銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(旧版) (甘蜜柑)
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設定資料集
設定資料:自由惑星同盟の階級


原作人物やオリキャラが作中の同盟軍においてどのようなポジションにいるかの参考設定資料です。ヤン艦隊メンバーやビュコック提督って神様みたいな存在なんですよ。


―将官―

 

元帥

特に功績の大きい大将に授けられる階級。現役軍人が授けられることは珍しく、退役後や死後の追贈が多い。追贈を加えても士官学校でも同期から1人も元帥を出していない期の方が多く、6人も元帥を出した730年マフィアは空前絶後の存在といえる。

補職:統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官

主な就任者:ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時32歳)、アレクサンドル・ビュコック(兵卒出身。任官時73歳)

 

大将

通常の最高階級。統合作戦本部・宇宙艦隊司令部など軍中央の主要機関のトップ。士官学校出身者でも大将に昇進できる者は同期のトップ2~3人程度。

補職:統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官、国防委員会事務総長、後方勤務本部長、技術科学本部長、地上軍総監、統合作戦本部次長、統合作戦本部幕僚総監、宇宙艦隊副司令長官、宇宙艦隊総参謀長、国防委員会部長職・主要方面管区司令官

主な任官者:チュン・ウー・チェン(士官学校卒。任官時37歳)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時30歳。最終階級元帥)、アレクサンドル・ビュコック(兵卒出身。任官時71歳)

 

中将

軍中央では主要機関の次長、実戦部隊では正規艦隊司令官や複数星系を統括する方面管区司令官。数十万から数百万の人員を擁する巨大組織のトップなので、高度な政治力がないと務まらない。士官学校出身者でも中将に昇進できる者は同期のトップ10人程度。

補職:正規艦隊司令官、方面管区司令官、首都防衛司令官、宇宙艦隊副司令長官、宇宙艦隊総参謀長、統合作戦本部次長、後方勤務本部次長、技術科学本部次長、国防委員会事務次長、国防委員会部長職、地上軍副総監、士官学校校長、地上部隊の集団軍司令官。

主な任官者:ダスティ・アッテンボロー(士官学校卒。任官時30歳)、ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時35歳)、アレックス・キャゼルヌ(士官学校上位卒業。任官時38歳)、ウィレム・ホーランド(士官学校上位卒業?任官時32歳)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時29歳。最終階級元帥)

 

少将

軍中央では主要機関の部長職、実戦部隊では分艦隊司令官や正規艦隊参謀長。軍中央や実戦部隊の大幹部である少将には、組織運営能力に加えて政治的な能力も必要になってくる。士官学校出身者で少将に昇進できる者は1~2%程度。派閥の後押し無しで少将になるのは難しい。

補職:正規艦隊副司令官、正規艦隊参謀長、分艦隊司令官、方面管区参謀長、巡視艦隊司令官、主要星系警備司令官、宇宙艦隊副参謀長、宇宙艦隊総司令部主任参謀、専科学校校長、地上部隊の軍団長、統合作戦本部部長職、後方勤務本部部長職、技術科学本部部長職、国防委員会部次長職。

主な任官者:フョードル・パトリチェフ(士官学校卒?。任官時30代後半)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時29歳。最終階級元帥)、ダスティ・アッテンボロー(士官学校卒。任官時28歳。最終階級中将)

 

准将

軍中央では主要機関の部長職、実戦部隊では戦隊司令官や分艦隊参謀長。数千から数万の人間を動かす立場であるため、視野の広さに加えて組織運営能力に長けていなければならない。将官への門はとても狭く、士官学校出身者で准将に昇進できる者は5%程度。花形部署を歩いて30代で任官したエリートと大佐の階級で年功を重ねて50代で任官したベテランが共存している階級。下士官からの叩き上げで准将に昇進するのは奇跡に近い。

補職:分艦隊参謀長、戦隊司令官、正規艦隊副参謀長、方面管区副参謀長、星系警備司令官、主要惑星警備司令官、地上部隊師団長、主要基地司令官、統合作戦本部部長職、後方勤務本部部長職、技術科学本部部長職、宇宙艦隊総司令部主任参謀、国防委員会部次長職。

主な任官者:アンドリュー・フォーク(士官学校首席卒業。任官時26歳)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時27歳。最終階級元帥)、ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時32歳。最終階級中将)

 

―佐官―

 

大佐

軍中央では主要機関の課長職、実戦部隊では群司令や大型艦艦長、地方部隊では惑星警備隊司令や基地司令、艦隊司令部では主任参謀。将官ポストが極端に少ない同盟軍では高級幕僚や実働部隊指揮官として活躍する。業務処理能力・組織管理能力・視野の広さが高いレベルで均衡していなければならない。士官学校出身者は40歳前後で大佐に昇進するが、准将への昇進が難しいため、50前後で退職して民間に天下りする者が多い。ただ、軍高官や政治家による若手士官の青田買いが横行している同盟軍では有望な士官が功績を立てやすいポストを優先的に与えられて20代半ばで大佐に任官する者も少なくなく、士官学校卒業者の間でも昇進速度の格差が激しい。下士官兵からの叩き上げで特に優秀な者は50歳前後で大佐に昇進して定年まで勤める。

補職:分艦隊参謀長、戦隊参謀長、群司令、戦艦艦長、正規艦隊主任参謀、方面管区主任参謀、星系警備参謀長、惑星警備司令、星間巡視隊参謀長、基地司令、師団参謀長、旅団長、空戦隊司令、統合作戦本部課長職、後方勤務本部課長職、技術科学本部課長職、国防委員会課長職。

主な任官者:ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時30歳。最終階級中将)

 

中佐

軍中央では主要機関の課長補佐職、艦艇では戦艦や巡航艦の艦長、地方部隊では惑星警備副司令や基地副司令、艦隊司令部では参謀。業務処理能力だけでは務まらず、管理能力と広い視野が求められる。士官学校出身者は35歳前後の働き盛りに中佐に任官するが、昇進が速い者は20代の半ばから後半で任官する。下士官兵からの叩き上げは業務能力が高いが、管理能力と視野に欠けるため、中佐への昇進は難しいが、優秀な者は40代から50代で中佐に昇進する。

補職:戦艦艦長、巡航艦の艦長、隊司令、艦隊参謀、地上軍連隊長、地上軍大隊長、空戦大隊長、統合作戦本部課長補佐職、後方勤務本部課長補佐職、技術科学本部課長補佐職部、国防委員会課長補佐職。

主な任官者:オリビエ・ポプラン(専科学校卒。任官時28歳)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時25歳。最終階級元帥)、アンドリュー・フォーク(士官学校首席卒業。任官時24歳。最終階級准将)

 

少佐

軍中央では主要機関の部員、艦艇では大型艦の副長や小型艦の艦長、艦隊司令部では副官や参謀。大佐や中佐の下で実務を取り仕切る中間管理職。艦艇の分隊長として乗員の生活管理にあたるため、業務能力に加えて管理能力も必要になる。士官学校出身者は若さと経験が均衡する30歳前後で少佐に任官するが、昇進が速い者は20代前半から半ばで任官する。下士官兵からの叩き上げは30代から50代で少佐に昇進するが、ほとんどは50歳前後で昇進してそのまま定年を迎える。

補職:戦艦副長、巡航艦の副長、駆逐艦艦長、支援艦艦長、艦隊参謀、司令官副官、地上軍大隊長、空戦大隊長、統合作戦本部部員、後方勤務本部部員、技術科学本部部員、国防委員会部員。

主な任官者:フレデリカ・グリーンヒル(士官学校次席。任官時25歳)、コステア(専科学校卒。任官時46歳。最終階級大佐)、ヤン・ウェンリー(士官学校卒。任官時21歳。最終階級元帥)

 

―尉官―

 

大尉

軍中央では主要機関の部員、艦艇では小型艦の副長や各部門長、艦隊司令部では副官や参謀。少佐とともに大佐や中佐の下で実務を取り仕切る。統率力と業務知識が問われる地位。士官学校出身者はひと通りの経験を積んだ25歳前後で大尉に昇進するが、昇進が速い者は22歳か23歳頃に任官して軍中央の主要機関に勤務する。下士官兵からの叩き上げは30代から50代で少佐に昇進するが、50歳前後で昇進してそのまま定年を迎える者が多い。

補職:駆逐艦副長、支援艦副長、大型艦の各部門長、艦隊参謀、司令官副官、地上軍中隊長、空戦中隊長、統合作戦本部部員、後方勤務本部部員、技術科学本部部員、国防委員会部員。

 

中尉

艦艇では各部門の主任士官。士官学校出身者は少尉任官から1年で自動的に中尉に昇進し、優秀な者は副官や参謀として艦隊司令部に勤める。下士官兵からの叩き上げは30代から40代で中尉に昇進するが、40歳前後で昇進する者が多い。

補職:小型艦の各部門長、大型艦の各部門主任士官、艦隊参謀、司令官副官、地上軍小隊長、空戦小隊長。

主な任官者:ユリアン・ミンツ(兵卒出身。任官時17歳)

 

少尉

艦艇では各部門の主任士官。士官学校卒業者や幹部養成所修了者が最初に任官する階級。予備士官教育を受けた専門技術者も最初に少尉の階級を得る。20歳そこそこで任官する士官学校卒業者にとっては見習い期間に等しい。下士官兵から叩き上げた者は20代から30代で任官して即戦力として活躍する。

補職:小型艦の各部門主任士官、地上軍小隊長、空戦小隊長。

主な任官者:ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時22歳。最終階級中将)

 

―下士官―

 

准尉

艦艇では各部門の主任士官を補佐する。本来は士官と下士官の中間に立つ准士官として士官を補佐する立場だが、下士官兵からの士官登用が多い同盟軍では下士官の最上位となっている。30代から40代で任官する者が多いが、優秀な者は20代で准尉に任官して、幹部候補生養成所を経て士官へと昇進していく。

主な任官者:ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時20歳。最終階級中将)

 

曹長

艦艇では各部門の主任士官を補佐するとともに、艦内の生活単位である班の長として下士官兵をまとめる。業務経験豊富で下士官兵に睨みがきくため、下級部隊では部隊運営の要となる。30代から40代で任官する者が多いが、優秀な者は20代で任官して幹部候補生養成所を経て士官へと昇進していく。

主な任官者:ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時19歳。最終階級中将)

 

軍曹

曹長と同じく艦艇では各部門の主任士官の補佐と班長を務め、下士官兵を束ねる立場。ある程度業務経験を積んだ20代後半から30代半ばに任官する者が多いが、優秀な者は専科学校や志願兵の出身者なら20歳前後、兵役出身者なら20代半ばで任官する。

 

伍長

艦艇では各部門の主任士官を補佐する。専科学校出身者が最初に任官する階級。18歳で任官した専科学校出身者は知識はあるものの経験が足りないために見習い期間となる。経験を積んで昇進してきた志願兵や兵役の出身者は即戦力。

主な任官者:ワルター・フォン・シェーンコップ(専科学校卒。任官時18歳。最終階級中将)

 

―兵卒―

 

兵長

上等兵の中でさらに優秀な者が選抜され、下士官の代理を務める。兵長になった者は兵役や志願兵の任期が満了した時に伍長に志願する権利が与えられる。

 

上等兵

一等兵の中で優秀な者が選抜され、下士官を補佐して兵を取りまとめる。上等兵になった者は兵役や志願兵の任期が満了した時に伍長に志願する権利が与えられる。

 

一等兵

訓練期間を終えた二等兵が任官する。一人前の兵。

 

二等兵

訓練期間中の徴集兵、志願兵。新兵。




原作の記述を元に自衛隊・旧軍の制度を参考にして作成しました。あくまで本作中の設定であって、原作の一つの解釈にすぎないことを明記いたします。


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設定資料:自由惑星同盟の政治制度

概要

自由惑星同盟は数百の星系政府からなる連邦国家である。立法府の同盟議会、行政府の最高評議会、司法府の最高裁判所による三権分立体制を採用している。同盟議会議長が国家元首を兼ね、最高評議会議長は同盟議会代議員から選出される。

 

A.自由惑星同盟議会

自由惑星同盟の立法府にして国政の最高機関。代議員は一期3年で全員が改選される。定数は約1600。小選挙区制で星系を単位として1000万人あたり1選挙区が設置されるが、人口が1000万に満たなくても必ず1選挙区は置かれる。最高評議会の議長以下の評議員人事は同盟議会の承認を得なければならない。全議席が小選挙区で選出されるため、戦争の勝敗や政治家の不祥事などが引き起こす”風”に左右されやすく、政権が不安定になりがちという制度的欠点を抱える。

 

①同盟議会議長

立法府の長で同盟代議員から選ばれる。任期は次の代議員選挙まで。自由惑星同盟の国家元首を兼ねるが、儀礼的な存在に留まっている。ルドルフに簒奪された銀河連邦の反省から、最高評議会議長との兼職は禁じられている。

 

B.自由惑星同盟最高評議会

自由惑星同盟の行政府。政令制定・予算案作成・官僚人事・外交などを担当する。議長以下の評議員は全員同盟議会代議員から選ばれる。評議会の下には国務、国防、財政、法秩序、天然資源、人的資源、経済開発、地域社会開発、情報交通の九委員会と書記局が置かれている。評議会のトップは議長。議長以外の評議員は各委員会の委員長と書記局の長を兼ねる。

 

①最高評議会議長

行政府の長で同盟代議員から選ばれる。任期は代議員と同じ3年。評議員の指名権、条約締結権、同盟軍の最高指揮権を始めとする強力な権限を持つが、すべて同盟議会の承認を得なければ行使できない。同盟議会の最大会派から選出される慣例になっているが、連立政権が常態化している近年は他会派から選出されることも多い。戦時体制下で元首権限を代行しているため、一般には(事実上の)元首と認識されている。

 

②最高評議会副議長

評議員の中から選ばれて議長不在時に代理を務める。国務・国防・財務の三委員長のうちの1人が指名されることが多い。

 

③国務委員長

自由惑星同盟を構成する各星系政府間の調整を担当する国務委員会の長。評議員の中では最も序列が高く、議長と副議長が同時に欠けた場合の議長権限継承順位筆頭にある。

 

④国防委員長

軍事行政を担当する国防委員会の長。最高指揮官たる議長の下で同盟軍全軍を統括する。5000万人の巨大組織の頂点に立ち、財政支出の過半を占める巨額の軍事予算の配分権を持つ国防委員長は絶大な権力を持つ。議長権限継承順位第二位。

 

⑤財政委員長

財政・金融を担当する財務委員会の長。他の委員会への予算配分権を握っており、国防委員長に次ぐ権力を持っている。戦時立法の「臨時資金調整法」に基づく金融統制の責任者。財政規律重視派の人物が就任すると、軍事予算を削減しようとして国防委員長と対立が生じる場合がある。議長権限継承順位第三位。

 

⑥法秩序委員長

司法行政を担当する法秩序委員会の長。全国レベルの警察組織である国家保安局、国家捜査局、麻薬取締局を統括するとともに各星系・各惑星の地方警察の間の調整も行う。議長権限継承順位第四位。

 

⑦天然資源委員長

天然資源行政を担当する天然資源委員会の長。戦時立法の「資源活用促進法」に基づく資源統制の責任者として経済界に影響力を持つ。議長権限継承順位第五位。

 

⑧人的資源委員長

教育行政や労働・福祉行政を担当する人的資源委員会の長。同盟の教育行政は星系ごとの独立性が高く、人的資源委員会は調整機関としての役割が大きい。議長権限継承順位第六位。

 

⑨経済開発委員長

産業行政を担当する経済開発委員会の長。戦時立法の「平和協力法」に基づく産業統制の責任者として経済界に影響力を持つ。議長権限継承順位第七位。

 

⑩地域社会開発委員長

開発行政を担当する地域開発委員会の長。惑星開発事業や社会基盤整備事業を統括しているため、利権にありつきやすい。議長権限継承順位第八位。

 

⑪情報交通委員長

情報行政や交通行政を担当する情報交通委員会の長。メディアの監督者だが、監督権が公視されることはほとんどない。メディア出身者が就任することが多い。議長権限継承順位第九位。

 

⑫最高評議会書記局長

最高評議会の事務を担当する書記局の長。評議員中では最下位だが、直接議長を補佐するポストであるために側近中の側近が指名される。議長権限継承順位第十位。

 

各委員会は評議員の委員長の他、代議員から選ばれる副委員長と委員、事務総長や各部部長以下の事務局の官僚で構成されている。委員長と副委員長と委員は委員会の意思決定及び事務局の監督にあたり、事務局は行政事務を担当する。

 

C.星系政府

自由惑星同盟を構成する星系共和国の政府。首長は星系首相。独自の議会・法律・政府を持つ。

 

D.惑星政府

星系国家を構成する惑星の政府。首長は知事。




原作の記述を基に作成しました。原作の解釈の1つにすぎないことを明記いたします。


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設定資料:自由惑星同盟宇宙軍の部隊編制

【宇宙艦隊】

自由惑星同盟軍の連合艦隊。特定区域の警備を目的とする星間巡視艦隊や警備艦隊と異なり、同盟領全域及び他国領を行動範囲とする。一〇万隻を越える艦艇戦力を保有している。

 

編制

・宇宙艦隊司令部

・十二個正規艦隊

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令長官:元帥~大将

・副司令長官:大将~中将

・総参謀長:大将~中将

・副参謀長:中将~少将

・各主任参謀:少将~准将

・司令長官副官:大佐~少佐

 

【正規艦隊】

「第○艦隊」と番号が付けられている自由惑星同盟軍の主力戦闘部隊。戦闘部隊の他に後方支援集団、航空支援集団、陸戦支援集団を保有し、単独で作戦行動する能力を持っている。同盟領全域及び他国領を行動範囲とする。軍艦・巡航艦・駆逐艦を中心とする一万~一万五〇〇〇隻の艦艇を保有している。

 

編制

・正規艦隊司令部

・四~五個分艦隊

・後方支援集団

・航空支援集団

・陸戦支援集団

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:中将

・副司令官:少将

・参謀長:少将

・副参謀長:准将

・各主任参謀:准将~大佐

・司令官副官:少佐~大尉

 

【分艦隊】

正規艦隊所属の任務部隊。常時編制ではあるが、名目上は「複数の戦隊を集めた臨時編成の任務部隊」という建前になっているため、第八艦隊の第一分艦隊、第二分艦隊といった呼び方をされる。戦闘部隊の他に航空支援集団、後方支援集団、上陸支援集団から派遣された部隊を指揮下に収める。単独で作戦行動する能力を持ち、分遣されて陽動や周辺地域制圧に従事することもある。軍艦・巡航艦・駆逐艦を中心とする二〇〇〇~三〇〇〇隻の艦艇を保有している。単独行動が可能なため、第十三艦隊のように分艦隊規模の独立任務部隊も存在している。

 

編制

・分艦隊司令部

・三~四個戦隊

・後方支援戦隊

・〇~一個航空戦隊

・〇~一個揚陸戦隊

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:少将

・副司令官:准将

・参謀長:准将~大佐

・副参謀長:大佐~中佐

・各主任参謀:大佐~中佐

・司令官副官:大尉~中尉

 

【戦隊】

正規艦隊の主力戦闘部隊。単独行動する能力を持たず、分艦隊の傘下に入って戦闘に従事する。軍艦・巡航艦・駆逐艦を中心とする六〇〇~七〇〇隻の艦艇を保有している。後方支援集団、航空支援集団、陸戦支援集団を保有する戦隊規模の独立任務部隊も存在しているが、戦闘力は戦隊に劣る。

 

編制

・戦隊司令部

・一~二個戦艦群

・二~三個巡航群

・三~四個駆逐群

・〇~一個揚陸群

・〇~一個航空群

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:准将

・副司令官:大佐

・参謀長:大佐

・各主任参謀:中佐~少佐

・司令官副官:大尉~中尉

 

【戦艦群】

三〇~四〇隻の戦艦からなる宇宙戦部隊。火力・装甲ともに最強。

 

編制

・群司令部

・戦艦三〇~四〇隻

 

司令部

・司令:大佐

・副司令:中佐

・首席幕僚:中佐

 

【巡航群】

三〇~四〇隻の巡航艦からなる宇宙戦部隊。火力・装甲・速度のバランスが良い。

 

編制

・群司令部

・巡航艦三〇~四〇隻

 

司令部

・司令:大佐

・副司令:中佐

・首席幕僚:中佐

 

【駆逐群】

一二〇~一六〇隻の駆逐艦からなる宇宙戦部隊。戦闘力は打撃隊に劣るが小回りがきく。

 

編制

・群司令部

・三~五個駆逐隊

 

司令部

・司令:大佐

・副司令:中佐

・首席幕僚:少佐

 

【駆逐隊】

三〇~四〇隻の駆逐艦からなる宇宙戦部隊。火力・装甲は弱いが、機動性に優れる。

 

編制

・隊司令部

・駆逐艦三〇~四〇隻

 

司令部

・司令:中佐

・副司令:少佐

・首席幕僚:少佐

 

【航空戦隊】

一二〇~一六〇隻の攻撃母艦、四二〇~五六〇隻の駆逐艦、一万二〇〇〇~一万七〇〇〇機の単座型戦闘艇からなる正規艦隊の航空戦闘部隊。近接戦闘に投入される。

 

編制

・戦隊司令部

・三~五個航空群

・三~四個駆逐群

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:准将

・副司令官:大佐

・参謀長:大佐

・各主任参謀:中佐~少佐

・司令官副官:大尉~中尉

 

【航空群】

三〇~四〇隻の攻撃母艦と三〇〇〇隻前後の単座型戦闘艇からなる航空支援部隊。航空戦隊の指揮下で運用されることが多い。

 

編制

・群司令部

・攻撃母艦三〇~四〇隻

・三〇~四〇個飛行隊

 

司令部

・司令:大佐

・副司令:中佐

・首席幕僚:中佐

 

【後方支援集団】

六〇〇~七〇〇隻の輸送艦・工作艦からなる正規艦隊の後方支援部隊。

 

編制

・集団司令部

・四個~五個支援群

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:准将

・副司令官:大佐

・参謀長:大佐

・各主任参謀:中佐~少佐

・司令官副官:大尉~中尉

 

【支援群】

一二〇~一六〇隻の輸送艦・工作艦からなる後方支援集団傘下の後方支援部隊。

 

編制

・群司令部

・三個~五個支援群

 

司令部

・司令:大佐

・副司令官:中佐

・参謀長:中佐

 

【支援隊】

三〇隻~四〇隻の輸送艦もしくは工作艦からなる後方支援部隊。

 

編制

・隊司令部

・輸送艦もしくは工作艦三〇~四〇隻

 

司令部

・司令:中佐

・副司令:少佐

・首席幕僚:少佐

 

【揚陸戦隊】

四二〇~五六〇隻の揚陸艦、三〇~七〇隻の航空母艦、三〇隻~七〇隻の巡航艦、七万~一〇万の地上部隊からなる上陸戦闘部隊。

 

編制

・戦隊司令部

・三~四個揚陸群

・一~二個航空群

・一~二個巡航群

・司令部直轄部隊

 

司令部

・司令官:准将

・副司令官:大佐

・参謀長:大佐

・各主任参謀:中佐~少佐

・司令官副官:大尉~中尉

 

【揚陸群】

一二〇~一六〇隻の揚陸艦、二万二〇〇〇~三万二〇〇〇人の地上部隊からなる上陸戦闘部隊。

 

編制

・群司令部

・三~五個揚陸隊

 

司令部

・司令:大佐

・副司令:中佐

・首席幕僚:中佐

 

【揚陸隊】

三〇~四〇隻の揚陸艦と六〇〇〇~八〇〇〇人前後の地上部隊からなる上陸戦闘部隊。

 

編制

・隊司令部

・揚陸艦三〇~四〇隻

 

司令部

・司令:中佐

・副司令:少佐

・首席幕僚:少佐




 原作の記述を元に自衛隊・米軍の制度を参考にして作成しました。あくまで本作中の設定であって、原作の一つの解釈にすぎないことを明記いたします。


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設定資料:自由惑星同盟統合軍・地上軍の部隊編成 ※作成途上

○統合軍

 

方面管区

複数星系を統括する軍管区。複数の軍種を地域別に統合した統合軍である。

 

編制

・方面管区司令部

・数個星系警備軍

・管区地上軍

・管区警備艦隊

 

司令部

・司令官:大将~中将(管区警備艦隊・管区地上軍のいずれかの司令官を兼務)

・副司令官:中将~少将(管区司令官が兼ねていない管区警備艦隊もしくは管区地上軍のいずれかの司令官を兼務)

・参謀長:少将

・副参謀長:准将

 

星系警備管区

一星系を統括する軍管区。複数の軍種を地域別に統合した統合軍である。

 

編制

・星系警備管区司令部

・数個惑星警備軍

・星系地上軍

・星系警備艦隊

 

司令部

・司令官:少将~准将(星系警備艦隊・星系地上軍のいずれかの司令官を兼務)

・副司令官:准将~大佐(管区司令官が兼ねていない星系警備艦隊・星系地上軍のいずれかの司令官を兼務)

・参謀長:准将~大佐

・副参謀長:大佐~中佐

 

惑星警備管区

複数星系を統括する軍管区。複数の軍種を地域別に統合した統合軍である。

 

編制

・惑星警備司令部

・惑星地上軍

・惑星警備艦隊

 

司令部

・司令官:准将~大佐(警備艦隊もしくは地上軍の司令官を兼務)

・副司令官:大佐~中佐(警備司令官が兼ねていない警備艦隊もしくは地上軍の司令官を兼務)

・参謀長:大佐~中佐

 

○地上軍

 

地上軍方面軍

5万人~50万人の守備部隊。

 

編制

・地上軍数個軍団

 

司令部

・司令官:大将~少将

・副司令官:中将~准将

 

地上軍星系軍

5000~5万人の守備部隊。

 

編制

・地上軍数個旅団

 

司令部

・司令官:少将~大佐

・副司令:准将~中佐

 

地上軍惑星軍

2500~1万2500人の守備部隊。

 

編制

・地上軍数個連隊

 

司令部

・司令:准将~中佐

・副司令:大佐~少佐

 

地上軍軍団

2万5000~7万5000人の部隊。

 

編制

2~6個師団

 

司令部

・軍団長:少将

・副軍団長:准将

・参謀長:准将

 

地上軍師団

1万~1万5000人の部隊。

 

編制

・2~3個旅団

 

司令部

・師団長:准将

・副師団長:大佐

・参謀長:大佐

 

地上軍旅団戦闘団

4000~6000人の部隊。

 

編制

・2~3個連隊

 

司令部

・旅団長:大佐

・副旅団長:中佐

・参謀長:中佐

 

地上軍連隊

2000~3000人の部隊。

 

編制

・2~3個小隊

 

指揮官

・連隊長:大佐~中佐

・副隊長:中佐~少佐

 

地上軍大隊

800~1200人の部隊。

 

編制

・3~5個大隊

 

指揮官

・大隊長:少佐

・副隊長:大尉

 

地上軍中隊

200~300人の部隊。

 

編制

・4~6個小隊

 

指揮官

・中隊長:大尉

・副隊長:中尉~少尉

 

地上軍小隊

30~50人の部隊。

 

編制

・3~5個分隊

 

指揮官

・小隊長:中尉~少尉




 原作の記述を元に自衛隊・米軍の制度を参考にして作成しました。あくまで本作中の設定であって、原作の一つの解釈にすぎないことを明記いたします。


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第一章:エル・ファシルの英雄
第一話:逃亡者の末路 新帝国暦50年(宇宙暦848年) ハイネセン市


 ローエングラム朝銀河帝国領の最貧地域の一つに数えられる惑星ハイネセンの街角を、旧自由惑星同盟軍の軍服を着用した男たちが練り歩いていた。彼らは手押し車に積み込んだ巨大スピーカーから流れる大音声の旧自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」をバックミュージックに、車道を我が物顔に占拠していた。

 

「旧領土民はバーラトから出て行け!」

「帝国は祖国を返せ!」

「自由惑星同盟バンザイ!」

 

 男達の怒声が寂れきったハイネセンの街角に響く。彼らは惑星ハイネセンが属するバーラト星系を拠点とする極右組織「自由祖国戦線」のメンバーだった。自由祖国戦線は自由惑星同盟復活と反帝国を主張する過激派で、帝国官吏や大企業に対する暴力的な攻撃で知られていた。かつては自由と平等の総本山と謳われたハイネセンもいまやこのような集団の闊歩するところとなっている。

 

 銀河の半分を支配する自由惑星同盟の首都として繁栄したハイネセンは、宇宙暦八〇〇年にローエングラム朝銀河帝国が全宇宙を統一すると、銀河帝国打倒を目指す地球教や反帝国レジスタンスのテロが吹き荒れる危険地帯と化した。テロに対処すべき新領土総督府は、総督ロイエンタール元帥の反乱、皇帝ラインハルトの病死などが引き起こした政治的空白の影響で十分な対処ができなかった。その結果、ハイネセンにおける経済活動は著しく停滞した。

 

 とどめを刺したのは宇宙暦八〇一年六月に起きたいわゆるルビンスキーの火祭り事件である。フェザーン自治領の残党を率いて反帝国活動を行っていた元自治領主アドリアン・ルビンスキーが引き起こした同時多発爆弾テロは、ハイネセン市街地の三割を焼き尽くし、天文的な額の経済的損害をもたらした。

 

 七月に皇帝が逝去すると、ハイネセンの統治はバーラト自治区政府に委ねられることになる。旧自由惑星同盟軍のイゼルローン駐留軍を母体とする反帝国組織「イゼルローン共和政府」は、帝国と和議を結んで、ハイネセンを含むバーラト星系を自治区として民主政治を継続することを認められた。民主政治再興の希望に燃えて乗り込んだ彼らを待っていたのは、街並みも人心も荒廃しきった無残な惑星であった。

 

 ハイネセンに住まう十億の人口を支えていたのは、銀河を二分する大国の首都であるという政治的地位であった。全土から集められた膨大な物資を再分配することによって行政機構を維持する中央政府の存在がこの惑星の繁栄を保証していた。しかし、ハイネセンに物資を供給していた諸星系は今やローエングラム朝の支配下にある。

 

 バーラト自治区政府は発足当初から、廃墟と化した巨大都市、バーラト星系の経済力では養いきれない膨大な人口という二つの負債を抱えることとなった。政権運営に失敗すれば、「無能は罪悪」を国是とする帝国政府が自治権回収に乗り出すことは目に見えている。帝国政府は内政不干渉を口実にバーラト自治政府への財政支援も拒否した。帝国軍という難敵に対して一歩も引かなかった民主主義者達は、今度は経済という帝国軍以上に強大な敵との戦いを強いられる。ラインハルトが死に際に民主主義者に与えた試練は途方もなく巨大だったといえよう

 

 民主主義の理念は軍隊相手には強い力を発揮したが、財政難に対しては何の役にも立たなかった。ハイネセン市街の復興は遅々として進まず、膨大な消費人口は失業者の群れと化し、あらゆる公共サービスの質は同盟時代と比較にならないほどに低下した。周辺諸星系は貧しいバーラト星系よりも帝都フェザーンに物資を供給することを望み、物価は急速に跳ね上がった。

 

 帝国の新領土行政府の施策もハイネセンの経済的衰退に拍車をかけた。彼らは帝国の主権が及ばないバーラト自治区統治下のハイネセンを避けるように交通・流通網の再編を進めていき、旧同盟領ではハイネセン抜きの経済秩序が形成されていった。アレクサンデル・ジークフリード帝が行った新領土開発事業の対象からも「自治権を尊重する」という理由でバーラト自治区は外された。

 

 終わりのない不況の前に、ハイネセン住民が抱いていた民主主義再興の希望は失われていった。彼らの怒りは旧イゼルローン共和政府系軍人を中心とする自治政府与党「八月党」に集中し、バーラト自治区成立自体が間違いだったとする者、自治区廃止と帝国領編入を求める者が続出する。誰が政権を担当しても絶対に失敗する状況であることを考えると、八月党に対する非難はいささか過大であったかもしれないが、不況にあえぐ人々には関係ないことだった。

 

 皮肉なことに民主主義の復活は、ローエングラム朝内部の権力争いによって引き起こされた。建国に多大な貢献をしたにも関わらず、官僚によって政権から閉めだされた軍人が「官僚専制打倒」を唱えて議会創設を主張したのだ。

 

 軍の元老たる獅子泉の七元帥が第一線から退くと、不満を抑えきれなくなった軍人はまず武力による政権奪取を試みた。しかし、ヒルデガルド皇太后と帝国宰相エルスハイマーによって築かれた堅固な官僚機構は、四度にわたるクーデター計画をことごとく未然に阻止。権力への野心を抑えきれない軍人が次に目を付けたのは、バーラト自治区で施行されている議会制度だった。官僚に対抗しうる権力機構として議会を創設して、数千万の将兵とその家族の支持を背景に軍部の代弁者を議員として送り込めば、合法的に権力を獲得することができる。

 

 かくして、ラインハルトとともに民主国家を滅ぼした功臣の末裔は、全宇宙で最も熱心な民主主義者となって議会設立に動き始めた。民主主義の優位性を示したいバーラト自治区政府、官僚専制に不満を持つ帝国内部の諸勢力が軍人の議会創設運動に乗っかって、数年間の政治抗争を経て帝国議会が設立されるに至った。

 

 宇宙暦八三三年あるいは新帝国暦三五年、銀河帝国において初の帝国議会選挙が行われた。軍人を中心とした反官僚勢力「臣民党」と、官僚勢力が結成した官制与党「忠誠党」の対決は、予想通り臣民党が圧勝した。民主主義が勝利したかに思われたが、最大の担い手たる八月党は旧バーラト自治区の一二選挙区ですら三議席しか獲得できず、他の選挙区では全敗という結果に終わった。

 

 帝国議会が発足すると、バーラト自治区政府は「民主主義存続の戦いは成し遂げられた。これからは議会で戦うのだ」と宣言して自主解散し、バーラト星系は正式に帝国領に編入された。しかし、ハイネセンに繁栄が戻ることはなく、一辺境惑星に落ちぶれている。人口は往時の四割まで減少し、失業率も全国屈指の高さを誇る。

 

 自由惑星同盟時代の繁栄への郷愁、経済的窮乏への不満などがハイネセン住民の排他的な気質を育んだ。リベラリストの八月党が八三三年総選挙の大敗をきっかけに崩壊すると、旧同盟の極右政党でバーラト自治区時代には活動を禁じられていた統一正義党の流れを汲む勢力が急速に台頭した。旧同盟の名を借りて鬱憤を晴らしたいだけの新興極右勢力も乱立している。

 

 極右組織は独自の行動部隊を持ち、旧領土出身者や対立組織構成員に暴力をふるっていた。行動部隊の中には犯罪組織と結託してマフィア化するものも少なくなく、帝国の官憲も手をこまねいている。貧困と暴力に支配された犯罪都市。それが今のハイネセンだ。

 

 

 

 自由祖国戦線のデモ行列を横目に片手で杖をつき、もう片方の手で本を抱えて足を引きずりながら歩道を歩いていた老人がいる。小柄で痩せている上に背中も曲がっていて見るからに貧弱な容姿だが、この世の不幸を一身に背負ったかのような陰気な表情がさらにみすぼらしい印象を与えていた。片手に杖を持ち、もう片方の手で本を抱えている。

 

 老人が車道をチラッと見て小さくため息をつくと、行列の中から、行列の中から二人の男が飛び出して駆け寄ってきた。一人が飛び蹴りをして老人を転倒させると、もう一人が地面に押さえ込む。続いて七~八人が行列の中から出てきて老人を取り囲み、罵声を浴びせながら足蹴にして小突き回す。通行人は遠巻きに見ているだけで誰も助けようとしない。

 

 騒ぎを聞きつけてやってきた数人の警官が割って入ろうとすると、デモ隊は一斉に警官に飛びかかって乱闘が始まった。警官を数で圧倒して袋叩きにしていたデモ隊だったが、十五分ほど経って武装警察部隊がやってくると形勢は逆転する。デモ隊のメンバーは次々と警棒で殴り倒され、地面に倒れたところに手錠をかけられて拘束された。半分ほどが拘束されるとデモ隊は戦意を失って散り散りになり、後にはうつ伏せで倒れている血まみれの老人が残されていた。

 

 一人の警官が「大丈夫ですか?」と老人に声をかけるが返事はない。警官は顔色を変えて携帯端末を取り出して何やら話している。救急車を呼んでいるのだろうか。

 

 老人は激しい暴行を受けたものの辛うじて意識は失わずにいた。体中に走る激しい痛みに返事もできないだけだ。両目からは涙が流れている。

 

「なんでこんな目に…」

 

 こう思うのは生まれてから何度目だろう。今年で八〇歳になるこの老人、エリヤ・フィリップスの人生は不運の連続だった。自由惑星同盟が健在だった宇宙暦七六八年に生まれた彼は十八歳でハイスクールを卒業して二年間のアルバイト生活の後に徴兵された。エル・ファシル星系警備艦隊司令官アーサー・リンチ少将の旗艦グメイヤに配属されたのが転落の始まりだった。

 

 エル・ファシルに帝国軍が迫ってくると、恐怖に駆られたリンチ少将は民間人を保護するという任務を放棄して直属の部下を連れて逃走した。リンチ少将の旗艦の乗員だったエリヤもわけのわからないうちに共に逃走することになったが、帝国軍の警戒網に引っかかって捕虜になってしまう。捕虜収容所ではエリヤ達は看守からも他の捕虜からも「卑怯者」と蔑まれていじめ抜かれたが、いつか祖国に帰るという希望を支えに耐え抜き、九年目に捕虜交換でようやく帰国を果たした。しかし、本当の地獄はここから始まる。

 

 捕虜収容所から生還した者は普通なら勇者と賞賛されて一階級昇進と一時金を受け、他にも様々な恩典に浴することができるが、守るべき民間人を見捨てて逃亡した卑怯者はその例外だった。エリヤは犯罪歴と同等に扱われる不名誉除隊処分を受け、恩典にも浴することができなかった。

 

 ネットでエル・ファシルの逃亡者リスト」なる写真付きのリストが出回り、エリヤも吊るし上げの対象になった。外を歩くたびに通行人から罵声を浴びせられた。数少ない友人には絶縁を言い渡された。極右組織の構成員に街角で殴られて土下座させられた。リンチを受けて骨折したのに冷笑を浮かべた警官に「お前が悪い」と言われて被害届を受け付けてもらえないこともあった。家の壁には「卑怯者」「非国民」と落書きされた。近所の店はエリヤとその家族に物を売らなくなり、遠くの店でコソコソ買い物するしか無かった。家族には毎晩「なんで帰ってきたんだ。死ねばよかったのに」と罵られた。仕事を探しても、「エル・ファシルの逃亡者」と知れた途端に落とされた。

 七九九年の帝国軍侵攻に際して志願兵として軍に再入隊してようやく仕事にありついたが、そこでもさんざんいじめられて四か月で逃げ出した。

 

 仕事に就けず家にも帰れなくなったエリヤはすっかり身を持ち崩してしまい、置き引き、万引き、違法な商売の下働きなどで小銭を稼いでその日暮らしをするようになった。同盟が滅亡した頃にはエル・ファシルの逃亡者への差別はだいぶ薄れていたが、酒や麻薬にどっぷり漬かってしまっていたエリヤはまっとうな暮らしに戻ることはできず、つまらない犯罪で刑務所に出入りを繰り返した。やがて重度のアルコール中毒と麻薬中毒に苦しむようになり、何度か精神病院に入院した。自殺未遂も経験している。

 

 長く苦しい治療の果てにアルコール中毒と麻薬中毒を克服した頃には六〇歳を過ぎていて、エリヤに残されていたのは乱れた生活やリンチの後遺症でボロボロになった肉体と、知識や経験をまともに積み重ねてこなかった頭脳のみ。福祉施設に収容され、現在は十字教の救貧院で生活している。

 

一般的な収入がある人々から見れば救貧院の生活は貧しかったが、エリヤにとってはようやく得た安息だった。救貧院の老人達はいずれも苦労をしすぎて心を閉ざしてしまった人々であり、職員達は哀れみはあったものの一人の人間としての興味を入院者に抱くことはなかったから、他人と親しく接することはなかったが、人間と接することがもはや苦痛でしかなかった彼にとってはむしろ快適だった。

 

 刑務所で身につけた読書の習慣のおかげで、一人でも充実した時を過ごすことができる。最近はローエングラム朝の建国者である獅子帝ラインハルトや自由惑星同盟末期の英雄ヤン・ウェンリー元帥といった同時代の英雄の活躍を記した本がお気に入りだった。それでも、外に出て本の外の世界に触れると惨めな自分を思い知らされる。

 

「エル・ファシルで逃げなければ良かった」

「いっそ死ねば良かった」

 

 エル・ファシルで逃げて汚名を負ってから不遇の六〇年を生きたエリヤ老人は泣き続ける。涙のせいか、傷の痛みのせいか。次第に目の前がぼんやりとしていく。



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第二話:夢の始まり ???年?月?日 ??????

 右肩を強く叩かれる感触がした。両足は地面をしっかり踏みしめている。うつ伏せで倒れていたはずだったのにいつの間にか立ち上がっていたらしい。痛みもまったく感じない。どういうことなのだろうか。

 

「おい!」

 

 背後から大きな声がして、もう一度肩を叩かれた。驚いて振り向くと、モスグリーンのジャケットを着て、ベレー帽を被った男が立っていた。見間違えようもない旧同盟軍の軍服だ。年齢は二十代前半ぐらいだろうか。今どき、こんな服を着ているのは極右組織の構成員ぐらいだ。また殴られるのかと思って、一瞬ビクッとしてしまった。

 

「なにジロジロ見てんだよ」

 

 男の声の調子に敵意は感じられず、親しげですらある。男は背は高いもののがひ弱そうで、顔も優しげだ。極右組織に所属しているような人間とは雰囲気が明らかに違う。何者なんだろうか?最近は旧同盟軍の軍装が流行っているんだろうか?嫌な流行だ。

 

「いったいどうしたんだよ」

 

 男は困った様子で俺を見ている。困っているのは、事情が飲み込めずにいる俺だ。

 

 それにしても空が白い。もしかして早朝なのだろうか?こんな時間になるまで倒れていたのだろうか?誰も救急車呼ばなかったのかな。怪我をした年寄りを放っておくなんて、ハイネセンの人心は荒廃の極みに至ったとしか言いようがない。

 

「あと一時間で出発だってさ。早くシャトルに乗ろうぜ」

 

 何のことだろうか。さっぱりわからない。シャトルに乗るような用事なんて、四〇年ぐらいは無かった。

 

「なあ、エリヤ。いつにもまして間抜け面だぞ。どうしたんだよ?」

 

 俺をファーストネームで呼んだ。何者だ、こいつ?自慢じゃないけど、この六〇年間、ファーストネームで呼んでくれるような相手はいなかったぞ。孫のような年齢の知り合いもいない。馴れ馴れしくされる筋合いがない相手に馴れ馴れしくされると警戒してしまう。他人にとっての俺は無視しなければ、侮蔑するしかないような存在だから。

 

「おい、何か言えよ」

 

 黙ってる俺を見て、若い男はますます困惑した表情になった。なんでお前が困るんだ。俺の方がもっと困ってる。とにかく状況を把握しようと思い、若い男を無視してあたりを見回す。

 

 宇宙港にあるような建物が沢山並んでいた。それも相当大きな宇宙港らしく数百隻のシャトルが並んでいる。どのシャトルもモスグリーンに塗装されている。旧同盟軍が兵器に使用していた色だ。いったいどこなんだ、ここは?まるで昔の同盟軍の軍港みたいじゃないか。地上車もたくさん停まっていて、やはりモスグリーンで塗装されている。さらに見回すと、案内板が目に入った。

 

『エル・ファシル第一軍用宇宙港』

 

 エル・ファシル!?どういうことだ?夢でも見てるのか?

 

「早く行こうぜ。あのパン屋の子可愛かったよな。せっかくいい感じになってたんだから、気になるのもわかるよ。でも、その子のために残るわけにもいかないだろ?俺らも軍人なんだから、命令が優先だよ」

 

 パン屋の子かあ。そういうこともあったっけ。星系警備艦隊の基地近くのパン屋で働いてた女の子と仲良くなって、休みの日に遊びに行ったこともあった。もう六〇年前の話だ。女の子といい感じになったのがあれで最後だったなんて、あの時は思わなかった。

 

 あれ?残るわけにもいかない?俺らも軍人?男が言った言葉を頭の中で反芻する。

 

 もう一度案内板を見る。やっぱりエル・ファシルだ。

 

「んーと、つまり、俺はエル・ファシルから、逃げようとしてるの?」

「そだよ。今さら聞くことじゃないだろ。ほんと、ぼんやりしすぎだよ」

「俺って確かグメイヤの乗組員だったよね?リンチ提督の旗艦の」

「あたりまえだろ。今日のおまえ、ちょっとおかしいよ」

 

 若い男は呆れたように答える。ということはまさか…。

 

 ありえないとは思うけど。思うけど念の為に自分の体を見ると、同盟軍の軍服を着ている。顔を触ると、ツヤツヤした肌触り。頭を触ると、髪がふさふさしていた。指を動かすと、リンチの後遺症で曲げにくくなってたはずの左手の指がすんなり曲がった。右腕をまくると、志願兵だった時に他の兵士に押し付けられたタバコの跡が綺麗に消えていた。「あーあー」と声を出すと、酒でしわがれた声とは違う通った声。体が若い頃に戻っていた。

 

 ポケットをまさぐると、骨董品のような旧式の携帯端末が出てきた。日時表示を見る。

 

『788 5/15 5:50』

 

 七八八年五月。ここは六〇年前のエル・ファシルなのか。すべてのつまづきの元、一生消えない「逃亡者」のレッテルを貼られた場所。俺はなんでここにいるんだ?夢なのか?

 

 思い切り頬をつねった。痛い。右足で左足を思い切り踏んだ。痛い。痛すぎて涙が滲んでくる。随分とリアルな夢だな。ここで逃げなければどうなるんだろうか。逃げなければ有り得たはずの人生を経験できるのか。夢でもいい。エル・ファシルの逃亡者と呼ばれない人生を生きられるのなら。

 

「エリヤ、いい加減に…」

「逃げねえよ!」

 

 俺は反射的に叫ぶと若い男を振りきって駆け出し、乗り物を探した。人が乗ったまま停まってるのがいい。すぐに走り出せる。パトロール用と思しきエアバイクに跨ってタバコを吸っている男を見つけた。これだ!

 

「貸りるぞ!」

 

 素早く近づいて男の服を掴んで地面に引きずり落とすと、エアバイクに乗り込んで全速力で走りだす。大騒ぎになっているが、そんなのは知ったことじゃない。出発まで時間がないのというのが本当なら、リンチ提督の部下が追いかけてくる心配もないだろう。

 

 宇宙港を抜けて山道に入る。案内標識を頼りにエル・ファシルの市街地を目指す。この夢が六〇年前のエル・ファシルそのままなら、「エル・ファシルの英雄」ヤン・ウェンリーが市内で民間人脱出の指揮をとっているはずだ。かつての俺は彼の存在を知らなかった。上官に言われるままに逃げて捕虜になった。夢の中の俺は全てを知っている。人生は何一つ思い通りにならなかった。せめて夢の中では思い通りにしてやろうと思った。



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第三話:戸惑いの朝 宇宙暦788年5月15日 エル・ファシル市

 エアバイクで山道を抜けた頃にはすっかり日が高くなっていた。目の前には平原が広がり、田畑と住宅が点在している。何の個性もない郊外の風景なのに美しいと思った。こんな気持ちで風景を見るなんて何十年ぶりだろうか。俺は逃亡者じゃない。そう思うだけで世界が光り輝いて見える。

 

 さらにエアバイクを走らせると、どんどん田畑が少なくなって家が増えていく。やがて家も減ってビルが増え、気がついた頃にはビルばかりになっていた。この辺りがエル・ファシル市の中心街だろう。ほとんど人通りがないのは外出禁止令が出ているからだろうか。頭上で轟音が鳴る。見上げると軍用シャトルが列を成して飛び立っていた。思わず顔や腕を触り、目をこすった。確かに俺はここにいる。あの中に自分がいないことを確認してホッとした。

 

 ここで重要な事に気づく。俺はエル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーがエル・ファシル市のどこにいるか知らない。

 

 エアバイクを停めて、どうすればヤンと一緒に脱出できるか思案していると、中年の男が近づいてきた。なんだか凄い殺気を感じる。これは近寄っちゃいけない人だ。逃げようと思ってエンジンを掛けようとしたけど、男が俺に掴みかかる方が一瞬早かった。

 

「どういうことだぁ!!おらぁぁぁ!!」

 

 夢の中でも俺は絡まれるのか?ていうか、こいつは何怒ってるんだ?

 

「ありゃどういうことだぁぁぁぁぁ!!説明しろぉぉぉ!!!」

 

 男は空を指差す。その先には飛び立っていく軍用シャトルの列。ああ、あれに腹を立ててたのか。気にすることないのに。どうせあいつら逃げ切れないんだから。ヤンに着いて行けばあんたも俺も無事帰れるんだから。

 

「大丈夫ですよ。大丈夫ですから…」

「何が大丈夫だ!!!てめえのお仲間がみんな逃げてんだろがぁぁ!!!!」

「いや、ですから…」

 

 男はますます逆上する。勘弁してくれと思った時に男女数人が走り寄って来た。ヤバイ、リンチだ…。逃亡者じゃなくてもそういう運命なのか?泣きたくなる。

 

「やめろよ。この子に言ってもしょうがないだろ」

「ここにいるってことは置いてかれたんでしょ?坊やだって被害者よ」

「泣きそうじゃないか。かわいそうに」

 

 他の人達は口々に男をなだめる。なんか雰囲気が違う。ここって殴られる場面じゃないのか?これまでの人生になかった経験に戸惑っていると、人の良さそうなおばさんが声をかけてくる。

 

「大丈夫?」

「は、はい…」

「みんなびっくりしてるのよ。いきなり味方が逃げちゃうものねえ」

「まあ、そうですよね…」

 

 なんか気の抜けた返事になってしまう。この人達と不安を共有できてないからだろうか。

 

「ごめんね。あなたも不安でしょうに」

「別に…」

「軍の人達も酷いよね。避難計画を若い中尉さん一人に押し付けるわ、ミドルスクール出て間もない子まで置いてけぼりにするわ」

 

 いや、全然不安じゃないよ。あいつら捕まるから。あと、俺は六十二年前にハイスクール卒業してんだぞ。この夢の時間軸では二年前ってことになるけど。

 

「不安なんかないですよ。あと、ハイスクールとっくに出てます」

 

 むっとして俺が言った言葉に空気が凍り付き、周囲の視線が一斉に俺に向く。まずい、変なことを言ってしまった。よく考えたら、この人達は未来の展開がわからないんだ。どうしよう、何とか切り抜けなきゃ。

 

「あ、いや、だからですね。ぼ、ぼ、僕は軍人なんです。市民の皆さんのふ、不安をなくすのが仕事、仕事なのに不安がってちゃいけないでしょ」

 

 声が震えてるのがわかる。ところどころ言葉がつっかえる。皆の視線がまだ俺から離れない。俺は深呼吸した。

 

「ぐ、軍人の仕事って市民を。市民を守ることでしょう?当たり前の。当たり前の仕事をするだけなのに。どうして不安になるんですか?」

 

 エル・ファシルにいることに不安がないのは本当だ。捕虜交換で帰った後に経験した迫害の数々を思い出す。人格を根底から否定する罵倒。そこにいるからという理由だけで振るわれた暴力。それに比べたら恐ろしいことなんかない。仮にエル・ファシルの英雄がいなかったとしても。帝国軍から逃げられなくて死んでも、逃げて生き残るよりはマシだ。

 

「逃げた人達の方がずっと不安じゃないですか?だって、市民を守らずに逃げたって一生言われるんですよ?それに比べたら、ここに残るなんて全然不安じゃないですよ」

「もしかして、君は自分の意志で残ったの?置いて行かれたわけじゃないの?」

「はい。逃亡者になりたくないから残りました。胸を張って帰るために残りました」

「良く言った!」

「えらい!」

 

 おばさん達の拍手が鳴り響く。歓声が飛ぶ。この騒ぎを見て人が集まってくる。おばさん達が興奮気味に説明するたびに「おお!」と歓声をあがる。逃亡者と言われるのはやだって正直に言っただけだぞ。なんでこんなにみんなはしゃいでるんだ。居心地悪いなあ。

 

 皆が次々と俺に握手を求めては褒めそやす。笑顔で握手してる手をブンブン振る女の子もいた。俺なんかと握手して気持ち悪くないのだろうか?捕虜交換で実家に帰ったら、俺が触った場所すべてに妹が消毒スプレー噴きかけてたんだぞ。それぐらい気持ち悪い奴なんだぞ、俺って。

 

 人混みの中から三十歳前後の大柄な男が現れて握手を求めてくる。俺が手を差し出すと、男は分厚い手で力強く握りながら話しかけてきた。

 

「君もこれから星系政庁に行くんだろ?私達は住民代表でね。今から行くところなんだ。君も一緒に行かないか?」

「星系政庁?」

「そうだよ。君も戦災対策本部に行くつもりだったんだろ?」

 

 知らなかった。適当に話を合わせる。

 

「え、ええ。そうです。何か役に立てないかと思って」

「あの若い中尉も苦労してるだろうからね。きっと力になれるよ」

「なんて人でしたっけ?」

「中華系っぽい名前だったなあ。なんだったか」

「ヤン…?」

「それだ!ヤン中尉だ!」

 

 やはりエル・ファシルの英雄がいたのか。本当にあの時のままだ。心の底から喜びが沸き上がってくる。逃亡者にならずに帰れるんだ。あんなみじめな思いはしなくて済むんだ。

 

「どうするんだい?」

「行きます!」

「ありがとう。私はこういう者だ」

 

 男は名刺を差し出す。

 

『進歩党 エル・ファシル市議会議員 内科医師 フランチェシク・ロムスキー』

 

 市議会議員でお医者さんか。若いのに先生って呼ばれる仕事を二つもやってるなんて凄いな。こんな偉い人にいきなり声かけられるなんて夢みたいだ。まあ、夢なんだけど。

 

「エル・ファシル星系警備艦隊所属、エリヤ・フィリップス一等兵です!」

 

 偉い人に失礼のないように精一杯胸を張って敬礼する。「元気だね」とロムスキー先生は目を細める。周りの人達もクスクス笑う。張り切りすぎて痛い奴と思われたかな。

 

「照れてる。かわいいー」

「エリヤくんていうんだー」

 

 そんな女の子達の声も聞こえてくる。なんなんだよ、本当は気持ち悪いとか思ってんだろ。わかってんだぞ。六〇年前だってハイスクール行ってるような子にかわいいって言われるような年じゃねえぞ。だから、人前に出るのやなんだよ。勘弁してくれよ。

 

「ははは、人気者だね。行こうか」

 

 ロムスキー先生はのんきに笑うと歩き出した。彼の仲間と思しき数人がそれに続く。俺もその後を追う。目指すは星系政庁。そこにエル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーがいる。



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第四話:言葉の魔術師 宇宙暦788年5月15日 エル・ファシル星系政庁

「良くも俺たちを騙してくれたな!」

「出発を引き伸ばしたのはこういうことか!」

「ヤン・ウェンリー出てこい!」

 

 エル・ファシル星系政庁前では軍の責任を追求する怒声が飛び交ったいた。警官が群衆と庁舎の間に肉体の壁を作っているが、一歩間違えば群衆が暴徒と化しかねない雰囲気がある。さっき俺に掴みかかった男が何百人もいるような状況だ。軍人が出てこないのは群衆を刺激したくないからだろうか。

 

「参ったね。予想以上だ」

 

 ロムスキー先生はため息をつく。

 

「なんでみんなヤン中尉に怒っているんですか?悪いのは逃げた人達だけでしょう?中尉はみんなが逃げられるよう頑張ったじゃないですか」

「脱出の準備はとっくにできていたんだ。けど、中尉がまだ早いと言って出発に反対した。その結果がこれだ。みんなを騙して司令官が逃亡するまで時間稼ぎしたと受け取られても無理は無い」

「先生もそう思ってるんですか?」

「い、いや。そんなことは…。正直言うと、ちょっとだけ考えた…」

「そんなわけないでしょう!」

 

 つい大声を出してしまう。騒いでいる人達の視線が俺たちに集まる。

 

「見ろよ。軍服着た奴がいるぞ」

「俺達を見捨てておいて良くもノコノコと」

「許せねえな」

 

 冷静に考えたらここにいる軍人はリンチ提督に見捨てられた者だけなのだが、群衆はパニックになってそこまで頭が回らないのだろう。軍人というだけで怒りをぶつける対象になってしまう。それがエル・ファシルの英雄に対する怒りや俺に対する非好意的な声に繋がっている。この混乱をエル・ファシルの英雄はどうやって切り抜けたんだろうか。

 

 急に大きなチャイム音が流れ、庁舎前のスクリーンから緊急放送が流れた。騒いでいた群衆は静まり返る。

 

「只今より緊急対策副本部長ヤン・ウェンリー中尉の緊急会見が始まります。手近なソリビジョン、端末をごらんください」

 

 政庁庁舎の壁に据え付けられた大きなスクリーンが明るくなった。エル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーが映し出される。記憶の中の彼と全く同じだ。すべてを見抜いているかのような瞳。何者にも動じない落ち着いた表情。夢だから変なふうに変わっている可能性も考えたけど、ちゃんと作りこまれているようで安心した。

 

「司令官の逃亡についてどうお考えですか?」

「軍は市民を見捨てたという声がありますが!?」

「脱出を延期なさったのは中尉の判断ですよね?司令官の逃亡との関係を疑われても仕方がないのではないですか?」

 

 記者の厳しい質問が飛び交うが、ヤン・ウェンリーは答えない。こほんと小さく咳払いをしてから、穏やかな口調で語り始める。

 

「明日の正午に脱出します。市民の皆さんは今から準備を始めてください」

「明日ということですが、護衛無しの脱出になるのですか?」

「そうです」

「司令官の逃亡の翌日に脱出を決定された理由は?」

「最初からそのつもりでした」

「中尉は司令官が逃亡するのをご存知だったのですか!?」

「知りませんでしたが、予想はしていました」

 

 リンチの逃亡を予想していたというヤンの答えに、報道陣は怒り狂った。

 

「予想していただと!」

「やっぱり奴らのために時間稼ぎをしていたのか!」

 

 怒声を浴びせられたヤン・ウェンリーであったが、まったく動じずに言葉を続ける。

 

「心配いりません。司令官が帝国軍の注意を引きつけてくれます。レーダー透過装置など付けずに悠々と脱出できますよ」

 

 司令官を囮にするという大胆すぎる発言にどよめく報道陣。

 

「そ、それは司令官を囮にされるということですか…?」

「そう受け取っていただいてかまいません。私の任務は市民の皆さんを無事に脱出させることです。必要な手は打ちました。以上です」

 

 そう言うとヤンはさっさと退席し、放送は終わった。騒いでいた市民はすっかり静まり返る。映像では何度も見た場面だった。その時は当たり前のことを言っているように聞こえた。実際、俺は司令官に従って帝国軍の捕虜になったんだから。

 

 しかし、実際にその場で見るとヤンの凄さがわかる。司令官の逃亡に激怒する市民に対し、あらかじめそれを予測していたこと、おかげで安全に逃げられるという見通しを述べ、事態が全て掌にあることを示し、不安を一瞬にして取り除いてのけたのだ。朝食のメニューについて話すかのようなのんびりとした口調も安心感を与える。

 

 俺の知るヤンは不可能を可能にする用兵の魔術師と言われていた。しかし、目の前のヤンは言葉の魔術師と言うべき存在だった。背筋に戦慄が走る。言葉ひとつで世界を変えてしまう。英雄とはこういう存在なのか。

 

「顔色が悪いけど、どうしたんだい?」

 

 ロムスキー先生の声で我に返った。

 

「だ、大丈夫です」

「そうか。騒ぎが落ち着いたことだし、対策本部行こうか」

「は、はい…」

 

 ロムスキー先生とその仲間の後について政庁庁舎の中に入る。正直気が重い。ヤンの前に立って平常心を保てる自信がなかったからだ。

 

 あの時代の同盟に生きた俺にとっては、ヤンは偉人の中の偉人だ。戦えば百戦百勝。策を立てたら百発百中。癖のある男達もヤンのカリスマに魅了されて忠誠を尽くした。リアルタイムでヤンを知らない世代は「八月党のゴリ押しによる過大評価」「ヤンの実力ではなくてユリアンの筆が凄い」などと言うが、そんなのは戯言だ。獅子帝自ら率いる十四万隻の大軍を一個艦隊で押し返したことも知らないのだろう。ヤンは生きている間から神話の中の存在だったのだ。そして今、ヤンの凄さをこの目で見た。あんな偉大な存在の前に俺ごときが立っていいのかと思う。

 

 ロムスキー先生が受付で名前を名乗って対策本部への取り次ぎを頼む。係員に「そちらの方は?」と聞かれると、先生は俺のことを紹介する。

 

「彼は警備艦隊の兵士だ。この星から逃げることを潔しとせずに市民とともに残ることを選んだ。力になりたいと言ってくれている」

 

 なんですか、その模範的若者は。晒し者にする気ですか。やめてください。恥ずかしい。

 

 係員は目を丸くして「待ってください」と上ずった声で言うと、端末で何やら話している。しばらくすると作業服を着た男二人が走ってきて、「ちょっとお話を伺いたいのですが」と言う。彼らは俺とロムスキー先生を別室に通し、先生の仲間は部屋の前で待つことになった。

 

 二人は政庁の課長やら参事官やら、とにかく偉い人らしい。俺とロムスキー先生にいろいろ聞いてくる。俺が何者か、なんでこの星に残ったか、など。街で俺が何を言ったのかをロムスキー先生が語ると、目を輝かせていちいちうなづく。話が終わると、男の一人が言った。

 

「フィリップス一等兵。これから記者会見を開こうと思うんだ。出席してくれないか?」

「僕が記者会見…?」

「そうだ。逃走を潔しとせず、この星に留まった勇敢な若者を皆に紹介しようと思ってね」

 

 この人目が悪いのか?メガネかけてるのに。度数が合ってないのかな?俺がそんな立派な奴じゃないぞ。ロムスキー先生が立派だから、俺まで立派に見えてるだけだぞ?

 

「勇敢な若者って僕のことですか…?」

「他に誰がいるんだね。君が語った覚悟は本当に素晴らしかったよ。ロムスキー議員から聞いてるだけでうれしくなった。実際に聞いた人達はもっとうれしかったろう。エル・ファシルのみんなに同じ気持ちを共有して欲しいんだ」

「そんな特別なことは言ってないですよ。当たり前のことを言っただけで…」

「勇敢な上に謙虚なんだね。ますます気に入った。でも、今の我々にはその当たり前が何より嬉しいんだ。市民はリンチ司令官の逃亡に大きなショックを受けている。見放されたのかと絶望している。ヤン中尉の会見で落ち着いたが、もうひと押し欲しい。逃げることを拒んで市民のために残った君がいる。それ自体が我々は見放されていないという力強いメッセージになる」

 

 逃亡者って言われるのが怖いだけだ。あの地獄を知ってたら、誰だって逃げないに決まってる。特別なことしたわけじゃない。

 

「みんな希望がほしいんだ。信じたい。大丈夫と誰かに言って欲しい。ただ1人、自分の意志で残った君にしか言えない言葉だ。君の言葉はみんなに力を与える」

「何を言えばいいんですか。そんな立派なこと言えませんよ」

「ありのままの気持ちを語って欲しい。街で覚悟を示した時のようにね」

 

 いやだから、あれは覚悟じゃなくて。もっと汚いもんだ。蔑まれたくないってだけだ。

 

「頼む、引き受けると言ってくれ!」

 

 そんな目で見ないでくれ。期待しないでくれ。断れないじゃないか。

 

「やります。やらせてください」

「ありがとう。今から軽く打ち合わせをしよう。二時間後に会見を開く」

 

 恐ろしいことになってしまった。ジュニアスクールの学芸会の芝居より大きな舞台に立ったことがない俺が記者会見でエル・ファシルの三〇〇万人に向けてメッセージを送るなんて。いくら夢だからって、無茶苦茶にも限度がある。



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第五話:自分じゃない自分がいる 宇宙暦788年5月15日 エル・ファシル星系政庁

 記者会見場には報道陣が並んでいた。三〇〇万人しか住んでいないど田舎のエル・ファシルでも記者やらカメラマンやらは結構いるんだなあとどうでもいいことを考えてしまう。どうでもいいことを考えて気を逸らさないと、プレッシャーで死にそうになる。

 

「それでは、只今より会見を始めます。こちらはエリヤ・フィリップス一等兵。自分の意志でエル・ファシルに留まった勇敢な若者です」

 

 司会者が俺を紹介する。別人の紹介をされてるみたいだな。みんな失望しないかな。大丈夫かな。

 

「はじめまして。エリヤ・フィリップスといいます」

 

 ペコリと頭を下げる。記者達から質問が飛んでくる。変な受け答えにならないように気をつけなきゃ。

 

「フィリップス一等兵はなぜエル・ファシルに留まることを選んだのですか?」

「逃げたくなかったからです」

 

 よし、つっかえないで喋れた。いいスタートだ。

 

「逃げたくなかったというのはどういうことでしょうか?」

「僕たちは軍人ですよね。市民を守るのが仕事なのに自分だけ助かろうと思って逃げたら、卑怯者って言われるでしょう?それが嫌なんです」

 

 スラスラと言葉が出てくる。さんざん卑怯者と言われた。辛かった。だから、二度と言われたくない。その思いが舌を滑らかにする。

 

「軍人のプライド、ということでしょうか?」

「違います。怖いんです。逃げちゃいけないところで逃げたら、一生前を向いて歩けなくなる。人から責められ、自分で自分を責めて。自分はなんて酷い人間なんだと思いながら生きるなんて怖くてたまらないですよ」

 

 帝国の収容所での白眼視。捕虜交換で帰ってからネットに書き込まれた中傷の数々。家族や友達からの拒絶。逃亡者と知れるたびに受ける罵倒や暴力。どんな目にあってもひたすら頭を下げ続けるしかなかった。やれと言われたら土下座だってした。靴だってなめた。辛い思い出が頭をよぎり、しぜんと言葉に力がこもる。

 

「フィリップス一等兵は帝国軍は怖くないのですか?」

「あいつはエル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者だって一生後ろ指さされることに比べたら、全然怖くありません」

 

 優しかった家族や友達が怖い顔で責めてくる。どこに行っても糾弾に脅えないといけない。救貧院に収容されるまで、安らかに眠れる日は一日たりともなかった。生物的には生きていても、社会的には死んでいた。それに比べたら、怖いものなんか何もない。

 

「リンチ司令官達についてはどう思いますか?」

「かわいそうだと思います。死ぬまで逃げたって言われるから」

 

 リンチ司令官達が逃げたせいで俺も逃亡者と呼ばれることになったけど、不思議と怒りは感じていない。逃げたらどうなるかわからなかったんだから。すべての人に卑怯者と罵られて、終わることのない後悔の中で生きたはずだ。同じ苦しみを味わったであろう仲間と感じる。

 

「フィリップス一等兵の受け答えは落ち着いてらっしゃいますね。不安は感じていないんですか?」

「市民を見捨てずに済んだ。胸を張って帰れる。そう思えば不安なんて全然ありません」

 

 やっと六〇年間の後悔を取り返したんだ。恥じることなど何一つない。人目を恐れる必要もない。不安なんてあるわけないじゃないか。

 

「脱出は明日の正午ですが成功すると思いますか?」

「はい。無事に帰れると信じています」

 

 はっきりと言い切ると、「おおっ」と大きな声があがった。割れるような拍手。たくさんフラッシュが焚かれる。音と光の洪水に気絶しそうだ。

 

「フィリップス一等兵の記者会見を終わります」

 

 司会者がそう告げてようやく終わった。頭がクラクラするが、何とか倒れずに退席することができた。

 

 控室に入り、ソファーで横になって休む。今日一日分の気力体力を使い果たした感じだ。しばらくすると、俺に記者会見に出るように言った参事官のおじさんが入ってきた。俺は慌てて立ち上がろうとしたが、参事官は首を横に振って「いいよ」のジェスチャーをしたので横になったままでいた。

 

「お疲れ様。良くやってくれた」

「あれで良かったんですか…?」

 

 恐る恐る聞いてみる。がっかりさせたんじゃないかと不安だ。

 

「期待以上だよ。対策本部にも勇気づけられたって市民の声が沢山届いてる。特に無事に帰れると信じているって言い切ったところが反響大きくてね。内容も良かったけど、落ち着きがあったのも良かったね。あれで安心したって人も多いんだ」

「いや、もうびびってびびって頭のなかが真っ白でしたよ」

「謙遜しなくてもいいさ。演劇部か弁論部でもやってたんだろ」

「いえ…」

「仕込みじゃないかって言う記者もいたよ。絵になりすぎてたんだとさ。あんないい役者を咄嗟に用意するような芸当が我々に出来ると思っていたのか、君が政府をそこまで評価していたとは思わなかったと言ってやったがね」

 

 参事官は上機嫌で笑った。どう反応していいかわからず戸惑う。自慢じゃないけど、ジュニアスクールの頃からいつも「何言ってるかわからない」って言われてたのが俺という人間だ。台本にして一行以上喋るとつっかえるから、学校の劇ではセリフの無い役しかもらったことがなかった。喋りでべた褒めされるなんて、自分じゃないみたいだ。

 

「ところでヤン中尉が君に助手になって欲しいって言ってるんだが、お願いできるかな。調子良くなってからでいいけどね」

「ヤ、ヤ、ヤン中尉が!!!!」

 

 今度はあの偉大なヤン・ウェンリーに名指しで求められてしまった。もう、本当に無茶苦茶だ。夢って自覚しながら夢を見てると、ついていくのが大変だよ。

 

「疲れてるなら私から断っておくが」

「元気になりました!元気です!」

 

 俺は跳ねるように立ち上がり、声を張り上げた。あんな偉大な存在の前に俺ごときが立つなんて畏れ多い。嫌でも自分の卑小さを思い知らされるだろう。できれば避けたいが、身近で見てみたいというミーハー根性もある。俺って本当に小者だ。ヤンみたいな超越した人ならこんな下らないこと考えないんだろう。

 

 俺が自分の小物ぶりを脳内で嘆いていると、参事官が開いたままのドアの方を向いて、「引き受けてくださるそうですよ、中尉」と言う。のっそりと人が入ってきた。

 

 中肉中背、収まりの悪い黒髪、しまりのない表情、猫背気味の姿勢、よれよれの軍服。初めて肉眼で見るヤン・ウェンリーは映像や本の中の颯爽とした姿とは似ても似つかなかった。昼に言葉ひとつで市民の不安を抑えてみせた時の不思議な説得力もない。どこからどう見ても「冴えない奴」としか言いようがなかった。

 

 しかし、容貌で人を判断するのは間違いだ。「大勇は怯なるが若く、大智は愚の如し」と何かの本で読んだ。本当の勇者は臆病に見え、本当の知恵者は愚か者のように見えるということだ。全宇宙を相手取って一歩も引かなかった勇気。獅子帝すら手玉に取った知謀。それを冴えない容貌のうちに秘めるヤンの底知れない器量に震えた。本を読んでなかったら、ヤンを見かけで判断して侮っていたかもしれない。教養って大事だな。刑務所で読書の習慣を身につけて良かった。

 

「よろしく」

 

 ヤンは息をするのもめんどくさいといった風情で声を出す。そっけないけど、雲の上の人に親しみを示されても困る。意識されてない方がこちらとしてもやりやすい。あり得ないことだけど、ちょっとでも褒められていたら卒倒しているところだった。

 

「よろしくお願いします!」

 

 びしっと敬礼して返事をする。ヤンは興味なさそうな顔で俺を見た。これなら何とかやっていけるかもしれないと思い、ホッとした。



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第六話:未知に飛び立つ日 宇宙暦788年5月16日 エル・ファシル星系政庁

 ヤンは俺なんか眼中にないかのようにふらふらと歩いていた。軍人とは思えない歩調だけど、連日の激務で疲れているのだろう。並んで歩くなんて畏れ多い。数歩さがってついていく。

 

 控室からヤンの部屋は遠いらしく、かなり長い距離を歩いていた。その間、ヤンは一言も言葉を発していない。小心者の俺は沈黙に弱い。いつもなら「嫌われてるんじゃないか」と心配するところだが、ヤン相手ならその心配はない。彼は社交辞令を嫌うと本に書いていた。すれ違う人が「見ていたよ」「頑張れよ」と声をかけても、ヤンは一切返事をしない。凡庸な感想だけど、夢の中でもヤンはヤンだ。無茶苦茶な展開の中でもヤンだけはお約束通りに動いてくれるありがたい存在だ。

 

「私はこれから寝る。荷物を整理しておいてくれ」

 

 部屋に入ると、ヤンはそう言ってソファーに横になり毛布をかぶった。すぐにスースーと寝息が聞こえてくる。口を挟む隙も与えない早業だった。

 

「ひどいな、これ…」

 

 部屋を見回した俺はあまりの惨状に呆れた。弁当やインスタント食品の容器が無操作に床に捨てられていた。書類はわざとぶちまけたかのように部屋中に散らばっている。下着や靴下も脱ぎっぱなし。床が見えない。机の上には本が山のように積まれて塔のようだ。本の塔の間に鎮座する事務用端末は電源がつけっぱなし。いちいち電源を切るのが面倒なのだろう。端末のキーボードの周りにはビニール袋や紙くずが積み重なっている。

 

 ヤンは整理整頓をしないというのも本で読んだ。かのユリアン・ミンツがヤンの養子になった時も最初に部屋の片付けをしたという。知識としては知っていても、ヤンが散らかした部屋を実際に見るとドン引きしてしまう。単に散らかってるというレベルではない。ゴミ溜めだ。ヤンがさっさと寝てしまったのは正解だった。これを見れば、誰だってツッコミを入れずにはいられないだろう。名将は引き際をわきまえているというが、日常でもヤンの引き際は絶妙だった。

 

 どこから手を付けていいかわからなかったが、出発は明日の正午だ。迷っている時間などない。まず、机の上を片付けることから始める。紙くずをゴミ袋に放り込んでいると、フライドチキンの食べかすが出てきた。

 

「うわっ…」

 

 思わず顔をしかめてしまう。さすがにこれはないと思った。なんか酸っぱい臭いがすると思ったけど、気のせいじゃなかったんだな。この分だと部屋のあちこちに腐った食べかすがあるに違いない。

 

 普通に考えたら、ここまで部屋を汚くしたのに荷物の整理を他人に押し付け、自分だけさっさと寝てしまうなんて最悪のダメ人間だ。何も知らなかったら、「なんて自分勝手な奴なんだ」と腹を立てたに違いない。しかし、これがヤンであればむしろ当然のことだと納得できる。

 

 彼はいつも寝てばかりいたが、いざ戦いになると不眠不休で指揮をとっても判断がまったく狂わなかったそうだ。彼にはこれから脱出船団を指揮するという大仕事が待ち受けている。荷造りなどという些事を他人に委ね、自分の体力を温存するのがヤンの意図だろう。ヤンにとっては体力も戦時に備えて節約すべき戦力なのだ。なんと合理的なのだろうか。俺とは生きる次元が違いすぎる。

 小者には小者にふさわしい役割があった。ヤンを荷造りなどという些事に煩わされないようにする。それが今の俺が成すべきことだ。頑張らねば、と思った。

 

 なぜか棚の上にあるパンツ。なぜか弁当の容器の中に鎮座している携帯端末。そういったものを見るたびに心が挫けそうになった。自分は何をしているのかと思った。ユリアン・ミンツもこういう思いを何度となくしたのだろうか。「ヤン神話の伝道者」「八月党にゴリ押しされてる」ぐらいにしか思っていなかったし、彼がバーラト自治区の為政者としてやったことを思うと、良いイメージは抱けなかった。しかし、ようやく彼の真価を理解できたような気がする。

 

 ゴミと荷物を分別し、貨物として運ぶべき荷物を箱に詰め、手回り品をカバンに詰める。そんな作業をひとり進めていくうちにどんどん頭がボーっとしていった。

 

「起きてくださーい」

 

 女性の声が聞こえる。いつの間に寝てしまっていたのだろうか。ぼんやり考えていると、体を揺すられる感触がする。

 

「もうすぐ出発ですよー」

 

 出発!?もうそんな時間なのか。驚いて目を開けると、係員っぽい制服を着た若い女性がいた。年齢は俺と同じ二〇歳ぐらい。金髪のショートカット。可愛らしい小顔に黒縁のメガネが良く似合っている。びっくりするぐらい細いけど、病的という感じは全くなくてとても活発そうだ。

 

「おはようございます。あと二〇分で宇宙港に出発しますよ」

 

 あと二〇分!?俺が寝てる間に政庁を引き払う準備しちゃったのか?一番忙しい修羅場だったのにずっと寝てたなんて。まるで役立たずじゃないか。

 

「どうしてもっと早く起こしてくれなかったんですか…」

「一等兵は疲れているようだから、出発直前まで寝かしておいてくれって中尉がおっしゃったんですよ」

「ヤン中尉が…!?」

 

 上半身を起こす。今気づいたが、俺はソファーで寝ていたようだ。毛布もかかっている。この部屋にはソファーは一つしかない。俺はヤンと入れ替わりでソファーで寝ていたことになる。つまり、ソファーに寝かせてくれたのは…

 

「行きますよ。これ、一等兵の荷物。着替えと洗面用具を用意しました」

 

 小さなカバンを差し出されて我に返る。そういえば、とっさにエアバイク奪って脱走したから、何も持ってなかったんだよな。精一杯の笑顔を作ってお礼を言うと、カバンを受け取る。

 

「走れます?時間がないんで」

「は、はい!」

 

 軽やかに翔けていく女性。ついていく俺。誰もいない廊下に二人の足音だけが響く。こんな勢いで走ったのは何十年ぶりだろうか。驚くほど体が軽い。走っても走っても息切れがしない。まともに体が動くという感覚を久々に思い出す。さすが二〇歳の肉体だ。

 

「エレベーターは使えません!階段使います!」

「はい!」

 

 飛ぶように階段を駆け下りていく女性。俺もつられて駆け下りる。女性の身軽さに驚いたが、それについていける自分にも驚きを感じる。ただ走ってるだけなのにすげえ楽しい。いつの間にか顔が笑っているのに気づく。

 

 階段を降り切ると再び廊下に出た。女性の走るペースが上がっていく。俺もつられてペースを上げる。あっという間にロビーを抜けて玄関を出る。

 

「あれです!」

 

 女性が指さした先には小型バスが止まっていた。エル・ファシル星系政庁とこれでお別れとか思うと、感慨深いものがある。たった一日いただけだけど、逃亡者にならなかった人生の初日を過ごした場所だ。これが夢の終点なのか始まりなのかはわからない。夢が続くのならば、俺の人生は未知の領域へと踏み込む。願わくば始まりであって欲しい。そう思った。



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第七話:知識の限界、無限の可能性 宇宙暦788年5月下旬 エル・ファシル脱出船団旗艦、駆逐艦マーファ

 エル・ファシルから脱出した船団は一週間近く帝国軍の追撃に怯えながら航行を続けていた。俺は成し崩し的にヤンの助手ということになって船団の旗艦である駆逐艦マーファに同乗しているけど、ほとんど口は利いていない。ヤンは艦橋に詰めっぱなしで指揮をとっていて、帰ってくるのは寝る時ぐらいだ。身の回りの世話と言っても着替えの用意とベッドメイクぐらいしかやることがないし、仕事の手助けをする能力もない。

 

 そういうわけで俺はとても暇だった。この艦には本来の乗員に加えて民間人が五〇〇人も乗ってるせいか、どこを歩いても人に出くわす。やたらと声をかけられ、写真を撮らせてほしいと言われる。こんな気持ち悪い奴がいるって笑い者にする気なんだろうか。鬱陶しくてたまらないので、食事と助手の仕事の時以外は自室に閉じこもってヤンの荷物の中にあった本を勝手に読んでいた。

 

 俺が暇なのとは対象的にヤンは多忙を極めている。民間船の船長や軍艦の艦長たちに指示を出し、上がってくる文書に目を通して決裁する一方で、不安を訴えてくる民間人に対応する。それらの仕事を全部一人でこなしていたのだ。ヤンがレーダー透過装置を付けなかったのは結果を知っている俺からすれば当然の判断だったが、そうでない人達は不安で不安でたまらなかったようだ。寄せ集めの船団一〇〇〇隻を一人で指揮する苦労は想像を絶する。日に日に疲労の色が濃くなるヤン。

 船団には軍艦も混じっている。その艦長はヤンよりずっと階級が高い中佐や少佐だ。それなのになぜヤンが一人で仕事を背負い込まなければならないのか。食堂でのんびりと朝食を食べていたマーファの艦長を見た時に怒りが爆発した。

 

「中尉が艦橋に詰めっぱなしなのに、なぜ艦長が食堂でのんびりしているんですか!?食堂で食べる暇があるなら、中尉を手伝えばいいでしょう?あなたもリンチ司令官みたいに全部中尉に押し付けるんですか!?」

 

 少佐の階級章を付けた三〇代半ばに見える艦長は意外にもまったく怒りを見せず、参ったなあという感じの顔をした。

 

「坊や、私達のような専科学校卒の軍艦乗りは一隻の艦を動かす方法しか学んでないんだ。数百隻や数千隻の船団を動かせる能力があるのは士官学校で参謀教育を受けたヤン中尉しかいなくてね。本来なら提督と参謀数人で指揮するような船団を中尉一人に任せてしまってるのは心苦しいよ。でも、私の能力では中尉の補佐を任されても何もできない。かえって足手まといになってしまう」

 

 それに…、と言ったところで艦長の表情に苦笑が混じる。

 

「この艦に乗ってる八〇人の部下と五〇〇人の民間人の命を預かるのもそれはそれで大変でね。中尉に全部押し付けて自分だけ楽してるわけじゃないのさ」

 

 変なことを言ってしまった、と思った。俺の他に五人ぐらいの下働きを使っていた麻薬の売人だってまとめるのに苦労してた。それを思えば、八〇人の乗組員をまとめる艦長の苦労なんて想像を絶するじゃないか。まして、全員の命にかかわることなのだ。

 

 歴史の本に登場するのは数百、数千隻もの艦隊を指揮する提督とそれを補佐する参謀だけだ。艦長なんて提督や参謀の言うことを聞いてれば務まると思ってた。艦長の苦労なんて考えたこともなかった。自分の想像力の乏しさに泣きたくなる。本を読んで少しは賢くなったつもりだったのに何もわかっていなかった。

 

「申し訳ありませんでした」

「ははは、いいんだよ。私だって艦長になる前はわからなかった。命令するだけで楽な仕事だって思ってたよ。何でもやってみないとわからないね」

 

 艦長は手の平を左右に振るジェスチャーをして笑った。食事中に何もわかってない若造に絡まれたのに笑って許してくれる。なんて懐の広い人なのだろうか。自分の視野の狭さが本当に情けない。

 

「泣かなくたっていいじゃないか。坊やはまだ若い。経験していないことがわからないのは仕方ないよ」

 

 政庁や船内ではさんざん坊や扱いされてムッと来ていたけど、艦長の坊や扱いには何とも思わなかった。八〇年間生きてきて本も色々読んだけど、この人に比べたら確かに坊やだ。ずっと孤独に生きてきた。人と関わった経験が圧倒的に少ない。人間は年を取れば賢くなるというのは嘘だ。長く生きただけで経験をまったく積み重ねていない子供のような年寄りもいれば、若いのに豊富な経験を積んだ老賢者のような子供だっている。

 

 知識だけでは駄目だ。ちゃんと経験を積まないといけない。きっちり生きて、喜びも悲しみも知らないといけない。切実にそう思った。

 

「はい」

 

 涙を拭いながら答える。夢の中だけどやり直すチャンスをもらったんだ。逃亡者にならなければ、それでめでたしめでたしじゃないんだ。頑張らなきゃいけない。

 

「いつか人の上に立った時に、こんなこと言ってたおっさんがいたなって思い出してくれたら嬉しいな」

「僕が人の上に、ですか?」

「まだ二〇歳にもなってないんだろ?この先何があるかわからないよ。もしかしたら、代議員や提督になる日が来るかもしれない」

 

 そういえば帰った後のことは考えてなかった。頑張ったら結果も付いてくるんだよな。この世界の俺は何をやっても侮蔑される存在じゃないから。評価されて人の上に立つ可能性はあるんだ。さすがに代議員や提督はないだろうけど。

 

「名前を教えていただけますか?」

「私の名前かい?」

「はい。ご指導いただいたこと、絶対に忘れません」

「大袈裟だね。そんなに畏まって聞くほど大層な名前でもないよ。アーロン・ビューフォート。ただのおっさん」

 

 ビューフォート艦長に深々と頭を下げる。そういえば、艦長はずっと俺を未成年だと思い込んでいた。いつか再会した時に訂正しよう。目標が一つ出来た。そう思った時、チャイム音が鳴る。

 

「緊急放送です。当船団は友軍のエルゴン星系巡視艦隊と接触。これより友軍の保護下に入り、エルゴン星系の惑星シャンプールに向かいます」

 

 食堂は爆発するような歓声に包まれた。手を叩く者、拳を振り上げる者、抱擁し合う者。皆それぞれのやり方で喜びを表す。ビューフォート艦長が俺に向けて両手を上げる。俺も両手を上げてビューフォート艦長の両手にハイタッチした。

 

 その後は艦内をあげてのどんちゃん騒ぎになった。艦長命令で食料と酒を放出し、皆で生きて同盟領の土を踏める喜びを分かち合う。ずっと前に禁酒治療を受けて酒を断った俺はジュースで乾杯した。アルコール入ってないのにテンションが上がってしまって、人につられてわけもわからず大笑いし、知らない人と肩を組んで歌った。女の子数人と意気投合して端末アドレス交換もした。

 

 三日後、俺達は艦からシャトルでシャンプールの宇宙港に降り立った。そこで待っていたのは港内を埋め尽くすような数の群衆。エル・ファシルからの避難者を激励する言葉が連ねられた横断幕やプラカード。記者、カメラマン、放送車がズラリと並ぶ。軍隊が整列して俺達のために通路を作り、軍楽隊までいる。あまりもの熱烈な歓迎ぶりに腰が抜けてしまった。これから何が始まるんだろうか。



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第八話:英雄を作る論理 宇宙暦788年5月23日 惑星シャンプール、星系警備艦隊基地

 シャンプールに降り立った翌朝。軍の宿舎の個室に泊まっていた俺はエル・ファシル脱出劇関連の報道を見ていた。

 

 立体テレビを付けると、どの局もエル・ファシル脱出劇の特番を組んでいた。俺がシャトルから降りてきた時の映像が繰り返し流れる。格好悪い自分の姿なんて見るのも嫌だ。ソリビジョンを消す。

 

 新聞を手に取ると、どの新聞も紙面の大半を使ってエル・ファシル脱出劇を報じていた。俺がシャトルから降りてくる写真が一面を飾っている。

 

「どうして俺なんだよ。ヤンの画像使えよ。あっちが英雄なんだからさ」

 

 ぼやきながら新聞をめくる。二面には「若き英雄」「同盟軍人の鑑」などという見出しとともにヤン・ウェンリーと俺の紹介記事が並んでいる。記事によると、俺の記者会見が不安になった市民を落ち着かせたおかげで脱出計画が成功したのだそうだ。

 

『僕たちは軍人ですよね。市民を守るのが仕事なのに自分だけ助かろうと思って逃げたら、卑怯者って言われるでしょう?それが嫌なんです』

『あいつはエル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者だって一生後ろ指さされることに比べたら、全然怖くありません』

『市民を見捨てずに済んだ。胸を張って帰れる。そう思えば不安なんて全然ありません』

 

 記事の中では記者会見で語ったこれらの言葉が引用された。リンチ少将は「市民と部下を見捨てて逃げた卑怯者。同盟軍の恥」と糾弾され、俺は「不当な命令に従わずにエル・ファシルに残って市民保護の任務を全うした。同盟軍人精神の真髄を示した」と賞賛された。

 

 新聞を放り投げ、携帯端末でネットを見る。ニュース系のコミュニティでは「誰が真のエル・ファシルの英雄か」という議論が繰り広げられていたが、ヤンだけが英雄というのが大勢だった。それ自体は正しいと思う。しかし、「地味なヤンだけでは絵にならないから、爽やかキャラのフィリップスをセットにした」っていう意見が最有力説なのには首を傾げた。俺ほど爽やかとかけ離れた存在はそうそういないはずだ。

 

 また、なぜか事件の評価と無関係に俺の画像を貼り付けて評価するコミュニティが乱立し、「かわいい」「見た目ならエリヤが真の英雄」などと書きこまれていた。どうやらネットでは俺はルックスが良いということになっているらしい。ミドルスクールやハイスクールでも外見を評価されたことは一度もなかったのに。何か間違っている。

 

 アンケート系のサイトでは俺が「弟にしたい男性」の第一位になっていた。ちなみにそのサイトではヤンが「結婚したい男性」の一位になっていたので、あてにならないことは明らかだ。

 

 ある軍事系サイトで「フィリップス一等兵の行為は服従義務違反、抗命罪、逃亡罪にあたるのではないか」という質問を見かけてヒヤっとした。自分の法的扱いなんてまったく考えていなかった。ある日突然軍法会議に呼び出されたらどうしようと思った。恐る恐る回答を読む。

 

「現在公開されている情報の範囲ではリンチ少将のエル・ファシル離脱は上位司令部の承認を得た形跡がなく、臨時措置として正当化しうる法的根拠も見当たらず、職務上の命令とはみなし難いと思われる。よってフィリップス一等兵の行為は抗命罪を規定する同盟軍法第八十六条の『上官の職務上の命令に服従しない者』に該当せず、抗命罪は成立しない可能性が高い」

 

 なるほど。抗命罪はセーフなんだ。

 

「命令服従義務を規定する同盟軍法第三十三条は『軍人はその職務の遂行に当っては、上官の職務上の命令に忠実に従わなければならない』と言っており、職務上の命令ではない違法な命令への服従義務は課していない。よって服従義務違反は成立しない可能性が高い」

 

 服従義務違反も大丈夫と。

 

「フィリップス一等兵の離脱には違法な命令の拒否という正当な理由があり、離脱当日に司令官が放棄した任務を引き継いだヤン中尉の指揮下に入って本来の職務を継続したため、逃亡罪を規定する同盟軍法第八十八条の『正当な理由がなくて職務の場所を離れ三日を過ぎた者』に該当せず、逃亡罪は成立しない可能性が高い」

 

 胸を撫で下ろす。自分のしたことにどんな法的根拠があるかなんて考えたこともなかった。俺にとっての法律は「破ったら警察に捕まる」程度のものだった。ちゃんとやり直すには法律のことも学ばないといけないな。夢の中でも法則を無視して思い通りにすることはできない。

 

 そう思いながらサイトを読んでいると、ドアホンが鳴った。画面を確認すると軍用ベレーをかぶった四〇歳ぐらいの男性の顔が映っている。きつい目つき、大きい鼻、厚い唇、角ばった輪郭、ブロンドの髪。表情はとても不機嫌そうだ。強面の登場に思わず身構えてしまう。

 

「おはよう。良く眠れたかな?」

「どちら様でしょうか?」

「軍の広報室の者だ。いいかな?」

 

 この表情と口調ではドアを開けた途端に「貴官の逮捕を執行する」と言われそうだ。なんでこんな人が広報室にいるんだろうか。そもそも、広報室の人が俺に何の用だ?考えていても仕方ないのでドアを開けて中に入れる。背は俺よりちょっと高いぐらい、つまり平均身長だが、肩幅や胸板の厚みが全然違う。階級章は少佐。宇宙軍なら駆逐艦艦長、地上軍なら大隊長を務める大幹部だ。

 

「統合作戦本部広報室のクリスチアンだ。貴官を担当することになった」

 

 クリスチアン?どこかで聞いた気がする。どこだっけ。それにしても、少佐なんて雲の上の人が俺の何を担当するんだろうか。

 

「担当って何の担当ですか?」

「スケジュール管理、メディア対応などを担当する」

「ちょっと待って下さい、どういうことです?」

「貴官にはしばらくの間、広報活動に従事してもらうことになった。いずれ正式な命令が出るはずだ。しばらくは取材、番組出演、イベントなどで休む暇もないだろうが、これも軍人の大事な任務だ。頑張ってくれ」

 

 今朝の報道だけでもうんざりなのにもっと騒がれるのか。俺はただ、白い目で見られずに普通に暮らしたいだけなのに。

 

「貴官は卑劣な司令官の不当な命令を拒絶し、任務を全うした。同盟軍人の誇りだ。広報官としての最初の任務が貴官の担当であることを小官は名誉に思う」

 

 少佐は俺の手を力強く握る。手を握られているのに頭が痛くなった。もしかして、この夢は悪夢なんじゃないか。逃げなくても結局不幸になるってことを教えるための悪夢なんじゃないのか。

 

 宿舎の食堂で昼食をとりつつ、クリスチアン少佐から今後のスケジュールの説明を受けた。これからハイネセンに向かい、統合作戦本部の顕彰式典に出席。その後しばらくは式典やパーティーの予定が詰まっていて、その合間に取材や番組出演の予定を入れていくのだそうだ。思わず溜息が出る。

 

「まるで芸能人みたいですね」

「貴官は英雄だ。勘違いするな」

「英雄はヤン中尉だけですよ」

「ヤン中尉達だけでは市民の動揺を抑えることはできなかった。中尉の指示を拒否する船長や単独脱出を試みる市民もいた。脱出作戦は破綻寸前だった。貴官の記者会見がなければ抑えられなかった」

 

 エル・ファシル市民が司令官の逃亡に怒ってたのは知っていたけど、そこまで深刻なことになってたなんて聞いてなかった。俺の知らない所で何があったんだろうか。

 

「そんなことがあったんですか?今知りました。何が起きていたんですか?」

 

 クリスチアン少佐は驚きの色をかすかに浮かべたが、すぐに表情を戻す。

 

「軍がエル・ファシル市民を見捨ててリンチだけを脱出させ、ヤン中尉はそのための時間稼ぎをした。市民はそう誤解した。軍が市民を見捨てることなど有り得ないが、不安に駆られた市民にはわからなかったのだ。自らエル・ファシルに残った貴官がいたおかげで不安を抑えられた」

 

 俺が自分の意志で残ったことをみんな強調するけど、そんなに重要なのか?出発直前にやってきてちょっと喋っただけにすぎない。脱出作戦を成功させたのはヤンと軍艦・民間船の乗組員達だ。その場にいた俺にはわかる。成すべきことをした彼らこそ英雄だ。

 

「反戦派どもは『軍はエル・ファシルを見捨ててリンチを脱出させた。ヤン中尉のおかげで事なきを得たが、軍の責任は追及すべきだ』などと言う。批判するしか能のない奴らめ!誰のおかげで安全に暮らせると思っているんだっ!」

 

 バーン、と大きな音がした。少佐がテーブルに右手の拳を叩きつけたのだ。食堂の中にいる人達が一斉にこちらを見るが、少佐はおかまいなしに熱弁を振るい続ける。

 

「軍が市民を見捨てて軍人だけ逃がそうとするなど有り得ん!あるはずがないのだっ!我々は市民を守る最後の盾だ!平和のために命を賭ける!それが同盟軍人の矜持だっ!命惜しさに市民を見捨てるなど軍人のすることではないっ!卑怯者のすることだっ!軍がそのような真似を許すとでも思っているのかっ!」

 

 またテーブルに拳を叩きつける音がする。今度は両手の拳。少佐が興奮するのに比例して、周りの人達が引いていくのがわかる。

 

「貴官は記者会見で敵軍より卑怯者と呼ばれることが怖いと言った。それこそがまさに名誉ある同盟軍人の精神なのだ。小官は録画で記者会見を見たが、感動に胸が震えた。軍人とは貴官のような精神の持ち主なのだ」

 

 少佐の目に涙が浮かぶ。賞賛されているはずなのに怖い。この人は今の俺を賞賛したのと同じ口でかつての俺を罵倒できる人だと悟った。そして、自分の立場が見えてきたのが怖かった。

 

 軍はエル・ファシルを見捨ててリンチ提督だけを脱出させたと疑われている。置き去りにされたヤンだけを英雄にすると、「軍に見捨てられたのに頑張った」と言われ、「エル・ファシルを見捨てた軍は責任を取れ」という批判を招くかもしれない。俺を持ち上げることで、「軍はエル・ファシルを見捨てていないのにリンチは勝手に逃げた。逃げなかったフィリップス一等兵こそ軍の意思に沿っているのだ」とアピールして疑いを晴らしたいんだ。そして、リンチ提督達を徹底的に悪者にする。

 

 俺への賞賛と逃亡したリンチ提督達への罵倒が表裏一体であることに気づいた時、背筋に冷たいものが走った。

 

「逃げた人達はどうなるんですか…?」

「帰国したら軍法会議にかけられる。判例から推測すると、リンチは階級剥奪の上で死刑、その他の者は共謀の程度によって死刑または懲役が妥当だろう。任務を放棄して逃げ出した卑怯者にふさわしい末路だ。帰国できたらの話だがな」

「事情を知らなくて司令官の命令に従っただけの人も…?」

「ただ従っただけでも違法行為に加担したことに変わりはない。事情を知らないということは罪を軽くはするが、無罪ではない。軍法会議にはかけられず、不名誉除隊処分。生還した捕虜に認められる一階級昇進無しといったところだ」

 

 捕虜交換から戻った俺は不名誉除隊処分を言い渡された。不名誉除隊者には退職金が出ない。恩給の支給対象にもならない。不名誉除隊は前科とみなされ、履歴書には必ず書かなければならない。あの時は従っただけで不名誉除隊になるのは理不尽だと思った。従ったことそのものが罪。それが軍隊なのか。

 

 本では「軍規は絶対」「敵前逃亡は死刑」「命令違反は厳罰」などと書いているが、実際に軍規がどう運用されるのかは知らなかった。自分が所属していた場所がどんな論理で動いていたか全然知らなかったんだ。俺には社会経験が足りない。二〇歳からの九年間を収容所で過ごし、帰った後は社会から排除された。ただ生きているだけだった。

 

「卑怯者には卑怯者にふさわしい報いを与える。それが軍だ。貴官が卑怯者になることが怖いと言ったのは正しい」

 

 捕虜交換後の俺は確かに報いを受けた。公式には不名誉除隊処分を受けたが、報いはそれに留まらなかった。世間から白眼視され、みんなに縁を切られ、一生を棒に振ってしまった。それなら英雄になった俺はどんな報いを受けるんだろうか?二階級昇進と世間が飽きるまでの注目だけでは済まないはずだ。

 

 社会を動かす論理は逃げた俺を排除し、逃げなかった俺を英雄に祭り上げた。祭り上げられた英雄は祭りが終わったらどこに行くんだろう?夢は覚めたらおしまいだけど、覚めなかったらどんな続きがあるんだろう。そんなことを思った。



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第九話:虚像は果てしなく大きく、果てしない高みへ 宇宙暦788年9月 ハイネセン市

 ハイネセンに着くと、俺は一等兵から兵長に二階級昇進した。厳密には上等兵に昇進した六時間後に兵長に昇進したのだけど。ヤンも大尉に昇進した六時間後に少佐に昇進した。生きている人間には二階級昇進は許されないという建前のおかげだ。特別大きい功績を立てた軍人が一階級昇進した数週間後に再び昇進して事実上の二階級昇進を果たすことはあるけど、それだって特例中の特例だ。エル・ファシル脱出作戦に参加した俺とヤン以外の軍人は全員一階級昇進。俺とヤンがどれだけ特別扱いされているか良く分かる。

 

 それからは一日で幾つもの記念式典や表彰式に参加し、合間に番組出演やインタビューをこなすという過密スケジュールだった。授与された勲章は四つ、各種団体から受けた表彰は三十四。特に自由戦士勲章受章は大きく報道された。

 

 自由戦士勲章は味方を助けるために死んだ者に与えられる同盟軍の最高勲章だ。生きて手に入れられるのは単艦で数十隻の敵艦を突破して生還するような人外ぐらい。俺は人外の域に達していると公式に認められたことになる。自分の虚像がどんどん膨らんでいくのが恐ろしかった。それも軍の都合で膨らまされているのだ。

 

 表彰が一段落すると、合間にやっていた番組出演やインタビューがメインの仕事になった。気の利いたことも言う頭もなく、勇壮なことを言う胆力もない俺は、できる限り真面目に答えることだけを心がけたのだが、世間は英雄に機知よりも誠意を期待していたらしく、俺の発言は好意をもって受け入れられた。

 

 軍服を着た俺の笑顔が雑誌の表紙を飾り、街には俺の写真を使ったポスターがあふれた。俺という人間はさっぱり変わっていない。内面は卑屈なままだし、容姿も六〇年前に逃げた時と変わらず冴えないままだ。それなのに何を言っても英雄らしく聞こえ、何をしても英雄らしく見える。俺という人間が「英雄エリヤ・フィリップス」という巨大な虚像に飲み込まれつつある気がした。

 

「まるで芸能人みたいですね」

 

 クリスチアン少佐に見せられたスケジュール表を見てため息をつく。バラエティ番組の予定まで入っている。

 

「これも任務だ。芸能活動のような浮ついたものではない」

「その浮ついたことをしたくないんですよ。人に見られるの苦手なんです。自分の姿がメディアを通じて大勢の人に見られるなんて想像するだけでゾッとするんですよ」

 

 人に見られるのが怖くなったのは捕虜交換から帰った後だった。どこに行っても汚物を見るような視線を投げつけられた。同盟が滅んだ後は卑怯者と言われることもなくなったが、すっかり身を持ち崩してしまってやはり汚物のように見られた。黙っていれば何を考えているかわからなくて気持ち悪いと言われた。口を開けば卑屈で気持ち悪いと言われた。笑っても泣いても気持ち悪いと言われた。他人の視線に怯えていた。この夢の中では悪意のない視線を向けられることが多いが、それでも見られている事自体が怖い。

 

「意外だな」

「え?」

「貴官は華がある。人目を引く振る舞いが板についている。見られることに慣れているとばかり思っていた」

 

 首を横に振る。華があるなんて言われたことがない。捕虜交換の後はもちろん、捕虜になって逃亡者のレッテルを貼られる前もだ。昔の容姿と今の容姿を比べてもまったく違いはないはずだ。しかし、クリスチアン少佐にそんなことを言っても仕方がない。話が通じるとは思えない。

 

「考慮しよう」

 

 怒声で返されると思ったが、少佐はいつもの不機嫌そうな口調でそう答えた。その次の日からメディアへの出演予定が少し減った。落ち着いた番組への出演が中心になり、ウケ狙いの記事を書こうとする軽薄なインタビュアーは来なくなった。パーティーへの出席もパタリとなくなった。

 

 

 

「それはクリスチアン少佐が頑張ってるおかげですよ」

 

 ヘアメイクのガウリ軍曹が俺の髪をセットしながら言う。二〇代後半の彼女は統合作戦本部広報室に所属しており、メディアに登場する軍人のコーディネートを行う。そう、今の俺には専属のヘアメイクまで付いているのだ。

 

「その点、ヤン少佐はついてないな。担当のグッドウィン大尉が張り切ってぎっしりスケジュール詰めこんでる。昨日なんてセクシータレントがドッキリ仕掛ける番組まで出てただろ。飯を食う暇もないんじゃないか?」

 

 ルシエンデス曹長が口を挟む。この小奇麗なおじさんは俺の担当カメラマン。軍のカメラマンとは言っても一般的にイメージされる従軍カメラマンとは違う。軍の広告に使われる写真を専門に手がけていて、前線に出ることはない。軍服を着た人を格好良く撮ることにかけては右に出る者はないそうだ。

 

「え?軍の広報の仕事では、食事と睡眠の時間は必ず確保する決まりじゃないんですか?」

 

 出演が減る前から食事時間と睡眠時間は長めに取られた。疑問に思った俺がクリスチアン少佐に質問したところ、「決まりでそうなっている」と説明されたのだ。

 

「まさか。普通はスケジュールぎっしり詰め込むよ。食事は移動中。慢性的な睡眠不足で移動中に寝て補う。旬のうちに出せるだけ出そうって思うのは軍も民間も同じだ」

 

 知らなかった。ルシエンデス曹長は一〇年以上広報室にいるベテラン。クリスチアン少佐は陸戦隊から広報室に異動したばかり。どちらが正しいかは言うまでもない。

 

「少佐は部下の待遇改善には人一倍熱心な方ですからね。『部隊は我が家。上官は我が親。同僚は我が兄弟。部下は我が子』という言葉を自分の部隊の標語にしていたそうですし」

 

 ガウリ軍曹の言葉が意外だった。ちゃんと話したのは初対面の時だけだけど、「良い待遇を求めるなど甘え」と言いそうなイメージがあった。初対面の時のブチ切れも軍隊を我が家だと思ってたからなんだろうな。標語のセンスにはちょっと付いて行けないけど。

 

「あの人は軍隊を本気で我が家だと思ってるんだろうねえ。初対面の時に『宿舎のシャワーから熱湯が出るようにしたのが一番誇れる仕事だ』と言ってた。五稜星勲章を二度受章したことの方がよほど自慢できると思うんだが。兵隊やったことがない俺にはわからない心理だよ」

「変わった人ですよね」

 

 ルシエンデス曹長とガウリ軍曹が顔を見合わせて苦笑する。軍人以外の職業が想像できなさそうなクリスチアン少佐とは本来は相性が良くないんだろうけど、けっこう好意的だ。クリスチアン少佐の脳内イメージを「意味不明で怖い人」から「意味不明で怖いけど悪い人じゃない」に修正する。

 

「でも、結構突き上げられてるみたいだぞ。フィリップスをもっと出せって苦情が来てるって室長がぼやいてた。なにせ、年寄りと女性の心をがっちり掴んでるからな」

「ヤン少佐はハンサムだけど、コメントつまらないからあまり人気ないんですよね。フィリップスくんみたいにまじめにコメントしたら人気出るのに。もったいないですよね」

 

 ガウリ軍曹のまたまた意外な発言。俺がヤンを知ったのは捕虜交換で帰国した後だ。既に同盟軍最高の名将の評価を確立していたけど、ハンサムという評価は無かった。一般受けするコメントはしなかったのは今と変わりないけど、言葉を飾らないところが誠実さと受け取られて人気を高めていた。同じ人物でも時期によって評価されるポイントは変わる。ある時期に短所と評価されたことが別の時期には長所と評価される。その逆もあるだろう。当たり前のことだけど気付かなかった。

 ヤンを間近で見た俺はその言動の中にいちいち名将の片鱗を探して感心したけど、今の時点ではまだ名将じゃないんだ。俺と同じように英雄に祭り上げられて戸惑っている若者で、ルックスの良さやコメントの面白さで評価される立場なんだ。ちゃんと生きていくなら、先入観を捨てないといけない。

 

「偉いさんは明らかにフィリップス兵長を売り出したがってるからなあ。そんな中で出演を減らすようにしてるクリスチアン少佐も大変だと思うわ。おとといは代議員のパーティーの招待を断ったとかで室長に呼び出されてた。あの代議員、なんて名前だったっけ。ほら、最近売り出し中の若手でさ。俳優みたいな男前。顔は浮かんでくるんだけど、名前が思い出せねえな」

「男前なら国防委員のトリューニヒトさんじゃないですか?」

 

 ガウリ軍曹が答える。

 

「それだ、トリューニヒトだ。爽やかイメージが売りのくせに案外根に持つタイプなんだなあって思ったわ」

 

 やれやれ、といった表情のルシエンデス曹長。俺は気づかないうちに随分とクリスチアン少佐の世話になっていたようだ。あちこち引っ張りまわされて辟易してたけど、あれでもかなりマシになってたのか。クリスチアン少佐の脳内イメージを「意味不明で怖いけど悪い人じゃない」から

「意味不明で怖いけど良い人かもしれない」に修正する。

 

 会話の中で名前が出たヨブ・トリューニヒトは俺が捕虜交換で帰国した時の最高評議会議長だ。爽やかなイメージを売りに政界に旋風を巻き起こしたが、帝国の侵攻に際して無為無策ぶりを露呈して失墜した。フィーバーの過熱ぶりと有事における無為無策の激しい落差ばかりが印象に残る。

 

 ことあるごとにヤンの足を引っ張っていたせいか、ヤンの旧部下を中心とする八月党はトリューニヒトこそ同盟滅亡の元凶であるかのように喧伝していたが、真に受けるのは八月党の熱烈な支持者ぐらいだろう。「そこまでの大物か?」というのが俺も含めた同時代人の一般的な評価だと思う。だけど、この時点ではヤンよりずっと大物だ。なにせ国政に議席を持っているのだから。

 

 その大物が俺をパーティーに俺を呼べなかったことに腹を立てている。俺のイメージはどこまで大きくなっていくのだろう。高みに登りすぎて降りられなくなるんじゃないか。はっきりと恐怖を感じた。



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第十話:地に足をつけて歩くのが望みだった 788年秋 ハイネセン市

「エリヤくん、最近ソリビジョン見てないんだって?」

 

 俺の顔にメイクを施すガウリ軍曹。彼女は最近俺のことをファーストネームで呼ぶようになった。逃亡直前に会った名前を知らない兵士を除けば、初めてこの世界の俺をファーストネームで呼んでくれた人だ。それにつられて、俺も彼らの前での一人称を僕から俺に変えた。他人行儀の相手には「僕」、気楽な付き合いの相手には「俺」を使い分けているのだ。

 

「ええ。新聞も雑誌もネットも見てません。どこ見ても俺の話ばかりしてるんですよ。耐えられないですよ」

 

 ソリビジョンや新聞は一切見なくなった。端末でネットを見るのもやめた。真の英雄という称賛、作られた英雄という批判、性格や容姿への批評。そういったものが飛び交う空間に耐えるメンタルは持ち合わせていない。

 

「英雄って言われる人は仕事柄たくさん見てきたけど、エリヤくんみたいなタイプは初めてね」

「初めてですか?」

「うん。自分に関する報道見ない人なんて初めて。何て言われてるか気になってチェックしてる人ばかりよ。シャルディニー中佐覚えてる?カルヴナの英雄。あの人なんて隙を見ては端末で自分の名前を検索して、批判の書き込み見つけたら反論の書き込みしてた」

 

 知らない名前だ。同盟軍の英雄なんてたくさんいるから、いちいち覚えていられない。自由惑星同盟における軍隊は、スポーツ界に匹敵する英雄の供給源である。超人的な活躍をした軍人は英雄と呼ばれ、メディアに取り上げられてブームを起こす。しばらくしたらブームが終わって次の英雄が出てくる。自由な社会においては軍人の活躍ですら娯楽として消費されるのだ。俺でも英雄になれるんだから、シャルディニー中佐みたいな小心者がたまたま英雄になってもおかしくはない。

 

「批判されるのは嫌だけど、褒められるのも嫌なんですよ。嫌なものを見たくないだけです。臆病なんですよ」

 

 身に覚えがない事で褒められると居心地が悪い。俺は自分が軍の都合で作られた英雄だということを知っている。他人の都合で持ち上げられる自分なんか見たくもない。俺が持ち上げられたら持ち上げられるほど、逃亡したリンチ司令官達が卑怯者と蔑まれるのも辛かった。

 

 俺達がヤンの指揮で脱出に成功したのに対し、彼らが逃げきれずに捕虜になったのも風当たりを強くした。メディアではリンチ提督を批判する報道が毎日のように流れ、最近は彼の過去の武勲の多くが捏造ではないかという疑惑まで囁かれている。一度失墜すれば、命がけで勝ち得た武勲まで否定されるのだ。

 

 ネットはもっと酷かった。リンチ提督と主要幕僚の詳細な個人情報、彼らの家族への攻撃の呼びかけまで書き込まれていた。かつての自分がリンチ司令官と同じ立場にいたことを思うと恐ろしくなる。

 

「臆病さを認めるのも勇気だぞ。それも死を恐れず敵に立ち向かう勇気より得難い勇気だ。普通は認めたくなくて虚勢を張る」

 

 カメラマンのルシエンデス曹長が真面目な口調で言う。お姉さんのように俺に接するガウリ軍曹に対し、曹長は兄貴分のように俺に接する。最近はこの二人以外とはほとんど話していない。クリスチアン少佐とは業務連絡しかしないし、他の人は持ち上げてくるのでなければ、敬意の仮面の中に壁を作って接してくる。

 

「嘘をつけるほど器用じゃないだけです」

「君は本当にクソ真面目だよな。もっと肩の力抜こうぜ。あんな本ばかり読んでるから、言うことも硬くなるんだ」

 

 ルシエンデス曹長が指さしたのは、テーブルの上に置かれた「同盟軍刑法の基礎知識」「初心者のための経済学講座」の二冊の本。

 

 最近の俺は政治、法律、経済の基本書ばかり読んでいる。この世界がどのような仕組みで動いているかを把握するためだ。刑務所で読書を覚えてからは文学や歴史の本ばかり読んでいた。自由惑星同盟が滅亡するまでの歴史的経緯、有名人の事跡はほぼ頭に入っている。それらの知識を活かせば、うまくやれると思っていた。エル・ファシル脱出の際のヤンが伝記に書いてあった通りの行動をした時は、知識通りに動いていることに興奮を感じた。

 

 しかし、英雄に祭り上げられて、未来の知識がまったく役に立たないことを理解した。俺はこの世界のことをあまりに知らなさすぎる。俺自身が一人の人間として未熟なら、未来を知っていても何一つ出来やしない。かつての俺は漫然と生きているうちにドロップアウトした。せめて、夢の中ではその過ちを繰り返したくない。

 

「この世界をもっと知りたいんですよ。俺は本当に何もわかっていない。そう感じることばかりでした」

「まるで別世界から来たようなことを言うな。最初に君を見た時はそういうふうに見えたけど」

 

 実際、ここは俺にとっては別世界だ。本当の俺はエル・ファシルで逃げて逃げて前科者にまで落ちぶれた老人でしかない。

 

「確かにこれまでと比べたら別世界ですよ。生まれつき英雄と呼ばれてたわけじゃないし」

「生まれつきの英雄のように見えるよ。いや違うな、主人公か。世界は自分を中心に回ってるって本気で思ってるような。ベースボールのエースみたいなタイプだな」

 

 確かに夢の中の自分は主人公だ。しかし、夢の展開が思い通りになることはまずない。殺されることだってある。漫然と見ているだけだからだ。今の俺は夢を見ているという自覚はある。行動次第で状況を動かせることも分かった。状況に流されるだけの現実とは違う。しかし、どう動けばどう変わるのかがわからない。英雄に祭り上げられたことはまったくの予想外だった。

 

 ゲームの主人公はゲームの中の状況を動かせる唯一の存在だが、ルールを知らなければすぐにゲームオーバーだ。状況を動かせるという主人公のアドバンテージはルールを知って初めて生きてくる。だから俺は世界のルールを学ばないといけない。そして、家族や友達と仲良くやって、普通の就職や結婚もする。現実では得られなかった幸せな人生を夢の中で手に入れるんだ。

 

「生まれついてのモブキャラですよ。背景に紛れてるのがお似合いです」

「確かにハイスクールの頃の写真ではそんな感じだったな。見た目はほとんど同じなのに雰囲気が違う。オーラがまったく無い。びっくりした」

「エリヤくんは私服がダサいから」

「ほっといてください」

 

 ガウリ軍曹のツッコミに口先ではむっとしてみせるが、内心は嬉しい。身近に軽口を叩き合える人がいると、心が軽くなる。現実ではそんな相手には恵まれなかった。ルシナンデス曹長やガウリ軍曹との出会いがなければ、今の生活に耐えられなかったかもしれない。

 

 スケジュールにゆとりがあったのも大きかった。クリスチアン少佐が突き上げの中で頑張ってくれているのだろう。時間のゆとりは心のゆとりにつながる。この三人が俺の担当で本当に良かったと思う。

 

「それにしても、俺はいつまで英雄やってればいいんでしょうね」

「今週のウィークリー・プリセント・エイジが君の特集を組んだ。あそこはセンスが古いから、ブームに一番最後に食いついてくる。君の賞味期限はもうすぐ終わるな」

 

 ルシナンデス曹長の予想通り、次の週から急に出演やインタビューの依頼が減り、熱狂の波はあっけなく引いていった。フライングボールにスーパールーキーが現れ、世間の関心はそちらに移っていったのだという。要するに「次の英雄」が見つかったのだ。

 

 統合作戦本部広報室に呼び出されたのは11月末のことだった。そこで俺は広報活動任務の終了と担当チームの解散を告げられた。あっという間に英雄になった俺はあっという間にただの人に戻ってしまった。

 

 

 

 俺達は統合作戦本部近くのレストランで打ち上げを開いていた。同盟全土に展開している大手のチェーンでいろんなジャンルの料理を安価で提供する良く言えば柔軟、悪く言えば無節操な店だ。ヘルシーなジャパニーズがマイブームのガウリ軍曹。食事にパスタが付いてないと機嫌が悪くなるルシエンデス曹長。味が濃くて油っこくないと食べた気がしないと言う軍隊式味覚を持つクリスチアン少佐。好き嫌いは特にないけど、マカロニアンドチーズがあれば幸せな俺。この四人の妥協が辛うじて成り立つのがこの店だった。

 

「かんぱーい」

 

 ガウリ軍曹の乾杯の音頭。彼女とルシエンデス曹長とクリスチアン少佐はワイン、俺はスウィートティーで乾杯をする。

 

 ヘルシーなジャパニーズがマイブームのガウリ軍曹。食事にパスタが付いてないと機嫌が悪くなるルシエンデス曹長。味が濃くて油っこくないと食べた気がしないと言う軍隊式味覚を持つクリスチアン少佐。好き嫌いは特にないけど、マカロニアンドチーズがあれば幸せな俺。この四人の妥協が辛うじて成り立つのがこの店だった。

 

「いい仕事ができたよ。提督にでもなったらまた呼んでくれ。名将に見えるように撮ってやるから」

 

 顔が赤くなっててご機嫌のルシエンデス曹長。ふた口ぐらいしか飲んでないはずなのに。見かけによらず酒に弱いんだな。

 

「俺が提督なんかになれるわけないでしょう。ていうか、職業軍人になるつもりないですよ。兵役期間が終わったら民間で就職します」

「貴官は軍人に向いているのにもったいないな」

 

 肉の塊というよりは脂の塊をナイフで切り分けているクリスチアン少佐の意外な意見。

 

「まさか。体力無いし、頭悪いし、臆病だし。一番向いてない職業なんじゃないかと」

「貴官は良く飯を食う。良く眠る。きっと良い軍人になる」

 

 初対面の時に言われた軍人精神云々のことかと思ったら違うのか。しかし、食事量や寝付きの良さを人に褒められたの初めてだぞ。捕虜交換から帰って実家にいた頃は、いつも親に「無駄飯食い」って言われてた。寝ていたら、「恥ずかしげもなく良く眠れるな」って嫌味言われたな。ああ、こんな時に嫌なこと思い出した。

 

「体力は鍛えればいい。頭は勉強すればいい。勇気は訓練と実戦で身に付ければいい。全ての基礎が飯と睡眠だ。つまり貴官は基礎ができている」

 

 超理論だ。もしかしてこの人の脳みそは筋肉できてるんじゃないか。

 

「どういうことです?面白そうですねえ」

「私も。少佐が食事と睡眠が基本って言ってる理由、気になってたんですよー」

 

 興味津々のルシエンデス曹長とガウリ軍曹。まんざらでもないといった顔のクリスチアン少佐で語り始める。

 

「飯を食わなければすぐへたばるだろう?眠らなくてもやはりすぐへたばる。そんな兵隊が使い物になるか」

 

 あれ?すげえシンプルなのに説得力があるぞ。

 

「でも、偉いさんには食べないで戦う兵隊や寝ないで戦う兵隊がいい兵隊だって思ってる人が多いですよねえ」

「それは奴らが臆病者だからだ!」

 

 何かのスイッチが入ったらしく、急に語気を荒らげるクリスチアン少佐。初対面の時と同じだ。しかし、スイッチを入れた曹長は平気な顔をしている。

 

「戦場では一瞬の隙が命取りだっ!へたばったら動きが鈍る!判断が遅れる!命を賭けて戦ったことがない臆病者にはそれがわからんっ!飯や睡眠が足りずに生き残れるほど戦場は甘くない!甘く見るにもほどがあるっ!」

 

 拳をテーブルに叩きつけるクリスチアン少佐。食器が音を立てる。店員や他の客達はドン引きしてるけど、曹長と軍曹は楽しそうに「なるほど」「面白いですねー」などと言っている。俺もなるほどと思った。単純だけどそれゆえにわかりやすい。

 

「つまり、俺は強い兵隊になる素質があるってことですか?」

「兵隊はもちろん、提督や艦長の素質もある」

「良く飯を食い、よく眠ることがですか?」

「そうだ」

「でも、どっちもあまり体使わないですよね。頭脳を使う仕事じゃないですか?」

「貴官は腹が減ってるのに集中を保てるか?眠らずにまともな判断ができるか?頭だって体の一部だぞ?疲れたら動きが鈍る」

「言われてみれば…」

「我が軍の士官学校は体育を重視している。学力があっても、体育科目の成績が悪い者はトップになれん。反戦派どもは旧時代的だ、だから軍人は頭が悪いのだなどと言うが戯言だ。頭を使いこなすにも体力がいる。疲れやすい体では勉強もはかどらん」

 

 同盟が滅亡すると、士官学校教育批判は同盟軍の敗因を探る人々の定番ネタとなった。その中でも特に体育教育重視は有害図書の閲覧禁止、戦史研究科廃止と並んで、士官教育における反知性主義の典型として強く批判されていた。それに一定の合理性を見出す意見は新鮮だった。

 

「貴官は飯を食う量が多いだけではない。真面目だ。その上足も速い。きっと良い軍人になれる。兵役満了が近くなったら下士官試験を受けてみるといい。軍には貴官のような人材が必要なのだ」

 クリスチアン少佐の表情が初めて柔らかくなった。どうやら、英雄の虚名抜きで俺を評価しててくれたらしい。ちょっと嬉しくなった。ハイスクール時代に50メートル走のタイムが7秒台前半ぐらいだった俺の足が速いという評価は謎だけど。

 

「ありがとうございます。でも、やっぱり民間で就職したいですよ」

「軍人は嫌いか?」

「あ、いや、そうじゃなくて。夢だったんです。普通に就職して、結婚して、子供を育てて年を取っていく。ずっと夢見ていました」

 

 軍隊を何よりも愛している少佐を怒らせてしまったかなと思った。しかし、少佐の表情は柔らかいままだった。

 

「良い夢だな」

「英雄になんてなりたくなかったんですよ。当たり前に生きて、当たり前に年を取りたかったんです」

 

 逃亡者になったせいで得られなかった当たり前の人生。老いてからは平凡な家族連れが何よりも眩しく見えた。自分は何をしていたのだろうと涙が出たものだ。

 

「軍人は軍人である前に市民だ。良き市民こそが強い軍人足り得る。貴官なら良き市民になれるだろう。目上を尊敬し、同輩と助け合い、目下を慈しむ。法律を守り、税金を納め、強い子を育てる。そんな当たり前の市民を目指せ。我ら軍人は市民の当たり前を守るためにこそある。短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には軍人として、家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は小官らを思いだせ」

 

 少佐の堅苦しいけれど温かい激励に涙が出そうになる。

 

「ありがとうございます。お世話になりました」

 

 深々と頭を下げる。これまでの分も含めて礼を言った。少佐はうなづくと、ずっと黙っていたルシアンデス曹長とガウリ軍曹の方を向く。

 

「貴官らの言う通りだ。ちゃんと話してみるものだな。骨折り感謝する」

「礼には及びません。少佐とフィリップス君が苦手意識持ったままで別れるのもつまらんと思った。それだけです」

「私達も少佐にはいろいろと勉強させていただきました。ちょっとぐらいお返しさせてくださいよ」

 

 三人が笑い合う。陸戦隊叩き上げの少佐と広報畑の二人は相性が悪そうだけど、かなりいい関係を築いていたみたいだった。

 

「苦手意識ってどういうことですか?」

「少佐はこういう人だからね。君と何を話していいかわからなくて困ってたんだよ」

「どんな敵であろうと恐れない小官だが、味方の英雄はな。気後れしてしまう。特に貴官は雰囲気があるからな。申し訳ないが、人に見られるのが嫌だと聞いて少し安心した」

 

 クリスチアン少佐の苦笑。脳内イメージを「意味不明で怖そうだけど良い人かもしれない」から、「良い人」に上方修正した。

 

 それからはそれぞれの今後の身の振り方についての話になった。クリスチアン少佐は広報官に向いていないことを悟って、陸戦学校教官への転出願いを出したという。ルシアンデス曹長とガウリ軍曹は近日中に次の担当が決まるそうだ。

 

「で、エリヤくんはどうするの?」

「休暇とって里帰りしようかなって思ってます。エル・ファシル脱出してからずっと広報活動でしょう?そろそろ休みたいですよ」

 

 確かに、と三人は笑った。



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第十一話:本当に俺が失くしたもの 宇宙暦788年12月 惑星パラス、パラディオン市

 腕時計を見る。パラディオン到着まであと一分。今日は何度時計を見たことかわからない。一分ですら、永遠のように長く感じる。

 

「お疲れ様でした。パラディオン宇宙港に到着いたしました。長旅お疲れ様でした」

 

 アナウンスとともに船のハッチが開いた。外はタッシリ星系に属する惑星パラス。この星の東大陸にあるパラディオン市が俺の故郷だ。自由惑星同盟に属する惑星の中でもパラスの住みやすさは屈指だが、そのパラスにあってもパラディオンは最高の居住環境を誇っている。

 

 気候は年間を通じて温暖。空気も水も綺麗。自然豊かで春の桜と秋の紅葉の美しさは筆舌に尽くしがたい。食べ物は何でも美味しいけど、ピーチパイは銀河一。

 

 文化的にも恵まれている。ケニーズ通りは演劇の七大聖地の一つ。フライングボールのパラディオン・レジェンズはパラディオンっ子の誇りだ。まさにこの世の天国といえる。

 

 白眼視に耐えかねて、逃げるように出て行ってから四九年。パラディオンの風景画像を端末で見ては、ため息をついたものだ。いつか帰りたいと願いながらついに帰れなかった。夢の中ではあるが、故郷に戻ってきたのだ。

 

 歩くのももどかしくなり、ハッチに向かって走り出す。係員に「お客様!危ないですよ」と声をかけられるが、そんなのは知ったことではない。懐かしい故郷が待っているのに歩いてなんていられるか。

 

 ハッチから出てタラップを駆け下りる。日差しが眩しい。四十九年ぶりのパラディオンの陽光のなんと暖かいことか。地面に足が着いた。パラディオンの土だ。足に力を込めて一歩一歩踏みしめながら歩くと、涙が流れた。帰ってきた。俺は帰ってきたのだ。生きていてよかった。

 

 到着ロビーに入った途端、俺の感動は打ち砕かれてしまった。ものすごい人だかり。報道陣もいる。スーツを着た人たちが並んで「おかえりなさい」の横断幕を持っている。その前には満面の笑顔を浮かべた五〇代ぐらいのやはりスーツを着た男性が立っていた。

 

 俺がたじろいでいると、男性は歩み寄ってきて俺を強く抱擁し、「フィリップス君おかえり!君はパラスの誇りだ!」と叫ぶ。報道陣のカメラのフラッシュが一斉に焚かれる。やっと故郷に帰れたのにまだ英雄を続けないといけないのか。そう思うと、頭がクラクラした。

 

「惑星知事閣下直々のお出迎えなんて凄いな!」

 

 ビール片手でご機嫌なのは父のロニー。パラディオン市警の警察官だ。最後に会ったのが宇宙暦七九九年。あの時は五十五歳だったから、宇宙暦七八八年という設定の夢の中では四十四歳になる。目の前の父は常勤職に就けない俺を心配し、兵役が満了したら警察官の採用試験を受けるよう勧めてくれた頃の父と同じだ。しかし、俺の顔を見て「なんでお前が俺の息子なんだ」と憎々しげに吐き捨てた姿が重なって見える。

 

「患者さんからも『エリヤ君のお母さん』って呼ばれるのよ」

 

 にこにこして父にビールを注ぐのは母のサビナ。看護師をしている。最後に会った時は五十四歳だったから、目の前の母は四十三歳ということになる。目の前の母はドン臭い俺が兵役をまっとうできるのか心配していた頃の母と同じだ。しかし、俺が言い返せないのをいいことにネチネチ嫌味を言っていた姿が重なって見える。

 

「あんた、ホント男前になったよね。英雄になると顔つきまで変わるのかな」

 

 俺の顔を感慨深げに見つめる細身の女性は姉のニコール。七九九年の時点では結婚していたが、現時点ではまだジュニアスクールの非常勤教師だ。俺の二歳上だから今は二十二歳。目の前の姉は大人しい俺の保護者を自認していた頃の姉と同じだ。しかし、徹底して俺を無視して歩いていて俺が前にいてもよけずにわざとぶつかった姿が重なって見える。

 

「クラスでもお兄ちゃん大人気でさー。ちっちゃい頃のアルバム持ってくとみんな大喜びするのよね」

 

 母の「いいかげんにしなさい」という言葉を聞き流してマフィンをパクパクつまんでる太った少女は妹のアルマ。七九九年の時点ではハンバーガーショップの店員だったが、現時点ではミドルスクールに通っている。俺の五歳下だから今は十五歳。目の前の妹は俺に懐いていて、兵役に就くことが決まった時に大泣きした頃の妹だ。しかし、俺を名前で呼ばず「生ごみ」と呼んで、俺が触った場所に消毒スプレーを吹きかけた姿が重なって見える。

 

 現実ではとことん冷たかった家族がこの場では逃亡者になる前の暖かい家族に戻っている。嬉しいはずなのになぜか強い違和感を感じた。目の前の暖かい家族と冷たい仕打ちをした家族が重なって見える。

 

 もう無理、俺はこの人達と笑い合うことができない。俺は勢い良く席を立つと、無言でファミリールームを出た。

 

「ちょっと、どうしたの?ねえ、エリヤ!?」

 

 慌てる家族の声を無視して、早足で自分の部屋に入りロックをかける。部屋の電気を消すと、ベッドに入って布団を頭からかぶった。パラディオンの十二月は暖かいのに、俺の体は震えていた。

 

 

 到着二日目は忙しかった。朝に市役所を表敬訪問。外壁には「英雄フィリップス兵長凱旋」の垂れ幕が下がり、庁舎のホールには大勢の市民が俺を見るために詰めかけていた。暇人が多いなと思いながら、笑顔を作って手を振ると歓声があがる。名誉市民称号を授与された後、市長と一〇分ほど対談した。

 

 午後からは母校を訪問し、在校生の歓迎を受ける。存在感皆無の生徒だった俺が初めて学校で主役になって気恥ずかしかった。職員室に行くと、在校中は俺のことなんか眼中になかったはずの教師達が「君には注目していたんだ」などと言うのには失笑を感じる。

 

 夕方からは市内のホテルで市主催の祝賀会が開かれた。こういう場に出るのは遠慮したかったけど、父が勝手に俺の出席を承諾したらしく出ないわけにはいかなかった。集まった人達に握手をして回り、写真撮影にも応じた。地元政財界の偉い人に親しげに声をかけられ、にこやかに応対した。こういうのは物凄く苦手なのに、断れずに頑張ってしまう性分が情けない。クリスチアン少佐がいてくれたらと思う。

 

 三日目からは地元メディアの出演・取材で大忙しだった。父が俺に断りなしで承諾してしまうものだから、休む暇もないほどにスケジュールが詰まってしまう。文句を言おうにも、父の顔を見るたびに記憶の中の怖い顔がちらついて言えない。その間に俺の携帯端末にはミドルスクールやハイスクールの同級生から誘いのメールがたくさん来ていた。そのほとんどが覚えてない名前だ。もともと縁がなかった奴らなんだろう。

 

 辛うじて覚えてる名前の中には運動部のスターや優等生がいた。目立ってたから覚えてるけど、当時は俺なんか眼中になかったはずだ。なんでこいつらが俺のアドレスなんか知ってるのか不思議だけど、俺と仲が良かったごく数人の誰かが教えたんだろう。会ってみたい気持ちもあるけど、会ったところで話すことがないのもわかっている。迷った挙句、『ミドルスクールの同級生二〇人ぐらいで集まって祝賀会開こうと思うけどどう?』という内容のメールにのみ返信した。

 

 祝賀会の会場は偶然にも広報担当チームの打ち上げをしたレストランと同じチェーンだった。いろんなジャンルの料理を出し値段も安いから、金をかけずにパーティーをするには手頃なのだ。扉を開けると、笑い声や話し声で溢れかえっていた。既に盛り上がっているようだ。ちょっと引いてしまう。盛り上がってる場所にいると居場所がないように感じてしまうのは地味キャラの悲しさだ。「俺が主役なんだ」と自分に言い聞かせて奥に進む。

 

「おー、来た来た」

 

 立ち上がって手を叩いた大男はミロン・ムスクーリ。フライングボール部のスターだった男だ。こいつを覚えているのにはバスケで目立ってた以外にも理由がある。現実の俺が捕虜交換で帰った時にはムスクーリは極右組織に所属していて、俺を街角で何度もつかまえては「卑怯者め!」と罵倒し、岩のような拳で殴りつけたのだ。スポーツマンらしい爽やかな笑顔で俺を歓迎する目の前のムスクーリと、悪鬼のような形相で俺を殴りつける記憶の中のムスクーリが重なる。

 

「エリヤ、ひさしぶりー」

 

 手を振ってる丸顔の女の子はルオ・シュエ。彼女はミドルスクールでの数少ない友達だった。捕虜交換で帰ってから連絡したら、「あんたはもう友達じゃない。二度と連絡しないで」って返信が来て着信拒否食らったっけ。

 

「こっちこっち」

 

 俺の手を引いて用意された席に連れてってくれたのはフーゴ・ドラープ。信望が厚く、クラス代表を務めた。特別に仲が良かったわけでもないけど、誰にでも分け隔てなく優しい奴だった。捕虜交換で帰ってから街角で見かけて話しかけたら、物陰に連れて行かれて「話しかけないでくれ。お前と話してるとこ人に見られたくないんだよ」って言われたけどな。

 

 家族と同じだ。目の前のこいつらが俺に冷たい仕打ちをした時のこいつらに見える。体が恐怖で震える。

 

「顔色悪いけど大丈夫か?」

 

 ムスクーリは心配そうに俺を見る。曖昧に笑う俺。

 

「遠慮しないで飲みなよ」

 

 ルオが俺のコップにビールを注ぐ。今の俺は酒を飲まない。いや、飲めない。逃亡者の汚名を負って生きることに耐えられずに酒に溺れ、アル中で何度も入院して長い断酒治療の末に酒を断ったからだ。あの断酒治療を思えば、酒を飲む気なんてなくなる。だが、怖くてルオがつぐ酒を断れない。

 

 みんなが口々に俺のエル・ファシルでの活躍を褒め称え、脱出行やメディア出演の話を聞きたがった。何とか説明しようと頑張ったけど、舌が思うように動かなくてしどろもどろになる。

 

 ダメだ。ここにはいられない。立ち上がって早歩きで店の出口に向かう。追いかけてきたドラープの「やっぱ具合悪いのか?送ろうか?」という声を無視してそのまま店の外に出てタクシーをつかまえて乗った。

 

 真っ暗な自分の部屋。故郷に帰っても安らげる場所はここだけなのか。逃亡者だった時と同じじゃないか。

 

「俺のどこが英雄なんだよ。全然変わってねーじゃん」

 

 初日の夜から家族とはほとんど会話がない。父と事務連絡的なやりとりをするぐらいだ。ベッドの上で寝っ転がって端末を見ると、祝賀会に出ていた連中から俺の体調を心配するメールが何通も来ていた。全部削除する。

 

「今度こそうまくやれると思ってたんだけどなあ…」

 

 嘘だ。そんなことは思っていなかった。パラディオンの風物を懐かしむことはあったけど、家族や友人を懐かしむことはなかった。彼らのことを思い出すのは、受けた迫害を思い出す時だけだった。彼らと再び良い関係を結べる日が来るとは思えなかった。故郷は風物だけで成り立つものではない。人間関係もひっくるめての故郷だ。

 

 とっくの昔に俺は故郷をなくしていた。結局のところ、今回の帰郷はそれを確認する作業でしかなかった。



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第二章:英雄のこれから
第二章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 20歳 男性 オリジナル人物

同盟軍兵長。前の人生ではエル・ファシルで市民を見捨てて逃亡したために、人生を踏み外す。六〇年前のエル・ファシルに戻って人生をやり直し、政治的な事情から英雄に祭り上げられて再出発を果たす。一等兵から兵長に二階級昇進。小心者。卑屈。真面目。爽やかな容姿。他人の視線が苦手。

 

エル・ファシル関係者

ヤン・ウェンリー 21歳 男性 原作主人公

同盟軍少佐。士官学校で参謀教育を受けた若手士官。エル・ファシル脱出船団を指揮した功績によって、中尉から少佐に二階級昇進。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。。

 

アーロン・ビューフォート 30代半ば? 男性 原作人物

同盟軍中佐。駆逐艦マーファ艦長。エル・ファシル脱出作戦の功績で少佐から中佐に昇進。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

広報関係者

エーベルト・クリスチアン 40代前半 男性 原作人物

同盟軍少佐。エリヤの広報担当。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを世間の雑音から守ろうとした。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

ガウリ 20代後半 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。エリヤの担当スタイリスト。エリヤの話し相手の一人。人生をやり直した後にエリヤを初めてファーストネームで呼んだ人物。

 

ルシエンデス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。エリヤの担当カメラマン。エリヤの話し相手の一人。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 44歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 43歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 22歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 15歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。

 

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第十二話:一刀両断 宇宙暦788年12月 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 俺は逃げるように故郷を出ると、エルゴン星系のシャンプールに向かった。同盟軍においては准尉以下の下士官兵の人事業務は所属部署を管轄する方面管区司令部、もしくは正規艦隊司令部が担当している。エル・ファシル失陥にともなって星系警備艦隊が廃止された後の俺は、その上位にあるシャンプールの第七方面管区所属ということになっていた。広報活動に従事していた時も統合作戦本部広報室への出向という形だった。

 

 現在の立場は待命中。管区司令部があるシャンプール基地内の宿舎で次の任務を待っている。待命中は仕事をしなくても通常の八割の給与をもらえる。兵長の基本月給は一四四〇ディナールなので俺はその八割の一一五二ディナールを毎月受け取っている。民間人なら到底生活が成り立たないような安月給だが、軍隊にいる間は部隊宿舎に住めて食事も支給されるので不自由なく暮らせた。

 

 しかし、いくら食うに困らなくても目標も義務もない生活は人間の心を荒ませる。兵役満了後は地元で就職しようと思っていた。さほどレベルの高くないハイスクールの就職コースを出て、これといったスキルも持たない俺が地元以外で正規雇用の職を得るのは難しいからだ。その選択がなくなった今、俺は目標を見失っていた。次の配属先もまだ決まっていない。英雄にはなるべく身近にいてほしくないと思うのが人情らしく、俺を引き取ろうという部署がなかなか見つからないのだ。

 

 部屋に閉じこもって政治・経済・法律などの本を読んでいたけど三日でやめた。やり直しのための知識を蓄えても、やり直せる場所がなければ虚しいだけだ。暇潰しに携帯端末でネットを見ると、検索サイトのニュース欄に「国防委員会がリンチ少将の戦功捏造疑惑の調査を開始。勲章剥奪か」という見出しが出ている。携帯端末をぶん投げた。

 

 ハイネセンで英雄をやっていた頃のことを思い出す。目立つのは嫌だった。持ち上げられるのは居心地が悪かった。それでもやるべきことがあった。やり直せるという希望もあった。

 

「あれが懐かしくなるなんて、我ながら弱ってるな…」

 

 いつまでもこのままということはない。どこかの部署に配属されて、兵役を継続することになるだろう。兵役が満了したらどうする?地元に帰って就職という選択肢は消えた。ハイネセンに出て非正規雇用で食いつなぐのは論外。そうなると、クリスチアン少佐が言うように兵役満了時に下士官志願することになるんだろうか。かなり狭い門だったはずだけど。職業軍人になる自分が想像できないな。クリスチアン少佐には「軍人に向いている」って言われたけど。

 

『短い間だったが、貴官とは任務を共にした仲間だ。貴官が軍服を着ていようといまいと、小官にとっては家族だ。小官には軍人として、家族として貴官を守る義務がある。ルシエンデス曹長やガウリ軍曹もそうだ。苦しい時は小官らを思いだせ』

 

 クリスチアン少佐の言葉が脳裏に浮かぶ。今の俺は苦しいから少佐を思い出してるのかな。俺の頭であれこれ考えても意味が無い。相談してみよう。軍隊生活が長い少佐の話を聞けば、もっと具体的なイメージが掴めるかもしれない。床に落ちている端末を拾って少佐に職業軍人の道に興味があるというメールを送る。もちろん故郷で起きたことは伏せた。返ってくるだろうか。

 

 宿舎の食堂で夕食を食べて、共同浴場の風呂に入ってから部屋に戻ると、少佐から「確認したら返信せよ。小官より説明する」という返信。ファイルがいくつも添付されていた。「下士官選抜要項」やら「幹部養成所案内」やらいう題名のファイルだ。開いてざっと目を通してから「確認しました」と返信すると、携帯端末の着信音が鳴った。クリスチアン少佐からだ。すぐに出る。

 

「お久しぶりです、少佐」

「うむ。小官は社交辞令は苦手だ。すぐに説明に入りたいが良いかな?」

「お願いします」

「我が軍の軍人には士官・下士官・兵がいる。そのうち、兵の過半数は兵役従事者。残りは職業軍人の志願兵。志願兵の身分は不安定だから、安定雇用を望む貴官の要望には沿わないだろう。本来は兵役従事前のミドルスクール卒業者、若年の非正規労働者の受け皿だ。よってこの選択肢は除外だ」

 

 現実の俺は白眼視に耐えかねて故郷を離れると、志願兵となった。当時の同盟軍はラグナロック作戦で侵攻してきた帝国軍を迎え撃つために志願兵を大々的に募集しており、三〇過ぎで何のスキルもない俺でも入隊できたのだ。しかし、エル・ファシルの逃亡者リストは軍隊の中まで流れてきていた。

 

 同盟軍ではリンチは禁止されているが、それは建前にすぎない。下士官や古参兵からのリンチは風物詩と言っていい。ただでさえドン臭い俺が世間公認の卑怯者の肩書きまで背負っているのだ。

 毎日のように暴行を受け、人が手足を動かそうとするのを見るだけで怯えるようになった。さんざんに罵倒され、人が口を開こうとしているのを見るだけで怯えるようになった。金や物を脅し取られ、給料を前借りまでして差し出した。食事をさせてもらえず、三日間何も食べられなかった。ロッカーに閉じ込められて勤務に出られなかったことを無断欠勤と報告されて懲罰を受けた。「私は卑怯者です」という言葉をひたすら書き取りさせられたこともあったっけ。

 

 嫌なことをたくさん思い出してしまった。この調子だと、兵として再び勤務にしたら、帰郷した時のように記憶の中の光景と重なってしまう。身分も安定しないし、志願兵は無しだ。目指すなら下士官か士官だな。下士官の権力をもってすればリンチを受けることも無いし、士官ともなれば下士官だって頭を下げてくる。

 

 ふと少佐に聞いてみたくなった。

 

「なるほど。ところで少佐は軍隊の中のリンチに関してどう思われますか?」

「言うまでもなかろう」

 

 声のトーンが不機嫌そうになる少佐。ああ、こういう人にとっては言うまでもないか。兵隊は殴れば殴るほど強くなると思ってるんだろうな。

 

「我が子を殴る親、弟を殴る兄など話にならん。日頃から身を正していれば、黙っていても兵は懐いてくる。ひとたび突撃すれば、死なせてはならないと奮い立った兵が後に続く。それが上官や古兵の威厳というものだ。兵を殴って言うことを聞かせようというのは臆病だからだ。臆病だから威厳がない。そのような上官になってはいかんぞ。兵に尊敬される上官を目指せ」

 

 意外だった。少佐のような度胸と腕力が売りのタイプは「拳で言うことを聞かせる」のに肯定的だと思っていた。だけど、否定の仕方も少佐らしく竹を割ったようで、「らしいな」と思った。

 

「お教えいただき感謝いたします」

「うむ。気になったことはすぐ人に聞く。その率直さは貴官の長所だ。大事にせよ」

「はい」

 

 人の上に立つ人ってこういう人なんだなあ。俺が少佐になることがあるとしたら、その時にはこの人の足元に手が届いているだろうか。

 

「では続けるぞ。下士官に任官するに専科学校卒業、 功績による昇進、兵役満了時の下士官試験の三つの経路がある。専科学校が一番簡単だが、受験資格は十六歳から十八歳までだ。残念ながら貴官の年齢では無理だな」

 

 軍の専科学校は同盟では結構ポピュラーな進学先の一つだ。二年の教育を受けて卒業したら、伍長に任官できる。初任給は地方のヒラ公務員並み。そこそこの大学を出ても、同じぐらいの初任給が出る職に就くのは難しい。しかも、同盟軍は慢性的に士官が不足しているものだから、有能な下士官はどんどん士官に登用される。軍艦の戦術オペレーター、整備主任といった専門職の士官はほとんど下士官出身だ。定年まで勤めれば多額の退職金を手にして恩給生活入りできる。とてもおいしいんだけど、残念なことに俺の学力では手が届かなかった。ミドルスクールでもっと勉強しておけば良かったと思う。

 

「兵から功績によって昇進するには勤務成績がよほど優秀でないといけない。だから、この経路での昇進者は熟練の古参志願兵が多い。兵役一年目で経験が浅い貴官では難しかろう」

 

 俺には仕事ができないという致命的な欠点がある。経験豊富でも難しいというか無理だと思う。

 

「貴官が目指すとすれば、兵役満了時の下士官試験だ。兵役期間中に上等兵まで昇進した者は志願資格を得る。志願者の中から選抜試験に合格した者が昇進できるが、形だけの試験だから間違いなく通る。小官としてはこれがお勧めだな」

 

 これはとても魅力的だ。誰でも通るというのがいい。しかし、志願資格を得るには再来年まで兵役を務めなければならない。ドン臭い俺のことだから、根性の悪い下士官に目をつけられるかもしれない。安定した下士官は魅力だけど。でも無理だ。リンチを受けた思い出が蘇ってくる。

 

「参考までに士官になる方法も教えていただけますか?」

「いいだろう。士官に任官するには士官学校卒業、幹部候補生養成所修了の二つの経路がある。士官学校の受験資格は専科学校と同じ十六歳から十八歳までだから、やはり貴官の年齢では対象外だな」

 

 士官学校は同盟では国立中央自治大学、ハイネセン記念大学と並ぶ最難関校だ。受験資格があっても、俺の学力では無理だ。地方のハイスクールの就職コースでも成績悪い方だったからな。となると、幹部候補生養成所か。

 

「幹部候補生養成所に入所するには、上官の他に将官を含む士官二名の推薦を受ける必要がある。『勤務成績優秀な准尉または曹長』、あるいは『下士官、もしくは上等兵以上の兵で幹部適性が認められる者』。そのどちらかを満たした者が入所資格を得る。かく言う小官もこの経路で准尉から幹部候補生を経て士官になった」

 

 つまり、俺は『下士官、もしくは上等兵以上の兵で幹部適性が認められる者』として、士官を狙えばいいんだな。推薦で行けるらしいし。

 

 士官になれば特別扱いなんだよな。従卒が身の回りの世話をしてくれる。個室に住めるし、食事も専用の士官食堂だ。下士官に敬語使われるのもいいよな。なんかワクワクしてきた。

 

「貴官が士官を目指すなら、『幹部適性が認められる者』で推薦を受けることになるだろう。何と言っても貴官はエル・ファシルの英雄だ。推薦者はすぐ見つかるはずだが…」

 

 急に奥歯に物が挟まったようになる少佐。いいところなのにそういうのやめろよ。不安になるじゃないか。

 

「准尉や曹長なら無試験で入所できるのだが、軍曹以下のものは試験を受けて幹部適性があることを示さねばならん。人物審査と体力検定は貴官なら問題なく通るだろうが…。学力試験が問題なのだ。士官学校の入試と同レベルの問題が出る。だから、『幹部適性が認められる者』の資格で幹部候補生養成所に入る者は滅多におらんのだ」

 

 俺は肩をがくっと落とした。無理じゃん。

 

「小官としてはやはり兵役満了後に下士官志願するべきだと思う。士官に興味があるのはわかる。だが、貴官はまだ若い。時間はいくらでもある。焦って無理をすることはない。貴官ならいずれは士官に昇進できる。今はじっくり経験を積んで未来に備えるべきだ。大勢の部下を率いるだけが貢献ではない。下士官として与えられた仕事をコツコツとこなしていく。目立たないが、偉大な貢献だ。黙々と働く下士官たちが士官の活躍を支えるのだ」

 

 いろいろ勘違いされてるっぽいけど、それは置いとく。置いとくとしても、結局はどん詰まりか。ここまで親身に乗ってもらったのに少佐には申し訳ないな。俺って本当にダメな奴だ。嫌になる。

 

「ちょっと時間をいただけますか…」

「ダメだ。今すぐ決めろ」

 

 ちょ、ちょっと待てよ。なんだよそれ。考える時間ぐらいくれよ。

 

「考える時間がないと…」

「貴官は無為に耐えかねて小官に相談したのだろう!?さらに無為の時を重ねてどうする!迷うだけ時間の無駄だ!たった二つの選択肢だぞ!片方を選ぶだけだ。一瞬ではないかっ!」

 

 なんだ、その強引な話の持って行き方は。だけど、これ以上引き伸ばすのは不可能そうな雰囲気だ。仕方ない。考えてもわからない時は…。

 

「わかりました。では、今からコイントスをします。表が出たら下士官目指して、裏が出たら士官目指します」

「よし!」

 

 考えても答えが出ない時は選択を天に委ねる。それが俺のやり方だ。ハイスクールのテストで答えがわからなかった時は、シャープペンを倒して答えを選んだものだ。ことごとく外したけどな。

 

 コインを投げる。床に落ちた。出たのは…、表だ。つまり下士官…。

 

 兵役満了まで勤めあげる。兵として過ごした日々のことを思い出す。

 

「裏が出ました!士官目指します!」

「よく言った!後は努力をするだけだ!」

「はい!頑張ります!」

「貴官ならできる!貴官も自分を信じろ!」

「ありがとうございました!」

「うむ。夜ももう遅い。今日は寝て明日のために英気を養え」

「はい!」

 

 携帯端末のスイッチを切る。

 

「うわあ…、マジで士官目指すのかよ…」

 

 こともあろうにあのクリスチアン少佐にとんでもない約束をしてしまった。少しでも手抜きをしたら容赦なく詰められそうだ。

 

「馬鹿すぎるだろ、俺…」

 

 すごくめんどくさい事になってるはずなのに俺の顔は笑っていた。



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第十三話:逃げられない逃げたくない 宇宙暦788年12月 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 現在所属している第七方面管区の司令部に幹部候補生養成所への推薦状を申請すると、司令官ワドハニ中将と参謀のアッペルトフト大佐、ベナッシ少佐の三人が推薦人になってくれた。しかも、サポートチームまで組んでくれるという。

 

 第七方面管区後方部のイレーシュ・マーリア大尉が学力指導、シャンプール基地教育隊の体育教官バラット軍曹が体育指導を担当。その他、必要に応じて科目ごとの担当者が付いた。俺はワドハニ中将の従卒として九時から五時まで勤務し、勤務時間外を試験勉強に充てる。

 

「話がうまく進みすぎて怖いんですよね」

 

 ルシエンデス曹長と久々に携帯端末で話す。

 

「ワドハニ司令官も必死なのさ」

「司令官がですか?」

「エル・ファシルは第七方面管区の管轄下だったろ?」

「そうですね」

「エル・ファシルを失陥したせいで司令官の立場はかなり悪くなってる。だから、少しでも点数稼いでおきたいんだろうよ」

「俺が幹部候補生になると点数になるんですか?」

「部下が活躍すれば上司の株も上がるからな。数年に一人しか受からないような超難関試験の合格者を部下から出したら、司令官の手柄ってことになる。その合格者が知名度抜群の英雄とくれば、手柄が一層際立つってもんだ」

「利用されてるみたいで気分悪いですね」

「君も司令官を利用すればいいんだ。世の中持ちつ持たれつだぜ」

 

 曹長の言うとおりだ。俺には後がない。士官になれなかったら、兵役満了まで兵を続けることになる。勝ち方を選ぶような贅沢は俺には許されていない。使えるものは何でも使うつもりでないとダメなんだ。

 

 翌日。イレーシュ大尉に呼ばれて学力試験を受けた。士官学校受験と同じ公用語・古典語・数学・社会科学・自然科学の五科目で、現時点の俺の学力を測るのだという。問題文の意味自体がわからないほど高度な問題から、問題文の意味がわかる簡単な問題まであったけど、どれも答えがわからないという点では等しかった。士官学校入試ではミドルスクールレベルの問題が出るけど、俺がミドルスクール卒業したのは六十四年前。ハイスクールに入ったけど、それも卒業したのは六十二年前。当時だって全然勉強ができなかったんだ。今やってできるわけがない。

 

「これはどういうことかな」

 

 イレーシュ・マーリア大尉は姓がイレーシュ、名がマーリア。姓、名の順で名乗るのはマジャール系の特徴なのだという。一八〇センチを超える長身の女性だ。栗色の髪、切れ長の目、筋の通った高い鼻、薄い唇、肌は真っ白で非の打ち所のない美形。目力が異様に強くて怖そうな印象を与える。そんな彼女が俺を冷たい目つきで見下ろす。片手には俺が書いた答案。

 

「自分にしては良く出来たほうだと思います」

 

 シャープペン転がして選んだ答えが思いの外当たっていた。しかし、彼女はその答えが気に入らなかったらしく、目つきがさらに冷たくなる。

 

「フィリップス兵長。君はハイスクール卒業してたよね?」

「はい」

「徴兵されてからは補給員をやっていたよね?」

「はい」

「書類書いてたよね?計算もしてたよね?」

「はい」

「本当だよね?」

「はい」

「どうして、こんなに間違ってるのかな?九割間違いだよ」

「卒業からだいぶ経ってますから」

「私は君より五、六年ぐらい早く卒業している」

 

 声のトーンが落ち着いているのがかえって怖い。容赦の無さを感じる。

 

「君さ、本当に幹部候補生になろうと思ってるの?冗談じゃないよね?」

「はい」

「でも、この学力だとハイスクールの入試だって落ちるよ」

「はい」

「勉強する気ある?」

「はい」

「地獄見るよ。覚悟してね」

「はい」

 

 美貌と長身と目力がもたらす威厳に押されてしまって、「はい」以外の返事ができない。クリスチアン少佐とは別の意味で押しが強い。

 

「ちょっと待ってて」

 

 何かを決意したらしい大尉は俺に渡した問題集と参考書を全部取り上げると、カバンに入れて部屋を出て走りだした。一〇分ぐらいすると駆け足の音が聞こえてきて、ドアの前で止まる。入ってきたのは本を十冊ぐらい抱えた大尉。まったく立ち止まらずに俺に近づいてきて、本を俺の胸に投げ出すような感じで押し付けた。

 

「これ、ミドルスクール入学間もない子向けの問題集と参考書。公用語、古典語、数学、社会科学、自然科学の全科目。これが今の君のレベル」

「はい」

「わからないことがあったら聞いてください。何を聞いても私は怒りません。『こんなこともわからないのか』と怒るほど、私は君の学力に期待していません。他の先生達も同じです」

「はい」

 

 イレーシュ大尉は俺の頭を両手でガチっと挟むと、腰を落として俺と同じ目線になり、俺の目をまっすぐに見つめながらにっこり笑う。

 

「三ヶ月で仕上げてね」

「はい」

 

 涙目で答える俺。肉食獣に捕捉された草食獣ってこんな感じなんだろうなと思った。

 

 三時間後。俺は基地の体育館で体力測定を受けていた。クリスチアン少佐が言っていたように軍人にとって体力は重要な能力だ。兵や下士官はもちろん、指揮官や参謀だって体力を使う。だから、士官学校入試でも体力試験は重視され、合格者には運動部や少年クラブチームで活躍したスポーツマンが多く含まれている。体力が最低基準に満たない者は門前払いを受ける。これは俺が受ける試験も同じだ。

 

「貴官は本気で取り組んだのか?」

 

 測定結果を見て渋い顔をするのはバラット軍曹。浅黒い肌、短く刈り込んだ黒い髪、ぎょろりとした大きな目。体格はがっちりしている。猛犬のような印象だ。

 

「腕立て、腹筋、持久走、懸垂、走り幅跳び、遠投。どれも我が軍の求める最低基準を満たしていない。級外だ。最低でも六級。できれば五級はほしい」

 

 同盟軍の体力検定級位は特級から六級までの七段階があり、現場に立つ大尉までは級が高いほど昇進に有利になる。昨日読んだ体力検定基準表によると、六級は軍人に要求される最低限の体力なんだそうだ。クリスチアン少佐は『体力検定は貴官なら問題なく通る』と言ってたけど、問題ありまくりじゃねえか。

 

「取り敢えず六級相当の力を身につけることを目指そう。明日から一日二時間のトレーニング。メニューは新兵体力錬成プログラム級外コースを使用。三か月を目処にする」

 

 一日二時間のトレーニングか。人生でそんなに体を使ったことなんか無いぞ。ジュニアスクールからハイスクールまでずっとベースボール部だったけど、練習サボりまくってたからな。

 

「クリスチアン少佐から『フィリップス兵長は根性がある。ビシビシしごいてやってくれ』と言われておる。貴官の根性に期待しているぞ」

「え?軍曹は少佐とお知り合いなんですか?」

「うむ。小官は三年前まで少佐の部下だったのだ。あの頃はまだ大尉であられたが。小官は軍人になって十二年になるが、あの方ほど素晴らしい上官はいなかった」

 

 軍曹は懐かしそうに目を細める。

 

「尊敬する上官に貴官のような軍人精神の持ち主の指導を託される。これほど名誉なことは無い。必ず貴官の肉体を精神に釣り合うほど逞しくしてみせる!一緒に頑張ろう!」

 

 目を輝かせて俺の両手を強く握る軍曹。頭の中で「無理だ。俺なんかが努力したところで」という声がしたけど、すぐに打ち消す。やってもいないのに無理だなんて言ったら、目の前の人に申しわけない。「逃げられない。やるしかない」と思った。

 

 生まれてこの方、努力なんてしたことなかった。ただひたすら時間をやり過ごしてきた。逃亡者になる前は面白くない授業、上達すると思えない部活、仲良く出来ると思えないクラスメイトをひたすらやり過ごしてきた。逃亡者になった後は罵倒や暴力をひたすらやり過ごしてきた。自分程度が努力して乗り越えられるとは思えなかった。誰かが自分の努力に期待していると思えなかった。英雄としてメディアに出まくってた時も期待はされていたけど、俺という人間に対する期待ではなくて、英雄という虚像に対する期待だった。

 

 しかし、今は多くの人が俺に期待して支えようとしてくれる。生まれて初めての経験だ。未だかつてない重圧を感じる。今の俺は学力も体力も最低に近い。明日からは自分の無能さに打ちのめされる日々が続くだろう。それでも、期待してくれる人達を失望させるようなことはしたくない。心の底からそう思った。



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第十四話:努力の味 宇宙暦789年 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 従卒というのは簡単にいえば召使いだ。上官が執務している間の食事の用意、掃除、お茶くみ、荷物持ちなどをする。基本的に上官に同行しているが、デスクワーク中の雑用は副官が担当することが多く、よほど人使いの荒い上司でなければ従卒は控室で待機させられる。上官が会議に出ている間も従卒にはやることがない。そのため、勤務時間中でも三〇分、一時間と小刻みな空き時間が生じる。通常勤務が終了する夕方五時から消灯の夜一一時までの六時間だけでは、必要な勉強やトレーニングをこなしきれない。従卒勤務の合間の空き時間で勉強時間を確保させるというのが俺の上司である第七方面管区司令官ワドハニ中将の意向だった。

 

 勤務時間が終わっても従卒は荷物持ちとして上司の官舎まで付き添うのが普通だが、俺はワドハニ中将を司令部の入り口まで送るだけで良い。その後で食堂に行って夕食を摂る。六時から体育館でバラット軍曹の指導のもとで二時間のトレーニング。トレーニングを終えると急いで部屋に戻り、シャワーを浴びる。その後は消灯まで自習。イレーシュ大尉ら家庭教師への質問は携帯端末での会話やメールなどを通して行う。希望すれば直接指導も随時受けられる。

 

 ワドハニ中将が行事出席や視察などで遠方に行く場合は随行するが、空き時間を自習やトレーニングに充てる。一日で自習に使える時間は三時間から五時間。勉強時間が足りるのか不安になった俺はイレーシュ大尉に消灯時間後も勉強したいといったが却下された。

 

「勉強は時間より密度だよ。疲れた頭で長時間やっても意味ないよ?」

「君が六時間、七時間も集中できるわけないでしょ」

「勉強できない子に限って、長時間机に向かえば何とかなると思ってるんだよ。ぼんやり参考書眺めてるだけじゃ学力付かないのにね」

 

 立て続けに浴びせられる容赦無い言葉。ただただ恐れ入るしかなかった。

 

 大尉から渡された問題集と参考書はミドルスクールレベルでは一番簡単なものだったけど、俺にはさっぱり内容がわからなかった。かつての自分がミドルスクールの卒業単位を取得して、ハイスクールまで進学したことが信じられない程だった。

 

 最初のうちは大尉らに側についてもらって、言われたとおりに問題を解いた。解き方の流れやポイントを覚えて、自分がなぜ解けなかったか、どうすれば解けたかを考えることを意識するように言われた。勤務中の空き時間は暗記に使う。やがて問題の解き方を自分で考えられるようになり、日ごとに解ける問題が増えていく。解けなかった問題も解答を見ると、「なぜそうなるのか」という筋道が見えるようになった。

 

 これまでの俺にとっての勉強はなんとなく授業を受け、なんとなく問題を解いて、なんとなく頭に残っているものだった。しかし、今は自分が学んでいることの意味を考えながら勉強している。わかるということがこれほど楽しいとは知らなかった。日に日に自分が進歩しているという手応えを感じるのは心地良い。勉強していると時間があっという間に過ぎていき、気が付くと消灯時間になっている。あっという間に日にちが過ぎていく。

 

「どうでした?」

「正答率九五%。良くやったね」

 

 全科目の問題集と参考書をやり終えた俺は理解度を測るためのテストを受けた。正答率が九二%を超えたら次の段階に進むことになっていたのだ。これで次に進めると思うと、うれしくなってくる。

 

「それにしても二ヶ月で仕上げるなんてねえ。三ヶ月の予定だったのに。予想以上だよ」

 

 ため息をつくイレーシュ大尉。目力が弱くなったように感じたのは気のせいだろうか。

 

「トレーニングも頑張ってるみたいだね。最近がっちりしてきてるよ」

「先週、体力検定六級の基準クリアしました」

「そっちも二ヶ月かあ…」

 

 大尉はまたため息をつく。

 

 トレーニングも勉強に劣らず楽しかった。最初にバラット軍曹は俺の遠投のフォームをチェックし、何度も何度も修正をした。それから遠投をすると、距離がぐんと伸びた。驚く俺に軍曹は言う。

 

「体は正直だ。正しく使ってやれば必ず応えてくれる。鍛えればもっと遠くに投げられるぞ。正しいフォームで鍛えて、しっかり休ませてやる。それだけで面白いように伸びる。トレーニングは楽しいぞ!」

 

 それから、軍曹は体力検定の全科目とそれに必要な体力をつけるためのトレーニングのフォームを俺に徹底的に叩き込んだ。ペースや運動負荷などは軍曹が調整していたが、「これぐらいのきつさが一番伸びる」「このきつさでは疲れてしまって伸びない」などと調整のたびに感覚的に理解できるよう教えてくれた。

 

 俺にとっての運動は勉強と同じようになんとなく体を動かすものだった。それが正しい体の使い方、正しいペースや負荷などを理解して運動するようになると、とても意味があることをしている気分になって面白い。きつかった動きがスムーズにできるようになり、数字が伸びていくたびに達成感を感じる。体にどんどん筋肉が付いていくのも気分が良かった。目に見える成果が出ると、やる気が出てくる。

 

「体や頭を使うってこんなに楽しかったんですね。知りませんでした」

 

 イレーシュ大尉にしみじみと語る俺。

 

「君はもっともっと伸びるよ。まだ始まったばかりだから。まだまだ楽しくなっていくよ」

 

 大尉が言ったとおり、俺の実力はどんどん伸びていった。家庭教師陣の中には成長が早すぎて頭打ちになるのを危惧する声もあったが、俺の実力は伸び悩む気配をまったく見せなかった。

 

 勉強を始めた頃はどの教科も不得意だったけど、今は得意不得意がはっきりとしてきている。

 

 公用語は文法がやや弱いが、読解と論述には自信があった。古典語は東方古典・西方古典ともに散文は得意だけど韻文は苦手だ。数学は一番敬遠していた科目だったが、いざやってみると相性がとても良い。明快な論理性が単純な俺の性格に合っていたんだろう。社会科学は勉強を始める前から唯一興味のあった分野だ。現実では歴史、英雄になってからは法律や経済などの本を読んでいた。下地があったせいか学習はすんなり進んだ。同盟史と法律が特に面白い。自然科学は生物・物理・化学ともに伸び悩んでいる。数学が得意なのに自然科学が苦手というのも妙な話だが、苦手なものは仕方ない。

 

 総合すると士官学校の合格圏内に入っている。最後に受けた模擬試験では合格可能性六十八%だった。

 

 運動能力においてもやはり得意科目と不得意科目ははっきりしていた。持久力科目と瞬発力はよく伸びたが、筋力科目は伸び悩んだ。体力検定の級位は六科目中最低点を取った級に準じる。持久力二科目と瞬発力二科目は全部三級相当まで伸びたが、筋力二科目のうち一科目は四級相当、一科目は五級相当までしか伸びず、総合的には五級相当だった。四級が軍人の平均だから、平均よりやや劣る。筋力科目は伸ばすのに一番時間がかかり、俺のように低い級から短期間で伸びた人間にとっては鬼門なのだそうだ。バラット軍曹は「あと二年あったら三級まで伸ばせたのに」と残念がっていた。

 

 試験前日に緊張のあまり腹痛を起こし、当日に筆記用具を忘れて会場がある基地内の売店で購入するといったアクシデントがあった。試験場に入って一つしか無い席を見た時、緊張が頂点に達する。今年、幹部適性資格推薦を受けたのは俺一人だったのだ。そのまま心臓が止まってしまいそうだったが、試験が始まって問題用紙を開くと見慣れた問題が出てくると、緊張が嘘のように解けていく。

 

 学科試験は概ね満足できる出来だったけど、得点を稼げるはずの数学でとんでもない間違いをしたことだけは後悔が残る。小論文は会心の出来だった。面接では事前にイレーシュ大尉と行った模擬面接の内容をど忘れするという悲運に見舞われたが、いざ本番になると言葉がスラスラ出てきた。英雄やってた頃に人前でたくさん綺麗事を喋って慣らしたおかげかもしれない。体力試験ではなんと四級相当の数字が出た。練習しても四級に遠く届かなかった科目が本番でいきなり届いたのだ。俺的には快挙だったが、試験官は大して驚いていなかった。准尉や曹長から無試験で幹部候補生養成所に入ってくるような者はみんな三級や四級程度の体力がある。俺が四級でも有り難みは全くない。

 

 試験が終わると、急に不安が襲ってくる。出来が良かったと思えた科目も間違いばかりだったように感じ、面接でも調子に乗って変なことを言ってしまったような気がした。「たぶん落ちると思います」とイレーシュ大尉に言うと、困ったねえという表情で首を傾げてから、「大丈夫だと思うけどねえ」と言われた。

 

 同じことをバラット軍曹に言うと、「過ぎたことにくよくよしても仕方ない!一緒に走ろう!汗をかけ!」と言われ、一緒にグラウンドを走ることになった。四〇〇メートルのグラウンドを20周ぐらい走ると、「腹が減っただろう!飯を食おう!」と軍曹はとびっきりの笑顔で言った。

基地の食堂では二人でひたすらバイキングのおかずをモリモリ食べる。

 

「うまいだろう!」

「はい!」

「体を動かせば気持ちいい!飯を食えばうまい!どんな時でもそれを忘れるな!」

「はい!」

 

 軍曹の言ってることはわけが分かんなかったけど、俺の心はすっきりと晴れていく。

 

 試験結果を待っている間の俺は宙ぶらりんな気持ちだった。全部終わってしまって、もう自分には何も出来ないということが寂しかった。従卒としての勤務をこなし、終了後はトレーニングに熱中した。ヘトヘトになってからシャワーを浴び、バラット軍曹と一緒に外出して彼の奢りで民間の食堂でひたすらチキンと米飯を食べる。ひたすら体を動かして頭を空っぽにしてからたらふく食事すると、それだけで幸せな気持ちになる。

 

 軍曹がクリスチアン少佐の部下だった頃も夜のトレーニングが終わると、部隊のみんなで連れ立って安食堂に行き、当時は大尉だった少佐の奢りでチキンと米をモリモリ食べていたそうだ。まるで運動部みたいだと俺が言うと、「その通りだな」と軍曹は笑った。ただ、こういう部隊は滅多に無いらしい。普通の指揮官は勤務成績の点数ばかり気にしていて、事なかれ主義に流れがちなのだという。

 

 「上の評価ばかり気にするような奴に部下が付いてくるものか!民間で事務員でもやってるのがお似合いだ!」

 

 軍曹はそう言って腹を立てていた。

 

 宙ぶらりんな時は単純な人の存在がありがたい。難しいことを考えるのがバカバカしくなる。

付き合って飯まで食わせてくれる軍曹にはいくら感謝してもし足りない。

 

 試験が終わって一〇日がたったある日。イレーシュ大尉から呼び出しがあった。試験結果がわかったのだという。来るべき時が来たと思った。心臓がバクバクする。お腹も痛くなってきた。途中で二回トイレに入った。逃げ出したい気分だけど、そうしたところで試験結果は変わらない。イレーシュ大尉がいる部屋の前に着いた俺は扉をノックする。「入れ」と声が帰ってくる。もう引き返せない。俺は覚悟を決めてドアを開けた。



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第十五話:イレーシュ大尉の最後の授業 宇宙暦789年 惑星シャンプール、第七方面管区司令部

 部屋に入ると、イレーシュ・マーリア大尉は腕組みをしてデスクに座っていた。面白くなさそうな表情で俺を見ている。目付きが鋭いものだから、知らない人には腹を立ててるように見えるかもしれない。

 

「エリヤ・フィリップス兵長」

「はい」

「第八幹部候補生養成所より試験結果の通知が届いた」

 

 きたか。奥歯を噛みしめる。

 

「合格」

 

 ごうかく、合格…!?本当に?俺があの試験を突破できたのか?

 全然現実感がない。一年間ずっとこのために勉強したはずだったのに。なんかあっけないというか。嬉しがるのが普通なのかな。

 

「聞こえなかったのかな。もう一度言うよ。合格」

「はい」

「つまらないね。もっと喜んでよ」

 

 大尉は心底からつまらなさそうに言うけど、この人が面白そうにしているのを見たことがないから、いつも通りなんだろう。

 

「いや、現実なのかなあと思いまして」

 

 夢の中なのはわかってるけど、それでもあまりに非現実的なことが起きると、びっくりを通り越して受け入れるのを本能で拒否してしまう。

 

「現実なんだよ、それが」

「そうなんですか」

「そうなんだよ。それも士官学校の合格基準を大幅に上回っての合格なんだよ。凄いよね。現役で受けてたら戦略研究科行けたかもしれないね。私も行きたかったよ。経理研究科も悪くなかったけどさ」

 

 なぜか大尉の口調に毒がこもってる。どうしたんだろう?この人は俺が合格したのが気に入らないのかな。

 

「冗談はやめてくださいよ」

「本気で言ってるんだよ」

 

 大尉の目がぎらりと光った。ただでさえ強い目力がさらに強くなる。なんなんだよいったい。まずいな。

 

「私は今から真面目な話をします。真面目な話なので真面目に聞いてください」

「はい」

「今だから言いますが、君と最初に会った時は絶対落ちると思っていました。学力がないのはともかく、それを全然悔しがってなかったでしょ?ああ、この子は向上心ないんだな、ルックス良くて素直なだけの子がたまたま英雄になっちゃっただけなんだなと思っていました。良い子なんだろうけど勉強には期待できないなって」

 

 ルックス良いとか素直とかはともかく、向上心がない、たまたま英雄になっただけってのは当たってる。勉強なんてできなくて当然って思ってたから、できなくても悔しくならなかった。

 

「君ね、これまでの人生で頭や体をちゃんと使ったこと一度もなかったでしょ?」

「はい」

 

 努力しても意味が無いって思ってたけど、今になって思うと努力なんてしたことはなかった。俺にとっての勉強はなんとなく覚えているもの。運動はなんとなく体を動かすものだった。今回のように目標を持って自分で考えて努力することはなかった。

 

「ちゃんと使えばこれぐらいのことができるんだよ。君はやればできる子です」

「そんなこと…」

「褒めてるんじゃないよ。やればできるなんて何の自慢にもなりません。やらなきゃできないんでしょ?これまでの自分を振り返ってください」

 

 ぴしゃりとはねつけられる。

 

「もっと早くやっていれば、君は現役で士官学校に入って上位で卒業できてたかもしれません。国立中央自治大学を出て官僚になってたかもね。ハイネセン記念大学を出て一流企業に就職するのもありかな」

 

 いくらなんでもそれは大袈裟すぎだ。この三大難関校の現役入学者って合計しても毎年五万人ぐらいしかいないんだぞ?三〇〇〇人に一人ぐらいしか入れない。俺のいたミドルスクールでぶっちぎりに優秀だった奴が三人いた。校内の試験ではこの三人が持ち回りで一位を占め、大天才のように言われていた。そんな奴らですら、一人がハイスクールを出た後でハイネセン記念大学の三年次編入学試験に合格したのみ。あいつらにできないことが俺にできるわけがない。

 

「さすがにそれはないですよ」

「実際に君は一年で士官学校に合格できる学力を身につけたでしょ?ミドルスクールでちゃんと勉強してたら、今頃どこまで伸びていたことか。現役で入った子たちは五年前の時点で今の君と同じぐらいの学力あったんだよ。つまり、君は五年遅れたんです。その間、現役で入った子たちはもっと先に行ってます」

 

 確かに俺は一年で受かったけど、大尉達の教え方が良かったんだと思うよ。たぶん、チンパンジーに勉強教えても士官学校合格させることができるんじゃないか。俺、本当に勉強嫌いだったもん。

 

「現役で入るような人達と比べられても…。物が違いますよ」

「君の能力は彼らと比較してちょうどいいぐらいです。どれほど大きな可能性を君は失ったのか、ちゃんと認識してください。君にはやればできる子じゃなくて、やる子になってほしいんです」

「努力嫌いだったんですよ。ほら、俺怠け者ですし」

「嘘だね。努力大好きでしょ。君ほど楽しそうに勉強する子見たことないもん」

 

 確かに勉強は楽しかった。でも、それは大尉達が正しい勉強のやり方を教えてくれたからだ。できることがどんどん増えてくのが気持ち良かった。努力ってこんな楽しい物じゃないだろ。やりたくないことをやれるのが努力じゃないのかな。

 

「それは大尉達の指導が良かったからでしょう?いくら俺が怠け者でも、できるようになったらやる気出ますよ。つまらないことはやりませんよ」

「私達は勉強は指導できても、性格までは指導できません。復習ってつまらないから、普通はほどほどにやって先に進みたがるの。暗記もみんなやりたがらないよ。伸びる喜びがめんどくささに負けちゃうんだね。でも、君は全然苦にしてなかった。自分が伸びるためなら、暗記も復習も喜んでやってたよね。そんな努力好きが今まで努力したことがなかったなんて不思議だよね。どうしてだと思う?」

 

 怠け者とは何度も言われたけど、努力好きって言うのは初めて言われたぞ。そういえば、クリスチアン少佐も俺のことを根性あるって言ってたっけ。士官学校出た大尉や陸戦隊で鍛えられた少佐は頑張り屋なんていくらでも見てるんだよな。あの二人が言うってことは俺は努力好きってことなのか?でも、そんな人間が二〇年も生きてて努力をしない理由なんて思いつかないぞ。

 

「良くわかりません。自分が努力好きっていうのもピンと来ないし。努力なんて無駄だと思ってたんですよ。勉強できる奴が良い点取るの見ると敵わないと思ってました。スポーツできる奴が活躍するの見ると自分にはできないって思ってました。頑張ってもできっこないし、やりたいこともなかったんですよ。意味もなく頑張れるほど努力好きじゃないんです、俺は。大尉の見込み違いですよ」

「理由わかってるじゃない」

「え…?」

「人間はなれると思ったもの以上にはなれません。単純な話だけど、士官学校に入ろうと思わない人は入れない。受験しなきゃ入れるわけないよね。なろうと思った人がみんななりたいものになれるわけじゃないけど、それでも最初になろうと思わなければなれないの。君はどうせ敵わないと思って目標を低く設定しすぎてました。人並み以下を目指してたら、人並み以下にしかなれないよ」

「でも、高い目標を設定したらきつくないですか?達成できなかった時のことを思うと…」

「じゃあ聞くけど、学校に通ってた頃と今のどっちがきつい?目標もなければできることが少なくてひたすら時間が過ぎるのを待っていた昔と、高い目標を目指して頑張れば頑張るほどできることが多くなる今。試験落ちたら後悔してた?勉強やトレーニングしても無駄だったって思う?前とは比較にならないぐらいできること増えてるのはわかるよね」

 

 昔のことを思い出す。受けてもわかる気がしない授業。自分には解けるとは思えない問題。まったく活躍できない体育の授業。ついていけない部活の練習。

 

 今のことを考える。仮に試験に落ちたとしても、俺が努力して身につけた学力や知力は残る。できないことがあっても、努力で何とか出来るかもしれない。昔のような思いはしなくて済む。

 

「…昔です」

「今回、士官を目指してみてわかったでしょう?できるって楽しいよね。目標を達成するって楽しいよね。君は努力すれば大抵のことは人並み以上にできます。士官になるのはスタート地点に過ぎません。高い目標を見つけて頑張ってね。これからもっともっと楽しくなるよ。以上、マーリア先生の最後の授業でした」

 

 微笑むイレーシュ大尉。最後の授業…。そうだ、これでおしまいなんだ。試験に合格しちゃったから。大尉ともバラット軍曹とも他の先生達ともお別れなんだ。一度も俺のことを怒らなかった初めての上官ワドハニ中将とも。

 

「最初の二ヶ月ぐらいはね、いつまで続くのかと思ってましたよ。四ヶ月ぐらいから本物だって気づいて、半年過ぎる頃には絶対に合格してほしいと思ったね。努力が報われてほしい。努力を信じられるようになってほしい。君を見るたびに祈るような気持ちになったよ」

 

 何て答えればいいんだろうか。「ありがとうございます」も「すみません」も嘘っぽく聞こえる。この人とこれだけ長く話すのはたぶん最後なのに。肝心なところでしっくりくる言葉が出てこない。

 

 くそっ、なんで涙が出てくるんだ。泣くとこじゃないだろ、ここは。何か、何か言わなきゃ。

 

「そして、ようやく合格してくれた。私は嬉しくて嬉しくてたまらないのです。今すぐ踊り出したい気分です。それなのに君は全然嬉しそうじゃありません。私一人が喜んでたらバカみたいでしょう?がっかりですよ」

 

 ふぅーと息を吐いて肩を落とす大尉。

 

「しかし、たまにはバカになってみるのもいいかもしれません」

 

 大尉は立ち上がると、ゆっくりと俺に近づいてくる。目はいつにもまして危険な輝きを放つ。 思わず後退りしてしまう。大尉が正面に立った。大尉の長身を見上げる俺。本能が”逃げろ”とささやくが、足が動かない。両手をギュッと握られる。強く握られすぎて手が痛い。大尉はきれいな顔をくしゃっと崩して笑う。いつもの整いすぎた笑顔とはぜんぜん違う笑顔。

 

「エリヤくん、合格おめでとー!!!!」

 

 握った俺の両手をブンブン上下に振って子供のようにはしゃぐ大尉。

 ああ、そうか。こういう時は言葉なんていらないんだ。笑えばいいんだ。

 

「あー、わらったわらったー!!!!かわいー!!!!」

 

 大尉のテンションがさらに上がる。つられて俺もどんどん嬉しくなっていく。自分が試験に受かったって実感はまだないけど、こうして喜んでくれる人がいる。それがとても嬉しい。やっぱり努力して良かった。大尉の最後の授業、素晴らしかったです。

 

 ドンドンとドアを叩く音がする。大勢の人の気配がする。

 

「大尉、まだですかー?」

「いい加減待ちくたびれましたよー」

「エリヤ君を独り占めにするのもほどほどにしてくださいねー」

 大尉はしまった、という顔になってぺろっと舌を出す。

「あー、ごめん!みんな入ってきていーよー」

 

 ドアが開くと、部屋の中にワッと人がなだれ込んできた。

 

 バラット軍曹、『よく食べるねー』っていつもニコニコしてた食堂の給養員さん、俺のために家庭教師を引き受けてくれた人達、廊下とかでがんばれよーと声をかけてくれた人達。あっという間にもみくちゃにされる俺。

 

「おう、良くやったな!」

「まさか本当に合格しちゃうなんて思わなかったよ!」

「フィリップス君すげーわ」

「次は提督目指そうぜ!」

 

 何を言おうかなんて思わなかった。ただ笑っていた。笑ってるだけで楽しかった。次も頑張ろう。何を頑張るかは後で考えるけど、また頑張ろう。そして笑おう。そう思った。



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第十六話:友達がいない理由。敬意と好意の違い 宇宙暦790年 惑星シャンプール、第8幹部養成所

 自由惑星同盟軍の士官ポストは約三五〇万にのぼるが、そのすべてを年間五〇〇〇人程度の士官学校卒業生で賄うことは不可能である。士官学校で参謀教育を受けていないと務まらない上級職以外の士官ポストは、下士官兵からの昇進者及び、民間から徴用された専門技術者が占めている。

 

 各部隊から幹部候補生推薦を受けた有能な下士官兵に士官教育を行うのが全国で二十五箇所ある幹部候補生養成所だった。俺が入所した第八幹部候補生養成所は惑星シャンプール南大陸のスィーカル市にあり、第七方面管区に所属する部隊から推薦された者を教育している。

 

 幹部候補生は全員男女別の四人部屋か三人部屋に住み、部隊組織に編成されて生活している。男子部屋一つと女子部屋一つで最小生活単位となる七~八人の班、五班で学級に相当する三〇人前後の小隊、候補生宿舎の同じフロアにある小隊が集まって中隊、同じ棟にある中隊が集まって大隊を構成する。候補生全員が部隊の役職に就き、教官である士官と助教である下士官の指導を受けながら運営に関わることで士官に必要なリーダーシップとコミュニケーション能力を養う。養成所においては日常生活も士官教育の一環なのだ。士官学校も同じシステムを採用している。

 

 一日のスケジュールも軍隊らしく規則正しい。

 

 朝六時に起床し、点呼の後で小隊ごとに担任教官に率いられてランニング。朝のひんやりした空気の中で走ると眠気はあっという間に吹き飛ぶ。

 

 七時から朝食。起き抜けのごはんほどおいしいものはない。

 

 八時に朝礼。同盟の国歌『自由の旗、自由の民』が流れる中、国旗に敬礼する。愛国心が大して強いわけでもない俺でも厳粛な気持ちになるのだから不思議だ。

 

 八時二〇分からは午前の授業。学科では指揮法や教育指導技術を学ぶことで部隊運営の基本を修得し、同盟軍の組織制度や軍事関連法規を学ぶことで軍隊を広い視野で理解し、戦術理論や戦史を学ぶことで用兵の基礎を知り、艦船や武器や通信装置などの基本性能を学ぶことでハードに関する理解を深め、管理職たる士官に必要な基礎知識をひと通り学ぶ。候補生に推薦されるような下士官は優れた専門技術を持っているが、それだけでは士官は務まらないのだ。

 

 白兵戦技や射撃術などの実技教育、フライングボールや水泳などの体育も大事だ。『士官は体を張れないと部下に信用されない。士官は戦士でなければならない』とリーダーシップ論の授業で言ってた。これまで読んだ歴史の本では『陣頭指揮をとる士官は戦死のリスクを考えない愚か者。後方で部下に指示を出していればいい』と書いていて、同盟軍士官教育の実技・体育重視を反知性主義と批判していた。俺も以前は本の記述を鵜呑みにしていたが、クリスチアン少佐やバラット軍曹の話を聞いていると同盟軍の士官教育が合理的に見えてくる。

 

 十二時になったら昼食。授業で頭を使った後に食べるごはんほどおいしいものはない。

 

 午後の授業は十三時から十六時三十分まで。内容は午前と同じだ。

 

 十六時四十五分から十七時四十五分までは自主学習の時間。自主的に勉強やトレーニングを行うが、行事の練習にあてられることも多い。各部隊の構成員全員が参加する定例運営会議もこの時間帯に開かれる。

 

 十八時から二十時までは夕食と入浴の時間。一日の課業を終えてから食べるごはんほどおいしいものはない。食後のお風呂で汗を流すと生き返った気分になる。唯一の休息時間だが、各部隊の隊長・副隊長はそうもいかない。隊長と副隊長が参加する隊長会議はこの時間帯に開かれるからだ。

 二〇時からは自習時間。小隊ごとに自習室に集まって予習復習に励む。

 

 二十三時に消灯だが、希望すれば24時まで自習時間を延長できる。

 

 学科の勉強はまったく問題なかった。予習復習を欠かさず、自習時間も毎日延長していたおかげで常に上位をキープできていた。授業が理解できる、試験で上位を取れるというのは生まれて初めての経験だ。生活態度でも良い評価を受けているおかげで養成所の中では優等生扱いされることが多い。みんなにできる奴と思われると、本当にできる気になってくる。俺って本当に単純だ。

 

 体育の成績は良くない。フライングボールやバスケットボールなどの団体競技がどうしようもなく苦手だった。基本動作は自主活動時間に練習したおかげで上手にできるようになったけど、連携プレイがまったくできない。これまでの人生でチームワークの経験が皆無だったことが尾を引いている。水泳は苦手どころかまったくできない。もともとは泳げたんだけど、現実で志願兵として軍隊に入った時に手足を縛られてプールに投げ込まれてから水が怖くなってしまった。できないことができるようになる喜びを知っただけに、できたことをできなくされてしまったのを自覚するのは一層悔しい。団体競技と水泳の失点を持久走と短距離走の好成績で埋め合わせている。

 

 実技の成績はわりと良い。同盟軍人が修得すべき白兵戦技の基本といえば徒手格闘術・戦斧格闘術・ナイフ格闘術の三つだが、日常的に鍛錬しているのは陸戦科出身者ぐらいだ。砲術科や飛行科といった戦闘職種でも白兵戦技の鍛錬はあまりしない。彼らに必要なのは実戦に耐えうる体力であって、白兵戦技の技量ではないからだ。養成所の全校白兵戦技トーナメントで陸戦科出身者を何人も破って準決勝まで進出した二〇代半ばの通信科出身者がいたが、この人は勤務をさぼってまで白兵戦技の鍛錬に励んでいたという変人だから例外である。

 

 体力の鍛錬には熱心だけど、白兵戦技の鍛錬にはあまり熱心ではないというのが一般的な同盟軍人だ。だから、未経験の俺でも真面目に練習して基本動作を徹底的に体に叩きこむことで良い成績が取れた。射撃も同様だ。後述するが、良い指導役に恵まれたことも大きかった。

 

 一番の問題は対人関係だった。各地の部隊から集まってきた候補生達は最初の数週間で打ち解けて仲良しグループを形成していったが、俺は見事にその動きから取り残されていたのだ。同じ部屋に住む三人の候補生は悪い人たちではなかったけど、明らかに俺を敬遠している。俺の部屋と同じ班になっている隣の女子部屋の四人もよそよそしい。小隊でも俺は浮いていた。

 

 エル・ファシルから脱出してから、身近にかまってくれる相手がいる生活に慣れてしまっていた俺にとっては、今の孤立はどうしようもなく寂しい。

 

 嫌われているわけではない。成績や生活態度では一目置かれているし、失敗しても厳しい目では見られない。小隊対抗フライングボール大会で味方の足を引っ張って敗戦を招いた時なんてどれだけ白い目で見られるか覚悟してたのに、妙に優しくて拍子抜けしたほどだ。

 

 思えばこれまでの俺は他人に対して積極的にはたらきかけたことがなかった。仲の良かった人はみんな向こうから話しかけてきてくれた人だった。

 

 

 

「おまえさんに遠慮してるんだろうよ」

 

 カスパー・リンツは手にしたスケッチブックに書き込みながら言う。脱色した麦わらのような髪に青緑色の瞳を持つこの男はこの養成所で俺に話しかけてくる唯一の存在だ。現実では亡命者部隊ローゼンリッター連隊長やバーラト自治区地上軍司令官を歴任した高名な陸戦指揮官で俺なんかが口をきけるはずもない超大物だが、今は弱冠二〇歳の幹部候補生にすぎない。もっとも、この年で幹部候補生に推薦された事実そのものがリンツの非凡さを示しているといえるが。

 

「そうかなぁ」

 

 リンツからもらったマフィンを口の中でもぐもぐさせながら俺は答えた。画家志望のリンツは軍人になった今でも絵の道を諦めていなかったようで暇を見ては絵の練習をしている。どういうわけかリンツは俺を絵のモデルとして気に入っていて、モデルの報酬として白兵戦技と射撃術のコーチを引き受けてくれていた。今はマフィンを食べる俺の姿をスケッチしている。

 

「考えてみろ。おまえさんは士官学校入試並みの試験を突破して入った変わり種でしかも英雄様だ。成績も素行も優秀。年齢もだいぶ離れてる。敬して遠ざけたくもなるさ」

「よくわかんないや」

「できない奴は嫌われるが、できすぎる奴も嫌われる。非難する隙がなかったら敬遠するしかない。おれもさんざん経験した」

「そうなん?」

 

 リンツが敬遠されるなんて意外だ。俺に話しかけてることからもわかるように気さくな性格。顔はハンサム、スポーツ万能、絵も歌もうまい。どこにいても人気者になれることは間違いないのに。

 

「なにせ亡命者だからな。無能なら笑い者、有能なら生意気と言われる。生意気じゃなかったら敬遠される。これが自由の国の素晴らしい現実さ。まあ、アーレ・ハイネセンは『自由・自主・自立・自尊』と言ってるから、差別する自由も認めてるんだろう」

 

 考えが浅かった。無邪気に「リンツはいい奴だからみんなに好かれるだろう」と思ってた。思えば同盟が滅亡する前の俺も亡命者を心のどこかで見下していた。あからさまに差別はしなかったけど、帝国から転がり込んできた居候みたいに思ってた。彼らが権利を主張するのをソリビジョンなんかで見ると、「居候のくせに生意気だ」って感じたものだった。彼の優れた能力も俺のような人間に隙を見せないために必死で身につけたものだったのかもしれない。

 

「ごめん」

「敬遠されるのも悪くないぞ。敬意は払われてるからな」

 

 俺が敬遠されてるのはある意味自業自得だけど、リンツはそうではない。笑い者や嫌われ者になるぐらいならせめて敬遠されたいと思って努力したのだとしたら、どうしようもなく切ない。

 

「俺は敬意より好意がほしいよ。凄い奴と思われて敬遠されるより、馬鹿な奴と思われてもいいから好かれたい」

「本音を言うと俺もそうだ」

 

 リンツが白い歯を見せて笑う。

 

「ここを修了したらローゼンリッターに志願するつもりだ。隊員は全員亡命者だから、偏見を気にせずに済む。あそこなら自分が自分でいられるかもしれないと思うんだ」

 

 ああ、なるほど。リンツはそういう理由でローゼンリッターに入ったんだ。亡命者にとってのローゼンリッターって偏見を気にしなくていい場所なんだな。本で読んだだけではなんで隊員の団結力が異常に強いのか理解できなかったけど、自分が自分でいられる唯一の場所だったとすると理解できる。命を賭けてもローゼンリッターと仲間を守りたいと思うだろう。

 

 君が欲しかったものはきっとローゼンリッターで見つかるよ、と心のなかでつぶやく。リンツの未来はわかっても、自分の未来がわからないのが俺だ。いつか努力しても敬遠されない場所、馬鹿な奴と思われても好かれる場所に辿り着けるのだろうか。深い霧の中で見えない未来を手探りする作業はとても魅力的に思えた。



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第十七話:新米士官 宇宙暦791年 マルアデッタ星系、ポリャーネ補給基地

 七九一年二月、第八幹部候補生養成所を修了した俺は正式に少尉に任官した。職種は補給科。兵卒だった頃は補給員だったから、そのまま補給科の士官になったのだ。配属先はマル・アデッタ星系の惑星ヤロヴィトにあるポリャーネ補給基地の会計課。

 

 マル・アデッタ星系は現実では自由惑星同盟軍宇宙艦隊とアレクサンドル・ビュコック元帥終焉の地となったが、現時点では一辺境星系に過ぎない。同盟中核地域とフェザーンを結ぶ航路上に位置しているが単なる通過点でしか無く、帝国との前線とも遠く離れていて、軍事的にも経済的にも重要ではない。そんな片田舎にあって、マル・アデッタ星系警備艦隊に食料や弾薬を補給するのがポリャーネ補給基地の役割だった。

 

 戦闘とも武勲とも無縁の後方基地勤務。エル・ファシルを脱出してからの波乱に満ちた軍人生活が嘘のような平和な職場だ。俺の肩書きは会計課給与係長。補給員としての仕事なんてまともにやった経験がないのにいきなり基地職員二千二百三十六人の給与計算責任者になったのだ。しかも、後方職種に女性を多く配置する同盟軍らしく、八人の部下は全員女性。主任を務めるポレン・カヤラル曹長は三十六歳、シャリファー・バダヴィ軍曹は二十九歳。どちらも俺なんかよりずっとキャリアが長い。

 

 女性は男性よりも仕事ができない者に冷たい傾向があると聞く。幹部候補生養成所を卒業して少尉に任官した者は士官学校卒業者と違って即戦力として期待されているから、仕事のできない俺がどれほど白い目で見られるかは想像に難くない。

 

 どうすればいいかさんざん悩んだが、着任前日にカヤラル曹長とシャリファー軍曹に会って仕事がまったくできないことを打ち明け、一から指導してくれるよう頭を下げて頼むことにした。隠そうとしてもどうせバレるんだから、さっさと頭を下げた方がいい。

 

 基地内の喫茶店にカヤラル曹長とシャリファー軍曹を呼び出す。丸々と太っていて大衆食堂のおばさんといった感じの曹長とガリガリに痩せてメガネをかけていてミドルスクールの公用語教師といった感じの軍曹。どっちも「なんの用だ」と言わんばかりの表情だ。威圧感が半端ない。呼び出したのは失敗だったかと思ったけど、今さら言わないわけにもいかない。言うしかない。

 

「僕は徴兵されてから補給員の仕事をほとんどしてなくて、会計のことも全然わからないんです。ご迷惑とは思いますが、一から指導していただけませんでしょうか」

「つまり、仕事がわからないから教えてくれっておっしゃるんですか?」

 

 問い返すカヤラル曹長の声にトゲが感じられるのは俺の錯覚ではないだろう。仕事できない上司なんて邪魔なだけだもんな。

 

「そうです。わからないから教えていただきたいのです。お願いします」

 

 テーブルに手をついて頭を下げる。仕事で失敗して頭を下げるぐらいなら、今ここで下げた方がいい。了承してもらえなくても、俺が仕事ができないということは理解してもらえるだろう。俺抜きで仕事を進めることを考えるのなら、それでいい。その間に一人で勉強する。

 

「顔を上げてくださいよ。エル・ファシルの英雄にそこまでされたら断れないでしょう。ねえ、軍曹」

「ええ。全力で少尉をお助けしないといけませんね」

 

 馬鹿にされるのを覚悟していたが、意外にも二人は快諾してくれた。その後、三人でお茶を飲んでケーキやパフェを食べながら、どのように俺の教育を進めていくか話し合った。店を出る時に俺が全員分支払おうとすると、曹長と軍曹は「いいですよ。私達が払います」と言ってくれた。ケーキ二つとパフェ一つとホットケーキ一つを食べた俺が一番金使ってるはずなのに払ってくれるなんて、いい人達だなと思った。

 

 次の日に着任した俺は猛勉強を始めた。二人から渡されたマニュアルを熟読して業務知識や作業手順を頭に叩き込む。側についてもらってアドバイスを受けながらひと通りの作業をして、給与係の業務を流れとして把握する。チェックを受けながら作業をして、一つ一つの作業の正確性を高めていく。二人の仕事ぶりを側について観察し、どうしてそうするのかを質問する。学んだことはその場で全部メモを取る。受験勉強の時と同じように知識を叩き込んで流れを掴んでから手を動かして慣らしていくことを徹底した。

 

 毎朝早めに出勤してその日にするべき仕事の内容を予習し、部下が帰った後も残ってその日にした自分の仕事をチェックして復習をする。俺が一人前に仕事できるようになるまでは軍曹と曹長が係員をまとめて給与係を取り仕切った。自分の仕事があるのに俺を指導してみんなを取り仕切ってくれるなんて、いくら感謝してもし足りない。頑張って一人前に仕事できるようにならなきゃと思う。

 

 作業をこなすだけが管理職の仕事ではない。俺も自分の手で部下を取り仕切れるようにならないといけない。給与係を取り仕切る曹長と軍曹を見てそう思った。二人から助言を受けながら係員の仕事ぶりを見てそれぞれの作業の得意不得意や業務知識の程度などを把握するように務めた。また、直接会話をして性格や人間関係を把握しようとした。対人関係が苦手な俺だったけど、幸いにも係員達はエル・ファシルの英雄としてソリビジョンで見た俺に興味があったらしく、積極的に話しかけてきてくれたし、聞けば何でも話してくれたから知りたいことを質問するだけでよかった。ここまで好意的に接されると拍子抜けするぐらいだ。英雄の虚名もたまには役に立つ。

 

 俺が業務を習得して給与係の状況を把握していくにつれて曹長と軍曹の担当していた仕事は少なくなっていき、三ヶ月が過ぎた頃には彼女らは本来の主任の仕事に戻って俺が給与係の仕事を1人で取り仕切れるようになっていた。

 

 初めて人を使ってみたけど、こんなにうまくできるとは思わなかった。カヤラル曹長とシャリファー軍曹が部下で良かったと思う。幹部候補生養成所で『部隊の能力は下士官の質で決まる』と習ったけど、それを実地で体感できた。業務能力と統率力を兼ね備えたこの二人がいなければ、俺は何もできないままに給与係を混乱に陥れていたと思う。係員六人もみんな真面目で人柄が良いし、無能な俺には申し訳ないぐらい良い部下を持てた。指揮しているというより育ててもらっている感じだ。こういう部下ばかりだったら楽なのにな。

 

 

 

「この花、フィリップス少尉が持ってきたんだってね」

 

 俺が窓際に飾ったローズマリーの鉢植えを指して言ったのは会計課長のコズヴォフスキ大尉。俺の直接の上司にあたる。ふさふさの白髪に黒縁のメガネをかけている初老の男性だ。いかにも人が良さそうで軍人というより田舎の村役場の職員っぽい。

 

「邪魔でしたか?」

「いや、部屋の雰囲気が柔らかくなったよ。君は細かいところに気が利くね」

 

 最近、気が利くと言われることが多い。おととい、給与係のシェイ上等兵のお父さんの誕生日にレストランの食事券を渡した時もそう言われた。感謝してたからあげただけで特別なことはしてないんだけどな。お父さんの誕生日と好物も彼女が言ってたのを覚えてただけでわざわざ調べたわけでもない。何も考えずにしたいと思ったことをしただけだから、気が利いてるわけではないと思う。

 

「給与係も本当にまとまり悪くて、前任の係長も苦労してた。だけど、今は一致して君を支えようという空気がある。あの給与係をあそこまでまとめられるなんて大したものだ」

「最初からみんなで支えてくれて助かりましたよ。苦労どころか楽させてもらってありがたいぐらいです。部下に恵まれました」

 

 前任の係長がどんな奴か知らないけど、カヤラル曹長とシャリファー軍曹を部下に持っているのにまとめられないなんてどんだけ無能なんだ。あの二人がいたら、寝てたってまとめられると思うぞ。

 

「部下は上官次第で有能にも無能にもなる。部下が頑張っているのは、上官たる君が頑張ったからだ」

「俺があまりに頼りないから、部下が頑張るしか無いんですよ、きっと」

「若い子が頑張ってる姿見たら応援したくなっちゃうのかな。あれとか」

 

 コズヴォススキ大尉は俺のデスクの方を見て目を細める。大きなクッキー缶の中にクッキーやチョコレートやマフィンがぎっしり詰まっている。給与係のみんなが持ち寄ったお菓子だ。恥ずかしくなって頭をポリポリとかいてしまう。

 

「みんなが持ってきてくれて食べろ食べろって言うんですよ。子供扱いされてるみたいで…」

「童顔だもんねえ。ソリビジョンで見るよりずっと幼くて驚いたよ」

 

 反応に困ったのでとりあえず笑ってみると、反比例するように大尉の表情が曇る。

 

「君は有能で人柄もいい。できればずっとうちの課にいてほしかったんだが…」

 

 ずっといてほしかったって、どういうことだ。それって俺がいなくなること前提で言ってるのか?出ていかなきゃいけないようなまずいことでもしたのか?

 

「どういうことですか?」

「なかなか言い出せなかったんだが、この話が本題なんだ。難しい話だから場所を変えるけどいいかい?」

「はい」

 

 大尉の後について会計課の部屋を出る。難しい話ってなんなんだろう。足を一歩踏み出すたびに不安が大きくなっていく。大尉が立ち止まったのは基地司令室の前。

 

「コズヴォフスキ大尉、ご苦労だった。エリヤ・フィリップス少尉には私から話そう」

 

 司令室の主である基地司令オロンガ大佐に敬礼する大尉。基地司令が直接話すような大事になってるのか。俺の不安は頂点に達して腹痛を引き起こす。

 

「エリヤ・フィリップス少尉。宇宙艦隊司令部への転属命令が出ている。七月末日までに出頭せよとのことだ」

「う、宇宙艦隊司令部ですか!?」

「そうだ」

 

 宇宙艦隊司令部って言えば同盟軍の実戦部隊の中枢だ。士官学校卒のエリートの中でも特に優秀な人材が集まってる。なんで俺がそんなところに呼ばれるんだ?動揺で声が震えてしまう。

 

「ど、どういうことですか…?」

「小官にもわからない。秋に大規模な出兵があると聞いているから、その関係だとは思うが」

 

 いくら大規模な出兵があると言っても、宇宙艦隊司令部には俺なんか必要ないだろ。俺より経験豊富な補給士官なんていくらでもいるじゃないか。さっぱり理解できない。

 

「辞退はできないんですか…?」

「小官の権限の及ぶ範囲であれば受け入れることもできるのだが…。」

 

 二〇〇〇人を超える部下を率いる基地司令の権限すら及ばない雲の上から出た命令なのか。そんな世界の住人がなぜ俺の人事なんかに介入するんだろうか。宇宙艦隊トップの司令長官はシドニー・シトレ大将。ナンバー二の副司令長官はラザール・ロボス大将。いずれも今年就任したばかりでそれぞれ六個正規艦隊を指揮下に置いて宇宙艦隊を二分する存在だ。この二人のどちらかの周辺ということになるのかな。考えるだけで気が遠くなりそうだ。

 

「了解しました」

 

 一礼して基地司令室を出て、会計課の部屋に向かう。ドアを開けると俺のデスクの周りに給与係員が集まってコーヒー片手にお菓子をつまんでいるのが見えた。一人が俺に気づいて手を振る。彼女たちにどう別れを告げるか考えるだけで気が重かった。



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第十八話:エル・ファシルの英雄再び 宇宙暦791年7月26日 ハイネセン市、宇宙艦隊副司令長官執務室

 宇宙艦隊副司令長官ラザール・ロボス大将は今年で五三歳。リスクを厭わず大胆に仕掛けていく用兵に定評があり、四年前のドーリア星域会戦で中央突破からの背面展開を成功させて帝国軍を全面敗走に追い込んだ手腕は用兵芸術の極致と言われる。幕僚としては国防委員会や統合作戦本部の要職を歴任し、対人関係の調整や政治家相手の折衝に優れた手腕を発揮した。大雑把で不注意なのが唯一の欠点だが、それすら将兵には愛嬌と受け取られている。宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ大将とは二〇年以上にわたるライバルであり、切磋琢磨しあって共に同盟軍を代表する将帥に成長し、今年の春に同時に大将に昇進して宇宙艦隊の指揮権を分かち合った。ロボスとシトレが同盟軍の両雄であることを疑う者はいないだろう。

 

 というのが出版物やネットで得たロボス大将の情報。俺の記憶を付け加えるなら、二年後の七九三年に元帥に昇進して宇宙艦隊司令長官に就任するが、七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」で完敗を喫して二〇〇〇万人の将兵を戦死させた責任を取って引退。そのまま療養生活に入り、四年後に死去している。自由惑星同盟滅亡の要因は主なものだけを数えても一〇を下らないが、誰が検証してもロボスの敗戦が最上位に来るのは間違いないだろう。最悪の愚将の汚名を未来永劫負っても仕方がない人物だ。

 

 名将という現在の評価と愚将という未来の評価。どっちがロボスの本質なのかを考えながら執務室に入ろうとすると、俺と入れ替わるように若い士官が出ていった。年齢は俺と同じぐらいだろうか。なかなかの美男子だ。「宇宙艦隊副司令長官のオフィスともなると、容姿も一流の人材が揃ってるんだな」と感心しながらインターホンを鳴らす。すぐに「入れ」と返事が返ってきた。聞くだけで声の主の風格が伝わってくる。緊張しながら中に入る。

 

 広々とした執務室の奥に鎮座しているロボス大将を見た瞬間、名将という現在の評価に軍配を上げざるを得ないことを理解した。どっしりとした肥満体はまるで岩山のようで将帥たるにふさわしい風格がある。眼には鋭気を宿し、口元はキリリと引き締まっている。一見するだけで目の前の人物が衆に抜きん出た存在であることは明らかだった。俺がデスクの前まで進むと、大将は笑顔で頷いて立ち上がって俺の方に歩み寄ってきた。意外と背が低いのに驚く。俺も背が低いけど、大将はもっと低い。

 

「よく来たな、フィリップス少尉」

 

 ロボス大将は俺の肩を叩きながら親しげに声をかける。思わず恐縮してしまう。

 

「貴官のことは前から聞いていた。エル・ファシルでの活躍は言うまでもない。第三管区司令部では従卒の仕事をしながら一生懸命勉強して試験に合格したそうだな。幹部候補生養成所では模範的な学生だったと聞いている。ポリャーネ補給基地のオロンガ司令も素晴らしい勤務ぶりだと褒めていた」

 

 現在の同盟軍には元帥がおらず、八人の大将が全軍五〇〇〇万の頂点に立っている。その一人が一介の少尉でしかない俺についてそこまで知っていることに驚く。エル・ファシルのことなら報道やネットで知ることはできるが、それ以降はしっかり調べないとわからない。ロボス大将は俺の何に興味を持ったんだろうか。

 

「小官のことをご存知だったんですか?」

「私のような立場だと、自分の仕事だけを考えているわけにはいかないのだ。未来のために優れた人材を育てる必要がある。貴官のような優秀な若者に興味を持つのは当然だろう」

 

 この人は駆け出しの補給士官でしかない俺に何を期待しているのだろうか。大将ともなれば、俺なんかより優れた人材はいくらでも目にとまるはずだ。あまりに不可解で混乱してしまう。

 

「我が軍は一〇月に大々的な攻勢に打って出る。あれを見たまえ」

 

 ロボス大将が壁のスクリーンを指すと、星図が浮かび上がった。エルゴン星系からイゼルローン回廊に至る宙域だ。一番左側には青で塗りつぶされたエルゴン星系、一番右側には赤で塗りつぶされたイゼルローン回廊。その間にある星系は全部イゼルローン要塞と同じ赤色で塗りつぶされている。

 

「三年前のエル・ファシル陥落で我が軍の前線はエルゴンまで後退した。第七方面軍は総力をあげて防衛にあたっているが、星系外周部の防衛基地群は今年の三月に突破され、最近はシャンプールの近くまで敵の哨戒部隊が進出している。貴官が二月にシャンプールを離れてから、戦況は急速に悪化している」

 

 シャンプールは受験勉強に励んだ第七方面管区司令部や士官教育を受けた第八幹部候補生養成所がある惑星だ。俺が少尉に任官してマル・アデッタ星系の基地で給与係の仕事をしてる間にとんでもないことになってたのか。

 

「占領された三五星系からの避難民は一億人近い。エルゴンが陥落したらさらに二億人が加わるだろう。それだけは絶対に阻止しなければならん。大攻勢をかけて前線をイゼルローン回廊の手前まで一気に押し戻す。それが今回の作戦の目的だ」

 

 宇宙艦隊副司令長官から軍事情勢を説明されるというぶっ飛んだシチュエーションに頭がクラクラしてしまう。最近は筋の通った出来事ばかり起きていたから忘れかけていたが、やはりこれは夢なのだ。そうとでも思わないと、ロボス大将が俺に作戦を説明する理由がわからない。困惑する俺をよそにロボス大将はスクリーンに向かってスッと腕を伸ばして人差し指を突き出し、左から右に向けて線を書くように腕を動かすしぐさを二回した。それに合わせてスクリーン上に二本の線が浮かび上がる。

 

「今回の作戦では宇宙艦隊から六個艦隊を動員する。エルゴンに集結した後で二手に分かれてシトレ司令長官はドーリア方面から、私はエル・ファシル方面からそれぞれ三個艦隊を率いて帝国軍を排除しながら進軍し、イゼルローン回廊の手前で合流する」

 

 六個艦隊を動かすという壮大な作戦にただただびっくりするだけだ。しかし、それを俺が聞かされる理由がわからない。補給士官の少尉にできる仕事なんて、軍艦の補給部門の主任士官か基地の係長ぐらいだぞ。わざわざ宇宙艦隊副司令長官が説明するような仕事じゃない。

 

「貴官にはエル・ファシル奪還の指揮をとってもらう。エル・ファシルの英雄エリヤ・フィリップスがエル・ファシルを取り戻すのだ」

 

 ロボス大将がスクリーンに向けて伸ばしていた腕が急に俺の方を向き、人差し指がまっすぐに俺を指差す。いつの間にか鋭くなっていた大将の目が俺の目をしっかりと見据える。俺がエル・ファシル奪還の指揮…!?どんどん大きくなっていく話についていけない。こんな感覚は英雄に祭り上げられた時以来だ。

 

「エル・ファシルからの避難民五〇〇〇人が奪還作戦への参加を志願している。我が軍は彼らを義勇兵として受け入れ、近日中にエル・ファシル義勇旅団を結成する予定だ。貴官が旅団長だ」

 

 俺が五〇〇〇人の指揮官だって!?旅団長って言えば普通は大佐だぞ!?むちゃくちゃだ!!

