある秘密基地に入ると、そこには見た事の無い新品の真っ白なキーボードが存在感を放つように置かれていた。

 

 

「ありさ、これって……」

 

「ほら、りみの時はグリグリの鰐部(わにべ)先輩にキーボードを借りていただろ、やっぱり自分でバンドをするなら必要かなって」

 

「あーりーさー、大好き!」

 

「うわっ、急に抱きつくなよなぁ!」

 

 

 有咲の話が終わるまで我慢が出来なかったのか、香澄が飛び付くように抱きついてしまった。

 照れながらも嬉しそうな有咲を見て思ったのですが、もしかしてこのキーボードを早く見せたかったのに香澄が蔵に中々来てくれなくて拗ねたという事なのではないでしょうか。

 もしそうなら全くもって面倒くさい、女の子って面倒くさ過ぎやしませんかね。

 でも不思議です、喜ぶ二人を見ていると何だか可愛いなとも思えてきてしまいます。手間が掛かる程に可愛いというか、どうやらこの先も優璃さんのやれやれ回数は減ってくれそうも無さそうですね。

 

 

「良かったね、優璃ちゃん」

 

 

 隣に居るりみりんが嬉しそうに微笑むので、わたしも釣られて素直に微笑みを返してしまいます。

 あれっ、やけに距離が近いなと思ったら、いつの間にか片手で繋いでいた手が両手で包み込まれるように握られていて身体も密着するように寄り添われています。

 りみりんにしてはこの距離感は珍しいですね、まぁそれだけ嬉しかったという事なのでしょうか。

 

 

「あーりーさー!」

 

「いい加減にうぜぇぇ!」

 

 

 いや喧嘩していたとは思えない程に仲が良いなこの二人。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 暫く四人でガールズトークを楽しんでいるうちに、すっかりと陽も落ちて暗さが辺りを包んでしまいました。この時間なら御飯でも食べていけば、という有咲の提案に乗ってみんなで市ヶ谷家の居間へと向かいます。

 普段のお弁当箱の中身を見る限り、有咲のおばぁちゃんの料理は間違いなく美味しい事でしょうし楽しみですね。

 

 

「あっ、おかえり」

 

 

 居間に入ったわたし達を出迎えたのは、お茶碗に御飯をよそっているおばぁちゃんと腰まで届く黒髪の美少女、花園たえちゃんだった。

 

 

「花園たえぇ! 何でお前が此処にいるんだよ!」

 

 

 当たり前のように座っている美少女に向かって叫ぶようにツッコミを入れる有咲を、おたえは意思の見えないきょとんとした瞳で見つめ返した。

 沈黙が支配した居間の中で、おたえは視線を大きなテーブルに戻した後に目の前にあった玉子焼きを箸で掴むと、もぐもぐと味わってから再び有咲の方へきょとんとした瞳を向けた。

 

 

「美味しいよ?」

 

「いや全く意味がわからねぇわ!」

 

 

 会話が繋がりそうにもないので吠える有咲を置いたまま三人でテーブルに着いて、おばぁちゃんから御飯入りのお茶碗をそれぞれ受け取ります。

 

 

「いやお前らも平然と受け入れるなぁ!」

 

「おばぁちゃん、今度はハンバーグ食べたい」

 

「ハンバーグかい? じゃあまた作ってあげるよ」

 

「やったぁ、おばぁちゃん大好き」

 

「いや何でお前がメニュー決めてんの? ってこっち向けや花園たえぇ!」

 

 

 居間の入口で叫び続ける有咲を他所に、わたし達も食事を始める事にします。

 

 

「美味しいね、優璃ちゃん」

 

「ゆり、玉子焼きが凄く美味しいよ」

 

 

 相変わらず距離感が近いままのりみりんに少し戸惑いますが、とりあえず香澄がやたらと勧めてくる玉子焼きに箸を伸ばしてみる事にします。

 

 

「有咲、御飯が冷めちゃうよ?」

 

「花園たえ、お前が言うなぁぁぁぁ!」

 

 

 うん、この玉子焼きは絶品かもしれないですよ、しかしこうして大勢で囲む食卓も中々に楽しくて良きものかもしれないですね。

 

 

 

 



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26.ヒャッハー!まりな許すまじ

 

 

「という訳でおたえをドキドキさせなければならなくなりました」

 

「いや何でだよ、そもそもそれを自分達の総意みたいに言うのはおかしいだろ」

 

 

 無事に有咲も復帰したお昼のお弁当タイムにてやたらと真剣な眼差しで語り始めた香澄に、お弁当の煮物を箸で摘みながら有咲が呆れ口調でツッコミを入れています。

 

 

「だっておたえをバンドに誘ったらバンドである必要性を教えてって言うんだもん」

 

「それはちょっとよくわからないね、どういう意味なの?」

 

 

 沙綾の言う事も至極当然で、香澄の説明があまりにも漠然とし過ぎていて要領を得ませんね。

 

 

「ギターはひとりでも弾けるよ、何でバンドをする必要があるの?」

 

「でも楽しいよ、バンド」

 

「楽しいってまだ活動らしい活動もしてねぇし、って言うか香澄、何で花園たえが此処に居んの?」

 

 

 いつもは五人で座っている輪が今日はおたえを加えた六人となっています。

 本人が居た方が対策が建てやすいという香澄の強引な理由付けからだったようですが、その理屈を聞かされた有咲が口をぱくぱくとさせながら言葉を失っている様子に、香澄と有咲を除いた全員が思わず吹き出すように笑ってしまいました。

 

 

「バンドの楽しさを伝えるねぇ、やっぱりライブとか?」

 

「良いと思うけど場所がさぁ」

 

 

 わたしの呟きに沙綾が苦笑いを浮かべながら応えます。確かにCiRCLE(サークル)はりみりんの一件もあって利用をする事が出来ませんし、何より香澄達は未だにバンドの形を為してはいないのでライブを開催するには少々難しい状況なのかもしれません。

 

 

「じゃあ有咲ちゃん家の蔵はどうかな?」

 

「蔵でライブ……クライブ?」

 

 

 身を乗り出しながら発したりみりんの提案の後に、ポツリと呟いた沙綾のクライブという言葉が妙に心に引っ掛かります。もしかしたらゲームでもそういうイベントがあったのかも知れませんね。

 

 

「良いねそれ、やろう! おたえを満足させるクライブ開催決定!」

 

 

 右手を突き上げながら宣言をする香澄をみんなで拍手をして承認します、と思いきや体を震わせながら俯いているツインテールの美少女がひとり居ました。

 

 

「お、ま、え、ら……まずは私に許可を得てから話を始めろよなぁ!」

 

 

 えーだってー、有咲はどうせ最後には仕方ねぇなぁとか言ってくれるじゃん。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 どちらからという事もなく、わたし達はお互いの手を求めて繋ぎ合わせた。

 

 バイト先へと向かう放課後の帰り道、わたしと沙綾は新緑の木々が作りだすカーテンの中を並んで歩いています。

 繋いだ手にもう違和感は無くて、むしろ一緒に帰る時はこうじゃないと落ち着かない気分さえ感じてきてしまいますね。

 香澄達は結局開催が決定したクライブの練習の為に蔵へと向かって行きましたが、わたしはバイトの為に、沙綾はお家が忙しいからという理由でみんなとは別行動となっております。

 

 

「沙綾のお家ってやっぱり忙しいんだね」

 

「まぁ今日はそんなでもないんだけど、ゆりと一緒に帰りたかったからね」

 

 

 はぁ何て可愛い事を言うのですか、そんな事を言われたら思わずトキメイテしまいそうになりますよ。

 

 

「明日はどうするの? 沙綾は何か考えてる?」

 

「特に何も、まぁゆりと一緒なら何処でも楽しめそうだし」

 

「ああっ! それわたしが言おうと思っていたのに」

 

「ふふっ、一緒だね」

 

 

 明日から始まるゴールデンウィークのお休みに遊びのお誘いを頂きました。

 最初はみんなも誘おうかと思ったのですが、沙綾の今は練習をさせてあげようの言葉に納得して二人で出掛ける予定となっております。

 何にしても楽しみです。そういえばいつも一緒に居るので感じませんでしたが、香澄と一緒に何処かへ出掛けたという事が今まで無かったですね。その内にでも香澄を誘って二人でデートも良いかもしれないです。

 

 うんっ? デート? いったい何を考えているのでしょうかわたしは、女の子同士でのお出掛けは普通に遊びに行くという意味の筈なのに……。

 

 やがてバイトに行く為に沙綾とはお別れになってしまう交差点へと差し掛かりました。

 歩行者信号があお色だったので沙綾にまた明日と声を掛けてから繋いでいた手を解こうとしたら、沙綾はまるでわたしの声が届いてはいないかのように更に強く手を握りしめてきた。

 

 

「ごめんね、明日が楽しみ過ぎて手を離したくなくなっちゃった」

 

 

 恥ずかしそうに俯きながら手を握りしめてくる姿に心が暖かくなっていきます。

 考えてみれば普段は沙綾のお姉さん風の立ち回りで手を引かれていた事が多いような気がします。

 よく女の子達がグイグイと引っ張ってくれる人が良いとか聞かされていましたが、いざ女の子になってみればその気持ちもちょっとだけ解るような、沙綾に手を引かれていると安心してしまう自分にちょっと戸惑う時もあります。

 それでも目の前で恥ずかしそうに照れる沙綾がとても女の子らしくて可愛いと思えたのは、まだまだわたしの心の中にも男の子の部分が色濃く残っているのかなという不思議な安堵感さえ覚えてしまいそうです。

 とても複雑です、いったい今のわたしは女の子なのでしょうか、それとも心の中は未だに男の子のままなのでしょうかね。

 

 沙綾の頭を優しく撫でてあげます。多分今は男の子の気分、沈んだ女の子を慰めてあげるのは男の義務なのですから。

 頭を撫でられた沙綾は顔を上げて、何とも言えない照れ笑いの表情を見せてくれた。

 

 

「明日はずっと一緒に居るから、いっぱい遊ぼうね」

 

「もう、私ってゆりには甘えちゃうね、駄目だなぁ」

 

「普段はわたしが甘えているのだから、たまには甘えて貰わないとバランスが取れませんよ」

 

「いやいや全然甘えてくれてないよ、私はもっと甘えてくれても良いんだけどなぁ」

 

「沙綾はわたしを駄目人間にでもしたいのかな?」

 

 

 お互いに顔を見合わせて笑い合った後にそっと繋いでいた手を離す。

 また明日ねと手を振りながら再びあお色に変わった横断歩道を渡り終え後ろを振り返ると、沙綾がまだ見送ってくれていたので再び大きく手を振ってからバイト先に向けてゆっくりと足を踏み出した。

 

 歩道を渡る風が髪を舞い上げながら通り過ぎていく。

 香澄や沙綾、有咲にりみりんとおたえ、みんな良い娘でそんな人達と友達に成れた事が本当に嬉しい。こんな気分の時には、たまには神様ありがとうと思ってあげるとしましょうかね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 ほほぅなる程、これがかの有名なブラックバイトというやつなのですね。

 

 

「美月、これは可愛いね」

「優璃ちゃん、ぷぷぷ、いやぁ似合っているよ」

 

「この二人、宇宙人に攫われてしまえばいいのに」

 

 

 昨日まりなさんから明日はショートパンツ姿で宜しくという連絡を受けた時から警戒をしておくべきでしたね。

 本日のアルバイト姿はロングTシャツにお店のエプロンと薄めのストッキングにダークブラウンのショートパンツ。それと頭には猫耳カチューシャ、手には肉球グローブ、足は肉球スリッパのコーディネートです……。

 

 月島まりな許すまじ!

 

 いや何で猫スタイルなのですか? パワハラなのですか? 尻尾が無い分ましでしょうとか意味が解らないのですがね。

 ニヤニヤと笑うまりなさんと咲紀さんを見ていると産まれてこのかた感じた事の無い感情が芽生えてしまいそうです、なる程これが殺意というものなのですね勉強になりましたよ。

 

 

「それで何故にこんな晒し者のような格好を?」

 

「顧客サービスです」

 

 

 いやぁ手ぶらで良かったです、バラエティーの番組でよく見かける飾り用のパイを持っていたらその顔面に叩き付けていたところですよ。

 

 

「美月……にゃん!」

 

「にゃん?」

 

 

 咲紀さんが手首を曲げて招き猫のようなポーズをするので思わず釣られて真似をすると、彼女は急に両手で顔を覆い肩を震わせ始めた。

 

 

「実に可愛い」

「うむ、妾は満足じゃ」

 

 

 この二人、宇宙までホームランされたらいいのに……。

 

 

「さっ、優璃ちゃんお仕事、お仕事」

 

「まったく、こんな手じゃ掃除もままならないですよ!」

 

 

 ふんふんと鼻を鳴らしながらモップで床を拭こうとするのですが、肉球グローブのせいで上手く握る事が出来ず、両手で挟むように使ってみても腰を入れて拭けないので本当に不便です。

 やはりこれはパワハラによる虐めですよ、奉公が終わったらこんなブラックバイトなんか絶対に辞めてやるです。

 

 

「優璃……?」

 

 

 聴き覚えのある声で名前を呼ばれ、錆びたブリキ人形のようなぎこちない動きで振り向いてみると、口元を手で隠しながら必死に笑いを堪えている制服姿の女の子が立っていました。

 

 

「えっ何? 滅茶苦茶に可愛いんだけど」

 

 

 はい、蘭に見られてしまいました。死なない程度に切腹しても宜しいですかね?

 

 

「ブラックバイトの成れの果てですよ、好きなだけ笑うが良いです」

 

「何で死にそうな顔してんの? 似合っているし可愛いじゃん」

 

 

 えぇ男の子としては死んだも同然な恥ずかしめなのでね。それよりも他のアフターグロウのメンバーが見えませんね、この後にでも来店してくるのでしょうか。

 

 

「他のメンバーはどうしたの?」

 

「今日はあたしひとり、ちょっと優璃に用事があって」

 

 

 ふにっと小首を傾げると、蘭がとんでもない勢いで顔を逸らせながら鞄の中からスマホを取り出してきた。

 

 

「アドレス知りたいんだけど、ほらスタジオの予約とかライブの連絡とかしやすいからさ」

 

「あぁはいはい、ちょっと待ってね」

 

 

 肉球グローブを外してショートパンツのポケットからスマホを取り出して連絡先の交換をする。バンド活動用なのかもしれないけれど、何だか蘭と友達に成れたような気分がしてとても嬉しいです。

 

 

「何をニヤニヤしているの? 気持ち悪いんだけど」

 

「えへへ、蘭と友達になったみたいで嬉しいな」

 

「べ、別にもう友達でもいいよ、あたしメール自体あまりしないから出来るだけ優璃から送って、優璃からのはちゃんと返すから」

 

「蘭の身近な事も知りたいから、そっちからも送って欲しいです」

 

「何を書いたらいいのかわかんないの」

 

 

 こういう反応を最近身近で味わっているような……あっ、有咲だ。

 という事は蘭もツンデレ属性持ちなのでしょうか、はぁこれは見たいです普段のクールな蘭のデレた姿はさぞかし尊きものの予感がしまくりですよ。

 

 ひとりでニヤけていたら急に蘭の表情が変わって、わたしの背後に睨み付けるような視線を向け始めた。

 慌てて振り向くとそこには蘭と同じ学校の制服姿で、グレー色の綺麗な長い髪を揺らしながら鋭い視線を此方に向けている女の子が見えた。

 あの人はRoselia(ロゼリア)というガールズバンドのボーカルである『(みなと) 友希那(ゆきな)』さんでしょうか、普段はあまり感情の起伏を感じさせない人だった筈なのですが今は微動だにせず蘭を睨み付けているようです。

 

 はっまさかこれは、昔の不良漫画にありがちな『テメェ! ガン飛ばしてんじゃねぇぞ!』というやつなのですか、駄目ですよ店内で喧嘩など神様が許しても優璃さんが許しはしないのです。

 モップを両手の肉球グローブで挟み込み、両者の空気を変える為にごしごしと床を拭いてみます。

 

 

「優璃、何してんの?」

 

「心配しなくても大丈夫ですよ、蘭はわたしが守ってみせますからね」

 

「いやどう見てもあの人、優璃を睨んでいると思うんだけど」

 

 

 慌てて顔を上げてみると、確かに友希那さんの視線がわたしに向いているような気がしてきました。おまけに先程よりも圧力を感じる視線が……。

 

 ふえぇ、わたし何も悪い事をしていないと思うのですけど。

 

 友希那さんは隣に居たロゼリアのベーシスト、茶髪でギャルっぽい見た目の『今井(いまい) リサ』さんと会話を交わした後に二人で此方に歩み寄って来た。

 

 友希那さんは香澄と大して違わない身長なのに目力が凄いです、怖いですこれは殺られてしまうかもしれないですよ。

 

 

「あの、店員さんだよね。ちょっとお願いしたい事があるんだけど」

 

「はひ⁉︎ 何でしょうか」

 

 

 リサさんが申し訳なさそうに両手を合わせながらウィンクをしてきた。

 

 

「ちょっと写真を撮らせて貰っても良いかな?」

 

「えっ、あっ、だ、大丈夫ですよ」

 

「良かった、友希那! ほら写真を撮るから横に並んで」

 

「リサ……私は別に……」

 

「はいはい恥ずかしがらないの」

 

 

 もじもじと恥ずかしがる友希那さんからは先程までの圧力を感じる事はありません。あらためて彼女を見ると少し幼く思える程の可愛いらしい顔立ちで、何処からあの目力が生まれていたのかまったく想像も出来ませんよ。

 

 

「ちょっと待ってください、あたしが先にこの娘と撮るんでその後にして貰えますか」

 

 

 いや蘭ちゃん、別に良いんだけどそこはムキになるところではないんじゃないでしょうかね。

 

 

「あぁゴメンゴメン、じゃあ撮ってあげるから二人でそこに並んで」

 

 

 蘭からスマホを受け取ったリサさんがカメラを向けてきたので二人で並んで立ちましたが、中々シャッター音がしてくれません。

 

 

「ちょっと身長を合わせてくれる? あぁ良い感じ、それじゃ撮るよ」

 

 

 わたしの身長に合わせて蘭が少し屈んでくれたので、蘭に顔を寄せて頬同士を合わせてから右手を上げてポーズを取ると大きなシャッター音が鳴り響いてくれました。

 リサさんから返して貰ったスマホを見ている蘭は、照れたのか少しだけ顔が赤いようです。わたしも近寄って画面を覗き込むと仲が良さそうに寄り添ったわたし達の姿が映っていました。

 

 

「蘭、凄く可愛いく撮れてるね」

 

「優璃の方が可愛いし……」

 

「あはは、そろそろこっちも撮っていいかな?」

 

 

 リサさんの言葉に慌てて友希那さんの隣に行き、撮りやすいように体を寄せて右手首を曲げてにゃん、のポーズを取ると何故か友希那さんも無表情のまま左手でにゃん、のポーズを取ってくれました。

 大きなシャッター音が何度も何度も聴こえてきます。あのリサさん、いくら何でも撮りすぎじゃないでしょうかね?

 

 

「ありがとう、時間をとらせたわ」

 

「わざわざゴメンね、それじゃあ」

 

 

 写真を撮り終えた友希那さんは右手で後ろ髪をさらりと掻き上げながら颯爽とした足取りで去っていきました。とても格好良いのですが、口元が少し緩んでいたのをわたしは見逃したりしませんよ。

 

 

「あの……写真を撮ってもいいんですか?」

 

 

 突然に掛けられた声に驚いて蘭と一緒に振り返ると、何人かの女の子達がスマホを片手にわたし達に詰め寄ってきた。

 

 

「じゃあ優璃、またメールでもしてね」

 

「らーんー! 友達を見捨てるというのですかぁ!」

 

 

 片手を上げながら足速にお店を出て行く友達になったばかりの女の子。仕方がないですね、帰ったら裏切り者というメールでも送ってあげるとしましょうか。

 

 

「まりなさん、咲紀さん助けてくださーい!」

 

「優璃ちゃん、顧客サービスだよ」

 

 

 スマホに囲まれながら助けを乞うと、まりなさんが右手の親指を立てながら最高の笑顔を見せてくれました。

 

 

 ヒャッハー! 月島まりなマジで許すまじでございますよ!

 

 

 



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27.推しは押し

 

 

 えぇ、明日の予定等を考えながら今夜は早寝でもしようかなと思っていたのですがね。

 

 

「それでね、おたえも結局クライブに参加する事になったんだ。ありさは凄い顔をしていたけれどね」

 

 

 わたしの部屋に遠慮なく入ってきて早々に、ベッドへ向かってダイビングアタックをかましてからごろごろと体を回し始めた女の子相手に、いったいどのようなツッコミを入れれば良いのか本当に迷ってしまいますね。

 

 本来はおたえをバンドに迎え入れる切っ掛けにする為に計画された筈のクライブなのに、香澄がギターを教えてくれる人が欲しいと言い始めておたえを呼び出し、勢いに任せてそのまま演奏メンバーに組み込んでしまったようです。

 ギターの事ならグリグリのゆりさんという手もあったのですがどうやら今の時期は忙しいらしく、気軽に頼めそうなのが友達であるおたえだったという流れみたいです。

 

 

「おたえもこのままバンドを始めてくれたら良いね」

 

「その為にもギターと歌を頑張らなくっちゃ」

 

 

 正座を崩した姿勢で座り直し小さくガッツポーズを作りながら気合を入れている姿が微笑ましいです。しかしその程度の連絡ならわざわざ夜遅くの時間帯に訪ねて来なくても別にメールとかでも良いんじゃないかなと思うのですがね。

 

 

「それで明日から連休だし、折角だからゆりにも蔵での練習を見て欲しいかなぁって」

 

「んー、明日は沙綾と遊びに行く予定だから、とりあえず明後日にでも様子を見に行くね」

 

「へぇ……さーやと遊びに行くんだぁ、わたしとは高校に入ってからまだ二人で遊びにも連れて行ってくれていないのに」

 

 

 先程までの明るい雰囲気から一転して、香澄はジト目で睨んでからスマホを取り出して無言で誰かにメールを打ち始めた。

 

 

「何をしているの?」

 

「あっちゃんにね、ゆりが絶賛浮気中ってメールしてる」

 

「それはらめぇ! あっちゃんが何かを持って飛び込んで来そうだから、この部屋が鮮血で染まったら嫌だから」

 

「じゃあ今度はわたしと二人で遊びに行く事、良いですかな?」

 

「そんな真似をしなくても香澄とならいつでもウェルカムだわ」

 

「えへへ、ゆりは本当にわたしが大好きなんだねぇ」

 

「謎の上から目線は止めて頂きたいのですが?」

 

 

 笑顔に戻った香澄がそろそろ帰るねと言ってベッドを降りた後に、端に座るわたしの胸に顔を埋めるようにして抱きついてきた。

 

 

「あんまり泊まると、あっちゃんに凄く怒られちゃうんだよ」

 

「あっちゃんは怒ると怖そうだしね、それはそうと何で顔をぐりぐりと擦り付けているの?」

 

「縄張り確保の為に匂い付け」

 

「ちょっと止めて! わたしは電柱ではないのですよ」

 

「あれっ? ゆりちょっと大きくなった?」

 

「カスミユルスマジ、グーパンチ、オシオキスル」

 

 

 香澄がひゃあと叫びながらドアまで逃げ出し手を振りながらそそくさと部屋を出て行ってしまったので、見送ろうかと窓を開けてベランダに出てみると肌寒い夜の空気が体を包み込んできて思わずブルッと震えてしまった。

 自分の家に戻ろうと歩いていた香澄がわたしに気付いたのか一度大きく手を振ってから急ぎ足で玄関の中へと入って行く。

 

 その姿を見送ってから淡く光る星空を見上げて深く溜め息を吐いた。

 

 

 ねぇ香澄……。

 わたし、香澄をとっても大切に思っているんだよ。

 大切で、大事で、ずっと一緒に居たいと願っているんだ。

 

 でもね、時々それって本当にわたしの気持ちなのかなと思ってしまう時があるんだ。

 以前の優璃が持っていた、香澄の事が大切っていう気持ちに引っ張られているだけじゃないのかなって、その思いは本物なのかって……。

 

 

 ベランダの柵に手を置いてみると、冷え切った感触が体を芯から凍えさせてしまいそうになる。

 

 

 言い訳だよねこんなの、只の優璃への嫉妬でしかない。

 わたしじゃない私へと向けられる笑顔が、深い信頼という好意を寄せられている存在が、わたしは羨ましくて仕方がないんだ。

 本物になってやると粋がっていた癖に、随分と女々しい感情に情け無さが募って落ち込みそうになる。

 こんなに嫉妬深い人間じゃなかったのにな、まったく……。

 

 

 思考は終わりの見えない螺旋階段をぐるぐると歩き続ける。

 見上げた空に浮かぶ月に、何だか冷ややかな顔で笑われてしまっているような気がした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 姿見を前に本日のわたしはご満悦です。

 

 うふふふ、昨日のアルバイトで気付いてしまったのですよ、未だに苦手なスカートを穿くよりもショートパンツの方が意外と恥ずかしくないという事実にです。

 太腿の中程までを隠す黒色のサイハイソックスに昨日も穿いたダークブラウン色のショートパンツ。上着はパーカーとはいえ春らしく淡いオレンジ色で可愛いらしさを演出です。

 髪型は沙綾とお揃いになるポニーテールにしてみましたし、活発な女の子という装いはこれでバッチリではないでしょうかね。

 ただショートパンツはお尻のラインが丸わかりなので少々恥ずかしくはあるのですが、わたしだって万年ジャージ姿ではないのですよ、たまには普通の服を着るのも良きものです。

 

 お昼も過ぎて暖かな気温となった時間帯、意気揚々とやまぶきベーカリーまで迎えに行ったわたしを待っていたのは衝撃でした。

 淡い桜色のセーターに脚が長く見えるすらりとしたロングスカート。髪型はいつものポニーテールに纏めてはいなくて、降ろした髪先には緩くウェーブがかかっていて大人のような雰囲気さえ感じられます。

 普段は化粧をしていないせいか、薄化粧を施した肌に淡く反射して輝くような瑞々しい唇がですね、えっとさぁ……ちょっと美人過ぎないかな?

 お父さんらしき人に呼び出されて店の奥から姿を現した沙綾の息を飲む綺麗さに、ハッキリと言ってわたしは呆然として言葉を失ってしまった。

 

 

「ゆりお待たせって、おーい」

 

「沙綾ズルいですよ、反則級の綺麗さではないですか」

 

 

 目の前でひらひらと手を振られて漸く正気に戻れましたが、沙綾の素敵な格好と見比べてわたしの格好は少々子供っぽい気がしてきて、何だか浮かれていたのが恥ずかしい気分になってまいりましたよ。

 

 

「ゆりも可愛いよ、ギュウってしたいくらい」

 

「むむむ、それにしても沙綾の美人さが際立ちますね、これはナンパには要注意しなければですよ」

 

「ゆりの方が声を掛けられそうな気がするよ」

 

 

 柔らかい微笑みに見惚れそうになってしまいます。これは危険ですね、街中に蔓延る野生のオス共を沙綾には近付かせないようにしなければですよ。

 

 

「あっそうだお父さん、今日はゆりが泊まりだから宜しくね」

 

「あれっ? そんな約束していたっけ?」

 

 

 お父さんのわかったという返事を聞くや否や、沙綾はわたしの手を取り力強く引っ張るようにしてお店の外へ向けて歩き出した。

 

 

「確か昨日だけどね、明日はずっと一緒に居ると言ってくれた娘が居て」

 

「そういう事ですか」

 

 

 沙綾の弾ける笑顔に何も言い返す事が出来ません。引かれっ放しの手といい、わたし達の関係性はもう既にこういう形が出来上がっているのかもしれませんね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 連休中のショッピングモールともなれば、まぁこういう光景は当たり前ですよね。

 

 

 モール行きの路線バスを降りて目に飛び込んできた光景は、家族連れやカップルに学生らしい男子や女子の群れ、人、人、人で大変に賑わっている様子が見てとれます。

 

 

「あれっ? どうしたの」

 

「人が多いからちょっと恥ずかしいかな」

 

 

 いつもの様に沙綾が差し出してきた手に人差し指と中指の二本だけをそっと乗せた。流石に普段の繋ぎ方は恥ずかしいというか、って何だかわたしの方が女の子っぽい反応になっている気がするのですけど、これって何かが間違っている気がするのですけど。

 理解してくれたのか二本の指を優しく握りしめてくれたのが嬉しくなって、思わず沙綾の方へ照れ笑いを浮かべてしまう。いつもより緩く繋がり合いながらながら普段よりも明るい色に感じてしまう外壁沿いを肩を並べて歩き、大勢の人達が行き交い賑やかさに溢れるショッピングモールのエントランスへとわたし達は同時に足を踏み入れたのでした。

 

 雑踏の波を泳ぎながら沢山ある服屋さんを見て周る。

 男の子の頃は何で女の子は買いもしないのにぐるぐると服屋を巡るのか理解が出来ないと思っていたのですが、沙綾に似合いそうな服を探してみたり、沙綾がわたしに服を勧めてきたりするのが不思議と楽しく思えてしまいます。

 ヤバイですね、着々と女の子に染まっていくのを普通に受け入れ始めていませんかわたし。

 

 

「ゆりはミニは穿かないの? 絶対に似合うと思うんだけど」

 

「恥ずかしいのでね、沙綾はどうなの?」

 

「私はほら、似合わないと思うからさ」

 

「少なくともわたしは見たいよ、絶対に可愛いもん」

 

「そうかなぁ、それじゃお揃いで買っちゃおうか?」

 

「いや沙綾のは見るけれど、わたしは穿きません」

 

「ズルくないかな、それ」

 

 

 鼻息も荒く勝ち誇った顔を見せます。えぇ、わたしは見る事は好きですが見られるのは大嫌いなのですよ。

 

 

「あれっ? 沙綾と優璃じゃん、香澄も何処かに居るの?」

 

 

 不意に掛けられた声に驚きながら振り返ると、肩口までの明るい色の髪をサイドで纏めた髪型が特徴でクラスメイトの『みっこ』が笑顔でわたし達に歩み寄ってきた。

 

 

「みっこ、今日は沙綾と二人でお出掛けなのです」

 

「そうなんだ、嫁が一緒じゃないなんて珍しいね」

 

「誰が誰の嫁ですか、香澄は確かに(推し)ですが夫婦では無いのですよ」

 

「いや言っている意味が解らないわ、それに香澄がいっつも言っているじゃん『うちの嫁がねぇ』って」

 

 

 えっと、香澄はわたしの居ないところでとんでもない事を言っているようですね、今度は確実にオシオキを決行したいと思います。

 

 

「香澄と優璃の仲良し夫婦にそれを暖かく見守るお姉さん役の沙綾、我が一年A組ではもはやこの組み合わせは常識の範囲ですぞ」

 

「あはは、お姉さんか確かにね」

 

 

 みっこが右手の人差し指を立てながら力説している言葉に沙綾が笑顔で言葉を返す。だけどその笑顔はどこか力が抜けたような、何だかいつもの沙綾とは違うどこか寂しさを感じさせる笑顔に見えた。

 

 

「おっ、せっかく出会ったんだしカラオケとかどうかな? 私も友達と来てるしさ」

 

「ゴメンみっこ、この後に沙綾と行く所があるからまた今度ね」

 

 

 みっこに軽く手を振ってから沙綾の手を強く引いて服屋さんから抜け出し、そのまま人波を掻き分けるように急ぎ足で歩いて吹き抜けのエントランスにあるベンチに二人で腰掛けた。

 

 

「ゆり、この後の予定とか決めていたっけ?」

 

「沙綾が何か元気が無いように見えてね、気が付いたら店から飛び出しちゃった」

 

 

 ベンチで足をぶらぶらとさせながら応えると、沙綾は大きなため息を吐いた後に再び力の無い笑顔を向けてきた。

 

 

「やっぱり私は何処でもお姉さんなんだなぁってね。嫌じゃないけれど何か、ね……」

 

「みんなの印象って不思議だよね。確かに頼り甲斐はあるけれど、わたしから見たらお姉さんというより普通の可愛い女の子にしか見えないけどな」

 

「ゆりにとっては普通の女の子なんだね」

 

「いや普通ではないか、沙綾は『わたしの嫁』なのですから」

 

「嫁は香澄でしょ?」

 

 

 握っていた沙綾の手をいつもの指を絡めた繋ぎ方に直します。これで少しは元気を取り戻してくれたらと願いながら思いを込めてしっかりと握る。

 

 

「香澄は幼馴染みなのでもちろん(推し)ですけど、高校に入って初めて出来た友達の沙綾もわたしにとっては特別だもん、だから沙綾もわたしの(推し)なのです」

 

「ふふっ、ゆりは一夫多妻制なんだ」

 

「もちろん有咲やりみりんやおたえ、わたしの周りに居る大切な人達も大好きだよ。好きは選ぶものじゃなくて増やすものだと思っているし、大切なものが多い程に幸せも増えるなんて最高じゃないですか」

 

「でも好きを失ったら? 私だったらきっと悲しくて堪らないと思う」

 

「本当の好きはきっと失くしたりしない、ただ見えなくなってしまうだけだと思うんだ。それにもし本当に壊れたと思ったのなら今度は違う角度から見てでもまた好きになるし好きになって貰う、そんな人にわたしは成りたいのですよ」

 

 

 そんなに強くも優しくもない人間だけど、自分の好きは諦めたくはない。

 二度目の人生は図々しく生きると決めたのですから、例えみんながノンケで絶望しようが、百合百合の尊い光景は絶対に諦めたりはしないのです。

 

 

「ゆりはそれくらい私の事が大切なのかな?」

 

「当たり前です、何と言っても推しですからね」

 

 

 沙綾が肩を寄せて体重を掛けてきた。お姉さんっぽい彼女が時折見せてくれる甘えた仕草も可愛くて仕方がありませんね。

 

 

「決めたよ、私もゆりを嫁にする」

 

「おぉ良いねそれ、(推し)は多い程に幸せになれるからね」

 

「ゆりとは違ってそんなに作らないから」

 

 

 二人で声を出して笑った。喧騒に掻き消されそうな笑い声は、お互いの胸の中だけに響き渡る優しくて暖かな音色のような気がした。

 

 

「ところでゆり、今日の下着は何色なの?」

 

「ふにゅ、今日はピンクだね」

 

「よし、それじゃ行こうか」

 

 

 立ち上がった沙綾に釣られて立ち上がってしまいましたが、よくよく考えてみたら何故にわたしは素直に下着の色まで教えてしまったのでしょうか。

 馬鹿なのですか、いや馬鹿ですね。沙綾は知らないとはいえ普段の下着は白色かベージュ色だというのに、今更ながら浮かれまくって下着まで可愛い物を選んでいた自分が恥ずかし過ぎますよ、これは脚が震えない程度の高さでバンジージャンプをして思いっきり叫んでしまいたい気分になりますね。

 

 

「沙綾、まさかですが……」

 

「うん、ランジェリーショップ。泊まるのに洗面用具はストックが家にあるけれどやっぱり下着は替えたいでしょ? 折角だからお揃いで買うよ」

 

 

 ひゃあぁ、何ですかこの二重の恥ずかしめ、沙綾に下着の色を知られただけでも恥ずかしいのに、この上にランジェリーショップ行きは元男にとって拷問級の苦痛でしかないではありませんか。

 

 逃げ出そうかとも考えましたが、しっかりと繋がれている手はどうやら安易な逃亡を許してはくれなさそうです。

 沙綾の押しには敵いませんね、どうせおすのなら推しの方にしていただいた方がわたしは嬉しいのですが。

 

 そのまま引き摺られるようにして連れて行かれた華やかな色合いが飛び交うランジェリーショップにて、沙綾が選んだ花柄のちょっとだけ大人っぽい下着をお揃いで購入いたす羽目となってしまいました。

 友達に下着を選ばれるという行為が想像以上に恥ずかしくて、思わず向こう岸まで辿り着かない程度に三途の川を泳いで逃げ去りたい気分になってしまいましたよ。

 

 

 



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28.わたしを見ないでください、わたしは見ますけど

 

 

 乗客が少なくなった帰りの路線バス、窓際に座るわたしの膝の上に置かれたハンドバッグの中には可愛いロゴの入った小さな買い物袋、車窓から流れる街並みは薄暗しさを増していて家々の灯りが流れ星のように煌めいて見える。

 まるで銀河鉄道にトコトコと揺られながら、何処か違う星へと旅行に来てしまったような幻想に取り込まれてしまいそうです。

 

 

「あのさ、沙綾」

 

 

 隣に座る沙綾が声を掛けられて小首を傾げるようにして微笑んだ。

 隣接した座席の隙間でかろうじて触れ合っている人差し指同士が、何だかお互いの存在を余計に深く感じさせてくれる。

 

 

「ゆり、どうかしたの?」

 

「お揃いで薄紫の下着を買ったよね、なら別にわたしの下着の色を確認する必要は無かったよね?」

 

「あれはねぇ、最初はショーツだけ替えがあればいいかなぁと思ったけれど、やっぱり上下でお揃いをしたくなっちゃってさ」

 

 

 という事はわたしだけが余計な赤っ恥をかいたという訳ですか、なる程これは許すまじな事態ですよ、沙綾にも同じく恥ずかしめを受けて貰わなければなりませんね。

 

 

「わたしだけ恥ずかしい思いをするのは納得が出来ませんよ、沙綾も今日はその下着をちゃんと着けてくださいね」

 

「元からそのつもりだよ、じゃないとお揃いで買う意味がないでしょ? ちゃんと見せっこしようね」

 

 

 えっと、見せっこという事はわたしの下着姿も見られるというとんでもない事態が巻き起こるという事ですよね。冗談ではないですよ、わたしは見たいですが見せるのはお断りです。

 

 

「沙綾、わたしはちょっと……」

 

「髪、ポニーテールにしてくれてたの嬉しかったな。ゆりも私とお揃いがしたいと思ってくれていたんだよね」

 

「いや、あの……うん」

 

 

 何ですかこの墓穴の掘りっぷりは、ウッキウキで沙綾とお揃いだと喜んでいた今朝の自分にドロップキックをお見舞いしてあげたい気分ですよ。

 

 バスが目的地の商店街前停留所にゆっくりと停車し、たんたんたんとタラップから跳ねるように降りてから、後に続いてゆっくりと路面に足を着けた沙綾に向かって手を差し出すと、少し驚いた表情を見せてから離れないようにしっかりと手を握ってくれました。

 

 

「ゆりから先に手を差し出してくれたの初めてな気がする。何だかちょっと緊張しちゃうね」

 

「普段のわたしが感じている気持ちが解ってくれましたかな」

 

「少しだけね、ゆりは手を繋がれるの嫌じゃなかった?」

 

「間違いなく今の沙綾と同じ気持ちを感じていると思うよ、そうでしょ?」

 

「本当に私と同じだったら良いのにな……」

 

 

 悪い気はしませんよ、今やわたしも手を繋いでいたら少し安心してしまうくらいですからね。

 寂しそうに光る街灯に照らされた歩道をやまぶきベーカリーに向かって肩を並べて歩く。沙綾が横に居るだけで今なら痴漢が出てきても難なく撃退が出来そうなくらいに気分が高揚してしまいます、まぁ実際に出たらもちろん叫びながら逃げますけれどね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 小さな妹というのは本当に可愛い存在だと思うのです。

 

 山吹家にお邪魔をすると、優しそうな両親に小学生くらいの弟くんと幼稚園くらいの妹ちゃんに出迎えられました。

 出会って早々に飛び込むように抱きついて来た妹の紗南(さな)ちゃんは人懐っこい笑顔がとても可愛いくて、思わずわたしもひしと抱きしめ返してしまいましたよ。

 弟の(じゅん)くんは、どうやら恥ずかしがり屋なのか近寄ってさえくれませんね。うんうんわかりますよ、このくらいの年頃は女の子を意識し始める年頃ですからね、ただ間違っても気になる女子を揶揄って注意を引こう等と考えてはなりませぬよ。生涯に渡って口を利いてはくれなくなりますからね、元男子からの黒歴史披露という暖かい助言です。

 

 山吹家の皆さんと夕食をご一緒した後に、沙綾の部屋へと案内されました。

 ベッドに並んで腰掛け漸くひと息ついたという感じですが、沙綾の部屋は飾りっ気があまりなく勉強机に箪笥とベッド、後は小さなテーブルがあるくらいで沙綾のさっぱりとした性格が伺える至ってシンプルな部屋となっております。

 

 

「ふう、ゆり大丈夫、疲れてない?」

 

「大丈夫だよ、それより純君や紗南ちゃん可愛いくて驚いちゃった。特に紗南ちゃんは小さい頃の沙綾はこんな感じかなぁって思って余計に可愛いかった」

 

「ありがとう、純は段々と生意気になってきたから困っているけれどね」

 

「あのくらいの男の子はそういうものですよ」

 

「何か詳しいね、弟とか居たっけ?」

 

「あっ、ほら少年漫画とかでもそんな感じでしょ」

 

 

 危うくボロが出そうになったので誤魔化す為に立ち上がってきょろきょろと視線を泳がせると、勉強机の上に置いてあった古ぼけた袋から頭を覗かせた二本の棒が見えた。

 

 

「沙綾、あれって」

 

「あっ! そろそろ紗南をお風呂に入れないと、ゆりゴメンだけれどちょっと待っててね」

 

 

 机の方を指差したわたしを見て沙綾は慌てたように立ち上がりわたしを再びベッドに座らせると、机に近寄り古ぼけた袋を引き出しの中に仕舞ってしまった。

 

 

「紗南をお風呂に入れるのは私の役目なんだ、直ぐに戻ってくるから」

 

 

 そのまま沙綾はわたしと視線を合わせる事なく急いで部屋を出て行ってしまった。

 ひとり残されエアコンの息遣いだけが聴こえる部屋でベッドに横たわり天井を見つめる。

 

 あれは間違いなくドラムスティック、しかも結構使いこなされた感じだった。自身の目に入る場所に常に置いてあるなんて、やっぱり沙綾はドラマーだった自分を捨て去った訳じゃなさそうにどうしても思えてしまう。

 わたしは沙綾がドラムやバンド活動が大好きなのを知ってはいる、だけどそれが何の役に立つのだろう。沙綾のトラウマをほじくり返そうとしているわたしの考えは果たして正解と言えるのだろうか。

 

 

『……まだまだ走り続けなさい』

 

 

 ふと以前に姉さんに言われた言葉が頭をよぎって笑いそうになる。

 最近のわたしは少し臆病だ。失くしたくない事が増えて踏み出す脚に力が入り難くなっているみたいで、実にらしくないなと思う。

 悩んでも答えが出ないならとりあえず突っ走るという脳筋プレイが持ち味だった筈です。ならばぶつかってみるとしましょうかね、大切な友人の為に。

 

 よし、気合いが入ってきましたのでとりあえず箪笥でも漁るとしましょう、他人の色々な好みを知っておくのは女の子としての大切な嗜みですのでね。

 

 

「ゆりお待たせ、お湯も張り替えているから入りに行こうか」

 

 

 あっぶねぇです、箪笥の前に座りいざ尋常にと両手を伸ばそうとしたところで沙綾が戻って来てしまいました。下手をしたら百年の友情もぶち壊しの展開となる可能性も有り得ましたね、重ね重ねあっぶねぇです。

 

 

「着替えはスウェットでも良い? これもお揃いにしちゃおう」

 

 

 沙綾がわたしの横に座って箪笥の中から二組の黒色スウェットを取り出し、ごそごそと自分の鞄から可愛いロゴの入った買い物袋を取って立ち上がった。

 

 

「えっ? 沙綾、お風呂に入ったよね?」

 

「紗南をお風呂に入れただけだよ、まだ化粧を落としただけ」

 

「まさか一緒に入るとかじゃないよね? わたし見られるの恥ずかしいからひとりで入りたいのですが」

 

「女の子同士で恥ずかしがる必要なんて無いでしょ」

 

「いやいやいやいやいや、無理、無理、無理ですぅ」

 

 

 そう、それが嫌なのですよ。同性なら恥ずかしくないとか当たり前なのかもしれないですが恥ずかしいものは恥ずかしいですし、何よりわたしは恥ずかしがる女の子が見たいのですよ。

 あんまり見ないで、と頬を染めながら俯く女子の可愛さが尊きものなのです、確かに沙綾の胸部装甲や臀部バリヤーは見たいに決まっていますが、開けっ広げにされても何と言うか有り難さが半減してしまうのです。

 それに何が嫌かって自分が同性、つまり女の子としてしか見られていないという事実を突き付けられるのが傷付くのです。わたしはまだまだ男の子なのですよ、思い切り恥ずかしがって下さいな気分になるのですよ。

 

 

「もう仕方がないなぁ、ここは嫁に任せなさい。ほら、行くよ」

 

「ふにゅにゅ、嫌ですぅ」

 

 

 わたしの鞄からも小さな買い物袋を取り出した沙綾が此方へ向かってポイッと投げ渡し、その袋を受け取る隙を見計らったかのように腕を引っ張られて無理矢理に立ち上がらせられてしまい、そのまま力強く引っ張られるようにしてお風呂場へと連行されてしまいました。これが俗に言う嫁の尻に敷かれているという状態だというのですかね、もう絶望しかないでございますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 冷えきった身体で震えるわたしは、まるで母親と逸れた子羊のよう。

 

 詩的に表現してみても様になりませんね、実際には全裸が恥ずかしくてお風呂場の隅で縮こまっているだけなのですが。

 脱衣所で躊躇いもなく服を脱ぎ出した沙綾を全力でガン見していたら、それに気が付いた彼女に無理矢理に服を脱がされ、あまつさえ勢いで下着まで剥かれそうになったので慌てて自分で脱いでお風呂場まで逃げて来たという経緯でございます。

 それにしても下着姿の沙綾は綺麗でした。程よい肉付きだけど引き締まった身体で胸部装甲はわたしよりも随分と御立派な仕様です。キュッと括れた腰から続く臀部バリヤーも安産型というやつでかなり強度が高そうですね。

 でも綺麗なんだよな、男の子だったらウッヒョー、エッロ、とかいう感想を抱く筈なのに、まず頭に浮かんだのが綺麗ってそれはまんま女の子の感想である訳で……。

 

 

「もう、まだ恥ずかしがっているの?」

 

「仕方がないのです、どうしようもないのですよ」

 

 

 後から入って来た沙綾の声に反応してそちらを見たら……。

 うっわエッロ、胸部装甲めっちゃ形が綺麗やん、形の良いお山の頂上もこれまた……グハッ!

 視線を下に移していくと、綺麗なおへそから続くこれまた綺麗にお手入れされた……グハッ!

 

 衝撃で危うく血反吐を吐きそうになりましたよ、というか沙綾も少しは隠してください、またガン見して馬鹿みたいな面を晒してしまいそうになるでしょうが。

 沙綾に背を向けて体育座りで縮こまる、これなら背中しか見られませんし恥ずかしさも薄れるというものですよ。

 

 亀のように丸まり固まっていたら、背中に柔らかな熱と衝撃が同時に襲ってきて驚いた瞬間、腕を廻されて抱きしめられてしまった。

 

 

「しゃっ、しゃあや、にゃっ、にゃに?」

 

 

 背中に沙綾の熱が直に伝わる。抱き寄せられる時にわたしの胸も触れられていましたけれど比べ物になりません、柔らかさといい温かさといい沙綾の胸部装甲は戦闘力が高すぎやしませんかね。

 

 

「知ってる? 肌が触れ合う程に相手に対する警戒感が和らぐらしいよ。だからこうしていたらゆりも緊張しなくなるって」

 

 

 そうなのですか? それにしては心臓が張り裂けんばかりの勢いで鼓動が強く打ち鳴らされているのですが?

 暫くそのまま抱きしめられていたら不思議と胸の苦しさも収まり始め、身体の緊張も緩やかに絆されていくのがわかった。鼓動はまだ強いけれど、それは先程までと何か違うドキドキに感じられてしまいます。

 遮る物が無い肌同士が密着している事で沙綾をとても身近に感じる、確かに言われた通り恥ずかしさが少し薄まって来たような気がしますね。

 

 

「慣れてきたみたいだね、それじゃいくよ」

 

 

 背中に感じていた柔らかさが消え去ったと思ったら、身体を掴まれてお尻を軸にしてくるりと半回転されてしまった。

 

 

「ちょっと華奢だけど、とっても綺麗だね」

 

「ひゃわ! ひゃわわわぁぁぁ!」

 

 

 これって見えていますよね、わたしの大事な部分が余す所なく全部を見られていますよね。あぁもう死にます、沙綾、短いお付き合いでしたがわたしはこれから階段の下から三段目に移動して飛び降り致しますのでお先に失礼しますね。

 

 

「慌て過ぎだから、ゆり、こっちにおいで」

 

 

 沙綾はガクガクと震えているわたしの脇の下に両手を通し、軽く持ち上げるようにして座っている自らの膝の上にお尻をストンと乗せた。

 そのまま引き寄せられちょうど母親が赤ちゃんを抱っこするような形に収まったかと思ったら、沙綾がわたしの胸部装甲の高さにあった頭を埋めるようにして再び強く抱きしめてきた。

 

 

「ゆりの鼓動が聞こえる、何だかゆりを凄く身近に感じるな」

 

「わたしもだよ、沙綾と繋がっている気分になる」

 

 

 沙綾の頭を包み込むように抱きしめる。先程より密着している面積が大きい為か、まるで沙綾と溶け合っているような心地良さを感じる。何だかこのまま離れたくなくなってしまいそうですよ。

 

 あれっ、でもよくよく考えてみたら、これって第三者から見ればわたしが全裸で沙綾に抱きついているようにしか見えませんよね?

 完全に変態の所業ですね、これは顔が真っ赤になる前に階段の下から五段目にランクアップさせてとりあえず飛び降りを致すとしましょうか。

 

 それでは沙綾、離れたくはありませんが離して頂けますかな。いややっぱり離れたくないのでもう少し後に離して頂けますかな。いやいっその事このままずっと抱きしめていてくれても良いのですがね。

 

 

 



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29.手を繋ごう

 

 

「ほい、出来ましたよ」

 

「うーん、やっぱり新品は少し固いね」

 

 

 沙綾がホック、と背中を向けながら言うので慣れない手付きで留めてあげると、新品の感想を述べながら胸ポジの調整をし始めたようです。

 何だかお風呂に入ってからの沙綾は少し甘えん坊感が増しているみたい、いつものお姉さん風の沙綾も良いのですが、今のすっかり女の子然となっている姿もとても魅力的だと思いますよ。

 

 

「じゃん! どうかな?」

 

「素敵ですよ、しかし本当にスタイルが良いのが実に羨ましいです」

 

「ゆりも似合っているよ、可愛い」

 

 

 沙綾がはしゃいだようにくるりと回転しながら下着姿を披露しています。

 薄紫に彩られたお揃いの下着姿を見せっこしている自分達が何だか不思議に思えます。以前のような恥ずかしさも鳴りを潜め、今は沙綾に下着姿を見られていても特に嫌だとは思わなくなってしまいました。

 これが壁を超えたというやつですかね、裸でスキンシップ効果の経験値足るや恐るべしですよ。

 

 

「お揃いの下着って、やっぱり恥ずかしいね」

 

「沙綾がそれを言うの?」

 

「だって見えない部分でお揃いって……何か付き合っている恋人同士みたいじゃない?」

 

「そう言われるとそうかもですね。でも心配しなくても大丈夫ですよ、特別な友達感が有ってわたしは平気です」

 

 

 沙綾も心配性ですね流石にそんな勘違いなんてしませんよ、沙綾はノンケで女の子がそういう対象では無いという事はちゃんと知っていますからね。

 

 

「何だか今日はこのまま下着で過ごしたい気分になった」

 

「えぇっ⁉︎ 流石に夜は寒いよ」

 

「じゃあゆりにスウェットを着させて欲しいな」

 

 

 急にどうした事か沙綾が甘えん坊どころか只の駄々っ子と化してしまいました。仕方がないので万歳のポーズで待っている沙綾にスウェットの上下を着させ終えたら、さも当然のように今度はわたしに穿かせようとズボンを持って待ち構えているその姿に、いったい何と言葉を掛ければ良いのか誰かに教えて頂きたいものですね。

 

 

「私達、何をしているんだろうね」

 

「沙綾、それはわたしの台詞です」

 

 

 屈んだ姿勢でわたしにズボンを穿かせながら正気に戻った沙綾がポツリと呟いた。それでも上着までちゃんと着せてくれたのは、流石というか面倒見が良いとでも言うべきなのでしょうね。

 

 歯磨きも終えて部屋に戻り、ベッドの端に背中を預けながら並んで座り他愛もない会話を楽しんだ。

 わざわざ並んで座っているのは沙綾が手を繋ぎたがったからで、わたしとしては仕方なしです。なんてね、わたしも今は沙綾と繋がっていたい気分になっているので実は喜んでいるのですけど。

 

 いつもの落ち着いた雰囲気ではなく、少しはしゃいだ笑顔を見ているだけで嬉しい気分が湧いてきます。でもわたしはこれからこの笑顔を消してしまうかもしれない事を訊こうとしている。敢えて触れないという事も出来るけれど、二人きりの今だからこそ沙綾の心の壁に弾丸を撃ち込むチャンスのような気がするから。

 

 

「あのね沙綾、机の上にあった」

 

「ゆり駄目だよ。それ以上に踏み込んじゃ駄目」

 

 

 笑顔を向けられながら繋いでいる手を強く握られた。

 沙綾、今日は沢山のとびきりな笑顔を見せてくれたよね、だからもう解っちゃうんだよ、その笑顔が作り物だって。

 

 

「聞かせて欲しい、沙綾ってドラム経験者だよね、なら何故」

 

「楽しい話じゃないよ、ゆりとはもっと楽しい話がしたいな」

 

 

 言葉の端々から笑顔の裏に隠された明確な拒絶の意思を感じる。

 解っていながらも傷口に塩を塗り込むわたしの行為は最低に決まっている。だけど知っているんだ、香澄やみんなと演奏している沙綾を、心の底から楽しそうにドラムを叩いている姿をね。

 あの場所へと引っ張り上げるのはきっとpoppin'partyのリーダーになる香澄にしか出来ない。それでもわたしにだって風穴をあけるくらいは、背中を押す事くらいはやれる筈です。

 みんなの為に、そして何より足を止めて蹲る大切な友達の為に、この場は折れてしまったら駄目なんだと信じますよ。

 

 

「沙綾、それでもわたしは」

 

 

 言葉を切られるように突然肩に沙綾が寄り掛かってきた。急な事に驚いて声を掛けようとしたら、沙綾はまるで気を失ったかのように瞳を閉じて体からは力が抜けきっていた。

 

 

「えっ、何これ……」

 

 

 慌てて寝かせてあげようかと思ったら、繫ぎ合っていた手が淡く光っているのが目に入る。いったい何が起こっているというの、まさかこれって。

 混乱した脳が対応を導き出す前に、段々と視界が眩い光で染まっていく。

 

 

「まさかこんな場面でわたしの特殊能力(ちーとすきる)が発動なのですかぁ?」

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 瞳を覆う眩しさを抜けて目を開けてみると、最近馴染み始めたばかりの光景が広がっていた。

 沙綾のお店も有る地元の商店街。大通りの傍には露店が立ち並び、賑やかに彩られた歩道の提灯がまさにお祭りといった雰囲気を醸し出していた。

 

 ぐるりと視界を一周させてから腰に手を充て溜め息を吐く。

 此処にはお祭りにあるべき筈のものが無い。通りを行き交う影も、幸せそうな笑顔達も、露天商の元気なかけ声も何もかもが無い。

 このお祭り会場には人の姿が何処にも無かった。楽しそうな景色と実際の寂れた雰囲気との乖離に、言い知れぬ不安感と焦燥感が心の中に押し寄せてくる。人が居ない、ただそれだけで心臓が錆びついたような気持ち悪さに苛まれてしまいそうだった。

 

 人気の無いお祭り会場を沙綾を探して歩き周ってみる。此処が彼女の精神世界ならりみりんの時みたいに本人がきっと何処かに居るはず、こんな寂しい世界にひとりで置いて行くなんて出来る訳がない、絶対に沙綾をみんなの居る暖かい世界に引き戻してみせますからね。

 

 立ち並ぶ無人の露店街を抜けてお祭りらしさも薄れてきた頃、広めの空き地らしき場所に手作りの簡素な櫓のステージが組み立てられているのが見えた。

 空き地に入り黙ったまま、夕影に染まりつつあるステージにひとりで座っている女の子へと向かって歩を進めて行く。

 手作りの可愛らしいステージ衣装に身を包み、手には一組のドラムスティックを固く握り締めステージ中央の前端に俯きながら座り動く気配のない体を、まるで場違いな主役を晒し出すようにスポットライトが照らしていた。

 

 

「沙綾!」

 

「ゆり……?」

 

 

 呼び掛けると顔を上げて返事をしてくれた。声が届く事に多少の安堵感があったけれど彼女の瞳に光は無く、いつもの綺麗な笑顔の片鱗さえも無い感情の薄い表情でわたしを見ていた。

 近寄って触れようとしたらまたあの透明な壁に邪魔をされる。手を伸ばせば届きそうな距離にいる彼女が、今は途方もなく遠くに感じてしまいますよ。

 

 

「沙綾、その衣装は」

 

「訊かないで欲しいな、きっと呆れられちゃうし」

 

「あのさ、わたしはもっと沙綾に寄り添いたいと思っているんだ。泣くなら一緒に泣きたいし笑う時にはみんなで笑い合いたい。だから聞かせて欲しいの、胸の奥に在るその声を」

 

 

 暫く押し黙っていた沙綾が、瞳を伏せながらもポツリポツリと声を絞り出すように話をしてくれた。

 

 

 

 

 

「あのね、ライブをする筈だったんだ……」

 

 

 沙綾は中学生時代に同級生達とCHiSPA(チスパ)というバンドを組み、大変ながらも楽しい練習を積み重ねていた。

 バンドメンバー達も良い娘ばかりで、沙綾もドラムを初めて良かったと心の底から充実感を味わう事が出来ていた。

 ずっとずっとこのバンドで夢を追いかけて行くんだ、そう思っていた。

 

 だけどそんな幸せだった青春に、神様というやつは意地悪な悪戯を仕掛けてしまう。

 

 練習を積み重ね、街が開催した野外イベントで初ライブを行う筈だったまさにその日、ライブ直前の会場に居た沙綾の携帯電話に振動が走った。

 電話を取ると弟からで、父親が不在の時に元々身体の弱かった母親が家で急に倒れてしまったと、後は泣きながらお姉ちゃんどうしようと繰り返すばかりとなっていた。

 沙綾は電話越しに弟を宥めながらも動揺を隠しきれなくなってしまった。

 

(父親に連絡をするにしてもパニック状態の弟妹をそのままにはして置けない、いったいどうしたらいいの)

 

「何をしているの沙綾、早く行って!」

「……わかった」

 

 躊躇する沙綾をバンドメンバーが一喝し、背中を押される形で家へと向かって走り出した。

 

 走った、走った、そして走りながら瞳から涙が溢れ出した。

 

(家に戻っても場合によっては救急車を呼ばなければいけないかもしれない、そこまで酷くはなくともせめて父親が戻るまでは純達を放っておくなど出来やしない)

 

 走った、走った、声をあげて、泣きながら走り続けた。

 

 チスパの初ライブが夢と消えた。自分のせいだ。何故か沙綾はそう思った。

 

 

 

 

 

「メンバーはね、沙綾のせいじゃないこれからも頑張ろうって言ってくれたんだ。でもいつまたメンバーに迷惑を掛けるかもわからないし、みんなに気を遣わせてまでやりたくは無いってバンドを抜けたんだ」

 

「わたしから見ても沙綾は何も悪くないと思うよ」

 

「違うの! ただ私は自分が傷付くのが嫌だっただけなの。メンバーに気を遣わせている現実に、迷惑を掛け続ける事でバンドを楽しめなくなりそうな自分が嫌だったの、だから……」

 

 

 顔を歪め吐き捨てるように語る姿が痛々しくてわたしが泣いちゃいそうだよ、沙綾。

 

 

「逃げ出したんだよ。バンドもドラムも諦めてしまえば誰も、私も傷付かないから」

 

 

 透明の壁に右手を添えて顔も近づける。本当なら今にも泣き出しそうな顔で無理矢理な笑顔を作ろうとしている沙綾を優しく抱きしめてあげたいけれど、わたし達の距離はまだまだ地平線の彼方より遠い気がしてくる。

 

 

「どうして迷惑だなんて思うの?」

 

「迷惑だよ、私のせいで練習時間が減ったりライブに出れなかったりするでしょ」

 

「わたしだったら迷惑なんて思わないよ。沙綾が悲しむなら一緒に泣くし、躓いて歩けないなら手を引いてあげたい、もしもわたしの足が止まった時には背中を押して欲しいとも思う。甘えて頼って我儘を言い合って喧嘩してそれでも一緒に居たい、それが友達や仲間だしチスパの人達だってきっとそうだよ」

 

「でも……もう遅いよ、絆だって壊れちゃったもん」

 

「違うよ!」

 

 

 自分でも驚く程の声量で叫んだ。辛くて逃げ出すのは悪くない、逃げ出したからって全てを失う訳じゃない、仮に全てを失ったってそれで終わりな筈が無い。

 

 

「過去を失ったって明日が消えてなくなる事は無いのですよ。ゼロになったからもうイチにはなりませんという数学をわたしは知りません。元には戻らないと言うのなら新たな居場所を作れば良いのです、絆に回数制限など無いのですからね」

 

 

 沙綾がステージを降りて透明な壁越しにわたしの右手と合わせるように左手を添えてくれた。

 

 

「手を繋ぎましょう沙綾、そして半歩でも良いから並んで踏み出そう。何度も立ち止まったってわたしが何回でも手を差し出しますよ」

 

「駄目だよ、この手を取ったらきっとゆりが特別になっちゃう気がする」

 

「何を今更な事を言っているのですか、沙綾はわたしにとってはもう特別なのですよ」

 

「嫁だったよね、大勢の中の一人だけど」

 

「特別は特別です。それに沙綾にもその内に出来ますよ、沢山の嫁が」

 

「ゆりとは違います、私は情が深いからね」

 

 

 手を合わせた部分から透明の壁に亀裂が走り始める。やがて無数の亀裂が徐々に光の粒へと変わりながら崩れ始めて、わたし達の頭上に柔らかく降り注いでいった。それは淡雪のようであり、春風に舞う小さな花びらのような美しさにも思えた。

 

 

「捕まえたよ、ゆり」

 

「漸く会えましたね、沙綾」

 

 

 光の粒に包まれながら、遮る壁が無くなったわたし達はいつもの様に手を繋ぎ合わせた。心を重ねるように、絆を紡ぐように……。

 

 

「戻ろう沙綾、みんなが居る場所へ」

 

「うん、一緒に帰ろう」

 

 

 ステージを照らしていたスポットライトの輝きが大きくなっていき、やがて目の前が眩しい光に染められていく。

 消えゆく光景の中で視界が最後に捉えたのは、輝くでもなく弾けるでもない、沙綾がいつも見せてくれるふわりとした優しい微笑みだけだった。

 

 

「ゆり、私はやっぱりドラムが好き、それと……」

 

 

 最後の言葉は聞き取れなかったけれど、繋いだ手の感触は暖かいまま残り続けて、いつまでもどこまでも消え去る事は無かった。

 

 



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30.プリンのようにゃー

 
 シリアスとコメディーのバランス感覚が難しい。


 

 

 ぼんやりとした意識の大海原を漂いながらゆっくりと瞳を開けてみれば見知らぬ部屋の天井。いったい何処に居るのだろうと考えていたら、右手に残る温もりを感じて漸く沙綾の部屋だと認識する事が出来ました。

 ふと横を向けばまだ意識が戻っていないのか、瞳を閉じたままの沙綾が安らかな呼吸音をたてています。

 上半身だけを起こして固く結ばれたままの右手を見ると恥ずかしさが込み上げてきますね。沙綾の精神世界ではかなり照れてしまう台詞を発していたような気がするのですが、雰囲気と勢いって実に怖いものですよ。

 

 折角なので意識が戻っていなさそうな沙綾を上から覗き込むように観察してみます。閉じた瞳に生え揃う長いまつ毛やそれぞれバランスよく整った顔の各部を見れば、やはり美人と言わざるを得ませんね。普段の言動からついついお姉さん扱いをされている彼女ですが、眠っている姿の可愛さはやはり年相応の美少女ですよ。

 

 

「可愛いですねぇ沙綾は」

 

「じっと見つめているから、キスでもされるのかなと思った」

 

「うっひょい!」

 

 

 眠っていると思い込んでいた沙綾が突然に瞳を開けて話し掛けてきたせいで、驚きの余り口から珍妙な言葉と共に魂やら色々な何かが飛び出しそうになりましたわ。

 

 

「どうやら二人でウトウトとしていたみたいだね、こんな所で寝ていたら風邪を引いちゃうしベッドに行こうか」

 

「あっ、それではわたしはお布団を」

 

「何を言っているの、寄り添って寝ればベッドでも大丈夫だから」

 

「何が大丈夫なのか理由が迷路で迷子ちゃんなのですが」

 

 

 寝起きで重そうな体を起こし、部屋の照明を落とそうと立ち上がろうとした沙綾が急にその動きを止めてしまった。

 

 

「何故か解らないけれど手を離したくないかも」

 

「可愛い事を仰りますな、では一緒に参るとしましょうかね」

 

 

 

 可笑しな光景ですが、決して広くはない部屋なのに照明のスイッチまで手を繋ぎながら歩き、照明を落とした後も手を繋ぎながら一緒にベッドに潜り込みました。沙綾が手を離したがらないのは、もしかしたらあの精神世界での出来事が何かしらの影響を与えているのかもしれませんね。

 まだ暗がりに眼が慣れていないせいか沙綾の姿はよく見えませんが、繋いだ手と触れ合っている腕同士の暖かさで存在を強く感じる事が出来ています。

 

 

「沙綾ってドラムをやっていたよね?」

 

「昔ね……ゴメン、今はその話をちょっとしたくないかな」

 

「そっかぁ」

 

「あっ、でもいつかはちゃんと話すよ。でもまだちょっと勇気が出ないかも」

 

「待っているよ、嫁の事は知っておきたいし」

 

「うん、私もゆりになら良いかなって思っているよ」

 

 

 最初に訊いた時の完全な拒絶の雰囲気とは随分と異なり、幾分だけ前向きな言葉が節々に見受けられるような気がします。

 これで良いのです、沙綾を本当の意味で救うのはやはり物語の主人公である香澄の役目。わたしはあくまで俯いていた顔を上げて前を向けるようになる切っ掛けに成れればそれで。

 それに何より表舞台に出過ぎてしまうと、陰から百合百合の光景を眺めてウッヒョーとし難くなりますからね、モブ感は大切にという事ですよ。

 

 

「ねぇゆり、もっと近くに寄っても良い?」

 

「今日の沙綾は甘えん坊さんですねぇ」

 

「やっぱり止めておきます」

 

 

 沙綾が繋いでいた手を解いて背中を向けて拗ねてしまったようです。仕方がないので沙綾の方へ身体を向けて頭を優しく撫でてあげると、背中を見せていた彼女が再び此方を向いてから、ごそごそと布団の中に潜り込みながら胸に顔を埋めるようにして身体を寄せて来た。

 

 

「今日の私はやっぱり変かも、こんなに甘えたりした事なんて無いのに」

 

「良いのではないですかね、どうやらわたしも沙綾に甘えられるのは好きなようですよ」

 

 

 優しく抱きしめるようにして頭を撫で続けてあげます。ふわりと鼻腔をくすぐる沙綾の体温と身体の甘い香りに心が安らいでいくようです。もしかしてこれが母性というものなのでしょうか、何か複雑な心境ですが嫌な気持ちにはなりそうもありませんね。

 

 

「ドラムの事、みんなにはまだ秘密にしておいてね。特に香澄に知られたら絶対にバンドをしようって言うでしょ」

 

「それは間違いないですな、でもきっといつかは知られてしまうんじゃない?」

 

「それまでは二人だけの秘密が良いかな、みんなとはまだ普通の友達として付き合いたいんだ」

 

「そうしたらまた二人だけの秘密が増えていっちゃうね」

 

 

 暗がりに眼が慣れてきたのかわたしの胸から顔を離してきょとんとした表情を向けてきたのがよくわかります。丁度この体勢だと沙綾が上目遣いをしているように見えてしまうのが、身長の低いわたしにとって普段は見る事が出来ない貴重で可愛いらしい瞬間のような気がして、ちょっとだけですが心が躍ってしまいそうです。

 

 

「下着も寝巻きもお揃いにして、しかもこんなに仲良く添い寝をしているなんて誰にも言えませんからね」

 

「確かに誰にも見せられないよね、こんなイチャイチャカップルみたいな恥ずかしい姿は」

 

「こんなに甘々な沙綾を見れて嬉しいですよわたしは」

 

「むう、ゆりが普段から甘やかすからでしょ」

 

「いえいえ普段から沙綾の方が余程に甘やかしていますね」

 

 ゆり、沙綾、ゆり、沙綾と交互に言い合っている内に、気が付いたら沙綾の顔が間近に迫っていた事に驚き慌てて体を離そうとしたら、逃げられないように覆い被さられる形で抱きしめられてしまった。

 顔の真横に沙綾の頭。柔らかな髪が踊るように顔に降りてくるのと同時に生暖かい吐息が首筋に甘ったるいリズムを刻んでくる。

 驚きで思考が真っ白に染められそうになりかけたのを、一回だけ大きく鳴った鼓動が引き戻してくれる。それでもわたしを覆い尽くす身体の存在感に圧倒されて、口をぱくぱくとさせながら全く言葉を紡げなくなってしまった。

 

 

「ゆり、認めないとイタズラするから」

 

「ひゃい⁉︎ 認めましゅ」

 

 

 宜しい、と言われながらも抱きしめていた腕の力が緩んでくれた事に安心したのですが、この状況って完全にイチャイチャですよね、もし男のままだったら理性が確実に爆散している事態ですよね。それでも理性が何とか保たれているのは女の子だからという側面のお陰ですよ、感謝するが良いですわたし。

 

 

「沙綾のイタズラって何をする気だったのさ?」

 

「うん? ちょっとキスでもしようかなって」

 

「まっちょい!」

 

 

 また意味不明な言葉を叫んでしまいましたよ。

 いや沙綾さん折角の可愛らしいイチャイチャが生々しいイチャコリャにクラスアップしているではないですか、いくらお揃いの下着と服を着て布団の中で抱き合っていたとしてもですね……あれっ、これ只のラブラブカップルにしか見えないですよ?

 

 

「もう沙綾ったら、揶揄わないでくださいよ」

 

「別にゆりとなら平気だよ。それに同性なら回数にカウントされないらしいからファーストキスは守られるし」

 

「何ですかそのご都合主義的な理論は、女の子は最強ですか無敵なのですか」

 

「ふふっ、そんなに慌てなくても冗談だよ」

 

 

 沙綾が優しく頭をコツンと当てながら耳元で囁いた。

 いや本心で言うならめっちゃキスとかしてみたいですわぁ、美少女とキスなんて夢物語か宝くじに当たるレベルの話ですやん、めっちゃくちゃしたいですわぁ。

 でも優璃はきっとそんな事はしないよね。何せ未だにわたしは他人の体を借りていると思っていますので、優璃の人格を落とす様な真似をする訳にはいかないのですよ。

 まぁそれ以前に沙綾が冗談で言っているのは初めから解っていましたよ。何しろノンケなのをよく理解しているので騙される筈が無いのですから……神様許すまじ。

 

 

「なんてね」

 

 

 石像のように身体が固まりながらも安心しきっていたわたしの頬に、少しばかりの高音と共にプリンのような瑞々しくて柔らかな感触が走った。

 その意味を灰色の脳細胞が解析を終えたところで彼女の方へと顔を向けると、既にわたしの体からは離れて仰向けに寝転んでしまっていた。

 

 

「沙綾もう、びっくりしましたよ」

 

「おやすみのキスだよ、お返しも待っているからね」

 

 

 むう、何やら先程から沙綾に翻弄されっ放しですがあまり舐めないで頂きたいものですね。わたしだって女子の冠が付く高校生なのですよ、頬にチューくらいは朝飯前の夜中にお菓子くらいの楽勝さですよ。この程度でドキドキするなど……おやおや今夜のわたしはやけに血圧が高そうです、もしかして塩分でも摂り過ぎましたかね?

 

 今度はわたしが沙綾に覆い被さる形で身体を乗せます。先程までの緊張感満載の状況とは異なり彼女の胸部装甲の柔らかさや身体の温もりまでもがハッキリと感じられて、何だか凄く愛しい気持ちが源泉掛け流し温泉の如く湧いてきますね。

 

 

「あっ、えっ、ゆり……?」

 

 

 頬に手を添えながら顔を近付けて沙綾の瞳を真剣に見つめます。驚きで瞳を見開いているのを確認してから指を顎まで滑らせ少しだけ持ち上げると、見開いていた瞳から徐々に力が抜けていきやがて完全に目蓋を伏せてしまった。

 

 ふふふ、今です! 喰らうが良いですよ沙綾!

 

 油断しきっている頬へ唇アタックことおやすみのチューを撃ち込み、そのまま流れるような仕草でおやすみと耳元で甘く囁いてからすぐさま沙綾の身体から離れて布団の中へと潜り込みます。

 気分は宝塚歌劇団の男役でした。いやむしろ元男だけに男の色気を完璧に演じられたのではないでしょうかね。

 

 ぷぷぷ、今頃に顔を赤くしている姿が目に浮かぶようですよ。沙綾もチューをされる恥ずかしさを存分に味わうが良いのです。

 

 

「ゆりぃ……」

 

 

 暫く平穏な時間を暖かい布団の中で味わっていたのですが、急に被っていた掛け布団を捲られ目の前に現れたのは、膝立ちで腰に両手を充てたまま不敵な笑顔を向けている友達の姿でした。

 沙綾、わたしは知っているんだよ、その作り物の笑顔が危険な代物だって。

 ふにゃぁヤバいです、生命の危機を優璃ちゃんセンサーがビンビンに捉えていますよ。

 

 

「ゆりは可愛いなぁ、オシオキをしたくなるくらいに可愛いよ」

 

 

 ベッド(荷台)の上で震えるわたしは、まるでドナドナされる(市場へ売られる)仔牛のよう。

 これは可笑しいですね、真冬でもないのに歯がカチカチと鳴ってしまいますよ。もしやエアコンが効いていないのではないでしょうかね、まだ夜は寒いので風邪を引かないように部屋は暖かくして置かなければですよ、沙綾さん。

 

 

「それじゃ遊ぼうか、ゆりちゃん」

 

 

 うわーん! サアヤが怖いよぉ、助けてカスミえもーん!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 小鳥の囀りに引き寄せられるように瞳を開けると、薄紫の包装紙に包まれた柔らかなクッションに頬を乗せているようでした。

 そのまま顔を突っ込みぐりぐりと押し付けて感触を楽しんでみると、ふわふわで暖かくて何だか心が落ち着く香りがします。

 沙綾も中々に良いクッションをお持ちのようでわたしもこれが欲しくなりそうですよ、いったい何処で売っているのでしょうかねって、ふわふわの……クッション?

 

 

「おはようゆり、寝惚けているみたいだけどまだ甘え足りないのかな?」

 

「ふにゅ、おはようです沙綾」

 

 

 そうでした。昨夜はあの後に沙綾が突然に服を脱ぎ出し下着姿になったかと思ったら、笑顔のままで今度はわたしの服を無理矢理に脱がせた後に延々と下着姿の解説と感想を聞かされるという恥ずかしめを受け続けさせられました。

 余りにも聞くに耐えきれずに、最後は半泣きで沙綾に赦しを請うという元男としてのプライドも何もあった物では無い姿を晒したのでしたね。えぇ、このまま沙綾の胸で腹上死をしてしまいたい気分でございますよ。

 

 胸から顔を離して起き上がってみると、朝の新鮮で澄んだ空気に一気に体温を奪い取られ震えてしまう程に寒いので、またもぞもぞと布団の中へと帰ってしまいました。

 

 

「沙綾、そろそろ服を着ましょうか」

 

「この姿だと寒がってくっ付いてくれるから、私は別にこのままでも良いんだけどなぁ」

 

「流石に家族の人にこのお揃いな下着姿で寄り添い合っている姿を見られる訳には参りませんよ、何と言っても二人だけの秘密なのですから」

 

 

 沙綾も納得したのかスウェットをベッドの脇から取ってくれたので、急いで着てみて漸く落ち着く事が出来ました。いやぁ馴れたと思っていたのですが、やはりわたしは見られるのが大の苦手なままのようです。

 

 洗顔をする為に二人でベッドから降りてみると、お互いの髪がボサボサに乱れている事に改めて笑い合ってしまう。そのままでは家族の人にも笑われてしまいそうなのでお互いの髪をすく為に床にぺたんと座ります。

 

 

「ゆりの髪って細くて綺麗で羨ましいな」

 

「沙綾の髪はふわふわでわたしは好きですよ、ポニーテールも良く似合っていますし」

 

 

 何か他人に髪をお手入れされるのは、妙に女の子っていう感じが強くして照れてしまいます。そういえば今日の沙綾は店番の日と言っていましたね、わたしは有咲家の蔵に香澄達の陣中見舞いとなりますから、折角なので差し入れのパンを買ってから行くとしましょうかね。

 いやその前に服を標準装備のジャージに戻しておかねば何を突っ込まれるか判ったものではありませんので、一度家に帰ってから向かうとしましょう。

 

 

「まったく、こんなに癖が付くほどの甘えん坊さんにも困ったものだね」

 

「いやいや何を仰る。昨夜は沙綾の方が余程に甘えん坊さんでしたよ」

 

「えー、そうだったかな? だって……」

 

「はいすいませんでしたぁ、そこ迄にしてくださいな」

 

「あはは、二人だけの秘密だものね」

 

 

 楽しそうな沙綾の笑顔はやっぱり輝いて見えます。それはそれとしてすっかりと尻に敷かれてしまっているこの状況に、神様ひとつ元男としての威厳の取り方という物を御教え願えませんかね?

 

 



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31.いっつわんだふるクラレン

 

 

 何度か通った市ヶ谷家の裏門を跳ねるようにくぐる度に、ちょっぴり小さな胸の中で溢れんばかりの多幸感が湧き出してしまいます。

 

 嬉しさを噛み締めるようにいっぽいっぽと風情を感じる裏庭を静かに渡っていたら、太陽に照らされた白壁の蔵を見上げてふと足が止まる。

 まさかこのわたしがpoppin'partyの聖地に当たり前のように居られているなんて、何だか不思議な気分と言うかふわふわと体が浮くような夢見心地に浸ってしまいそうです。全くもってこの状況を作ってくれた神様と香澄には感謝してもしきれませんね。

 ただもう少しばかりの贅沢を言わせて頂けるのならば、これでみんながノンケばかりでなければですね、もっと沢山の百合百合とした雰囲気が眺められていたかと思うと……やっぱり神様はちょっとだけ許すまじです。

 

 固く閉じられた扉をよいしょ、よいしょと開けていく。女性用に扉は軽い物に替えてあるそうですが、それでも小柄な体には中々に強敵だと思っておりますよっと。

 蔵の中に入ってから再び全身を使い扉を閉め、差し入れのパンの入ったやまぶきベーカリーの紙袋を優しく抱えながら地下室へと続く扉にそっと手を掛けます。

 

 この扉は夢へと繋がる扉。香澄達が夢を育む未来への扉。

 扉を開けば新しい物語が始まるような、まるで新しく買った小説の始まりのページを捲る時のドキドキにも似た不思議な高揚感を指先に覚えてしまいますね。

 急に湧き出した感慨を振り切り勢いよく扉を開けて、夢の基地へと確かな一歩を踏み出して行きます。

 さぁみんなには新しいキラキラを、そしてわたしには新鮮なユリユリの光景を、幸せな物語を共に満喫しようではありませんか。

 

 

「あれっ、来たのなら教えてくれたら迎えに行ったのに」

 

 

 膝から力が抜けて危うく階段を転げ落ちそうになりましたよ。

 わたしの妄想という名の予想では、キラキラとした爽やかな汗を流しながらも満面の笑顔で演奏をしている素敵な女の子達が見られる予定でしたのに、現実ではソファーに腰を降ろしてお菓子を摘みながら談笑をしている女子高生達の姿しか見えなかったのです。

 いやこれはこれで尊いのですが少しだけ期待と違うというか、もっと青春の輝きが見たかったというか、何故に香澄はりみりんに膝枕をさせながらお菓子を摘んでいるのかとか、ちょっとわたしのテンションがテストで赤点を頂戴してしまった時のような駄々下がり方なのですがね。

 

 

「あっ、優璃ちゃん」

 

「やっと来たのかよ、待たせ過ぎじゃね?」

 

「おぉ新しいウサギさんだ、こっちこっち隣に座って」

 

 

 香澄に膝枕をさせてあげながらも此方を向いて小さく手を振ってくれる。そんな可憐なりみりんの頭上に天使の輪が輝いて見えているのは間違いなく気のせいではないですよね、なので全開の笑顔で手を振り返しておきました。

 後はいつもわたしには彼氏口調の有咲と、未だに人類とは認識してくれていない様子のウサギ星人おたえにはそっと愛想笑いだけを贈っておきます。

 

 だらけている香澄を起こして隣に座ろうとしたら、おたえにいきなり腕を掴まれポスっという音と共に軽やかに膝の上に乗せられてしまい、それだけならまだしも何故か背中越しの首筋に顔を付けてスーハーと匂いを嗅がれてしまいました。

 

 

「あれ? 獣臭があまりしないね」

 

「おたえさんや、流石に獣臭はあまりどころか全くしていない筈なのですがね」

 

「うん、良い匂いしかしないからちょっと残念。でも好き、この匂い」

 

「せめて香りと言ってくださいな、何か臭そうな感じがして傷付きますよ」

 

 

 おたえの膝の上からえいやと立ち上がり、小さめのテーブルの上にパンの入った袋をそっと置いてから香澄をキチンと座らせ、りみりんとの間に割り込むように腰を落ち着けて何とか居場所を確保します。

 

 

「にゃー、にゃー、ゆりにゃー」

 

「えっと有咲、どうしてこの娘は猫化しているのかな?」

 

「いや練習していたらな、急に香澄が休憩にしますってソファーにダイブしてからこの体たらくなんだよ」

 

 

 香澄がソファーから体を半分以上はみ出させながら、今度は座っているわたしの太腿に頭を乗せて猫なで声を上げ始めてしまいました。仕方がないので本物の猫にするように顎の下を擽ぐってあげると、頬を太腿に擦り付けるようにして喜んでくれているようです。

 おっとこれは首輪を着けてお持ち帰りしたくなる程に可愛い仕草ですよ、名前はカスミンとでも付けて部屋で飼うとしましょうかね。

 

 

「香澄ちゃん、頑張り過ぎたのかな?」

 

「ウサ耳を着けたらウサギになるのかな?」

 

「とりあえずおたえは理解が出来る事を言ってくれ。まぁどうせ香澄は優璃が来たから喜んでいるだけだろ」

 

「にゃー、ありさが冷たいにゃー」

 

「うるせえ。さっ、香澄は放って置いて差し入れのパンでもみんなで食べようか」

 

 

 差し入れはりみりんの大好物でもあるやまぶきベーカリーの大人気商品、特製チョココロネパンです。早速ひとつを袋から取り出してりみりんに渡してあげると、瞳を見開くように喜びながらはむはむと可愛い仕草で食べ始めてくれました。

 

 

「りみは本当にそのパンが好きだよな」

 

「チョココロネおいひぃよ」

 

 

 りみりんの様子を微笑ましく見ていた有咲とわたしの頭を撫でようと腕を伸ばしてくるおたえにも配ってから、最後に猫香澄の手にもパンを渡します。

 

 

「はい香澄、落とさないようにね」

 

「ありがと、ゆり」

 

「いや普通に戻るのかよ、そこは嬉しいニャアとかじゃねえのかよ」

 

 

 無意識にツッコミを入れたであろう有咲を、此れまた全員がにやけ顔で見つめ返します。その意味を察したのか異様な雰囲気が蔵の中を支配する中で、有咲は次第に顔を赤く染め上げながら唇をぷるぷると震わせ始めた。

 

 

「にゃー、ありさ可愛いにゃー」

 

「にゃー、有咲にゃん、もう一回、もう一回、嬉しいニャアをにゃー」

 

「あぁぁぁぁ本気でうっざいわ、この二人」

 

 

 いよいよ顔中が赤く染まった有咲が照れ隠しなのか、勢いよく立ち上がりながら右手でわたしと香澄を指差してきた。いやぁ可愛いらしいですな、実に尊い可愛いさでご馳走様でございますよ。

 

 

「有咲、ぐぅ、ぐぅ」

 

「おたえ、お前は何を言ってんの?」

 

「ウサギの鳴き真似」

 

「いや知らないし聴いた事もねえわ、お願いだからもっと解り易いものにしてくれ」

 

「有咲ちゃん、ニャン?」

 

「りみのそれは可愛いけれど、別に無理してやらなくても良いからな」

 

 

 何とか場を取り繕ろうと頑張る有咲とは反比例していく蔵の雰囲気に酔うかのように、どうやらわたしも段々と調子に乗りたくなって参りましたよ。

 

 

 にゃー! にゃー! ぐう! ニャン? にゃー! にゃー!

