藤丸立香は魔法が使えない (椎名@大体pixivにいる)
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 あ、いつものレムレムだ、これ。──藤丸立香は頬を舐める小動物の舌に既視感を覚えながら呆然と空を見上げた。というか察した。彼は慣れていた。

 擬似霊子転移──科学と魔術のごちゃ混ぜ結晶ことレイシフトを介さず、最後の記憶から全く異なる地へと強制転送される事態に。そろそろ、眠る=珍事件(イベント)の図式が恒常化しそうな勢いであった。サーヴァントの生前追憶しかり、夏冬定番聖杯の暴走しかり。

 さて、いつもの夢を介してあれやこれやのソレならば、悠長に背中で草っ原を堪能している場合ではない。胸元でふわふわの尾を揺らす小動物──リスっぽい、ネコっぽい(実は犬が一番近い)真っ白のあんちくしょうを抱いて比較的冷静に彼は背を起こした。

 

 

「パスは──ん、通ってるな」

 

 

 右手の甲に刻まれた特徴的な痣──識る者からすればこの上無い『証拠』は変わらず立香に拳を握らせた。

 三画問題なく揃っている。見慣れた形だ。令呪のパスはノウム・カルデアへと繋がっている。ならば、電力と(きずな)さえあればサーヴァントの召喚も叶うはず。

 冷静ではあったものの、一先ずの安心感を得た立香は改めて立ち上がった。トトトッとフォウが立香の肩に馴染んだ。

 原っぱだ。それから森だ。森のほうはなんだか物凄くおどろおどろしい。たぶん、近付いちゃいけないやつだ。比喩でなく文字通り命を懸けたこれまでの冒険から培った立香の危機察知能力がアッチは駄目だと警鐘を鳴らす。ならば、逆の方向──城へ向かうべきか。

 

 ──見覚えが、ある気がする。

 

 躊躇いなく歩を進めながら立香は首を傾げた。首をフォウの毛が触った。

 藤丸立香は自他共に平凡と称される人物である。普通、凡人、補欠、偶々で紛れ込んでしまった一般人。ほぼネコ。とある少女は彼を見てまったく脅威を感じないと微笑んだし、また別の少女はろくに使えない素人と見下した。事実その通りなので立香としてはどちらの少女にも反論の弁はない。

 石造りの洋式城が目前まで迫って、やっぱり知ってる気がする、と不思議そうに彼は足を止めた。繰り返すが藤丸立香はただの一般人である。秘された才能があるだとか歴史の闇に葬られた一族の末裔だとか死線が視えるだとか吸血鬼の血が混じってるだとか英雄の心臓を譲られたホムンクルスだとか、そういった後出しジャンケンは今のところ確認されていない。正義の味方を目指す崇高な精神も運命を求めるサーヴァントを骨の髄までたらし込むイケ魂も彼は持ち合わせていない。正真正銘、巻き込まれてしまっただけの通行人EとかFとかその辺りだ。強いて特殊な部分を挙げるとすれば毒への耐性がある点だが──こちらは原因が判明していないので割愛しよう。

 つまり、サーヴァント関係を除いてこのような荘厳な城に一般人の彼が縁ある筈がないのだ。──と、なるとやっぱりサーヴァントの記憶とかで見たのかな?

 

 

「どう思う? フォウくん」

 

「フォウ?」

 

 

 ふわふわのもふもふが淡い色の目をしばたたかせる。某グランドクラスの魔術師とお揃いの姿だがこちらは存分に愛らしい。あいつは──うん、時々笑顔がちょっと、かなり、イラつく。腹ペコ王だってそう言ってる。

 

 

「ま、当たって砕けろだよな。いつもそうしてきたんだし」

 

 

 ──いつも一緒の相棒が傍にいないことは、心細いけど。

 

 ほんのり感じる寂しさを己を鼓舞することで誤魔化し、立香がさて声を出そうと肺一杯まで息を吸い込んだ時──ドシンッと背中へ走った衝撃がせっかく取り入れた酸素を立香からボールみたいに吐き出させた。

 

 

「お前さん、こんな時期にホグワーツでなにしちょるんだ?」

 

「ぼはッ!?」

 

 

 振り返る。フォウが抜群のバランス感覚で立香の肩から肩へと移動する。フォウの尾でガードされていた白い眼前が空ければ、そこには人間の平均サイズを越えた大男がきょとりと立香を見下ろしていた。

 ──身長はヘラクレスくらいあるだろうか。もじゃもじゃだ。森の男ってかんじだ。たぶん、この第一印象は間違ってない。立香の否応なしに鍛え上げられた観察眼が唸る。

 そして、二度目の既視感。この男のことも──知ってる気がする。────と、いうか。

 

 

「ホグワーツ……?」

 

 

 あれ、既視感どころじゃなくなってきた気がする。それ、世界的有名な児童書に出てくる魔法使いの学校の名前じゃなかったっけ。

 改めて城を見上げる。見覚えがある筈だ。原作と呼ばれる文庫はともかく、立香とて地上波放送で何度か観たことがある。────映画、ハリー・ポッターの冒険を。その舞台だ。これは時計塔とは全く違う魔法使いの学校、ホグワーツ城だ。

 

 

「それじゃあ、あなたは──」

 

 

 次に大男を見る。立香は幾度かテレビの放送を観た程度で、シャーロック・ホームズシリーズを語らせれば本人をも柄にもなく照れさせる熱意溢れる読書家のマシュのようにはいかないけれど、それでもわかる。このひとは確か主人公サイドの人だ! 

 

 

「さては入学日を間違えたな? 今日は八月三十一日、入学式は明日だ。お前さん、ホグワーツ特急にも乗らずに来たんか?」

 

「えっと、自分は……」

 

「ええ、ええ、ホグワーツを楽しみにする気持ちはようわかる。うっかり逸っちまったんだな。──俺はハグリッド。ダンブルドア先生のはからいでここの森番をしとる。おっちょこちょいの坊主、名前は?」

 

「リツカ・フジマルです」

 

「んん? 東洋人か? ははあ、それで時間を間違えたのか。坊主、これから苦労するだろうが、まあ、俺の家にはいつだって茶の用意がある。ミルクもある。糖蜜ヌガーあたりを土産に持ってきてくれりゃあ、ファングもお前さんを歓迎しよう。ファングっつーのはアレだ。小屋の外に犬が見えるだろう。臆病だがかわいい子犬だ。たまに相手してやってくれ」

 

「子犬……?」

 

 

 どう見ても子犬にも小型犬にも見えない黒い小山が二つの視線を感じてブルッと身を震わせた。そのまま頭隠さず尻も隠さず切株の後ろへと引っ込んでしまう。臆病というのは本当らしい。

 

 

「それにしてもどうしたもんか……先生方は明日の準備のために中にいらっしゃるが、勿論お忙しい。だがお前さんをこのままっつーわけにもいかねえ。……よし、ちぃと待っとれ、リツカ。俺が話をつけてこよう」

 

「いいんですか?」

 

「おう。スネイプ先生が相手だとチビっちまいそうだが、マクゴナガル先生なら無下にはせんだろう。厳しいがおやさしい人だ。グリフィンドールに入れたら、たっぷりしごかれるといい」

 

 

 大きな手がもう一度バシンッと立香の背を叩いた。それだけで吹っ飛ばされてしまいそうだ。レオニダスブートキャンプやサーヴァント達の容赦ない訓練を経てそれなりに筋力がついたと自負していた立香にとって、それは密かにショックなことだった。……筋トレ時間、増やそう。

 正面の大門ではなくその横の扉から中へ入っていくハグリッドを見送って、周囲に誰の姿もないことを確認してから駄目元でカルデアへと通信を掛けてみる。応答はない。……もう、慣れっこだ。

 

 

「ん?」

 

 

 ──否、見慣れないものがあった。魔術礼装はそのままに、自分の腕が見慣れない形になっていた。有り体にいえば────小さくなっていた。

 

 

「んん?」

 

 

 腕を振り上げて、滑稽にも踊るように身体のあちらこちらを目に映す。小さな足、小さな指、地に下りたフォウとの距離。そしてフォウのサイズ。

 大きな城だと思った。大きすぎた。門も、人も、森林も何もかもが大きかった。なぜなら────藤丸立香こそが十一歳ほどの年齢まで縮んでいるのだから。

 

 

「えええええ━━━━!?」

 

「どうした、リツカ!?」

 

 

 立香の幼い声の絶叫に駆け込んできたハグリッドへと縋る目で訴え掛ければ、ハグリッドよりも先に立香へと鋭い注視を向ける存在があった。

 厳格そうな老魔女だ。四角縁眼鏡の奥で緑の瞳が細まる。不信感たっぷりに立香を見下ろしている。

 たぶん、ええと、確か……マクド○ルドみたいな名前の……主人公の先生の……ああもう、こういうのはオレじゃなくてマシュが得意だっていうのに!

 

 

「あなたが、リツカ・フジマルですね?」

 

「は、はい……」

 

 

 敵意はないものの老魔女に厳しく問われた立香は自然と背筋を伸ばしていた。キャスターのサーヴァントから神秘について授業を受ける時のような、ある種馴染み深い緊張感が立香をその場に立たせた。

 

 

「ついていらっしゃい。ダンブルドア校長がお待ちです」

 

「…………」

 

 

 まるで子供心そのままに不安からハグリッドを見上げてしまう。中身まで身体につられているようだ。サーヴァントのついていないマスターの、なんと心細いことか。

 ハグリッドは立香に向かって大口を開けて笑うと、いってこいと小さな子供の背中を押した。

 

 

「一日間違えたくれぇで、まあ、叱られはするかもしれんが、だーれも悪いようにはせん。寮に入ってないから減点もない! ダンブルドア先生はええ人だ。大先生だ。リツカもきっと今にダンブルドアとホグワーツが好きになる」

 

 

 うん──頷いて、笑顔のハグリッドに見送られて、魔女の後をついて歩く。魔女はミネルバ・マクゴナガルと名乗った。物凄く噛みそうな名前だ。ウォモ・ウニヴェルサーレくらい噛みそうだ。立香が数多の英雄達に失礼のないよう、横文字に慣れていなければあと三回くらい聞き直していたかもしれない。

 マクゴナガル女史がガーゴイルに向かってゴキブリゴソゴソ豆板を叫ぶ。意味は全くもってわからないしわかりたくもないが、ゴキブリの単語だけで何処と無く鳥肌が立った立香である。心做しかフォウの毛も逆立っている気がする。

 ガーゴイルが飛び退いて、奥の扉が独りでに開く。中に座するのは、老魔女よりも老いた白髭の魔法使い──ダンブルドアだ。

 

 

「ミネルバや、わしは彼と内緒話がしたいのじゃ。席を外してくれるかのう?」

 

「ダンブルドア!」

 

「見てごらん。この少年の瞳のなんと美しいことか! 風がない日の海の色じゃ。──この子は悪い子ではないよ」

 

 

 ダンブルドアの説得に、マクゴナガルが渋々退室すれば、校長室には立香とフォウとダンブルドアの二人と一匹だけが残される。否、息を殺して歴代校長の肖像画たちが聞き耳を立てていたりするのだが、それは立香には預かり知らない話だ。

 

 

「リツカ・フジマル──君達の文化に則れば、フジマル・リツカかの。ふむ、良い名じゃ。わしはアルバス・ダンブルドアという。君達ふうに言えばダンブルドア・アルバスじゃの。気軽にダンブルドアと呼んでほしい」

 

「はい、ダンブルドアさん」

 

「いいや、ダンブルドアじゃ。──わしは君と対等でありたいと望んでいる」

 

 

 主人公(ハリー)の絶対的な味方(と、立香はあやふやながらに記憶している)から好意的な笑みを寄越されて、立香は困惑した。この老人の人柄がそう(・・)なのか、ハグリッドの前置きがあったからか。

 ダンブルドアは親猫を見失った仔猫のように健気に警戒する立香へと一本の杖を差し出した。

 

 

「君の杖じゃ」

 

「え?」

 

「君へ渡すよう預かった。入学式は明日、夜に執り行われる。それまで、ハグリッドの家に泊めてもらうとよい」

 

「あ、あの、待ってください。預かったって、誰から──」

 

「君にとってより良い学校生活となれるよう、祈っておるよ」

 

 

 ふわり。立香の足が地面から10センチほど浮いて、ダンブルドアの笑顔が遠ざかっていく。そしてポイッと廊下へ放り出された立香は、咄嗟にフォウを抱き留めながら放心した。

 

 

「え──えええ……?」

 

 



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 チート、とは。近年、平均値を逸脱した能力や才能、技術を持つ人・機能に対しても使われる言葉となったが、本来は〝イカサマ〟を指す用語である。イカサマ・不正行為・ズル──そういった非難糾弾僻み恨みのこもった非常にマイナスな意味合いの単語なのである。

 それでは、ここで本来の用途通りの使用例を一つご覧いただこう。

 

 

「BB━━━━っチャンネル━━━━ッ☆」

 

「うそでしょ」

 

「嘘じゃありませーん♡ 愚図でちっぽけでお間抜けなマスターさん(センパイ)、今日も脳死周回してますかー? 人権鯖引き連れて過労死カルデア稼働中ですかー? それともイベントの為に都合良くレムレムだったりしちゃいますかー? BBちゃん、今日もセンパイの情けないしみったれた素敵なお顔が見られて感激ですっ。さあさあ、可憐で邪悪、天使の顔した悪魔、貴方に尽くすラスボス系後輩BBちゃんの救いの手にひれ伏し咽び泣いて心行くまで絶望して(よろこんで)くださいね。セ・ン・パ・イ」

 

「フォーゥ……」

 

 

 うんともすんとも言わなかった端末が唐突に点滅したかと思えばコレである。ハグリッドが外に出ていてよかった。もしもこの現場を目撃されたならば、とてもじゃないがこんな邪悪な存在を、画面の向こうの妖精さんだから気にしないで、とは誤魔化せなかっただろう。室内──ハグリッドの小屋の中でくつろいでいた臆病な番犬ファングは、可哀想にBBの声に驚いて小屋を飛び出していってしまったが。

 BB──月の癌(ムーンキャンサー)をクラスに与る彼女は、サーヴァントであり違法上級AIだ。保健委員だったり運営係り(ゲームマスター)だったり後輩だったりラスボスだったり最後の最後には愛を知るただ一人の女の子だったりもするが、ともかくBBといえばバグった常識外プログラム──つまりは、世界の制約にも聖杯戦争にも全力で喧嘩を売ることの出来る反則(チート)そのものなのだ。そのBBが出てきた──この事実は、立香の気を非常に重くさせた。

 だってBBちゃん案件とか、ソレ、プチッ☆で世界が滅ぶやつばかりじゃないですかー。

 

 

「それがなんと今回はそうでもないのです。ぶっちゃけこの特異点は放置したって問題ありません。聖杯を持つ『その人』が満足すれば円満解決、あなたも世界もハッピー! な、超・低難易度(イージーモード)。──ですが、それじゃあつまらないのでこうして健気なBBちゃんが蜜のように甘く怠惰な〝祈り〟を引っ掻き回しに来てあげました♡」

 

「BBちゃんらしい」

 

「フォフォウ」

 

 

 呆れ返る立香に合わせて、フォウが愛らしい肉球で液晶画面を叩く。中からは「ああんっ、(ビースト)の愛は激しすぎて許容範囲外ですぅ」なんて艶やかな悲鳴が上がっている。

 

 

「それで、なにをどうズルする気なんだ? BB」

 

 

 悪戯するフォウを捕え改めて立香がアブノーマルになり掛けている画面を覗き込むと、BBはそれまでの煮詰めすぎて焦がしたジャムのような笑顔を掻き消し無機質にマスターを見詰めた。

 

 

「まず、端末とカルデアの回線を繋ぎます。幸いここは魔法使いの為の世界で国で土地。程好く魔力(マナ)が満ち、魔法界すべてが霊脈のようなものです。ですが、普段、座標(ポインター)を担うマシュさんは今ここにはいない。例のトランクもない。──となれば、この世界でのセンパイはマスターのくせにサーヴァントを一騎も召喚できないとんだ無能に成り下がっちゃいます。お荷物より酷いゴミです。な・の・で、わたしがちょーっと聖杯側にルールを寄せてセンパイ一人でも召喚が可能になるよう弄ってあげます。本気の本気で特例ですから、この一回きりと心得てください。さすがのBBちゃんも、自分の管轄でない世界までは滅茶苦茶にできないというか……霊基を保てないというか…………センパイ?」

 

「……あのさ、BB」

 

「なんです? その、褒美でもないのに普段より上ランクの餌を与えられて困惑する豚みたいな顔は」

 

「罵倒語彙が安定のBBで安心する……じゃなくて、ソレ、オレに得なことしかなくないか? 施しはするけどそこに毒を混ぜるのがBBだろ? でも、それだと──」

 

 

 ──ふ。ふふふ。うふふふふふ。室内に不気味な笑い声が響く。発生源は端末の中の少女一人きりだというのに、ゾッと温度が零に熔けていく。

 

 

「ああ──本当に愚かで可愛いマスターさん。施し? ええ、その通り。これは救いです。毒をたっぷりまぶした痛くて苦しいお薬です。だって、見ないほうが、知らないほうが──きっとしあわせなのにね?」

 

「────」

 

「地獄に垂らされた蜘蛛の糸。それに縋って、しゃぶりついて、蹴落として──そしてプツンと切れてしまったなら、きっと蜘蛛の糸の上を目指したアナタはこう思う筈です。────ああ、そんなもの初めからなければよかった(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

「BB」

 

「思う存分、苦しんでくださいね? ニンゲン(センパイ)。それが、アナタ達が『生きる』ってことでしょう?」

 

 

 残酷な管理AIの顔で微笑むBBに、立香はゆるりと頷く。

 

 

「うん──BBは人類の味方だもんな」

 

「…………」

 

「君は人間に造られたAIだから。人間を愛してるし、管理するのも、導くのも、そこに理由は要らない──だろ?」

 

 

 立香の迷い一つない断言が沈黙するBBの中へと深く染み込む。ウイルスみたいだ──BBこそがハッキングウイルスそのものだというのに、そのBBをして懐に入り込むもの(ウイルス)と思わせる立香の在り方は果たして『普通』といえるのか──────なーんて、おおっと、この件はまだネタバレしてはいけないのでした。BBちゃん、失敗失敗☆

 

 

「センパイってほんと──わたしの先輩の足首元にも及びませんが、ま、爪の先程度には及んでるカモですね。ええ、ほーんと、センパイみたいなニンゲン、大嫌いです♡ それでは、現在進行形で無能のカルデアマスターさん、次回のBBチャンネルをお楽しみにー!」

 

 

 プツン。画面が再び稼働を停止する。うんともすんとも言わない端末に逆戻りだ。無能のお揃いだ。

 

 

「フォウゥゥ」

 

「フォウくん、威嚇してもたぶんBBは聞いてないから」

 

 

 液晶画面に爪を立てるフォウを抱き上げ端末をポケットへとしまい込んだところで、丁度よくハグリッドが仕事を終えて戻ってきた。なんでも、明日迎える新入生の為のボートの調整を請け負っていたらしい。

 ボート……? ボートで入学とかいう謎極まる説明に一瞬立香の背景に宇宙が広がったが、それはそれ。全ては明日わかることだ。

 

 

「今年のホグワーツはことさらおもしれぇぞ。なんたって〝生き残った男の子〟──ハリー・ポッターが入学する! 俺ァ、この時をハリーが小せえ頃から楽しみにしとったんだ。ええ? あの悲劇の家から赤ん坊のハリーを救い出したのは俺だ。母親の傍で泣いとったあのこが……マグルのやつらめ、あのこにろくに飯も食わせんかった」

 

「…………」

 

「フォウフォウ! フォキュッ」

 

「ん? ああ、そうだな、俺たちも飯にしよう。ところでお前さんはなにを食うんだ? というかお前さんはなんだ? ネコか?」

 

「フォゥン……」

 

 

 ハグリッドがフォウを連れて台所へと立つ。それにファングがフォウのことを泥棒猫! とでも言いたげな目で見ながらさらについている。

 居間に残された立香はひとり、時間をかけて両手を頭へと持ち上げると、背を丸めて、虚ろな目で己の小さくなった膝小僧を見詰めた。

 

 

 ああ────主人公(ハリー・ポッター)入学と同じ年なのね、これ。

 

 

 翌日、新品ぴかぴかの黒ローブを着込んだ幼い少年少女に紛れてボートへと乗り込む立香の姿があった。──否、紛れてはいなかった。大いに目立っていた。

 一つに、東洋人であるということ。見渡す限りに立香と同じ日本人の姿はない。立香の容姿そのものは青い目から分かる通り純日本人ではないものの、堀の深さが違う。顔面に不躾な子供達の視線が刺さる。

 そしてもう一つに──ホグワーツの制服が間に合わなかったのだ。当然といえば当然だ。今の立香は保護者なし、バックアップなし、身分を証明するものなし、そして一文無しだ。ローブとか買えるわけがない。結果、勝手に身体に合わせて縮んだ極地用カルデア制服のままである。

 目立つ。それは目立つ。特に同乗した金髪オールバックボーイの顔が色々と気にくわない。

 

 

「君、家名はなんというんだい? 極東にも魔法学校が存在するそうだけど、それをわざわざ蹴ってこのホグワーツへ入学するんだ。さぞ、見識あるご両親なんだろうねえ。ちなみに僕はドラコ・マルフォイ。マルフォイ家のことは、もちろん、ご存知だろうね?」

 

「…………あー、うん」

 

「そうだろう、そうだろう! 父上の名と我が一族の威光は極東にだって馳せるのさ」

 

 

 異国にまで家名が渡っていると知って鼻高々な金髪少年には悪いが、立香がマルフォイを知っていると肯定した真意はこれだ。──主人公(ハリー・ポッター)を苛める悪役(ヒール)のマルフォイだからだ。大抵が空回り最終的にしっぺ返しを食らう児童書らしい噛ませ犬のキャラクターだが、実際に対応するとなると鬱陶しい事この上無い。嫌味なお坊っちゃんのテンプレートである。これが、精神年齢が成人近くかつ千万無量の英霊を相手取る度量の立香でなければ、きっと怒りに船を引っくり返していたことだろう。

 前日に見上げた大門が新入生を迎えるため、厳かに開く。マクゴナガルから寮の特性や加点システム等の説明を受ける。横に並ぶ男の子がそわそわしている。寝癖──じゃなくて癖毛か。それを直そうと必死だ。あとは眼鏡レンズの指紋を拭おうとして────あ。

 

 

「寮を決めるには試験があるんだ。フレッドが言ってた。ん、でも、ハリーなら大丈夫だよ。当然、グリフィンドールだ!」

 

「どこだっていいよ。僕なんかが入れるところがあるなら、どこだって……スリザリン以外なら」

 

「君はグリフィンドールだよ! そして僕もグリフィンドールだ。我が家はみんなグリフィンドールなんだ」

 

「そうなんだ……うん、君と同じ寮なら心強いね、ロン」

 

 

 主 人 公(ハリー・ポッター) だ。早速ハリー・ポッター少年のお出ましだ。ドキドキと立香の心臓が騒ぎ出す。だって、まだ、決めてない────特異点修復のため『彼』と関わるべきなのか、立香にはわからない。

 だというのに。

 

 

「ね、君もそう思うだろ? 最高の寮はグリフィンドールだって! きっと君もグリフィンドールだよ」

 

「え!? あ、そ、そうだね……?」

 

 

 ハリーの隣を陣取っていたノッポの少年から詰め寄られ、立香は冷や汗を流した。ハリー・ポッター作品に関わるものは映画しか触れてこなかった立香だが、それでもわかる。この少年も主要人物(レギュラー)だ。

 

 

「ハッ! さすが、グリフィンドールのウィーズリーはまことにグリフィンドールらしい(・・・・・・・・・・・)。お似合いだよ、君たち。まとめて、どうぞ、グリフィンドールへ。我等がスリザリンには決してその獣じみた目を向けないでくれたまえ」

 

「あなたたち、さっきからうるさいわ。寮を決めるのはわたしたちじゃなくて先生方よ。今、わたしたちがやるべきことは試験に向けてどんな魔法を使うか考えること。ぜったいに受からなくちゃ」

 

 

 今度は逆隣から、そして最後に後ろから女の子の声が立香を囲む。囲まれている。ろくにストーリーを知らない立香ですら覚えのある子達に囲まれている。

 彼が、彼女が、異物の子供を捉える。

 

 

「ねえ、あなた」

 

「なあ、君」

 

「あのさ、よかったら……」

 

 

「「「名前は?」」」

 

 

「………………リツカ・フジマルです……」

 

 

 運命力って、こういうことですか。エミヤ先輩。

(全く違うぞと何処かで苦笑された気がした)

 



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 かの有名な組分け帽子を手に立香はしくしくと己の胃が泣くのを感じていた。大広間にある全ての視線が立香の背へと集結しているのだ。なぜならば、急遽飛び込みの立香こそが最後に組分ける新入生だからだ。

 異国の子供で、制服すら着ていなくて、名前にも聞き覚えがない。藤丸立香はおそらく本日この場でハリー・ポッターの次に子供達の興味の的だった。

 椅子に座り、継ぎ接ぎだらけの魔法の帽子を被る。

 

 

「ふむ、ふぅむ……君はずいぶんと複雑な事情が絡むようだね」

 

「たぶん……はい、そうだと思います」

 

「勇気がある。優しさもある。とても愛されている。これほどの加護は愛に他ならない。あと、ほんのちょっとの呪いもある。──うむ、ならば、君にはこの寮が相応しかろう」

 

 

 そして組分け帽子は告げる。────ハッフルパフと。

 

 

「えっ」

 

「え!?」

 

「あれ?」

 

 

 グリフィンドール席に座るハリーのきょとんとした顔。その隣のロンの絶句。残念そうなハーマイオニー。鼻で嗤うマルフォイ。

 千差万別の反応の中、誰よりも信じられないと叫び出したいのは立香だ。ここまできたら、当然主人公(ハリー)と同じ寮だと思っていたのに──

 

 あ、あれ━━━━!!?