 

「小官が旅団長ですか!?無理ですよ。少尉になったばかりなのに」

「義勇兵部隊の役職と軍の階級は関係ない。仮に一介の民間人が旅団長になったとしても問題ない」

「しかしですね、少尉になったばかりなんですよ。経験が無いですよ。いきなり五〇〇〇人を指揮しろって言われても…」

 

 なんで俺が選ばれるんだよ。八人の部下を使うのもやっとなのに、いきなり五〇〇〇人も指揮できるわけないじゃないか。こんなことになるんなら、ずっとポリャーネ基地の給与係で仕事していたかったよ。

 

 目をつぶって給与係のみんなと別れた時のことを思い出す。

 

 カヤラル曹長は「少尉がおなか空かせちゃいけないから」と言って、クッキーとチョコレートのでっかい詰め合わせ袋を三個も渡してくれた。袋は全部曹長が手縫いで作った袋。ハイネセンに向かう船の中で泣きながら食べた。

 

 シャリファー軍曹は公用語教師っぽい外見そのままの堅物だったけど、最後の最後に「一つだけお願いしたいことがあります」と真面目な顔でお願いされた。ドキドキして何をすればいいか聞き返すと、笑って「少尉のほっぺたを触らせてください。一度触ってみたかったんです」と言われて拍子抜けしたものだ。嬉しそうに俺のほっぺたを指でつついたり、つまんで引っ張ったりしてたなあ。

 

 他の係員とも一緒に写真撮ったり、プレゼントもらったりしたなあ。もうすぐ出発って時に給与係で一番年下のネイサン一等兵が俺の手を握ったまま泣き出しちゃったの見て悲しくなって、俺も涙ボロボロ流して一緒に泣いてた。あれを見た通りすがりの人達はどう思ってたのかな。

 

 まずい、よりによってこんな時に涙がこぼれてきそうになる。そんな俺をロボス大将の声が現実に引き戻す。

 

「貴官に指揮をとってほしいというのは志願者からの要望なのだ。いきなり大任を任されて不安なのはわかる。だが、そこで不安を感じるような者こそ指揮官にふさわしい。功名心に燃えて不安を忘れる者には指揮官は任せられん。誰に貴官のことを聞いても、褒め言葉以外の言葉は聞いたことがなかった。実際に会ってみて、その理由がわかった。貴官以外の指揮官は考えられん。志願者に代わってお願いしたい。義勇旅団の指揮をとってくれんか」

 

 優しく語りかける声が心に染み入る。大将ともあろう人がここまで俺を気にかけていてくれるのかと思うと心が揺れる。旅団長なんてできるとは思えないけど、できないと突っぱねるのも申し訳ない。どうしよう…。

 

「指揮官に必要なのは部下が安心して命を預けられるという信頼だ。エル・ファシルの人々が命を預けるのは英雄であるエリヤ・フィリップスだけだ。幕僚はこちらで用意する。貴官にできないことは全部彼らがやる。不安になる必要はない」

 

 それは軍の都合で作られた英雄像だ、と思ったけど。それでも違うとは言えなかった。一つ一つの言葉に力を込めて強調するロボス大将には妙な説得力があった。

 

「ハイスクールの劣等生が一年で士官学校合格レベルの学力を身につけ、幹部候補生養成所ではベテラン下士官達と競い合って優秀な成績で卒業し、補給基地でもまったく仕事ができない状態から部下の心を掴んでみせた。君は常に努力で不可能を可能にしてきた。ハイスクールにいた時の貴官は少尉となった自分を想像していたか?今の貴官には五〇〇〇人を率いる自分を想像できないかもしれん。しかし、二ヶ月後の貴官はそれを現実にしていると私は信じる」

 

 この人は俺がどれだけ努力してきたか知ってるんだ。知っていてできると言ってるんだ。ここまで言われてできないなんて言えない。ここまで信じてくれる人を裏切るなんてできない。

 

「わかりました。引き受けさせていただきます」

「良く言ってくれた。エル・ファシルの人達もきっと喜ぶ」

 

 ロボス大将はにっこり笑ってポンと俺の肩を叩く。難しい仕事だけど、俺をちゃんと見てくれている人ができると言ってくれたんだ。できるように頑張らないといけない。ロボス大将の期待に応えてみせると心に誓った。



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第十九話:おもちゃの兵隊とお人形の司令官 宇宙暦791年9月 ハイネセン市、宇宙艦隊司令部F棟、エル・ファシル義勇旅団司令部

 宇宙暦七八九年八月八日。自由惑星同盟軍宇宙艦隊司令部はエル・ファシル義勇旅団結成を正式に発表。俺が義勇旅団長に就任したのは言うまでもない。副旅団長は民間人のマリエット・ブーブリル。参謀長カーポ・ビロライネン大佐以下八人の参謀は司令部から派遣された現役軍人。義勇旅団を構成する各連隊・大隊・中隊・小隊の長には民間人が起用され、現役軍人の顧問の補佐を受ける。義勇旅団に参加した者は役職に応じて臨時に義勇軍階級を授けられた。俺は義勇軍大佐、ブーブリルとビロライネンは義勇軍中佐といった具合だ。宇宙艦隊副司令長官直々に与えられた任務に興奮していた俺だったが、初日から自分の甘さを思い知らされた。

 

「これはどういうことですか!私達を戦力として期待していないということですか!?」

「いや、期待していないと言っていませんよ。しかしですね、二ヶ月の訓練では限度があるのです。我々としても民間人の皆さんをむやみに危険に晒すことはできないんですよ」

「納得いきません!私達がどれだけ耐えてきたと考えてらっしゃるのですか!?命を惜しむとでも思っているのですか!?」

 

 司令部全体に聞こえるんじゃないかと心配になるような大声で怒鳴り散らしているのは義勇旅団司令部の中で唯一の民間人にして女性である副旅団長のマリエット・ブーブリル。今年で三二歳になるが上品で優しげな美貌を持ち、四~五歳は若く見える。元従軍看護師で勲章をもらったこともあるというが、世間的な知名度は皆無に近く、公的な肩書きもエル・ファシル退役軍人連盟青年部副部長に過ぎない。俺が言うのもなんだけど、どうして副旅団長に選ばれたのかさっぱり理解できない。

 

 そんな彼女が腹を立てているのは、エル・ファシル奪還作戦に正規軍二個旅団九〇〇〇人が参加することを知ったからだ。義勇旅団が主力になるとばかり思っていたらしい。必死でなだめるのは今年で三〇歳になる参謀長のカーポ・ビロライネン大佐。いかにも神経質で気難しそうなビロライネンはブーブリルとは逆に五歳は老けて見える。士官学校卒のエリート参謀でロボス大将の腹心と言われる切れ者だ。

 

「皆さんの思いは理解しているつもりですよ。だから、軍としても可能な限りのサポートを…」

「サポートじゃないでしょ!お守りじゃないんですか!!」

「サポートですよ。あくまで主役は義勇旅団の皆さんであるということは心得ているつもりです」

「だったら二個旅団もいらないでしょ!」

 

 興奮したブーブリルはテーブルを勢い良く叩きつけた。容姿からは想像も付かないヒステリックぶりに会議室の人々はすっかり引いてしまっている。彼女が切れ長の目を見開いて一同を見回すと、みんな視線を逸らす。まいったなあと思いながら眺めていると、ブーブリルはいきなり俺の方に振り向く。まずい、目が合ってしまった。

 

「あんた、旅団長でしょ。なんか言いなさいよ!」

「あ、いや、小官から言うことは特に…」

「おとなしく座ってろって言われてんの?やっぱ、見た目だけのお飾り旅団長なの!?」

 

 あんただって見た目がいいだけのお飾り副旅団長じゃねえかと思ったけど、さすがに口にはしない。初対面の時はニコニコしてて凄く感じ良かったのに。

 

「副旅団長、旅団長に対して失礼ではありませんか」

 

 苦々しげな表情を浮かべてたしなめるビロライネン。ふんと鼻を鳴らすブーブリル。この先やっていけるのか不安になった。

 

 最初の会議から三週間が過ぎ、義勇旅団は出征に向けてテキパキと動き出しているが、俺の気分はどん底まで沈んでいる。

 

 副旅団長のブーブリルは相変わらずだ。会議で無理難題を言ってはみんなを困らせている。俺のことをあからさまに嫌っているらしく、会議ではしつこく絡んでくるし、裏でもいろいろ悪口を言っているようだ。最近は顔を見るだけで嫌な気分になる。俺と彼女は義勇旅団の広告塔的役割を務めていて、一緒に番組に出演することも多い。控室では俺の方を見ることすらしないのに、一旦カメラの前に出たら満面の笑顔を見せて親友のように振る舞ってのけるのだから、大したものだと思う。

 

 参謀長のビロライネン大佐は俺を棚上げしようという態度を隠そうともしない。俺とブーブリルが出席しない参謀だけの会議で全部決めてしまって、司令部全体会議では事後報告のみ。行進訓練と整列訓練ばかりで基礎体力訓練が皆無に近いこと、見栄えはいいけど信頼性に欠ける装備ばかり揃えていることなどに疑問を感じるけど、口を挟める雰囲気ではない。

 

 日常業務だって最初のうちは型通りとはいえ報告をしてから書類の決裁を求めたが、最近は面倒くさくなったのか書類をポンと渡すだけだ。部隊視察はビロライネンがきっちりコースを組んで俺の裁量の余地は一ミクロンもなく、まるでツアーのようだ。メディアに出演する際もビロライネンが事前に作った文案通りに発言するだけで完全にスピーカーと化している。

 

 たまりかねて「何か仕事をさせてほしい」と頼んだら、「参謀に全部任せるのが司令官の仕事です」とやんわり断られ、「部隊運営を勉強したいから教えてほしい」と言ったら無視された。せめて部隊の状況を把握しようと参謀の一人に頼んで取り寄せた人事関係や経理関係の書類を読んでいたら、怒った顔のビロライネンに取り上げられて「そんなことはしなくていい」と言われた。

 

 ロボス大将とはあれからほとんど話していない。副司令長官の司令部と義勇旅団の司令部は別の建物だから、日常的な接触がない。週に一度は義勇旅団司令部に来て俺やブーブリルやビロライネンや参謀たちと昼食をとるけど、ロボス大将と付き合いが長いビロライネン達を差し置いて話しかけるほど厚かましくもなれない。ロボス大将から親しげに話しかけられてもビロライネンの目が気になって、無難な答えを返してしまう。

 

 気が付くと、義勇旅団司令部の中ですっかり浮き上がってしまっていた。ビロライネン大佐を始めとする参謀陣は自分達だけで固まってしまっているし、ブーブリルとの関係も最悪だ。昼食に行く時だっていつも一人。ポリャーネ補給基地での日々が嘘のようだ。携帯端末でメールを送っても、クリスチアン少佐やイレーシュ大尉やバラット軍曹からはなかなか返事が来ない。三人とも今度の出兵に参加するそうだから忙しいのだろう。リンツもローゼンリッターに入隊したばかりで忙しいようだ。ルシエンデス曹長、ガウリ軍曹、ポリャーネ補給基地の給与係のみんなのように今回の出兵に関係ない人達とのメールでガス抜きをしている状態だ。

 

 あまりにすることがないので執務中でも携帯端末を使ってネットを見ていた。俺を暇にさせておくのは良くないと思ったビロライネンが仕事を回してくれることを期待していたんだけどまったく咎められなかった。下手にやる気を出さずにおとなしくしててくれるなら、むしろありがたいぐらいに思っているのかもしれない。

 

 小心者で他人にどう思われてるかが気になってしまう俺はつい、「エル・ファシル義勇旅団」「エル・ファシル義勇旅団 エリヤ・フィリップス」などの単語で検索してしまう。エル・ファシルの英雄として持ち上げられていた時は自分を見失ってしまいそうでネットを見ることができなかったが、今回はお飾りなのがわかってるから安心して見ることができた。ネットの情報は玉石混交であまり信用のおけるものではないのは、俺の起用が「女性人気目当て」と言われてる時点で良くわかる。だから、わりと穏当な話を参考にするぐらいだけど、それでもうんざりするような話がたくさん流れていた。

 

 第一にエル・ファシル避難民問題。三〇〇万人もの避難者の受け入れ先を見つけるのは難しかったらしく、エル・ファシル脱出船団がシャンプールに着いた時も俺やヤンのように上陸できたのはごくわずかで大半が船の中に留め置かれていた。先行きへの不安が怒りに転じ、暴動が発生した船すらあったという。今でも避難民の七割が各地の仮設宿舎でわずかな支援金を頼りに暮らしていて、先の見えない避難生活の中で心身を病んでしまう者も少なくないそうだ。避難先の地域に馴染めずに苦しむ者も多いらしい。ブーブリルが言う「ずっと耐えてきた」「命なんか惜しくない」というのは綺麗事ではなくて、避難民としての本音が幾分か含まれていたのかも知れない。

 

 エル・ファシルを始めとする各星系の避難民問題はかなり深刻な社会問題と化していて、ちょっと検索しただけでも避難民問題を扱う本がたくさんあった。大手出版社が出した「検証-エル・ファシルの英雄は誰を助けたか」という本の題名が胸にぐさっと刺さる。著名な反戦派系ジャーナリストで避難民問題の第一人者のパトリック・アッテンボローという人が書いたそうだ。あの時、一緒に逃げた人達がどうなったかなんて全然知らなかった。俺のように落ち着き先を見つけて普通に過ごしてると思ってた。勉強に忙しくて社会問題にまったく興味を持たなかった自分が恥ずかしくなる。

 

 第二にエル・ファシル義勇旅団の結成の背景。今回の作戦のメインは敵の大拠点があるドーリア星系ルートを攻略するシトレ司令長官で、ロボス大将が攻略するエル・ファシル星系ルートはサブに過ぎないらしい。そして、エル・ファシル義勇旅団の結成はそんなエル・ファシル奪還作戦に世間の注目を集めて、自分の功績を大きく見せようとするロボスの画策だというのだ。反戦派系メディアが流している話だから眉に唾を付ける必要はあるけど、統合作戦本部にいるルシエンデス曹長にそれとなく聞いてみたところ、「シトレがメインでロボスがサブなのは周知の事実」「義勇旅団のおかげでエル・ファシルが注目されてるのは確か」「いろいろ噂があるけど、ロボス大将の考えは俺にはわからん」という答えが返ってきた。

 

 反戦派系電子新聞に掲載されたパトリック・アッテンボローの署名記事では避難民の貧困と義勇旅団結成を同一線上の問題として扱い、貧困と不適応という二つの問題を解決するために志願兵として軍に入る避難民が少なくないこと、義勇旅団への参加者募集時に提示された支援金増額と優先的就職斡旋の内容などが詳細に記され、「経済的弱者である避難民の弱みに付け込んで、宣伝に利用しようとしたのではないか」と締めくくられていた。

 

 反戦派の軍批判を真に受けすぎるのは良くないけど、それでも義勇旅団の宣伝ばかりやらされてる今の自分の立場、義勇旅団の見栄えばかり飾り立てようとするビロライネン大佐らのやり方を思うと、『義勇旅団は宣伝の道具』という主張に説得力を感じる。

 

「結局、エル・ファシルを脱出した時と同じ宣伝用のお人形か。進歩ないな、俺も」

 

 アッテンボローの記事を読み終えた俺は官舎のベッドに横になってため息をつく。英雄として持ち上げられてた頃はルシエンデス曹長やガウリ軍曹が話し相手になってくれたけど、今は誰もいない。窒息する思いがする。早く終わって欲しい。そして、また普通の仕事に戻りたいと真っ白な天井を見ながら願った。



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第二十話:横を向いて歩こう 宇宙暦791年9月 ハイネセン市、宇宙艦隊司令部F棟、エル・ファシル義勇旅団司令部

 メディアに出る以外の仕事をほとんど与えられず義勇旅団司令部でネットを見て暇を潰していた俺だったが、九月に入ると忙しくなった。打ち合わせという名目で宇宙艦隊司令部や統合作戦本部や国防委員会事務局や陸戦総監部などを訪問しては幹部と面会するようになったのだ。もちろん、参謀長ビロライネン大佐の仕込みである。義勇旅団の体裁が整ってきたから、メディア向けの広報活動と併行して軍内部向けの広報活動も開始したのだ。

 

 毎日のように提督やら部長といった肩書きを持った人達と会って懇ろな言葉をかけられると、ただただ恐れ入ってしまう。国防委員長バンジャバン、統合作戦本部長フラナリー大将、宇宙艦隊司令長官シトレ大将といった軍部の頂点に立つVIPと会った時などは、魂が消し飛ぶんじゃないかと思ったほどだ。向こうは大物だけあって、完璧な礼儀をもって接してくれるんだけど、俺のような小さな人間にはそれが絶大なプレッシャーになるだ。メディアで不特定多数向けに話す時とはまた違った難しさがあった。

 

 部隊視察に出向くことも多くなった。訓練の様子を見学し、隊長以下の幹部が出席する部隊のミーティングにゲストとして出席し、義勇兵と歓談した。視察の様子は写真と映像で記録されて、エル・ファシル義勇旅団公式サイト内のページ『日刊義勇旅団』に掲載される。

 

『日刊義勇旅団』は義勇旅団の活動状況を知らせるページだが、俺とブーブリルの動静に部隊の活動状況を絡めて写真入りで伝える『義勇旅団の一日』の他に司令部の参謀陣が執筆する『今日の司令部』、日替わりで各部隊の長が執筆する『部隊紹介』、義勇兵のインタビュー記事、エル・ファシルの風物紹介コラム、エル・ファシルの郷土料理のレシピなどが毎日更新で掲載されるという凝った作りになっている。制服姿の俺とブーブリルが笑顔で敬礼しているでっかい画像が表紙になってることと、第一面にいつも俺とブーブリルの写真を使っていることを除けば素晴らしい作りだ。

 

 実際、アクセス数はかなりのものだ。ネットでも話題を呼んでいて、『日刊義勇旅団を語ろう』なんてコミュニティも作られているほどの人気を誇っている。広報の専門家が作っているのかと思ったら、ビロライネン大佐が編集長らしい。あれだけ仕事してるのにこんなものまで作ってしまうんだから、さすがはロボス大将の懐刀だ。好きになれない人だけど。

 

『日刊義勇旅団』の人気は俺の立場に意外な影響を与えた。参謀達は相変わらず俺を軽視しているが、彼らと交流が薄い経理、通信、衛生といった専門スタッフは、廊下ですれ違うたびに声をかけてくれるようになった。昼食に誘われることも多くなり、これまでのように一人寂しく食べることもなくなった。彼らが興味を持っているのが『日刊義勇旅団』の一面で格好良く映ってる旅団長であって、俺という人間でないことはわかっている。それでもかまってくれる人がいるのはありがたい。

 

 孤独に生きることと孤独に慣れることは違う。俺はエル・ファシルで逃亡してからの六〇年間を孤独に生きてきたが、それでも孤独に慣れることはできなかった。覚悟があって孤独になったのなら慣れることもできたのかも知れないが、俺の孤独はそうではない。一人でいるのが心細くてたまらなくて、人に好かれて孤独から脱出しようと努力しては気持ち悪がられた。今はそれなりに他人に尊重してもらえる立場だけど、一人でいると心細くなってしまうことには変わりない。だから、他人に対して強く出れない。今回の義勇旅団のように気が乗らなくても、期待通りに振る舞おうとしてしまう。我ながら情けないと思うけど、こればかりはどうしようもない。

 

「あの人、最近良く食堂で見かけるけど、最近うちの司令部に転属してきたんですか?」

 

 俺の視線の先にいるのは一人で食事をしている同年代ぐらいの若い士官。すらりとした長身でなかなかの美男子だ。線が細すぎる気もしないでもないけど、それがいいという人も多そうだ。宇宙艦隊司令部で何度か見たことがあるが、最近は義勇旅団司令部の食堂で見かけるようになった。いつも一人で食事していたから気になってた。

 

「いや、副司令長官の司令部の方ですよ。最近はうちの司令部との連絡係をしてるようですね。ご存知なかったんですか?」

「あ、いや。そちらは参謀長に任せてるんです。参謀長はもともと副司令長官の司令部に所属してましたから」

 

 答えたのは俺と一緒に食事していた通信課の三人のうちで一番若いチャイ曹長。司令部の仕事をまったくさせてもらっていないことがバレないよう、慌てて取り繕う。司令部の書類は全部副官が俺に取り次ぐ建前だが、実際はビロライネン大佐に取り次がれている。俺は参謀達が処理した書類にサインするだけだ。だから、副官に取り次がれた後の書類の流れを知らない人は俺がちゃんと仕事をしているものと勘違いしていた。

 

「あっちの人が『あいつ使えねえ』ってぼやいてました」

 

 ギクッとなる。ビロライネン大佐があの手この手で俺を有能そうに演出しても、わかる人にはわかってしまうのか。

 

「士官学校卒業した秀才なのにまったく仕事できなくて、使い走りしかさせてもらえないとか。あの通りの美形だから女の子達も最初は喜んでたんだけど、今では見向きもしないそうです。あれじゃきれいなだけのお人形だって。任官して半年ちょっとしか経ってないのに立派に部隊を率いてらっしゃる旅団長とは大違いですよ」

 

 ああ、彼のことか。自分のことを言われているみたいで胸が痛くなる。ロボス大将やビロライネン大佐から見た俺はきれいかどうかはともかくお人形なんだろう。他人事とは思えない。反射的に席を立った俺が早足で近寄っていくと、彼は気配を感じたのかこっちを向く。彼の前に立った俺は精一杯の笑顔を作って声をかける。

 

「俺達と一緒にごはん食べませんか?」

 

 彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに笑顔を作ってうなづいた。ちょっとぎこちない感じがする。笑顔を作るのが下手なのかな。なんか親近感を感じた。

 

 

 

「また、アンドリューか。この一時間でその名前を口にするのは何度目だ…?」

 

 クリスチアン少佐の呆れたような声。俺の携帯端末に久しぶりに少佐から通信が入ってきて話している最中なのだ。

 

「すみません」

「いや、仲が良いことだと思ったのだ。貴官には同年代の友人がほとんどいないからな。小官らのような年長者とばかり付き合っていては、僚友との付き合いができなくなってしまうのではないかと心配していた」

「ほんと、申し訳ないです」

「貴官は小官にとっては子供のようなものだ。親が子供の心配をするのは当たり前だろう。申し訳なく思うことなどない」

「本当に感謝しています」

「貴官は素直で真面目だ。指導すればするほど伸びる。上官にとっては本当にかわいくてたまらんが、僚友とは兄弟のように付き合い、部下は子のように可愛がることも大事だ。親にかわいがられても兄弟や子に疎まれるようでは良き家族にはなれん」

 

 少佐の言うとおり、これまでの俺は年長者に可愛がられるばかりで同年代の人間と対等な付き合いをしたことはほとんどなかった。幹部候補生養成所では二歳下のリンツと仲良くしていたけど、リンツの方は俺を弟分扱いしていたフシがある。対等の友人といえるのはおそらくアンドリューが初めてだ。

 

「確かに少佐のおっしゃる通りです。対等の相手との付き合いは考えたことがありませんでした。アンドリューには良い経験させてもらってます」

「軍に入って間もない頃に知り合う僚友というのは良いものだ。一緒に磨き合ってお互いを高め合っていく真の兄弟だ。アンドリューは貴官にとってはそのような友になるかもしれん。大事にせよ」

「はい!」

「明日の朝五時から新兵どもをかわいがってやらねばならんから、今晩はここまでだ。またアンドリューの話を聞かせてくれ。その話をしている時の貴官は本当に楽しそうだからな」

「ありがとうございました!」

 

 高揚した気持ちで携帯端末を切ると、ベッドに横になった。久々に敬愛する少佐と話せたということと、仲良しのアンドリューの話を他人に聞かせることができたということが嬉しくてたまらない。

 

 アンドリュー・フォーク中尉は俺の二歳下だ。士官学校を首席で卒業した後、ロボス大将の司令部にスカウトされて作戦課で勤務している。同盟軍では軍幹部や政治家が有望な若手士官を取り込んで派閥に組み込む行為が横行していた。

 

 派閥に入った士官は統合作戦本部や国防委員会や宇宙艦隊司令部などの軍中枢機関に配属され、戦時には戦艦艦長や正規艦隊参謀といった戦功を立てやすいポストに優先的に起用されて、出世街道を驀進していく。将官ポストが少ない同盟軍では士官学校卒のエリートでも大半が大佐止まりだが、派閥に入って戦功を重ねたら二〇代で大佐、三〇代で将官になれる。ビロライネン大佐がその好例だ。アンドリューもロボス大将の司令部に入って出世コースの入り口に入ったが、いきなりつまずいてしまった。

 

「ロボス大将の司令部って本当に凄い人ばかりでさ。三日で自信なくしちゃった」

「学校だったら課題が与えられるよな。わからなくても先生がちゃんと指導してくれる。でも、司令部は違うんだ。課題は自分で作らないといけないし、わからなければ見放される。しんどいよ」

「幕僚には全体を見渡す目、どんな時でも冷静になる心が必要なんだって。何をすれば伸びるのかって聞いたら、『技術や知識みたいに努力だけで伸ばせるものとは違う。人に聞いてるうちは伸びない』って言われたよ」

「早く一人前になって尊敬するロボス大将の役に立ちたい。足手まといの自分が情けなくなる」

 

 アンドリューのぼやきはいつも俺にグサグサと突き刺さった。努力して与えられた課題をこなすことにはそれなりに自信があった。しかし、義勇旅団のように課題すら与えられない場所ではどうしようもなく無力になってしまうことがわかった。俺は何も期待されないお人形の旅団長、アンドリューは期待に応える方法がわからないという違いはあるものの本質的には同じだ。もちろん、士官学校を首席で卒業したアンドリューとハイスクールの劣等生あがりの俺ではモノが違う。

 

 アンドリューは三大難関校の一角で同盟全土から学力・運動能力共に抜群の人材が集まる士官学校の一学年五〇〇〇人中の首席だけあって、学力はもちろん実技や体育も桁外れだ。宇宙艦隊司令部の体育館で白兵戦技の組み手を試しにやってみたら手も足も出なかった。どんな姿勢で射撃しても楽々と的のど真ん中を射抜いてしまう。どっちも幹部候補生養成所ではそれなりに自信のあった科目だけにショックだった。リーダーシップにおいても士官全体の生徒代表である生徒総隊長を務めていたから、幹部候補生養成所で棟の副代表の大隊長補佐を務めた俺なんかとは格が違う。

 

「まるで漫画の優等生みたいだね。勉強はいつも学年一番、スポーツをすれば運動部のエース、生徒会やボーイスカウトではいつもリーダーって感じ」

 

 そう言ったら、「ミドルスクールまでそうだったけど」とあっさり返されてびっくりしたものだ。こんなスーパーマンでも手も足も出ないんだから、参謀の世界ってどんな魔境なのかと思う。俺のように技術や知識を磨いてルーチンワークをこなす叩き上げ士官には想像もつかない。そこで生き残ったビロライネン大佐が優秀なのは当然だ。かのヤン・ウェンリーは二九歳で少将になるまで参謀一筋だったけど、あの性格で出世街道驀進できたんだから用兵以外の能力も人間離れしていたのだろう。

 

 士官教育を受けてみて初めて分かった。歴史の本の中では無能扱いされている提督でも俺のような凡人のレベルでは物凄く優秀であり、そういった提督を手玉に取れる獅子帝ラインハルト配下の名将やヤン艦隊の諸提督は超人集団なのだ。

 

 歴史の本の中ではアンドリュー・フォークは有名人だ。ロボスが大敗した七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」の立案者にして最大の戦犯。救国軍事会議に加担して統合作戦本部長クブルスリーの暗殺未遂を起こし、最後はヤン・ウェンリー暗殺に加担した。歴史に残した負の業績は絶大だ。能力においては要領良くロボスに媚びて出世し、常識では考えられないような作戦指導をして二〇〇〇万人を戦死させた最低最悪の無能。人格においては傲慢で自己中心的で自己認識が完全に狂っているにもかかわらず上昇志向が異常に強く、狂人としか言いようがない。

 

 しかし、俺の見たアンドリューは能力はずば抜けているし、人格もまともというかとても良い奴だ。あれだけ優秀なのにおごったところが全くなくて、いつも自分の至らなさを気にかけている。ずっとリーダーをやってきただけあって社交性が高い。義勇旅団司令部の食堂で俺と一緒に食べるようになったら、あっという間に司令部要員の人達と仲良くなって、ファーストネームで呼ばれるぐらい親しまれてる。射撃や白兵戦技の指導を頼んだら、快く引き受けてくれた。ロボス大将にスカウトされた時の感激を語り、それなのに期待にこたえられない未熟な自分に苛立つ姿は本当にまっすぐで眩しくすら感じる。狂人どころか良い奴すぎて失敗するタイプなんじゃないかとすら思う。

 

 俺は能力でも人間性でもアンドリューには及ばないが、年齢が近くて壁にぶち当たっているという点で強い親近感を感じている。アンドリューの方もそうみたいだ。だから、いろいろと悩みを話してくれるのだろう。ロボス大将は本の中では愚将と言われていたけど、俺が見た印象では凄い人だった。俺を利用しようとしているけど、そのような狡猾さも含めて凄い人だ。アンドリューも本の評価と実際に見た印象が全然違う。

 

 彼らに何が起きて本で言われているようなことをやってしまったのか、あるいは俺が逃亡者にならずに済んだように彼らも俺が見た印象のままの人生を送るのか。先のことはわからないけど、せっかくできた友達と大事に付き合いたいと思った。



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第二十一話:茶番の幕を引くのは誰か 宇宙暦791年秋 惑星エル・ファシル

 宇宙暦七九一年一〇月八日、自由惑星同盟軍は反攻作戦「自由の夜明け」を開始した。ハイネセンを出発した同盟軍六個艦隊はエルゴン星系からドーリア方面を攻略する宇宙艦隊司令長官シトレ大将、エル・ファシル方面を攻略する副司令長官ロボス大将の二手に分かれて順調に進撃していた。エル・ファシル義勇旅団はロボス大将直率艦隊に属する第二十六揚陸隊所属の強襲揚陸艦二十七隻に分乗していたが、エル・ファシルの到着するまではまったく出番がなく、他部隊の活躍を船内のスクリーンで見物しているだけであった。

 

 衛星軌道上から艦砲射撃、地上の防空基地群を粉砕する艦隊主力、大気圏に突入した強襲揚陸艦から降下する陸戦隊のシャトル、勇壮な歩兵部隊の突撃、敵兵を蹂躙する装甲部隊の姿などが義勇兵の目を楽しませ、ただでさえ旺盛な彼らの戦意はさらに高まった。副旅団長のマリエット・ブーブリルは自ら銃を持って突撃したいと言い出している。看護師とはいえ勲章を受章したほどの戦歴がある彼女にしてこれだから、実戦経験が乏しい民間人出身者の浮わつきぶりはもっと酷い。エル・ファシル全土を義勇旅団だけで制圧できると息巻く大隊長もいるそうだ。参謀達も頭が痛いことだろう。

 

 俺にとっては、義勇兵の高揚も参謀達の頭痛も他人事でしか無かった。司令官が自分の部隊のことを他人事と思っているなど無責任の極みなのだが、メディアに出て喋ったり、人と会ったりするだけで部隊運営にはまったく関与していないのだから、責任の持ちようもない。司令部で大人しく座ってる間にさっさと終わってくれたらいいぐらいにしか思っていない。一日も早くちゃんとした仕事をさせてほしい、努力を求められて結果を出せば、評価される場所に行きたい。しかし、今回の任務はどこまでも俺の期待を裏切ってくれる。エル・ファシル攻略が予想外に長引きそうなのだ。

 

 エルゴン星系からイゼルローン方面に向かう航路はドーリア方面、ダゴン方面、エル・ファシル方面の三つに分かれている。そのうち最も重要なのはドーリア星系からアスターテ星系を経由する航路だ。通行が容易な上に有人惑星が多く、寄港地にも事欠かない。

 

 ダゴン星系からティアマト星系を経由する航路はそれに次ぐ。一二二年前にヘルベルト大公が大軍の利を生かせずにダゴンで敗北したことからもわかるように難所ではあるが、アスターテ星系を迂回してエルゴン星系に行けるため、第二のルートとして有用である。

 

 エル・ファシル星系からアスターテ星系を経由する航路は最も重要度が低い。ドーリア方面航路と競合関係にあるためだ。更に言うと、重要性が低いエル・ファシル方面の十一恒星系の中でもエル・ファシル星系は航路の要所から微妙に外れている。

 

 敵の主力は主要航路のドーリア方面に陣取り、手薄なエル・ファシル方面の敵軍もデリバ・カルデラ星系に集結していて、エル・ファシル星系の守備戦力は艦艇五〇〇~六〇〇隻と地上部隊一個師団程度だろうと思われていた。しかし、実際は二個正規艦隊三万隻と地上部隊一四個師団という大戦力がエル・ファシル星系に集結していた。ロボス大将がエル・ファシル奪還の重要性をアピールしすぎたせいで、帝国軍も勘違いして死守するつもりになってしまったのかもしれない。

 

 帝国軍の意図がどこにあったにせよ、ロボス大将の方針が崩れたのは確かだった。衛星軌道上に陣取る敵艦隊はロボス大将の巧妙な用兵によって分断された後に撃破されたものの残存勢力の一部が惑星エル・ファシルの地上部隊と合流し、二〇万を越える大軍が市街地や山岳地帯に拠って抵抗した。このままではエル・ファシル方面を攻略後にシトレ大将と合流してイゼルローン回廊入り口を確保すると言う当初の予定に支障をきたしかねない。エル・ファシル奪還を最重要課題とアピールしていたからで、封鎖の上で放置して先に進むのは世論が許さないだろう。かくして、惑星エル・ファシルをめぐる戦いは地獄の様相を呈する。

 

 ロボス大将率いる三個艦隊が衛星軌道上から市街地や山岳地帯に地図の書き換えが必要になるだろうと思われるほどに苛烈な砲撃を浴びせ、本国からの増派を受けて八〇万まで増強された地上軍部隊がしらみつぶしに敵陣地を掃討していく。洞穴の一つ一つを焼夷弾で敵兵ごと焼き払い、ビル一つ道路一本を巡って敵味方の死体の山が築かれた。もはや、この惑星に義勇旅団というロマンが介在できる余地はどこにもなかった。

 

 義勇兵は衛星軌道上の揚陸艦の中にずっと留まっていて、決して地上の地獄に放り込まれることがない立場だったが、そのことがかえって彼らの気持ちを沈ませた。自分たちの故郷を取り返すという大義名分のために、まったく関係ない人々同士が凄惨な戦いを繰り広げているという事実は、自分達が戦士ではなくてお客さんにすぎないということを思い知らせるには十分すぎた。

 

 義勇兵は完全にやる気を無くして黙りこんでしまう者と、お客さんであることに耐え切れない者に分かれた。司令部には連日、出戦志願者の嘆願書が届けられた。涙を流して「戦死させてくれ」と俺に直訴してきた者、絶望して自殺未遂を図る者もいた。エル・ファシル義勇旅団の大義は完全に失われていた。

 

 義勇旅団の出番は惑星エル・ファシル攻防戦開始から一ヶ月が過ぎ、組織的抵抗がほぼ潰えた頃にようやくやってくる。砲撃で破壊しつくされたエル・ファシル市内を行進し、半壊した星系政庁庁舎に立て籠る帝国軍司令官に降伏を勧告する。それが最初にしておそらくは最後になるであろう義勇旅団の任務だった。

 

「自由惑星同盟エル・ファシル義勇旅団旅団長エリヤ・フィリップスより、銀河帝国エル・ファシル方面軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将閣下に申し上げます。小官は軍人として貴官の一ヶ月にわたる勇戦に心底より敬意を払うものであります。しかしながら、今や貴官は我が軍の完全なる包囲下にあり、食料も弾薬も尽き果て、これ以上の抗戦は不可能であるのも事実です。貴官と部下の方々には勇者にふさわしい名誉ある待遇を約束します。二時間以内にご返答ください。賢明な判断を期待しております」

 

 義勇旅団五一二〇人と正規軍四六〇〇人が取り囲み、戦車砲や火砲の砲口が一斉に向けられている星系庁舎に向けて、ビロライネン参謀長が作った文面をそのまま帝国語で読み上げる。敵将がどのような選択をしようとも、ここで戦いが終わることは確定している。格好良いけど大勢には何一つ影響しない儀式。おもちゃの兵隊を率いるお人形の司令官が演じる茶番にふさわしい幕引きだ。俺にとってのすべての始まりだったエル・ファシル星系庁舎が舞台というのもあまりにできすぎている。

 

 三年前にここのスクリーンでヤン・ウェンリーの記者会見を見たことを思い出した。あの時の俺はこの夢を見始めたばかりでただただ戸惑うばかりだった。あの時、庁舎にいた人達が義勇旅団の中にいたら、この茶番をどんな気持ちで眺めているんだろう。

 

 そんなことを思っていると、ボロボロになったスクリーンに初老の軍人の顔が映る。おそらく敵の司令官だろう。端整な顔に美しい髭を生やしていて、「老紳士」という言葉を体現するかのような人物だ。この苛烈な地上戦を指揮した闘将とは思えない。庁舎を包囲している義勇軍や正規軍の兵士達も俺と同じような感想を持ったらしく、ささやきの声でざわついている。

 

「銀河帝国エル・ファシル方面軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリングです。敗軍の将にお心遣いいただいたこと、かたじけなく思います。しかしながら小官は皇恩を蒙ること厚く、一命をもって報いる以外の途を知りません。貴官の配慮には感謝しますが、帝国軍人として受け入れることはできないということをお伝えします」

 

 外見にふさわしく、まったく訛りのないきれいな同盟語でカイザーリング中将は拒絶の意を示した。静かではあるが毅然とした態度で降伏を拒絶するカイザーリング中将を見て、強い後悔が心の中に広がっていく。孤立無援で奮戦した彼の最期が俺のせいで茶番になってしまった。エル・ファシル義勇旅団の存在自体が茶番だったけれど、その幕引きがこういう形だったことに苦い思いがする。

 

 惨めな思いでスクリーンを見ていると、カメラが次第に引いていって部屋全体が映しだされた。部屋の壁には皇帝の大きな肖像画が掛かっていて、カイザーリング中将の他に部下とおぼしき軍服姿の人間が一〇人ほど映っている。全員が体の何処かに傷を負っていた。一人はバイオリンを手にしている。

 

「皇帝陛下に敬礼っ!」

 

 カイザーリング中将が張りのある声で叫んで肖像画に向かって敬礼すると、部下も全員それにならう。これほど整然とした敬礼は生まれて初めて見た。この期に及んでもまだ彼らが秩序を保っているということに感動を覚える。

 

「国歌斉唱っ!」

 

 その声を合図にバイオリンを持っていた人物が演奏を始めると荘厳な帝国国歌の旋律が流れ、全員が演奏に合わせて朗々とした声で歌う。帝国国歌は幹部候補生養成所で帝国語の授業を受けた時に聴いたことがあるけど、今聴いている歌はその何倍も美しく感じられた。今、彼らが歌っている歌の歌詞を理解できたというだけで帝国語を勉強した意味があると思える。自分の目に涙が浮かんでくるのがわかる。

 

「ジーク・カイザー!」

 

 敵将の声に唱和して全員が皇帝を讃えた瞬間、スクリーンの中が閃光で満たされて爆音が轟き、政庁庁舎は大爆発とともに炎に包まれた。帝国軍司令官ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将の壮烈な自爆をもって、茶番から始まった惑星エル・ファシル攻防戦は終結したのだ。

 

「総員、勇敢なる敵将に敬礼!」

 

 俺は敬礼のポーズを取ると、政庁庁舎を囲む兵士達は俺にならって敬礼する。なぜそのような命令を出したのかはわからないけど、そうするのが自然であるように思われた。これが俺が義勇旅団長として自分の意思で発した最初で最後の命令だった。



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第二十二話:期待が人を殺す 宇宙暦791年12月下旬 ハイネセン市

 反攻作戦「自由の夜明け」は同盟軍の完勝に終わり、帝国の占領下にあった三五の有人星系と百九三の無人星系は奪還された。イゼルローン回廊に至る通路を確保し、同盟は国境を押し戻すことに成功した。同盟軍史上でも稀に見る一方的大勝利に国民は熱狂し、凱旋したシドニー・シトレ、ラザール・ロボスの両大将は歓呼の声で迎えられた。

 

 義勇旅団も英雄と讃えられ、数々の勲章や表彰を受けた。俺は中尉に昇進し、共和国栄誉章など三つの勲章を授与された。エル・ファシルに投入された地上軍八九万人のうち三万人が死亡するという激戦にあって、まったく血を流さなかった俺が英雄扱いされるのは本当に心苦しい。普段ならメディアの話題を一人でかっさらえるような華々しい武勲を立てた本物の英雄が大勢いたおかげで俺が目立たずに済んだのが救いだ。

 

『総員、勇敢なる敵将に敬礼っ!』

 

 俺の号令を受けて、炎の中に消えていったカイザーリング中将に敬礼する兵士達の映像がソリビジョンで流れている。またか、とうんざりした気分になってチャンネルを変えた。お飾りの俺が司令官らしく振舞っているのを見ると恥ずかしくなってしまう。降伏勧告を読み上げる場面と自爆したカイザーリング中将への敬礼を命じる場面ばかり流れ、中将が皇帝の肖像画に敬礼して帝国国歌を歌う場面、「ジーク・カイザー」と叫ぶ場面などがカットされているのには腹が立った。これではまるで俺が主役で敵将が引き立て役じゃないか。

 

 ソリビジョンのチャンネルを変えようと思ったタイミングで携帯端末からメール着信音が鳴る。見てみると、差出人は妹のアルマ。題名は『今、ソリビジョン見てるよ。お兄ちゃんかっこ良かった』。

 

 ムカついて即座に受信拒否リストにぶち込む。三年ぶりにこのタイミングでこの内容のメールを送ってくるというのがあいつらしい間抜けぶりだ。なにせ、勉強できない俺よりもっと成績が悪かったからな。携帯端末を変えて連絡を絶った俺のアドレスをどうやって知ったのかちょっと気になったけど、兄を「生ごみ」と呼んで消毒スプレーかけるような奴のことなんて考えても時間の無駄だ。すぐに意識の外に追放して他の人達のことを思い出す。

 

 今回の作戦は六個正規艦隊と地上軍八〇個師団を動員した大作戦だけあって、俺と親しい人もたくさん参加した。少佐に昇進していたイレーシュ大尉は第三艦隊所属の駆逐艦艦長として初の指揮官職を経験した。バラット軍曹はエル・ファシル攻防戦に参加して重傷を負ったものの命に別状はなく、名誉戦傷章を授与された。ローゼンリッターに入ったリンツはエル・ファシル攻防戦で帝国軍の装甲擲弾兵連隊長を捕虜にした功績で中尉昇進が内定している。アンドリューはちょっとずつ仕事に慣れてきて、ロボス大将の参謀長ロックウェル中将に初めて褒めてもらえたそうだ。

 

 クリスチアン少佐は重装甲歩兵大隊長としてドーリア方面の諸星系を転戦して武勲を重ね、次の人事では中佐昇進が確実だという。彼のような下士官からの叩き上げのほとんどは少佐以上には昇進できない。中佐以上の階級の軍人に割り当てられるポストの数は、少佐の階級を持つ軍人に割り当てられるポストと比べるとかなり少ないからだ。叩き上げ軍人が少佐と中佐の間にある壁を突破するには、優秀な現場指揮官に留まらない何かを持っていなければならない。クリスチアン少佐が戦場の勇者というだけに留まらない評価を受けているのは言うまでもないだろう。

 

「中佐ともなると、書類仕事やら渉外やらが多くてなぁ。もちろん命じられたらどのような職でも引き受けるが、本音を言うとオフィスは小官の性には合わん」

 

 いつも前向きな少佐が珍しく弱気になっている。昇進したのに落ち込んでいる人なんて初めて見たけど、前線で体を張ってきたことを誇りにしている少佐らしいといえば少佐らしい。

 

「喜んでらっしゃるとばかり思っていたので意外です」

「軍人がみんな昇進を喜ぶと思ったら間違いだ。階級が上がれば上がるほど現場から遠くなる。職務によってはこれまで磨きあげてきた技能がまったく役に立たなくなる。それが嫌で昇進を辞退する者も多いのだぞ」

 

 少佐に言われてみて義勇旅団のことを思い出す。少尉の給与係長から義勇軍大佐の義勇旅団長になったけど、全然嬉しくなかったな。せっかく仲良くなった給与係のみんなと離れ離れになってしまったし、頑張って覚えた給与計算のスキルも役に立たなかった。正規軍での階級は少尉のままだったけど、仮に正規軍大佐に昇進して旅団長になったとしても嬉しくなかっただろう。

 

「そう言われてみると、昇進ってあまり嬉しくないかもですね。分不相応なポストに就いてもみんな迷惑するし」

「昇進したら、自分が新しい階級にふさわしいかどうか悩むのがまともな軍人というものだ。昇進したくて上に媚びるなど言語道断だっ!」

 

 上に媚びたわけじゃないけど、ロボス大将に褒められたのが嬉しくて出来もしない旅団長職を引き受けてしまった自分が情けない。能力不相応な地位は重荷でしかなかった。ビロライネン参謀長の画策で持ち上げられれば持ち上げられるほど恥ずかしくなった。

 

「その点、貴官は立派だ。義勇旅団長に任命されて見事に五〇〇〇人を統率してみせた。まっすぐに背筋を伸ばし、凛とした声で降伏を勧告する貴官には将帥の風格があった。敵将カイザーリング中将も敵ながら見事な最期だった。死にゆく敵将を敬礼で送る貴官に心が震えるほどの感動を覚えた。やはり貴官こそが真の軍人精神の持ち主だ」

 

 クリスチアン少佐は感極まって涙を浮かべている。参謀長ビロライネン大佐の演出のおかげで俺がお飾りだということは世間には知られていない。ブーブリルとともに義勇旅団を率いて勇敢に戦ったことになっている。馬鹿馬鹿しいお芝居が少佐のような純粋な人を感動させているのを見ると、騙しているようで申し訳ない気持ちになる。俺を本当の英雄だと思っている人達の視線を恥じること無く受け止められる日が来るのだろうか。実力に不相応な期待を受けるのが本当に辛い。

 

 

 

 ガウリ軍曹はシトレ大将に随行してヘアメイクを担当していたが、最近ハイネセンに帰還した。コンビを組んでいるカメラマンのルシエンデス曹長は胃腸を壊したために奪還されたばかりのドーリア星系の軍病院で入院している。「パスタばかり食べてるからよ」と軍曹は言っていたけど、だったら俺との食事場所にパスタ専門店を選ぶのはどういうことなのかと思う。

 

「エリヤ君が元気で帰ってきてくれてホッとした。自分が担当した人が亡くなるって辛いもん」

「ありがとうございます」

「シャルディニー中佐が亡くなった時はショックだったよ。エリヤくんに万が一のことがあったら、立ち直れなかったよ」

「カルヴナの英雄でしたっけ?ネットの書き込みが気になって携帯端末にかじりついてた人」

「うん。エル・ファシルで戦死したの。新聞とか見てなかった?」

「忙しいんでなかなか見れませんでした」

 

 シャルディニー中佐という人がカルヴナで何をして英雄になったか知らなかったし、エル・ファシル攻防戦に参加していたことも知らなかった。まったく縁がない人だったから、戦死したところで感慨の抱きようもない。

 

「あと二年で定年だったのに。英雄にならなきゃ良かったのかもね」

 

 あと二年で定年ってことは六〇過ぎてたのか。今年で五〇歳ぐらいのガウリ軍曹が以前担当してたってことは、五〇代で英雄になったわけだ。ネットの書き込みを気にしてたっていうから、てっきり若い人だと思ってた。でも、英雄にならなきゃ良かったってどういうことだろうか。

 

「何かあったんですか?」

「あの人、専科学校出てからずっと地上軍の基地警備隊を転々としていたの。五五歳でやっと少佐に昇進してそのまま六五歳の定年まで勤めるって誰もが思ってたんだけど、カルヴナで活躍して英雄になった時からおかしくなっちゃってさ」

 

 地上軍は宇宙軍と比べると地味だが、その基地警備隊ともなるとさらに地味だ。そんな部署でどうやって英雄と言われるような功績を建てたのかは知らないけど、何十年も地道に勤めてきた人がいきなり脚光を浴びておかしくなってしまうというのは想像しやすい。

 

「空挺連隊の連隊長に抜擢されてから、ストレスで体を悪くしてたみたい。裏方の基地警備隊から花形の空挺部隊を任されてプレッシャーだったんでしょうね。真面目な人だったから。軍医に休養を勧められたけど、無理を言って今回の出兵に参加したの。そして、無理な突撃をして戦死。シャルディニー中佐は周囲の期待に殺されちゃったんでしょうね」

 

 ガウリ軍曹の声の震えから、沈痛な思いが伝わってくる。真面目一筋に生きてきて初老に差し掛かった人が英雄になったおかげで周囲に期待されてプレッシャーに苦しんだあげくに不幸な死を遂げるなんて、どうしようもなくやりきれない。シャルディニー中佐と面識がない俺でさえそう思ったのだから、付き合いがあったガウリ軍曹の無念は想像するに余りある。

 

 数日後、「一人で行く覚悟が無いから付き添ってほしい」というガウリ軍曹と一緒にハイネセン郊外にある故シャルディニー中佐の自宅を訪ねた。俺達を出迎えたのは六〇過ぎの小柄な婦人だった。中佐の未亡人であるこの婦人は俺達の訪問に物凄く恐縮していて、申し訳ない気持ちになってしまう。未亡人の話によると、この家は故人が少佐に昇進した時に購入したものなのだという。士官は転勤が多く、普通は官舎か民間の賃貸住宅に住む。シャルディニー夫婦が家を購入したのは老後の住まいとするためだった。

 

 未亡人は俺達をリビングルームに通すと、分厚いアルバムを持ってきて長い長い思い出話を始めた。ミドルスクールの同級生でプロポーズの時の格好がとてもダサくて笑ってしまったとか、長男を出産した時に立ち会ったら緊張のあまり失神してしまったとか、最年長の孫が難関ジュニアスクールに合格した時にはしゃぎすぎて転んで怪我をしたとか、未亡人の話から伺える故人の人物像はお人好しのおっちょこちょいと言った感じだった。

 

 アルバムの中の故人の写真もいかにも呑気そうなおじさんといった感じで、英雄らしい雰囲気はどこにも無い。整然はまったく知らない人だったけど、こんな人が英雄になったばかりに死んでしまったと思うと悲しくて悲しくてたまらなくなる。隣のガウリ軍曹にハンカチを渡されて、自分が泣いていることに気づいた。俺達が帰る時、未亡人は何度も何度も礼を言っていた。

 

「エリヤくん、一緒に来てくれてありがとうね」

「いい話聞けてよかったですよ。こちらこそ軍曹に感謝です」

「あなたは長生きしてね」

「俺が?」

「うん。死ぬってこういうことだよ。悲しいよ」

「死なないですよ」

「心配になっちゃうんだよ。期待に応えようと努力するところは凄く偉いよ。でもね、頑張りすぎて死んじゃうんじゃないかって心配になる。エリヤくんがみんなに期待されてるところ見てると怖くなるよ」

「でも、期待されないってつまらないですよ」

 

 期待されるのは辛い。英雄なんて呼ばれると息が詰まりそうになる。期待されるにふさわしい力がない自分が情けなくなる。しかし、期待されないのは地獄だ。かつての俺はエル・ファシルでリンチ司令官に従って逃亡したことがきっかけですべての人から見放された。誰も俺に期待しなくなり、頑張っても拒絶されるだけだった。誰にも見てもらえない暗闇の中で俺はゆっくりと腐っていき、酒や麻薬に救いを求めた。

 

 この夢の中では俺に期待してくれる人や頑張りを見てくれる人がいる。暗闇で生きてきた俺が求めてやまなかった光がこの世界には満ちている。ずっと光を浴びていたい、暗闇に戻りたくない。その思いが俺を他人の期待を裏切ることを恐れる人間にしてしまった。お人形であることを期待されても裏切れない。

 

「期待に応えるだけだったら、いつまでも他人の都合に振り回されるだけだよ?やりたいこととかないの?」

 

 やりたいことか。前は故郷で就職して平穏に暮らしたいと思ってたけど、その平穏な生活の中で何をしたいかなんて考えてなかったな。今は与えられた役割を果たすために努力をして、みんなに認められて…。あれ、もしかして…。

 

「どうやら無いみたいです…」

「立派なことじゃなくていいんだよ。毎日おいしいごはん食べたいとか、かわいい女の子と仲良くしたいとか。そういうのでいいの」

「それも…」

「良く考えたら、エリヤくんは欲が薄かったね。強いの食欲ぐらい?たくさん食べれたら味はどうでもいいって感じだから、ある意味薄いか」

「そうっすね。俺、自分のものは何も欲しくないんですよ」

「これから探しな。まだまだ時間あるよ」

 

 ガウリ軍曹に背中をポンと叩かれる。

 

「どうやって探せばいいんでしょうね…」

「エリヤくん、私のこと好き?」

 

 一瞬返答に困るけど、まさかそういう意味ではないだろうと思い直して答える。

 

「好きですよ」

「クリスチアン少佐は?ルシエンデス曹長は?」

「好きです」

「背の高い家庭教師のお姉さんは?熱血体育教師のお兄さんは?」

「好きです」

「絵が上手な陸戦隊の子は?補給基地でかわいがってくれたお姉さん達は?」

「好きです」

「男前のアンドリュー君は?」

「好きです」

「じゃあさ、今言った人達と一緒に何をしたいか考えてみて。一緒にごはん食べるとか、遊びに行くとか」

「ああ、なるほど!」

「今言った人達、都合さえ合えば大抵のことには付き合ってくれるんじゃないかな」

 

 ガウリ軍曹はにっこり微笑む。なんか、凄くワクワクしてきた。みんなの顔を思い浮かべ、一緒に食べたいものや一緒に行きたい場所や一緒にやりたい遊びを考えるのはとてもとても楽しかった。



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第三章:じゃがいもと俺
第三章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 24歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中尉。駆逐艦アイリスⅦ補給長。エル・ファシル脱出作戦に参加。政治的な事情から英雄に祭り上げられて、虚名に翻弄されつつも頑張る。幹部候補生養成所を卒業後、士官に任官。エル・ファシル義勇旅団では形だけの旅団長。小柄で童顔。小心者。卑屈。真面目。努力家。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

エリヤの友人・知人

エーベルト・クリスチアン 40代前半 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 29歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍少佐。士官学校を卒業した参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アンドリュー・フォーク 21歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍中尉。ロボスに心酔する若手参謀。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 20代後半 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

カスパー・リンツ 22歳 男性 原作人物

同盟軍中尉。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

義勇旅団関係者

ラザール・ロボス 54歳 男性 原作人物

同盟軍大将。宇宙艦隊副司令長官。エル・ファシル義勇旅団の仕掛け人。同盟軍屈指の名将。人心掌握にも長ける。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

カーポ・ビロライネン 31歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

マリエット・ブーブリル 33歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エル・ファシル関係者

ヤン・ウェンリー 25歳 男性 原作主人公

同盟軍軍人。真のエル・ファシルの英雄。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。。

 

アーロン・ビューフォート 30代半ば? 男性 原作人物

同盟軍軍人。エル・ファシル脱出作戦に参加。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 48歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 47歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 26歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 19歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第二十三話:じゃがいもと補給長 宇宙暦792年春 第一艦隊所属駆逐艦アイリスⅦ

「抜き打ちで調理室のゴミ箱を漁って回ってるんだよ。そんで、使える食材が見つかったらわざわざ担当者呼び出してお説教するの。将官がすることじゃねえわ」

「第一艦隊も大変そうだな。その点、ロボス閣下は細かいことにこだわらないから…」

「あー、はいはい。ロボス閣下えらいよね」

「ちゃんと聞けよ」

「だって、アンドリューはロボス閣下の話になると長いもん」

「ごめんごめん。でも、あの『切れ者ドーソン』がいる時に補給長だなんて、エリヤもついてないな」

「まったくだよ」

 

 携帯端末の向こうのアンドリューに愚痴を吐き出してすっきりした俺はマフィンに手を伸ばす。今日はこれで五個目だ。イライラしていると甘い物が欲しくなる。

 

 現在の俺は第一艦隊に所属する駆逐艦アイリスⅦの補給長を務めている。艦内の経理、物資管理、給食などの責任者だ。部下は下士官の主任三人と兵一五人。給与係長の時と比べると部下の数は倍以上に増えていて権限もかなり大きくなっているが、ルーチンワークの管理がメインであることには変わりない。補給士官としては一般的かつ地味な仕事で武勲とは無縁だったけど、俺の性にはとても合っていた。業務はすぐ覚えられたし、部下もすぐに懐いてくれた。上司である艦長・副長や同僚である航宙長・砲術長・船務長・機関長もみんな穏やかな年配者で俺のことを可愛がってくれた。

 

 五月にイゼルローン回廊への出撃を控えてる第一艦隊はここ数週間、ずっと宇宙空間での訓練に明け暮れていて補給部門も大忙しだったけど、義勇旅団と比べたら天国のような職場だった。それが一変したのはあのドーソンがうちの艦隊に来てからだ。

 

 第一艦隊後方主任参謀クレメンス・ドーソン准将は今年で四二歳。統合作戦本部から出向してきた業務管理のプロフェッショナルで『切れ者ドーソン』の異名を取っているらしい。本来なら大佐が務める主任参謀を准将のドーソンが務めているのは、後方部門が弱い第一艦隊へのテコ入れなのだそうだが、使えないから飛ばされたんじゃないかと俺は疑っている。

 

 自ら作成した献立表を「将兵の栄養状態改善のため」と称して配布して各艦の給食主任の不評を買ったのを皮切りに、「消費電力を5%減らすための節電法」「虫歯を防ぐ歯の磨き方」といった通達を出しまくっている。しかも、通達が守られているかどうかを確認するために自ら抜き打ち検査するものだから、第一艦隊の補給長達は気の休まる暇がない。最近は「食糧の消費状況を把握する」と言って自ら各艦の調理室のゴミ箱を調べて回っていた。使える食材が出てきたら、補給長と給食主任はたっぷり絞られて始末書を書かされるという。みんなピリピリして、すっかり空気が悪くなってしまった。

 

 俺が読んだ歴史の本ではドーソンは後に元帥・統合作戦本部長まで出世したけど、政治家に媚びる以外能がないと言われていた。第一艦隊後方主任参謀を務めていた時にダストシュートを漁って「じゃがいも数十キロが無駄に捨てられていた」と発表して、「じゃがいも士官」とバカにされたそうだ。将来の元帥の有名な逸話が作られる歴史的瞬間に立ち会っているわけだが、全然うれしくない。

 

 この夢の中では何人もの歴史上の有名人に会っているけど、だいたいは本の中の評価と実際に見た印象が大きく食い違っていた。ロボス大将やアンドリューはその好例だ。しかし、ドーソンに関してはだいたい本の通りである可能性が高そうだ。

 

「エリヤも他人に腹を立てることがあるんだな。安心した」

 

 おかしそうに笑うアンドリュー。どこまでも呑気な奴だ。

 

「そりゃそうだよ。俺をなんだと思ってんだ」

「いやさ、いつも人に遠慮しすぎなんじゃないかって思ってたんだよね。でも、こんだけ怒れたら心配いらないな」

「平穏を妨げられて怒らずにいられるほど心広くねえよ」

 

 本日六個目のマフィンに手を伸ばしかけたところで部屋に据え付けられているTV電話が鳴った。こんな時間になんだろうと思って通話スイッチを押すと、給食主任アルネ・フェーリン軍曹の顔が映る。

 

「補給長、後方主任参謀がお見えになりました。調理室の検査だそうです」

 

 ついに来たか、と思った。まさか、業務時間外の夜八時に来るとは思わなかったけど。

 

「わかった。今から行く」

 

 軍曹に返事した後でアンドリューに検査が来たことを伝えて携帯端末を切る。素早く軍服に着替えて調理室に向かう。調理室の扉を開けると、中にはフェーリン軍曹と作業服姿の男がいた。ヘルメットを目深に被ってロール状に巻かれたビニールシートを抱えているその男は俺を確認すると早足で歩み寄ってくる。身長は俺と同じぐらい。つまり、平均よりやや低い。

 

「責任者のフィリップス中尉だな。小官は後方主任参謀ドーソンだ。これより検査を行う」

 

 初めて直に見たドーソン准将は「一分の隙もない」という印象だった。背筋は「中に棒が入ってるんじゃないか」と錯覚するぐらい真っ直ぐに伸び、口ひげは綺麗に整っていて、作業服はしわ一つなく、靴もピカピカに磨かれている。今の格好は自分でゴミ箱を漁るためなんだろうけど、これから汚れ仕事をするのに身なりをきっちり整えてくるあたりに人となりが伺える。しかし、ドーソン准将以外の司令部の人間が誰も来ていないように見えた。どこかで待機していんだろうか。

 

「お疲れさまです」

「うむ。ご苦労」

 

 俺の敬礼に敬礼で応えると、ドーソン准将は調理室の隅に行ってビニールシートを広げると、その上にゴミ箱の中身をぶちまけ始めた。他の誰かが来る様子はない。まさか、本当に一人で来たのか…?旗艦とアイリスⅦの距離はかなり離れてるから、常識的に考えてシャトルの操縦役ぐらいは連れてきてるはずだけど。

 

「ところで閣下はお一人で来られたのですか?」

「うむ。他の者は勤務時間外だからな」

 

 ドーソン准将は振り向かずにゴミを仕分けしながら答える。司令部から公用でやってきたはずの将官が随員を一人も連れてきていないという事態にびっくりした。この時間に旗艦から一人でシャトル操作してアイリスⅦまでゴミ漁りに来たのか。作業着姿のドーソン准将がビニールシート抱えてシャトル操作してる姿を想像してちょっとおかしくなる。

 

「お手伝いしましょうか?」

「これは小官の仕事だから、貴官が手伝う必要はない」

 

 またも振り向かずに答えるドーソン准将。ビニールシートの上を見ると、仕分けられたゴミが整然と並べられている。無駄に時間かけて自己満足で並べているのかといえばそういうわけでもなく、かなりの早さで手を動かしている。俺が同じ早さで手を動かしたら、ぐちゃぐちゃになってしまうのは間違いない。良くわかんないけど、なんか凄い。

 

 仕分け終えたドーソン准将は最後にじっくりと並べたゴミを見渡してから、大きくゆっくりと頷いて俺の方を向く。

 

「フィリップス中尉」

「はい」

「ゴミの中から使える食材は一つも見当たらなかった」

 

 使える食材をまったく残さずに鼻を明かしてやろうと思っていたけど、ドーソン准将が黙々とゴミを漁る姿を見ているうちにそういう気持ちは失せてしまっていた。クソ真面目にこんなくだらないことをやっている彼に毒気を抜かれてしまったのかもしれない。

 

「貴官は小官の気持ちを良くわかっておる」

 

 わからねえよ。その謎の情熱はどこから来てるんだよ。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ドーソン准将はビニールシートの上のゴミを手際良くゴミ箱に戻し、素早くビニールシートを巻いて抱え、再び俺の方を向いて背筋をまっすぐに伸ばした。

 

「明日も早い。早く寝なさい」

 

 そう言うと、ドーソン准将は俺に敬礼して颯爽と調理室から出て行った。なんなんだ、この人は。まったくわけがわからなかった。

 

 その後もドーソン准将は相変わらずジュニアスクールの生活指導主任のような通達を出しまくり、一人で抜き打ち検査に駆け回っては第一艦隊の補給部門のみんなに迷惑をかけていた。正直言って鬱陶しかったけど、調理室のゴミ箱を漁っていた時の姿を思い出すと妙におかしくて、ドーソン准将本人にはあまり腹が立たなくなった。

 

 

 

 宇宙暦七九二年五月六日。昨年の「自由の夜明け」作戦で奪還した航路を通って、イゼルローン回廊に到達した同盟軍四個艦隊五万一四〇〇隻は帝国軍のイゼルローン要塞駐留艦隊と衝突した。五度目のイゼルローン攻防戦の始まりだった。

 

 同盟と帝国の国境には通行困難な危険宙域が広がっており、わずかにイゼルローン回廊とフェザーン回廊の二航路のみ通行可能だった。フェザーン回廊には中立国フェザーンが存在していて艦隊が通ることは許されていない。現実の歴史では七年後の宇宙暦七九九年に帝国がフェザーン回廊を通って同盟に侵攻するが、現時点で軍事使用できるのはイゼルローン回廊のみである。

 

 そのイゼルローン回廊には帝国軍の巨大要塞が陣取っていて、帝国領への侵入を防ぐ防衛拠点と同盟領に進入する攻撃拠点を兼ねていた。帝国軍は敗北してもイゼルローン要塞に逃げ込んで回廊の確保に務めれば、領土が失われることはない。だが、同盟軍が敗北すれば辺境宙域はたちまち敵の攻撃に晒される。

 

 昨年までは広大な同盟領が敵の占領下にあったが、これとて致命的な大敗の結果というわけではなかった。同盟軍が小規模戦闘で敗北して後退するたびに敵は前進して同盟領を奪取した。それが積もり積もって三五有人星系と一九三無人星系を失い、一億近い避難民を出すに至った。負けたら後がないと言う緊張感が倍近い総兵力を持つ帝国軍と互角に戦えるほどに同盟軍を強くしたが、負けが許されない戦いを強いられ続けるというのはきつい。

 

 現在の同盟軍の総兵力は宇宙軍・地上軍・警備隊を合わせて五〇〇〇万を越えるが、これは一五歳から七四歳までの生産年齢人口一〇〇億の〇.四九パーセント、二〇歳から六四歳までの現役世代人口八七億の〇.五七パーセントに過ぎない。「現役世代が軍隊に徴用されているせいで熟練労働者が不足して社会システムが弱体化している」という反戦派の主張は統計的裏付けがない暴論だ。真の問題は常に防衛戦を強いられている同盟社会が終わりのない戦時体制下に置かれていることにある。

 

 現在は国家の財政支出の五割から六割、GDPの約一割が軍事支出で占められている。「資源活用促進法」「平和協力法」「臨時資金調整法」の三法によって、資源や資金は優先的に軍需部門に配分され、技術研究投資も軍事関連が優先された結果、民需部門の成長は停滞した。民需縮小によって生じた税収減少分を戦時国債で補填することで確保された軍事予算を軍需部門に投入し、民需部門のさらなる停滞を招くという悪循環が同盟経済を蝕んでいる。帝国軍に四六時中備えなければならない現状では戦時体制を解除することもできない。

 

 イゼルローン回廊を確保して帝国軍の侵攻を完全に阻止しなければ、この悪循環を止められない。だから、イゼルローン要塞攻略は同盟の悲願なのだ。

 

 というのがアンドリューが研究論文のコピー、統計資料、参考図書リストなどを示しながら教えてくれたイゼルローン要塞攻略の意義。歴史の本に書かれていた「同盟の国是である帝国打倒を成し遂げるために、侵攻路となるイゼルローン回廊を確保する必要があった」という説明よりずっと説得力がある。歴史では主戦派はイデオロギーに固執するあまり戦いを続けて社会の弱体化に向き合おうとしなかった人々で、反戦派は戦いをやめて社会を守ろうとした現実的な人々だとされている。しかし、主戦派も彼らなりの方法で社会の弱体化に向き合おうとしていたのだ。

 

 俺が知る歴史では今回のイゼルローン攻防戦も同盟軍の敗北に終わることになっている。しかし、実際に自分の目でいろんな物を見た印象と本に書かれていることがこれだけ食い違っていると、この世界は歴史と違った展開になるんじゃないかと思えてくる。

 

 そもそも、今の俺は第一艦隊に所属する数千隻の駆逐艦のうちの一隻の補給長でしかない。仮にこの世界が完全に歴史通りに展開したとしても、俺の力ではどうしようもない。与えられた職務に全力を尽くしつつ、アイリスⅦが安全でいてくれることを願うばかりだ。欲を言えば味方に勝って欲しいけど、それは提督や幕僚に任せるしかない。俺がヤン・ウェンリーや獅子帝ラインハルトの部下だったら勝利を信じて疑わずにいられるんだろうけど。

 

「補給長!」

 

 事務室のデスクでぼんやり考え事をしていた俺を現実に引き戻したのは、補給主任ランブラキス曹長の声だった。彼女は食料以外すべての補給物資を管理している。

 

「ああ、ごめん。戦闘要員の着替えの用意は済んだ?」

「はい。戦闘服、下着、靴下。すべて用意完了しました」

「ビーム用エネルギーパックのスペアの引き渡しは?」

「完了しています」

「タンクベッドは?」

「完了しました」

「ご苦労様」

 

 ランブラキス曹長が退出すると、入れ替わるように給食主任のフェーリン軍曹が俺のデスクの前に立つ。

 

「戦闘配食の用意完了しました」

「ご苦労様。もうすぐ戦闘開始だ。持ち場に着くように」

「了解しました」

 

 フェーリン軍曹が俺に背を向けた瞬間、けたたましく警報が鳴り響き、戦闘開始を伝える艦内放送が流れた。

 

「本艦は現時刻をもって戦闘状態に突入した!総員戦闘配置に就け!」

 

 艦長のいつになく緊迫した声に身が引き締まる。六四年前にリンチ提督とともにエル・ファシルから逃亡して帝国軍の追撃を受けたのが俺の唯一にして最後の実戦経験だ。今回が事実上初めての実戦といえる。四年かけて一等兵から中尉に昇進したのに一度も実戦を経験していなかったというのがいかにも俺らしい。

 

「始まったね」

 

 脇の机で端末を操作している経理主任シャハルハニ軍曹に声をかけた後、手元の端末を操作して業務管理プログラムを戦闘バージョンに切り替える。

 

 この端末では艦内の各部署の物資の充足状況と倉庫の備蓄状況をリアルタイムで把握し、必要に応じて担当者に補充指示を出すことができる。端末を使って経理主任の補佐を受けながら、アイリスⅦの後方支援を指揮する。砲塔にエネルギーパックを送り、機関や電測に整備部品を送り、食事や着替えを十分に用意し、休息用のタンクベッドを確保する。それが俺の戦いだ。初めてのまともな実戦に軽い興奮を覚えながら、補給長の戦場である端末の画面に意識を集中した。



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第二十四話:端末と紙で戦う補給長の戦場 宇宙暦792年5月~初夏 イゼルローン回廊及びハイネセン市、第一艦隊基地

 宇宙暦七九二年五月六日午前六時四五分。同盟軍宇宙艦隊五一四〇〇隻と帝国軍イゼルローン要塞駐留艦隊一三〇〇〇隻は戦闘状態に突入した。要塞を背に布陣する敵に対し、味方は横一列に並んで四倍近い数で敵を押し潰そうとしているように見える。

 

 用兵素人の俺には難しいことは良くわからないが、敵艦がビームを放ったらたちまちその何倍ものビームを叩きつけられて爆散するのを見ると、味方が圧倒的有利なのは間違いない。俺が乗っているアイリスⅦも格好良く言えば味方と連携して、意地悪な言い方をすれば味方の尻馬に乗って二隻の敵艦を撃沈していた。砲塔や操艦を担当する人達は今頃大忙しだろう。補給担当の俺は戦闘が長引かないと出番がない。しばらくは高見の見物だ。

 

 八時五〇分。二時間にわたって四倍の同盟軍の攻勢を防いだ帝国軍は後退を開始した。要塞主砲トゥールハンマーの射程に引きずり込むつもりなのだろう。過去四回のイゼルローン要塞攻防戦で帝国軍が用いた戦術だ。シトレ大将もそれを察知したのか、全軍に後退を命じる。俺にだってわかることなんだから、シトレ大将がわかってるのは当然だろう。歴史の本ではこの後で突入して要塞にイゼルローン要塞に肉薄するはずなんだけど、今のところはそういうそぶりはない。砲撃でこちらを牽制しつつ陣形を保ってゆっくり後退していた帝国軍が一斉に方向転換を始める。

 

 これで今の戦闘は終わったのかな。戦闘が中断されている時間が補給部門の出番だ。各部署からの物資補充要請を受け付けたり、戦闘に参加した人達に食事や着替えを配ったりしなければならない。ほっぺたを手でピシっと叩いて気合いを入れた瞬間、急にスクリーンの画面が切り替わってシトレ大将が映った。

 

「全艦、全速前進!敵の尻尾に食らいつけ!」

 

 シトレ大将の叱咤が轟いた瞬間、後退していたアイリスⅦは急速前進を開始した。艦が大きく揺れる。再び宇宙空間に切り替わったスクリーンを見ると、すべての味方艦が敵めがけて全速で突進している。呆気にとられていると、味方はあっという間に敵に追いついて突入した。五万隻の総突撃に思わず息を飲んでしまう。

 

 同盟軍は敵ともつれ合いながらも要塞方向へとグイグイ押し込んでいく。要塞外壁に据え付けられた砲塔や銃座が一斉に対空砲火を放ち、同盟軍の前進を阻止しようとする。味方の攻撃飛行隊のスパルタニアンと敵の要塞航空隊のワルキューレが要塞上空でドッグファイトを展開している。敵味方入り乱れた混戦状態のため、要塞主砲トゥールハンマーは使用できない。歴史の本に書かれていた通りの光景が目の前で展開されていた。手に汗握る熱戦、一進一退の攻防だ。この後も本に書いてた通りに展開するとしたら、無人艦の突撃で錯乱した要塞守備隊がトゥールハンマーを発射して駐留艦隊ごと同盟軍を吹き飛ばすことになる。でも、これほど激しい戦いがあらかじめ決められたかのような決着を迎えるとも思えない。

 

 敵の要塞駐留艦隊、対空砲火、要塞航空隊と味方の艦隊、攻撃飛行隊が入り乱れる混戦をかいくぐるように数隻の味方艦が要塞に突進して行く。どれも駆逐艦や巡航艦で強襲揚陸艦は含まれていない。要塞内部に陸戦隊を突入させる目的で無いのは明らかだ。まさか…。

 

 味方艦はまったく速度を緩めずに要塞に突っ込んで衝突する。大爆発が起き、要塞は衝撃で激しく揺れた。間髪を入れず第二陣、第三陣が要塞に突っ込んでいき、衝突するたびに外壁が爆発した。本に書いてあった通り、シトレ大将は無人艦を特攻させたのだ。閃光に包まれて激しく揺れる要塞は陥落寸前であるように見える。このままいけば、トゥールハンマーを発射される前に決着が着くんじゃないか。いや、それ以前に敵の指揮官がトゥールハンマーを発射できるとも限らない。このまま勝ってほしいと願う。第一、トゥールハンマーを撃たれたらアイリスⅦも無事ではいられない。

 

「補給長、あれを見てください!」

 

 隣のデスクからスクリーンを眺めていた経理主任シャハルハニ軍曹が叫ぶ。イゼルローン要塞の外壁に白い輝きが生じ、どんどん大きくなっていく。嘘だろ、おい。ここまで忠実に歴史をトレースするなよ。一気に血の気が引いていくのがわかる。

 

「きました!」

 

 シャハルハニ軍曹が悲鳴をあげる。要塞主砲トゥールハンマーから放たれた巨大な光の柱は混戦を演じていた両軍を貫き、多数の艦艇を一瞬にして消滅させた。すさまじい衝撃波を受けてアイリスⅦが大きく揺れる。

 

 再び要塞の外壁に白い輝きが生じる。第二射がくる。シャハルハニ軍曹はデスクの下に隠れているが、俺は身動きを取れずに固まっている。二射目のトゥールハンマーは第一射より大きな揺れをアイリスⅦにもたらした。艦内の照明が暗くなり、大きな警報音の後に複数の区画の破損を伝える放送が流れ、廊下から慌ただしく駆けていく複数の足音が聞こえる。今の衝撃波で艦体が損傷したようだ。この様子だと死者が出たかもしれない。顔なじみの乗員の顔をいくつか思い浮かべて無事を祈る。

 

 デスクの上の端末の画面を見ると、艦体や電子機器の修理部品の請求が多数来ていた。端末に向かって緊急度が高い部署に承諾の返事を送った後、倉庫にいる補給主任ランブラキス曹長に補充指示を出す。打ちのめされてる場合じゃない。俺は俺の戦いをしなければ。席に着いた俺はキーボードを叩き始めた。

 

 

 

 五月七日。第五次イゼルローン要塞攻防戦は自由惑星同盟軍の撤退をもって終結した。戦死者と行方不明者の合計は約五〇万人。過去四度の攻防戦と比較すると遥かに損害は少なく、イゼルローン要塞を陥落寸前まで追い詰めたこともあって、シトレ大将は敗将であるにもかかわらず凱旋将軍のような扱いを受けた。年内の元帥昇進も取り沙汰されている。

 

 一方、アイリスⅦは乗員九三人中二人が死亡、一五人が重傷を負った。後になって知ったことだが、アイリスⅦの所属する第一艦隊の第三分艦隊はトゥールハンマーで半数近い艦艇を失っており、生還できたのはかなりの幸運だったようだ。しかし、生き残ったからといって喜んでばかりはいられない。

 

 各部署の責任者は戦闘中の記録及び部下の勤怠評価に所見を付して提出することが義務付けられている。死傷者、機材の破損状況、需品の消耗状況に関しても報告しなければならない。これらの文書が艦、隊、戦隊、分艦隊、艦隊と各単位ごとに集約され、最終的には統合作戦本部と国防委員会のもとに集められて作戦や人事配置などを検討する材料となる。公式に発表される死傷者数や破損艦艇数もこれらの報告類がもととなっていた。宇宙空間で敵艦と戦っていた軍人達は、今度は机上で書類相手の戦いに赴かねばならない。

 

 現実の人生とこの世界で暮らした人生を合わせれば八四年になるが、その間に作った文書を全部合わせても、ハイネセンに帰還してからの一ヶ月で作った文書の数には及ばないんじゃないかと思えた。一度戦いが起きると、こんなにたくさんの文書が必要になるのかと驚かされた。戦闘状況や部署の状態を伝える報告書の他に、上級司令部が独自に指定したテーマに関するレポートも書かなければならなかった。まるで学校の宿題みたいだな、とため息が出てしまう。そして、学校においては宿題をたくさん出す教師が一番鬱陶しい。

 

 戦隊司令部、分艦隊司令部、艦隊司令部のそれぞれがテーマを指定してレポートを書くように求めてきたけど、艦隊司令部が指定してきたテーマは格段に多かった。「タンクベッドの適切な設定温度。二五度と二六度の違い」「マーマイトの残食についてどう思うか」「七七.三キロのジャガイモが投棄されていた問題について」などという無駄に細かいテーマばかり指定してくる。こんなテーマで補給責任者に報告書を書かせようとする人間はこの世に一人しかいない。そう、「切れ者ドーソン」こと後方主任参謀クレメンス・ドーソン准将閣下だ。彼のことは鬱陶しいと思うけど、嫌いにはなりきれない。それでもこんなくだらないレポートを書かされるとげんなりしてしまう。

 

 アイリスⅦが所属している第三分艦隊第一七戦隊の第五五九駆逐隊には三〇隻の駆逐艦が所属していたけど、イゼルローン要塞攻防戦で一二隻を失った。損失分の補充の目処は立っておらず、今日の駆逐隊補給長会議も空席が目立っていて寂しい限りだ。これといった議題もなかったため、議長のスローン大尉はさっさと会議終了を宣言した。会議が始まる際に配られたお茶が冷めないほどの早業である。その後、いつものように茶飲み話が始まった。むしろ、こちらの茶飲み話がメインと言っていいだろう。

 

 駆逐艦の補給長はほとんどが下士官からの叩き上げで平均年齢も高い。その中でも第五五駆逐隊の補給長は特に平均年齢が高く、過半数が五〇代でそれ以外はほぼ四〇代後半、三〇代が一人、二〇代は俺だけという有様だ。今日の茶飲み話でもドーソン准将の出した宿題が話題になったが、年寄りが多いだけあって実にのんびりとしたものだった。

 

「まったく。後方主任参謀殿も仕事熱心なものだね」

 

 タバコ片手に他人事のように言うのは来年で定年を迎えるスローン大尉。三九年間補給一筋に生きてきたベテランだ。

 

「ああいう方が上にいる時に要望書出すとすぐ通るんですよ。現場のことを熱心に知ろうとなさってますからな」

 

 髪も髭も真っ白でガリガリに痩せていて、鶴を思わせる風貌のチャイ中尉はドーソン准将の仕事熱心ぶりを褒める。先ほど懐から取り出した小瓶から紅茶が入った手元のカップに琥珀色の液体を注いでいたような気がしたけど、気のせいだろう。

 

「現場のことを知ろうとしすぎるのも考えものじゃないですか?窮屈でたまらないですよ」

 

 ドーソン准将のレポートに苦労させられてる俺としては、愚痴の一つも言いたくなってしまう。

 

「フィリップス中尉はいちいち真面目に対応するからいけないんです。『上に政策あれば下に対策あり』と昔の人は言っています。上の言うことを適当に聞き流すのも必要です。我々に求められているのは権限の範囲内で最善を尽くすことであって、上の顔色を見ることじゃあありません。あっちが知りたがっているなら、こっちは教えたいことを教えてやるぐらいに思っていればいいんです」

 

 年齢は俺の二.五倍近くて軍歴は一〇倍近いチャイ中尉の言葉には、内容の是非を超えた部分で説得力を感じてしまう。だけど、俺が彼のような老獪さを身につけるには七回ぐらい生まれ変わる必要がありそうだ。

 

「まあ、若いうちはああいうのに腹が立つのも仕方ない。私も三〇年前はそうだった。上司が馬鹿に見えて仕方なくて、ガンガンやり合ったもんだ。反発しながら上との付き合い方を覚えていくのもいいと思うよ。全力で殴り合わないと見えないものもあるからね」

 

 俺を見つめるスローン大尉は孫を見るかのような優しい視線を俺に向ける。年齢では俺の父より十歳年長な程度で親子でも十分に通用する年齢差で、現実では俺の方が二〇年以上長く生きているのだけど、風格では祖父と孫と言って良いぐらいの差がある。こういう人に諭されるのも悪い気分ではない。

 

「全力で殴り合うなんて小官にはとても…」

「ドーソン准将のレポート、全部真面目に書いて提出したじゃないか。最近は良くやり合ってるみたいだし」

「やり合ってなんかいませんよ。いびられてるんですよ」

 

 ドーソン准将のレポートを馬鹿馬鹿しいと思いつつもきっちり調べて意見も書いて提出したら、直々の呼び出しを受けてびっしりと赤ペンで修正やコメントが書き込まれて突き返された、全件再提出を命じられた。一週間かけて書き直して再提出したら、また赤ペンでびっしり修正やコメントが書き込まれて突き返された。五日かけて書きなおして再提出すると、また赤ペンの書き込みで埋め尽くされて突き返された。ドーソン准将のような業務管理のベテランから見れば、若くて経験が足りない俺が書いたレポートの内容なんて間違いだらけでイライラするのかもしれない。だけど、ここまでしつこく突き返され続けると悪意を感じてしまう。俺のことが嫌いなんだろうか。

 

「ドーソン准将はエリートに嫌われるタイプですから、フィリップス中尉とうまくいかないのも無理もないかもしれませんね」

 

 いつの間にか懐から取り出した小瓶から直接琥珀色の液体を飲んでいるチャイ中尉。俺の他に一四人の補給長がこの部屋にいるけど、誰一人として「勤務時間中なのにいいのか」という突っ込みはしない。できるわけがない。さらに言うと琥珀色の液体にびっくりしてとっさに突っ込めなかったけど、発言の内容もなかなかに衝撃的だ。ドーソン准将はむしろエリート的なんじゃないのか?だから、エリートとはかけ離れた気質のヤンやアッテンボローとはうまくいななかったんじゃ。

 

「どういうことでしょうか?」

「ドーソン准将は若くて頭が良い人の反骨心を掻き立てるタイプなんですよ。だから、士官学校を出たエリートさんとは喧嘩になる。しかし、小官のような現場組は上にも下にも良い顔をして楽することばかり考えてるから、どうってことないんですな」

 

 俺は若いけど頭は良くないし、大して真面目でも無いぞ。士官学校出てないからエリートでもない。でも、楽をしようとも、上にも下にも良い顔しようとも思ってなかった。真面目に仕事に取り組んだら、全部丸く収まると思ってた。ドーソン准将のような人はそれを丸く収めてくれないから困るんだ。

 

「いや、でも現場に顔出されると鬱陶しくありません?」

「ああいう方は現場に顔を出さない人らと違ってこちらの事情に興味を持ってるから、ごまかし方心得てたら付き合いやすいんですよ。取り巻きを大勢連れ歩いてるわけでもありませんしね」

 

 ドーソン准将に反発したつもりはなかったんだけど、補給長たちから「やり合ってる」って見えてるってことは無意識のうちに反発してたんだろうか。ドーソン准将もそれを悟って腹を立てているのかもしれない。補給長達のように「ドーソン准将は付き合いやすい」と言い放てる老獪さを身に付けられるようになるまで、何年かかるんだろうか。真面目に仕事に取り組んで、上司や部下や同僚と仲良くやるだけでは限界があるようだ。軍人の仕事は本当に奥が深いと思った。



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第二十五話:カルトッフェルの休日 宇宙暦792年7月 ハイネセン市 射撃場及びじゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル」

 ハイネセンに帰還して二ヶ月ほど過ぎた休みの日。俺とイレーシュ少佐は軍が経営している射撃場でスコアを競っていた。最近、射撃の腕が上がってきたような気がした俺は他人に見せたくなり、射撃の名手であるイレーシュ少佐を誘ったのだ。第七方面管区司令部で生まれて初めてハンドガン射撃をした時、俺は的にかすりもしなかったのに彼女は真ん中辺りにビシバシ当てていた。今なら人に見せられる程度にはうまくなってるから、撃ってるところを見てもらってアドバイスでも貰おうと思っていた。

 

「また俺の勝ちですね」

「ハンドガンで五連敗、ライフルで四連敗。悔しいなあ。君相手にこんな敗北感味わされるなんて思わなかったよ」

 

 イレーシュ少佐は幅の広い肩をがっくりと落として大きくため息をついた。一八〇センチを越えるスラリとした長身に彫刻のような美貌を持つ彼女であるが、クールそうな印象に反して感情表現はかなりストレートである。

 

「まだやります?」

「いや、いいよ。何度やっても君には勝てなさそうだ」

 

 無念そうに首を振る彼女を見て、こんな顔もするんだなあと新鮮な気持ちになり、口元が緩んでしまう。

 

「ニヤニヤしないでよ。ムカつくね」

「あ、すいません」

 

 調子に乗りすぎたかと思って慌てて謝る。最近の俺は人と会った後に「はしゃぎすぎたかな」と不安になることが多い。理由はわからないけど、前と比べてだいぶ生意気になっているように感じる。

 

「なんかさあ、前よりかなりガキっぽくなってない?」

「あ、いや、もしかしたら、そうかも…」

「前の君だったら、『最近、射撃がちょっとうまくなった』なんて理由で人を誘ったりなんかしなかったよね」

「まあ、確かに…」

「『ちょっとはうまくなってきたから、見てください』なんて殊勝なこと言って呼び出しといて、一方的に叩きのめすとか。ずいぶん洒落た真似ができるようになったね」

「いや、まさか、ここまでだなんて…」

「私がここまで下手だったなんて思わなかったってこと?」

「そうじゃなくて…」

 

 ヤバい、言えば言うほどドツボにはまっていく。叩きのめすつもりなんて無かったんだ。五回やって一回ぐらい競り合って、「うまくなったね」って褒めてもらえたらいいなって思ってた。圧勝するなんて予想してなかった。でも、「自分がこんなにうまくなってるとは思わなかった」なんて言ったら嫌味すぎる。どうしよう。頭を抱えていると、彼女は目を細めて優しく微笑む。

 

「今の方がずっといいよ。ガキっぽくてかわいいよね」

「勘弁して下さい。これでも結構気にしてるんですから。ただでさえ子供っぽい顔なのに内面まで子供になったらたまんないですよ」

「褒めてるんだよ。前の君は他人の言うことを素直に聞きすぎてた。素直なのはいいことだけど、素直すぎるのは怖いね。嬉しい時は笑って、悔しい時は悔しがって、頭にきたらちゃんと怒る。それができなきゃガキ以前。君は成長したんだよ。やっとガキになった」

「本当に褒めてるんですか…?」

「うん。人間って赤ん坊からいきなりおじいさんにはなれないでしょう?」

「ええ、まあ…」

「赤ん坊から子供になって、子供から少年になって、少年から青年になって…。そうやって一つ一つ成長していくの。君もそうやって一歩一歩大人に近づけばいいんだよ」

 

 子供になったのも成長なのか…。すごく微妙だけど、スローン大尉やチャイ中尉みたいな大人になった自分は想像できないから、子供になれただけでも喜んでいいのかな。

 

「腕の見せびらかし方だけは立派な大人だけど」

 

 マジで怒ってる。そんなつもりがなかったんです。お願いだから許してください。

 

 

 

 一時間後。射撃場から歩いて一〇分の距離にあるじゃがいも料理専門店「バロン・カルトッフェル(じゃがいも男爵)」。俺の前に置かれた大皿にはりんごのジャムがたっぷりかかった分厚いカルトッフェルクーヘン(じゃがいものクーヘン)が何枚も積まれている。

 

「いや、もうホントごめんね。まさかあそこで泣いちゃうとは思わなかったんだよ」

 

 イレーシュ少佐は両手を合わせて拝むように謝っている。二枚目のカルトッフェルクーヘンが皿に積まれた時点でもう怒りは解けてたんだけど、必死で謝る彼女がものすごくおかしくてむくれてみせてたら、いつの間にか五枚積まれていた。粘ったらもっと増えそうだけど、これ以上増やしても仕方がない。カットフェルトルテ(じゃがいものトルテ)、じゃがいものアイスクリームなども食べたい。もういいだろう。

 

「わかってくれたらいいんです」

 

 にっこり笑ってみせると、イレーシュ少佐の顔がパッと明るくなった。年齢も貫禄もずっと上の人に対して失礼な感想だけど、こういうところがすごくかわいいと思う。

 

「それにしても、四年前は銃の持ち方も知らなかった子がこんなに上達するなんてねえ。信じられないよ」

「少佐の『君は努力すれば大抵のことは人並み以上にできます』という言葉を励みに頑張ったんです」

「覚えててくれたんだ」

「忘れるわけないでしょ。あの日に少佐から頂いた言葉、今でも全部そらで言えますよ」

「泣かせること言わないでよ。ホント、君ってかわいいなあ」

 

 やめてください。誰にも遠慮せずに好きなように笑ったり怒ったりできて、時には意地悪も言える。かわいいなんて言葉を恥ずかしげもなく口に出せてしまう。そんなあなたの方がずっとかわいいじゃないですか。俺には言えないですよ。

 

「あ、いや、でも。ここ一年近くストレス溜まってたから、トレーニングで解消してたんですよ。射撃だけじゃなくて、ナイフも戦斧も徒手格闘も前よりはちょっとはできるようになりました」

「君のちょっとって、まともに銃を構えられなかった人がめちゃくちゃちっこい的に全弾命中させちゃう腕になる程度のちょっとだよね」

「いや、もう本当にちょっとなんですよ」

 

 あわてて話題を変えようとした俺だったが、変な方向に飛び火してしまったようだ。まいったなあ。面と向かって褒められるの苦手なんだよ。恥ずかしくなる。

 

「義勇旅団の司令官をやった後、イゼルローン攻防戦に参加したんだから、そりゃストレス溜まるわ」

「最近はじゃがいも参謀のおかげで本当にトレーニングがはかどりますよ」

「ああ、ドーソン准将かあ。最近、国防委員会に『食べられるじゃがいもが調理室のゴミ箱に七七キロも捨てられていた』なんて内容の分厚いレポート提出したんだってね。読まされる人がかわいそうになるよ」

「レポートを書くためのデータ取りに使われた俺ら第一艦隊の人間だってかわいそうです」

「でも、じゃがいも参謀ってうまいこと言ったもんだね」

「でしょ?」

 

 ドーソン准将に何度もレポートを突き返された俺だったが、一番苦労したのはじゃがいも投棄問題に関するレポートだった。他のレポートが受理されても、このレポートだけは何度も突き返された。補給長会議でその話題をふられた時に「じゃがいも参謀殿」と呼んだらスローン大尉を始めとするベテラン達に大受けして、今ではアイリスⅦが所属する第三分艦隊全体に広まっている。第一艦隊全体に広まるのも時間の問題だろう。現実のドーソン准将のあだ名「じゃがいも士官」のパクリなんだけどね。

 

「ああいう細かい人に目をつけられると後が大変だよ。ささいな恨みも忘れないから。戦艦の艦長してた時に士官学校の同期で自分より席次が一つだけ上だった人が副長として配属されてくると、徹底的にいびったんだって」

「その話、もう少し早く知りたかったです」

「ドーソン准将が君みたいな生意気の正反対の子をどうしていじめるのかわかんないけど、英雄として目立ってるのが気に入らなかったのかな」

「英雄なんて全然ありがたいもんじゃないですよ」

「エル・ファシル攻防戦、ひどかったからねえ。あんな戦場で民間人ばかりの義勇旅団が良く生き残れたよね」

「いや、まあ大変でした」

 

 大変だったのは確かだ。イリーシュ少佐が思っているのとはまったく違う意味で。彼女は軍の公式発表通りに俺達があの激戦を戦い抜いて苦労したと思い込んでるが、実際はあの激戦が終わるまでまったく出番がなかったことによるモラルの崩壊が一番の問題だったのだ。真相を言ったところで誰も得をしないから黙ってるけど。

 

「地獄のエル・ファシルから戻ってきたら、今度は配属された第一艦隊がイゼルローンでトゥールハンマーの直撃食らう。生還したらドーソン准将に目を付けられる。ホント、ついてないね」

 

 端から見ると、俺って危ない橋をたくさん渡ってるのか。エル・ファシルでは苦労してないし、イゼルローンでも見ているだけで終わっちゃったから危ない目にあったって自覚はあんまりない。デスクワーカーの俺にとっては、ドーソン准将のことを抜きにしてもハイネセンに戻ってからが一番大変だった。

 

「レポート全部出しちゃったから、じゃがいも参謀とも縁が切れました。しばらく出征は無いだろうし、のんびりやりますよ」

「ドーソン准将も少将に昇進するって噂だから、第一艦隊からは出て行くんじゃない?次にあの人が行く部署はご愁傷さまだけど。細かいことは現場に任せて全体を見渡すのが司令部の仕事だから、司令部と現場の違いがわからない上司に来られると迷惑なの」

 

 イレーシュ少佐は今は駆逐艦の艦長をしているけど、もともとは士官学校の経理研究科で後方参謀教育を受けたエリートだ。艦長の職は腰掛け程度でいずれはまたどこかの司令部の参謀になるだろう。全体を見渡す参謀的な思考をする人から見ると、参謀のくせに現場にばかり目が向いているドーソン准将は鬱陶しいということだろうか。チャイ中尉が言っていた通り、「若くて頭が良い人の反骨心を掻き立てる」「士官学校を出たエリートさんとは喧嘩になる」んだな。俺とうまくいかない理由が良くわからないけど。

 

「少佐は参謀畑だから他人事じゃないんでしょうね。俺は現場畑だから関係ないですけど」

「君だって参謀になるかもよ?」

「まさか。士官学校出てないし」

「アレクサンドル・ビュコック中将って知ってる?第五艦隊司令官」

「ええ、まあ」

 

 アレクサンドル・ビュコック提督を知らない旧同盟人などいるはずもない。現実では最後の同盟軍宇宙艦隊司令長官として、獅子帝ラインハルト自ら率いる大軍相手に奮戦して、旗艦ブリュンヒルドに肉薄したものの力尽きた悲運の名将だった。獅子帝が戦場で斃した敵将は数知れないが、全軍に敬礼を命じて敬意を表したのはビュコック提督ただ一人であった。ヤン・ウェンリーを除けば最も獅子帝を苦しめた同盟軍提督であり、その壮烈な最期と相まって同盟滅亡後も長く語り継がれた。こんなところで伝説の英雄の名前が出てくることに驚きを感じるが、良く考えたら現時点のビュコック提督はまだ伝説の存在ではない。

 

「あの人って志願兵から砲術畑一筋にコツコツ頑張って五〇半ばで大佐になった人なの。叩き上げで大佐まで行く人って滅多にいないからそれだけでも凄いことなんだけど、能力を認められて艦隊運用担当参謀に起用されて将官の道が開けたの。六〇歳で准将になって今年の春に六六歳で中将に昇進したから、将官になってからは士官学校卒のエリート並みの昇進速度ね。五〇過ぎまで現場一筋だった人が途中でエリートコースに乗ることもあるってこと。だから、君が参謀になることも可能性としては有り得るんだよ。今の君の昇進速度は士官学校卒業者と殆ど変わらないし」

 

 伝説の英雄を俺を比べられてもなあ。そんなの例外中の例外じゃないのか。

 

「よほど凄い武勲立てたんじゃないんですか?」

「砲術士官って軍艦の砲塔の指揮官だよ?砲術長になっても、せいぜい一つの軍艦の砲塔全体の責任者。補給長の君とおんなじで武勲なんて立てようがないよ。砲術長から出世したら艦長になれるけど、それでも艦隊の中では一万数千分の一だね。そういう立場で武勲なんてそうそう立てられないよ。幕僚にならなくても武勲を立てられるのって陸戦隊と空戦隊ぐらいかな。艦艇乗りや後方部門で叩き上げて将官になった人はみんな参謀やって、大部隊を動かす能力を示してからコースに乗ってるね。階級は武勲に対して与えられるって勘違いしてる人多いけど、本当は能力に対して与えられるものだからね。将官にふさわしい能力がない人を昇進させて部隊が全滅したら元も子もないでしょ?」

 

 どんなに現場で優秀でもせいぜい軍艦1つぐらいしか動かせない。大佐なら軍艦数十隻の群を指揮する可能性はあるけど、それだって数千隻を動かす分艦隊や一万隻以上を動かす艦隊の幕僚とは比較にならない。だから、現場でどんなに優秀でも参謀を経験して大部隊を動かす能力を示さないと将官になれないわけか。参謀になって、アンドリューやビロライネン大佐みたいなスーパーエリートに引けをとらない活躍ができる叩き上げなんて、ビュコック提督みたいな超人ぐらいだろう。

 俺には無縁だってことがはっきりとわかった。最初からわかってたけど。スローン大尉やチャイ中尉のような補給の古強者でも尉官どまりだもんな。

 

「そんなもんなんですね。勉強になります」

「今さら言っても仕方ないけど、君はやはり士官学校出ておくべきだったと思うよ」

「どうしてです?」

「だって、今の君と同格の士官ってみんな年上でしょ?現場だと二〇代後半だってあまりいないよね」

「そうですね」

「士官学校出て参謀になったら、同格の士官はみんな同年代だよ。職場に同年代の友達がいないとしんどいね。喜びも苦しみも分かち合えるのって年が近い仲間だけだからさ。士官学校の同期の絆が強いのも同じような立場で同じような苦労してるからだよ」

 

 言われてみると、俺の同年代の友達ってアンドリューぐらいだな。でも、あいつは幕僚だから現場の俺と同じような苦労を分かち合えるわけじゃない。クリスチアン中佐も俺に同年代の友達がいないことを心配してた。尊敬する二人から同じ心配をそれぞれの視点でされるってことは、今の俺の人間関係がよほどまずいってことなのかな。

 

「出てないものは今さら仕方ないですよ。そもそも、ミドルスクールやハイスクール行ってた頃も同級生の友達少なかったし。同年代の友達がいないのは慣れてます」

「慣れないでほしいよ。君が幕僚になったらっていうのもまあ、同年代の子と仲良くしてほしいっていう私の願望なんだけど」

 

 今の俺には同年代の友達はアンドリューぐらいしかいない。だけど、同年代の友達が少なくても、イレーシュ少佐やクリスチアン中佐のようにそれを心配してくれる人がいる俺の人間関係はそんなに悪くないんじゃないかと思う。でも、彼女らが心配するってことは俺にはわからない問題があるんだろう。心配をかけずに済む日は来るのかな。参謀になるような能力がない自分が申し訳なく感じる。



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第二十六話:じゃがいも鑑定法 宇宙暦792年冬 ハイネセン市、第一艦隊司令部

 じゃがいも参謀ことクレメンス・ドーソン准将はかねてからの噂通り、少将に昇進して第一艦隊後方主任参謀の職を離れた。イゼルローン攻防戦で大損害を受けた第一艦隊は当分の間前線には出られない。参謀たちは損失見積りや補充計画などの作成で大忙しだろうが、現場が忙しくなるのはずっと先のはずだ。現場に口を出したがるじゃがいも参謀もいなくなる。

 

 今年の二月にアイリスⅦの補給長に着任したばかりの俺が忙しい部署に異動させられる可能性は低いはずだった。しばらくはのんびりできるはずだったのに。どこで読み違えてしまったんだろうか。考えるたびにため息が出てしまう。

 

「フィリップス中尉、参謀長からまたご指名だぞ」

 

 気の毒そうな表情を浮かべて俺に1ダースに及ぶ文書作成指示のメモを渡したのは、現在の直接の上司である第一艦隊司令部経理部経理課長ハシュバータル少佐だ。メモには作成する文書の内容案と注意事項がきれいな字でびっしり記されている。指示内容は詳細にわたっているが簡潔で読みやすく、メモを書いた人物が有能であることは一目瞭然だ。念入りなことにメモを書いた日時が秒単位まで記されている。作成者の氏名の署名は全部同じ。

 

『参謀長クレメンス・ドーソン』

 

 少将に昇進したドーソンは第一艦隊の参謀長に就任して、俺の予想を見事に裏切ってくれた。その一週間後、俺は司令部の経理事務を担当する経理部経理課に転属を命じられた。

 

 艦隊司令部には作戦部、後方部、情報部、人事部、経理部、通信部、衛生部、法務部が設置されており、参謀長の監督下で司令部の業務を分担している。作戦部、後方部、情報部、人事部は主任参謀とも呼ばれる部長の下で参謀がそれぞれの分野における分析・計画・監督を担当する参謀部門だ。それに対し、経理部、通信部、衛生部、法務部は専門業務を担当する。イレーシュ少佐が言うには、前者と後者の違いは民間企業における企画部門と事務部門の違いなのだという。そして、駆逐艦補給長から司令部経理部への転属は、末端支店の経理課長から本社経理部への転属のようなものだから、栄転と思って素直に喜んでいいのだそうだ。

 

 しかし、俺は楽しく仕事したいだけで出世したいわけではない。司令部なんてただでさえ激務なのに、仕事を増やすのが大好きなドーソン少将が取り仕切るとなれば最悪だ。栄転でもありがたくない。

 

 切れ者と呼ばれていただけあって、ドーソン少将の実務能力は相当なものだった。指示は簡潔で的確、部署間の連絡は迅速かつ正確に行われるようになり、文書の流れが滞ることも無くなった。フットワークが格段に早くなり、どんな些細な問題でも司令部にすぐ解決に乗り出してくれるため、現場の一部では歓迎されているようだ。ドーソン少将の指揮のもとで司令部機能は飛躍的に強化され、第一艦隊の再編成もかなり早く進んでいる。彼が優秀なのは疑いないが、仕事ができる上司が仕えやすい上司とは限らない。

 

 ドーソン少将は他人に仕事を任せるということができず、何でも自分で指示しようとする。普通の上司は責任者に指示を出して任せるだけだが、彼は頭越しに指示を出すことが多い。文書作成を指示する時も総務部長に指示を出して任せきりにするのが筋なのに、経理部長と経理課長の頭越しに俺宛てのメモを書いて指示を出す。いちいち細かく指示されたら、ストレスが溜まってしまう。有能な彼から見たら、他人の仕事なんて雑でたまらないのだろうけど、過剰なまでに正確を求めすぎるのも問題だと思う。

 

 現場に足を運び、熱心にメモを取ってどんな細かい情報でも拾おうとするだけならいい。しかし、気を配りすぎて、いちいち全部に対処しようとするのは問題だ。艦長レベルで処理できるはずの問題に参謀長自ら指示を出すなんてことも珍しくない。下の人間の提案を積極的に聞き入れようとするのはいい。しかし、アピールするために何の役にも立たない提案を持ち込むような人間の言うこともいちいち真面目に聞き入れてしまうため、司令部は毎日くだらない議論に忙殺されている。こんな司令部で勤務している自分の身が悲しくなってしまう。

 

「やっぱ、俺、嫌われてるんですかね…」

「じゃがいも参謀殿に?」

「ええ。言われたとおりに文書作ると、びっしり手直しが入るんですよ。俺の作る文書が酷いのがわかってるなら、最初から書かせなければいいのに。上手に書ける人はいくらでもいるじゃないですか」

「頭蓋骨にじゃがいもが詰まってる人の考えることは小官にはわからんなぁ」

 

 俺が言い出した「じゃがいも参謀」と言う呼び名は既に第一艦隊全体に広まっていた。今、俺が愚痴っている相手のハシュバータル少佐もその呼び名を使っている一人だ。ドーソン少将は司令部での人望をすっかりなくしてしまっていて、無意味な提案をして点数稼ぎに励む人間以外は近寄ろうとしない。

 

「補給長やってた時にレポート提出したら、何度も再提出させられたんですよ。他の補給長は全然手直しさせられずに受け取ってもらえたのに」

「現場にいた貴官に言うのもなんだが、現場の人の書くレポートってあまり面白くない。若い人は細かい指摘ばかりで全体が見えてないし、ベテランは体裁ばかり整えて『出せばいいんだろ、出せば』って態度が露骨でな。まともに読む気になるのは二〇本に一本ぐらいだ」

「ベテランの人って文章力凄いのに、レポートはつまらないんですか?」

「書式に則った文章は上手だぞ。短い文章に必要な情報を詰め込む技術は芸術的といっていい。だけど、自分なりの視点が必要な文章は書けない。書く気がないといった方が正しい。力の抜き方を心得てるから、本来の仕事と関係ないところでは力を使わないんだな」

「手を抜いても再提出させられないなんて凄いですね」

「明らかに手抜きしてるのに突っ込む隙だけは見せないレポートなんて、再提出させても面白くなる見込みが無いだろ」

「うちの軍のベテランって、本当に煮ても焼いても食えないですね」

「人間は三〇年も軍隊にいたら、妖怪になっちまうってことさ」

「妖怪だったら、あの参謀長も怖くないんでしょう」

「立場が離れすぎてるってのもあるわな。雲の上と雲の下じゃ喧嘩のしようもないから、案外うまくやれるのさ。司令部の参謀と駆逐艦の乗員が喧嘩する理由なんて思いつかないだろ?たまに顔合わせた時にニコニコしてるだけでうまくいく」

「ああ、なるほど」

「じゃがいも参謀殿も遠くから見たら、仕事熱心で気配りができる人材に見えるだろうよ」

 

 でも、俺が補給長やってた時は遠くから見てたけど、そんな良い人には見えなかったぞ。レポートでさんざん苦しめられたしね。他の人から見たらどうなるのかな。

 

 

 

 終業後、日課のトレーニングを終えて官舎に帰った俺は携帯端末をアンドリューにかけてみた。アンドリューが出ると、ドーソン少将について自分が思うことを話して意見を聞いてみる。

 

「じゃがいも参謀をどう思うかって?」

「その呼び名、ロボス閣下の司令部にも広まってるの?」

「うん。うまいこと言う人がいるよね。うちの司令部でも大流行りだよ」

 

 あの真面目なアンドリューが口にするぐらい広まってたのか。言い出したの、俺なんだよなあ。

 

「君らは遠くから笑ってるだけで済むからいいよね」

「うちは苦笑いって感じかな。閣下は雑な人だから、お仕えしてるうちにみんな細かくなっちゃうの。ロックウェル参謀長なんて『うちの大将にじゃがいもの爪の垢を煎じて飲ませたい』ってぼやいてたね。そしたら、コーネフ副参謀長が『粉ふき芋のゆで汁を召し上がっていただいたらいいじゃないですか』って言ってさ。みんな笑ったよ」

「ホント、ロボス閣下の司令部はいつも楽しそうだね。うらやましいわ。うちはひどいもんだよ」

「でも、じゃがいも参謀は仕事はできるんでしょ?」

「うん。指示書とか見ると本当によく書けててさ。あれだけ読みやすく配慮された文章書ける人が、なんで部下に配慮できないのかって不思議になるぐらい」

「へえ、そんな凄いなら読んでみたいな。来年からロボス閣下の副官になる予定なんだけど、なかなか文章が上達しなくて不安なんだよ」

「副官になるんだ。おめでとう」

 

 最初に知り合った時は仕事が覚えられなくて悩んでたのに、今は秘書役の副官に指名されるほどになったんだなあ。やっぱ、アンドリューは凄いや。

 

「なるだけじゃだめだよ。ちゃんとお役に立てないと。副官に指名されたのは嬉しいけど、プレッシャーも大きいよ」

「出世しても実力が伴わなかったらしんどいからね」

 

 義勇旅団にいた頃を思い出す。まったく部隊運営の仕事をさせてもらえなかったけど、今になって思うとそれで正解だった。ちゃんと仕事をしようとしたら、実力が伴わなくてあの時よりずっと落ち込んでいたかもしれない。ブーブリルや義勇兵を統率するなんて無理だっただろうし。シャルディニー中佐のように期待に殺されていたかもしれない。

 

「そうそう。参謀ってむやみに昇進したがる人が多いんだけど、あれは良くないね。早く出世し過ぎると、無理して失敗しちゃうから。士官学校を首席で出た人は早死することが多いんだよ。二〇代で大佐や将官になると、プレッシャーも凄いんだろうなあ」

 

 まったくその通りだ。歴史の中のアンドリュー・フォークは二六歳で准将になって失敗した。けど、今話してるアンドリューはその心配はないだろうな。プレッシャーに向き合いながら力をつけていくはずだ。

 

「俺はその点大丈夫だね。一〇年後ぐらいに大尉に昇進しておしまいだから」

「正規艦隊司令部勤務の二四歳中尉ってエリートじゃん。エリヤと同い年の士官学校卒業者もそれぐらいのポジションだよ」

「ただの事務職だよ」

「経理課でしょ?事務方のエリートコースだよ。現場あがりでも準エリートみたいな人じゃないと配属されない。そもそも、士官学校出てない事務職が二〇代前半で士官やってるだけで普通じゃないよ」

「英雄の名前のおかげだよ。それがなかったら士官やってない」

 

 英雄にならなかったら、幹部候補生養成所を受験しようとは思わなかった。第七方面管区司令部が受験勉強を支援してくれることもなかった。中尉に昇進できたのも英雄の名前のおかげだ。英雄としての評価抜きでは何も成し遂げられなかった。悲しいけど、それが今の俺の実力だった。

 

「エリヤは他人のことは良く見えるのに、自分のことは見えないのな」

「どういうこと?」

「たとえばさ、じゃがいも参謀のことはとても良く観察してると思ったよ。好きじゃない相手なのにちゃんと良い面を見ようとしてるよね。それに他の人の視点を取り入れながら多角的な評価を試みてる」

「普通、他人の事って気にならない?」

「気にするのと見るのは違うよ。気になりすぎて相手がちゃんと見えないことだってある」

「なるほどなあ」

「なんでそこまで自分を過小評価したがるのかは知らないけど、冴えなかったのってハイスクールまでだろ?今のエリヤは誰もが認める優等生なんだから。自分ではそう思ってなくても、他人にはそう見える。それはちゃんと受け止めなきゃね」

 

 他人にはそう見える、それはちゃんと受け止めろ、か。子供の頃からリーダー経験豊富なだけあって、人間関係を良くわかってる。俺が現実でエル・ファシルの逃亡者になってからの六〇年間をどんな思いで生きてきたかを教えてみたら、彼は何と言ってくれるのか聞いてみたい気がする。

 

 この世界で光を浴びれば浴びるほど、自分があの暗闇の六〇年間を引きずっていることを痛感した。最初からこの世界で生まれてたら良かった。そうしたら、素直に自分を好きでいられたかもしれない。

 

「ありがとう」

「好きじゃない人にもちゃんと興味持つっていいことだと思う。ドーソン少将とも仲良くなれる日が来るといいな」

「そりゃねえわ」

「ないよなあ」

「適当こいてんじゃねーよ」

 

 端末の向こうでアンドリューのあっはっはという笑い声が聞こえた。こいつと話してると、クリスチアン中佐やイレーシュ少佐が同年代の友達は大切っていう理由が良く分かる。立場が近かったらもっと楽しいんだろうな。ロボス大将の副官就任が内定してる彼と、艦隊司令部の経理課でドーソン少将にこき使われてる俺では立場が違いすぎるのが残念だ。

 

 年が明けて七九三年を迎えた。第一艦隊司令部は相変わらずドーソン少将に苦労させられている。うんざりしつつもアンドリューがロボス大将の副官に就任したらどんなお祝いをしようかを考えつつ、朝から晩まで書類を作っていた。そんなある日、いつものように朝早く司令部に出勤すると経理部長から呼び出された。まず「俺より早く来る人がいるんだな」と思ったが、その次に上司の上司である経理部長に呼び出されたことを不思議に思った。訝しむながら経理部長室に入る。

 

「おめでとう、フィリップス中尉」

 

 笑顔で俺を迎える経理部長アントネスク中佐。彼に祝福される覚えなんてないんだけど、どういうことだろうか。

 

「君の大尉昇進が内定した」

「え…!?」

 

 今の俺はものすごい間抜け顔をしていたはずだ。なんでこのタイミングで昇進するんだ?

 

「憲兵司令官副官への就任も内定している」

「ええええーっ!!」

 

 やばい、声に出してしまった。大尉昇進だけでもびっくりなのに、憲兵司令官副官就任なんて聞かされて驚きを隠せるほどの冷静さは俺にはない。憲兵司令官と言えば、同盟軍の軍事警察のトップだ。記憶の中ではローエングラム朝銀河帝国のウルリッヒ・ケスラー元帥が憲兵総監だった。その秘書役を務める副官はエリート中のエリートといえる。どうして俺がそんな要職に抜擢されたんだろうか。さっぱり理解できなかった。



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第二十七話:小心者と小市民との付き合い方 宇宙暦793年春 ハイネセン市、憲兵司令部

 民主共和制の自由惑星同盟は立法の同盟議会、行政の同盟最高評議会、司法の同盟裁判所の三権分立制度を採用し、それぞれが牽制し合う仕組みになっている。

 

 国家元首と首相を兼ねて独裁権力を手中にしたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦を簒奪した故事から、同盟議会議長が国家元首となって行政の長たる最高評議会議長の突出を抑えていた。戦時体制下で力を強めて国家元首の権限の一部を代行している最高評議会議長は”事実上の元首”とも言われるが、建前だけでも分離している意味は大きい。

 

 行政部門の各委員会においては、各委員長の指名によって代議員から選ばれた委員が意思決定と監督、官僚組織の事務総局が行政実務をそれぞれ司って権力の分散が図られる。地方政府においても権力分散は徹底していた。権力の集中が生む強い指導力より独裁回避を選ぶという信念のもとに同盟の政治体制は構築された。しかし、軍隊は例外だ。

 

 軍事においては軍事組織を素早く正確に動かすことが何よりも大事だ。権限が分散されていたら、調整に手間取って動きが鈍くなってしまう。判断が一秒遅れると部下が死ぬ。補給が一週間遅れると部隊が死ぬ。だから、指揮官に権限を集中して指揮系統を一本化することで組織を素早く動かそうとする。だが、何万もの人員を抱える軍事組織を動かすためには、一人では処理しきれないほど膨大な作業や情報を処理しなければならない。その処理を助けるのが司令部だ。

 

 司令部の参謀スタッフ、事務スタッフ、技術スタッフらはそれぞれの専門知識に応じて処理を分担し、指揮官が軍隊組織を素早く動かせる環境を整える。指揮官と作業を分担する司令部スタッフに対し、副官は指揮官個人の手足として作業を補助する。スケジュール調整、各部署との連絡、決裁を求める者の取り次ぎ、文書整理、資料収集、来客応対などが主な仕事だ。組織の構造や内部ルールに精通していなければ務まらない。信念より協調性、創造性より信頼性が求められる。

 

 バーラト自治政府主席としてエル・ファシル逃亡兵の名誉回復を拒否したフレデリカ・グリーンヒル・ヤンは好きになれないけど、それでも「コンピュータのまたいとこ」と言われるほどの記憶力と処理能力によってヤン・ウェンリーを補佐した名副官だったことは疑いない。そして、副官が最も俺に向いていない仕事であろうこともまた疑いない。

 

 俺の大尉昇進と副官抜擢は、中将昇進と憲兵司令官就任が内定していたじゃがいも参謀こと第一艦隊参謀長クレメンス・ドーソン少将の推薦によるものだった。自分を嫌っているとばかり思っていた人物に大抜擢を受けた俺はかなり戸惑った。将来有望なエリートでもなければ、気に入られてるわけでもない俺が副官に抜擢される謂われはない。裏で何かを企むようなタイプとは思えないけど、理由がわからないのは怖い。だから、憲兵司令部に着任して最初の打ち合わせをした際に思い切って聞いてみた。

 

「なぜ、小官を副官にご指名いただいたのでしょうか?」

「貴官は小官の心を良くわかっておる」

 

 初対面の日とまったく同じセリフが返ってくる。俺の感想もあの時とまったく同じ。わからねえよ。

 

「どういうことでしょうか…?」

「貴官は上司に敬意を払うことを知っている。最近の若い奴は生意気でいかん。特にあのアッテ…」

 

 実名を危うく口にしかけたところでドーソン中将は口をつぐむ。確かに若くて頭が良い人には反発されるだろうな。俺の場合は鬱陶しく思ってるだけでドーソン中将の能力には敬意を持っている。嫌われてさえいなければ、素直に尊敬できたかもしれない。

 

「しかし、本当に小官でよろしいのですか?」

 

 副官は司令官と一心同体の存在だ。それを扱いやすいって理由だけで選ぶのはまずいんじゃないんだろうか。もっと有能でもっと気に入ってる人物を選ぶべきじゃないか。そういう思いを込めて問い直す。

 

「貴官以外は考えられん」

 

 むしろ、俺以外を考えた方がいいんじゃないのか。義勇旅団の時に能力に見合わない出世をするとひどい目に遭うというのをさんざん思い知らされた。正直言うと辞退したい。大尉昇進を返上してもいい。ここはストレートに切り込まないと伝わらないのか。

 

「もっと有能で信頼できる人の方がよろしいのでは。小官に務まるかどうか」

「最も有能で信頼できる人材だから貴官を選んだ」

 

 ドーソン中将は何を言ってるんだ、という表情を浮かべる。俺もきっと同じような表情をしていたに違いない。

 

「どんな細かいことでも気がついたら耳に入れること、指示を素早く正確に実行すること。貴官にその二つを期待している。以上だ」

 

 彼ほどの実力者なら、部下にもかなり高い水準を要求するはずだ。そんな人物の副官が俺に務まるのだろうかと思うとため息が出てしまう。

 

 

 

 俺が与えられた最初の仕事は憲兵司令部の主要幹部の人事情報収集だった。まずは部下がどういう人間か把握しようというのだろう。二日で必要な資料を揃えて提出したところ、ドーソン中将に怪訝な顔をされた。これでは足りないということか。最初からしくじってしまった。

 

「申し訳ありません、司令官閣下。あと二日お時間をいただけたら、ご期待に添える資料を用意いたします」

「いや、これで十分だが…」

「何か問題が?」

「なんでこんなものまで用意したのだ?」

 

 ドーソン中将が指したのは六年前の惑星パデリア攻防戦の戦闘詳報。憲兵司令部参謀のハマーフェルド大佐のファイルに挟んだやつだ。どうしてこれが怪訝な顔をされるか良くわからないけど、説明しておくか。

 

「ハマーフェルド大佐は五稜星勲章を持ってらっしゃいましたよね」

「そうだが」

「あの方はパデリア攻防戦の活躍で五稜星勲章を受章なさいました。誇りにしている勲章の由来を知っていれば、付き合いもしやすいのではないかと考えて用意しました」

「これは今回が初めてか?」

「いえ、ポリャーネ補給基地にいた頃からの習慣ですが」

 

 腕を組んでなにやら考えていたドーソン中将だったが、少し経ってから口を開いた。

 

「第一艦隊司令部メンバーの勲章の由来も覚えたのか」

「覚えております」

 

 どうして、わかりきったことを聞くんだろうか。人付き合いするならそれぐらい当たり前じゃないのか。

 

「今後、勲章保持者の人事情報を小官に提出する際は、必ず戦闘詳報を付けるように」

 

 ドーソン中将はメモ帳を取り出して何やら書き込むと、しきりに頷いていた。

 

 俺の集めた情報で憲兵司令部の主要幹部の人柄を把握したドーソン中将は、今度は憲兵司令部の各部署の発行した公文書を集めさせる。読むたびに頷きながらメモ帳に何やら書き込んでいた。ひと通り公文書を読み終えると、今度は各部署の会計書類を俺に集めさせてやはりメモ帳に書き込む。

 

 その次に部署も階級もバラバラの十数人をリストアップして個別に呼び出し、文書を示しながら「この文面はどういう意味か」「この経費の具体的な用途は何か」などと質問をぶつけた。呼び出された者が答えられずにいると、文書の中の矛盾をネチネチ指摘していく。ドーソン中将が指摘していくたびに呼び出された者の顔から血の気が引いていった。それと同時に全ての部署に監査を入れて不正を暴き出し、ドーソン中将は綱紀粛正を大義名分に憲兵司令部を掌握した。指示通りに情報を集め、各方面との連絡にあたった俺から見てもびっくりするほど鮮やかな手際だった。

 

 しかし、憲兵司令部を掌握した後のドーソン中将は良くなかった。何種類もの内部告発窓口を設置する一方で、自ら現場に顔を出して偏執的に情報を集めて憲兵司令部に関することはどんな些細な事でも知ろうとした。責任者の頭越しに現場に指示を出し、憲兵司令官が中隊長になったと揶揄されるほどだ。他人の悪口やら無意味なアイディアやらを吹き込んで点数稼ぎをする悪い取り巻きが現れる一方で、骨のある人間の反発を受けた。第一艦隊の時とまったく同じだ。

 

 軍人による犯罪の通報窓口を各地の憲兵本部に設置して、市民から通報があればすぐ捜査に乗り出すというフットワークの軽さで憲兵司令部の世間的な評価は高まっているものの内部の士気は著しく低下している。副官の俺はただのメッセンジャーなのに「ドーソンの懐刀」などという根も葉もない噂を立てられて、冷たい視線で見られるようになってきた。

 

 憲兵司令部の主要幹部はしょっちゅうドーソン中将の叱責を受けているのに、なぜか俺だけが一度も叱責されていないというのも話をややこしくしている。俺自身にも叱責されない理由がさっぱり理解できないのに、贔屓されているように言われるのは不本意だ。どうにかして空気を良くしないと、俺の神経が耐え切れなくなってしまう。

 

 針の筵の中でドーソン中将を観察して解決の糸口を考えていると、いろんなことに気づいた。まず、根は悪い人間ではないらしいということ。ニュースで残酷な悪党を見ると憤慨し、不幸な事件を見ると打ちのめされたかのような顔をする。障害者や戦災遺児の支援を呼びかける街頭募金を見かけると、必ず紙幣を何枚も募金箱にねじこむ。専属運転手から聞いた話では、毎朝小さな娘に見送られて家を出て、車の中から笑顔で手を振っているのだそうだ。

 

 他人に腹を立てる時は「俺を馬鹿にした」「生意気」という理由で腹を立て、他人を褒める時は「まじめ」「善良」といった彼好みの価値観に沿っているという理由で褒める。そして、他人から受けた善意も悪意もいかに小さくとも忘れない。要するに根っからの小市民。優しかった頃の父はそんな感じだった。悪意が怖くて怒れないってことを除けば、俺もこういう性格だ。小市民にもなれない小心者というべきだろう。

 

 つまらない取り巻きが集まってくる理由も見えてきた。情報に貪欲なドーソン中将はくだらない話にも真剣に耳を傾けて、人の悪口や自己アピールなんかもメモ帳に記録して情報として認識してしまう。そして、くだらないことを盛んに吹き込んでくる人間を善意の情報提供者として重用してしまう。情報を掌握することで憲兵司令部を掌握したドーソン中将だったが、情報にこだわりすぎて人望を得られない。彼の優秀さは欠点の裏返しなのだ。

 

 チャイ中尉の『あっちが知りたがっているなら、こっちは教えたいことを教えてやるぐらいに思っていればいいんです』という言葉の意味がようやく分かった。そして、自分がやるべきことも。

 次の日から、折を見て憲兵司令部の人間の良い話をドーソン中将の耳に入れるようにした。A中佐は夫婦仲が良い、B大尉は犬を四匹も飼っている、C少佐は勲章とともに与えられた報奨金を全額傷痍軍人救済募金に寄付した、といったいかにもドーソン中将の善意や同情を刺激しそうな話を選んだ。副官として各部署と連絡を取る俺のもとにはいろんな情報が集まる。いい話を集めるのはたやすいことだった。その他にD大佐は雨の中で捜索活動を指揮したせいで風邪を引いてしまった、みたいなドーソン中将好みのまじめな人物の話も耳に入れるようにした。

 

 ある日、俺が難病に苦しむ娘の治療費を稼ぐために進んで残業しているある少佐の話をすると、ドーソン中将は見舞いに行きたいと言い出した。俺の手配で見舞いに行ったドーソン中将はあまりの娘の衰弱ぶりに涙を流し、少佐に「力になれることはないか」と語る。この時から憲兵司令部の人々のドーソン中将に対するイメージは好転し、それに気を良くしたドーソン中将も「君のところの猫は元気かね」などと部下に声をかけるようになり、職場の空気はだいぶ良くなった。

 

 反骨精神の強い人は「つまらない偽善」と反発し、くだらないことを言って取り入ろうとする人もまだまだ多かったが、これまでまじめで素直な人がドーソン中将に親しむようになり、現在はこの三者でバランスがとれている。俺に対するみんなの視線もだいぶ柔らかくなったような気がする。向いてない仕事だから、せめてみんなと仲良くやりたい。これまでの職場ではそう心がけてきた。これからもそうありたいと願う。



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第二十八話:副官が覗いた政治の端っこ 宇宙暦793年秋 ハイネセン市、憲兵司令部

 憲兵司令官副官の朝は早い。ドーソン中将が出勤する一時間前に憲兵司令部の司令官室に到着し、自分の端末を開いてメールをチェックして、スケジュールの変更や追加、その他の連絡の有無を確認する。それから、四人の副官付と打ち合わせをして今日のスケジュールと業務の流れを確認。

 

 副官付というのは副官の補佐役として雑務を担当する士官や下士官。二〇代の若手から選ばれることが多く、必ず女性が含まれる。女性の副官付の選考基準は容貌だと言われているが、憲兵司令官副官付のバイオレット中尉、メイ・リン軍曹がともに能力で選ばれたことは疑いない。美人なのはたまたまだろう。

 

 ドーソン中将が出勤してくると、俺は当日のスケジュールを読み上げる。会議、来客、行事出席といった予定がびっしり詰まっているが、詰め過ぎると不測の事態に対応できなくなる。移動時間などを考慮しつつ、余裕を持たせて組まなければならない。憲兵司令官ともなると、会う相手もVIPばかりだ。予定が狂えば何人ものVIPに迷惑をかけてしまうことになる。スケジュール管理は本当に緊張する仕事だ。おかげでトイレに行く回数が倍に増えた。その他、「あの件はどうなっている」といった求めに応じて報告を行い、資料を手渡す。

 

「メヒアス中佐夫人の件、手配は済んだか?」

「キキョウの花束とティーセットが誕生日当日に届くように手配しました」

「キキョウの花言葉は何と言ったか」

「『変わらぬ愛』『気品』『誠実』です」

「いつもながら貴官は花に詳しいな」

「好きなんですよ」

「なるほど」

「来月、本人もしくは配偶者が誕生日を迎える者のリストです。目を通しておいてください」

「今月の倍か」

「我が司令部はどういうわけか四月生まれが多いですから」

「まあいい、合間を見てバースデーカードを書いておこう。貴官の言うように直筆であることが大事なのだからな」

「恐れいります」

 

 このようにいつどのような報告を求められるかわからない副官は、ありとあらゆる事項を頭の中に叩き込んでおかないといけない。ドン臭い俺には本当にきつい。

 

 始業時刻前から多忙な副官だが、始業後はさらに忙しくなる。ドーソン中将のもとには各部署からの連絡事項がひっきりなしに舞い込み、ドーソン中将から各部署への連絡も随時行われる。執務室にいる時は司令部スタッフが何人も決裁を求めにやってくる。ドーソン中将宛ての超高速通信やメールも次々と届く。それらの取り次ぎは全部俺が行う。会議がある時は会議資料の用意、会議室の準備、議事録作成、後片付け。来客があれば出迎え、取り次ぎ、案内、見送り。外出する際は随行する。出張の際は交通手段や宿泊の手配も行う。ドーソン中将はフットワークが軽い。ただでさえ多い副官の仕事がさらに多くなる。

 

「現地刑法違反ゼロキャンペーンの成果はまずまずだが、リューカス星系の違反者だけは急増しているな。困ったものだ」

「去年末の星系共和国公衆倫理法改正で第一七条、第一九条、第二四条、第三〇条の適用範囲が飛躍的に拡大しています。あのトリプラ星系よりずっと厳しい内容です」

「貴官は星系法まで勉強しているのか」

「そうでなければ閣下のお役に立てないと思いまして」

「そうか。トリプラより厳しいとなれば、現地司令部の責任ではないな。注意を喚起しよう。資料を作成してくれ」

「了解しました」

 

 合間合間に業務に関する打ち合わせも行う。多忙なドーソン中将は打ち合わせに時間を割くことができない。そのため、副官は必要な情報を頭の中で整理して的確に伝える必要がある。軍隊組織の構造やルール、関連法規に通じていなければ、ドーソン中将がどのような情報を必要としているかを見極めることはできない。特にドーソン中将は情報に貪欲な人物だ。気が休まる時がない。最近は一日で食べるマフィンの数が増えた。大雑把な俺には細かい仕事はストレスなのだ。

 

 業務時間が終了してドーソン中将が帰宅すると、副官控室で副官付の士官・下士官達と本日の業務の整理及び明日のスケジュール作成にとりかかる。しかし、多忙なドーソン中将が終業時間と同時に帰宅することは珍しく、ほぼ毎日終業時間後に会議やら懇親会やらに参加している。俺が同行するのは言うまでもない。朝から晩まで仕事漬けでヘトヘトになってしまう。

 

 今、ドーソン中将と会食しているのは国防副委員長マルコ・ネグロポンティ。改革市民同盟幹事長ヨブ・トリューニヒトの側近で、国防委員会における代理人として動いている。ドーソン中将を憲兵司令官に推薦したのは、トリューニヒトの意を受けたネグロポンティだった。かねてから軍規粛正を主張していたトリューニヒトは、規律に厳しいことで知られるドーソン中将に白羽の矢を立てたのだ。

 

「これが統合作戦本部の裏帳簿のコピーだ。憲兵隊には徹底的に追及してほしい」

「国民の血税の無駄遣いは許せませんからな。小官にお任せあれ」

「君の手腕に期待しているぞ」

 

 ちなみに現在の統合作戦本部長は改革市民同盟と対立する進歩党に近いシドニー・シトレ元帥。実にわかりやすい構図といえる。主戦派の改革市民同盟と反戦派の進歩党という政界の対立構図は軍部にも持ち込まれており、宇宙艦隊司令長官ロボス大将を頂点とする派閥は改革市民同盟、統合作戦本部長シトレ元帥を頂点とする派閥は進歩党と親しい関係にある。改革市民同盟、進歩党ともに一枚岩というわけでもなく、党内新興勢力のトリューニヒト派はロボス大将と親しい党内主流派と対立していた。進歩党内部にもシトレ元帥と対立する勢力が存在している。

 

 自由惑星同盟軍は文民によるコントロールが徹底しているために政治家の介入を招きやすく、軍事作戦や幹部人事が政局に左右されることも珍しくない。軍人の側も自分の構想を実現するために政治家を積極的に利用している。今回は軍規粛正を名目に軍部への影響力を拡大したいトリューニヒト派と、軍規違反を徹底的に取締りたいドーソン中将の思惑が一致したことになる。憲兵司令官の副官ともなると、生臭い事情もいろいろ耳に入ってくる。

 

「軍隊はね、お金がないと動かないの。そして、お金を出すのは政治家なんだよね」

 

 アンドリューがそう言ったのを聞いたことがある。当たり前といえば当たり前の話だけど、補給や会計の経験がある俺にはとても重い言葉だ。

 

「どんなに素晴らしい作戦を立てても、お金がなければ実現できない。政治家からお金を出してもらうのも軍人の大事な仕事なんだ」

 

 彼が仕えているロボス大将は同盟軍きっての用兵の名人だが、政治家から予算を引き出す名人でもある。ロボス大将は予算を引き出して出兵して戦功を重ねることで軍部の最高実力者に成り上がった。ライバルのシトレ元帥も似たようなものだ。ドーソン中将が軍規粛正を実現するために政治家と仲良くするのも無理もないかもしれないけど、それでもアンドリューほど積極的に肯定できない。政治家に限らず、有名人と付き合うとその敵対者から無条件で嫌われる。悪目立ちせず誰にも嫌われずに過ごしたい俺にとっては、政治家は避けて通りたい存在だった。

 

 

 

 九月のとある休日の昼下がり。俺とドーソン中将はじゃがいも料理専門店「バロン・カルトッフェル」で一緒に食事をしていた。ドーソン中将から初めてプライベートで誘われたのだ。上司と仲良くなれば、職場での居心地も良くなる。じゃがいも参謀からじゃがいも料理店に誘われるというのもなかなか洒落がきいていていい。

 

「貴官は少し食べ過ぎではないか」

 

 ドーソン中将は、四皿目のブラートカルトッフェルン (ジャーマンポテト)に手を伸ばそうとする俺を困った顔で見ている。

 

「大丈夫ですよ。次はアプフェル・カルトッフェル・アオフラオフ(りんごとジャガイモのグラタン)と田舎風カルトッフェルンザラート(ポテトサラダ)行きます。あと、カルトッフェルズッペのおかわりを」

「そうじゃなくて…」

「デザートもおいしいんですよ」

 

 ため息をついて首を横に振るドーソン中将。何がそんなに悲しいんだろうか。ここの料理は美味しいんだから、もっと楽しそうにすればいいのに。うまい飯を食うだけで人間は幸せになれるんですよ。

 

「貴官はこの店に来たことがあるのか?」

「ええ。友人に連れてってもらったんです」

 

 俺をこの店に連れてってくれたイレーシュ・マーリア少佐は先生というか姉貴分というか、とにかく俺より偉い存在なんだけど、説明がめんどくさいから友人ということにしておく。

 

「ロボス提督の副官をしてるフォーク大尉だったか」

「いえ、それとは別の人です」

「貴官は友達が多いのだな。大いに結構」

「ほんと、俺なんかに付き合ってくれて感謝のしようもないですよ」

「家族とは仲良くしているのか?」

「いや、まあ、それなりに…」

 

 家族とはもう五年近く連絡を取っていない。数日前、マフィンの箱を買って帰る途中に転んでぐじゃぐじゃに潰してしまい、悲しんでいたところに妹のアルマから『おいしいマフィンのお店できたの知ってる?』という題名のメールが来た。ムカついて受信拒否リストにぶち込んでやった。マフィンばっか食べてるから、豚みたいに太って間の抜けたメールをよこすようになるんだろう。それにしても、どこから俺のアドレス探りだしてくるんだろうか。部署が変わるたびにアドレス変えてるのにな。

 

「仲良くしないといかんぞ。家族とは一生の付き合いだ」

 

 しまった、ドーソン中将は家族が仲良くしてる話が好きなんだった。慌てて話題を変える。

 

「閣下の末の娘さんは来年からジュニアスクールでしたね」

 

 そう言った瞬間、急にドーソン中将の表情がパッと明るくなり、せきを切ったように娘のことを喋り出した。こうなると、この人は止まらない。話を聞いているだけで愛情が伝わってきて心が洗われるような気持ちになる。ニコニコしながらドーソン中将の話に頷いてると、俺達のテーブルに近づく人の気配を感じた。

 

「やあ、クレメンス」

 

 声がした方向を見ると、人懐っこそうな笑顔を浮かべた男性が軽く右手を上げながら歩み寄ってくる。綺麗に撫で付けられた髪に甘いマスク。白いシャツにグレーのニットカーディガンを羽織り、細身のパンツを履いている。靴はやや古びているが品の良いカジュアルシューズ。質素な服装だがセンスの良さを感じる。年齢は三〇代だろうか。見覚えのある顔だ。この人物は…。

 

「トリューニヒトさん、お待ちしておりました」

「クレメンス、いつもヨブと呼んでくれと言ってるじゃないか」

 

 男性は立ち上がったドーソン中将の肩をポンポン叩きながら、気さくに笑いかけた。俺も慌てて立ち上がって敬礼する。

 

「はじめまして、エリヤ・フィリップス君。どうしても君に会いたくて、足を運ばせてもらったよ」

 

 蕩けるような笑顔を俺に向ける男はヨブ・トリューニヒト。三八歳の若さで幹事長を務める改革市民同盟のプリンス。現在はドーソン中将と組んで軍規粛正を進めている。現実の歴史では最高評議会議長を務め、旧同盟人・旧帝国人を問わず嫌悪の対象となった。そんな人物の来訪に度肝を抜かれてしまった。



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第二十九話:陽だまりのような彼 宇宙暦793年9月 ハイネセン市、じゃがいも料理店「バロン・カルトッフェル」

 ヨブ・トリューニヒトの経歴は実に華麗である。国立中央自治大学を首席で卒業した後、徴兵されて統合作戦本部総務課に二年間勤務して兵長まで昇進した。二二歳で法秩序委員会事務総局に入ると警察官僚の道を歩む。二九歳の時に国家保安局警備部公安課副課長で退官すると、改革市民同盟から同盟代議員選挙に出馬して初当選を果たした。現在の当選回数は三回。政治家としては若手だが、存在感は大きい。

 

 俳優のような端整な美貌にスポーツで鍛え上げた長身を持ち、ベストドレッサー賞政治部門で毎年優勝争いを演じるほどのファッションセンスを兼ね備えている。煽情的な弁舌で対帝国強硬論を展開して主戦派からは熱烈な支持、反戦派からは強烈な反感の対象となっている。視聴者受けする容姿と派手なパフォーマンス、バラエティー番組にも気軽に出演する気さくなキャラクターからメディアでは引っ張りだこだ。

 

 反戦派からは「見かけだけで中身が無い」と揶揄されるが、元官僚だけあって政策議論に強く、治安問題と国防問題では改革市民同盟随一の論客とされる。豊富な資金力を背景に若手議員のリーダー格となり、多くの財界人や官僚や報道人や知識人がブレーンとなっている。前政権では情報交通委員長として初入閣を果たし、現在は三八歳の若さで党幹事長を務めている。長老支配が続いている主戦派では、反戦派のジョアン・レベロやホワン・ルイ、過激派のマルタン・ラロシュに対抗しうる数少ない若手指導者と目されていた。ヨブ・トリューニヒトに対する現在の評価は賛否両論だが、彼が政界屈指の実力者であることを否定する者はいないだろう。

 

 一方、後世の評価はかなり微妙だ。宇宙暦七九六年の「諸惑星の自由」と名付けられた帝国領侵攻作戦が大失敗に終わった後の政局を収拾するまでが頂点で、救国軍事会議のクーデターを防げず、ヤン・ウェンリーをクーデター疑惑で召還した間に帝国軍の攻撃を受け、銀河帝国亡命政権を後援したために獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムの侵攻を招き、戦争指導を放棄した挙句に獅子帝を討ち取る寸前だったヤン・ウェンリーに降伏を命じるなど、為政者としては無能としか言い様がない。

 

 獅子帝が攻めてくるまでのトリューニヒトは物凄く有能な指導者に見えていた。帰国後にさんざんいじめられたおかげで主戦派嫌いになった俺ですら、彼が率いる国民平和会議に投票したことがあるぐらいだ。しかし、今になって思えば軍部、警察、メディアが三位一体でトリューニヒトをゴリ押ししていたおかげでみんな勘違いしていたに過ぎなかったと思う。ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツなどは「何があっても傷つかない保身の天才」「エゴイズムの権化」と恐れていたそうだが、トリューニヒトを敵視するあまりの過大評価ではないだろうか。

 

 トリューニヒトの無能は旧同盟、帝国本土のいずれでも軽蔑されていた。町内会長選挙でも当選はおぼつかなかっただろう。ヤン・ウェンリーの後継者たる八月党が崩壊した後に旧同盟領で隆盛を極めた極右勢力だって、トリューニヒトを再評価しようとはしなかった。さて、俺の目の前にいるヨブ・トリューニヒトは現在の評価、俺の評価、ヤン達の評価のうちのいずれに近い人物なのだろうか。

 

「ここのポムフリット(ポテトフライ)は本当に絶品でね。フランクフルターヴルスト(フランクフルトソーセージ)をかじりながらつまむとたまらないんだよ」

 

 トリューニヒトは満面の笑みを浮かべ、ポムフリットとフランクフルターヴルストを次々と口に放り込んでいる。上品な容姿に似合わないがっつきぶりに好感を抱いてしまう。うまそうに飯を食う奴に悪人はいない。

 

「どうしたんだい、エリヤ君。私が食事しているのがそんなに不思議かい?」

 

 油でベトベトの口元を緩めて人懐っこそうに笑いかけるトリューニヒトと、ソリビジョンで見る気取った姿とは全然違う。

 

「いや、随分おいしそうに召し上がってらっしゃると…」

「そりゃ、ここの料理はおいしいからね。何と言っても帝国仕込みだ。我が国の食文化は素晴らしいが、じゃがいも料理とソーセージでは帝国に一日の長がある」

「この店、ご存知だったんですか?」

「クレメンスにこの店を教えたのは私だよ。ハイネセン広しといえど、本物のじゃがいも料理とソーセージを食べさせてくれるのはここだけさ」

 

 三大難関校の一角で高級官僚養成校と名高い国立中央自治大学を首席で卒業し、警察官僚を経て政治家になったエリートの中のエリートがこんな庶民的な店を知ってるなんて意外だった。

 

「トリューニヒト先生はこの店を気に入ってらっしゃるんですか?」

「ここの主人は帝国からの亡命者で、かつてはローゼンリッターに所属していたんだ。ローゼンリッターのことは知ってるよね?」

 

 同盟末期に生きてローゼンリッターを知らない者などいるはずもない。帝国からの亡命者とその子弟だけで編成され、第八強襲空挺連隊に匹敵する地上軍最精鋭部隊だ。現実においては、ヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツの私兵として活躍し、シヴァ星域の決戦では獅子帝ラインハルトの旗艦ブリュンヒルドに突入して皇帝親衛隊と激しく戦った。

 

「ええ。幹部候補生養成所の友人がいますから」

「帝国の圧制から逃れて自由のために戦う戦士。それがローゼンリッターだ。ここの主人も素晴らしい戦士だったが、瀕死の重傷を負って引退せざるを得なかった。退職金をもとに店を開いて、今では我々においしい料理を食べさせてくれる。故郷の味を懐かしんで食べに来る亡命者も多い」

 

 この店にそんな由来があったなんて知らなかった。カウンターの方をチラッと見る。でっぷり太ってきれいに頭が禿げ上がった主人は根っからの料理人といった風情で、軍隊とは遠い世界の住人に見える。

 

「そうだったんですね。知りませんでした」

「この店は同盟の民主主義の象徴だ。誰もが専制と戦う自由を持っていること、専制打倒の大義の前ではすべての人間が平等であるということを教えてくれる。私は帝国の専制を憎むが、国民は憎んでいない。彼らは我らと同じ専制の被害者だからだ。この店では同盟で生まれた人間も帝国で生まれた人間もみんな笑顔で同じ料理を食べている。その光景を見るたびに専制を打倒して、すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作らなければならないという思いを強くする」

 

 ソリビジョンの中のトリューニヒトが扇動的な言葉で帝国への憎しみを煽って群衆を熱狂させるのを見ると、俺みたいな小心者は引いてしまう。しかし、目の前のトリューニヒトは静かだが力強い口調でゆっくりと語りかけてくる。言葉の一つ一つが俺の心に深く響く。すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界。青臭い理想だけど、誰にも省みられずに孤独にもがいた六〇年の暗闇を生きた俺にはとてつもなく素晴らしい理想に思えた。

 

「ま、いつもそんな難しいこと考えているわけじゃないけどね。いつもは何も考えないでガツガツ食べてる」

 

 真剣な面持ちから一転してくだけた雰囲気になり、軽くウィンクをしてみせるトリューニヒト。とても気さくな人だ。態度も面構えも偉そうなネグロポンティと同じ政治家とは思えない。

 

「なんか、イメージ変わりました」

「失望させてしまったかな?」

「いえ、なんか親しみやすい人だなって。政治家ってもっと近寄りがたいって思っていました」

「ははは、帝国の貴族じゃあるまいし。私もエリヤ君も同じ人間だよ。現に同じ食卓を囲んで、同じ物を食べているじゃないか」

 

 言ってることは凄く当たり前なんだけど、この笑顔で言われるとまったくその通りって思ってしまう。

 

「トリューニヒト幹事長」

「どうした、クレメンス」

「お口が汚れてますぞ」

「ああ、気が付かなかった。ありがとう」

 

 ずっと黙っていたドーソン中将に口元が油でベトベトのままになってることを指摘されたトリューニヒトは、軽く頭を掻いてから慌ててナプキンで口を拭く。大物政治家とは思えないお行儀の悪さがおかしくて笑ってしまった。

 

「エリヤ君」

 

 トリューニヒトが真顔になって俺を見ている、しまった、あまりに親しみやすいせいで気を抜いてしまった。相手がとんでもなく偉い人だってことを忘れていた。

 

「やっと笑顔を見せてくれたね」

 

 心の底から嬉しそうな笑顔になって俺を見るトリューニヒト。本当に表情がよく変わる。イレーシュ少佐みたいだ。素直に感情を出せるって羨ましいな。

 

「どうもすいません…」

「なかなかいい笑顔するじゃないか。ソリビジョンではいつも真顔だから新鮮だよ」

 

 どう反応すればいいんだろう。人に好意を示したい時は笑ってみせるけど、もともとあんま笑わないんだよな。トリューニヒトみたいな笑顔を作れたらいくらでも笑うんだけど。人に見せれるような笑顔作れないからなあ。

 

「あ、ありがとうございます…」

「そんなに固くならなくていいのに。もっとリラックスしていいんだよ」

「は、はい…」

 

 まともに喋れない自分が悲しくなる。アンドリューみたいに初対面の人といきなり打ち解けられる社交性が欲しくなる。

 

「クレメンス、何でもできる子なのに人付き合いだけは不器用っていうのも面白いね。君が気に入るわけだ」

「小官は器用な奴は好かんのです。隙あらば手を抜こうとするし、叱ったら反省せずに口答えしますからな。それに比べて、フィリップス大尉は真面目で素直です。あれだけ才能があるのに努力を怠らず、能力を鼻にかけることもない。良い人材を見付けました」

 

 トリューニヒトとドーソン中将が何やらニコニコ笑って話してるけど、何を言ってるのかさっぱりわからない。ドーソン中将って俺のことを気に入らなかったんじゃないのか?フィリップス大尉って別の人じゃないのか?こんなに褒められるようなことをした覚えはないぞ。

 

「クレメンスがエリヤ君を副官にした時は驚いた。英雄に裏方仕事なんかできないと思っていたからね」

「フィリップス大尉ほど骨惜しみしない者はそうしういませんよ。裏方こそ本領でしょう。久々に人を育てる楽しみを思い出しました。憲兵司令部には真面目な若手士官が多い。フィリップス大尉ほどの逸材はそうそうおりませんが、ひとかどの人材には育つと思っております」

 

 話を整理すると、この二人の間では俺は優秀ってことになってるのか?日々至らないことばかりでいつ叱られるかビクビクしてるぐらいなのに。

 

「エリヤ君」

 

 戸惑ってる時にいきなりトリューニヒトに名前を呼ばれてびっくりしてしまった。

 

「は、はい!」

「クレメンスは私の大事な友人だ。今後も片腕として助けてほしい」

「か、片腕ですか…」

 

 普通は大物政治家からこんなに大きな期待をかけられたら、感激してしまうだろう。しかし、俺は小心者だ。期待の大きさにビビってしまう。

 

「今の君の立場なら両腕と言った方がふさわしいかな。これまでと同じようにやってくれたらいいよ」

 

 両腕!?一本増えてるじゃねえか。この人はどれだけ俺を高評価してるんだ。優しすぎて誰でも優秀な人材に見えてるんじゃないのか?うかつに「はい」と答えて、期待にこたえられなかったら申し訳ない。でも、頼まれて「はい」と言わないのはもっと申し訳ないな。

 

「はい。できるかどうかはわかりませんが、頑張ってみます」

「今まで通りでいいんだよ、今まで通りで。そんなに畏まらなくても」

 

 苦笑して手を振るトリューニヒト。俺が気負い過ぎないように気を遣ってくれてるのか。大物政治家だけあって、気配りが半端ないな。

 

「彼は本当に真面目だねえ、クレメンス。見てるだけで嬉しくなってしまう」

「幹事長にお褒めいただいて、小官も鼻が高いです」

 

 気に入られたってことなのかな。とにかく、喜んでもらえて良かった。あれだけ気さくに接してくれた人に悪印象を与えてしまっては申し訳ない。

 

「エリヤ君、今日は楽しかった。機会があったらまた一緒に食事をしよう。マカロニアンドチーズがおいしい店を知ってるんだ」

「小官も楽しかったです。わざわざお越しいただいてありがとうございました」

 

 トリューニヒトは立ち上がると、微笑みながら俺に手を差し出した。俺が手を握ると、トリューニヒトも手を握り返す。大きくて温かい手だ。トリューニヒトが手を離した時、ちょっと寂しい気持ちになった。彼といる時間が終わってしまうのが寂しかった。トリューニヒトはパンツのポケットから二つに折られた封筒を取り出してドーソン中将に渡す。

 

「今度のパーティ会場だ」

「そろそろ、お始めになるのですな」

「思いの外、準備に時間がかかってしまった。待たせてしまってすまないね」

「仕方ないでしょう。手続きというものがあります」

「主役は君だ。よろしく頼む」

「お任せください」

 

 パーティーなんか開くんだ。国防委員会がドーソン中将を表彰でもするのかな。軍規粛正キャンペーン、結構成果出てるみたいだから。ネグロポンティ国防副委員長から話が行くのが筋だけど、トリューニヒトとドーソン中将は仲良しみたいだから、直接話した方がいいのかな。

 

「クレメンス、エリヤ君。期待している」

 

 そう言うと、トリューニヒトは伝票を全部持ってカウンターに向かった。俺とドーソン中将が食べた分も払ってくれるらしい。この目で直に見たヨブ・トリューニヒトは本当に気さくでいい人だった。微妙に抜けてるところもほっとする。主戦派だけど帝国憎しで凝り固まってるわけじゃなくて、帝国国民の気持ちも思いやってる。暖かい太陽のような人というのが自分の目で見た印象だった。

 

 もちろん、いい人だから政治手腕があるとも限らない。実際、最高評議会議長になった後のトリューニヒトは失策続きだった。権謀術数の世界では人柄の良さは失敗を招くかもしれない。それでも、次の選挙で改革市民同盟に入れるぐらいはいいかなと思った。



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第三十話:サイオキシンの記憶 宇宙暦793年9月~794年3月 ハイネセン市、憲兵司令部

 トリューニヒトとの会食から二日経った休み明けの九月一三日の始業時刻。いつも通り、ドーソン中将に今日のスケジュールを説明していたが、どこか様子がおかしい。いつもは一言一句も聞き漏らすまいと言った表情で耳を傾けてメモも取っているのに、今日は上の空で聞いているのか聞いていないのかわからない。

 

 彼が落ち着きが無いのはいつものことだけど、それとは様子が明らかに違う。一〇時から国防委員会、国家保安局との定例連絡会議があるが、今日はせいぜい打ち合わせ程度のはずだ。ドーソン中将なら寝ていたって切り抜けられるだろう。何があったのだろうか。

 

「フィリップス大尉、これを見たまえ」

 

 ドーソン中将が俺に差し出したのは、トリューニヒトが別れ際に「今度のパーティー会場だ」と言って手渡した封筒。ペーパーナイフで開封された跡があるが、テープで綺麗に封印し直されている。ドーソン中将が一度開封した封筒の中身を人に見せる時の癖だ。いかにも几帳面な彼らしい。会議が始まる前に軽くパーティーの打ち合わせをしようってことなのかな。受け取ってテープをゆっくり剥がし、中に入っている紙を取り出して目を通す。

 

「これは…」

 

 軽く目を通しただけだが、紙には途方も無い内容が書き込まれていた。自由惑星同盟と銀河帝国の憲兵隊による合同捜査。目的は両軍内部に組織された合成麻薬サイオキシンの密売組織摘発。敵国憲兵隊との合同捜査、同盟・帝国の軍隊を股にかけた麻薬密売組織の存在のいずれも俺の想像力をはるかに超えている。

 

「貴官はサイオキシンを知っているか?」

 

 サイオキシン。一時の快楽と引き換えに人間の心身を破壊する最悪の合成麻薬。忘れるはずもない。現実の俺はサイオキシン中毒だったのだから。家族からも友人からも見捨てられ、逃げるように入った軍隊でもいじめ抜かれ、心身ともにボロボロになった俺はバーラトの和約に伴う軍縮の影響で兵士の職も失って路頭に迷った。敗戦後の不景気の中で不名誉除隊の前歴を持つ俺が就職できるはずもなく、失業保険も生活費の足しにならなかった。

 

 その日暮らしの不安から逃れるために酒や麻薬に手を出すようになり、最終的にサイオキシンに辿り着く。サイオキシンを摂取すると気持ちが高揚して疲れがきれいに吹き飛び、自分は世界で最も幸せな存在だと思えた。薬が切れると気持ちが落ち込んで自分がこの世で最も惨めな存在のように感じられ、悪寒や吐き気や咳などにも苦しめられた。最初は幸せな気分になるために摂取していたサイオキシンだったが、次第に禁断症状の苦しみから逃れるために摂取するようになる。耐性がついてどんどん摂取量が増えていき、サイオキシンの購入費を得るためには何でもした。お金が手に入らない時は売人に媚び諂って薬を恵んでもらおうとした。理性も尊厳も投げ捨ててサイオキシンに溺れた。

 

 エル・ファシルで逃げたのは「命令に従っただけ」とも言える。しかし、サイオキシンは言い訳のしようもない。自分自身の弱さと愚かさゆえに作った汚点だ。

 

「知っています」

 

 動揺を悟られないように答える。今の俺は自由惑星同盟軍の大尉だ。経歴には一点の曇りもなく、心身ともに健康。前科持ちの麻薬常習者なんかじゃない。サイオキシンを恐れる必要なんか無い。

 

「国家麻薬取締局はサイオキシンが帝国辺境の生産地からイゼルローンとフェザーンを経由して我が国に流れてきていると推測していたが、帝国内務省の協力によってその裏付けが取れた。フェザーン経由のFルートは未だ実態がつかめないが、イゼルローン経由のIルートは軍人の組織的関与が見られる」

「どのレベルの関与なのですか」

「将官級が関わっている可能性が高い」

「将官ですか…?」

「前線で息のかかった部隊同士を接触させて取引し、補給組織を使って流通させる。将官の権限を行使しなければ難しかろう」

「我が軍にはサイオキシン中毒に苦しむ兵士が数多くいます。退役軍人のサイオキシン絡みの犯罪も後を断ちません。将官が軍隊を動かして麻薬を運び、兵士を食い物にするなどあってはならないことです」

 

 拳を強く握りしめ、口調が強くならないように精一杯抑制する。サイオキシン中毒に苦しむ同盟軍人は少なくない。一瞬の油断が命取りになる戦場で戦う軍人は極度のストレス状態に置かれ、敵襲に備えているだけで激しく消耗する。疲れきった心身を癒すためにサイオキシンに手を出してしまう。

 

 中毒患者の末路は貧民街で嫌というほど見てきた。正気を失って暴れだす者、衰弱して骸骨のように痩せ細った者、収入を全部サイオキシンに注ぎ込んで子供を餓死させた者、サイオキシンを使ったセックスに耽溺して奇形児を生んだ者、禁断症状に苦しんで自ら命を絶った者などの姿が脳裏に浮かぶ。あの地獄を忘れることなどできない。

 

「昨日、サイオキシン中毒から更生した若者の体験談を読んだ。涙が止まらなかった。貴官の言うとおり、あってはならんことだ」

 

 ドーソン中将は些細な善行を喜び、些細な悪事に怒る人だ。こんな時にはそれがありがたく感じる。

 

「何が何でも検挙しましょう」

 

 自分の中にある感情が怒りなのか恐怖なのかは良くわからない。しかし、あの地獄を二度と見たくないという気持ちだけは本物だ。軍隊に入って暖かい日差しの下で生きられるようになったのに、サイオキシンが作り出す地獄に再び引きずり込まれてはたまらない。一秒でも長く夢を見ていたい、日差しを浴びていたいと思う。

 

 

 

 帝国憲兵隊との合同捜査は当然のことながら、極秘裏に進められた。建前の上では同盟と帝国が連携することなどありえない。同盟にとっての帝国は憎き専制、帝国にとっての同盟は反乱軍であって、交渉など国是が認めないからだ。

 

 捜査対象が軍内部に巣食う犯罪組織で将官の関与も疑われるというのも問題だ。慎重に扱わないと軍の威信を決定的に傷つけてしまう。憲兵隊選りすぐりの腕利きを集めた特別捜査チームが編成され、ドーソン中将が自ら指揮を取った。フェザーンには憲兵隊幹部が駐在武官として出向し、同じように駐在武官となった帝国憲兵隊幹部と定期的に連絡を取り合っている。

 

 ドーソン中将はいつにもまして精力的に動きまわった。彼は俺が資料として渡したサイオキシンの健康被害の悲惨さを訴える写真集、更生した中毒患者の手記、自殺した中毒患者の遺族の悲しみを綴った本、密売組織の残虐さを批判する本などを読んで大いに感情を揺さぶられ、サイオキシンを世界から追放しなければならないと思うようになっていた。サイオキシンの害を科学的に分析した本、中毒患者を生み出す社会構造を研究した本なんかには関心を示さなかったけど、善意に支えられた行動力がドーソン中将の強みなのだから仕方ない。

 

 トップが動くと、副官の仕事も多くなる。会議を開いて情報共有と意思一致を徹底し、政治家や官庁幹部と会って協力を引き出し、現場を訪れては檄を飛ばす。その一方で日常業務も手を抜かない。「体をいくつ持っているんだ」と言われるほどにドーソン中将が動き回ったおかげで副官の俺を通した連絡事項も格段に多くなり、体が三つ欲しくなるぐらい忙しくなった。仲の良い人達と連絡する暇もない。

 

 クリスチアン中佐が率いる連隊は前線に配属され、イレーシュ少佐が艦長を務める駆逐艦はずっと演習に出ていて、俺に連絡する暇もないようだ。アンドリューに至っては、上司である宇宙艦隊司令長官ロボス大将が一〇月初めにタンムーズ星系で帝国軍宇宙艦隊司令長官ツァイス元帥率いる三個艦隊を大破したという記事を読んで前線に出ていたことを知った始末だ。ドーソン中将が幕僚に仕事を割り振ってくれたら俺ももっと楽になるんだけど、陣頭指揮で細かく指示を出すというスタイルで評価されてきたのだから、とやかく言うことでもない。無能な俺にできるのはまじめに頑張ることだけだ。

 

 アンドリューが戦力は頭数と運動量の掛け算だと言っていた。どんなに頭数が多くても動かなければ戦力にならない。逆に頭数が少なくても動きが多ければ戦力として機能する。優れた戦術家は敵の運動量を抑えて、味方の運動量を多くして、相対的な戦力の優位を作り出す工夫をするのだそうだ。人の半分しか能力がない俺でも人の倍動けば、人並みの仕事量になるかもしれない。

 

 

 

 年が明けて七九四年を迎えた。世間はタンムーズ星系会戦の功績で元帥に昇進した宇宙艦隊司令長官ロボスと大将に昇進した宇宙艦隊総参謀長グリーンヒルのコンビを「リン・パオ、トパロウルコンビの再来」ともてはやし、気の早い主戦派マスコミは「次はイゼルローン攻略だ」などとはしゃいでいたが、俺は相変わらず副官の仕事で忙しかった。サイオキシン密売組織の捜査は佳境に入っていて、第一五方面司令官マヘシュ・プラサード中将、後方勤務本部次長兼中央支援集団司令官シンクレア・セレブレッゼ中将、第六艦隊参謀長マシュー・リバモア少将ら将官十数人が捜査線上に浮上している。帝国側でもやはり一〇人を越える将官をリストアップしているらしい。

 

 宇宙艦隊司令部は二月末にイゼルローン回廊の同盟側出口周辺にあるヴァンフリート星系への出兵を発表した。目的はヴァンフリート星系に展開して同盟領辺境星域への侵攻態勢を取る帝国軍宇宙艦隊の撃破。帝国軍は昨年末にツァイス元帥の後任として宇宙艦隊司令長官に就任したミュッケンベルガー元帥の指揮のもと、タンムーズの大敗の雪辱を果たそうとしている。

 

 一方、憲兵司令官ドーソン中将は今回出兵する艦隊・地上部隊・後方支援部隊付属の憲兵隊に司令部勤務の若手憲兵士官五八人を派遣する方針を発表した。前線勤務の経験を積ませる狙いがあるという。

 

 三月三日。憲兵司令部の一室に佐官級の憲兵士官六人が集められていた。いずれもヴァンフリート出兵参加組で俺以外の五人は憲兵司令部の若手士官でも最優秀の人材だ。サイオキシン密売特別捜査チームのメンバーでもある。ドーソン中将は全員が集まったのを確認すると、コホンと咳払いをして、勿体ぶった口調で話し始めた。

 

「本作戦は軍服を着た麻薬密売人どもを一掃し、軍規の尊厳を明らかにする聖戦である。我が軍の将来はこの一戦にかかっている。憲兵隊選りすぐりの貴官らであれば、成功疑いなしと信じておる」

 

 六人を満足そうな目で見回したドーソンはもう一度コホンと咳払いをして、胸を反り返らせる。

 

「ナイジェル・ベイ中佐!第八艦隊後方支援集団憲兵隊長を命ず!同集団司令官クセーニャ・ルージナ少将を拘束せよ!」

「ハッ!」

 

 名前を呼ばれたベイ中佐は一歩前に進み出て元気良く返事をする。

 

「ジェラード・コリンズ中佐!第六艦隊第二分艦隊憲兵隊長を命ず!同分艦隊司令官クレール・ロシャンボー少将を拘束せよ!」

「ハッ!」

 

 ドーソン中将は次々と士官を呼び出して、拘束命令を与える。今回の若手憲兵士官五八人の前線派遣は、本命はサイオキシン密売Iルート同盟側組織の要となっている将官の拘束命令を受けた六人を目立たないように送り込むためのカムフラージュなのだ。六人目への命令が終わったら、俺の番になる。

 

「エリヤ・フィリップス少佐!ヴァンフリート四=二基地憲兵隊長代理を命ず!後方勤務本部次長兼中央支援集団司令官兼同基地司令官シンクレア・セレブレッゼ中将以下の全司令部要員を拘束せよ!」

「ハッ!」

 

 俺は本日付で少佐に昇進し、憲兵司令官副官の職を離れた。拘束命令を執行する六人のうち、俺一人だけが少佐。しかも、拘束対象が司令部全員というアバウトさだ。セレブレッゼ中将率いる後方支援チームがIルートの流通中枢であることまでは判明していたが、将官八人のうちの誰が関与しているかまでは特定できなかった。数人の佐官が関与している形跡もある。だから、全員拘束した後で取り調べようというのだ。

 

「なお、すべての拘束命令執行は遠征軍総司令部の戦闘終結宣言と同刻とする」

 

 同盟と帝国の憲兵隊の合同捜査の総仕上げの将官拘束命令という未曾有の任務に緊張してしまう。お腹も痛くなってきた。部隊を指揮するのも今回が初めてだ。自分に務まるのだろうか。自分がサイオキシン密売組織に感じているのは怒りではなくて恐怖なのだろうか。四=二基地には知り合いが何人か配属されてるけど、今回の任務では頼りにできない。プレッシャーで人間を物理的に潰せるなら、今の俺は紙のように薄くなるまで潰せるに違いなかった。



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第四章:ヴァンフリート
第四章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。憲兵司令官ドーソン中将の副官からヴァンフリート四=二憲兵隊長代理に転じる。エル・ファシルの英雄の虚名に翻弄されつつも懸命に仕事に取り組む。小心者。小柄で童顔。卑屈。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。事務が得意。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

エリヤの友人・知人

クレメンス・ドーソン 44歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。憲兵司令官。エリヤに実務を指導。副官に登用した。同盟軍にはびこる麻薬組織との戦いを指揮している。優秀な実務家だが、細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

ヨブ・トリューニヒト 39歳 男性 原作主要人物

改革市民同盟幹事長。気鋭の主戦派若手指導者。ドーソンと親しい。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

エーベルト・クリスチアン 40代前半 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍少佐。士官学校を卒業した参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アンドリュー・フォーク 24歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍少佐。ロボスに心酔する若手参謀。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

カスパー・リンツ 24歳 男性 原作人物

同盟軍大尉。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

義勇旅団関係者

ラザール・ロボス 56歳 男性 原作人物

同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。同盟軍屈指の名将。人心掌握にも長ける。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

カーポ・ビロライネン 33歳 男性 原作人物

同盟軍軍人。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

マリエット・ブーブリル 35歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エル・ファシル関係者

ヤン・ウェンリー 27歳 男性 原作主人公

同盟軍軍人。真のエル・ファシルの英雄。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。。

 

アーロン・ビューフォート 30代半ば? 男性 原作人物

同盟軍軍人。エル・ファシル脱出作戦に参加。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 50歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 49歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 28歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 21歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第三十一話:食えない薔薇 宇宙暦794年3月 ヴァンフリート星系4=2基地

 ヴァンフリート星系第四惑星第二衛星の通称はヴァンフリート四=二という。無人星系においては中心となる恒星のみ固有名詞を与えられ、惑星や衛星の呼称は番号で呼ばれる場合が多い。地表は氷と岩石と亜硫酸ガスで覆われ、大気はきわめて希薄。重力は惑星ハイネセンの四分の一の〇.二五G。俺が現在勤務している基地はそんな不毛の惑星の南半球にあった。

 

 ヴァンフリート四=二基地は来るべきイゼルローン要塞攻略戦の後方支援を目的として設置された。補給・通信・医療・整備の各機能を完備し、数十万人分の被服・燃料・糧食・武器・弾薬を収納できる倉庫群、数千隻の輸送船が停泊可能な宇宙港、軍事用シャトル数万基が発着可能な巨大滑走路といった設備も持ち、数万隻の軍艦に対する後方支援が可能だ。方面管区司令部が置かれてるような基地でも、これだけの規模の支援能力を持つ基地は少ない。

 

 ヴァンフリート四=二に降り立った俺は基地の大きさに驚いたが、一〇〇日そこそこで建造されたという話を聞いてさらに驚いた。チーム・セレブレッゼの実力は後方支援業務経験者なら誰でも知っているが、実際に目の当たりにすると圧巻としか言いようがない。

 

 分艦隊及び星系管区警備艦隊より大きな単位の部隊には、輸送艦・補給艦・整備工作艦・作業工作艦・病院船などの補助艦艇からなる後方支援集団が付属している。司令部の後方担当参謀が作成した後方支援計画に従い、各艦の補給責任者と協力して補給・輸送・整備・医療・工兵等を担当する実働部隊だ。中央支援集団は国防委員会直轄部隊で全軍の後方支援組織の中心に位置している。

 全軍の後方支援計画の作成及び監督を行う後方勤務本部を後方支援における統合作戦本部とすると、中央支援集団は宇宙艦隊に匹敵する存在といえる。現在の中央支援集団司令部は歴代最強メンバーと言われ、司令官の名前から「チーム・セレブレッゼ」と称されていた。そのチーム・セレブレッゼの最高幹部である将官八人の誰かがサイオキシン麻薬組織の幹部というのは前代未聞のスキャンダルだろう。ヴァンフリート四=二の基地憲兵隊長代理として赴任した俺の本当の任務は、自由惑星同盟軍史上最高の後方支援集団司令部メンバー全員に対する拘束命令の執行だった。

 

 中央支援集団司令官と後方勤務本部次長を兼ねるシンクレア・セレブレッゼ中将は今年で四八歳。現在はヴァンフリート四=二基地において、ヴァンフリート星域に展開する宇宙艦隊の後方支援を指揮している。現在の同盟軍の後方支援システムを構築した人物で、国防研究所研究員時代に発表した数々のロジスティックス理論は民間分野でも応用されていた。後方支援組織の運用にも卓越した力量を示し、セレブレッゼ中将が後方支援を指揮すると物資の流れは整然とした旋律を奏でて、時計の針のような正確さと疾風のような迅速さで前線に行き渡ると言われる。

 

 自由惑星同盟軍にはドーソン中将のような優秀な後方幕僚が大勢いるが、彼らの優秀さはあくまで既存のシステムの運用者・管理者としての優秀さだ。セレブレッゼ中将は効率的な後方支援システムを構築してその運用管理ノウハウを簡易なマニュアルに落としこむ才能に長けていて、別格の存在といえる。彼に比肩する才能を持つのは統合作戦本部後方参謀部長アレックス・キャゼルヌ准将ぐらいだが三三歳と若く、経験の点で及ばない。名実ともに自由惑星同盟軍の後方支援の第一人者というのが現時点におけるシンクレア・セレブレッゼ中将に対する一般的な評価だ。

 

 一方、俺が現実で読んだ歴史の本ではセレブレッゼ中将はヴァンフリート四=二基地の戦闘で若き日の獅子帝ラインハルトに捕らえられて准将から少将に昇進するきっかけを作った人物、あるいはアレックス・キャゼルヌ以前の後方支援の第一人者として名前が上がるぐらいで、具体的な業績や人柄についてはほとんど触れられていない。軍事の専門書にはもっと詳しく触れられていたのかもしれないが、俺が読んだのは一般向けの人物伝や戦記ばかりだったのだから、セレブレッゼ中将の業績など些末事なのだ。

 

 もっとも、かつての俺が軍事の専門書を読んでも、セレブレッゼ中将の業績は理解するのは不可能だっただろう。軍人としての実務経験を積んで初めて理解できるようになった。歴史の本の中で「大将になった事自体がおかしい」と評されていたドーソン中将の真価もやはり実務経験を積んだ後に理解できた。

 

 現実の俺は何も学ばず何も経験せず、ただ時間をやり過ごして八〇年を生きた。自分の身の回りのこともまったく理解できなくて、何もせずに状況をただ受け入れるだけだった。だからこそ、理解できることが増えるのは喜びに感じる。かつてと比べ物にならないぐらい、俺に見える世界は広がった。しかし、世の中には理解できない方が良かったこともある。現在の俺の頭痛の種、シェーンコップ中佐がその好例だ。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ中佐の有能さを疑う者は誰一人として存在しない。一八歳で同盟軍陸戦学校を卒業して伍長に任官し、二二歳で幹部候補生養成所を卒業して少尉に任官して亡命者部隊ローゼンリッターの小隊長となり、三〇歳の現在では中佐まで昇進してナンバー2の副連隊長を務めている。

 

 白兵戦技検定・射撃検定・体力検定のすべてにおいて最高ランクの特級にあり、勇猛さも群を抜き、自由惑星同盟軍最強の戦士の一人と目される。地上戦指揮官としても卓越した力量を持ち、大部隊の組織的運用と少数精鋭部隊による強襲戦術の両方に長けている稀有な人物だ。部隊運営能力も高く、彼が指揮する部隊では規律が隅々までいきわたり、装備の手入れも行き届き、報告書や命令書は簡潔にして明快だ。部下を心酔させるカリスマ性、若手を育成する指導力も最高水準で備えている。下士官からの叩き上げであるにも関わらず凡百の士官学校卒業者を凌ぐ昇進速度を誇り、将来の地上軍を担う存在として期待されていた。

 

 しかし、人格的には危険極まりないという評判だ。上位者に対する服従心、国家に対する忠誠ともに稀薄だが、反骨精神は旺盛。言動や女性関係が奔放であるにもかかわらず、一度も処罰されたことがない用心深さも持つ。

 

 歴歩の本を読んだ時はヤン・ウェンリーに仕える前のシェーンコップ中佐が危険視される理由がわからなかった。しかし、四=二基地に赴任して、軍規を取り締まる憲兵の立場で関わるようになって初めてシェーンコップの扱いづらさが理解できた。こんな人間を四年も部下として使ったという一点においてヤン・ウェンリーは偉大であると言っていい。一〇年近く彼の片腕を務めたという一点においてリンツは尊敬されるべきだ。まあ、リンツは幹部候補生養成所時代から尊敬すべき人間だったが。煮ても焼いても食えないというのが、俺がシェーンコップ中佐に対して抱いた印象だった。

 

「憲兵隊長代理殿、本日は何の御用でしょうか」

 

 貴族的な美貌に優雅な物腰を持つシェーンコップ中佐はうやうやしく一礼した。礼節を完璧に守りながら嘲弄の意を明確に伝える振る舞いはいつもと全く同じだ。彼はことさらに俺だけを軽視しているわけではなく、万人に等しくこんな態度を取るらしい。この基地で一番偉いセレブレッゼ中将を怒らせたことも一度ではないそうだ。怒れば狭量に見られ、見過ごしておくにも我慢ならないというギリギリのラインを一歩も踏み外さないから腹が立つと言っていた人がいたけど、俺はあまり腹が立たない。貫禄の差が圧倒的すぎて、軽視されて当たり前のような気がするのだ。

 

「シェーンコップ中佐。当方の調査では、貴官は当基地に着任されてからの四〇日間で一二人の女性と関係をお持ちになったそうですね。事実に相違ないでしょうか?」

「事実に反しておりますな」

「どの点に相違があるでしょうか」

「昨晩、一三人目と関係を持ちました。事実関係の把握には正確を期していただきたいものです」

 

 しまった、と思った。シェーンコップ中佐は他人の言葉の中にある誤りを決して見逃さない。見つけた誤りを細かく指摘して自分のペースに持ち込んでいく。いつも引っかかってるのに何ら対策を打ち出せない頭の悪さが悲しくなってしまう。

 

「申し訳ありません」

「ご理解いただけましたか。有り難いことです。ところで、憲兵隊長代理殿は小官が一三人の女性と関係を持ったことが事実であるということを確認されたかったのでしょうか?」

「何ぶんにも相手がある話なので、中佐ご本人のお話も伺っておきたかったのです」

「石橋を叩いて渡ると評判の憲兵隊長代理殿らしいですな。それでは失礼いたします」

 

 シェーンコップ中佐はわざとらしく頭を下げると、くるりと背を向けて憲兵隊長室から出ていこうとした。

 

「あ、待ってください!まだ話終わってないんです!」

 

 俺が慌てて呼び止めるとシェーンコップ中佐は再びこちらを向いてニヤリと笑う。完全にあっちのペースにはまってしまってる。俺って本当馬鹿だ。

 

「シェーンコップ中佐の女性関係に関して苦情が何件も入っているんです」

「ほう、そのようなつまらない苦情にも対処せねばならないとは。憲兵隊長代理殿のご苦労お察ししますぞ」

 

 あんたのせいだと突っ込む気も起きない。実のところ、俺だって異性交際なんて勝手にやればいいと思ってる。だから最初のうちは苦情が来ても放置していたんだけど、シェーンコップ中佐と寝た女性同士がさや当ての末に殴り合いをしたと聞いて釘の一本も差しておくことにしたのだ。差さる相手でないのはわかっているけど、せめて差すふりぐらいはしないと立場上まずい。

 

「一昨日の晩にマルグリット・ビュッサー伍長とエルマ・カッソーラ軍曹が殴り合いの喧嘩をいたしまして。それで…」

「それはいけませんな。戦友同士仲良くしないと」

「ええ、おっしゃるとおりです…」

 

 シェーンコップ中佐は俺の言葉を遮って、他人事のようにとぼけてみせる。「基地内の風紀がどうこう」みたいに言っても鼻で笑われるのは火を見るより明らかだったから、「喧嘩は良くない」の線で攻めてみようとしたけど、やはり歯が立たなかった。

 

「憲兵隊長代理殿が両人の仲直りをご希望ならば、不肖ながらこのワルター・フォン・シェーンコップ、仲立ちの労を厭いませんぞ。何と言っても平和が一番ですからな」

 

 どうしてそういう話になるんだ。この人に口で勝てる気がしない。体ではもっと勝ち目ないけど。

 

「仲直りは当人同士の問題ですから、小官には何とも言いかねるのですが、もうちょっとこう、貴官が女性関係を控えめにしていただけたら、喧嘩の種も無くなるんじゃないかと思うんですよね…」

「憲兵隊長代理殿は喧嘩に心を痛めておられるということなのですな」

「まあ、そういうことです」

「他でもない憲兵隊長代理殿の仰せであれば、微力を尽くしましょう」

 

 え!?これでいいの?なんかあっけないけど、納得してくれたなら良かった。

 

「ありがとうございます」

「小官としたことが、女性はアフターケアを怠れば嫉妬するということをすっかり失念しておりました。今後はこのようなことがないように努力いたしましょう」

「そ、そっちの努力ですか…」

「まさか、双方の合意のもとに成り立つ自由恋愛をやめろなどと言うために小官を呼び出したわけでもないでしょう。基本法令集と国防関連法令集を判例も含めて暗記しておられると評判の憲兵隊長代理殿であれば、自由恋愛を禁止する規定が我が国に存在しないことはご存知でしょうからな」

 

 法律を盾に反論を封じられてしまった。この人は俺が法律を暗記してることまで利用してくる。「憲兵隊長代理殿、宇宙軍基地服務規則第四五条では何と言いましたかな」などと聞かれ、条文に一般的解釈を付けて答えると、「では、小官の行動の正当性は服務規則が保障してくださってるわけですな」と返されるといったやりとりは日常茶飯事だった。

 

「おっしゃるとおりです」

「自由恋愛にかまけて軍規を蔑ろにしたというのであれば、お叱りも甘受いたしましょう。しかし、小官は任官より今日に至るまで一度も軍規違反を犯したことはありません。不勉強なそこらの憲兵ならいざ知らず、軍規に通じておられる隊長代理殿が法的根拠無く小官の自由恋愛に介入しようとなさるのであれば、法を枉げたとの誹りは免れんでしょうな。隊長代理殿がそのようなことをおっしゃるとは夢にも思いませんが」

 

 軍隊において嫌いな人間を攻撃する手段として最もポピュラーなのは、軍規違反を探して処分に追い込むことだ。訓告や口頭注意といった軽微な処分であっても、度重なれば昇進や昇給の面で不利になる。不良軍人のレッテルを張られて周囲から忌避されることもありうる。処罰対象となる違反事項は軍刑法・服務規則・倫理規程・訓令といった多岐にわたる規律関連法令の中に無数に規定されており、その気になれば真面目な人間でも一つか二つぐらいには引っ掛けることができる。軍隊で他人に嫌われるリスクは果てしなく大きいのだ。

 

 しかし、シェーンコップ中佐は軍規に引っ掛けようとする敵に事欠かないにも関わらず、一度も処罰を受けたことがない。ルールを知り尽くし、合法性を完全に確保して感情論以外の反論を封じた上で好き勝手に振る舞ってのけるのがシェーンコップ中佐の恐ろしいところだった。

 

「まったく、貴官のおっしゃるとおりです」

「憲兵隊長代理殿はいつも物分かりが良くて助かります。それでは失礼いたします」

 

 にやりと笑って敬礼すると、シェーンコップ中佐は部屋から退出した。背中が汗でびっしょりになっているのがわかる。彼と会うたびに、肉食獣のいる檻の中に放り込まれたかのようなプレッシャーを感じる。これが格の違いと言うことなのだろう。好き嫌いの対象にもならないほどに次元が違う。こんな存在と出くわすのは人生で初めてだった。

 

 その三日後。俺は苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をした四=二基地憲兵隊副隊長ファヒーム少佐に説教されていた。

 

「隊長代理、あんなことを言われては困りますな」

 

 ファヒーム少佐は五〇代後半のベテラン憲兵だ。短い白髪に鋭い目つき。横柄で口やかましく、容姿も性格も世間がイメージする憲兵のイメージそのままの人物。階級が同じ上に三〇歳ほど年下の俺の補佐役に回されたのが不満なのか、何かと突っかかってくる。しかし、今回に限っては完全に俺が悪い。

 

「いや、まさかああなるとは思わなくて…」

「シェーンコップ中佐がどういう人間かご存知でしょう?今回の件に限らず、隊長代理は彼に対して弱腰すぎます。このままでは憲兵がローゼンリッターに舐められてしまいますぞ」

「ほんとごめんなさい」

「憲兵隊長代理殿がお許しになったと言われておおっぴらに女性を口説かれては、隊内の風紀維持に務める憲兵の立場がありませんぞ」

 

 隠れ蓑のはずの憲兵隊長代理の仕事でここまで苦労するとは思わなかった。シェーンコップ中佐以外の面倒事も多い。クリスチアン中佐やリンツなどの旧知がいるから、拘束命令執行までは楽に過ごせると思っていたけど甘かった。こんな有様で今後もやっていけるんだろうか。司令部の規律維持強化という名目で最重要拘束対象の将官八人に憲兵を貼り付けて監視下に置くことには成功したが、拘束命令を執行する前にストレスで死んでしまうかもしれない。



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第三十二話:建前の使い方 宇宙暦794年3月21日 ヴァンフリート星系4=2基地

 憲兵隊は軍警察とも呼ばれ、軍隊内の秩序維持に専従する部隊だ。そのせいか、あら探しに熱心で弱い者いじめが大好きというイメージを持たれることが多い。そういう側面があることは否定しない。規則違反の摘発実績が憲兵の人事評価の中で大きなウエイトを占めているため、規則にやかましくて少しでも違反があれば、許されざる大罪を犯したかのように責め立てるような者が有能な憲兵とみなされがちだ。年度末になると隊内を見まわる憲兵の数が倍に増え、普段は摘発されないような違反まで摘発されるという笑えない光景が展開される。

 

 しかし、規則違反の摘発だけが憲兵の仕事ではない。軍隊の中で起きた交通事故や盗難事件の処理、軍施設や占領地の交通整理、揉め事の仲裁といった日常的な治安維持活動も行う。私的制裁、捕虜虐待、民間人への暴行などの取り締まりも憲兵が担当している。本来の憲兵は軍隊の平穏な日常を守り、まじめな軍人や市民を不良軍人の暴力から守る尊い仕事のはずなのだ。

 

「スライマーニー少尉が勤務中にミネラルウォーターを飲んでいたことはわかりました。しかし、小官にはそれのどこが問題なのかわかりかねるのです。説明いただけませんでしょうか」

「勤務中に水を飲むなど、怠慢の極みではありませんか。整備小隊長ともあろう者がこれでは部下に示しがつかないでしょう。憲兵隊長代理もそう思われませんか?」

 

 俺がいれたコーヒーに目もくれずに背教者を糾弾する審問官のごとく糾弾の言葉を吐くのはダヴィジェンコ曹長。輸送車両を整備していた時に三分ほど休んでミネラルウォーターを飲んでいた整備小隊長スライマーニー少尉の行為が職務怠慢にあたるのだそうだ。憲兵隊にはこの種の「情報提供者」がしょっちゅうやってくる。

 

「小官の知る限り、整備任務中に水を飲むことを禁ずる規定は存在しないはずですが」

「職務怠慢ではありませんか。整備員の気の緩みは事故につながります。厳罰に処して軍規の厳正を明らかにすべきです」

 

「職務怠慢」「風紀を乱す」などはこの種の情報提供者が大好きな言葉だ。他人の行動を強引なこじつけで悪事のように言い立てて、点数稼ぎをしようと思っているにすぎないのだが、それに乗っかって処罰を下す憲兵が少なくない。いくら摘発実績が欲しいからといっても、このような手合いと結託して処罰対象でない行動に軽々しく処罰を下すなど、本当に情けない。軍規の番人たる誇りはどこに捨てたのかと悲しくなる。

 

「整備員の義務と責任、禁止行為は同盟軍整備員服務規則に規定されています。これから全文読み上げますので、スライマーニー少尉の行動がどの義務条項に違反するか、どの責任条項に違反するか、どの禁止行為に該当するか、ご指摘ください。法律の世界では条文と実際の運用が必ずしも一致しないこともあります。『この条文はこう解釈できるのではないか』という疑問がありましたら、小官が一般的な解釈と代表的な適用例を説明して、貴官の解釈が成り立つかどうか、二人で話し合っていきましょう」

「あ、いや…」

「小官の記憶が誤っているかもしれません。ご指摘いただけると助かります」

 

 人の意見を聞く際には必ず根拠を求める。自分が意見を述べる際には必ず根拠を提示する。相手に根拠を求められた場合は説明の手間を惜しまない。説明するまでもなくわかりきってるようなことでも、手続きとしての説明を必ず行い、自分と相手がどのような根拠に基づいて動いているかを明確にする。ルール遵守と説明責任の徹底がドーソン中将から学んだ仕事のスタイルだ。

 

「いえ、小官ごときが憲兵隊長代理に指摘できることなど…」

 

 ダヴィジェンコ曹長の表情からは先ほどまでの勢いが消し飛び、目は前後左右にふらふらと泳ぎ、声はやや震えている。俺は彼の目にしっかりと視線を合わせた。

 

「貴官はスライマーニー少尉が職務怠慢であると告発なさってるんですよね。しかし、小官には根拠がわかりません。だから、指摘をいただければと思っているのです」

 

 軍隊ほどルールの遵守が求められる組織はない。何をするにもルール上の根拠を厳格に要求され、少しでも根拠が怪しいと追及を受ける。軍人に結果オーライで勝手な行動を許してしまうと、取り返しの付かないことになってしまうからだ。

 

 ドーソン中将は自らの行動の根拠を明示することで信頼性を高め、他人の行動の根拠を厳格にチェックすることで組織をコントロールする名人だった。細かい情報でも求めて現場に足を運んだのは、より確実な根拠を求めていたからだった。アイリスⅦや第一艦隊司令部にいた頃にドーソン中将に何度もレポートを書き直しさせられたが、今思えば根拠の明示を徹底する勉強だったのだろう。あの時に根拠の集め方と提示の仕方を学んだ。愚直なまでに根拠を求める姿勢が説得力を生む。ダヴィジェンコ曹長を「くだらないことを言うな」と叱って追い返すだけでは意味が無い。

 

「え、ええと…」

 

 落ち着かない様子のダヴィジェンコ曹長はテーブルの上のコーヒーを一息に喉に流し込む。俺はテーブルポットを手にとって、空になった彼のコーヒーカップにすかさずコーヒーを注ぐ。これは徴兵される前のコーヒーショップのバイトで身につけた習慣だ。帝国での捕虜収容所生活、帰国後の迫害、数度の服役、サイオキシン中毒、自殺未遂などを経て何も考えられなくなった頭でも、これだけは忘れなかった。

 

「指摘いただけないのでしょうか?」

「う、ううっ…」

「指摘はできないということでしょうか?」

 

 問い詰めると、ダヴィジェンコ曹長は声を出さずに軽く頷く。ようやく言質が取れた。

 

「我々憲兵隊は皆さんの情報提供に支えられて活動しています。貴官が協力したいという気持ちはありがたいです。しかし、軍規に反していない行為は処罰できないのです。貴官はスライマーニー少尉を厳罰に処して軍規の厳正を明らかにすべきとおっしゃいましたが、軍規に反していない行為を厳罰に処したら、誰も軍規を信じなくなってしまいます。憲兵の仕事は厳しく罰を与えることではありません。皆さんに軍規を信じていただけるよう努力するのが仕事です」

 

 俺が言っているのは建前だ。しかし、建前を大事にしなければ自分勝手がまかり通ってしまう。気に食わないからといって罪もない人間を告発し、むかついたといって新兵を殴り倒すような輩を処罰する根拠になるのは建前なのだ。ルールで動いている場所では、建前を愚直に守ることが力となる。

 

 ドーソン中将は憲兵司令官に着任すると、俺が集めた資料から公文書や会計の不正などを暴き出して、不正は許さないという建前を貫くことで憲兵司令部を掌握した。エル・ファシルを脱出した時にネットで自分の行動が合法であることを知ってホッとした時から、軍人の行動には建前が必要なことは知っていたが、それを押し通すことがこれほど強い力を発揮するとは思わなかった。基本法令集と国防基本法と軍刑法は幹部候補生養成所時代に全文暗記したけど、副官になってからは他の法律や軍の内規も勉強するようになった。ルールの建前と実際の運用を理解しなければ、ドーソン中将の副官は務まらないと思ったのだ。

 

 決してルールを踏み外さないシェーンコップ中佐のような相手には通用しない手法だけど、今の俺の立場ならそういう相手と対立する理由はない。理由がないことをしたら、建前が使えなくなる。

 

「こちらを見てください」

 

 俺が指さした先には、私的制裁追放のスローガンと匿名相談窓口のアドレスが書かれたポスターと、大隊ごとの相談受理数及び摘発数のグラフが貼られている。

 

「現在、当基地の憲兵隊は一丸となって私的制裁追放キャンペーンに取り組んでいます。協力したいという気持ちをお持ちなら、憲兵隊がどのような情報を求めているかもご理解いただけると助かります」

 

 俺は着任すると私的制裁追放の方針をぶち上げて相談窓口を設置し、憲兵隊を動かして三日かけて広大な四=二基地内にポスターを貼って回った。あまりにたくさん貼り過ぎたせいで苦情が来たほどだ。大隊、中隊、小隊ごとに相談受理数と摘発数のノルマを設定し、朝礼のたびに檄を飛ばした。基地の中では歓迎する声もあるが、やり過ぎだという声の方が大きい。特に中央支援集団司令部からの批判は激しかった。以前からパワーハラスメントの噂がささやかれていた中央支援集団司令部を憲兵隊が重点監視対象に指定し、憲兵を常駐させたからだ。

 

「フィリップス少佐は功績を焦っているのではないか」

「じゃがいもの威光を笠に着て威張りおって」

「勇み足にも程がある」

 

 このような声があちこちでささやかれている。生意気で鼻持ちならないエリート、暴走気味の理想主義者というのが中央支援集団司令部での俺の評判だろう。老練な憲兵である副隊長ファヒーム少佐も俺のやり方を快く思っていない。嫌われるのは辛いけど、それでもあえて強硬にやらざるを得ない理由があった。

 

 中央支援集団司令部メンバー全員の拘束が俺の本当の任務だ。四=二基地の憲兵隊内部にもサイオキシン麻薬組織の協力者がいる可能性を考慮して、ファヒーム少佐にすら本当のことは知らせていない。

 

 誰の協力も得ずに中央支援集団司令部を監視下に置き、総司令部の戦闘終結宣言が出ると同時に拘束命令を執行できる態勢を整えておかなければならない。司令部内部にいる麻薬組織メンバーの警戒を逸らす必要もある。これらの問題を解決するために私的制裁追放キャンペーンをぶちあげてブラフにした。中央支援集団司令部に堂々と憲兵を送り込み、なおかつ麻薬密売が露見していないと思わせる一石二鳥。

 

 もちろん、こんな作戦を俺一人で思いつくはずがない。出発前にドーソン中将と相談して練り上げた。純粋に俺のアイディアといえるのは、司令部のパワーハラスメントに関する情報提供を歓迎して、憲兵隊以外の人間も情報提供者として監視網に組み込むぐらいだ。

 

 ドーソン中将は悪口や自己アピールを真剣に聞き入れて貴重な情報としたため、そういう話を持ち込むつまらない人間が集まって憲兵司令部の空気が悪くなった。俺が空気を良くしようと思って憲兵司令部メンバーの良い話をするように務めると、ドーソン中将が良い話を聞きたがっていると思った人達が集まった。他人が良い話を持ち込んでくることまでは予想外だったけど、この経験から下は上が喜ぶ情報を敏感に察知して持ち込んでくるということを学んだ。摘発実績がほしい憲兵のもとに、規則違反の情報を持ち込む人間が集まるようなものだ。

 

 この手段で集まる情報は玉石混交だが、今回のように情報網を作ること自体に意味がある場合は有効だろう。実際、変な取り巻きができる弊害があったドーソン中将の情報収集手法も他人の粗を大小漏らさず知りたい場合には有効だった。だから、憲兵司令部の不正を洗い出すことができた。

 

 ブラフとして始めた私的制裁追放キャンペーンだったけど、やる気は十分以上にあった。現実で故郷を追い出された後に志願兵として軍に入った時に受けたリンチは俺を廃人同然の状態にした。除隊が半年遅れていたら殺されるか自殺に追い込まれるかしていただろう。今の俺が士官になっているのも元はといえば、兵役を満期まで勤めるのが怖かったからだ。私的制裁を批判する時は言葉に熱がこもってしまう。

 

 どうやら、俺は酷い目に遭ったことを思い出すと、必要以上に感情が入ってしまうようだ。エル・ファシル脱出前日の記者会見の時もそうだった。嫌われるのが怖い俺が今回の任務でなんとか悪役を演じていられるのもサイオキシン中毒の記憶のおかげだ。メディアの前で思ってもいないことをぺらぺら言ってた英雄や義勇旅団長をやってた時とは気合が違う。

 

「そろそろ、失礼してよろしいでしょうか…」

「お疲れ様でした。今後とも憲兵隊への協力をお願いします」

 

 顔から血の気を失って足元がふらついているダヴィジェンコ曹長のためにドアを開ける。曹長が出て行くと俺も廊下に出て、彼の背中に向かって軽く敬礼をする。曹長とすれ違うように廊下の向こうから悠然と歩いてくる人影が見えた。こんな場所を貴族のような優雅な足取りで歩く人間はこの世でただ一人。ワルター・フォン・シェーンコップ中佐だ。俺に気づくと、お出迎えご苦労といった感じで軽く手を上げる。

 

 シェーンコップ中佐は最近は二日に一回ぐらい憲兵隊長室にからかいに来る。俺が出したコーヒーを三杯ぐらい飲んで帰って行くけど、一体何を考えているんだろうか。リンツに聞いたところによると、「コーヒーをただで飲めるから」らしいが、ローゼンリッターの司令部と逆方向の憲兵隊本部までわざわざ来る理由になるんだろうか。この人の考えることは本当にわからない。

 

 今回の任務は何かと精神的ストレスが多い。今日三月二一日の未明から同盟軍と帝国軍は戦闘状態に入り、基地の中も戦時支援体制に移行してピリピリしている。これから、もっとストレスが多くなるだろう。この基地のある第四惑星宙域は同盟軍の勢力圏のど真ん中で、戦闘に巻き込まれる可能性は低い。そもそも、こんな大規模な後方基地は戦闘が起きることが想定される場所には作られない。

 

 現実ではヴァンフリート四=二は激戦地になっているが、帝国軍のミュッケンベルガー元帥がグリンメルスハウゼン中将を主戦場から隔離するために配置したのがきっかけだった。北半球に陣取ったグリンメルスハウゼン艦隊と南半球のヴァンフリート四=二基地駐留部隊の間で遭遇戦が始まり、やがて上空に帝国軍と同盟軍の主力がなだれ込んで混戦となった。偶然から始まった戦闘は偶然の連続で展開し、誰も状況を把握できないままに不本意な戦いを強いられ、惰性で長期戦に突入してうやむやのうちに終結した。戦記では「これほど必然性と無縁な展開に終始した戦いはなかった」と評されている。

 

 ミュッケンベルガー元帥がなぜ敵の勢力圏の奥深くにわざわざグリンメルスハウゼン中将を配置したのか、グリンメルスハウゼン中将はなぜすんなり第四惑星宙域まで辿りつけたのかなど、発端からして不明なのだ。いくつもの説が存在したが、どれも無理があって定説となるには至らなかった。戦記を読んだからこそわかる。あんな偶然は何度も起きるものではないと。

 

 仮に戦いが起きるならシェーンコップ中佐は頼りになる存在だけど、今回は単なる困った人で終わるだろう。役に立たないであろう現実の戦いのことは頭から追い払い、シェーンコップ中佐に飲ませるコーヒーを用意するために部屋に入った。



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第三十三話:不安に耐える戦い 宇宙暦794年3月24~27日朝 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年三月二四日。ヴァンフリート星系で同盟軍と帝国軍が交戦状態に入ってから、三日が経っていた。各部隊は連携を欠いたまま個別に戦闘を展開しており、総司令部は十分に戦況を把握できていないという。帝国軍もやはり連携を欠いており、戦域全体が無秩序な混戦状態に突入しているらしい。後方支援業務の調整もうまくいっておらず、各艦隊・分艦隊から入ってくる要請を総司令部がそのまま後方基地へ伝達している。

 

 四個艦隊もの大兵力に対する後方支援ともなると、高度な業務処理能力を持っていなければおぼつかない。補給要請がバラバラに入ってきたら、処理すべき業務量は何倍にも跳ね上がる。しかも、通信状態が悪くて連絡も遅れがちだ。後方支援要員は二四時間体制で連絡が入り次第物資を送り届ける準備を整えている。

 

 四=二基地の中央支援集団司令部の負担は想像を絶するものであったが、シンクレア・セレブレッゼ中将の手腕によって破綻を免れていた。膨大な要請を素早くかつ適確に処理していくセレブレッゼ中将の指揮は大軍を寡兵で撃退する名将の用兵を彷彿とさせる。セレブレッゼ中将を補佐する副司令官カルーク少将、参謀長ラッカム少将、各部門の責任者を務める工兵団司令官シュラール工兵少将、衛生業務集団司令官オルランディ軍医少将、通信業務集団司令官マデラ技術准将、整備業務集団司令官リンドストレーム技術少将、輸送業務集団司令官メレミャーニン准将らの手腕も同盟軍最高峰の後方支援のプロだけのことはあった。彼らの拘束命令を受けている俺でも感嘆せずにはいられなかった。

 

 全機能をフル稼働させた四=二基地は慌ただしい雰囲気に包まれていたが、全員が忙しかったわけではない。この基地には後方支援要員の他に二万人ほどの警備・戦闘要員が所属している。全員が単一の部隊というわけではなく、連隊・大隊規模の雑多な地上軍部隊で構成されている。基地警備にあたる二個連隊と憲兵隊以外は必要に応じて前線に投入される予備部隊だ。艦隊戦が決着しそうにない現状では彼らの出番は無く、後方支援部門の喧騒とは無縁でいられた。第一七七歩兵連隊長エーベルト・クリスチアン中佐もその一人である。

 

「今回の戦いはどうなるんでしょうね。こんなぐだぐだした展開の戦いは初めてなんで予想付かないですよ」

「不安か?」

「ええ、なんか落ち着かないですよ」

 

 中央支援集団司令部を監視しながら拘束のタイミングを待つというのは精神力の必要な任務だった。私的制裁追放キャンペーンを大げさに展開しているせいで俺に敵意を向ける人間も多い。ファヒーム少佐を始めとする古参の憲兵は俺の行動をスタンドプレーとみなして反発しているし、シェーンコップ中佐も厄介な相手だ。早く戦いが終わってくれないとただでさえ乏しい精神力が尽きてしまいそうだ。

 

「貴官は実戦経験が乏しいからな。待つことに慣れてないのも無理はないが、いずれ慣れないといかんぞ」

 

 クリスチアン中佐は盛大に勘違いをすると、分厚いステーキにドスンとフォークを突き刺してガブリとかじる。中佐は俺の本当の任務を知らないから、勘違いをするのは当然だけど。

 

「実戦で一番難しいのは待つことだ。不安に押しつぶされそうになる。それに比べたら、戦闘なんて楽なものだな」

「そうなんですか?」

 

 敵を待つだけでストレスになるというのは幹部候補生養成所の授業で習った。発散するために違法賭博や麻薬に手を出す兵士が多い。しかし、死の恐怖はもっと強いのではないだろうか。どっちも実戦では経験したことないけど。

 

「不思議なものでな、長い間戦場にいると、敵と出会うことを願うようになるのだ。敵が出てくればこれ以上待つ必要がなくなるからな。死ぬのがわかっているのに敵を求めて突撃する者さえいる。不安に苦しむぐらいなら、死んだ方がマシと思うのだ」

 

 そういえば、エル・ファシル義勇旅団の時も待つのに耐え切れなくて出戦を志願する義勇兵がたくさんいたなあ。「戦って死にたい」と泣いて直訴してくる人もいた。当時は故郷を取り戻す戦いでお客さん扱いされるのが辛かったんだろうと思ったけど、出番を待つ不安も大きかったのかな。最初で最後の出動命令が出ると、義勇兵の顔は明るくなった。誰が見てもおまけ扱いとわかる命令を喜ぶ理由がいまいちわからなかったけど、不安が消えてほっとしたのかもしれない。メディアが報じる義勇旅団の活躍を事実だと信じてるクリスチアン中佐には言えないけど。

 

「心当たりはあります」

「エル・ファシルか」

 

 背筋がひやりとした。気づいていたのか。

 

「あのリンチも敵の攻撃を待つ間の不安に耐えられなかったのかもな。エル・ファシル本星に逃げこんですぐに敵の攻撃を受けたら立派に戦って死ねたかもしれん」

 

 ホッとするとともに後ろめたさを感じた。クリスチアン中佐は俺の実戦経験の乏しさを心配してくれているのに、俺は隠し事をしている。そもそも、現実においてどのように生きていたかを誰にも言えない時点で、すべての人に隠し事をしてると言える。中佐のように公明正大に生きられない自分が情けなくなる。今の俺は逃亡者ではないが、卑怯者だ。

 

「公明正大に生きるって難しいですね。一時の不安に耐えられなかっただけで、リンチ提督のように踏み外してしまいますから」

 

 リンチ提督のことは他人事ではない。現実の俺は不安から逃れるために酒や麻薬に溺れて、挙句の果てにサイオキシンにまで手を出したのだ。彼のせいで人生を踏み外してしまったけど、それでも恨む気にはなれなかった。クリスチアン中佐の意見を聞いた今は親近感さえ感じる。

 

「誰もが貴官のようには生きられんからな」

「俺が、ですか…?」

「うむ。貴官は公正な男だ。原理原則を踏み外すことはなく、誰に対しても誠心誠意接する。他人を好き嫌いと別の角度で見ることができる。貴官の真価は人格にこそあると小官は思う」

 

 俺が原理原則を踏み外さないのは自分の判断を信じるのが怖いからだ。他人に誠心誠意で接するのは期待を裏切るのが怖いからだ。他人を好き嫌いと別の角度で見ようとするのは自分の好き嫌いを信じるのが怖いからだ。公正とは正反対の存在だろう。

 

「怖いんですよ。自分を信じるのも他人を裏切るのも。公正なんかじゃないです」

「動機はどうあれ、貴官が公正であろうと努力しているのは事実だ。真似事であっても貫き通せば本物になる。救われる者も多いだろう。それで十分ではないか」

「俺は本物になれるんでしょうか…?」

「小官にはとっくの昔に本物になっているように見えるがな。今回の私的制裁追放キャンペーンも実に貴官らしい。勇み足が過ぎてだいぶ疎まれているようだが、原理原則と対話を大事にする態度は立派だ。今度も押し通せ」

「ありがとうございます」

 

 ブラフで始めたキャンペーンだけど、まったく手は抜いていない。私的制裁の基準を明確にすることで言い逃れを防ぎ、説明を求められたらどこにでも出向いた。匿名相談窓口には面会窓口と通信窓口とメール窓口があったが、いずれにもメンバーの一人として参加して、相談者の声を聞くことで対応の改善をはかった。自分で相談窓口に入って生の声を聞くというのはドーソン中将から学んだ手法だ。憲兵隊長室を訪れた人にはコーヒーをいれるけど、これは俺の趣味というか習慣みたいなものだ。

 

「シェーンコップのようなふざけた奴をまともに相手するなんて、小官にはできんからな。三〇秒が限界だ」

 

 クリスチアン中佐は苦々しげに吐き捨てる。堅物のクリスチアン中佐と根っからふざけきったシェーンコップ中佐は水と油だろう。まあ、シェーンコップ中佐と相性が悪くない軍人なんて滅多にいないだろうけど。

 

「ローゼンリッターはならず者の集まりだが、シェーンコップは桁が違う。あれほど権威を尊ばない奴は見たことがない。あいつがローゼンリッターの指揮権を握ったらどれほど恐ろしいことになるか。能力があるからといって、軍人精神の欠片も無い者を引き立てたら取り返しがつかなくなるぞ」

 

 現実の歴史ではシェーンコップはローゼンリッターを率いてハイネセン市で蜂起し、政府に囚われたヤン・ウェンリーを救出した。国家への忠誠心を持たない指揮官と特殊戦能力を持った精鋭部隊の結合はクリスチアン中佐が危惧した通りの結果を引き起こしたことになるが、この世界ではどうなるのだろうか。

 

 

 

 シェーンコップ中佐は副連隊長の他にローゼンリッター第一大隊長も兼任している。第一大隊の首席幕僚たる運用訓練主任を務めるのはカスパー・リンツ大尉。自他ともに認めるシェーンコップ中佐の片腕であり、現実の歴史では最後のローゼンリッター連隊長を務めた。俺の幹部候補生養成所時代の唯一の友人でもある。

 

「そういや、副連隊長がおまえさんのこと褒めてたよ」

「俺を!?」

 

 リンツはマフィンを食べている俺をスケッチしながら驚くべき発言をした。シェーンコップ中佐が俺のどこを褒めるんだろうか。見当がつかない。

 

「コーヒーいれるのうまいって」

 

 そこを褒められるなんて意外だ。シェーンコップ中佐は俺がいれるコーヒーを飲んでも味の論評はしないで、俺が自分で飲むコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れるのをからかってたから。でも、あの人に褒められるような能力や人格は持ってないから、褒めどころといえばそこしかないんだよな。

 

「徴兵される前はコーヒーショップでバイトしてたからね」

 

 実のところ、コーヒーをいれるのは好きだったけど、上達したのはこちらの世界に来てからだ。ちゃんとした道具を揃え、カフェのマスターにコツを教えてもらい、職場の人に飲んでもらって感想を聞いて、最近になってどうにか人に飲ませられるレベルになった。

 

「『人間なにかとりえがあるものだ』と言ってたぜ」

「それ、褒められてんのかな…」

「あの人は素直じゃないからね」

 

 伝記によると、シェーンコップは女性とコーヒーには妥協しない人だったそうだ。イゼルローン要塞がカール・グスタフ・ケンプ大将とミュラー大将に攻撃された際に、迎撃の指揮を取りながら当番兵にコーヒーの味を細かく注文して司令官代理のキャゼルヌを呆れさせたという逸話がある。コーヒーだけは認めてもらえたということか。

 

「それにしても、シェーンコップ中佐はしょっちゅう俺の部屋にコーヒー飲みに来るんだけど暇なのかな。リンツも最近は良く来るよね。ローゼンリッターの仕事はどうなってんの?」

 

 シェーンコップ中佐は二日に一回の割合でコーヒー飲みに来て、リンツは今週に入ってから毎日俺をスケッチに来ている。二人とも要職のはずなのに何してるんだろうか。

 

「部下に任せてチェックだけして、責任は自分が取る。副連隊長流の人材育成法だな。あの人の理想は指揮官が細かく指示しなくても、全員がやるべきことをわきまえて動ける組織だから」

「シェーンコップ中佐ほどの人なら、全部自分で指示した方がてっとり早そうなのに」

「部下にも高いレベルを求めてるんだよ。全部自分で細かく指示しないと動けない部下と、大雑把な指示で思い通りに動く部下。どっちの方が部隊の動きが良くなると思う?」

「後者かな。短い指示で動けるから、伝達速度が速くなる。伝達速度の早さは部隊の動きの早さにもつながるね」

「そういうこと。副連隊長の指揮能力がいかに高くても、部下がそれについていけなかったら無意味だからな」

 

 シェーンコップ中佐が指揮する部隊の精鋭ぶりは有名だ。戦闘に強いのはもちろん、規律の維持、提出される命令書や報告書、物資の管理といった部隊運営業務の質も高い。あの性格でどうやって部下を育ててたのか想像つかなかったけど、大胆に仕事を任せて自分は後見に徹して経験積ませてたわけか。リンツもそうやって育てられた一人と。やっぱりシェーンコップ中佐は凄い。めんどくさい人だけど。

 

「うちの司令官とは真逆だね」

「セレブレッゼ中将か?」

「いや、ドーソン中将」

「ああ、じゃがいも閣下ね。最近は評判良いらしいけど」

「そうなの?」

「憲兵司令官になってから、人を使えるようになったってさ」

 

 そういう評判はちらほら耳にしてたけど、もともとドーソン中将に好意的な人ばかり言ってたからあまり信用してなかった。でも、相性悪そうなローゼンリッターの人まで言ってるってことはわりと一般的な評価なのかな。

 

「憲兵司令部は優秀な人多いからね。ベイ中佐とか、コリンズ中佐とか」

「副官が特に優秀らしいよ」

「ああ、ハラボフ大尉ね」

 

 俺の後任としてドーソン中将の副官を務めるユリエ・ハラボフ大尉は士官学校を上位で卒業した若手女性士官だ。歩くデータベースと言われるほどの知識量に「耳と手が四つある」と言われるほどの処理能力を誇る逸材でありながら、能力を鼻にかけずに謙虚に学ぶ姿勢を持っている。細かいことによく気が付き、人当たりも良い。副官になるために生まれてきた人物といえるだろう。徒手格闘の達人だからボディーガード代わりにもなるし、美人だから目の保養にもなる。引き継ぎの時に妙につっかかってきたのが鬱陶しかったけど、俺の雑な仕事を引き継がされてイライラしてたんだろうな。でも、彼女が特に優秀というのは頷ける評価だ。

 

「いや、前任の副官」

「俺?」

「じゃがいも閣下は良く出来た副官を持ったおかげで変わったという評判だぞ」

「ドーソン中将が頑張った時にたまたま俺が副官だっただけだよ。嫌になるぐらい副官の仕事向いてなかったし」

「まあいいや。とにかく世間はそう見てるってこと覚えとけよ。そして、おまえさんの評判は四=二基地の連中の警戒を招くに十分ってこともな。なんせ、おまえさんは他人のことは良く見えるのに自分のことは全然見えない変わった目を持ってるから」

 

 警戒されてるというのは感じる。どうやら俺は過大評価されやすいたちらしいというのは、エル・ファシルの英雄として騒がれてた頃に気づいた。義勇旅団の頃なんてまったく仕事していないのに有能な指揮官ということになっていて、実像と虚像の乖離がひどいことになっていた。最近は収まってたと思ったけど、有能な副官という虚像が一人歩きして警戒を招いたら面倒なことになる。私的制裁追放キャンペーンに入れ込むことで警戒を逸らす工夫はしていたけど、別の工夫も必要かもしれない。思案していると、リンツはスケッチブックを畳んで立ち上がった。

 

「そろそろ帰る」

「あー、お疲れ様」

「あまり長居すると連隊長殿がうるさいんでな」

 

 ローゼンリッター連隊長のヴァーンシャッフェ大佐は上に忠実で部下には厳格な人物だ。中佐になるまでは寛大で気前も良かったが、大佐になると人が変わったという。リンツに言わせれば将官に昇進するための点数稼ぎということだが、俺から見たら上層部の好意を獲得することで立場が微妙なローゼンリッターの立場を確保しようとしているように見える。前線で戦うリンツとオフィスで仕事している俺の視点の違いでそう見えるのかもしれない。いずれにせよ、ヴァーンシャッフェ大佐とシェーンコップ中佐の仲が良くないことは容易に想像できる。

 

 三月二五日から通信状態がさらに悪化して、総司令部からの連絡がまったく入ってこなくなった。連絡途絶は戦場では珍しくないことだとクリスチアン中佐は言っていた。連絡が途絶すること無く司令部が常に戦況を把握できるなど、創作の世界の話なのだという。しかし、ずっと後方のオフィスで働いてきた俺にとって、連絡手段が使用できないなど初めての経験だ。唯一前線で戦った二年前のイゼルローン要塞攻防戦でも連絡が途絶することはなかった。胸の中に漠然とした不安が生じたが、明日になれば回復しているだろうと考えて通常通りの仕事を続けた。

 

 二六日になっても連絡が途絶したままだった。不安のあまり集中力を失った俺は、シェーンコップ中佐に出すコーヒーの砂糖の量を間違えて笑われてしまった。不安に怯えているのは俺だけではない。

 

 基地の中にも動揺が広がり、中央支援集団司令部は昼からずっと幹部会議を開いて対応を協議している。同盟軍の勢力圏のど真ん中にある四=二基地が戦場になることは考えられないが、同盟軍宇宙艦隊が敗北して前線を突破されていたら話は別だ。基地撤収、最悪の場合は進駐してくる敵との交戦も有り得るかもしれない。

 

 こんな時に軍規の番人たる憲兵隊のトップが不安に揺れていてはいけない。憲兵隊の中隊長級以上の幹部を招集して夕方から深夜まで緊急会議を開き、司令部が撤収を決断した場合や敵と交戦した場合の対応を取り決めた。会議が終わって部屋に帰ると、一人で司令部メンバー拘束計画を検討し、撤収時と交戦時それぞれの修正プラン準備にとりかかる。修正プランが完成した時には既に夜が明けていた。

 

「これを使う必要がなければいいんだけど…」

 

 机の上に置かれた憲兵隊の撤収時及び交戦時対応プランのファイルと、端末の中の拘束計画修正プランを交互に眺める。

 

「長い一日になりそうだな…」

 

 宇宙暦七九四年三月二七日七時。窓の外に広がるのはいつもの暗い空。一睡もしていない俺の目にはどうしようもなく不吉に見える。不安に苛まれながら朝食代わりのマフィンを口に突っ込み、牛乳で流し込むと部屋を出て仕事に向かった。



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第三十四話:誰か、勝てると言ってください 宇宙暦794年3月27日~4月6日朝 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年三月二七日。二日ぶりに総司令部からヴァンフリート四=二基地に入ってきた通信は驚くべき情報をもたらした。

 

「一万隻を越える敵艦隊がヴァンフリート四=二に進軍中。進軍速度等から二六日の夜に上陸した可能性が高いと推測される」

 

 その報を聞いた時、俺の頭は真っ白になった。なぜ、安全地帯のヴァンフリート四=二に突如として敵の大軍が出現するのだろうか。現実で読んだ戦記の展開そのままの事態が進行している。イゼルローン要塞攻防戦の時と違い、どう見ても必然性皆無の偶然が再現されていることに驚愕した。もしかして、あらかじめ運命は決められていて、俺達はそれに乗せられているんじゃないか。そんな非論理的な考えが頭をよぎる。

 

 不穏な事態が進行していると思いつつもかろうじて平穏を保っていた四=二基地はパニックに陥った。あるものは絶望のあまり悲観論を口走り、ある者は敵が接近するまで連絡を寄越さなかった総司令部に怒りをぶちまけ、ある者は興奮して帝国軍を叩きのめしてやると息巻いた。

 

 敵の目的は四=二基地破壊にあると判断したセレブレッゼ中将はローゼンリッターに偵察を命じて、敵軍の正確な位置を把握しようと務めた。特殊戦能力を持つローゼンリッターはこのような状況では最も頼りになる部隊だ。連隊長ヴァーンシャッフェ大佐自らが偵察部隊を率いたのは、情報収集の精度を重視したからだろう。セレブレッゼ中将の対応は常識の範囲内では最善だったと言って良い。中央支援集団司令部は昨日と同様に幹部を招集して会議を開いて対応を協議し、四=二基地に駐留する各部隊も個別に幹部を招集して会議を開いている。

 

 憲兵隊は昨日の会議で取り決めたとおり、交戦を想定した対応プラン通りの行動に移る。基地内の巡回を強化して、混乱の沈静に務めた。パニックに陥った者を発見したら、医務室へ連れて行って落ち着くまで隔離し、悪質な者は営倉に放り込んだ。危機対応は初めてだったが、老練な副隊長ファヒーム少佐の助けを得て何とかやり通し、夕方までには四=二基地は落ち着きを取り戻した。こういう時にはベテランの経験が頼りになる。俺一人で指揮したら、かえって混乱を拡大したかもしれない。不測の事態に慣れていないし、部隊指揮の経験も無い。現実で読んだ戦記に書かれていたような不可解な偶然が起きたことにも驚いていた。

 

 クリスチアン中佐に指摘された実戦経験の乏しさがこんなに早く露呈するとは思わなかった。エル・ファシル義勇旅団長だった時に無理を言って一小隊でも指揮して戦っておくべきだったなんて不毛な後悔をするほどに困り果てていた。

 

 二七日二一時一五分。ヴァーンシャッフェ大佐の偵察部隊が消息を絶ち、副連隊長シェーンコップ中佐らが探索に向かった。単に連絡が通じないだけなら良いが、偵察部隊が敵に発見されていたら取り返しのつかないことになる。探索任務の成否に四=二基地の命運がかかっていると言っても過言ではない。基地に残っている俺達は祈るような思いで偵察部隊とシェーンコップ中佐の帰りを待ちわびた。

 

 二八日に入ると、シェーンコップ中佐らとの連絡も通じなくなった。彼らを探すための部隊を新たに派遣しようという案も出たが、何度も部隊を出したら敵に見つかりやすくなるという理由で却下されている。

 

 三〇日になってもシェーンコップ中佐らからの連絡は入らない。何の情報もないままに見えない敵を待ち続けていると、不安は果てしなく大きくなっていく。いつもこんな不安に耐えている実戦部隊の人達の凄さが初めて実感できたような気がする。そして、エル・ファシルを脱出した時に不安を感じていた人の気持ちもようやく理解できた。先が見えないということは本当に恐ろしい。

 

 三一日の午前二時頃ににようやくシェーンコップ中佐らは四=二基地に帰還した。偵察部隊は壊滅し、生き残ったヴァーンシャッフェ大佐も重傷を負っていて、即座に基地病院に運び込まれたという。

 

 ベッドの中で知らせを受けた俺は不安が恐怖に変わっていくのを感じ、毛布を頭からかぶって強引に眠りについて現実逃避をはかった。こういう時は、どんな状況でも眠りにつける自分の体質に感謝したくなる。

 

 午前七時三〇分。重苦しい空気に包まれた食堂で朝食をとっていると、大きなチャイム音の後にアナウンスが流れた。基地にいる者は今すぐ担当部署に集合し、八時にセレブレッゼ中将の緊急放送が始まるまで待機せよとの内容だ。ただならぬ雰囲気に食堂がざわめき、みんな食事をそこそこに切り上げて駆け足で自分の部署に向かった。

 

 俺も落ち着いていられず、ピラフとスープをお代わりした後にデザートのプリンを平らげて、食後のコーヒーを飲み干してから走って憲兵隊本部に向かう。

 

 俺が憲兵隊本部に到着した時には、既に本部直轄部隊の五〇〇人が広間に集結していた。8時を回ると、スクリーンが明るくなって、やや青ざめたセレブレッゼ中将の顔が映る。放送の内容は驚くべきものだった。

 

 偵察部隊が帝国軍陸戦部隊の攻撃で壊滅したこと、重傷を負ったヴァーンシャッフェ大佐はシェーンコップ中佐に救出されて帰還したものの間もなく死亡したこと、敵に捕獲された偵察車両のナビゲーションデータから四=二基地の位置が知られた可能性が高いこと、一週間以内に総攻撃が行われる可能性が高いことなどを述べ、特別警戒態勢への移行宣言で締めくくった。ヴァーンシャッフェ大佐の死も戦記で読んだとおりだ。

 

 どこまで戦記で起きた展開をトレースするのだろうか。俺の困惑をよそに広間に集まった憲兵達の顔からは不安が消え去っていた。

 

『不思議なものでな、長い間戦場にいると、敵と出会うことを願うようになるのだ。敵が出てくればこれ以上待つ必要がなくなるからな。死ぬのがわかっているのに敵を求めて突撃する者さえいる。不安に苦しむぐらいなら、死んだ方がマシと思うのだ』

 

 一週間前に聞いたクリスチアン中佐の言葉を思い出す。敵の出現が憲兵達を不安から解放してくれたのだ。他の人々もそうであったらしい。この世の終わりが迫っているかのような重苦しい雰囲気に包まれていた四=二基地は放送が終わるとたちまち活気を取り戻し、迎撃体制構築に向けて動き出した。

 

 基地警備部隊に前線部隊の予備として待機している地上軍部隊を加えると、四=二基地には二万人ほどの実戦部隊が駐留している。しかし、いずれも連隊・大隊規模の部隊で指揮系統が一本化されているわけではない。

 

 この規模の基地なら本来は准将か少将の警備司令官がいて、戦時には全部隊を一括して指揮下に入れるものだが、どうしたことか現在の四=二基地警備司令官は空席だった。セレブレッゼ中将以下の将官八人はいずれも後方支援の専門家で実戦経験は乏しい。連隊長を務める大佐四人が現在の四=二基地にいる最高位の実戦部門指揮官であったが、いずれも二個連隊以上の兵力を指揮した経験はない。現実の歴史ではヤン・ウェンリーのもとで一〇万を超える地上戦部隊を率いて勇名を馳せることになるワルター・フォン・シェーンコップも現時点では一個大隊の運用経験しか持っていない。

 

 結局、基地トップのセレブレッゼ中将が全軍をまとめて指揮することになった。経験者がいないなら、せめて最も権威がある者に指揮系統を一本化しようという次善の策である。一三万人に及ぶ後方支援要員も武装して戦闘配置につくことになったが、戦力としてはあてにできない。セレブレッゼ中将自ら指揮する二万の地上戦部隊が一〇万以上と推定される敵の地上戦部隊を相手にどこまで持ちこたえられるかが焦点となる。

 

 一方、憲兵隊に所属する八個憲兵中隊は、基地司令部に三個中隊、工兵団司令部・衛生業務集団司令部・通信業務集団司令部・整備業務集団司令部・輸送業務集団司令部にそれぞれ一個中隊が分散配備されて、各司令部の警備部隊と協力する。警備の名目で将官の監視を継続し、万が一各司令部を放棄する事態に陥ったら保護の名目で身柄を確保するための布石である。

 

 副隊長ファヒーム少佐は憲兵隊をまとめて運用しなければ戦力にならないという理由で分散配備に反対した。現状において俺が最優先すべき任務は将官八人の身柄確保だが、事情を知らない少佐が反対するのは当然だろう。拘束計画の交戦時修正プランを使うのは不本意だったが、事ここに至ってはやむを得ない。

 

 セレブレッゼ中将の主導で中央支援集団司令部は各部隊の担当区域が決定し、必要な物資を配分していった。工兵団は塹壕を掘り、簡易トーチカを構築した。通信業務集団はセレブレッゼ中将の司令部と各部隊の指揮官を結ぶ指揮情報システムを手早く構築し、その運用試験に余念がない。整備業務集団はすべての装備を徹底的に手入れして稼働率を高めて、兵力の劣勢を補おうと努力していた。衛生業務集団は負傷者の収容・治療体制を整えている。同盟軍最高の後方支援集団の活躍によって、ハード面の戦闘準備は瞬く間に進んでいった。

 

 一方、実戦部隊の指揮官は迎撃計画を作成してシミュレーションを重ねている。部隊単位の準備は順調に進んでいたが、部隊間の連携には不安があった。二個連隊の基地警備部隊を除くと、必要に応じて前線に投入される予備部隊で兵種も運用思想も武装もバラバラだった。指揮官達はいずれも経験豊富で有能だったが、それがかえって連携体制の構築を妨げた。

 

 専門とする兵種の指揮に強い自信とそれを裏付ける実績を持つ彼らは、それゆえに視野が限定されてしまっており、他兵種の指揮官との意思疎通が捗らなかったのだ。ローゼンリッター連隊長代理に就任したシェーンコップ中佐は広い視野を持つ数少ない指揮官だったが、それゆえに視野が狭い他の指揮官に苛立っているように見える。

 

 四=二基地に存在する最大の部隊単位は大佐や中佐が指揮する連隊だが、これは同一兵種で構成される。複数兵種の統合運用は旅団戦闘団長や師団長などが担当して、連隊長は自兵種の指揮に専念するのが本来の姿だ。彼らの視野が自兵種に限定されているのは問題ない。司令官として各部隊間の調整にあたるべきセレブレッゼ中将がその役目を果たしていると言いがたいのが問題だった。

 実戦指揮に関する経験も知識も乏しかった彼は、各部隊の指揮官が自らの経験と知識に基づいて出した意見をすり合わせることができず、手をこまねくばかりだった。副司令官のカルーク少将と参謀長のラッカム少将は優秀な後方参謀であったが実戦経験は乏しく、この方面でセレブレッゼ中将を補佐することはできなかった。

 

 シェーンコップ中佐の報告によると元ローゼンリッター連隊長で帝国に逆亡命したリューネブルク帝国軍准将が敵の地上戦部隊指揮官を務めているらしい。リューネブルクは三〇そこそこで連隊長に就任しただけあって特殊部隊の指揮には卓越した力量を持っていたが、複数兵種を運用する能力は未知数である。しかし、逆亡命して准将に昇進してから三年が経っており、一個艦隊の陸戦部隊のトップを務めているからにはそれなりの運用経験を積んでいると考えるべきだろう。同盟軍の内情にも通じていて厄介な相手である。指揮下の一〇万の過半数は地上戦専門部隊で構成されているはずだ。指揮官も戦力も圧倒的に劣勢。心細いと言う他ない。

 

「今回の戦いはどうなるとお考えでしょうか」

 

 憲兵隊長室にコーヒーを飲みに来たシェーンコップ中佐に見通しを聞いてみたことがあった。情けない話だけど、ベテランの言葉を聞いて安心しようと思ったのだ。

 

「戦闘なら予想もできますが、ギャンブルはわかりませんな。なにせ小官は軍人ですから」

 

 苦笑して答えるシェーンコップ中佐。要するに勝算はないということだ。聞かなかったことにして、シェーンコップ中佐が部屋から退出した後にクリスチアン中佐の第一七七連隊司令部に通信を入れて同じ質問をしてみた。

 

「勝てると思わなければ勝てる戦いも勝てん。だから、小官はどのような状況であろうと必ず勝つとしか答えられん」

 

 いかにも歴戦のクリスチアン中佐らしい重厚な答えを聞いて安心した。本当にどうしようもなく情けないけど、誰かに勝てると言って欲しかったのだ。クリスチアン中佐が勝てると言わなければ、勝てると言ってくれる人が見つかるまで聞いて回っていただろう。エル・ファシル脱出前日の記者会見を思い出す。

 

『脱出は明日の正午ですが成功すると思いますか?』

『はい。無事に帰れると信じています』

 

 俺がそう言った瞬間、報道陣は歓声をあげて手が痛くなるんじゃないかと思えそうなほどの拍手をした。当時はなんで彼らがあんなにはしゃいでいたのかわからなかったけど、今の俺にはわかる。彼らは俺を信じたんじゃなくて、俺を信じたかったのだ。帰れると言い切ってくれるなら、誰でも良かったのだ。生きて帰りたいと痛切に願う。戦死はむろん、捕虜になるのも嫌だ。現実では捕虜収容所で九年過ごしたが、死なないだけマシというぐらい酷い場所だった。良い夢だったのにここで終わってしまうのかと思うと、悲しくなってくる。

 

 

 

 四月六日午前一時。ベッドの中に入って眠りにつこうとしたところに大きなチャイム音が鳴り響いた。何度も聞いた音だが、この時間に訓練放送などするわけもない。ついに来たかと身構える。

 

「敵軍が現在当基地に向けて進軍中!到着予想時刻は五時間後!これより戦闘態勢に移行する!総員、すみやかに戦闘配置に着け!繰り返す…」

 

 心の準備ができていたとは言いがたかったけど、その時が来てみると驚きはあまり感じなかった。すぐに着替えて基地司令部に全速力で向かう。憲兵隊はこれまでに戦闘態勢移行時の集合訓練を重ねていたから、今さら指示を出す必要はない。廊下では大勢の人が配置に付くべく駆けまわっている。人生初の地上戦の幕が開けようとしていた。



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第三十五話:小心者たちの戦い  宇宙暦794年4月6日午前6時~夕方頃 ヴァンフリート星系4=2基地

 宇宙暦七九四年四月六日朝。既に四=二基地の戦闘配備は完了している。地上戦部隊は装甲服を着用して基地の周囲に築かれた簡易陣地に拠り、後方支援要員は気密服を着て基地の中に籠もって帝国軍を待ち構えていた。俺は警備という建前から装甲服を着用して基地司令部の中央司令室に詰めて、セレブレッゼ中将以下の将官三人を監視している。中央司令室に至る通路は三個憲兵中隊が固めていた。

 

 六時二二分。地平線の彼方に帝国軍の地上戦部隊が現れた。地上からは戦闘車両、空からは地上攻撃機の大軍が津波のように押し寄せてくる。司令部のスクリーンで見ても息が詰まるような迫力だ。直に見ている前線の将兵達のプレッシャーは想像に難くない。あれと戦って生き残らないといけないのかと思うと、絶望的な気持ちになった。セレブレッゼ中将が所在なげにきょろきょろしているのがさらに不安をかきたてる。

 

 敵との通信回線が開く。戦いが始まる前には降伏や和議の勧告、あるいは大義名分の宣伝を目的として両軍の指揮官の間に回線が一時的に開かれる慣例が戦場にはあるのだ。司令官のセレブレッゼ中将がマイクを持って何か言おうとしたその時、シェーンコップ中佐が回線に割り込んで第一声を放った。

 

「帝国軍に告ぐ。むだな攻撃はやめ、両手をあげて引き返せ。そうしたら命だけは助けてやる。いまならまだまにあう。お前たちの故郷では、恋人がベッドを整頓して、お前たちの帰りを待っているぞ」

 

 このあまりにふざけきった宣戦布告に中央司令室は凍りつき、みんな呆気に取られたような顔をしている。帝国軍も同じ顔をしているであろうことは想像に難くない。怒りに顔をひきつらせたセレブレッゼ中将は指揮卓に据え付けられた通信端末のスイッチを入れると、シェーンコップ中佐を呼び出す。

 

「シェーンコップ中佐!いまの通信は何ごとだ。回線が開いたら、まず帝国軍の通信を受けてみるべきではないか。妄動にもほどがあるぞ!」

 

 軍人というより大学教員といった方がふさわしい風貌のセレブレッゼ中将らしくもない怒号に、中央司令室のスタッフは顔を見合わせた。シェーンコップ中佐の返答がよほど気に入らなかったのか、セレブレッゼ中将はワナワナと震えている。

 

「どこが紳士的だ。どこが平和的だ。けんかを売っているにひとしいではないか」

 

 端末に顔を近づけて怒鳴り散らすセレブレッゼ中将を見ていると、帝国軍ではなくて自分に喧嘩を売っていることに腹を立てたのではないかと感じる。普段ならインテリらしくすましている彼が成り振りかまわずに怒声を放っている。

 

「とにかく、これ以後、基地司令官の職分を侵すような言動はいっさい、厳につつしんでもらおう。貴官は貴官の責務さえ果たしていればよい。異存はないな」

 

 セレブレッゼ中将は端末から顔を離して姿勢を正すと、厳しく釘を差した。周囲の視線から、自分がいかに取り乱していたかに気づいたのかもしれない。通信端末のスイッチを乱暴に切ったセレブレッゼ中将は、どしんと椅子に腰を落とす。シェーンコップ中佐の行為に体面を傷付けけられたのは分かるが、いつもの彼ならここまで怒りを露わにしないはずだ。司令官が平常心を失っているような状況でまともに戦えるのだろうかと思うと、不安が募ってくる。他の人達も同じように思っているらしく、中央司令室の空気は重苦しい。セレブレッゼ中将の動揺ぶりを白日のもとに曝したシェーンコップ中佐の行為を少し恨みたくなった。

 

 戦術スクリーンの左側では青い点が横一列に並んで峡谷を塞ぎ、右側では青い点に数倍する赤い点が縦列を作っている。青い点は味方部隊、赤い点は敵部隊を示していた。戦況を把握するために抽象化された画像ではあるが、敵の圧力を感じさせるには十分だ。赤い点が動き出すと、ズラッと居並ぶオペレーターのもとに各部隊や情報衛星から膨大な情報が入ってきた。

 

 前線が動き出すと同時に司令部もまた動き出す。オペレーターが手元の端末に転送してきた情報を元に参謀は分析を行い、それを分析をもとに司令官は指示を出す。前線の戦いでは弾が飛び交い、司令部の戦いでは情報が飛び交う。どちらも分析と判断を誤れば前線の兵士が死ぬことに変わりはない。

 

 青い点と赤い点がぶつかりあって数を減らし、しばらくすると赤い点が後ろに下がる。赤い点が後方で数を増やしながら縦列を組み直している間に、青い点は横列を整える。やがて、赤い点の縦列が再び青い点の横列に向かって突き進んでいく。

 

 メインスクリーンの中では、圧倒的な数の帝国軍の戦闘車両が雨あられのように降り注ぐ支援砲撃を受けながら、同盟軍の陣地を蹂躙していた。抵抗が弱まったのを見計らって、歩兵部隊が陣地を制圧する。味方の兵士はなすすべもなく、敵の車両に踏みにじられ、砲撃で吹き飛ばされ、生き残った者は歩兵によって止めを刺されていく。見るに耐えない光景だった。