 

 

「お前ら全員いい加減にしろよなぁぁ!」

 

 

 因みにこの後、全員纏めて有咲に正座をさせられた上に脚が痺れて立てなくなるまで長々とお説教をされましたとさ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 拙いという言葉が、必ずしも否定を意味するばかりでは無いと知りました。

 

 バンド練習を再開したみんなをソファーから眺めていて、ふとそんな矛盾している思いに駆られてしまった。演奏技術だけを見れば未経験者である香澄の拙さが際立っているけれど、メンバー達がそれを周りから優しく支えようとしているのが音を通してハッキリと伝わってきます。

 

 センターポジションで四苦八苦な様子の香澄を見ていると、演奏を失敗して舌を軽く出しながら謝っている姿も、ランダムスターと向き合おうとして真剣になっている姿も、何故だかとても輝いて見えてしまいます。

 これがカリスマ性という事なのでしょうか、万有引力のように強く引き寄せられてしまう魅力に見惚れてしまい、まるで評判の良い映画を観ているような気分にさせられてしまいますね。

 

 リズム隊のりみりんが、同じリズム隊であるドラムが居ないのにも拘らず必死になって音を纏めようとしている姿が逞しいですし、普段はふわふわとしていて何を考えているのか伝わり難いおたえも、今まで見た事が無い程に楽しそうな笑顔とギターの音で香澄を引き上げるようにしている姿も頼もしいです。そして優しい音のキーボードと何だかとても生暖かい笑顔で香澄を支えようとしてくれている有咲の姿さえも微笑ましく思えてしまいますね。

 

 わたしには音楽的な才能は全くもって無いのだけれど、それでも合わさった音符達がまるで楽しそうに踊っているかのような幻想に浸れてしまいそうになるのは、きっとこれが音楽という物の本質なのかなとちょっとした評論家気取りをしてしまいそうですよ。

 

 

「みんな、お疲れサマンサ」

 

「あぁ疲れたっていうか優璃、変な挨拶を流行らせようとすんな」

 

「もうサマンサだよ、サマンサ過ぎるよ」

 

 

 練習を終えて再びソファーに集まり反省会の筈だったのですが、香澄はわたしの肩に頭を預けてだらけ始め、それを見たりみりんが何故か負けじと肩を寄せて同じく休憩を始めてしまいました。

 対面に座りながらそれを眺めて呆れ顔の有咲は良いとして、ずっとニコニコと微笑んでいるおたえは何だかとても満足気です。

 

 

「おたえは凄く楽しそうだね」

 

「とっても楽しいよ、独りでギターを弾くのも好きだけど、みんなで音を合わせるのがこんなに楽しいとは知らなかったもん」

 

「じゃあもうバンドを始めたらどうかな?」

 

「そうだよ、おたえも一緒にやろうよ。わたし達で夢を撃ち抜いちゃおうよ」

 

 

 香澄が冗談めいて喋りながら右腕を上げて手の平を拳銃の形に握り、おたえの後方の壁に額縁に入れて飾られていた、誰が書いたのかも判らない『夢』という書に向かって勢いよく銃を撃つ動作を見せた。

 

 

BanG Dream!(バン ドリーム)

 

 

 香澄が言葉の弾丸を放ったその瞬間に、此処は蔵の地下室だというのに何故かわたしの背後から一陣の爽やかな風が吹き抜けたような気がした。

 

 

「なんちゃって、あれっ? おーいおたえー」

 

 

 魂を抜かれたように瞳を見開きながら固まっていたおたえに向かって香澄がひらひらと手を振ると、漸く魂が体に還ったのか正気に戻った素敵な笑顔を見せてくれました。

 だけど茫然としていた時におたえが無意識で呟いていたであろう言葉を、対面に座るわたしは何故か鮮明に聞き取る事が出来た。

 その意味は全く解らないけれど、間違いなくおたえはこう言っていた。

 

 

 どうして……その言葉を……って。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 蔵練からの帰り道、まだ昼間の暖かさが残る夕暮れの中を香澄と並んで歩いています。

 それにしても蔵でのバンド練習を蔵練と呼ぶのは格好良きですよ、クラレンと片仮名にすればゲームのヒロインみたいですしって、それは全く関係がないのですがね。

 

 

「香澄も凄く頑張っているね、見ていてちょっと感動してしまいましたよ」

 

「えへへそうかな? 楽しいからゆりも一緒にやったら良いのに」

 

「わたしは見る方だからね、でも支えていきたいな香澄のこと」

 

 

 ランダムスタ子(ギターケース)を背負いながら香澄はとても嬉しそうに微笑んでくれた。家の近くまで来たせいか車道を行き交う賑やかな車の騒音も無く、今はただ少しだけ茜色に染まった足音と、歩く度にランダムスタ子が歌うカチャカチャという二つの音だけが、二人でしか味わえない音楽である事がとても愛しく思えた。

 

 

「生涯養ってね、ゆり」

 

「ヒモじゃんそれ、支えるってそういう意味じゃないから」

 

 

 二つの音に二人の笑い声が加わった四つの音がわたし達を彩る。きっとこれからも沢山の音が合わさってもっと素敵な音楽達が生まれてくれる予感がして自然と頬が緩んでしまいます。

 おっとそろそろ自宅が見えて来ました、寂しい気持ちもありますが今日はもう此れにてさようならになりますね。

 

 

「お帰り二人共、さっ、優璃お姉ちゃんも上がって」

 

 

 えっと、あっちゃんが香澄宅の前で待ち構えていたのはまぁ有り得る話としてもですね、何故に当然かのように招き入れようとしているのかちょっと理解が出来ないのですがね。

 

 

「あのねあっちゃん、わたしは家に帰らねばなのですが」

 

「私の家も優璃お姉ちゃんの家みたいな物でしょ、それよりもデートをしていたなんて聞かされていないよ、これは当然の権利として事情聴取だよね?」

 

「いやデートって友達と遊んでいただけって、まさか香澄さんや……」

 

 

 震える体を香澄に向けると、そこには天使の笑顔でわたしを見つめる悪魔が居ました。

 

 

「裏切りよったな、お主!」

 

「優璃お姉ちゃん早く行こう、いっぱいお話し聞きたいし」

 

 

 あっちゃんお得意の上目遣いで油断させられ左手を取られました。普段は可愛らしいその仕草も今は処刑場に連れて行く死神の姿にしか思えませんよ。

 前門の死神に後門の裏切り者、まさに四面楚歌な状況にわたしの体は全く反応をする事が出来なくなってしまいました。

 

 

「それで優璃お姉ちゃん、痛いのが良い? 怖いのが良い?」

 

 

 左手を引っ張られながら処刑場へと引き摺られて行きます。

 あぁ、神が悪いのかわたしが悪いのか、運命という物は何と残酷な仕打ちをするのでしょう……。

 

 お願いですからどなたか助けてくださいな、友達と二人で遊んだだけで処刑とは流石に嫌なのでございますよ。

 

 



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32.【幕間】富豪って実在するのですね

 
幕間のお話は練習の為に本編とは雰囲気を変えて書いています(出来ているかは別問題)
普段のゆるふわな感じが好きな方は二話程お待ち頂けると喜びます。



 

 

 本日は瑠璃姉さんとお出掛けなのですが、黄金週間中だというのに制服姿でとお願いをされています。それというのも訪問先が転生以前の優璃が遭ってしまった交通事故のお相手先で、示談も既に済んでいるというのに先方が本人と面会しておきたいとの要望らしいのです。

 わたし的には今更どうこうという話でもないのですが、どうやら破格な示談条件であった事もあり姉さんも渋々とはいえ了承せざるを得なかったようですね。

 

 

「優璃、そろそろ音羽が来る頃だけど準備は大丈夫?」

 

「大丈夫だと思うけど、どうかな?」

 

 

 軽く体を捻りながらポーズを決めてチェックをしてもらいます。姉さんに薄化粧を施され、髪もお団子ヘアーに編み込まれた姿は何だか自分でも別人になったような気分ですって、憑依転生をしているのだから元々が別人だというのに、別人が別人に感じるってもはや意味の解らない感想になっていますよね。

 

 普段はしない眼鏡を掛けて準備が整ったスーツ姿の姉さんは、絹糸のような長い黒髪も服装とよく合っていて本当に綺麗です。ただですね、その持ち前の凶悪な胸部装甲の大きさのせいで上着さんが窮屈そうなのですよ、やれやれ仕方がないですが別にわたしが少しくらい引き受けても宜しいのですよ?

 

 悔し紛れの捨て台詞はさて置き、さっき姉さんが言っていた音羽さんという方は確か高校時代からの親友だとか。理由はよく知りませんが今日のお出掛けに同伴するとの事でして、以前の優璃なら兎も角としてわたしとしては初対面となるので少々不安ではあるのですが、お淑やかな姉さんの親友ともあればきっと綺麗で慎ましい女性なのでしょう。

 

 

「ウィッス、おはぁ」

 

 

 おやおや眠そうな声でリビングへと侵入してきた細身の女性は誰ですかね。

 桃色のような明るい髪色のショートカットにガラの悪そうなシャツと革ジャン、ダメージジーンズからチラリと覗く白い脚。バランス良く整った顔と相まってとても美人なのは察しますが、誠に残念ながら今日は押し売りの類いはお断りなのですよ、何と言ってもこれから清楚なお姉様が訪ねてくる予定ですのでね。

 

 

「もう音羽、優璃も居るんだからシャキッとしなさいよね」

 

「あそこに行くのは気分が乗らないからね、おぉ優璃ちゃん久しぶりって私の事は覚えていないか」

 

 

 やはりですがそうですか、想像図からは随分と違っていましたが姉さんとの距離感を鑑みればまず間違いは無いですよね。

 

 

「覚えていないのは御免なさいです。いつも瑠璃姉さんがお世話になっております」

 

 

 手を前で組んで軽く頭を下げると、柔らかい動きで頭を優しく撫でてくれました。爽やかに漂うスパイシーな香水の香りといい、とてもスマートで都会的な大人の雰囲気に何やら心が萎縮してしまいそうですよ。

 

 

「どちらかと言うと私の方がお世話をしているけれどね」

 

「まぁそれは否定しないね。とにかく初めましてだね優璃ちゃん、お姉さんの相棒の蒲田 音羽(かまた おとは)よ」

 

 

 音羽さんが両腕を広げて待ち構えておりますが、きっとこれは外国的なハグを求めているのでしょうね、少々恥ずかしいですがそっと寄り添って身体に腕を廻してみたらふわりと優しく抱きしめ返してくれました。

 流れるような動作といい適度な抱きしめ加減といい、これは中々にコミュぢからが高そうですよ流石は姉さんの親友さんです。

 

 

「あっ! 私も優璃とハグするぅ」

 

 

 いやいや姉さん、せっかくの都会的な雰囲気が台無しでございますわよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 音羽さんがレンタルした自動車に乗って軽快な振動と共に目的地へと向かっています。

 最初に車を見た時はレンタルと知らなかったもので、見た目とは違ってオジ様達が好きそうな車に乗るんですねと言ったら姉さんに軽く頭を叩かれてしまいましたからね、とりあえず車内では大人しくしておこうと思っております。

 

 勢いよく流れていく車窓から覗く空は程よく晴れていて、雲の輪郭もその境界線をくっきりと形作っています。そろそろ雲の彼方から段々と夏の足音が聴こえてきそうな、ふとそんな気分にさせてくれる気持ちの良い青空です。

 

 

「あぁ行きたくない、ダルい、このまま何処かに遊びに行きたい」

 

「はいはい音羽、約束があるのだから今日は諦めなさい」

 

 

 外とは違って車内の天気は音羽低気圧による曇天模様となっております。

 どうやら訪問先は音羽さんのお知り合いのようですが、そもそもその相手先とはあまり仲がよろしくないのかもしれませんね。まぁそれでもこうしてわたし達を連れ出してくれるのですから、派手な見た目とは裏腹にきっと友達思いの心優しい女性なのでしょう。

 流石に我が姉ですよ、人を見る目も確かとは完璧超人の名は伊達ではないという事ですかね。

 

 車がやがて高層ビル街の一角にある地下駐車場へと滑り込んで行きます。

 訪問先は何処かの会社ですかね、資産家とは聞いていましたがもし大会社の社長さんとかだったら流石に緊張してしまいそうですよ。

 

 駐車場のスペースに入るのかと思いきや何故か通路の真ん中に停車してしまい、こんな所で降りるのかなと思いながらも慌ててシートベルトを外そうとしたら、勝手にドアが開いていく事に驚いて変なポーズのまま固まってしまいました。

 

 

「お待ちしておりました美月様、音羽様」

 

 

 突然ドアを開けてわたしを驚かせてくれたのは、黒色のサングラスにすらりとした同色のスーツを纏った長髪の女性でした。

 良かったですよ、これでドア越しに現れたのがムキムキ筋肉タンクトップにモヒカンヒャッハー野郎だったなら、色々と致命的な何かが飛び散っていたかもしれないですからね。

 しかしそれとは別に妙な予感がします、何故ならわたしはこういう格好をした女性を以前に見たような覚えがあるのですよ。

 

 黒服の女性に誘導され専用の直通エレベーターで向かうのはやはり最上階ですか、まぁわたしの想像通りのお金持ちさんなら当然とも言えますが。

 ピンッ、という音と共にドアがゆっくりと開いていくと、庶民出身のわたしが予想も出来ないような光景が広がっていました。

 

 瞳を見開きながら眺める先には近代的なビルに不釣り合いな純和風の玄関。エレベーターの扉が開いた瞬間から漂い始めた木と草の香りとも相まって、まるでドコにでも通じるドアを使って田舎情緒満載な親戚の家を無計画に訪ねてしまったような気分です。

 しかしあくまでもそれは幻想でしかないというように和風の扉は音も無く滑るように自動で開き、唖然としたままのわたし達姉妹を音羽さんが先導しながら建物の中へとお邪魔をさせていただきましたって、建物の中の建物に入るとかいったいどういう表現なのでしょうか。

 

 靴を脱いで玄関らしき場所から板張りの短い通路を抜けてぐるりと視界を巡らせれば、つくづく富豪と呼ばれる人達の発想は理解が出来ないなと思い知らされましたね。

 胸がすく自然の香りに包まれた二階建て木造造りの広い吹き抜けエントランスに出迎えられ、まるで高級旅館のような気品溢れるその雰囲気に圧倒されて立ち尽くしていると、奥から和服姿の女性が音もたてずに歩み寄ってくるのが解った。

 というか此処はビルの最上階ですよね。ただでさえ建物の中に建物でややこしいのに、最上階の二階建てとかもうこれ理解が追いつかないのですけど。

 

 

「いらっしゃい、其方のお嬢さんとは初めましてね。弦巻(つるまき) (はな)と申します」

 

 

 空色の瞳と腰まで届く金色の髪を持つ女性は、清流を流れる水の如き美しい所作で深々と頭を下げた。

 落ち着いた声の雰囲気からすればお婆さんだとは思うのですが、瑞々しい髪質に染みひとつ無い美しい肌といい流石はお金持ちです。きっと惜しみなく美容にも費用を掛けているのでしょうね、それともまさか全身サイボーグという可能性さえ有り得るかもです、何と言っても弦巻家は世界で十本の指に入るような大財閥の筈ですからね。

 

 

「音羽もよく来てくれたわ、久しぶりね」

 

「偶には顔を出せと仰ったのはお祖母様でしょう」

 

「ふふ、そうだったかしら。立ち話も何ですから部屋に行くとしましょうか」

 

 

 わたしと瑠璃姉さんが同時に音羽さんの袖を引っ張る。そんなわたし達の表情を見た彼女は軽く天を仰いだ後に溜め息混じりに話を切り出してくれた。

 

 

「花さんはお母さんのお母さん、つまり私のおばあちゃんなの」

 

 

 絶叫こそしませんでしたが、口から小人のわたしがコンニチハと飛び出すのかと思った程の驚きです。慌てて隣を確認すると姉さんも知らなかったのか今まで見た事が無い程に瞳を見開いて驚いています。

 

 

「とはいえ私は産まれた時から蒲田姓だったから、弦巻家の事は全く知らないし興味も無いけれどね」

 

「それでも私の可愛い孫娘には違いないわ」

 

 

 花さんに連れられて畳敷の和室へと案内されました。随分と年季の入った囲炉裏もあり落ち着いた雰囲気なのですが、そもそもビル内に囲炉裏は色々と大丈夫なのでしょうかね。

 

 

「さて、いくら家の運転手がしでかした事とはいえ、雇い主として心から謝罪をさせて頂きます。此度は本当に申し訳なかったわ」

 

「もうすっかり優璃も元気ですし、既に充分過ぎる程の謝罪と支援を頂いておりますからどうぞお顔をお上げください」

 

 

 正座をしながら再び頭を下げた花さんに姉さんが優しく声を掛けると、ゆっくりと顔を上げて菩薩のように優しく微笑んでくれました。しかし不思議な感じですね、わたしの想像では富豪の方は総じて庶民を見下してくるものとばかりに思っていましたが、実際にはこういう品の有る方も居られるのですね。

 

 

「事故とはいえ記憶を失くすのは人生を失ったも同然、どれだけ謝罪しても決して取り戻せはしないわ。だから優璃さんには出来るだけの事をしてあげたいと思っているのよ」

 

「あっお気になさらず、結構楽しく生活しておりますので」

 

「ぷふっ、この姉妹はやっぱり最高だわ」

 

 

 何故ですかね、真面目に謙遜の姿勢を見せた筈なのに音羽さんに笑われてしまいましたよ。

 

 

「それでお祖母様、社交辞令は良いとして本題がお有りなのでしょう」

 

「流石は音羽ね、そういうところは母親によく似ているわ」

 

「弦巻家を捨てた実の娘にですか?」

 

「そういうところよ」

 

 

 ふわぁ何なのですかこの雰囲気、まるで社会派ドラマの対決シーンのような緊張感になっていますよ。というか本日の主役であるわたしが完全に空気になっているのですが、好き好んでシリアスドラマに頭を突っ込む勇気は無いのでとりあえず他人事のような顔をしておきますかね。

 

 

「優璃さん、少しお姉さん方とお話しをしたいからそうね、屋上に展望スペースがあるから景色でも眺めて待っていてくださるかしら?」

 

「あっはい、わかりました」

 

 

 花さんに促され立ちあがろうとしたところで姉さんに腕を掴まれ、心配は無いわのただひと言だけを伝えられます。そんなに不安そうな表情をしていたのでしょうか、大人の話なのかもしれませんがやはり蚊帳の外というのを少々不満に感じていたのかもしれませんね。

 

 

「大丈夫だよ、何があっても姉さんを信じているから」

 

 

 わたしもひと言だけを告げてから部屋を後にしました。精神的には現実の姉妹では無いというのに、姉さんなら間違えないという確信めいた気持ちが砦のように硬く築かれている事に、少しばかりの恥ずかしさと嬉しさを覚えてしまいます。

 

 黒服のお姉さんに案内されて屋上に出てみたは良いのですが、いい加減わたしも富豪という存在に慣れてきたのかそこまで驚く事はありませんでしたよ。

 巨大な透明の壁に囲まれ、床には綺麗に刈り揃えられた芝が敷き詰められ、所々にある花壇には色とりどりの綺麗な花やそこそこの大きさの観葉植物、休む為のベンチは木製どころか高級そうなソファー、あぁもういったいコレのドコが展望スペースと呼べる規模なのですかね。

 

 巨大な温室というかもはや公園といった屋上を鼻歌混じりに散策していたら、とある異質な光景に意識を奪われて足が止まってしまった。

 

 明るい陽の光が降り注いでいた温室の壁際、何故か草原のように開けていたその場所に、ひとりの女の子が世界を見渡すように両手を広げたまま固まっていた。

 背中越しに見るその姿は制服だろうか、重厚な深い紺色の服をその身に纏い、まるで太陽の力を吸収しているかのように美しい金色の長髪は光り輝いていた。

 不思議な女の子がどこか現実離れをした存在に思えてきて、今にもその背中に白き翼を生やして大空に飛び立ってしまいそうな、まるで美術館で高尚な絵画でも見ているような錯覚に陥りそうだった。

 

 

「こんにちは、天使さん」

 

「あら、あなたがおばあちゃんが言っていたお客様かしら?」

 

 

 静かに近寄って掛けた声に反応して、彼女は両手を広げたままくるりと踊るように振り返ってくれた。

 

 

「そうですよ、わたしは美月(みづき) 優璃(ゆり)、初めましてだね」

 

「初めましてね、それとあたしの名前は『てんし』じゃないわ、弦巻(つるまき) こころよ」

 

 

 えぇよく存じておりますよ、弦巻家現当主の一人娘であり近々ハローハッピーワールドというバンドを組んで香澄達と同じように青春を謳歌してくれる予定の女の子だという事をね。

 

 よく知っている、確かにその筈なのに彼女と初めて言葉を交わした感想は自分でも信じられないものだった。

 

 

 ーーあれっ? 何かが違う気がする。

 

 

 きょとんとした表情のこころちゃんを前に、心に湧いた言い知れぬ違和感を探る為にわたしは彼女をベンチへと誘うのでした。

 

 

 

 



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33.【幕間】特別じゃない友達

 

 

 違和感というものは心に引っ掛かった小さな棘みたいなものです。

 それ自体は大した痛みも感じないのに、不思議と気になり続けて他の物事に集中が出来なくなってしまう、何だか厄介なお荷物を抱えてしまったような気分になるのですよ。

 

 豪華な皮張りソファーに並んで身を沈めてみても、中々に会話の切っ掛けを掴む事が出来ずに焦るばかりとなっております。

 それというのも顔を此方に向けながら、硝子の破片を散りばめたように輝いている金色の瞳で興味津々に見つめられてしまうと、まるで魔女に魂を抜き取られてしまったかのように魅入られてしまい緊張感が半端ないのです。

 美しいとか綺麗に収まりきらない雰囲気というか、それこそ現実味の無いマネキンのような完成度に思えてしまうのですよ。

 

 

「こころちゃんの着ている服は学校の制服なの?」

 

「ええそうよ、おばあちゃんが見たいって言うから着てきたの。優璃が着ているのも制服かしら、とっても可愛くて素敵だわ」

 

 

 深い紺色に染まったセーラータイプの制服は今風のデザインとはいえどこか古風で、重厚な質感とも相まって品を感じる仕上がりとなっています。おそらくですが由緒正しく格式高いお嬢様学校の制服だと推察が出来ますね。

 

 まず最初に感じた違和感はここでした。

 ゲームの世界で弦巻こころは花咲川女子学園に通っているのに、この世界での彼女は全く違う学校へと入学しているようです。

 しかし常識的に考えてみればそれは当たり前の話で、人脈がモノを言う上流階級において出身学校というのは重要な要素であり、そもそも世界的大富豪の一人娘が普通の女子高である花女に通っている事の方が異様とも言えますしね。

 

 でもこれは良くないですよ。彼女が花女に居てくれないと例えバンドメンバーと出会う機会は有ったとしても、学校でのメンバー同士で行われるキャッキャウフフの遣り取りが拝めないではないですか。ぐぬぬ、これは優璃さん的にはかなり許すまじな事態ではないですかね。

 

 

「今の学校はどう、楽しい?」

 

「うーん、楽しいわよ。優璃は学校が楽しくないのかしら?」

 

「最、高、に、楽しいかな」

 

「とっても良い笑顔ね、あたしはみんなの笑顔を見るのが大好きなの、何だかとっても嬉しくなってくるわ」

 

 

 万歳のように両手を挙げながらニコリと微笑みを見せてくれる。しかしそんな笑顔を見ていながらも彼女が先程に発した何気ないひと粒の言葉が、まるで葉からこぼれ落ちる雫さながらに心の水面へ小さな波紋を打った。

 楽しいと言う前に見せた一瞬の迷い、逡巡とも言える空白の間に違和感という得体の知れない怪物の正体が隠されているような気がしますね。

 

 こういう時に便利な筈の特殊能力(ちーとすきる)を持っているとはいえ、初対面でいきなり手を握るという変態不審者のような行動は出来ませんし、何より自分の意思では発動しないというポンコツスキルですからね、全くもって神様許すまじですよ。

 こうなれば自分の直感とやらを信じてみるしか無さそうです。いやわたしだっていつまでも押しに弱い流されキャラではないのですよ、やる時はやられてやりますよって肝心な部分を間違えましたわ。

 

 

「友達もいっぱい出来たし、今の学校に入って良かったなぁって思っているよ。こころちゃんくらい明るい娘なら友達も随分と増えたでしょ」

 

「トモダチ? 友達って特別な知り合いとは知っているけれど意味が解らないわ。だって世界中のみんなが特別だもの」

 

 

 不思議そうに小首を傾げる姿を見て直感が確信へと変わりましたよ。

 

 

「あたしにはみんなの笑顔が特別なのよ。だけど今の学校の娘達は笑顔だけど笑ってはいないの、どうしてなのかしらとっても不思議だわ」

 

 

 口には出しませんがせんが多分それは愛想笑いですよね。それはそうです家柄の良いお嬢様達からしてみれば、もし粗相をして弦巻家に睨まれてしまうような事でもあればお家の一大事になりかねませんからね、腫れ物に触るような扱いになるのも仕方がない事です。

 

 弦巻こころには特別が存在しない。

 

 世界中の全ての人が特別であるが故に全ての人は平等で対等という事ですか、それでは特別な枠で囲う友達という概念を理解する事が出来る訳が無いですよ。

 とても博愛に満ちた考えだとは思うけれど、それにしては今の彼女にも輝きに満ちた笑顔を少しも垣間見る事が出来ない理由はいったい何だというのでしょうか。

 どうやらですがわたしがゲーム知識で持っていた常に笑顔(ハッピー)を求めて走り回っていたイメージと、この世界でのあまりに乖離したその姿が些細な違和感の正体なのかもしれませんね。

 

 さてどうしたものですか、わたしとしては彼女の世界中を笑顔にしたいという荒唐無稽にも思える思想と破天荒な行動が大好きでしたからね、この世界でも輝くような笑顔のこころちゃんが見たいものです。

 

 ソファーから立ち上がり、座ったままの彼女と向かい合うように対峙する。

 

 

「こころ、わたしと友達になってみよう」

 

「トモダチってどういう事なのかしら?」

 

「友達っていうのはね……」

 

 

 彼女に向かって右手を差し出します。

 正解なんて知りません。未来はいつだって流動的に流れる河川のように移ろうものですよ、現にゲームでの知識があまり役に立たないような状況に陥っていますしね。

 ならば信じるものは己のみ、わたしの内面成分は半分がエゴで残りの半分は尊い欲求で出来ているのですよって、これって人として駄目な感じになっていませんかね。

 

 

「みんなが特別なこころにとってわたしが特別じゃ無くなってしまう事だよ。こころを笑顔にしたいしわたしも笑顔にして欲しい、それが特別じゃなくて自然に出来てしまうのが友達なんだと思う」

 

 

 正真正銘のチートキャラである弦巻こころ。今の彼女に必要なのはお金でも何でも無い、ちょっとだけ心の導火線に火を点ける切っ掛けだけで充分だと思うのです。世界は知らない事ばかり、だから素敵な出来事だってまだまだ埋もれている可能性の塊と言えるのですから。

 

 

「特別じゃない特別って……とっても面白い事を考えるのね優璃は」

 

 

 飛ぶような勢いで立ち上がった彼女は、輝くような笑みを浮かべながらわたしの差し出していたキッカケという名の切符を手に取った。

 

 

「あたしも優璃とトモダチという物になってみたくなったわ」

 

「それじゃ宜しく。こころの笑顔をいっぱい見たいな、そしてその笑顔で世界中のみんなを楽しくしちゃおう」

 

「世界中の人ともトモダチになれたら素敵ね。うーん、なんだかとっても楽しみになってしまいそうよ」

 

 

 金色の髪と瞳に輝くような笑顔、本当に現実離れをした天使のような人だけれど、繋いだ手の感触は華奢で柔らかい普通の女の子を感じさせてくれた。

 おやそういえば特殊能力というやつも発動はしませんでしたね。神様も偶には空気を読んでくれるのでしょうか、思わず見直しちゃいそうですよ。

 

 

「優璃、それじゃ行くわよ」

 

 

 えっ何処に、と聞く間もない勢いで手を引かれ走り出しました。

 強引で彼女らしいというか、これがわたしの知っている本来の弦巻こころの姿なのですけれどね。

 風になびく黄金の長髪は何処までも飛んで行ける翼のようで、心に灯った自分のしたい事をきっと何の迷いも無く成し遂げてしまう、そう思わせてくれる程に彼女の足取りは軽くて飛び跳ねるようだったのです。

 

 

 あの、ところで何処に行くのかくらいは本当に教えて欲しいのですけど。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「おばあちゃん、あたしに初めてのトモダチが出来たのよ、とっても素敵な出来事だわ」

 

「こころさん、今は来客中と言った筈ですよ」

 

 

 こころに手を引かれて連れて行かれた先は、厳かな雰囲気が漂う美月家と弦巻家の対談場所である和室でした。

 

 

「えっ、何で此処にこころが居るの?」

 

「あら音羽も来ていたのね。紹介するわ、あたしのトモダチの優璃よ」

 

 

 こころに両肩を掴まれて音羽さんの前へ押し出されました。何と言いますか、非常にバツの悪い空気を挟んでお互いに苦笑いをするしかありませんよね。

 

 

「いや知っているし、それよりも友達って……」

 

 

 何かを言おうとした音羽さんを、お待ちなさいと言いながら花さんが左手で制した。

 その表情はいたく真剣で先程までの温和な雰囲気はすっかりと影を潜めてしまい妙な迫力さえ感じてしまいそうです。

 

 

「優璃さん、弦巻こころと友達になるという覚悟はお有りかしら?」

 

「覚悟なんて必要ありませんよ、友達になってとお願いしたら良いよと言ってくれましたからね、もう友達です」

 

「ええそうよ、あたしも優璃とトモダチになりたいって思ったわ」

 

 

 わたし達の返答を聞いた花さんが、真剣だった表情をふわりと緩めたかと思いきや声を押し殺すように口元に手を充てて笑い出してしまった。

 

 

「ふふっ、音羽さん若いって良いわね、とても羨ましいわ」

 

「何で私と一括りにするの」

 

「お互いに少し頭が固くなっていたのかもしれないという事よ」

 

 

 ひとしきり笑った後に、深呼吸をして姿勢を正した花さんがこころの方へ向き直り優しく語り掛けた。

 

 

「こころさん、連休が明けたら学校を変わってもらっても良いかしら。次に貴女が通うのは花咲川女子学園という所よ、優璃さんと同じ学校になるわ」

 

「あら、とっても素敵な事だわ。あたしも優璃と同じこの可愛い制服を着るのね」

 

「では決まりね、息子達には私から言っておくわ。制服はそうね、明日にも用意させます」

 

「いやいや何を仰っているのですか、そんな簡単に転校とか」

 

「あら優璃さん簡単な話よ。海外の首脳に会う事を考えたらね」

 

 

 花さんがお茶目にウィンクをしながら軽く言ってのけてしまいました。

 度が過ぎた富豪ともなれば比喩のレベルもとんでもないですな。でもこれは渡りに船なお話ですよ、こころが花女に来てバンドを始めてくれたならメンバーとのキャッキャウフフを眺める機会も増えるというものです。

 

 

「花女は楽しい学校だよ、きっとこころにも友達が沢山できると思う」

 

「それはとっても楽しみだわ、トモダチをいっぱい作って世界中に笑顔の花を咲かせましょう」

 

 

 瞳がなくなってしまう程に楽しそうな顔のこころと微笑み合う。

 まさか神様にこんな尊い増加チャンスを頂くとは思いませんでした。これは久々に言っておきますかね、神様サイコー!

 

 

「ちょっと優璃ちゃん、そんな単純な」

 

「優璃さん、うちのこころを宜しくお願いしますね」

 

「別に面倒を見たりする訳ではないですし友達らしく見守るだけです。彼女ならきっと自分の足で友達を、世界に笑顔(ハッピー)を増やしていけると思いますから」

 

「記憶を失くしたというのに前向きで本当に不思議な娘ね。瑠璃さん、私もどうやら優璃さんが気に入ってしまったようだわ」

 

「ちょっとお祖母様。瑠璃も何とか言いなさいよ、優璃ちゃんが大変な事に」

 

「そうですね、記憶を失くしてからの優璃は可愛さが十倍には跳ね上がったと思っています」

 

「あぁ駄目だわ、この姉妹」

 

 

 音羽さんが絶望したように頭を抱え混んでしまいました。そんなに難しい事なのでしょうか、こころもわたしもハッピーになれるとても良いお話だと思うのですがね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 夕闇に染まりつつある街中を音羽さんの運転する車で走り抜けています。

 黒い影に侵食されていく建物達の中にぽつりぽつりと灯り始めた光が、まるで蛍の群れのように見えてとても綺麗に感じてしまいますね。

 

 

「ねぇ優璃ちゃん聞いてる?」

 

 

 おやおや車内は相変わらずの音羽低気圧に満たされているようです。

 

 

「聞いていますよ、ところで姉さん達は花さんと何を話し合っていたの?」

 

「花さんがね、姉妹だけじゃ生活も大変だろうから此処に住まないかって」

 

「あの婆様の狙いは優璃ちゃんをダシにして瑠璃を囲おうという腹積りなのよ、瑠璃と繋がりを持てば間接的に私とも繋がれるからね」

 

「そんなに悪い人には見えないわよ」

 

「甘いね、以前に私との繋がりを切りたくないからって父さんの会社を丸ごと買収しようとしたくらいだから。道楽の為には手段を選ばない本当にタチの悪い御隠居様よ」

 

 

 鼻息の荒い音羽さんですがこれに関しては姉さんに同意ですね。わたしから見ても悪人にはとても見えませんし、孫が可愛い只のおばあちゃんという感じしかしません。まぁ思考が破天荒気味なのは流石に察しましたがね。

 

 

「せっかく瑠璃が断ってくれたのに結局は優璃ちゃんと繋がりを持たれちゃったから、半分は婆様の思惑通りになってしまったというのが悔しいわね」

 

「まぁまぁ宜しいではないですか直接的な繋がりでは無いですし、わたしは友達が増えて素直に嬉しいですよ」

 

「そう、それよ!」

 

 

 一段階ボリュームが上がった声に驚きましたが、赤信号でゆっくりと停車した車内に静寂が訪れた段階で、音羽さんは落ち着いた口調で諭すように話し始めた。

 

 

「弦巻家唯一の御令嬢と友達になるっていうのは、周りに居る人達もそういう目で見てくるという事よ。場合によっては悪意のある人達に利用されてしまう事もあるかもしれないの」

 

「わたしひとりが友達ならそうかもしれないけれど、こころが花女に来れば大丈夫だよ、きっとわたし以外にも沢山の友達が出来ると思う」

 

「そんな簡単な話じゃないわ、弦巻家の一人娘というだけで周りの娘達は遠巻きに眺めるだけで、今まで友達と呼べる人間は誰一人として居なかった筈だもの」

 

「大丈夫ですよ、花女なら」

 

 

 音羽さんが言う事も理解が出来る。だけどわたしだけは知っているんだ、あの学校にはそんな壁は存在しないと教えてくれる沢山の素敵な女の子達が居る事を。

 

 

「花咲川女子学園なら、こころはきっと夢を見つけられますよ」

 

 

 少しの沈黙の後、車は蒼色に変わった信号機を静かに駆け抜けて行く。それはまるでスタートラインを超えて走り始めた長距離走者のように静かに、そして力強い一歩のようにも感じた。

 

 

「ねぇ瑠璃、優璃ちゃんちょっと雰囲気が変わった?」

 

「そうね、以前より十倍は……」

 

「そのくだりはお腹いっぱいだわ。まぁ何があっても二人は私が守るからね」

 

「音羽さんは姉さんの事が大好きなんですね」

 

「大好きだよ、ずっと一緒に居たいと思ってる」

 

「あら、音羽も偶には素直なのね。でも残念でした、私は世界で一番優璃が大好きだから」

 

「あら振られちゃった、まぁ知っていますけど」

 

 

 前席で笑い合う二人を見ていると本当に信頼し合っているのが伝わってきます。その姿を見ていたらわたしも無性に香澄や沙綾達の顔が見たくなってしまいましたよ。

 

 もうすぐ連休も終わって再び女子校生活ですか、何だか先日の一件で沙綾と顔を合わせるのが恥ずかしいですが早く会いたいなという気持ちも湧いています。

 とりあえず今は無性に香澄の顔が見たくなっているので帰ったら早速にでも家に行ってみようかな、せっかくだからあっちゃんにも……。

 

 アアアァ、アッチャンユルシテクダサイ、コワイノハカンベンシテクダサイィ。

 

 



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34.死神か小悪魔か、どちらにしても凶悪です

 
 
原作の戸山明日香さんはとても真面目で良い娘です。


 

 

 それはわたしにとって死亡宣告のようなものでした。

 

 

 ーー今から部屋に行きます。

 

 

 死臭漂う文面を一読して思わず手から零れ落ちてしまった携帯電話を拾い上げ、現実逃避の為に天の岩戸(あまのいわと)という名のベッドにそそくさと潜り込みます。

 送信元には戸山 明日香(とやま あすか)の文字、大切な幼馴染みの愛しき妹にして死神であり小悪魔でもある名前が無情にも記されております。

 

 特に怒らせるような出来事も無かったですし、なので折檻を受けるとは考え難いですし、きっと五寸釘なども持っては来ないでしょうし、ええ多分ですが死ぬ事は無いと思います。

 

 これはきっとアレですよ、明日開催される有咲の蔵でのクライブに一緒に行こうというお誘いだと思いますね。ですが大変に有り難い申し出とはいえ既に沙綾と先約がありますので、どうやらあっちゃんには御免なさいとなってしまいそうです。

 

 

 えっと、もしかしなくても死亡フラグですよねコレ……。

 

 

 仕方がありませんね、ここは必殺の既読を付けないでスルーを使わせて頂きますか。優璃さんはもう寝ていますよぉ、部屋に来ちゃ駄目ですよぉ。

 

 

「優璃お姉ちゃん、起きてる?」

 

「優璃さんは寝ていますよぉ」

 

「起きてるじゃん」

 

 

 ドアを開けて掛けられた声に反射的に応えてしまいました。

 あのですね、姉さんが香澄達の両親に合鍵を渡しているのは今迄のお付き合いからして理解が出来るのですけど、わたしとしては生殺与奪の権利まで戸山姉妹に渡したつもりは毛頭ないので御座いまして、勝手に部屋の中へと上がり込むとは如何なものかと思いますよ。

 

 

「ヤァアッチャン、オヒガラモヨロシュウ」

 

「何で布団にくるまって頭だけ出しているの、まるで亀みたいだよ」

 

 

 そうわたしはスッポン、迂闊にも近付けば噛みつかれるという覚悟を持つが良いです。

 

 

「ほらお姉ちゃん、話がしたくて来たんだよ」

 

 

 布団を無理矢理に剥がされてベッドの端に並んで座らされました。

 ふっ、甲羅を取られてしまえばもはや身を守る術も無し、どうやらわたしの命も風前の灯となってしまったようですね。

 

 

「ソレデ、ドノヨウナ、ゴヨウケンデ?」

 

「何をそんなに緊張しているの? まぁいいか、それより香澄お姉ちゃんから聞いているでしょ、私が羽丘に行くかもって」

 

「一応は聞いているよ、でもどうしてわざわざ」

 

 

 羽丘女子学園はこの街で花咲川女子学園と人気を二分する女子校なのですが、何故あっちゃんがわざわざ花女の中等部から羽丘に進学しようとしているのかは、今ひとつわたしの中で合点がいっていないのもまた事実です。

 

 

「あのね、いつもお姉ちゃん達が仲良さそうに登校して行く姿を見ているのが、寂しくて辛くなったの」

 

「えええ、そんな理由なの?」

 

「いや嘘だけど。ただ単に大学に行くなら勉強に集中が出来る環境が良いかなってだけ、花女に居たら戸山の妹だとか弄られそうじゃん」

 

「別にそれくらいなら花女でも良くないかな、あっちゃんが居なかったらわたしも香澄も寂しいよ」

 

 

 あっちゃんが黙ったままそっと腕に寄り掛かってくる。香澄はボディクリームに甘い香りを好むけれど、あっちゃんの身体からは夏の高原のような爽やかな香りが漂ってくるのが、やっぱり姉妹でも好みが違うのかなと少し面白い。

 腕を廻して優しく抱き寄せてあげたら照れたように微笑んでくれました。年下らしくとても可愛い姿だけれど、わたしの身長が低いせいなのかこの姿勢はあまり様にはなっていないような気がします。

 

 

「本当はちょっと迷ってる。お姉ちゃんは毎日見るから良いけれど、優璃お姉ちゃんが見れなくなるのは寂しいかなって」

 

「だったらさ、花女のままで……」

 

「お姉ちゃんが側に居てって、特別にしてあげるって言うなら考えちゃうかな」

 

 

 あっちゃんが身体を横に傾けるようにして上目遣いで見つめてきた。

 

 

「私ね、戸山の妹って言われるのは恥ずかしくて嫌だけど、美月の彼女って言われるのは別に良いかなぁって思っているんだよ」

 

 

 ほほぅ今日は小悪魔モードで御座いますか。しかしわたしにも学習能力というものがありますからね、いつまでもからかわれ放題とはなりませんよ。

 そもそもノンケばかりのこの世界で美少女に言い寄られるなんて美味しい話がですね、道端で配られるティッシュのように易々と渡される訳が無いのですよ。

 

 

「お姉ちゃんは女の子が相手はやっぱり嫌?」

 

「あっちゃんは可愛くて最高だけど冗談は頂けませんよ。進学は人生の分岐点になるのですから茶化す物ではありませぬ」

 

「あれっ、バレちゃったか。まぁ女の子が恋人は無いよね」

 

 

 横向きになっていた身体を押し付けるように膝枕の体勢にしてから撫でるように優しく髪を触ってあげると、蕩けたように崩れた表情を見せてくれました。

 やはりからかっていただけですか、この優璃さんには御見通しでしたが少しばかり残念な気持ちになっているのは気の迷いだと思う事にしておきます。

 

 

「という事は、やっぱりお姉ちゃん同士で結婚してもらうしかないか」

 

「ちょいあっちゃん、さっき迄の流れが死んでいませんかね?」

 

「だってお姉ちゃん同士が結婚してくれれば、私は正真正銘の義妹としてずっと優璃お姉ちゃんと一緒に居られるでしょ」

 

 

 義理の妹だからずっと一緒というのはちょっと意味が解りませんが。

 そして膝枕をすると必ずジャージを捲ってブラジャーを確認するその悪い癖も意味が解らないのですがね。

 

 

「香澄は大好きで誰よりも大切だけどわたし達はそういう雰囲気じゃないでしょ、香澄は女の子に興味が無さそうだし」

 

「ふうん、これはお姉ちゃんも苦労する訳だわ」

 

「えっ、香澄が何か苦労しているの?」

 

「なんでもなーいよ」

 

 

 あっちゃんがジャージのズボンを捲ろうとしたので軽く頭を叩いてあげると、悪戯っ子のようにニヤリと白い歯を見せながら手を離してくれました。

 それにしても香澄に何か問題が起きたのでしょうか。何も相談してくれないとは寂しいですし幼馴染みとしても許すまじですよ、これは直ぐにでも問い正さなければならない許すまじ案件ですよ。

 

 

「あっちゃん、香澄に何か問題が起きているのなら教えて欲しい、わたしだって少しくらい香澄の力になってあげたいし」

 

「何を言っているの、問題が起きたらお姉ちゃんは私より先に優璃お姉ちゃんに相談するに決まっているじゃん。今だって幸せそうな顔で寝ていると思うよ」

 

 

 あれれぇ、何か話が噛み合っていないような気がしますぅ。

 

 

「まぁ今日は優璃お姉ちゃんは女の子が相手でも満更ではないって判ったのは収穫だったかな」

 

「にゃにゃっ、今迄の会話でそんな要素がありましたか?」

 

「優璃お姉ちゃんは隙だらけなの、そんなのじゃ男の子にも女の子にも良いように言いくるめられて大変な事になっちゃうよ」

 

 

 膝枕の体勢だったあっちゃんがお腹にタックルをする勢いで抱きついてきた衝撃で、ボフッという鈍い音と共にベッドへと押し倒されてしまった。急な事に驚いて閉じてしまった瞳を再び開けると、顔の横に両手を付けて見下ろすような姿勢を取ったあっちゃんが少し大人びた笑みをその口元に浮かべていた。

 ショートカットの髪を頬に垂らし、香澄と同じ少し紫がかった瞳は妖艶な色で燃え上がっているように瑞々しい眼差しを向けてきています。年下だと思って油断していましたが、じっくりと見ればやはり香澄の妹だけあってこの娘も美少女なんだなと思い知らされてしまいそうです。

 

 

「心配だよ、優璃お姉ちゃんが大好きな女の子としては」

 

 

 手を上げてあっちゃんの左頬に右手を添えてあげると、それきり何も喋らなくなってしまいました。

 まったく、そんな泣きそうな程に瞳を潤ませてまで演技をしなくても大丈夫ですよ、例え天地が三百六十度回転してもわたしが男の子と大変な目に遭う事など無いのですから。

 

 

「優璃お姉ちゃん……」

 

「あっちゃん、羽丘に行こうとしている本当の理由は香澄の為でもあるんでしょう」

 

 

 驚愕したように瞳を見開くあっちゃん。

 おやおやこれはもしかして確信も無く適当に放ってしまった言葉が真実という的を見事に射抜いたのではないでしょうか。凄いですよわたし、ここはかの有名な年齢詐称名探偵の決め台詞でも咬ましてしまいますかね。

 

 

 真実はいつもテキトー!

 

 

 一度は言ってみたかったこの台詞、くふぅ思わず痺れてしまいますよ。

 

 

「違うよ、あくまでも私の為だけだよ」

 

 

 今度はわたしが瞳を見開く番になりました。口から魂を吹き出さなかっただけまだ良かったですが、これって調子に乗ったところで叩き落とされる最高に恥ずかしいやつではないですかね。流石は死神の異名を持つ女の子、的確に精神力を削ってくるとはラスボスも真っ青な凶悪振りですよ。

 

 

「お姉ちゃんて私には無い感性を持ってて、私には見えない景色が見えてて、私には思いもつかない言葉を持っててさ、それが羨ましくて悔しくもあるんだ。だからお姉ちゃんからは絶対に見えない景色、お姉ちゃんの知らない世界を歩きたくなったの」

 

 

 姉妹だって千差万別です。姉の背中を追う妹も居れば、あっちゃんのように姉とは違う道を選ぶ妹も居て当然です。

 

 

「本人には絶対に言わないけれど、お姉ちゃんって学業はアレだから大学とかはかなり厳しいと思うんだ。だから私が進学すれば両親も安心っていうのもあってね、やっぱりお姉ちゃんには自分のやりたい事を自由にしていて欲しいもん」

 

 

 はにかんだ素敵な笑顔を見せられてしまえばもはや何も言う事は出来ませんよ。ただですね、香澄も花女を受験して入学していますから多分ですがやれば出来る子だとは思いますよ。

 

 身体を起こして優しく抱き寄せてあげます。血の繋がった姉妹ではないというのに、不思議と本当の肉親に感じるような愛しさで胸の中が暖かい色に染まっていくようです。そういえば瑠璃姉さんにも同じような感情を抱く時がありますから、精神的にあっちゃんを妹と感じる事は別に不思議ではないのかもしれませんね。

 

 

「あっちゃんはわたし達の最高の妹だよ。これからもずっとわたしの妹で居て欲しいな」

 

「だからお姉ちゃん同士で結婚してって言ってるじゃん、もしお姉ちゃん以外の人と結婚したら許さないからね」

 

 

 いや明日香姫や、残念ながら香澄殿はそのような嗜好をお持ちでは御座らぬゆえ、我の精神力が地の底まで滑落してしまう前にこの辺りで勘弁して頂けませぬか。

 

 マントル辺りまで落ちかけた気分を誤魔化す為に、抱き合った形のまま横になり受験勉強の愚痴などを聞いてあげます。それは良いのですが、あっちゃんが割と高頻度に胸を触ってくるのが気になったのでお返しにえいやと触り返してあげたら、急に勝ち誇ったように口角を上げてニヤリと微笑んできました。

 

 

 えっ……マジすか、嘘……でしょ。

 

 

 いやわたしよりは大きいとは思っていたのですよ、わたしよりは!

 香澄程では無いけれど普通に御立派ですよね、はぁマジですか、あっちゃんはこちらグループとばかりに思っていたのですがね。

 

 

「まぁお姉ちゃん程じゃないから」

 

 

 ムキー! 本日一番の許すまじですよ。裏切り者ですか契約違反ですよ、やれやれ仕方がないですね、りみりんおたえ、やってお仕舞いなさい。

 

 

「ちょっと、そんなに強く触ったら痛いよ」

 

 

 あぁそうですか、何と言ってもわたしには生涯に渡って経験しないであろう痛みですものね。

 

 ムッキッキー! この小悪魔許すまじですぅ。泣かないでください脳内りみりんにおたえ、この裏切り者はわたしが絶対に討ち取ってみせますからね。

 

 

「もう優璃お姉ちゃん、帰りたくなくなっちゃうよ」

 

「おっと、これは夢中になってしまいましたね」

 

「優璃お姉ちゃんのも可愛いくて私は好きなんだからそんな顔しないで、触っても良いから優しくしてよね」

 

 

 あっちゃんの胸部装甲を破壊するべく般若の顔で攻撃していたら流石に叱られてしまいました。しかしこれだけ胸を触っていても叱られるだけとは、やっぱり女の子は最高と言わざるを得ませんよね。

 

 逃げるようにベッドから離れて乱れたパジャマを直したあっちゃんは、ニ度三度ほど両手で頬を叩いた後に優しい微笑みを見せてくれた。

 

 

「それじゃ優璃お姉ちゃん、明日は迎えに来るね」

 

「いや明日は先約があるんだよね」

 

「ふぅん……事情聴取だね、今夜は帰りませんから」

 

 

 鎌を持たぬまでも雰囲気抜群の死神様は、ゆっくりとベッドに侵入して震えるわたしの身体に馬乗りになられました。

 

 

「優璃お姉ちゃん大好き、今夜は寝かさないよ」

 

「語弊が有り過ぎ、変な本の読み過ぎですから」

 

 

 死神か小悪魔か、我が愛しの妹様は可愛い顔に凶悪な笑みを浮かべながら、地獄へ誘うようにその綺麗な手を伸ばしてくるのでした。

 

 

 



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35.夢の蔵へようこそ

 

 

 太陽に照らされ薄緑の輝きを放つ若葉達が風に踊り戯れているような並木道の中で、指を絡ませ合いながら普段より幾分遅い足取りのわたし達の姿は、まるで天国の教会へと続くバージンロードを初々しく進む新郎新婦のように思えてしまいます。

 

 

「ゆりの初めてのお誘いがライブとはね」

 

「ライブに誘ったのは香澄達ですよ、わたしはお迎え係りです」

 

「ならゆりは私が来なくてもよかったんだ、寂しいなぁ」

 

「そんな思ってもいない事で意地悪を言うものではないですよ」

 

 

 心を重ねるように歩幅を合わせてくれながら、トレードマークであるポニーテールの髪を楽しそうに揺らしていた友達がピタリとその足を止めてしまった。

 

 

「私は嬉しかったんだけど」

 

「わたしだってこうして逢えて嬉しいに決まっていますよ、沙綾」

 

「本当かなぁ、二人だけの挨拶もまだしてくれていないし」

 

「あれが挨拶なの? 恥ずかし過ぎるのですけど」

 

 

 先日の家にお泊まりをした際に、二人で下校をする時には別れ際にハグをするという意味の解らない約束を沙綾にさせられてしまいました。最近は学校で席に座っていても驚かすように後ろから抱きしめてくる頻度が高くなってきていますし、これは香澄にも言える事なのですが女の子の友情表現ってこんなにも直情的なものなのでしょうか。何と言ってもまだまだ女子歴が浅いもので理解して慣れるまでには理性さんが色々と苦労してしまいそうですよ。

 後もうひとつ、わたしは何故にこうも推しの押しに弱いのですかね。

 

 

「ゆりからして欲しいなぁ」

 

「恥ずかしいから無理です、それに下校の時だけという話だったではないですか」

 

 

 止まっていた沙綾の足が再び動き出した。けれどもその表情はどこか不満気で、無理をしてでも笑顔を作ろうとしているのはわたしの目から見ても明らかです。

 普段みんなの前ではお姉さんキャラを崩す事が無い沙綾ですが、わたしの前では遠慮なく素の姿であろう甘えん坊を発揮してくれているのは、きっと心の距離が近付いて大切な友人と思い始めてくれたのかなと、少しだけ自惚れてみても許されますよね。

 

 

「お泊まりしてくれた時にはあんなに甘えてくれたのに」

 

「誤解を招きそうな言い方はやめてください。それにそれは沙綾の方ではありませんか、涙目でゆり、ゆり、って名前を呼びながら甘えてくる姿は堪らないものが有りましたよ」

 

「ちょっと待って、流石にそんな事はしていないから」

 

「ゆり〜、とかギュ〜、とかまさか沙綾があんなにとは」

 

「あんまり嘘を言うと本当にするからね」

 

「御免なさいです怒らないでください」

 

 

 叱られてしまいましたが普段の笑顔を取り戻してくれたようなので結果は良好です。

 言わなくても気持ちが伝わるように指に優しく力を込めたら沙綾が五センチくらい近寄ってくれた気がして、思わず少しだけ浮き足だってしまったのはきっとわたしが単純だからなのでしょうね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「さーやー、来てくれて嬉しい」

 

「私も香澄達を応援しているからね」

 

 

 市ヶ谷家の裏門前で顔を合わせるなり早々に、飛ぶように抱き付いていく我等が天使(香澄)は相変わらず天真爛漫なようです。

 

 

「初めまして戸山明日香です。いつも姉と姉の嫁がお世話になっております」

 

 

 沙綾の前に立ったあっちゃんが深々とお辞儀をして挨拶をしています。やはりとても真面目で礼儀正しい女の子ですね、なんちゃって姉としても鼻が高いですよ。

 

 

「香澄の妹さんだね、初めまして山吹沙綾だよ。いつもうちのゆりがお世話になっています」

 

 

 香澄に抱きつかれながら沙綾も笑顔で挨拶を返しています。どうやら初顔合わせも無事に済んだようで一安心です、この出会いを切っ掛けにして大好きな二人の親交がもっと深まってくれたら良いのですが。

 

 

「まったくどこが良いのやら」

 

「なんですと、わたしの考えを読むとはお主は超能力者か」

 

 

 隣に居た有咲が半目でわたしを睨んでから深々と溜め息を吐いています。いったい何が不満なのか解りませんが、和気藹々としたとても尊い光景だと思うのですよ。

 

 

「優璃ちゃん!」

 

「りみりん、ゆりさんも」

 

「りみに誘われてね、みんな元気だった?」

 

 

 駆け寄って来たりみりんと胸の前で両手を繋ぎ、はしゃぐ様に飛び跳ねながら久しぶりの再開を喜び合います、とはいえいつも学校で顔を合わせているのですがね。

 

 

「りみ嬉しそう、いっつも優璃ちゃんがね、優璃ちゃんがねって話をしているものね」

 

「はわわ、お姉ちゃん」

 

 

 顔を合わせていたりみりんが急に俯いて黙り込んでしまいました。どうやら未だに人見知りが激しいようですが、そろそろわたしにも慣れてくれないと流石に悲しくなっちゃいますよ。

 

 

「あっ、おたえー!」

 

 

 香澄の元気な声に釣られて振り向くと、ギターケースを背負った笑顔のおたえも無事に到着したようです。しかし一見すればモデルのようなスタイルと美貌にワイルドなギターケースの対比が非常に美しくて格好良いです、これで性格が天然ウサギ星人で無ければ芸能界に居ても可笑しくはない逸材だと思うのですがね。

 

 

「あっ優璃、彼氏を連れて来たよ」

 

 

 満面の笑みで手を振るおたえ……えっと、なんですと?

 

 

 名残惜しいですがりみりんと手を離しておたえに歩み寄ります。多分わたしの聞き間違いですよ、おたえに彼氏など居る筈が無いのですから。

 

 

「彼氏も優璃に会いたかったって」

 

 

 聞き間違いじゃないです許すまじですこの世の終わりです。

 なりませぬ、poppin'partyの世界に野郎成分など一滴たりともお呼びでは無いのですよ。

 あぁもうこれは神様許すまじですね、とりあえず今から殴りに行きますので其処に正座をして大人しく待つが良いです、何処に居るのかは知りませんけれど。

 

 

「彼氏のオッちゃんだよ」

 

 

 しかもオジサンの彼氏かい、いったい神様はどれだけわたしに絶望を与えれば気が済むのですか。

 別にあんたの事なんか許すまじなんだからね……いや可愛く言ってみたところで無理ですわ、滅するべし神様。

 

 絶望という虚無に打ち拉がれていると、おたえは右手に持っていた手提げ鞄のような物を満面の笑顔で見せつけてきた。

 いや女神のような微笑みで美しいですが、今だけはその笑顔は要らないのですよぉ。

 

 

「はい、優璃の彼氏だよ仲良くしてね」

 

 

 おたえさんわたしのとはいったい、確かに現在進行形で恋人は居ませんが例えこの先に出来るにしても、少なくとも鞄サイズの妖精みたいなオジサンだけは有り得ませんよ?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ふう、やっぱり緊張しちゃうね」

 

 

 楽器のセッティングを終えた四人は、それぞれ深呼吸をしながら集中力を高めているようです。深紅のランダムスターを携えメンバーに話しかけている香澄を見ていると、何だかわたしまで段々と緊張で鼓動が速まっていくようです。

 蔵の地下で開催される特設ライブ会場には観覧席が設けられ、ゆりさん、沙綾、わたし、あっちゃん、有咲のおばあちゃんが並んで座っています。

 地下室ゆえにそこまで広さはないので会場は既にすし詰め状態、香澄達との距離も近くて緊張による熱気が顔に直接ぶつかってくるような臨場感です。

 

 因みに先程までわたしの膝の上に居た彼氏さんには退場して頂きました。

 えぇとても可愛いかったですよオッドアイのオッちゃんだそうです……ってウサギじゃねぇか。

 わあ凄いあんまり懐かない子なのに相性抜群だねとか笑顔で親指を立てるんじゃねぇですよ、男だったらその顔にグーパンチですよ美人な事に全力で感謝するが良いです。

 繰り返しになりますがわたしはヒト属ヒト種モトオトコの人間様なのです、そろそろいい加減に理解をして頂かないとその綺麗な頭にウサ耳カチューシャを付けて仕返しをしてやりますからね。

 

 騒めく気分を取り直してふと隣を見れば、眩しそうに香澄達を見つめている少しだけ寂しそうな沙綾の顔があります。

 よくよく考えてみればわたしも酷い人間です。精神世界の話とはいえ辛い過去を聞かされているというのに、それでもこうしてライブ会場まで知らぬ顔で連れてきてしまう、身勝手で強欲な女の子でしかありませんよ。

 

 それでも、それでもこの道が明るい未来に通じてくれると信じてる。

 例えわたしはどんなに汚れていたとしても彼女達の煌めきを穢させたりはしない、まぁそれはつまり彼氏を作るチャンスは与えないという決意なのですがね。

 

 沙綾の左手をそっと握ってあげると、一瞬だけ此方に視線を送った後に両手で包み込むように右手を重ねてくれた。これで少しでも明るい気持ちを取り戻してくれたら嬉しいのですが、反対側に座るあっちゃんが左の脇腹をしきりに抓ってくるのが少々辛いです。

 

 

「ライブハウス夢の蔵へようこそ! 今日はわたし達のクライブに来て頂いて本当にありがとうございます。それでは早速ですが聴いてください『私の心はチョココロネ』」

 

 

 香澄の挨拶が終わると打ち込みのドラム音がカウントを刻み始め、いよいよ四人での演奏が始まりを迎えた。

 

 この曲はりみりんの作詞作曲だそうで、ポップなメロディに初恋の甘さを綴った歌詞が乗ってとっても可愛らしい曲に仕上がっています。

 しかしりみりんは凄いですね、あんなに愛くるしい小動物のような見た目なのにpoppin'partyの作曲をこれから殆ど手掛けていく人になるとは、今迄の内気な姿を見ていたらとてもではないけれど信じられないですよ。

 

 Bメロを過ぎていよいよサビの盛り上がりに入ると全員で心を揃えての合唱が入りました。素人目にもバンドとしての演奏自体はお世辞にも上手とは言えません、テンポはバラバラで香澄もちょくちょく音を外しているのが気になってしまいます。

 

 それでもわたしは今、心が震えてしまう程に感動してしまっていた。

 

 有咲にりみりん、それにおたえも誰もが真剣だけどみんなが笑顔だ。

 四人で音を合わせる事が楽しくて堪らない、自分達の音楽を聴いて貰える事が嬉しくて最高、全員がそんな表情をしながら演奏している。

 

 そして……。

 わたしにとって星のような女の子は、みんなを代表するようにセンターで綺羅星の輝きを放っていた。

 

 演奏を間違っても、緊張で震えている声も、額から流れ落ちていく汗も、その全てが輝く笑顔に包まれた流星となってわたしの胸を次々に撃ち抜いていく。

 

 やっぱりこの娘は特別だ。

 物語の主人公に相応しい輝きと煌めきをその身から放ってわたしの心を掴んで離さない。香澄はキラキラドキドキしたいって自分で言っていたけれど、香澄自身がキラキラドキドキの権化じゃないですか、本当にずるいですよ。

 

 ギターの減衰していく音で曲が終わった事に漸く気付く、たった一曲だけのライブだったのに、まるでドラマを一話まるまる見たような満足感に浸ってしまいました。

 香澄達の荒い息遣いだけが聞こえる空間にあっちゃんの労いの拍手が響き渡り始め、わたしも気持ちを込めて大きな拍手を贈ると沙綾達も続いて拍手をしてくれました。

 賞賛が鳴り響く蔵の中で緊張から解放されたメンバー達は胸を撫で下ろしたように安らかな微笑みを浮かべています。だけどひとりだけ、おたえだけは口を半開きにして呆けたような表情をわたし達に向けていました。

 

 

「おたえやったよ、おたえのお陰だよありがとう」

 

「香澄、りみ、有咲……震えた、震えちゃったよ。やろう、私もバンドやりたい」

 

「おーたーえー!」

 

 

 おたえの発言を聞いた香澄が喜びの万歳をしてから両手を取ってぶんぶんと振り回し始めました。そんな姿を見たりみりんも有咲も、満足したように何も言わずに優しく微笑んでいます。

 あっこれは駄目なやつですね、尊すぎて泣きそうですよ。

 

 わたしの様子に気付いた香澄が両手でガッツポーズをしてくれたので同じポーズを返して微笑み合います。良かったね香澄、夜も自主練を欠かさなかったのを見守っていた身としては感慨深いですよ、宿題は欠かしまくりでしたけれどね。

 

 温かい空気に満たされる蔵の中で隣に座っていた沙綾は泣き出しそうな表情を浮かべながら拍手をしていました。一瞬だけ沙綾も同じ気持ちなのかなと思ったけれどその視線はどこか虚ろで、拍手をしている手にもあまり力が入っていないように見受けられます。これはわたしのように感動して泣きそうという感じではなく、何か別な感情が彼女の中を満たしているのかもしれないですね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「それでは香澄、沙綾を送っていくので後は宜しく」

 

「はいはい、早く帰ってくるんだぞぉ」

 

 

 裏門前でテンション高めな香澄達と別れて沙綾と並んで歩き出します。

 クライブの成功でおたえのバンド加入が確定したので喜びもひとしおですから仕方がないですよね、本当ならわたしも飛び跳ねながらメンバー達とハイタッチをしたいくらいに嬉しいですから。

 

 並んで歩くわたし達はいつものように手を繋いではいません。それどころか相変わらず沙綾は泣き出すのを堪えた表情のまま拳を固く握り締めてしまっています。

 

 

「いいよ香澄達と帰りなよ、私はひとりでも大丈夫だから」

 

「ではそうしますかね、とはなりませんよ」

 

「こんな顔、ゆりには見られたくないよ」

 

「どんな顔だって沙綾は沙綾。わたしは沙綾の全てを大切にしたいのです」

 

「そういうの男の子に言ったら駄目だからね、勘違いをされちゃうよ」

 

 

 何故にわたしが説教をされているのですかねと思っていたら、沙綾がわたしの左手を取って指を絡めたいつもの繋ぎ方をしてくれました。

 

 

「駄目だな私、見られたくないのに側に居て欲しいって思ってしまってる」

 

「側に居るよ。だから教えてくれないかな、ドラムを辞めた理由を」

 

「楽しい話じゃないよ、でも……ゆりには話すね、私の全てを知ってそれでも好きでいて欲しいから」

 

「大丈夫だよ、だってわたしは沙綾の事が大好きだもの」

 

「そういうところだよまったくもう。私は好き……きっと好きなんだろうなゆりの事」

 

「えぇ⁉︎ きっとなの?」

 

「馬鹿……、少しだけ話は長くなるけれど聞いてね、私が中学生の頃」

 

 

 沙綾の挫折した話は精神世界では聞かされています、ですが現実で話をする事でまた新たな心境の変化が芽生えるかもしれません。

 今度はわたしの番です。香澄がクライブで繋いでくれたバトンを絶対に落としたりはしない、沙綾に背中を押すという名のバトンを渡して、再び香澄の手に希望という名のバトンをリレーしてみせますからね。

 

 

 



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36.だいしきだよ

 

 

 人通りの増えてきた夕暮れの商店街、やまぶきベーカリーから少し離れた場所に在る児童公園のベンチに沙綾と並んで座っています。

 遠くから薄っすらと聞こえてくる雑踏の音とは無縁に公園の中は不思議と静かで、まるで再び沙綾の精神世界に来てしまったのかと錯覚してしまいそうです。

 

 

「だからもうバンドはしない、ドラムは叩かないと決めたんだ」

 

 

 沙綾から聞かされた話は精神世界の時と相違は無くて苦しくなってしまう内容なのに、わたしを信頼して話をしてくれた事が不謹慎にも少し嬉しいと感じてしまっていた。

 

 

「沙綾は優し過ぎるよ。本当は今でもドラムを、バンドをしたいって思っている筈だよ、顔にそう書いてあるもの」

 

「もう迷惑を掛けたくないよ、きっと楽しめないと思うし」

 

 

 俯いた沙綾が膝の上で拳を強く握り身体を小刻みに震わせています。

 その姿が痛々しくて思わず抱きしめて慰めたくなる、彼女の意思を認めたくなってしまいそうです。

 

 

「迷惑なんて誰も思わないよ、沙綾がまたバンドを始めるならわたしは何があっても応援するよ」

 

「やっぱり香澄達とバンドをやらせたいみたいだね」

 

「それはね、やっぱり沙綾が入ってくれたら嬉しいし幸せだなって……」

 

「だったら、だったらゆりがやったら良いじゃない!」

 

 

 此方に振り向きながら驚く程の声量で叫んだ彼女の瞳からは何粒もの涙が流れ、頬を照らすように濡らし始めていた。

 

 

「そうすればゆりが大好きな香澄といつも一緒に居られるし香澄だってきっと喜ぶよ、私を巻き込まなくたってみんなが幸せになれるじゃない!」

 

「わたしじゃないんだ、沙綾が良いの」

 

「何でよ、我儘だよそんなの」

 

 

 本当に仰る通り我儘で最低だよね。わたしは自分の願望を口にする事しか出来ていない、そんな人間が誰かの心を動かすなんて背中を押すだなんて身勝手な話でしかない。

 

 結末を知っているからと言ったって、過程で傷付けても構わないという免罪符になりはしない。

 避けて通れるなら幸せだけれど目を逸らしていても沙綾はきっと前へ進めない。ならば汚れ役はわたしが演じましょう、せめて願望に忠実な道化師として前を向いて笑って頂けるように。

 

 

「わたしは我儘を言っているんだよ。あのバンドでドラムを叩くのは沙綾なの、沙綾じゃないと嫌なの」

 

「どうして……どうして私なの? 香澄の為なんでしょ、香澄の為なら誰だって良いんじゃないの」

 

「もちろん香澄の為だよ。でもそれ以上にわたしの願望なの、沙綾があのバンドでドラムを叩く姿を見ていたいのですよ」

 

 

 頬を伝う涙を指で拭ってあげると、潤んで宝石のように光っていた瞳をわたしに向けてくれました。震える頭を優しく撫でてあげながら多分ぎこちないであろう精一杯の微笑みを大切な友達に贈ります。

 

 

「わたしは大好きで大切な人がドラム担当じゃなきゃ嫌なんだよね」

 

「そんな事を言っても今はまだ無理だよ、前のバンドの娘達にも悪い」

 

 

 沙綾が首に腕を廻して身体を預けるように優しく抱き付いて来ました。

 濡れた頬の感触が接着剤のようにわたし達の心を繋ぐ、もう何回も触れ合っている身体の温もりは緊張よりも溶ろけるような安心感を与えてくれます。

 

 

「わたしが我儘を言っているだけなので沙綾が気にする事ではありませんよ。でも覚悟して、沙綾にはこれからも我儘を言い続けると決めましたから」

 

「酷いな、でも嫌じゃないけれど何でだろう」

 

「それは沙綾もわたしの事が大好きだからじゃないですかね」

 

「自惚れ者だねぇ、ゆりは私の事が好き?」

 

「大好きに決まっていますよ」

 

「今はそれで良いや、私が特別って伝わってきたしね」

 

 

 頬に唇の柔らかな感触が押し付けられた。それは以前のように一瞬ではなく確かな熱さを与えさせる程に長く、心の強さを感じさせる程の圧力でわたしの時間を止めてしまった。

 

 不意を突かれ動く事が出来なかった身体を離れ、沙綾はベンチからゆっくりと立ち上がってわたしと向かい合いました。

 腰を曲げて近付いてきた顔に新たな涙の筋は見えない、潤んでしまった瞳で無理矢理に笑う彼女の姿が、何故だか今はとても綺麗に思えてしまいますよ。

 

 

「バンドは出来ないけれど、私の事は嫌いにならないでね」

 

「もう、なる訳が無いじゃん。でも諦めないよ」

 

「うん、ずっと私を追い掛けていて欲しいな」

 

 

 わたしの鼻頭を指で軽く弾いた沙綾が、今度は素直な微笑みを見せてくれました。

 

 

「沙綾はもっと欲張りなくらいが良いんですよ」

 

「我慢した方が丸く収まるからね、でも諦めがつかない事も有るんだなって知ったかな」

 

「やっぱりバンドがしたいとか?」

 

「んー、秘密だね」

 

 

 可愛らしいウィンクをしてくれましたが、結局は再びバンドを始めるという言質は頂けず仕舞いですか。

 やはり所詮わたしは物語のモブキャラでしかなく、香澄のように自分で壁を打ち崩して行くような力を持ってはいないという事なのでしょうかね、悲しいですがこれも現実です。

 

 

「ゆりが居てくれて良かった、ちょっと心が軽くなったよ」

 

 

 落ち込んで俯きそうになった顔を上げると沙綾の明るい笑顔があります。

 そうですよ、この笑顔をずっと見る為に諦めないと宣言をしたばかりではありませんか。この程度で挫けるなど情け無いですよわたし、輝ける百合百合の光景への道程はまだ始まってすらいないのですから。

 

 

「諦めないよ、沙綾」

 

「私も諦めないよ、いつか言わせてみせるからね」

 

「えっ、何を?」

 

「ふふっ大好きだよ、ゆり」

 

 

 女の子の大好きは挨拶みたいなものですが、それでも言われればやはり嬉しいものです。

 沙綾に手を引かれて立ち上がり、わたし達は何も言わずどちらからともなくハグをした。

 抱きしめたかったし、抱きしめられたかった。沙綾にわたしの温もりを感じて欲しくて身体に廻した腕に少しだけ思いを込める。

 何だかこれって女子化が更に進んでいるような気もしますが、今はこれでも良いような気分です。

 

 

「そういえば私、一昨日誕生日だったんだよね」

 

「なんですと、何故に教えてくれなかったのですか、みんなでお祝いをしたかったのに」

 

「言うタイミングが無くてさ」

 

「遠慮し過ぎですよ、やっぱり沙綾はもっと欲張りになってくださいな」

 

 

 じゃあと言いながら沙綾が自分の頬にトントンと指を差しています。

 その指し示す意味は理解が出来るのですが流石に恥ずかしいです、でもこれはお祝いの為ですからと自らに言い聞かせながら、辺りに人気が無いのを入念に確認して少しだけ背伸びをして顔を近付けます。

 

 

「おめでとう沙綾、来年は一緒にね」

 

 

 思いを込めてゆっくりと唇を付けると返ってくる柔らかな弾力と瑞々しい感触が心地良くて、暫く離れる事を忘れてしまう程に沙綾の服にしがみ付いてしまいました。

 

 背伸びを止めて唇を離したら、途端に短距離走を終えた直後のような身体の熱さと跳ねるように打ち鳴らされる鼓動の感覚で恥ずかしさを自覚してしまいます。

 冷静になってみれば勢いとはいえ何をやっているのですかわたしは、そろそろ恥を知った方がよろしくてよ、その内に暴行で捕まってしまいますわよ。

 

 

「これって本気でされると凄く恥ずかしいね。でも嬉しかった、特別だよって言われている気がしちゃった」

 

 

 閉じていた瞳を再び開けた沙綾はとても素直なはにかんだ笑顔を見せてくれました。お互いの服の袖を引き合うわたし達の距離は限りなくゼロで、心の距離も珈琲カップの中に落としたミルクのようにぐるぐると螺旋を描きながらゆっくりと溶け合い混ざり合っていくような気がした。

 

 

「私もゆりを大切に想っても良いかな?」

 

「おっとそれは親友にという事ですね、願ったり叶ったりですよ」

 

「えっ、それは嫌」

 

「なんやて、沙綾」

 

 

 悪戯っぽく微笑んだ沙綾が頬に優しく手を添えてくる。ドラムと家業の手伝いで鍛えられた指はとても華奢とは言えないけれど、わたしはこの温かい感触が割と気に入っていた。その指が耳たぶを遊ぶように撫でてくるので擽ったくて思わず首をすくめてしまいます。

 

 

「親友以上の存在になりたいんだよね、幼馴染みに負けないくらいの」

 

「親友以上の関係ですか。何と呼ぶのかは知りませんが沙綾とならきっとなれそうな気がしますね」

 

「頑張ってね、ゆり」

 

「わたしが頑張るの?」

 

 

 わたしの身体から離れ後ろ手に指を組んだ沙綾が、ふわりとポニーテールにした髪を踊らせながら背中を向けてしまいました。

 

 

「私は直ぐに逃げちゃうから、しっかり捕まえておかないと消えちゃうかもよ」

 

「逃しませんよ、バンドをして貰うのを諦めないと言いましたからね」

 

 

 沙綾の腕に自分の腕を巻き付けてそっと引き寄せると、頭を預けるようにして身体を寄せてくれました。ですが本当にもう少しだけ身長が欲しかったものです、これでは残念ながら沙綾に頭突きをされているようにしか見えませんからね。

 

 

「今日も泊まっていく?」

 

「明日は学校ですよ」

 

「一昨日が誕生日でさ」

 

「それは先程に使っていましたよ、また今度です」

 

 

 不満気な声を上げながらも顔がにやけていますよ、沙綾。

 緩やかに吹く向かい風は髪を揺らすばかりで、寄り添い合うわたし達の間を通り抜ける事は一向に出来ないでいた。夕暮れに染まる静かな公園という舞台の上に伸びている影はひとつしかなく、その形が示す通り重なり溶け合うようにわたし達の絆もひとつになってくれたらと心から願うのでした。

 

 

「そろそろ帰ろうか」

 

「そうだね、沙綾のお家も忙しくなる時間帯だろうし」

 

「それで替えの下着は私のでも大丈夫?」

 

「沙綾、先程までの会話をもう忘れてしまったのですかね」

 

 

 声を上げて笑い合った後に組んでいた腕を解いて手を繋ぎ直し、二人で同時に足を踏み出します。

 

 今はまだ別々の未来を見ているわたし達だけれど、いつかはこんな風にみんなで笑いながら一緒な道を歩んで行けたら嬉しいなって、絡み合う指と混じり合う視線に少しばかりの熱を込めた。

 

 

「話を聞いてくれてありがとうね。誕生日プレゼントも想像以上に嬉しかったよ」

 

「わたしは死ぬ程に恥ずかしかったですがね」

 

「なら慣れる為に毎日しようか」

 

「プレゼントの特別感が秒速で失われていますよ。まったく、わたし以外の人にこんな事をさせたら駄目ですからね」

 

「自分なら良いんだ、それは独占欲なのかな? 沙綾は私のだって言いたいのかな?」

 

「そういう意味じゃ……もう、からかい過ぎですよ」

 

 

 わたしをからかって楽しそうな沙綾。クラスではお姉さんキャラとして優しく微笑みを浮かべるばかりだけれど、本当はこんなに子供っぽく笑う女の子なんですよね。

 この先にpoppin'partyのメンバーになってしまえば香澄達はいつでも見る事が出来るのですから、今だけはこの素敵な笑顔を見続けせてくださいな。

 

 本当に笑えませんよね、沙綾の言った事が意外や図星みたいですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 自宅に帰り夕食も済ませてから自室のベッドに身を投げ出し枕に顔を押し付けます。

 帰宅途中でふと気付いた事実が今も胸の中にもやもやとした黒い影を落としたままで、一向にそれから目を逸らす事が出来なくなっています。

 

 

 沙綾ってどのタイミングでバンドに加入した?

 五人揃ったpoppin'partyはその後どうなった?

 

 

 知っていた筈の原作知識が記憶の海から蒸発したかのように欠落してしまっていた。

 

 優位性を失い只の女の子になってしまったわたしに、いったいどれ程の価値があるというのだろう。本当に香澄達を支え、沙綾の背中を押す事が出来るのでしょうか。

 思考は混沌として纏まらずに不安ばかりが時間と共に積み重なっていきます。

 

 そんな焦燥感に身を悶えさせていたところで携帯電話が一件のメール着信を知らせてきた。

 

 

『ねえねえ、文化祭ってバンドとかてれるのかな⁉︎』

 

 

 ふむふむ香澄さんや、文面は理解が出来るのですが『ねえねえのえ』は小文字が、最後のマークはクエスチョンマーク()だけが読みやすいと思いますよ。そして濁点を忘れると意味が変わってしまうのでご注意です。

 

 確か初夏の時季に催される花咲川女子学園の文化祭は自由な校風とも相まってお祭り騒ぎのように賑やかだとか。だとすれば生徒によるバンド演奏があったとしても不思議ではありませんね。

 

 もしもわたしが物語を作る神様だとすれば大きなイベントに何らかのエピソードを盛り込む事は当然です。だとすればこの機会を利用しない手はありませんね、少しばかり主体的に動いてみるとしますか。

 

 失いかけていた活力がみるみる蘇ってくるのがわかる。支えると言っておきながらも走り出す切っ掛けをくれるのはいつも香澄だよね、やはりわたしの相棒は大した女の子ですよ。

 

 

『良き良き、わたしも香澄達のステージを見たいな。本当に演奏が出来るのか色々と聞いてみるね』

 

『ありがと、だいしきだよ』

 

 

 いやわざとでしょ、その誤字は絶対にわざとでしょ、いくら何でもあざとさが爆発して可愛さが限界突破ですよコンチクショー!