 

 放心状態のまま、ハッフルパフの監督生に連れられ寮へと案内される。幸運なことに、人数の関係から一人部屋を宛がわれた立香は、早速電源オフ状態の通信機を取り出した。

 考えることがいっぱいだ。疲れたし、今すぐにだって寝たい。ベッドへ逃げてしまいたい。目をつむって、明日の自分に全てを任せて、今日の自分を放棄したい。

 でも、それじゃあ駄目なんだ。きっと、みんな、がんばってるから。

 記憶を絞り出す。通信機を媒介に、有事の為にとキャスターサーヴァントから何度も叩き込まれた魔法陣を床に描く。

 

 

 

 ──素に、銀と鉄

 

 礎に石と契約の大公

 

 祖に我が大師────

 

 

 

「────ソロモン」

 

 

 

 降り立つ風には壁を

 

 四方の門は閉じ 王冠より出で 王国に至る三叉路は循環せよ

 

 閉じよ(みたせ)──閉じよ(みたせ)──閉じよ(みたせ)──閉じよ(みたせ)──閉じよ(みたせ)

 

 繰り返すつどに五度 ただ満たされる刻を破却する

 

 

 ──告げる

 

 

 汝の身は我が下に

 

 我が命運は汝の剣に

 

 聖杯の寄るべに従い

 

 この意この理に従うならば、応えよ

 

 

「誓いを此処に」

 

 

 我は常世総ての善と成る者 我は常世総ての悪を敷く者

 

 汝、三大の言霊を纏う七天

 

 抑止の輪より来たれ 天秤の守り手よ──────!

 

 

 

 

 陣が煌々と輝く。とうに下りた夜の帳を裂いて風が吹き荒れる。魔力が令呪を通して渦巻いていく。──そして。

 

 

 

 

 

「サーヴァント、キャスター。名をマーリン。人呼んで花の魔術師さ。気さくにマーリンさんと呼んでくれ。堅苦しいのは苦手なんだ」

 

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 花の香りが。鮮やかな白が。柔らかな花弁が。よく知る魔力が──満ちる。

 

 そして、立香は漸く出逢えたサーヴァントに向かって、堪らず声をあげた。

 

 

 

 

 

「────チェンジで!!!!」

 

 

「どうしてだい!? マイロード!?」

 

 



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藤丸立香は友達ができない

 

「────せ──せ、せ、せ、」

 

 

 画面いっぱいに広がる銀河の写し染みたアメジストへと立香は慣れた笑みを浮かべた。相手を安心させる為の笑みだ。相手に信頼を示す笑みだ。それに、画面の向こうの少女、マシュ・キリエライトはさらに瞳の中の星々を煌めかせた。

 

 

「せんぱ、せんぱい、マスター、そのお姿は──」

 

「ん、よくわかんないけど──オレにもよくわかんないことになってて」

 

「これはこれは……カースピタ! もしかして私達、今、お揃いかな? 立香くん」

 

「そうかもだ。ねえ、オレとダヴィンチちゃん、どっちのほうが年上に見える? マシュ。…………マシュ?」

 

「あわ──あわ、わ、わ、わ、わわわ────マスター、とっても可愛らしいです!!!」

 

「わー」

 

 

 通信越しに目一杯腹一杯叩き込まれた後輩の心からの賛辞に、立香の背後で薄っぺらに笑いながら控えていたマーリンが杖を振った。詠唱はない。なんたって、呪文は噛むからね。

 室内の空気が閉じたのを肌で感じ取った立香は、防音とかの効果かなと素人ながらにマーリンが施した魔術への当たりをつけながら振り返る。その先を何気なく追ったマシュの瞳がますます開く。

 

 

「えっ──待、待ってください。もしや、そちらにいらっしゃるのは──マーリンさんですか?」

 

「なにぃ!? マーリンだとう!?」

 

「うそ! 君がマーリンなの!?」

 

 

 ズズィッと画面に増えた顔々に苦笑する。シオンに、ゴルドルフ新所長に、ホームズ。それからムニエル。最早家族にも等しい絆と想いを、立香は彼等に重ねている。

 

 

「初めまして、と言うべき人が何人かいるようだ。その通り、みんな大好きマーリンお兄さんだとも。気軽にマーリンさんと、」

 

「ほ、ほほほ本当かね!? ダヴィンチ技術顧問、今すぐあのおちゃらけた男を解析するのだ!」

 

「──あ、うん。ほんとだ。前の私が残した霊基情報と一致する。そこにいるのは正真正銘、アヴァロンに幽閉の身……の筈のマーリンだよ。立香くんとの契約も正確に成されてる。──えっ、それって可能なの? 君、うっかり死んじゃったりした?」

 

 

 パーフェクトに愛らしい微笑みの少女が澄んだ青い瞳でマーリンを覗き込む。それにマーリンは飄々と「まさか! 今も元気に長寿のマーリンさんだとも」なんて答えている。うーん、空気がぐだぐだしてきたぞう。

 

 

「ふむ──第一に、霊基グラフもミス・キリエライトの盾も無く英霊召喚(仮)が叶ったのは何故かな。見たところ、座標(ポインター)の設置にも問題はないようだ」

 

 

 液晶伝達からホログラムに切り替わり、ミニチュアホームズが立香の眼前へと進み出る。明かす人の眼差しは新たな謎を前にして顕著に好奇心を見せていた。ホームズらしい。彼の頭脳は立香にとっての安心材料その二だ。その一は勿論カルデアメンバー達そのものだ。

 

 

「あ、それに関してはBBが──」

 

 

 ふむ、ふむ──立香のこれまでの経緯を聞いて軽く頷いた探偵は三本の指を立てた。

 

 

「成る程、実に興味深い」

 

 

 内の二本が握られて、一本目。

 

 

「ここまでに露となった疑問点の幾つかを挙げていくとしよう。一つに──『時間』だ」

 

 

 探偵が振り返る。困惑したマシュのホログラムが追加される。

 

 

「ミス・キリエライト。ひとつ伺いたいのだが──ミスター藤丸が就寝、いや、仮眠に就いたのはどれくらい前のことかな」

 

「は、はい。日課のトレーニングを終えた先輩は地下ライブラリを経由し、そこで絵本を呼んでいたアビーさんやジャックさんと共に夕食を済まされました。それから真っ直ぐ自室へ……現在時刻から三十二分前に先輩のお部屋は消灯しています。食堂から部屋の前までご一緒したので間違いないかと」

 

「そしてミスター藤丸は非常に寝付きがいい。何分かのラグはあるにしろ、おそよ三十分前には君は確実に睡眠へと入っている」

 

「はい。ですから、驚きました。眠っている筈の先輩から突然通信が入って──そんな可愛らしいお姿に! 先輩、ぜひ、ぜひ、お写真を! その為ならばマシュ・キリエライト、ゲオルギウスさんや刑部姫さんからカメラをお借りすることもやぶさかでなく!」

 

「はーい、気持ちはわかるけど溢れるパッションは抑えてね、マシュ。今シリアスターンだからね」

 

 

 ホームズを押し退ける勢いだったマシュをダヴィンチが小さな体でどうどうなんて宥めている。見慣れたあべこべな姿に思わず吹き出してしまう。相変わらず愉快なカルデアメンバー達に立香の心がほぐされていく。

 

 

「……コホン。ミス・キリエライトの願望については後程、当人だけで好きなだけ話し合ってくれたまえ。話を戻そう。つまり、ミスター藤丸、君が現在置かれている状況、現場とこちらの時間はずれている。流れそのものがだ。そちらで君は覚醒後一日が経過したと言ったが、こちらでは一時間も経っていない。この『ズレ』は看過できるものではない」

 

 

 次に。ホームズから二本目の指が上がった。

 

 

「藤丸君のその姿だが──これに関しては亜種特異点……今となっては異聞帯実験の基とされたと推測できる下総国の件からこのように仮定できる。下総国の人物に無意識に自身の知るサーヴァントの姿を当て嵌めた事例を、今回は自分自身に当てたのではないかな」

 

「…………」

 

「何故、周囲でなく自分を『夢』の世界に適応させたのか──それは、君がその世界の人物の姿を〝知って〟いたからだ。ハリー・ポッターシリーズといったかな。君はあやふやとはいえ映像媒体で彼等を記憶していた。全く知らないものでなかったから君に都合のいい代替え変換ができなかった。──自分こそを世界にふさわしいものとした。……この辺りは、君自身の意思ではないのかもしれないけどね(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 三本目。ホームズの饒舌は止まらない。この探偵、最高にイキイキしている。やたらめったら顔がいいのがなおさらムカつくところである。

 

 

「最重要問題事項の、本来ならば召喚できる筈がない生者マーリンをサーヴァントとして召喚できた件についてだが──」

 

 

 あっ。うわ。うげ。各々差はあれど、一様にホームズを見て面々が顔をしかめた。ホームズはそれはそれは涼やかな笑みを浮かべていた。

 

 

「──今は、語る時ではない」

 

「ちょっとどうなってるのかね、おたくの経営顧問ー! いつもそれじゃないの君ィ!」

 

「まあまあ、落ち着いてゴルドルフくん。ホームズのこれは本人にもどうにもできないものらしいから。……絶対に性格の問題もあるけどね」

 

 

 いい笑顔のホームズを押し退けて次にダヴィンチが進み出る。今や立香自身も少女体たるダヴィンチと同じ肉体年齢まで縮んでいるわけだが、それでもかわいいなあ、とほっこりしてしまう。若干の現実逃避である。

 

 

「えっとね、ホームズが楽しんでる間にこちらでも軽く調べてみたんだけど、BBが言った通りその夢の世界──いや本の世界? んー、仮称『二次世界』にしようか。そこは確かに微小特異点だ。聖杯の気配もある。けれど、どこが〝特異な点〟なのかはわからない。それは、これまで通り立香くん自身に今からその身をもって調べてもらなくちゃいけない────の、だけど」

 

 

 おや。歯切れの悪いダヴィンチの様子に立香が小首を傾げれば、ダヴィンチも合わせてコテリと首を倒した。かわいい。立香の心に合わせるように、後ろに控えていたムニエルがサムズアップした。マシュとシオンが物凄い目でムニエルを見ていた。

 

 

「──問題、ないっぽいんだよねえ。本当に」

 

「どういうことですか? ダヴィンチちゃん」

 

「うん。だからさ──解決しなくても問題ない(・・・・・・・・・・・)んだ。こちらに影響はない」

 

「…………」

 

「聖杯がある限り、回収できれば良いリソースになるのは間違いないけどね。たぶんだけど、立香くんにとっての命の危機とかも早々なさそうだ」

 

「…………つまり」

 

「そう。それ──いつものイベント時空だ」

 

 

 にぱっ。世界最高峰の微笑み(少女バージョン)が炸裂した。立香の青い眼差しがどことなく遠くなった。コラボかぁ……。

 

 

「どうする? 立香くんが望むなら今すぐにでも君の意識をサルベージすることもできるけど。それとも、休暇気分でちょっとした不思議な世界を体験しちゃう? なんたって、そちらには魔法が当たり前のように存在するらしいし?」

 

「はい! ハリー・ポッターシリーズはダラム大学で学問として学ばれるほど世界的ベストセラーを誇った作品です。近代ファンタジーの基礎を作り上げたといっても過言ではない……いえ、基礎といえば指輪物語やナルニア国シリーズなど名だたる名作が揃い踏みで枚挙に暇がありませんが、社会現象を起こすほど多大なる、」

 

「うんうん、マシュは勤勉だねえ。これは、立香くんのサポートはマシュ一人だけで事足りるかもだ。無論、存在証明のモニターは絶えず皆でするけどね。……で、どうする? 時間に関してもこちらにほぼ影響しないとなると、本当に君次第ということになるんだよ、立香くん。あんまり長居されても〝中身〟とのズレの修復が困難になるから、私としてはある程度のところで戻ってきてほしいのだけど。こちらでは三日しか経ってないのに、そちらは三年経ちましたーなんて、君の精神が軋みかねない」

 

 

 立香は悩んだ。自分がこの世界に喚ばれたことが全くの偶然で、そして全く無意味だとは思わない。そこまで、立香は自分を過小評価できない。必ずなんらかの意図がある──そうでなければ、マーリンが召喚に応じることも、BBが語りかけてくることもなかった筈だ。聖杯の行方だって、悪用されないとは断言できない。

 

 



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「……マシュは、どう思う?」

 

 

 そっと、囁くような声で一等信頼している後輩へと委ねた。立香のただ一人だけの正式サーヴァントは、ハッと銀河の瞳を開くとおそるおそると答えた。

 

 

「わたしは──はい、先輩が少しでも心休まる時間を作れるなら、ダヴィンチちゃんのおっしゃる通り休暇気分で──というのは不謹慎かもしれませんが、こちらで先輩を見守りたいと思います。モニターの心得は習得済みですので!」

 

 

 フンスッ! 拳を作り奮起する小動物じみた少女に、立香はなおも続けた。

 

 

「……さびしくない?」

 

「────」

 

 

 大人を前にした少年少女の間に、言葉にならない沈黙が落ちた。マシュの拳は萎れるように下がっていた。

 

 

「……さびしいです。さびしいので──なので、こうして、お話ししてください。その日あったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、気になったこと、なんだっていいのです。先輩の声で、先輩の言葉で、思い出を共有させてください」

 

「マシュ……」

 

 

 しんみりと、そしてどことなく熱っぽく、立香とマシュが見つめ合う。彼等の間には次元だとか概念だとか世界線だとかそんな無粋な壁が無数にあるというのに、何ものの妨害も許さずブルーとアメジストが結び合う。

 

 

「そりゃあ、マシュはさびしいよね。勿論、私だって寂しい! ホームズもそう言うよ」

 

「いや、私は特には。我々はミスター藤丸の存在証明に尽力するのだから、むしろ現場調査員の君こそがその目その足で存分に謎を収集して──」

 

「はい、シオン。空気の読めない男は没収しちゃって」

 

 

 ホログラムから見切れていくホームズの無情な姿に、ブハッと立香が吹き出した。つられて、マシュもクスクスと笑った。湿っぽい空気はすっかり拡散していた。

 

 

「よーし、じゃあ、こうしよう!」

 

 

 マシュの腰辺りから頭を突き出したダヴィンチが麗しい微笑みで手を叩く。びっくりするほどかわいい。そしてあざとい。

 

 

「実はさっきから試してたんだけど、どうやら君の『夢』に現実の我々が直接的な念話で介入するのは不可能みたいだ。だから、立香くんには日中は平凡な学生を徹底してもらって、夜、この部屋でその日の報告会を開くとしよう。これを日課に制定する! 二次世界(そちら)では寝る前の一言感覚だろうけど、先ほどの例から現実(こちら)では約一時間毎に立香くんの安否を確認できるという寸法さ。どう?」

 

「実に合理的だと思います!」

 

「さっすがダヴィンチちゃん、天才!」

 

「そうでしょうそうでしょう、小さくてもとっても頼れるダヴィンチちゃんでしょう! もっと褒めてくれてもいいんだよ?」

 

「最高! かわいい! 天使!」

 

「膝枕されたい! キャプテンもできれば一緒に!」

 

「ムニエルさん、それはセクハラです。組織内の風紀が乱れるので倫理的によろしくないかと」

 

「アッハイ……」

 

 

 至って真面目なマシュの釘指しに呆気なく撃沈したムニエルはともかく、満足げに胸を張ったダヴィンチは、それから幼い顔立ちを大人っぽくまとめると本題とばかりに続けた。

 

 

「──と、まあ。そんなわけで召喚陣があるこの部屋──魔術師らしく魔術工房と呼ぼうか。マーリンが陣地作成した工房(ラボ)以外では、我々カルデアが君のサポートに回るのは実質不可能と思っておいてほしい。ここから一歩でも越えれば、君が頼れるのは何故か契約が完了しているそこのロクデナシのみだ。その辺り、念頭に置いて慎重に動いてね。命の危険はないにしても」

 

 

 見た目ばかりおしゃまに加えて、世界が誇る微笑みの少女はちょこまかとホログラムから消えていく。準備だ調達だと楽しげな声が聞こえてくるので、彼女なりの仕事に戻ったのだろう。

 再び、立香とマシュのみが立体映像に残される。

 

 

「えっと……あの、先輩。ところでこれは、端末からの通信──なのですよね? そしてそちらは既にホグワーツ城内……」

 

「うん、そうだけど……なにか気になることがあるの?」

 

「あ、はい。その……ハリー・ポッターシリーズの設定によると、魔法界では電子器具の類いは使用できなくなる筈なんです」

 

 

 そうなのか、と頷く。そして思い至る。だからBBはこちらの都合での召喚は無理と言い切ったのだ。聖杯によるフェイトシステムそのものを立香(マスター)の存在から手繰り寄せられても、仮に立香がマシュの円卓の盾や霊基グラフを手にしていたとしても──つまり、電力が足りない。そこを弄ったのが反則技(BB)という訳である。

 

 

「しかし、可能なもの──なのでしょうか? いくらBBさんとはいえ、BBさんが管轄する世界でないものに干渉というのは……」

 

「──少なくとも、そちらは下総国のような並行世界ではない。運営そのものは不可能でも、こちらの法則(ルール)に寄せた上での反則(チート)くらいならば彼女の違法性でどうにでもなるのだろう」

 

 

 答えたのはホームズだ。早速、立香のバイタルを表示したモニターを確認しながら、片手間のようにマシュの疑問をその頭脳をもって明かす。

 

 

こちらにルールを寄せた(・・・・・・・・・・・)──その行為こそが、彼女の言うたった一度の特別に当てはまるわけだ。以上のことはいくら管理のためのAIとてできまいよ」

 

「つまり、世界干渉ではあれど魔法の域にはないってことか?」

 

「無論だ、ミスター・ムニエル。並行世界の観測自体は可能なのだ。並行世界に影響を及ぼす、並行世界の運営をする──これこそが魔法だ。そちらはあくまでも、ミスター藤丸にとって、ミスター藤丸の夢という名の────『二次世界』だからね」

 

 

 ……ううん、ややこしい。魔術理論の組み立ても優秀なマシュは難なく探偵の言葉を呑み込んだようだが、元一般人(本人としては今でも変わらず一般人のつもり)の立香はさらに頭を悩ませる羽目になった。……とにかく、小悪魔な元祖ラスボス系後輩はやっぱり小悪魔、てことでいいかな。

 

 

「よーし、よーし、準備バッチリ。さすが天才、目視だけでスリーサイズの特定とか、このダヴィンチちゃんには朝飯前なのさ。……ほら、オリジナルがデッサンで散々磨いてきた分野だし」

 

「…………所長たるこの私の許可なく勝手にレイシフトコフィンを開いて、一体なにをしているのかね? ダヴィンチ技術顧問」

 

「うん? そりゃあ、勿論──────物資提供」

 

「「物資提供?」」

 

 

 工房に引っ込んでいた筈の小さな妖精がなにやら荷物を抱えて戻ってきた。それは衣服だった。今の立香の体型までリサイズされたカルデア戦闘服と魔術協会制服だ。ヒュン──とコフィンが起動を伝える。転送が始まる。

 

 

「だって、そちらは学校なんだろう? 制服っぽいものが必要かなって。BBのおかげで礼装を用いればガンドも撃てるだろうし。現に翻訳スクロールは今も問題なく機能してるようだからね。サーヴァントがついてるとはいえ、一応の護身用だ。表向きは魔術協会制服、下に戦闘服を着込んでおくといい。まだ時間の『ズレ』について正確な数字が取れてないから何時そちらに届くかはわからないけど──立香くんが起きた頃くらいに届けばいいけど」

 

「ダヴィンチちゃん……!」

 

 

 実に実に気の利く愛らしいサポーターである。ガンドといえば令呪を除いて立香が唯一使える魔術──ぽい攻撃手段だし、なんといっても魔術協会制服のデザインがかなりそれっぽい(・・・・・)のだ。これで、なくなく極地用カルデア制服で挑んだ昨日今日よりも生徒の一人として世界観に馴染めそうだ。

 子供達の余所者を見る無遠慮な目付きを思い出しながら立香が一人胸を撫で下ろしていると、散歩から戻ってきたフォウが机の上の時計を脚でテシリと叩いて鳴いた。短針は零時を回ろうとしていた。

 

 

「おっと、子供が夜更かしはいけないなあ! 初授業に遅刻しちゃうぞう」

 

「そうだね。ダヴィンチちゃんももう寝ないと背が伸びないし」

 

「はい! 先輩もダヴィンチちゃんもゆっくり就寝なさってください。未発達の肉体に睡眠不足は大敵です。美容の敵でもあるとメイヴさんもよくおっしゃっていました」

 

 

 マシュのお姉さんじみた締めくくりを最後に、各々笑顔で挨拶を交わして通信は切れる。小さな姿でもマシュの信じる『先輩』のままであった立香を思い返して、マシュはこぼれるように笑う。──やっぱり、先輩の傍にいられないのは、少しさびしいです。

 そんなマシュの肩を慰めに撫でたダヴィンチは、しかしどことなく緊張感を孕ませてホームズへと青い目を向けた。

 

 

「さて、立香くんに届かないうちに私達は私達でやれることをやらなくちゃ。────マーリン、どう思う?」

 

 

 立香は気付いていなかったが(もしくは気付かないよう張本人に意識を阻害されていたか、だ)立香の現状況における仮サーヴァント、マーリンは報告会の途中で離脱していた。しかしそこはマーリン──現在を見通す千里眼持ちだ。確実に立香とカルデアの会話を〝視〟ていただろう。それがマーリンだ。

 ならば、何故彼はサーヴァントでありながらわざわざマスターの側を離れたのか────カルデア側に探られたくない何かが彼自身にあったからだ。

 ダヴィンチが立香に護身用にとほのめかした対象は、なにも二次世界の人間だけに留まらないのだ。

 

 

「先輩は、大丈夫……ですよね? だって、危険は……」

 

「今のところはね。それに、もしも緊急の事態になったとしても私達には彼を二次世界から即座に引き上げる用意がある」

 

「ああ、ダヴィンチの言う通りだ。その為のモニターだ。……それを台無しにするのもまた彼だが」

 

「それでこそ立香くんさ。ところでそれって、私は知らないけどオリジナルが私に記憶処理した新宿幻霊事件のこと?」

 

 

 懐かしいとムニエルが笑い、ほぼ現代の事件じゃないかとゴルドルフが顔を蒼くする。当事者のホームズは涼しい顔だ。

 マシュは大人達の雑談を背に、立香の姿を映さなくなった液晶画面をぼんやりと眺めて隠れるように息をついた。

 

 

「マシュ、君も休まないと」

 

 

 すかさずマシュを気遣うのはダヴィンチだ。ノウム・カルデア組織のマスコット的存在でありながらマシュの姉のような位置付けでもある少女は、この機会に思う存分心を休めてほしいと分断されてしまった少年少女を想う。

 かつてのレオナルド・ダ・ヴィンチ──現、少女体のダヴィンチがオリジナルと呼ぶ彼は、マシュや立香の家族でありながら教師の役割も担っていた。ともすれば、場合によってはメンタルケアよりも有事への対処を立香達に優先させた。命も命運も未来もたった一人の肩に伸しかかった戦いだったのだ。大人らしく、先人らしく、そして天才らしく彼は時として心を鬼にした。

 けれども、彼から造られたスペアタイプのダヴィンチ──グラン・カヴァッロには、先人の達観も大人の傲慢さもない。彼女は純粋に家族として立香とマシュを慮っている。──どうあっても戦場から逃れられない子供達を想う。

 

 どうか、その心が錆び付いてしまう前に。鉄心となる前に──少年少女に救いを。ほんの少しの安らぎを。どうか──どうか──

 

 

「ダヴィンチちゃん……」

 

「立香くんが帰ってきた時、交代にマシュが憔悴していたんじゃあ意味ないだろう? 休暇気分──は、真面目な君にはむずかしい話だろうけど、せめてコンディションは常に整えておかないとね。立香くんの自慢のサーヴァントなんだから、ね?」

 

「……っはい! マシュ・キリエライトは何時いかなる時もマスターの盾となる為、休息に徹します」

 

「うんうん、いい心懸けだ。でも、気負いすぎはダーメ。大人を頼れる状況の時は存分に頼るものだよ。……結局、最終的に動くのは君達なんだから」

 

「はい。ダヴィンチちゃんも、どうか無理だけはしないでください」

 

「もっちろん! 天才たるもの、サボりだって的確にこなしてみせなくちゃ、ねっ」

 

 

 ムニエルや他のカルデアスタッフ達、ネモシリーズ達に後を任せてダヴィンチとマシュは各個室へと向かう。

 

 誰も口にしない。誰も言葉にしない。その責任を彼等は背負えない。けれど、誰もが望んでいる。

 ────未来ある少年少女に、優しい世界であれと。

 

 



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 もふ。ンキュ。フォーウ。ふわっふわのモーニングコールを受けて立香は目を覚ました。フォウが立香の顔面にどっしり腰を下ろして丸くなっていた。やわらかくてあたたかくて気持ちいいが、なにぶん息苦しい。

 

 

「おはよ、フォウくん」

 

 

 フォウを両手で抱え、背を起こす。朝日を遮る影から花の匂いがする。

 

 

「フォウ!」

 

「おはよう、マイロード。実にいい朝だよ」

 

「おはよ、マーリン。……あれ、マーリン?」

 

「うん? 私がどうかしたかい?」

 

「……ううん、なんでもない」

 

 

 どことなくサーヴァントの姿に違和感を覚えた立香だが、それは痼になる前に霧のように消えてしまう。疑問に思ったことすら忘れて、立香は洗面台を探して首を振った。

 

 

「あ、届いてる!」

 

 

 手に取ったのは、付け焼き刃で手直しされたカルデア戦闘服と魔術協会制服だ。袖を通して、大きすぎず小さすぎないサイズ感に改めて万能の美少女へと感謝を噛み締める。

 

 

「ホグワーツは全寮制だからね。朝食も大広間まで向かって食べる方式のようだよ」

 

「寝坊したら食いっぱぐれる、てわけか……。マーリン、霊体化はできる?」

 

「勿論だとも」

 

「じゃあ、日中は霊体化しておいてくれ。それで……サポート、してくれると助かる。ほら、オレ、魔術はガンド以外空っきしだし」

 

「さっそく頼れるマーリンお兄さんの面目躍如というわけだね。任せてくれたまえ」

 

「フォーウ……ムダフォーウ」

 

「あっ! キャスパリーグ、この! なんて口の悪さだ、一体誰に似たんだ!」

 

 

 朝から元気にじゃれつく白い大小の毛玉を放置して、慣れない杖を懐に立香は扉を開いた。談話室と呼ばれる空間には数名のハッフルパフ寮生が団欒していた。

 

 

「おはようございます!」

 

 

 挨拶はコミュニケーションの基本、を胸に、声を張り上げる。だがしかし返ってくるのは奇異なものを見る胡乱げな視線ばかりであった。無情だ。

 ──スベったかも。立香は昨日に続いて胃がしくしくするのを感じた。現地民との交渉役はマシュやホームズ、ゴルドルフ所長の担当であり、立香はもっぱら対サーヴァント専用コミュ力お化けだった為、実はこういった場面での対応は慣れていないのだ。所謂、すでにコミュニティーが出来上がった状態の学校に突如転入してきた余所者状態である。

 咄嗟に自分と同じ一年生がいないか見回して────目が合った。綺麗な灰色の目だった。

 