 

 そんな地獄絵図が展開される中で、地の利を活かして数に優る帝国軍の攻撃を三度にわたって撃退した同盟軍は賞賛されるべきであったろう。しかし、消耗も激しかった。戦闘継続が不可能になるほどの損害を受けた部隊も出ている。敵は損害を補充できるが、味方はそうではない。消耗戦に持ち込まれたら、いずれは突破される。

 

 不利な時ほど指揮官の力量が試されるが、残念ながらセレブレッゼ中将は優れた指揮官とは言いがたかった。座っていられないのか、立ち上がって指揮卓に手をついて不安そうに周囲を見回し、オペレーターの報告を聞くたびに顔色を悪くしている。判断も遅れがちで参謀に何度も促されてようやく指示を出すという有様だ。せめて、大人しく椅子に座っていて欲しい。見ているだけで不安になる。

 

 参謀はオペレーターから送られる情報をそのままセレブレッゼ中将に送って指示を求めるだけに終始し、まったく補佐の任を果たしていなかった。この人達の指揮を受けて無事に帰れるとは思えない。不安で心臓が激しく鼓動し、お腹が痛くなってくる。背中は汗でびっしょり濡れていた。涙が流れていないだけでも俺にしては上出来だ。

 

「貴官はいかが思われるか」

 

 不安そうな表情で質問してきたのは副司令官にして補給業務集団司令官を兼ねるエマヌエーレ・カルーク少将。今年で五三歳になる彼は企業の重役を思わせる恰幅の良い人物で同盟軍最高の補給管理専門家と言われているが、この場においてはカカシの方がまだ役に立つんじゃないかと思えるぐらい役に立っていない。戦闘配置が決定された時に理由をつけて本来の執務場所たる補給司令所を閉鎖して、補給業務集団司令部の要員ごと基地司令部に移ってきたが、参謀ではないから何の仕事もしていない。

 

 俺も司令室では仕事をしていないけど、一応は通路を守る憲兵三個中隊の指揮官だ。他の各集団司令部に分遣している憲兵中隊と連絡も取り合っている。生きて帰れるか怪しい状況ではあるが、将官全員の身柄確保という最低限の任務を投げ捨てる訳にはいかない。俺と同じ場所にいるのに俺より仕事をしていないカルーク少将は稀有な存在といえるだろう。

 

「さあ、小官にはわかりかねます」

 

 俺に聞くなよと思いながら、表情を出さないように答える。司令部に憲兵を入れたことに文句垂れまくってたあんたにこんな時だけ頼られても困る。

 

「地獄のエル・ファシルを経験された貴官でもわかりかねるか」

 

 そもそも俺はエル・ファシル奪還戦では何もしていないのだが、世間では地獄の戦いをくぐり抜けたことになっている。持ち出されたくないことを持ちだすカルーク少将にイラッとしたけど、真実を知らないのだから仕方ないと自分に言い聞かせる。

 

「何があるかわからないのが戦いというものですから」

「なるほど。さすがはあの地獄を生き抜いただけのことはある。貴官がこの戦いの指揮官であればどう切り抜けるか」

「高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処することになろうかと思います」

「その場になってみないとわからないということだな、なるほどなるほど」

 

 曖昧な言葉でお茶を濁しているだけなのにいちいち感心しないでほしい。そもそも、カルーク少将の指揮能力は俺なんかとは比べ物にならないほどに優秀なはずなのだ。実戦指揮と後方支援指揮では勝手が違うのかもしれないが、組織を動かすという点では共通しているのではないか。

 

 世間では後方支援は計画通りに遂行するだけの仕事と言われているが、駆逐艦の補給長として後方支援の末端指揮官を務めた経験から言うと、トラブルによって計画が狂わされることの方が多い。通常業務を管理する能力に加えて危機管理能力を持たないと、後方支援指揮官は務まらない。セレブレッゼ中将といい、カルーク少将といい、危機管理能力に長けた超一流の指揮官がどうしてこんなグダグダになってしまうのか俺には理解できない。

 

「このままでは、完全に制空権を握られてしまう。どうする気だ、シェーンコップ中佐!?」

 

 震え声で質問をするセレブレッゼ中将の声が聞こえる。今度の相手はシェーンコップ中佐だ。さっきからずっとこの調子で前線指揮官に電話をかけまくっては、一喜一憂している。妨害電波が飛び交う地上戦の戦場では有線通信が司令部と前線をつなぐホットラインとなる。それをこんな下らないことに使わないでほしい。みっともねえからやめろよ、と思う。そもそも、制空権確保は防空部隊の担当だ。心配ならそっちに指示出せばいいじゃないか。

 

「おのれ、シェーンコップめ。増長しおって。だから、ローゼンリッターなど信用できんのだ!」

 

 セレブレッゼ中将はシェーンコップ中佐の返答によほど腹が立ったのか、叩きつけるように電話を切った後で罵倒した。相手に聞かれないように言ってるところが格好悪いが、口に出すこともできずに心の中で悪口を言うだけの俺ほど小心ではないと言えないこともない。

 

「状況はどうなっておるんだ!?」

 

 今度は傍らの参謀に状況報告を求める。もはや、何でもいいから人と喋っていないと不安でたまらないのかもしれない。気持ちはよく分かるんだけど、司令官なんだからもっとしっかりしてほしい。

 

「状況はさらに悪化。好転の見込みなし」

 

 参謀はやけくそ気味に声を張り上げて現実を叩きつける。司令官のあまりの醜態にイライラしていたのだろうか。打ちひしがれたようになったセレブレッゼ中将の手が再び電話に伸びる。

 

「どうなのだ、シェーンコップ中佐、今後の予測は」

 

 またも震え声で質問。さっき罵倒したことも忘れて現金なものだと思う。俺だって内心で罵倒した次の瞬間に機嫌を直してニコニコするのは珍しくないから人のことは言えないけど、司令官ともあろう者が俺と同レベルではまずいんじゃなかろうか。

 

 どうやら、今度もシェーンコップ中佐の返事が気に入らなかったらしく、電話を叩きつけるように切った。ほとんどの指揮官は電話がかかってくるなりいきなり切ってしまうようになっており、何度かけても返事してくれるシェーンコップ中佐はまだセレブレッゼ中将に対して親切と言える。ちなみにクリスチアン中佐にかけたらきつい説教を食らったらしく、しおれきったような顔になって二度目の電話はかけていない。

 

「司令官閣下、もうおやめになりませんか。あなたらしくもない」

 

 怒りで顔をひきつらせて何か言おうとしたセレブゼッゼ中将を、うんざりしたような声で制止したのは参謀長のエイプリル・ラッカム少将。四八歳の彼女はセレブレッゼ中将と士官学校の同期で、三〇年近い付き合いになる盟友だ。小太りでそこらのおばさんのような容姿の彼女は、強烈な個性が揃っているチーム・セレブレッゼにおいては欠かせない調整役だ。

 

 目の前の醜態からは信じがたいが、セレブレッゼ中将はリーダーシップが強い反面、自負心が強すぎて妥協を嫌う面があるらしい。それゆえに実力もプライドも超一流の部下達としょっちゅう衝突しているという。部下同士の衝突も絶えない。その衝突の中からチーム・セレブレッゼの強力なエネルギーが生まれると評されているが、激しすぎると崩壊を招くだろう。その制御がラッカム少将の役割だった。実戦の素人である彼女は今回の戦いでは十分な活躍ができているとは言い難いが、それでも動揺を見せずに参謀長としての責務を果たそうとしているのはさすがだった。

 

「エイプリル、すまん…」

 

 ラッカム少将の一喝にうなだれるセレブレッゼ中将。さすがに長年の盟友の言葉は効いたようだ。二人の間に結ばれた絆の強さを感じる。士官学校の同期ってこういうのがあるんだな。イレーシュ少佐が俺に士官学校に入るべきだったと言った理由が実感をもって理解できた気がする。

 

「シンクレア、あなたは攻めには強いけど、守りに回ると弱くなる。士官学校の頃からそうでしたよね。戦術シミュレーションでも攻め一辺倒で守りは考えない。おかげで随分と勝ち点を稼がせていただきましたとも。あなたがいなかったら、士官学校の卒業順位が一〇〇位は落ちていましたわ」

「君がいなかったら、私は首席で卒業できたんだがな」

「なんて図々しい。戦術シミュレーションで全勝したって、トップクラスの優等生を一五人も抜けるわけがないでしょう」

「勘弁してくれよ」

 

 士官学校時代のことを持ちだされて恥ずかしそうに頭をかくセレブレッゼ中将。彼の醜態で沈みきっていた中央司令室の空気はラッカム少将の言葉で一気に和んだ。名参謀の真骨頂を見たように思う。

 

 どうにか落ち着きを取り戻したセレブレッゼ中将であったが、相変わらず戦況に対応しきれなかった。参謀陣もやはり実戦の要領がつかめないのか、十分な補佐ができずにいる。

 

 帝国軍は損害をものともせずに波状攻撃を続け、戦術スクリーンでは青い点が数を減らしながら左側に押し込まれていく。前線部隊は後退を重ねながら必死で戦線崩壊を防いでいたが、既に限界に達していた。メインスクリーンが映してるのは空からなだれ込んでくる敵の大気圏飛行部隊と陸からなだれ込んでくる敵の戦闘車両部隊、そしてそれに続く歩兵の群れ。味方の姿はどこにも見当たらなかった。

 

「第二八山岳連隊は損害甚大につき戦闘継続を断念。第五トーチカ群を放棄するとの報告あり」

「第八七独立高射大隊は敵に降伏した模様」

「第一一一歩兵連隊より通信が入りました。死亡した連隊長アーナンド中佐から指揮を引き継いだ副連隊長ユー少佐が退却の許可を求めています」

「通信業務集団司令部より報告。通信業務集団基地に敵が侵入し、戦闘状態に入ったとのこと」

 

 相次ぐ凶報に中央司令室の空気は凍りついた。戦術スクリーンの中では青い点の作っていた横陣は糸のように細くなり、ついに切れて散り散りになる。数えきれないほどの赤い点が青い点を飲み込み、一気に基地めがけて殺到する。確定的になった破滅の前に中央司令室にいる誰もが為す術を知らずに呆然となっていると、巨大な爆発音が鳴り響き、司令室が揺れた。

 

「こちら、第四中隊。Jブロックの外壁が敵の砲撃によって破壊されました。気圧差による強風のため、現時点では敵が進入するには至っていませんが、風が止み次第進入してくるものと思われます」

 

 ついに敵が四=二基地司令部に侵入してくる。現在の戦力で敵を撃退できる見込みはない。一週間ぐらい前からもしかしたら死ぬんじゃないかとぼんやりと思っていたが、それが現実となったことを覚って血の気がすーっと引いていく。中央支援集団傘下の各集団の司令部に分遣した憲兵中隊との連絡は既に途絶していた。

 

 任務を達成できないまま、こんな場所で死ぬのかと思うとどうしようもなく怖い。もう一度会いたかった人の顔、もう一度行きたかった場所の光景が次々に脳裏に浮かぶ。なぜか故郷パラディオンの実家と家族の顔が浮かんできた時、静かだが力強い声が俺を現実に引き戻した。

 

「シンクレア、指揮権を私に預けてもらえますか?」

 

 中央司令室にいた全員の視線が参謀長ラッカム少将に集中する。

 

「君が迎撃の指揮をとるというのか?」

「ええ、さっきも言ったでしょう。守りは私の方が強いって。経験も戦力も足りない私達には元から勝ち目のない戦いでしたが、やられっぱなしというのも面白くありません。せめて一矢は報いましょう」

「最後まで君には迷惑をかけっぱなしだったな」

「お礼は天国でしてもらいますわ。天国でラ・コロンヌのマドレーヌが食べられるかどうかは知りませんけど」

 

 セレブレッゼ中将に向かってにっこりと微笑むラッカム少将の顔に救われたような思いがした。そうだ、死ぬならきっちり戦って後悔のないように死のう。現実の人生のように何もせずに後悔にまみれるなんて繰り返したくない。

 

「楽しい夢だったな。ここで終わっちゃうのが残念だけど」

 

 誰にも聞こえないようにつぶやくと、副隊長ファヒーム少佐と基地司令部に詰めている三個憲兵中隊の隊長三人を携帯端末で呼び出し、最後の打ち合わせをすることを伝えた。




セレブレッゼ中将の描写は殊更に貶める捏造ではなく、原作とアニメに忠実であることを明記しておきます。


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第三十六話:俺が初めて越えた死線 宇宙暦794年4月6日18時~ ヴァンフリート4=2基地司令部ビル

 宇宙暦七九四年四月六日一八時。ヴァンフリート四=二基地の司令部ビルのJブロックに帝国軍が進入してきた。

 

 六個警備中隊一三五四人、三個憲兵中隊七三一人、前線から後退してきた実戦要員八八二人、武装した後方支援要員一五八四人の計四五五一人が司令官臨時代理ラッカム少将に率いられて司令部ビルに立てこもっているが、戦闘訓練を受けているのは警備中隊と実戦要員を合わせた二二三六人のみ。

 

 一方、司令部ビルの周囲に展開している敵の実戦要員は二万と推定される。外部にいる実戦部隊の一部から合流の連絡があったが、まだ到着していない。到着したところで焼け石に水でしかないが。

 

 俺は中隊長デュポン大尉とともに一個憲兵中隊を率いて、中央司令室に至る三つの通路を抑えている。基地から脱出できる見込みが無くても、中央司令室にいる将官三人を最後まで目の届く範囲に置いておくことで任務に対する義理を果たそうと思ったのだ。ローゼンリッター連隊長代理のシェーンコップ中佐が腹心のブルームハルト中尉と一個小隊を貸してくれたのは嬉しい誤算だった。サービスということらしいのだが、誰に対するサービスなのかは良くわからない。

 

 残りの二個憲兵中隊は副隊長ファヒーム少佐の指揮下で警備についている。憲兵隊は伝統的に陸戦部門からの転属者を多く受け入れており、ファヒーム少佐もその一人だ。若い頃に中隊の下士官兵を取り仕切る中隊先任曹長を務めた経験があり、実戦では俺よりずっと頼りになる。仲は良くなかったけど、彼の経験には随分助けられた。最後の打ち合わせでもいつものように意見が対立して、礼を言う機会を逸してしまったのが少し残念だ。

 

 火砲の轟音が鳴り響き、司令部ビルが大きく揺れる。Jブロック以外の場所にも突破口を開こうとしているのだろう。死の恐怖に動悸、冷や汗、息苦しさなどがこみ上げてくる。後悔のないように死にたいという思いが俺の正気をギリギリで保たせていた。

 

「こちら、Kブロックの第二警備中隊。多数の敵の進入を確認。戦闘状態に入ります」

「第五歩兵中隊はPブロックを放棄して、Lブロックに後退します」

 

 手元にある野戦用携帯端末からは、敵の前進と味方の後退を伝える通信がひっきりなしに入ってくる。司令部から送られてくる簡易戦術図では味方を示す青のブロックが敵を示す赤にどんどん塗りつぶされている。迎撃を指揮するラッカム少将はブロック放棄以外の指示はほとんど出していない。守りに自信があると言ってたわりには諦めが早過ぎるんじゃないかと思わないでもないけど、敵を引きずり込みながら戦力を集中しようとしているのかも知れない。

 

 司令部ビル内の戦闘が始まった二時間後には二一階まで制圧されていた。中央司令室がある二四階まで敵が上がってくるのも時間の問題だろう。一個中隊よりやや大きい程度の規模まで減少したファヒーム少佐の部隊は、他の部隊とともに二二階で戦っている。

 

「こちら司令部。二二階にいる部隊は後退して、二三階に集結してください」

 

 野戦用携帯端末からラッカム少将の指示が飛ぶ。二一階を放棄してから五分も経っていないのにまた放棄というのはさすがに早過ぎるんじゃないかと感じる。

 

 二一階の放棄指示は二〇階を放棄した七分後に出た。後退が完了していないうちに新たな放棄指示を出しているせいで、かなりの兵が取り残されて戦力を無駄にしてしまっている。

 

 ラッカム少将の指揮は素人の俺から見ても拙劣に見えた。名参謀も指揮官としては無能だったということなのだろうか。一矢を報いようと彼女は言ったけど、このままでは何もできないうちに死んでしまいそうだ。一つ下の階で激戦が展開されていると思うだけで心臓が高鳴り、身震いがする。手元のビームライフルを強く握ると少しだけ震えが収まった。

 

「こちら司令部。二三階にいる部隊は後退して、二四階に集結してください」

 

 今度は二二階を放棄してから三分後の指示。あまりに早すぎる。まだ二二階で戦っている部隊も多いはずなのに何を考えているんだろうか。いずれにせよ、これ以上の後退は無いはずだ。この階の中央司令室を失ったら組織的抵抗ができなくなる。ここが俺の死に場所になるだろう。

 

「中隊長、戦闘準備」

 

 不安で喉が詰まりそうだが、かろうじて声を絞り出して中隊長のデュポン大尉に指示を出す。本来の指揮官を尊重すると言う名目でデュポン大尉に指揮を委ねているが、実戦ができないことを隠す言い訳であるのは言うまでもない。

 

「了解いたしました!」

 

 俺よりちょっと年長のデュポン大尉は張りのある声で答えると、きびきびと部下に指示を出している。彼は俺が役割分担をわきまえて指揮に口を出そうとしないと勘違いしているらしく、申し訳なくなるぐらいに張り切っている。

 

 通路の奥から銃声が聞こえてくると、デュポン大尉が直接率いる二個憲兵小隊は射撃の構えを取った。あの向こうでは味方が必死の戦いを続けているのだろう。最初で最後の戦いの始まりが近づくにつれて、胸の高鳴りがどんどんひどくなっていく。

 

「隊長代理殿!」

 

 デュポン大尉の叫び声で、自分が駆け出していたことに気づいた。視界に敵と揉み合う味方の背中が近づいてくる。緊張に耐え切れなくなった俺は無意識のうちに飛び出してしまっていたのだ。戻ろうと思っても足が止まらない。クリスチアン中佐に指摘された弱さが最悪の場面で顔を出してしまった。

 

「総員突撃!隊長代理殿を死なせるな!」

 

 号令とともに大勢の駆け足の音がする。整然と敵を迎え撃つ用意をしていたデュポン大尉の部隊だったが、俺を救おうと突撃を開始したのだ。四=二基地の憲兵隊の最高指揮官は俺だから、デュポン大尉にどんな作戦があっても、俺が動いたらご破算にして従うしかない。残り数十分の命だからどんな死に方をしようと関係ないはずなのに、忠実な部下を巻き込んでしまったことに強い自己嫌悪を感じた。

 

 胸の中に広がっていく後悔を振り払うようにひたすら走り続け、気が付くと敵中に躍り込んでいた。大部隊が押し寄せてきたとばかり思っていたのに、意外と数が少ない。足を止めずにビームライフルを構えて引き金を引く。銃身から光の束が迸るたびに敵が倒れていった。こんな心理状態でも体で覚えた技術は裏切らないらしい。

 

 三メートルほど先にいる敵兵三人が俺に銃口を向けたが、一瞬で全員を仕留める。後に続くデュポン大尉らの援護もあって、一時的に敵を押し戻すことに成功した。ここまで来たら、今さら後戻りなどできない。俺は前方に向かって走りながら、ひたすら敵を撃ち倒し続けた。

 

 俺とデュポン大尉率いる憲兵は突撃を続けたが、やがて分厚い敵兵の壁に阻まれた。どれだけ撃ち倒しても敵は減るどころか数を増やしていく。俺の周囲にいた味方は一人、二人と倒れていき、比例するように敵の射撃は勢いを増していった。周囲を見回すと、味方は五人しか残っていない。デュポン大尉の姿もいつの間にか見えなくなっていた。ビームライフルのエネルギーも切れかけていて、これ以上の戦闘継続は不可能だった。

 

 ビームライフルは実弾武器と比べると動き続けている相手には狙いをつけにくいという欠点があるが、数を揃えて撃ちまくって動ける範囲を狭くしてやればどうということはない。敵の射撃をかわし続けていた俺だったが、もはやかわしきれないほどに敵の射撃は激しくなっていた。装甲服の肩に敵のライフルから放たれた光線がかする。

 

「あーあ、もうおしまいか」

 

 あれほど死ぬのが怖かったのに、本当に死が迫ったら意外とあっさりしたものだった。あまりに怖がりすぎて、いざとなったら白けてしまったのかもしれない。敵の射撃が今度はヘルメットにかする。次に当たったらおしまいだな。何度も何度も都合よくかするわけもない。

 

 アンドリュー、クリスチアン中佐、イレーシュ少佐、ドーソン中将、ルシエンデス曹長、カウリ軍曹、リンツ、ヨブ・トリューニヒト、シェーンコップ中佐、その他これまで世話になった人達…。いろんな人の顔が脳裏に浮かんでは消えていく。もう会えないと思うと寂しい。

 

「こちらにおられましたかっ!」

 

 後ろから聞こえるファヒーム少佐の声が俺を現実に引き戻す。ちらっと後ろを見ると、ファヒーム少佐を先頭に数十人の兵士が援護射撃をしながらこちらに向かってきた。敵も応戦しているが、援軍の射撃の前にバタバタとなぎ倒されていった。憲兵の射撃技術ではここまで命中させることはできないはずだ。不思議に思っていたが、ファヒーム少佐の横にいる人物の顔を見て納得がいく。

 シェーンコップ中佐の腹心であるライナー・ブルームハルト中尉。つまり、この階にいたローゼンリッターの小隊が憲兵と一緒に援軍に来たのだ。

 

「司令部より後退命令が出ております!早く二五階まで後退してください!」

「後退命令!?」

「一〇分前に出ました!この通路以外の我が軍は撤収完了しておりますぞ!」

 

 ちらっと時計を見ると、二三階の放棄命令が出てから一一分が経っている。驚くべきことにラッカム少将は一分で中央司令室放棄を決定したらしい。いったい何を考えているんだろうか。いや、我を忘れて突撃して命令を聞き逃した俺が言っていいことではないか。

 

「ブルームハルト中尉、隊長代理殿の援護をお願いしたい。我らはここで敵を食い止める」

「了解しました。エーゼルシュタイン軍曹、貴官の分隊はファヒーム少佐らを援護せよ」

「不要だ。ローゼンリッター一人は一般兵一〇人にまさる。隊長代理殿の力になってもらいたい。我らの指揮官なのでな」

「憲兵だけで大丈夫ですか?」

「貴官らが後退するまでの時間ぐらいは稼いでみせる。いざとなれば、これを使う」

 

 ファヒーム少佐は手に乗せた何かを見せると、ブルームハルト中尉は大きく頷いてから敬礼をした。何を手に乗せているのか、この角度からは見えない。ただ、二人の表情から少佐が命を賭けるつもりであるのはわかった。何かとつっかかってきて鬱陶しい人だったけど、気づいてみたら世話になりっぱなしだった。

 

「ファヒーム少佐、あなたには本当に…」

「次に指揮官を務められる際は、いたずらに勇を好まれませぬよう」

 

 礼を言おうとする俺を遮って一言だけ言うと、ファヒーム少佐はビームライフルを構えて銃撃戦に加わった。いたずらに勇を好むな、か。俺がなんで後退命令を聞き逃したのかわかっていたんだな。それなのに助けに来てくれた。

 

「行きましょう」

 

 ブルームハルト中尉に促された俺はファヒーム少佐に敬礼すると、ローゼンリッターと一緒に中央司令室に向かって走り出す。せいぜい残り数十分の命だけど、今の少佐の背中を死ぬまで忘れたくないと思った。

 

 しばらく走っていると、廊下に五〇人ほどの敵が集まっているのが見えた。ローゼンリッターの半数がトマホークを抜いて突撃し、残り半数が援護射撃をすると、たちまち敵は蹴散らされていく。倍近い敵に躊躇なく突っ込んでいく勇気、あっさり蹴散らしていく桁違いの強さのいずれもこの世のものとは思えない。

 

 ローゼンリッターに守られながら二五階に上がる階段の最初の段に足を乗せた瞬間、俺達が来た通路の方向から大きな爆発音が聞こえた。何が起きたのかは考えるまでもなかった。ファヒーム少佐は手榴弾か何かを使って、敵を巻き込んで自爆したのだ。泣きそうになったけど、辛うじてこらえた。



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第三十七話:死線の果てに見た獅子 宇宙暦794年4月6日夜 ヴァンフリート4=2基地司令部ビル

 ファヒーム少佐らの犠牲で二四階を脱出して二五階に上がる階段を最上段まで登ったところで、下から大勢の人間の足音が駆け上がってくる足音が聞こえた。振り向くと、階段を埋め尽くすような数の敵兵が押し寄せている。

 

「フィリップス少佐、ここは小官達に任せて上へ!」

 

 ブルームハルト中尉はゼッフル粒子散布器を取り出してスイッチを入れると、トマホークを抜く。部下達もそれにならってトマホークを抜いて登ってくる敵に立ち向かう。俺は深々と頭を下げると、二五階の廊下に出て駆け出した。

 

 任務達成どころか生存も絶望的になってしまったが、せめて最後まで命令を貫く努力をして、やるだけのことはやったと思って死にたい。さっきのような真似をしてしまったら、死んでも死にきれない。せめて、この建物にいる三人の将官のうちの一人でも確保しよう。

 

 二五階だとすぐ敵が乗り込んでくるかもしれないと思って三〇階まで上がる。エレベーターが止まっていたので階段を使った。装甲服を着て駆け上がっているのに疲れを感じない。どんなに鍛えられた人間でも装甲服を着たまま動けるの二時間が限度だそうだが、まだまだ余裕があるみたいだ。人気のない場所を探していると、女子トイレが視界に入った。こんな場所に誰かが隠れているとは思えないけど、念のためにハンドガンを構えて警戒しながら侵入する。

 

 ポケットからメモ用紙を取り出して「故障中」と書いて一番奥の個室の扉に貼り付けてから、中に入って鍵を掛ける。個室に入って落ち着いた俺は、野戦用携帯端末でセレブレッゼ中将、カルーク少将、ラッカム少将の三人との交信を試みた。全員にそれぞれ一〇回ほど通信を送ったが、返事がない。これで終わりにしようと思ってセレブレッゼ中将に一一回目の通信を送ったところ、反応が返ってきた。

 

「司令官閣下、聞こえますか?こちらはエリヤ・フィリップス少佐です」

「今、どこにいる?」

「三〇階です」

「私は二七階だ。早く来てくれ」

「二七階のどちらですか?」

「資材課の近くだ。とにかく早く来てくれないか」

 

 不安に駆られてシェーンコップ中佐に電話した時のような弱々しい声。司令部ビルに敵が突入してくるまではセレブレッゼ中将の弱さを不甲斐ないと思っていたけど、取り乱して突撃してしまった今では共感に近いものを感じる。あんな状況で落ち着いていられる方がまともじゃない。

 

「了解いたしました。これからお迎えに上がります」

「おお、待っているぞ」

 

 セレブレッゼ中将の声に生気が戻った。司令部に憲兵を入れた俺に対して非好意的だった彼だけど、喜んでもらえると嬉しくなる。これまでの敵の勢いから考えると、もうすぐ三〇階まで到達するだろう。一人で二七階まで下りるのは不可能に近いけど、司令官を助けに行って死ぬのなら格好は付く。最後に使う武器となるであろうハンドガンを握り締めて階段を下りた。

 

 二九階から降りる途中で何回か敵と遭遇したが、どの敵も二人から五人程度の小集団に過ぎず、物陰に隠れてやり過ごすことができた。二四階で遭遇した敵に比べると、数もやる気も比べ物にならないぐらい少ない。散発的に銃声が鳴っていて、戦闘も続いているようだ。

 

 二八階から二七階に降りると、出会い頭に二人組の敵兵に出くわした。緩慢な動作でビームライフルを構えようとする敵の手をハンドブラスターで撃ちぬく。ライフルを落とした敵に間合いを詰めながら接近。右側の敵の首に右腕を引っ掛け、左側の敵の手首を掴んで同時に転倒させた。いずれも同盟軍のオフィシャルな徒手格闘テクニックだが、こんなに鮮やかにきまったのは、〇.二五Gという低重力のおかげだろう。床に転がっている敵に何発かハンドブラスターを撃ちこむと、資材課のある区画を目指して全力で廊下を走り抜けた。

 

 資材課がある区画は通常照明が壊れたのか、非常用の薄暗い赤色灯が灯っていてとても視界が悪い。この辺りでも散発的に銃声が聞こえていた。セレブレッゼ中将を探していると、帝国軍の装甲服を着た人物が同盟軍の気密服を着た人物をハンドブラスターで狙っているのが見える。気密服を着た人物は敵兵を見ているが、何の反応も示していない。こんな時だけど、同盟軍の仲間を放っておく訳にはいかない。俺はハンドブラスターを抜くと、敵兵に向けた。

 

「銃を捨てて手を上げろ」

 

 帝国語でそう勧告した瞬間、しまったと思った。わざわざ自分の存在を知らせてやることもないのに、どうしてこんなことをしてしまったんだろうか。つくづく、戦闘慣れしていない自分に腹が立った。こうなった以上はさっさと撃ち殺してしまうしか無い。

 

 狙いをつけて引き金に手をかけた瞬間、敵はピュッと鋭く腕を振った。右手に何かがぶつかって鋭い痛みが走り、ハンドブラスターを落としてしまう。重いものがぶつかったような感触からして、ハンドブラスターを投げつけられたようだ。右手の痛みを堪えながら、態勢を立て直そうとすると、いつの間にか間合いを詰めてきた敵のタックルを受けて転倒してしまった。

 

 あっという間に敵にマウントポジションを取られてしまった。薄暗い照明のせいで顔ははっきりと見えないが、端整な顔立ちをした若者のようだ。貴族の子弟だろうか。同盟軍ではマウントポジションからの抜け方もオフィシャルテクニックとして教えている。格闘二級の資格を持つ俺なら、陸戦のプロ相手でも簡単にやられはしない。まして、貴族の坊っちゃん相手だ。不意を突かれたけど、まだまだ逆転の余地はあるはずだ。

 

 俺は隙を見て手足の自由を確保してマウントポジションを抜けようと試みた。しかし、相手は左腕と足を巧みに使って俺の手足を完全に抑えこみ、まったく隙を見せようとしない。ローゼンリッターと双璧をなす精鋭と言われる第八強襲空挺連隊屈指の徒手格闘の達人と組み手をした時以来の経験だった。もしかして、自分はとんでもない強敵と対峙しているのではないか。そんなことを思って恐ろしくなった。

 

 敵は俺のこめかみに拳を浴びせかけてくる。装甲服の防御力を持ってしても、脳を揺さぶられたらダメージは避けられない。腕の関節や首といった装甲服の接合部にも拳を打ち込まれた。敵の攻撃は俺の肉体ではなくて意志を打ち砕こうとしているかのように鋭く正確だ。放つ者の強靭な意志を体現したかのような拳が一発入るたびに俺はぶざまに悲鳴をあげる。敵は貴族の坊っちゃんどころじゃない。装甲服を身にまとった殺意だ。

 

「殺される」

 

 そう確信した時、涙が流れた。さっきは敵の銃撃に晒されても全然怖くなかったのに。ああ、そうか。怖いのは死ぬことじゃなくて、無力なことなんだ。今の俺は徹底的に無力感を味わわされている。ボーっと見てるだけでちっとも助けてくれない気密服の人の存在も無力感をかきたてる。

 

「大丈夫か!」

 

 同盟公用語の叫びか聞こえると同時に複数の光条が俺の上を通り過ぎて行った。敵は俺を解放すると素早い動きで銃撃をかわしながら、さっき俺に投げつけたハンドブラスターを拾って応射する。芸術的なまでに動きに無駄がない。敵は徒手格闘のみならず、射撃にも長けているようだ。帝国の特殊部隊に所属する近接戦闘全般のプロフェッショナルなのかも知れない。とんでもない相手に喧嘩を売ってしまった。

 

「味な真似をしてくれるな。だが、貴族の飼い犬ごときがローゼンリッターに勝てると思うなよ」

 

 上半身を起こすと、同盟軍の装甲服を着た三人の男がビームライフルを構えている。助かった。いかに目の前の敵が近接戦闘のプロであっても、ローゼンリッターの隊員三人を敵に回しては勝ち目がない。敵がジリジリと後退すると、その後方から驚くほど背が高い人影が走り寄ってきた。帝国軍の装甲服を着ている。

 

「ラインハルト様!」

 

 ラインハルト?そういえば、獅子帝ラインハルトは現実の歴史ではヴァンフリート四=二基地攻防戦に参加してたっけ。盟友のジークフリード・キルヒアイスは長身で知られていた。つまり、あの格闘の達人は…。

 

「キルヒアイス!」

 

 何度も立体テレビで聞いた声だ。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラム。人類史上、唯一武力による人類世界の統一を成し遂げた不世出の覇王。同盟末期からローエングラム朝にかけての時代を生きた俺には忘れようもない英雄。戦争の天才というよりは闘争の天才で、勝負と名のつくもので人に遅れを取ることはほとんどなかった。近接戦闘にかけても天才的な技量を持ち、政敵から差し向けられた刺客を何度と無く撃退したという。

 

 盟友ジークフリード・キルヒアイスはラインハルトをも上回る近接戦闘能力を持ち、現実の歴史では同盟末期からローエングラム朝成立に至る動乱期における最強の戦士の一人と評されていた。

 

 この時間軸ではラインハルトはミューゼル姓を名乗る帝国の高級士官の一人、キルヒアイスはその副官にすぎないはずだが、それでも俺ごときの最後の戦いに出張ってくるには豪華すぎるキャストだ。現時点では簒奪の機会が巡ってくるかどうかもわからない。だが、政戦両略の天才にして皇帝の寵愛も深い彼が栄達してゴールデンバウム朝の重臣になる可能性はきわめて高い。こんな大物と最後に巡り会えたなら、格好もつくというものだ。

 

 そこまで考えて、ひとつの可能性に思い当たる。彼を殺したら、もっと格好がつくんじゃなかろうかということだ。戦いに敗れて任務も達成できないまま死んでしまっても、将来を嘱望される皇帝の寵臣を道連れに殺せば帳尻は合うかもしれない。そんな誘惑にかられた俺は痛む体を必死で動かして、ラインハルトの投擲で叩き落とされたハンドブラスターに手を伸ばす。

 

「一人が二人に増えても同じことだ。ホイス、シュレーゲル。行くぞ」

「了解です、ウィンクラー中尉」

 

 ローゼンリッターの三人はトマホークを構えると、同時にラインハルトとキルヒアイスに飛びかかった。キルヒアイスはトマホークを抜いて応戦し、ラインハルトはハンドブラスターで援護射撃をする。何の打ち合わせもしていないのにすばらしく息の合った連携だ。本当の意味で一心同体となっている二人に見とれてしまいそうになるが、この機を逃せばラインハルトを殺せなくなる。腕の痛みが酷く、意識も朦朧としていたが、辛うじてハンドブラスターを握ってラインハルトに狙いをつける。当たっても当たらなくても笑って死ねる。思い残すことはない。

 

「今だ」

 

 引き金を引こうとした瞬間、頭がグラグラして手の力が抜けてハンドガンを落としてしまった。こめかみを殴られたのが響いていた。目の前ではラインハルトの銃撃で勢いを殺されたローゼンリッターの三人が、キルヒアイスの斬撃であっという間に物言わぬ死体となるという光景が展開されていた。

 

 彼らの美しい戦いぶりに体が震えてしまう。死の恐怖とかそういうものとはまったく別の震え。一瞬、神という言葉が頭のなかをよぎる。彼らは俺なんかが行き掛けの駄賃に手を出していい存在ではないということを思い知り、唇を強く噛みしめる。

 

「クソっ…」

 

 心の底から悔しさが込み上げてきた。人生をどこか他人事のように感じていたから、こんなことになってしまったのではないか。逃亡者にならなかった人生というアナザーワールドではなく、メインワールドとしてこの世界を捉えるべきではなかったか。失敗続きだった人生のやり直しではなく、本当の人生として生きるべきだったのではないか。自分はこの世界で出会った人達に不誠実に向き合っていたのではないか。そんな思いが涙となって両目からあふれ出す。

 

 ラインハルトとキルヒアイスは確実に俺を殺すはずだ。残り数十秒の人生だけど、格好良く死ぬぐらいなら格好悪く生きたかった。格好悪くて馬鹿で不誠実な俺だったけど、そんな俺にもこの世界は結構優しかった。

 

 頭が再びグラグラ揺れて、意識が薄れていき、上半身がバタンと倒れて視界が真っ暗になる。殺される瞬間に意識が無いなんて、なんか俺らしい。俺は俺を最後まで好きになれなかったけど。

 

「ラインハルト様は既に武勲を立てられました。撤退命令も出ています。この場所に留まる意味はありません」

「お前の言う通りだ。欲張ってもしかたがない」

 

 そんな声がかすかに聞こえたが、朦朧とした頭では何を言っているのか理解できなかった。



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第三十八話:病床で考える偶然の意味 宇宙暦794年4月14日 ヴァンフリート4=2基地病院

 信じられないことだが、ヴァンフリート四=二基地は占領を免れた。セレブレッゼ中将がダメ元で出した救援要請を受けた同盟軍第五艦隊が四=二付近に姿を現し、衛星軌道上からの攻撃されることを恐れた敵は攻略を断念して撤退したのだ。戦場は宇宙空間に移り、現在は四=二から離れた宙域で艦隊戦が続いている。

 

 四=二基地の同盟軍は曲がりなりにも勝利を収めたことになるが、人的にも物的にも大損害を被った。基地施設は深刻な損害を受けて、後方基地としての機能をほぼ喪失している。倉庫群が破壊されて備蓄物資の大半が灰燼に帰した。整備業務集団司令官リンドストレーム技術少将の戦死が確認され、参謀長ラッカム少将と輸送業務集団司令官メレミャーニン准将が戦闘中に行方不明になり、佐官級の幹部も多く失われた。総司令部は四=二基地の放棄を決定して、現在は司令官セレブレッゼ中将の指揮のもとで撤収作業が行われている。

 

 現在の俺は四=二基地病院に入院して、ハイネセンへの移送を待つ日々だ。ラインハルトとキルヒアイスは撤退命令を聞いて立ち去ったおかげで何とか命は助かったもののかなり危険な状態だった。医療班が駆けつけた時の俺は脳震盪による意識障害を起こしていて、医師の質問にもまともに答えられなかった。吐き気、頭痛、手足のしびれなども併発しており、医療班の到着が遅れたら後遺症が残っていた可能性もあったという。肘関節や鎖骨も酷く損傷していて、こちらは全治三ヶ月と診断されている。絶対安静が解けたのは、ヴァンフリート四=二基地攻防戦が終結した八日後の四月一四日だった。

 

 俺の指揮下にあった基地憲兵隊は八個中隊のうち五個中隊が壊滅し、副隊長と中隊長三人が戦死、中隊長二人が重傷という致命的な損害を被った。入院中で指揮を取れない俺は隊長代理を解任され、新たに任命された隊長代理が三個憲兵中隊の増援とともに四=二基地にやってきている。中央支援集団司令部メンバーの拘束命令も新任の隊長代理が引き継いだ。最重要拘束対象だった八人の将官のうちの三人が戦闘で失われてしまっており、俺の任務は完全に失敗したことになる。暴走してファヒーム少佐とデュポン大尉を死なせたことも含め、後悔ばかりが残る任務だった。

 

 しかし、任務失敗にも関わらず俺の立場は悪くなっていない。それどころか、中佐昇進の話まで出ていた。中央支援集団司令官にして四=二基地司令官でもあるシンクレア・セレブレッゼ中将のおかげだ。

 

 ラインハルトにレーザーブラスターを突きつけられていた気密服の人物は彼だった。姓名と階級を名乗るよう迫られていたが、俺がラインハルトと戦ったおかげで捕虜にならずに済んだそうだ。俺の後に駆けつけたローゼンリッターのウィンクラー中尉、ホイス曹長、シュレーゲル軍曹の三人はラインハルトとキルヒアイスに敗死していたため、俺がセレブレッゼ中将救援の功績を独占することになってしまった。

 

 セレブレッゼ中将は俺に大きな恩を感じているらしく、基地病院で一番良い個室に入れてくれた。基地病院で最も優秀な医師が担当医となり、入院中の食事のメニューは専属の栄養士が作成している。実のところ、セレブレッゼ中将が適切な応急措置をして、撤収中とはいえまだまだ敵がうろついている二七階まで医療班を素早く呼んでくれなかったら、後遺症が残った可能性が高いのだ。俺が五体満足でいられるのはセレブレッゼ中将のおかげとしか言い様がないので、VIP待遇には居心地の悪さを感じてしまう。多くの部下を死なせた挙句に自分一人が功労者扱いで厚遇されるなんて許されるのだろうか。

 

 

 

「貴官は武勲を樹てたのだ。恥じることなどあるまい」

 

 肘の関節を壊されて両腕を使えない俺のためにセレブレッゼ中将から差し入れられたりんごを剥いてくれているのは第一七七歩兵連隊長クリスチアン中佐。第一七七歩兵連隊は最も奮戦した部隊の一つだったが、陣頭で指揮していた彼は大した傷も負うことなく生き延びた。

 

「俺は無茶な突撃や不必要な警告をして二度も死にかけたのに、運がいいだけで生き延びてしまいました。セレブレッゼ中将を助けたっていうのも本当にたまたまです。失敗ばかりなのに運を評価されるのは心苦しいんです」

「馬鹿なことを言うな。運も能力だ。流れ弾で死ぬ奴もいれば、弾幕を何度くぐり抜けても死なない奴もいる。ちょっとしたミスで死ぬ奴もいれば、ミスしても相手がもっと酷いミスをしたせいで死なずに済む奴もいる。その違いは明らかだ。一度や二度なら偶然だが、何度も重なれば立派な能力だ」

「失敗しかしていないのに評価されるって嫌じゃないですか?」

 

 運が能力だとしても、それは評価されるべき能力なのだろうか。評価というのは努力に対して与えられるべきではないだろうか。俺は最初の人生で努力せずに失敗し、今の人生で努力で道を切り拓いてきた。二つの人生の差って、努力の有無の差ではないか。クリスチアン中佐には言えないことだけど。

 

「戦場に出た時点で命を賭けているだろう。命を賭ける以上に評価すべきことがどこにある。努力だけで生き延びられるほど戦場は甘くない。運だけで生き延びられるほど甘くもないがな。使えるものは何でも使わないと生き延びられん。戦って生き延びたこと、それ自体に価値があるのだぞ。死んでしまっては、国のために戦えなくなってしまう」

「なるほど」

「武勲を重ねるには生き延びないといかん。実力で生き延びることもあれば、ミスをしたのに運で生き延びることもある。武勲が多い奴はみんな運も実力もあると思ってよろしい。今回の戦いに納得がいかなければ、次の戦いで納得のいく武勲を樹てろ。それができるのも貴官の運のおかげだ。だから、運は能力なのだ」

 

 生き延びて武勲を重ねることに意味があるということか。だから、運も能力だと。たくさんの戦場を経験したクリスチアン中佐らしい考えだな。ずっとデスクワークだった俺とは世界が違う。でも、これも実戦を経験したからこそ聞けた話だ。付き合いが長い相手でも立場の変化によって、聞ける話が違ってくるって面白い。

 

「貴官はセレブレッゼ中将を捕虜にしようとしていた敵に警告をした理由が自分でもわからないと言っていたな」

「ええ。いきなり撃ったところで敵う相手ではないのは確かでしたが、良く考えたら警告して勝率が上がるわけでもないですよね。本当に良くわからないんですよ」

 

 実のところ、ラインハルトに警告する必要なんてなかったのだ。あれはいきなり撃っても構わない場面だった。普段ならそう判断するはずなのに、あの時判断が狂った理由は自分でも良くわからない。

 

「敵の運が貴官の判断を狂わせたということかもな」

「それはちょっと理屈になっていないような」

「戦場を動かしているのは理屈ではなくて偶然だぞ?偶然に対処する能力が実力で、偶然を味方につける能力が運だ。貴官と戦った相手はローゼンリッター三人を一瞬で倒すほど強かったのだろう?よほど激しい戦いを生き抜いた猛者のはずだ。ならば、偶然を味方につけるぐらいはしてのける。そうでなければ、そこまで強くなる前に死んでいる」

 

 ラインハルトは戦争の天才だったが、幸運に恵まれてきたのも事実だった。不敬罪の無いローエングラム朝では、口の悪い研究者はラインハルトのことを運が良かっただけとか、出会った敵は急に馬鹿になるとか言っていた。人類世界を武力で征服した覇王の天才を疑うなんてくだらないことを言うものだと思っていた。

 

 しかし、クリスチアン中佐の話から考えてみると、ラインハルトは運が良かったおかげで激戦を生き延びて濃密な経験を積んで、天才を開花させることができたのかもしれない。非論理的な推論だけど、幾多の激戦を生き延びる運がある彼を、修羅場を踏んだ経験がない俺程度の運では殺せないということなのだろう。クリスチアン中佐の話は非論理的だけど、それだけに経験から得た実感にとても良く馴染む。まさに人生の先輩という感じだ。

 

 

 

「もらえる物はもらっておけば良いではありませんか」

 

 りんごを勝手に取ってかじりながら朗らかに笑っているのは、ローゼンリッター連隊長代理のシェーンコップ中佐。彼が腹心のブルームハルト中尉と一個小隊を貸してくれたおかげでなんとか生き残れた。今回の戦いでは最もお世話になった人の一人と言っていい。

 

「大して活躍もしていないですよ。俺の戦いぶり、ブルームハルト中尉から聞いてないんですか?」

「あの時の隊長代理殿の任務は司令部防衛。司令官を救ったことでその三割ぐらいは達成したでしょう。負け戦の中の殊勲にご不満でも?」

「本当に格好悪かったんですよ。部下を無駄死にさせてしまいましたし。あと、俺はもう隊長代理ではありませんよ」

「格好良く戦えば司令部を守り切れましたか?部下を無駄死にさせない指揮が今のあなたにできましたか?隊長代理殿は随分とご自分を高く評価してらっしゃるのですな」

 

 シェーンコップ中佐の皮肉が突き刺さる。確かに俺一人が格好良く戦ったところで大勢に影響はなかった。俺の能力でまともな指揮ができるわけもなかった。

 

「おっしゃるとおりです」

「取れない責任まで取る必要はありません。器量にふさわしい範囲で責任をお取りになればよろしい。取るべき責任を取ろうとしない輩よりは殊勝な心がけですがね」

 

 勝敗に責任を持てるような器量ではないということか。わかっているけど、シェーンコップ中佐に真向から言われると心に重く響く。海千山千の彼の口から時折放たれる真剣な言葉はこの上なく鋭い刃となる。

 

「まあ、隊長代理殿は別の責任も負っておいでのようでしたしな。勝敗までは負うのは酷でしょう」

 

 首筋に刃を突きつけられたような思いがした。彼が何の理由もなく、たっぷりと含みを持たせるような言葉を吐くとも思えない。今回の任務は公にできるような任務ではない。憲兵司令部のみならず、最高評議会や帝国憲兵隊まで絡んでいる一大秘密作戦なのだ。司令部メンバーの拘束も別の名目で行うことになっていた。だからこそ、副隊長のファヒーム少佐にすら内容は明かせなかった。シェーンコップ中佐に尻尾を掴まれるわけにはいかない。

 

「憲兵は軍規の番人です。楽な仕事ではないですよ。一〇万人以上の後方支援要員を擁する大基地ですしね」

「その程度の仕事はあなたなら朝飯前でしょう。私的制裁キャンペーンをぶち上げて、パワハラの噂にかこつけて司令部を監視下に置いてのけたあなたにならね」

 

 背中に冷や汗が流れる。シェーンコップ中佐のペースに乗せられたら、言わなくていいことまで言わされかねない。

 

「一罰百戒と言うじゃないですか、パワハラの証拠が見つかれば…」

「あなたが司令部を監視下に置いて何をなさろうとしていたのか、小官はとても興味があったんですよ。憲兵が派遣された基地司令部、補給業務集団司令部、工兵団司令部、衛生業務集団司令部、通信業務集団司令部、整備業務集団司令部、輸送業務集団司令部。これらを全部抑えれば、憲兵だけで基地機能を制圧できますからな。一方、司令部の側は点数稼ぎしようとする連中の目に縛られて動きがとれない。まあ、うまくやったものです」

 

 シェーンコップ中佐はどこまで掴んでいるんだろうか。これ以上口を開くことはできない。この油断ならない人物が現役将官の麻薬密売関与という同盟軍史上屈指のスキャンダルの一端でも掴んだら、どんなことになるか予想もつかない。彼が軍の威信なんてものを尊重する気が全くないことは周知の事実だ。ああ、こんなことを考えてる俺って、まるで悪役みたいだな。

 

「一兵でも惜しい時に善意でブルームハルトと一個小隊を貸すほど、小官が甘い人間だと思われていたら心外です」

 

 獲物を取って食べる猛獣のような笑みをシェーンコップ中佐は浮かべる。要するに監視だったということか。ブルームハルトだけじゃない。司令部と逆方向なのに理由もなくコーヒーを飲みに来ていたシェーンコップ中佐と、俺をスケッチに来ていたリンツも。

 

「偉いさんの弱みの一つも見つかったら面白かったんですがね。どうあがいても、よそ者のローゼンリッターは差別される存在です。足を舐めたくなかったら、恐れられるしかないんですよ。どんな方法を使ってもね」

 

 かつて、リンツから聞いた話を思い出した。亡命者は無能なら笑い者、有能なら生意気と言われ、生意気じゃなかったら敬遠されるという話だ。有能な亡命者集団のローゼンリッターは生意気と言われるか、敬遠されるしかないのだろう。ワルター・フォン・シェーンコップという稀代の危険人物も亡命者として、ローゼンリッターの一員として足を舐めずに生きる道を模索した結果として生まれたのかもしれない。しかし、そんな立場であれば、こんなことを言うのは無防備ではないだろうか。

 

「しかし、こんな話を俺にしてもいいんですか?シェーンコップ中佐の立場で言うには、あまりにも不穏当に過ぎませんか?」

「あなたは不穏当なんて理由では動かんでしょう。ご自分の強さがどこにあるか、あなたは良くご存知のはずだ」

 

 俺は無言でシェーンコップ中佐の言葉に頷いた。彼相手にはごまかしは一切通用しないことを改めて確認させられる。俺の本当の目的も全部見抜いた上で今の話をしていた可能性だってある。

 

「まあ、全部小官の勘違いかもしれませんがね。若いエリートが功を焦って先走った結果、たまたま基地機能を制圧できるように憲兵を配置してしまった可能性だってあるかもしれません。なにせ、フィリップス少佐はお若いですからなあ。エル・ファシルの英雄として何かと注目される立場では、功績がほしくなるのも無理もないでしょう。ご苦労のほど、お察しいたしますぞ」

 

 そういうことにしといてやるよと言わんばかりのわざとらしい口調でそう言うと、シェーンコップ中佐は人好きのする笑みを浮かべて立ち上がった。

 

「ああ、でも。フィリップス少佐がいれたコーヒーがうまかったというのは本当です。再び陣を並べることがあったら、ぜひ飲ませていただきたいものですな」

 

 うやうやしく一礼すると、シェーンコップ中佐は颯爽とした足取りで病室を出て行った。さんざん翻弄されたけど、それでも格好いいと思ってしまう。この人には何度負けても気持ちよく負けられる。そんな気がした。



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第五章:俺の道標
第五章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二憲兵隊長代理。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル攻防戦で重傷を負って入院中。エル・ファシルの英雄の虚名に翻弄されつつも懸命に仕事に取り組む。小心者。小柄で童顔。卑屈。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。事務が得意。指揮官としては未熟。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

エリヤの友人・知人

クレメンス・ドーソン 44歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。憲兵司令官。同盟軍にはびこる麻薬組織との戦いを指揮している。優秀な実務家だが、細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

ヨブ・トリューニヒト 39歳 男性 原作主要人物

改革市民同盟幹事長。気鋭の主戦派若手指導者。ドーソンと親しい。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

エーベルト・クリスチアン 40代前半 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。ヴァンフリート四=二攻防戦の功績で大佐に昇進。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍少佐。士官学校を卒業した参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アンドリュー・フォーク 24歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍少佐。ロボスに心酔する若手参謀。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

カスパー・リンツ 24歳 男性 原作人物

同盟軍大尉。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ヴァンフリート四=二関係者

ワルター・フォン・シェーンコップ 30歳 男性 原作主要人物

同盟軍大佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。エリヤのいれたコーヒーを気に入っている。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

シンクレア・セレブレッゼ 48歳 男性 原作人物

同盟軍中将。中央支援集団司令官・後方勤務本部次長。同盟軍最高の後方支援司令官。「チーム・セレブレッゼ」と呼ばれる専門家集団を従える。ヴァンフリート四=二基地の戦いでラインハルトに捕らえられそうになったが、エリヤに助けられた。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 48歳 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。後方支援集団参謀長。チーム・セレブレッゼの調整役。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛を指揮したが敗北。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

義勇旅団関係者

ラザール・ロボス 56歳 男性 原作人物

同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。同盟軍屈指の名将だが、ヴァンフリートでは精彩を欠いた。人心掌握にも長ける。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

カーポ・ビロライネン 33歳 男性 原作人物

同盟軍軍人。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

マリエット・ブーブリル 35歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エル・ファシル関係者

ヤン・ウェンリー 27歳 男性 原作主人公

同盟軍軍人。真のエル・ファシルの英雄。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。。

 

アーロン・ビューフォート 30代半ば? 男性 原作人物

同盟軍軍人。エル・ファシル脱出作戦に参加。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 50歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 49歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 28歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 21歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第三十九話:生き残った者にできることとするべきこと 794年5月~6月 ハイネセン市、ハイネセン第二国防病院

 俺が病院船に乗ってハイネセンに帰還したのは四月末の事だった。ヴァンフリート星系を巡る戦いは双方ともに決め手を欠いたまま続いていたが、四=二基地を失った同盟軍の補給難は深刻化している。宇宙艦隊総司令部が撤退を検討しているとの報道も流れていた。緒戦で部隊を掌握しきれずに混戦を招いてしまった宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥の手腕に疑問符を投げかける向きもあるようだ。中佐に昇進して作戦参謀を務めるアンドリューの心労も絶えないことだろう。それに比べると、俺の立場は実に呑気なものだった。

 

 現在の俺はすべての責任から解放されて、憲兵司令部付の肩書きで給料を受け取りつつ、ハイネセン第二国防病院で入院生活を送っている。実戦では足を引っ張るばかりだったのに偶然セレブレッゼ中将を救ったことで中佐昇進が取り沙汰され、達成できなかった任務も別の人間が引き継いで完了した。セレブレッゼ中将以下の中央支援集団司令部メンバーはハイネセンに撤収する船団の中で査問会召喚という名目で拘束されて、非公式の取り調べを受けている最中だ。

 

「貴官の責任ではない。今回の任務では四=二基地での戦闘を想定していなかった。武装憲兵抜きであれだけの戦いをしてのけたのだ。良くやったといっていい」

 

 見舞いに来たドーソン中将はそう言ってくれたけど、それでも気持ちは晴れない。もっとうまくやれたのではないか、死なずに済む部下もいたのではないか。そんな悔いが頭の中でぐるぐる回り続けている。

 

「良くやったではダメなんですよ。自己満足のために戦ったわけではありませんから」

「本当に貴官は真面目だな。戦闘経過報告も見たが、あれでいいのか?せっかくの武勲に傷がつくやもしれぬぞ?」

「真実を正しく伝えるのが指揮官の責務であろうと、小官は考えます」

 

 四=二基地に入院している間にブルームハルト中尉の協力を得て、俺の無謀な突撃のせいでファヒーム少佐やデュポン大尉らが死んだ戦闘の経過報告を作成した。それとは別にラインハルトにボコボコにされた戦闘の経過報告も作成している。俺の犯したミス、そのせいで犠牲になった人達の立派な戦いぶりなどを余さず記した。

 

「しかしだな、これでは昇進選考が不利になる。当事者は全員貴官の昇進を推していることだし、考え直したらどうだ」

 

 失敗を隠した方が昇進選考で有利になるのではないか、関係者と口裏を合わせることもできるだろうとドーソン中将は示唆している。

 

 とかく情に流されがちなのが彼の美点であり、欠点でもあった。好み次第で規則を必要以上に厳しく解釈して重い処分を下したり、必要以上に甘く解釈して軽い処分で済ませたりしようとする。麻薬組織のようにわかりやすい悪と戦う時には素晴らしい行動力を発揮できるが、身内の悪に甘くなってしまう。現在の憲兵司令部は馴れ合いがひどいという批判も多い。馴れ合いの風潮を創りだした俺が心配するのも図々しいかもしれないが、だからといって受け取るべきでない好意を受け取るのは良くないだろう。

 

「小官は昇進したくて軍人をやってるわけじゃありません。閣下の好意はありがたいですが、誰もが納得できる功績をあげた時にお受けしたいと思います」

「そのようなことを言われたら、何が何でも昇進してもらいたくなるではないか。貴官には困ったものだ」

 

 苦笑まじりにため息をつくドーソン中将を見ていると、本当に良い人だなあと思う。欠点は多いけど、この人の部下で良かった。いろいろと良い勉強もさせてもらった。じゃがいも参謀というあだ名を広めたことにちょっと罪悪感を感じる。

 

「やはり、自分の功績で昇進したいですから。今回の戦いの功績は小官を生かしてくれた人達の功績です」

 

 クリスチアン中佐もシェーンコップ中佐も功績は功績だと言ってくれたけど、いくら考えても死んだ人の功績まで自分のものにするのは筋違いであるように思った。そこは譲るべきでない一線だろう。

 

「そういえば、貴官は病院船に乗っている間に、音声入力端末を病室に持ち込んでずっと戦死者全員の叙勲推薦書を作っていたそうだな」

「生きている人が死んだ人に対してできることって、彼らのことをずっと覚えていることぐらいじゃないかって思いました。勲章は軍が死んだ人の功績を永遠に覚えているという証です。彼らの名前が忘れられないようにすることで、彼らの犠牲で生き延びた無能な指揮官としての責任を取り続けます。それに…」

 

 俺の無謀な突撃で死んだ副憲兵隊長ファヒーム少佐、中隊長デュポン大尉、憲兵六五人。俺を殴っていたラインハルトの注意をひきつける形で死んだローゼンリッターのウィンクラー中尉、ホイス曹長、シュレーゲル軍曹の三人。彼らの叙勲推薦書をヴァンフリート四=二からハイネセンに戻る病院船の病室でずっと作り続けた。彼らに対して何ができるかを考え続けた末の結論だった。偽善かもしれないけど、しないよりはマシだろう。

 

「勲章には年金が付きますよね。受章者が死亡している場合は、遺族が受給権を相続します。年金が出て遺族の暮らしが楽になれば、彼らの心残りも少しは減らせるかもしれません」

「それが貴官なりの責任の取り方ということか」

「ええ。何が起きても他人事のつもりで生きてきましたが、これからは自分がやったことにしっかり向き合いたいと思います」

 

 英雄と呼ばれても、オフィスで仕事をしていても、与えられた役割をこなすだけでどこか他人事のように捉えていた。それがヴァンフリート四=二における失敗につながったのではないかと思う。

 

 取り乱した俺の突撃に中隊長として付き合ったデュポン大尉、俺の失策をわかっていながら文句を言わずに敵を足止めしてくれたファヒーム少佐、激戦に身を投じて偶然をも味方につけるほどの強者となったラインハルトとキルヒアイス。彼らは与えられた役割にしっかり向き合って生きていた。そんな人々ばかりがいる戦場で他人事気分の俺に何もできるわけがない。あの時に感じた悔しさを二度と感じたくないと思う。

 

 

 

 五月五日、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は総旗艦アイアースで記者会見を開き、ヴァンフリート星系で帝国軍を打ち破って失地回復の意図を挫いたと述べ、四六日の長期に及んだ戦闘の終結を宣言した。

 

 同盟軍は百万人を超える戦死者を出すという近年でも稀に見る苦戦を強いられたものの、昨年一〇月のタンムーズ星系会戦において獲得した戦略的優位が揺らぐことはなかった。緒戦における部隊掌握の失敗、混戦の隙を縫って同盟軍勢力圏に深く入り込んだ敵艦隊による四=二基地への奇襲を許すなど、同盟軍随一の用兵家らしからぬ失点を重ねたロボス元帥であったが、辛うじて面目を保ったといえる。統合作戦本部が今年の秋を目処にイゼルローン要塞攻略作戦を検討しているという報道も流れていた。

 

 ローゼンリッター連隊長代理のワルター・フォン・シェーンコップ中佐は四=二基地を巡る戦いの功績を評価されて大佐に昇進し、第十三代連隊長に就任した。三〇歳での大佐昇進は士官学校上位卒業者に匹敵する早さで、下士官からの叩き上げとしては異例である。腹心のカスパー・リンツ大尉は少佐、ライナー・ブルームハルト中尉は大尉にそれぞれ昇進し、連隊幕僚として引き続きシェーンコップの補佐にあたる。

 

 第一七七歩兵連隊長エーベルト・クリスチアン中佐も昇進して大佐となった。四=二基地が第五艦隊到着まで持ちこたえたのはローゼンリッターや第一七七歩兵連隊を始めとする実戦部隊の奮戦によるところが大きく、指揮官達は軒並み昇進の栄に浴していた。艦隊戦の勝敗が明確でなかったため、四=二基地防衛戦で活躍した人々の功績がクローズアップされたという事情もあるようだ。

 

 ハイネセン第二国防病院に入院中の俺のところにも再度中佐昇進の打診が来たが、三月に少佐に昇進したばかりの自分が功績に見合わない昇進をするのは不本意だという理由で辞退した。内示が出る段階まで進んでいなくて助かった。

 

 棚ぼたで昇進することに納得出来ないという他に、二か月そこそこで中佐に昇進することへの危惧もある。幹部候補生養成所を出てからの俺はほぼ一年に一階級のペースで昇進していて、どの職でも十分な経験を積んでいない。アンドリューのように士官学校でみっちり勉強したエリートなら経験の乏しさを豊富な知識で補えるが、幹部候補生あがりの俺はそうもいかない。経験も知識も持たずに昇進していきなり能力を発揮できるのは、シェーンコップ中佐やリンツのような天才ぐらいのものだろう。

 

 士官学校を卒業していない軍人が容易に越えることができないガラスの天井が中佐と少佐の階級の間に存在している。

 

 同盟軍士官の補職の区分方法は数十種類にのぼるが、その一つに階級による区分がある。その区分では少尉と中尉を初級職、大尉と少佐を中級職、中佐と大佐を上級職、将官を高級職としてグループ化される。初級職は中央官庁の係長級、中級職は課長補佐級、上級職は課長級、高級職は局長級以上に対応する。

 

 軍隊では階級が上がれば上がるほど専門技術の比重が下がって管理能力の比重が上がっていく。専門技術の高さだけで務まるポストの限界は現場責任者の中級職までと言っていい。兵や下士官から叩き上げた士官は専門技術に長けているが、幕僚教育を受けていないために管理能力の素養を欠く者が多い。

 

 そもそも、階級は補職にふさわしい能力に対して与えられるのが原則であって、武勲に対する褒賞ではない。戦時に軍人の昇進が早くなるのは司令部や部隊の幹部ポストの増加に経験と知識を十分に積んだ人材の増加が追いつかないために、次善の策として見込みがありそうな人材を昇進させてポストを埋めているからだ。武勲は見込みがある人材を選ぶ基準の一つにすぎない。叩き上げであるにもかかわらず上級職に補職される中佐に昇進できる者は、幕僚教育を受けていないにもかかわらず高い管理能力を持つと見込まれた者に限られる。

 

 正直言って、初級職や中級職の経験も十分に積んでおらず、抜群の才能があるわけでもない自分に中佐以上の上級職が務まるとは思えない。四=二基地の戦闘であれだけの失態を犯した人間が上級職に適任であるとみなされること自体がおかしいのだ。

 

「ちょっと頑固すぎない?」

 

 俺の昇進に対する考えを呆れ顔で聞いているのはアンドリュー。宇宙艦隊総司令部作戦副課長の彼はヴァンフリート星系出兵の戦後処理で忙しいはずなのに、こまめに見舞いに来てくれている。参謀の仕事はよほどストレスが多いのか、今年に入ってからびっくりするぐらいやつれていた。彼のことを陰気そうと言う人に会ったこともある。中身は変わっていないけど、体を悪くしていないか心配だ。

 

「筋は通さなきゃいけないでしょ。俺なんかが中佐になるようじゃけじめ付かないよ」

「エリヤは堅苦しすぎるから、彼女できないんだ」

「ほっとけ。そういうアンドリューはタチヤーナさんとはどうなってんの?うまくいってないんでしょ」

「ああ、最近別れたよ。前線って敵の妨害電波で通信できなくなるでしょ?だから一ヶ月や二ヶ月連絡できないこともザラなんだけど、民間人にはなかなかわかってもらえなくてさ」

 

 アンドリューは苦笑しながら、やれやれという感じで手を振る。軍人と民間人の恋愛は難しい。アンドリューが言ったような事情の他に、転勤が多くて遠距離恋愛になりがち、民間と軍隊文化のギャップの大きさなども理由にあげられるだろう。だから、軍隊生活をわかっている職業軍人やその子女との恋愛が必然的に多くなる。

 

「いい加減、職場で彼女探そうぜ。宇宙艦隊司令部なら、かわいい子いくらでもいるでしょ」

「士官学校時代にえらい目にあったからさ。共通の知り合いが多い子と別れたら、めちゃくちゃ気まずいよ、本当に」

「わかるわかる。俺は職場以外の人とは付き合い無いからさ。気まずくならないように彼女作んないわけ」

「エリヤって一度も彼女いたことないじゃん。見栄張ってんじゃねーよ」

「誰もがアンドリューみたいに簡単に彼女作れるわけじゃないんだよ。ほら、俺は格好悪いし、背も低いし、口下手だし、気も利かないし。もてなくて当然」

「背が低い以外、全部違うじゃねーか。君のルックスと性格で女の子と縁がないって、よほどのことだよ。生き方考え直した方がいい」

 

 アンドリューは人が良いせいか、他人を過大評価する傾向がある。馬鹿な俺でも、自分がもてない理由ぐらいはわかっているつもりだ。俺のような奴がもてる方がおかしい。

 

「生き方変えても、俺が俺であるかぎりはどうしようもないよ。顔は整形できても、人間性は整形できないしさ」

「相変わらず自己評価低いねえ。そんで、いつも仕事や勉強やトレーニングの話しかしないだろ。あと、食べ物か。だからもてないの」

「楽しいじゃん」

「軍隊入る前のエリヤが何して暮らしてたのか、まったく想像付かねえよ。昔は勉強も運動も全然やらなかったんだろ?」

「何もしてなかったんだよ、文字通り」

「頭も運動神経も良くてクソ真面目なのに何もしてなかったっつーのが謎だわ。周囲の大人が何もやらせなかったっつーのも」

「できない子にやらせてもしょうがないだろ。大人だって暇じゃないんだし」

 

 両手を広げて、大げさにやれやれというジェスチャーをしてみせるアンドリュー。こういう友達がいれば、趣味が少なくても楽しくてたまらない。ヴァンフリート四=二で死ななくて良かった。あそこで死んだ人達に助けられた命のおかげでこうしてアンドリューと楽しく話していられる。生きていて良かったと何度も何度も頭の中で呟き、ファヒーム少佐達にあらためて感謝した。



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第四十話:平凡に逃げてはいけない 794年7月1日 ハイネセン市、ハイネセン第二国防病院

 七九四年七月一日の昼下がり。ハイネセン第二国防病院の中央棟三階ロビーの大きな窓からは初夏の強い日差しが注ぎ込んでくる。外では初夏の緑が日光に照らされて眩しく見えた。入院してもうすぐ三か月。最近はリハビリも佳境に入ってきて、退院のめども見えている。俺は入院中に仲良くなったハンス・ベッカー少佐、ダーシャ・ブレツェリ少佐、グレドウィン・スコット大佐の三人とお茶を飲みながらおしゃべりをしていた。

 

「一週間後に退院ですか。おめでとうございます、フィリップス少佐」

「これからが大変ですよ。体力がだいぶ落ちてしまいましたんで、鍛え直さないといけません。仕事の勘も取り戻さないと」

「ははは、鍛錬や仕事の心配をしているところがあなたらしい。しかし、寂しくなりますねえ」

「ベッカー少佐が退院なさったら、一緒にバロン・カルトッフェルに行くって約束したじゃないですか。これでお別れじゃないですよ」

「それはわかっていますが、一日でもあなたの顔を見れないと寂しくてね」

 

 ハンス・ベッカー少佐はおどけたような口調でそう言うと、緑茶が入ったカップに手を伸ばす。彼の故郷ではグリューナーテーというのだそうだ。

 

 垂れ目でお調子者のベッカー少佐は今年で二九歳。もともとは帝国軍の大尉であったが、昨年の初めに姪を連れて亡命してきた。イゼルローン回廊周辺の航路知識を見込まれて同盟軍少佐に任官し、航法幕僚として対帝国の第一線に立っている。見た目に似合わない苦労人の彼は第五艦隊に所属する分艦隊の航法責任者として参加したヴァンフリート四=二宙域の会戦で重傷を負って、俺と同じ病棟で入院中だ。狭い四=二宙域で素早い戦力展開に尽力した手腕を評価されて、近日中に中佐に昇進する予定だ。

 

「俺の写真でも持っていきます?ベッカー少佐になら何枚でも差し上げますよ」

「いや、結構ですよ。フィリップス少佐の写真はネットでいくらでも見れますから」

 

 悪戯っぽい表情でベッカー少佐は笑う。俺が嫌がるのがわかっていて言っているからたちが悪い。ベッカー少佐といい、シェーンコップ大佐といい、帝国にはこういう人しかいないのだろうか。五世紀にわたる専制政治はかくも人心を荒廃させてしまったのかとため息が出る。専制は滅ぼされなければならないという思いを新たにした。

 

「でも、やっぱり本物が一番ですよ。写真だと爽やかすぎて嘘くさいんですよね」

 

 ココアを一気に飲み干したダーシャ・ブレツェリ少佐が目を輝かせてここぞとばかりに乗ってくる。

 

 俺より一歳下の彼女は中央支援集団司令部で参謀として勤務していたが、四月六日のヴァンフリート四=二基地司令部ビル攻防戦で負傷して入院している。士官学校ではダスティ・アッテンボローと熾烈な首席争いを演じた挙句、伏兵のネイサン・マホニーに首席をかっさらわれて三位に甘んじた秀才だ。軍人一家の生まれで、父も母も二人の兄もみんな現役軍人。ブレツェリ家で初の士官学校卒業者として一家の期待を担っているが、性格は変の一言に尽きる。俺のファンだというのが変だし、人に褒められるのが気持ち良いと言い切れる性格も変だ。

 

 しかし、今ここに集まっている四人が仲良くなったのは、彼女の後先考えない強引さのおかげといっていい。四=二基地にいた頃は全く縁がなかったのに、入院してから仲良くなるなんて奇妙なめぐり合わせだ。

 

「子供っぽくて悪かったね」

「可愛いってことですよ」

「やめてくれないかな、恥ずかしくなる」

「恥ずかしがってるところも可愛いです。まあ、フィリップス少佐はどんな顔でも可愛いですけど」

 

 彼女はいつもこの調子だ。ほうっておくとペースに巻き込まれてしまう。四=二基地にいる間にシェーンコップ大佐の爪の垢でも煎じて飲んでおけば良かった。

 

「可愛いよねえ。私もフィリップス君みたいな息子が欲しかったよ。うちのは生意気で生意気で。三次元チェスの相手をしようともしない」

 

 グレドウィン・スコット大佐は目を細めて感慨深げに笑う。

 

 彼は四=二基地の戦闘で行方不明になった輸送業務集団司令官メレミャーニン准将の参謀長を務め、一時は意識不明の重体に陥っていたが現在は順調に回復している。正確な年齢は聞いていないが、四〇代後半といったところだろう。口うるさい妻と反抗期真っ盛りの子供三人に悩まされていて、退院したくないなどと言っている。三次元チェスを趣味としていて、病棟では目についた人を片っ端から誘っては一局始めるせいで看護師によく叱られていた。四=二基地に赴任する直前に妻に無断で高価な三次元チェス盤を買ってしまったのも退院したくない理由の一つらしい。

 

「いや、それは大佐が悪いんじゃ…」

「限られた人生、好きなことをやって何が悪い」

 

 スコット大佐はブラックのコーヒーに軽く口をつける。意識不明の重体から回復した彼にそう言われると、とても説得力が感じられた。ベッカー少佐とブレツェリ少佐はしょうがねえなあ、という表情でスコット大佐を見ている。

 

「まあ、しかし、フィリップス君と三次元チェスができなくなるのは寂しいな。ネット対戦ならできないこともないが、やはり対面で打たないと面白くない」

「俺がいるじゃないですか」

「ベッカー君はいかん、強すぎる。行方がわからんからこそ、勝負は面白い」

「ルール覚えたばかりのフィリップス少佐をボコボコにして、ご満悦のあなたが何言ってんですか」

「勝負の厳しさを教えているのだよ。これもまあ、年長者の義務だな」

「スコット大佐がお子さんに嫌われてる理由がわかりましたよ。ちっちゃい頃から三次元チェスで大人げなくボコボコにしてたんでしょう?」

「君は子供の頃から空気を読まずに大人を言い負かして嫌われるタイプだな。私にはわかる」

 

 スコット大佐とベッカー少佐の低次元な言い争いがおかしくて、思わず顔が緩んでしまう。ブレツェリ少佐の視線を感じて慌てて真面目な表情を作った。実のところ、この人生が始まってから職場以外の場所でできた人間関係はこれが初めてだ。思い返すと、この六年間はずっと職場しか見ていなかった。人を評価する基準も軍人としての評価を第一にしていた。親しい人とプライベートの話をすることもあまりなかった。入院して仕事から離れたおかげでいい経験ができた。

 

「お二人の言い争いもあと一週間で見れなくなると思うと寂しいですよ」

「私もフィリップス少佐の顔をあと一週間で見れなくなると思うと寂しいです」

「ブレツェリ少佐、そういうの本当にやめてよ。なんかやりにくい」

 

 ストレートに好意をぶっ込んでくるタイプは初めてなので、対応に戸惑ってしまう。これまで付き合ってきた人達は好意を示す時も自然体だった。いつも人を見上げてばかりの俺が見上げられてみると、居心地悪く感じる。

 

「そういう受け答えはいけませんぞ、フィリップス少佐。こういう時はにっこり笑ってありがとうと言わねば」

「ベッカー少佐の言うとおりだ。君は三次元チェスも弱いが、女性にも弱い」

「お、お二人ともなに言ってるんですか!?」

 

 いつの間にかスコット大佐とベッカー少佐は休戦したらしく、ニヤニヤしながら俺を見ている。恥ずかしくて顔が赤くなるのが自分でも分かった。

 

「昨日もお見舞いに来た女の子を怒らせてましたな」

「なかなか可愛らしい子だったのに。もったいないことをするものだ」

「あ、あれは…」

 

 二人は連携してさらなる攻勢をかけてくる。普段は喧嘩ばかりしてるくせに、こんな時だけはがっちり手を組むから始末に負えない。

 

「へえ、彼女ですか?興味ありますねえ」

「いや、そういう関係じゃなくて…」

「じゃあ、どういう関係です?」

 

 とどめにブレツェリ少佐まで参戦してきた。彼女はまったく遠慮せずに突っ込み入れてくるから、俺が対抗できる余地は完全になくなった。最初からなかったけど。諦めて白旗を揚げる。

 

「職場の同僚なんだよ」

 

 昨日、俺が怒らせてしまったのは俺の後任として憲兵司令官ドーソン中将の副官を務めているユリエ・ハラボフ大尉。「歩くデータベース」「耳と手が四つある」と言われるほど優秀な女性だが、俺とはあまり仲が良くない。向こうが一方的に俺を嫌っている感じだ。昨日はドーソン中将の使いとして、退院後の任務に関する簡単な連絡事項を伝えに来てくれた。その帰りにちょっとした喧嘩になってしまったのだ。

 

「で、その副官さんとどうして喧嘩になったんです?」

 

 ブレツェリ少佐の大きな目が野次馬根性でギラギラと輝き出したのがわかる。慎重に言葉を選んで事実を簡潔に伝えないと、とんでもない誤解を受けかねない。とっくの昔に誤解されてるかもしれないが。

 

「副官の仕事はどんな感じかって質問したの。自分の後任だから気になるでしょ?。彼女が俺より優秀なのはわかってるけど、それでも意識しちゃうじゃん。俺は気が小さいからさ」

「それでそれで?」

「あなたの後任を務めるのは大変ですってため息ついてた。俺が雑な仕事してるせいで苦労させてごめんって謝ったら、すごい怖い顔になって、唇をぐっと噛んで目に涙を浮かべて俺を睨んでた。気になってどうしたのって聞いたら、あなたにはわかりませんって叫んで早足で出て行っちゃったんだ。ほんと、どうしちゃったのかなあ」

 

 面白そうに聞いていた三人の表情からどんどん血の気が引いていく。ブレツェリ少佐の目に浮かんでいた興味の色も驚きの色に変わっている。みんな、何を驚いているんだろうか。そんなにまずかったんだろうか。

 

「君ねえ、それ最悪だよ」

「ですなあ。天然もほどほどにしないと」

 

 苦々しげな表情で俺を見るスコット大佐にベッカー少佐が同意する。ブレツェリ少佐は何も言わずに首を横に振っている。俺がハラボフ大尉に言ったことってそこまでまずいことなのか?

 

「どこがまずかったんでしょうか…?」

「わからんのか?」

「もう、本当にわからなくて…」

 

 三人は顔を見合わせて、心の底から困ったような表情を浮かべて黙りこくった。どんどん空気が気まずくなっていく。重苦しい沈黙を破ったのはベッカー少佐だった。

 

「たぶんですね、彼女はフィリップス少佐に敵わないと思っていたんですよ。そんな相手に雑な仕事してごめんって言われたらどう思います?自分がいくら頑張っても、フィリップス少佐の雑な仕事にも及ばないのかって思いませんか?」

「いや、そんなことは…」

「自己評価が低いのは結構ですが、度が過ぎると人を傷つけますよ」

「でも、実際、俺なんて…」

「勉強すれば何でもすぐ覚えるし、練習すれば何でもすぐできるようになるでしょう?あなたにとっては大したことないことでも、他の人には難しいんですよ」

「当たり前のことを徹底してるだけで、難しいことは全然…」

「あなたのアプローチは平凡で愚直かもしれません。しかし、基本も徹底できれば、それはもはや平凡とも愚直ともいえません。天才と変わらんのではないでしょうか」

「俺は本物の天才を見たことがありますよ。あれと比べたら、俺なんてもう」

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスのことを思い出す。あの二人は偶然すら味方につけるほどに隔絶した存在だった。

 

「今のあなたと比べるべきなのはハラボフ大尉でしょう。彼女は何をやらせても、基本動作を徹底的に反復練習して自分のものにしてしまうような怪物なんでしょうか」

「怪物って…。俺はただの…」

「平凡に逃げるのはやめませんか。あなたが自分を低く評価してたら、あなたより劣った人はどうすればいいんです?平凡に劣る自分は何なのかと思いませんか?ハラボフ大尉はあなたの後任になるぐらいですから、そりゃまじめな人でしょう。プライドだって高いはずだ。そんな人がいくら努力しても追いつけない相手に、平凡に劣ると言われたらどうします?」

 

 自分よりハラボフ大尉が優秀だと俺は思っていたけど、ハラボフ大尉がそう思っていなかったとしたら。確かに俺の言葉に深く傷つくだろう。俺が他人に下す評価が相手の自己評価と一致することが少ないのはわかっていたけど、それが俺自身の受ける評価に関しては一致すると何の疑いもなく思っていた。高い評価を受けても、本当は低く評価しているんだろうと思い込んで自己評価に一致させようとしていた。

 

「傷つくでしょうね」

「あなたがなんで自己評価を低くすることにこだわってるのかは知りません。やりたいなら好きにやればいいですよ。しかし、他人に認められたら、内心はどうあれ表面では受け入れるべきです。あなたを高く評価することで救われる人がいるんですからね。ハラボフ大尉のように」

「はい…」

 

 内心はどうあれ、表面では受け入れろってことか。それで救われる人がいるなら、そうするべきなんだろうな。俺の自己評価を万人が共有する必要はない。幹部候補生養成合格を伝えられた日にイレーシュ少佐に努力を信じられるようになってほしいと言われた。努力を信じられるようになったおかげでいろんなことができるようになったけど、自分を信じることはできなかった。次に必要なのは自分を信じることなのかもしれないな。できなくても、信じるふりをする。

 

「フィリップス少佐」

 

 ブレツェリ少佐が何かを決意したような声で俺を呼んだ。まっすぐな視線で俺を見つめる彼女から、ただならぬ雰囲気を感じた。

 

「はい」

 

 彼女の視線にたじろぎながらもしっかりと目を見つめて、力強く返事をする。何を言われるんだろうか。

 

「本当に可愛いですね」

 

 そんな真面目な表情で何を言ってるんだと腰が砕けそうになったが、内心はどうあれ表面では受け入れると今決めたんだ。体から抜けていった力を全力で再結集して答える。

 

「あ、ありがとう…」

 

 俺が礼を言うと、ブレツェリ少佐の顔がパッと明るくなった。やられた、と思うと同時に初めて彼女をかわいいと思ってしまった。ちょっとだけだけど。ベッカー少佐とスコット大佐はうんうんと頷いている。退院までの一週間、俺はこの三人から徹底的に褒め殺しを受け、恥ずかしさに耐えながらお礼を言い続けた。遊ばれてる気がしないでもなかったけど、俺の更生に協力してくれているんだろうと好意的に捉えることにした。



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第四十一話:向き合うべき時 794年7月9日 ハイネセン市、地球教カーニーシティ教会近くの路上及び憲兵司令部

 七月九日にハイネセン第二国防病院を退院した俺は、その足で新しい任務を受けるべく憲兵司令部に向かった。ハイネセンの街並みに強い日差しが容赦なく照りつける。一歩歩くたびに俺の体にむわっとした熱気が絡みつき、汗が流れる。夏は一年で一番好きな季節だけど、蒸すようなハイネセンの暑気には辟易してしまう。それに比べ、故郷パラディオンの夏のなんと過ごしやすいことか。ハイネセンは良い街だが、やはりパラディオンには及ばない。

 

 スタンドで買ったアイスキャンディーを舐めながら、歩道をゆっくりと歩いていると、女の子がすいませんと言って近寄ってビラを差し出してきた。反射的に受け取って、ビラに目を通す。

 

『人はなぜ傷つけ合うのでしょうか?人はなぜ分かち合うことができないのでしょうか?』

 

 そんな見出しの後に、戦災遺族、非正規労働者、障害者、亡命者などの生活苦を訴える文章、社会保障費の削減額や失業率上昇や自殺者数の増加を示すグラフなどが並び、最後はこう締めくくられていた。

 

「人はすべて仲間です。仲間はお互いに助け合うことができるはずです。貧困と憎悪を追放するために手を取り合いましょう。子供に愛情を、若者に希望を、壮年に安心を、老人に尊敬を、すべての弱い者に保護を。人類は一つ、懐かしき地球から生まれた仲間 平等と平和のための地球教団主教委員会」

 

 地球教団の文字を見た瞬間、俺の周囲の空気が急に冷えたように感じた。

 

 地球教団は帝国・同盟・フェザーンの三か国にまたがる多国籍宗教団体だ。人類発祥の地である帝国領太陽系の第三惑星地球に総本山を置き、地球をシンボルとして全人類の精神的統合と平等を唱えている。ラグラングループ率いるシリウス軍の攻撃で荒廃して内戦状態に陥った地球を再統一した宗教勢力をルーツに持ち、宇宙暦開始以前から続く長い歴史がある。宇宙暦六〇〇年代後半から急速に帝国内で教勢を拡大し、三〇年ほど前から同盟に進出した。現在は同盟国内で一〇〇〇万人を超える信徒を獲得したと推定される。

 

 同盟国内の教会組織は億単位の信徒を擁する十字教や楽土教などの大教団とは比較にならないほど小さいが、強大な帝国内の教会組織からフェザーン回廊を経由して支援を受けることができるため、宣教力と資金力は相当なものだ。最近は地球の下の平等を旗印に掲げて広範な慈善活動を展開し、貧困層、亡命者、退役軍人などの社会的弱者を中心に勢力を拡大している。多少排他的な面はあるものの、他の宗教団体と比較して問題となるほどではない。

 

 地球教団はまっとうな新興宗教というのが同盟社会の一般的な見方だろう。しかし、俺は後に地球教団が歩んだ歴史を知っている。

 

 全宇宙の経済を支配するフェザーン自治領を隠れ蓑に同盟と帝国の勢力を均衡させて戦乱を長期化させるべく暗躍してきた地球教団は、獅子帝ラインハルトの征服戦争によって挫折を余儀なくされた。彼らはラインハルトの統一帝国を瓦解させるべく、帝国要人を標的としたテロ活動を展開する。宇宙暦七九九年から八〇一年までの二年間に地球教団が手がけた謀略はヤン・ウェンリー暗殺、三度にわたるラインハルト暗殺未遂、皇后ヒルデガルド暗殺未遂、新領土総督ロイエンタール元帥の反乱など多数にのぼる。帝国は公敵宣言をもって応じ、軍務尚書オーベルシュタイン元帥と憲兵総監ケスラー上級大将の指揮によって地球教団は根絶された。

 

 ヤン・ウェンリー暗殺に関わったことから後継勢力のイゼルローン共和政府とその後身のバーラト自治区政府与党「八月党」にも嫌悪され、地球教団は最悪のテロ組織とされた。ヨブ・トリューニヒトら同盟主戦派政治家に対する政界工作やサイオキシン麻薬密売関与なども取り沙汰されたが、討伐を受けた地球教総本部が自爆した際に資料が失われてしまい、オーベルシュタインやケスラーらが教団組織の壊滅を優先したことから捜査は行われていない。

 

 俺個人の評価は現在の公式評価とも、歴史の評価とも異なる。地球教団はローエングラム朝とヤン・ウェンリー系勢力と敵対したが、一般市民を無差別に攻撃したわけではない。彼らのテロは指導者を対象とするに留まっていた。帝国と同盟の勢力を均衡させようと目論んでいたことに関しても、ローエングラム朝によって同盟が滅ぼされた後の社会的混乱で割りを食った俺が批判する理由はない。ラインハルトを不世出の覇王として尊敬はしているが、その治世が俺にとって住み良いものであったかどうかはまた別の話だ。

 

 ラインハルトの治世は政治改革と軍事行動に忙殺され、統一戦争によって家族や職を失った人々への救済は遅れがちだった。偉大な覇王であっても時間と資金の制約を逃れることはできない。救済が遅れたのはラインハルトの責任とはいえないが、膨大な数の失業者や戦災遺族が苦しむことになったのは事実だ。

 

 彼らの受け皿となったのが、旧同盟軍人や急進的共和主義者や宗教指導者などが結成した数々の反体制組織だった。地球教団もその一つに含まれる。早い段階で総本部を失った地球教が活動を継続できたのも失業者や戦災遺児の取り込みに成功したことが大きい。もともと、地球教団は慈善活動に優れた実績を持っている。ローエングラム朝の統一事業によって疎外された人間を拾い上げるのはお手のものだった。

 

 非合法化された地球教団がハイネセンの貧民街に構えた地下教会には、俺も何度と無く世話になった。彼らが提供する炊き出し、古着、無料医療などが無ければ、混乱期のハイネセンで生き延びることはできなかったかもしれない。恩義を盾に地球教団への入信やテロ活動への協力を求められたら、断ることはできなかっただろう。実際、世話になった別の組織が爆弾テロを行った際に協力したことはある。俺の立場から地球教団を非難すべき点があるとしたら、信徒にサイオキシンを使用していたことぐらいだが、世話になった身としては矛先が鈍ってしまう。

 

「どうかなさったんですか?」

「あ、いや、何でもないですよ」

 

 俺の回想はビラをくれた女の子の言葉によって中断された。年齢は一〇代後半だろうか。化粧っけのない顔に手入れされていない髪の毛。よれよれのTシャツを着て、色あせたジーンズを履いている。「地球に帰ろう、人類は一つ」と書かれたたすきをかけていた。言っちゃ悪いけど、いかにもこういう活動にのめり込みそうな感じがする。

 

「あ、もしかして、エリヤ・フィリップス少佐ですか?」

「ええ、そうですが」

「私、エル・ファシルの出身なんですよ。こんなところでエル・ファシルの英雄にお会いできて嬉しいです」

「あ、ありがとう…」

 

 声を弾ませる女の子に一瞬たじろいでしまう。自分が作られた英雄だという現実を突きつけられたからかもしれない。

 

「フィリップス少佐が義勇旅団を率いてエル・ファシルを取り返してくださらなかったら、故郷に帰れませんでした。本当にありがとうございます」

 

 俺はエル・ファシル奪還戦では何もしなかった。それなのに宣伝上の理由から活躍したことにされて、昇進と勲章を与えられた。彼女が礼を述べるべきは俺ではなく、実際に地上戦を戦って地獄を見た人達だ。彼女の純粋な憧憬の視線に耐え切れずに目を逸らしてしまう。

 

「今は近くの教会で奉仕活動をしながら、大学入学を目指して勉強してるんですよ」

「えらいね」

 

 冷や汗をかきながら辛うじて声を絞り出し、笑顔を作って返事をする。こんな真面目な女の子を騙している自分がどうしようもなく醜く感じる。

 

「あの戦いでエル・ファシルはすっかり荒れ果ててしまって、仕事が無いんです。教団が手を差し伸べてくれなかったら、一家全員死んでいるところでした」

 

 彼女の口から語られるエル・ファシルの現状に言葉を失ってしまった。エル・ファシル奪還戦の政治的価値を高めようとするロボス大将の画策は帝国軍の激しい抵抗を招いて、全土が焦土と化した。その後どうなったかはメディアでもほとんど報じられていなかったせいで知らなかったけど、そこまで酷いことになっているとは思わなかった。

 

 政治が不幸にした人々が宗教の差し伸べた手で生き延びる。前の人生のハイネセンで起きたことが今のエル・ファシルでも起きていた。

 

「ハイネセンの教会に住み込んで奉仕活動をしているエル・ファシルの人はたくさんいるんですよ。この近くのカーニーシティ教会にも。エル・ファシルの英雄がお越しになったら、みんな喜ぶと思います。時間があったら来てくださいね」

 

 そう言うと、彼女は懐から別のビラを取り出して俺に押し付けるように渡す。礼拝式の案内に教会の住所と連絡先が書かれていた。

 

「行きたいのはやまやまなんですが、忙しくて。申し訳ないです」

「フィリップス少佐のような偉い人は忙しいですものね。時間がある時にお願いします」

「う、うん」

 

 もはや、俺の羞恥心は彼女と相対することに耐えられなかった。軽く頭を下げると、早足で歩いて逃げるようにその場を去った。走らなかったのは人通りが多かったからに過ぎない。彼女と会う前に左手に持っていたアイスキャンディーはいつの間にかなくなっている。歩いて憲兵司令部まで行くつもりだったけど、こんな心理状況では街を眺める余裕もない。タクシーをつかまえて乗り込んだ。

 

 

 

 面会予定時間よりだいぶ早く憲兵司令部に着いた俺は、副官のユリエ・ハラボフ大尉を呼び出してその旨を伝えた。憲兵司令官への面会は必ず副官の取り次ぎを受けなければいけない。副官がスケジュール管理を担当しているからだ。ハラボフ大尉が現れた瞬間、ちょっと身構えてしまった。仕事に私情をまじえないのは常識だけど、それでも気後れするのは避けられない。

 

「司令官との面会は当初の予定通り、一三時からとなります」

 

 先日怒らせてしまったにも関わらず、何事もなかったかのような様子できちんと取り次ぎをしてくれた。表情にも怒りの様子は微塵もなく、柔らかい微笑みを浮かべている。二三歳の彼女は誰が見ても、無駄がないという印象を受けるだろう。すっきりした目鼻出ちに細くて長い手足。徒手格闘の達人らしく、体の動きにも無駄がない。作成する文書も簡潔明瞭で無駄な修飾は一切しない。だからこそ、手と耳が四つずつあると言われるような仕事が可能なのだろう。

 

「了解しました。ところで…」

 

 先日のことを謝ろうと声をかけようとすると、ハラボフ大尉は俺が言葉を続ける隙も与えずにクルッと振り向いて早足で部屋を出て行った。あまりに無駄のない動きに感嘆すら感じたが、謝れないままでいるのは困る。五分ほどすると、再びハラボフ大尉が待合室に入ってきた。手にはコーヒーとマフィンを持ち、傍らには副官付のエマ・バーモンド曹長を伴っている。

 

「面会までお時間がありますので、お茶を飲みながらお待ちください。おかわりなさる場合は、こちらの者にお申し付けください」

 

 ハラボフ大尉はコーヒーとマフィンをテーブルに置くと、バーモンド曹長を指した。一連の動作もまるで流れるような感じで、どんな鍛錬をしたらこんな動きができるのかと思ってしまう。

 

「ありがとう。ところでお見舞いに来てくれた時の…」

「私からはお話することはありません」

 

 微笑みは崩さないまま、ぴしゃりと鞭を打つような口調で俺の言葉を遮ったハラボフ大尉はまたクルッと振り向いて早足で部屋を出て行った。謝罪は受け付けないということか。さっきの地球教徒の女の子の件で沈んでいた気分がさらに深く沈む。

 

 心を落ち着かせようとコーヒーを飲むと、砂糖とクリームをたっぷり入っていた。何の注文もしていなかったのに、俺好みの味になっている。なかなかいい仕事するじゃないか。俺なんか意識する必要ないだろうに。

 

「バーモント曹長、ハラボフ大尉の仕事ぶりはどうだい?」

 

 彼女は俺が副官だった頃から副官付を務めていた。最も俺とハラボフ大尉を比較しやすい立場だ。

 

「頑張ってはいらっしゃいますが…。空回りしてますねえ」

「そうなの?」

「フィリップス少佐のスタイルを真似ようとなさってるのですが…。そんなことは誰にもできませんから」

 

 そんな大したことないと言いかけたけど、辛うじて押しとどめた。俺を真似ようとしてできなかったとしたら、あの言葉には傷つくだろうな。本当に申し訳ないことをした。

 

「着任された時はフィリップス少佐を尊敬している、近づけるように頑張りたいって張り切ってたんですよ」

「俺を尊敬?」

「そりゃあ、副官の仕事をする人なら誰だって少佐を尊敬しますよ。でも、日に日に表情が暗くなって、連絡事項以外の話はしなくなりました」

 

 後悔がどんどん胸の中に広がっていく。俺の存在がそこまで彼女を追い詰めていたなんて、想像もしていなかった。俺を尊敬していると言っていた子の自信を奪ってしまった。

 

「副官を交代するって話も出てるんですよ」

「だめだ、それはだめだ!」

 

 思わず大声をあげてしまった。バーモンド曹長は驚きの表情を浮かべて俺を見ている。

 

「君から見たら、ハラボフ大尉は仕事はできるかい?俺との比較じゃなくて」

「ええ、できる人だと思います」

「気配りは?」

「とても細かいです」

「努力は」

「心配になるほど頑張ってらっしゃいます」

「じゃあ、辞める必要ない。仕事、気配り、努力が全部できる人ってそんなにいないよね?」

「まあ、そうですよね」

「俺が戻ってきて副官をやるわけにはいかない。だから、彼女が自分と俺を比べないで済むように気を使ってくれるとうれしい」

「わかりました」

「これは彼女には言わないでね。言ったら傷つくから」

 

 うなずくバーモンド曹長に俺もうなずき返した。しばらくすると、ハラボフ大尉が部屋に入ってきて面会時間が来たことを告げる。いつかこの真面目で繊細な人が自信を取り戻してくれたらと思いながら、立ち上がって後についていった。

 

「貴官が退院してくるのをずっと待っていたのだぞ」

 

 ドーソン中将は上機嫌で俺を迎えてくれた。執務机の横に貼ってある六月のカレンダーは一日から昨日までばつ印が付けられ、今日の日付には退院と書かれて二重丸で囲まれていた。地球教徒の子とハラボフ大尉の件で弱っていた俺の心では、胸の奥から込み上げてくるものを抑えきれない。

 

「長い間、お待たせして申し訳ありませんでした」

 

 涙をこらえながら、背筋を伸ばして敬礼をする。ドーソン中将も立ち上がって敬礼を返す。三か月ぶりの憲兵司令官のオフィスは書類がきちんと整頓されていて、掃除も行き届いていた。物の配置も良く考えられている。ハラボフ大尉がどれだけ頑張っていたかは一目瞭然だ。彼女を傷つけてしまったことに改めて心が痛む。

 

「怪我は完全に治ったか?」

「はい。後遺症も残らずに済みそうです」

「そうか、それは良かった」

「実はお話が…」

 

 嬉しそうにうなずくドーソン中将にハラボフ大尉のことを話した。バーモンド曹長に話したのと全く同じ内容だ。

 

「閣下は真面目な部下はお好きですよね?」

「うむ」

「無駄口を言わない素直な部下もお好きですよね」

「そうだな」

「であれば、ハラボフ大尉は得難い人材であると思います。長い目で見ていただけないでしょうか」

「うーむ、しかしだな…」

 

 ドーソン中将は口髭を触りながら唸っている。

 

「閣下に長い目で見ていただいたおかげで今の小官があります。同様の御配慮を彼女にも頂ければ幸いです」

「貴官がそれほどに言うのなら、そうしよう」

「ありがとうございます」

「頭を上げたまえ。そんなに下げなくても貴官の気持ちは十分伝わった」

 

 困ったような声が聞こえて、頭を上げる。ドーソン中将はまいったなあという顔をしていた。

 

「まあいい、次の任務の話に移ろう」

「ハラボフ大尉からは重要任務とだけ聞いておりました。詳細は閣下が口頭で伝えると」

「うむ。貴官でないと務まらない任務だ」

 

 ドーソン中将の表情が急に引き締まる。どれほど重要な任務だろうか。体中に緊張が走る。

 

「任務の内容を伝える前に、貴官に我が国と帝国の憲兵隊の合同捜査の結果を伝えておこう」

 

 秘密捜査だったから、憲兵司令部の外で経過を話すわけにはいかない。だから、入院している俺のもとには情報がまったく来なかった。中央支援集団司令部メンバーが拘束されて三か月、関与している他の将官が拘束されて二か月。取り調べは一段落しているに違いない。結果ということは、そろそろ軍法会議に告発するのかな。

 

「先に結果だけを言うと、捜査は打ち切りになった。今回の件に関しては、軍事法廷も刑事法廷も開かれない」

「ど、どういうことですか、それは!?」

 

 信じがたい結果に上官の前ということも忘れて、声を荒らげてしまった。軍隊を使って麻薬取引をしていたような連中が告発されないなんて、そんな馬鹿なことがあってたまるか。

 

「小官だって悔しいのだ。だが、最高評議会の決定は覆しようがない」

「最高評議会ですか…」

 

 自由惑星同盟の最高行政府である最高評議会。それがストップをかけてきたら、憲兵司令部がいくら頑張っても手も足も出ない。民主主義国家であるかぎり、シビリアン・コントロールは絶対なのだ。

 

「貴官には今回の件の事件の幕引きをしてもらう。任務地はフェザーン」

 

 最高評議会の次はフェザーンだって!?。話がとてつもなく大きくなっていく。一体何が起きているんだろうか。捜査結果の詳細を説明し始めたドーソン中将の話を聞きながら、自分が容易ならざるものに足を踏み込んだような気分になっていた。



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第四十二話:ルールの中で戦うということ 794年7月9日 ハイネセン市、憲兵司令部

 ヴァンフリート星系での戦闘終結後に拘束された将官七人の供述と帝国側から提供された資料によって、同盟軍内部に根を張っていたサイオキシン麻薬組織の構造が明らかになりつつあった。

 

 組織が結成されたのは三〇年ほど前。捕獲した帝国軍艦に積まれていたサイオキシンの中毒性に目を付けた同盟軍人Aが捕虜を逃がして、帝国側組織と連絡を持ったのが始まりだったという。強度の緊張状態に晒されている前線の軍人は常に強い快楽を求めている。麻薬は酒・賭博・セックスなどと並ぶ友だ。Aによって構築されたイゼルローン回廊経由のIルートから流れてきたサイオキシンが同盟軍内部に蔓延するまで、さほど長い時間はかからなかった。Aは僚友や部下を仲間に引き入れて組織を拡大していき、同盟軍内部のサイオキシン中毒患者は飛躍的に増大していく。

 

 事態を憂慮した憲兵隊は何度も摘発を試みたが、Aの組織は売人や下級幹部の間の横の連絡を絶って直属の上司以外と接することがないように系列化されており、逮捕者から有力な情報を引き出すことはできなかった。有力な情報を持っていると目された逮捕者がことごとく獄中で不自然な病死や自殺を遂げたのも組織の全容解明を妨げていたが、これは組織の手によるものであったことが判明している。

 

 Aとその部下達は表の世界でも着実に階級を上げて軍の要職に就き、正規の命令系統を悪用して軍隊を麻薬取引のために動かせるような権力を得た。表と裏の両方から軍隊に隠然たる影響力を行使する一大マフィアの誕生である。

 

 統合作戦本部首席監察官や国防委員会情報部長を歴任して大将まで昇進したAが一〇年前に退役すると、帝国側資料で「グロース・ママ」と呼ばれる幹部が新たな最高指導者に就任する。後方支援部門のエリートだったグロース・ママは立場を利用して軍の輸送組織を手中に収めて、従来はメンバーの手によって行われていたサイオキシンの輸送体制を改革した。軍の輸送艦は補給物資に紛れ込んだサイオキシンのコンテナをそれと知らずに輸送させられ、組織のメンバーは同盟領内のどこにいても商品を受け取ることができるようになった。グロース・ママが最高指導者に就任した時期と、同盟軍内部のサイオキシン中毒患者数が急増した時期はちょうど重なっている。

 

「しかし、あのラッカム少将が麻薬組織のボスだったなんて想像もつきませんでした」

 

 グロース・ママこと中央支援集団参謀長エイプリル・ラッカム少将の小太りで主婦みたいな容貌を頭の中で思い浮かべた。彼女と一緒にいた時間はそれほど長くないが、ユーモアに富んだ親しみやすい人柄には好感を持っていた。落ち着きを失っていたセレブレッゼ中将を諌めたのも見ている。あんな人格者が麻薬組織のボスだなんて、誰が想像できるだろうか。

 

「貴官の目でも悪党に見えるような人物なら、ボスにもなれなかっただろうな」

 

 ドーソン中将の口調に嫌味がまじる。彼は他人の間違いに気づいたら、嫌味たっぷりに指摘してくる。悪気があるわけでもないし、指摘自体は間違ってないから俺はあまり気にしないけど、腹を立てる人も多い。それはともかく、長年にわたって摘発の手を逃れてきた大犯罪者が俺にもわかるような尻尾を出しているわけもないという指摘は正しい。

 

「閣下のおっしゃるとおりです」

「ラッカムとその片腕のメレミャーニンは戦闘に乗じて行方をくらましたというわけだ。奴らは本当に悪運が強い。常識外の奇襲が無かったら、貴官に拘束されていたのだからな」

「残念です」

 

 同盟軍の勢力圏のど真ん中にあるヴァンフリート四=二宙域は安全地域とみなされていた。だから、大きな後方基地が置かれていたのだ。そんな場所に敵が一個艦隊もの大兵力を送り込んで来ることなど、誰も想像していなかった。軍事の専門家であればあるほど、あの戦闘が起きた理由が理解できないはずだ。

 

 俺が前の人生で読んだ戦記によると、ヴァンフリート星系の戦いの帝国側総司令官のミュッケンベルガー元帥は正統派の用兵家で奇策は使わないと評価されていた。ラッカム少将もクリスチアン大佐の言う偶然を味方につける能力の持ち主だったのだろうか。

 

「せめて、総司令部からの連絡がもう少し早ければ撤収できたものを。聞けば、二日前から敵の移動を察知していたのに警告すら出さなかったそうではないか。通信波で所在がばれる危険があるなどと言い訳しておるらしいが、怠慢としか言いようが無い。ロボス元帥は部下を甘やかし過ぎと言われているが、ここまで酷いとは思わなかった。小官が司令官なら、このような怠け者は司令部から叩き出しておるところだ」

 

 苦々しげにドーソン中将は吐き捨てた。敵の進駐を知らされた二日前から総司令部との連絡が途絶していたけど、こういう事情があったのか。

 

 常識外の敵の用兵に味方の怠慢。状況がすべてラッカム少将に味方していた。今になって思えば、司令部ビルにおける拙劣な迎撃指揮も状況を最大限に利用して、逃げ延びようとしたラッカム少将の策だったのかもしれない。俺が読んだ戦記や人物伝には彼女の名前はまったく出てこなかった。英雄名将がひしめくあの時代にあって、後方支援部隊の参謀長程度では名前を残せるはずもないから、それは当然のことだ。司令官のセレブレッゼ中将だって、ラインハルト・フォン・ローエングラムやアレックス・キャゼルヌの伝記の片隅に名前が出るだけなのだから。ラッカム少将のような歴史に名を残していない怪物がまだまだ宇宙に潜んでいるのかもしれないと思うと恐ろしくなる。

 

「セレブレッゼもセレブレッゼだ。腹心中の腹心が麻薬の売人に成り下がっていたことに気づかなかったとは。三〇年以上の付き合いなのに何を見ておったのか」

「セレブレッゼ中将は組織とは関係なかったんですか?」

「拘束された中央支援集団の将官五人はいずれも組織と関係ないことが判明した。戦死したリンドストレーム技術大将も無関係だ」

 

 組織と関係があったのは行方をくらましたラッカム少将とメレミャーニン准将だけだったということか。いろいろ良くしてくれたセレブレッゼ中将や戦死して二階級特進したリンドストレーム技術大将が無関係だったのには安心したけど、巨悪を取り逃がしてしまったことは悔やまれる。

 

「他の司令部メンバーの関与は?」

 

 佐官級の人物が麻薬組織に関与している可能性もささやかれていたはずだ。だから、俺は司令部メンバー全員拘束という命令を受けていた。知っている人間、たとえば入院したおかげで拘束を免れたブレツェリ少佐あたりが関わっていたらと思うと不安になる。

 

「佐官級、尉官級の関与者の名前が記されているリストだ。目を通したまえ」

 

 部隊や基地ごとに分けられた関与者リストには、百人近い佐官や尉官の名前が記されている。これだけの士官が麻薬組織に関与していたなんて恐ろしい話だ。中央支援集団司令部の項目を見ると、十数人の名前が載っている。俺と仲が良い人は一人もいない。全員が戦闘中に行方不明になっていた。結局、中央支援集団司令部に潜んでいた麻薬組織のメンバーは一人も拘束されなかったことになる。

 

「さすがにこれはがっくりきますね。何のために四=二基地にいたのか」

「貴官の無念はわかる。だが、ここまでわかっているのに捜査を打ち切らざるを得ない我々も無念なのだ」

 

 ドーソン中将は説明を続ける。捜査が進むにつれて、Aとラッカム少将が築き上げた組織の規模が当初の予想を遥かに上回るものであることがわかってきた。拘束者リストから漏れていた多数の将官が捜査線上に浮上し、軍中枢の高官の名前もあがっていた。組織の幹部の中には軍を退いた後に政治家に転身した者もいて、疑惑は政界まで波及しつつあった。

 

 同盟軍が消えてなくなりかねないほどの巨大疑獄に恐れをなした最高評議会は、国防委員会の反対を押し切って捜査打ち切りを決定。同盟・帝国の二国の憲兵隊による秘密合同捜査は表に出ることなく終結した。麻薬組織の幹部達への告発は行われず、全員が依願退職することとなった。彼らが拠点としていた部隊や基地は改編の名目で人員を総入れ替えされる予定だ。

 

 三〇年かけて同盟軍内部に張り巡らされた麻薬密売のネットワークは解体されたが、誰一人として公的な処罰は受けていない。軍人としてのキャリアを失ったものの、依願退職扱いで階級と勤続年数に応じた退職金と年金を与えられ、民間への再就職斡旋を受けることもできる。既に退役している者は何のペナルティもなく、民間での地位を保っていた。あまりに理不尽な結末に涙が滲んでくる。

 

「サイオキシン中毒になった兵士達は未来を失ってしまいました。それなのに組織の幹部は罪を問われること無く、兵士を食い物にして得たお金を持って第二の人生を謳歌しています。そんなことが許されていいのでしょうか?」

「許されていいはずがない。だが、我々は軍人だ。政府の決定には従わなければならない」

 

 民主国家ではシビリアンコントロールが鉄則だ。軍人は国民の代表たる政府に助言を行うことはできるが、それ以上の介入は許されていない。内心がどうであろうと、政府の決定に公然と異議を差し挟むことは許されない。軍隊はあくまで民主政治を守るための道具であって、自らの意思で行動してはならないのだ。政府の決定に軍隊が異議を唱えて独自の動きを始めたら、国家が軍隊に乗っ取られてしまう。それはわかっているけど、明らかに政府が間違っている時でも従わなければならないのだろうか?

 

 前の人生の俺は市民を守るという軍人のルールを踏み外したことですべてを失った。今の人生の俺はルールの原理原則を貫くことで信用を得た。ルールを守ることで自分が守られるということを何よりも痛感している俺にとって、ルールを踏み外す政府は自分を守らない存在だ。そして、ルールの枠組みの中で生きることによって守られる人間すべてを守らない存在だ。そのような政府にも軍人は従うべきなのだろうか?軍人は市民を守るべき存在ではないのか?

 

「政府が間違っていても、従わなければいけないんですか?」

「間違っているかどうかを決めるのは政府だ」

「政府だってルールに従わなければいけないでしょう?政府がルールを破ったら、どうすればいいのでしょう?」

「政府に従うというのが我々の守るべき至上のルールだ。それ以上は考える必要はない」

「しかし…」

「くどいぞ!」

 

 必死に食い下がる俺に耐え切れなくなったのか、ドーソン中将は怒りを爆発させた。

 

「フィリップス少佐、我々の仕事は政府の決定の範囲内でルールを守ることだ。ルールの解釈は政府が行う。我々に許されているのは、軍人としての立場からの助言と、有権者としての投票権を行使することまでだ」

 

 ドーソン中将は早口で彼らしい原則論を展開する。しかし、原則を踏みにじる相手にもそれが通用するのだろうか。

 

「貴官の信念を通したいのなら、政府に助言できるような立場になることを目指すべきではないか。実績を上げて、階級を上げて、政治家と親しくなって、政府の信頼を獲得するよう努力すべきではないか。違うか?」

「ルールの範囲内で戦うべきということですか?」

「そうだ。だから、小官はトリューニヒト幹事長と親しくしている。今回の秘密合同捜査もあの方の尽力のおかげで実現したのだ」

 

 そういえば、ドーソン中将に秘密捜査開始を伝えるメモを渡したのはトリューニヒトだった。憲兵司令部は国防委員会の指示で動いていたが、国防副委員長のネグロポンティはトリューニヒトの腹心だ。今回の捜査打ち切りは国防委員会が最高評議会決定に屈した形になっているが、その実はトリューニヒトが最高評議会に敗北したということなのか。

 

「小官とあの方は信念を同じくしている。だからこそ、小官は期待した。今回は力が及ばなかったが、これで終わりではない。いずれ、あの方はもっと強くなる。その時こそ、正義が実現する」

 

 トリューニヒトといえば、後世の評価では信念を持たない機会主義者、美辞麗句を弄ぶ煽動家と言われている。しかし、この目で見たトリューニヒトはそのようなイメージとは全然違っていた。

 人物伝や戦記が伝える評価が一面的なものでしか無いことは、今の人生で何度と無く経験している。切り取られた範囲においては正しいが、切り捨てられたものもだいぶ多い。トリューニヒトを機会主義者、煽動家と断じる後世の歴史は何を切り捨てたのだろうか。彼とドーソン中将が共有する信念、実現しようと考える正義とはどのようなものなのだろうか。

 

「トリューニヒト幹事長の信念とはいかなるものなのでしょうか?」

「貴官と同じだ。貴官ならあの方がなさろうとしていることを理解できるはずだ」

 

 俺の信念と同じ?俺には好き嫌いはあっても、信念と言えるほどのものはないぞ?トリューニヒト幹事長やドーソン中将ほどの人なら、もっと立派な信念があるんじゃないか?

 

「捜査の話はここまでだ。今からフェザーンでの任務について話そう」

 

 ドーソン中将は俺の思考を断ち切るかのように言葉を続けた。

 

「任務内容はある人物との面会。滞在期間は三日」

「どのような人物なのですか?」

「帝国が派遣した使者だ。その人物との面会をもって、捜査は完全な幕引きとなる」

「小官が同盟を代表して、帝国の使者と面会するということになるのでしょうか?」

「そうだ」

「帝国を代表しているからには相当な大物でしょう。小官の格では釣り合わないのではないでしょうか?」

「先方が貴官を使者として派遣するように要請してきたのだ」

「あちらが!?」

 

 俺を帝国の大物が指名してきただって?同盟では帝国の提督の名前ですら元帥や上級大将クラスを除けばほとんど知られていないし、帝国でも同盟の中将以下の提督はほとんど知られていないはずだ。一介の少佐を帝国が認知しているなんて思えない。一体どういうことなのだろうか。

 

「先方の事情はわからないが、貴官が来ることに意味があるらしい。交渉ではなくて面会と言っているから、とにかく貴官に会いたいのだろう」

「どうして小官なのでしょうか」

「わからん。交渉にあたっているトリューニヒト幹事長からは、先方が貴官との面会を希望しているとしか聞いていない」

「了解しました」

 

 ドーソン中将は俺の返事に満足そうにうなずくと、デスクの中から紙袋を取り出した。

 

「今回の任務にあたってはこれを使用してもらう。開けたまえ」

 

 紙袋を受け取って中を開けてみると、身分証とクレジットカード、衣服、帽子が入っていた。身分証の名義はイアン・ホールデン。生年月日も住所もでたらめだ。衣服も帽子も普段の俺なら着用しないようなデザイン。

 

「これはいったい?」

「非公式の使者なのでな。偽名を使ってくれ。貴官は顔が知れてるから、多少変装してもらわねばならん。後の手はずは退室後にハラボフ大尉に聞くように」

「はい」

 

 帝国の使者との面会だなんて、途方も無い大任だ。ヴァンフリート四=二での中央支援集団司令部メンバー拘束とは比較にならない。しかも、先方からの指名という。途方も無い大任に心臓が激しく鼓動し、お腹が痛くなり、冷や汗が背中を伝っているが、深呼吸をして必死で心を落ち着ける。緊張している場合ではない。今度こそは成功させて、期待に応えなければならない。



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第四十三話:フェザーンで甘味を食べながら 宇宙暦794年7月28日 フェザーン中心街

 宇宙空間は広大であるが、どこでも自由自在に航行できるわけではない。恒星風、恒星フレア、宇宙線、磁気嵐といった宇宙天気が不安定な宙域では、宇宙船の命とも言うべき計器類が不調を来たしてしまう。有人惑星から遠すぎる宙域では無補給の長期航行を強いられる。小惑星帯やブラックホールのある宙域では操船に苦労する。航路として使用できる宙域はそれほど多くなかった。

 

 特に同盟領と帝国領の間にはサルガッソー・スペースと呼ばれる広大な航行不可能宙域が広がっており、イゼルローン回廊とフェザーン回廊という二つの安全宙域のみが人類世界を二分する二大国を結んでいる。現在の同盟領に銀河連邦の衰退期に自立した植民星が多数含まれていることから、全盛期には他にも航路が通じていた可能性も指摘されているが、現時点ではこの二回廊を除く航路の存在は確認できていない。

 

 イゼルローン回廊にイゼルローン要塞が置かれ、同盟と帝国の軍事衝突が絶えることはない。もう一方のフェザーン回廊は中立国フェザーン自治領の支配下にあって、二国を結ぶ唯一の安全な交易路だった。

 

 フェザーン自治領は公式には帝国の傘下にあって、自治領元老院によって選出された一代領主の自治領主は公爵に匹敵する宮廷序列を認められる代わりに貢納義務を負う帝国諸侯ということになっている。数千に及ぶ帝国諸侯の中では自治領主は少数派ではあるものの、稀少な存在というわけでもない。

 

 ゴールデンバウム朝の初代皇帝ルドルフは皇室の藩屏たる世襲貴族はゲルマン系でなければならないという信念を持ち、非ゲルマン系の地方指導者を粛清してゲルマン系の貴族領主に入れ替えていった。しかし、さすがのルドルフも非ゲルマン系の地方指導者を粛清し尽くすことはできず、自治領主の肩書きと一代限りの貴族特権を認めることで妥協した。ほとんどの自治領は初代領主の死後に解体されて皇帝直轄領や世襲貴族領に編入されていったが、一部は寡頭制に移行して互選で自治領主を選出することを帝国に認めさせて自治権を保った。地球教総大主教の自治領となっている地球もその一つだ。フェザーン自治領の特異さは自治領という統治形態ではなく、その経済力にある。

 

 投資ファンド経営者として名を馳せた地球出身のレオポルド・ラープは、財政再建に取り組んでいたコルネリアス一世の経済諮問会議のメンバーとなって信任を得ると、フェザーン回廊に経済特区を設立することを提案した。同盟との交易を停滞している帝国経済のカンフル剤にしようというのである。

 

 賛同した帝国政府首脳はラープをフェザーン自治領主に任命して帝国通商代表を兼ねさせると、同盟との通商協定交渉にあたらせた。絶対悪である帝国との通商協定締結に難色を示した同盟政府に対し、ラープは帝国ではなくフェザーン自治領を協定の対象とするという妥協案を示して締結にこぎつけた。その後、ラープは両国政府と交渉してフェザーン回廊を通した経済活動に有利な法律を次々と制定させ、フェザーン企業は帝国と同盟の両方で経済活動を認められた唯一の存在となり、フェザーン籍を持つ者は帝国と同盟をフリーパスで移動できる唯一の存在となった。

 

 フェザーン回廊の排他的管理権と全宇宙における経済活動の自由を保障されたフェザーン自治領の将来性は誰が見ても明らかだっただろう。対外交易を望む同盟と帝国の企業は相次いでフェザーンに拠点を移し、投資家も先を争うように資金を投下した。大部分が岩砂漠に覆われた不毛の惑星の狭いオアシスはあっという間に人類世界の流通と金融の中心に発展し、帝国と同盟の政府が気づいた時にはフェザーン自治領の経済力は手が付けられないほどに巨大化していた。

 

 現在のフェザーン自治領は経済力を背景に二大国のどちらにも掣肘されない地位を保ち、中立の利を活かして外交交渉の仲介も行っている。現在は二年前に就任したアドリアン・ルビンスキーが自治領主を務めていた。

 

 フェザーンといえば、誰もが極端に自由化された経済と極端な功利主義を思い浮かべるだろう。しかし、俺が前の人生で読んだ歴史の本では別の顔が描かれていた。初代自治領主のレオポルド・ラープが経営していた投資ファンドは、地球教団の出資によって設立されたフロント企業だった。地球教団はラープを使ってフェザーン回廊に経済特区を設立して、経済界の覇権を握ることで帝国や同盟に対抗するつもりだったと言われている。

 

 しかし、巨大化したフェザーン経済は自治領主とそのバックにいる地球教団のコントロールできる範囲を遥かに超えていた。フェザーンのビジネスマン達は国境を超えてひたすら己の利益を追求し、自由競争という名のカオスがフェザーン社会を支配した。

 

 地球教団にできることは自治領主に命じて帝国と同盟の勢力均衡を図り、両国の和平を考える者を排除することぐらいだった。自治領主はダミー企業を使って同盟と帝国の経済に影響力を浸透させていったが、市場においては自治領主ですらプレイヤーの一人でしか無い。フェザーンの企業は同盟と帝国の国債を購入し、軍需物資を売りつけることで巨大な経済的利益を得たが、彼らが統一された意思のもとに動くことはない。それが経済を武器とするフェザーン自治領主の限界だった。

 

 やがて、ラインハルト・フォン・ローエングラムの台頭によって地球教の勢力均衡政策は破綻し、五代自治領主ルビンスキーは帝国の銀河統一を促進することでフェザーンの生き残りを図ったが失敗に終わる。ラインハルトの手でフェザーン自治領は解体されて、ローエングラム朝の帝都となった。経済を武器にして策謀を弄んだが、大勢を動かせなかったというのが歴代の自治領主とその背後にいる地球教団に対する一般的な評価になるだろう。

 

 前の人生の俺は一度もフェザーンに行ったことがない。強いて繋がりを見出そうとしたら、宇宙暦八〇一年のルビンスキーの火祭りで大火傷を負ったことぐらいだろう。しかし、これはルビンスキーの個人的なテロであって、フェザーンとはまったく関係ない話だ。一般的な評価以上のことを知らない俺の目には、フェザーンはどのように映るのだろうか。

 

 宇宙暦七九四年七月二八日午前六時、俺は生まれて初めてフェザーンの土を踏んだ。

 

 イアン・ホールデンの偽名を名乗っている俺は、憲兵司令部から派遣されてきた三人の護衛とともに家族旅行の名目で入国した。四四歳のフヴァータル大尉がホールデン一家の父親役、三八歳のヴァシリチェンコ中尉が母親役、二二歳のモンテス曹長が姉役を務め、俺は末っ子ということになる。俺より年下で老け顔でもないモンテス曹長の弟役という設定は気に入らないが、これも任務だから仕方がない。それよりもっと重大な問題があった。

 

 フェザーン中心街のホテル・メルキュール。そのクローゼットの前で俺は呆然としていた。

 

 鏡の中に写っている俺の顔はオレンジ色に染めた髪を女の子みたいなふわふわした感じにセットされ、眉毛は細く整えられ、マスカラを付けられたまつ毛はきれいにカールし、目元にバッチリ付けられたアイシャドーはただでさえ大きな目をもっと大きく見せ、薄い唇はリップとグロスでぷっくりつやつやしている。

 

 服装も酷いものだ。上半身は白と灰色の淡いボーダーのカットソーに薄いベージュの七分袖ニットカーディガンを羽織り、下半身にはオリーブ色でふくらはぎの真ん中辺りまでの長さのクロップドパンツを履いている。足にはくるぶしまでの長さしか無い短い靴下。用意されている靴はコットンのサマーシューズ。なんていうか、さすがにこれは酷いんではなかろうか。涙が滲んでくる。

 

「似合ってらっしゃいますよ」

 

 顔のメイクを担当したお姉さん役のモンテス曹長は俺の気持ちも知らずににこにこしている。似合っているかどうか以前の問題だということをわかっていない。

 

「フィリップス少佐だとわからないようにという目的は達してるよな。出回ってる画像はみんな爽やかスポーツマンぽいから」

 

 お父さん役のフヴァータル大尉の呑気な論評に皆が頷く。

 

「服を選んだのってハラボフ大尉でしたっけ。あの人らしく、ちゃんと計算されていますね」

 

 お母さん役のヴァシリチェンコ中尉が言うとおり、この服装は全部ドーソン中将の副官のハラボフ大尉が買い揃えたものなのだ。どういう名前の服かも知らなくて、全部モンテス曹長に聞いて知ったほど、俺とは無縁な種類の服だ。髪型やメイクもハラボフ大尉の指示。俺とわからないようにするという目的は確かに達しているかもしれない。しかし、こんなふわふわした格好にする必要がどこにあるのだろうか。彼女が俺に抱いている怒りの大きさを痛感させられる。

 

「仕上げはこれね」

 

 モンテス曹長は嬉しそうな声で俺の頭に大きめの帽子をかぶせる。これはキャスケットというのだとさっき知った。だめだ、こんな格好で外に出るなんてあってはならないことだ。俺の私服はジャージかTシャツが基本で、季節によってTシャツの袖が長くなったり短くなったり、上にジャンパーを羽織ったりする程度の変化しか無い。アンドリューに「ハイスクールの運動部員」と言われたことがある。

 

「ホテルに入るまでの格好でいいんじゃないかな。こういう任務は目立っちゃいけないって言うでしょ?ほら、パーカーとジーンズって目立たないし」

「普通の格好でしょ」

 

 必死の懇願はモンテス曹長にあっさり却下される。すがるような目でフヴァータル大尉とヴァシリチェンコ中尉を見るも、助け舟は出なかった。しかし、外に出ないわけにはいかない。面会前日の今日はフェザーンの下見をしなければならないのだ。すべてを諦めた俺は力なくうなずいた。

 

 

 

 ホテルの外に出た俺達四人はフェザーン中心街をゆっくりと歩く。人が多すぎて気を抜くと流されてしまいそうになる。ハイネセンの中心街も人が多いのが嫌で滅多に行かないけど、この街はそれよりひどい。やはり、俺には故郷のパラディオンの中心街ぐらいがちょうどいい。人混みのせいでこの格好があまり人に見られずに済むのは唯一の救いだ。

 

「それにしても凄い街だね、父さん」

「宇宙で一番賑やかな街だからな。何度来てもこの街はいい」

 

 親子という設定になってるのでフヴァータル大尉のことを父さんと呼んでいる。親子の会話みたいなものは六〇年以上やっていないから、ついぎこちなくなってしまう。

 

「ファッションの都だもんね。おしゃれな人ばっかりで面白い」

 

 モンテス曹長は声を弾ませてフヴァータル大尉に話しかけた。彼女はファッションが好きらしく、客船の中でもずっとファッション誌を読んでいた。そんな人の目から見たら、おしゃれな人が多いのかもしれない。

 

 しかし、俺から見たら、とんでもない色彩の服、遠い過去からタイムスリップしてきたような服、デザインが奇抜すぎて服としての機能が果たせなさそうな服、未来に知己を求めた方が良さそうな服など、本当に変な服装の人ばかりだ。これに比べたら、俺の格好なんてそんなに変じゃないような気がしてきた。このファッションの多様性も自由惑星同盟より自由と言われるフェザーン自治領の気風の現れかもしれない。

 

 かねてからの予定通り、フェザーンで一番うまいスイーツを食べさせてくれると言われているカフェレストラン「ジャクリーズ」に入る。フェザーン出発が決まった当日にドーソン中将に頼んで予約を入れておいてもらった。

 

 フェザーンは何々の都という称号を千個以上持っていると言われるような街で、スイーツの都の称号も持っている。かのユリアン・ミンツは街を歩いて電子新聞を読んだだけでフェザーンの豊かさを理解したと言われるが、やはり俺は俺なりのやり方で理解したい。

 

「ケーキ、一番上から五番目まで。あと、オニオンスープとボイルドソーセージ三本とピラフ」

「え…?」

 

 俺が注文すると、フヴァータル大尉とヴァシリチェンコ中尉とモンテス曹長は驚いたような表情を浮かべて顔を見合わせる。

 

「どうしたの?」

「それ、全部食べるの…?」

「母さん達の分も一緒に頼むわけ無いじゃん。自分で食べる分は自分で頼まなきゃ」

 

 ヴァシリチェンコ中尉は俺の返事を聞いて首を傾げていた。首を傾げたくなるのは俺の方だ。何が不思議なんだろうか。注文の品が来ると、さっそく口をつける。まずはラズベリーケーキ。うまい。あっという間に全部平らげてしまった。その次はモンブラン。うまい。さすがはフェザーンだ。オニオンスープをすする。甘さの余韻が残る舌にしょっぱい味が染みわたる。最初に頼んだ品を食べ終えると、今度は六番目から一〇番目のケーキを注文した。他にピザ二枚とポタージュ。それを食べ終わったら、一一番目から一五番目のケーキとトーストとグラタンとオニオンスープを注文する。

 

「イアン…」

「どうしたの、姉ちゃん」

「いや、どうしてそんなに食べられるのかなあって…」

「俺はケーキと一緒に必ず温かいものを頼んでるよね。それがコツなんだ」

「えっ?」

「ずっと甘い物ばかり食べてると、舌が甘さに慣れちゃうでしょ。そうすると、せっかくのスイーツがおいしくなくなっちゃう。だから、ときおりしょっぱい物や脂っこい物を食べて、舌から甘さを消すわけ」

「そ、そうなの?」

「舌に甘さを残さないことが大事なの。いつも、新鮮な気分でスイーツを口に入れたいでしょ」

「は、はい…」

「姉ちゃんもやってみたらいいよ。あんま食べてないでしょ」

 

 ベイクドチーズケーキを口の中でもぐもぐさせながら、モンテス曹長の疑問に答えた。あまり納得してもらえていない感じなのはどうしてだろう。俺にしては珍しく役に立つことを言ったつもりなのに。

 

「そんなに食べたら太らないか?」

「平気平気、スイーツは別腹だから太らない」

「だが、スイーツ以外でも結構食べているだろう」

「でもないよ。父さんは気にしすぎじゃない?」

 

 フヴァータル大尉は何を疑問に思っているのだろうか。俺の体格を見たら、一目瞭然だろうに。ピザにかじりつく俺を見て、ヴァシリチェンコ中尉は目を細めた。

 

「その格好、似合ってるねえ」

「母さん、いきなりどうしたのさ」

「いや、似合ってるって思って」

「変なの」

 

 噛み合ってない気がするけど、家族の会話ってこういうものなのかな。まだ家族と仲が良かった頃もあんま会話噛み合ってなかったもんな。父は微妙に空気読めてなくて、母はやたらと心配性で、姉のニコールは言葉がきつくて、妹のアルマは脳天気に物を食べてばかりだったっけ。

 

 あれ、なんで家族のことを懐かしく思い出したんだ?彼らが俺に何をしたのか、忘れるはずもないのに。特にアルマ、俺が焼いたアップルパイを目の前でゴミ箱に捨てられたことは忘れないぞ。食べてもらえたら、許してもらえると期待してたんだ。二度と料理できなくなるぐらいショック受けたんだぞ。

 

「大丈夫、イアン?」

「何が?」

「どうして泣いてるの?」

 

 モンテス曹長に指摘されて、自分の目から涙が流れていることに気づいた。ナプキンで拭いても拭いても流れてくる。遠い昔の悲しみを今の甘味で忘れようと思って一心不乱にスイーツを食べ続けた。

 

 二二種類のケーキを食べ終えた俺は他の三人とともに店を出た。メニューを制覇したいという俺のわがままに付き合わせてしまったことは申し訳ないが、しかしこれはフェザーンを理解する上ではどうしても必要なことだったのだ。

 

 スイーツというのは一種の嗜好品である。スイーツが凝っているかどうかは、フェザーン社会の経済的・精神的余裕を示すバロメーターになる。スイーツを食べている客層も社会を分析する上で参考になる。フェザーンにおいてスイーツを楽しむ余裕がある階層は、フェザーン経済において最も有力な消費層を形成しうるはずだ。

 

 三人にそう説明すると、目の付け所が違う、さすがだなどと感心された。もちろん、全部後付けである。フェザーンはスイーツの都に恥じない街だということがわかったのは収穫だったといえよう。

 

 帰りはバスか無人タクシーを使おうと思って店から五メートルほど離れた場所にあったバス停を見ると、ホテル・メルキュール前に停まるバスがあるようだ。時計と時刻表を見比べたら、今から五分後に到着することになっているらしい。一〇分遅れの一五分後に到着したら御の字だと思って待つ。遠くからバスが近づいてくるのを確認した時、意外な早さに驚いて時計を見たらちょうど五分で到着していた。バスが時間通りに到着するなんてことがあるんだ。

 

「凄いね、父さん」

「何が凄いんだい?」

「だって、時刻表通りにバスが来るんだよ」

「フェザーンではそれが当たり前さ」

「バスやリニアカーが時刻表通りに到着するなんて、ネットのジョークネタだと思ってた」

「時刻表通りに到着しない同盟のバスやリニアカーの方がジョークかもしれんよ」

 

 フヴァータル大尉の答えになるほどと思ってしまった。フェザーンの公共交通が凄いんじゃなくて、同盟がおかしいという見方か。まあ、確かに必ず遅れてくるなら時刻表の意味ないもんな。国が違えば常識も違う。当たり前だけど、それだけに大事なことだ。明日は帝国の使者との面会。常識の違いを肝に銘じないといけないと思いながら、バスに乗り込んだ。



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第四十四話:国境を越えて託された思い 宇宙暦794年7月29日 フェザーン市、「コーフェ・ヴァストーク」マラヤネフカトゥルム店

 帝国側の使者、ループレヒト・レーヴェから送られてきたメールで待ち合わせ場所に指定されていたのは、「コーフェ・ヴァストーク」マラヤネフカトゥルム店。

 

「コーフェ・ヴァストーク」は帝国、同盟、フェザーンの三か国に展開するフェザーン資本のコーヒーチェーン。マラヤネフカトゥルムはフェザーン最大のオフィス街ジファーラ地区の外れにある超高層ビル。見るからにビジネスマンが多そうな場所にこんなふわふわした格好で行ったら浮いてしまうんじゃないかと不安だったが、いざビルに来てみるとそうでもなかった。

 

 有名企業がたくさん入居しているはずなのに服装がきっちりしている人はあまりいない。ネクタイをしている人は半分もおらず、明らかに私服としか思えないような格好の人も多い。Tシャツにハーフパンツ、素足でサンダルなんて人までいる。ハイネセンのオフィスビルではネクタイを締めてる人の方が多く、まして私服同然の格好の人なんてまず見かけない。あらためて、フェザーン人の服装に関する自由な考え方に驚かされる。

 

 一階にあるコーフェ・ヴァストークの店内に足を踏み入れ、カウンターの若い男性店員に帝国語で声をかける。フェザーン自治領は名目上は帝国の主権下にあるので、公用語も帝国語なのだ。同盟公用語を話せないフェザーン人なんているはずもないが、やはり帝国語の方が無難だろう。

 

「ループレヒト・レーヴェさんはどちらの席においででしょうか?」

「イアン・ホールデン様でございますね。ただ今ご案内いたします」

 

 店員は俺の格好に驚く様子を一かけらも見せずに丁寧に応じると、伝票を持ちながら歩き出した。ちらっと店内を見ると、ラフな格好の客が多い。きっちりした格好の方が浮いていたに違いない。席と席の間の通路は広めで何かあっても動きが取りやすい。場所選び一つをとっても、ループレヒト・レーヴェは用意周到な人らしい。

 

「こちらでございます」

 

 店員は店の奥まで歩いて行くと、角の席を指し示す。そこに座っていたのは三〇歳前後と思われる黒い髪の男性。俺に気づいて席から立ち上がろうとしていた。精力的な面構えに広い肩幅。白いワイシャツの上にダークグレーのジャケットを着ているが、ネクタイは付けていない。俺が言うのもなんだけど、あまり軍人っぽく見えない。内務省の警察官僚、あるいは司法省の検察官あたりだろうか。

 

「イアン・ホールデンさんですね。はじめまして、ループレヒト・レーヴェです」

「はじめまして」

 

 俺が帝国語で挨拶すると、ループレヒト・レーヴェは笑顔を浮かべて手を差し出してきた。俺も手を差し出してしっかりと握手をする。レーヴェの手は大きいけれどそんなに厚みはなくて柔らかい。軍人らしくないという第一印象を裏切らない手だ。

 

「それにしても、意外とかわ…、いやお若いですな」

 

 意外そうな表情をレーヴェは浮かべる。予想はしていたけど、実際に言われてみるとちょっと傷ついてしまう。レーヴェが悪いわけではない。ガキっぽい俺の顔とこんな服装を選んだハラボフ大尉が悪い。動揺を見せないように笑顔を作る。

 

「良く言われます」

「仲介者から憲兵司令官の側近中の側近と聞いておりましたので、もっと年配の方かと。失礼いたしました」

「あなた方の側から僕を直接指名いただいたそうですが、名前以外の情報は伝わっていなかったのでしょうか?」

 

 同盟全軍で数十万人もいる少佐の一人にすぎない俺を名指ししてくるぐらいだから、帝国側はかなり俺のことを深く調べているものとばかり思っていた。しかし、憲兵隊における立場ですら交渉を仲介した人間に教えられたみたいだ。名前程度しか知らないなら、なぜ俺を指名したのだろうか。

 

「我々はあなたの本名も存じておりません。ヴァンフリート四=二基地の麻薬組織メンバーの逮捕権を持っていた人物と会いたいという要望を伝えました」

「そういうことでしたか」

「あれほどの大任を任される人物であれば、かなりの重鎮であろうと予想しておりました。交渉にあたっていた貴国の政治家が将来の我が軍を背負って立つエリートだと言っていたと仲介者から聞いていたこともあって、知らず知らずのうちに先入観を抱いてしまっていたようです。先入観は軍人が最も忌避すべきものですが、なかなか逃れることができません。お恥ずかしい限りです」

 

 非を認めるレーヴェの率直さに好ましいものを感じた。有能であればあるほど、プライドが邪魔をして自分の非を認めることができないものだ。彼のようないかにもやり手と言った雰囲気の人物にしては珍しい率直さと言える。良くできた人だと思った。

 

「いえ、こちらもあなたが警察官僚か検察官だとばかり思っていました。先入観というのは怖いですね。四=二基地でも先入観に惑わされて、組織の最高指導者を取り逃がしてしまいました。真実を見抜く目がないことをこれほど悔やんだことはありません」

「官僚に見えると言われることはあまり無いので新鮮です。弁護士に見えるとは良く言われますが」

 

 爽やかに笑ってみせるレーヴェの顔を見て、自分が彼を警察官僚や検察官と勘違いした理由がわかった。率直に非を認めたことからも伺えるように、何よりも公正さを重んじて生きているように見えるのだ。他人の命を預かる軍人は自分の判断に自信を持たなければ務まらないから、しぜんとプライドも高くなる。プライドを保とうとして、公正さを欠いてしまう者も少なくない。プライドより公正さを優先できるレーヴェが弁護士に見えるのも無理は無い。

 

「僕は若く見えると言うより、幼く見えると良く言われます。内面の未熟さが外見に反映されているのかもしれません」

「グロース・ママを取り逃がしたのはあなたの責任ではありません。本日はそのことを伝えに参りました」

 

 レーヴェの表情から笑みが消えて、眼光が鋭くなる。電光に打たれたかのような緊張が体に走る。

 

「僕の責任ではないと言うのは、どういうことでしょうか?」

「捜査情報が漏れていたのです。我が国の憲兵隊の中に組織に内通していた者がおりました」

 

 グロース・ママとはサイオキシン密輸Iルートの同盟側組織のトップだったエイプリル・ラッカム少将のこと。彼女は俺が中央支援集団司令部の拘束命令を受けていたことを知っていたのかな。いや、漏れたのは帝国側の捜査情報だから、捜査の手が中央支援集団司令部に伸びている程度の情報しか持っていなかった可能性のほうが高いか。帝国軍の憲兵隊と合同捜査をしていたけど、捜査情報を完全に共有していたわけではない。容疑者を拘束する手段みたいな技術レベルの情報は共有する必要もない。

 

「だから、ヴァンフリート四=二に帝国軍が進駐してきたのを奇貨として逃亡を図ったんですね。恥を晒すようですが、我が軍の勢力圏のど真ん中にあるあの基地で戦闘が起きるとは夢にも思っていませんでした。油断としか言いようがありませんね。僕は想定外の戦闘に慌てふためいていたのに、ラッカムは逃亡に利用することをとっさに思いついていました。認めたくはありませんが、自分の器量はラッカムに遥かに及びませんでした」

「あの場所で戦闘が起きるなんて、誰も思っていなかったでしょう。起きるように仕組んだ者以外は」

 

 起きるように仕組んだ?ヴァンフリート四=二基地攻防戦は偶然起きた戦闘ではなくて、起きるべくして起きた戦闘だということなのか。しかし、誰が何のために。

 

「どういうことでしょうか」

「敵の勢力圏のど真ん中に一個艦隊を配置するなど、用兵の常識では有り得ません。全滅してくださいと言っているようなものですから。そして、一個艦隊もの大戦力が自軍の勢力圏を長駆するのを見過ごすのもやはり有り得ません。有り得ないことを起こしたのは、グロース・ママとその手先です」

「しかし、一個艦隊を動かすとなると、総司令官の判断になるんじゃないですか?今回の事件を担当して大抵のことには驚かなくなりましたが、宇宙艦隊司令長官が敵国の麻薬組織のボスに便宜を図るなんてさすがに有り得ないでしょう?」

「我が軍の宇宙艦隊総司令部の幕僚に、ヴァンフリート四=二に艦隊を配置するよう総司令官を誘導した者がいました。ヴァンフリート四=二が敵の勢力圏外であるかのように偽装する工作が行われた形跡もあります。総司令官は幕僚の意見をあまりお疑いにならない方です。誘導に乗って四=二宙域に艦隊を移動させました」

 

 ミュッケンベルガーの用兵のミステリーの謎が思わぬところで解けた。ヴァンフリート四=二の戦闘は彼の気まぐれな用兵で起きた遭遇戦じゃなくて、幕僚の誰かが意図的に起こしたものだったのだ。だから、前の人生でも今の人生でも発生した。しかし、それでは説明がつかないこともある。

 

 同盟軍総司令部が敵艦隊の移動を察知した時点で四=二基地に連絡を入れていたら、戦闘が起きる前に中央支援集団は安全な場所まで撤収していただろう。同盟軍の誰かが自軍の勢力圏内を横断する敵艦隊を見つけていたら、喜んで攻撃を仕掛けていたはずだ。総司令部の怠慢や通信の混乱が起きなかったら、四=二基地の戦いも起きなかった。

 

「総司令部の怠慢で四=二基地への連絡が遅れなかったら、あるいは通信が混乱して我が軍が円滑に動けない状況に陥っていなかったら、誘導者が意図した四=二基地攻撃は空振りに終わったはずです。あまりに偶然に頼りすぎた策ではないでしょうか?」

「これは憶測ですが、そちらの総司令部にグロース・ママの手先がいたのではないでしょうか。通信が混乱して同盟軍が動けないことを帝国側の組織に伝えた者、四=二基地への連絡を握り潰した者が。それが誰であるかは我々には知る由もありませんが、帝国側組織の者が数回にわたってそちらの組織に連絡を入れた形跡はあります」

 

 同盟軍の宇宙艦隊総司令部の幕僚の中に麻薬組織のメンバーがいたことは今回の捜査でわかっていた。取り調べでは組織の実態解明を目的としていたし、ヴァンフリート四=二基地の戦闘がラッカムを逃がすための策略だと想像していた者もいなかった。麻薬組織のメンバーがヴァンフリート星系の戦いでどんな動きをしたのかを検証は行われていなかった。偶然と思っていたことが全部仕組まれたことだったら、前と今の人生の四=二基地の戦いが同じ展開になるのはむしろ当然だろう。

 

 前の人生でも同盟と帝国の憲兵隊が合同で麻薬組織を取り締まろうとしていて、内通者からの情報でそれを知ったラッカムが帝国側組織と図ってグリンメルスハウゼン艦隊を四=二基地に差し向けて逃亡した。そう考えると、やるせない気持ちになる。

 

「四=二基地の戦闘では部下が大勢死にました。僕を逃がすために死んだ者もいます。偶然起きた戦闘での死なら諦めもつきます。しかし、仕組まれた戦闘で死んだのなら…」

 

 わずかな憲兵とともに押し寄せてくる敵を迎え撃って俺を逃がしてくれたファヒーム少佐、俺の突撃に巻き込まれて倒れたデュポン大尉らの最期が脳裏に浮かぶ。

 

 怒りとも悲しみともつかない感情で胸が詰まり、涙が滲んできた。こんなくだらない策略のために彼らは死んだのか。いや、彼らだけではない。四=二基地の戦闘では三万人の戦死者が出た。生き延びたものの怪我の後遺症で体が不自由になった者もいる。俺だって死にかけたし、後遺症が残ってもおかしくなかった。兵士達をサイオキシン中毒者にして荒稼ぎして、捜査の手が伸びてきたら敵に味方を攻撃させて屍の山に紛れて逃亡する。どこまで自分勝手な連中なのだろう。

 

「あなたの無念はお察しします。私を派遣なさった方がヴァンフリート四=二基地の麻薬組織メンバーの拘束命令を受けたあなたを指名したのもそういう理由です」

「レーヴェさんを派遣された方というのはどういう方なのでしょうか?」

「ヴァンフリート四=二に進駐した艦隊を指揮なさっていた方です」

 

 前の人生では皇帝フリードリヒ四世の腹心だったグリンメルスハウゼン子爵がヴァンフリート四=二に進駐した帝国軍艦隊の司令官だったはずだ。前の人生と今の人生のヴァンフリート四=二の展開は全く同じだった。地上部隊の指揮官も同じリューネブルク准将とラインハルト・フォン・ミューゼル准将だった。そう考えると、レーヴェを派遣したのはグリンメルスハウゼン子爵なのだろうか。確証がないのに断定する訳にはいかないが。

 

「その方はなぜ僕を指名されたのでしょう?」

「結着を付けさせるためと言っておりました。私とあなたの両方に」

「レーヴェさんにも?」

「私はヴァンフリート四=二に進駐した艦隊に潜んでいる麻薬組織メンバーの拘束命令を受けていました。今の主の知遇を頂いたのもその時でした」

 

 レーヴェが使者となった理由がようやく分かった。薄々感じてはいたけど、彼は憲兵隊で捜査に関わった人間だった。しかし、わからないことがある。

 

「憲兵のあなたがなぜ艦隊司令官の指示で動いていらっしゃるのでしょうか?そして、なぜ私にこの話を聞かせようとなさるのでしょうか?あなたが捜査情報をご存知なのはわかります。しかし、憲兵隊の上司に無断で他人に伝えて良いものなのでしょうか?」

「憲兵隊は捜査を打ち切りました。ヴァンフリート星系の戦いが終わった直後のことです。捜査記録は破棄されて、捜査自体が無かったことにされました。拘束された者も全員即時釈放されています。捕虜になったグロース・ママとその配下は移送中に事故で全員死亡」

 

 あまりにも酷い結果に頭がクラクラしてしまう。捜査記録を破棄して、容疑者を全員釈放して無かったことにするって同盟よりずっとひどいんじゃなかろうか。この調子なら、捕虜になったラッカム達も事故を装って自由の身になったのだろう。同盟は捜査を打ち切ったけど、麻薬組織のメンバーを軍から追放している。拠点になっていた部隊も徹底的に再編されたから、組織が再起できる見込みはない。それに引き換え、帝国の憲兵隊は何をしているのだろうか。どんな事情があるにせよ、これだけは納得できない。

 

「差し支えなかったら、打ち切られた理由をお聞かせいただけませんでしょうか。ちょっと納得がいかないのです」

「捜査を指揮しておられた憲兵総監は急病を理由に辞職して、翌日にお亡くなりになりました。後任の総監はすぐに捜査打ち切りを決定しています。どうやら、虎の尾を踏んでしまったようです」

 

 帝国の憲兵総監を務めるのは上級大将か大将。序列も結構高かったはずだ。そんな大物がいきなり辞職して次の日に死亡、後任が捜査打ち切りを決定って怪しんでくださいと言わんばかりに怪しい。

 

「一体、何が起きているのですか…?」

「組織の背後にいる政府高官の摘発。それが憲兵隊の最終目標でした。最有力の門閥貴族で現職閣僚でもあるその人物は何度も大きな疑獄事件に関係しましたが、そのたびに追及の手を逃れています。今回もまんまと逃げられてしまいました」

 

 同盟政府は社会的な悪影響を恐れて、捜査を打ち切った。しかし、帝国では一人の高官が自分のエゴのために事件を憲兵総監ごと闇に葬ってしまったのだ。どちらも理不尽だとはいえ、レーヴェの感じている怒りが俺より大きいことは想像に難くない。それなのに言葉が激しくなることもなく、淡々と言葉を続けている。驚くほどの自制心に尊敬の念すら感じた。

 

「憲兵総監はお亡くなりになる直前に、今の私の主に捜査記録のコピーを託されました。真相を知ったのも捜査記録を見せていただいたおかげです。あの方がおられなかったら、何も知らないまま辺境に飛ばされるところでした」

「ということは、レーヴェさんのご主君は力のあるお方なのですか?組織の背後にいる高官からあなたを守れるぐらいの力が」

「皇帝陛下より厚い信任をいただいているお方です」

 

 破棄されそうな捜査記録を保管し、レーヴェや俺に事件の真相を教えようとした善意の持ち主。憲兵総監を死に追いやることができるような権力者でも手を出せないほどの皇帝の信任が厚い人物。一体何者なんだろうか。

 

「立派な方なのですね」

「世の中にはびこる不正とそれを正す力がない自分に憤りながら、真実を残そうと尽力されてきた方です。不正を正す力を持つ者が現れる日のために」

 

 前の人生で読んだ歴史の本によると、ゴールデンバウム朝の門閥貴族の腐敗ぶりは酷いものだったという。無能なのに政府や軍部の高官の地位を占めて、民衆から搾り取った富で放蕩の限りを尽くし、宮廷の中で陰湿な謀略を巡らしていたという。そんな人々の中にあって、レーヴェの主は自分の限界を知りながらも絶望することなく、未来を信じて戦い続けた。後に続く者の捨て石となるために。なんと気高い精神の持ち主なのだろうか。名前を知りたいと思ったけど、好奇心で聞いてはいけないような気がした。

 

「四=二基地の戦闘で多くの人が死んだのに、捜査は打ち切られてラッカムも逃げ延びてしまいました。正義はどこにあるのか、わからなくなってしまいます。しかし、レーヴェさんの主のお話を聞いて、世の中も捨てたものではないと思いました。主のもとに戻られましたら、よろしくお伝えいただけると幸いです」

「承知しました」

 

 レーヴェは頷くと、上着のポケットの中から小さな紙の包みを取り出して俺に差し出した。

 

「これは何ですか?」

「憲兵隊の捜査記録データが入っている補助記録メモリです。そちらの憲兵隊に役立てていただきたいと主は申しておりました」

「わかりました。あなたのご主君の志、決して無にはいたしません」

「主は憲兵総監閣下から託された捜査記録を読み、ご自分が麻薬組織の策略に利用されたことに落胆して病にかかってしまいました。もって年内いっぱいでしょう。あなた方に主が託したのはデータだけではありません。志も託されたと、そうお考えください」

 

 未来のために戦い続けて、報われる日を見ることなく世を去ろうとしている人物から、最後の志を託されたことに心が震えるような思いがした。顔も名前も知らない人だけど、その熱い心は十分に伝わった。涙を抑え切れなくなるほどに。

 

「はい」

 

 手で涙を拭いながらレーヴェに返事をする。ずっと穏やかな表情を保ったままの彼の前で泣くなんてみっともないけど、格好つけられるほど強くもない。格好悪くても、そこから始めるしかない。自分の無力を自覚しながらも戦い続けたレーヴェの主のように。

 

「私はオーディンに戻って、主が亡くなるまで精一杯お仕えするつもりです。亡くなられた後は辺境に行くことになるでしょう。一度虎の尾を踏んでしまった者が中央に戻れる見込みはありません。ですから、私の志もあなた方に託しましょう。国は違えど、不正を正そうという気持ちは変わらないはずです」

 

 同盟軍の辺境星系の基地は能力も意欲も低い人物や上層部から忌避された人物の吹き溜まりとなっている。帝国軍でも事情はそれほど変わらないはずだ。獅子泉の七元帥の一人で憲兵総監や内務尚書を歴任したウルリッヒ・ケスラー元帥のような名将ですら、ラインハルトの元帥府に招かれるという幸運がなければ辺境勤務で一生を終えるところだった。公正で誠実で剛毅なレーヴェがケスラー元帥のような幸運に恵まれてほしいと願う。

 

 ケスラー元帥は軍人というより弁護士に見えたそうだが、レーヴェもそんな感じだ。ケスラー元帥もレーヴェも憲兵だったし、年齢も近そうだ。性格も似ている。ケスラー元帥は前の人生でヴァンフリート四=二に進駐したグリンメウスハウゼン子爵に仕えていた時期がある。じつに共通点が多い。違うところといえば、髪の色ぐらいだけど。

 

 そういえば、俺は髪を染めている。レーヴェが髪を染めていないという保証もない。瞳の色だって、俺と同じようにカラーコンタクトをはめていてもおかしくはない。組織の背後にいる高官の手先に狙われているだろうから、変装をする必然性は俺より高いはずだ。ケスラー元帥はあまりメディアに出なかったから、容貌に関しては特徴的な髪の毛の色以外の印象があまりない。ループレヒト・レーヴェという名前も間違いなく偽名だろうし。

 

 もしかして…、と思ったけど確証はない。彼が何者であろうと、立派な人物であるのは間違いない。彼とその主を決して忘れたくない、託されたものをしっかり受け継ぎたいと思った。



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第四十五話:ヨブ・トリューニヒトの目指すもの 宇宙暦794年8月初旬 ハイネセン市、カンサイ風お好み焼き店「ヨッチャン」

 お好み焼きは小麦粉を生地、野菜、肉、魚介類、麺類などを具材とするパンケーキの一種だ。生地に混ぜ込んで鉄板で焼くカンサイ風と、生地の上に具材を載せて薄焼き卵で覆って焼き上げるヒロシマ風があり、ソースやマヨネーズなどで味付けをして食べる。安価でボリューム満点なために、庶民の味として親しまれてきた。主食、おかず、おやつなど多種多様な食べ方が可能な汎用性の高さも人気のもとだろう。

 

「お好み焼きを好んで食べる人達の間では、焼き方、入れる具材、食べ方によって激しい対立が生じている。それもこの食べ物が無限の可能性を含んでいるからだろうね。我が国では自由と多様性を大事にする民主主義の精神が食べ物にも息づいている」

 

 俺と憲兵司令官ドーソン中将と改革市民同盟幹事長ヨブ・トリューニヒトはカンサイ風お好み焼き店「ヨッチャン」で同じ鉄板を囲んでいた。

 

 トリューニヒトはコテを持ってお好み焼きを焼いて食べながら、俺とドーソン中将を相手に熱っぽく語り続けている。宇宙暦が始まる以前に遡るお好み焼きのルーツから説き起こし、具材の比較、カンサイ風とヒロシマ風の違い、お好み焼きを愛した偉人のエピソード、主食派とおかず派とおやつ派の仁義無き戦いなどに及ぶ話は実にスケールが大きくて面白かった。話し続けている間もコテを持つ彼の手は休み無く動き続けて、お好み焼きを焼き続けている。テーブルに置かれている白米の丼は、彼がおかず派に属していることを雄弁に語っていた。

 

「人類は一七〇〇年の時を費やしても、ついに主食派、おかず派、おやつ派の対立を解消することはできなかった。対立する者同士はお互いを邪道と罵り合い、同じお好み焼きを愛する同胞であるはずなのに憎み合うことをやめられなかった。しかし、憎み合っていても共存していかなければならない。なぜなら、我が国は民主主義国家だからだ。エリヤ君はクリストフ・フォン・ランツフートを知っているかい?」

 

 クリストフ・フォン・ランツフートは元の名をクリストファー・シャンクリーといい、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが軍籍にあった頃からの同志だった。ルドルフが政界に転じた後も軍に留まって昇進を続け、軍人の立場から銀河連邦簒奪に手を貸した。ゴールデンバウム朝が成立すると、シャンクリーはランツフート公爵に叙せられて、名前をゲルマン風のクリストフに改めている。初代軍務尚書となったが、宇宙暦三一八年に不敬罪で処刑された。ルドルフ第一の忠臣と言われていたランツフート公爵の唐突な処刑の背景は未だに判明しておらず、銀河帝国史上最大の謎の一つとされている。

 

「知っています」

「主食派のルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、お好み焼きを白米と一緒に食べる者を徹底的に弾圧した。ランツフートの処刑もお好み焼きと白米を一緒に食べたのが露見したからという説がある」

「お好み焼きの食べ方をめぐる争いって本当に深刻なんですね。初めて知りました」

「ま、これは今考えついた話だけどね」

 

 ソースや青海苔が付いたままの口元に微笑みを浮かべたトリューニヒトを見て、全身からへなへなと力が抜けていく。彼にはノリを重視して適当なことをポンポン言ってしまう悪癖があるけど、人懐こい笑顔を見せられたら腹を立てるのが馬鹿らしくなってしまう。

 

 トリューニヒトの真価は煽情的なパフォーマンスではなく、えも言われぬ愛嬌にあった。これは今の人生になって初めて知ったことだ。知った時にはすっかり彼の愛嬌に心を掴まれてしまっていたけれど。

 

「いかにもありそうな話だろう?」

「え、ええ…」

「ルドルフがお好み焼きを食べたかどうかは知らないが、臣下や国民に自分の食べ物の好みを押し付けようとしたのは事実だ。主食派とおかず派が対立しながらも共存して、同じ鉄板で焼いたお好み焼きを食べることができる。それが民主主義の素晴らしさと私は思うね。君もそう思うだろ、なあ、クレメンス」

 

 トリューニヒトは砕けた調子でドーソン中将に同意を求める。

 

「まあ、幹事長のおっしゃる通りですな。小官はどうあっても、お好み焼きをおかずに白米を食べるなど承服いたしかねますが」

「ははは、君は本当に頑固だな。そこが君の良い所だが」

「恐れ入ります」

 

 大らかなトリューニヒトと几帳面なドーソン中将。正反対の二人が共有する信念っていったい何なのだろうか。退院当日にドーソン中将の話を聞いた時からずっと気になっている。フェザーンから帰った俺はトリューニヒトに食事の誘いを受けてドーソン中将とともにこの店に来たんだけど、まったく本題に入ろうとしない。まさか、お好み焼きを語るために俺達を呼んだわけでもないだろう。

 

「クレメンス、エリヤ君」

 

 俺の思考はトリューニヒトの声で中断された。表情から砕けた感じが消えて、静かな厳粛さが漂っている。ついに来たかと思い、体が緊張で硬くなる。

 

「すまなかった」

 

 トリューニヒトの口から出てきたのは謝罪の言葉。しかし、俺は彼に謝罪される覚えなど無い。

 

「どういうことでしょうか?幹事長に迷惑をかけられた覚えはないですよ」

「フィリップス少佐の言うとおりです。幹事長はできるだけのことをなさいました」

「私の力が及ばなかったせいで君達の苦労を無にしてしまった。君達だけではない。憲兵や四=二基地で死んだ者すべての苦労を台無しにしたのは私だ」

「幹事長の尽力がなかったら、ここまで戦えませんでした。フェザーンで使者に会って四=二基地の戦いの真相を理解できたのも幹事長のおかげです。本当にありがたいと思っています」

 

 国防委員会を動かして帝国憲兵隊との秘密合同捜査を実現させたのはトリューニヒトだった。最終的に捜査は打ち切られてしまったが、最高評議会が危機感を覚えるところまで粘ってくれた。ルーブレヒト・レーヴェとの会見を実現させるための交渉にあたったのもトリューニヒトだ。この事件に関しては、感謝の気持ちしかない。

 

「犯罪者どもは軍を追い出されただけで大手を振って歩いている。奴らが麻薬取引で得た汚れた金を没収することもできなかった。馬鹿を見たのは巻き込まれた人達だけだ。理不尽だと腹を立てる資格も私にはない。ただただ、力不足を恥じるばかりだよ」

 

 憲兵隊は麻薬組織の幹部達の秘密口座、彼らが汚れた金を綺麗にするために使ったマネーロンダリングルートも抑えていたが、捜査が打ち切りになったために手出しできなかった。麻薬取引の拠点になった部隊は徹底的に改編されて、もともと所属していた人達はバラバラに転属された。中央支援集団も徹底的に改編されて、司令官のセレブレッゼ中将は辺境の第一六方面管区司令官に左遷されている。

 

「セレブレッゼ中将は本当にお気の毒です」

「後方勤務本部の次期本部長から一転して辺境送りだからね。落胆して辞職するかもしれない。辺境に送られるというのはそういうことだ」

 

 俺の士官としてのキャリアは辺境の補給基地から始まった。下士官から叩き上げて目立った功績のないまま年齢を重ねていった者と、不名誉な事情で中央から飛ばされてきた者が勤務している士官の大半を占めており、のんびりしていたけど出世や活躍とは無縁な職場だった。セレブレッゼ中将のようなトップエリートにとって、辺境に飛ばされるということは辞めたかったらどうぞと言われているに等しい。盟友だったラッカムのエゴで死地に追いやられて、生き残ったと思ったらこれでは可哀想過ぎる。

 

「しょせん、世の中はこんなものなのかなんて割り切りたくはありません。帝国の使者から、何度も何度も理不尽な思いをしながら、不正を正す力を持つ者が現れる日を夢見て戦い続けた人の話を聞きました。世の中はそんなに捨てたものではないと教えてくれたその人や四=二基地で死んでいった人達に恥じないように生きたいと思いますが、自分がそこまで強くなれるのかどうか自信がありません」

 

 フェザーンから帰る途中、いろんなことを考えていた。四=二基地での失敗を繰り返さないように実戦経験を積みたい、ラッカムのような悪党が再び現れた時に戦えるようになりたい、レーヴェとその主のような強い心がほしい、二度とこんな悔しい思いはしたくない。

 

「エリヤ君、悔しかったかい?」

「はい」

「私も悔しい」

 

 そう言うと、トリューニヒトは俺の顔を見る。

 

「エリヤ君、強くなりたいかい?」

「はい」

「私も強くなりたい」

 

 短い言葉から万感の思いを感じる。歴史が伝えるエゴイストでもなければ、俺が知っている好人物でもないトリューニヒトを初めて見たような気がする。

 

「クレメンス、エリヤ君。我々はもっと強くならなければならない。それぞれの場所で信頼を得て、立場を強めていこう。我々の言葉に耳を傾けてくれる者の数を増やそう。信頼と数が我々の力となる」

 

 ああ、なるほど。トリューニヒトの行動の根底には、信頼の強さと耳を傾ける者の数が力になるという考えがあるのか。攻撃的なパフォーマンスで人目を引き、冗談と本音をちゃんぽんにした軽妙な会話で親しみを覚えさせるのは耳を傾けさせるため。マメに人に会って一緒に食事をするのは信頼を得るため。人間関係で政治を動かそうとしてるんだ。しかし、トリューニヒトは得た力で何をしたいのだろうか?

 

「トリューニヒト幹事長は何のために強くなりたいとお考えなのでしょうか?」

「ルールは公正に適用され、不正が許されることはなく、献身は必ず報いられ、みんなが同胞意識を持って信頼し合い、助け合い、分かち合いながら前進する。そんな社会を作りたいと思っている」

 

 トリューニヒト自身の口から語られた元警察官僚らしい理想にドーソン中将が大きく頷く。ドーソン中将がトリューニヒトを支持した理由、俺と同じ理想と言った理由が理解できた。

 

 前の人生で逃亡者として迫害されて私刑がまかり通る恐ろしさを知り、同盟滅亡後の混乱期のハイネセンで秩序が崩壊したカオスの恐ろしさを知った。今の人生でルールの公平な適用こそが弱い者を暴力から守り、強い者の自分勝手を防ぐことを知った。ルールの建前を愚直に貫くことによって得られた信頼が最強の武器であることを知った。そんな俺にとって、トリューニヒトが提示する秩序ある社会像は魅力的に見える。ドーソン中将よりやや遅れて控えめに頷いた。

 

「今後は私がエリヤ君の昇進を全力でサポートしよう。自力でもいずれ将官になれる人材と見込んではいるが、それまで待ってもいられない。早く昇進して私の力になってほしい」

「はい!」

 

 俺が自力で将官になれるというのは大袈裟すぎると思った。経験が浅いうちに昇進するのも怖い。だけど、彼のような人に力になってほしいと言われるのは凄く嬉しい。感激で胸が熱くなった。

 

「これまで通り、ルールの中で正しく戦いなさい。そうして得られた信頼が君の力、ひいては私の力になる」

「頑張ります!」

「中佐昇進、受けてくれるね?自信がないなんて言わせないよ」

 

 中級職の少佐から上級職の中佐への昇進は怖い。戦艦艦長、駆逐隊司令、艦隊司令部の課長が務まる自信がない。しかし、期待には応えたい。これまでの俺は昇進して新しいポストに就くたびに務まるかどうか不安になったものだけど、終わってみるとひと通りの仕事を回せるようになっていた。上級職でもやってみたら、案外できてしまうのかもしれない。

 

 じんわりと汗が滲んでいる手のひらを握りしめ、緊張でガチガチに固くなっている自分を奮い立たせた。



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第六章:参謀勤務
第六章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。宇宙艦隊総司令部後方参謀。ヴァンフリート四=二で負った傷が癒えて公務に復帰した。エル・ファシルの英雄の虚名に翻弄されつつも懸命に仕事に取り組む。小心者。小柄で童顔。卑屈。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。事務が得意。指揮官としては未熟。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

エリヤの友人・知人

クレメンス・ドーソン 44歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。憲兵司令官。優秀な実務家だが、細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

ヨブ・トリューニヒト 39歳 男性 原作主要人物

改革市民同盟幹事長。気鋭の主戦派若手指導者。ドーソンとともに麻薬組織壊滅作戦を進めた。己の無力を痛感し、エリヤに協力を求める。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

エーベルト・クリスチアン 40代前半 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。ヴァンフリート四=二攻防戦の功績で大佐に昇進。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍中佐。宇宙艦隊総司令部人事参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アンドリュー・フォーク 24歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍中佐。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。ロボスに心酔している。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ダーシャ・ブレツェリ 25歳 女性 オリジナル人物

エリヤの友人。同盟軍少佐。宇宙艦隊総司令部後方参謀。士官学校を三位で卒業したエリート。入院中にエリヤと知り合う。エリヤのファンらしい。丸顔。目が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。

 

ハンス・ベッカー 29歳 男性

同盟軍中佐。帝国から亡命してきた参謀。入院中にエリヤと知り合う。垂れ目。背が高い。遠慮がない。お調子者。

 

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍大佐。軍事輸送の専門家。入院中にエリヤと知り合う。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

カスパー・リンツ 24歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 23歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。ドーソンの副官。士官学校を上位で卒業したエリート。前任者のエリヤを意識しすぎて空回りした。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

ヴァンフリート四=二関係者

ワルター・フォン・シェーンコップ 30歳 男性 原作主要人物

同盟軍大佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。エリヤのいれたコーヒーを気に入っている。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

シンクレア・セレブレッゼ 48歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 48歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

ラザール・ロボス 56歳 男性 原作人物

同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。同盟軍屈指の名将だが、ヴァンフリートでは精彩を欠いた。イゼルローン攻防戦で失地回復を目指す。人心掌握にも長ける。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

カーポ・ビロライネン 33歳 男性 原作人物

同盟軍軍人。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

マリエット・ブーブリル 35歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エル・ファシル関係者

ヤン・ウェンリー 27歳 男性 原作主人公

同盟軍大佐。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。真のエル・ファシルの英雄。シトレ元帥に重用されて順調に昇進している。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。。

 

アーロン・ビューフォート 30代半ば? 男性 原作人物

同盟軍軍人。エル・ファシル脱出作戦に参加。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 50歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 49歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 28歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 21歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第四十六話:初心者参謀と天才参謀 宇宙暦794年8月中旬 ハイネセン市、宇宙艦隊総司令部

 宇宙暦七九四年八月二日。統合作戦本部はイゼルローン要塞に対する六度目の出兵を正式決定した。

 

 動員されるのは第七艦隊、第八艦隊、第九艦隊の三個正規艦隊三万六九〇〇隻。宇宙艦隊総司令官ロボス元帥が自ら遠征軍の総指揮をとり、総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将以下宇宙艦隊総司令部の参謀に統合作戦本部や後方勤務本部からの出向者を加えた八六名の参謀がこれを補佐する。宇宙艦隊総司令部のビルに設置された遠征軍総司令部には大勢の人間が出入りして、昼夜を問わず出兵の準備に動き回っていた。

 

 先月の末に中佐に昇進したばかりの俺も参謀の一人として総司令部入りすることが決まった。総司令部に設置される七つの部のうち、参謀部門は作戦指導を担当する作戦部、情報活動を担当する情報部、兵站業務を担当する後方部、人事管理を担当する人事部の四つ。俺が所属しているのは後方部企画課。ずっと事務処理をやってきた俺にとって、初めての参謀勤務だった。

 

 後方参謀及び人事参謀と事務員は世間では混同されることが多い。かくいう俺も前の人生では、ヤン・ウェンリーの後方参謀だったアレックス・キャゼルヌを優秀な事務屋と勘違いしていたものだ。軍人になってもしばらくは艦隊司令部の経理部と後方部の仕事の違いが良くわからなかった。

 司令部のスタッフは全体の管理調整を担当するゼネラル・スタッフと特定の専門業務を担当するスペシャル・スタッフに分けられる。後方部の参謀は調達、保管、輸送、配分など兵站全般の管理や調整を担当するゼネラル・スタッフ、経理部のスタッフは事務を専門とするスペシャル・スタッフといえる。第一艦隊総務部にいた頃の俺はスペシャル・スタッフに分類される。副官も司令官の秘書業務を担当するスペシャル・スタッフだ。

 

 同盟軍参謀業務教本によると、ゼネラル・スタッフたる参謀の主な役割は、自分の担当分野に関する研究を行ってデータを蓄積すること、対話や文書によるコミュニケーションを通じて各部門と意見を調整すること、研究や調整によって得られた知見を元に指揮官にとるべき行動を提案して判断を助けること、指揮官の命令を計画書や命令書の形式にして現場に伝達すること、現場と接触して指揮官の命令の実施状況を監督することの五つが挙げられる。

 

 チームワークで分析と検討を積み重ねる参謀に必要な資質は勤勉さ、忍耐強さ、情熱、忠誠心、協調性、対話能力、文章力、知識などだろう。ひらめきより努力、尖った天才より協調的な秀才であることが参謀に求められる。要するにアンドリューみたいな人間が理想の参謀。ドーソン中将はやや…、いやかなり偏屈なところを除けば最高の参謀だろう。

 

 前の人生で読んだ本では、士官学校上位卒業者を参謀として重用したことを同盟軍が敗北した理由にあげていた。しかし、実際に参謀になってみて、学力、体力、リーダーシップのバランスが高いレベルで取れている上位卒業者を参謀にするのは理に適っていると思える。

 

 後方部企画課は補給計画全般の調整と監督を担当する。後方部は他の部と比べて調整と監督の機能が要求される傾向が強いが、企画課はその最たるものといえるだろう。他の後方参謀や下級部隊が提出してくる補給計画を理解できる知識、こまめに連絡を取って関係を保とうとする熱心さ、相手と意思疎通する対話能力と文章力が問われる。

 

 俺は熱心さだけは人並み以上にあるつもりだ。対話能力や文章能力も悪くはないと思う。問題は補給計画の知識が全く無いことだった。二年前に務めていた駆逐艦の補給長の仕事は事務がメインで、後方参謀が作成するような補給計画に関わったことは無かった。現時点の俺は事務経験しか積んでおらず、後方参謀としては使いものにならない。今のままでは会議で発言することも他部門との調整にあたることもできない。

 

 後方部長のアレックス・キャゼルヌ准将も企画課長のカルロス大佐も俺にはまったく期待していないらしく、連絡と文書作りしかできないにも関わらず、冷たい目で見られずに済んでいる。八六人もいる遠征軍総司令部参謀の中には、参謀見習いみたいな若手や記念参加としか思えないようなロートルなど、明らかに戦力外の人も少なくない。俺が参謀に起用されたのも参謀の世界を覗いてこいってことなんじゃないだろうか。

 

 実際、数百万人もの将兵の後方支援を担っているだけあって、後方部には優れた才能がひしめいていた。自分の考えをわかりやすく他人に伝えることに長けた人、簡潔明瞭な文章を素早く作成することに長けた人、問題点を洗い出して改善策を提示することに長けた人、細部への目配りが行き届いている人、膨大なデータを脳内に蓄えて自由自在に引き出せるコンピュータのような人など、とんでもなく優秀な人ばかりだ。同じ空気を吸っているだけで勉強になる。その中で特にずば抜けていると思えるのは、やはりキャゼルヌ准将だろう。

 

 遠征軍総司令部の後方部長アレックス・キャゼルヌ准将は今年で三三歳。統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の腹心である彼は、後方勤務本部次長と中央支援集団司令官を兼ねていたシンクレア・セレブレッゼ中将が失脚した後に同盟軍の後方支援部門の理論的指導者となった。

 

 中央支援集団司令部がヴァンフリート四=二基地の戦いで壊滅したおかげで、セレブレッゼ中将が構築した同盟軍の後方支援システムは崩壊の危機に瀕していた。現在の後方勤務本部長と中央支援集団司令官はいずれも管理能力と調整能力に長けた有能な人物だが、新しいシステムを構築できるほどの理論は持ち合わせていない。既存のシステムの有能な運用者は少なくないが、新しいシステムを構築できるほどの理論と構想力を持ち合わせた人材はそうそう現れるものではないのだ。

 

 士官学校在籍中に書いた組織工学に関する論文が注目を浴びて大企業の経営企画部門にスカウトされた経歴を持つ理論家のキャゼルヌ准将は、ポストセレブレッゼ体制を背負って立つことができる唯一の存在であった。

 

 前の人生の歴史では、アレックス・キャゼルヌはヤン・ウェンリーの下で後方支援と事務処理を一手に担い、その死後はイゼルローン共和政府やバーラト自治区政府の閣僚を歴任した。ヤン・ウェンリー系勢力の指導者には評価が難しい人物が多いが、キャゼルヌに関しては誠実で有能な軍官僚という評価で一致している。官僚という言葉には一般的に事務処理のプロフェッショナルと言うイメージが強く、キャゼルヌも山積していた事務を一日で片付けた、病欠したらたちどころにイゼルローン要塞の事務が滞ったなどといった逸話に事欠かない。

 

 しかし、事務処理能力が高いだけでは単なる事務員以上の存在にはなれないことを司令部勤務を経験した今の俺は知っている。軍官僚、すなわち軍中央や艦隊司令部に勤務する参謀は司令官を助けて業務全般を計画し、事務員を始めとする大勢の専門家の監督指導にあたる立場だ。

 

 伝記作家は歴史の専門家ではあるが、軍事の専門家ではない。キャゼルヌの事務屋としての側面に注目してしまうのは仕方ないことだ。軍事の専門家として頂点を極めたヤン・ウェンリーが同時代を生きた軍人達の評伝を執筆していたら面白いことになっていたんじゃないかと思うが、彼が提督にもなっていない今の時間軸で言ってみても仕方のないことだ。伝記作家があまり注目しなかった参謀としてのキャゼルヌには驚かされることばかりだった。

 

 キャゼルヌ准将が俺にまったく期待していないのは明らかだったが、干されたわけではなかった。それどころか、結構な量の仕事を与えられた。後方業務の知識が無い俺でも頑張ればギリギリで処理できる量と難易度。いい意味で仕事に忙殺されているおかげで自分の無能を嘆く暇もない。全力で取り組んでいるおかげで達成感もある。

 

 俺が特に優しくしてもらっているわけではない。後方部には俺以外にも士官学校を出て間もないのに親のコネで総司令部に突っ込まれた某提督の娘、退役前の箔付けに後方参謀の肩書きをもらった経理一筋四〇年の老中佐のように参謀の仕事が全くできない人がいたけど、干されること無くやり甲斐を持って頑張っているようだ。

 

 キャゼルヌ准将は有能な参謀にもその人物が頑張ればギリギリ処理できるような仕事を与えていた。要するに参謀の能力の見極めと仕事配分が絶妙なのだ。信用している部下にはたくさん仕事を与えて、信用していない部下には書類のコピーすら頼まないドーソン中将とは真逆のスタイルといえる。

 

 個別に細かい指示を出すことをほとんどせずに、会議を頻繁に開いて議論をすることで自分の意見を浸透させていくスタイルも独特だった。

 

 またまたドーソン中将を引き合いに出してしまうが、彼は議論を好まない。彼ぐらいの能力があれば他人の意見を聞かなくても良い仕事ができるし、どんな仕事でも部下の自主性に委ねずに自分で細々と指示を出す方が概ねうまくいく。議論に費やす時間があるなら、直接指示を出した方が早いと考えるタイプだ。ドーソン中将が特に独善的というわけではなく、優秀な人が効率重視で仕事をすると大抵はこうなる。エル・ファシル義勇旅団の参謀長だったビロライネンもそうだった。

 

 議論を重ねる踏むキャゼルヌのやり方は迂遠に見えるが、それでも高い業務能率を達成できているのは仕事配分の妙だろう。議論を通じて参謀の適性を見極めているのかもしれない。セレブレッゼ中将もしょっちゅう部下と言い争っていたのに、会議を開くのが好きだったという。彼らは目の前の効率より、ずっと遠いところを見据えているのだろう。ドーソン中将の緻密で迅速な仕事ぶりには感嘆の念を禁じ得ないが、キャゼルヌ准将はそれより一段高いレベルで参謀業務を捉えている。世の中には本当に凄い人がたくさんいるものだとため息が出てしまう。

 

 これだけ褒めちぎってはいるものの俺がキャゼルヌ准将と親しいということは全くない。業務上の連絡以外では一言も交わしていない。後方参謀の仕事がまったくわからない俺は議論でやりあうこともない。仕事とプライベートは厳密に分ける性質らしく、職場で誰かと特別親しくするということが無いのだ。

 

 組織のトップと参謀スタッフをまとめる上級参謀という違いはあるかも知れないが、スタッフを公私ともに気心の知れた仲間で固めているロボス元帥、信頼しているスタッフとそうでないスタッフの扱いが露骨に違うドーソン中将とは違っていて興味深い。

 

 今回の遠征では知っている人が何人も従軍する予定だ。総司令部には数少ない俺の同年代の友達でロボス元帥の腹心として頭角を現してきたアンドリュー・フォーク中佐が作戦参謀、幹部候補生受験でお世話になったイレーシュ・マーリア中佐が人事参謀、最近トリューニヒトから期待の若手として紹介されたジェイミー・ウノ中佐が後方参謀として所属している。

 

 入院していた時に仲良くなったハンス・ベッカー中佐は第八艦隊第三分艦隊の航法主任参謀、グレドウィン・スコット大佐は第九艦隊後方支援集団所属の輸送群司令を務めている。幹部候補生養成所の同期で唯一の友達だったカスパー・リンツ少佐、ヴァンフリート四=二基地で知り合ったローゼンリッター連隊長のワルター・フォン・シェーンコップ大佐やライナー・ブルームハルト大尉らは陸戦要員として参加する。

 

 総司令部の廊下を歩いていると、キャゼルヌ准将と話しながら歩いているヤン・ウェンリーを見かけた。エル・ファシル脱出から六年ぶりに見かけた彼はやっぱり冴えなかった。おさまりの悪い黒髪のくせ毛も猫背気味の姿勢も大学生のような童顔もあの時のままだ。ほとんど容姿が変わっていないのに驚かされる。

 

 エル・ファシル以降は目立った功績を立てていないが、シドニー・シトレ元帥の引き立てによってエリートコースを歩いている。今は確か大佐だったはずだ。総司令部の作戦参謀らしいけど、作戦部と後方部の連絡は別の人がやっているし、各部門の主要参謀を集めた会議にも出席しない俺が顔を合わせる機会はない。エル・ファシル以来、接点を持たずに生きてきた彼に声をかけようかどうか迷っていると、トントンと肩を叩かれた。

 

 振り向くと、ダーシャ・ブレツェリ少佐の丸っこい顔が視界に入る。入院していた時に知り合った彼女の存在は意図的に忘れようと務めているのに、同じ後方部だから顔を合わせないわけにはいかない。朝っぱらから気分が暗くなる。

 

「あ、おはよう」

 

 俺が挨拶をしても、ブレツェリ少佐からは何の反応もせず黒目がちの大きな目で俺を見ている。挨拶が返ってこないのはわかりきっているけど、総司令部着任から二週間近くも続くとへこんでしまう。

 

「ブレツェリ少佐、そろそろ勘弁してよ」

 

 懇願するように許しを乞うた俺に対し、ブレツェリ少佐は首を軽く横に振る。なんてしつこい人なのだろうか。ショートカットで口も体も人一倍良く動く彼女はさっぱりした性格に見えていたのに、とんだ勘違いだった。彼女はポケットから取り出したメモを俺に渡すと、その場から立ち去っていく。徹底して俺と口をきこうとせず、念の入ったことに口頭で済むような連絡もわざわざ筆談で行うほどだ。

 

 チームワークで仕事をする参謀にとっては、人間関係を良好に保つのも大事な義務だ。ブレツェリ少佐に妥協するつもりがない以上、俺の方から折れるしかないのだろうか。考えるだけで憂鬱な気持ちになった。



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第四十七話:押しに弱い俺と押しが強い彼女 宇宙暦794年11月初旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 宇宙暦七九四年一〇月一三日。自由惑星同盟宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥に率いられたイゼルローン遠征軍は、通常は二週間以上かかるバーラト星系からイゼルローン回廊への道程をわずか一二日で踏破。意表を突かれた帝国軍は有効な対応ができず、第九艦隊副司令官ライオネル・モートン少将に率いられた同盟軍先鋒部隊はイゼルローン回廊の同盟領側出口を制圧下に置いた。春のヴァンフリート星系出兵では精彩を欠いたロボス元帥であったが、得意とする機動戦で帝国軍の出鼻をくじいて、幸先の良いスタートを切ることに成功した。

 

 一〇月半ばから一一月にかけて、勢いに乗ってイゼルローン要塞まで押し込もうとする同盟軍と、緒戦の劣勢を挽回しようとする帝国軍は来たるべき本戦に備えて少しでも有利な場所を取ろうと回廊のあちこちで前哨戦を展開していた。二〇〇〇隻から三〇〇〇隻前後の分艦隊、六〇〇隻から八〇〇隻前後の戦隊、一〇〇隻から一五〇隻前後の群、二〇隻から三〇隻前後の隊などの各単位で小規模戦闘が休みなく続いている。数で優る同盟軍がじわじわと前進してはいるものの、帝国軍もまだまだ余力を残しており、イゼルローン要塞まで到達するのはもう少し先になりそうだ。

 

 遠征軍総司令部のスタッフ達は回廊全域で戦っている各部隊間の調整、来たるべき要塞攻略の準備などで多忙をきわめている。そんな彼らが激務の合間の息抜きに訪れるのが総旗艦アイアースの士官サロンだ。おおらかなロボス元帥は勤務時間中の自主休憩を認めている。そのため、どの時間帯にもテーブルを囲んでお茶を飲みながらくつろいでいるスタッフの姿がちらほら見られた。ロボス元帥や総参謀長のグリーンヒル大将が取り巻きを引き連れて顔を見せることもある。

 

「エリヤ、それはね。率先して自主休憩を取ることで、他の者が遠慮無く休めるように配慮なさってるんだよ。その気配りがロボス閣下の素晴らしいところなのさ」

 

 目を輝かせて語るのは二歳下の親友のアンドリュー・フォーク中佐。現在は遠征軍総司令部の作戦参謀を務めている。少尉に任官してから現在に至るまでずっとロボス元帥の司令部で働いている生粋のロボス派だ。三年前に知り合った頃は見るからに健康的だったのに、最近は血色が悪くなり、肉付きもかなり薄くなった。まだ二四歳なのに四、五歳は老けて見える。心配になって、無理に士官サロンまで誘った。

 

「本当にロボス元帥のことが好きなんだねえ」

 

 総司令部人事参謀のイレーシュ・マーリア中佐はアンドリューを眺めてしみじみと語る。冷たい感じの美貌と一八〇センチを超える長身にぞんざいな口調が相まって凄まじい威圧感を放っているが、根は優しい。なんせ、俺のような馬鹿に親身になって受験勉強を指導して、幹部候補生養成所に合格させてくれた人だ。初対面のアンドリューは彼女の強烈な眼力にやや怯え気味だが、いずれは睨まれてるんじゃなくて優しい目で見られているのだと理解できるだろう。

 

「それはもう。士官学校出た時からずっとお世話になってますから。閣下との最初の出会いは三年生の春の…」

「うんうん、フォーク中佐の気持ちはよく分かるよ。恩返ししようって頑張ったんだね。えらいよね」

「イゼルローン回廊に着いた夜にロボス閣下からお誘いを頂いたんですよ。『後で私の部屋に来なさい。秘蔵のウイスキーを一緒に飲もう』って。閣下と二人きりで飲めるなんて、もう本当に…」

「わかるわかる。感激したんでしょ」

 

 アンドリューは空気が読める奴だけど、ロボス元帥の話になると止まらなくなるのが玉に瑕だ。イレーシュ中佐は初対面なのにアンドリューの扱い方をわかっている。これといった武勲が無く、軍中央での勤務経験も少ないにも関わらず、教育指導能力を評価されて士官学校卒業者の平均より五年ほど早く中佐に昇進しただけのことはある。チームワークで仕事をする参謀の世界では、イレーシュ中佐のような人材は重宝される。

 

「アンドリューはバーラト星系からイゼルローン回廊までの行軍計画を立案して、迅速な行軍を実現させた立役者。本戦のイゼルローン要塞攻略でも作戦案が採用される。今やロボス元帥が最も信頼する参謀だよね。俺もアンドリューみたいな参謀になりたいよ」

 

 イレーシュ中佐に話の腰を折らせ続けるのも申し訳ないので、アンドリューに花を持たせつつ話題を変えることにした。アンドリューみたいな参謀になりたいというのはお世辞ではなくて本音だ。

 

 副官は上司を助けることだけを考えていれば良かったけど、参謀は全体のことを考えなければいけない。事務能力に加えて、全体に目を配る視野の広さと積極的に動きまわる行動力が求められる。自分が担当している分野以外の業務知識も豊富に必要だ。それらを備えた参謀の中で若くして頭角を現し、五百万人を超える遠征軍の行軍計画立案を任されているアンドリューは雲の上の存在のように思えた。

 

「コーネフ少将やビロライネン准将に比べたら、俺なんてまだまだだよ。イゼルローン要塞の攻撃案だって、ホーランド少将が同じ案を出してなかったら、通らなかったんじゃないかなあ」

「ホーランドねえ」

 

 ホーランド少将の名前がアンドリューから出ると、イレーシュ中佐はいつになく刺を含んだ口調で応じる。ここまで誰かに対して嫌悪感を露わにすることは珍しい。そういえば、イレーシュ中佐とホーランド少将は同じ三一歳だから、士官学校では同期だったはずだ。

 

 同盟軍の若手士官の中で最優秀の三人を挙げろと言われたら、誰もがその中の一人に必ずウィレム・ホーランド少将の名前を挙げるに違いない。大胆かつ機動的な用兵に定評があるホーランド少将は、突破機動や迂回機動の指揮に抜群の力量を示して数多の武勲に輝いた。特に二年前のマグ・メル星系会戦と昨年のタンムーズ星系会戦では、高速機動部隊を指揮して勝利を決定づける活躍をしている。大言壮語癖で一部の顰蹙を買っているものの、覇気を隠し切れないのだろうと好意的に受け止める者も多い。将来の同盟軍を背負って立つ存在であることは疑いなかった。

 

 前の人生の歴史におけるホーランド少将は第六次イゼルローン攻防戦の功績で中将に昇進。第一一艦隊を率いて参加した七九五年の第三次ティアマト会戦で第五艦隊司令官ビュコック中将の制止を振り切って独断で戦闘を開始して、獅子帝ラインハルトの前に敗死した。最後の失敗によって評価を著しく落とし、反目したビュコックが不朽の英雄として後世に語り継がれる存在になったことから、愚将の汚名を後世に留めた。士官学校の同期から見たウィレム・ホーランドとはどのような人物なのだろうか。

 

「確か、ホーランド少将とは士官学校の同期でしたよね」

「うん、そうだよ」

「どんな方だったんですか?」

「私が卒業した第二二六期の首席だよ。とにかく嫌な奴でさ。自信家で傲慢で目立ちたがりで、自分が世界の主役かなんかだと勘違いしてたね。他人のことなんて、引き立て役としか思ってなかった」

「そんな人でも首席になれるんですか?どんなに勉強ができても、リーダーシップが欠けていたら士官学校じゃ評価されないですよね?」

「士官学校でリーダーになれる子って、フォーク中佐みたいに凄い気配りができる子か、そうでなかったらホーランドみたいに凄い自己中心的な子なんだよね」

「自己中心的って、リーダーシップとは一番程遠いんじゃないですか?」

「ホーランドみたいに自分にできないことはないって本気で信じてるような子にズバッとできるって言われたら、本当にできそうな気になっちゃうの。だから、競技大会ではいつも主将、学生隊ではいつも隊長。ぐいぐい引っ張って欲しいタイプとは相性抜群なんだろうね。エリヤ君みたいな」

「俺がですか!?」

 

 幸か不幸か、ホーランド少将みたいな上司を持ったことはなかった。ああいう人から見たら、俺みたいにとろくて気が小さい部下はイライラするんじゃないだろうか。相性が良いとはとても思えない。

 

「うん。君ってとても押しに弱いじゃん。あの子とか」

 

 イレーシュ中佐は自分のことを棚にあげて、俺の隣に座っているダーシャ・ブレツェリ少佐を指さす。ブレツェリ少佐、いやダーシャは両手でカップを持って、入っているココアにふうふうと息を吹きかけて冷まそうとしている。

 

「いや、ダーシャは特別ですよ」

「しかし、その手があったなんて思わなかったよ。私もやってみようかな」

「やめてください」

 

 今の俺とダーシャはファーストネームで呼び合う仲だった。ファーストネームで呼ばなければ、一切返事をしないという暴挙に出た彼女に屈服させられたのだ。まさか、二週間も返事をしないとは思わなかった。目の前にいる俺に対して、わざわざ携帯端末のメールを使って業務連絡をしてきたのを見た時、完全に心が折れてしまった。

 

「なかなかかわいい子じゃないの。君に彼女ができる日が来るなんて思わなかったよ」

「まったくです。女っ気が全然なかったエリヤがいきなりブレツェリ先輩捕まえちゃうとは思いませんでした。びっくりですよ」

「ああ、ブレツェリ少佐はフォーク中佐の一期上の先輩だったね」

「ええ、風紀委員会のブレツェリ先輩と有害図書愛好会のアッテンボロー先輩の戦いは下の学年でも語り草でしたよ」

「じゃがいも閣下と言い、ブレツェリ少佐と言い、エリヤ君は風紀委員みたいな人に本当に好かれるねえ」

「エリヤが尻に敷かれてるところが目に浮かぶようです」

 

 さっきまでイレーシュ中佐にびびっていたはずのアンドリューがいつの間にか生気を取り戻している。こういう話題になると急に元気になりやがって。なんて現金な奴なんだ。まあでも、やつれてるよりはずっといいか。

 

「彼女じゃありませんってば」

「エリヤの言うとおり、まだ友達ですよ。今は」

「そうだよね、ダーシャ」

「今はね」

 

 ダーシャはココアを冷ますのを諦めたらしく、カップをテーブルに置いて話に割り込んできた。それにしても、猫舌なのにどうしていつもホットココアを飲もうとするのか、俺にはまったく理解できない。

 

「今は、なんだね」

「なるほど、今は、そうだということですね」

 

 イレーシュ中佐とアンドリューが足並みを揃えて、「今は」を強調している。ハンス・ベッカー中佐とグレドウィン・スコット大佐もそうだったが、俺の周りにいる人間はなんでこういう時だけ呼吸がぴったり合うのだろうか。しかも、目の前の二人は今日が初対面じゃないか。

 

「ええ、今は、です」

 

 ダーシャもはっきりと、「今は」に力を込めて二人に返事をする。だから、意味深にそこを強調するなよ。どういうつもりなんだ。

 

「エリヤ君の指導係してるんだっけ?だったら、今は無理かもしれないね」

「はい。キャゼルヌ准将に言われまして」

 

 ファーストネームで呼び合うようになって一週間が過ぎた頃、一緒にキャゼルヌ准将に呼び出された。そして、「最近、仲がいいようだから」という理由で組まされることになったのだ。現在はダーシャの助手をしつつ、指導を受ける日々である。

 

「この子、馬鹿だけど素直だから長い目で見てあげてね」

「エリヤの受験勉強を指導したのってイレーシュ中佐でしたっけ?」

「うん、もう六年も前だよ。最初は本当に酷くってね。今だから言うけど、ジュニアスクール卒業レベルの勉強も怪しかったの。それが今じゃ私と肩を並べて参謀やってるんだよ。信じられないでしょ」

「私もいつか、『参謀の仕事を全然知らなかったのに、今じゃ名参謀だよ。信じられないよね』って言えるよう頑張ります」

「見込みある?」

「イレーシュ中佐もご存知とは思いますが、頭悪いですよね。事務スタッフの思考と参謀スタッフの思考の違いがまだ理解できてないみたいで、ちょっとイライラします」

「容赦ないねえ」

 

 イレーシュ中佐は面白そうにダーシャを見つめている。入院していた頃のダーシャは愛嬌のある容貌もあって馬鹿っぽく見えたけど、実際は士官学校を三位で卒業しただけあってなかなかの切れ者だった。それもカミソリのような切れ方だ。言いにくいこともズバズバ言う。仕事中は第一艦隊の後方主任参謀だった頃のドーソン中将に何度もレポートを書き直しさせられた時を思い出すような厳しい指導を受けている。

 

「でも、中佐のおっしゃる通り素直ですよね。目の前のことに全力で取り組んで、どんなに面倒なことでも手を抜こうとしません。人並みの知識があれば、人並み以上の能力を発揮するんじゃないでしょうか。キャゼルヌ准将もそう見込んで、私に指導を任せたんだと思います」

 

 真面目な顔で語るダーシャにイレーシュ中佐は満足そうにうなずき、アンドリューは感心したような顔をしている。ダーシャが俺に対してここまで冷静な評価を下しているとは思わなかった。

 

「そうそう、よく見ているね。だから、エリヤ君は強引なタイプと相性がいいの。じゃがいも閣下もそうだよね。あの人の強引な指導がエリヤ君の事務能力を引き出した。ブレツェリ少佐は何を引き出せるのかな。とても楽しみだよ」

「期待に背かないよう頑張ります」

 

 今日のダーシャは妙に発言が優等生っぽい。イレーシュ中佐の前ではダーシャは優等生っぽくなって、アンドリューはおとなしくなる。イレーシュ中佐は誰に対してもお姉さん的に振る舞う。アンドリューは目上に弱いけど、恋愛絡みの話になると元気になる。俺と仲が良いという以外に何の共通点もないこの三人が一堂に会したのは初めてだ。俺には見せない顔が見れて、とても興味深い。いつか一人前の参謀になったら、この三人の優秀な参謀としての顔も見ることもできるだろう。そういう未来を思い浮かべるのは結構楽しかった。



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第四十八話:読めるだけでは動かせない 宇宙暦794年11月初旬~下旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 緒戦でイゼルローン回廊の出口を素早く制圧してから、優位に戦いを進めていた同盟軍だったが、一一月に入ってからの数日間は苦戦を強いられていた。

 

 同盟軍の分艦隊がほぼ同数の敵に敗れたという報告が連日のように総司令部に入り、一一月六日には第七艦隊所属の第四分艦隊が全滅と言っていいほどの惨敗を喫した。司令官ラムゼイ・ワーツ少将と参謀長マルコム・ワイドボーン大佐が戦死し、生還した艦艇は三〇〇隻にも満たない。一一月一四日には総司令部直轄の高速機動集団が総兵力の三分の二を失って潰滅した。

 

「またやられたか!」

「二八〇〇隻のうち、九〇〇隻が生還か。ワーツ少将の時に比べたら、損害が少なく済んだな」

「指揮権を引き継いだ副司令官のアラルコン准将の健闘の賜物だろう」

「キャボット少将は意識不明の重体だそうじゃないか。四〇年近く戦場を渡り歩いて一度も不覚を取ったことが無い古強者がこんなことになるとは」

「兵卒から叩き上げた歴戦のワーツ少将と若手参謀随一の秀才ワイドボーン大佐のコンビでも歯が立たなかった相手だ。アッシュビーが帝国に生まれ変わったのかもしれんね」

「勘弁してくれよ。これ以上仕事が増えたらたまらん」

 

 俺は正体不明の強敵の話で盛り上がっている後方参謀達を横目に、兵站状況の分析書を書いていた。

 

 現在の味方と敵の戦力分析及び戦況予測、各宙域の特徴、兵站線の現状、想定される兵站組織の運用、兵站支援に使用される兵力などの要素に関して述べた上で考察を行う。各部隊が必要とする補給量、現時点で達成されている補給水準、利用可能な補給手段、補給を制約する条件に関する分析。要求される輸送量、利用可能な輸送手段、実現可能な輸送量、想定される輸送経路、輸送路襲撃の可能性と必要な警備戦力に関する分析。各要素が兵站状況に与える影響、想定される問題、総司令部の方針の長所と短所を指摘。最後に兵站業務を滞り無く実行できるか否か、実行できない場合はどのようにするべきか、他部門と後方部門がどのように連携するか、総司令官は兵站に関するどの要素に大きな配慮を示すべきか、後方部の立場からはどのような作戦方針が望ましいか、兵站業務を実施する上で避けられない制約は何か、などを提言して締めくくる。

 

 俺が書いたのは補給計画全般の調整にあたる後方部企画課の立場からの分析書であって、運用課や輸送課や補給課などに所属する後方参謀はそれぞれの立場からの分析書を作成する。これらを集約して検討し、後方部全体の分析が作成される。兵站状況は戦況によって変化するため、ちゃんとした分析を書くにはつねに前線から送られてくる情報に敏感でなければならない。戦況を理解する必要があるから、作戦業務や情報業務に関する素養も必要となる。計算能力、分析力、説明能力が必要なのは言うまでもない。

 

 戦況が変動すれば、要求される補給量などが著しく変化する。正体不明の強敵のせいで兵站状況を把握するだけでも一苦労だ。何度も何度も分析書を書かされ、調整に出向くことも多くなる。軍隊が動けば動くほど参謀の仕事量も増えるのだ。事務仕事のおかげで与えられた課題を分析することには慣れているが、現在進行形で動いている状況の把握と分析にはなかなか慣れることができない。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処する思考こそが参謀には求められる。そういう思考が苦手な俺がダーシャに頭が悪いと言われるのも仕方ない。それでも、職務に精励していれば気が紛れた。正体不明の強敵に感じている恐怖を忘れることができた。

 

 強引に中央突破してきた敵に旗艦を破壊されて指揮系統が崩壊したワーツ少将の部隊、巧妙な機動で半包囲状態に追い込まれて側面と背後から攻撃されて壊滅したキャボット少将の部隊などの戦闘記録画像を見た時、数千隻の艦隊がこうもあっさりと消えてなくなるのかと恐ろしくなったものだ。

 

 軍人になって初めて理解したことだが、戦略的優位無しで補給が万全な同数の敵を戦術手腕だけで壊滅に追い込むのは至難の業である。特に同盟軍の正規艦隊に所属する部隊は全軍五〇〇〇万の頂点に立つ精鋭で、指揮官も参謀も最優秀の人材が選ばれている。

 

 宇宙暦七九〇年代後半から八〇〇年代初頭にかけての戦乱では大勢の名将が活躍したが、兵力的にほぼ互角で補給が万全な状態の同盟軍正規部隊に真っ向勝負を挑んで壊滅に追い込んでみせたのは、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムしかいない。かのウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ、ジークフリード・キルヒアイス、ウォルフガング・ミッターマイヤー、オスカー・フォン・ロイエンタールですら、撃破はできても壊滅にまでは追い込めなかっただろう。

 

 前の人生の歴史の第六次イゼルローン攻防戦では、ラインハルトは分艦隊を率いて二〇回以上も出戦して華々しい勝利を収めている。俺が見た戦闘画像の中でワーツ少将やキャボット少将の部隊をあっさり壊滅に追い込んだのもおそらくはラインハルトだろう。これほどの軍事能力の持ち主がこの宇宙に何人もいるとは思えない。

 

 ゴールデンバウム朝時代の帝国軍では、少将が数千隻単位の分艦隊を率いた。ヴァンフリート四=二基地の戦いで俺を半殺しにしたラインハルトはセレブレッゼ中将を捕虜にできなかったものの、何らかの武勲を立てて数千隻を率いる少将に昇進したのではないだろうか。五〇〇万の同盟軍の中で、俺だけが恐るべき敵指揮官の正体を知っている。しかし、その事実は何一つ状況を打開する役には立たない。

 

 俺が持っているラインハルトに関する知識は伝記や戦記から得たものだ。なにせ歴史上で唯一人類世界を武力統一した英雄にして当時の政権の創始者だから、すべての図書館に「ラインハルト帝専門コーナー」が設けられるほどの本が出版されていた。市販されている本を読んだだけでも、彼の性格、活躍、用兵は概ね知ることができた。第六次イゼルローン攻防戦で何をしたかも知っている。しかし、俺にはラインハルトを先回りしてその活躍を封じることはできない。

 

 かつての俺は、図書館で歴史の本を読むたびに「なぜああしなかったのか、自分ならこうするのに」という想像をめぐらせて、負けた側の司令官や参謀の無能を罵ったものだ。歴史の成り行きを知っていれば、先回りして成功できると思っていた。今の人生が始まると、ヤン・ウェンリーに従えば絶対に助かるという前の人生の知識を使ってやり直しに成功した。先回りして前の人生で失敗した要因を片っ端から潰していけば、良い人生が送れるものと信じていたが、実際に軍人になってみると、自分ができることがあまりにも少ないことに気付かされた。

 

 軍隊という組織の中では、俺は一つの部署のスタッフに過ぎず、自分の生死すら指揮官に委ねざるを得ない立場だった。ほんの少しの期間だけ指揮官を務めたが、戦う戦場も指揮すべき部下も選べず、生死も遥か雲の上の事情に左右される程度の存在でしかない。ささやかながらも軍人としての知識と経験を積んで、かつての自分はアマチュアの後知恵でしかないことを思い知った。

 

 ラインハルトに負けた同盟の司令官や参謀は俺なんかより、よほど有能で経験も豊かだ。俺が指摘できる程度の問題点に関する配慮は完璧になされている。歴史の本ではホーランド少将とアンドリューが立てたイゼルローン攻略作戦はラインハルトの手で失敗することになっているが、実際に作戦計画書を読んでも、俺にはどこに穴があるのかさっぱり分からない。

 

 ホーランド少将率いるミサイル艇部隊は要塞に肉薄した後にラインハルトの分艦隊に側面を突かれて敗北している。しかし、作戦計画書の中では情報参謀によって襲撃を受けそうなポイントが指摘され、作戦参謀が作った対応策が盛り込まれていた。

 

 参謀の仕事をやってみて、作戦計画がいかに緻密に作られているかが理解できるようになった。数十人の参謀が頭脳を結集して想定できる可能性を片っ端から検討して練られた案の穴を探すのは容易ではない。そもそも、俺は半人前の後方参謀で作戦計画には関与していない。だが、関与できる立場だったとしても、修正、もしくは実行中止を求めて受け入れられるほど説得力のある指摘はできないと思う。

 

 前の歴史でラインハルトがホーランド少将襲撃に成功したのも、おそらくは情報参謀や作戦参謀でも想像がつかないような死角から襲撃したからだろう。しかし、「想像もつかない死角から襲ってくる敵がいるから、作戦中止した方がいい」なんて言って誰も聞くわけがない。どこに参謀達が想像していない死角があるのか、その死角からの攻撃を防ぐ方法はないのか、その死角の存在は作戦を中止しなければならないほどの脅威なのか、などを理路整然と説明できない予言者を相手にする軍人などいないのだ。

 

 ヤン・ウェンリーの天才をもってすれば、ラインハルトが狙う死角を見つけることができるかもしれないが、上司でも同僚でもない俺に「想像もつかない死角があるから探してください」と言われて、やる気になったりはしないだろう。そんな筋が通ってない話を信じて動くような人間だったら、ヤン・ウェンリーは名将の声価を確立する前に敗死していたはずだ。

 

 優秀な参謀が数十人がかりで練り上げた作戦を自分一人のひらめきであっさりひっくり返す。精強な同盟軍正規部隊を戦術の妙だけで壊滅に追い込む。そんな芸当ができる相手を本に書かれている程度の知識で先回りして太刀打ちできると思えない。いや、むしろ本で読んだからこそ、太刀打ちできるとは思えないというべきだろう。天才がやったことの結果だけを知っていても、何一つ意味は無い。結局のところ、天才に対抗するには、それに匹敵する能力が必要になる。

 

 ラインハルトが二五年の生涯で成し遂げた軍事的偉業の数々を知った上でなお、先回りできると思っている軍人なんて、リン・パオやブルース・アッシュビーのような不敵さとひらめきを兼ね備えた天才ぐらいではなかろうか。常勝の声価を確立した後のラインハルトに対抗する責任を負わされたヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックの感じたプレッシャーを想像するだけで恐ろしくなる。俺が彼らと同じ立場に立たされたら、気絶して二度と起き上がれないに違いない。

 

「帝国軍にえらくこざかしい指揮官がいるようだ。先日からの敵の優勢は、そいつひとりの功に負うているのではないか」

 

 キャボット少将の高速機動集団が壊滅した翌日の将官会議の席上で総司令官ロボス元帥は苦々しげにそう言っていたという。たかだか一個分艦隊ではあるであるにも関わらず、ラインハルトの戦果はロボス元帥にも無視し得ないレベルに達していたのだ。

 

 同盟軍は整備された教育制度と実力本位の昇進制度によって選抜された得られた質の高い人材によって、帝国軍の物量に対抗してきた。実力で選ばれた同盟軍指揮官の指揮能力が身分で選ばれた帝国軍指揮官のそれに優っているという認識があったからこそ、前線の将兵達は安心して戦うことができた。

 

 帝国軍の分艦隊司令官や艦長の質はここ数年で著しく向上していると言われている。分艦隊レベルの戦いで一方的な敗北を重ねたら、同盟軍の人材面の優位が失われたという認識を将兵に与えかねない。イゼルローン要塞攻略に向けて動いている総司令部には人的にも時間的にも余裕がなかったが、ラインハルトの分艦隊に対処する必要があった。ロボス元帥の命令で総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将が対策を練ることになった。

 

 一一月一九日。同盟軍は総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将の立てた作戦にもとづき、ラインハルト率いる分艦隊三〇〇〇隻を誘い出して一万隻で包囲した。八〇〇隻を失ったラインハルトは命からがら包囲網を突破してイゼルローン要塞に逃げ込み、連敗続きでふさぎ込んでいた同盟軍将兵の溜飲を大いに下げた。

 

「これでイゼルローン攻略に専念できるよ」

 

 久々に士官サロンにやってきたアンドリューは肩の荷が下りたようにため息をつくと、ローストグリーンティーを口にした。もともとアンドリューは濃いブラックコーヒーを好んでいたが、胃に悪いということで最近はローストグリーンティーを飲んでいるのだ。胃に気を使わないといけないぐらい強烈なストレスの中でイゼルローン攻略作戦に取り組んでいるアンドリューにとっては、ラインハルトの分艦隊の敗北は朗報だっただろう。

 

「あの分艦隊、本当に迷惑だったよね。損害が多くなると、後方参謀の仕事が急増するからさ。グリーンヒル総参謀長には感謝しなきゃね」

 

 ヤンが包囲作戦の提案者なのは「ヤン・ウェンリー元帥評伝」を読んで知ってるけど、実現に動いたのは名目上の提案者であるグリーンヒル大将だ。後方部の仕事を急増させたラインハルトを前線から追い払ったことには実際感謝している。兵力を出し惜しんでラインハルトを取り逃がした責任者でもあるが、倍の兵力を投入したとしてもラインハルトが敗死するところが想像できないから、気にしても仕方がない。

 

「作戦立てたのはヤン大佐だよ。エリヤと一緒にエル・ファシルで活躍した英雄。覚えてるよね?」

 

 アンドリューの口からヤン・ウェンリーの名前が出て、少し身構えた。前の人生ではアンドリュー・フォークはヤン・ウェンリーに対抗意識を燃やしたあげくに無謀な帝国侵攻作戦を立案したと言われていたからだ。

 

「う、うん、お、覚えてるよ」

「俺と同じ作戦参謀なんだけどさ。全然仕事しない人なんだよね」

「そ、そうなんだ」

「あの人はシトレ元帥派だから、ロボス閣下のためには働きたくないのかなあって思ってた。ロボス閣下とは話さないし、作戦部長のコーネフ少将とも口をきかないで、同じシトレ元帥派のグリーンヒル総参謀長やキャゼルヌ後方部長とばかり話していたし」

 

 アンドリューの口調からは悪意は感じられず、困ったものだといった感じだったが、ヤンに対してはあまり好意的でないようだ。ロボス元帥や作戦部長コーネフ少将を蔑ろにしているのを派閥意識と思っているらしい。

 

 ロボス元帥には義勇旅団で酷い目にあったけど、とても感じの良い人という印象は変わっていない。コーネフ少将に直接会ったことはないけど、アンドリューの話を聞く限りではユーモアがある人のようだ。仕事をしないのはまだしも、ロボス元帥らを蔑ろにしてシトレ派の参謀とばかり話しているのは弁護のしようもない。人間の好き嫌いは仕方ないけど、せめて体裁ぐらいは繕ってほしい。

 

「それは良くないね」

「まあ、でもロボス閣下のために働いてくれて良かったよ。これを機に作戦部に溶け込んでくれるといいんだけど」

「作戦部の参謀ってほとんどロボス元帥派だっけ?」

「そうだよ。ロボス閣下は理想の用兵を実現するために、作戦参謀は身内で固めてるから」

 

 ちょっとヤンに対する評価を訂正した。ロボス元帥派の参謀達はアンドリューの話を聞く限りでは、わりとアットホームな雰囲気らしい。そんな中に他派閥の人間が放り込まれたら、さぞやりにくいことだろう。ヤンの態度は大人気ないけど、同情すべき点は多いように見えた。

 

「ヤン大佐はシトレ元帥派でしょ?君らはみんな仲良しだから、入りにくいんじゃないかな」

「別に気にしてないのに。一緒に仕事してる間は仲間なんだからさ。グリーンヒル大将も俺達とは仲良くしてるし」

 

 アンドリューが気にしなくても、ヤンは気にするだろう。仲良しグループにも平気で入っていけるグリーンヒル大将のコミュニケーション能力が異常に高いだけで、普通の人は入っていいと言われても尻込みしてしまうものだ。かく言う俺も転校したばかりの頃に、幼馴染同士で固まった仲良しグループに遊びに誘われたけど、びびって断ったことがある。全銀河を敵に回して戦った英雄にも俺と同じような面があることが分かって、ちょっとうれしい。

 

「まあ、そんな簡単じゃないよ。俺だって転校した頃は結構苦労したもん。周りがみんな仲良しだと、疎外感感じるんだよね」

「へえ、そんなもんなんだ」

「ああ、アンドリューは学校ではずっと中心にいたからわかんないのかな。知らない人ともすぐ仲良くできちゃうし」

「そうだね」

「ヤン大佐は親の仕事の都合で通信教育だけで義務教育済ませたらしいよ。だから、人見知りしちゃうのかもね」

「なるほどなあ」

「チームワークで仕事する参謀が人見知りなのはまずいけど、悪気はないと思うよ」

「うん、わかった。ありがとう」

 

 ラインハルトの動きを見ると、今の人生と前の人生の歴史は近い歩みをしているように見える。しかし、アンドリューはヤンへの対抗意識なんてまったく持ってない。ロボス派と仲良くしていないのを気にしているだけだ。

 

 どうも、二つの歴史の間には微妙な違いがあるらしい。たとえば、前の歴史でラインハルトの捕虜になったセレブレッゼ中将は、今の歴史では辺境に左遷されたものの健在だ。この微妙な違いが良い方向に作用して、アンドリューの立てた作戦でイゼルローン要塞が陥落してくれることを願った。



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第四十九話:獅子の獅子による獅子のための戦争 宇宙暦794年12月上旬 イゼルローン回廊、イゼルローン遠征軍総旗艦アイアース

 宇宙暦七九四年一一月一九日の戦闘で大きな損害を被ったラインハルト分艦隊が前線から退くと、戦況は再び同盟軍に傾いた。連日のように局地戦で勝利を重ね、前線をイゼルローン要塞に向けて押し出していく。もともと戦力が少ない帝国軍の不利は覆し難く、次第に抵抗も弱まっていった。

 前哨戦における帝国軍の目的は、要塞前面に決戦までに同盟軍を少しでも疲弊させておくことにある。イゼルローン要塞を巡る攻防において決定的な役割を果たすのは要塞主砲トゥールハンマーであって、艦隊戦力ではない。

 

 艦隊戦の勝敗にこだわる必要がない帝国軍は後退を重ね、一二月一日には同盟軍はイゼルローン要塞の前面に到達した。司令室のメインスクリーンには、青く輝くイゼルローン要塞とそれを取り巻く無数の光点が映っている。三万隻の同盟軍に対し、帝国軍は二万隻と推定された。

 

「砲撃開始!」

 

 司令室にロボス元帥の鋭い声が響くとともに同盟軍は砲撃を開始した。帝国軍も即座に応射し、数万の光条が虚空を切り裂き、艦艇の爆発によって生じた光が暗闇を照らす。

 

 同盟軍はD線と言われるトゥールハンマーの射程限界ラインぎりぎりで巧みに艦隊を動かして、突出してきた敵を叩こうとしている。少しでもタイミングを誤れば、たちまちトゥールハンマーの一撃で全軍敗走に追い込まれる危険があった。同盟軍の高い艦隊運用能力があって初めて可能となる戦術といえる。

 

 要塞を背に迎え撃つ帝国軍は、トゥールハンマーの直撃を受けない位置を確保しつつ同盟軍を射程内に誘い込もうとしている。D線を巡る両軍の駆け引きがイゼルローン要塞攻防戦の最大の見せ場と言われる。しかし、今回に限っては前座に過ぎない。

 

 司令部の戦術スクリーンには、同盟軍主力を示す青い点の塊と帝国軍主力を示す赤い点の塊がぶつかり合う合間を縫って、高速で移動する少数の青い点が映っている。ウィレム・ホーランド少将率いるミサイル艇部隊だ。

 

 帝国軍の索敵視野の死角を巧みについて、何重にも張り巡らされた防衛線をすり抜けていくホーランド少将の鮮やかな用兵には感嘆を禁じ得ない。指揮官の卓越したリーダーシップ、参謀が練り上げた緻密な行動計画、指揮官の思い通りに動けるよう鍛えられた将兵が三位一体となって初めて可能になる用兵だ。これだけの動きができる部隊を作り上げたというだけでも、ホーランド少将とそのスタッフの優れた力量は明らかだった。

 

 ホーランド少将が全く抵抗を受けずに要塞に肉薄すると、メインスクリーンの画像が切り替わって要塞表面を映し出す。要塞外壁に数千発ものミサイルが叩きつけられて巨大な爆発が起きると、司令室では大きな歓声がわいた。

 

 敵は浮遊砲台を繰り出して応戦を試みたが、ミサイルの雨に一方的に叩き潰されていく。艦隊主力を後退させてホーランド少将に対応しようとすれば、同盟軍主力が並行追撃を仕掛けて要塞に殺到しようとするのは目に見えている。

 

 帝国軍もまったくの無策だったわけではないだろう。情報参謀が頭脳を結集して、防衛線の穴を徹底的に洗い出して潰していったはずだ。ただ、今回は穴を見つけようという同盟軍の情報参謀の努力がそれを上回ったのだろう。ホーランド少将の用兵と総司令部の参謀の衆知がイゼルローン要塞を圧倒していた。

 

「頼む、勝ってくれ」

 

 ミサイルの衝撃で激しく揺れるイゼルローン要塞を見ながら、手を強く握りしめてそう祈った。司令室にいる他の参謀達も俺と同じ気持ちだろう。イゼルローン要塞を攻略できたら、辺境星域が帝国軍の襲撃に晒されることもなくなる。帝国軍の襲撃に備えて臨戦態勢を取る必要もなくなり、軍事費の負担を大きく減らせる。これまでの攻防戦で散っていった将兵達の犠牲がようやく実を結ぶ。ラインハルトさえ出てこなければ、ここで勝負が決まるのだ。

 

 要塞の外壁が露出して同盟軍の勝利を誰もが確信したその時、ホーランド少将の部隊が閃光に包まれ、ミサイル艇が次々と火球と化していった。死角から出現した二〇〇〇隻ほどの帝国軍部隊が側面攻撃を仕掛けてきたのだ。

 

 今回の作戦を立案した参謀達は要塞周辺にいる艦隊が襲撃してくる可能性を考慮して、想定される襲撃ポイントを徹底的に洗い出して対策も練っていた。それゆえにホーランド少将は一方的に要塞を攻撃できたのだが、参謀達でも発見できなかったポイントからの奇襲を受けた。

 

 防御力の弱いミサイル艇の艦列を突破した敵は速度を落とさずに前進を続け、帝国軍主力と対峙していた同盟軍主力に一〇時方向から突入していった。

 

「二時方向に回頭して、攻撃回避せよ」

「いけません、そちらはトゥールハンマーの射程に入ってしまいます」

 

 距離をとって陣形を広げて、一〇時方向の敵を半包囲しようとするロボス元帥を、総参謀長のグリーンヒル大将が制止した。勝利寸前だった同盟軍は、側面からの思わぬ伏兵にたちまち突き崩されていく。総司令部の参謀達が考えうるあらゆる可能性を検討して練り上げた作戦の死角をいともたやすく見つけ出すような真似ができるのは、ラインハルト・フォン・ミューゼルしかいない。前の人生の歴史とまったく同じ展開になってしまったことを覚り、血の気が引いていく。

 

「ええい、ならば、あの敵を正面から打ち破るまでだ。全軍、一〇時方向の敵に向かえ」

 

 ロボス元帥は後退して帝国軍主力から距離を取りつつ、一〇時方向の敵を迎え撃つよう指示した。後退したことで同盟軍の正面は危険宙域とトゥールハンマーの射程範囲に挟まれた狭い宙域に限定されてしまっている。同盟軍は細く長く展開することを余儀なくされ、ラインハルトの部隊の一五倍の兵力を有していたにも関わらず、その大半が遊兵と化している。ラインハルトは巧みな集中砲火と艦隊機動で、自軍とほぼ同数の同盟軍正面部隊を苦しめていた。

 

 歴史の本を読んだ時は、天才ラインハルトに同盟軍が負けるのは当然の成り行きだと思っていた。しかし、今の俺はロボス元帥の優れた指揮能力、総司令部の参謀達の優秀な頭脳、同盟軍正規部隊の精強さを知っている。ロボス元帥率いる正規部隊の精鋭三万隻を、わずか二〇〇〇隻で翻弄しているラインハルトの用兵を「天才だから当然」と片付ける気にはなれない。

 

 ただただ畏れを感じていると、帝国軍の他の艦隊が細長く伸びきっていた同盟軍の艦列に向かって押し寄せてきた。分断された後に殲滅される同盟軍を想像して背筋が寒くなった。

 

 しかし、グリーンヒル大将はヤン大佐の進言を受けて、帝国軍の艦隊がトゥールハンマーの射程内に入り込んだ隙に予備兵力を投入して戦況を立て直すことに成功。ラインハルトの天才が作り出した戦況は、もう一人の天才ヤンによって覆されてしまう。その後、数日にわたって同盟軍と帝国軍は戦闘を続けたが、決め手を欠いたまま、消耗戦に突入していった。

 

「ミサイルがない?食料が足りない?ああ、そうか。費えばそりゃなくなるだろうよ。で、俺にどうしろと言うんだ!?」

 

 ひっきりなしに舞い込んでくる補給要請に苛立った後方部長のアレックス・キャゼルヌ准将が、通信を切った後でそう吐き捨てた。初日のミサイル艇突撃で一気にイゼルローン要塞を攻略するつもりだったのに、失敗した後も撤退せずに戦闘を継続していたせいで、事前に立てた補給計画がすっかり狂ってしまっていた。物資の充足状況や備蓄状況はかなり悪化している。キャゼルヌ准将がいかに優秀な後方参謀でも物資を無から生み出すことはできない。各部署から殺到してくる補給要請に優先順位を着けて、後回しになる部署には我慢してもらう必要がある。

 

 後方参謀の判断一つで医薬品を与えられない負傷者、食事にありつけない兵士、部品不足で稼働できない艦艇、弾薬不足で戦闘できない部隊などが出てくる。戦場での物資不足は命にかかわる。後方参謀が優先順位を低くつけたせいで、死に追いやられる兵士もいる。多くの兵士が死ぬことがわかっていても、補給量を抑えなければならないことだってある。全軍の補給計画を立てる後方参謀は、兵士達の生死に責任を持つ存在なのだ。

 

 高級指揮官と参謀は自分の目が直接届かない範囲にいる人間の生死にも責任を持つという共通点がある。だからこそ、高級指揮官になる者には参謀経験が求められるのだろう。

 

 目の前の人間に対してのみ責任を持つ立場だった俺には、参謀に課せられた責任はあまりに重い。しかし、その重さをわずかでも経験したことは大きな糧になるはずだ。四=二基地の失敗から指揮経験を欲していた俺に、あえて参謀をやらせようとした人事担当者の意図がようやく分かったように思う。

 

 一二月六日。同盟軍はヤン大佐の立てた作戦にもとづき、混戦状態に陥っていた戦線を整理して挟撃態勢を作り上げる。イゼルローン要塞の右側面に火線を構築して、帝国軍に集中砲火を浴びせた。トゥールハンマーの射程内に押し込まれた帝国軍は、左側面からの波状攻撃によって大損害を被った。

 

 この作戦において特筆すべき活躍をしたのはホーランド少将である。三度にわたって帝国軍に突入して陣列を掻き乱し、崩れたところに激しい砲撃を浴びせて大打撃を与えた。帝国軍を戦線崩壊寸前まで追い込んだものの、二つの小部隊の奮戦によって同盟軍の攻勢は食い止められた。

 

 七日から八日にかけての攻勢が失敗すると、総司令部の参謀達の意見は撤退に傾いていった。これ以上戦闘を継続しても、戦果を見込めないことは明らかだったが、ロボス元帥は決断できずにいた。

 

 二年前の第五次イゼルローン攻防戦では同盟軍は五万隻を動員したが、今回は三万六九〇〇隻の動員に留まった。春のヴァンフリート星系出兵の苦戦が議会の心象を悪くして、イゼルローン攻略作戦の予算を削られてしまったためだ。少ない戦力でのイゼルローン攻略を強いられたロボス元帥は、議会と有権者を納得させられるだけの戦果を収めて、評価を取り戻そうとしていると言われていた。そんな彼が撤退を決断したのは、二〇〇〇隻程度の帝国軍部隊が同盟軍の退路を断つべく動き始めたという報を受けた時だった。

 

 戦術スクリーンには少数の赤い点が青い点が少ない宙域を転々として、恐ろしい速度で同盟軍の勢力圏を移動しているのが見える。帝国軍と入り乱れて戦っていた同盟軍の各部隊の指揮官達は突破しようとする敵を阻止しようと殺到したが、逆撃を受けてことごとく跳ね返された。このような芸当ができる帝国指揮官は、ラインハルト以外にはいないだろう。

 

 意地になった同盟軍は全軍総出でラインハルトを阻止しようと追いかける形になり、ラインハルト以外の帝国軍部隊は後退して、いつの間にか混戦状態は解消されている。しかも、トゥールハンマーの射程のど真ん中だ。前の歴史では第六次イゼルローン攻防戦はトゥールハンマー発射によって決着が着いた。不吉な予感が胸の中に広がっていく。

 

「見ろ!イゼルローン要塞を!」

 

 司令室にオペレーターの悲鳴が響く。イゼルローン要塞に白い光点が浮かび、どんどん輝きを増していくのが見えた。血の気がスーッと引いていき、膝ががくがくと震え出し、お腹がきゅっと痛くなった。周りの人の顔にも恐怖の色が浮かんでいる。慌ててダーシャの顔を探そうとあたりを見回した時、メインスクリーンが眩しく輝いて、巨大な衝撃波が司令室を激しく揺らした。

 

「第二射、来ます!」

 

 オペレーターの悲鳴が再び司令室に響いた。再びメインスクリーンが輝いて司令室を光で満たす。大きな揺れが来て、バランスを崩した俺は仰向けに床に倒れてしまった。照明が赤色の非常灯に切り替わり、火災発生を伝える艦内放送が流れる。

 

 痛む頭をさすりながらゆっくり立ち上がって司令室の中を見回すと、ロボス元帥の周りに参謀が集まっている。アンドリューは元帥の側にいた。キャゼルヌ准将は忙しく端末を操作している。ヤン大佐はベレー帽を顔に乗せていて、寝ているように見える。イレーシュ中佐は腕組みをして、司令室全体を睨んでいるかのようだ。ダーシャはどこだろうと思って歩き出すと、腕に掴まれるような弱い感触があった。

 

 びっくりして振り向くと、不安げな顔のダーシャが立っている。どうしていいかわからず、ただ彼女と顔を見合わせていた。ラインハルトのラインハルトによるラインハルトのための戦いとしか言いようが無い第六次イゼルローン攻防戦はこうして終わりを告げた。

 

 一二月一〇日。同盟軍イゼルローン遠征軍総司令部は正式に作戦中止を表明して、撤退を開始した。同盟軍の戦死者は七五万人、帝国軍の戦死者は三六万人。一度は要塞外壁を吹き飛ばしたものの、撤退の判断が遅れた挙句に敵に倍する死者を出してしまっては、お世辞にも健闘とは言えないだろう。ヴァンフリート星系出兵で落ちたロボス元帥の評価がさらに落ちることは疑いない。

 

 数々の作戦案を立案したヤン大佐、行軍計画を成功させたアンドリュー、帝国軍を戦線崩壊寸前に追い込んだホーランド少将ら若手エリートの活躍は数少ない明るい材料といえる。キャゼルヌ准将を中心とする新しい後方支援体制が円滑に機能したことも明日につながる成果だ。

 

 一二月二四日にハイネセンに帰還した俺は、四日後の二八日に遠征軍司令部後方部から第一一艦隊司令部後方部への転属を命じられた。第一一艦隊司令官の交代に伴う人事異動の一環であり、年明けに着任することとなる。帝国軍が来年の二月か三月を目処に出兵してくるという情報が入っていた。ここしばらく前線に出ていなかった第一一艦隊が迎撃の任にあたることはほぼ確実視されている。疲れを癒やす暇もない。四月から七月まで入院してた分も働けということなのかもしれないと思った。



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第五十話:じゃがいもとパンの間に掛ける橋 宇宙暦795年1月下旬 ハイネセン市、第十一艦隊司令部

「攻めてきた敵を撃破しても、イゼルローン要塞に逃げ込まれる。戦力を回復したら、要塞から出てきて辺境星域で暴れまわる。その繰り返しだ。防ぐだけでは埒があかないということに、諸君はそろそろ気づくべきではないか」

 

 スクリーンには、拳を振り上げて熱弁を振るっている軍服姿の男性が映っている。プロスポーツ選手を思わせるような逞しい長身。ブロンドの髪を短く刈り上げ、眉は太くて鼻は高く、鋭気がみなぎっているかのような顔立ちの美男子だ。小柄で童顔の俺とは対照的である。

 

「根本的な解決はただ一つ、イゼルローン要塞を落とし、帝国領に攻め込み、オーディンを攻略して、専制政治を打倒する。銀河を自由と民主主義の名のもとに統一するのだ。戦いを終わらせるのは武力だけだ。専制との間に妥協は成り立たない」

 

 男性は分厚い胸を張り、朗々とした美声でスタジオの聴衆とスクリーンの向こうの視聴者に向けて訴える。彼の言葉と態度には人を惹きつける力があった。生まれながらにして世界の主役たるべき資格を持つ存在。スポットライトを浴びるために生まれてきた男。そんな印象を受ける。

 

「このウィレム・ホーランドの頭脳の中には、帝国を打倒する戦略がある。奇しくも次の戦場はかのブルース・アッシュビーが大勝利を収めたティアマト星域だ。この手で専制者の軍勢を完膚なきまでに叩きのめし、余勢を駆ってイゼルローンに雪崩れ込むのだ!」

 

 ホーランドが右の拳を真っ直ぐに突き上げると、聴衆が拍手する音が鳴り響いた。イレーシュ中佐が言ってた通り、こういう人に自信満々にズバッと言い切られたら、何でもできそうな気になってしまうかもしれない。生まれながらのスターとしか言いようがないホーランドの英姿に見とれていると、スクリーンが真っ暗になった。俺の背後から忌々しげな舌打ちが聞こえる。

 

「ふん、若僧が出しゃばりおって」

 

 スクリーンのリモコンを手にしながら、不快そうな表情を浮かべているのは新任の第一一艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将。主戦派の有力者だが、生真面目な性格ゆえに大言壮語をする人間とは相性が最悪なのだ。ホーランドが公然とドーソン中将の悪口を言いふらしているのも心象を悪くしていた。

 

「しかし、ホーランド少将は才能のある方です。多少のことは大目に…」

「才能を鼻にかけて秩序を害う奴など、百害あって一利無しだ。組織に天才など必要ない」

 

 秩序を重んじるドーソン中将らしい意見。秩序と才能のどちらを重んじるかは、組織論の永遠の課題である。組織の構成員の九割以上は弱くて無能で臆病で怠惰な凡人だ。規律で縛って、教育訓練で型にはめて、秩序を作らなければ、凡人をまとめることはできない。しかし、凡人がまとまっているだけでは現状維持に終始するのみで強い組織は作れない。組織を強くするには優れた才能が欠かせないが、そのような人物はしばしば凡人と足並みを揃えられずに秩序を害う。どんなに才能があっても、圧倒的多数派の凡人の協力無しに組織を運営することはできない。

 

 秩序を害うほどに尖った才能は必要ないというのは極端ではあるが、一つの答えではあるかもしれない。数十人の秀才のチームワークを一人で打ち破れるような天才の存在を考慮しなければの話だが。

 

「トリューニヒト国防委員長も私と同じ考えだ。だからこそ、あのホーランドではなくて、私が司令官に選ばれた。それを逆恨みしおって!」

 

 昨年のイゼルローン攻防戦における武勲に加えて、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥の推薦を得たホーランド少将は、空席だった第一一艦隊司令官への就任がほぼ内定していた。ところが昨年末の内閣改造で国防委員長に就任したばかりのヨブ・トリューニヒトが異を唱えて、ドーソン中将を強く推薦したのだ。武勲を鼻にかけて軍の秩序を蔑ろにしがちなホーランド少将に対する軍高官の反感は強く、選考会議ではドーソン中将を支持する者が圧倒的多数だったそうだ。ロボス元帥の影響力低下が著しいこともドーソン中将の第一一艦隊司令官選出を後押しした。ロボス派の首都防衛司令官ロックウェル中将、第二艦隊司令官パエッタ中将らもドーソン中将支持に回ったと言われる。

 

「ホーランド少将は今年で三二歳。憧れのアッシュビー元帥と同じ年齢での中将昇進を目指して、今回の出兵では期するところがあるようです。よりいっそう奮起なさることでしょう」

「奮起してこれかね。ビュコック提督もさぞ頭が痛いことだろうな」

 

 第一一艦隊司令官に就任できなかったことで中将昇進もふいにしたホーランド少将は、新たな武勲を立てる機会を求めて、今回の出兵参加が決まっているアレクサンドル・ビュコック中将の第五艦隊に転属している。英雄ブルース・アッシュビー元帥の再来を自認する彼としては、何が何でも今年のうちに中将に昇進しておきたいのだろう。メディアに出ているのも世論の支持を得て、昇進に弾みを付けるためだろうが、あまりに露骨過ぎてかえって軍幹部の反感を買うばかりだった。

 

「ビュコック中将は老巧の方。ホーランド少将の鋭気を制御できるやもしれません」

「あのビュコック提督と生意気なホーランドがうまくやれるものか」

 

 ドーソン中将の言葉には幾分、いやかなりの悪意が含まれていたが、事実に反しているわけではない。

 

 士官学校出身のエリートから疎外されがちな叩き上げ士官は、強烈な反骨精神と戦闘精神を持ち合わせているタイプ、上昇志向が異常に強くて出世するためには何でもするタイプ、温和で敵をまったく作らないタイプのいずれかでなければ栄達はおぼつかない。

 

 ビュコック中将は一番目の典型で、権威主義者と冒険主義者に対しては持ち前の毒舌を遺憾なく発揮する。前の歴史では栄光に目が眩んで全軍を危機に陥れたアンドリュー・フォークを激しく叱責して、転換性ヒステリー発症に追い込んだ。ホーランド少将と相性が悪いのは俺だってわかっている。

 

「ですが、ビュコック中将の老練さとホーランド少将の才能が調和できれば、あるいは」

「ビュコック中将の頑固さとホーランドの生意気さが不和を起こす可能性の方がはるかに高いだろうな」

 

 ドーソン中将は哀れみと冷笑が入り混じった視線で俺を見ている。馬鹿なことを言うと思っているのだろう。人の悪口と言うのは、聞いていてあまり気分の良いものではない。だから、誰かが悪口を言い出すと、つい打ち消したくなってしまう。前の人生で悪意に晒されすぎて、耐性が低くなっているのかもしれない。ドーソン中将は優れた人だが、人の好悪が激しすぎるのが玉に瑕だ。

 

「下水道の中を覗いても美を見出すことができるのは美点と言えるが、軍人は何よりも現実を見据えねばならん。貴官は他人に甘すぎる。もっと短所にも目を向けるべきだろう」

 

 あなたは他人の短所ばかり見ているじゃないか、と思ったけど、口には出さない。俺が他人に甘すぎるという指摘自体は正しいし、短所に目を向けられるがゆえにドーソン中将は有能なのだ。イゼルローン遠征軍の総司令部で働いてみて、参謀というのはどんな細かいことにも目を配らなければならないのかと驚かされた。司令官が指揮に専念できるよう、参謀はどんな小さな問題点でも徹底的に洗い出して優先順位をつけて、対策を練らなければならない。細かいことにうるさい人間こそ、参謀に向いている。

 

「気をつけます」

「貴官はいつもそう言っておるが、一向に改まらんな」

「申し訳ありません」

「謝って改まるものでもあるまいが、まあいい。貴官の分析書を見せてもらおう」

「了解しました」

 

 ドーソン中将に促された俺は、兵站状況分析書を取り出した。俺の意見じゃないのにな、とため息が出る。本来は後方部全体でまとめた分析書を司令官に提出するのだが、ドーソン中将は後方部長のバーミンダ・シン大佐を嫌っていて、口をきこうともしない。後方参謀の中で意見を求められるのは、自分のスタイルを理解している俺とジェレミー・ウノ中佐だけで、他の者には実施面に関する補佐のみを求める。

 

 これではまずいということで、シン大佐以下の後方参謀に頼まれた俺は、自分が作成した分析書に彼女らの意見を盛り込む形で後方部の意見を伝えることになっていた。

 

「それにしても、さすがは貴官だ。参謀になってから、五か月程度でこれだけの分析書を作り上げるとはな」

 

 後方部のベテラン参謀達の意見なんだから当然じゃないかと、満足そうに頷くドーソン中将に心の中で突っ込みを入れる。後方参謀達の意見を俺の言い方で書き換えて提出しているだけなのだ。ドーソン中将に意見を通しやすくするには、無駄だと思っても気づいたことは全部書き連ねる、書式は完璧に守る、誤字脱字は絶対にしないといったコツが必要である。これは小役人的なテクニックであって、プロ意識が強い参謀には馴染まない。俺が小者だからこそ掴めたコツといえる。

 

「着眼点は悪くないが、やはりまだまだ未熟だ」

 

 ドーソン中将はそう言いながら、赤ペンで修正点を書き込んでいく。分析書を出すたびに厳しく修正される。後方部の参謀よりドーソン中将の方が明らかに能力が高いのが、問題をややこしくしていた。第一一艦隊司令部の後方参謀の能力は、イゼルローン遠征軍総司令部の後方参謀と比べても、遜色はないだろう。一部を除けば、キャゼルヌ准将の下でも立派に務まると思う。ドーソン中将が有能すぎるだけだ。これなら、参謀に任せずに自分で仕切ってしまった方が早いと考えるのも納得できてしまう。

 

 作戦、情報、後方、人事のすべての参謀業務に豊富な経験を持っている彼は、参謀に頼らずに自分で取り仕切っていた。高い能力とそれに比例したプロ意識を持つ参謀がそんなやり方を面白く思うはずもない。自分で全部やった方が早いと思ってるドーソン中将も下働きに甘んじることを潔しとしない参謀を嫌っている。

 

 各部隊からの報告は参謀に整理させずに直接自分で目を通す。計画を作成するにあたっての方針を提示する際は細かい注文をたくさん付けて、自分で事実上の原案を作ってしまう。参謀から提出される分析にも正確性と詳細さばかりを求め、独創性を発揮することを望まない。それがドーソン流だ。

 

 第一一艦隊の参謀は大半が前司令官時代から勤務していた者で、ドーソン中将が連れてきたのは俺を含む数人の子飼いだけに過ぎない。司令官が交代から出兵までの間がほとんどなく、参謀を全員入れ替えてしまえば、部隊を掌握しきれない恐れがある。だから、ドーソン中将は第一一艦隊の参謀をほとんど留任させて、俺を含む子飼い数人のみを連れてこざるを得なかった。元から第一一艦隊にいた参謀とドーソン中将が対立するのは火を見るよりも明らかだ。このような状態で艦隊を指揮させるなどバクチだが、トリューニヒトには推薦を強行せざるを得ない事情があった。

 

 軍部におけるトリューニヒト派は、主戦保守のロボス派と反戦リベラルのシトレ派の二大派閥に挟まれた新興派閥である。ロボス派の体育会的な気風にもシトレ派のリベラルな気風にも馴染めない若手参謀士官、現場を省みない二大派閥に不満を抱く下士官兵出身の叩き上げ士官を取り込んで勢力を急速に拡大しており、求心力が低下しているロボス派から寝返る者も日を追うにつれて増えていた。

 

 しかし、新興派閥ゆえに結束力に欠けている。ロボスとシトレの二元帥に匹敵する声望を持つ現役軍人の指導者が必要だった。ドーソン中将は憲兵司令官に就任して以来、著しく声望を高めている。国防委員会の軍官僚に強い支持を受けている彼が武勲を立てれば、宇宙艦隊総司令部を掌握するロボス元帥、統合作戦本部を掌握するシトレ元帥の対抗馬に浮上することも可能だろう。

 

 軍内の派閥政治なんて、自分には縁がない世界だと思っていた。イゼルローン攻防戦に参加してから、何々派だの、誰が誰を支持しているだの、そういう話を聞かされることが多くなって、いささか食傷している。俺自身もトリューニヒト派ということになっている。これだけトリューニヒトやドーソン中将と仲良くしておいて、今さら派閥に属していないなどと言う気はない。明らかに俺は派閥にどっぷり浸かっている。ただ、派閥に属することで生じる誤解が嫌なのだ。アンドリューがヤン・ウェンリーの人見知りを、ロボス元帥のために働く気がないのかと解釈したような。

 

 司令官の執務室を退出すると、扉の向かいの壁に腕組みをした男性が寄りかかっているのが見えた。左手には大きな紙袋を抱えている。めんどくさい人に会ってしまった。さっさと通りすぎようと思ったが、俺が歩き出す前に男性は俺に気づいて歩み寄ってきた。

 

「やあ、フィリップス中佐。昼ごはんは食べたかな?」

「いや、まだですが」

 

 早く行ってくれないかなあと思った。彼が話しかけてくる時は決まって厄介事を持ち込んでくるのだ。最初のうちは緊張感がまったく無い声とぼんやりした表情に騙されたものだが、もう油断はしない。

 

「じゃあ、これをあげよう」

 

 そう言うと、男性は紙袋を俺の胸に投げ出すように押し付けてきた。反射的に受け取ってしまう。

 

「何ですか、これは?」

「チャーリーおじさんの店が今日は特売日でね」

 

 袋の中を覗くと、パンがぎっしり詰まっていた。焼きたての香ばしい匂いが俺の鼻をくすぐる。チャーリーおじさんの店は、第一一艦隊司令部の近くにある個人経営のパン屋だ。この店のパンは安くてうまくてボリュームがある。これを全部食べていいのだと思うと、顔が自然にほころんでくる。

 

「マフィンは、マフィンは入ってますか!?ブルーベリージャムのマフィンですよ?」

「もちろん入っているとも。私が忘れるはずもないだろう」

 

 袋の中をまさぐってみる。確かな手応えを感じて取り出した。ブルーベリージャムのマフィンだ。

 

「ありがとうございます!」

「礼には及ばないよ。礼を言わないといけないのは私だ」

「と申しますと?」

「いやね、これから君が書く分析書に、私の意見が間違いなく盛り込まれることへのお礼さ」

 

 しまった、と思った。要するに俺が次にドーソン中将に提出する兵站状況分析書に彼の意見も加えろということなのだ。兵站状況分析には、人事部の彼と重なり合う事柄も多い。しかし、後方部の仕事だけでも忙しくてたまらないのに、違う部署の依頼なんて引き受けたくない。俺が他の部署の依頼も引き受けると知られたら、作戦部や情報部にも頼られかねないからだ。それなのに毎度毎度この調子で引っ掛けられてしまう。

 

 第一一艦隊人事部長チュン・ウー・チェン大佐。パン屋の二代目と言われるおっとりした容姿。身のこなしにも表情にも喋り方にもまったく緊張感がなく、俺の知る限りでは最も軍服が似合わない人物。そんな彼は今の俺にとって最大の頭痛の種だった。



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第五十一話:英雄と天然の狭間に 宇宙暦795年2月2日~18日 ハイネセン市第十一艦隊司令部及びティアマト星系

 七九五年二月二日。最終調整を終えた第一一艦隊は出兵を待つばかりとなっていた。整備状態、補給状態ともに極めて良好。各艦、各部隊の連携にも不安はない。連日、汚れた作業服を身にまとって現場を訪れる司令官の姿に、将兵の士気は否が応にも高まっている。司令官交代直後で調整時間が足りなかったにも関わらず、宇宙艦隊総司令部が算出した最終戦力評価は、精鋭と名高い第五、第九の両艦隊と遜色ない。

 

 最後の打ち合わせを終えた俺は第一一艦隊司令部を出て、近くのコーヒーチェーン店「コーフェ・ヴァストーク」でケーキセットを注文した。このチェーンはコーヒーもケーキもはっきり言っておいしくないけど、深夜まで営業しているから良く使っている。俺以外にも軍服姿の客は結構多い。私服の客の何割かもおそらくは軍人だろう。

 

 ケーキセットが来るまで暇をつぶそうと、バッグから三冊の文庫本を取り出す。「実録銀河海賊戦争Ⅸ ウッド提督VS海賊の神様」「嫌いになれない彼女」「サードランナー四巻」のどれにしようか迷っていると、人の気配を感じた。顔を上げると、よれよれの背広とコートを着た人物が俺のテーブルに近寄ってくる。

 

「やあ」

 

 だらしない服装にふさわしい緊張感のない声で第一一艦隊人事部長チュン・ウー・チェン大佐は呼びかけてきた。正直言って苦手な相手だが、妙な愛嬌があって邪険にはしにくい。立ち上がって敬礼をしようとすると、チュン大佐は右手を軽くあげて手のひらを上下に振って、座るように促す。俺が座ると、チュン大佐は向かいの席に無造作に腰掛けた。バランスを崩したらしく、一瞬上体が大きくよろめく。本当にこの人は軍人なんだろうか?