 

 



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37.おっぱいは誰のもの

 

 

 お昼休みで騒めく生徒達が次々と通り過ぎて行く廊下の片隅にて、ひとりの美少女たるわたしは決意を持ってとある部屋の前に立っています。

 心を落ち着かせる為に幾度か深呼吸を繰り返してからノックをして返事を待ち、静かに扉を開けていざ戦場へと足を踏み入れました。

 

 

「いらっしゃい、時間通りね」

 

「失礼します。お時間を頂き感謝します、生徒会長」

 

 

 何台かの書類棚に質素な長机とパイプ椅子、我等が花咲川女子学園の生徒会室は女子校とは思えない程に実務的な様相を呈していました。

 

 促されるまま対面の椅子に座り背筋を伸ばして対峙します。理知的な眼鏡と美しい天使の輪を持つ長髪を後ろでひと束に纏めているのが印象的な会長は、見透かすように瞳を細め、自らの意思を隠すように顔の前で両手を組んで動かずにいました。

 

 

「美月優璃さん、貴女は今年の文化祭で音楽祭という名のライブを開催したいそうですね」

 

「はい、音楽という自己表現を披露する場所を提供する事で文化祭を盛り上げるという生徒会の一助にもなりますし、花咲川女子学園の懐の深さ多様性を内外に示す事にも繋がり、ひいては会長ご自身の評価にも……」

 

「まわりくどい言い方はよせ越後屋、この話はお主にも利益が有るのであろう」

 

「いやいや流石はお代官様、わたくしめの目論見など既にお見通しで御座いましたか」

 

「ぬかしよる。はっ、はっ、はっ、はっ」

 

 

 二人で高笑いを決めたタイミングで同時に頭を叩かれました。

 

 

「茶番は止めなさい、お昼休みは短いのよ」

 

「可愛い後輩と戯れる権利くらいは生徒会長にもあって然るべきよ、ゆり」

 

 

 りみりんのお姉さんでありGlitter⭐︎Green(グリグリ)のギターボーカルでもあるゆりさんに頭を叩かれたキーボード担当の七菜(ななな)さんが、衝撃でズレた眼鏡を直しながら恨めしそうな視線を返しています。

 

 

「ひゃん!」

 

 

 因みに無表情でわたしの頭を叩いたのはベース担当のリィさん、そして背後からするりと腕を伸ばして制服の上から胸を鷲掴みにしてきたのがドラム担当のひなこさんです。

 どうやらグリグリの皆さんが全員集合のようですが、先程乙女のような悲鳴をあげていた女の子の姿が見えませんね、きっと空耳だったと思うので記憶から消去しておく事にします。

 

 

「相変わらず可愛いお胸だねぇ、ひなちゃんが立派に育ててあげるからお姉さんにその身を委ねるのだ。さぁさぁ、ひなこお姉様と呼ぶが良いぞ」

 

 

 制服の上から、しかも微々たる量の物とはいえ乱暴に揉みしだかれると背中に虫が這うような悪寒が走ります。不思議なもので香澄や沙綾達に触られても嫌だとは思わないのに、ひなさんに触られるとハッキリとキモチワルイと思えてしまいます。

 これも女の子らしい感情っぽいとはいえ、何だか複雑な心境になってしまうのは仕方がない事なのですかね。

 

 

「いい加減に止めろ、ゆっちゃんが怯えてるでしょ」

 

 

 一際大きな音をたてながらリィさんがひなさんの頭を叩き身体を引き剥がしてくれました。決してクールな態度を崩さないリィさんはどうやら優しくて安心できる常識人なお姉様のようです。

 

 

「あぁ私のおっぱい、私の美少女がぁぁぁぁ」

 

「どちらもあんたのでは無い」

 

 

 リィさんお願いですからその猛獣を何処かの檻にでも放り込んでおいてくださいませ。あっ、もちろん餌は抜きで。

 

 

「それで美月さんは文化祭で戸山さん達のバンドを演奏させたいと、そういう話ね」

 

 

 わたしが力強く頷くと七菜さんとゆりさんは顔を見合わせ真剣な表情で頷き合った。

 

 

「でもねゆっちゃん、仮に私達も出るにしても二つのバンドだけでは場が持たないのよ」

 

「そこでよ、美月さんには交換条件を提示したいと思います」

 

 

 七菜さんが差し出してきた紙には『文化祭実行委員名簿』という文字が大きく記されております。

 なる程ですこちらの要求を呑む為には対価が必要という訳ですか、ですが……。

 

 

「これは提案よ、ライブをしたいのなら自分で舞台を整えなさいという事ね。出演バンドを集めるにしても生徒会という肩書きは便利だと思うけれど」

 

「やれば良い、そして馬車馬のように働けば良い」

 

 

 返答に悩んでいると、隣に座るリィさんが持っていたぬいぐるみの腕で頬をつんつんと突いてきました。リィさんなりに頑張れと言ってくれているのでしょうが、更に奥に座り美少女美少女と連呼している猛獣の躾は大丈夫なのでしょうかね。

 

 

「わかりました、やります」

 

「物解りが良いのね、それだけあの娘達が大切という事かしら」

 

「必ずや姉御のご期待に応えてみせやすぜ」

 

「無駄に命を散らすんじゃないわよ、絶対に生きて帰って来なさい」

 

 

 七菜の姉御、ゆりの助、と腕を固くクロスさせたところで再び同時に頭を叩かれてしまいました。

 

 

「そのおっぱいはひなちゃんが育てるのだぁ!」

 

 

 隙を見て突然わたしに飛び掛かろうとしたひなさんの顎をリィさんのぬいぐるみが素早い動きで的確に打ち抜きました。綺麗に半円を描きながらスローモーションのように吹っ飛んでいく猛獣を茫然と眺めながら、ふとわたしはひとつだけ心に決めた事があります。

 

 

 ぬいぐるみを怒らせたらアカンなと。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 生徒会室からの帰り道、開いていた窓から吹き込む風に後髪を優しく弄ばれた。草と土の混じり合う匂いは季節の変わり目である事を告げるように校舎の中を満たしていて、何だか意味もなく心をふわふわと浮き立たせてしまいます。

 

 少しだけ軽くなった足取りで教室に戻る為の降り階段に差しかかると踊り場に見知った顔が二つ、座った姿勢でノートを開いている有咲とそれを覗き込むような姿勢の沙綾が居ました。

 

 

「何をしているの?」

 

「何だ優璃かよ。いやメンバーも増えてきたしな、そろそろバンド名とか決めた方が良いのかなって」

 

 

 なんですと、それは聞き捨てならぬ話ですぞ有咲殿。

 

 速攻で有咲の向かいに膝を折るように座りノートを覗き込みながら沢山の単語が書き連ねられている中からとある文字を必死に探します。

 その様子を見たのか沙綾もわたしの隣に膝を合わせるように座り、ノートの一箇所を興味深そうに指差しました。

 

 

「この『poppin』っていうの可愛いかも」

 

「わたしもそれが良いと思った。弾ける可愛さっていうか、元気になれそうな感じがする」

 

 

 その言葉を選んでくれるとは流石は沙綾、お目が高いですよ。

 嬉しさで沙綾に向かって弾ける笑顔を向けたら、ふわりとした優しい微笑みを返してくれて余計にテンションが上がってしまいそうです。

 

 とりあえず有咲のリアクションを見ようと正面に向き直したところで、突然に襲ってきた感覚で背中に震えが走ってしまった。

 それは有咲の位置からは見えない突き合わせた膝の下で、沙綾の左手がわたしの右足首を何の脈絡もなく握りしめてきた事に驚いたからだった。

 

 慌てて沙綾の顔を確認しても有咲の方を見て素知らぬ顔をしています。これは意識的にからかっているのだと直ぐに理解は出来ましたが、有咲に見られたら変に思われるかもしれないと思うと身体を動かす事が出来ず、まさに沙綾にされるがままになってしまいました。

 時折キュッ、キュッ、と強く握られる度に恥ずかしさが込み上げてきて、まるで初めて手を握られた時のように段々と鼓動が強くなり、沙綾の手を握りたいという衝動が顔の熱さと共に沸々と心の奥底から這い出して身体を支配しそうになりそうです。

 

 

「流石は有咲だね、センスが良いんだろうな」

 

「弾ける仲間達とか良いかもなぁ。サンキュ、参考になったわ」

 

 

 沙綾の笑顔に隠されたあからさまな褒め言葉に対して有咲は素直に嬉しそうな顔を見せています。騙されたら駄目です有咲、この娘は笑顔の下で友達の脚を触って遊ぶような悪戯っ子なのですよ。

 

 

「あっみんな此処に居た! 次はホームルームだよって、ありさ何を書いているの?」

 

「何でもねぇ、さっ行くぞ」

 

 

 香澄に覗かれそうになった有咲が誤魔化すように立ち上がりながらノートを小脇に抱えてしまいました。傍目から見ると有咲は割と香澄に素っ気ない態度をとる事が多いのですが、きっと自分の女の子らしい部分を見せるのが恥ずかしいのでしょうね、流石はツンデレの見本市ですよ。

 

 わたし達も有咲に合わせて立ち上がると、香澄が現れた瞬間に脚から手を離していた沙綾がきょとんとした顔の香澄の背中を押すようにして階段を降りて行ってしまった。

 

 

「なぁ、沙綾って……」

 

「んっ? どうしたの有咲」

 

「いや……独り言、ほら私達も行くぞ」

 

 

 一足先に歩き出した有咲が階段を一段づつ降りる度にぴょこぴょこと可愛らしくツインテールの髪が跳ねていた。そんな平和な光景を眺めながらも何故かわたしの儚い胸の内では、お祭り前の高揚感と嵐の前の不安感みたいなものが混じり合いながら通り抜けていくのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ほほぅ、そういう流れですか生徒会実行委員さん」

 

「そうなのですよ、クラス代表実行委員さん」

 

 

 夜の帳も下りて満月の照明が輝き出す時間帯に、わたしの部屋のベッドの上で香澄と二人で正座をして向かい合っております。

 

 

 午後のホームルームで香澄が満場一致で文化祭の一年A組実行委員長に推挙されたのですが、いざ副委員長の選抜になると嫁の面倒はお前が見ろよと言わんばかりの視線が教室中から浴びせ掛けられました。

 しかしこれは想定内の流れでしたね、あくまでも余裕の表情を崩さず学級委員長のみっこに向かって右手を挙げながらゆるりと立ち上がりました。

 

 

「みづきゆりくん」

 

「サンクス委員長。さて皆さん先ずは生暖かい視線をどうもありがとう、そしてその期待に応える事が出来ないのを心から謝罪いたすとしよう」

 

 

 舞台に立つ役者のように大袈裟に右手を額に添え絶望の表情を見せます。さてクラスの皆様、優璃さんのひとり舞台をごゆるりとご覧くださいませ。

 

 

「わたくしこと美月優璃は既に先程生徒会より実行委員を承ってしまったので、残念ながらクラスの実行委員をお受けする事は出来ないのです」

 

 

 知るか両方やれ、というみっこの野次に向かって勢いよく指を差し、にやりと笑った後に代替え案を提示します。

 

 

「そ、こ、で、我等がクラス代表の補佐に相応しい人物を推薦したいと思います。その人物は面倒見と包容力という優しさを両立しまさに補佐役として最適な人材、そう山吹沙綾こそが副委員長に望ましいのです」

 

「えっ⁉︎ 私⁉︎」

 

 

 感嘆の拍手と共に今度は教室中の視線が沙綾に向けられます。これで作戦は成功したも同然です、この雰囲気の中で断る事が出来る人で無いのは既に理解をしていますのでね。

 これで香澄と沙綾の接点が増えますし何より先程の悪戯の報復も出来て一石二鳥の展開ですよ、中々の策士ですねわたしは。

 

 

「もう仕方がないな、それじゃあ私がやりますか」

 

 

 沙綾が笑顔でこちらを見てくれた事に安心……出来ませんよ。あの笑顔は怒りの笑顔ですよ、これは殺られてしまうかもしれないと今日はスタコラと走って帰るスタ子ちゃんになったという次第です。

 

 

「ほほぅ、それでわたしの相方を断ったと」

 

「まぁもう少し沙綾と親睦を深めるのも良いでしょ、こっちはバンド出演に向かって舞台を整えるからさ」

 

「色々と甘えちゃってゴメンね」

 

「それは良いけれど香澄さ……」

 

 

 真剣な表情のまま正座で向かい合っているのは良いのですが、生徒会室での遣り取りを聞いた香澄が何故か両手でわたしの胸部装甲をふにふにと揉み始めた事が全くもって理解し難いのですがね。

 

 

「何で胸を揉んでいるの?」

 

「上書きです、これはわたしのおっぱいなので」

 

「許可はしていないよ、これはわたしも触り返しても良い流れだよね?」

 

「それは駄目です、恥ずかしいので」

 

「傍若無人が過ぎるよね」

 

 

 色気も何も無くふにふにと胸を触る香澄にトキメキもあったものではありません。

 このままやられ放題では男も廃るというものなので、香澄に飛び掛かるように押し倒してその柔らかな胸に顔を埋めてやりました。

 顔をグリグリと動かすと有咲に比べれば大人しいサイズとはいえ顔が包み込まれるような滑らかな触感に幸せが溢れてしまいますね。

 そのまま顔を擦り続けて楽しんでいたら、恥ずかしいのか香澄が時折身体を震わせ始めました。

 この優璃様のおっぱいを弄んだからには相応の恥ずかしめを受けて貰わねばなりませんからね、身を震わせる羞恥心にその心を焦がすが宜しいですよ。

 

 

「香澄のおっぱいはわたしのです」

 

「ち、違うもん、ゆりのおっぱいがわたしのだもん」

 

 

 意固地になったわたし達はお互いのおっぱいをがむしゃらに揉み合うというおっぱい合戦に突入してしまいました。

 揉みやすいようにと上着を剥ぎ取り合いベッドの上で揉み合う姿はさながら女子プロレスのようですが、わたしが香澄に馬乗りになりお互いの顔を見つめ合ったところで漸く落ち着きを取り戻す事が出来ました。

 

 

「香澄、今日は泊まっていきなよ」

 

「ゆりから誘ってくれたのは久しぶりだね。泊まるからって乱暴にしたら嫌だよ」

 

「全世界の人が誤解しそうな言い回しは止めて」

 

「だって現に襲われているし、ゆりのおっぱいはわたしのなのに」

 

 

 香澄の身体から離れて部屋の照明を落としてから再び馬乗りになり第二次おっぱい大戦争の始まりです。

 

 

「香澄はわたしのだって言っているでしょうが」

 

 

 勢いよくおっぱいに手を伸ばそうとしたら、香澄の両手が頬を包み込むように添えられた事に驚いて思わず動きを止めてしまった。

 

 

「もう一回さっきの言って」

 

 

 薄暗いベッドの上で淡い光に反射した香澄の瞳は潤んでいるように見えた。先程のわたしの言葉って確か……。

 

 

「もう、ゆりはわたしが大好きで仕方がないんだねぇ」

 

 

 あれ可笑しいですね、何故かわたしの方が羞恥心に身を焦がしているような気がするのですが?

 

 体勢を入れ替えられ今度は香澄が覆い被さる形になり、暗がりでもわかる程に楽しそうにしている顔をぐいぐいと近付けて来ました。

 

 

「それでそれで、誰が誰のものだっけ。ねぇねぇ、香澄は誰のものだって?」

 

 

 意地が悪そうな笑顔もとても可愛いですよ。ですのでお願いしますからそろそろ帰っては頂けませんかね?

 

 

 



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38.poppin'party

 

 

 いつだって出会いは衝撃です。

 

 物にしろ趣味にしろ人にしろ、新しい事柄との出会いは自分の可能性という視野を広げてくれると思っています。

 映画館で照明が落ちて物語が始まり出す直前のドキドキとした期待感のような、そんな高揚と緊張の入り混じった感覚が掌に少しばかりの湿り気を覚えさせてしまうのです。

 

 まぁ簡潔に言ってしまえば、只今わたしは呼び出した人を校舎裏で待ち構えているだけなのですがね。

 

 若草を踏みしめる音に気付き身体を向けると、前髪を上げて露出された額が明るくて活発的な印象を与える女の子が警戒したような強張った表情をこちらに向けて立ち止まっていました。

 

 

「お待ちしていましたよ海野 夏希(うみの なつき)さん。いや、CHiSPA(チスパ)のギターボーカルであるナツさん」

 

「市ヶ谷さんに言われて来たけど話って何かな。先に言っておくけれど私、そっちの趣味は無いからね」

 

 

 確かに校舎裏に呼び出すなど告白か決闘と相場は決まっていますが今回は違うのですよ。

 

 

「単刀直入に言うと生徒会のほうで文化祭を使ってライブを企画したいのですが、いかんせんバンドが足りていないのでチスパにも出演をして頂きたい、そのお願いです」

 

「そんな話なら校舎裏まで呼び出さなくても教室の廊下でも良いでしょ」

 

「確かにそうですね、実はですがもうひとつ重要なお話があるのですよ」

 

 

 わたしのまわりくどい物言いに海野さんの表情が一段と険しさを増した……って大丈夫ですかね、何だか凄く悪役っぽくないですかわたし。

 

 

「わざわざ校舎裏まで呼び出したのは他でもない、山吹沙綾について訊きたい事が有ったのでふ」

 

「沙綾? 市ヶ谷さんから何か聞いたの」

 

 

 どうにも緊張に耐え切れず舌を噛みましたが聞き流してくれてどうも有難うでございますよ。

 しかしこのタイミングで有咲の名前が出るのは不自然ですね、わたしは単に有咲が海野さんのクラスメイトという事で呼び出しをお願いしただけなのですが。

 

 

「わたしは沙綾から事情を聞いているけれど、もしかして有咲も知っているの?」

 

「お昼休みにギターを持っている子達と沙綾が一緒に居るのを見たからまたバンドを始めてくれたんだと思って舞い上がっちゃってさ、その輪の中に市ヶ谷さんも居たから話を訊いてみたらどういう事だって言われてね」

 

 

 バツが悪そうに頭を掻きながら照れ笑いを浮かべる海野さん。

 その姿からはバンドを抜けた沙綾に悪感情を抱く事も無く、今でもその身を心配して気にかけている様子が容易に伝わってきます。

 なんですか無茶苦茶に良い人ではないですか。もっと厳しい言葉が飛び出すものと待ち構えていたのが馬鹿みたいに思えますが、それだけにそんな良い人を裏切る形になってしまった沙綾の罪悪感は余程に大きいのかも知れませんね。

 

 先日に階段の踊り場で有咲がふと見せた何かを含んだような物言いはそういう事だったのですね。それでも沙綾を問い詰めたりしない辺りは有咲なりに気持ちを汲んでの事でしょうか、普段の言葉使いとは違って心根が優しい女の子ですよ本当に。

 

 

「聞いてください夏希さん。わたしは沙綾に再びバンドを始めて欲しい、もし同じ気持ちだと言うのなら一緒に協力をして頂きたいのです」

 

「でも協力って言っても最近は避けられているみたいだし、もう私達の事なんて……」

 

 

 彼女の瞳からは警戒の色が失せていき、段々と哀愁を漂わす潤みの入った輝きが増していった。

 

 

「沙綾は悩んでも抱え込むばかりで私達が何を言っても心を開いてはくれなかった。そんな沙綾があなた達には自分の事を話しているなんてね」

 

 

 海野さんの両手を取り、その潤んだ瞳をしっかりと見据えます。

 自分の欲望の為に他人を利用していくわたしは間違いなく悪役です。ならば正義の味方に斃されるその時までは精々暴れてみせましょう、悪役が居なくなった後は平和な世界となる事を心に願いながら。

 

 

「沙綾の願いが沈められた部屋をノックする事はわたしにも出来ます。でもその扉に掛けられた鍵を壊す事はチスパの人にしか成し得ないのですよ」

 

「そんな事を言われてもどうしたら……」

 

 

 一度だけ深呼吸をしてから意思を込めた瞳を向けます。

 

 

「わたしは夏希さんと沙綾、お二人の過去達にサヨナラをして頂こうと思っているのです」

 

 

 会話が途切れた静寂の狭間で、ざざぁ、ざぁ、ざざぁ、と校舎裏の木々が風に哭いた。

 わたしの決意を試すように一陣の風が二人の間を吹き抜けて行く。試練の風に髪の毛を巻き上げられようがスカートが捲れそうになろうが、決して彼女の瞳から目を離す事は無かったのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「話は終わったのか」

 

 

 海野さんが立ち去った後もひとりその場に残っていたわたしの背後から、遠慮がちながらも聴き馴染みのある声が耳に届きました。

 

 

「知っていたんだね、有咲」

 

「お互い様だろ、簡単に言える話でもないしな」

 

「わたしって冷たい人だよね」

 

 

 草を踏みしめる音が徐々に大きくなってくる。

 嫌だな、きっと今のわたしは酷い顔をしているから見られたくはないよ。

 

 

「こっちを向けって、優璃」

 

「今日はお化粧のノリが悪いから見られるのは恥ずかしいかな」

 

「いつも素っぴんだろ、いいから私を見ろ」

 

 

 肩を掴まれて無理矢理に振り向かせられると目の前には真剣な表情の有咲が睨んでいた。

 仕方がないけれどやっぱり怒っているよね、こんなに勝手ばかりする娘なんて呆れちゃうよね。

 

 

「お前も沙綾と同じだ。自分だけで何とかしようとして自分自身を傷付けていくだけ。どうして周りを頼らない、どうして友達を信じられないんだよ」

 

「わたしは……」

 

 

 わたしはみんなが知らない未来知識という特典を持っていた。だから上手くやらなくちゃって、他の人を傷付けずに誰もが幸せになれるようにって。

 

 

「私達は仲間だろ、沙綾と同じ間違いをしない為にも私達をもっと見ろ。私や香澄、りみにおたえ、仲間を信じれないで未来が切り拓かれる訳がねえだろうが!」

 

 

 有咲の言葉が夕暮れの雨のように心にじんわりと染み渡っていく。

 わたしはダークヒーローでも望んでいたのだろうか、暗躍してみんなが幸せな笑顔になる姿を陰で見て喜ぶ。そんな歪な英雄の姿を夢見ていたのだろうか。

 あの人付き合いが苦手な有咲が仲間だと思ってくれている、それだけでも星のように煌めく価値がそこにあるという事を見過ごしているなんてね。

 

 

「信じるよみんなを、大切な仲間だものね」

 

「信じろ、友達と『poppin'party(ポッピン パーティー)』をな」

 

 

 その言葉に驚いて顔を上げると久々に見る有咲の強烈なドヤ顔がそこにありました。

 

 

「どうよ新しく考えたバンド名、可愛くね?」

 

「最高だよ、有咲もpoppin'partyも!」

 

 

 飛びかかるように首元に腕を廻して抱きしめた。ぷにっとした頬の感触が少し熱さを感じさせるけれど、有咲の思いで心が暖かく満たされていくのがとても幸せな気分です。

 しかし抱きしめるにしては有咲のツインテールは少し邪魔ですね、あとぷよっとした胸部装甲の大き過ぎ問題はわたしの中で深刻さを増してしまったようです。

 

 

「お前も香澄も、いちいち抱き付くその癖は何とかしろよなぁ!」

 

 

 えー仲間じゃん、それくらいは甘えても良いと思いますがね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 有咲に叱られてから数日後、本日は放課後のアルバイトという名の丁稚奉公に勤しんでおります。

 

 

「ひとつ積んではまりなの為、ふたつ積んではオーナーの為」

 

「おーい優璃ちゃん、此処は賽の河原じゃないよライブハウスだよ」

 

 

 香澄は沙綾の家に泊まり込みで文化祭の打ち合わせと言っていましたが、実際のところはポピパのオリジナル曲の作詞が行き詰まり、どうやら人の良い沙綾に助言を求める腹積もりのようですね。

 因みに香澄達のバンド名も無事にpoppin'partyと決まりホッと胸を撫でおろした次第ですが、まだまだこの先も色々と試練は続くのかと思うと胃がしくしくと痛んできそうですよ。

 

 

「おやっ、あたし達のライブに全く顔を出さない冷たい店員さんだ」

 

「久しぶりに顔を合わせたのに酷い挨拶ですな」

 

「事実じゃん、違う?」

 

「文化祭の実行委員にもなりましたしこれでも色々と忙しいのです。でも会えて嬉しいですよ、蘭」

 

 

 カウンターの前に立ち意地悪な笑顔を見せる蘭は今日も可愛いです。

 いつも思うのですが、蘭はこういった普段の会話の時でも背筋の伸びた綺麗な姿勢を崩す事がありません。きっと育ちが良いのだろうとは思いますが、わたしとしてはもう少し気が抜けて油断をした姿も見てみたいのですがね。

 

 

「今日は予約が入って無いみたいだけれど、どうしたの?」

 

「たまたま寄っただけ」

 

「またまたぁ、蘭ちゃん時々シフト表をチラッと覗き見していたのをお姉さんは知っているんだよ。友達に会う為とはいえ可愛いよねぇ」

 

「ちょっ! まりなさん」

 

「そうなの? だったら嬉しいな、わたしも蘭に会いたかったし」

 

 

 恥ずかしいのか顔を背けていた蘭が横目で伺うような視線を向けてきました。きっと天然だろうとはいえこの娘はデレの破壊力が凄まじくて眩し過ぎです、わたしを殺す気ですか貴女は。

 

 

「本当に可愛いなぁ蘭は、ギュッとしたくなっちゃう」

 

「別に可愛くは無いから。それは置いておいて優璃に話が有るんだけど」

 

 

 まりなさんに付けられた猫耳を蘭に向けて傾けます。もちろん本物ではなく猫耳カチューシャなのですがまったく冗談が過ぎますよね、まりな許すまじでございますよ。

 

 

「ひまりがさ、他校の子にカラオケを誘われているらしいんだけどあたしにも行こうって誘ってくるから困っているんだよね。そんな話は興味が無い事くらい知っているだろうに」

 

「まぁ良いではないですか。蘭だって他校のわたしと交流が有るのですからね」

 

「いや他校の男子とか何を話したらいいか解らないし」

 

「うん断ろう、直ぐに断って忘れてしまおう、何ならひまりちゃんも行くの止めさせよう」

 

「さっきと言っている事が真逆なんだけど。優璃がその気なら代わりにどうかと思ったんだけど興味が無いみたいだね」

 

 

 条件反射的に応えてしまいましたが、よくよく考えてみれば蘭達が求めるなら彼氏とかも有りなのかもしれませんね。まぁポピパのみんなは許すまじですが。

 

 

「今は仕事中だ、プライベートの話は終わってからにしな」

 

 

 迫力ある低音の声が背中に突き刺さり、怯える子猫のように身体を震わせながら振り返ると眉間に皺を寄せたオーナーの姿がありました。

 

 

「美月、働く気が無い者を置いておく訳にはいかないよ」

 

「イエスマム、粉骨砕身で頑張っているであります!」

 

 

 渋い顔を見せているオーナーに向かって大袈裟に敬礼をすると、猫耳カチューシャを外され頭をくしゃくしゃと撫でられてしまいました。

 

 

「それでお前達のバンドはどうなんだ、私も気が長い方じゃないからあまり待たすと知らないよ」

 

「もうすぐメンバーが揃いそうですよ、頑張りますのでご期待くださいね」

 

「準備が整ったら教えな、厳しくいくよ」

 

「イエス、マム」

 

 

 再び敬礼をするとオーナーはニヤリと軽く笑みを見せてからスタッフルームへと消えて行かれました。

 本当にあのひりついた雰囲気にはいつまで経っても慣れませんね、緊張で顔が引き攣りそうに毎回なりますよ。

 

 

「ひゃあ優璃ちゃんも言うねぇ、格好いいじゃない」

 

「ちょっと、優璃もバンドをやってんの?」

 

 

 わたしの頭から取られた猫耳カチューシャをオーナーに付けられたまりなさんが楽しそうな笑顔を向けてきたところで、蘭がカウンターを乗り越える程の勢いで迫って来ました。

 

 

「わたしじゃないよ、友達がバンドを始めたから応援係みたいな感じ」

 

「はぁ? あたし達のバンドは応援してくれない癖に他の子達は応援するんだね」

 

「アフターグロウも応援しているよ」

 

「信じらんない」

 

 

 顔を上気させながら拗ねた態度をとる蘭の腕を引っ張りそっと耳に唇を寄せた。

 

 

「もうすぐバイトも終わりだから待っててくれないかな、蘭ともっと話がしたいし一緒に帰ろうよ」

 

「……わかった、待ってる」

 

 

 仕事を終えて裏口で待ってくれていた蘭と並んで歩きだした。

 薄暗くなった花咲川沿いの遊歩道に差し掛かると街の灯が黒く染まる水面を照らしていて、まるで星空のように優しく光が揺らめいているのがとても綺麗です。

 街灯に浮かび上がる蘭の顔はまだ拗ねているのか少しだけ唇に力が篭ったままのようで、少し幼く見えてしまうその雰囲気がとっても可愛らしいです。

 

 

「やっぱり蘭って可愛いよね」

 

「そんな事を言っても誤魔化されないから」

 

「だから幼馴染みがバンドを始めたから応援するってだけだよ、そんなに拗ねないでくださいな」

 

「拗ねて無いから、優璃があたしを応援してくれないのを拗ねてはいません」

 

 

 何か段々と面倒臭くなってきましたので無理矢理にいつも沙綾とするように指を絡めた状態で手を繋ぎ、ぐいっと引き寄せるようにしてお互いの身体を寄り添わせました。

 

 

「ねぇ今度カラオケデートしない? わたし、蘭ともっと仲良くなりたい」

 

「デートとかした事……無い」

 

 

 身体が密着する程に近寄ったら途端に借りてきた猫のように大人しくなってしまった蘭も大概な人見知りさんですからね、もしかしたらアフターグロウのメンバー以外の友達とはあまり遊びに行く機会も無かったのかもしれません。

 

 

「優璃はあたしとそういうのがしたいの?」

 

「したいしたい、もっと仲良くなりたいもん」

 

「別に優璃がしたいならあたしは良いけど、慣れていないから変だったら言ってよ」

 

 

 視線を逸らされながらも握られた手には力と熱が篭っていて、言葉にしなくともわたし達の距離が少しだけ縮まっていた事を教えてくれた気がした。

 それにしてもツンデレって本当に可愛い、蘭の一見するとぶっきらぼうな不良っぽい見た目がデレの破壊力をより一層と高めているのですかね。

 

 

「可愛いなぁ、蘭は」

 

「照れるから何度も言わないで。でもたまには言って欲しいかな、あたしの事をちゃんと見てるって意味で」

 

 

 ちょっと待って可愛い過ぎでしょ、二度は昇天する程に萌えれてしまいますわ。

 

 伏目がちに照れている蘭は可愛い女の子そのもので、いつの日か彼氏になる人はこんな姿をいつも見れるのかと思うと羨ましいやら嫉ましいやらですよ。

 

 少しだけ暖かく感じる夜風がわたし達の周りを踊る。

 その風に押されるように腕を密着させながら川沿いの遊歩道をゆっくりと歩いた。

 

 

「それと、優璃の方が可愛い……からね」

 

 

 はにかんだ微笑みが街灯で浮かび上がるように輝いて見えた。

 

 くはぁそのデレで三度は宇宙に旅立てます、有難うございますご馳走様でございますよ。

 しかし有咲である程度は免疫がある筈なのにツンデレの破壊力って何故にこうも凄まじいのですかね。これは将来に蘭の彼氏になる男は申し訳がないですが許すまじリスト入りが確定でありますよ。

 

 

 



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39.走り始めたばかりの私へ:①

 

 

ーーとある何かの物語。

 

 

 

 

 

 優しい優しいお姫様は、みんなの前ではいつも笑顔でいました。

 

 そんなお姫様は決まって夜になると部屋に篭ってしまい、家臣達がいくら声をかけようとも決して外に出てくる事はありませんでした。

 

 ある日の夜にうら若い新人の侍女が見廻りをしていると、お姫様の部屋の扉から淡く光が漏れ出している事に気が付きました。

 侍女がおそるおそる扉の隙間から顔を覗き入れると、豪華なベッドに寄り添うようにして床にへたり込みながら弱々しい嗚咽を漏らしているお姫様の姿がありました。

 

 慌てた侍女はノックをする事も忘れお姫様の元へと駆け寄ってしまいます。

 急に現れた侍女に驚きながらもお姫様は侍女の腕を掴み、この姿を誰にも言ってはなりませんときつく申し付けました。

 

 

「私は姫なのです。何があろうとも皆の前では笑顔でいなくてはならないのです」

 

 

 城に奉公に来たばかりの侍女には何がお姫様を悲しませているのかはまるで判りません。困った侍女は緩やかにお姫様の手を取って両手を添えるようにして優しく包み込みました。

 

 

「泣きたい時はいつでも手を握って差し上げます。なのでひとりでお泣きになるのはもうお止めください」

 

「こんな姿を誰にも見せる訳にはまいりません」

 

「悲しみをひとりで抱え込むよりもふたりで分けた方が心は軽くなります。他人に見られたくは無いのなら私の前でだけお泣きください」

 

 

 泣いている理由を詮索するでもなくただただ優しく手を握ってくれている侍女の心遣いに、お姫様は張り詰めていた心が段々と溶かされていくのを感じました。

 

 あくる日からお姫様のお付きの侍女となった若い娘は、毎夜お姫様が眠るまでその手を握り話を聞いてあげるのが秘密の役割となりました。

 

 お姫様は侍女と話をする事ですすり泣く事はやがて無くなっていき、手を握られながら眠る時は安らかな表情を浮かべるようになりました。

 

 二人だけの秘密の時間は日を追うごとにお姫様と侍女にとって特別な時間となり、主従の関係を超えて友情を感じるまでになっていきました。

 

 

「これはお願いです、手を繋いだままで一緒に眠ってくださいませ」

 

 

 それは流石に身分がと侍女は少々戸惑いましたが、既に侍女にとってもお姫様はかけがえのない存在となってしまっていたので、優しく頷きお姫様の横に静かに添い寝をしました。

 

 

「これからもずっと私の手を離さないでね」

 

 

 侍女はしっかりと手を繋ぎ、そのしなやかな腕に顔を埋めました。

 二人きりの世界で寄り添いながら静かに瞳を閉じます。

 深い眠りに落ちたお姫様の寝顔は、漸く自分が只の女の子に戻れる場所を見つけた事に満足したように、とてもとても安らかな笑顔を浮かべていたのでした。

 

 

 

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 

 

 

 花咲川女子学園文化祭、通称『花咲祭』の本番も近づいて徐々に生徒達の熱気も高まってきています。

 我が一年A組も出し物として軽喫茶を催す事となり、放課後の時間を使ってクラス全員で準備を進めています。

 

 生徒会からの依頼である講堂での合同ライブの下ごしらえも順調で、ライブハウスCircleとの楽器レンタルについての話も滞りなく進んでおります。

 まぁうちの七菜生徒会長がライブハウス御用達のバンドであるグリグリのメンバーですからね、生徒会とまりなさんとの橋渡し役なんて実に楽勝なお仕事ですよ。

 

 えぇ楽勝ですよ、これから乗り越えなくてはならない役割に比べればですがね……。

 

 

「何を言っているの?」

 

「だから会って欲しい人がいるの、沙綾」

 

 

 放課後に沙綾の部屋を訪れたわたしからの唐突なお願いを聞かされた彼女との間には、既に不穏とも言える空気が微妙に漂いだしております。

 

 

「私がどういう事をしたのか知っているのに、どうしてそんな事が出来るの?」

 

「沙綾の気持ちも夏希さんの気持ちも知ったよ。だから二人は話をする必要があると思えたの」

 

「ナツ達には早く私の事は忘れて欲しいのに、何でそう余計な事をするの!」

 

「余計じゃないよ、全員が前へ進む為には越えなければならない儀式だと思う」

 

 

 わたしに背を向けたまま、彼女の肩は小刻みに震えているようにも見えた。

 

 沙綾は辛さから一度は逃げ出してしまった。自分が壊れるくらいなら逃げるのは決して悪い事じゃない、だけど逃げ続けたらきっと何も始まりはしないと思うのです。

 いつかは前へ向き直って一歩を踏み出す、彼女にとってその切っ掛けがpoppin'partyになると信じているから。

 香澄を、有咲を、りみりんを、おたえを、今のわたしは仲間達を信じる事が出来る。きっと沙綾にも必要なんだよ、自分の居場所と思える世界が。

 

 

「どうしてそこまでしちゃうの、私に嫌われるとかは考えなかったのかな」

 

 

 背後から沙綾を優しく抱きしめた。廻した腕を握られたので振り解かれるかとも思ったけれど、彼女は抱きしめるようにして自身にわたしの腕を押し付けてきた。

 

 

「ゆりはずるいな、私がゆりを嫌いになれないのを解って言っているんだよね」

 

「ううん沙綾を信じているだけだよ。だから沙綾にもわたしを信じて欲しい、一緒に壁を乗り越えていきたいんだ」

 

「もう、見離してくれないからついつい夢を見ちゃうんだよ」

 

「わたしは離さないよ、諦めないって言ったもん」

 

「本当に心の底から無自覚は罪だなって思えるよ」

 

 

 抱きしめた身体からは震えは消え去ってくれていた。

 いま沙綾はどんな表情をしているのだろう。怒り顔かな、それとも悲しそうな顔かな。出来れば笑顔にしてあげたいのに、怒らせてばかりな自分の不器用さに嫌気がさしてしまいそうだよ。

 

 

「会うよナツに、いつかはそうしないと駄目だものね」

 

「ありがとう沙綾、大好きだよ」

 

「本当にもう……この娘は困ったちゃんだ」

 

 

 溜め息を吐きながらも肩を揺らして笑い始めた沙綾に釣られてわたしも笑った。

 

 ごめんね困らせてばかりで。嫌いになって欲しくはないけれど沙綾が笑顔で居られる世界になるのなら、わたしは別にどうなっても良いのかなって思うよ。

 

 

「それじゃ代わりと言ったら何だけど」

 

 

 わたしの腕からするりと抜け出した沙綾がベッドの端に跳ねるように座り、右手でぽんぽんと軽くベッドを叩き始めました。

 

 

「今日はゆりに甘えて欲しいなぁ、私が蕩けちゃうくらいの甘い顔が見たいなぁ」

 

「いや沙綾、それは無いですって」

 

 

 沙綾ってわたしの中では受け身な女の子のイメージでしたが、最近は二人きりの時には積極的な程に甘えた事を言うようになってきた気がしますね。

 満更でもない気分なのですがそれはそれとして、わたしにまでしおらしい女の子のような振る舞いをしろとは如何なものですかね、自分で想像しただけでも恥ずかしさで吐き気を催しそうになりますよ。

 

 

「私だけ甘えるのはずるいよ、ちゃんとお互いに寄り添いあって甘いチョコレートみたいに溶け合いたいの。だからおいで、ゆり」

 

 

 吐きそうな程に恥ずかしいですが差し出された右手を無視する事など出来ませんよ。

 意を決して手を握り沙綾の横に座ってその腕に優しく頭を寄せました。

 

 はうぅ、何ですかこの如何にも女の子っぽいポーズは。これが女子化ですか、これがかの有名なメス堕ちというものなのですか。

 

 

「こっちを向いてよ、ゆり」

 

「無理です、何か凄く恥ずかしいです」

 

「いつもハグとかしているのに、いったいどうしちゃったのかなぁ?」

 

 

 沙綾がわざとらしい口調を披露しながら頭をこつんと重ねてきました。

 これはどうやらわたしの反応を見て楽しんでいますよね、もし理不尽に怒るとするならばノンケのくせに揶揄うなですよ、思わず優璃さんムキーになっちゃいますよ。

 

 

「もっともっと甘えてくれて、ゆりが私から離れられなくなれば良いのにな」

 

「別に離れる気はありませんよ、みんなとはずっと一緒です」

 

「みんなとは……か」

 

 

 手を繋いで寄り添い合った空間には、お互いの体から発する香水が混じりあった不思議な甘い香りが満ちていた。

 これはわたしの好きな香り、何だか頭がふわふわとする心地良い雰囲気が身体から緊張を消してくれて、もっともっと沙綾に寄り添いたい気分になってしまいます。

 

 

「ふふん、沙綾だいすきだよ」

 

「不意打ちはずるいよ、キュンキュンとしちゃうでしょ」

 

「沙綾はずっとキュンキュンすれば良いのですよ」

 

「じゃあゆりはズキュンズキュンだね」

 

「何それ撃たれ死にしそうな語感なのですが」

 

 

 二人で背中からベッドに倒れて笑った。

 泣いて、笑って、これからもみんなで賑やかな青春を過ごせたらいいなって、固く繋いだ手と沙綾の笑顔に心から願った。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 少しだけ沙綾のお家から帰宅が遅くなってしまいましたが、重く感じる身体を引き摺るようにして食事とお風呂を済ませ漸く部屋で一息つけるかと思いきや、何故かわたしのベッドにギターを抱えた吟遊詩人が座っておられました。

 

 

「わたしのプライバシーって、この世界には存在しないのかな?」 

 

「まぁまぁお客さん、そこにお座りになって」

 

 

 ジャーンと弦を指で弾いたパジャマ姿の吟遊詩人にベッドまで案内されます。というかいつの間に侵入したのでしょうか、お風呂に入るまでは確かに誰も居なかった筈なのですがね。

 

 

「作詞は進んでいるの? もうすぐ本番になっちゃうよ、香澄」

 

 

 むむむと唸りながら再び弦を弾いた香澄がしょぼくれたように首を垂れてしまった。

 既にお風呂上がりなのか髪型は星型ではなくストレートに戻っているのですが、この髪型の時は本当に可憐な美少女風に見えてしまうのでどこぞの馬の骨対策としてあの星型ヘアーは本当に優秀だと思いますよ。

 

 

「さーやの部屋にお泊まりした時にポピパに誘ってみたんだ。でもいつかねって言われちゃった」

 

「香澄も沙綾とバンドをしたいの?」

 

 

 沙綾と言う言葉に口から心臓を吐き出しそうになる程に驚きましたが、ベッドの傍にギターを置きながら弱々しく頷いた香澄の姿に、何故か勇気というか決意のような気持ちが心の底から湧き出してくるのを感じた。

 

 

「今日ありさからさーやの事情は聞かされたよ、ゆりがさーやにまたバンドをさせようと頑張っているっていうのも聞いた」

 

「そうか、香澄も知ったんだね」

 

「ゆりならさーやの復帰はポピパでって考えているだろうから、それについてみんなはどう思うって。もちろんわたしもみんなも大賛成だったよ、そうしたらありさが今回はゆりに任せようって」

 

 

 こうしてみるとやっぱり有咲って地頭が良いんだろうなと思い知らされます、ツンデレの残念系美少女ですけど。

 

 

「あと香澄には言っておかないと後で知った時に暴走するから、ちゃんと先に教えておけって伝言されたよ」

 

 

 何者だよ市ヶ谷有咲、再来年の生徒会長はもう有咲で良いと思うわ。

 

 

 有咲の手際の良さに感心していたら香澄に飛び掛かるようにしてベッドに押し倒されてしまった。

 そのまま身体にのしかかられ腕を廻されたかと思ったら、今までにない程に強い力で抱きしめられた。

 

 

「香澄、苦しいよ」

 

「どうして相談してくれなかったの、わたしの知らないゆりが増えていくのがとっても嫌だよ」

 

「ごめん、自分なら一人で何でも出来るって思い込んでいたんだ。ポピパの事ならみんなに相談するのが筋なのにね」

 

「それもそうだけど違うの。ゆりの全部を知っておきたいし、わたしの全部も知っていて欲しいの、だから秘密は駄目なの」

 

「だからごめん、これからはちゃんと相談するから」

 

 

 そう言っておきながら、わたしには絶対に秘密にしておかなければならない事がある。

 今ここに居る女の子が偽者の美月優璃だなんて告白しても理解されないだろうし、して欲しくもない。

 これは転生という特典を得たわたしへの代償、生涯に渡って嘘を吐き続ける罪と罰を背負っていかなければならないんだ。

 ねぇ神様教えてくださいよ、みんなを騙し続けてまで転生させた意味っていったい何なのですかね。

 

 

「許さないよ、今回の罰として『香澄大好き』って百回ほど言ってもらいます」

 

「えっ⁉︎ そんなので良いの」

 

「そして一回言う事に、わたしがキスマークを付けていきます」

 

「いやそれ意味がわからないわ」

 

 

 香澄が上着を脱がせようとするのを必死に体を丸めて抵抗をします。

 キスマークくらいは別に良いのですが、百個は流石に隠しようが無いですし、香澄の唇も充血して大変な事になってしまいそうですからね。

 

 

「言うからキスマークは止めなさい」

 

「その無垢な身体に『かすみ』という文字を刻んであげちゃうよ!」

 

「いやマジで止めて! わたしの中での香澄に対するイメージが崩れるわ!」

 

「えー、じゃあ妥協します」

 

 

 妥協点としてお互いの身体にひとつづつキスマークを付けるという事に落ち着いたのですが、流石に首は不味いだろうとお互いに上着を脱いでから胸の部分にキスマークを付け合いました。

 香澄の胸はふんわりと柔らかくて最高だったのですが、わたしの胸に香澄が口を付けている光景は何だか不思議というか胸の奥から愛しさが溢れてきて抱きしめたい衝動に駆られてしまいそうです。

 

 

「むふー、バッチリ綺麗に付いたよ。じゃあ後は香澄大好き百回だね」

 

 

 ふむふむ、これだけの恥ずかしめを与えておいて更に罰の上乗せですか。今までわたしの中で香澄のイメージは天使でしたがどうやら違ったようですね。

 

 

 香澄、アンタは鬼や! 鬼っ娘やで!

 

 

 あぁでも機嫌が良さそうに笑っている顔は最高に可愛いです。

 悔しいですが、やっぱりわたしにとって香澄は天使であり女神なんですよね。

 

 

「はい、まずは一回目!」

 

 

 いややっぱり鬼っ娘でしたわ……。

 

 

 




引っ越しのドタバタで時間が取れないなか山吹沙綾さんの誕生日に間に合わせたくて急いで書きましたわ。


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40.走り始めたばかりの私へ:②

 

 

 先日に夏希さんと面会をした校舎裏の人目につきにくい場所にて、沙綾とわたしは並んで立ちながら主役の登場を心待ちにしていました。

 

 放課後とはいえ梅雨に差し掛かるこの時期になると、まだまだ太陽さんも沈む事を拒んでいるように雲の隙間から地上を明るく染めたままで、高めの湿度が最近お気に入りのキャミソールをぺったりと背中に貼り付けてしまい少し気持ちが悪いです。

 

 沙綾に握られている手には痛い程の力が込められているのと同時に微かながらも震えを感じてしまうのは、どこか沙綾の心が叫んでいるようにも思えてしまいますね。

 

 

「情け無いところを見せたらごめんね」

 

「大丈夫だよ、どんな沙綾でもわたしは大好きなままだから」

 

 

 やがて校舎の角から有咲に連れられた夏希さんが歩いてくるのが見えてきました。

 その姿を確認した沙綾は瞳を閉じて数回大きく深呼吸をした後に、再び瞳を開けてわたしの手を更に力強く握り締めてきた。

 

 

「前へ、前へ、前を向いて、私もみんなと進みたい」

 

 

 わたしに視線を向けずに解き放った力強い言葉は、困難に立ち向かう戦士の如き覚悟に満ちて逞しく、悲運の歌姫の叫びが如く悲壮で美しい調べとなってわたしの胸を深く撃ち抜いていったのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「こうやって話をするのも久しぶりだね、沙綾」

 

「ナツ……」

 

 

 向かい合った旧友達から少し離れて立会人のように並んで立った有咲とわたしは、何をする訳でもなく黙って二人の様子を見守る事にしました。

 

 

「私ね、あの時からずっと沙綾に伝えたい事があったんだ」

 

 

 夏希さんが会話を切り出すと沙綾は何かを覚悟したかのように両手の拳を強く握りしめ、少しだけ顔を伏せてしまった。

 

 

 

 

 ーー(たの)しかったね。

 

 

 

 

 責められると思っていたのか夏希さんの言葉に驚いたように顔を上げた沙綾は何か言葉を紡ごうと唇を動かすも声は出ず、その代わりに見開いた瞳から大粒の涙を一粒だけ溢れさせた。

 

 

「みんなとバンドが出来て本当に楽しかった。あの時に沙綾が抜けちゃって悲しかったけれど、新しいドラムの子も入ってくれて私達は今も頑張っているよ。だからね……」

 

 

 夏希さんが沙綾の両手を優しく取ってくれた。

 対する沙綾は相変わらず唇を震わせるばかりで、その瞳からはもう数える事が出来ない程の想い達が溢れ頬を濡らしていた。

 

 

「沙綾が苦しむ事は無いんだよ。メンバーじゃなくなったって、私達は今までもこれからも大切な友達なんだからね」

 

「わ、わたし、わたしも楽しかった。ナツ、あの時はごめんね……本当に」

 

 

 そこまで言うと沙綾は力が抜けたようにその場にへたり込み、耐えきれない嗚咽と尽きそうもない涙を流し続けた。

 

 抱きしめてあげたかった。抱きしめて大丈夫だよって言ってあげたかった。

 今はそれをするのは違うというのも理解している筈なのに、自分が沙綾を泣かせるような事をしている事実に耐えきれなくなりそうだった。

 

 思わず伸びそうになってしまった腕を有咲に強く掴まれる。

 視線を向ければ真剣で射抜かれるような眼差しが今はお前の出番じゃないと語ってくれている気がして、ほんの少しだけ冷静さを取り戻す事が出来ました。

 

 どうやら本当にわたしは情けない人間みたいです。甘いと優しいは違うものの筈なのに、みんなにいい顔をしたがって必要な時に強く在る事が出来ないでいる。

 こんな事では支えているなんてとても言えませんよ。もっと心を強く、本当の意味で優しい人になりたいという熱を心の奥へ焼きつけるように、唇を強く噛みしめて悔しさを飲み込んだ。

 

 

「顔を上げて沙綾。新しい……今の仲間達が沙綾の事を待っているよ」

 

 

 夏希さんに手を引かれなんとか立ち上がった沙綾がわたし達の方へ涙に濡れた顔を向けてきました。

 その姿を見てわたしは腰に手を充てて大きく頷き、有咲は恥ずかしいのかそっぽを向きながらもほんの少しだけ頷いてくれたみたいです。

 

 

「私達だけじゃねえからな」

 

 

 そっぽを向いたままの有咲が指を差した木陰から、香澄達ポピパの三人組がバツが悪そうにしながらもぞろぞろと姿を現しました。

 当事者でも無いのに何故か涙を流していた香澄が、さっそくの勢いで沙綾の元へ走り寄り飛ぶようにして抱き付いていきます。

 

 

「さーやー、やっぱりわたし達とバンドしようよー」

 

「香澄……」

 

 

 沙綾よりも泣いているのではないかと思いながら、わんわんと泣き続ける香澄の元へみんなで集まります。

 

 恥ずかしそうに頭を掻いている沙綾も、わんわんと泣いている香澄も、香澄に釣られて涙を流し始めてしまったりみりんも、やれやれといった感じでドヤ顔の有咲も、何故かニコニコとした笑顔のおたえも、不思議とこの五人が揃うとやっぱりポピパはこの五人でポピパだなって強く感じてしまいますね。

 

 そんな暖かい光景を味わっていたら、ふと草を踏む音に気付き慌てて夏希さんの腕を取った。

 

 

「何処に行くおつもりですか、夏希さん」

 

「美月さんも有難うね、やっと沙綾と話が出来たよ」

 

 

 少し驚いた表情を見せた彼女は、瞳に溜まった涙を隠すように無理やりな笑顔を作った。

 

 

「なんか良い雰囲気だしさ、私は邪魔かなって」

 

「何を言っているのですかね、夏希さんも沙綾の仲間でしょうに」

 

「そうだよ、ナツ」

 

 

 相変わらず泣きながら抱き付いている香澄を引き摺るようにしながら夏希さんの目の前に立った沙綾は、優しく抱きしめるようにその体を引き寄せました。

 

 

「これからもナツ達は私にとって大切な友達だよ」

 

「沙綾……私も、沙綾……」

 

 

 その先は言葉にならず夏希さんも嗚咽を漏らしながら沙綾の肩に顔を埋めました。

 

 夏希さんと一緒に再び涙を流し始めた沙綾と泣き続ける香澄、釣られるように泣き始めたりみりんに感極まったのか瞳に溜まった涙を指で拭う有咲。

 

 とても尊い光景で胸が熱くなってしまうのですが、ひとつだけ思った事を言っても宜しいですかね。

 流石にこれだけ泣いている女の子の数が多いとですね、いったいどうやってこの先の収拾をつけたら良いのか元男のわたしにとっては全くもってハードルの高いミッションではないですかね。

 

 あとそんな雰囲気の中でも相変わらずニコニコ顔のおたえがちょっとだけ怖いのですけど。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「えへへ、さーやも文化祭に出ようよ」

 

「ちょっと待ってよ香澄、練習もしていないしまだ色々と気持ちの整理もあるからさ」

 

 

 沙綾が過去と向き合った放課後の帰り道、わたし達は沙綾を取り囲むようにして六人で帰宅の途についております。

 それというのも香澄がせっかくだから沙綾を送って行こうと言い出したからで、最初は遠慮していた沙綾も香澄とりみりんに手を引かれると恥ずかしがりながらも一緒に帰ってくれる事にしてくれたようです。

 

 

「新曲のデータを携帯に送っておくね」

 

「沙綾ちゃん、一緒に頑張ろうね」

 

「まぁ私は別に強制はしないけれど、知らないやつよりかは沙綾の方が良いかなぁとは思わないでもない」

 

「ちょっと待ってみんな、本当に気が早いから」

 

 

 楽しそうに話し掛けるおたえとりみりんに満更でもない表情を向ける沙綾。

 ツンデレ節全開の有咲は置いておくとしても、もしかしたら沙綾の心の奥底で固く閉じられていた扉が少しだけでも開いてくれたのかもしれないと思うと、夏希さんとみんなには感謝してもしたりない気分になってしまいますよ。

 

 

「ゆりも沙綾に入って欲しいと思っているんだよねぇ」

 

「まぁね、やっぱり沙綾じゃないと嫌だなって思うよ」

 

 

 香澄が腕を組むように身体を寄せてきましたが、驚くほどにここ最近では一番の笑顔を見せています。まぁそれも仕方がないと思いますよ、沙綾が加入してくれれば楽器が揃うのでいよいよ本格的にpoppin'partyが始動をするという事ですからね。

 

 

「やっぱりこの五人でポピパですよ、ライブを観るのが楽しみだなぁ」

 

 

 ポピパのライブを想像しながらひとりニヤけて呟いたわたしの言葉に、何故か全員が揃って足を止めてしまいました。

 

 

「はぁ? 何を言ってんの優璃、なぁみんな」

 

 

 呆れ顔の有咲が発した言葉に、わたしと沙綾を除いた全員が笑顔で頷いた。

 

 

「あのね、ゆりもポピパなんだよ」

 

 弾ける笑顔の香澄。

 

「そうだよ優璃ちゃん、優璃ちゃんが居なかったら何も始まらなかったもの」

 

 優しく微笑むりみりん。

 

「そうそう、マスコットが居ないと花園ランドも寂しくなっちゃうし」

 

 何を言いたいのか全く理解をする事が出来ないおたえ。

 

「逃げようとしても無駄だぞ、香澄の諦めが悪いのを誰よりも知っているのが優璃だろ」

 

 顔中を紅く染めながら決して視線を合わせようとはしない有咲。

 

 

 

 そして……。

 

 

 

「私も、ゆりが居ないとやる気にならないかな」

 

 悪戯っぽく笑う沙綾。

 

 

 

 やれやれですよ、まったく……。

 

 

 

「わたしは楽器とかしないって言っているじゃん」

 

「関係ないよ、わたし達は何処までも続く線路みたいに繋がり合って未来へと向けて走り出すの。ゆりも、さーやも、もうポピパという列車に乗っちゃったんだよ」

 

 

 自信満々に滅茶苦茶な事を言い出した香澄を見て、思わずわたしと沙綾は顔を見合わせてから同時に吹き出してしまいました。

 本当に、本当にこの娘は主人公です。例えどれだけ突拍子もない台詞を言ったとしても、何故か不思議と納得させられてしまいそうな魅力に溢れていてキラキラと輝いて見えてしまいますよ。

 

 

「わかったわかりましたよ、ステージには立たないけれどポピパのひとりとして精一杯の応援をするよ」

 

「あはは、これは私も逃げれそうにも無いや」

 

 

 お腹を抱えるようにして笑うわたし達を見て香澄が少しだけ不満気な顔を見せた。

 

 

「ねぇありさ、さっきの台詞って変だったかな?」

 

「いや私は……良かったと思うぞ」

 

「格好良かったよ、香澄ちゃん」

 

「りみりんー」

 

 

 りみりんに優しく頭を撫でられた香澄が襲いかかる勢いで抱き付いて頬をすりすりと擦り付け始めました。それはそれは尊い光景でとても癒されてしまいそうなのですが、何故か香澄の隣りに居る有咲が顔を赤くしていますね。

 

 

「香澄ちゃん苦しいよ」

 

「りみりんー、大好き」

 

「ちょい待て、今の流れは私に抱き付くところじゃねえのか」

 

「ありさも抱き付く?」

 

「絶対にしねえ」

 

 

 コントのような会話劇に笑いを止める事が出来ません。そんなわたし達の姿を見て流石に有咲も指をさしながら怒り出してしまいました。

 

 

「お前等も他人ヅラで笑ってんじゃねえ、仲間なんだからいずれ同じ流れを味わうんだかんな」

 

 

 いやぁ安定感抜群の有咲のツンデレは本当に何と言うか、たまりませんよね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 商店街は主婦達が主役の時間も過ぎ去って、少しだけ大人しい雰囲気が街中を包んでいました。

 

 

「そういえば文化祭で披露する曲ってどうなったの?」

 

「うぐっ、ゆりも中々に痛いところを突きますな」

 

 

 香澄がわざとらしくお腹を押さえて苦しそうな演技を始めましたが騙される筈もなく、その場に居る全員が冷ややかな視線を香澄に向けました。

 

 

「曲はほぼ出来上がったよ、後は香澄ちゃんが……」

 

「曲名は沙綾と一緒に考えたんだよ、『STAR BEAT!(スタービート!)』って格好良いでしょう」

 

「つまりまだ題名しか出来ていないって事だな」

 

「うぐぐっ、ありさが冷たい」

 

 

 立ち止まり空を見上げた香澄は右手を上げて掌を開き、まるで空の向こう側を覗き込むようにその瞳を細めた。

 

 

「実は殆ど歌詞は出来ているんだよ。でもまだ何か足りない、もっとズバーンとした想いがドカーンと降りてきたら完成しそうなんだ」

 

 

 何やら凄く格好良さげに見えますが、後半の感覚的な言い回しのせいで少々台無しになっている気もしますよ。

 

 

「香澄なら大丈夫だよ、きっと良いのが書ける」

 

「そうだよね、香澄ちゃんなら大丈夫そうだもの」

 

「楽しみにしているよ、香澄」

 

 

 ええぇ沙綾達これで納得しちゃうの? あれっ、これってもしかしてわたしが可笑しいのですかね。

 

 

「いやお前等ぜってぇこいつ(香澄)はノリで喋っているだけだぞ」

 

 

 陶酔したポーズのまま固まっている香澄に向かって有咲が呆れ顔でツッコミを入れてくれました。

 流石はポピパの頭脳です助かりましたよ。もしかしたらわたしの感性が世界の常識とズレているのかと本気で疑いそうになりましたからね。

 

 そのまま香澄を置いてみんなで歩き出すと、暫く陶酔したままだった香澄も慌てて後を追いかけて来ました。

 

 

「そろそろやまぶきベーカリーに着くね」

 

 

 わたしの言葉に軽く頷いた沙綾は、少し先まで走り出してくるりとポニーテールを踊らせながら振り返った。

 

 

「みんな今日は有難うね。恥ずかしいところを見られちゃったけれど本当にナツに会って良かった。バンドもちゃんと前向きに考えるね」

 

 

 みんなで顔を見合わせた後に沙綾の元へポピパは駆け寄った。

 

 

「待っているよ、さーや」

 

「沙綾ちゃんと一緒に頑張りたいな」

 

「沙綾も花園ランド建国の有志になろう」

 

「おたえ、偶にはまともな事も言ってくれ」

 

 

 みっつの笑顔とひとつの呆れ顔が沙綾に贈られた。わたしも沙綾の前に立って空いていた左手をゆっくりと取る。

 

 

「ゆり、私の為に頑張ってくれたと思っても良い?」

 

「言わなくても解っているでしょ、わたしも待っているからね沙綾」

 

「……うん。あの、それでさ、感謝のお礼もしたいからまたお泊まりとかしてくれたら嬉しいかなぁって」

 

「あぁそうだね、ってグェェ!」

 

「はいはーい、わたしも泊まりまーす! というかライブのお疲れ様会をさーやの家でやろう、ポピパ全員お泊まりで」

 

 

 香澄の提案をポピパ全員が拍手をして讃えています。それは楽しそうでわたしも大賛成で御座いますが、先程勢いよく香澄に体当たりをされて断末魔の蛙みたいな悲鳴を上げてしまった乙女の恥ずかしさと怒りをですね、いったいどなた様にぶつけたら宜しいのでしょうかね。

 

 

「あはは、それは楽しみにしておくよ。それじゃあ私はそろそろ行くね、みんなまたね」

 

 

 とても良い笑顔で手を振りながら、沙綾が軽い足取りでお店の中へと帰って行きました。

 

 

「沙綾ちゃん、ポピパに入ってくれるかなぁ?」

 

「大丈夫、最後はとっても良い笑顔だったもの」

 

「優璃ちゃんそうだよね、最後は嬉しそうにしていたものね」

 

 

 きっと大丈夫、今の沙綾ならきっと壁を乗り越えてくれると信じれるよ。

 五人で向かい合って笑顔で頷き合った。きっと文化祭にも間に合う、沙綾というピースが揃って漸くpoppin'partyの物語が始まり出すんだ。

 

 

「お母さん! ねぇお母さん!」

 

 

 暖かい雰囲気を切り裂くように聞こえてきた沙綾の切羽詰まった叫び声に思わず全員が体を強張らせてしまった。

 茫然とした空気が路地を支配した中で、突然わたしの目の前をひとつの影が走り抜けて行く。

 

 

「香澄!」

 

 

 駆け抜けた香澄は躊躇する事なくお店の中へと飛び込んで行き、正気に戻ったわたし達も慌てて走るようにその背中を追う事にしたのでした。

 

 

 



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41.走り始めたばかりの私へ:③

 

 

 

 

 

 ーー私って、きっと神様に嫌われちゃっているんだよ……。

 

 

 

 

 

 文化祭の準備に沸く花咲川女子学園講堂の入り口から見上げた曇天の空はどんよりとしていて、薄暗く感じる校庭の景色とも相まりまるで世界が泣いているようにも見えた。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 先日に沙綾のお家に突撃したわたし達が目にしたのは、具合が悪そうにリビングの床で横になっている沙綾のお母さんと介抱するように寄り添うお父さん、そしてそれを心配した表情で見守る沙綾と純くんと紗南ちゃんの姿でした。

 

 

「いつもの事だから大丈夫だ。すまないが沙綾、お母さんを寝かせてくるからそれまでお店を見ていてくれないか?」

 

「わかったけれど、お父さんひとりで大丈夫なの?」

 

「こう見えても一家の大黒柱だぞ、此処は任せておきなさい」

 

 

 その言葉に頷きを返した後にお店の方へと向かった沙綾を追おうと振り返ったら、スカートに妙な圧力を感じてしまい脚が止まってしまった。

 

 

「みんなは沙綾の所に行ってて、わたしも後から行くから」

 

 

 スカートの裾を引っ張っていたのは紗南ちゃんで、歯をくいしばり今にも泣き出しそうな顔を向けていました。

 沙綾を追って行ったみんなを背に、屈んでから紗南ちゃんを優しく引き寄せて背中をぽんぽんと叩いてあげます。

 

 

「ふえっ、おねえちゃん」

 

「紗南ちゃん、お母さんは大丈夫だよお父さんが付いているからね」

 

 

 ギュウッとスカートを掴んだまましがみついてくる紗南ちゃんに、とても言葉には出来ない程の愛しさが込み上げてきます。

 

 

「純くんもおいで」

 

「俺はいいから紗南を頼む。いつまでも姉ちゃん達には甘えられない、俺は男だから」

 

 

 そう言うと純くんは少しだけ震える脚を踏み出してお父さんの元へと歩み寄って行きました。

 男の子の痩せ我慢って本当にダサいと思うけれど何だか格好良いですよ。元男の思いとして純くんとは良い友達になれそうな気がしますね。

 

 紗南ちゃんが落ち着いた頃を見計らって抱き抱え、お母さんが寝かされた寝室までとりあえず連れて行きます。

 

 

「せっかく遊びに来てくれたのに悪かったね」

 

「いえいえ、それよりも具合は?」

 

 

 わたしから離れてお父さんに抱きついて行った紗南ちゃんを見て一安心しましたが、覇気も無く布団に横になっているお母さんの容体がどうなのか心配ですね。

 

 

「ちょっとフラついただけなのにみんな心配し過ぎなのよ。それよりも貴女が優璃さんね、あの子がいつも楽しそうに貴女の事を話すのよ」

 

 

 挨拶をしようとしたのか起き上がろうとしたお母さんをお父さんが手で制して再び寝かせてくれました。

 そのままお母さんの頭を優しく撫でながら、お父さんは少しだけ寂しそうな口調で話を始めました。

 

 

「高等部に進級してからの沙綾は本当に楽しそうにしていてね、良い友達が出来たと君達には心から感謝をしているんだよ。中等部の頃から何と言うか、あの子は色々と私達の為に我慢をしていたようにも思っていてね」

 

 

 穏やかな笑みを浮かべるお父さんは沙綾によく似た優しそうな雰囲気に溢れていて、きっと沙綾はこの人達に愛されて育てられたのだろうなと容易に想像させられてしまいます。

 

 

「親バカかもしれないが沙綾はとても優しくて、いや優し過ぎて少し臆病なくらいなんだ。何かを失うくらいなら最初から諦めてしまった方がいいとさえ考えてしまう、だがそれは私達が望む娘の姿じゃないんだ」

 

 

 横になっているお母さんに手招きされ、右手を両手で優しく包まれました。

 

 

「あの子には私達に囚われて欲しくないの。私に似て頑固だからそうは言っても普段はちっとも話を聞いてくれないけれど、きっともうあの子に笑顔をもたらす事が出来るのは私達じゃないわ」

 

 

 苦しそうだった呼吸を落ち着かせてから、お母さんは慈愛に満ちた微笑みをわたしへ向けてくれた。

 

 

「沙綾の手足には鎖なんか繋がれていない、あの子は自由なの。だから大切に思える絆を家族以外ともしっかりと紡いで欲しいと思っているのよ」

 

「それにだが年頃の娘に心配をされるほど私達は年老いてもいない、っと君にこんな事を言うのも変な話だが……」

 

 

 お二人の滲み出る優しさがわたしの薄い胸を熱くさせてくれます。

 沙綾が笑顔で居られる場所はpoppin'partyという輪の中に、わたし達の笑顔が咲き乱れる場所にこそ在るのだと決意を新たにしちゃいましたよ。

 

 

「任せてください、沙綾の青春はわたし達がキラッキラに輝かせてみせますので」

 

 

 ちょっぴり物足りない胸を叩きながら宣言をしたら、沙綾の両親も安心してくれたように優しい微笑みで頷きを返してくれました。

 

 

「それではわたしも沙綾の様子を見てきます」

 

「優璃さん、これからも娘の事を宜しくお願いしますね」

 

 

 お二人に頭を下げて部屋を出た後に沙綾達の居るお店の方へ向かうと、廊下で酷く狼狽をした様子のりみりんと鉢合わせをしてしまいました。

 

 

「あっ優璃ちゃん。あ、あの、あのね」

 

「りみりんどうしたの? 少し落ち着いて」

 

「香澄ちゃんと、あのね、沙綾ちゃんが……」

 

 

 りみりんの青醒めた表情から嫌な予感が胸の内を侵蝕していきます。

 急ぎ店内の販売スペースに足を踏み入れると香澄達の姿は無く、レジ台の椅子に首を垂れながらひとり座っている沙綾だけが居ました。

 

 

「沙綾?」

 

「香澄に酷い事を言っちゃった」

 

 

 数は減ってきたとはいえ美味しそうな香りと色とりどりのパンに囲まれた中で、パンの国の姫様はひとり暗闇の森に迷い込んでしまったように見えた。

 

 

「何があったの?」

 

「香澄がね、大丈夫だよ私達が手伝うし頑張って沙綾を支えるからって言ってくれて……」

 

 

 うな垂れた顔からは涙の雨がぽつりぽつりと降り出し始め、レジ台にその跡を少しづつ増やしていく。

 

 

「嬉しかったよ、優しいなって思った。だけど同時に私の中で何かの糸が切れてしまったんだ。気が付いたら、私が欲しいものを全て持っている香澄に私の気持ちが解る訳ないって叫んでた」

 

「沙綾ちゃん……」

 

 

 震える沙綾の肩にりみりんが優しく手を置いてくれました。

 

 

「私だって知っている、香澄だって努力して苦労だってして頑張っているって。だけどそんな香澄が眩しくって、環境の所為にして逃げてばかりな自分が惨めで、これじゃ香澄に及ばないと思って……」

 

 

 両手で涙を拭った沙綾は顔を上げて、わたしがあまり見たくはない無理矢理に作った悲しそうな笑顔を向けてきた。

 

 

「上手くいかない焦りをあんな良い子にあたって、こんな最低な私が仲間って言われていい資格なんて無いよ。ねぇゆり、りみりん……」

 

 

 崩れそうになってしまった笑顔を再び無理矢理に作ろうとしている。どうしてそこまで我慢しようとするのだろう、沙綾がひとりになる必要なんて無いのに。

 

 

「私って、きっと神様に嫌われちゃっているんだよ」

 

 

 それは認めれない、絶対に認める事は出来ないんだよ、沙綾。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 あれから沙綾は文化祭に向けて放課後に有志で行う準備が終わると、わたし達の輪に入る事なく急ぎ足で帰るようになってしまいました。

 まだ復調とは言い難いお母さんの事もあり仕方がない側面もあるのですが、一緒にいる時には明らかにバンドの話を避けようとしているのが辛いです。

 振り出しに戻ってしまったとは思いませんが、どこか釈然としないモヤモヤを感じてしまいますよ。

 

 

「ゆりぃ! リハーサルが終わったよ」

 

「はあぁぁ、緊張したわ」

 

「有咲ちゃん、頑張ってたね」

 

「やっぱりライブってスッゴく楽しいね」

 

 

 文化祭本番も明日に迫り、リハーサルを終えたポピパの面々もどこかホッとした表情を浮かべています。

 CiRCREからレンタルした楽器の調整も楽器経験者の力添えで無事に終わり、後は当日の集客を心配するだけとなっております。

 

 講堂のステージに掲げられた『花咲祭』の看板を見上げても、何故だか今ひとつ心が沸きたってはくれません。

 生徒会やチスパの人達とも協力して作り上げたライブ会場。期待感と満足感で心がいっぱいの筈なのに、やはりわたしには最後のピースが足りないようなどこか物足りない気持ちになってしまうのですよ。

 

 

「さーや、やっぱり来てくれないのかな」

 

 

 有咲から聞いた話では沙綾が心の内を香澄にぶつけたあの日。香澄は怒って帰ったのでは無く、自分の想いを上手く言葉に出来なかった事が悔しくて飛び出してしまったそうです。

 その足で蔵に向かった香澄は何かに取り憑かれたように歌詞を書き続け、ついにpoppin'partyとしての初楽曲となる『STAR BEAT〜ホシノコドウ〜』が完成したとの事です。

 

 

「沙綾に歌詞を渡したんだって?」

 

「うん。上手く言葉に出来ないから想いをギュッと歌詞に詰めて、さーやに届けって気持ちも込めて手紙に書いたの」

 

 

 どこまでも優しい香澄は本当に凄いや。沙綾は香澄に及ばないなんて言っていたけれど、わたしだって香澄の隣に立てる程の人間にはまだまだ成れそうもないですよ。

 

 

「ところで、何でリハーサルで新曲を歌わなかったの?」

 

「ふふーん、新曲はサプライズにするつもりなのだよ」

 

「そういう事にしとくか。香澄がこの期に及んでもちょくちょく間違えるとか言えねえしな」

 

 

 香澄が顔を紅くしながら有咲の肩をポカポカと叩く姿が微笑ましいですが、それにしても待ちきれない程に新曲を聴くのが今から楽しみになってきますね。

 

 

「文化祭は駄目でも、きっといつか沙綾ちゃんはポピパに入ってくれるよ」

 

「まぁ私は別に……」

 

「りみりんそうだよね、さーやにわたし達の気持ちは伝わるよね」

 

「いやまぁ私もだな……」

 

「そうだよ、だって沙綾は花園ランドの住人だもの」

 

「いやちょっと待てお前等、最近わざと私の言葉を流しているよな?」

 

 

 明るい笑い声が照明の消えた講堂に響き渡った。

 みんな前向きで優しくて素敵な仲間達です。でもわたしは違うのです、わたしにとっては未来(いつか)ではなく現在(いま)が大切なのですよ。

 

 この素敵なバンドの中に居る大好きな沙綾の姿が見たい。

 自己中心的でしかない願望という名の欲望を、わたしはどうしても諦める事が出来そうにも無いのですよ。

 

 あんな哀しい言葉を口にさせたら駄目なんです。あくまで神様は許すまじですけれど、わたしに転生というチャンスを与えてくれた大きな存在があんな良い娘を嫌いになる筈はないのですよ。

 

 もし嫌いになるならわたしのような……まぁわたしも許すまじなのでお互い様ですがね。

 

 

「沙綾が明日登校した時にでも話をしてみるよ。もしかしたら再び前向きな言葉が聞けるかもしれないし、それはそれとして明日の文化祭はみんなでやりきろうね」

 

 

 わたしが差し出した右手の上に四人が手を重ねていきます。

 最後に手を乗せた香澄の合図を待って、全員で空に向かって弾けたように右手を突き上げた。

 

 

「ぽぴぱ〜……」

 

「いやおたえ、その掛け声は流石に中途半端が過ぎるわ」

 

 

 気の抜けたおたえの掛け声に笑いが辺りを包みます。

 明日の文化祭をきっと忘れられない青春の一幕にしてみせますよ。確かな覚悟を込めて突き上げた右手の掌を、まだ見ぬ星空の一等星を掴むように強く握りしめた。

 

 

 

 そして文化祭当日。

 

 わたしの耳に届いたのは、沙綾がお母さんの精密検査に付き添う為に学校を休んだという連絡でした。

 

 

 



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42.走り始めたばかりの私へ:④

 

 

 

「みっこさんや、とりあえず心の赴くままに殴りかかってみても宜しいですかね?」

 

「おやおや天下の学級委員長に向かって暴力沙汰とは頂けませんよ、可愛い可愛い赤ずきんちゃん」

 

 

 晴れ渡る陽気の中で文化祭当日を迎え、開店準備も慌ただしい我が一年A組。

 廊下に掲げられた手作りの看板も可愛らしい軽喫茶『BANG DREAM』の店内にて、トレードマークであるサイドテールに括られた髪を弄りながら勝ち誇った顔を見せつけているみっこさんと対峙しております。

 

 黒色のタンクトップに薄手とはいえとても清楚とは程遠い鮮血のような色合いのパーカー、光の反射で目が痛くなりそうなショッキングピンク色のミニスカートと白色タイツ。ふむふむなる程ですよ、これが現代の赤ずきんちゃんという訳ですか……。

 

 

「いやいやこれでは文化祭に浮かれきった只のギャルではないですか」

 

「おやおや何かご不満が? 生徒会の役員でもないのにクラスよりもそちらを優先させていた薄情なお嬢様が何か?」

 

 

 ムキー! とはなれません。確かに委員長の言う通り、喫茶店よりもライブ開催を優先して方々を駆けずり回っていたのは事実なのですからね。

 おかげ様で罰として制服からギャル風の格好へと着替えさせられ、公衆の面前での客引きを仰せつかったという次第です。

 

 

「ぐぬぬですがしかし委員長様、例え百歩譲ってこの売り子姿は我慢するにしても、何故に足元が学校指定のローファーなのですか。ここはスニーカーとかではないとバランスが変ではないですか」

 

「うーん、コスプレ自体は許可が降りたけれど、何故か靴だけは学校指定じゃなきゃ駄目だったのよ」

 

 

 えっと、うちの学校って色々とバランスが可笑しくないですかね?

 

 

「ウサギ……」

 

 

 縋り付くような声に恐る恐る振り返ると、顔の部分だけが露出している兎の被り物をしたおたえが照れたような上目遣いでお揃いの被り物をわたしに差し出していた。

 セーラー型である花女の夏制服に手作り風味の兎の被り物、これは中々に違和感の塊ではないですかね。

 

 

「りみに逃げられた……」

 

「わたしも無理ですからね」

 

「香澄は被ってくれた……」

 

 

 視線を外せば教室の中程でクラスメイト達に囲まれたウサギ星人ふたり目がぴょいぴょいと飛び跳ねながら騒いでおりました。

 

 

「こんな被り物の人が三人も居たら絶対に目立つよ、これで成功間違いなし!」

 

 

 本当に楽しそうで何よりですよ香澄。ですが勝手にわたしを数に入れるのは勘弁して頂けませんかね、あんな被り物をしたギャルなど目立つどころか冷ややかな視線を浴びるだけとなってしまいますのでね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「しゃっせー、やまぶきベーカリーのすげぇうめぇパンが食べられる喫茶店っすよー」

 

「優璃マジか。痛い奴だとは思っていたけれど、ここまでとは流石の私も気づかなかったわ」

 

 

 手持ちの看板を持ち罰ゲームのように呼び込みをさせられていたわたしに向かって、指を差しながら必死に笑いを堪えているツインテールの美少女さんが居ますね。

 

 おのれ有咲め許すまじ。後でそのツインテールをぴょこぴょこして遊んでやりますからね。

 

 

「おっつー、あーさは休憩って感じなん?」

 

「そのひと昔前のギャル風な話し方はかなり気持ち悪い」

 

「ムキー! うっせいわですよ。こちとらギャル風のみならず変な被り物もさせられて完全にファンタジー世界の住人にさせられているのですよ、慰めてくださいよ、つーかマジで代わってくんね?」

 

「そもそもクラスが違うからな。それよりも香澄から連絡が来たからもうすぐ休憩だと思うぞ、みんなで展示を周ろうだってさ」

 

 

 有咲と話をしていたら、ぴょんぴょんと軽やかな足取りで残りのポピパ組も教室から出て来ました。

 

 

「二人共、お、ま、た、せ」

 

「私、ウサギ小屋に行きたいな」

 

「おたえ、ウサギ小屋は年中無休で観覧可能だぞ」

 

 

 浮かれているウサギ星人達を他所に、二人の陰で縮こまっていたりみりんがわたしの前に立って何やら体をもじもじとくねらせ始めました。

 

 

「優璃ちゃん、あの、その……」

 

 

 黙ったまま、りみりんの肩にそっと手を置きます。

 良いんですよ、きっとこれを被ったりみりんは可愛いでしょうが内気な性格を考えれば罰ゲーム以上の苦痛でしょうからね。

 

 

「しかし優璃だけかと思ったら香澄とおたえもそれを被ってんのかよ、ちょっとお前等のクラスってヤバくねぇか」

 

「ありさも被る?」

 

「さぁ有咲もウサギに生まれ変わろう!」

 

「そういう役目は優璃に任せてあるので結構です」

 

「なんやて、有咲」

 

 

 くるりと背を向けた有咲がりみりんの手を引きながら歩き出してしまいましたので、その姿を見てとりあえずわたしも被り物を取ろうとしたら両側から不思議の国の兎さん達に腕を掴まれて止められてしまいました。

 

 

「優璃は仲間だよね」

 

「あの……わたしに社会的に死ねと?」

 

「大丈夫! きっとウサギさんは世界を救うんだよ」

 

 

 ははは、まったく無邪気な兎さん達ですねえ……じゃねぇわ、恥ずかしくて明日から校内を歩けなくなってしまうでしょうが!

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 意外な人が意外な場所で意外な才能を発揮いたしております。

 

 

「えい! えい! はわわわ」

 

「りみりん凄いよ、格好良いよ」

 

 

 香澄からの賞賛を背中に受けながらも、りみりんの手から放たれた輪っかはまるで吸い込まれるように次々と的に入っていきます。

 

 祭りの出店を模した展示をしている教室に入ったわたし達は、りみりんが興味を示した輪投げにとりあえず挑戦をしてみたのですが、りみりんのあまりの上手さに少々呆気にとられております。

 

 

「りみりんにそんな才能があったとは驚きですな」

 

「あのね、小さい頃からこういうのは得意だったの」

 

 

 得意とは言っても五投した全てを一番遠くて一番小さい最高難易度の的に入れるとかもはや才能としか言えないのではないですかね。

 

 

「りみりん、わたしにもコツを教えてください」

 

「あのね香澄ちゃん、忍者になった気分でシュッと投げたらスポッて入るんだよ」

 

「むふーわかった、シュッでスポッだね」

 

 

 りみりんも何だか香澄みたいな感覚で説明をしだしましたよ、これは随分と香澄に染まりつつあるという危険な兆候ではないですかね。

 

 気合満々の香澄が再びのチャレンジをするようですが、何だかとても嫌な予感が胸の内を騒つかせるので床を滑るようにして香澄から遠ざかる事にしました。

 

 

「シュッスポッ、シュッスポッ、とりゃあぁぁ!」

 

「いってぇぇぇぇ!」

 

 

 有咲がお腹を抑えながら座り込みます。まぁ、やはりそうなっちゃいますよね。

 

 

 輪投げ事故の後は中等部の校舎に移動して、メイド喫茶をしているというあっちゃんのクラスを訪問してみたのですが。

 

 

「えっと、可愛い過ぎるので逮捕します」

 

「何を言っているの、優璃お姉ちゃん」

 

 

 目の前には微妙に足先を交差させた姿勢のあっちゃん。クラシカルなメイド服では無く、現代風の短めなスカートがショートカットの髪との相性が抜群で元々の美少女度数をより引き立てておりますよ。

 

 

「あっちゃん凄く似合っていて可愛い、流石は自慢の妹だよ」

 

「おぉ香澄とは違って落ち着いた美人って感じだな」

 

「市ヶ谷先輩まで止めてください。あの、それよりも……」

 

 

 あっちゃんが指を差した先にはウサギ星人三人娘。

 ふふふ、何をか言われんでも充分に伝わりますよ、こちとらもう既に窓からダイブをしたい程の後悔に苛まれておりますからね。

 

 

「どうあっちゃん、可愛いでしょ」

 

「姉妹でウサギ……いいかも」

 

 

 空気を読まない異世界人は放っておくとして、あっちゃんの目の前に立ちヘルメットを脱ぐ要領で被り物とはサヨナラをしました。

 

 

「優璃お姉ちゃんあんまり見ないでよ、恥ずかしいよ」

 

「駄目です、可愛いあっちゃんを穴が開く程に見ていたいのですよ」

 

「もう……今度これを着て部屋に行くから、今日は許して」

 

「本当に⁉︎ 写真とかいっぱい撮っちゃうよ」

 

「良いけれど他の人には見せたら嫌だよ。優璃お姉ちゃんにしかこんな姿を見せたくないもん」

 

 

 なんでしょうか、顔を紅くさせながらのその台詞は色々な人に誤解を生みそうな気がするのですがね。

 

 

「あっちゃん、わたしもメイド服とか着てみたいな」

 

「お姉ちゃんは着たら駄目」

 

「ええぇ、何でぇ?」

 

「とにかく駄目なの、私が優璃お姉ちゃんに見せるから駄目なの」

 

 

 唇を尖らせながら不満を口にする香澄に、顔を紅くさせながら反論をするあっちゃん。

 こういう姉妹のじゃれあいを眺めるのも中々に良きものですなと見惚れていたら肩をトントンと叩かれ、慌てて振り向いた先ではおたえが涙目でわたしが脱いだ被り物を指差しておりました。

 

 

「ウサギ……」

 

 

 おたえさんや、いい加減に満足してくれないと流石にわたしの方が泣いてしまいそうですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 午後に入り、poppin'partyは本番の近付いたライブの為に講堂へと向かう事にしました。

 兎の被り物も脱ぎ気合充分なその姿は、まるでいくさに赴く武士のような緊張と高揚感に包まれているようにも見えます。

 

 

「あっ、ポピパのみんな今日は宜しくね」

 

 

 講堂の入り口には忙しい七菜生徒会長を除いたグリグリの皆さんとチスパのメンバー達が既に集まっていました。夏希さんとの打ち合わせで驚いたのですが、チスパって夏希さん以外のメンバーは全て他校の生徒さんなのですよね。

 

 

「沙綾は居ないんだね、久々に見たかったな沙綾のドラム」

 

「うん、お母さんの体調がまだ不安みたいで」

 

「そっかぁ、それなら仕方がないよね」

 

 

 夏希さんの残念そうな顔、香澄の申し訳なさそうな顔、みんなの少しだけ悲しそうな顔。誰もが無言になってしまった光景を見ていたら、心の奥底からマグマのようにグツグツと煮えたぎる熱くて力強い感情が込み上げてくるのを感じた。

 

 

 

 

 沙綾、今の仲間達が待っているよ……。

 

 さーやー、やっぱり一緒にバンドやろう……。

 

 まぁ私は別に……。

 

 沙綾ちゃん、頑張ろうね……。

 

 沙綾も花園ランドの住人だよ……。

 

 

 

 

 

 沙綾を囲んでいたみんなの笑顔。それを見て微笑んでいた沙綾。

 上手くいくと思った、ずっとみんなの幸せを見ていたいと願った。

 

 

 

 

 

 ーー私って、きっと神様に嫌われちゃっているんだよ。

 

 

 

 

 

 やれやれわたしがこんな光景を認める訳が無いでしょうよ。神様さんとやら、お馴染みの八つ当たりをして差し上げますので耳をかっぽじってしっかりと聞いてくださいませ。

 

 

 

 

 

 神様ゆるすまじ。

 

 

 

 

 

「あっみんなゴメン、遠くに置き忘れたものを思い出したからちょっと取りに行ってくるわ」

 

 

 わたしが突然に発したとぼけた台詞に全員が驚いた表情を向けてきました。

 いえ、ポピパの仲間を除いた全員がでしたね。

 

 

「たく仕方がねえな、大事なもんを忘れてんじゃねえよ」

 

 

 呆れながらも笑顔の有咲にくるりと体を廻されて、そっと背中にその手を添えられました。

 

 

「優璃ちゃんなら大丈夫、ちゃんと忘れ物を見つけられるよ」

 

「ウサギは寂しいと死んじゃうんだって、迷信だけど」

 

 

 りみりんとおたえも背中に手を添えてくれたのが解った。

 前を向けばわたしと向かい合わせになっていた香澄も、どこか優しげな表情をしていました。

 

 

「ゆり、迷子にならずにちゃんとわたしのところに帰って来てね」

 

「子供では無いのだからちゃんと帰りますよ、わたしの居場所に」

 

 

 頷いた香澄も背中に周って手を添えてくれた。

 

 

 

 

 

 ーー行ってらっしゃい!

 

 

 

 

 

 それは初めての経験でした。

 四人に押された背中から翼が生えたのかと思う程に身体が軽くなり、歩を進める事に運動不足の脚には不思議なチカラが宿っていくようだった。

 

 右足を前に出して次は左足を出す。みんなの思いと覚悟を背負うように刻み込むように、速さを増していく足は力強く地面を打ち付けていった。

 

 走り始めたわたしはもう後ろを振り返る事はしませんでした。

 何故なら見送る仲間達がどんな表情をしているのかなんて、今のわたしには容易く想像をする事が出来るのですから。

 

 

「待っていてくださいよ、今から答え合わせに行きますからねぇぇ」

 

 

 走りだす、走りだす。

 キミが心の奥底に閉じ込めた願いを聞く為に。

 

 走っていく、走っていく。

 キミとみんなで描いた虹を、青春という空の彼方に掲げる為に。

 

 

 

 



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43.走り始めたばかりの私へ:(山吹沙綾視点)

 

 

 

 もう傷付きたくは無かった。だから無関心になれば良い、家族を大切にしていれば私は幸せ。

 

 

 そう思って中等部を過ごした。

 

 

 高等部に行ってもそれは変わらない、私はもう大切なものは作らない、そう思っていた。

 

 

 遅咲きの桜が舞い散る学園前庭の掲示板で、未来への希望に溢れ輝いているような笑顔に出会ってしまうまでは……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「相変わらず私は逃げ続けてばかりだ」

 

 

 市民病院の庭にある誰も座っていないベンチに腰を降ろし、夏の片鱗を見せてきた眩しい青空を見上げながら愚痴を溢した。

 お母さんの検査に付き添うという名目で学校を休んだけれど、お父さんが迎えに来たからもう別に付き添う必要は無くなってしまった。

 両親にも文化祭に行ったらどうだって言われたけれど、私の脚はどうにも鈍く前へ進んではくれないままだった。

 

 

 只々、怖かっただけだった。

 

 

 一度は離れた筈の音楽というチカラが再び私を魅了して虜にしようとしてくる。

 

 確かに私はドラムが好き、リズムを刻み色々な音符達を纏めていくようなあの感覚が大好き。

 だけど中等部の時に犯した罪は決して消えはしない。私は大切だった筈の仲間達を裏切った、やり方は他にもあったのに逃げ出す事を選択してしまった。

 もうドラムは叩いちゃいけない、音を楽しんだらいけない。それが自分自身に課した罰だったのに。

 

 

『さーやも一緒にバンドやらない?』

 

 

 筈だったのに……。

 

 

 桜と共に出会った変わった髪型の女の子は、変わった形のギターと出会い音楽を始めるようになった。

 やがて明るく優しいその娘の周りにはまるで導かれるように仲間達が集い、poppin'partyというバンドを組むまでに至った。

 

 これから彼女達は夢を見つけ、青春という舞台に向けて走り出していくんだ。

 そんな姿が輝いて見えた。私にもそんな道があったのかもしれないと羨ましく思った。

 

 もしその娘がバンドに誘ってきたのならハッキリと断ろう。あんな素敵なバンドに私の所為で迷惑をかける訳にはいかないと、そう決めていた。

 

 

『わたしは沙綾じゃないと嫌なんだよね』

 

 

 胸の奥が甘く、そして熱く締め付けられる。

 いったい何時からなんだろう、自然とあの子を目で追うようになったのは……。

 

 始めは可愛い娘だなって思っただけだった。

 黒くて綺麗な長い髪に私より少しだけ低い身長。くるくると変わる表情も愛嬌があって良い友達になれそうだなって感じた。

 

 でも友達になって仲良くなる内にあの子と手を繋いでいると、不思議と心が浮き立つのと同時に安心しきっている自分に気が付いた。

 あの子の笑顔を見るとそれだけで嬉しくなった。もっと側に居て欲しいとも思うようになった。

 

 信じられない事だった、私はいつからか彼女を愛しいと思うようになっていた。

 

 友情とは明らかに違う、湧き出すような切なさと熱い衝動。

 まさか自分が女の子にそんな感情を抱くだなんて最初はとても認められなかった。

 

 初恋だって小学生の時に足の速い男の子だった。彼女に抱いている感情は友情だと、きっと気の迷いだと自分に言い聞かせた。

 

 

『沙綾、大好きだよ』

 

 

 でもそれは無理だった。

 友達に向けて言う何気ない言葉だと解っていても、たったそのひと言だけで私の心は簡単に溶かされて舞い上がってしまう。

 いつしか私は、あの子の特別になりたいと星に願うようになっていた。

 

 

 木漏れ日が診察時間外で人気の無い病院の前庭を優しく照らしている中で、ベンチに座りながらスマホを握り締め深く溜め息を吐いた。

 

 

「そんな感情を何と呼ぶのかなんて、私はもうとっくに知っているんだよね」

 

 

 香澄から渡された歌詞をポケットから取り出してじっくりと読み返してみる。

 STAR BEATと題されたその歌詞は、最初の一歩を踏み出す勇気の大切さを謳った詩だった。

 いやそれだけじゃない、これは香澄の決意と優しさを記した手紙だ。

 

 

 

 まぶた閉じて あきらめてたこと

 いま歌って いま奏でて

 昨日までの日々にサヨナラする

 

 

 キミのコドウに そっと歩幅を合わせ 明日を夢みてる

 ねえ ひとつの気持ち ずっとかかげ進もう

 声をあわせ STAR BEAT!