 

「おはよう、一年生。僕はセドリック・ディゴリー。ここの三年生だ。君は……」

 

「リツカ・フジマルです。よろしくお願いします、ディゴリーさん」

 

「セドリックでいいよ。リチュ……リトゥカ……リツ、」

 

「呼びにくければリッカでも」

 

「ん──恥ずかしいな。練習しておくよ。それで、リッカ、昨日はよく眠れたかい? 君、英国人ではないだろう? 早く君がこのホグワーツに慣れられることを祈ってるよ」

 

 

 セドリック・ディゴリーと名乗った年上の少年は、整った顔立ちを柔和に笑ませると立香へと握手を求めた。スマートだ。加えて、善良だ。困る立香を放っておけなかったのだろう。

 

 

「君はチャイニーズ? コリアン? それともジャパニーズかな」

 

「日本人です」

 

「そうか、惜しいな。中国人ならレイブンクローにとても綺麗な人がいるんだけど。日本人はたぶん、今のホグワーツには君しかいないよ」

 

 

 会話を続けながらも、実に紳士的なディゴリー少年はそのまま流れるように立香を大広間へと案内する。立香はすっかり安心していた。それほどに、セドリック・ディゴリーの醸し出す空気にはあたたかさがあった。

 

 

「制服、間に合わなくて残念だったね。それは……君の猫?」

 

「フォウ?」

 

「魔法生物の血が混ざってるのかな。賢そうだ」

 

「フォウはとっても賢いですよ」

 

 

 時折、明らかに人の言葉を理解している仕草をするし、なんならマーリンと喧嘩……会話したりするし。そのマーリンは立香の後ろでキャスパリーグよ、あざとい淫獣めと歯軋りしているが。

 

 

「ペットがいるのは良いことだ。ホグワーツで君の一番の家族になる」

 

 

 朝食をセドリックと共にした立香は油断しきっていた。セドリックは実に親切で、廊下にてすれ違うゴーストやピーブスの説明なんかも挟みながら第一回目の授業の教室まで立香を送ってくれたのだ。優しい先輩の厚意に甘えていた立香は、初めての授業──妖精の呪文学の担当教師、フリットウィックの言葉に硬直した。

 

 

「それではみなさん、ペアになって(・・・・・・)!」

 

 

「………………」

 

 

 

 ────不肖、藤丸立香、ものの見事にボッチスタートである。

 

 

 



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藤丸立香は嗤わない

完全に覚え間違いをしていたというか、未だに正解をわかってないのですが、霊体化したサーヴァントって契約したマスターから見えるものなのでしょうか…?
極稀に霊感が強い人間なら霊体化したサーヴァントのことも見えたりするそうですが、それなら零感だとたとえパスを繋いでいてもサーヴァントが霊体化するとマスター本人にも見えなくなってしまう…?
その辺りあやふやなまま書き切ってしまい、書き終えてから以上の違和感に気付きました。つまり手遅れです\(^o^)/

というわけで、当作品のぐだ男は自分のサーヴァントなら霊体化状態でも見えるという設定にしておいてください…にわかでごめんね。



 

「ペアになって」教師の悪意なきこの言葉に、一体どれだけの生徒が心に傷を負っただろうか────

 わかる人にはわかる死刑宣告を受けた立香は、おそるおそると周囲を見渡した。そうすれば、同じハッフルパフ生である生徒達は軒並み立香から目をそらした。──目をそらされた!! これは立香にとって非常にショックなことだった。今でこそ人類最後のマスター……否、『元』人類最後のカルデアマスターとして重宝される立場の立香だが、本来は平和ボケ国家日本でのんべんだらりと学生していた青年である。程々に友達を作って程々に学校に馴染んで程々に学業・部活と精を出して──平凡そのものであった彼は所謂〝ボッチ〟の状態を知らない。クラスメイトからの総無視(スカン)とか初体験なのである。

 

 ────プッ。向かいから悪意のこもった失笑が聞こえた。蛇の寮章に、シンボルカラーはグリーン。額を晒した大人ぶったオールバックをポマードで撫で付けて、同じ色の睫毛の奥には薄いグレーが嫌な笑みを作っている。マルフォイ(クソガキ)に思いっきり嘲笑われている。

 それはもう癪に障った。立香からすれば誰も彼もが自分よりうんと年下の子供だ。いくらマンドリカルドからコミュ力カンストマスターとおそれられる立香とて看過できるものとできないものがある。

 

 

「あの!」

 

「わっ!?」

 

 

 隣のハッフルパフの少年へと体ごと向き直って腹から声を上げる。立香のやる気を補佐するようにフォウがフォウフォウと合いの手を入れた。ついでに見えないことをいいことにうろちょろしてはフリットウィック先生の前で百面相していたマーリンもそれいけとばかり杖を振っていた。マーリンは後でしばく。

 金髪に茶色い瞳のあどけない少年は、立香の眼差しを受け止めるとなんだか意外なもの見るように目を丸くした。

 

 

「自分はリツカ・フジマルっていいます。君の名前を聞いてもいいかな?」

 

「……アーニー。アーニー・マクミラン」

 

「よし、アーニーな」

 

 

 すかさず握手催促のポーズを取る。先手必勝だ。こうすれば、奥手な日本人はともかく大抵が応えてくれると立香は学んでいる。狙い通り、おそるおそると柔らかな手が立香の手を握り返す。──ヒュウ。物珍しい小人先生のところに浮気していたマーリンが立香の側へと戻って音のない口笛を吹いた。やっぱり後でフォウくんと一緒にしばこう。

 

 

「オレ、魔法初心者なんだ。だから、一緒に学ばせてもらえると嬉しい」

 

「……君は、マグル出身なの?」

 

「マグル?」

 

「親が魔法族でない人のこと。僕は両親ともに魔法使いだから、純血なんだ。マクミラン家は聖28一族にも数えられてるんだから」

 

「聖……えーと……?」

 

「聖28一族がわからないの? あ、そっか……君、ジャパニーズだから…………よくホグワーツを選んだね……?」

 

 

 目の前の少年に憐れまれてしまった気がする。だがしかし哀しいかな、立香はこの手の反応には慣れている。なんたって、魔法初心者であれば魔術師若葉マークでもあるのだから。もしかすればカルデアでの先輩マスターとなったかもしれないカドック・ゼムルプスから当たり前の顔で視力強化しろと言われてこちらも当たり前の顔でナニソレと返した件は記憶に新しい。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ。知らないことに対する恥じらいと躊躇は漂白された大地に置いてきた。

 

 

「……君さ、そんなだと苦労すると思うよ」

 

「うん。だから、アーニーや皆にも助けてほしい。自分一人じゃどうにもできないことがこれから先もたくさんあると思うから。……一先ずは今、ペアになってもらえると助かるんだけど」

 

「……リチュ、……フジマルってかなり変わってるね。でも、僕、君のそういうところきらいじゃないな」

 

「はは、ありがと。呼びにくければリッカでいいよ。よろしく、アーニー」

 

 

 ぐっと少年の手を握り締める。さすがだなあ、藤丸くん。そんなマーリンのゆるっとした声が脳の中に残った。

 さて、一限目の呪文学を持ち前のコミュ力と人柄で切り抜けた立香だが、問題はその後に控えていた。教室を出てすぐの廊下に憎たらしいおでこが立香を待ち構えるようにして立っていたのだ。すっかり立香をストレス発散の嫌がらせ対象にターゲティングしているドラコ・マルフォイ少年だ。

 

 

「おお、極東のイエローモンキーが出てきたぞ。人間のお友達ができたようでなによりだよ。そいつらには君のサル語が通じるのかい?」

 

 

 ウキキッなんて猿の真似をして、後ろにくっつけた腰巾着二人や取り巻きのスリザリン生達と共に軽蔑的に笑うマルフォイ。対する立香はそれはそれは冷静でいた為、実のところ滑稽に見えるのは猿真似をしているマルフォイ少年のほうだったりする。

 

 

「なんとか言ってみろよ、ジャップ。無名で無能のイエロージャップ! フジマルなんて名前、聞いたこともないと思ったら……お前、日本人の上に穢れた────」

 

「なにを言おうとしてるの、マルフォイ!」

 

 

 ふと、少女の声が冷たくマルフォイの言葉を切った。カナリアイエローのローブ──ハッフルパフの同級生だった。薄情だが名前はわからない。金髪に三つ編みの少女と赤毛をお揃いの三つ編みにした少女、そして黒髪の少年が立香とマルフォイの間に立つ。

 

 

「それ以上一言でもリッカに余計な口をきけば、そちらとこちらの監督生、それからスプラウト先生にこの事をご報告するわ。だって、差別はいけないことだもの」

 

「……フン。頭の足りないお仲間がたくさんいてよかったねえ、イエロー? 間抜けな黄色同士、穴蔵でよろしくやればいいさ」

 

 

 相対人数の問題か、それとも自然と増えていたギャラリーの視線が気になったのか、分が悪いと認めたらしいマルフォイはなんとも情けない捨て台詞を残して腰巾着と共に次の授業へと向かった。一方の立香はマルフォイに絡まれたことよりも同級生に庇われたらしい事実に困惑していた。あれ、オレ、嫌われてたんじゃ……? 思わず意味もなくマーリンを見つめてみればマーリンは満足げにニッコリしていた。どうしよう、オレのサーヴァントが今日も胡散臭い。

 

 

「大丈夫だった? リッカ。ごめんなさい、助けるのが遅くなって。スリザリンってほんと……悪い人たちではないらしいんだけど。まあ、ここから悪くなる人もいるわね」

 

「そう……なんだ……えっと、ありがとう。ごめん、名前がまだ、」

 

「わたしはハンナ。ハンナ・アボット。こっちはスーザンよ。それから彼がジャスティン」

 

「よろしくね、リッカ」

 

 

 代わる代わると握手を交わす。今朝や先程の授業とは打って変わって好意的な態度に、立香はまだ青い目をパチパチさせている。肩のフォウも一緒にパチパチしている。それを読んで、立香の隣にいたアーニー含め少年少女達は罰が悪そうに互いの顔を見合った。

 

 

「その……君、ほら、日本人だろう?」

 

「日本人はシャイな人が多いって聞くから」

 

「話し掛けたら妖精みたいに逃げちゃうって」

 

「恥ずかしいことがあると『ハラキリセップク!』だろう?」

 

「だから、どうしていいかわからなくて……」

 

 

 ──つまりは、嫌われていたのではなく気遣いが故の腫れ物扱いだったわけだ。そこに、妖精の呪文学での微笑ましいやり取りを聞いて認識を改めたのだろう。決してこの子供は繊細な小動物などではないと。

 

 

「これまでのこと、ごめんなさい。かわりに、みんなで守るわ。あなたのこと。さっきみたいに──人種がちがうってだけで差別する人はいるから」

 

「なに人だろうとどんな肌の色をしていようと僕らはホグワーツの仲間で、そしてハッフルパフの同志なんだ。ハッフルパフに選ばれる条件を知ってる? 勤勉で、献身的で、慈悲深くて──誠実! その通りにありたいと、僕は思う」

 

 

 ジャスティンが照れ臭そうに鼻を掻きながら宣言した。トトッと立香の首に巻き付いたフォウが甲高く鳴いた。──キャスパリーグの身を置く環境としても良さそうだ。マーリンは立香にも届かぬ声でそっと呟いた。

 

 

「ねえ、それ、その子! ずっと気になってたのよ! あなたのネコ? 触ってもいい?」

 

「きゃあ! とってもふわふわだわ! かわいいーっ」

 

「フォフォ、フォフゥーン?」

 

『ッあ! くうーっ、見たかい、藤丸くん!? あの憎たらしい顔! アイツ、私に向かって勝ち誇った顔を! ただかわいいというだけで! もふもふ具合なら私だって負けてないのに!』

 

『かわいいは正義だから……』

 

 

 立香以外に聞こえないことをいいことに、念話の無駄遣いをして喚き散らすマーリンをフォウと共にシラっと見る。オス……らしきフォウがマシュのマシュマロに包まれていたって非難されないのは、ひとえにフォウがかわいいからである。かわいいは全ての免罪符となるのだ。

 

 

「ねえ、フォウに散歩が必要なときはわたしのことも誘ってね。一緒に行くから。さあ、次は我らが寮監スプラウト先生の薬草学よ。ハッフルパフ生として遅刻はできないわ。行こう、リッカ!」

 

「フォーウ!」

 

 

 赤毛の女の子──スーザンに手を取られて走る。左右にはアーニーとジャスティンの男の子二人がついている。少し遅れてハンナがハッフルパフの仲間達を追う。

 自然と、笑っていた。心から。理不尽に燃やされ漂白されてしまった場所に置いてきたものがここにはあった。

 

 藤丸立香はホグワーツ一年生としての生活を歩み始めた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 薬草学の授業はグリフィンドールとの合同だった。ちなみに呪文学はスリザリンとだ。先程の件でクラスメイトと打ち解けられた立香は当然ハッフルパフの面々の中で作業をしようとして────

 

「リツカ、君はこいつを抑える役割をしてくれるかい? そのあいだにハリーが土を容れ替えるから。な、ハリー!」

 

「うん、やってみるよ。ロンはちゃんと子守唄を聴かせておいてよ。そのカエルのゲップみたいなやつじゃなくてね」

 

「トレバーよりは美声だろ!」

 

 

 ………………あれー?? 何故だろうか、立香を囲んでいるローブのカラーは臙脂だし寮章はグリフォンである。右の男の子の名前はハリー・ポッターだし左の男の子の名前はロン・ウィーズリーだ。グリフィンドールのお騒がせ問題児二人に立香はがっちりと捕らえられていた。ちなみに仲良くなった筈のハッフルパフの一年生達は机を二つほど離した場所に固まって座っていた。逃げられた。

 

 

「聞いたよ、リツカ。さっそくマルフォイのやつに絡まれたんだって?」

 

「あいつ、嫌なやつだよね。僕のことも傷持ちだって散々バカにしたんだ」

 

「リツカもハリーも目立つからなあ。こいつは長い因縁になるぞ」

 

「ゲーッ。ゲロでも吐きそう」

 

「ゲーゲートローチいらずだ」

 

 

 植物よりも悪口に花を咲かせている少年達に代わって立香は黙々と根を引っこ抜いている。無駄話に夢中になって本来の仕事を忘れる辺りが実に子供らしい。二人が気が付いた頃には、植木鉢の中のナントカカントカいう謎の植物は湯心地を堪能するおじさんのような顔で満足げに花を咲かせていた。周りの班に花まで咲かせている鉢はなかったので、なんとなく花の魔術師の影響がありそうだと立香はぼんやり考えた。

 

 

「まあ、あの子も根は悪い子ではなさそうだし」

 

「どうしてそう思うんだい?」

 

「んー……勘」

 

「勘か! それは大事だ」

 

 

 立香は思い出していた。まだ、誰にも褒めてもらえてないと泣いて殺された少女のことを。──殺された、筈だった。彼女は。立香とマシュの目の前で、無惨に。エーテルすらも融かす灼熱のエネルギーに焼かれて、涙も声も枯らして。

 どことなく、マルフォイ少年は彼女に似ている気がする。そんなふうに思う。根拠はないけれど────とどのつまり、『勘』である。

 

 

「リツカはきっとグリフィンドールに来るんだと思ってたのに──今わかったよ。確かに君はハッフルパフだ」

 

 

 ロンが肩をすくめて笑った。ロンの鼻にソバカスに紛れるようにして土がついているものだから、そんなロンを見てハリーも笑った。二現目の薬草学は寮違いの友人を交えてなんとものんびりした時間となった。

 

 昼食休憩を取って、魔法史やら天文学やらを終えた午後最後の授業は変身学だった。レムレムレイシフト初日に出会った厳格そうな老魔女──ミネルバ・マクゴナガルが教壇に立つ。印象に違わず凛と授業への姿勢と注意を生徒達に聞かせている。ちなみに、この授業ではどこの寮とも合流することなく教室内はカナリアイエローのローブで埋まっていた。

 

 

「それでは、杖を持って──呪文はこうです」

 

 

 マクゴナガル女史が洒脱した腕使いで杖を振る。机上のマッチ棒が針へと変わる。華麗なお手本に教室中が沸く。

 

 ──さて。ひよっこなれどカルデア所属のマスターとなった立香は今や一介の魔術師である。ペーペーであろうと。若葉マークだろうと。ひよこもひよこ、まだお尻に殻がついているようなものだろうと──魔術師だ。つまりは魔力を持っている。詳しいところはよくわからないけど、魔術回路……なるものもあるらしい。

 だがしかし、だからといって────

 

 

「リッカ、上手くいかないね。あ、安心しなよ。成功したのはアーニーだけだから。みんな仲間さ」

 

 

 凡人の立香が魔術ですらなく『魔法』が使えるなんてことは、天地がひっくり返ろうが神が墜落しようが有り得ないのである。なんなら魔術の段階から怪しい。

 あなたも家族です────じゃなかった、お前も仲間だとばかりに肩を叩いてくるジャスティンへと愛想笑いを返して、青い目がジットリと大きいほうの白毛玉を睨む。

 

 

『マーリン』

 

『私は考えたんだ、マスター』

 

『うん』

 

『霊体化は確かに便利だ。諜報してよし、護衛してよし、ストーカーしてよし、夢いっぱいの透明人間! ──だけど、ここで問題がひとつ』

 

『すでに問題だらけだよ、ロクデナシ』

 

『霊体化しているとサーヴァントは無力になる』

 

『…………』

 

『つまり、魔術も使えない』

 

『…………』

 

『まあそこは頼れる君のマーリンお兄さんだからね、無理を押せば幻術くらいなら掛けられるかもしれないけど……とても疲れる。ほんっと━━━━に疲れる。だってエーテル体で魔力を絞り出すとか、正気の沙汰じゃない。叶うならもっと楽な手段を取りたい』

 

『…………』

 

『と、いう訳なんだ、マスター。決して君のことを無視していたわけじゃあないのさ。それとも霊体化を解いてしまおうか。うん、なんだかそれもありな気がしてきたぞう』

 

『────この! 役!! 立た!! ず!!!』

 

 

 立香の渾身の念話が炸裂した。何かを感じ取ったらしいフォウが「マーリン……シスベシ……フォウゥゥゥ……!」と唸った。

 なおマーリンはわかっていたようにケラケラと笑っている。立香の疲労感などお構いなしだ。

 勿論、立香とて本気でマーリンへと怒りをぶつけているわけではない。この、どこか懐かしいドクターの辛口を思わせる体当たりなコミュニケーションこそが、立香とマーリンが築いてきた絆だった。

 

 

『……わかった、他の方法を考えるよ』

 

『この授業も呪文学同様、素振りの練習だけならよかったのにねえ。まさか初日から実践とは。中々にスパルタなご婦人と見た。美人に似合わず──いや、ここは美人に似合って、かな?』

 

『……マーリン、まさか……マクゴナガルさんのご年齢も守備範囲内だったなんて…………夢魔ってやつは…………』

 

『藤丸くん? その誤解はいくら私でも笑えないのだけど? 藤丸くん??』

 



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 マーリンとじゃれ合っている間に、本日最後の授業は終わった。夕食を掻き込んでマシュに会いたい一心でハッフルパフ寮へと直行する。

 マシュに話したいことが沢山ある。マシュと語り合いたいことが幾つもある。柔らかな声と澄んだアメジストが恋しい。

 しかし、少年少女の逢瀬を阻むものはどこまでも無情だった。

 

 

「フジマル、お急ぎな様子のところ悪いけど──ちょーっと君の時間をくれないか?」

 

 

 ハッフルパフの監督生、ガブリエル・トゥルーマンだ。談話室の中央を陣取り立香を呼び止めた彼の周りには、一年生達と今朝の救世主セドリック・ディゴリーの姿もあった。

 

 

「昨日はバタバタしていて寮の説明くらいしか出来なかったからね。そんでもって、眠たくてたまらなかった君たちはどうせディナーが美味しかったことしか覚えてない。だろう? ホグワーツに早く馴染んでもらうためにも、ここいらで僕のお節介に耳を傾けてほしくてね」

 

 

 渋々と立香は立ち止まった。大切なことだ。カルデアの面々は休暇気分で、だなんて嘯いていたが、立香が魔法も使えないのにホグワーツ生を装うのは、特異点調査の名目があるからだ。目的を履き違えてはならない。得られるだけの情報は得なければ。

 

 

「うん、いい子たちだ。さすがハッフルパフ! ──さて、まずは改めて歓迎しよう。ピカピカの一年生たち、我等が穴熊寮──ハッフルパフへようこそ! 寮の特色についてはもう耳に入ってるかな? 実は昨日、僕が説明したんだけど──ま、それはいいさ。細かいことは気にしない。それが僕だ。実にハッフルパフらしいだろう?」

 

 

 五年生だというガブリエル・トゥルーマンは何とも剽軽に後輩たちへとウィンクしてみせた。────あ、似てる。

 立香はふと脳裏に浮かんだその人の顔をとっさに掻き消した。

 

 

「まず、君たちに一番に理解してほしいのは──ハッフルパフは決して三寮から劣る余り者をかき集めた寮なんかではないということだ。はっきりいって、ハッフルパフには心無い噂や評価が根付いている。愚図だ、鈍間だ、劣等生だ──どこの寮にも入れなかった無能がいれられる場所だ──そんなものはまったくの嘘っぱちだ! もしも君たちがハッフルパフであることをからかわれたなら、そんなときこそ胸を張ってやるといい。ハッフルパフには誰かを嘲笑うような卑しい人間は一人だっていない、そんな人間は選ばれないとね」

 

 

 トゥルーマンがバシリと隣のセドリックの背を叩いた。まるでそれが合図であったかのように、談話室内にあった視線が一斉に彼へと集まった。この演説の為に用意されたらしいディゴリー少年は照れ臭そうに口角を上げていた。

 

 

「僕たちは間違いなく優秀だ。ハッフルパフ出身の著名人をどれだけ知っている?」

 

 

 トゥルーマンの目が一年生を見回す。おそるおそると誰かが答える。小声でスーザンが「ザカリアス・スミスよ」と教えてくれた。

 

 

「……ニュート・スキャマンダー」

 

「その通り! 華々しい経歴を飾ったスキャマンダー兄弟は、そのどちらもがここハッフルパフで才能を磨いた。さあ他には? どうかな?」

 

 

 次は女の子が答えた。

 

 

「ホグズミードを作ったヘンギストはハッフルパフ出身だって、漏れ鍋のトムから聞いたことがあるわ」

 

「実に物知りだ、ハンナ!」

 

 

 トゥルーマンから拍手までつけて絶讚され、ハンナは嬉しそうにはにかんでいた。年相応で可愛らしい。

 

 

「他にも、魔法大臣を務めたグローガン・スタンプにアルテミシア・ラフキン、7が持つ魔法的な力を発見したブリジット・ウェンロック──彼等すべてがハッフルパフの生徒だった。わかるかい? ハッフルパフはこれまでに、三寮にまったく引けを取らない人数の優秀な人たちを世へと輩出してきたんだ。──だけど、僕たちはそれを誇ることはあってもひけらかしはしない。偉そうになんてしない。……だから、長く誤解されてるわけだけど」

 

 

 それまでの勢いを静めて、トゥルーマンはしっかりと一人一人の目を見つめて回った。勿論、立香の青い目も。

 

 

「ハッフルパフはどこの寮よりも公平だ。心優しくて、忍耐強い。一人が害されたなら、それにみんなで立ち向かう。一人をみんなが守る。それが──僕たちだ」

 

 

 手を己のローブの胸元へとやって────穴熊を叩く。

 

 

「どうかその胸の証を誇ってくれ──ハッフルパフ諸君」

 

 

「────」

 

 

 立香は名状しがたい心地でいた。生きている。彼は、彼女は、この世界に生きているのだ。登場人物として、主役として語られることはなくとも──ここに、彼等の人生はある。

 

 それを────立香は何度壊してきただろう。

 

 

「さて、寮の話は以上だ。ここからはホグワーツでのちょっとした『注意』になる」

 

 

 テキパキと切り替えて、トゥルーマンはカラリとした笑顔で監督生の仕事を続けた。

 

 

「まず〝寮同士の関係〟についてだ。──グリフィンドールとスリザリン、ここの仲はとにかく最悪でね。水と油、犬と猿。一度でも衝突すると手に負えない。もしも廊下で赤と緑が睨み合いをしていたなら、速やかにその場から離れることをオススメするね。流れ弾に当たりかねないから」

 

 

 ああ……と頷く。原作知識が殆どない立香ですら両者の確執についてはふんわりやんわり把握している。──グリフィンドールが正義で、スリザリンは悪だ。

 

 

「そして────うん、あまりこういったことを大っぴらに印象付けるのは、ハッフルパフは公平だと謳った手前かなり心苦しいんだけど────そもそもスリザリンの生徒には気を付けた方がいい。彼等には彼等なりのポリシーがあって──場合によっては卑怯な手を使うことに躊躇いがない。……何人かは知ってる顔だね」

 

 

 ふと、仲良くなった一年生カルテットやその他にも何人かが立香を見ていることに気が付いた。トゥルーマンも立香を見つめていた。

 

 

「もちろん、攻撃的な生徒ばかりではないし友達になれるならそれが一番だ。だけど────フジマル、僕は君が心配なんだ」

 

 

 とうとう、トゥルーマンは直接的に『懸念』を口にした。どうやらマルフォイと立香の件はすっかり周知のものとなっているらしかった。

 

 

「大丈夫です。──オレ、そのくらいではへこたれませんから」

 

 

 笑んでみせる。肩のフォウが細く鳴く。マーリンは貼り付けていた感情のテクスチャを削ぎ落として、マシュとは違う淡めいた紫で藤丸立香を見ていた。

 立香(マスター)は挫けない。立香(マスター)はこの程度では脅かされない。もっと激しい悪意をぶつけられた。もっとどうしようもない憎悪を目の当たりにした。

 死んだ。生きた。看取った。置き去りにした。

 嗤われて。縋られて。懇願されて。拒絶されて。

 

 世界を滅ぼす〝悪〟と────カルデアの悪魔と、そう、石を投げられる悪役(主人公)なのだから。

 

 

「……そうか。頼もしいな、フジマルは」

 

 

 労るように、トゥルーマンの手がフォウのいない側の立香の肩を撫でる。小さな肩だ。ふとした拍子に折れてしまいそうだと、見守っていたセドリックには思えた。

 

 

「それじゃあ、気を取り直して次はレイブンクローの話をしよう────」

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 先輩。そう呼んで──誰よりも立香を求めて、心から笑ってくれる少女がいる。藤丸立香を認めてくれる。マシュ・キリエライトがいる。

 

 

「マシュ!」

 

「先輩!」

 

 