 

「なかなかいい趣味じゃないか」

 

 チュン大佐は俺が持っている文庫本に興味を示す。よりによって、この人に恥ずかしい物を見られてしまった。「実録銀河海賊戦争」は昨年までデイリー・ハイネセンに掲載されていたライトな歴史小説、「嫌いになれない彼女」はベストセラーの若い女性向け恋愛小説、「サードランナー」は泣き虫の天才投手が主人公の青春小説。いずれも軍人が読むような本ではない。

 

「あ、いや、その…」

「軍人らしくないのが君の長所だな。筋金入りの軍人というのはどうも苦手だ」

「あ、ありがとうございます」

 

 たぶん褒められているのだろうけど、彼に言われると同類扱いされてるようで微妙な気分になる。写真の中の俺はとても軍人らしく引き締まった感じに写るのに、実物では子供っぽく見えてしまう。ポリャーネ補給基地や駆逐艦アイリスⅦで勤務していた頃は、民間企業の事務職みたいな人ばかりだった。しかし、階級が上がるにつれて、軍人らしい人が多くなっていった。屈強な軍人や鋭そうな軍人を見ると、小心者の悲しさで気後れがしてしまう。軍人らしく見えないというのは悩みの種だ。

 

「『銀河海賊戦争』は君の趣味、『嫌いになれない彼女』と『サードランナー』は姉妹か彼女の趣味といったところかな」

「友達ですよ、友達」

 

 銀河海賊戦争以外の二冊はダーシャから借りた。銀河海賊戦争は彼女のお父さんがはまっていると聞いて買った。勉強になるような本しか読まなかった俺だったが、最近はダーシャの影響で小説にも手を出すようになっている。

 

「そういえば、君はブレツェリ大佐の娘さんと親しかったね」

「いや、だから友達なんですって」

「しかし、君はそんな彼女に少なからず好意を抱いていると」

「いや、そんなことは。嫌いという意味じゃなくて、好意はありますが、それは…」

 

 チュン大佐のすべてを見通しているかのような口調に慌ててしまう。好意を持っていることは事実だけど、友達としてのそれであって、それ以上ではない。ていうか、何をこんなに動揺してるんだ、俺は。

 

「ハムチーズベジタブル二つ、ホットカフェオーレ一つ」

 

 俺が頭を抱えているのを横目に、チュン大佐は店員をつかまえてサンドイッチと飲み物を注文していた。いつもながら、とんでもないマイペースだ。勝てる気がしない。それにしても、彼がパン以外の食べ物を口に入れているところを見たことがない。よく見ると、胸元にパンくずが付いている。ここに来る前にもパンを食べていたのか。

 

「ああ、私としたことが」

 

 俺の視線に気づいたチュン大佐はネクタイで口元を拭く。そこじゃないだろ、と思ったけど、口にはしない。こうも突っ込みどころが多いと、かえって何も言えなくなってしまう。

 

 前の歴史のチュン・ウー・チェンは紛れも無い英雄だった。宇宙艦隊総参謀長としてアレクサンドル・ビュコック元帥とともに落日の同盟軍を背負って戦い、知謀の限りを尽くして帝国軍を苦しめ、民主共和制の再興をヤン・ウェンリーに託して散っていった。マル・アデッタ会戦での壮烈な最期は旧同盟人の涙を誘わずにはいられない。高潔な人格者、冷静沈着な知将というイメージを持っていたのだが、実物は全く違っていた。

 

 チュン・ウー・チェン大佐は今年で三二歳。士官学校を上位で卒業して、宇宙艦隊総司令部や正規艦隊司令部の参謀職を歴任している。アレックス・キャゼルヌ准将のように一つの参謀部門に特化したスペシャリストではなく、ドーソン中将のように作戦、情報、後方、人事のすべてに経験を積んだゼネラリストだ。この年で大佐というのは、かなりの昇進速度である。三〇代のうちに確実に将官昇進を果たせるだろう。将官になれるのは士官学校卒業者の上位五パーセント程度に過ぎない。英雄にふさわしい立派な経歴の持ち主だ。

 

 人を外見で判断してはいけないのはわかる。わかるんだけど、チュン大佐の外見には、その建前を裏切りたくなりそうに思わせるものがある。

 

「パン屋の二代目」「とろいおのぼりさん」と言われる鈍そうな容貌、結婚していることが信じられないようなだらしない身なり、空気をまったく読まないマイペースな言動。ドーソン中将に疎まれているのも、統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の派閥に属しているせいだけではないだろう。どこをどう見ても警戒すべき要素がないのに、気が付くとあっちのペースに巻き込まれている。ローゼンリッターのワルター・フォン・シェーンコップ大佐とは、別の意味で掴み所がない。同盟末期の英雄って、曲者しかいないんだろうか。

 

「いよいよ、明後日出発だね」

「そうですね」

「しばらくはチャーリーおじさんの店のパンも食べられなくなる」

「買いだめして船に持ち込んだらいいんじゃないでしょうか」

「ああ、なるほど。君は賢いな」

 

 アドバイスをすると、寂しげだったチュン大佐の表情が明るくなり、無邪気に目を輝かせた。本当に良くわからない人だ。

 

「いえ、それほどでも…」

「謙遜することはないさ。君が一番好きなブルーベリージャムのマフィン、あれは実にうまい。私はレーズンブレッドが一番好きだけどね。サンドイッチはきゅうりと卵のサンドかな。君はベーコンレタストマトサンドが好きだったか。好き嫌いの少ない私だが、トマトだけは小さい頃からどうも苦手で」

「チュン大佐は今回の出兵の見通しについて、どのようにお考えですか?」

 

 脈絡なく話題を変えていくチュン大佐のペースに巻き込まれないように、無理やり仕事の話に持ち込んだ。ダーシャの話を蒸し返されたりしたらたまらない。

 

「負けはないと思うよ。今回は敵を撃破する必要はない。第四艦隊と第六艦隊が到着するまで粘れば、敵は帰っていく」

「粘れるんでしょうか」

「第五艦隊のビュコック提督と第一〇艦隊のウランフ提督は歴戦の勇将。我が艦隊のドーソン提督は実戦経験が乏しいが、今のところはそんなに不安はないかな」

 

 前の歴史では第三次ティアマト会戦は、第一一艦隊司令官ウィレム・ホーランド中将の暴走で全軍壊乱の危機に陥ったが、ビュコック中将とウランフ中将の活躍で盛り返して痛み分けに持ち込んだ。今回はホーランドはビュコック中将配下の分艦隊司令官で、ドーソン中将が代わりに第一一艦隊を指揮している。展開がさっぱり読めない。

 

「実戦経験が乏しいというのは、不安材料にはなりませんか?」

「ドーソン提督の愛弟子なのに、ずいぶんはっきり言うね」

「小官はドーソン閣下から事実を見据える態度を学びました。問題点を問題点と指摘しなければ、閣下からお叱りを受けます」

「なるほどね」

 

 チュン大佐は俺の言葉に感心しているが、これは口からでまかせだ。ドーソン中将が自分の実戦経験の乏しさを問題視しているのは事実である。だからこそ、必死で艦隊のパフォーマンス向上に取り組んだ。すべてを自分で取り仕切ったのも、欠点を自覚して用心を重ねたからだろう。しかし、気が小さいものだから、自分では認めている欠点でも、他人から指摘されると腹を立ててしまう。

 

「全部、ご自分で仕切ろうとなさるのも不安です。司令部の雰囲気が悪すぎるなあって」

 

 確かにドーソン中将は司令官としても有能だった。短期間で艦隊のパフォーマンスを飛躍的に向上させ、演習でもなかなかの指揮ぶりを見せた。第一一艦隊の動きは、録画映像で見たウランフ中将の第九艦隊にもひけを取らなかった。違う人が同じようなことをしたら、第一一艦隊の活躍を確信したと思う。しかし、ドーソン中将は俺と同じ小心者だ。平時では手際が良くても、戦場ではどうなるかわからない。能力と実績を兼ね備えたロボス元帥が昨年のイゼルローン遠征でラインハルトに手玉に取られたところを見ているだけに、不安になってしまう。

 

「そんな司令官、珍しくもないよ」

「そうなんですか?」

 

 意外な言葉に驚く。司令官ってロボス元帥のように参謀に策を練らせて、自分は指揮に専念するのが普通だと思っていた。

 

「参謀より司令官の方が階級が高いだろう?」

「ええ、まあ」

「階級って業務経験と比例するからね。自分より業務をわかってない参謀の言うことを聞きたがらない司令官も多いのさ」

「ああ、確かに小官がドーソン閣下だったら、小官みたいな参謀の言うことは聞きたくないかもしれません」

「実際、それでうまくやっている司令官もいるね。第二艦隊司令官のパエッタ提督とか」

「ということは、パエッタ中将のような活躍を期待してもいいんでしょうか!?」

 

 興奮のあまり、声がうわずってしまう。第二艦隊司令官パエッタ中将は同盟軍屈指の戦術家だ。二度にわたって正規艦隊の参謀長を務めるなど、参謀業務にも豊富な経験を持っている。前の歴史ではヤン・ウェンリーを用いなかったことで評価を落としたが、天才ラインハルト以外の提督相手に遅れを取ったことはなく、今の名将という評価に誤りはないだろう。そんな人物とドーソン中将のスタイルが同じというのは希望が持てる。

 

「気が早いね、そんなに焦らなくてもパンは無くならないよ」

 

 いつの間にか、チュン大佐の注文したサンドイッチがテーブルに置かれていた。

 

「いや、すいません。なんか嬉しくなってしまって」

「それにしても、君は面白いな」

 

 あなたに言われたくないと内心で突っ込む。俺ってかなりつまらない奴だぞ。真面目だけがとりえで、趣味も少ない。生活ぶりだって地味なものだ。トリューニヒトみたいに話題が豊富なわけでもなく、チュン大佐みたいな天然でもない。

 

「小官ほどつまらない人間はそうそういないですよ」

「ドーソン提督の実戦経験不足が不安だとか、自分が司令官だったら自分のような参謀の言うことは聞かないとか、そんな話を他派閥の私にストレートに言うところが面白い。そして、私がストレートに答えたくなってしまうのも面白い」

「それって面白いんでしょうか?」

 

 チュン大佐が何を面白いと感じているのか、さっぱりわからない。彼の考えることなんて、俺には何一つわからないけど。

 

「パフェは好きかい?」

「はい、好きですが」

「これはどうかな。新メニューの桃のパフェ」

「おいしそうですね」

「食べてみるかい?おごるよ」

「ありがとうございます!」

「礼には及ばないよ。こちらこそ礼を言いたいぐらいさ。君が出兵中に書く分析書に私の意見を盛り込んでくれたお礼」

 

 やられた、と思った。ていうか、おごられなくても、頼まれたら引き受けるつもりになっている。参謀達がドーソン中将に抱いている不満が収まるなら、俺の分析書に彼らの意見を書き加えるぐらいどうってことはない。最近は作戦参謀や情報参謀にも頼まれるようになった。それでも、チュン大佐のペースに巻き込まれてしまったことがちょっと悔しくなるのだ。

 

 

 

 二月一八日。同盟軍の第五艦隊、第九艦隊、第一一艦隊はティアマト星系に展開した。総兵力は三万三九〇〇隻。対する帝国軍は三万五四〇〇隻。同盟軍の総司令官ロボス元帥は後方に控えて、第四艦隊と第六艦隊の到着を待っている。財政規律堅持を理由とする進歩党の反対で補正予算案の可決が遅れ、第四艦隊と第六艦隊の動員が遅れたためだった。

 

 第一一艦隊司令官ドーソン中将は、旗艦ヴァントーズの司令室で第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将及び第九艦隊司令官ウランフ中将と通信回線を開いて最後の打ち合わせを行っていた。

 

「では、総司令官が到着するまでは、先任たるわしが指揮をとるということで良いかな?」

「異存はありません」

「間断なく小規模攻撃を仕掛けて主導権を確保しつつ、第四艦隊と第六艦隊が到着するまで前線を維持する。ウランフ中将、ドーソン中将、よろしく頼むぞ」

「承知しました」

 

 ドーソン中将はビュコック中将に敬礼をする。強い反骨精神の持ち主でシトレ派に属するビュコック中将と、権威主義者でトリューニヒト派に属するドーソン中将の仲は決して良いとはいえない。しかし、二人とも私情を任務に優先させるような人間ではなかった。

 

 統合作戦本部の参謀チームは第六次イゼルローン攻防戦の戦闘分析から、数千隻規模の奇襲戦術における帝国軍の技量を極めて高いものと判断。いくつもの対策を練り上げて全軍に周知した。間断ない小規模攻撃で主導権を握り続けるというのも奇襲対策の一つである。前の歴史では第一一艦隊の暴走で足並みが乱れてラインハルトの奇襲を許したが、今回は三個艦隊の司令官が協力態勢を築いている。付け入る隙を見つけるのは難しいはずだ。

 

「砲撃開始!」

 

 ドーソン中将の合図とともに数千本の光条が虚空を切り裂き、第一一艦隊は他の二艦隊とともにゆっくりと前進を開始した。メインスクリーンには砲撃しながら前進してくる敵艦隊が映っている。汗がにじんでいる拳を強く握りしめた。第三次ティアマト会戦の幕開けである。



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第五十二話:経験の力、そして参謀にできること 宇宙暦795年2月18日 ティアマト星系、第十一艦隊旗艦ヴァンドーズ

 七九五年二月一八日一六時にティアマト星域で開始された戦闘は、きわめて平凡な形で推移した。横一列に並ぶ両軍の艦隊が距離を取りつつ、互いに砲戦を応酬している。どんな優れた用兵家でもいきなり奇策を使ってくるわけではない。最初は正攻法で仕掛けて、お互いの出方を伺いながら主導権確保に務める。提督と参謀にとっては様子見のつもりで仕掛けた攻撃でも、一瞬にして艦艇数十隻を破壊し、将兵数千人の命を奪うことができる。数千の砲撃が飛び交い、爆発とともに人命を奪っていく探り合いだ。

 

「こちら、第三分艦隊。一時方向と一〇時方向に敵部隊確認。司令部の判断請う」

「一時方向の敵は第二二戦隊、一〇時方向の敵には残りの全戦力を持って対応せよ」

「こちら、後方支援集団。第一一輸送群より、一一時方向より彗星出現との報告あり。司令部の判断請う」

「後方支援集団は速度を二〇パーセント緩めつつ、進路を二時方向に転換して回避行動を取れ」

 

 ドーソン中将は前線から飛び込んでくる様々な報告を聞いては、迅速に指示を下していく。戦闘が始まる前は想像もしていなかったほどの水際立った指揮ぶりに驚かされた。歴戦のビュコック提督やウランフ提督ともぴったり足並みが揃い、整然と火線を構築している。精鋭の同盟軍正規部隊であっても、指揮官に人を得なければ良い動きはできない。前の歴史における戦下手の評判とは、いったい何だったのだろうか。

 

 事前にどれだけ綿密な計画を立てても、実際に戦ってみないとわからないことは多い。戦闘中には一兵卒から提督に至るまでの全階層で偶発的な事故、不確実な情報や通信が引き起こす誤解、肉体的精神的疲労、思いもかけない感情的変化、とっさの判断の誤りといったトラブルに間断なく見舞われる。刻一刻と移り変わる戦況を確実に把握して、すべてに的確な対応をするのは、どんな名将であっても不可能だ。誤解と誤断の連続の中で生じた綻びが戦場を次なる段階へと導く。

 

 両軍は砲戦を交わしながら距離を詰めていき、遠距離戦闘から中距離戦闘の段階に移行していった。第十一艦隊旗艦ヴァントーズの司令室にあるメインスクリーンの中では、敵味方のビーム砲とミサイルが乱れ飛び、各艦のエネルギー中和磁場と強弱を競い合っている。砲火が集中して中和磁場が崩壊した艦は、白熱した火球となって真空に消えていく。敵艦より先に中和磁場をぶち破れるほどの砲火を叩き込めるか否かが生死を分ける。味方艦の爆発に巻き込まれてる艦、味方の誤射で破壊される艦も少なくはない。個艦レベルの運命は偶然に左右される部分が大きいのだ。ヴァントーズの周囲でも砲撃が飛び交い、数隻の味方艦が爆発してメインスクリーンを照らしだした。

 

「艦長、旗艦が前に出すぎている。天頂方向へ艦首を四〇度回頭の後、後退せよ」

 

 ドーソン中将はヴァントーズの艦長に後退を指示する。艦隊旗艦は指揮通信機能が充実している。撃沈されてしまえば、仮に司令官以下の全員が退避して健在な艦に司令部を移動できたとしても、指揮系統が著しく弱体化してしまう。しかし、後方に下がり過ぎると、戦況を把握できなくなってしまう。通信の阻害、不正確な報告、報告と状況変化の時間差などによって生じる情報の不完全性は、現在の技術をもってしても克服することができない。陣頭に立って自らの目で戦場を見渡して、五感をフルに働かせてはじめて、戦況の変化に対応できる。陣頭指揮と旗艦の安全の兼ね合いは本当に難しい。

 

 偉そうに解説をしている俺だが、決して暇なわけではない。戦闘中の参謀には命令文の起案、作成、伝達という大事な仕事がある。また、命令が実行されているか否かの確認を通じて、各部隊の状況把握に努める。進言を好まないドーソン中将の参謀であっても結構忙しいのだ。プロ意識の強い参謀の中には、書記官的な役割のみを求められることを潔しとしない者も多いが、それでも今はドーソン中将に命じられた仕事を粛々とこなしている。

 

「やあ」

 

 戦闘中とは思えないのんびりとした声に振り向くと、人事部長チュン・ウー・チェン大佐が俺の背後に立っていた。

 

「ご苦労様です」

「どうだい?」

「どうって、何がです?」

「初めての艦隊参謀。総司令部と艦隊司令部じゃ、仕事も全然違うからね。特に戦闘中の仕事は全然違う」

「思ったほど難しくなくて、拍子抜けしています。司令官閣下が正確な指示をくださるおかげですが」

 

 チュン大佐のような実力派参謀にとっては、ドーソン中将のやり方は面白くないかもしれない。しかし、経験が浅い俺には、ドーソン中将の有能さが頼もしく思えた。慣れない実戦指揮に取り乱していたセレブレッゼ中将とは正反対の頼れる指揮官だ。

 

「戦艦の艦長を二年間務めた他に実戦指揮経験がないのに、ここまでやれるとはね。参謀経験のおかげかな。参謀畑出身の指揮官は戦術能力が高い人が多いから。いい意味で意外だよ」

「長くお仕えしてきましたが、指揮なさったところは初めて見ました。参謀としての仕事ぶりは知っていましたが、指揮官もできるとは。あの方の優れた能力にはいつも驚かされます」

「私は君に驚かされているけどね」

「どういうことでしょう?」

「ドーソン提督をそんなに褒める人って君ぐらいだろう」

「今回の戦いで武勲を立てられたら、みんな褒めるようになりますよ」

 

 ドーソン中将の高い実務能力は誰もが知っている。しかし、どれほど有能であっても武勲がなければ、軍隊の中で尊敬されることはない。持っている武功勲章の数と軍人から受ける尊敬の度合いはほぼ比例する。武勲を立てて昇進したにも関わらず、希望の勲章を貰えずに落胆したという話も珍しくない。

 

 俺が子供っぽい容姿と浅い業務経験にも関わらず、滅多に舐められないのも、エル・ファシルやヴァンフリート四=二で獲得した勲章のおかげだ。特にエル・ファシル脱出作戦で与えられた最高勲章の自由戦士勲章の着用者は、階級に関係なく先に敬礼を受けられるという最高級の礼遇を受ける。ドーソン中将がこの戦いで武勲を立てたら、実力にふさわしい尊敬を受けるようになるはずだ。

 

「えらいね、君は」

「そうですか?」

「それだって、なかなか良く出来てる」

 

 チュン大佐が指したのは、俺の手元の端末に映っている先ほど送信した命令文の下書き。ひと仕事終えたところだから、チュン大佐のおしゃべりに付き合う余裕もある。ドーソン中将は仕事中の私語は好まないが、指揮に忙殺されているためにこちらに注意は向いていない。ウノ中佐らトリューニヒト派の参謀二、三人がこちらをちらっと見てるけど、何も言ってこないから問題はないだろう。

 

「第一艦隊にいた頃から、司令官閣下に手取り足取りご指導いただきましたから。憲兵司令部では副官も務めさせていただきました」

「私が君を指導していたら、ドーソン提督のように褒めてもらえたのかな。初めて、あの人が羨ましくなった」

「ところで大佐は今回の戦いにどんな見通しを持っておいでですか?」

 

 照れくささに耐え切れなくなって、話題を無理やり変えた。ハンス・ベッカー中佐に褒められても否定するなと言われてからは、あまり謙遜しないようにしている。それでも、やはりむずむずしてしまう。特にチュン大佐のような邪気がまったくない人に褒められた時は。

 

「敵軍の動きが良くないね。二ヶ月前のイゼルローン攻防戦で動かした精鋭を休ませてるのかな。皇帝の在位三〇周年記念なんて理由で、質の低い部隊を指揮させられるミュッケンベルガー元帥がかわいそうになる」

「勝てるでしょうか?」

「九〇パーセントってところかな。あの部隊の動き次第だ」

 

 チュン大佐が指差したのは、戦術スクリーンの右上方にいる一万隻にやや足りない敵部隊。現在はビュコック中将の第五艦隊と交戦している。

 

「ああ、なんか他の部隊より動きがいいですよね。今のところ、第五艦隊に押され気味なようですが」

「将兵の練度自体はそれほど高くない。指揮官が優秀なんだろう」

「戦術スクリーンだけでわかるんですか?」

「練度の高い部隊は敵が動いたら、指示を待たずに自分の判断で反応できる。しかし、この部隊は第五艦隊の動きに反応するまでのタイムラグがほんの少しだけある。指揮官の指示だけで動いている部隊だね」

 

 俺が戦術スクリーンの情報を見ても、動きが良いぐらいしかわからなかった。しかし、チュン大佐は敵の練度と指揮官の能力まで読んでいる。これほどの実力差を見せつけられると、感動すら覚える。

 

「第五艦隊の前衛はホーランド少将の分艦隊。指揮官も将兵も我が軍では最優秀。そんな相手と指揮能力だけで渡り合ってる。目が離せないよ」

「押されてるんじゃないんですか?」

「あの部隊とホーランド少将の部隊は一時間ほど戦ってるけど、ずっと一定の距離を保っている。距離を空けながら戦ってるね。接近戦では練度の差が露骨に出る。それにホーランド少将は接近戦が得意だ。敵の指揮官は接近戦に持ちこまれないように戦っている。老練というべきだろう」

 

 帝国軍の中将は一万隻前後の艦隊を指揮する。ラインハルトはイゼルローン攻防戦の武勲で確実に中将に昇進しているはずだろう。あの部隊の指揮官がラインハルトだとすると、何か仕掛けてくる可能性が高い。前の歴史の第三次ティアマト会戦でもホーランドを引っ掛けて、同盟軍を敗北寸前まで追い込んだ。

 

「負ける可能性はありませんか?」

「私が気づくぐらいだ。ビュコック提督とモンシャルマン参謀長もとっくに気づいてるさ。それに…」

 

 チュン大佐は戦術スクリーンを再び指差す。ドーソン中将の第一一艦隊とウランフ中将の第九艦隊。いずれも有利に戦いを進めている。

 

「こちらの敵は崩れかけている。あの部隊だけが奮戦しても、他の部隊が負けたらそれまで。逃げるしかない」

「しかし、昨年のイゼルローン攻防戦では、敵の一個分艦隊に戦況を覆されてしまいました。用心した方がよろしいのではないでしょうか」

 

 昨年のイゼルローン攻防戦では、完璧だったはずの作戦がラインハルトの天才に覆されて、三万隻が二〇〇〇隻に翻弄された。どんな戦況であっても、敵にラインハルトがいる可能性がある限りは不安になる。それだけのインパクトがあの戦いにはあった。統合作戦本部の研究チームが講じた奇襲対策はあるし、隙を見せなければ負けはしないと思う。それでも不安を拭い去れない。

 

「さっき、私は九〇パーセント勝てるって言ったね?」

「はい」

「残りの一〇パーセントがあるとしたら、あの部隊がうちの艦隊に向かって来た場合。ドーソン提督の指揮ぶりはなかなかだが、ビュコック提督とウランフ提督と比べると経験が少ない。やはり、我が軍の弱点はうちの艦隊ということになる。参謀経験豊富なだけあって、ドーソン提督の戦術能力は高い。だけど、偶然を味方につける能力は経験を積まないと身につかない。老練なあの部隊の指揮官と直接戦ったら、何が起きるかわからない」

「偶然を味方につける能力、ですか?」

 

 ヴァンフリート四=二基地の戦いの後、クリスチアン大佐に聞いた言葉を思い出す。

 

『戦場を動かしているのは理屈ではなくて偶然だぞ?偶然に対処する能力が実力で、偶然を味方につける能力が運だ。貴官と戦った相手はローゼンリッターを一瞬で倒すほど強かったのだろう?よほど激しい戦いを生き抜いた猛者のはずだ。ならば、偶然を味方につけるぐらいはしてのける。そうでなければ、そこまで強くなる前に死んでいる』

 

 偶然を味方につける能力。それがラインハルトと俺の勝敗を分けた。エリート参謀のチュン大佐が叩き上げのクリスチアン大佐と同じ言葉を口にしたことに驚いた。

 

「そう。戦いの中には何度も転換点がある。そして、その転換点は偶然やってくるんだ。戦場は偶然の連続だからね。経験を積めば、どの偶然が勝利につながる転換点になりうるのかがわかるようになる。普通は勝機に見えないような偶然でも、ベテランには勝機に見える。多くの戦いを経験して、偶然を知り尽くしたベテランのみが持つ能力さ」

「運とは違うんですか?」

「傍から見れば、運に見えるかもしれないね。しかし、経験が浅い者には見えない運だ。経験を積んで初めて、勝ちにつながる運だと理解できる。それが経験の強さだよ」

 

 要するにチャンスを見抜く能力なのか。多くの戦場を経験して、無数のチャンスを掴んだり逃したりして身につけた眼力。ヴァンフリート四=二基地の時も戦い慣れてない相手なら、銃を向けられただけで諦めてしまっただろう。戦い慣れていたラインハルトは、すぐに撃たなかった俺のミスを利用して、奇襲を仕掛けて逆転に成功した。同じようなことが第一一艦隊に起きたら、とんでもないことになる。

 

「仮にあの部隊と第一一艦隊が衝突した場合、チュン大佐ならどうすれば勝てるとお考えですか?」

「わからない」

「え?」

「戦場に身を置いている指揮官にしかわからない感覚というものがあるんだよ。一歩引いて見詰めている参謀には、戦場で起きる偶然の流れをつかめない。ビュコック提督ぐらいの経験があっても、参謀の立場ではできない。参謀にできることがあるとしたら、衝突させない策を講じる。衝突したらなるべく早く手を引かせる。敵が偶然の中から勝機を拾い上げる前にね」

 

 要するにラインハルトかもしれないあの指揮官とドーソン中将を戦わせるなってことか。チュン大佐はラインハルトの天才ぶりを知らない。それなのに戦術スクリーンから得た情報だけで戦うべきでないと判断した。俺が前の人生で得た知識より、チュン大佐が参謀として身につけた能力のほうがよほど正確な答えを出せる。やはり、今の俺には能力が足りない。

 

「勉強になりました。ありがとうございます」

「心配はいらないと思うがね。こちらに向かおうにも、ビュコック提督率いる第五艦隊を振りきるのは難しいだろう。それに老練な指揮官なら、引き際も知っている」

「でも、やっぱり心配なんですよ。司令官閣下は優れた方なんですが、いまいち頼りないところがあって。だから、支え甲斐もあるのですが」

「よほど、君はドーソン提督が好きらしいね」

「いや、まあいろいろとお世話になりましたから」

 

 チュン大佐はニコッと笑うと、ズボンのポケットからサンドイッチを取り出して食べ始めた。ビニールに入っていないむき出しのサンドイッチをそのままポケットに突っ込んでいたのだ。まあ、この程度なら今さら驚くことではない。

 

「私も君には世話になった。これが毎日食べられるのも君のおかげだ。君がいなければ、ハイネセンに帰るまでチャーリーおじさんの店のパンにありつけないところだった」

「いえ、感謝には及びません。大佐にブルーベリージャムのマフィンを買っていただきましたから」

「対応策を考えておくよ」

「えっ?」

「私はあまり心配していないが、君は心配なんだろう?戦闘中の人事部は他の部ほど忙しくない。君の心配を軽くするぐらいの暇はある」

「い、いいんですか!?」

「あまりあてにされても困るけどね。この状況からあの部隊がどうやって第五艦隊を振りきって、うちの艦隊に向かってくるかはわからない。私はリン・パオやアッシュビーじゃないからね。衝突した場合に素早く手を引く方法を考えよう」

 

 夕食のメニューを考えるかのようなのんびりした口調でそう言うと、チュン大佐は俺から離れてデスクに戻っていく。

 

 参謀は想定される問題に優先順位を付けて、高い順から対策を講じる。理論と計算を積み重ねて仕事をする参謀は、優先順位の低い可能性への対策を後回しにする傾向が強い。策を練る時間は有限だからだ。たまたま手が空いていたチュン大佐が、自分でも優先順位が低いと思っている可能性への対策を講じてくれるというのは望外の幸運といえる。最悪の結果は避けられるかもしれない。しかし、ここであることに気づいた。

 

 チュン大佐は人事参謀、俺は後方参謀。どちらも作戦に関する権限は持っていない。作戦部にはドーソン中将と話せる参謀がいない。参謀長と副参謀長はどちらもドーソン中将と不仲だから、彼らを通して進言することもできない。それ以前にドーソン中将は参謀の提案を聞き入れるつもりがない。俺のようにドーソン中将と話せる参謀でも、提案が聞き入れられることはない。そもそも、俺やウノ中佐らは手足として重用されているのであって、ブレーンとしては期待されていないのだ。

 

 これではチュン大佐が策を考えついても、ドーソン中将に聞き入れさせることができない。あのチュン大佐が可能性が低いと言ってるから、策が必要になる可能性は低いとは思う。それでも、やっぱり不安になる。あの部隊の指揮官がラインハルトであれば、武勲目当てに何らかの手で第五艦隊を振り切って第一一艦隊に突っ込んできかねない。そうなれば、ドーソン中将は実戦ができないという評判を払拭できない。どうすればいいんだろうか。

 

 途方に暮れながら、デスクの上を見るとぐしゃぐしゃになったサンドイッチが置いてあった。ベーコンレタストマトサンドイッチだ。チュン大佐はトマトを食べられない。おそらく、俺のためにポケットに入れて持ってきて、気づかないうちにデスクに置いてくれたんだろう。腹ごしらえをしながら、チュン大佐の策を活かす方法を考えていた。



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第五十三話:破竹のじゃがいも 宇宙暦795年2月18日 ティアマト星系、第十一艦隊旗艦ヴァンドーズ

 戦闘開始から一二時間が過ぎた現在、帝国軍の戦線は崩壊しつつあった。艦列にはところどころ穴が空き、砲撃の勢いも時間を追うごとに落ちている。正面からの砲戦だけで敵がこうも崩れるのは珍しい。帝国軍総司令官のミュッケンベルガー元帥は堅実な手腕の持ち主だったが、それゆえに精鋭を手堅く運用してくる同盟軍には打つ手がなかったのかもしれない。

 

 ウランフ提督率いる第九艦隊は艦載機部隊を発進させて、格闘戦に移行している。第一一艦隊も徐々に敵艦隊との距離を詰めて、格闘戦に持ち込むタイミングをはかっているところだろう。第五艦隊は正面の敵を攻めきれていないが、このまま戦局が推移すればいずれは撤退に追い込めるだろう。同盟軍の勝利が確定するのも時間の問題と思われた。

 

「前方一一時方向に、グライスヴァルト艦隊旗艦エインヘリャルを確認!」

 

 司令室のメインスクリーンに、ひと目でそれと知れるグライスヴァルト艦隊の旗艦エインヘリャルの威容が映っている。門閥貴族出身の提督が好みそうな重厚長大な艦体は紫色に塗装されていた。悪趣味な上に悪目立ちして実戦向きとは思えないが、亡命者のベッカー中佐から、門閥貴族は戦争を名誉心と冒険心を満足させるゲームの一種と捉えていると聞いたことがある。旗艦も自己アピールの道具としか考えていないのだろう。

 

「第一六戦隊は一一時方向に急速前進。他の部隊は艦載機部隊の出動準備」

 

 ドーソン中将の指示を受けて、ストークス准将率いる第一六戦隊がエインヘリャルに殺到していく。周囲の敵艦は必死でエインヘリャルを守ろうとするが、火力と機動力に優れた巡航艦中心の第一六戦隊の勢いに抗しえず、次々と撃沈されていく。

 

「第一六戦隊より報告!エインヘリャルを射程内に捉えました!」

「他の艦に構うな。エインヘリャルに砲撃を集中せよ」

 

 ドーソン中将の声が上ずっている。帝国軍で個人の旗艦を所有できるのは大将以上の提督に限られる。グライスヴァルト提督は侯爵家の当主で大将の階級を持っている。さほど有能ではないが、三〇年を越える戦歴を誇り、同盟軍に名を知られている数少ない帝国軍の提督だ。ティアマト星域に展開する敵の中では、ミュッケンベルガー元帥に次ぐ大物だろう。歴戦の提督でもそうそう巡り会えない巨大な獲物を目前にしたドーソン中将が興奮するのは当然といえる。俺なら興奮しすぎて気絶してしまうかもしれない。

 

「頼む、沈んでくれ」

 

 エインヘリャルに向けて乱れ飛ぶビームやミサイルを眺めながら、必死で祈り続ける。ここまで来たら取り逃がすことは考えられないが、なんせドーソン中将は小心者だ。びびって詰めを誤ってしまっては一大事である。

 

 エインヘリャルの中和磁場は第一六戦隊の攻撃を正面から受け止めている。普通の戦艦ならとっくに撃沈されているはずだが、帝国軍の旗艦は機動性を犠牲にして防御力を高めていた。集中砲火を浴びせても、突破は容易ではない。中和磁場が攻撃を受け止めきれなくなって崩壊する前に誰かが救援に来れば、グライスヴァスト提督を取り逃がしてしまう。

 

「まだ沈まないのか」

 

 猛攻撃を浴びているのに、エインヘリャルは一向に沈む気配がない。戦術スクリーンに視線を向けると、全速力でこちらに向かっている八〇〇〇隻前後の敵予備部隊が見えた。数分後にはエインヘリャルに到達するぐらいの距離にいる。速度と距離から推測するに、ミュッケンベルガー元帥は第一一艦隊がエインヘリャルを確認する前に手を打っていたようだ。ドーソン中将もそれに気づいて、他の艦に構わずにエインヘリャルにのみ砲撃を集中するように指示したのだろう。

 

「もしかして、エインヘリャルは不沈艦なんじゃないか」

 

 そんな錯覚に駆られて、背筋が寒くなる。迫り来る敵の予備部隊に耐え切れなくなって、戦術スクリーンからメインスクリーンに視線を移動する。砲撃を浴び続けたエインヘリャルの中和磁場が弱まり始めていた。一本のビームが遂に中和磁場を貫き、エインヘリャルの艦体に到達する。分厚い装甲に受け止められてほとんど打撃を与えられなかったが、中和磁場が破れるということを知って勇気づけられた。

 

 中和磁場を貫く砲撃の数は秒を追うごとに増加し、エインヘリャルの装甲に穴を穿つ。衝撃に耐えかねた艦体は大きくひしゃげ、数本のビームが貫通すると同時に巨大な火球となって消滅した。

 

「エインヘリャル、撃沈しました!!!」

 

 オペレーターの絶叫とともに司令室は歓声に包まれた。俺も思わずデスクから立ち上がって、わーっと叫びながら両手を大きく叩く。参謀の大半はドーソン中将と不仲だったが、それでも滅多にない巨大な武勲に歓喜している。司令室が初めて一体となったように思えた。

 

 ドーソン中将だけはあまり顔色が変わっていない。落ち着いているのではなくて、放心しているのだろう。大将クラスの旗艦を撃沈するなんて、数年に一度あるかないかの武勲なのだ。ドーソン中将の武名は否が応にも高まるだろう。

 

 どれだけ長い時間が経ったかと思って時計を見ると、第一六戦隊がエインヘリャルを射程内に収めてから五分しか経っていなかった。

 

「まだ、戦闘が終了したわけではない。気を緩めるな」

 

 ドーソン中将はすぐにいつもの神経質そうな表情に戻り、指示を飛ばし始める。気が小さいから、どれだけうまくいっていても安心できないのだ。むしろ、うまくいき過ぎて恐怖すら感じているのではなかろうか。小心者の俺には良く分かる。しかし、付き合いが浅い人には名将らしい周到さに見えるに違いない。

 

 一度成功すれば、内心と関係なく他人は好意的解釈をしてくれる。エル・ファシルの英雄になった時に経験したことだ。今の俺は名将クレメンス・ドーソンが誕生する瞬間を目の当たりにしているのかもしれないと思った。

 

 戦術スクリーンを見ると、第九艦隊と交戦している敵は既に戦列を維持できなくなっている。第五艦隊と交戦していた敵は後退を始めている。練度が低いせいか、各艦が速度を揃えられずに雑然と退いている。艦列は不揃いで特に両翼の後退が遅れていた。第一一艦隊の正面では、遅れて到着した敵の予備部隊がグライスヴァルト艦隊の残兵の退却を援護している。もはや同盟軍優位は動かないだろう。

 

 チュン大佐の意見を聞きたくなって、彼のデスクに向かった。手ぶらでは何だから、缶コーヒーを持っていく。

 

「やあ」

 

 人事部長チュン・ウー・チェン大佐は食事の真っ最中だった。デスクの上に直にパンが置かれているが、もはやこの程度では驚く俺ではない。飲み物の缶が何本か倒れ、中身がこぼれて書類にしみを作っているが、想像の範囲内だ。デスクにケチャップやマヨネーズが付いているのにはちょっと引いた。どんな食べ方をすれば、こんなことになるんだろうか。かのヤン・ウェンリーが「彼よりは私のほうがずっとましだろう」と評した行儀の悪さを再確認させられた。

 

「あ、どうも」

「パンが欲しいのかい?」

「いえ、そういうわけではなくて」

「遠慮しなくていいさ。君のおかげで食べられるパンだ。胸を張って受け取るといいよ」

 

 そう言うと、チュン・ウー・チェンは胸ポケットからぺしゃんこになったクロワッサンを取り出した。せめて、デスクの上に置かれているクロワッサンにしてほしかったけど、人がくれる食べ物は好き嫌い関係なしに喜んで受け取るのが俺の流儀だ。前の人生で妹のアルマにあげた食べ物を目の前で捨てられた悲しみを、他人に味わわせるわけにはいかない。

 

「ありがとうございます。ごちそうになります」

「うんうん。好き嫌いがないのはいいことだ。かく言う私も好き嫌いはないんだが、娘が偏食でね。人参を食べたがらない。困ったものだよ」

 

 突っ込みどころが多すぎて、どう突っ込めばいいのかわからなかった。前にトマトが食べられないと言ったのをはっきり聞いてるし、パン以外の物を食べているのを見たことがない。あと、娘がいるというのも初めて聞いた。家庭を持ってるのにこんなにだらしないなんて、奥さんは何をしてるんだろうか。

 

 様々な疑問が頭の中で渦巻いていたが、チュン大佐ののんびりした声によって現実に引き戻された。

 

「戦術スクリーンが面白いことになっているよ」

 

 言われたとおりに戦術スクリーンを見てみると、突出したホーランド少将の部隊がいつの間にか凹形陣に誘い込まれている。もたもた後退していたはずの敵がホーランド少将を半包囲下に置いて、猛攻を加えていることに驚く。

 

「これはどういうことですか?」

「さっき、この部隊は指揮官の能力だけでもっているって言ったよね?」

「ええ、まあ」

「わざと指示を遅らせて、隙を見せたんだろう。ホーランド少将が乗ってきたと見るや、指示を飛ばして瞬く間に凹形陣を組んで反撃に打って出たってところかな」

「そんな真似ができるんですか?」

「この指揮官の指示に従えば、絶対に生き残れる。そう信じられてる指揮官ならできる。将兵を自分の指示に依存させてるわけさ。円熟の極みだね」

 

 やはり、あの部隊の指揮官はラインハルトなのだろうか。彼なら練度の低い将兵を操ってみせることなどたやすいはずだ。チュンは老練な用兵と思っているようだが、ラインハルトは天才的なひらめきによって百戦錬磨のベテラン以上の答えを導き出すことができる。ホーランド少将は前の歴史と同じように、ラインハルトの罠に引っかかって死んでしまうのだろうか。

 

「ああ、さすがはビュコック提督だ。後続がすぐにカバーにやってきたね」

「敵の指揮官がさらなる策を打ってくる可能性はあるでしょうか?」

「この段階では低いんじゃないかな。ほら」

 

 第五艦隊の後続部隊がホーランド少将を救援に来ると、敵部隊は素早く囲みを解いて後退した。今度は整然と艦列を整えている。後続部隊は敵を追撃しようとせず、大損害を被ったホーランド少将のカバーに徹していた。

 

「ホーランド少将に一撃を加えて、追撃の勢いを殺すのが目的だったのさ。ビュコック提督もそれを察知して深追いを避けた」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。あの部隊と第一一艦隊が衝突する可能性は限り無く低くなった。敵予備部隊もじきに後退するだろう。このまま戦いが終われば、グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈したドーソン中将が間違いなく戦功第一となる。

 

「勝ちましたね。予備部隊の指揮官は用兵下手そうですし」

「無駄な攻撃が多いね。ちょっと手を出したらすぐ引っ込める。何をしたいのかわからないね」

 

 第一一艦隊と戦っている敵予備部隊は、最初はごく普通に艦列を整えて戦っていたのに、途中から戦い方が変わった。六〇〇隻前後の戦隊規模、一〇〇隻前後の群規模の攻撃を立て続けに仕掛けてきては、すぐに後退している。ヒット・アンド・アウェイのつもりにしても、ドーソン中将の素早い対応によって、蚊に刺されたほどの打撃も与えられていない。

 

「援護に徹するには、血の気が多すぎるんでしょうね。投入戦力が少なさすぎる上に、攻撃を加える場所も不規則です。我が艦隊と比べて疲労が少ないおかげで良い動きをできていますが、いつまでもつことやら」

「戦力を集中して突入しても、跳ね返されるのは目に見えてるからね」

「もう心配する必要はなさそうです。いろいろと相談に乗っていただき、ありがとうございました」

「礼には及ばないよ。これから君が書く報告書に、私の意見が盛り込まれたことへのお返しさ」

「ああ、そうでしたね」

 

 前の歴史と違って、第三次ティアマト会戦は同盟軍の完勝で終わりそうだ。ドーソン中将は大きな武勲を立てて、ホーランド少将も痛手を被ったもののビュコック中将の援護で大事には至らなかった。事前にビュコック中将の指示で深追いをしないことになっているから、ドーソン中将が暴走する心配もない。無意味な抵抗を続けている敵予備部隊が諦めて退けば、戦いは終わる。緊張が解けて、疲労がどっと襲ってきた。

 

「大丈夫かい、顔色悪いけど」

「戦いから目が離せなくて、休んでいられなかったんですよ」

「それはいけないね。平時と戦闘中では蓄積される疲労が格段に違う。一六時間も休んでなかったら、頭がまともに働かないだろう。参謀はいつも頭脳を万全の状態に保っておかなきゃいけないよ」

「次からは気をつけます。それにしても…」

 

 指揮卓のドーソン中将に視線を向ける。第一一艦隊がここまで戦えたのは、彼の優れた指揮の賜物だろう。自分の目と耳であらゆる情報を把握して、自分の頭で判断を下し、中級指揮官の頭越しに指示を飛ばすことも厭わず、個艦レベルの指揮にすら介入した。グライスヴァルト提督が前に出過ぎていたのは幸運だったが、それとてドーソン中将の努力に対する報奨と思える。

 

「参謀の小官が疲れきっているのに、不眠不休で指揮をとっている司令官閣下は本当に凄いです」

「ああ、そういえばドーソン提督は休んでないんだね。憲兵司令官だった時もそうだったのかい?」

「ええ、あまりお休みにならないですよ。休むように言っても、集中が切れるからとおっしゃるんです。仕事中毒というか、なんというか」

 

 チュン大佐は腕を組んで、何事かを考えているようだった。

 

「どうかなさいましたか?」

「ちょっと気になることがあってね。君はデスクに戻って、居眠りでもしててくれ」

「わかりました」

 

 足元がふらついて、世界がゆらゆら見える。眠気も酷く、意識を保つのがやっとだ。やっとのことでデスクに戻ると、そのまま突っ伏してしまった。勝ちが確定する瞬間を見届けられないのが残念だ。次の戦いではちゃんと休憩を取るようにしようと誓った。



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第五十四話:パン屋さんのプロ意識 宇宙暦795年2月19日 ティアマト星系、第十一艦隊旗艦ヴァントーズ

 背後から体を揺さぶられる振動で目が覚めた。意識がぼんやりして、もやがかかったような感じがする。なかなか顔を上げられずにいると、さらに強く体を揺すられた。何事かと思って慌てて顔を上げて後ろを見ると、チュン・ウー・チェン大佐が立っていた。視界がゆらゆらして、どういう表情をしているのか良くわからない。

 

「フィリップス中佐、起きたかい?」

「あ、どうも。戦い、終わりましたか…?」

「兵站業務管制システムを起動。個艦級、隊級、群級の補給要求達成率及び輸送隊、輸送群級の輸送要求達成率の集約を開始」

「えっ?」

 

 どうして、そんなデータを集約する必要があるのだろうか。寝起きでぼんやりした頭ではさっぱり理解できない。

 

「兵站業務管制システムを起動。個艦級、隊級、群級の補給要求達成率及び輸送隊、輸送群級の輸送要求達成率の集約を開始と言っている。アクセス権を持っている後方参謀の君にしかできないことだ」

 

 チュン大佐はいつになく強い口調でデータ集約を繰り返し要求した。理由は分からなかったけど、端末を操作してシステムを急いで起動した。そして、言われた通りにデータ集約を開始する。

 

「これは…」

「予想通りだ。補給水準と輸送水準が著しく低下している」

「何が起きたのでしょうか?」

「これが敵の狙いだよ」

「と言いますと?」

「説明は後にする。これをプリントアウトして、ドーソン提督に見せなさい。正常な決断をできる状態なら、後退を決断されるはずだ」

「わかりました!」

 

 補給水準と輸送水準の達成率が既に戦闘継続困難な水準にまで達していた。後方参謀が各部隊の後方部署から集約したデータは、指揮用の端末に随時送られ続けている。それに加え、ドーソン中将は各部隊から直接報告を送らせていた。どうして、こんなことも把握できなかったのだろうか。

 端末のプリントアウトボタンを押し、プリンターが数字の記載された紙を吐き出している間に戦術スクリーンを眺める。敵予備部隊との戦闘は依然として続いている。チュン大佐が言った敵の狙いという言葉の意味がわからないが、これ以上の戦闘継続は危険だ。プリントアウトが完了すると、俺は紙を握りしめて立ち上がり、ふらつきが残る足でドーソン中将の元へ向かう。

 

「敵が後退を開始しました!」

 

 ドーソン中将に声をかけられる距離まで来たところで敵予備部隊の後退を告げるオペレーターの声が聞こえた。ここでドーソン中将も後退を決断してくれるだろうか。前線を維持できたら、それで勝ちなのだ。

 

「追撃の必要なし。全軍、陣形を再編しつつゆっくりと後退せよ」

 

 ドーソン中将は俺の期待通り、後退を指示した。グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈できたことといい、この戦いの彼はよくよく武運に恵まれている。このデータも必要なくなったかな、と胸を撫で下ろして踵を返すと、チュン大佐が駆け寄ってきた。

 

「どうなさったんですか、大佐?」

「これではいかん。全速後退しなければ。提督のもとに行って、全速力で距離を取るように…」

 

 チュン大佐がそう言った瞬間、オペレーターの叫び声が聞こえた。

 

「敵が突進してきます!」

 

 後退する態勢は一瞬のフェイクに過ぎなかった。いつの間に戦力を集中できる態勢を作っていたのか、これまでの散漫な攻撃とは密度と速度が格段に違う。ドーソン中将の方を見ると、さっきまでのてきぱきした指揮ぶりが嘘のように虚ろな表情になっている。指示ももたもたしていて、完全に後手後手に回っている。敵のフェイクで緊張が一瞬途切れ、疲労が襲ってきたのだろう。その瞬間に逆撃を受けて、精神的に機先を制されてしまった。頼れる指揮官が無力になってしまい、メインスクリーンの中の戦場に身一つで放り出されたような気持ちになる。

 

「しっかりしなさい」

 

 俺の肩に手をかけるチュン大佐の顔からは、いつものひょうひょうとした表情は消えていた。

 

「し、しかし…」

「参謀が落ち着きを失ってどうする。指揮官の心が乱れている時ほど、冷静にならないといけない」

「無理ですよ、小官には」

「君にしかできないことがある。務めを果たすんだ」

「あなたがすればいいじゃないですか。何をすべきかわかっているんでしょう?」

「あれを見なさい」

 

 ドーソン中将の周りに参謀長を始めとする三、四人の参謀が集まって何かを言っているようだ。見かねていろいろとアドバイスをしているのだろう。しかし、ドーソン中将はできない、無理だという言葉を繰り返している。 

 

「提督と付き合いが長ければわかるだろう?」

「ああ、確かに」

 

 苦境に陥った小心者は、自分が何もできないような気持ちにとらわれてしまう。他人にできると言われると、自分の気持ちを否定されたように感じて、何もできないと言い張りたくなる。どんなに誠実で適切なアドバイスでも、いや、誠実で適切だからこそ聞き入れられない。ミドルスクールやハイスクールに通っていた頃の俺も良くそういう考えに陥ったものだ。アドバイスの通りにできてしまえば、できないという自分の判断が間違っていたことになる。無力さを強調して何もしないことで、自分の正しさを証明しようとする。実に情けないが、小心者とはそういう生き物なのだ。

 

「私が何かを言っても、提督を追い詰めて意固地にさせてしまうだけさ」

「もう打てる手はないのでしょうか?」

「ある」

「教えてください。小官にできることなんでしょう?」

「提督に落ち着きを取り戻すように言うこと」

「それだけですか?」

「ああ、それだけだよ。疲労で判断が鈍っているとはいえ、今よりはましになるだろう。戦術上のアドバイスをしても聞くような人じゃない。正面の敵を撃破するのは無理でも、第五艦隊と第九艦隊が救援に来るまで持ちこたえれば、それで十分」

「わかりました」

 

 するべきことを理解した俺は再びデスクから立ち上がった。歩きながらメインスクリーンに視線を向けると、味方の艦艇が砲撃のシャワーに打ち砕かれてみるみる数を減らしていた。恐怖で全身が震えそうになる。今の俺はチュン大佐の言葉だけを頼りに正気を保っていた。参謀に囲まれながら、下を向いてぶつぶつ言っているドーソン中将が視界に入る。

 

「司令官閣下、失礼します」

 

 俺が声をかけても、ドーソン中将は返事をしない。自分のことで頭がいっぱいなのだ。そんな相手に何を言うべきか、俺は良く知っている。

 

「小官も閣下のおっしゃる通りだと思います。もうできることはありません」

「おい、君、何を言ってるんだね!?」

 

 激昂する参謀長のダンビエール少将をよそに言葉を続けた。

 

「閣下はベストを尽くされました。誰がやってもこれ以上のことはできなかったはずです」

「貴官の言う通りだ、小官にはもう何もできん」

 

 俺の言葉に頷くドーソン中将。ダンビエール少将らの殺気のこもった視線に空気が冷えるような思いがしたが、今必要なのは彼らのアドバイスではなくて俺の言葉だ。そう自分に言い聞かせて、辛うじて踏みとどまる。

 

「誰が閣下を批判できるというのでしょうか。できるとしたら、それは閣下の苦労を知らぬ者だけでしょう」

「そうだ、その通りだ」

 

 ドーソン中将の目に生気が戻る。もうひと押しだ。

 

「そのまま指揮をおとりになれば良いのです。それが閣下の正しさを証明するでしょう」

「うむ、貴官はよく分かっておるな。小官は何一つ間違いなど犯しておらん」

 

 いつもの神経質な表情に戻ったドーソン中将は、指揮卓に戻って端末を操作し始めた。もう一度戦況を把握し直そうというのだろう。まったく意見を聞き入れられなかったダンビエール少将らは、怒気を漂わせながら席に戻っていく。俺が媚びているとでも思ったのだろう。しかし、今のドーソン中将は肯定の言葉だけが欲しかったのだ。否定されたままでは、無為に逃げ込みつづけていたに違いない。俺はチュン大佐のもとに向かった。

 

「助言いただき、ありがとうございました」

「なに、いつものお礼さ。戦いが終わってハイネセンに帰ったら、ジャンベリー社の春のパン祭りが始まってる頃だね。今年は七種のジャムブレッドが目玉だそうだよ」

「それは楽しみですね」

「もちろん、君は全種類食べるよね」

「ええ、まあ」

 

 この人は自分がパンしか食べないからと言って、他人もそうであると無条件に信じてるんだろうか。いや、七種のジャムブレッドは全部食べるけど。

 

「ひと仕事しておなかもすいただろう?これを食べなさい」

 

 そう言うと、チュン大佐はズボンのポケットから、潰れたバターブリオッシュロールを取り出した。ありがたく受け取って口に運ぶ。

 

「それにしても、大佐はどうやって敵の奇襲を察知なさったのですか?」

「ドーソン提督が不眠不休で指揮してるって話を君がしてたろ?」

「そうでしたね」

「人間って疲れたら、判断が鈍るよね?ドーソン提督も例外じゃない。まして、参謀の意見を聞かないで全部自分で指示を出してるんだ。普通の提督の何倍も消耗するよ。そこで指示の出る間隔を測っていたのさ。そうしたら、明らかに遅くなってる。対応すべき事項もだいぶ見落としていた。補給や輸送に関しても対応しきれてないんじゃないかと思った。敵の攻撃より緊急性が低いから、無意識に後回しにしたんだろうね」

「オフィスでの仕事ぶりもあんな感じでしたが、全然判断に狂いはありませんでしたよ」

 

 一年ほど副官として側で仕えたが、ドーソン中将が疲労で判断を狂わせるところなんて見たことはなかった。普段からあまり眠らないし、徹夜だって平気でしていた。ずっと若くて体も鍛えてる俺の方が先にへたばることだってあった。

 

「オフィスの仕事はある程度の不測の事態が起きるとはいえ、基本的にはスケジュールに沿ってるだろ?。しかし、実戦指揮官の仕事はすべてが不測の事態。スケジュールは狂うためにある。指示一つ出すにも消耗の度合いは格段に違うね」

「しかし、司令官閣下も参謀として実戦を経験されていたはず。オフィスと実戦の違いに気づかなかったのでしょうか?」

「部隊の行動すべてに責任を負う指揮官と、自分の担当業務だけに責任を負う参謀では全然違うよ。責任者の椅子って座ってるだけで疲れるんだ。ドーソン提督に限らず、参謀出身の指揮官は責任者の近くにいた経験が長いせいで誤解しがちなんだけど」

 

 そういえば、ヴァンフリート四=二基地の憲兵隊長代理も結構疲れる仕事だったな。最終的な決裁は全部隊長代理に回ってきた。部下が解決できない揉め事の調停、内外から持ち込まれてくる提案の採否決定、他部署との渉外なんかも全部俺の責任だった。基地司令部ビルの戦闘では、部下を指揮するプレッシャーだけで死にそうな思いをした。

 

「そういうことだったんですね。それにしても、あそこで奇襲されるとは不運でした」

「もともと、あれが予備部隊の狙いだったんじゃないかな。無意味に見える攻撃も全部、あの奇襲に向けた伏線だったのさ」

「あの攻撃がですか?」

「ドーソン提督は手抜きのできない人だろ?だから、全部自分で指示したがる」

「そうですね」

「だから、あの無意味な攻撃にもいちいち自分で対応した。いや、対応させられたんだね。ドーソン提督の処理能力に負荷をかけて疲労を誘い、判断を狂わせるのが目的だったんだろう。そして、頃合いを見て後退するふりをして、緊張が途切れた瞬間に襲いかかった。まさか、こんな方法で奇襲を仕掛けてくるとは思わなかったね。去年のイゼルローン攻防戦と言い、帝国軍の戦術能力はおそろしく向上しているようだ」

 

 敵予備部隊の指揮官の狙いがようやく分かった。戦闘に勝つ最も楽な方法というのは、敵の指揮官の心理的平衡を崩すことである。火力をもって兵力を破壊するのは難しいが、機動や策略をもって心理的平衡を破壊するのは容易だ。この場合は疲労させることで心理的平衡を崩し、奇襲をもって完全な破壊を目論んだのだろう。ラインハルトが今回の戦いに参加していたとしたら、第五艦隊と戦っていた部隊より、こっちの予備部隊の指揮官である可能性が高い。戦術家としてのラインハルトは奇襲を得意としているからだ。しかし、一つ疑問がある。

 

「うちの参謀はどうして司令官閣下の疲労に気づかなかったんでしょうか?チュン大佐も考えて初めて気づきましたよね?」

 

 俺はドーソン中将の性格は良く知っているが、それが指揮官としてどう作用するかまではわからなかった。疲労状態には気づかなかった。俺が気づかないならともかく、キャリアが長い他の参謀がどうして気づかないのか不思議に思った。

 

「親密な相手でないとそこまで踏み込んで考えられないからね。気づきにくいと思うよ。ドーソン提督に反感を持ってる人なら、あえて本人を見ないことで仕事に徹しようとするだろう。気づいていたとしても、親しくなかったら言い難いだろう。言ったところで聞き入れられないのもわかってるしね。敵だからこそ、かえってクリアに評価できることもある」

「参謀が把握できない理由はわかりました。しかし、把握してるのに指摘しないのはまずくありませんか?勝敗がかかっているのに」

「確実に聞き入れてもらえない進言は、どんなに正しくても言わない方がマシなのさ」

 

 聞き入れられなくてもあえて言うのがプロというものだと思っていた。歴史の本では、度量の狭い上司に聞き入れられないのを承知で正しい進言をした参謀は有能と言われている。チュン大佐の言葉はそれとは反するものだ。

 

「却下された提案が再び採用される可能性は低い。一度下した却下の判断の誤りを認めることになるからね。親しくない相手の提案なら尚更だ。だったら、通せそうな人が同じ提案をする可能性に賭けるか、代わりに提案してもらう方がいい。正しいからこそ、却下されて選択肢から外させるわけにはいかない」

「おっしゃるとおりです」

 

 情けない話だけど、素直に誤りを認められて、なおかつ親しくない相手の意見も聞ける指揮官なんて滅多にいない。有能であればあるほどプライドが邪魔するし、個性が強ければ強いほど人間の好き嫌いも激しいからだ。能力も個性も抜群のドーソン中将を見ていれば良く分かる。

 

「どんな指揮官にでも信用されるのが最善だけど、グリーンヒル大将みたいな人格者じゃないと無理だからね。だから、私は次善の策として新しい指揮官に仕える配属されるたびに君みたいな人と付き合うわけさ。採用されない提案に意味は無いというのがモットーでね」

 

 そういえば、ヤン・ウェンリーが先のイゼルローン攻防戦で作戦案を提出する時は、いつもドワイト・グリーンヒル大将を通していた。アンドリューはロボス元帥に直接言わないことを問題視していたけど、何が何でも自分の作戦案を採用させようというヤンなりのプロ意識の表れだったのかもしれない。

 

 前の歴史では、ヤンが上司に対して強く進言しないことをプロ意識の欠如と批判する歴史家が多かった。しかし、これも自分の案を選択肢から除外させないヤンの配慮だったのかもしれないと思った。

 

「本当に勉強になります。自分は参謀というものを甘く考えすぎていたかもしれません」

「なに、私なんて手遅れになってから策を思いつく程度の参謀だよ」

 

 チュン大佐が肩をすくめてデスクに戻っていった後、戦術スクリーンを眺めて真っ青になった。戦況がとんでもなく悪化している。敵部隊は第一一艦隊の前衛を突破して、恐るべき速度でヴァントーズのいる本隊を一直線に目指していた。

 

「第四分艦隊、損害甚大につき戦闘継続不能!」

「第二二戦隊より司令官ナウマン准将が重傷につき、副司令官ポンテ大佐が指揮を引き継ぐとの報告あり!」

 

 次々と入ってくる凶報を伝えるオペレーターの声は、とっくに落ち着きを失っていた。司令室の参謀や専門スタッフも危機感と恐怖で青ざめている。自分の正しさを証明するという目的を見出したドーソン中将だけが活力を保っていた。しかし、疲労は隠し難く、指示も遅れがちになっている。ヴァントーズの周囲では味方艦が球形陣を作っていたが、敵部隊の集中砲火の前にみるみる打ち減らされていく。

 

「エネルギー中和磁場全開!」

 

 艦長の指示が飛び、ヴァントーズの周囲にエネルギー中和磁場が張り巡らされた。エネルギーパックを激しく消耗するため、敵の攻撃が直撃する危険がある時しか全開にすることはできない。艦長の指示はもはやヴァントーズが安全ではないという事実を示すものであった。

 

 このまま死ぬんじゃないか。そう思った瞬間、体が震えだした。もはや、俺にできることはない。第五艦隊と第九艦隊が来援するまで、味方が持ちこたえることを祈るしかない。

 

 ヴァントーズの至近にいた戦艦プルートーの艦体が炸裂して、閃光がスクリーンを満たした瞬間、司令室が激しく揺れた。立ったままスクリーンを見ていた俺は無様に横転した。立ち上がろうにも体が震えて起き上がれない。敵は数分以内にヴァントーズを射程内に捉えるだろう。数時間前に葬り去ったエインヘリャルと同じ運命をたどることになるとは、夢にも思わなかった。

 

 十か月前にヴァンフリート四=二で死にかけてから、前向きに生きる気持ちが生まれてきた。アンドリュー・フォークやダーシャ・ブレツェリとは、この先も一緒に歩いて行きたかった。エーベルト・クリスチアンやマーリア・イレーシュやクレメンス・ドーソンには、俺が成長していく様子を見ていてもらいたかった。ワルター・フォン・シェーンコップやカスパー・リンツの行く末を見たかった。ヨブ・トリューニヒトやループレヒト・レーヴェとの約束を果たしたかった。ユリエ・ハラボフには許して欲しかった。チュン・ウー・チェンとはもっともっと仲良くなりたかった。

 

 こんなところで死にたくなかった。敵の指揮官がラインハルト、もしくはそれに次ぐ能力を持った軍事的才能の持ち主であろうとも、負けを認めて死を受け入れるのは耐え難い。そう思った瞬間、オペレーターの絶叫が司令室に響いた。

 

「第九艦隊です!第九艦隊が到着しました!」

 

 この瞬間、二月一九日九時三六分をもって、俺にとっての第三次ティアマト会戦は終結した。ドーソン中将と第一一艦隊は敗北寸前まで追い込まれたもののギリギリで生き残った。



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第五十五話:心配する俺と心配される俺 宇宙暦795年3月上旬 ハイネセン市

 第一一艦隊司令官ドーソン中将は執務室のデスクでふんぞり返っていた。胸には先日のティアマト星域の会戦における武勲によって授与されたハイネセン記念特別勲功大章が光っている。

 

 勲章はひと目で功績を示す便利なものであるが、日頃から着用している者はまずいない。ランクの高い勲章ほど作りが凝っていて重量がある。俺は十個近い勲章を持っているが、式典の際に全部着用すると重みでよろけてしまう。壊れたり紛失したりする可能性だってある。だから、普段は略綬と呼ばれるリボンを着用して勲章の代わりとする。ドーソン中将がわざわざ勲章を着用している理由はわかっていた。見せびらかしたいのだ。

 

「フィリップス君」

「はい」

「戦場で武勲を立てることこそが軍人の本分だと、小官は思うのだ」

「もっともです」

「やはり、軍人たる者、武功勲章の一つも持たねば一人前とはいえん」

「おっしゃるとおりです」

 

 参謀勤務の功績によって武功勲章が授与されることはほとんどない。実務能力を高く評価されていたドーソン中将であったが、武勲に乏しい上に細かいことにうるさいせいで、実戦部隊の人間からは軽視されがちだった。ドーソン中将も武勲を誇りにして規律を軽視する実戦部隊の気風を「武勲を鼻にかけるならず者」と嫌い、「軍人の本分は規律を守ること。武勲は二の次」といつも言っていた。それが武勲を立てた途端にこの変わり身だ。まったくもって現金としか言いようがない。

 

「まあ、しかし、また燃料税が上がるそうだな。ジョアン・レベロが財務委員長になってから、次々と増税法案が通っている。財政再建のためとはいえ、庶民には迷惑な話だ」

 

 ドーソン中将はデスクの上に置いてあった新聞をわざとらしく広げてみせる。日付は三日前。彼の勲章授与式の記事が書かれたページが俺に見えるようになっている。褒めて欲しくてたまらないのに、恥ずかしくて自分からは言い出せないのだろう。本当に人間が小さい。こういう人だとわかっていても、頭が痛くなる。

 

「困りますね、本当に」

 

 俺に流されると、ドーソン中将は新聞を置いて、同盟軍礼服の仕立て案内冊子を手にとった。

 

「貴官は礼服を新調したかね?」

「いえ、四年前に士官に任官した時から、ずっと同じ礼服を使っておりますが」

「そうか。小官は最近、礼服を新調してな。来年は上の子供の大学受験があるから、出費は避けたいのだが、着る機会が多いと古いままというわけにもいかん。まったく困ったものだ」

 

 同盟軍の制服には、モスグリーンのジャケットとベレー帽の常装の他に、白い背広風の礼装、モスグリーンの作業服などがある。基本的には軍から貸与される官品であるが、自費購入も可能だ。長期航海で替えの制服が多数必要になる艦艇勤務者には、追加で自費購入する者が多い。士官クラスだと体型に合った制服の方が見栄えがいいということで、自費で軍指定の業者に仕立てさせることが奨励されている。高級士官の礼服なんかはほぼオーダーだが、滅多に仕立て直すようなものではない。ドーソン中将は勲章を授与されたから礼服を新調したと、遠回しにアピールしてるのだ。

 

「最近、勲章を授与されましたからね」

「うむ、そうなのだ」

 

 ドーソン中将の目が喜びに輝く。これ以上知らん振りをしても、遠回しなアピールが延々と続くだけだ。俺の方から折れるしか無い。勲章を授与された当日にお祝いを言ったから十分じゃないかと思うが、ドーソン中将はそうは思わないのだろう。帝国の宿将グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈するという大功に、すっかり舞い上がってしまっている。これでは名声が上がるどころか、馬鹿にされるんじゃないだろうか。口の悪いビュコック中将あたりの耳に入ったら、何と言われるかは想像に難くない。黙っていても尊敬されるような実力があるんだから、どっしり構えていて欲しいと思う。

 

 

 

 さんざんドーソン中将の勲章自慢を聞かされて、ほうほうの体で司令官執務室を退出してから二時間後。所用で宇宙艦隊総司令部を訪れた俺は、士官食堂でアンドリュー・フォークと昼食をとっていた。俺はローストポーク、パン、サラダ、スープのセットにジャンバラヤ大盛りとアップルパイ。アンドリューはクラムチャウダーとクロワッサン。彼と一緒に何かを食べるのは、昨年のイゼルローン攻防戦以来だ。

 

「アンドリュー、また痩せた?」

「いやあ、最近は体重量ってないからわかんないな」

「去年は確か五八キロだったよね?」

「そうだったっけ」

 

 アンドリューの身長は一八四センチ。体重五八キロでもだいぶ危ないのに、それより痩せたら一大事だ。

 

「ちゃんとごはん食べてる?そんだけしか食べてなかったら、体もたないでしょ?」

「エリヤが食べ過ぎなんじゃ」

「目の周りのくまも酷いじゃん。あんま寝てないでしょ」

「みんな寝ないで仕事してるのに、俺一人だけ寝てたら申し訳ないじゃん」

 

 ロボス元帥の司令部メンバーは団結が強いことで知られている。上下関係が親密で職場外でも集団行動を好む。失敗を恐れずに行動する姿勢が何よりも評価され、オーバーワークを誇る気風がある。そのため、他の司令部に比べて仕事時間が長くなる傾向があった。自分一人だけ寝てたら申し訳ないというアンドリューの気持ちは理解できる。

 

「倒れちゃったら、もっと申し訳ないことになるよ。睡眠を一時間惜しんだら、一週間働けなくなるって過労死防止キャンペーンで言ってたでしょ?」

「でも、遠征終わったばかりだから、なかなか休めないんだよ。グランド・カナル事件もあったしさ」

「ああ、そうだったね」

 

 第三次ティアマト会戦終了後、同盟軍は国境地域の警備部隊を増強して帝国軍の再侵攻に備えたが、輸送計画のミスから補給難に陥ってしまった。そこで一〇〇隻ほどの民間船が雇われて緊急輸送を行った。しかし、護衛にあたっていた一〇隻の軍艦のうち、九隻はロボス元帥の「敵の餌食にならないように、無理な行動をしないこと」という訓令を口実に危険宙域の手前で引き返してしまい、巡航艦グランド・カナルだけが残ったのである。

 

 輸送船団は不運にも哨戒にあたっていた帝国軍の巡航艦二隻と遭遇してしまう。グランド・カナルは一隻で立ち向かい、輸送船団を脱出させることに成功したが、自らは撃沈されて乗員全員が殉職した。同盟軍は殉職者全員に最高勲章の自由戦士勲章を授与して、英雄に祭り上げることでこの不祥事を乗り切ろうとしている。しかし、護衛が離脱する根拠となった訓令を出したロボス元帥の責任を追及する声は高まる一方だった。

 

 第三次ティアマト会戦は第一一艦隊が終盤で大損害を被ったものの、総体的には同盟軍の勝利と言って良く、総司令官を務めたロボス元帥の威信低下に歯止めがかかったかに思われた。しかし、グランド・カナル事件で台無しになってしまったのである。

 

「悪いことは重なるものだね、本当に。ロボス閣下も最近は体の調子が悪いみたいなんだ。心配だよ」

「俺はアンドリューの方が心配だけどね。去年からびっくりするぐらい痩せていってる」

「一年に一階級昇進してるからね。その分だけ責任ある仕事を任されるようになる。勉強しながら、仕事しなきゃいけない。休む暇がないんだよ」

 

 アンドリューは去年のイゼルローン攻防戦の功績で大佐に昇進している。士官学校首席卒業とはいえ、二五歳で大佐というのは破格の出世だ。士官学校卒業者で最も出世が早い者でも二七前後で大佐、三〇前後で准将というのが相場である。経験を積む暇もないうちに出世して仕事の難易度がどんどん上がっていくなんて、想像するだけで恐ろしい。ロボス元帥はアンドリューならできると見込んで引き立ててるんだろう。しかし、その期待がいつかアンドリューを潰してしまうのではなかろうか。

 

「士官学校卒の二五歳って普通は大尉やってる年頃だよ。そんで、小型艦の副長か、大型艦の科長か、司令部でヒラ参謀ってとこだよね。それなのにアンドリューは大佐で宇宙艦隊総司令部の作戦課長。全軍の行軍計画の責任者だもん。ロボス元帥が期待してるのはわかる。でも、期待しすぎなんじゃないかって思うんだ」

「俺じゃ若すぎて務まらないってこと?」

「違うよ。アンドリューは経験足りない分、必死で努力してるよね?」

「他に取り柄がないからね」

「でもさ、努力すると体力使うじゃん。アンドリューは体を削って必死で期待にこたえようとしてるように、俺には見えるんだ。見てて怖くなるよ」

「うちの司令部では怠けていられないよ。知恵がないなら体を使え、時間がないなら急いで走れというのがロボス閣下のモットーだからね」

「俺のとこは現場に足を運べ、ルールに厳格であれがモットーなんだよね。文化が違うんだろうなあ」

 

 ロボス元帥の司令部とドーソン中将の司令部は、怠けるのを嫌う空気があるという点では良く似ている。だが、積極性が評価されるロボス元帥の司令部に対し、ドーソン中将の司令部では厳密さが評価される。体育会系の真面目さと風紀委員の真面目さの違いというべきだろうか。だから、肉体的負担は後者の方が少なく、精神的な負担は前者の方が少ない。

 

「面白いよね。ロボス閣下の司令部にしか勤めたことがないから、エリヤの話は勉強になるよ」

「うちに来る?アンドリューなら大歓迎だよ」

「やだよ。ドーソン提督は俺みたいな無神経な奴、嫌いだろ」

「まあ、確かにね」

 

 アンドリューが無神経とは思わないが、ドーソン中将の神経質と合わないのは火を見るより明らかだ。日の当たる場所でまっすぐに生きてきたアンドリューと、他人や常識を意識しながら恐る恐る生きてきたドーソン中将は決定的に合わないだろう。

 

「エリヤの司令部なら来てもいいよ」

「俺の司令部に来たら、有給休暇を全部消化するように命令するわ」

「えー、参謀長にしてくれないの?」

「いや、真面目な話、君にはしばらく休んでてほしいよ。不健康を通り越して、病人って感じだもん」

「ひっでえなあ」

「ドーソン提督が戦闘中に過労になったとこ見てるからさ。神様みたいに仕事ができるあの人でも、判断が鈍っちゃうんだよ。参謀はいつも頭を万全な状態に保っておかなきゃ。いざという時に判断が狂ったら、ロボス元帥にも迷惑かけちゃうよ?」

 

 完全にチュン・ウー・チェン大佐の受け売りだが、ロボス元帥の期待に応えて一直線に走る以外の生き方を知らないアンドリューには一番必要なことだろう。できれば、直接引き合わせて、諭してもらいたいぐらいだ。

 

「ありがとう、エリヤ」

「お礼はいいから、俺が言ったこと考えといてよ。次に会った時はベッドの上とか、そんなことになるのは嫌だから」

「わかったよ」

 

 どこまでわかったのか怪しいもんだけど、それでもありがとうとか、わかったとかいう言葉を聞くだけで嬉しくなる。きっと、俺が単純だからなんだろう。しかし、こういう言葉を言えるうちは大丈夫なんじゃないかと根拠なく思っていた。

 

 

 

「確かに根拠が全く無いな」

「大佐もそう思われますか」

 

 勤務が終わって家に帰った俺は、クリスチアン大佐と久しぶりに携帯端末で話している。昨年春のヴァンフリート四=二基地の戦いの功績で大佐に昇進した彼は、現在は第四方面管区の地上軍教育隊長として、新兵教育にあたっていた。

 

「まあな。しかし、貴官らしくて良いではないか。少し安心した」

「何か心配事があったんですか?」

「うむ。貴官は最近、政治に近寄り過ぎていると思っていたのだ」

「政治、ですか?」

 

 心当たりはありすぎるほどある。しかし、ストレートに認めるのは怖かった。

 

「上官を通じて、トリューニヒト国防委員長と親しくしているそうではないか。小賢しい処世術を覚えたのではないかと気を揉んでおったのだ」

「それは事実です。しかし、出世目当ての処世術とかそういうのではないですよ。俺がそういう人間じゃないのはご存知でしょう?」

「では、何だ?」

 

 クリスチアン大佐の声が重い鉄球のように感じられた。後ろめたいことは何一つ無いはずなのに、どうして気後れしてしまうのだろうか。

 

「助けてほしいと言われたんですよ。理想を実現するために」

「本気で言っているのか?」

 

 トリューニヒトと話した時は、期待されたことが心の底から嬉しかったはずだ。それなのにクリスチアン大佐のシンプルな問いかけにその気持ちを伝えることが恥ずかしく感じる。

 

「ええ、本気です」

「政治家というのは、目的のためならいくらでも嘘をつける連中だぞ?」

 

 俺と話した時のトリューニヒトの言葉には嘘はなかったと思う。あれが嘘だったとしたら、騙されてしまっても仕方ない。しかし、それをクリスチアン大佐に伝えることはためらわれた。自分が道化になっているような気がしたからだ。

 

「肝に銘じておきます」

「ならば良い」

 

 深く詰められることなく返されてホッとする。クリスチアン大佐の言葉は軍隊一筋に生きてきたがゆえにシンプルで重厚だ。今の自分には、それと対峙出来るだけの信念は無い。

 

「心配をおかけして申し訳ありません」

「小官が心配しすぎているだけかもしれん。貴官は真面目で公正だが、どこか頼りないところがあるからな。つい世話を焼きたくなる」

 

 クリスチアン大佐の声に苦笑が混じった。この人はいつも一点の曇り無く親身だ。だから、安心できる。

 

「ありがとうございます」

「大佐ともなると、誰が何とか派やらいう話がやたら耳に入ってきてな。鬱陶しくてたまらんのだ。そういうことにばかり目ざとい輩を見ると、軍人をやっているのか、政治をやっているのか、問い詰めたくなる」

 

 彼らしい派閥への反感だ。軍内政治にさぞ辟易しているのだろう。中佐に昇進した時にあまり嬉しがっていなかったのも、階級が高くなれば必然的に政治に巻き込まれることを予感していたからかもしれない。

 

「確かに俺も中佐になってから、そういう話をやたら耳にするようになりました。最近は人の顔を見るたびに、どこの派閥かって反射的に考えてしまいますよ。知らず知らずのうちに染まってしまったみたいです」

「貴官が派閥で他人への態度を変えるような男とは思わん。だが、貴官に対する他人の態度が変わってくることが心配でな」

「と言いますと?」

「小官のところにも、貴官を紹介してほしいなどという者が頻繁にやって来るのだ。奴らから見れば、貴官はトリューニヒトとドーソン提督のお気に入りなのだそうだ。貴官を通してどちらかに取り入れば、将来が安泰になるとでも思っているのだろう。まったく、浅ましいことだ」

 

 トリューニヒトとドーソン中将のお気に入りというのは、客観的に見ても否定はできない。彼らの派閥のメンバーとみなされても仕方ないぐらいに付き合いは深い。しかし、俺を通して彼らに取り入ろうとする人間がいること、そんな人間がハイネセンから遠く離れたクリスチアン大佐の周囲にまでいることなどは、想像もしていなかった。トリューニヒトのお気に入りという虚像が歩き始めている。

 

「大佐と出会った頃のことを思い出します。あの時はエル・ファシルの英雄という虚像が果てしなく大きくなっていくことに恐ろしさを感じていました。英雄の虚像に大勢の人が群がってきた時に、俺という人間に向き合ってくれたのはあなたとルシエンデス曹長とガウリ軍曹だけでした」

「トリューニヒトも英雄の虚像に群がった者の一人だったな」

 

 言われてみて思い出した。当時、国防委員だったトリューニヒトは俺をパーティーに呼ぼうとしたが、クリスチアン大佐に断られた。そのことを根に持って統合作戦本部の広報室に抗議をしたとかいう話を聞いて、心が狭いと思ったんだ。

 

「今、思い出しました」

「記憶力の良い貴官らしくもないな。まあ、政治家と付き合うのは良い。だが、決して心を許すな。奴らは虚像しか見ない。友には決して成り得ない」

 

 クリスチアン大佐が政治家に何を見ているのかはわからない。しかし、政治的な理由でエル・ファシルの英雄という虚像を作り上げたあの騒動に、何か考えるところがあったのかもしれない。とっくにトリューニヒトに心を掴まれてしまっている俺は手遅れかもしれないけど。理性で彼を疑っても、感情が彼を信じるだろう。

 

「わかりました」

「政治というのは汚水溜めのようなものでな。避けて歩くに越したことはない。貴官には一点の曇りもなく生きてほしいと願っている。貴官のようなまっすぐな男は政治などに関わるべきではないのだ」

 

 前の人生の俺はエル・ファシルの逃亡者の汚名に押し潰されて、暗闇を這いずり回りながら、八〇年を無為に生きた。今の人生では日の当たる場所を生きているが、それでも地獄の地上戦を引き起こしたエル・ファシル義勇旅団という幻想の罪の一端を背負っている。クリスチアン大佐が思うほど、俺はまっすぐではない。しかし、まっすぐに生きてほしいという願いには、できる限り応えたいと思った。



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第五十六話:未来に向かう道は過去から続いている 宇宙暦795年4月3日 ハイネセン市エルビエアベニュー

 宇宙暦七九五年四月三日一三時。ハイネセン市営鉄道のチャーチストリート駅西口。ダーシャ・ブレツェリは俺を見つけると、にこにこして駆け寄ってきた。やや緩めでふわっとした素材のブラウス、やや短めのスカート。全体的にふわふわした感じが丸顔のダーシャに似合っている。

 

「待った?」

「全然」

 

 人と待ち合わせる時は、必ず20分前には到着することにしている。一方、ダーシャはいつもギリギリだ。彼女は頭が良いのに、時間の使い方はあまりうまくない。本当は九時か一〇時に待ち合わせたかったのに、休日は必ず昼近くまで寝ている彼女に合わせてこの時間になった。

 

「どう?」

「どうって何が?」

「今日の私の格好」

「かわいいんじゃないの」

 

 俺がそう答えると、ダーシャは不機嫌そうにむくれた。かわいいと言ってるのに、何が不満なんだろうか。彼女なら何を着てもかわいらしいと思う。それに服よりも大きな胸の方を意識してしまう。

 

「だから、どうかわいいのさ」

 

 知るかよ、と思ったけど、怖くて言えない。なんでいちいちこんな事を聞いてくるんだろうか。仕事には無駄がないのに、プライベートではいつもこの調子だ。悪い奴じゃないんだが、面倒くさい。

 

「いや、なんていうか。ダーシャらしいというか」

 

 曖昧に答えてお茶を濁そうとしたが、ダーシャは許してくれなかった。結局、歩きながら、俺がモテない理由だの、今着ている服を選んだ理由だのをさんざん聞かされることになった。そこから、現在身に着けてるアイテムの説明に話が及んでいくのがいつもの展開である。俺が聞いているかどうかはわりとどうでもいいらしく、ある程度一方的に喋ったら満足してしまうのが唯一の救いだろう。

 

 階層社会のゴールデンバウム朝では、服装を見れば身分がわかるようになっている。平民は質素な服装を強いられ、貴族は格式にふさわしい高価な服を着なければ後ろ指を差される。例外は軍人、官僚、貴族社会に出入りするビジネスマンぐらいである。だから、ファッションはきわめて保守的で多様性に欠けていた。

 

 一方、自由惑星同盟はどのような服装をしようと自由だから、ファッションも多種多様だ。そのため、宇宙のファッション市場は自由惑星同盟とフェザーンを中心に動いていた。

 

 三千万の人口を擁する同盟の首都ハイネセンは、フェザーンに匹敵するファッションの都である。市内にある四つのファッション街は、それぞれの個性を持ったファッションを発信している。今日の目的地、エルビエアベニューは、清潔感があるスタンダードなファッションの発信地として知られている。

 

 自分の私服のセンスが相当危ういと気づいた俺は、ファッション好きのダーシャに私服選びのアドバイザーを頼んだ。蛇足ではあるが、ダーシャから予習用として渡されたファッション雑誌によると、去年のフェザーン行きに際して、憲兵隊のユリエ・ハラボフ大尉が用意した変装用の服は、フェミニンでありながら性別を選ばないファッションで知られるスペイシースクエアの街の系統らしい。

 

「いや、みんな凄くおしゃれだね。こんな安物の服で歩いていいのかな?」

「気後れする?」

「うん、俺がいていい場所じゃないような気がするよ。軍服着てくれば良かった」

「だから、ちゃんとした服を買わなきゃいけないの。どこに行っても気後れしないためにね」

 

 ダーシャの言うことはもっともだ。こんな街を歩いていると、服なんて着れればいいという考えは三秒で吹き飛んでしまう。着て歩けなければ意味が無いのだ。

 

「でもさ、本当に俺に似合う服があるのかな。自分がこの街を歩いてる人みたいになれるとは思えない」

「私が選ぶから大丈夫。エリヤはスタイルがいいから、何でも似合うよ」

「ほんとかなあ」

 

 今はダーシャを信じるしかない。格好悪くてごめんなさいと街行く人々に心の中で謝りながら、ひたすら彼女の後を付いていく。おしゃれな人々の洪水に押し流されそうな今の俺にとって、彼女の存在だけが命綱だった。

 

 やがて、バカラプラザに辿り着く。数多くのファッション専門店が入居しているこの高層ビルは、エルビエアベニューの総本山ともいうべき存在であった。俺が入っていいのだろうか。そう思うと、緊張でお腹が痛くなってきた。

 

「どうしたの?入らないの?」

「あ、いや、ちょっと腹痛が…」

「馬鹿なこと言わないの」

 

 ダーシャは俺の訴えを無視して、バカラプラザにすたすたと入っていく。こんなところに置いて行かれたら、遭難してしまう。慌てて彼女の後を付いて行った。導かれるがままに混雑するバカラプラザの中を無我夢中で歩き、エスカレーターに乗る。やがて、ダーシャはある店の前に立ち止まった。

 

「エリヤ、この先は全部私に任せといて!」

 

 未だかつて無いほどの烈気を目に宿しているダーシャに対し、無言で頷く以外の選択は俺にはなかった。この先も何も、最初から全部任せているのだから。だだっ広い店の中はさながら服のジャングルと言った風情だった。これだけ服があったら、何を着ていいのかわからなくなってしまう。

 

「まずはボトムスだね」

 

 そう言うと、ダーシャは服のジャングルの中へ分け入っていった。何をしていいかわからずに途方にくれている時、何をするべきかを知っている参謀の存在が最後の希望となる。第三次ティアマト会戦でチュン・ウー・チェン大佐から学んだ参謀の助言の大切さを改めて思い知らされた。しばらくすると、ダーシャは五本ほどズボンを持って戻ってきた。

 

「全部試着して!」

 

 言われるがままに試着室に入り、ズボンを履いたらダーシャに見せる。いろいろと角度を変えながら、敵の隙を探す提督のような目で下半身を見つめられると恥ずかしくなってしまう。ダーシャが見終わると、次のズボンの試着。それを五本分終えると、ダーシャはちょっと考えこんで、インディゴブルーのジーンズを掴んで俺に差し出す。

 

「これにしよ!」

 

 よりによって、試着した中で一番履きたくないズボンだった。ぴったりしすぎていて、似合わないんじゃないかと思ったのだ。

 

「ちょっとぴっちりしすぎじゃない?」

「そんなことないって。スキニーは定番だよ。エリヤみたいに足が細くて長いと良く似合うの」

「まあ、ダーシャがそう言うんなら、そうなんだろうな」

 

 彼女が似合うというのなら、きっと似合うのだろう。わからない時はプロに任せるのが一番なのだ。自分でなんでもやろうとしてはいけないということを軍隊で学んだ。いくらするのかな、と思って値札を見る。

 

「一一八ディナール!?」

「どうかしたの?」

「高すぎない?だって、ジーンズでしょ」

「この質だったら、むしろ安いよ」

「俺、四〇ディナール以上のズボン、買ったこと無いけどなあ」

「だから、ださいんじゃん」

 

 一部の隙もない正論の前に完全敗北を喫した俺は、このズボンを買うことに決めた。しかし、ズボン一本でこの値段だと、ファッション好きな人は破産してしまうのではなかろうか。

 

「パーカー?持ってるから買う必要ないよ」

「エリヤの持ってるパーカーって、どうせダボッとした安物でしょ?」

「まあ、そうだけど」

「体にフィットしたの着なきゃ格好悪いよ」

「はい」

 

「この柄、派手すぎない?」

「全然。よく似合ってるよ」

「色もちょっと明るすぎるし、俺のキャラじゃないっていうか」

「エリヤってどういうキャラだったっけ?」

「地味で暗くて、そして…」

「これからは明るくて元気なキャラを目指そうね」

「はい」

 

 この調子でダーシャに選んでもらった服を買っていき、最終的にズボン三本、カジュアルシャツ二着、長袖カットソー二着、七分袖カットソー一着、半袖カットソー三着、パーカー二着、カーディガン一着、ジャージ上下一着、シューズ一足、ブーツ一足を購入した。

 

 合計一二三三ディナール。中佐の月給と勲章の年金を合わせて、毎月五〇〇〇ディナール以上の収入があり、軍人三点セットの酒もギャンブルも女遊びも嗜まず、家庭も持っていない俺には余裕で払える額だ。しかし、服を買うのにこれだけ払うという事実に、クレジットカードを取り出す手が震える。ダーシャの方を見ると、拳をグッと握って親指を上げている。

 

「ありがとうございました」

 

 店員の声を背にした俺達は店を後にした。買った服は配送料を払って、後で家まで送ってもらうことになっているため、手には何も持っていない。実に便利な世の中である。

 

「あー、いい買い物したねー。楽しかった」

 

 心の底から楽しそうに笑うダーシャを見て、本当にいい奴だと思った。自分の服だろうが、他人の服だろうが、服を選ぶのが楽しくてたまらないのだ。

 

 これまでの俺は親しい人達の軍人としての側面しか見てこなかったが、去年入院してダーシャ、ベッカー中佐、スコット大佐らと知り合ってからは、プライベートの側面にも目を向けるようになってきている。これまで見なかった面を見つけるのはとても面白い。

 

「本当に助かったよ。君がいなかったら、どうなることかと思った」

「私の方こそ、お礼を言わなきゃいけないよ」

「なんで?」

「私は胸が大きいからさ、服を選べないのよね」

「そうなの?」

 

 胸が大きいのは良いことだと、何の疑いもなく思っていた。テレビには胸が大きいタレントが大勢出てくる。母も姉も妹も胸が小さくて、いつも胸が大きい人を羨ましがっていたのを覚えている。プライベートでの付き合いがあるイレーシュ中佐やガウリ軍曹もさほど胸が大きいわけではないし、軍隊の先輩と思って付き合っていたから、こういう話題はしなかった。だから、胸が大きい人の意見を聞くのはこれが初めてだ。

 

「体にフィットした服を着たら、胸が目立っちゃうでしょ?ミドルスクールの頃から、ジロジロ見られることが多いのよ。エリヤも私と初めて会った時は胸に視線が行ってたよね。だから、胸が目立つ格好はしたくないんだ」

「ご、ごめん」

 

 気づかれてたことを知って、軽く落ち込んだ。エル・ファシルの英雄だった頃の俺には、賞賛の視線ですら居心地悪く感じられたものだ。好奇の視線なら、なおさら傷つくはずだ。服装の評価を聞かれて、服より胸が気になるなどと内心で思った自分が恥ずかしくなった。

 

「でも、目立たないようにゆるゆるの服を着たら、太って見えちゃうのよ」

 

 実際、俺も最近まではダーシャは太っていると思っていた。彼女は顔が丸っこくてぷっくりしている。入院中はサイズが大きめのパジャマを着ていたし、軍服だって大きめのを着ていた。二週間前にふとしたことから体重を教えられて、太っているどころか身長あたりの平均より軽いことに驚いたものだ。彼女は自分より六、七センチほど背が高い俺の方が体重が軽いことにショックを受けていたようだが。

 

「だから、好きなように服を選べるって嬉しいわけ。エリヤは細くて姿勢いいから、何を着ても似合うしさ」

 

 でも、俺は身長低いし、などとは言えなかった。結構気にはしているけど、ダーシャの苦労に比べたら、平均より三、四センチ低いぐらいどうってことはない。ファッションが好きで好きでたまらないのに、好きな服を選べないのはさぞ辛かっただろう。

 

「俺で良ければ、また付き合うよ」

「え、いいの、本当に!?」

「いいよ、俺のセンスで服選んでも、この街を堂々と歩けるような格好できないもん。全部、君が選んでくれた方がいい」

「ありがとう、本当にありがとう」

「いいって、いいって。助け合いは大事だろ」

「今日はおごるよ。食べたい物あったら、何でも言って」

「だからいいって」

 

 大喜びするダーシャを嬉しさ半分困惑半分の気持ちで眺めながら、一緒にバカラプラザを出たところで不意に声をかけられた。

 

「エリヤ?」

 

 振り向くと、俺と同年代ぐらいの男が立っていた。体格は平均的で目が小さくて鼻が低い。服装もこの街に違和感なく馴染む程度にはおしゃれだが、個性は強くない。印象が薄いというのが彼から受けた印象だった。

 

「どなたでしょうか?」

「エリヤだよな?エリヤ・フィリップス」

「そうですが」

 

 男はさらに困惑したような表情になったが、俺だって困っている。ファーストネームで俺を呼ぶ人間なんて、家族を含めてもこの広い宇宙ではせいぜい一〇人ちょっとだ。俺には男兄弟がいないから、目の前の男は友人ということになるはずだが、まったく記憶にない。

 

「フィリップス君の同級生とか?」

「ええ、そうなんですよ」

 

 見かねてダーシャが出した助け舟に、男はホッとした様子で応じる。もっとも、ミドルスクールやハイスクールの同級生だって、俺をファーストネームで呼ぶような相手はほとんどいない。いたとしても、前の人生で逃亡者の汚名を着た俺を迫害する側に回った。どのみち、思い出す必要は無いだろうと思い、足を踏み出す。

 

「ミドルスクールの三年度で同じクラスだったリヒャルト・ハシェクだよ。もう八年も会ってないから、忘れちゃったのかな。エリヤもいろいろあったみたいだし」

 

 その名前を聞いた俺は足を止める。彼は捕虜交換で帰国した後の俺とは会っていない。だから、彼からは迫害を受けなかった。しかし、ここで再会できるとは思わなかった。彼が今の人生で出現する可能性をまったく考えていなかった。

 

「あーっ、リヒャルトか!!」

「そうだよ、なんで忘れんだよ。ひっでえなあ」

「ごめん、もう会えないかと思ってたから」

「おい、大袈裟だな。それになんで泣いてんだよ」

「いや、だって、本当にもう会えないと思ってた」

 

 リヒャルト・ハシェクはミドルスクール時代の数少ない友人の一人だった。前の人生では、ハシェクは軍の通信科学校に進んで下士官となり、七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」で戦死している。だから、七九七年二月の捕虜交換式で帰国した俺と会えなかった。死んでしまって二度と会えないものと思っていたし、迫害にも関わっていなかったから、顔を忘れてしまっていた。

 

 しかし、よく考えれば、今の時間軸では生きていて当然の人間なのだ。当然なのはわかっているのに、涙が止まらない。

 

「いったい、どうしたんだよ。俺の顔を忘れてるかと思えば、今度は泣き出しちゃって。アルマちゃんは覚えててくれたのに」

「アルマ?」

「うん。ついさっき、そこで会ったよ。あっちから声かけてきてくれてさ。エリヤは全然変わってないけど、アルマちゃんは…」

 

 もはや、ハシェクの言葉が耳に入らない。妹のアルマがすぐ近くにいる。その事実に全身の血が凍り付き、激しい動悸がした。

 

 いつも自分の後ろを付いてきていた甘えん坊の妹が、悪鬼のような形相で憎しみをぶつけてきた恐怖はまだ拭い去れていない。メールなら削除すればなかったことにできる。しかし、本人がすぐ近くにいれば、直接的な接触の可能性がある。前の人生と今の人生はだいぶ前に道を違えたはずだったのに、再び交わり始めているのだろうか。二度と会えないと思っていたハシェクとの再会、そしてアルマが至近距離にいるという事実がそんな錯覚を呼び起こした。

 

「どうしたの、エリヤ。顔色悪いけど」

 

 今の光に満ちた人生の象徴とも言えるダーシャが心配そうに俺の顔を見る。彼女と暗闇の中にあった前の人生の象徴とも言えるアルマがすぐ近くにいることに、本能的な恐怖を覚えた。

 

「行こう、ダーシャ」

「え、どうしたの?妹さんが近くにいるなら…」

「いいから、来い!」

 

 そう叫ぶと、俺は強引にダーシャの手を引っ張って走りだした。アルマに見つかる前にここを離れなければいけない。

 

「ねえ、本当にどうしちゃったの!?」

 

 ダーシャの問いを無視して、ひたすら夕暮れ時のエリビエアベニューの長い長い歩道を駆け抜けた。今の人生で得たものを手放すまいという思いが、俺の足を急がせた。




原作の記述を元に1ディナールは現在の1米ドルと同等に近い価値があると計算しました。


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第五十七話:人が派閥を作る理由 宇宙暦795年4月5日 ハイネセン市、国防委員会委員長執務室

 昼食時の第一一艦隊司令部の士官食堂で最も勢いがあるのは、艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将を中心とするグループだ。士官食堂の中央に陣取っていて、人数も一番多い。それに次ぐ勢いがあるのは、参謀長アンリ・ダンビエール少将を中心とするグループ。士官食堂の窓際に陣取り、ドーソン中将のグループに次ぐ人数を擁している。その他には三、四人の小グループが多数散在し、1人で食べている者も見受けられる。要するにドーソン中将派とダンビエール少将派が第一一艦隊司令部士官食堂の二大勢力であった。

 

 今年の初めにドーソン中将や俺が着任した時は、前司令官時代から参謀長を務めていたダンビエール少将のグループが最大勢力だった。俺を始めとするドーソン中将のグループは、大勢で食堂の中央に陣取って談笑しているダンビエール少将らを窓際の席から眺めていたものだ。

 

 しかし、第三次ティアマト会戦が終わると、武勲を立てたドーソン中将と見るべき功績がなかったダンビエール少将の立場が逆転してしまった。ダンビエール少将のグループからは、ドーソン中将のグループに転じる者、離脱して小グループを作る者が相次ぎ、食堂の中央から窓際に追いやられている。

 

 俺には他のグループと昼食をとるという選択肢は存在しない。第一一艦隊司令部における俺の立場を支えているのは、ドーソン中将を支持する人々の好意、そしてドーソン中将と協調して仕事を進めたい人々の期待である。第三次ティアマト会戦でメンツを潰してしまったダンビエール少将のグループは俺を敵視している。他の小グループと一緒に昼食をとれば、ドーソン中将のグループに亀裂が入ったのではないかと勘ぐられる。

 

 昼食を一緒にとる相手の選択一つにも、こんなにも気を使わなければならないという事実に気が滅入る。昼食が権力分布を示すという構図は、ジュニアスクールの給食の時間からまったく変わっていない。

 

 ドーソン中将がヨブ・トリューニヒト国防委員長派であるのに対し、ダンビエール少将がシドニー・シトレ統合作戦本部長派であるという事実を踏まえると、第一一艦隊司令部の昼食グループをめぐる問題はさらにややこしくなる。一緒に昼食をとる相手の選択が、軍部の最高実力者であるトリューニヒトとシトレのいずれを支持するかという踏み絵になるからだ。

 

 ドーソン中将のグループに加わる者はトリューニヒト、ダンビエール少将のグループに加わる者はシトレへの支持を明確にしたことになる。いずれのグループにも加わらない者はロボス元帥の支持者、派閥抗争に関与しない者、トリューニヒトやシトレ元帥に好意的ではあるものの支持を明確にしたくない者など様々であった。第一一艦隊司令部の士官食堂は、軍部の最高実力者の代理戦争の場と化していた。

 

 このような抗争は第一一艦隊司令部に限ったことではない。どこの司令部の士官食堂でも、同じような抗争が展開されている。派閥の領袖同士の駆け引きだけが権力闘争ではない。各艦隊、各部隊、各艦、各基地レベルで各派の支持者が主導権を奪取すべく争っている。軍隊に所属している以上、派閥争いと無縁ではいられない。ワルター・フォン・シェーンコップのように己の力のみで生きていける者は滅多にいない。強者の庇護を得られなければ生きていけない大多数の者は直接間接を問わず、派閥の傘に入らざるを得ないのだ。それはわかっていても、窮屈さを感じずにはいられない。

 

 

 

 宇宙暦七九五年四月五日。ドーソン中将の書簡を携えた俺は、国防委員会に赴き、委員長のヨブ・トリューニヒトと面会していた。

 

 トリューニヒトは俺をソファーに座らせて、書簡にじっくり目を通す。俺の目の前には、トリューニヒトの秘書官が用意したコーヒーとマフィンが置かれていた。コーヒーは俺の好み通り、砂糖とミルクがたっぷり入っている。マフィンは俺が大好きなフィラデルフィア・ベーグルのドライフルーツ入りマフィン。トリューニヒトの気配りが嬉しくなる。彼が国防委員長になってから、国防委員会職員の応接態度が格段に親切になったと言われるのも当然だろう。

 

「しかし、さすがはクレメンスだ。司令部のスタッフ人事は司令官の専管事項とはいえ、随分思い切った決断をする」

「協調できない以上は、排除して争いの根を絶つしかないと司令官閣下はお考えになったのでしょう」

 

 俺がトリューニヒトに渡した書簡には、ドーソン中将が作成した第一一艦隊司令部の人事案が記されていた。前司令官時代から勤務している参謀長ダンビエール少将以下のスタッフを解任し、後任にドーソン中将と近い人物やトリューニヒト派の人物をあてるという露骨な粛清人事だ。ダンビエール少将らを留任させても、司令部内の対立が収まる可能性は低い。だったら、全員解任して、せめて対立だけは収めようという策だ。本来なら司令官が交代した時に行うべきだった参謀の入れ替えがティアマト星系への出兵で遅れていた。遅れていた人事を施行するという大義名分を盾に取れば、司令官の横暴という批判も避けられるだろう。

 

「しかし、案を作ったのは君だね?」

 

 トリューニヒトの指摘に冷やりとする。ドーソン中将に粛清人事を進言したのは俺なのだ。第一一艦隊司令部でも知っている者はほとんどいないが。

 

「協調できないなら排除するという発想はクレメンスにはない。対立そのものをなくそうという発想がない。ただ、対立者を言い負かそうとするだけだ。彼は空気が悪くなることを恐れていないからね。君以外のクレメンス派の参謀もそうだ」

 

 俺はもともと悪意に弱い。それが自分に向けられたものでなくても、怖くなってしまう。他人がなぜ悪意の応酬に耐えられるのか、さっぱりわからなかった。ダンビエール少将と相容れないにも関わらず、排除せずにただ発言力を弱めようとするドーソン中将のやり方だと、どんどん空気が悪くなってしまう。対立の根本的な原因を解決しないと、第一一艦隊司令部の険悪な空気を払拭するのは難しいと思ったのだ。

 

「委員長閣下のおっしゃる通り、小官の案です」

「職場の和を重んじるんだね」

「そんな大層なものじゃなくて、居心地がいいに越したことはないかなと。空気が悪いと、不必要に神経使っちゃっいますし」

「君は四年前に任官してから、いつも職場の空気に心を砕いてきた。ポリャーネ補給基地給与係、駆逐艦アイリスⅦ補給科、第一艦隊司令部総務課、憲兵司令部副官、ヴァンフリート四=二基地憲兵隊、イゼルローン遠征軍総司令部、そして第一一艦隊司令部。対立を徹底的に回避しようという君の態度は、何らかの強い信念に裏打ちされているように見える」

 

 俺に信念なんてものはない。ただ、怖いだけだ。誰かと対立して、悪意を向けられることが。他人同士が対立して、悪意が飛び交うことが。前の人生で悪意に晒され続けて、すっかり弱くなってしまった。

 

「信念ではないですよ。怖いんです」

「対立が怖いのかい?」

「ええ、怖いんです」

「君がなぜそんなに対立を怖れるのか、私には分からないな。もちろん、私もなるべく対立はしたくないが、生きていれば仕方ないと思うよ」

 

 そういう感覚の方がおそらくはまともなのだろう。前の人生で酷い目にあったから、なんて言えるはずもない。

 

「小官にも良くわかりません」

「まあ、自分のことも完全にわからないのが人間だからね。私だって自分が何でそうするのかわからないことは良くある」

 

 トリューニヒトははにかむように微笑んだ。この人は知ったかぶりをしない。わからないこと、できないことは率直に認める。その率直さが好感を呼ぶのだ。

 

「しかし、動機がよくわからなくても、行動が一貫していれば、それはもう自分のスタイルと言える。対立を避けるためなら、何でもするというのが君のスタイルなのは間違いない」

「スタイルですか?そんな大層なものじゃ…」

「仮にそれが逃げであっても、徹底的に逃げ続けたら大したものさ。逃げるのは楽だと言われるが、それは一度も逃げた経験が無い人の意見だね。何であろうと、徹底するのは難しい」

 

 一時の恐怖にかられてエル・ファシルから逃げ出したリンチ提督は、前の人生では収容所で酒浸りになっていた。捕虜交換でも帰国しなかったはずだ。自責の念から逃げきれなかっただろうと思う。彼に従って逃げた俺も逃げきれずに、逃亡者の汚名に付きまとわれた。だから、逃げるのが楽ではないということは、身に沁みてわかっている。しかし、挫折した経験がまったく無さそうなトリューニヒトがそれを知っているというのは不思議だ。

 

「小官の案は逃げと言われるかもしれません。ダンビエール少将らを使いこなそうとせずに、スタッフをイエスマンで固める逃げだと。しかし、小官には他の方法は思いつきませんでした」

「イエスマンで固めて、何が悪いんだい?」

「いや、なんか、いろいろ言われるじゃないですか」

「私はクレメンスに司令官としての仕事を求めた覚えはあるが、意見の合わない部下を使うことを求めた覚えはない。彼のスタイルなら、イエスマンで固めた方がずっと力を発揮できるだろう。君もそう思ったんじゃないのか?」

 

 ドーソン中将は直言を聞き入れることができない。それは世間一般からすれば、非難されるべきことだろう。しかし、俺は彼の部下であって、評論家ではない。できないことを求めるぐらいなら、できる範囲内で最大限の結果を出してもらう。できる範囲内であっても、ドーソン中将は十分な結果を出せる人なのだ。必要なのは結果が出せるようにサポートすることであって、直言して対立を引き起こすことではない。そう思ったから、ドーソン中将に仕えている間は一度も対立前提の直言はしなかった。

 

「私はクレメンスが変わることは期待していない。今のままでいい。今のままで十分に力のある男なのだから。君も同じように考えた。だからこそ、対立を避けて彼の長所を活かす方法を考えた。それは絶対的に正しい」

「小官は他の方法を知りませんでした」

「イエスマンと言っても、媚を売って取り入ろうとする者は君の作った案には入ってないね。忠実で協調性に富んだ者ばかりだ。このメンバーなら、一致してクレメンスを支えてくれるだろう」

「ダンビエール少将達が悪いのではありません。ただ、相性が…」

「わかっている。全員に良いポストを用意しよう。友人クレメンスの要望だからな、聞き入れないわけにはいかない。友人の要望は大事にしなくてはな」

 

 トリューニヒトはわざとらしく、友人の要望を強調した。本当に人が悪い。書簡の文案を作ったのが俺だということがわかって言っている。

 

「ありがとうございます」

「人類がまだ地球にいた頃にアメリカやイギリスという国があった。銀河連邦、ひいては我が国はその国の制度から多くの物を引き継いだ。参謀システムもその一つだ。司令官の方針を実現するために補佐するのが参謀の務め。司令官は参謀の選任に大きな裁量を認められる。司令官は信頼できる者や必要な能力を持つ者を参謀に選び、司令官が交代すれば参謀も交代する。イエスマンが必要なら、堂々とイエスマンを選ぶのが正しい」

 

 トリューニヒトが語る通り、同盟軍の参謀システムは司令官本位主義だ。前の歴史では、同盟軍が腐敗した最大の原因の一つに挙げられている。司令官がイエスマンを参謀に登用して、馴れ合いが横行したことが用兵を誤らせたと言われる。しかし、実際に参謀を経験してみて、このシステムの長所を感じることが多かった。

 

「批判も多い制度ですが、司令官の能力を十二分に発揮できるという点で優れていると思います。参謀は優秀なだけでは務まりません。司令官との信頼関係が必要です。十分な情報と時間を与えられない戦場で、信頼出来ない参謀の意見に自分の部隊の命運を賭けるなんて、怖くてできないんじゃないでしょうか。情報と時間が足りない時に不安を打ち消すのは、信頼関係ですから」

 

 去年のイゼルローン攻防戦で総指揮をとった名将ロボス元帥と、全軍を敗北の淵から救った軍略の天才ヤン・ウェンリー大佐。協調できれば最強のコンビであったはずの二人の間に存在しなかったのは信頼関係だ。ロボス元帥の体育会系的な気質とヤン大佐の内向的な気質は合わなかった。ロボス元帥としては肚が見えない参謀の策に全軍の命運を委ねるわけにはいかなかったし、ヤン大佐も信頼出来ない上官のために積極的に策を練る気にはなれなかっただろう。良い悪いではなくて、そういうものなのだ。

 

 前の歴史でヤンが第十三艦隊発足から暗殺されるまでの四年間をほぼ同じスタッフで戦ったのも、まさしく信頼関係の問題だったろう。彼らが参謀業務を担ってくれている限り、ヤンは安心して指揮に専念できた。

 

「参謀ポストを全部信頼できる者で埋められるほど、顔が広い司令官はそうそういないけどね。就任要請を受けた者が必ず受け入れるとも限らない。ロボス元帥のように子飼いを多く抱えている司令官なんて、滅多にいないからね。普通は数人程度を自分で選んで、残りは統合作戦本部の人事参謀部に推薦を依頼することになる。有力派閥の二流三流の人材を押し付けられることだってある。信頼できる者を参謀にするにも、思い通りの用兵をするには、人脈を築いて派閥政治に手を染めて、参謀を自由に選べる立場にならなければならない。それが我が軍の現実だ」

「政治に手を染めないと、信頼できる仲間も得られないって嫌な現実ですね」

 

 トリューニヒトの言っていることは現実だ。しかし、嫌なものは嫌だ。否定できるかどうかと好き嫌いは違う。政治に巻き込まれたら、居心地が悪くなってしまう。アンドリューらロボス派で固められたイゼルローン遠征軍総司令部の作戦部が、シトレ派のヤンにとって居心地が悪かったように。対立派閥の牙城でも友人の家にいるかのように振る舞えるグリーンヒル大将の社交性の高さが普通じゃないのだ。

 

「私もそう思うよ。では、もっと嫌な現実の話をしよう。エリヤ君は帝国軍の参謀システムを知っているかい?」

「はい。参謀は統帥本部から派遣されてくるんですよね。そして、司令官が独走せずに軍中央の方針を守るように作戦指導を行います。軍中央が前線部隊を統制するには最適ですが、司令官と参謀が牽制し合って作戦行動の円滑を欠いてしまう欠点があります。人類が西暦を使っていた頃にあったドイツという国にルーツがあるシステムと聞きました」

「良く勉強しているね」

「早く委員長閣下のお役に立ちたいと思いまして」

 

 トリューニヒトは嬉しそうな笑顔を見せる。真っ白な歯が眩しい。ロボス派のアンドリューに教えてもらったというのは言わない方がいいんだろうな。もちろん、口頭で聞いただけじゃなくて、アンドリューに教えられた書籍や論文もちゃんと読んだんだけど。

 

「なら、もちろん元帥府についても知っているね?」

「元帥に任命された者が開ける個人オフィスです。普通の司令部のように参謀、副官、専門スタッフなどを置くことができますが、任命権はすべて元帥が持っています。元帥府の参謀に正規軍の指揮官を兼ねさせることで、実戦部隊を事実上元帥府に所属させることもできます」

「うんうん、その通りだ。この制度のことを君はどう思うかな?」

「軍閥を形成してくださいと言わんばかりの愚かな制度だと思います。いつか、この制度を悪用して簒奪を試みる者が現れるのではないでしょうか」

 

 前の人生で読んだ歴史の本では、元帥府制度はラインハルト・フォン・ローエングラムの簒奪に道を開いたと書かれていた。元帥府を開いたラインハルトは腹心を正規艦隊の指揮官に任命して、一八個艦隊のうちの九個艦隊を事実上の私兵とした。元帥府に集った人材に指揮された艦隊がゴールデンバウム朝を打倒する武器となったのだ。ラインハルト以前に元帥府制度を悪用して簒奪を試みた軍人は一人もいない。この事実を不可思議に思った後世の歴史家は、門閥貴族の覇気の無さに理由を求めた。

 

「私はそうは思わないな」

 

 トリューニヒトの答えに驚いた。俺は前の人生でゴールデンバウム朝が簒奪された歴史を知っていて、トリューニヒトは知らない。そういう差があったとしても、常識的に考えて元帥府制度は物凄く危険なはずだ。国立中央自治大学を首席で卒業して、警察官僚を経験した後に政界に転じた彼がその程度のこともわからないとは思えない。

 

「どういうことでしょうか…?」

「軍隊は指揮官だけでは動かせない。参謀が補佐しないとね」

「それは存じています」

「帝国の参謀士官は、統帥本部や軍務省での勤務経験が豊富な者が多い。軍中央の意図を理解できる人材を参謀に任命しないと、派遣しても役に立たないからね」

「それは初めて知りました」

 

 制度に関する知識はあっても、その運用実態を知るのは難しい。特に同盟軍と帝国軍では制度設計が根本的に違っている。両軍の参謀の性格の違いは分かっても、どのように任命されるかまでは考えが及ばなかった。それにしても、トリューニヒトは本当に博識だ。どこでこんな話を知ったんだろう。

 

「いざ元帥府を開いて、好きなように参謀を選べるようになっても、やはり統帥本部や軍務省での勤務が長い人材から選ぶことになってしまうんだ。司令官が参謀を選ぶ我が国と違って、ずっとお気に入りの参謀と付き合うことはできないから、元帥府に所属する部隊の参謀は、元帥より軍中央の顔色を気にする者で固められる。軍中央の意向に反した部隊運用をしたくても、参謀がストップをかけるわけだ。元帥府の参謀長なんて、軍務省や統帥本部の幹部から選ばれることが多いんだよ。パイプ役としてね。元帥府顧問の肩書きで退役した大物参謀が迎えられることもある。どこかで聞いた話だと思わないかい?」

 

 楽しそうに笑うトリューニヒトにつられて、笑ってしまった。

 

 要するに元帥府の参謀は軍中央からの監視役であり、パイプ役という名の天下り先でもある。まるで同盟の役所と民間企業の関係みたいだ。簒奪に協力するなんてとんでもない。もしかして、元帥府制度も天下り先がほしい軍官僚がでっち上げたのかもしれないなどと、つまらないことを考えてしまった。元帥府に入れば階級も上がる。いくら非効率な帝国であっても、軍務省や統帥本部のポストを無制限には増やせないはずだ。上のポストが詰まっていれば、昇進もかなわない。元帥府の設置はポストや昇進が欲しい軍官僚には福音といえる。

 

 そういえば、ラインハルト・フォン・ローエングラムの元帥府の幹部は大半が生粋の指揮官で、参謀歴が長い人はほとんどいなかった。軍中央から派遣された参謀には、簒奪の相談なんてできるはずもない。

 

 配下の名将達の参謀も影が薄い。ミッターマイヤー元帥に仕えた四人の分艦隊司令官が獅子泉の七元帥に次ぐ知名度を誇る一方で、ディッケル参謀長は一冊の伝記も残っていなかった。ロイエンタール元帥の参謀長なんて名前も覚えていない。ラインハルトの部下に見るべき参謀が少ない理由が理解できた。軍中央に忠誠を誓う参謀の掣肘をいつどうやって排除したのかはわからないけど。

 

「帝国軍の司令官って窮屈なんですね。それにしても、委員長閣下の博識ぶりには驚きました」

「私の友人には亡命者もいるんだ。門閥貴族や高級軍人のね」

「そういうことだったんですね」

「対立を嫌う君は派閥政治も苦手だと思う。しかし、派閥を作れない組織では、参謀を自由に選ぶこともできない。軍中央から押し付けられた参謀で戦うなんて息が詰まるだろう?」

「おっしゃるとおりです」

「帝国軍にも派閥はあるが、権力目当ての一時的な同盟みたいなものだ。我が軍の派閥のような強い結びつきはない。同志は得られないし、先輩の薫陶を受けることもできなければ、優れた後輩を引き立ててやることもできない。君だってクレメンスの派閥に属したことでかなり恩恵を受けている。才能を開花できたのは、彼が君を選んで引き立てたからだ。それはわかるよね?」

 

 確かにドーソン中将の下にいなければ、今頃は艦艇の補給科や辺境基地の事務職を転々としていたことだろう。レベルの高い仕事に挑戦させてもらうことはなかったし、今親しくしている人のほとんどと出会う機会もなかった。目の前にいるヨブ・トリューニヒトとも出会えなかった。ドーソン中将が政治に関わって派閥を形成していく過程で、俺も多くのものを得た。確かにトリューニヒトの言うとおりだった。

 

「はい」

「クレメンスが君を選んだのも理想の組織を一緒に作っていける部下が欲しかったからだ。ロボス元帥やシトレ元帥が派閥を作ったのも打算だけではなく、理想の組織を作りたかったからだと私は思うよ。ロボス元帥派には明朗快活で上下関係に厳しい者が多い。シトレ元帥派には反骨精神が強く自由を好む者が多い。いずれも領袖の性格を反映している。自分と近い性質を持った者のための組織を彼らは作りたかったのではないだろうか」

 

 アンドリューから聞いたことがある。ロボス元帥は理想の用兵を実現するために、参謀を自分の手で育てているのだと。自分好みの性格の人間、自分に必要な能力を持った人間を集めるために派閥を作るのだとしたら、その気持ち自体は否定できない。俺だって自分にとって居心地がいい組織で暮らしたい。頼りになる部下が欲しい。しかし、その思いを実現するために政治をしなければならないのなら、やはり避けて通りたい。

 

「エリヤ君、政治はゴミ溜めだ。溜まっているのは人間の欲望、憎悪、嫉妬、劣等感など、実に汚らしいものばかりだ。触れば手が汚れる。手を洗っても匂いは取れない。遠くにいても腐臭が鼻につく。しかし、人間がいる場所には必ず政治がある。誰かが片付けなければならない。ゴミ溜めを片付けなければ、作れない居場所がある」

 

 クリスチアン大佐は政治は汚水溜めだ、避けて通れと言った。トリューニヒトは政治はゴミ溜めだ、しかし誰かが片付けなければならないと言った。クリスチアン大佐は俺が曇り無く生きることを願っていた。トリューニヒトは俺に何を願うのだろうか。いや、それ以前に彼に問いたいことがある。

 

「委員長閣下は政界や軍部で派閥を作ってらっしゃいますよね」

「否定はしないよ」

「居場所を作りたいとお考えなのでしょうか?」

「そうだね」

「それはどのような居場所なのでしょうか?」

 

 問うた瞬間、秘書官が室内に入ってきた。

 

「委員長閣下、次のご来客がお見えになっています」

「そうか。ありがとう」

 

 面会時間の終わりを告げた秘書官に礼を言うと、トリューニヒトは机の上のメモ用紙に何やら書き込む。それから、俺を手招きした。

 

「今日は多めに面会時間を取っておいたが、時間が足りなかったようだ。君とはまだまだ話したいことがある」

 

 そう言うと、トリューニヒトは俺の手にメモ用紙を握らせた。

 

「続きを聞きたかったら、この場所に来てくれ。来るも来ないも君の自由だ。私一人でも十分に楽しめる場所だから、気遣いは無用だよ」

「承知しました」

 

 部屋を退出した後、トイレに入ってメモ用紙を開く。

 

『ウッドリバー街 十二丁目 四番地 アリューシャンビル4F ティエラ・デル・フエゴ 二〇:〇〇 私服で』

 

 行かないという選択など最初からなかった。好奇心に手綱を付けることはできない。俺がトリューニヒトに最後に投げかけた問いの答えを知りたかった。



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第五十八話:凡人民主主義 宇宙暦795年4月5日 ハイネセン市、ウッドリバー街「ティエラ・デル・フエゴ」

 ヨブ・トリューニヒトはこの半年で急速に勢力を拡大している。昨年一一月にドゥネーヴ派を離脱し、オッタヴィアーニ派やヘーグリンド派を離脱した中堅・若手の代議員とともに、自らの派閥『フリーダム・アンド・ユニオン』を結成。世代交代と政治改革を旗印に、改革市民同盟の次期党代表候補に名乗りをあげた。

 

 一二月の内閣改造で国防委員長に就任すると、三年ぶりの軍事予算増額を勝ち取って、軍人や軍需産業の間で支持を広げている。経済政策の転換を望む財界非主流派、官界の綱紀粛正を求める若手官僚、強い指導者を待望する主戦派言論人などがブレーンに加わり、政界再編の旗手として注目される存在だった。

 

 今、俺はそのトリューニヒトとともにウッドリバー街のバー「ティエラ・デル・フエゴ」にいる。薄暗い照明、薄汚れたテーブル、もうもうと立ち込めるタバコの煙、延々と流れる三十年前のポピュラーソング。客のほとんどはくたびれた背広や汚れた作業服を身にまとった中年男性。メニューは全部手書き。無節操なまでに多種多様な料理と酒は、どれも信じられないぐらい安い。気鋭の政治家が来るような店とは思えないような場末感だった。

 

「ヨブの旦那、ずいぶんとご無沙汰でしたねえ」

「最近、仕事が忙しくてね」

「ああ、年度初ですからねえ。旦那のとこみたいな堅い会社は大変でしょう」

「宮仕えも楽じゃないよ。来週のカーライルステークスで一発当てて、楽隠居と洒落込みたいもんだ」

「エンドレスピークの銀行レースでしょ?家を抵当に入れて全額ぶち込んでも、小遣いになりゃしないんじゃないですかね」

「チャーリー、私がそんなせこい勝負をすると思っているのかい?男なら大穴一点買いに決まっているだろう」

「だから、勝てねえんですよ」

「勝算はあるさ。君がエンドレスピークを一点買いしてくれたら、間違いなく大穴が来る。なにせ、君が買った馬はいつも外れるからね」

 

 安物のスーツに身を包み、古ぼけたジャンパーを羽織り、常連客と気さくに競馬の話をするトリューニヒトは、驚くほど店に馴染んでいた。会社とか、宮仕えとか言っているのはどういうことだろう?

 

「坊主、ヨブの旦那みたいな大人になるんじゃないぞ。博打で勝てなくなっちまうからな」

「ひどいな、チャーリー。この子は博打なんかしないよ」

「なるほど、旦那が反面教師になってるってわけですか」

「そういえば、君の子供はみんな博打嫌いだったね」

「ひっでえなあ。まあ、相変わらず憎たらしそうで何よりでさあ」

 

 常連客は苦笑すると、足をふらつかせながら席に戻っていった。かなり酒が入ってるらしい。いくら知り合いだと言っても、政治家相手に随分と遠慮がない。他の客も店のマスターもトリューニヒトの存在に緊張している様子は全く無い。

 

「委員…、いや、ヨブさん。これはどういうことなんですか?」

「どうしたんだい?」

「この店の人達が小…、いや、俺を気にしてないのはわかるんです。最後にテレビに出たのは四年近く前だし、ネットで出回ってる画像も今の俺とは…」

「全然似てないね。学生みたいな格好だ」

 

 曖昧にごまかそうとしたのに、トリューニヒトにストレートに突かれて、少しへこんでしまった。

 

 今日の俺は無地のカットソー、ボーダー柄のプルオーバーパーカー、チノパン、カジュアルシューズ。ウッドリバー街は庶民の街だ。手持ちの服はおしゃれすぎて、学生風にまとめなければ街に溶け込めないと判断した。成功しているのはいいことなのだが、二六にもなってそう見える自分の容姿に微妙な気持ちを感じずにはいられない。気を取り直して、何事もなかったかのように話を続ける。

 

「ヨブさんは今も毎日のようにテレビに映ってますよね?」

「そうだね」

「どうして、ここの人達はテレビで騒がれてる話題をあなたに振らないんでしょうか?」

 

 非公式の面会なので、トリューニヒトのことは「ヨブさん」と呼び、一人称は「俺」にするようにと言われている。それでごまかせるとは思えなかったのが、どうやらごまかせてしまっているらしいことに面食らっていた。

 

 六年近く前、エル・ファシルの英雄としてメディアにもてはやされていた俺が故郷のパラディオンに戻ると、家族や知り合いはみんな脱出行の裏話を聞きたがった。軍隊で知り合った人もやはり脱出行の裏話に強い興味を示した。大抵の人はメディアで騒がれていることの裏側を知りたがる。ティエル・デラ・ブエゴの客が誰も知りたがろうとしないのは不自然に感じた。

 

「彼らは私が政治家だってことを知らないからね」

「そうなんですか…?」

「そうとも。この店では、堅い勤めをしているヨブで通ってる」

「いや、でも、テレビとか見てるのに気づかないんですか?」

「だって、彼らは政治ニュースなんて見ないからね。たまに目についてもすぐ忘れる。興味ないから」

 

 あっさりと切り捨てるトリューニヒトの言葉に驚いた。有権者の大半が政治に興味を持っていないのは事実だ。ここの客のように政治ニュースにすら興味を示さない人がいるのも想像の範囲内ではある。しかし、政治家はその事実を認めてはいけない立場にあるはずだ。自分を支えてくれる有権者を見下すことになる。

 

「何を驚いたような顔をしてるんだい?彼らの方が多数派であることぐらい。君だって知っているだろう」

 

 知っている。しかし、それは彼の立場では言ってはならないことだ。良い人に見えるトリューニヒトも内心では有権者を見下していたのだろうか。衆愚政治家という前の歴史の評価のほうが正しいのだろうか。

 

「働いて食べて寝て起きる。人と出会って関わる。子供を産み育てる。余暇に体を休めて趣味を楽しむ。そのどれもが人生を賭けるに値することだ。普通は日々の営みをこなすだけで精一杯だろう。そんな中で社会や国家まで見つめる余裕を持てる者はどれほどいるのだろうか。政治に興味を持つことが正しくて、持たないことは正しくないのか。日々の営みに忙殺されるのは悪いことなのか。君はどう思う?」

 

 政治に興味を持たなければならないというのは、民主主義国家で生きる以上は大前提であるはずだ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムも有権者の無関心に付け込んで、銀河連邦を簒奪した。だから、政治に興味を持たなければならないと学校で習った。

 

「しかし、それではルドルフみたいな悪人を止めることができないのではないでしょうか?」

「なぜ、そう思う?」

「有権者が政治に興味を持たなかったせいで、ルドルフの本性を見抜けませんでした。もっと興味を持っていたら、騙されずに済んだと思うのです」

「ルドルフに投票した人達は何も考えずに騙されたのかな?真剣に考えて投票した人はいなかったのかな?興味を持っていれば、ルドルフに投票しないと言い切れる理由はあるのかな?」

 

 トリューニヒトの口調は柔らかいが、問いかけの内容はこの上なく重い。俺がこれまで当たり前のように信じていたことの正当性が問われている。経済は長期にわたって停滞し、治安は悪化の一途をたどり、道徳や規律は失われ、希望を持てなかった銀河連邦末期。その時代に俺が生きていたら、ルドルフに投票せずにいられたんだろうか。

 

「自分にはわかりません」

「社会を良くしようと真剣に願って投票した人もいたはずだ。興味を持って考え抜いた末に、ルドルフしか選べなかった人もいたんじゃないか。ルドルフの登場に警鐘を鳴らした共和派政治家なんて、きつい言い方をすると、当時の社会的混乱を収拾できずに警鐘を鳴らしてるだけの人達だよ。真面目に考えた結果、そんな無能者に投票する有権者がいたら、そちらに驚きを感じるね」

「興味を持ったからこそ、ルドルフに投票したのではないかとお考えなのですか?」

「私にはそうとしか思えない」

 

 興味を持ったからこそ、ルドルフに投票したのではないかとトリューニヒトは言う。だとしたら、政治に興味を持ってもルドルフを止められないということになる。興味を持っても持たなくてもルドルフを止められないとしたら、政治に興味を持つべき理由はどこにあるのだろう。そもそも、民主政治自体に致命的欠陥があるということになりはしないか。

 

「おっしゃるとおりだとすると、政治に興味を持つ意味がないように思えてきます」

「政治はゴミ溜めなんだよ。日々の営みに忙殺されてなお、ゴミ溜めに興味を持つ方がおかしい」

 

 トリューニヒトの言葉は政治に興味を持つなと言っているように聞こえて、ちょっとイラッとした。建前を平然と踏みにじるような行為は好きになれない。

 

「昼にお話を伺った時は、『政治はゴミ溜めだ、しかし誰かが片付けなければならない』とおっしゃったのに、今は政治に興味を持つべきでないとおっしゃっているように聞こえます。矛盾しているのではないでしょうか」

「矛盾はしていない。日々の営みに忙殺されている人々がゴミ溜めに興味を持たずとも、安んじて暮らせるように片付ける。それが政治家の仕事だと私は思うよ」

「それなら、民主主義である必要がどこにあるのでしょうか?専制君主に全部任せてしまっても、結果は同じじゃないですか?何のために参政権があるんですか?」

 

 俺は民主主義の絶対的な信奉者というわけではない。前の人生の半分以上はローエングラム朝銀河帝国の治世で暮らしている。民主主義でも専制政治でも、俺が良い目を見られないことには変わりがなかった。しかし、現在の自分が民主主義のルールで生きている以上は、それに忠実でありたいと思う。いや、ルールから外れて生きていけるほど、自分が強くないと言った方が正しい。

 

「真剣に政治を考えている人達だけで、世の中を動かさないようにするためじゃないかな。政治のことなんかどうでも良くて、その時々の気分や目先の損得勘定で投票する。そんな有権者を多数派にするためだろう」

「それでは間違った政治をすることになります」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは間違いを許さない人物だった。そんな彼に間違いのない政治を有権者が期待した結果、少しでも間違っていると思われたものは世の中から抹消されていった。人間なんて間違いだらけの存在だろう。間違いを無くそうとする事こそがルドルフに至る道じゃないかな?」

 

 確かにルドルフは間違いの無い政治を目指した。その結果、劣悪遺伝子排除法によって、障害者や意欲に欠ける者を抹殺するに至った。政治に間違いを許さない姿勢がルドルフの暴走を招いたのではないかというトリューニヒトの指摘は正しい。ルドルフに間違いがあるとしたら、それは人間が間違った存在であることを許せなかったことだ。

 

「間違いのない政治を目指したら、人間が間違わないことを目指すしか無いでしょうね。それが無理なのはわかります。俺だって、間違わずに生きるのは無理です」

「世の中の人間の大半は凡人だよ。目先の損得やその場の空気に流されて、間違いばかりを起こす。欲が深いくせに無欲に見られたい。怖くて逃げたいのに逃げたと思われたくない。愚かなのに馬鹿と言われたくない。私もそんな間違った凡人の一人だ」

 

 俺が知る限り、トリューニヒトは最も凡人からかけ離れた存在だ。容姿、頭脳、カリスマ、運の全てに恵まれ、エリートコースを突っ走って官僚になった後、政治家に転身して成功した。今や政権に手が届くところまで来ている。前の歴史でも最高評議会議長就任後は危機管理能力の無さを露呈したが、それを差し引いても非凡な人物ではあった。八月党が下した保身とエゴイズムの怪物という評価は同時代人の感想として大袈裟に過ぎると思うが、それでも凡人でないことは敵対者ですら認めていた。

 

「あなたが凡人とは思えませんが」

「昔は私もそう思っていたよ。自分は人とは違う、選ばれた存在だと思っていた」

「違うのですか?」

「今になって思えば、選ばれたと思っていたこと自体が私の凡人たるゆえんだったのだろうね」

 

 トリューニヒトの表情に陰りがまじる。見覚えのある表情だ。前の人生のハイネセンのスラムで出会った人々が同じような表情をしていた。人生に疲れきって、夢を見ることを諦めた敗北者の顔。あの頃に鏡を見たら、俺も同じ顔をしていたことだろう。

 

 公式に知られている限り、トリューニヒトは挫折らしい挫折を経験していない。歴史においても、数多くの失策を犯しながら、キャリアに傷が付いたのはバーラトの和約後に最高評議会議長の座を追われた時だけだ。それとて、後を継いだジョアン・レベロの背負った苦労を思えば、うまく身を保ったと言える。そんな人物がなぜこんな表情をできるのだろうか。トリューニヒトには何かがある。俺には計り知れない何かが。

 

「あなたは何を諦められたのですか?」

「非凡であることを諦めた。それで良かったと思うよ。万人に強くあれ、間違いを犯すな、意識を高く持て、政治を真剣に考えろと強要せずに済んだのだから」

 

 トリューニヒトの過去の言葉を思い出す。

 

『この店では同盟で生まれた人間も帝国で生まれた人間もみんな笑顔で同じ料理を食べている。その光景を見るたびに専制を打倒して、すべての人間が笑顔で同じ食卓を囲める世界を作らなければならないという思いを強くする』

 

『ルールは公正に適用され、不正が許されることはなく、献身は必ず報いられ、みんなが同胞意識を持って信頼し合い、助け合い、分かち合いながら前進する。そんな社会を作りたいと思っている』

 

 ようやく、トリューニヒトの考えが見えてきた。彼は万人に弱くても構わない、間違いを犯しても構わない、意識が低くても構わない、政治を真剣に考えなくても構わないと言いたいのだ。人間の弱さをそのまま認めるというのがトリューニヒトの根底にある。とすると、彼がどのような居場所を作ろうとしているのかも見えてくる。 

 

「あなたが作ろうとなさっているのは、弱くて間違いを犯す凡人のための居場所ですね。そして、凡人のささやかな欲望や自尊心を満たすための政治」

 

 俺の答えにトリューニヒトは笑みを浮かべると、大きく頷いた。

 

「目先の損得や気分で左右されて間違いを犯す凡人のためにこそ、民主主義はある。間違いを無くすのではなく、間違いながら進んでいく。政治のことを考えず、日々の営みに流されていても暮らしていける。アーレ・ハイネセンが唱える『自由、自主、自律、自尊』の理念は凡人には重すぎる。正しい政策やイデオロギーを選択しようとする者や、万人に政治意識の高さを求めて間違いのない政治を目指そうとする者の顔ばかり見る政治は、ルドルフに至る道だ」

 

 徹底した凡人目線のトリューニヒトの考えは、徹底した強者目線のルドルフのアンチテーゼ足り得るだろう。自由であることを至上として、強者しか持ち得ない自主性と自律心と自尊心をすべての人に求めるアーレ・ハイネセンへのアンチテーゼでもある。ルドルフの強者の自由、ハイネセンの万人の自由に対する第三の極、凡人の平等だ。

 

 歴史が評するところの理念無き政治屋とは正反対の極めてラディカルな思想を聞かされたことに興奮を感じる。危険領域に入っているのは明らかだったが、好奇心を強く刺激された俺は質問を続けた。

 

「いつも、あなたは個人主義を批判して、愛国心と自己犠牲を賞賛してらっしゃいますよね。それも凡人のための居場所作りと関連があるのですか?」

「もちろんだとも。凡人は弱い。助け合わなければ、踏みにじられてしまう。愛国心は悪党の最後の拠り所という言葉がある。その言葉はある意味では正しい。誇るべき能力も愛すべき人も頼れる絆も持たない者でも、同盟国民というだけで同胞を得て、誇りを持てる。誇りを持てば、努力せずとも強くなれる」

 

 トリューニヒトの主張は全体主義に近いが、目的はあくまで凡人の幸福であって、国家を強くすることが目的ではない。国家単位で村を作る共同体主義と言うべきだろうか。それもぬるま湯のような村である。アーレ・ハイネセンの信奉者であるヤン・ウェンリーがトリューニヒトと生理的に合わなかった理由が理解できたような気がする。

 

「大多数の凡人はそれで良いと思います。では、少数の非凡な者はどうなるのでしょうか?凡人のための居場所では、窮屈な思いをさせられるのでは」

「それは仕方がない。少数の非凡な者が多数の凡人に非凡であることを強いる場所より、非凡な者が凡人に合わせることを強いられる場所の方が暮らしやすいと思うよ。突き抜けた個性に多数の凡人が振り回されるなど、悪夢だろう」

 

 凡人のためなら、出る杭を打つことも辞さない。トリューニヒトはあっさりとそう言ってのけた。彼にとって、天才は打つべき杭でしかない。凡人の俺には居心地が良さそうだが、割り切りが良すぎて剣呑なものを感じる。政治家というより、宗教家や思想家のそれに近い。

 

「ホーランド提督の第一一艦隊司令官起用に反対された本当の理由がようやく理解できた気がします」

「彼は非凡すぎる。私の構想にはそぐわない」

 

 ドーソン中将の第一一艦隊司令官起用は、自派の勢力を拡大するための手段に過ぎないと思っていた。しかし、今になって理念的な背景が理解できた。ドーソン中将は有能な人だが、非凡な人ではない。スキルの習熟度が桁外れに高いだけで、非凡な発想は何一つ持っていない。徹底的に平凡なアプローチを重ねて、あらゆるスキルに習熟するに至った。言わば凡庸さを極め切った存在である。トリューニヒトの理念に合致した人材だ。

 

「ところでエリヤ君、君にとって必勝の戦略とはどういうものかね?」

「必勝の戦略ですか?」

「そう、君が提督ならどのような必勝の戦略を用意するか」

 

 これまで参加した戦闘、仕えた指揮官を思い出してみる。ヴァンフリート四=二基地攻防戦のセレブレッゼ中将、イゼルローン攻防戦のロボス元帥、第三次ティアマト会戦のドーソン中将。それぞれの長所と短所、自分に真似できる長所と真似できない長所を比較検討する。

 

「自分は業務経験が浅いので、参謀との意思疎通を大事にします。指揮経験が浅いので、分艦隊司令官との意思疎通を大事にするとともに、訓練と規律を徹底して将兵が思い通りに動くようにします。戦力が足りないと不安なので、多くの予算と最新装備と訓練された兵員を回してもらえるよう、国防委員会にお願いします」

「君らしい平凡さだね」

「自分の能力と権限の範囲内で必勝を期するなら、これ以上の手は考えつきません」

「その発想こそ、私が求めているものなんだよ。誰にでも理解できる用兵、誰にでも理解できる部隊運営。自分の長所を良く理解して、コミュニケーションと管理を軸に据えているのも素晴らしい」

「ありがとうございます」

 

 ラディカルな理念を聞かされて、恐れを感じていたところでいきなり褒められると、裏があるのではないかと身構えてしまう。小心者の悲しさだ。

 

「クレメンスに仕えている間、君は一度も直言をしなかった。欠点を改めようとせず、その平凡さを大事にした。結果として、君は誰よりも良くクレメンスを補佐できた。他人を変えようとせずに、長所を目に向ける。凡人を凡人のままで活かそうとする。私はそんな君のあり方を高く評価しているつもりだ」

 

 ドーソン中将に仕えて二年四ヶ月。仕事ぶりを評価されたことは少なくない。特にどんな内容でも一枚の紙にまとめる文章力と、記憶力の良さは良く褒められた。忠誠心が厚いとも良く言われた。しかし、ドーソン中将への向き合い方を褒められたのは初めてだ。嬉しくなって警戒心が溶けていく。俺って本当に現金だ。

 

「第一一艦隊司令部からは外れてもらう」

「どういうことですか?」

 

 喜んできたところでいきなり落としてくる。天まで持ち上げられてから、いきなりハシゴを外された気分だ。

 

「クレメンスと話し合った結果だよ。優秀な書記官というのが君に対する一般的な評価だが、むしろ管理者にこそ適正があるように思える。しかし、クレメンスの下ではスタッフワークを伸ばせる機会がない。どうしても自分の手で育てたい気持ちはあったが、君の可能性を限定したくないと気持ちもあり、彼は悩んでいたんだよ」

 

 ドーソン中将がそんなことで悩んでいたとは思わなかった。国防委員長に相談するぐらい、俺の育て方をちゃんと考えてくれてたなんて、嬉しいやら申し訳ないやら、どんな表情をしていいかわからない。

 

「次の任地はエル・ファシル星系。三度目の赴任ということになる」

「エル・ファシルですか!?」

「そうだ。現状は知っているだろう。君の手でケリを着けるんだ」

 

 エル・ファシルとは長い因縁がある。光に満ちた今の人生の始まり、そして偽りの英雄伝説の始まりでもあった。俺はエル・ファシルの現状に少なからず責任を負っている。長きにわたる因縁にケリを付ける時が来たのかもしれない。



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第七章:内なる戦い
第七章開始時人物


主人公

エリヤ・フィリップス 27歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。エル・ファシル警備艦隊の第一三六七駆逐隊司令。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。宇宙艦隊総司令部や第一一艦隊の参謀を経て、三たびエル・ファシルに赴任する。エル・ファシルの英雄の虚名に翻弄されつつも懸命に仕事に取り組む。小心者。小柄で童顔。卑屈。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。事務が得意。指揮官としては未熟。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 26歳 女性 オリジナル人物

エリヤの友人。同盟軍中佐。エル・ファシル警備艦隊の巡航艦艦長。士官学校を三位で卒業したエリート。プライベートでもエリヤと行動を共にすることが多い。反戦派よりの思想を持つ。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 32歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍中佐。士官学校卒の参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 47歳 男性 原作人物

エリヤの上官。同盟軍大佐。エル・ファシル警備艦隊の第二九九駆逐群司令。下士官あがりの叩き上げ。エル・ファシル脱出作戦の際にエリヤと知り合う。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 40歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。国防委員長。警察官僚出身の主戦派政治家。改革市民同盟非主流派の領袖。凡人のための世界を作るという理想を持つ。エリヤをエル・ファシルに派遣した。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 45歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。第一一艦隊司令官。第三次ティアマト会戦で帝国軍の宿将を討ち取って、実戦に弱いという評価を払拭。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 25歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍大佐。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。ロボスに心酔している。最近は過労で痩せ細っている。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。行軍計画の立案に高い力量を示す。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 57歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。同盟軍屈指の名将だが、ヴァンフリートとイゼルローン攻防戦で失点を重ね、力を失いつつある。人心掌握にも長ける。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 32歳 男性 原作人物

同盟軍少将。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。第六次イゼルローン攻防戦で活躍したが、トリューニヒトの横槍で艦隊司令官の座に就き損ねた。第三次ティアマト会戦で功を焦って失態を犯す。強烈な覇気の持ち主。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。男らしい美男子。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

カーポ・ビロライネン 34歳 男性 原作人物

同盟軍軍人。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

シトレ派関係者

チュン・ウー・チェン 33歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。第十一艦隊司令部でエリヤと親しくなった。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を繰り広げた。

 

ヤン・ウェンリー 28歳 男性 原作主人公

同盟軍准将。シトレが重用する若手参謀。昨年のイゼルローン攻防戦で功績を立てて准将に昇進。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 34歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。シトレの腹心。セレブレッゼに匹敵する後方支援のプロ。現在は同盟軍後方部門の司令塔。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

その他個人的な関係者

ハンス・ベッカー 30歳 男性

同盟軍中佐。帝国から亡命してきた参謀。入院中にエリヤと知り合う。垂れ目。背が高い。遠慮がない。お調子者。

 

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍大佐。軍事輸送の専門家。入院中にエリヤと知り合う。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

カスパー・リンツ 25歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 24歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校を上位で卒業したエリート。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

ヴァンフリート四=二関係者

ワルター・フォン・シェーンコップ 31歳 男性 原作主要人物

同盟軍大佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。エリヤのいれたコーヒーを気に入っている。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

シンクレア・セレブレッゼ 49歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 49歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 36歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 51歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 50歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 29歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 22歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第五十九話:ダーシャと一緒に歩く因縁の街 宇宙暦795年5月初旬 エル・ファシル市

 俺が最後に惑星エル・ファシルに降り立ったのは、四年前の秋のことである。衛星軌道上から三個艦隊が浴びせかける艦砲射撃、航空部隊による爆撃、八〇万の地上軍部隊によるしらみ潰しの掃討攻撃によって、エル・ファシルを守る帝国軍地上部隊が壊滅状態に陥った後、その司令官であるミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将に儀礼的な降伏勧告を行う目的で、半壊したエル・ファシル星系政庁に赴いた。丁重に降伏を拒絶した後に部下と国歌を唱和して、ジーク・カイザーを叫びながら爆炎の中に消えていった闘将と、お飾りの義勇旅団長だった自分の身を引き比べた時に感じた惨めな思いは今でも忘れられない。

 

「勉強していたつもりだったけど、思っていたよりずっと酷いね…」

「あれから、四年も経っているのに」

 

 俺と一緒にエル・ファシルに赴任したダーシャ・ブレツェリは、市街地の惨状に唖然としていた。今もなお壊れたまま放置されているビル、昼間だと言うのにシャッターが閉まったままの商店、ひび割れが酷い道路、生気のかけらも感じられない通行人。かつてこの惑星を襲った戦火の痛手は、今もなお癒えていない。前の人生で見た同盟滅亡後のハイネセンを思い出す。

 

「七年前はどうだったの?」

「こういう言い方は変だけど、人が生きている感じのする街だったね」

「そっか…」

 

 七年前にリンチ司令官の逃亡に憤り、俺の記者会見に賞賛を送り、ヤン・ウェンリーの指揮にてきぱきと従って奇跡の脱出作戦を成し遂げた人々の面影は、目の前の荒廃した街には残っていない。三年間の疎開生活、戦火で破壊された故郷、復興事業の停滞がエル・ファシル住民の心を打ち砕いてしまったように見える。

 

「わかったろ、俺は英雄なんかじゃない。その本が書いてることが正しい」

 

 その本とは、ダーシャが手にしている『検証-エル・ファシルの英雄は誰を助けたか』の文庫版。士官学校時代には風紀委員として、権力批判の書籍を持ち込もうとする有害図書愛好会のダスティ・アッテンボローやヤン・ウェンリーと争った彼女だったが、意外なことに政治信条はきわめてリベラルだった。反戦派ジャーナリストの中で最もラディカルと言われ、有害図書問題や士官学校の首席争いで激しく衝突した宿敵ダスティ・アッテンボローの父でもあるパトリックの本の愛読者である。リベラルな彼女が有害図書愛好会を敵視した理由は、「ルールはルールだし、あいつらのひねくれた根性が気に食わないから」だそうだ。

 

「エリヤは悪くないよ」

「悪くなくても、ろくなものじゃないよ。誰の力にもなれなかった英雄なんてね」

「次に頑張ればいいよ。帳尻なんて、後から合わせればいいの」

「そうかな」

「私は颯爽とした英雄エリヤ・フィリップスより、真面目で不器用なあなたの方がずっと好きだよ」

 

 にっこりと笑うダーシャにドキッとして息が止まりそうになった。こういう不意打ちがあるから、本当に油断ならない。

 

「なに赤くなってるのさ。本当に可愛いなあ、もう」

 

 君の方が可愛いだろ、と内心で思ったけど、照れくさくて口には出せない。ごまかすために話題を強引に転換する。

 

「君の友達の陸戦部隊の子って、エル・ファシル奪還戦に参加してたんでしょ?何か聞かなかったの?」

「あの子、仕事の話はしないからねー。エリヤみたいな仕事人間とは違うから」

「どうせ、俺はつまんない奴ですよ」

「エリヤが可愛いって話ばかりしてたよ」

 

 ごまかすつもりが藪蛇を突付いてしまった。ダーシャはもともと、メディアの中の英雄エリヤ・フィリップスを爽やかすぎて嘘臭いと嫌っていた。「陸戦部隊の子」はそんなダーシャが俺のファンになるきっかけを作った人物なのだそうだ。女性なのに陸戦隊員でしかも俺の熱烈なファンだなんて、よほど変わり者に違いない。そんな奴には関わらないに限る。

 

「海賊退治がうまくいったら、エル・ファシルの人達の力にちょっとはなれるかな」

「なれるよ、きっと」

 

 エル・ファシル星系の首星である惑星エル・ファシルは宇宙暦七八八年に帝国に占領されて、七九一年の奪還戦で焦土と化した。インフラは完全に破壊され、主要産業だった農業と林業は壊滅状態に陥った。

 

 二大政党の改革市民同盟と進歩党がいずれも緊縮財政と公共事業縮小を推進していたために、十分な復興予算が付かなかったことがエル・ファシルの復興を遅らせた。税収減によって財政難に陥ったエル・ファシル星系政府は、地方財政健全化を推進する地域社会開発委員会の勧告を受け、公債発行額を抑えて予算規模を縮小しようと試みた。その結果、地方税の引き上げ、警察官を含む公務員の解雇、福祉予算の削減、公共施設の売却などが実施され、エル・ファシル星系の経済と治安は完全に崩壊した。

 

 GDPは占領前の八割にも満たず、失業率は全国でも最悪の一九パーセントに達した。わずかな求人も大半が同盟最低賃金ぎりぎりで、生計を立てていくには厳しい。職を求めてエル・ファシルを離れる者が相次ぎ、占領前に三〇〇万を数えた人口は二五〇万まで減少している。犯罪率は占領前より倍増して、反比例するように検挙率は急落した。多重債務、家庭崩壊、薬物乱用、アルコール中毒などの社会問題が深刻化。麻薬密売業者、人身売買業者、臓器売買業者、違法賭博業者、売春斡旋業者、詐欺師といった犯罪者が希望を失ったエル・ファシルの住民を食い物にしようと群がった。宗教団体、反体制組織なども急速に支持を広げている。そんなカオスの中、宇宙海賊がエル・ファシル方面航路での活動を活発化させていた。

 

 宇宙海賊とは数隻から数十隻の編隊を組んで、星間航路を通行する貨物船や旅客船を襲撃して略奪を行う非合法武装集団だ。乗っ取った艦船の売却、奪った積み荷の売却、人質の身代金などを主な収入源にしており、違法品の密輸や麻薬密売を兼業することもある。シンジケートを結成して組織的に海賊行為をはたらく者もいれば、血縁者や友人知人などの縁で結ばれた海賊もいる。反体制組織、民間警備会社などが資金集めに海賊行為に乗り出すケースも少なくない。元航宙士、退役軍人、元技術者といった専門家が中核を成しており、同盟軍正規艦隊にひけをとらない練度を有する海賊集団も存在するという。

 

 自由惑星同盟の国防委員会が毎年発行する国防白書では、帝国軍と宇宙海賊が二大仮想敵とされている。経済の生命線とも言える星間航路の安全は、星間国家にとっては死活問題であった。宇宙海賊との戦いは警戒活動がメインで、戦闘が発生しても両軍合わせて数十隻から数百隻の規模に留まる。数万隻の大艦隊同士が衝突する対帝国戦争と比較すると、世間の注目度は格段に低い。しかし、海賊から星間航路を警備する巡視艦隊や警備艦隊の合計人員は、対帝国戦に従事する正規艦隊の合計人員より多かった。

 

 エル・ファシル星系で活動する海賊集団の総勢力は艦艇約千六百隻、構成員は戦闘要員と支援要員を合わせて約二十万人と見積もられる。一方、エル・ファシル星系警備艦隊の総戦力は艦艇六四三隻、将兵七万八〇〇〇人。単純な数では警備艦隊が劣勢だが、すべての海賊集団が団結して立ち向かってくることは有り得ない。広大なエル・ファシル星系全体に数隻から数十隻単位の小集団で活動している海賊を、一二〇隻前後の群や三〇隻前後の隊に分かれて掃討するのが警備艦隊の任務となる。

 

「七年前にエル・ファシル警備艦隊で勤務していた時は一等兵だった。リンチ司令官の旗艦で補給員をしてた。それが今や駆逐艦三三隻を指揮する中佐の駆逐隊司令。我ながら信じられないよ」

「二七歳で中佐って士官学校上位と同じぐらい早いもんね」

 

 今の俺の肩書きはエル・ファシル警備艦隊第二九九駆逐群所属の第一三六七駆逐隊司令。普通の士官学校卒業者は三五歳前後、下士官からの叩き上げはよほど優秀な人が五十を過ぎてから就任するようなポストだ。第二九九駆逐群副司令を兼ねているから、普通の駆逐隊司令よりやや格が高い。ちなみにダーシャは中佐に昇進して、エル・ファシル警備艦隊第一八七巡航群所属の巡航艦「ノヴァ・ゴリツァ」艦長の辞令を受けている。

 

「やっぱ、エリートに見えるのかな」

「あれ、まだ気にしてるの?」

「まあね。ずっと、自分が非エリートだと思ってたから」

 

 あれというのは、エル・ファシルに向かう船の中で起きたちょっとした事件のことだ。泥酔した中年の曹長に絡まれて、「士官学校のエリート様には、俺らの気持ちなんかわかんねえよ」と言われて、半日ほどへこんでいた。前の人生では一等兵より高い階級に昇進できなかったし、下士官や古参兵にさんざんこき使われた。その経験が染み付いてるせいで、自分が下っ端に思えてならない。

 

「エリヤを士官学校卒って勘違いしてる人多いからね」

「どうしてなのかなあ」

「勉強家で体を動かすのも好き。真面目で人当たりがいい。士官学校でいい成績取るタイプ」

「勉強嫌いだったし、運動も苦手だったよ。付き合いも悪かった」

「それ、何年前の話?」

 

 今の人生が始まったのは七年前だった。しかし、公式にはハイスクールを出るまでってことになるのかな。

 

「一〇年前」

「いい加減、そんな昔のことは忘れなよ」

 

 ばっさり切り捨てられてしまった。前の人生のことを覚えているのは俺だけだ。長年にわたって植え付けられた負の自己評価を払拭するのは難しい。秘密を持っているのがこんなに辛いこととは思わなかった。どうせ人生をやり直すなら、過去の記憶は消して欲しかった。そうしたら、素直に自分を好きになれたかもしれない。

 

「忘れられないよ。過去に戻って変えるわけにもいかないだろ」

「私は覚えてないから」

「なんだよ、それ」

「過去のエリヤがどんな子だったかは知らないってこと」

「関係ないだろ」

 

 ダーシャが知ってるか知らないかじゃなくて、俺が知ってることが問題なんだ。俺自身の問題なんだから。

 

「前に見せたジュニアスクール時代の写真、覚えてるよね」

「ああ、あの写真ね」

「成績表も見せたよね」

「覚えてるよ」

 

 写真の中のダーシャは本当に太っていて、ださい服装と髪型も相まってとても不格好に見えた。成績表もかなり悪く、俺よりちょっとマシ程度だった。今とは全然違っていて、本当に驚いたものだ。

 

「私のこと、馬鹿で不細工って思う?」

「そんなわけないじゃん。どっからどう見ても秀才で…、」

「で?」

「か、可愛い…」

「でも、昔は馬鹿で不細工だったよ?」

 

 いきなり、何を言い出してるんだろうか。昔のことなんて関係ない。あったとしても、むしろ誇るべきことじゃないか。彼女の努力に尊敬の念を感じても、馬鹿だの不細工だのとは思わない。

 

「関係ないよ。頑張って今のようになったんでしょ。生まれつき頭良くて可愛い子より凄いよ。あれ見た時、ダーシャには敵わないって思った」

「そういうこと。もともとはできない子だったエリヤも十年かけて、士官学校の秀才にひけを取らないレベルまで来たんだよ。だから、私としては素直に尊敬させてほしいんだけど」

 

 本当にダーシャには口で勝てる気がしない。いや、俺が口で勝てる相手なんて、この世にはいないか。

 

「指揮官やるんなら、そのエリートっぽい見た目を生かした方がいいよ。他人を見て合わせるだけじゃなくて、自分をどう見せるかも考えなきゃ」

「そうなのかなあ」

「ファッションって自分の見せ方なんだよね。それを意識して欲しかったから、ちゃんとした服を買えってうるさく言ったのよ」

 

 ファッション好きのダーシャがうるさく言ってたのは、俺のださい私服に我慢ならなかったからとばかり思っていた。自分の見せ方を考えろって意味があったとは思わなかった。

 

「ありがと。考えてみる」

 

 そう答えると、ダーシャは優しげに微笑んだ。彼女は感情表現が本当に豊かだ。笑顔だけでも一〇パターン以上あって、眺めているだけでも飽きない。特に話したいことがなくても、適当に話題を振ってどんな表情をするのか見たくなる。

 

 エル・ファシルに向かう船ではずっと彼女の客室にいて、二人で取り留めのない話をしていた。たまに話が途切れることもあったけど、それはそれで面白かった。シャワーを浴びる時もベッドに入る時もずっと一緒だった。これほど同じ人とべったりしてたのは人生で初めてだと思う。アルマと仲が良かった頃は結構べたべたしてたけど、五歳も年が離れてたからずっと一緒ってわけにはいかなかったし。

 

 

 

「はい、着きました」

 

 ダーシャに言われて、俺達が第二九九駆逐群の本部に着いたことに気づいた。彼女と話していると、本当に時間を忘れてしまう。第一八七巡航群の本部に向かう彼女と手を振って別れると、中に入って受付の女性にアポイントメントを取っていたことを伝える。しばらくして副官がやってきて、俺を群司令室まで案内した。

 

「エリヤ・フィリップス中佐、只今着任いたしました」

「うん、良く来たね」

 

 第二九九駆逐群司令アーロン・ビューフォート大佐は生粋の駆逐艦乗りだ。駆逐艦長や駆逐隊司令を歴任して、駆逐群司令に先日就任した。これといった武勲はないが、長年航路保安に従事して、豊富な対海賊戦闘の経験を持つベテランだ。今年で四七歳になるが、五年は若く見える。日に焼けたような浅黒い肌に黒っぽい髪。身長は低いものの体は引き締まっている。表情は活き活きとしていて、全身に活力がみなぎっているような印象を受けた。

 

「お久しぶりです。まさか、エル・ファシルで再会するとは思いませんでした」

「あの時の坊やがこんなに大きくなるとは思わなかった」

「とっくに成人してたんですけどね」

「ソリビジョンで見て知ったよ。悪いこと言っちゃったなあって思ってたけど、また会えて良かった」

 

 七年前にエル・ファシルから脱出した時、当時少佐だった彼は脱出船団の旗艦マーファの艦長を務めていた。イラッとして突っかかった俺の無礼を咎めないで、艦長の仕事の難しさを語って聞かせてくれた。自分の大人気なさが恥ずかしくなって、泣き出してしまったのも懐かしい思い出だ。大人というのがビューフォート大佐に抱いたイメージだった。

 

「あの時の優しい艦長さんの副司令を務めることになるなんて、夢にも思いませんでした」

「私もあの時の可愛らしい坊やが自分の補佐役になるなんて、夢にも思わなかった」

 

 口を大きく開けて、真っ白な歯をむき出しにして笑うビューフォート大佐につられて笑ってしまった。

 

「あれから七年、本当に長かったですよ。エル・ファシルに戻ってきて、あなたとまた会えました。生きていて良かったです」

「相変わらず、君は大袈裟だね」

「実際、三回ほど死にかけましたよ」

「ああ、二月のティアマト会戦では、第一一艦隊の旗艦が撃沈される寸前だったよね」

「ええ。あれからもう三ヶ月が過ぎました」

 

 あの時は味方艦の爆発の衝撃で揺れた旗艦ヴァントーズの床に倒れこんで、震えて起き上がれなくなっていた。第九艦隊が来なければ、確実に死んでいただろう。こうしてビューフォート大佐と話していると、生きている喜びがふつふつと沸き上がってくる。

 

「ま、見ての通り、私はただのおっさんだ。大した能はないけど、年食ってるおかげでちょっとは経験がある。わからないことがあったら、気兼ねしないで聞いてね」

「これからもご指導お願いします」

「偉そうなこと言っちゃったけど、私も先日着任したばかりなんだ。群司令の職も初めてでね。初めて同士、一緒に部隊を作り上げていこうじゃないか」

「はい!」

 

 士官に任官してから四年。今回が初めての艦艇指揮となる。艦長経験もないのにいきなり三三隻もの駆逐艦を指揮することになったが、ベテランのビューフォート大佐の指導を受けられるのが幸いだった。三三隻の駆逐艦、一五五五人の将兵を統率していけるのか。不安と期待が俺の中で混じり合っていた。



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第六十話:ひとつひとつ積み重ねて 宇宙暦795年7月上旬 エル・ファシル星系

 第一三六七駆逐隊の現状は、初の戦闘指揮官職に意気込んでいた俺の出鼻を挫くには十分だった。将兵の気持ちは緩みきっていて、無断欠勤や遅刻が多い。装備類は手入れがいい加減。部署間の連携はまったく成り立っていない。アルコール、ギャンブル、性風俗に過度にのめり込む者、多額の借金を抱える者も多い。軍規違反者の摘発件数は少ないが、まともな取締りが行われていないせいだろう。基地の外で犯罪を犯して現地警察に逮捕される者の異常な多さがそれを裏付けている。部隊内部では暴力事件や盗難事件が頻発しているようだが、対策が行われた形跡はない。

 

 この部隊の首脳である二人の副司令、八人の幕僚は長い経験から手の抜き方しか学んでこなかったようなロートルか、そうでなければ任期を無事に終えてハイネセンに戻ることしか考えていない事なかれ主義のエリートだった。二人の副司令を除く駆逐艦艦長三一人の中にも見るべき人物はいない。初日の訓示で俺が抱負を述べた時も幹部達の反応は鈍く、やる気が見られなかった。怠惰と無気力が第一三六七駆逐隊を覆い尽くしているのがはっきりと分かる。さまざまな改善案を用意していたが、今のままでは徹底されないのは明らかだった。まずは俺の威信を確立する必要がある。

 

 最初に駆逐隊司令部と各駆逐艦の文書と帳簿を集めた。連日夜遅くまで司令室にこもってチェックすると、ミスの隠蔽、帳簿操作といった不正の証拠が山のように出てくる。良くこんな文書が通ったと感心してしまうほどに書式不備も酷い。

 

 一段落すると、特に不正が酷かった副司令一人、幕僚二人、艦長二人を個別に呼びつけた。最初はふてぶてしい表情だったが、俺が証拠となる文書を示して問題点を細かく指摘していくと、顔色がどんどん悪くなっていった。最後に免職もしくは停職に相当することを伝えて進退を問う。免職処分を受ければ、退職金は支給されず、軍人年金も大幅に減額される。停職処分から復帰しても、給与等級が下げられ、進級リストの順番も大きく落とされてしまい、軍人としての未来は事実上閉ざされる。結局、五人全員が辞表を提出した。

 

 残った幹部達も大半は何らかの不正をはたらいていた。彼らは俺に不正の証拠を握られていること、今回はたまたま不問に付されただけに過ぎないことを理解して、すっかり震え上がってしまった。俺のところに機嫌伺いに来る者も現れる始末だ。ドーソン中将が憲兵司令部を掌握する時に用いた手段の模倣であったが、自分でも驚くほど鮮やかに事が運んでしまった。

 

 幹部を掌握すると、今度は軍規違反の取締りを強化に乗り出した。各艦の艦長に摘発成績が優秀であれば勤務評価に大幅な加点を行うこと、部下の軍規違反を隠蔽したら重い処分を下すことを伝えた。不正の証拠を握られている者は俺の機嫌を取ろうと考え、不正をはたらいていなかった者は本来の真面目さを発揮し、必死になって部下の取締りに励んだ。私的制裁、パワハラ、セクハラ、麻薬犯罪に限っては、匿名記名を問わず密告を受け付け、摘発と同時に密告網を形成することで防止を試みた。警備艦隊の憲兵隊と協力して、素早く処分を下せる体制も整えた。その結果、緩みきっていた軍規は急速に引き締まっていったのである。これも憲兵隊で学んだ手法だった。

 

 厳しくするだけでは、将兵はついてこない。艦単位、全隊単位の勤務成績優秀者表彰制度を作り、優秀者は月一回の全体朝礼で俺自ら表彰することとした。また、暇を見ては各艦からの要望書に目を通し、自分の目で現場を視察して直接将兵と話して、シャワーが壊れている、クーラーの効きが悪いといった生活上の細かい要望を聞いて行った。そして、俺の決裁で片付く事項に関してはすぐに解決に乗り出し、上位者の決裁が必要な事項に関しては申請書を書いて提出した。

 

 指揮官はちゃんと自分達を見ていてくれると思わせることができれば、部下はやる気を出す。また、要望という形で部隊の問題点に関する情報を得ることもできる。これは目下の人間の力を引き出すことに長けたクリスチアン大佐、イレーシュ中佐、トリューニヒト国防委員長達から学んだ。

 

 軍務がもたらす強い緊張は、軍人の心身を激しく消耗させる。軍隊特有の濃密な人間関係も大きなストレスをもたらす。疲れた心を癒やそうとする軍人にとって、酒、ギャンブル、性風俗がもたらす快楽は最大の友である。サイオキシン麻薬の軍隊への浸透は昨年の密売組織壊滅作戦によって食い止めることができたが、覚せい剤、コカイン、ヘロイン、マリファナといった伝統的な麻薬は今でも根強い人気を誇っている。依存症に陥る者、多額の借金をする者も少なくない。私的制裁もストレス発散手段という側面が大きかった。ストレスを発散できずに精神を病んでしまい、病気退職や自殺に至るケースも多発している。将兵の士気を高水準で維持するには、メンタルケアへの配慮も欠かせない。

 

 精神疾患を甘えと断じた初代皇帝ルドルフの遺訓が生きている帝国軍と違って、同盟軍はメンタルケアに大きな配慮を示している。各部隊にはカウンセリングルームが設けられ、部隊内から選ばれてトレーニングを受けた相談員が将兵の相談相手になる。大きな部隊には臨床心理士や精神科医が配属されて、本格的なメンタルケアに従事する。十字教や楽土教といった既成宗教の聖職者も軍属に採用されて、メンタルケアの一翼を担う。精神疾患の治療支援制度も充実していた。

 

 しかし、人事評価への影響や他人への漏洩を恐れて相談制度の利用を避ける者、相談制度や治療支援制度を利用した同僚を甘えていると非難する者が多く、軍の配慮が結果に結びついているとは言いがたい。

 

 メンタルケアに関わる制度を安心して利用できる雰囲気作りが重要と感じた俺は、相談の事実を人事評価に反映させないこと、相談内容の漏洩には厳罰をもって応じることを明示し、メールや端末通話による相談窓口も設置した。相談員と臨床心理士、精神科医の連携体制も整備した。メンタルケアと深い関わりがあり、深刻さにおいては同等の借金問題に関しては、法務士官による相談窓口を別に設けた。各艦の艦長、副長、科長といった管理者向けのマニュアルを作り、上官の立場からのメンタルケアもできるように務めた。

 

 これらの手法はヴァンフリート四=二基地の私的制裁撲滅キャンペーンの経験に、メンタルケアの専門家から学んだ知識を加えて考えた。

 

 

 

 宇宙暦七九五年七月。俺は第一三六七駆逐隊所属の全艦を率いて、惑星エル・ファシル近辺の宙域で上司のビューフォート大佐が率いる駆逐隊を相手に演習を行っていた。

 

「なかなかやるじゃないか。これなら、私の指導は必要なかったかな」

「この状況でそれを言いますか」

 

 俺は開戦から二時間で総戦力の五割を失い、統裁官の星系警備艦隊司令官フラック准将によって敗北判定を受けたのだ。まさか、ここまで完膚なきまでに叩き潰されるとは思わなかった。

 

「あんなにまずい用兵をしたのに、二時間持ちこたえたじゃないか。思ったより三〇分長かった」

「用兵下手なのには違いないでしょう。微妙な褒め方をしないでくださいよ」

 

 ビューフォート大佐は陣形を整えて正攻法で挑んできた俺の攻撃をのらりくらりと防いでいる間に、いつの間にか別働隊を使って俺の背後を取ってしまった。そして、前後からの挟撃で俺の駆逐隊を全面敗北に追い込んだのだ。

 

「二ヶ月であれだけ部下を掌握できるなんて大したものだよ。部隊の動きもとても良かった」

「もしかしたら勝てるんじゃないかって、ちょっとは思ってたんですよ」

「用兵なんて、経験積んだらいずれうまくなる。フィリップス君はまだ若い。焦る必要はない」

「戦術シミュレーションもめちゃくちゃ弱いんですよ。センス無いのかもしれません」

 

 昨年の夏に初めて参謀になった時、用兵の基本を学ばなければいけないということで、対戦型の戦術シミュレーションに挑戦した。結果は一五戦一五敗。アンドリューを相手にした時なんて、兵力二倍のハンデを付けてもらっておきながら、いつの間にか包囲殲滅されるという醜態を晒したものだ。

 

「戦術シミュレーションか。懐かしいね。初めて駆逐隊司令になった時にやらされた」

「どうだったんですか?」

「一回しか負けなかったね」

 

 ヤン・ウェンリーは士官学校時代にマルコム・ワイドボーンを戦術シミュレーションで破ったそうだ。ワイドボーンは昨年の一一月に戦死するまで、作戦の天才と言われていたほどの用兵能力の持ち主である。ドーソン中将は第一一艦隊の分艦隊司令官相手に戦術シミュレーションで連勝した。ビューフォート大佐もほとんど負けていない。つまり、戦術シミュレーションの結果は用兵センスの有無を示していることになる。

 

「夢のないこと言わないでください。へこんじゃうじゃないですか」

「単独哨戒できるようになるのは、しばらく先だね」

 

 現在の俺は用兵経験が浅いため、哨戒活動に出る際は必ずビューフォート大佐の指揮下に入っている。海賊と遭遇したことも何度かあったけど、俺ひとりでは対処できる自信がなかった。他の駆逐隊は単独で哨戒活動に出ることが許されている。第二九九駆逐群に所属している四人の駆逐隊司令のうち、俺だけが独り立ちできない。

 

「ほんと、足引っ張ってるようで申し訳ないです」

「君は良くやってるよ。他の駆逐隊にもいい刺激になっている」

「あんまり、適当なこと言わないでくださいよ」

「なんせ、君が来てから、びっくりするぐらい予算が通りやすくなった。実戦では足手まといでも、十分貢献しているよ」

「また、微妙な褒め方をしますね」

「いや、本当に助かってる。指揮官にとって一番の敵は、有能な敵将じゃなくて予算不足なんだよね。ここ数年は減らされてばかりだった。予算が足りてるなんて夢のようだ」

 

 予算が通りやすい理由はわかっている。俺がトリューニヒトと太いパイプを持っているおかげだ。部隊が得られる予算は政治家との関係に大きく左右される。だから、政治家と親しい軍人は予算配分を通じて強い影響力を持つことができた。統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥はここ数年間の財政政策をリードしてきたジョアン・レベロ、宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は改革市民同盟主流派の領袖にしてサンフォード政権の黒幕と言われるラウロ・オッタヴィアーニとそれぞれ親しい関係にある。

 

「世知辛い話ですね」

「戦闘に長けた指揮官はいくらでもいるけど、いるだけで予算が降ってくる指揮官なんてそうそういない。派閥に強いパイプ持ってる人が部隊にいるといないじゃ、天地の違いだよ」

 

 エル・ファシルに来るまで、派閥で重用されてる軍人は他の軍人に嫌われるものとばかり思っていた。しかし、派閥の威を借りて威張り散らすような真似をしなければ、かえって歓迎されるみたいだ。ないないづくしの軍隊においては、予算を引っ張ってくれる存在はありがたいということなのだろう。

 

 トリューニヒトが政治は汚いけど、それでも必要だと言っていた意味が良く分かる。そして、軍隊において政治を避けようとするクリスチアン大佐の生き方がとてつもなく難しいことも。

 

「派閥とのパイプじゃなくて、自分の能力で評価されるようになりたいですよ」

「人脈も能力のうちだと思うけどね。何の能もないのに、偉い人に気に入られるわけがないんだから」

 

 実際、俺には何の能もないと思うんだけど、それを言うわけにはいかない。何の能もない人間でも大事にするトリューニヒトやドーソン中将の人の良さを間抜けと勘違いする人がいるかもしれないからだ。

 

「用兵ができたらかっこいいじゃないですか」

「何でも自分一人でできるようになる必要はない。戦争は団体競技だ。上司がいて、同僚がいて、部下がいる。君は人と関係を結ぶのが上手だから、用兵が下手でもいい指揮官になれるよ」

「頑張ります」

「じゃ、これから部隊のみんなを呼んで、演習の反省会始めようか。きっついこと言うから、心の準備しといて」

 

 哨戒に出るたびにビューフォート大佐は要所要所で俺のもとに通信を入れて部隊の動かし方、警戒の仕方などをアドバイスしてくれる。課題を与えて突き放すドーソン中将の指導になれた俺には、手取り足取り教えようとするビューフォート大佐の指導は新鮮に感じた。反省会でも俺の用兵のどこがいけなかったのか、丁寧に指摘することだろう。彼の教えを吸収して、早く単独で哨戒できるようになりたいと思った



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第六十一話:与えるべきもの 宇宙暦795年8月初旬 エル・ファシル星系

 宇宙戦といえば、多くの人は正規艦隊同士がぶつかり合う対帝国戦争を思い浮かべることだろう。有利な決戦地への誘導、敵の機動の妨害、敵戦力の漸減などを意図した分艦隊や戦隊単位の前哨戦の後、両軍の艦隊主力が決戦地に集結して決戦が行われる。数万隻の艦艇が整然と陣形を組んで砲撃を交わし合い、一度に数十万人の命が失われる主力決戦は戦争の華だ。

 

 しかし、対帝国作戦は敵味方両軍の予算や戦力の都合からせいぜい年二回。同じ艦隊が二回続けて前線に出ることは無い。はっきり言うと年一回の出兵に備えて訓練を重ねるのが正規艦隊の仕事だ。

 

 宇宙海賊やその他の脅威から星間航路を保安する任務もまた宇宙戦である。数十隻から数百隻単位の小集団で広大な宙域を哨戒して、脅威を発見次第排除する。単独での排除が困難であれば、近い宙域で哨戒にあたっている味方部隊に応援を依頼する。個々の戦闘の規模は対帝国戦争とは比較にならないほど小さく、先制の利と数の多さでほぼ勝敗が決まってしまうため、戦術の妙を示す余地も少ない。地味なことこの上ないが、戦闘が生じる機会は多い。航路保安にあたる警備艦隊や巡視艦隊は一年中作戦活動を行い、いつ遭遇するかわからない敵との戦闘に備えている。

 

 任務の質の違いは、指揮官に求められる用兵の違いにも通じていた。対帝国戦争に従事する正規艦隊の下級指揮官には大部隊の一員として高級指揮官の意図を実現する用兵、高級指揮官には部下に細部を委ねて大局的見地から大部隊を動かす用兵が求められる。

 

 一方、航路保安に従事する警備艦隊の下級指揮官には小部隊を独自の判断で動かす用兵、高級指揮官には広大な宙域に分散した小部隊の動きを調整して哨戒体制を作り上げる用兵が求められる。

 

 現在の俺の立場は警備艦隊の下級指揮官にあたるが、小部隊用兵の経験はまったく持っていない。ポリャーネ補給基地の給与係長、エル・ファシル義勇旅団長、駆逐艦アイリスⅦ補給長、ヴァンフリート四=二基地憲兵隊長代理など、四度の管理職経験を持つ俺だったが、完全なお飾りだったエル・ファシル義勇旅団長を除くと、自分より経験豊かな部下に依存した組織運営を行ってきた。しかし、今回は能力がそこそこでも性格的に頼りない部下しかいない。用兵を任せられる部下がいない以上、自分が用兵能力を身につける以外の道はない。

 

 上司のビューフォート大佐と一緒に哨戒活動に出て実地で学び、待機中は駆逐隊を徹底的に訓練した。訓練というのは部下を鍛えあげるためだけにあるものではない。それを指揮する者も鍛えあげるのである。教師が生徒を指導することで経験を積んで、自らの能力を向上させていくようなものだ。ビューフォート大佐が長年の経験から作り上げた訓練マニュアルを使って指揮下の駆逐隊を訓練することで、ビューフォート流の用兵を身に付けていくのだ。

 

 訓練は厳しくなければならない。知的能力と違って、動きというのは限界まで心身を追い込まないと向上しない。バラット軍曹から体力トレーニングを受けた経験や幹部候補生養成所で射撃や近接格闘を習得した経験から学んだことだ。しかし、厳しいだけでは嫌になってしまう。自分の能力が向上したという喜びが無ければいけない。これは幹部候補生養成所を受験した時に学力の向上がさらなる学習意欲を生んだ経験から学んだことだ。確実に能力が向上するような訓練を行い、厳しく追い込みながら向上する喜びを与えていく必要がある。

 

「通信部門成績最優秀者 上等兵 ソフィア・ロペラ君 貴官が九月上半期の通信訓練において示した成績は顕著にして部隊の模範とするに足るものである。賞与金ならびに休暇を贈り、これを表彰する 第一三六七駆逐隊司令 中佐 エリヤ・フィリップス」

 

 表彰状を受け取ったロペラ上等兵に対し、俺は笑顔で手を差し出した。

 

「良く頑張りましたね。現在は第一級航宙通信士の試験に取り組まれていると聞きました。あなたならきっとできると信じています。頑張ってください」

 

 ロペラ上等兵が俺と握手をかわすと、ホール内は拍手で包まれた。このように各部門ごとに選出された訓練成績優秀者を第一三六七駆逐隊の将兵全員の前で表彰し、賞与と休暇を与える。また、訓練成績が優秀な艦の表彰も行い、乗員全員に休暇を与えて、次の優秀艦が選ばれるまで食事にデザートを追加する。式典の最後に国歌「自由の旗、自由の民」を流して全員で唱和する。将兵がどんな報奨を喜ぶか、どんな演出をすれば表彰を受けた者が格好良く見えるかを考えた結果、このようなスタイルに落ち着いた。

 

 表彰を受けているレベルに達していないが訓練成績が良い者には勤務評定で配慮を示す。頻繁に部隊を視察して、成績が向上している者に声をかけて皆の前で賞賛する。成績が伸び悩んでいる者にアドバイスをする。賞賛やアドバイスを与える者は、事前に名簿を目を通して選んだ。「自分はちゃんとあなたを見ている」という気持ちを示すことがいかに人を喜ばせるかは、ロボスやトリューニヒトと話した時に知った。結果を褒められるより、努力を見ていると言われる方が嬉しいのだ。

 

 

 

「練度も士気も高い。装備は新しい。第一三六七駆逐隊はいい部隊だよ。本当にいい部隊だ」

 

 ビューフォート大佐はいい部隊という言葉を繰り返した。わざわざ強調した理由はわかっている。続きは聞きたくない。時間がこのまま止まってくれたらいいのに。

 

「なのに、実戦に弱すぎる」

「わかっていますよ。指揮官の責任でしょう」

 

 今の人生で仕事ぶりを面と向かって批判されるのは、実は初めての経験だ。手取り足取り丁寧に教えてくれるビューフォート大佐は、文句の付け方も丁寧だった。何も言わずに文書に赤ペンで修正を加えて突っ返してくるドーソン中将とは対照的だ。

 

「努力しているのはわかっているんだよ。定型的な部隊行動の指揮はかなり上達している。攻撃、防御、機動のいずれも悪くない。ただ、びっくりするほど柔軟性に欠けてる」

 

 定型的な行動は得意なのに柔軟性がない軍人は、小説では主人公の踏み台にされると決まっている。ものすごく残念な評価を受けているのは明らかだった。

 

「柔軟性ってどうやって身につければいいんでしょうか…?」

「わからないねえ」

 

 とても情けない質問をしているのは自分でも良く分かる。ビューフォート大佐が困惑するのも無理はない。

 

「用兵って他の業務みたいにマニュアルを読み込んで、動作を体で覚えていくだけじゃ覚えられないんですね…」

「まあ、用兵って、四六時中発生する偶発的な事態への対処だからね。求められる判断速度、それに反比例するように不確実で量も少ない情報。いずれもデスクワークの危機管理とは格段に違う。判断に必要な時間が乏しいと人は焦る。質量ともに不確実な情報も焦りを生む」

「気が小さいってことなんでしょうね」

「わかってるじゃないか。慎重って言い換えをしない率直さは君の美点だよ。いい加減な判断をするのが怖いんだね。自信がないから」

 

 気が小さい、自信がないというのはまったくもってその通りだ。反論のしようもない。俺が原理原則にこだわるのも安心できるからだ。原理原則は使う者に自信を、逆らう者に後ろめたさを与える。俺のような小心者は誰かが正しいと言ってくれないと、自分の判断に自信を持てない。その通りですと言って、首を縦に振る。

 

「ウィレム・ホーランド提督を知ってるかい?」

「知っています。有名な方ですから」

「これまで二〇人以上の上官に仕えてきたけど、あれほどの自信家はいなかったよ。あの人の指揮を受けたら、どんな大敵相手にも負けるはずがないと思えた。戦うのが楽しくてたまらなかった」

 

 ホーランド少将がイゼルローン攻防戦で見せた用兵は素晴らしい物だった。空前絶後の天才ラインハルトさえいなければ、イゼルローンを攻略出来ていたはずだ。二月のティアマト星域会戦では精彩を欠いて評価に陰りが出ているものの屈指の用兵家であることは疑いない。そんな人物に対する元部下の証言というのはとても新鮮だった。

 

「ホーランド提督に仕えるまでは、戦いなんて自分と関係ないところで始まって、関係ないところで終わるものだと思っていた。生き残れたら運が良かっただけってね」

 

 俺にとっての戦いもそんなものだった。勝敗は雲の上にいる提督達が決めるもの。自分がいくらベストを尽くしても勝つ時は勝つし、負ける時は負ける。これまで参加した戦いは全部そうだった。

 

「しかし、それは間違いだった」

「違うんですか?」

「戦いというのは流されるがままにするものじゃない。自分を信じて流れを引き寄せる。そうしないと生き残れない。指揮官に一番必要なのは自信だということを、ホーランド提督が率いる駆逐群で戦って初めて知った」

「偶然の中から勝機を拾い上げる能力というものがあると聞いたことがあります。数えきれない戦いを経験したベテランにしか身につけられないと。流れを引き寄せるというのも同じことなのでしょうか」

「同じことなのかな。ただ、私の見解はちょっと違う。経験が豊富なことは流れを引き寄せるための必要条件であっても、十分条件とはいえない。戦歴数十年のベテランだって、ほとんどは慣れに頼って漫然と戦ってるだけだよ。君の部隊のベテランを思い浮かべてみるといい」

 

 四〇年以上の軍歴を誇るオルソン少佐、ダルレ少佐、バディオーリ少佐らの顔が頭の中に浮かぶ。ベテランだけあって技能はかなり高い。実戦の呼吸も心得ている。しかし、ルーチンワークとして軍務をこなしているといった感じで、積極性にも粘り強さにも欠けている。偶然の中から勝機を見い出せるような存在とは思えない。

 

「確かにそうですね」

「実戦経験を積んで自信を身につけることもあるだろう。しかし、大抵は経験を積んでも流されることに慣れるだけ。流れの動かせるだけの自信は身につかない」

「どうすれば、身につくのでしょうか?」

「とにかく結果を出すことだね。自分の用兵の正しさを確信して、流れを動かす資格があると思えるようになることさ。勝利は人を強くするよ。勝てなければ、技能は伸びても自信は持てないままだ。私だってホーランド提督の下で勝利を経験しなかったら、今頃は手癖で軍務をこなして、生き残ったら幸運に感謝するだけの存在だっただろう」

 

 ビューフォート大佐は三〇年近い軍歴を誇るベテランだ。それが一〇年そこそこの軍歴しか持っていないホーランド少将の下で戦うまで、自信の大切さを理解できなかったというのは奇妙に思える。しかし、それも自信に満ちたホーランド少将と出会って、平凡な指揮官を比べることができるようになって初めて理解できたのかもしれない。

 

 前の歴史で宇宙を統一したラインハルト・フォン・ローエングラムとその麾下の名将たちはいずれも若かった。用兵経験、技能の高さでは門閥貴族出身のベテラン提督に及ばなかったはずだ。にも関わらず、常勝を誇ったのは勝利を重ねて、戦いの流れを動かせるという自信を持ったからなのかもしれない。同盟軍と勝敗が曖昧な戦いを重ねていたベテラン提督は用兵技術に長けていても、流れを動かす力は持っていない。

 

「小官でも結果を出せるんでしょうか。今のままじゃできると思えなくて」

「出させてみせるよ。有能な部下を使わないと勝てないというのでは、私の用兵もたかが知れている。軍人である以上、部下は選べない。どんな部下を使っても勝てるようにならなければ、キャリアもここまでだ」

 

 欲が薄そうなビューフォート大佐がキャリアアップに意欲を見せているのは意外だった。自分の分をわきまえていて、任務を着実にこなしつつ、波風を立てずに定年まで暮らすことを望んでいるようなイメージがあった。

 

「大佐は上を目指しておられるのですか?」

「そりゃそうさ。本来の私の器量なら五〇代半ばで中佐、六五歳の定年間際に大佐に昇進して花道を飾るのがせいぜいだったろう。しかし、七年前のエル・ファシル脱出作戦で君やヤン・ウェンリーのおこぼれに預かって思いがけず中佐に昇進し、ホーランド提督の下に付いていささか用兵がわかるようになった。今は四七歳で大佐。定年まで一八年ある。士官学校を出ていない私には分不相応かも知れないが、一度ぐらい閣下と呼ばれてみたい」

 

 ビューフォート大佐のような叩き上げにとっては、階級を上げるのは至難の業である。現場責任者たることを期待される彼らは、大きな武勲を立てられる正規艦隊の指揮官および参謀、有力者の引き立てを受けられる軍中央のオフィス勤務といったポストとは縁がない。俺が持っている中佐の階級ですら得られずに定年を迎える者が多いのだ。望外の出世を果たしたビューフォート大佐が将官の地位を望むのも無理は無い。

 

「変な質問をしてしまいました。申し訳ありません」

「中央勤務が長いエリート、特にシトレ派の人は、階級を上げたい、勲章がほしい、予算がほしい、昇給がほしいという私みたいな者のささやかな夢に理解が薄くて困るんだ。無頓着でいられるほど恵まれた立場は羨ましいよね」

 

 自分のことを言われているようで、心底から申し訳ない気持ちになった。七年前のエル・ファシル脱出行で一等兵から兵長に二階級昇進を果たし、四年前に少尉に任官して、現在は中佐の階級にある。周囲にいるのは二〇代や三〇代で佐官の階級を得た士官学校卒のエリートばかり。兵役あがりのつもりでいたのに、いつの間にか望まずとも昇進できるエリートの思考に染まってしまっていたらしい。誰に対しても気配りができるという評価は、俺が軍隊で生きていく上で最大の財産となっている。他人が求めている物を軽く見ることがあってはならない。

 

「気を付けます」

「いやいや、君はかなり理解があるよ。おかげでうちの部隊は予算に困らずに済んでいる。シトレ派の人にこんなことを頼んでたら、説教食らってたところだ」

「尽くせるべストは尽くしたいですから。部隊を運営してみると、少しでも多くの予算が欲しいという気持ちが分かります」

「上は予算を節約しろ、少ない人数で部隊を回せ、民主主義のために頑張れとうるさい人ばかりでね。君のような物分かりがいいエリートに頑張ってもらわないと、上が予算獲得に失敗したツケを現場の将兵の血で贖うことになる」

「はい」

「部隊が欲しがっているのは予算と勝利。将兵が欲しがっているのは昇進と昇給と名誉と福利厚生。それらを与えられる指揮官になってほしい。期待しているよ」

 

 ビューフォート大佐の表情からはいつもの冗談めかした感じが消えていた。ずっと地方の警備艦隊で勤務してきた彼は、地方部隊が置かれた現状にいろいろと思うところがあるのだろう。将官への昇進を望んでいるのも部隊や将兵が望むものを与えられる力を求めてのことなのかもしれない。

 

 

 

 地方部隊の窮状の元凶は緊縮財政路線だった。一五〇年にわたる対帝国戦争は国家財政を破綻寸前に追い込んでいた。国家の財政支出の五割から六割を占める軍事予算を戦時国債で賄い、その利払いが国家予算を圧迫するという悪循環に陥っている。多くの専門家が数年以内に同盟政府はデフォルトに追い込まれると警告していた。財政再建を行わなければ、同盟は戦わずして崩壊する。その危機感に押されて登場したのが、経済学者にして進歩党代議員のジョアン・レベロだった。

 

 三二歳の若さでテルヌーゼン大学経済研究所教授に就任したレベロは、タネ・マフタ星系政府やポートロコ星系政府の財政顧問に就任して、財政改革の指導にあたった。破綻状態だった両星系政府の財政再建に成功した彼は一躍脚光を浴びる。進歩党から代議員に当選すると、財政問題の論客として同盟議会で活躍。財政再建重視の立場から、帝国との和平と軍縮を訴えており、反戦派から絶大な支持を受けている。

 

 反戦派の進歩党と主戦派の改革市民同盟は長年にわたって政権争いを展開してきたが、七九一年の総選挙で極右勢力が台頭したことに危機感を抱いて以来、連立政権を組んできた。連立政権下で財務委員長に就任したレベロは財政再建を望む世論と連立政権が有する圧倒的議席数の後押しを受けて、聖域とされた国防予算にメスを入れることに成功。財務委員長の職を退いた後も最高評議会議長の諮問機関である財政諮問会議の委員として、緊縮財政を推進してきた。昨年の内閣改造で二度目の財務委員長に就任している。

 

 改革市民同盟主流派と近い宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は連立政権に対して強く出ることができず、進歩党に近く軍隊の自制を望む良識派の立場から軍縮を支持していた統合作戦本部シドニー・シトレ元帥は、国防予算の減額に同意した。

 

 皮肉なことに国防予算の減額は、政治家を通して国防予算の配分に影響力を行使できる彼らの軍部に対する支配力を強めてしまう。乏しい予算を巡って争う各部隊や各機関の長に現状維持をちらつかせて支持を集め、減額をちらつかせて批判を封じることで二大派閥体制を盤石とした。このような状況において優先的に予算が配分されるのは、シトレとロボスの二元帥でも無視し得ない政治力を持つ軍中央の機関や正規艦隊である。政治力に乏しい警備艦隊や辺境基地などの地方部隊は減額ではなくてゼロ査定と言われるほどの予算減に見舞われた。

 

 少将が指揮官を務める分艦隊規模の部隊とされていたエル・ファシル星系警備艦隊は、人件費削減と少数精鋭化の大義名分で、准将が指揮官を務める戦隊規模に縮小された。訓練予算を確保できなかったがゆえに練度が低下し、福利厚生予算の乏しさゆえに士気が低下した。このような警備艦隊の著しい戦力低下もエル・ファシル方面の宇宙海賊の勢力増大に大きく寄与している。

 

 地方部隊の戦力低下はエル・ファシルに留まらない全国的な現象だった。統合作戦本部が提唱する地方部隊の少数精鋭化路線によって、多くの軍人が退役に追い込まれた。将兵のモラルは地に落ちて、各地で民間人に対する非行が報告された。犯罪者と結託して軍の物資を横流しする者、宇宙海賊に情報を流す者なども現れた。

 

 軍人の非行を嫌うシトレ元帥は厳格な取締りを命じたが、何ら効果はあがらなかった。地方部隊のモラル崩壊の間隙を縫って宇宙海賊の活動が活発化した。退役した地方部隊の軍人の参加、給与削減で生活に困窮した軍人によって横流しされた地方部隊の装備によって、宇宙海賊の戦力は向上していた。

 

 軍部におけるトリューニヒト派の勢力増大を招いた要因はいくつもあるが、国防予算減額に同意した上に中央偏重の予算配分を行った二大派閥に対する地方部隊の反感はその中でも重要な要因であろう。トリューニヒトはレベロとの駆け引きに勝利して数年ぶりの国防予算増額を勝ち取ると、二大派閥に冷遇されていた地方部隊に気前良く配分して支持を広げた。中央にあって地方部隊の現状を憂える者もトリューニヒト支持に回り始めている。

 

 前の歴史では、軍拡を訴えるトリューニヒトは精神論者、軍隊の自制を訴えて軍縮を支持する良識派に連なるシトレ元帥は現実主義者と言われていたが、それは軍中央や正規艦隊で勤務するエリートの視点だったようだ。地方部隊にとっては、シトレ元帥は過酷な予算案を押し付けておきながら、モラル向上を求める精神論者。トリューニヒトは予算難という地方部隊の現実に向き合ってくれる人物だった。シトレ元帥とレベロが公私にわたる親友関係であったのも地方部隊のシトレ元帥に対する反感を強めていた。

 

 トリューニヒトが俺をエル・ファシル警備艦隊に派遣した理由がようやくわかったような気がする。中央勤務が長かった俺に地方部隊が置かれた窮状を見せ、俺がどのように向き合うかを試したかったのだろう。トリューニヒトが凡人といったのは、警備艦隊の軍人のように民主主義の理念にはまったく興味がなく、生活の安定と組織内での地位向上を求め、困窮すればあっという間に非行に走る人々だ。彼らの姿は前の人生の俺の姿でもある。エル・ファシルの現状は凡人のための政治という言葉に、強い現実感を与えてくれた。



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第六十二話:有能と無能の決定的な分かれ目 宇宙暦795年9月2日 エル・ファシル星系、惑星ゲベル・バルカル周辺宙域

 エル・ファシル方面航路で活動している海賊組織は大小合わせて三〇を超えると言われている。彼らは常に離合集散を繰り返しているため、実態は容易に掴めない。しかし、五つの大組織が飛び抜けた勢力を有していることは誰もが認めるところだろう。その一つ「ヴィリー・ヒルパート・グループ」の幹部三人がエル・ファシル星系政府に投降を申し出てきたのは、宇宙暦七九五年六月のことだった。星系政府及び星系警備艦隊の代表者と幹部三人の間で降伏条件をめぐる交渉が進められ、八月末に合意に達した。

 

 宇宙暦七九五年九月二日。エル・ファシル星系警備艦隊司令官ジェフリー・フラック准将は幹部達の投降を受け入れるべく、惑星ゲベル・バルカルの第一衛星周辺宙域に向かっていた。指揮下の戦力は二個巡航群、二個駆逐群、二個支援隊の合計四四五隻。警備艦隊の三分の二、ヴィリー・ヒルパート・グループが保有する戦闘艦艇の二倍以上にあたる。仮に今回の交渉がヴィリー・ヒルパート・グループの罠であったとしても、力ずくで突破出来るだけの戦力だ。

 

 残る三分の一は警備艦隊副司令官と第三四六駆逐群司令を兼ねるリャン・ダーユー大佐に率いられて、惑星エル・ファシルに留まっている。万が一、フラック准将が敗れても帰還してリャン大佐と合流すれば、隣接星系から援軍が来るまで十分に持ちこたえられるという寸法だ。慎重なフラック准将らしい布陣といえる。

 

 俺が率いる第一三六七駆逐隊はフラック准将に従って、ゲベル・バルカルに向かう最中であった。これまでは多くてもせいぜい三〇隻程度の敵しか相手にしたことがなかった。数百隻規模の戦闘が想定される任務に従事するのはこれが初めてだ。二月に参加したティアマト星域の会戦と比べるとはるかにささやかではあるが、あの時は参謀だった。駆逐艦三三隻の運命が自分の判断一つで決まると思うと、心がそわそわして落ち着かない。

 

「心配しすぎではありませんか」

「初めての艦艇指揮だからね。いくら心配してもし足りないよ」

 

 駆逐隊首席幕僚スラット少佐に対し、務めて穏やかな口調を作って答えた。あんたが頼りないからだ、とは言わない。首席幕僚は司令の代わりに心配して、注意を喚起すべき立場のはずだが、情報の収集や分析に心を砕いている様子は見られない。いちいち指示を出して、懸念材料を洗い出させなければいけない。

 

「今回は戦闘になる可能性は低いでしょう。万が一戦闘が起きたとしても、相手は小勢。我が方の勝利は間違いありません」

 

 万が一に備えるのが指揮官と幕僚の務めのはずではないか。あまりに無責任な首席幕僚の言葉にイラッときたが、顔に出ないようにどうにか抑えた。業務知識、処理能力の点では不足がない。あからさまに手抜きをするわけでもなく、反抗的でも無い。ただ、向上心というものをまったく持ちあわせておらず、いい仕事をしよう、自分を高めようという意識が完全に欠如しているのである。

 

「首席幕僚のおっしゃる通りです」

 

 情報幕僚のメイヤー大尉がスラット少佐に同調する。第一三六七駆逐隊の幕僚はいずれもスラット少佐と同レベルだった。イゼルローン遠征軍や第一一艦隊の司令部にいた参謀であれば、言われずとも自分から情報を集めていたはずだ。しかし、目の前にいる連中は指示を出さなければ動こうとしない。動く必要性を感じているようにも思われない。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムは無能者より怠け者をより憎んだという。仕事をやってもできない人間より、やらない人間の方が発揮できる能力は低い。生まれつき怠惰な俺には、彼らがこうなってしまう理由がわかるだけに、責める気持ちにもなれない。

 

 たとえば、スラット少佐は下士官から三〇年近くの歳月を費やして少佐まで昇進した叩き上げである。彼のようなキャリアの持ち主にとって、少佐から中佐の間の壁は果てしなく分厚い。飛び抜けた能力があるわけでもない彼が努力したところで上を望むのは難しい。賞賛を得られるほどの結果も出せない。昇進や名誉と無縁なところで、職人的なやり甲斐を見出すこともできなかったのだろう。自分の限界が分かってしまったら、向上心も消え失せてしまう。

 

 メイヤー大尉は士官学校を卒業しているが、席次は後ろから数えた方が早かったそうだ。士官学校卒業者が同盟軍人五〇〇〇万人のうちで十数万人しかいないエリートといっても、軍中央や正規艦隊司令部での勤務が多いトップエリートはごく一部に過ぎない。大半は軍艦の艦長、隊や群といった下級部隊の指揮官、地方部隊の参謀、基地司令を歴任する。四〇代前半で大佐に昇進し、五〇歳前後で早期退職制度を利用して軍を退く。出世競争を勝ち抜いて将官に昇進できるのは、同期中の二〇人に一人と言われる。メイヤー大尉のように士官学校の卒業席次が低く、能力が抜群に高いわけでもなく、出世競争を勝ち残れる自信が無い者は、やはり向上心を持てないだろう。

 

 俺は軍中央や正規艦隊での勤務歴が多い。そういう職場では、士官学校の卒業席次が最低でも中の上、向上心も能力も並外れて高く、軍務にやり甲斐を見出していた者が大半を占める。叩き上げ士官や下士官の知り合いも中央で勤務するだけあって、抜群の向上心と能力を兼ね備えていた。ほんのわずかな期間だけ地方の補給基地にいた時は、職務に慣れていなかったせいで周囲の人間がみんな優秀に見えた。いつも上を見上げるばかりだった俺だったが、エル・ファシル星系警備艦隊に配属されて初めて、他人の向上心や能力の欠如に頭を抱える経験をした。

 

 三十年近く戦場で生き抜いたスラット少佐、三大難関校の一つである士官学校を卒業したメイヤー大尉。資質において水準以下であるとは到底思えない。根っから怠惰というわけでもないだろう。結局のところ、彼らに欠けているのはベストを尽くそう、上を目指そうという気持ちだ。俺は資質に欠けているが、向上心だけは強かった。そして、向上心が報いられる環境に身を置くことができた。

 

 スラット少佐やメイヤー大尉らと自分を比較して、ようやく自分が有能扱いされる理由が理解できた。向上心をもって仕事に取り組むこと自体が得難い能力なのだ。そして、向上心を持ち続けられる環境にあったことは幸運である。前の人生の俺は向上心を持てる環境にいなかった。

 

「そうかもね。ありがとう」

 

 微笑んで、心にもない感謝の言葉を述べる。スラット少佐とメイヤー大尉が席に戻ったのを見計らうと、指揮卓の端末を使ってこっそり情報収集作業を始めた。これまでの俺は部下に支えられてきた。ヴァンフリート4=2基地の戦いでは失敗を重ねたにも関わらず、部下の犠牲で生き延びた。俺が頼れる指揮官だったら、彼らは死なずに済んだかもしれない。頼りない部下を眺めながら、今の自分は彼らにとって頼れる指揮官なのだろうかと考えた。

 

 

 

 エル・ファシル星系第四惑星ゲベル・バルカルは巨大なガス状惑星だった。周囲には巨大な磁気圏が形成されていて、宇宙船の電子機器を狂わせる放射線帯を作っている。周囲を取り巻く八七個の衛星も宇宙船の航行を困難にしていた。艦艇運用の経験が乏しい俺としては、最もやりにくい宙域だ。計器異常が報告されると胸が不安で高鳴り、衛星の脇を通り過ぎるたびに冷や汗をかいた。

 

 俺の心配をよそに第一三六七駆逐隊は一隻の落伍艦も出さずに、ゲベル・バルカル周辺宙域を航行中である。警備艦隊の将兵はエル・ファシル星系全体の地形を知り尽くしていた。航宙経験が豊富な各艦の艦長は危なげない運用を見せてくれた。幕僚は駆逐隊全体の行動をうまく調整している。部隊の航宙能力が信頼できる水準に達していることは、数少ない好材料といえる。他の部隊が衛星周辺をくまなく索敵しているが、宇宙海賊が展開している様子はない。

 

「目標宙域に到達。周囲を警戒しつつ待機せよ」

 

 上官のビューフォート大佐からの指示が指揮卓に据え付けられたスクリーンを通して伝えられる。

 

「了解しました」

 

 敬礼して了解の意を示した後、指揮下にある全駆逐艦の艦長との間に回路を開き、ビューフォート大佐が下したのと同様の指示を伝える。警戒を命じるだけなら誰でもできるが、末端まで警戒を徹底させるのは難しい。将兵が人間である以上、長時間の緊張状態は心身に大きな負担を強いるからだ。

 

 俺が旗艦としているパタゴニア八三号司令室のメインスクリーンには、エル・ファシル星系警備艦隊に向かって航行している三〇隻ほどの小型艦艇が映っている。あれがヴィリー・ヒルパート・グループからの投降者らしい。

 

「意外と少ないですねえ。投降してくる幹部三人が率いる艦艇は一〇〇隻は下らないと聞いていたのですが。どうしたことでしょうか」

「降伏を嫌がる部下が多かったのかもしれんな」

「そんなものでしょうか」

「海賊行為は相当長く食らい込まれる。死刑判決を受ける可能性だってある。いくらこちらが恩赦を約束しても、信用しきれないだろうよ」

 

 パタゴニア八三号の通信長ボー中尉の疑問に艦長ガリツィオス少佐が答えているのを聞きながら、苦い気持ちになる。

 