 

 

 

 香澄が泊まりに来て一緒に歌詞を考えた時は、もっと明るい曲をイメージしていたようにも見えた。

 でも出来上がったこの歌詞には何とも言えない不思議なチカラを感じてしまう。

 それはきっとこの仲間達と頑張るという覚悟と決意、そしてみんなで一緒に始めようというメッセージにあるのかもしれない。

 

 やっぱり香澄には敵わないなと思う。

 

 私は周りの人達からは優しい女の子だ、しっかり者だと言われるけれど本当にそうなのかな?

 こんな風に誰かを思いやれるのならチスパにあんな事をする訳がない、きっと私は欲張りで自分勝手な人間なんだよね。

 

 

「これじゃあ選ばれる訳がないか」

 

 

 私が特別だと想っている人の隣には香澄が居る。

 あの子にとって香澄は特別で、香澄もあの子を特別と思っている。

 だからもしあの子が女の子に対して特別な感情を抱けるとしても、選ばれるのは私じゃなく香澄に決まっている。

 

 自分勝手で神様に嫌われた私は負けヒロイン。だから全てを諦めてしまった方が良いんだ、それがきっとみんなの為だもの。

 

 

 握り締めたスマホが突然に起こした振動が私を現実世界へと引き戻してくれた。急いで画面を確認したら学級委員長のみっこからメッセージが届いたようだった。

 

 

[お母さん大丈夫? こっちは心配しなくても何とかやっているから]

 

 

 さっぱりとした性格のみっこらしい文面に思わず顔が綻ぶ。

 返信をしようと画面に指を近付けようとしたら、そのまま驚きで体が固まってしまった。

 

 

[沙綾だいじょうぶ?]

[こっちは楽しくやってるよ、早く来るべし]

[無理しなくていいからね]

[パン美味い、最高!]

[沙綾、元気かー]

[頑張れ、沙綾]

[エロいオヤジが来た、死ねばいいのに]

[山吹さん、疲れを出さないようにね]

[花園さんが独特過ぎてどう接したら良い?]

[しっかり寝て、休みなさいよ]

 

 

 クラスのみんなから絶え間なくメッセージが届き続けた、そして……。

 

 

[沙綾ちゃん、共用のドラムセットがあるんだって]

 

 りみりんの微笑みが脳裏に浮かんだ。

 

 

[ウサギは寂しいと死んじゃうんだって、私もそう思う]

 

 おたえはブレないな、本当に。

 

 

[決めるのは沙綾だ。だけど何でもひとりで決めようとはすんな]

 

 有咲って、やっぱり優しいと思うよ。

 

 

[ずっと、待っているから]

 

 私だって、私だって……。

 

 

「私も輝きたいよ、香澄……」

 

 

 画面の上に出来た小さな水溜りのせいでメッセージの返信を打つ事は出来なかった。

 

 

「やっぱり呆れられちゃったのかな」

 

 

 大量の着信メールをどれだけ探してみても、あの子からのメッセージだけは届いていない様だった。

 仕方がないと思う。ずっと私の心に寄り添ってくれたあの子の気持ちからも、結局また私は逃げ出したんだ。

 愛想を尽かされて当然だしあの子には変わらず香澄を大切にして欲しい、この先も二人がずっと仲良くいられるように私は遠くから見守っていこう。

 

 

「逢いたいな」

 

 

 言葉が自分の意思に反して口から漏れていく。

 駄目なのに、これ以上はあの子に迷惑をかけるだけになってしまうのに。

 

 

「逢いたい、逢いたい、嫌だ、諦めたくない。諦めるなんて出来ないよ」

 

 

 心の奥底から漏れ出した本心は嗚咽と共に世界へと解き放たれてしまった。

 

 子供のように声を上げて泣いた。

 自らの弱さに泣いた。

 自分の想いを打ち消す事が出来ないと知って泣いた。

 

 

「逢いたいよ、ゆり」

 

 

 自らの想いが報われない恋だと思い知って泣き続けた。

 

 

 強く握り締めていたスマホが震え、もしやと思い涙を拭いながら画面を開いてみると新着のメッセージが入っていた。

 

 

[お姫様、わたしと一緒に走り出してみませんか?]

 

 

 これっていったい……。

 

 

「沙綾!」

 

 

 顔を上げれば苦しそうに肩で息をしながら此方へ歩いてくる女の子の姿が見えた。

 そんな筈は無いと、負けヒロインの私に神様が優しくしてくれる訳なんて無いと、そう思っていたのに。

 

 ベンチから立ち上がり強力な磁石に引き寄せられるようにあの子に向かって歩き出した。

 逢いたいと思った。でもそれは叶ったらいけない願いだとも思った。

 

 

しゃがしましたよ、しゃあや(探しましたよ、沙綾)

 

 

 向かい合ったゆりは、派手な色合いの服を身に纏い膝に手を充てて相変わらず苦しそうな呼吸を繰り返していた。

 顔から滴り落ちる汗と張り付いてしまった綺麗な髪を拭い、何とか落ち着こうと幾度か深呼吸を繰り返すその仕草を見ているだけで、湧き出してくる抱きしめたいという衝動が抑えきれなくなりそうだった。

 

 どうして来てくれたのかは解らないけれど、もしかして同じなのかなと思ってしまう。ゆりも私に逢いたいと、私と同じ想いなのかと。

 

 

「どうして、何で来ちゃうの?」

 

「沙綾に、夢を、見てほしいと思った」

 

 

 苦しそうな呼吸の合間に途切れ途切れに話す姿も愛しく思える。

 自覚してしまった想いは身体の熱を上げ続けて、口から溢れそうになる本心を自制する事さえ苦しくなっていた。

 

 

「わたしはpoppin'partyという場所でなら、沙綾も再び夢を見る事が出来ると信じているの。だから何度もみんなで夢を見ようよ、沙綾の居場所はわたし達が作ってみせるから」

 

 

 膝から手を離して背筋を伸ばしたゆりは、今まで見た事が無い程に真剣な表情でいつものように右手を差し出してきた。

 

 

「答えを聞きに来たのですよ。わたし達は沙綾と共に居たい、だから沙綾の本当の気持ちを聞かせてくださいな」

 

 

 涙が心の中も流れるなんて知らなかったよ。

 自分の気持ちなんてとっくに判っていた。欲張りな私はドラムも叩きたい、バンドもしたい、想い人と両想いになりたいとずっと願っていた。

 だけど私は神様に嫌われた負けヒロイン。何をやっても結局は上手くいかないのなら始めから諦める道を選び続けていた。

 そんな頑なだった心を優しさという涙がゆっくりと溶かしていく。

 

 まさか逃げ続けても、それでも逃がしてくれない人達が居るなんて思わなかった。

 これ以上は自分を騙せない、この娘達を裏切ったら負けヒロインどころか人として負けのような気がする。

 

 

「この手を握ったら、もう離せなくなるよ?」

 

「もう離れなくて良いんですよ。嫁が離れたらやっぱり寂しいじゃないですか」

 

「またキュンキュンするような事を言うんだから」

 

「前にも言いましたよ、沙綾はずっとキュンキュンしていれば良いのです」

 

「うん……ずっとキュンキュンするね。私もゆりにとって最高の嫁になりたいな」

 

「やっぱり可愛いですよ、沙綾は」

 

 

 些細な褒め言葉も本当に嬉しい。

 大きく息を吸ってからチカラを込めて、運命を導く鍵となる手を握った。

 

 

「私はみんなとバンドがやりたい、ゆりとずっと一緒に居たい!」

 

「行こう沙綾、わたし達の居場所に」

 

 

 涙を拭い頷きあった私達は、手を繋いだまま学校へ向けて走り出した。

 この果てしない道が何処まで続いているのかなんて知らない。それでも私はひとつだけ心に決めた事がある。

 

 握ったこの手を離さない、もう自分に嘘は吐きたくはないから……。

 

 

 

 

 ーー走り始めたばかりの私へ。

 

 アナタはとても弱い女の子。

 これからも何度かその足を止めてしまう出来事があるのかもしれない。

 

 そんな時には顔を上げて周りを見渡してみてください。

 きっと目の前には優しさの込められた何本もの手が差し出されているから。

 

 差し出された手はアナタの未来、夢、そして淡い想い。

 負けヒロインが必ず負けなくちゃいけない決まりなんて無いよ。

 負けヒロインが輝ける物語だって何処かにきっとある筈だもの。

 

 だからその手をしっかりと握って心を繋いでください。

 みんなとなら、アナタはまた走り始める事が出来るのだから。

 

 そしていつか、今度はアナタが大切な人に手を差し出せるように成れる事を願っています。

 

 

 

 

 

 ねぇゆり……。

 絶対に言わないけれど、君に恋をしました。

 大切にしたい、まだ思い出にはしたくない恋をしました。

 

 ゆりが好きです、大好きになっちゃったみたいです。

 

 

 

 

 

 



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44.〜ホシノコドウ〜

 

 

 二倍の大きさになったのではないかと思う程に働いてくれている肺と心臓をもってしても、鉛のように重くなった手足は思うように動いてくれません。

 体中から吹き出す汗、若干ぼやけてきた視界を加味して総合的な判断をすればこれはあれですね。

 

 

「もう無理ですぅ」

 

 

 限界を迎えた脚と膝は段々とチカラが入らなくなってきて、このままではギャグ漫画のようにふにゃふにゃと間抜けなダンスを踊りながら転んでしまいそうです。

 

 手を繋いでいた為に足を止めたわたしに引っ張られるような形となった沙綾が、息を切らせながら心配そうな表情を向けてきます。

 駄目です、今ここで沙綾の足を止める訳にはいかないのですよ。

 

 

「沙綾ごめん、後から追うから先に行って!」

 

「嫌だよ、ゆりと一緒に行きたい。ゆりと離れたくないよ」

 

 

 本当に、本当に優しいですよ沙綾は……。

 でも駄目なんです。きっと会場ではみんなが沙綾の事を待っているんです。

 わたしには解るんです、きっと最後のメンバーを連れてきてくれるとみんなは信じてくれているんです。

 その期待を、希望を、こんな所で途切れさせる訳にはいかないのですよ。

 

 

「後でちゃんと行くから。だってみんなのライブはわたしも見たいからね」

 

 

 脚は震える程に疲弊し、もう追いかける体力が残されていない事は自分でも理解が出来ていました。

 ゴメンね沙綾、わたしってどうしようもない程の嘘つきなんだ。

 

 精一杯に作った笑顔を見つめる沙綾は、何も言わずにふらつく身体を優しく抱きしめてくれた。

 

 

「沙綾、汗が付いちゃうよ」

 

「いいの、汗と一緒にゆりの思いも受け止めたいから」

 

 

 身体は苦しい筈なのに、お互いの熱と汗が混じり合いひとつに溶け合うような心地よさで安堵に包まれてしまいます。恥ずかしい事ですがわたしも沙綾に少し甘えたいと思っているのかなと、なんだか女の子である事を随分と受け入れてしまっているような気がしますよ。

 

 

「わたし達の思いを受け継いでもらえるかな?」

 

「任せて、嫁の期待を裏切ったら嫁失格だからね」

 

「それもう言葉が滅茶苦茶になっていますよ、沙綾」

 

 

 腕の力が緩んで沙綾の身体が離れていく一瞬の空白に、わたしの頬へ柔らかな感触がふわりと舞い降りた。

 

 

「ちゃんと追って来てお返しをしてくれないと、嫁は拗ねちゃうからね」

 

「後で向かいますよ、行ってらっしゃい」

 

 

 はにかんだ微笑みを見せてくれた沙綾は、勢いよく背を向けて全力の足取りで走り出して行った。段々と小さくなっていくその背中を見送ったわたしも足を引き摺り歩くような速度で学校へと向かい始めます。

 

 肝心な時にこの有様とはまったくもって格好悪い姿です。

 それでもみんなが待っていると思えばこの足を止める訳には参りませんからね、やれやれモブキャラも楽ではありませんよ。

 

 

 とはいえ、少々無理をしすぎたかもしれませんね……。

 

 

 いよいよ身体が限界を迎えて膝を落としそうになった瞬間に、わたしの身体を支えるように二本の腕がするりと伸びてきました。

 

 

「優璃ちゃん、しっかりして!」

 

 

 ぼやけた視界の先にはヘルメットを被った怪しい人影が見えます。

 いったいこの人は誰なのでしょうか。変態不審者さんですかね、それとも改造手術を受けさせられた正義の味方さんなのですかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「いやお茶ってうっめ。なんですかこれは、これが甘露というものなのですか」

 

 

 渡されたペットボトルのお茶をお風呂上がりの牛乳を飲む勢いで喉へと流し込むと、体の隅々まで水分が行き渡るような気持ちよさに気分も晴れていきます。

 路肩のガードレールに腰を預けたわたしの前では、変態不審者さんではなくヘルメットを脱いだ音羽さんが心配そうな顔で様子を伺っていました。

 

 

「彼女さんが凄い勢いで走って行ったけれど何かあったの? まったく、付き合っているのならちゃんと仲直りしとかないと長引くから気を付けなさいよ」

 

 

 思わず口からお茶を間欠泉のように吹き出しそうになりましたよ。

 何故にそんな突拍子もない発想に行き着くのですかねと言いそうになったのですが、よくよく考えてみれば公衆の面前で抱き合う二人を見ればそう思えなくもありませんね。

 

 

「友達ですよ。あの子は優しいのでそう見えるのかもしれませんが、勘違いしたら可哀想です」

 

「またまたぁ、あんなにお熱い感じで? いやぁ青春って良いよねぇ、俄然お姉さんは応援しちゃうな」

 

「だから誤解ですって」

 

 

 何故かやたらと上機嫌な音羽さんですが、誤解をさせたままだと沙綾の名誉に関わりますのでいかに彼女がノンケであるのかを身振り手振りで力説すると、先程までとは打って変わった半目で睨まれ疲れたような溜め息を吐き始めてしまいました。

 

 

「はぁ瑠璃といい優璃ちゃんといい、この姉妹はそういう機微には本当に何と言うか……」

 

「そんな事より早く学校に向かわなければならないのですよ」

 

 

 暫く動けなかったので随分と時間をロスしてしまっている事に気付き、慌てて立ち上がってお茶のお礼をした後に学校へ向かおうとしたら、音羽さんに力強く腕を掴まれてしまいました。

 

 

「ちょい待ち、どういう事?」

 

「今は説明している暇は無いのです。音羽さん有難う御座いました、それではこれで」

 

「優璃、待てって言っているだろ」

 

 

 先程までの優しい雰囲気は鳴りを潜め、恐ろしく感じる程の眼光鋭い音羽さんの視線に身体が強張ります。

 

 ふええ、いったい何者なのですかこのお姉様は、助けてください瑠璃姉さーん。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ああああぁぁ、怖い怖い怖い怖い、死ぬ、死にますぅ」

 

「法定速度は守っているからそんなに怖くは無いでしょ」

 

 

 音羽さんが着ているデニムのジャケットを思い切り握り締めながら襲いかかる風圧を耐え忍んでいます。

 仰りたい事はわかります。音羽さんのバイクは外国映画でよく見る髭面でガラの悪そうなおじ様達が乗っていそうなバイクで安定感は抜群なのですが、初乗りという事もありカーブの度に身体が右や左に傾いていくのが非常に怖いのですよ。

 そもそもですがジェットコースターでさえ安全装置がある時代なのですからバイクにもですね……。

 

 

「優璃ちゃん、車体を倒すからバランス取って!」

 

「ひいぃやあぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

 抜けるような青空、心地よく吹き抜ける風、消えるように流れていく街並み、もしかして自分は空気を切り裂く弾丸か天翔ける鳥になってしまったのではないでしょうか。

 

 

「感傷に浸っての現実逃避は流石に無理でしたあぁぁぁ!」

 

 

 叫びながらもポピパのライブに何とか間に合ってと祈りながら前を見据えた。願いを乗せ、まるで爆発したようなエンジン音を響かせながらバイクは学校へ向けて走り続けるのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「優璃ちゃんしっかり青春してきなさいよ」

 

 

 ヘルメットを脱いでグローブをしたままの親指を立てた音羽さんは、爽やかな笑顔と白い歯も合わさって凄く格好良く見えます。

 派手なエンジン音を轟かせながら校門前に乗り着けたバイクから勢いよくギャル風の少女が降りて来たものですから、出入り口を管理している風紀委員の方達から厳しい視線を向けられてしまうのも仕方がないとはいえ、そんな風紀委員達が颯爽とヘルメットを脱いだ音羽さんの粋な姿に何故か急に頬を紅く染めながら見惚れ始めてしまったようです。

 

 姉さんから聞いていたのですが流石はモデルさんです。しかしわたしは先程に恐ろしい視線をした音羽さんを見ているのでね、あれはヤバいですよ相当な修羅場を経験した剛の者の気配に間違いありませんよ。

 

 色々な説明をする時間も惜しいので、受付嬢の視線が音羽さんに向いている隙を突いて生者の気配を消しながら空気のように流れる足取りで校内へと無事に舞い戻ったわたしは、人混みに紛れるようにしてライブ会場へと急ぎます。

 

 きっとみんなが待っている、みんなの笑顔がやっと見れるんだ。

 

 ライブ会場である講堂の前に息を切らせながら着き、周囲の人気が少ない事や講堂内から漏れ伝わる賑やかな音で全てを察してしまいました。

 

 

「そっか、わたしは間に合わなかったのか」

 

 

 裏口近くの階段状になっている場所に力無く腰を降ろし講堂の外壁に背中を預けた。

 それでも全てが無駄ではなかったようです。

 講堂から飛び出してくるような香澄の伸びやかな歌声、弾むような有咲のキーボードの音色、踊るように掻き鳴らされるおたえのギター、それらを優しく包み込むりみりんの低音ベース、そして……。

 

 

「間に合ったのですね、沙綾」

 

 

 バンドに命を吹き込むような逞しい沙綾のドラム。

 

 

「poppin'partyは、これにて完成です」

 

 

 瞳を閉じて漏れてくる音楽を心で聴いた。

 香澄と有咲が出会い、不思議な絆で集まったわたし達はひとつの形を成す事が出来た。

 だけどまだまだですよ。次はライブハウス、更にはその先の先、星まで届くくらいにポピパは走り続けてくれると思っていますのでね。

 香澄のホシノコドウはまだ鳴り始めたばかり、これからも精一杯に彼女達を支えていきますからね。

 

 ふむ、これはわたしも決意を込めて一緒に歌っちゃいますか。

 

『STAR BEAT! 〜ホシノコドウ〜』とは香澄らしい、いえポピパらしい素敵な曲名だと思いますよ、みんな……。

 

 

 

 その声 聞こえる……

 

 走りだす いつか走りだす

 風にゆれる キミの歌

 

 走りだす いつか走り出す

 届けたい歌 キミの声

 

 指をつなぎ 始まったすべて

 いま歌って いま奏でて

 昨日までの日々にサヨナラする

 

 Lalalala Lalalala……

 

 

 

 

 曲の最後に合わせて右手の人差し指を澄み渡る初夏の青空に向けて掲げた。

 

 

「ノンケばかりでも絶望はしませんよ。もっともっと眺めてみせますからね、百合っ百合の尊い光景を!」

 

 

 ひとり叫んだ声は会場から溢れ出す歓声に掻き消されてしまった。

 しかし高校の文化祭ライブってこんなに盛り上がるものなのですかね?

 女子校だからですかね、いえきっと花咲川女子学園という場所が素敵な女の子達を自然と集めてしまうのかもしれませんね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 香澄達が退場してきそうな頃合いを見計らい、重い腰を上げて裏口の前で待ち構える事にしました。

 わたしも一応はスタッフの端くれですので裏口から侵入するという事も出来るのですが、何故だか今はそういう気分では無いのですよね。

 

 裏口の扉が前置きもなく開き、満面の笑顔の香澄を確認した次の瞬間には既に抱き締められて顔同士を擦り合わされてしまいました。

 

 

「ちょっと香澄。みんなお疲れ様、素敵なライブだったよ」

 

「えへへ、やっぱりライブってキラキラドキドキしちゃうよ」

 

 

 弾んだ声の香澄は本当に満足しているようです。

 

 

「震えた、震えちゃったよ」

 

「はわわ、めっちゃ緊張したぁ」

 

「まぁそこそこ盛り上がったんじゃねぇの、まぁ割と楽しかった、かもな」

 

 

 おたえとりみりんにも抱きつかれ流石に身動きが出来なくなったわたしの前へ、有咲に背中を押されるようにして遠巻きに見ていた沙綾が押し出されて来ました。

 

 

「沙綾、これからも宜しくね」

 

「うん、もう離れてって言われても絶対に離れてあげないから」

 

 

 お互いに顔を見つめ笑い合った。もう大丈夫、この五人とならずっと頑張れる気がするよ。

 

 

「離れないって私達(ポピパ)とか? それとも……」

 

 

 何かを言おうとしたところで沙綾に勢いよく肩を叩かれ、有咲がどこから出したかわからない甲高い悲鳴をあげながら悶え始めてしまいました。有咲は知らなかったでしょうが、家事をよく手伝うからなのか沙綾って意外と力持ちなんですよね。

 

 

「さてと、さっさと片付けして打ち上げの予定でも組むか」

 

 

 有咲が痛そうに肩をさすりながらした提案を受けて、わたしの身体から慌てて離れた三人を合わせた六人で円陣を組むような形に集まります。

 

 

「次はCiRCLEでのライブだね、みんなで一緒に頑張ろう!」

 

 

 香澄が発破をかけて右手を差し出すとみんなも頷きながらそれぞれの手を重ねていき、わたしも最後に手を乗せようとしたその時でした。

 

 

「やっと見つけたわ、こんなところに居たのね」

 

 

 もの凄い勢いで横から抱きつかれ円陣から押し出されてしまいました。

 この少し甲高く澄んだ声、一瞬だけ見えた光り輝く黄金色の髪。

 

 

「えっ何⁉︎ こころなの?」

 

「ええそうよ、もう探したのよ。そんな事よりも優璃もライブ? というのを見たのかしら、みんなが楽しそうでとっても良い笑顔だったのよ」

 

 

 わたしの身体から離れたこころは、興奮したように黄金色に輝く瞳を更にキラキラと潤ませながら鼻息荒く話し掛けてきました。

 

 

「決めたわ優璃、あたし達もバンドというものをやるわよ。そして音楽で世界中の人達を笑顔にしちゃいましょ」

 

「いやこころそれは無理、だってわたしは……」

 

 

 同意を求めようとポピパのみんなへ視線を向けたら、きょとんとした表情のおたえを除いた四人、天使である筈のりみりんまでもが冷たいジト目をわたしに向けていました。

 

 えっと、これってあらぬ誤解を与えてしまったという状態ですかね?

 

 

「ゆりぃ……」

 

「違う違う、わたしは何も」

 

「優璃、あたし達で世界を笑顔にするわよ!」

 

 

 輝くような笑顔のこころは本当に綺麗ですね、じゃないですよ、これはヤバいです折檻の予感ですいやむしろ死の予感さえしますよ。

 

 くるりとみんなから背を向け校門へと向かって一目散に走り出した。

 不思議ですよね、逃げる時って脚の疲れを感じないものなのですね。

 文化祭を楽しんでいる他の生徒達の笑顔、笑い声、その全てが今のわたしには眩し過ぎる煌めきに見えてしまいますよ。

 

 

「ふええ神様、これで勝ったと思うなよおぉぉ!」

 

 

 頑張って逃げたのですが、結局は直ぐに追って来たこころとおたえにあっさりと捕獲されてしまいました。

 えっとこの二人いくら何でも足が速すぎませんかね、それと駆けっこでは無いのでニコニコ顔で迫って来るのは怖すぎるので流石にやめて頂けませんかね。

 

 

 



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45.【幕間】のーゆりゆり、のーらいふ

 

 

 ハーフパンツにするべきか、ショートパンツにするべきか、それが問題なのです。

 

 

 ショートボブの髪に一筋の赤色メッシュを入れている女の子を前にして、そんな事を考えていた二時間前のわたしにフライングクロスチョップをしてあげたい気分ですよ。

 

 

「格好良いなぁ、蘭」

 

「会って早々に何を言ってんの?」

 

 

 可愛い顔立ちを引き締める首元の花柄チョーカーネックレスに合わせたような黒色のオフショルダーシャツ姿の蘭は、格好良さと露出した肌から儚く漂う色香を同時に放っていて、デニムのショートパンツから伸びる御御足(おみあし)も程よく均整がとれた肉付きで凄く綺麗です。

 

 それに比べてわたしときましたら、カーキ色のハーフパンツに同じ黒色とはいえ何の変哲もないロングティーシャツ。

 腰に巻いたパーカーとも相まって見た目は完全に夏休みの小学生女児ですよね。わかっています、わかっていますともわたしが女子高校生だという事は。

 シャツにプリントされたPathetic(情け無い)という文字も実に皮肉に感じます。これは申し訳ないですがいつものように八つ当たりさせて頂きますかね、神様許すまじ!

 

 カラオケに行く為に待ち合わせ場所である花咲川の駅裏に在るグニグニとして意味不明な造形のモニュメントを背後に、迷子の女児のようにポツンと佇んでいたわたしの前に現れたのは、ブレザーの羽丘女子学園制服の時とは違う少し大人な雰囲気の蘭ちゃんでした。

 

 

「はぁ、もうちょっと考えないと気合いの入りまくった蘭とは釣り合いがとれませんね」

 

「いやこれが普通だから。別に浮かれている訳じゃないからね」

 

 

 友達と遊びに行くにも真面目にお洒落をしてくる蘭の誠実さに比べてわたしのだらしなさよ。まったく少しくらいは反省しないといけませんねこれは。

 

 項垂れたわたしを置いて何故か急に体を横に向けてしまった蘭は、黙ったまま右手を音も無く差し出してきました。

 

 

「ほら、行くよ」

 

 

 一瞬だけ何か渡し忘れでも有るのかと思い不安に駆られてしまいましたが、なる程そういう訳ではなかったようです。

 蘭が差し出した手にゆっくりと触れると、辿々しい手つきながらも指を絡めて優しく握ってくれました。

 

 

「手を繋ぎたかったのかな?」

 

「優璃が繋いで欲しそうだった」

 

「わたしなの⁉︎」

 

 

 軽く舌を出して笑った蘭にそのまま手を引かれるようにして歩き出した。

 お昼のランチタイムを過ぎて太陽が最も働きだしてしまう時間帯、路面を反射した明るい光がスポットライトのように蘭を眩しく浮かび上がらせています。

 そのせいなのか普段より頬が紅く見えますね。チークでも入れているのでしょうか、この時期なら熱中症にはならないと思いますが少し心配になってしまいそうですよ。

 

 

 暫く並んで歩幅を刻んでいたスニーカーとショートブーツ。ですが今のわたし達は手を繋いでおりません。

 何故かといえば駅近くのカラオケ店に向かう途中で蘭が発見した真新しい服屋さんに一緒に入ろうとしたのですが、入り口を前にして恥ずかしいと繋いでいた手を離されてしまったのです。

 待ち合わせ場所から此処まで結構な距離を歩いていたので、既に道行く大勢の人達に見られているとは思うのですがまったくもって乙女心という物は未だに理解が及びませんよ。

 

 

「蘭はやっぱりロックバンドをやっているからクール系の着こなしなの?」

 

「というか可愛いのはあまり好きじゃないから自然とね」

 

「ふーん、顔は可愛い系なのにね」

 

「それは無い、目付きが怖いってよく言われるし」

 

 

 夏物のシャツを物色していた蘭が自嘲気味に笑う。

 そんな蘭の手からシャツを奪い、下から覗き込むようにして顔を見つめた。

 

 

「瞳だって大きいし、笑うと凄く可愛いよ」

 

「そう見えるのは優璃があたしの事を……」

 

 

 急に言葉を切った蘭が、再びわたしの手から奪い取ったシャツをカーテンのように広げて視界を塞いでしまいました。

 

 

「何をしているのですか、蘭」

 

「何でもないから」

 

 

 仕方がないのでシャツのカーテンをそっと片手で開けてみると、そこには引き攣ったようなはにかみの笑みを浮かべているひとりの女の子が居たのでした。

 

 

「い、いらっしゃいませ」

 

 

 まったく、ちょっとその顔は可愛い過ぎじゃありませんかね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 薄暗い間接照明に綺麗に整頓された室内、小さめの部屋に入ったわたし達は寄り添うように並んで座ったのですが、蘭はドリンクの注文を終えた途端に手慣れた動きで曲を選び始めてしまいました。

 

 

「ちゃんと見ててよ」

 

 

 マイクを握った途端に真剣な目付きに変わった蘭が、その歌声を広くはない部屋の中へと解き放ちます。

 決して激しいロック調を選曲した訳ではないのですが、気持ちを込め叫ぶような力強い歌声は如何にもロックバンドのボーカルらしい格好良さに溢れています。

 

 あのそれよりもですね、マイクを持ったと同時にわたしの利き手も握ってこられると選曲が非常にやり難くなって困るのですが。

 

 曲の合間にモニターから此方に顔を向けた時に見せてくれる楽しそうな笑顔も本当に可愛いです。怖がられているなんて自分で言っていましたが、こういう素直な一面を知っているからこそ幼馴染みであるAfter glow(アフターグロウ)のメンバー達も、きっと蘭の事が可愛くてしょうがないのでしょうね。

 

 曲が終わり軽く息を吐いた蘭がマイクを優しくテーブルに置きます。

 ふふふ、次はいよいよわたしの番ですか。この日の為に夜な夜な布団を被りながら歌の特訓をした努力の結晶をその魂に焼き付けてやりますよ。

 

 のーみゅーじっく、のーゆりゆり、ですよ!

 

 あのそれよりもですね、そろそろ利き手を離して頂かないとマイクが持ち辛くて困るのですが。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 散々歌いまくった初夏の午後。

 隣には何やら満足した顔をしている可愛い女の子。

 そんな素敵な、素敵な休日だったのです。

 

 

「そんなに落ち込まないでよ、可愛い歌声だったじゃん」

 

 

 テーブルに突っ伏していたわたしの上半身を持ち上げてそのまま膝枕の体勢にしてくれた蘭が、優しく頭に手を添えて慰めてくれました。

 

 落ち込むのも仕方がないのです。喋る声ならともかく、女子の歌声の音程を取る事が中々に難しくて慣れないのですよ。

 決して優璃が音痴という訳では無いのです、全てはわたしの努力が足りていない結果でしかないのですよ。

 

 

「結構練習したのですがねぇ」

 

「そんなに楽しみにしていたの? 何だか嬉しいな」

 

 

 膝枕の上から見上げる蘭はとても優しい眼差しをしています。やはりと言いますかその雰囲気からは全然キツい感じはしませんよ、只の優しくて可愛い女の子にしか見えませんね。

 見上げる視線の先にあるずっと気になっていた物に、無意識に手を伸ばして触れてみます。

 

 

「ねぇ蘭、チョーカーって着けていて苦しくないの?」

 

「別に気になった事は無いけど……」

 

 

 何かを思い付いたのか首元に手を廻して黒色のチョーカーを外した蘭が、今度はわたしの首へ手を廻してきました。

 カチリという音と共に着けられたチョーカーですが、多少の違和感はあれど意外と息苦しさは感じないものなのですね。

 

 

「意外と息苦しさは無いんだね。有難う、良い経験でしたよ」

 

 

 チョーカーを外そうと手を伸ばしたら蘭に優しく遮られてしまいました。

 

 

「それ、あげるから着けていて」

 

「えぇ、悪いよ」

 

「優璃があたしのチョーカーをしている姿も悪くないなって思ったから。今日はずっとそれを着けていて」

 

 

 優しい眼差しのまま蘭が首元に着けたチョーカーを優しく撫でる。

 指の感触が少しだけ擽ったいけれど、蘭の物を身につける事で距離がまた少し縮まったのかなと思いながらお互いに瞳を見つめ合った。

 

 

「優璃を見ていると、不思議とあたし色に染めたくなるね」

 

「いやいや、わたしが蘭を明るく社交的にしてあげますよ」

 

「いやそれ普通に無理だと思うし、別に社交的にはなりたい訳じゃないから」

 

「はう、確かに。蘭はそのままの方が可愛い気もする」

 

「だから可愛くないから」

 

 

 蘭が困っているのか喜んでいるのかよく解らない微笑みを見せてくれた。

 だけど頭を撫でてくれる手と首元に添えられた指からは、彼女の奥に秘めた優しさという確かな熱が柔らかく伝わってくるのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 カラオケ店を出てみれば街並みは素敵なオレンジ色に染まり、ちょっとだけ過ぎていく時を惜しむみたいな気分に浸ってしまいそうになります。

 横に並んだ蘭に手を差し出すと当たり前のように指を絡めて握りしめてくれて、それはそれで何故だか少し恥ずかしいと思えてしまうのが不思議です。

 

 

「蘭が繋ぎたそうにしていたもので」

 

「はいはい、優璃も大概な負けず嫌いだね」

 

 

 並んで歩く蘭の顔は綺麗な夕陽の照明に照らされてキラキラと光っているみたいに輝いています。

 今日一日で友達として随分と距離が縮まったと思うのは、きっと気のせいではないですよね。

 

 

「アフターグロウっていうバンド名はね、幼馴染みのみんなといつも集まってた羽女の校舎の屋上から見える夕焼けから付けられたんだ」

 

「へぇ、何かロマンチックな感じだね」

 

「優璃は花女だからあの景色を見せてあげられないからなぁ、一緒に見たかったかも」

 

 

 残念がる蘭の腕を手を繋ぎながら軽く押した。

 

 

「えっ、なに?」

 

「今日の夕焼けも格別ですよ。何と言っても蘭と一緒に見る夕焼けですからね」

 

 

 二人で足を止めて、真っ直ぐに続いていく道路と鮮やかに色付く街並みを味わった。

 

 

「うん、悪くないね」

 

 

 ポツリと呟いた後にこちらを向いて軽くウィンクをしてくれました。

 本当にクールというか何というか、格好良いですよ、蘭は。

 

 

「今日のあたし大丈夫だった?」

 

「大丈夫もなにも、最高に可愛かったですよ」

 

「じゃあ、また行ってくれる……?」

 

「あぁ遊びにですか。勿論ですよもっともっと仲良くなりたいですからね」

 

 

 夏だからなのか、まだまだ人通りが途絶えそうもない歩道を寄り添うように再び歩き出した。

 横を歩く蘭の赤色メッシュの髪が上機嫌そうに揺れていて、何だかわたしまで嬉しくなってしまいそうです。

 

 

「今度はアフターグロウのみんなとも一緒に行こうよ」

 

「みんなに紹介するのはもっと深い感じになってからが良いかな。今はまだ言うのが恥ずかしい」

 

「深い?」

 

「なんでもない。あっ、今日は家まで送るから」

 

「何を言っているのですか、女の子を送るのはわたしの役目ですよ」

 

 

 女の子に送ってもらうなど元男としては認められませんからね、これは譲れませんよ。

 などと意固地になっていたらどうやら蘭の負けず嫌いに火がついてしまったようで、結局はお互いに譲る事なくジャンケンで決める羽目となってしまいました。

 

 

「よっし、わたしの勝ちですよ。今日は諦めて大人しく送られるが良いです」

 

 

 勝利の余韻に浸っていたら、蘭が拗ねたのか急にわたしに背を向けてしまいました。

 慌てて横に並ぶと今度は顔を背けてしまいます。やれやれ負けず嫌いもここまでくると困ったちゃんですよ、まったく。

 

 

「あのさ優璃、ちょっと遠回りで帰ってもいい?」

 

 

 蘭が顔を背けながらわたしの手を握ってきました。

 

 

「もう少しだけ一緒の時間が欲しい……かも」

 

 

 指を絡めて握ってあげると、蘭は伏し目がちに視線を外しながらも顔をこちらに向けて、少しだけですが口元を緩めて笑ってくれました。

 

 夏の短い夕暮れに染まった帰り道をゆっくりと並んで歩く。

 またひとり大切な友人が増えた事を祝福してくれているかのように、街はキラキラとその姿を輝かせていたのでした。

 

 しかし蘭もデレは程々にしてくれないとですね、尊すぎで危うく失神してしまいそうになりましたよまったく。

 

 

 



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46.新キャラ登場は波乱の予感

 
連載を始めて一年が経ちました。
執筆初心者ゆえ一年もあれば未完か完結かはしているだろうなと思っていたのですが、今もこうして続けていられるのは読んでくださる方の存在があってこそだと思っています。

心からの感謝を捧げます。
成長する機会を与えてくれている事、本当にありがとうございます。

 月白猫屋






 

 

「あ、あの、弦巻(つるまき) (はな)様よりの御命令で、新しく優璃様の担当をさせて頂く事になりました戸塚(とつか) 結衣(ゆい)と申しましゅ。し、新人なのでお役に立てるかはわかりませんが、精一杯頑張るので不束者でしゅが宜しくお願いしましゅ」

 

 

 無事に結成を迎え、ライブハウスCiRCLE(サークル)のオーディションに向けて邁進するpoppin'party(ポッピン パーティー)を見守るという名目のキャッキャウフフを眺める為に、有咲の蔵と呼ばれている市ヶ谷家の離れにある蔵へ向けてメンバーと放課後の校門をウッキウキな足取りで出た時でした。

 花女の夏服に似つかわしくはない黒色の丸型サングラスを掛けた怪しさ満点の少女は、最敬礼をした後に緊張の為なのか直立不動の姿勢でわたし達の進路に立ち塞がりました。

 

 

「えっ? 花さん? えっ? 何も聞いていないのですけど?」

 

 

 身長は香澄達と同じくらいでしょうか。右側面だけにある一束だけ綺麗に編み込まれた薄茶色の長い髪を靡かせた少女は、小さな顔に不釣り合いな大きさのサングラスを光らせながら鼻息荒く右手で敬礼を行いました。

 

 

「あれっ、戸塚さんだよね。何でそんなサングラスをしているの?」

 

「はにゃう、市ヶ谷さん⁉︎ いいえ違います、私は只の名もなき黒服の女でしゅので」

 

「いや黒服って、普通に制服姿だよね」

 

 

 わたしの横に並んだ有咲に声を掛けられて、戸塚さんは挙動不審な程あからさまに顔を背けながら否定の言葉を発しています。

 

 うーん何ですかね、わたしは知らない娘ですがとてもキャラが濃そうな人が出現してきましたよ。これは花さんに詳しく事情を聞かなければならないようですね。

 

 

「ありさ、知っている娘なの?」

 

「あぁクラスメイト、余り話をした事は無いけれど編み込みの髪が印象的でよく覚えてる」

 

「また新しい女の子が……」

 

「沙綾ちゃん目が虚ろだよ、しっかりしてぇ」

 

 

 香澄が興味津々な顔で有咲に問いかけている横で、能面のように表情を失っている沙綾をりみりんが優しく揺さぶっているという混沌とした光景が広がっております。

 血の気が引いた顔をしている沙綾の体調も心配ではありますが、とりあえず下校する生徒達から送られる冷ややかな視線を全身に浴びているサングラス姿の同級生の今後が心配になってきましたよ。

 

 

「戸塚さんとやら、いったい花さんから何を命じられたのですか?」

 

「はい! 花様からはこころ様のパートナーであられる優璃様を陰になり日向になり誠心誠意に支えるようにと。でしゅのでお困り事が有りましたら何でも仰ってください」

 

 

 ちっとも似合っていないサングラスに右手を添えながら、戸塚さんは口角を上げて不敵に笑った。

 弦巻家関連から連想すれば花さんの家で見た黒服のお姉さんみたいな役割のつもりなのでしょうか。黒服さんはSPかお付きの人といった雰囲気でしたが、どのみちわたしに必要では無いですしそんな身分でも御座いませんよ。

 

 

「あのですね戸塚さん……」

 

「はいぃ! 優璃様なんなりと」

 

 

 申し訳がないですが今日のところは帰って頂こうかと思い、近付いて言葉を掛けようとしたら急に両肩がずしりと重くなりました。

 

 

「ゆりぃ、説明プリーズだよ」

 

 

 右側を向くと頬を膨らませた香澄の可愛らしい顔。

 

 

「戸塚さんだっけ。ゴメンね今日はバンドの練習で時間が無いんだよね」

 

 

 左側を向けば身体が震えてくる程の冷たい笑顔の沙綾。

 

 

 えっとですね、神様に訊いてもらえば分かると思うのですがわたしは絶対に無罪だと思うのですよ。

 

 

「戸塚さん。今日のところはご挨拶という事で、また今度」

 

「はい優璃様、お疲れ様で御座いましゅ!」

 

 

 少し変わった雰囲気の人ですがどうやら良い娘なのは間違いなさそうですね。

 再び仰々しく最敬礼をした戸塚さんを置いたまま、わたしは両脇を抱えるように固定されズルズルと足を引き攣られながら有咲の蔵(説教部屋)へと連行されるのでした。

 

 さてさて戸塚さんにまた今度とは言いましたが、はたしてわたしは無事に明日を迎える事が出来るのか甚だ疑問で御座いますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 翌日のアルバイトからの帰り道、一応女の子ではあるのでなるべく明るい道を通って帰宅するようにしているのですが、今日は付かず離れずの距離でわたしの後を尾行している影があります。

 当人は気付いているのか知りませんが、対象に認識されてしまっては尾行の意味を為していないですし、犯人が誰かなどの予想もおおよそは既についているのですがね。

 

 

「いったい何をしているのですかね、戸塚さん?」

 

「はにゃう! いえ私は戸塚ではありません、只の変態不審者の黒服でしゅので」

 

「いやそっちの方が駄目でしょ、怪し過ぎて通報されてしまいますよ」

 

 

 曲がり角で待ち伏せていたわたしの姿に跳ねる程の驚きを見せた戸塚さんですが、また花女の夏服にサングラス姿と変態ではありませんが不審者と言われても否定は出来ない出で立ちですよそれは。

 

 

「あのですね、わたしは只の一般市民なのでお付きの人などは必要が無いのです。戸塚さんもこんな怪しいアルバイトなどは辞めて普通のをお勧めしますよ」

 

「時給が良いもん……」

 

 

 弦巻家からの依頼ならば時給も桁外れというのは納得ですが、唇を尖らせながら顔を背ける彼女の姿を見ているとそれだけが理由ではないような気もしますね。

 しかしこのまま流されていてはこころのバンド活動に巻き込まれてしまう恐れがありますね。それは別に悪い事ではないのですが、わたしはポピパのキャッキャウフフを眺める事が至上命題ですので他のバンドにかまけている余裕は無いのですよ。

 

 

「戸塚さん、わたしからのお願いを聞いて頂けますかね?」

 

「はい優璃様、なんなりとお申し付けください」

 

「花さんに直接会えるようにアポを取ってください」

 

「優璃様、さしゅがにそれは……」

 

「なんなりとぉ、なんなりとぉ……」

 

 

 渋るように眉を寄せた彼女の耳へ顔を寄せて囁くように呟き続けてみると、やがて身体を震わせながら耐えるのも限界が訪れたようで自らの鞄から秘密道具のようにスマホを取り出して誰かに高速でメールを打ち始めました。

 

 

「どうにか出来ないかお姉……先輩に訊いてみましゅ」

 

 

 メールの返信を待つ彼女の前に立ち、怪しい雰囲気を演出していた丸型サングラスをゆっくりと外してあげます。

 邪魔物が消え去り正体を現した瞳は、柔らかくて優しそうな印象を与えてくれる丸みを帯びていて、少し弱気にも見えてしまう程に目尻は下がり気味の曲線を描いていました。

 

 

「サングラスはもう禁止です。綺麗な瞳が隠れて可愛いお顔が台無しになってしまいますからね」

 

「そんな筈ない、地味で噛み噛みの舌ったらずだもん」

 

 

 顔を伏せ携帯を両手で胸に押し付けるように握りしめた彼女はどう見てもやはり普通の女の子です。態々こんな得体の知れないバイトをするよりも、エプロンをして花屋さんに居た方が余程に似合う可憐な少女だと思うのですよ。

 

 視線を合わせる為に両頬に手を添えて少しだけ持ち上げます。

 

 

「はゃう⁉︎ な、何でしゅか、何をしゅるのでしゅか」

 

「わたしが可愛いと思うから見ていたいのです。これはお願いです」

 

「意地悪でしゅ、優璃様がお望みなら私は断れないからって」

 

「優しい瞳で綺麗ですよ」

 

「綺麗とか、言われた事が無いでしゅよ……」

 

 

 納得してくれたのか今はわたしからの視線を外さずに見つめ返してくれています。これでもうサングラス姿からは卒業ですよね、安心しましたよあの怪しい姿はいつ通報されても不思議ではなかったですからね。

 彼女にも安心して欲しくて笑顔を向けてあげると、何の反応も示してくれずに此方を見つめたままになっています。あれれ大丈夫ですかね、まさか電池でも切れてしまったのですかね。

 

 微妙な空気が流れるなか急に大音量で鳴り響いたメールの着信音にまるで驚いた猫のようにびくりと飛び跳ねた彼女は、慌ててその内容を確認した後に親指を立てて可愛らしくウィンクをしてくれました。

 

 

「おね……先輩から連絡が来ました。何とか大丈夫みたいでしゅ」

 

 

 戸塚さんや、もうバレバレなので先輩はお姉さんと言ってしまっても良いのではないでしょうか。

 どうやらですが弦巻家の黒服をお姉さんが勤めていて、都合良く花咲川女子学園に在学していた妹さんを花さんが利用したという雰囲気に感じられますね。

 

 

「それでは優璃様、明日の朝六時に御自宅までお迎えにあがりましゅね」

 

「はい? 明日は学校ですよ?」

 

「学校はお休みして頂きましゅ。無論ご心配なく、学校の方へは弦巻家から連絡を入れるそうでしゅよ」

 

「はいぃ⁉︎ 別に週末とかでも良いのではないですかね?」

 

「主従揃っての旅行は初めてでしゅね。何だかウキウキとしてきました」

 

「旅行ね……えっと、はいぃぃ⁉︎」

 

 

 呆気に取られて口を大きく開けていたら、彼女はわたしから数歩下がり右手で敬礼をしながら微笑んでくれました。

 

 

「綺麗って言ってくれて嬉しかった。何だかこのお仕事を頑張れそうって思っちゃいました」

 

 

 舌を軽く出した後に勢いよくお辞儀をして彼女は駆け足で帰って行きました。

 

 湿気を含んだ生温い夜風が制服と髪を揶揄うように揺らす。

 攻め込むつもりが結局は流されるままに物事が進んでいくという事態に、少しばかりの呆れと自責の念を抱きながらこう叫ぶしかなかったのでした。

 

 

「はいぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉︎」

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 嫌な予感か悪寒か達観なのか色々と意味のわからない単語が頭の中を飛び交って混乱してしまいそうですが、とりあえず自宅に帰り瑠璃姉さんにひと通り説明をすると姉さんも今ひとつ理解が出来なかったのか力無く頬杖を付き、弦巻家かぁというひと言を発してから渋々と休む事を了解してくれました。

 

 食事とお風呂を済ませて自室に戻る為の階段に片足を乗せたところで、気が緩んだのか思わず口から不満の吐息が漏れ出してしまった。

 漸くメンバーが揃ったpoppin'party。これからは間近で五人のキャッキャウフフの光景が味わい放題と浮かれていたのですが、中々に上手く事が運んではくれないようですね……マジ神様許すまじ。

 

 ゆっくりと部屋の扉を開き、精神的に疲れた身体を約束された安息の場所であるマイベッドへ投げ出そうとしたら何故かそこには既に先客がお休みになられておられました。

 

 

「百歩譲って部屋に居るのは良いでしょう、ですが既に布団に入っていつでも寝られる体勢とは如何なものかと思いますよ」

 

「香澄ちゃんは蔵練で疲れているのです。だからゆりのベッドで眠るのです」

 

「前半部分から後半の結論までの間が色々と端折られていませんかね」

 

 

 棚に立ち寄り化粧水とコットンを取ってから、顎の部分まで覆われていた掛け布団を剥ぎ取り横になったままの身体に馬乗りになります。

 

 

「ほら、化粧水を付けるから大人しくしてくださいな」

 

 

 コットンに化粧水を染み込ませ、撫でるようにして香澄のシミひとつ無い綺麗な顔に潤いを馴染ませていきます。

 瞳を閉じてリラックスをしたような表情が堪らないくらい可愛くて、コットンを滑らせるわたしの手も心なしか上機嫌に踊っているような動きをしてしまいますね。

 

 

「それで戸塚さんはその後どうなったの?」

 

 

 優しくパッティングをしてあげながら戸塚さんの雇い主に会いに行く羽目になった事、その時に戸塚さんへもっと普通の仕事を紹介して欲しいとお願いをしようと考えている事などを説明しました。

 

 

「わたしも一緒に行きます!」

 

「えっ何て……キャッ⁉︎」

 

 

 大人しく聞いていたかと思っていた香澄が急に瞳を見開き暴れるようにして身体を入れ替えられてしまいました。

 そのままフンスと鼻を鳴らしながら自分の両方の掌に化粧水をたっぷりと乗せ、押し広げるようにしてわたしの顔中に潤いと言う名のベトベトを行き渡らせていきます。

 

 

「戸塚さんと二人きりは駄目だよ、駄目です、駄目ったら駄目です、わたしも行きます」

 

「ええっ何で……グエッ⁉︎」

 

 

 手の圧力を必死に我慢していたら、今度は全身を使ってボディプレスのようにのし掛かりそのままわたしの心許ない胸に顔を埋めてしまいました。

 

 

「ゆりはわたしから離れていかないよね? ずっと隣に居てくれるよね?」

 

 

 わたしのジャージをギュッと力強く握りしめながら押し付けられていた頭を、包み込むように優しく抱きしめてあげました。

 まったく何を言っているのですかね。わたしの隣には香澄が、香澄の隣にはわたしが居る事は当たり前に続いていく話なのですよ。

 

 

「これからもずっと一緒だよ、香澄こそわたしから離れていかないでくださいね」

 

「ずっと、ずーっと、今度こそずっと一緒に居ようね、約束したよ」

 

「うん約束、ずーっと香澄とは一緒に居ますからね」

 

 

 表情は解りませんが何度も頷く香澄の頭を優しく撫で続けた。星型に髪を結っていないせいか本当に頭が小さくて、柔らかく指の間を通り抜けていく髪の香りも愛しくて愛しくて息が詰まりそうになります。

 

 

「好き……ゆりの匂い」

 

「わたしも香澄の香りが大好きですね、何か落ち着くと言うか東京生まれだけど故郷の匂いと言うか」

 

「変態さんだ……」

 

「流石に色々と扱いが酷くない?」

 

 

 声を押し殺しながら香澄が笑う。

 いつまでも一緒というお互いの気持ちを確かめ合うように、二人だけのベッドの上で暫くわたし達はお互いの身体を離す事が出来ずにいたのでした。

 

 あれっ気付きたくはなかったのですが、これって香澄の顔に付けた化粧水がわたしのジャージにベトベトに塗りたくられていますよね。

 まぁ乳液ではないのでとりあえず良しとしましょうか、今は香澄を離したくは無い気持ちで心が一杯ですのでね。

 

 

 

 ところで香澄さんや、まさかとは思いますが本当に着いてくる気では無いですよね?

 

 

 

 



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47.青色の世界

 

 

 窓際から眺める景色は流れゆく青と白のコントラスト、建物ひとつ見えないその風景はまるで自由の翼を手に入れた渡り鳥の眺めそのものでした。

 

 それはそれはとても良い心地なのですが戸塚さんや、ちなみに何故わたし達は理由も知らされず生涯に渡って縁が無いと思っていたプライベートジェット機という物に乗せられているのですかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 いつまでも慣れるとは思えない早朝の時間帯。半覚醒の頭脳と半開きの眼を擦りながらいってきますと瑠璃姉さんに力無く告げ、何故か普段よりも重く感じてしまう自宅玄関の扉を身体で押すようにして開けてみれば、既に玄関先には昨日までのサングラスでは無く縁の無いリムレスタイプの眼鏡を掛けている制服姿の戸塚さんと、その横には夏風に揺れるセミロングの髪に朝日を浴びてきらりと反射したサングラス、そしてパリッとして皺ひとつ無い黒色のパンツスーツを纏っている弦巻家の黒服お姉さんが待ち構えておられました。

 

 

「おはようございます、優璃様」

 

「おはようございましゅ」

 

 

 あまり表情に変化の見えない黒服さんの雰囲気とは違って、わたわたと慌てるようにお辞儀をした戸塚さんのお茶目な可愛さに釣られてしまい、わたしも挨拶がてら丁寧にお辞儀を返してしまいました。

 

 家の前に圧倒的な存在感で居座っていた漆黒で光り輝く高級セダン車の後部座席へと促されるままに乗り込んでみると、やはりというかお澄まし顔の香澄がもう既にシートにちょこんと座っていました。

 

 

「ひとつだけ訊くけど親御さんの了解は取ったのですかね?」

 

「うん、お母さんはゆりちゃんを助けてあげなさいって言ってたよ」

 

 

 おやおや香澄さんやいったいご家族にどの様な説明をされたのですかね、別にわたしは窮地に陥っている訳ではありませんよ。

 

 

「それではありさの家までお願いします」

 

「畏まりました、戸山様」

 

「ちょい待ち香澄、まさか有咲も巻き添えにするつもりなの?」

 

「ポピパのみんなには声を掛けておいたから安心して、大丈夫だからね」

 

 

 皮張りの感触と適度な弾力のシートに身体を預けながら、滑るように静かに走り出した高級車から眺める車窓の景色というのも中々に風情がありますね……じゃねぇですよ!

 

 

「ちょいちょい香澄さんや、流石にポピパ全員ともなれば学校で問題になってしまうと思うのですが?」

 

「大丈夫でしゅ、いざとなれば弦巻家の御力で……」

 

 

 横に座る戸塚さんが優しく微笑んでくれていますがそういう問題では無いのです。

 基本的にわたしは舞台袖からこっそりとポピパのみんなを眺めていたい派なのでして、あまり目立つような行為はなるべくなら避けたいのです。それに弦巻家に縁もゆかりもないわたしが身の丈に合わない優遇を受けるのはそもそもおかしな話だと思うのですよ。

 やはりこれは花さんとしっかり交渉をしなければとあらためて決意をした辺りで、車がこれまた高級車らしく僅かな停車音を鳴らす事も無く滑らかに市ヶ谷邸へと到着したようです。

 

 分厚いドアを開け車から颯爽と降りて確認をすると、面倒臭そうに背中を丸めながら呆れ顔をしている有咲を除いた、りみりん、おたえ、沙綾はいつものように優しく爽やかな笑顔で出迎えてくれました。

 

 

「なんだこの高級車。やっぱり弦巻家ってとんでもねえな」

 

「確かにとんでもないとは思う。ところで本当にみんなも行くの?」

 

 

 呆れ顔のまま低音で呟く有咲の横で、残りのメンバー達は打ち合わせたかのように顔の前でそれぞれ右手を振り始めた。

 

 

「あはは無理無理、私はお店の手伝いもあるし」

 

「行きたいけれどいきなりじゃお姉ちゃんに怒られちゃうよ」

 

「お母さんが休みの日にしなさいって言ってた」

 

 

 沙綾達の反応を見て安堵したのですが少し寂しいような気持ちもしたりと複雑な思いを心許ない胸に抱きながら後ろを振り向くと、有咲が叫び声を上げながら抵抗する横で香澄にぐいぐいと車の中へと押し込まれようとしていました。

 

 

「ちょっ香澄! 私が行く訳がねえだろ」

 

「大丈夫、おばあちゃんには許可を貰っているから」

 

「その前に私の許可を取れよなぁ!」

 

 

 頬が緩みそうになるような微笑ましい光景に意識を取られていたら、後ろから沙綾に優しく抱き寄せられ頭の上に顔を乗せられてしまいました。

 

 

「お土産話、楽しみにしているね」

 

「大した話にはなりそうも無いけれど、いっぱい話すよ」

 

 

 ほんの少しだけ抱きしめている腕の強さが増してきて背中に感じる柔らかな圧力が増した。そんな沙綾の身体からは優しく鼻を擽ぐる香水と花女の制服から淡く漂うパンの香り、わたしの好きな香りに包まれて思わず力を抜いて身体を預けてしまいます。

 

 

「ゆりも甘えたくなったの? 実は私もそろそろ充電切れなんだよね」

 

「沙綾は甘えん坊だもんね」

 

「ゆりにだけ、なんですけど」

 

 

 沙綾の優しい雰囲気に充てられて力が抜けるように心がほぐれていくのが楽しい。

 わたしに甘えた姿を見せてくれるのも嬉しいし、最近は本当に仲が良くなってきたのを実感する事が増えてきたような気もする。大切な友人で、仲間で、もう離れるなんて考えられない親友と思っても許してくれるのかな、沙綾。

 

 どうやら出発の時間らしく香澄がわたしを呼んでいるようなので、名残りを惜しむように沙綾の身体から離れて居残り組の三人に笑顔で手を振りながら車に乗り込んでみると、香澄にロックされるように抱きつかれた有咲が茫然自失としているようなのでとりあえず静かに扉を閉める事にしました。

 

 

「お姉ちゃん、車を出しましょう」

 

 

 戸塚さんの言葉に軽く頷いた運転を担当している無口な黒服さんが車を動かし始めると、流石の有咲も抵抗を諦めたのか呆れかえった表情をわたし達に向けてきました。

 

 

「なぁ、これってマジで人さらいだろ」

 

「うんうん、香澄に付き合ってあげるだなんて有咲は優しい女の子だねぇ」

 

「ありさはね、とっても優しいんだよ」

 

「そんなので誤魔化されるほど安くはねえからな。帰る、帰って寝る」

 

「ありさが居てくれた方が心強いのにな」

 

 

 抱きついていた腕を離して落ち込んだように顔を伏せた香澄を見て、有咲は溜め息を吐きながらも優しく香澄の頭に手を添えた。

 

 

「揃いも揃って私が居ないと何も出来ねえのかよ。あぁもう仕方がねえな保護者でも何でもやってやるわ」

 

「ありさー、もう大好き!」

 

 

 再び香澄に抱きつかれた有咲が頬を指で掻きながら満更でもない表情をしていますね。

 何だか人数も増えてきて慌ただしくなる予感もしますが、仲が良さそうな二人を眺めながらあらためて確信した事実を心の中で呟いておきましょう。

 

 

 有咲って香澄にはとんでもなく甘いですよね。まぁとてもご馳走様な姿ですのでわたしとしては有難う御座いますですがね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 二つの青色が織りなす世界を区切るように広がる見渡す限りの水平線。

 其々の世界でお互いが遊ぶように色々な形を創っては消えゆく白波と白雲。

 車の音ひとつとして無い、自然の風だけが運ぶ潮騒と磯の香り。

 小高い丘から眺めるその景色は、宝石を散りばめたようにキラキラと輝く別世界の美しさでした。

 

 

「なんだこれ……」

 

 

 えぇ有咲さんや、その感想にはわたしも共感を禁じ得ないですよ。

 

 

 思い起こせば市ヶ谷邸から動き出した車の行き先は直線の道路だけがある不思議な場所で、そこにはポツンと一機だけの飛行機が場違いな雰囲気を放ちながら鎮座しておられました。

 いやまさかねなどと話していたら飛行機の扉が開き、戸塚さん達に促されるまま機内へと誘導されてシートに座り、いや嘘だよねなどと話をしている間に黒服さんに手際良くシートベルトを締められ、戸塚さんに冗談でしょと言った辺りで飛行機が動き始めました。

 

 

「何を考えているのですか、あのお金持ちさんはぁぁぁぁ」

 

 

 大空へとふわりと舞い上がるプライベートジェット機の中で、つくづく違う世界の住人の思考なんて庶民には理解が出来る筈はないよねと、身体に掛かる慣れない圧力を噛み締めながら深く思い知るのでした。

 

 そのままニ、三時間のフライトの後に着陸した見知らぬ空港から、今度は白色のやたらと全長のある高級車に乗せられ鬱蒼とした木々が生い茂る森を抜けた先に出迎えてくれたのは、今までに見た事も無い程に透き通るような淡い青色の海と空でした。

 あまりの素晴らしい景観にみんなで感嘆の声を上げていたら、やがて車は海辺の風景に不釣り合いな三階建て純和風旅館のような建物の正面玄関へと滑るように横付けされたという訳です。

 

 

「素敵な旅路ねぇ」

 

「花さん何を仰っているのですか、こんなに遠いならそれこそ東京に戻ってからの方が良かったのではないですかね」

 

 

 一面の青色に染まったパノラマを独り占めできるような大きさのガラス窓が圧倒的な存在感を放っている広々としたリビングで、清楚な白色のワンピースと室内なのに異常とも思えるつば広の麦わら帽子を被った花さんは木製アンティークの椅子に身体を預けながら優しい微笑みを見せています。

 

 

「孫娘に逢いたいと言われたなら、それはもうおばあちゃんなら全力で頑張るものではなくて?」

 

「いやいやいつから孫娘に?」

 

「あら、もう私はそういう気分でいたのだけれど」

 

 

 喰えない人ですね。どうにも親愛の情というよりかは面白い玩具が手に入ったという感じがしないでもないですが、とくに悪い気もしないのは花さんが見せる屈託のない笑顔のせいでしょうかね。

 

 

「それで今日は突然にどうしたのかしら?」

 

 

 口元に手を添えながら悪戯っぽく瞳を細めた花さんに少しだけ心が騒めきます。

 おそらく来訪した理由などとっくに理解しているでしょうに、わたしの反応を見て愉しむなんて中々に悪趣味な人ですよまったく。

 

 わたし達ポピパ組から少し離れた位置に黒服のお姉さんと一緒に立っていた戸塚さんの手を引き再び花さんの前に躍り出ました。

 

 

「わたしは弦巻の人間ではありません。なのでお目付役の女の子は必要ではないのですよ」

 

「ではその娘は要らないという事かしら」

 

 

 横に立つ戸塚さんは瞳を閉じて俯き、何故か手を震わせながら不自然な程の力でわたしの手を握りしめてきました。

 

 

「優璃様……私は」

 

「黒服としての戸塚さんは必要ないと言う意味です。戸塚さ……結衣とは友達になるつもりですので」

 

 

 跳ねるように顔を上げた戸塚さんは、眼鏡の奥の瞳を見開きながら信じられないという表情を向けてきました……ってそんなに驚くような話だとは思えないのですがね。

 

 

「それでは今の状態とさして変わりがないのではなくて?」

 

「お金で繋がった縁で友情は育めませんよ。わたしは結衣と対等な立場で居たいのです」

 

 

 横を見れば見開いていた瞳からはすっかりと力が抜けて柔らかな微笑みを浮かべている戸塚さんの顔。今まで特に気にはしていませんでしたが、よくよく落ち着いて見れば戸塚さんて結構な美少女ではないですかね。

 

 

「結衣、わたしと友達になってくれる?」

 

「私が優璃様と友達に……」

 

「優璃様は止めてくださいな、もうこれからは友達になるのですからね」

 

「でも困ったわぁ、こころがバンドという物を始めると言うからおばあちゃんとしては力添えをしてあげたかったのに」

 

 

 あからさまに困った表情を浮かべるこの人は何と言うか、音羽さんではないですが本当に喰えない婆様と言いたくもなりますよ。

 

 

「こころには変わらず力添えをお願いします。勿論わたしも出来得る限りの範囲で彼女を支えますので」

 

「隣のお嬢さんはそれで良いのかしら?」

 

 

 結衣は嬉しそうな表情のまま、花さんを見据えながら力強く頷いてみせた。

 

 

「はい、私もお姉様と友達で居たいでしゅ」

 

「はい? ちょいと結衣さん今なんて」

 

「優璃様と呼ばれるのがお嫌のようなので、これからはお姉様とお呼びしましゅね」

 

「いやわたし達はそもそも同い年では?」

 

「こんな雲の上の存在の方にも物怖じしないなんて凛々しくて格好良いでしゅ。同い年でも憧れちゃったもん」

 

 

 何故か急に震える程の悪寒が背中に走り香澄達の方へ無意識に視線を向けてみたら、二人ともスマホを両手に持った同じ姿勢で何やら作業を始めていました。

 

 

「ちょいとキミタチ、いったい何をやろうとしているのですかね?」

 

「うん、何となくあっちゃんにメールを打とうかなって」

 

「奇遇だな、何となく私もポピパのグループチャットに書き込みでもしようかなって」

 

「いやマジでヤメて。 何となくだけど嫌な予感しかしないわ」

 

 

 止めさせようと香澄達に向かって右手を必死に振っていたら、突然部屋に大きく響き渡った花さんが両手を叩いた音に全員の視線が集まった。

 

 

「それじゃあ話も纏まったようだし、今日は全員でディナーといきましょうね」

 

「花さん、花さん、わたし達は明日こそ学校なのでそろそろ帰らないと」

 

 

 香澄達に向けていた右手を今度は花さんに向けてあらためて左右に振ります。

 流石に学校を連続で休むなど瑠璃姉さんに叱られそうですし、何より花咲川で待つポピパのメンバー達にも余計な心配を掛けてしまいますからね、無理なものは無理という事です。

 

 

「寂しい事は言わないで欲しいわぁ。優璃さんが喜ぶと思って今日は特別なウナギを用意したのに」

 

 

 花さんが放った聞き捨てならない言葉に反応して、光の速さで全身が硬直をしてしまいました。

 

 

「あれ、優璃が固まったけど」

 

「ゆりはね、ウナギの蒲焼きが何よりも大好物なんだよ」

 

「凄えな、弦巻ってそこまで調べあげてるのか」

 

「ふむふむ、お姉様の好物はウナギ、これはメモリーでしゅ」

 

 

 外野が騒がしいですがあまりわたしを舐めないで頂きたいものですね。

 いくらウニャギの蒲焼きが大好物とはいえ、瑠璃姉さんのお風呂に入りながらの長時間説教の辛さにはとても敵いませんよ。姉さんに身体の隅々まで洗われる恥辱はいつまで経っても慣れるものではありませんからね。

 

 

「弦巻家専用の養鰻場で飼育されたウナギは市場には出回らない特級品よ。この時期に旬が来るように完璧に調整された身を今日は関西風に焼きだけで仕上げるから、身と皮はパリッとしながらも中から溢れる旨味の詰まった脂は他では絶対に味わえないわ」

 

「な、なんやて……」

 

 

 唇を噛みしめながらウニャギの誘惑を振り切ろうと決意をした瞬間に、花さんは勝ち誇った笑顔で二の矢を放ってきやがりました。

 

 

「上にかけるタレはうちの板前の特別製、ひと噛みすればタレと身の脂のハーモニーに私でも頬が落ちそうになる程の美味しさよ」

 

「アッ、ハイ。ウニャギヲイタダキタイデス」

 

 

 ここまで言われて断るのも失礼ですからね、仕方がないので夕食を馳走になるとしますか。いやぁ失礼ですから仕方がないです、仕方がないのですよ。

 

 

「おい香澄、優璃のやつあっさりと陥落しやがったぞ」

 

「まぁ良いんじゃない。これはみんなでお泊まりになりそうだね」

 

「人の好意を無下にしない度量。素敵でしゅ優璃お姉様」

 

 

 久しぶりになるウニャギの蒲焼きから漂うであろうタレの香りを想像するだけでも口から涎が垂れてしまいそうです。

 お許しください瑠璃姉さん、ウニャギの誘惑に抗うにはどうやらわたしはまだまだお子ちゃまのようなのです。

 沙綾、りみりん、おたえ、これからわたしは苛烈な戦場へと赴きますが、きっと明日には無事な姿を見せますから心配をしないでくださいね。

 

 

 あっ、ところで花さん。上にかける蒲焼きのタレはつゆだくでお願いしますね。

 

 



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48.繋いだ指

 

 

 旅館かと思い込んでいた花さんの別荘の二階にある本日宿泊予定の広々とした和室の、これまたやたらと広々としたベランダの端から望む、濃く色を増しながら沈みゆく太陽に染められた凪の海を香澄と有咲と三人で横に並びながら眺めた。

 

 普段より大きく感じてしまうお日様はどこか哀愁を帯びた色気を見せていて、まるで見られるのが恥ずかしいと言わんばかりにお供の大海原とわたし達をその柔らかな光で照らしています。

 

 ふと横を見れば全身が茜色に染まった香澄と有咲の姿。ベランダに肘を預けながら海を眺める香澄は言うに及ばずですが、海の吐息のように優しく通り過ぎて行く潮風を気にしてか前髪を抑えるような仕草をしている有咲も普段の五割り増しくらいに可愛く見えてしまいますね。

 

 

「夕陽って綺麗だね」

 

 

 ポツリと呟いた香澄の言葉に誰も応える事はなく、わたし達の意識は流れていく言葉と共にキラキラと輝く海に吸い込まれ続けていった。

 

 

「またいつかポピパ全員でこんな景色を眺めたいですな」

 

「あぁ確かに、そんなのも良いかもしれねえな」

 

「沢山の景色を見ようよ、色々な風景も世界もポピパみんなで」

 

「沢山って何だよ。ポピパで全国ツアーでもするつもりか?」

 

 

 暫く無言の時間が流れた後にわたしが発した独り言に有咲と香澄も応えてはくれましたが、香澄の大袈裟な考えに有咲が堪えきれずに吹き出してしまいました。

 

 

「全国じゃないよ、世界だよ。それでいつかは宇宙でもライブをします」

 

 

 ベランダの端から少し後ろに下がった香澄は、未来の自分達の姿を夢見るように力強く瞳を見開きながら両腕を広げた。

 わたしも有咲も夕陽に照らされて美しく浮かび上がる香澄の姿に、まるで流れゆく潮風が突然止まってしまったかのように時を忘れて只々見惚れてしまった。

 香澄が言っている事は荒唐無稽だ。結成したばかりのバンドで全国どころか世界ツアー、それどころか宇宙でのライブとは現実離れにも程があります。

 

 

 だけど、それでも……。

 

 

「夢物語だな」

 

「確かに夢物語ですな。でもね有咲、香澄が言うと何となくさ」

 

 

 有咲と顔を見合わせて苦笑いを交わした。

 途方もない夢物語を紡ぐ撃鉄を弾くのはいつだってわたし達のリーダー、わたしが側で支えたいと願っている大切な幼馴染みの女の子だ。

 

 

「poppin'partyの夢物語。いや、香澄風に言うならば夢を撃ち抜く物語ですな」

 

「それってあれだろ、最近おたえが気に入っている言葉だよな」

 

「ゆりの言う通りだよ、ありさ」

 

 

 香澄が手を拳銃の形に作り有咲の方へ、それを見た有咲はわたしに、わたしも香澄に向かってそれぞれ夢の欠片を詰めた拳銃を向けた後に、三人で青色とオレンジ色が混ざり合う大空に向かって腕を伸ばした。

 

 

BanG Dream(バン ドリーム)

 

 

 香澄が放った言葉の弾丸が描く軌跡は、いったいどれだけの未来まで続いていくのだろう。

 ポピパのみんなが刻む足跡に、わたしの歩みは何時まで並んでいられるのだろう。

 

 

 永遠とも思える大空の果てを眺めながら、ふとそんな思いを儚き胸に抱いてしまったのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「もう食べられにゃい」

 

「もの凄い勢いだったよ、ゆり」

 

「子猫みたいで可愛かったでしゅ、お姉様」

 

「いや子猫と言うよりかは幼稚園児みたいだったけどな」

 

 

 夕御飯を御馳走になっている間に部屋に敷かれていたふかふかのお布団に横たわりながら浜辺に打ち揚げられた魚のように荒い呼吸を繰り返しております。

 

 確かに花さんが豪語するだけあって特製のウニャギは美味しゅうございました。普段から口にするウニャギも納得の美味しさなのですが、これはまさに旨さの次元を超えて身体中が快感に打ち震える魔性の食べ物となっておりましたよ。

 というかお米も旨いですね。香澄が普段からお米が大好物と言っていたのを何ですかそりゃと思いながら聞いていたのですが、どうやらこれは認識を改めなければならないようですね。農家の皆さんお米最高でございますよ。

 

 

「うわ凄いよこれ、みんな見てみて」

 

 

 部屋の片隅に置かれていた名札が付いた袋の中身を確認していた香澄が、真っ白なノースリーブのワンピースを勢いよく広げながら驚きの声をあげた。

 

 

「うわマジか、やっぱりとんでもねえな」

 

「私のもありましゅ。でも良いのでしょうかコレ」

 

 

 有咲と結衣の反応を見て興味が湧いてきたので、わたしもトカゲのようにゆっくりとほふく前進で袋まで移動をしてから中身を確認してみると、みんなと同じ白色のワンピースにシルクのネグリジェと下着が入っていました。

 なるほど有咲が驚くのも無理はありません。何せ採寸されたのが食事前でまだ一時間程度しか経っていないのにこの仕上がりですものね。

 

 ぼんやりとみんなの袋を眺めていたら、とある事が気になり獲物を見付けた大トカゲのような素早い動きで各人の袋の中身を確認して周ります。

 

 

「何してんだよ優璃!」

 

「お姉様、ブラを取り出しゅのは止めてください」

 

「気にしない気にしない、単なる知的好奇心ですよ」

 

 

 香澄の大きさはもう十分過ぎる程に知っていますからね。この際ですから有咲と結衣のカップも確認しとかないとですからねって……。

 

 

「香澄、優璃がトカゲから幼虫みたいに丸まったぞ」

 

「なんとなく原因は想像ついちゃうな」

 

「この世に救いは、救いは無いのですか」

 

 

 予想通りの御立派さを誇る有咲のブラサイズに心の中で悪態を吐きつつ結衣のブラジャーも確認してみると、おやおやこれは香澄よりもカップが大きいのではありませんかな?

 

 

 神様許すまじ!

 

 

 何ですか眼鏡っ娘は隠れ巨乳とか神の摂理で定められているとでもいうのですかね。

 お約束ですかテンプレートですか? そんな理不尽な摂理は天ぷら粉を塗して燃え盛る火口にでも投げ込んでしまえば宜しいのですよ。

 あぁ落ち着いてください脳内りみりんとおたえ、我等がおっぱい慎ましい族の結束はどんな大きさ相手でも揺るぎないものですからね。

 

 

「ところでお姉様、食事の時に何を花様にお願いしていたのでしゅか?」

 

「あぁ、ハンナにはこころのバンド活動に必要という事で特別な着ぐるみをお願いしたのですよ」

 

 

 もうわたしにはこころ達のバンドである『ハローハッピーワールド』の記憶はあまりありませんが、ひとつだけやたらと鮮明に覚えている事があるのです。

 其奴はまん丸の大きな瞳に感情の見えない小さな黒目、熊っぽい威圧感のある外見からまるで獲物を見定めたように薄笑いを浮かべている表情も恐ろしい。そう名前は確かミッショルだかコンチェルトだかとかいう恐怖の象徴たる着ぐるみが。

 

 あの冷徹な瞳に見つめられるのを想像するだけでも身体中から冷や汗が吹き出して脚が震えそうになりますが、記憶の中ではこころはこの恐怖の着ぐるみをいたく気に入っていたような気がするのです。

 

 

「しかし弦巻の大物をニックネーム呼びかよ、お前もはっきり言って大概だよな」

 

「交換条件みたいに言われたしね。それに花もハンナも呼び方に大した差はないですよ」

 

「まったく能天気なことで」

 

「わたしもハンナさんて呼ぼうかな」

 

「香澄、それは止めておけ」

 

 

 やはり香澄に対する有咲のツッコミはタイミングが的確ですよね。最初は只のツンデレ金髪ツインテール美少女かと思っていたのに、最近はポピパの頭脳ともいえる頼もしささえ感じてしまいますよ。

 

 

「あのお姉様、私なんかがこのお部屋に泊まっても良いのでしょうか」

 

「せっかく友達になったのですからね、どうせならみんなでお泊まりしたいじゃないですか」

 

 

 向かいの位置に正座をしていた結衣が恥ずかしそうに顔を伏せながら尋ねてきた。

 最初は黒服さん達と同じ部屋に宿泊する予定だったのをハンナに頼んでわたし達と同部屋にしてもらったのですが、どうやらまだ結衣は使用人の気分が抜けきってはいないようですね。

 

 

「それと結衣、私なんかという言葉はもう使わないでくださいな。結衣が良い娘だから友達になりたいと思ったのですからね」

 

「そんなこと……」

 

「結衣は魅力がありますよ。だからもっと知りたいです、結衣の色々な魅力をもっと見たいです」

 

 

 わたしの言葉に黙って頷いた結衣は畳に三つ指をつき頭を深々と下げました。

 

 

「お姉様、不束者でしゅが宜しくお願いしましゅ」

 

「いや何の挨拶ですか。そしてそこの両名、思い出したかのようにスマホを手にしない」

 

「流石にそろそろメールくらいしないとみんなが心配しちゃうよ」

 

 

 確かに言われてみればそうですね。報告、連絡、相談は大切と姉さんも言っていました。

 

 香澄がポピパのみんなにメールを打ち始めたタイミングを見計らったのか有咲が先にお風呂に入ると場を立ったので、わたしも姉さんへ連絡を入れておこうかと自分のスマホを取り出してみたら、どうやらもう既に着信が入っていたようです。

 多分ですが瑠璃姉さんでしょうね。有難い話ですが本当に真面目というか心配性というかですよ。

 

 

(山吹沙綾)

『連絡が無いなー、寂しいなー、これはたっぷり充電してくれないと嫁は拗ねちゃいそうだなー』

 

 

 着信は姉さんではなく沙綾からの思わず微笑んでしまいそうになるような可愛らしい文面でした。

 ところで冷房が効き過ぎているのか何だか段々と肌寒くなってきた気がします。でもその割には不思議な事に額からは止めどもなく汗が流れてきますし、これはまさか優璃ちゃんは風邪でもひいてしまったのではないですかね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 みんなが寝静まった静かな部屋で、何故だか夜中にふと目が覚めてしまった。

 

 部屋の中は優しい星灯りに照らされていて真っ暗な闇という訳ではありませんが、とりあえず物音をたてないように気を遣いながら立ち上がり、ひとりづつその可愛らしい寝顔を見て周る事にしました。

 

 隣に眠る結衣は少しだけ開いた口から安らかな寝息をたてています。眼鏡を外した素顔は童顔な印象で、お姉様と呼ばれる事にそこまでの違和感を覚えないのもこの可愛らしい顔立ちゆえなのでしょうか。

 

 まぁ胸が大きめなのは許すまじですがね。プンスコでございますわよ。

 

 逆側に眠るというかわたしの直ぐ側まで進出している香澄は相変わらず可愛いです。もう何度も見ている筈の寝顔は一向に飽きる気配もありませんし、その表情は見る度に優しい気持ちになれる不思議な漢方薬といったところでしょうかね。

 

 香澄の奥に眠る有咲の所まで泥棒のように足音をたてずに近付いて顔を覗き込みます。清流の小川のように綺麗な金髪に整った顔立ち、素直ではないけれど頭も良くて優しく面倒見の良い性格。本当にツンデレな口調の乱暴さが無ければ完璧な美少女だと思うのですが勿体ないですよね、でもそんな完璧じゃない有咲がわたし達にとっては最高に可愛いかったりするのですけど。

 

 みんなが起きないように気を付けながらベランダに出てみた。

 優しい波音と潮の香りに出迎えられながら端まで歩み寄ると、海と空は昼間とはまったく違う表情を見せてくれた。

 

 別荘の周囲にめぼしい建物も無いせいか夜の海は暗闇に包まれた真っ暗い絨毯、それとは対照的に夜空には煌めいている無数の小さな美しい粒。まるで綺麗な夜空の美しさを引き立てようと、海はわざとその魅力を隠して大人しくしているような気さえしてしまいます。

 

 星々から降り注ぐ光の雨を何となくぼんやりと眺めていたら、ベランダへと続く扉の開く音に思わず振り向いてしまった。

 

 

「ごめんね、起こしちゃったかな?」

 

「んー、ゆりが居ないって思った」

 

 

 眠そうに目蓋を擦りながら隣りに立った香澄は、見上げた頭上に広がる星空の美しさに瞳を見開いて感嘆の声をあげた。

 

 

「キレイ……」

 

 

 心の奥底から湧き出すように呟かれた香澄の言葉は柔らかい波音に流されるように消えていく。

 星空に意識を吸い込まれ続けている横顔は淡く照らしつける星灯りの色に染められ、まるでこの世の物ではない妖精のような透明感のある美しさと色香を放っていた。

 

 

「綺麗、だね」

 

「ゆりもそう思うよね、すっごくキラキラしているもん」

 

 

 こちらに顔を向けた香澄が嬉しそうに微笑む。

 

 

「星の鼓動が聴こえてくるみたい。ゆりにもこの音が聴こえる?」

 

「キラキラドキドキだったよね。今は聴こえているよ、わたしにも」

 

 

 この胸を熱くするドキドキが香澄の言う星の鼓動なのかは解らない。だけどこの星空の下で同じような感覚を味わえている事が今のわたしには嬉しくてたまらなかった。

 

 急に香澄の右手の小指がゆびきりげんまんのようにわたしの左手の小指を絡め取った。

 

 

「子供の頃にいつかまた見ようって言ったあの星空を大人になったらゆりと一緒に見に行くんだ。そしてその場でわたし達はまた新しい約束を交わすの、それが今のわたしの夢なんだよ」

 

「新しい約束って?」

 

「今はまだヒミツだよ」

 

 

 香澄は柔らかく微笑むばかりで何も答えを教えてはくれないようです。

 普段のわたし達は抱きついたり抱きつかれたりと肌を合わせる事にお互い抵抗が無いのですが、何故だか今は絡ませ合った小指を超えて近付く気にはなりませんでした。

 星空の美しさがそうさせるのでしょうか。小指が繋がっているだけで香澄とひとつになっているような心地よさに心の中まで包まれてしまうのです。

 多分ですが香澄も同じ気持ちなのか、わたし達は只々黙って星空を眺め続けた。

 

 

「ずっと一緒だよ」

 

 

 星空を見上げたままの香澄の問いかけに、今のわたしが返す言葉はひとつしかありませんよ。

 

 

「ポピパそっちのけで彼氏を作ったら許すまじですからね」

 

「もう、台無しだよ」

 

 

 笑い合ってからお互いの小指を更に強く結び合わせた。

 そうしてこの夜わたし達は、繋ぎ合わせた小指を通して深く深くお互いを確かめ合ったのでした。

 

 



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49.いよいよオーディションへ

 

 

 商店街の一角にて気配を消しながら陣取り遠くの対象を監視するサングラス姿の少女が二人。

 その姿は古き良きスパイ映画の如く街の景色の中に自然と溶け込んでいる筈です、筈なのですよ。

 

 

「ところで結衣さんや、あのピンク熊の着ぐるみがわたしのイメージ図よりかは随分とキュートな姿になっていますね」

 

「はい。お姉様のイメージ図だと恐怖映画の悪役にしか見えないという事で、弦巻家のデザイナーさんが可愛らしくアレンジを施したそうでしゅよ」

 

 

 記憶を元にしたデザイン画では大きな丸い円に小さな黒目だった恐怖の瞳が、出来上がりでは大きな黒目に小さな星の絵が入った可愛らしい瞳に変えられているようです。名前の方も正式にミッシェルと命名されたそうで、まぁこの姿なら女子供の評判もさぞかし宜しいだろうと納得の仕上がりとなっておりますよ。

 

 

「私達が仕掛けた商店街のチラシ配りのアルバイトとしてミッシェルの中に居るのは花女の同級生で奥沢 美咲(おくさわ みさき)さん。そしてミッシェルに抱きついているこころ様の隣でオタオタとしている水色のふわふわとした髪の人が花女の先輩で松原 花音(まつばら かのん)さん。その後に居るショートカットの娘が北沢(きたざわ) はぐみちゃん」

 

 

 眼鏡をクイッっと持ち上げながら手元のメモ帳と睨めっこをしている結衣が丁寧に説明をしてくれていますが、可愛らしくなったとはいえ此方に顔を向けたミッシェルの瞳には未だに薄ら寒い恐怖感を覚えてしまいますね。

 

 

「そして額に手を充てながら高貴な御姿を晒しているのが、羽女の王子様こと瀬田(せた) (かおる)様でしゅ。しゅてきでしゅ、格好良いでしゅ」

 

 

 おやおや結衣さん声が上擦り気味でございますわよ。

 しかし何ですかね。確かに瀬田さんは背も高くスラリとした体型も相まってまるで歌劇団の男役みたいな雰囲気ですが、うっとりと陶酔したような甘い視線を送っている結衣の姿を見ていますと、何故だか急に胸の奥に住み着いている空想妖精のモヤット君がウッキウキでモヤモヤダンスを踊り始めてしまいましたわ。

 よいですかな結衣さんや、確かに彼女は美形で格好良いですが間違いなく『胸が儚い族』、つまりわたしのお仲間という事をお忘れなくって、いったい何を競おうとしているのですかね少々虚しくなってまいりましたよ。

 

 

「どうやらあの娘達がこころのバンドメンバーとなりそうですな」

 

「お姉様はこころ様の所に行かなくても宜しいのでしゅか?」

 

「わたしはポピパのみんなを支えたいのでね、こころ達は遠巻きに見守っていこうと思っているのですよ」

 

 

 いよいよライブハウスCiRCLE(サークル)でのオーディションも日付けが決まり、ポピパのみんなも一所懸命に練習を繰り返しているところです。

 わたしといたしましてもですね、頑張っている大好きなメンバー達の表情や熱気を余す事なく鑑賞……いや間近で暖かく見守っていかなければならないのでこう見えても大忙しなのですよ。

 

 

「裏では花様がノリノリで動いているようでしゅよ」

 

「間に合うのですかね?」

 

 

 遠くから伺うミッシェルの動きは鈍く、先程からほぼ動きは見えません。

 それもそうです、只の女子高生が大きな頭の全身着ぐるみなんて被れば、その重量のせいで身動きがとれなくなってしまうのは自明の理ですからね。むしろチラシを今まで普通に配れていた奥沢さんの底知れぬポテンシャルに驚きですよ、写真を見た感じでは普通の女の子でしたがもしかしたら改造人間の類いですかね。

 

 

「お姉ちゃんによると、ミッシェル試作二号機は完成間近だそうでしゅ」

 

 

 ハンナが女性でも軽快に動ける着ぐるみを弦巻家の総力をもって作るわよなどと鼻息荒く宣言をしておられましたが、弦巻家の総力ってまさか着ぐるみの名を借りた現代科学の粋を集めたパワードスーツでも作りはしないかと若干の不安は募ってきますね。

 しかし何はともあれ順調にメンバーが集まりそうな雰囲気のこころ達ハローハッピーワールドの結成を祈りつつ、わたしと結衣は悪代官も真っ青な薄笑いを浮かべ静かに商店街の片隅から姿を消す事にしたのでした。

 

 

「どうしたのかしら? とっても楽しそうね」

 

 

 背後から声を掛けられた驚きで口からモヤット君が出てしまうかと思いましたよ、というか半分程こんにちわをしてしまったかもしれませんよまったく。

 

 

「こころ、どうして此処に?」

 

「優璃も来ているなんてすっごく偶然でなんてハッピーな日なのかしら。そうだわ、紹介しないといけないからみんなの所に行きましょ」

 

 

 いつの間にか背後を取られていた事に驚きを隠せませんが、深く考える隙も与えてくれない勢いで手を引かれ表舞台へと引き摺り出されてしまいました。

 

 結衣さんこれはマズイですよ非常事態ですよエマージェンシーですよ。なんとかこの場を切り抜けて撤収の段取りを……。

 

 

「って結衣の姿が消えているのですが?」

 

「優璃、音楽で世界を笑顔にするわよ!」

 

 

 金色の長い髪を嬉しそうに靡かせた少女に手を引かれ、わたしは笑顔の妖精達の集う不思議の国へと誘われて行くのでした。

 

 

 じゃねえですよ。お願いしますからこの巻き込まれ体質をどなたか改善していただけないものですかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 帰宅の途につく脚は力無く鉛のように重たいです。

 

 突然に現れたこころに急に姿を消した結衣といい何なのですかね、どうやらわたしの周りには改造人間とか超能力者とか忍者の末裔とかが集まっているとでもいうのでしょうかね。

 

 

「ただいまぁ。今日は疲れたよまったく」

 

「おかえり、優璃お姉ちゃん」

 

「ただいま、あっちゃん」

 

 

 漸く約束された安息の地である我が家に着き、ベッドに己が身を投げ出す姿を想像しながら玄関の扉を開けると愛しの妹君がメイド服姿でお出迎えをしてくれました。相変わらず優しい笑顔も可愛いですよ、思わず疲れた気分も吹き飛んでくれるような気がしますね……って、なんですと!