 戦闘霊衣ではなく見慣れたパーカー姿でホログラム越しに駆け寄ってきた後輩の姿に、立香は緩む頬を抑えられなかった。寝起きらしいマシュは、あらぬ方向に跳ねている後ろ髪の一部など気にも留めずに定例報告を受ける姿勢へと入っている。追ってやってきたダヴィンチがクスクス笑いながらマシュの寝癖を指摘する。

 

 

「ひゃわっ!? み、見ないでください、先輩っ。あの、これはですね、先輩からの報告が待ち遠しくて寝付けなかったとかでは決してなくてですね……!」

 

「うーん、マシュはかわいいなあ。少年少女のピュアなやり取りは実にいい。身も心も若返るようだ」

 

「まったくもって同意だ。オレの後輩は今日もどの角度から見ても隙なくかわいい。寝癖だってかわいい。それはそれとしてその姿のダヴィンチちゃんにオッサンくさい発言をされるとなんだか脳がバグりそう」

 

「フォーウ」

 

「せ、先輩……! フォウさんまで……!」

 

「────コホン。ミス・キリエライトをからかって愛でる君達の悪癖については多少なりとも理解しているつもりだが、現状、我々には圧倒的に情報が足りない。……話を進めても?」

 

「ハイ」

 

 

 わちゃわちゃした少女と少年と少女のハートフルな触れ合いは、ヤク切れの安楽椅子探偵によって無情に切って捨てられた。思わず姿勢を正しながらホログラムの前へと正座した立香である。すかさず膝でフォウが丸くなった。

 

 

「それでは、ミスター藤丸の充実した学生生活一日目を振り返ろう」

 

 

 立香は朝の目覚めから再びこの部屋へと戻ってくるまでの流れをできうる限り事細かに説明した。授業の部分ではマシュの瞳がわかりやすく輝くので、特に多く話してしまった。そして、廊下に待ち受けていたマルフォイ少年の件では──

 

 

「──児童文学にしては中々踏み入った差別意識だね」

 

 

 誰も彼もが冷静に事態を受け止めていた。当事者たる立香が涼しい顔をしているのだから。──否、マシュは複雑な面持ちを隠そうとして失敗していたが。

 

 

「むしろ児童文学だからこそと見るべきかもしれないが──ともかく。進展という進展はないようだね。と、いっても、たった一日に劇的な変化を期待するほど我々も切羽詰まっているわけではない。ここまでの流れに違和感や疑問点などはなかったかな、原本確認担当のキリエライト君」

 

「はい。小説内でもハリー・ポッター少年が入学してすぐの描写は、少年が慣れない魔法の授業に追われる様子でまとめられています。今後の流れとしては────」

 

 

 ノウム・カルデアの地下ライブラリから持ち出したらしいハリー・ポッターシリーズのデータを参照して、マシュの淡々とした説明がホームズに続く。抑揚のない声だ。マシュは口頭でのナビゲートでしか立香の役に立てない現状に無力を感じているようだが、そんなふうに感情を圧し殺されると立香としても苦しい。

 

 

「マーシュ」

 

「……? はい。なんでしょうか、先輩」

 

「オレはマシュも知っての通り地道な調べものとかは苦手だし、本もあまり読まない。頭もそれほどよくない。だから、こうしてマシュに助けてもらえて感謝してるし、助かってる」

 

「先輩……」

 

「もっと気楽にしていいよ。大丈夫、オレも気楽にやってるから。もしこの場所が嫌になったら──さっさとリタイアしていいんだもんな。そう言ったよね、ダヴィンチちゃん」

 

 

 立香からのパスを受け取ったダヴィンチは、マシュの手から端末を取り上げて天使の笑顔で頷いた。

 

 

「その通り。まだどうなるかはわからないけど──ここで彼の言葉を借りるのはなんとなく癪だけど、こんな時こそ〝気楽に気楽に〟──だよ」

 

 

 ダヴィンチの無敵のモナリザスマイルにつられるようにして、ふわりとマシュの整ったかんばせに笑顔が戻った。

 

 リタイア──そんなものを『藤丸立香』が選べる筈はないのに。

 

 

「キリエライトは真面目すぎるのだ。私の特性ベーコンでも夜食にして少しは気を休めなさい。……一切れだけだぞ。一切れだからな! せっかくベーコン泥棒も一緒に出払ってるというのに」

 

「相変わらずケチくさいなあ、オッサンは。今は異聞帯攻略中でもないんだから、ベーコンくらい丸ごとやればいいのに。まあでも、夜食にするならベーコンよりチーズのほうがマシュには合うか。どうせ隠し持ってるんだろ? ほら、オッサンのダイエットの助けと思ってさ」

 

「だぁまらっしゃい! 私とそれほど体型の変わらないバター君! あと、私のこの存在感あるボディは筋肉だから。脂肪じゃないから」

 

 

 おとなげなく喚くゴルドルフに通りすがりのネモ・ナースがこぼしていく。

 

 

「そんなことありませんよー。ゴルドルフ所長の健康診断結果はですねぇ、」

 

「医療者が厳守せねばならない患者情報の守秘義務はどこにいったのかね!?」

 

 

 ──空気がぐだぐだしてきたなあ。同じ感想を持ったらしいダヴィンチがそっと男達を通信ホログラムからフレームアウトさせた。

 

 

「……ゴルドルフくんの身体を張ったコントで和んだところで、話を戻すよ。彼等ってば気が緩むとすぐ脱線するんだから。今は、マーリンの霊体化をどのように代替するかを話し合うときだろうに」

 

 

 ダヴィンチがぼやくマーリンの名に反応して、「フォウ?」と頭を持ち上げたフォウを手慰みに撫でる。

 

 

「寝てていいよ、フォウ。そこのところ、マーリンはどう思────あれ?」

 

 

 気が付いた。──立香は気付いてしまった。傍にいると思っていたマーリンは室内のどこにもいなかった。

 

 

「いつの間にいなくなったんだろう。これからマーリンの話をするっていうのに」

 

「……そうだね。夢魔は気まぐれらしいから」

 

 

 意味深に、ダヴィンチとホームズがアイコンタクトを交わす。立香には気付かれないように。──なにも確証がない状態で、徒にマスターとサーヴァントの信頼関係を掻き回すべきではない。

 

 

「ま、どこをほっつき歩いてるにしろ彼の目はこちらを〝視てる〟だろうし、気にせず進めちゃおう。──マーリンもサーヴァントである限りはルールから外れられない。いくら規格外の魔術師といえど、霊体化している間は無力で無防備なのは本当だ。けれど、霊体化という便利な手を手放すわけにはいかない──」

 

「────透明マント」

 

 

 マシュが呟いた。それは意図せずこぼれたものらしく、画面の中の人々、そして立香の目がマシュへと集まるのに、アメジストはわたわたと慌てた。

 

 

「す、すみません。ふと、思い付いてしまって……。ハリー・ポッターシリーズにはたびたび透明マントというマジックアイテムが登場するのですが、それは名の通り中にある物や人を透明にしてしまうんです。この透明マントを用いれば、霊体化せずともマーリンさんを透明にすることができるかと……思って……」

 

「透明マントって、誰でも手に入るものなのかい?」

 

「いえ、主人公のハリー・ポッター少年だけがダンブルドア伝に所有権を継承します。透明マントはポッター家に伝わる家宝なのです。類似品なども存在しますがどれもオリジナルより劣り、いずれ効力を失います。しかしハリー・ポッターが持つ透明マントだけは、世界にただ一つの本物(オリジナル)なので永遠に機能します。──作中では死からも隠れて逃れられるとして、死を制する秘宝の一つに数えられていますね」

 

「んー、なるほど。マシュってば優秀~!」

 

 

 パチパチとのんきな拍手が上がった。勿論ダヴィンチだ。倣って立香も膝のフォウを起こさない程度に小さく拍手した。

 

 

「ナイスな情報だよ。おかげで────私、思い付いちゃった」

 

「ダヴィンチちゃん?」

 

「ここが天才発明家の見せ所ってやつかな。うん、マーリンの件はこちらでどうにかなりそうだ。ちょっと時間をもらうけど、そのうちに良い物を送るからさ。期待してていいよ?」

 

「本当ですか!? さすがです、ダヴィンチちゃん!」

 

 

 次はマシュからダヴィンチへと拍手が送られる。実に微笑ましい光景である。どこかからシャッターの連写音がしたので犯人はムニエルかおそるべき嗅覚で百合のかほりを嗅ぎ付けた黒髭であろう。ノウム・カルデアは今日も平和だ。

 

 

「解決策も見えたことだし、一先ずはこのくらいでいいんじゃないかな。立香くんもそろそろおねむみたいだしね」

 

 

 ダヴィンチの言葉の通り、立香の目蓋は通信を開いた頃よりもやおら下がっていた。肉体が子供だからだろう。疲労に抗えない。

 

 

「それじゃあ、私は工房で作業に入るから、後はお二人でどうぞ。ほら、ホームズ、君はムニエルと一緒にモニターだろ」

 

 

 少女の腕力とは思えない力業でダヴィンチがホームズの背を押して、頭脳担当の二人は消える。ついにマシュと二人きりになる。

 

 

「……先輩」

 

「うん」

 

「楽しめて、いますか? つらいことはありませんか? 傷付いたりは、しませんでしたか?」

 

「…………」

 

 

 傷付くの言葉がなにを指しているのか──そのくらいは、主語などなくともわかる。立香とマシュは唯一無二のパートナーなのだから。

 

 

「そうだなあ。実感がないってのが正直なところだけど────オレ、手加減されてたんだなって」

 

「手加減?」

 

「そ。ほら、カルデアにだって子供サーヴァントがいるだろ? ナーサリーとか、アビーとか、ジャックにリリィ達……旅の先で出会う子供達も素直ないい子ばかりだった」

 

 

 母を目の前で喪いながらも笑顔を絶やさなかったルシュド。弟の為、どんなに恐ろしい状況にも涙をこらえ堪えしのいだおぬい。部外者の立香達を招いて無邪気にもてなしてくれたゲルダ。輪廻の牙に翻弄されながらも明るさを失わなかったアーシャ──

 立香達の旅は、いつだって出会いに恵まれていた。

 

 

「だけど、違うんだ」

 

 

 明け透けに思ったことを口にしてしまう。明確な悪意を隠しもせず振りかぶる。己の正義だけを信じて誰かを踏みつけにしていく。

 

 

子供(・・)ってこうだよな、て──そう思っただけ」

 

 

 すっかり寝入ってしまったフォウを抱き上げ、子供(・・)の立香はマシュが浮かぶ端末をお供にベッドへと腰掛けた。

 

 

「たぶん、あの子にはあの子なりの問題があってさ──それは、マルフォイがこの世界で生きてるからで──」

 

 

 マルフォイだけじゃない。立香を庇ったハッフルパフの一年生達や、談話室で熱弁を振るったトゥルーマン、生徒を見守る教師達──そのすべてに生者の熱があった。

 

 

「ただの記号じゃないんだ。みんな、生きてるんだよ。ハッフルパフだとかレイブンクローだとか──オレはマシュとちがって映画しか知らないけど、そんな名前ちっとも覚えてなかった。だって映画に画かれていたのは主人公(ハリー・ポッター)がいるグリフィンドールと悪役(マルフォイ)がいるスリザリンばかりだったから。──でもさ、生きてるんだよ。みんな、ここに」

 

 

 寝惚けたフォウが立香の指にすり寄る。あたたかい。生きている。

 

 

「……はい。その通りです。先輩がお話ししてくださった学友の皆さんのお名前に、わたしは何人か覚えがありました。それは、電子書籍で読んだことがあるからです。けれど──ガブリエル・トゥルーマン。この人のことをわたしは知りません。作中に彼の名が出てくることはありません」

 

 

 マシュの声は静かで、どことなく子守唄のようで──立香は小さく息をつく。

 

 

「けれど──生きているんですね」

 

「生きてるよ」

 

 

 迷いはなかった。立香にはもうわかっていた。

 

 

「オレ──ホームズやダヴィンチちゃんみたいにみんなのことをただのキャラクターとして見ることはできないと思う」

 

 

 知ってしまったから。そう、思ってしまったから。──一人一人、この世界を生きる〝人間〟なのだと。

 

 

「はい。先輩はそういう人です。そんな先輩を、マシュ・キリエライトは誇りに思います」

 

 

 カンテラの火が揺れる。ぼう、と浮かんだ立香の影が天蓋にもう一人の立香を形作る。

 

 

「おやすみなさい、先輩」

 

「おやすみ、マシュ」

 

 

 目を閉じて。みんなと同じように眠ろう。

 

 明日も、藤丸立香はこの世界で生きていくのだから。

 

 



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藤丸立香は避けない

 

 ──────何も、見えない。

 

 黒い。暗い。昏い。

 ひどく、深い場所にいるような感覚だけが在った。

 見えるものは存在していない?

 分からない。自分が、目を開いているのかどうかさえ。

 此処はどこなのだろう。

 分からない。自分が、立っているのか座っているのかも。

 声を出そうとしてみる。

 唇が動かない。舌が動かない。喉から何も出て来ない。

 

 ああ、これは、

 もしかして──────

 

 

「似てる、とは、思ってたんだよな」

 

 

 暗闇から引き上げられる感覚に、続いて角膜を焼く陽の光に、立香は何度か瞬きを繰り返すと億劫そうに背を起こした。立香の胸をベッド代わりに丸くなっていたフォウが、揺れるベッドにもにょもにょ寝言をこぼしながら迷惑そうに尻尾を振った。この小さな友達はまだ起きる気がないようだ。

 

 

「漸くお目覚めかい? マスター。随分と深い眠りだったようだけど」

 

 

 当たり前にふわりと笑顔を見せるサーヴァントを見上げる。あちらこちらに跳ねる前髪の隙間から覗き見た花の魔術師は、日差しを養分に大輪の貌を実にそれらしく咲かせていた。

 彼を知らなければ、まさに満面の笑み。しかし彼を知っていれば、なんて胡散臭い虚像だろう。

 

 

「うん。たぶん──逢ってたんだと思う」

 

 

 フォウを両手で掬って、本来のベッドへと置き直して、地に足裏をペタリと着けた立香はぐっと伸びをした。筋肉も関節も柔らかな子供の身体だというのに、パキパキと背が音を立てた気がした。

 

 

「夢でかい? 誰に?」

 

「……オレのファリア神父」

 

 

 サーヴァントの疑問に冗談めかして答える。

 夢の中での詳細な記憶はない。誰に会っただとか、どこを巡っただとか、彼と何をしたかなんてのは綺麗さっぱり闇と朝陽に塗り潰されてしまった。しかし、残り香が──例えば彼の独特な笑い方だとか、もっと単純に煙草の臭いだとか、魂を炙る炎の蒼さ……そういったものが立香の無防備な魂に痕を残している。憶えている(・・・・・)

 

 似てる、とは、思っていたのだ。ホームズが時間の〝ズレ〟について述べた時から。──夢に閉じられた監獄での七日間を、立香は憶えている。

 彼は言っていた。〝彼処と此処では時間の流れも空間の概念も違っている〟と。つまりは、今回もそういうことなのだろう。

 

 

「そうだ、マーリン。マーリンは夢魔なんだから──……何を持ってるんだ?」

 

 

 彼との面識はある? そう続くはずだった立香の言葉は新しい疑問に湾曲した。マーリンがなにやら包みを抱えているのだ。それに、やっぱり立香からすれば胡散臭さ極まりない笑顔で応えたマーリンは、まだ寝惚けているマスターへと荷物を手渡した。

 

 

「君が寝てる間にカルデアから届いたのさ。一昨日(・・・)にね」

 

「そうなんだ、一昨日に…………一昨日!?」

 

 

 大雑把な手櫛で大雑把に寝癖を整えていた立香は、そのまま飛び上がってマーリンへと青い目を剥いた。預かった荷物が膝から落ちて、またまた揺れたベッドにフォウがとうとう文句の声を挙げた。

 

 

「あ、ごめんフォウくん……じゃなくて! 一昨日ってどういうこと!?」

 

「どうと言われても──言葉の通りだとも、マイロード。君は本当によく眠っていた(・・・・・・・・・・)

 

 

 性根が人外のサーヴァントが含んで笑うものだから、立香からザァッと血の気が引いた。間違いない──自分は一日以上、眠っていた。

 

 

「……今日、何日? いや、何曜日?」

 

「木曜日だね」

 

 

 ニッコリ。花の貌から目を逸らして小さな手で頭を抱える。立香の感覚でいう『昨日』は水曜日だ。そして今日は木曜日。しかし荷物が届いたのは、立香には覚えのないマーリン曰く一昨日の火曜日で──つまり、立香はほぼ丸っと一週間を寝て過ごした形になる。

 寝汚いなんてものではない。これも、時間の差違による云々かんぬんの弊害なのだろうか。

 

 

「というか、誰も起こしてくれなかったのか……? 打ち解けられたと思ったんだけどな……」

 

 

 マルフォイから立香を庇ってくれた一年生カルテットや、親切なディゴリー少年、もしかすれば監督生のガブリエル・トゥルーマンなんかも、授業どころか生活の全てをすっぽかして籠る立香を放っておくとはとても思えない。

 ああ、それはね。どこまでも軽く弾むようなサーヴァントの声に面を上げた。

 

 

「ダンブルドアがどうにかしたようだよ」

 

「ダンブルドアが? オレの為に? ……なんで?」

 

「さあ」

 

「さあ、て……」

 

 

 子供の顔でありながら、残業を抱えたサラリーマンのようにどっと立香の顔に疲労が浮かんだ。図らずもその色は、立香やマシュが心から慕う白衣のその人にそっくりだった。

 

 

「ダンブルドアって何者だよ……」

 

「魔法使いだとも」

 

「それはそうなんだけどさあ」

 

 

 見た目もキャラクターもまさに子供が描く『魔法使い』そのものだけど。なんだって不審人物の自分にここまで善くしてくれるのだろう。

 うーん。頭を悩ませながらもベッド下に落としてしまった小荷物を拾う。両手を使って広げてみて、ああ、と立香は頷いた。

 

 

「これか」

 

 

 第三の異聞帯、秦にて始皇帝の『目』から逃れる際に重宝したステルス装備であった。形は大人もすっぽり包める大柄なローブを模していた。

 

 

「なんとも実用的なプレゼントだね。サイズを除けばだけど」

 

「そりゃあ……だってマーリン用だし」

 

「おや、私かい?」

 

 

 あれ? 何も事情を知らないらしいマーリンに珍しいこともあるものだと小首を傾げながら報告会での決定を伝える。それにマーリンはやっぱり軽薄に笑うと、成程と透明マント改めステルスローブを取り直した。

 

 

「羽織ってみてよ」

 

「こうかい?」

 

「……あー、そうなるかんじか」

 

 

 霊体化とは違った塩梅で色のなくなったマーリンが立香の目に映る。おそらく立香以外の人間には輪郭すらも見えてはいないだろう。実体化したサーヴァントを布で覆っているだけなので、触れればそこに肉体がある事実は変わらないが、少なくともマスターたる立香がマーリンを見失うリスクは無さそうだ。

 

 

「……ん、何か入ってるね」

 

 

 マーリンがローブの懐から折りたたまれた用紙を取り出した。

 

『Per 立香くん! 約束のダヴィンチちゃん印の透明マントをお届けでーす☆ 

【注意】二次世界の人間には絶対に見付からないように。そちらからすれば所謂オーバーテクノロジーに概する物だからね。あ、洗濯の必要はないから安心して。シオンが徹底的に汚れを弾く加工をしてくれたので助かっちゃった。それでは、幸運を祈って。Buona giornata!』

 

 レオナルド・ダ・ヴィンチのトレードマークである鏡文字サインを文末にしてメモは終わっていた。挨拶はともかく、本文は立香も知る英語での文面だったのでほっと胸を撫で下ろした。助かった。聖杯の現代知識強制附与さまさまだ。小さなダヴィンチを造ったのは聖杯ではなくダヴィンチちゃん本人だけど。

 

 

「お礼は今日の夜でいいかな。一週間って、向こうではどのくらい時間が進んでるんだろう……。──ん、よし、とにかく。マーリンは霊体化の代わりにそのローブを着てついてきてくれ。オレは──まずは朝食かな」

 

 

 カルデア戦闘服の上から魔術協会制服を着込んで、いざと革靴の踵を鳴らせばいつの間に目覚めたのかフォウが軽やかに立香の肩へと馴染む。

 緊張の面持ちでドアノブへと手を掛ける。なんたって、立香は登校初日を終えた次の日から寮内にすらも姿を現さなくなった生徒だ。問題しかない。そしてそれを立香自身もどう説明すればいいのかわからない。

 これがカルデアであればいつものレムレムですね、なんて頼もしい後輩や探偵や発明家二人が当人たる立香以上に適切に考察・解釈したのだろうが、生憎とこの場で立香の『特異体質』を知るのはマーリンのみ。透明人間……もとい透明サーヴァントのマーリンだ。実質、立香が認識しなければいないも同然の影法師だ。カルデアを頼れない今、全ては立香の話術に掛かっていた。……ナルコレプシーとか、通じるのかな、この世界。

 

 

「おはよーございます!」

 

 

 立香の感覚では昨日と同じ勢いで扉を開く。何はともあれ挨拶だ。コミュニケーションは挨拶から。相手が人間であろうがサーヴァントであろうが獣であろうが神であろうがそこは変わらない。

 

 

「「「リッカ!」」」

 

 

 立香的に昨日とは打って変わって一年生カルテットが揃って声を上げた。少年も少女も飛び上がるようにソファから立ち上がって、立香を囲んで。食堂にやってきたマスターを独り占めしようと我先にと駆け寄ってくる子供サーヴァント達を彷彿とさせる姿に、自然と立香に微笑みが浮かんだ。彼等と同じ十一歳の子供にしては達観した慈愛の笑みだ。

 

 

「リッカ、君、身体は大丈夫なの? 調子は良くなった?」

 

「わたしたち、聞いたわ。リッカ、どうして言ってくれなかったの? 黙られちゃサポートもできないのよ!」

 

 

 心配に不満を混ぜて詰め寄るジャスティンとスーザンに首を傾げる。立香の髪が背を触るのでフォウがくすぐったそうに鳴いた。

 

 

「体調は見ての通り何ともないけど……何の話?」

 

「なにって────あなた、『呪い』を受けているんでしょう?」

 

 

 立香の疑問に答えたのはハンナだ。(あくまでも立香の感覚では)昨日と同じ三つ編みの金髪を左右に振ってぎゅっと眉をひそめていた。

 益々わからない。呪いとはなんぞや。さっぱり少年少女の批難を汲み取れずにいる立香に、助け船を出したのは暖炉の側で後輩達のやり取りを見守っていた監督生だった。

 

 

「ダンブルドア先生がハッフルパフ寮まで来られて直々にご説明されたんだ。フジマルは人一倍睡眠を必要とする体質で、それは血に組み込まれた呪いだからどうしようもないんだって。聖マンゴの癒者ですら治せない病気がまだこの世にあっただなんて!」

 

 

 大仰に嘆くトゥルーマンを立香だけが呆気に取られた顔で見ている。(否、もしかしたらフォウも同じ顔をしていたかもしれない)

 周りを見渡せば立香以外の一年生達は慣れた顔付きだった為、彼等はこの一週間でこの上級生の性格にも慣れられたらしい。哀れ藤丸立香はすっかり出遅れだ。

 さて、フジマル──ここからは真面目な話だとばかりにトゥルーマンが腰を上げた。

 

 

「ジャパニーズは自分のことを話したがらない種族らしいけど──やっぱりアレかな。ニ・ン・ジャってやつか?──同じ寮に住む僕らは家族も同然。助け合う上でやっぱり情報の擦り合わせは大切だ。……隠し事は、程々に」

 

 

 隠し事をするなと約束させない辺りが何とも呼吸のしやすい説教だった。直感で、ステルスローブに身を隠し控えるマーリンが笑ったのがわかった。

 ──思えば、サーヴァントを隠す旅なんて立香にとってはこれが初めての事なのだ。特異点しかり異聞帯しかり、その場には世界の悲鳴を聞き付けたマスターを持たないサーヴァントが召喚されているのが常であったし(ロード・エルメロイⅡ世曰くは、本来の聖杯戦争は関係者外の目から隠れて行うものであり、サーヴァント一騎とて戦闘光景を目撃された場合には命の保証すらも相手には残されていないと授業を受けている)自然と、サーヴァントは隠すものという意識が薄かった。マスターにあるまじきのほほん具合だ。どこぞのあかいあくまが知ればいくら特殊状況といえど後輩の危機感のなさに頭を抱えてしまいそうだ。

 マーリンのことを隠し通さなくてはならない。彼等彼女等はこんなにも異邦人の立香へと心を砕いてくれているのに──そう、どこかで覚えていた罪悪感をトゥルーマンが払拭してくれた気がした。

 

 隠し事は程々に、だ。

 

 

「……心配かけてごめん。頼りたいことがあったら遠慮なくみんなを頼るからさ」

 

「ほんとうに? ぜったいよ? やせ我慢はダメだからね」

 

 

 心配性なのか、世話焼きなのか、未だ憂い顔の晴れないハンナへと心から笑む。

 

 

「ありがとう」

 

「フォウフォーウ!」

 

 

 一番年下の後輩達の微笑ましい問答に切りが付いたところで、誰ともなく壁時計を見上げた。カボチャのくり貫きを模した時計はとっくに朝食が始まっていることを指していた。

 

 

「食いっぱぐれても僕たちには厨房という強い味方がいるけれど、あたたかいスープにあずかりたいならそろそろ向かわなければならないよ。朝食抜きで昼まで授業を受けるのは、思いのほかキツい。だって、腹の音で何度も先生の話を中断させちまうからね!」

 

 

 プッと誰かが吹き出した。アーニーが立香の肩を叩いて、組むようにして歩き出した。先にはハンナとスーザンの女の子達が歩いていた。口出しせず扉付近で成り行きを見守っていたセドリックも立香の隣にいた。カナリアイエローのローブを翻して────いざ、あったかいパンプキンスープを求めて大広間へ!