 恩赦を条件に宇宙海賊の降伏を認めれば、血を流さずして宇宙海賊の勢力を削げるが、犯罪者への断罪を望む世論の反発を買う。銀河連邦軍で海賊対策に従事していたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、降伏を申し入れてきた宇宙海賊を宇宙船ごと焼き殺して世論の拍手喝采を浴びている。世論を恐れた政府によって恩赦が撤回されて投降者が重罰に処される事例、功績に目が眩んだ軍人が約束を破って投降者を処刑してしまう事例も少なくない。世論に押されて約束を反古にする政府や軍の姿勢が、宇宙海賊の根絶を困難にしていた。

 

「あれって、軌道警備隊の快速艇じゃないですか?」

「新世代型と言われるミーティア級か。予算不足のせいでバーラトとその周辺の警備隊にしか配備されていない。あんな代物を海賊が持っているとは、世も末だな」

 

 軌道警備隊というのは、衛星軌道を警備する惑星警備隊所属の艦艇部隊のことだ。航路警備を担当する星系警備艦隊に対し、惑星周辺宙域の警備を担当する。警察部隊としての性格が強く、小型快速艇を主力としていた。

 

 数隻から数十隻のグループでの奇襲及び一撃離脱を基本戦術とする海賊にとって、快速艇の索敵能力と速度は魅力的である。軌道警備隊からの横流し、国防予算削減で経営難に苦しんだ軍用艦艇製造メーカーとの闇取引によって、多数の旧式快速艇が海賊の手に渡っているのは周知の事実だった。しかし、軍でも配備が進んでいない新世代型を所有する海賊はこれまで確認されていない。容易ならぬ事態といえる。

 

 ヴィリー・ヒルパート・グループの投降者が発光信号を出すと、警備艦隊は艦列を空けて迎え入れる。事前に暗号を打ち合せていたのだろう。通信傍受を避けるために発光信号を使用するというのも隠密行動の基本だ。

 

 投降者の船団を取り囲むように展開した警備艦隊が周囲を警戒しつつ、帰還するために方向転換した時、百隻程度の船団が出現した。いずれも戦闘能力を有する小型艦艇だ。出現方向からして、投降者を追ってきたヴィリー・ヒルパート・グループの部隊らしい。

 

 警備艦隊司令官フラック准将はいつでも逆撃を加える事ができる態勢を取りつつ、ゆっくり後退するよう全軍に指示する。接近してきたら、四倍の戦力をもって叩き潰すだけのことである。

 

「無事に終わりそうですな」

「エル・ファシルに帰還するまでは、気を抜かないようにね」

 

 表情が緩んでいるスラット少佐にやんわりと釘を刺す。緊張感を持続できないというのは彼に限ったことではなく、第一三六七駆逐隊全体の通弊だ。訓練を通して動きはかなり良くなった。士気も以前とは比べ物にならないほど高い。しかし、精神的持続力の根本的な欠如はどうしようもなかった。頑張る動機、頑張れば報われるという経験のいずれも持たない彼らに多くを求めるのは酷というものだろう。指揮官に足りないものを部下が補うのと同様に、部下に足りないものは指揮官が補うべきだ。

 

 緩んだ空気を引き締め直そうと指揮卓の端末を叩いて、全艦の艦長との間の回線を開いた瞬間、艦体が大きく揺れた。無様にも椅子から床に転げ落ちてしまう。

 

 立ち上がってメインスクリーンを見ると、投降した船団が爆発を起こしていた。単なる事故ではなく、爆薬でも満載してたんじゃないかと思えるような大爆発だ。衝撃波で多数の艦艇が破壊され、警備艦隊の艦列が大きく乱れた。その隙にヴィリー・ヒルパート・グループの追撃部隊が突進してくる。

 

「あれは!」

 

 司令室にいる者全員がスクリーンを見て、絶句していた。二時方向、七時方向、一〇時方向にある衛星群の中から、それぞれ一〇〇隻ほどの新手が躍り出てきたのだ。どうやら、衛星の海中に潜んでいたらしい。衛星の周囲に展開する敵の存在を気にするあまり、内部に潜んでいるとは予想できなかった。

 

 警備艦隊は陣形を再編する間もなく、四方向からの奇襲を受けて大混乱に陥った。敵の小型艇は航行困難な宙域を自由自在に飛び回り、動きが取れずにいる警備艦隊の艦艇を血祭りにあげていく。

 ヴィリー・ヒルパート・グループは多く見積もっても二〇〇隻程度の戦力しか持っていなかったはずだ。それなのに四〇〇隻もの戦力を展開している。唖然とした俺は、現実とは思えない光景が映っているスクリーンをまじまじと見詰めていた。

 

「司令、一体どうすれば…」

 

 スラット少佐の縋るような声によって、現実に引き戻された。周囲の視線はすべて俺に集中している。指揮卓の端末からは、指示を請う各艦の艦長からの通信が入っていた。次に発する言葉でこの部隊の命運は決まることを理解した俺は、必死で平静な表情を作り、何を言うべきなのか思案する。

 

 ふと、七年前のことを思い出した。帝国軍来襲の不安に怯えた人達に囲まれて、全員の視線が自分に向いた時はどうしようか焦ったものだ。あの時の自分が言った言葉が頭のなかに浮かんでくる。

 

『ぐ、軍人の仕事って市民を。市民を守ることでしょう?当たり前の。当たり前の仕事をするだけなのに。どうして不安になるんですか?』

 

『逃げた人達の方がずっと不安じゃないですか?だって、市民を守らずに逃げたって一生言われるんですよ?それに比べたら、ここに残るなんて全然不安じゃないですよ』

 

『はい。逃亡者になりたくないから残りました。胸を張って帰るために残りました』

 

 あの時は答えを知っていたから、不安じゃないと断言できた。その態度が周囲に安心を与えた。今は人前で喋るのは苦にならないし、メディアに出た経験もある。あの時よりずっとうまくやれるはずだ。背筋を伸ばし、胸を張って全員を見る。

 

「大丈夫だよ。いつも訓練している通りにやろう。凄いことをしよう、かっこいいことをしようなんて思う必要はない。それで大丈夫」

 

 声が上ずるのを必死で抑え、低く穏やかな声色を作って、全員に語りかけた。本音を言えば、まったく大丈夫とは思っていない。不安で心臓が高鳴り、腹がきゅっと痛み出す。背中は汗でびっしょり濡れていて、体中が震えている。とんでもないことになってしまった。しかし、今さら後に引くことはできない。

 

 落ち着きを取り戻した司令室の指揮卓に陣取った俺は、幕僚達に指示を出し始めた。



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第六十三話:策士VSプロフェッショナル 宇宙暦795年9月2日 エル・ファシル星系、惑星ゲベル・バルカル周辺宙域~惑星ワジハルファ周辺宙域

 澄ました顔で部下に落ち着くよう指示をしたものの、この場を切り抜ける方策は何一つ持ち合わせていなかった。そんな時にするべきことは決まっている。上官に指示を請うのだ。

 

「戦術管制システムの計画管理三九を開いて」

「了解しました」

 

 第二九九駆逐群司令ビューフォート大佐に指示されたとおりに、戦術管制システムの計画管理三九を開く。戦術スクリーンに現座標からゲベル・バルカル宙域の外に脱出するための経路が浮かび上がってくる。

 

「これは?」

「逃げるってことだよ」

「逃げるんですか?」

「それがどうかしたのかい?」

「いえ、味方の援護とか、そういうのは…」

 

 あまりにあっさりと逃げると言い切られてしまい、面食らってしまった。

 

「奇襲を受けたら、その場に踏みとどまらない。可能な限り速やかに離脱した後に態勢を立て直す。用兵の鉄則だよ」

「そうでした」

「第二九九駆逐群はフォーメーションDをとる。戦力を集中して紡錘陣を組み、敵の手薄な部分から一点突破。攻撃を集中するポイント、突破のタイミングはこちらで指示する。君はいつもどおりにやってくれたらいい」

 

 指示を与えられてやるべきことがはっきりすると、不安は幾分収まった。第二九九駆逐群の一翼を担ってフォーメーションを整え、戦況の推移を把握しつつ、必要に応じて部下に指示を飛ばす。

 それぞれ一二隻を率いる筆頭副司令オルソン少佐と次席副司令アントネスク少佐が前面に立って戦い、俺が直接率いる九隻が臨機応変に両副司令の部隊を援護する。他の駆逐隊との連携も意識しなければならない。

 

 投降を装った無人艦の爆発によって生じた混乱をさらに拡大すべく、宇宙海賊は上下左右から警備艦隊に突入していた。こうなると、小型艇による奇襲と一撃離脱を得意とする宇宙海賊の独壇場である。警備艦隊の艦列はズタズタに切り裂かれ、艦艇は立ち直る時間も与えられずに撃沈されていった。航行困難な宙域で包囲下に陥った警備艦隊は驚くべき速度でその数を減らしていった。

 

 俺が率いている第一三六七駆逐隊も既に三三隻中七隻が撃沈されている。八隻目が俺の乗っているパタゴニア八三号になってもおかしくはない。気絶しそうになるほどの恐怖を感じたが、ビューフォート大佐から飛んでくる指示を頼りに、目の前の状況への対処を続けることで自分を何とか保った。

 

「第一八七巡航群旗艦セイントイライアス、撃沈された模様。群司令アラビ大佐の生死は不明」

「第五五五駆逐群より通信が入りました。過半数の艦艇を失い、戦線崩壊しつつあり。至急来援を請うとのこと」

 

 オペレーターは絶え間なく凶報を伝える。何度、通信を遮断しようと思ったかわからない。

 

 警備艦隊司令官フラック准将に従ってこの宙域にやって来た二個巡航群、二個駆逐群、二個支援隊のうち、現時点で組織的な戦闘を継続できているのは第二九九駆逐群のみであった。即座に後退することを決めて、味方を援護せずに戦力集中に専念したビューフォート大佐の判断が功を奏したのだろう。爆発の影響が少ない位置にいたのも幸いだった。それでも四方からの間断ない攻撃を凌ぎつつ、戦力を集中して陣形を整えるのは至難の業である。包囲を突破できる態勢が整った時、第二九九駆逐群は戦力の三割を失っていた。

 

「全砲門開け!一時方向に砲撃を集中!」

 

 ビューフォート大佐の指示で第二九九駆逐群の全艦は敵戦力が手薄な一時方向に砲撃を集中した。二〇隻程度の敵は散開して砲撃を避け、敵部隊と衛星によって形成された包囲網に穴が空いた。

 

「今だ!全艦、全速前進!」

 

 紡錘陣を組んだ第二九九駆逐群は一斉に突入して、敵の包囲網を突き破った。そして、衛星群の隙間を縫うように全速航行を続けて、ゲベル・バルカル宙域からの脱出を図る。

 

 密集した衛星の作り出す重力場、放射線帯がもたらす計器異常が操艦を困難なものとしていた。俺は艦長や航宙士の経験が無く、操艦のことはまったくわからない。メインスクリーンに衛星が映るたびに、重力場に絡め取られてしまうんじゃないかと不安になる。実際、操艦を誤って脱落する艦もいた。

 

「速度を落としませんか?」

「不要だ。今は離脱を優先する」

 

 不安に駆られた俺はビューフォート大佐に速度を落として安全航行をするよう提案したが、一瞬にして却下された。航宙科出身のビューフォート大佐は俺なんかよりずっと操艦をわかっている。その彼が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう。俺の部下の航宙能力も低くはない。ここは航宙のプロ達を信じるべきだった。

 

 

 

 ゲベル・バルカル宙域を脱出した第二九九駆逐群は惑星ワジハルファに近い宙域まで到達すると、逃れてきた味方艦を収容するために停止した。現在残っている戦力は九八隻。俺の指揮下にあった駆逐艦も二四隻まで減少している。障害物が少ないこの宙域では、駆逐艦と比較して火力・装甲に優る小型艇は不利となる。倍以上の敵が追撃してきても十分に対抗できると、ビューフォート大佐は言っていた。

 

「こちら、第一八七巡航群所属、巡航艦ノヴァ・ゴリツァです。当艦は貴隊への合流を希望します」

 

 聞き慣れた声と艦名に安堵する。ノヴァ・ゴリツァは俺の友達のダーシャ・ブレツェリ中佐が艦長を務めている艦だった。第一八七巡航群は壊滅していたが、彼女はどうにか逃げ延びたようだ。ゲベル・バルカル宙域で戦っていた最中は目の前の敵と戦うのに必死でダーシャのことを気にする余裕もなかった。安全な場所に来てから心配するだなんて、我ながら本当に虫がいい思考をしている。

 

「第二九九駆逐群だ。貴艦の合流を歓迎する」

 

 ビューフォート大佐はダーシャの要望を受け入れ、ノヴァ・ゴリツァを指揮下に収めた。ゲベル・バルカル宙域から逃れてきた他の艦もビューフォート大佐の指揮下に入り、ワジハルファ宙域の警備艦隊は二一一隻に達している。

 

 警備艦隊司令官フラック准将、第百八十七巡航群司令アハビ大佐の戦死が確認された。第三〇一巡航群司令ビセット大佐、第五五五駆逐群司令ペラエス大佐は重傷を負って指揮を取れない状態だ。数時間前は四四五隻を数えた部隊が半数以下まで減少しているという事実に、愕然とさせられる。

 

「これより、惑星エル・ファシルに帰還する。リャン大佐と合流すれば、エルゴン星系から援軍が来るまで十分に持ちこたえられる」 

 

 留守を守る警備艦隊副司令官リャン・ダーイー大佐は、二〇〇隻を越える戦力を有している。ビューフォート大佐が率いる戦力と合わせれば、四〇〇隻の小型艇に負けることはない。星系警備艦隊とは別の指揮系統に属するものの、軌道警備隊だって健在だ。惑星エル・ファシル以外の有人惑星の安全確保を諦めざるを得ないが、この状況ではどうしようもない。

 

「それにしても、リャン大佐からの返事が来ないですね」

「通信が遅れるなんて基地局が少ない辺境では珍しくもないけど、こんな時ぐらいはちゃんと通じてほしいもんだね」

 

 超光速通信の通じやすさは基地局の数と密度に比例する。人口密集地域のバーラト星系とその周辺では基地局も密集していて、通信の途絶や遅れが生じることは少ない。軍用通信の基地局の数は民間のそれと比べると、人口に左右される度合いは小さい。しかし、近年の国防予算削減の煽りで主要航路から外れた地域の通信基地は縮小されていた。エル・ファシルもその例外ではない。広大な宙域に小部隊をバラバラに展開させる航路警備においては、強力な通信機能は不可欠だ。通信基地の縮小も海賊活動の活発化の要因となっていた。

 

 第二九九駆逐群以下の残存戦力はエル・ファシルへと向かう。ようやく惑星エル・ファシルの警備艦隊司令部と通信が通じたのは、日をまたいだ九月三日の午前二時の事だった。交信を終えたビューフォート大佐は、即座に残存部隊の幹部全員を第二九九駆逐群の旗艦に召集した。

 

 司令を失った第一八七巡航群、第三〇一巡航群、第五五五駆逐群の副司令、第二二三〇支援隊と第二二二八支援隊の司令、そして第二九九駆逐群副司令の俺の顔を見回したビューフォート大佐は、彼らしくもない重々しい口調で口を開く。

 

「エル・ファシル星系警備艦隊司令部から悪い知らせだ。副司令官リャン・ダーイー大佐が第一小惑星帯で海賊の襲撃を受けて戦死した」

 

 警備艦隊司令官に続いて、副司令官まで戦死するという事態に会議室は騒然となった。一体、何が起きているのだろうか。

 

「副司令官がなぜ第一小惑星帯まで出ていたのでしょう?」

 

 第五五五駆逐群副司令メイスフィールド中佐の疑問はもっともだ。エル・ファシルの警備艦隊司令部で留守を守っていたリャン大佐が第一小惑星帯まで出張ってくる理由がわからない。

 

「ゲベル・バルカル宙域からの救援要請に応じて、援軍に向かう途中で待ち伏せされたそうだ」

「あの通信状態で良く届きましたな」

「海賊の中には、軍の通信を偽装して民間船の油断を誘う者がいる。プロの軍人を騙せるレベルの名人がいたということだろうね」

「まさか…」

「まさか、という言葉がどれだけ無意味か。私達はゲベル・バルカル宙域で経験したばかりじゃないか。降伏してきたはずの相手が爆薬を大量に積んだ無人船だった。念入りに索敵をしたはずだったのに、敵は衛星の海中に潜んでいた。二〇〇隻しかいないはずのヴィリー・ヒルパート・グループが四〇〇隻もの戦力を動かしていた。今回の相手に限っては、何でもありと思ったほうがいいよ」

「失礼しました」

 

 ビューフォート大佐とメイスフィールド中佐の問答を聞いて、改めて今回の敵がとんでもない策士であることを思い知らされた。二〇〇隻の戦力を持っていたリャン大佐を戦死に追い込んだということは、ゲベル・バルカル宙域以外にも相当数の敵がいるということだろう。

 

「警備艦隊司令部からの通信というのも敵の罠である可能性は考えられませんか」

 

 今度は第一八七巡航群副司令パトリチェフ中佐が疑念を呈する。確かに今回の敵は何でもありだ。リャン大佐が戦死したというのも偽情報でもおかしくない。

 

「その懸念はもっともだ。あれだけの詭計を弄してくる敵なら、偽の通信ぐらいは使うだろう。しかし、この通信に関してはその心配はない」

「確認なさったということですか?」

「相手の通信士に頼んで、警備艦隊司令部にいる私の友人を三人呼び出してもらい、彼らにごくプライベートな質問をぶつけた。全部正解だったよ」

「なるほど」

「彼らが全員敵に内通している可能性もあるけど、そこまでは考えたくないな」

「まったくですな」

 

 ビューフォート大佐が肩をすくめてみせると、パトリチェフ中佐は巨体を揺らして陽気に笑った。張り詰めていた司令室の空気がやや柔らかくなる。

 

「予定どおりエル・ファシルに向かう。いや、向かわざるをえない。この宙域から無補給で移動できる有人惑星の中で、艦艇の補給及び整備機能を有する基地があるのはエル・ファシルだけだからね」

「我々はエル・ファシルに誘導されているということはありませんか?第一小惑星帯が機雷で封鎖されている可能性もあります」

「その可能性は低いね」

 

 俺の懸念をビューフォート大佐はあっさり否定した。

 

「敵はおそらく機雷敷設能力を持っていない。持っていたら、私達はゲベル・バルカルから生きて出られなかっただろうね」

 

 言われてみるとその通りだ。ゲベル・バルカル宙域に入った警備艦隊は、念入りに周囲を警戒しながら奥に進んでいった。機雷原を発見していたら、さっさとエル・ファシルに引き返していただろう。襲撃作戦に機雷原を盛り込むとしたら、無人船が爆発してから、俺達が脱出するまでの短時間で敷設を完了する必要がある。それができなかったということは、敵は機雷敷設能力を持っていないのだ。宇宙における機雷戦は物量が物を言うため、正規軍の戦術とされている。数隻から数十隻単位で民間船を襲撃する海賊とはそぐわない。機雷戦のプロを味方に付けていたら、ゲベル・バルカル宙域に投入していたはずだ。

 

「敵にはとんでもない策士がいるのは間違いない。しかし、機雷の件でわかるように、全知全能ではないようだ。ゲベル・バルカル宙域でも各部隊がバラバラに動いていて、統制はとれていなかった。偽装投降、無人船の自爆攻撃、衛星海中からの奇襲、偽通信による誘き出し。いずれも宇宙海賊が使う戦術だ。切れ者だが、発想は海賊の域を出ていない。そこに私達の勝機がある」

 

 小柄なビューフォート大佐の姿が大きくなったように見えた。俺以外の出席者も同じように感じたらしく、目を見張っている。

 

「ゲベル・バルカル宙域では海賊のフィールドに引きずり込まれて、一杯食わされてしまった。私達は軍人だ。軍人の戦いをすれば、海賊に負けたりはしない」

 

 全員が一斉にうなずく。敗軍の中にあって、確信をもって語る指揮官の何と心強いことだろうか。奇襲を受けてから、ビューフォート大佐は一度も読みを外していない。彼が勝利を確信しているのは、必勝の策を持っているからに違いない。

 

 七年前のエル・ファシル脱出作戦ではヤン・ウェンリー、今回の作戦ではビューフォート大佐。エル・ファシルでの俺は、指揮官に恵まれる星回りらしい。今回も指揮官を信じて戦おうと思った。



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第六十四話:エル・ファシル危機 宇宙暦795年9月上旬 惑星エル・ファシル、エル・ファシル市

 惑星ゲベル・バルカル周辺宙域で宇宙海賊の奇襲を受けて敗走したエル・ファシル星系警備艦隊は、九月四日に惑星エル・ファシルに到着した。

 

 残存戦力は第一小惑星帯で戦死したリャン・ダーイー大佐指揮下の部隊と合わせても三〇〇隻程度。一方、惑星エル・ファシルを取り巻くように展開している宇宙海賊は八〇〇隻を超えると推定される。正面きっての戦闘であれば、火力と装甲に勝る警備艦隊は二倍の海賊にも拮抗しうる。しかし、それはあくまで一つの戦場に限った話だ。軽々しく動いて隙を見せるわけにはいかない。

 

「こんな時だというのに、軌道警備隊の小型艇部隊が動けないとはね」

 

 エル・ファシル警備艦隊司令官代行を務めるアーロン・ビューフォート大佐は、早朝に起きた軌道警備隊基地の燃料タンク爆発事故の報告書を読んでため息をついていた。

 

 この星系においては、警備艦隊司令官は星系警備管区の司令官も兼ねて、治安維持に責任を負う。第二九九駆逐群の幕僚では治安業務に対応できないため、各司令部から人員を集めて、ゲベル・バルカル星系で司令官とともに消滅した警備管区司令部を再編成していた。俺は星系警備管区参謀長代行として、治安業務に疎い司令官代行を補佐している。艦艇部隊の指揮は副司令官代行に就任したフョードル・パトリチェフ中佐が担当していた。

 

「復旧まで何日かかる見通しでしょうか」

「最低でも二週間だって。巡視艦隊が到着するの待ったほうが早いね」

「軌道警備隊が健在なら、警備艦隊と合わせて四〇〇隻。もっと楽な戦いができたのですが」

「過ぎたことだ。仕方ないさ」

 

 そう言い捨てると、ビューフォート大佐は爆発事故の報告書をデスクの上に放り出して、別の報告書を手に取る。

 

「東部のカッサラ市では、昨日深夜から暴徒と警察部隊が交戦中。暴徒の数は増加の一途をたどり、鎮静化する気配無しだそうだ。市政府から介入要請が来てるよ」

「発端はフライングボールの応援団同士の乱闘でしたよね。どうして、こんなに熱くなれるのでしょうか」

「拳で乱闘してる連中の気持ちならわからんでもないよ。でも、ライフルをスタジアムに持ち込んで観戦するような連中の考えることはわからんね」

 

 フーリガンの乱闘自体はこの国では珍しくもない事件だ。しかし、警察部隊と銃撃戦を展開して、軍に介入要請が来るレベルとなると、自由惑星同盟二六〇年の歴史においても両手の指で数えられるほどしか起きていない大事件である。

 

「エル・ファシル全域で買い占め騒動が起きています。便乗値上げする商店も後を絶たないそうです」

「そっちへの対応は星系政庁の仕事だな。とは言え、買い占め騒動が暴動に発展する可能性も十分にある。地上部隊の警戒レベルを引き上げておかないといけないね」

「未確認情報ですが、エル・ファシル市内の商店が襲撃されたという報告が入っています」

「やれやれ、随分と短気なことだね。トイレットペーパーがなくなってから暴れても遅くはないだろうに」

「ネットで危機感を煽る書き込みが大量に現れているみたいです」

「暴動を煽る書き込みもたくさんあるみたいだ。ネットのアクセス制限も検討しなきゃいけないね」

 

 惑星エル・ファシルの生産設備のほとんどは四年前の地上戦で破壊されてしまい、現在では生活必需品の多くを外部に頼っている。海賊によって星間流通が遮断された途端にパニックが起きるのは止むを得ないことだった。それをネットのデマが助長している。非常用の備蓄があるという事実も、一度パニックに陥った人々を落ち着かせるほどの説得力は持たない。

 

「ダメ押しにこいつだ。星系警備司令部の他、星系政庁、市政庁、星系議会事務局、主要政党の事務所、星系警察本部、惑星警備隊司令部、主要マスコミ三社にまで送りつけられている。過激派の連中はなかなかの働き者だね。うちの部下にも見習って欲しいもんだ」

 

 ビューフォート大佐が手に持ってヒラヒラさせた紙は、自由惑星同盟からの離脱を唱える反体制組織「エル・ファシル解放運動」から送られてきたテロの予告状。

 

「よくもこれだけの事件がこのタイミングに重なったものですね。偶然とは思えません」

「偶然と思える方がおかしいよ」

 

 警備艦隊の敗北と前後して発生した惑星エル・ファシルの動乱。同じ人物が裏で糸を引いていることは明らかだった。エル・ファシル星系警備艦隊司令官は、星系警備管区の司令官も兼ねている。司令官代行のビューフォート大佐はこの動乱に対処しなければならない立場だった。俺は星系警備艦隊参謀長代行を兼任して、調整や渉外にあたっている。

 

「ところで地上部隊の追加派遣要請の返事はどうだい?」

「エルゴンの第七方面管区司令部は、第一〇空挺師団を含む三個師団を追加で派遣してくれるそうです」

 

 俺の返答にビューフォート大佐は満足そうにうなずいた。万が一エル・ファシル全土が動乱状態に陥ったら、星系警備管区司令部管轄下の地上部隊では対処できない。今の俺達は海賊対処用の艦艇戦力と治安維持用の地上戦力の両方を必要としていた。

 

「あの第一〇空挺師団を動かすとは、随分と奮発してくれたね」

「国防委員長閣下によろしく、と言われました」

「ああ、そういうことか」

「そういうことです」

 

 軍部の中で勢力を急拡大している国防委員長ヨブ・トリューニヒトと繋がりを持ちたがる者は多い。以前はそういう人々が面倒くさくてたまらなかったが、人も金も物も足りないエル・ファシル警備艦隊では贅沢は言ってられなかった。彼らの望み通りに「よろしく言う」ことで仕事がしやすくなるのなら、それに越したことはない。

 

「君が実務を全部引き受けてくれるおかげで、私は司令官の業務に専念できる。ずっと駆逐艦一筋だったから、そういうの苦手なんだよね。本当に助かるよ」

「俺は用兵ができません。人それぞれ、得意不得意はあります。それを補うための組織でしょう」

 

 ビューフォート大佐は戦場では頼もしい存在であったが、オフィスではまったくもって頼りなかった。事務仕事は遅くて下手。細かいことに目を配るのが苦手。交渉事も面倒くさがる。現場一筋の叩き上げ士官には多いタイプだ。七年前のエル・ファシル脱出作戦の際に足手まといになるからといって、指揮官のヤン・ウェンリーを手伝わなかったのもうなずける。

 

「ゲベル・バルカル宙域での用兵は悪くなかったよ」

「あれは大佐のご指示のおかげです」

 

 決して謙遜しているわけではない。表面上では落ち着き払っていたものの、内心は恐怖に震えていた。ビューフォート大佐の指示にすがりついて、どうにか生き残れたのだ。

 

「言われた通りのことさえできれば、今は十分だよ。自分の判断で動けるようになるのはその先のこと。君はまだ若い。焦らずに一つ一つ階段を登っていけばいいよ」

 

 その言葉に勇気づけられた俺は、敬礼をするとビューフォート大佐の執務室を退出した。星系政庁や警察の幹部との調整、対応マニュアルの作成、星系警備司令部管轄部隊の引き締めなど、やるべきことはいっぱいあった。

 

 

 

 ビューフォート大佐と俺が防衛体制の構築に奔走していた間も惑星エル・ファシルの治安情勢は悪化する一方だった。

 

 フーリガンの乱闘に始まるカッサラ市の暴動は若年層を中心とする不満分子に火を付け、三日後には全都市の三分の一が動乱状態に陥っていた。どこから手に入れたのか、暴徒は武器弾薬を豊富に持っていて、容易に鎮圧できなかった。現場の部隊からは実弾の使用許可を求める声が相次いでいたが、ビューフォート大佐と俺は、重ねて暴動鎮圧用の非致死性武器のみで戦うよう指示した。民間人に対して実弾を使用したら、軍と市民の間に決定的な亀裂を生みかねない。

 

 海賊によって星間流通が停止しても、しばらく持ちこたえられるだけの備蓄は用意されていた。しかし、航路を遮断されて孤立したという恐怖がデマを生み、デマが現実を侵食していく。エル・ファシル星系政庁は備蓄の一部を放出して、物資が潤沢であることを示してデマを打ち消そうとしたが、かえって逆効果となった。

 

 市民は自分達が脳内で作りだした物資不足への対処を求めて、連日のように星系政庁へと押し寄せた。七年前にリンチ司令官が逃亡したことに怒った市民が星系政庁に押し寄せた光景そのままである。この群衆がいつ暴徒に転じるかと思うと、不安で不安でたまらなくなる。

 

 エル・ファシル解放運動によるテロは現時点ではまだ起きていないが、油断は禁物だ。ブラフに踊らされるより、警戒を緩めてテロを起こされる方がずっと恐ろしい。それに解放運動は暴徒や海賊と違い、明確に同盟の現体制を敵視している。星系政府や軍の施設を直接襲撃してくる可能性があった。

 

 暴動やテロに備えるために必要なのは、第一に人員である。兵士を大量に動員して、標的になりそうな重要施設を警備させる。捜査員を大量に動員して、潜伏しているテロリストを探し出す。優秀な一人より、無能者一〇人の方が役立つ類の任務である。

 

 暴動やテロに立ち向かうべく戦っているといえば聞こえはいいが、本当に格好良いのは体を張って警戒にあたっている人達だ。ビューフォート大佐や俺のような上層部は、縄張り意識の強い政庁や警察の幹部を相手に会議を重ね、乏しい人員と物資をやり繰りし、消極策に不満を抱く現場の部隊をなだめ、政治家や市民からの突き上げに耐えなければならない。頭を下げてばかりで格好悪いことこの上ない。

 

「どのような方策があるのか、聞かせてもらえないかな」

「警備司令部の方針は既に述べたとおりです。警備を固めて外の海賊と内の暴動に備えつつ、第七方面管区からの救援を待ちます」

「自分達の力で状況を打開しようとは思わないのかね。君はエル・ファシルの英雄だろう?」

「ロムスキー先生、必ず救援はやって来ます。信じてください」

 

 こんな無茶を言ってくる連中を相手にしつつ、必要な人員と物資を集めて脱出計画を形にするという仕事を一人でやってのけた七年前のヤン・ウェンリーに改めて尊敬の念を抱かされる。千隻からの船団を幕僚を使わずに指揮するというドーソン中将みたいなこともやってのけた。前の歴史においては、用兵しかできない天才型軍人と評されていたが、本来は実務型なのかもしれない。

 

 周辺宙域に展開する八〇〇隻の海賊。地上で暴れまわっている暴徒。姿の見えない反体制組織。パニック状態に陥った市民。まるでエル・ファシルを取り巻く矛盾が一気に噴出したかのような有様だ。

 

 緊縮財政による警備艦隊の戦力低下が海賊を活発化させた。復興の遅れに対する不満が暴動を拡大させた。エル・ファシル解放運動は同盟建国期から続く集権派と分権派の対立の中で結成されたオーソドックスな反体制組織だが、不況の中で勢力を拡大していた。市民があっさりとパニック状態に陥ったのは、公式発表よりネットのデマを信じこんでしまうほどに、行政が信頼を失っていたためだ。

 

 敵は警備艦隊の殲滅を狙っているものとばかり思っていた。そうであれば、ビューフォート大佐が言うとおり、海賊の戦術しか使えないという敵の限界に乗じることもできただろう。しかし、海賊は戦おうとせずに航路遮断に徹して、不満分子を扇動することで地上に動乱状態を引き起こした。

 

 海賊が主なのか、地上の動乱を扇動している連中が主なのか、さっぱり見えてこなかった。いずれが主でも、全力で対応せざるを得ないことには変わりない。一歩対応を間違えば、エル・ファシルの動乱は内乱に発展しかねない。

 

 

 

 警備艦隊がエル・ファシルに戻ってから一週間ほど経過した九月一一日早朝。第七管区巡視艦隊から、間もなくエル・ファシルに到着するという連絡が入った。敵が仕掛けてきた偽の通信の可能性を考慮して、幾重ものチェックを行った結果、本物であることが確認された。

 

「これで一息つけるね」

「本当に長い一週間でした。非対称戦は神経をやられます」

「神経を攻めてくるのがああいう連中の得意技だからね。正直者の君にはきついだろう」

 

 正面戦力で対抗できない相手に対して、ゲリラやテロといった手段で対抗する非対称戦の本質は神経戦である。いかに強大な戦力を持った正規軍であっても、四六時中見えない敵の奇襲に備えていたら、神経が参ってしまう。自分で自分を守ることができない市民にとっては、見えない敵に対する恐怖がもたらす緊張は極めて大きい。正規軍を心理的に翻弄して戦力を低下させ、市民の不安を煽り立てて社会秩序を破壊する。海賊と暴徒と反体制組織を裏側で操っている人物は、まさしく非対称戦の教科書通りの戦いをしていた。

 

「たった一週間でこの有様です。サンタ・マルタ星系なんてどんなことになっているんでしょうね。想像したくもないですよ」

 

 自由惑星同盟を構成する数百の星系共和国の政情は多種多様だ。俺が生まれたタッシリのように政治的に安定している星系もあれば、サンタ・マルタのように数十年にわたってテロ組織との戦いが続いている星系もある。対帝国戦争が始まる以前は、内戦状態に陥った星系だってあった。

 

 同盟はもともとアーレ・ハイネセンの長征グループと、銀河連邦衰退期に中央のコントロールを離れたロストコロニーの寄り合い所帯である。対帝国戦が始まると、帝国からの亡命者がそれに加わった。現在は反帝国の大義名分によって、一枚岩になっているかのように見えるが、内紛の火種が消えたわけではない。

 

「まあ、私は君が想像したくもないというサンタ・マルタの生まれなんだけどね」

「司令官代行はトリプラ星系の生まれだったはずでは」

「ああ、履歴書にはそう書いてたっけ。まあ、色々あるんだよ。色々とね」

 

 逆鱗に触れてしまったかと思って、ひやりとした。しかし、彼はにこやかな表情を保ったまま語り続ける。

 

「いずれにせよ、エル・ファシルを内戦に突入させた無能者のレッテルは貼られずに済みそうだ。巡視艦隊と地上部隊の戦力は、強力な抑止力になる。流通が回復すれば、市民感情も落ち着く。後のことは私じゃない誰かさんに頑張ってもらおう」

「巡視艦隊からの連絡については、いかがいたしましょうか」

「君の意見は?」

「公表すれば、市民や将兵は安心するでしょう。動乱を引き起こしている勢力も大人しくなる可能性が高いです。しかし、安心した隙に付け入られる可能性もあります。どれだけ司令部が注意を促したところで、解放感を抑制するのは難しいでしょう」

「これから星系政府に伝えるつもりだが、我々は専門家としてどのように助言するべきだろうか」

「付け入られるリスクを考慮に入れても、公表を進言すべきと考えます。将兵や市民の不満を抑える手段は他にはありません」

 

 俺の意見を聞いたビューフォート大佐は腕を組んで考えこんでいる。参謀の仕事は意見を述べるまで。決断は指揮官が行わなければならない。

 

「あと一日抑えるのも難しいかな」

「昨日、地上部隊から三件の反乱未遂が報告されました。エル・ファシル市を警備している大隊にも、反乱の兆しが見られます。物資不足への対応を求めるデモは、昨日の時点で制御不能な規模に達しています」

「とっくに臨界点を超えてるってわけか」

 

 ビューフォート大佐はすぐに星系政府に巡視艦隊到着が近いことを伝えて、公表するように進言した。星系政府は協議に入り、三〇分後に公表を決定。星系政府と警備司令部の合同記者会見が開かれて、巡視艦隊到着間近の報はエル・ファシル全土に伝えられた。

 

 記者会見から二〇分後、星系政庁を退出しようとするビューフォート大佐と俺のもとに、司令官代行臨時副官を務めるコレット中尉が凄まじい勢いで駆け寄ってきてメモを渡した。二人で目を通す。

 

「エル・ファシル市内の一四箇所で同時に爆破テロか」

 

 きたか、と思った。予告状を出した後、ずっと沈黙を守っていたエル・ファシル解放運動がついに動き出したのだ。公表すべきと言った自分の判断の甘さに思わず舌打ちしてしまう。

 

「陽動だね、それは。Bマニュアルに従って対処するよう、各部隊に伝達。警備司令部に戻るまでは、携帯端末を通して指揮を取る」

 

 指示を受けて再び走りだしたコレット中尉の後ろ姿が見えなくなると、ビューフォート大佐は笑って俺の方を向いた。

 

「これで良かったかな」

「十分です」

「私は駆逐艦一筋で生きてきた。治安は門外漢だ。実質上の指揮官は君ということになる。憲兵隊仕込みの手腕に期待するよ」

「はい」

「気にすることはないよ。公表しなければ、どこかの部隊が反乱していた。エル・ファシル市民が暴動を起こしていたかもしれない。敵はどっちに転んでも構わないように手を打ってたんだよ。つくづく嫌らしい連中だね」

 

 ビューフォート大佐のおどけた口調に安心させられた。逆境にあって明るさを失わない指揮官の存在は本当に心強い。おかげで小心な俺でも取り乱さずに戦える。彼のような人を本当の指揮官と言うのだろう。気を取り直して携帯端末を開いて簡易指揮システムを立ち上げた途端、ビューフォート大佐の携帯端末が鳴り出した。

 

「うんうん、わかった。これからそちらに向かう」

 

 何やら端末で話してうなずいた後、ビューフォート大佐は再び俺の方を向いた。

 

「軌道上で警戒にあたっていたパトリチェフ中佐からの報告。この星を取り巻いていた海賊が集結して、衛星軌道に接近しているってさ」

「解放運動の動きと連動したものでしょうね。油断も隙もないとはこのことです」

「海賊八〇〇隻と正規軍三〇〇隻。戦力的には五分だけど、味方はこの一週間の動乱で浮き足立っている。なかなかどうして、楽をさせてくれない敵さんだ」

「司令官代行が直接指揮をお取りになるのですか?」

「もちろんだとも。地に足の着いた戦いでは、私は何の役にも立たないからね」 

 

 ビューフォート大佐の本領は宇宙空間での艦艇戦闘にある。地上戦闘で役に立たないという言葉はもっともだ。しかし、彼が海賊を迎撃するとなると、誰が対テロ指揮をとるかは自明だった。

 

「フィリップス中佐、君を地上における臨時指揮官に任命する。空の上で戦ってる私達が帰る場所に困らないように頼むよ」

 

 臨時とはいえ、一惑星の治安を預かるという未曾有の大任に膝が震える。冷静でなければいけないのに、体がそれを拒否する。こういう時、小心な自分がつくづく嫌になってしまう。自己嫌悪に陥っている俺の肩を、ビューフォート大佐は強く叩き、白い歯を見せて笑った。不思議なことに体から震えが引いていく。

 

 表情を引き締めて敬礼をすると、対テロ指揮を取るべく炎上するエル・ファシル市内へと向かう。テロリストを鎮圧し、エル・ファシル内戦を阻止するために。



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第六十五話:一つ終わって一つ始まる 宇宙暦795年9月11~12日 惑星エル・ファシル、星系警備艦隊司令部

 テロリストは恐怖を植え付けて、譲歩を強いることを目的としている。姿が見えなければ見えないほど、戦果が派手であれば派手なほどに、敵に与える恐怖は大きくなる。そのため、テロリストは隠密行動が取りやすい少人数による奇襲を基本としている。暗殺や爆発物を好んで用いるのは、少人数でも大きな戦果を見込める手段だからだ。交通機関やライフラインや政府施設や繁華街を好んで目標にするのは、少人数でも大きな戦果を見込める目標だからだ。何も考えずにひたすら破壊のための破壊を行う存在と思っていては、彼らの思う壺である。動機は不可解な信念に基づいていても、実行にあたってはきわめて合理的なのがテロリストなのだ。

 

 どんな場所においても、攻撃すれば大きな戦果が見込めるポイントは限られている。エル・ファシル市内でテロの対象となる可能性が高いポイントでは、数日前から軍や警察が厳戒態勢を敷いていた。どんな戦闘組織であっても、構成員の経験や武装の問題で使用できる戦術は限られている。エル・ファシル解放運動が得意とする戦術に関しては、軍や警察が豊富なデータを蓄積している。テロリストとの戦闘においては、陽動に引っかかって注意をよそに向けないこと、奇襲を受けても落ち着いて対処すること、敵の姿を正確に把握することなどを徹底すれば、数的に優位な軍や警察が有利となる。

 

 九月一一日一〇時八分。俺は臨時保安司令官として星系警備司令部の司令室に陣取り、右隣に臨時副官シェリル・コレット中尉、左隣に臨時参謀長カジミェシュ・イェレン中佐を従えて、エル・ファシル解放運動のテロ部隊を迎え撃とうとしていた。戦術スクリーンには、抽象化されたエル・ファシル市街が地図が映しだされている。

 

 アラート音が鳴り、最重要警戒ポイントの一つエル・ファシル発電所が赤く点滅した。メインスクリーンには猛スピードで発電所の正面ゲートを突き破る巨大なトレーラー六台が映っている。まるで映画のワンシーンのような派手な攻撃に息を呑んだ。

 

「こちら、エル・ファシル発電所です!トレーラー六台が正面ゲートに向けて突進してきます!」

「こちら、司令部。無人トレーラーを使った陽動は敵の常套手段である。他のゲートから侵入してくる敵に備えるように」

 

 指示を出し終えると、今度は第一宇宙港が赤く点滅する。メインスクリーンは宇宙港の監視カメラの映像に切り替わり、ビームライフルを持った五、六人の人影を映し出す。数日前から閉鎖されているターミナルビルに侵入してくる者がまっとうな目的を持っているはずもない。

 

「こちら、第一宇宙港!ターミナルビルのセンサーが侵入者を確認!」

「こちら、司令部。侵入者を急ぎ排除せよ。宇宙港警備本部は侵入経路の確認を急げ」

 

 俺の出した指示は極めて常識的で何の独創性もない。しかし、陽動や奇襲によって絶えず揺さぶりをかけてくるテロリストに対しては、基本の徹底こそが有効である。手堅く戦うことが治安戦の秘訣なのだ。

 

「こちら、星系政庁!正面広場に二発の砲撃!迫撃砲によるものと思われます!」

「こちら、恒星間通信センター!通用口付近で侵入者と交戦中!」

 

 今度は二箇所が同時に赤く点滅する。指示を出そうとマイクに向かうと、またアラート音が鳴った。これで五ヶ所が同時にテロ攻撃を受けたことになる。エル・ファシル解放運動が攻撃を仕掛けてくるのは予想していたが、こんな大規模になるとは思わなかった。上空ではビューフォート大佐が二倍以上の海賊を相手に戦っている。未曾有の非常事態に直面していることを、あらためて理解した。

 

 緊張のあまり、腹が痛くなってくる。熟考するには少なすぎる時間、判断材料とするには不確実すぎる情報、恐ろしく動きが早い敵。すべての要因が敗北に至る道を示しているように見えて、心の中を不安で満たしていく。状況の進展に付いて行けずに傍観している臨時参謀長イェレン中佐の真っ青な顔、事態を理解しているのかいないのか良くわからないコレット中尉のぼんやりした顔も不安をさらにかきたてた。

 

「慌てる必要はない。できないことをやろうと思う必要もない。できることを一つ一つやっていこう」

 

 頭を横に振ると、マイクを通してエル・ファシル市内の全軍に語りかけた。一語一語噛みしめるような力強い口調で、自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎだす。

 

「今後数時間の戦闘に、この惑星、ひいては同盟全体の未来がかかっている。だからこそ、平常心を保たなければならない。頭に蓄えた知識、手に染み付いた技能、心に刻んだ経験を信じよう」

 

 平常心を保て。自分の知識と技能と経験を信じろ。そう口に出すたびに心が落ち着いていく。手元のデスクの上にあるマフィンを手にとって一口かじり、脳に糖分を補給した。七年前のエル・ファシルの光景を思い出した。あの時の俺は右も左もわからなかった。

 

「昨日までの積み重ねが今日を作る。今日の頑張りが明日を切り開く。君達が人間として、軍人として重ねてきた日々の営み。その延長にこそ勝利の道があると、私は信じている」

 

 型にはまった思考しかできない人間が危機に直面して、いきなり状況を打開できる奇策を思いついたり、未来を正しく予測して切り抜けたりなんてできるはずもない。そんな俺が頼れるのは、エル・ファシルを脱出してからの七年間に積み重ねた努力だけだった。俺は俺を信じたかった。部下も自分自身を信じられない指揮官を信じて戦うことはできない。部下まで俺の不安に巻き込むわけにはいかない。

 

『次に指揮官を務められる際は、いたずらに勇を好まれませぬよう』

 

 ヴァンフリート四=二基地で戦死したファヒーム少佐の最期の言葉が脳裏に浮かぶ。あの時の俺は不安から逃れるために突撃して、ファヒーム少佐らの犠牲で辛うじて生き延びた。指揮官の不安は部下の命を奪う。あの時の過ちを繰り返すわけにはいかない。

 

 不安を振り払うと、コレット中尉から受け取ったメモに目を通しながら、立て続けに指示を出していった

 

 九月一二日一三時。エル・ファシル解放運動との交戦が始まってから二三時間、五度目の攻撃が終了してから、七時間が経過していた。長期戦になると、圧倒的な戦力を持つ軍と警察が有利になる。

 

 市内に展開したテロ部隊は次々と制圧されていき、残った者も包囲網を突破して市外に脱出しようとしている。ビューフォート大佐率いる警備艦隊は倍以上の海賊相手に大勝を収めた。味方の勝利が揺るぎないものとなりつつあったものの、まだまだ油断はできない。敵の策がこれで尽きたとも思えない。

 

「巡視艦隊司令官より、エル・ファシル保安司令官代理宛てに通信が入っております」

 

 オペレーターの言葉に司令室が緊張に包まれる。普通に考えれば到着の知らせだろうが、延期、いや中止ということも有り得る。九月に入ってから入ってくる通信は悪い知らせばかりだった。その事実が俺も含めた警備管区司令部の軍人を悲観論者にしている。

 

「繋いでくれ」

 

 自分でもびっくりするぐらい疲れきった声で、オペレーターに取り次ぎを指示する。スクリーンに第七管区巡視艦隊司令官ホールマン少将が現れた。地下の司令室にこもって徹夜で指揮を取り続けた俺の目には、少将の禿げ頭も光り輝いて見える。

 

「こちら、第七管区巡視艦隊。間もなく、惑星エル・ファシル衛星軌道上への展開を開始する。受け入れ体制の準備を願いたい」

 

 その瞬間、司令室は弾けるような歓声に包まれた。左右を見回すと、コレット中尉はつまらなさそうに視線を逸らし、イェレン中佐は顔に喜色を浮かべて視線を合わせる。両手を上げてハイタッチの姿勢を取ると、イェレン中佐もそれに応じ、手の平を力強く叩き合わせた。それを見たスタッフは次々と俺に駆け寄ってきて、ハイタッチを求める。自らの総指揮で勝ち取った初めての勝利は、たまらない味だった。

 

 ホールマン少将率いる第七管区巡視艦隊二九八十隻は惑星エル・ファシルの衛星軌道上に展開すると、海賊の残存部隊の掃討に取り掛かった。上陸部隊のシャトルが上空を埋め尽くす光景は、各地で猛威を振るっていた暴徒の闘志を打ち砕くには十分であった。こうして、九月二日から一〇日にわたって続いた惑星エル・ファシルの動乱は終結した。

 

 

 

 第七管区司令部によってエル・ファシル保安司令官に任命された第三四師団長ガンドルフィ准将に業務を引き継いだ俺は、その足で士官食堂に向かった。長時間の指揮で疲れきっていたが、神経が高ぶっていて眠気は感じない。何かを腹に入れてから、眠るなり他のことをするなりしようと思ったのだ。他の士官も俺と同じことように思っていたらしく、激戦の直後であるにも関わらず、士官食堂は大勢の客で賑わっていた。

 

 最初にダーシャ・ブレツェリを探したが、食堂の中には見当たらない。不安になって携帯端末でメールを送ると、「これから寝る」という返事が返ってきた。彼女は瞬発力がある反面、スタミナに欠けている。眠気が勝利の興奮をあっさり吹き飛ばしてしまったのだろう。次にビューフォート大佐を探すと、端っこの席に数人で座っていた。

 

「やあ、エル・ファシルの英雄」

「司令官代行も今日からそう呼ばれますよ」

 

 警備艦隊司令官代行ビューフォート大佐と軽口で挨拶を交わし合った。思えば上官とこういう関係になるのは初めてである。ドーソン中将は冗談を言うような人でもないし、部下が冗談を言うのも良く思わないだろう。

 

「私のようなただのおっさんが英雄なんて呼ばれたら、視聴者が怒るんじゃないか?英雄というのは、君みたいに画面映えする容姿を持っていなければならないと昔から決まっている」

「統合作戦本部にはどんな人でも格好良く撮れるカメラマンと、どんな人でも格好良く見せるスタイリストがいるんですよ。おかげで俺も視聴者の怒りを買わずに済みました」

 

 七年前のエル・ファシル脱出作戦で英雄に祭り上げられた俺には、カメラマンのルシエンデス曹長とスタイリストのガウリ軍曹が付けられた。この二人には随分と世話になった。軍隊に入って初めて親しくなった相手でもあり、今でも付き合いが続いている。

 

「エル・ファシルの英雄とは懐かしい響きですな。ヤン・ウェンリー准将、いや当時は少佐でしたな。あの方と仕事でご一緒したことがありました」

「ほう、パトリチェフ中佐もヤン准将を知っているのか」

「エコニアの捕虜収容所で二週間だけ上司と部下の関係でした。職を解かれてハイネセンに帰還する道中の二ヶ月も同行させていただきました」

「所長が横領で逮捕された収容所だったか。捕虜の反乱がきっかけで露見したんだったね」

 

 警備艦隊副司令官代行のフョードル・パトリチェフ中佐とヤン・ウェンリーの仲を知っている者は、それほど多くない。ヤンは着実に昇進を重ねて二八歳にして准将の階級を得ていたが、エル・ファシルの英雄、シトレ元帥派のホープといった立場にばかり注目が集まっていて、彼自身についてはあまり知られていない。

 

 俺が二人の関係を知っているのは、前の歴史を知っているからだ。そこではエコニア収容所で起きた事件は、同盟末期最高の名将ヤンとその腹心パトリチェフが出会うきっかけとして後世に記憶されていた。

 

「あの時はいろいろと大変でしたが、思い出してみるとなかなか楽しかったですなあ。機会があれば、またあの方とご一緒したいものです」

「エル・ファシル脱出の際にヤン准将が旗艦にしたのは私の船でね。同じ人間とは思えなかった。軍歴二〇年の私が一艦の指揮でもいっぱいいっぱいだったのに、士官学校を出て一年ちょっとのヤン准将は千隻の大船団を一人で指揮していた。天才とはああいう人のことを言うんだろうね」

「いやあ、そんな凄い人には見えませんでしたよ」

 

 パトリチェフ中佐とビューフォート大佐のヤン評ははっきりと分かれている。世に出る前のヤンを天才と呼んだビューフォート大佐の評価、後にヤンの腹心中の腹心となるパトリチェフが語る「凄い人に見えない」という評価のいずれも興味深いものがある。

 

「一人でスタッフ十数人分の仕事をできる人なんて見たこと無いよ。統合作戦本部あたりには、ああいう人がゴロゴロいるのかもしれないけど」

「統合作戦本部は知りませんが、少なくとも宇宙艦隊総司令部には滅多にいませんよ」

「ああ、そういえば、君は去年のイゼルローン遠征で参謀やってたんだね」

 

 ビューフォート大佐とパトリチェフ中佐の会話に割り込む。一人で十数人分の仕事を処理できる軍人なんて、ドーソン中将ぐらいしか見たことがない。それも長年の経験と何でも自分で仕切りたがる性格の賜物であって、中尉になって間もない頃からそんな能力を持っていたヤンとはわけが違う。

 

「ええ。軍中央では一人で普通のスタッフ何人分もの仕事を処理するのではなく、一人分の仕事を最速の速度と最高の質で処理することが求められます」

「そうなんだねえ」

「なるほど」

 

 俺の言葉に二人は納得したようにうなずいた。ビューフォート大佐は航宙科学校を卒業してからずっと地方部隊で勤務してきた。パトリチェフ中佐は士官学校卒業者ではあるが、砲術士官や艦長としての勤務が長く、中央勤務とは縁が無い。三人の中で学歴が最も低い兵役出身者の俺が一番中央勤務に詳しいというのも妙な話であった。

 

「フィリップス中佐から見たヤン准将はどんな人だったんだね。エル・ファシル脱出作戦の時は一緒にいたはずだが」

 

 パトリチェフ中佐の質問に少し考えこむ。ヤンと直接接した期間はそれほど長くない上に、軍隊のことを良く知らなくて、前の人生で読んだ本の評価をそのまま引きずっていた頃だ。先入観を抜きに評価すると、「冴えない奴」ということになるだろう。しかし、そのまま言えば角が立つ。言葉を選ばなければならない。

 

「掴み所の無い人でした」

「なるほど」

「同じ人を見ても、受ける印象は人それぞれ。面白いね」

 

 曖昧にお茶を濁しただけなのに、妙に感心されてしまった。詳細な説明を求められたら困る。話の矛先を変えなければならない。

 

「凄い人には見えないとパトリチェフ中佐はおっしゃいましたよね。なぜそのようにお感じになったんですか?」

「切れ者にも勇者にも見えない。それどころか、軍人にも見えない。普通の人だった」

 

 前の歴史でヤンが成し遂げた偉業を知らない人から見れば、普通の人という評価は正しい。彼程度にだらしない人なんて、いくらでもいる。彼程度の読書家も珍しい存在ではない。ユリアン・ミンツが書いた伝記によると、エコニアでのヤンは持ち前の知略を発揮する機会がなかったそうだ。だとすれば、エル・ファシルの英雄という先入観に惑わされずに、ヤンを普通の人と評価したパトリチェフは公正と言っていい。

 

「整理整頓ができない。時間を守れない。正直すぎて見栄を張れない。老人に頭が上がらない。三次元チェスも弱い。頼りないところだらけだったよ」

 

 ヤンの駄目なところをあげていくパトリチェフは、どこか嬉しそうに見える。

 

「だから、助けたくなるんだろうなあ。あの老人もそう思っていたはずさ。私もヤン准将の人徳のおこぼれで助かったようなものさ。足を向けて寝られんね」

 

 あの老人というのは、収容所長の陰謀からヤンとパトリチェフを救った捕虜の顔役のことだろう。

 

 前の人生で俺が暮らしていた帝国の捕虜収容所ではコストを省くために、顔役を頂点とする自生的な秩序に管理を依存していた。自生的な秩序に依存した管理体制は、同盟の収容所も同じだ。捕虜の集団の中で頭角を現して、顔役になるような人物が只者であるはずもない。収容所に赴任して間もないヤンが顔役の好意を獲得したというのは、驚くべきことである。前の歴史でもヤンは並み居る曲者の心を掴んできたが、微妙に頼りないところが親切心をくすぐったのかもしれないと思った。

 

「ああ、頼りないというのは感じました。従卒みたいに身の回りの世話をしていたんですが、大雑把な方でした」

「そりゃ、フィリップス中佐と比べたら、誰だって頼りないんじゃないかね」

 

 パトリチェフ中佐の意外な言葉に驚く。俺ほど頼りにならない奴なんて、そうそういるもんじゃないぞ。ヤンと違って、人の親切心をくすぐれないけど。

 

「そんなに頼りになりそうに見えます?」

「いつも落ち着いていて、喋りがうまい。デスクワークから白兵戦までこなす。何をしても絵になる。同じエル・ファシルの英雄でも、ヤン准将とは大違いさ」

 

 誰のことを言ってるんだろうかと、パトリトェフ中佐の言葉に耳を疑ってしまった。物凄く頼りになりそうじゃないか。

 

「いつも不安だらけですよ。戦場に出たら敵は怖いし、味方の目も気になります。昨日からのテロ部隊との戦いだって、緊張しすぎて何がなんだかわかりませんでしたよ」

「そうなのかい?落ち着いて指揮していたように見えたけど」

 

 ビューフォート大佐も何か勘違いしているらしい。

 

「情報も時間もなかったし、対テロ作戦の指揮も初めてでしたが、迷っていられませんでしたからね。無我夢中で指揮をとっていたら、いつの間にか戦いが終わってました」

 

 謙遜でも何でもない。正直な気持ちだ。ビューフォート大佐のような歴戦の勇士と俺ではものが違う。

 

「なんだ、君も私と同じか」

 

 その言葉にパトリチェフ中佐らテーブルを囲んでいる全員が驚いて、ビューフォート大佐の方を一斉に向く。

 

「戦況の変化に付いていくのが精一杯でね。まったくわけのわからない戦いだったよ」

 

 二倍以上の敵を斜めに突破して分断した後に、時間差で各個撃破して壊滅に追いやった指揮官のセリフとはとても思えない。

 

「計算通りに戦いを進めたものとばかり思っていました」

「そんなことできるわけないだろう。主導権を握ったからと言って、時間も情報も足りないことには変わりない。先手を打ち続けて、勝機が巡ってくるのを待つしかなかった。まあ、運が良かったね。一〇〇パーセント予想した通りの戦果を得ることは決して無いのに、二〇〇パーセントの戦果を得ることはある。用兵って奥が深いよ」

 

 あまりにも正直過ぎるビューフォート大佐の回答に腰が抜けてしまう。しかし、戦場が絶え間ない偶然の連続にとって構成されるのであれば、計算通りにできるわけがないというのは、むしろ当然のことかもしれない。

 

「マスコミの前では言わない方がよろしいでしょうなあ。計算通りに勝ったことにしなければ困る人も多いでしょうから」

 

 パトリチェフ中佐が苦笑しながら言う。

 

「完全に終わったわけでもないのに、マスコミの心配なんて気が早過ぎないかい?」

「エル・ファシル星系は第七方面管区の直轄下に入りました。最高評議会も緊急対策本部を作って、正規艦隊派遣も視野に入れた対応を検討しているようですな。あとはハイネセンの偉い人達に任せて、傍観者に徹しても許されるんじゃありませんかね」

「たかだか一星系の動乱に正規艦隊を動かすって?フェザーン方面航路に治安出動する第一艦隊をこちらに差し向けるわけにもいかないだろう」

「国防委員長がもう一個艦隊動員するように閣議で提案したそうですよ。そんな予算、どこにもありゃしないのに」

 

 正規艦隊は一個あたり艦艇一万数千隻、兵員百数十万人という桁外れの戦力を持っている。それだけに動員するだけでも多額の予算を必要とする。一度の出兵で動員される艦隊が三個から四個艦隊の範囲に留まるのも予算の制約によるところが大きい。国防予算は対帝国戦に重点的に投入されているため、正規艦隊を治安出動させる予算を確保するのは不可能に近い。第一艦隊の動員だって、航路の安定を望むフェザーンが費用の半分を負担して、ようやく実現にこぎつけたのだ。トリューニヒトの提案は却下されて当然である。

 

「しかし、エルゴンからイゼルローンに至る航路はエル・ファシル方面航路と似たりよったりだ。正規艦隊でも投入して海賊を掃討しなければ、帝国軍が攻めてきても迎撃できないぞ」

 

 ビューフォート大佐と同じ理由でイゼルローン方面航路への正規艦隊投入を主張する者がいないわけでもなかったが、財政難を理由に却下されてきた。極右思想を持つネットユーザーの中には、「イゼルローン方面航路の宇宙海賊を放置しているのは、帝国に媚びる反戦派の陰謀」などと書き込んでいる者もいるが、さすがにそれはこじつけが過ぎるというものだろう。

 

「動員されるとしたら、第四艦隊か第六艦隊でしょうな。どちらの司令官も航路保安に強い人物です。どちらにせよ、我々には関係のない話ですがね」

 

 航路保安を担当する地方部隊は叩き上げが多いが、星系管区や方面管区の司令部には士官学校を卒業したエリートが多い。

 

 同盟軍の出世コースといえば、ほとんどの人は軍中央機関や正規艦隊のポストを渡り歩くコースをイメージするだろうが、星系管区や方面管区のポストを歴任しながら階級を上げて将官に至るコースも用意されている。第四艦隊司令官パストーレ中将と第六艦隊司令官ムーア中将は、航路保安で実績を重ねて、方面管区司令官を経験した後に正規艦隊司令官に就任した。幕僚にも航路保安に強い人材が多い。

 

「いっそ、どっちかが第七方面管区の司令官になってくれたらいいのにね。今の司令官は正規艦隊が長かったから、地方がわからないんだよ。宇宙の航路警備、地上の治安対策をセットにした包括的海賊対策は、地方に長くいた人じゃないとできないからね」

 

 同じ中将ポストではあるが、正規艦隊司令官の用兵と方面管区司令官の用兵は異なる。ビューフォート大佐が嘆くとおり、パストーレ中将かムーア中将が第七方面管区の司令官だったら、エル・ファシル方面の海賊対策もかなりマシになっていたかもしれない。

 

 理想の第七管区司令官人事について話し合っているビューフォート大佐とパトリチェフ中佐を横目にパフェを食べようとすると、食堂に据え付けられたスクリーンからニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。どんなニュースかは知らないが、この十日間にエル・ファシルで起きた事件と比べると大したことはないだろう。そう思って何気なくスクリーンに視線を向ける。

 

「本日一五時頃、エルゴン星系の惑星シャンプールにある第七方面管区司令部が襲撃されました。被害状況及び犯人の詳細は不明」

 

 画面には第七方面管区司令部ビルが炎上しながら崩落する様子が映し出されている。六年前の俺は第七方面管区司令官ワドハニ中将の従卒を務めながら、幹部候補生養成所の受験勉強に励んでいた。努力する楽しみを教えてくれた懐かしいビルの惨状に気が遠くなっていく。

 

 シャンプール基地のど真ん中で多くの部隊に取り囲まれて鎮座している司令部ビルにテロリストが到達するなど、常識では考えられない。しかし、シャンプールに駐屯する地上部隊二〇個師団のうち、第七方面管区司令部の警備戦力と予備戦力を兼ねる三個師団は、すべてエル・ファシルに派遣されている。また、第七方面管区司令部はこの一〇日間、エル・ファシル動乱への対処に忙殺されていて、警戒が甘くなっていた。ハイネセンの情報機関もやはりエル・ファシルに目が向いていた。

 

 九月二日のゲベル・バルカル宙域の戦いに始まるエル・ファシル動乱は、すべて第七方面管区司令部襲撃のための壮大な陽動に過ぎなかったのだ。辺境星系に過ぎないエル・ファシルと複数星系の防衛を統括する方面管区司令部では、政治的な価値は比べ物にならない。同盟史上でも稀に見る大規模テロの前に、勝利の興奮は吹き飛んでしまっていた。



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第六十六話:対テロ総力戦体制 宇宙暦795年9月12日~10月 惑星エル・ファシル~惑星ハイネセン

 宇宙暦七九五年九月一二日。エルゴン星系惑星シャンプールの第七方面管区司令部はテロリストの攻撃によって陥落。情報は錯綜しており、被害状況、犯人ともに不明。

 

 主要マスコミは報道特番を組んで、巨大な司令部ビルが崩落する画像を繰り返し流した。ネットでは、眉唾ものではあるが刺激的な情報が書き込まれている。最高評議会議長ロイヤル・サンフォードは、テロが発生から二時間後に国家非常事態宣言を議長権限で発令した。士官食堂から部屋に戻った俺は眠ることもできずに、テレビを眺めていた。

 

 画面には同盟議会が映しだされている。現在は戦時特別法に基づく最高評議会議長への非常指揮権の付与動議、三百億ディナールの対テロ臨時予算案について話し合われていた。最高評議会議長は同盟軍全軍の最高司令官であったが、通常は議会によって指揮権を制限されている。議会が戦時特別法に基づく非常指揮権付与措置を承認して初めて、完全に指揮権を振るうことができるのだ。予算案については、言うまでもないだろう。統治権力の肥大を嫌う反戦派の抵抗が予想されていたが、最左派の反戦市民連合以外は反対の意向を示していていない。

 

 議員に向けて演説をする最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの声は小さくて抑揚に欠けており、内容もスピーチライターが用意した原稿を棒読みするだけだった。この七十過ぎの太った老人が、未曾有の国難に立ち向かう指導者たるにふさわしいと思っている者は誰一人としていないだろう。閣僚歴、党役員歴ともに豊富で、先例を尊重して他人を立てながら組織を円滑に運営する能力に長けているサンフォードは、最高評議会書記局長か党幹事長であれば、立派に務め上げるだろう。しかし、リーダーシップは今ひとつだ。このような人物の指導で悪魔のように狡猾なテロリストに立ち向かうことを思うと、心細さを禁じ得ない。

 

 サンフォードが退屈な演説を終えて、型通りの拍手を背に演壇を降りると、国防委員長ヨブ・トリューニヒトが代わって演壇に登る。原稿は持っていない。若くてハンサムな彼が演壇に立つと、老齢で風采が上がらない議長の演説は前座でしか無かったように錯覚してしまう。

 

「市民諸君。今日、我々の祖国が暴力による挑戦を受けた。犠牲となった人々は、祖国のために命を捧げてきた兵士だった。そして、誰かの父親であり、母親であり、兄であり、弟であり、姉であり、妹であり、友人であり、隣人だった人々だ。卑劣で残虐な暴力は、国家から兵士を、市民から家族や友人を永遠に奪い去った」

 

 犠牲者が統計の数字ではなくて顔のある人々であることを、トリューニヒトはしんみりとした調子で語りかけてくる。抑制されてはいるものの、力強い声と相まって心に染み入っていく。サンフォード議長とはまるで違う。

 

「第七管区司令部ビルの崩落は、単に一つのビルが破壊されたという以上の意味を持っている。我々の家族や友人が取り巻いた炎の中で生きながら焼かれていき、ビルの崩落に巻き込まれて生き埋めになったのだ」

 

 テレビで流れた司令部ビル崩落の映像の中で、どれほど多くの人が死んでいったかをトリューニヒトは強調した。今日一日でうんざりするほど繰り返し見せられた映像だ。嫌でも脳内にイメージが浮かび上がってくる。

 

「テロリストはこのような暴挙を行うことができるのか。誰かにとって大切な家族であり、友人である人々を殺すことに心の痛みを覚えなかったのか。なぜ、我々の家族や友人は殺されなければならなかったのか。そう思うたびに悔しさと悲しみが湧き上がってくる」

 

 トリューニヒトの問いかけに沈痛な思いがにじんでいるように聞こえて、うるっときてしまった。親しい人がテロの犠牲者になっていたら、泣いてしまっていたかもしれない。そう思われる名調子だ。

 

「テロリストは家族や友人を殺すことで、我々が恐れをなして屈服するとでも思っているのかもしれない。しかし、それはとんだ思い違いだ。愛する者を奪った相手に屈服する者がこの世のどこにいるというのだろうか。怒りや悲しみはあっても、恐怖するいわれなどない。我々を屈服させようというテロリストの企みは、既に失敗に終わっている」

 

 シンプルだけど正しい。俺だってダーシャやアンドリューを殺されたら悲しい。殺した奴の言うことなんか聞きたくない。

 

「我々は誇り高き自由の民だ。ゴールデンバウムのくびきですら、我々を縛ることはできなかった。まして、テロリストなどに何ができるというのか。暴力で我々を支配しようと言う者に屈してはならない。我々の父親、母親、兄、弟、姉、妹、友人、隣人を殺そうとする者を許してはならない。自由の砦、我らが祖国、自由惑星同盟に殺人者や脅迫者の居場所など、寸土たりとも存在しない」

 

 自分達が自由の民であることを強調する一方で、テロリストを殺人者、脅迫者と断じるトリューニヒトの口調は、やや熱を帯びてきている。いつの間にか、彼の目も強い輝きを放っていた。一言一句足りとも聞き逃すまいと、画面を食い入るように見詰めた。

 

「暴力への抵抗。それは自由の本質である。アーレ・ハイネセンが長征一万光年の旅に出発してから三三二年にわたって、自由と暴力の戦いは続いてきた。暴力でビルを打ち砕くことはできても、我々の精神を打ち砕くことはできない。それは歴史が証明している。自由とそれを求める意思より強いものはないのだ」

 

 さらに言葉に熱がこもった。トリューニヒトはテロリストとの戦いは自由と暴力の戦いなのだと強い調子で語る。彼の言葉を聞いていると、まるで自分も強くなったような気分になってくる。

 

「我々の力を祖国の旗のもとに結集しよう。自由を守るために戦おう。家族や友人が暴力に脅かされることのない世界のために」

 

 トリューニヒトが顔を紅潮させて、大きく力強い美声で戦いを呼びかけると、議場は大きな拍手に包まれた。ほとんどの議員は与党反主流派のトリューニヒトに非好意的なのに、それでも心からの拍手を送らざるを得ない。議員たちの気持ちは良く分かる。内容よりも何よりも彼の演説は耳に心地良い。一種の音楽みたいなものだ。いつもの気さくなトリューニヒトも魅力的だけど、演説をしている時のトリューニヒトも魅力的だった。

 

 同盟議会は最高評議会議長への非常指揮権付与、対テロ臨時予算案を反戦市民連合を除く全会派の賛成で可決。これはトリューニヒトの名演説とは関係ないだろう。与党第二党で反戦派最大勢力の進歩党が反対の意思表示をしなかった時点で趨勢は決まっていた。

 

 テロの続報は気になるが、さすがにそろそろ寝ないとまずい。もう四〇時間以上も起きているのだ。テレビを消そうとすると、ニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。ぼんやりする頭でテロップを見る。

 

『二三時頃、帝国軍艦隊がイゼルローン回廊からティアマト星系に侵入』

 

 指揮通信機能が集中している司令部ビルが完全に破壊されたことによって、エルゴン星系からイゼルローン星系に至る辺境星系の警備を統括する第七方面管区の機能は著しく弱体化した。司令官も未だ生死不明のままだ。副司令官を兼ねる巡視艦隊司令官ホールマン少将はエル・ファシルの動乱収拾にあたっていて、すぐには動けない。ティアマト星系に侵入した敵艦隊の数は不明であるが、組織的な抵抗は困難だろう。まだまだ、自由惑星同盟の悪夢は終わりそうになかった。

 

 

 

 第七管区司令部陥落から二週間。三万隻を越える戦力を有する帝国軍はほとんど抵抗を受けずに進軍を続けたが、エルゴン星系で宇宙艦隊司令長官ロボス元帥率いる同盟軍三個艦隊と遭遇した。エルゴン星系を攻略されたら、イゼルローン側の辺境星系は戦わずして帝国の手に落ちるだろう。ロボス元帥の判断ミスから敵の左翼部隊の側面奇襲を受けて、一時は全軍潰走の危機に陥ったものの、第一〇艦隊司令官ウランフ中将の奮戦によって痛み分けに持ち込み、どうにか進軍を食い止めた。

 

 一方、一世紀ぶりの非常指揮権を手中にしたロイヤル・サンフォードのもと、同盟社会は対テロ総力戦体制に突入していった。軍の地上部隊と警察の治安警備部隊は総動員されて、政府施設、軍事基地、核融合発電所、エネルギー備蓄基地、通信センター、空港、ターミナル駅、大規模港湾といった重要施設の警備にあたった。すべての宇宙港は軍の統制下に置かれて、惑星間の航行は大きく制限されている。デマの蔓延を防ぐため、すべての通信手段は中央情報局の統制下に置かれることとなった。報道は所轄官庁である情報交通委員会の統制下に入っている。

 

 政府の措置は同盟憲章に定められた個人の権利を大きく制限するものであったが、テロリストによる方面管区司令部陥落と辺境星系失陥の危機という事態に衝撃を受けた市民はこれを受け入れた。

 

 同盟軍は一五〇年の長きに渡る対帝国戦争を通じて、社会の守護者というイメージを市民の意識に深く植え付けている。現在の社会で安住している大多数の者にとって、第七方面管区司令部ビルの崩壊は日常の崩壊だったのだ。対帝国戦争と不景気は強い閉塞感をもたらしていたが、日常が続くことを疑う者はいなかった。テロリストの攻撃は漠然と社会が共有していた秩序信仰に大きな一撃を加えたのである。

 

 秩序の敵であるテロリストを滅ぼさなければ、日常を取り戻すことはできない。そういう市民感情がテロリストへの報復を求める世論を急速に広げていった。テロにタイミングを合わせたかのような帝国軍の侵攻も追い風となった。低迷していたサンフォードの支持率は驚異的な高水準に跳ね上がった。

 

 メディアには右派論客の統一正義党代表マルタン・ラロシュ、愛国作家連盟専務理事エイロン・ドゥメックらが連日登場して、テロリストとそれに同情的な人々を激しく攻撃した。政治に無関心と見られていた有名人も競って愛国的な発言を行い、ネットはサンフォード支持とテロリスト糾弾の書き込みで埋め尽くされた。

 

 一方、政府に対して懐疑的な者、テロリストに同情的な者はたちまち吊し上げにあった。テロの六日後に政府の強権化を憂慮する共同声明を出した反戦派作家二十四名は世論の批判を浴びて、声明撤回に追い込まれている。

 

 警察と情報機関の総力を上げた捜査にもかかわらず、同盟社会の憎悪を一身に集めるテロリストの正体は未だ判明していない。テロ組織のエル・ファシル解放運動や宇宙海賊のヴィリー・ヒルパート・グループと関係していることは明らかだったが、どちらの線からも有力な情報は得られなかった。

 

 具体的な犯人を求める世論に応えるように、マスコミは、亡命者、新興宗教、退役軍人といったイメージの悪い社会的少数者、各惑星の自治権拡大を求める分権主義者、各星系共和国において同盟からの離脱を唱える分離主義者といった反体制派などが事件に関与しているかのような報道を繰り返していた。

 

 久々にハイネセンの土を踏んだ時、かつてのように英雄に祭り上げられて、反テロ宣伝に利用されるんじゃないかと身構えていた。しかし、第七方面管区司令部陥落とそれに続く帝国軍侵攻、対テロ総力戦争という大きな渦の中では、俺がエル・ファシルで立てた功績はちっぽけなものだった。現在の英雄はテロとの戦いを指揮するサンフォード議長、オピニオンリーダーにのし上がったラロシュやドゥメックらであって、他の英雄は必要とされていなかった。

 

 英雄にこそならなかったものの、軍はエル・ファシル動乱で活躍した者の功績を正当に評価してくれている。アーロン・ビューフォート大佐は念願の准将、俺とフョードル・パトリチェフ中佐は大佐への昇進を果たして、勲章も獲得した。駆逐隊首席幕僚スラット、駆逐隊情報幕僚メイヤー、臨時保安参謀長イェレン、臨時保安司令官副官コレットらあまり頼りにならなかった部下達もみんな一階級ずつ昇進した。ダーシャ・ブレツェリ中佐は勲章のみで昇進はしていない。

 

「ジェネラル・テレビジョンが地球教に名誉毀損で訴えられたって」

 

 ベッドに潜っている俺の隣でダーシャは携帯端末をいじっていた。たぶん、ネットニュースを見たのだろう。ジェネラル・テレビジョンは特にひどい飛ばし報道をしている。訴えられたとしたら、いい気味だ。

 

「へえ、何やらかしたの?」

「脱会トラブルを扱った番組の最後に、第七方面管区司令部ビルの崩落映像に『地球は我が故郷、地球を我が手に』ってテロップを付けた映像を挿入したみたい」

「ああ、今の情勢でそれやったらアウトだよね」

 

 今はテロリストと繋がりがあると思われるだけで、社会生命が絶たれかねない。エル・ファシル解放運動を二〇年前に脱退して組織と完全に縁を切った元幹部が経営する会社が、テロの二日後にすべての取引先から取引停止を告げられるという事件も起きている。訴訟を起こすという地球教の対応は妥当だろう。

 

「これ凄いよ。エリューセラ民主軍が例のテロへの支持を撤回」

「ジュニアスクールの卒業式の会場にゼッフル粒子をばらまいて、二〇〇人の児童もろとも市長を爆殺したような連中が世論を気にするなんて。ほんと、凄いことになってるね」

 

 同盟のテロリストにとって、地方の治安を統括する方面管区司令部は憎たらしい存在だ。テロで陥落したら、両手をあげて歓迎するはずだと思ってた。しかし、実際はほとんどの組織が黙殺、あるいは不支持を表明している。支持を表明した組織も次々と撤回していた。あまりの非道ぶりに「全人類の敵」と言われたエリューセラ民主軍まで支持撤回に追い込まれる空気が恐ろしくなる。

 

「凄いことというか、怖いことって言ったほうがいいかな」

「怖い?」

「いや、だって。社会全体があのテロリストを憎まないといけないって流れじゃん。ちょっとでも同情的なことを言うと、袋叩きにされるでしょ。エリューセラ民主軍まで空気に流されてるのが怖いよ」

 

 前の人生で俺が捕虜交換から帰った時のことは忘れられない。帝国領侵攻で空前の大敗を喫して正規艦隊主力を失ったことに衝撃を受けた人々は、団結を強めなければ帝国に滅ぼされると信じ込んだ。過激な反帝国発言や愛国発言がもてはやされ、団結を乱す非国民とみなされた者への迫害は苛烈を極めた。エル・ファシルで市民を見捨てて逃げたという汚名を背負った俺は格好の迫害の対象だった。

 

 しかし、最初からすべての人が俺を迫害したわけではない。俺が故郷に戻って間もない頃は、同情を示す人も少しはいたが、嫌がらせにあって同情を示すのをやめていった。一番熱心に弁護してくれた姉のニコールは、右腕を骨折して入院した日から、俺を視界に入れるのも嫌がるようになった。今の空気はあの頃の空気と似ている。

 

「意外ね。エリヤは空気に流されるのが怖くないタイプだと思ってた」

「荒んだ空気に流されるのは嫌だよ」

 

 前の人生で経験したことなんて、話せるわけもない。正直な話、前の人生の記憶がだいぶ邪魔に感じてきていた。嘘がない関係を誰とも築けないというのは、とても寂しかった。特にダーシャのような素直な相手には、申し訳なく感じてしまう。

 

「可愛いなあ、もう」

 

 ダーシャは笑って俺の髪をくしゃっと撫でた。今のセリフのどこが可愛いんだろうか。なんか恥ずかしくなってしまう。

 

「さ、そろそろ行かなきゃ。準備しよう」

 

 照れているのがばれる前に無理やり話題を変えて、ベッドから上体を起こして背を向ける。今日はエル・ファシルからハイネセンに戻ってから、宇宙艦隊総司令部付の肩書きで待機していた俺達が新しい辞令を受ける日なのだ。

 

「えー、まだ早いじゃん」

「軍隊は十分前行動です。定時ギリギリは遅刻だよ」

「もうちょっとのんびりしようよ」

 

 ダーシャは甘ったるい声でそう言うと、背後から俺の首に両腕を回して、グッと体重をかけて引っ張ってきた。ちょっとだけ心が動いたが、気を取り直して立ち上がる。彼女の腕は俺の首からするっと離れていった。

 

「はい、早く着替えてね」

 

 クローゼットを開けた俺は、ダーシャの軍服と下着を手早く取り出して、ベッドに放り投げた。それから、自分の軍服と下着を取り出して手早く着用する。今日でこんな朝も終わりかと思うと少し寂しいが、仕事だから仕方がない。

 

 市民の怒りはテロリストだけでなく、宇宙海賊にも向けられていた。もともと、宇宙海賊は市民に憎まれている。星間国家にとって、各惑星を結ぶ流通路は生命線だ。近年の同盟では宇宙海賊の活動が活発化して、星間流通の停滞を引き起こした。民間船の警備コスト、高額な航路保険料などの安全保障費用が物価を押し上げた。生活を圧迫する宇宙海賊への怒りは日増しに高まっていたが、先日のテロにエル・ファシルの海賊組織が協力していたことで頂点に達した。

 

 クブルスリー中将率いる第一艦隊がフェザーン方面航路に治安出動することはだいぶ前から決まっていたが、世論の後押しを受けてイゼルローン方面航路にも正規艦隊が出動されることが決定した。二方面の海賊を一挙に掃討しようという一大治安回復作戦だ。

 

 テロリスト、そして宇宙海賊。七九五年後半期の同盟軍は治安を脅かす内なる敵との戦いに全力を尽くすことになる。俺とダーシャ、ビューフォート准将はイゼルローン方面に出動する艦隊に転属することが決まっていた。



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第六十七話:熱狂の果ての治安出動 宇宙暦795年10月~796年2月 イゼルローン方面辺境星域

 対帝国戦以前の同盟軍は来るべき帝国との対決に備えて鍛えられていたとはいえ、あまり輝かしい存在ではなかった。ダゴン星域会戦以前の国防白書が宇宙海賊と分離主義者に対して多くのページを割いて、帝国に関しては形式的な記述に留まっていたことからも伺えるように、国内の敵に備える治安軍の性格を強く帯びた軍隊であった。

 

 アーレ・ハイネセンの長征に従ったグループが建国したバーラト星系共和国と、銀河連邦から分離したロストコロニーにルーツを持つ一二の星系共和国の連邦として発足した自由惑星同盟は、当初から中央集権派と地方分権派の対立に悩まされてきた。各地に散在するロストコロニーの参加、中核一三星系の植民星の正規加盟国昇格によって、加盟国が増加するにつれて、両派の対立も深刻になっていく。

 

 指導的な地位を独占してきたバーラト星系共和国に反発して、連邦からの離脱を望む星系も後を絶たなかった。そんな中で同盟軍は常に中央政府の側に立って、地方と対立した。正規艦隊は頻繁に治安出動して、自治権拡大や分離独立の動きを押さえ込んだ。建国からダゴン星域会戦までの同盟拡大期は黄金の一世紀と言われるが、絶え間ない分裂の危機を高度経済成長によって辛うじて乗り切った内紛の一世紀であったと指摘する歴史家も少なくない。

 

 対帝国戦争は中央集権派と地方分権派の対立に終止符を打ち、同盟軍の武力は外敵に向けられることとなった。地方に突きつけられた中央政府の剣は、帝国から市民を守る盾に生まれ変わった。市民は軍を社会の守護者として信頼しているが、地方抑圧に奔走した過去が忘れ去られたわけではない。期待と恐怖という相反する感情が市民の軍隊観を形成している。

 

 軍隊に批判的な反戦派もその例外ではない。市民の守護者たる役割を期待するがゆえに苦言を呈し、再び武力を国内に向けることを恐れるがゆえに警鐘を鳴らすのだ。対帝国戦争が始まってから、正規艦隊の治安出動が分艦隊規模の分遣に留められてきた最大の理由は予算不足であったが、市民が軍に対して潜在的に抱いている恐怖心の影響も大きい。

 

 これらの経緯を踏まえると、二個正規艦隊を動員した海賊討伐作戦「終わりなき正義」があっさり決定されたのは、驚くべきことといえる。主戦派はもちろん、反戦市民連合を除く反戦派もこれを支持した。

 

 エルファシル動乱、第七方面管区司令部陥落、帝国軍侵入に至る陰謀の衝撃は、現在の社会に安住していた人々の心を大きく揺るがせた。社会秩序に大きな一撃を加えた見えない敵がもたらした恐怖は、治安出動への忌避感情をあっさり吹き飛ばして、平時では受け入れられないような大規模作戦の実行を可能にした。極限まで追い詰められた者に残された選択肢は、必死の反撃以外にはない。テロリストと宇宙海賊は勝ち過ぎたのだ。

 

 

 

 宇宙暦七九五年一〇月一四日。自由惑星同盟はフェザーン方面航路とイゼルローン方面航路に巣食う宇宙海賊を掃滅べく、「終わりなき正義」作戦を発動した。宇宙戦力としては二個正規艦隊二万六三〇〇隻、地上戦力としては八四個師団。後方支援要員と合わせて六〇〇万を越える将兵が動員される。治安出動としては、ダゴン星域会戦以降では最大の規模となる。

 

 フェザーン方面はシトレ派の重鎮として知られる第一艦隊司令官ネイサン・クブルスリー中将が担当する。宇宙戦部隊と地上部隊の統合運用に長けていて、帝国軍相手の正規戦、海賊相手の非正規戦の両方に豊かな実績を持っている。ノブレス・オブリージュの意識が強いシトレ派らしく、軍人が民間人や捕虜を苦しめることを何よりも嫌っていて、対海賊作戦に不可欠な地域住民の支持も期待できた。そんなクブルスリー中将の起用は、誰もが順当と認めるところだろう。

 

 イゼルローン方面の担当は同盟軍で最も勢いがある提督と言われる第一一艦隊司令官クレメンス・ドーソン中将だ。憲兵司令官を務めていた時に示したリーダーシップから、治安に強い指揮官と評されている。今年二月のティアマト星域会戦の活躍によって、実戦指揮能力に対する評価も高まった。官僚組織の動かし方を熟知していて、地方政府及び警察との連携にも不安はない。対海賊作戦は未経験だが、適性は十分といえる。

 

 俺は第一一艦隊に所属する第一分艦隊の司令官フィリップ・ルグランジュ少将の行政担当副参謀長として、イゼルローン方面の作戦に従事していた。分艦隊の参謀長は准将もしくは大佐と定められていて、准将が参謀長を務める時のみ大佐の副参謀長を置く。大佐である俺が副参謀長になるのは順当な人事と言えるが、行政担当という呼称が付くとそうは言えなくなる。

 

 この分艦隊には、作戦担当副参謀長も置かれていた。正規艦隊だって副参謀長を二人も置いたりはしない。まして、副参謀長が置かれないことも多い分艦隊に、二人も副参謀長が置かれるというのは異例の人事であった。

 

 第一分艦隊司令官ルグランジュ少将は、第一一艦隊の副司令官でもある。同盟軍の将官には珍しく、どの派閥にも属していない。大佐から将官に至る狭き門を突破するには、並外れた能力に加えて派閥の後押しが不可欠となる。しかし、ルグランジュ少将の実力は誰もが認めざるを得ないものだった。指揮官としても参謀としても高い適性を持ち、どんなポストを任せても抜群の結果を出してきた。有能な人物は能力に比例してプライドも高くて、とかく周囲と摩擦を起こしがちな傾向があるが、ルグランジュ少将は誰とでもうまく付き合える協調性を持っていた。

 

 このような人物なら、派閥の色が付いてない分だけかえって使いやすい。どの派閥の実力者も競ってルグランジュ少将を助っ人として迎え入れて、重要な仕事を任せた。身内びいきが強いドーソン中将は、第一一艦隊に四つある分艦隊の司令官も全員仲間で固めようとしたが、ルグランジュ少将だけは交代させなかった。

 

 同盟軍では司令官が参謀を指名するシステムになっている。無派閥でありながら広い人脈を持つルグランジュ少将は、第一分艦隊の参謀を自分の腹心で固めていた。選びぬかれた逸材が揃う最強チームに呼ばれた俺は、腰が抜けるほどに驚いた。しかも、現職の副参謀長を作戦担当にして、二人目の副参謀長にするというのだ。ルグランジュ少将と俺は、面識がないに等しい。第一一艦隊の参謀を務めていた時も接点は無かった。

 

 ルグランジュ少将ほどの人に指名されるというのは光栄なことだ。しかも、わざわざ俺のために席を作ってくれたという。普通の人間なら手放しで大喜びするところだが、悲しいかな俺は小心者である。ルグランジュ少将が俺の何を見込んで指名したのかわからずに困惑してしまった。期待に応えられなかったらどうしよう、司令部の参謀達と仲良くできなかったらどうしようと、ネガティブな事ばかり考えてしまう。返事を保留して、いろんな人に相談した。

 

「なぜ即答せんのだ。任務であれば、どこにでも赴くのが軍人の気概というものだろう。まして、望まれて行くのだ。これ以上の名誉がどこにあるか」

 

 クリスチアン大佐には一喝された。俺が幹部候補生養成所を受験するか、兵役満了後に下士官推薦を受けるか迷った時に、「迷うのは時間の無駄」と叱咤されたことを思い出した。

 

「勉強するつもりで行ったらいいんじゃない?名将の仕事ぶりを間近で見れる機会なんて滅多にないよ?」

 

 今年から統合作戦本部の人事参謀部に転じたイレーシュ中佐は、いかにも教育指導のプロらしい意見である。

 

「あんな人に呼ばれるなんてすげーじゃん。派閥を越えて認められてるってことだろ。すげーなあ、ほんと」

 

 エルゴン星域会戦の功績で准将昇進が内定しているアンドリュー・フォークは、自分が指名されたかのように喜ぶばっかりで、俺がどうするべきかについての意見は言ってくれなかった。

 

「呼ばれたことがないから分からんのですが、ありがたいことなんでしょうなあ」

 

 亡命者のハンス・ベッカー中佐はピンと来ない様子だった。彼は参謀だが、呼ばれたことがないということだった。コネが無いおかげで、適任者が見当たらないポストの穴埋めにしかい起用されない参謀は少なくない。申し訳ない気持ちになり、必死で謝った。

 

 他の人にもいろんな人に聞いたけど、みんなに引き受けろと言われた。ダーシャには、こんなことで悩んでると知られるのが恥ずかしくて聞けなかった。結局、悩んだ末に五回コイントスをして引き受けることに決めた。

 

 

 

 海賊は数隻から数十隻の小集団単位で行動する。総勢数百隻に及ぶ大組織でもまとまって行動することはほとんどない。民間船は機械化が進んでいるため、巨大な船でも乗員は少ない。数十隻もあれば、どんな大船団でも制圧するには十分な戦力である。軍隊相手なら駆逐隊にも対抗できないが、そもそも宇宙海賊は民間船を狙うものだ。軍隊と戦ったところで金になるわけでもない。だから、民間船を制圧するには十分で、なおかつ軍隊から逃げるのに有利な小集団での行動が合理的となる。エル・ファシル動乱のように数百隻単位の集団で艦隊戦を挑んでくることは珍しい。

 

 小集団で移動して民間船を襲撃する機会を伺って、軍隊を発見したら全力で逃げる。いなくなったら、また民間船を襲撃する機会を待つ。そんな集団を相手にするには、帝国軍相手の正規戦とは異なる用兵が求められる。

 

 まず、作戦範囲となる宙域を細かく区切って、一つの区域ごとに一二〇隻前後の駆逐艦からなる駆逐群、あるいは三〇隻前後の巡航艦からなる巡航群を配備する。それだけの戦力があれば、海賊と戦って敗北することはまずない。複数の宙域を担当する遊撃部隊も用意する。宙域担当部隊が海賊を捕捉したら遊撃部隊を呼び寄せて、方面巡視艦隊や星系警備艦隊と協力して包囲網を作って潰していく。

 

 海賊の行動範囲は拠点を中心とした円の範囲とほぼ重なっている。どんなに優秀な艦艇を使っていても、整備や補給を受けずに動き続けることはできない。数隻や数十隻程度で行動する海賊は、小惑星、無人惑星、過疎の有人惑星など、人目につきにくい場所に最低限の機能を備えた拠点を作る。小さい組織でも数か所、大組織になると数十か所の拠点を持っているのが普通だ。その他、複数の組織が共同で使用する海賊都市のような大拠点も存在する。

 

 艦艇部隊で戦力を削るのと同時に、地上部隊で拠点を潰して行動範囲を狭めていく。そうすれば、海賊は逃げ場を失って追い詰められていくという寸法だ。

 

 このような作戦では、何より地元の協力が不可欠となる。広大な宙域を正規艦隊の戦力のみで抑えるのは不可能だ。方面巡視艦隊や星系警備艦隊と連携しつつ、海賊を包囲していかなければならない。広大な宇宙に身を潜めている海賊との戦いで最も大きな力になる情報を得るには、地元の警察や住民を使うのがベストだ。海賊の協力をあぶり出す際も、地元住民は大きな戦力となる。トラブルを起こして反感を買えば、どれだけ強大な戦力を持っていても、海賊に傷一つ付けられなくなる。将兵の行動を厳しく取り締まって地元に迷惑をかけないこと、不祥事を起こしたらすぐに謝罪や補償を行うこと、地元の官憲と友好関係を築くことなどを徹底する必要がある。

 

「そういうわけで、市警察の要求に応じて速やかに犯人を引き渡すべきでしょう。こちらで犯人を処罰しようとしたら、隠蔽しようとしていると勘ぐられかねません」

「軍務中の犯罪は軍に優先的な裁判権があるのだぞ。軍人の不始末は軍が付けるべきであろう」

「ケースバイケースです。軍に優先権はありますが、それを放棄することは認められています」

 

 俺がいくら説明をしても、司令官のルグランジュ少将、参謀長のエーリン准将、作戦担当副参謀長クィルター大佐らは首を傾げている。警備任務中に非協力的な民間人を殴り倒した軍曹の処遇について、市警察に引き渡すように主張する俺と、あくまで軍法に則って処罰すべきというルグランジュ少将らの意見が分かれているのだ。

 

「しかし、この場合は軍法に照らした方が処罰は重くなる。加害者がより重い処罰を受けた方が満足すると思うが」

「誰が裁くかが問題なのです。地元で起きた事件は地元で裁きたいと言うのが住民感情なのです」

「我らが裁いて軍規の厳正を明らかにして、初めて信頼が得られるのではないか」

 

 彼らは加害者の軍曹をかばっているわけではない。むしろ、軍規を厳しく適用して、非行を許さない姿勢を軍として示すべきという立場だ。軍人としての立場では、それは正しい。しかし、地域社会が絡んでくると話は違ってくる。治安戦は軍と警察と住民が三位一体となる総力戦だ。軍人としての筋を通すだけではうまくいかない。

 

「この戦いは我々だけの戦いではありません。地元の官憲や住民と一体となった戦いです。何もかもこちらの一存で進めてしまえば、彼らは疎外感を抱いてします。作戦は全員参加が原則というのは、皆さんには言うまでもないでしょう。彼らを友軍として扱ってください」

「なるほど、友軍か。友軍への配慮と言うのであれば、フィリップス大佐の言う通りだ」

 

 ルグランジュ少将がそう言うと、他の参謀達もうなずく。第一分艦隊には疑問があれば、解消するまで徹底的に話し合うというルールがあった。話し合いによって情報の共有をはかり、お互いの信頼を深めていくべきというのがルグランジュ少将の考えだった。部署ごとの対立もこの部隊では少ない。話し合いによって他部署の立場を理解することで、部隊全体に視野を広げることができる。

 

 イゼルローン遠征軍で上官だったアレックス・キャゼルヌ准将も会議好きだったが、彼の場合は自分の考えを理解させるための会議だった。ルグランジュ少将の会議は、部下と一緒に部隊を作っていくための会議である。

 

 全員で一緒に考えようという上官に出会うのは初めてだった。ルグランジュ少将が名将と言われるのも納得である。どんなつまらないことを言っても馬鹿にされずに聞いてもらえると思うと、やる気が出てくる。また、他人の意見を聞いて自分自身の見識を磨くことができる。そうやって、部下の中から忠誠心と能力を引き出していくわけだ。

 

 前の歴史で読んだ本では、ルグランジュ少将は中将に昇進した後にヤン・ウェンリーと戦って敗死している。勝敗が定まってからも配下の将兵は頑強に抵抗して、ヤンを困らせたという。本を読んだ時には良く理解できなかったが、今ならわかる。ルグランジュ少将が指揮をすれば、部下は喜んで命を差し出すだろう。

 

 つくづく俺は上官運に恵まれている。ドーソン中将、キャゼルヌ准将、ビューフォート准将、そしてルグランジュ少将といずれも名将ばかりだ。仕えているだけで勉強になる。

 

 しかしながら、ルグランジュ少将も完全無欠というわけではない。さっきの話し合いからもわかるように、視野が軍事の視点から一歩も出ていない。しかし、その非政治的な性格ゆえに派閥抗争から超然としていられるのも確かである。政治がわかる軍人はたくさんいるが、ルグランジュ少将ほどの戦闘のプロはそうそういるものではない。政治がわからないというのは、非難されるべきことではないだろう。誰かがその欠点を補えばいい。

 

「私は政治が分からないのだ。治安をやるのに政治がわからなくてはいかんだろう。だから、貴官を呼んだ」

 

 まったく付き合いのない俺を行政担当副参謀長に指名した理由を聞いた時、ルグランジュ少将はそう答えた。

 

「小官の他にも政治がわかる人はいくらでもいるでしょう。閣下は顔が広いですし」

「治安戦の教本に信頼関係が大事だと書いてあった。政治や治安がわかる者は、人間関係に難がある者が多い。そういうわけで人と対立したことがないと評判の貴官がふさわしいと思った。ドーソン提督と連絡する時も貴官を通せばやりやすいしな」

 

 俺の知っている政治ができる軍人を思い浮かべて納得がいった。ドーソン中将、ベイ大佐などは政治や治安に強いが、彼らは強引なことができるがゆえに有能たり得る人物だ。俺はどちらとも親しいが、それでも癖が強すぎるとは思う。ロボス元帥の下で政治家との折衝を担当しているアンドリューは例外だが、彼は治安がわからないから、今回の作戦では適任ではない。

 

 それはともかくとして、ここまで見込まれたら、無能な俺でもできるかぎりのことをせずにはいられない。そういうわけで第一分艦隊では、柄にもなく他人に真っ向から反対意見を言う役割を負っているのだ。

 

 

 

「終わりなき正義」作戦の開始から四ヶ月。第一一艦隊はドーソン中将の指揮のもと、イゼルローン方面航路から海賊を排除していった。フェザーン方面のクブルスリー中将率いる第一艦隊も目覚ましい戦果をあげている。

 

 両艦隊の優れた作戦計画もさることながら、海賊討伐が圧倒的な世論の支持を得ていたことも大きい。市民は先を争って海賊情報を通報した。赦免を条件に海賊を裏切る協力者も続出している。百四〇億の市民の監視によって丸裸にされた海賊など、単なる烏合の衆でしか無い。

 

 テレビでは毎日のように、捕虜となって連行される海賊、軍艦に追い立てられて撃沈される海賊船、海賊の拠点に突入する地上部隊の映像が流れた。二年前のタンムーズ星域会戦以来、快勝を経験していなかった同盟市民は、第一一艦隊と第一艦隊の活躍に大喜びした。

 

 マスコミはドーソン中将とクブルスリー中将を並べて、「ウッド提督の再来」と讃えた。気の早い者は、「統合作戦本部長シトレ元帥と宇宙艦隊司令長官ロボス元帥は任期満了を前に勇退し、クブルスリー提督とドーソン提督に地位を譲るのではないか」「次期統合作戦本部長はクブルスリー提督、次期宇宙艦隊司令長官はドーソン提督に内定か」などと騒ぎ立てている。

 

 しかし、対海賊戦の圧勝は思わぬ余波をもたらしていた。連戦連勝におごった前線では軍規の弛緩が甚だしく、不祥事も多発している。噂では降伏した海賊をその場で処刑した者、無実の民間人を海賊の協力者と決めつけて殺害した者などもいるらしい。

 

 追い詰められた海賊の一部がアスターテ星系に集結して、イゼルローン回廊の帝国軍と連絡を取っているという情報が入っていた。帝国軍の侵攻が間近に迫っていると判断した政府は即座に三個艦隊を動員して、イゼルローン方面に向かわせている。

 

 熱狂と緊迫をよそに、俺の所属している第一分艦隊は、アンシャル星系の宇宙海賊掃討を終えようとしていた。



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第六十八話:カーニバルは終わった 宇宙暦796年2月~4月上旬 イゼルローン方面辺境星域~惑星ハイネセン

 世論の圧倒的な支持のもとに、国内の敵を一掃するかに見えた対テロ総力戦体制は思わぬところでつまずいた。

 

 二月五日にアスターテ星域で三個艦隊が半数に満たない敵に壊滅させられたという知らせは、報復に熱狂する市民に強烈な冷や水を浴びせた。正規艦隊の四分の一が消滅するという同盟軍史上でも稀に見る惨敗に、最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの強い指導者というイメージは失墜してしまった。

 

 政府は奮戦した第二艦隊副参謀長ヤン・ウェンリー准将や戦隊司令官ポルフィリオ・ルイス准将らを英雄として顕彰することで善戦したように見せかけようとしたが、あまりに見え透いていて、市民を白けさせている。一度気持ちが冷めてしまうと、これまで見過ごしていたあらも気になってくるものだ。

 

 最初に市民の目についたのは、テロ捜査の停滞だった。情報機関と警察の総力をあげた捜査にも関わらず、第七方面管区司令部襲撃の実行犯をなかなか特定できずにいた。エル・ファシル解放運動、ヴィリー・ヒルパート・グループ、カッサラ暴動の煽動者グループなどのメンバーの供述から浮上した「先生」と呼ばれるフィクサーが鍵になっていると見られ、帝国の関与も濃厚であったが、未だ手がかりは掴めていない。

 

 苛立った市民は捜査機関の無能を激しく批判した。風向きが変わったことを察知したマスコミは、自分達が飛ばし報道で無関係の人間を犯人扱いしたことを棚に上げて、捜査機関の怠慢や過失を盛んに報道している。

 

 対テロ総力戦の二本目の柱である宇宙海賊討伐にも懐疑的な視線が向けられ始めた。第一艦隊と第一一艦隊の快進撃の水面下では、深刻なモラル低下が生じていた。将兵による暴行、窃盗、強姦などの犯罪が多発して、地域住民を失望させた。捕虜虐待、故意に民間人を巻き込んだ作戦行動も多く報告されていた。マスコミの報道の影響もあって、地域の官憲や住民は日を追うごとに非協力的になり、作戦行動にも支障をきたすようになった。

 

「ヤム・ナハルなんかでこんなに足止めを食うとは思わなかったな」

「当初の想定では、一週間で作戦完了するはずだったんですが」

「民間人の支持が無いと、こうも苦戦するとは。驕兵必敗とはまさにこのことだ」

 

 司令室のスクリーンに映っているのは、ようやく平定を終えたヤム・ナハル星系の星図である。宙域は狭く障害物も少ない。一つの有人惑星と三つの無人惑星はいずれも地形が平坦だった。これほど海賊が隠れにくい星系もそうそう無いはずなのに、思いのほか手こずってしまった。第一分艦隊司令官のルグランジュ少将が嘆きたくなる気持ちもわかる。

 

「こんな報道が飛び交っていては、小官だって軍に疑いを抱きたくなってしまいますよ」

「うむ、まったく軍の恥晒しとしか言いようがない。我が部隊にこのような不届き者がいないのは幸いだ」

 

 俺がルグランジュ少将に見せた新聞には、第一艦隊に所属する分艦隊の将兵が一〇人の民間人を殺害したという疑惑が報じられている。分艦隊司令官サンドル・アラルコン少将は否認しているものの、限りなくクロに近いというのが一般的な見解だった。うちの分艦隊はかなり不祥事が少ないが、いつこのような事件が起きるかわかったものではない。

 

「クブルスリー中将がアラルコン司令官更迭の意向を示しているのが幸いです」

「あの人は非戦闘員への暴力には容赦しないからな。こういう時は心強い」

「これで軍に対するイメージが良くなってくれたら、こちらとしても助かります」

「貴官の前で言うことではないが、うちの司令官は…」

 

 言葉を濁したルグランジュ少将に対し、手のひらを下に向けてひらひらさせて曖昧な同意を示す。ドーソン中将も軍規には厳しいけど、クブルスリー中将の厳しさとは違う種類の厳しさである。クブルスリー中将は倫理を正すためなら頭を下げることも厭わないが、ドーソン中将はそれができない。秩序の守り手である自分が頭を下げたら、秩序が崩れてしまうと思っているのだ。

 

「やはり、貴官を副参謀長に選んで良かった。どういうわけか、治安に強い者は人に頭を下げない傾向がある。さっさと頭を下げれば、それで済むことも多いだろうに」

「ルールを破ると面倒だと思わせるには、守らせる側の人間が面倒な人間になるのが一番なんです。面倒な相手の言うことはしぶしぶ聞いてしまうでしょう?」

「ああ、確かに貴官の言うとおりだ。士官学校の風紀委員が付き合いやすい奴だったら、毎日でも門限を破りたくなる」

「閣下は門限を破る側だったんですか?」

「まあ、若かったしな」

 

 ルグランジュ少将は口を大きく開けて、愉快そうに笑った。プラチナブロンドの髪を角刈りにしていて、顔の輪郭も角張っている彼は見るからに強面だが、感情表現が素直で愛嬌に富んでいる。そして、物分かりもいい。面倒な人間じゃないと務まらない治安には一番不向きだろう。そんなことを思っていると、ルグランジュ少将の指揮卓に据え付けられた端末に連絡が入ってきた。

 

「ふむ、わかった。その件はフィリップス大佐に任せよう」

 

 しばらく何事かを話した後にそう言うと、ルグランジュ少将は端末を切った。

 

「次の戦地になるムシュフシュ星系の政府から、民間人居住地域の半径二〇キロ以内に立ち入らないで欲しいという申し入れがあった。随分と嫌われたものだ」

「困りましたね。民間の宇宙港が使えないと、補給と整備に差し支えます」

「交渉は貴官に任せる。あちらの窓口は星系政府の第一国務次官だそうだ」

 

 思わずため息が出てしまう。大きな基地がない辺境星系では、民間のインフラを利用しなければ補給も整備もままならない。受け入れを拒絶されたら、作戦行動ができなくなる。少し前まではどこに行っても歓迎されたのに、変われば変わるものだ。

 

「たった一か月でこうも空気が変わるなんて思いませんでした」

「テロ一つで変わる程度の空気だ。会戦一つで変わっても不思議はない」

 

 言われてみればその通りだ。去年九月のテロのショックは一日にして空気を一変させてしまった。同じことがアスターテ星域の敗戦のショックで起きてもおかしくはない。三個正規艦隊壊滅というのは、それだけの大事件だ。

 

「確かに閣下のおっしゃるとおりです」

「しかし、こうも空気に左右されるとは、民主主義というのは難儀な体制だな」

 

 前の歴史でルグランジュ少将がクーデターを起こして軍事独裁政権を作ろうとして非業の死を遂げたことを思い出して、ぎょっとしてしまった。あの当時の世情は帰ってきたばかりの俺から見ても切羽詰まっていた。民主主義に失望するのも無理はなかったかもしれない。しかし、どんな世情であろうとも、彼のような人には幸福に長生きして欲しかった。

 

「めったなことをおっしゃらないでください」

「そんな怖い顔をすることもないだろう」

 

 ルグランジュ少将は首を傾げている。

 

「あ、いや、最近流行ってるじゃないですか。反民主主義みたいのが。小官のような小心者には怖いんですよ」

「ああ、マルタン・ラロシュみたいなやつか。馬鹿馬鹿しい、あんなのルドルフの猿真似だろう」

 

 マルタン・ラロシュは数年前から台頭してきた極右勢力の指導者だ。七九一年総選挙において彼の統一正義党が同盟議会の第四党になったことが、主戦派の改革市民同盟と反戦派の進歩党の連立政権樹立に繋がった。大手マスコミには黙殺されてきたが、去年のテロをきっかけに顔を出すようになり、過激な言動で視聴者の人気を博した。軍部でも支持者が増えている。一言で言うと、民主主義を無くしてしまおうというルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの亜流だ。

 

「ラロシュを最高評議会議長にしようという空気になって、民主主義そのものが無くなるなんてことになったら嫌ですよ。そういうことだって起き得るでしょう」

「貴官は心配症だな」

 

 俺が本当に心配しているのはルグランジュ少将のことなのだ。しかし、自分で口に出してみてわかったが、こんなに世間が空気で動くのなら、何かの拍子でラロシュが議長になってしまってもおかしくない。前の歴史では七九七年総選挙でトリューニヒト率いる国民平和会議に惨敗して表舞台から消えたが、今回も同じような展開になるとは限らない。ラロシュに逆風を吹かせた極左の反戦市民連合もカリスマ指導者ジェシカ・エドワーズを得ていない現時点では、単なる弱小政党だ。

 

「小心ですから」

「はっはっは。あいつが政権を取ってラロシュ朝銀河帝国を作ろうなんて言い出したら、私と貴官でクーデターを起こして民主主義を復活させればいいじゃないか」

「そういう冗談はやめてください」

 

 背中が冷や汗でびっしょり濡れてしまう。前と今の歴史は違うのに、俺は何を恐れているのだろうか。何はともあれ、大事なのはまだ見ぬ未来じゃなくて、目の前にある現在だ。ムシュフシュ星系との交渉をどう進めようか、思案することにした。

 

 結局、ムシュフシュ星系との交渉は成功して、何とか海賊の平定を終えることができた。第一分艦隊は複数の星系を転戦して、三月末にイゼルローン回廊手前のティアマト星系まで到達した。第一一艦隊に所属する四つの分艦隊の中で、第一分艦隊が平定した星系、獲得した捕虜、拿捕もしくは破壊した海賊船は最も多い。途中からは気が重くなる戦いだったが、どうにか全うすることができた。

 

 

 

 四月一〇日。イゼルローン方面航路の宇宙海賊討伐を終了した第一一艦隊は、半年近い遠征を終えてハイネセンに帰還した。四一の有人星系と一九五の無人星系を平定し、滅ぼした海賊の総勢力は四万隻以上。巨大な武勲を立てた第一一艦隊に対して、世間の目は冷ややかであった。

 

 第一一艦隊が遠征中に引き起こした不祥事の数々は、同盟軍に対する市民の信頼を失わせるには十分なものであった。いかに武勲が多くとも、同盟国内の戦いで民間人相手に非行をはたらくようではどうしようもないということだ。すっかり人気を失ってしまったサンフォード政権が俺達を英雄として扱ったことも、悪印象を与えてしまっている。

 

 第一一艦隊司令官ドーソン中将は海賊討伐の任務を成功させたものの、不祥事が多発したことで評価を落としてしまった。責任を真摯に受け止めようとするクブルスリー中将と比べると、明らかに見劣りがすると世間ではみなされた。結局、ドーソン中将とクブルスリー中将の昇進は見送られ、勲章授与のみとされる見通しだ。

 

 武勲の量だけなら、第一一艦隊と第一艦隊からは大量の昇進者が出るはずだった。しかし、軍人の昇進というのは多分に政治的事情に左右される。数々の非行から世論の反発を買った両艦隊に昇進を大盤振る舞いするというのはいかがなものかという意見が続出し、現在も議論が続いている。

 戦果が最も多く、不祥事が最も少なかった第一分艦隊の主要メンバーは全員昇進確実と言われていた。俺が昇進すれば准将になるが、将官人事というのはいろいろとややこしい思惑が絡む。俺と一緒に副参謀長を務めたクィルター大佐は、すっかり舞い上がって礼服を新調したそうだが、いかがなものかと思う。サンフォードが受けている逆風は俺達にも吹いているのだ。

 

 最高評議会議長ロイヤル・サンフォードは、テロ捜査、海賊討伐、対帝国戦のすべてにおいて期待を裏切ったとみなされて、テロ直後の熱狂の反動も手伝って、呼吸をしているだけで批判の的にされる存在に成り果てた。海賊討伐作戦「終わりなき正義」作戦終結後に、対テロ総力戦の勝利宣言を行って非常指揮権を返上することで、戦勝を誇示しようとしたが、かえって反発を買った。対テロ総力戦の間に強大な権限を与えられた軍、警察、情報機関が引き起こした数々の不祥事の責任を問われ、与党議員からも激しい攻撃を受けている。弾劾訴追の動きまで出ている有様だ。

 

 一方、国防委員長ヨブ・トリューニヒトは、アスターテ星域の惨敗と海賊討伐部隊の不祥事にも関わらず、ほとんど声望を落としていなかった。テロ初日の演説以降は裏方に徹していたため、世間ではサンフォードが軍事を主導していると見られていた。責任を追及できる材料があるとしたら、海賊討伐に治安戦のベテランが揃っている第四艦隊や第六艦隊を起用せずに、子飼いの第一一艦隊を起用したことぐらいだろう。

 

 しかし、サンフォードに対する悪印象が強すぎて、相対的に小さいトリューニヒトの責任が問われることはほとんどなかった。表舞台から姿を消している間に、改革市民同盟内部での多数派工作に精を出し、軍需産業や各種圧力団体の支援も取り付けて、政治基盤を飛躍的に強化した。

 

 トリューニヒトは軍部での多数派工作も熱心に行っていた。予算獲得に期待を寄せる国防委員会の軍官僚、地方重視の姿勢を歓迎する地方部隊幹部、二大派閥に不満を抱く若手士官を中心に支持を拡大し、ロボス派からの離脱者も取り込んでいる。

 

 次代の指導者候補と目される第一一艦隊司令官ドーソン中将は海賊討伐の任務を成功させたものの、不祥事が多発したことで指導者としての資質を疑問視された。ロボス派から寝返った首都防衛司令部ロックウェル中将、第二艦隊司令官パエッタ中将らは、年齢的に次代の指導者にはなり得ない。有力な指導者候補不在がトリューニヒト派の不安材料といえよう。

 

 対テロ総力戦体制では、財務委員長ジョアン・レベロの役割は小さかった。失点が全くなかった彼の評価は相対的に向上して、総力戦の中で肥大化した軍隊と警察の権限縮小を訴えたことでさらに高まり、サンフォード政権の良心とみなされた。対テロ総力戦の支出でさらに苦しくなった財政を切り回す手腕を持つ唯一の人物としても期待が集まる。次期議長にふさわしい指導者を問う世論調査では、トリューニヒトをリードして第一位となった。数ヶ月後には進歩党委員長に就任して、反戦派の最高指導者として来年の総選挙で政権獲得を目指す。

 

 二年前のヴァンフリート星域の戦いから精彩を欠いていた宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は、去年のエルゴン星域の戦いで完全に名声を失墜させてしまった。往年の果断は短絡に、寛容は無責任に取って代わられたと評された。二月に帝国軍が侵入してきた際には、能力を不安視する声が相次ぎ、第二艦隊司令官パエッタ中将に指揮権が与えられるという屈辱を味わった。結果としてアスターテ星域の敗戦の責任を負わずに済んだが、今年で任期満了となる司令長官職の再任は絶望視されている。有力な指導者候補を持たないロボス派の求心力は急落し、離脱する者も日を追うごとに増えていた。

 

 統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の推進した少数精鋭による地方防衛戦略は、地方部隊の戦力低下を招いてエル・ファシル動乱を引き起こしたとの批判を浴びた。海賊討伐作戦で巻き返しをはかったものの、不祥事の多発によってさらに苦しい立場に追い込まれた。アスターテ星域出兵において、ロボス元帥の宇宙艦隊総司令部を外して作戦指導を行ったことで敗戦の責任を問われることとなり、今年で任期満了となる本部長の再任の可能性は皆無と見られている。ただ、宇宙艦隊総参謀長グリーンヒル大将、第一艦隊司令官クブルスリー中将、第一〇艦隊ウランフ中将といった次代の指導者候補を抱えているため、派閥の求心力は落ちていない。

 

 去年のエルファシル動乱と第七方面管区司令部陥落に始まる対テロ七か月戦争は、この社会をすっかり塗り替えてしまった。大きく変動した政界と軍部の勢力図は、来年の総選挙、確実な統合作戦本部長と宇宙艦隊司令長官の後任問題などをめぐって、まだまだ大きく動くことだろう。

 

 経済面では、七か月続いた惑星間航行の制限が流通を停滞させて全国的な物価高を引き起こしている。財政赤字の拡大、各分野における熟練労働者の不足も大きな不安材料だ。フェザーン中央銀行総裁は同盟経済の先行きに対し、重大な懸念を示した。

 

 軍人は政治や経済に大きく左右される職業だ。前の人生で起きたような大変動があれば、無事ではいられない。春の陽気は暖かく、窓の外では桜の花が咲き誇っている。ベッドの中では、ダーシャが気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

 世界はこんなにも綺麗なのに、政治や経済はどうしてあんなに混沌としているのだろうか。時間がこのまま止まればいいのにと願わずにはいられなかった。



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第八章:明日を見つめる
第八章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第三六戦隊司令官。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。エル・ファシル危機では内戦を防ぎ、海賊討伐作戦では行政参謀として活躍。20代の若さで将官に至った。小心者。小柄で童顔。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。用兵は下手。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。士官学校を三位で卒業したエリート。エル・ファシルを経てエリヤとの仲が深まり、現在は半ば同棲状態。反戦派寄りの思想を持つ。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 33歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。士官学校卒の参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げだが、エリヤとともにエル・ファシル危機を防いだ功績で准将に昇進した。管理能力には欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。海賊討伐作戦に際し、欠点を補うためにエリヤを起用した。功績によって中将に昇進し、第一一艦隊司令官に就任。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。

前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 41歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。国防委員長。警察官僚出身の主戦派政治家。改革市民同盟非主流派の領袖。凡人のための世界を作るという理想を持つ。対テロ総力戦では表に立たずに、政界再編を視野に入れて多数派工作に精を出した。来年の総選挙での政権獲得を目指す。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。国防委員会防衛部長。第一一艦隊を率いて海賊討伐作戦で活躍。ウッド提督の再来ともてはやされたが、指揮下の部隊が不祥事を起こした責任を問われて更迭された。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 26歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍准将。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。ロボスに心酔している。最近は過労で痩せ細っている。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。行軍計画の立案に高い力量を示す。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 58歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。同盟軍屈指の用兵家で人心掌握にも長けた優秀な人物。失態を重ねて失脚寸前に追い込まれている。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 33歳 男性 原作人物

同盟軍少将。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。第三次ティアマト会戦で功を焦って失態を犯す。強烈な覇気の持ち主。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。男らしい美男子。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

カーポ・ビロライネン 35歳 男性 原作人物

同盟軍軍人。ロボスの腹心。優秀な参謀。エル・ファシル義勇旅団の実質的な運営者。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

シトレ派関係者

チュン・ウー・チェン 34歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。第十一艦隊司令部でエリヤと親しくなった。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を繰り広げた。

 

シドニー・シトレ 59歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍元帥。統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。ノブレス・オブリージュを重んじる姿勢、緊縮財政支持、地方部隊削減が中央のエリートに支持されるが、地方部隊の受けは悪い。作戦指導で失敗を重ねて失脚寸前に追い込まれている。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ヤン・ウェンリー 29歳 男性 原作主人公

同盟軍少将。シトレが重用する若手参謀。アスターテ会戦で全軍を敗北の危機から救って少将に昇進。冷静沈着。無頓着。冴えない風貌。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 35歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。シトレの腹心。セレブレッゼに匹敵する後方支援のプロ。現在は同盟軍後方部門の司令塔。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一艦隊司令官。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。海賊討伐作戦で活躍し、ウッド提督の再来ともてはやされた。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退した。

 

その他個人的な関係者

ハンス・ベッカー 31歳 男性

同盟軍中佐。帝国から亡命してきた参謀。入院中にエリヤと知り合う。垂れ目。背が高い。遠慮がない。お調子者。

 

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。軍事輸送の専門家。入院中にエリヤと知り合う。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

カスパー・リンツ 26歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター所属。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 25歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校上位卒業のエリート。ドーソンの副官を務めた後、不祥事によって辺境に左遷。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍大佐。エル・ファシル危機で活躍した巡航艦部隊の指揮官。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 61歳 男性 原作人物

財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。対テロ総力戦で市民の期待を裏切り、支持を失った。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ヴァンフリート四=二関係者

ワルター・フォン・シェーンコップ 32歳 男性 原作主要人物

同盟軍大佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。エリヤのいれたコーヒーを気に入っている。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

シンクレア・セレブレッゼ 50歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 50歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 37歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 51歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 30歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 23歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。エリヤに嫌われている。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。



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第六十九話:ビッグサプライズ 宇宙暦796年5月初旬 惑星ハイネセン、ホテルユーフォニア及び統合作戦本部カフェルーム

 佐官というのは戦記ものでは、一山いくらの存在であるが、最下級の少佐でも駆逐艦艦長、歩兵大隊長に補職され、民間企業であれば、小規模支店長、大規模支店の次長クラスに相当する立派な幹部だ。公務中は身の回りの世話をする従卒が付き、ドライバー付きの公用車を移動に使用できる。尉官よりずっと広くて快適な官舎に住める。士官学校を出ていない士官の大半は少佐でキャリアを終えるが、それでも構わないと思わせる厚遇である。出来の悪い一等兵だった前の人生と比べれば、夢の様な身分だ。

 

 佐官の最上級は大佐。複数の大型艦数十隻、もしくは小型艦の百数十隻の隊を複数率いる群司令、惑星警備隊司令、歩兵旅団長に補職される。民間企業であれば、取締役を兼任しない本社部長、支社長といったところだ。士官学校を卒業して二〇年が過ぎた働き盛りのエリートというのが一般的な大佐。士官学校を出ずに大佐まで昇進できる者は、一般企業で言えばアルバイトやハイスクール卒のノンキャリア社員から本社部長に昇進したに等しい。

 

 大佐でも一般人から見れば、目もくらむような大幹部であるが、上には上がいる。全軍で五〇〇〇人程度しかいない将官だ。五〇〇〇万人の同盟軍将兵の中では一万人に一人、三五〇万の士官の中では七〇〇人に一人。同盟軍士官の大半は下士官兵からの叩き上げと徴用された専門技術者が占めており、士官学校出身者はわずか一三万人程度しかいないエリート中のエリートである。

 

 そんな彼らでも二〇人に一人しか昇進できない狭き門。実績、運、人脈のすべてが飛び抜けた者のみに用意された席。凡人には手が届かない聖域。それが将官である。実際になれるかどうかは別として、一度も「閣下」「提督」と呼ばれたいと思ったことがない軍人がいたら、それはよほどの変人だろう。

 

 将官の「司令官」は、佐官の「司令」とは比較にならないほどに広いオフィスを構えて、自ら選任した数十人の幕僚を従える専制君主だ。副官が常に付き添って秘書の役割を果たし、高級な公用車に乗って移動する。将官が通り過ぎるたびに、士官や兵士はすべて直立不動で敬礼しなければならない。幕僚職の将官は幕僚や副官を持たないが、王侯に等しい礼遇を受けることには変わりない。軍人であれば、誰もが羨む存在である。

 

 二〇代で将官の階級を得るとなると、アンドリュー・フォークやダスティ・アッテンボローのように士官学校を一〇位以内の成績で卒業した後に抜群の実績を示した秀才中の秀才、もしくはヤン・ウェンリーのように士官学校の成績は凡庸ながらも誰も真似できないような大功を立て続けに立てた奇才中の奇才ということになろう。そんな逸材が滅多にいるはずもなく、同盟全軍でも二〇代の将官は一六人しかいなかった。その一七人目となった人物が士官学校を出ていないというのは、驚天動地の事態だろう。当の本人である俺も仰天した。

 

 海賊討伐作戦「終わりなき正義」作戦において、第一一艦隊の第一分艦隊行政担当副参謀長として、治安面の調整を担当した功績というのが俺の昇進の理由であった。司令官ルグランジュ少将は中将に昇進し、他の主要メンバーも全員昇進を果たしている。最も不祥事が少なかった部隊だったことが評価されたのだろう。内示が来てないうちから、祝賀会用のホテルを予約していた作戦担当副参謀長クィルター大佐も准将への昇進を果たした。

 

 周囲にはいずれ将官に昇進できると言われていた。いかにネガティブ思考で自己評価が低い俺といえども、去年の秋に二七歳で大佐に昇進してからは、数年後に閣下と呼ばれる身分になる日が来るであろうことは予感していた。しかし、二〇代のうちにそれが実現するとは思ってもいなかった。

 

 ヤン・ウェンリー、ダスティ・アッテンボローといった歴史上の英雄と自分が肩を並べるなど、想像するだけで畏れ多い気持ちになる。同盟末期からローエングラム朝建国期の社会で過ごした者にとって、彼らの名前はそれほどに重い。早すぎる将官昇進、歴史上の英雄とリアルタイムで比較される立場が強烈なプレッシャーとなってのしかかってくる。

 

「第一一艦隊第一分艦隊行政担当副参謀長 大佐 エリヤ・フィリップス 准将に昇任させる 第三六戦隊司令官を命ずる」

 

 その辞令書を国防委員会人事部長パヴェレツ中将から受け取ろうとしたら、手が震えて床に落としてしまった。慌てて拾おうとして屈んだら、バランスを崩して転倒してしまった。

 

 俺だって無為無策だったわけではない。内示を受けてから、心の準備はしていた。将官の知り合いに心構えを教えてもらった。司令官業務の教本も暗記できるぐらい読み込んだ。辞令を受ける当日も腹痛に備えてあらかじめ胃薬を用意していたし、冷や汗をかいても大丈夫なように吸汗性のアンダーシャツを軍服の下に着込んでいた。それなのにこの醜態だ。何と情けないことだろうか。

 

 パヴェレツ中将は気の毒に思ったのか、准将の辞令を受け取った瞬間に失神してしまった例、人事部長室を出た直後に嬉しさのあまり飛び上がって転んで骨折した例をあげて慰めてくれたが、そんなのが救いになるわけもない。これからやっていけるのだろうかと先が思いやられた。

 

 辞令を受け取った後は、お祝いのメールや通信が怒涛のように押し寄せてきた。親しい人はもちろん、昔同じ部署にいたというだけでさほど親しくない人、面識がまったくない人からも送られてきている。

 

「先日、息子は名誉の戦死を遂げました」

 

 エル・ファシルで駆逐隊を指揮していた時の部下だったメイヤー少佐の母親から送られてきたメールの中にその一文を見つけた時、心に痛みを感じた。先日のアスターテ星域の戦いで戦死したのだという。あまり頼りにならなかったとはいえ、共に戦った者の死はショックだった。メイヤー大尉の一人息子ウィルはまだ六歳だが、軍人になって父の仇を取りたいと言っているそうだ。孫を励まして欲しいという老婦人の申し出に心を打たれた俺は、メイヤー家に直接通信を入れた。

 

「お父さんは立派な軍人でした。君もお父さんのような軍人になれるよう頑張ってください」

 

 今年で六歳になるというウィルに励ましの言葉を送る。俺の方を見ようとせずにずっとうつむいていた。父を亡くしたばかりでまだ心が不安定なのだろう。いつか、父の死を正面から受け止められる日がくることを願いたい。

 

 プレゼントも送られてきていた。同盟軍では軍人個人を指定したプレゼントを軍機関に送っても、受理されることはない。そのため、統合作戦本部や第三六戦隊司令部に送られた物はことごとく返送された。俺の住所は非公開だから、直接官舎に送られてくることもほとんどない。俺の友人知人を介して送られてきたものがわずかに俺の手元に届いた。

 

「これ、友達から」

 

 ダーシャから渡されたのは、フィラデルフィア・ベーグルのマフィン詰め合わせ五箱。俺の大好物だけど、高級品だから気軽に買えるような物じゃない。ダーシャの友達で俺のファンの「陸戦部隊の子」が送り主だった。

 

「こんなにもらっちゃっていいのかな」

「遠慮無くもらっときなよ。忙しくてお金使う暇ないって言ってたから」

「しかし、顔も名前も知らない子にここまでしてもらうって、申し訳なくないよ」

 

 ここまで、という中には、ダーシャと俺が知りあうきっかけを作ってくれたというニュアンスも暗に含んでいる。ハイネセン第二国防病院に入院した時に仲良くなれたのも、俺の熱心なファンである彼女がダーシャに布教してくれたおかげなのだ。ダーシャからの伝聞でしか知らない彼女は、俺の写真を携帯端末の待ち受け画像にしているという美的感覚の欠如、恥ずかしいから俺に名前を知られたくないという妙な羞恥心など、かなりの変人ではあることは間違いないが、足を向けて寝られない存在である。

 

 将官昇進の祝賀会というものも開かれた。幹事は第一一艦隊司令官から、国防委員会防衛部長に移ったクレメンス・ドーソン中将だ。会場はホテル・ユーフォニア。前の歴史では同盟滅亡後にオスカー・フォン・ロイエンタール元帥が新領土総督府を置いた建物だが、現時点では政財界の要人が良く利用する高級ホテルとして知られている。

 

 会場には、国防委員長ヨブ・トリューニヒトを筆頭に、トリューニヒト派の政治家、財界人、高級官僚が綺羅星のように勢揃いしていた。軍部の要人は、首都防衛司令官ロックウェル中将、国防委員会通信部長ルスティコ中将、地上軍副総監ギオー中将、後方勤務本部弾薬部長ジェニングス准将らトリューニヒト派ばかりで、ロボス派は一人も出席せず、シトレ派は派閥を超えた交友関係を持つ社交の達人グリーンヒル大将のみというという実にわかりやすい顔ぶれである。

 

 ドーソン中将は大はしゃぎで俺を要人たちに紹介して回った。海賊討伐の際の不祥事から、第一一艦隊司令官を栄転の名目で事実上更迭された彼にとって、自ら抜擢した部下が異例の昇進を遂げたというのは、再評価のきっかけとなる。私が育てた、私のおかげといちいち恩着せがましく言うドーソン中将に、誰もが苦笑気味だった。ちょっとはしゃぎ過ぎじゃないかと思うが、ドーソン中将の引き立てがなければ、俺はここまで来れなかった。純粋な感謝と、しょうがない人だなあという思いで自然と笑顔が浮かんで、「閣下のおかげです」と相槌を打った。

 

 巻き返しを狙うドーソン中将と、政界再編に向けて力を誇示したいトリューニヒトによる政治的セレモニーの性格が強い一次会に対し、二次会は俺と親しい人だけの小じんまりとしたものだった。ドーソン中将自身も顔を出さずに、トリューニヒト派色が薄い前第一一艦隊司令官副官のリーカネン大尉が幹事代理として取り仕切っている。組織内の空気を読むことに長けたドーソン中将らしい配慮である。

 

 ダーシャ、ルシナンデス准尉、ガウリ曹長、イレーシュ大佐、スコット准将、ベッカー中佐、ビューフォート准将、チュン・ウー・チェン大佐、ルグランジュ中将らハイネセン組はもちろん、クリスチアン大佐やバラット曹長のように遠方から休暇を取って駆けつけてくれた人もいた。その他、過去に勤務していた職場で親しく付き合ってくれた人も来てくれている。

 

 パトリチェフ大佐、リンツ中佐らは、アスターテで壊滅した第四艦隊と第六艦隊の残兵から編成された第一三艦隊の演習航海に参加していて来れなかった。トリューニヒト派と対立を深めるロボス派に遠慮したのか、アンドリュー・フォーク准将が祝文を送ってくれるに留まったのは残念であった。

 

 

 

 祭りが終わったら、次は現実に直面する番だ。俺が率いることになる第三六戦隊は、一個戦艦群、二個巡航群、三個駆逐群、一個揚陸群の合計六五四隻からなる宙陸両用部隊である。その幕僚を自分で選任する必要があった。佐官の司令は幕僚を選べないが、将官の司令官は選ぶことができる。部隊の能力を十全に引き出せる幕僚チームを作らなければならない。

 

 最初に選ぶべきは幕僚チームを統括する参謀長だ。司令官が常に主要事項を把握できるように絶え間なく報告を行い、方針策定を助ける。ゼネラルスタッフである参謀に指示を出して、司令官の出した方針を実現できるように業務を進めさせる。幕僚チームの各部門が連携して動けるように調整を行う。業務能力、リーダーシップの両面で司令官を助ける存在だ。参謀長次第で幕僚チームの方向性、ひいては部隊の方向性が決まる。

 

 俺が求めている参謀長は、第一に信頼できること。士官に任官してから五年しか経っていない俺は、業務経験が極めて浅い。幕僚チームの知識と経験に大きく依存することになる。事務的な関係に留まらず、俺のパートナーになり得る人物が望ましい。第二に作戦能力に長けていること。俺が積んできた経験は後方業務に偏っていて、作戦経験は皆無に近い。参謀長には、俺が持っていない作戦能力を補ってもらう必要がある。第三に性格がきつくないこと。これは完全に俺の好みだ。司令官、参謀、専門スタッフと激しくやり合いながら、業務の質を高めていく参謀長もいるが、とげとげしい空気が苦手な俺にはストレスになる。

 

 付き合いがある人間の中で戦隊参謀長になりうる大佐は、ダーシャ・ブレツェリ大佐、イレーシュ・マーリア大佐、ナイジェル・ベイ大佐、ジェレミー・ウノ大佐の四人である。信頼性と性格ならダーシャとイレーシュ大佐は抜群だが、前者は後方畑、後者は人事畑で作戦経験に乏しい。ベイ大佐は情報畑だが作戦経験もそこそこある。しかし、上昇志向が強くて性格がきつい。ウノ大佐は後方畑で作戦経験に欠ける。理想の参謀長はアンドリューだけど、彼は俺と同格の准将だ。

 

「というわけで、みんな帯に短し、たすきに長しなんですよ。ちょうどいい人がなかなか見つかりません」

「私も勤務地が変わるたびに、新しいパン屋を見つけるのに苦労したものだよ。堅過ぎもなく、柔らか過ぎない。濃過ぎもなく、薄くもない。そんなパンを売っている店は滅多にないからね」

 

 俺は統合参謀本部のカフェルームで、作戦参謀部企画課長チュン・ウー・チェン大佐と話していた。チュン大佐は形が崩れたサンドイッチをかじりながら、俺の話を聞いている。そんなにパンの味が気になるんなら、ポケットにじかに突っ込んでぐしゃぐしゃにするのはやめた方がいいんじゃないかと思ったが、突っ込んだら負けな気がする。

 

「俺は治安と後方の経験しかないですからね。作戦屋の知り合い少ないんですよ。士官学校出てたら、同期の友達から作戦やってる奴を引っ張ってくれば良かったんでしょうけど」

「だから、私に同期の作戦屋を紹介して欲しいということなんだね」

「ええ。直接の知り合いにいい作戦屋がいないなら、これから知り合いになろうかと思いまして」

 

 参謀長の人選に悩んだ俺は、苦肉の策として親しい人に作戦屋の大佐を紹介してもらうことにしたのだ。何人かと直接会ってみて、一番信用できそうな人を参謀長に選ぼうと考えた。チュン大佐の次は、人事参謀部補任課長イレーシュ大佐に頼みに行く予定である。

 

「それなら、ちょうどいい人がいるよ」

「どんな人です?」

「第七艦隊と第九艦隊で作戦参謀をそれぞれ二年、統合作戦本部の作戦参謀部に一年、宇宙艦隊総司令部の作戦参謀を一年経験している」

 

 今年で三四歳になるチュン大佐の同期ということは、勤務歴は一四年になる。そのうち六年を作戦畑、しかも正規艦隊で過ごしているというのは魅力的だ。

 

「他の参謀経験は?」

「情報を三年、人事と後方をそれぞれ二年。分艦隊副参謀長を一年やってるね」

 

 心の中で手を打った。作戦だけでなく、他の経験も積んでいる。副参謀長というのは参謀長とともに幕僚チームのまとめ役になる存在だ。参謀業務全般に通じていて、まとめ役の経験もあるとなれば、願ってもない人材である。

 

「性格はどうです?」

「まあ、悪くはないんじゃないかな」

「動かせるポジションの人ですか?」

 

 これほどの経歴を持つ人材なら、現在の勤務先でも重宝されてるはずだ。わざわざ俺なんかのところに行く必然性もない。どれだけ優秀でも、すぐに異動できる立場でなければ意味が無い。

 

「もうすぐ飛ばされるらしいよ」

「紹介してください!」

 

 優秀でなおかつ飛ばされる寸前と来れば、いつでも俺の参謀長になれるということだ。興奮を隠し切れず、大声を出してしまう。何事かと驚いた周囲の人が一斉に俺を見る。チュン大佐はまったく気にせずに、冷めたカフェオーレに口をつけた。

 

「そんなに慌てる必要はないよ。君の目の前にいるから」

「えっ?」

「私では参謀長には不足かい?」

 

 サンドイッチはいらないのか、と言うような口調でチュン大佐はとんでもない発言をした。彼が信頼性、作戦能力、人柄のすべてを満たす人物なのはわかっている。それなのにあえて除外したのは、前の歴史で民主共和制に殉じた英雄の中の英雄を自分の部下にすることが畏れ多かったからだ。チュン・ウー・チェンといえば、アレクサンドル・ビュコックの参謀長というイメージが俺の中には染み付いている。

 

「あ、いや、不足ではないですよ。むしろ、もったいないと…」

「先日のアスターテの敗戦があったろう?作戦参謀部の幹部全員の首を飛ばせって話になっててね。次のポストはどこかの方面管区の部長職か、星系警備管区の参謀長あたりだろう」

 

 うろたえる俺を無視して、チュン大佐は淡々と話している。こういう時の左遷先に指定されるのは、主要航路から外れていて海賊の脅威も少ない辺境管区と相場が決まっている。航路保安で功績を立てて、失敗を償う機会も与えられない。三個艦隊が壊滅したアスターテ星域の会戦では、統合作戦本部が宇宙艦隊総司令部を棚上げして作戦指導を行った。作戦参謀部全体で敗戦責任を償えということなのだろう。

 

「申し訳ありません」

 

 チュン大佐は知らないだろうが、第一一艦隊の人事部長だった彼を統合作戦本部に転任させたのは、俺の差し金だった。ドーソン中将と相性が悪い参謀を全員格上のポストに転出させて、みんなが満足できる結果にしようと思ったけど、チュン大佐については裏目に出てしまったようだ。

 

「まあ、ドーソン提督のせいじゃないよ。運がなかった」

 

 シトレ派と言っても、アレックス・キャゼルヌ少将のようなシトレ元帥の側近から、チュン大佐のように交友関係で何となくシトレ派に分類されている者まで様々だ。派閥との繋がりが緩い者は、自由だが保護も薄い。一度左遷されてしまえば、浮かび上がるのは難しい。宇宙艦隊の采配も振るえる人物を自分のせいで失脚させてしまうのは心苦しかった。

 

「参謀長をお願いできますか」

「よろこんで引き受けましょう、フィリップス閣下」

 

 立ち上がって敬礼するチュン大佐は、穏やかな笑顔を浮かべていた。行儀の悪い人なのに、敬礼は妙に端正だ。俺も立ち上がって敬礼する。伝説の英雄を部下にしたという事実に、手が震えていた。

 

 俺なんかの下にいるのはもったいなさすぎる大物参謀長を得て、提督エリヤ・フィリップスはスタートを切った。



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第七十話:チーム・フィリップス誕生 宇宙暦796年5月上旬 惑星ハイネセン、第三十六戦隊司令部

 思いがけず伝説の英雄チュン・ウー・チェン大佐を参謀長に迎えてしまった俺は、第三六戦隊司令部の幕僚チーム編成を進めていた。俺なりの人事案はあったが、参謀長であるチュン大佐との相性も重要だ。寝ても覚めても人事のことばかり考えていた。そんなある日、第一六方面管区司令官シンクレア・セレブレッゼ中将から通信が入ってきた。

 

「フィリップス君、将官昇進おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 セレブレッゼ中将とは、ほんの短い間だけ縁があった。二年前のヴァンフリート四=二基地司令部ビル攻防戦で、ラインハルト・フォン・ミューゼルの捕虜になりかけたセレブレッゼ中将は、俺が注意を逸らしたおかげで助かった。そして、ラインハルトに殴られて死にかけた俺は、セレブレッゼ中将の迅速な措置によって助かった。俺がハイネセン第二国防病院に入院した後は交流が途絶えていたのに、どうして今になって連絡してきたんだろうか。

 

「幕僚を探しとるそうだね」

「はい」

「自分のチームを作るのは難しいだろう?」

 

 そう語りかけてくるセレブレッゼ中将の髪とひげには、白いものが混じっていた。彼が率いていた最強の後方支援チーム「チーム・セレブレッゼ」が、二年前のヴァンフリート四=二基地攻防戦で崩壊したことを思い出す。どんな気持ちが今の言葉にこもっているのか、つい考えてしまう。

 

「なかなか、思い通りにはいきません。最高の人材を集めようと思っているんですが」

「そうだろう、私が最初にチームを作った時もそうだった。私も幕僚もみんな未熟だった。最高といえる人材はいなかったな」

「でも、中将のチームは最強と言われていたじゃないですか」

「最初から最強だったわけではない。私もチームも一緒に成長していった。チームは育つものと考えるべきだ」

 

 セレブレッゼ中将の言葉は、俺の中にずっしりと響いた。どれほど苦労してチーム・セレブレッゼを築き上げたのか。その崩壊をどんな気持ちで眺めていたのか。彼の心中を思うと、やりきれない気持ちになった。

 

「そんなに暗い顔をするんじゃない」

「申し訳ありません」

「一つだけ偉そうにアドバイスをするとしたら、最初から完全なメンバーを揃えようとは思わないことだ。一緒に成長したい仲間を選んで、一歩ずつ完全に近づいていきなさい」

「一緒に成長したい仲間ですか?」

「そうだ。二年前の君は少佐だった。それが今や提督だ。君が成長したように、他人も成長する。誰と一緒に成長していきたいか、誰となら未来を共に出来るか。良く考えることだ」

 

 一緒に成長していきたい仲間、未来を共にしたい仲間。セレブレッゼ中将の言葉が頭の中をぐるぐる巡る。俺にとって、誰がそのような仲間なのだろうか。

 

「ありがとうございます。ゆっくり考えてみます」

 

 俺の返事にセレブレッゼ中将は満足げにうなずいた。チームを育てた経験がある人の言葉は心強い。ルグランジュ中将やドーソン中将の話も後で聞いてみよう。経験が足りないなら、先人に学ぶことだ。

 

「小官もチームを新しく作り直しているところでな。貴官の苦労が他人事とは思えなかった。だから、二年ぶりに連絡を入れたくなったわけだ」

「チームを作り直しておられるということは、つまり…」

「そうとも。再起にはチームが必要だ。それも最強のチームが」

 

 そう語るセレブレッゼ中将の声からは、辺境に左遷されてもなお衰えない覇気が感じられた。普通に考えればセレブレッゼ中将の未来は、現在の任期を全うして、もう一期辺境の方面管区司令官を務めた後に予備役編入といったところだ。再起の可能性はほとんどない。そして、辺境に流れてくる人材の質は低い。教育指導の環境にも恵まれていない。それなのに再起を夢見て、最強のチームを作ろうとしている。そんなセレブレッゼ中将の情熱に心打たれずにはいられなかった。

 

「頑張ります!」

「この歳になって、人を育てるのがこんなに面白いとは思わんかったよ。五〇過ぎまでその場しのぎしかしてこなかった年寄りが眼の色を変えて仕事に取り組む。将来に見切りを付けていた若者が自分の可能性を思い出す。なんと愉快なことか」

「参謀教育を受けていない現場組からも、参謀を採用なさったんですか?」

「辺境は人材が少ない。あるものは何でも活用せんとな。兵役あがりの若者を数年で提督にしてのけたドーソンには敵うまいが、兵卒あがりの老人参謀ぐらいは作れるさ」

 

 愉快そうに笑うセレブレッゼ中将を見て、俺はようやく理解した。この人の真価は実務能力でもなければ、ロジスティックス理論でもない。強いチームを作るリーダーシップだ。彼にとって、人材は作るものであって、探すものではない。凡人であろうと、最強のプロフェッショナルに育て上げる。そんな人だからこそ、未熟なチームを最強のチームに育て上げた。そして、再び最強のチームを作り上げるだろう。

 

「期待しております」

「いつか、中央に戻ってきたら期待以上のチームを見せたいものだな」

 

 セレブレッゼ中将は敬礼をすると、通信を切った。心がたぎってくるのを感じる。スクリーンを通じて、セレブレッゼ中将の覇気を吹きこまれたからに違いない。端末を立ち上げると、急いで人事方針を作り上げて、チュン大佐と話し合った。

 

「一緒に成長したい仲間、ですか」

「ど、どうかな…?」

 

 感銘を受けた様子もなく、のんびりとパンをかじっているチュン大佐を見ていると、自分がとてつもなく恥ずかしいことを言ってるような気がした。

 

「いいんじゃないですか。最初から完成形を求められるよりは、やりやすいでしょう」

「だよね!」

「私も同じです」

「何が?」

「まだ三〇代前半。これから成長していく人間と見ていただいた方が気楽です」

 

 その言葉を聞いて、はっとなった。俺のイメージの中のチュン大佐は、宇宙艦隊の采配を振るって獅子帝ラインハルトに立ち向かった偉大な英雄だった。マイペースな性格もあって、最初から完成された存在だと考えていた。しかし、良く考えたらまだ三〇代前半なのだ。いかに才能があっても、知っていることより学ぶべきことの方がはるかに多い年齢である。英雄チュン・ウー・チェンも未熟だが、努力すれば成長する。英雄視するあまり、当たり前のことを忘れてしまっていた。

 

「わかった。気をつける」

「では、方針が決まったところで打ち合わせをしましょうか」

 

 そう言うと、チュン大佐は分厚いファイルを取り出した。参謀長の次に重要なのは、作戦、情報、後方、人事の四部門の長である。主任参謀とも呼ばれる彼らは、各部門の参謀の指導や調整にあたるとともに、関連分野の専門スタッフとの調整も担当する。

 

「ずいぶん詳しく調べたね」

「まあ、それが参謀の仕事です」

 

 ファイルの中身は部長候補者の資料だった。統合作戦本部人事参謀部から渡された資料の他、入手できる限りの資料が添付されている。手書きの補足もびっしり付いていた。チュン大佐の調査能力に驚かされる。

 

「情報部長はハンス・ベッカー中佐に任せたい。これは譲れないな」

「彼は亡命者でしたね」

「そうだね」

 

 情報部は情報の収集と分析にあたる。敵の弱点を探すとともに、自軍の死角を無くす役割を担う。指揮官の耳や目とも言うべき情報部長は、ハンス・ベッカー中佐と決めていた。三年前に姪を連れて亡命してきた彼は、イゼルローン回廊の航路知識を買われて航法参謀を務めてきた。二年前にハイネセン第二国防病院に入院した時に知り合ってから、付き合いが続いている。この病院はダーシャ・ブレツェリ大佐やグレドウィン・スコット准将と知り合った場所でもある。

 

「もともと、情報畑なんですね。そして、信頼関係もある」

 

 帝国軍にいた頃のベッカー中佐は情報畑だった。情報活動には、他人を出し抜く狡猾さ、他人に信用される誠実さという二つの相反する属性が必要となる。情報畑の人間は、油断ならない曲者と正直な好人物の両極端に分かれる傾向があるのもそのためだ。ずけずけと物を言い、嘘をつけない性格のベッカー中佐は後者に属する。

 

「情報活動は人の繋がりだからね。それにチームワークの要としても期待できる」

「では、ベッカー中佐で決まりですね」

 

 そう言うと、チュン大佐は冷め切ったカフェオーレをすすりながら、ファイルのページをめくった。最近気づいたことだが、チュン大佐は猫舌らしい。熱い飲み物を飲んでるのを見たことがない。

 

「セルゲイ・ニコルスキー中佐を人事部長に考えてる」

 

 部隊の人的資源を管理する人事部は、部隊が必要とする人材を調達して適材適所に配置し、個人単位の教育訓練を通じて能力の向上に務める。長身で逞しい肉体を持ち、体育教師を思わせる風貌のセルゲイ・ニコルスキー中佐に人事部長を任せるつもりだった。彼とはヴァンフリート四=二基地で憲兵隊長を務めていた時に仕事の関係で知り合った。個人的な交際は薄かったが、部隊の人員を数字ではなくて一人の人間として捉えるところと、部下にも同僚にも上官にもはっきりと物を言えるところに好感を持っていた。

 

「実績は申し分ありませんが、第二輸送業務集団の人事部長は結構な激務です。動かせるのですか?」

「司令官のスコット准将はいい人だからね。ニコルスキー中佐には司令部の後見人というか、引き締め役を担ってもらえればと思ってる」

 

 数日前、ニコルスキー中佐を譲ってくれるかどうか、ダメ元でスコット准将に打診したら、意外な好感触が返ってきた。俺が彼の元を月二回訪れて、三次元チェスの相手をしてくれるなら応じるというのだ。そんな話、公にはできないが。

 

「動かせるなら、ニコルスキー中佐で決まりですね。動かせなかった場合の第二第三の候補も選定はしておきましょう」

 

 確実に動かせる自信はあった。スコット准将は仕事中も部下と対局してるほどの三次元チェス狂である。対局するといえば、大抵の頼みは聞いてくれる。第一一艦隊で勤務していた頃は、対局するたびに高いケーキをおごってもらったものだ。

 

「問題は作戦と後方なんだ。作戦は知り合いが全然いない。後方は知り合いが多すぎて目移りする」

 

 作戦部は平時は部隊単位の教育訓練を通じて作戦行動に必要な戦力の整備に努め、戦時は状況に応じた作戦案を練る。高い作戦能力を持つチュン・ウー・チェン大佐は、参謀長として全分野にわたる采配をふるう立場だ。作戦だけに専念するわけにはいかない。作戦専任の参謀も別に必要になるが、優秀な作戦屋を手放す指揮官はそうそういない。

 

「閣下はお若いですから、作戦参謀も若手を選んだ方がいいでしょう。ずっと同じ作戦参謀を使い続けないと、用兵の継続性が保てません」

「確かにどの提督も若い作戦屋を育てようとしてるね」

 

 提督は自分が現役でいる間、ずっと使い続けられる作戦参謀を欲している。戦場での手足に等しい作戦参謀が自分より先にいなくなったら、頭の中に思い描いた用兵を実現できなくなってしまうからだ。だから、優秀な士官学校上位卒業者に自分の用兵を教え込んで作戦参謀にする。

 

「閣下と面識がある二〇代から三〇代前半の若手を中心に、候補を絞り込んでおきます」

「後方はどういう人がいいのかな」

 

 部隊の物的資源を管理する後方部は、部隊が必要とする物資の調達、管理。輸送、分配を行う。後方部門に知り合いが多い俺は、誰を選ぶべきか迷いに迷っていた。誰を選んでもうまくいきそうな気になることもあれば、誰を選んでも失敗しそうな気になることもある。

 

「後方はキャゼルヌのような天才でない限りは、経験と人脈のある者がいいでしょう。調整業務が多いですから」

「確かに後方ほどよその部署と顔を合わせる参謀はいないなあ」

「経験豊かな三〇代後半から四〇代の者、それ以下の年齢でも顔が広い者を中心に、候補を絞り込んでおきます」

「よろしく頼むね」

 

 これまで、資料の収集と分析は全部自分の手でやって来た。それが参謀に指示を出すだけで済んでしまう。これからは参謀を上手に動かすのが俺の仕事になるのだ。気を引き締めないといけない。

 

「次は副官です。これは早めに決めてしまってください」

 

 副官は自分自身で務めたことがあるからわかるが、記憶力が良くて、頭の回転が早くて、性格が細かい人が向いている。俺は准将だから、大尉か中尉を副官に選べる。

 

 頭の中に浮かんだのは、俺の後任としてドーソン中将の副官を務めたユリエ・ハラボフ大尉。俺を意識しすぎてドーソン中将の不興を買った彼女は任期を全うした後、トリューニヒト派に誘われることもなく国防委員会情報部に移り、テロ捜査の際に起きた不祥事に巻き込まれて、辺境に飛ばされてしまった。副官という言葉を聞くと、俺のせいで不幸になった彼女のことを思い出してしまう。

 

「参謀長はどういう人がいいと思う?」

「シェリル・コレット大尉ではいかがでしょうか」

 

 作戦と後方では人物の傾向を述べていたチュン大佐が、いきなり個人名をあげたことにびっくりした。しかも、俺が全く評価していない人物だ。一体どういうつもりなのだろうか。

 

「理由を聞かせてくれる?」

「閣下がエル・ファシル臨時保安司令官として戦った時の戦闘詳報に添付されたメモ。あれを書いたの彼女でしょう?」

「まあ、そうだけど」

 

 昨年の九月に俺がエル・ファシル解放運動のテロ部隊を迎え撃った時、中尉だったシェリル・コレットは俺の臨時副官を務めた。指示を出すだけでいっぱいいっぱいになっていた俺は、彼女から渡されたメモで情報を得て指揮をしていたが、情報量があまりに少なすぎて不満だった。俺ならもっと詳細に書く。仕事が雑というのが彼女に対する評価だった。

 

「作戦参謀部であの戦いを分析した際に読ませてもらいました。驚くほど要点だけをきれいに抜き出したメモでしたね」

「情報量が少なすぎなかった?」

「平時ならそうですが、あの状況では正解です。詳細すぎると指揮官自身の情報処理能力が追いつかなくなります」

 

 俺はオフィスでしか副官を務めたことがない。判断までに余裕があるから、可能な限りメモに情報量を詰め込むのが正解だった。一枚の紙になるべく多くの情報を詰め込めるような文章術を磨いてきた。しかし、判断に余裕が無い戦場の副官は別ということなんだろうか。

 

「彼女は俺の頭に合わせてくれたってことなのかな?」

「そういうことです。閣下なら、真っ先に彼女を副官に選ぶと思っていました」

 

 チュン大佐の指摘を受けて、考えこんでしまう。俺より実戦に詳しい彼がここまで評価するのなら、有能と判断してもいいのだろう。しかし、やはりコレット大尉は副官にしたくない。

 

「別の人にお願いしたいなあ」

「やはり、これがネックですか」

 

 チュン大佐が示したコレット大尉の資料には、「シェリル・コレット 旧姓リンチ」と書かれていた。

 

「これは…」

「コレット大尉は、エル・ファシルから逃亡して捕虜になったリンチ少将の娘ですよ。翌年に士官学校に入学しました。当時の校長がリベラルなシトレ元帥だったおかげで、合格を取り消されずに済んでいます」

 

 そんな話、初めて聞いた。そもそも、コレット大尉の身の上には興味がなかった。能力があると言われても副官にしたくなかったのは、外見の問題だった。彼女は太っていて背も大きい。普段はぼんやりした感じで、人と目を合わせようとしない。見ていると、妹のアルマを思い出すのだ。しかし、そんなことをチュン大佐に言えるはずがない。

 

「初めて聞いたよ」

「エル・ファシル警備艦隊にも自ら志願したそうです」

 

 俺は今の人生では逃亡者にならずに、日の当たる場所を歩いている。逃亡者になった人とその関係者に思いを馳せることは無かった。前の人生で俺と家族を襲ったような波がコレット大尉に襲いかかっていたとしたら、やりきれない気持ちになる。

 

「帝国じゃないんだから、父の罪を子供を被ることもない。経歴は問題ない。コレット大尉にしよう」

 

 エル・ファシルの逃亡者の家族としての苦労には同情を感じる。父の汚名をそそぐための努力は立派だと思う。エル・ファシルの英雄の副官になれば、少しは報われるかもしれない。容姿への嫌悪感を我慢しないと使えない副官というのも困り物だが、逃亡者とその関係者に辛く当たるような真似はしたくなかった。

 

「それにリンチ司令官の気持ちもわかるんだよ。俺があの人の立場なら、逃げずにいられるかどうか自信持てない。だから、家族が苦労するのは理不尽だと思う」

 

 俺の言葉にチュン大佐は興味深そうな表情を見せた。洞察力のある彼でも、俺の言葉が逃亡者としての経験から出ていることはわからないだろう。アルマのことと言い、コレット大尉のことと言い、前の人生で逃亡者だったという記憶からは逃れられないらしい。エル・ファシルの英雄が逃亡者の娘を副官にするという妙なめぐり合わせになってしまった。

 

 

 

 俺とチュン大佐は一週間かけて、幕僚を選んでいった。まずは参謀部門の長だ。

 

 作戦部長代理は宇宙艦隊総司令部にいたクリス・ニールセン少佐。人間関係のストレスで体を悪くした彼を見かねたアンドリュー・フォークの仲介で移籍した。基本に忠実な部隊運用をする若手の作戦屋だ。

 

 後方部長は第十一艦隊司令部にいたリリー・レトガー中佐。ドーソン中将の子飼いだが、人格は円満で調整能力に長けている。

 

 その次は専門スタッフ部門の長。通信部長マー・チェンシン技術中佐、経理部長シビーユ・ボルデ中佐、衛生部長アルタ・リンドヴァル軍医少佐、法務部長フェルナンド・バルラガン少佐など、有能な専門家を揃えた。

 

 参謀や専門スタッフは過去に勤務した部署で知り合った人を基本に選んだ。ドーソン中将やルグランジュ中将が推薦してくれた人も若干名加わっている。人格、能力ともにバランスの取れた人選ができたつもりだ。

 

 意外なところでは、俺とほとんど面識がない宇宙艦隊総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将が、士官学校副校長を務めていた頃の教え子エドモンド・メッサースミス大尉を推薦してくれた。恩師に似て、気さくでコミュニケーション能力が高い。士官学校上位卒業者でもあり、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部あたりで勤務していてもおかしくない秀才だ。彼を推薦したグリーンヒル大将の意図は不明だが、一緒に育っていく仲間になれそうだ。

 

 不本意な人事が無かったといえば嘘になる。その最たるものがエリオット・カプラン大尉だ。改革市民同盟代議員でトリューニヒト派幹部のアンブローズ・カプランの甥にあたる。士官学校を出てはいるものの成績は最後尾。勤務態度も勤務成績も良くないのに、統合作戦本部や正規艦隊での勤務歴が多いのは、ひとえに伯父の威光の賜物だろう。俺と同い年ということをやたら意識しているっぽいのも鬱陶しかった。そんな人物でも代議員直々の頼みとあれば受け入れないわけにはいかない。

 

 紆余曲折を経て、俺の幕僚チームは発足した。最強のチームになれるか、ごく平凡なチームに終わるかは分からない。でも、ごく一部を除いたら、一緒に成長していきたい仲間を選んだつもりだ。みんなで頑張って成長していきたいと思った。



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第七十一話:魔術の種と参謀の視点 宇宙暦796年5月下旬 惑星ハイネセン、第三十六戦隊司令部会議室

 宇宙暦七九六年五月一四日、難攻不落と言われていたイゼルローン要塞は、第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー少将によって攻略された。六度にわたって数万隻規模の遠征軍を撃退して、トータルで数百万に及ぶ同盟軍将兵の人命を奪った難攻不落の要塞を攻略したのが、二九歳の青年提督率いる六四〇〇隻の艦隊であったという事実は、全宇宙を驚愕させた。しかも、味方に一人も犠牲を出さなかったというのだ。

 

 第一三艦隊が偽情報でイゼルローン要塞から駐留艦隊を誘き寄せると、帝国軍人に偽装したローゼンリッターを保護を求めるふりをして要塞内部に潜入。隙を見て要塞司令官のシュトックハウゼン大将を拘束して守備隊を無力化させたローゼンリッターは、第一三艦隊を引き入れてイゼルローン要塞を占拠した。駐留艦隊司令官ゼークト大将は、要塞主砲トゥールハンマーの直撃を受けて戦死。芸術としか言いようがない手際だった。

 

 昨年のエル・ファシル動乱に始まる一連のテロ事件。第七方面管区司令部襲撃の実行グループを特定できず、海賊討伐も不祥事が続出してすっきりしない結果に終わった対テロ総力戦。そして、二月のアスターテ星域における惨敗。衝撃的な事件が続いて、安全保障に不安を抱いていた市民は、数十年に及ぶ国防上の懸案をあっありと解決してのけた若き英雄に熱狂した。

 

 新聞、雑誌といったメディアの紙面には、連日のように「魔術師ヤン」「奇跡のヤン」の文字が躍った。テレビを付けると、どこかのチャンネルで必ずヤンの顔が映し出されている。ネットはヤンを賞賛する書き込みで埋め尽くされた。ビジネスマンの商談の導入、主婦の井戸端会議といった場面においても、ヤンの偉業は誰もが共有できる話題として好まれた。同盟で暮らす者であれば、ヤンの名前を耳にしない日も、ヤンの顔を見ない日もない。それほどにヤン・ウェンリーフィーバーは大きかった。

 

 我らが第三六戦隊はそのような世間の喧騒をよそに粛々と部隊を作り上げる、というわけにはいかなかった。軍人だからこそ、同盟軍史上空前の偉業に興奮せずにはいられないのである。今日の参謀会議の席上においても、当然のようにイゼルローン攻略の話題が出てくる。

 

「まさか、あの要塞が落ちる日が来るとは思いませんでしたよ。いやはや、奇術の種というのは尽きないものですねえ」

 

 嘆息混じりに言うのは、戦隊情報部長ハンス・ベッカー中佐。亡命者である彼は、第四次と第五次のイゼルローン攻略戦では帝国軍、第六次では同盟軍として戦っている。攻守両方を経験した彼の言葉は重い。会議室は粛然となる。

 

「こんな簡単なトリックに引っかかるなんて、帝国軍も大したことないですよね」

 

 ヘラヘラした顔と口調で空気の読めない発言をする人事参謀のエリオット・カプラン大尉に、参謀達は何言ってんだこいつ、と言わんばかりの視線を向けた。俺と同い年の彼は、伯父であるアンブローズ・カプラン代議員のコネで第三六戦隊の参謀になった。人事資料を見た時点で頭痛がして、本人を見たら心臓も痛くなった。

 

 俺と同い年で士官学校を卒業していて、統合作戦本部や正規艦隊での勤務歴が多ければ、最低でも少佐には昇進しているはずだ。それなのにまだ大尉。しかも、進級リストではだいぶ下位にいる。過去に何かやらかしたらしく、一度降等されている。仕事もできないというか、やる気がまったく感じられない。何もしないだけなら無視できるのだが、カプラン大尉は空気を読まない発言が多く、存在感だけは無駄に大きい。

 

「奇術の種なんて、意外とつまらんものさ。しかし、種明かしされてから、つまらんと言ってみるのも芸がないな」

 

 ベッカー中佐はカプラン大尉の方を見て、微妙に毒のこもった言葉を投げかけた。自分が失言をしたらしいことに気づいたカプラン大尉は気まずそうに視線をそらす。調子がいいわりに気が小さいという微妙な性格をしている。妹のアルマもこんな奴だった。

 

「我々は攻める側しか経験したことがありませんが、守る側から見たイゼルローン要塞とは、いかなるものだったのでしょうか?」

 

 作戦参謀のエドモンド・メッサースミス大尉がベッカー中佐に質問をする。

 

「月並みな表現だけど、絶対的な安心感があった、ってとこかねえ」

「その安心感が油断を生んだのでしょうか?」

「勘違いしないでくれよ。安心と油断は違うぜ。要塞を信じていたから、守る側も命を賭けられた。戦うからには、最高の武器と防具に命を預けたいと考えるのが兵士ってもんだ。イゼルローンが信頼できん要塞なら、第五次か第六次で陥ちてただろうよ。物理的ではなく、心理的にな。外壁に穴をぶち開けられても、兵士どもが持ち場を離れなかったってことは、忘れんでもらいたいね」

 

 第五次ではシトレの無人艦特攻、第六次ではホーランドのミサイル攻撃がイゼルローン要塞の外壁に大きな穴を開けた。遠くから見ている俺からもはっきりと分かるぐらい、要塞が大きく揺れた。中にいる兵士の不安は想像するまでもない。それでも兵士たちは砲台を動かし続けた。だからこそ、逆転するまでもちこたえられたとベッカー中佐は言いたいのだろう。

 

「では、油断はなかったと?」

「油断してたから負けたんだ、というのはいい答えだな。わかりやすくて、みんなが納得するいい答えだ。士官学校の答案なら、それで正解だろうさ」

 

 ベッカー中佐の口調には、やや皮肉が混じっている。質問者のメッサースミス大尉は士官学校の上位卒業者なのだ。

 

「では、なぜイゼルローン要塞は落ちたのでしょう?」

「戦闘の詳細は今後明らかになるだろうが、今の段階で俺が思いつく理由は二つ。一つ目は要塞情報部の問題。正面から戦って落ちたら、指揮官や将兵が油断したってことになるだろう。しかし、詐欺にひっかかったんなら、話は別さ。要塞司令官のシュトックハウゼン大将は拠点防衛のオーソリティだが、詐欺の専門家じゃあない。詐欺対策は情報部の仕事だ。情報参謀が注意を促さなかったのか、という疑問はあるな。促しても耳を傾けてもらえなかったという可能性はあるが」

 

 情報の専門家であるベッカー中佐らしい意見に全員がうなずく。後方業務と治安業務がメインだった俺には無い視点だ。

 

「情報部に不備があったとしたら、それはどのようなものであるとお考えですか?」

 

 なおもメッサースミス大尉は質問を続ける。経験は浅く、思考が柔軟とも言いがたいが、好奇心が強いのは長所だ。第三六戦隊の幕僚会議では、メッサースミス大尉の質問に対して、他の参謀が説明するという形で意見を述べる流れができあがっていた。結成当初は俺が質問役をやるつもりだったが、その必要もなくなった。

 

「古巣だから擁護するわけでもないが、帝国の情報参謀もそんなに無能じゃない。判断材料が十分にあれば、ヤン提督の仕掛けたトリックにも気づいただろう。気づいていれば、注意を促すはずだ。何らかの理由で判断材料を十分に得られなかった、あるいは司令官と要塞情報部の意思疎通がうまくいってなかったんだろうな。どちらもそんなに珍しいことじゃあない」

 

 参謀はデータに基づいて思考するものだ。質量共に充実したデータがなければ、どんなに優秀な参謀であっても正しい答えを導き出せない。そして、正しい答えを導き出せても、それを聞いてもらえなければ意味が無い。いや、すぐに聞いてもらえなければ意味が無いというのが正確だろうか。

 

 司令官は信頼している参謀の言葉にはすぐ納得するが、信頼していない参謀の言葉にはなかなか納得しない。司令官に納得してもらおうと説明している間に、せっかくの提案が賞味期限切れになってしまうなんて良くあることだ。しかし、司令官としても自分が納得出来ない言葉に、おいそれと部隊の命運を預けるわけにはいかない。だからこそ、司令官と参謀の信頼関係は大事なのだ。

 

「担当者が交代したか何かで、情報部の活動が一時的に停滞していた。あるいは司令官と情報部の間に確執があった。そこを突かれた可能性が高いと思う。ヤン提督は作戦屋らしいから、いい情報屋が付いてたんだろう。要塞情報部の内部情報を探り出し、信頼できる情報かどうかを精査した上で、ヤン提督の詐欺は成功すると太鼓判を押した情報屋がね」

「第一三艦隊のムライ参謀長が情報畑だったね。優秀な人だよ」

「なるほど、情報屋を参謀長に起用したわけですか」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐がヤンの参謀長の名前をあげると、ベッカー中佐は満足気な表情になって、首を縦に軽く振った。そして、若い情報参謀のブルートン少佐やルンベック大尉らに語りかける。

 

「指揮官がこういう情報がほしいと言ったら、雑多な情報の中から必要なものを引っ張りだして、信頼性を精査した上で提示する。地道で退屈で独創性を働かせる余地なんて無い作業だ。しかし、指揮官と作戦屋のアイディアとうまく噛み合えば、ヤン提督とムライ参謀長のような奇跡だって起こせる。俺達もフィリップス提督と奇跡を起こせるように取り組んでいきたいもんだな」

 

 ベッカー中佐の言葉に情報参謀達は顔を紅潮させている。地道な情報活動が奇跡を起こすというのは、地味な情報屋にとってはグッとくるフレーズだろう。一緒に奇跡を起こそうと言われた俺も心が熱くなる。彼に情報を任せて良かったと思う。

 

「なるほど、一つ目の理由は完全に理解出来ました。二つ目の理由もお聞かせ願えませんか」

 

 みんなの興奮がやや引いてきたタイミングで、メッサースミス大尉がまた質問をする。空気を読めるのも彼の長所である。あのドワイト・グリーンヒル大将の推薦だけあって、コミュニケーション能力が抜群に高い。

 

「二つ目は結束力の問題。こちらの方がより致命的かもしれん。帝国軍というのは、相互の信頼関係が薄い軍隊なんだ。貴族と平民はもちろん、貴族でも門閥貴族と下級貴族、平民でもブルジョワと貧困層では価値観がまったく違う。平民将校はブルジョワ、下士官兵は貧困層が多いから、平民同士でも話が通じない。門閥貴族の将校はブルジョワの将校を成り上がりと嫌う。ブルジョワの将校は門閥貴族の将校を家柄だけの無能と嫌う。その対立に下級貴族も加わる。上下左右、みんな話が通じない」

「帝国で過ごしたことがないから、いまいちピンとこないのだが、そんなにも階級同士の断絶は酷いのか?」

 

 これは人事部長セルゲイ・ニコルスキー中佐の質問。人事管理を担当する彼にとって、帝国軍の将兵の信頼関係というのは興味深いテーマだろう。

 

「食べ物、衣服、教育、金銭感覚など、あげればきりはないが全部違うのさ。共通点が無さすぎて、コミュニケーションのとっかかりが掴めない。そんな連中を、司令官が皇帝の権威を振りかざしてようやくまとめているのが帝国軍という軍隊だ。だから、司令官一人抑えられただけで五〇万人が浮足立ってあっという間に降伏してしまう。仮に部隊をまとめられる指揮官がいても、強硬策には出られんだろうけどね。同盟軍を追い払っても、何かの間違いで門閥貴族のシュトックハウゼンを死なせてしまったら、どういう目に合うかはお察しくださいってとこさ」

「いろいろと考えさせられる話だな。我が軍でも人事がうまくいっていない部隊では、十分に起こり得ることだ。人事部も気を付けねば」

 

 俺は結構人事管理には気を使っているつもりだった。第一三六七駆逐隊ではうまくやれたと思う。しかし、一五〇〇人程度の駆逐隊と九万人近い戦隊では、管理すべき人員の数が格段に違っている。俺の目が届かない部分は、人事参謀に補ってもらわなければならない。

 

 俺が人事に出した方針は、「私的制裁、パワハラ、セクハラ、麻薬使用の根絶」「勤務成績優秀者表彰制度の充実」「将兵の借金問題の迅速な発見と解決」「各部隊の相談員の質の向上」「メンタルケア制度を安心して利用できる雰囲気作り」の五つだった。人事参謀に期待しているのは、俺の方針を実現するためのアイディアを出すこと、俺の方針を各部隊に周知して指導していくこと、俺の目や耳となって各部隊の人事業務状況を把握することだ。

 

 ニコルスキー中佐と人事部は良くやってくれていた。俺が方針を示すと、必要なマニュアル類をあっという間に作成してくれた。俺もマニュアル作りには自信があったが、プロの参謀がチームを組んで作ると完成度が全然違う。俺が持っていない発想もふんだんに盛り込まれている。方針の周知や指導もしっかりしている。人員が過剰な部署と不足している部署、各部隊に不足している人材を良く把握して、適切な配置が行えるよう努力してくれている。自分の目と耳と手足が何倍にも増えたようで心強い。

 

「作戦部としては、第十三艦隊の部隊運用に注目したいところです。編成して間もない部隊が四〇〇〇光年を二十四日という速度で移動。一隻の脱落者もなし。通常の行軍ではなくて、隠密行動です」

 

 作戦部長代理クリス・ニールセン少佐は第三十六戦隊の部隊運用を担当している。第十三艦隊の部隊運用に注目するのは当然だろう。参謀長のチュン大佐は作戦全般の指導、ニールセン少佐と作戦部には部隊単位の訓練、作戦計画を担当している。俺とチュン大佐の方針を実現するために必要な戦力と作戦案を準備するのが彼らだ。作戦はチームで作り上げるものなのである。

 

「副司令官フィッシャー准将の仕事だね。第一三艦隊の部隊運用は、彼が実質上取り仕切っている」

「参謀ではなくて、副司令官がですか?」

 

 作戦参謀ではなくて、副司令官が部隊運用を担当している。そのチュン大佐の言葉に、ニールセン少佐は少々驚いているようだ。

 

「ヤン提督は部隊指揮の経験をほとんど持っていない。だから、作戦指導に専念して、運用はベテランのフィッシャー准将とそのスタッフに任せているんだろうね。見方によっては、フィッシャー准将が事実上の指揮官といえるかもしれない」

「珍しいスタイルですね…」

「帝国ではそういうスタイルもあるらしいよ。司令官はお飾りの門閥貴族、副司令官にはベテランを選んで、副司令官を事実上の司令官にすることがあるそうだ」

 

 チュン大佐がそう言うと、ベッカー中佐がうなずく。

 

「しかし、それでは指揮官が二人いるようなものです。指揮系統が混乱しませんか?」

「メンバーを聞いた時には、私もそれを懸念したよ。若いエリートの司令官と叩き上げの副司令官って、衝突してもおかしくないからね」

 

 二人の会話にギョッとなってしまう。俺の副司令官ゲンナジー・ポターニン大佐は四三年の戦歴を誇るベテランだ。衝突はしていないが、親密とも言いがたい。二等兵あがりの俺が八年で将官になっているのに、同じ二等兵あがりの彼は六〇過ぎでようやく大佐。お互いに意識せずにはいられない。

 

「小官もそう思います」

「今のところはうまくいっているみたいだよ。ヤン提督は人の仕事にあまり口出ししない。フィッシャー准将は自己主張が少ない。だから、衝突せずに済んでるんだろう。人事の妙だね」

「これだけの運用を成し遂げているということは、小官が心配するようなことにはなっていないのでしょう。愚問でした」

「統合作戦本部の戦闘分析を早く見たいね。ニールセン少佐らには、得るものが多いだろうから」

「まったくです」

 

 ニールセン少佐はアンドリューの推薦だけあって、とても純朴な性格だ。ロボス元帥の下で用兵の基本を習得しているし、年齢もまだまだ若い。作戦部長代理の地位でリーダー経験を積んで、成長していって欲しい。

 

「後方部にとっては、つまらない戦いかなあ。物と金があまり動かないから」

 

 腕を組んでそう言うのは、後方部長のリリー・レトガー中佐。四〇近い彼女はさほどやり手というわけではないが、協調性に富んでいる。ドーソン中将の子飼いの一人で、他人に弱みを見せたがらないボスの代わりに頭を下げる役割を担ってきた。シトレ派やロボス派とも話ができる人物だ。各部署の調整にあたることが多い後方業務には、うってつけの人材である。ドーソン中将が第一一艦隊司令官を更迭された時に、後方勤務本部入りの話を断って、格下の戦隊司令部に来てくれた。

 

「レトガー中佐が面白がるような戦いがしょっちゅう起きてたら、国防予算が大変だよ」

「言われてみれば、そうですねえ」

 

 冷めたカフェオーレを飲み終えたチュン大佐が間延びした声でそう言うと、レトガー中佐も緊張感の無さを競っているかのようなのんびりした口調で応じる。

 

「参謀長の意見はどうだい?」

 

 ずっと黙っていた俺は四部門の意見が出揃ったのを見計らって、参謀長のチュン大佐に総括を頼む。最後に全体を統括する彼の視点からの意見を聞くのだ。

 

「戦術的には見るべきもののない戦いですが、運用面では参考になります。幕僚チームの人選と運営、第四艦隊と第六艦隊の残存人員を手早くまとめ上げた人事管理、イゼルローン要塞の隙を見ぬいた情報活動、迅速で隠密性の高い艦隊運用。ヤン提督の魔法は、閣下と我々が今やっているのと同じ実務の積み重ね上に成し遂げられたのです」

 

 その言葉に安心させられた。ヤン・ウェンリーが奇略をもってイゼルローンを陥落させてから、俺と彼を比較する意見をあちこちで見かけるようになった。「フィリップスはヤンのような奇策を使えないからダメだ」「そもそも、あいつは対帝国戦で戦功が無い。ひいきで出世しただけ」「ヤンに勝てるのは顔ぐらい」という否定的な意見もあれば、「フィリップスもヤンには負けていられないはずだ。どんなマジックを繰り出してくるか楽しみだ」などと贔屓の引き倒しみたいな意見も見られる。

 

 自分がヤンと比較されるなどおこがましいと思っている。ヤンに及ばないと言われても、当たり前のことだから、気分が悪くなったりはしない。しかし、俺の悪口を言うために、わざわざヤンを引き合いに出してくる人間が多いのには閉口した。トリューニヒト派が勢力を拡大するにつれて、反発も大きくなってきた。トリューニヒト派で一番目立っている俺に対する風当たりも強い。特に将官昇進は激しい反発を生んでいる。早く実績をあげなければいけないと、少し焦っていた。チュン大佐の言葉で心が軽くなった。

 

 俺の隣で黙々と会議の議事録を作っている副官のシェリル・コレット大尉は、鈍そうな外見とは裏腹に仕事はとても早い。エル・ファシル解放運動と戦った際に感じた不満もチュン大佐の言うとおり、俺の勘違いだったようだ。オフィスでの仕事では詳細なメモを作ってくれる。やや仕事が荒いが、副官になったばかりで完璧というわけにもいかないだろう。不満があるとすれば、妹に似た容姿と愛想の無さぐらいである。

 

 通信部、経理部、衛生部、法務部などの専門スタッフ部門の人間は今の会議には出席していないが、彼らの仕事ぶりにも満足していた。特に衛生部長アルタ・リンドヴァル軍医少佐は、医学的な見地からメンタルケアの指導に取り組んでいる。彼女は俺が第一三六七駆逐隊司令だった時に、部隊のメンタルケア対策に協力してくれた精神科医だった。

 

 俺のチームは順調に動き出している。先日、初の合同訓練も終えた。一個戦艦群、二個巡航群、三個駆逐群、一個揚陸群といった大部隊が俺の指揮でまともに動くかどうか不安だったけど、まずまずの動きを見せてくれた。この部隊の最大の弱点は俺の指揮能力だ。チュン大佐が作ってくれた計画に基づき、一年かけて大部隊の指揮運用に慣れていこうと思う。



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第七十二話:彼女と一緒に過去と現在と未来を見詰めて 宇宙暦796年7月上旬 惑星ハイネセン、エリヤ・フィリップス宅

 むっとするような暑さで目が覚めた。体は汗でべたついている。寝ぼけまなこで窓の方に目をやると、カーテン越しからもはっきりとわかる強い日差しが部屋の中を照らしていた。ハイネセンの夏は蒸し風呂のような暑さだ。朝でさえこんなに蒸し暑いのだから、時間がたてばもっと酷くなるだろう。何年この街で過ごしても、この暑さだけは苦手だ。

 

 隣ではダーシャ・ブレツェリが俺に背を向けて寝ている。喧嘩したとかそういうわけではなく、寝返りを打っただけだ。彼女は寝相が悪い。俺の上に乗っかってなかっただけでも良しとしなければならない。

 

「それにしてもおなかが空いたなあ」

 

 冷蔵庫の中に入っている食べ物を思い浮かべてみる。冷凍食品やレトルト食品の買い置きは無い。お菓子も切らしている。ダーシャが昨日買ってきた特売のキャベツと豚肉しかない。俺は料理を作れない。ならば、答えは一つだ。

 

「ダーシャ、おはよう」

 

 声をかけるけど、反応は返ってこない。

 

「ねえ、起きてよ。朝ごはん作って」

 

 今度は彼女の右肩に手を掛けて体を軽く揺すってみたが、それでも反応はない。

 

「まいったな、あの手を使うか」

 

 肩から離した手をダーシャのうなじにぴったり当てて、そこから背骨に沿ってすーっと背中を撫で下ろしていく。手のひらを通して伝わってくるなめらかな感触が心地良い。尾骨に差し掛かったあたりで体がびくっと動いた。彼女は背中が弱いのだ。

 

「起きた?」

 

 返事はないが、脈はある。もう一度うなじに手を当てて背中を撫で下ろした。ダーシャの体がぶるぶると震える。

 

「そういうのやめてよね」

 

 思いきり不機嫌そうな声が聴こえる。作戦成功だ。ダーシャは目を覚ました。

 

「おなかすいたんだ。朝ごはん作ってよ」

「やだ」

「なんでさ」

「太りたくないから」

 

 本当の理由はわかっている。単に起きたくないだけだ。ダーシャは朝が物凄く弱い。本人はそれを恥ずかしがってるらしく、なかなか認めようとせずに、今のような言い訳を繰り返す。

 

「全然太ってないじゃん」

 

 そう言うと、俺は自分の体をダーシャの背中にぴったりくっつけた。そして、右手を彼女の腹に当ててへそ周りを軽く撫でる。引き締まっていて、まったく肉が付いていない。どこが太っているというのか。寝言もたいがいにして欲しい。

 

「これから太るかもしれない」

 

 ああ言えばこう言うとは、まさに今のダーシャだ。空腹というのは人間から自制心を奪う。だから、軍隊は補給を絶やしてはならないのだ。後方畑なのにそんな大事なことも忘れてしまったのか。

 

「変な言い訳しないの」

 

 むっと来た俺はダーシャのへそ周りに当てた手を下腹部に移動して撫で回した。腹がこんなにまっ平らだったら、太る心配なんかいらないだろう。起きたくないというのはわかるが、もう少しマシな言い訳を思いついてほしいものだ。

 

「ああ、もう。わかったよ、わかったよ。作ればいいんでしょ」

 

 物凄く嫌そうにダーシャは言った。俺を空腹にさせるということが、どういう意味を持つのか。それをわかってくれたらいいんだ。これで朝食にありつけると思うと、うれしくてたまらない。

 

 二〇分後、俺とダーシャはキッチンで一緒に食事を取っていた。テーブルの上にはダーシャが作った豚肉とキャベツの炒め物に、俺がいれたアイスコーヒー。ダーシャはいつもココアを飲んでいるが、今日はたまたま切らしていた。

 

「せっかく作ったんだから、もっと味わって食べてよね」

「いや、だって。おいしいもん」

 

 俺の食生活は質より量だ。できればいい物を食べたいが、お腹いっぱい食べたいという気持ちがそれに勝る。もともと雑な味覚に軍隊仕込みの食習慣が加わって、とにかく食べられたら何でもいい人になってしまっていた。それに加えて、今は空腹という最高の調味料がある。ダーシャが目の前にいる。何を食べたっておいしいに決まっている。

 

「しょうがないなあ、もう」

 

 ダーシャは苦笑しながら細い肩をすくめて、立体テレビに目をやった。今は朝のニュースが流れている。最近は気が滅入る事件ばかりだったが、俺やダーシャぐらいの立場になれば、世情と無縁ではいられない。ニュースを見て、何が起きているかを把握しておく必要はあった。

 

「国防委員長ファンクラブの白頭巾がまたやらかしたんだって」

 

 ダーシャの声には、あからさまな不快感が漂っていた。同盟議会テルヌーゼン区補選で起きた選挙妨害事件のニュースが流れている。反戦市民連合のジェシカ・エドワーズ候補の公開演説会に、極右過激派の憂国騎士団が殴り込み、重傷者三人を含む二二人が負傷したという。国防委員長ファンクラブの白頭巾とダーシャが揶揄する通り、国防委員長ヨブ・トリューニヒトと憂国騎士団の関係は公然の秘密とされていた。

 

「これだけ暴れても、逮捕者無しだって。警察が主戦派に味方してるんだよ。エドワーズさんが当選するのが怖いんだね」

 

 テルヌーゼン区の補選には、トリューニヒト派の元警察官僚が立候補していた。それに対し、反戦派最左翼の反戦市民連合はジェシカ・エドワーズを擁立している。

 

 輝くような美貌、火を吹くような弁舌を持つエドワーズは、四月のアスターテ会戦で戦死したラップ少佐の婚約者である。戦没者慰霊祭でヨブ・トリューニヒトを糾弾したことから、イゼルローン攻略で高揚する主戦論に歯止めをかける存在として、反戦派に期待されていた。

 

 一方、ヨブ・トリューニヒトはテルヌーゼン補選を自派の力だけで戦い抜いて、来年の総選挙に向けて弾みを付けたいと考えている。反戦市民連合、トリューニヒト派のいずれにとっても、負けられない選挙であった。

 

 ルールの中で正しく戦え、そうやって得た信頼が力になる。トリューニヒトはお好み焼き屋「ヨッチャン」でそう語った。ドーソン中将とともにサイオキシン麻薬組織を帝国憲兵隊との合同捜査によって壊滅させようとした人が、暴力集団の憂国騎士団を使っていることに、割り切れないものを感じてしまう。トリューニヒトのような良い人でも、政治に手を出したら、手を汚さざるを得ないのだろうか。

 

 そう考えると、クリスチアン大佐の言うとおり、政治に近づかないのが正しいようにも思える。

 

 俺の周囲には、憂国騎士団に同情的な人が多い。憂国騎士団の行動部隊には、緊縮財政と組織の合理化によって職を失った退役軍人や元警察官が大勢在籍している。白頭巾で暴れ回る行動部隊の中に、明日の自分や同僚を見ているというわけだ。前の人生で極右組織にさんざん迫害された思い出がある俺は、憂国騎士団をあまり好きになれなかったが、エル・ファシルで見た地方部隊の惨状を思うと、同情的とはいえなくても嫌いになるのは難しい。憂国騎士団に何のためらいもなく厳しい評価を下せる軍人は、ダーシャやチュン大佐のような反戦派寄りの人ぐらいだろう。

 

「エドワーズさんには頑張ってほしいなあ。士官学校時代はあんまいい思い出がなかった人だったけど」

 

 ダーシャは士官学校で風紀委員を務めていた関係上、ヤン・ウェンリーを取り巻く人脈とは仲が良くない。ジェシカ・エドワーズとは、戦史研究科廃止反対運動をめぐって、いろいろあったのだそうだ。しかし、リベラルなダーシャは個人的な確執より、反戦派のイデオロギーを優先するつもりらしい。

 

「そうかな。政治家にならない方が幸せな気がするよ」

 

 俺はジェシカ・エドワーズが前の歴史でたどった運命を知っている。テルヌーゼン区補選で勝利して代議員になった彼女は、帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」が無残な失敗に終わり、厭戦気分が漂う中で急進反戦派の指導者として台頭した。七九七年総選挙では、反戦市民連合が第三党に躍進する立役者となっている。過激主戦派のマルタン・ラロシュが失墜し、穏健反戦派のジョアン・レベロ率いる進歩党が大きく議席を減らした後は、ヨブ・トリューニヒトに唯一対抗できる指導者と言われたが、クーデターを起こした救国軍事会議によって殺害された。

 

 今の歴史が前の歴史と同じ展開をたどるとは思えないが、最近はそうとしか思えないような事件が続いている。不安を感じずにはいられない。

 

「幸せってなに?エリヤが決めること?」

 

 ダーシャの言葉に微妙なとげを感じた。いい加減なことを言うわけにはいかない。真面目に答えなければ。

 

「争わずに穏やかに生きること。おなかいっぱい食べること。たっぷり眠れること。仕事に困らないこと。誰にも馬鹿にされないこと。体をこわさないこと。そして…」

 

 ダーシャの前でこれを言うのは、とてもこっ恥ずかしい。しかし、真面目に答えると決めたからには言わざるを得ない。

 

「好きな人と一緒にいること、かな」

「やだなあ、なに赤くなってんのよ。ほんと、可愛いなあ」

 

 大きな目を輝かせて笑っている彼女は、俺が今の言葉に込めた気持ちに気づいているのだろうか。いや、気づかれたら困るな。恥ずかしくなって、顔を合わせられなくなる。

 

「いや、まあ、それはともかくさ。自分の人生を楽しんだらいいんじゃないかって、俺は思うんだ。他人の運命まで背負っていく生き方って大変そうだよ」

「世の中には二つの考え方があるの」

 

 いきなりダーシャが真顔になった。俺の体を緊張が走り、無意識に背筋がぴんと伸びる。

 

「一つは好きな人が殺されたら、憎しみが晴れるまで戦おうという考え方。もう一つは好きな人が殺されたら、誰も失いたくないと思って戦いをやめようという考え方。どっちが正しいかなんて、私が決めることじゃないけど。でも、私は誰も失いたくないと思うよ」

 

 ダーシャの言葉に考えこんでしまう。俺が好きな人はみんな軍人だ。好きな人が誰かに殺された経験が無かったのは、単なる幸運に過ぎない。好きな人が殺された時、俺は何を望むのだろうか。

 

「俺にはわからないや。経験が無い。経験もしたくないよ」

「想像できない?」

「想像したくないと言ったほうが正解かな。好きな人が誰かに殺されていなくなるなんて、考えるだけで恐ろしくなっちゃう」

 

 アンドリュー、クリスチアン大佐、イレーシュ大佐、そして目の前のダーシャ。この中の誰か一人でも殺されてしまったら、俺はどうなってしまうんだろう。前の人生の俺は、誰にも好かれず、誰も好きになることがなかった。俺の目の前で死んでいった人はたくさんいたけれど、辛いと感じたことはほとんどなかった。いや、花言葉の…。あれは関係ない。今となっては、どうでもいい話だ。

 

「そうだよね。たぶん、エドワーズさんもそう思ってた。でも、その恐怖に向き合うしか無かったんだよ。向き合って、もう誰も失いたくないと思った。だから、戦争を止めるために立ち上がったんじゃないかって」

「誰も失いたくないって気持ちはわかるよ」

 

 ダーシャの言葉を聞いて、初めて反戦論を唱える人達に共感を覚えたような気がする。彼らの主張がそれなりに理屈の通ったものであることは、これまでの経験でわかっていた。戦時体制下で莫大な軍事費が経済を疲弊させていることを思えば、反戦論にも一定の理屈がある。しかし、誰かが死ぬから戦争をやめようという主張には感情を動かされなかった。

 

 平和な時代だって、人間は病気や事故であっさり死ぬ。ラインハルトが銀河を統一した後の時代を生きた俺は、平和の中の貧困が人を殺した例を嫌というほど知っている。しかし、好きな人をこれ以上失いたくないというのなら共感できる。

 

「主戦派も反戦派も理屈じゃないんだよ。もちろん、理屈は大事だけど。でも、根っこは感情。理屈だけで主戦論や反戦論を言う人は信用出来ないな」

「俺なんて感情しかないや」

 

 理屈にも偏らず、感情にも偏らず、バランスの取れたダーシャと比べると、俺は自分の感情ばっかりだ。だから、ヨブ・トリューニヒトを支持している。前の人生の記憶や今の人生の経験から生まれる感情を彼の言葉は揺り動かしてくれる。でも、ダーシャはそんな俺を面白く思ってないんだろうな。トリューニヒトのことも嫌ってるから。

 

「だから、好きなんだよ」

「そうなの?」

「トリューニヒトは胡散臭くて好きになれないけどさ。でも、トリューニヒトを好きなエリヤは好きだよ」

「どういうこと?」

「イデオロギーや政治的立場に関係なく、好きという感情を優先できるところが好きってこと。トリューニヒトと私をどっちも好きでいられるって、エリヤは気づいてないかもしれないけど、凄いことだよ」

「それ、普通じゃないの?」

「でもないよ。友達同士が政治の話で喧嘩別れするなんて、そんな珍しくもないじゃん。あと、自分が好きな人の悪口を言われて、喧嘩になるとか」

 

 言われてみると、俺はダーシャと政治のことで喧嘩したことはない。政治的にはリベラルなダーシャと主戦派寄りの俺では全然考えが違う。俺はトリューニヒトのことが大好きだが、ダーシャは嫌っている。正反対なのにまったく喧嘩していない。

 

「政治なんかでダーシャと喧嘩したくないよ。もちろん、トリューニヒトともね。みんなと仲良くしたいよ」

「私がエリヤのことを可愛いっていうのもね。そういうとこだよ」

 

 にっこりと笑うダーシャの笑顔にドキッとした。こういう関係になっても、好意をまっすぐにぶつけられると、恥ずかしくなってしまう。

 

「可愛いって言われる提督って何なんだろうね」

「可愛いから提督になれたんじゃないの?」

「そういう冗談、やめてくれないかな」

「いや、わりと本気だけど」

 

 弱りきってる俺に、ダーシャはどんどん切り込んでいく。

 

「エリヤは上にも下にも可愛がられるタイプだからね」

「ちょっと傷つくなあ、それ」

 

 その評価は今の俺には、ちょっとどころではなく突き刺さる。あちこちでヤンと比較されたあげく、「大した功績もないのに、トリューニヒトに可愛がられたおかげで提督になれた」という評価が定着しつつあるのだ。俺は用兵の才能もスタッフワークもヤンには遠く及ばない。実務能力もおそらくはヤンの方がずっと高い。

 

 アスターテ星域の会戦で負傷した司令官に代わって、第二艦隊の指揮権を引き継いだヤンは、密かに用意していた作戦案をコンピュータに打ち込んでいたという。その場しのぎのとっさの策は一人でも思いつけるが、艦隊運用の詳細も含めた作戦案というのは、普通は数人の作戦参謀がチームを組んで作るものだ。しかし、ヤンは他の参謀の協力を得ずに一人で必要な分析や計算を行って、戦術コンピュータの回路を開いた第二艦隊麾下の部隊がすぐ行動に移れるほどに、きっちりした作戦命令の体裁まで整えてしまった。

 

 聞くところによると、第六次イゼルローン攻防戦でラインハルトの分艦隊を追い詰めた作戦案も全部一人で作ったそうだ。膨大なデータを分析して、一万隻の配置図まで自分で作成した。数人の優秀な参謀がチームを組んで行う仕事を、ヤンは一人でやってのけてしまう。実務の天才としか言いようがない。エル・ファシル脱出作戦の時もそうだったが、ヤンはやろうと思えば何でも一人でできてしまう。提督として俺が勝てる部分なんて一つもない。

 

「そう?ダンビエール少将の受け売りだけど」

 

 最悪じゃねえか。ダンビエール少将って言えば、第三次ティアマト会戦で俺が面子を潰してしまった人だぞ。本人は気づいてないだろうけど、第一一艦隊参謀長から転出したのは俺の差し金だ。俺を恨んでも許される人物のベストファイブに間違いなく入る。今は第一〇艦隊の第二分艦隊司令官を務めていた。ダーシャはその副参謀長である。

 

「あの人、俺のこと嫌ってるでしょ」

「そんな感じ、全然なかったけど?」

 

 嘘だ、絶対に嘘だ。俺がドーソン中将の自尊心をくすぐる言葉を吐いた時、ダンビエール少将がどんな顔をしていたか良く覚えている。彼は自分に取り入ろうとする部下には、例外なく最低の勤務評価を付けると噂されるほどの硬骨漢だ。あの時の俺の行為を許すはずもない。

 

「いや、だって。二年前のティアマトでいろいろあったからさ」

「参謀としては認められんが、終わってみれば必要な措置だったと思うって言ってたよ」

 

 俺がドーソン中将に何を吹き込んだか、ダンビエール少将はダーシャに教えてたのか。最高にかっこ悪いから、あまり人には知られたくなかった。特にダーシャには。

 

「参謀人事も評価してたね。トリューニヒト派に嫌われてるチュン大佐を参謀長にして、他の参謀も派閥色が薄い人で固めたのは偉いって」

「派閥意識が強い人って、刺々しい感じがして苦手なんだよ。だから、トリューニヒト派もあまり入れなかった」

「誰だって最初から地位にふさわしい実力があったわけじゃない。みんな、地位を得てからそれにふさわしくなるように努力していった。若くして出世したのは幸いだ。力をつける時間がたっぷりあるということだ。焦らずに頑張ればいいんじゃないか。力はいずれついてくる」

 

 励まされる言葉だ。そういえば、アンドリューもロボス元帥の司令部に入った頃は、仕事についていけずに悩んでいたものだ。それが今では腹心中の腹心だ。ロボス元帥の抜擢を受けてから、自分がそれにふさわしい存在になれるよう成長していったのだ。

 

「ありがとう、ダーシャ」

「これもダンビエール少将の受け売りだけどね。私にはこんなかっこいいことは言えないよ」

 

 あれだけ酷い目にあわせたのに、ダンビエール少将は俺のことを嫌ってないのか。嬉しいけど、なんか居心地が悪いな。何ていうか、一方的に借りを作ってしまったみたいな。

 

「ダンビエール少将っていい人なんだなあ。なんか、申し訳なくなっちゃうよ」

「士官学校時代の教官だったんだけど、本当に公正な人だったよ。ドーソン提督とは大違いでさ」

「ああ、あの二人、同じ時期に教官やってたんだ」

「どっちも規則にうるさいけど、仲は良くなかったね」

「そうだろうね」

 

 ドーソン中将は規則を守ること自体に意義を見出すタイプだが、ダンビエール少将は規則の裏側にある理念を守ることに意義を見出すタイプだ。うまくいくわけがない。

 

「エル・ファシルで逃げたリンチ少将の娘さんの受験を認めるか認めないかで、教官の意見が割れた時も対立してたよ」

「ああ、どっちがどういう主張してたか、だいたい想像付いた。たぶん、ドーソン中将は体裁があるから認めるなって言ったんでしょ」

「うん、まあね。当時はエル・ファシルで逃げた人らへのバッシング激しかったからさ」

 

 当時、英雄と持ち上げられることが怖くてたまらなかった俺は、新聞もネットもテレビも遮断した生活を送っていた。だから、どんなバッシングがあったのかは良く知らない。知ってたら、かなり気分悪かったはずだ。

 

「士官学校でも受験生の誰がリンチ少将の娘なのかって噂で持ちきりでね。何人かの名前が流れてて、みんなで推理してた」

 

 ダーシャの士官学校最終年度は、リンチ提督がエル・ファシルから逃亡した年に重なっている。そして、母方の姓に変わったシェリル・コレットが士官学校を受験した年にも。

 

「そうそう、エリヤの副官やってるコレット大尉の名前もあがってたよ。私は違う人だと思ってたけど。今思えば、あの時の私は最低だったよ。コレット大尉みたいな子が叩かれるとことか想像したら、ぞっとする。過熱する前にシトレ校長が禁止してくれて良かった」

「彼女のこと知ってるの?」

「受験の時に案内係やったからね」

「どんな子だった?」

「見かけによらず、凄い方向音痴でね。受験する教室があるB棟と正反対の方向のF棟に迷い込んでたの」

 

 見かけによらずというか、見かけ通りのような気もするが、その迷子っぷりはさすがに酷い。いや、見かけ通りなんて言ってはいけないな。鈍そうなのは見かけだけで、仕事はテキパキしている。見かけによらず、で正しい。

 

「想像付かないなあ」

「キリッとした子だもんね」

「えっ?」

「背高いでしょ」

「まあ、高いよね」

「ダンスやってるだけあって、姿勢がすっごくいいのよね。それであの顔だから」

 

 ダンスやってた?姿勢がすごくいい?キリっとした顔?今とは全然別人じゃねえか。俺の副官になってからは、忙しく動きまわってるせいか、妹のアルマを彷彿させる病的な太り方ではなくなっている。不快感はほとんど感じなくなったが、それでもキリッとした感じとは程遠い。人と目を合わせようとしないのは相変わらずだ。一体何があって、今のようになったんだろうか。

 

「いろいろ苦労したのかな」

「ああいう子には、あまり苦労してほしくないなあ。ほら、エリヤみたいに苦労が似合う子はいいけど、コレット大尉は涼しい顔して乗り切る感じだから」

 

 そこまで言われるなんて、士官学校入る前のコレット大尉はどれだけかっこ良かったんだろうか。そんな彼女が今のようになってしまった理由はあまり考えたくない。

 

「そうだね、苦労は良くない」

 

 前の人生でエル・ファシルの逃亡者として迫害されていた時のことを思い出しながら、噛みしめるように言う。ダーシャもうなずいたところで、インターホンが鳴った。ディスプレイには宅配便の制服を着た男性が映っていた。

 

「すいません、ちょっと待っててください」

 

 そう返事すると、慌ててハーフパンツを履き、Tシャツを着て玄関に向かった。そして、サインをして荷物を受け取ると、部屋の奥に戻った。

 

「何の荷物?」

「ダーシャが楽しみにしてたやつだよ」

 

 俺は包みを開けて、中に入っていた本を取り出してダーシャに見せた。表紙には「憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧」と書かれている。熟練労働者不足問題を扱ったパトリック・アッテンボローの「老人が端末を操り、少年が荷物を運んだ時、青壮年はどこにいたのか」と今年上半期の反戦ジャーナリズム大賞を争ったヨアキム・ベーンの力作だ。

 

「ありがと」

「俺の部屋なのに、君が出るわけにはいかないしね」

「早く同じ官舎に住みたいね。一戸建てがいいなあ」

「ま、それは君のご両親に会ってから。近いうちにハイネセンに戻ってくるんでしょ?」

「うん。お兄ちゃん達も休暇取って、こっちに来るって」

「どんな人達なんだろう。楽しみだなあ」

 

 ダーシャと知り合ったのは、三年前の初夏だった。あの頃の俺はヴァンフリート四=二基地の戦いで負傷して、ハイネセン第二国防病院に入院していた。俺もダーシャも少佐だったのに、今の俺は准将、ダーシャは大佐。権限と責任は飛躍的に大きくなっている。そして、俺達の関係も一歩先に踏み出すべき時だった。

 

「私もエリヤの家族に会うの、とても楽しみ」

「あ、いや、そっか。そうだよね」

 

 ダーシャの前では家族の話はぼかしているけど、そろそろ向き合わなければいけないのだろうか。前の人生で起きたことを思うと、とても気が重い。前の人生の記憶はどこまでも付きまとう。

 

「エリヤは家族の話、全然しないからさ。気になって気になって」

 

 気にしないでくれという俺の願いが通じたのか、寝室に置いてあるダーシャの携帯端末が鳴り出した。ダーシャが走って行くのを見て、胸を撫で下ろす。

 

「ごめんね、バイバイ」

 

 寝室から申し訳無さのかけらもないような声が聞こえてきた。大した用じゃなかったんだろうか。まるで俺を追及から逃がすためだけにかかってきたようだ。通信を入れた主に感謝しなければならない。そんなことを思っていると、ダーシャは憤然とした表情で戻ってきた。

 

「どうしたの?なんかあった?」

「例の話。成り行きで属してるだけなのに、冗談じゃないよ。いっそ、ロボス派やめちゃおうかな」

 

 最近、ロボス派の若手高級士官グループがハイネセンで盛んに動き回っていた。現在、シトレ派、ロボス派、トリューニヒト派の三派が要塞司令官職を巡って争っていた。イゼルローン要塞を手中に収めた派閥は、対帝国戦の主導権を握ることができる。失脚寸前のロボス元帥は自ら要塞司令官を兼ねて、遠からずやってくる帝国のイゼルローン奪回軍を迎え撃って、評価を取り戻そうとしているともっぱらの噂だった。ダーシャとしては、そんな工作の協力なんか御免こうむるということなのだろう。

 

 俺が第三六戦隊司令官になって、まだ二か月程度しか経っていない。だいぶ形になってきたとはいっても、俺が用兵に慣れるのはまだまだ先だろう。

 

 俺の所属している第一二艦隊は、去年のエルゴン星域会戦で大打撃を受けて再編の途上にある。最近になってようやく定数を回復したばかりだった。ダーシャの所属している第十艦隊もやはりエルゴン星域会戦で打撃を受けて再編中である。次に出兵があるとしたら、しばらく戦っていない第三、第七、第八艦隊あたりが動員される可能性が高い。個人的には平和な時がしばらく続きそうだった。



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第七十三話:心が霧の中にいる 宇宙暦796年7月下旬 惑星ハイネセン、第三十六戦隊司令部~統合作戦本部

 戦隊に所属している艦艇は六〇〇~七〇〇隻、将兵は七万~一〇万人。戦隊司令官が動かせる人員と予算の規模は人口一〇〇万を超える大都市の行政機構、あるいは中規模の惑星警察に匹敵する。地上八階、地下三階の戦隊司令部ビルの写真をそれと知らずに写真を見せられた者は、どこかの市役所と思うに違いない。快適な温度に保たれた司令官執務室でクッションのきいたソファーに腰掛けて、窓から入ってくる陽光を感じながら仕事をしていると、一国一城の主のような気分になってくる。

 

「そろそろお時間です」

「ありがとう」

 

 副官のシェリル・コレット大尉の言葉で、自分が宮仕えの身に過ぎないことを思い出す。これから、統合作戦本部に出頭しなければならないのだ。戦隊司令部では主人だが、軍組織全体で見れば統合作戦本部の幹部に呼びつけられる存在にすぎない。人に頭を下げることに慣れてきた俺にとって、その事実はさほど不愉快ではない。

 

 一〇分後。コレット大尉を従えて庁舎を出た俺は正面に停まっている公用車に乗り込んだ。国産の高級乗用地上車である。佐官だった頃の公用車は大衆向けの安価な車だった。将官と佐官では車一つをとっても、待遇が全然違うのだ。隣に座っている副官のコレット大尉は俺より五歳若い二三歳だが、専属ドライバーのジャン・ユー曹長は二三歳年長の五一歳。士官になった当初は、年長者の下士官に遠慮を感じたものだ。しかし、いつの間にか命令することに慣れてしまっていた。ダーシャづてに聞いたダンビエール少将の言葉通り、人間は地位を得てからそれにふさわしい存在になっていくものなのだろう。

 

「新聞くれる?」

 

 コレット大尉は俺の求めに応じて、クオリティーペーパー三紙とタブロイド三紙を手渡す。

 

 クオリティーペーパーは政治や経済を深く掘り下げる記事が多い。発行部数は少ないが、エリート層が好んで購読しているため、社会的影響力は大きい。

 

 タブロイド紙はゴシップ記事が多く、政治経済の問題も興味本位で煽り立てる”下品”な新聞だ。社会問題もゴシップネタの一つとして消費するような層が購読しているため、発行部数が多いわりに社会的影響力は乏しいが、政治家の知名度はタブロイド紙とバラエティ番組に登場した回数に比例すると言われているため、無視できない存在だ。

 

 どの新聞の見出しもテルヌーゼン区補選のジェシカ・エドワーズ勝利を一面トップに持ってきている。次期最高評議会議長の有力候補と言われる国防委員長ヨブ・トリューニヒトの全面的な後押しを受けた元警察官僚と、反戦派の期待の星ジェシカ・エドワーズが対決するテルヌーゼン補選は、政界再編の試金石と言われていた。憂国騎士団の集会乱入事件で世論の同情を集めたエドワーズは、組織力に優る対立候補に大差を付けて国政進出を果たした。このニュースを各紙がどう報じているか、興味深いところである。

 

 まず、クオリティーペーパーから目を通す。

 

 改革市民同盟に近い穏健主戦派の「リパブリック・ポスト」は、急進反戦派の反戦市民連合に属するエドワーズの当選に懸念を示しつつも批判するには至っていない。改革市民同盟の支持者には、党内反主流派のトリューニヒトの敗北を喜ぶ者も少なくなかった。だから、奥歯に物が挟まったような論調になるのだろう。

 

 進歩党に近い穏健反戦派の「ハイネセン・ジャーナル」は、エドワーズの当選を歓迎し、進歩党と反戦市民連合の連携に期待を寄せる。

 

 反体制色が強い「ソサエティ・タイムズ」は、改革市民同盟と進歩党の二大政党体制打破をエドワーズのカリスマ性に期待していた。

 

 次に読むのはタブロイド。

 

 紙面には「ぶっ殺せ」「ぶん殴れ」といった物騒な言葉が踊り、統一正義党のマルタン・ラロシュの暴言を歓迎している「ウィークリー・スター」は、下品な言葉でエドワーズの人格を攻撃して、「こんな女が代議員になれば国が滅ぶ」と罵った。

 

 全宇宙で最も野次馬根性に忠実と言われ、冗談好きで陽気なヨブ・トリューニヒトを支持する「ザ・オブザーバー」は、エドワーズの発言を分析して、「人間が堅すぎる。トリューニヒトに弟子入りして、ユーモアを学ぶべきではないか」と評している。

 

 権威と名が付く物に噛み付かずにいられない「アタック・トゥー・ザ・フューチャー」は、「美しいエドワーズの口から紡ぎだされる正論は、ふんぞり返った代議員どもを叩きのめすだろう」と書いている。

 

「同じニュースを扱っていても、各紙ごとに論調がまったく違うんだよ。だから、複数の新聞を読み比べて、ひとつの事件を多角的に評価しなければならない。新聞の紙面には、購読者の願望が反映されている。あらゆる層の願望を理解することが社会を理解することなのだ」

 

 そう言って俺に複数の新聞を購読するように勧めたのは、ヨブ・トリューニヒトだった。彼は毎日十一紙の新聞に目を通し、主要な雑誌もすべて購読しているのだそうだ。ニュース番組も秘書に録画させて、寝る前に見ているという。

 

「俺が反戦派の新聞を読んで、あなたを間違ってると思うかもしれませんよ。それでもいいんですか?」

 

 そんな俺の問いに、トリューニヒトは笑って答えた。

 

「構わないよ。そうなったら、私の言葉に力が無かったということだ」

「反トリューニヒト派になって、あなたを批判するようになってもいいんですか?」

「それも構わないさ。主張を違えることがあっても友人は友人だ。考え方が違うぐらいでいちいち絶縁していたら、私はとっくの昔に離婚しているよ」

 

 片目をつぶって、おどけた表情になったトリューニヒトの言葉に笑ってしまった。トリューニヒト夫人のフィリスは、価値観も趣味もまったくの正反対な上に気性が激しい。お好み焼きとごはんを一緒に食べるかどうかひとつをとっても対立するのだそうだ。それでも仲がいいというのだから、人間関係は面白い。

 

 そんなトリューニヒトは先月末に、改革市民同盟の次期代表戦への出馬を正式に表明。そして、「共和国再建宣言」と題した政権構想を発表した。

 

 現職の国防委員長で軍部に支持者が多いトリューニヒトが最も力を入れてるのは安全保障だ。対帝国戦の継続と国防予算の増額を強く訴えるとともに、国民の団結を乱す「内なる敵」への備えが必要であると主張。治安を守る地方部隊の増強、対テロを専門とする情報機関の創設などを掲げている。外敵との戦いに注力しているシトレ派とロボス派に対するアンチテーゼを明確に示したといえる。

 

 治安政策は警察官僚出身のトリューニヒトにとっては、安全保障と並ぶ大きな柱である。犯罪検挙率の上昇には物量戦術こそ最も有効であるとして、警察官の定員増加、街頭に設置されている防犯カメラの充実、地域住民による防犯パトロールへの公費助成などを主張。また、麻薬犯罪撲滅作戦、性犯罪撲滅作戦、組織犯罪撲滅作戦の三大作戦によって、同盟社会を蝕む病巣を根本から断ち切るとしている。

 

 経済財政政策に関しては、緊縮財政から積極財政に転換して、大規模な公共投資による景気刺激を狙う。財源は国債発行額の増加で賄うが、景気対策が成功して五%の経済成長を数年間継続すれば、緊縮財政よりも早く財政赤字を圧縮できるとする。

 

 トリューニヒトは他にも様々な政策を用意している。退役軍人、亡命者、貧困層といった社会的弱者への支援強化。警察官の学校常駐、退役軍人の教官採用、行政当局による監督強化などを通じた教育現場の再建。人員削減で弱体化した行政機構を立て直すための公務員採用数増加。青少年栄誉賞の創設、奉仕活動義務化によるモラルの向上。

 

 国父アーレ・ハイネセンが唱えた「自由・自主・自律・自尊」のスローガンの影響、そして軍隊と官僚組織を使って全体主義社会を築き上げたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムへの忌避感から、同盟社会には行政の影響力拡大を好まない小さな政府志向が深く根付いている。大きな政府を目指すトリューニヒトの政権構想は、きわめて大胆なものといえよう。

 

 ライバルのジョアン・レベロも近日中に政権構想を発表する予定だ。正統的なハイネセン主義者にして小さな政府志向のレベロが、経済的自由主義と行政機構の合理化を柱とする構想を発表することは間違いない。国民の軍事負担増加、軍隊の影響力増大を回避する手段としての対帝国和平も盛り込まれるだろう。

 

 テルヌーゼン補選におけるトリューニヒトの敗北は、レベロが政権構想を発表する前に、補選を利用して自らの構想を有権者に印象付けようという戦略の失敗を意味していた。トリューニヒトは穏健主戦派の改革市民同盟では力を伸ばしてはいるものの未だ非主流派であり、過激主戦派の支持はマルタン・ラロシュに集まっている。主戦派を一本化できていないトリューニヒトにとって、テルヌーゼン補選の敗北の痛手は少なくないというのがおおかたの見方であった。

 

 しかし、トリューニヒトと党内の主導権を争う主流派もそれほど幸福な状況にいるわけではない。収賄疑惑で追及を受けていたマラート・グロムシキン情報交通委員長が辞任に追い込まれた。一〇〇万ディナールを超える資金提供だけであれば、追及を逃れることもできたかもしれない。しかし、未成年女性の性的サービスを提供されていたとなると話は別である。主流派のプリンスだったグロムシキンの失墜は、各方面に大きな影響を与えた。

 

 イゼルローン要塞攻略の成功は、対テロ総力戦の失敗で支持率が暴落したロイヤル・サンフォード政権が息を吹き返すチャンスとなるはずだった。しかし、攻略直後に浮上したグロムシキンの疑惑がすべてを台無しにした。ヤン・ウェンリーがあまりに容易に要塞を攻略してしまったために、勝利に貢献していないというイメージを持たれてしまったのも、サンフォード政権にとっては計算外だった。勝利によって主戦論は盛り上がったが、政権支持率にはまったく繋がっていない。イゼルローン要塞攻略を主導した統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥の名声のみが高まる結果となった。

 

 最近の世論調査では、政権支持率は三一・九パーセント。政権与党の改革市民同盟と進歩党の支持率もサンフォードの不人気に引きずられて低迷している。改革市民同盟の国防委員長ヨブ・トリューニヒト、進歩党の財務委員長ジョアン・レベロはいずれも人気のある政治家であるが、彼らの人気は党の支持に結びついていない。政界では、トリューニヒトが政権離脱と新党設立のタイミングを図っているとの観測も流れている。

 

 一方、野党の統一正義党と反戦市民連合は急速に支持率を伸ばしていた。イゼルローン要塞攻略に熱狂した主戦論者の支持が統一正義党に流れたこと、主戦論の高まりを恐れた反戦派の期待が反戦市民連合の若き新星ジェシカ・エドワーズに集まったこと、六年間続いた二大政党体制に有権者がうんざりして政権交代を強く望んでいることなどが要因としてあげられる。来年の総選挙で過激主戦派の統一正義党と急進主戦派の反戦市民連合に挟撃された連立与党が過半数を割り込む可能性は、現実のものとなりつつあった。

 

「どこかで見たような展開だなあ」

 

 新聞を読んでいた俺は思わずひとりごとを漏らしてしまった。幸いにもコレット大尉とジャン曹長には聞かれなかったようだ。

 

 前の歴史の本では、支持率低迷に悩んだサンフォード政権が帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」を発動させて、同盟を滅亡に追い込んだと言われていた。帝国のイゼルローン奪回軍への対応が話題になっている現在では考えにくいことであったし、あのアンドリューが諸惑星の自由作戦のような世紀の愚策を提案するとも思えない。

 

「到着しました」

 

 ジャン曹長の言葉で我に返る。頭の中から不安を振り払い、コレット大尉とともに車を降りた。これから一仕事しなければいけない。まだ見ぬ未来を恐れる前に、今日やるべきことを大事にしよう。そんなことを思いながら、巨大な統合作戦本部ビルを見上げた。

 

 地上五五階、地下八〇階の統合作戦本部ビルは同盟軍の作戦指導の中枢機関である。その三二階にある監察官室に用事があった。

 

 統合作戦本部の監察官は同盟軍全軍を監察し、法令遵守の徹底、情報漏洩防止、不正入札防止などに取り組む。軍人個人の不適切な行動を取り締まる国防委員会の憲兵隊に対し、統合作戦本部の監察官は不適切な職務執行を取り締まるのだ。

 

「ホーランド次席監察官は外出されてるんですか?」

「はい。急なご用事とかで」

「いつごろお戻りになりますか?」

「さあ?外出先も帰庁時間も伺っておりませんので」

 

 俺に出頭を命じた次席監察官ウィレム・ホーランド少将は不在との事だった。ぎっちり詰まったスケジュールの合間に時間を作って、統合作戦本部まで出向いてきたのに何の連絡もなく外出してしまうなんてあんまりだ。

 

「携帯端末に連絡いただけますか?」

「承知しました」

 

 監察室のスタッフは気乗りのしない顔で携帯端末を取り出し、スイッチを入れる。それから一分ほどしてスイッチを切ると、うんざりした表情で言った。

 

「電源を切っておられるようです」

 

 アポを取ってる相手がいるのにいきなり外出。行き先も帰庁時間も明かさない。しかも、携帯端末で連絡することもできない。武勲数知れない名将とは思えない怠慢だ。

 

「申し訳ありません。最近は良くあることでして」

 

 口調と表情に含まれた苦味から、スタッフもホーランド少将の怠慢に困り切っていることが伺えた。第五艦隊から統合作戦本部に異動したホーランド少将がやる気を失っているという噂は、だいぶ前から聞いていた。

 

 ホーランド少将は第六次イゼルローン攻防戦で武勲を立てたにも関わらず、トリューニヒトの横槍で第十一艦隊司令官の座をドーソン中将に奪われた。第三次ティアマト会戦では第五艦隊に属して戦ったものの精彩を欠いてしまい、ドーソン中将が帝国の宿将グライスヴァルト提督の旗艦を撃沈したためにすっかり面目を失った。ハイネセンに帰還した後は、武勲を立てる機会を得ようと必死になって、自らを指揮官に擬した小規模作戦案をあちこちに持ち込んでいたという。

 

 功を焦って策動するホーランド少将に手を焼いた第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将は、シトレ元帥と相談して統合作戦本部の監察官室に転出させた。部隊の指揮権を奪って、大人しくさせようと考えたのだろう。

 

 対テロ総力戦でもホーランド少将の出番はなかった。ドーソン中将が更迭された後の第十一艦隊司令官候補に三人の名前があがったが、その中にウィレム・ホーランドの名前は無かった。二年以上戦場に立っていない彼は、ヤン・ウェンリーの台頭もあって、忘れられた存在になりつつあった。

 

「わかりました。今日のところは帰ります。次席監察官にもよろしくお伝えください」

 

 そう言うと、俺はコレット大尉とともに監察官室を退出した。ホーランド少将への怒りはない。チャンスを与えられなければ、人間はいとも簡単にダメになってしまう。ホーランド少将のような名将でも無為には耐えられないのだろう。不幸だと思うけど、功を焦る彼を危うく思ったビュコック中将も正しい。憂国騎士団と言い、ホーランド少将と言い、世の中は白黒で割り切れないことばかりだ。

 

 せっかく統合作戦本部に来たのだから、せめてカフェルームでフルーツパフェを食べて帰ろうと思った。何もせずに帰ったら、心がささくれてしまう。

 

 二階まで降りてカフェルームを覗くと、人影はまばらだった。勤務時間中にこの広い部屋がいっぱいになっているはずもないのだから、当然といえば当然だ。どの席にしようかと見回していると、窓際のテーブルに一人で座っているダーシャを発見した。どんな遠くにいても、ダーシャはすぐわかるのだ。

 

 足を踏みだそうとすると、ソフトクリームを二つ持った人物がダーシャのテーブルに近づくのが見えた。その人物に気づいたダーシャは手を差し出して、ソフトクリームを受け取る。顔はよく見えないが、髪型やシルエットからして男性っぽい。細身で手足が長くて、やたらとスタイルが良い。俺より背が高そうなのがむかつく。

 

 ここでにこやかに声をかけられるほど、俺は冷静な人間ではない。ダーシャのテーブルから死角になりそうな場所を見つけて、そこから様子を探る。相手がすぐ去っていく可能性もあるからだ。

 

 俺の期待を裏切って、相手はダーシャの真向かいに座った。そして、ソフトクリームを舐めながら、何か話している。相手がどういう奴なのか、ダーシャと何を話しているのかを知るためには、もっと近づかなければいけない。しかし、気づかれるわけにもいかない。ああ、俺はいったい何を心配しているんだろうか。

 

 頭を抱えていた俺の目に信じられない光景が飛び込んできた。ダーシャがテーブルに左手を付いて身を乗り出し、右手を伸ばしてソフトクリームを相手の口元に押し付けたのだ。相手はびっくりしたらしく、上半身をのけぞらせていたが、やがてダーシャの持っているソフトクリームに口を付け始めた。見ていられなくなった俺は、逃げるようにカフェルームから出て行った。

 

 統合作戦本部を出て、戦隊司令部に戻った後も気分は晴れなかった。不穏な政治情勢、やる気を無くしたホーランド少将、知らない奴といちゃいちゃしているダーシャ。今日はなんかもやもやすることばかりだ。

 

 そんなことを思いながら執務室に向かっていると、参謀のエリオット・カプラン大尉がソフトクリームを舐めながら士官食堂から出てくるのが見えてイラッとした。執務室に戻った後、報告に訪れたチュン・ウー・チェン参謀長からチョコクロワッサンを分けてもらって、ちょっと心が落ち着いた。

 

 課業時間が終わると、すぐに公用車に乗り込んだ。将官は公用車を通勤に使うことが許されているのだ。これは贅沢ではない。将官はどんな時でもすぐ指揮を取れるよう、心身のコンディションを保つ義務がある。公用車は通勤による心身の消耗を避けるための手段なのだ。それに車に乗っている時間は多忙な将官にとって、格好の居眠りタイムにもなる。

 

 後部座席でうとうとしていると、携帯端末から着信音が聞こえた。寝ぼけ眼で画面を見ると、アンドリュー・フォークの番号が映っている。ここ最近はこちらからメールしても全然返事なかったのに、いきなり通信入れてくるなんて、どういうことなんだろうか。

 

「ああ、エリヤ。久しぶり」

 

 一ヶ月ぶりに聴くアンドリューの声は、思いの外元気そうだった。

 

「いきなり、どうしたの?」

「これから晩ご飯、一緒に食べない?」

 

 アンドリューから食事に誘ってくるなんて珍しい。この機会を逃せば、忙しい彼と次に会うのはだいぶ先になるだろう。選択肢はひとつだった。

 

「ああ、いいよ。場所はどうする?」

「もう決めてる。ホテル・カプリコーンのレストラン」

「いいね、あそこはデザートおいしいから」

「今日は俺がおごるよ」

 

 そのアンドリューの言葉を聞いて、心の中でガッツポーズをした。今日はもやもやする日だったけど、最後にこんなサプライズがあるなんて、世の中捨てたものじゃない。

 

「ありがと」

「大事な話があってさ」

「おう、なんでも聴くよ」

 

 顔がにんまりするのが自分でもわかる。アンドリューに会える。最高のジェラートを食べられる。アンドリューと端末で話しながら、素敵な夕食に思いを馳せていた。



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第七十四話:友達は家族に勝てない 宇宙暦796年7月下旬 惑星ハイネセン、ホテルカプリコーン

 国防委員会ビルの近所にあるホテル・カプリコーンは、軍人御用達のホテルとして知られていた。レストランでディナーを楽しむ客の中にも軍服姿の者は多い。俺とアンドリュー・フォークもそうだった。

 

「どうしたの、エリヤ?」

「いや、なんでもないよ」

 