 

 

「ちょいとあっちゃん、色々とツッコミどころが満載なのですが?」

 

「優璃お姉ちゃんが見たいって言うから着てみたのに、やっぱり似合っていないのかな」

 

「いや最高に似合っていて可愛いけどけど」

 

「じゃあとりあえずリビングに行こうよ」

 

「何がとりあえずなのか説明プリーズですよ」

 

 

 素敵な笑顔を絶やさない妹君に連行されるようにリビングへ入ってみると、既にソファーには眉間に皺を寄せながら腕組みをしている香澄と瑠璃姉さんの両名が鎮座されておりました。

 

 

「ゆりが新しく妹を作った件!」

 

「何を新作ラノベのタイトルみたいな事を言っているの、香澄」

 

 

 当然のように向かいのソファーに正座をさせられ身に覚えもないような事を宣言されたのですから、ちょっとこれはわたしの名誉の為にも正式に抗議をさせて頂かなければなりませんね。

 

 

「ちょいと香澄。結衣の事を言っているのかもしれませんが」

 

「仕方がないよお姉ちゃん。優璃お姉ちゃんは私だけじゃ満足させられなかったって事だもん」

 

 

 節目がちに落ち込んだ顔のあっちゃんは不謹慎にも可愛いとさえ思えてしまいましたが、とりあえずですが聞いた人に誤解を与えてしまいそうないつもの言い回しは止めてもらえませんかね。

 

 

「ゆり君はうちの可愛い妹では不満だと言うのかね!」

 

「いや誰の真似なのそれ?」

 

 

 ホームドラマでも観たのか父親のように腕組みをしてふんぞり返る香澄の姿はどこか滑稽で、まるで学芸会の芝居を観ているような気分になり思わず吹き出してしまいましたよ。

 

 

「瑠璃さん、どうやらこの幼馴染みは反省する気も無いみたいです。何とか言っちゃってください」

 

「香澄ちゃん、そうね……」

 

 

 おっと香澄さんこれは策士策に溺れるとなりますよ。

 うちの姉さんは理知的なのでこの疑惑が言い掛かりである事を既に見抜いている筈ですからね。姉さんどうぞ香澄に説教のひとつでもかましてあげてくださいな。

 

 

「ちょっとこれは見過ごせない事態よね」

 

 

 おやおやおや、ちょっと姉さん。

 

 

「この問題は簡単な話ではないわ。これを放置していたらこの先に……」

 

 

 ちょっとちょっと、瑠璃お姉ちゃん。

 

 

「新たなお姉ちゃんが!」

「新たな幼馴染みが!」

「んな訳あるかい‼︎」

 

 

 おっと少しだけ品性に欠けるツッコミをしてしまいましたわ。

 まったく、香澄に乗せられて姉さんも何を取り乱しているのですかね。普段の落ち着いた女性らしさがすっかりと色褪せていますよ。

 

 

「良いですかな皆様、結衣は妹を騙っている訳ではなくあくまで妹分。本人もきっと照れ隠しにお姉様と呼んでいるに過ぎないのですよ」

 

「本当に優璃お姉ちゃんの妹は私だけ?」

 

「当たり前ですよ、あっちゃん」

 

 

 上目遣いで見つめてくるあっちゃんの手を取って隣に座らせてあげます。

 そのまま優しく抱き寄せてあげると、あっちゃんもしがみつくようにキュッと服を握りしめてくれました。

 

 

「妹として頑張るね。優璃お姉ちゃんにもっと可愛がってもらえるように、心も体もちゃんと綺麗にしておくからね」

 

「あっちゃん……流石に仰る真意がわかんねぇです」

 

 

 メイド服もお得意の上目遣いも相変わらず可愛いわたしの妹はあっちゃんただ一人です。その気持ちがしっかりと伝わったのか、預けてくれる身体からは緊張というりきみは失せて柔らかな感触だけが伝わってくるのでした。

 

 

「お姉ちゃんは、お姉ちゃんは?」

「幼馴染みは増えないよね、わたしだけだよね?」

 

 

 何だこの二人、呆れるくらいに息ピッタリじゃねえか。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ふーん、それでポピパから浮気したんだ」

 

「わたしの話を聞いていませんでしたかな、沙綾さんや」

 

 

 バイトへ向かう道すがら、一緒に下校をする沙綾に事の顛末を話してみたら笑いながら揶揄われてしまいました。

 いくら薄手の夏制服とはいえ湿度が高まるこの時期は、まるでスカートが脚に張り付くような気持ち悪い錯覚に囚われてしまいそうになりますが、沙綾の笑顔効果で足取りは軽いままです。

 

 

「冗談、冗談。ゆりがポピパ大好きっていうのはちゃんと知っているから」

 

「まったく、沙綾まで香澄達みたいな事を言うのかと思いましたよ。それよりも沙綾」

 

 

 ポニーテールを揺らしながら此方へ小首を傾げた沙綾に向かって静かに手を差し出した。

 今日のわたし達は珍しく手を繋いではおりません。いつもは沙綾から手を握ってくるので大人しく待っていたのですが、一向にその気配も無いようなのでわたしから切っ掛けを渡す事にしました。

 

 沙綾も意味が判ったのか優しく手を握ってくれたのですが、辿々しい手つきと普段よりも何だか顔が紅くなっているような気がしますね。

 

 

「どうかしたの沙綾?」

 

「この間のお泊まりしてくれた時の事を思い出しちゃってね、何だか少し恥ずかしくなっちゃって」

 

 ハンナの別荘から戻ってきた後に、土産話を聞きたいという沙綾の為に後日お泊まり込みで遊びに行ったのですが、その次の日からあまりベタベタとしてくれなくなって割と寂しく感じていたのです。

 

 

「私ってあんなテンションになっちゃうんだね、自分でも知らなかったなぁ。思い出しただけでも凄く恥ずかしいや」

 

「そうかな、震えるくらいに可愛かったよ」

 

「そんな風にさせられた張本人に言われるのは悔しいかな」

 

 

 お泊まりした夜の沙綾は甘えたいのに恥ずかしくて出来ないという焦ったい態度を繰り返しているようだったので、やれやれ仕方がないですとわたしの方から散々と弄り倒してあげましたよ。そうしたら次第に沙綾も遠慮が無くなってお互いに騒ぎ過ぎたのか、最後はおばさんにもう少し静かにねと注意をされてしまうくらいでしたね。

 

 

「でもその後はちゃんと優しいから、また甘えたくなっちゃうんだよね」

 

「沙綾だって優しくしてくれるじゃないですか」

 

「私としてはゆりにもっともっと甘えて欲しいかな、たまにしか見せてくれないから全然足りないよ」

 

「無理っす。わたしが甘えるのはマジで無理っす、恥ずかしさで腹掻っ捌くレベルの無理さっす」

 

「ダメだよ、私だってゆりの甘えた顔を見てキュンキュンしたいもん」

 

 

 軽く繋いでいた手を沙綾が指を絡めてしっかりと握り直してくれた。そのタイミングでわたしも沙綾の身体に寄り添うようにして腕同士を軽く触れ合わせる。

 これが最近のわたし達の落ち着く距離感になっているけれど、身長の低いわたしからは沙綾の顔を見る事が出来ないのが少しだけ不満だったりもするのです。

 

 

「もうすぐオーディションだね、みんなの頑張りはきっと実るよ」

 

「そうなったら良いね。でもね、練習だけでもバンドはやっぱり楽しいよ、ポピパに入って本当に良かったなって思う」

 

「でしょう。やっぱりポピパはこの五人が最高なのですよ」

 

「ゆりぃ……」

 

 

 沙綾が急に繋いでいた手を強く握ってきたせいで口から変な悲鳴が出そうになりました。ただでさえ沙綾は握力が強めなのですから加減をして頂かないと手が粉砕骨折をしてしまうかもですよ。

 

 

「ポピパは六人でポピパだから。ゆりが側に居ないと私は元気が出ないの」

 

「そうでしたね。うん、一緒に頑張ろうね、沙綾」

 

 

 沙綾は返事の代わりに頭を横に傾けてコツンと頭同士でキスをしてくれた。

 ふわりと漂ってくる髪からの香りと沙綾自身の温もり。普段からわたしの香りが落ち着くって言ってくれるけれど、もうお互いの香りはすっかり混じり合って二人の香りになっているみたいな気がするよ。

 

 虫の鳴き声も日増しに力強さを増していき、いよいよ夏も本番を迎えそうな雰囲気です。ポピパのボルテージも上がってきてオーディション本番もきっと良い結果になってくれるという予感や期待が胸の中で膨らんできますね。

 

 

「しかし沙綾がまさかあんなにくすぐりに弱いとは思いませんでしたな」

 

「もうお泊まりの時にくすぐるのは禁止だからね。変なテンションにさせられて恥ずかしいから」

 

「えー、凄く可愛くなるのにぃ」

 

「そんな事を言っても駄目。今度やったら一緒にお風呂に入った後に裸のままで寝てもらうからね」

 

「あっ、それはマジ勘弁っす」

 

 

 きっと何もかも上手くいく。

 だってみんな必死に頑張っているもの。

 さすがの神様だって素敵なメンバー達に合格っていう贈り物をしてくれる筈だよ。

 

 

 そうして迎えたオーナーによる運命のオーディション当日。

 

 わたしもCiRCLEフロアスタッフとして祈るような気持ちで見守るなか、照明に照らされたステージの上では演奏を終えた香澄達poppin'partyのメンバーは息を切らせながらもその瞬間が訪れるのを待ち構えていた。

 先程までの大音量が嘘のようにライブスペースの中は静寂の時が全てを包み込み、音も無く滴り落ちる汗を拭う事さえも憚られる緊張感だった。

 

 いやもう良いでしょオーナー、勿体ぶらずニッコリ笑顔で合格と言ってくれればそれで全てが丸く収まるのですよ。もうお願いですから何処ぞに居る神様とやらもボケっとしてないでこの超怖いオバサマに何とか合格と言わせてやってくださいな。

 

 その時、息が詰まるような静寂を切り裂くように鋭い低音の声が部屋の中に響き渡った。

 

 

「駄目だね、これじゃライブに出させる訳にはいかないよ」

 

 

 わたしはオーナーが何と言ったのか、その事実を真っ白な脳内が理解を拒否してしまったかのように揺らぐ視線をステージのメンバー達に向けた。

 俯くように顔を伏せた沙綾と有咲。目に涙を浮かべながらベースを強く抱き締めたりみりん、真っ直ぐな視線をオーナーへ向けたままのおたえ。

 

 

 そしてボーカルの香澄は……。

 

 

 茫然とした表情を浮かべながらもその視線の向かう先は、椅子に浅く腰掛けたままのオーナーではなく何故かその後方に立つわたしへ、まるで何かを確かめるように虚ろな光を向けていたのでした。

 

 

 



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50.赤色メッシュの素敵な友達

 

 

 CiRCLEのカウンターに突っ伏して深い溜め息を吐いた。

 

 

「不合格だ、出直して来な」

 

 

 二度目となるオーディションも得るものは無く撃沈し、落ち込みながら帰って行ったポピパのメンバー達の背中を見送った後、考えれば考える程に何の役にも立っていない我が身の不甲斐なさに涙がちょちょ切れてしまいそうになったのです。

 

 

「優璃ちゃん、まだ終わった訳じゃないでしょ」

 

「むー、まりなさんはどう思います? オーナーは何が不満なのでしょうかね」

 

「ゴメンね、オーナーからは余計な口出しをするなって言われてて」

 

 

 まりなさんが優しく頭を撫でてくれますが、湿気を多分に含んだ心は一向に晴れ渡ってはくれないようです。

 むー、むー、むー、と唸っていたら、まりなさんに軽く頭を叩かれた驚きで思わず顔を上げてしまいました。

 

 

「優璃ちゃんは演奏しないメンバーなんでしょ。心配なのは解るけれど、今度は観客として客観的な視点で観るのも良いかもよ」

 

「客観的、ですか……」

 

「月島、私が何と言ったか覚えていないのかい」

 

 

 わたし達の背後から掛けられた、漸く最近聴き慣れてきた低音の声の主に向けて驚いた猫のように背筋を伸ばしながらゆっくりと振り返ってみれば、威圧感満載の厳しい目付きをした詩船オーナーが仁王立ちをしておられました。

 

 

「オーナー、何が駄目なのか少しくらいヒントを頂きたいですよ」

 

「此処は音楽教室じゃないんだ。それくらい自分達で考えな」

 

「そうは言われましてもポピパだって結成して間もないバンドにしては演奏も上手ですし、香澄の歌声は相変わらず魅力的ですし、みんな可愛いですし」

 

 

 一息深く溜め息を吐いてから、オーナーがわたしの頭に優しく手を置いた。

 

 

「出来たばかりのバンドに演奏のレベルなんて求めちゃいない。私に見せて欲しいのはもっと違う事なのさ」

 

「むー、それはいったい?」

 

「ヒントはここまでだ。さぁお客の増える時間帯だよ、気持ちを切り替えて働きな」

 

 

 オーナーが去りひとしきり忙しい時間帯が過ぎ去っても、相変わらず胸の中に棲まう妖精モヤット君はノリノリのイケイケでフィーバーしまくっておりますよ。

 掃除の為に床を滑らすモップの動きも、まるで心の内を表すように滑らかには動いてくれず地面を重く這いずるままです。

 

 

「優璃どうかしたの、何かあった?」

 

「その声は蘭ですか。大丈夫ですよ、只今わたしは人生の難しさについて思いを巡らせているだけですのでね」

 

「ちっとも大丈夫そうじゃない」

 

 

 老婆のように背中を丸めて俯いていたら、蘭に両肩を掴まれ無理矢理に背筋を伸ばされてしまいました。

 覇気の無いわたしに心配そうな表情を向ける蘭を見ていると、ウニのようにとげとげとした罪悪感が胸の奥深い所へ更に募りそうになります。

 ポピパとは無関係な友達にまで余計な心配をさせてしまうとはつくづく駄目なわたしでございますよ。正義のヒーローのような人格は持ち合わせておりませんが、それでももう少しだけ強い人間になりたいというものです。

 

 

「おっ、もう痴話喧嘩か? まぁ最初は喧嘩して仲良くなっていくもんだしな。あたしらもそうだったから優璃も心配するなって」

 

「ちょっと(ともえ)、なにを」

 

「そうそう、モカちゃんも昔はよく蘭に泣かされたものだよ。懐かしいねぇ」

 

「でもね優璃ちゃん、蘭ちゃんが優しいのは私達が保証するから挫けちゃ駄目だよ」

 

「モカ、つぐ……」

 

 

 蘭の背後から続々と姿を現したアフターグロウのメンバー達がわたし達二人を取り囲むように集まってしまいました。

 

 

「それでぇ、二人はどこまで進んだの? もう大人になっちゃったのかな?」

 

 

 肩に手を乗せて鼻息荒くニヤけた顔を近付けてきたひまりちゃんは、いったい何を訊いているのでしょうかね。大人になっちゃったって言われてもわたし達はまだ現役女子高生の筈ですが。

 

 

「いい加減にしないと怒るよ。あたしと優璃は友達だから、まだそんな関係にはなっていないから」

 

 

 厳しい目付きに変わった蘭が腰に手を充てながらメンバー達を一喝しても、何故かみんなはそんな蘭を微笑ましく眺めたままになっています。

 とても不思議な光景ですが、幼馴染み五人組であるアフターグロウは見ているだけでも特別な絆で結び合っているというのが自然と伝わってくる独特の雰囲気がありますね。

 

 

「それよりも蘭ちゃん、優璃ちゃんが元気が無いみたいだからちゃんと話を聞いてあげないと」

 

「あぁそうか。優璃、今日は何時に終わるの?」

 

 

 つぐみちゃんに背中を押された蘭がまた心配そうな表情を向けてはくれましたが、これ以上アフターグロウのみんなに迷惑をかけるのも気が引けるというものです。

 

 

「有難う、でもわたしは大丈夫だから蘭はみんなと一緒に帰ってくださいな」

 

「こんな優璃を放って置くあたしだと思ってんの?」

 

「もう優し過ぎるよ、蘭は」

 

「もっとあたしを頼って、優璃の仕事が終わるのを待っているからね」

 

 

 伏目がちに頷くと優しく頭を撫でてくれた。

 しかし情け無いやら最近更に女の子化が進行しているような気がしますね。相変わらず男の人には原子レベルで興味が湧きませんが、挙動というか動作の女性らしさが段々と板に着いてきたような感覚がありますよ。

 忘れてはいませんかわたしは元男なのですよ。今なんて完全に蘭の方が格好良い感じになっちゃっていますが、まだまだ野性味を失った訳ではない筈ですよ。

 

 

「それじゃ後は二人の世界という事で、あたし達は先に帰るとするか」

 

「つぐ〜、モカちゃんはいま無性にパンが食べたい気分だよぉ」

 

「うんうん、帰りにやまぶきベーカリーに寄ろうね」

 

「優璃、蘭に訊いても話さないだろうから何か進展があったら教えてね」

 

「あんたらね……」

 

 

 蘭に怒りの視線を向けられたメンバー達は、つぐみちゃんに寄り掛かるように抱き着いたままのモカちゃんを引き摺るようにして足早にお店から出て行ってしまいました。

 

 残された蘭のやれやれといった表情を見ながら思ったのですが、確かメンバー達にちゃんと紹介して貰った出来事は無かった筈なのに、何故にもうみんなはわたしの事を親しげな友人のように扱っているのですかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 仕事あがりの帰り道、幸いにして人気も無くまるで別世界のように暗くて静かな姿を見せている公園のベンチに二人で並んで座った。

 優しい夜風は涼しさを運ぶように髪を揺らし、優しく握ってくれている蘭の手から伝わる熱だけが夏の暑さを体現しているように思えた。

 

 誠実に心配をしてくれる蘭の為に、わたしも隠す事なく落ち込んでいた理由を話した。

 どうしてオーディションに受からないのか、わたし達に何が足りないのか。答えを求めた訳ではなくて只々愚痴を零しただけだったのに、蘭は黙ってそれを受け止め続けてくれた。

 

 

「それでまりなさんが、観客の視点で見つめ直してみたらって言ってくれて」

 

「優璃はあたし達のライブを観ていてどう感じた?」

 

「蘭が格好良いなって」

 

「そういう事じゃなくてさ」

 

 

 蘭が吹き出すように笑いながら肩を寄せてきたのでわたしも合わせるように肩を寄せてみたら、身長の違いからか蘭の肩に頭を預けるような形になってしまった。何だかこれは凄く恥ずかしいポーズのような気もしますが、今日のところはまぁ良しとしておきましょうかね。

 

 

「アフターグロウのライブは何て言うか、蘭だけじゃなくてメンバー全員が自分達の音楽を聴けって訴えてくるような感じがする」

 

「あたし達も演奏技術はまだまだと思っているけれど、それでも自分達の音は最高だと思っているし、そんな最高の音をみんなにも聴いて欲しい。それがアフターグロウの意思ってあたし達は思っているよ」

 

「ポピパにもそういうのが有るのかな」

 

「同じじゃないだろうけれど、まりなさんはそういうのを見付けてやれって言っているんじゃないかな」

 

 

 わたしには気付けていないけれど、蘭やまりなさんには何か思い当たる節がきっとあるのだろう、それは経験の差から生まれるもので間違いなく聞いて置くべき教訓がその内にある気がします。

 

 勢いよくベンチから立ち上がり、自らに気合いを入れる為に右手で握り拳を作った。

 

 

「フンス、よし今度は冷静な気持ちでオーディションを観てみようと思う。ありがとう蘭、何だか元気が湧いてきちゃいましたよ」

 

 

 わたしの決意表明を聞いて微笑んだ蘭は握っていた手を離さないまま立ち上がり、ゆっくりとした歩みで前側に廻った。

 

 それは一瞬の出来事だった。

 

 繋いでいた手を引かれ、柔らかな衝撃を受けた事に気が付いた時には蘭の首元へわたしの頭はすっぽりと収まっていた。

 バンド練習を終えたばかりの身体から制汗剤の爽やかな香りと生々しい程の温かな体温がわたしを優しく包み込むように支配して、何が起こったのかを理解しようとしても意識に霞みをかけたように思考を阻んでしまった。

 

 

「ご、ごめん。何でこうしたのかあたしにも分かんない」

 

「蘭、別にギュウっとしても良いのですよ」

 

 

 ガチガチに身体が固まっていた蘭が、微かに震える腕でわたしの頭を包み込むようにして抱きしめてくれた。

 

 

「ヤバい、ライブの時より緊張してる」

 

「力を抜いても大丈夫だよ、逃げたりはしませんからね」

 

 

 わたしの言葉を聞いたからか蘭の身体からは徐々に力が抜けていき、次第に抱き寄せる腕の強さしか感じなくなっていった。

 

 

「優璃にも……して欲しい」

 

 

 普段の張りのある声とは違い消え入りそうな程に小さくて囁くようなお願いに応えて、わたしも蘭の背中に手を廻して引き寄せるように抱きしめた。

 やっぱり今日のわたしは心が弱くなっているのかもしれません。密着した身体の柔らかさも、蘭の少しだけ速く感じる吐息も、その全てに安らぎを覚えていつまでも浸り続けたくなってしまいます。

 

 どれ程の刻、お互いの存在を確かめ合ったのだろう。

 少しだけ上半身を離して顔を見つめ合い、わたし達は恥ずかしさからお互いに照れ笑いを浮かべあった。

 

 

「優璃、嫌じゃなかった?」

 

 

 蘭が触れるか触れないかの圧力でわたしの頬に指を添えた。

 

 

「嫌そうに見えるかな」

 

 

 お返しに蘭の頬を右手で包み込んだ。

 

 

「ううん、普段より可愛く見える」

 

 

 送られ続ける眼差しはとても柔らかく真珠のように艶やかで、まるで魅惑の能力を持った妖精の魔法に囚われたように視線を外す事を許してはくれなかった。

 意識は段々と霞から霧へと変わり続け、物事を考えるよりも蘭をただ見つめていたいと思うだけになってしまっていた。

 

 重なり続ける視線を断ち切るように、また少しだけ抱き寄せられる。

 わたしも恥ずかしいという感情を見失ったのか肩の辺りに両手を添えて、自分から頭を蘭の首元へと寄せていった。

 蕩けるように心地良かった、もっと抱きしめて欲しいと思った。

 

 

「困った事があったら遠慮なく相談して、優璃の事は何でも知りたい」

 

「蘭は優しくて強いね、わたしとは大違いだ」

 

「強くはないよ、ただ優しくありたいだけ。特にメンバー達と優璃にはね」

 

 

 顔を上げると直ぐ側には綺麗な赤色メッシュの入った髪と、甘くて優しい表情を向けている可愛い蘭の顔。

 駄目だ、今日のわたしはやっぱりおかしい。雰囲気に流されて蘭の瞳から目が離せない、少しだけ速くなった鼓動と心に溜まった熱が離れたくないと叫んじゃってる。

 

 

「わたし少し変だよね、甘え過ぎてる」

 

「あたしも同じ、初めての自分に戸惑っているよ」

 

 

 高い湿度のせいなのか、今夜の月は霞が掛かったような淡い光でわたし達を照らしていた。

 虫さん達の冷やかしの声以外には何も聴こえてこない夜の公園で、薄い色をしたふたつの影は陽炎のように揺らいでから色を増すようにひとつの影を描き、暫しの間は夜の闇に消されてしまう事はなかったのです。

 

 

 



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51.わたし達のリーダー

 

 

「あたしゃ乙女かい!」

 

 

 最近すっかりと馴染みになってしまった感のあるCiRCLEのカウンターに突っ伏して声を押し殺すように叫んでしまった。

 

 先日の蘭に相談した時の自分をふと思い起こしてしまい、あまりの恥ずかしさに悶絶もやむなしといった気分です。

 もし痛くなくて死ぬ事が無ければ切腹したいですし、仮に水圧で潰されないのなら深海にでも潜って隠れてしまいたい程の恥でございますよ。

 

 確かに普段から蘭と仲良くなりたいとは思っているのですが、あの時のわたしは完全に乙女脳に占有されて普通ではなかったのです。

 

 なーにが『蘭に触れられるの、好きみたい』ですか!

 

 馬鹿ですか、愚か過ぎますよ。

 蘭もノンケなのですよ、そんな女の子相手にあんな甘えっぷりを披露してしまったら最悪に決まっているではないですか。蘭は優しいから黙って微笑んでくれてはいましたが、内心ではきっとコイツキモチワルイとか思っていたに違いありませんよ。

 

 その証拠に先程アフターグロウのみんなが帰っていった時にも他のメンバー達は笑顔で大きく手を振ってくれていたのに、蘭だけは此方に一瞬だけ顔を向けた後に小さく手を振っただけでした。

 

 これは引かれていますよね、ドン引きされちゃっていますよね。

 

 自業自得とはいえ距離を置かれてしまったのかと思うと悲しくなります。

 蘭が想像以上に良い人だったので、これから先も良き友人として末永く仲良くやっていきたいなと思い始めた矢先だったというのに、もう優璃ちゃんのバカバカと言いたくもなるってものです。

 再び仲直りをしたいとの思いもありますが、どう修復の機会を伺ったら良いものか難しい事態ですよまったく。 

 

 とはいえ落ち込んでいても仕方がないのでここは気持ちを切り替え次のオーディションへ向けて、蘭やまりなさんから貰ったアドバイスを無駄にしない為にもポピパのみんなをしっかりと見守っていく所存でございます。

 

 しかしそれにしても詩船オーナーはポピパに不合格を連発する割には、一向にオーディションを打ち切る気配はありませんね。

 有難い事ですがいつオーナーの気分が変わるやも知れませんので、一期一会の精神で気合いを入れて本番を迎えなければなりませんよ。

 

 落ち込む気分を切り替えるように顔を上げてフンスと鼻を鳴らしたところで、急に音を出す程に震えだしたハーフパンツのポケットからこっそりとスマホを取り出して画面を確認をしてみると、なんとあの蘭からメールが届いているではありませんか。

 

 

(美竹 蘭)

[さっきは素っ気なくしてゴメン みんなが居ると恥ずかしくて]

 

 

 はう、いまだに気に掛けてくれるだなんて、やっぱり蘭ちゃん尊いです。

 

 

【わたしこそゴメンね 話すのに遠慮しちゃって】

 

(美竹 蘭)

[優璃も同じだったんだ それなら今度は家に来る? あたしの部屋なら遠慮なく話とか色々出来るし]

 

 

 蘭の部屋で遠慮も無し……もしや説教ですか? やはりこの前の事を怒っていらっしゃるのですか?

 

 

【お手柔らかにお願いします】

 

(美竹 蘭)

[そういう意味で誘ってないから]

 

 

 はう、怒られました。それはそうですよね、説教を受ける前から手心を加えてくれなどと言われたら反省していないのかと思われちゃいますよね。

 

 

【蘭と仲良くしたいです】

 

(美竹 蘭)

[ちなみに部屋は防音だから別に何かあっても大丈夫だとは思うけど]

 

 

 えっと防音って、そんなに怒鳴られる程の説教なのですか?

 もしかしてわたしが泣いてしまうくらいの強烈なやつなのですか?

 

 

「おーい優璃ちゃん、表情の乱高下は見てて楽しいけれど、仕事中のスマホは程々にね」

 

「うぐっまりなさん、人生とは何故にこうも乗り越えなければならない壁が多いのですかね」

 

「いや急にそんな哲学的な事を訊かれても……」

 

 

 まりなさんの注意もうわの空、わたしは世を儚む不幸なマッチ売りの少女のようにスマホを両手で握りしめ、悲しみを紛らわすように顔を上げて天井を眺めた。

 でもあくまで前向きに捉えてみれば、説教をしてくれるという事は友人関係の修復への道を模索してくれているという事ですよね。

 ここはその優しさを汲み取りまして、説教という辛苦の刻を耐え抜き再び蘭との友情を取り戻す為に、あえて優璃さんはこの細き足で刑罰へと向かわせてもらいますよ。

 

 

【覚悟を決めて蘭の部屋に行くね】

 

(美竹 蘭)

[あくまでもしもの話だけど痛くしたらゴメン]

 

 

 あのですね蘭さん、暴力を伴うのは説教ではなくて最近では体罰と呼ぶそうですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 安息日はポピパの練習日という事で今日は有咲の蔵に全員で集合をしております。

 こころのバンド活動など最近は色々と首を突っ込んでおりましたが、あくまでわたしの居場所はポピパの中にこそ在りなのです。大好きなメンバー達を支え、生温く鑑賞していく事こそがわたしのあるべき姿なのですからね。

 

 沙綾が持ち込んだドラムセット、りみりんの丸くて可愛いベース、おたえによく似合う澄んだ青色のギター、名前を聞いたけれど忘れた有咲の何か白っぽいキーボード、そして香澄の腰には眩い深紅の星型ギター(ランダムスター)

 

 広々としている訳でもない蔵の地下室で存在感を放っているソファーにひとりで座り、視線の先には五人もの楽器を持った可愛い女の子達が居る光景というのもまた、なかなかに贅沢と言うか臨場感が凄まじいものがありますよ。

 若干の緊張感が漂うなか、沙綾の刻むカウントから『前へススメ!』という新曲の通し練習が始まった。

 

 それは演奏が始まってから暫くして気付く事が出来た。

 

 まりなさんや蘭から切っ掛けを与えられていたからなのか、今までは気にも留めていなかった、気付く事さえ出来なかった違和感がわたしの表情筋を僅かながら強張らせてしまったのです。

 メンバー達の演奏の善し悪しなどは当然わかる筈もないのですが、ひとりだけ、香澄の様子だけがどうも普段とは違うように感じてしまいます。

 

 普段の歌声は歌うのが好きという気持ちの乗った伸びやかで晴れやかな、聴いている此方までもが楽しくなってしまうような声なのです。

 それが今は軽いというか気持ちがちっとも届いてはくれませんし、注意深く観察してみればやけにランダムスターの事を気にしている素振りが多いようにも見受けられます。

 なる程どうやらこれは『名探偵ユリン』の出番がやってきたようですね。やれやれ仕方がないです、ここはわたしの誘導尋問で見事にこの難局を切り抜けてみせましょうぞ。

 

 

 真実はいつもテキトー! なのですよ。

 

 

 ひと通りの練習が終わり、メンバー達が休憩の為にわたしの元へと集まったところでいよいよ名探偵ユリンの出番です。おっと、その前にみんなにタオルを配らねばですね。

 

 

「香澄、お前なんか様子がおかしくねえか?」

 

 

 わたしからタオルを受け取った有咲が顔に浮かんだ汗を拭き取りながら怪訝そうな表情で香澄に問い掛けた……って有咲たん、それはわたくしこと名探偵ユリンの大事な台詞なのですよ、推理小説の犯人でさえ探偵の話を聞き終えるまでは大人しくしてくれているというのに、いったい何を先走ってくれているのですか。

 

 

「別に普段通りだよ。もうありさ、何でもないって」

 

「全然大丈夫じゃないよ、私達リズム隊はみんなの音を聴いているから香澄の音が普通じゃないって自然と伝わるんだよ」

 

「そうだよ香澄ちゃん、もしかして体調でも悪いの?」

 

 

 タオルを渡している合間も沙綾やりみりんから香澄に心配の声が投げ掛けられる。ところであのですね、この状況って今のわたしが名探偵ではなく只のタオル担当の人になっているような気もするのですが。

 

 

「心配しなくても大丈夫だって。わたしってまだまだギターが下手だから、オーディションの為にもっともっと頑張らなくっちゃ」

 

 

 漸く全員にタオルを配り終わり、強がりを言いながらも俯いてしまった香澄の隣で正座をして肩に腕を廻します。さてと、いよいよ満を持して名探偵ユリンの出番とまいりますかな。

 

 

「香澄さんよぉ、お天道様(てんとさま)は誤魔化せたとしてもこの優璃さんの目を見て同じ事が言えるってのかい?」

 

 

 おやおやあれれぇ可笑しいですよ。他のメンバー達が感嘆どころか揃いも揃って冷たいジト目を向けてきますが、ひょっとしてですが間違えましたかね。探偵の喋り口調って確かこのような感じだったと思うのですが。

 

 

「わたしが駄目だから。だからもっと頑張らないといけないの」

 

「なっ、香澄……」

 

 

 俯き拳を握りしめながら絞り出すような言葉を口にした香澄に、有咲を始めポピパの面々は絶句したように口を半開きにして驚いた。

 わたしも普段とは違う香澄の様子にみんなと同様に言葉を失い、馴れ馴れしく肩に腕を廻した姿が今更ながらに場違いである事を察してしまいましたよ。

 

 

「そんな事ないよ、ギターを始めたばかりにしては上手だと思う。ねぇ、おたえ」

 

「香澄は頑張っていると思う」

 

 

 沙綾が慌ててフォローに入ると真面目な表情のおたえも同意の言葉を返し、りみりんも同調するようにコクコクと子猫のような可愛さで頷いていた。

 

 

「香澄、私達だってまだ上手とはとても言えねぇ。みんな一緒だろ、だから六人で頑張ってんだろ」

 

「そうだよ香澄、オーナーだってね……」

 

「わたしのせいだよ、わたしのせいでオーディションに受からないの」

 

 

 わたしの言葉を遮って顔を上げた香澄は、今までに見た事が無い苦悶の表情を浮かべていた。

 突然の出来事に何が香澄の身に起きているのか誰も理解が出来ぬまま、いたずらに沈黙の時間だけが蔵の中を満たしていった。

 ところで話は変わりますが、香澄の肩に廻したままの腕を回収するタイミングを見失って恥ずかしいポーズを披露したきりの優璃ちゃんを誰か救っていただけませんかね?

 

 張り詰めていた雰囲気の中で、沙綾がゆっくりと香澄の前に移動して膝を折るように座り優しく頬に右手を添えた。

 

 

「ねぇ香澄。私ってね、昔からとっても我慢しちゃう子なんだ。でもポピパなら、この仲間達なら何でも言い合えるようになれるかもと思っているんだよ。そう思わせてくれたのは香澄や、有咲や、りみりん、おたえ、ゆりのおかげ」

 

 

 少し瞳を潤ませた香澄が沙綾を見つめ返したたタイミングで、雰囲気に馴染む為にわたしも肩に廻していた腕をコッソリと解いてから何食わぬ顔をして再び肩に手を添え、したり顔をしながら何度も頷いておきました。

 

 

「だから香澄も、悩みがあるのなら私達だけには相談して。ポピパみんなで一緒に悩んで、一緒に頑張ろうよ」

 

「さーや、あのねオーナーに何が駄目なのか訊きに行ったの。詳しくは話をしてくれなかったけれど、あんたが一番出来てなかったって言われて……」

 

 

 沙綾が優しく諭すと観念したのか香澄が声を絞り出すように言葉を紡ぎだすと、その告白に有咲が瞬時に反応して血相を変えながらソファーから立ち上がった。

 

 

「はぁマジでか! 香澄だって完璧じゃないにしろ日々成長しているってのに、あの婆さん何を見てんだよ」

 

「わたしが楽器を扱うのが駄目だからオーディションも受からない。だからもっと頑張るの、もっと、もっと……」

 

 

 強く握った拳を震わせながら怒りを露わにする有咲に向かって、香澄が力の抜けた微笑みを向けた。

 誰もが無言になってしまった中で、わたしは心の奥底から湧き上がる酷い違和感に苛まれて混乱しそうになっていた。何故なら以前にオーナーから聞いていた事と香澄が話す内容にあまりにも齟齬があり過ぎるのですよ。

 

 

「ちょいと待って、わたしは前にオーナーからオーディションは演奏のレベルを重要視していないって聞いたよ」

 

「わ、私もお姉ちゃんにオーナーはバンドそのものを視ているって言われたよ」

 

 

 わたしとりみりんが思わず口走った香澄とは相反する言葉に他のメンバー達は余計に困惑したような表情を浮かべた。

 ダメだ、考えろ、もっと考えろわたし。あの時にオーナーは何を言っていた、りみりんが言ったバンドそのものを視ているの意味は?

 

 

「それだとゆり、わたしの何が駄目なんだろう?」

 

「まだ全部は解らないけれど、ひとつだけ確かな事はありますよ」

 

 

 香澄の前に座ったままだった沙綾の隣りに座り、添えられていた沙綾の手とは逆側にわたしもそっと手を添えて、二人で頬を包み込むような形を作った。

 

 

「香澄は駄目じゃない、オーナーは出来ていないって言っただけですよ。それはきっと演奏以外でわたし達に欠けた物で、そのピースを埋める事が出来るのはバンドリーダーの香澄だってオーナーは言いたいのではないですかね」

 

「わたしが、ポピパのリーダー?」

 

「そうだよ、香澄」

 

 

 わたしの言葉に同意を示した沙綾と一緒に立ち上がり、香澄を取り囲むように有咲、りみりん、おたえも横に並んだ。

 

 

「香澄の歌声は、わたしにいつも元気をくれる」

 

 

 ちょっぴり恥ずかしいけれど、いつも思っている事を言葉にして香澄の前に手と一緒に差し出した。

 

 

「香澄の背中を、いつも頼もしく見ているよ」

 

 

 沙綾がわたしの差し出した手の上に自分の手を重ねた。

 

 

「香澄ちゃん達がいつも私に勇気をくれているよ」

 

「香澄の星の鼓動をもっと私も感じたいな」

 

 

 りみりんも、おたえも。

 

 

「いつも巻き込んでくれて大変だ、でも別に嫌じゃねえからな」

 

 

 有咲も顔を紅くしながら優しく手を重ねてくれた。

 

 

「みんな……」

 

 

 重ねられた手を見ながら大粒の涙を流し始めていた香澄は、瞳を閉じて大きく深呼吸をした後に立ち上がり、頬を伝わる涙を拭いながら震える手を一番上の場所に重ねてくれた。

 

 

「わたしも、わたしもこの六人でもっとキラキラドキドキしたい!」

 

 

 全員の気持ちを確かめ合うように頷き合ってから、わたし達はいつもの掛け声を盛大に発した。

 

 

「一、ニ、三、わっしょーい!」

 

 

 まだ見ぬ星の欠片に向かって弾かせるように、全員で重ねていた手を勢いよく上に伸ばす。

 まだ何も解決した訳ではないけれどみんなで探していこう、明日を、未来を、夢を、わたし達はまだまだ走り始めたばかりなのですから。

 

 

「なぁ、そろそろまともな掛け声を考えた方が良くねえかな」

 

 

 有咲の提案に全員が吹き出すように笑い出してしまいました。そうですかね、江戸っ子風で良き物だと思っていたのですが。

 

 

「あっ、そうだ!」

 

「はわわ、急にどうしたのおたえちゃん」

 

 

 先程まで大人しくしていたおたえが思い出したように急に大声を張り上げた事で、隣りに居たりみりんが子兎のようにぴょこんと飛び跳ねながら驚きの声を上げた。

 

 

「私の家で合宿をしよう。きっと楽しいと思う」

 

 

 おたえさんあのですね。いきなり前後の脈絡もなく突発的な提案をしたせいで、混乱したりみりんが今度は驚いた猫のように瞳を丸くしながら固まってしまいましたよ。

 まったく、まぁこれはこれで可愛い姿なのでいつまでも見ていられますけれどね。

 

 

 



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52.これからもずっと

 

 

 

 ポピパの絆を確かめ合った有咲の蔵からの帰り道、わたしと香澄は久しぶりに手を繋ぎながら歩いた。

 

 夕暮れの時間帯なのに夏の太陽はその日差しを少しも緩める事はなく、わたし達の背中を熱く強く照らし続けています。

 隣を歩く香澄の背中にはランダムスタ子(ギターケース)さん、わたしの左手にはタオルや水筒の入った手提げ鞄さん。

 道路に映っている影は繋いだ手もしっかりと見える程に伸びていて、暑いとはいえ元気に働いていた太陽さんの時間もそろそろ終わりと教えてくれているみたいです。

 

 

「ゆり、今日は泊まりに来る?」

 

 

 繋いだ手を幼児のように振りながら歩く香澄が向けてくる笑顔は名残りの日差しに照らされ輝くようで、蔵に居た時とは違い何か吹っ切れたように素直な微笑みだったのです。

 

 

「ちなみに拒否権というものは存在するのですかね?」

 

「えっとね……今日は無い、かな」

 

「ですよねぇ」

 

 

 二人で向かい合わせた笑顔と強く結び合わせている夏の湿度で少し汗ばんだ手の感触が、何故だか今のわたしにはとびきりの宝物みたいに大切に思えたのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ゆりの裏切り者」

 

 

 夜も更けてから香澄の部屋へとお邪魔したのですが、着いて早々に目の前の幼馴染みは突然ベッドの上に倒れるようにしてうつ伏せで寝そべり、ブツブツと何やら愚痴を溢し始めてしまいました。

 

 

「久しぶりにゆりとお風呂に入れると思っていたのに、これは裏切りだよ」

 

「来た途端に酷い言われよう」

 

 

 ティーシャツに短パン姿で洗顔も何もかも済ませて立ち尽くすわたしを見た香澄は、全てを察したのかベッドの上でぐるぐると回転しながら拗ねた態度を見せております。

 

 

「ゆりは覚えていないかもしれないけれど、小さい頃から何回一緒にお風呂したと思っているの。わたしはゆりの左耳の後ろと右胸の内側に小さなホクロがある事まで知っているんだよ」

 

「わたしも知らない個人情報は是非とも大切に扱っていただけませんかね」

 

 

 ベッドから勢いよく身体を起こした香澄が、分かり易く唇を尖らせながら理不尽にも思える程の恨めしい視線を送ってきております。

 まったくもって八つ当たりも甚だしいと思うのですが、それでも悔しい事に拗ねた表情も実に可愛いのでとても始末が悪いのですよね。

 少し紫がかった宝石のような瞳へ吸い込まれるように見惚れていたら、ベッドから降り立った香澄に急に手を握られて不思議と心臓が跳ね上がるような感覚を覚えてしまった。

 

 

「さっ、そろそろお風呂に行くよ」

 

「いやいやどうしてそうなるの」

 

 

 キョトンとした表情で首を傾げる香澄、いやいやわたしの方こそキョトンなのですがね。

 

 

「我儘は駄目だよ、泊まる時はお風呂に一緒に入ると定められているんだからね」

 

「戸山家は治外法権が認められているの?」

 

 

 わたしの発言などお構いなしに左腕に抱きついてきた香澄に無言で力任せにグイグイと、まるで運動会の綱引きみたいな要領で部屋から引き摺りだされてしまうのでした。

 

 もうこうなれば香澄さん、せめてものお願いなのですがわたしは服を着たままで勘弁しては頂けませんかね?

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「むふー、やっぱり二人でお風呂に入ると特別感が有るよね」

 

 

 ベッドの端に並んで座っている幼馴染みは結構なご機嫌具合でございます。

 同性なので当たり前と言われればそれまでとはいえ、香澄にしても沙綾にしても少しは恥じらいというものを見せて頂きたいものですよ。

 最近の沙綾に至ってはお泊まりに行けば、一緒にお風呂に入るのが当然のような顔をして服を脱がせにきますからね。

 まったく、これではわたしばかりが裸を見られるのが苦手な恥ずかしがり屋の純情娘みたいじゃないですか、いや純情派なのは否定しませんけれど。

 

 しかしそれにしてもお風呂で見ているとつくづく二人共に全体的な身体のラインが綺麗です。特にわたしとは違って引き締まったウェストから張りのあるヒップへと続く魅惑的な曲線など本当に美しいですよ、えぇわたしとは違ってね……神様許すまじです。

 

 翌日の授業の事など他愛もない会話の合間に訪れた静寂の時間に、ふわりと揺らぐように肩を寄せて来た香澄から優しく伝わる温もりとほのかに甘いボディークリームの香り、パジャマから覗く桜色をした首筋や横顔は不思議な色香を帯びていて、不思議な魔法のようにわたしの鼓動をほんの少しだけ速くしてしまった。

 

 

「出来ていないのが何かは解らないけれど、やっぱりわたしは駄目だったと思うんだ」

 

「もう良いじゃないですかね、それは」

 

「ううん、メンバー達はちゃんとポピパとして頑張っていたのに、多分わたしだけは違ったの」

 

 

 軽く頭を振った香澄は腕に絡まるように抱き付き、肩にちょこんと顎を乗せてきました。

 

 

「わたしはみんなと一緒に楽器が弾けて歌えているだけでも楽しくて満足していたんだ。結局それって自分だけしか見ていなくてポピパとしての自覚なんて無かった、それに最近はね」

 

 

 抱きしめられている圧力が少しだけ増し、腕に感じる柔らかな香澄の温もりは不思議と溶かされるような安心感を与えてくれる。

 

 

「ゆりにわたしを見ていて欲しいって、もっともっとわたしを見てって、そう思ってばかりだったんだよ」

 

「もう、いつも見ているじゃないですか香澄の事を」

 

 

 むうっ、と言った香澄に腕を引っ張られるような形でベッドに倒れ上半身だけ横になったわたし達は、まるで空を見上げるように並んだまま天井を見上げ続けた。

 

 

「事故に遭うまではね、ゆりはわたしの後にずっとくっついているような大人しい女の子だったんだよ。だからわたしがゆりを守らなくちゃって思っていたのに、高校に入ったら直ぐに友達が沢山出来て段々とわたしの側に居ない事も増えてさ、香澄ちゃんはとっても寂しい思いをしているのです」

 

 

 身体を横にして耳まで紅く染まった顔をわたしの肩へ隠すように埋めてきた香澄の姿にとても驚いてしまった。それは香澄はいつでも前向きで明るく頼もしい、まるでヒーローのような人だと勝手に思い込んでいたからに違いなく、いま垣間見せている素の姿は幼馴染みが側に居ないだけで寂しがるような普通の、そして可憐な女の子だと今更ながらに気付かされてしまったのです。

 

 

「むう、ゆり笑ってる」

 

「いやいや香澄が可愛いなって思ったのですよ」

 

 

 はい頬を引っ張られました、痛いです許してくださいませ。

 まぁそれはそれとして我ながらとても不思議に思う。客観的に見れば香澄だってポピパのメンバー達と同じく高校からの友達になる筈なのに、優璃の記憶を持っていないわたしの中でも香澄の存在は特別でそれに違和感など有りもしない。

 そのせいで隣同士に居るのが当たり前に思え過ぎていて、まさか香澄がそんな想いを抱えていたなんて微塵も感じませんでしたよ。

 言葉や態度に出さなくても気持ちが伝わるなんてきっと男性的な考えなのでしょうね。これもまた乙女心という物ですか、新米女の子として大いに勉強になってしまいましたね。

 

 香澄の身体を何とか動かして向かい合う形で横になり、言葉は交わさなくともお互いに至近距離で見つめ合った。

 潤んだように澄んでいる瞳とお風呂上がりで淡く彩りを成す頬、普段より紅みを増した唇と毛先が少しだけ跳ねた癖っ毛。優しくて艶やかな眼差しを向けてくる幼馴染みの美少女から見て、いったい今のわたしはどんな表情をしているのでしょうかね。

 

 

「心配しないでいいよ、香澄の隣に居たいっていうのはずっと変わらないからね」

 

「約束を忘れちゃ駄目なんだよ」

 

「忘れていませんから」

 

 

 見つめ合う瞳の間に小指を差し出すと、香澄も軽く微笑んだ後に優しく小指を絡めてくれた。

 小指を繋いだままお互いの体温と吐息も絡ませ合うように頭を寄せて額同士を重ね合わせた。こんなに近い距離感でも緊張しないのは香澄と沙綾くらいかな、有咲とりみりんはとんでもなく恥ずかしがりそうですしおたえはそもそも全く気にしなさそうです。

 

 

「これからもずっと香澄を見守りますよ」

 

「わたしもずっとゆりを見てる、もう見失いたくないもん」

 

 

 合わせた額からは微かな圧力と聞こえる筈のない香澄の鼓動までもが柔らかな熱と共に伝わってきそうな気がする。本当に大切で特別なわたしの幼馴染みさん、これからもずっと……。

 

 

 

 

 

(……ないか、これからもずっと……るから)

 

 

 

 

 

 一瞬だけ頭の中で叫び声にも似た男の人の言葉が響き渡り、思わず驚きで咄嗟に香澄から頭を離してしまった。

 慌ててベッドから起き上がり辺りを見渡しても当然部屋にはわたし達の姿しか無く、その声が現実の物で無い事はなんとなく理解が出来た。

 不思議と怖さは感じないけれど、何だろうこの胸の中に急に沸き立つ不安感は、焦りにも寂しさにも似た感情が渦を巻いてこの儚き胸の中に棲まう空想妖精モヤット君を溺れさせてしまいそうです。

 

 

「どうしたの、ゆり震えているよ」

 

 

 急に起き上がった事に驚いたのか香澄が心配そうな表情で優しく手を握ってくれた。

 手を繋ぐだけでも安心感が胸の中を満たしていく。今まで以上に離れたくない、離れられないという感情が溢れて弾け出しそうになってくる、これっていったいわたしの身に何が起こっているというのだろう。

 

 わたしも空いた方の手で包み込むように香澄の手を握った。細いながらもギターの練習で少しだけ固くなっていた指先の感触も今は愛おしくて堪らなく思える。

 

 巻き起こる感情の起伏と熱量に戸惑っていると、ふと繋いでいる手が淡く光り始めている事に気が付いた。光は段々とその明るさを増していきわたしの視界を眩さで染め上げていく。

 

 

「ふえぇ完全に忘れていましたけれど、そういえばわたしはいつ発動するか予測のつかない役立たずのチートスキル持ちでしたぁ」

 

 

 

 

 

 眩さから逃れゆっくりと瞳を開けてみると目の前には硬そうなアスファルト、どうやら地面に横たわっているみたいです。

 身体は動かないけれど触感も音も感じない、まるで映画を観ているような感覚のまま何とかして頭を動かしてみると、視線の先にはブレザーの制服を纏った女の子が同じように地面へうつ伏せで横になっていた。

 手を伸ばそうとしても腕はまったく動いてはくれず、何とか声だけでもと力を振り絞る。

 

 

「か、かすみ……」

 

 

 わたしの口から溢れた音は先程頭の中に響き渡った男の人の声色と同じだった。いやそれよりも掠れた声で呼んだかすみって、まさか視線の先でまったく動く気配の無いあの女の子だと言うのですか?

 

 

「約束を、約束を守らないと……」

 

 

 その言葉を最後に、わたしの意識はまるで上映中だった映画のフィルムが突然切れてしまったかのように、唐突なぶつ切りのまま暗闇の中へと吸い込まれてしまったのでした。

 

 

 



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53.嫁の証

 

 

 時に記憶というものは、その朧げな輪郭をゆらゆらと蜃気楼のように揺るがせてしまうのかもしれません。

 

 

 独り自室のベッドで横になり、何かを掴むように両手を天井へ伸ばして深く溜め息を吐いた。

 

 あの夜に香澄の部屋で観た映像はいったい何だったのでしょうか。状況からいってわたしの前世での出来事にも思えますが、元々所持していた記憶では前世で香澄と知り合ってはいなかった筈なのです。

 しかも倒れていた女の子は花咲川女子の制服ではなかったですし、必ずしも今のわたしが知っている香澄と同一人物とも限りません。

 それにわたしの前世らしき男の人が言った『約束』という言葉も気になります。

 いやそもそもあの映像が間違いなく前世の姿だと確定しても良いものかどうかという懸念もありますね。

 

 

「まったく、今のわたしっていったい何者なのでしょうかねぇ」

 

 

 肉体は確かに存在しているというのに、自己という存在は酷く曖昧で現実味が無いように思えてしまう。

 わたしとは何であるか。随分と哲学的にも思えますが、まぁ深く考えても答えなど導けそうにもありませんし後は野となれ山となれ、とりあえずは成り行きを見守るしかないのかもしれませんね。

 

 明後日はおたえ発案の合宿会。香澄もどうやら明るさを取り戻してくれた様子なので、わたしもみんなが気持ちよく演奏出来る雰囲気作りに邁進しないとですよ。

 

 気持ちも新たに部屋の照明を落として布団の中に潜り込み瞳を閉じた。

 例えわたしが誰であろうとも大好きなみんなとずっと一緒に居たいと思う気持ちに変わりはない。それが偽らざる本音であり、わたしがわたしで在る証明なのですから。

 

 後ですね、皆様もうちょっと百合百合とした光景を増やして頂けたらわたしが眼福なので宜しくお願いしますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 ポピパの合宿会を翌日に控えた放課後、何故かわたしは沙綾の部屋へと立ち寄っております。

 それというのも実家のお手伝いの為に帰宅しようとしていた沙綾に一緒に帰ろうと誘われたからで、明るさを取り戻した香澄とは対照的にわたしが何やらいつもと雰囲気が違うと察してくれたようです。

 沙綾には敵いませんね、色々なところに気が回る優しくて素敵なお嬢さんでございますよ、本当に。

 

 もう随分と慣れ親しんだ気のする部屋にお邪魔して、ベッドに背を預けるように床へと座りました。

 沙綾は制服を脱いでからキャミソールの上に薄手のシャツを羽織り、淡いオレンジ色のスカートを腰に纏って並ぶように横へと座った。

 えぇとても可愛いのですが沙綾さんや、もうお互いに裸の姿を知っている仲とはいえ目の前で堂々と着替えるのは流石に如何なものですかね。確かに女子校ゆえに体育の時などもクラスメイト達は恥ずかし気もなく着替えたりしますが、流石に目の前では視線のやり場に困るというものですよ。

 因みにですが、りみりんは恥ずかしさから隠れるようにして着替えています。まさに期待を裏切らないというか可愛いさの化身りみりんとはよく言ったものでございますな。

 意外なところで香澄は体育の際にはわりと大人しく着替えているのです。イメージでは下着姿のままで教室内を走り回っていそうですがね。

 

 

「それで、何かあったのかな?」

 

 

 優しい声色で訊いてくる沙綾には、黙っている事はどうやら通用しなさそうです。

 気が利くというか本当に周りをよく見ている娘で、その包み込むような優しさにわたしも知らず知らずの内に甘えてしまっているのかもと思えてしまいますね。

 

 沙綾に手を握られながらあの時に香澄の部屋で起こった事を話した。無論わたしのチートスキルの事などは伏せてですが、わたしが隣に居ない時が増えたのを寂しがってバンドに集中が出来ていなかったと反省していた事や、ずっと隣に居ると約束した事、わたし自身の気の回らなさに落ち込んだ事などを素直に語りました。

 

 瞳を閉じて黙ったまま話を聞き終えた沙綾は、ふうっと息を吐いてから此方を向いて苦笑いを作った。

 

 

「香澄の気持ちはちょっと解るなぁ」

 

「えぇっ⁉︎ 気付かなかったのわたしだけなの?」

 

 

 クスリと笑った後に沙綾は軽く頭を左右に振った。

 

 

「香澄はゆりにとってのイチバンであり続けたいんだと思う。だって私も同じ気持ちを持っているからね、きっと同じだよ」

 

「イチバンってそんなに重要な事ですかね。香澄や沙綾やポピパのみんなにしても、わたしにとっては特別で大切な人達なのに」

 

「女の子なら大切な人のイチバンになりたいと願うのは普通でしょ。ゆりだって女の子なんだから本当はそう思っている筈だよ」

 

 

 いまひとつ納得は出来ませんよ。何せわたしは元男なものですから乙女心を完全に理解しているとは言い難いですのでね。

 

 不満そうなわたしの様子を察したのか、沙綾が腕を預けるように身体を寄せて来ました。

 

 

「ちょっと想像してみて。例えばいつか私に仲良しの男の子が出来て、何かこの二人付き合いそうかもってなったらどう思う?」

 

「そりゃ沙綾が選ぶ人ならきっと素敵な人だろうし……。いやちょっと、ほんのちょっとだけ嫌かもしれない」

 

「それは自分がイチバンじゃなきゃ嫌だって意味だよ」

 

 

 はう、確かにポピパのみんなは言うに及ばず、特に香澄と沙綾には彼氏など認められないかもしれない。

 これって強欲過ぎでしょ。もしかして女の子ってそういうものなのですか、それともわたしだけが人間失格なのですか?

 

 

「そんな事も気付かない誰かさんは、嫁と言っている女の子の前でも普段から香澄、香澄、と連呼しているばかり。嫁は香澄の寂しいっていう気持ちがとっても共感出来るなぁ」

 

「沙綾は大切な(推し)だよ、嫁です、嫁だもん……」

 

 

 これは反論のしようもありません。みんなを大切に思っている自負はあるのですが、どうやらわたしは気持ちを伝える事がきっと下手くそなのでしょうね。

 

 

「本当に嫁が大切なら証が欲しいかな、私が特別だって安心させて欲しい」

 

 

 わたしから身体を離した沙綾は背筋を伸ばして自分の頬をトントンと指差し始めました。

 なる程です下手くそなりに態度で示せという事ですか。しかしですねスキンシップは大事とはいえ此処は外国ではないのでして、自分からほっぺにキスをするのは女の子然としていて恥ずかし過ぎるのですよね。

 とはいえ沙綾だって女の子にキスをされても別に嬉しくはないでしょうし、あくまでもわたしとの繋がりの証として求めているのでしたらそれに応えなければ元男も廃るっていうものですよ。

 

 沙綾に向かって横向きで正座になり、肩に手を添えながら身体を前に倒して頬に唇を発射しました。頬から離れ際にチュッと音を立ててあげるサービス付きですよ、さぁ沙綾も恥ずかしがるが宜しいです。

 

 

「ゆり顔が真っ赤だね、そろそろ慣れて欲しいけれどなぁ」

 

 

 ってわたしかい。仕方がないのです色々と女の子らしい仕草とかを繰り広げてしまったので冷静になると恥ずかしいのですよ、なにせ新米純情娘なもので。

 

 体育座りをしながら縮こまっていたわたしの前に移動した沙綾は、先程までより優しい眼差しで顔を見つめてきました。

 

 

「私も証を刻んで良いかな?」

 

「嫁の願いを無下にはしません。さぁ来るが良いです沙綾」

 

「それと恥ずかしいから瞳を閉じてくれる?」

 

 

 言われた通り軽く瞳を閉じて右の頬を差し出すように横を向いた。

 ふふん、落ち着いたように見えてもやはり沙綾も恥ずかしいのですよね。いくら頬とはいえ緊張しない方が変なのですよ。

 おっと胸の奥に棲まう空想妖精のモヤット君や何ですかそのニヤけた顔は、この心臓が激しく鼓動を打っているのはあくまでも緊張しているからですよ。まったく、笑うではないです許すまじ折檻の刑に処しますよ。

 

 色々と気を紛らわせていると急に左の頬に手が添えられた事に驚いて身体がピクリと跳ねてしまう、これも反射というものです仕方がないのです緊張が限界という訳ではないですからね。

 

 添えられた手が優しく顔の向きを動かしていく。緊張した頭がその意味を理解してくれる前に、わたしはもう一度だけ身体をピクリと震わせてしまった。

 慌てて瞳を開けると目の前には瞳を閉じたままの沙綾の顔。漂ういつもの香りと強烈な身体の温もり、そして味わった事の無い程に柔らかくて不思議な感触が覆い被さるように唇を圧迫していた。

 

 まさかと思った。だけど間違えようもない、わたしは何故か沙綾にキスをされている。

 

 強張っていた身体は唇に与えられる感触によって徐々にその力を失っていき、まったく身体を動かす事が出来ないまま思考は混乱しきっていた。いったいどうして沙綾が急にこんな大胆な事をって。

 

 永遠とも思える時間が流れ続け、閉じたままだった瞳を開けた沙綾がゆっくりと唇から離れていった。その顔はわたしから見ても明らかな紅みを帯びていて、見つめてくる瞳は少し潤んでいるようにも感じた。

 

 

「やっぱり私はゆりのイチバンになりたい」

 

「さ、さ、さ、さ、沙綾、チュ、チューじゃないですかこれ」

 

「言い方が可愛い」

 

 

 一瞬だけ微笑んだ沙綾が力が抜けたように尻餅をつくような姿勢で項垂れてしまった。

 

 

「どうして私こんな。ごめんね女の子にキスをされても気持ち悪いよね。ごめん、止められなかったの、本当にごめん」

 

 

 肩を震わせながら謝り続ける沙綾を見ながら、わたしは自分自身の情けなさを痛感していました。

 きっと沙綾だってノンケゆえに女の子とキスなどしたかった訳ではないでしょうに、わたしが大切に思っているというのを伝えきれていないせいで嫁をここまで焦らせて追い込ませてしまったのですよね。沙綾が落ち込む必要なんて無いです、謝るならわたしの方がですよ。

 

 沙綾の隣に座り直し肩を触れ合わせるように寄り添います。

 

 

「ゆり、お願いだから嫌いにならないで」

 

「わたしは沙綾の嫁ですよ。ちゃんと刻まれましたね、お互いに大切な人だって」

 

 

 顔をわたしの方へ向けた沙綾に飛び掛かる勢いで抱きつかれ、押し倒されるように床の上に転がりそのままわたし達は強く抱き合った。

 

 

「ゆりは私の嫁だよ、誰にも、誰にも譲らないから」

 

「そんな心配をしなくても彼氏などに興味はありませんよ、何せわたしはポピパに夢中ですのでね。沙綾こそ今はポピパに専念して欲しいな、彼氏を作ったらちょっと許すまじな気分になりそう」

 

「作らないよ、今は私……夢中だもの」

 

「ならば良しです」

 

 

 身体を入れ替えて四つん這いの姿勢をとると、沙綾も右手を伸ばして頬を包むように添えてくれました。

 見下ろす沙綾の優しい笑顔は以前よりも何倍も輝いて見えるのが何故だかとても不思議に感じますね。

 

 

「不思議。キスをする前よりもゆりが可愛く見える」

 

「わたしも同じ事を思ったよ、沙綾可愛いなって」

 

「ねえゆり、私達さ……」

 

「私達が何?」

 

「ううん、何でもない。ずっと仲良しでいようね私達」

 

 

 この瞬間に見せてくれている表情はきっとわたししか知らない笑顔なのでしょうね。とても甘くて、自然と引き寄せられるような魅力が溢れ出している沙綾を見ていると、わたしを(推し)にしてくれた事に堪らない幸せを感じてしまいますよ。

 

 幸せを噛み締めていたら、急に胸の奥がキュッと叫ぶように苦しくなった。

 痛みは直ぐに治ったけれど、しこりのような違和感が胸の奥に留まり続けて何だか変な気分です。もしかしてモヤット君が何か悪さでもしているのでしょうかね。

 

 

「ゆりのファーストキスを貰っちゃったね」

 

 

 沙綾の声で現実に戻る事が出来ましたが、えっと、何ですと?

 

 

「沙綾、同性はノーカンと」

 

「私のファーストはゆりで良いかなって思ったら、ゆりのも欲しくなったの」

 

「別にそれでも良いけれど沙綾、ちょっと雰囲気が変わったみたいだよ」

 

「だって私は、絶対にゆりの嫁になるって決めたからね」

 

 

 ウィンクをした沙綾の可愛さは言葉に出来ない程です。

 わたしと香澄は切れない絆で結ばれていますが、沙綾とわたしも決して離れる事の出来ない絆で結ばれたのだと心からそう思えたのでした。

 

 それにしてもまた胸の奥が疼きますね、いったい何なのでしょうかこれは。

 

 

「何か壁を超えちゃったね、これはゆりからもキスしちゃう?」

 

 

 沙綾さんや少し落ち着きましょうか。もっと自分というものを大切にした方が良いと嫁は思うのですよ。

 

 

 

 



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54.BanG Dream!:①

 

 

 

「デカくね?」

 

「有咲がそれを言いますか」

 

 

 おたえの発案で開催される運びとなったポピパピポパ合宿会。初めてメンバー全員で伺う花園邸を前にして有咲がその立派さに驚いておりますが、平屋の日本家屋に広い裏庭や離れに蔵まであるツインテール胸デカ美少女さんに言われたところで説得力は全くございませんよ。

 

 訪れた花園邸の大きさは一般的な住宅サイズとはいえ、ひと際目を引く芝の敷き詰められた広い庭に色とりどりの綺麗な花たちが咲き誇るプランター。リビングから続くステージかと思う程の大きさがある木製のベランダ等々こういう余暇スペースに惜しげもなく敷地を使えているというのは、おそらくですがそれなりの裕福さをお持ちである事はまず間違いないと思うのですよ。

 

 

「あらあら可愛い女の子達が盛り沢山じゃない。オッちゃん、お嫁さんも来てくれたみたいよ、良かったわねぇ」

 

 

 お母さんがウサギのオッちゃんを胸に抱きながら出迎えてくれました。流石に美人なおたえのお母さんだけあってとても綺麗な方なのですが、明らかにわたしの方向へとオッちゃんを向けている姿に何かを察してしまいました。

 おたえさんや、大変に申し訳がないのですがいったいお母さんにどのような紹介の仕方をされたのか後でじっくりと聴取させて頂けますかな。

 

 冷ややかなジト目をおたえに向けると満面の笑みを返してくれました。

 どうやらですがこの母娘は悪意なく本気で飼いウサギの花嫁にと考えている節がその視線から伝わってきましたよ。ウサギと人間の婚姻を画策するなど狂科学者か悪の秘密結社の思想ですぞ、そんな事は薄胸(はくきょう)の名探偵ことユリンが許しませんからね。

 

 

「お母さん、今日はハンバーグがいいな」

 

「今日は豪華にしゃぶしゃぶの予定よ、お嫁さん達みんな手伝ってくれるかしら?」

 

「やったー、お肉大好き」

 

 

 お肉大好きおたえとりみりんコンビが万歳をして喜んでおりますが、この名探偵ユリンはお母さんの独特な雰囲気に決して丸め込まれたりはしませんよ。しれっとお嫁さん達と宣言しているあたり、悪の秘密結社花園家がポピパ全員をウサギの花嫁にする気満々なのは既にお見通しなのですからね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「番号一番、ギターボーカル戸山 香澄(とやま かすみ)です」

 

「番号二番、リードギター花園(はなぞの)たえです」

 

「番号三番(とおと)いの伝道者、美月 優璃(みづき ゆり)です」

 

「良し、三人にはリビングでの待機を命じる」

 

 

 非情な命令を下した有咲隊長を敬礼で見送り、わたしを含む美少女三人娘はリビングでウサギ達とモフモフタイムを楽しむ事となりました。

 

 わーい、やったーと喜びながら大量のウサギ達と戯れ始めるウサギ星人二人組。いやいやちょっと待ってくださいな、見渡す限り何羽いるのですか花園家のウサギ達って数が多すぎではないですかね。

 

 それはそれとして有咲隊長殿、まさかこれは平和な夕食の為に家事が苦手そうなメンバーを隔離したという訳では無いですよね。もしそうならばこの優璃様をあまり舐めないで頂きたいものですよ。

 こう見えましてもわたくし、最近女子力アップの為に瑠璃姉さんのお手伝いを始めたのでございましてよ。

 稀にテーブルを磨いたりですね、偶にはお皿なども並べたりですね、時々ですが姉さんが洗った食器の水気を拭き取ったりもするのですよ。

 毎日のトイレとお風呂掃除はわたしの担当で勿論ピカピカにしておりますし、もはやこれは完璧に女の子と言っても差し障りはないでしょうや。

 

 ソファーに腰を預けながらフンスと鼻を鳴らしたわたしの膝の上で、物言わずに真っ直ぐな視線を向けてくるウサギのオッちゃん。何だかとても虚しい気分になるのでとりあえず首を傾げるのだけは止めて頂けませんかね。

 

 ぼんやりとキッチンを眺めるとお母さんの横でエプロン姿の沙綾が何かを切っている様子が見て取れます。それにしても実家の安心感のような沙綾の母性というか女性らしさはどこから湧き出しているのでしょうかね、エプロン姿も似合っていてとても綺麗で羨ましくなりますよ将来の旦那様が……許すまじ。

 

 ふと顔を上げた沙綾と目が合ってしまい、恥ずかしさから慌てて顔を下げてしまった。

 何といっても衝撃のキスをしたのが昨日の今日ですから意識をするのも仕方がない話で、唇に残る柔らかな感触と温もりは未だに生々しい記憶として心に刻まれたままなのです。

 そんなわたしとは違ってキッチンの沙綾は普通に微笑んでいましたが少しは照れやがれですよ、とはいうものの所詮は同性同士の他愛もない触れ合い、沙綾にとっては親愛の情たるスキンシップのひとつ程度なのかもしれないですね。

 

 ところで有咲隊長殿、役に立たなそうというだけでわたし達を隔離しておきながら、しかもりみりんが不慣れながらもパタパタと忙しそうにお手伝いを頑張っている最中に何をキッチンの隅で恥ずかしそうにモジモジと縮こまっているのですか。流石にコミュ症乙女過ぎませんかね、あまりにも可愛い姿で萌えれてしまいそうですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 美味しい夕食に世俗の汚れを落とす爽やかなお風呂、そして美少女達と枕を並べて語り合う夜のひと時、これを尊いと言わずして何が百合の真髄かという気分です。

 

 夕食時は特に問題も無く和気藹々とした雰囲気を楽しみました。しかしお風呂の際には一悶着ありまして、おたえは全員で仲良く入浴するつもりだったようなのですが恥ずかしさから強行に反対する有咲とりみりんに押されて渋々と個別に入る事を了承しておりました。

 

 いやそもそも一般家庭のお風呂に六人で入るのは最初から無理があるのですが、わたしもどちらかと言えば有咲りみりん陣営なのでこれで良かったと心から思いますよ。わたしの背後で二人づつなら大丈夫でしょと意見の一致をみせていた若干二名の同調圧力がやたらと恐ろしかったですがね。

 

 みんなで居間に布団を敷いていたら空き場所の関係から一組だけ横向きにせざるを得ないお布団が確認されました。当然ながらポピパ五人の美しい並びを穢す訳にはまいりませんので、全部を敷き終えた瞬間にスライディングさながらの即行で横向きのオフトゥンを確保した次第です。

 

 

「今日の沙綾はずっと機嫌が良いよな」

 

「そうかな、まぁみんなでお泊まりは楽しいからね」

 

「それめっちゃわかる。私もこういうの夢にみていたんだぁ」

 

 

 何かを取りに自室へと向かったおたえを除いたみんなで並べたお布団の上に座りわちゃわちゃと雑談を始めた辺りで、伺うような表情で沙綾に軽く言葉を向けた有咲へ優しく笑顔を返した沙綾の姿に、りみりんも両手を合わせながら同調するような可愛い笑顔の花を咲かせてくれました。

 

 わかります、わかりますよ二人共。りみりんは内気な大人しい娘でしたし、沙綾も今までは友達と一定の距離を取っていたようなので中々こういう機会も無かったのでしょう。本当にポピパが結成されて良かったですよ、わたしも尊い目撃チャンスが増えてとっても幸せなのですよね。

 

 

「わたしも楽しいよ、あーりさ」

 

「ぶわっ、突然抱きついてくんなぁ!」

 

 

 思っていたそばから急に香澄が有咲に飛び付きそのままお布団の上に押し倒すように転がっていきました。

 おっと何ですかねこれは、早速のご褒美タイムですか今日は人生最良の日なのですか久しぶりの尊いご馳走様でございますよ。

 

 

「ただいま、みんなちょっとこれを見て」

 

 

 部屋へスキップをしながら戻って来たおたえが、輪になって座っていた中央の場所に一冊の写真アルバムを置きました。

 おたえさんやりますね。自ら黒歴史詰め合わせセットとも言える写真アルバムを持ち出すとは、既に幼少期から自分は美少女であると認識していたという事で宜しいか。

 

 

「おたえって弟さんが居るの?」

 

「いないよ、これは私だよ」

 

 

 アルバムの前半部を占めていた全身小麦色の肌をしたショートカットの可愛らしい少年を指差しながら訊いた沙綾の質問に、平然とした態度に爽やかな笑顔を添えて言葉を返したおたえに向かってメンバー全員が声を揃えて『えええええぇ』と大きな声をあげながら驚いてしまった。

 

 

「小さい頃は髪が短かったから結構男の子に間違われたんだよねって、そんな事よりも見て欲しいのはこっち」

 

 

 アルバムの最後の見開きページ、おたえが瞳をキラキラと輝かせながらドヤ顔で見せてきたのはノートから雑に切り取られたような一枚の紙でした。

 深く皺が入り時間の経過を表すように色褪せていたその紙には、音符のようなものと文字のようにも見える不可思議な絵がまるで暗号文書のように描かれています。

 おやおやもしかしてこれは謎解きというやつではないですか、やれやれ仕方がないですこいつは名探偵ユリンに対する挑戦状とお見受け致しましたぞ、良いでしょうやってやられてやりまくりしてあげますよ。

 

 

「おたえちゃん、これってコード譜?」

 

 

 えっとりみりん、『コードフ』って初めて聞いた気がするのですが誰ですかね、名前の響きからするとロシアのスパイっぽい人だとは思うのですが。

 

 

「そうだよ、それに此処を見て」

 

「んなっ、マジか!」

 

 

 おたえが指で指し示した箇所、紙の上部に書き殴られたその文字に有咲は驚きの声を漏らし、香澄とりみりんは瞳を丸くしてわたし自身は武者震いという物を感じ取ってしまった。

 

 

「私の全てはこの紙。違うや、(オジサン)の予言から始まったんだ」

 

 

 其処にはまるで曲の題名のように、魂の息吹のようにこう書かれていたのです。

 

 

 

 In the name of BanG_Dream!