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 一週間飲まず食わずであった立香の肉体は、一週間ぶりの食事にもかかわらずスープからシェードパイまで難なく平らげた。眠り続けたことによる身体異常は今のところ見られないようだ。本来の肉体はノウム・カルデアで今この時にも眠り続けているのだから、そちらに異変がない限りは二次世界の立香にも影響しないのかもしれない。──逆がないとは、保証できないけれど。

 下総国でも監獄塔でも、立香の精神の崩壊はそれすなわち死への直結であった。小さくても頼れるダヴィンチちゃんは命の危険はないと愛らしい笑顔で立香を後押ししたけれど、実際に現実のものとして二次世界で呼吸する立香にはどうもそうは思えないのだ。

 たぶん……ここで死ねば、死ぬ(・・)と、思うんだよなあ。

 偉業をいくつも遺して世界へ生を刻んだ英雄達のような頭脳は当然立香にはない為、所謂勘の域を出ない程度の憶測だが案外馬鹿にできない。その勘でマスター藤丸立香はいくつもの九死を切り抜けてきたのだから。

 

 ──などと。空に浮かぶ何人かの男女の影を眺めながらぼんやり思う。

 

 空だ。スカイだ。海に近い立香の瞳よりもずっと爽やかな青だ。太陽光をバックに人間が箒に跨がって飛んでいた。ファンタジーだ。

 

 

『せっかくの飛行訓練だっていうのに、マスターは箒に跨がりもしないのかい? 空を歩く経験がないわけではないだろう?』

 

「あれはエレちゃんが冥界でも動ける権限を与えてくれたからだろ」

 

 

 念話でからかってくるマーリンへと他人の姿がないのをいいことにムスッと叩き返す。なぜ立香の周囲に人がいないのか。簡単なことだ。みんなお空にいるからである。

 立香とて、正直なところは箒による空中飛行にワクワクしないでもないのだ。子供なら一度くらいは夢に見るだろう。杖を振ってアブラカタブラ……いやビビディバビディブゥ、だったか。それから、魔法のランプに魔法の絨毯。魔法の薬に魔法の杖! まさにロマンだ。シェヘラザードやナーサリー・ライムならノータイムで肯定してくれるだろう。

 正直に申し上げると────やってみたい。箒で運転、やってみたい! いつかのバステニャン操縦くらい実は物凄くうずうずしている立香なのだ。

 でも、だめだ。我慢だ。下手に挑戦して落下してキャスター着地は任せた! なんてやろうものなら全てが台無しだ。魔法使いでない立香にはロマンにうずく心に蓋をして涙を呑んで正真正銘魔法使い達を見上げる程度が精一杯だった。

 

 

「せめてこの目に焼き付けてマシュに教えてやるんだ……!」

 

『健気だねえ……』

 

「フォオウ……」

 

 

 確実に思ってないだろう声色でマーリンに慰められた。くそう、ムカつく。

 

 

「リッカ、まったくダメなの?」

 

 

 箒からふわりと下りてきたのはおさげがチャームポイントのハンナ・アボットだ。彼女は立香同様にしゃがみ込むと、わたし、箒苦手みたいだわ、なんて困ったふうに添えた。

 

 

「んー、自分には才能ないっぽい。ハンナは飛べてたじゃないか」

 

「でも、上手くコントロールできないのよ。アーニーみたいに飛べたら素敵なのに」

 

 

 ハンナの目の先を追えばスイスイとマダム・フーチを追うカナリアイエローのローブがある。アーニー・マクラミンだ。ハッフルパフ一年生の中でも彼は特に優秀だった。家名に誇りを持っているだけある。彼についていけている生徒はハッフルパフとレイブンクローと合わせても数人しか見られない。あ、あれは、えーと……同級生のザカリアス、だっただろうか。

 アーニーはすごいなあ。嫉妬心も競争心も皆無の立香ののんびりのほほんとした呟きにクスッとハンナが肩を揺らす。ジャパニーズの魔法使いは箒が得意だって聞いてたけど、やっぱり人それぞれなのねえ。地面に足を着けて空を見上げる二人は草原に吹く風のようにのどかだった。思わずフォウも背を丸めてうとうとするというものだ。ちなみにマーリンは子供みたいな顔でさて君はどんな原理で空を飛ぶんだいと立香の傍に転がる箒をつついていた。

 

 

「気にしてくれてありがとう、ハンナ。オレは大丈夫だからちゃんと記録取ってきなよ。成績に響くんだろう? これ」

 

「いいのよ。わたしには向いてないって知ってるもの。あなたも落ち込むことないわ、リッカ。あなたははじめてなんだし……アーニーもわたしもホグワーツに来る前から箒に乗っていたの。ポッターみたいな例は特殊よ」

 

 

 ふと彼女が口にした主人公の名前にうん? と首を傾げる。それにハンナもつられたように立香と同じ方向へコテリと首を倒すものだから思わず笑ってしまう。とってもかわいい。ハンナの存在は、年頃もそうだし、金髪なのもあって、カルデアのアビゲイルを立香に思い出させた。……帰ったらまた一緒にパンケーキを食べよう。次はエリセとボイジャーも誘ってみようかな。

 

 

「ハリーがどうかした?」

 

「あら、まだ知らない? わたしたちの前はグリフィンドールとスリザリンの合同訓練だったの。それでね、そのときにポッターがとっても上手に飛んでみせたんですって。彼、箒に乗るのははじめてだったのに! 自慢くちゃくちゃのマルフォイの鼻を明かしてやったらしいわ。わたし、それを聞いて胸がスッとしちゃった!」

 

 

 パッと表情を明るくさせるハンナが微笑ましくて、うんうんそうかそうかと締まりのない顔で頷く立香は、親戚の姪っ子だとかを可愛がる大人の顔をしていた。それを正面から食らったハンナは、もしかしてリッカには妹がいるのかしら、なんてコッソリ照れていた。サーヴァントの顔面偏差値が高すぎて忘れられがちだが、実は藤丸立香もそれなりに整った顔立ちをしているのである。

 ピィッ──マダム・フーチが高く笛を鳴らす。集合の合図だ。当然のようにハンナの手を取った立香に淡く少女が息を呑む。──悪くないわ、なんて。隠れて頬を染めた少女に気付いたのは透明の魔術師だけであった。

 

 ──やっぱり、ボーイ・ミーツ・ガールの感情は格別に美味しい。

 



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 一週間ぶりの報告会の時間がやってきた。立香からコンタクトを取らねば冷たい端末はカルデアと二次世界とを繋いではくれないので、きっと今この時にもホームズやダヴィンチ、そしてマシュをやきもきさせていることだろう。実のところ一番落ち着かないのは魔術師が絶妙に向いてないゴルドルフ・ムジークかもしれないが。

 緊張の面持ちで小さな指を画面に押し付ける。

 

 

「──お、きたきた。マシュ、戻っておいでー! 立香くんからやぁっと通信が来たよ~!」

 

「ふわ!? は、はひっ、いまいひまふっ」

 

 

 ──開幕ダヴィンチに、マシュだ。続いてパタパタと軽やかな足音が近付いてくる。ホログラムに映し出されたマシュの頬はリスのように膨らんでいる。

 

 

「──くうっ、オレの後輩がこんなにもかわいい」

 

「ングッ──せ、せんぱい!?」

 

「そうだろう、そうだろう? 健気で可愛いマシュ・キリエライトちゃんは君の連絡を今か今かと待ち焦がれていたのさ。食堂に向かうのも惜しむくらいにね。おかげで、ほら、アレ。ネモ・ベーカリーが冷めても美味しいパンの差し入れまでしてくれた。ちなみに隣のスープはブーディカ作で、おにぎりは頼光で、エミヤはその都度日替わり……時間替わり? メニューを持ってきてくれる」

 

「台所組の至れり尽くせりフルコースだ……そしてとんでもなく飯テロだ……」

 

「そろそろ日本食が恋しくなってきた頃合いかなー、と思ってね。おにぎりやパンくらいならそちらに送れないかと只今思案中だ。イギリス料理といえば脂っこい・味がない・率直にいって不味いの三拍子と聞くし」

 

「おっと、イギリス代表サーヴァントの一人として今の発言は聞き捨てならないね、ダヴィンチ。それは風評被害というものだ。時代は生きている。進化してこその文明だ。当然、時代が変われば食文化も大きく飛躍する。いつまでも隣国に遅れを取る我々ではない」

 

「あっ、やめてやめて。リアルでガッチガチの国際喧嘩は持ち込まないで。私が悪かったからぁ!」

 

 

 無機質な液晶に色が戻ったかと思えば、途端に賑やかになる室内に吐き出すようにして笑う。ホームズの後ろからがや同然に反論の声を挙げているのはゴルドルフ新所長とムニエルか。イギリスVSフランスだ。弛緩した立香の身をフォウが駆けて肩から画面に向かって大きく鳴く。フォーウ!

 

 

「ハッ──フォウさんにぐだぐだするなと喝を入れられてしまいました……!」

 

「あ、今のそういう意味なんだ」

 

「フォフォ、フォフン」

 

 

 一仕事終えたとばかりに今度は立香の膝に丸くなる小動物。そのふわふわ毛玉に頬を緩めて、ありがとうと耳の裏辺りを掻いてやる。

 

 

「うん、フォウの言う通りだ。じゃれ合いはここまで。──前回の通信からこちらでは実に四時間が経過しているわけだけど、ちょーっと空き過ぎじゃないかと心配してたんだ。もしかして例の〝ズレ〟はランダム仕様だったりするのかい?」

 

 

 早速切り込まれた疑問にどうにかと答えていく。つまりは──一週間、藤丸立香は眠っていたらしい、と。その間にステルスローブが届いた礼も添えて。

 立香の報告に、ゾッと目を見開いてバイタルの確認を担当していたスタッフ数名とホームズが目まぐるしい速さで記録を洗い直す。ネモ・ナースは立香の肉体を直接診ると足早に管制室を出ていった。結果は──どちらも異常無し、だ。

 ほっと胸を撫で下ろすマシュの隣で唸るのはダヴィンチだ。

 

 

「長時間の睡眠を必要としたのは精神体の消耗が激しいから? それとも本来の年齢とのズレをピントで合わせる為に調整に入ったのか? はたまた単純な副作用という可能性も────ううん、つまりこういうことかなぁ。『二次世界』はあくまでも君の『夢』という扱いだから、昏睡状態にある立香くんの肉体を管で繋いでいる限りは風邪も引かなければ空腹にもならない、とか?」

 

「えーと……難しいことはわからないけど、とりあえず空腹は普通にあるよ。走れば疲れるし暑い寒いも感じるし怪我をしたら痛い……と、思う」

 

「夢なんてそんなものだろう。私とてたとえ夢であろうとローストビーフにありつけたならば絶品だと舌鼓を打つだろうからな」

 

「それはオッサンが食い意地張ってるだけだろ。……と、ま、でもフジマルと新所長の言い分は俺にもわかるぞ。夢ってのは案外、感覚に関してはリアルだ」

 

 

 例えば下総国の件を取っても立香の身から五感が奪われた事例はない。狂った魔術回路を正す為、内臓まで鬼の爪で掻き回された痛みを立香が忘れることはない。

 

 

「と、いうことはだ。二次世界の立香くん──今こうして話してる方の立香くんだね──が眠ってる間は、よりこちらの、肉体としてある立香くんに近いのかもしれないね」

 

 

 ううん? つまり? と、今ではすっかり子供の顔になってしまったマスターが首を傾げるのに、小さな天才の仮説を引き継いだのは大きな探偵だった。

 

 

「つまり、こちらにあるミスター藤丸の肉体に何らかの異常が生じればそれ等は全て『君』への負担として伸し掛かるが、『君』の異常に関しては肉体側に全て反映されるわけでないということだ。わかりやすく例えるなら──君が今ここで指を切ったとしてもこちらの肉体にその傷はできない。しかし痛みがなくなるわけではない。すなわち、精神への負荷として蓄積される」

「さて、では『君』が眠っている間その精神体──意識と置き換えてもいいね──はどこを漂っているのか。おそらくは二次世界よりもこちらに近い場所にある。つまりは、肉体に。だから眠っているあいだミスター藤丸の肉体が空腹を覚えない限りは『君』もそれを感知しない。ある種『君』が導かれる睡眠の先は〝無の時間〟ともいえるわけだ」

 

「…………」

 

 

 相変わらず形式張った口調に、ぐっと頭に熱がたまった気がした。それはきっと、二次世界の立香の身が子供であるから、だけではない。賢い人達はどうしてこうも難しい話を難しくするんだ。

 

 

「でも、それだと立香くんの意識が他所にふわふわ~っと飛んでいっちゃったりしないように繋ぐものが必要だったりしない? 早急に。虚数空間ではないけど、長時間彼は『無』に投げ込まれるわけだから」

 

「────あ。」

 

 

 そこで、ようやく合点がいったとばかりに立香は顔を上げた。

 

 

「アヴェンジャー」

 

 

 アヴェンジャー──エドモン・ダンテス。復讐鬼としての在り方を完結させる為、立香を七日間の煉獄に引き込み導いた監獄の主。煙草と恩讐の炎の残り香。立香をかの王の呪いから解放したどうしようもなく不器用なファリア神父。

 

 

「たぶん、巌窟王がオレを繋ぎ留めてくれてるんだと思う」

 

 

 腑に落ちた心地だった。下総国の時だって、彼は立香を掬い上げるため夢を辿って駆け付けてくれたのだから。今回も、きっと、そういうこと。

 

 

「ふむ──と、なると……」

 

 

 立香とホームズの頭に浮かんだ単語はおそらく同じだ。──『二次世界』は『監獄塔』に似ている。

 頭脳も平凡だと自称する立香がその事実に気付けるのだ。もっと前から、ホームズの優秀な脳細胞は結論を弾き出していたに違いない。そう確信して尋ねれば、ホームズはパイプ煙草を緩慢にくゆらせた。

 

 

「無論、それ等の類似点について私は第一に注目したとも。そう、つまりは──過去、マスター藤丸立香が解決してきた事件の幾つかに要所要所が類似している(・・・・・・)、と。これこそが此度の謎の鍵となるだろう」

 

「ホームズ、ダンディぶってないでそういう情報はさっさと共有してくれないかなあ。あと、マシュの身体にもこの私のパーフェクトなボディにも良くないから煙草は喫煙所で、て決まりだろ」

 

「これは電子煙草だよ」

 

「うっそだろ……キミ」

 

「えぇい、唐突に漫才を始めるな! 頭のおかしい天才共め! 話を続けたまえ、このままではフジマルが夜更かしするハメになるでしょうが! 未発達の脳に睡眠不足は馬鹿の始まりだとトゥールが言っていたのだ!」

 

 

 マシュから、ダヴィンチから、議事録に忙しなかったシオンから、ネモ・プロフェッサーから、そしてついでにムニエルからほっこりと生暖かい目が大きなお腹のおじさんへと流れた。どんな憎まれ口を叩こうともすっかりマスコット扱いのゴルドルフ所長だ。

 かわいいおじさんに和んだところで、催促の目は再び黙する探偵へと集まる。ゆるりと口を開いた男は告げる。

 

 

「────今は語、」

 

「ああ、はいはい。いつものだね。じゃ、語れる時になったら改めて頼むよ、探偵」

 

「…………」

 

 

 にべもないダヴィンチだった。

 

 

「さて、ゴルドルフおじさんが心配するから巻きでいくよー。立香くんの多眠についてそちらではダンブルドアの機転から〝呪い〟とやらの所為になったそうだけど──あっさり誤魔化してくれたダンブルドアって一体何なんだろうね?」

 

 

 魔法使いでない立香が困った事態に当たれば魔法のように救いの手を差し伸べてくれる魔法使いのお爺さん。なんだかまるで立香の事情を見抜いているかのように彼のアシストは的確だ。──ほんの少し、薄気味悪いと感じるほどに。

 どうにかまた、あの人と話をする機会に恵まれないものか……。立香は脳裏に手段の一つとしてステルスローブを浮かべて、連鎖的に謎と云えば『彼』のこともそうだと口を開く。

 

 

「マーリン、何を隠してるんだろうね」

 

 

 二次世界において藤丸立香とサーヴァント契約を成立させたかの魔術師は今宵もその姿をカルデアの前に現そうとはしなかった。いい加減、立香にもわかる。マーリンはカルデアを避けている。

 

 

「現在、マーリンさんはどちらに?」

 

「情報収集だって、ダヴィンチちゃん印のローブを着て出てるよ」

 

「情報収集、ねえ」

 

 

 すっかり疑う様子を隠しもしなくなったダヴィンチを相手に苦く笑う。──それでも、誰も立香にマーリンを信用するなとは言わないのだ。そんなことは数多のサーヴァント達と絆を繋いできた立香自身が最も理解している。そしてそんな藤丸立香だからこそ、マーリンを信じ続けるだろうことをカルデアの人間は理解している。

 忠告はある。心配もする。警戒だって促す。そしてそれから先は──マスターの判断を信じる。

 

 

「もう少し時間をくれるかな」

 

「それはマスターとしての決定かい?」

 

「そう」

 

「なら、従うまでだ」

 

 

 これまでの旅が君の正しさを示しているから。

 

 その信頼が重いのだと────言える強さがあればよかったのに。

 

 

「それじゃあ今回はこのくらいにして──と。そうだそうだ、出席日数的な現実問題は大丈夫なのかい? それともその辺りはご都合主義が働くのかしら」

 

「…………休んでた間の授業内容を補習を受けるなり自分で調べるなりしてまとめてレポートで提出、とのことです」

 

 

 うわあ、と。通りすがりにライネス師匠とイシュタルと霊基再臨済みのロード・エルメロイⅡ世ことウェイバー君が顔をしかめて行った。レポートはいつの時代も学生を苦しめる悪魔の単語の一つだ。

 

 

「ゴルドルフくん……どうやら我等が立香くんの寝不足は確定されたものらしいよ。君もあの、うわあ、側の人間だろう?」

 

「知らんわ!」

 

 

 ここぞとゴルドルフをからかうダヴィンチはさておき、概ねの報告が終わったところで待ってましたとばかりに進み出てきたのはマシュだ。その手にはお馴染みのタブレットがあった。

 

 

「あの、先輩。現在、先輩が身を置かれるストーリーの進行具合について追って確認していたのですが、本日、飛行訓練をされたとのことで間違いありませんか」

 

「うん、そうだよ。すごかった」

 

「す、すごかった、ですか?」

 

「すっごくすごかった。聞いてよマシュ。魔法使いってほんとに箒で飛ぶんだ。あれこそファンタジー」

 

「ファタジー……!!」

 

「マシュにも見せたかったなあ、あの光景。惜しいことをした」

 

「せ、先輩は……先輩も、こう、空を……!? マーリンさんの力でバビューンとかしちゃったりしたのですか!?」

 

「オレもできるならバビューンってしたかったんだけどね。あんな棒一本に全体重かけてバランス取れって、ただの人間には無理ゲーだと思わない? 跨がった瞬間に確信したね。あ、これ、落ちるわ。て」

 

「……やはり棒で飛ぶのはむりげーなのですね……」

 

「ご、ごめん……」

 

 

 しょんぼりしてしまったマシュのホログラムを慌てて撫でて慰める立香だが、その本心はしょんぼりマシュもかわいいなあ、である。そんな立香の下心を読み取ったのか、フォウがなんとも胡乱そうに立香の袖を齧った。

 

 

「──ハッ! そうではありませんっ! 先輩の愛らしい紅葉さんの手に撫でられるという至福のひと時に何もかもを忘れかけてしまいましたが、そうではないのです!」

 

 

 正気に戻ったマシュが矢継ぎ早に告げる。主人公たるハリー・ポッターの飛行訓練の日に何が起こるのか。そう、まさにこのくらいの時間に────

 

 

「──ごめん、マシュ。オレ、ちょっと行ってくる」

 

「先輩?」

 

 

 立香はそれまで腰掛けていたベッドから跳ねるようにして立ち上がると、魔術協会制服のローブを羽織った。反動を利用したフォウが軽やかに立香の頭部へと着地した。するりと柔らかな毛と爪が首を伝って肩の定位置へと座する。

 

 聞こえてきたのだ。脳の中へと。サーヴァントの声が。

 

 マーリンの────「マスター、ハリーくんとロンくんが寮を抜け出してスリザリンのドラコ・マルフォイくんと決闘しようなんて企んでるみたいだぞう。いやあ、これは見物だ!」などと愉悦を極めた声が!

 感情わからないくせにイキイキしやがって、あのロクデナシぃ!

 



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 事件在るところにヒント有り。特異点修復に向けて、何故かハリー・ポッター少年の栄えある友人Cに収まってしまったらしい立香に残された選択は、とにかくハリー・ポッターが起こす事件に片っ端から首を突っ込むことだった。彼はこの世界の主人公なのだ。彼を中心に物語は加速していく。特異点の有無に関わっていないとは到底思えない。

 困惑しきりのマシュへとまた後でと断った立香はフォウを連れて忍び足で談話室を覗いた。とっくに消灯時間を過ぎた室内は仄かにランプが灯を残すくらいで、人の気配はまるでなかった。これならばステルス礼装を持たない立香でも簡単に抜け出せそうだ。今ばかりは、日本が誇る忍者直伝の抜き足差し足を駆使して樽の山を下りる。

 ──マーリン。さっそく主人公絡みのトラブルを嗅ぎ付けたサーヴァントへと念話で呼び掛ける。

 

 今、どこにいるんだ? ────答えは。

 

 

「…………ふぅ」

 

「うぎゃっ!?」

 

 

 突如、片耳を触った生温い吐息に立香は飛び上がった。咄嗟に口を押さえて、振り返る。お茶目だけれどちっとも可愛くない悪戯をしてくれた犯人は声なく腹を抱えて笑っていた。

 

 

「……マーリン」

 

「いやあ、すまないすまない。小さな背中で精一杯暗闇を警戒している藤丸くんの姿があんまりにもいじらしいものだから、つい魔が差してしまった。夢魔だけに」

 

「……フォウくん、ゴー!」

 

「セクハラフォーウッ」

 

「ドッフォーウ!?」

 

 

 ここまで、あくまでも小声でのやり取りである。

 ガジガジとマーリンを執拗に齧るフォウを回収して、まだ湿っている気のする耳を擦りながらマーリンが羽織るローブを掴む。

 

 

「マスター?」

 

「さっさと詰めて」

 

「君もこの中で一緒に移動するのかい?」

 

「なにかご不満かな、キャスター」

 

「まさか!」

 

 

 細身だけれど身長のある大人が着込んでもまだ余裕を残しているローブだ。今や、少女タイプのダヴィンチと並ぶ程に縮んだ立香一人を内に巻き込むくらいは訳ないだろう。

 気持ち二人三脚で移動を開始する。夜の城はどことなく埃臭くて、しかし傍にある花の香りが立香を心身からリラックスさせた。だって、彼は藤丸立香のサーヴァントなのだから。

 

 

「彼等はトロフィー室で今夜の勇気を見せ合う約束をしたらしい」

 

「なにそれ。トロフィー室とか知らないんだけど……」

 

「そこは頼れるマーリンお兄さんのエスコートに任せてくれたまえ」

 

 

 言葉の通り、マーリンは迷わなかった。彼には〝視えて〟いるのだろうと立香は思った。

 九月の気候は、昼間は暖かくとも夜には気の早い秋が隙間風を差し向けてくる。ふう、と息を吐いて、問題児達が入室済みのトロフィー室を覗く。金やら銀やらのトロフィーが反射する影は四つ。

 パジャマにガウンを羽織ったハリー・ポッターにロン・ウィーズリー、その後ろにはネグリジェにピンクのガウンのハーマイオニー・グレンジャー。と、名前はわからないけれど何度か見掛けたグリフィンドールのまるっとした男の子…………

 

 

『……聞いていた話より人数が多くないですかね、マーリンさん』

 

『会場に辿り着くまでにギャラリーが増えてしまったようだね。子供は好奇心旺盛なくらいが丁度いい』

 

『対してマルフォイくんはいないみたいですけど』

 

『うん、そりゃあそうだ。マルフォイくんはすっぽかしたもの』

 

『…………』

 

『そもそも、端から来る気がなかったのだからこれはドタキャンというより罠と呼ぶべきかもしれないね? マルフォイくんの代わりにやってくるのは皆大好き管理人のフィルチさんだ』

 

『…………』

 

 

 無言で、ローブから顔を出す。隙間を残して中途半端に閉じられた扉へと手を掛ける。勢いよく開ききって、一言。

 

 

「────この、クズ!!!」

 

「うわぁ!? なんだ、マルフォイか!? ……え、リツカ?」

 

 

 どうしても、心の底から湧き上がるグランドクソ野郎への罵倒を抑えられなかった立香である。

 確かに、確かにマーリンは何一つ嘘は吐いてないけどさあ……ッ!