 久しぶりに会うアンドリュー・フォークは驚くほど痩せ衰えていた。死人のように青ざめた顔色、げっそりと肉の落ちた頬、ぎょろっとした目、老人のようにカサカサの肌。あまりの惨状に目を背けたくなってしまう。

 

「何を頼む?」

「じゃあ、さくらんぼのジェラート二つ」

「いきなり、ジェラート頼んじゃうの?」

「だって、おいしいじゃん」

「相変わらず食いしん坊だな、エリヤは」

 

 あっけらかんと言ってのける俺に、アンドリューは苦笑する。表情筋が衰えているのか、口元が歪んでいる。出会った頃の眩しい笑顔との落差に言葉を失ってしまった。

 

「どうしたの?黙りこんで」

「あ、いや、何でもないよ。ところで大事な話ってなに?」

 

 こんなに酷い状態のアンドリューと世間話を楽しめる自信は無かった。一刻も早く、アンドリューの力になってやりたかった。

 

「これを見て欲しいんだ」

 

 そう言うと、アンドリューはバッグの中からファイルを取り出す。「帝国領侵攻計画概要」という表題が視界に入った瞬間、全身の血が凍りついた。

 

 前の歴史におけるアンドリュー・フォークは、「同盟滅亡の最大の戦犯」「史上最低の参謀」などと評されていた。そのきっかけとなったのが七九六年の帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」の失敗である。

 

 功名心に駆られたアンドリュー・フォークが立案したこの作戦は、戦略的必然性は皆無、計画は杜撰、分析は希望的観測というより願望的観測という愚劣なものであった。立案の動機はアンドリュー・フォーク個人の功名心、実施の動機はロイヤル・サンフォード政権の政権浮揚。人類史上最低最悪の作戦の一つに数えられるにふさわしいでたらめぶりと言える。アンドリュー・フォーク本人は、過剰すぎる自信、強すぎる自我、乏しすぎる自制心を持ち、弁舌を用いた自己アピールだけは達者な最低の人格であった。

 

 でたらめな作戦を最悪の人物が指導したことで、帝国領侵攻は七個正規艦隊、将兵二〇〇〇万人を失う惨敗を喫した。この敗北で対帝国兵力比が圧倒的不利になったことが、同盟を滅亡に追いやることになる。責任者のアンドリュー・フォークが酷評されるのは止むを得ないだろう。

 

 しかし、今の人生で俺が知り合ったアンドリュー・フォークはそのような愚劣さとは無縁であるように思えた。聡明で誠実で謙虚で献身的。友人としては最高、参謀としては優秀。自らを引き立ててくれたロボス元帥の恩義に報いることばかり考えていて、功名心のかけらもない。彼が出世のために帝国領侵攻作戦を立てて、自己アピールのために他人をけなし、現実無視の作戦指導を行うなど、想像もできなかった。

 

 過労はアンドリューの外見だけでなく、人格まで変えてしまったのだろうか。目の前のアンドリューは前の歴史のような狂人に成り果ててしまったのだろうか。そんな恐ろしい想像をしてしまう。

 

「どうしたの、エリヤ?」

「あ、いや、ちょっとびっくりしてさ」

「しょうがないなあ」

「ごめんね」

「早く読んでよ。面白いから」

 

 アンドリューの口調はいつもの気安い感じだ。前の歴史の本に書かれていたような狂気はひとかけらも感じられない。しかし、ファイルを開くのはためらわれる。

 

 今の歴史においても、この時期に帝国領に侵攻すべき必然性は存在しない。イゼルローン要塞を奪回に来る帝国軍を撃破して、回廊の支配権を確固たるものにするのが先決のはずだ。アスターテ星域会戦で喪失した三個正規艦隊の穴埋め、シトレ元帥の少数精鋭戦略によって弱体化した地方部隊の戦力回復にも着手できていない。

 

 そんな状況で無謀な帝国領侵攻作戦を提案するなど、正気とは思えない。ファイルの中身を見たら、親友アンドリューの理性を信頼できなくなる。そんな恐怖があった。

 

「読んでくれないことには、話のしようもないんだけどなあ」

 

 ここで有無を言わさず席を立つような勇気は俺にはない。断腸の思いでファイルを開く。視線が三行目に到達した時点で驚きを感じ、七行目に到達した時点で圧倒され、一〇行目あたりからはすっかり引きこまれて夢中になってしまった。

 

「どう?」

 

 アンドリューはにっこりと笑いかけてきた。

 

「凄いね、これ」

「でしょ?」

 

 彼が得意げになるのもわかる。アンドリューを中心とする宇宙艦隊総司令部の若手参謀が作ったこの作戦案は、俺が前の歴史の本で読んだ帝国領侵攻作戦と比べ物にならないぐらい可能性を感じさせるものだった。

 

「同盟軍の侵攻にタイミングを合わせて、帝国辺境の二六星系が独立及び自由惑星同盟への加盟を宣言。同盟軍は新規加盟した地域を根拠地とする。これが本当なら、補給に不安はないね」

「オーディンの新無憂宮で宮廷政治に明け暮れている連中が富と権力を独占する。そんな体制に怒りを抱いてるのは平民だけじゃないんだよ」

 

 ファイルによると、辺境を統治している星系総督、惑星知事、警備隊司令官、貴族領主といった人々は、中央政府に対して強い反感を抱いていた。そこに軍情報部が現在の統治者を星系首相とする星系共和国の建国を持ちかけて、取り込みに成功したのだそうだ。

 

「しかし、確約は取れてるのかい?怪しげな約束を根拠に出兵して、立ち往生するなんてごめんだよ」

 

 前の歴史においては、帝国軍は事前に辺境星系から軍隊と物資を引き上げて焦土作戦をとった。勇躍して乗り込んだ同盟軍は立ち往生して、戦わずして消耗していった。

 

「確約が取れていない希望的観測を根拠に軍隊を動かす。そんな馬鹿な参謀がいると思ってる?君だって参謀経験あるなら、作戦案がどうやって作られてるのかわかるでしょ。大勢で計算と検討を重ねて、不確定要素を潰してより確度の高い案を作り上げる。作戦案に盛り込んでる時点で、独立工作の成否は不確定要素ではないとみなされる段階に達していると思ってくれてかまわない」

「ああ、そうか」

 

 そうだ。俺が知っている参謀業務のプロセスでは、希望的観測は真っ先に排除されるべきものなのだ。参謀は根拠の提示、想定される可能性の検討、複数の選択肢の比較をしっかり行った上で意見を述べる訓練を受けている。そして、指揮官も根拠が曖昧で検討が不十分な案を通さないような訓練を受けている。

 

 概要である以上、工作に関する分析や検討の細部は書かれていないのだろうが、侵攻計画詳細の方には書かれているのだろう。

 

「でも、察知される可能性もあるんじゃないの?物資を引き上げられて、補給路として使えなくされるとか。インフラが破壊される可能性もあるかも」

 

 前の歴史では物資を引き上げただけで、インフラは破壊されなかった。しかし、宇宙港を破壊して同盟軍の上陸そのものを拒んだり、発電所や水道を破壊して拠点化を妨害したりすることは有り得る。熱核兵器を有人惑星にぶち込んで、本当の意味での焦土にしてしまう可能性もあるだろう。専制政治のゴールデンバウム朝なら、それぐらいやってもおかしくはない。

 

「それをやってくれたら、むしろ願ったりかなったりなんだけどね。物資引き上げ、インフラ破壊なんて、着手した時点で辺境星系は反乱起こすよ。帝国政府の保護を受けられないと判断したら、内応していない星系も帝国を見限るね。皇帝にルドルフぐらいの指導力があれば話は別だけど」

 

 銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の指導力の欠如は誰もが知っている。彼の治世では行政も軍事もすべて惰性で行われ、活発なのは陰謀と汚職だけという有様だった。反乱覚悟で強権を発動できるような指導者ではない。

 

「中央から辺境を奪回にやってくる帝国軍を封じる策も講じてるんだね」

「奪回軍が編成されるとしたら、指揮官は宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥か副司令長官ローエングラム元帥。どちらも九個艦隊の戦力を持ってる。八個艦隊の同盟軍では苦しいよね。戦わないのが一番だよ」

 

 ファイルには、ミュッケンベルガー元帥とローエングラム元帥に関する分析も書かれていた。ミュッケンベルガー元帥は大軍の運用経験が豊富な上に、麾下の指揮官もベテランが揃っている強敵。ローエングラム元帥は奇襲に卓越した技量を有する指揮官だが、大軍の運用経験に乏しく、麾下の指揮官も経験が浅いため、ミュッケンベルガー元帥よりは与しやすいが、九個艦隊の戦力は侮りがたい。どちらとも戦うべきではないと分析していた。

 

「帝都オーディンでクーデターを起こした地上部隊が、ミュッケンベルガー元帥とローエングラム元帥を地上に釘付けにする。良くこんな工作ができたね」

「敗者は命も含めたすべてを失うというのが宮廷政治なの。死にたくないと思った敗者を取り込むのはたやすいよ」

 

 今年の初めに財務尚書カストロプ公爵が事故死すると、指導者を失った彼の派閥は瓦解した。カストロプ派に属していた要人は、次々と宮廷を追われている。ファイルによると、同盟軍の情報部は先行きに不安を感じた旧カストロプ派の軍高官数人を取り込むことに成功したという。

 

「しかし、一八個艦隊もの戦力を釘付けにしておけるものなのかな」

「一二七年前、コルネリアス一世の大親征がハイネセン攻略を目前に失敗した理由はわかるよね」「オーディンで宮廷クーデターが起きたんだったね。だから、同盟征服を諦めて引き返した」

「帝国はすべてがオーディンの宮廷を中心に動いている国なの。宮廷が乱れたら国も乱れる。宮廷が奪われたら国も奪われる。軍人も常に宮廷を見ている。最高評議会議長が弾劾訴追を受けて辞任の瀬戸際に立たされている真っ最中でも軍事行動を起こせるようなうちの国とは権力構造が違う。そんな国だから、うちの国より大きな動員力を持っていても生かし切れなかった」

「宮廷クーデターを起こさせるってことかあ」

「それができる人を取り込めたってことだね」

 

 同盟の情報機関が宮廷政治の敗者に接触して、亡命や反乱の手引きをするのは珍しいことではない。同盟の工作員が失脚した大貴族の反乱を援助した例は少なくない。反乱が起きたタイミングを見計らって攻め込んだ例もある。反乱とは性格が異なるが、昨年の秋の第七方面管区司令部テロにタイミングを合わせて、エルゴン星系まで帝国軍が進軍した例は記憶に新しい。

 

「帝国内の不満分子を取り込みながら進軍し、艦隊戦力が地上に釘付けになったままのオーディンを包囲して城下の盟を迫るのが最終目的なんだね」

「さすがに帝国征服なんてことは考えてないよ。今は講和で十分。オーディンが攻略されたら、帝国の威信は根底から瓦解して混乱状態に陥る。そうなれば、ルドルフが生まれ変わってこない限り、同盟は平和を保てる」

 

 前の歴史において、帝国領侵攻作戦が愚案とされたのは曖昧な作戦目的によるところが最も大きい。しかし、この概要でははっきりとオーディン進軍、領土の大幅割譲を含む有利な講和条約締結が謳われていた。そして、その先にある平和も。

 

「不平貴族、共和主義者、反戦組織の一斉蜂起も起きるんだ。良くこれだけの人数を取り込めたね」

「情報部が二〇年近く費やした工作の集大成だよ。オーディンにいない敵部隊は不満分子の蜂起で釘付けにする。遊兵を作り出す手間は惜しまない」

 

 アンドリューの作戦案の肝は帝国内部に大勢の内応者を作ることにあった。同盟単独の戦力ではオーディンに進軍できなくとも、内応者も戦力に数えれば可能となる。同盟は帝国内の反体制派を利用して諜報網を築いてきた。その諜報網を通じて武器や資金を流し、蜂起を促そうとしていた。

 内乱が起きていない国を攻略するのは難しい。どんな小さな国でも戦力を要衝に集中されたら、容易に攻略できない。だから、他国に攻め入る際は反体制派や体制内不満分子の蜂起を促して、戦力の集中を阻害するのが常道である。帝国や同盟の情報機関はいずれも敵国に対する不安定化工作に余念がなかった。

 

「宇宙艦隊総司令部と軍情報部の共同作戦ってことになるのかな」

「そうだね。情報部の工作は表に出せないから、表向きには運用を担当する宇宙艦隊総司令部の作戦ってことになるけど」

 

 アンドリューら宇宙艦隊総司令部の若手参謀が作成した運用案もかなり現実的に思える。四ヶ月以内の決着を目処として、行軍計画や補給計画も万全と言っていい数字が並んでいる。プロの軍人が見たら、この案はいけると判断する水準だ。

 

「でも、具体的な日時を書いてないのが気になるね。あと、内応する人の具体名もない。概要だからなのかな」

「うん。詳細な案を見たいなら、俺達に協力して欲しい」

 

 これが本題か。概要だけでも十分にエキサイティングだった。詳細案の内容には、強く好奇心をそそられる。しかし、協力って何をするんだろうか。

 

「何をするの?」

「今、俺達は政界の有力者にこの作戦案を支持してくれるように働きかけてるところなんだ。エリヤにはトリューニヒト派への働きかけをしてほしい」

「今やるの?早すぎない?正規艦隊と地方部隊の強化が先決でしょ」

「何人かトリューニヒト派の代議員に会ったけど、みんな同じこと言ってた。それがトリューニヒト派に共通する見解みたいだね」

「自信があるなら、政治家じゃなくて統合作戦本部に見せればいいでしょ。これだけ良く出来た案なら通るよ」

「本部長のシトレ元帥が通してくれないんだ。あの人の持論は和平だから」

「ああ、なるほど」

 

 統合作戦本部長シドニー・シトレ元帥は、「要塞を手に入れて有利になった今こそ、和平を持ちかける好機」と主張していた。イゼルローン要塞攻略作戦を発動したのも、和平の糸口にするためだったと言われる。良く考えたら、そんな人が帝国領への侵攻を認めるはずもない。

 

「軍令のトップが通してくれないなら、その上に頼むしか無いよね」

「最高評議会を動かすってことか」

「そういうこと」

 

 宇宙艦隊総司令部が統合作戦本部の頭越しに最高評議会に働きかけて、作戦案を通そうとしている。一歩間違えば、軍部に大きな亀裂を生みかねない行動である。参謀に過ぎないアンドリューとその仲間の若手士官だけでできることではない。裏で大物が糸を引いているはずだ。

 

「誰が後ろにいるの?」

「仲間はいても、後ろはいないよ」

「宇宙艦隊司令長官のロボス元帥、情報部長のカフェス中将ってとこ?」

 

 アンドリューは答えない。

 

「ああ、でもカフェス中将は統合作戦本部を敵に回す覚悟のできる人じゃないよね。ミスター情報部かな。ロボス元帥とあの人が組んだら、シトレ元帥も怖くないだろうね」

 

 最高評議会を動かすつもりでいることがわかった時点で、協力する気は失せている。アンドリューの頼みであっても、ルールを踏み外す片棒を担ぎたくなかった。軍隊がルールを無視して結果オーライで動いたら、暴走しても成功すれば許されるという悪い前例を作ってしまう。勝てる作戦だからこそ、ルールを踏み外してはならない。しかし、誰が裏にいるのかぐらいは知っておきたかった。

 

「アンドリューのためならともかく、知らない誰かのために働かされるのはごめんだよ」

「エリヤの予想通りだよ。ロボス閣下とアルバネーゼ退役大将」

 

 アンドリューは負けを認めたかのように息を吐いた。度重なる失態で失脚寸前のロボス元帥は、起死回生の機会を伺っている。ミスター情報部こと元情報部長アルバネーゼ退役大将は、対テロ総力戦の失敗で落ちた情報部の威信を取り戻そうとしている。どちらにも帝国領侵攻作戦を強行する理由がある。

 

「ごめんね、アンドリュー。その二人のためには働けないよ」

「俺より派閥の方が大事なのか?どっちもトリューニヒト派の敵だから」

「二人とも軍の大先輩だよ。敵なんて思ってない」

 

 この言葉は半分本当で半分嘘だ。ロボス元帥は自分の政治的野心のために、エル・ファシルを地獄に落とした前科がある。個人的には魅力的と思うけど、公人としては相容れないと感じる。

 

 国防委員会情報部の実質的支配者と言われるアルバネーゼ退役大将は、国防委員会の完全掌握を狙うトリューニヒトと対立する立場にある。そして、憲兵司令部の資料の中でサイオキシン麻薬密売組織の創設者とされるAと同一人物だ。麻薬密売で稼いだ金を使って政界や官界に人脈を作り、最高評議会議長の諮問機関である安全保障諮問会議の委員として、国防政策に大きな影響力を持っている。憲兵隊が麻薬組織を摘発した時、アルバネーゼは最高評議会に圧力をかけて捜査中止命令を出させた。シトレ派。ロボス派といった枠組みが馬鹿らしくなるような大物フィクサーだ。

 

「じゃあ、どうして」

「俺達の仕事は守るべき手順を守らせる仕事だ。手順を守ることで正当性が生まれる。俺達の命令に納得して死地に赴いてもらうためのね」

「わかってるよ、それは」

「君がわからないわけはないと思う。確認のために言ってる。手順を守らなければ、誰にも信用されなくなってしまう。信用を失ったら、軍人としてはおしまいだ。君は未来を捨てるつもりなのか?元帥にだって、統合作戦本部長にだってなれる才能があるのに」

 

 アンドリューの作戦案は素晴らしいものだ。正規の手続きで通ったなら、プロの軍人に受け入れられるだけの説得力がある。しかし、不正な手続きで通してしまったら、作戦案の出来とは無関係に信用を失ってしまう。手続きを守らない人間と思われたら、軍組織での将来はない。

 

「俺の未来はロボス閣下の未来だよ」

「そんなことないだろ。君の才能なら、あの人の引き立てがなくても上に行ける」

「俺はロボス閣下と一緒に上に行きたいんだよ」

 

 ロボス元帥は確かに魅力的な人だ。エル・ファシル義勇旅団ではひどい目にあった。現在の惑星エル・ファシルの惨状を招いた張本人でもある。それでも、最初に会った時の感激を忘れることはできない。しかし、将来と引き換えにロボス元帥のために泥を被る必要があるとは思えない。

 

「いいのか、それで」

「構わない。ロボス閣下の司令部は俺の家だから」

「そう言えば、ロボス元帥のチームはみんなとても仲が良かったね」

「そうだね、みんな家族だ」

 

 爽やかに笑うアンドリューの顔には、出会った頃の快活さの面影があった。

 

「家族には勝てないや」

 

 目から涙がこぼれてくる。俺にはアンドリューを止めることができない。彼の心にはロボス元帥とそのチームが深く根をおろしてしまっていて、俺の言葉は届かない。

 

「ごめんな」

「いいよ、友達だろ」

 

 済まなさそうに言うアンドリューに、俺は無理やり笑顔を作りながら答えた。

 

「うん、エリヤは友達だ」

「家には家族がいて、外には友達がいる。それでいいんだよ」

 

 とっくの昔に家族を無くした俺なのに、アンドリューが家族ともいうべきロボス派を選んだことに心の底から納得できるのが不思議だった。納得しても涙は止まらないのも不思議だった。



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第七十五話:泥沼に生きる者の信義 宇宙暦796年8月5日 惑星ハイネセン、国防委員長執務室

 今日は朝から国防委員会に顔を出さなければならなかった。官舎から公用車に乗って、直接国防委員会庁舎に向かう。座席で副官のコレット大尉から渡された新聞に目を通すと、見出しには「帝国領出兵案、明日の評議員会議で決定か」との文字が躍っていた。四日前のことを思い出し、ため息をつく。

 

「先週、フォーク准将に会ったというのは本当かね?」

 

 仕事をしていた俺のところにそのような通信を入れてきたのは、首都防衛司令官から統合作戦本部管理担当次長に転じたスタンリー・ロックウェル中将だった。元はロボス派だったが、今では国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将と並ぶトリューニヒト派の実力者である。

 

「本当です。どなたから伺ったんですか?」

 

 プライベートで友人に会ったことを他人に知られているのは、あまりいい気分ではなかった。どこから漏れたのかが気になる。

 

「今、ホーランド少将が私のオフィスに来ている」

 

 その名前を聞いて舌打ちしたい気持ちになった。統合作戦本部次席監察官ウィレム・ホーランド少将は、アンドリュー・フォーク准将のグループに加わって、帝国領出兵案の支持者を募っていた。仕事を放り出して政治工作に奔走するホーランド少将の姿を快く思わない者は多い。面会をすっぽかされた俺としても、あまりいいイメージのない名前だ。

 

「どんな文脈でその話が出たんですか?」

「妙な話を持ち込まれてるのだが、その説明の最中に何の脈絡もなく出てきた」

「小官が賛同しているとか、そういう話になっているんですか?」

「いや、単に会ったという話だけだ」

 

 ホーランド少将がロックウェル中将に持ち込んだ妙な話というのは、帝国領出兵案のことだろう。その説明の中で俺とアンドリューが会ったという事実を唐突に持ちだし、俺が関わっているかのような印象付けを狙ったに違いない。ロックウェル中将ほどの人がそんな手に乗るはずもないのに、浅はかとしか言いようがない。

 

「本当に会っただけですよ。名前を出されるなんて、迷惑としか言いようがないです」

「わかっとる。確認しただけだ」

「慎重な対応、感謝いたします」

「将官ともなると、胡散臭い話に巻き込まれることも多くなる。気を付けなさい」

 

 そう言うと、ロックウェル中将は敬礼して通信を切った。わざわざ確認を入れてくれたロックウェル中将に感謝するとともに、面識もない俺を勝手に巻き込もうとするホーランド少将にイラっとした。

 

 

 

 国防委員会庁舎に到着した俺は、国防委員長ヨブ・トリューニヒトの執務室に入った。こんな時期に俺を呼び出すなんて、いったいどんな用事だろうか。秘書官が出してくれたコーヒーを飲みながら、向かいに座っているトリューニヒトが口を開くのを待った。

 

「ホテル・カプリコーンのジェラートはおいしかったかい?」

 

 その言葉を聞いて、思わず身構えた。出兵案の話だ。

 

「ご存知でしたか」

「フォーク君がいろいろやっているという話は、私のところにも聞こえてくるからね」

 

 あれほど派手に動きまわっていたら、トリューニヒトの耳に入るのは当然だろう。軍政のトップとして作戦案にも目を通しているはずだ。

 

「馬鹿なことをしてくれたものだ。軍人が正規の命令系統を通さずに、直接最高評議会を動かすという前例を作ってしまった。勝っても負けても、軍部の結束に大きな傷が付く」

 

 トリューニヒトの苦々しげな言葉から、アンドリュー達が最高評議会を動かすのに成功したことを知った。

 

「申し訳ありません」

 

 アンドリューにとって、ロボス元帥のチームは家族だった。自分の将来と引き替えにしても構わないぐらいに大事な存在だった。それを悟った俺には、彼を止めることができなかった。

 

「気にすることはない。君に止められなかったら、誰にも止められなかった。フォーク君一人を止めたところで、他の者が代わりに動いていた。ロボス君の下には、忠臣がいくらでもいるからね」

「それでも、アンドリューだけは止めたかったんです。他の人が同じことをするだけだったとしても、構いませんでした」

「彼のような若者に泥を被らせるとは、ロボス君とアルバネーゼは酷なことをする。いざとなったら、彼の暴走ということにして逃れるつもりなのだろう」

「まさか」

 

 アルバネーゼ退役大将はともかく、アンドリューを手塩にかけて育ててきたロボス元帥がそんなことをするものだろうか。

 

「ロボス君は軍人にしておくにはもったいないぐらいの政治家だよ。あの大雑把さも一種の政治的な演出さ。自分は動かずに手駒を使うことで逃げ道を作っておく。ロボス君のカリスマをもってすれば、手駒を思い通りにコントロールするなんて造作も無い」

「そうなんですか?俺の知っているロボス元帥は、豪快で気さくで…」

「彼は好漢だが、それ以前に政治家なんだよ。ロボス派の士官に対して責任がある。責任の前には、いくらでも冷酷になれる」

 

 トリューニヒトは責任といった。野心ではなくて、責任と。

 

「野心ではないのですか?」

「政治家は自分で全てを決めているように見えて、実は何も決められない。支持者の期待にこたえる責任がある。ロボス君は支持者に対する責任を果たすために、権力を握り続けなければならなかった。だから、失態を重ねても司令長官の地位に居座り続けた。忠臣の首と引き換えにね」

 

 トリューニヒトが語るロボス元帥像は、俺が見た豪放な野心家とも、前の歴史が語る無責任な愚将とも異なるものだった。しかし、ロボス元帥の行動を合理的に説明しうる解釈でもある。

 

「ロボス元帥ほどの人が見苦しいまでに地位にしがみつく理由が自分にはわかりませんでした。衰えて理性的な判断ができなくなってるのではないかと思っていました」

「落ち目になれば、何をやっても悪く受け取られてしまう。戦いには相手というものがある。いかに優れていても、相手がより優れていれば勝てない。武運に恵まれなかっただけで、ロボス君は何も変わっていない。再び武運がめぐって来る時を待ち続けた。そして、今が切り札を切る時と判断したのだ」

「アンドリューがその切り札というわけですか」

「フォーク君は説得に長けている。リーダーシップがある。忠誠心は極めて高い。こういう場面では頼りになる人材だよ。私も彼のような秘書が欲しいものだね」

 

 トリューニヒトのアンドリュー評を聞くのは実は初めてだ。意外なほど高く評価している。凡人の感情を大事にするトリューニヒトなら、仲間への義理を優先するアンドリューを評価するのは当然かもしれない。そして、そんな忠実な部下をあっさり使い捨てるロボス元帥に恐ろしさを感じた。

 

「ロボス元帥は恐ろしい人ですね。アンドリューほどの男もあの人にとっては、カードの一枚でしか無いなんて」

「彼は恐ろしい男だが、同時に信義のある男だ。ヴァンフリートのベロフ准将、第六次イゼルローン攻防戦のランドル大佐、エルゴン会戦のマントゥー大佐はいずれもロボス君の代わりに敗戦責任を負わされて軍を去ったが、軍需関係企業の重役に迎えられた。いずれもロボス君の息がかかった企業だ」

「泥を被っても、面倒は見てくれるってことですか」

「使い捨てた部下のフォローを怠ったせいで、秘密を暴露されるなんてことは珍しくない。汚れ役への報酬は奮発するというのは人使いの基本だ。報酬がもたらす生活の安定が口を固くしてくれる。覚えておくといい」

 

 そういえば、前の歴史でヤン・ウェンリーを査問に掛けた責任を問われたネグロポンティが国防委員長の座を退いたことがあった。その時、査問を命じたトリューニヒトはネグロポンティに国営水素エネルギー公社総裁のポストを用意している。政治家が考えることが同じだとしたら、トリューニヒトは帝国領出兵についてどう思っているのだろうか。

 

「委員長はロボス元帥の今回の動きについて、いかがお考えですか?」

「政治的には最高の一手だね。イゼルローン要塞攻略でシトレ君が築いた優位を一気にひっくり返してしまった。勝っても負けてもシトレ君は勇退に追い込まれる。私の軍部における発言力も低下は免れない。国防委員長の地位を退くことになるかもね。勝てばロボス君の功績、負ければ彼と私とシトレ君の連帯責任ってことさ」

 

 前の歴史では、軍令のトップであるシトレ元帥は帝国領侵攻失敗の責任をとって辞任したが、軍政のトップであるトリューニヒトは辞任どころか、声望を高めてサンフォード議長辞任後の暫定政権首班に上り詰めた。保身の達人と言われるトリューニヒトなら、当然のことと思っていた。しかし、良く考えれば、軍政のトップとして連帯責任を負わされる立場にある。トリューニヒトが最高の一手と評するのもうなずける。

 

「最悪でも、引き分けに持ち込もうということですね。全員が負ければ、ロボス元帥の一人負けにはならない」

「やられたよ。しかも、あのアルバネーゼを味方につけている。軍部の派閥争い程度は鼻にかけないような元老を良くも引っ張り出してきたものだ。ロボス君の手腕には感服する他ない」

 

 アルバネーゼ退役大将は三年前にトリューニヒトに苦杯を飲ませたほどの実力者だ。政治闘争のパートナーとしては、この上なく心強いだろう。しかし、ロボス元帥に御せるとも思えない。アルバネーゼが黒幕で、ロボス元帥も踊らされているにすぎないという可能性だってある。

 

「アルバネーゼ退役大将は本当にロボス元帥の味方なのでしょうか?」

「彼は信義に厚い男だ」

「信義ですか?」

 

 アルバネーゼ退役大将は三〇年以上にわたって、同盟軍を麻薬漬けにして荒稼ぎしてきた人物だ。最高評議会を動かして、サイオキシン麻薬組織に対する捜査を中止させる暴挙に出たこともある。情報畑の大物としては、数えきれないほどの謀略に関わってきた。信義とは最も縁遠い人種ではないか。

 

「逆説的な言い方になるが、謀略の世界は信義の世界だ。信用できない者と一緒に危ない橋は渡れない。利害で結びついた者は利害を理由に裏切る。だから、優れた謀略家は信義を大事にする。謀略飛び交う情報と犯罪の世界で頂点を極めたアルバネーゼほど、信義に厚い男はいない」

 

 確かに信用できない者はどんなに有能でも謀略の協力者としては不向きである。秘密を漏らされたり、約束を破られたりしたら、命すら危うくなる。三年前にヴァンフリート四=二基地司令部メンバー全員の拘束命令を受けた俺が誰にも真意を明かさずに一人で計画を進めたのも、信用できる協力者がいなかったからだ。前の歴史で銀河最高の謀略家の名をほしいままにしたパウル・フォン・オーベルシュタイン帝国元帥は、誰からも私心なく清廉な人物と評されていた。アルバネーゼ退役大将が無数の謀略に関わったという事実は、彼を信じた無数の協力者の存在を暗示している。

 

「君も作戦案を見たはずだ。表向きの案では伏せられていても、事情を知る者には情報部とその裏にいるアルバネーゼがロボス君に匹敵する責任を負っていることがわかる。裏切るぐらいなら、最初から味方しないというのがアルバネーゼの流儀だ。切り札まで出している以上、ロボス君と心中する覚悟だろうね」

「情報部は二十年以上にわたって、帝国内に工作をしてきたと聞きました。それがアルバネーゼ退役大将の切り札でしょうか?」

「正確に言えば、今年の初めに死んだ前財務尚書オイゲン・フォン・カストロプ公爵が帝国のエリート層内部に張り巡らせた人脈。サイオキシン麻薬で結ばれた絆だ」

「待ってください。麻薬で結ばれた絆って、どういうことですか?」

「君達が三年前に戦ったサイオキシン麻薬組織の帝国側のボスはカストロプ公爵なんだよ。アルバネーゼとカストロプ公爵は盟友中の盟友だった」

 

 フェザーンで会った帝国憲兵隊のループレヒト・レーヴェから、最有力の門閥貴族で現職閣僚でもある高官が組織の背後にいたと聞かされてはいた。現役の憲兵総監を死に追いやって、強引に捜査を打ち切らせるほどの実力者だったそうだ。それがカストロプ公爵というのは初めて聞いた。

 

 帝国の内情がほとんど流れてこない同盟にあっても、オイゲン・フォン・カストロプ公爵の知名度は高い。十五年間も財務尚書の地位にあって、経済財政政策を指導してきた。彼の言葉には、フェザーン株式市場の株価を変動させるほどの重みがある。フェザーン株式市場がくしゃみをすれば、ハイネセン株式市場は風邪をひく。経済紙の紙面に彼の名前が登場しない日はないと言われていた。貴族資産に対する課税の可能性に言及した二週間後に宇宙船事故で死亡して、暗殺の噂もささやかれていた。想像を絶する大物の名前に腰が抜けてしまう。

 

「アルバネーゼ退役大将とカストロプ公爵が手を組んでいたなんて、雲の上の話ですね。俺なんかには想像もつきませんよ」

「カストロプ公爵は麻薬密売で手に入れた金を見境なくばらまいて、強力な人脈を築き上げた。汚れた金のやり取りという秘密を共有したカストロプ派は、麻薬密売、公金横領、収賄に精を出した。そうやって不正に稼いだ金でさらに支持者を集めて、帝国のアンタッチャブルになりおおせた」

 

 同盟軍元老と帝国財務官僚トップが長年にわたって麻薬密売に手を染めて、その収益で権力を獲得したというトリューニヒトの話は衝撃的だった。

 

「しかし、今年の初めに公爵が事故死すると風向きが変わった。反カストロプ派が一斉に立ち上がって、疑惑を徹底追及する動きに出た。後継者は反乱に追い込まれて、カストロプ家は断絶。カストロプ派幹部に対する捜査も始まっている。もちろん、サイオキシン密売についてもね。帝国の権力者がヴァンフリート四=二で死んでいった者達の仇を討ってくれるというわけだ」

 

 あまりにあっけない幕引きに驚くとともに、麻薬組織の裏でうごめく巨大な力の存在を語ったレーヴェのことを思い出した。怒りを抑えて真相を語っていた彼は、どんな気持ちで今の状況を眺めているのだろうか。

 

「アルバネーゼは協力者を決して見捨てない。自分の利益のために働いてくれたカストロプ派を救出する機を伺っていた。そこにロボス君が出兵の話を持ちかけた。いや、そもそもカストロプ派そのものがアルバネーゼが帝国に仕掛けた爆弾だったのかもしれないな」

「爆弾?」

「アルバネーゼは麻薬密売ルートを通して、帝国の内部情報を手に入れていた。カストロプ派はアルバネーゼの情報源でもあった。そこから得られる情報があの男を情報部の支配者に押し上げた」

 

 話し続けて喉が渇いたのか、トリューニヒトは手元の湯のみに入った緑茶を一気に飲み干し、一息つくと、軽く目をつぶった。

 

「ああ、これは思いつきにすぎないが。麻薬組織結成自体が情報部による工作だったという線も考えられるね。工作資金を稼ぎつつ情報網を構築する。いざという時は内応者として使える。なにせ、麻薬密売という秘密を握っているから、生殺与奪は思いのままだ」

「まさか。味方の兵士を食い物にするようなことを、情報部が組織ぐるみでやるなんてありえないでしょう?」

「敵を欺くには味方から欺けというじゃないか。アメリカ合衆国の中央情報局、ソビエト連邦の国家保安委員会、シリウスのチャオ・ユイルン機関、銀河連邦の連邦保安庁。人類史上に名高いこれらの情報機関だって、味方を犠牲にするぐらい何とも思っていなかった。彼らは協力者には誠実だが、それ以外に対しては冷酷だ」

「そんなこと、あるわけが…」

 

 口先では否定したものの、トリューニヒトの考察に一定の説得力があることを認めざるを得なかった。歴史上の事件に対する考察なら、面白がって受け入れることができたに違いない。しかし、現在自分が属している軍隊のことなら話は別である。

 

「ああ、済まない。少し言い過ぎたようだ」

 

 俺の顔色に気づいたのか、トリューニヒトはすまなさそうに言った。

 

「ともかく、アルバネーゼが帝国の政界、官界、軍部のエリート層にあまねく信頼できる内応者を抱えているのは事実だ。アルバネーゼが麻薬密売によって築き上げたネットワーク。それが情報部の工作の正体だよ」

「辺境二六星系の独立もアルバネーゼ退役大将と関係があるんですか?」

「あの辺りは帝国の最貧地域だ。アルバネーゼとカストロプ公爵は大金をばらまいて、貧しい辺境の人々を密輸の協力者に仕立てあげた。もちろん、辺境の貴族領主、地方長官、警備部隊なんかも取り込まれている。彼らもアルバネーゼに協力しなければ未来がない」

 

 アルバネーゼ退役大将が長年かけて築き上げてきた汚れた人脈。それが今回の出兵案の鍵を握っていたという事実に、頭がクラクラしてしまった。帝国では麻薬密売は死刑だ。組織的な密売に関与していたら、血縁者も連座させられる。内応者が裏切る心配はない。機密保持も内応者自身が命がけで取り組んでくれるだろう。恐れるべきは露見の可能性ぐらいだ。

 

「露見しなければ、成功するでしょうね。予想以上に捜査が進んでいたら、その限りではありませんが」

「情報部の分析では、二ヶ月から三ヶ月の猶予があるそうだ。捜査当局内部でカストロプ派と反カストロプ派の主導権争いが続いている。秋の人事異動までは決着しないだろうという見通しだ」

 

 前の歴史において帝国の辺境星系に侵攻した同盟軍は、ラインハルト・フォン・ローエングラムの焦土作戦によって補給難に陥って自滅した。アンドリューの作戦案でも焦土作戦の可能性については触れられていたが、「現政権の指導力では困難。実施しようとした時点で辺境星系が離反する。強行してくれた場合は、内応していない星系の離反も見込めるため、勝機と言える」と分析されていた。内応者の信頼性が問題であったが、それも心配いらない。辺境星系を補給拠点に利用できる。アンドリューの作戦案には、穴が見当たらない。

 

「ヴァンフリート四=二で捕虜を装って帝国に逃げ込んだエイプリル・ラッカムの一派は、事故死を装ってカストロプ公爵に匿われていた。奴らも動き出すだろうね」

 

 アルバネーゼ退役大将から麻薬組織を受け継いだ元同盟軍少将エイプリル・ラッカム。同盟軍と帝国軍を操って、ヴァンフリート四=二の混戦を演出したあの恐るべき策士の名前に戦慄を覚えた。アルバネーゼが帝国に対して勝負を仕掛けるなら、腹心中の腹心であるラッカムの知謀を使わないはずがない。

 

「あのラッカムが今度は味方になるんですか。なんか、釈然としない物を感じますね」

「もっと釈然としない話をしようか。軍を追放された麻薬組織の幹部達は、今どうしているか知ってるかい?」

「いえ、知らないです」

「みんなアルバネーゼの息がかかった企業に再就職した。そのほとんどが軍と取引のある企業だ。将官クラスは軍需企業の経営陣。佐官、尉官、下士官などは、軍から兵站業務や警備業務の一部を請け負う民間軍事会社、軍に技術者を斡旋する人材派遣会社などに高給の職を得た」

 

 人口に比して常備兵力が極端に少ない同盟軍を補完する存在が民間軍事会社、民間警備会社などと呼ばれる傭兵部隊である。退役軍人を中心とする傭兵部隊は、地方の後方警備や兵站、民間船団の護送などで活躍している。財政難の同盟にあっては、必要な時だけ雇用できる彼らは重宝される存在だった。辺境星系を占領するにあたって、相当数の傭兵部隊が雇用されて後方業務に従事することは間違いない。派遣技術者の需要も多いだろう。

 

「アルバネーゼ退役大将という人は、本当に信義に厚いんですね。自分のために泥を被った手下達にこんなに大きなビジネスチャンスをプレゼントするなんて」

 

 不快感を隠す気にもなれない。これではアルバネーゼとその一派の私戦じゃないか。それに軍部掌握の野望を諦めきれないロボス元帥の思惑が絡んでいる。

 

 いくら勝算が高い作戦とはいえ、結果オーライで正当な手続きを踏み外すようでは、勝っても禍根を残してしまう。結果オーライの勝利が無責任体制を作り出して、後日の敗北を招いた例なんて枚挙に暇がない。あの真面目なアンドリューが権力者のエゴに利用されるのも許せない。

 

「委員長、この戦いを止めることはできないんですか?」

「私にもどうしようもない。最高評議会の評議員は合計一一名。そのうち、改革市民同盟の五人、進歩党の三人が賛成に回る」

「反戦派の進歩党からも賛成者が出るんですか?」

「権力を失えば、反戦のイデオロギーも実現できないと思っているのだろう。そして、それは正しい」

 

 他人事のようなトリューニヒトの口調にイラっときてしまった。

 

「正しくないでしょう、そんなの!?」

「言ったはずだよ。政治家は自分では何も決められない。支持者に対する責任を果たすために、権力を握り続ける義務があると」

「彼らの都合はわかりました。では、あなたはどうなんですか?反対するんですよね」

「当然だ。軍政のトップとしてこんな戦争は認められない。それに出兵で国防予算を使いきってしまえば、地方部隊の増強もできなくなってしまう」

「評議員を説得してくださいよ!レベロ財務委員長やホアン人的資源委員長に話して、彼らも必死になって反対してくれますよ!」

 

 トリューニヒトは首を横に振った。

 

「彼らがそんなことも知らないほど愚かだとでも思っているのかね。わかっているよ。政治家の情報網を甘く見てはいけない」

「じゃあ、他の評議員に話しましょう!真相がわかったら、きっと…」

「彼らもわかっている。彼らもわかっていて、ロボス君とアルバネーゼの思惑に乗っている」

「では、今の話をマスコミに公表して…」

 

 俺がなおも話し続けようとすると、トリューニヒトは右手を開いて俺の口元に向け、腕をスッと伸ばした。これまで感じたこともない威圧感に、俺は言葉を失った。

 

「正しい答えがわかっていれば、正しい選択ができる。正しい答えを人に伝えれば、人は正しい選択をしてくれる。そう信じている人を見ると、羨ましくなるね。さぞ幸せな人生を生きてきたのだろう。そう思わないかい、エリヤ君?」

 

 嘲笑とも諦めともつかないような複雑な思いが、トリューニヒトの言葉には含まれているように感じられた。どう答えていいかわからない。

 

「権力者のもとには、大勢の人間が望みを叶えてもらおうと集まってくる。そんな人間が目となり耳となって、複数の立場からの情報を持ってきてくれる。正しいだけの答えなら簡単に知ることができる。しかし、そんなことに何の意味があるのかね。我々はその正しい答えをわかっているが、同時にその答えを選べない理由もわかってしまうんだよ。答えがわかってしまうというのは、本当につまらない」

 

 トリューニヒトは寂しげに微笑んだ。

 

「私が告発に乗り出したら、マスコミの幹部達は計算するだろう。私に味方するか、アルバネーゼに味方するか。私は答えを知っている。彼らは間違いなくアルバネーゼに付く。いかにマスコミとはいえ、最高評議会と連立与党と軍部と情報機関をすべて敵に回して生き延びられるほど強くはない。そして、アルバネーゼはあらゆる手を使って私を潰しに来る。人脈と金脈を断たれた私は破滅するだろう。君がそういう未来を望むなら、告発する価値もあるかもしれない」

「そんなつもりは…」

「私には支持者に対する責任があるんだ。私に理想を託した者、私に生活の安定を託した者、私とともに高みを目指そうと願った者。私が破滅したら、彼らも破滅してしまう。私にこの話を教えてくれた者にも迷惑がかかる。そんなことはできない」

 

 トリューニヒトが動けない理由がようやく理解できた。ロボス元帥のために泥をかぶろうとしているアンドリュー、そしてアンドリューを犠牲にしても生き延びようとするロボス元帥と同じだ。政治の世界で生きる彼は支持者を裏切れない。支持者が人質となって、大胆な行動を妨げる。

 

「君だってそうだ。ダーシャ・ブレツェリ、アンドリュー・フォーク、エーベルト・クリスチアン、イレーシュ・マーリア、クレメンス・ドーソン、アーロン・ビューフォート、第三六戦隊の幕僚チーム。暴発したら、君に期待をかけている者達がどうなるかを考えるといい」

 

 みんなの顔を思い浮かべた。正しさを通すために彼らに迷惑をかけることはできない。俺一人が破滅するならともかく、彼らまで巻き込むわけにはいかない。俺は将官として軍の最高幹部の末席に連なっているが、最高評議会まで動かせるような権力者に比べたら、アリにも及ばない存在だ。

 

「君はあの男とは違う。暴発するほど愚かではないと信じている」

「では、どうしてこんな話を俺にしたんですか?知っていて簡単に飲み込めるような話ではないですよ」

「第三六戦隊司令官を辞めてもらうためだ」

 

 トリューニヒトの言葉に面食らってしまった。意味がわからない。

 

「どういうことですか?」

「これは私のわがままだが、君にはこんなつまらない戦いに参加してもらいたくない。国防委員会に君のポストを用意する。実戦部隊から離れたくないなら、第一艦隊か第一一艦隊への転籍でも構わない」

「少し考えさせていただけますか?」

「構わない」

「たびたびのご厚意、感謝します。それでは失礼します」

 

 一礼して席を立ち、執務室のドアに向かって歩き始める。

 

「我々はいずれもっと強くなる。いずれアルバネーゼの力が落ちる時も来る。今は一つの局面にすぎない。戦いはこれからも続く。今は耐えてくれたまえ」

 

 振り向いてトリューニヒトに敬礼し、頭を下げてから俺は部屋を出て歩きだした。廊下の大きなガラス窓からは、眩しいばかりの夏の陽光が降り注いでくる。目に映る世界はこんなに美しいのに、政治はなんと汚いことだろうか。歴史の本の中の提督達は英雄のように神々しかったのに、俺ときたら泥沼に浸かりっぱなしだ。

 

 ゴールデンバウム朝の帝都オーディンを攻略するという未曾有の大作戦の前だというのに、俺の心は沈みきっていた。



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第七十六話:作戦名イオン・ファゼカスの帰還 宇宙暦796年8月6日 惑星ハイネセン、第三六戦隊司令部及び第一二艦隊司令部

 宇宙暦七九六年八月六日。自由惑星同盟最高評議会は賛成多数で帝国領侵攻作戦の実施を決定。昨日、トリューニヒトが予想したとおり、反対は彼自身と財務委員長ジョアン・レベロと人的資源委員長ホアン・ルイの三人。俺がそのニュースを知ったのは、第三六戦隊司令部の士官食堂で参謀達と一緒に食事をとっている最中だった。こうなるのがわかっていても、がっくりきてしまう。

 

 前の歴史では「諸惑星の自由」だった作戦名は、今回は「イオン・ファゼカスの帰還」に変更されている。国父アーレ・ハイネセンが流刑地から脱出する際に用いた宇宙船「イオン・ファゼカス号」から名前を取った野心的な作戦名だ。

 

 食堂のスクリーンの中では、ロイヤル・サンフォード最高評議会議長がスピーチを続けている。いつも通り、スピーチライターの書いた原稿をただ読み上げているだけの退屈な内容。記者の質問に対しても、官僚に吹き込まれたことがはっきりとわかるような型通りの答えを返している。

 

「建国以来未曾有の大作戦というのに、まったくこみ上げるものを感じさせてくれませんね。これも一種の才能かもしれません」

 

 そう酷評するのは情報部長ハンス・ベッカー中佐。追い詰められて亡命した彼にとって、イオン・ファゼカスの帰還作戦は待ちに待った機会であるはずだ。それなのにずいぶんと冷めている。

 

「この方の指導で帝国に侵攻するというのは不安ですな。対テロ総力戦の前科があります」

 

 サンフォード議長のリーダーシップに対する懸念を示しているのは、人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐。

 

 対テロ総力戦において、サンフォードが目立った失策を犯したわけではない。目立ちすぎたせいで、軍や警察の不手際の責任を押し付けられる形になってしまっただけだ。今回は正当な手続きを踏み外したことによって、ロボス派を除く高級軍人からの批判が集中するだろう。

 

 考えてみると、サンフォードもアンドリューと同じように、ロボス元帥とアルバネーゼ退役大将に汚れ役を押し付けられたようなものかもしれない。

 

「そういえば、対テロ総力戦が始まると同時にサンフォード議長の支持率上がったね。夢よもう一度ってところかな。国費で選挙対策というのは感心できないけどね」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐はのんびりした口調で辛辣なことを言う。反戦派である彼は、成算の有無にかかわらず大規模出兵を望んでいない。そんなことに使う金があったら、財政再建に取り組むべきと考えるのが反戦派だからだ。

 

「今、出兵されると困るんですよねえ。誰かさんが湯水のように使ってくれるおかげで、ビーム砲のエネルギーパックのストックが全然足りないんですよ。また集めなきゃ」

 

 後方部長リリー・レトガー中佐は俺の方を見てため息をつく。俺だってちょっと使いすぎてるんじゃないかとは思っている。しかし、訓練には金がかかる。訓練回数が多くなれば、物資の消費も多くなる。訓練内容に応じて、将兵に手当を支給する必要もある。しっかり鍛えておきたいという思いがある。用兵能力の欠如は練度で補うしかない。

 

「ほら、半リットルの汗は五リットルの血を節約するって言うじゃん」

「フィリップス提督、半リットルの汗をかくには一〇〇〇ディナールのお金がかかるんですよ」

 

 西暦時代の名将の格言を引いてごまかそうと思ったのに、見事にやり込められてしまった。

 

「でも、部下の命には換えられないじゃないか。きっちり訓練して前線に送り出すのは、指揮官としての義務だよ」

「砲撃訓練の回数が平均の二倍。他部隊から多すぎると苦情が出ています」

「でもさ、できるだけのことはやりたいよ」

「他の部隊だってそう思っているでしょうよ。それなのに泣く泣く予算を抑えています。そんな中でうちだけがたくさん予算を遣っていたら、反感を買いますよ。少しは自重してください」

 

 訓練や環境改善に熱心な俺の部隊運営には金がかかる。トリューニヒトとのコネを生かして、多額の予算を獲得して部隊の質を高めてきた俺に対し、他の部隊から不満が出ているとレトガー中佐は言っていた。

 

「わかった、気をつける」

 

 俺の返事にレトガー中佐は満足そうにうなずいた。彼女はドーソン中将の子飼いでトリューニヒト派の一員であったが、バランス感覚に優れている。

 

 トリューニヒトが国防委員長に就任して以来、二年連続で国防予算は増額されたが、増加分の多くは地方部隊増強に回されて、正規艦隊の予算はほぼ据え置き。正規艦隊に所属する部隊はやりくりに苦労して、訓練回数を抑える傾向があった。

 

 そんな中、優先的な予算配分を受けているトリューニヒト派の指揮官に対する反感は高まっていた。トリューニヒト派の中でも特に贔屓されている俺は、歩く不和の種のようなものだ。部隊間の不和は敗北のきっかけになる。注意する必要があった。

 

 スクリーンの中では、サンフォード議長の会見が終わり、出兵案に反対した財務委員長ジョアン・レベロの会見が始まった。自由惑星同盟最高評議会の評議員会議は、多数決方式を採用している。議論を尽くしたという形式を整えるため、評議会決定と異なる意見を述べた評議員の発言も認められている。

 

「これ以上市民に負担を強いるべきではないという私の考えを理解いただけなかった。それが残念です」

 

 憔悴しきったレベロは言葉少なに語った。語られた内容よりも語った人物の表情からより多くのメッセージを感じ取れる。彼は政策議論には長けているが、スピーチはうまくない。言葉で人を魅了する力はトリューニヒトの足元にも及ばないだろう。しかし、口下手だからこそレベロの言葉は信頼できると考える有権者も多い。その評価を裏付けるようなスピーチだった。

 

 レベロの次は国防委員長ヨブ・トリューニヒト。主戦論者の彼が出兵案に反対したというのは、多くの者にとって意外だったようだ。士官食堂でスクリーンを見ている者のほとんどが驚きの色を示している。トリューニヒトの政策をちゃんと知っていれば、彼が国内治安を最優先していることは理解できるはずだ。パフォーマンスにばかり注目されて、政策が注目されないのは残念に感じる。

 

「私は愛国者です。しかし、これは常に主戦論に立つことを意味するものではありません。私がこの出兵に反対であったことを覚えておいていただければ、それで十分です」

 

 トリューニヒトは落ち着いた表情で自分が愛国者であること、そして反対したという事実を強調して語る。ここでも政策論を押し出そうとしない。有権者のイメージに訴えるトリューニヒトらしいといえるが、自分が作り上げた強硬な主戦派というイメージに引きずられている部分もあるように思える。

 

 トリューニヒトが会見を終えると、一週間前に未成年女性相手の性交疑惑で辞任したグロムシキンの後任の情報交通委員長コーネリア・ウィンザーがマイクの前に立った。かつては主戦派寄りのニュース番組「フリーダム・ニュース」のキャスターとして人気を博し、気品のある美貌と歯切れのいい口調に定評がある。巧みなパフォーマンスによって主戦派の人気を集めていた。政治スタイル、支持層ともにかぶっているトリューニヒトとはライバル関係にある。

 

「アーレ・ハイネセンがアルタイルの流刑地から脱出して三百二十三年。民主主義がゴールデンバウム朝を打倒する時がやってきました。本日をもって、人類は専制政治に対する総反撃を開始します」

 

 地味な服装で背筋をまっすぐに伸ばしたウィンザーは、修道女のように禁欲的に見えた。凛とした声は儀式の開始を告げるかのようだ。

 

「ルドルフの帝国を打倒し、人類を圧政から解放する。その崇高なる目的のために私達は戦い続けてきました。そして、ついに最終決戦の時を迎えるのです。正義は私達に味方しています。三色旗を掲げた解放軍が赴くところ、敵はことごとく粉砕されることでしょう。私は皆さんにこの戦いを支持したという事実を伝えられる機会を与えられことを心の底から誇りに思います」

 

 ウィンザーの語る言葉は単なる美辞麗句であったが、元ニュースキャスターらしい透き通った声質と計算された抑揚はある種の音楽のようだった。軽快なポップスのようだと言われるトリューニヒトのスピーチに対し、美しい聖歌のようだと言われるウィンザーのスピーチの真骨頂を見た思いがした。

 

 士官食堂のあちこちから拍手の音が聞こえる。俺が出兵に賛成する立場だったら、一緒に拍手していたかもしれない。そんなことを思っていると、同じテーブルからむやみに大きな拍手の音が聞こえた。

 

「いやあ、素晴らしいですね!心がたぎりますよ!」

 

 拍手の主を確認して、軽く頭痛がした。人事参謀のエリオット・カプラン大尉だ。

 

「俺ね、子供の頃からウィンザー先生のファンなんですよ。ほら、お姉様って感じじゃないですか。フリーダム・ニュース、毎日見てました」

 

 おまえの女性の好みなんか知るか、と思ったが、突っ込むのも面倒くさくて黙っていた。同じテーブルを囲んでいる参謀達も、「何言ってんだ、おまえ」と言わんばかりの表情でカプラン大尉を眺める。ウィンザーの著書を何冊も持っている作戦部長代理クリス・ニールセン少佐すら、非好意的な視線を向けている。

 

「これから忙しくなりますね、提督」

 

 食べかけのサンドイッチを右手に持った参謀長チュン・ウー・チェン大佐は、何事も無かったかのような口ぶりでそう言って、強引に話題を変えてくれた。こんな時、空気をまったく読まない人は強い。

 

「そうだね、参謀長」

「おそらく、今回の出兵では第一二艦隊も動員されます。昼食が終わったら、対応策を練る必要があるでしょう」

「司令室に戻ったら、さっそく参謀会議を招集するよ」

 

 食事を終えて司令官執務室に戻ると、第一二艦隊司令部から連絡が入っていた。緊急の艦隊将官会議を開くから集まれというのだ。出兵案通過を受けて、第一二艦隊全体の対策を協議するのだろう。参謀会議を開くどころではなくなった。俺はすぐに準備をして、副官のコレット大尉、参謀のカプラン大尉を連れて公用車に乗り込んだ。

 

 

 

 艦隊将官会議には、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将、副司令官兼第一分艦隊司令官ヤオ・フアシン少将、参謀長ナサニエル・コナリー少将、副参謀長シェイク・ギャスディン准将の他、分艦隊司令官三人、戦隊司令官一六人が出席した。

 

 アイボリー色の髪を綺麗に撫で付け、口髭を整えている紳士的な風貌のボロディン中将は、シトレ派らしいノブレス・オブリージュの持ち主だった。平時にあっては自制的態度、戦場にあっては指揮官先頭を旨とする。慎ましい性格で自己アピールを好まず、交際を広げようともしない。同盟軍エリートの一つの理想像とも言えるその姿からは、前の歴史の帝国領侵攻作戦において、味方を逃がすために直率部隊だけで踏み留まり、残り八隻になるまで奮戦して自決した闘将の面影は感じられない。

 

 そんなボロディン中将がトップにいる第一二艦隊の上層部では、反戦的なシトレ派が多数を占めていた。将官会議では、統合作戦本部の頭越しに出兵案を最高評議会まで持ち込んだ宇宙艦隊総司令部の若手参謀グループの行動を「軍部の秩序を乱す行為」と批判する意見、イゼルローン要塞を手中にした今こそ和平の機会なのに出兵はおかしいという意見、アスターテで失われた三個艦隊の再建を優先すべきという意見など、現時点の出兵に対する異議が相次いだ。

 

 彼らに同調して意見を述べたいところであったが、この艦隊の反戦的な感情の矛先は、主戦派指導者の国防委員長ヨブ・トリューニヒトに後押しされて提督になった俺にも向けられている。将官の中で最後任だったこともあって、将官会議での俺の発言権は皆無に近かった。

 

「必要性も正当性も皆無。成否以前の問題」

 

 そう断じた参謀長コナリー少将に対し、列席した将官達は惜しみない拍手を送った。拍手をするかどうか迷い、控えめに手を叩くことで同調の意志を示す。

 

 拍手の仕方一つでも他人に遠慮しなければならない立場というのは本当に窮屈だ。出世すればするほど権限は大きくなっていくが、立場上できないことも多くなっていく。トリューニヒトが言ったとおり、正しい答えがわかっていても、その答えを選べない理由がわかってしまうというのが政治の泥沼である。

 

「議論が尽くされたところで、今日の将官会議は終了とする」

 

 ずっと腕を組んで一言も発言していなかった司令官ボロディン中将は、拍手が鳴り止んだのを見計らって、会議の終了を宣言した。

 

 結局、今日の第一二艦隊将官会議は納得行かないという出席者の感情を発散するだけの結果に終わった。非生産的といえば非生産的かも知れないが、出兵案の詳細が現場まで下りてきていない現状では、実行面に踏み込んだ議論のしようもないだろう。ガス抜きをさせるつもりでいたから、ボロディン中将は黙っていたのかもしれない。

 

 

 

 出兵案に反対したトリューニヒトは言うまでもなくスピーチの達人。レベロとホアンは反戦派の中でも名うての論客。彼らが揃って反対しても、出兵案を覆すだけの説得力を持てなかった。前の歴史で言われていたような愚案なら、簡単に評議員を説得できただろうに。成功の可能性を感じられる案であるがゆえに、権力闘争の世界で生き抜いた猛者達が乗ってしまった。

 

 アンドリューが凡人でもわかるような愚策を出すような狂人になってしまっていたら、俺だって前の歴史で起きたことを踏まえつつ、論破できただろう。しかし、この歴史のアンドリューは聡明で、前の歴史にあったような素人にもわかる穴は見当たらない。

 

 いや、アンドリューを論破することには全く意味が無い。表に立って動いているのは彼を中心とする若手参謀グループだが、実際にはバックにいる実力者のロボス元帥とアルバネーゼ退役大将が自派の総力を上げて作戦案を作り上げたに違いない。アンドリューは得意の行軍計画を担当したに過ぎないだろう。友人を説得することもできない俺には手も足も出ない。あのトリューニヒトですら、敵に回せば破滅すると言った相手なのだ。

 

 エル・ファシル動乱、第七方面管区司令部襲撃、エルゴン星系侵入、対テロ総力戦の一連の流れの中で軍情報部の威信が傷つかなければ、アルバネーゼ退役大将がロボス元帥と手を組むこともなかったはずだ。前の歴史では起きなかった事件がアルバネーゼ退役大将を引きずり出して、作戦案に説得力を与えてしまった。

 

 さらに言うと、エル・ファシル動乱の引き金となった五年前の地上戦も前の歴史では起きていない事件だ。そして、これらの事件は前の歴史の七九六年時点で帝国の捕虜収容所にいた俺を、今の歴史で提督まで押し上げる原動力となっている。今の歴史と前の歴史は同じような事件が起きつつも、エル・ファシルを台風の目として異なる展開を見せつつある。

 

 前の歴史における帝国領侵攻作戦「諸惑星の自由」は惨敗によって同盟に打撃を与えた。しかし、今回の「イオン・ファゼカスの帰還」は勝利によって同盟を混沌に陥れるだろう。帝国領侵攻作戦の成功という巨大な戦果は、結果オーライの暴走を軍人に許す悪しき前例となる。

 

「ほどほどに負けて手を引いてくれないか」

 

 そんな思いが頭の中によぎり、すぐに打ち消した。味方の負けを願うなど、軍人としてあってはならないことだ。どのような未来が待ち受けていようとも、俺にできるのは能力と権限の範囲で最善を尽くすことだけである。

 

『我々はいずれもっと強くなる。いずれアルバネーゼの力が落ちる時も来る。今は一つの局面にすぎない。戦いはこれからも続く。今は耐えてくれたまえ』

 

 トリューニヒトが昨日の別れ際に語った言葉を思い出した。今は耐える時だ。

 

 テルヌーゼンの補欠選挙で勝負を焦ったトリューニヒトは、憂国騎士団の暴力に頼って敗北した。正当な手続きを踏まなければ、一時的な成功を収めても最終的には信用を失って敗北してしまう。

 

 今の俺がなすべきことは目の前の職務に精励して、信用を積み重ねることだった。俺の軍人生活において、一番の力になったのは努力によって勝ち得た信頼、そして一緒に汗をかいた仲間達だった。

 

 出兵準備のために深夜まで残業した俺は、誰もいなくなった戦隊司令官室でトリューニヒトへの直通ホットラインを開く。軍部でこのホットラインを使えるのは、俺、国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将、統合作戦本部管理担当次長スタンリー・ロックウェル中将ら数人だけだ。

 

「どうしたんだね、エリヤ君」

 

 スクリーンの中のトリューニヒトは、深夜だというのにきっちりとスーツを着こなしていた。国防委員会も深夜まで出兵の準備に追われていたのだろう。

 

「第三六戦隊司令官辞任のお話ですが、お断りさせていただきます」

「彼らの私戦に付き合うつもりかい?」

「私戦に付き合うつもりはありません。しかし、四ヶ月近く育てた部隊には付き合いたいと思っています」

 

 俺がそう答えると、トリューニヒトは小さくうなずいた。

 

「君らしい答えだ。私は君の選択を尊重しよう」

「委員長閣下が支持者を裏切れないように、俺も部下を裏切ることはできません。さしたる才能もない俺にとって、唯一の財産は信用です。それを大事にしたいのです」

 

 一瞬だけ、トリューニヒトがとても悲しげな表情をしたように見えた。しかし、スクリーンの中のトリューニヒトはいつものように穏やかな笑みを浮かべている。

 

「本当に惜しむべきは、君の生き方だった。泥沼に浸かっていると、そんな簡単な事も忘れてしまうらしい」

「どういうことですか?」

 

 トリューニヒトは俺の問いに答えずに、通信を切った。

 

 今回の出兵に関して思うところはいろいろあるけれど、第三六戦隊から離れることはできない。その決意をトリューニヒトに伝えることで、俺は迷いを振り切った。



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第七十七話:光ある現実、豊かな可能性を信じるために 宇宙暦796年8月13日 惑星ハイネセン、統合作戦本部

 帝国領侵攻作戦「イオン・ファゼカスの帰還」実施が最高評議会で決定されてから六日経った八月一二日。統合作戦本部で作戦会議が開かれて、遠征軍の陣容が正式に決定した。

 

 総司令官は宇宙艦隊総司令官のラザール・ロボス元帥。同盟軍を代表する用兵家とされていたが、ここ二年は精彩を欠いて失脚寸前だった。イオン・ファゼカスの帰還作戦は彼が再起を賭けて練り上げた作戦と言われる。

 

 総参謀長は宇宙艦隊総参謀長と統合作戦本部作戦担当次長を兼ねるドワイト・グリーンヒル大将。同盟軍で最も広い交際関係を持つと言われる社交家である。シトレ派ではあるがロボス元帥とも良好な関係を保ち、トリューニヒト派との関係も悪くない。すべての派閥と話ができる彼は、参謀チームの運営には欠かせない存在だ。

 

 作戦主任参謀は宇宙艦隊副参謀長のステファン・コーネフ中将。士官学校を卒業してから二〇年以上にわたってロボス元帥に仕え、「趣味はラザール・ロボス。好物はラザール・ロボス」と公言するほどの忠臣だ。大雑把なロボス元帥を緻密な頭脳で支えてきた名参謀である。

 

 情報主任参謀は宇宙艦隊総司令部の情報部長カーポ・ビロライネン少将。ロボス元帥が元帥号を得るきっかけとなったタンムーズ星域会戦において、奇襲のきっかけとなる情報を掴んで、情報屋としての評価を確固たるものとした。俺の軍歴の中で最大の汚点となっているエル・ファシル義勇旅団の参謀長だった彼にはあまり良い印象がないが、それでも能力は認めざるを得ない。彼もまたロボス元帥の忠実な腹心の一人だった。

 

 後方主任参謀は統合作戦本部長次席副官のアレックス・キャゼルヌ少将。シドニー・シトレ元帥の腹心で三人の主任参謀の中では唯一の非ロボス派だった。誰が総司令官を務めたとしても、三〇〇〇万将兵の後方支援を取り仕切れる人物は、同盟軍後方部門の第一人者として知られる彼を置いて他にないと評価しただろう。前の歴史において、ヤン・ウェンリーの後方支援を担当した人物だった。

 

 主任参謀の下にいる作戦参謀、情報参謀、後方参謀の六割はロボス派、三割がシトレ派、一割がトリューニヒト派だった。遠征を主導するロボス派が過半数を占めるのは当然だろう。全軍の作戦指導にあたる統合作戦本部を地盤とするシトレ派は、遠征に反対であっても協力的な姿勢を見せざるを得ない立場にあった。味方の足を引っ張ることを潔しとしないシトレ元帥の高潔な性格の影響も大きい。

 

 それに対し、トリューニヒト派は非協力的な姿勢を露骨に示していた。遠征軍参謀への選任を断る者、動員される部隊から転出する者が相次ぎ、遠征軍に責任を負うことそのものを拒否している。トリューニヒトのやり方は、派利派略に走りすぎていると激しく批判された。トリューニヒトに近い俺でも違和感を感じたほどである。

 

 遠征軍の主力としては、現存する一〇個正規艦隊のうち、海賊討伐作戦「終わりなき正義」作戦に参加した第一艦隊、第一一艦隊を除く八個正規艦隊が動員される。

 

 同盟軍の正規艦隊はあらゆる任務を単独でこなすことを想定されているため、戦艦中心の打撃部隊、巡航艦と駆逐艦中心の機動部隊、攻撃母艦中心の航空部隊、揚陸艦中心の陸戦部隊、補給艦と工作艦中心の後方支援部隊がバランス良く配備されていた。

 

 前の歴史の本では、司令官の一存で部隊構成を変更できる帝国軍の正規艦隊と比べると編成の柔軟性に欠けていたと評され、同盟軍の敗因の一つに挙げられていた。しかし、現時点では偏った編成の帝国軍正規艦隊を圧倒しており、単なる結果論といえよう。

 

 第三艦隊は自由惑星同盟がロフォーテン星系を盟主とする旧銀河連邦のロストコロニー八星系連合軍と戦っていた頃に創設された伝統ある部隊だった。三年前のタンムーズ星域では、宇宙艦隊司令長官ツァイス元帥が直率する右翼部隊を粉砕して勇名を馳せている。ここ二年は前線から遠ざかっていた。

 

 司令官のシャルル・ルフェーブル中将は、四八年の軍歴の中で一度も軍中央や艦隊司令部で勤務したことがない生粋の軍艦乗りだった。士官学校での成績は最後尾に近く、武勲のみで現在の地位を得ている。二年後に定年を控えており、今回の出兵が最後の戦いとなるだろう。

 

 第五艦隊は帝国と同盟がダゴン星域において衝突した後に、第六艦隊とともに対帝国戦力として編成された。シャンダルーア会戦ではフレドリク・アールグレーン提督、第二次ティアマト会戦ではウォリス・ウォーリック提督の指揮のもとで同盟軍史に残る武勲を立てた名誉ある部隊である。去年の第三次ティアマト会戦では、敵の右翼部隊を良く抑えている。

 

 司令官のアレクサンドル・ビュコック中将は、二等兵から一階級ずつ昇進して現在の地位を得た叩き上げの神様だ。強烈な反骨精神と戦闘精神を持つ典型的な「戦う男」である。砲術畑出身だけあって、弾幕射撃による濃密な火線構築は神業と言われていた。前の歴史では、元帥・宇宙艦隊司令長官まで昇進して、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムと二度にわたって戦った英雄である。

 

 第七艦隊はコルネリアス一世の大遠征の際に、迎撃用の戦力として急遽編成された。歴戦の部隊であったが、武勲よりは初代司令官のファン・バン・ミム提督の事故死、七一三年のアルバラ事件、七四三年の旗艦ディオクレア爆発事故といった数々の不幸な事故で知られている。

 

 司令官のイアン・ホーウッド中将は、人事畑や教育畑を歩いてきただけあって、人事管理能力に定評がある。勇猛ではあるが不公平な前任者が混乱させた第七艦隊の人事体制立て直しを期待されて起用され、期待通りの成果を上げた。決して実戦に弱いわけではないが、本質的には後方向きの人材とされる。

 

 第八艦隊は第七艦隊と同時期に、コルネリアス一世率いる親征軍を迎え撃つべく編成された。三度にわたって壊滅した経験を持ち、正規艦隊の中で最も武勇の伝統が息づく部隊と言われている。

 司令官のサミュエル・アップルトン中将は、ロボス元帥の薫陶を受け、高度な柔軟性と臨機応変な対処を旨とするロボス流の用兵を最も忠実に受け継いだ。部隊運営能力も高く、一個艦隊の司令官としては最良の人材と評される。三年前までは同盟軍最優秀の提督と言われていたが、ロボス元帥の名声低下に引きずられるように評価を落としていった。今回の遠征では奮起が期待される。

 

 第九艦隊は膨大な亡命者が帝国から流入してきた六八〇年代に、その受け皿として編成された二個艦隊の一つだった。そのため、艦隊内でのみ通用する俗語に帝国語由来の物が多い。正規艦隊の中では比較的歴史が浅いが、シャンダルーア会戦。フォルセティ会戦、第三次ティアマト会戦などで武勲を重ねており、古参艦隊に勝るとも劣らない勇名を誇る。

 

 司令官のアル・サレム中将は、艦載機スパルタニアンのパイロット出身で母艦飛行隊長、攻撃母艦艦長、艦隊空戦団長を歴任した後に提督となった。航空畑のベテランだけあって、強引に混戦に持ち込んで戦艦部隊と艦載機部隊の火力で敵を制圧する用兵を得意とする攻勢型の提督である。

 

 副司令官と第一分艦隊司令官を兼ねるライオネル・モートン少将は、無愛想な表情と劣勢でも決して崩れない用兵から「鋼鉄の提督」の異名を持つ。士官学校を出ていない上に、人間関係が不得手であるにも関わらず、異数の大功を重ねて四〇代の若さで将官に至った。モートンを同盟軍随一の用兵家と評価する者も多い。

 

 第一〇艦隊は第九艦隊と同様に、六八〇年代に亡命者の受け皿として編成された。長らく武運に恵まれなかったが、イゼルローン要塞が建設された七五〇年代から急速に台頭し、ここ数年は最も武勲の多い艦隊である。昨年のエルゴン星域会戦では、全軍を敗北の淵から救う殊勲を立てた。

 

 司令官のウランフ中将は正規艦隊の中でも特に勇名が高く、攻勢における果敢さと守勢における粘り強さの双方において最高峰にあると評される。その人格は軍人というより武人であると言われ、大舞台に強いスター体質でもある。実績、声望共に抜群で、いずれは統合作戦本部長か宇宙艦隊司令長官になる人材と目されていた。

 

 第一二艦隊は正規艦隊の中でも新しい部隊だった。伝統が浅いがゆえに進取の気性に富んだ士官が集まり、最もリベラルな艦隊と言われる。先進的な部隊運営手法が真っ先に取り入れられる艦隊でもある。俺が率いる第三六戦隊はこの艦隊に所属していた。

 

 司令官のウラディミール・ボロディン中将は、同盟軍で最もスマートな人物と言われる。鍛え上げた精鋭を整然と運用して着実な実績をあげた有能な指揮官であるが、スマート過ぎて積極性に欠けるという指摘もある。実戦より軍政に高い適性のある人物であると評価されていた。

 

 第一三艦隊はアスターテ星域で壊滅した第四艦隊と第六艦隊の残存戦力で構成される半個艦隊規模の部隊だったが、今回の出兵に際して第二艦隊の残存戦力も指揮下に加えて、一個艦隊規模に増強された。三ヶ月前にヤン・ウェンリー提督の指揮でイゼルローン要塞を攻略したことによって、全宇宙を驚かせたことは記憶に新しい。

 

 司令官は二〇代にして正規艦隊司令官に就任するという異例の出世を遂げたヤン・ウェンリー中将。イゼルローン要塞攻略に示した奇略がクローズアップされるものの、作戦畑出身だけに緻密な計算と分析に基づく合理的な用兵をする提督だ。リーダーシップ、人事管理能力も抜群に高い。前の歴史において、ヤンに率いられた第一三艦隊が全宇宙最強部隊の名をほしいままにしたことは紹介するまでもないだろう。

 

 その他、正規艦隊に属さない分艦隊、戦隊規模の独立部隊が総司令部の直轄下に入り、必要に応じて正規艦隊の支援や輸送艦隊の護衛などに投入される。

 

 今回の出兵では、有人惑星での戦闘も視野に入れなければならない。歩兵部隊、機甲部隊、大気圏内航空部隊、水上部隊といった地上戦部隊、宇宙からの降下戦闘を担当する陸戦隊も動員される。各星系政府が保有する治安部隊や民間軍事会社の傭兵も後方警備要員として多数参加する。

 

 補給、輸送、整備、通信などの後方支援要員、占領地住民の支持を獲得するための民事作戦に従事する経済や行政のプロが動員されるのは言うまでもない。職業軍人だけでは必要な数を満たせないため、軍は多数の民間人専門家と有期雇用契約を結んだ。

 

 総動員数は約三〇〇〇万。同盟軍全軍の六割にあたる。戦闘艦艇は約一二万隻、後方支援に従事する補助艦艇は約一〇万隻。一つの作戦に動員される戦力としては人類史上第六位。ゴールデンバウム朝と自由惑星同盟の二大国時代にあっては、一二七年前に同盟を滅亡寸前まで追い込んだゴールデンバウム朝二四代皇帝コルネリアス一世の大親征をも凌ぐ最大規模であった。

 

 

 

 統合作戦本部のカフェルームで動員部隊リストを読んでいた俺は、ランチについてきたアイスクリームが溶けるのも忘れて、同盟史上空前の大動員にただただ息をのむばかりであった。公的にも私的にも今回の出兵に反対の立場をとっている俺であっても、ロマンチシズムをかきたてられずにはいられない。

 

「いや、もう壮挙という他ないですよね」

「そうだね」

 

 俺の向かいで紅茶を飲んでいる統合作戦本部人事参謀部補任課長イレーシュ・マーリア大佐は、形の良い眉をしかめ、もの凄く不機嫌そうに答えた。

 

「三〇〇〇万ですよ、三〇〇〇万」

「あっそう」

 

 イレーシュ大佐は感情のオンとオフが極端だ。現在はオフである。何とかしてオンに持って行こうと務めても、とりつくしまもない。

 

「大佐はもともと賛成していらしたじゃないですか」

「今日から反対する」

「そんなに嫌なんですか?」

「当たり前でしょ。なんでホーランドの参謀長なんかやんなきゃいけないのさ」

「断れば良かったじゃないですか」

「私が頭下げられて断れる性格だと思う?」

「すいません」

 

 彼女の不機嫌の源は、ウィレム・ホーランド少将にあった。前線勤務を渇望していたホーランド少将は、今回の出兵案を実現させるための根回しに動いた褒賞として、第三艦隊の分艦隊司令官の地位を獲得すると、あちこちに散らばっていた腹心を呼び寄せて参謀チームを再結成しようとした。

 

 しかし、参謀長に据える予定だったラジャン准将は、無認可屋台で食べた深海魚料理がきっかけで悪質な伝染病に感染して隔離入院中だった。その代わりに士官学校の同期だったイレーシュ大佐が参謀長に指名されたのである。

 

「ホーランドはともかく、ラジャンは友達だからねえ。他の参謀も半分以上は同期だし」

「しかし、ホーランド少将はどうして大佐を参謀長に指名なさったんでしょうか」

「リーダーシップをとれる人材が他にいないんだよ。ホーランドは天才だからねえ。大きすぎる才能は他人の個性を殺してしまうから」

「そうなんですか?ホーランド少将の下で経験を積んだ人はみんな優秀でしょう?」

 

 エル・ファシル動乱において活躍したアーロン・ビューフォート准将は、ホーランド少将のリーダーシップによって花開いた人物だった。第六次イゼルローン攻防戦の用兵を見ても、ホーランド少将のスタッフの力量が優れていることは明らかだろう。

 

「確かにホーランドの下にいたら、スキルはどんどん伸びていくよ。でも、ホーランドに頼りきりになって、自主性はどんどん無くなっていく。リーダーとしてのホーランドの欠点は、頼りになりすぎることなの」

「上官が頼りになるに越したことはないじゃないですか」

 

 ヴァンフリート四=二基地攻防戦のセレブレッゼ中将を思い浮かべる。世話になった人だし、優れたリーダーと思っているが、実戦では本当に頼りにならなかった。

 

「リーダー以外にまとめ役になれる人間がいない組織は脆いよ?どんな優秀なリーダーでも体はひとつしか無いからね。リーダーではカバーできない部分を補うこともできないし」

「ああ、確かに」

 

 第三次ティアマト会戦で第一一艦隊が敗北寸前に追い込まれたのは、参謀に頼らずに指揮を続けたドーソン中将が疲れきって判断力を失ったせいだった。ドーソン中将の狭量さを補って、代わりに参謀をまとめてくれる人物がいれば、あんなことにはならなかったはずだ。イレーシュ大佐の言うとおり、リーダーシップのあるサブリーダー的な人間は複数いた方がいい。

 

「ラジャンにしたって、ホーランドの下にいなかったらとっくに少将になってるよ。ホーランドが凄すぎて、小さくまとまっちゃった」

「大佐の同期で准将というだけでも相当なものじゃありませんか?」

 

 無認可屋台で魚料理を食べて病気になるような不注意な人がそんなに優秀とも思えないが、軍人としての能力はまた別なのかもしれない。実際、ラジャン准将は三〇代前半で将官になっている。そんな人すら霞ませてしまうホーランド少将って、どれほど凄いのか想像もつかない。

 

「アンドリュー君とおんなじだよ。リーダーになれる才能があるのに、強すぎる個性と出会ってしまったせいで、自分で自分の可能性を限定してしまったのね」

 

 その言葉で納得がいった。普通に考えれば、二六歳で将官になったアンドリューは小さくまとまったとはいえない。しかし、アンドリューの資質なら、自力でリーダーシップを取ることも出来たはずだ。それなのに、トリューニヒトですら「軍人にしておくのはもったいない」と認めるロボス元帥という凄いリーダーに出会って、人の上に立つ気持ちを無くしてしまった。

 

 一二日に統合作戦本部で開かれた将官会議に出席したアンドリューは、空疎な美辞麗句を並べ立てた演説に終始して、具体的な作戦の見通しを示さずに列席する提督を呆れさせたそうだ。ヤン中将に批判されると、人格批判を行ってビュコック中将に叱りつけられるという醜態まで晒している。前の歴史の無能参謀そのままの姿に、頭が痛くなった。

 

「どうしてああなってしまったのだろうか。彼への接し方を間違えてしまったのかもしれん」

 

 会議の様子を教えてくれたスタンリー・ロックウェル中将は、ため息混じりにそう言っていた。ロボス元帥が宇宙艦隊副司令長官だった頃に参謀長を務めていた彼は、新米士官だった頃のアンドリューを指導している。いわば、アンドリューをロボス元帥の家族にした責任者の一人だ。現在はトリューニヒト派に移籍しているが、古巣との縁が完全に切れたわけではない。暴走するロボス元帥とアンドリューに、いろいろと思うところがあるだろう。

 

 帝国領内の内応者との兼ね合いから、表に出せないことが多すぎて、ごまかさざるを得ないアンドリューの立場はわかる。しかし、他人の反感を買うような言い方をする必要は無いはずだ。グリーンヒル大将やコーネフ中将のようにもっとこなれたごまかしができそうな人に頼めば良かったのに。

 

 この戦いがどんな結果に終わっても、軍組織の中にアンドリューの居場所は残されていない。それがわかっていて、アンドリューは矢面に立っている。どこでボタンを掛け違えてしまったんだろうか。もう引き返せないのだろうか。

 

 そんなことを考えていると、イレーシュ大佐が怪訝そうに俺を見ているのに気がついた。

 

「どうしました?」

「いや、いきなり黙りこんで目に涙浮かべてるから気になってさ」

「あ、いや、眠いんですよ。ほら、最近は準備で忙しいから」

「そっかあ、司令官だもんね」

 

 俺のごまかしに気づかないはずがないのに、話を合わせてくれる。イレーシュ大佐がそういう人であることは知っているけど、それでも感謝せずにはいられない。

 

「揚陸群を抱えてるうちの部隊は宙陸両用作戦担当なんですよ。だけど、艦隊戦の訓練ばかりしてて、陸戦隊との統合運用訓練は全然やってなかったんです。準備が大変で大変で」

「今日、ここに来たのも陸戦総監部に相談するためだったね」

「ええ、陸戦屋の知り合い少ないですからね」

「クリスチアンおじさんは?」

「あの人は地上戦専門で宙陸両用作戦の経験無いんですよ」

「でも、経験者の知り合いはいるんじゃない?昨日、このビルの廊下で第八強襲空挺連隊のワッペン付けてる人と話してるの見たよ」

「本当ですか!?」

 

 俺が驚いたのには二つの意味がある。一つは第四方面管区で教育隊長を務めているはずのクリスチアン大佐がハイネセンにいること。もう一つは第八強襲空挺連隊という同盟軍最強の陸戦部隊の名前が出てきたことだった。

 

 同盟軍最強の陸戦部隊といえば、多くの人は亡命者部隊のローゼンリッターの名前をあげるだろう。常に激戦地に投入されて、帰る場所を持たないはみだし者であるがゆえに命知らずの戦いぶりを見せる。特殊戦の訓練を受けた彼らは、山岳地帯や森林地帯では数十倍の一般兵を足止めすることも可能だ。「ローゼンリッター一個連隊は一個師団に匹敵する」という評価は控えめとすら言える。

 

 一方、同盟市民出身者のエリート部隊である第八強襲空挺連隊は、決定的な場面まで切り札として温存されているため、知名度、武勲ともにローゼンリッターに劣っている。しかし、専門家の間では同等の戦闘力を持つと評価されていた。軍上層部は忠誠心の点から第八強襲空挺連隊をより高く評価していると言われる。

 

 激戦地で使い潰されるローゼンリッターは軍上層部に大事にされている第八強襲空挺連隊を「ハイネセンのマネキン」と呼び、エリートを自負する第八強襲空挺連隊は忠誠心に欠けるローゼンリッターを「ならず者集団」と呼んで、お互いに対抗意識を燃やしていた。

 

 どちらの部隊もルックスを選抜基準にしているとしか思えないほどに整った容姿の隊員を揃えていて、見栄えの良さまで張り合っているかのようだった。ネットではローゼンリッターと第八強襲空挺連隊のファンが不毛な争いを日夜展開している有り様だ。

 

「本当だよ。ちゃんと顔見てなかったけど女性だったね。あの堅物おじさんでも女の人と会話できるんだって驚いた」

「そりゃ、陸戦部隊にも女性はいますから」

 

 同盟軍の陸戦部隊は男女平等の見地から、少ないながらも女性兵を受け入れている。第八強襲空挺連隊もその例外ではない。しかも、美人が多い。

 

 ネットの軍事マニアの間で第八空挺連隊四大美人とされる四人の女性隊員は、それぞれ「女神」「太陽」「天使」「花」の通称で呼ばれていた。豪奢な金髪と秀麗な美貌を持つ「女神」、ぷっくりつやつやした顔にむっちりした体が健康的な「太陽」、童顔というより幼顔で可愛らしい「天使」、清楚で気品のある「花」はいずれも人気が高い。

 

 対帝国宣伝のために隊員がメディアに出ることが多いローゼンリッターと異なり、第八強襲空挺連隊は広報活動をまったくしていない。軍の広報誌への記事掲載も拒否していて、ネットで隊員の画像を見つけたらすぐに削除要請してくる。ローゼンリッターが広報活動にまったく寄与していない第八強襲空挺連隊をマネキンと呼んでいるのもある意味正しい。それはともかく、画像が少なく名前も経歴も不明の四大美人がネットユーザーの想像をかきたてて、第八強襲空挺連隊の人気に寄与していることは確かだった。

 

 こんな話をなぜ俺が知っているのかといえば、参謀のエリオット・カプラン大尉のせいだった。仕事をまったくしない彼に自覚を持たせようと思って連れ歩いたら、死ぬほどくだらないおしゃべりをさんざん聞かされた。仕事人間の俺にとって、プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味がないカプラン大尉と話すのは苦痛だった。太っているコレット大尉に体重を聞いているのを見るに及び、連れ歩くのをやめて一日も早く転出させることに決めた。

 

「私も陸戦部隊行けば良かったな。そしたら、ホーランドの参謀長なんてやんなくて済んだのに」

「確かに大佐の身長なら、第八強襲空挺連隊でも結構いいところ行けそうですね」

 

 陸戦部隊の女性隊員は身長が高い人が多い。第八強襲空挺連隊の四大美人も画像から判断すると、みんな一七五センチは超えている。一八〇センチを超えるイレーシュ大佐なら、十分に通用する。容姿だって、四大美人を五大美人にできるだけのものはある。そんなことは面と向かって言えないが。

 

「ま、思い通りにならないのが宮仕えの辛いところだね。この歳で何千、何万もの軍人に頭下げられるご身分になってんだから、多少の不自由はしょうがない」

「最近になって痛感しますよ。昔は上に行ったら、何でもできるようになると思っていました。しかし、実際は上に行けば行くほど足元が狭くなって、身動きがとれなくなりますね」

「七年前に初めて出会った時の君は兵長だったのに今じゃ提督だよ。一体どこまで上に行くのか、私には想像付かないよ」

「大佐にご指導いただいたおかげです」

 

 イレーシュ大佐が勉強の楽しさを教えてくれなかったら、俺は兵長で軍を除隊して故郷に帰らざるを得なかっただろう。家族に怯え、客に頭を下げて、店長にどやされながら、アルバイト暮らしをしている自分が目に浮かぶようだ。

 

「私も君を指導したおかげでいろいろと勉強になったよ。兵站畑だった私が人事畑に転じたのも君のおかげだし」

「そうなんですか?」

「うん。最初に君に出会った時は後方部にいたでしょ?」

「そういえば、そうでしたね」

「君を幹部候補生養成所に合格させたおかげで、人事から声がかかって今に至るってわけ。武勲も後ろ盾もない私が標準より早く昇進できてるのも、君を育てたって評価が結構影響してるのよ」

「知りませんでした」

 

 部下の教育指導は軍人にとって最も重要な仕事の一つだ。さほど用兵に長けていなくても、用兵に長けた部下を多く育てれば評価される。有名な軍人を一人育てたら、それだけで名指揮官扱いだろう。俺が有能かどうかはともかくとして、知名度は高く、昇進も異常なほどに早い。俺を指導したという事実は、それなりのネームバリューになるかもしれない。

 

「私だけじゃないよ。じゃがいも提督、ビューフォート准将、ルグランジュ中将なんかは君を部下にしたおかげで評価が上がってる。君が偉くなったおかげで良い目を見てる人も多いってこと、忘れないでね」

「そう言われると、なんか照れちゃいますね」

「君の結婚式のスピーチでも言うから」

「恥ずかしいからやめてくれませんか」

「家族には聞かれたくない?」

 

 イレーシュ大佐の言葉に心臓が凍りつく思いがした。親しい人に先送りにしてきた家族のことをストレートに突っ込まれたのは、これが初めてだ。あの無遠慮なダーシャ・ブレツェリも剛直なクリスチアン大佐も家族の話にはまったく突っ込んでこなかった。

 

「ど、どうなんでしょうね…」

「君は全然家族のこと話さないからさ。いろいろあったんだろうと思って黙ってたけど、さすがに結婚を控えて知らんふりは良くないよ。和解するにせよ、決別するにせよ、けじめは付けなきゃ」

「けじめですか」

「私も家族とはあんまうまくいってなかったから、気持ちは分からないでもないけどさ。でも、一生逃げ回るわけにも行かないでしょ」

 

 できれば逃げていたいとはさすがに言えない。家族は俺にとって、闇の中にあった前の人生の象徴だった。前の人生の記憶さえなければ、何の屈託もなく家族と笑い合えた。前の人生で起きた大事件を事あるごとに思い浮かべて、理由のない不安を未来に対して抱くこともなかった。とっくに俺自身の人生は変わっているのに、俺の意識は前の人生を引きずったままだ。

 

「そ、そうですよね」

 

 イレーシュ大佐は俺の目をしっかりと見ている。彼女の強力な眼力が俺をしっかりと捉えて、逃げを打つことを許さない。

 

「おまえはせっかく転生できたのに、未来を棒に振るのか?未来こそ過去を生かすためのすべてなのに、ただの復讐に使うのか?そんな過去なら捨てちまえ。抱いていても意味がない。おまえの過去は全く意味が無い」

 

 周囲の風景がモノクロになったかのような非現実的な言葉。俺が人生をやり直したことをこの人はどうして知ってるんだ?今、俺はどこにいるんだ?本当に俺は生まれ変わったのか?そんな思いに駆られてしまう。

 

 家族や友人がことごとく敵となり、道を歩けば白い目で見られ、生計を立てるために軍隊に入ったら後遺症が残るようなリンチを受け、貧困と孤独の中で終わった前の人生を思い出す。人生をやり直すという目的は既に達したはずだ。それなのにどうして不安なのだろうか。

 

「あなたにはあの悪夢はわかりませんよ。経験しなければ、絶対にわかりません。目の前の世界が現実だと心の底から信じられたら良かったのに」

 

 涙が両目からぼろぼろこぼれてくる。この現実を失うのが嫌だ。あの暗闇に戻りたくない。ダーシャもアンドリューもイレーシュ大佐もクリスチアン大佐もいない世界なんてまっぴらだ。

 

「泣くことないじゃん。漫画のセリフなのに」

「えっ?」

「西暦時代の漫画のセリフ。なかなかいいこと言ってると思わない?」

 

 イレーシュ大佐はいたずらっぽく笑った。世界が見る見る色彩を取り戻していく。

 

「驚かさないでくださいよ…」

「エル・ファシル内戦を防いだ提督を泣かせるなんて、よほど怖い過去なんだろうねえ。でも、今の君にはダーシャちゃんがいるよ。一人で抱えきれなかったら、二人で乗り越えてけばいいんじゃない?」

 

 これ以上逃げ続けることはできない。そう思わせるものがイレーシュ大佐にはあった。肯定の返事をしようとすると、携帯端末から二〇年前の子供番組の主題歌のメロディーが流れた。これはダーシャから通信が入った時の着信音だ。イレーシュ大佐に軽く頭を下げると、通信に出た。

 

「エリヤ?今話せる?」

「短い時間なら大丈夫だよ。なに?」

「今日、外で夕食食べない?」

「どこ?」

「ホテル・カプリコーンのレストラン。あそこ、デザート美味しいでしょ?」

 

 その名前を聞いて、軽くたじろいでしまった。先月の末にアンドリューと会って、帝国領出兵案の概要を見せられた場所だったからだ。しかも、その数時間前にはこのカフェルームでダーシャが知らない奴といちゃいちゃしてたのを見てしまっている。あの日から、どうもダーシャと話しづらい雰囲気を感じてしまっていた。

 

「そうだね」

「あそこは軍服オッケーだから。エリヤはどんな服でも良く似合うけど、一番似合うのは軍服だよ」

「あ、ありがとう…」

「じゃ、楽しみにしてるね」

「うん」

 

 俺が返事をすると、ダーシャは通信を切った。

 

「ダーシャちゃんから?」

「ええ、そうです」

「ちょうどいいじゃない。話し合うチャンスだよ」

「ようやく踏み出せそうです。気が付くと、いつも大佐に背中を押されていたような気がします。ありがとうございました」

 

 テーブルに手をついて、深々とイレーシュ大佐に向かって頭を下げる。

 

「私もすっきりしたよ。楽しいランチをありがとう」

「俺も楽しかったです」

「君と食べたら、何でもおいしいよ。出兵が終わったらまた一緒に食べようね」

「はい!」

 

 イレーシュ大佐がトレイを持って立ち上がると、俺もトレイを持って立ち上がった。

 

 今の人生を振り返ってみると、必要な時に必要な人に出会い、必要な言葉をもらってきたように思う。今回もそういう風が吹いているのかも知れない。引きずっていた前の人生にケリを付け、今の人生を確かなものとするべき時が来ていた。



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第七十八話:悪夢の一つの終着点 宇宙暦796年8月13日 惑星ハイネセン、ホテル・カプリコーン

 俺がホテル・カプリコーンのレストランに着いたのは、待ち合わせ時間の一時間前だった。まだダーシャは来ていない。彼女はいつも時間ギリギリに来るのだ。

 

 テーブルについて周囲を見回すと、前にアンドリューと来た時より賑わっている。客の八割は軍服姿だ。帝国領出兵を控えた現在、各地の部隊から遠征軍に編入されてハイネセン入りした軍人の多くが国防委員会の近くにあるこのホテルに滞在しているからだろう。

 

 暇潰しをしようと思って、バッグから本を取り出す。出てきたのは『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』。退役軍人が多く参加している暴力的極右組織「憂国騎士団」について書かれたノンフィクションだ。こんな場所で読んでいい本ではない。慌ててバッグの中に戻し、代わりにウォリス・ウォーリック元帥の伝記『男爵ウォリス・ウォーリック』を取り出した。

 

 同盟軍史上最高の用兵家ブルース・アッシュビー元帥の盟友として知られるウォリス・ウォーリック元帥は、俺と同じ惑星パラスの出身だった。しかも、俺と同じ二八歳で准将に昇進している。パラスの一部メディアは俺のことを「ウォーリック元帥の再来」と呼んでいるそうだ。多芸多才なところが似ているそうだが、それは過大評価というものだろう。それはともかく、最近の俺は郷里の英雄を意識せずにはいられなかった。

 

 勉強、運動、課外活動の全てにおいて万年二位に終わったミドルスクール時代のウォーリック元帥が「所詮、俺は器用貧乏」と自嘲していたという記述に、「全然俺と似てないじゃないか」と憤慨したところで、俺を呼ぶダーシャの声が聞こえた。

 

 振り向くと、手を振りながら近づいてくるダーシャの後を知らない人物が付いてくるのが見える。細身で小顔で手足が長いシルエットには見覚えがある。先日、統合作戦本部のカフェルームでダーシャといちゃついてた奴だ。

 

 なんであんな奴を連れてくるんだ。俺には愛想が尽きたってことなんだろうか。俺のことを可愛いって言ってたダーシャでも、やっぱり背が高い男の方が好きなんだろうか。別れ話のために半ば同棲している俺をわざわざここまで呼び出したんだろうか。考えれば考えるほど、悪い方向に考えてしまう。

 

 二人から目を逸らして、レストランの中のデザートコーナーを見て現実逃避をする。今月のジェラートは、ナシのジェラートらしい。カプリコーンのジェラートだから、甘さは抑えめにして、爽やかな風味を前面に押し出してくるに違いない。早く食べたい。

 

「エリヤ?どこ見てるの?」

 

 テーブルの向かい側から聞こえてくるダーシャの声で現実に引き戻される。いつの間にか、ダーシャと知らない奴は俺の向かいに座っていたようだ。恐る恐る視線を二人の方に向ける。

 

 ニコニコしているダーシャの隣にいたのは、恥ずかしそうにうつむいている女の子だった。軍用ベレーの下にはふわっとした短い髪の毛。肌は白く、顔の輪郭はきれいな卵型。目はぱっちりとしていて、まつげは長い。鼻はまっすぐに筋が通っていて、唇は薄い。ドーソン中将の副官だったユリエ・ハラボフ大尉をだいぶ幼くした感じで、一〇代後半に見える。

 

 この顔には見覚えがあった。ネットにおいて第八強襲空挺連隊四大美人の一人に数えられる「天使」である。カプラン大尉から見せられた画像はあまり画質が良くなかったが、それでも見間違えようがない。イレーシュ大佐と第八強襲空挺連隊の話題をしたその日のうちに出会うとは恐ろしい偶然であった。ダーシャと一緒にいるということは、もしかして彼女があの「陸戦部隊の子」なのだろうか。

 

「ダーシャ、この子がいつも言ってた陸戦部隊の子?」

「そうだよ」

 

 ダーシャの友人である陸戦部隊の子は俺の熱烈なファンだった。俺を「爽やかすぎて嘘くさい」と嫌っていたダーシャをファンにしてしまった。彼女のおかげで、ダーシャと俺は出会うことができた。高級店のマフィンを貰ったこともある。一度も会ったことがなかったとはいえ、足を向けて寝れないほど世話になっていた。そんな子が第八強襲空挺連隊の天使だったという事実は衝撃的だった。

 

 陸戦部隊の子は一言も発しようとせずにうつむいたままだ。俺もびっくりしていて、何を話せばいいかわからない。こういう時はダーシャが何か言って緊張をほぐすものと決まっているのに、何も言わずに笑顔で俺と陸戦部隊の子を見比べている。

 

「ちょっと席外すね」

 

 二、三分ほど俺と陸戦部隊の子の間で続いた膠着状態を打ち破ったのは、ダーシャだった。

 

「ど、どうしたの?」

「用事」

「どうしても行かなきゃいけない用事なの?」

「うん」

「本当に?」

 

 今、ダーシャがいなくなってしまったら、俺は陸戦部隊の子と二人きりになってしまう。それだけは絶対に避けなければならない。

 

「本当」

 

 そっけなく返事をすると、ダーシャは立ち上がった。

 

「ダ、ダーシャちゃん、ちょっと…」

 

 陸戦部隊の子が初めて声を発した。真面目な人柄が伝わってくるような声だ。顔を上げ、すがるような目でダーシャを見詰めている。

 

「頑張って、アルマちゃん」

 

 ダーシャはにっこり微笑むと、陸戦部隊の子の肩をポンと叩いた。

 

 妹と同じ名前を聞いて、少し嫌な気分になってしまう。もちろん、目の前の女性と妹は全く似ていない。喋り方はもたもたしていないし、太ってもいないし、愚鈍とは程遠そうだ。目の前にいるのは妹とは別人だと自分に言い聞かせる。

 

「ありがとう、ダーシャちゃん」

 

 天使の二つ名にふさわしい笑顔で陸戦部隊の子が応じると、ダーシャは満足そうにうなずいて席から離れていった。

 

 これで俺と陸戦部隊の子は二人きりになってしまった。緊張している相手と二人きりでいるのはきつい。目の前の人間が緊張していると、小心者の俺はつられて緊張してしまうのだ。

 

 陸戦部隊の子から話しかけてくる可能性が低い以上、俺から話しかけなければ、緊張状態を終わらせることはできない。話題を探そうと思って、陸戦部隊の子をじっくり観察する。彼女の容貌を話題にするわけではない。軍人の経歴は、階級章、勲章、徽章を見ればある程度わかるようになっている。そこから会話の糸口を探す。

 

 まずは首元に注目する。階級章は中尉。外見から伍長か軍曹と踏んでいたのに、意外と階級が高い。

 

 彼女は五年前のエル・ファシル地上戦に参加している。士官学校卒業者であれば二五歳以上のはずだ。その年で中尉というのは昇進が遅い。しかし、第八強襲空挺連隊に配属される者は平均より昇進が速い。彼女が士官学校卒業者である可能性は低い。

 

 専科学校を卒業してすぐにエル・ファシル地上戦に参加した場合は二三歳だが、さすがにそれはないと思う。五年で五階級も駆け上がるなんて、ローゼンリッターのカスパー・リンツやライナー・ブルームハルトのような例外中の例外ぐらいである。

 

 専科学校卒で俺やダーシャと同年代と考えるのが妥当だろう。専科学校を出た下士官あがりの中尉であれば、よほど優秀でも二七、八歳ぐらいが相場だった。陸戦部隊の子はそれより一〇歳は若く見えるが、世の中には俺やヤン・ウェンリーのように極端に若く見える人間だっている。

 

 次に注目すべきは胸元だ。どのような徽章が軍服の胸元に付いているかによって、その人物の勤務歴、従軍歴、表彰歴、所持資格などが一目でわかるようになっている。徽章の数は一般的に軍務経験と比例する。軍歴が一〇年そこそこの若手士官より、軍歴三〇年のベテラン下士官の方が多くの徽章を付けているのである。

 

 俺自身を例にあげると、二〇代後半の士官の平均よりかなり多い徽章を付けている。豊富な表彰歴と所持資格のおかげだ。手前味噌ではあるが、徽章の数が「エリヤ・フィリップスは勤務歴が浅いわりに経験豊富」と教えてくれる。

 

 陸戦部隊の子が付けている徽章の数はとんでもなく多かった。従軍章を見れば、彼女がこの数年間の主な地上戦にほぼ参加していることがわかる。記念章の数は彼女が多種多様な任務で表彰に値する実績をあげたことを示す。取得している技能章の数からは、努力で何とかできることは全部努力で何とかしてしまう気質が伺える。

 

 一般部隊でこれだけの数の徽章を持っているのは、四〇代や五〇代のベテランぐらいだ。二〇代でこれだけ取得しているというのは、第八強襲空挺連隊のような精鋭部隊であっても珍しいと思う。とんでもない若作りで実は三〇代という可能性もあるが、その年齢でも一流で通用するキャリアだろう。

 

 色とりどりの徽章に比べ、着用している勲章の略綬は地味なものだ。上位の戦功勲章は国防功労章一つ。従軍歴のわりに大きな武勲は少ない。名誉戦傷章三つは注目に値する。

 

 軍事行動中に死傷した軍人に授けられる名誉戦傷章は、勲章としての格こそ俺の胸に光っている自由戦士勲章やハイネセン記念特別勲功大章に劣る。しかし、戦場において、生死の境を乗り越えた者にしか与えられないがゆえに、特別な価値を持っている。何個も名誉戦傷章を持っている者は、勇者の中の勇者として尊敬された。

 

 勇敢で努力家、若いながらもベテランに匹敵する経験量を持ち、個人の武勲よりチームプレイを優先する。陸戦部隊の子はそんな軍人であるようだ。それに加えてネットで天使と呼ばれるような容姿。アルマという名前のおかげで辛うじて完璧超人であることを免れている。写真と経歴を見せられたら、出来の悪い娯楽小説の作者が考えたんじゃないかと誰もが思うに違いない。

 

 これで陸戦部隊の子のキャリアはほぼ掴めた。それに沿った会話をしていけば、お互い緊張せずに済む。

 

「はじめまして、中尉」

 

 優しげな笑顔を作って挨拶をした。管理職になって何年もたつと、自分の笑顔の見せ方もわかってくる。一〇種類の笑顔を使い分けられるダーシャには及ばないが、今の俺は場所と相手に応じた笑顔を作れるようになっていた。

 

「えっ…?」

 

 顔を上げた陸戦部隊の子は驚きの表情を浮かべた後、傷ついたような顔になった。何がまずかったんだろうか。いずれにせよ、気まずい空気が流れていることは確かだ。何とかしなければいけない。

 

「エル・ファシルの地上戦で頑張ったんだってね。ダーシャから聞いたよ」

 

 軍人の自尊心をくすぐるには、過去の活躍を褒めるのが一番だ。五年前のエル・ファシル地上戦のような過酷な戦場を生き残った経験は、大抵の軍人にとっては輝かしい栄光となる。過酷すぎて思い出したくないという者もいることはいるが、そういう者は軍を去ってしまう。

 

「あ、いや、おに…、エル・ファシル義勇旅団の活躍に比べたら大したこと、ないです」

 

 いきなり義勇旅団の話に持っていかれるとは思わなかった。まったく戦場に出なかったにも関わらず、政治的な事情から活躍したということにされてしまった義勇旅団は俺の軍歴の中で一番の汚点なのだ。どうにかして、陸戦部隊の子の話に持っていかなければいけない。

 

「軍人が命を張って戦ったんだ。大したことだよ、それは。華々しい武勲を立てるだけが活躍じゃない。部隊の一員として、見えないところでコツコツ頑張るのも立派な活躍なんだ」

「任官して右も左もわからないうちに、怪我して帰っただけです」

 

 専科学校卒業者は一八歳で伍長に任官する。つまり、任官してすぐにエル・ファシル地上戦に参加した彼女は現在二三歳ということになる。有能だがまだまだ未熟な副官のシェリル・コレット大尉と同い年だ。妹とも同い年だが、それはどうでもいい。彼女は専科学校卒の尉官としては、異例なほどに若い。しょっぱなから推測を外してしまった。

 

「ってことは、最初の戦傷章はエル・ファシル地上戦で貰ったの?」

「はい」

「どの戦い?」

 

 勲章の由来を聞かれて喜ばない軍人はいない。名誉戦傷章のような誇るべき勲章であればなおさらだ。だから、俺は新しい部署に異動するたびに、上官や同僚の持っている勲章の由来を調べて、会話のネタに使っていた。

 

「ニヤラです」

「ああ、ニヤラか」

 

 ニヤラ攻防戦はエル・ファシル地上戦の中でも群を抜いた激戦だった。エル・ファシル地上戦を地獄とすると、ニヤラは地獄の最下層ということになる。。

 

「第八六機動歩兵連隊にいました」

 

 その名前を聞いた瞬間、俺は言葉を失った。説明を聞く必要などなかった。

 

 第八六機動歩兵連隊はニヤラ攻防戦において二一〇六人中一七五四人が死亡、生存者三五二人全員が重傷という破滅的な損害と引き換えに、戦線崩壊を防いだ部隊だった。同盟軍は戦死者全員に二階級特進と国防功労章授与、生存者全員に一階級昇進という破格の待遇をもって、この部隊の功績に報いている。目の前にいる女の子は、作られた英雄の俺とは違う本物の英雄だった。

 

「そうか、君はあの部隊の生き残りだったのか」

「この出血じゃ助からないと思って自決しようとしたら、握力が無くなっててハンドブラスター掴めなかったんですよ」

「君は凄いな」

 

 芸の無い言葉であるが、凄いとしか言いようがなかった。初めて参加した戦場で所属部隊の八割が戦死して、自決を決断したという凄絶な経験をした相手に対して、言葉を飾るなんてできない。

 

「それだって凄いじゃないですか」

 

 陸戦部隊の子は俺の胸に付いている唯一の戦傷章の略綬を指差した。ヴァンフリート四=二基地攻防戦で獲得したものだ。

 

「一方的に敵に殴られて、運良く助かったおかげで貰えたんだよ。君みたいに勇敢に戦ったわけじゃない」

 

 あの戦いで俺はラインハルトに対して先制するチャンスがあったにも関わらず、声をかけるというミスを犯して殺されかけた。何一ついいところがなかったが、生き残ったおかげで名誉戦傷章を手に入れた。軍歴の大半をオフィスで過ごした俺が唯一持っている名誉戦傷章であるが、第八六機動歩兵連隊の生き残りの前では、誇るのが恥ずかしくなってしまう。

 

「身を挺してセレブレッゼ中将を救出なさったんですよね。私よりずっと凄いですよ」

 

 陸戦部隊の子の純粋な憧憬の視線に痛みを覚えずにはいられない。明らかに自分より凄い相手に凄いと言われるのは辛いものかと思う。かつての俺がユリエ・ハラボフに味あわせた辛さを、彼女と顔が似た子に実感させられるというのも皮肉な話だった。

 

「ところで任官してすぐエル・ファシル地上戦に参加したってことは、今年で二三歳になるのかな?」

 

 無理やり話題を変えるつもりで質問すると、陸戦部隊の子はまた傷ついたような表情になった。

 その年で中尉になるなんて凄いという方向に話を持って行こうとしたのに、しくじってしまった。彼女のように生真面目な人なら、若くして中尉に昇進した自分を誇るより、早すぎる昇進にプレッシャーを感じるのが自然だ。自分が持ち上げられるのを避けようとしすぎて、当たり前のことを見落としてしまった。

 

「に、二三、です」

 

 どうしたものか考えていると、陸戦部隊の子は震える声でそう答えた。肩をがっくり落として、今にも泣き出しそうな表情になっている。顔だけじゃなくて、生真面目過ぎてプレッシャーに弱い性格までユリエ・ハラボフに似ている。もしかしたら姉妹なのかもしれない。うっかり姓を聞きそびれたが、知らないままで良かった。

 

「俺が中尉になったのも二三だったよ。あの時の俺と比べると、君は…」

 

 ずっと軍人として優秀だ。そう言いかけてやめた。

 

 俺が中尉に昇進できたのは、エル・ファシル義勇旅団という茶番のおかげであって、実力によるものではない。少尉に任官できたのは学力のおかげ。俺が軍人としてまともな仕事をするようになったのは、大尉になって以降だった。

 

 一方、陸戦部隊の子は一八歳で伍長に任官してから、実力で中尉まで昇進している。持っている徽章の数を見ても、二三歳の時の俺よりずっと優秀なのは明らかだ。

 

 しかし、エル・ファシルの真実を知らない彼女から見れば、俺は本物の英雄に見えるはずである。俺が自分のことを卑下したら、彼女の中の英雄像を裏切ってしまう。

 

 この世には、自分より凄いと思った人を仰ぎ見ることで安心できる人がいる。ユリエ・ハラボフがそうだった。俺が仰ぎ見られるにふさわしい存在かどうかは置いといて、そうしたいと思う相手にわざわざ自分は英雄じゃないと言ってやる必要はない。比較するなら、等身大と思える相手と比較してやるべきだ。

 

「俺の副官のコレット大尉も君と同じ二三歳なんだ。とても優秀な子でね。経験を積めば、二〇年後には提督や参謀長になれると思ってる」

 

 これはコレット大尉本人の前でも言ったことがない本音。コレット大尉は士官学校の成績こそ良くないが、頭はとても良い。その上、かなりの努力家である。いずれは将官も目指せる。いや、目指させなければいけない。それが管理職の務めというものだ。

 

「俺は今年の春に初めて自分のチームを作った。一〇年後、二〇年後に俺がもっと大きな権限を持った時のことを考えて、一緒に成長していきたいメンバーを選んだ。彼らにはいずれ、将官として俺を支えてくれることを期待してる」

 

 参謀陣の中で最も年長のリリー・レトガー中佐もまだ三〇代。将官に昇進していれば、二〇年後も現役である。俺が大将や中将になった時、参謀陣の年長者は将官まで昇進していることだろう。分艦隊や戦隊を率いる者も出てくる。コレット大尉、ニールセン少佐、メッサースミス大尉のような若手は最低でも大佐に昇進して、主任参謀を務める年頃だ。

 

「でも、今のメンバーで完全ってわけじゃない。俺のチームはまだできたばかりだからね。まだまだ欠けている人材は多い。君のような陸戦の専門家とかね」

 

 陸戦部隊の子のぱっちりした目には、驚愕の色が浮かんでいた。傷ついた様子はもう見られない。他人に憧れて仰ぎ見ることで安心できる人なら、今の言葉は魅力的に感じるはずだ。

 

「俺が大艦隊を率いるようになった時、君が将官として艦隊陸戦隊を率いる。そんな未来だってあるかもしれない」

「そんな、私には将官なんてとても」

「君が将官になってくれなかったら、俺の陸戦隊の総指揮を任せることもできないよ?」

 

 陸戦部隊の子を持ち上げるためにとっさに思いついた言葉だったが、口に出してみると案外良いアイディアのように思えた。

 

 俺の知り合いには陸戦のプロがあまりいない。ローゼンリッターのシェーンコップやリンツは、アクが強すぎて扱いきれる自信がない。目の前の女性は始末に困るぐらい素直で生真面目だ。能力的にも申し分ない。部下にするなら、ひねくれ者の天才より、素直な秀才の方が好ましい。

 

「私を認めてくれるってことですか?」

「そうだよ、認めてる」

「本当に?」

「本当だよ。君は立派な軍人だ」

 

 俺がそう言った瞬間、陸戦部隊の子の両目から涙がぼろぼろこぼれだした。いったいどうしたんだろうか。そんなに感動するような言葉でもないだろうに。ともかく、人目のある場所で泣かれるのは困る。

 

「泣くことないじゃないか。せっかくの美人が台無しだよ」

 

 俺がそう言っても、彼女は一向に泣き止む気配がない。妹のように歪み過ぎているのは論外だが、彼女のように素直すぎるのも困ると思った。

 

「まいったなあ」

 

 女の子に泣かれるというのは本当に落ち着かない。周囲の客も何事かと俺達を見ている。こういう時はどうすればいいんだろうか。ダーシャならうまく切り抜けられるだろうに。いったい何をしてるんだろうか。

 

「良かったな」

 

 背中越しに聞き覚えのある太い声がした。その瞬間、陸戦部隊の子はぴたっと泣き止んで立ち上がった。

 

「教官殿!見苦しいところをお見せして、申し訳ありませんでした!」

 

 陸戦部隊の子が直立不動で敬礼した相手はクリスチアン大佐。その横にいるのはダーシャ。

 

 なぜ、この二人がここにいるのか。陸戦部隊の子とクリスチアン大佐はどういう関係なのか。ただでさえ良くない俺の頭は、謎の組み合わせにすっかり混乱している。

 

「フィリップス中尉、貴官でも泣くことがあるのだな。面白いものを見せてもらった」

 

 笑いながら敬礼を返したクリスチアン大佐の言葉で、陸戦部隊の子の姓がフィリップスであることを知った。つまり俺と同姓で、妹と同じ名前。聡明で生真面目な彼女と、愚鈍でだらしない妹が同姓同名だなんて、冗談にしてはきつすぎる。

 

「ああ、もう。アルマちゃんは可愛いなあ」

 

 ダーシャはアルマ・フィリップス中尉のベレーをひょいと取ると、ふわふわした髪の毛をくしゃくしゃっとした。フィリップス中尉は顔を真っ赤にしている。こんなに可愛らしい子と、憎々しい面構えの妹が同姓同名だなんて嘘に決まっている。

 

「お兄ちゃんと話せる日が来るなんて思わなかった。ありがと、ダーシャちゃん」

 

 アルマ・フィリップス中尉はクリスチアン大佐を「教官殿」と呼んだ。つまり、「お兄ちゃん」とは俺のことだ。つまり、アルマ・フィリップス中尉は俺の妹である。

 

 俺が徴兵される前のアルマは、怠け者で勉強も運動も大嫌い。いつも居間のソファーで横になってマフィンを食べてて、ぶくぶくに太っていた。喋り方はもたもたしていて、体の動きは一人だけスロー再生されてるかのように緩慢だった。人並み以上なのは身長と体重ぐらい。一人では何もできなくて、いつも俺に甘えきっていた。

 

 俺が捕虜収容所から戻ると、アルマは悪意の塊のような存在に変貌していた。逃亡者の汚名を背負った俺を人間と認めずに「生ごみ」と呼び、俺が触った場所に消毒スプレーをかけ、俺の持ち物を「ごみだから」と言って勝手に捨てた。せっかく作ったアップルパイを目の前で捨てられたこともある。病的なまでに太って目を血走らせ、耳障りな甲高い声で怒鳴り散らす妹の姿は、俺にとって悪夢そのものだった。

 

 俺が今の人生で最後に会った時のアルマは、徴兵される前とまったく同じ甘えん坊でだらしないアルマだった。それが前の人生の悪意に満ちた姿と重なって見えることに耐え切れなくなって、一切の連絡を絶った。メールが来るたびに着信拒否した。

 

 しかし、目の前にいるアルマ・フィリップス中尉は生真面目な秀才で、怠け者の甘えん坊でもなければ、悪意の化身でもない。すらっとした細身の体には、ひとかけらの贅肉も付いていないように思える。聡明そうな童顔は愚鈍とはほど遠い。エリート部隊の最若手士官と、時給八ディナールのハンバーガーショップのアルバイトすらクビになるほど無能なフリーターが同一人物とは信じられない。

 

 俺が混乱している間にダーシャとクリスチアン大佐は席についている。

 

「エリヤとアルマちゃんが一緒にいるの初めて見たけど、やっぱ兄妹だね。似てるよ」

 

 アルマの隣に座ったダーシャはしみじみと言った。

 

 俺とアルマと似ているなんてことはありえない。前の人生の俺は馬鹿で怠け者だったが、さすがにアルマほどひどくはなかった。目の前のフィリップス中尉は俺なんかよりずっと立派で、似ているはずがない。

 

「ブレツェリ大佐、内面というのは外見ににじみ出るものなのだぞ」

「ああ、確かに二人ともまっすぐな性格ですよね。不器用でほっとけないところもそっくりです」

 

 俺の隣りに座ったクリスチアン大佐の言葉に、ダーシャは目を輝かせて同意する。

 

「ごめんダーシャ、何がどうなってるかさっぱりわからない。説明してくれる」

 

 俺を置いてけぼりにして、ダーシャ、クリスチアン大佐、アルマ・フィリップス中尉の三人だけで話を進められてはたまらない。

 

「何がわからないの?」

「俺の記憶の中のアルマと、目の前のアルマが全然違うから混乱してるんだ。ダーシャとクリスチアン大佐が来るまで、妹だと気づかなかった」

 

 俺がダーシャにそう言うと、アルマ・フィリップス中尉は寂しげに微笑んだ。

 

「そういうことだったんだね。妙に他人行儀で年齢まで聞いてくるから、他人扱いされるほど嫌われてしまったと思って、がっかりしてたんだよ。気づかれてないというのも複雑な気分だけど」

 

 何度も傷ついたような表情をしていた理由がようやく分かった。肉親に他人のような態度を取られたら、傷つきやすい性格でなくても傷つく。

 

「ごめんね、本当に気づかなかったんだ。気づいてたら、あんな態度は取らなかったよ」

「いや、悪いのは私だよ。八年ぶりだもんね。お兄ちゃんも私も変わったから」

 

 昔のアルマは自分に非があっても、ぐずぐず言い訳ばかりで謝ろうとしなかった。今のアルマは俺の非礼をあっさり水に流して、自分の非だけを認めた。年配者であってもなかなかできることではない。

 

「うん、本当に変わった。今のアルマはとてもしっかりした奴だよ。昔と全然違う」

 

 寂しげだったアルマの表情は、俺の言葉で一瞬にして明るくなった。そんなにストレートに喜ばれると、もっと褒めたくなってしまう。六八年ぶりにアルマを可愛いと思った。

 

「俺の知らない八年間にアルマがどう生きてきたか、聞かせてくれる?」

「いいよ。お兄ちゃんに聞いて欲しくて頑張ってきたんだから」

 

 とびきりの笑顔で答えるアルマを、ダーシャとクリスチアン大佐は誇らしげに見ている。この二人はアルマの八年間を知っていたのだろう。俺が最も信頼するこの二人が誇らしく思うアルマの物語に、俺は耳を傾けた。

 

 八年前のアルマは、甘えん坊で人に頼りきりな自分に不満を感じていた。そして、自分を鍛え直すには軍隊に入るしかないと思い、陸戦専科学校を受験する。当時のアルマの学力は、専科学校の合格ラインには到底届かないものであったにも関わらず、エル・ファシルの英雄の妹ということで入学が認められてしまった。

 

 自立したくて軍人を志したにも関わらず、俺の七光で専科学校に入れたことにアルマはショックを受けた。そんな時、広報室から陸戦専科学校の教官に転任してきたクリスチアン大佐から、俺が幹部候補生養成所を受験するという話を聞かされて、「兄が前に進もうとしているのに、落ち込んでいる場合じゃない」と奮起した。入学当初は最下位だったアルマは徐々に成績を上げていき、四位の成績で卒業すると、第八六機動歩兵連隊に配属されて、エル・ファシルの地上戦に参加する。

 

 カヤラ攻防戦で重傷を負ったアルマは、病室に設置された立体テレビの中で英雄として紹介される俺の姿を励みに療養していたそうだ。クリスチアン大佐から俺のアドレスを聞き出して、三年ぶりにメールを送ったのもこの時だった。

 

 あの頃の俺はまったく戦闘に参加していないのに、政治的な理由で英雄扱いされてイライラしていた。前の人生のアルマに対する不快な記憶もあって、メールを即座に着信拒否してしまった。知らなかったとはいえ、あまりに冷たすぎる仕打ちとしか言いようがない。俺がアルマだったら、絶望していたことだろう。しかし、アルマは着信拒否を「自分なんかに頼るな。早く独り立ちしろ」というメッセージと勘違いした。

 

 退院後のアルマは「英雄の妹ということで贔屓されたら、エリヤに迷惑がかかる」という理由で俺の妹であるということを隠し、自分から連絡しようというクリスチアン大佐の申し出も断り、ますます軍務に励むようになった。重傷を負って入院するたびに心細くなり、俺の励ましを受けようとメールを送っては着信拒否されて、「自分はまだまだ弱い。もっと強くならないと」と思ったそうだ。

 

 アルマがダーシャと出会ったのは、ヴァンフリート四=二基地攻防戦の一年前だった。アルマの説明によると唐突に、ダーシャの説明によると必然的に、二人は仲良くなっていった。要するにアルマを一方的に気に入ったダーシャが強引に距離を詰めていったのだろう。アルマは親友になったダーシャに、自分がエル・ファシルの英雄の妹ということも明かした。

 

「アルマちゃんみたいな健気な子が大好きなお兄ちゃんって、どんな人なんだろうって思ったんだよね。それがエリヤに興味持ったきっかけだったの」

 

 ダーシャが俺に興味を持った本当の理由も初めて分かった。すべてはアルマから始まったのだ。

 

 アルマがクリスチアン大佐やダーシャを通して俺と連絡を取ろうとしなかったのは、「人の力を借りて連絡を取ったら、甘えてると思われる」という理由だった。自力で連絡を取って、初めて認めてもらえると思ったのだろう。二人ともアルマの気持ちに理解を示して見守ってきたが、俺が結婚することになっても連絡が途絶えたままでいるのは良くないと判断して、俺にもアルマにも内緒で今日の席を設けたのだそうだ。

 

「結局、ダーシャちゃんと教官の好意に甘えちゃったけど、それでもお兄ちゃんに会えて良かった」

「甘えるもなにも…」

 

 俺は「甘えるな」とは言っていない。そもそも、かつてのアルマの甘えん坊ぶりを不快に思っていたわけでもない。

 

「お兄ちゃんが甘えた空気が嫌いなの、昔は気づかなかったんだ。父さんも母さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんができない子だと決めつけて、世話を焼き過ぎたんじゃないかって反省してた」

「甘えた空気が嫌い?」

「軍隊に入ってからのお兄ちゃんの活躍を見て、やっとわかったんだよ。お兄ちゃんが不正や甘えを嫌う人だってことに気づかずに腐らせちゃったのは、私達家族だった」

 

 家族は俺に対して、変な勘違いをしているらしい。俺は実際にできない子だったし、世話を焼いてくれる家族はありがたいと思っていた。前の人生の記憶さえ無かったら、躊躇なく実家に戻って家族の世話になっていたはずだ。

 

「そんなことないよ」

「じゃあ、なんで出てってから一度も連絡しなかったの?」

 

 前の人生で酷い目にあったからとは言えない。今の人生で俺が家族を避ける理由なんて、俺以外には全く理解できないだろう。家族が避けられてる理由を必死で考えて、間違った結論に達してしまうのはむしろ当然といえる。

 

 アルマが俺の拒絶を「甘えるな」というメッセージと受け取ったのも、存在しない理由を必死で探したせいかもしれない。仲の良かった兄が理由も告げずに家を出て行って、一度も連絡をしてこない。療養中に励まして欲しくてメールを送ったら着信拒否。アルマは自分なりに理不尽な拒絶について納得しようとしたのではないか。俺の拒絶を「独り立ちしろ」というメッセージと思っている間は、関係修復の希望を抱ける。

 

 認めなければいけない。今の人生のアルマと、前の人生のアルマは違う。今のアルマは俺の理不尽な拒絶にもめげずに、関係修復の日を夢見て頑張り続けた健気な女の子だった。悪いのは前の人生の記憶を引きずって、理由もなく家族を拒絶した俺だ。

 

「ごめんね、アルマ。全部、俺の問題だ。アルマは何も悪くない」

 

 謝った俺にアルマは初めて笑顔を見せた。子供のような無邪気な笑顔に、甘えん坊だった頃の面影が残っていた。

 

「エリヤもアルマちゃんも意地っ張りだからねー。本当に世話が焼けるよ。ま、そこが可愛いんだけど」

「似すぎていると、行き違いも多くなるのだろう。二人とも単純で正直だからな。一度こうと決めたら、テコでも動かせん。そういう奴でないと、いざという時には役に立たんがな」

 

 ダーシャとクリスチアン大佐もアルマと同じように、俺が意地を張っていたと思っているようだ。彼らは俺の前の人生を知らないのだから、そう思うのは当然といえる。

 

 今の人生に限れば、家族は俺に対して何も悪いことをしなかった。それなのに俺は一方的に拒絶してしまった。怒っても許される立場なのに、家族は自分に非があったんじゃないかと考えて、俺を責めようとはしなかった。彼らは俺が逃亡者になる前の優しい家族のままだった。

 

 アルマは俺を悪者にせずに、断ち切られた縁を繋ごうとひたむきに努力した。ダーシャやクリスチアン大佐は、俺の行動に善意的な解釈をして見守ってくれていた。目の前の三人のひたむきな善意が、前の人生の記憶によって断ち切られた縁を再び繋いだ。このような人達が周囲にいる限り、俺が暗闇に落ちることは決してない。光はずっと俺を照らし続ける。

 

 前の人生と完全に違った妹の姿は、六八年前のエル・ファシルから始まった悪夢の終わりを告げていた。



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第七十九話:父親の願い 宇宙暦796年8月15日~22日 惑星ハイネセン、ニューブリッジ地区及びフリジントン軍港

 妹のアルマと再会した二日後の八月一五日。結婚の挨拶をするために、ダーシャと二人でタクシーに乗って、ハイネセンのニューブリッジ地区にあるジェリコ・ブレツェリ大佐の官舎に向かった。彼は先月から宇宙艦隊総司令部付になり、ハイネセンの官舎に住んでいる。挨拶に行こうと思った時期に、ハイネセンに異動してくれたのは幸いだった。前任地のレサヴィク星系だったら、長期休暇を取らなければ挨拶に行けなかった。

 

 少尉以上の士官は数年おきに転勤するのが一般的だ。広い視野を身につける必要がある士官学校卒のエリートは、一年から三年おきに転勤して多くのポストを経験する。下士官兵からの叩き上げや予備士官出身者も、現場に根を張っている下士官兵と一線を画するために、三年から五年おきに転勤する。

 

 士官の子供に官舎で生まれ育ち、親の転勤と同時に転校する。持ち家に子供と配偶者を置いて単身赴任する者、父母や兄弟姉妹に子供を預ける者もいることはいるが、例外的と言って良い。彼らにとっての実家は、親が現在住んでいる官舎なのだ。

 

 長い間ハイネセンポリスに住んでいる俺であっても、三〇〇〇万の人口を擁する巨大都市の全地区に足を伸ばしたわけではない。ニューブリッジ地区に行くのも今日が初めてだった。

 

 都市計画の都合上、軍人の官舎はひとまとめに作られることが多い。このニューブリッジ地区もそんな官舎街の一つであるようだった。広くてきれいな道、計画的に配置された緑地帯、大きくて立派な公共施設はアッパーミドル層が多く住む新興住宅街といった風情だ。立ち並ぶ一戸建てや集合住宅はどれも手入れが行き届いているように見える。

 

「とても環境のいい街だね。結婚したら、この街の世帯向け官舎に移ってもいいね」

「でも、人通りが少なすぎない?今日は休日なのに」

 

 ダーシャが言うとおり、人通りが全くない。地上車もほとんど走っていない。

 

「もうすぐ出兵だからね。みんな家にいるどころじゃないんだよ、きっと」

「そうかなあ。ちょっと寂しすぎない?」

「気のせいだよ」

 

 隣にはダーシャがいれば、どこにいたって寂しくない。そう言おうと思ったけど、恥ずかしくてやめた。

 

「お客さん、一八丁目公園に着きましたよ」

「どうも」

 

 料金を払って一八丁目公園で降りた俺達は、携帯端末のナビ機能を頼りにジェリコ・ブレツェリ大佐から教えられた住所に向かって歩く。

 

「あれじゃない?」

 

 ダーシャが指差したのは、周囲の家よりもひときわ大きい二階建ての一軒家だった。邸宅といった方がふさわしい大きさで、庭も広々としている。驚くべきことに、プールやテラスまで備わっていた。どう見ても大佐の住むような官舎ではない。いや、准将の俺だってこんな官舎には住めない。

 

「俺達の知らない間に、お父さんが大将に昇進してたなんてことはないよね」

「あるわけないでしょ」

 

 一言で切り捨てると、ダーシャはさっさと玄関に歩いて行った。慌ててついて行く俺。

 

「はじめまして。エリヤ・フィリップス君」

 

 奥から出てきたのはよれよれのTシャツにハーフパンツ、サンダル履きというラフ過ぎる格好の初老の男性だった。白髪混じりの短髪で目は細く、体つきも細身というよりガリガリで見るからに貧相な印象を受ける。彼こそがダーシャの父親であり、この官舎の正式な居住者であるジェリコ・ブレツェリ大佐だった。

 

「どうも、はじめまして」

 

 予想と全く異なる人物像に拍子抜けして、芸のない挨拶になってしまった。悪い印象を与えてしまったかもしれない。

 

 今年で五九歳のブレツェリ大佐はキャリアの大半を辺境で過ごし、補給艦の艦長、支援部隊司令、補給基地司令を歴任した後方支援指揮のベテランである。士官学校を卒業しておらず、補給専科学校を一八歳で卒業して伍長に任官してから、四〇年以上かけて大佐まで昇進した。

 

 専科学校を卒業して伍長に任官した者が大佐になるには、九階級昇進する必要があった。これは士官学校を卒業して少尉に任官した者が大将になるまでの昇進回数と同数である。そのため、専科学校卒業者の大佐は、士官学校卒業者の大将に匹敵する重みがあると言われる。

 

「お父さんは一人も人を殺さないで大佐になったんだよ」

「お父さんの持ってる勲章は、全部災害派遣や治安出動の功績に対して授与されたの」

 

 ダーシャはいつもそう自慢していた。補給、通信、整備のような非戦闘部門の専門家であれば、ブレツェリ大佐のようなキャリアはそれほど珍しいわけでもない。しかし、下士官から非戦闘部門一筋で一人も殺さずに大佐まで昇進する者は滅多にいない。叩き上げの大佐といえば、ほとんどは軍艦乗りか陸戦屋か空戦屋と相場が決まっている。

 

 一人も人を殺したことがない下士官の大将で、あのダーシャの父親とくれば、誰だって頭の天辺から指先までプロ意識で充満しているような人を想像するはずだ。それなのに俺の目の前に現れたのは、定年間近の中小企業の事務員みたいな風貌の人だった。

 

「この子がエリヤ君?可愛いじゃないの」

 

 ダーシャの母親のハンナ・ブレツェリ曹長は、夫より五歳若い五三歳。くりっとした大きな目と丸っこい顔を一目見ただけで、ダーシャが母親似であることがわかる。初対面でいきなり可愛いと言ってくるところも似ている。地上基地の通信士を長らく務めて、今年いっぱいで定年を迎えるとダーシャから聞いていた。

 

 両親に案内されて官舎の奥に進むと、ダーシャの二人の兄が食事の用意をしていた。祖父の代にフェザーンから移民してきたブレツェリ家は、何よりも独立心を大事にするフェザーン的な家風だった。だから、男子にも家事をひと通り習得させ、女子にも肉体を鍛錬させて、一人でも生きていけるような教育をする。

 

 上座につかされた俺はテーブルに山盛りのチョコレートを食べながら、父親、母親、ダーシャを加えて家族総出で食事の用意をしている様子をぽつんと眺めていた。俺を放っておきたい時は甘い物をたくさん置いておけばいいというのは、ダーシャの入れ知恵に違いなかった。

 

 やがて、食事がテーブルに並ぶ。ポグラチというパプリカ風味のシチュー、ペチェンカという豚肉のオーブン焼き肉料理、豆とじゃがいものサラダ、クルヴァヴィツェという腸詰めといったフェザーン風料理の他、俺が大好きなマカロニアンドチーズやピーチパイといったパラス風料理も並んでいる。

 

「今日のメニューはマテイ兄さんが作ったんだよ」

 

 ダーシャがそう言うと、上の兄のマテイ・ブレツェリ軍曹は口元を軽くほころばせて、握手を求めるように右手を差し出した。

 

「エル・ファシルの英雄に俺の料理を食べてもらうことができるとは思わなかった。給養員として学んだすべてを出し尽くしたつもりだ」

 

 今年で三〇歳になる彼は、補給専科学校で調理を学び、現在は軍艦の厨房を預かる給養主任を務めていた。「どんな時代でも絶対に食いっぱぐれない技術がほしい」という理由で調理を学んだ彼は、堅実そのものの性格であった。そんな人がここまで気合を入れて俺をもてなそうとしていることに、心が熱くなる。

 

「メニューにパラス風料理を加えたのは、俺の発案なんだ。わざわざ妹さんにメールして聞いたんだよ」

「そんなこと、いちいちアピールしなくていいから」

 

 ダーシャに軽くあしらわれたのは、下の兄のフランチ・ブレツェリ准尉。俺と同い年の二八歳で長身と甘いマスクの持ち主だった。通信専科学校を卒業して、正規艦隊の旗艦で勤務した経験もある優秀な作戦オペレーターである。来年から幹部候補生養成所に入所して、士官への道を歩む。キャリアも容貌も申し分なく、結婚相談所に登録したら紹介希望が殺到しそうなスペックの持ち主なのに、ダーシャに軽視されているふしが端々から伺えた。

 

 俺の方を見ようともせずに黙々と料理を食べ、酒を飲んでいる父親。俺に物を食べさせようとして、皿が空になっていたら勝手に料理を乗っけてくる母親。俺が食べている様子をニコニコしながら眺めている上の兄。とても多弁で話題がコロコロ変わる下の兄。一緒に物を食べていると、ダーシャの家族の個性が見えてきて興味深い。

 

 ダーシャは家族の中で突っ込み役を担っているようだった。俺に物を食べさせたがる母親、おしゃべり好きな下の兄が特に突っ込まれている。

 

 ブレツェリ家の団欒を見ているだけで、心が洗われるような気持ちになってくる。この戦いが終わったら一度休暇を取ってアルマと一緒に実家に帰ろうとか、俺もこんな家族を作りたいとか、そんなことを考えていた。

 

 食事が終わり、みんなが後片付けを始める。俺も手伝おうとすると、ずっと黙っていたブレツェリ大佐が口を開いた。

 

「フィリップス君、君に見せたいものがある。ついてきてほしい」

 

 そう言って、ブレツェリ大佐は席を立った。俺は大佐の後を付いて行く。一体何を見せようというのだろうか?

 

「広い寝室だろう?」

「ええ、まあ」

 

 ブレツェリ大佐は官舎の中を俺に見せて、部屋ごとに設備の充実ぶりや住み心地の良さなんかを細かく解説してくれた。建物の作りからして、本来は士官本人の世帯とその親の世帯が同居することを想定して作られた二世帯住宅らしい。

 

 どの部屋も広くて、使いやすい間取りになっているのが素人目にもわかる。適切な確度で日光が差し込み、風が心地良く通り、ある部屋で大きな音を立てても他の部屋に聞こえないような設計がなされていた。そして、すべての部屋がバリアフリーに対応している。知れば知るほど、ブレツェリ大佐にこの官舎が割り当てられた背景がわからなくなってくる。

 

「ここが浴室。なんとジャグジーだよ」

 

 広々とした浴室の中には、円形の大きなジャグジーが据え付けられていた。

 

「ジャグジーのある官舎なんて、初めて見ました」

「凄いだろう?」

「凄いですよね」

 

 そもそも、同盟では浴槽にお湯をためて入浴する行為自体が一種の贅沢である。そもそも、清潔な水をタダみたいな値段で確保できるのは、ハイネセンや俺の故郷パラスのようなごく一部の惑星に限られる。それ以外の惑星では、シャワーで済ませるのが普通だ。浴室、しかもジャグジーなんて、富裕層にしか許されない贅沢だった。

 

「まさか、ジャグジーのある家に住めるなんて思ってもいなかった」

 

 どう答えればいいのか、さっぱりわからない。俺だってジャグジーのある家には住みたいけど、そんな答えを期待しているとも思えない。どういうつもりで官舎の中を俺に見せて回っているのか、さっぱりわからない。万事にストレートな娘と違って、掴みどころのない人だった。

 

「前にこの官舎に住んでいたのは、パストーレ提督だった。あの方が亡くなられたおかげで、私はジャグジー付きの官舎に住むことができた」

 

 第四艦隊司令官ロドリゴ・パストーレ中将は、今年二月のアスターテ星域会戦で帝国軍司令官ラインハルト・フォン・ローエングラムの奇襲を受けて戦死した。歴史的な大敗の責任者の名前が唐突に出てきたことに驚いてしまったが、大都市の人口に匹敵する将兵を統率する正規艦隊司令官が住んでいた官舎なら、この豪華ぶりも納得できる。

 

「パストーレ提督は一〇年ほど前の上官だった。歴代の上官の中でも飛び抜けて有能な方だったのに、亡くなる時はあっけないものだ。第四艦隊司令官の任期を終えたら、国防委員会事務局か統合作戦本部の次長として全軍の指導にあたるはずだったのに、それも幻となってしまった。一度の敗戦でパストーレ提督の評価は地に落ちてしまった」

 

 一万二〇〇〇隻もの戦力を率いていながら、帝国軍の攻撃に対応できずに一方的に敗北したパストーレ中将は、前の歴史においては「無能」の一言で片付けられている。現在の一般的な評価も前の歴史とあまり変わらない。

 

 しかし、同盟軍は無能者が中将まで昇進できるような組織ではない。能力・実績共に飛び抜けた実力者が揃っている将官の中でも、さらに飛び抜けていなければ中将にはなれない。

 

 パストーレ中将は調整能力と管理能力に長けた軍政家型の提督で、戦力を整備して適切に配置する手腕では並ぶ者がなかった。航路保安や治安出動で抜群の実績をあげて、将来の統合作戦本部長候補の一人にあげられていた。ブレツェリ大佐の評価は、アスターテの敗戦以前の一般的な評価と言って良い。

 

「正規艦隊の四分の一にあたる三個艦隊が一日で消滅するという歴史的な惨敗の戦犯の一人だ。批判されるのはやむを得ないのかもしれない。戦死者の遺族が怒りをぶつける対象を必要としているのもわかる。しかし、戦死者に例外なく認められる一階級の名誉進級の対象から外されたという話を聞くと、負けたから仕方ないの一言で片付ける気持ちにはなれないのも事実だ」

 

 世間はアスターテで奮戦したヤン・ウェンリーやポルフィリオ・ルイスを英雄と賞賛する一方で、敗戦責任者の第四艦隊司令官パストーレ中将、第六艦隊司令官ムーア中将、第二艦隊司令官パエッタ中将の三人を愚将と罵った。戦死したパストーレ中将とムーア中将は戦死者に例外なく認められる一階級の名誉進級の対象から外され、重傷を負って入院しているパエッタ中将は退院後に軍法会議にかけられる見通しだった。

 

 誰かが敗戦に責任を負わなければならないとはいえ、手放しで批判する気にもなれない。何のてらいもなく、けじめと同情の間で揺れる心情を吐露するブレツェリ大佐に好感を抱いた。

 

 軍人である以上、自分がいつパストーレ中将と同じ立場に立たされるかわかったものではない。俺の周囲にいるのは提督や参謀といった高級軍人ばかりだ。彼らが敗戦責任者として批判される可能性もある。今の俺は勝者を賞賛して、敗者を無能と罵れるような気楽な立場ではなかった。

 

「優秀な管理者は長期的な思考を得意とする反面で、短期的には柔軟性を欠く傾向がある。パストーレ提督も戦術指揮官としては今ひとつだった。『管理満点、用兵赤点』という評価は君も聞いたことがあるだろう。これは思考方式の問題であって、つまらない有能無能の二元論で片付けられる話じゃない。軍人は任務を選べない。戦術指揮という最も不向きな任務で、奇襲を得意とするローエングラム伯爵という最悪の相手に遭遇したのがパストーレ中将の不幸だった」

 

 管理者は数か月、数年といったサイクルで物事を捉えなければならない。一方、前線指揮官は数時間、数分、時には数秒のサイクルですべてが変わってしまう戦場で生きている。管理者の思考で前線に臨んだら柔軟性を欠いてしまい、前線指揮官の思考で管理業務を行ったらその場しのぎに終始してしまう。

 

 シンクレア・セレブレッゼ中将は後方支援システム構築、幕僚チーム作りといった長期的な計画においては卓越した力量を発揮する管理者であったが、前線指揮では素人以下だった。アーロン・ビューフォート准将はエル・ファシル動乱において、敵中突破、時間差各個撃破という芸術的な用兵を見せた指揮官だったが、管理者としては精彩を欠いた。

 

 管理者と前線指揮官の資質を併せ持つことは本当に難しい。管理者としても前線指揮官としても実績を示したクレメンス・ドーソン中将もその例外ではなかった。彼の思考サイクルは前線指揮官のそれに近く、短期的な問題の処理には抜群の力量を示すが、長期的な計画には視野が及ばない。管理者でありながらプレイヤーとして部署を引っ張っていくプレイングマネージャーの典型で、超一流のプレイヤーではあっても、管理者として一流とは言いがたかった。

 

 前の人生で伝記や戦記を読んだ時は、それがわからなかった。提督や参謀は有能無能の二極に分かれていて、結果を出した者は有能、出せなかった者は無能だと思っていた。ドーソン中将もパストーレ中将も結果を出せなかったために、歴史家によって無能と断じられた人物である。

 

 しかし、高級軍人としての経験を積んだ今なら、ブレツェリ大佐が語るパストーレ中将の不幸が理解できる。そして、不幸な指揮官の下で戦わざるを得なかった将兵たちの不幸も。ある能力に長けた人物は、それゆえに別の能力を欠いてしまうことが多い。そして、常に自分に向いた任務を選べるわけではない。

 

 適材適所は組織の理想であるが、様々な事情によって、不向きな人物が不向きなポストにあてられることも珍しくない。たとえば、パストーレ中将の第四艦隊司令官就任は、人事内規の都合だった。パストーレ中将が前職の任期を終えた時、統合作戦本部次長への任用資格となるポストは第四艦隊司令官以外に空いていなかった。

 

「パストーレ中将は妻、四人の子供、そして養親と一緒にこの官舎に住んでいた。パストーレ中将がトラバース法で子供のいない下士官に引き取られた戦災遺児だというのは、知っているよね」

「ええ、テレビでも見たことがあります」

 

 トラバース法とは発案者の名前に由来する通称であって、正式名称は「軍事子女福祉戦時特例法」という。戦災孤児を軍人の家庭で養育させる法律だ。国から養育費が貸与され、義務教育終了と同時に返済義務が生じる。ただし、士官学校や専科学校といった軍学校に入学するか、少年志願兵として軍隊に入って一〇年間勤務すれば、返済義務は消失する。

 

 家庭を持っていて、なおかつ養育費を返還できるような余裕のある軍人は、そうそういるものではない。トラバース法が適用された時点で、子供の軍隊入りは決定されたも同然だった。法的責任能力が認められる年齢に達していない子供の将来を「同盟憲章の職業選択の自由に反する」と批判する意見も多い。七四〇年代に反戦派弁護士グループが提起したトラバース法違憲訴訟は、当時の国論を二分する大騒動に発展している。

 

 トラバース法の是非はひとまず置いておくとして、軍人に育てられて軍隊に入るよう義務付けられた子供達は軍隊文化に馴染みやすかった。彼らは「トラバース・チルドレン」と呼ばれ、同盟軍の中で地歩を築いていく。下士官として現場を支える者もいれば、士官学校を出てエリートの道を進む者もいた。将官まで昇進した者も多い。

 

 前の歴史で最も有名なトラバース・チルドレンはヤン・ウェンリーに育てられて、その後継者となったユリアン・ミンツ中尉だった。現時点で最も有名なトラバース・チルドレンは、伝説的な艦載機パイロットで歴代五位の撃墜数を誇る第七七飛行群司令ディン・グオリャン大佐、作戦畑の英才で二〇年後の宇宙艦隊司令長官候補の呼び声高い第七艦隊副司令官ダニエル・ドピタ少将、元従軍看護師で現在は女優として活躍中のナデージュ・ポーシャール退役曹長、そしてパストーレ中将だった。

 

 初めて士官学校を首席で卒業したトラバース・チルドレン。戦傷によって体が不自由になった養親への孝行ぶり。地方部隊に蔓延する旧弊と戦った改革者。半生を賭けて宇宙海賊撲滅に取り組んだ闘将。そんなパストーレ中将は、主戦派メディアによってたびたび模範的な軍人として取り上げられてきた。

 

「この官舎が全室バリアフリー対応なのも体が不自由な養親への配慮なんだよ」

「ああ、なるほど。そういうことでしたか」

「しかし、パストーレ中将は亡くなって、家族もこの官舎には住めなくなった。養親は体が不自由だ。一番上の子供は大学受験を控え、下の三人は義務教育期間中。官舎を出て行った彼らはどこに行ったんだろうか。そんなことを思ってしまう」

 

 パストーレ中将にも家族がいた。老後を託した養子を失った養親、夫を失った妻、庇護を必要とする時期に親を失った子供。彼らの行方に思いを馳せると、暗澹たる思いがする。

 

 軍人の遺族年金は財政難の中で削減の一途をたどっていた。戦死者には名誉戦傷章が授与されて、遺族が勲章に付随する年金受給権を相続する慣例があった。しかし、敗戦責任者のパストーレ中将は「世論の理解が得られない」という理由から、名誉戦傷章を授与されなかった。

 

「戦死者遺族の貧困は社会問題になっています。トラバース法が適用されるのは、一五歳未満で三親等以内の父系親族がいない者だけです。パストーレ中将のご遺族も大変でしょうね」

「大変なのはパストーレ中将の家族だけではない。この地区は半年前までは第四艦隊の士官の官舎街だった。アスターテの敗戦で第四艦隊の士官が大勢死んで、今では空き家ばかりだ」

 

 そういえば、休日なのにこの官舎の周辺は全然人通りがなかった。そういう事情があったとは知らなかった。

 

「アスターテの敗戦でこれだけの官舎が空き家になったんですね。そして、パストーレ中将のご遺族のような苦難は、空き家の数だけ存在すると」

「軍人は死んでも住んでいた家は残る。部隊が存続していれば、新しくやってきた補充要員を済ませればそれで済む。しかし、第四艦隊のように部隊が解体された場合は話が別だ。正規艦隊ともなると、一〇万人以上の士官の官舎が空き家になる。空き家と同じ数だけ、不幸な家族が生まれる」

 

 アスターテの戦死者二〇〇万人の死が生み出した巨大な社会的空白、そして二〇〇万の不幸な家族。ゴーストタウンと化した第四艦隊の官舎街は、歴史的な大敗の傷跡の深さをまざまざと見せつけてくれた。

 

「空き家になったのは官舎だけではない。戦隊単位に分散している二〇か所近い艦隊基地、艦隊が消費する物資を備蓄していた倉庫群なども宙に浮いてしまった。整備、補給、基地業務などを担当する地上要員一〇万人の身の振り方も考えなければならない」

 

 一個艦隊が壊滅したということは、その活動を支える設備や人員が宙に浮いてしまったことを意味する。当たり前ではあるが、見落とされがちだった。支援群司令より高い地位を経験していないにも関わらず、広い視野を持つブレツェリ大佐は、やはり下士官の大将たるにふさわしい人物だった。

 

 前の歴史においては、七九六年に帝国領侵攻作戦で第一三艦隊を除く七個艦隊が壊滅、七九七年の内戦で第一一艦隊が壊滅、生き残った第一艦隊と七九九年のラグナロック戦役に際して編成された第一四艦隊・第一五艦隊はランテマリオ星域会戦とヴァーミリオン会戦で壊滅。アスターテで壊滅した三個艦隊と合わせると、同盟軍は七九六年から七九九年にかけての三年間で延べ一四個艦隊を失ったことになる。

 

 前の人生の俺は七九七年まで帝国の捕虜収容所にいて、アスターテと帝国領侵攻作戦の敗北をリアルタイムで経験していない。帰国してからは周囲の白眼視に苦しんで、社会に関心を持つどころじゃなかった。どんな大事件が起きても他人事のようにしか感じられなかった。ヤン・ウェンリーの孤軍奮闘によって、帝国軍の艦隊がいくつも壊滅したこともあって、「艦隊は簡単に壊滅するもの」と漠然と考えていた。

 

 しかし、一万隻以上の艦艇と一〇〇万人以上の将兵で構成される一個艦隊が簡単に壊滅してしまうなんて、本来は異常なことなのだ。ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーの二大天才がしのぎを削った時代を基準に考えてはならない。

 

 一個艦隊の壊滅はとんでもない大事件である。それが三つも重なったら、残された設備や人員の処理手続きだって数年はかかるに違いない。

 

「この地区の官舎も民間に払い下げようという話も出てるが、管理担当の役人が抵抗していてね。その中に私の友人もいる。この地区の官舎に人が住んでいるという既成事実を作りたい彼らに頼まれて、私はこんな豪華な官舎に住んでいるわけさ。三個艦隊の壊滅の余波はこんなところにも及んでいる」

「官舎一つをとっても、いろんなドラマがあるんですね」

「軍人が死ぬというのはこういうことなのだ。社会的な空白が生まれて、生き残った者はそれを埋めるための戦いを強いられる。娘にはそんな戦いをさせたくない」

 

 この官舎の背景を延々と話したブレツェリ大佐の口から、ようやく結婚に関係ある話が出てきた。仕事人間の俺には、軍隊の話を例にあげるのが一番わかりやすい。彼が恐れているものが実感を持って理解できた。

 

「四〇年も軍隊にいれば、軍人が死ぬのは当たり前だってことぐらいわかってる。今さら、帝国との戦争はやめられない。対外戦争がなくても、海賊やテロリスト相手の治安出動がある。治安出動がなくても、災害派遣がある。地方の後方支援が長かった私は対外戦争より、治安出動や災害派遣をずっと多く経験した。そんな現場でもやはり軍人は死ぬ。私は軍人だ。そんなことはわかってる」

 

 ブレツェリ大佐の語調が急に激しくなる。

 

「でも、私は軍人である前に親なんだ。娘には幸せになってほしい。軍人である前に夫であることを選んでくれる男と結婚してほしい。君には娘と一緒に生き続けてくれる男であってほしい」

 

 ブレツェリ大佐は俺の両肩を掴み、詰め寄るように顔を近づけた。気迫にただただ圧倒されてしまう。

 

「半年前のこの地区にはたくさん人が住んでいた。この官舎にはパストーレ提督の一家が住んでいた。しかし、今はもう居ない。寂しいだろう?なあ?」

「はい」

「娘にそんな思いをさせないでくれ、頼むから。君がいない空き家で娘が寂しくたたずんでる光景なんて、想像したくもない。わかるな?」

「はい」

「軍人に『死ぬな』なんて、我ながら馬鹿らしいことを言ってると思う。でも、それが親なんだ」

 

 俺の肩を掴んでいた力が急に弱くなった。ブレツェリ大佐の張り詰めた顔には、汗が何筋も流れていた。

 

「…娘をよろしく頼む」

 

 初老の大佐が四〇年かけて積み上げたプロとしての矜持をかなぐり捨てて、一人の父親として語った言葉。それ以上に重みのある言葉は、この世に存在しなかった。

 

「わかりました」

 

 こうして、俺とダーシャの結婚はブレツェリ家公認となった。

 

 

 

 プライベートで妹との再会、ダーシャの実家訪問といった大きなイベントをこなした俺だったが、オフィシャルでも帝国領出兵作戦「イオン・ファゼカスの帰還」に向けた準備で多忙を極めた。

 

 参謀とともに現実的な行動計画を作成して、検討を重ねる。作戦行動に必要な物資と人員を集める。帝国辺境の事情に通じた人物と会って、占領政策に関するアドバイスを受ける。戦隊会議を開いて配下の指揮官達の意思疎通を促す。臨時に編入される部隊との協力体制を構築する。時間は少ないのに、なすべきことは多かった。

 

 八月二二日、自由惑星同盟の帝国領遠征軍はイゼルローン要塞に総司令部を設置した。遠征軍に参加する三〇〇〇万人の将兵は、帝国打倒を望む人々の歓呼に送られて、地上から飛び立っていった。

 

 第三六戦隊が根拠地としているフリジントン軍港では、将兵達が見送りに来た家族や友人と別れを惜しんでいた。ハイネセンで勤務していた俺の知り合いはほとんど遠征軍に参加していて、見送りに来てくれた人は少なかった。

 

「帰ってきたら、凱旋式と結婚式だな。去年、礼服を新調しておいて本当に良かった」

 

 気の早いことを言ってるのは、国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将。彼は知り合いの祝い事に口を出したがる癖がある。完全な善意ではあるのだが、言うことが細かすぎてトリューニヒト派の若手士官には迷惑がられていた。脇にはわざとらしく結婚式場のパンフレットを抱えているけど、見ていないふりをする。

 

「貴官は海賊討伐作戦で参謀として力量を示した。今度は指揮官として示す番だ。イオン・ファゼカス作戦では政治が鍵になる。貴官ならきっとできると信じているぞ」

 

 第一一艦隊司令官フィリップ・ルグランジュ中将は爽やかに笑って、俺の肩を力強く叩く。政治に疎い彼を補佐したのは、ほんの数か月前だった。それなのに遠い昔のように感じられる。

 

 他にも国防委員会査閲部運用支援課長のナイジェル・ベイ大佐、統合作戦本部管理担当次長のスタンリー・ロックウェル中将らが見送りに来てくれた。国防委員長ヨブ・トリューニヒトは顔を見せなかった。

 

「司令官閣下、そろそろお時間です」

「わかった」

 

 副官のシェリル・コレット大尉に促された俺は、見送りの人達に別れを告げてシャトルに乗り込み、上空に係留されている戦隊旗艦に向けて飛び立った。地表がどんどん遠くなっていく。次にこの土を踏めるのは、いつの日になるだろうか。

 

 三二三年前にイオン・ファゼカス号に乗って帝国の流刑地を脱出した共和主義者の子孫は、今度は十万隻を越える軍艦に乗って帝国の民衆を解放するために帰還する。長きにわたる専制と自由の戦いは、最終決戦の時を迎えようとしていた。



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第九章:解放の旗を掲げて
第九章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第三六戦隊司令官。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。反トリューニヒト派が多い第一二艦隊では浮いている。アンドリュー・フォークとのすれ違い、ダーシャ・ブレツェリとの婚約、妹のアルマとの再会を経て、帝国領遠征に参加。小心者。小柄で童顔。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。用兵は下手。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

第三六戦隊関係者

チュン・ウー・チェン 34歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。第三六戦隊参謀長。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事のすべてに通じる。エリヤに頼まれて参謀長に就任。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を繰り広げた。

 

ハンス・ベッカー 31歳 男性

同盟軍中佐。亡命者。第三六戦隊情報部長。入院中にエリヤと知り合った元帝国軍の情報参謀。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 36歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。第三六戦隊人事部長。第二輸送業務集団から移籍した人事のプロフェッショナル。公正。剛直。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

シェリル・コレット 23歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三六戦隊司令官副官。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。チュン・ウー・チェンの推薦で第三六戦隊司令官副官に起用される。頭の回転が速い。機転が利く。太っていて背が高い。ぼんやりしている。人と目を合わせようとしない。

 

クリス・ニールセン 25歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。第三六戦隊作戦部長代理。アンドリュー・フォークの推薦で宇宙艦隊総司令部から移籍してきた若手作戦参謀。基本に忠実な部隊運用をする。純朴な性格。

 

リリー・レトガー 38歳 女性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

エドモンド・メッサースミス 24歳 男性 アングロサクソン系

同盟軍大尉。第三六戦隊作戦参謀。グリーンヒルの推薦で参謀チームに加わった。未熟だが意欲は高い。社交性がある。第三六戦隊では質問役として、他の参謀の発言を促す役割を担う。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

エリオット・カプラン 28歳 男性 アングロサクソン系

同盟軍大尉。第三六戦隊人事参謀。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。コネで伯父によって第三六艦隊司令部に押し込まれる。能力も意欲も完全に欠如している。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。帝国領遠征に参加。先日エリヤと婚約。遠征終了後に結婚する予定。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。陸戦専科学校教官時代にアルマを指導した。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 33歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。アクシデントがきっかけで不仲なホーランドの参謀長となり、帝国領遠征に参加。士官学校卒の参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。海賊討伐作戦に際し、欠点を補うためにエリヤを起用した。功績によって中将に昇進し、第一一艦隊司令官に就任。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。

前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

ジェリコ・ブレツェリ 59歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍大佐。フェザーン移民の子。第七艦隊所属の支援群司令官。下士官から大佐まで叩き上げた後方支援部隊のベテラン指揮官。主に災害派遣や治安出動で活躍。パストーレ中将の悲劇をエリヤに語った後に、ダーシャとの結婚を認めた。帝国領遠征に参加。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 41歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。国防委員長。警察官僚出身の主戦派政治家。改革市民同盟非主流派の領袖。凡人のための世界を作るという理想を持つ。帝国領遠征に反対し、徹底的に非協力を貫く。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。気さく。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。人懐っこい笑顔。長身。俳優のような美男子。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。国防委員会防衛部長。第一一艦隊を率いて海賊討伐作戦で活躍。ウッド提督の再来ともてはやされたが、指揮下の部隊が不祥事を起こした責任を問われて更迭された。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。統合作戦本部管理担当次長。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の情報参謀。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 26歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍准将。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。帝国領遠征軍作戦参謀。ロボスに心酔している。ロボス元帥の意を受け、帝国領侵攻作戦の実現に奔走。エリヤの協力を得ようとした。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。行軍計画の立案に高い力量を示す。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 58歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。帝国領遠征軍総司令官。同盟軍屈指の用兵家で人心掌握にも長けた優秀な人物。トリューニヒトにも一目置かれる策略家。失態続きで失脚寸前。逆転を狙って帝国領遠征を仕掛けた。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 33歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊参謀長。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征の実現に貢献して、第一線に復帰。帝国領遠征に参加して、失地回復を目指す。強烈な覇気の持ち主。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。男らしい美男子。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

カーポ・ビロライネン 35歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。帝国領遠征軍情報主任参謀。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

シトレ派関係者

シドニー・シトレ 59歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍元帥。統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。イゼルローン攻略作戦によって失地を取り戻したかに見えたが、ロボス元帥が仕掛けた帝国領侵攻作戦によって再び窮地に追い込まれる。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ヤン・ウェンリー 29歳 男性 原作主人公

同盟軍中将。第一三艦隊司令官。シトレの腹心。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。不可能とされたイゼルローン要塞攻略を成功させて、二〇代にして艦隊司令官の地位を得た若き英雄。帝国領遠征に参加中。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 35歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。帝国領遠征軍後方主任参謀。シトレの腹心。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。第一三艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 32歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。第一三艦隊の陸戦師団長。ローゼンリッターの前連隊長。イゼルローン要塞攻略の功績で将官に昇進。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 26歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ウラディミール・ボロディン 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征に参加中。ノーブレス・オブリージュの持ち主。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一艦隊司令官。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。海賊討伐作戦で活躍し、ウッド提督の再来ともてはやされた。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退した。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。帝国領遠征に参加。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 25歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校上位卒業のエリート。ドーソンの副官を務めた後、不祥事によって辺境に左遷。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 61歳 男性 原作人物

財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。帝国領遠征に反対。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。支持率を回復するため、ロボスとアルバネーゼが仕掛けた帝国領遠征を後押しする。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。ロボス元帥と組んで帝国領遠征を仕掛ける。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

ジェシカ・エドワーズ 28歳 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合所属。婚約者の戦死をきっかけに反戦運動に身を投じ、テルヌーゼン補欠選挙で代議員に当選。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 50歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。再起を目指して、新チーム結成に取り組む。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 50歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 37歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 51歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 30歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 23歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。前の人生を引きずっていたエリヤに避けられていたが、親友のダーシャと恩師のクリスチアンの尽力によってようやく和解できた。帝国領遠征に参加。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 



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第八十話:解放区民主化支援計画 宇宙暦796年9月2日~6日 イゼルローン要塞

 ハイネセンやその周辺星域にある基地を出発した三〇〇〇万の遠征軍将兵は、総司令部が置かれているイゼルローン要塞で最後の整備と休養を行った後、帝国領に進入していく。ただ、一度に収容できるのは、艦艇二万隻と将兵五〇〇万人程度に過ぎない。ある部隊が数日間滞在して帝国領に出発したら、同盟領方向からやってきた別の部隊が入れ替わり、交代交代で要塞を使用していた。

 

 俺の所属する第一二艦隊が第七艦隊と入れ替わるようにイゼルローンに入ったのは、九月二日のことだった。三日間滞在して、六日に出発する。余裕のない日程だったが、第一二艦隊の次に入ってくる第九艦隊は、既にイゼルローンの手前のティアマト星域までやってきている。後続の第三艦隊、第五艦隊もあと三日でティアマト星域に入る見込みだった。彼らをあまり長く待たせるわけにはいかなかった。

 

 整備員が艦艇や艦載機の手入れに励み、補給員が物資を補充して、その他の者が装備の点検に精を出している間、戦隊司令官の俺は会議に追われていた。

 

 作戦計画とその実施に関しては、ハイネセンを出発する前に戦隊、分艦隊、艦隊のそれぞれのレベルで調整済みだった。変更を要するような材料も今のところは存在していない。本来ならイゼルローンでの会議は最終確認だけで済んでいた。それで済まなくなったのは、政治的な事情による。

 

 今回の遠征目的は、公式には「大軍をもって帝国領の奥深く侵攻する」という曖昧なものであったが、アンドリューから見せられた概要では「帝都オーディンを攻略して、同盟に有利な講和を強要する」と明記されていた。

 

 公式の文面がなぜ曖昧なものになったのかはわからない。しかし、主目的はオーディン攻略で、帝国領内の有人惑星は補給路として占領すべきものだった。帝国から同盟に寝返る予定の二六星系も現地指導者に統治を委ねる予定だった。ところが「帝国諸惑星の解放と民主化こそが今回の出兵の主目的だ」と主張する者が現れて、占領政策は根本的な修正を余儀なくされたのである。

 

 彼らは最高評議会にはたらきかけて、「解放区民主化支援機構」なるものを発足させた。占領統治と民主化プロセスを担当するこの機関が作成した民主化プランへの対応が会議の議題となっていた。

 

「なんですか、これは」

 

 苦々しさを隠し切れない俺が『解放区民主化試案』と題されたファイルを机の上に放り投げると、第一二艦隊の将官達は一斉に顔色を変えた。

 

「見ればわかるだろう」

 

 第一二艦隊参謀長ナサニエル・コナリー少将の呆れたような顔を見て我に返った俺は、慌ててファイルを拾い上げる。ここが第一二艦隊将官会議の席上だということをすっかり忘れてしまっていた。

 

「この案に何か問題があるのかね?」

 

 とげを含んだ声で問うのは、第一二艦隊副司令官ヤオ・フアシン少将。ヨブ・トリューニヒト嫌いを公言する彼は、トリューニヒト派の俺をあからさまに嫌っていた。第一二艦隊で最も避けて通りたい人ナンバーワンである。

 

「小官には素晴らしい案に見えるが、フィリップス提督には別の意見があるようだ」

 

 第一二艦隊にあってひときわ勇名高い実戦派提督に睨まれると、何も言えなくなってしまう。ヤオ少将と俺では、貫禄が圧倒的に違う。

 

「フォーク准将の案が公表された段階では、気が進まなかった。だが、目標がはっきりして、ようやく戦う気になれた。帝国の解放と民主化は、命を賭けて戦うに値する目的ではないか」

 

 第四四戦隊司令官セルヒオ・バレーロ准将の言葉に、出席者は「そうだそうだ」と声をあげる。

 

「これ以上に具体的で現実的な民主化プランは、そうそう無いと思いますよ。民主化支援機構の副理事長は元帝国内務省次官のハッセルバッハ氏、一二人の理事の中には、元帝国軍少将グロスマン氏、元反体制組織指導者のシェーナー氏、元門閥貴族のネルトリンガー氏といった有力な亡命者もいます。帝国の事情も十分に踏まえられてるはずです」

 

 ファイルをめくっている第一二艦隊後方支援集団司令官アーイシャー・シャルマ少将を見ながら、「違う、そうじゃない。民主化自体が間違いなんだ」と頭の中で一人つぶやく。

 

 治安作戦に従事した経験から言うと、現地人の協力を得るには風習を尊重しなければならない。どれほど愚かしく見えても、変えようとしてはならない。帝国の身分制度や事大主義的な文化を後進的と断じて、自由主義と民主主義を啓蒙しようという民主化支援機構のプランでは、帝国人の反発を買ってしまう。

 

 正規艦隊の幹部は実力、経歴ともにずば抜けたエリートがほとんどだ。第一二艦隊もその例外ではない。彼らのような人は、軍事では現実主義なのに、政治では理想主義に陥る傾向が強い。非凡な彼らにとっては、間違いは正されなければならないもので、他人は努力すれば変えることができる存在だった。

 

 民主化支援機構のプランは、一言で言うと「正しいハイネセン主義」である。市民の自由を最大限に尊重して、政府の権限や規模は最小限に抑える。経済活動の自由を最大限に尊重して、政府の経済介入は最小限に抑える。内面の自由を最大限に尊重して、政府の教育や文化への介入は最小限に抑える。市民が政府を監視するシステムを作って、不正や腐敗を防止する。政府の暴走を防ぐために、軍事力と警察力は最小限に抑える。民主化支援機構はそんなシステムを帝国領で構築して、国父アーレ・ハイネセンの理想を実現しようとしていた。

 

「アーレ・ハイネセンが唱える『自由、自主、自律、自尊』の理念は凡人には重すぎる」

 

 ヨブ・トリューニヒトはそう語ったことがある。だから、ハイネセンを国父と崇拝する同盟においても、ハイネセン主義は実現できなかった。

 

「正しい答えがわかっていれば、正しい選択ができる。正しい答えを人に伝えれば、人は正しい選択をしてくれる。そう信じている人を見ると、羨ましくなるね。さぞ幸せな人生を生きてきたのだろう。そう思わないかい、エリヤ君?」

 

 ヨブ・トリューニヒトはそう語ったことがある。正しい答えがわかっていても、人は正しく選択できない。正しい答えを他人に教えても、他人は正しく動いてくれない。

 

 民主化支援機構のメンバーも第一二艦隊の幹部と同じように非凡な人達なのだろう。彼らはアーレ・ハイネセンの理念の重さに耐えることができる。彼らは正しい答えを知っていれば、正しい選択ができる。それゆえに凡人との付き合い方がわからない。そんな人達が占領政策を担当することにどうしようもない不安を感じた。

 

 

 

 第一二艦隊将官会議が終わった後、俺は戦隊司令部に戻って参謀会議を招集した。解放区民主化試案は第一二艦隊に所属する全部隊の司令部に配布されていて、第三六戦隊の参謀達も一人を除いて全員読み終えていた。

 

「というわけで、俺としてはこの試案はまずいと思うんだ」

 

 そう言って全員の顔を見回したが、みんな俺の言葉に納得いかないようだった。

 

「我々は幼い頃から、アーレ・ハイネセンの理想を自明のものとして育ってきました。ですから、その理想を現実にしようとしている試案に、技術的な問題を超えた本能的な共感を感じてしまいます」

 

 最初に発言したのは人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐だった。彼が言っているように、解放区民主化試案は同盟で生まれ育った者であれば、心の奥底で正しいと思ってしまう。違和感があっても、正面きっての反対はできない。そんな参謀達の気持ちを代弁しているかのようだった。

 

「しかし、帝国の人はそうではないんだ。アーレ・ハイネセンの理想を彼らに押し付けるのは良くない」

 

 参謀達がすっかり引いてしまっているのを見て、まずいことを言ってしまったと思った。ハイネセン主義に懐疑的なトリューニヒトと付き合ったおかげで、ハイネセン主義に対する懐疑を人前で示すのがどれほど危ういことか、忘れてしまっていた。

 

「確かに押し付けるのもハイネセン的ではないですね。自由は与えられるものではなく、自分の手で選択するものというのがハイネセンの教えですから」

「そうなんだ。自由を一方的に与えようとする。そんな態度はハイネセンの教えに反する。自由も自分で選んだがゆえに至上なんだ」

 

 教条主義者ではないニコルスキー中佐があえて教条主義的な言い方をしたのは、俺の発言を何とかしてハイネセン主義の枠に収めて、参謀達を落ち着かせようとする配慮だろう。

 

「そういう理由であれば、私も同意します」

「ありがとう)

 

 ニコルスキー中佐の言葉を聞いた参謀達は、ようやく納得したような表情になった。俺の意見を政治的に正しい言い方に翻訳することで、みんなを納得させつつ、試案に反対するために俺が用いるべきロジックを示してくれた。

 

「結論から先に言いますと、私は司令官に賛成ですねえ」

 

 後方部長リリー・レトガー中佐は、いつものような間延びした声で俺に対する同意を示した。

 

「理由は?」

「このプランだと本来想定していた懐柔作戦より、ずっと多くの物資を遣うんです。本格的に統治したら、うちの部隊の輸送力では間に合わなくなりますよ。進軍速度が半分以下になります」

 

 物資消費量が多くなれば、後方から追加補給を受ける必要が出てくる。追加補給を待つ時間だけ、部隊の足が遅くなる。そうなれば、作戦が長期化してしまう。前の歴史における帝国領侵攻作戦では、帝国軍は焦土作戦によって、そういう状態を意図的に作りだした。

 

「輸送部隊を倍増するって書いてるよ」

「敵地の中では、戦闘力のない輸送部隊はあてに出来ませんよ。そのままでは前線に到達できませんし、護衛を付ければ輸送速度が遅くなりますし。結局、うちの部隊の輸送力が頼りです」

「なるほど。考えてみるよ」

 

 レトガー中佐の言葉に俺は深く頷いた。輸送力への懸念を示して、このプランに反対することも可能かもしれない。

 

「圧政からの解放、自由と権利といった大義名分は、帝国人にとっては何の意味もありませんな。帝国人は同盟人と違って、自由の無い生活を圧政とは思っていません。自由と権利がない暮らしを五〇〇年近く経験していれば、さすがに慣れます」

 

 亡命者の情報部長ハンス・ベッカー中佐の意見は、前の人生でローエングラム朝によって銀河が統一された時代を経験した俺にもうなづけるものだった。旧ゴールデンバウム朝領出身者は自由がないことを不満に思わない。

 

「彼らにとって意味があるのは、何だと思う?」

「金と名誉です。庶民は安い税金と物価、公正な裁判を望みます。ブルジョワや下級貴族は出世や金儲けのチャンスを望みます。門閥貴族は権力と家門の繁栄を望みます。それらを満たさない政治が帝国人にとっての圧政です」

 

 これも同意できる意見だった。旧帝国領出身者は金と名誉へのこだわりが強い。ローエングラム朝の初代皇帝ラインハルトの治世が善政とされるのは、安い税金、公正な裁判、出世の機会、ビジネスの機会を与えて、金と名誉を求める旧帝国人の欲望に応えたからだった。

 

 ローエングラム朝はゴールデンバウム朝より自由な体制ではあったが、民主主義の自由惑星同盟と比べると大きく制限されていた。もともと持っていた物を失うことほど、腹立たしいことはない。地球教をはじめとする反ローエングラム勢力が旧同盟領で支持を得た背景には、権利を失ったことに対する旧同盟人の不満があった。

 

「ベッカー中佐がまだ帝国に住んでいると仮定したら、この試案にあるような統治を歓迎できる?」

「税金は安く済みそうですね。裁判も帝国よりは公正になるでしょう。出世やビジネスのチャンスもありそうです。一見すれば、悪くないように思えます」

「一見と言ったね。限定的な言い方をした理由は?」

「はい。俺が話したのは軌道に乗った後の話です。それまでは試行錯誤が必要になるでしょう。我が国は財政難、そしてプランを進めるのは遠征中ときています。金も時間も足らんのじゃないでしょうか。同盟人なら自由のためと我慢もできるでしょう。何年も緊縮財政を支持しているような人達ですからな。ただ、帝国人はそうではありません」

「相手の気質を無視して占領政策を進めるのはまずいよね。情報部長の言う通りだ」

 

 同盟人は自由のためなら我慢できるが、帝国人はそうではない。両国人の気質の違いから、試案を評価するベッカー中佐の意見は興味深かった。参謀達も俺と同じように思ったらしく、言葉や身振りで同意を示した。

 

 それから他の参謀達も発言したが、概ねニコルスキー中佐、レトガー中佐、ベッカー中佐の三人が示した論点に沿ったものだった。

 

「帝国人の自主性に対する配慮。確保できる輸送力。資金と時間の余裕。その三点において、第三六戦隊司令部は、解放区民主化試案に懸念を示すということでよろしいでしょうか?」

 

 意見が出尽くしたところで参謀長チュン・ウー・チェン大佐がまとめに入る。俺は大きく頷いて納得の意を示した。参謀は発言権は持っていても、決定権は司令官に属する。俺の同意によって、初めて参謀会議の議論は実効性を持つのであった。

 

 

 

 次の日、解放区民主化試案を受け入れる前提で進んだ第一二艦隊と分艦隊の会議に出席した俺は、戦隊司令部でチュン大佐相手に愚痴をこぼしていた。

 

「みんなその気になってしまってて、俺が口を挟める余地がまったく無いよ」

「多くの人が正しいと思っているのに、さまざまなしがらみから同盟国内では実現できないハイネセン主義の理想が、あのプランの中には詰まっていますからね」

「民主化支援機構の連中は、国内のしがらみに縛られない帝国領をハイネセン主義の実験場にするつもりなんだ」

「実験場ですか。閣下らしくもない過激な言葉ですね」

「地方にいた時に、非凡な人達の理想主義が平凡な人達の生活を踏みにじる現実を目のあたりにした。地方の荒廃を招いたのは、中央のエリート達の理想主義だった」

 

 人々に我慢を強いるのは、権力者のエゴであると言われることが多い。それは事実だ。たとえば、イオン・ファゼカスの帰還作戦もロボス元帥とアルバネーゼ退役大将という二人の権力者のエゴによって引き起こされた。理想によって権力者のエゴを抑えれば、我慢を強いられることがなくなるかもしれないと、昔は思っていた。

 

 しかし、エル・ファシルの復興を遅らせ、地方部隊を荒廃させたのは、権力者のエゴではなかった。国家の未来を真剣に考えた末に、緊縮財政と行政機構縮小を推進した理想主義者の情熱だった。

 

 確かにこのままではいずれ同盟財政は破綻する。しかし、緊縮財政を続ければ財政は破綻せずとも、同盟社会が破綻してしまうのではないか。荒廃した地方の現実、エル・ファシル動乱の経験は、そんな恐怖を抱かせるに十分だった。

 

「民主化支援機構の主要メンバーには、改革派の官僚や学者が名を連ねていますね。彼らが何のしがらみもない状況でどれだけ腕を振るえるか、興味が無いといえば嘘になります。私が指揮官であれば、その興味が先行していたでしょう」

「昨日の会議で最後まで発言しなかったのも、そういうことだったんだね」

「どうやら、私は理想主義者であることをやめられないようです。理想と現実のどちらかを選べと言われたら、迷わず理想を選びます。それが私の限界でしょう」

 

 チュン大佐の言葉には、彼らしくもない照れが含まれているように感じた。前の歴史の彼が、民主主義の理想に殉じるために、軍事の天才ラインハルト率いる大軍に挑んで散っていった英雄であることをあらためて確認させられる。

 

「理想を選べないのが俺の限界とも言えるよ」

 

 理想主義者は強い。正規艦隊のエリートが勇敢なのは、自分の命より理想を躊躇なく優先できるからだ。このような指揮官に率いられた部隊は強い。俺はそんな指揮官にはなれない。だから、ヤオ少将のような人には、敵わないと思ってしまう。

 

「閣下は理想を選べない自分に開き直ろうとしません。それで十分です」

「小心なんだよ、俺は。建前が気になって、格好を付けたくなってしまう」

「本気で理想を信じたら、後に引けなくなります。だから、私は参謀しかやらないことに決めているのです。理想に部下を付き合わせるわけにはいきませんから」

「参謀長は用兵を良く知っていて、胆力もリーダーシップもある。俺なんかよりずっと指揮官に向いてるはずだ。それなのに参謀をやっているのがずっと不思議だった。ようやく理解できたよ」

 

 強すぎる指揮官の下では、弱い部下は生き残れない。勇将の下に弱卒なしと言われるのは、強くならないと死んでしまうからだ。チュン大佐は自分が強すぎることを知っている。「私の限界」というのは、そういう意味だった。

 

「民主化支援機構の理想に帝国人を付き合わせるわけにはいかない。閣下はそうお考えなのでしょう」

「そう、それが俺の言いたかったことなんだ」

「最高評議会のバックアップを受けて、艦隊司令部レベルでも賛同者の多いこのプランを覆すことは困難です。ただ、第三六戦隊の占領地域では、閣下が責任者です」

「そうだね、俺の権限の及ぶ範囲内で最善を尽くそう」

 

 チュン大佐の言葉を聞いて、光明が差したような思いがした。全体の流れは変えられなくとも、自分の目の届く範囲は変えられるかもしれない。部下は民主化支援機構のプランに共感しつつも、俺の思いに理解を示してくれている。

 

「総司令部の顧問を務める帝国情報の専門家の一人がこのプランに強く反対しているそうです。お会いになりますか?」

「プロの視点からの反対意見は参考になるかもしれないね。会おう」

 

 チュン大佐からその専門家の名前を聞いた俺は、さっそく副官のシェリル・コレット大尉を呼んで、アポイントメントの取り付けを指示した。



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第八十一話:貴族の戦場、俺の戦場 宇宙暦796年9月5日~7日 イゼルローン要塞及び第三六戦隊旗艦アシャンティ

 その部屋は最前線の要塞に似つかわしくない作りだった。床には高価そうな絨毯が敷き詰められ、調度品はバロック調で統一されている。煉瓦造りの壁で時を刻むのは巨大な振り子時計。そんな豪奢な部屋に招き入れられた俺は、緋色の上質なソファーに腰掛けていた。

 

「お初にお目にかかります。第三六戦隊司令官のエリヤ・フィリップスです」

「卿の名前は良く耳にする」

 

 ガウンを身にまとった部屋の主のその一言で、俺はすっかり恐縮してしまった。彼の放つ高貴な雰囲気にすっかりのまれてしまっている。

 

「光栄です」

「お初にお目にかかる。わしはマティアス・フォン・ファルストロング。今は遠征軍総司令部の顧問ということになっている」

 

 そう名乗った老紳士は、綺麗に整えられた銀髪と口髭に、細身の剣を思わせるような体躯を持ち、匂い立つような気品を全身にまとっている。同盟に生まれた者がどれだけ富と権力を獲得しても、決して身につけられない風格を持っているこの紳士は帝国からの亡命者、しかも門閥貴族であった。

 

 ゴールデンバウム朝初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに仕えたエルンスト・ファルストロングは、義務教育の歴史教科書にも名前が出てくる歴史上の有名人だった。ルドルフが率いる国家革新同盟の非合法活動を警察内部から支援した銀河連邦の警察官僚。ゴールデンバウム朝の内務尚書と社会秩序維持局を兼ねた秘密警察のボス。反ルドルフ派を四〇億人もの抹殺した人類史上最悪の白色テロリスト。同盟ではルドルフの次に嫌われている歴史上の人物だった。

 

 三つの有人惑星を有する星系と伯爵号を賜って初代ファルストロング伯爵となったエルンストは栄華を堪能する前に共和主義者に暗殺されてしまったが、子孫は名門貴族として繁栄した。

 

 分家のうち二家が子爵、五家が男爵となり、最盛期には一族全体で一五の有人惑星を領有した。高級官僚を多数輩出し、閣僚となった者は一三人、次官級ポストを得た者は四〇人、局長級ポストを得た者は数えきれない。二四代皇帝コルネリアス一世の時代には皇后も出している。そんな名門中の名門の二二代目の当主で、フェザーン駐在高等弁務官を務めていたマティアスが自由惑星同盟に亡命してきたのは、今から一〇年前の宇宙暦七八六年のことだった。

 

 マティアス・フォン・ファルストロングが亡命してきた事情を理解するには、多少の前提知識を要する。ゴールデンバウム朝銀河帝国の皇帝権力は、行政を担当する官僚、軍事を担当する軍隊、帝室の藩屏たる貴族の三本の柱によって支えられていた。

 

 ゴールデンバウム朝において、貴族と呼ばれるのは、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、帝国騎士の称号を保持する人々とその子女だった。その中で特に力を持っているのは、公爵から男爵までの門閥貴族六〇〇〇家である。彼らは婚姻や養子縁組を通じて強固な血縁ネットワークを張り巡らせ、神聖不可侵の皇帝ですら妥協せざるを得ない影響力を持っていた。

 

 門閥貴族は軍部や官界の上層部に人材を送り込む一方で、枢密院を通じて国家の意思決定に介入した。皇帝の諮問機関である枢密院は、門閥貴族から選ばれた一〇〇人前後の枢密顧問官によって構成される。

 

 最高評議会議長の諮問機関である安全保障諮問会議、経済財政諮問会議、公共政策諮問会議などに相当する機関が枢密院であると言えば、わかりやすいだろうか。門閥貴族の中でも卓抜した家柄や閲歴を有する者が選ばれる枢密顧問官は、公共政策諮問会議委員オリベイラ博士や安全保障諮問会議委員アルバネーゼ退役大将に相当する帝国政界のフィクサーである。実力者が集う枢密院の助言を皇帝が無視することは滅多に無い。まさに貴族勢力の牙城と言える。

 

 枢密院議長は議事運営を通じて、枢密院の意見を誘導できる立場にあった。枢密顧問官の選任にも大きな影響力を持っている。宮廷席次では国務尚書の上、帝国宰相の下にあった。三一代皇帝オトフリート三世が皇太子時代に帝国宰相を務めて以来、国務尚書が帝国宰相代理を兼ねるのが慣例となっており、枢密院議長が宮廷席次最上位にあった。

 

 名実ともに帝国の筆頭重臣である枢密院議長の座を巡って、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵とコンラート・フォン・マイツェン公爵が争ったのは、七八〇年代のことだった。

 

 当時の皇太子ルートヴィヒは、爵位を持たない帝国騎士の娘を正妻としたことがきっかけで門閥貴族の反感を買ってしまい、病気がちでもあったことから、廃嫡が取り沙汰されていた。そこで皇帝フリードリヒ四世の娘婿であり、ルートヴィヒに代わる皇位継承者候補の一人と目される皇孫エリザベートの父親であるブラウンシュヴァイク公爵は、貴族達に次代の重臣の座を約束することで支持を広げていく。

 

 劣勢に立たされたマイツェン公爵は、フリードリヒ四世のもう一人の娘婿で有力な皇位継承者候補の皇孫サビーネの父親にあたるリッテンハイム侯爵と手を組んで、皇位継承者カードを手に入れようとしたが、かねてからの遺恨を理由に拒否されてしまった。貴族に嫌われているルートヴィヒ皇太子の擁立は論外である。

 

 既存の皇位継承者候補を利用できないマイツェン公爵が目を付けたのは、妊娠中だった皇帝の寵妃シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ侯爵夫人だった。皇帝の寵愛厚く子爵家の出身である彼女が子を産んだら、後継者の座を射止めることは間違いない。そして、マイツェン公爵は皇位継承者と皇后の後見人として、ブラウンシュヴァイク公爵を圧倒できるはずだった。有力な後見人を欲するベーネミュンデ侯爵夫人は、マイツェン公爵の申し出を受け入れた。

 

 しかし、マイツェン公爵の期待を裏切るかのように、ベーネミュンデ侯爵夫人は流産してしまう。その後も三度妊娠したが、いずれも死産や流産に終わった。新たな寵妃アンネローゼ・フォン・ミューゼルの出現によって、ベーネミュンデ侯爵夫人は皇帝の寵愛を失ってしまい、皇位継承者カードの取得が絶望的となったマイツェン公爵は失意の中で急病に倒れて帰らぬ人となった。毒殺との噂もあるが、真偽は不明である。

 

 枢密院議長に就任して、帝国の第一人者となったブラウンシュバイク公爵は、マイツェン派の粛清に乗り出した。末端の支持者は官職を返上して領地で謹慎するだけで済んだが、指導的な立場にあった者は徹底的な追及を受けた。ある者は数か月前に酔って口にした冗談を「不敬罪にあたる」と告発されて自決に追い込まれ、ある者は遠縁の親類が一〇年前に犯した犯罪を理由に逮捕された。

 

 マイツェン派幹部のマティアス・フォン・ファルストロング伯爵は、フェザーン駐在高等弁務官の立場を利用して工作資金を集めていたが、収賄、背任、機密漏洩、反乱軍との通謀など一四の容疑で告発されたことを知り、粛清を逃れるために家族を連れて同盟に亡命した。

 

 俺の今の人生は八年前に始まっている。だから、ファルストロング伯爵亡命事件の記憶はほとんど無かった。亡命に至るいきさつも同盟国内ではほとんど知られておらず、訪問前に亡命者のハンス・ベッカー中佐から教えてもらった。

 

 腐敗した門閥貴族の典型としか思えない経歴。しかも、前の歴史において、偉大な英雄ラインハルト・フォン・ローエングラムに対して陰湿な攻撃を繰り返した挙句に自滅したベーネミュンデ侯爵夫人の仲間とあっては、好意的になりようもない。経歴を知ってしまうと、あの邪悪なエルンスト・ファルストロングの子孫であることも悪感情を呼び起こさせてしまう。反射的にアポを取ってしまったことを後悔していた。

 

 しかし、目の前にいるマティアス・フォン・ファルストロング伯爵は、端整な容貌と優雅な挙措を持つ紳士だった。前の歴史でラインハルト・フォン・ローエングラムに滅ぼされた愚劣な門閥貴族とは似ても似つかない。エル・ファシル政庁で自決したカイザーリング中将みたいに貴いという言葉がふさわしい貴族だ。彼の風格と豪奢な部屋に、すっかり圧倒されてしまっていた。

 

「良い部屋じゃろう?要塞司令官の居室だったが、誰も使いたがらんでな。わしが使わせてもらっている」

 

 確かにこんな豪奢な部屋で落ち着ける同盟人がいるとは思えない。生まれながらの貴族であるファルストロング伯爵にこそふさわしい。

 

「酒は嗜むかな?フェザーン経由で手に入れたヴェスターラントワインの四七〇年物、宇宙暦では七七九年物ということになる。領主は煮ても焼いても食えん奴だが、ワインはうまい」

 

 ファルストロング伯爵はグラスに注がれたワインを差し出してくる。ヴェスターラントと言えば、彼を亡命に追い込んだ枢密院議長オットー・フォン・ブラウンシュバイク公爵の所領のはずだ。そんな場所で作られたワインをわざわざフェザーン経由で取り寄せて飲んでいる時点で、並の神経ではない。

 

「あ、いや、小官は酒は飲まないんです」

「毒は入っておらんぞ?わしはオットーの奴と違って、飲み物に毒を混ぜる趣味はないでな」

 

 ガチガチに緊張している俺には、ファルストロング伯爵の冗談はきつすぎた。オットーとは、ブラウンシュヴァイク公爵のことだろう。ベッカー中佐によると、ブラウンシュヴァイク公爵はしばしば政敵が都合良く病死してくれるという幸運に恵まれる人なのだそうだ。

 

「閣下の酒が飲めないというわけではないんです。前に酒で失敗したことがありまして」

「そうか、それは残念だな。この国に来てから、なかなか飲み友達に恵まれなくて困っている。すっかり一人酒に慣れてしまった」

 

 愉快そうに笑うファルストロング伯爵にどう答えればいいのかわからなかった。目の前の人と言い、ワルタ・フォン・シェーンコップ准将と言い、名前にフォンが付いてる人には勝てる気がしない。

 

「さて、卿の用向きは占領政策についての話だったな」

 

 本題に入ってくれて助かった。完全にファルストロング伯爵のペースに巻き込まれてしまっていて、どう話を切り出せばいいかわからずに困っていたところだ。

 

「はい。閣下が解放区民主化支援機構の占領地民主化プランに反対なさっていると聞いて、お話を伺いに来ました」

「わしは何を話せばよいのかね」

「小官も民主化プランには、違和感を感じています。自分なりの占領政策の参考にしようと思い、閣下が反対なさった理由を教えていただこうと思いました」

「よかろう」

 

 ファルストロング伯爵は軽く頷くと、ワインを軽く口に含んで話し始めた。

 

「帝国には皇帝私領と貴族領と自治領があるのはご存知かな?」

「はい」

「それぞれ、統治機構の仕組みが異なっている。内務省から派遣された官僚が統治している皇帝私領はまだいい。どこも統治機構の仕組みは同じだから、内務省のマニュアルさえ手に入れば、行政サービスの運営はどうにかなるはずだ。問題は貴族領と自治領だな。統治者ごとに機構が全く違う。統治機構の機能を警察と裁判に限定して、行政事務の大半を住民の代表者に委託している貴族領もあれば、歩道の掃除や健康体操の指導にまで専門の役所を置いている貴族領もある」

 

 帝国に皇帝私領と貴族領と自治領の違いがあるのは知っていた。貴族領と自治領が統治者ごとに違う機構を採用しているのも知っていた。ただ、ここまで違うとは思っていなかった。せいぜい、同盟に加盟している星系共和国ごとの差と同じぐらいだと思っていた。根本の統治思想まで領地ごとに違っているとなると、想像を絶する。

 

「さらに領有関係も複雑だ。星系によっては、ある惑星は皇帝私領なのに、他の惑星は貴族領ということも珍しくない。ある惑星の三分の一が某男爵領、三分の一が某伯爵領、残る三分の一が皇帝私領などということも良くある。同盟のように一つの星系を単一の星系政府、一つの惑星を単一の惑星政府が統治しているとは限らない」

 

 領有関係の複雑さも話としては聞いていた。しかし、統治機構の違いを踏まえて考えると、とんでもなく厄介になる。四つの貴族領に分かれている惑星を占領したとしたら、それぞれ別の方式で統治しなければならない。一つの惑星占領軍司令部をもって四種類の統治機構に対応するなんて器用なことができるわけがない。

 

「領主や行政官を取り込んで、従来通りの統治を続けさせるしかなかろう。彼らが逃げたとしたら、その下にいる役人に代行をさせる。現地の機構を温存すべきだとわしは思う」

 

 確かに統治方式と領有関係が混み合っている帝国領を安定させるには、ファルストロング伯爵のプランが妥当だろう。帝国内務省や貴族が設置した行政機構を解体し、民主化支援機構のサポートで現地住民による自治に移管して、民主化を進めていくなんて、できるはずがない。

 

「今のお話で良くわかりました。民主化以前の問題です。行政官や領主を追放し、現地の住民代表と民主化支援機構メンバーが協力して、民主的な政府を作っていくなんて、到底不可能です」

「そう言ったんだが、聞いてもらえんかったよ」

「民主化支援機構の上層部には、亡命者が何人もいますよね。特に副理事長は元内務次官です。行政のプロがなぜこんな初歩的な欠点を指摘しなかったのでしょうか?」

「ああ、ハッセルバッハか。あいつは派閥のボスが内務尚書になった時に、宮内省から呼ばれて次官になった元宮内官僚だ。内務省にはほとんど出勤せずに、宮廷工作にかまけていた。帝国騎士だから領主経験もない。行政はわからんだろう」

 

 がくっと来てしまった。宮内官僚って皇室関係の事務をする役人じゃないか。内務省にほとんど出勤していないってことは、素人と変わりがない。

 

「三人の理事はどうなんですか?元帝国軍少将のグロスマン理事、反体制組織指導者のシェーナー理事はともかく、子爵のネルトリンガー理事は領主経験があるはずですよね?」

「ネルトリンガーは共和主義にかぶれて、領内で村長選挙をやったのが問題になって亡命してきた奴だ。民主化に賛成する理由こそあれ、反対する理由はなかろう」

 

 あのゴールデンバウム朝の帝国で選挙をやってしまったという根性は凄い。貴族領の統治機構が領主によって全然違うことが良くわかる。しかし、そんな変人の経験があてにならないのは確かだった。

 

「しかし、閣下のご意見は、領主としての経験を踏まえた説得力のある意見であるように思えました。それなのになぜ聞き入れられなかったのでしょうか?」

 

 同盟の政治家や軍高官と接した経験から言うと、彼らは総じて合理的で慎重だ。ファルストロング伯爵の意見より、元宮内官僚や変人領主の意見に説得力を感じたというのが信じられない。

 

「卿らから見たら、帝国の政治は圧制であろう?わしは圧制の仕組みを維持しろと言っとるのだ。それも圧制者たる貴族領主としての経験からな。それと民主化支援機構の理想的な民主主義。どちらを取るかは自明であろうな」

 

 確かに帝国の圧制をそのままにしておくというのは、まともな同盟人には受け入れがたい。ファルストロング伯爵の言葉は、一つ一つが文句のつけようがない正論だった。こんなに賢明な人がどうして陰湿な宮廷闘争に深入りしたのか理解に苦しむ。

 

「ありがとうございます。勉強になりました」

「なに、こちらこそ楽しかった。国務尚書になり損ねて、異国に敗残の身を隠すような年寄りの戯言に付き合ってくれる者もそうそうおらんのでな」

 

 言葉でこそ自嘲しているが、表情はとても愉快そうだった。内心はどうあれ、今の境遇を楽しんでいるように振る舞うのは、貴族の矜持なのかもしれない。

 

「遠征が始まってから、わしの話を聞きたいと言ってきた者は卿が二人目だ。同盟軍にも変わり者が多いと見える」

「小官の前にも、このような話をなさったのですか?」

 

 まともな同盟人なら理想的と思う民主化支援プランに疑問を抱いた人間が俺以外にもいた。そのことに驚きを感じる。

 

「あちらは艦隊の全体会議に呼んでくれたがね」

 

 人目を忍んでこっそり訪れた俺と違って、艦隊全体会議という公式の場に招待するなんて、信じられないほど大胆だ。いったい何者だろうか。

 

「どなたですか?」

「卿と同じエル・ファシルの英雄だ。第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー中将」

 

 前の歴史における七九〇年代後半再興の用兵家にして、民主主義と自由主義のために全宇宙を敵に回して戦った英雄ヤン・ウェンリー。その名前がこんなところで出てきたことに驚いた。理想に殉じた彼がなぜ、ファルストロング伯爵の話に耳を傾けたのか。さっぱりわからない。

 

「どうした?」

「あ、いえ、何でもありません。意外だと思いまして」

「わしには卿も意外だがね」

「どういうことですか?」

 

 自分がファルストロング伯爵のような人に意外な印象を与えられるほど、面白い存在とは思えない。

 

「卿は亡命者ではないのかな?」

「違いますよ」

 

 想像もしなかったことを言われて、びっくりしてしまった。

 

「卿が話す帝国語は流暢だ。それに民主主義に対するこだわりがまったく無いように見える。ヤン中将も圧制を維持しろというわしの意見に多少表情を変えていたが、卿はそうではなかった。民主主義の国に生まれ育ち、民主主義は君主政治より正しいと教えられて育ったとも思えぬ。帝国で暮らしたことがあるのではないかな?」

「帝国語は幹部候補生養成所で勉強しました。小官の家系は父も母もその前の代もずっと同盟市民です」

「ふむ、では、フェザーンに赴任していた親に付いて行ったのかな?まあ、詮索しても仕方がない」

 

 俺は亡命者ではない。ゴールデンバウム朝の国土を踏んだのは、前の人生で捕虜収容所にいた時だけだ。帝国語は幹部候補生養成所で習得した。父方も母方も少なくとも祖父母までの代は同盟市民だ。父親は俺が生まれた時からずっとパラディオン市警の警察官だ。ファルストロング伯爵の推測はほぼ外れている。

 

 しかし、帝国で暮らしたことがあるというのは当たっていた。ゴールデンバウム朝ではなく、ローエングラム朝の帝国で。俺の住んでいたハイネセンは、宇宙暦八〇〇年にローエングラム朝の領土になった。前の人生の半分以上を帝国人として生きた。

 

 民主主義国家の同盟が滅亡し、君主独裁国家のローエングラム朝に取って代わるのを見ていた。官僚の権力を奪おうと企んだ軍人が、普通選挙と議会制度をローエングラム朝に導入させたのを見ていた。いずれの制度の下でも変わらず不幸だった俺にとっては、民主主義は絶対的なものではない。

 

 みんなが前提と信じているものに対して懐疑を示すことで賞賛を得られるのは、お話の世界ぐらいのものだ。現実の世界では前提を共有できない相手とみなされて、話が通じないと思われてしまう。第三六戦隊司令部の参謀達も民主化支援機構のプランを悪く言う俺に引いていた。ファルストロング伯爵のような鋭い人なら初対面で見抜いてしまうほどに、俺のこだわりの薄さは見えやすいようだ。気をつけなければいけないと思った。

 

 

 

 敵が目立った動きを見せておらず、味方が不安を感じさせる動きばかりしている中、俺の所属する第一二艦隊は、予定通り九月六日にイゼルローン要塞を出発して、帝国領に進入していった。

 

 今のところ、イオン・ファゼカスの帰還作戦の失敗を予感させるような要素はない。先行して現地に潜入している工作員達からは、敵の駐留部隊が動く気配は無いという報告が入っている。物資徴発やインフラ破壊などの焦土作戦も行われていないらしい。それどころか、安価な食料が大量に流れこんできて、農家は農産品価格の下落に頭を痛めているそうだ。

 

 帝国側の迎撃指揮は、前の歴史と同じく宇宙艦隊副司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が執ることになった。しかし、「辺境の防衛体制には問題がある。こんな時だからこそ、根本から見直さなければならない」と言い出して、帝都オーディンに留まって改革案を作成しているという。

 

 ローエングラム元帥がオーディンを動かない理由に関しては、「フリードリヒ四世が危篤に陥った」「指揮官をベテランから若手に入れ替えたことに反発した指揮下の部隊がサボタージュをしている」「同盟軍の侵攻に呼応して、オーディンの共和主義者組織が大規模蜂起を準備している」「旧カストロプ派の憲兵隊が反乱の兆しを見せている」など、様々な憶測が流れていた。

 

 報道の自由がない帝国では、メディアの流す情報は信用できないとされている。一番信用できるのはフェザーンのメディアが流す情報だが、報道管制が敷かれたらそれも途絶えてしまう。今回の帝国領遠征のような大事件の前後に、「隠された真実」と称する怪情報が乱れ飛ぶのはお馴染みの光景だった。

 

 旧カストロプ派の重鎮で近衛兵総監のラムスドルフ上級大将をめぐる情報一つをとっても、「ラムスドルフ上級大将が近衛兵を率いて、新無憂宮を包囲した」「クーデター計画が露見して、ラムスドルフ上級大将とその一派は既に逮捕されている」「クーデターを起こしたのは、枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵。ラムスドルフ上級大将は戒厳司令官に任命されて鎮圧にあたっている」など、矛盾する情報がいくつも同時に流れている有様だった。

 

 どれも胡散臭いこと極まりなく、「フリードリヒ四世が危篤に陥った隙に乗じて、近衛兵と憲兵隊が新無憂宮に乱入し、皇孫エルウィン・ヨーゼフを新帝に擁立。ラムスドルフ上級大将が帝国宰相に就任した」という噂に至っては、笑うほかない。どれが本当かはわからないし、全部嘘である可能性も高い。帝国軍が流した情報はもちろん、同盟軍情報部が流した情報も含まれているはずだ。

 

 どの情報が真実かはわからないが、ラムスドルフ上級大将が掌握している近衛兵は、オーディンに駐屯する地上部隊の中で最大の戦力を持っている。皇帝が住まう新無憂宮を警備する部隊でもある。五〇〇年近いゴールデンバウム朝の歴史の中で、近衛兵のクーデターは何度も起きている。痴愚帝ジギスムント二世廃位事件のような政変の実行部隊となったのも近衛兵だった。ラムスドルフ上級大将の動静は、政局に決定的な影響を及ぼす。

 

 帝都に駐留する一八個艦隊、オーディン駐在の地上部隊としては近衛兵に次ぐ規模の装甲擲弾兵であっても、近衛兵には容易に手出しはできない。ラムスドルフ上級大将のクーデター疑惑が存在しているうちは、帝国軍も動きがとれないはずだった。

 

「どうかされましたか?」

「どうもしてないよ」

「いつもよりマフィンを召し上がるペースが早いので」

 

 第三六戦隊旗艦アシャンティで定例報告を終えた副官シェリル・コレット大尉は、珍しく仕事に関係のない指摘をした。そういえば、いつもより多くマフィンを食べている。ストレスが強い時ほど、俺はたくさんマフィンを食べる。

 

「初めての任務で緊張してるのかな。二〇〇万の人口を持つ有人惑星の攻略なんて、未経験だからね」

 

 俺の率いる第三六戦隊は、ヴェルツハイム星系第三惑星マリーエンフェルトの攻略を命じられていた。幸いなことにこの惑星は全土が皇帝私領だった。帝国内務省の行政マニュアルは、既に入手済みである。占領統治に不安はない。敵の駐留部隊の戦力は二〇〇隻の艦艇と三〇〇〇人の地上部隊に過ぎなかった。増援が送られてきた気配もない。俺の指揮下にある六五四隻の艦艇と二五〇二〇人の地上部隊をもってすれば、容易に制圧できる。

 

 アンドリューに見せられた作戦案概要では、ヴェルツハイム星系は同盟軍の侵攻に呼応して独立と自由惑星同盟への加盟を宣言する予定だった。皇帝直轄領の長官や貴族領の領主は寝返りの見返りとして、統治者の地位を保つはずだった。それなのに抵抗の姿勢を示している。アンドリューの案を知らない人から見れば、もともと抵抗するつもりに見えるだろうけど。

 

 理由はわかっている。民主化支援機構のプランが公表されて、自由惑星同盟に寝返っても何の旨味もないと判断したのだろう。

 

 コレット大尉の報告によると、マリーエンフェルトの地上部隊は集結して抗戦の構えを見せているらしい。トーチカや塹壕を作り、高値で食料を買い集めて長期戦の構えを取っているそうだ。艦艇部隊も地上に降りて、地上部隊と合流しているという。前の歴史のように食料を全部持って逃げられるよりはマシであるが、戦わなくて済んだはずの相手と戦わなければならないと思うと、気が重くなる。

 

「今のところ、不安要因は全然ないんだけどね。でも、戦いは始まってみないとわからない。敵も本気みたいだしね。定価の倍で食糧を買い集めてるぐらいだし」

「閣下が緊張なさるところ、初めて見ました」

 

 笑顔を見せるコレット大尉にびっくりしてしまった。彼女が笑うところなんて初めて見た。最近はだいぶ痩せてきて、顔もすっきりしてきている。可愛らしいというより、爽やかな感じの笑い方をすることを知った。

 

「君が笑うところも初めて見た」

 

 俺がそう言うと、彼女は何も言わずにいつもの無表情に戻る。俺に心を開いてくれるのは、まだまだ先になるようだ。

 

「あと三日でマリーエンフェルトに着く。第一〇艦隊や第一三艦隊も明日には、最初の有人星系に到達するはずだ。これからが本番だよ」

 

 本番は意に沿わない形で始まることになりそうだったが、思い通りになる戦いなんて滅多にあるものではない。同盟軍は既に帝国領に侵入している。予想と準備は終わり、めまぐるしく変わっていく戦場に対応する段階に入っていた。

 

 計画段階では想定しうる可能性に優先順位をつけてそれぞれに対応策を練り、実施段階では高度な柔軟性を保ちつつ臨機応変に対応するのが用兵だと、アンドリューが言っていたことを思い出した。



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第八十二話:過剰宣伝問題 宇宙暦796年9月10日~24日 惑星マリーエンフェルト及び第三六戦隊旗艦アシャンティ

 九月一〇日、第三六戦隊はまったく抵抗を受けずに惑星マリーエンフェルトを制圧した。徹底抗戦するかに見えた帝国軍駐留部隊は、俺達が到着する前日に一兵残らず逃亡。惑星知事以下の主だった行政官も姿を消してしまっていた。

 

「戦わずに済んだのは、喜ばしいことです」

 

 攻略作戦の立案にあたった戦隊作戦部長代理クリス・ニールセン少佐の立場であれば、胸を撫で下ろすのは当然だと思う。

 

「全滅覚悟のゲリラ戦を展開されたら、面倒なことになっていました。敵が理性的な判断をしてくれたことに感謝したいですな」

 

 地形図を広げながらそう語る第五〇〇陸戦旅団長アネレ・マシレラ大佐の言う通り、マリーエンフェルトは険しい山が多く、ゲリラ戦に向いた地形だった。駐留部隊が山岳地帯に立てこもってしまったら、同盟軍も相当な損害を被ったはずだ。マシレラ大佐の言葉は正しい。

 

「うん、君達が言うことはもっともだ」

 

 苦々しい気持ちを必死で抑えながら、同意の言葉を述べる。彼らの立場なら喜んで当然なのだ。

 

「これが撤退の決め手になったのでしょう」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐が手にしているのは、俺達が到着する二日前にすべての家に配布されたというビラだった。

 

『我々は自由惑星同盟軍である。自由惑星同盟軍は解放軍である。

 

 解放軍は諸君に自由を与える。

 

 解放軍は諸君に権利を与える。

 

 解放軍は諸君に土地を与える。

 

 解放軍は諸君に食料を与える。

 

 解放軍は諸君に代償を求めない。

 

 解放軍は諸君から税金を取らない。

 

 解放軍は諸君を戦争に動員しない。

 

 解放軍は諸君を労役に動員しない。

 

 諸君は本日より民主主義の民である。

 

 民主主義は民にすべてを与える。民主主義は民から何一つ奪わない。

 

 欲しいものがあれば、解放軍に申し出よ。民主主義国家では、請願はすべての民に認められた正当なる権利である。解放軍は民の請願を拒否しない。

 

 自由惑星同盟軍』

 

 内容は単純明快、韻を踏んでいてなかなか調子良く出来ている。難しい言葉を一切使わず、文字も大きめで、無教養な庶民にも読みやすく配慮されている。これを読んだ者は、同盟軍が来れば良いことづくめと思うに違いない。

 

「良くできたビラだね。できすぎてるよ」

 

 俺はビラにプリントされている二枚の写真を指差した。一枚は同盟軍の軍人が山のように積まれた食料を帝国の人々に分け与えている写真。もう一枚は同盟軍の兵士が帝国の農民と一緒に畑を耕している写真。どちらもフルカラーだった。

 

「ハイネセンのスタジオかどこかで撮ったんでしょうね。先発隊の第一〇艦隊と第一三艦隊が有人星系に到達したのは二日前ですが、やはり到着前に全く同じビラが配られていたそうです」

「仕事熱心なのは結構だよ。でもね、この状況ではまずいよね」

 

 ファルストロング伯爵の話を聞いた俺は、帝国内務省から派遣された惑星政庁の上級行政官をそのまま起用して統治を委ねるつもりだった。一方、解放区民主化支援機構から派遣された宣撫担当チームは、惑星政庁解体と住民代表による文民政府樹立を主張していた。議論が平行線のまま、マリーエンフェルトに到着した俺達を待ち受けていたのは、予想の斜め上を行く現実だった。

 

 駐留部隊と行政府幹部が逃亡してしまったため、マリーエンフェルト全体を代表する交渉相手がいない。これは想定の範囲内だった。現地人の下級行政官に上級行政官の代行をさせれば、問題はない。惑星政庁の実務を担っているのは、数年で異動する上級行政官ではなく、定年まで現地で勤務する下級行政官だからだ。

 

 しかし、マリーエンフェルトでは下級行政官まで逃亡していた。しかも、惑星政庁と全市町村の役所のコンピュータに蓄積された行政データがすべて消去されてしまっている。惑星政庁の機構を利用して占領統治を行おうとする俺の構想は頓挫した。

 

 宣撫担当チームは「惑星政庁を解体する手間が省けた」と喜んで、文民政府樹立に取り組もうとした。地上部隊とともにマリーエンフェルトの都市や村落に入った宣撫担当チームは、住民を集めて説明会を開いた。

 

「我々は解放軍だ。我々は君達に自由と平等を約束する。もう専制主義の圧政に苦しむことはないのだ。あらゆる政治上の権利が君達には与えられ、自由な市民としての新たな生活が始まるだろう」

 

 宣撫担当者の熱弁にも関わらず、説明会場に集まった住民は白けきっていた。

 

「政治的な権利とやらよりも先に、生きる権利を与えてほしいもんだね。食料がないんだ。赤ん坊のミルクもない。軍隊がみんな持って行ってしまった。自由や平等より先に、パンやミルクを約束してくれんかね」

「もちろんだとも。ただ、配給体制が整うまで少し待って欲しい」

 

 宣撫担当者がそう答えるのは当然だった。マリーエンフェルト到着二日前の報告では、食料がだぶついていたはずだった。第三六戦隊も現地購入を前提に補給計画を立てていた。いきなり食料が不足していると言われても、急に対応できるはずがない。行政データが消去されていて、正確な住民構成すら把握できていない現状では、配給すべき食料の量も計算できない。

 

「じゃあ、こいつは嘘なのかい?」

 

 住民達が懐から取り出して、宣撫担当者に示したのが例のビラだった。一週間分の食料引換券、燃料引換券、トイレットペーパー引換券、洗剤引換券なども添付されている。軍が災害派遣された際に被災者向けに発行する引換券とまったく同じ作りだった。

 

「すぐにでも配給が始まると思ってたんだがね。解放軍ってのは、嘘つきの別名かね」

「そ、そんなことはない。すぐに始めよう」

 

 ビラと引換券を手に詰め寄ってくる住民に迫力負けした宣撫担当者は、配給を約束してしまった。その結果、第三六戦隊は保有する物資をほぼ放出させられる羽目に陥ったのである。足りないのは食料だけではなかった。衣料品、衛生用品、燃料などの生活物資も底をついていた。

 

 到着三日前の情報では、農場主が余剰在庫に頭を抱えるほどに有り余っていた食料が、たった二日間で底をついてしまった理由は、すぐに判明した。長期戦の準備をしていたマリーエンフェルト駐留部隊は、物資を市価の倍額で買い集めていた。ビラによって同盟軍の配給が受けられることを知った住民は、先を争うように手持ちの食料を駐留部隊に売り飛ばしてしまった。衣料品、衛生用品、燃料なども同様に売り飛ばした。

 

 かなりギリギリまで、駐留部隊は抗戦するか撤退するかを決めかねていたのだろう。撤退直前まで物資を買い集めていたらしい。しかも、同盟軍の到着一日前から急に買値を三倍に引き上げた。駐留部隊が支払いをすべてフェザーン・マルクで行ったのも住民の売却意欲を刺激した。

 

 マリーエンフェルトが同盟領になれば、住民が持っている帝国マルクの価値は暴落してしまう。一方、中立国フェザーンの公式通貨であるフェザーン・マルクは、同盟でも通用する。いつ紙くずになるかわからない同盟の公式通貨ディナールより、信用されていると言ってもいい。

 

 駐留部隊の敗北が必至とみた住民は、支配者が変わる前に少しでも懐を温めておこうとしたのであろう。最終的に抗戦を断念した駐留部隊は惑星政庁が保有する船や徴発した民間船まで使って、三〇〇万人分の物資を積んで、マリーエンフェルトを離れていった。せっかく集めた物資だけは渡すまいと考えたのだろう。いじましい限りである。

 

「敵は俺達の到着が迫るにつれて、買値をどんどん引き上げたらしいよ。他人が持ってる物を奪って売り飛ばした人もいたんだって」

「物資を売り尽くしたある村では、帝国軍の買い付け担当者が手持ちのフェザーン・マルクを全部住民に押し付けたそうです」

「びっくりするぐらい気前がいいね。まるでお金を遣うことが目的になってるみたいだ」

「敵が大金をばらまいて逃げたおかげで、宣撫工作が難しくなっています。よほど手厚い待遇をしなければ、相対的に帝国軍より悪いイメージを住民に与えてしまいます」

 

 チュン大佐が指摘したとおり、大金を懐ろにしたマリーエンフェルトの住民は、帝国軍に好印象を抱いていた。こちらがサービスを出し渋ると、「帝国軍は気前が良かったのになあ」と嫌味っぽく言われてしまう。

 

 第三六戦隊はマリーエンフェルトの統治を安定させるために、気前良く住民にサービスせざるを得なかった。求められるがままに公共施設を建て、道路を整備し、用水路を引き、医療を提供した。生活物資だけでなく、嗜好品や電化製品や地上車なども供与した。宣撫担当チームが有するリソースだけでは間に合わず、戦闘部隊のリソースまで割かれてしまう有様だった。

 

 第三六戦隊以外の同盟軍部隊も占領地で同じような状況に陥っている。ただで物資を貰えるなら、手持ちの物資をフェザーン・マルクに換えて新生活に備えようという住民の気持ちは理解できる。大金をくれた帝国軍に好印象を抱くのも当たり前だ。ビラをばらまいて、気前の良い約束をしてしまった連中が悪い。

 

「このビラがなかったら、住民に変な期待をさせずに済んだんだ。民主化支援機構も困ったことをしてくれるよね」

「第一〇艦隊が抗議したところ、民主化支援機構からは『自分達が作成したビラではない』という返答があったそうです」

「予想外の結果に慌てて、知らんふりを決め込んだんじゃないの?」

 

 官僚組織においては、同じプロジェクトに従事する部署同士が全く連携せずに、勝手な動きをするのは日常茶飯事である。その結果、他の部署に迷惑をかけてしまった部署が相手に内情を知られてないのをいいことに、「無関係だ」と責任逃れをするのも珍しくなかった。

 

「それはともかく、占領計画と補給計画の根本的な見直しが迫られるのは事実です。当初の予定より、進軍が一週間は遅れるでしょう」

「困るよね、本当に。第四三歩兵師団に引き継いで先に進みたいのに」

 

 第三六戦隊と宣撫担当チームはマリーエンフェルトが安定した後に、第四三歩兵師団と民主化支援チームに占領統治を引き継ぎ、アーデンシュテット星系に進軍する予定だった。俺がアンドリューから見せられた原案では、四か月以内にオーディンに進軍する予定だった。長引けば作戦全体が破綻してしまう。

 

「イゼルローンから早く追加の補給が来るのを待つしかありません」

「総司令部の後方部は青くなってるだろうね。当初の何倍もの要求だから」

 

 前の歴史において帝国軍が意図的に引き起こした食料不足は、今回は民主化支援機構の勇み足によって引き起こされた。この先も同じような状況に陥るとは考えにくいが、あまり気分が良い物ではない。

 

 結局、一週間の予定だったマリーエンフェルト滞在は二週間に及んだ。この間に遠征軍が制圧した星系は二〇〇、そのうち有人星系は三〇、占領地人口は五〇〇〇万に及ぶ。結局、侵攻に呼応して寝返る予定だった二六星系は一つも寝返らず、遠征軍によって制圧された。

 

 どの星系もマリーエンフェルトと同様の状況にあった。駐留部隊、皇帝領の行政官、貴族領や自治領の領主達はことごとく逃亡してしまい、行政データは完全に消去されていた。先行して配られたビラのせいで物資が底をついており、住民は際限のないサービスを求めてきた。行政データの欠如は、ただでさえ困難な占領統治をさらに混乱させた。補給拠点として期待していた占領地は、かえって補給に過重な負担を強いる有様だった。

 

 遠征軍総司令部は各艦隊の後方部、各星系の民主化支援チームからの要求を集約して、首都ハイネセンの政府に送付した。

 

 五〇〇〇万人分の食料、衣料品、衛生用品、医薬品、燃料。三〇星系のインフラ整備、農業支援などに要する資材。住民の歓心を買うために供与される酒、タバコ、立体テレビ、冷蔵庫、パソコン、乗用地上車、携帯端末。三〇万人に及ぶ医師、看護師、介護士、土木技術者、農業指導員、帝国語通訳、行政サービス要員といった追加の支援要員。

 

 総額で一〇〇〇億ディナールに相当する要求リストの末尾には、「解放地区の拡大に伴い、さらなる追加を要する」と記されていた。

 

 今回の遠征のために計上された特別予算は、同盟の本年度一般予算の五パーセントに相当する二〇〇〇億ディナール。対テロ総力戦体制、海賊討伐作戦、アスターテの敗戦処理、イゼルローン要塞攻略の成功といった想定外の事態によって巨額の臨時支出が続き、「危機的水準」から「真の危機」に突入しつつあると言われる同盟財政にとっては、許容しうるぎりぎりの額だった。一〇〇〇億ディナールもの追加支出を行えば、同盟財政が破滅に向かって突き進むことは間違いない。

 

「もはや、我が国はこれ以上の財政負担に耐えられない。帝国を打倒する前に、財政破綻で自滅しては元も子もない。即座に遠征を中止し、占領地を放棄して、イゼルローンに引き上げるべきではないか」

 

 改革市民同盟とともに今回の遠征を推進した進歩党は、そのように主張して作戦中止を求めた。財政の番人を自認する彼らは、金のかからない政治を望む知識層や都市中流層を支持基盤としている。支持率低迷を打開するために遠征支持に回ったものの、これ以上の財政支出を認めてしまえば、支持者の離反を招きかねない。そんな危機感が彼らを出兵中止に転じさせた。

 

「今回の戦争は圧政から帝国の民衆を解放するための戦いである。我らが解放区の住民を手厚く待遇すれば、未だ帝国の支配下にある地域の住民の決起を促すこともできる。フリードリヒ四世は六月から公式の場に姿を見せておらず、健康状態が著しく悪化している可能性が高い。迎撃司令官ローエングラム元帥や近衛兵総監ラムスドルフ上級大将の動きからも、帝国中枢は混乱状態にあると推測できる。帝国の自壊は目前に迫っている。遠征を継続すべきである」

 

 そう主張する改革市民同盟は最高評議会議長ロイヤル・サンフォードの出身母体であり、今回の遠征を最も熱心に推進した勢力だった。強い国家の実現を掲げて、対外強硬派の自営業者や農家や宗教保守層を支持基盤としている。支持者がより強硬な統一正義党に流れ、党内非主流派のヨブ・トリューニヒトが遠征反対に回り、内外に危機を抱えている現状で少しでも戦争に消極的な態度を見せることはできない。党の分裂を回避するためにも、ここで引くわけにはなかった。

 

「財政赤字の原因は、国家予算の五割にのぼる国防予算である。帝国を打倒すれば、国防予算の大幅圧縮と、財政赤字の根本的解決が実現する。一時の出費は取るに足りない。将来のための投資と考えるべきである」

 

 国是と財政の両方に配慮したこの意見は、主戦派高級軍人やイデオロギー担当の国務官僚が従来より主張してきた意見の延長上にあるものであった。

 

「現在の帝国の国内事情は、同盟と同等かそれ以上に逼迫している。前財務尚書のカストロプ公爵が貴族の免税特権廃止に言及するほどに、財政危機は深刻だ。門閥貴族の牙城たる枢密院でも、ブラッケ侯爵やリヒター伯爵を始めとする自由主義者が勢力を伸ばしつつある。八九年前に当時のマンフレート二世帝との間に和平が実現寸前までこぎつけた先例もある。戦争終結による財政赤字解決を目指すなら、和平の方が現実的であろう。なぜ、破産覚悟で遠征を継続する必要があるのか」

 

 こちらは反戦派高級軍人や金のかかる戦争を嫌う財務官僚が従来より主張している意見の文脈に沿ったものである。

 

 政界、官界、軍部を二分する出兵中止派と出兵継続派の論争に終止符を打ったのは、「今すぐ結論を出す必要はない。ひとまず物資を送って、遠征軍が自滅を免れてから、出兵の是非を問うべきではないか」という公共政策諮問会議委員エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ博士の一言だった。

 

 追加補給を受けた遠征軍は、後方から移動してきた地上部隊に占領地の統治を委ねると。さらなる前進を開始した。第一二艦隊は五つの有人星系を制圧に向かった。俺が率いる第三六戦隊は、アーデンシュタット星系の第二惑星シュテンダールを目指している。

 

「人口一三〇万。低開発の農業惑星。水が豊富。土壌は肥沃。気候は温暖。将来性のある惑星だね」

「駐留部隊はマリーエンフェルトよりさらに少ないです。地上部隊はクロシュヴィッツ男爵領が六〇〇人、ブライテンバッハ男爵領が五〇〇人、皇帝私領が一四〇〇人。艦艇部隊を保有しているのは皇帝直轄領のみで七〇隻。三つの領地の部隊は合流して、クロシュヴィッツ男爵の城館の要塞化を進めているとの報告が入っています」

「地形もマリーエンフェルトと違って、なだらかな丘陵だ。徹底抗戦されてもそんなに怖い相手じゃない。できれば降伏してほしい。逃げられたら、統治が面倒だからね」

 

 俺は戦隊旗艦アシャンティの司令室で、副官のシェリル・コレット大尉から渡されたシュテンダールの資料を読んでいた。二つの男爵領と皇帝私領が入り乱れていることを除けば、マリーエンフェルトより統治が容易であるように思われた。緑が豊かそうなのもいい。マリーエンフェルトでは民主化支援機構の勇み足で酷い目にあったが、今度はのんびりできそうだった。

 

「念のために確認しておくけど、シュテンダールの流通状況はどう?」

「食料価格が暴落しています。燃料などは概ね安めです」

「多めに物資を持ってきたけど、不安は無さそうだね」

 

 二日後に到着するシュテンダール。今度こそまともな占領統治をしてみせる。そう誓いながら、マフィンを口に運んだ。



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第八十三話:軍人が理想と理由を失う時 宇宙暦796年10月3日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 追加補給を受けた遠征軍はさらに前進して、九月末には一八〇の無人星系と、二四の有人星系を新たに占領して解放区とした。新たに遠征軍の保護下に入った人口は約六〇〇〇万。この進軍によって、イゼルローン側の辺境星系はすべて同盟軍の勢力圏となった。

 

 国土総面積の三割を占める辺境星系の失陥は、五月のイゼルローン要塞陥落にもまさる衝撃を帝国にもたらした。もはや、ゴールデンバウム朝の支配体制は盤石ではない。そう判断した体制内不満分子と反体制派は各地で武装蜂起した。

 