 

 

 

 香澄がよく口にしていた、わたし達の胸の奥を何度も撃ちぬいていたあの言葉、そうBanG Dream(バン ドリーム)という言葉が確かに記されているのです。

 

 

「おたえさんやこれはいったいどういう事ですか、この古ぼけた紙にいったい何が有ったというのですか」

 

「あっ、そういえば次の蔵練って」

 

「いやそこ自分語りをする場面!」

 

 

 思わず有咲と同時にツッコミを入れてしまいましたよ、まったくもって天然と言うかマイペースにも程があるというものですおたえさん。

 

 わたし達のツッコミで思い直したように語り始めたおたえの昔話に、まさか再び全員が瞳を丸くさせられる事になるとは流石の優璃さんもこの時に知りはしなかったのです。

 

 ところで今更ですが結局コードフさんとは何者なのですかね、どなたか種明かしをして頂けると迷探偵ユリンさんも助かるのですよ。

 

 

 



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55.BanG Dream!:②

 

 

 むかーし、昔のことじゃった、とある寂れた公園でひとりの幼児(おさなご)が鼻歌を口遊みながら軽快にブランコを立ち漕ぎしておった。

 大きな町とはいえ長閑かなこの土地に越してきたばかりなその幼児には馴染みの者も居らず、公園でひとり遊んでいる姿がよくよく見掛けられたそうな。

 

 

「ちょっと待っておたえさんや、頼みますから普通に喋ってはくれませんかね」

 

「せっかくだから昔話っぽくしようかと思って」

 

「絵本の読み聞かせじゃねえから」

 

 

 わたしと有咲にツッコミを受けて、漸くおたえは普通に話を始めてくれるようです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 その日、私はいつものように公園のブランコで遊んでいた。

 友達もまだ居なかったしひとりで遊ぶのも別に嫌いじゃなかった、でもひとりで漕ぐブランコのキー、キー、という音は少し寂しく聞こえたけれど。

 前後にゆっくりと揺られながら、雨上がりの日差しが水溜まりをスポットライトみたいにキラキラと綺麗に輝かせているのを眺めていたら、いつの間にか知らないオジサンが近くのコンクリート造りのベンチに腰を降ろしてギターを弾き始めたんだ。

 

 

「オジサン、何をしているの?」

 

「見て解らねえのか坊主(ボウズ)、ギターを弾いてんだよ」

 

 

 皺だらけでヨレヨレのシャツに継ぎはぎだらけのジーンズ、顔は顎ひげがあったくらいしか覚えていないけれど今から考えれば怪しさの塊みたいな人だった。

 だけどそんな怪しいオジサンの指から奏でられるアコースティックギターの音色はとても綺麗で、滑らかに動き続ける運指と複雑に絡み合う音の世界に直ぐに私は魅入られて目が離せなくなってしまった。

 

 

「オジサンスゴーイ!」

 

「観客が一人のライブか。まっ、それも悪くねえか」

 

 

 気が付けばオジサンの前に座ってギターの音色に酔いしれていた。瞳を閉じながら演奏している怪しいオジサンがまるで音を操る魔法使いのように格好良く見えて、その時に私もいつかこれをやってみたいと直感的に思ったんだよね。

 

 

「スゴーイ! オジサンスゴーイ!」

 

「ありがとよ坊主、だがな俺の事をおじさんと呼ぶんじゃねえ。そうだな、俺の事は(かみ)と呼べ、いいな?」

 

「うんわかった、神オジサン」

 

「このガキ……」

 

 

 それが私と(オジサン)との出会いだった。

 それからオジサンはふらりと公園に来てはギターを弾いてくれるようになって、段々と仲良くなってからは神オジサンが休憩の時にはギターを触らせてくれる事も増えた。自分の指を使ってギターから溢れ出す素朴な音はまるで包み込むように優しくて、ひとりぼっちだった心の隙間を感動という震えで埋めるには充分過ぎる代物に思えた。

 

 だけどそんな二人だけの楽しい時間が永遠に続く事は無かった。

 

 

「今日でお別れだ坊主、ささやかな休息を終えて俺はこれから西へ旅立たなくちゃならねえ」

 

 

 急なお別れの宣告に動揺しちゃって今から考えれば通報されていても不思議じゃないくらいに泣き喚きながら引き留めていたら、神オジサンは黙ったまま自分のノートに何やら書き始めた。

 

 

「おい坊主、お前にこれをやる」

 

 

 涙を流し続ける私にノートから雑に切り取った紙を渡し、神オジサンは今迄で一番優しい顔をしながら頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

 

 

「ピーピー泣くんじゃねえ、男ってのは常にロックを背中に担ぎながら歯を食いしばり格好つけるもんだ。いいかこれは予言の書だ、お前がギターを気に入ったのならいつかこいつを弾けるようになれ」

 

「ギターを、弾く?」

 

 

 立ち上がりギターケースを肩に掛けた神オジサンは、いつも見せてくれていた片側の口角を上げた不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「これが弾けるようになった時、お前は夢に出会うだろう。その書は夢を叶える〝約束〟だ、絶対に無くすんじゃねえぞ」

 

「絶対に無くさない。ねえ神オジサン、いつかまた会える?」

 

「坊主の夢に俺は入ってねえよ。じゃあな、素敵な夢と出会える事を祈ってるぜ」

 

 

 背中を向けて歩き出した神オジサンは、右手を上げながら二度と振り返る事もなくライブ会場だった公園から旅立ってしまった。

 

 そんな神オジサンとの別れから程なくして私はエレキギターを始め、それと同時に髪も伸ばす事にした。それまでは特に気にも留めていなかったけれど、結局最後まで男の子だと思われていたのが今から思えばちょっとだけ悔しかったのかもしれない。

 音楽教室に通い本格的にギターを習い始めると、直ぐにその魅力の虜となって夢中で掻き鳴らすようになった。

 練習で指を痛めても平気だった、少しづつ弾けるようになっていくのが楽しくて仕方がなかった。

 そうしてギターにのめり込んでいく程に、私の中で段々と夢への片道切符と神オジサンの存在は薄れていった。

 

 でも高校生になって、すっかりと忘れてしまっていた神の予言を再び思い出す事になってしまった。

 

 

『BanG Dream!』

 

 

 有咲の蔵で香澄が何気なく放った言葉の弾丸は、子供の頃に渡された神の予言書に記されていた一片の詩。

 

 その時に不思議と感じたんだ。忘れていた記憶を呼び覚ますように吹いた暖かい風の強さと、ギターに初めて触れた時のような全身の震えを。

 これが神の言っていた夢なのかは今でも解らない。でももしかしたら、もしかしたらだけど私は出会ってしまったのかもしれない。

 地図もコンパスもない、まだ何もかも見えてはいない霧中の道筋なのかもしれない、それでもたったひとつだけ解った事はあった。

 

 私の中で、心の震えと共に何かが動き始める序曲が確かに鳴り響いたという事だけは……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「それでバンドをやってみるのも良いかなぁって思ったんだ」

 

「何か不思議な繋がりだね、これが縁って言うのかな」

 

「ええ想像以上ですよ、おたえさんがこんなに真面目な話をするとはね」

 

 

 想像以上に良い話で場がしんみりとしてしまったので、雰囲気を明るくする為に軽く冗談を言ってみたら隣に座っている沙綾に頬をつねられました。調子に乗りました御免なさいです怖いですわたしの嫁。

 

 

「私も、ちょっとみんなに見て欲しい物がある」

 

 

 おたえの話が終わり訪れた束の間の静寂の間も何故か不思議と険しい顔をしていた有咲が、自らのスマホを操作した後にみんなに向けてとある画像を見せてきました。

 

 

「これは以前にランダムスターが入っていたケースなんだけど」

 

「あうぅ、ごめんなさい」

 

 

 以前に壊してしまったケースの画像を見たせいか隣りに座る香澄が落ち込むように顔を下げてしまったので、とりあえず慰めるように頭を優しく撫で撫でしておきました。

 

 

「いやそれはもう済んだ事だから気にすんな。見て欲しいのは次の画像、江戸川楽器店でケースを処分してもらう前に気になったところを写した一枚なんだけど」

 

 

 有咲が人差し指をスライドさせて映し出された画像に、まさに全員が息を呑むように言葉を失ってしまった。

 

 

「香澄はこれを見た事ある?」

 

 

 真剣な表情で問いかけられた香澄は、瞳を全開に見開きながら頭を何回も横に振った。

 

 

「だろうな、これは緩衝材代わりで中に敷かれていた沢山の新聞紙を取った後に姿を現した物だ」

 

 

 擦れてしまったのかうっすらと消えかけてはいましたが、そこには間違いなくこう描かれていたのです。

 

 

『BANG DREAM ! 』

 

 

 その文字を確認して誰もが信じられないという表情をしながら有咲を見つめると、照れてしまったのか真剣だった有咲の表情がみるみる紅みを帯びてきてあからさまに視線を外されてしまいました。

 まぁとりあえずですが胸の奥で思っておくとしますかね。有咲たん、美少女ギャップ萌えは卑怯でござるぞ。

 

 

「これって、ランダムスターの持ち主がおたえちゃんの言っていたオジサンだったって事なのかな?」

 

「うーん、わたしは違うと思いますね」

 

「私もそう思う。神オジサンにランダムスターは似合いそうもないもん」

 

 

 りみりんがそう考えるのも仕方がないとは思いますがこの名探偵ユリンにはちょっぴり違う景色が見えているのですよ、おたえさんとは違う観点から結論を導き出したものでね。

 

 

「この二つを見比べると決定的に違う箇所があるのです。よく見てくださいギターケースの方は大文字で書かれているのですよ、これは別人による犯行に間違いはありませんね」

 

「えっ、根拠ってそれだけ?」

 

「なんやて有咲。よう見てみい、筆跡もちゃうし間違いあらへんやろ」

 

「いや何処の誰だよそのキャラ」

 

 

 この名探偵の推理に疑問を呈するとは、まだまだお互いに意思の疎通が足りぬようですな有咲たん、同じポピパのツッコミ担当としては寂しい思いですぞ。

 

 

「でもそうなら凄く素敵だよ。まるで運命みたいにひとつの言葉が色々な人から受け継がれるように繋がって、導かれるように私達が集まったみたいだもん」

 

「そうだねりみりん、この出会いが運命で結ばれているって私も思いたいな」

 

 

 りみりんも沙綾もとても素敵な考えだと思いますよ。

 わたしも転生という経験上、神様や運命というものを否定する事は出来ないのですが、これから先も全てが神様の掌で転がされ続けていくとは何故だか思いたくはないのですよね。

 舗装された道を歩いていくだけではつまらないのですよ。道なき道を歩いた足跡を振り返る時、人はその道程を人生と呼ぶのです。

 勿論これまでの事は感謝をしていますがそもそもわたしの信条は神様許すまじですからね、踊らされ続けるのはやはり癪というものです。

 ポピパの明日はわたし達で選び、進み、感じたいのです。例え捻くれ者と呼ばれようとも構いません、あえて簡潔に言うならば思春期を甘く見るなという事ですよ。

 

 繋がれる絆のような言葉に不思議な巡り合わせを感じて全員が神妙な顔つきで押し黙っていた最中に、ふと顔を上げると沙綾と目線が重なってしまいました。

 その表情はいつもの頼もしいものではなく、お泊まりした時によく見た甘えてくる時の優しい視線をしていますね。おやおや沙綾さん今日はみんなでお泊まりの日ですよ、あの甘えた姿は流石に他の人に見られてはいけないものだと嫁は直感的に思うのですがね。

 

 

「わたし、今のこの気持ちを歌にしたい。わたし達のBanG Dreamを作りたい」

 

 

 何かを考え込むように押し黙っていた香澄が発した言葉にメンバー全員が驚いたような、でも妙に納得したような表情をわたし達のリーダーに向けた。

 

 

「うん、私も良いと思うよ」

 

 

 わたし達の頼もしいドラム担当は素敵な笑顔を作った。

 

 

「私達のBanG Dreamってめっちゃ素敵だね、香澄ちゃん」

 

 

 作曲、ベース、癒しの天使担当は綻ぶ笑顔を作った。

 

 

「どうせなら神のコードも使おう」

 

 

 天然で真っ直ぐなリードギター担当は無邪気な笑顔を作った。

 

 

「バン、ドリームの名のもとに……」

 

 

 ツンデレで口が悪いけれど誰よりも優しい心を持つキーボード担当は、訳の分からない事を口走り始めた。

 

 

「有咲どうしたのですか、いきなり詩的な事を言いだしたりして乙女な気分なのですか?」

 

(ちげ)えわ優璃、〝In the name of BanG_Dream!(バン ドリームの名のもとに!)〟だ」

 

「ほえぇ、てっきり〝名前の中にバンドリームがある〟かと思っていましたよ」

 

「それだと意味不明過ぎるだろ」

 

 

 香澄が輪になって座っていた中央に置かれていたアルバムの上へ、何かを約束するように手をかざした。

 

 

「決まりだね。バンドリの名のもとに、創ろうキラキラドキドキなわたし達のBanG_Dream!」

 

「香澄、何でDream(そこ)を短縮した?」

 

「えーだってー、言いやすいし」

 

 

 ツッコミを入れながらでも、有咲は誰よりも早く香澄の手に自分の手を重ねた。

 

 

「どうせならCiRCREでの初ライブで披露したいですな」

 

「いくら何でも気が早いだろ、まだオーディションにも受かってないのに」

 

「まぁ良いんじゃない、次の目標が出来るって事で」

 

「沙綾は優璃に甘すぎだぞ」

 

 

 わたしが手を重ねるとメンバー達も次々に手を重ねてくれました。

 今まで全員で何度も重ね合わせた手の温もりは回数を増す事にお互いの絆も深めてくれているような気がして、実は内心とても気に入っている行為なのですよね。

 

 

「みんなで前へ進もう、オーディションにも受かってポピパの夢を撃ち抜いていこうね」

 

 

 他人のお家なので掛け声は上げませんが、香澄の言葉を受けてから全員で頷き合い手を空に向けて弾かせました。

 何かいまポピパの意思がひとつに纏まったような、まるで無限のエネルギーの塊となって銀河の果てまで行けちゃいそうな、そんな不思議な興奮と感覚に包まれたのです。

 

 

「ではそろそろ枕投げ合戦のお時間ですかね?」

 

「なに言ってんだよ優璃、する訳が無いだろ」

 

「えーしようよありさ、楽しいよ?」

 

「どういう組分けする? 私はウサギさんチームが良いなぁ」

 

「うるせえ三馬鹿共、私はもう寝るぞ」

 

 

 んなっ有咲たん、みんなでお泊まりなら夜更けに枕投げというのは古来より続く日本の伝統行事ですぞ。

 可愛い女の子達がキャッキャウフフと枕を投げ合う光景に興味は無いのですか、それで人間と呼べるのですか、内なる魂に尊いの補充は必要ではないと仰るのですか。

 

 おのれ許すまじ有咲たんですよ。

 それと言い忘れておりましたが、わたし達は三馬鹿ではなく三人の頭文字を取って〝Y(やっぱり)K(可愛くて)T(尊い)〟トリオと呼ぶが相応しいのですよ。

 

 

 



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56.【幕間】ハローハッピーワールド

 

 

 

 女の子って自衛には本当に気を使わなければならないのですね、もう遅いですが身をもって勉強する事が出来ましたよ。

 

 

「ハロハピ会議を始めるわよ!」

 

 

 軽やかな金色の長髪を躍らせながら鼻息荒くホワイトボードの前に立った弦巻こころには、もはや何をか言う気力も言葉も見つかりませんがまぁそれは良しと致しましょう。

 

 

「まさか結衣が弦巻家に魂まで売っていたとは思いもしませんでしたな」

 

「こころ様から頼まれただけでしゅ。それにこうでもしないとお姉様が私の相手をしてくれないからでしゅよ」

 

 

 アルバイトに行く為に気怠い足取りで放課後の校門から出た直後に制服姿の結衣を筆頭とした弦巻黒服隊のお姉様方に取り囲まれ、驚く間も無く逃げる隙も与えられずそのまま簀巻き同然の姿に拘束されてワッショイワッショイさながらの神輿状態で連行された先は弦巻こころの宮殿、いや宮殿のような自宅の一室でした。

 高い天井には落ちてきたら確実に死ねるような大きさのシャンデリア、磨き上げられた大理石のように輝く床面、壁には高級そうな額縁に入れられた高額そうな絵画にホラー映画でしか見た事が無いような西洋風の甲冑とまさに宮殿と呼ぶに相応しい内装ですね、もしかして此処は重要文化財か何かの建物ではないのかとさえ思わされますよ。

 

 

「学校ではちゃんと話をしている筈ですがね」

 

「足りないでしゅ、圧倒的な欠乏でしゅ。お姉様専属の従者としてもっと愛されという名の支配を全身で感じたいでしゅ」

 

「いや従者とかいったい何を言っているのですか。あくまでもわたし達は普通のフレンドリーな友達ですよ、もしや弦巻家に教育という名の怪しい洗脳でも施されてしまったのではないですか?」

 

 

 部屋の中央にある豪勢なテーブルに陣取るはハローハッピーワールドのメンバー達。ギターの瀬田先輩にベースの北沢さん、椅子に座らせられたわたしの右隣には水色のふわふわとした髪を揺らしながら結衣とのやり取りを微笑ましい表情で眺めておられたドラムの松原先輩、そして左隣には圧倒的な存在感で鎮座しておられる……。

 

 

『初めまして優璃ちゃん、ミッシェルだよお』

 

「奥沢さんや、もうすっかりハロハピに馴染んだみたいで何よりですな」

 

「そんな訳がないでしょ。それよりも小耳に挟んだけれどミッシェルの生みの親が美月さんって本当なの?」

 

 

 ピンク熊の着ぐるみであるミッシェルの中の人こと奥沢 美咲さんにいきなり確信を突かれてしまい、驚きで思わずビクリと身体が跳ねそうになりましたが何とか堪えきって後に立つ結衣に冷ややかなジト目を送ると、視線の先の女狐はわざとらしい程の角度で顔を背けて口笛など吹き始めて誤魔化そうとしています、えぇ許すまじです。

 ところで何故に結衣は全身黒色のクラシカルなメイド服を纏っているのでしょうかね。かろうじてサングラスだけはしていませんが雰囲気が弦巻黒服隊みたいですし、やはり弦巻家に怪しい洗脳でもされてしまったのではと本気で名探偵ユリンは疑ってしまいそうですよ。

 

 

「あらあらそんな話は初耳でございますわ、奥沢さんも御冗談が過ぎましてよ」

 

「本当に?」

 

「あの、ちょいとミッシェルさん、あまり顔を近づけないで頂けますかな」

 

 

 押し付ける程に寄せてきたミッシェルの大きな瞳に見つめられると、痙攣のような身震いと共に全身の汗腺から冷たいものが吹き出してくるような寒気に襲われてしまいます。いくら可愛くなったとはいえこの着ぐるみの見た目の克服はどうやらこの先も叶いそうにもありませんね。

 

 

『優璃ちゃんどうしたの? ハロー、ミッシェルだよお』

 

「はふぅ、い、いやぁ……」

 

 

 頭をグルリと動かして下方から覗き込んでくる恐怖の象徴たる着ぐるみ。おのれ奥沢 美咲め、わたしがミッシェルを苦手としている事を薄々勘付きよったな。

 

 

「あら優璃ったら恥ずかしがって下を向いてしまったのね、大丈夫よミッシェルはとっても優しいんだから」

 

「ゆーちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだね。大丈夫、笑顔、笑顔!」

 

 

 いや明らかに怯えているのですがね、頭ハッピーワールドなのですかこころさんと北沢さんや。

 

 

「震える子猫ちゃんも愛おしいものだが安心したまえ、かのシェイクスピアもこう言っている。運命とは、もっとも相応しい場所へと貴女の魂を運ぶのだと……あぁ、儚い」

 

 

 いや瀬田先輩、徹頭徹尾何を伝えたいのかさっぱりと解りませんよ。

 もしかしてこの愉快な集団で普通の人と呼べるのはわたしの頭をずっと優しく撫で続けてくれている松原先輩だけですか、美人で優しいとか救いですよ有難うございます。

 

 

「大丈夫? トイレだったら我慢しなくてもいいからね」

 

 

 いや松原先輩、ちょいとピントがズレている気がするのですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「みんなは決まったから後は優璃だけよ、さぁ好きな楽器を選んでちょうだい」

 

「こころさんや何故にわたしが演奏メンバーに組み込まれているのですかね、ハロハピに加入した記憶はございませんが」

 

「何を言っているのかしら、優璃は最初からハロハピのメンバーじゃない」

 

 

 腰に手を充てながら満面の笑顔を向けてくる弦巻こころ。巻き込まれる事を恐れていたとはいえやはりそうきましたか、だがしかしここで流される訳にはいかないのですよ。いま漸くポピパがひとつに纏まりこの良い雰囲気のまま鬼オーナーが待ち受けるオーディションへと立ち向かわなければならないのです。こころには申し訳がないのですが、アニメの主人公でもあるまいしバンドを掛け持ちして青春ヒャッハーなどという超人モチベーションは持ち合わせてはいないのですよ。

 

 

「応援はするけれど活動は無理ですよ。わたしは既に他所のバンドのメンバーに名を連ねているのでね」

 

「どうして二つのバンドをするのが無理って言うのかしら?」

 

「いやだからその……」

 

 

 こころが小首を傾げて本気で不思議そうな表情を見せていますが普通に無理でしょ、そもそも演奏が出来るのならば既にポピパでやっているに決まっていますしね。

 

 

「やってみなければ解らないしやればきっと出来るわ、それに優璃がいればもっともっと世界を笑顔に出来る気がするのよ」

 

 

 あっこれヤバイっす、こころのカリスマ性とやらでいつの間にやら有耶無耶にされて巻き込まれるやつっす、トイレに行く振りをして逃げ出しても良いっすかね。

 とりあえず会話を打ち切るようにお花畑に行ってきますと言いながら立ち上がったところで、有無を言わせぬ勢いでミッシェルに腕を掴まれてしまいました。

 

 

『そうそうみんなに言い忘れていたけれど、今日は妹が遊びに来るって言っていたんだあ』

 

 

 ほほぅミッシェルに妹設定があるなんて初耳ですよ、ハンナも色々と遊び心を入れてくるのですねって、奥沢さんそろそろこの手を離して頂かないとわたしの百戦錬磨の逃げ足をお見せする事が出来ないのですが。

 

 

「ささっ、お姉様こちらへ」

 

「ちょいと結衣さん、童顔で可愛いらしい笑顔がとても恐ろしく感じるのは何故ですかね?」

 

 

 気が付けば黒服隊のお姉様方に取り囲まれ、あっと言う間もなく口を塞がれて簀巻きにされてしまいました。

 本日二度目という事で少々慣れてはしまいましたが、やはり一言だけは叫んでおきますかね。

 

 

ムヒー(ムキー)! ハフヘヘ(助けて)ハフヒヘホーン(カスミえもーん)!」

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

『紹介するね、妹のアンジェラだよお』

 

『オ、ノ、レ、ユ、ル、ス、マ、ジ』

 

 

 二度目の御神輿ワッショイで運ばれた先であれよあれよという間にピチピチのスポーツウェアに着替えさせられ、その勢いのまま両脇を抱えるようにして連行された部屋に既に用意されていたオレンジ色でひとまわり小さなミッシェル型着ぐるみに投げ入れられるようにフェイドインされまして、はいはいこのザマでございますよ。

 

 

「まさかとは思うのですが、これは奥沢さんの策謀ですかな?」

 

『みんなあ、アンジェラもハロハピを手伝いたいって言っていたよお』

 

「ムキー! やはりミッシェル奥沢、貴様の差し金かぁ!」

 

「あたしだけ巻き込まれるのは不公平でしょ」

 

 

 おのれ、おのれ許すまじですミッシェル奥沢。この身に沸々と湧き起こる怒りという名の八つ当たりをそのまんまるの体で受け止めるがいいです。

 

 

「発現した自分勝手の極意、世界を破滅に導くその場凌ぎ、尊きをもって邪悪を挫く自己正当化。はあぁぁ喰らうがいい、何となくいま思い付いたアンジェラの必殺技を」

 

 

〝ギャラクティカピストンマグナムパンツィィィィ!〟

 

 

 さぁ唸れわたしの両手、巨悪を撃ち砕く聖なる拳となって叩きつけてやるのです。右、左、右、左、この音速を超える拳で後悔をという痛みをその魂に刻み込んでやるのですよぉ!

 

 

「見て見てこころちゃん、アンジェラちゃんが照れてミッシェルにポカポカと駄々をこねて甘えているみたい、可愛いね」

 

「本当だわ花音、二人はとっても仲良しなのね」

 

『いや違いますけど!』

 

 

 それにしても重い、着ぐるみって重いし暑いし何なのですかこれは。こんな物を着て動き周れる奥沢さんはやはり普通の女の子ではないですよ、絶対に改造人間の類いに違いないです。

 

 慣れていない着ぐるみのせいで早々に体力の限界を迎えて力無く椅子に体を預け脱力してしまいました。そんなわたしの肩へミッシェルが優しく手を置きましたが、何だか勝ち誇られたようでとても悔しくて泣いちゃいそうです。

 

 

「燃え尽きちまったです。あたしゃ真っ白な灰になっちまったですよ」

 

「これ以上ゴネるなら抱き付いて延々と見つめてあげるから」

 

「美咲の鬼、ミッシェルの悪魔」

 

「逃げられないのはお互い様。呉越同舟という事でヨロシクね、優璃」

 

 

 打ちひしがれるわたしの前方には本当に楽しそうに笑っているこころ達の姿。とても微笑ましくて思わず和みそうになってしまいますが、残念ながらポピパの正念場に寄り道をしている暇は無いのですよ。えぇ必ずや美咲とこころの魔の手から逃亡を果たしてみせますからね。

 

 

「うふっ、これでお姉様と付かず離れずでいられましゅ」

 

「結衣さんや、後でじっくりとお灸を据えさせて頂きますぞ」

 

「ご褒美でしゅ、お姉様からの愛されを全身で受け止めてみせましゅ」

 

 

 黒色のメイド服のスカートを軽く摘み深々とお辞儀をした結衣に向かって、ミッシェルが不思議そうに頭を傾げた。

 

 

「えっと、二人はどういう関係なの?」

 

「ミッシェルさん、それはとても口に出しては言えない間柄で……」

 

「誤解を招きそうな言い回しをしない! 友達です、美咲と同じ花女の同級生ですよ」

 

 

 結衣は当初の雰囲気から随分とかけ離れてきたようにも感じますがそれだけわたしに慣れてきたという事ですかね。深く考えると危険な香りがするので遠慮がなくなるのは良い事と前向きに捉えておく事にします。

 

 

「さぁアンジェラも加わったハロハピで、世界中を笑顔にするわよ!」

 

 

 こころの叫びに呼応してわたし以外のメンバー達全員が、わーい、ふえぇ、あぁ儚い、嫌だ面倒臭い、などと揃わない掛け声を発しながら右腕を掲げました。

 世界を笑顔にを目標とするハローハッピーワールド。弦巻こころを中心とした摩訶不思議な笑顔の力で、きっとこれから沢山の人達に幸せを届けていくのだろうなと蒸し暑い着ぐるみの中から確信してしまったのでした。

 

 あのところで美咲以外のハロハピの皆様方、まさかとは思うのですが優璃ちゃんの存在をすっかりと忘れ去っているとかは無いですよね。それはそれでちょっと寂しいと感じる十五才の夏なのですよ。

 

 

 

 



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57.思い出のイヤリング

 

 

  

 流れる汗、綻ぶ笑顔、最強無敵の歌声。気持ちがひとつの塊となったpoppin'partyの音楽は、キラキラとワクワク未来へのドキドキを全ての人へと届ける夢先配達人に違いありませんよ。

 

 

 

 オーディションを目前に控えた最後の蔵練の日、演目予定の『前へススメ!』の通し練習を終えたメンバー達は満足したように燃え尽きた視線を少し離れた位置で腕組みをしながら観覧していたわたしへと向けてきました。

 

 メンバーの一員であり総監督であり只のマスコット(おまけ)でもあるわたしは、厳しい表情を崩さずにゆっくりと右腕を前に出して捻挫をする程の反りと勢いで親指を天に向けて突き上げてやります。

 

 

「最高オブ最強。やりやがったなコンチクショーですよ」

 

 

 わたしの言葉を切っ掛けにして全員が緊張を切らしたのか息を吐きながら脱力したように肩から力を抜いていきました。

 

 

「なんだよ変な表情すんなよな、ちょっと不安になっただろ」

 

 

 半笑いの表情のまま愚痴を言う有咲の姿にみんなが釣られて笑い出してしまう。そんな何気ない光景を眺めていられる事が何よりの贅沢なのだと最近は思えてきたのですよね。

 まだ感慨に耽るような年齢でもないのですが、こんな時間が永遠に続けば良いのにと本気で願わずにはいられませんよ。

 

 

「みんなお疲れサマンサですよ」

 

「まだまだ、ギターなら一日中でも弾けるし楽しいよ」

 

「おたえはギターが好き過ぎだろ、私はもう無理だわ」

 

 

 蔵のソファーで休憩がてらの雑談を始めたのですが、元気の有り余るおたえと比べ有咲は背もたれに身体を預けながら疲れ切ったという表情を隠そうともしていません。

 

 

「有咲ちゃん頑張っていたものね」

 

「べ、べべ別に頑張ってねえし。そろそろあの婆さんに一泡噴かせてやりたいだけだ」

 

「ふふっそうだね有咲。でも良くなってきたのは実感しているよ、一体感とか」

 

「沙綾笑うな、でも確かに悪くはない……とは思う」

 

 

 ふと思ったのですが、有咲ってポピパのメンバーには弱過ぎではないですかね。

 

 

「わたし、今なら宇宙でもライブが出来そうな気がする」

 

「香澄、調子に乗り過ぎ」

 

「いやいや全国ツアーくらいなら既に視野に」

 

「優璃、寝言は寝て言え」

 

 

 ふと思い知ったのですが、有咲ってわたしと香澄に強気過ぎではないですかね。

 

 雑談をするに香澄達が座るソファーには既に空き場所も無かったので沙綾の膝を枕にして直に床へと座っているのですが、沙綾がときおり頬を両手でぷにぷにと摘んでくるのが少しばかり厄介です、きっと無意識なのでしょうがやれやれ困ったちゃんな嫁でございますよ。

 

 

「オーディション大丈夫かな?」

 

 

 りみりんが不安そうに口にした言葉に蔵の中が静まり返りましたが、それは一瞬の杞憂に終わりそうです。

 

 

「大丈夫だね」

 

「おたえ、急に断言とかどうした?」

 

「でも言いたい事は解るかな、私もいけそうな気がする」

 

「何でこれで解る。あのさ別に否定とかしても良いんだぞ沙綾」

 

 

 おたえの謎自信はさておき有咲のツッコミがタイミングといいスピードといい練度が段々と増してきているような気がします、これには同じポピパのツッコミ担当として負けてはいられない気がしてきますね。

 

 

「でもありさだってそう思っているでしょ?」

 

「いやまぁ、そのだな……そうだけど」

 

 

 問い掛けに恥ずかしそうに身体をくねらせながら答えた有咲に微笑みを送った香澄は、突然ソファーから立ち上がりまるで正義のヒーローが登場する時のような『トウッ』という叫び声と共に楽器達の置いてある演奏スペースの前に踊り立った。

 

 

「わたしね、これからもいっぱいキラキラドキドキしたい。ポピパで……この六人で沢山のトキメキを届けたい!」

 

 

 本当に不思議な娘です。落ち込んだり悩んだりする事はあれど基本的には前向きで明るく、放たれる言葉は周りの人達を不思議と笑顔にしてしまう魅力に溢れ輝いているようにも思えます。

 やはり香澄は女神。この純真無垢な高潔さは誰にも穢さしてはならない神域なのです、守りたいこの笑顔というやつなのです、危険な男共などあっち向いてゴーホームなのですよ。

 

 高頻度に頬をぷにぷにする沙綾の魔の手から逃れるように立ち上がり、香澄の元へ飛ぶように移動してその肩に手を乗せます。

 

 

「みんな、素敵な演奏をしてオーナーにキャインと言わせてやってくださいよ」

 

 

 わたしの煽り言葉にメンバー達全員が笑顔の返答をしてくれました。

 

 

「オーナーもだけど、優璃を感動で泣かせるくらいの演奏はしたいな」

 

「でも優璃ちゃんが泣いたら私まで釣られて泣いちゃいそうだよぉ」

 

 

 いや急に何を言っているのですかおたえさんにりみりんさんや、わたしがそんな女の子みたいに泣く訳が無いではありませんか。

 

 

「確かにビービーと泣く優璃は面白そうだな」

 

「いつもゆりには泣かされているからね、偶には泣かせてみたいかも」

 

 

 有咲の妄言は放っておくとして沙綾さんや、さして泣かせた記憶などありませんがもしやわたしの知らぬ間に何かしでかしていたのなら言ってくださいな、嫁に遠慮は無用ですぞ。

 

 

「わたし達のライブで絶対に泣かせてみせるよ、ゆり」

 

 

 香澄まで気合いの入った顔をしないでくださいよ。まったく、関係ないところで変な団結力を見せないで頂きたいものです、オーディションが始まってもいないのにもう瞳が潤んでしまいそうになっちゃいますよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 決戦のオーディションを翌日に控えた夜、香澄の部屋で二人並んでベランダから星空を見上げた。

 高い湿度のせいなのか薄い幕を張ったようにぼやけた星明かりは、まるで蛍の群れのような淡い光りで街の景色を幻想的な美しさで浮かび上がらせています。

 それでもわたしにとっては天空の星々よりも淡く照らし出された香澄の横顔の方が余程に綺麗に思えて、このままずっと夜が終わらずに香澄を見続けられたら良いのにと少し乙女チックな感傷に浸ってしまいそうです。

 

 

「いよいよ明日だね」

 

「ちゃんと見届るから精一杯やっちゃってくださいな」

 

 

 此方を向いて微笑んだ香澄の無垢で透き通るような瞳は本当に綺麗だなって思うし、隣に幼馴染が居るという安心感が心の中に暖かい何かを満たしていくような気がしてわたしも自然と笑顔になってしまいます。

 香澄が以前に言っていた気持ちが今はとてもよく解ります、わたしだってもしも香澄が側から居なくなれば途轍もない喪失感に苛まれそうな気がしますからね。

 

 

「ねぇ、明日はゆりの部屋に飾ってあるイヤリングを貸してもらってもいい?」

 

「あの思い出のイヤリングですか、勿論オッケーに決まっていますよ」

 

「やったね、これでゆりと一緒にステージに立てている気分になれる」

 

 

 えっ何ですか可愛い過ぎですか健気過ぎですか、やはり人智の及ばぬ女神か何かではないのですかこの娘は。

 

 

「ゆりは覚えていないものね、あのイヤリングをわたしの誕生日プレゼントで買った時の事は」

 

「えっとね、不思議とそれは薄っすらと思い出せるような……イヤリングを付けてあげたら凄く恥ずかしがっていたような気がする」

 

 

 色褪せてセピア色に染まった記憶には、今よりも少し幼い香澄が嬉しそうで照れたような上目遣いを向けている記憶が残っています。これは優璃の記憶ですかね、とても可愛らしい香澄の姿がとても印象的です。

 

 

「そうか、やっぱりそうだったんだね」

 

「えっ⁉︎ どうしたの香澄?」

 

「何でもない……から」

 

 

 先程まで優しい笑顔を見せていた香澄の瞳から突然降り出した雨のように涙が溢れ出し、口からは堪えきれない嗚咽を漏らし始めてしまった。

 何が起こったのか混乱しきりの思考は捨て置いてとりあえず落ち着かせる為に頭を撫でてあげると崩れるように膝をつき、わたしのお腹の辺りに抱き付いたまま暫く嗚咽を漏らし続けた。

 その態勢のまま頭を撫で続けてあげると落ち着きを取り戻したのか嗚咽は収まってくれたのですが、抱きついている腕が背骨を軋ませる程に食い込んでいる事にそろそろ気が付いて欲しいのですよ、苦しくて今度はわたしの方が泣いてしまいそうです。

 

 

「ゆり、ちゃんと守ってくれる?」

 

「そんなもの当たり前ではないですか。香澄に変な虫など寄り付かせませんよ、殺虫処分です許すまじですからね」

 

「意味が解らないよ……でも今度はわたしもゆりを守るね」

 

「わたしにはそんな心配は要らないと思いますがねぇ」

 

 

 漸く腕の力が弱まってきたので気を失わずに済みそうですが、それにしても先程から窓がコンコンと五月蝿いですね、カナブンが執拗に窓へボディアタックでもかましているのですかね。

 

 

「ゆ〜り〜お姉ちゃ〜ん、もしかしてお姉ちゃんを泣かせたの?」

 

 

 開き放たれた地獄への扉から現れたのは大魔神こと我等が愛しの妹君あっちゃんでございます、いやはやこれはもしかせずとも死へのカウントダウンが始まってしまった予感がしまくりなのですが。

 

 

「ち、違うよあっちゃん、こ、これは誤解でして」

 

「もう、ゆりが泣かすから明日は目が腫れちゃうかもだよ」

 

「やっぱりじゃん!」

 

 

 香澄さんこのタイミングでその台詞は無いですわ。違いますよ、これは冤罪なのですよ裁判長殿。

 

 

「はい、罰を与えます。受刑者は室内へどうぞ」

 

「いや何罪なのそれ?」

 

「お姉ちゃんの笑顔を損ねた罪、極刑です」

 

 

 あのですね、今更ですが戸山家法典ってとんでもなく厳し過ぎだと思うのですよ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 静かな、それはそれは静かな極限の緊張と確かな決意が、薄暗く静寂に包まれたCiRCLEライブスペースの中を満たしていた。

 まるで天空から差し込む後光に照らされたように明るいステージの上には五人の天使達が集い、ステージから少し離れた場所にはパイプ椅子に座りステージからの間接照明を浴びて浮かび上がるような存在感のオーナー。その横には『さ〜くる』と大きく文字がプリントされたとても、とても悪趣味なスタッフシャツを着せられたわたし。えっと、もしかして嫌がらせか何かの類いですかね。

 

 

「表情が違うね。美月、何かあったのかい?」

 

「何もありませんよ、ただ……」

 

 

 香澄がマイクを握ると、それを合図にメンバー達の表情が変わった。

 

 

「ただ自分達はpoppin'party(ポッピン パーティー)であると知っただけです」

 

 

 そうわたし達はpoppin'party。ポップでステキな、誰もがゴキゲンになれちゃうキズナのミュージックをお届けするバンドなのですよ。

 

 

 聴いてください、わたし達の……。

 

 

 やっちゃえ香澄、弾けようみんな。

 

 

 前へススメ!

 

 

 



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58.前へススメ!

 

 

 

 たとえ どんなに夢が遠くたって

 

 あきらめないとキミは言った

 

 輝く朝日に誓ってる「前へススメ!」

 

 キミらしく駆けぬけて!

 

 

 全員の歌唱から始まるこの曲はpoppin'partyの決意を記した叫びのような歌だ。

 明るい詞を書く事が多い香澄にしては珍しく、勇気が出なくて立ち止まっても例え何度だって躓いて転んでも構わない、もう自分達は一人じゃないのだから何度だって立ち上がれる筈だという力強い願いを込めたようにさえ思えた。

 

 身体中が振動で震えてくる。ポップな曲調のイメージは崩れていないのに、まるで音の粒がマシンガンの弾丸のように強烈な勢いで身体に打ち付けてきて思わず後退りしそうになる。

 音符に意思が宿って心の奥底にまでメンバー達の想いが伝わり染み込んでくるような不思議な感覚に包まれる。これがバンド、これがライブというものなのですね。

 

 もう何と言うか本当に格好良くて素敵な人達ですよ、まったく……。

 

 

 そうだ どんなに雨が強くたって

 

 どんなに風が強くたって

 

 何度も何度もつぶやいた「前へススメ!」

 

 昨日の雨に打たれたって 限界の風が吹いたって

 

 果てしなくても 遠くても!

 

 

 眩い光に照らされた五人の天使達が真剣な表情のままに歌い、華やかな祝祭の舞台で舞うように演奏をしている。

 みんなからはどんな景色が見えているのだろう。只の薄暗い客席だろうか、それとも青春という名の形の無い夢物語の始まりなのでしょうか。

 輝くようなみんなの姿が羨ましくも感じるとはいえ、やはりわたしはこのステージに立つ事を考えられませんよ。

 だってこんなに素敵なバンドを間近で見られるなんて間違いなく最高の贅沢ですし……あと百合百合とした光景は眺めてこそ価値があるというものですのでね。

 

 キラキラドキドキを求める女の子が星のギターとツンデレな女の子と出会い、様々な巡り合わせの螺旋を描きながら紡がれていった物語の始まりの歌が『STAR BEAT!』とするならばこの曲はきっと試練からの再生の歌。だからみんなで一緒に走ろう、見えなかっただけで明日への扉はきっと開きっ放しに違いないのですから。

 

 

 見渡す限りに揺れる輝きが 待っている場所へ

 

 向かいながら 向かいながら……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 世界から音が消え去ったように無音の時が流れた。

 ステージの上では演奏を終えたメンバー達が肩で荒く呼吸をしているというのに、まるで空気の流れさえも固まってしまったように音は何も伝えてはくれなかった。

 もしかしていま世界で鳴っているのは自分の心臓の音だけなのかもしれない、そう思える程に激しく脈を打つ鼓動だけが時間の流れを教えてくれているような気がした。

 

 表情ひとつ変えずにライブを見守っていたオーナーは、ゆっくりと椅子から立ち上がり片手で杖を付きながら客席の最前列の方へと歩み寄って行く。その背中を追いながらメンバー達の表情を確認すると誰もが真剣な表情を崩さず、まるで命を懸けた戦いの最中のように緊張感は持続されたままだった。

 

 

「ライブというものは自由だ、演奏者がやりたいようにやれば良い」

 

 

 オーナーに寄り添うように並んだのを待っていたかのように口を開かれましたがえっと、急に厨二病っぽい発言とかいったい何がどうしたというのですかね?

 

 

「だがそれには伝えたい想いがなくちゃならない。音でも良い、メッセージでも良い、観客に伝える何かが無いのならそれは只の発表会だ。そしてライブなら最後までやりきる覚悟がなければならない。実力が足りなくて盛り上がらなかろうが自分達の想いが伝わらなかろうが、適当な演奏は客とライブに対して失礼だからね」

 

 

 自分の唾を飲み込む音が大きく聞こえてしまう程に緊張する。

 それにしてもオーナーの表情が厳しいままで怖いです。これでもまだ、まだみんなの想いは足りていないと仰るのですか。

 

 そんなわたしの思いを打ち消すように、オーナーは自身が持つ杖の先端を強く床へ打ち付けた。

 

 

「聞かせてもらうよ……あんた達このライブ、全力でやりきったのかい?」

 

 

 オーナーの声が響いた後、有咲も沙綾もおたえもりみりんもそれぞれ覚悟を秘めたような落ち着いた声色でやりきりましたと応えた。

 

 

「美月、あんたもメンバーだろう答えな」

 

「えぇ、見事にやりきってくれましたよ」

 

「そうかい。それであんたはどうなんだ、やりきったのかい!」

 

 

 厳しく問い掛けたオーナーの視線の先には未だに黙ったまま両手の拳を握り締めてオーナーを見つめ返している香澄、視線が交差する二人の姿は今まさに野辺での決闘を始めようとしている野武士のような張り詰めた緊張感が漂よっているようにも思えた。

 

 

「やりきりました」

 

 

 あくまでも落ち着いた、それでいて強固な意思を感じさせる声色と揺るがない視線。

 そうなのです。香澄の澄んでいて何処までも真っ直ぐな瞳の魅力に惹かれて、わたし達は彼女の元に集ったのですよね。

 バンドリの名のもとに夢を撃ち抜く女の子、それがわたし達のリーダー戸山香澄なのですよ。

 

 オーナーはポピパの五人を見渡すように視線を巡らせた後に正面を見据えて口を開いた、って口元が少し緩んでいたような……。

 

 

「合格……、良いライブだった」

 

 

 わたしの中で時間が止まったような感覚に包まれてしまった。合格という言葉を待ちに待った筈だった、みんなの努力が報われてほしいと心から願っていた筈なのに、いざ耳にすると現実感を失って呆けたように口を開けて間抜けな姿を晒してしまいました。

 

 

「香澄、やった!」

 

 

 有咲が叫びながら真っ先に香澄に抱き着き、他のメンバー達も次々に香澄と泣き叫びながら抱き着いていった。最初は茫然といった表情をしていた香澄の瞳からもやがて大粒の涙が流れ始め、ポピパの五人は人目も憚らずに大声で泣きながら喜びを分かち合い始めた。

 おやおやこれは中々に尊さ満載な光景ではございませんか、これはわたしの尊いバッテリーが充電完了を通り越して過充電で爆発しそうですぞ。

 

 横を見ればオーナーもまるで孫達を見守るような優しい眼差しをポピパの五人に向けています。なんですか、今までラスボス風で怖かったのに意外と良い人に思えてしまいそうになるではありませんか。

 

 

「ゆりっ!」

 

 

 わたしを呼ぶ声に釣られて前を向くと泣き笑いの表情で此方に腕を伸ばしている五人の天使達の姿。やれやれ照れますよ、皆さんもう少し落ち着いた方が宜しくないですかね。

 

 オーナーに軽く背中を押され、ステージと客席を隔てる鉄柵を鉄棒の要領で乗り越えて五人の前に立った。やれやれみんなボロ泣きではないですか、せっかくの美人が台無しですよまったく……。

 

 

「ゔえぇぇん、びんだぁ、よがっだよぉ」

 

「泣き過ぎで何を言ってんのかわかんねえぞ優璃!」

 

「だっでぇ、だっでぇぇ」

 

 

 ツッコミをいれながらも有咲は真っ先にわたしの手を掴み、それから五人で引っ張り上げるようにしてわたしも舞台の上に立った。

 沙綾が優しく抱き寄せてくれ、おたえはくしゃくしゃと頭を撫でてくれ、りみりんはわたしの両手を取ってぴょんぴょんと小刻みに飛び跳ねてくれた。

 

 みんなで情け無い程に泣いた、そして際限がない程に笑った。

 そんな夢のような時間の中で、一際明るいスポットライトに照らされながら「やった、やったよ!」と大きく叫んだ香澄の両耳には、思い出の星型イヤリングが一等星のような輝きを放ちながら誇らしげに揺れていたのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 無事にオーディションを終えたわたし達がひと息つく為にCiRCLEのロビーへと出てみると、そこにはりみりんのお姉さんが所属しているグリグリの皆さんに香澄とわたしの妹であるあっちゃん、そしてアフターグロウの蘭ちゃんの姿がありました。

 

 

「良かったね、お姉ちゃん達」

 

「えへへ、あっちゃんブイ!」

 

 

 満面の笑みでピースサインを作った香澄の姿を見てあっちゃんは困ったような、でもとても嬉しそうにも見える微笑みを返しました。なんですかね、わたしにはこの尊い姉妹を永遠に微笑ましく眺めていられる確信がありますよ。

 

 

「優璃そのシャツダサい。でもその、おめでとう」

 

「それは言わないで頂けますかね。あれっ、それよりもアフターグロウのみんなは?」

 

「今日は練習じゃないからあたしだけ。本当に偶然、偶々に通りかかって寄っただけだから」

 

「そうなのですね、わたしはオマケみたいなものですが見てくれたのは嬉しいですよ」

 

 

 偶然に立ち寄ったとはいえ蘭に祝福されるのはやはり嬉しいものです。どうですか、これが我が幼馴染みが率いる素敵なバンドですよ。After glowも格好良くて素敵ですけれど、poppin'partyだって負けずにこれから躍進していく事をお約束しちゃいますからね。

 などとせっかくのドヤ顔を披露しているというのに頬を紅くしながら視線も合わせてくれないとか蘭も相変わらず人見知りが激しいようですね、そろそろ慣れてくれても良いのではないかと友達である優璃ちゃんは少しばかり悲しく思うのですよ。

 

 

「あれっ蘭も来ていたんだ。ところで二人は知り合いなの?」

 

「沙綾も優璃のバンドだったんだね。優璃とはその……友達、少しだけ仲の良い、かな」

 

「沙綾も蘭を知っているのですか?」

 

「うん、アフターグロウには商店街の娘も居るから昔から知っているよ。でも蘭がねぇ、そうなんだぁ」

 

「ちょっと止めてよ、沙綾」

 

 

 二人が知り合いとはまさに世間は狭いというものですが、学校が違うとはいえ同い年ですし有り得ない話でもありませんね。ただ蘭は人見知りのせいで幼馴染み達と固まっていたようですし、沙綾は沙綾で弟妹の面倒を見ていたりと忙しかったでしょうからそこまで親しくはなかったという事ですかね。

 

 

「優璃、ちょっと」

 

 

 蘭に勢いよく腕を掴まれて壁際まで連行されましたが、蘭の顔が先程よりも更に紅みを増しているのでもしかして風邪でもひいて熱があるとかではないのかといよいよ心配になってまいりましたよ。

 

 

「また家に来て、こないだは話をするだけで終わったから」

 

「あぁまた遊びにですね。仲良く話が出来て楽しかったよね、蘭の笑顔が可愛いかったなぁ」

 

「恥ずかしいから。それと次はなんなら流れで泊まってくれてもいいし、別に恥ずかしがって遠慮とかしなくても、別にあたしからじゃなくて優璃の方からでも良いからね。だからその、別にその……あたしは大丈夫だから」

 

 

 これはもしかしてわたしの方から遊びに誘っても良いという事ですかね、どうやらですが蘭の人見知りの壁を一枚は飛び越えれたようで友達として何だかとても嬉しいです。

 

 ポピパのみんなが呼んでいる声がするので、蘭に手を振りながら別れを告げてメンバー達の元へと戻る事にしました。それにしても手を振り返してくれた蘭の顔が更に茹でたタコみたいな赤さになっていましたが本当に体調は大丈夫なのでしょうかね。

 

 みんなの元へ戻ってみると、あっちゃんやゆりさんが話を終えて帰ろうとしているところでした。

 

 

「それじゃ私は帰るね。お姉ちゃん達、あらためておめでとうございます」

 

「それにしても香澄とは違ってちゃんとした妹だよな」

 

「フフン、自慢の妹なんだよ」

 

 

 確かにしっかり者のあっちゃんだとは思っていますが香澄さんや、あなた完全に有咲に舐められている事にそろそろ気付いて欲しいのですよ。

 

 

「あっ、それと優璃お姉ちゃん」

 

「うん、何ですかね?」

 

 

 くるりとこちらに笑顔を向けて来たあっちゃん。ショートカットの髪が少し揺れ大きな瞳も見えなくなる程の微笑みがとても可愛いらしい、確かに香澄の言う通りわたし達の自慢の天使に間違いありませんね。

 

 

「後で事情聴取をしますので」

 

 

 えっとですね、先程まで居た我等が天使はいったい何処の世界に旅立ってしまわれたのでしょうか、不思議な事ですが何故か今わたしの目の前には氷の微笑をたたえた阿修羅観音の御姿しか見えないのですよね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 オーディションの祝勝会は蔵でのパーティー。

 喉を癒す飲み物は香澄と有咲、心が華やぐお菓子は胸が儚い族の同胞おたえとりみりん。そして空腹を満たすパンはわたしと沙綾という担当でそれぞれが調達の任務へと旅立つ事になりました。

 

 お馴染みのやまぶきベーカリーでパンを調達する為に爽やかとは程遠い暑さの中を進軍しているわたしと沙綾は、お祭り後の浮かれ気分を表すように指を絡めて手を繋ぎ身体を寄り添わすように歩幅を合わせて歩いた。

 

 

「みんな素敵だったなぁ、沙綾も格好良かったですよ」

 

「本当に合格で良かったよ、それにゆりの泣き顔も見れて満足」

 

「沙綾だって泣いていたではありませんか」

 

 

 二人で顔を見合わせて笑った。

 普段は不快に感じる蒸し暑い車道を行き交う車の走行音も、何処からか聞こえてくるやたらと元気な蝉の金切り声も、今はポピパを讃えるファンファーレのように聞こえてしまうからとても不思議です。

 

 

「でもいつの間にか蘭と仲良くなっているなんて、本当に私の嫁は油断がならないよ」

 

「蘭達もCiRCLEを使いますから自然とね。でも蘭って最初は怖い人に見えるけれど実際はとっても良い娘だよね」

 

「そう……だね。良い娘だよ蘭達は」

 

 

 天を仰ぎ見ながら呟いた沙綾が手を繋いだまま腕を絡ませるように身体を触れ合わせてきました。わたしと同じで沙綾もオーディションに受かった事で浮かれているのですかね、気持ちが通じ合ったようで更に浮かれてしまいそうになりますよ。

 

 

「でもやっぱりわたしはポピパが特別ですよ。大切な幼馴染みの香澄が居て、有咲が居て、りみりんやおたえ、それに」

 

 

 今度はわたしが絡ませた腕を引き寄せて沙綾にくっついてみた。

 

 

「わたしを嫁と言ってくれた沙綾が居るバンドですからね」

 

 

 珍しく沙綾が頬をほんのりと紅く染めて驚いた表情を見せてくれた。

 空の青色とは対照的な紅色に染まった沙綾の照れた表情はとても可愛いくて、その表情を引き出せた事に我が胸に棲まう空想妖精モヤット君も御満悦の様子でございますよ。

 

 

「私もだよ、まぁ私の方がずっと特別と思っているけれどね」

 

「何ですかその負けず嫌い要素」

 

 

 繋いでいた手を更に強く握り合った。

 どうやらお互いに少しだけ浮かれ過ぎのようです。でも今日だけはポピパの物語に新たな歴史が刻まれたのですから多少は許されますよね、神様……。

 

 

「あっ、いま無性にキスがしたくなったかも」

 

「沙綾さんや、いくら何でもそれは浮かれ過ぎだと思うのですよ」

 

 

 



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59.並んで歩こう

 

 

 

 下校途中に立ち寄った有咲の蔵からの帰り道、わたしと香澄は川沿いの土手をのんびりと歩いて帰る事にした。

 夏の夕暮れは日差しを弱めながらもまだまだ明るくて気温も高く、すれ違った買い物袋を提げたおばさんもまるで戦場(バーゲン)から勇ましく凱旋したばかりのように顔を上気させ鼻を豪快に鳴らしながら力強く歩いています。

 

 そんな人通りも賑やかな土手沿いの道を歩きながらふと真横を眺めてみれば、川面から反射した夕陽に照らされた幼馴染みの横顔がやけに眩しく見えて、心なしかコツコツと鳴っている靴音も見惚れてしまったのか普段よりもペースが落ちているようです。

 

 

「それで新曲の作詞はどうですかな?」

 

「順調だよ、今度は明るい感じにしようかなって思ってる」

 

「初ライブ用ですからね、ポピパらしくキラキラな感じに出来たら良いね」

 

「タイトルは決めたよ、〝 Yes! BanG_Dream! 〟」

 

 

 柔らかい逆光に照らされた香澄が可愛らしく右手で拳銃を構えたポーズを向けてきました。

 わたしには馴染みの深い言葉な筈のBanG_Dream、でも以前に脳裏によぎった横たわる香澄らしき女の子と見知らぬ男の子の声を観てからは、今までの知識が本当にゲームで得た情報だったのかという疑念が頭の中から離れなくなってしまいました。

 新しい経験と共に見えなくなっていくゲーム知識だと思っていた記憶。この世界に来たからには優璃として生きていくと決めた筈なのに、何故か段々と自己を喪失していくような焦燥感に我ながら矛盾を覚えてしまうのです。

 

 

「もうすぐ誕生日だよね、何か欲しい物でもありますかね?」

 

「うーん、そうだなぁ」

 

 

 香澄は人差し指を顎に添えながら暫く思案したかと思ったら、急にわたしの手を引きだして土手の斜面に広がっていた草むらに腰を降ろしてしまいました。

 取り急ぎハンカチを取り出して香澄のお尻の下に敷いてあげてから、わたしも自分の鞄を椅子代わりにして並んで座った。

 二人で眺める陽の光を浴びてキラキラと光っている川辺の景色はどこか幻想的で、流れゆく夏の風は感じる筈のない海の匂いさえも運ぶようにわたし達の髪を優しく揺らし続けた。

 

 

「ゆりがずっと側に居てくれたらいいよ、それが最高のプレゼントだもん」

 

「またそんな格好良い風な事を言う」

 

 

 笑うように語った香澄は、まるで沈みゆく太陽を名残むように彼方の空へと視線を向けた。

 

 

「あのね、ゆりは帰る場所なの。例えどんなに無茶をしても例えどんなに無謀だったって、わたしには帰る場所があるから安心して走り続けられるんだよ」

 

「これからはポピパも香澄の帰る場所になりますよ」

 

 

 此方を向いて白い歯を見せながら笑った香澄は本当に可愛いと思った。

 その姿を見てから両手を後に伸ばして背中を反らせながら天を仰いだ。まだまだ明るい夏の夕暮れは青色が色濃く残り、素敵な星空の訪れは足踏みしままま白い雲の輪郭を茜色に縁取っています。

 地面に伸びた長い黒髪、座りながらもスカートを気にして無意識に閉じてしまう両足、無駄毛がまさに無駄と思えてしまう感覚。きっともうわたしは女の子に適応しつつあるのかもしれません、それでもこの胸を疼かせる小さな罪悪感は多分いつまでも消えはしないのでしょうね。

 

 

「香澄、わたしって事故で記憶を失くしちゃったではないですか。それってもう以前とは別人みたいなものですよね、そんなわたしに戻る場所なんて言ってもらえる資格などあるのですかね」

 

「ゆりは優璃だよ」

 

 

 座ったまま両手足を伸ばした香澄は、うーんと軽く唸ってから身体の力を抜いて優しい眼差しを向けてきました。

 

 

「昔の優璃も、少しだけ雰囲気の変わった今のゆりもわたしは大好きだよ。ずっと一緒に居たいっていう気持ちが二倍になったって思えば凄く素敵でお得だと思うんだ」

 

「前向き過ぎますよ香澄は、だからかなわたしも……」

 

 

 棚ぼたな地位を得ているわたしにはきっと資格なんて無い。だけどそれでも望む事は許される筈だ、頑張る事は否定されない筈だ、例え欺瞞でも自分の心に宿る気持ちを誤魔化すのはもう無理になってしまったのですよ。

 

 

「わたし、わたし香澄の帰る場所になりたい。昔の優璃みたいには出来ないかもしれない、それでも今のわたしでも親友って思ってもらいたい、ずっと香澄の事を親友って思いたい!」

 

 

 きっと今のわたしは恥ずかしい程に真っ赤な顔をしているのでしょうね。でも別に良いのです、どんな表情や姿だって香澄になら見られても良いとさえ今は思えるのですから。

 

 

「えへへ、ゆりは本当にわたしの事が大好きなんだからぁ」

 

「えっと、せっかくの甘酸っぱい青春的な雰囲気がぶち壊しなのですがね」

 

 

 勢いよく立ち上がった香澄はスカートに付いた草を手で払い、夏の明るい夕陽を浴びながら優しく手を差し出してきました。

 

 

「並んで歩こうよ、今までもこれからも」

 

 

 香澄の手を取って立ち上がりお互い恥ずかしそうに微笑みあった。

 本当に男前というか主人公然というべきなのか、元男のわたしなんかよりも余程に格好良いではないですかね香澄さんや。

 

 二人で手を繋いだまま両手を高々と空に向けて突き上げた。

 それはまだ見ぬ未来への宣戦布告、明日への挑戦状、失った可能性への鎮魂歌。空を見上げたわたし達の胸で激しく高鳴り続ける星の鼓動はポピパの道筋を照らし、世界中のみんなの心に眠る夢の欠片を撃ち抜いてゆくのですよ。

 

 

「おやおや、何やら青春っぽい雰囲気で」

 

「身長が足りなくて背伸びをしている恥ずかしい姿を見られるとは何たる不覚おのれ何者、ってなんだ美咲と結衣ですか」

 

「青春っぽいのは恥ずかしくないんだ」

 

 

 急に声を掛けられて驚きながらも振り向いた先には、土手沿いの道で冷めた視線を向けているミッシェルの中の人こと奥沢美咲さんと、眼鏡の奥の大きな瞳を丸く見開いている自称わたしの専属従者らしい戸塚結衣ちゃんの姿がありました。

 

 

「ふにゅにゅ羨ましいでしゅ。私もお姉様と手を繋ぎ、いや腕を組み、いやいやいっそ抱きしめてしまっ」

 

「はいはい戸塚さんそこ迄にしてくださーい」

 

 

 的確なツッコミを見せるとはやはり奥沢美咲は只者でありませんが、この二人の組み合わせというのも雰囲気的には意外と感じます。

 

 

「それにしても美咲と結衣が一緒とは意外性があって良きですな」

 

「まったく呑気な、いったい誰のせいで苦労していると思っているの」

 

 

 小首を傾げながら思考を巡らせてみれば思い当たるのは弦巻こころでしょうか、確かに暴走天使なあの娘の制御は大変だろうとは察してしまいますね。

 

 

「私はなるべくなら平々凡々な高校生活を送りたいの。それなのにただでさえ変な集団に巻き込まれて大変なのに最近はまとめ役みたいな感じになってきてさ、元々そういう役回りは優璃がする筈じゃないの?」

 

「いや美咲が適任でしょ」

「奥沢さんが適任でしゅ」

 

「なにこの二人、酷い」

 

 

 小刻みに制服の袖を引っ張る感触に釣られて横を見ると、瞳を輝かせながら何かを期待している香澄の姿を見て慌てて美咲との初顔合わせをしてもらいました。

 

 

「それじゃ戸山さんが優璃の言っていた幼馴染みなんだね。ゴメンね、優璃に二つもバンドを掛け持ちさせちゃって」

 

「掛け持ちって……?」

 

「はいはーい違いますぅ勘違いですぅ、ハローハッピーワールドに所属しているのはミッシェルの妹のアンジェラですぅ、ですよね結衣さんや!」

 

「はい、お姉様の仰る通りハローハッピーワールドにはアンジェラ様が加入しておられましゅ、ねっお姉様」

 

 

 あっぶねぇです。よくよく考えたら未だにポピパのみんなにはハロハピの存在を話していなかったです。ポピパの大事な時期に他所のバンドに首を突っ込んでいたなんて知られたら今まで築き上げた信頼も地に落ちるというものですよ。

 

 

「と、ところで二人は鶴巻邸からの帰り道ですかな、お疲れ様ですなぁ」

 

「はい、先程までお姉様を取り込……アンジェラ様の迅速な加入の為に色々な打ち合わせをしておりました。でもその必要性も今は無くなったようでしゅ」

 

「イヤータイヘンダナァ。それじゃお疲れのところを長話もあれなのでわたし達はこれにて失礼いたしますでございますわよ」

 

 

 これ以降の示し合わせの無い会話は危険と判断して香澄の手を引いて取り急ぎ立ち去る事にしました。

 美咲達に向かって手を振ると香澄も同じように手を振ってくれて、どうやらですがあまり気にも留めていない様子でとりあえず安堵ですよ。

 

 明るい夕暮れの中を手を繋いで歩く。焦ったせいで手汗の心配はありますが何はともあれ、今は二人で仲良く前を向いて全身全霊で初ライブを成功に導いていきましょうね、香澄さん。

 

 

「やっぱり誕生日プレゼントは指輪とかの方が良いのかなぁ」

 

「シルバーリング的な感じ?」

 

「ううん、星の形のダイヤが乗っている感じで」

 

「高校生に向かって無茶振りが過ぎますよ!」

 

 

 困らせようとしたのか瞳を見開いた小憎らしい笑顔を向けてきました。それにしても流石に高級な指輪は無理ですがミサンガくらいなら良いかもしれませんよね、わたし達ポピパの願いが叶いますようにって、なんてね。

 

 沈みゆく太陽さんは寂しく見えても、きっと世界中のみんなが抱いている明日への夢を解き放つ為に眠りについてくれるのです。

 そんな夕陽に照らされて色濃く伸び続けるわたし達の影のように、この果てしない道をどこまでも並んで歩いていこうと心に誓うわたしなのでした。

 

 

 ちなみに何故かこの夜は香澄が遊びに来て頑なに帰ろうとせず、結局は勢いのまま一緒に眠る羽目となってしまいました。普段はあっちゃんに怒られるからとあまり泊まる事はないのですが偶には香澄にも寂しい夜があるのでしょうね、そんな幼馴染みの心境を察して二人で手を繋ぎながら横で眠る事にしました。

 

 あのそれよりも香澄さん、繋ぐ手の力がやたらと強いようですがこれだと痛くて眠れそうにないのですよ。

 

 

 



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60.不安と後悔

 

 

 人間はどのような道を選ぼうとも必ず後悔をする生き物である。

 失敗をすれば後悔し、例え成功しようとも更により良き成功があったのではないかと後悔をする。

 後悔を積み重ねるのが人生、だが積み重ねた分だけ人は成長する事が出来るのもまた事実なのです。

 

 

「……ふとこんな言葉を思い出したのですが、結局どういう意味なのですかね」

 

「とりあえず当たって砕けろ的なやつじゃない?」

 

「それってあれですか、憧れの先輩に告白したというのに誰だっけ状態で微妙な空気のまま終わってしまう初恋の淡い傷というやつですよね」

 

「間違ってはいないけれど例えが悪いよ」

 

 

 まだまだ客の入りも少ないライブハウスCiRCREのカウンターにて、わたしとまりなさんはこんな他愛もない話をしております。

 夜の時間帯が本番のライブハウスとはいえ、ライブの予定が無い平日の夕方ともなれば外の蒸し暑い気温とは正反対の涼やかな空気も流れる癒しの空間となってしまうのです、まぁ簡潔に言ってしまえば暇なのですよ。

 

 

「ところでまりなさん、そろそろわたしはスタッフとして卒業の時期だと思うのですよ。CiRCREとしてもこんな音楽素人を置き続けてもメリットなど無いですし、プライベートも充実してきたところですし」

 

「優璃ちゃん、仕事っていうのは知識や経験だけが大事って訳じゃないんだよ。うちみたいな競合の多いライブハウスとしては、年上のお姉様方から人気のある可愛い優璃ちゃんは大事な客寄せとしての価値が有るんだよ」

 

「ムキー! だからといってこの恥ずかしさ満点のうさ耳バンドを着けさせて良い理由にはなりませぬよ。バニーガールにさせないだけ良心的とはいえ年頃の女子高生にはあまりにも酷い仕打ちですぞ!」

 

 

 店長であるまりなさんは困った事にお客の少ない日は猫耳カチューシャやらうさ耳バンドやら色々な物を持ち寄ってはわたしで遊ぶ悪い癖があるのです。先日浮かれながら持って来たカエルの被り物は流石に断りましたけれど、よくよく考えてみれば基本的に何でも受け入れてしまう自分も大概のお人好しだとは思うのですがね。

 

 

「バニーガールはちょっとないかな。優璃ちゃんはその、ボリュームがねぇ……」

 

「おやおやまりな許すまじ。それは禁句ですよ禁忌の扉を開く魔性の言霊でございますよ」

 

「おーい年上だよ上司だよ、呼び捨てはやめなさーい」

 

「知った事ではないですな。なんですかちょっと美人で優しくて気配りが出来て頼り甲斐があるくらいで、胸部装甲の大きさ自体はわたしと大差がないくせにぃ」

 

「もしかしてだけど褒められているよね、優璃ちゃんありがとう」

 

「にゃ、にゃんですと!」

 

「あの、ちょっといいかな?」

 

 

 追加の罵倒を打ち込もうとしたタイミングで間の悪いことにお客様がカウンターにお越しになられたようですので、ここは店員として冷静に気持ちを切り替えて満面の営業スマイルで返事をしてみると、只今人気急上昇中の高校生バンドであるRoselia(ロゼリア)の今井さんが頬を人差し指で軽く掻きながら困惑した様子で(たたず)んでおられました。

 

 

「おっと予約のロゼリアさんですね、既にスタジオはバッチリ準備してありますよぉ」

 

「アハハ、切り替えが早いね」

 

 

 ロゼリアの今井リサさんはギャル風の見た目にもかかわらず物腰は柔らかで落ち着いた優しい雰囲気が溢れる人なのですが問題はその後方、クール系の美女と名高いボーカルの湊 友希那さんが先程から此方に睨みつけるような視線を送っているのがとても恐ろしいです。

 

 

貴女(あなた)、美月さんだったかしら?」

 

「はひっ!」

 

 

 湊さんが今井さんを押し退ける勢いでカウンターににじり寄ってきましたが、これは不機嫌ですね怒っていますよね。美人ですが妙に目力が強くて落ち着き払った声も迫力があり怖さ倍増ですよ、やばいです先に謝った方が良いかもしれないです。

 

 

「ちょっとお願いがあるのだけれど」

 

「ご、ごめんなしゃい」

 

「まだ何も言ってはいないわ」

 

 

 湊さんは一瞬だけ不思議そうに小首を傾げてからあらためて意志の強そうな視線を向けてきました。

 

 

「今日は違うみたいだけれど、出来ればにゃーんちゃんの日は先に教えておいて欲しいわ」

 

「ニャーンちゃん?」

 

「にゃーんちゃんよ」

 

 

 湊さんと二人で視線を合わせながら同時に小首を傾げたあたりで、苦笑いの今井さんがわたし達の間に割って入ってきました。

 

 

「ゴメンね友希那は猫が好きでさ、悪いけれど猫のコスプレの時はこっそりと教えて貰えるかな?」

 

「リサ、にゃーんちゃんよ」

 

「はいはい友希那、もうすぐみんなも来るから先にスタジオに入っていようね」

 

 

 若干の不満気な表情を浮かべた湊さんの背中をリサさんが押しながら二人はスタジオに向かって歩いて行かれました。

 歩いて行く雰囲気も仲睦まじくて此方も微笑ましさに釣られて自然と笑顔になってしまいますね。聞いたところではお二人は幼馴染みとか、わたしと香澄もあのように周りを笑顔にするような仲の良い幼馴染みでありたいものです。

 

 

「よし、リクエストに応えて次は猫耳だね優璃ちゃん」

 

「まりな許すまじです」

 

「笑顔から急に真顔になるのは反則だよ、お姉さん悲しくて泣いちゃうよ」

 

 

 慌ててフォローを入れてきたようですが時既に遅しですよ、我が心の許すまじリストにその名を刻んだ栄誉に身を震わせて喜ぶが宜しいです。

 

 

「私もお揃いで猫耳を着けるから怒らないでよぉ」

 

「あっ、それはちょっと年齢的にコスプレ感が強くてあれなので止めた方が」

 

「優璃ちゃん許すまじだよ」

 

 

 ちょっと待ってください何故かまりなさんが怒っているのですがいつの間に立場が逆転してしまったのですか、これが年の功ですか年季の入った技というやつなのですか。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 バイトからの帰り道に立ち寄った人通りも少なくなってきた夕闇の商店街。シャッターを降ろしたお店が夜の訪れを告げる寂しい影を作り、未だ開いているお店から溢れる照明の淡い光は、まるで焚き火のようにゆらゆらとその明るさと彩りを変化させているようにも見えた。

 

 

「いらっしゃいませって、珍しいねこんな時間に」

 

 

 そんな商店街で人気を誇るやまぶきベーカリーの店内を通りから覗いてみると、閉店の為に店内の片付けを始めていた制服にエプロン姿の沙綾と目が合ってしまいました。

 

 

「ちょっとバイトの帰りに寄ろうかなと思いましてね」

 

「そうなんだ、てっきり私に会いたくなったのかと思ったのにな」

 

「いつも蔵練で会っている筈ですぞ」

 

 

 軽く微笑んだ沙綾は片付けの手を止めてレジカウンターの前に小さめの椅子を置いてわたしを座らせ、自らもカウンターの内側の椅子に腰を降ろした。

 

 

「それで、何かあったのかな?」

 

「別に何もないのですがねって通用しないよね。あのね沙綾、わたしって本当にポピパのメンバーで良いのでしょうか。楽器で演奏も出来ないからきっといつかみんなのお荷物に」

 

「はい、そこまで」

 

 

 続きを言おうとしたところで、沙綾に唇を人差し指で塞がれてしまった。

 

 

「少し前の私みたいな事を言ってるよ、どうしてそう思うの?」

 

「ちょっと怖くなったんだ。香澄は幼馴染みだから大丈夫だと思うけれど、いつかみんなは遠くに行っちゃうような気がしてしまうのですよ」

 

 

 沙綾は唇から離した指で今度は頬を摘んできましたが、わりと強めのせいで声が出そうな程に痛いです。

 

 

「ちょっと怒った」

 

「にゃ、にゃんでぇ」

 

 

 頬から手を離した沙綾はやれやれといった表情で息を吐き両手で頬杖をついた。

 

 

「私も、もちろんみんなも六人で一緒に居るっていう気持ちは変わらないよ。もしかしてゆりは違うの?」

 

「一緒に居たいよ、誰よりも近くで見ていたいし尊い雰囲気をずっと味わっていたいですよ」

 

「尊いってちょっと意味が分からないけれどそれで充分だよ。この先に失敗して後悔する事があってもみんなで一緒に進もうって私に言ってくれたのはゆりなんだからね、だから私はゆりとずっと一緒に居るって決めているし多分みんなもそう思っているよ」

 

「わたしもそう思っている筈なのですが、何か変ですよねわたし」

 

 

 右手を伸ばした沙綾に頭を引き寄せられてそのまま唇を重ねられた。一瞬だけで過ぎ去ったその感触は最初の時よりも優しく甘い感じがして、温もりが身体に染み渡るように広がって沈みかけた心を包み込んで溶かしてしまう気がした。

 

 

「私はゆりの何だったかな?」

 

「沙綾はその、わたしの嫁ですよ」

 

「私はゆりの嫁でゆりは私の嫁。お互いにもう離れないって宣言しているのにそれでも不安になるって、嫁に対する好きが足りていないんじゃないかなぁ」

 

「そんな事ないですよ、沙綾は大好きで大切な人です」

 

「もっとだよ、もっともっと一緒に居たいって思ってもらいたいな。たとえとびきり好きになってくれても……」

 

 

 沙綾が鼻頭を軽く弾いてきた。照れたように頬を淡く染めて。

 

 

「きっと私の方が何倍もゆりの事が好きだから」

 

 

 はにかんだように瞳を細めた沙綾が、何故だか今までで一番綺麗だなって思えた。

 

 しかしそれにしても先程は沙綾も躊躇なくキスしてきましたね。何故だか蘭も最近は別れ際に身体を強張らせながらも頬にキスをしてきますし、女の子の同性に対するスキンシップというか距離感が今ひとつ掴みきれませんね、男の頃はキスとかは特別なものという感覚だったのですが。

 それに香澄は抱きつきはするものの別にキスとかはしてきませんしと女心は実に難解で習得までの道のりはまだまだ遠そうですが、とはいえ沙綾も蘭も友情の証としてしてくれているのはしっかりと伝わっていますのでどうかご安心をですよ。

 

 解っているのに不安になる。随分と男らしくない弱気な感情を抱くようになってしまったものですよ、やはり女性化が進んだ証左とも強く感じてしまいますね。

 まぁだからといって男の人に興味を抱くとは未来永劫に渡ってあり得ませんがね。わたしは恋愛ごとより青春がしたいのですよ、可愛いみんなが輝き続ける青春と尊いのマリアージュ(百合百合の組み合わせ)の素晴らしさを身近で観察したいのですよ。

 

 

「沙綾の優しさには敵いませんね、だから甘えてしまうのですよ」

 

「私は嬉しいよ、他の誰でもなく私を頼ってくれるのは」

 

「何度後悔しても前に進む、それがわたし達ポピパの歩む道なのですよね」

 

 

 沙綾と顔を見合わせて笑いあった。

 そうですよね。何もしなかった後悔よりは何度も後悔したって立ち上がり刻んでいく道のりは、きっと後から振り返れば淡い青春の思い出として大切な存在となる筈です。

 そう何度後悔したって、今度こそ香澄を守り通してみせるのですよ。

 

 

「ちょっとゆり、どうしたの?」

 

 

 沙綾の声がやけに遠くに聞こえる。

 

 香澄……? 後悔……? 何をわたしは……?

 

 目の前を不思議な映像が彩る。

 隣を歩くブレザーの制服を着た星髪を結っていない香澄。一緒に横断歩道を渡る最中にまるで信号機を忘れたように直進して来る乗用車。

 

 危ないと思った、せめて香澄だけでもと思った。

 横に振り向くと同時に、まるで香澄が俺を守るみたいに飛びついて来た事に驚いた。

 

 〝俺が守るから、だからこれからも〟

 

 一人で歩く横断歩道へ向かって来る乗用車。この春に大好きな香澄ちゃんと一緒に花咲川女子学園へ通える筈だったのに。

 

 〝香澄ちゃん、今までもこれからも〟

 

 あぁ、そういう事だったのですね……。

 わたし達(俺と優璃)は香澄との約束を守る事が出来なかったんだ。

 

 

 

 〝ずっと一緒に居よう()

 

 

 



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61.ずっと、キミと

 

 

 

 ゆらゆらと漂う意識は夜の波打ち際に集まる海螢のように集散を繰り返し、様々な形を彩っては頼りなさげに揺らいでいた。

 

 

 

 あの映像がわたしの本当の記憶だと確信に近い感覚はあるけれど、もしそうだとするならばこちらの世界に転生をした当時に持っていた記憶、ゲームのシナリオだと思っていた記憶、それらは間違った仮初めの記憶だったとでもいうのでしょうか。

 

 それにしてはポピパのメンバー達を初めから知っていたのも間違いはないですし、いったい何が真実で何が本当なのかなんて今のわたしには判別がつけられない。それでもただひとつだけ確かな事だと思えたものは、きっとわたしは本来の優璃に引き寄せられたんだ。

 優璃の願いが夢が、叶わなかった約束達が引き寄せあってわたしはこの世界に来てしまったに違いない。

 たとえ今の身体を動かしているのはわたしだとしても、そんな強い思いを持った優璃が消えて無くなったなんてもう考えられない。今もきっと何処かで、いえわたしの中で生き続けているのです。

 

 だから今度こそ撃ち抜いていこう。

 

 あの時に守り続ける事が出来なかったわたしの約束も、香澄の親友であり続けたいという優璃の願いも、終わらせない夢の続きを。

 バンドリの名のもとに、この薄い胸に誓って必ずねって……おやおや?