 

 

「なんで君までここに……もしかしてマルフォイとグルなのか?」

 

「そんなわけないだろ、ハリー。リツカはお人好しのハッフルパフだぜ?」

 

「オレのことはこの際どうでもいいから、みんなおとなしく寮に戻ろう。フィルチさんがこっちに向かってるらしいから。そんでもってマルフォイは来ないから」

 

「そぉら、ごらんなさい! くだらないことにわたしまで付き合わされたわ。こんなことなら部屋で明日の変身学の予習でもしてれば良かった──とんだ時間の無駄よ。最低っ」

 

「え、え? これ、マルフォイとの待ち合わせだったの? 君、変わってるね……ハリー」

 

 

 一様に反応を示しながらも混乱から抜けられずにいる子供達をとにかく寮まで送ろうと振り返る。──あ。

 目が合った。闇の中に光る目が牙を剥いて鳴いた。────ニャア。

 

 

「まずい、ミセス・ノリスだ──!」

 

 

 一番に駆け出したのはロンだ。ハリーと、それからちゃっかり立香の腕も取って走っていた。ハーマイオニーがヒィヒィとロンの後を追う。さらにその後ろを涙目の男の子──立香は知らないが彼の名前はネビル・ロングボトムだ──が殆ど引っくり返るようにして追い縋る。

 

 

「ロン、ちょっと、待って、」

 

「アッ、だめ──前──ロン、前を見て!」

 

「だめだ──おしまいだ──この足音、ぜったいにフィルチだよ!」

 

「クソ、なんでこの扉閉まってるんだ!?」

 

 

 逃走先の突き当たり、八つ当たり気味にドアノブを回すハリーをハーマイオニーが押し退ける。その手には杖があった。何をする気だと男の子達が息を呑む中、彼女は唱えた。

 

 

「アロホモーラ!」

 

 

 ──カシャン。戸が開く。勢い余って雪崩れ込む。ネビルの尻に押されて再び扉は閉まる。

 

 

「「「────」」」

 

 

 どっと息を吐いて、すっかりへたり込んでしまった少年少女は互いの悲壮な顔付きを眺めておもむろに笑った。大人から逃げ延びてやったぞ、そんな幼い達成感が彼等を包んでいた。クスクスと伝染していく忍び笑いはまるで戦友の証のようでもあった。

 気難しいハーマイオニーですら肩の力を抜いて、杖を懐へと仕舞い直して────振り返る。硬直。実は問題の影にとっくに気付いていた立香だけが何とも言えない表情で首を振る。ハリーとネビルの顔色が汗だくの紅潮から真逆の色に塗り変わる。

 

 

「ここはさ、やっぱり言うしかないと思うんだよね────『話の途中だがワイバーンだ!』」

 

「それはワイバーンじゃなくてケルベロスよ!!」

 

 

 ハーマイオニーの絶叫に獣性を目覚めさせたケルベロスが四つ足でいきり立つ。中央の頭が大きく吠えて、左右の頭は如何にも骨と肉が好きそうな牙を唸らせている。

 怖くない。わけはない。このケルベロスに神の名を冠するクリロノミアが埋め込まれているなんて反則は勿論ないけれど──数多のエネミーを相手取ってきた立香ですら化け物を前にした恐怖には未だ慣れられないのだ。それを、こんな子供達に今すぐ勇気を持って戦えなどと言える筈がない。

 

 

「──マーリン」

 

 

 藤丸立香が喚ぶ。ニンマリと夢魔が笑う。

 

 

「ご所望は子守唄といったところかな、マスター?」

 

「え──だれ──?」

 

 

 姿はない。けれど、声が。やさしく、子供達の鼓膜を揺する。

 

 

「それでは夢路を添うにぴったりの、ちょっとばかし不器用なとある王の話をするとしよう。──シェヘラザード嬢ほどの語りは期待しないでおくれよ?」

 

 

 ガーデン・オブ・アヴァロン────

 

 男の声が蜃気楼のように揺らいで、嗅いだことのない淡い花の香りがして、ゆるりと視界が溶けた気がして────ふと、四人はグリフィンドール寮の扉の前に立っていた。扉番を務める太った婦人の肖像画が「あなたたち、立ったまま寝るのはおよしなさい! 入るの? 入らないの? 合言葉を誰も覚えていないのですか!?」と不機嫌そうに喚いていた。

 

 

「あ、あれ──僕たち──ああ、ごめんなさい、豚の鼻!」

 

「ぶ、豚の鼻!」

 

「夢だった……? でも、確かに──」

 

「いいから。ネビルもハーマイオニーも中に入って」

 

 

 婦人の、夜更かしするならせめて私の知らないところでしなさいなとお説教なんだか愚痴なんだかわからないぼやきを背にして四人は談話室へと着く。足元がおぼつかない。寝惚けてるみたいだ。夢心地だった。花の白昼夢に惑わされた。

 全員で同じ夢を見たのか。いいや、そんな筈はない────確かに、自分達はケルベロスの部屋をこの手で開けた。ただ、そこからどうやって移動したのかがわからなくて、頭の中が霧のように曇りがかっていて──そうだ、リツカは。

 ハリーはハッと面々の顔を見回した。グリフィンドールでない彼が当然グリフィンドールの寮まで共に来ているわけはなくて、ハリーに視線を返す子供達の中に海のようなマリンブルーはなかった。

 

 

「ねえ、リツ……」

 

「あの犬──なにか守ってたわ。足元に」

 

 

 ポツンとこぼしたのはハーマイオニーだ。そのまま、彼女は肩から落ちそうなガウンを乱暴に引っ掴むと全ての元凶はお前達だとばかりにハリーとロンを睨んでから女子寮へと向かった。なにもかもがとばっちりのネビルはスンスン鼻を鳴らしながら寝室へ引っ込んだ。残されたハリーとロンは、互いの顔をはっきりと見た。──どちらも、興奮を抑えられずにいた。

 

 

「ハーマイオニーのやつ、なんて言った?」

 

「グリンゴッツから盗み出された宝はここにあるんだ。──あの犬が守ってるんだ!」

 

 

 辿り着いてしまった。ハリーの誕生日の日に起きた事件の答えに。大人ですら解決できない謎を子供のハリーとロンが明かしてしまったのだ!

 ああ、はやくリツカにも話してやらないと──不思議と、リツカはハリーの話を頭がガチガチのハーマイオニーのようにバカにしたりはしないだろうと確信していた。リツカならばきっと──ハリーの味方をしてくれる。

 じわりと広がる達成感を胸に少年達はベッドの上で目を閉じる。──『男』の声は夢幻となってハリーの頭の中から消えていた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 先輩。祈るような声で少女は桜色の唇を震わせる。先輩──部屋を飛び出していってしまった小さな彼には一騎当千のサーヴァントが着いている。それも、マーリンだ。本来ならば生者ゆえサーヴァントとして成り立たない彼は自動的にその先のグランドクラスを冠せない。しかし実力はとっくにグランドクラスのサーヴァントにも並ぶのだという。なんたって大魔術師マーリンなのだから。魔術師ならば世情との交流を断ったもぐりだろうと生まれたての雛だろうとその名を知らぬものはない偉人の中の偉人だ。

 そのマーリンが着いているのだからたとえ子供の体躯に縮んでしまった立香であっても滅多なことにはならないと、頭は理解している。

 それでも、少女は囁く。────先輩。

 心配と、焦燥と、思慕と──ほんのちょっと、スパイスのような嫉妬を交えて。

 

 

「先輩」

 

「ただいま、マシュ」

 

「フォウ」

 

 

 少女の祈りは得てして届けられた。藤丸立香は決してマシュ・キリエライトの声を見失わない。

 

 

「先輩──! おかえりなさい、お怪我などは」

 

「大丈夫。ケルベロスに遭ったけどマーリンが幻術で誤魔化してくれたから。ごめん、マシュ。さっきはこの事を伝えようとしてくれたんだよな?」

 

「はい……先輩がご無事なら、それでいいのです」

 

「うん、ありがとう。ハリー達のことも、マーリンがちゃんと寮まで付き添ってるからさ。すっごく便利だね。──透明マント!」

 

「はいっ。透明マントは作中でも常に大活躍のマジックアイテムです! 張り切って作製したダヴィンチちゃんもきっと喜びます」

 

 

 和やかに帰還と再会を喜び合う男女の後ろでそのダヴィンチが相好を崩していたりするのだが、知るのは隣のシオンとゴルドルフばかりである。

 

 

「話、中断してごめん。続き、聞かせてくれる?」

 

 

 改めてベッドへ腰掛けた立香にマシュはきゅっと指を丸めた。

 立香と出逢った頃に比べて、マシュはぐっと感情豊かになった。立香の隣で、人として生きることを一つ一つ教えられた。それは砂の山から砂金を拾い上げるような時間だった。

 けれど、足りない。まだまだ、満足できない。マシュは他の誰でもない──藤丸立香その人の手を握って、世界を見ていたいのだから。

 

 

「原本確認担当マシュ・キリエライト、マスター藤丸立香への確認作業を再開しますっ」

 

「よろしく」

 

「先輩は現時点で賢者の石を守る番犬ケルベロスとの遭遇まで進んだと見られますが、その間のハリー・ポッター少年の日常描写内に見過ごせない記述があります。闇の魔術に対する防衛術の担当教諭──クィリナス・クィレルの存在です」

 

 

 どの教科も初回となる初めの一週間が抜けている立香だ。当然、闇の魔術に対する防衛術を受けた覚えもなく、以前観た映画の記憶を頼りに「ターバンの男だよな? 鼻が曲がりそうなくらいニンニク臭い」とアタリをつける。

 

 

「頭に魔王をくっつけてる黒幕だっけ」

 

「正確には魔王ではなく闇の帝王ヴォルデモート。真名トム・リドルですね」

 

「闇の帝王……改めて聞くと、こう、ムズムズするね。ジャンヌ・オルタが好きそうだ」

 

 

 立香の言いたいところを理解して、苦笑いする立香にマシュも小さく笑った。きっと彼女なら好きだ。次のサバフェスの題材になっていてもおかしくはない。

 

 

「その、はい、闇の帝王さんがクィレルに取り憑いているので、授業含め先輩には重々注意していただきたく」

 

「ん、りょーかい」

 

「先輩が次に何時『二次世界』でお目覚めになるかわからないので情報が後出し後出しになってしまうところが難点ですが……」

 

「十分だよ。これでも多少のトラブルはどうにでもできる自信があるんだ。知ってるだろ?」

 

「……はいっ」

 

 

 暗にマシュとの旅をなぞらえる言葉に、マシュは大きく首を振る。

 大好きだと思う。やっぱりわたしは──この人が大好きだ。

 

 

「マシュ、オレからも聞きたいんだけど──『賢者の石』って、要はなに? パラケルススの宝具とは違うの?」

 

「それは私が答えるべきかな?」

 

 

 マシュの横からふっと顔を覗かせたのは、手に持つバインダーへと熱心にデータを取っていたシオン・エルトナム・ソカリスだった。ふんわりした紫髪のツインテールを傾けて、眼鏡の奥の瞳を知的に輝かせている。興味の対象たる立香を捉え、ツイッとペンを向ける。

 

 

「簡易授業といきましょうか、フジマルくん。──歴史上、賢者の石に関わった人物は主に四人とされています。製作に成功したヘルメス・トリスメギストスにニコラス・フラメル、活用したことで有名なのは先程も名前が上がったパラケルススに、あとはサンジェルマン伯爵とかも面白い逸話が残ってるね」

 

 

 あ。と。立香の目が開く。口もぽっかり開く。聞き馴染みはないけれど、馴染みある単語に青い目が反応する。

 

 

「そう、カルデアの君達にはお馴染みでしょう? カルデアが持つ電子演算機トリスメギストスとそのオリジナルに当たるアトラス院最大の記録媒体トライヘルメス。これらに使用されたフォトニック結晶が話題の賢者の石です。簡単に云えばオーパーツ。君にならムーンセルの方がわかりやすかったりするかな」

 

 

 途端に溢れる横文字に小さくなった脳みそが悲鳴を上げた気がしたが、立香はマシュの前でだけは情けない顔はできないとばかりに踏ん張った。男の子の意地だ。ウトウトしていたフォウが慰めなのか呆れているのか尾で立香の頬を撫でた。

 

 

「とはいえ、こちらは『現実』でそちらは『物語』──名前は同じでも意味合いまでが同じとは限らない。そもそも、賢者の石なんてのはパラケルススの件から名前だけが一人歩きした悪魔みたいなもので──え? パラケルススがどう関わるのかって? その辺りは流す(スキップ)流す(スキップ)。本人に聞くなりしてください」

 

 

 茶目っ気溢れる中断(カット)で魔術師若葉マークマスターへの授業を切り上げたシオンは、こんなものかな? とマシュへ微笑みかけると気儘に自身の作業へと戻った。引き続き、マシュの〝ハリー・ポッターシリーズ解説〟に移行する。

 

 

「我々が指す賢者の石は先程シオンさんが説明してくださった通りですが、ハリー・ポッターシリーズでの意味合いはエリクサーの面が強いように思われます。所謂、不老不死の霊薬、ですね。まだ赤ん坊であったハリー少年がヴォルデモートの襲撃を退けた一件から、ヴォルデモートは己の肉体を持ちません。残留思念のような彼は賢者の石による延命、復活を目論むわけです」

 

 

 映画を一度や二度ゆるりと観ただけの立香のあやふや知識がマシュによって補足されていく。──つまり、怨念たっぷりのゴーストのようになってしまったラスボスは肉体的な意味でクィレルを仮宿に利用しているのだ。

 

 

「どこも大変なんだなあ……」

 

「どこも大変ですね……」

 

 

 ついつい、他人事のように沁々してしまう二人であった。

 

 

「今回はここまでにしましょうか、先輩。先輩の集中力も切れた頃とお見受けします」

 

「うん。正解。実はさっきから眠気が限界なんだ。今日も付き合ってくれてありがとうね、マシュ」

 

「礼には及びません。──先輩の、サーヴァントですから」

 

 

 海のような青と銀河のような星々の紫がやわらかに交じる。二人のあいだに残す言葉はおやすみの挨拶だけ。それが──こんなにも名残惜しい。

 

 

「先輩──まだ、カルデアへは帰ってこられない……の、ですよね」

 

「うん。何一つ解決してないし調べきれてもいないから。まだ、帰れない」

 

 

 だから、ほんの少し。君と繋ぐ手は空けたままでいよう。

 

 

「もう少しだけ──この場所でただの藤丸立香としてやってみるよ」

 



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藤丸立香は疑わない

 

 二次世界における藤丸立香の目覚めは不規則である。翌日当たり前のように目が覚めることもあれば一週間以上眠っていることもある。おかげで、ホグワーツに珍しいアジア系の出身であることも相俟って(それも何かと謎の多い島国だ)いつの間にか立香はハッフルパフ寮生含むホグワーツ在校生から神出鬼没のピクシー、もしくは遭遇できればラッキーなツチノコのように扱われていた。不思議なことが日常茶飯事の魔法の世界だからだろうか、思いのほか生徒達の順応性は高かった。いわく──「日本からの珍客リツカ・フジマルは〝そういうもの〟なのだ」と。

 体内時計に従い目覚め、背を起こす。はらりと前髪が振って落ちる。相変わらず、眠り続けることによる心身的不調はない。強いて問題を挙げるとするならば授業に全く参加できず周囲に追い付けない点だが、これもとある『協力者』を得たことによって大雑把にクリアした。──今日も、朝食後にその『協力者』へと会いに行く予定だ。

 立香の感覚では毎日替わらないカルデア戦闘服と魔術協会制服に、月日確認担当のマーリンいわく三日ぶりに袖を通して協力者の元へと足を運ぶ。待ち合わせ場所は図書室。室内を神経質そうな目付きで鋭く見回す司書の目を掻い潜って、立香の分まで席を確保し既に座している彼女の肩を叩く。

 

 

「ハーマイオニー」

 

 

 そう──何故レイブンクローに組分けられなかったのか誰もが首を傾げるグリフィンドールの才女、ハーマイオニー・グレンジャーだ。癖が強すぎて纏まることを知らない栗毛の髪をポニーテールにした少女は、待ち人を確認するとページをなぞっていた手を止めてニッコリ笑った。

 

 きっかけは実に簡単だった。ハーマイオニー・グレンジャーは勤勉で図書室が好きだった。そして友達がいなかった。藤丸立香は勤勉でも図書室が好きな訳でもなかったが、自主勉強をするには図書室は有効だと知っていた。そして友達がいなかった。──訂正。友達はいるが毎度立香の遅れに付き合えるほど暇な友達はいなかった。同寮のハッフルパフ生は上から下まで人付き合いのプロフェッショナルのような人達なのだから。取っ付きやすすぎてあっちにこっちに引っ張りだこだ。グリフィンドールのカリスマ性もレイブンクローの弁論力もスリザリンの統制力も持たないが、親しみやすさでいえばハッフルパフの右に出るものはない。それこそ孤高を好む悪役のスリザリンですらハッフルパフを馬鹿にすることはあっても排除しようとはしないのだから。

 つまり、ハッフルパフの生徒の他に立香の自主的補講という名の自主勉強に付き合ってくれる地頭が良くてノートをしっかり取っていて自分も勉強するという都合上ついでに立香の面倒も見てくれる稀有な人物はハーマイオニー・グレンジャーの他にいなかったのだ。奇跡的な合致だ。

 そうして、元来世話焼きなグレンジャー嬢は図書室で鉢合わせするたびレポートと教科書を相手ににらめっこする立香に自然と付き合うようになっていった。

 なお、これらはあくまでも成り行きであり二人の間に明確な約束はない。立香自身、この二次世界で次にいつ自分が目覚められるかわからないのだから。ただ、図書室に向かえばどちらかがいて、待っていればどちらかに会える──そんなあやふやな時間を二人は楽しんでいた。

 

 

「今回は三日なのね。お久しぶりと言うべきかしら」

 

「オレとしては昨日もハーマイオニーに会った感覚なんだけどね」

 

「あなたの例の病気ってそういうものなの? それって、なんだかずるいわ。わたしだけ待ち惚けみたい。あなたがいなくても図書室には毎日来てるけど」

 

 

 非難めいた声色で自分の隣の席を叩いて立香へと着席を促すハーマイオニー。しかしその目も口も満足そうに笑まれている。ようは本心であり冗談であり甘えだ。ああ、思い出すなあ、このかんじ。と立香は脳裏に真面目で努力家で拷問が好きで猫が嫌いなとある(見た目は)少女の姿を浮かべる。今にも、くっふっふー! と得意気に甲高い声が笑い出しそうだ。

 そして思う。拷問やら猫嫌いやらはともかく、ハーマイオニーも彼女に負けず劣らず真面目で努力家でそして律儀だ。今でこそ真面目すぎる性格からお祭り気質の自寮生に煙たがられる彼女だが、そのうちに主人公のハリー・ポッターとロン・ウィーズリーに並んで主要人物の一人として物語を動かしていくことになる。──立香ばかりに構っていて、後の親友二人と交流しなくて良いのだろうか。

 

 

「ハーマイオニー、言いにくかったら無理はしなくていいんだけど──オレと一緒にいて大丈夫?」

 

 

 ハリー・ポッターシリーズのストーリーをよく知らない立香ですら把握している主役三人組の三人でない姿におそるおそると伺えば、教科書を開いた手でフォウをあやしていたハーマイオニーは不思議そうに目を瞬かせてから、ああ、と持ち前の回転力で納得した風に頷いた。

 

 

「なんの問題もないわ。わたしはリツカが良いの。グリフィンドールの人たちよりリツカと一緒にいるほうが楽なのよ。──だって、リツカは他の男の子とはちがうもの。寮が違ったって関係ないわ。そうよ、そもそもリツカがはじめからグリフィンドールにいてさえくれれば──いいえ、ダメ。あんな幼稚な群れにあなたを放り込んだりなんてしたら、それこそ寝込ませちゃうわ。やっぱりあなたはハッフルパフが一番よ」

 

 

 どうやら立香の唐突な疑問と心配は、寮同士のあれこれを杞憂してのことだと解釈したらしい。続けて、学年一の才女はハッフルパフの生徒は誰とでも仲良くなれるからあなたとわたしが一緒にいても不思議じゃないわ、とフォローらしきものも添えた。

 

 

「あなたは落ち着いていて大人っぽいわ。嫌がらせで汚れたユニフォームを投げ合ったり、それがいつのまにか本格的なドッヂボールに替わっていたり、下品な落書きに笑ったり、女の子を品定めして品のない会話で盛り上がったり──そういうこと、しないもの。グリフィンドールの男子寮のきたなさを知っている? まともな整理整頓──『使ったものは元の場所に戻しましょう』すらできないのよ、あの子たち」

 

 

 うんざりした口調でおしゃまにぼやいた少女は、手元のフォウだけに向けるように小さく呟く。……それに、リツカはでしゃばりの出っ歯女なんて陰口も叩かないわ。

 

 彼等彼女等は現在十一歳だ。十一歳といえば、義務教育を掲げる日本育ちの立香からすればまだ小学生の印象だ。ああ、この頃の男子ってそんなものかもなあ、と羽ペンをインク壺に点けながらぼんやり思う。ランドセルを振り回してあちらこちらに転げ回って────ふと、正真正銘小学生だった頃の自分を振り返ってみる。一番に思い出したのは、体育の時間中に隣の男子が膝の中に隠れてぐるぐる巻き糞……じゃなくてソフトクリームの絵を校庭に描き、結局先生の話そっちのけで男の子たちでゲラゲラ笑いあった記憶だ。今となれば微笑ましいに尽きる思い出だが、同時に恥ずかしくもある。バカ丸出しだ。この辺りの年齢は女の子のほうがずっと精神的に大人びているというし、当時もハーマイオニーのように「男子ってバカばっかり!」と軽蔑していた子も少なくはないように思う。

 立香が落ち着いて見えるのはあくまでも十一歳の子供にしては、の話であって、カルデアも魔術も知らなかった高校生の立香は成人に向けて一歩を踏み出した年齢にも関わらず無邪気で素直で少年の心を忘れない子供だった。たぶん、今でもそう。立香自身、自分には遊び心がある方だと思っている。先程ハーマイオニーが迷惑げに挙げた幼稚な事柄の事例も、カルデア男子サーヴァントが集まった場ならば容易に混ざるし逸そ率先する自信すらある。マンドリカルドとか。燕青とか。黒髭はレギュラーだ。

 つまりは、ハーマイオニーの立香への評価は実はほんのちょっとだけお門違いだったりするのだ。だから、訂正する。

 

 

「そんなことないよ。カルデア──家ではオレ、常に子供扱いだし。末っ子……て程でもないけど、弟とか息子とか弟子とか生徒とか、そんな風にオレのことを思ってくれる人が多いからさ。むしろ大人っぽいなんて褒められるのは新鮮だ。今だけなんだろうなあ」

 

「ご家族が多いの? それともご親戚の話もふくんでいるの? あ、ソコ、sじゃなくてrよ」

 

「おっと危ない、ありがとう。んー……訳あって色んなひとと一緒に暮らしてるんだ。ほんとーに、色んなひと。大抵がオレとマシュより大人で──中には年齢不詳だったり、見た目はオレより子供のひともいるけど──血の繋がりはないけど、大切な家族だ」

 

 

 誤字の上にフォウが肉球でスタンプするのに笑いながら、海を渡ってどころか世界線を越えた先で立香を待ち続けてくれている人達へと想いを馳せる。

 彼等彼女等と一年を共にして、行事を共にして、寝食を共にして──そして生死と未来をかけた旅を共にした。かけがえのないひと達だ。たとえ生者でなくとも。現し世に写し出されただけの身勝手な偶像だとしても。

 

 

「片付けの話とかもさ、オレも疲れて後回しにしたりなんかザラだよ? そうしてるあいだにエミヤママ……世話焼きな人が完璧に掃除してくれてたりするんだけど。あ、最近はその手の雑用はマリーンがやってくれるかな。……よく考えればすっごく甘えてるな、コレ。ちゃんと感謝しないと」

 

 

 改めてノウム・カルデア本拠地内に限り至れり尽くせりな現状に立香が親孝行ならぬサーヴァント孝行をしようと噛み締めていると、隣のハーマイオニーはこらえるように口をきゅっと結んでいた。怒りの表情ではない。むしろ楽しそうだ。

 

 

「どうかした?」

 

「だって──あなた、今、ママって言ったわ。あなたもお母さんのことをそんな風に呼ぶんだと思ったら……子供っぽいなって」

 

 

 どうやらエミヤママの部分が彼女の笑いのツボにハマってしまったらしい。なので、早速立香らしく悪ノリしていく。

 

 

「パパはちゃんとダディだから」

 

「どっちにしろ子供っぽいわよ、アハハ! あなたもわたしたちと変わらないのね」

 

 

 すっかりご機嫌な十一歳の女の子と幼っぽく顔を突き合わせてクスクス笑う。司書のマダム・ピンスから苛立ちをたっぷり込めた批難の咳払いをいただく。それにさらに声無くハーマイオニーと肩を揺らす。

 

 

『いいねえ、カルデアは君の家族か。その設定ならば私は藤丸くんのお兄さん役かな?』

 

『マーリンは現在進行形でおじいちゃんでしょ』

 

『実年齢計算は良くないとお兄さんは思うな!?』

 

「フォーウ……アフォウ」

 

「え? なぁに、フォウ」

 

「ハーマイオニーは良い子だねって」

 

「まあ、光栄だわ!」

 

 

 ハーマイオニーが座る席のその後ろ、ステルスローブを着用し控えるマーリンの反応からしてフォウの呟きの内容は全く違うものなのだろうけれど、そのフォウはハーマイオニーに撫でられ満更でもない様子なのでまあいいかとゆるりと流す。大抵の事は受け流してしまえる、その人間性こそが藤丸立香(マスター)がサーヴァントたらしとされる所以である。

 

 

「ねえ、リツカ。明日もあなたに会えるかしら」

 

「起きられたらいつも通りまたここに来る予定だけど……どうして?」

 

「明日はハロウィーンだもの。授業が終わればハロウィンパーティーがあるの。どうせわたし、独りだからそれならあなたと一緒に楽しみたいと思ったのよ。……迷惑だった?」

 

「迷惑ではないけど……ハリーとロンは?」

 

「どうしてその人たちの名前が出るの? わたし、嫌いよ。あんなトラブルメーカー。特に赤毛のソバカスのほう。ルールを破って、それで箒をもらって得した気になってるんだから。真面目に注意するわたしがバカみたい。正しいのはわたしなのに。リツカもそう思うでしょ?」

 

 

 途端に拗ねてしまうハーマイオニーに、処理し終えた魔法生物飼育学のレポートを丸めながら立香は苦笑する。この時点では主人公達の名前はこの子にとって地雷らしい。どの辺りから定番トリオになるのか、マシュから聞き出しておかなくては。

 

 

「約束よ。明日もきちんと起きてちょうだいね」

 

「善処します」

 

「わたし、知ってるわ。それ、ジャパニーズ流の〝ノー〟でしょう」

 

「ァイテテ」

 

 

 てきとうに返事をしたら思いのほか本気で頬をつねられてしまった。思春期の女の子は難しい。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 日課と呼んでも差し支えない勉強会を切り上げハーマイオニーと別れた立香は、完成した出席代わりのレポートを各担当教諭の元へと提出して回っていた。寮監でもあるスプラウト先生から始まり呪文学のフリットウィック先生、何時見ても忙しそうなマクゴナガル先生にこちらは人生まるごと暇そう──というか人生が終わって暇そうなビンズ先生。そして最後の提出先は魔法薬学のスネイプ教授だ。

 じめっとした湿気を帯びた地下へと繋がる階段を下りながら気が進まないと肩のフォウに愚痴る。立香の持病(という扱いに収まっているとマーリンが教えてくれた)の関係で出席日数が数えるほどしかない藤丸立香という生徒を、セブルス・スネイプは気に入らないようだった。仕方ないとも思う。立香とて、新学期から早二ヶ月目に入ろうというのに数回しか顔を合わせられない生徒をもしも自分が抱えることになったなら、非常に扱いに困ると思う。しかたないと、彼の気持ちを汲むつもりではいるのだけれど──

 

 

「穴熊の有名人殿は『時は金なり(タイム・イズ・マネー)』という言葉を知らないらしい」

 

 

 ねっとりしていてどことなく薄暗い、そんな声帯から放たれた渾身の嫌味に日本人お得意の無敵の愛想笑いが引きつった。彼が述べた『有名人』にはきっと『劣等生』のルビが振られている。副声音と置き換えてもいい。正直、教育者として彼の生徒へのこの対応は如何なものかと思う。

 だがしかし、舞台は一九九〇年代のイギリスだ。立香は決して歴史に詳しいわけではないけれど、少なくとも立香が学生をやっていた頃ほど人権が重視される時代でないことくらいはわかる。差別問題に今この場で立香が大手を振って切り込んだところで、文字通り時代が追い付かない(・・・・・・・・・)のだ。郷に入っては郷に従えとは全く便利な言葉である。

 

 

「遅れてすみません。これ、三日分です。よろしくお願いします」

 

 