 一週間でヴィンケルシュテット星系、トライレーベン星系などの七星系が反乱勢力の制圧下に入り、ヴァルトザッセン星系では領主を追放した共和主義者が民主主義政権の樹立を宣言した。シャンタウ星系、ケーニヒスフェルト星系など一二星系では、反乱勢力と帝国軍の戦闘が続いている。各地の反乱勢力は、相次いで自由惑星同盟軍の介入に期待する声明を発表した。

 

 鉱山労働者、農場労働者の暴動も多数発生している。鎮圧に向かった軍隊の一部が武器を持ったまま、暴動に合流したケースもあった。

 

 反乱勢力の中で軍人の組織的関与が見られない勢力ですら、体制側の軍隊に対抗しうるだけの潤沢な武器弾薬を保有していた。暴徒の中に自由惑星同盟の国旗を掲げる集団、占拠した鉱山や農場を解放区と名付ける集団が見られた。これらの事実は、自由惑星同盟の情報機関が一連の動乱に関与していることを裏付けていた。アルバネーゼ退役大将が半生を賭けて帝国に仕掛けた爆弾が、ついに火を吹いたのである。

 

 止血帝エーリッヒが流血帝アウグストを打倒したトラーバッハ戦役以来、二世紀ぶりの大規模な動乱にも関わらず、鎮圧にあたるべき正規艦隊は帝都オーディンから動く気配がない。同盟軍の迎撃を命じられた宇宙艦隊副司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥、帝都の押さえを命じられた宇宙艦隊司令長官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥は、いずれも沈黙を守っている。

 

 重臣筆頭たる枢密院議長オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵、首席閣僚たるクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵といった政権要人の動静もまったく伝わってこない。皇帝フリードリヒ四世の健康状態悪化が噂される中、後継者を巡る暗闘がオーディンの宮廷で展開されている可能性が高いと、フェザーンの消息筋は語る。

 

 銀河帝国では皇帝が変われば、権力構造も一変する。枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵ら枢密院元老グループが擁する皇孫エリザベートと、皇帝官房長官リッテンハイム侯爵ら皇帝側近グループが擁する皇孫サビーネの二人が次期皇帝に最も近い人物と見られていた。帝国の高官にとっては、同盟軍や反乱勢力への対応より、皇帝の後継者争いの方がよほど重要であろうというのは、帝国政治を少しでも知る者にとっては常識である。

 

 かねてよりクーデターの噂があった旧カストロプ派の近衛兵総監ラムスドルフ上級大将の動きも不透明だった。「近衛兵をオーディン市内に展開させた」「ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハウム侯爵と相次いで会見した」「既に解任された」など、相変わらず矛盾した情報が流れている。

 

 枢密顧問官のカール・フォン・ブラッケ侯爵とオイゲン・フォン・リヒター伯爵に関しても、「枢密顧問官を解任されて、謹慎を命じられた」「領地に戻って反乱を準備している」「病床の皇帝に呼ばれて、改革案の作成を命じられた」といった様々な情報が流れていた。

 

 彼らは貴族特権の廃止を唱える過激思想の持ち主であるにも関わらず、皇帝フリードリヒ四世の信任、現職の枢密顧問官という地位、帝室の分家筋にあたる血筋、下級貴族やブルジョワ出身のエリート官僚の支持によって、帝国政界で一目置かれる存在であった。しかし、皇帝が死んで政界の勢力図が変化すれば、政治犯や思想犯の罪を着せられて失脚しかねない立場にある。それだけに思い切った行動に出る可能性があった。

 

 帝国国内で起きた反乱、自然災害、経済変動などの事実関係に関しては、同盟の対外情報機関の持つ情報網を使えば、それなりに確度の高い情報が得られる。しかし、政治闘争に関しては、帝国の各派閥が自分に都合の良い情報を思い思いに流すため、なかなか実態が掴めない。ただ、オーディンの宮廷が混乱状態にあって、同盟軍や反乱勢力に対処できない状態にあることだけは間違いなかった。

 

 同盟軍が完全制圧した辺境星域の先には、帝国内地と呼ばれる銀河連邦時代からの経済先進地域が広がっている。辺境とは比べ物にならない人口と経済力を持ち、数千万や一億の人口を抱える有人惑星が連なっていた。反乱や暴動が発生している星系のほとんどは、帝国内地に属している。同盟軍が動乱に直接介入する日も近いように思われた。

 

 しかし、同盟軍は大方の予想を裏切って、辺境の外縁で進軍停止を余儀なくされた。いずれの星系でも、統治者と駐留部隊は行政データを消去した後に、物資を持って逃亡してしまっていた。遠征軍の到達に先行して配布されたビラによって無条件の配給を受けられることを知った住民は、駐留部隊に手持ちの物資を高値で売り飛ばしてしまったのだ。

 

 同盟軍は第一次進軍と同様に、際限なく配給とサービスを求める民衆を抱え込んでしまった。手持ちの物資をすべて放出し、イゼルローンの総司令部からから送られて来る物資もすぐに底をついてしまう。

 

「早く帝国内地に入って、反乱勢力を支援したい」

「あと一歩進軍すれば、帝国を倒せるのに」

 

 動乱状態の帝国内地を目前にして、辺境星系に足止めを食っていた同盟軍将兵は、歯噛みするような思いを抱えていた。

 

 

 

 アーデンシュテット星系第二惑星シュテンダールに到着してから一週間が経った一〇月三日。進駐軍司令部の司令官室で、第三六戦隊後方部長リリー・レトガー中佐が持ってきた報告書を読んでいた俺は、軽いめまいを感じた。

 

「ちょっと食料の配給量が多すぎない?この惑星の人口は一三〇万人ぐらいのはずなのに、合計したら一八〇万人分になってる」

「行政データが無いせいで、正確な人口が把握できないんですよねえ。だから、家族の人数を過大申告して二重取りする住民が後を絶たなくて」

「たしか、配給カードは顔写真付きだったと思ったけど」

「変装して余分にカードを取得する人がいるんですよ。あと、他人の写真を使う人とか。一〇世帯が同じ子供の写真を使って、架空名義で配給カードを取得していたなんてケースもありました」

「こちらのスタッフが本人確認した相手にだけ、配給カードを交付するわけにはいかないの?」

「病気で寝たきりだとか言われたら、どうしようもありません。まさか、家に踏み込んでベッドの中を確認するわけにもいきませんしねえ」

 

 帝国人が功利主義者なのは、前の人生の経験から知っているつもりだった。しかし、ここまでしたたかだとは思わなかった。帝国人と接した経験が無い者は、「圧制に苦しむ善良な人々」というイメージのギャップに困惑しているに違いない。

 

「あまりやりたくはないけど、指紋登録義務化も検討する必要があるね。数十万人分も架空名義を使われてしまったら、さすがに性善説に則った統治もできない」

「第九艦隊が解放区住民の指紋登録を義務付けようとしましたが、『我々は市民だ。市民を犯罪者扱いするのか』と抗議されて取りやめています。その後、民主化支援機構から、『占領地住民は市民である。市民に指紋登録を強制してはならない』という通達が出ています」

「市民への指紋登録強制は六六五年の最高裁判決で違憲とされてる。でも、解放区住民は市民じゃないよね?法的には在留外国人になるはずだ。もっとも、在留登録手続きも済んでないから、みなし在留外国人になるけど」

「最高評議会が特例として解放区住民すべてに市民権を無条件付与すると決定したんですよ。ご存知ないんですか?」

「いや、知らない。ちゃんと国内ニュースは見てたつもりなんだけど」

 

 六四〇年代から六九〇年代にかけての大量亡命時代を経た同盟では、市民権取得手続きはかなり厳格だった。占領地、いや解放区の住民に無条件で市民権を付与するとしたら、同盟法制史を塗り替える大ニュースである。それを見落としていたなんて、司令官にあるまじき失態だ。

 

「解放区関係の法的措置はなし崩し的なものばかりで、国内とは無関係だから、メディアはあまり報じないんですよ。民主化支援機構の通達でようやくわかることばっかりで、法務部も頭を痛めています」

「グダグダだね、本当に。この様子じゃ知られていない決定も多そうだ。これまでに決定された措置を整理して、第三六戦隊全体に周知する必要があるね。後で法務部のバルラガン少佐を呼んで話し合おう」

 

 法律というのは、社会を動かすルールだ。ルールを知らずにゲームはできない。現在のルールでは占領地住民の指紋登録ができないことを、俺はついさっきまで知らなかった。占領統治というゲームをする上では致命的である。

 

「こちらはシードラー村の宣撫担当者からの報告です」

「トラック三〇台欲しいって?確か、この村には前にトラックを供与したはずだよね?」

「前に供与した分は受け取りを拒否されました」

「どういうこと?不良品だったの?」

「いえ、『軍の払い下げは嫌だ、フェザーン製の最新型が欲しい』と住民がごねたとか」

 

 レトガー中佐の話を聞いて、頭が痛くなった。図々しいにもほどがある。しかし、俺はこの惑星の解放軍司令官という立場だ。そして、解放区の住民は軍人が守るべき市民ということになっている。司令官が市民の悪口を公に言うのはまずいと思い、口に出しかけた不満を辛うじて抑えた。

 

「宣撫担当者も少しはしっかりしてほしいね。やんわり断るとかできなかったのかなあ」

「例のビラを見せられて、『これは嘘なのか』と言われたら、どうしようもないです。多少大げさな書き方はしてますが、おおむねこちらのオフィシャルな主張通りですから」

「民主化支援機構は自分達じゃないってまだ言い張ってるの?ここまで迷惑かけといて、ごめんの一言もなしってさすがに無責任過ぎる」

「あちらさんは、『こっちだって迷惑してる。自由惑星同盟軍の名前で配られたビラなんだから、軍情報部が作ったビラじゃないのか。我々には敵地に潜入して、大々的にビラをばらまくような組織力はない』と言ってるそうですよ」

 

 確かに民主化支援機構は帝国領内に独自のルートを持っていない。別の情報機関のルートを利用したのだろうと漠然と思っていたが、情報機関が単独でビラを作ってばらまいても不思議ではない。軍情報部が画策した辺境二六星系の寝返り工作は、民主化支援機構のプランによって破綻した。失点を取り返すための独走という可能性もある。帝国内地であれだけの騒乱を起こせる彼らなら、遠征軍に先回りしてビラを配布することも可能だろう。

 

「それも有り得るね。軍情報部は何て言ってる?」

「否定してますよ。『我々は関知していない。中央情報局がやったんじゃないか』って」

「ああ、中央情報局もあるかもね。あそこの対外情報網も強力だから」

 

 最高評議会直属の情報機関である中央情報局も帝国内にルートを持っている。軍情報部が主導する今回の遠征で、存在意義を示そうと張り切った可能性も捨てがたい。しかし、実際にやってても軍情報部や中央情報局が認めることは絶対にないだろうから、真相は闇の中だ。

 

「誰がやらかしたかは知りませんが、味方に足を引っ張られるのはいい気分がしませんねえ。苦労するなら、せめて敵に苦労させられたいですよ。敵は殺せますから」

 

 茶飲み話をしている主婦のような口調で、レトガー中佐は物騒なことを言う。

 

「まあね、味方や解放区住民は殺せないもんね」

「他の解放区では、住民と結託して水増し請求の片棒を担いでる軍人もいるらしいですよ」

「うちの部隊にも多分いるだろうね。憲兵隊に取り締まらせなきゃ」

 

 住民の名前を使って請求すれば何でも手に入るのであれば、住民とグルになって物資を騙し取ろうと考える不届き者が出てくるのは、ごく自然な成り行きだろう。ここまで分かりやすい悪は、取り締まらない方が悪い。

 

「カプランくんが頑張ってくれてるのが明るい材料ですねえ」

「解放のための戦いのはずなのに、それぐらいしか明るい材料が無いって困ったものだね」

 

 人事参謀エリオット・カプラン大尉は、第三六戦隊に配属されて初めて役に立っている。

 

 ある村の宣撫担当者から、「ベースボールのできる人間を派遣して欲しい。村民がやりたがっている」と言われた俺は、ミドルスクール時代にベースボール部のキャプテンを務めていたカプラン大尉を送り出した。意欲も能力も完全に欠如している彼が司令部にいても、どうせ役に立たない。

 

 厄介払いのつもりだったが、そこそこルックスが良くてお調子者のカプラン大尉は、すぐに村民に受け入れられた。今では、朝から晩まで村民にベースボールを教えているそうだ。

 

「適材適所ですよ。司令官やメッサースミス大尉みたいな生真面目な人には、カプランくんみたいに後先考えずに調子のいいこと言ったり、テレビや芸能人の話で盛り上がったりするなんてできませんから」

「彼は他のことができないのが問題なんだよ」

「ベースボールもできるじゃないですか」

「ずっとベースボールやっててくれないかなあ」

 

 司令部にいても邪魔なだけだからとは、あえて言わない。それでも、司令部ではいつもぼーっとしているカプラン大尉が泥まみれになってグウランドを駆けまわっている姿を思い浮かべるとおかしくなって、ささくれていた気持ちが少しだけほぐれた。

 

 レトガー中佐が退出すると、代わりに参謀長のチュン・ウー・チェン大佐がパンの入った袋を抱えて部屋に入ってきた。椅子に座ると、ポケットから潰れたサンドイッチを取り出して、代わりに袋から取り出したサンドイッチをポケットに突っ込む。「なんで、わざわざポケットに入れるんだろう?袋からそのまま取って食べたらいいのに」と思ったが、これほどわかりやすい突っ込みどころに突っ込んだら負けてしまう気がして黙っていた。

 

「そろそろ腹も空く頃合でしょう。サンドイッチはいかがですか?」

 

 そう言うと、チュン大佐はたった今ポケットから取り出したばかりのサンドイッチを俺に差し出した。「袋に入ってるサンドイッチをそのままくれたらいいのに」などと思っても仕方がない。この人はこういう人なのだ。

 

「ありがとう」

 

 潰れたサンドイッチを受け取って、笑顔で口にする。俺はチュン大佐から潰れたパンをもらうことにすっかり慣れてしまっていた。

 

 チュン大佐はポケットから、たった今突っ込んだばかりのサンドイッチを取り出すと、無邪気そうに目を輝かせて頬張った。何で突っ込んだのかさっぱりわからない。わかろうとする方がおかしいのだと思い直して、冷静さを取り戻す。

 

「参謀長、報告を頼む」

「了解しました」

 

 口をモグモグさせながら、チュン大佐は携えてきたファイルを取り出す。口の中のパンを飲み込むと、報告を始めた。

 

「同盟軍の士気は低落の一途をたどっています。住民とのトラブルも絶えません。第一三艦隊では、住民を『乞食』と呼んだことが問題になって更迭された指揮官もいました」

「ああ、ヤン中将はそういう発言を許さないだろうね。でも、その更迭された人の気持ちもわかるよ。もともと期待してなかった俺だって、結構うんざりしてるんだ。期待してた人ほど、がっかりするだろう」

「第三六戦隊も著しく士気が低下しています。住民対応のストレス、物資不足などが主な原因ですね」

「補給物資が届いても、片っ端から住民に配給しちゃうからね。こちらは食事の量まで減らしてサービスしてるのに、供与品の質にまで文句言われたら、誰だって嫌になっちゃうよ」

 

 最近は将兵に支給する食事もカロリー換算で二割カットするようになった。軍隊生活の一番の楽しみは、何と言っても食事である。おいしくてボリュームのある食事が軍務のストレスを吹き飛ばし、新たな活力を生み出すのだ。食事を減らしただけで、格段に士気が落ちる。

 

「軍規違反も増えています。特に多いのは無断欠勤、遅刻、横領です」

「横領って、配給品や供与品の横領かな」

「そうです」

「うちの部隊には、横領できるような余剰物資はないから」

 

 第三六戦隊が保有する物資の残量を思うたびに、ため息が出てしまう。足りないのは食料だけではない。何もかもが足りない。燃料を節約するために、地上車の稼働数を七割にした。トイレットペーパーを節約するために、数年前にドーソン中将が作った『従来の半分のトイレットペーパーで尻を拭く方法』というマニュアルを取り寄せた。

 

「きわめて残念なことですが、住民に暴行をはたらく者が一昨日出ました」

「いつかは起きると思ってた。でも、実際に起きてみると、すごく残念な気持ちになる。そして、もう一つ残念なのは、すぐに報告がなかったこと。私的制裁と民間人への暴行は、末端の部署で発生しても、すぐに俺に報告するように取り決めてあったはずだよね?」

「上官が事件を隠していました。判明したのはついさっきです」

 

 民間人への暴行、事件隠蔽。軍隊が軍隊として機能するために、決して許してはならないことが二つも重なってしまったことに、目の前が真っ暗になった。第三六戦隊は崩壊しつつある。

 

「俺がこの部隊の司令官になってから五か月になる。人を集めて、予算を取ってきて、みんなで一緒に汗をかいて、部隊を作ってきたつもりだった。それがこんなにあっさり崩れるとは思わなかった」

「これまでの戦争は国土防衛戦争でした。負ければ帝国の奴隷になってしまう戦いです。わかりやすい理由がありました。しかし、今回はそうではありません。自分達が何のために戦っているのか、見えにくい戦いです。民主化支援機構が示したハイネセン主義の理想が挫折した時、将兵の士気は崩壊するでしょう。その時が敗北の時です」

「挫折すると思うかい?」

「残念ながら」

 

 チュン大佐は理想主義者だ。ハイネセン主義の理想が詰まっていた民主化支援機構のプランに共感を示していた。それでも挫折を予感せざるをえないのが、解放区の現状であった。

 

「挫折するとしても、あのプランは必要だったのかな?」

「閣下は何の情熱も無しに、ろくな星図も存在しない異郷の地へ入って、数千光年の距離を踏破することができますか?勝てそうだから、行けと命令されたからという理由だけで行く気になれますか?」

「無理だね。心が折れてしまうよ」

 

 俺は凡人だ。勝てそうという計算を示されただけで戦う気にはなれない。「自分が生き残るため」とか、「誰かを助けるため」とか、格好の付く理由が欲しい。しっかりした手続きを踏んだ上で、「お前の戦いは正しい」と認めて欲しい。

 

 アンドリューに見せられた作戦案の概要は、宇宙艦隊総司令部と軍情報部が協力して作成しただけあって、十分に勝算が見込める作戦だった。

 

 辺境星系の寝返りこそ起きなかったが、帝国内地では手筈通りに反乱勢力が蜂起している。帝国軍の正規艦隊も近衛兵のクーデター疑惑で釘付けになっている。どこかの無能が変なビラをまいたせいで進軍が遅れているけど、本国から追加物資が届いたら、帝国内地に到達できる距離まで来ている。一惑星で辺境全域に匹敵する人口を抱える惑星が集まってる帝国内地なら、さすがに物資が全部買い占められてしまうこともないだろう。フェザーンの経済力でも不可能だ。

 

 帝国内地に入って、大きな生産力を持つ惑星を占拠する反乱勢力と合流すれば、補給に困ることはない。予定が狂ってしまった段階でも、勝算は十分にある。しかし、俺がこの作戦のために命を賭けられるか、部下に命を賭けさせることができるかを問われたら、できないとしか言いようがない。合理的なだけの作戦に、自分と部下の命を賭けることはできない。正当な理由がほしい。

 

 権力を維持しようというロボス元帥の計算、仲間を助けようというアルバネーゼ退役大将の信義、ロボス元帥に尽くそうというアンドリューの忠誠。そのいずれも前線の将兵には関係のないことだ。

 

 宇宙作戦総司令部が作成した運用計画。軍情報部が仕掛けた工作。いずれも理に適っていたが、理に適っているという理由では戦えない。動機と手続きが不正だと感じたから、俺はこの作戦で戦えないと感じて反対した。

 

「頭のいい人や心の強い人は『勝てそうだから戦う』『勝てば国や自分の利益になる』という理由だけで戦うこともできるよ。でも、俺はそうじゃない。わかりやすい正しさがないと、命を賭けられない。打算と計算だけでは戦えない」

「この戦いが敗北に終わるとしたら、民主主義の理想ゆえでしょう。しかし、民主化支援機構がわかりやすい理想を示さなければ、士気が高まらないままに帝国領に深入りして、取り返しの付かないことになっていました」

 

 この作戦が発表された当初、第一二艦隊の将官達はこぞって不満をぶちまけていた。自分の行動に確信を持てない指揮官ほど、部隊に悪影響を与えるものはない。あの状態で帝国内地まで入ってしまっていたら、チュン大佐の言うようにとんでもないことになっていたかもしれない。

 

「最初のうちは口を揃えて反対していた第一二艦隊の将官も、民主化支援機構のプランが発表されると、途端にやる気を見せだした。バレーロ准将は『ようやく戦う気になれた。帝国の解放と民主化は、命を賭けて戦うに値する目的ではないか』と言ってた。俺は帝国の住民には必要ないと思って反対したけど、同盟の軍人には必要だったんだね。あのプランによって、初めて士気を高めることができた」

「そうです。あのプランによって、イオン・ファゼカスの帰還作戦に勝機が見えました。破綻した時点で敗北します」

 

 解放区民主化機構のプランは、当初の作戦案の軍事的合理性を損なうものだった。しかし、それと引き換えにしないと、勝機が見えなかった。そんなチュン大佐の指摘は、俺には無かった視点だった。やはり、前の人生の記憶は俺にとってマイナスでしかない。民主主義を絶対視する将兵の気持ちに対する理解を妨げる。

 

「早く追加物資が届いてくれないかな。そうしたら、帝国内地に入れる。反乱勢力と合流できたら、みんなの気持ちも盛り上がる」

「ハイネセンでは前回の補給要請以上に揉めているみたいですね」

「総額二〇〇〇億ディナールでしょ?たった一ヶ月で遠征軍の予算計上額が二.五倍に跳ね上がったんだよ。納得しろって言われても難しい」

 

 前回の補給要請は一〇〇〇億ディナールだった。新しい占領地を獲得して人口が倍増したおかげで、必要な物資の総額も二〇〇〇億ディナールに倍増したのである。

 

「いっそ、補給要請が却下されて、遠征が中止になってくれたらと思いますよ」

「ああ、確かに中止しちゃってもいいよね。傷が浅いうちにやめられるなら、それに越したことはない。兵を引いたところで、同盟領に敵が入ってくるわけじゃない。占領地の住民もフェザーン・マルクをたっぷりばらまいてくれた人に面倒見てもらった方が幸せになれるよ、きっと」

 

 プランはいずれ破綻する。破綻前に決着を付けなければ敗北するのであれば、破綻前に遠征を中止するという選択もあり得る。深入りするリスクを負ってまで、戦わなければいけない戦いでもない。イゼルローンさえ保持していれば、同盟国内は平和でいられる。

 

「この件で閣下と意見が合うとは思いませんでした」

「やっぱり、民主化支援機構のプランは必要だったのかも知れないね。おかげで深入りする前に、中止するかどうかを話し合えるステージになった」

 

 久しぶりに顔が綻んだ。思えばハイネセンを出発してからずっと、難しい顔ばかりしてたような気がする。

 

「トリューニヒト国防委員長に相談してみるよ。これは政治の次元の話だからね。参謀長は気が進まないと思うけど、俺が知ってる人の中で一番政治に強いのはあの人だ。それに今回の遠征には最初から反対してる。将官の末席にすぎない俺ができることは少ないけど、ちょっとは国防委員長の力になれるかもしれない」

 

 トリューニヒトは遠征が始まってから、沈黙を守っている。前回の補給要請の時も反対票を入れたものの、議論には加わらなかった。内心では遠征中止に賛成しているに違いない。遠征実施が決まった時と比べると、遠征に疑問を抱く人はずっと多い。彼が動いてくれたら、どうにかなるかもしれない。

 

「まあ、私はレベロ財務委員長のファンですが、それは単なる個人の趣味です。閣下が最善の選択とお考えになるのであれば、止める理由はありません」

 

 前の歴史で読んだチュン・ウー・チェンの伝記では、政権運営に悩んで疑心暗鬼に陥った晩年のジョアン・レベロに失望していたと書かれていた。今のチュン大佐はまだレベロに失望していない。そうだ、まだ未来は確定していない。

 

「最善はアンドリューが出したプランと民主化支援機構のプランがうまく噛み合って、辺境星域で解放軍として振る舞いながら、帝国内地を目指すことだったんだろうね。あのビラが先行してまかれてなかったら、今頃は高揚した気分で全軍が帝国内地に入れたかもしれない。今さら言っても仕方ないけど、無能な味方ほど始末に困るものはないね」

 

 人と話すたびにあのビラの悪口を言ってるような気がする。しかし、実際に迷惑してるんだから仕方がない。それでも、部隊が崩壊する前に、遠征継続の是非を問う話し合いがハイネセンで進んでいるのは、不幸中の幸いだった。そう自分を慰めるしかない。

 

「敵が自分でビラを作ってばらまいた可能性は無いでしょうか?」

 

 チュン大佐のその一言に、俺は頭がぐらつくような感覚を覚えた。あれが敵の策略だったら、あまりにできすぎている。そこまでこちらの動きを見切った策略を立てられるものだろうか。

 

 いや、立てられる。迎撃司令官はあのラインハルトだ。人類史上、唯一武力による人類世界統一を果たした大天才なら、何を仕掛けてきてもおかしくない。狭い常識と前の人生で読んだ歴史の本の知識だけで理解できるような相手じゃない。

 

「このビラによって一番得をしてるのは敵です。ビラの印刷代と物資を買い占める代金だけで、三〇〇〇万の大軍を一ヶ月で足止めできれば、安い買い物でしょう」

 

 焦土作戦。その言葉が脳裏に浮かんだ時、世界が暗転したような思いがした。前の歴史において、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる帝国軍は焦土作戦を行って、同盟軍を自滅に追い込んだとされている。しかし、どのように実施したのかは良く知られていない。

 

 リップシュタット戦役以前のラインハルトには怪しい部分が多い。財産らしい財産を持っていないはずなのに、なぜ元帥府を開いた直後から巨額の資金を持っていたのか。人脈らしい人脈を持っていないはずなのに、なぜ短期間で非門閥貴族のエリート官僚を取り込んで、一大派閥の主にのし上がれたのか。

 

 そして、国土総面積の三割にあたる辺境星域から軍隊と物資をことごとく引き上げるという体制を根本から動揺させかねない作戦を、帝国軍三長官ですら無い一介の元帥がいかにして成し遂げたのか。伝記や戦記は結果のみを簡潔に語る

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラムの臣下の伝記も、主君に倣ったのかリップシュタット戦役以前の記述が総じて乏しい傾向にあり、立案者とされるパウル・フォン・オーベルシュタイン、指揮にあたったウルリッヒ・ケスラー、ゴッドハルト・フォン・グリューネマン、ウェルナー・アルトリンゲンらの伝記を読んでも焦土作戦の詳細はわからない。

 

 前の人生の俺が知りうる範囲内の情報では、帝国軍が物資をすべて引き上げてしまったという結果しかわからなかった。強引に物資を引き揚げた帝国軍の罠に、焦土作戦を全く警戒していなかった愚かな同盟軍が引っかかったものとばかり思っていた。

 

 だから、アンドリューが作成した作戦案の概要にあった「焦土作戦を行えば、反乱が起きる」という記述を見て、「今の歴史のアンドリュー・フォークはちゃんと焦土作戦の可能性を考慮しているんだな」と安心した。帝国領に進入してからも連絡員からの報告で、帝国軍が強制的な物資引き揚げをしていないと知って安心した。帝国軍が物資を持って逃亡しても、民主化支援機構の勇み足のせいで引き起こされた物資不足だと考えていた。

 

 しかし、徹底抗戦をするという口実で物資を買い集め、自分の手でビラをばらまいて、住民が進んで物資を放出するように促したとしたらどうだろうか。フェザーン・マルクをばらまいて功利主義者の帝国人の心を掴みつつ、同盟軍に対する要求水準を引き上げる。ラインハルトはフェザーン・マルクをばらまいて逃げるだけで支持を高められるが、同盟軍は住民の生活を全面的に支えて、電化製品や嗜好品まで与えても「まだ足りない」と言われる。さらに言えば、辺境の食料価格低下も物資放出を促すための策略だったのかもしれない。

 

 体中の血が凍りついたような思いがした。あと少しで帝国内地に到達するという距離で足止めを食らわせたのは、疲弊させつつ先に進めば勝てるという希望を煽るための罠ではないか。反乱勢力もあえて放置したのではないか。同盟軍の作戦に乗ったふりをして、勝利の可能性をちらつかせつつ、死地に誘い込むための餌として。状況を一から一〇までコントロールする必要はない。金をばら撒いて物資を集めるだけなら、限られた指揮権の範囲内で実行できる。

 

「まずいよ、参謀長。貴官の予想が当たっていたら、この戦いは負ける」

 

 何としても遠征を中止にさせなければいけない。迎撃司令官はあの天才ラインハルトなのだ。仮にビラをまいたのが同盟の誰かの暴走だとしても、ラインハルトが同盟軍の疲弊に付け込まないはずがない。自分が作った状況でなくとも、彼は絶対にこの状況を利用しようとする。

 

 慌てた俺はすぐに通信端末を操作して、トリューニヒトとの直通ホットラインを開いた。すぐに出てくれと頭の中で何度も念じる。

 

「エリヤ君、いきなりどうしたんだい」

 

 スクリーンの向こうに、いつもの穏やかな笑みをたたえるトリューニヒトの顔が現れた。



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第八十四話:戦いを止めるための戦い 宇宙暦796年10月3日~10日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 国防委員長ヨブ・トリューニヒトには、以前からいろいろと世話になってきた。頼りになる人だと思っていた。しかし、顔を見ただけでこれほど頼もしい思いになるのは初めてだった。

 

「随分、切羽詰まっているようだね。何があったのかな?」

 

 トリューニヒトの暖かい声が心に染み入っていく。

 

「はい、実は」

 

 抑えていた思いが堰を切ったように噴き出す。際限なく拡大する占領地住民の要求、占領地で横行する不正、戦わずして崩壊しつつある第三六戦隊の現状などについて、トリューニヒトに訴えた。話しているうちに涙があふれてくる。参謀長のチュン・ウー・チェン大佐が部屋を出ていてくれて助かった。部下にはこんなところは見せられない。

 

 俺の言っていることぐらい、国防委員長のトリューニヒトならとっくに把握済みだろう。それでも、なにか言うたびに微笑みながら頷いてくれる。それだけで話して良かったと思えた。

 

 最後に物資不足を引き起こしたビラが帝国軍の策略である可能性、敵が同盟軍の作戦に乗せられたふりをして死地に誘き寄せようとしている可能性について話した。前の歴史で帝国領遠征軍が壊滅したことについては話さない。俺が占領軍司令官の立場上持ちうる情報と、軍事の専門家として持ちうる見識だけで、遠征軍が置かれた危機的状況を説明するには十分だった。

 

「なるほど、遠征軍に先行してあのビラをまいたのは、敵ではないかと君は疑っているんだね。我が軍の兵站に負担をかける策略だと」

「はい。この物資不足が敵によって意図的に引き起こされたものであれば、当然我が軍が疲弊していることも計算済みでしょう。正規艦隊の質で我が軍が優っているとはいえ、士気や規律が失われている状態では、十分な戦闘力を発揮できません。今、帝国軍の反攻を受けたら、我が軍は確実に大打撃、いや壊滅的な打撃を蒙ります」

「しかし、二世紀ぶりの大動乱にもかかわらず、敵の正規艦隊はオーディンを離れようとしない。権力闘争が絡んでいることは明らかだ。仮にビラが敵の策略だとしても、権力闘争が決着するまで動けないローエングラム元帥が講じた足止め策に過ぎないという可能性は考えられないだろうか?彼らがオーディンに縛り付けられている間に帝国内地まで進軍できれば、我が軍の勝利は見えてくる。多少予定は遅れたものの、概ねフォーク君のチームが作った原案通りの展開になる」

「オーディンの権力闘争の実態は俺達には掴めません。あのビラのおかげで、敵は時間的猶予を与えられました。我が軍が足止めされている間に宮廷の混乱が収拾されて、釘付けになっていた正規艦隊が今日明日中に動き出す可能性だってあります。追加物資が前線に届いて、帝国内地への進軍が再開するまで、正規艦隊が動かないという保証はありません」

「君の言う通りだ」

 

 トリューニヒトは俺の答えに満足そうに頷いた。オーディンの宮廷闘争がこちらの期待通りに続く保証がないことなんて、帝国事情に強いトリューニヒトにわからないはずがない。俺の現状認識の程度を試すために問うたのであろう。

 

「賢者の考えるところは期せずして一致するらしい。レベロも昨日の閣議で君と同じような指摘をしていた。『我が軍の大義名分と民衆の欲望に付け込んだ足止め策だ。撤退しなければ、民衆を抱え込んだまま総反攻を受けて壊滅する』と」

「レベロ財務委員長が?」

 

 ジョアン・レベロはここ数年間にわたって、財政政策をリードしてきた。財政再建を実現するために、ハイネセン主義の理想に沿った緊縮財政に邁進して、地方社会の崩壊を招いた。地方の現実と怒りを目の当たりにした俺には、理想を押し付けて我慢を強いているだけにしか見えなかった。

 

 前の歴史におけるジョアン・レベロは高潔な理想主義者と評価されていた。最後は慣れない陰謀に手を染めて自滅したが、それとて強い使命感ゆえに起きた悲劇と半ば同情的に捉えられた。

 

 今の歴史でも前の歴史でも理想にとらわれすぎて現実が見えなかったレベロが、同盟軍の置かれた危機的な現実を正しく把握していたことに驚いた。

 

「前にも言ったが、政治家の情報網を甘く見てはいけない。政治家のもとには、大勢の人間がそれぞれの視点からの情報を持ち寄ってくる。レベロほどの実力者なら、軍部や民主化支援機構にいる支持者から集まってくる情報で、前線の状況も手に取るようにわかるはずだ。ブレーンには優秀な軍人もいる。レベロが君と同じ結論にたどり着いてもおかしくは無い」

「レベロ財務委員長以外の人も同じように考える可能性はあるでしょうか?」

「評議員の中にも勘づいている者はいる。軍部に太いパイプのあるカッティマニやゲドヴィアスあたりも、遠からずレベロや君と同じ答えを出すと思う」

 

 その言葉を聞いて、目の前が明るくなったような思いがした。カッティマニ法秩序委員長やゲドヴィアス天然資源委員長はもともと遠征に賛成していた。この二人が真相に気づいて反対に回ったら、評議員一一人中、トリューニヒト、レベロ、ホアン人的資源委員長と合わせて五人が遠征反対派となる。世論が遠征中止に傾けば、他の評議員の中にも態度を変える者が出てくるだろう。

 

「軍はどうですか?」

 

 政治家の情報源となるのは、ブレーンと呼ばれる存在である。彼らは専門家としての知見や立場上知り得る情報を政治家に提供して判断を助ける。ブレーンの数と質は、政治家の能力と等しいといっても過言ではない。

 

 政治家の軍事面でのブレーンとなるのは、現役もしくは退役した高級軍人である。高級軍人は自分の構想を実現するため、もしくは知遇に応えるために自分の考えを親しい政治家の耳に入れる。帝国軍の陰謀を疑う高級軍人が多ければ多いほど、影響される政治家も多くなる。

 

「少将級以上では、第一三艦隊司令官のヤン中将、遠征軍後方主任参謀キャゼルヌ少将、第八艦隊参謀長デミレル少将、第四独立機動集団司令官ルイス少将などが言及しているそうだ。准将級や大佐級はもっと多い」

 

 前の歴史における最高の後方参謀キャゼルヌ、前の歴史における最大の軍事的天才ヤンが気づくのは予想の範囲内だった。ルイスは前の歴史では聞かなかった名前だが、今の歴史ではアスターテの戦いでヤンとともに全軍の崩壊を食い止めた英雄である。デミレルに関しては、統合作戦本部や正規艦隊の要職を歴任した作戦畑のエリートという経歴以外は良く知らない。

 

 思ったよりずっと多くの高級軍人が帝国軍の陰謀を疑っている。前の歴史で活躍した天才だけではないというのが心強い。常識的な思考から行き着いた人間が多かったということだ。これなら政治家にも聞き入れやすいだろう。天才のひらめきから導き出された言葉は、難しすぎて凡人には届かない。凡人は常識的な思考から導き出された言葉にのみ耳を傾ける。

 

 希望が見えてきた。あとはトリューニヒトが動いてくれるかどうかにかかっている。出兵案が最高評議会に提出された時、トリューニヒトはアルバネーゼ退役大将との正面対決を回避して、反対姿勢をアピールするに留まった。前回の追加補給を巡る議論の際にも沈黙を守っていた。今回も動いてくれるかどうかはわからない。それでも、俺が期待できる政治家はトリューニヒトしかいない。

 

「委員長閣下はいかが思われますか?」

 

 意を決して、質問を投げかける。

 

「薄々怪しいとは思っていた。だが、確証がなかったから、口にはできなかった」

 

 俺の推論の最大の欠点は、状況証拠ばかりで直接的な証拠がないことだった。トリューニヒトは元警察官僚だけあって、確実性に欠ける話には乗らない。彼の「確証がない」という言葉は「動けない」と同義だった。

 

「動いてみよう」

 

 トリューニヒトらしくないその言葉を聞いた俺は目を丸くした。

 

「確証がないとおっしゃいましたよね?」

「帝国の謀略だと断言することはできない。しかし、疑わしいと主張することが禁じられているわけでもない。私の主張を聞いた者がどう勘違いしようと、それは勘違いした者の責任だ」

 

 トリューニヒトはいつになく人の悪い笑みを浮かべた。どんなに良い人に見えても、やはり根っこの部分は政治家だった。

 

「人間は信じたいものを信じる。遠征実施が決まった時は、ロボス君とアルバネーゼを信じたがる者が多かった。しかし、一〇〇〇億ディナール相当の追加予算執行、そして二〇〇〇億ディナール相当の第二次追加予算請求は、期待を失わせるには十分だった。これ以上遠征を続ければ、勝利したとしても、オーディン攻略と引き換えに財政は破綻する。そして、遠征継続を支持した者達は、宿敵打倒に執着するあまり、財政破綻を引き起こした愚者として糾弾されることだろう」

 

 勝利したとしても財政破綻する。トリューニヒトのその言葉は、不吉な響きをもって響いた。

 

 今年の四月上旬の時点で、フェザーン中央銀行総裁が「重大な懸念」という前例のない言葉で同盟経済に警告を発している。最初に計上された二〇〇〇億ディナールの遠征予算ですら、破綻寸前の国家財政には重すぎる額だった。遠征を継続したら、どれだけの追加予算が必要になるのか想像もつかない。

 

「政治家は泥舟から降りる理由を欲しがっている。金がかかり過ぎるという理由だけでは不十分だ。遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構には、『敵の謀略にはめられた愚か者』になってもらおう。それが最後のひと押しになる」

 

 遠征軍総司令部という単語から、親友アンドリュー・フォークのことが頭の中をよぎった。現在の彼は総司令部のスポークスマンみたいな立ち位置にいる。いつもロボス元帥の側に控えていることもあって、遠征軍総司令部とアンドリューをイコールで捉える者も多かった。

 

 遠征軍総司令部が「愚か者」になるということは、アンドリューが愚か者扱いされることである。遠征が中止になれば、アンドリューの名誉は大きな傷を負ってしまう。

 

 ロボス提督の司令部に入って間もない頃のアンドリュー、民間人の女の子と付き合っては遠征のたびに振られてた頃のアンドリューの顔が脳裏に浮かんだが、慌てて振り払う。俺は第三六戦隊の司令官だ。一〇万人近い部下の生死に責任を負わなければならない。友達一人のために、彼らを死地に追いやることはできない。

 

 アンドリューならいつかきっと俺の気持ちをわかってくれる。その時は失われた彼の名誉を取り戻すために何でもする。だから、今は迷いを振り払う。

 

「ありがとうございます」

「礼には及ばないよ。これは私の利益になることだからね。遠征を支持した連中が失脚すれば、私は二大政党の一角のトップになれる。ようやく、最高評議会議長の座に手が届く」

 

 四一歳のトリューニヒトは代議員当選回数四回。二年前から急速に力を伸ばしている彼も、長老支配が続いてきた改革市民同盟にあっては、非主流の若手代議員のリーダーでしかない。彼が最高評議会議長になるには、主流派が立てた候補者と争って党代表に就任するか、離党して新党を設立する必要があった。いずれも険しい道である。遠征が中止されて主流派の威信が失墜すれば、トリューニヒトは改革市民同盟の主導権を一気に掌握できる。

 

「老人と雌雄を決する時が来たようだ。力を貸してくれるね?」

「はい」

 

 前の歴史では最悪の衆愚政治家と蔑まれ、今の歴史でも毀誉褒貶半ばする政界の風雲児ヨブ・トリューニヒトは、俺にルールの範囲内でなおかつ効果的な戦い方を細かくアドバイスしてくれた。

 

 

 

 トリューニヒトとの通信を終えると、参謀を召集して会議を開き、第三六戦隊の士気低下、物資不足、軍規の乱れなどについての報告をまとめるように指示を出した。

 

「前線部隊には現在の窮状を上層部に強く訴えて欲しい。嘘や誇張は必要ない。現状を正しく伝えることが大事だ」

 

 前線の立場から窮状を訴えていくこと。それがトリューニヒトから与えられた役割だった。

 

「国防委員長としては、前線部隊が直面している問題を見過ごすわけにはいかないからね。深刻な場合は、何らかの指導をする必要がある」

 

 同盟軍の部隊は作戦や行動計画などの運用面で統合作戦本部、人事や予算などの管理面で国防委員会の監督を受ける。監督官庁たる国防委員会に提出する報告書の中で、管理面の問題を訴えることには何の問題もない。

 

「統合作戦本部も運用上の問題に目をつぶることはできないはずだ」

 

 統合作戦本部に提出する報告書の中では、士気や物資の問題で部隊運用に重大な支障をきたしていることを訴えた。統合作戦本部長のシドニー・シトレ元帥は、もともと遠征に反対している。遠征中止を主張するジョアン・レベロの盟友でもある。そんな彼が前線から報告された運用上の問題を政治的にどう活かそうとするかは言うまでもなかった。

 

「もちろん、上級司令部の遠征軍総司令部、第一二艦隊司令部、第二分艦隊司令部にもちゃんと報告するんだよ」

 

 第一二艦隊の司令官ウラディミール・ボロディン中将と参謀長ナサニエル・コナリー少将は、理想主義者だけに将兵の置かれている窮状に深い憂慮を抱いていると言われる。抜本的な解決に乗り出すきっかけを欲しているはずだ。

 

 俺の直属の上司たる第二分艦隊司令官エドガー・クレッソン少将は、第一二艦隊の幹部にしては珍しく官僚的な人であったが、それだけに大きな不安を抱いている可能性が高い。

 

 遠征を推進した総司令官ラザール・ロボス元帥とその忠臣たるアンドリュー・フォークのいる総司令部は窮状を訴えても聞いてくれるとは思えないが、手を抜く訳にはいかない。ちゃんと報告をしたという事実が後々になって意味を持ってくるはずだった。

 

「友人と認識を共有することは、職務を執行する上で大きな助けとなる。君の友人も今頃は苦労していることだろう。認識を共有することで少しは救われるかもしれない」

 

 公然と遠征中止論を唱えて、友人達に同調を求めるのは問題行動である。遠征中止を主張するならば、上官や上級司令部に対する意見具申という形式を守らなければならない。しかし、帝国軍の謀略の疑いについて私見を述べること、部隊が置かれた窮状を何の誇張もせずに上官や監督者に訴えるように勧めることには、何の問題もない。

 

 

 

「いやあ、もうほんと、大変」

 

 第一〇艦隊所属の第四分艦隊副参謀長ダーシャ・ブレツェリ大佐は、俺の婚約者だ。遠征が始まった当初は毎日のように通信を交わしていたが、占領地統治で苦労するようになってからは、二、三日に一回に減っていた。

 

「うちの部隊は将兵の夜間外出を禁止したよ。みんな住民対応と物不足でピリピリしてるからね。トラブルを未然に防ぐための苦肉の策だよ」

 

 組んだ腕の上に大きな胸を乗せて、やや背中を丸め気味のダーシャは遠征が始まった時と比べて、だいぶやつれたように見える。いつも強気な彼女もすっかり参ってしまっているようだ。

 

 ひと通り化粧と髪型と軍服の着こなしを褒めて、彼女の気持ちがやや上向きになったところで、帝国軍の謀略の疑いについて話した。意外にもダーシャは驚きを見せなかった。

 

「やっぱ、そうだよね。レベロ代議員もそう言ってたし。今日のヒューマン・ライツ・ジャーナル電子版の記事にも出てた」

「ヒューマン・ライツ・ジャーナルで?」

 

 ヒューマン・ライツ・ジャーナルといえば、老舗の反戦派雑誌だった。発行部数こそ少ないものの知識層の読者が多く、世論形成に少なからぬ影響力を持っている。民主化支援機構に対しては、一貫して批判的な論調を貫いていた。リベラリストのダーシャは、この雑誌の愛読者だった。

 

「うん。ヨアキム・ベーンが書いてた」

 

 ヨアキム・ベーンは『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』の著者として知られる反戦派ジャーナリストで、進歩党構造派のホアン・ルイと近い関係にある。進歩党構造派はジョアン・レベロの所属派閥でもあった。誰が記事を仕掛けたのかは言うまでもない。トリューニヒトに先んじて、レベロは動き出していた。

 

「ダーシャはどう思う?」

「うーん、確かに帝国軍が自分でまいたビラだと思えば、いろいろ辻褄が合うよね」

 

 俺が詳しく話すまでもなく、ダーシャは謀略説を受け入れている。心の中でレベロに感謝しつつ、ガッツポーズをした。

 

 もともと、ダーシャはこの遠征に乗り気ではない。民主化支援機構のプランに関しても良い印象を持っていなかった。副参謀長として、第四分艦隊の現状を憂いてもいる。俺が水を向ける前に、自分から遠征中止を口にした。

 

 どうすれば、遠征中止につながる動きができるか相談された俺は、トリューニヒトから教えられたことをそのままアドバイスした。正当な手続きで現場の窮状を訴えていくこと、そして認識を友人と共有して謀略への注意を促すこと。

 

「ありがとう、エリヤ」

 

 話が終わった時には、ダーシャは晴れ晴れとした顔になっていた。ダーシャはどんな顔でも可愛いいけど、明るい顔が一番可愛い。

 

 遠征が中止になってほしい。そしてダーシャと直接会って抱きしめたい。そんなことを思った。

 

 

 

「久しぶり。随分疲れた顔してるねえ」

 

 第三艦隊第二分艦隊参謀長イレーシュ・マーリア大佐は思いのほか元気そうだった。あのウィレム・ホーランド少将の参謀長として、グローナウ星系の占領統治を取り仕切るという想像するだけで胃に穴が開きそうな仕事なのに、いったいどうしたのだろうか。

 

「大佐はお元気そうですね」

「ホーランドに我慢してれば、それで済むからねえ」

「占領統治とか、大変じゃないんですか?」

「ぜんぜん」

 

 占領統治で苦労していないというのは信じられなかったが、実際に肌つやも血色もハイネセンにいる時とほとんど変わりがない。彼女は俺と比べても大食いだから、食料不足にも耐えられないはずなのに。

 

「どういうことです?」

「うちの解放区は物資が余ってるんだよ」

「嘘でしょ」

「いや、ほんと」

「どういうことです?」

 

 ホーランド少将が無から物資を生み出せる魔法を使えるなんて聞いたことがない。配給量を抑えることもできないはずだ。

 

「インフラ整備や農業開発は、住民に賃金を提示して募集するという形でやってるの。物資の無償供与は早い段階で停止して、購入制にしてる。牛肉一キロあたり一ディナールみたいなタダ同然の値段だけどね。一ディナールでも住民から取って、コスト意識を持たせようってのがホーランドの方針なの。住民もタダ同然の値段で物が手に入るから、いい買い物をしたと満足しちゃうのよ。うまい手を考えたもんだよねえ」

 

 その手があったかと、感心してしまった。募集制だから労役に動員しているわけではない。一ディナールで牛肉一キロだなんて、配給しているも同然の捨て値である。ビラの文面には反していないと言い張れる。その上、住民を得した気分にさせられる。配給品や供与品もかなり少なく済むはずだ。

 

「ホーランド少将という人は、用兵だけじゃなくて統治もできるんですね。本当に生まれながらのリーダーというか。俺とはものが違います」

「あいつはリーダーにしかなれないんだよ」

 

 前の歴史のウィレム・ホーランドは、おごり高ぶって天才ラインハルト・フォン・ローエングラムに敗れた愚将だった。今の歴史でも自己顕示欲の強さをトリューニヒトに嫌われ、武勲欲しさに帝国領遠征を推進した。困った人ではあるが、能力は文句なしに高い。これで協調性があれば、トリューニヒトに第一一艦隊司令官就任を妨害されることもなく、順風満帆に出世していたに違いない。無能だが協調性だけはある自分とはすべてが対照的で、いろいろと考えさせられてしまう存在である。

 

 気を取り直して、帝国軍の謀略について話した。イレーシュ大佐は難しい顔で考えこむ。ただでさえきつい美貌なのに、さらに怖く感じる。

 

「なるほどねえ。まあ、敵地に潜入して数日間で惑星全土にビラをばらまけるほど有能な組織がうちの国にあると考えるよりは、納得できる推理だね」

「ええ。味方が暴走したと思い込まされつつ、敵の仕掛けた罠に誘き寄せられてたんじゃないでしょうか」

 

 わかってもらえた。イレーシュ大佐のような常識人でも、遠征軍の行く先々に先行してビラがまかれていたことに違和感を感じていたのだ。この話を知り合いにして、注意をうながすことに関しては了承してくれた。

 

 しかし、彼女のいる第二分艦隊は物資が豊富で士気も高く、訴えるべき窮状が存在していなかった。将兵がホーランド少将の強烈なリーダーシップに感化されて、遠征継続論一色に染まっており、第二分艦隊単独で帝国内地に突入しようなどと息巻く者もいるそうだ。彼女の部隊から遠征中止につながる情報を上層部に上げてもらうことは、諦めるしかなかった。

 

「力になれなくてごめんね」

「帰ってから、第二分艦隊司令部食堂のヨーグルトパフェおごってください。それで手を打ちましょう」

「わかった。サービスとして、私の手で君の口にパフェをあーんしてあげよう」

「やめてください」

 

 この人は普段は怖そうな顔なのに、俺をからかう時だけは優しい表情になる。ハイネセンに帰った時には、ヨーグルトパフェの他にパンケーキもおごってもらおうと思った。ただし、あーんはお断りだ。

 

 

 

「帝国軍はそんなことを企んでいたのかね、なるほどなるほど。ところでハイネセンに帰ったら、三次元チェスをやろうじゃないか」

 

 第二輸送業務集団司令官グレドウィン・スコット准将は、明らかに俺の話に興味が無さそうだった。遠征中なのに三次元チェスのことばかり考えてるのかと呆れてしまう。准将まで昇進した優秀な輸送司令官のはずなのに、軍事の話題を一度も聞いたことがない。軍人としてのこだわりもまったく伺えない。一体、この人は何なんだろうか。

 

 スコット准将が指揮する部隊は、総司令部直属の輸送部隊だった。住民対応とも物資不足とも無縁で、訴えるべき窮状がない。しかも、スコット准将は遠征の先行きにまったく興味がなかった。何の手応えも得られないまま、ハイネセン帰還後の対局を約束して通信を終えた。

 

 

 

 

「物を配っても感謝されない現場なんて初めてだ」

 

 第七艦隊所属の後方支援群を指揮するジェリコ・ブレツェリ大佐は苦笑気味に語った。豊富な災害派遣経験を持つ彼は、配給業務にも慣れている。被災者と占領地住民の勝手の違いに困っているようだ。

 

「こちらは食事を切り詰めているのに、住民は農場主の屋敷に集まって宴会を開いている。感謝しろとは言わないが、少しは遠慮してほしいというのが正直な気持ちだ」

 

 それはちょっと酷すぎる。ブレツェリ大佐が愚痴りたくなるのも当然だと思う。

 

「軍隊に四〇年もいれば、理不尽には慣れっこさ。しかし、愚痴を言わずにはいられない。一杯のメディツァがあれば憂さを晴らすには十分だが、この惑星にはそれすらない」

「メディツァ?」

「ああ、はちみつの入ったフェザーンの酒だよ。甘いから君も飲めるんじゃないか?」

「あ、いや、アルコールそのものがダメなんですよ。アレルギーがあるみたいで」

「残念だな。君が息子になったら、是非一緒に飲みたかったのだが」

 

 残念そうに笑うブレツェリ大佐を見て、申し訳ない気持ちになった。俺は前の人生でアル中になったおかげで酒が飲めない。記憶が残っていなければ、ブレツェリ大佐の晩酌に付き合えたのに。

 

「私に話したいことがあるんだろう?理由もないのに通信を入れてくる君とは思えん」

 

 そう言うと、ブレツェリ大佐の表情が急に引き締まった。冴えない風貌なのに、スクリーンを通しても威圧感が伝わってくる。伊達に四〇年も軍人をやっていない。

 

「ええ、お話したいことが」

 

 ビラが帝国軍の謀略であるという疑惑について話すと、ブレツェリ大佐の眼光が鋭くなった。俺が話を進めるたびに、容赦の無い質問を投げかけてくる。俺相手でも全く甘さを見せないところは、さすがベテランという他なかった。

 

「良くわかった。にわかには信じがたいが、あのビラのせいで我が軍が窮地に陥ったのは確かだ。味方があんな物をまいたとは思いたくない。味方を憎むようになったら、まともに戦えなくなる。だから、敵の謀略であってくれて欲しい。そう願っていた」

 

 ブレツェリ大佐はやり切れなさそうにため息をついた。

 

「同じように感じている者は多い。君の名前を伏せた上でこの話を広めておこう。怒りが敵に向ければ、味方や住民を憎まずにすむから」

「ありがとうございます」

「こんな状態ではまともに戦えない。遠征は中止するべきだ。君はどう思う?」

「同感です」

「私にできることは少ない。せいぜい、前線の状況を上の連中に伝えるぐらいだ。私と同じ思いを持っている者が多ければ、上も無視は出来まい」

 

 ブレツェリ大佐は俺が話を持ちかけるまでもなく、自分から引き受けてくれた。古強者だけあって察しが早い。ハイネセンに戻ったら、頼もしい義理の父親になってくれそうだと思った。

 

 

 

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 スクリーンに出てきた可愛らしい顔とはきはきした声に思わずのけぞってしまった。見るからに優等生っぽい彼女が妹のアルマであるという事実になかなか慣れることができない。

 

「いや、元気かなって」

 

 理不尽に拒絶していたことに対する罪悪感ゆえなのか、気後れしてしまっている。どうも、言葉が出てこない。

 

「知ってる?解放区にまかれていたあのビラ、敵が自分でまいたんだって」

 

 先手を打たれてしまった。アルマが知っていたというのは喜ぶべきことなのに、どうもやりにくく感じる。

 

「誰から聞いたの?」

「うちの連隊長」

 

 アルマが所属している第八強襲空挺連隊の連隊長ペリサコス大佐は、ロボス派に近かったはずだ。そんな人物が遠征継続を望むロボス派に不利な噂を流しているというのは、どういうことだろうか。

 

「ペリサコス大佐は誰から聞いたのかな」

「ルイス少将。アスターテの英雄の」

 

 その名前を聞いて納得がいった。ルイス少将はトリューニヒト派ともシトレ派とも疎遠だった。ペリサコス大佐にとっては、話しやすい人物だろう。前の歴史の有名人やその友人ではなく、政治と関係していない人まで、遠征を止めるために動いてくれている。前の歴史より良い状況なのではないか。そう思えてくる。

 

 第八強襲空挺連隊は第九艦隊が占領しているアルヴィース星系第六惑星ノルトホルンに駐留している。この艦隊は前の歴史の帝国領侵攻作戦で壊滅した艦隊だった。遠征を止めることができたら、第九艦隊も無事に帰れる。そして、アルマも。

 

 俺は小心者だ。酷い目にあわせた俺に対して、とても楽しそうに話しかけるアルマを見てると、後ろめたさばかり感じてしまう。ハイネセンに帰って会ったとしても、何を話せばいいかわからない。それでも元気でいて欲しいと思う。

 

 

 

 改革市民同盟トリューニヒト派に近いメディアは、例のビラが帝国軍の謀略であるという疑惑、戦わずして疲弊した遠征軍の惨状、占領地住民の強欲について報じ、「今すぐ遠征を中止すべきである」と主張した。進歩党構造派に近いメディアも独自に同じようなキャンペーンを開始した。

 

 遠征を支持した政治家と解放区民主化支援機構は、「帝国に騙された愚か者」「莫大な国費を浪費した罪は万死に値する」とさんざんにこきおろされた。物資不足に苦しむ遠征軍と、際限無く物とサービスを要求する占領地住民の対比は、世論の憤激を買うには十分であった。

 

 一方、遠征を支持する改革市民同盟主流派や進歩党連合派に近いメディアは、「ビラは帝国軍の謀略ではない。でっちあげにもほどがある」と打ち消しにかかり、遠征継続を強く訴えた。しかし、巨額の財政赤字、前線部隊と占領地住民の現状の前では、明らかに説得力を欠いた。

 

 アンドリューはイゼルローンで連日記者会見を開いて、あくまで遠征を推進していく総司令部の立場を代弁し続けた。ロボス元帥の責任を追及しようとする記者を詭弁でやり込めようとしたり、意地の悪い質問をする記者に逆上して怒鳴り散らしたりするなど、信じられない行動をとった。

 

 軍内部でも帝国軍による謀略説を信じる者が日増しに増えていき、前線の窮状を伝えることで上層部を動かそうとする者、上官に意見具申をして遠征の不利を説く者が相次いだ。

 

 遠征軍に所属する部隊から提出された報告書の内容を「極めて深刻」と判断した国防委員会は、軍政の立場から遠征軍総司令部に対して是正勧告を出した。それからやや遅れて統合作戦本部も軍令の立場からの是正勧告を出している。軍政と軍令の双方が遠征軍の置かれた惨状を事実上公認したことは、遠征の失敗を世論に強く印象づけた。

 

 遠征を支持していた政治家の中にも、不支持に転じる者が現れている。改革市民同盟のデュプレー代議員、進歩党のボレゲーロ代議員といった重鎮も遠征中止を主張した。評議員のカッティマニ法秩序委員長、ゲドヴィアス天然資源委員長は謀略説への支持と遠征継続に対する疑念を表明した。

 

 もはや、帝国内地に進軍すれば勝利が獲得できると信じている者はいなかった。遠征支持派ですら、失敗を認めざるをえないところまで追い込まれていた。遠征を継続するか中止するかではなく、いつどのように中止するかが現在の論点となっていた。

 

 一〇月一〇日、遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構は翌一一日に合同記者会見を開いて、「重大な発表」を行うことを明らかにした。どのような発表がなされるか、様々な憶測が飛び交ったが、敗北宣言ではないかという見解が有力である。

 

 前の歴史では、一〇月一〇日は帝国軍の総反攻が始まった日だった。しかし、現時点では迎撃司令官ローエングラム元帥がオーディンを離れる気配はなかった。今の時点で兵を引いたら、みんな無事に帰れる。歴史は変わる。そんな期待が胸いっぱいに広がっていた。



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第八十五話:戦いはまだ終わっていない 宇宙暦796年10月11日~17日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 一〇月一一日一八時〇〇分、遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構の合同記者会見がイゼルローン要塞で開かれた。遠征軍司令部からは総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将、情報参謀シブリアン・ラモー准将、作戦参謀アンドリュー・フォーク准将、渉外部長代理ヴォー・バン・クエット大佐の四名、解放区民主化支援機構からはロブ・コーマック理事長、ユン・ドンウク理事、アドスティーナ・サンテ宣伝局長の三名が出席した。名前を見るだけで会見内容の重大さを推し量れる。そんな顔ぶれであった。

 

「まず、最初に皆様にお詫びしなければなりません」

 

 解放区民主化支援機構のコーマック理事長は、集まった多くの報道陣の前で頭を深々と下げた。占領政策の失敗を批判されても一切非を認めてこなかった民主化支援機構のトップの謝罪に、報道陣から大きなどよめきの声があがる。

 

「解放軍の到着に先行して解放区に配布されていたビラについてのお詫びです」

 

 無制限の利益供与を占領地の住民に約束して物資不足を引き起こしたビラが、同盟軍の兵站に負担をかけて足止めをはかる帝国軍の策略ではないかという疑惑は、ヨブ・トリューニヒトやジョアン・レベロの宣伝によって、広く受け入れられるところとなっている。

 

「私利私欲のために無意味な出兵を行ったエゴイスト」「帝国軍の策略に乗せられて、多大な国費を浪費して、前線部隊を困窮に陥れた愚者」という批判に対し、遠征軍総司令部と解放区民主化支援機構は、「ビラは同盟の機関の手によって配布されたもの」という見解を崩さず、「多少の狂いはあるものの遠征は概ね順調に進んでいる」と主張した。しかし、どの機関が実際にビラを配布したのかを問われると答えることができず、疑惑を払拭するには至っていない。

 

 さすがの民主化支援機構も帝国軍の策略に乗せられたことを認めざるを得ない段階に達したのではないか。コーマック理事長の発言を聞いた者は、誰もがそう考えた。

 

「あのビラを作成・配布したのは大きな誤算であったことを認めます」

 

 その一言でどよめいていた会見場は一気に静まり返る。呆気にとられた人々には、「作成」「配布」「大きな誤算」の主語が誰なのか、まったく想像がつかない。もちろん、俺にも。

 

「私達、解放区民主化支援機構がビラを作成し、遠征軍総司令部と国防委員会情報部の支援を受けて配布いたしました。皆様に多大なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます」

 

 コーマック理事長並びに出席者全員が深々と報道陣に向かって頭を下げる。一瞬、目の前が真っ白になった後、民主化支援機構がビラを作成したことを認めたという事実を理解した。あれは帝国の謀略ではなかったのか。やはり、彼らの暴走だったのか。頭がこんがらかってしまう。

 

「ビラを作って配布したのには、二つの目的がありました。一つ目は我々の大義を圧政に苦しむ人々に知らしめ、希望を与えること。二つ目は帝国軍の抗戦意欲を挫き、降伏や撤退を促すこと。帝国軍の一般兵士は平民出身であり、圧政の被害者です。解放のために戦う我々が彼らの血を流すことは、本意ではありません。ビラが期待通りの効果はあげたことは、皆様にも御理解いただけると考えております」

 

 あのビラを彼らが作ったとしたら、確かに二つの目的は達成できたといえよう。同盟軍の存在を住民に知らしめて、帝国軍も抗戦せずに逃亡したのだから。本当に彼らが作ったとしたらの話だが。

 

「しかしながら、当初想定された以上の予算を費やしたのは誤算でした。解放戦争のために計上された補正予算は二〇〇〇億ディナール。本年度一般会計予算の約五パーセントに相当します。それから一ヶ月も経たないうちに、解放区支援のために一〇〇〇億ディナールの追加予算を組んでいただきました。そして今、新たに二〇〇〇億ディナールの追加予算を申請しております。国家財政が苦しい中、納税者の皆様に大きな負担をかける結果となり、まことに心苦しい次第です。前線の将兵を困窮に陥らせてしまったことも、まことに遺憾の極みです。どのようなご批判を頂いても、ただただ甘受するのみであります」

 

 コーマック理事長は神妙な面持ちで自分達のミスを認めた。やはり、あれは帝国軍の策略ではなくて、民主化支援機構の暴走だったのか。そんな疑念が頭の中に浮かぶ。

 

「三〇〇〇億ディナールの血税を無駄にするわけにはいかない。前線の将兵の一ヶ月間の労苦を無駄にするわけにはいかない。皆様の期待と費やしたコストに見合った成果をあげなければならない。そのような思いを胸に刻み、解放戦争を闘い抜こうと考えております」

 

 頭がくらっとした。要するに失敗は認めるけど、遠征を止める気はまったく無いということだ。三〇〇〇億ディナールの浪費と俺達の苦労をだしにして、「戦いをやめれば全部無駄になるんだぞ」と暗に言っている。嫌らしいぐらいに巧妙なレトリックだった。

 

「帝国内地の人々は圧制を打倒して自由を求める戦いに立ち上がりました。圧制を憎み、自由を愛する気持ちに国境はありません。すなわち、彼らは同胞です。同胞が解放区からわずか数十光年の彼方で解放軍を待ちわびているのです。アーレ・ハイネセンの末裔たる我々が自由を求める同胞を見殺しにして良いものでしょうか。オーディンの宮廷では未だ混乱が続いています。解放軍が帝国内地の同胞とともに自由の旗を掲げてオーディンに行進すれば、圧制者はたちまち倒れるでしょう。自由の勝利は目前に迫っています。最後のお力添えを心よりお願いする次第です」

 

 コーマック理事長のスピーチは、いつの間にか謝罪から煽動にすり変わっていた。スクリーンの中の会見場は、大きな拍手に包まれている。それを眺めている俺は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを感じていた。

 

 それから、民主化支援機構のサンテ宣伝局長と遠征軍総司令部の宣伝担当者ラモー准将がビラ問題の責任を取って辞任することが発表された。コーマック理事長とグリーンヒル総参謀長に紹介された後任者の名前は、茫然自失となっている俺の耳を右から左へと通り抜けていった。

 

 

 

 合同記者会見から世論の風向きは明らかに変わっていった。民主化支援機構と遠征軍総司令部と国防委員会情報部が、ビラ作成に関与した証拠となる文書を公表したこともあって、ビラを帝国軍の謀略文書とするトリューニヒトやレベロの主張は勢いを失っていった。

 

 遠征中止を唱える者が遠征継続派の政治家、遠征軍総司令部、民主化支援機構を「帝国に騙されて莫大な税金を浪費した愚か者」と攻撃したことも裏目に出た。

 

「我々は帝国に騙されたわけではない。多少予定が狂っただけだ。今、遠征を中止したら、三〇〇〇億ディナールの出費は無駄になってしまう。税金を浪費しろと言っているのは遠征中止派だ」

 

 継続派は既に莫大な税金を使ってしまったことを大義名分として、中止派に反撃したのである。俺には信じられないことであったが、三〇〇〇億ディナールが無駄になるという主張は、損失を三〇〇〇億ディナールで抑えるべきという主張より、はるかに強い説得力を持って受け入れられていった。

 

「前線の将兵を見よ。彼らは何のために苦労したのか。遠征を中止してしまえば、ただ帝国領に行って苦労して帰ってきただけに終わってしまうではないか」

 

 統一正義党のマルタン・ラロシュがこのような主張をしているのを立体テレビで見た時は、怒りではらわたが煮えくり返ってしまった。戦う意味なんか、とっくの昔に空腹とわがままな住民によって吹き飛ばされてしまった。望んでいるのは、前線を離れて本国に帰って、腹いっぱい食べてゆっくり眠ることだけだ。前線の代弁者のふりをして、前線に苦労を押し付けるなど許せない。

 

 反戦派が好んで使う「戦争に賛成するなら、まず自分が前線に行け」というロジックは好きになれなかった。後方にいることが前線にいることより卑怯とは思わない。前線にいるか後方にいるかは、立場や役割の違いにすぎない。後方のオフィスや工場で仕事をする人間がいなければ、前線の人間は戦えないのである。

 

 しかし、あまりに前線を蔑ろにした物言いをされると、主戦派寄りの俺でも反戦派のロジックに一理あると思ってしまう。実際、正規艦隊や陸戦部隊には反戦派を支持する者が多い。前線に後方の都合を押し付けてくる者を憎んでいる彼らは、反戦派の権力者批判に溜飲を下げるのだ。

 

 主戦派の俺ですら反戦派に共感したくなってしまうほどにふざけた「前線の苦労を無にしないためにも遠征を続けろ」という意見は、前線の怒りをよそに支持を広げていった。

 

 帝国内地の反乱勢力はいずれも同盟軍の侵攻を待ち望んでいる。「我らは自由を求めて帝国から逃れたハイネセンの末裔だ。自由のために戦う彼らを見捨ててはならない」という意見もハイネセン主義を国是とする同盟においては、説得力を帯びていた。

 

 占領地住民のわがままぶりは、遠征支持派でもさすがに取り繕うことができなかった。二〇〇〇億ディナールの追加予算に尻込みする意見も根強い。民主化支援機構と遠征軍総司令部がビラへの関与を認めたことで盛り返したとはいえ、継続派の意見も完全に受け入れられたとは言えなかったのである。

 

 継続派も遠征を継続したところでオーディンまで進めると本気で思うほど愚かではない。辺境星域にいる間に金と時間を空費しすぎたという事実、今の同盟軍に長期戦を継続する能力が無いという事実は理解している。

 

 時間が経てば経つほど、帝国の権力闘争は決着に近づいていく。オーディンで釘付けになっていた敵の正規艦隊が動き出す可能性が高まっていく。クーデター疑惑のあった近衛兵総監ラムスドルフ上級大将は、既に指揮権を剥奪されたという見通しが強くなっている。一ヶ月の猶予を与えてしまったのは、取り返しの付かない失敗だった。帝国の内憂外患に付け込む好機を逸してしまったことは、誰の目にも明らかであった。

 

 現在は「いつ、いかにして遠征を終わらせるか」が論点になっている。遠征中止派は即時中止を求め、継続派は一定の戦果をあげて勝利宣言を行った上での終結を求めた。ハイネセンでは、連日のように両派の激しい論争が続いていた。

 

 軍部では相変わらず中止派が優勢だった。統合作戦本部と国防委員会が中止論に傾いていること、困窮状態にある前線部隊に対する同情が大きな要因となっている。ロボス元帥の片腕とされる第八艦隊司令官サミュエル・アップルトン中将ですら中止派に転じており、同盟軍で遠征継続を支持しているのは、遠征軍総司令部と一部の強硬派ぐらいであった。

 

 強気一辺倒の主張を繰り返す遠征軍総司令部は、すっかり前線部隊の信頼を失ってしまっている。前線と総司令部の間の連絡窓口を一手に引き受けている作戦参謀アンドリュー・フォーク准将は、無理を押し付けてくる総司令部の象徴として、前線部隊の憎悪を一身に集めていた。

 

 総司令官ロボス元帥はおろか、総参謀長グリーンヒル大将、作戦主任参謀コーネフ中将、情報主任参謀ビロライネン少将、後方主任参謀キャゼルヌ少将も前線への対応にほとんど顔を出さないため、アンドリューがロボス元帥の耄碌に付け込んで、総司令部を壟断しているともっぱらの評判である。前の歴史の愚劣な参謀そのままの姿に変貌した親友のことを思うと、胸が傷まずにはいられなかった。

 

 

 

 一〇月一五日、最高評議会は賛成六、反対三、棄権二で遠征継続を決定し、二〇〇〇億ディナールの追加予算案を同盟議会に提出。一七日、同盟議会は賛成九〇四、反対五七二、棄権七八、欠席者八五で最高評議会の決定を支持し、追加予算案を可決。与党から大量の造反者、棄権者、欠席者が出たものの、過激主戦派野党の統一正義党が賛成に回ったため、僅差で遠征継続が決定した。

 

 その結果をシュテンダールの進駐軍司令部で知った俺は、あまりのショックに手に持っていたコーヒーカップを取り落としてしまった。机の上の書類にコーヒーの染みが広がっていくのも忘れ、呆けたようにニュースを伝えるスクリーンを眺めていた。

 

 第三六戦隊の士気低下は留まるところを知らない。勤務中に持ち場を離れてさぼる者、住民から物を盗もうとする者が相次いだ。住民に不正の方法を教えて、見返りを受け取っている者も出ている。軍規違反者を閉じ込める営倉は満杯で、物資を保管する倉庫は空っぽ。今の第三六戦隊は軍隊としての体裁を保つのも困難になりつつある。遠征継続決定なんて、想像しうる限り最低最悪の悪夢だった。

 

「私としたことが、彼らを追い詰めすぎてしまったようだ」

 

 携帯端末から聞こえるトリューニヒトの声は、潔く敗北を受け入れているように淡々としていた。

 

「まさか、彼らがビラを作成したことを認めるとは思わなかった。やられたよ」

「どのような意図があったのでしょうか?本当にあのビラを作ったとしても、今頃になって認める理由が俺にはわかりません」

「帝国に騙されたわけではない、自分達の手違いだ。そう言い張ることで、事態の主導権が帝国ではなく、同盟にあることを示そうとしたのだろう。死地に誘き出されたのであれば、遠征中止以外の選択は有り得ない。しかし、手違いであれば、仕切り直した上で遠征を続ける余地も出てくる。だから、作ってもいないビラを作ったと認めたのだろう。我々の主張の最大の弱点は、物的証拠がないことだった。だから、わざわざ証拠書類まで捏造して公表した彼らの主張が支持を得た。さすがというしかない」

 

 トリューニヒトの説明を聞いて、ようやく理解できた。そんな手段があったとは、想像もつかなかった。それにしても、前の歴史で「保身の天才」「権謀術数の芸術家」と言われたトリューニヒトが出し抜かれるなんて、パウル・フォン・オーベルシュタインやアドリアン・ルビンスキーが策を練っているとしか思えない。

 

「帝国やフェザーンが糸を引いてるということはないんでしょうか。委員長閣下を出し抜ける策士が同盟にいるだなんて、想像もつかないです」

「代議員であれば、数百万の有権者、支持母体、有力後援者など数百万から一千万人。評議員や派閥領袖であれば、自分の支持者に加えて傘下の代議員の支持者をも含む億単位。一人の政治家の背後には、それだけの集団が控えている。君達から見たら老害にしか見えない改革市民同盟の長老だって、何十年も支持者の集団を背負いながら、権謀術数の世界を生き抜いた猛者ばかりだよ。必要があれば、卑劣にも冷血にもなれる。あのサンフォードも寝業では超一流だ。彼らが簡単に出し抜けるような相手だったら、私もとっくに最高評議会議長になれてるんだけどね」

 

 そう言えば、二年前の麻薬捜査の時もトリューニヒトはアルバネーゼ退役大将に出し抜かれている。今回の遠征でもアルバネーゼ退役大将とロボス元帥を止めることはできなかった。テルヌーゼン補選では、憂国騎士団を使ったのが裏目に出て敗北している。

 

 今の歴史のトリューニヒトは負けることもあれば、狙いを外すこともある。前の歴史では単なる無能者とされるロイヤル・サンフォードやラザール・ロボス、名前すら残っていないルチオ・アルバネーゼに負けることだってある。遠征中止のキャンペーンだって、清廉潔白で権謀術数に疎いとされるジョアン・レベロの方が一歩早く仕掛けていた。

 

 歴史に名が残っている強者は、名が残っていない無数の強者との闘争を経て名を残すことができた。前の歴史の強者だけを意識していたら、足をすくわれてしまう。敗北して無能のレッテルを貼られた者や名前が残らなかった者も侮ってはいけない。軍人に関しては、軍務経験を経てそれを理解したつもりだった。しかし、文民に関しては、認識が甘かった。

 

 トリューニヒトが戦っている同盟の長老政治家達の実力、そして彼らのような強者ですら名を残せなかった歴史に名を残せた者の真の恐ろしさを肝に銘じる必要がある。バウル・フォン・オーベルシュタインやアドリアン・ルビンスキーも前の歴史の本で言われるような全知全能の策士ではなく、同等の力を持つ無名の強者との闘争を勝ち抜いた凄みゆえに、畏怖に値する存在なのではないだろうか。そんなことを思う。

 

「申し訳ありません、つまらないことを言ってしまいました。政治家は手強いということを改めて思い知りました。そして、委員長閣下が戦っておられる相手の恐ろしさも」

「勝つためなら、彼らは何でもする。こちらも手段は選んでいられない。だから、多少乱暴な仕掛けをしてしまうこともある。それでも彼らに出し抜かれてしまう。コーマックは単なる官僚だ。仕掛けたのはレンかオッタヴィアーニかアルバネーゼあたりかな。いや、オリベイラ博士の線もあるかもしれない。しかし、今さら詮索しても意味はない」

 

 最高評議会書記局長レン・ミンフーは、サンフォード議長の懐刀と言われている。改革市民同盟元幹事長パオロ・オッタヴィアーニは、トリューニヒトと対立する党長老で遠征軍総司令官ロボス元帥の有力な後援者である。

 

 エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・ オリベイラ博士は、二〇年近くにわたって歴代政権の指南役を務めてきた政治学者だ。三大難関校の一つ国立中央自治大学閥の頂点に立つ彼は、政界・官界・学界に超党派的な人脈を持ち、最高評議会の諮問委員を務めるフィクサーの中でも最大最強の存在とされる。

 

 前の歴史の評価では、オリベイラは小物、アルバネーゼやオッタヴィアーニやレンは評価対象にすらなっていない。歴史の知識だけで判断していたら、彼らがトリューニヒトを出し抜きうる存在とは想像も付かないだろう。しかし、現時点のトリューニヒトには、強敵と認識されている。

 

 これほどの大物であれば、遠征の先行きを見通すには十分な情報が集まってくるはずだ。トリューニヒトと渡り合えるほどの切れ者でもある。同盟軍の負けが見えないとは思えない。

 

「しかし、俺にはなぜ彼らが遠征継続に執着するのか理解しかねます。このままでは危ういということぐらい、わかっていないとは思えないのです」

「三〇〇〇億ディナールも遣って何の成果もなく遠征が中止されてしまったら、彼らの信用は決定的に失われる。遠征中止によって敗北を回避することができても、それで利益を得るのは私やレベロであって、彼らではない。遠征軍が戦わずに戻ってきても、戦って敗北しても、自分達に未来はないということに気づいてしまった。だから、戦果をあげて信用を取り戻す可能性に賭けたのだろう」

「六〇近い有人星系と一億人以上の人口を帝国の圧政から解放。十分な戦果とはいえませんか?」「代償を支払って手に入れたものには価値を見出し、代償無くして手に入れたものには価値を見出さないのが人間だ。現在の占領地域を戦闘によって手に入れたのであれば、流した血の量を思って満足することもできたかもしれない。しかし、現状では敵が捨てたものを拾っただけだ。三〇〇〇億ディナールに見合う戦果とは言えない」

 

 同盟軍は帝国の総国土面積の三割を制圧した。結果だけを抜き出せば、空前の大戦果と賞賛されてもおかしくない。しかし、そのような声は継続派、中止派のどちらからもあがっていなかった。

 

 敵が勝手に逃げ出しただけで、戦って勝ち取ったわけでもなければ、工作して寝返らせたわけでもない領土を戦果と認めるのは難しい。わがままで欲ばかり深く、解放者としての自尊心を満たしてくれない住民を保護下に置いたことを解放戦争の成功とみなすには無理がある。

 

 これは占領地の住民の心理にも当てはまるかもしれない。彼らの要求が果てしなく大きくなっていったのも、同盟軍が何の代償もなしに物資を供給したからだった。ホーランド少将がやったように少しでも代償を要求していたら、住民は代償と得た物を天秤にかけて満足していたことだろう。

 

 さらに言えば、この遠征のきっかけとなったイゼルローン要塞攻略も代償が少なすぎた。これまでの攻防戦に匹敵する血を流した末に攻略していたら、市民は「要塞も手に入ったことだし、これ以上の犠牲はごめんだ」と満足していたのではないか。まったく血を流さなかったせいで、さらなる戦果を求める声が盛り上がってしまったのではないか。

 

「議会で会議が始まる直前に、オーディンのローエングラム元帥が指揮下の艦隊を動員中という情報が代議員の間に流れたのが決定的だった。艦隊決戦の可能性が生じて、戦果を欲しがっている継続派への追い風となった。あれさえ無ければ、違う結果もありえた」

 

 あのラインハルト・フォン・ローエングラムがついに動き出した。事実だとしたら、最悪としか言いようが無い。

 

 同盟軍は物資不足と士気低下によって、本来の戦力の五割も発揮できない状態にある。進軍速度と距離から計算すると、本国から補給物資が届くより、ローエングラム元帥の艦隊が同盟軍の占領地まで到達する方が早い。

 

 しかも、同盟軍は広大な辺境星域を制圧するために戦隊単位で分散して、惑星を占領している。このまま戦えば、確実に各個撃破の対象となる。惑星全土に分散している占領部隊を戦隊単位で集結させ、戦隊を分艦隊単位で集結させ、分艦隊を艦隊単位で集結させて、ようやく帝国軍と対抗しうる戦力になる。占領地が不安定な上に士気が低下している現状では、集結は容易ではない。このまま艦隊決戦に持ち込まれたら、確実に敗北してしまう。

 

「その情報は事実ですか?偽情報の可能性はありませんか?事実だったら、真っ先に前線の俺達に伝えられるはずですよね?」

 

 間違いであって欲しい。心の底からそう願わずにいられない。

 

「信用に足る情報であるという中央情報局、軍情報部、フェザーン駐在高等弁務官事務所の所見付きだった。中央情報局長官、軍情報部長、フェザーン駐在高等弁務官はいずれも継続派に近い。この情報を切り札として、今日の会議直前まで温存していたのだろう」

 

 真っ先に前線に伝えるべき情報を、味方の情報機関が政治的な駆け引きに使うために隠していた。その事実に気が遠くなった。

 

「この時期に動員を始めるって、どう見ても罠でしょう!?同盟軍に艦隊決戦という餌を差し出して、誘き出そうとしてるんですよ!誰が見てもわかるでしょう!?」

 

 わかっているのに、なぜ引っかかるのか。そこまでして戦果がほしいのか。苛立ちのあまり、机に左手を叩きつけて声を荒らげてしまった。

 

「あまりにも身勝手すぎませんか?だって、継続派は遠征軍の生命をチップにして、博打を打とうとしてるってことでしょう!?」

「それが政治家だよ。政治家の権力の源泉は信用だ。信用あってこそ、人も金も集まってくる。信用を失った瞬間、権力を失う。そうなれば、彼らの権力の下で生きていた支持者も生きていけなくなる。ロボス君やアルバネーゼと同じだよ。支持者のためにも、パワーゲームから降りることができない」

「それはエゴです!」

 

 トリューニヒトが語る政治家の論理には、イライラさせられる。イオン・ファゼカスの帰還作戦が最高評議会で可決される前日もそうだった。彼はなぜ、政治家のエゴを何のためらいもなく肯定できるのか。

 

「個人のエゴではない。数百万、数千万、数億のエゴだ。政治家は個人ではなく、支持者の集団として捉えなさい。背負っている数の重みが彼らの力になっている。君も一〇万の兵を背負っているはずだ。君は一人ではない。一〇万人だ。それだけの重みを背負っている」

 

 一〇万の兵。トリューニヒトが口にしたその言葉に、はっとなった。そうだ、指揮官の俺が冷静さを失ったら、一〇万人が死ぬ。絶体絶命だからこそ、冷静にならなければいけない。

 

「力になれなくて、すまなかった」

「委員長閣下には可能な限りのお力添えをいただきました。ありがとうございました」

「私が頼んだぐらいでどうにもなることではないが、生きて帰ってきて欲しい」

 

 そう言うと、トリューニヒトは通信を切った。彼はどんな時でも落ち着いて話す。声から感情を読み取ることは容易ではない。携帯端末の向こうでどんな表情をしているのか、伺い知ることはできなかった。

 

 ローエングラム元帥が動員を開始したという情報は、俺一人の手に余る。参謀会議を開いて協議しようと思い、席を外してもらっていた副官のシェリル・コレット大尉を呼び出そうと携帯端末に手を伸ばした。

 

「司令官閣下」

 

 端末のボタンを押したところで、ちょうどコレット大尉が入ってきた。

 

「第二分艦隊司令部より通信が入っています」

「なんだろう。繋いで」

 

 俺の率いる第三六戦隊は、第一二艦隊の第二分艦隊に直属している。遠征継続が決まった直後の上級司令部からの連絡が良い知らせとは考えにくい。不吉な予感に苛まれながら、コレット大尉に通信を繋ぐように指示をする。

 

 スクリーンに映った第二分艦隊参謀長ジャン=ジャック・ジェリコー准将は、気の毒そうな表情で遠征軍総司令部からの指示を告げた。

 

「物資が届くのは一週間後。それまで各部隊は必要な物資を現地調達するように」

「現地調達ですか?」

「そうだ、現地調達だ」

 

 シュテンダールは典型的な単一作物農業惑星だった。一三〇万人の住民の大半は領主や農場委託経営業者が所有する土地で、サトウキビ栽培に従事している。住民が生産したサトウキビはシュテンダールの流通を独占している二人の貴族領主と一人の皇帝私領長官が一括して買い上げ、代金を住民に支払う。住民は貴族領主と皇帝私領長官が他の惑星から輸入した食料品や燃料その他の物資を購入して消費する。サトウキビの買い上げ価格、住民が消費する物資の価格決定権は、貴族領主と皇帝私領長官が握っている。

 

 要するにシュテンダール経済は、独占企業である貴族領と皇帝私領の行政府に完全に依存しているのだ。貴族と行政官が逃亡したら、シュテンダール経済は機能しなくなる。だから、第三六戦隊はサトウキビしか作れない住民に物資を供給し続けなければならなかった。

 

 帝国辺境の人口が少ない惑星は、ほとんどシュテンダールのような単一作物農業惑星か、あるいは住民の大半が鉱山関係の職業に従事している鉱山惑星だった。経済構造も全く同じで、貴族領やや皇帝私領や自治領の行政府が独占企業として経済を動かしていた。そのため、貴族や行政官が逃亡すると、経済機能が完全に停止して、同盟軍に生活を依存することになったのである。

 

 そんな惑星で調達できる物資などあるはずもない。住民に与えた物資を回収するとしても、代金を払って購入することは不可能だ。多額のフェザーン・マルクを持っている彼らがいつ紙切れになるかわからないディナールと引き換えに貴重な物資を渡すわけがない。残された手段は強制徴発。要するに武力で脅して奪い取るということだ。

 

「総司令部は強制徴発を指示していると受け取ってよろしいのでしょうか?」

「調達手段に関しては、各部隊の判断にまかせるとのことだ。フェザーン企業からの購入という手もある」

「商魂たくましいフェザーン企業でも、戦地のど真ん中に惑星一つを養えるような物資を持って乗り込んでくるということはさすがにないですよね?」

 

 ジェリコー准将は俺の問いに答えようとしない。自分の声が震えているのがわかる。目に涙が滲んできた。

 

「同盟軍刑法第九六条によると、戦地及び占領地において住民から財物を強奪した者には一年以上の懲役が課されます。強奪の際に住民を負傷させた場合は五年から一〇年の懲役、死に致らしめた場合は一〇年以上の懲役か終身または死刑です。我々が本国に帰った後に軍法会議に訴追されたら、総司令部には責任を取っていただけるのですか?」

 

 軍規に精通しているジェリコー准将にそんなことがわからないとは思わない。総司令部の方針を伝達しているだけというのもわかる。それでも、言わずにはいられなかった。涙がとめどなく流れ出る。

 

「各自の判断に任せるということは、問題が起きても『現場が勝手にやった』と総司令部の責任を回避する余地を作っていますよね?そのような指示を出す総司令部を現場が…」

 

 信頼できると思っているのですか。そう言いかけたところで、ジェリコー准将は悲しげに首を振った。

 

「それ以上はよしなさい、私だって」

 

 何かをこらえるように奥歯を噛みしめるジェリコー准将を見ると、これ以上怒りを吐き出す気にはなれなかった。

 

「もう一つの指示を伝える。本日オーディンを出発した敵艦隊は解放区に向けて進撃中である。各部隊は地上部隊を解放区に残して艦隊司令官のもとに集結し、敵艦隊の迎撃にあたるように」

 

 さっさと切り上げたいと言わんばかりに、ジェリコー准将は二つ目の指示を伝えた。

 

 今日の午前中に代議員に知らされた情報では、ローエングラム元帥の艦隊は動員中だったはずだ。どんなに急いで動員しても、即日動員など不可能である。要するに情報機関は遠征継続のために、この情報を一日以上伏せていたことになる。この状況での一日の遅れは致命的だ。敵が到着する前に艦隊ごとに集結するのは限りなく難しくなった。

 

 疲弊して集結もできない俺達は確実に敗北する。地上部隊は占領地に取り残されて、戦死か降伏に追い込まれる。最悪の指示としか言いようがなかった。

 

「参謀長。第三六戦隊は士気低下、軍規退廃、物資不足が甚だしく、もはや戦える状態ではありません。そのようにクレッソン司令官にお伝えください」

 

 ジェリコー准将は悲痛な表情で俺から視線を逸らした。第二分艦隊の指揮下には、第三六戦隊の他に三つの戦隊が所属している。配下の戦隊からの定期報告は、第二分艦隊司令部が集約して第一二艦隊司令部に届けている。だから、第二分艦隊の司令官クレッソン少将も参謀長ジェリコー准将も現状はわかっている。わかった上で戦えと言えるほど、彼らは非情ではない。スクリーンの向こうからも苦悩がありありと伝わってきた。

 

「最後に第一二艦隊司令部からの指示を伝える。三〇分後、一六時より艦隊将官会議が開かれる。必ず出席するように」

 

 ジェリコー准将は俺の返事も聞かず、逃げるように通信を切った。いたたまれなくなったのだろう。彼は他の二人の戦隊司令官にも同じ指示を伝えなければならない。それがどれほど心の痛みを伴う仕事なのかは想像に難くない。俺は参謀長がいなくなった真っ暗な画面に敬礼を送った。

 

 

 

 一六時、俺はビデオ会議用のスクリーンの前に座っていた。分割された大画面には、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将、副司令官ヤオ・フアシン准将、参謀長ナサニエル・コナリー少将、副参謀長シェイク・ギャスディン准将、艦隊後方支援集団司令官アーイシャー・シャルマ少将、分艦隊司令官三人、戦隊司令官一六人の顔が映っている。

 

「諸君の希望はわかっている」

 

 会議が始まると同時にボロディン中将は口を開いた。いつも腕組みをして会議を聞いている彼が、こんなに早いうちに発言するのは珍しい。

 

「もはや、第一二艦隊は戦闘を継続できる状態にない。総司令部にその旨を伝えて、再三にわたって撤退を進言したが、聞き入れられなかった。もはや猶予はない。私は司令官として、将兵に対する最後の責任を果たすつもりである」

 

 最後の責任とはどういう意味なのか。ボロディン中将は何を言うつもりなのか。出席者は固唾を呑んだ。

 

「地上部隊を収容後、すべての解放区を放棄。第一二艦隊はイゼルローンに後退する」

 

 誰もが待ち望んでいながら、口に出来なかった即時撤退。同盟軍きっての紳士、逸脱という言葉から最も縁遠い存在とみなされていた提督は、禁断の果実に手を出した。

 

「しかし、それでは抗命罪に問われます!敵前で無断撤退した司令官は死刑です!」

 

 参謀長コナリー少将は色をなして叫んだ。

 

「わかっている。しかし、部下に犬死にせよと命ずることはできない。もはや勝利が望み得ない以上、将兵を生きて帰すのが司令官の果たすべき責務であろう」

 

 いつもの物静かな表情を崩さずに、ボロディン中将は決意を語る。

 

「私の命で二〇〇万近い将兵が助かるなら安いものだ。そうは思わないかね?」

 

 ボロディン中将が軽く口角を上げて上品に微笑むと、コナリー少将もつられたかのように穏やかな表情になった。

 

「閣下以外にも何人か軍法会議の被告を出さなければ、上も収まりがつかんでしょう。小官もお供いたします」

「すまんな、コナリー少将。迷惑をかける」

「そんなことはおっしゃらないでください。このような戦いを将兵に強いた者どもの責任を軍法会議で問うてやるのも面白いではありませんか」

 

 ボロディン中将とコナリー少将のやり取りに、スクリーンの中の出席者は誰もがすすり泣いた。俺もその例外ではない。ボロディン中将と会話したことはなかった。コナリー少将は露骨に俺を嫌っていた。それでも、感動せずにはいられない。ノブレスオブリージュを果たさんとする真のエリートの姿がそこにあった。

 

「小官も副参謀長として、抗命の責任は免れませんね」

 

 先日三〇歳になったばかりの若き副参謀長ギャスディン准将は爽やかに笑う。士官学校を首席で卒業して、二〇代で将官に昇進したエリート中のエリートは、いともあっさりと輝かしい未来を捨てることを受け入れた。

 

「副司令官として、司令官を制止しなかった責任も問われますなあ」

 

 闘将にふさわしい精悍な面構えの副司令官ヤオ少将は大きな口を開けて、豪快に笑い声をあげた。彼にとことん嫌われていた俺ですら、惚れ惚れするほどに男らしくて格好良いと思った。

 

「少将中最先任の私も告発されるでしょうねえ。まあ、民主化支援機構のプランを率先して支持した落とし前を味方の銃口に付けてもらうのもそれはそれでありですか」

 

 第一二艦隊で最も民主化支援機構を支持していた後方支援集団司令官シャルマ少将は、吹っ切れた表情をしていた。この老いた女性提督が責任を取ることを最後の務めと定めたことは、誰の目にも明らかだった。

 

 なぜ、彼らはこうもあっさりと身を捨てることができるのだろうか。凡人の俺には非凡な人間の考えは理解できない。理解できないけど、たまらなく格好良い。

 

 シトレ派が多いこの艦隊では俺は嫌われていた。理想主義でエリート的なシトレ派とは、はっきり言って肌が合わなかった。しかし、この土壇場で彼らが見せたノブレスオブリージュの精神には心が震えてしまう。

 

 ためらいは無かった。そうするのが当たり前であるかのように、俺はすっと右手を上げた。

 

「司令官閣下!」

「何だね、フィリップス准将」

 

 ボロディン中将は温顔という形容がふさわしい表情を俺に向ける。この人を死なせるわけにはいかないと強く思う。

 

「総司令部作戦参謀のアンドリュー・フォーク准将は小官の友人です。総司令官の信頼厚い彼を通じて、第一二艦隊の行動に総司令部の許可がいただけるよう、交渉してみようと思うのですが、いかがでしょうか?」

 

 スクリーンの中の視線が一斉に俺に集中する。ボロディン中将は一瞬の間を置いて、首を縦に振った。

 

「そうだな。正式な許可を得られれば、他の艦隊も後退しやすくなる。第一二艦隊は許可が得られずとも後退する。理由は軍法会議にて弁明する。その旨も合わせて伝えてもらいたい」

「かしこまりました!」

 

 俺が敬礼すると、スクリーンの中の将官達は一斉に敬礼を返してくれた。初めて心が通じたような気がして、ほろりときた。

 

 まだ終わったわけではない。諦めるにはまだ早い。最悪の状況にあってなお、第一二艦隊の将官達は最善を尽くそうとしている。俺にもまだできることはあるはずだ。アンドリューは良い奴だ。話せばきっとわかってくれる。何としても第一二艦隊を救ってみせる。そう決意した。



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第八十六話:背負いすぎた者達 宇宙暦796年10月17日 惑星シュテンダール進駐軍司令部

 シュテンダール進駐軍司令室のスクリーンに現れたアンドリュー・フォークを見た俺は、言葉を失ってしまった。肉がげっそり落ち、落ちくぼんだ目は異様な光を宿している。まるで表情筋が死んでしまったかのように顔が引きつっていた。

 

「久しぶりだね、エリヤ」

 

 アンドリューの笑顔はとても痛々しく感じられた。ぴくぴくと動く頬や口元を見るだけで、今の彼が笑顔を作るのも難しいほどに疲弊しきっていることを察するに余りある。声も台本を棒読みしているかのように平板だった。

 

「いろいろ話したいのはやまやまだけど、今は時間がない。手短に用件を頼む」

 

 総司令部と前線の間の連絡を一手に引き受けている彼が多忙なのは言うまでもない。しかし、俺には「時間がない」という言葉が別の響きをもって聞こえる。

 

 アンドリュー・フォークという人間はもう長くない。そう言っているように聞こえるのだ。不吉な予感が胸の中をどんどん侵食していく。押し潰されてはいけない。今の俺には第一二艦隊の運命がかかっている。

 

「わかった、用件を言うよ。第一二艦隊は撤退の許可を求めている。君から総司令官閣下にそう伝えてほしい」

「撤退?なんで?」

「第一二艦隊はもはや戦闘に耐えられる状態じゃない。士気は落ちきっている。軍規は乱れきっている。物資は底をついている。今戦えば確実に壊滅する」

「司令官のボロディン提督もそう言ってたね。そんな話はロボス閣下に聞かせられないから、引き取ってもらったけど。士気や軍規は指揮官の統率の問題じゃない?物資だってちゃんとやりくりすれば余裕はあるでしょ。実際、ホーランド少将の分艦隊は士気旺盛で物資も豊富だよ。努力もしないで、撤退したいなんて言い分が通ると思う?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、怒りで目の前が真っ赤になった。相手がアンドリューでなければ、怒鳴っていたに違いない。あのアンドリューがそんなことを本気で言うはずが無い。そう自分に言い聞かせて、ギリギリで自分を抑える。

 

「まさか、本気で言ってるわけじゃないよね?」

「本気だよ。勝利は目前なのに、どうして撤退しなきゃいけないの?オーディンからはるばる遠征してくる敵を解放区に引きずり込んで迎え撃てば、間違いなく勝てるのに」

「引きずり込まれてるのは俺達だよ。占領地に足止めされて、際限なくリソースを吸い取られて、部隊はボロボロになってしまった。敵は休養十分で物資にも不自由していない。地理も敵の方が詳しい」

「戦力は数と速度の二乗に比例する。平均すると、同盟の正規艦隊の実質的な運用速度は帝国の正規艦隊のそれを一五パーセント上回ってる。数式に当てはめると、同盟軍の正規艦隊は同数の敵の一.三倍の戦力を発揮できる計算になる。これは士官学校でも幹部候補生養成所でも学ぶ基本中の基本だ」

 

 確かにアンドリューの言う通り、正規艦隊の質は同盟軍が圧倒的に優っている。それゆえに数の上で優位に立つ帝国軍に対抗できていた。しかし、それも戦意と補給が十分でなおかつ戦力を集中できている状態に限られる。同盟軍は計算通りの戦力を発揮できる条件を完全に欠いている。

 

「帝国軍を率いるローエングラム元帥は一個艦隊の指揮官としては天才だ。でも、複数艦隊の運用経験は持っていない。艦隊、分艦隊、戦隊、群までの各級指揮官を全部経験の浅い若手に入れ替えてしまったおかげで、部隊単位の運用能力も急落している。昨日まで一艦しか指揮したことがなかった者が提督の称号を帯びて、数百隻の戦隊を率いてるなんてことも珍しくない。部隊運用は才能じゃなくて知識と経験の世界。どれほど勇敢で戦術に長けた指揮官でも、経験を積まなければ思うように部隊を動かせない。ただでさえ低い帝国軍の戦力はさらに低下してる」

 

 部下をまとめて命令を出す指揮はリーダーシップ、計画と連携と調整によって部署を動かす運用はノウハウである。指揮においては、臆病なベテランは勇敢な若手に劣る。運用においては、その逆となる。

 

 前の歴史において、ラインハルト・フォン・ローエングラムとともに人類世界を征服した名将達も現時点では運用経験を欠いている。卓越したリーダーシップを持っていても、運用経験が乏しければ思うように部隊を動かせない。艦隊から群に至る指揮官をすべて若手で入れ替えたラインハルトの部隊の戦力が大きく低下しているという分析自体は間違ってはいない。同盟軍の戦力がもっと低下しているという分析が加われば完璧だった。

 

「ローエングラム元帥と彼に登用された若手指揮官が優秀なのは間違いないよ。でも、彼らが優秀だからといって、各艦の艦長や部署長や下士官が急に優秀になるわけじゃない。そういった人材を育てるには、時間がかかるよね。各艦レベルでの運用能力も同盟軍は優位にあるのは言うまでもないね」

 

 それも正しい。一人前の下士官を育てるには一五年、艦長を育てるには二〇年かかると言われている。戦時中の現在ではそれぞれ五年は差し引く必要があるが、それでも同盟の優れた教育人事制度によって育てられた下士官や艦長の質的優位は容易に動かないはずである。仮にラインハルトが今から下士官教育や艦長教育を改革したとしても、成果が出るのは早くて一〇年後になる。しかし、いかに優秀な人材も戦意を失っていては力を発揮できない。

 

 ラインハルト配下の部隊の質は同盟軍正規艦隊よりもはるかに低い。だからこそ、策略を用いて戦意と物資を奪い取り、辺境に釘付けにして分散した状態の戦いを強要して、質の差を埋めようとしているのではないか。

 

 前の人生で戦記や伝記を読んだ時より、軍務を経験した今の方が理解できる。ラインハルト・フォン・ローエングラムの凄みを。彼は最初から無制限の権限と綺羅星のような名将と鍛えぬかれた精鋭をもって、勝ち易きに勝ったわけではない。限定された権限と未熟な指揮官と質の低い部隊をもって、難敵に挑んで勝つ方法を考え抜いた。

 

 必死で勝とうとする執念が、彼の天才的なひらめきの源ではないかと思える。ラインハルトの本質は天空を駆け巡る華麗さではなく、這いつくばってでも勝利をもぎ取ろうとする泥臭さではなかろうか。戦場を政治闘争のラウンドの一つと考えている連中がそんな相手に勝てるわけがない。

 

「帝国内地では反乱軍が炎のように広がっている。ローエングラム元帥が敗北して正規艦隊の半数を喪失すれば、帝国は内地の維持すらおぼつかなくなるのは明らかだ。追い詰められてるのは敵なんだよ?それがわからないの?」

 

 自信に満ちた表情で同盟軍に都合のいい話ばかりをとめどなく語るアンドリューは、もはや正視に耐えなかった。士官学校を首席で卒業し、宇宙艦隊総司令部で経験を重ねて、二〇代半ばにして同盟軍屈指の行軍計画のオーソリティーとされる優秀な参謀に、自分が言ってることの愚かしさがわからないはずがない。何かをごまかそうとするかのように空疎な弁舌を紡ぎだす友人がどうしようもなく哀れに感じられた。

 

「もう、やめようよ」

 

 涙で画面が霞んで見える。今日で三度目の涙。こんなときに出てくるのが叱咤ではなく、涙というのが小心な俺らしい。

 

「総司令部には各部隊からの報告が上がってるよね?士気や補給の不足が努力でどうにもならないレベルに達しているというのは、まともな参謀なら誰でも理解できるはずだ。そして、君はまともな参謀だ」

 

 俺が涙声で語りかけると、アンドリューの弁舌はピタリと止まった。

 

「総司令部が物資を現地調達しろって指示をしてきたよ。手段は各部隊に任せるって。でも、現地での購入は事実上不可能だよね。配給した物を力づくで接収する以外の選択肢は残されていない。しかし、自分の判断でそれをやってしまったら、帰国後に略奪行為の責任者として軍法会議で訴追される可能性が出てくる。各部隊に任せると言って、逃げ道を作ってる」

 

 アンドリューの目に浮かんでいた光は急速に輝きを失っていく。自信の仮面が剥がれていき、本来の理性が顔を覗かせてきたように見えた。

 

「総司令部は前線の俺達が置かれた現実を理解しているはずなのに、無茶な指示ばかり出してくる。軍規違反をしなければ生き残れない状態に追いやっておいて、責任を取ろうとしない。そんな総司令部の方針に従って戦うように部下に命令できるかどうか問われたら、自信が持てないよ。自分が信じられないものを部下に信じろなんて言えるはずがない。そんな状況で戦えると思う?」

 

 ふーっと息を吐いて、何かを考えているかのように目を細めた後、アンドリューはゆっくりと口を開く。

 

「わかったよ。強制徴発を許可する」

「君の一存で決められることなの?」

「心配はいらない。俺の権限は君が思ってるより大きいから。他の部隊にも俺の名前で通知しておく」

「補給部門の責任者は後方主任参謀のキャゼルヌ少将、参謀部門の責任者は総参謀長のグリーンヒル大将、遠征軍全体の責任者は総司令官のロボス元帥。君は補給部門、参謀部門、遠征軍のいずれにおいても責任者じゃない。作戦すら統括していないヒラの作戦参謀だ。そんな君の名前で何を保証できるの?」

 

 まっすぐにアンドリューの目を見る。涙で視界が曇っていても、アンドリューの目だけははっきりと捉えることができた。

 

「総司令官閣下に取り次いで欲しい。第三六戦隊司令官ではなく、第一二艦隊司令官ボロディン中将のメッセンジャーとして面談を望んでいると」

 

 そう言って、将官会議終了後にボロディン中将から送られてきた委任状を示した。

 

「それはできない」

「どうして?」

「撤退は許可できない」

「許可するかどうか決めるのは、君じゃなくて総司令官閣下だ」

「とにかく、だめなものはだめだ」

 

 面談を求めた途端にアンドリューは頑なになった。だが、俺も引くわけにはいかない。

 

「君が決めることじゃない。総司令官閣下が決めることだ。取り次いでくれ」

「取り次げない。これは俺の判断だ」

「艦隊司令官のメッセンジャーが総司令官に面談をしている。それも一個艦隊の進退を賭けて。作戦参謀の一存で却下していい案件じゃないのはわかるだろ」

「いいんだよ、俺の一存で却下する」

「君の責任問題になるぞ?」

「構わない。責任は全部俺が取る」

 

 はっきりと分かった。アンドリューは俺がロボス元帥に会うことを恐れてる。同盟軍刑法の規定では、命令や通報や報告を伝達すべき立場にある者が自分の一存で握り潰した場合は、五年以下の懲役刑に処される。もちろん、軍人としてのキャリアもそこで終わってしまう。そんな危険を冒してでも、彼は俺とロボス元帥の面談を阻止しようとしている。

 

 アンドリューを良く知らない者には、一介の参謀がロボス元帥を蔑ろにして暴走しているように見えるだろう。しかし、付き合いの長い俺には理解できる。アンドリューが尊敬するロボス元帥の意志を無視して動けるはずがない。暴走しているように見せかけるのが彼の狙いではないか。

 

 俺とロボス元帥が面談すれば、ロボス元帥は第一二艦隊の進退に対して何らかの判断を求められる。撤退を拒否すれば第一二艦隊壊滅の責任、許可すれば第一二艦隊管轄の解放区失陥及び遠征中止の責任が降り掛かってくる。しかし、俺と面談しなければ、彼自身が責任を負うことはない。アンドリューが勝手に握り潰したと言い逃れることができる。

 

 撤退を許可できないというアンドリューの発言は、間違いなくロボス元帥の意思から出ている。アンドリューに前線と総司令部の間の連絡を任せ、彼の独断で総司令部が動いているように印象づけているのも、いざという時は参謀の暴走として言い逃れるためではないか。

 

 前の歴史では、ラザール・ロボスは無気力ゆえに参謀の暴走を許した司令官、アンドリュー・フォークは司令官を蔑ろにして暴走した愚劣な参謀と評価されている。しかし、俺が知るロボスは失脚寸前まで追い込まれても勝機を待ち続けた不屈の闘士、アンドリューは純粋で真面目な好人物だった。

 

 同盟の権力者の恐ろしさは、帝国領遠征をめぐる一連の動きでさんざん思い知らされた。前の歴史で無能と評価された者、評価対象外だった者でも途方も無い力を持っていた。ロボス元帥もそんな権力者の一人、しかもあのヨブ・トリューニヒトに「軍人にしておくにはもったいないほどの政治家」と評された策士である。忠実な部下をダミーに仕立てて、無気力を装いながら一切責任を負わずに遠征軍総司令部を動かす程度の芝居はお手の物であろう。

 

 もしかしたら、ほとんど前面に出てこない総参謀長グリーンヒル大将、作戦主任参謀コーネフ中将、情報主任参謀ビロライネン少将、後方主任参謀キャゼルヌ少将ら総司令部首脳陣も無為を装って、アンドリューをダミーに使っているのかも知れない。

 

 グリーンヒル大将は人格者、コーネフ中将とビロライネン少将は忠臣、キャゼルヌ少将は前の歴史の英雄で、いずれも卑劣とは程遠い人々であるが、軍中枢の派閥闘争を生き抜いてきた政治家でもある。個人の良識や信念より優先すべき物を背負っている人間は、必要があれば卑劣にも冷血にもなれる。それぐらいの覚悟がなければ、数十万人や数百万人の生死を背負う軍幹部は務まらない。

 

 ロボス元帥に何らかの見返りを提示されて引き受けたのか、自分から志願したのかは知らないが、アンドリューを通じてロボス元帥に面談できる可能性は失われてしまった。アンドリューは全力でロボス元帥と総司令部のスタッフを守ると決めている。俺には彼を止めることはできない。

 

「やっぱり、友達は家族には勝てなかった」

「ごめん」

 

 アンドリューは落ちきった頬の筋肉を必死で動かして、曖昧な笑顔を作った。俺に対して罪悪感を抱いていることが感じられて、一層心が痛む。政治に足を踏み入れるには、アンドリューは善良過ぎた。

 

 イゼルローンまでの撤退戦を生き延びられるかどうかはわからない。これが最後の会話になるかもしれない。そう思えば名残惜しくなるが、いつまでもだらだらと話を続けるわけにはいかなかった。これから第三六戦隊の参謀会議、指揮官会議を開いて、シュテンダールからの撤収について話し合わなければならないのだ。

 

「ボロディン中将からの伝言をもうひとつ預かってるんだ。総司令官閣下に取り次ぐかどうかは、君が決めればいい。とにかく聞いて欲しい」

「なに?」

「第一二艦隊は許可が得られずとも後退する。理由は軍法会議にて弁明する。以上」

 

 俺がボロディン中将からの二つ目の伝言を伝えた途端、アンドリューは顔色を変えた。

 

「だめだ、そんなの認められない!」

「許可が得られなくてもいいと言ってた」

「抗命罪になるぞ!?司令官だけじゃない。主だった幹部はみんな責任を取らされる!誰も止めなかったのか!?」

「誰も止めなかった」

「死刑だって有り得るんだぞ!?」

「全員覚悟を決めているよ」

「エリヤ!なんで君は止めなかったんだ!第一二艦隊が勝手に撤退したら、作戦が破綻してしまう!君も死刑になるぞ!」

 

 アンドリューの言う通り、第一二艦隊が撤退したら、前線に大きな穴が開いてしまう。辺境星域全体に薄く広く展開する同盟軍には、その穴を埋めるだけの余裕はない。同盟軍は戦線を維持できなくなり、全軍即時撤退以外の選択肢が失われる。ボロディン中将はそれを見越した上で、無断撤退を決断したのだ。

 

「君と同じだよ。みんなそれぞれに守るべきものを持ってる。ある人にとっては部下、ある人にとっては矜持、ある人にとっては理想。人それぞれだけど、自分の身を捨てて守ろうとしている。君が後に引けないのはわかる。でも、第一二艦隊も後に引く気はない」

「あと一週間待ってくれ!そうしたら、物資が前線に届く!帝国軍を破ってから凱旋できる!死刑覚悟で撤退しなくてもいい!」

「今の第一二艦隊には一週間は長すぎる。それに無事に物資が届くとは限らない。君の言う通り、ローエングラム元帥配下の指揮官は大部隊の運用経験が浅い。だから、運用しやすい小部隊単位に分かれて辺境星域に侵入し、補給路の遮断を試みる可能性もある」

「輸送部隊にはルイス少将率いる第四独立機動集団を中心とする五〇〇〇隻の護衛部隊が付く!あのアスターテの英雄だぞ!?総司令部もちゃんと配慮してる!」

 

 ちゃんと記憶していないが、前の歴史では遠征軍総司令部は一〇〇隻に満たない護衛しか輸送船団に付けなかったと本で読んだ覚えがある。司令部直轄戦力の四分の一に相当する五〇〇〇隻もの護衛部隊を付けるなんて、ずいぶんと奮発したものだ。

 

 第四独立機動集団は巡航艦と駆逐艦を中心とする三〇〇〇隻ほどの高速部隊。司令官のポルフィリオ・ルイスはアスターテであのヤン・ウェンリーとともに全軍崩壊を防いで勇名を馳せた気鋭の提督。他に三個戦隊程度の独立部隊も加わってるはずだ。誰の差し金かは知らないが、輸送部隊の護衛戦力としては豪華過ぎると言っていい。それでも一週間は待てない。

 

「ローエングラム元帥の艦隊は今日オーディンを出発した。余裕を持って行軍すれば一週間後、急いで行軍すれば五日前後で辺境星域に到達する。物資が届く前に戦闘突入しちゃうよ」

「二日ぐらい持ちこたえられるだろ!?」

「三時間だって無理」

「なあ、頼むよ!ボロディン中将を説得してくれ!」

「それはできない」

「どうしてだよ!友達だろ!」

 

 やっぱり、俺は凡人だ。懇願するアンドリューを突き放せない。

 

「ごめんね。君は友達だよ。でも、ロボス元帥は友達じゃない。君の力にはなりたいけど、ロボス元帥の力にはなれない」

「考え直してくれよ、頼むから!この遠征が失敗に終わったら、俺達はもう…!」

 

 必死なアンドリューに同情が湧いてくる。心は決まっているのに、彼を傷つけたくないと思ってしまう。これ以上話し続けたら未練が残る。ここで終わりにしなければ。

 

「第一二艦隊はイゼルローンまで後退する。総司令官閣下に取り次いでもらえたら助かる。話ができて嬉しかった。生きて帰れたら、また会おう」

 

 せめて笑って別れよう。そう思って泣き笑いの顔で別れを告げると、アンドリューの目が焦点を失い、顔全体がぴくぴくと痙攣を始めた。

 

「アンドリュー、どうした?おい、大丈夫か!?」

 

 やがて、痙攣はアンドリューの体全体に広がり、顔は何かに驚いているかのように強張った。唖然とする俺の目の前で、アンドリューは糸が切れた人形のように崩れ落ち、スクリーンから姿を消した。

 

「何が起きたんだ!おい!返事してくれ!」

 

 親友の異変に取り乱した俺は、誰もいないスクリーンに向かって叫んだ。

 

「閣下、落ち着いてください」

「落ち着けるわけ無いだろう!」

 

 側に控えていた副官のシェリル・コレット大尉の制止にも構わず、俺は叫び続けた。

 

「誰もいないのか!教えてくれ!何が起きた!?」

 

 背後からいくつもの足音が聞こえてくる。騒ぎを聞きつけた参謀達が司令室に入ってくるのもかまわず、俺が叫んでいると、スクリーンに白衣を着た壮年の男性が現れて敬礼をした。

 

「総司令部衛生部のダニエル・ヤマムラ軍医少佐です」

「小官は第三六戦隊司令官エリヤ・フィリップス准将である。フォーク准将に何があった?状況を説明せよ」

「フォーク准将閣下は急病につき、医務室に搬送されました」

「命に別条はないか?」

「転換性ヒステリーによる心因性視力障害です。一時的に視力が低下しますが、いずれ回復します」

 

 ヒステリーという負のイメージが強い病名に少々ひっかかりを感じたが、質問を続ける。

 

「どのような病気なのだ?」

「挫折感が異常な興奮を引き起こし、視神経が一時的に麻痺するのです。一五分もすれば一時的に見えるようになりますが、この先、何度でも発作が起きる可能性があります。原因が精神的なものですから、それを取り去らない限りは完治は困難でしょう」

「原因とは何だ?」

「逆らってはいけません。挫折感や敗北感を与えてはいけません。誰もが彼の言うことに従い、あらゆることが彼の思うように運ばなくてはなりません」

 

 ヤマムラ軍医少佐の説明を聞いて、頭がくらっときてしまった。そんな治療をしなければいけないメンタルの病気なんて、聞いたことがない。

 

「それが治療なのか?小官も管理者としてメンタルケアの指導を受けた経験があるが、そのような対応が必要なケースがあるとは、寡聞にして聞いたことが無い」

 

 俺の問いにヤマムラ軍医少佐はやや狼狽の色を見せたが、咳払いをして言葉を続ける。

 

「これはわがままいっぱいに育って、自我が異常拡大した幼児に時として見られる症状です。したがって善悪が問題ではありません。自我と欲望が充足されることだけが重要なのです。したがって、前線部隊の方々が准将閣下の指導に従って遠征を成功させて、准将閣下が賞賛の的となる。そうなって初めて、病気の原因が取り去られることになります」

 

 単なる説明以上の悪意がこもったヤマムラ軍医少佐の言葉にいらっときてしまう。わがままいっぱいに育って自我が異常拡大した幼児なんて、ロボス元帥に無私の忠誠を誓うアンドリューとは正反対ではないか。アンドリューが遠征を主導しているかのような前提でヤマムラ軍医少佐が話しているのも気に入らない。

 

「軍医少佐はフォーク准将の内面に随分と詳しいらしい。小官は彼と知り合って五年になるが、そのような人物だとは寡聞にして知らなかった。貴官はよほど彼と深い付き合いなのだろうな。今日は教えられてばかりだ」

 

 自分の口からこんな皮肉が出てくることに驚いてしまった。遠征を継続した同盟の権力者、前線に無理を押し付ける総司令部、アンドリューをここまで追い詰めてしまった人々、そして何もできなかった自分への苛立ちを、三階級下のヤマムラ軍医少佐にぶつけてしまっている。将官としてあるまじき態度だ。抑えろと自分に言い聞かせる。

 

「総参謀長閣下に替わります」

 

 ようやく俺の顔色を察したのか、ヤマムラ軍医少佐はスクリーンからそそくさと姿を消した。代わりに端整な紳士風の人物がスクリーンに姿を現す。

 

「遠征軍総参謀長のグリーンヒル大将だ。用件があれば、私が聞こう」

 

 総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将は同盟軍でも屈指の社交能力の持ち主として知られる。シトレ派ではあるが、ロボス派やトリューニヒト派とも親交があり、すべての派閥に顔が利く稀有な存在であった。巨大な官僚組織たる軍においては、あちこちに顔が利くというのはきわめて有用な能力である。

 

 彼との付き合いはほとんど無かったが、俺の将官昇進祝賀会に顔を出してくれた唯一のシトレ派幹部であり。優秀なエドモンド・メッサースミス大尉を第三六戦隊司令部によこしてくれた恩もある。物分かりが良く、目下に対しておごらないという評判が鳴り響いていることもあり、良いイメージがある。

 

 アンドリューがああなった瞬間を見ていた俺としては、今頃になって出てきやがったという不快感も無いわけではなかったが、話が通じるのではないかという期待感がそれをはるかに上回った。

 

「ありがとうございます。第一二艦隊は撤退の許可を求めています。総司令官閣下への取り次ぎをお願いします」

 

 ボロディン中将の委任状を示すと、グリーンヒル大将は困ったような表情になって軽く首を傾げた。

 

「総司令官閣下は昼寝中だ。第一二艦隊の要望は起床後に伝えよう」

 

 出兵中の高級指揮官は二四時間勤務中みたいなものだから、必要があれば随時睡眠を取り、非常時に備えて体力を温存することが非公式に認められている。しかし、今は一刻の猶予も無い。よりによって、こんな時に睡眠中とは間が悪すぎる。

 

「事が事ですので、今すぐお呼びいただけるとありがたいのですが」

「敵襲以外は起こすなとの厳命である。第一二艦隊の要望は起床後に伝える」

「総司令官閣下はいつ頃起床されるのですか?」

「私にはわかりかねる」

「普段は何時間ほどすれば、起床されるのですか?」

「決まっていない。とにかく起床後に伝える」

 

 問答を続けるうちに、ようやくグリーンヒル大将の意図に気づいた。ロボス元帥は今度は狸寝入りという手段に出たらしい。

 

 政治家や官僚などの要人は「面会したくないけど、追い返せない相手」に急な用件で面会を申し込まれると、「急用で外出中」という手段を使う。秘書に「急用で外出中。戻り次第折り返し連絡する」と言わせて相手を帰らせる。折り返し連絡なんか絶対にしないし、求められても「まだ戻っていない」と秘書に言わせる。再度面会を申し込んでも「急用で外出中」と突っぱねる。面会を申し込んだ側も忙しいから、しつこく食い下がれない。そうやって、用件そのものが消滅するまで時間稼ぎをする。

 

 エル・ファシル警備艦隊や第一一艦隊で要人と折衝する仕事をしていた時に、この手で良く逃げられたものだった。イゼルローン要塞で総司令官が外出する用事なんてそうそうないから、「昼寝中」にアレンジしているのだろう。

 

 ロボス元帥は「敵襲があった場合は起こせ」と一言付け加え、「職務怠慢ではない。戦いに備えて体力を温存していたのである」と言い逃れる余地を残した。グリーンヒル大将は起床予定時間を曖昧にして、こちらが一日待ち続けたとしても、「まだ昼寝中」と言い張る余地を作った。嫌らしいぐらいに予防線が張リ巡らされていた。

 

 ロボス元帥は「戦いに備えて休養を取っていたから聞いてない」、グリーンヒル大将は「起床後に伝えると言った。起きてないから伝えられなかった」と言い逃れつつ、時間を稼いで第一二艦隊の撤退許可申請をうやむやにするつもりではないか。撤退の機を失った第一二艦隊が申請を取り下げて、惰性で占領地に留まればしめたものだろう。

 

 グリーンヒル大将と話しても埒があかないと判断した俺は、さっさと話を切り上げることにした。彼が良識のある好人物であることは間違いない。しかし、それは個人としての顔であって、公人としては軍部の権力闘争を生き残って最高幹部に上り詰めた政治家だ。彼が第一二艦隊の撤退許可申請をまともに取り次ぐ可能性は、万に一つもない。

 

「第一二艦隊は許可が得られずとも後退します。理由は軍法会議にて弁明するとのことです。こちらも総司令官閣下が起床された後にお伝え下さい」

 

 精一杯の笑顔を作ってグリーンヒル大将に答える。彼は悪くない。俺達を犠牲にしてでも守らねばならない物があるだけだ。しかし、俺達にもグリーンヒル大将の思惑を挫いてでも守るべき物がある。優先順位が違うに過ぎない。彼を憎んではいけない。そう自分に言い聞かせる。

 

 グリーンヒル大将の返事を待たず、俺は通信を切った。

 

「閣下…」

 

 心配そうなコレット大尉の声でようやく我に返った。周囲を見ると、参謀達が真っ青な顔で俺を見ている。よほどピリピリしていたらしい。こんな非常時に部下を不安にさせるなんて、指揮官失格としか言いようがなかった。だが、失格でも指揮官は指揮官である。務めは果たさなければならない。

 

「心配かけてごめん。総司令部との交渉は決裂した」

 

 笑顔を作って、頭をペコリと下げる。安堵する参謀達の顔を見て、ようやく自分のいるべき場所に帰ったような気がした。ここは権謀術数の場と化した総司令部とは違う。戦う司令部である。

 

「コレット大尉。参謀会議と指揮官会議で使う資料の用意を頼む」

「はいっ!」

 

 俺の指示にコレット大尉は、これ以上無いぐらいにピシっとした敬礼を返す。出兵が始まってから、随分と軍人らしく引き締まった雰囲気になった。士官学校を受験した際にダーシャにキリッとしてると評されたのも肯ける。前線の緊張感が良い影響を与えているのだろう。

 

「参謀長。各群司令、各旅団長、各支援部隊の長、各市町村の宣撫担当チームに撤退を伝えてくれ」

「承知しました」

 

 戦場だろうとパン屋だろうと締まりのない雰囲気に変わりがない参謀長チュン・ウー・チェン大佐であったが、どういうわけか敬礼だけはいつも教本のように端整だった。

 

「第一二艦隊司令部に総司令部との交渉結果を伝えた後、参謀会議を開く。参謀会議終了後は指揮官会議。しばらくは休む暇も無いと思うけど、ここが正念場だ。頑張って欲しい」

 

 俺の指示に参謀達は一斉に敬礼を返した。今から第三六戦隊の長い戦いが始まる。行き着く果てに何が待ち受けているかは分からない。願わくば、一人でも多く生き残って帰って欲しい。そう願わずにはいられなかった。



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第十章:地に落ちた大義
第十章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第三六戦隊司令官。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。ダーシャ・ブレツェリと婚約中。帝国領遠征作戦に参加。現在は惑星シュテンダールの進駐軍司令官を務める。遠征を中止させようと奔走したが、失敗に終わる。小心者。小柄で童顔。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。用兵は下手。友達が少ない。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

第三六戦隊関係者

チュン・ウー・チェン 34歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。第三六戦隊参謀長。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事のすべてに通じる。エリヤに頼まれて参謀長に就任。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を繰り広げた。

 

ハンス・ベッカー 31歳 男性

同盟軍中佐。亡命者。第三六戦隊情報部長。入院中にエリヤと知り合った元帝国軍の情報参謀。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 36歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。第三六戦隊人事部長。第二輸送業務集団から移籍した人事のプロフェッショナル。公正。剛直。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

シェリル・コレット 23歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三六戦隊司令官副官。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。チュン・ウー・チェンの推薦で第三六戦隊司令官副官に起用される。頭の回転が速い。機転が利く。遠征中に痩せて引き締まった。長身無口で無愛想だったが、笑顔も見せるようになった。

 

クリス・ニールセン 25歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。第三六戦隊作戦部長代理。アンドリュー・フォークの推薦で宇宙艦隊総司令部から移籍してきた若手作戦参謀。基本に忠実な部隊運用をする。純朴な性格。

 

リリー・レトガー 38歳 女性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

エドモンド・メッサースミス 24歳 男性 原作人物

同盟軍大尉。第三六戦隊作戦参謀。グリーンヒルの推薦で参謀チームに加わった。未熟だが意欲は高い。社交性がある。第三六戦隊では質問役として、他の参謀の発言を促す役割を担う。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

エリオット・カプラン 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三六戦隊人事参謀。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。コネで伯父によって第三六艦隊司令部に押し込まれる。能力も意欲も完全に欠如している。元ベースボールのエース。惑星シュテンダールで現地住民にベースボールを指導。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。

 

エドガー・クレッソン 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第二分艦隊司令官。エリヤの上官。

 

ジャン=ジャック・ジェリコー 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第二分艦隊参謀長。第二分艦隊と第三六戦隊の連絡役。気が弱い。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。帝国領遠征に参加。遠征中止キャンペーンに協力。エリヤと婚約中。遠征終了後に結婚する予定。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。陸戦専科学校教官時代にアルマを指導した。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 33歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。アクシデントがきっかけで不仲なホーランドの参謀長となり、帝国領遠征に参加。士官学校卒の参謀。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。海賊討伐作戦でエリヤとともに戦う。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

ジェリコ・ブレツェリ 59歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍大佐。フェザーン移民の子。第七艦隊所属の支援群司令官。下士官から大佐まで叩き上げた後方支援部隊のベテラン指揮官。主に災害派遣や治安出動で活躍。帝国領遠征に参加。遠征中止キャンペーンに協力。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 41歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。国防委員長。警察官僚出身の主戦派政治家。改革市民同盟非主流派の領袖。凡人のための世界を作るという理想を持つ。帝国領遠征中止キャンペーンを展開したが、継続派の策略の前に敗北。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。蕩けるような愛嬌。人懐っこい笑顔。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。長身。俳優のような美男子。人間のエゴに肯定的。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。国防委員会防衛部長。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。統合作戦本部管理担当次長。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の情報参謀。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 26歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍准将。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。帝国領遠征軍作戦参謀。ロボスに心酔している。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。帝国領遠征軍総司令部をロボス元帥の代わりに取り仕切っていると言われ、前線部隊の憎悪を一身に買う。エリヤとの問答のさなかに発作を起こして倒れた。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 58歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。帝国領遠征軍総司令官。同盟軍屈指の用兵家で人心掌握にも長けた優秀な人物。トリューニヒトにも一目置かれる策略家。帝国軍の策略に引っかかって苦戦。遠征を継続するために策を練る一方、フォークを使って責任回避を図る。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 33歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊参謀長。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征の実現に貢献。帝国領遠征に参加し、占領地統治に手腕を見せる。強烈な覇気の持ち主。天性のリーダー。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。男らしい美男子。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

カーポ・ビロライネン 35歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。帝国領遠征軍情報主任参謀。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

シトレ派関係者

シドニー・シトレ 59歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍元帥。統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。帝国領遠征に反対。レベロが仕掛けた遠征中止キャンペーンに協力した。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ドワイト・グリーンヒル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。宇宙艦隊総参謀長と統合作戦本部作戦担当次長を兼ねる。帝国領遠征軍総参謀長。ロボス元帥と結託して第一二艦隊の撤退要請をうやむやにしようとした。あらゆる派閥に顔が利く社交の達人。軍部の安全装置と言われる良識の人だが、権謀術数にも長ける。前の歴史ではクーデターの首謀者となるが敗死した。

 

ヤン・ウェンリー 29歳 男性 原作主人公

同盟軍中将。第一三艦隊司令官。シトレの腹心。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。不可能とされたイゼルローン要塞攻略を成功させて、二〇代にして艦隊司令官の地位を得た若き英雄。帝国領遠征に参加中。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 35歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。帝国領遠征軍後方主任参謀。シトレの腹心。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。第一三艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 32歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。第一三艦隊の陸戦師団長。ローゼンリッターの前連隊長。イゼルローン要塞攻略の功績で将官に昇進。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 26歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。脱色した麦わら色の髪の美男子。白兵戦技と射撃術の達人。絵と歌がうまい。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ウラディミール・ボロディン 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征に参加したが、戦闘継続が不可能と判断して、部下を救うべく独断での退却を決断した。ノーブレス・オブリージュの持ち主。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

ヤオ・フアシン 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊司令官。実戦派の提督。豪胆な人物。トリューニヒトを嫌っている。民主化支援機構のプランに好意的だった。現在はボロディンの抗命行為を支持。

 

アーイシャー・シャルマ少将 60代 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊後方支援集団司令官。飄々とした人物。民主化支援機構のプランに好意的だった。現在はボロディンの抗命行為を支持。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一艦隊司令官。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。帝国領遠征に参加。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 25歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校上位卒業のエリート。ドーソンの副官を務めた後、不祥事によって辺境に左遷。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

マティアス・フォン・ファルストロング 70代 男性 オリジナル人物

亡命者。遠征軍総司令部顧問。門閥貴族の名門ファルストロング伯爵家の二二代当主。帝国の元フェザーン駐在高等弁務官。政争に敗れて同盟に亡命してきた。イゼルローン要塞でエリヤに占領政策に関するアドバイスをする。匂い立つような気品を全身にまとった銀髪の老紳士。神経が凄まじく太い。どぎつい冗談を好む。逆境も楽しめる楽天家。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 61歳 男性 原作人物

財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。帝国領遠征に反対。帝国の謀略を見抜き、トリューニヒトと別に独自の遠征中止キャンペーンを仕掛けた。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。野党ながら帝国領遠征を支持。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。ロボスとアルバネーゼが仕掛けた帝国領遠征を後押ししたが、戦局の行き詰まりによって、窮地に追い込まれる。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。ロボス元帥と組んで帝国領遠征を仕掛ける。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

ジェシカ・エドワーズ 28歳 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合所属。婚約者の戦死をきっかけに反戦運動に身を投じ、テルヌーゼン補欠選挙で代議員に当選。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 50歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。再起を目指して、新チーム結成に取り組む。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 50歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 37歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 51歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 30歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 23歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。前の人生を引きずっていたエリヤに避けられていたが、親友のダーシャと恩師のクリスチアンの尽力によってようやく和解できた。帝国領遠征に参加。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 



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第八十七話:撤退数百光年 宇宙暦796年10月17日~22日 惑星シュテンダール進駐軍司令部~ベルンハイム星系

 第一二艦隊司令部に通信を送り、司令官ウラディミール・ボロディン中将を呼び出した。繋がるのとほぼ同時にスクリーンにボロディン中将が姿を現す。将官会議の時にはやや乱れ気味だった髪や髭が綺麗に整えてられていることに少し驚いた。同盟軍で最もダンディな提督と言われるだけのことはある。

 

「どうだったかね?」

 

 いつものゆったりした口調で問うボロディン中将に、総司令部との交渉結果を伝えるのは忍びなかった。しかし、言わなければならない。意を決して口を開く。

 

「総司令官閣下はお昼寝中でした。総参謀長閣下より起床後に返答するとの伝言をいただきました」

 

 結果だけを簡潔に伝えた。背負い込みすぎて倒れてしまったアンドリューのこと、ヤマムラ軍医少佐の悪意、グリーンヒル大将の黒い思惑などは、俺が一人で抱え込んでいればいい。

 

「そうか、昼寝中か。昼寝中なら仕方がない」

 

 ボロディン中将は噛みしめるように、「昼寝中」という言葉を繰り返した。

 

「ご苦労だった。総司令部及び他艦隊に撤退を通知した後に、もう一度艦隊将官会議を開く。撤収作業は部下に任せて、少し休みなさい」

 

 温かいボロディン中将の言葉に涙が出そうになる。これで泣いたら、今日で四度目だ。こんなに涙もろくなるなんて、俺はどれだけ心が弱っているのだろうか。ぐっとこらえて通信を切った。

 

 三〇分後、ビデオ会議用のスクリーンの中には、第一二艦隊の将官達の顔が映っていた。ボロディン中将と俺の口から交渉結果を聞かされた彼らは、怒りも狼狽もせず、あらかじめわかっていたかのように受け入れた。

 

「総司令部から通告があった。『第一二艦隊の指揮権を剥奪する。副司令官に指揮権を譲渡して、急ぎ総司令部まで出頭せよ』とのことだ」

 

 ボロディン中将は自分が指揮権を剥奪されたことを将官達に伝えた。指揮権を剥奪された人物が軍隊を指揮することは、反乱行為も同然である。第一二艦隊が犯したタブーの巨大さをあらためて認識させられて、体が震えてしまう。

 

「小官のところには、『ボロディン中将から即座に指揮権を継承せよ。ボロディン中将が拒んだ場合は拘束せよ』という命令がきました。総司令官は急にお目覚めになったようですな」

 

 副司令官ヤオ・フアシン少将は、総司令部の素早い対応を皮肉った。

 

「ヤオ提督。あなた、拒否の返事をしませんでした?」

「ほう、よくご存知ですな」

「ええ、私のところに『第一二艦隊司令官代理に任ず。即座に司令官と副司令官を拘束し、第一二艦隊を掌握せよ』なんて命令が来ましてねえ。見なかったことにしましたけど」

 

 第一二艦隊の少将五人の中で最先任の後方支援集団司令官アーイシャー・シャルマ少将は、プリントアウトした命令文を皆に示す。

 

「良く考えたら律儀に返事することはありませんでしたな。『昼寝中につき、起床後に返答する』とでも答えておけば良かった」

「あら、受諾か拒否か選べるような命令じゃないでしょ?」

「そう言えば、そうでした」

 

 ヤオ少将とシャルマ少将は、総司令部の命令をネタに笑い合っている。第一二艦隊司令官は指揮権を剥奪され、副司令官と少将中の先任者も総司令部の命令を拒否した。公然と反旗を翻したばかりなのに、どうしてこんなに楽しそうなのだろうか。

 

 他の将官達もヤオ少将やシャルマ少将に負けず劣らず楽しそうだった。ボロディン中将だけは、いつもの穏やかな表情を崩さない。

 

「次に送られてくるのは、討伐軍ってとこかな」

「総司令部直轄の予備部隊は約二万隻。そのうち五〇〇〇隻は輸送船団の護衛に出ている。一万五〇〇〇隻もあれば、討伐軍としては不足のない数だろう」

「数だけはな。イゼルローンのモグラどもが率いる寄せ集めに、栄光ある第一二艦隊が負けると思うか?」

「誰が率いるかも問題だ」

「階級的にはロボス元帥しかおらんのではないか?」

「それなら願ってもない。全員でアイアースめがけて総突撃してやろう。総司令官と参謀どもを宇宙の藻屑にしてやれば、少しは気も晴れるというものだ」

 

 将官達の話を聞いて、討伐軍を送られる可能性もあることに気づき、血の気が引いていった。

 

「いやいや、総司令部から来るとは限らん。隣接する艦隊が討伐を命ぜられることもありうる」

「第五艦隊か第九艦隊ということか。ビュコック提督の第五艦隊はしぶとい。第九艦隊だとやりやすいのだが」

「あそこは航空戦隊が強力だぞ?それに前衛を担うのはあのモートン提督だ。接近戦に持ち込まれたら厄介ではないか?」

「そうなんだよなあ。艦載機の火力を封じる方法を考えないと」

「距離を開けて、対艦ミサイルで敵の艦列を削り取っていくしかあるまい。あちらは航空母艦が多い分、対艦火力が弱い」

「速度のある巡航艦部隊で長駆突撃し、向こうが艦載機を発進させる前に速攻で叩くのもありだろう。司令官のアル・サレム提督は部隊運用能力は高いが、戦術即応能力は今ひとつだ。付け入る隙はある」

 

 いつの間にか、将官達は第九艦隊と戦うという前提で話を進めている。しかも、すごくうきうきしているように見える。わけがわからない。

 

「貴官ら、いい加減にしないか」

 

 ずっと黙って聞いていた第八三戦隊司令官バビンスキー准将が苦々しげに、将官達をたしなめる。この艦隊に常識を保っている人がまだいることがわかって安心した。

 

「なぜ、第九艦隊とのみ戦うつもりでいるのか。第五艦隊が来る可能性、あるいは両方来る可能性も考慮すべきであろう。しぶといからといって、避けて通ってはいかん」

 

 六〇過ぎの老提督の一言に椅子から滑り落ちそうになってしまった。

 

 それもそうだとうなずいて、第五艦隊を破る方法を熱心に話し合う将官達を見ていると、不思議と緊張がほぐれていく。彼らのような大胆不敵さは、人間離れしていてまったく理解できない。しかし、今のような窮地にあっては、とても眩しく見えた。

 

 雑談に終始した第一二艦隊将官会議が三〇分ほどで終わると、俺はさっそくシュテンダール撤収作戦にとりかかった。

 

 まず、シュテンダール進駐軍参謀会議を招集する。進駐軍参謀部は第三六戦隊の参謀部を兼ねているため、事実上は第三六戦隊参謀会議である。情報部はシュテンダールとその周辺宙域に関する分析、作戦部は作戦案を提示。後方部は後方支援体制、人事部は人事管理の側面からの分析。チームでシュテンダール撤収作戦を組み上げていった。

 

 参謀会議が終わると、今度は進駐軍指揮官会議だ。第三六戦隊に所属する部隊の指揮官とビデオ会議を行う。艦艇部隊からの出席者は第三〇四巡航群司令と第三六戦隊副司令官を兼ねるポターニン大佐の他、戦艦群司令一人、巡航群司令一人、駆逐群司令三人、揚陸群司令一人。地上部隊からの出席者は陸戦隊歩兵旅団長四人、陸戦隊航空群司令一人。臨時配属された支援部隊からの出席者は輸送群司令一人、工兵旅団長一人、兵站支援旅団長一人、憲兵旅団長一人、通信支援隊長一人、医療支援隊長一人。その他、オブザーバーとして参謀長チュン・ウー・チェン大佐が参加。司令部の方針を伝え、各指揮官の意見を聞きながら、撤収作戦の調整を行う。

 

 指揮官会議が終わった後は、民主化支援機構シュテンダール駐在部代表マックス・ヨナソンと協議した。遠征継続派の牙城である民主化支援機構の人間が、シュテンダール放棄とイゼルローンへの撤退をあっさり受け入れるとは思っていなかった。最悪の場合、シュテンダール駐在部の主要メンバーから『自分の意志でシュテンダールに残る』という念書を取ってから、シュテンダールに置き去りにするつもりでいた。

 

 ところがヨナソンは撤収をあっさり受け入れた。民主化支援機構の理事を務める社会学者の学閥に属しているというだけの理由でシュテンダール駐在部代表に登用された彼は、殉じるべき理想も背負うべき支持者も持ち合わせていなかった。本国とシュテンダール住民の要求を断れない彼の弱腰にはさんざん迷惑させられたが、最後の最後で助けられた。

 

 帝国軍がオーディンを出発したという情報は、住民の間にも既に広まっていた。帝国軍司令官のラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、「反乱軍と交際した者の罪は一切問わない。反乱軍から利益供与を受けた者の罪は問わない。受け取った物品の所有権はすべて保証する。また、占領地復興のために経済支援を行う」という詔勅を皇帝から引き出して、住民を安堵させた。フェザーン・マルクの件もあって、帝国軍は気前が良いという印象を植え付けることに成功していた。

 

 既にシュテンダールの民心は帝国になびいていた。このような状況で配給停止や現地調達を行えば、確実に暴動が起きていたに違いない。そうなれば、俺達はこの惑星の地上で一三〇万人の暴徒に囲まれたまま、帝国軍を迎えていたことだろう。この段階でボロディン中将が撤退を決断してくれて、本当に助かった。

 

 進駐軍に所属する宇宙船は第三六戦隊所属の軍用艦艇六五四隻、輸送部隊の艦艇一三三隻。民主化支援機構に所属する艦艇は借り受けた民間船七五隻。素早く味方と合流するため、輸送部隊と民主化支援機構の艦艇のうち、機動性に欠ける大型船九九隻を放棄する。

 

 また、素早く人員収容を済ませるため、積み込みに時間が掛かる車両、大気圏内航空機、重火器、建築機械、医療設備、通信設備その他の器材はすべて放棄する。

 

 ただ捨てていくだけでは芸がないと思い、「友好の印」と称して住民にすべて押し付けることにした。譲渡文書を作成して、所有権が住民にあることも明示する。ありがたいことに住民が受け取った物品の所有権をすべて保証すると、詔勅で言っている。どんな権力者であっても、皇帝の詔勅が保証したものを取り上げることはできない。また、現皇帝フリードリヒ四世には、一度出した詔勅を取り下げるような行動力はない。住民に譲渡した物がラインハルトや領主の懐に入る可能性が無くなるというだけで、一矢報いた気になれる。

 

 譲渡する際に住民に頼んで感謝状も書いてもらった。「友好のために供与した。政府の方針に従った」という体裁を作れば、恣意的に官有物を処分したという批判を避けるのに役立つ。生きてハイネセンに帰ることができたなら、この感謝状が意味を持つかもしれない。帰れたらの話であるが。

 

 わがままで欲深いシュテンダールの住民もさすがにこのプレゼントには驚いたらしい。同盟軍が来る前に独占企業としてシュテンダール経済を支配していた皇帝私領行政府と二つの男爵家は、いずれも二〇隻程度の中小型船を運用していたに過ぎない。俺達が供与した大型船九九隻はこの星の経済規模では破格だった。それに加えて、辺境の農場労働者がどんなに頑張っても一生買えないような器材まで惜しげもなく引き渡したのである。住民はすっかり機嫌を良くした。

 

 譲渡された物の分配や運搬に忙殺された住民は、不穏な動きを見せなくなった。最後まで配給を続けたこともあって、撤収を終えるまでの二日間は無事に過ぎていった。一〇月一九日、自由惑星同盟シュテンダール進駐軍一一万と民主化支援機構の要員一万は、住民の歓呼を背に一人も欠けること無く撤収に成功した。

 

 

 

 俺達は第二分艦隊の本隊と合流すべく、全速でベルンドルフ星系に向かった。疲弊しきっていた将兵もすっかり生気を取り戻している。しかし、彼らは乏しい食事と不眠不休の撤収作業で体力を消耗した。今は祖国に帰れるという希望で頑張れているが、そう遠くないうちに体が言うことをきかなくなるはずだ。

 

 食糧の残量は乏しいにも関わらず、第三六戦隊に所属していない人員まで抱え込んでるせいで、消費量は増大した。戦闘員はカロリー換算で三〇%カット、非戦闘員は五〇%カットした食事を支給して凌いでいる。燃料もイゼルローンまで保つかどうか、ギリギリだった。

 

 不足していたのは体力と物資だけではない。俺達が撤退を通告した一〇時間後にイゼルローンの総司令部が第一二艦隊に対して通信回線を封鎖した。他艦隊も第一二艦隊との交信を禁止されたらしく、味方からの情報が一切得られなくなっていた。第一二艦隊以外の味方と情報交換できないため、どの星域に同盟軍がいて、どの星域に帝国軍がいるか、さっぱりわからない。航路気象情報が得られないのも困る。知らず知らずのうちに恒星風、恒星フレア、宇宙線、磁気嵐などに出くわしてしまったら、そこで足止めを食ってしまう。総司令部の打ってくる手の嫌らしさには、いちいち感心させられる。

 

 兵の体力、そして物資の残量との時間勝負。情報が得られない。そんな状況でいつ敵地になるかわからない辺境星域を数百光年も横断しなければならない。第三六戦隊司令部の部隊運用能力、五月に司令官に就任してから鍛えてきた将兵の力量が問われる。

 

 アンドリューが推薦してくれた作戦部長代理クリス・ニールセン少佐はまだ二五歳と若く、さほど才気に富むわけでもなかったが、運用責任者としてこの困難な作業に必死で取り組んでくれた。指揮下の群司令七人も指揮下の部隊をよくまとめて一隻も脱落させなかった。

 

 みんな頑張っている。あとは統率者たる俺次第だ。失敗は許されない。心臓が痛む。胃が痛む。吐き気がする。一分が一時間、一時間が永遠のように感じられる。弱気は見せられない。笑顔を作り、背筋を伸ばす。

 

 苦労の甲斐あって、第三六戦隊は敵に遭遇することなく、航路障害にもぶつからずに、予定通り三日かけて二二日の正午にベルンハイム星系に到着し、第二分艦隊との合流を果たした。

 

「ご苦労だった、フィリップス准将」

 

 スクリーンに映った参謀長ジャン=ジャック・ジェリコー准将は、かなり疲れているように見えた。もっとも、それは俺も変わりなかっただろうけど。

 

「着いたばかりだが、休んではいられない。二時間後に第五二戦隊が到着次第、レムスフェルト星系に向かう。本隊と合流した後にイゼルローンを目指す」

「第五二戦隊だけですか?」

 

 第一二艦隊の第二分艦隊には、第三四、第三六、第五二、第五六の四個戦隊が所属している。第三四戦隊は分艦隊司令官のクレッソン少将が率いる部隊、第三六戦隊は俺の部隊。それに加えて第五二戦隊が到着しても、全戦隊は揃わない。第五六戦隊を置いて出発するというのはおかしい。

 

「第五六戦隊と通信が途絶して三六時間が経過した。何度も呼びかけたが、一度も返信がない。脱落したと見るべきだろう」

 

 脱落。その不吉な言葉に寒気を感じた。敵に遭遇したのか、事故に遭ったのかはわからない。しかし、理由はどうあれ敵地同然での星域での脱落は死に等しい。単なる通信トラブルであってほしい。第五六戦隊は何の支障もなくこちらに向かっていると信じたい。

 

「待つわけにはいかないんですか?予定を一時間延長して、三時間待てば来るかもしれませんよ?」

「今の一時間が我々にとってどんな意味を持つか、分からない君ではないだろう?」

「しかし、第五六戦隊には一〇万人近い仲間がいるんですよ?見捨てて行けますか?」

「今、このベルンハイム星域には艦艇部隊、地上部隊、支援部隊合わせて三〇万人の仲間がいる。第二分艦隊の仲間だ。そして、私は第二分艦隊の参謀長だ」

 

 ジェリコー准将は俺から目をそらし、つぶやくように言った。強い口調で言われたら反発を感じたかもしれない。しかし、ジェリコー准将からは後ろめたさがはっきりと感じられた。信念を押し通すこともできなければ、詭弁を弄して自己正当化することもできない。そんな参謀長にこれ以上強く言えるはずもなかった。

 

「申し訳ありません」

「いや、第五六戦隊を見捨てたのは事実だ。我々は仲間を見捨てながら生き延びようとしている。現時点で第一二艦隊の一割が二四時間以上連絡を絶っている」

 

 第一二艦隊に所属する艦艇は一万四一五七隻。その一割は約一四〇〇隻。乗り組んでいる将兵は一七~一八万人ほど。同乗している地上部隊、支援部隊、民主化支援機構の人員を加えると、それより一〇万人は多くなる。三〇万人近い人間がたった数日で行方不明というのは、衝撃的だった。

 

「フィリップス准将。早くイゼルローンに戻ろう。そうすれば、脱落する仲間が少なく済む」

「わかりました」

 

 ジェリコー准将は弱々しい敬礼をすると、通信を切った。

 

 こんな時に一人でいると、憂鬱になってしまう。こういう時はマイペースなチュン大佐を呼ぶに限る。どんな時でも変わらない人を見ていれば、少しホッとする。

 

 五分後、チュン大佐が司令室に現れた。いつもパンで膨らんでいる胸ポケットに何も入っていないことに気づき、ただでさえ落ち込んでいた気分がさらに落ち込んでしまう。そう言えば、ここ数日はチュン大佐がポケットから潰れたパンを取り出して食べているところを見ていない。

 

「どうなさいましたか、閣下」

「味方の一割が脱落したって聞いてね。辛かった」

 

 自分が弱っているのはわかっている。しかし、総司令部には反逆者として見捨てられ、他の味方がどうなっているのかもわからず、第一二艦隊の仲間がどんどん脱落していって、物資と兵の体力がいつ尽きるともしれない中、敵地同然の場所を横断する部隊の指揮をとるというのは、とてもきつい仕事だった。

 

「実戦だったら一割なんてすぐ死ぬけどね。初めて艦艇部隊を指揮したゲベル・バルカルでは、部下の三割を失った。でも、戦う前からどこに行ったのかわからなくなるのは別の怖さがある。他にもいろいろ憂鬱だよ」

「嫌な戦いです。敵と戦う前に味方と戦わねばならないとは」

「そうだね。どこにいるかもわからない敵より、孤立させられてしまったという事実の方がずっと怖い」

 

 総司令部からは回線を遮断された。他の艦隊からも連絡がまったく入ってこない。第一二艦隊の味方はこの宇宙にいない。その事実を痛感させられる。

 

 今頃、味方の他の艦隊はどうなっているんだろうか?ダーシャのいる第一〇艦隊。イレーシュ大佐のいる第三艦隊。アルマのいる第九艦隊。ブレツェリ大佐のいる第七艦隊。スコット准将が指揮する第二輸送業務集団。シェーンコップ准将やリンツがいる第一三艦隊。第五艦隊、第八艦隊にも知り合いはいる。

 

 彼らはうまく逃げているのかな。それとも、総司令部の指示を守ったまま、帝国軍に各個撃破されているのか。

 

「生きて帰りましょう。死ぬにはあまりに馬鹿馬鹿しすぎる戦いです」

 

 いつもと同じようにのんびりした口調だった。チュン大佐のポケットにパンは入っていないけど、それ以外はいつもと同じだ。この苦しい戦いで参謀長の重責を担っているのに、平常心を失っていない。彼がパートナーになってくれたことに、あらためて感謝した。俺に足りない強さは、彼が補ってくれる。

 

「そうだね。みんなで生きて帰ろう。そうしたら、参謀長から潰れたパンをまた貰える」

「まったく、閣下は食い意地が汚いですね」

「そういう参謀長は食べ方が汚いよね」

 

 邪気のないチュン大佐の微笑みにつられて、俺も笑ってしまった。

 

「閣下、通信端末から呼び出し音が鳴っています」

「第二分艦隊司令部からだ。何かあったのかな」

 

 通信端末のスイッチを入れると、スクリーンに参謀長ジェリコー准将が現れた。さっきとはうって変わって表情が明るくなっている。

 

「フィリップス准将、非常用回線をこのチャンネルに合わせなさい」

 

 彼は声を弾ませて、チャンネル番号が書かれたメモを示した。非常用回線はメインの回線が使えない時に使用される音声のみの回線だ。メイン回線と違って映像情報が伝えられないため、送れる情報量が格段に少なく、使い勝手は良くない。

 

 メインの回線が生きているのに非常用を使えと言うのも妙な話だが、とりあえずジェリコー准将が示した番号を書き取った。そして、司令室の隅に置かれている非常用通信機のチャンネルを合わせる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。聞こえるかな」

 

 この声はテレビで聞いたことがある。第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将の声だ。驚いてスクリーンの中のジェリコー准将を見る。彼は微笑んでうなづいた。

 

「聞こえると言いなさい」

 

 促されて返事をする。

 

「聞こえます」

 

 大きなノイズが非常用通信から流れてきた。久しぶりに聞いた味方の声なのに、ノイズが入るなんてもどかしい。一分ほどしてノイズが消えた。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。第五艦隊は分艦隊単位の集結を完了した。現在はイゼルローンに向けて後退しつつ、艦隊単位での集結を目指している」

 

 ビュコック中将の声は第五艦隊の動静を伝えていた。占領地はどうしたのだろうか。ビュコック中将も抗命覚悟で撤退したのだろうか。

 

 もう一度スクリーンの中のジェリコー准将の顔を見る。彼の目は潤んでいた。

 

「ビュコック中将はこうやって、我々に情報を伝えてくださっている。つい先ほど、ボロディン中将がお気づきになり、第一二艦隊の全部隊にチャンネルを開くように指示なさったのだ」

 

 第一二艦隊との交信は総司令部に禁止されている。だから、ビュコック中将は非常用回線のテストを装って第一二艦隊に情報を伝えようとしてるのだ。すべてに見放されたと思っていた俺は、老提督の善意に胸が熱くなった。

 

「参謀長。我が戦隊の群司令全員にこのチャンネルを開くように連絡してくれ。みんなに聞かせてやりたい」

「了解しました」

 

 チュン大佐に指示を出した後、ビュコック中将のさらなる言葉に耳を傾ける。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。総司令部は一〇月一八日に全軍に解放区放棄を指示した。集結しつつ、解放区奪回を目指す帝国軍を引きずり込んで迎え撃つようにとの指示じゃ」

 

 総司令部は俺達が無断撤退した一日後に占領地の放棄を決定した。俺達がやったことは無駄ではなかった。その事実が嬉しくなって、涙がこぼれてくる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。第三艦隊、第八艦隊、第一〇艦隊、第一三艦隊は解放区からの撤収をほぼ完了して、第五艦隊と同様に後退しつつ戦力を集結している」

 

 第一三艦隊司令官ヤン中将、第八艦隊参謀長デミレル少将はあのビラが帝国の謀略であることを理解していた。だいぶ前から撤収の用意を進めていたと思われる。前の歴史でも彼らの艦隊はアムリッツァまでの後退に成功している。

 

 第一〇艦隊司令官ウランフ中将はヤン中将とはシトレ派の同志である。注意を促されて撤収を準備していたのだろう。シトレ派のビュコック中将もヤン中将の忠告で撤収を準備していた可能性が高い。

 

 第三艦隊司令官ルフェーブル中将がこんなに早く撤収できたのは意外だった。この人は士官学校を出てから半世紀近く経っているのに、一度も地上勤務を経験したことがないという生粋の軍艦乗りだ。ベテランの勘で危険を察知したのかもしれない。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。第九艦隊は撤収作業がやや遅れているが、明日には完了する見通しだ。第七艦隊は解放区で発生した暴動のため、完了の見通しが立っていない」

 

 第九艦隊の担当区域には、妹のアルマが所属する第八強襲空挺連隊が駐屯している。義父になる予定のブレツェリ大佐は第七艦隊に所属している。彼らはうまく逃げられるだろうか。心配になってしまう。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。今のところ、同盟軍は敵と遭遇しておらん。だが、敵は辺境星域外縁のアーデンシュタット星系を一〇月二一日に通過している。油断は禁物じゃな」

 

 アーデンシュタット星系はシュテンダールが属する恒星系だった。つまり、帝国軍は俺達がシュテンダールから撤収した一九日の二日後にアーデンシュタット星系に到達した。間一髪だったということになる。予想以上に進軍が早い。やはり、あの時点での無断撤退は正しかった。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。ボルヒェン星系とシェーデン星系では、現在磁気嵐が発生中じゃ」

 

 ボルヒェン星系は第二分艦隊が一八時間後に到達する予定の星系だった。何の備えもなしに通ったら、航行に支障をきたしかねない。数時間の遅れでも、強行軍に近い進軍をしている敵に捕捉されてしまう可能性がある。ビュコック中将の情報のおかげで助かった。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。皆を代表して感謝する」

 

 涙が止まらなかった。俺達は孤立していない。味方がいる。それが何よりも心強い。

 

「……なあ、参謀長。これでは使い物にならん。こまめなテストが必要じゃな」

 

 そのわざとらしい声を最後にビュコック中将の声は途切れた。涙で何も見えない。最近の俺はすっかり涙腺が緩くなってしまった。

 

「世の中は捨てたものではありませんね」

「そうだね。勇気が湧いてきた」

 

 涙を拭きながら、チュン大佐に答えた。メインスクリーンの中では、ジェリコー准将が顔にベレー帽を押し当てて泣いていた。



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第八十八話:指揮官の義務 宇宙暦796年10月22日~24日 シファーシュタット星系 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 第五艦隊司令官ビュコック中将がマイクテストを装って流してくれた情報は、折れかけていた俺の心に希望を与えてくれた。分かってくれる人がいる。それだけで反乱覚悟の行動が報われたと感じることができた。第一二艦隊の将兵は同じ思いを抱いていることだろう。

 

 精神的な面だけではない。自分の眼と耳だけで得られる情報には限界がある。味方が眼と耳を使って得た情報を共有できなければ、真っ暗闇の中を手探りで歩くも同然になってしまう。味方からの情報提供が常に行われると無条件に信じていたことに、通信封鎖を受けるまで気づかなかった。

 食料と燃料は相変わらず不足している。将兵の体力も限界に近づきつつある。不注意による事故がほとんど起きていないのが不思議なぐらいだった。一日四回、六時間おきに行われるビュコック中将のマイクテストだけが俺達を支えていた。

 

 一〇月二二日にベルンハイム星系に集結した第二分艦隊は、第一二艦隊の集合場所となっているレムフェルト星系を目指した。本隊はアインベルク星系、第一分艦隊はパーゼヴァルク星系、第三分艦隊はウッカーラント星系、第四分艦隊はエーデミッセン星系から、それぞれレムフェルト星系を目指している。第一二艦隊の全部隊が集結すれば、一万二〇〇〇隻を超える。帝国軍に遭遇したとしても、十分対抗しうるはずだった。

 

 航行は驚くほど順調に進み、シファーシュタット星系で合流当日の一〇月二四日を迎えた。一〇日二四日〇時を知らせる時報と同時に、俺は第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室で自らマイクを握り、配下の全部隊に向けて放送を流した。

 

「今日は一〇月二四日だ。本隊と合流する日である。レムフェルト星系への到着予定時刻は一六時頃。到着後には本隊に同行している後方支援集団から食料と燃料の補給を受けることもできる。諸君に苦労をかけるが、あと一六時間の辛抱だ。頑張って欲しい」

 

 放送を終えた俺はマイクのスイッチを切って、司令室に詰めている参謀達、そして民主化支援機構職員リンダ・アールグレーンの顔を見回す。

 

「ちゃんとできたかな?」

 

 俺の問いに対する答えは全員の拍手だった。

 

「上出来です、フィリップス閣下」

 

 アールグレーンは笑顔で答えてくれた。俺より一歳上の彼女は、もともとは進歩党代議員の事務所でアナウンス担当スタッフをしていた。民主化支援機構が各惑星に設置するプロパガンダ放送局「自由放送」のスタッフを募集した際に志願して、シュテンダール自由放送のアナウンサーになった。シュテンダール脱出後、第三六戦隊の将兵の士気を高揚させる艦内放送をできるようになりたいと考えた俺は、彼女にアナウンスの指導を頼んでいた。

 

「ありがとう。大事な放送だったから、絶対に失敗できなかった」

「もともとフィリップス閣下は喋り慣れていらっしゃいますから、あまり心配なさる必要はないですよ」

 

 確かにアールグレーンの言う通り、俺は不特定多数に向けて喋ることに慣れている。エル・ファシルの英雄、エル・ファシル義勇旅団長としてメディアに出まくった経験がこんなところで生きるとは思わなかった。

 

 アールグレーンが自室に戻るために司令室から出て行くと、もうすぐ始まるビュコック中将のマイクテストを聴くために、非常用通信回線を開いてチャンネルを合わせた。参謀達も耳をすませる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。聞こえるかな」

 

 すっかり聞き慣れたビュコック中将の声が流れてくる。今の俺達には、何よりも温もりが感じられる声である。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。我が軍はついに敵を確認した」

 

 いつかはその日が来ると思っていた。それでも、身構えずにはいられない。前の歴史で起きたような凄惨な撤退戦がこれから始まるのだろうか。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。二三日二〇時頃、ノルトルップ星系で第二輸送業務集団が敵の襲撃を受けそうになったが、護衛部隊が事前に察知して事無きを得た。第二輸送業務集団は安全宙域まで退避している」

 

 第二輸送業務集団が助かったと知って安心した。この部隊はグレドウィン・スコット准将に率いられて、本国から送られてきた物資のうち、イゼルローンに近い星系から集められた分を前線に運ぼうとしていた。占領地を放棄した現在は、各艦隊に補給する物資を運んでいたはずだ。この部隊が助かれば、味方はイゼルローンに到着する前に補給を受けられる。また、司令官グレドウィン・スコット准将は、俺の三次元チェス友達だった。無事に済んで本当に良かった。

 

 奇襲を事前に察知できたのは、五〇〇〇隻もの護衛部隊が付いていたおかげだろう。半数を偵察に回したとしても、一〇〇近い偵察隊を編成して抽出できる。護衛部隊の司令官ポルフィリオ・ルイス少将は数を生かして、念入りな偵察を行ったに違いない。

 

 前の歴史では、同盟軍輸送部隊は帝国軍のジークフリード・キルヒアイスに急襲されて壊滅したはずだった。それなのに今回は回避できた。やはり、前と今の歴史は展開が違う。遠征軍三〇〇〇万のうち、二〇〇〇万が戦死した空前の大敗北は回避できるかもしれない。そんな期待をしてしまう。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。ボルゲン星系で恒星フレア、ズンダーン星系とミヒェルシュタット星系で強い宇宙線が確認されている」

 

 いずれの星系も俺達の使うルートから外れていた。これで航路障害に出くわす可能性は低くなった。事故さえ起きなければ、間違いなく本隊と時間通りに合流できる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。安全を祈る」

 

 〇時のマイクのテストは終わった後の司令室で安堵していたのは、俺だけだった。参謀達の顔には、緊張の色が浮かんでいた。一瞬だけ不審に思ったが、すぐに理由がわかった。

 

 彼らは前の歴史を知らない。前の歴史で起きた輸送部隊の壊滅が避けられたからと言って、展開が変わったと喜ぶ理由はない。むしろ、敵が輸送部隊襲撃を企てたという事実に戦慄を覚えるのではないか。前の歴史との違いに浮かれて見落としていたけど、辺境でもかなりイゼルローン寄りの位置にあるノルトルップ星系まで敵が入り込んでいる現状はかなり危うい。喜んでいる場合ではなかった。

 

「まいったね。この先はいつ敵と遭遇するかわからないと見るべきだ」

 

 ようやく俺が参謀達と危機感を共有できたところで、司令室のメインスクリーンから緊急連絡時の呼び出し音が鳴った。この音が鳴った時はこちらが交信を許可しなくても、勝手に通信が繋がるようになっている。それだけ重要かつ緊急な連絡ということだ。一体何があったんだろうか。悪い予感がする。

 

 スクリーンに現れたのは、第一二艦隊司令官ウラディミール・ボロディン中将だった。第二分艦隊司令部ではなく、その上位の第一二艦隊司令部からの連絡。これはただ事ではない。

 

「第一二艦隊本隊は三分前にアインベルク星系第三惑星近辺にて、敵と戦闘状態に入った。兵力はおよそ三〇〇〇。ほぼ同数の後続も接近しつつある。いずれも巡航艦を主力とする高速部隊である」

 

 ボロディン中将自ら率いる第一二艦隊本隊は三個戦隊約二〇〇〇隻。そのうち二つは戦艦を主力とする対艦打撃部隊、一つは攻撃母艦を主力とする航空打撃部隊。いずれも予備戦力として投入される精鋭であった。万全な状態であれば、三〇〇〇の帝国軍相手に後れを取ることはない。しかし、現在は物資は乏しく、将兵は疲れきっていた。しかも、同数の敵が接近している。明らかに分が悪い。

 

 戦闘を回避して離脱しようにも、三倍の兵力を持つ高速部隊を振り切るのは容易ではない。それに加えて、第一二艦隊本隊には、シャルマ少将率いる後方支援集団本隊が同行している。離脱も難しい。

 

 遅滞防御に徹して、援軍がアインベルク星系に到着するまで粘り続ける以外、第一二艦隊本隊が生き残る道はなかった。しかし、一番近くにいる第四分艦隊もアインベルク星系に到着するには、最速でも一二時間はかかる。それまで三倍の敵の攻勢に耐え続けなければならない。敵の後続が現在確認できている三〇〇〇だけとも限らない。第一二艦隊本隊は絶体絶命の危機にあった。すぐにアインベルク星系へ救援に向かわなければ、間違いなく壊滅する。

 

「作戦部長代理!第二分艦隊はこれから救援に向かうはずだ!行軍計画の修正に取り掛かってくれ!情報部長は現在地からアインベック星系に至る宙域の情報を第一二艦隊の共有ライブラリから引き出して、分析にあたるように!」

 

 俺は顔色を変えて、作戦部長代理クリス・ニールセン少佐と情報部長ハンス・ベッカー中佐に指示を出した。彼らは部下の参謀を呼び集めてさっそく作業に取り掛かる。参謀達は非常時にあっても、プロとしての仕事を果たそうと頑張ってくれている。司令官の俺もしっかりしなければならない。

 

 本隊を助けに行っても、遠すぎて間に合わない可能性が高い。間に合ったところで待ち構えていた敵に叩きのめされるだけで終わる可能性も高い。しかし、死刑覚悟で俺達を救おうとしてくれた司令官を見捨てるわけにはいかなかった。死ぬのは怖いが、ボロディン中将を見捨てて逃げるのはもっと怖かった。そんなことをしたら、一生前を向いて歩けなくなってしまう。

 

「救援は不要である」

 

 救援は不要。スクリーンから流れるその言葉に一瞬耳を疑った。

 

「本隊はアインベルク星系にて遅滞戦闘を行う。本隊が時間を稼いでいる間に、諸君には少しでも遠くまで逃れてもらいたい。シャルマ少将もいずれ諸君に追いつく」

 

 全滅覚悟で味方のために時間を稼ぐ。救援が間に合わないと見切っても、戦闘開始からわずか三分でそんな決断をするなんて、俺の理解をはるかに超えていた。どうして、あっさりと命を投げ出せるのだろうか。スマート過ぎて闘志に欠けると評された紳士提督の壮烈な決意に全身が震える。

 

「諸君を一人でも多く生きて帰らせるのが指揮官たる者の義務である。諸君が進む時は最先頭に、退く時は最後尾に立つのもまた指揮官たる者の義務である。だから、遠慮することはない。胸を張って本国に帰れ。それが指揮官たる私が諸君に課す義務である」

 

 ノブレスオブリージュ。高い地位を持つ者はそれに見合った義務を背負わねばならない。出会いと運に恵まれて高い地位を得た凡人に過ぎない俺には、あまりに重過ぎる理念だ。軍人に自制と無欲を求めるシトレ派の主張には付いていけないと感じる。だけど、ノーブレスオブリージュを本気で背負って、命を投げ出してまで貫こうとするボロディン中将の姿は、考える余地も無く格好良いと思ってしまう。人間の世界にただ一人神話の登場人物が降り立ったかのようだった。

 

「第一二艦隊に属する本隊以外の部隊の指揮権は、本時刻をもって副司令官ヤオ・フアシン少将に委ねる。ヤオ少将は歴戦の名将だ。必ずや諸君を祖国に連れ帰ってくれるであろう。自由惑星同盟は自由の国である。自由の国は諸君に自由であることのみを求める。国のために死ぬ人間ではなく、自由のために生きる人間であることを求める。自由は何よりも強いと私は信じる。自由な生を全うせよ。それが私の第一二艦隊司令官としての最後の命令である」

 

 ボロディン中将の表情は、いつもと変わらず穏やかだった。死を覚悟しているのに、どうしてこうも落ち着いていられるのであろうか。俺には理解できない。理解できないが美しい。

 

「諸君は指揮権を剥奪された私に最後まで付いてきてくれた。良き部下にめぐり会えたことに感謝する」

 

 深々と頭を下げて、ボロディン中将は最敬礼をした。死刑覚悟で遠征軍を救うために無断撤退をした彼は、俺達を逃がすために勝ち目のない戦いを挑もうとしている。自分を死地に追いやった権力者への恨み言を一言も言わず、ひたすら部下を案じている。なんと素晴らしい指揮官なのだろうか。胸が熱いもので満たされていく。

 

 シトレ派の理念に忠実なボロディン中将の言葉は、俺やトリューニヒトの考えとは真逆のものだった。しかし、理念に賛同できなくても、理念を貫こうとする姿には共感できる。そのことを初めて知った。

 

 意識せずとも体中が引き締まって直立不動となり、それから上体がスーッと前に傾いて、最敬礼の姿勢を形作った。両目からは涙が滝のように流れ出た。

 

 司令室にいる者は誰もが命令されたわけでもないのに、俺と同じように最敬礼の姿勢をとっている。あのカプラン大尉ですら、例外ではなかった。スクリーンからボロディン中将の姿が消えた後も司令室にいた者は、ずっと敬礼を続けていた。

 

 

 

 指揮権を引き継いだヤオ少将は、新たな合流場所をモルシェン星系に定めた。アインベック星系に敵が出現した以上、レムフェルト星系は安全とは言えない。近い距離にいる第一分艦隊と第四分艦隊をハウネタール星系、第二分艦隊と第三分艦隊をヒルダース星系で合流させ、それからモルシェン星系へ向かおうという計画だった。そこでアインベック星系を脱出したシャルマ少将の後方支援集団とも合流する。

 

 第二分艦隊の一員としてヒルダース星系をまっしぐらに目指すアシャンティの司令室のスクリーンに緊急連絡時の呼び出し音が再び鳴ったのは、ボロディン中将の最後の命令から五時間後のことであった。

 

 スクリーンに現れた司令官代行のヤオ少将は、全部隊に非常用通信回線を開くように命じ、使用するチャンネルをメモで示した。マイクテストには一時間早い。また不測の事態が起きたのだろうか。指示を出したのが第二分艦隊からの命令伝達役になっている参謀長ジェリコー准将ではなく、司令官代行のヤオ少将というのも不安をかき立てる。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。第三艦隊はモルシェン星系、第七艦隊はドヴェルグ星系、第九艦隊はテマール星系、第一〇艦隊はエッケンダール星系で戦闘状態に入った。第五艦隊はアーデルスリート星系、第八艦隊はホレンバッハ星系、第一三艦隊はフロンテンハウゼン星系で間もなく戦闘状態に突入する」

 

 前のマイクテストからたったの五時間で全艦隊が戦闘状態突入もしくは突入寸前。ビュコック中将の口にしたその事実は恐怖を呼び起こすには十分であった。後退しつつ戦力を集中していた同盟軍は、まっしぐらに追いかけてくる帝国軍についに捕捉されたのだ。しかも、第一二艦隊が新たな集合場所に定めたモルシェン星系まで戦場になっている。

 

 占領地放棄命令が出たのが一八日だから、どんなに早く撤収した艦隊でも艦隊単位での集結はまだ果たせていないはずだ。どんなにうまくやっても、せいぜい半数といったところではなかろうか。分散している同盟艦隊に同時攻撃を仕掛け、お互いに援護する余裕を与えずに各個撃破していくのが帝国軍の戦略であろう。

 

 戦場となっている星系は、ほとんどがイゼルローン回廊寄りであったが、ドヴェルグ星系だけは帝国内地寄りだった。暴動で撤収作業が進まないまま、取り残されてしまったのだろう。第七艦隊の本隊に所属しているジェルコ・ブレツェリ大佐の生還も絶望的になった。俺に「死ぬな」と言った人が死んでしまうなんて、運命の皮肉としか言いようがなかった。

 

「……こちらはマイクのテスト中だ。生きて帰ってきてくれ」

 

 ビュコック中将の声には悲痛さがにじんでいた。二〇歳以上離れた友人のボロディン中将が味方を逃がすために敵中に踏み止まったことは、もう知っているのだろうか。

 

「参謀長。俺達は何があっても生きて帰らないといけないね。ボロディン中将の命令を果たすため、そしてビュコック中将の厚意を無にしないために」

 

 参謀長のチュン・ウー・チェンにそう語りかけた瞬間、敵襲を知らせる警報がけたたましく鳴り響いた。

 

「二時方向と一〇時方向から、敵が二手に分かれて接近中!総数はおよそ三〇〇〇!三〇分から四〇分後に接触する見込みです!」

 

 オペレーターの声が司令室に響き渡る。メインスクリーンには、二方向から弧を描くような動きで第二分艦隊の側面に回り込もうとする敵部隊が映っていた。第五六戦隊を欠く第二分艦隊はおよそ二〇〇〇隻。数の面では分が悪い。

 

 敵の主力艦は高速の巡航艦のみ。戦艦や攻撃空母の姿は見られない。巡航艦に数倍する駆逐艦が側面援護にあたる。極端に機動力に偏った編成だった。敵が数と機動力の利を生かし、第二分艦隊を左右から挟撃しようとしているのは明らかである。

 

 ボロディン中将の本隊を攻撃した部隊もやはり巡航艦を主力としていた。第一二艦隊攻撃を担当する敵艦隊の司令官は、かなり機動力に偏った編成を好むらしい。同盟軍で偏った編成が許されるのは戦隊レベルまで。分艦隊以上は単独でも戦えるように、バランスのとれた編成をとっている。艦隊レベルでも偏った編成が許される帝国軍とは、編成構想が根本から異なっていることをこの目で理解できた。

 

 敵の指揮官が何者かは分からないが、獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムのもとには無能者はいない。ラインハルトに仕えた提督の中で最優秀とされるのは、獅子泉の七元帥と呼ばれる七人の元帥とそれに準ずる評価を受けた六提督の一三人。それに次ぐのがラインハルトの親衛艦隊や十三提督の艦隊で分艦隊司令官を務めた三六人の提督。前の人生では、彼らの盛名を嫌というほど耳にした。

 

 アンドリュー・フォークが言ったとおり、現時点の彼らは未だ経験が浅い。しかし、俺だって経験が浅い。まして、あちらはあのラインハルトが将来性を見込んで登用した人材だ。勇敢さ、リーダーシップ、戦機を読む嗅覚などは俺よりずっと優っているに違いない。提督として初めて戦う相手がラインハルトの部下だなんて、本当についていない。どうしようもなく不安になってしまう。

 

「フォーメーションBに変更せよ。完了後、二時方向に全速前進」

 

 サブスクリーンから聞こえる第二分艦隊司令官エドガー・クレッソン少将の指示が俺を現実に引き戻した。そうだ、俺は指揮官なのだ。第三六戦隊の将兵、そして行動を共にしている支援部隊や民間人の命運を背負っている。相手がラインハルト本人であろうと、不安に怯えてはいられない。

 

 俺の指揮卓の戦術コンピュータには、分艦隊参謀長ジェリコー准将からデータが送られてきた。第二分艦隊がフォーメーションBを採る際の行動手順データに、クレッソン少将の意図を説明する文が簡潔に付け加えられている。

 

「二時方向と一〇時方向の敵は、勢いがあるもののタイミングが合っていない。連携に難がある敵には、各個撃破が有効である。敵が挟撃態勢を作り上げる前に先手を打つ。攻撃的なフォーメーションBをもって二時方向の敵を全力で突破する」

 

 クレッソン少将は国防委員会での勤務歴が豊富な軍官僚で、性格も事なかれ主義のお役人といった感じだった。それなのに驚くほど攻撃的な作戦を提示していた。

 

 意図を理解した俺はジェリコー准将から送られてきたデータを参謀長チュン・ウー・チェン大佐のコンピュータに転送すると同時に、指揮用回線を通じて部隊指揮官達に指示を出す。相手が何者であろうと、一緒に部隊を作り上げてきた指揮官を信じる。日頃から培ってきた技量を信じる。訓練の時と同じように部隊をちゃんと動かす。それあるのみだ。

 

「フォーメーションBに変更せよ。完了後は第三四戦隊と第五二戦隊を援護する」

 

 第二分艦隊がフォーメーションBを採る際には、打撃力に優れた編成の第五二戦隊と第五六戦隊が先頭を切って敵中に突入し、標準的な編成の第三四戦隊と第三六戦隊が援護にあたる。しかし、今回の戦いでは第五六戦隊が欠けていた。そこで第三四戦隊が代わりの突入部隊として打撃力を補い、第三六戦隊のみが援護を行うのである。

 

 チュン大佐はキーボードをせわしなく叩いていた。第三六戦隊に所属する各部隊の行動手順データを指揮官に送り、俺の意図を説明する文を付け加える。行動手順データは各部隊でも保管しているが、確認のために送るのである。ジェリコー准将が俺にデータを送ったのも同じ理由だった。

 

 指揮官は俺の出した指示と参謀長の送ってきた詳細をもとに部隊を動かす。第三六戦隊の指揮官達は敵を目前に控えているにも関わらず、素早く陣形を再編してのけた。メインスクリーンに映る第三六戦隊の整然とした動きに、胸が熱くなってくる。心身が疲弊しているにも関わらず一糸乱れぬ動きを見せてくれる精鋭は、この俺の部下なのだ。

 

 第三四戦隊と第五二戦隊もあっという間に陣形再編を終えて、第二分艦隊のフォーメーションBは完成した。そして、勢いに任せてバラバラに向かってくる二時方向の敵に突入していった。第三六戦隊は広範囲に火力を投射して、敵の機動を牽制する。

 

 味方の戦艦群は駆逐群の援護を受けながら突進して、ミサイルとビーム砲の大火力を敵に叩きつけた。防御力場が弱い巡航艦を主力とする敵は次々となぎ倒されていくが、一向に怯む様子を見せずに前進を続ける。身分と階級の高さがほぼ比例している帝国軍は、上下の結束が極めて弱い軍隊であった。凡百の指揮官がこんな強引な用兵をしたら、帝国兵はたちまち逃げ散ってしまう。目の前の敵の統率ぶりは常識を超えている。手に汗がじんわりとにじみ、緊張で腹が痛くなる。すがるような気持ちでチュン大佐に話しかけた。

 

「帝国軍には珍しく戦意が旺盛な部隊だね。艦隊運動が稚拙とはいえ、厄介な相手かもしれない」

「このような統率は凡将のなせる技ではないのは確かです。しかし、用兵にはあまり慣れていないようですね。防御の弱い巡航艦で強引に前進を続けようとするのはいただけません。巡航艦の長所である足を自分から殺してしまっています」

 

 冷静な分析に安心した。俺から見たら得体のしれない強敵でも、チュン大佐には穴が見える。彼が参謀長で本当に良かった。

 

「どうする、参謀長?」

「火力密度を高めましょう。牽制から撃破に目標を切り替えるのです。今なら面白いように当たるでしょう」

「そうだね。せっかく巡航艦が得意の機動戦を捨ててくれているんだ。少しでも打ち減らさないとね」

 

 チュン大佐の意見に従い、援護砲撃の投射範囲を狭めて高密度の火線を構築した。第三四戦隊と第五六戦隊の攻撃を正面から受け止めていた敵は、側面から飛んでくる第三六戦隊の砲撃に勢いを削がれた。足が止まったところで、味方の巡航群が上下から敵に躍りかかっていく。駆逐群は敵に肉薄して、巡航群を援護する。

 

 巡航艦は戦艦に比べると火力も防御も弱いが、その分機動性に優れる。死角からの敵の脇腹を食い破るのが巡航艦の真骨頂であった。正面の戦艦群と上下の巡航群の攻撃の前に、足を封じられた敵の巡航艦は次々と火球と化していった。敵がいかに優れた統率力の持ち主であっても、三方向からの攻撃には対応できない。

 

「よし!全速で敵中を突っ切れ!」

 

 クレッソン少将の合図で第二分艦隊は敵の艦列に空いた穴に殺到していった。戦艦と巡航艦が広げた穴を駆逐艦に守られた揚陸艦、補給艦、輸送艦などが通り抜けていく。穴は断裂となって、敵の艦列をずたずたに切り裂いた。

 

「敵の援軍が来る前に離脱する!速度を緩めず、前進を続けろ!」

 

 第二分艦隊は勢いに乗ってそのまま突き進み、敵を突き放していった。撃破された部隊はもちろんのこと、もう片方の部隊も第二分艦隊を追ってこようとはしなかった。

 

「やったぞ!」

 

 司令室はこの不毛な遠征で初めて獲得した勝利に湧き上がった。味方や住民相手の不毛な戦いを強いられ、ようやくまともな敵と巡りあって勝つことができた。嬉しくないわけがない。俺も提督としての初めての戦いを何事も無く乗り切ったことに安心した。

 

「無事に終わって良かった。用兵には自信がなかったけど、どうにか仕事ができたよ」

 

 脇に控えているチュン大佐に話しかける。彼とは勝利の喜びを真っ先に共にしたかった。

 

「敵が欲を出して我々を撃破しようとしてくれたおかげで助かりました。巡航艦の機動力を生かして、徹底的にこちらの機動を阻害してきたら厄介でした」

「後続が来るまで足止めされたら、俺達は確実に負けるからね」

「積極性は指揮官にとってもっとも重要な資質です。敵の指揮官もそこを見込まれて起用された人物なのでしょう。しかし、今回はそれが我々に幸いしました」

「クレッソン少将の指揮も良かったよ。敵のミスに恵まれ、上官に恵まれ、そして参謀長のような部下に恵まれた。俺は本当に運がいい」

 

 俺一人だったら、巡航艦で強引に突っ込んできて、なぎ倒されてもひるまずに前進を続ける敵にびびってしまっていたに違いない。理解できない相手というのは、何が起きるかわからない戦場においては最も恐ろしい相手だからだ。

 

 しかし、チュン大佐は相手の非常識な統率力を評価しつつ、冷静に弱点を見抜いた。クレッソン少将は敵の連携の悪さを見抜き、一点突破をはかることで離脱に成功した。正規艦隊で鍛えられた精鋭が俺の手元にいたのも幸運だった。指示を出せば、すぐに思い通りの動きをしてくれる。

 

「運は引き寄せるものです。運が強いというのは立派な能力です」

「俺も偶然を味方に付けられるようになってきたのかな」

「もともと閣下には偶然が味方に付いているでしょう」

「まさか」

「閣下は何度と無く命拾いをしています。そして、大勝負は絶対に落としません。一度や二度であれば偶然です。しかし、何度も重なったら、能力とみなして良いのではないでしょうか」

 

 チュン大佐の指摘を受けて考えてみる。今の人生になってから、間違いなく死ぬと思ったことが三回あった。人生がかかった大勝負で負けたことも無い。たまたま大功が転がり込んできたこともあった。

 

 漠然と「俺は無能なのに、運が良かったおかげで若くして提督になれた」と考えていた。しかし、こんな幸運が続くというのは、確率論的に考えるとおかしい。たしかにこれは能力の一つと考えていいのかもしれない。

 

「そうだね。偶然と考えるにはあまりにできすぎている」

「実力で得た勝利でも運で得た勝利でも、勝利は勝利です。閣下は勝てる指揮官になれるかもしれませんね」

 

 まさか、と言いかけてやめる。俺が勝てる指揮官にならなければ、その分だけ部下が多く死ぬ。ヴァンフリート四=二では俺の未熟さゆえに、部下を死なせてしまった。ゲベル・バルカルの戦いでもちゃんと経験を積んでいたら、戦死者を少しは減らせたかもしれない。なれるわけないなんて言っていてはダメだ。指揮官であるからには、勝てる指揮官を目指さなければ。差し当たっては、イゼルローン要塞に戻るまで勝ち続ける。そして、一人でも多くの部下を生きて帰らせる。ボロディン中将が最後に語った指揮官の義務を果たす。

 

「そうだね。なってみせる。俺が勝てるよう、これからも助けてほしい」

「おまかせください」

 

 チュン大佐は笑顔で見事な敬礼をした。俺も笑顔を作って敬礼を返す。方針を決めて指示を出すのは指揮官、各部隊に説明を添えて詳細を伝達するのは参謀長。良い参謀長を得なければ、勝てる指揮官にはなれない。チュン大佐が参謀長でいてくれるなら、きっと俺は勝てる指揮官になれる。そう思った。



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第八十九話:連戦の果てに 宇宙暦796年10月25日~26日 ヒルダース星系~辺境宙域某所 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 一〇月二五日、第二分艦隊はヒルダース星系で第三分艦隊と合流を果たした。先任司令官として第三分艦隊をも指揮下に収めた第二分艦隊司令官クレッソン少将は、各部隊にプートリッツ星系への進軍を指示。第一分艦隊、第四分艦隊、そしてアインベルク星系から逃れてきた後方支援集団を指揮下に収めた第一二艦隊司令官代行ヤオ・フアシン少将もまたプートリッツ星系に向かっていた。

 

「…こちら、自由惑星同盟軍クラインゲルト駐留軍。衛星軌道上から帝国軍が降下しつつあり。地上には将兵一〇万四〇〇〇名、民間人三〇〇〇〇名。脱出手段無し。救援を求む。救援を求む」

「…自由惑星同盟軍の方!自由惑星同盟軍の方!私は解放区民主化支援機構ヘルスブルック駐在代表部の者です!ヘルスブルックには民間人と軍人合わせて九万人が取り残されています!お願いです!助けに来てください!」

「…同盟軍はいないのか!?全滅したのか!?いたら返事をしてくれ!レーニンゲンに来てくれ!基地は敵に取り囲まれて、食料も尽きた!中には五万人がいる!女子供もいる!奴隷になるぐらいなら、みんな死ぬと言っている!医療チームは自決用の毒薬カプセルを配ってる!死ぬのは嫌だ!助けてくれ!」

 

 通信機から聞こえてくる悲痛な叫びは、占領地に取り残されて孤立した駐留部隊の将兵、民主化支援機構の職員、民間企業の駐在員などから送られてきたものであった。

 

 後方の占領地では地上部隊が民主化支援機構とともに統治にあたり、総司令部直轄の艦艇部隊が惑星間の航路を警備していた。しかし、帝国軍の反攻が始まると総司令部は「決戦用の予備戦力確保」と称して、地上部隊に何のことわりもなく、艦艇部隊をすべてイゼルローン要塞に引き上げてしまった。地上に取り残された軍人や民間人は戦闘能力を持たない艦艇で敵地を航行するわけにもいかず、ひたすら救援を求め続けた。

 

 前線に近い占領地にいた人々は駐留していた正規艦隊の軍艦に便乗して脱出できたのに、安全な後方の占領地にいたはずの人々が危険に晒されてしまったのは皮肉としか言いようがない。

 

 助けを求める声に耳をふさぎながら、俺達は航行を続ける。助けようとしたら、俺達が敵に捕捉されてしまう。情けない話だが、他人を犠牲にして自分が助かるか、自分を犠牲にして他人を助けるかを問われたら、俺は躊躇なく前者を選ぶ。それでいて、他人を犠牲にして生き延びることには後ろめたさを感じる。ボロディン中将のように身を捨てて人を救うことも、ロボス元帥のように何の罪悪感も感じずに他人を犠牲にすることもできない。本当に中途半端な凡人だ。心の中で謝り続けて、罪悪感をごまかす以上のことは俺にはできなかった。

 

 ヤオ提督と合流できれば、俺達の戦力は九〇〇〇隻を越える。シャルマ少将の後方支援集団から補給も受けられる。それを希望にプートリッツ星系へ進んでいた俺達は、ヒルダース星系を出発してから六時間後の二一時に、惑星デュンマー周辺宙域で帝国軍と遭遇した。メインスクリーンには、球状に展開する五〇〇〇隻ほどの部隊が映っていた。

 

「球状陣は広い索敵視野を取れる防御陣。しかも、攻撃空母と駆逐艦がやや多めで防御重視の編成がなされています。敵は足止めに徹するつもりでしょう。こちらの戦力は約四三〇〇隻。少々分が悪いです」

「昨日の敵と違って、手堅い用兵をするんだね。こんな時には厄介だ」

「艦列の密度がやや薄いです。そこに付け入る隙があるかもしれません」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐の指摘を受けて、敵の艦列を観察した。確かに密度はあまり高くない。広大な宇宙空間にあって防御陣を敷く場合は、艦艇間の距離を短めにとって密度を高め、敵の浸透を防ぐのがセオリーだった。しかし、眼前の帝国軍の布陣はそのセオリーに反している。

 

「練度が低いのかな?艦艇間の距離を詰めたままで艦隊運動を行うのって、意外と難しいからね。ぶつかったりしたら、目も当てられない」

「昨日戦った敵の艦隊運動も低レベルでした。ローエングラム元帥は七ヶ月前に元帥に昇進してから、各級部隊の指揮官と艦長をすべて若手に入れ替えています。もともと帝国軍の部隊運用は我が軍に劣っていました。入れ替えによってさらに劣化している可能性があります」

「運用は経験の世界だからね。センスでは補えない」

「戦意、補給は敵の方が優っています。我々は将兵の経験を頼りにしましょう」

 

 チュン大佐の言葉にうなずく。昨日の敵の艦隊運動は稚拙だったが、勢いはあった。戦場においては、勢いはしばしば緻密さに勝る。足を止めたら、あっという間に押し流されてしまう。一日の長がある艦隊運動でひっかき回し、敵の勢いを殺す。それが同盟軍の取るべき戦術だ。

 

「我が軍は疲れきっている。物資も足りない。経験豊富な将兵も体が動かなければ、艦を動かせない。我が軍は長時間動くことができない。そこがネックだね」

「相手の虚を突き、勢いを発揮できないうちに決着させる。短期決着あるのみです」

 

 動き回ればそれだけ多くの体力と物資を消耗してしまう。占領地で体力と物資を際限なく削り取られた同盟軍に余力はない。チュン大佐の判断は理にかなっている。

 

「フォーメーションBをとれ!敵に主導権を渡すな!速攻あるのみだ!」

 

 サブスクリーンから、クレッソン少将の指示が飛んできた。チュン大佐と同じように、短期決着が正しいと判断したのは間違いない。

 

「フォーメーションBに変更。突入部隊の援護を行う」

 

 俺はマイクを使って第三六戦隊配下の部隊指揮官に指示を飛ばした。参謀長のチュン大佐は指示の詳細及び戦域情報を部隊指揮官に伝達し、参謀に俺の方針を伝えて業務を割り振る。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊の打撃部隊は、まっすぐに敵の球状陣に突入していく。戦艦が対艦ミサイルを乱射すると、密度の薄い敵の艦列に大きな穴が空いた。巡航艦は戦艦が開けた穴に突っ込んでいく。攻撃母艦から発信した艦載機は巡航艦とともに敵をひっかき回し、迎撃に出た敵艦載機と戦う。駆逐艦は巡航艦や艦載機を排除しようとする敵駆逐艦を攻撃する。

 

「全艦で敵の側面に回りこみ、艦列の薄い部分を狙い撃て」

 

 第三六戦隊は他の部隊とともに球状陣の側面に回りこむと、距離をとりつつ対艦ミサイルやビーム砲を叩き込んで、正面から突入する打撃部隊を支援した。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊を迎え撃つ敵の動きは鈍かった。各艦や各部隊が動き出してから、実際の行動に移るまでの時間が長すぎる。しかも個々の動きはバラバラで統制が取れていない。戦意は恐ろしく高く、このような状況にあっても必死で踏み留まろうとしている。それでも、練度不足は明白であった。

 

 劣勢に陥った敵は後退を始めた。距離をとって態勢を立て直し、長距離戦に持ち込もうとしているのであろう。練度が低い部隊を率いる際の常套戦術だ。去年のティアマト星域会戦において、精鋭のホーランド分艦隊を迎え撃った帝国軍左翼部隊指揮官がこの戦術で勝利を収めている。しかし、クレッソン少将にはこれ以上帝国軍と戦い続けるつもりはなかった。

 

「今だ!全速で離脱せよ!」

 

 クレッソン少将の指示と同時に、第二分艦隊と第三分艦隊は素早く敵を突っ切っていった。デュンマー周辺宙域から離脱し、さらに別の恒星系に入る。

 

「また勝ったぞ!」

 

 第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室は、喜びの声に包まれた。二日連続で帝国軍を振りきったのだ。失いかけていた自信を蘇らせるには十分であったろう。しかし、俺は手放しで喜んでいられなかった。

 

 第三六戦隊は昨日の戦いで五パーセントにあたる三二隻を失っている。他の部隊も同じぐらいの損害を受けていた。撤退行の中で蓄積された疲労が将兵の集中力を低下させ、損害を増大させたのである。今回の戦いでもそれなりの損害は出ているはずだ。

 

 物資の消耗も激しい。燃料、修理部品の不足は特に深刻だった。占領地で全く使わなかった対艦ミサイルとビーム砲用エネルギーパックは潤沢だったが、そんなのは慰めにもならない。あと一回戦いがあれば、イゼルローンに付く前に艦が動かなくなる可能性もある。

 

「閣下!」

 

 俺の後ろ向きな思考は副官シェリル・コレット大尉の弾んだ声に中断された。振り向くと、コレット大尉がにっこりしてハイタッチを求めている。初めて彼女と一緒に仕事をした去年の九月のことを思い出す。

 

 エル・ファシル解放運動のテロ部隊を撃退した俺が喜びを分かち合おうと周囲を見回した時、彼女はつまらなさそうに目を逸らした。それが今では自分からハイタッチを求めてきている。不健康な太り方をしていたのに、体の体積が半分になったんじゃないかと思えるぐらいに痩せた。変われば変わるものだ。

 

 コレット大尉の変化が嬉しくなった俺は、笑顔を作って力強くハイタッチを交わした。漂白したように真っ白でやたらときれいに並んでいる歯が口元から覗いていたのが印象に残った。

 

 司令室にいる三〇人あまりのスタッフはどのように喜んでいるのか、興味を感じた俺は周囲を見回した。

 

 参謀長のチュン大佐は一歩引いた場所でいつもと同じようにのほほんとした顔をしている。いつもなら、ポケットから潰れたパンを取り出していたに違いない。

 

 情報部長のハンス・ベッカー中佐や後方部長のリリー・レトガー中佐は、いろんな人に笑顔で話しかけている。老若男女を問わず、無差別に喜びをわかち合っているところが社交的なこの二人らしい。

 

 人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐と作戦部長代理のクリス・ニールセン中佐は騒ぎに加わらずに、デスクで端末を操作している。彼らは本当に真面目だ。少しは浮かれてもいいのにと、苦笑させられる。

 

 作戦参謀のエドモンド・メッサースミス大尉は若い女性にばかり話しかけていた。真面目な彼もやはり二〇代前半の若い男性なのだ。浮かれて羽目を外してしまうのも愛嬌だろう。他の若手男性参謀も似たり寄ったりであった。

 

 人事参謀のエリオット・カプラン大尉は、いつもと変わらず所在なさげにサトウキビをかじっている。シュテンダールで住民にベースボールを教えた彼は、餞別としてダンボール二箱分のサトウキビをもらった。撤収後はサトウキビをかじる、人にサトウキビを薦める以外に何もしていない。すっかり、いつもの怠け者に戻ってしまった。

 

 喜び方一つをとってもそれぞれの個性が出ていた。凡庸な感想ではあるが、みんな一人の人間であるということをあらためて感じる。この場にいない部隊指揮官、艦長、士官、下士官、兵士もみんな一人ひとり違う個性を持ち、違う喜び方をするのであろう。何としても彼らを生きて帰らせなければならない。

 

 

 

 デュンマー周辺宙域の戦いが終了してから七時間後の一〇月二六日の朝七時。仮眠を終えた俺は、司令室に入った。入れ替わるようにニコルスキー中佐が司令室を出て仮眠室に向かう。参謀やオペレーターは交代で仮眠を取りながら、いつ起きるかわからない戦闘に備えていた。

 

「おはよう、コレット大尉。俺が寝てる間もマイクテストは無かった?」

「あったら、起こしてます」

「ああ、それはそうだ。寝ぼけてた」

 

 第五艦隊司令官ビュコック中将のマイクテストは、二四日の朝五時を最後に途絶えてしまっていた。どの星域に敵がいるか、どの星域で航路障害が発生しているかを知る術を、今の俺達は持っていない。撤退行は完全に運任せになっていた。一寸先も見えない不安の中、俺達は真っ暗な宇宙空間をひたすら突き進んでいたのである。

 

「第五艦隊はアーデンスリート星系で戦ってたはずだ。こちらに情報を流す余裕が無いのだろうな」

「流してくれているのに届いていないのかも。妨害電波が飛び交う戦地では、遠方に通信を送っても届かないことも珍しくありませんから」

「なるほど、ドゥルマ軍曹の意見にも一理ある。あのビュコック提督が戦にかまけて我々のことを忘れるとも思えん」

 

 戦隊チーフオペレーターのクロード・ヴィレール少佐と、戦術オペレーターのクリスティーヌ・ドゥルマ准尉が、マイクテストが途絶えた理由を推測しているのが聞こえる。

 

「第五艦隊は既に壊滅してしまったとか」

 

 オペレーターの中で最も若いナターリヤ・セーニナ軍曹の一言に、司令室の空気が一瞬固まった。

 

「何を言ってるんだ、君は!?あのビュコック提督が負けるはずがないだろう!根拠のないことを言うな!」

 

 顔色を変えたヴィレール少佐は、頭ごなしにセーニナ軍曹の発言を否定する。しかし、司令室にいる者は全員知っていた。第五艦隊が壊滅していないという根拠も無いことを。

 

「イゼルローンまでの道がすべて帝国軍に制圧された可能性だって…」

「今のところ、遭遇したのは敵軍ばかりだからな。友軍は影も形もない」

「本当に我々は生きて帰れるのか…」

 

 司令室のあちこちから不安の声があがる。マイクテストを話題に出したのは失敗だった。現在の極限状態にあっては、言葉一つが大きな不安を呼び起こす。配慮が足りなかった。そこに緊急連絡を知らせる特別な呼び出し音が鳴り響いた。

 

「第三九偵察隊より報告!三〇光分先の前方宙域で友軍と敵軍が交戦中!友軍はおよそ五〇〇〇、敵軍は一万以上!」

 

 不安に陥っていたスタッフは偵察隊の報告に声を失った。いかに練度の差があるとはいえ、倍以上の戦力を持つ相手では分が悪すぎる。

 

「うろたえるな!四〇〇〇の我が軍が救援すれば、味方は九〇〇〇!十分に対抗できる!」

 

 俺は大声でスタッフ達を叱咤した。本当に叱咤したかったのは、弱気に囚われた自分自身である。内心はどうあれ、部下の前では指揮官は前向きでなければならない。後ろ向きな指揮官は部下の戦意を萎えさせる。

 

「後方に敵部隊出現!数は三〇〇〇!巡航艦を主力とする高速部隊です!こちらに全速で接近してきます」

 

 相次ぐ凶報に血の気が引いていった。数の上では俺達がやや有利であるが、前方宙域に敵の大軍を控えている現状では、どうしても浮き足立ってしまう。しかも、敵は後方から現れた。追いかけてくる敵と戦うのは、いろいろとやりにくい。

 

「前方宙域に我が軍を追い込んで、押し潰すつもりでしょう」

「そうだな。わかっていても、俺達は前進するしか無い。友軍と合流する以外に勝機は無い」

 

 チュン大佐と目前の敵への対処を話し合っていると、サブスクリーンにクレッソン少将の顔が現れた。

 

「全艦、全速前進!前方宙域の友軍と合流し、敵軍を迎え撃つ!」

 

 クレッソン少将で無くても、同じ判断を下したに違いない。敵は出現と同時に俺達の選択肢を限定してしまった。先手を打てないのなら、戦力を集中して立ち向かうしかなかった。

 

 第二分艦隊と第三分艦隊は後方にありったけの機雷を射出して、敵の高速部隊の進路を妨害しつつ、全速で前方宙域に突入していく。

 

「なんだ、あれは!」

 

 そこには驚くべき光景が展開されていた。同盟軍は二手に分かれ、片方の部隊は縦横無尽に動き回って帝国軍の砲火をかわしつつ、突入と離脱を繰り返して効果的な打撃を加えていた。帝国軍が数の優位を生かして包み込もうとするたびに、艦列の薄い部分から砂粒のようにすり抜けていく。もう片方の部隊は巧みに位置を変えながら、集中砲火を浴びせて帝国軍を牽制し、態勢を立て直す暇を与えない。目の前の同盟軍は障害物を使わず、巧みな連携によって半数の兵力で帝国軍を圧倒していたのである。

 

「凄いな。こんな方法で大軍を足止めできるなんて、初めて知った」

 

 俺もスタッフもスクリーンの中で繰り広げられる用兵の芸術に、ひたすら感嘆を覚えていた。そんな中、参謀長のチュン大佐は一人うかない顔をしている。

 

「どうしたの、参謀長?」

「確かに素晴らしい用兵ですが、長続きはしません。牽制にあたっている部隊はともかく、敵中を動き回っている部隊は激しく消耗しているはずです」

「ああ、そうか」

 

 数の少なさは速度で補うことができるが、体力と物資は有限である。敵の二倍動けば、消耗も二倍だ。少数精鋭による機動戦は短期戦の戦術であって、長期戦では不利になる。まして、同盟軍は占領地でその両方を消耗しているのだ。チュン大佐の言う通り、そう長くは戦えない。

 

「あと一万隻、いや七〇〇〇隻の予備戦力があれば、あの用兵で目の前の帝国軍を間違いなく撃破出来ました。しかし、現状では足止めが精一杯です」

「こちらは四〇〇〇隻、しかも後ろから高速部隊が追いかけてきてる。合流しても勝ち目は薄いかな」

「普段の帝国軍であれば、あれだけ引っかき回されたらとっくに崩れているはずです。しかし、目の前の帝国軍は秩序を保っています。シファーシュタットやデュンマーで戦った敵も帝国軍とは思えないほどに高い戦意を持っていました。そして、積極的に仕掛けてきます。過去の帝国軍とは違うと考えるべきでしょう。練度が低いとはいえ、容易ならざる敵です」

「ああいう敵は何をやってくるかわからないからね。長引けば長引くほど不利だけど、短時間で打ち破るのも無理。苦しいね」

 

 苦しくても、合流して戦う以外の選択肢は俺達にはなかった。後方から迫り来る高速部隊を短期決戦で打ち破れる見通しは薄かったし、目の前で勇戦している味方を見捨てることもできない。

 

「コレット大尉、第二分艦隊司令部に通信を入れてくれ。意見具申をする」

 

 副官のコレット大尉を呼び、第二分艦隊司令部に通信を入れようとしたその瞬間、スクリーンに分艦隊参謀長ジェリコー准将の顔が映った。先に連絡を入れてくれるとはありがたい。

 

「参謀長、目の前の味方についての意見ですが…」

 

 俺が口を開きかけたにもかまわず、ジェリコー准将は早口で用件を伝えた。

 

「第九艦隊第一分艦隊から通信が入っている。分艦隊から隊までの全レベルの指揮官及び全艦の艦長に聞いてほしいとのことだ。第三六戦隊の指揮官及び艦長に通知するように」

「目の前の部隊は第九艦隊第一分艦隊なんですか?」

「そうだ」

 

 第九艦隊第一分艦隊のライオネル・モートン少将は同盟軍屈指の名将と言われている。屈指ではなくて最高だと主張する意見も多い。彼が指揮しているなら、あの戦いぶりも納得できる。しかし、なぜ総司令部から交信を禁じられている俺達になぜ堂々と通信を入れてきたのだろうか。

 

 疑問を抱えながらも、チュン大佐とコレット大尉に命じて、第三六戦隊の指揮官や艦長にジェリコー准将の指示を通知させた。

 

 数分ほどすると、スクリーンにモートン少将が現れた。角張った顔には多くのシワが刻まれ、四五歳という年齢より数年は老けて見える。鉄仮面とも言われる無愛想な表情は、噂で聞いたとおりである。左手で敬礼をしているのは、若い頃の戦傷で右手が不自由になっているためだ。

 

 兵役を満了した後に下士官に志願して職業軍人の道を歩んだ彼は、鋼鉄に例えられる不屈の戦闘精神によって異数の武勲を重ね、最高勲章の自由戦士勲章を受章すること二度、事実上の二階級昇進を果たすこと二度、受章した武功勲章は数え切れず、「同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督」と評される。四〇代にして、士官学校卒業者でも二パーセントしか到達できない少将の階級を得た英雄の口から何が語られるのか。司令室は緊張に包まれた。

 

「第一二艦隊の皆さん。第九艦隊第一分艦隊のライオネル・モートンです。我々は第三艦隊第二分艦隊の協力を得て、第九艦隊主力を退避させるべく、当宙域において遅滞戦闘を展開しております」

 

 ビュコック中将の情報によると、第九艦隊は占領地からの撤収が他の艦隊より遅れていた。分散した状態で捕捉された可能性が高い。モートン少将は味方を逃がすために踏み留まったということになる。

 

 第三艦隊第二分艦隊が協力しているというのは意外だった。司令官のウィレム・ホーランド少将の用兵家としての力量は、モートン少将に匹敵するとされている。この二大名将が協力して戦っているなら、あの凄まじい戦いぶりも不思議ではない。占領統治に例外的な成功を収めたおかげで、ホーランド少将の部下はほとんど疲弊していなかった。他の部隊よりはるかに長く戦えるはずだ。

 

 しかし、ホーランド少将は武勲への執着が強い、スタンドプレーも多い。アンドリューとともに今回の遠征を実現させるために動いたのも、武勲欲しさゆえだった。他人のために戦うような人物とは思えなかった。ようやくめぐってきた武勲の機会に勇躍しているのか、それとも別の思惑があるのか。にわかに判断しがたい。

 

「昨日、総司令部より全軍にアムリッツァ星域への集結命令が出ました。前線から撤収してきた部隊を糾合して、勢いに乗った敵がイゼルローン回廊に雪崩れ込むのを阻止するべく、決戦を挑むとのことです」

 

 アムリッツァは前の歴史の帝国領遠征において、敗走した同盟軍が最後の決戦を挑んだ場所だった。疲れきった同盟軍は数と勢いに勝る帝国軍相手に惨敗を喫し、正規艦隊はヤン・ウェンリー中将率いる第一三艦隊を除いてことごとく壊滅した。遠征軍総司令部は今の歴史でも帝国軍と決戦して、メンツを保とういう誘惑に駆られたらしい。体中から血の気が引いて行く音が聞こえたような気がした。

 

「アムリッツアでは補給部隊が待機しています。到着すれば補給が受けられるはずです」

 

 アムリッツァ星域はこの宙域から三日ほどの距離にある。敵の追撃と物資不足に怯えつつ、一週間近くはイゼルローンを目指して航行しなければならないと見ていただけに、あと三日頑張れば補給が受けられるというのは嬉しい。早くモートン少将達と合流して、ともに目の前の敵を振り切るべく戦おうという気持ちがどんどん膨らんでいく。

 

「第三艦隊、第五艦隊、第八艦隊、第一〇艦隊、第一三艦隊の主力はいずれも健在。第九艦隊主力もじきに安全宙域に到達します」

 

 遠征に参加した八個艦隊のうち、六個艦隊の主力が健在。その知らせに俺は安堵した。司令官が死んだであろう第一二艦隊もまだ一万隻近い戦力を残している。帝国内地の近くで襲撃を受けた第七艦隊は絶望的だったが、それでも前の歴史よりずっと良い条件で占領地からの撤収を済ませることができた。

 

「皆さんの勇気ある行動のおかげで、我々は敵の反攻が始まる前に占領地から撤収することができました。我々は軍人です。感謝は言葉ではなく、行動によって示しましょう。敵の追撃は我々が命に替えても阻止します。皆さんはすぐに当宙域を離脱して、アムリッツァを目指してください」

 

 モートン少将の申し出は衝撃的だった。交信を禁止した総司令部の命令を真っ向から無視して情報を流すに留まらず、命を賭けて第一二艦隊の後退を援護しようというのだ。無愛想な顔の下に秘められた熱い心に触れて、涙が出そうになってしまう。

 

「我々は皆さんが安全宙域まで退避したタイミングを見計らって、退避するつもりです。ですから、遠慮せずに離脱してください。この私とホーランド少将が一緒にいれば、帝国軍に負けたりはしません」

 

 それは虚勢ではなく、実績に裏打ちされた静かな自信であった。長くは戦えないというチュン大佐の分析を聞いてもなお、負けないのではないかと思わせる。そんな雰囲気がモートン少将にはある。

 

「ここで死ぬつもりなど毛頭ありませんが、最後の戦場になっても構わないという気持ちはあります。統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部のエリートの出世を助けるための戦いではなく、戦友を救うための名誉ある戦いをさせていただけることを感謝いたします」

 

 信じられないことにモートン少将は笑顔を浮かべた。それはいかにもぎこちなく、無理に作ったような笑顔であった。だが、笑顔で俺達を見送ろうという気持ちはひしひしと伝わってきた。どこまでもモートン少将らしい無骨なメッセージに心を打たれた。

 

「閣下、ご指示を」

 

 俺を現実に引き戻したのは、参謀長のチュン大佐だった。いつまでも感動の余韻にひたってはいられない。指揮をとらなければ。

 

「作戦部はアムリッツァ星系までの行軍計画の策定。情報部は航路の分析。後方部は物資の残量確認及び配分計画の見直し。人事部は将兵の状態を確認し、アムリッツァ到着に向けた勤務ローテーションの指針を作成すること」

 

 参謀に指示を出した後、配下の群司令とビデオ会議を開く。部隊間の調整は文書だけでは難しい。相手の顔を見てちゃんと話す必要があるのだ。

 

 数十隻から百隻ほどの艦艇を指揮する群司令は、士官学校を卒業したものの出世コースから外れて将官になれる見込みが薄い者、兵卒や下士官から叩き上げたベテランなどに与えられることが多い非エリートポストである。そのため、第三六戦隊の群司令には、二〇代で将官になった俺に反感を抱く者が多かった。しかし、遠征中に苦楽を共にしていくうちに、だんだん気持ちが通じ合うようになっていた。

 

「第三艦隊第二分艦隊の司令部から、閣下宛に電文が入っています」

 

 その知らせを持ってきたコレット大尉の頬は緩んでいた。そういえば、第三艦隊第二分艦隊の参謀長はあの人だ。変なこと書いてるんじゃないだろうか。悪い予感がする。

 

「なんだろう。読んでみて」

「はい。『帰ったら第二分艦隊司令部食堂のヨーグルトパフェを君にあーんしてあげるって約束覚えてるよね?ちゃんと生きて帰んなさい。変なとこで死んだら怒るよ。第三艦隊第二分艦隊参謀長イレーシュ・マーリア大佐』…。以上です」

 

 軽くこめかみを押さえた。ヨーフルトパフェをおごってもらう約束が、いつの間にかあーんしてもらう約束になってしまっている。

 

 イレーシュ大佐は恩師と言っていい人だが、俺をからかうのを楽しんでいるふしがあった。それでも、俺を心配してくれているのはわかる。イレーシュ大佐から見たら、俺は危なっかしくてたまらないのだろう。七年前に知り合ってからずっと子供扱いされているが、貫禄も身長も俺よりずっと大きい彼女相手なら、素直に受け入れられる。

 

 激戦のさなかにあって、参謀長がこんな電文を送ってよこす余裕があるというのは頼もしいとも思った。第三艦隊第二分艦隊司令部の空気はかなり明るいようだ。ホーランド少将のリーダーシップ、イレーシュ大佐の司令部運営能力がうまく噛み合っているのであろう。

 

「コレット大尉、返信をお願い。『ヨーグルトパフェおごってもらうまでは絶対に死にませんよ。大佐に怒られるの怖いですから。そういえば、第二分艦隊司令部食堂はパンケーキもおいしいですよね。第一二艦隊第二分艦隊第三六戦隊司令官エリヤ・フィリップス准将』って」

 

 笑いをこらえきれなさそうな表情でコレット大尉はキーボードを打ち始めた。一年前と比べると、表情が随分豊かになった。一緒に仕事を続ければ、彼女はどんなふうに変わっていくのだろうか。

 

 チュン大佐、ベッカー中佐、レトガー中佐、ニコルスキー中佐、ニールセン少佐、メッサースミス大尉らの変化も楽しみだ。当初は確執があったものの最近は気持ちが通じるようになってきた副司令官ポターニン大佐、第一二四戦艦群司令ハーベイ大佐らとの関係はこれからもっと良い方向に進んでいくに違いない。このメンバーでもっと戦いたいという思いを新たにする。

 

「これよりアムリッツァに向かう。到着したら腹いっぱい食べられる。ゆっくり眠れる。あと三日頑張ろう」

 

 俺はマイクを手にして、第三六戦隊の将兵に呼びかけた。権力者の都合に振り回された最低の戦いの中にあって、彼らは文句も言わずに俺に付いてきてくれた。彼らに明るい未来を信じさせること。それが今の俺の果たすべき義務であった。



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第九十話:一息ついてため息をつく 宇宙暦796年10月29日~30日 アムリッツァ星系 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 モートン少将とホーランド少将の援護によって逃げ延びた俺達は、数度の戦闘を経て第一二艦隊司令官代行ヤオ・フアシン少将との合流に成功。すべての分艦隊が揃った第一二艦隊はまっしぐらに一〇月二九日に同盟軍が集結しているアムリッツァ星系の外縁まで到達した。

 

 待ちに待った味方との合流である。それなのに第一二艦隊の将兵の気持ちは沈んでいた。敵地を脱出するという目標を達した瞬間、第一二艦隊司令官ボロディン中将の抗命行為に加担した自分達の立場を思い出して、不安になったのだ。一個艦隊が無断で撤退するという前例のない不祥事に軍がどのような厳しい処分を下すのか、想像もつかなかった。

 

「全員軍法会議行きかな」

「将官と大佐クラスは死刑か終身刑、士官は懲役刑、下士官兵は不名誉除隊じゃないか?」

「下士官兵だって懲役の可能性はある」

「いやいや、口封じに全員殺されるかもしれんぞ。軍法会議を開いたら記録が残るからな」

 

 そのような会話があらゆる場所でかわされているという報告を受けた。

 

「いっそ帝国軍に降伏すれば良かった。門閥貴族だってあの総司令部よりははるかに慈悲深いだろうよ」

 

 こんなことを言う者もいるそうだ。帝国の門閥貴族といえば、同盟では悪魔のような圧制者というイメージが強い。今や総司令部は悪魔より無慈悲な存在とみなされているのである。

 

「どうせ殺されるなら、いっそイゼルローン要塞まで攻め込んでやろうか。総司令部に一矢報いてやらなければ、死んでも死にきれない」

 

 この発言を報告した第一二四戦艦群司令デイビッド・ハーベイ大佐は、「小官も同感である。戦隊司令部には考慮願いたし」と殴り書きで所見を付していた。服従心、忠誠心、愛国心の項目でAランクと評価されるハーベイ大佐まで総司令部に対する反乱を口にしたことに、愕然とさせられた。

 

 三〇〇〇隻ほどの同盟軍部隊がアムリッツアに進入しようとする第一二艦隊の進路を塞ぐように展開し、「停戦せよ。しからざれば攻撃す」との信号を発してきた時、緊張は頂点に達した。

 

「俺達は敵扱いなのか」

 

 絶望で目の前が真っ暗になった。同盟軍の軍人になってから八年、士官に任官してから五年。無能ではあったが、無能なりに責任を果たそうと頑張ってきたつもりだった。ボロディン中将の抗命行為に加担したのも指揮官としての責任を果たすためだった。逮捕されるにしても、犯罪者として扱われるものと思っていた。それが明確な敵扱いという形で報われるなんて、想像もしなかった。

 

「国を捨てて三年。今度はこちらが国に捨てられる番になるとは思いませんでした。神罰が当たったんですかね」

 

 情報部長ハンス・ベッカー中佐は亡命者らしい表現でやるせない気持ちを吐き出す。

 

「司令官閣下!グリーンヒル総参謀長は小官の恩師であります!事情を話せばきっと分かってくれます!交信の許可を!」

 

 蒼白な顔で叫ぶエドモンド・メッサースミス大尉の姿にいたたまれなくなって目を逸らした。若い彼はわかっていない。軍服を着た政治家は情愛や善意では動かない。メッサースミス大尉以外の子飼いの将来にも責任を負うグリーンヒル大将を動かせるのは、政治的な利害だけだ。親しみやすい好人物でも、軍服を着た政治家である以上はそうでなければならないのだ。

 

 司令室の中は失望と怒りと恐怖に満たされた。他の部署が同じような状況に陥っていることは確認するまでもない。前向きな気持ちを失った第三六戦隊の将兵を励ますことなど、もはや不可能だった。

 

 耐え切れなくなった俺が第二分艦隊司令部に対応を問い合わせると、参謀長ジェリコー准将の顔がスクリーンに映った。

 

「参謀長!我々は一体どうすれば良いのでしょうか!?ご指示をお願いします!」

 

 早口で指示を乞う。冷静に振る舞う余裕は、今の俺には残されていない。

 

「お願いです!ご指示を!」

 

 すがるように訴える俺をジェリコー准将は憂鬱そうに見詰める。戦隊司令官でありながら取り乱している俺が言えた義理ではなかったが、もう少し明るい顔をしてほしい。不安になってしまう。

 

「現在、シャルマ少将が第一二艦隊司令官代理として総司令部との交渉にあたっている」

 

 ジェリコー准将はようやく重い口を開いた。交渉が行われていることに安堵するとともに疑問を感じた。

 

「我が艦隊の司令官代行はヤオ少将のはずです。それなのに、なぜシャルマ少将が代理を名乗っておられるのでしょうか?」

「ボロディン中将とヤオ少将が命令を拒否した後、シャルマ少将は総司令部によって司令官代理に指名された。それは貴官も覚えているはずだ」

「覚えています」

 

 司令官ボロディン中将が指揮権を剥奪された直後に、総司令部から指揮権継承を命じられた副司令官ヤオ少将は拒否の返答を送った。すると、最先任の少将であるシャルマ少将が司令官代理に指名され、ボロディン中将とヤオ少将を逮捕されるように命じられた。だが、シャルマ少将はその命令を無視して、ボロディン中将とヤオ少将に従った。

 

「シャルマ少将は命令を無視したが、返答しなかっただけで明確に拒絶の意志を示したわけではない。そこで『通信封鎖のために返答が遅れたが、第一二艦隊は総司令部によって司令官代理に任命された自分が掌握している。だから、反乱部隊ではない』と主張しているのだ」

 

 無視した命令を引っ張りだした上に、ぬけぬけと責任を総司令部に押し付けて、第一二艦隊の行動の合法性を強弁する。通るかどうかはともかく、海千山千の老提督らしいしたたかさであった。

 

 七時間後、第一二艦隊と総司令部の間に合意が成立した。総司令部はシャルマ少将に与えた第一二艦隊の指揮権が効力を持っていること、一〇月一七日以降の第一二艦隊はシャルマ少将の指揮下で正当な軍事行動を行ったことを認める。第一二艦隊は逮捕命令が出ているヤオ少将を遠征軍憲兵隊に出頭させる。ヤオ少将の身柄を差し出したものの、総司令部はほぼ第一二艦隊の要求を呑んだ。

 

「窮地に追い込まれていたのは、我々だけじゃなかったということだ。総司令部も落とし所を探っていたらしい」

 

 俺に交渉結果を伝えたジェリコー准将は、拍子抜けするほどにあっけない決着の背景をそう説明した。軍規違反者が多い部隊の指揮官は、管理能力を疑われる。艦隊ぐるみの抗命ともなれば、総司令部も計り知れないほど大きな政治的打撃を受けるのは間違いない。だから、「総司令部の指示に基づいた正当な行動である」というシャルマ少将の強引な主張に飛びついたのだろう。

 

「こういう時は総参謀長ほど頼りになる人はいない」

 

 総参謀長グリーンヒル大将が総司令部側の交渉窓口になったことも事態の解決に大きく寄与した。同盟軍で最も顔が広い人物と言われるグリーンヒル大将の交友関係は、第一二艦隊の上層部にも広がっていた。同じシトレ派の仲間でもある。ロボス元帥の側近が出てきたら、第一二艦隊上層部もヤオ少将の出頭は呑めなかったはずだ。しかし、顔なじみのグリーンヒル大将であれば、も悪いようにはしないだろうという信頼感がある。顔を立てようという気にもなる。こうして話し合いはスムーズに進んだ。シャルマ少将の老獪さとグリーンヒル大将の顔の広さが俺達を救った。

 

 第一二艦隊は司令部直轄部隊に先導されてアムリッツァ星系に入り、第五惑星に築かれた臨時兵站基地で補給を受けた。食料、水、衣類、燃料、弾薬などが艦に運び込まれ、代わりに負傷者が運びだされた。艦はドッグに入って整備を受けた。将兵は基地に入ることを許されずに、艦内に留められたが、食事と休養は望むだけ与えられた。

 

 俺はこれまでの空腹に復讐するかのように貪り食った。フライドチキン八ピース、パスタ三皿、ピラフ二皿、スープ六皿、一ポンドステーキ二枚、サラダ三皿、ピーチパイ四切れ、チョコケーキ三切れ、アイスクリーム五皿が俺の腹に収まった。一緒に食事をした参謀達は俺の半分も食べていない。軍人は体が資本だというのに、そんなに少食で体がもつのか心配になる。

 

 食後は司令官居室に戻って服を脱ぎ、浴室に入った。レバーをひねると、シャワーから温かいお湯が勢い良く吹き出す。飲み水にすら不自由していた艦内では、シャワーに使える水など無かった。シュテンダールを出発してから一〇日ぶりに浴びたシャワーは、垢とともに疲れを洗い流しててくれた。

 

 満腹になり、シャワーを浴びてからすることといえば一つしか無い。俺はベッドに直行した。汗と脂にまみれて黄ばんだシーツは、洗いたての真っ白なシーツに取り替えられていた。期待に心を弾ませながらベッドに潜り込む。柔らかいシーツが素肌に触れて心地良い。ふと、ダーシャの肌がどうしようもなく懐かしくなり、すぐに深い眠りに落ちていった。

 

 目を覚ましたら、二〇時間も経っていた。我ながら良く眠ったものだと感心させられる。敵襲を意識しない睡眠は俺の心身をリフレッシュさせてくれた。シャワーを浴びて、顔を洗い、真新しい下着とジャージを着て司令官居室を出ると、艦内の空気が昨日までと全く違うように感じられる。将兵も俺と同様に満腹するまで食事を摂り、シャワーを浴びて体の汚れを落とし、ベッドで睡眠を貪った。彼らの心身に吹き込まれた活力が艦内の空気を明るくしているのだ。

 

 第一二艦隊の将兵は総司令部の統制下に入ることを認められたものの、艦から降りることも他艦隊の友人知人と交信することも禁じられている。シュテンダールから便乗していた地上部隊、支援部隊、民主化支援機構、民間企業の人員も同じ扱いを受けた。指揮権を剥奪されたボロディン中将に従った俺達に対するわだかまりがまだ残っているのだろう。そういうわけで第三六戦隊旗艦アシャンティに乗っている者も全員艦内で自由時間を過ごしている。