 

 

「だぁれが貧乳ですか、これは儚き美乳なのですよ!」

 

 

 少々大きめな呟きと同時に瞳を開けると、驚きで目を丸くした沙綾がこちらを見つめていました。

 

 

「別に小さくはないんじゃないかな、それに形も綺麗だし肌触りも良いよ」

 

「いやいや沙綾、真面目に慰められると本気で恥ずかしいから」

 

 

 頭を動かして周囲を確認してみると、どうやら気を失ってしまったわたしは沙綾の部屋のベッドに寝かされていたようです。

 ゆっくりと身体を起こそうとしたら、横で添い寝をしながら頭を撫でてくれていた白色のタンクトップキャミソールに綿製のショートパンツというラフな格好の沙綾に再び寝かしつけられてしまいました。

 

 

「ほら無理はしないの、もう今日は泊まっていったら?」

 

「軽い貧血だから大丈夫ですよ、明日も学校だし帰らないと姉さんも心配しますからね」

 

 

 これ以上の迷惑はかけられないと再び起き上がろうとしたところで、沙綾が急に覆い被さるように抱きついて胸に頭を押し付けてきました。その可愛らしい仕草にわたしもついつい嬉しくなってきて、頭に優しく手を添えて暫く撫で続けてあげる事にしました。

 

 

「沙綾のおかげで元気が出ましたよ、心配かけちゃったね」

 

「もしかしてバレているよね、帰したくないなぁって思っているの」

 

「心配性ですな、それとも甘えたくなった?」

 

「ゆりが意地悪だ」

 

 

 普段の沙綾はクラスやポピパなどみんなの前では下町の娘みたいなハキハキとした喋り口調と態度を見せているけれど、二人きりの時は驚く程に甘え上手で乙女のような仕草も見せてくれる。

 わたしにとってはどちらの沙綾も魅力的で最高に可愛くて、この隠された魅力が野獣の如き男子達に知られてしまうのを少しだけ怖いとさえ思っているのですよ。

 

 

「沙綾、ポピパを頑張ろうね。男の子に目移りとかしたら嫌ですよ」

 

「もうそんなに心配だったら私を……なんでもない」

 

 

 沙綾が身体を退けるように動いてくれたので、わたしも帰る為に身体を横に流してベッドから降りる事にしました。

 ベッドの傍で立ったまま髪を手櫛で整えてから端の方で座っていた沙綾の方へ向き直ると、沙綾は俯いたままわたしの左腕を名残惜しそうにゆっくりと掴んできました。

 わたしの体調をそこまで気にかけてくれているのでしょうか。やはりというか私の嫁はどこまでも優しい女の子でございますよ。

 

 

「沙綾はやっぱり優しいですね」

 

「優しくないよ、嫌われたくないだけ」

 

「他人に優しく出来るって強さだと思うのです。よく優しさは弱さだの甘さだのと言われますが、本当に弱ければ他人を気にかける余裕などありませんよ」

 

「そっか、ゆりにはそう見えているんだ」

 

 

 伏せていた顔を上げてわたしに向けられた普段よりも弱々しい目線に、何故だか身体中を絡め取られてしまう感覚が走った。

 

 暫くの間、わたし達は無言でお互いの瞳を見つめ合った。

 無意識に握られていない方の手で優しい感触の頬に触れ、そのまま流すように綺麗な首筋を撫でてから耳たぶの感触を確かめるように弄び、くすぐったそうに首をすくめた沙綾の頬を再び包み込んだ。優しくて可愛いわたしの嫁、もう沙綾が側に居ないなんて考えられませんよ。

 もしわたしが女の子ではなく男の子のままだったならば、わたし達の関係はいったいどう呼ばれていたのでしょうね。

 

 

「駄目だな私、ゆりにもっと頼って甘えて欲しいみたい」

 

「誰よりも甘えていますよ、自分でも情けなく思う程に」

 

 

 再び無言で見つめ合う時間が流れる。それだけで心が暖かくなるような、気持ちが通じ合ってしまうような不思議な感覚がする。

 黙ったまま腰をゆっくりと曲げて顔を寄せていくと、沙綾もその動きに合わせるように少しだけ顎を上げた。二人だけの、お互いが大切な親友だと伝え合う儀式を行う為に……。

 

 張り裂けそうな程の鼓動に息も出来ないくらいの緊張を添えて、わたしからのハジメテの贈り物です。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 夜の街をひとつの影が足早に駆け抜けていく。

 街の闇に溶け込むような漆黒の長髪を靡かせしその姿は、魔女の使い魔たる気高い黒猫の如き美しさと妖しさをその身に帯びていた。

 人々は気付くまい。黒猫の目的に、その妖しき瞳の奥底に眠る野望という名の大願に。

 

 

「などと厨二病みたいな事を考えている場合ではないのですよ、急いで帰らねばなのですよ!」

 

 

 自分に愚痴を吐きながらも帰途を急ぐ。

 思っていたよりも沙綾の部屋に長居をしてしまい、思わず瑠璃姉さんの恐ろしくも静かな怒りの表情が脳裏に浮かんできちゃいましたよ、まったく。

 

 早足をしながら先程の部屋での出来事を思い出して自然と顔が熱くなっていく。

 

 

  ーー今みたいに、ゆりの瞳に私だけが映っていたらいいのにな。

 

 

 紅色の増した頬と輝くように潤んだ瞳で見せてくれた微笑みの美しさは見惚れてしまう程でしたね。流石はわたしの嫁です、優しさと可愛さとスパイス的な独占力を兼ね備えた無敵の美少女様でございますよ。

 

 

 ーー私達、もう離れられないね。

 

 

 早足だった脚が急に勢いを失い、力が抜けたように足が止まってしまった。

 

 

「勿論ですよ、これからも……わたし達は仲良しさんですからね」

 

 

 頭の中ではこれからもずっと一緒ですと言うつもりだったのに、それを口に出そうとしたらまるであの瞬間だけ声を失ったかのように言葉が詰まってしまった。

 どうしてだろう、たった一瞬だけの出来事なのに心の中で留まり続ける重しのような息苦しさを感じさせてしまう。沙綾はわたしの大切な嫁、ずっと一緒に居たいという気持ちに偽りはないというのに。

 

 ふと闇夜を見上げ、寂しそうに光っていた薄月に向かって軽くため息を吐いた。

 とはいえ気に留めていても仕方がありませんし、一回だけのつもりのハジメテを結局は三回も求められましたし沙綾も終始嬉しそうでしたしで、いちいち些細な事を気にしていたら恥ずかしさで都度悶絶してしまいますよ。

 

 気を取り直して前を向き、止めていた足を再び動かし始める。

 沙綾が何度も強く握ってくれた手の痛みさえも愛らしく思えた事は、きっとこれから先も忘れる事はないのでしょうね。これから先もポピパが沙綾の安寧の場所となれるようにわたしも末永く頑張る所存でございますよ。

 

 

 ーーゆりは誰にも渡さないからね、誰にも。

 

 

 沙綾の呟きを思い出して少しだけ笑ってしまった。

 本当に何というかうちの嫁は心配性で可愛いです。あれだけ男の人に興味は無いと、恋愛をするよりも今はポピパを支える方が大事と言っているのにこれですからね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 慌ただしく帰宅をしてみると、予想通りのお説教付き晩御飯とお説教付きお風呂の瑠璃姉さん黄金コンボを味合わされ意気消沈のまま自室の扉を力無く開けると、まるで戻ってくるタイミングを見計らったように我が幼馴染みが窓際の床にちょこんと座っておりました。

 

 

「えっと、もしかしてわたしって監視でもされているのですかね?」

 

「違うよ、あっちゃんがゆりの部屋が明るくなったって教えてくれたの」

 

「いやそれを監視と呼ぶのですが?」

 

 

 部屋のカーテンが開いていたのでどうやら夜空を眺めているらしいと思い、部屋の照明を薄暗くしてから香澄の横に同じようにちょこんと座った。

 

 

「明日は誕生日会ですよ、準備は大丈夫なの?」

 

「うん、お母さんが大きいケーキを買ってくるって言っていたよ」

 

 

 それだけの問答をしてから二人で一緒に夜空を眺めた。

 いま安らかな表情で隣に座っているのは優璃が大切にしていた幼馴染みの香澄。わたしが元々居た世界の香澄は状況からいってどうなったかは解らない、いえきっと多分……。

 

 

「はい、これ」

 

 

 香澄が急に手渡しをしてきた文字がびっしりと書いてある紙を見やると、部屋が薄暗く判別が難しい中でも『Yes! BanG_Dream!』の文字だけが脳に直接飛び込む勢いで目に入ってきた。

 

 

「香澄、これってもしかして」

 

「えへへ、やっと出来ました」

 

 

 頑張り屋で明るい香澄は本当に素敵です。優璃が大事にしていたこの香澄を、せめてもの罪滅ぼしとしてわたしも大切にしていこうと思う。

 悪い虫がつかないように、香澄の純潔はわたしが必ず保守してみせますからね。

 

 

「メロディの全体像も出来てきたみたいだし。あのそれでね、ゆりに歌の練習を付き合って欲しいなって」

 

「わたし、歌は少々苦手なのですがね」

 

「練習すれば大丈夫だよ、昔はよく一緒に歌っていたから」

 

 

 いくら女の子の発声に慣れてきたとはいえ他人に聴かせられる程の技量はとてもじゃないですが持ち合わせてはいないと思うのですよね。

 

 唸りながら思い悩んでいると香澄が黙ったまま手を握ってきたので慌てて顔を向けると、鼻息荒くキラキラと期待に満ちた瞳を見せつけられてしまいました。

 

 

「他の人に見られるのは恥ずかしいから、二人での練習なら付き合いますよ」

 

 

 返事を聞いてえへへ、と喜ぶ香澄ですがあんな表情を見せられて断れる筈がありませんよ。まったく、美少女は罪と少しは自重していただきたいものです。

 

 

「じゃあこれからは、毎日二人だけで秘密の特訓だね」

 

「いや香澄さん、流石に毎日は辛いっす」

 

「えぇ駄目だよ。わたし達は今もこれからもずっと一緒、でしょ?」

 

 

 本当に強引だなと思う、でも香澄なら許せてしまうのだから自分でも不思議ですけれどね。

 沙綾や蘭と手を繋ぐとドキドキとした嬉しさがあるけれど、香澄と手を繋ぐと何故だか絶対的な安心感が芽生えてしまう。どうやらわたしと優璃にとって香澄はやっぱり特別な存在なのでしょうね。

 

 

「ずっと一緒ですよ、今までもこれからもね」

 

 

 わたしの言葉に満足気な微笑みを見せた香澄と再び夜空を眺めた。

 

 

「ねぇゆり、今日はお月さんがとっても綺麗だよ」

 

「そうですね、何故だか普段よりも輝くように綺麗に思えますよ」

 

 

 雲が切れた月はその輪郭を夏の湿度で淡く描きながらも、普段よりも明るく輝いた姿で天空の支配者となっていた。

 

 部屋に鳴るのはエアコンの微かな駆動音だけ。そんな静かな部屋の中でお互いの手を握り締めて存在感を確かめ合いながら、わたし達はただ無言で月夜の静寂を味わい続けたのでした。

 

 

 



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62.魔女裁判を女子会とは呼べない

 

 

 【女子会】

 淡白とも思えるその甘美な響きには、乙女達の微かなる秘め事と最強無敵のキャッキャウフフが入り混じる男子禁制夢空間の戯れがあるのですよ。

 

 

 昨日開催された香澄の誕生日会は、まさに至高の女子会と言わざるを得ないイベントでした。

 和気藹々とした雰囲気の戸山邸リビングにはクラッカーの派手な音と大きなバースデーケーキ。

 喜色に満ちた美少女達の笑い声が響き渡るなかで必死にお嬢様猫を被り続けようとする有咲、そんな偽お嬢様を天使の微笑みで優しく見守るりみりん。

 香澄は言うに及ばずですが普段は落ち着いた雰囲気を持つおたえや沙綾さえも珍しくはしゃいでいます。

 そんな浮かれきったポピパのメンバー達を若干の呆れ顔で眺めているあっちゃんの隣に座り、最上のキャッキャウフフを生暖かく鑑賞して満喫するわたし。

 この夢空間で過ごすひと時を至福の刻と言わずしていったい何と呼ぶのですかね、そろそろ尊いという概念は世界文化遺産に登録されて然るべきだと思うのですよ。

 

 

「優璃ゴメン、半分も理解が出来ないわ」

 

「なんでや美咲、お主なら伝わると思ったのにぃ!」

 

「勝手にそちら側の住人にしないでくださーい」

 

 

 放課後の練習の為に弦巻こころ宮殿を訪れていたハローハッピーワールドのメンバー達とわたしは、黒服のお姉さん達に通された防音が施された特別室にてボーカルのこころを中心としたハロハピのメンバー達や美咲の分身ともいえる着ぐるみのミッシェルは各々の担当楽器の練習を、わたしの仮初めの姿であるアンジェラは結衣を講師として着ぐるみダンスの特訓をそれぞれ終え、着ぐるみのせいで汗に塗れたわたしと美咲は結衣を交えてシャワーを浴びてから打ち合わせという名の休憩の為にメンバー達が先に待つ部屋へと連れ立って向かっております。

 

 

「それにしても戸塚さんはダンスも出来るんだね、凄いなぁ」

 

「この戸塚結衣、優璃お姉様の為なら踊りだろうと囮だろうが何でもやりましゅよ」

 

「そんな事を言っている美咲こそ着ぐるみのままDJプレイをするとか大概な超人ですがね。とはいえ確かに結衣は頼りになりますよ、練習後に一緒にシャワーを浴びようとしなければ更に最高な女の子なのですが」

 

「時間の効率化でしゅよ、そして裸のお付き合いでお姉様との親密度アップでしゅ」

 

 

 小さくガッツポーズをしながら隣を歩く結衣は傍目には大人しそうな眼鏡っ娘という雰囲気なのですが、いざ接してみれば意外や積極的な距離感で懐いてくれるのが可愛いくてついつい甘やかし気味になってしまうのが最近の悩みなのです。

 

 

「それにしても優璃が肌を見られるのが苦手なのは意外だわ、裸でも平気で走り回るイメージだったのに」

 

「どんな幼児ですかねそれは。確かに見られるのは苦手ですが見る方は好きですよ、美咲も結衣もとても綺麗な身体ですからね」

 

「そう言われたら何だか気持ちが悪く思えてきた」

 

「美咲さんや、少々わたしへの扱いが悪すぎではないですかね?」

 

 

 他のメンバー達が待つ部屋の扉が見えてきた所で早足をして、美咲と結衣の前で跳ねるように反転してから笑顔を向けた。

 

 

「でも二人に出会えて本当に良かった。これからもハロハピをよろしくお願いしますね、大好きですよ二人共」

 

 

 何となく二人も笑顔を返してくれると悠然と待っていたら、勢いよく返ってきたのは美咲からの容赦のないデコピンでした。

 

 

「こういうところに戸塚さんはやられたの?」

 

「はうぅ、お姉様の笑顔は最高でしゅ」

 

「痛いですよもう、美咲が酷いです」

 

 

 デコピンを炸裂させた後に今度は両手で頬をぷにぷにと弄ばれる。とくに嫌われている雰囲気などは感じないのですが、何故だかこのダウナー系のやれやれ娘は少々わたしに当たりがきついように思うのです。

 

 

「そうやって色々な事を私達に押し付けて逃げようとしても無駄だからね。絶対に逃がさないでおこうって戸塚さんと話しているから」

 

「別にそんな気はありませんよ、見守りたいだけです」

 

 

 視線を逸らすように拗ねた表情を見せたら、美咲はやれやれと言いたそうなため息を吐いてから頭上に手を乗せてきた。

 

 

「せっかく出来たミッシェルの妹を簡単に手放すつもりはないから、潔く諦めなさい」

 

「おのれ手強き女子ですね、まぁアンジェラを演るおかげでミッシェルへの恐怖心が和らいできた事には感謝をしていますがね」

 

「お姉様笑顔でしゅ、可愛いお顔が勿体無いでしゅよ」

 

「そうそう、恥ずかしがってシャワー室の床で縮こまっていた優璃は可愛いと思っ……」

 

 

 結衣に釣られて笑いながら喋っていた美咲が急に言葉が詰まったように黙ってしまったので覗き込むようにしてその表情を窺うと、わたしと視線が合うと同時に驚くような早さで顔全体が鮮やかな朱色に染まっていった。

 

 

「どうかしたのですか、美咲?」

 

「あー、ほらほら皆さんがお待ちかねですよー」

 

 

 照れくさそうな表情の美咲が急に右腕を、その姿を確認した結衣に素早く左腕を拘束されたわたしは、さながら連行される凶悪犯のように己の足先を滑らせながらメンバー達の待つ部屋へと強制的に運ばれて行くのでした。

 

 

「あら優璃と美咲も来てくれたのね、とっても嬉しいわ!」

 

 

 豪勢な扉を開けるやいなや輝くような笑顔と飛ぶような勢いで駆け寄ってくるお姫様の姿に、わたしと美咲は顔を見合わせながら苦笑いを浮かべあった。

 

 

「二人が来てくれたらミッシェルとアンジェラもきっと喜ぶわ、とってもハッピーな出来事ね」

 

 

 やれやれ流石に慣れてきたとはいえ弦巻こころさんや、いったい何度説明すればミッシェルとアンジェラの中身はわたし達と御理解いただけるのでございましょうかね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 夏休みも近づき、茹だるような暑さと若干の浮わついた雰囲気に包まれ始めている花咲川女子学園。

 普段のお昼休みを中庭で過ごす事の多い我等がpoppin'partyなのですが、猛暑日に降り注ぐ強烈な日差しから逃れる為に本日は高等部1年A組の教室でお弁当タイムを楽しみ、その後は来るべき初ライブに向けての団結力を高める為に他愛もない雑談に興じております。

 

 

「はぁ、早くライブがしたいねぇ」

 

「少しは緊張とかしろよな、もうすぐ本番だぞ」

 

 

 力無く机の上に突っ伏しながら呟いた香澄の頭を仕方がない奴と言わんばかりの表情で有咲がポンポンと軽く叩き続ける。そしてそれを見ながら天使の微笑を振り撒くりみりん、何を思い立ったのか慌ててギターを取り出そうとしている不思議娘のおたえ、椅子に座るわたしの背後から当たり前のように抱きつきながら頭の上に顎を乗せてリラックスしている沙綾。

 わたしはこのポピパの如何にも仲が良い女子高生感というか友達感がとても尊い雰囲気で大好き、ずっと永遠にこの五人を眺めていたいなぁと本気で願っていたりもするのです。

 

 

「あぁゆりも笑ってる、ぶうっ」

 

「違いますよ、やっぱりポピパのみんなが大好きだなぁって思っただけ」

 

「おいおい急にどうした、もしかして熱でもあるんじゃねぇのか?」

 

 

 膨れっ面の香澄とわたしを心配しているのか馬鹿にしているのかニヤニヤとした有咲の表情を見て他のメンバー達が笑い出す。

 とくに何て事のない日常の光景かもしれないけれど、安心できるメンバー達との些細なやり取りの積み重ねをいつかきっと青春の日々と呼ぶのでしょうね。

 

 しかしそれにしてもB組の有咲が隣のクラスであるA組に馴染んでいるのは冷静に考えれば凄い事ですよ。あの引きこもり属性持ちでコミュ症全開だった有咲たんがまさか成長の兆しをみせてくれるとはこの美月優璃、友達としてもポピパのメンバーとしても感涙に咽び泣く程の感慨深さがありますぞ。

 

 

「優璃ぃぃぃぃ!」

 

「あー、あー、美月さーん、ちょっとお願いしまーす」

 

 

 教室中に響き渡る高音でビブラートの効いた呼び声に反応して顔を向けると、教室の入り口でブンブンと手を振る弦巻こころとまるで表情の薄い招き猫のような風体で手招きをしている奥沢美咲の姿がありました。

 

 こころの賑やかな動作とは反比例に段々と静けさを増していく教室内から降り注ぐ物言わぬ視線にクラス内での立場を危惧したわたしは、いつの間にか抱きしめるような形となっていた沙綾の手を優しく解いてからこころ達の元へと平静を装いながら滑るように向かった。

 

 

「優璃! 久しぶりね」

 

「いや先日にみんなで会ったばかりだと思いますがね」

 

「今日は初めての出会いよ」

 

 

 教室の出口まで近付いたら楽しそうな笑顔のこころが風に舞う羽毛のような身軽さで飛び跳ねながらハグをしてきましたが、取り敢えずバランスを崩さないようにしっかりとその身体を受け止めて普段通りに優しく頭を撫でてあげると、近付いてきた呆れ顔の美咲に黙ったまま背中を押されて教室の外へと連れ出されてしまいました。

 

 

「あのさ此処は日本、むやみにハグとかはしない文化なの」

 

「あらハグはしたい時にするものよ、だから美咲にもしてあげるわ」

 

 

 今度は美咲にハグを試みたこころが慣れた手付きで頭を押し返されるように阻止される、ハロハピで集まった時にはよく見られる光景なのですが美咲という娘は面倒臭そうな態度を取るわりにはこころと普段から一緒に居る事が多いのですよね、同じクラスという事もあるのかもしれませんが本当は面倒見の良いヤレヤレ系女子というのはもはやメンバー間では公然の秘密と化しておりますぞ。

 

 わちゃわちゃとした美咲とこころの触れ合いを生暖かい視線で堪能していたら、左腕にポスッという柔らかい感触が走った。

 

 

「ゆーちゃん、あの、あのね、久しぶり」

 

「いやはぐみちゃんとは同じクラスでしょ」

 

 

 左腕に抱きついて来たのはベース担当でショートカットがチャームポイントの北沢はぐみちゃん。

 恥ずかしさに顔を真っ赤に染めながらも慣れない手付きでしがみつくその姿は言葉に出来ない程の愛らしさに溢れていて、ポピパのりみりんが癒しの天使とするならばハロハピのはぐみちゃんは元気で無垢な妖精といった風情がありますね。

 

 

「こころんがね、ハグしたらゆーちゃんが喜ぶって教えてくれたんだよ」

 

「そうよはぐみ、優璃はハグをしたらとっても笑顔になるのよ」

 

「まぁそれ自体は否定しませんがね」

 

 

 はぐみちゃんとこころによる両側から挟まれる形のおしくらまんじゅうハグ地獄に身動きを塞がれていたら、三人揃って美咲に後頭部を軽く叩かれてしまいました。

 

 

「何をやっているの君達は。はいはい優璃もデレデレとしない」

 

「おっとそういえばハロハピの一年生組が勢揃いではないですか、いったいどうしたのですか?」

 

 

 ハロハピはミッシェルとアンジェラを加えた六人体制がメインで、そこに裏方としての美咲と幽霊隊員なわたしも何故か勘定された総勢八人となる意味不明なメンバー構成なのですが、わたし達四人組を除いたギターの薫先輩とドラムの花音先輩は一学年上の二年生組なのです。

 

 

「聞いたのよ優璃がもうすぐライブをするって。うーんとっても素敵な出来事と思ったわ、だからハロハピもライブをしようと思うの」

 

「えっとこころさんや、会話の中身がツッコミどころしかないのですがね」

 

 

 わたしの両手を取りブンブンと上下に振り回しながら楽しそうに金色の瞳を輝かせる美少女さんと言葉の意味を理解しているのか些か不安になる弾けるような笑顔の無垢な妖精さん、その二人とは対照的に疲れ切った表情でため息を吐いている美咲と中々に混沌とした光景でこれはこれで尊いとも思えますね。

 

 

「いや普通に無理でしょ、まだ一曲目を仕上げている途中だよ」

 

「やってみないと分からないわよ美咲、歌ならいくらでも湧き出してくるものよ」

 

「いやそれ鼻歌じゃん、バンドの曲じゃないって」

 

 

 ふむふむやはり美咲は普通の人間とは思えないですね。ハロハピの作詞作曲を手掛けていながら着ぐるみを纏ってDJプレイもこなし、更にツッコミのキレは市ヶ谷有咲級とはもはや人間業ではないですよ。

 

 

「もう優璃もこころを説得してよ」

 

「いやぁ、美咲って凄いですなぁ」

 

「どうして他人事の顔をしているのかなアンタは」

 

 

 美咲に両頬を引っ張られながら怖い顔色をされたので慌てて痛いですアピールをすると、あっさりと手を離して優しく頭を撫でてくれました。

 

 

「もう痛いですよ、少しは容赦をして頂きたいところですね」

 

「ごめん、でも優璃はもう少しハロハピの事を考えて」

 

「ポピパの初ライブを乗り越えたらちゃんと手伝うつもりですよ。あっ、ところで美咲?」

 

 

 ふいに問い掛けられた美咲が可愛らしい女の子みたいな仕草で首を傾げた。

 

 

「美咲はハグをしてくれないのですか?」

 

「す、す、する訳がないでしょ、バカなの⁉︎」

 

 

 少し揶揄っただけなのに、とても激しい勢いで何度も腕を叩かれてしまいました。

 美咲はどうやら普段のヤレヤレ系ダウナー女子とは違ってしっかりと乙女の部分も持っているようでして、これは中々に可愛くて弄り甲斐のあるキャラクターに出会えたのかもしれないですね。

 

 

「でもでもゆーちゃん、ライブって何をするの?」

 

「おっとはぐみちゃん、そこからだと長くなりそうですのでハロハピ会議の時にでも話しますよ」

 

 

 わかったぁと屈託のない無邪気な笑顔を見せるはぐみちゃんに、懲りずに再びハグを仕掛けようとするこころを全力で阻止しようとする美咲。うん、今日もハロハピは通常運転の模様ですね。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 教室の中に戻りはぐみちゃんと軽く手を振って別れてからポピパの所に戻ろうとしたら、急に腕を引っ張られて無理矢理に空いている席へと座らせられた。

 驚いて周りを見渡すと対面には腕組みをしたクラス委員長のみっこ、その眉間に皺を寄せた表情はどうみても上機嫌とは伺えない雰囲気を纏っております。

 

 

「ちょいと美月さん、いい加減にしていただけませんかね」

 

「みっこさんや、身に覚えは何も無いのですが取り敢えず無実を主張させていただく所存にて」

 

「そちらに身に覚えが無くても関係ないのよ」

 

 

 腕組みをしながら座った椅子ごとにじり寄ってくるクラス委員長に若干の恐怖を覚えた。

 

 

「私達、いや『カユサーの微妙な距離感を慈しむ1ーAの会』としてはポピパのホンワカとした雰囲気を遠くから眺めていたいわけ、なのに他所でハーレムを構築しようとするとか何なの? 美月は歩く愛され製造機か何かなの?」

 

「いやそれよりもカユサーって何ですかね、お粥を楽しむサークルか何かですかね」

 

「テメェ、フ、ザ、ケ、ル、ナ」

 

 

 顔をにじり寄せてきた委員長とおでこ同士を突き合わせて激しく睨み合う。まさに一触即発といった状態ですが、そもそも何故にわたしが怒られなければならないのですかね。

 

 

「あの子達はポピパとは違うバンドのメンバー、変な誤解をしたら可哀想ですよ」

 

「おやおや他所のバンドに浮気とは。ちゃんとポピパに集中してくれませんかねぇ、この中途半端ロリボディガールが!」

 

「はぁなんとも失礼な言い草でございますな。言われなくてもポピパが一番に決まっとるやろがい、この絶壁美少女委員長が!」

 

 

 側から見れば喧嘩のようですがみっこ委員長とはこれがいつものやり取りで、最近ではクラスメイト達からのもっとやれ等の煽り言葉も散見するくらいのクラス名物と化していたりもするのです。

 お約束のような委員長とのおでこ相撲を楽しんでいたら、先程から制服の背中を小刻みに引っ張り続ける謎の存在が無性に気になり始めた。

 やれやれ香澄が待ちくたびれて呼びにでも来たのでしょうかね、やれやれ仕方がないのでポピパのみんなの所にでも戻るとしましょうか。

 

 委員長のおでこを手の平で押し返してからひと息つき、ニヤつきそうになる表情を必死に抑えながら後方へと身体を向けると、目の前に現れたのは香澄ではなく羞恥に染まった顔を俯かせながらも何かを言いたげな瞳を向けている結衣の姿でした。

 

 

「あ、あの、お姉様、あの……」

 

 

 消え入りそうな程の弱々しい声で発せられた『お姉様』という単語に教室の中に張り詰めた緊張感が走る。興味津々といった好奇な視線が突如現れた眼鏡美少女へと向けられ始めた事を敏感に察知したわたしは、結衣を高速で回れ右させてから全力で背中を押して再び教室の外へと脱出しました。

 結衣の背中を押している際には、背中越しにみっこ委員長の「お、おね、おね、おっ、おねぇ」というリズミカルでゴキゲンなラップもどきが炸裂していましたが取り敢えず聞こえていない風を装っておきます。

 

 

「はぁ、知らない人が多いと緊張するでしゅ」

 

「わたしはある意味で戦慄しましたがね。ところでいったいどうしたというのですか、わざわざ隣のクラスまで来るなんて」

 

 

 廊下に出た事で緊張が解けたのか、結衣はいつもの柔らかい微笑みを見せてくれた。

 

 

「はい、弦巻 花様からの言付けで『偶には顔を見せなさい』と」

 

「いやハンナとは顔を合わせてからそんなに日が経ってはいないような気が」

 

「お姉ちゃんに伝言を頼まれただけでしゅので。それに私としては優璃お姉様と学校でお話が出来るチャンスなので願ったり叶ったりなのでしゅ」

 

 

 嬉しそうな笑顔の眼鏡美少女を見ていると理不尽な状況に追い込まれている不満を口にする気力を削がれてしまいそうですが、それはそれとして薄い青色の夏制服を無慈悲な程に圧迫している御立派な胸を三回ほど右手の人差し指でツンツンと懲らしめておきました。

 

 

「もうお姉様、触るなら優しくが嬉しいでしゅ」

 

「何を訳の解らない事を言っているのですかねこの美少女は。それよりもハンナに伝えてくださいな、夏休みに入ったら遊びに行くかもしれません、いや行けたら行きますと」

 

「それって絶対に行かないやつでしゅ、私が怒られるやつでしゅ」

 

 

 わたしの返答を受けて慌てたように胸の前で両手を振り始めた結衣の頭を、背伸びをしながら腕を伸ばして優しく撫でた。

 

 

「人見知りなのにわざわざA組まで来てくれたのですよね。結衣は本当に可愛くて良い娘です、これからもわたしと仲良くしてくれたら嬉しいな」

 

「おおおお姉様、それはずっとお側でお仕えしなさいという、結衣はもはやお姉様の眷属であると」

 

「論理が飛躍し過ぎていますな」

 

 

 呆れながら頭を軽く叩くと結衣が悪戯っ子のように軽く舌を出しながら笑ってくれた。

 実の姉が世界的富豪の令嬢である弦巻こころの専属ボディガードを勤めているだけあって、その妹である結衣の秘めたる能力も高い事は何となく察知が出来るのですが時折見せる暴走気味の挙動がその……まぁ可愛いのですがね。

 

 

「さてそろそろ教室に戻るとしますね。これよりわたしは修羅共との戦い、おそらく待ち受けているであろう1ーA特別魔女裁判を生き抜かねばならないのです」

 

「御武運を、お姉様」

 

 

 魔女裁判の主な原因はこころ達と結衣が生んでいるのですが、それを語るのもまた野暮というものです。

 御立派な胸の前で祈るように手を組み深く頷いた結衣に、わたしも決意を固めた頷きを返してから教室に入る為の扉に手を掛けた。

 

 ただ戦場へと赴く前にひとつだけ愚痴を吐いても宜しいか、聞いてくだされ心の内に棲まう空想妖精モヤット君。

 

 結衣もこころ達も連絡程度ならメールっていう便利なツールもあるのですよ。クラス内序列はともかく、こういう時に香澄達が向けてくる乾いた笑顔は本当に寒気がくる程に恐ろしいのですよ。

 

 



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63.雨上がりの路面に

 

 

 夏の太陽さんは朝からとっても働き者。どうにか日差しを防ごうと手をかざしてみても、指の隙間から漏れてくる光は白夜を彩るオーロラのように煌びやかな輝きだ。

 そんな照明が生み出している色濃い陰影は、まるで今という時を大地に刻むように鮮明な境界線を熱で揺らぐアスファルトの上に映し出していた。

 

 鞄を後ろ手に持ち替えながら振り返ってみれば、街路樹が重なる緑色のカーテンを背景に爽やかな笑顔を見せている香澄の姿。

 

 

「暑い、面倒くさい、帰りたい、マジで夏とか要らねえだろ」

 

 

 その隣でゼンマイ仕掛けの人形のようなぎこちない足取りに、まるで清廉な乙女である事をすっかりと忘れてしまったかのような口振りを見せている金髪ツインテール美少女の有咲。

 

 引きこもり気質だった有咲を香澄が毎朝迎えに行くと言い出してからは三人で登校をする事が日常となったのですが、あの他人行儀な猫被りが常だった人見知り有咲たんが最近ではわたし達の前では素の姿を隠さなくなっています。

 それだけポピパには気を許しているという事ですかね、そう思えると何だかこの如何にも面倒くさそうに歩いている姿さえも可愛く思えてしまうのですから不思議なものです。

 

 

「もう、せっかくのポピパの夏なんだから楽しまなくちゃだよ」

 

「香澄の言う通りですぞ有咲たん、夏は婦女子の露出が増えて目の保養にとても良いですし」

 

「優璃の主張が生々しくて気持ち悪い」

 

 

 せめて華やかな雰囲気にしようと考えたのに有咲の視線と反応が冷たいです。

 ドン引き顔の有咲を優しく宥めている香澄と目線が合うと、彼女は明るい太陽に照らされながら慈愛に満ちた微笑みを向けてくれた。

 香澄のとても可愛いというか綺麗な表情ですが、こんなに優しくて純真な女の子がまさかあんな事を言い出すとか思いもしませんでしたよ。

 

 昨夜の自室。当たり前のようなパジャマ姿で部屋の扉を開け放って登場した香澄は、ベッドの上でうつ伏せのままスマホを弄っていた憐れな部屋主の布団を問答無用とばかりに剥ぎ取り、フンフンと鼻を鳴らすような勢いで無防備だった背中にいきなり体重を乗せるように覆い被さってきた。

 

 

「えっと、これは流石に悲鳴を上げても許されますかね」

 

「いつまでもスマホを弄って、明日もありさを迎えに行くんだから早く寝ないとだよ」

 

「寝させる気があるとは思えませんよっと」

 

 

 耳元で囁かれるくすぐったさに耐えきれなくなり身体を捻らせて香澄を背中から落とし、あらためて横向き同士で向かい合うような姿勢をとった。

 

 

「最近お泊まり多すぎでは?」

 

「大丈夫、将来はポピパで一緒に住む事になるんだから予行練習みたいなものだよ」

 

「いつ決まっていたのそれ、まったく知らない案件ですけど?」

 

 

 横向きのまま布団の上をうねるようにして身体を寄せてきた香澄が胸元に顔を埋めてきた。

 眼下に広がるお風呂あがりの柔らかな髪質と鼻腔をくすぐる爽やかで瑞々しい香りに誘われて、ついつい無意識に腕をまわして優しく髪を撫でてしまう。

 いつも思うのですが、無邪気な香澄も下町っ子の沙綾もお風呂あがりに纏う雰囲気は思春期の少女というよりも大人の女性のような美しさを感じさせてくれる。もしかして女子高校生ってそういうものなのでしょうか、ならばわたしもまさか……いやいや想像したら気持ち悪さに鳥肌が立ちそうでしたわ。

 

 

「明日だよね、CiRCLEでの最終打ち合わせ」

 

「そうですね。何故かわたしはそのまま働いていけってオーナーに言われていますが」

 

「意外とオーナーに気に入られているっぽい?」

 

「そんな風には見えませんね、いつも怒られているし」

 

 

 普段から抱きついてくる事が多い香澄だけれど、不思議と今は身体を包み込むような吐息と体温を普段よりも熱く感じる。

 身体にじわりと滲む汗を嫌って枕元に置いていたエアコンのリモコンを指で手繰り寄せながら室温を下げようかと訊いてみたら、香澄は無言のまま小さく頭を振ってから顔を更に押し付けてきた。

 

 

「ギューッとして、ゆり」

 

 

 えらく甘えてきますねなどと思いながら背中に腕をまわして抱きしめてあげると、暫く大人しくしていた香澄がプルプルと身体を震わせ始めた。

 

 

「ぷわぁ! アツイよ!」

 

「うん、それはそうなるよね」

 

 

 額に汗を浮かばせながら勢いよく顔を上げた香澄に半ば呆れながら室温を下げてあげると、えへへと可愛い照れ笑いを浮かべながら今度はしっかりと手を握ってきました。

 

 

「音楽に、ポピパのみんなに出会えて本当に幸せ。わたしね、高校生になったらゆりとキラキラドキドキな青春を送るんだって決めていたんだ」

 

「素敵な仲間達ですよね。わたしもみんながバンドで輝いているのを見れて幸せですよ」

 

「そう、だからゆりはね」

 

 

 少し動けば唇さえも触れてしまえそうな空間で笑顔を向ける可愛い幼馴染。それはきっと女の子同士故の距離感であって、わたしが男性の幼馴染だったならばこんな風に会話をする事なんてきっと出来なかったのでしょうね。

 

 

「絶対に恋人を作ったらダメだよ」

 

「おやおやせっかくの尊い雰囲気とやらが迷子になりましたぞ香澄さんや」

 

「だってこれからもゆりと一緒にキラキラドキドキしていたいもん。それに最愛の幼馴染みが居るんだし別に恋人とか要らなくないかな、最愛のわたしが居るんだし、最愛の」

 

「最愛とか自分で言いますかね」

 

 

 口角を上げて微笑んだ香澄は、ベッドから起き上がり部屋の照明を落としてから剥ぎ取った布団を掛け直して並ぶように仰向けで寝転がった。

 

 

「最愛かはさておき、かけがえのない存在ではありますよ香澄は」

 

「うん、ずっと一緒だよ……今度こそ」

 

 

 おやすみと言葉を交わし、手を重ね肩を寄せ合いながら瞳を閉じた。

 明日が良い日になるかなんてわたしには知り得ない。けれどポピパのみんなが与えてくれる幸せの鼓動は、不思議と素敵な毎日になる予感をいつも速達でお届けしてくれるのです。

 嗚呼どうか神様。ポピパのみんなと、優璃とわたしにとって大切な幼馴染みと、これからもキラキラでドキドキな毎日を過ごせますように……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 窓ガラスを伝い落ちる水滴は、夏の湿度が作り出す水晶の涙にも見えた。

 

 

「うわぁ、結露が酷いねぇ」

 

「まりな許すまじです」

 

「黄昏美少女の台詞とは思えないよ、優璃ちゃん」

 

 

 CiRCLEにて行われた新人バンド達のお披露目を兼ねた合同ライブの打ち合わせを終えてポピパのみんなは先に帰って行ったというのに、この儚き女子高生は無残にもまりな店長という年上管理職妖怪に囚われてしまったとです。

 夏のアスファルトを濡らしていた小雨が置き土産として残していった異常な程の湿気は、程良く冷房の効いたライブハウスCiRCLEの大きなガラス壁に磨りガラスのような結露を描き、まるでメンバー達との尊い帰宅光景を奪われた哀れな小娘を嘲笑っているように眺める視界を白色に濁らせていた。

 

 

「お疲れさま。今日は臨時バイトありがとうね、当日もスタッフとしてお手伝い宜しく」

 

 

 ポピパの初ライブは次の日曜日の夕方。

 その日付けが決定してからというもの、何故だか日増しに心が騒めいて落ち着かない。それは決して楽しみというものではなく焦りのような、胸の奥のモヤット君がモヤモヤダンスを踊っているようなあまり気持ちの良い感覚ではなかった。

 

 

「いやぁ私としては夜の利用客であるお姉様方の相手もしてほしいところだけど、優璃ちゃんは高校生だし難しいよねぇ」

 

 

 気の迷いならそれでいい。ポピパの初ライブが無事に終わってくれるならば、わたしはそれで……。

 

 

「おーい優璃ちゃん無視はツラいなぁ、お姉さんに微笑んでほしいなぁ」

 

「人が珍しく黄昏ながら格好つけていたというのに邪魔をするとは何事ですか、いくら美人で有能上司とはいえ許すまじですぞ」

 

 

 悪態を吐きながら振り返ると、まりなさんが意味ありげな目配せをしながら店の外を指差し始めた。

 指が指し示す方へ視線を送ってみれば、街路樹の幹に寄り添うように佇む見覚えのある姿。

 

 

「優璃ちゃんを待っているんじゃないの?」

 

「待ち合わせをした覚えはないのですが」

 

 

 とはいえ気にはなるので、まりなさんに向かってお先に失礼しますと頭を下げてから外の様子を伺う為に足早に店を後にした。

 ゆっくりと開いた自動ドアを抜けた瞬間から肌に纏わり付く湿気は呼吸をする事さえも苦しい程で、不快な湿度の海を泳ぐような気分で空気を掻き分けながら目的の人物へと向かった。

 

 

「お疲れ様」

 

「何かあったのですか? 沙綾」

 

「散歩してて近くに寄ったからさ、ついでにゆりの顔を見ようかなぁって」

 

 

 沙綾の返答を聞いて思わず吹き出してしまった。

 街路樹の陰に隠れるように立っていた姿は明らかに誰かを待っているような雰囲気だった。けれど不思議に思うのは店内で待てばいいのに態々暑い最中に外で待っていた事です、まりなさんもそんな事で怒る人ではないと思うのですが。

 

 

「お店に来れば良かったのに」

 

「さっき迄お店に居たのに私服に着替えて戻って来るなんて変でしょ、何かあったのかと思われちゃうよ」

 

「外で待っているのも大差がありませんよ」

 

 

 鞄からタオルを取り出して沙綾の汗を拭いてあげる。熱中症というものは気温よりも湿度の方が危険度が高いのですから、遠慮しがちの沙綾にもこういう無理はして欲しくはないのですよ。

 

 

「みんなで居るのも好きだけど、ゆりとの時間も欲しいなって」

 

「それでも無茶は駄目です。でも嬉しいですよ、わたしも沙綾と仲良くする時間は好きですからね」

 

「本当に?」

 

 

 瞳を閉じて汗を拭かれていた沙綾が嬉しそうに頬を緩めた。

 わたししか見ていない照れくさそうな微笑みが路面の反射を受けて輝く。何ですかね、わたしの嫁が可愛すぎるのですが全開で叫んでも宜しいですかね。

 

 雨上がりの路面は既に乾き始めていた。

 それでもわたし達は、夏の暑さと少しだけ速まった鼓動のせいで掌に滲む汗を避けるように小指同士を繋ぎ合わせて帰る事にしたのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「香澄がねぇ、意外と言えば意外だね」

 

「そうなのですよ、まさかわたしが普段から言っている事を言い返されるとは」

 

「ふーん、香澄に彼氏が出来るのが嫌なんだ」

 

 

 沙綾から浴びせられる冷たい視線。話題のひとつとして昨夜の香澄との出来事を話したのですが、これはちょいとチョイスを誤ってしまったのかもしれないですね。

 

 

「彼氏が嫌というよりもポピパを頑張ってほしいというか、わたしはみんながバンドで輝いている姿を見ていたいのですよ」

 

「香澄は彼氏が出来てもポピパを頑張りそうだけどなぁ。でもうん、香澄に彼氏はいいとしてもゆりに彼氏は駄目だね、ポピパを忘れそう」

 

「失礼ですね、男の人には興味が無いと何度も言っていますよ。沙綾こそ彼氏は」

 

 

 最後まで言いかけて言葉を詰まらせた。

 彼氏を作るななんて香澄のような幼馴染みという立場だから言える事で、いくら嫁とはいえ沙綾に言い放つのは些か図々しい気がしてしまったのです。

 

 

「私は彼氏を作らないよ、ゆりと一緒にポピパで頑張りたいからね」

 

「いや沙綾にそんな……」

 

「お互いに彼氏は作らないって事で。だから……」

 

 

 沙綾が右手の人差し指をわたしの唇に押し当ててから、その指を自分の唇にゆっくりと触れさせた。

 

 

「ゆりのここは私だけのものだよ」

 

 

 悪戯なウインクをした沙綾を見ていたらちょっとだけ、ほんのちょっとだけどキスをしたいなって思ってしまった。

 勿論ですが人の行き交う往来でそんな事が出来る度胸もなく、ましてや親友である沙綾にそんな恥ずかしめを受けさせる訳にもいかず、とりあえず熱くなった気持ちを隠すように繋いでいた小指を外して恋人繋ぎのように全ての指を絡めて握り直した。

 

 掌の汗はもう気にならない。お互いの汗が混じり合うのも嬉しいって、不思議と今はそう思えてしまうのですから。

 

 

「これからも頑張ろうね、沙綾」

 

「そうだね。それと、彼氏は作らなくても嫁は愛してくれても良いんだからね」

 

 

 冗談ぽく笑った沙綾に、わたしも精一杯の微笑みを返した。

 

 

「これからも嫁を大切にしますので御安心を」

 

「じゃあ今度、ゆりの家にお泊まりに行っても良いかな?」

 

「別に良いけれど多分九割超えの確率で香澄が喜びながら突撃してくると思うよ、これは賑やかになりそうな予感」

 

「それは困るかな、イチャイチャ出来ないし」

 

「する気なんだ」

 

 

 顔を見合わせながら二人で声を出して笑う。

 タオルでお互いの汗を拭き合うような暑さの中でも腕と手を絡めるように寄り添わせながら、遅い夕暮れと薄い雲が織りなす明るいオレンジ色に染まった帰り道を仲良く並んで歩いた。

 

 

 本気で思いますよ、こんな素敵な仲間達とずっと一緒に過ごせたら幸せだろうなって。ずっと、ずっとこれからも……。

 

 

 



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64.【幕間】恋は羞恥心と共に(美竹 蘭視点)

 

 

 

 あたしは他人との距離感を計るのが苦手だ。

 

 別に人間嫌いという訳でもなく、気を遣ってまで仲良くするのが面倒くさいと思ってしまうタイプなのだという自覚も持っている。

 あたしにとって特別なのは四人の幼馴染み達、After glowのメンバー達だけ。他の人達は適当な距離感でお付き合い出来ればそれでいいとさえ思っていた。

 

 

「ちょっと蘭、どうしたのですか?」

 

 

 そんな不器用なあたしが、何故かCiRCLE練習スタジオの室内で同い年の女の子相手に壁ドンをかましていた。

 どうかしている、いったい何がどうしたというのだろうかあたしは。

 

 

「もしかして怒っているのですか?」

 

「誘ってこないからって別に怒ってない」

 

 

 困ったような、それでいて伺うような視線を向けてくる、可愛い。

 

 

「色々と忙しくてですね。それとあの、あまり見つめられると恥ずかしいのですが」

 

「優璃って直ぐに目線を外すよね、嫌なの?」

 

「違うよ。蘭の瞳って大きくて力強くて格好いいからその、見つめられると照れるのです」

 

 

 頬を紅くしながら恥ずかしそうに視線を逸らす優璃、とても可愛い。

 

 

「あたしの事が苦手なの?」

 

「そんなのある訳がない」

 

 

 優璃が頭を振りながら身体を寄せて首元に顔を埋めてきた、最高に可愛い。 

 

 

「蘭の瞳に弱いの、ドキドキしちゃうから」

 

 

 はぁそれってあたしに惚れているって意味じゃん。もう焦らさずにサッサと告白したらいいのに、こちらは優璃が自白してくるのをキリンくらいに首を長くして待っているんだからさ。

 

 優璃がリズムよく零す吐息が首筋に甘く掛かる度に蕩けそうな気分になる。

 落ち着けあたし、ここで取り乱したりしたら全てが水の泡、ここはあくまでもスマートに、息を整えて、震えそうになる手を落ち着かせて。

 両肩を掴んで少しだけ距離を開けて真剣な表情を作り、優璃の瞳を見つめ続けた。

 

 何かいい雰囲気だしこれなら大丈夫だよね、早く言っちゃいなよ私と付き合って……って全然言ってこないし。

 

 それでもあたしを見つめる瞳は見惚れているかのように微かに潤んでいたって、可愛すぎるでしょ滅茶苦茶に可愛すぎるでしょ、ずっと見ていたいわこの表情。

 ヤバいキスしたい欲求が凄い、でも無理矢理にキスをしようとしたら嫌がられるかもしれないしそういうのは求めていないって言われたら傷付きそうだし挙げ句の果てに避けられるようになったら再起不能かもしれない(自分が)。

 

 

「優璃……」

 

「やっぱり蘭の瞳は素敵だね」

 

 

 優璃の微笑みが可愛すぎて衝動的に片側の頬へ手を添えてしまった。

 ダメダメ自制が効かなくなっているじゃん。お願い早くそっちから告白して、せめて合意という既成事実をあたしに頂戴。

 あーヤバい、これ完全にキスしたいってオーラが出ているかも、ダメだって止まってあたしその先に避難口はないんだってば。

 

 

「待たせたな蘭って……お、お邪魔しましたぁ」

 

「いや違うから!」

 

 

 ドラム担当の(ともえ)がスタジオの扉を開けた瞬間に咄嗟の判断で優璃の身体を離したけれど、正直に言えば心からの感謝を捧げたいくらいには助かった。あのままならば絶対にキスをしていたかと思うと冷や汗が滲む、色々なものが崩壊する直前で助けてくれた巴は正に救世主様だよ。

 

 

「わたしそろそろ行くね。頑張ってね、蘭」

 

「あっうん、またね」

 

 

 別に居てもいいのにと言う巴を肘で制しながら、慌てるように立ち去る優璃に向かって軽く手を振った。

 頑張ってね、蘭か……語尾にハートマークが見えちゃったよもう、まったくあの娘あたしの事が好き過ぎじゃないかな。

 

 

「邪魔しちゃったか?」

 

「いや助かった、ありがとう巴」

 

 

 お礼を言われた理由が解らずに首を傾げる巴の肩に優しく手を乗せた。

 あたしは自らの欲望に打ち勝った、優璃の反応からして告白も近いだろうし勝利の宴も間もなくだねって……次のデートの日取りを決めるつもりだったのにすっかりと忘れていたじゃん、何をやっていたのだろうかあたしは。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「うそ、まだ付き合ってなかったの?」

 

 

 学校帰りにバンドメンバーで立ち寄った『羽沢珈琲店』、あまりオシャレ過ぎず落ち着いた雰囲気の居心地が良い喫茶店で、うちのキーボード担当の羽沢つぐみの実家でもある。

 

 そんな居心地の良い空間でアイスティーを嗜んでいるあたしの向かいの席で、これでもかと瞳を見開きながら呆れ顔を晒しているのがバンドのリーダーでベース担当の上原ひまり、あたしとは違って人当たりも良く誰からも好かれるような明るい女の子、ただしいつも声が大きいのは唯一の難点だ。

 

 

「だから、何で付き合っている前提なの」

 

「とっくに蘭が告白済みかと思っていたのに」

 

「はぁ? あたしがいつ優璃を好きって言った?」

 

 

 急に全員が押し黙ってしまった。

 あたしは別に優璃に恋愛感情を抱いていない。そりゃ可愛いなって思うし抱きしめたいなって思うしキスもしてみたいかなって思うけれど別に惚れてはいない、あくまでも惚れているのは優璃の方だと思っている。

 

 

「まぁ蘭は告白出来そうもないよねぇ、モカちゃんは薄々と察していましたよ」

 

「モカ、うるさい」

 

 

 ニヤニヤとした表情と飄々とした態度を見せてきたのはギター担当の青葉モカ、のんびりとした雰囲気のモカとせっかちなあたしは不思議とウマが合うようで、仲が良い幼馴染み達の内でも親友のような存在だと今は感じている。

 

 

「さっさと告白しちゃえよな、あたし達の事なんか気にすんなって」

 

「巴ちゃんそんなに煽るような言い方しちゃ駄目だよ、暖かく見守らないと蘭ちゃんも告白しづらくなっちゃうよ」

 

 

 下町っ子の巴は高い身長とスラリとした体型も相まって頼り甲斐があるけれどいつもデリカシーが少しだけ足りない、そのせいであたしとぶつかる事も多々あるのだけれどその間を取り持つのが何時もつぐの役目になっていた。

 つぐは生真面目で優しく気遣いもマメな、まるで優等生を絵に描いたような女の子だけれど無理をしてしまう性格でもあるのでそこだけは心配している。

 

 それにしてもライブの予定が無い時期はみんな暇なのか、最近あたしに関してはこの手の話題が増えた気がする。

 当事者とはいえこういう女子トークのような話題は苦手だ、出来ればバンド関連の話で盛り上がれる方があたしとしては喜ばしい。

 

 

「あたし達の事は放っておいて、進展したらちゃんと教えるから」

 

「そんな悠長な事を言っていたら、いずれ彼氏が出来たとか言われて泣く事になるって」

 

「それは無い!」

 

 

 ひまりは何を言っているのだろう。あれだけ明確な好意を示している優璃に彼氏が出来るとか有り得る筈もないし、仮に彼氏が出来たのならば脅されているに違いないのだからあたしが助けてあげるだけだ。

 

 

「どうして蘭は告白とかしないのかなぁ?」

 

「優璃からの告白待ち……ってだから、何であたしが優璃を好きって前提で話を続けてんの!」

 

 

 モカからの問い掛けに答えたら、何故か再び全員が押し黙ってしまった。

 自分から告白なんて絶対に嫌だ。ネットでも『恋愛は先に告白した方の負け』なんて書かれていたし、勝負事なら負けるなんてあたしの性分(しょうぶん)に合わないし何より好きなんて恥ずかしくて言える訳がない、それにそもそも恋愛感情を持ってはいないのだから告白の必要が無い、まぁ優璃に告白されたら付き合うけれども。

 

 

「みんなを驚かせてやるから黙って見ていて、あたしが完璧に勝利したところをちゃんと見せてあげるからさ」

 

 

 自信満々の勝利宣言予告を聞いて、全員が無表情にも見える能面のような顔をしながら押し黙ってしまった。

 みんなひょっとして打ち合わせとかしていないよね、いくら幼馴染みとはいえあたし以外の全員が何度も息が合うとか流石におかしいでしょ。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 混乱とは突然やってくるものだ、例外なんてありはしない。

 

 今日はメンバー達が気を利かせたらしく、CiRCLEから優璃が乗車をする最寄駅までの道程を二人で帰る事になったのだけれど、所属しているバンドの初ライブが近付いて浮かれた様子を見せていた優璃が道すがら発した言葉に我ながら素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

 

「はっ、えっ、何? 意味が分かんない」

 

「だからですね、幼馴染みから恋人禁止令が出されたのですよ。まったく、そんな心配は無用だと思うのですがね」

 

 

 優璃は笑顔だけれど、いくら幼馴染みとはいえ恋愛は駄目とか勝手に決めるなんてあまりにも身勝手が過ぎる。

 優璃の自由を束縛するなんて、優璃からの告白を阻害するなんて、この先に優璃が味わう筈だった色々な体験を遅延させるだなんて可哀想だしあまりにも酷過ぎる。

 

 

「いくら幼馴染みでも酷い、そんなの守る必要はないよ」

 

「でも嬉しかったのですよ、それだけわたしとバンドがしたいのかなって。ですからわたしもバンドを見守る間は恋人を作らないつもりなのです」

 

 

 あたしだったら幼馴染みからそんな事を言われても即時で却下だ、自由を束縛されるなんてロックを愛する人間には到底受け入れられない。

 きっとその幼馴染みは優璃が他の人に取られるのが嫌なのだろう、その気持ちは解るけれど優璃のあたしを好きっていう気持ちまで蔑ろにするのは流石に我慢がならない。

 でもそんなツラい思いをしてまで幼馴染みとの絆を優先させるんだよね、優璃は本当に健気で可愛い……あたしが支えないとね。

 

 

「好きを我慢するのってキツくない? だからさ、そのさ、あたしにはさ……」

 

 

 此方に顔を向けた優璃が不思議そうに瞳を丸くしながら首を傾げた。

 あぁもう伝え方が難しい、あたしに告白しても大丈夫だよ守ってあげるからって言いたいのに。

 

 

「好きは我慢しませんよ。幼馴染みも、バンドのみんなも、そして」

 

 

 優璃がはにかむように微笑む、ちょっと待ってそういう笑顔は反則。

 

 

「蘭の事も大好きですよ」

 

 

 やられた。

 たった今、あたしのハートはマシンガンで粉微塵にされてしまった。

 砕け散ったハートの欠片を優璃の笑顔が優しく纏めていく、そして出来上がった新しいハートはきっと美しいピンク色に輝き続けるのだろう。

 そう、愛という絆と共にね……って優璃が可愛い過ぎるだろうが勘弁してよマジで。

 

 

「あたしも好き、かな優璃の事」

 

「嬉しいですよ、そう言ってもらえると」

 

 

 違うからこれは告白じゃないから、優璃が先に好きって言ったからそれに応えただけだから。

 あたしは優璃とは違って別に恋愛感情なんて抱いてはいない。でも付き合ってと言われたい感情は無きにしも非ずだから、だからね、早く告白してくれないかな。

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り最寄駅が見えてきたところで、優璃の手を引き人気のない建物の影で優しく抱き寄せながら頬へキスをした。

 いつの間にか定着した別れ際のお約束のようなものだけれど……。

 

 

「えへへ」

 

 

 今日は優璃が初めてキスを返してくれた。

 

 

「じゃあまたね、蘭」

 

「あっ、うん、また、またね」

 

 

 手を振りながら駅に向かって走り去る優璃を何をする訳でもなく、ただ呆然と立ちすくむように見送った。

 姿が見えなくなっても動けない、頬に残る感触の爆心地を指で何度も確かめる事しか出来なかった。

 ヤバい嬉しくて死にそうだあたし、家に帰ったら思い切りシャウトしよう。

 

 

「結局告白しないんだ、なーんだ残念」

 

「うわっひまり? それに何でみんなも居るの?」

 

 

 建物の影から唇を尖らせたひまりが現れたと思ったら、その後ろにはちゃっかりと他のメンバー達全員の姿も見えた。

 

 

「まさかずっと見ていたの? 趣味が悪過ぎでしょ」

 

「悪りぃ、やっぱ気になってな」

 

「私は止めたんだけど、ね」

 

 

 バツが悪そうに頭を掻く巴とあからさまに視線を逸らし始めるつぐ。つぐは真面目だから嘘がつけない、誤魔化したとしても顔に興味津々と書いてあるんだよね。

 普段のあたしだったらこんな尾行みたいな真似をされたら怒鳴り散らすところだけれど今夜は何だかとても寛容な気分なんだ、みんなには本当に命拾いしたと思って欲しいね。

 

 

「いやぁまさか幼馴染みを見て共感性羞恥心に苛まれるとはねぇ、モカちゃんは(じれ)ったくて()げちゃいそうでしたよぉ」

 

「モカ、何を言ってんの?」

 

「頬にキスとかさ、女だったらガツンと唇でしょうに」

 

「ちょっとひまり、他人事だと思って気楽に言ってない?」

 

 

 相変わらず口を尖らせたままのひまりは不満気だ。

 たとえ頬チューだろうがあたし達の想いは通じ合っているの、その証拠に優璃は別れ際に抱き寄せた時にも嫌な素振りひとつとして見せない、しかも最近はちゃんと背中に手をまわしてくれるし、今日なんか頬とはいえキスを返してくれたしでこれってもう恋人同士みたいなものでしょ、まぁ付き合ってとは一向に言ってくれないのだけれど。

 

 

「ところであんた達さ、もしかしてキスしたところも見ていたの?」

 

 

 全員があたしから一斉に顔を背けた。

 オッケーとりあえず全員死刑、そこんとこヨロシク。

 

 

「でもずっと見ていたけれどさ、蘭はともかく優璃の方はもしかして」

 

「ひーちゃん、それは言ったら駄目なやつだよぉ」

 

 

 何かを言いかけたひまりの口をモカが素早く手で塞ぎそのままひまりを引き摺るようにしてあたしを除いた四人が輪を作り何やら密談らしきものを始めたかと思っていたら、モカがまるでお偉い代表者のような嘘くさい咳払いをしながらあたしの前に立った。

 

 

「えーコホンコホン、我々After glowは満場一致にて蘭の恋を応援すると決定したのであります」

 

 

 得意気な表情で宣言をしたモカの後方で、他の三人はワーワー言いながら賑やかな拍手の音を鳴り響かせた。

 ところであたしがカウントされていないのにメンバー満場一致って変だとは思わないのかね、この幼馴染み達は。

 

 

「ちょっと待って蘭の恋って、いつあたしが優璃を好きって言ったよ」

 

 

 夜の駅周辺は昼間とは違い少しだけ静けさを増す。そう、まるで時の流れに取り残された古墳のような静けさに……。

 

 

 ねぇちょっと、やっぱりあたしに黙って打ち合わせとかしているよね。

 いくら何でもこんな綺麗に全員が表情を失うとか普通に有り得ないって、流石にここまでの仲間はずれをされるといくらあたしでも多少は傷付くからね!

 

 

 



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65.POPPING! ①

 

 

 

①。チョコレイトの甘さはどこまでも優しく、けれど少しだけほろ苦い【牛込りみ】

 

 

 私はどこまでも臆病だった。

 会話も得意じゃないし注目される事も苦手だった、だって恥ずかしいもん。

 失敗が怖かった、笑われるのが怖かった、嫌われるのが怖かった。

 目立たないように殻に閉じこもって現実を見ないようにしている、それがいつもの私だった。

 

 

『りみりんって何か楽器やってる?』

 

 

 桜の花が新緑の葉に衣替えを終えた頃、それまで話をした事も無かったクラスメイトが瞳を輝かせながら急に私の手を握ってきた。

 綺麗な長い黒髪の女の子と二本のツノが特徴的な髪型の人懐っこい雰囲気の女の子、そして優しいお姉さんのような柔らかい空気感の女の子三人が何故か一斉に微笑みかけている。

 

 突然の出来事にその時は何が起こっているのか理解が出来なかった。

 でも今なら解るよ。きっとあの時に聴こえていたんだ、私の閉じこもっていた殻にヒビが入った音が。

 何かが動き出す予感がした。それでも私の足は動かない、ずっと止まっていたせいで歩き方を忘れてしまったかのように。

 華やかな舞台に上がれるなんて思っていなかった、臆病な私に素敵な物語なんて用意されていないって諦めていたから。

 

 

『素敵な曲、りみりん凄いよ』

 

 

 私が作った曲を香澄ちゃんは驚きながらも本当に喜んでくれた。

 自作の曲を自分以外の人が歌うなんてバンドなら当たり前な事かもしれないけれど、今でも私にとっては新鮮でちょっとだけ感動したりもする。

 明るくて行動力もある香澄ちゃんはポピパのリーダーでもあり、内気な私が秘かに憧れている存在でもあるんだ。

 

 

『はいりみりん、チョココロネひとつオマケだよ』

 

 

 高校生になって通い詰める事になったやまぶきベーカリー。元々チョコが好きだった私は、いつしかお店特製のチョココロネが大好物となっていた。

 程よい弾力のパン生地とまろやかで優しい味のチョコクリームの相性は抜群でやみつきの美味しさ、なんて考えていたらまた食べたくなってきちゃった。

 

 お店の看板娘でもある沙綾ちゃんはとっても優しい女の子。その暖かな雰囲気でみんなを優しく包み込んでくれるバンドのお姉さん的な立場だ。

 

 そんな沙綾ちゃんのお気に入りはバンドメンバーの優璃ちゃん。

 教室でもくっついている事が多いし、蔵でも座る時は決まって優璃ちゃんの隣だ。

 仲が良いのは微笑ましいけれど、私だって優璃ちゃんと並んでお話をしたい時もあるから香澄ちゃんと沙綾ちゃんでのお隣席独占は少しだけズルいと思っちゃう。

 

 

『べ、別にそんなんじゃねえし』

 

 

 私達の練習場所兼溜まり場でもある蔵の持ち主の有咲ちゃんは、普段はぶっきらぼうだけど根はとっても優しい女の子。

 面倒くせぇや何で私がなんて文句を言いつつも、いつもお菓子や飲み物を差し入れしてくれる。

 差し入れのお菓子の中にチョコが有ったら優先的に手渡してくれる優しさを持っていて、受け取りながらありがとうってお礼を言うと照れて顔を背けてしまうのも凄く可愛いくて、私の中では最近の密かなお楽しみになっているんだ。

 

 ポピパのギタリストのおたえちゃんはとっても格好いい女の子。

 美人だし身長も私より遥かに高くて手足も長くそして細い、まるでモデルさんみたいに素敵な人。

 前向きでいつも笑顔な性格とかも羨ましいな、私は引っ込み思案な性格だからそんなおたえちゃんに憧れているし、何よりお肉大好きの同士でもある。

 ギターとお肉の話をしている時の無邪気な子供っぽい笑顔もとっても大好き。

 

 

『おたえちゃんは牛肉と豚肉と鶏肉のどれが好き?』

 

『うーん……ハンバーグかな』

 

 

 時折会話が噛み合わない時もあるけれど、それもまたおたえちゃんの可愛さが増す良いスパイスになっていると思うんだ。

 

 

『可愛いし作曲も出来るしで、りみりんはまさに最強の天使さんですよ』

 

 

 優璃ちゃんはいつも褒めすぎだから恥ずかしくなる。

 最初に声を掛けてくれた高等部で最初の友達、もし優璃ちゃんが私に興味を抱かなかったならきっと今でもクラスに溶け込めてはいなかったのかもしれない。

 優璃ちゃんは美人寄りの可愛い顔立ちなのに言動がまるで少年のような、その見た目とのギャップが不思議な魅力となっている女の子。

 以前の事故で記憶を失くしたらしいのに、それを全く感じさせないくらいに明るくてみんなの人気者になっている。

 幼馴染みの香澄ちゃんとはベストコンビで、二人が居るだけで場が華やぐような素敵な間柄なんだ。

 

 私も、香澄ちゃんと同じくらい仲がよくなれるのかな?

 

 私はポピパの中ではみんなよりちょっとだけ背が低い。そのせいか集まっている時は視線を上げる事が多いけれど、優璃ちゃんとは同じくらいの身長のせいか見上げなくても済むんだ。

 そのせいか優璃ちゃんが視界に入る事が多い気がする……違うよね、無意識に優璃ちゃんを目で追っているんだ。

 

 少しだけ前に、私は優璃ちゃんにキスをした。

 

 なんて本当はキスなんて呼べるものじゃなくて、蔵で二人きりの時に私がドジをしちゃって優璃ちゃんの頬に唇が触れてしまっただけ。

 それでも凄く慌てちゃって、必死に謝りながら二人だけの秘密でって訳の解らないお願いまでしてしまった。

 いくら事故とはいえ怒られるかもと身構えていたら、優璃ちゃんは優しく頭を撫でながら謝らなくてもいいですよって言ってくれた。

 その時の優しい瞳と柔らかな手の感触に、不思議と心臓がバクバクと激しく反応してしまったのをハッキリと覚えているんだ。

 

 優璃ちゃんの両隣はいつも埋まっている。

 でも今度のライブが無事に終わったら打ち上げで優璃ちゃんの隣を狙ってみようかな、なんちゃって。

 

 もうすぐポピパの初ライブ。

 臆病な私はひとりでは動けない、だけどこの六人となら華やかな舞台にも立つ事が出来る気がする。

 臆病な私でもほんの少しだけ勇気を出せれば、もしかしたら素敵な物語が幕を開けてくれるのかもしれない。

 

 とても甘くて少しほろ苦い、そんなチョコレイトな青春の物語が……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

②。花園ランドの野望【花園たえ】

 

 

 飼いウサギのオッちゃんに彼女が出来た。

 とっても可愛い娘でオッちゃんには勿体ないくらいだけどお似合いだと思う。

 

 

「残念ながらウサギと付き合うのはちょっと無理ですな」

 

 

 まったく、優璃はまだ気付いていないだけなんだよ。

 オッちゃんは可愛い、優璃も可愛い、だからお似合い、以上。

 

 

「いや以上ではなく異常事態、おたえには申し訳ないですがわたしはケモナーではないのでね」

 

 

 オッちゃんの可愛さを未だに理解しきれていないみたい、どうやら私は飼い主としてまだまだ未熟らしい。

 もっと英才教育が必要だ。これも優璃の飼い主としての責任だと思う、そして花園ランドの支配人としての責務だとも思う。

 

 ウサギ達の楽園である花園ランドは壮大な夢だ。今はまだ頭の中にしかないけれど、いつかは実現させなければならない私の使命なのだ。

 その象徴として二人には……ひとりと一羽には是非とも幸せな家庭を築いて頂かなければならない。

 

 

「とりあえず愛の巣は私の家で良いかな?」

 

「おたえさんや、他の人が聞いたらあらぬ誤解を招くような表現は止めてくだされ」

 

 

 やはりまだまだ教育が足りないようだ、これからも頑張ろう。

 

 それにしても人生って不思議だ。

 (オジサン)に貰った一片の紙切れに記されたBanG_Dreamという言葉に導かれたようにpoppin'partyというバンドに加入してしまった。

 自分のギターの音色を他の人に聴いて貰いたいという願望は少なからず持っていた、けれどそれがバンドという形になるとは思っていなかった。

 

 仲間という存在も初めて知った。

 小さな頃に友達と呼べる存在は居た、でもその子が引っ越してからは知り合い程度の人しか居なかったし、そもそも知り合いと友達の境目ってどこなんだろう。

 ウサギとギター、今までこの二つがあれば自分の人生は概ね満足だったのだ。

 

 けれど今年、そんな私にも友達が出来た。

 新しく出来た五人の友達は、その後すぐにメンバーという呼び名に変わる事となった。

 不思議だ、今はこの六人で居る事が当たり前と思っている私がいる。

 

 単独のギターという音色にもう一本のギター、ベース、ドラム、キーボードが重なってメロディになり、そこに香澄の声が加わって歌になり曲になる。

 ギターはひとりで弾いている時も楽しい、けれどポピパの曲を演奏している時は震える想いをいつも感じるんだ。

 何かが生まれて弾けるような期待感、楽しいが何倍にもなるような高揚感、何もかもが新鮮でいつまでもこのメンバーで演奏していたいなと思ってしまう。

 そんな特別な居場所のスタートがもうすぐ始まる。

 きっと震えてしまう、これは予感じゃなくて確信なんだよね。

 

 

 (オジサン)、あのね。

 オジサンが言ってくれた夢にはまだ出会えてはいないみたいだよ。

 それでもね、願いというものには漸く出会えた気がする。

 ありがとう、新しい私に出会わせてくれて。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

③。物語(トゥルーロマンス)があふれだした気がした【市ヶ谷 有咲】

 

 

 思い返してみれば、高等部に進級してからの日々は慌ただしいというか実にとんでもねえ。

 唐突に現れた賑やかな二人組の勢いに流されていたらマジかマジかという間に人が増えていき、気が付いたら私個人の憩いの避難場所になる予定だった蔵の地下空間は、沢山の楽器と五人の同級生達によって無慈悲にも占拠されてしまっていた。

 

 どうしてこうなった?

 

 私の未来予想図では面倒な人付き合いから解放されるパーソナルスペースとなる筈だったのに。

 素敵な音楽を流しながら快適で孤高なネット環境を楽しむ、そんな天国のような場所になる筈だったのに。

 

 本当にどうしてこうなった?

 

 最近は蔵練が終わってみんなが帰った後も個人練習なんかしちゃったりよ、個人練習中にひとり残った蔵の中を見渡して寂しく感じちゃったりしてよ、朝も香澄と優璃が迎えに来るからって早めに準備とか始めちゃったりよ……。

 

 こんな人間だったか私?

 

 人と話すのも不得意なコミュニケーション下手だったから学校もサボりがちだったじゃねえか、ばぁちゃん以外に聴かせる人も居ないからってピアノも辞めたんじゃねえのかよ。

 

 でも正直に言うと今はこの生活を少しだけ楽しいとは思っている。

 トモダチっていうのも悪くない響きだし仲間って呼べる存在も、まぁ嫌いじゃないのかもしれない。

 それでも香澄は私に甘え過ぎだ。勉強も教えてやっているし直ぐに抱きついてくるし好き好き言ってくるしで面倒臭え、まぁ別に嫌じゃないけれど。

 

 それよりも最近は自分の立ち位置に悩む。

 香澄と優璃は幼馴染み故に普段から非常に仲が良い。それはとても良い事なんだが沙綾と優璃の関係性が悩ましくて難しい。

 沙綾が優璃を恋愛的な意味で好きなのはほぼ間違いないだろうが、優璃は香澄と同じで周囲に好き好きと言いまくるから今ひとつどうだか分からない。

 もし仮にだ、あの二人が両想いで付き合うという事になったのなら応援するけれど……いやそれも微妙か。

 

 自分が大切にしていた幼馴染みの隣に自分以外の人が居る。

 香澄なら笑顔で祝福するだろうが内心は複雑だろう、アイツは繊細な一面があるからな。

 

 それにしてもよくよく考えれば何で私が頭を悩ませる必要があるんだ。ただでさえコミュニケーションが苦手なタイプなのに人間関係で悩むとかマジで勘弁してくれ。

 もうあれこれ考えていても仕方がないと、もしもあの二人が付き合う事になったら香澄の隣には私が居てやろうと最近は思うようになった。

 深い意味はない、ポピパというせっかく見つけた自分の居場所を失いたくはないだけだって……あぁそうか。

 

 私は自分の居場所を見つけたのか。

 蔵でも自分の部屋でもない、知るのが怖かった外の世界へと連れ出してくれる魔法の馬車を手に入れてしまったんだ。

 あの日、りみの為にライブもどきをしたあの日。

 歌う香澄を見て確かに感じたんだ、私が知らなかった物語(トゥルーロマンス)があふれだした事を……。

 

 気合いを入れろ、集中しろ、迷うな私。

 ポピパの初ライブはもう間近だ、何があったってこのライブは成功させるんだ。

 In the name of BanG_Dream!(バンドリ の名のもとに) 私達は集った。

 客席から眺めるのは今じゃない、舞台に立って物語を紡いでいくのは私達poppin'partyなんだ!

 

 

 

 



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66.POPPING ②

 

 

 

④。恋の熟成は待ちきれない【山吹沙綾】

 

 

 お風呂を済ませた後の日課の為にお手製のドラム練習用パッド、その名も〝ライオン丸〟くんをベッドの下から取り出し愛用のドラムスティックでひとしきり可愛がった後、ふと何気なくベッドの方へ顔を向けた。

 

 今でも鮮明に思い出せる、ベッドに座る私にゆりがしてくれたキスの感触を。

 それまでにも何回かそういう行為は交わしていた、だからゆりからしてくれても余裕で受け入れられると思っていた。

 なのにそんな甘い幻想は容易く打ち砕かれてしまった。

 唇が優しく触れてきた瞬間に全身が震えるような電流が走り、生まれて初めて覚えた衝撃は一瞬で全ての理性を奪っていった、そんな不思議な感覚に脳が痺れた。

 求めていたのはこれなんだ、素直にそう思えた。

 

 私は決して愛が重い女じゃない。

 

 誰だって好きな人には触れたいし触れて貰いたい、特殊な感情ではなく恋をすれば当然の反応だ。

 勢いで初めてキスをしてしまった時にゆりが嫌がる素振りを見せなかったからって、時々だけれど今でも衝動を抑えきれない時がある。

 触れ合う度に私という存在が彼女に浸透していく、そんな根拠のない歪んだ満足にさえ取り憑かれたいと願うようになってしまったから。

 

 そう〝彼女〟なんだよね、同性であるゆりを好きになった。

 中高一貫の女子校というのもあって中等部の頃から女の子同士が付き合う事は珍しくもなかった、けれど自分には関係ない世界だともずっと思っていた。

 恋を知った今でさえ他の友達に触れても別に何とも思わないし、ましてやキスをするだなんて全く考えられないからやっぱりゆりが特別なんだろうな。

 

 私はきっと愛が重い女じゃない。

 

 ゆりには沢山の初めてとなる感情を教えられた。

 同性を好きになるという事、独占欲、嫉妬、接触という欲望、挙げ始めたらキリがない。

 初恋の頃は眺めているだけでも心臓が高鳴って、それだけでも充分だと思えていた。

 あの頃に比べれば随分と生々しい感情だとは思う、けれど大人が近付きつつある今の私は眺めるだけでは物足りない、あふれる感情を抑えきれない。

 

 初めてされる側にまわった時、自らの願望というものを自覚してしまったんだ。

 私は好きな人から求められたい、与えるだけではなく愛を注がれていたい受け身な人間なんだって。

 

 思い出せば今でも恥ずかしくて死にそうになる、あの時の私は唇が離れる度に信じられない程の甘ったるい声で幾度もキスをねだった。

 その願いに応えてくれる度に幸せでどうにかなりそうだった、柔らかく触れてくれた箇所は全て好きという感情で埋められていった、朦朧とした意識の中で見た恋する人の姿に、もうゆりじゃなきゃダメにされたんだと思い知らされてしまった。

 そしてその事にすら喜びを覚えている自分がいた。

 

 私はもしかして愛が重いのかな。

 

 昔の人が言っていた〝恋は落ちるものだ〟というのは一目惚れ限定の話だと思う。

 恋は落ちるものじゃなくて、自覚した時にはもう底の見えない恋の沼に嵌まってしまっているんだ。

 其処はとても魅惑的だけど息苦しく、もがく程に深みへと誘われていく混沌とした感情が渦巻く底なし沼。

 それでも好きな人の側に居る為に、私という人間は躊躇なくその沼へ足を踏み入れてしまうんだ。

 恋の沼に沈んでゆりという存在に染められるのならば、それは間違いなく本望と呼べる願いなのだから。

 

 好きという言葉が好きになった、恋という言葉にトキメキを覚えた。

 

 不思議な話だけれど、これだけ好きなのに恋人になりたいと今は深く考えてはいない。

 もし恋人になってしまったらきっとゆりしか見えなくなる、そうなれば今のポピパの雰囲気を壊す事にもなるし場合によっては友達を失ってしまうかもしれない。

 ポピパは私にとって大切な新しい居場所になっている、それを失うのはゆりを失う事と同じくらいに耐えられそうにもない。

 だから今は親友という関係性を保っていこうと考えている、けれどキスはこれからもするつもり。

 私ばかりじゃなくて、ゆりの中にも少しは芽生えてくれている筈の好意を育んでいきたいから。

 

 ドラムスティックを床に置いて、静かに天井を見上げ軽く息を吐いた。

 ライブが近いというのにいったい何を考えているのだろうか私は。

 集中、集中、恋とバンド活動は別物、今は迫るライブに全力を注がないと。

 本番の日はお揃いで買った下着を着け合って気合いを入れようって約束もしているのだから、ミスなく格好良いところも見せなくちゃね。

 

 パンの工程にも熟成の時間は欠かせない、じっと待つ事で大きく膨らんで味も良くなっていく。

 好きになってほしいな、いつか愛してるって言ってほしいなって願いながらじっくりと想いが熟成するのを待ち続けるんだ。

 いつか私の恋が美味しく焼き上がるのを信じて……。

 

 

 私は重くない大丈夫、ほんの少しだけ想いが深いだけなんだもの。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

⑤。百合百合を眺めたい【美月 優璃】

 

 

 夏は解放の季節、さぁ自由をこの手に、涼しさを我が身に!

 

 

「ちょっと優璃、夏だからってお風呂あがりに下着で過ごさないの」

 

「まぁまぁ姉さん、とりあえずパーカーは着ているのでお許しを」

 

「パンツが丸見え。だらしないのは駄目、せっかくの可愛さが霞んでしまうよ」

 

 

 夏真っ盛りというのもあってお風呂あがりは下着族と化している最近のわたしですが、姉さんからの辛辣な駄目出しを受けてもどこ吹く風と聞き流してリビングソファーへ勢いよくダイブです。

 女の子が板についてきたとはいえ、未だに他人に肌を見られるのは苦手なままなのですが流石に家族である姉さんには慣れてきたというか、まっいいかという心境に達してしまったのですよ。

 

 ソファーでうつ伏せになり鼻歌交じりでスマホを弄ろうとしたら、移動しながらわたしのプリティヒップを素早く引っ叩いた姉さんが隣に悠然と腰を降ろしてきた。

 

 

「随分とゴキゲンじゃないの」

 

「いよいよだからね、香澄達のライブ」

 

 

 体勢を変えて膝枕になるように頭を置いたら、姉さんが髪をとかすような仕草で優しく頭を撫で始めてくれた。

 

 

「そういえばバンドには入っているのにどうして楽器はしなかったの、香澄ちゃんから理由はそれとなく聞かされたけれど検査では身体に問題は無かった筈よ」

 

「うーん、上手くは言えないけれどわたしが表舞台にしゃしゃり出るのは違和感というか何か変だなって思ったの。それよりも香澄を眺めていたいなって、他の誰よりも身近で見守っていたいなってね」

 

「我が妹ながら素直じゃないなぁ、一緒の方が香澄ちゃんも喜んだでしょうに」

 

「きっと姉さんに似たんじゃないかな」

 

 

 姉さんが無言のまま身体を折り曲げるようにして抱きついてきた、持ち前の御立派な双丘の感触がとても柔らかく……って姉さんちょっと苦しいっす圧迫されて窒息してしまいそうっす。

 息苦しさに命の危険を感じ始めたので踊るように身体をくねらせ、なんとか天国のような地獄の刑罰から無事に脱出を果たせました。

 

 

「それで、どのくらい香澄ちゃんを愛しているの?」

 

「ちょっといくら何でも愛って姉さん……ってこの声は」

 

「どれくらいかね、添い遂げるくらいには愛しちゃっているのかね」

 

「いったい何処から湧き出してきたのですかね、香澄さんや」

 

 

 仲良し姉妹談笑のお時間を楽しんでいたら急に姉さんとは違う声色がしたので慌ててそちらへ顔を向けると、ソファーの前で正座のまま顔をにじり寄せている香澄が唐突に出現しておりました。

 

 

「さっき瑠璃さんには連絡しておいたよ、今から迎えに行きますって」

 

 

 驚かせようとしていたのは明白ですが、嬉しそうな笑顔を見るに先程の姉さんとの会話はどうやら聞かれていないようで一安心です。

 

 

「それじゃ瑠璃さん、今日はわたしの部屋でお泊りさせますね」

 

「了解、ずっと変わらずに仲良くしてくれてありがとうね、香澄ちゃん」

 

「いえいえ、手の掛かる子ですからわたしがしっかりしないと」

 

 

 暴走しがちで手の掛かるタイプはどちらかと言えば香澄の方だと思うのですが、陽気に笑い合っている二人を前に最早何をか言わんやという心境です。

 

 

「さっ行こうか、ゆり」

 

「その前にわたしの同意を得て頂けませんかね、都合とか何も訊かれてはいないのですが?」

 

「そんなの……要る?」

 

 

 えっと、この不思議そうに驚いている表情はどうやら本気で悪意なく同意は不必要だと思っていそうですね、少しばかり末恐ろしく思えてきましたよわたしは。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「あっ優璃お姉ちゃん来たんだ、珍しく」

 

 

 相変わらずわたしの妹は当たりが強くて泣きそうです。

 結局は連行されるようにして香澄の部屋へと向かったのですが、階段を登って二階に着いたところで自室に入ろうとしていたあっちゃんに出くわしてしまいました。

 白地のシャツにショートパンツ姿のあっちゃんは今日も健康的な可愛さですね、口に棒アイスを咥えながら話をしなければですが。

 

 

「香澄に連行されたのですよ」

 

「ふぅん、まぁそうでもしないと遊びにも来ないもんねぇ」

 

 

 不満気な表情のあっちゃんがにじり寄ってきたと思ったら、自らが味わっていた棒アイスを無理矢理わたしの口の中に押し込んできた。

 強烈な冷たさと染み渡る甘さが心地良い、夏はやっぱりアイスが良い物だと再確認する季節だと感じる。

 

 

「妹を放ったらかしにする罰、冷たさで泣いちゃえ」

 

 

 口の中に突っ込まれたアイスをはむはむしながらあっちゃんの頭を優しく撫でた。

 嫌がる素振りも見せず瞳を閉じて大人しく頭を差し出しているあっちゃんの姿はまるで機嫌の良い子猫のようで、いつまでも撫で続けてあげたいくらいの何とも言えない可愛さにあふれていた。

 

 

「あっちゃんはゆりが来ないからって、いつも寂しがっていたもんね」

 

「余計な事を言わないで、私はお姉ちゃんみたいに他人の家に遠慮なく行けるタイプじゃないの」

 

「そうだったのですね、ゴメンねあっちゃん寂しい思いをさせたね」

 

「こ、このデリカシー無しのバカコンビ!」

 

 

 顔を真っ赤に染めたあっちゃんが逃げ去るように自室のドアノブに勢いよく手を掛けてから顔だけをこちらに向け、可愛らしく舌を出した後に歯を見せながら照れ臭そうな微笑みを作った。

 程よい冷たさとたまに見せる甘さが心地良い、夏もやっぱりツンデレは尊いものだと再認識する季節だと感じちゃいますね。

 

 いつも思っているのですがポピパのみんなもですね、もう少しこう尊いというか百合百合とした光景を眺めさせて頂けたらと思っているのですよ。

 あいや確かに香澄にちょっかいを掛けられて照れている有咲とか、何を話しているのかは分かりませんが顔を赤くした沙綾にバシバシと叩かれている有咲とか、りみりん相手にツンデレを発揮して優しく微笑まれている有咲とか、天然を発揮したおたえに必死にツッコミを入れている有咲とか微笑ましい光景はいつも摂取させて頂いているのですがね。

 

 あっちゃんからのツンデレ妹は尊い成分を補充して上機嫌のまま香澄の部屋へと入った。

 部屋に充満するクーラーの冷気は夏の憂鬱さから解放してくれる人類の偉大な発明だと思う、そんな事を思いながらも同時に不思議な感覚に包まれて内心驚いてしまった。

 他人の、しかも女の子の部屋だというのに緊張しないのです。

 それはわたしがまるで香澄を家族か何か、またはそれに近しい間柄と認識し始めたという事でありまた一歩、優璃が望んでいた別つことのない親友という関係に近付けているのかなと嬉しく思えた。

 

 何だか浮き足だった気分で入り口に立つ香澄に身体を向けると、やけに思い詰めた表情と視線をわたしに向けたまま自らの拳を強く握りしめていた。

 

 

「どうかしたの、香澄?」

 

「あっ、あのねゆり……」

 

 

 普段とは違う真剣な雰囲気に自然と顔が強張る。

 初めてのライブというのもあって、何かまた悩みでも抱えているのかと不安に思いながらも口を挟まずに次の言葉を待った。

 そうして香澄の口から放たれた言葉は、わたしには予測をする事も出来ないものだったのです。

 

 

「あのね、絶対に断らないでほしいお願いがあるの」

 

「えっ?」

 

 

 えっと香澄さん。絶対に断れないお願いって、それはもう実質的に命令と呼ぶに相応しいのですよ。

 

 

 



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67.刻むという意味

 

 

 

 人は過去の時間へと戻る事は出来ない。

 思い出という足跡と後悔という経験を残しながら今という可能性の只中を歩いていく、遙かなる尊いの頂を目指し歩き続けて行くのだ。

【美月優璃著:ユリスキーによるなんとなく名言っぽい語録集より抜粋】

 

 

 

 などとくだらない妄想をしたところで雰囲気が和らぐ訳ではないのですがね。

 

 

 ベッドに並んで座り香澄の右手を両手で包み込むように握ってみても幼馴染みの表情は一向に固いままで、いたずらに過ぎていく時間は心配よりも不安の感情へと心の天秤を傾かせていった。

 どうしたのと声を掛けてみても唇を噛み締めるばかりで何も応えてはくれない、様子を横目で伺うに何かを口にするのを躊躇っている雰囲気は感じられても、それが何かまでは全く見当がつかなかった。

 

 

「えへへ、そんなに大袈裟なお願いじゃないのにね」

 

 

 気持ちのこもっていない言葉を聞いて衝動的に両肩を掴むようにしてベッドに押し倒してしまった。

 わたしは香澄が作るこの表情が苦手だ。無理矢理に作った笑顔、そんな表情をさせてしまった自分の無力さが腹立たしくて仕方がなくなってしまうのですよ。

 

 

「わたしは香澄の事を大切な親友だと思っているのです、そんなわたしに遠慮などしてほしくはないのですよ」

 

 

 勝手とも言える気持ちを吐露しながら自分は今、いったいどんな表情をしているのだろう。悔しそうなのかそれとも悲しんでいるのか、複雑に揺らいだ気持ちは色々な絵の具を無造作にぶち撒けたキャンバスみたいに思えた。

 

 顔に垂れかかる髪をひと束だけ手に取り、香澄は瞳を閉じてその存在を確かめるように唇へ強く押し当てた。

 普段の香澄ならしない行動にドキリと心臓が跳ねる、不思議な艶やかさまで感じさせるその仕草が同時に不気味な予感さえも運んでくるような気がして、無意識とはいえ喉を鳴らすように唾を飲み込んでしまった。

 

 

「ゆり、明日は朝から晩までずっと一緒に居て」

 

「ふへっ?」

 

 

 シリアス全振りの雰囲気に反した簡単なお願いに、限界まで張り詰めていた緊張の糸が道路の開通式よろしく盛大なファンファーレと共にプツリと切れた気がした。

 

 

「明日はわたしライブの準備を手伝うから、みんなより一足先にCiRCLEに行かなければなのですが」

 

「ダメなの、明日はずっと一緒に居るの」

 

 

 明日のポピパ初ライブは有咲の蔵に集合してからメンバー達はCiRCLEに向かう予定なのですが、お手伝いを頼まれていたわたしは先にお店へ直行するとみんなには伝えてあるのです。

 

 

「明日だけだから、明日だけ、お願い」

 

 

 縋り付くような震える声は懇願とも思える程の必死さに満ちている。

 初めてのライブだけに不安に思うところがあるのかもしれないけれど、それにしては追い詰められたような視線と表情が気にかかる、いったい何が香澄をそこまで追い立てているというのでしょう。

 

 

「わかりましたよ、まりなさんには謝るので明日はみんなでCiRCLEへ行くとしましょうか」

 

 

 わたしの言葉を聞いて安堵したのか、いつもの微笑みを見せながら強引に抱き寄せられてしまいました。

 普段通りの温もりと落ち着ける甘い香り。わたしが頬を寄せ合うように顔を動かすと香澄も背中越しの腕に力を籠めて、暫くの間は無言でお互いの存在を確認するように抱き合った。

 

 香澄が抱えている不安の正体までは分からないけれど、取り敢えずあまり気にはしない事にします。

 理由を言ってくれる雰囲気ではないですし、わたしが側に居て気分が和らぐというのなら今はそうするだけですので。

 

 

「おやっ? 今日はブラをしていないんだ」

 

「いや香澄さんちょっと、アヒャヒャヒャ!」

 

 

 ブラ紐を探すように背中を弄る手の感触がこそばゆくて、乙女としては決して出してはいけない類いの変な笑い声をあげてしまった。

 そんなくすぐったがる様子に興が乗ったのか、香澄はわたしを抱きしめたまま身体を回転させて上に乗る体勢をとるとニヤリと怪しげな微笑みを浮かべた。

 

 

「夏は暑いので着けない事にしたのですよ、別に大きくもないので支障も無いですしね」

 

「フムフム、ナルホド」

 

 

 納得したような台詞を吐いたと思いきや香澄はわたしのパーカーとキャミソールを無理矢理に捲し上げ、露わとなってしまった可憐な左胸に躊躇もなく唇を寄せてキスマークを付けるべく力強く吸い始めた。

 

 

「別に良いけれど、心の準備があるので先に確認をして頂けませんかね?」

 

 

 んーんーと言葉にならない呻き声を発して小刻みに頷きながらも唇を離そうとはしない、表情までは見えないけれど必死の勢いで胸に吸い付いたままの香澄が何だかとても可愛いらしく思えてしまった。

 

 暫くして身体を起こした香澄は満足そうな表情を浮かべ、残されたわたしの左胸には小さな赤い印が刻まれていた。

 ここ最近の香澄は折に触れてキスマークを付けたがる気がする、蘭も頬にキスをするし沙綾は最近その……慣れてきたのかちょっとだけ積極的になってきたから少し照れる。

 これもやはり女の独占欲ってやつなのでしょうか。それにしても不思議なのは女の子同士の友情にも独占欲って湧くものなのかなって、おっとそういえばわたしもポピパのみんなに彼氏が出来るのは嫌でしたわ偉そうな事は言えませんね。

 

 自らの唇で付与した痛々しい印を満足気に眺めていた香澄の視線が、キャミソールによって崖っぷちでなんとか露出を免れていた右胸の方へゆっくりと移動していく様を見逃すわたしではなかった。

 

 

「させませぬよ。流石に両胸露出はやらせはせん、やらせはしませぬぞ」

 

「ほらちゃんとお揃いにしないと、右胸ちゃんが可哀想だよ」

 

「何故にひとりでお揃いを完結させなければならないのですか!」

 

 

 両腕を使って必死の抵抗を試みるも所詮は完全なるマウントを取られている有様、最後には口を使ってキャミソールを捲し上げられてそのまま胸に吸い付かれるという惨めな敗北を喫してしまいました。

 とはいえ負けっ放しというのも口惜しいのでキスマークを付ける事に夢中になった香澄が無意識に腕を離した隙を見逃さず、無防備となっていた背中に手をまわし神業的な素早さでブラジャーのホックを外してやりましたわ。

 

 

「わたしは駄目だよ、ステージ衣装に着替える時に見られちゃうもん」

 

「えっと……それを言うのは狡いと思うのですよ」

 

 

 ひと仕事終えて体を起こした香澄は肌に触る感触が不快だったのか馬乗りの姿勢のまま急にパジャマを脱ぎ出し、露わになった外れかけの薄桃色のブラジャーをそっとベッド脇に落として何事も無かったように直ぐにパジャマを着直してしまった。

 一瞬だけ覗き見れた香澄の柔肌は相変わらず輝くように綺麗でした。お風呂に一緒に入る事もある香澄と沙綾は裸体をよく知っているけれど二人共にバランスが良い美しさでとても羨ましいです、何と言ってもわたしは二人と比べるに胸が少々儚いものでね。

 それにしても見た目には何も変化が無いとはいえ今の香澄はノーブラパジャマ姿。字面には少々卑猥な響きを覚えますが、香澄の持っている爽やかな雰囲気のせいか大人なエロスからは程遠い清純さを感じてしまいますよ。

 

 香澄が薄桃色の布を外していた合間に捲り上げられていたパーカーを急いで下げ戻したら、ポケットからするりとスマホが落ちてしまったのであらためて枕の側へと置き直すと、それを見ていたらしい香澄が抱き合うような形になるように自分のスマホを重ね合わせた。

 

 

「こんな風に、わたし達もずっと離れないでいようね」

 

「当たり前ですよ、そんなの」

 

 

 横になった香澄に寄り添うように、わたしも片腕の肘をついて頭を乗せる姿勢で横になった。

 腕を伸ばして優しく髪を撫で始めたら、香澄はその手に自らの手を重ねて瞳を閉じ満足気な表情を浮かべた。

 その姿はまるで物語に出てくるお姫様のように繊細で透明感のある美しさだ。

 気のせいか鼓動が少しだけ急ぎ足に感じた、自分の顔が熱いのはきっと夏のせい、そう思う事にした。

 この美しい女の子は優璃が誰よりも大切に思っていた親友、わたしが生きていた世界に居た香澄とは違う存在。

 

 だから、だから親友以上の感情を持ってはいけないのです。

 

 それに香澄がノンケなのはもはや周知の事実なのです、変に邪な感情を抱けば厚い友情にヒビが入る恐れさえもありますからね、優璃の為にも気を引き締めねばならぬのです。

 

 それでも……。

 こうして繋がっていたいと深く願ってしまうのは優璃の気持ちなのかそれともわたしの気持ちなのか、もう自分の中でも判別はつかなくなっていた。

 

 体温を確かめたくなって手を繋ぎ、柔らかな胸元にそっと頭を埋める。

 香澄から伝わる鼓動と呼吸音が心なしか速さを増した気がする。繋いだ手に薄らと滲んでゆく汗も、漏れ伝わる押し殺した声も、恥ずかしさに泣き出してしまいそうな表情も、照れながらも嬉しそうに見つめてくる視線も、わたし以外の誰も知らない表情仕草その全てをもっと見ていたいと願った。

 

 わたしが繋いでいた手を離してしまう度に、香澄は迷子になった子供のように懸命に探しまわっては何度も指を這わせ絡み付かせてきた。

 一度目は草原を吹き渡る風のように優しく。

 二度目は打ち付ける波のように強く。

 三度目は凍える朝のように震えながら。

 四度目はふわふわ生クリームのような甘さを添えて。

 そして五度目で数えるのを止めた、夜光に浮かぶ月のように潤んで澄み切った香澄の瞳に魅入られてしまったと自分に言い訳をして……。

 

 

「うぅ、もうお嫁にいけないよ」

 

「それはわたしが言いたい台詞ですが?」

 

 

 荒い呼吸を繰り返す香澄に抱き寄せられ頭を優しく撫でられる。

 香澄と沙綾、わたしは二人から感じる温もりと香りが大好き、自分の心臓の鼓動をハッキリと感じれてしまうくらいの心地良い安心感も好き。

 まだ女子歴が浅いせいで女の子特有の距離感とやらは上手く掴みきれてはいないのですが、だからと言って周りがノンケばかりでも絶望してはいられませんよ、まだまだ百合百合を眺める事に満足してはいませんのでね。