 さっさとレポートを手渡し難癖つけられる前にとそそくさと教員用の準備室を後にする。ああ、もう、生きた心地がしない。無論、気分一つで次の瞬間には首を取りに来るような危険サーヴァント──代表例:バーサーカー、鬼種、ノッブ等だ──を相手取ることに比べればなんということはないけれど、緊張の種類が違う。近いのは、まだカルデアが南極にあった頃の査問会耐久六時間だろうか。あれも胃をぶっ壊されるかと思った。ひたすらチェイテピラミッド姫路城についてどう説明したものかと頭を悩まされた。

 

 ふう。安堵と疲労に息をついて、地下から陽が落ちかけの地上へと出たそこに太陽の残光を受ける金髪が見えた。フォウがお出ましだとばかりに鳴いて、マーリンがわざとらしく嘆いてみせた。

 

 

「日曜日になんでお前がこんなところにいる」

 

 

 スリザリンのドラコ・マルフォイ少年だ。立香からすれば数日ぶりの小憎たらしい顔だが、二次世界換算では三週間と少しぶりといったところか。

 

 

「スネイプ先生に、ちょっと」

 

「劣等生のイエローごときがスネイプ先生相手に点数稼ぎかい? 残念だけれど、あの人はスリザリンを心から愛してらっしゃる。その鼻をいくらひくつかせたところで餌はもらえないよ。さっさと温室にでも漁りにいくといい。君のところの寮監だ、育ちの悪い芋くらいは恵んでもらえるんじゃないか」

 

 

 師そっくりの嫌味ったらしい口調で休日もきっちりオールバックにキメた少年はせせら笑う。相変わらずだなあ、と立香は胡乱げに少年を見遣る。マーリンが立香だけにしか見えないのをいいことに愉悦のテクスチャを貼り付けて横槍を入れる。

 

 

『マスター。今、君が思ってることを当ててみせようか』

 

『はい、マーリンさん早かった。どうぞ』

 

『『よく回る口だなあ』』

 

 

 思わず吹き出してしまいそうな口を咄嗟に噛むことで堪える。ちなみに共犯者のマーリンは思いっきり腹を抱えて笑っていた。無声で。器用な魔術師だ。

 間一髪失笑は堪えられたものの、立香の妙なふうに歪んだ顔面をマルフォイは怒り由来のものであると捉えたらしい。途端に口ごもり何やら言い訳めいたものを口の中でごにょごにょ転がし始めた少年に、微笑ましくてつい立香は丁寧に整えられた金髪を撫でていた。あ。空気が固まる。ついでに互いの挙動も停止する。

 

 

「や、あの、これは、ツンデレに見せ掛けたヘタレかわいいなとかおっきーに需要がありそうだなとかそういうアレではなくてですね」

 

「…………」

 

「決して下心では、ない、ん、ですけど…………ごめん」

 

 

 ぎこちなく手を引っ込めた先、マルフォイ少年は透き通りすぎて蒼っぽくすらもある肌をほんのり赤らめるとおもむろに口を開いた。ようやっとかち合った目はギラリと開かれていた。

 

 

「──ッ調子に乗るなよ、たかが黄色猿のジャップごときが!!」

 

「わっ──」

 

 

 肩で立香を押し退けて、全身全霊をもって(いか)らせながら地下室へと降りる背中を見送る。呆然とする。だって。

 彼は確かに怒っていた。立香を睨み威圧した。けれども、あれは──今のは、どう見たって────

 

 

「……ジャンヌ・オルタにも需要ありそうだね」

 

「フォウ」

 

 

 照れ隠しがわかりやすすぎるツンデレ美少年とか、ぜったい好きでしょ、ジャルタ。

 



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 談話室で憩う寮生達による三日ぶりにリッカを堪能しようの会から逃れて現在、立香はカルデア通信機を起動する前にステルスローブを脱いだマーリンと向き合っていた。これを起動してしまえば、マーリンが霧のようにいなくなってしまうことはとうに判っているのだから。立香に最早マーリンの行動を止める意思はない。それよりも、だ。

 

 

「明日、オレのこと起こせる? マーリン」

 

 

 ハーマイオニーとの約束の方が遥かに気掛かりだった。彼女はあくまでも冗談めかして見せてはいたけれど──きっと本心でもあった。せっかくのパーティーに独りは寂しいと、言葉にできないSOSを立香に向けて懸命に発していた。健気でひたむきでそして悼ましい少女の願いに応えたいと思うのは、善良な人間性を持つ藤丸立香からすればなんらおかしなことではないだろう。

 しかしマーリンの反応は乏しい。うーん、と腕を組んで難しいですと人外の美しさを持つ顔に書いている。分かりやすく書いている。分かりやすすぎる。わざとらしい。つまりはこのロクデナシ────ただただめんどくさいだけなのである。

 マーリンとの付き合いも、第五特異点から数えていけば随分長い立香だ。旧カルデア施設からの強制退去時に別れを済ませたとはいえ、このサーヴァントもどきはそれまでサーヴァントぶって勝手に疑似召喚されては勝手に立香をマスターと呼んでいた期間がある。つまりは、マーリンのクズでロクデナシでそのくせハッピーエンド厨な人外らしい中身を藤丸立香(マスター)はよく知っているのだ。ああ、これがマーリンでなくしっかりパスを通している他のサーヴァントであったなら令呪の一画でも使用してお願いするところなのに。マーリンはサーヴァントのフリをした実際のところ徒歩でやってきてるだけのただのサーヴァント級の大魔術師なので令呪は効かない────あっ。

 

 

「…………令呪を持って」

 

「ギクゥッ」

 

 

 わざわざ口でギクッとしてくれた花の魔術師に立香はハッと口を覆った。

 

 

「そっか、効いちゃうんだ……今のマーリンは正式なサーヴァントだからオレの令呪が効いちゃうんだ……!?」

 

「や、やめてっ。令呪でボクに乱暴する気だろう!? 同人誌みたいに! サバフェスの同人誌みたいに!」

 

「くっくっく、よいではないか~よいではないか~」

 

「あ~れ~お止しになってお代官さま~~」

 

「アッフォーーーーウ!」

 

 

 つい悪ノリしてふざけ倒していたら小動物にまとめて蹴り上げられてしまった。マーリンは頬を往復で蹴られていた。ほらね、ハーマイオニー……男はみんないくつになっても子供(ガキ)なんだよ……。

 冗談はさておき。大きな毛玉と華麗に格闘する小さな毛玉を胸に抱き留め大きな毛玉ことマーリンを見上げる。

 

 

「無理ではないんだよな。それとも令呪、使ってほしい?」

 

「それはオススメできないな、マイロード。こちらの……君達の言う『二次世界』と『現実』に時差がある以上、使った令呪がこれまで通りに回復する確証はない。例えばその刻印が現実側にリンクしているものと仮定すると、一画を回復させるのに必要な時間が一週間にも一ヶ月にも、はたまた一年なんてことにもなりかねない。ここは、通常の聖杯戦争通り三画使い切りと考えた方が失敗した際の痛手は浅い。さて、では貴重なたった三画の絶対命令権を『明日ちゃんと起こしてよママ』に使うのは勿体ないと思わないかい?」

 

 

 それに、と口の上手い魔術師は続ける。

 

 

物語(ストーリー)に重要なイベントなら君は自然と起きると思うよ。聖杯の持ち主次第ではあるけど。私の予想が正しければ──ああ、問題ないとも。君は明日、必ず目覚める」

 

「マーリン」

 

「私は主人公(キミ)のファンだからね。君が魅せてくれる物語の為ならば助力は惜しまないさ」

 

「さっきはめんどくさいって顔してたくせに」

 

「それはそれ、これはこれ。君の夢に棲み着いてる番人とボクは相性が悪いんだ」

 

「てきとーだなあ、オレのサーヴァントは」

 

 

 それはそれ、これはこれとジェスチャーで遊んでいるマーリンを横目に、フォウを腕に捕らえたまま片手で通信機をタップし立ち上げる。先程まで悠々と語っていた口達者なサーヴァントは、途端、瞬間移動の如く扉付近まで後退していた。この魔術師、逃げの姿勢に迷いが無さすぎる。

 

 

「わかった。なら信じるよ。マーリンのこと。ほら、これからマシュ達と話すから好きなだけ散歩してくれば」

 

「口調がペットの犬猫を放り出す時のそれとまったく同じだよマイロード」

 

 

 似たようなもんだろ、というのはフォウの手前控えることにした立香である。

 霊体化状態のマーリンが退室したのを確認した後、接続を開始する。待ってましたとばかりに液晶に顔を出すのは勿論マシュだ。この健気な後輩がきちんと食事・睡眠を取っているのか先輩は心配になってしまう。

 

 

「お待ちしてました、先輩!」

 

「お待たせしました、マシュ」

 

 

 タブレットを手にやわらかでふわふわでマシュマシュっとした笑顔を見せてくれる後輩にデレッと相好を崩す。マシュと一日だって離れているのは寂しい。けれども、だからこそこの夜だけに許された逢瀬への愛しさは限度なく立香の中に質量を持って積もっていくのだ。

 無事に特異点修復できたら、一番にマシュを抱き締めに帰ろう。

 

 

「お変わりありませんか? 其方ではざっと三日ほど経過しているとデータに表れていますが、こちらは正しい情報でしょうか」

 

「正解。今回は三日眠ってたみたいだ」

 

「では──二次世界(そちら)の明日は『ハロウィン』なんですね」

 

「そうだけど……やっぱり何かあるのか?」

 

 

 ハリー・ポッターシリーズの電子書籍が表示されているのだろうタブレットを覗ききゅっと眉を寄せる原作確認担当のマシュに、マーリン同様に意味深長なものを感じ取った立香が単刀直入にと切り込む。立香の疑問にコクリと頷いて応えたマシュは、通信端末の液晶へとぐっと顔を近付けると叡智の結晶を光らせながら凄んだ。(かわいい)

 心做しか声も立香を目一杯脅かそうと潜められていた。(大変かわいい)

 

 

「心して聞いてください、先輩。──ハリー・ポッター入学一年目のハロウィンには、トロール襲撃事件があります」

 

「…………。っえ、トロールが襲撃してくるの? ここに? あのプチ巨人みたいなやつが? ……そういえば映画にそんなシーンがあったような」

 

「はい。そしてハリー・ポッター、ロン・ウィーズリー、ハーマイオニー・グレンジャーの三人が友情を結ぶきっかけとなるのです」

 

「ハー……ナルホド」

 

 

 ド真剣なマシュへと(どこまでもかわいい)まったく気のない返事をしながらも小さくなってしまった脳みそから懸命に朧気な記憶を絞り出す。

 役者の顔などはとっくにへのへのもへじ状態だが、えーと、確か、ハーマイオニー役の女の子がトロールに襲われて……二人がヒーローらしく助けに行く展開、だったか。あれ、トロールだっけ? 大蛇じゃなかったっけ。これはちがう映画か?

 

 

「先輩?」

 

「あ、うん。気にせず続けて、マシュ」

 

「はい。では、明日のトロール襲撃事件について詳しくお伝えしますね」

 

 

 そしてマシュは原作を片手に立香へと予言であるとばかりに語って聞かせた。

 ロン・ウィーズリーの言葉に傷付いたハーマイオニーが女子トイレへとこもってしまうこと。その間に黒幕を頭に寄生させた手駒教師ことクィレルがトロールをホグワーツへ招き入れてしまうこと。不幸にも騒ぎを知らないハーマイオニーこそが女子トイレでトロールとはち合わせてしまうこと。ロンとハリーがハーマイオニーの窮地を救い、そこからトリオとしての一歩が紡がれること──

 

 

「オレでも、サポートくらいはできるかな」

 

 

 マシュから一通りの説明を受けた立香は、そして当然の顔をして呟いた。彼等と行動を共にする──それを全く厭わない顔だ。

 立香にはどれほど危険であろうと物語の主軸足る彼等に関わらないという選択肢はない。それはストーリーに添うことで〝特異な点〟を炙り出す効率的な意味合いだけでなく、ただ単純に彼等を守りたい善良な気持ちからくるものだった。そんな立香を理解しているからこそ、マシュは彼のどこまでも純粋な善性を眩しく美しく思うのだ。藤丸立香はマシュ・キリエライトが心から『先輩』として敬う誰よりも人らしいひとだから。

 

 

「先輩、どうか無理だけはしないでくださいね」

 

「大丈夫だよ。今更オレがトロール程度に遅れを取ると思う?」

 

「先輩お一人の場合であれば可能性は十分に存在するかと」

 

「さすがマシュ。分析完璧」

 

 

 端から反論する気のない立香のさまにクスクスと少年少女が笑い合う。二人を見守るカルデアの大人達の視線を受け入れながら、和やかで穏やかな時を過ごす。

 

 

「真面目な話、やばいと思ったら素直にマーリンを頼るからさ」

 

「……マスターの『盾』のサーヴァントはわたしです」

 

「ん゙ッ」

 

 

 マシュのいじらしくもほんのり嫉妬のこもった非難に立香はグッと胸を抑えて呻いた。立香の膝上というお馴染みかつ特等席にてくつろいでいたフォウがこれまたお馴染みだとばかりに振ってくる頭から軽々と逃げた。安定のクリティカルヒットだ。藤丸立香オーバーキルです、星出しよろしくお願いします。

 

 

「今日も後輩が尊い。撫でられないのがつらい。次元の壁が憎い」

 

「先輩、どことなくラップのようになっています、先輩」

 

 

 立香の後輩讚美ラップもどきはともかくとして、跳ねっ気のある黒髪がゆらりと起き上がる。彼のマリンブルーの瞳はスンッ……と据わっていた。マシュの後ろで若人達を見守っていたダヴィンチとホームズの目は異様に生あたたかかった。居たたまれない。ただオレは後輩でありマイベストパートナーのマシュを愛でたいだけなのに。

 

 

「いっそマルフォイで我慢するしかないのか……ハリーの髪も触り心地は良さそうだけど」

 

「? マルフォイさん、ですか?」

 

「うん。実は今日うっかりマルフォイの頭を撫でちゃってさ。意外と可愛いところもあるんだなーって思ったら、つい」

 

 

 彼は四六時中髪を油断なくワックスで撫で付けているため彼の本来の髪質などはわからなかったが、少なくとも幼げに赤らんでいく頬に関しては実に見応えがあった。血色の悪い吸血鬼じみた美少年の赤面とは、何人かのサーヴァントがスタンディングオベーションしそうな有り様だ。とりあえずフェルグスとメイヴちゃんを筆頭にするザ・ケルトの皆さんは軒並み座り直してほしい。

 ほんの数時間前の筈なのに随分昔の記憶のようなやり取りを思い返しながら立香がなんともいえない心地でいると、ふと液晶の中のマシュが黙り込んでいることに気が付いた。

 

 

「マシュ?」

 

「──先輩。頭を撫でる行為は国によっては著しい侮辱行為に当たるので気を付けてください。特にインドやタイなどアジア圏諸国の幾つかは頭部を神聖なものとして扱います。ホグワーツ在校生の中にも其方が出身の生徒がいるかもしれません。例えば……パチル姉妹などが当てはまるのではないでしょうか」

 

 

 唐突に始まったマシュの為になるウンチク雑学に、呆気に取られながらも立香は頷くしかない。なお、パチル姉妹とそれほど面識のない立香だが、ホグワーツでは珍しいアジア系人種という共通点から互いの認知は完了している。確かに彼女達双子はエキゾチックな美女だ。

 

 

「パールとかアルジュナはこれまでなにも言って来なかったけど……もしかして我慢させてたのかな」

 

 

 知る限りのインド系サーヴァントを思い出して表情を曇らせる立香に、慌ててマシュは付け足した。マシュとて、なにも立香を落ち込ませたくて唐突かつ非常に意図的な雑学を持ち出したわけではないのだから。

 

 

「皆さんは聖杯から現代知識を得ていますから、先輩に悪気があってのものではないとしっかり理解した上で甘受なさっているのだと思います。ですから、サーヴァントの皆さんにはこれまで通りの接し方で問題ないかと。はい。ですので、ええと、つまりですね。わたしが言いたいのは、その──つまり──────先輩は誰彼と無差別にそんな優しい顔をして頭を撫でてはいけないのですっ! いけないのです!!」

 

「二回言った」

 

「はいっ、大事なことなのでマシュ・キリエライトは二回言いました! 以上で今回の報告会は終了してよろしいでしょうか!? よろしいですね!?」

 

「フォーウ」

 

「フォウさん、文句無しの素晴らしいお返事をありがとうございます!!」

 

 

 最早マシュは自棄だった。すべらかなミルク色の肌を耳まで真っ赤にさせて、それではおやすみなさい! と精一杯の挨拶を律儀に投げ捨ててからダッシュで管制室を逃げ去ってしまう。さて、テンパりパニクる後輩にすっかり取り残されてしまった立香はというと。

 

 

「オレの後輩、やっぱり世界一かわいくない?」

 

 

 こちらも大概であった。呆れるフォウと共に、ダヴィンチとムニエルがご馳走さまと答えた。

 



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 波乱であると既に予告されているハロウィン当日。立香はマーリンの保証通りにスッキリと目覚めた。この二次世界で連続起床したのは久々だ。

 なんだか早くもやり遂げた心地で談話室へと顔を出すと、ハッフルパフ一年生の中でも特に立香と親しくしている男女四人組──アーニー、ジャスティン、ハンナ、スーザンの通称ハッフルパフカルテット(立香の一存的内輪命名である)がわっと賑やかしく立香を囲んだ。

 

 

「リッカ! 君、昨日も起きていたのに今日もだなんて、近頃は調子が良いのかい? それとも昨日の君は幻? いいや今の君が幻かい?」

 

「どっちのオレも本物だって。おはよう、アーニー」

 

「ああ、よかった! 聞いてちょうだい、リッカ。今日は夕食がまるごとハロウィンパーティーになるらしいの! けれど、リッカはそれを知らずにひとりぼっちで眠っているのかもしれないと思うと……わたしたち、あなたのことが気掛かりで仕方なかったのよ。けれど、これならリッカも楽しめそうね。もちろんフォウも」

 

「フォウ!」

 

「一年生は朝から元気で良いねえ。ちなみに僕はリッカ双子説を推すよ。ほら、ジャパニーズは生まれると必ずカゲムシャがつくんだろう?」

 

「ガブリエルのその微妙にずれてるステレオ日本人像は一体どこから仕入れるの……」

 

 

 入学初日から曰く付きであることを憚りもしない藤丸立香をおおらかに受け入れてくれるハッフルパフの彼等へと笑う。立香が羽織る魔術協会制服のローブとハッフルパフ生に与えられるカナリアイエローのローブは形こそ似通えど全く違う質の物だ。けれども、カナリアイエローに囲まれる立香の姿は異物でありながら絶妙に溶け込んでいた。それもこれも、ハッフルパフの彼等彼女等が立香を差別しない善良な人々であるからだろう。無論──全員が、という訳にはいかないが。

 

 

「ザカリアスはまたクィディッチ練習の見学?」

 

「そうみたい。朝から熱心よね。二年生になったら、絶対に選手になりたいと思ってるんじゃないかしら。わたしとしてはアーニーの方が向いてると思うけど」

 

 

 スーザンにクィディッチ選手を目指すザカリアスよりも箒操縦の才能があるとほのめかされたアーニーは照れ臭そうに頬を掻いていた。こんな日にもクィディッチ(立香は魔法使い専用のサッカーみたいなものだと認識している)の朝練はあるんだなあ、と筋トレが日課の立香は一方的に親しみを覚えた。道理でハッフルパフの代表的良心セドリック・ディゴリーの姿もないわけだ。彼は──確かシーカーとかいう花形ポジションの選手なのだったか。

 

 

「さあ、まずはともあれ朝食よ! 後であなたが眠っていたあいだの薬草学のノートを見せてあげるわ」

 

「それならわたしは魔法史を」

 

「じゃあ僕は呪文学と変身学のノートを貸してあげるよ」

 

 

 どこまでも親切な級友達の気遣いに立香の瞳が潤む。感涙一歩前の顔でズズゥンッと鼻を啜った立香にフォウが半目でその頬を甘噛みした。

 

 

「やはり持つべきものは後輩と友。ギルガメッシュだってそう言ってる」

 

 

 別にギルガメッシュはそんなことは言っていない。が、ともかく。青春の証のような無垢な友人達に囲まれて、今日も立香はただの学生の藤丸立香としてここホグワーツで過ごす一日を開始した。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 さて。昼食を終え級友達から離れて腹休めにフォウと散歩していた立香は、周囲に人気がないことを良いことにふとサーヴァントへと尋ねた。ずっと気掛かりだったのだ。

 

 

「──自分がいることで、未来が変わったりしないかな」

 

 

 藤丸立香は異物である。本来完成された物語であるハリー・ポッターシリーズのストーリーに藤丸立香という人物は存在しないし、作者の意図にない第三者が主要人物達へと介入を試みるなんてのは絶対的に有ってよい事ではない。

 それはこれまでの特異点でも同じことだが、今回はまだテーブルクロスのシミ──特異な点が判明していない。何もかもが不明瞭な状態で、さて藤丸立香の行動はさらなる問題に発展しやしないだろうか。

 

 

「マーリンの千里眼は現在を見るものだから──未来はわからないんだよね」

 

「そういうことになるね。未来視が可能なのは君もよく知るギルガメッシュ王くらいのものさ。もしくは──ソロモンだとかね。そして未来視は決して万能ではない。未来が視えるからこそ確定される未來(モノ)もある。だから〝視ない〟──そういう選択だってあるんだよ、マスター。この辺りはホームズ君が詳しいんじゃないかな」

 

「…………」

 

「どちらにしろ、動かないよりは動いた方が建設的だと私は考えるけどね。なにより──巻き込まれつつも自分で道を切り開いていく主人公(キミ)を傍で見ていたい!」

 

「マーリンさあ……」

 

「フォウ……」

 

 

 欲望に素直なマーリンにこれ見よがしに呆れたポーズを取りつつも、彼から何気なく発せられたソロモンの名に立香は静かに目を伏せた。

 ソロモン──かつて己が使役する魔術式に遺骸を巣食われた魔術の王。座からすらも消滅した、立香とマシュの兄のようだったひと。──ロマニ・アーキマン。

 ああ、と思う。マーリンを喚ぶ際、立香は咄嗟にソロモンの名を大師に置いた。それは無意識のことだった。

 魔術師が指す大師とは、すなわち一族に魔術を伝えた師となる存在のことだ。個人の師ではなく一族の師──仮に宝石剣の設計図を継承し宝石魔術を発展させた生粋の魔術家系、遠坂を例に上げるとするならば彼等の大師は宝石剣の製造者・魔導元帥キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグとなり、サーヴァント召喚時には彼の名を大師に冠するのが通常だ。

 だがしかし立香は魔術師の家系ではない。一般人。エキストラ。モブ。本来ならば魔術だとか世界の破滅だとかそんなものは耳にすることさえない──きっと、有象無象と同じくなにも知らないまま災害に巻き込まれ滅んでいた存在。

 ただの藤丸立香に魔術の世界を教えた師は──ロマニ・アーキマンだ。 

 

 そのロマニはもういない。ソロモンだっていない。

 

 

「────」

 

 

 だからだろうか、と立香はマーリンを見上げた。どこにも存在しないひとの名前を呼んだから──サーヴァントとして在る筈のないマーリンを喚べたのだろうか。

 

 

「マスター?」

 

「……マシュと話したいなあ」

 

「それ、私を見て言うことなのかい?」

 

 

 今度はマーリンに呆れた風に肩を竦められた。マーリンはいつだって人間の鏡写しだ。

 ふとそんな中、立香の肩を居場所にくつろぐフォウがくるんと愛らしい仕草で首を傾げた。立香もそれに続く。隣のマーリンを窺い見れば、透明な彼は作り物らしく完璧な笑みを立香へと返した。うわ、うさんくさ。これはなにかあるな。

 

 

「ちょっとマーリン、なに──」

 

「マーァリィィィン?」

 

 

 男の声だ。ドキリとして、そして嫌な予感が濁流のごとく襲い来る。彼の声に反射的に警戒心を駆り立てられるのは立香ばかりではない筈だ。ここホグワーツに在籍する人間ならば誰もが「ゲッ!」となる存在────混沌なる魂(ポルターガイスト)のピーブス。

 鈴飾り帽子に首元にはオレンジ色の蝶ネクタイをちょこんと締めて、ピエロじみた小男が立香の前で踊る。フォウがグゥと唸る。

 

 

「マーリン! マーァリン! 偉大なる大魔法使いのマーリン! なんだって仲間外れのジャップちゃんがその名前を呼ぶんだァい?」

 

「な、なんでだろねー……ハハハ。それじゃ、自分は授業あるんで」

 

「怪しいなァ、怪しいねェ、イエロージャップのリッカちゃんは頭がイカれてるらしい。あの偏屈爺のマーリンがお好きだなんて!」

 

 

 ケタケタ嗤いながらピーブスが立香の周りを飛び回る。進行方向を邪魔してやろうという魂胆が丸見えだ。ホグワーツに住み着く基本的には無害のゴーストと違って、ピーブスは現象なのでその気になれば立香に掴み掛かり物理で足留めすることだって可能なのだ。

 これ、どうしよう。とピーブスいわく偏屈爺のマーリンを見れば、若々しい見た目の彼は物凄く微妙な顔をしていた。流石のマーリンもピーブスの相手は遠慮願いたいらしい。どれだけ厄介なんだよ、ピーブス。

 

 

「ごめん、ピーブス。オレ、ちょっと急いでて」

 

「トリィィィック・オア・ト・リィト?」

 

「えっ」

 

 

 黒々した瞳がニンマリと三日月に歪んだ。今日はハロウィン。朝から甘いお菓子の匂いが漂う、ちょっぴりダークで愉快で美味しいイベントの日だ。カルデアでハロウィンといえばトンチキイベントの始まりだが、ここホグワーツでも立香はトンチキ現象から逃れられない運命にあるらしい。

 

 

「ビーンズにガムにタルトにパァイ! お持ちかな、ジャップちゃん?」

 

「……お持ちじゃ、ないです」

 

悪戯(トリック)決定だ!」

 

 

 ぐわしと。悪意の塊にとんでもない力で掴み上げられた。文字通り、掴んで上げられたのだ。立香の足裏はホグワーツの廊下にさよならを告げていた。

 

 

「え」

 

 

 ぐるり。姿勢が変わる。顔のすぐ横にあるずんぐりむっくりなポルターガイストを呆然と見る。揃わない歯が目と同じく三日月を真似た唇の間から剥かれる。

 

 

「ピ、ピーブスさん?」

 

「ハッピーハロウィン♪ ジャップ・ニップ・リッカ♪」

 

 

 そして。

 

 

「ちょ──うそ──おま、ぉ、わぁぁぁぁあああッ!?」

 

「フォオオオオオウッ!?」

 

 