 

 

「あんな恥ずかしい所にキスマークを付けるんだもの」

 

「わたしの胸に絨毯爆撃の跡を残していった娘に言われたくはないですな」

 

 

 攻守入り乱れる激しいキスマーク攻防戦の結末としては何個か数を増やされてしまった胸の爆撃跡と、香澄の太腿の付け根にひとつだけ刻まれた紅くて小さな戦利品だけだったのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 いよいよとなったポピパ初ライブの当日。

 晴れ渡る大空の光は青い硝子の欠片を世界中へと撒き散らし、灼熱の大地に反射した煌めきの破片は眩しいくらいに今日の主役達をキラキラと照らし出していた。

 

 各々の担当楽器を背負ったメンバー達と比較的荷物の少ないわたしとドラマーの沙綾は着替え等の入ったみんなのバッグを持ち、一個の塊となって有咲宅から決戦の場となるライブハウスCiRCLEへと向けて出陣を果たす事と相成ったのです。

 先陣を飾るは大将たる香澄と軍師の有咲、中団にはりみりんとおたえが控え、軍団の殿を務めるはわたしと沙綾という隙の無い布陣で通行の妨げにならぬよう進軍中にて御座候。

 

 

「香澄ともお揃いなんだね」

 

「ふへっ?」

 

 

 気合いの入った大股で歩いていたせいか、唐突に投げかけられた沙綾の言葉に反応しきれず我ながら間抜けな返事をしてしまいました。

 

 

「イヤリング、片耳づつのお揃いでしょ」

 

「あぁこれですか、香澄にそうしようと言われましてね」

 

「お揃いは私だけかと思ったのになぁ」

 

 

 可愛らしいヤキモチかと思い沙綾に顔を向けたら、想像していた以上に頬を膨らませていたので思わず吹き出してしまいそうになった。

 香澄から並べばひと組に見えるからとお願いされて、お互いの家で大切に保管していた星のイヤリングをわたしは右耳に、香澄は左耳にとそれぞれ片耳づつ着ける事にしたのです。

 ちなみに確認はしていませんが沙綾とは事前に約束していたので下着がお揃いの筈です、夏休みにお泊まりの予約もありますがその時もお揃いにしたいと言っていましたね。

 

 

「沙綾さん、もしかして拗ねているのですか?」

 

「ゆりも明日からポニーテールにしようか」

 

「唐突な無茶振り」

 

 

 普段はお姉さん風の落ち着いた言動をする沙綾がトレードマークであるポニーテールの髪をぴょこぴょこと揺らしながら苦笑いをしている様は、言葉は悪いのですが子供のような幼い可愛さを感じてしまいますね。

 

 

「沙綾ともお揃いをしていますぞ」

 

「そうだけどね」

 

 

 荷物を持ちながら沙綾の腕にエイッと肩を当てると沙綾も同じように返してくれた。

 笑い合いながら暫くメトロノームのように揺れつつ肩をぶつけあっていたら、くるりと振り返ったりみりんに笑顔で危ないよと注意をされてしまいました。

 りみりんの天使な笑顔はいつも素敵で……と何だか今日の笑顔はやけに硬い気がします、やはり本番も近づき緊張しているのでしょうか。

 これはポピパを支える身として放っては置けない事態ですね、後程りみりんにはヨシヨシタイムを設ける事といたしましょう。

 

 

「ポピパピポパ、ポピパパピポパー!」

 

「うおっいきなりどうした、おたえ」

 

 

 いきなり真後ろから呪文のような言葉を叫ばれ、有咲は微かな悲鳴を挙げながら飛び跳ねるように振り返った。

 

 

「新しい掛け声、どうかなりみ?」

 

「可愛いと思うよ、おたえちゃん」

 

「いいよおたえ、最高」

 

 

 りみりんと香澄が笑顔で応えている横で、有咲は口を開けたまま顔を左右に振り続けるという挙動不審者のような動きを繰り返した。

 

 

「沙綾と優璃はどうかな?」

 

「ポップな感じがポピパらしくて良いんじゃないかな」

 

「わたしも異議なしですね」

 

「ではポピパの新しい掛け声に決定!」

 

 

 香澄が右腕を突き上げながら叫ぶと全員が同じように右腕を上げて応えた、ただひとりだけを残して。

 

 

「いやみんな、ノリが軽すぎじゃね?」

 

「えー、ありさは嫌なの?」

 

「べ、別に嫌じゃねぇけど、ただそんな簡単にだな」

 

「それじゃ決定!」

 

「最後まで話をさせろ、まったくしょうがねぇな」

 

 

 本当に有咲は香澄に甘いというか押しに弱いというか、まぁこの二人の関係性も中々に尊いので御馳走様な光景をいつも有難うなのですがね。

 

 和気藹々と談笑しながらみんなで歩き続ける。

 刻む歩幅は短いのかもしれないけれど、この一歩は特別なステージへと至るカウントダウン。

 poppin'partyの歩む道程は真っ直ぐな道ばかりではないのでしょう、でもそれでも良いのです。

 病める時も、健やかなる時も、きっとこの五人となら素敵な思い出と呼べる日々なのは間違い無しなのですから。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 無事にCiRCLEへと到着し、息つく暇もなくフロントメンバー達はPA担当である凛々子(りりこ)さんとの最終確認を始めました。

 凛々子さんは物腰柔らかですが物怖じしない性格で、正式なCiRCLEアルバイトを外れたわたしを今でも弟子と呼び、何かと事あるごとにコキ使ってくれています、ハイ。

 

 

「何か言ったかな、優璃ちゃん?」

 

「滅相もございませぬ、師匠」

 

 

 よろしいと言いながら微笑む表情も恐ろしいです、思い返せば以前ライブリハーサルの音響調整時に柔らかに微笑みながらアンプをミリ単位で動かしてと指示された時には半分泣きそうになりましたからね。

 凛々子さんといい詩船オーナーといい、ライブハウスには鬼しか居ないのですかね、まったく。

 救いは優しいまりなさんだけですかっと、そう言えばあの人も変な被り物を強要してくる鬼でしたわ、いやはや渡るCiRCLEは鬼ばかりというのも世知辛い世の中でございますな。

 

 簡易なリハーサルを終えて、一足先にメンバー達は控え室でステージ衣装に着替える事となった。

 初ステージの衣装はpoppin'partyのロゴが入ったTシャツにチェックの柄が入ったミニスカート、美脚を隠す膝上ストッキングから伸びる足先は各人のイメージに合わせた色のスニーカーと高校生らしい爽やかで可愛らしい出立ちとなっております。

 

 普段から着替えを見ているので特に感慨などは無いのですが本日はポピパにとって特別な日、ここは特段の気合いを入れてパイプ椅子に陣取り生着替えを凝視させて頂く所存。

 鼻息荒くパイプ椅子に腰掛け後方監督面で腕組みをしたところで、衣装を手にした香澄がニヤニヤと含み笑いをしながらわたしの目の前に立った。

 

 

「ジャジャーン、これがゆりの衣装だよ」

 

 

 香澄が広げたシャツにはみんなと同じpoppin'partyの輝くようなロゴ、驚きながら他のメンバー達を見渡すと全員がしてやったりの笑顔をしてやがります。

 まさか知らない間にこんな粋なサプライズを準備しているとは参りましたね。ヤバい泣きそうです、というかもう泣いているかもしれません。

 

 

「ゴキゲンでサイコーなメンバー達ですねまったく、ライブ前に泣かそうとしないでくださいよ」

 

 

 溢れそうになった涙をしっかりと拭いてから、あらためて衣装を受け取る為に腕を伸ばそうとした矢先に控室の扉がノックの音と同時に開いた。

 

 

「優璃ちゃーん、ちょっとお願いがあるんだけど良いかな?」

 

「あっハイ、何かあったんですか?」

 

 

 廊下から顔を出して手招きをするまりなさんに呼ばれて席を立った。

 後で着替えるねと香澄に声を掛け他のメンバー達にも手を振ってから控室の扉を閉める、閉じゆく視界の狭間で香澄がとても不安そうな表情をしていたのは少し不思議な感じがしたけれど。

 

 

「これを知り合いのライブハウスまで持って行ってほしいんだよね」

 

 

 ライブハウスの裏口に用意してあった手押し台車には既に段ボールが三箱程積まれていたので中身を覗き見ると、つけ髭やら蛙の被り物やらウサ耳やらのパーティーグッズがこれでもかと詰め込まれていた。

 

 

「ハロウィンはまだまだ先の話では?」

 

「何かパーティーグッズが沢山必要なんだって、どうして私に言ってきたのか分からないけれどね」

 

 

 普段からコスプレをさせて遊んでいたのは誰だったかお忘れのようで。お店の倉庫スペースを圧迫させてオーナーによく怒られているのもお忘れのようで。

 

 

「手押し台車は向こうのだから、帰りは手ぶらで大丈夫だよ」

 

 

 軽快なサムズアップをかますまりなさんに苦笑いを浮かべながら台車を押し始めた。小刻みに揺れる段ボールは幸いにして崩れそうにもない、舗装路をゆっくりと進めば取り敢えずは大丈夫そうだった。

 

 それにしてもあのタイミングでまりなさんが声を掛けてくれたのは有り難かったのかもしれませんね。

 もしあのままメンバー達の前で着替える展開となっていたなら、沙綾とは下着がお揃いだわ我が胸には香澄が残していった絨毯爆撃の惨劇があるやらで色々と冷や汗の流れる空気感となった予感も、いやぁ実にまりなグッジョブです。

 

 ガラガラと音を鳴らす手押し台車は蒸気機関車のように力強く荷物を運ぶ。

 空は青く視界も良好、初ライブが近付いたわたしは安全運転を心がけながらも浮かれた足取りで未来への線路を突き進んで行ったのでした。

 

 

 

 



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68.約束

 

 

 

 蝉の鳴き声は夏色景色を彩る賑やかな伴奏、力無く通り過ぎていった風はライブの熱気みたいな燃え盛る熱と息苦しい程の湿度をその身に内包していた。

 

 

 台車ごとの荷物を先方へ送り届けた戻り道、軽くなった身体には入れ替わりのように吹き出す汗が滲み始めていた。

 首に巻いていたタオルも身に付けている下着も、水気を吸ったのか心なしか重さを増したような気がして不快指数は限界突破の模様です。

 

 暑さ対策として穿いていたショートパンツから伸びた脚に突き刺さる日差しも痛いくらいで、いっそ長めのスカートにでもしておけば良かったかもと後悔の念がしきりといった気分です。

 まぁそれでも膝上のスカートとやらは遠慮しておきますがね。いくら花咲川女子の制服が短めのスカートとはいえ、それとこれとはまた話が別なのですよ。

 

 青信号を示していた交差点に差し掛かり一瞬だけ足を止める。

 前世での最期の姿とでも言うべき事故の映像が脳裏に流れて以来、交差点では入学したての児童が如く左右の安全確認を怠らないようになった。

 また事故にでもあって香澄を悲しませる事など有ってはならないですし、何よりも優璃の身体を大切にしたいと思っているのですから。

 

 横断歩道の白線を踏まないようにしたい欲求を抑えつつ、澄まし顔で交差点を渡りきった。

 顔を上げて歩道から眺める街並みはとても綺麗。生命力に溢れたように瑞々しい街路樹さん達も、強烈な日光を白く反射させているコンクリートのビルさん達も、宝石のように微妙に色合いを変えながら輝くお店のショーウィンドウさん達もまるで夏の雰囲気を楽しむように街中をそれぞれの照明で眩しく照らしあげています。

 

 デビューとなる新人バンド達の合同ライブは夕方からとライブハウスとしては少し早めに始まる。

 謂わばベテランバンド達の前座という位置付けもあるのかもしれませんが、そこはガールズバンドが主体という意味で有名処となっているライブハウスCiRCLE、未来の人気バンドを発掘したいというお姉様方でそこそこの来店客数となる事を元スタッフであるわたしは知っていたりもするのです。

 

 思えば初ライブまでは長いようで短い道程でした。

 暖かさを増す春の風と共に香澄が手にした星の形を模したギターとpoppin'partyを形作る素敵なメンバー達との出会い、想いを重ね育んだ努力と夢、それにわたしとしても嫁と自信を持って呼べる親友が出来た事は嬉しい出来事でした。

 すっかり仲良しさんとなった嫁の沙綾はキスをした後にゆりは私のだからと言ってくれますし、それに負けじと沙綾はわたしのだよと返すと笑いながらそう思ってくれているなら嬉しいなと答えてくれます……もうわたし達はお互いの温もりを知り合っている、そんな間柄になっているのかもしれませんね。

 

 ちょっとした感傷に浸りながらゆっくりと歩いていたら、急に立ち眩みに襲われたみたいに視界はグラグラと揺らぎながら暗転を始めた。

 

 やがて真っ暗となった世界に連続写真のように映し出されたのは、わたしを護る為に両手を伸ばした前世での香澄の姿。

 体を押された事でバランスを崩しながらも香澄に向かって必死に伸ばした手は虚しく宙を掴んだ。

 最期に見えた香澄の顔は、ピントがズレた写真のようにボヤけてその表情を窺う事は出来なかった。

 

 そう確かにこれは、わたしが俺であった頃の最後の記憶。

 でも何故……どうして急にこの映像が……?

 

 

「ゆり!」

 

 

 力強い声に引き戻されたように、明瞭になる意識と共に現実という風景が色鮮やかに広がっていった。

 取り戻した視界の先には手を振りながら走り寄って来る笑顔の香澄。

 手を振り返そうと上げた右腕はその役目を果たす事はない、何故なら声を発する間もなく香澄が思い切り抱きついてきたからだった。

 

 

「嘘は駄目だよ、一緒に居てくれるって言ったでしょ」

 

「いやちょっと頼まれ事をですね」

 

 

 身体を離して顔を上げた香澄が膨れっ面を見せるのかと思いきや、その表情は今にも泣き出しそうな色に彩られていた。

 無言で腕を伸ばして少しだけ乱れてしまった香澄の髪を手櫛で整えてあげる。

 いったい香澄にとって今日の約束がどれ程の意味を持つのか理解は及ばないけれど、どうやら間違いなくわたしはまた失敗をしてしまったようです。

 人は簡単に成長しないとはいえ、もう少し心の器と身長とバストサイズは大きくなりたいものですよ。

 

 

「香澄、一緒にCiRCLEに帰ろうか」

 

 

 うんうんと何度も頷く香澄の手を握り一緒に歩き始める。

 改めて見ると香澄はステージ衣装のままで今の街並みには少々浮いているようにも、と言いたいところですが夏という季節の魔法なのか不思議とその姿は明るい景色によく馴染んでいるようにも思えた。

 

 CiRCLE手前の交差点に差し掛かり、慎重に信号を確認する。

 歩行者用信号は前へススメの蒼色を示し、二人で手を繋ぎながら横断歩道に揃って最初の一歩を踏み出した。

 段々とポピパの初ライブが楽しみになってきた、客席ではなく舞台袖の特等席から眺められるなんて最高の贅沢じゃないですかね。

 

 横断歩道に入った辺りで香澄は手を離し、付かず離れずの間合いで先を歩き出した。

 数歩だけそのまま進むと、急に足を止めた香澄がこちらを振り返るような仕草をとろうとした、その時だった。

 背中を何かが駆け上がるような悪寒が走り全身が総毛立つ。

 それは今まで感じた事のないような焦り、不安、血の気が引くようとはまさにこのような感覚なのかもしれない。

 これはきっと危機感、背中を駆け巡ったのは悪寒じゃなくて予感、それもとびきり最上級で最悪級のやつだ。

 

 耳をつんざき頭の中に響くような金切音。まだ姿は見えないけれど違いない、これはあの悪夢の再来、鋼鉄の悪魔の訪れを告げる鐘の音だ。

 恐怖心に急かされたように視線を上げると、香澄は何故か微笑んでいた。

 まるで子供達を見守る菩薩のような優しい微笑みを……。

 

 香澄の表情を見た瞬間に腰を落として力を溜める為に脚に力を込める。

 それと時を同じくして頭上を香澄の両手が掠めて行った、まるでわたしを突き飛ばすような形のままで。

 考えて動いた結果ではない、けれどわたしにはきっと分かっていたのです。

 香澄の性格を、以前に同じ経験が有ったという事も、同じ境遇に陥ったのならばきっとこの香澄もこうすると。

 

 バランスを崩した香澄の胴体を強く抱きしめたと同時に、ドリフトさながらのスピードを保ったまま赤色の車が交差点を曲がろうと突入してきた。

 イケる、このまま香澄を抱えて飛べばギリギリ間に合う。

 凄いですよわたし、これはまるで格好良いスーパーヒーローのような救出劇になりそうですよ。

 

 下半身のバネを利用していざ華麗に飛べ……ない。

 すっかりと忘れてました、今のわたしは男ではなく女の子、香澄よりも小さくて華奢なこの身体では人ひとりを抱えて飛べる筈もなかったのです。

 

 駄目だ、このままでは前世の二の舞いを演じてしまう。

 動けなかった、助けてあげられなかった、果たされなかった約束、終わってしまった未来。

 

 

「一緒が良い、また離れるのにはもう耐えられそうにないよ」

 

 

 香澄から漏れ聞こえてきた言葉で魂に火が点いた。

 一度は離れ離れになりかけた香澄と優璃、この二人の絆を護らずしてわたしはいったい何の為にこの世界へ来たというのですか。

 

 

「あの時に約束したのです、そうそう何度も嘘つきになる訳にはいかないのですよ!」

 

 

 渾身の力を振り絞ろうと覚悟を決めた瞬間、憐れな草食動物と化したわたし達に向けて牙を剥くが如く突進していた鋼鉄の獣は突如、その速さを歩くよりも遅いスピードへと変えてしまった。

 

 その変わり様に驚くのと同時に耳に着けていた星型のイヤリングが輝きだす、顔を上げれば香澄が着けているイヤリングも同じように光り始めていた。

 

 こ、これは……。

 もしかして新しいチートスキルの顕現とかではないですか、凄いですよわたし、これではまるで物語の主人公みたいじゃないですかね、痺れますね、格好良すぎじゃないですかね、参りましたね思わず神様を許しちゃいそうですよ。

 

 大地を勢いよく蹴る前に顔を上げて香澄の表情を伺うと、彼女は信じられないといった虚な表情でわたしの後方を静かに眺めていた。

 

 次の瞬間。

 微かな炸裂音と共に香澄のイヤリングが砕け始める。

 どうやらわたしが着けていたイヤリングも同じ状況のようで、放っていた光は星の形が砕ける程にその強さを加速度的に増していった。

 

 いったい何が起きているのか思いを巡らす時間も無かった。

 光の塊に呑まれそうになる寸前に、ふわりと浮き上がったわたし達の身体は風に遊ばれる木の葉のように一気に大空へと舞い上がった。

 遠ざかる地面への恐怖心で瞑りそうになる瞳を根性で耐えながら、香澄が見ていた物の正体を必死で確認した。

 

 淡い半透明な光に包まれ、まるで立体映像に映り出されているようなその姿は。

 

 

「優璃……?」

 

 

 香澄の掠れた声が妙に生々しく聞こえた。

 柔らかく押し出すように両手を突き出した姿勢、光に包まれながらもハッキリと分かる風になびく長い髪、弱々しさを感じる程の内股、見間違う事はないその女の子は美月優璃、もうひとりのわたしの姿だったのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 香澄が叫んだ。

 

 

「優璃ぃ!」

 

 

 いったい何が起こっているのでしょう。

 

 

「ゴメン、守りきれなかったよね、わたし」

 

 

 かろうじて手を繋ぎあったわたし達の身体は今やビルの高さ三階相当まで浮き上がっています。

 いくら時の流れが止まったような世界とはいえ、これはオカシイのです。

 

 

「うん、うんうん、解っているよ」

 

 

 この距離では聞こえる訳がない、でもわたしにはまるで香澄達が近距離で会話を交わしているようにも見えるのですから。

 

 光の粒に包まれた優璃と目が合った。

 何かを語り掛けてくれているようにも見えるけれど、その声はわたしの耳には何も届いてはこない。

 やがて優璃の身体は徐々に足元から光の粒子となって消え始めた。

 

 駄目だよ、まだ訊きたい事は山程ある。

 優璃はもしかしてわたしの中に居るのか、居るのならどうして出てきてはくれないのか、わたしよりも優璃の方が香澄にとって良い筈なのにどうして。

 

 どうしてわたしなのですか!

 

 消えゆく優璃が微笑んだ。

 わたしには到底真似出来そうにもない柔らかな微笑み。

 

 

〝キミはワタシで、ワタシはキミだよ〟

 

 

 何処かで聞いた事のあるような声が頭の中に響いた。

 そうだこれは優璃の声、自分の声をこうして聞くというのも変な気分だけどそれはそうと優璃さんや、いったい何を言いたいのやら今ひとつ理解が及ばないのですがね。

 

 根本的な謎は解明されないまま、やがて光の集合体は大空へ昇るシャボン玉のように弾けながら消えていく。

 あらためて香澄の方へ向き直ると、彼女は光を見送るように微笑みを浮かべながら涙を流していた。

 顔がこちらを向き目線が合うと、普段通りの笑顔を向けてくれた。

 無理矢理じゃない、まるで透き通る星の輝きのような素敵な笑顔を。

 

 少女漫画のようなキラキラとした光の粒を背景に見つめあっていたら、急に浮遊していた身体がまるで風の止んだ凧のように自然落下を始めてしまい、格好良くて粋な台詞を吐くつもりだったわたしの口からは情けない程の甲高い悲鳴が響き渡った。

 このままでは地面にぶつかると思いきや寸前で重力が反転したかのように落下は収まり、横断歩道を渡り終えた先の歩道に足先から緩やかに降り立った。

 

 地面に着くと世界が時の流れを取り戻したのか、アクセルを吹かす鋼鉄の獣は獲物の居なくなった横断歩道を虚しく駆け抜けて行った。

 茫然とその姿を見送る。もしあの場所に居たままだったのなら、きっとわたし達の未来は再び閉ざされていたのは間違いないでしょうね。

 

 

〝たったひとつの約束、ずっと一緒に……香澄を……〟

 

 

 優璃の声が風に流れる残響のように微かに聴こえた。

 結局は優璃がどうなってしまったのかわたしには分からない、けれどその強い想いが今もこの身体に生き続けているのはしっかりと伝わったよ。

 

 約束って、優璃は香澄とずっと仲良しさんで居たかったんだよね。

 任せてくださいその願いもこれからはわたしが引き継ぎ……いや違うか、これからも引き続き叶えていきましょう。

 

 わたしは二人じゃない、わたしは君であり君はわたし。

 香澄の幼馴染みであり親友、たったひとりの美月優璃なのですから。

 

 とまぁそれはそれとしてわたしのチートスキル凄くないですか、空を舞うとかもはや超能力者でしょ、この先にはもしかして世界を救っちゃうなんて事も、なんて困りましたねもう今からサイン書きの練習でもしておきますか。

 

 

「ゆりぃ」

 

 

 あっ、現実を忘れてました。

 恐る恐る香澄の方へ向き直ると、彼女は何かを思い詰めたかのように俯いたまま身体を小刻みに震わせていた。

 

 

「いやあの、香澄さんあのですね、本日はお日柄もよく……」

 

 

 勢いよく抱きしめられた、強く、存在を確かめるように強く。

 

 

「ありがとうゆり、わたし達を救ってくれて」

 

 

 冷たい汗が頬を伝う。

 こんな派手な出来事があったからもしかして香澄はわたしが以前の優璃とは違う存在だと気付いてしまったのかもしれない、だとするならばわたし達の関係はこれからいったいどうなってしまうのでしょう。

 

 香澄が抱きしめていた腕を解き身体を離していく、その行為がどうしてかとても不安に思えた。

 

 

「凄かったよね、ビューンって飛んだかと思ったらキラキラーとして急にゆりが二人になったと思ったらフワーと地面に降りるんだもん」

 

 

 あれれ、これってもしかして。

 

 

「すっごくキラキラドキドキした、本当に映画みたいだったよねビューンって、これって奇跡だよミラクルだよ」

 

 

 もしかして香澄、何も変に思っていませんよねコレ。

 両手を挙げてはしゃぎまくる香澄を見て長々と安堵の息を吐く。

 本当に良かったですよ、これでこれからも香澄達の姿を見守っていく事が出来そうです。

 

 

「お互いに無事で良かったですよ、ずっと一緒という約束が途切れなくて」

 

「ちゃんと叶えてくれたよ、守るっていってくれたあの時の約束も」

 

 

 関係性が壊れそうもない安心感で、思わず膝を折るように尻餅をついてしまった。

 そんなわたしを見て香澄は手を優しく差し伸べてくれる。

 

 

「行こうゆり、目的地の無い地図で夢を探しに。今という道を刻もう、ポピパでずっと一緒に」

 

 

 晴れやかな香澄の顔を眺めながら、力強く差し出された手を握り返した。

 本当に何と言うか、やっぱりこの娘は主人公適正満点なのですね。

 わたしなんかよりも余程に格好良い台詞がポンポンと飛び出しちゃうじゃないですか少し妬けちゃいますよ、まったく。

 

 何事もなかったようにCiRCLEへ向けて手を繋いで歩き出した。

 普段のいつもの光景、それが不思議と今は妙に安心する。

 

 

 

「でもせっかくのイヤリングが壊れてしまいましたねぇ」

 

「また買わなくちゃね、あっでも指輪の方が良いのかな、でもそれならわたしからあげなくちゃだし」

 

「いったい何を言っているのですかね香澄さんや」

 

 

 こちらを向いた香澄が口角を上げるようにニヤリと笑った。

 

 

「小さい頃にね、優璃をお嫁さんにするって約束したんだよね」

 

 

 盛大に吹き出してしまった、そんな幼い時の可愛い約束を今まで覚えているなんて凄すぎでしょう。

 

 

「えへへ、ウソだよ」

 

「嘘かいな、まぁお嫁さんになるならわたしより香澄の方が余程に似合うと思いますがね」

 

「そっかぁ、わたしがお嫁さんになる方がゆりは良いのかぁ」

 

 

 顔を見合わせて笑い合った。

 何事もないように日々は過ぎ去っていくのかもしれない、それでもきっと未来というものは今という奇跡の連続で繋がっていくんだと思える、だから小さな奇跡をこれからも大切に抱きしめていこう。

 約束を守る為に、ずっとずっと一緒に歩いていく為に……。

 

 

 

 

 

〝ゆりちゃん、おおきくなったらおよめさんになってくれる?〟

 

〝うん、わたしかすみちゃんのおよめさんになりたい〟

 

〝えへへ、これはひみつのやくそくだよ〟

 

 

 

 

 

 

 





次が本編の最終話になりそうです。
最後までお付き合いくだされば幸いです。


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最終話

 

 

 

 

 長い暗闇のトンネルを抜けるとそこは……当世の理想郷(パラダイス)であった。

 

 

 

「陽気に帰って来たかと思ったら急に感慨に耽りだすとか、お前の感情ジェットコースターかよ」

 

「有咲が冷たい、いやこれはこれで有り難き日常なのかもしれませぬ」

 

 

 腕を組み呆れ顔を見せた金髪ツインテール美少女にジト目を向ける。

 

 まぁ有咲の気持ちも分からなくはないのですがね。

 出演者の控室へ香澄と共に無事の帰還を果たし、扉を開けるやいなや優しくお帰りと言ってくれた微笑みの天使りみりんの背後に素早く周りこんだ。

 突然の行動に驚きで固くなったりみりんの身体を強引に抱き寄せて癒やしと香しさの安らぎ恩恵を満喫する為に無言で頭ナデナデを開始したら、それを見た沙綾がわたしの背後に忍び寄り無言で頭を撫で始めるという謎のナデナデ二段活用が展開され始め、更にこの流れに乗ろうとおたえは沙綾の背後で仁王立ちをするという中々にカオスな空間が生まれつつあったのです。

 

 

「有咲と香澄もほら、仲間に入らないと」

 

「止めろおたえ、控室でトーテムポールを作ろうとすんな」

 

 

 慌てふためいた有咲のツッコミで控室の中に優しい笑い声が溢れ出した。

 声の主へと顔を向けると、既に始まっている合同ライブでの出番を控えた新人バンドの皆さんがこちらを向いて微笑んでおられました。

 アルバイトの時に練習スタジオを度々利用してくれていたバンドの皆さんがポピパと同時期にライブハウスデビューとは、直接的な関係はないのですが大切な娘の旅立ちを迎える親御さんのような感慨を覚えてしまいますよ。

 

 ふとベース担当で明るい栗色のショートカットがトレードマークの(みなみ)さんと目線が合うと、彼女は少し首を傾げながらヒラヒラと優しく手を振ってくれました。

 大学生である南さんはわたしがカウンター係をしていた時にはよく気を遣って話しかけてくれた優しいお姉さんで、女の子同士の尊い絡みが大好きというこれまた良い趣味をお持ちの心の同士なのです。

 しかもわたしが創設した『秘密結社百合百合を眺める会』にも御入会なのですよ、まぁ名前だけで実体のない秘密結社なのですが。

 とても気さくで明るいお姉さんなのですが、ただ話をする時に手を撫でまわす悪癖だけはどうにも恥ずかしいので直していただきたいものです。

 

 太腿に柔らかな痛みが走る。

 やれやれこれはヤキモチ焼きの我が嫁の仕業ですかね、と視線を戻すと大天使りみりんが後ろ手で太腿をつねっていたので驚いてしまった。

 

 

「えええっ、りみりん?」

 

「今はポピパだよ、優璃ちゃん」

 

 

 俯いたまま耳まで紅くした超天使りみりんが可愛すぎて強く抱きしめてしまった。

 華奢な体型なのに柔らかな肌感とシャツ越しに伝わる温もりはしっかりと女性らしさを感じさせてくれる、香澄がりみりんに抱きついているのをよく見かけますがそれも納得の抱き心地の良さです。

 

 

「またね、美月ちゃん」

 

 

 控室を出ようとしていた南さんが声をかけてくれたので頷きながらサムズアップをお返しすると、それを見たバンドメンバーの皆さんが部屋を出て行く時に次々とわたしの頭をポンポンと叩いていき、最後の南さんだけは頬を撫でるように指を這わしてから行かれました。

 それにしても南さん達のような陽キャラ大学生のスキンシップは距離感が近いこともあって対応に困りますね、純真無垢な女子高生には刺激が強いのでお姉様方には少し自重していただきたいものです。

 

 部屋が静けさを取り戻した瞬間、脇腹に雷撃を思わせるような強烈な痛みが走った。

 激痛に耐えながら震える視線を脇腹に向ければシャチの牙が如く深々と食い込んでいる女性の指、この握力の持ち主が誰かなど考える迄もないですが恐ろしいので顔は向けない事にします。

 

 

「りみりん、もうちょっと強めでも良いと思うな」

 

「そうだよね、沙綾ちゃん」

 

「いやいやお二人さん、わたし悪くないよねぇ」

 

 

 二重の責め苦に悶絶しながら助けを求めたら、やれやれと言いたげな表情の有咲が手を引いてくれて拷問トーテムポールからの脱出を果たせました。

 

 

「本当、優璃が居ると緊張感が無くなるよな」

 

「おっと有咲たん、これはもしかして?」

 

「褒めてねえから」

 

 

 照れを隠すように顔を背けた有咲が、その視線の先に映った香澄の姿に怪訝そうな表情を浮かべた。

 

 

「部屋に入った時からずっと機嫌が良いよな、何かあったのか香澄?」

 

「えへへ分かる? 実は……ゆりにプロポーズされちゃってぇ」

 

 

 恥ずかしそうに頭を掻きながら身体をくねらせる香澄とは対照的に、その場に居た香澄以外の全員で『はあ?』という間抜けだけど綺麗に揃った合唱(コーラス)を奏でてしまった。

 

 

「ちょまま待てプロポーズってマジなのか、優璃?」

 

 

 流石の有咲も信じられないと言った表情で此方に顔を向けましたが当然ながらそんな事をした記憶も予定もごさいませんよ、なので取り急ぎ通常の三倍の速度で手を振りナイナイと言っておきました。

 香澄も冗談がすぎますねと言いながらポピパトーテムポールの方を確認すると、沙綾達三人が呪いの人形かと見間違う程に瞳を見開きながら顔を向けていたので思わず吹き出すように笑ってしまった。

 

 

「もう香澄さんや、恐ろしい冗談は止めてくださいな」

 

「ゆり言ったもん、香澄がお嫁さんが良いって」

 

「あれはお嫁さんが似合いますよって話で」

 

「あーはいはいお前達が仲良いのは知っているけどな、頼むから本番前くらいは緊張してくれ」

 

 

 呆れなのか優しさなのか諭すように有咲が香澄の肩に手を添える。

 するとそれを合図にしたのか華やかな笑い声が部屋に戻りひと安心したのですが、若干一名の乾いた笑い声が片仮名表記のような平坦さで響いてくるのが微妙に怖いのでそれは確認しないでおきます。

 

 

「おい、そろそろ準備すっぞ」

 

 

 有咲の声にアイアイサーと応えたメンバー達はメイクや衣装のチェックを始めた。

 みんなの真剣な姿を観察すればする程、女の子ってメイクが好きなんだなと思う。

 興味を持てないわたしは普段からノーメイクなのですが、先日姉さんに勧められ挑戦してみたらドーラン(ファンデーション)でも()塗ったのかな(塗り過ぎ)と笑われてしまいましたからね、プンスカコンチキショーな気分になったものですよ。

 

 みんなが最終チェックに夢中になっている隙に、気配と足音を消しながら物陰に移動してそそくさと衣装であるバンドのロゴ入りシャツに着替えた。

 着替えを見られるのが恥ずかしいというか、身に付けている下着も胸に付いたままの爆撃痕も色々とツッコミ処が満載ですので危機管理としての賢い立ち回りなのです。

 

 全ての準備が整い、わたし達だけとなった控室で円陣を組んだ。

 大きく深呼吸をした香澄がヨシッと気合いの声を発してから中央に手をかざし、笑顔のメンバー達も想いを紡ぐように手を重ねていった最後にわたしもゆっくりと手を乗せた。

 

 

「走り出そう未来へ、撃ち抜こうわたし達の夢を、いっくよぉ!」

 

 

 香澄の言葉に全員で頷いた。

 一斉に息を吸って、バンドの新しい掛け声を全力お披露目です。

 

 

 ポピ(パ!)

 ピポ(パ!)

 ポピパパピポ(パー!)

 

 

 全員で重ねた手を宇宙に向かって弾かせた。

 わたしがこの世界に来たのも、ポピパのみんな、素敵な姉さん、楽しい友達と出会えたのも全てが小さな奇跡の欠片との巡り合わせなのかもしれない。

 だから全力で楽しみたい、青春だなんて思う暇もないくらいにみんなで駆け抜けたい。

 夢を追いかける、いえわたし達はバンドリの名のもとに夢を撃ち抜く高校生バンドpoppin'party。

 

 キラキラドキドキという不思議な宝物を探す冒険への扉が開いていく、未知なる旅路に高鳴る鼓動と僅かな武者震いを感じた、感じ続けていた。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 ポピパのみんなもステージに向かい無人となった控室を整理整頓する。

 元スタッフの(さが)と言いますか、散らかっていると強面オーナーに叱られてしまうので過剰に片付けしてしまう癖が身についてしまったのですよね。

 テーブルを拭き掃除していたら、不意に扉を開く音がした。

 身体を向けながら入口を確認すると、扉に寄りかかるような姿勢で沙綾が立っていました。

 

 

「沙綾どうしたのですか、忘れ物でも……」

 

 

 近づきながら問い掛けたら、急に動き出した沙綾に背中に手をまわされて強く抱き寄せられた。

 突然だから驚いたけれどもうキスを何回もした仲です、そのまま受け入れるように力を抜いて身を預ける事にしました。

 

 顔を埋め温もりを確かめ合った後、身体を離した沙綾が僅かに目線を逸らす。

 

 

「甘えたくなったのですか、沙綾?」

 

「ヤキモチばっかりしてる、私って」

 

「プロポーズの事ですかね、流石にそれは有り得ませんって」

 

「本当に心が狭いよね、自分でも不思議に思うよ」

 

 

 椅子を引いて沙綾を座らせ、髪型が崩れないように意識しながら頭を撫でてあげる。

 

 

「確かに香澄は特別な人です、これからも応援していくしずっと一緒に居ると決めてもいます」

 

 

 俯いてしまった沙綾の顎に手を添えて軽く持ち上げ、出来るだけ優しい表情を作り瞳を見つめた。

 

 

「だからと言って沙綾が特別じゃないなんて思っていません」

 

 

 少しの潤みと共に瞳に輝きが戻ってくれた気がした。

 

 

「沙綾も居てくれなきゃ嫌ですよ」

 

「ゆりって本当……ズルいなぁ」

 

 

 沙綾が腕を掴みクイクイと小刻みに引っ張る、それは偶にする何かを要求する合図なのはよく知っていた。

 瞳を閉じた沙綾に顔を近付けて舌先で唇の表面を悪戯に突ついてみると、驚きで瞳を丸く見開いた後に優しく微笑んでくれた。

 僅かに見つめ合い今度はお互いに顔を寄せながら瞳を閉じる。

 

 軽く触れ合わせた後に、確かめ合うように重ね合わせた。

 胸の奥底が沸き立つように熱くなってくる、恥ずかしさは霧の中に消え去り沙綾の柔らかさに引き寄せられる。

 繋がりが離れそうになっても沙綾がそれを許さない。

 わたしからの筈なのに、いつの間にか沙綾に絡め取られてしまっているみたいな気分だ。

 逃げられないし、最初から逃げるつもりも無い。

 求められるのは嬉しいし、受け入れられるのはもっと嬉しい。

 今のわたし達の関係をどう表現していいか分からないけれど、少なくとも今は満ち足りた気分、何だかそれだけでも良いやと思えた。

 

 唇を離した後の沙綾を見やれば、唇を綺麗に彩っていた筈のリップとグロスはすっかりと剥げ落ちてしまっているようだった。

 それでも不思議な事にグロスの落ちた唇は濡れそぼるように潤んで光り、表面を覆う瑞々しいバラ色のコーティングは天然とは思えない程の魅惑的な色香に彩られている。

 

 

「これヤバいかも、胸が苦しくなるほどキュンって言ってる」

 

 

 顔を離した沙綾が息を切らすように零した熱っぽい言葉も、まだまだ甘え足りないと言いたげに絡みつく視線も言葉に出来ないくらいに可愛い。

 沙綾がヤキモチなんて妬く必要はないのです、だってキミが思っているよりも大切な人だとわたしは認識しているのですから。

 

 

「でもそろそろ行かないと、みんなから変に思われちゃうよね」

 

「何と言って抜け出して来たのですか?」

 

「ちょっとお花を摘んでくるって」

 

「それだとかなりの便秘とおもわ……」

 

 

 椅子から立ち上がった沙綾に頬を軽く抓られ、同じ場所へ今度は優しく唇を押し当てられた。

 覚束ない足取りで沙綾は鏡台の前に行きポケットから取り出したリップで手早くお色直しを済ませると、歩きながらヨシっと気合いの入った声を漏らして控室のドアノブに手を掛けた。

 

 

「キスすると安心しちゃうって、単純だよね私」

 

「可愛いと思いますよ、どうやらわたしは甘えられるのが好きなようです」

 

 

 ドアに向かって立ち止まったまま、一瞬だけ肩をすくめた沙綾がポニーテールに束ねた髪をふわりと揺らしながら振り返る。

 

 

「私ね、やっぱりゆりが好き、大好きなんだ」

 

 

 真っ直ぐに見つめてきたその顔は全体的に紅みを帯びていて、普段の頼もしい雰囲気とは違いまるで穢れを知らない無垢な少女のように幼く見えた。

 

 

「もう照れますよ沙綾、わたしだって大好きですよ大切な嫁ですからね、これからもポピパみんなで頑張りましょうね」

 

 

 一瞬だけ驚いた表情を作った沙綾が、腰に両手を充てながらクスリと笑う。

 

 

「もう……ゆりのバーカ」

 

「ええぇ、先程まで仲睦まじい雰囲気だったのに手のひら返しの罵倒ですか?」

 

 

 可愛らしいウィンクを残し、足取りも軽くなった沙綾は控室を出て行ってしまった。

 静かになった部屋に取り残されたような気分に浸りつつ、苦笑いをしながら頭を軽く掻いた。

 甘えてきたかと思いきや急に罵倒してきたりと、女の子って何を考えているのやら本当に摩訶不思議で理解に苦しみますよ。

 

 沙綾から移っているかもしれないリップの取り残しがないように、ティッシュを取って鏡台に向かう。

 鏡に映る頬は先程までの熱を覚まし切れていないような淡い紅色を残し、唇も少しだけグロスの輝きが残っているのか潤んで見える。

 手に持ったティッシュで唇を拭おうかとも思ったけれど、何となく丸めてゴミ箱にスリーポイントシュートよろしく投げ入れた。

 

 唇を指でなぞると繋がっていた感触が鮮明に思い出されて身体が震える。

 友達同士にしてはやたらと濃厚だった気もするけれど、お互いに証を刻んだようなあの時間は心がポワポワと温かくなって夢見心地な気分でした。

 

 まぁそれにしてもですが、わたし。

 いくら気分が盛り上がったとはいえ、流石にあんなのはやり過ぎだと思うのですよ。

 ま、まさかですがそれ故のバーカという罵倒、いやいやそれは考えすぎでしょう触れてしまった時も嫌がる素振りはなかったですしって……はう、もしも沙綾に嫌われたらと思うと悲し過ぎて泣いちゃいそうですわたし。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 CiRCLEのライブスペースは地下空間、普段とは違い今日はラストダンジョンに挑む冒険者の気分で通路を進む。

 歩を進めた先に待っていたのは五人の勇者、尊敬し大切に想っている素敵なパーティーメンバー。

 

 

「衣装まで揃えるくらいなのにバンドはしない、理解に苦しむね」

 

「あれれぇ、どうしてダンジョンに入る前にラスボスが出現しているのですかね?」

 

 

 客用とは別の演者が入る扉の前に、メンバー達と一緒に何故か杖をついた詩船オーナーが立っておられました。

 

 

「なんだいその『ラスボス』っていうのは?」

 

「格好良い登場人物という意味です」

 

 

 顔を背けそれらしい誤魔化しをかました時に急に内側から扉が開き、とんでもない熱風を引き連れて南さん達が姿を現した。

 アルバイトをしていた身からすれば見慣れていた光景とはいえ、演奏を終え全身から滴る程に汗を噴き立たせているバンドメンバーさん達の姿を見る度に、ライブという物にいったいどれだけの熱量が必要なのかと感心しながら思い知るのです。

 

 

「あっオーナー、お疲れ様です」

 

「どうだいあんた達、やりきったのかい?」

 

 

 オーナーの問い掛けに南さん達は声を出す事はなく、その代わりとして目配せをした後に全員が満面の笑みを返した。

 

 

「そうかい、なら良いさ」

 

 

 それに応えるようにオーナーも優しい微笑みを返す。

 おやおやいったい何ですかねこの格好良く大人なやり取りは、これではまるでオーナーが人の善いオバチャンみたいではないですか。

 いやいや悪い人でないのは既に存じているのですが普段からわたしにこう、もう少し甘くしてもバチは当たらないと思うのですよ。

 

 

「客席は暖めておいたから、頑張ってね」

 

「はい、絶対にキラキラドキドキさせてみせます!」

 

 

 熱気を纏ったままのリーダーにバトンを託された形の香澄が瞳を輝かさせながら声を張り上げ、わたし達も顔を見合わせてから全員で深く頷きを返す。

 

 

「美月ちゃぁぁん、お姉さんに頑張った頑張ったしてぇ」

 

 

 急に肩を掴まれた驚きで顔を向けると、何故か南さんが最敬礼のような姿勢で頭を突き出していました。

 

 

「本当はギュウってされたいけど、お姉さん汗まみれだからヨシヨシで我慢するからぁ」

 

 

 突き出された頭に向かって腕を伸ばし、乱れていた髪を直すように優しく撫でてあげる。

 それにしても普段の南さんは物腰も落ち着いていて素敵なお姉さんという感じなのにこれもまたライブの魔法ですかね、まるで子供のようにはしゃぐ姿も新鮮で中々に良きものです。

 

 

「こら南、美月ちゃんに迷惑をかけるな。ゴメンね、こいつ末っ子気質の甘えん坊だから」

 

「オーノー、マイガールミヅキ、プリーズ、ナデナデプリーズ!」

 

 

 見間違う程に騒ぎ続ける南さんの首根っこを掴み、引き摺るようにして出番を終えたメンバーさん達はその場を立ち去って行かれました。

 それにしても南さんの異常なテンションはどこか既視感がありますなと朧げな記憶を巡ってみたら、りみりんのお姉さん達のバンドにも危ないテンションをお持ちの方が居られたような……うん、詳しくは思い出さないでおくとしますかな。

 

 

「ほらほら早く行きな、客が覚めちまうよ」

 

「よし行こう、みんな」

 

 

 オーナーの言葉を受けた香澄が発した号令に、全員が力強く頷く。

 緊張を振り払うようにひと呼吸を置いた香澄が扉を開け、わたし達は誰ひとり躊躇する事なくその背中に続き薄闇が支配する決戦の地へと足を踏み入れた。

 

 そこは演者のみが立ち入れる特別なステージ、淡い照明に包まれた中で粛々と準備に取り掛かり始めたメンバー達の姿は、まるで夜陰の宴を待ち切れない妖精の踊り子みたいに楽しげだ。

 それに引き換え演奏もしないわたしといえば、ライブスペースに蔓延している熱気に押されて微かに手を震わせてしまっている。

 情けない話ですが、これも覚悟を持つ者と持たない者の差なのでしょうね。

 

 各楽器がスタンバイを終え香澄がスタンドマイクの前に立つと、頭上のスポットライトは息を吹き返したかのように強烈過ぎる光を取り戻す。

 ステージ上の熱も会場の熱気も爆発したように膨れ上がっていく、何度か味わっているこの瞬間がわたしは堪らなく好きなのです。

 何かが生まれ出る期待感に鳥肌が立つ、本能が叫ぶのです、弾けてしまえと。

 

 

初まりまして、わたしたちぃぃ

 

 

 ライブの開始を宣言した香澄が後方を向き、それを合図にした五人は舞台袖に立つわたしに一度だけ視線を送り、もう一度深く頷き合ってからしっかりと客席を見据えた。

 香澄が客席に向かってターンを切る。

 五人が最高の笑顔で息を合わせ、大きく口を開く。

 

 

 どれだけの緊張の中、キミタチはこの場所に居るのだろう。

 流し続けた汗は無駄じゃない、零した涙は伊達じゃない。

 間違いないよ、キミタチはこの場所に立つ資格が有るんだ。

 だって、わたしが信じるこのフロントメンバー五人は……。

 

 

〝poppin'partyです!〟

 

 

 夢を撃ち抜き絆を紡ぐ、最強無敵のガールズバンドなのですから。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 流星の形を模した深紅のギターと青き海色のギターが闇夜に輝く。

 踊るシンバルは星の瞬き、可愛らしいピンクのベースは大地に咲く一輪の花、純白のキーボードは……えっと、有咲はとても美少女さんです、はい。

 

 

最初の曲『STAR BEAT!』でした、皆さん初めましてわたし達

 

香澄、お前それ二度目だぞ

 

あれっ、そうだっけ?

 

 

 香澄の軽快なボケと有咲の迅速なツッコミで、会場を包んでいた緊張が解きほぐされたのか客席に軽い笑いが起きる。

 一曲目の演奏を終えて始まったMCに対する会場の雰囲気を確かめて、漸く胸を撫で下ろす事が出来た。

 演奏中の観客のリアクションも上々、無邪気に振舞う香澄の雰囲気も好意的に受け入れられているようで何よりな気分です。

 

 

「それだけ入れ込んでいるのに舞台には上がらない、何があんたをそこまで(かたくな)にさせるのかね」

 

 

 いつの間にか横に立っていた詩船オーナーからの声に、どうしてか顔を向ける事が出来なかった。

 

 

「わたしは()るよりも()る方を選んだのです、後悔はありませんよ」

 

「とても本音には見えないね」

 

 

 百戦錬磨の人生経験を持つオーナーには見透かされているのかもしれない。

 百合百合とした光景を眺めていたいというのは嘘じゃない、そしてポピパのみんなが何を望んでいたのかを理解していなかった訳でもない。

 それでもこれは転生という特典を得たわたしへのペナルティ、ポピパは五人でポピパという形を崩すつもりはないのです。

 

 二曲目が始まった。『前へススメ!』、ポピパで頑張るという香澄の決意が記された歌だ。

 子供の頃に体感したキラキラドキドキな星の鼓動と呼んでいたもの、それを彼女はポピパという煌めく星の下で見付けられたのかな。

 

 そういえば不思議な事に、本当の優璃ならどちらの道を選ぶのだろうって今まで考えた事がない。

 優璃として生きるのなら想定して然るべきなのに、優璃の存在を蔑ろにしていた訳じゃないのにこれが正解だと特に迷いもしなかった。

 

 ずっと心に引っかかっている疑念が頭をもたげてくる。

 前世では男だった筈なのに、どうして今のわたしは女の子である事に全く違和感を覚えないのだろう。

 普通なら性差に戸惑うだろうにいくら何でも順応が早過ぎる、これではまるで最初から女の子だったみたいじゃないですか。

 

 最初はわたしが優璃を乗っ取ってしまったと罪悪感を覚えていた、けれど今は少しだけ違う推論に辿り着いている。

 もしかして今のわたしは以前の俺ではなく以前の優璃でもない、お互いが混ざり合ったようなまったく新しい存在ではないのかなって。

 

 やり直しではなく、新しい未来を掴み取る為に……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 二曲目が終わり最後の曲が始まる前に香澄がポピパのメンバー紹介を始めると有咲が今更かよとすかさず返す、すっかりと息の合った夫婦漫才のようなやりとりに会場は温かな雰囲気だ。

 

 改めて思うとポピパの曲ってバンド名に違わず明るい曲調が多いのですが、意外と香澄が描く歌詞って渇望に近い青春への憧れを綴っている事が多いような気がする。

 無邪気で明るい性格なのにどこか不思議な魅力の女の子、まるで恒星のように世界を明るく照らしつつ、その身に持つ強力な重力でわたし達の心を掴んで離さない。

 どこまで走るんだろう、どこまで行くんだろうって思わせてくれる、そんな女の子がわたし達のリーダーなんだよね。

 

 

真っ赤なギターの女子高生、ギターボーカルの戸山香澄です!

 

 

 深紅のランダムスターを掻き鳴らした後にマイクを握った香澄が一息を入れたタイミングで有咲がキーボードから離れ、向かう先は……。

 

 

では最後のメンバーを紹介します

 

 

 一直線に向かって来た有咲に手を掴まれる、何がいったいどうしてこんな?

 

 

「ほら、行くぞ」

 

「いや有咲たん、わたしはステージには」

 

「お前もpoppin'partyだろ、全員が揃わないとパーティーが始まらないだろうが」

 

 

 無意識に足を踏ん張って耐えようとしたら、それを打ち破るような力強い何かが背中を押した。

 

 

「えっ、ちょっとオーナー?」

 

「何が起きるか解らないのもライブの醍醐味だ。信じてみな、自分の仲間達とやらを」

 

 

 舞台袖の暗闇から手を引かれ、フラフラな足取りで光の中に一歩を踏み出す。

 

 

わたし達の大切なサポートメンバー、美月優璃!

 

 

 有咲に背中を押されてステージ最前部、センターに立つ香澄の横に千鳥足で並び立った。

 前を見れば困惑した表情の観客達、後に振り返ればニコニコ笑顔のメンバー達、どうやらこれは信じていた仲間達に計画的に嵌められた可能性が高いのは間違いないようです。

 

 

えへへ、呼んじゃった

 

「じゃねぇですよ!」

 

 

 慌ててツッコミを入れたら少しだけ落ち着く事が出来た。

 途端に感じ始めるスポットライトから降り注ぐ灼熱の暑さ、それと同時に額を流れ始める冷や汗。

 観客がわたしに注目している雰囲気がハッキリと分かる、新しい何かが始まるのかという期待感のようなものがヒシヒシと伝わってくる。

 このプレッシャーの中にみんなは居たのかと肝が冷える、わたしは自分が思っていた以上にライブというものを軽く考えていたのかもしれませんね。

 

 固まっちゃいけない、せっかく盛り上がった熱を冷ませちゃいけない。

 今や自分でも説得力が無くなったと自覚していますが、元男たるもの背中を見せちゃいけない戦場もあるのですよ。

 

 おたえが持って来てくれたスタンドマイクを鷲掴み、右手を伸ばして粋なパーティー会場を舐めまわすように指差し睨みつける。

 やってやんよ、吹っ切れた女の勢いを見せつけてやんよ。

 

 

出る予定は無かったけれどサポートメンバー美月優璃、頑張るので罵声は勘弁でヨロシク!

 

 

 静まり返る会場(スペース)、呆気に取られた観客(オーディエンス)

 消え去りたい走って逃げ出したい、これは盛大に滑ってしまったのは最早疑いようのない事実です。

 

 その時、会場の一角から優璃という切り裂くような通る声と共に何本かのサイリウムが振られるのが見えた。

 切っ掛けは些細な事でも空気はガラリと変わったりする。

 あれって店員さんじゃねとか可愛いとかいう声が漏れ始め、点在した声は静かな海が急激に荒ぶり始めたように波を打つ歓声へとその姿を変えていった。

 ふと以前にオーナーが呟いた言葉が頭を過ぎる、嬉しそうに言っていたんですよライブは生き物なんだって。

 

 

それでは最後の曲です、聴いてください

 

 

 香澄が声を張り上げてからおたえと同時に後方へ軽やかターンを決める。

 それを見てわたしもメンバー達の方へと身体を向けた。

 視界の先には優しく微笑むベース担当のりみりん、何故か投げキッスをしてきたドラム担当の沙綾、苦笑いを浮かべるキーボード担当の有咲、横で悪戯っ子のように笑うリードギター担当のおたえ、そして……。

 

 

「もう逃がさないから」

 

 

 煌めく太陽のような笑顔、ギターボーカル担当の香澄。

 きっと二度とないステージの為に六人で鼓動と呼吸を合わせる。

 

 

〝せーの!〟

 

 

 全員で最後の曲名を叫ぶ、世界の隅々まで響き渡るくらいに気持ちを乗せて。

 

 

 

 

 

 第六十九話〝Yes! BanG_Dream!〟

 

 

 

 

 

 さあ、飛び出そう! 明日のドア ノックして

 

 解き放つ 無敵で最強のうた!

 

 in the name of BanG_Dream!

 

 Yes! BanG_Dream!

 

 

 香澄の横に立って一緒に歌う。

 何度もパートを別けて練習していたから流れもスムーズだ。

 もしかしてこの歌の練習にだけ付き合わされていたのって、香澄達は始めからこうするつもりだった、なんて流石に考え過ぎですよね。

 

 

 交わした約束が呼んでいる

 

 ドキドキステキにときめいてる

 

 驚かせてもいいかな? そろそろいいのかな?

 

 

 香澄のソロパートでは軽いステップとターンで間を作らないようにする。

 こんな事が出来るのもこころや美咲や結衣、ハロハピのみんなに出会えてアンジェラが生まれたおかげだ。

 

 優しい瑠璃姉さん、ライブの熱を見せてくれた蘭やアフターグロウのみんな、弦巻家の妖怪おばぁちゃんのハンナ、愉快で温かい一年A組のクラスメイト達、様々な出会いが今のわたしを形作っている。

 相変わらず神様は許すまじだけれど、みんなとの出会いという奇跡を演出してくれた事には感謝したいなって素直に思うよ。

 

 見渡す客席で星空のように煌めいている無数のサイリウムの輝き、わたしにはそのひとつひとつが観客の持つ夢の欠片に思えた。

 胸の奥に抱えた小さな夢の欠片達、それがpoppin'partyの音楽で輝きを解き放ち始める。

 観客も含めた全員で夢の欠片を掲げて、いつか大きな夢の結晶を造ろう。

 香澄の歌から、メンバー達の指先から溢れ出す音が、ポピパの音楽がそう語り掛けてくれているみたいだ。

 

 夢は叶うかなんて誰も知らない、だけど夢を持つ事が未来への楽しみに繋がっていくのは間違いない。

 夢が見えないのなら、一緒に探しに行こうよ。

 わたし達は夢先案内人のpoppin'party、そして今この場所に居るみんなも。

 in the name of BanG_Dream!(バンドリの名のもとに)、集った仲間達なのですから。

 

 

 さあ、飛び出そう 明日のドア ノックして

 

 解き放つ 無敵で最強のうたを!

 

 キミだけに ホントの声きかせたい

 

 夢とキミを繋ぐ メロディ♪

 

 in the name of BanG_Dream!

 

 Yes! BanG_Dream!

 

 

 歌の最後に右手で拳銃の形を作り軽快に撃ち抜くポーズを決めた。

 どうか誰かの心に届きますように、わたし達の始まりの弾丸がキミの夢を撃ち抜く始まりとなりますように……。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 怒涛の新人合同ライブから数日が経った。

 花咲川女子学園も夏休みに入り、我等がpoppin'partyは有咲の蔵に入り浸るようにして日々の練習に打ち込んでいた。

 

 あのライブの日、どうやら蘭達アフターグロウのみんなも来ていたようでスマホにメールが残されていた。

 

 お疲れ様、頑張ったご褒美をあげなくちゃね、とのメッセージ。

 優しい蘭と笑顔のメンバー達の顔が浮かぶようです、本当に素敵なバンドですよアフターグロウも。

 楽しみにしてると返すと、優璃も勇気を出していいからねとの返信。

 えっと、蘭さん。どれだけ考えてみてもちょっとこのメッセージの意味が分からないのですがね。

 

 それとライブにはこころや美咲達も来てくれていたみたい。

 残されていた美咲からのメッセージには、結衣が感極まって泣きじゃくっているから顔は出せないとあった。

 結衣らしいし美咲の優しさも垣間見える、まぁこころのライブ熱が高まってヤバイ助けてという箇所は無視しておきましたが。

 でもライブの感想も聞きたいしで、次のハロハピ会議件アンジェラ練習日が少しだけ楽しみだとは思っている。

 

 

「おやっ、えらくニコニコ顔のゴキゲンサマだね」

 

「まぁデビューライブ、楽しかったですからね」

 

 

 暗くした香澄の部屋で二人仰向けで寝転び、窓越しに夏の夜空を見上げていた。

 湿気のせいか少し滲んだ空は満天の星とまではいかないけれど、散りばめた宝石のように輝きながら点在する星々を眺めるというのもまた、中々に(おつ)な気分というものです。

 

 

「ゆりもステージに立てば良いのに」

 

「それは遠慮しますよ。ステージに立っていたら、眩しいくらいに輝く五つの星が眺められないじゃないですか」

 

「勿論わたしが一等星なんだよね?」

 

「全員が一等星でしょ」

 

 

 太腿を何度も叩かれた、痛い。

 

 

「香澄ちゃんが一番可愛いって言うまで許さないよ」

 

「ちょっと痛いって。わざわざ言わなくても香澄は可愛いに決まっているでしょうが、笑顔とか本当に可愛くて仕方がないのですから」

 

「えっそうかなぁ、ゆりも可愛いと思うよ、うん」

 

 

 途端に照れ出す香澄さん、ちょいとチョロ過ぎて将来が心配になるレベルですわ。

 

 

「それよりも壊れたイヤリングはどうしますかね、また新しく買うとか?」

 

「うーん、イヤリングは止めとくかな」

 

「こりゃまた意外な反応ですな」

 

 

 コロリと転がるようにして香澄が腕に顔を寄せてきた。

 途端に広がるように包み込む爽やかな香りが気分を落ち着かせてくれる、まぁ真夏なので代償としてかなり暑いというのは問題なのですが。

 

 

「漸く見つけて優璃と一緒に買ったものだから、同じ物はもう無いから」

 

 

 優璃との思い出の品という事ですか、確かにそれなら似たような品を買ったとしても意味がないですよね。

 

 

「意外と高くてビックリしたんだよ。でもちょっと嬉しかった、わたしの為に無理したんだなって知れたから」

 

 

 アレってそんなに高価だったのですか。いやぁアクセサリーの価値なんて全くもって興味が湧かないですね、たとえあのイヤリングがプラスチック製だったとしてもわたし的には何の問題もありませんよ。

 

 

「でも思い出の品が無いというのも寂しいものですな」

 

「ちゃんとプランは考えてあるんだよ」

 

 

 顔を上げた香澄がえへへと笑う。

 

 

「大人になったらシンプルなシルバーリングをお揃いで買うの、それで小さい頃に約束した星空の見えるあの場所でお互いの指輪を交換する。そしてゆりは言うのです、香澄を一生涯大切にしますって」

 

「プランが具体的過ぎる」

 

 

 香澄は身体を動かして馬乗りの体勢になり、慣れた手つきでわたしのシャツをスルスルと捲っていった。

 

 

「その時がくるまで、ポピパで青春を全力で楽しもうね」

 

「いや言葉の格好良さと、あからさま過ぎる行動との対比が酷くない?」

 

「本日のキスマークノルマが未達成なので」

 

「今度、ポピパで海に遊びに行くのですが?」

 

 

 そうだったぁ、と言いながら香澄が背中から倒れてしまった。

 起き上がり今度はわたしが馬乗りの体勢をとると、香澄は素早く腕を廻して強引に抱き合うような形となった。

 女の子の質感って柔らかいものだけれど、今日の香澄の感触は普段にも増して柔らかくて上質なクッションみたいだ。

 もしかして普通のブラじゃなくてナイトブラなのかな、何だか裸で抱き合っているような気恥ずかしくて照れてしまう感覚に陥りそうです。

 

 首元に深く頭を埋めると抱き締められている腕の力が自然と強まった。

 香澄にだけ感じるこの包み込むような不思議な安心感は唯一無二だ。

 沙綾と抱き合う時は安心感よりも高揚感の方が勝っている気もするしと、まぁどちらにしてもわたしにとって二人は特別な存在なんでしょうね。

 

 

「キミが約束を果たしてくれたんだから、わたしも優璃との約束を守らなくっちゃ」

 

「優璃との約束って?」

 

「……ヒミツだよ」

 

 

 顔をずらした香澄が頬に唇を寄せた、ってキスマーク以外での普通のキスってこれが初めてじゃ。

 

 

「これからも約束をいっぱいしよう。沢山の約束が沢山の夢になって、星空のような沢山の夢を撃ち抜いていこうね」

 

「そうですね……って、それって雁字搦め過ぎないですか?」

 

「ムードが無いよ」

 

 

 お尻から甲高い炸裂音のようなものが響き渡り、湧き上がる痺れのような痛さに堪らず転がるようにして香澄から飛び退いてしまった。

 

 

「うぅ……プリティーなお尻が腫れあがってしまいますよ」

 

「もう、今日はいっぱい愛しちゃうからね」

 

「あっちゃんが聞いたら誤解して部屋に飛び込んで来そうな表現はヤメテェ」

 

 

 身体を起こした香澄がフワリと微笑む。

 わたしはやっぱりこの笑顔が好き、というかポピパみんなの笑顔が大好きだ。

 

 もう一度窓を見やり、星空の向こうに思いを馳せる。

 季節は夏本番。夏の海も夏祭りも、肝試しだってどんと来いですよ。

 poppin'partyの青春はスタートラインを切ったばかり、今はただ走り続けよう、重ねた約束という夢を叶える為に!

 

 

 

 

 見ていますか? 我が胸に棲まう空想妖精モヤットくん。

 高校に入学してからの今までを共に過ごしてくれてありがとう。

 まぁこれからも精々一緒に眺めていきましょうや。

 

 なにせわたしとキミの青春も、まだまだ動き始めたばかりなのですから。

 

 

 

 

 

 ⭐︎おしまい⭐︎

 




 本編はこれにて完結です。

 長々のお付き合いをさせてしまいましたが、ここまで読んでくださった全ての方に心からの感謝を。


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70.えぴろ〜ぐ、にしては長すぎる

 

 

 

 (おび)を締めれば不思議と気持ちも引き締まる。

 衣服の乱れ無し、髪は姉さんに結ってもらったお団子結び、制汗剤と虫除けスプレーも満遍なく散布と我ながら完璧な準備にほくそ笑みそうになりますよ。

 

 近隣で開催される花火大会をポピパで見に行こうという情緒満載な企画が立ち上がったのは良いのですが、それを香澄から聞きつけた姉さんが確か浴衣がなどと不穏な事を言い始めたので急遽女性用の甚平を入手した次第です。

 紺の下地に金魚柄をあしらった夏らしいデザインの甚平は、何気に普段着としても使えそうな可愛らしい逸品で良き買い物をしたと満足しております、姉さんは不満気な表情だったのですが。

 仕方がないのです、これもまた心理的抵抗というやつなのです。

 こればかりは照れというか、元男だったが故にあまりにも女に染まり過ぎるのも如何なものかという感情が先に立ってしまうのも致し方ないのですよ。

 

 

「香澄から聞いたけどよ、普通こういう時は浴衣で合わせるものじゃね?」

 

 

 ポピパ勢揃いで会場に向かう道すがら、横に並んだ有咲に冷やかなジト目と冷静な小言を向けられた。

 紫色の下地に淡く浮き出る花柄の浴衣、花の種類に詳しくはないのですがこれは百合(ゆり)でしょうか、ツインテールに結んだ髪にもよく似合い美人度数も急上昇ですな有咲たん。

 

 

「わたしもゆりの浴衣姿が見たかったなぁ」

 

「きっと似合っていたと思うよ?」

 

「ウサギの着ぐるみじゃないんだ、残念」

 

 

 有咲に同意するように後方から掛かる、残念そうな若干三名の声。

 声の主である沙綾の浴衣はオレンジ色の向日葵(ひまわり)柄が不思議と力強い生命力みたいなものを感じさせる、その浴衣に合わせたのかポニーテールを解いた髪も自然なウェーブを描き妙な色っぽさ満点です。

 

 そしてピンク地に金魚柄、りみりんの浴衣姿はまさに天使。

 集合場所ではお揃いの柄だねと手を繋ぎながらはしゃいでいた姿から溢れまくる無垢なオーラはもはや人外のレベルにまで昇華していますね、つまり要約すると天使そのものです。

 

 三人組の最後、お淑やかに歩いているおたえは青地に紫陽花(あじさい)をあしらった浴衣姿で大人のような(みやび)な佇まい、なのですが流石に夏場の着ぐるみは暑さで死ねるのでそのリクエストは勘弁してもらえませんかね。

 

 

「せっかく女の子なんだから、可愛くすれば良いのにね」

 

 

 大手を振りながら先頭を歩いていた香澄が振り返り、みんなに同調するようにクスリと笑う。

 悔しいですが深い紅色に朝顔(あさがお)をあしらった浴衣はとても似合っていて、髪もいつもの星型に結わずに綺麗なストレートヘアと……。

 星髪姿の香澄は元気娘な見た目でとても魅力的なのですが、髪を下ろしてしまうと只の超絶美少女にしかならないので何と言うか色々と気を付けていただきたいものですよ、まったく。

 

 

「わたしはこれで良いのです、みんなの浴衣姿が見れればそれで」

 

 

 わたしの性格を知っている為か全員が呆れたような笑い声を返してくれる、有咲だけは深い溜め息でしたが。

 

 メンバー達の足元を彩る下駄が砂を擦る音が段々と雑踏に埋もれて街の音と同化していく。

 まだ会場までは相応の距離があるというのに、道路を埋める人波は段々とその激しさを増していく。

 予想するに現場は相当な人で溢れそう、そんな人混みの中で身長の高くないわたしやりみりんは無事に花火を鑑賞する事が出来るのでしょうかと一抹の不安が頭を過ぎってしまう。

 

 でも何処からか聞こえてくる笑い声、時折り聞こえる幼い子供の唐突な雄叫び、道行く全ての人達はみんな笑顔だ。

 ポピパやハロハピのライブもこんな光景になったら良いなって思う。

 ライブを観た人達がみんな笑顔になるなんて、そんな夢みたいなライブをいつかきっと……。

 

 ぼんやりと感傷に浸っていたら、唐突に腰に着けていたポシェットから着信を知らせる振動を感じた。

 スマホを手に取り画面を確認すれば奥沢美咲の名前。そういえばポピパで花火鑑賞を約束した後に美咲達にも誘われたのですよね、ダブルブッキングともいかないので残念ながらお断りしたのですが。

 

 

『あっどうも、大切に思われていないサブバンド扱いの奥沢です』

 

『嫌味を言う為に電話をしてきたのですかね?』

 

『戸塚さんが話したいんだって、代わるわ』

 

 

 第一声で嫌味を放つ美咲さん。誘いを断った時も弦巻こころは仕方がないわと諦めが早かったのに美咲は拗ねた態度を崩しませんでしたね、普段はヤレヤレ系のサバサバとした態度なので不貞腐れる仕草がやたらと珍しくて頭をナデナデして慰めてあげたのですよ。

 まぁその後に何故かヘッドロックを決められたのですが、あまりにも理不尽です。

 

 

『あっどうも、お姉様に花火デートに誘われてウキウキで待ち合わせ場所に行ってみたら本人の代理だった件、戸塚結衣でしゅ』

 

『ハロハピの花火鑑賞に結衣もどうですかと訊いただけですが?』

 

『悲惨でしゅ、弄ばれたでしゅ、気を利かせたお姉ちゃんが可愛い浴衣まで用意してくれたのに何と弁明すれば良いのでしゅか!』

 

 

 いや知らんがな。

 結衣は顔も頭も良いのに慌てん坊の面というか、こういうところは抜けているのがまた……可愛いのですが。

 

 

『あー、戸塚さんが可哀想だなー、これはー、優璃が慰めてあげなくちゃー、駄目じゃないのかなー』

 

『抑揚の無い話し方はヤメなされ。しかし美咲、わざわざ嫌味を言う為だけに電話をしてきた訳ではないのでしょう?』

 

 

 一時の間を空け、美咲は通話でもしっかりと聴き取れる程の深い溜め息を吐いた。

 

 

『こころが優璃達にも来てもらえば良いんだわとか急に言い出したりするからさ、瞬時に色々と察したお付きの黒服さん達を止めるのが大変だった訳よ、それの愚痴が言いたかっただけ』

 

『それはお疲れ様でございましたな。でも美咲は優しいね、ポピパで集まっているからって気を遣ってくれたのですよね』

 

『べ、つ、に、そうでもないけど』

 

 

 ヤレヤレ系の主人公みたいな美咲の態度は悲しいくらいに素っ気ないけれど、本当の内面は優しくて面倒見の良いとても素敵な人なのです。

 

 

『美咲、デートをしましょう』

 

『何を急にって、まさか本気で誘っているの?』

 

『勿論ですよ、ハロハピのみんなや結衣も誘ってみんなで遊びにでも行きましょうや』

 

『あのさぁ……バカ優璃』

 

 

 唐突に通話が打ち切られてしまった、もしかしてですがまだ軽く拗ねたままなのでしょうか。

 それにしても美咲は頼り甲斐のある有能な女の子でございますよ。

 仮に花女生徒会に入っても良い仕事をしてくれそうです。いつか無理矢理にでも神輿に担いで放り込むのも一興かもしれないですね、嫌がる反応も可愛いので。

 

 

「それで、誰とデートをするのかなぁ?」

 

「ふぇぇお許しをってあれれ沙綾、他のみんなは?」

 

「有咲が人の少ない秘密のスポットがあるから其処に行こうって流れになったけれど、電話に夢中だった誰かさんは私が連れて行くからって先に行ってもらったよ」

 

「ふむふむ、それはお手数をお掛けしまして」

 

「せっかくの夏の夜だし、それこそデートっぽく二人きりになりたかったし、だからね……」

 

 

 沙綾が優しく手を握ってくる、その手を握り返しながらそそくさと隣に並んだ。

 

 

「直ぐには追いつかないように、ゆっくりと歩こうね」

 

 

 思いがけない言葉に釣られて、心なしか嬉しそうな表情の沙綾を見やった。

 沙綾は普段から可愛い、けれど此方を向いて歯を見せながら笑った今の沙綾は浴衣も相まってか夏の緩やかな風がよく似合う美しさが漂う。

 浴衣美人の嫁に茫然と見惚れていると、沙綾に素知らぬ顔で素早く恋人繋ぎに握り方を変えられてしまった。

 夏の夕闇の訪れは酷く鈍足でまだまだ世界は明るく、しっかりと繋がれた手は恥ずかしさから人目が少しばかり気になってしまう。

 それでも繋いだ手を離す気にはなれない、絡めた指はまるで鉄錠のようにお互いの存在を結び付けてしまうのです。

 

 

「夏は好きなんだよね、気分が上がるっていうか大胆になれちゃう感じが」

 

「なるほど、それで先日のお泊まりは今まで以上に甘えてきたという訳ですな」

 

「ゆりが甘やかすのが悪い、ゆりは私も知らない私を引き出しちゃうから」

 

「綺麗でしたよ、やはり沙綾はわたしの嫁だなって強く思いましたね」

 

「大切にしてくれたのが凄く伝わってきて……」

 

 

 握っていた手とは反対側の手の甲を自らの唇に押し当て、沙綾は照れてしまったのか俯くように視線を外してしまった。

 このまま人波に任せて緩やかな下り坂を進めば屋台の立ち並ぶ賑やかな通りに差し掛かる、沙綾の話ではその手前の曲がり角から本流を外れて人の少ない目的地へと向かうようです。

 

 並んで歩く沙綾は宣言通りにゆっくりとお淑やかな足取り。

 その姿を眺めながら、最近のわたしは更に女性化が進んだのかもしれないと感じてしまう。

 もしも沙綾や香澄に彼氏が出来たなら、きっと今のわたしは理不尽にもその存在に嫉妬をしてしまう気がする。

 友達の恋路を心から応援する事が出来ないなんて狭量だし、格好良くありたい男としてはいかにも情けない心情かもしれない、例えそうだとしても二人を失うのは嫌だとさえ今は思い始めている。

 女性は理屈よりも感情で動くと聞きますし、この独占欲のような物は女性化が順調に進行している証左なのかもしれませんね。

 とはいえ女性化が進んだ今でも男の子には全く興味が湧かないのですが、わたしはやっぱり女の子同士の百合百合とした絡みを眺めながら平和に過ごしていたいようです。

 

 

「沙綾! ゆり! こっちこっち!」

 

 

 曲がり角で待ってくれていたらしい香澄達が、わたし達に気付いたのか陽気に手を振る姿が見えた。

 合流する為に急ぎ追いつこうとしたら、沙綾と繋いでいた手に軽い抵抗感を覚えた。

 振り返ってみれば足を止め困り顔のようにも見える複雑な表情をしている沙綾の姿、もしや何か深刻な問題でも発生してしまったのでしょうかね。

 

 

「どうかしたのですか、沙綾?」

 

「何でもないよ……行こうか、ゆり」

 

 

 再び笑顔を取り戻してくれた沙綾と手を繋いだまま歩き出す。

 

 

「大好きだよ、ゆり」

 

「知っていますよ、わたしだって大好きです」

 

「うん、私も知ってる」

 

 

 前を見据えたまま呟いた沙綾と同じく、わたしも顔を向けずに言葉を返した。

 お互いに大切な存在というのは、もう知っている。

 大切って言葉に色々な種類があるのをみんなが教えてくれた。だから全部は無理としても、せめて手の届く大切くらいは抱きしめて暖めていこうと思う。

 

 増していく景色の薄暗さと比例するように、街の賑やかさはお祭りの熱にあてられるように膨れ上がっていた。

 飽きずに手を振り続けている幼馴染みと笑顔で待っていてくれる有咲達ポピパのみんな、ちょっとばかりヤキモチ焼きな嫁もわたしにとっては失い難き大切な宝物だ。

 

 今のわたしが夢を語るなら、それはきっと小さな小さな夢。

 

〝大切なみんなと、いつまでも笑い合っていたい〟

 

 たったそれだけで、未来のわたしはきっと幸せなのです。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

「ありゃりゃ、みんなが消えている」

 

「消えた、じゃなくてわたし達が逸れてしまったのですよ!」

 

 

 両手から溢れる程に食べ物を抱えた香澄が白々しく驚いてみせる。

 再び六人で集まった後、屋台に繰り出そうと誰かさんが言い出した事での惨状にわたしも頭を抱えたい気分になった。

 ズラリと並んだ屋台通りを六人で歩いていた筈が、香澄に手を引かれ色々な屋台を駆けずり回っている内にいつの間にやら迷子になってしまったという次第です。

 

 

「ありさ達の分も買ったのに、どうしよう?」

 

「目的地は聞いたから慌てなくても大丈夫ですよ、スマホも有りますし」

 

 

 とりあえずお店で貰った袋に屋台で買った食べ物を突っ込んでいたら、香澄が腕に手を周すようにして抱きついてきた。

 

 

「もう、食べ物が落ちちゃいますよ」

 

「本当はゆりを独り占めしたくなったって言ったら、信じる?」

 

「いつも一緒に居るのにですかぁ?」

 

「もうちょっと場の雰囲気というものを勉強した方が良いと思うよ、ゆりは」

 

 

 わたしの方が身長が低いので抱き付かれた状態では歩き難く、香澄を宥めてから仲良く手を繋いで目的地まで歩く事にした。

 キョロキョロと頭を振りながら屋台に並ぶ人達を眺める香澄の瞳はキラキラと輝いている、という表現がぴったりと当て嵌まるくらいに楽しそうな姿は見ていてこちらも嬉しくなってしまうから不思議です。

 

 

「人が多いから余所見は危ないですよ」

 

「楽しそうな人を見ていると、自分も楽しい気分にならない?」

 

「ポピパの蔵練の時にそういう気分になりますね、みんな楽しそうに演奏していますから」

 

「わたしも練習を楽しそうに眺めているゆりを見るのが好き、でもあまり視線が合ってくれない時のゆりは嫌い」

 

「そんな殺生な、等しくメンバーを愛でるのがわたしの主義なのですぞ」

 

 

 繋いでいた手を離して数歩進んだ香澄が振り返り足を止めた。

 視線を上げると薄く額に汗を浮かべた香澄の顔、昼間からの残った気温のせいか頬も少しだけ紅いように感じた。

 

 

「今はゆりの瞳にわたしだけが映っている。どうしてだろう、今日だけはそうじゃなきゃ嫌だって思っちゃう」

 

「このお祭りみたいな雰囲気のせいじゃないですかね、わたしもポピパのみんなが今日は格段に綺麗だなと思えますし」

 

「ふーん、ポピパのみんななんだ」

 

「さぁさぁ香澄さん、そろそろ目的地に向かいますよぉ!」

 

 

 ジト目になった香澄の手を取って再び歩き出した。

 オカシイです褒めた筈なのに今のは完全にお尻を抓られる流れでしたよ、油断も隙もないです危なかったです。

 

 

「ふーん、みんななんだ」

 

「香澄はいつでも可愛いでしょまったく、言わせないでくださいよ」

 

「えへへもうゆりったら、別に照れなくても毎日言ってくれても良いんだよ?」

 

 

 一転して上機嫌となった香澄は相変わらず素直過ぎて心配になるレベルです。

 ここは幼馴染みの立場としてこの先も変な男に騙される事がないように、わたしがしっかりと護ってやらねばと改めて心に誓うのでした。

 

 

⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

 

 花火鑑賞の目的地は、小高い丘の上に建つ古ぼけた神社との事。

 想像するに丘の上なら見晴らしも良い筈なので人気のスポットになりそうなのに、鬱蒼とした背の高い木々が生い茂っているせいで花火を見るには全く適していないらしい。

 普段から近場のお年寄りくらいしか立ち寄らないらしく神社の周辺は静かで、人混みが苦手な有咲がオススメする秘密のお気に入りスポットのようです。

 

 神社へと向かう石造りの階段を、下駄履き姿の香澄の手を取りながらゆっくりと登る。

 無論ですが、人の少ない場所に美少女達が集うという事で周囲への警戒は抜かり無しです。不審者など当然ながらナンパ目当ての男共も許すまじ、姉さんが持たせてくれた防犯ブザーで地獄に突き落としてやりますぞ。

 

 

「脇道発見、ちょっと行ってみよう」

 

「嘘でしょ、もうすぐ始まってしまいますよ」

 

 

 階段を登っている途中で細い脇道を見付けた香澄は、わたしに同意を求める事なく強引に手を引いて堂々と道草を始めてしまった。

 野晒しの獣道という訳ではないですが、土の路面な事もあり下駄履きの香澄が足を滑らせないか気が気ではないですよ。

 

 鬱蒼とした木々の間を抜けて少し進んだ先には小さく開けた場所と、石造りの小さなベンチがひとつだけ在った。

 どうしてこんな場所にベンチがと思いつつ、座りたそうな仕草を見せている香澄の為にタオルを敷いてあげて並んで座ってみた。

 ベンチからの眺めは見晴らしは良いけれど残念ながら花火が上がる方向からはズレている、きっとそのせいでこの場所には人気が無いのでしょうね。

 

 

「此処からじゃ花火は見えないね」

 

「それ以前に、みんなの所に早く行かねばですよ」

 

 

 並んで座っているのですが、香澄が逃すまいと甘えて抱きついている体勢なのでどうしたものかと思案しております。そろそろ有咲達も心配してくる頃合いでしょうし。

 

 

「ゆりは運命って信じる?」

 

「わたしはその言葉はあまり好きではありませんな、定められたレールを歩かされているようで」

 

「わたしはひとつだけ信じているんだ」

 

 

 香澄に顔を向けると、彼女は真っ直ぐな視線をわたしの瞳へと向けていた。

 淡い星灯りに浮かび上がる香澄の顔は天女のような幻想的な美しさに見えて、見慣れている筈なのに心臓は微かに鼓動を速めてしまった。

 

 

「わたしとゆりは何があっても、例えどんなに形を変えても一瞬に居る運命だって」

 

「わたしだってずっと一緒だとは決めていますけれど、運命というには少し大袈裟では……」

 

「ねぇ、キミはどこまで覚えているのかな?」

 

「記憶なら事故より前のは失ったって知っているでしょ」

 

 

 いつもとは違う香澄の雰囲気に緊張が増す。まるで年上のお姉さんと話をしているようで、強すぎる香澄の存在に呑まれてしまいそうになる。

 

 

「わたしね、以前の優璃も大切な存在だったんだ。だから悩んでいっぱい迷った、でもね気付いたんだ」

 

 

 大きな炸裂音が響いて呑まれかけた意識が呼び戻される、どうやら花火大会が始まってしまったようです。

 

 

「例え元の存在じゃなくても、失ったものは戻らなくても」

 

 

 気が付けば目の前に香澄の顔、花火から漏れた光に照らされた瞳が不思議と星の光のように思えた。

 

 

「今のゆりも好きだなって、それ以上にわたしの事も好きになって欲しいなって」

 

 

 花火の衝撃波が無ければ、きっと自分の鼓動を誤魔化す事が出来なかったでしょう。

 

 

「てへっ、チューしちゃった」

 

「香澄の方こそ、場の雰囲気を勉強した方が良いのでは?」

 

 

 唇を離した香澄が途端にモジモジと恥ずかしがり始めた。

 いつもの香澄の姿に戻ってくれたようで安心する、先程までの妙な迫力はいったい何だったのでしょうかね。

 

 香澄が大慌てでスマホを取り出した。どうやら有咲が心配したようでアチャーと言いながら香澄はベンチから立ち上がった。

 

 

「ほらほら急がなきゃ、ゆり」

 

「あれれ、わたしが道草してたみたいな流れになっている」

 

「ポピパの間はお互いに恋人を作らない。だから幼馴染みのわたしがゆりの一番近くの存在、この席は誰にも譲らないから」

 

「香澄だって誰にも渡しませんよ」

 

 

 自然とお互いに顔を寄せ、もう一度だけお互いの存在を確かめ合う。

 再び手を繋いで元の道を戻り、階段をなるべく急いで登った。

 

 

「ゆりとの夏の思い出を作っちゃったぜ!」

 

「あの香澄さん、花火の音で掻き消されるからってあまり叫ばないで」

 

「これからは毎日チューしちゃうぜ!」

 

「思い出の価値を大切にしてくださいな!」

 

 

 遠くで花開く光を背に、大声で笑い合った。

 階段の先には、きっと心配顔の仲間達が待っている。

 怒られて、それでも笑って許してくれる素敵な仲間達が待っている。

 

 過去は失ったのかもしれないけれど、何もかも失ってしまった訳じゃない。

 階段を登った先に待っている景色が楽しみ、少なくともそう思える今の自分は青春真っ只中を走り続けているんだ。

 

 

 

 

 走り始めたばかりのキミへ、どうか素敵な星の鼓動が降り注ぎますように。

 いつか出会える夢を信じて、今を踏み出すキミを待ち続けてる。

 

 

 

 

 






完結ありがとうございました。

月白猫屋より感謝をこめて


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