 投げられた。窓から。二階から。どこかの中庭だか広場だか校庭だかへ。立香は見本のような放物線をえがいて地面へと吸い込まれようとしていた。

 

 

「アーラシュフライトよりはマシ! だけど怖いものは怖いッ!! 着地は任せたマーリンンンン!!」

 

「災難だねえ、マイロード」

 

 

 白くはためく袖がスルリと胴へと回るのを感じながら、ハロウィンはやはり鬼門だ。と魔術師のくせにしっかり鍛え上げられた身体にしがみついて立香は沁々するのだった。嫌な沁々だ。

 

 どうにか笑う膝に力を入れて、マーリンから離れ立ち上がる。足裏が無事に地面へとただいまできているのを確めながら周囲を見回す。煤けた城壁には苔。足元には雑草。そして刻に朽ちゆく様を刻んだ煉瓦らしき残骸。

 

 

「……マーリン」

 

「なんだい、マスター」

 

「ここどこ」

 

「どこだろうね」

 

 

 たぶん、城のどこかの裏側。人の手が入っているとはとても思えない荒れ地だった。

 藤丸立香。神に嫌われ──否、愛されているかの如くお決まりの迷子である。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 少女は待ち人を待っていた。約束したのだから。午前には彼が目覚めていることも確認した。彼は級友のハッフルパフ生に囲まれて楽しそうにしていた。

 きゅっと胸が嫌な痛みを訴える。篝火のウィル・オー・ウィスプがお前も仲間だと囁く。自分とはちがい寮問わず人気者の彼だ。もしかしたら──

 

 

「リツカ……わたしとの約束、忘れちゃったのかしら」

 

 

 声にしてみれば、不安はズンッと重力を持って少女に襲い来るようだった。リツカはそんなひとじゃない。わかってる。わかってるけど。

 

 少女は拳を握って歩き出した。──迎えに行こう。自分から。

 わたしにだってそれくらいできる。ひとりぼっちだって──友達に会いに行くくらい爪弾き者のハーマイオニー・グレンジャーにだってできるんだから。

 

 そして少女は、ハロウィンパーティーで賑わう大広間へと背を向け駆けた。──────慌てふためくターバンの教師(くろまく)と入れ違いに。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「──リツカ!」

 

「ハーマイオニー?」

 

 

 かくして少年少女は出会った。残念ながら運命の──という枕詞は彼等の間には付かないが、少なくとも互いに焦がれた再会ではあった。

 全く見知らぬエリアから生還を果たした立香の姿はそれは酷いものだった。なんたってプチ冒険だ。ホグワーツの校長たるダンブルドアですらも全てを理解しきってはいないとされる謎めいたホグワーツ城を彷徨ったのだから。毛先の跳ねた黒髪は元気を通り越して砂やら小枝やらを巻き込んで爆発していたし、スラックスやローブの裾には跳ね返りの土が付着していた。ヤンチャな子供が野山を駆けずり回ってきたかのようだ。元の毛が白いフォウなんて色味がくすんで別の生き物みたいだ。

 思わずハーマイオニーがハンカチを差し出せば、立香は遠慮した後おそるおそると少女のハンカチを受け取った。

 

 

「あなた、今までどうしていたの? わたし、ハッフルパフの子から聞いたのよ。あなたってば、午後の授業に丸ごと出てないらしいじゃない。例の発作のせい?」

 

「いやぁ……ハハ。ちょっと迷っちゃった、ていうか」

 

「入学してもうすぐ二ヶ月なのに? ……あ、そっか。リツカにとってはまだ数日なのね」

 

 

 立香の迷っていた発言にオーバーに肩を落としては胡乱気な目で立香を見遣ったハーマイオニーだが、ふと適当に納得するとその目は同情めいたものへと変わった。

 

 

「あなたも大変ね。〝呪い(ソレ)〟。日本の……ええと、オンミョージだったかしら。日本の術者でもどうにもできなかったからホグワーツへと学びに来たんでしょう?」

 

「あ、そういうことになってるんだ」

 

「え?」

 

「いえ、そのとーりです。」

 

「今からでも遅くないわ。体調に問題ないのならハロウィンパーティーに行きましょう。わたしお腹ぺこぺこよ。でも、そうね……いくらドレスコードは必要ないにしてもその格好は……」

 

 

 ハーマイオニーの懸念は尤もだ。ただでさえツチノコ扱いのアジアンピクシーだというのに、このままやんごとなき事情がありますと言わんばかりの格好で大広間へと足を踏み入れたならば、立香は途端に尾ひれ背びれ胸びれの餌食となるだろう。仮にこの場にマシュがいたなら彼女が持ち歩く便利スクロールのうちの一つ、洗浄スクロールでささっと身綺麗にできたところだが、そのマシュはいない。いるのは幻術が頼りの花のお兄さん一人だ。奪われたものは取り返す方針だが無い物ねだりは良くない。

 どうしよう、一度寮に戻ってスペアと替えて来ようかな。と立香が現在地からハッフルパフ寮への道を脳内で反芻していると、突如フォウが立香の肩から飛び降りて警戒の姿勢を見せた。無惨にも土だったり木の葉だったりが絡まる毛を逆立てて、愛らしくも獣らしい牙を剥いて何かを待ち構えている。

 

 

「フォウくん?」

 

 

 反射的にマーリンを見上げた。マーリンは立香にとってはすっかり見慣れた笑顔でニッコリすると、唇だけで『く・る・よ』と伝えた。

 

 ………………来るよ?

 

 

「リ、リツ──」

 

 

 少女の震える指が立香の袖を握る。ぬっと地面に影が掛かる。大きすぎる人型のような、影。──歪な巨人の影。

 面を上げる。今さらな悪臭がツンと鼻を刺激する。巨体に反してアンバランスにちょこりと乗った頭が立香達を見下ろしている。

 

 ────トロールだ。

 



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「ッ走れ、ハーマイオニー!!」

 

 

 ハーマイオニーの手首を取って、立香はマスターとして培った判断力から地面を弾くようにして駆けた。フォウが立香を追う。さらにその後ろを棍棒を滅茶苦茶に振り回しながらトロールが追ってくる。レポート用の資料で見た通り、知能はかなり低そうだ。

 なんだってこんなところにトロールが。マシュの話では、トロールが現れるのは女子トイレの筈なのに! それとも、トリガーの条件は場所ではなく人物(ハーマイオニー)にあったのだろうか。

 

 

「ひっ──キャアアアッ」

 

 

 頭上スレスレを掠めた凶器にハーマイオニーがパニックを起こした。彼女の爪先が立香の踵を蹴ってしまい、二人は重なるようにして倒れた。咄嗟に受け身を取って、少女を抱き留めたまま少年は手を銃でも打つように組み換える。

 

 

「──ガンドッ!!」

 

 

 あくまでもカルデア戦闘服礼装による効果だが、藤丸立香が唯一使える魔術が炸裂する。一時、トロールが不自然な体勢で停止する。

 

 

「な、なに……」

 

『マーリンッ!』

 

 

 サーヴァントであるというのにマスターの危機に微笑んで立つだけの魔術師へと怒りの念話を飛ばす。すると、当のマーリンは承知したとばかりに頷くとマスターへとウィンクを飛ばし返した。────ハァ!?

 

 

「そろそろ真面目に──」

 

『ほら、来た来た』

 

 

 千里眼を有する魔術師の言葉の通り、来た。────ハリーとロンが。

 

 

「「ハーマイオニー!!」」

 

 

 ロンがトロールの腰へと掴み掛かる。さりげなく己の鼻を摘まんでいる。ハリーが杖を振り回してトロールの鼻穴へとその先をジャストフィットさせる。めちゃくちゃ痛そうだ。あと物凄く不潔そうだ。

 思わずとトロールが取り落とした棍棒をロンが浮遊魔法(ウィンガーディアム・レビオーサ)でトロールの頭へとヒットさせて──事態はマシュの語った通りに終息した。

 

 

「無事かい、ハーマイオニー!?」

 

「なんだってコイツ、こんなところに……」

 

「ああ、ハリー、ロン……わたし……」

 

「リツカ、君までどうして?」

 

 

 腰の抜けたハーマイオニーを抱えながら立香がやいのやいのと少年二人にもみくちゃにされている間に、ようやっと教師の何人かが駆け付けてきた。先頭を走っていたマクゴナガルがキリリと目を釣り上げて子供達の前へと立つ。

 

 

「これは、一体全体、どういうことなんです」

 

「待ってください、マクゴナガル先生。ハーマイオニーはトロールのことを知らなかったんだ」

 

「リツカもそうだよね」

 

「これは事故です!」

 

「それでは、トロール侵入にあたって各自寮にて待機するよう指示されたことを知っているあなたたち二人は、何故ここにいるのですか」

 

「それは……」

 

 

 活発でまだまだ幼い声が沈んでいく。懸命に正当性を訴えるも、結局老魔女の迫力にやりくるめられてしまうグリフィンドールの少年二人にそっと立香が隣立つ。

 

 

「えーと、まず自分が迷子になっちゃったんです。で、それをハーマイオニーが探しに来てくれて。そのハーマイオニーを二人が助けに来たというか……なので、一連の原因に当たるのは自分ですね」

 

「「リツカ!」」

 

「……ハッフルパフのフジマル、ですね。あなたの〝病気〟については校長より伺っています。ハロウィーンのこの日に起きられたようでなによりです。最もハロウィーンらしい夜を過ごせたようですから」

 

 

 なんとも耳に痛い嫌味だったが、苦言をこぼす老魔女の厳しい顔付きには心配の色が隠れて見えた。それを読み取ってしまえば、お人好しの藤丸立香が彼女に悪感情など持てるはずもない。続いて脚を庇いながらやってきたスネイプは立香とハリーの厄介者が揃い踏みしている現状に心から苦々しそうだったが。

 倒れ伏すトロールの両足を持ってクィレルがヒィヒィと引き摺っていく。それを見送って、子供達はマクゴナガルからの無慈悲な沙汰を神妙な顔付きをして待った。が、立香の証言もあり、此度の件は偶然と不幸が重なった結果の事故として寛容に処理される運びとなった。グリフィンドールもハッフルパフも寮点は無事だ。

 念の為、ハーマイオニーと立香に医務室へ向かうことを命じたマクゴナガルは、ナイトの如くハーマイオニーの側を離れようとしないロンとハリーに向かって去り際にぼやいた。

 

 

「友人想いも結構ですが、なりふり構わず飛び出す時は教師に一言言うように」

 

「「…………」」

 

 

 それは、つまり。勇気ある子供達のやらかしそのものには肯定的ということで。

 パチパチとロンのスカイブルーとハリーのエメラルドが見合う。そこにハーマイオニーのブラウンも交えて三者はほんのり頬を紅潮させる。人種特有の白い肌はわかりやすく子供達の興奮を伝えている。一歩引いた場所で、三人組を立香とフォウとそして傍観者のマーリンが微笑ましく見守る。

 

 

「マクゴナガル、勝手することに関しては実は寛容だよな。後できっちり叱るけど」

 

「わたし、あの人がわたし達の先生でよかったって思うわ」

 

「同感」

 

 

 どうやら、ほんの数分前までは確かに阻むものがあったハーマイオニーと彼等の壁は、予定調和のトラブルによりすっかり溶けてなくなったらしい。ようやっと、マシュが待ち望み立香が願っていた主役トリオの姿になった。

 

 

「行こうぜ、ハーマイオニー。怪我してないなら、寮でハロウィンパーティーの続きをしよう。フレッドとジョージが夕食をこっそり持ち込んでるんだ。パーシーの石頭に没収される前にかき込まないと」

 

「君、夕飯食べてないだろう? 今日のパンプキンパイは絶品だよ!」

 

「え、ええ……ありがとう、ハリー、ロン。……リツカ、あの、」

 

「じゃあ自分はここで。思わぬ大冒険でオレも腹が減ってるんだ。あと、シャワーも浴びたいし」

 

「そうだ、リツカ、その格好はなんだい? 君、禁じられた森でランニングでもしてきたの?」

 

「……近いな」

 

「近いんだ……」

 

 

 ロンの軽口に軽口で答えて、お揃いの汚れ具合のフォウが肩へと戻ってきたのを確認した立香はそのまま三人へと手を振る。もうハーマイオニーは大丈夫だ、と胸を撫で下ろす。立香がいなくとも彼等と仲良くできるだろう。この先、ずっと。──そう、物語はえがかれているのだから。

 

 さて、無事にハッフルパフ寮へと帰還した立香のあんまりな有り様にまず悲鳴を上げたのはハンナ・アボットだ。次に、誰にやられたと息巻いて杖を取り出したのはジャスティンで、寮監を呼ばねばとダッシュを決め込もうとしたのはアーニー、スーザンはいざとなれば魔法法執行部部長の叔母の権力だって借りてやると素朴な瞳に闘志を燃やしていた。

 どやどやと仲間の敵討ちに立ち上がる後輩達をセドリックが懸命に宥める。しかしそのセドリックも、常ならば整ったかんばせに浮かぶ柔和な微笑みを引き締めて立香を談話室へと縫い止めていた。

 

 

「大丈夫、本当に大丈夫だから。別に誰かにやられたとかじゃないから」

 

「リッカは身体が弱いし(「身体が弱いってなに!? そんな設定知らないけど!?」と思わず立香は叫んでいた。十一歳の肉体ながらに彼の服の下の腹が実は六つに割れてるだとか彼等は知らないのだ)そのくせ遠慮するんだもの。あなたの大丈夫は信じられないわ」

 

「リッカ、君は僕たちの仲間なんだよ。そりゃあ、グリフィンドールのようになにがなんでも喧嘩だ成敗だなんて強気には出られないけど、理不尽を許すのはもっといけないことなんだ」

 

「そうよ、リッカ。仲間が虐げられて泣き寝入りするのを黙って見てるだけなんて、そんな卑怯ものはハッフルパフにはいないわ」

 

「な、正直に話せよ、リッカ」

 

「だから、あの、ホントにちがうんだって……誰にもなにもされてないよ……強いて言うならピーブスだよ……」

 

 

 過保護に詰め入る少年少女へと恥を忍んで白状すれば、途端に空気は間抜けっぽく弛緩した。誰もが「なーんだ、ピーブスか。それなら仕方ない」といった顔だ。ピーブスの悪さっぷりはおっとり穏やかな人間が多いハッフルパフ寮にも例外なく届いているらしい。

 まさかピーブスの名前ひとつでこれ程の混乱にも収拾がつくとは。有り難いけど有り難くない。

 ともあれ、警戒網が緩んだ今がチャンスだとばかりに立香は寮生達の間を縫ってシャワー室へと飛び込んだ。フォウも一緒にわっしわっしと丸洗いし黒髪と白毛に艶を取り戻すと、これまた過保護な尋問隊に捕まる前にと自室へ避難する。ちゃっかりカリカリベーコンやらパイやらを咥えて着いてきたフォウに分け前を譲っていただく。

 ああ、まったく、ひどい目に遭った。そう、ベーコンを噛って愚痴る立香から諸々の経緯を聞いたマシュは堪えきれず笑った。マシュが楽しんでくれたなら、今日一日の苦労も悪いものではなかったかなと手の平返しする立香も大概だった。

 

 

「先輩に怪我がなくてなによりです」

 

「ガンドが二次世界にもきちんと通用するって判ったしね」

 

「ん。やっとトリオも成立したし、一応これでも第一歩ってことになるのかな」

 

「はいっ、とても大きな一歩です! お疲れ様でした、先輩」

 

 

 ホログラム越しとはいえ心から信頼するカルデアメンバーに囲まれ、漸く立香は意図的に息をつけた。ベッドの上、行儀悪く食料を並べて立香とカルデアだけの報告会という名の細やかなハロウィンパーティーが始まる。どこぞの増えるエリザベートがいないだけでなんて平和なハロウィンなのだろうとパンプキンパイを平らげながら沁々する。ここに至るまでが既にトンチキのオンパレードではあったが。嫌な沁々リターンだ。

 

 

「──んあ、そうだ。グリフィンドールのトリオ成立ってことは、オレ、ハーマイオニーとあまり二人っきりにはならない方がいいかな?」

 

 

 ふと、思い付きを口にする。ぽろっと立香の口端からタルト生地がこぼれる。それに原作の知識を持つマシュが不思議そうに小首を傾げる。立香がこぼした屑に鼻を寄せていたフォウもマシュを真似て首を傾げている。なんという可愛いの二乗。

 

 

「だってさ、ハーマイオニーってヒロインだろ? てことは最終的に主人公のハリーとくっつくだろ?」

 

「……ええと、」

 

「そう考えると、シナリオに首を突っ込むにしてもオレはロンと一緒にいるくらいが丁度いいのかな、て」

 

 

 立香に他意はなかった。ごくありふれた物語のプロットに男女の三角関係が組み込まれたとして、そこから最もチープな展開を彼なりに先取ってみたにすぎない。だがしかし、それにマッシュは困り果ててしまった。

 だって、違うのだ。立香のそれはかなり筋違いの心配だったりするのだ。

 

 

「あのう、先輩……先輩はハリー・ポッターシリーズの映画はご覧になられているのですよね。ちなみに、何作までですか?」

 

「えっ、うーん……よく覚えてないけど……でっかい蛇とか出てきた、気がする。で、ハリーが剣で戦うやつ」

 

「それはおそらく第二作目の『秘密の部屋』のラストですね。ということは……」

 

 

 マシュは悩んだ。善良なる読書家のマシュは苦悩した。何故なら、これを伝えることはそれ即ち────ネタバレなのだ!!

 ネタバレは悪! 人類悪にも匹敵する絶対悪! ミステリーものでもしも犯人を先にぶちまけるふてぇ輩がいたならば、問答無用で引っ叩いて記憶を飛ばしても許される。そう古より決まっている。作家サーヴァントだってイイ笑顔でゴーサインを出す。ちなみにマシュはかつてロマニに悪気なくネタバレをかまされて情緒の育っていない凍てつく表情のままに本の表紙でぽこすか彼の顔面を叩いたことがある。微笑ましい(熱心な読書家足るマシュにとっては笑い事でない)思い出の1ページである。

 さて、あの絶望を親愛なる先輩に己が与えるのか────生真面目で委員長気質かつ天然のマシュは頭を抱えた。実のところマシュとは反対に読書への情熱が欠片もない立香はネタバレオッケー・ザ・ライト勢なのだが、そんな人間がいるとすらも思わないマシュは身を切られる思いで告げた。

 

 

「先輩……わたしはこれから、先輩に残酷なことを告げます」

 

「え、なになになに。どしたのマシュ、これそんな深刻な話だった?」

 

「はい、とてつもなく深刻です。ハーマイオニー・グレンジャーは……ハーマイオニー・グレンジャーは………………ハリー・ポッターと結ばれる運命にはありませんッ──!!」

 

「ナ、ナンダッテー!?」

 

「ハーマイオニーさんと結ばれるのはロンさんの方なのです、ハリーさんはロンさんの妹のジニーさんと結婚するのです!」

 

「お、おお、そうなんだ……ごめん、ジニーさんが誰かオレまだよくわかんないけど……」

 

「ああ、言ってしまいました……! 必要とはいえ、わたしはなんて罪深いことを……先輩、マシュは悪いこです……ッ」

 

 

 ぐぅぅと拳を握って唸るマシュの尋常でない様子に、とりあえずノリには乗ってみたもののうちの後輩大丈夫かな、やっぱりストレス溜まってるのかな、とひっそり心配になる立香であった。

 

 

「当然、この展開にはファンの間でも賛否が分かれていまして──」

 

「マシュー、そろそろ脱線から戻っておいでー。私達はボーイミーツガールのデバガメする為にモニターしてるわけじゃないからねー」

 

 

 どうにかとインドア派とアウトドア派の温度差ぐだぐだ空間から軌道修正を図ったのは、背伸びをしてまでマシュの肩に手を置いたダヴィンチだ。彼女とその隣に佇むホームズの眼差しは非常に生ぬるかった。可哀想に、マシュの頬は大人たちのゆるーくぬるーい視線を受けて真っ赤だ。だがしかし、常ならば後輩のフォローにすかさず回る立香はこのとき脱線に脱線を重ね、ある魔術師について考えていた。

 ──でも、マーリンのやつはそのデバガメがしたくてここにいるんじゃないかなぁ。そういうところあるぞ、あのロクデナシ。ボーイミーツガール、だいすきじゃないか、あのロクデナシ。

 そして連鎖的に彼と交わした昼食後での会話を思い出す。現代を見通す彼の眼に未来は映らないけれど────

 

 

「ホームズ」

 

「私としては彼の著書の純然たるファンであるキリエライト君の味方を──うん? お呼びかな、マスター」

 

「あのさ、〝未来が視えるからこそ視ない選択肢もある〟──そう、マーリンが言ってたんだけど……これ、どういうことかわかる?」

 

 

 ふと、シオンも交えてネタバレが如何に害悪であるかについて結局盛り上がっていたダヴィンチ含むカルデアガールズも会話を止めていた。立香からマーリンの名前が出たからだ。マーリンの不可解な態度と行動については、未だカルデアの観察対象かつ調査課題の一つだった。

 質問に至るまでの経緯を冷静に立香から聞き出したホームズは片眉を跳ねさせた後、涼しげに結論付けた。

 

 

「マーリンの言葉の真意はこうだろう────まず、前提として未来は不確定であるからこそ無限に枝分かれし可能性を生んでいく。これ等の非科学的、そして魔術的原理についてミスター藤丸はある程度までエルメロイⅡ世の基礎講座を履修し終えているかな? ──よろしい。では続けよう。この、本来あやふやであるべき未来を定められた者が未来と理解した(・・・・・・・)時、その他の可能性(えだ)が観測者によって剪定されてしまう事がある。つまり、未来視こそが事象(テクスチャ)を固定するウィークポイントと成り得る。第七特異点でのギルガメッシュ王の例を覚えているかな? 結果的に彼が視た(・・)ウルクの滅びは変わらなかった。過程はどうあれ、だ。そうだね、ミス・キリエライト」

 

「はい、ミスター・ホームズ。王が視た〝滅び〟という部分は強固に固定され、その歴史が揺らぐことはありませんでした」

 

 

 ギルガメッシュが視たウルク崩壊とソロモンが視た人理焼却──第六特異点にてアトラス院のトライヘルメスからカンニングしていたホームズはまだしも、ニュータイプのダヴィンチやシオン、ゴルドルフ新所長等は記録としてそれを知るのみだ。なので、マスターたる立香と共に第七特異点をその手その脚で駆けたマシュがホームズの確認にはっきりと肯定を返す。

 

 

「えーと、つまり、未来があるからそれが視えるんじゃなくて、それを視たから未来が決定される──箱を開くまで生きてるのか死んでるのかわからない、シュレディンガーの猫とかそういうこと?」

 

「ん、待ちたまえ、藤丸君。藤丸君が今ニュアンスとして使用しようとしているシュレディンガー氏の論説は明確には皮肉であり、シュレディンガー氏が否定するコペンハーゲン解釈に基づいて生まれた誤用であるからして、此度の一例として挙げるには適さな──」

 

「ホームズ。そういうめんどくさいのは中断(カット)

 

「──と、すまない。シュレディンガーの猫とやらの誤用問題については、今においてはそれこそ蛇足だった。概ね、その解釈で構わないとも。だから義手の方で私の髪をもぎ取ろうとするのは止めたまえ、ダヴィンチ。それはアホ毛ではない。──話を戻そう。今回の例でいえば、原作という確定された未来、完全に示された終わりがある為に、まず、藤丸君が何をしようとも歴史の最終的な筋書きは変わらないはずだ。絶対に、最終回に向かって動く(・・・・・・・・・・)。──だからこそ、君の介入関係なくズレた箇所こそが特異点となる」

 

「…………」

 

 

 ホームズの断言によって、立香が懸念していた〝藤丸立香の介入によるシナリオ進行妨害〟の可能性はこうして呆気なく否定された。そうすると、次に浮かび上がるのはかの魔術師の目的だ。結局のところ問題はここに帰結するのだ。

 

 

「──マーリンは、オレになにをさせたいんだろう」

 

 

 半魔である彼の思考は、半分が人でありながら大幅に人外へと寄っている。それを立香はよく知っているし、あらゆる意味で彼と腐れ縁だったロマニ・アーキマンなんかは文字通り彼を〝ヒトデナシ〟と呼んだ。求める結果の為の手段に彼は魔術師らしく或いは人外らしく人道を含まないところがある。おおよそ、彼の弟子であった王が事ある毎に苦言するように──マーリンという夢魔は信用には適さない。

 けれど──────悪じゃない。それだけは、胸を張って言える。そしてそれだけで、立香はマーリンを信じられるのだ。

 

 

「先輩……」

 

「──ンンーっ、よし! 目下の懸案事項であります『マーリンなに企んでるのよ問題』は今日も保留! てかよくわかんないから引き続き様子見続行! 結局ハーマイオニーはトロールに襲われたし、それをきっかけに三人は仲良くなれた訳だしさ、ホームズの推理通り今のところシナリオに特異点は見られないんだろ? だったら、もう少しだけ──オレ、ここにいたいんだ。彼等のことを、そばで見守らせてほしい」

 

 

 どことなく、不安の滲む懇願だった。この世界にいたいと望む立香のそれは、本来の世界に対する裏切りではないか──そう、思い詰め翳りそうになるマリンブルーへとアメジストが力強く頷く。

 

 

「マスターの方針に、わたしは従います」

 

 

 立香のベストサーヴァントであることを憚らないマシュが率先と後押しするものだから、立香とマシュが納得しているならばと他の面々も明るく了承した。否、一人は立場上渋顔を目一杯保とうとしていたが、そんなものは簡単に見抜かれてムニエルとダヴィンチからからかい倒されていた。今日もみんなのゴルドルフおじさんはめんどくさい癒し系であった。

 

 

「今回の報告会はここまでにしましょう。お疲れ様でした、先輩。ほんとうに、怪我がなくてよかった……どうか今夜はゆっくり休まれてください。それでは、おやすみなさい」

 

「うん。マシュもちゃんと休んでね。そっちとこっちでは時間の流れが違うけど──オレの連絡を待って徹夜とか、しちゃダメだからね。……おやすみ」

 

 

 はにかむ少女を最後に通信は途絶える。なにも映さなくなった端末を枕元へ転がして、すっかり寝惚け眼のネコなんだかリスなんだか不思議な小動物を布団の中へと招き入れて目を閉じる。──────気配が、ある。

 花の香り。呪文を好まない、涼やかでほんのちょっと嘘っぽい声。額に触れる、剣だって杖だって握ってしまえるやさしい指。

 

 今日も今日とて、立香とカルデアを翻弄する夢魔の魔術師はやわらかに囁く。

 

 

「おやすみ、マイロード。────今宵も、よい夢を」

 

 



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