 

 艦内での自由時間の過ごし方は人それぞれであるが、地上と違ってできることは限られる。個人の趣味に没頭している者を除けば、大きく分けると四通りになる。

 

 一番目はトレーニング室で汗を流す者。いざ戦闘が始まれば不眠不休で戦わなければならない軍人にとって、体力はきわめて重要な資本である。そのため、どんな小型艦にも必ずトレーニング室が設けられていた。第三六戦隊司令部では、人事部長ニコルスキー中佐、副官コレット大尉などがトレーニング組であった。

 

 二番目は自室で勉強に没頭する者。ダゴン会戦以前の同盟軍人は任官後も各種学校や軍大学で勉強して専門知識を習得した。下士官養成機関となっている専科学校も本来は任官後の軍人が勉強する学校だった。しかし、戦時体制の現在では士官や下士官を前線から引き離して勉強させる余裕もなく、専門知識は業務経験を積みながら各自で習得することになっている。自習は軍人の義務であり、部下の学習意欲を喚起するのは上官の義務であった。第三六戦隊司令部では、作戦部長代理ニールセン少佐、作戦参謀メッサースミス大尉などが自習組である。

 

 三番目は携帯端末を使ってネット閲覧やゲームに熱中する者。端末ほど暇潰しツールとして有効なものは無い。同盟軍では酒や博打より、端末で遊んでいる方がマシであると考えられており、すべての軍人に携帯端末が貸与される。軍が指定した有害サイトの閲覧、ネットバンキングや課金サイトの利用、公用端末との情報共有はできない仕様になっているが、普通に使う分には支障ない。第三六戦隊司令部では、情報部長ベッカー中佐、後方部長レトガー中佐、人事参謀カプラン大尉などが端末組であった。

 

 四番目は読書にふける者。これは言うまでもないだろう。書籍は西暦が始まる以前から、暇人の友であった。過度の性的・暴力的表現、過度の反憲章的思想賛美などを理由に発行禁止処分が下された書籍以外は、反体制的な内容であっても艦内への持ち込みが許されている。第三六戦隊司令部では、参謀長チュン大佐が読書組であった。

 

 俺は基本的には自習組だが、トレーニングも欠かさない。中尉だった頃に空挺隊員と同等の体力検定一級を取得したが、大尉に昇進してからは忙しくなって二級に落ちた。俺ぐらい昇進が早いと、専門知識を修得するだけでもかなりの時間を割かれてしまう。それでもなんとか二級を死守したくて、何とかトレーニングの時間を作るようにしていた。

 

 久々に筋トレとランニングで汗を流した後、休憩席でコレット大尉がニコルスキー中佐に腹筋を割る方法を聞いているのを横目にプロテインを飲む。参謀でありながら、スポーツ選手のような肉体を持つニコルスキー中佐にアドバイスを受けるのは正しい。だが、妹のアルマみたいにくっきり六つに分かれているのも女性としてはどうかと思う。劇的に痩せてトレーニングが楽しくなったのはわかるが、ほどほどにして欲しい。

 

 トレーニング室に付属しているシャワーを浴びた俺は、ニコルスキー中佐とコレット大尉を誘って士官食堂で食事をとった。トレーニングの後にしっかり食べなければ、筋肉は育たないのである。それに体を動かした後の食事はとびきりうまい。主食のオムライスと主菜のハーブチキンをそれぞれ四回おかわり。副菜はいつものように全部二回おかわり。デザートも全種類平らげた。例によってニコルスキー中佐とコレット大尉は俺の半分も食べていない。二人とも俺よりずっと背が高いのに食が細い。一両日中に決戦が控えているのだから、もっと食べて体力をつけて欲しいと思う。

 

 居室に戻って端末を開くと、安否確認に対する総司令部からの返答メールが来ていた。他艦隊との交信は禁じられていたが、総参謀長グリーンヒル大将の計らいで友人知人の安否確認に限っては、総司令部との交信を許可されていたのだ。

 

 第九艦隊に同行していたアルマ、第一〇艦隊に所属していたダーシャは無事だった。撤収に失敗した第七艦隊に所属していたジェリコ・ブレツェリ大佐は死んだとばかり思っていたが、帝国軍の包囲を突破して生還した。第二輸送業務集団司令官スコット准将は帝国軍の急襲を逃れた後、アムリッツァまで退避して無事であった。前の歴史で戦死したミドルスクール時代の友達ハシェク曹長も生還した。その他の知り合いもほとんど生還している。

 

 しかし、全員が生還したわけではなかった。駆逐艦アイリスⅦの補給長を務めていた頃の部下だったシャハルハニ曹長、第一一艦隊で後方参謀をしていた頃の上司だった第七四戦隊司令官シン准将、臨時保安参謀長として俺やコレット大尉とともにエルファシル解放運動のテロ部隊を迎撃した第八〇四歩兵旅団長イェレン大佐らは死亡が確認された。これから始まる戦いで何人が新たにこのリストに加わるのかを考えると、憂鬱になってしまう。

 

 努力の楽しさを教えてくれた第三艦隊第二分艦隊のイレーシュ大佐、ダーシャの長兄にあたるマテイ・ブレツェリ軍曹らが行方不明というのもショックだった。第三艦隊第二分艦隊とともに俺達を逃してくれた第九艦隊第一分艦隊のモートン少将は、二日前の「これよりアムリッツァに向かう」という通信を最後に消息を絶った。「まだ死亡は確定していない。戻ってくるのが少し遅れているだけだ」と必死で自分を励ました。

 

 

 

 同盟軍が決戦の準備を進めているアムリッツァ星系は、イゼルローン回廊の帝国側出口近くに位置する。小惑星帯、ブラックホール、重力異常帯も無く、極めて奥行きの広い星系だった。七つの惑星はいずれも人間が居住できる環境にはなかったが、第一惑星と第六惑星を除けば自然環境と地盤が安定していたため、イゼルローン方面航路の中継基地が設けられていた。遠征軍の兵站実務を担う中央支援集団はこれらの惑星に、巨大な臨時兵站基地を築いた。

 

 当たり前のことではあるが、軍隊が展開するにはそれなりの面積が必要になる。数百人の地上部隊が整列するだけで、学校の校庭を埋め尽くす。一個艦隊が一箇所に集結すれば、全長数百メートルの軍艦が一万隻以上も展開できる面積が必要になる。戦闘を行うなら、数倍の面積を必要とする。宇宙空間は広大だが、地形や環境の問題で通行困難な空間もまた多い。まして、数個艦隊が展開して、戦闘を繰り広げられるような奥行きのある宙域は稀と言っていい。

 

 また、これも当たり前だが、補給線が繋がっていない場所に軍隊は展開できない。宇宙空間の戦いにおいては、兵站基地が築かれた惑星や衛星を結ぶ形で補給線が形成される。内地からやってくる輸送部隊は兵站基地に物資を搬入する。兵站基地に集積された物資は、基地に所属する輸送部隊によって、より前線に近い基地に送り届けられる。最前線の兵站基地は直接前線部隊に物資を供給する。一万隻以上の艦艇と百数十万人の人員を擁する艦隊がいくつも展開するには、大規模な前線兵站基地を構築できるような惑星や衛星の存在は不可欠である。

 

 有人星系であれば、有人惑星に兵站基地を構築すればいい。現地のインフラや労働力を活用できるし、生産力が高い惑星であれば現地で物資を購入してそのまま基地に集積することも可能になる。しかし、無人星系はそうもいかない。人が住めない環境だけあって、惑星や衛星の大半は宇宙船の発着ができないような自然環境、基地を構築できないような地形を有している。大規模な兵站基地を構築できる条件を備えた惑星や衛星は、無人星系では少数派に属する。二年前にヴァンフリート四=二基地で激戦が展開されたのも、そのような背景あってのことだった。

 

 同盟と帝国はダゴン会戦からの一五六年間で三三二回も帝国軍と戦ったが、そのうち双方が二万隻以上動員した会戦は一一五回。二回以上会戦の舞台となった星系は二三。三回以上はイゼルローン要塞のあるアルテナ星系を除けば、ティアマト星系、タンムーズ星系、コーラル星系のみ。大艦隊同士の会戦が可能となる条件を備えた無人星系は稀なのだ。

 

 艦隊決戦を求める帝国領遠征軍総司令部がアムリッツァを戦場に選んだのは、正しい選択であったといえよう。これほど大艦隊が展開するのにふさわしい星系は滅多にない。間違っているのは決戦を求める動機である。

 

 遠征軍は当初の二.五倍に及ぶ予算を浪費した挙句、すべての占領地を放棄し、帝国軍の反攻で艦隊戦力の四分の一に及ぶ損害を出した。このまま本国に引き上げれば、総司令官ラザール・ロボス元帥ら遠征軍総司令部首脳は軍法会議に告発されて敗戦責任を問われる。遠征を推進した最高評議会、連立与党、民主化支援機構も遠征反対派から徹底的な追及を受けるのは間違いない。失脚の瀬戸際に立たされた彼らは、勝利をアピールするに十分な戦果を欲していた。

 

 前の歴史でもロボス元帥はアムリッツァで決戦を挑み、前線から逃れてきた正規艦隊五万隻とイゼルローンから援軍に派遣された一万隻のうち四万隻を失う惨敗を喫した。アムリッツァとラザール・ロボスの名前が並ぶと、不吉な予感に囚われてしまう。

 

 好材料を探すとすれば、前の歴史よりずっと多くの戦力がアムリッツァに集まったことぐらいだった。

 

 スムーズに撤収を済ませた第三艦隊、第五艦隊、第八艦隊は二割、撤収がやや遅れた第九艦隊は三割の損害を出した。ヤン中将率いる第一三艦隊は一割という驚異的に低い損害に収まった。もちろん司令官も健在である。前の歴史でアムリッツァに到着する前に主力を失った第三艦隊と第九艦隊が健在なのは大きい。

 

 第一二艦隊は最も早くて撤収した艦隊であるにもかかわらず、味方の支援がほとんど得られなかったことがたたって、四割近い戦力と司令官ボロディン中将を失った。第一〇艦隊は途中までほとんど損害を受けなかったが、占領地に取り残された民間人を救出しようとした本隊が帝国軍に捕捉されて壊滅し、司令官ウランフ中将と戦力の三割を失った。前の歴史で身を挺して味方を逃がした両艦隊の司令官は、今の歴史でも味方を救うために死んだ。生き残った戦力が多いのが不幸中の幸いといえよう。

 

 暴動によって逃げ遅れた第七艦隊は戦力の六割を喪失し、司令官のホーウッド中将は消息を絶った。四割が生き残ったという結果は前の歴史と比べるとずっと良いが、それでも戦力の過半数と司令官を失って、著しく弱体化した事実には変わりがない。

 

 一〇万六〇〇〇隻を数えた八個正規艦隊のうち、アムリッツァに集結したのは約七万六〇〇〇隻。撤退戦で三割近い戦力が失われたことになる。半数が失われた前の歴史と比べるとかなりマシな結果に思えるが、歴史的敗北と言われるアスターテで失われた二万隻よりずっと多い。現役軍人の俺としては、気が遠くなるような大損害であった。

 

 イゼルローン要塞にこもっていたロボス元帥が一万八〇〇〇隻の司令部直轄部隊を率いてアムリッツァに現れたことで、一〇万隻と推定される帝国軍との戦力差はほぼ互角となった。後方占領地の航路警備部隊を引き揚げた際に二〇〇〇隻ほどが前線に踏み留まって失われたことを差し引いても、十分に強大な予備戦力が前線に現れた意義は極めて大きい。占領地の味方を見捨ててまで温存した直轄部隊がここに来て大きな意味を持った。

 

 同盟軍は補給と強力な援軍を得た。しかも、総司令官のロボス元帥が自ら出馬している。ここ二年は精彩を欠いていたが、ロボス元帥は一流の実績を持った用兵家だった。ドーリア会戦とタンムーズ会戦の大勝は、一五〇年に及ぶ対帝国戦争の歴史でも記念すべき勝利に数えられる。常識的に考えれば、士気は嫌が応にも高まるであろう。しかし、そうはならなかった。

 

 第一二艦隊の将兵は白けきっていた。他の艦隊については交信が許されていないが、明白なサボタージュと言われても否定できないぐらい動きが悪い。動きが良いのは司令部直轄部隊ぐらいだった。政治的な理由で前線部隊を窮地に追い込み、命からがら戻ってきたところで意義の薄い決戦に駆り立てようとするロボス元帥は、すっかり信望を失ってしまっている。

 

『統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部のエリートの出世を助けるための戦いではなく、戦友を救うための名誉ある戦いをさせていただけることを感謝いたします』

 

 モートン少将が別れ際に語ったその言葉が、ロボス元帥と総司令部参謀に対する前線部隊の心情を象徴しているように思えた。

 

「あれは赤色巨星と言うんですよ。残りの寿命が少ない恒星は大きく膨らんで赤く光るようになるんです」

 

 情報部長のハンス・ベッカー中佐は、第三六戦隊旗艦アシャンティの司令室のスクリーンに映る恒星アムリッツァを指差した。赤黒い光は見ているだけで気が滅入る。

 

「年老いて醜く膨れ上がってどす黒い光を放つ星。嫌な星でしょう?誰かさんみたいで」

 

 誰を揶揄しているかは言うまでもない。遠征軍総司令官ロボス元帥は肥満体で知られる。五年前に会った時は大人物らしい恰幅の良さに見えたものだが、酷い目にあった今では老醜に見える。同じ人物でもその時どきの感情によって印象が全く変わってしまうのだから、我ながら勝手なものだと思う。

 

「そうかな」

 

 曖昧に笑ってごまかす。ロボス元帥と総司令部に言いたいことはいろいろある。小心者の俺でも、ベッカー中佐の皮肉に消極的な同意ぐらいは示したい気分だった。しかし、司令室の隅で耳をすませている統括参謀アナスタシヤ・カウナ大佐の目が怖い。統括参謀は総司令部から派遣された憲兵小隊とともに司令室に常駐して、俺の行動を常時監視している。

 

 総司令部は第一二艦隊司令官代理シャルマ少将と配下の分艦隊、戦隊の司令部に「司令部機能を強化すると同時に、総司令部との意思疎通を円滑にする」との名目で統括参謀の肩書を持った監視役を派遣した。総司令部は統括参謀の地位を参謀長と同格と定め、参謀会議のみならず部隊長会議にも出席する資格、必要に応じて司令官の指揮権を代行しうる資格を与えた。統括参謀が引き連れている憲兵に命令を下せば、いつでも司令官を拘束して指揮権を奪取できるということだ。

 

 カウナ大佐は二年前のヴァンフリート四=二基地で中央支援集団の参謀を務めていた。あの基地で憲兵を使って中央支援集団の将官を監視していた俺が、中央支援集団の元参謀に同じことをされるとは、運命の皮肉としか言いようがない。

 

 総司令部が第一二艦隊の行動を制限するために用意した鎖は統括参謀だけではなかった。総司令部直轄戦力のうち五〇〇〇隻を預かる第一独立機動集団司令官イヴァン・ブラツキー少将が、臨時に第一二艦隊の上位指揮権を与えられることとなった。ブラツキー少将はロボス元帥が若手のホープとされた頃からの部下で、戦隊や分艦隊の司令官としてロボス艦隊の一翼を担った。用兵家としては凡庸であったが、重厚で粘り強い戦いをする。武勲赫々たる歴戦の提督であっても、ロボス元帥の腹心というだけでどうしようもなく不安になってしまう。

 

 補給を受けて一息ついたのも束の間だった。疲労と物資不足に苦しめられた撤退行が終わったと思ったら、今度は総司令部の監視に苦しめられている。俺達はどうなってしまうんだろうか。戦いの行く末以前に、自分の行く末が不安で不安でたまらなかった。



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第九十一話:老巨星、未だ輝きを失わず 宇宙暦796年11月1日 アムリッツァ星系第七惑星周辺宙域 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる帝国軍がアムリッツァ星域に進入を開始したのは、一一月一日七時〇〇分のことだった。第三六戦隊旗艦アシャンティ司令室のメインスクリーンに映る無数の光点を見るだけで圧迫感を感じる。

 

「アムリッツァ星系外縁に敵が出現!およそ一〇万!」

 

 オペレーターの声はいつもより冷静さを欠いていた。両軍合わせて艦艇約二〇万隻、将兵約二五〇〇万が一つの星系に展開する。同盟と帝国の一五〇年に及ぶ戦いの歴史、いや人類の歴史においても最大級の会戦。その始まりを冷静に告げられる者などいるはずもない。

 

「敵中央部隊は第七惑星、左翼部隊は第五惑星、右翼部隊は第四惑星に向けて進軍中です!」

 

 一〇万隻もの大艦隊を展開するには、兵站基地を築ける惑星を確保しなければならない。帝国軍が拠点になりうるアムリッツァ星系の諸惑星の中で外周に位置する第四惑星、第五惑星、第七惑星の確保を最初の目標にすることは、火を見るよりも明らかであった。

 

 同盟軍は第七惑星を中央、第四惑星を左翼、第五惑星を右翼として防衛ラインを敷いて、帝国軍の来襲を待ち受ける。

 

 左翼部隊は第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将率いる一万三〇〇隻と第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー中将率いる一万一六〇〇隻。指揮官のビュコック中将と副指揮官のヤン中将には、敵の攻撃を防ぎつつタイミングを見て敵右翼に圧力を加えることが期待される。

 

 右翼部隊は第三艦隊司令官シャルル・ルフェーブル中将率いる一万一一〇〇隻と第一〇艦隊司令官代理カテリーナ・ピアッジ少将率いる九六〇〇隻。指揮官のルフェーブル中将と副指揮官のピアッジ少将は左翼部隊と同様にタイミングを見て攻勢に出る役割を担う。

 

 中央部隊は第九艦隊司令官アル・サレム中将率いる九七〇〇隻、第一二艦隊司令官代理アイーシャー・シャルマ少将率いる八六〇〇隻、第一独立機動集団司令官イヴァン・ブラツキー少将率いる五三〇〇隻。両翼と比べると兵力は多いものの質は劣る。指揮官のアル・サレム中将と副指揮官のブラツキー少将は当面の間戦線維持に専念する。

 

 後方には総司令官ロボス元帥自ら率いる直轄部隊一万隻、第八艦隊司令官サミュエル・アップルトン中将率いる一万四〇〇隻、第四独立機動集団司令官ポルフィリオ・ルイス少将率いる八七〇〇隻が控えている。正規艦隊でも一二を争う精鋭と名高い第八艦隊を率いるアップルトン中将、第七艦隊の残存戦力を指揮下に加えたルイス少将は、劣勢に陥った味方の救援、あるいは敵の側面や背後を突く決戦部隊となる。場合によっては、ロボス元帥も同様の役割を果たすことだろう。

 

 両翼に精鋭を配置して両翼突破を志向しつつも予備戦力を多めに取ることで、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変な対処が可能となる。敵が手薄であれば対応する部隊を増強して突破を図り、敵の攻勢が激しければ味方の弱い部分を増強して食い止める。機動的な用兵を得意とするロボス元帥らしい布陣といえよう。

 

 メインスクリーンは第七惑星の周辺宙域に対艦ミサイルを乱射しながら凄まじい勢いで突進してくる二万隻ほどの帝国軍部隊を映し出していた。最前衛に配置された第一二艦隊は、真っ先にあの敵と衝突する。後ろに控えているのは上級指揮権を持つロボス元帥の腹心ブラツキー少将の部隊。後退は許されない。受け止めるか、打ち砕かれる以外の選択肢は、俺達には与えられていない。恐怖が心の中に広がっていく。

 

 気を紛らわそうと、指揮卓に置かれたマフィンの箱に手を伸ばした。中には何も入っていない。三時間前には九個入っていたのに、いつの間にか全部食べてしまったようだ。何かを口に入れなければ、心が落ち着かない。救いを求めるように周囲を見回す。

 

「サンドイッチはいかがですか?ツナサンドですよ」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐はいつもと同じのんびりした口調でポケットから潰れたツナサンドを取り出した。ひったくるように受け取ると、そのまま口に詰め込む。マヨネーズでびしょびしょだけどおいしい。

 

「ありがとう、参謀長」

 

 笑顔で礼を言う。腹が満たされると、心にも余裕が出てくるのだ。

 

「敵との距離、九〇光秒!」

 

 オペレーターの言葉に気持ちを引き締める。長距離ビーム砲の射程は約二〇光秒。対艦ミサイルの射程はその数倍。敵との衝突は目前に迫っている。

 

「一時方向から、敵ミサイル数万が接近!」

 

 その報告と同時に味方の駆逐艦は一斉に迎撃ミサイルを発射する。敵のミサイルの大半は破壊されたが、撃ち漏らした少数が味方の艦列に到達した。避けきれずに爆散する味方艦を見て、少し心が痛む。

 

 参謀だった頃は味方艦がどうなろうと気にならなかった。観客のような気分で戦いを眺めていた。駆逐隊司令だった頃は目の前の戦いに精一杯で気にする余裕がなかった。戦隊司令官という立場は、俺の意識を確実に変えている。

 

「間もなく敵が射程距離に入ります!」

 

 司令室の中の全員の視線が俺に向く。ごくりと唾を飲み、ゆっくりと手を上げる。ついにゲベル・バルカルや撤退戦とは全然違う正面からの戦いが始まる。初めての会戦だ。

 

「撃て!」

 

 俺が手を振り下ろすと同時に、第三六戦隊は一斉に砲撃を開始した。数千本の光線が迫り来る敵に向かって襲いかかる。敵の側からも返礼のように数千本の光線が飛んでくる。敵味方の火力がぶつかり合う中、敵の戦艦部隊が駆逐艦部隊を従えて突入してきた。

 

「随分強引だな。いきなり打撃部隊を突入させてくるとは」

 

 人事部長ニコルスキー中佐が呟く。戦闘開始からしばらくは距離をとって火力戦を行い、相手の艦列に隙が生じてから打撃部隊を突入させるのが艦隊戦のセオリーだ。戦闘開始と同時に突っ込んでくるなんて、無茶苦茶としか言いようがない。

 

「参謀長は敵の意図をどう見る?」

「練度は低く戦意は高い。ならば勢いで圧倒しようというのは正しい選択です」

「練度が低い部隊って、接近戦では不利なんじゃないの?」

「大抵の場合、練度と戦意は比例します。接近戦に持ち込まれると、戦意の低い部隊はあっさりと崩れてしまいます。しかし、目の前の敵は戦意旺盛。真っ直ぐ突入するだけなら、練度が低くても問題ありません」

「なるほど」

 

 同盟軍の戦意はおしなべて低い。総司令部の保身のために命を賭けて戦う気にはなれないからだ。命の危険を感じてなお踏み留まる理由を同盟軍の将兵は持っていない。接近戦に持ち込まれたら、先に崩れるのは間違いなくこちらだ。ラインハルトは同盟軍と帝国軍のそれぞれの長短を弁えて作戦を練っている。ビラ作戦と言い、追撃の仕掛け方と言い、本当に嫌らしい戦い方をする。もちろん、これは褒め言葉だ。

 

「艦単位の砲撃精度、回避能力、ダメージコントロールなどは、同盟軍がはるかに優っている。接近戦でも崩れない自信があるなら、距離を詰めてこちらの優位を封じようというのは理に適ってるね。撤退戦の時から感じていたけど、敵は同盟軍を良く研究してる。前に戦った帝国軍はこんな戦い方をしなかった。ひたすら自分の長所を活かそうとするだけだった」

「ローエングラム元帥は奇襲戦術の天才と言われていますが、本領は正攻法にあるのかもしれません。情報を集め、研究を重ね、自分を過信せずに手持ちの戦力で勝てる方法を考える。実に手堅く、実に泥臭い戦いをする。厄介な相手です」

 

 努力と研究を怠らないラインハルトに比べ、味方の総司令部のなんとだらしないことか。前線部隊が疲弊しきっている現実に目を背けて占領地確保にこだわり、ボロディン中将の抗命行為でようやく占領地を放棄。戦意が著しく低下している現実に目を背けて決戦を強行。政治的な利害を意識しすぎて、自軍のことすら見失ってしまった。戦いに臨む姿勢からして、敵に負けている。

 

 敵と自軍を比べれば比べるほど、ため息をつきたくなる。敵の戦意が高いのは、総司令官のラインハルトを信頼できるからだ。俺達は総司令部を信頼できない。第一二艦隊は露骨な弾除け扱いを受け、司令官は統括参謀と憲兵隊によって監視されている。味方に対してそんな真似をする総司令部を信じて戦えるはずがない。

 

 総司令部への失望を脳内で再確認した時、指揮卓の隣のデスクにいる統括参謀アナスタシヤ・カウナ大佐が俺を見ているのに気づいた。不満が表情に出ていたのだろうか。慌ててメインスクリーンに視線を戻す。

 

 前面の敵は戦艦を主力とする対艦火力重視の編成をしている。距離を詰めての押し合いになると、平均的な編成の第三六戦隊では分が悪い。押し寄せてくる火力の奔流に流されて爆散していく第三六戦隊の艦を見ると、どうにかできないものかと思う。

 

「対応策はある?」

「単純な押し合いになると、こちらにはどうしようもありません。敵の攻勢を凌いで、状況の変化を待つしかないですね」

「そうだね。参謀長の言う通りだ」

 

 今の局面は艦を直接動かす艦長、複数の艦を束ねる群司令や隊司令の次元で推移している。俺にできることは戦いの流れを見極めることだけだ。敵の体力が尽きて乱れが見えたら、反攻の目も出てくる。敵の体力より先に味方の気力が尽きるかもしれない。その場合は後退戦闘に転じることになる。流れが変わる時に俺の出番が来る。

 

 提督になって初めて知ったことだが、戦場での提督の最大の仕事は待つことだ。部下が上げてくる報告を聞き、めまぐるしく移り変わる状況を正しく把握する。そして、大きく変化する時を待つ。あるいは変化させるための手を打った後に、経過をじっくり観察しながら結果を待つ。変化が起きた瞬間に動き出して、状況が落ち着くまで逐一指示を飛ばす。待っている間の提督は、中級指揮官や参謀に仕事を任せきりで何もしていないように見える。しかし、それは流れが変わった瞬間にすぐ動けるように待機しているのだ。

 

 今の俺は配下の下級指揮官に実戦指揮を委ねて、流れが変わるのを待ち続けている。動かずに待つのは、本当に神経が擦り切れる。怠け者でないと提督に向いていないなどと言う人がいるが、それは大きな間違いだ。戦場にあっては二四時間休むことなく神経を使い、オフィスにあっては書類や会議に追われ続ける。提督ほど怠け者に向かない仕事はない。

 

 ほんの少しでもこちらに乱れが生じたら、敵はそこから一気に突破してくる。味方は押し流されて敗北してしまう。そう思わせるものが目の前の敵にはある。

 

「敵も人間だ。いずれ疲れる。こんな無茶な突撃は続かない。ここを凌げば勝機が見えてくる。もうひと踏ん張りだ」

 

 マイクを握って味方を督励しつつ、自分の中の弱気を振り払う。敵と直接接している将兵は、俺よりずっと大きなプレッシャーを受けているはずだ。俺が弱気になれば、たちまち将兵は押し潰されてしまう。司令官は常に前向きでなければならない。

 

 放送を終えた俺は副官のコレット大尉を呼んで、他方面の戦闘のデータを集めさせた。そして、指揮卓の端末を操作して戦術スクリーンを開く。全体の流れを把握できれば、目の前の流れもより読みやすくなる。また、自分が置かれた状況を全体的な視点から正しく把握すれば、気分も落ち着く。

 

 第二分艦隊は第三六戦隊以外に二つの戦隊を有しているが、いずれも目の前の敵に対する対処で手一杯のようだ。撤退戦の時は先手を打って次々と敵を突破していった司令官クレッソン少将だったが、主導権を握れない戦闘に苦慮しているように見える。

 

 第一二艦隊は最前列で敵の突撃を受け止めているため、少なからぬ損害を出していた。それに引き換え、ブラツキー少将が率いる第一独立機動集団は、対艦ミサイルや長距離砲での援護射撃に徹していて、ほとんど損害を出していない。中央部隊の指揮官であるアル・サレム中将の第九艦隊が艦載機部隊を繰り出して激しい接近戦を展開しているだけに、第一二艦隊を弾除けにして戦力を温存しようとするブラツキー少将とその背後にいる総司令部の露骨なやり口が一層際立つ。

 

 メインスクリーンを同盟軍左翼部隊と帝国軍右翼部隊が交戦中の第四惑星周辺宙域に切り替える。第五艦隊と第一三艦隊は連携して敵の一部を誘っては集中砲火を加えて叩き、後続が援護にやって来たら退き、別の敵の突出を誘っては叩き、巧みに敵の勢いを削いでいた。前の歴史で同盟末期の二大名将と言われた若き天才ヤン・ウェンリーと老いた巧者アレクサンドル・ビュコックに率いられた左翼部隊は、帝国軍の猛進をものともしない。

 

「砲術科出身のビュコック提督らしい戦い方ですね。実に良く敵艦を捉えています。第一三艦隊も編成から日が浅いとは思えないほど、良く命中させています」

 

 作戦部長代理のクリス・ニールセン少佐は、第五艦隊と第一三艦隊の巧みな集中砲火に関心しているようだ。

 

「第一三艦隊副参謀長のパトリチェフ准将は砲術のプロだよ。巡航艦と戦艦の砲術長を経験してる。パトリチェフ准将が第一三艦隊の砲術指導にあたってるんじゃないかな」

「そうでしたか」

 

 ニールセン少佐は俺の説明に納得したようだ。エル・ファシル警備艦隊でパトリチェフ准将と一緒に仕事した時に、経歴を聞いておいて良かった。

 

 第五艦隊と第十三艦隊の巧妙な連携で出血を強いられているにも関わらず、帝国軍右翼部隊の前進速度は衰えていない。この異常な戦意は一体なんなんだろうか。不利のはずなのに、まるで勝者のように見える。実際に戦ってるヤン中将やビュコック中将は、相当なプレッシャーを感じているのではないか。俺なら恐れをなして逃げ出してしまっているかもしれない。

 

 気味が悪くなって、同盟軍右翼部隊と帝国軍左翼部隊が戦っている第五惑星周辺宙域にメインスクリーンを切り替えた。第三艦隊と第一〇艦隊は重厚な半月陣を敷いて分厚い中央で敵の突撃を受け止めつつ、左右両翼から打撃を加えて勢いを殺している。堅実にして隙がなく、理にかなっている。この会戦が同盟軍の勝利に終われば、同盟軍の教本で防御戦闘の模範例として採用されてもおかしくないと思える。

 

 第三艦隊のルフェーブル中将は、前の歴史ではラインハルト配下のアウグスト・ザムエル・ワーレン提督にあっさり敗北した。第一〇艦隊は精鋭とはいえ司令官を失った直後だった。この陣容で異常なまでに戦意が高い敵に対抗できるのか不安だったが、二大名将が率いる同盟軍左翼部隊にひけをとらない戦いを展開している。

 

 あらためて同盟軍の人材の多さに感心させられる。前の歴史では影の薄かったルフェーブル中将、愚将とされたホーランド少将、名前すら残っていないヤオ少将やクレッソン少将やピアッジ少将などもラインハルトの部下と五分以上に戦える実力があった。帝国領侵攻で同盟軍が失った人材の数、彼らを葬り去ったラインハルトの知略にあらためて慄然とさせられる。

 

 挫けてはいけない。前の歴史は前の歴史、今は今だ。未来はまだ確定していない。同盟の人材はまだ多い。負けるわけにはいかないという思いを強くする。

 

 帝国軍の勢いと同盟軍の巧緻さが一進一退を続ける中、先に動いたのは同盟軍だった。左翼の第五艦隊と第一三艦隊は帝国軍右翼部隊の前衛を縦深陣の中に誘い込むことに成功し、縦に伸びきった艦列にミサイルとビームの集中豪雨を叩きつけた。帝国軍右翼部隊の艦艇は対応できずに、次々と火球に姿を変えて消えていく。

 

 それでも帝国軍は突進をやめない。いや、やめられないと言うべきだろうか。後退すれば勢いを失ってさらに損害が大きくなる。態勢を立て直して反撃しようにも、帝国軍の練度では方向転換する前に狙い撃ちされてしまう。付かず離れずの絶妙な速度で後退を続ける囮部隊を追い続け、同盟軍の縦深が限界に達するまで直進する以外に、活路は残されていないのだ。

 

 同盟軍の罠を完成させたのはアップルトン中将の第八艦隊だった。いつの間にか左旋回して、左後背から帝国軍右翼部隊の前衛と後衛を分断して、第五艦隊と第一三艦隊が作り上げた縦深陣の蓋を閉じる。同盟軍左翼部隊は思う存分帝国軍を叩きのめし、帝国軍本隊が救援にやって来たのを見計らうと素早く包囲を解いて退いた。第八艦隊投入のタイミング、引き際ともに驚くほど鮮やかだった。

 

「古豪健在といったところですか」

 

 チュン大佐が呟く。ロボス元帥は積極性と機動力を重視する攻勢型の用兵家。アップルトン中将はロボス元帥の切り札ともいうべき指揮官。この二人が演出した今の戦いは、まさにロボス流用兵の精華であった。

 

 戦線というものは、相互の連携によって構築される。一つの翼が弱くなれば、他の翼も連鎖的に弱くなる。帝国軍右翼部隊の敗北は、帝国軍の中央部隊と左翼部隊の攻勢失敗をも意味していた。一時的な自由を得た同盟軍左翼部隊の一部が第七惑星方面に転進すれば、帝国軍中央部隊は正面と右側面から攻撃を受けることになる。

 

 あのラインハルトの部下だけあって、判断は早かった。中央部隊、左翼部隊ともに後退を開始する。

 

「今だ、全速で食らいつく!」

 

 俺は敵が下がり始めたのを見計らって、前進を指示した。これまでさんざん押されまくってきたのだ。ここで多少仕返しして、味方の戦意を高揚させなければならない。戦う意義を持たない俺達は勝利の味無くして戦意を維持できない。

 

 進むのは易く、退くのは難しい。だからこそ、後退の機を逸して敗北に追い込まれる提督が後を絶たない。帝国軍中央部隊の決断の早さは、いっそ潔いと言って良いほどである。だが、整然とした後退戦闘を展開するには、彼らの練度は低すぎた。陣形再編に手間取っている帝国軍中央部隊は、攻勢に転じた同盟軍中央部隊の良い標的になった。

 

 同盟軍の戦艦はありったけの対艦ミサイルとビーム砲を乱射しながら敵中に切り込む。巡航艦は素早く敵艦の側面や下方に回り込み、敵の艦列をかき乱す。攻撃母艦から放たれた艦載機部隊は駆逐艦と協同して、敵の艦載機部隊と駆逐艦の排除にかかる。

 

 第三六戦隊の指揮下にある一個戦艦群、二個巡航群、三個駆逐群も派手に暴れまわった。司令室には相次いで味方の戦果が報告される。特に戦艦一四隻と攻撃母艦一七隻の撃沈は大きかった。一個戦隊の攻撃力をほぼ喪失させたに等しい。

 

「進め!」

 

 柄にもなく興奮していた。イオン・ファゼカスの帰還作戦が始まってから溜まり続けた鬱憤を前方の敵に叩きつけるかのように、第三六戦隊は敵艦をなぎ倒していく。

 

「司令官閣下、第二分艦隊司令部から電文が入っています」

「内容は?」

「第三六戦隊は突出気味である、後退して味方と足並みを揃えるように。とのことです」

 

 コレット大尉が読み上げた電文の内容に少し考えこむ。戦果を稼ぎたいのはやまやまだが、突出し過ぎるのは危うい。俺達が今叩いているのは敵中央部隊の前衛だ。損害の少ない後衛が援護に来たら厄介だ。

 

「司令部は後退を指示してきているが、俺は可能なら攻勢継続を具申したい。参謀長と作戦部長代理の意見は?」

「司令部の判断が妥当でしょう。各部隊からの報告書から判断しても、後退と再編の必要ありと考えます」

「司令部と参謀長に同意します。我が艦隊の反応速度は現時点で二六パーセント低下しています。これ以上の戦闘継続は危険です」

 

 参謀長チュン大佐と作戦部長代理ニールセン少佐は俺の未練を断ち切った。

 

「わかった。これより第三六戦隊は後退を開始する。コレット大尉は第二分艦隊司令部に了承したと伝えてくれ」

 

 そう指示した瞬間、急にスクリーンの中の光点が数を増し、アシャンティの艦体が少し揺れた。

 

「何があった!?」

「二時半方向から敵の新手が出現しました!数はおよそ一万五〇〇〇!」

 

 オペレーターの報告に愕然となる。敵は中央部隊を救援するために予備を投入してきた。同盟軍中央部隊と直接ぶつかり合う正面からでも、左翼部隊の脅威にさらされる左前方からでもなく、右前方からの出現。同盟軍右翼部隊は後退する帝国軍左翼部隊を攻撃しているため、右前方はがら空きだった。

 

「敵高速部隊、こちらに突入してきます!」

 

 メインスクリーンに映るのは、巡航艦部隊と駆逐艦部隊を従えて斜めに突入してくる真紅の戦艦。この色とフォルムは、歴史の本で見たことがある。ジークフリード・キルヒアイスの乗艦バルバロッサ。ラインハルト・フォン・ローエングラムの無二の腹心にして、前の歴史で不敗の名将と讃えられた人物の出馬に言葉を失った。

 

 中枢を叩く意図があったのかどうかはわからないが、キルヒアイス艦隊は司令官代理のシャルマ少将が率いる第一分艦隊を直撃した。歴戦のボロディン中将、勇猛なヤオ少将のいずれかなら、あるいは食い止めることができたかもしれない。しかし、司令官代理のシャルマ少将はもともと後方支援部隊の指揮官で用兵家としては凡庸だった。キルヒアイスの速度に対応できず、第一分艦隊は真っ二つに断ち切られる。

 

 一時的に第一二艦隊司令部の指揮系統が寸断されたことによって、第二分艦隊、第三分艦隊、第四分艦隊は個別での対処を強いられた。分艦隊単位で一万五〇〇〇隻の攻撃に対抗できるはずもなく、キルヒアイス艦隊は同盟軍中央部隊の艦列に巨大な穴を穿った。

 

「第四分艦隊旗艦アラクネ撃沈されました!」

 

 キルヒアイスの一撃は第一二艦隊を構成する四個分艦隊の一角をあっさりと打ち砕いた。もはや、第一二艦隊の戦力でキルヒアイスに対抗するのは不可能だった。上位指揮権を持つブラツキー少将の援護には期待できない。敗北感が胸を侵食していく。

 

「第一〇七戦隊は戦力の過半を喪失した模様!」

「ばかな!第一〇七戦隊は六〇〇隻はいたはずだ!あっという間に三〇〇隻もやられたのか!?その情報は事実なのか!?もう一度確認しろ!」

 

 こんなところで叫ぶべきでないのはわかる。しかし、信じたくなかった。間違いであってほしかった。第三六戦隊が同じ運命に遭遇するなど想像したくもなかった。

 

「第五六二駆逐群のリット司令、戦死!」

 

 ついに第三六戦隊の群司令に戦死者が出た。三一歳のリット大佐は群司令の中で最も若く、最も戦術能力の高い指揮官だった。防御戦闘の要が永遠に失われたことを知り、気が遠くなっていく。

 

「指示をお願いします」

 

 その声に振り向くと、チュン大佐とコレット大尉が立っていた。司令室の参謀やオペレーターも全員を俺を見ている。指揮官はこの場に一人しかいない。どんなに優秀なスタッフも指揮官たる俺の指示がなければ動けない。相手が何者だろうと、取り乱している場合じゃない。キルヒアイスが名将だからといって、俺と部下が大人しく死ななければならない義務はない。

 

「後退しつつ敵の攻勢を凌ぐ。第一二四戦艦群はありったけの火力を投射して敵巡航艦の足止めを。第三六九駆逐群と第四六四駆逐群は敵の対艦ミサイルと艦載機部隊を迎撃。第五六二駆逐群は急いで部隊を再編。第三〇四巡航群と第七〇三巡航群は敵の側背攻撃を阻止。参謀長、これで大丈夫かな?」

「問題ありません」

 

 誰でも思いつくオーソドックスな指示ではあったが、それでも指揮官の責任で出さなければならない。指揮官が責任を取ると明らかにすることで、部下は戦いに専念できる。参謀長のチェックを受けることで信頼性が増す。

 

「戦線維持と戦力の温存を第一とする。参謀長は各群司令に連絡と説明を頼む」

 

 チュン大佐の次は、運用責任者の作戦部長代理ニールセン少佐を呼ぶ。

 

「第三六戦隊の現状で後退は可能か?」

「我々単独では困難です。援護を要請すべきでしょう」

「わかった」

 

 俺はうなずいて副官コレット大尉を呼ぶ。

 

「第二分艦隊司令部に援護を要請する。回線を繋いでくれ」

 

 コレット大尉はぴしゃりと音がしそうな気合が入った敬礼を返し、通信機に向かう。俺は他の参謀と軽い打ち合わせをした後、マイクを握った。

 

「もうすぐ味方が救援に来る。我々が正面を引き受け、救援が脇から叩けば敵は崩れる。もう少しだ。みんなの力を貸して欲しい」

 

 救援が来るかどうかはわからない。見殺しにされることだってありえる。しかし、今の第三六戦隊に必要なのは希望だ。救援が来なかったら、その時はあの世でみんなに謝る。

 

「第二分艦隊司令部と通信が繋がりました」

「わかった」

 

 スクリーンに現れた分艦隊参謀長ジャン=ジャック・ジェリコー准将の顔は、相変わらず頼りなさ気だった。救援を頼むと、ジェリコー准将は渋い表情になる。

 

「第三四戦隊も第五二戦隊も敵の攻勢を凌ぐのに手一杯だ。第三六戦隊の援護は難しい」

 

 予想はしていた。第一二艦隊に属する部隊はすべて最前列で敵の攻撃を受け止めている。余裕があるはずもない。

 

「残念です」

「すまんな」

「閣下の責任ではありません。お気になさらずに」

 

 悪いのは第一二艦隊の上位指揮権と無傷の五〇〇〇隻を持っているのに、援護に出ようとしないブラツキー少将だ。そう言いたい気持ちをぐっとこらえる。統括参謀の前では、下手なことは言えない。それはジェリコー准将も同じだった。

 

 敬礼をして通信を切る。アル・サレム中将の第九艦隊は側面から回り込もうとするキルヒアイス艦隊の左翼部隊及び右翼部隊と戦っていて、こちらを援護する余裕はなさそうだ。キルヒアイスの攻撃を逸らそうとするかのように移動する第一独立機動集団に怒りを込めた視線を向ける。

 

 戦術スクリーンの中では、左翼部隊とともに第四惑星周辺宙域にいた第八艦隊が帝国軍中央部隊とキルヒアイス艦隊の側面を突くべく動き出していた。もう一つの予備戦力であるルイス艦隊も前進して、同盟軍中央部隊とそう遠くない距離まで来ている。

 

「ルイス艦隊が到着次第、我々も反撃に転ずる。それまで持ち場を死守せよ」

 

 通信スクリーンから、司令官代理シャルマ少将の頭越しに直接指示を出すブラツキー少将の声が聞こえた。その五〇〇〇隻を今すぐ動かしてくれと言いたくなったが、カウナ大佐の視線が怖くて言葉を飲み込む。

 

 マイクを握って将兵を督励し、戦隊司令官直轄の予備戦力を使って艦列の穴を埋め、必死で戦線崩壊を防ぐ。一分が一時間にも感じられるような苦しい戦いが終わった時には、キルヒアイス艦隊と帝国軍中央部隊の姿は消えていた。キルヒアイス艦隊は同盟軍中央部隊を斜めに突破、そのまま大きく旋回して、第八艦隊とルイス艦隊が到着する寸前に離脱してしまったのだ。帝国軍中央部隊は同盟軍中央部隊がやられている間に撤収を完了した。恐るべき手際であった。

 

「良い判断をしますね」

「なかなか手ごわいよ」

 

 チュン大佐がキルヒアイスの手際を褒めたのか、ロボス元帥が予備を投入したタイミングを褒めたのかは定かではない。ただ、ロボス元帥を褒める言葉を口に出す気にはなれず、キルヒアイスを褒めたということにした。

 

 帝国軍はキルヒアイスが同盟軍中央部隊に巨大な穴を開けたものの、同盟軍左翼部隊にはさんざんに打ち破られ、同盟軍右翼部隊との戦闘でも相当な損害を出した。最初の三方面からの攻勢はすべて失敗に終わった。

 

 一方、軽微な損害で帝国軍を撃退した同盟軍の左翼部隊と右翼部隊の戦意は大いに高揚した。大損害を受けた中央部隊も敵の中央部隊と比べればだいぶ損害が少なく、現在は同盟軍がやや有利といったところだ。人類史上屈指の天才ラインハルトと往年の名将ロボス元帥の戦いは、信じられないことに今のところはロボス元帥の優勢だった。

 

「意外だね」

「何がですか?」

「いや、五分で戦えてることが」

 

 深夜の司令室で俺は夜食のマカロニアンドチーズをつまみ、チュン大佐は潰れたショコラを食べながら、今日の戦いの感想を話し合っていた。

 

「いかにローエングラム元帥が艦隊指揮の天才とはいっても、一〇万隻の大軍を手足のように動かすというわけにもいきません。これだけ広い戦域では、隅々まで目が行き届きませんしね。戦いの規模で言えば、三つの会戦をすべて指揮しているに等しいですから。ここまでやれるとは予想外でした」

 

 俺はロボス元帥が天才ラインハルトと五分で戦えてることを意外と評したつもりだった。それをチュン大佐は逆の意味に捉えたらしい。

 

 しかし、良く考えたら前の歴史を知らない立場であれば、チュン大佐の感想がまともである。ラインハルトが今の歴史で統率した最大の兵力はアスターテの二万隻。それがいきなり一〇万隻を率いて、一個艦隊を率いた時のような奇策を発揮できると考える方がおかしい。一方、ロボス元帥は一〇万隻を率いた経験こそ無いものの四~五万隻程度を運用した経験は豊富にある。

 

 前の歴史でも大軍を率いた時のラインハルトは奇策を使わず、正攻法で戦った。奇策というものは関わる人間が多くなればなるほど失敗しやすい。ラインハルトに覇権をもたらしたのは、大軍を揃えて堅実に運用する能力だった。

 

 大軍同士の戦いは奇策を使わずに敵の戦線の綻びを探り、予備を動かすという地味な展開になりがちだ。前の歴史で大軍を率いたラインハルトが派手に勝てたのは、相手の持っていた兵力が少なかったからにすぎない。今のロボス元帥はほぼ五分の戦力を持っている。そして、今日の戦いから見るに、ロボス元帥の戦術判断能力はかなり高い水準にある。前の歴史で経験しなかった強者相手の戦いを今のラインハルトは戦っている。どんな展開になるのか、俺には予想がつかなかった。



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第九十二話:頂上接戦の行方 宇宙暦796年11月2日~8日 アムリッツァ星系第七惑星周辺宙域 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 初日の攻勢が失敗に終わった後も帝国軍の戦意は衰えを見せず、両軍合わせて二〇万隻が繰り広げる人類史上最大級の会戦は激しさを増している。

 

 一一月二日一一時、再び帝国軍は動き出す。昨日の攻撃で同盟軍左翼は手強いと見たのか、中央と右翼に攻撃を集中した。

 

「今日の帝国軍は昨日とはうって変わって、距離を取っての砲戦に徹しているね」

「勢いに任せての接近戦では、我が軍を崩せないと判断したのでしょうか」

 

 作戦部長代理クリス・ニールセン少佐はいぶかしげに応じる。

 

「でも、砲戦じゃもっと崩せないよ」

 

 俺はスクリーンの中を指差した。同盟軍の砲撃は帝国軍の艦を的確に捉えて潰していく。一方、帝国軍の砲撃はなかなか命中しない。同盟軍は砲撃の命中率、回避行動の的確さにおいて、帝国軍にはるかに勝っていた。こういった技術は時間を掛けなければ身につかない。ラインハルト・フォン・ローエングラムがいかに天才であろうとも、各艦の乗員の砲術能力や操艦能力を急に引き上げることはできないのである。

 

「どういうつもりなのでしょう?ローエングラム元帥ほどの名将がそれに気付かないとは思えないのですが」

「俺にもわからない。でも、いきなり打撃部隊に突っ込んでこられるよりはずっとやりやすい」

 

 昨日の苛烈な接近戦と比べると、だいぶ余裕のある戦いだった。乱れ打ちしながら遮二無二突っ込んでくる敵戦艦は、戦い慣れてない俺に強烈な威圧感を感じさせる。数百機で蜂の群れのように躍りかかってくる艦載機部隊を見ると、不安で心臓が高鳴った。彼らと至近距離でやり合わなくていいというだけで、だいぶ気が楽になる。

 

 接近戦と比べると損害が少ないというのも有難い。長距離の撃ち合いと至近距離のぶつかり合いでは、直面する火力の勢いが全然違う。接近戦は敵味方の損害率がとてつもなく跳ね上がる。だから、普通は砲戦や戦術機動によって敵の艦列を乱してから接近戦を挑む。艦列が乱れてない敵にいきなり接近戦を挑んで一方的に叩きのめすことができるラインハルトやホーランド少将は、例外中の例外なのだ。

 

 帝国領遠征が始まった時点で六五四隻を擁していた第三六戦隊は、撤退戦で一一パーセントにあたる七七隻を失った。そして昨日の戦いで六三隻を失い、現在は五一四隻が残っている。通算すると第二分艦隊に残っている三個戦隊の中で最も多い二一.五パーセントの損失。戦力的に苦しいのはもちろんだが、それ以上に拙い指揮で部下を無駄死にさせたという事実が重くのしかかる。

 

「損害が少ないに越したことはない」

 

 軽く目を伏せて呟く。戦えば戦死者が出るのは当たり前。それでも、なるべく死なせたくない。そう思って練度の向上に取り組んできた。

 

 部下を死なせたくないと心の底から考えている指揮官でなければ、部下は命がけで戦ってくれないと、クリスチアン大佐から聞いたことがある。部下を死なせることに心の痛みを覚えつつ、死ねと命令する。その矛盾の中で苦悩するのが統率なのだそうだ。部下にとって、俺は命を賭けるに値する指揮官なのだろうか。自問自答せずにはいられない。

 

「敵が後退を始めました!」

 

 それほど意外な報告ではなかった。まともな指揮官なら、同盟軍と帝国軍の損害比が不公平過ぎることにいずれ気付く。

 

「追いますか?」

「やめとこう。損害が多いといっても、敵の艦列は乱れてない」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン大佐の問いに、かぶりを振った。

 

「了解しました」

 

 合格といった表情で参謀長は答える。型通りの質問に何の面白みもない返答。形式的なやりとりではあるが、指揮官の意志を明確に示す重要な儀式である。わかりきっていることでも指揮官がはっきり言わなければ、部下は困ってしまう。

 

 一分後、第二分艦隊司令部から追撃をしないようにとの指示が送られてきた。ベテランであればいちいち確認するまでもないことも、経験が浅い俺には確認しておかなければならないと考えているのだろう。その心配はとても正しい。昨日の戦いでは司令部に注意されるまで、突出しすぎていたことに気付かなかった。

 

 一五時三二分には同盟軍右翼を攻撃していた帝国軍左翼部隊も後退し、前線はしばらくの間静寂に包まれた。戦えば体力と気力と物資を消耗する。損害が出にくい砲戦であっても、その事実に変わりはない。失われたものが補充されるまで、次なる戦いを始めることはできないのである。

 

 帝国軍の再攻勢によって戦闘が再開されたのは、六時間後の二一時五〇分だった。敵戦艦部隊は遠距離から同盟軍正面にビーム砲や対艦ミサイルを叩き込んできた。同盟軍は回避行動を取って砲撃の直撃を避け、駆逐艦部隊を繰り出して対艦ミサイルを迎え撃つ。駆逐艦部隊の防衛網をかいくぐった対艦ミサイル、回避行動によっても避け得なかった砲撃は、各艦が展開した中和力場によって受け止められる。さっきより火力の密度が薄い。

 

「今回は巡航艦部隊が砲戦に参加していないな」

「巡航艦の長距離火力は戦艦のそれと比べても半分以下だ。別の使い方を考えているんだろうよ」

 

 参謀達がささやいていた「別の使い方」はすぐに分かった。高速で接近してきた敵巡航艦部隊は、散開して上下左右から回り込もうとしてきたのである。それを駆逐艦部隊が護衛する。

 

「巡航艦と駆逐艦は敵巡航艦に応戦せよ!」

 

 俺は巡航艦部隊と駆逐艦部隊を繰り出して、上下左右から迫ってくる敵を迎え撃たせた。艦の機動性、乗員の操艦能力、指揮官の戦術能力ともに同盟軍が優っている。巡航艦同士の機動戦では同盟軍が有利だ。しかし、駆逐艦の半数をミサイル迎撃に割かれてしまっていて、護衛戦力は帝国軍が優位にあった。

 

 砲戦と機動戦の組み合わせ自体はきわめて一般的な戦術である。手数を繰り出すことで主導権を握り、戦艦部隊の火力網か巡航艦部隊の機動防御が崩れたら、予備戦力を投入して一挙に突破を図るのが狙いだ。

 

「敵の指揮官は総じて判断が早く、単純な手数勝負に向いています。将兵の練度が低いために直線的な戦術しか使えないという欠点も手数を増やすことでカバーできます」

「どこまでも嫌らしい相手だね」

 

 歴史の本の中のラインハルト・フォン・ローエングラムは華麗な戦いをするというイメージだった。しかし、俺がこの目で見てチュン大佐が分析したラインハルトは、二〇歳になったばかりの若者とは思えないぐらい老獪な戦いをする。同盟軍の長所を殺し、帝国軍の短所をカバーできる戦法ばかり選んでくる。

 

 俺の手元にある五〇〇隻程度の戦力では、目の前の戦場に対応する以上のことはできない。両軍合わせて二〇万隻以上が集い、一個艦隊規模の戦力がまるまる予備戦力として運用されるような戦場で戦隊司令官にできることは手持ちの戦力を使って、担当戦区で優勢に立てるよう努力することぐらいであった。

 

 戦闘が始まってから八時間経過して日付が一一月三日に変わってもなお、帝国軍の攻勢は続いていた。相変わらず勢い先行で無駄な動きが多い。しかし、秩序は良く保たれていて、こちらが反撃を加えても容易に崩れなかった。

 

「敵は疲れを知らないのかな。そろそろ疲れてきてもいい頃だと思うんだけど」

 

 俺が口にしたのは予測ではなく期待だった。味方の砲撃命中率と回避率はともに著しく低下していた。敵の勢いはやや弱まっていたが、それ以上に味方の動きが鈍くなっている。肉体的な疲労は戦う意義を見いだせない側にこそ、より重くのしかかるのだ。

 

「戦術スクリーンを見てください!右翼が動き出しました!」

 

 オペレーターに促されて戦術スクリーンを見ると、同盟軍右翼部隊が急に前進を始めた。いつの間にか帝国軍左翼部隊の陣形は大きく乱れている。

 

「どういうことだ、これは?」

「時間を掛けて少しずつ火線をずらし、敵が気づかないうちに誘導していたようですね。ルフェーブル中将らしい老練な用兵です」

 

 戦術スクリーンを見たチュン大佐はひと目で右翼で起きていることを見抜いた。彼の洞察力と分析力を戦況解説の役にしか立てられないことが申し訳なく感じられる。指揮官として未熟な俺が戦えているのはチュン大佐の補佐に負うところが大きい。しかし、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部で全軍の作戦立案に携わって初めて能力を発揮できるのではないか。俺の下にいるのはもったいないのではないか。そんなことを考えてしまう。

 

 ルフェーブル中将の策によって生じた帝国軍左翼部隊の乱れは、攻勢に転じた第三艦隊と第一〇艦隊が叩きつけた火力によってさらに拡大していた。ロボス元帥はすかさずルイス少将の部隊を投入して、帝国軍左翼部隊に止めを差そうと試みる。

 

 一方、ラインハルトの判断はわずかに遅れた。帝国軍の予備が到着するより早く、同盟軍右翼部隊はルイス少将との合流を果たして全面攻勢に転じた。陣形をズタズタに切り裂かれた帝国軍左翼部隊は潰走状態に陥ったかに見えた。味方の劣勢に浮き足立ったのか、俺の正面に展開している帝国軍部隊の動きに混乱が生じる。

 

「もしかして、勝てるんじゃないか」

「この機に乗じて左翼か中央で全面攻勢に出れば、帝国軍の戦線は崩壊するぞ」

 

 司令室のあちこちで、勝利を期待する声があがる。そして、ロボス元帥もその期待にこたえるように予備を動かした。中央にアップルトン中将率いる第八艦隊、左翼には自ら率いる直轄部隊が向かう。ラインハルトも浮足立つ味方を支えるべく、予備をすべて前線に投入。史上最大の会戦は三日目にして最大の山場を迎えた。

 

「第八艦隊が到着次第、全面攻勢に転ずる!総員突撃準備せよ!」

 

 司令室のスピーカーから、司令官代理シャルマ少将の叱咤が聞こえる。俺が第三六戦隊に陣形再編を指示しようとしたその瞬間、オペレーターが絶叫した。

 

「敵左翼部隊が前進しています!」

 

 潰走状態の敵左翼部隊が前進するなど有り得ない。そう考えてメインスクリーンを急いで切り替えたら、確かに漆黒に塗装された部隊が低速で前進していた。陣形が乱れたまま、じりじりと進む帝国軍左翼部隊。何が起きているか、まったく理解できない。

 

「どうやってあの状況で踏み留まったんだ!?」

 

 俺の問いに誰も答えない。チュン大佐ですら合理的な説明を見つけられずにいるようだった。

 

 同盟軍右翼部隊の進撃は停止し、やがて押し負けたかのように後退を始めた。帝国軍が一光秒前進するたびに同盟軍は一光秒後退する。帝国軍左翼部隊が原因不明の奮戦を続けている間に、ラインハルトが送った救援が到着した。もはや突破不可能と見た同盟軍右翼部隊は攻撃継続を断念。中央と左翼も予備と合流した帝国軍と短時間交戦した後に後退する。ラインハルトは崩壊寸前の戦線を立て直すことに成功した。

 

 アムリッツァ星域会戦三日目の残りの時間は、補給と再編に費やされた。四日目の四日三時四七分に戦闘が再開され、五日目が終わってもまだ終わらなかった。

 

 アムリッツァにおけるラインハルトとロボス元帥の力量はほぼ互角であった。ラインハルトが迂回部隊を繰り出せば、ロボス元帥はすかさず予備を送って阻止する。ロボス元帥が帝国軍の乱れに乗じて翼側突破を図ったら、ラインハルトは前線に出て食い止める。お互いの読みと反応が的確なため、どんな手を打ってもすぐに対処されてしまって、決定打を与えることができない。老いた巨星と若き獅子の対決は、戦史でも稀な名勝負の様相を呈していた。

 

 六日目と七日目の帝国軍の攻勢は限定的なものに留まった。大攻勢を準備中であると判断した総司令部は、来るべき決戦に備えて全軍に警戒を促した。

 

 七日目の一一月七日九時二六分、同盟軍中央部隊の眼前に三万隻近い帝国軍の大戦力が出現した。先頭に立つのは優美な流線型の白い戦艦。アスターテ星域会戦の勝利によって、その存在を周知されることとなったラインハルトの乗艦ブリュンヒルドである。これまでの戦いの結果から、同盟軍の中央が左右両翼に比べて弱いことを見抜き、自らの指揮で中央突破を図ろうとしていることは明白であった。

 

「総員、戦闘準備」

 

 そう指示を出す俺の声にはやや震えが混じっていた。ラインハルトの展開速度は異常なまでに速く、同盟軍中央部隊はろくな備えができていないうちに応戦することを強いられたのである。中央部隊指揮官のアル・サレム中将は勇猛で統率力にも優れているが、即応能力に欠ける。副指揮官のブラツキー少将は粘り強い戦いぶりをするが、自分の持ち場以外に視野は及ばない。奇襲を得意とするラインハルトとの相性は最悪であった。

 

 ロボス元帥は直轄部隊を率いて同盟軍最精鋭の第八艦隊ともに救援に向かっているが、それまで俺達がもちこたえられるとは到底思えない。練度の低い帝国軍を奇襲に近い早さで展開してのけたラインハルトの手腕にすっかりのまれてしまっていた。

 

「撃て!」

 

 俺が指示を出した瞬間、帝国軍から苛烈な砲撃が降り注いできた。一瞬、第三六戦隊ではなくて帝国軍に指示を出してしまったんじゃないかと考えたほどである。初日のキルヒアイスの攻撃を受けてもギリギリで持ちこたえた同盟軍中央部隊の戦線は、暴風のようなラインハルトの猛攻の前にあっさり崩壊した。

 

「第一二艦隊暫定旗艦ジャガンナート撃沈されました!シャルマ少将は脱出できなかった模様!」

 

 第一二艦隊司令官代理アイーシャー・シャルマ少将戦死の報を受けた司令室は、一瞬凍りついたかのように見えた。司令官ボロディン中将が消息を絶ち、副司令官ヤオ少将が拘束された後の第一二艦隊をまとめてきた女性提督の死は大きな衝撃だった。

 

「第四四戦隊司令官バレーロ准将戦死!第四四戦隊は副司令官ムラーデク大佐が指揮を引き継いで後退中です!」

「第一〇〇戦隊より入電!『戦線崩壊しつつあり、至急来援を乞う』とのこと!」

 

 オペレーターは第一二艦隊が崩れていく様子を伝える。第三六戦隊の戦列も崩壊しつつあった。旗艦アシャンティの周囲は、味方艦の爆発光によって照らしだされている。敵の放つ対艦ミサイルやビーム砲がアシャンティ目掛けて殺到し、中和力場とせめぎ合う。

 

 去年のティアマト星域会戦で第一一艦隊旗艦ヴァントーズが撃沈寸前まで追い込まれた時とまったく同じ状況だった。違うのは立場である。あの時の俺は参謀だったが、今は司令官だ。気絶しそうなほどに怖かったが、それよりも不安そうに俺を見詰める部下の目が怖い。

 

「参謀長」

 

 精一杯平静な表情を作って、この場で唯一落ち着きを失っていないチュン大佐に声をかける。

 

「戦術スクリーンを見てください。敵の先鋒は第一二艦隊を突破した後、第一機動集団と第九艦隊に向かって行きました。ローエングラム元帥の目的は突破であって、殲滅の意図は見られません。アスターテの時と同じです」

 

 チュン大佐が言ったとおり、第一二艦隊を突破したラインハルトの先鋒は、後ろに控える第一機動集団と第九艦隊に突入していた。俺達が現在戦っているのは、その後続である。よく見ると彼らもまっしぐらに進んでいて、戦列崩壊した第一二艦隊を丁寧に潰そうとはしていない。

 

「そうだ、ローエングラム元帥は二兎を追わない」

 

 アスターテ星域会戦が始まってすぐに第四艦隊本隊を急襲して指揮系統を破壊したラインハルトは、無力化した残存部隊に見向きもせずに、まっしぐらに第六艦隊本隊に向かっていった。第六艦隊本隊を壊滅させた後もやはり残存部隊に見向きもせずに、第二艦隊本隊を狙った。残敵掃討に手間を割かれることを嫌ったのだ。

 

「突破に時間をかければ、我が軍の左翼部隊と右翼部隊、そして予備部隊に包囲されてローエングラム元帥は敗北します。だから、速攻で中央を突破しようとしているのです。この一撃を凌ぎきれば、敵は駆け抜けていきます」

「これだけの勢いで迫ってきている敵を避けることはできない。凌ぐしか無いね」

 

 チュン大佐の言葉に頷くと、俺はマイクを握った。

 

「ローエングラム元帥の目標は突破であって、殲滅ではない!今の一撃を凌ぎきれば、敵は去っていく!無茶を承知で言うが、あと三〇分耐えて欲しい!三〇分耐えれば、我々は生き残れる!」

 

 中央部隊が突破されて全軍が崩壊したら、今の攻撃を凌いだところで俺達は生き残れない。だが、今の攻撃を凌がなければ、全軍が崩壊する前に死んでしまう。後のことは生き残ってから考えればいい。必要なのは今この瞬間を生き残る展望を示すことだった。

 

「第九艦隊旗艦パラミデュースが機関部に被弾!」

 

 メインスクリーンは帝国軍のミサイルが突き刺さり、あちこちで小さな爆発が起こっているパラミデュースの艦体を映し出していた。アル・サレム中将の生死は不明だが、健在だったとしても他の艦に司令部を移すまでは動きがとれない。分艦隊単位での戦闘を強いられる第九艦隊には、ラインハルトを押しとどめる力はない。

 

 崩壊への道を突き進んでいた同盟軍中央部隊にあって、第一独立機動集団は唯一戦線を維持していた。ブラツキー少将は目の前の敵に集中しなければならない状況で力を発揮する指揮官であると言われていたが、その評価の正しさをこの目で確認した。第一二艦隊を盾にしようとする嫌な人だけど、ロボス元帥に信頼されるだけあって、指揮官としての実力は本物だった。

 

「もしかして突破されずに済むんじゃないか」

 

 そんな甘い期待が頭の中に浮かんだが、慌てて振り払う。ブラツキー少将がいかに勇敢でも手持ちの戦力は五〇〇〇隻程度。三万隻のラインハルト相手に長く持ちこたえるのは難しい。

 

「見てください!第一三艦隊が!」

 

 オペレーターの報告で戦術スクリーンを見ると、いつの間にかヤン中将率いる第一三艦隊が同盟軍中央部隊の側面に入り込んでいた。第十三艦隊は第一二艦隊や第九艦隊の残存部隊をかばうように展開すると、細長く伸びきったラインハルトの艦列に痛烈な横撃を浴びせる。

 

「嘘だろ、なんで間に合ったんだ?左翼はどうなっている?」

「左翼では第五艦隊が単独で敵の攻勢を阻止しています」

 

 戦術スクリーンの左翼に視線を向けると、確かに第五艦隊が二倍近い帝国軍の攻勢を阻止している。どうやら、いち早く中央部隊の危機を察したヤン中将がビュコック中将に左翼を任せて、救援に向かっていたらしい。

 

 第一三艦隊の強烈な側面攻撃を受けたラインハルトはそれでもなお前進を続けた。そのまま同盟軍中央部隊を突破した方が安全と判断したのであろう。しかし、ヤン中将の攻撃でラインハルトの勢いは確実に弱まった。第一二艦隊や第九艦隊の指揮官の中には、部隊再編を果たした後に攻撃に加わる者も現れた。ブラツキー少将の勇戦も続いている。

 

 第三六戦隊は既に危機を脱していた。現在は第一三艦隊の艦列の後方に下がって、部隊を再編し直している。損害は予想よりずっと少なかったが、俺の運用手腕が未熟なせいか再編作業は思うように進まなかった。

 

 ラインハルトが同盟軍中央部隊を突破するか、第一三艦隊の救援を受けた同盟軍中央部隊が防ぎきるかの瀬戸際の攻防に終止符を打ったのは、ロボス元帥直率部隊と第八艦隊の前線到着であった。

 

 ロボス元帥が巧妙だったのは、ラインハルトの前方を塞ごうとせずに進路に平行して陣を敷いたところにある。それによってラインハルトはロボス元帥とアップルトン中将によって構築された火線上を通らなければ脱出できなくなったのだ。仮に方向転換して後方か側面から逃れようとしたら、同盟軍中央部隊の袋叩きに合う。もちろん、ロボス元帥とアップルトン中将もこれ幸いとラインハルトを叩きのめそうとするのは言うまでもない。

 

 絶体絶命の窮地に陥ったラインハルトの判断は素早かった。そのまま前進したのである。全面に立ち塞がる同盟軍中央部隊の隊列の中で最も薄いポイントに火力を集中して突破したラインハルトは、驚くべき速度でロボス元帥の構築した火線上をすり抜けながら大きく旋回すると、別の戦線から救援に駆けつけてきたキルヒアイス艦隊の支援を受けて、そのまま離脱してしまった。こうして、同盟軍は最大の危機を脱したのである。

 

 

 

「三日目の我が軍の攻勢は敵左翼部隊の黒い艦隊の奮戦で失敗した。そして、今日の敵の攻勢はヤン提督の判断で防がれた。皮肉なものだな」

 

 深夜の司令室で人事部長ニコルスキー中佐はプロテインバーをかじりながら、他の参謀と今日の戦いの感想を話し合っていた。

 

「あの黒い艦隊、凄かったですよね。まさに鉄壁というべきか」

 

 メッサースミス大尉のその言葉に、食べていたハムサンドを吹き出しそうになった。ラインハルトの部下の中で黒い艦隊といえば、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトの黒色槍騎兵艦隊だ。前の歴史の黒色槍騎兵艦隊は、最大の損害を敵に与える代わりに自分も大損害を被る艦隊と言われていた。それが全軍の崩壊を防いで、鉄壁と呼ばれたのはどういう巡り合わせだろうか。

 

「目の前の敵は、これまで戦ってきた門閥貴族の提督とは全然違いますねえ。門閥貴族が大好きな大火力重装甲の巨大艦も出てきてませんし。戦艦も巡航艦と一緒に突撃できるような高速艦ばかりですよ」

 

 潰れたクロワッサンを手にした後方部長レトガー中佐は、使っている艦の違いから門閥貴族とラインハルトの違いを語る。

 

「ローエングラム元帥配下の部隊の戦意は総じて高い。粘りもある。指揮官はみんな積極的で判断も早い。今は未熟だが経験を積んだら厄介な相手だ」

 

 ニコルスキー中佐の言葉に全員が頷く。

 

「我が軍もなかなかのものですよ。ヤン中将やルイス少将がいるじゃないですか。分艦隊司令官クラスでは第八艦隊のフォール少将、第一三艦隊のグエン少将。准将クラスでは第三艦隊のハンクス准将、第五艦隊のデュドネイ准将、第八艦隊のエベンス准将、第一〇艦隊のアッテンボロー准将とか」

 

 作戦部長代理ニールセン少佐はこの会戦で武名を高めた二〇代や三〇代の提督の名前をあげる。俺の名前が上がっていないのは仕方がない。俺以外に二〇代の戦隊司令官は四人参加しているが、アッテンボロー准将以外は見るべき活躍がなかった。

 

「中堅やベテランはこちらの方が優秀ですしねえ。まだまだ人材では負けませんよ」

「だが、ビュコック中将は今年で定年だぞ。ルフェーブル中将はあと二年で定年。あの二人の穴を埋められる人材はそう簡単には育つまい」

「大将に昇進すれば、定年は五年伸びますよ」

「大将ポストの空きがなかろう。あったとしても、ビュコック中将やルフェーブル中将はオフィス勤務に向いてない。軍中央の要職には就けんよ」

「残念ですねえ」

 

 中将の定年は七〇歳だ。前の歴史ではビュコック中将は定年ギリギリで大将に昇進したが、それは帝国領侵攻作戦の失敗によって、大将候補となる昇級リスト上位の中将が大勢失われてしまったからだった。

 

 この遠征でもウランフ中将が戦死、ホーウッド中将とボロディン中将が行方不明になっているが、アップルトン中将は健在だ。アル・サレム中将は重傷を負ったものの一命を取り留めている。遠征参加者の中から大将昇進者が出るとしたら、昇級リスト上位で予備部隊としての武勲もあるアップルトン中将だろう。レトガー中佐がビュコック中将やルフェーブル中将の用兵手腕を惜しいと思う気持ちも理解できる。しかし、軍隊が官僚組織である以上は、ニコルスキー中佐の予想通りになる可能性が高い。

 

 戦いが続いているのに人事を考えるなんて、皮算用かもしれない。しかし、戦いが終わった後の人事に思いを馳せられるような状況にあることは歓迎すべきである。撤退戦の最中はアムリッツァに着いた後のことを考える余裕もなかった。

 

 今日で一〇個目のマフィンを食べながら、司令室の中を見回す。参謀長のチュン大佐と副官のコレット大尉はタンクベットで仮眠をとっている最中だった。

 

 情報部長ベッカー中佐は参謀達の会話に加わらず、デスクで何やら考え事をしているようだった。アムリッツァ会戦が始まってから、仕事に関わりない発言はほとんどしていない。かつての同胞との戦いに思うところがあるのだろうか。

 

 人事参謀のカプラン大尉は若い女性オペレーターと何やら楽しげに話していた。雑談しかできない人材を司令部に置いておいても意味が無い。女性であるコレット大尉に堂々と体重を聞くような空気の読めなさも困る。ハイネセンに帰還したら、彼を転属させる口実を考える必要があるだろう。

 

 部屋の片隅では統括参謀アナスタシア・カウナ大佐がダンボールを敷き、毛布にくるまって仮眠していた。タンクベッドで仮眠すればいいのに、無駄に真面目である。起きてても俺を見てるだけだし、寝顔はそんなに悪くないのだから、ずっと寝ててほしい。

 

「閣下」

 

 不意に声をかけられて振り向く。紙袋を手にしたチュン大佐がいた。

 

「参謀長か。もう仮眠終わったの?」

「ええ。今から夜食をとろうと思いまして。もちろん、閣下の分もありますよ」

 

 そう言うとチュン大佐は紙袋の中から食パンを取り出した。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って食パンを受け取り、口に入れる。

 

「何も塗ってない食パンもうまいでしょう?パン本来の味を楽しめるんですよ」

 

 変人の考えることはさっぱりわからない。しかし、突っ込むのも面倒なのでまったく別の話題を振った。

 

「そろそろ、この戦いも終わるかな?」

 

 俺の唐突な話題転換に驚く様子も見せずに、チュン大佐は少し考えこむような表情になった。

 

「そうですね、これ以上は敵も兵站が苦しいはずです。アムリッツァ星系内に未だ兵站拠点を確保できていません。兵站拠点に使えそうな惑星の中で一番近いのは、ゲルダーン星系の第二惑星。ちょっと遠すぎますね」

「一〇光年だったっけ?それは確かに遠すぎる」

 

 開戦から一週間が経ち、一進一退の攻防が続いたものの帝国軍は同盟軍が三つの惑星を軸に築きあげた防衛ラインを突破できずにいる。消耗戦になれば、アムリッツァ星系の中にいくつも兵站拠点を持っている同盟軍の方が有利である。だからこそ、帝国軍は積極的に仕掛けてきた。

 

「今はどうなっているか知りませんが、皇帝の重病が続いているとしたら、ローエングラム元帥は長く前線にいられないはずです」

「ニュースを見れれば、そこら辺も少しは分かるんだけど」

 

 第一二艦隊に対する通信封鎖は今も続いていた。戦闘に関する情報だけはブラツキー少将を通して入ってくるが、他艦隊との交信は未だに禁止されている。友人知人の安否もわからない。放送電波やネットも遮断されているため、同盟や帝国で何が起きているかも伝わってこなかった。

 

「早く終わって欲しいですね」

「まったくだ」

 

 今日の帝国軍の攻勢で第三六戦隊は一〇〇隻近い損害を出した。もはや単独で戦隊として行動できる戦力ではない。第一二艦隊の戦力は半個艦隊にわずかに満たないところまで落ち込み、司令官代理と第四分艦隊司令官を失った。

 

 同盟軍全体の損害率は一五パーセント程度だった。弱体な中央部隊に損害が集中し、左翼部隊と右翼部隊は損害が少ない。予備部隊はほとんど損害を受けていない。数字の上では戦闘継続可能だが、第一二艦隊としては不可能といったところだ。

 

 戦意の低下も深刻だった。第一二艦隊は総司令部に強い不信感を抱いている。ロボス元帥の用兵は見事であったが、人間として信用できるかどうかは別である。どれだけ優れた用兵家であっても、監視役を付けて最前列に立たせるような人物を信頼できるはずがない。情報遮断も将兵の心に不安をかきたてる。そして、損害も大きい。戦意が下がる理由こそあれ、上がる理由はなかった。

 

 自分達の置かれた現状にため息をつきながら食パンを口にした直後、緊急連絡時を伝える呼び出し音がけたたましく鳴り響いた。この会戦で緊急連絡が入るのは初めてであった。どんな激戦の最中であっても通常連絡に留まっていた。いったい何が起きたのだろうか。体中の神経に緊張が走る。

 

 スクリーンに現れた第二分艦隊参謀長ジェリコー准将は、病人のように見えた。度重なる心労が体を蝕んでいるのだろうか。アンドリューを思い出して心が痛む。

 

「総司令部からの通達があった。『〇時三〇分から全軍に向けて緊急放送を行う。全将兵は必ず視聴せよ』とのことだ。この通達を第三六戦隊に伝えてもらいたい」

「全将兵に視聴を義務付けるなんて、どんな内容なのでしょうか?」

「私にもわからん。撤退が決まったのではないかと予想しているが」

 

 ジェリコー准将のそれが予想ではなく、期待であったのは明白であった。

 

「小官もその可能性が高いと推測します」

 

 俺もジェリコー准将に期待を伝える。もはや、戦いが続く可能性を口にしたくもなかった。期待にでもすがりたい気持ちだった。

 

 ジェリコー准将との交信を終えた後、俺は部下の群司令に緊急放送を試聴せよとの通達を伝えた。群司令は一人を除いて「撤退ですか?」と期待混じりに問うてきた。もちろん、俺も「そう予想しているが」と期待を伝えた。

 

 司令室では参謀やオペレーターらが時計を見ながら、メインスクリーンの前で緊急放送が始まるのを待っている。旗艦アシャンティの各所にある大きなスクリーンの前でも同じ光景が繰り広げられていることだろう。

 

「三、二、一…」

 

 秒読みをするカプラン大尉の声が終わり、時計が一一月八日〇時三〇分を差した瞬間、真っ暗だったスクリーンが明るくなり、ロボス元帥の顔が映しだされた。



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第九十三話:最後の一手 宇宙暦796年11月8日 アムリッツァ星系外縁部 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 スクリーンに現れたロボス元帥は良く言えば威風堂々、悪く言えば傲然とした雰囲気を身にまとっていた。目からは烈々たる覇気を放ち、脂肪で膨れ上がった肉体は絶大な存在感を表しているかのようだ。

 

「遠征軍の戦友諸君。昨日一一月七日午前〇時一五分、かねてより病床にあった銀河帝国皇帝フリードリヒ四世は死亡した」

 

 ロボス元帥は厳かに皇帝の死を告げた。その事実自体はあまり意外ではない。皇帝重病説はかなり前から流れていた。皇帝は長期にわたって公式の場に姿を見せておらず、宮廷では混乱が続いていた。ラインハルトの出撃が遅れに遅れたのも宮廷の混乱が原因とされる。

 

「一日経った今も新帝は立っておらず、帝国は混乱状態にある。もはや帝国軍は戦闘を継続できる状態ではない」

 

 これも予想の範囲だった。来るべき時がきたという感じである。フリードリヒ四世は後継者を決めていなかった。今頃のオーディンでは三人の皇孫のいずれが帝位を得るか、激しい駆け引きが行われているに違いない。先帝が定めた後継者が即位しても混乱が生じる。帝位争いが起きるとなれば、帝国の混乱は長期化するはずだ。ラインハルトの軍事行動を支えるシステムも新政権が安定するまでは機能しなくなる。ロボス元帥の言う通り、戦っている場合ではない。

 

「昨日の大攻勢は彼らの最後のあがきであった。しかし、戦友諸君の奮戦によって完膚なきまでに打ち砕かれたのである」

 

 ラインハルトが陣頭に立って同盟軍中央部隊を強引に突破しようと試みた理由をロボス元帥は説明する。戦闘を継続できなくなったラインハルトは、本国に帰る前に最後の勝負に打って出た。きわめて筋の通った理由であった。

 

「敵の司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は我が軍の撃破を断念し、昨日の二一時に休戦交渉を申し入れてきた。我々は即座に受諾して、交渉に入った」

 

 休戦交渉。その言葉を聞いた途端、目の前が明るくなったように感じた。戦いの終わりを告げる言葉こそ、俺が何よりも求めていたものだった。周囲からは安堵の溜息が漏れてくる。みんな俺と気持ちは同じだ。

 

 そして、ラインハルトが休戦を申し入れてきたことにも驚いた。前の歴史ではヤン・ウェンリー以外の提督はことごとくラインハルトに一蹴されてしまい、ほんの短い間だけ苦戦させた提督もアレクサンドル・ビュコックのみであった。それほど圧倒的な強さを持つ天才に、愚将とされたロボス元帥が判定勝ちしてしまったという事実は、前の歴史を知る俺にとっては、想像を絶する衝撃だった。

 

「帝国軍は撤退の意志を我々に伝え、追撃を行わないように要請し、本会戦における捕虜や拿捕艦の相互送還、両軍合同での負傷者救助作業及び遺体回収作業実施を条件として提示してきた」

 

 ラインハルトの提示してきた条件は、極めて人道的なものだった。負傷者救助や遺体回収の協力申し入れまでする提督はそうそういない。この条件なら受け入れる側のメンツも立つ。彼の卓越した政治センスは、前も今も変わらず発揮されているようだった。

 

 戦争には騙し合いと信頼の相反する二つの要素が共存している。相手に対する一定の信頼が無ければ、降伏交渉すら成り立たない。勝敗が定まっているのに相手が降伏しなければ、人命と時間を浪費して、勝利が割に合わないものとなる。信頼なき戦争は勝者なき戦争だ。信頼を確保するには、双方が共有するルールが必要である。それが西暦時代の戦時国際法であり、現在の戦時倫理であった。

 

 熱核兵器を人口密集地に投射し合った挙句、総人口の九割が失われた一三日間戦争の悪夢は、戦時倫理の重要性を遺伝子レベルで人類に植えつけた。自由惑星同盟とゴールデンバウム朝銀河帝国は、お互いを対等な国家と認めていないが、戦時倫理が仲介する範囲においては交渉が成立する。戦時倫理に反する行為は、ほぼ軍事関連法規で違反行為と定められている。

 

 その戦時倫理の中に休戦に関する取り決めがあった。前線の司令官は政府や上級司令部の意思に反しない限りにおいて、自らの権限で敵司令官との間に休戦交渉を行うことが認められる。定められた手続きに則って結ばれた休戦協定は、道義的な拘束力を持つ。休戦を装って奇襲を仕掛けるような行為は原則として認められない。過去に偽装休戦をやった司令官は味方からも信用されなくなり、例外なく軍人としてのキャリアを断たれた。

 

 戦時倫理に則った手続きで休戦協定が結ばれれば、何の意義も見いだせなかった泥沼の戦いがようやく終わる。ハイネセンに帰って、みんなと会える。そして、晴れてダーシャと結婚できる。肩から力が抜けていった。

 

「一方、我々は全解放区の返還、後送された捕虜と拿捕艦の即時送還を求めた」

 

 その一言は上向いていた気分に冷水を浴びせた。同盟軍はそんな強気な条件を押し通せる立場じゃない。優勢勝ちとはいっても、相当な損害を被った。戦力的には帝国軍と大差ない。他の艦隊は知らないが、第一二艦隊の戦意はどん底まで落ちている。同盟軍にとっても休戦は渡りに船のはずだ。ロボス元帥ほどの名将にそれがわからないはずがない。交渉を有利に運ぶためのブラフに違いない。そう信じたかった。

 

「我々と帝国軍の交渉は二三時三〇分をもって決裂した」

 

 胸を張って昂然と宣言するロボス元帥の姿は、まるで死刑判決を下す裁判官のように見えた。判決を受けたのは俺や第一二艦隊の将兵である。昨日のラインハルトの攻撃で第一二艦隊は物理的にも心理的にも致命的な打撃を被った。交渉が決裂したということは要するに戦いが続くということで、次に戦いがあれば確実に壊滅する。

 

「敗残の帝国軍は我々が差し出した和解の手を跳ね除けて、惨めに逃げ出そうとしている。彼らが補給を受けるには、一〇.三光年離れたゲルダーン星系第二惑星まで逃げなければならない」

 

 ロボス元帥は拳を振り上げて力強く断言する。ラインハルトと五分で渡り合った名将が言うからには、勝算があるのだろう。俺が第一二艦隊以外の部隊にいたら、今の言葉で奮い立ったかもしれない。しかし、これまでの経緯からロボス元帥を人間として信用できない。損害も大きい。勝てるかどうかは別として、戦意がまったく湧いてこなかった。

 

「諸君は自由惑星同盟最強の精鋭。すなわち宇宙最強の精鋭である。提督の用兵、指揮官の戦術、艦長の運用、士官の統率、下士官兵の技能。胸に手を当てて思い浮かべてみるといい。帝国軍が諸君に勝る要素が一つでもあるか?私は無いと断言する。最強の諸君が疲れきった弱兵を撃つ。まさに必勝の態勢ではないか」

 

 スクリーンの中の人物が放つ言葉は炎のようであった。将兵を見る視線は雷のようであった。単語の一つ一つが逞しかった。それなのに気持ちが盛り上がらない。五年前に初めて会った時は、彼の一言一言に心を揺さぶられたのに。

 

「七日間の戦いでラインハルト・フォン・ローエングラムの手の内は知り尽くした。彼が得意とする奇襲ももはや私には通じない。勝利の栄冠は諸君の上に輝く。子や孫に思い出話を聞かせてやろう。『ふとっちょのラザール・ロボスと一緒にアムリッツァで帝国の九個艦隊を叩きのめしてやった』と。その時諸君が誇らしげに反らす胸には、ピカピカの勲章が輝いているのだ」

 

 彼の言葉がはったりではないことは、この七日間の戦いが証明していた。ラインハルトと手の内を探り合い、撤退を決意させるまで戦い抜いた男の言葉には説得力があるに違いない。ユーモアを交えての煽動もうまいと思う。しかし、野心のために遠征軍を起こし、アンドリューを責任逃れに使い、第一二艦隊をさんざん苦しめたロボス元帥が言っているという時点で信じられなかった。

 

「これより六時間の自由時間を与える。諸君は二交替で三時間ずつ休憩せよ。七時より総員第一種戦闘配置に移行。タイミングを見て全軍で帝国軍を追撃する」

 

 八万隻の追撃戦。軍人のロマンチシズムを大いに刺激するであろう構図も今の俺には、悪夢以外の何者でもなかった。はっきり言うと、もうロボス元帥の私戦に付き合いたくないのだ。意義も名誉も見い出せない戦場に一秒たりとも留まりたくなかった。部下をこれ以上こんな戦いで死なせたくなかった。

 

 周囲を見回すと、参謀やオペレーターは一様に暗い顔をしていた。俺と同じで気持ちが完全に切れてしまったのだ。チュン大佐だけはいつものようにのんびりとした表情を保っている。彼だけが頼りだった。

 

 

 

 一一月八日午前九時五五分。自由惑星同盟軍は全軍をあげて、アムリッツァ星域から撤収中の銀河帝国軍に総攻撃を仕掛けた。両軍合わせて二〇万隻が展開した史上最大の艦隊戦の最終章は、八万隻が参加する史上最大の追撃戦となった。

 

 司令官代理を失った第一二艦隊は、第一独立機動集団司令官イヴァン・ブラツキー少将の直接指揮下に入り、完全にロボス元帥の直轄戦力と化した。第三六戦隊もブラツキー少将の形成した円錐陣の一部として、追撃戦に参加している。

 

「対艦ミサイル、攻撃始め!」

 

 俺が指示を出すと同時に第三六戦隊の戦艦とミサイル艦は、敵の後衛部隊に対して対艦ミサイルを一斉に発射しながら前進していった。敵もこちらが送りつけてきたミサイルを返品するかのように、ミサイルを撃ち返してくる。

 

「駆逐艦はミサイルを迎撃せよ!」

 

 戦艦とミサイル艦の側面に展開した駆逐艦は、迎撃ミサイルの弾幕を張って、敵の対艦ミサイルを破壊した。もちろん、こちらが発射してきた対艦ミサイルも大半は敵の駆逐艦の迎撃ミサイルに破壊されてしまう。

 

「敵艦、主砲の射程内に入りました!」

「よし!砲撃始め!」

 

 敵艦との距離が詰まると、今度はビーム砲の出番だ。戦艦と砲艦の主砲が一斉に太い光線を放つ。味方の主砲が敵に届く距離にあるということは、敵の主砲もまた味方に届く距離ということになる。ミサイルに加えてビームの応酬も始まった。第三六戦隊の以外の部隊も同じようにミサイルとビームを応酬する。

 

 史上最大の追撃戦は極めて凡庸な砲戦として幕を開けた。敵が艦列を乱して我先に逃げ出している状況であれば、いきなり突っ込んでしまっても構わない。しかし、目前の敵は整然と艦列を組んで俺達の追撃を阻止しようとしていた。そんな相手に突っ込んだら、無駄な損害を出してしまう。だから、普通の会戦のように砲戦で敵を叩いて、艦列を乱すのだ。

 

 指揮官が練達の用兵家なら、部隊を巧みに動かして乱れを誘うこともできる。実際、ルフェーブル中将、ビュコック中将、ヤン中将といった名将が受け持っている戦区の敵は、早くも崩れ始めている。しかし、愚直なブラツキー少将にそんな用兵はできない。

 

 一時間ほど射ち合っているうちに、敵の艦列に乱れが生じてきた。砲撃の精度、ミサイル迎撃能力、各艦の回避能力の違いが現れてきたのである。的確に攻撃を命中させる味方に対し、敵の攻撃はなかなか当たらない。その積み重ねが敵の艦列の乱れとなったのだ。

 

「第三四戦隊、第五二戦隊は突入!第三六戦隊は援護せよ!」

 

 第二分艦隊司令官クレッソン少将の指示を受けた俺は、巡航艦を繰り出して周りこませた。第三四戦隊と第五二戦隊が正面から突入すると、第三六戦隊の巡航艦は上下からビーム砲や対艦ミサイルを撃ちこむ。戦艦、ミサイル艦、砲艦は後方から射撃を続ける。

 

 もともと一個戦艦群しか持たない第三六戦隊は対艦火力が低い。数少ない戦艦もこれまでの戦闘で数を減らして、さらに対艦火力は低下した。だから、支援に徹しているのである。

 

 スクリーンの中では、味方の打撃部隊が敵の後衛部隊と激戦を繰り広げていた。戦艦は敵の戦艦と近距離で火力の量を競い合い、駆逐艦は味方の戦艦を守りつつ敵の戦艦に肉薄しようと敵駆逐艦と攻防を繰り広げる。攻撃母艦から発進した艦載機部隊は、戦艦が開けた突破口を広げるべく飛び回る。

 

 装甲と火力が弱い代わりに機動性の高い巡航艦からなる高速部隊は駆逐艦に守られつつ、敵の高速部隊と機動戦を展開して、主力の側面や上下を取ろうと試みた。

 

 きわめてセオリー通りで独創性の入り込む余地のない戦闘。重要なのは配下の部隊を前進させるタイミングと後退させるタイミング、そして手元に置いている予備戦力投入のポイントとタイミング。戦艦群、巡航群、駆逐群はそれぞれに運用が異なる。

 

 敵の弱点を見抜く、敵を誘い出して罠にかける、迅速に敵を制圧するといった才能には恵まれない俺であったが、セオリー通りに部隊を運用する才能は人並みにあったらしい。経験の浅さゆえにタイミングを誤りそうになることもあったが、そんな時は参謀長のチュン大佐が修正してくれた。上官のクレッソン少将が用兵に長けていることもあって、撤退戦から現在に至るまで分艦隊の一員として危なげなく戦うことができた。

 

 目の前の戦闘も順調に進んでいた。相変わらず敵は戦意が高く粘り強いが、練度が低くて動きは悪い。同盟軍は戦意こそ低いものの追撃側にいるおかげで勢いがあった。セオリー通りの運用をすれば、練度の差で圧倒できる相手だ。

 

 巧妙な用兵をする指揮官は、戦隊司令官や分艦隊司令官のレベルではさほど多くない。このレベルではセオリー通りの用兵しかできなくても、並み以上のリーダーシップや運用能力があれば、十分に有能と評価される。ラインハルトの部下でも事情は変わらないようだった。戦隊どころか群司令まで積極的で判断が早い人材を揃えているが、用兵巧者はさほど多くない。だから、俺のような凡庸な指揮官でも翻弄されずに戦える。

 

 第一二艦隊を直接指揮するようになったブラツキー少将の指揮能力も戦局に寄与していた。用兵家としては凡庸であったが、勇敢で部隊運用に長けていた。もともと指揮していた第一独立機動集団の戦いぶりを見るにリーダーシップも相当なものらしい。凡人が努力で到達しうる最高峰といった感じの指揮をするブラツキー少将は、判断力とリーダーシップがあるものの運用経験に乏しい敵指揮官を上手にあしらっていた。

 

「思ったより脆いですね」

 

 作戦部長代理ニールセン少佐は帝国軍の逆撃を恐れて、対応策を五つも用意した。それが空振りに終わって拍子抜けしているようだった。

 

「ローエングラム元帥は奇襲の天才だが、防御戦闘の経験は乏しい。それが精彩を欠いている理由かな」

 

 ニールセン少佐とともに対応策を練った参謀長のチュン大佐が推測する。

 

 言われてみると、ラインハルトが第六次イゼルローン、第三次ティアマト、エルゴン、アスターテで立てた武勲はいずれも奇襲によるものであった。前の歴史でもラインハルトはほとんど防御戦闘を経験していない。防御に徹したバーミリオンでは、ヤン・ウェンリーの攻勢を支えきれなかった。

 

 ラインハルトは天才だが万能ではない。それがわかっているから、敵を研究して自分のフィールドに引きずり込もうと策を弄する。休戦を持ちかけたのも不得意な防御戦闘を回避しようと考えたからではないか。才能に溺れて自分は何でもできると慢心してくれたら付け込む隙もあるのに、天は巨大な才能と貪欲な向上心をセットで与えてしまった。まったくもって不公平である。

 

「どうしてあの赤い旗艦の提督に後衛を任せてるんでしょうか?優秀なのは確かですが、速攻型の提督でしょう?黒い艦隊みたいな鉄壁の守りをする部隊に任せるべき場面だと思うのですが」

 

 ニールセン少佐はあの黒色槍騎兵艦隊をまた鉄壁と呼んだ。前の歴史で最強の対艦打撃部隊と言われた部隊が鉄壁と呼ばれると、吹き出しそうになってしまう。

 

 赤い旗艦の提督ことジークフリード・キルヒアイスがウォルフガング・ミッターマイヤーやアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトのような速攻型の提督という指摘はちょっと違うんじゃないかと思ったが、この会戦では確かに速攻型の用兵をしていた。そういえば、前の歴史で彼の代表的な戦いとされるアムリッツァやキフォイザーでも防御戦闘はやってなかったような気がする。前の歴史のイメージに引きずられて、攻守に優れた万能型と思い込んでしまっていた。

 

「あの提督は昨日の会戦で絶妙なタイミングでローエングラム元帥を救援に来た。危ない場面では一番頼れる部下なんだろう。殿軍の指揮官は能力も必要だけど、それ以上に信頼が大事だからね」

 

 さすがはチュン大佐だ。前の歴史の知識がまったく無いのに、キルヒアイスがラインハルトに最も頼りにされているという推論をあっさり出した。

 

 彼は天才的なひらめきの持ち主ではない。変人ではあるが、思考は常識の延長上にある。ただ、積み重ねた常識の量と物事を掘り下げる姿勢が徹底しているのだ。前の歴史の知識より、真摯に常識を積み重ねる方がよりラインハルトらを正しく理解する役に立つ。今後の同盟軍の主敵となるであろうラインハルトと戦う際には、肝に銘じるべきであった。今後があればの話であるが。

 

 スクリーンの中では、打撃部隊が敵後衛部隊を押し込んでいた。第三艦隊、第五艦隊、第一三艦隊の正面では敵の艦列が崩壊しつつあり、他の部隊の正面でも優勢にある。全軍の半数に相当するとみられる敵後衛部隊は敗北への道を転がり始めていた。

 

「このまま終わってくれるかも」

 

 そんなことを思ったが、すぐに頭の中から振り払った。絶え間ない偶然によって作られる戦場では、何が起きるかわからない。敵の異常なまでに高い戦意も恐ろしい。死を恐れない相手は計算外の事態を引き起こす。言い様のない不安を感じ、体が震えた。

 

「手を緩めず、徹底的に叩き潰せ!命を絶つまで安心するな!」

 

 半ば発作的にマイクを手に取って指示を出した。司令室はしんと静まり返り、視線が俺に集まった。

 

「どうなさったんですか?」

 

 副官のコレット大尉は驚きで目を丸くしていた。

 

「な、なんでもないよ。注意を促そうと思ってね」

 

 不安をごまかすために、強い言葉を吐いてしまったなんて言えるはずがなかった。デスクの上の箱からマフィンを二個取り出し、立て続けに口に放り込んでもぐもぐ食べると、ようやく司令室の空気が和らいだ。

 

 戦況はどんどん同盟軍に傾いていた。高い戦意を武器に踏み留まってきた敵の後衛部隊もそろそろ限界に近づいているように思われた。

 

 キルヒアイスは速攻型というニールセン少佐の評価は正しかったようだ。この世に有能な提督はいても万能な提督はいない。ある分野でプラスにはたらく資質が別の分野ではマイナスに作用する。複数の得意戦法を持つより、一つの得意戦法を徹底的に将兵に叩きこむ方が実戦で結果を出せるというのもある。速攻に特化して最強の高速部隊となったキルヒアイス艦隊は、それゆえに防御戦闘への適性を欠いた。

 

 盟友を救うべく、ラインハルトの旗艦ブリュンヒルドが前線に出てきた。しかし、彼もまた速攻に特化することで常勝を誇った提督である。守勢では脆かった。ラインハルトが率いてきた直属部隊もたちまち不利に陥る。もはや帝国軍の劣勢は覆しようがない。

 

「総員突撃せよ!」

 

 ロボス元帥はついに総突撃の命令を下した。予備戦力の第八艦隊とルイス艦隊、そして自ら指揮する直率部隊まで投入して、帝国軍に止めを差そうというのだ。同盟軍八万隻が帝国軍後衛部隊に襲いかかる。

 

「突っ込め!」

 

 俺も四〇〇隻そこそこまで減少していた第三六戦隊を率いて、敵中に突き進んでいった。第三六戦隊の前方には、戦艦と巡航艦と駆逐艦がバランス良く配備された敵部隊が展開していた。ぐちゃぐちゃに乱れた陣形を整えようともせずに応戦しようとする彼らに驚きを感じる。だが、それも今の第三六戦隊の勢いの前には意味をなさない。第三六戦隊はあっという間に敵部隊を突破し、その後ろに展開していた攻撃母艦部隊も突破した。

 

 同盟軍の他の部隊も溜まりに溜まってきた鬱憤を叩きつけるかのように、まっしぐらに突入している。八万隻の突撃を目前にしてもなお踏み留まろうとする敵の戦意は賞賛に値した。俺達が彼らの立場だったら、三秒で逃げ出していたはずだ。

 

「艦列ってこんなに簡単に突破できるものなのか」

 

 そう考えてしまうほどに脆かった。戦術スクリーンには反転してきた敵前衛部隊が後衛を支えようと奮戦している様子が映っている。しかし、今の同盟軍の勢いには敵し得なかった。後衛の混乱は前衛に波及し、帝国軍は全軍崩壊の一歩手前まで追い込まれた。

 

 緊急連絡を伝える呼び出し音がけたたましく鳴り響き、スクリーンに白い流線型の戦艦が映し出された。言わずと知れたラインハルトの乗艦ブリュンヒルドである。

 

「第八艦隊がローエングラム元帥の本隊と接触した!我らを阻むことは誰にもできん!進め!」

 

 ロボス元帥の叱咤の声が最終章の開幕を全軍に知らせる。

 

「これでおしまいだ!頑張れ!」

 

 俺はロボス元帥と声量を競うかのように、第三六戦隊の将兵を鼓舞し続けた。ようやくこれで終わる。いや、終わりにしなければならない。もうこんな戦いはたくさんだった。



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第九十四話:死闘が終わり、伝説が始まる 宇宙暦796年11月8日 アムリッツァ星系 第三六戦隊旗艦アシャンティ

 帝国軍総司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の乗艦ブリュンヒルトの白くなめらかな艦体は、砲撃や爆発光に照らされて銀色に光り輝いていた。激戦にあっていっそう輝きを増すその美しさは、艦の所有者たる美貌の提督と重なって見える。全軍崩壊の危機にあってなお、ブリュンヒルトは戦場に君臨している。

 

 俺は確信した。いや、誰であっても確信せずにいられないであろう。ブリュンヒルトを沈めた瞬間に眼前の大軍は潰えると。

 

 ブリュンヒルト目掛けて殺到していく第八艦隊先頭集団は、さながら金属と火力の奔流であった。敵駆逐艦が張り巡らせた迎撃ミサイルの弾幕は、対艦ミサイルの豪雨に打ち砕かれた。全砲門を開いて先頭集団を食い止めようとした敵戦艦は、自軍に数倍する砲撃に押し流された。敵の巡航艦や攻撃母艦も先頭集団の勢いに抗し得ず、次々と爆散していく。

 

 この期に及んでも一艦たりとも逃げようとせず、ブリュンヒルトを守ろうとする敵の戦いぶりは賞賛に値した。これほどの献身を部下から引き出すラインハルトの統率も素晴らしい。しかし、第八艦隊先頭集団は帝国軍の抵抗を無慈悲に粉砕し、ラインハルトの本隊は驚くべき速度で数を減らしていった。

 

「高速艦を揃えたのが命取りになったようですね。門閥貴族の提督が好んで使う大型艦ならもう少し戦えたのでしょうが」

「そうだね。確かにあの編成はこの状況では逆効果だ」

 

 作戦部長代理クリス・ニールセン少佐のため息混じりのつぶやきに同意を示す。艦の大きさと中和力場の出力は比例する。砲やミサイルポッドも多く設置できる。だから、艦体が大きければ大きいほど、高い火力と防御力を持てる。高速艦は先制攻撃で敵の弱点を叩くのには向いているが、足を止めての撃ち合いには弱い。ロボス元帥もそこまで読みきって、追撃戦は同盟軍有利と踏んだのだろう。

 

「皮肉なものです。ローエングラム元帥を名将たらしめた速度重視の編成が今日の敗北を招くとは」

「敵はまだ敗北を認めていないよ。他の艦をことごとく沈めたとしても、あの艦が残っている限りは俺達の勝ちじゃない」

「失礼しました」

 

 俺がブリュンヒルトを指さすと、ニールセン少佐は顔に恥じる色を浮かべて謝る。彼と俺は三歳しか年齢が離れていないのに、会話をすると俺よりだいぶ年下であるように感じることが多い。

 

「気にすることはないよ。俺が小心なだけだから」

 

 軽く微笑みを見せて、食べようと思っていたマフィンをニールセン少佐に差し出す。三年前の俺は駆け出しの副官だった。当時の俺と比べれば、彼はずっと優秀だ。彼は経験が足りないにすぎない。凡庸な俺もこの三年で様々な経験を積んだおかげで、何とか司令官が務まっている。

 

 マフィンを食べるニールセン少佐を横目に、スクリーンに意識を戻した。敵はもはや火力では第八艦隊先頭集団に対抗し得ないと悟ったのか、自らの艦体を武器にして挑んできた。ある艦はブリュンヒルトの盾となって砲撃やミサイルを受け止めた。ある艦は同盟軍の艦に体当たりして、自らの命と引き換えに突進を食い止めようと試みた。

 

「信じられん…」

「なんて奴らだ…」

 

 司令室のあちこちからそんな呟きが聞こえる。敵の戦いぶりは俺達の理解を超えていた。これまでの帝国軍なら、もっと早い時点で逃げ散っていたはずだった。いや、同盟軍でもこの状況ならとっくに戦意が崩壊している。敵艦が争うように身を投げ出していく光景は、戦場ではなく英雄伝説の一場面のようであった。

 

「どうやればこいつらに勝てるんだ?」

 

 どこからともなくそんな声が聞こえた。圧倒的な優勢にあって勝利を疑う者が出ているという事実は、言いようのない恐怖を呼び起こした。

 

 偶然に支配される戦場では、しばしば非合理的な要素が勝敗を決する。戦意もその一つであった。幹部候補生養成所で受けた戦史の授業によると、西暦一四三一年のドマジュリチェ、西暦一七九二年のヴァルミー、西暦二七八八年のカノープスなどは、戦意の差で不利を覆した戦いだったという。

 

 帝国軍の異常な戦意がこの戦いの流れを変えてしまうのではないか。そんな恐怖から逃れるように戦術スクリーンに視線を移す。バラバラに散らばった赤いマークを追いかけ回す青いマークは、すべての正面における同盟軍の圧倒的優勢を示していた。崩れかけた戦線を支えるために戻ってきた敵前衛部隊も同盟軍の勢いの前に為す術がなかった。

 

「圧倒的じゃないか」

 

 自分に言い聞かせるように小さい声でひとりごとを言う。

 

「なんでまだ敵は戦場にいるんだ?なぜ負けを認めない」

 

 前方から聞こえてきたアシャンティの艦長ムフェラ中佐の声には、はっきりと恐れの色が浮かんでいた。三〇年近く軍艦に乗って来た彼は、実戦の呼吸を知り尽くしている。攻撃精神旺盛な艦長と言われ、一度の会戦で敵艦四隻を撃沈して五稜星勲章を受章した経験もある。そんな猛者が恐れを感じているというのは由々しい事態だ。

 

「コレット大尉!パンケーキとホットミルクを将兵全員分用意するように手配して!」

 

 副官のコレット大尉を呼んで、第三六戦隊の将兵全員に臨時の間食を支給するよう指示する。こんな時は叱咤しても意味が無い。甘い食べ物と暖かい飲み物を与えて、心を落ち着かせた方がいい。

 

 それから、参謀長チュン・ウー・チェン大佐を呼んだ。潰れたチーズたっぷり包み焼きピザを貰って、軽く会話を交わすと恐怖が薄れていった。どんなに深刻な状況もマイペースな彼を見れば、大したことが無いように思える。

 

「第八艦隊先頭集団がブリュンヒルトを射程内に捉えました!」

 

 オペレーターが伝えたその情報は、沈みかけていた司令室の空気を一気に明るくした。どっと歓声があがる。さすがのラインハルトも射程内に捉えられては逃れるすべがないはずだ。他の敵部隊も救援に駆けつける余裕はない。第八艦隊先頭集団の指揮官はフォール少将。猛者揃いの第八艦隊でもひときわ勇名高く、正確無比の攻撃指揮で名を馳せる提督だ。ラインハルトの命運は尽きたかに思われた。

 

「なんだ、あれは!?」

「苦し紛れか!?」

 

 絶体絶命のブリュンヒルトは驚くべきことに前進を始めた。死を目前に控えているのに、なお前に進もうとする。なんと誇り高いことであろうか。敗軍であっても、勝者のごとく光り輝いている。ラインハルトはどこまでもラインハルトだった。

 

 第八艦隊の先頭集団は対艦ミサイルとビームを一斉に放った。これだけの攻撃を一度に受けたら、中和力場もあっという間に飽和してしまう。ブリュンヒルトの周囲はがら空きだ。生き残っている本隊所属の敵艦が一斉に救援に向かったが、それより早く攻撃が届く。誰もがブリュンヒルト撃沈とラインハルトの死を確信した。

 

「う、嘘だ…!」

「信じられんっ!」

 

 何が起きたのか、誰にも理解できなかった。全員が狐につままれたような表情でスクリーンを眺める。第八艦隊先頭集団の攻撃はことごとく外れ、ブリュンヒルトは傷ひとつ付かずに前進を続ける。

 

 再び対艦ミサイルとビームが束になって飛んで行く。「あんな偶然は一度きりだ。今度こそ敵の旗艦は光の矢に串刺しにされる」と誰もが信じた。しかし、今度は守るように割って入った数隻の敵艦に命中して爆発を起こした。ブリュンヒルトは何事もなかったかのように前に進む。

 

「そんなのありか…」

 

 ある参謀が驚愕とともに絞り出した声は、司令室にいる者全員の心情を代弁していた。この状況で威風堂々と前進する敵旗艦、それを撃沈できない味方。ありと思える方がおかしい。

 

 第八艦隊先頭集団は躍起になって火力を叩きつけた。しかし、集まってきた敵艦が盾になって爆散し、ブリュンヒルトには傷ひとつ付いていない。体を張って攻撃を受け止める敵艦と、その爆発光に照らされながらまっすぐに進んでいくブリュンヒルト。それはさながら王者の行進だった。

 

「もしかして負けるんじゃないか?」

 

 三〇分前ならすぐにその呟きは、否定の声にかき消されたであろう。しかし、今は全員が同じ不安を共有していた。第八艦隊先頭集団の猛射は続いていたが、一発でもブリュンヒルトに当たると信じている者はいない。

 

「総司令官の旗艦とて、たかが一艦ではないか!他の艦をことごとく沈めれば敵は潰え去る!恐れるな!目前の敵に集中せよ!」

 

 ロボス元帥の叱咤は理屈で考えればもっともであった。しかし、俺達は知っている。他の艦をことごとく沈めても、ブリュンヒルトを沈めなければ俺達に勝ちはないと。ブリュンヒルトはただ一艦で帝国軍の希望となっている。ブリュンヒルトの輝きに照らされている限り、帝国軍は決して挫けない。

 

「見てください、閣下!」

 

 コレット大尉に促されて、正面の戦場に意識を戻す。第三六戦隊の攻撃で息も絶え絶えだった敵は、生気を取り戻しつつあった。艦の動きがみるみるうちに良くなっていく。

 

「砲門を…!」

 

 砲門を全開にせよ、エネルギーを使いきるまで撃ち続けろ。そう言いかけて言葉を飲み込んだ。エネルギーを残しておく必要性を感じたのだ。ここで撃ち尽くしてしまえば、後退戦を戦えなくなる。

 

「後退戦だって?何を考えてるんだ、俺は」

 

 自分が無意識のうちに後退戦を想定していたことに驚いた。ブリュンヒルトが健在でも、敵の動きが生気を取り戻していても、同盟軍優勢に変わりはなかった。敵の陣形はバラバラで同盟軍の陣形は整然としている。まとまった予備戦力も残っていない。データはすべて同盟軍の優勢を示しているのに、心の中ではそれを信じられなくなっていた。

 

 本来ならとっくに逃げ散っているはずの敵はなおも戦場に踏み留まっている。本来ならとっくに撃沈されているはずのブリュンヒルトは傷ひとつ付かずに悠然と前進している。ならば勝っているはずの同盟軍はどうなってしまうのか。勝利を信じる気持ちが砂粒となって、指の間からこぼれ落ちていくのを感じた。この戦いはまずい。理性ではなく、勘がそう告げる。

 

「敵が突撃してきます!」

「なんだって!?」

 

 オペレーターの絶叫に誰もが驚愕した。慌ててメインスクリーンに目をやると、全ての敵艦が全速でこちらに向かってきている。陣形は相変わらず乱れたまま。速度も攻撃のタイミングもバラバラ。こんな状態で艦列を整えた相手に突っ込むなど、自殺行為に等しい。

 

「何を考えてるんだ、奴らは!」

「死ぬ気か!?」

「イカれてやがる!」

 

 司令室は混乱の叫びに包まれた。

 

「我々の正面の敵だけではありません!全方面で敵が突撃を始めました!」

 

 戦術スクリーンの中では、バラバラの赤マークが整然と列を作る青マークに向かって一斉に突撃していた。速度もタイミングもバラバラ。狂気の突撃という他ない。

 

「敵の足並みは揃っていない!攻撃の密度も薄い!こんな突撃では我々の戦列を破ることはできない!落ち着いて狙い撃ちにするんだ!」

 

 とっさに出した指示も虚しく響く。そもそも、俺自身が落ち着きを失っている。

 

「我らが司令官ローエングラム元帥万歳!」

「司令官を死なせてはならんぞ!進め!進め!進め!」

「兵士の友ローエングラム元帥に勝利を!」

 

 敵情を傍受するために用意された回線は、帝国語の歓呼に占拠された。同盟軍の参謀やオペレーターは、職務上の必要から帝国語教育を受けている。彼らの帝国語知識は、戦っている相手が軍隊ではなく、ラインハルトを崇拝する信仰者の集団であることを理解させた。

 

 とっくに負けているはずの軍隊が総司令官への信仰を支えに踏み止まり、突撃すら敢行してのけた。その光景は俺達に深刻な問いを突きつける。

 

「我々は何のために戦っているのか」

「戦って何を得ようというのか」

「命を賭けるに値する何かを我々はこの戦いの中に見い出せるのか」

 

 答えはわかりきっている。何もない。ロボス元帥や政治家の打算にさんざん振り回されて、戦う意義なんてとっくに見失った。ロボス元帥の合理的な用兵を目の当たりにしても、気持ちは白けきっていた。計算が正しいからといって、命を賭ける理由にはならない。

 

 さっさと終わらせたいというきわめて消極的な思いが俺達を戦場に繋ぎ止める一本の糸であった。しかし、決して沈まないブリュンヒルトと決して逃げない帝国軍将兵の姿は、自分の手で戦いを終わらせることが不可能であることを示した。

 

 最後の糸がぷつんと切れ、同盟軍は帝国軍に押されるように後退を始める。帝国軍が一光秒進むと、同盟軍は一光秒退く。一〇分後には帝国軍が一光秒進むたびに、同盟軍は二光秒退くようになる。二〇分後には帝国軍が一光秒進むたびに、同盟軍は四光秒退いた。三〇分後に同盟軍は後退から逃走に転じた。

 

「追撃中止!総員、イゼルローン要塞まで撤退せよ!」

 

 宇宙暦一一月八日一三時二四分。同盟軍総司令官ロボス元帥は全軍に撤退を指示した。史上最大の会戦が終わり、ラインハルト・フォン・ローエングラムの伝説が始まった。

 

 

 

 勝利寸前だった味方が敵の非常識な抵抗に根負けして、みるみるうちに総崩れに追い込まれる光景など誰が想像できただろうか。しかし、呆然とする贅沢は第三六戦隊には許されなかった。

 

「一歩も退いてはならん!命に替えて持ち場を死守せよ!」

 

 第一独立機動集団と第一二艦隊残存部隊を率いるブラツキー少将は、ロボス元帥から殿軍を命じられた。両翼を伸ばした半月陣を敷いて、帝国軍の前進を阻もうと試みる。第二分艦隊は防御が堅い球形陣を敷いて半月陣の右翼に陣取り、第三六戦隊は他の二個戦隊とともに第二分艦隊の球形陣の一部となる。

 

「総司令官閣下は第一二艦隊の諸君に不名誉を償う機会を下さった!生きて帰ろうと思うな!一隻でも多くの友軍を逃がして汚名をすすぎ、総司令官閣下のご厚意に報いるのだ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、怒りで体中が燃え上がった。司令室にいる者は全員同じ気持ちだった。マイペースなチュン大佐ですら、目に怒りの色を一瞬だけ浮かべた。

 

 第一二艦隊の行為を不名誉とみなしたこと、第一二艦隊の生き残りをここで死なせるつもりでいること、「死なせてやるんだからありがたく思え」と恩着せがましく言っていること。そのすべてが腹立たしい。

 

 誰が第一二艦隊を抗命のやむ無きに追い込んだのか。悪いのはロボス元帥ではないか。そして、勝ったのに功を焦って強引に追撃して今の苦境を招いたのもロボス元帥だ。それなのにどうして俺達が尻拭いしなければならないのか。こんな総司令官のために戦えるものか。

 

 何か言ってやらなければ気が済まない。そんな思いに駆られて通信機に手を伸ばす。だが、強い力で腕を掴まれた。

 

「おやめください」

 

 俺を止めたのは、人事部長のセルゲイ・ニコルスキー中佐だった。

 

「あちらを」

 

 ニコルスキー中佐が目配せした方向を見ると、統括参謀アナスタシア・カウナ大佐配下の憲兵が銃に手をかけている。総司令部批判が燃え上がれば、それを口実に司令室を制圧するつもりでいるのだろうか。怒りに駆られて軽挙妄動しようとした自分が恥ずかしくなった。

 

「ありがとう」

 

 礼を言って頭を下げた。つくづく俺は部下に恵まれている。彼らには生き残ってもらいたい。それが俺にできる唯一の恩返しだ。

 

 後退許可を得て部下を救うことはできない。そんなことをすれば、監視役のカウナ大佐は戦意不足の口実で俺の指揮権を剥奪するだろう。戦意不足を理由とする戦地での司令官解任は、いくらでも前例があった。総司令部の代理人であるカウナ大佐が指揮権を掌握したら、第三六戦隊の将兵に無茶な戦いを強いるのは火を見るよりも明らかだ。指揮権を手放すわけにはいかない。

 

 俺の下手な用兵では、勝利など到底望めなかった。上官のクレッソン少将は優秀な指揮官だが、先制速攻型で守りにはあまり強くない。おそらく第三六戦隊は敗北する。しかし、敗北を少しでも先延ばしする努力ぐらいならできるはずだ。生き残ればどうにでもなる。現にラインハルトは悪あがきを続けて逆転したではないか。

 

 俺はメインスクリーンに視線を戻す。帝国軍は練度こそ低いものの実に生き生きと動いている。一方、同盟軍は疲れきっていてせっかくの練度を生かし切れない。

 

「前方より敵の新手が出現しました!およそ五〇〇隻!」

「砲火を三時方向に集中して分断せよ!」

 

 オペレーターはひっきりなしに敵の接近を知らせ、俺は休む間もなく指示を出し続けた。撃退したと思っても、すぐに次の敵が押し寄せてくる。直線的な波状攻撃は疲れた将兵から、残された体力と気力を奪い去った。味方艦の動きはどんどん鈍くなり、敵の火線に捕捉されて火球と化していく。

 

 アムリッツァ星系全域で同盟軍は後退を重ねていた。開戦から一週間死守した第四惑星、第五惑星、第七惑星のラインを突破され、星系内縁部の第一惑星、第二惑星、第三惑星のラインまで押し込まれた。

 

 ラインハルトの奇跡的な戦いを直接目の当たりにした第八艦隊は、同盟軍の中で最も動揺が激しかった。第八艦隊の将兵は同盟軍最精鋭と名高く、司令官のアップルトン中将は最優秀の提督であったが、ブリュンヒルトを先頭に突入してくる熱狂者の渦に飲み込まれて恐慌状態に陥った。最も帝国軍の奥深くに切り込んでいたことも災いした。アップルトン中将は戦死、残存部隊も苦戦している。

 

 昨日の帝国軍の攻勢で大打撃を受けた第九艦隊、司令官を欠く第一〇艦隊は、第八艦隊に次ぐ損害を被った。第四独立機動集団司令官ルイス少将の指揮下に入った第七艦隊残存部隊も大きな損害を出した。

 

 第三艦隊、第五艦隊は善戦していた。第三艦隊司令官ルフェーブル中将は、重厚な防衛陣を敷いて付け入る隙を与えなかった。第五艦隊司令官ビュコック中将は、巧妙に構築した火線と闘志あふれる指揮で挑んだ。同盟軍きっての実戦派提督と言われる二人の老将は、敗軍の中でその真価を示したのである。

 

 特筆すべきは第一三艦隊である。司令官ヤン中将は巧妙に敵を誘い込んで強烈な逆撃を加え、追撃部隊を敗走に追い込み、ほとんど損害を受けずに後退している。

 

 ロボス元帥率いる本隊は素早く陣形を再編して、迫ってきた帝国軍に先制攻撃を加えて撃退すると、全速力でイゼルローン方面に離脱してしまった。撤退指示も自分が合法的にイゼルローンに逃げ込むための布石だったのであろう。最高の能力と最低の責任感を兼ね備えたロボス元帥を象徴する一幕であった。

 

 同盟軍との戦いで消耗していたせいか、帝国軍は深追いを避けた。相手が手強いと見たら早めに追撃を中止し、さほど手強くない相手でもほどほどで切り上げた。ラインハルトはこの勝利の価値を知っている。だから、同盟軍の殲滅にこだわらずに、自軍の撤収という当初の目的を優先したのである。

 

 

 

 一七時〇〇分、死守命令を受けて同盟軍の最後尾で戦っていた第一二艦隊は、第一独立機動集団とともに敵中に取り残された。第三六戦隊に残された戦力は三二四隻。遠征開始時の半数以下まで減少した。七人いた群司令のうち、三人は既にこの世にいない。

 

「第三〇二巡航群より報告!ポターニン大佐戦死!」

 

 たった今、群司令の死者は四人目となった。第三〇二巡航群司令と第三六戦隊の副司令官を兼ねるポターニン大佐は兵卒から叩き上げたベテランで、最初は俺とうまくいかなかった。しかし、苦労を共にするうちに信頼関係が生まれて、今では作戦行動に欠かせない存在であった。彼の死は第三六戦隊にとっても俺個人にとっても計り知れない損失だった。

 

 次々と味方艦が打ち減らされ、敵艦はどんどん数を増していく。火力を担う戦艦、機動力を担う巡航艦、防御を担う駆逐艦と艦載機。そのすべてが決定的に足りない。敵の攻撃は激しく、防御は分厚い。

 

「第二分艦隊旗艦セントクレア撃沈されました!」

 

 その報を聞いた瞬間、心臓が止まったような錯覚を覚えた。この激戦のさなかに上官が戦死したら、最悪の事態になる。第五二戦隊司令官カトルー准将は一時間前に戦死した。クレッソン少将まで死んでしまったら、第二分艦隊の指揮を引き継ぐのは俺だ。

 

「司令官は脱出されたか!?」

「わかりません」

「早く確認しろ!」

「りょ、了解しました!」

 

 オペレーターを怒鳴りつけて確認を急がせる。今の俺には狼狽を隠す余裕などなかった。

 

 確認するまでの時間はとてつもなく長く感じられた。焦燥感で胸が一杯になり、靴の足底でコツコツと床を叩く。オペレーターが第二分艦隊副参謀長サルキシャン大佐からの連絡を伝えたのは、六分後のことであった。

 

「副参謀長サルキシャン大佐より通信が入っております」

「繋いでくれ」

 

 スクリーンに現れたサルキシャン大佐は、苦悩に満ちた顔をしていた。敬礼をする手にも力がない。不吉な予感がする。しかし、どんな結果が待ち受けていたとしても、聞かないわけにはいかない。

 

「クレッソン司令官はどうなさった?」

「司令官閣下はお亡くなりになりました」

「やはり、お亡くなりになられたんだね」

 

 目をつぶり、確認するように言った。クレッソン少将はもうこの世にいない。その事実を胸に刻みつける。

 

「ジェリコー参謀長は?」

 

 副参謀長が通信を入れてきた時点で、参謀長ジェリコー准将の死も予想できていた。俺の質問はその事実を受け入れるための儀式だった。

 

 だが、サルキシャン大佐は俺の質問に答えなかった。目が涙でうるみ、唇は震え、今にも泣き出しそうに見えた。容易ならざる事情を感じ取った俺は質問を続けた。

 

「参謀長に何があったか教えてくれないか?」

「退艦を拒否なさって、セントクレアと運命を共にされました」

 

 質問に答えるサルキシャン大佐の声は震えていた。艦長が退艦を拒否するという話はたまに聞く。軍艦乗りは艦に対する愛着が強い。艦を失って心が折れてしまう者もいるのだ。だが、参謀が退艦を拒否したという話は聞いたことがない。

 

「どういうこと?」

「一言だけ、『疲れた』と」

 

 言い終えると同時にサルキシャン大佐は手で顔を覆って泣いた。

 

「そうか。『疲れた』か」

 

 短い言葉に込められた絶望の深さに涙がこぼれそうになり、ぐっと奥歯を噛み締めてこらえた。ジェリコー准将は正直な人だった。スクリーン越しにも苦悩や葛藤がありありと感じられた。もはや、自分や第一二艦隊を取り巻く現実に耐えられなかったのであろう。

 

「ご苦労だった。今から第二分艦隊の指揮を引き継ぐ」

 

 気を取り直して、指揮権を引き継ぐ意思を伝えた。悲しんでいる余裕は無い。すぐ指揮権を引き継がなければ、司令官のいない第二分艦隊は敗北する。

 

「第二分艦隊司令部の生き残りを連れて、アシャンティまで来れるか?」

「やってみます」

「難しいと判断したら、第一二四戦艦群旗艦ケイローンに向かってくれ。万が一の時は、群司令のハーベイ大佐が指揮を引き継ぐから」

 

 サルキシャン大佐との会話を終えると、俺は通信機に向かった。そして、非常用回線の一つを開く。第二分艦隊の全艦につながる回線だ。これを使う日が来るとは夢にも思わなかった。深呼吸して心を落ち着けてから、マイクに向かう。

 

「第二分艦隊の諸君。第三六戦隊司令官エリヤ・フィリップスだ。クレッソン司令官は旗艦セントクレアと運命を共にされた。よって、本刻をもって小官が第二分艦隊の指揮を引き継ぐ」

 

 力強くゆったりした口調を務めて作る。今の俺が成すべきことは、第二分艦隊の将兵を安心させること。頼れる司令官像を演じなければならない。

 

「小官は運が強い。エル・ファシルでは司令官が敵前逃亡した。ヴァンフリートでは敵兵に殺されかけた。ティアマトでは乗艦が撃沈されかけた。ゲベル・バルカルでは海賊の奇襲を受けた。だが、小官はそのことごとく生き延びた。アムリッツァでも絶対に諸君とともに生き延びる。小官の幸運を信じて欲しい」

 

 俺は自分自身の幸運に確信を持っているわけではない。生き残ってきたのは、単なる結果だと思ってる。しかし、司令官を失ったばかりの第二分艦隊には、信じられる何かが必要だった。用兵を信じさせることは、俺にはできない。実力と無関係の幸運を信じさせるしか無かった。

 

「運を掴む秘訣は諦めないこと。諦めずに戦い続ければ、きっと運が巡ってくる。小官はそうやって生き残ってきた。運が巡るまで粘り続ける。流れが変わる瞬間に一気に仕掛ける。しばらくは目前の敵を打ち破ることだけを考えてもらいたい」

 

 放送を終えると、強烈な圧迫感と吐き気を覚えた。第二分艦隊の指揮権を引き継いだという事実は、俺の体に凄まじいストレスをもたらしたのだ。

 

 俺の異変に気づいたのか、コレット大尉、ニコルスキー中佐、メッサースミス大尉らが駆け寄ってきた。

 

「閣下、大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫。ちょっと疲れただけ」

 

 心配顔の部下達に笑顔で答える。敵を打ち破る策もなければ、この場から逃れる策もない。無策な俺にできることは、頼れる司令官を演じて部下を落ち着かせることだけであった。

 

 マフィンを立て続けに四個食べて一息つくと、第二分艦隊の掌握に乗り出した。参謀を呼び集めて第二分艦隊配下の部隊に連絡させて、新しい指揮系統の確立を図る。部隊から送られてくる情報を集約して、第二分艦隊の現状を正しく把握する。指揮権を継承したと宣言するだけでは、部隊は動かせない。意思疎通の経路を繋ぎ、こちらからの命令を確実に伝達し、部隊からの報告を受け取る仕組みを作って、ようやく配下の部隊を円滑に動かせるようになるのである。

 

 チュン大佐を始めとする参謀はてきぱきと作業を進め、俺は手早く第二分艦隊の掌握に成功した。現存する艦艇の中で戦闘可能な状態にあるのは一二四一隻。ビーム砲用エネルギーや対艦ミサイルは残りわずか。将兵の疲労は激しく、戦闘効率は著しい低下を見せている。失敗に終わった追撃戦での消耗がここにきて大きく響いていた。

 

「参謀長、第二分艦隊はあとどれぐらいもつ?」

「残り二時間。弾薬を節約すれば、一時間ほど伸びます」

「なるほど。弾薬の残量と俺達の持ち時間がイコールなわけだね」

 

 チュン大佐に突きつけられた冷酷な現実に、思わず苦笑いしてしまった。絶望する気にもなれない。

 

「残り二、三時間。できるだけのことはやってみようか」

「ええ。おとなしく死を待つのは面白くありません。奇跡が起きるかもしれないですしね」

「奇跡に期待するしかないのか」

 

 名参謀の口から奇跡という言葉が飛び出してきたことに、そんなものに期待するしかない状況であるということを思い知らされて、少しやりきれなくなった。

 

「閣下の幸運に賭けさせていただきます」

 

 チュン大佐はにっこりと笑って、折り目正しい敬礼をした。最悪の状況にあっても希望を失わない参謀長の姿に勇気づけられ、やりきれなさが失せていく。

 

「がんばらなきゃね」

 

 笑って敬礼を返すと、指揮を取るべくメインスクリーンに向き直る。上下左右、どこを見ても敵ばかりであった。

 

 俺はチュン大佐のアドバイスを受けながら第二分艦隊を指揮して、帝国軍の突撃を四度にわたって撃退した。ブラツキー少将の死守命令に縛られて正面の敵と全力で戦う以外の選択肢がなかったこと、そして帝国軍の戦術が勢い任せであったことが幸いし、部隊をしっかり掌握しさえすれば、俺の単純な指揮でも十分に通用したのだ。

 

 しかし、いかに第二分艦隊が奮戦しても、俺達が敵中に取り残されているという事実を覆すことはできない。第一二艦隊に所属していた部隊のうち、第一分艦隊と第四分艦隊の戦列は崩壊しかけていた。第三分艦隊は健闘しているが、限界に近づいている。ブラツキー少将率いる第一独立機動集団も防戦で手一杯だった。

 

 俺が第二分艦隊の指揮を引き継いでから二時間半が経過した。第二分艦隊はチュン大佐の策によって、少ないビームとミサイルで強力な火線を構築することに成功し、辛うじて弾薬切れを免れている。しかし、四度の突撃で二〇〇隻近い戦力を失った。次の突撃を防ぐのは難しい。防げたとしても、弾薬が尽きてしまって次の次は防げない。

 

 旗艦アシャンティの周囲は、ビーム砲と対艦ミサイルが乱れ飛ぶ最前線と化していた。護衛の駆逐艦は飛来する対艦ミサイルを迎撃し続けたが、敵の駆逐艦や艦載機の肉薄攻撃を受けて数を減らしていった。アシャンティ自身も敵艦と砲火を交えている真っ最中であった。

 

「二時方向より敵ミサイル!避けきれません!」

 

 オペレーターの悲鳴と同時にアシャンティは激しく揺れた。気が付くと俺の体は宙を舞い、視界がめまぐるしく回転していた。何が起きたかわからずに呆然としていると、体がバラバラになるような強い衝撃を感じ、次いで激痛が走った。

 

 体中が激しく痛むのに悲鳴が出ない。声が出せない。口の中に生ぬるい鉄の味が広がる。こんな経験は二年前のヴァンフリート以来だった。司令室には赤色灯が灯り、非常事態を知らせるサイレンがけたたましく響いていた。悲鳴、怒声、足音などが入り混じった騒音が耳に入ってくる。

 

「死ぬのかな、俺」

 

 焦点が定まらない目で天井を眺めながら、そんなことを思う。

 

「みんな無事だったらいいんだけど」

 

 ポケットから取り出したパンを笑顔で頬張るチュン大佐、プロテインバーをかじっているコレット大尉、じゃがいもにバターを塗って丸かじりするベッカー中佐、チキンにかぶりつくニコルスキー中佐、生野菜にドレッシングを掛けてむしゃむしゃ食べるレトガー中佐、冷めたヌードルをちまちますするニールセン少佐など、脳裏に部下の顔が次々と浮かぶ。

 

 ふと、視界が暗くなった。七、八人ぐらいの顔がこちらを覗きこんでいる。ぼんやりしてるけど、どの顔が誰なのかはすぐわかった。無事で良かった。

 

「早く逃げろ」

 

 そう口にしようとしたけど、出たのは血液だけだった。激痛と息苦しさで声が出ない。

 

「声が出せたら、俺に構わず逃げろと命令するのに」

 

 動かない体がどうしようもなく恨めしかった。痛みのせいで頭もろくに働かない。俺の顔を覗きこんでいる部下達が何を言ってるのかも良く聞き取れなかった。

 

「やっぱり、国には帰れないか」

 

 ハイネセンにいた三ヶ月前がとても遠い昔のように感じる。ダーシャ、アンドリュー、クリスチアン大佐、イレーシュ大佐、ドーソン中将、トリューニヒト、ビューフォート准将、アルマらも手が届かない場所にいる。

 

 意識がどんどん薄れて、何もかもがどんどん離れていくように感じる。視界も真っ暗になった。ヴァンフリートの時と同じ感覚だった。

 

「…援軍です!援軍が、援軍が!」

「…これでは聞き取れん!音量を最大に!」

 

 真っ暗な世界の中で妙に力強い声が響く。幻聴だろうか。

 

「…第五艦隊はあと二〇分で着く!第三艦隊と第一三艦隊も向かっておる!あと少しの辛抱じゃ!」

「…我々は第三艦隊である!軍艦乗りは仲間を見捨てない!一緒に祖国に帰ろう!」

「…第一三艦隊だ。これ以上、犠牲者は出さない。必ず助け出す」

 

 やっぱり幻聴だ。第一二艦隊は通信封鎖されている。他の艦隊はイゼルローンに向かってる。アムリッツァに戻ってきて、俺達に連絡を寄越すなんて有り得ない。

 

 でも、幻聴でも味方が来てくれてうれしかった。少しは安らかな気分で死ねそうだ。神様が敵中に置き去りにされて死ぬ俺を哀れんでくれたのかもしれない。軽い満足感の中で俺の意識は消失していった。



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第十一章:祭りの後、後の祭り
第十一章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第三六戦隊司令官。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。ダーシャ・ブレツェリと婚約中。ボロディン中将の抗命行為を支持し、長い撤退戦を闘いぬいた。アムリッツァ会戦で重傷を負う。小心者。小柄で童顔。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。運用能力はそこそこ。用兵は下手。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

第三六戦隊関係者

チュン・ウー・チェン 34歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。第三六戦隊参謀長。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事のすべてに通じる。参謀長として采配を振るう。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ハンス・ベッカー 31歳 男性

同盟軍中佐。亡命者。第三六戦隊情報部長。入院中にエリヤと知り合った元帝国軍の情報参謀。司令部のムードメーカー。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 36歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。第三六戦隊人事部長。第二輸送業務集団から移籍した人事のプロフェッショナル。年長者として司令部の引き締め役を担う。公正な堅物。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

シェリル・コレット 23歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三六戦隊司令官副官。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。副官の任をしっかり果たした。頭の回転が速い。機転が利く。引き締まった長身。無口で無愛想だったが、笑顔も見せるようになった。トレーニング好き。

 

クリス・ニールセン 25歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。第三六戦隊作戦部長代理。アンドリュー・フォークの推薦で宇宙艦隊総司令部から移籍してきた若手作戦参謀。部隊運用を担当。基本に忠実な部隊運用をする。純朴で生真面目。少食。

 

リリー・レトガー 38歳 女性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。司令部のムードメーカー。後方支援や占領行政を担当。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

エドモンド・メッサースミス 24歳 男性 原作人物

同盟軍大尉。第三六戦隊作戦参謀。グリーンヒルの推薦で参謀チームに加わった。未熟だが意欲は高い。社交性がある。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

エリオット・カプラン 28歳 男性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三六戦隊人事参謀。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。コネで伯父によって第三六艦隊司令部に押し込まれる。能力も意欲も完全に欠如。司令部のお荷物。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。元ベースボール部のエース。

 

エドガー・クレッソン 50代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第二分艦隊司令官。エリヤの上官。長く苦しい撤退戦を闘いぬいた。優れた戦術指揮官。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ジャン=ジャック・ジェリコー 40代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第二分艦隊参謀長。第二分艦隊と第三六戦隊の連絡役。味方の思惑に翻弄される自分の立場に絶望。アムリッツァ会戦終盤に沈みゆく旗艦に留まって死亡した。気が弱い。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。アムリッツァ会戦に参戦。エリヤと婚約中。遠征終了後に結婚する予定。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。陸戦専科学校教官時代にアルマを指導した。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 33歳 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。士官学校卒の参謀。撤退戦の最中に行方不明となる。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。海賊討伐作戦でエリヤとともに戦う。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

ジェリコ・ブレツェリ 59歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍大佐。フェザーン移民の子。第七艦隊所属の支援群司令官。下士官から叩き上げた後方支援のベテラン。敵中に取り残されたが、包囲を突破してアムリッツァまで脱出。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 41歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。国防委員長。警察官僚出身の主戦派政治家。改革市民同盟非主流派の領袖。凡人のための世界を作るという理想を持つ。帝国領遠征中止キャンペーンを展開したが、継続派の策略の前に敗北。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。蕩けるような愛嬌。人懐っこい笑顔。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。長身。俳優のような美男子。人間のエゴに肯定的。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍中将。国防委員会防衛部長。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。統合作戦本部管理担当次長。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の情報参謀。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 26歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍准将。宇宙艦隊総司令部作戦参謀。帝国領遠征軍作戦参謀。ロボスに心酔している。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。エリヤとの問答のさなかに発作を起こして倒れ、作戦指導から退いた。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 58歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍元帥。宇宙艦隊司令長官。帝国領遠征軍総司令官。同盟軍屈指の用兵家で人心掌握にも長けた優秀な人物。トリューニヒトにも一目置かれる策略家。遠征継続に固執し、アムリッツァで決戦を挑む。ラインハルトを追い詰めるが。逆転敗北を喫した。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 33歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊司令官。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征実現に貢献。撤退戦ではモートンとともに味方の撤退を援護したが、戦闘中に行方不明となる。強烈な覇気の持ち主。天性のリーダー。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

 シャルル・ルフェーブル 68歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第三艦隊司令官。士官学校を出てから半世紀近く艦隊勤務を続ける生粋の軍艦乗り。重厚で隙のない用兵をする名将。アムリッツァ会戦ではヤンに次ぐ戦果をあげた。前の歴史では帝国領遠征で戦死。

 

カーポ・ビロライネン 35歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。帝国領遠征軍情報主任参謀。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

イヴァン・ブラツキー 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。アムリッツァ会戦で第一二艦隊を使い潰そうとした。用兵家としては凡庸だが、粘り強さと運用能力に優れる。凡人が努力で到達しうる最高峰レベルの指揮をする。

 

アナスタシヤ・カウナ 20代 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。元後方支援集団参謀。アムリッツァ会戦において総司令部から第三六戦隊に派遣された監視役。

 

ポルフィリオ・ルイス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。アスターテやアムリッツァで活躍した有能な指揮官。

 

シトレ派関係者

シドニー・シトレ 59歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍元帥。統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。帝国領遠征に反対。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ドワイト・グリーンヒル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。宇宙艦隊総参謀長と統合作戦本部作戦担当次長を兼ねる。帝国領遠征軍総参謀長。ロボス元帥と結託して第一二艦隊の撤退要請をうやむやにしようとした。第一二艦隊と遠征軍総司令部の和解を仲介。あらゆる派閥に顔が利く社交の達人。軍部の安全装置と言われる良識の人だが、権謀術数にも長ける。前の歴史ではクーデターの首謀者となるが敗死した。

 

アレクサンドル・ビュコック 70歳 男性 原作主要人物

同盟軍中将。第五艦隊司令官。シトレの旧知。兵卒から半世紀以上かけて提督に上り詰めた大ベテラン。巧みな砲術指揮と粘り強さに定評がある。抗命行為によって通信封鎖を受けた第一二艦隊にマイクテストを装って情報を流す。アムリッツァ会戦ではヤンに次ぐ戦果をあげた。反骨精神が強い。前の歴史ではチュン・ウー・チェンとともにラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ヤン・ウェンリー 29歳 男性 原作主要人物

同盟軍中将。第一三艦隊司令官。シトレの腹心。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。アムリッツァ会戦で最も戦果をあげた同盟軍指揮官。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 35歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。帝国領遠征軍後方主任参謀。シトレの腹心。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。第一三艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 32歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。第一三艦隊の陸戦師団長。ローゼンリッターの前連隊長。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 26歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッター連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。脱色した麦わら色の髪の美男子。白兵戦技と射撃術の達人。絵と歌がうまい。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ウラディミール・ボロディン 40代(行方不明) 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征において、部下を救うべく独断での退却を決断した。撤退戦の最中に撤退戦の際に後続を断つために踏みとどまり、行方不明となる。ノーブレス・オブリージュを体現した名将の中の名将。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

ヤオ・フアシン 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊副司令官。実戦派の提督。豪胆な人物。トリューニヒトを嫌っている。ボロディンから撤退戦の指揮を引き継ぐ。アムリッツァ星域到着後に総司令部に出頭。

 

アーイシャー・シャルマ少将 60代(故人) 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊後方支援集団司令官。飄々とした人物。ボロディンの抗命行為に加担。グリーンヒル大将と交渉して、第一二艦隊の指揮権を引き継いだ。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一艦隊司令官。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。帝国領遠征に参加。奇襲を受けそうになったが、辛くも逃れる。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 25歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校上位卒業のエリート。ドーソンの副官を務めた後、不祥事によって辺境に左遷。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

マティアス・フォン・ファルストロング 70代 男性 オリジナル人物

亡命者。遠征軍総司令部顧問。門閥貴族の名門ファルストロング伯爵家の二二代当主。帝国の元フェザーン駐在高等弁務官。政争に敗れて同盟に亡命してきた。イゼルローン要塞でエリヤに占領政策に関するアドバイスをする。匂い立つような気品を全身にまとった銀髪の老紳士。神経が凄まじく太い。どぎつい冗談を好む。逆境も楽しめる楽天家。

 

ライオネル・モートン 45歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第九艦隊副司令官。異数の武勲を重ねて二等兵から提督まで叩き上げた。同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督と言われる名将。不屈の戦闘精神の持ち主。帝国領遠征に参加。撤退戦でホーランドとともに味方の撤退を援護したが、戦闘中に行方不明となる。実年齢より数年老けて見える。無骨な人物。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 61歳 男性 原作人物

財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。帝国領遠征に反対。帝国の謀略を見抜き、トリューニヒトと別に独自の遠征中止キャンペーンを仕掛けた。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。野党ながら帝国領遠征を支持。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。ロボスとアルバネーゼが仕掛けた帝国領遠征を後押しした。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。ロボス元帥と組んで帝国領遠征を仕掛ける。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

ジェシカ・エドワーズ 28歳 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合所属。婚約者の戦死をきっかけに反戦運動に身を投じ、テルヌーゼン補欠選挙で代議員に当選。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 50歳 男性 原作人物

同盟軍中将。第十六方面管区司令官。同盟軍最高の後方支援司令官だったが、麻薬組織の浸透を許した責任を問われて辺境に左遷された。再起を目指して、新チーム結成に取り組む。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 50歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 37歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 51歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 30歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

アルマ・フィリップス 23歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。帝国領遠征に参加。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 



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第九十五話:確認作業 宇宙暦796年11月9日~16日 イゼルローン要塞第一軍病院

 体中が焼け付くようだ。息が苦しい。苦痛で体がよじれる。

 

「体が動く?俺は生きてるのか?」

 

 まさかと思って、ゆっくりと目を開いた。意識を無くす前にぼやけていた世界は輪郭を取り戻していた。視界には真っ白な天井が映っている。顔には酸素マスクが取り付けられ、体にはチューブがいっぱい差し込まれていた。

 

「ここはどこだ?俺はどうなった?」

 

 何もわからない。そして、痛みと息苦しさの波が襲ってくる。目を左右に動かすと、青い長衣と頭巾とマスクを身にまとった数人の人間が俺を見下ろしていた。

 

「答えてくれ!ここはどこなんだ!?」

 

 ここはどこだ?お前らは誰だ?俺の体はどうなった?あっという間に不安一色に塗りつぶされる。

 

「ここはイゼルローン第一軍病院の集中治療室。小官は閣下の手術を担当させていただいた救急科のサロマー軍医中佐であります」

 

 青い長衣を着た人物の一人が俺の顔を覗きこんで自己紹介をする。集中治療室、手術という言葉にどんどん不安が募っていく。

 

「集中治療室?つまり、俺は死ぬのか!?」

「手術は成功しました。危険な状態は脱しています。心配ありません」

 

 医師はゆっくりと力強い口調で俺の手術成功を告げた。だが、俺一人生き残ったところで意味は無い。俺は第三六戦隊の司令官なのだ。

 

「戦いはどうなった!?第三六戦隊は!?」

「戦いは終わりました。閣下の部隊はイゼルローンに収容されています」

「被害状況は!?戦死者は!?」

「まだ集計中です」

 

 すぐ集計できないぐらいの損害を受けたのか。そう思うと、とても恐ろしくなった。旗艦がミサイルの直撃を受けるような状況で生き残れる者がそうそういるとも思えない。頭がネガティブな考えに囚われると同時に痛みがいっそう激しくなり、呼吸ができなくなった。

 

「まずい!鎮痛剤を投与しろ!」

 

 周囲がバタバタと騒がしくなり、俺の意識は再び薄れていった。

 

 目覚めてからも激痛は消えなかった。熱も酷い。体は拘束されている。静かな部屋の中で妙に規則正しい計測機器の音が単調なリズムを響かせる。妙に明るい照明のせいで時間感覚が失われる。投与された薬のせいか、意識が朦朧としていた。

 

 いったい自分はどうなってしまうのかと思うと、不安が高まる。戦闘なら自分の努力で切り抜けることもできる。しかし、ベッドに縛り付けられていては何もできない。自分の立場も不安だった。第一二艦隊に玉砕を命じた総司令部が今度は何をしてくるか、想像もつかない。なかなか眠れない。眠れたと思えば、変な夢でうなされる。永遠のように感じられた。

 

 

 

 集中治療室から一般病棟への移送を告げられたのは四日後だった。俺が入れられた病室は広々とした個室だった。大きな窓からはイゼルローンの人工太陽の暖かい陽光が差し込んでくる。ベッドとテーブルは木製。床はカーペット。大きな立体テレビ、戸棚、冷蔵庫、ソファーまで備え付けられていた。

 

 ヴァンフリート四=二基地の戦いで重傷を負った時も基地司令官セレブレッゼ中将の計らいで最上級の病室に入れてもらえた。ハイネセン第二国防病院に移送された後も良い病室に入れた。しかし、あの時の病室をビジネスホテルの一室とすると、今回の病室はシティホテルの一室だ。豪華な病室にびっくりしてしまう。

 

「今後は小官らのチームが閣下の治療を担当させていただきます」

 

 ジアーナ・トゥチコワ軍医准将と名乗った白衣の中年女性は、外科医、内科医、麻酔医、看護師、薬剤師、管理栄養士などを紹介した。

 

 艦隊衛生部長や小規模軍病院長クラスの幹部が一介の将官の治療を担当するなんて聞いたことがない。異例の待遇に目を丸くしていると、トゥチコワ軍医准将はにっこりと微笑んだ。

 

「議長閣下より最高の治療を提供するように、仰せつかっております」

 

 議長ってどの議長なんだろう?同盟軍に議長と付く要職はない。政府では最高評議会議長と同盟議会議長がいるが、前者はロボス元帥と結託しているロイヤル・サンフォード、後者はビャルネ・エドヴァールという改革市民同盟の長老議員。いずれも俺を優遇する理由はない。

 

「どういうことですか?」

「ああ、そう言えばフィリップス提督はまだご存じなかったんですね。四日前にヨブ・トリューニヒト閣下が最高評議会の新議長に就任なさったんですよ」

「どういうことですか!?総選挙はまだですよね!?」

 

 大声を出したら、体が痛み出した。改革市民同盟の非主流派のリーダーに過ぎないトリューニヒトが最高評議会議長に就任するには、まず党代表選挙で勝利して党の主導権を掌握し、その後に来年の総選挙で勝利しなければならないはずだった。それなのにいきなり議長に就任したと聞かされたのだ。驚かずにはいられない。

 

「議長不信任案が議会で可決されて、サンフォード議長以下の最高評議会メンバーは総辞職しました。その直後にトリューニヒト新議長が選出されたのです」

 

 トゥチコワ軍医准将の説明は、総司令部によって情報を遮断されていた俺には衝撃的なものであった。ようやく本国の情勢を知ることができたのだ。

 

 第一二艦隊が無断撤退した後の同盟本国では遠征反対派が勢いを増していた。マスコミも一斉に遠征継続派を攻撃するようになり、勢いに乗った遠征反対派は一一月八日に最高評議会への不信任案を提出。翌日の本会議で与党からの造反者多数で可決された。新議長となったトリューニヒトは即座に遠征中止を提案し、賛成多数で可決。正式に帝国領遠征作戦「イオン・ファゼカスの帰還」は終了した。

 

「なんかあっけない結末ですね」

 

 思わずため息が出てしまった。遠征継続派には一流の策士がひしめいていた。一度は遠征中止寸前まで追い込まれたのに、とんでもない策略で逆転してのけた。あんなにしぶとい連中がこうもあっさり表舞台から退いたのが信じられない。

 

 あの悪夢のような遠征が終わったのは、喜ぶべきことだった。しかし、失われたものの大きさを思うと、素直に喜ぶことはできない。第三六戦隊は俺が負傷した時点で、過半数が戦死もしくは行方不明になった。他の部隊もかなりの損害を被ったはずだ。

 

 これから長く苦しい戦後処理が始まる。アスターテの戦後処理もまだ終わっていない。第二次ティアマト会戦終盤のブルース・アッシュビー提督の猛攻で被った損失から帝国軍が立ち直るまで、一〇年の月日を要したという。同盟軍がアスターテとイオン・ファゼカスの損失から立ち直るまで、どれだけの月日を必要とするのであろうか。想像するだけで気が遠くなる。

 

 後ろ向きな気持ちになった途端、再び体に強い痛みが走った。ヴァンフリートで重傷を負った時には、こんなことは無かった。俺の異変に気づいた治療チームの医師達が素早く処置をして、痛みが和らぐ。

 

「トゥチコワ先生。全治までどのぐらいかかりますか?」

「三か月から四か月といったところでしょうか。骨折や打撲も深刻ですが、肺がかなり傷ついていますので」

「肺がやられてたんですか。血を吐いた理由がわかりました」

 

 ようやく、今回とヴァンフリートで負った傷の違いがわかった。今回は外傷の他に内蔵もやられてる。これでは好きな物を食べられないし、トレーニングも出来ない。気が重くなる。

 

「フィリップス提督の要望は、治療に差支えのない範囲で聞くようにと言われております。こちらのマイクからご連絡いただければ、当病院のスタッフが二四時間対応いたします」

 

 トゥチコワ軍医准将はベッドに据え付けられているマイクを指した。

 

「スイッチは音声入力式なので、手足が動かせなくても使えるんですよ」

 

 いちいち行き届いた配慮に感心させられる。完全に∨IP扱いだった。今は体が思うように動かないのに、やるべきことは多い。少しだけ甘えさせてもらおう。

 

「では、最初のお願いをしてもよろしいでしょうか?」

「結構ですよ」

「俺が意識を失くした後の第三六戦隊がどうなったか、教えていただけないでしょうか?」

「参謀長のチュン・ウー・チェン大佐が臨時に指揮を取り、援軍の到着まで持ちこたえました」

「ああ、参謀長が頑張ってくれましたか」

 

 司令官が指揮をとれなくなった場合、副司令官が指揮権を引き継ぎ、副司令官不在の場合は最先任指揮官が引き継ぐ。俺が負傷した時点では副司令官ポターニン大佐は戦死していたから、最先任の群司令ハーベイ大佐だ。しかし、引き継ぎをする余裕が無い場合に限って、臨時に参謀長が指揮をとることが認められる。アスターテでは第二艦隊副参謀長のヤン・ウェンリーが臨時に指揮をとった。

 

 あの時の第三六戦隊は旗艦がミサイルの直撃を受けるような状況だった。チュン大佐が指揮をとったのは正しい。彼は冷静沈着でリーダーシップもある。俺なんかよりずっと指揮官向きだ。きっとうまくやってくれたに違いない。

 

「部下の安否、損害の程度なども教えていただけませんか?」

「まだ集計の最中ですので、もう少しお待ちいただけますか」

「これだけ大きな戦いの後ですからね」

 

 集中治療室でサロマー軍医中佐に同じことを言われた時は取り乱してしまったが、今は落ち着いて受け入れることができる。戦いが終わった後は各部隊単位で死傷者、破損艦艇、物資の残量などの集計、戦闘記録や人事評価などの整理が行われる。一つの会戦が終われば、参謀や事務スタッフは一ヶ月近くこのような作業に追い回される。今回の遠征は特に損害が多い。司令部が壊滅した部隊の集計は相当な手間がかかるだろう。

 

「他にご要望はありますか?」

「ネットに接続できる音声入力端末を持ってきてもらえますか?」

 

 俺が端末を求めたのは、友達や知り合いの安否を確認するためだった。大きな戦いの後には、必ず軍が安否確認サイトを設立する。数百万の将兵が参加するような戦いが終わった後で、その身内からの問い合わせにいちいち応じていては、他の仕事ができなくなってしまう。だからといって、門前払いにもできない。だから、軍は臨時にサイトを開設して判明した安否情報を掲載するのだ。サイトのアドレスを公表しておけば、軍は問い合わせに対応する手間が省け、身内はネットに接続できればいつでも安否を知ることができる。

 

「メール機能と通信機能は使えませんが、よろしいですか?」

「ええ、構いません」

 

 念を押すように言うトゥチコワ軍医准将に、笑顔を作って返答した。大きな戦闘の前後に必ず周辺宙域の通信回線が規制されるなんてことは、軍人なら誰でも知っている。数百万の将兵がプライベートな通信を家族や友人と交わしたら、電波が混雑して公用の通信が届かなくなってしまうからだ。そんな当たり前のこともいちいち確認するところに、トゥチコワ軍医准将の人柄が現れている。

 

「ああ、それと。最後にもう一つ」

「何でしょうか?」

「集中治療室で目覚めた時、不安になって救急の先生方に当たり散らしてしまいました。お会いする機会があれば、『エリヤ・フィリップスが申し訳ないことをしたと言ってた』とお伝えいただけますか?」

 

 一般病棟に移って心が落ち着くと、集中治療室で目覚めた時の錯乱ぶりが恥ずかしく感じられた。俺は小心者だが、人に当たり散らすことは滅多にない。救急の医師たちには悪いことをした。

 

「ああ、ICU症候群ですよ。集中治療室に入られた方が良くかかる症状です。サロマー先生達も気にしてらっしゃらないと思いますよ」

 

 俺の情けない告白にもトゥチコワ軍医准将は顔色を変えず、にこやかに答えてくれた。

 

「ICU症候群?」

「ええ。集中治療室は特殊な環境でしょう?そして、自分は身動きが取れない。体の具合も悪い。一時的に不安になる方が多いんです」

「俺だけではなかったんですね」

「小心だからかかりやすい、豪胆だからかかりにくいというわけではありません。誰でもかかる可能性はあります。ですから、お気になさらいでください」

「ありがとうございました」

 

 気が楽になった。この先生なら信頼して治療を任せられそうだ。八月二二日にハイネセンを出発してからはずっと気を張り詰めていた。久しぶりに安らいだ気持ちになり、深い眠りに落ちた。

 

 

 

 快眠から目覚めると、脇のテーブルに音声入力端末が置かれていた。痛みも熱も残っているが、思考に支障をきたすほどではない。さっそく立ち上げて、パスワード設定を終えた後にネットに接続した。

 

 軍が作った安否確認サイトはすぐに見つかった。もちろん、最初に検索するのは「ダーシャ・ブレツェリ」だ。人前では部下を一番心配しているように振る舞っているが、本音を言うとダーシャがぶっちぎりで心配なのである。検索が終了して、「第一〇艦隊・第四分艦隊/副参謀長/負傷・入院加療中」と表示された瞬間、喜びで胸がいっぱいになった。ダーシャは生きている。ハイネセンに戻れば、晴れて結婚できる。あの最悪の戦いを生き残って本当に良かった。

 

 思えば、最初に出会った時の彼女も重傷を負っていた。俺も彼女もヴァンフリート四=二の戦いで重傷を負い、同じ病院に入院して知り合ったのだ。同時に知り合ったハンス・ベッカー中佐は俺の部下になり、グレドウィン・スコット准将は三次元チェス友達になった。あの入院がきっかけで俺のプライベートは一気に充実したのだ。

 

 しばらく入院時代の思い出に浸って幸せな気持ちになった後、検索を再開した。次は「イレーシュ・マーリア」だ。「第三艦隊・第二分艦隊/参謀長/行方不明」と表示される。やはり、まだ生死は不明のようだ。願わくば帝国軍に降伏していて欲しい。帰ってくれば、一階級昇進して准将。給料も上がる。俺にヨーグルトパフェとパンケーキをおごりやすくなる。俺にあーんしたければ、してくれても構わない。だから、生きて帰ってきてほしいと祈った。

 

 今度は「ジェリコ・ブレツェリ」で検索する。「第七艦隊・後方支援集団・第九二支援部隊・第五二一支援群/司令/健在」と表示された。撤退戦で過半数を失った第七艦隊の残存戦力は、ポルフィリオ・ルイス少将の指揮下でアムリッツァ会戦を戦った。ラインハルトの反撃でかなりの損害を受けた第七艦隊にあって、ブレツェリ大佐は生き延びた。ベテランだけあって本当にしぶとい。こんな頼もしい人が義父になると思うと心強く感じる。

 

 戦闘参加者の中で特に大事な人の安否を確認した後、知り合いの名前で片っ端から検索していく。三人に一人は空欄だった。生存でも死亡でも行方不明でもない。現時点では安否確認サイトを作ってる部署にまだ情報が上がってきてないのだろう。いずれ日にちが経てば、空欄も埋まるはずだ。

 

 少なくない数の知り合いの戦死者の中で特にショックだったのは、ダーシャの次兄フランチ・ブレツェリ准尉と第一三六七駆逐隊司令時代の副司令だったマーカス・オルソン中佐の戦死であった。

 

 ダーシャの長兄マテイは撤退戦で行方不明になっている。そして、フランチが戦死。ブレツェリ家三兄妹のうち、二人が戻ってこない。堅実な料理上手のマテイ、男前なのになぜかダーシャに軽んじられてたフランチの顔を浮かべて、どうしようもなく悲しい気持ちになった。ダーシャとジェリコ・ブレツェリ大佐の心中を思うと、ますます悲しくなる。

 

 マーカス・オルソン中佐は軍歴が長い以外にこれといった取り柄がなく、地方部隊を転々として少佐で定年を迎えるかに思われた人物であった。しかし、エル・ファシル動乱の功績で中佐に昇進し、しかも正規艦隊でも精鋭と名高い第八艦隊の駆逐隊司令のポストを得た。破格の出世に狂喜した彼は、軍人になって三八年目にして初めてやる気を見せていた。そんな矢先にこんなつまらない戦いで死ぬなんて、本当にやりきれない。

 

 知り合いをひと通り検索し終えたところで、今度は知り合いとは言えないまでも接点があった人の名前を検索する。まずは第九艦隊のライオネル・モートン少将。俺達を逃がすために倍以上の帝国軍と戦った彼は、依然として行方不明であった。モートン少将と一緒に戦った第三艦隊のウィレム・ホーランド少将も行方不明。ダーシャの上官にあたる第一〇艦隊第四分艦隊司令官のアンリ・ダンビエール少将は戦死した。司令官が戦死するという危うい状況から、ダーシャは生還したようだ。

 

 安否確認は喜びより悲しみを多く感じる作業であった。俺が検索した名前は生存者の方が多かったが、一人を失っても別の二人が生き残れば喜びが上回るというわけではない。喜びは相対的なものであるが、悲しみは絶対的なものなのだ。

 

 

 

 安否確認をひと通り終えると、今度は主要三新聞の電子版バックナンバーを片っ端から読み始めた。総司令部に背いた一〇月一七日から、第一二艦隊は情報を遮断されてきた。今日までの一ヶ月近くの間、同盟本国の情勢がまったくわからなかった。遠征継続決議から不信任案可決に至るまで何があったのか、ちゃんと知っておきたかった。

 

 痛みと熱に苦しみながら、三日がかりで電子版新聞を読み終えて、ようやく同盟本国の情勢を理解できた。情報遮断されていた俺にとって、それは驚くべきものであった。

 

 一〇月一七日に第一二艦隊が占領地から無断撤退した翌日、総司令部は「帝国軍の九個艦隊が解放区に向かっている。戦力を集中して迎撃する。正規艦隊の半数が壊滅すれば、衝撃を受けた皇帝は和議を請うであろう」と述べて、占領地からの一時的な戦力引き揚げと戦線縮小の方針を示した。同時に第一二艦隊司令官ボロディン中将を戦意不足を理由に更迭して、無断撤退の事実は隠蔽した。

 

 反乱軍扱いされて占領地放棄の責任もなすりつけられたものと思い込んでいた俺にとって、総司令部が無断撤退を隠蔽したのは意外であった。しかし、冷静になって考えてみれば、第一二艦隊の無断撤退を公表すれば総司令部も窮地に追い込まれる。

 

 一個艦隊の抗命行為は同盟軍史上最大級の不祥事だ。第一二艦隊を反乱軍と断じれば、一個艦隊の離反に衝撃を受けた市民は間違いなく遠征中止を求める。総司令部の監督責任を問う声も出る。総司令部に好意的な解釈をする者も第一二艦隊を糾弾した上で、「遠征はもう続けられない」と嘆くはずだ。第一二艦隊を遠征中止の戦犯に仕立て上げることに成功しても、遠征軍が五〇〇〇億ディナールの予算に見合った成果を出したと考える者はいない。

 

 第一二艦隊の抗命行為を隠蔽しつつ、再び統制下に入れる機会を伺う以外の道は、総司令部には残されていなかった。第一二艦隊を通信封鎖したのも他艦隊に無断撤退の事実を隠しつつ、撤退戦での疲弊を促すのが目的だったのだろう。第一二艦隊が疲弊すれば、兵站を握る総司令部は有利に交渉を進められる。

 

 占領地を維持しつつ帝国軍を迎え撃つ方針を、占領地からの一時引き上げに切り替えることで、第一二艦隊の無断撤退という事態を乗り切った遠征継続派を窮地に追い込んだのは、対外情報機関の不正行為疑惑であった。

 

 遠征継続の可否を問う一五日の本会議直前に公表された「ローエングラム元帥が配下の九個艦隊を動員した」という情報が遠征継続の決め手となったのは周知の事実である。一三日にその情報を掴んだ中央情報局、軍情報部、フェザーン駐在高等弁務官事務所が、本会議直前まで故意に公表を遅らせたという疑惑が一部マスコミによって報じられた。それが事実であれば、遠征継続決議が不正に導き出された可能性が生じる。また、前線部隊に帝国軍の動きを二日間も隠すという重大な背信行為をはたらいたことにもなる。遠征継続派の正当性は大きく揺らいだ。

 

 総司令部が前線部隊に出した現地調達方針が明らかになると、遠征継続派への逆風はさらに激しくなった。同盟軍の援助に依存する占領地住民が余剰物資を持っていないのは明らかだ。「自分が飢えるのを承知で同盟軍にこれまで受け取った物資を売却する住民がいるはずもない。略奪を命じたも同然だ」という遠征反対派の指摘は、「帝国の圧制に苦しむ人々を解放する」という遠征継続派の大義名分を根底から揺るがした。

 

 市民は日に日に遠征継続派への不信を募らせていった。最高評議会や民主化支援機構は必死の弁明に努めたが、ビラ問題の時とは明らかに風向きが変わっていた。宣伝工作の失敗はハイネセン主義の大義名分を使って正当化できた。しかし、情報機関の不正や占領地での略奪指示を正当化する言葉は、ハイネセン語録の中にはない。勢いづいた遠征反対派は再び攻勢に転じ、遠征を支持していたマスコミも手のひらを返した。サンフォード議長やオッタヴィアーニといった遠征継続派の政治家に近い保守派新聞の「リパブリック・ポスト」ですら、遠征中止論に転じた。

 

 このような状況でロボス元帥はアムリッツァ星域での主力決戦を決意したのである。史上最大の艦隊戦はマスコミによって逐一報道されて、市民の耳目を喜ばせた。しかし、市民が軍に求めるのは名将同士の一進一退の攻防ではなく、気持ちの良い快勝である。前線で華々しい武勲を立てた者ばかりが評価を高め、ラインハルトを打ち破れないロボス元帥に対する失望は日に日に高まっていく。

 

 前の歴史を知る者からは信じられないことであったが、ラインハルトよりロボス元帥の方が用兵家として評価されていたことがかえって失望の種となった。ラインハルトはここ二年で急速に台頭した提督とみなされ、評価は急上昇しているものの絶対的な地位を確立するには至っていない。

 

 一方、ロボス元帥は全銀河でも三本の指に入る実績を持つ提督だ。単に戦歴が長いだけではない。三年前のタンムーズ星域会戦の大勝は、ラインハルトが今年の二月にアスターテであげた勝利に匹敵する意義があった。前の歴史を知る俺の目には格上相手の善戦、プロの軍人には古豪と成長株の接戦と映ったロボス元帥の素晴らしい用兵は、市民には格下相手の苦戦と映ったのである。

 

 テレビでアムリッツァの決戦を視聴した市民は、ロボス元帥が年老いて衰えたとみなした。視覚の説得力は何よりも強い。これ以上無能な総司令官に指揮を任せても帝国軍には勝てないと誰もが考えるようになり、「帝国軍主力を壊滅させた後に解放区を奪還する」という総司令部の方針も実現不可能なものであると思われた。即時撤退と遠征中止を求める声は最高潮に達した。

 

 そんな中で反戦市民連合、環境党、楽土教民主連盟の野党三党は最高評議会不信任案提出の意向を固めた。与党からは改革市民同盟フリーダム・アンド・ユニオン派と進歩党構造派が不信任案賛成を表明した。フリーダム・アンド・ユニオン代表の国防委員長ヨブ・トリューニヒト、構造派指導者の財務委員長ジョアン・レベロと人的資源委員長ホワン・ルイは辞表を提出。サンフォード議長はトリューニヒトやレベロと会談して不信任を回避しようとしたが不調に終わり、一一月七日夕方の時点で八日の不信任案提出及び九日の可決は不可避となった。

 

 そんな時に一時休戦を申し出たラインハルトは、間が悪かったとしか言いようがない。ロボス元帥は不信任案が可決される前に快勝して、市民を満足させなければならない立場に追い込まれていた。八日の総追撃が敢行された背景には、このような事情があったのだ。

 

 ロボス元帥は快勝によって遠征中止論を封じ込めるべく、マスコミに追撃戦を報道させた。それが致命的であった。勝利目前からの逆転敗北に市民は怒り狂った。結局、翌九日に不信任案は通過。同日に遠征中止派によって後継議長に指名されたヨブ・トリューニヒトは、遠征中止の決定を下したのである。

 

 銀河連邦末期には野党が内閣不信任決議を乱発し、与党が解散総選挙で応じたために短命政権が続いて政治が混乱した。相次ぐ短命政権に疲れた市民は、指導力のあるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムに安定政権を期待し、銀河連邦滅亡を招いた。自由惑星同盟はその教訓に学び、不信任決議提出と同時に必ず後継議長も指名する建設的不信任制度を採用した。今回は議会第一党の改革市民同盟に所属する現役閣僚の中で唯一遠征中止派だったヨブ・トリューニヒトが後継議長に指名されたのだ。

 

 トリューニヒト新政権の任期は代議員の任期が切れて、総選挙が行われる来年三月で終わる。戦後処理を担当する暫定政権の性格を帯びることは明白だった。満を持して政権取りに臨みたかっただろうに、貧乏くじを引いたものだと思う。

 

 帝国領遠征の損害は未だに集計が終わっていない。数日しか経ってないのだから、当然のことといえる。マスコミは各社ごとに異なる数字を弾き出している。少なく見積もる者は動員された三〇〇〇万将兵のうち一四〇〇万、多く見積もる者は一六〇〇万が戦死あるいは行方不明になったものと推測した。前の歴史で失われた二〇〇〇万に比べたらだいぶ少ない損害ではあるが、そんなのは何の慰めにもならない。

 

 今のところ、メディアでもネットの書き込みでも遠征継続派や総司令部の責任を問う声はあまり盛り上がっていない。あまりにも巨大な損害に打ちひしがれているのだ。政府も後始末に忙殺されて責任を問うどころではなく、奇妙な小康状態が生まれている。もう少し時間が経てば、責任追及の声が高まってくるであろう。これまで伏せられていた裏の事情も徐々に明るみになってくるはずだ。その時にようやく本当の戦いが始まる。第一二艦隊の生き残りとして、総司令部の責任を問う戦いが。

 

 決意を新たにしたその時、インターホンの呼び出し音が鳴った。画面には看護師が現れる。一体何の用だろうか。

 

「どうしました?」

「フィリップス提督に面会の方がお越しになっています」

「ああ、そういえば今日から面会制限が解けるんだったね」

 

 昨日の診察で俺の容態が安定したと判断したトゥチコワ軍医准将は、面会制限の解除を伝えたのだ。負傷してこの病院に運ばれてから、一度も医療関係者以外の人間とは会っていない。真っ先に面会を申し込んできたのは誰なのだろうか。ダーシャか、それ以外の親しい人か、第三六戦隊の部下か。気になって仕方がない。

 

「誰?」

「妹さんです」

 

 最初に来たのは妹のアルマ。その事実に少しがっかりする。決して彼女のことが嫌いなわけではない。ただ、苦手なのだ。

 

 枕元にはアルマが書いた色紙が置かれていた。真ん中にはダーシャにケーキを食べさせてもらってる俺のイラストがクレヨンで描かれ、その下にやはりクレヨンで「頑張れ」と描かれている。俺の記憶の中のアルマは絵なんて描けなかったはずなのに、色紙のイラストはとてもうまい。児童書の挿絵みたいな丸っこいタッチで、俺とダーシャの特徴が良く捉えられている。字は下手くそだが、昔と違って何を書いたかちゃんと判別できた。

 

 色紙一枚をとっても、アルマが俺の知らない間にどれだけ成長したのかわかる。今のアルマは真面目で良い奴だ。俺に対する愛情も強い。赤の他人だったら、間違いなくいい友達になれてた。だからこそ、前の人生の記憶に引きずられて拒絶したことに後ろめたさを感じる。

 

「具合が悪いようでしたら、帰っていただきますが」

 

 看護師の言葉が俺を現実に引き戻した。今の俺なら黙っているだけで具合が悪いように見えるのだ。

 

「大丈夫ですよ。通してください」

「了解しました」

 

 承諾の返事を看護師に伝えて三分ほど経つと、アルマが部屋に入ってきた。

 

「お兄ちゃん、久しぶり」

 

 アルマはにっこりと微笑む。昔ならもっとはしゃいでるはずなのに、今は妙に落ち着いてる。服装はボーダー柄のTシャツに細身のデニムパンツ。薄いピンクの丈長ジャケットを羽織っている。足元はクリーム色のパンプス。再会後に初めて見るアルマの私服はなかなかセンスが良い。長身で細身の彼女に良く似合ってた。それにしても、勤務時間中のはずなのに私服なのがちょっと不思議だった。

 

 ベッドの横の椅子に腰掛けたアルマは、持ってきた袋の中からりんごを取り出して剥き始めた。一個剥き終えたら二個目、二個目を剥き終えたら三個目に取り掛かる。あまりにきれいに剥けるものだから、機械的な印象を受けてしまう。

 

 それにしても、何をアルマを話せばいいのだろうか。話題選びに困ってしまう。ダーシャが言うには、アルマは人付き合いが良くてどんな話題にも付いて行けるらしいのだが、ピンと来ない。りんご皮剥き器と化したアルマを眺める俺は途方に暮れていた。



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第九十六話:それでも前を向かなければ 宇宙暦796年11月16日~12月10日 イゼルローン要塞第一軍病院

 大きな窓から降り注ぐ人工太陽の光に照らされた病室の中。ベッドに横たわる俺は、黙々とりんごの皮を剥き続けるアルマを無言で見つめていた。白くて細長い指と一体化したナイフが動くたびに、するすると皮が実から離れていく。アルマの太ももの上に敷かれた新聞紙には、厚さも幅も一定の皮が積み重なっている。まるで機械でも使ったかのようだった。たかがりんごの皮剥きにもこんなに丁寧に取り組むアルマの律儀さは、いささか度が過ぎるように思える。

 

 八個目を剥く途中でアルマの手がぴたっと止まった。指がぷるぷると震えだし、ナイフを取り落とす。目にはみるみるうちに涙が溜まっていった。沈黙が続いた後の妹の急変に、俺はすっかり混乱してしまった。

 

「お、おい……」

 

 慌てて声をかけたが、アルマは答えない。ぱっちりした目からは大粒の涙がこぼれ落ち、震える唇をぐっと噛み締めている。

 

「お、お兄ちゃん……」

「どうしたの?」

 

 か細いアルマの声にただならぬものを感じた俺は、精一杯優しげな表情と声を作った。しかし、アルマの顔に差した影はどんどん濃くなっていく。

 

「ダーシャちゃんが、ダーシャちゃんが……」

 

 アルマは入院中のダーシャの名前を口にして、そのまま言葉を詰まらせた。胸の中にどんどん嫌な予感が広がっていく。続きを促そうとは思わなかった。聞きたくない。いっそ、言葉に詰まったままでいてほしい。

 

「今日の午前〇時を回ってすぐに容態が急変して……。意識が戻って安心してたのに……」

 

 アルマは泣き崩れて、最後まで言い終えることができなかった。言葉の中身ではなく、アルマの表情と声がすべてを伝えてくれた。

 

 世界からどんどん色彩が失われていく。視界がゆらゆら揺れ始めた。音が聞こえなくなった。鼓動も呼吸も止まったように思われた。涙も出てこない。ダーシャがいなくなったことを知った瞬間、俺の周囲の時間はその流れを止めた。

 

 俺の記憶はダーシャと出会った七九四年六月七日八時一二分まで遡る。ハイネセン第二国防病院の中央病棟三階ロビー。病院食に飽き足りない俺が院内のコンビニで買った袋入りドーナツを食べていた時の事だった。

 

「おいしそうですね」

 

 そう言って笑顔で話しかけてきた丸っこい顔の女の子がダーシャだった。あの時、何と答えたのかは良く覚えていない。ロールケーキをダーシャから受け取って食べたこと、ダーシャが俺を見て「かわいい」を連発していたことだけを覚えている。

 

 出会った頃はちょっと苦手だった。ストレートに好意をぶっ込んでくるダーシャに、少し引いてしまっていたのだ。しかし、ダーシャは強引に距離を詰めてきた。

 

 ファーストネームで呼ぶまで二週間無視され続けたことも今となっては懐かしく思い出される。ファーストネームで呼び合うようになってからは心理的な距離がぐっと縮まり、やがて物理的な距離も縮まっていった。プライベートでも会うようになり、お互いの部屋を訪ねるようになり、気がつけば同居同然の状態になっていた。とんとん拍子に関係が深まっていって、出会って二年目で結婚の約束を交わした。

 

 ダーシャの笑顔、泣き顔、怒った顔が頭の中に次々と浮かぶ。ダーシャは本当に感情表現が豊かだった。笑顔だけでも一〇を超えるバリエーションを持っていた。どんな顔でもダーシャは可愛かったけど、俺が一番好きだったのは、くりっとした目を細めて歯並びの良い歯を出してにっと笑った顔だった。

 

 ダーシャと出会ってから今日まで八九三日の時間を一緒に積み重ねてきた。今日もダーシャと一緒に終わり、明日もダーシャと一緒に生きる。出会ってから明日で八九四日目、明後日で八九五目、一ヶ月後で九二三日目、一年後には一二五八日目。ずっとダーシャを同じ時間を積み重ねていくと、何の迷いもなくそう信じていた。しかし、八九三日目にしてダーシャとの時間は終わってしまった。

 

 共に過ごした二年間は、それ以前の人生すべてを合わせてもなお足りないほど強い輝きがあった。彼女がいなければ、前の人生で経験した八〇年の暗闇を振り払うことはできなかった。やっと開けた光り輝く未来は、ダーシャとともに見えなくなった。

 

 軍人になったこと、努力したこと、人の信頼を得たこと、命を賭けて戦ったこと。そのすべてが今この瞬間に繋がっていたのだとしたら、俺は何のためにやり直してからの八年間を生きたのだろうか。灰色になった世界で俺は自問自答を重ね続けた。

 

 気が付くとアルマは病室からいなくなっていた。日は落ちて部屋は真っ暗になっている。いつの間にこんなに時間が過ぎてしまったのだろうか。目は乾ききっていた。涙が流れた形跡もない。泣くこともできないほどの悲しみがこの世にあることを初めて知った。

 

 

 

 ダーシャがいなくなっても朝は来る。やがて日が昇って昼になり、日が落ちて夕暮れになる。日が完全に落ちきってしまうと夜になる。時間が経つと日が昇ってきて、また朝が来る。毎日毎日休むこと無く太陽は回り続ける。ベッドに横たわる俺の前で一日は勝手に始まり、勝手に終わった。自分がいつ眠っていつ起きたのかも覚えていない。何か食べた覚えもないのに、まったく腹が減っていなかった。医師や看護師と顔を合わせた記憶も無い。

 

 誰もいない灰色の世界の中でもダーシャの面影だけはくっきりと浮かぶ。今すぐ病室に現れて、俺を叱ってくれるのではないか。そんな気がして、痛みが残る体をゆっくりと起こした。視線の先には病室の扉。日が落ちてまた昇るまでずっと扉を見詰めていたが、ダーシャは入ってこなかった。俺は肩を落としてため息をついた。

 

 ダーシャは頭がいいのに時間の使い方は下手だった。待ち合わせをしたら、いつも時間ぎりぎりに息を切らせてやってきた。朝はいつもベッドの中でぐずぐずして起きようとせず、時間がなくなってから慌てて飛び出して、身支度を始めたものだ。今もどこかで時間を無駄遣いしてるのかもしれない。ダーシャがどれだけ遅れても、俺はよそに行かずに待つ。これまではそうだったし、これからもそうなのだ。

 

「フィリップス提督、ブレツェリ大佐がお見えですが、お通ししてよろしいでしょうか?」

 

 インターホンから聞こえる看護師の声は、俺の期待が正しいことを教えてくれた。そうだ、ダーシャは遅れても絶対に来る。そういう奴なんだ。

 

「通してください」

 

 承諾の返事をした後、自分の声の弱々しさに気づいてびっくりする。少し経って病室のドアが開いた。入ってきたのはダーシャの父親のジェリコ・ブレツェリ大佐だった。

 

「やあ」

「お久しぶりです」

 

 辛うじて挨拶を返すと何も言えなくなってしまった。しわは深くなり、白髪の比率が多くなった。驚くほどに老け込んだブレツェリ大佐にかける言葉が見つからなかった。

 

「元気にしてたか、などと聞くまでもないか」

「申し訳ありません」

「いや、いいんだ。私だけが辛いわけではないからな」

 

 ブレツェリ大佐は力なく笑った。次男と娘が死んでしまって、長男も行方不明。俺なんかよりずっと辛いはずだ。

 

「エリヤ君だって、アルマ君だって辛い」

 

 噛みしめるようにブレツェリ大佐はつぶやく。

 

「アルマ君には辛い役目を頼んでしまった。私から伝えるべきだったのに、つい彼女の厚意に甘えてしまった」

「アルマはどうしていますか……?」

「あれから会っていない。連絡をしても返事がない。第八強襲空挺連隊の知り合いに聞いたら、出勤はしているが、物を食べるところを一度も見なくなったそうだ」

 

 ブレツェリ大佐は目を伏せて、沈痛そうな表情を浮かべた。今の人生のアルマが前と同じ食いしん坊かどうかはわからないが、何も食べていないというのはまずい。

 

「結局、私は逃げてしまったんだな。娘の死と向き合うのが怖かった。自分の口に出したくなかった。だから、アルマ君の申し出を安易に承諾してしまった。その結果、重荷を背負わせた。まったくもって情けない」

 

 言葉の返しようがなかった。しかし、ブレツェリ大佐は俺に構わず言葉を続ける。

 

「マテイの死亡が昨日確認された。この一ヶ月で私の子供はすべてこの世からいなくなってしまった。マテイは三〇年、フランチは二八年、ダーシャは二七年。これだけの歳月を一緒に過ごした子供がいっぺんにいなくなった」

 

 目に涙は浮かんでいない。顔色も変わっていない。しかし、人間が話しているとは思えないほどに抑揚に欠けた口調が子供をすべて失った父親の気持ちを語り尽くしていた。どんな慰めの言葉も通じない圧倒的な絶望。ただただ耳を傾けることしかできない。

 

「娘を置いて死ぬなと君に言ったが、まさか娘の方が先に死んでしまうとは思わなかった。何の疑いもなく、娘は絶対に死なないと信じていた。親より先に子供が死ぬなんて、想像もしていなかった。四〇年間を軍隊で生きてきて人の死が日常になっていたはずの私が、自分の子供だけは何の根拠もなく例外だと思っていたのだ」

 

 それは悲痛な告白だった。現実を直視できない人物が伍長から大佐まで昇進できるはずがない。積み重ねてきた戦歴、そして帝国領遠征で絶体絶命の窮地を切り抜けたという事実は、ブレツェリ大佐がプロの中のプロであることを物語る。それなのに子供のことになると、途端に甘くなってしまう。プロの顔と父親の顔。その落差がいっそう悲痛さを際立たせる。

 

「エリヤ君」

「はい」

「君は私の願い通り生き残ってくれたが、娘は生きられなかった。本当に済まない」

「やめてください!」

 

 深々と頭を下げるブレツェリ大佐を慌てて制止する。

 

「ダーシャが死んだのは、あなたの責任ではありません。これ以上自分を責めないでください」

 

 こんな言葉に何の意味もないのはわかってる。この世には共感を一切受け付けないほどに深い悲しみがある。俺だってダーシャがいなくなった悲しみを誰かと共有しようとは思わない。死ぬまでずっと一人で悩み続けるだろう。きっとブレツェリ大佐も同じだ。それでも、愛した人の父親が果てしない自責の中に沈んでいくのは見たくなかった。

 

 ブレツェリ大佐は顔を上げると、目をつぶり腕組みをして、じっと何かを考えているようだった。窓から差し込む人工太陽の光に照らされた病室の中で、息の詰まる時間が流れる。しばらく経って、ブレツェリ大佐はゆっくりと口を開く。

 

「そうだ。ダーシャはどこまでも前向きな子だった。決して後悔なんかしない子だった。私が自分を責め続けていたら、あの子に叱られてしまうな。終わったことを振り返る暇があったら、前を向いて走れと」

 

 ブレツェリ大佐の言葉に、俺は深く頷いた。

 

「転ぶ時も前のめりに転ぶ。泣きそうになれば、無理やり笑顔を作る。ダーシャはそんな奴でした。後ろ向きな俺でも、一緒にいればどこまでも突っ走っていけそうな気がしました」

「最後に意識が戻った時、あの子は次の日の病棟食堂の献立を聞いていたよ。ヌードルが出ると聞いた途端に、『太るからやだ。別のに替えられないか』なんて言っててね。次の日の献立まで聞いてたよ。食事なんてできる容態じゃないのに、自分が明日も明後日も食事できることを何の疑いもなく信じてたんだな」

「ダーシャらしいですね。体重の心配をするところも含めて」

「あの子は子供の頃は太ってたからな。痩せてからもずっと気にしてた。今じゃバーベキューを二ポンド食べても太らないのに」

「二ポンドって、ダーシャはそんなに食べるんですか!?」

 

 ダーシャが肉を二ポンドも食べられるなんて初耳だった。俺の前では「太るから」と言って半ポンドも食べなかった。

 

「三年前にアルマ君がうちに来た時にバーベキューをやってね。その場の勢いでアルマ君とうちの子供三人で大食い競争をやることになったんだ」

「ああ、ダーシャは負けず嫌いですから。後先考えずに本気出すでしょうね」

「うむ。アルマ君に負けた時は本気で悔しがってたな」

「ほんと、あいつらしいですね。目に浮かぶようです」

 

 ダーシャが必死で肉を食べてる様子や負けて悔しがってる様子を想像して、思わず笑ってしまった。久しぶりに笑ったような気がする。その証拠に表情筋がピクピクしていた。

 

「そんな下らないことにも真剣になれる子だった。だから、不器用なのに何をやっても上達が早かった」

「不器用なんですか?」

「あんな不器用な子はそうそういないが」

 

 不器用なんて評価も初めて聞く。ブレツェリ大佐の口から語られるダーシャは、俺の知ってるダーシャとは全然違ってた。

 

「参謀の仕事を教えてもらった時にしょっちゅう叱られましたよ。『要領悪すぎ』って」

「要領をつかむまで、必死で試行錯誤を続けるのがあの子のやり方だ。そういった負けん気が君に足りないように見えたのかも知れないな。楽しいだけで上達したら、誰だって天才になれるというのが口癖だったから」

「ああ、それは良く言われました」

 

 本人がいなくなった後に初めて分かる真意。俺は努力を楽しいと思うけど、人に負けたくないという気持ちは薄い。そこが負けず嫌いのダーシャには歯がゆかったのか。

 

「こうやって話していると、今もダーシャが生きているように感じるよ。肉体こそなくなったが、私や君の記憶の中ではまだ生きているんだな。アルマ君やその他の友人の記憶の中でも、きっとダーシャは生きているのだろう」

「ええ。俺もそう思いました。二度と会えないけれど、ダーシャは消えてなくなったわけじゃありません。大佐も俺もダーシャのことを覚えています。そして、今も変わらず大好きです」

「そうだ、その通りだ」

 

 死人のように真っ白だったブレツェリ大佐の顔に生気が戻ってきた。

 

「私の子供はまだ死んだわけではない。マテイもフランチも記憶の中で生きている。ならば、私も明るく生きねばならんな。記憶の中で生きる子供達にいつも笑顔でいてもらうために。私がいつまでも悲しんでいれば、みんなが笑顔で子供達を思い出せなくなる」

 

 次にブレツェリ大佐が取り戻したのは声の抑揚だった。声が震えている。目には涙が浮かんできていた。

 

「エリヤ君。今はまだ難しいかもしれない。だが、いつか笑ってダーシャを思い出せるようになってほしい。君があの子を笑顔で語ってくれたら、みんなの記憶の中のダーシャも笑顔になるはずだから」

「はい」

 

 考えるまでもなく即答した。

 

「これを最後にする。少しだけ泣かせてほしい」

 

 そう言うと、ブレツェリ大佐は下を向いて軍帽を顔に押し当てた。三人の子供を一度に亡くしながらも、なお子供のために生きようとし続ける。そんな彼の姿に心が震える。いつまでも悲しんではいられない。静かに泣くブレツェリ大佐を見ながら、再起を誓った。

 

 

 

 ブレツェリ大佐の訪問をきっかけに虚脱状態から抜け出した俺は、傷の治療に専念することにした。体の状態が良くなれば、気持ちも前向きになっていくからだ。

 

 ベッドに横たわっている状態では、どうしても気持ちが後ろ向きになってしまう。ヴァンフリートの時と違って、足の怪我はそれほど酷くない。リハビリと気分転換を兼ねて、松葉杖を使って病棟を歩き回った。テレビや新聞やネットを見て、外部の情報を取り入れることも忘れない。ロビーに集まっている他の患者とも積極的に会話した。

 

 担当医のトゥチコワ軍医准将によると、虚脱状態の間の俺は食事をとろうとしなかった。そのため、点滴で栄養補給をしていたそうだ。前向きな精神はしっかりした食事によって培われる。病院食をしっかり食べた。専門の管理栄養士が考えた献立だけあって、栄養はたっぷりある。欲を言えばボリュームが欲しかったが、贅沢を言っても仕方がない。

 

 また、第三六戦隊軍医部長アルタ・リンドヴァル軍医少佐にメンタル面の治療を依頼した。彼女は気分障害と精神科リハビリテーションを専門とする精神科医である。エル・ファシル警備艦隊にいた頃に知り合い、第三六戦隊司令官に就任した際にメンタルケアを指導してもらうためにエル・ファシル国防病院から引き抜いた。俺は「一人で悩むのはやめて、すぐに医師に相談するように」と第三六戦隊の将兵にいつも指導していた。リンドヴァル軍医少佐に頼るのも率先垂範のうちと言えよう。

 

 見舞い客とも積極的に会った。第三六戦隊の部下、他の部隊にいる友人知人などが来てくれた。みんながみんな示し合わせたかのように洋菓子を持ってきてくれたのがとても嬉しい。

 

 第三六戦隊の参謀は骨折で入院したニコルスキー中佐を除けば、ほとんど軽傷で済んだ。俺が別の部隊で指揮官を務めることがあっても、また同じメンバーを集めて戦える。帝国領遠征で積んだ経験をフィードバックして、より充実した参謀業務を期待できるであろう。司令官にとっての最大の財産とも参謀チームを温存できたことは不幸中の幸いであった。

 

 アルマはすっかり元気になっていた。ブレツェリ大佐の訪問を受けて、立ち直ろうと決意したらしい。食欲も取り戻した。しかし、いささか旺盛に過ぎるようだ。彼女が来ると、棚の上に積まれていた差し入れの洋菓子の箱があっという間に消えてなくなってしまう。食欲は前の人生とほとんど変わりないが、食べ方が妙に可愛らしくなった分だけ質が悪い。心底から幸せそうな笑顔で食べるアルマを止めたら、とても悪いことをしてるような気分になるのだ。やはり、俺は彼女が苦手だ。

 

 ブレツェリ大佐は第七艦隊後方支援集団司令官代理の激務の合間を縫って会いに来てくれた。後方支援集団司令官は少将職であったが、上席にいる後方支援集団の指揮官が全員戦死または行方不明になったためにブレツェリ大佐が指揮権を引き継いで、残務処理を行っているのだ。総戦力の七割を失ったと推定される第七艦隊の残務処理の苛酷さは想像するまでもなかったが、それでも俺が早く元気になれるよう、気を使ってくれている。期待にこたえなければならないと思う。

 

 敗戦直後はイゼルローン周辺宙域に全軍が集結していたために通信規制が敷かれていた。だいぶ撤収が進み、最近になってようやく解除されてメールが届くようになった。心配が過ぎておせっかい気味な国防委員会防衛部長ドーソン中将のメール、第一一艦隊ルグランジュ中将の熱い激励メール、リオ・ヴェルデ星系警備艦隊司令官ビューフォート准将のユーモア混じりのメールなどを見るたびに温かい気持ちになる。

 

 故郷パラディオンに住む家族からのメールも来ていた。父のロニーは相変わらずお調子者で、母のサビナは相変わらずおせっかいだった。姉のニコールも相変わらず姉御肌だった。写真もみんな俺の抱いていた印象と変わらない。強いて違いをあげるなら、短めだった姉の髪が長くなってることぐらいだ。とても懐かしい気持ちになった俺は、いつか休暇をとってパラディオンに行こうと思った。

 

 多くのメールが届く中、トリューニヒトとクリスチアン大佐からメールが来ていないのが気がかりだった。戦後処理で多忙なトリューニヒトは仕方がないとしても、クリスチアン大佐から来ないのはどういうことだろうか。こちらから送っても返事がない。アルマが送っても返事がないそうだ。どんなに遅くなっても律儀に返事をしてくれるクリスチアン大佐らしくもない。心配になってしまう。

 

 入院してから一ヶ月が過ぎた一二月一〇日に退院が決まった。ヴァンフリート四=二ではラインハルトに関節や骨を砕かれたせいで入院期間が長引いたが、今回は通院しながら治療を続ける。まだまだ完治まで先は長いが、病院暮らしが終わったのはありがたい。新年をハイネセンで迎えることができそうなのが嬉しかった。



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第九十七話:イオン・ファゼカスの傷痕 宇宙暦796年12月末 ハイネセン国防中央病院

 一二月一〇日にイゼルローン第一軍病院を退院した俺は、そのまま宇宙港から出発して一二月二三日にハイネセンに帰還した。

 

 戻った後は休職して自宅療養と通院の日々を送っている。肩書きは第三六戦隊司令官のままであった。第一二艦隊は戦力の七割近くを失い、第三六戦隊は六割を失った。もはや部隊としては存続不可能であったが、解体手続きが済んでいないため、第一二艦隊も第三六戦隊も書類上では残っている。俺のように処遇が決まっていない者は元の肩書きで給与を受け取り、空き家ばかりになった第一二艦隊の官舎街に住み続けているのだ。

 

 公務に復帰できるようになるまでには、もう少し掛かりそうだ。現在は参謀長のチュン・ウー・チェン大佐が司令官代理として、俺の代わりに第三六戦隊の解体手続きを取り仕切っている。人員や艦艇の行き先がすべて決まった時に、第三六戦隊は名実ともにこの世から消えることになるだろう。怪我のせいで心血を注いで作り上げた部隊を自分の手で解体する作業をせずに済んだのは、不幸中の幸いであった。

 

 今のハイネセンの街は、驚くほどに活気を失っている。原因は言うまでもない。帝国領侵攻作戦「イオン・ファゼカスの帰還」が失敗したためだ。

 

 帝国領遠征軍は国家予算の一四パーセントにあたる五〇〇〇億ディナールの経費を費やしたにも関わらず、何一つ成果をあげることができなかった。占領地はことごとく奪回されてしまい、アムリッツァ星域会戦で敗北を喫した。意気揚々と帝国領に乗り込んだ解放軍は、惨めな敗残兵として逃げ帰ったのである。

 

 遠征軍に参加した将兵三〇二二万人のうちで帰還できた者は一五七二万人。四八パーセントが戦死もしくは行方不明となった。戦闘艦艇は一二万六五〇〇隻のうち六万四五〇〇隻、補助艦艇は一〇万三〇〇〇隻のうち五万二〇〇隻が帰還したに過ぎない。同盟史上に残る惨敗とされるアスターテで失われた将兵一五〇万、戦闘艦艇二万六〇〇〇隻と比較にならないほどの巨大な損害であった。

 

 同盟史上最悪の敗戦に市民は愕然とした。遠征軍に参加しなかった第一艦隊や第一一艦隊と合わせても、正規艦隊の総戦力は遠征前の六割程度しか残っていない。精鋭を誇る同盟軍正規艦隊であっても、こんな少数では帝国軍の数に押し潰されてしまう。コルネリアス一世の大親征以来一二八年間忘れられていた国家滅亡の恐怖が再び現実のものとなった。

 

 五〇〇〇億ディナールの損失は同盟経済に致命傷を与えた。二年後の七九八年に償還期限を迎える国債の一部を償還できない可能性が高くなったのである。債務不履行による経済破綻がいよいよ現実味を帯びてきた。ハイネセン株式市場の下落は留まるところを知らず、景気は後退から転落に移行しつつある。

 

 帝国軍と経済破綻の脅威は同盟社会を悲観論一色に塗り潰し、マスコミは今すぐにでも侵略軍や大恐慌がやってくるかのような記事を流して煽り立てる。主戦論が盛り上がっていた四か月前と比べると、まるで別の国のように思えた。

 

 帝国領遠征軍の敗北によって絶望に叩き落とされた市民は、連立与党や軍部の拙劣な戦争指導を激しく非難した。若手参謀グループが正規の手続きを経ずに出兵案を最高評議会に持ち込んだこと、出兵案が可決された理由が連立与党の選挙対策であったこと、遠征軍総司令部や民主化支援機構の横暴ぶりなどが判明すると、非難の声はいっそう大きくなった。

 

 遠征推進派の政治家、遠征軍総司令部、民主化支援機構は今やすべての市民を敵に回した感がある。とりわけ強い憎悪の対象となったのは、出兵案を提出して遠征軍の作戦指導を全面的に取り仕切ったとされる若手参謀グループ、遠征を支持した評議員、連日メディアに出演して遠征の旗振り役となった民主化支援機構の首脳陣だった。彼らはテレビや新聞では連日のように批判され、ネットでは徹底的な罵倒の対象となった。

 

 俺が手に取った高級紙「ハイネセン・ジャーナル」には、若手参謀グループの中心人物アンドリュー・フォーク准将が転換性ヒステリーを患っていたという記事が掲載されていた。遠征軍関係者を名乗る複数の人物の証言を引きつつ、彼の幼児性や独善性などを散々に書き立てている。医療関係者なる人物の言葉は、俺をいらつかせたヤマムラ軍医少佐の説明そのままであった。見るに耐えないその記事は最後にこう結ばれていた。

 

「驚くべきことに遠征軍の作戦指導を担っていたのは、チョコレートを欲しがって泣きわめく幼児同然のメンタリティの持ち主であった。小児性ヒステリーの秀才軍人の暴走が一五〇〇万の将兵を死に追いやったのである」

 

 読み終えた瞬間に体中が灼熱したように熱くなり、指が小刻みに震えた。俺がハイネセン・ジャーナルを破り捨てなかったのは、病院の待合室の備品だったからだ。

 

 俺の親友であるアンドリューは、野心に駆られて仲間とともに出兵案を持ち込み、総司令官の老いに付け込んで総司令部を専断し、前線部隊を窮地に陥れて敗北を招いたということになっていた。実際、前線部隊に送られた指示の多くはアンドリューの名前で出されている。傍から見れば、一人で総司令部を仕切っていたように思えるだろう。最大の戦犯扱いされたアンドリューは、ロボス元帥らの分まで責任を背負わされ、彼らが受けるべき非難まで引き受けている。

 

 穏健反戦派の進歩党と近いハイネセン・ジャーナルは、最もリベラルで良識的な新聞と言われる。そんな新聞でもアンドリューに関しては、根も葉もない誹謗中傷を書き立てても構わないと思っているのだ。他のマスコミがどれだけ酷いかは説明するまでもないだろう。

 

「エリヤ・フィリップスさん」

 

 看護師の声で我に返った。今日はハイネセン国防中央病院の精神科で診察を受ける日なのだ。怒りを必死でこらえながら、ハイネセン・ジャーナルを新聞架に戻す。

 

 診察室に入ると、担当医のリンドヴァル軍医少佐が待っていた。第三六戦隊衛生部長の職を解かれた彼女は、現在はいくつかの軍病院で非常勤医師として勤務している。いつものように思考記録表をリンドヴァル軍医少佐に見せ、話し合いながら思考のバランスを修正していった。ダーシャがいなくなった後、俺の思考は恐ろしくマイナスに向いているのだ。

 

「ところで今日はいつになくイライラなさってませんか?」

「そうですか?」

「ええ。普段はもっと落ち着いてらっしゃいますよね」

 

 やはり分かる人には分かるのか。精神医療の専門家に話してみたらすっきりするかも知れない。そう考えた俺は思いきって待合室で読んだ新聞のことやアンドリューと最後に話した時のことをリンドヴァル軍医少佐に話してみた。

 

 最初から最後まで一貫して渋い顔で聞いていたリンドヴァル軍医少佐は、俺が話し終えるとデスクの上の端末を叩いて何やら調べていた。

 

「ああ、やっぱり」

 

 リンドヴァル軍医少佐は何やら納得したような表情になった。

 

「どうしたんですか?」

「ずいぶんでたらめな事言ってるなあと思って、ヤマムラ軍医少佐の経歴調べたんですよ。思ったとおりでした。この人、精神科医じゃなくて歯科医ですよ。産業医資格持ってないから、将兵のメンタル管理やストレス対策に関する基礎的な素養もありません。メンタルの問題については素人、いや発言を聞く限りでは素人以下です。相談員資格を持ってらっしゃる閣下の方が知識はずっとあるはずですよ」

「でも、アンドリューを見た瞬間に診断下してましたよ。自信ありげだったから、てっきりプロなのかと」

「だから、素人以下なんですよ」

 

 リンドヴァル軍医少佐は苦々しさを隠そうともしなかった。

 

「まず、転換性ヒステリーなんて言葉は、普通は使いません。転換性障害と言います。一五世紀も前に使われなくなった言葉を良くもまあ引っ張り出してきたものだと感心しますね。まあ、漫画や小説なんかで使われるのは見かけますが」

 

 転換性ヒステリーがそんな昔に死語になった言葉だとは思わなかった。

 

「説明も全部でたらめ。転換性障害は若いほど発症しやすい傾向がありますが、性格的な傾向はありません。ヒステリーという言葉が連想させるような自己顕示性や自己中心性とは一切関係無いのです。強度のストレスに晒されて臨界点を超えたら、誰だってかかりうる疾患ですよ。体質とかそんなのも関係ありません」

「確かに当時の彼は総司令部の矢面に立たされてました。ストレスも大きかったと思います」

「そもそも、ヒステリーって言葉も精神医学の世界では一五世紀前に使われなくなりました。変な誤解を生みますからね。ヤマムラさんみたいな人のおかげで、今でも使われてると勘違いしてる人が多いのですが」

「では、なぜ彼はその程度の知識で断言してしまったのでしょうか?」

「素人以下だから平気で断言できるんです。まともな精神科医なら見た瞬間に診断下したりはしませんよ。外に現れる症状だけでは判別がつきかねる疾患が多いんで、診断を確定するにも慎重にならざるを得ないのです」

「なるほど。先生が俺の病名をはっきりさせたのも大分経ってからでしたね」

「情報が出揃ってない段階で診断を確定させたら、取り返しの付かないことになるかもしれませんから」

 

 プロの立場からの意見は実に説得力があった。あの時、ヤマムラ軍医少佐に対して感じた不快感はやはり正しかったのだ。そして、世間がアンドリューに貼り付けようとしてるレッテルは医学的な根拠が無い。

 

「どうしてそんなでたらめなヤマムラ軍医少佐の主張がまかり通ってしまったんでしょうか?」

「戦隊レベル以上の衛生部には、メンタルケア指導のために必ず精神医学の専門家が一人以上は配置されます。総司令部にもいたはずです。まともな専門家がチェックしたら、ヤマムラさんの主張は絶対に通さないでしょう。故意にヤマムラさんの主張を通したのではないでしょうか。ヤマムラさんが別の誰かにあの主張を吹きこまれた可能性だってありますね」

「ヤマムラ軍医少佐の独断ではないってことですか?」

 

 医学的根拠が無いヤマムラ軍医少佐の主張が通ってしまった背景を想像するだけで気分が悪くなった。アンドリューがヒステリーという俗語から想像されるような狂人でなければ困る人間がどこかにいるのだ。それが誰なのかは、簡単に想像できた。

 

 もやもやした気持ちを抱えながらリンドヴァル軍医少佐のもとを退出して、待合室に戻る。今度は外科の診察を待つのだ。一つの病院で何でも済んでしまうのが軍病院の良いところである。

 

「病気入院中の宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥は公務の継続が困難との理由から、近く辞任する意向を示しました」

 

 備え付けの大画面テレビが流すニュースにイラッとさせられる。ロボス元帥はアムリッツァ会戦の敗戦直後から病気で入院していた。それと同時に出兵案が提出された四か月前からロボス元帥の心身が衰弱していたこと、作戦指導における役割が薄かったことを伝える報道が流れだした。要するに「ロボス元帥は病気にかかっていたために、若手参謀グループの独走を許した」というシナリオが組まれているのだ。

 

 市民やマスコミが求めていたのは、怒りをぶつける対象だった。それがロボス元帥でもアンドリューでも構わない。市民の怒りがアンドリュー、そして彼が倒れた後に総司令部を代表して表に出るようになったリディア・セリオ大佐に向かえば、ロボス元帥に対する追及は甘くなる。ロボス元帥の忠臣であるアンドリューがロボス元帥を無視して動けるはずは無いのだが、それを知っている者は軍部のごく一部に限られる。

 

 ロボス元帥の司令部以外での勤務歴を持たないアンドリューの人間性は、軍部でもあまり知られていなかった。裏方に徹してきたため、世間的な知名度も皆無に近い。セリオ大佐もアンドリューとほぼ同じような経歴の持ち主であった。この二人を中心とする若手参謀グループを君側の奸とするシナリオを信じる者は、遠征軍に参加した高級軍人の中にも多かった。

 

 前例から判断すれば、これほどの大敗を引き起こした総司令部首脳陣は間違いなく軍法会議に告発される。作戦指導を徹底的に検証し、不運によって負けたのか、不適切な作戦指導によって負けたのかを明らかにするためである。

 

 総司令部の作戦指導が不適切だったという証拠は山のようにある。俺が証人台に立ってもいい。しかし、どうも風向きが危うくなっている。ここに来て総司令部に対する擁護論が出てきた。総司令部を取り仕切っていた若手参謀グループの責任と、総司令官や総参謀長を含めた総司令部全体の責任を切り分けて考えるべきではないかと言うのだ。出どころはロボス派ではなく、シトレ派であった。

 

 現在の軍部ではシトレ派、トリューニヒト派、ロボス派、最近台頭してきた国家救済戦線派の四派閥が敗戦後の主導権を巡って激しく争っていた。

 

 トリューニヒト派は遠征に関わらなかったおかげで勢力を温存することに成功した。しかし、露骨に非協力な姿勢でひんしゅくを買っており、功績をほとんど立てていないこともあって、発言力はあまり伸びていない。遠征を主導したロボス派、総司令部に多くの人員を送り込んだシトレ派の敗戦責任を追及することで勢力拡大を図っていた。

 

 シトレ派は指導者シドニー・シトレ元帥の引責辞任が決まっているにも関わらず、遠征で活躍したおかげで大きく発言力を伸ばした。最大の功労者で大将昇進が内定している第五艦隊司令官アレクサンドル・ビュコック中将と第一三艦隊司令官ヤン・ウェンリー中将を前面に押し立てて第一派閥にのし上がったが、総司令部首脳陣に名を連ねるドワイト・グリーンヒル大将やアレックス・キャゼルヌ少将らの敗戦責任問題という爆弾を抱えているために盤石とはいえない。

 

 遠征を主導したロボス派は発言力を完全に失った。指導者のラザール・ロボス元帥は近く引責辞任する見通しだ。功績によって大将昇進が内定した第三艦隊司令官シャルル・ルフェーブル中将はロボス元帥の旧知という理由で派閥に属しているに過ぎず、派閥重鎮の後方勤務本部長ハンス・ランナーベック大将、地上軍総監ケネス・ペイン大将、宇宙艦隊副参謀長ステファン・コーネフ中将らは敗戦責任を問われる立場であり、新指導者には成り得ない。指導者を欠くロボス派は敗戦責任を回避して、少しでも多くの現有ポストを維持しようと躍起になっていた。

 

 シビリアンコントロールの否定と軍による国家革新を唱える国家救済会議派は、軍を振り回した政治家、政治家と結託して軍を私物化した高級軍人に対する不信感の高まりを背景に、第四派閥として名乗りを上げた。彼らはロボス派とシトレ派の敗戦責任を激しく追及するとともに、トリューニヒト派を政治家の手先として批判している。派閥の政治的理念に強い影響を与えた統一正義党代表マルタン・ラロシュが遠征推進派に加わっていたこと、そして有力な指導者を欠いていることなどがネックだった。

 

 ロボス派は責任回避に全力をあげている。シトレ派は敗戦責任の追及を求めてはいるものの自派への飛び火は避けたい。敗戦責任の徹底追求を望むトリューニヒト派と国家救済会議派は、政治的スタンスの違いから足並みを揃えることができない。敗戦責任の部分的追及という落とし所を見付けたシトレ派にロボス派が乗って、暗黙の連携が成立しつつあった。

 

 何とも気分の悪い話である。それでも訴追の可能性がある分だけ、軍人はマシなのかもしれない。遠征を推進した前議長ロイヤル・サンフォードや前情報交通委員長コーネリア・ウィンザーらは未だに議席を保っている。民主化支援機構は解体されたが、首脳陣は何事も無かったかのように元の所属組織に戻っていった。戻れなかった者もいずれは新しいポストを得るだろう。失政自体は違法ではないのだから、彼らを裁けないのは当然だ。

 

 国家保安局は不正行為をはたらいて遠征継続決議を引き出したとの疑いで、中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所に対する捜査を開始した。単なる背任行為であれば、刑事警察の国家刑事局が担当するはずだ。治安警察の国家保安局が動き出したという事実は、遠征継続派の不正が国家秩序に対する敵対行為として裁かれる可能性が生じたことを意味する。これが軍部以外の遠征継続派を断罪する糸口になるかもしれなかった。

 

 中央情報局やフェザーン駐在高等弁務官事務所とともに不正行為をはたらいた国防委員会情報部に対する追及は、遅々として進んでいない。情報部幹部の個人的な不正を告発するのであれば憲兵司令部、組織ぐるみの不正を告発するのであれば国防委員会監察総監部の担当だが、どちらも及び腰であった。情報部は政界中枢との繋がりが深く、国防委員長ですら手出しできない聖域とされる。バックにいるアルバネーゼ退役大将も影響力こそ低下したものの、安全保障諮問会議委員の地位を保っていた。

 

 うんざりするような状況にあって、第一二艦隊の名誉が保たれたのは唯一の救いである。司令官ボロディン中将が部下を逃がすために戦ったこと、残存部隊がアムリッツァで全軍の殿軍となったことがクローズアップされ、最も英雄的な戦いをした艦隊として賞賛を浴びたのだ。指揮権が剥奪されたことに触れる部分を削除した上で公開されたボロディン中将の最後の命令は、同盟中の涙を誘った。

 

 一時は反逆者扱いされた第一二艦隊が英雄として賞賛されることになったのは、遠征軍総参謀長ドワイト・グリーンヒル大将の尽力によるところが大きい。彼はロボス元帥を説き伏せて、第三艦隊、第五艦隊、第一三艦隊を援軍に送ってくれた。遠征終了後に「ボロディン中将の更迭は誤りだった」と公式に謝罪し、第一二艦隊の功績を事あるごとにアピールしてくれた。何らかの政治的理由が背後にあることは疑いないが、それでも構わなかった。

 

 政治的な都合で作られた英雄であっても、与えられる勲章や昇進は本物だ。死んだ者は名誉、遺族は遺族年金と心の慰めを得ることができる。総司令部の無責任な作戦指導を許す気にはなれないが、第一二艦隊の苦闘が多少なりとも報われたことは嬉しい。「反逆者だから死後の名誉進級は無し。遺族年金も支給しない」なんてことになってたら、死んだ部下に顔向けできなかった。

 

「よっこらしょ」

 

 左隣から聞こえたその声とともに、強烈な異臭が鼻孔を蹂躙した。何事かと思って見てみると、軍服姿の老人が大きな紙袋を抱えて座っていた。どうやら、その紙袋が異臭の発生源らしい。

 

「おお、すまんのう」

 

 軽く頭を下げた老人の顔を見て驚いた。メディアで引っ張りだこになっているアムリッツァの英雄シャルル・ルフェーブル中将だ。第一二艦隊を救援してくれた三提督の一人でもある。ロボス派ではあるが、総司令部にいる政治軍人とは全く違う実戦派提督だ。

 

「これはシュールストレミングと言うてなあ。塩漬けのニシンの缶詰じゃよ。臭いはきついが、野菜と一緒にパンに挟むとうまいんじゃぞ」

 

 どうやら、ルフェーブル中将は俺が臭いに驚いてると思ったらしく、紙袋の中身について説明してくれた。

 

「お見舞いですか?」

「うむ。古い馴染みが入院しておってな。そいつの好物なんじゃよ」

 

 こんな臭いものを病室に持ち込まれたらさぞ迷惑だろうと思ったが、今をときめく名将にそんな突っ込みを入れられるはずもない。周囲の人々も同じように考えているようだ。病院職員ですら困った顔でルフェーブル中将を見てるだけであった。

 

「遠征でお怪我なさったのですか?」

「いや、病気じゃよ」

 

 いくら好物と言っても、この臭いは病人にはきついのではなかろうか。無神経なのか、天然なのか良くわからない。

 

「ところで君はどこの部隊だね?」

 

 ルフェーブル中将は俺の困惑をよそに所属を聞いてきた。軍服を着ていればワッペンで所属がわかるが、今の俺は私服である。また、俺は軍服と私服ではだいぶ雰囲気が変わるから、面識がない人には私服姿の俺がエリヤ・フィリップスだというのはわかりづらい。

 

「第一二艦隊にいました」

「そうか、それは大変じゃったなあ」

 

 俺の返答を聞いた老提督の顔に同情の色が浮かぶ。

 

「閣下のおかげをもちまして、何とか生きて帰ることが出来ました」

「礼には及ばんよ。同じ軍艦乗り同士、助け合うのは当然じゃ。わしが困った時は君に助けてもらう。お互い様じゃて」

「恐れ入ります」

「軍艦乗りの仁義など、どこにも無い戦いじゃった。どこを見回しても打算ばかり。軍艦乗りになって五〇年近くになるが、これほど酷い戦いは無かった。第一二艦隊を救えたことで、わしも少しは救われた気持ちになったんじゃよ」

 

 ルフェーブル中将は目を軽くつぶり、しんみりとした口調で語る。

 

「ラザールの奴も昔はいい軍艦乗りでなあ。艦長だった時はそれはもう見事な操艦ぶりじゃった。提督になると、まるで自分ですべての艦を操艦しているかのように動かしてみせたもんじゃ。見ているだけで心が沸き立った。古のリン・パオやアッシュビーを見た者も同じように思ったのじゃろうな」

 

 その言葉は俺ではなく、失われた過去に向けられていたのは明らかだった。

 

「政治なんぞに手を染め始めた頃から、ラザールは艦をうまく動かせなくなった。姑息な計算があの男の才能を曇らせてしまったんじゃな。アムリッツァではタンムーズの時よりもずっとうまく艦を動かせた。やっと軍艦乗りの心を取り戻してくれたかと思っておったが」

 

 半世紀を軍艦乗りとして生きた男のため息からは、至高の軍艦乗りだった男を惜しむ気持ちが痛いほどに伝わってくる。

 

「第一二艦隊は良い軍艦乗りの多い艦隊じゃった。ほとんど死んでしまったが、ヤオ少将、コルデラ少将、バビンスキー准将、フィリップス准将などはまだ生きておる。君も彼らのような軍艦乗りになるんじゃぞ」

「フィリップス准将ですか?」

 

 おそらく同盟軍屈指の用兵家であろう人物の口から自分の名前が出てきたことに驚いて、つい問い返してしまった。

 

「どうしたんじゃ?」

「いや、なんか意外で」

「若い者ほど若い者を軽く見る傾向があるが、それではいかんぞ。第一二艦隊にいたなら、あの状況で第二分艦隊の指揮を引き継ぐことがどれほど難しいか分かるじゃろ?あれだけ持ちこたえたら大したもんじゃ」

 

 ルフェーブル中将は俺をたしなめるように言った。アムリッツァ終盤の指揮は終わってみると悔いばかりが残る。できるだけのことはやったが、それは自分のさほど高くない能力の範囲でできることだった。こんなに高く評価されてるとは思わなかった。

 

「確かに難しい戦いですね」

「君は士官かね?」

「はい」

「ならば、七年か八年もすれば駆逐艦の艦長になるはずじゃ。一五年経てば戦艦艦長か駆逐隊司令、二二年か二三年経てば群司令。ひょっとしたら提督になるかもしれん。階梯が上がるたびに、過去に経験した戦いの意味もわかってくるだろうて。フィリップス准将の本当の苦労もな。確かに彼の用兵はミスも多いが、後知恵で思いつく正解なんて、その場に立てば選べんような選択肢ばかりじゃよ」

 

 歴戦の老提督らしい重みのある訓戒だった。「後知恵で思いつくような正解は、その場に立てば選べない」というのは、前の歴史の知識と今の人生の経験を比べて感じたことでもある。ルフェーブル中将は俺よりもずっと、後知恵の無意味さをわかっているのだろう。俺をいったい何歳だと思ってるのかという疑問はあるが、それは考えないことにする。

 

「おお、いかん。わしとしたことが偉そうに説教を垂れてしまったわい。年をとると説教臭くなっていかん」

 

 急にルフェーブル中将の表情が柔らかくなる。どうやら照れ屋であるらしい。

 

「いろいろ教えていただき、ありがとうございました」

「まあ、君はわしみたいな年寄りと違ってまだまだ先がある。頑張んなさい」

 

 そう言うと、ルフェーブル中将は立ち上がって俺の肩をポンと叩いた。そして、病棟へと向かっていく。老提督の姿が見えなくなった頃に看護師から呼び出された。

 

 外科の医師からトレーニングの一部解禁を言い渡されて、良い気分で診察室を出た。今日はお祝いに甘いものを食べようと考えながら待合室に向かう途中、ヘルメットや防弾ベストを身につけ、ライフルを構えた軍人が廊下を走って行くのが見えた。軍病院の警備兵にしては、少々重装備過ぎる。

 

 首を傾げながら待合室に入ると、重装備の歩兵が並んで病棟への入口を封鎖していた。玄関にも歩兵が並び、指揮官らしき人物が携帯端末でしきりに連絡を取っている。あまりに物々しい雰囲気に驚いた俺は、一番近くにいた歩兵にIDカードを見せて何が起きたのかを質問をした。

 

「小官はテリー・グレン軍曹です!フィリップス准将閣下にお目にかかれて光栄であります!」

「何が起きたか説明してくれるかい?」

「入院患者を狙ったテロが発生したのであります!」

「テロ?」

「はい、病室が狙撃されたのです!」

 

 病室が狙撃された。そのグレン軍曹の返答はあまりにも現実離れしていた。

 

「誰が狙撃されたんだ?」

「小官は聞かされておりません」

「ご苦労だった」

 

 軍人が公務中に答えられないと言ったのなら、いくら食い下がっても答えは得られない。敬礼してグレン軍曹と別れると、トイレに向かった。前に立っている兵士にIDカードを見せて断りを入れてから、個室に入って鍵を締める。それから、携帯端末を取り出して憲兵隊時代からの知人で現在は憲兵司令部警務部次長を務めるヒューレン中佐に通信を入れた。

 

「お久しぶりですね、フィリップス提督」

「時間がないから、単刀直入に用件を言うよ。国防中央病院にいる。入院患者が狙撃されたらしい。そちらに報告は入ってるかい?」

「入ってますとも」

「誰が狙撃されたの?」

「宇宙艦隊司令長官ですよ」

「ロボス元帥が!?」

 

 ロボス元帥は病気で入院しているとされていたが、入院先は明かされていなかった。居場所がわかったら、襲撃されかねないからである。秘密のはずの病室が直接狙撃されたというのは、由々しき事態であった。

 

「ええ。病室にも護衛が常駐して厳戒態勢を敷いていたんですが、窓を開けた瞬間に狙われました」

「ロボス元帥の容態は!?」

「無傷です」

 

 思わず舌打ちした後に、死亡もしくはそれに近い重傷を負うことを期待していた自分に気づく。

 

「……暗殺を警戒してたはずなのに、窓を開けるなんて随分不用心だね」

 

 無傷で残念だなんて言えるはずもないが、無傷で良かったとも言いたくない。その心理が今の質問を口にさせた。

 

「見舞客が持ち込んだ差し入れの臭いがきつかったんで、元帥閣下が自ら窓を開けさせたそうです」

「その見舞客ってルフェーブル中将じゃない?」

「良くご存知ですね」

 

 入院中の宇宙艦隊司令長官が第三艦隊司令官の見舞いを受けている最中に狙撃される。軍部のVIP二人が絡んだ大事件に身震いがした。

 

「待合室で臭い紙袋持ってたの見かけたからね。ロボス元帥もルフェーブル中将も本当に間が悪いというか」

 

 そこまで言って、ふと疑問を感じた。本当に間が悪かったのだろうか?ルフェーブル中将が臭いのきついシュールストレミングをたまたま持ち込んだ時に、たまたま暗殺者が狙撃したなんて都合のいいことが起きるものだろうか?

 

 ルフェーブル中将がシュールストレミングを持ち込むことを暗殺者が事前に知っていた可能性もある。いや、暗殺者が狙撃していることを知っててルフェーブル中将が持ち込んだ可能性、彼らが最初から……。

 

 首を大きく横に振って、頭の中から悪い考えを振り払った。あの老提督がそんな陰謀に関わってるなど、想像したくもなかった。一体、この国はどうなってしまうのだろうか。トイレの個室の中でため息をついた。



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第九十八話:再起の道を妹と踏み出す 宇宙暦796年1月2日~6日 ニューブリッジ地区

 年が明けて間もない七九七年一月二日。俺は妹のアルマと一緒にブレツェリ家を訪れた。ジェリコ・ブレツェリ大佐とハンナ・ブレツェリ曹長の夫妻は、昨年の八月にダーシャと一緒に訪れた時と同じニューブリッジ地区の官舎に今も住んでいた。

 

「私一人ですまんね」

 

 玄関に現れたジェリコ・ブレツェリ大佐は、ダーシャがいなくなった直後と比べると、やや活力を取り戻したようだった。

 

「奥様もまだお辛いでしょうから」

 

 アルマは寂しげに微笑む。ダーシャの母親であるハンナ・ブレツェリ曹長は、一度に三人の子供をなくしたショックで体調を崩して入院中であった。

 

「子供達のために頑張ってみようと努力はしているんだが。まだまだ先は長そうだ。こういう時に年寄りは弱いな。失った過去は大きいのに、それを埋めるための未来は少ない」

「まだ平均寿命まで三〇年もあるじゃないですか。これからですよ」

「アルマ君らしくもないことを言うな。まるでダーシャみたいだ」

「ええ、ダーシャちゃんならきっとそう言うだろうと思いまして。たとえ余命が一年だと言われても、まだ一年もあるって言うような子でしたから」

「君の言うとおりだ」

 

 ブレツェリ大佐はアルマの言葉に満足そうに頷くと、奥へと入っていく。俺とアルマはその後を着いていった。廊下はやや埃っぽい。これだけ大きな家に一人で住んでいるのだから、掃除が行き届かないのも仕方がない。まして、ブレツェリ大佐は子供を亡くした直後である。

 

「入ってくれ」

 

 浴室の向かいにあるドアをブレツェリ大佐が開ける。一〇平方メートルほどの広い部屋には、ダンボールが所狭しと置かれていた。

 

「これが全部ダーシャの遺品ですか?」

「そうだ」

 

 ブレツェリ家を訪れたのは、ダーシャの遺品整理を手伝うためだった。業務関係の物は軍に返却。私物はブレツェリ家で保管する物、ダーシャの友人知人に形見分けする物、寄贈する物、捨てる物に分類。一人でできる仕事ではない。

 

「一休みしてから取り掛かるかい?茶と菓子を用意するが」

「ご厚意はありがたいですが、遠慮しておきます。すぐ取り掛かりたいので」

「私もそうします」

 

 俺とアルマは声を揃えてブレツェリ大佐の申し出を断る。遺品整理なんて気が重い仕事はさっさと片付けてしまいたかったのだ。

 

「わかった。さっそく始めよう」

 

 こうして、俺達三人はダンボールを開けてダーシャの遺品整理を始めた。彼女が二七年生きて残したのがこのダンボールの山であった。多趣味な彼女はいろんな物を持っていたが、特に多かったのは衣服と書籍だった。

 

「あ、これ……」

「どうしたんだい、エリヤ君?」

「これ、デートの時にダーシャが良く着てたやつです」

 

 俺が手にしていたのは、やや緩めでふわっとした素材のブラウスだった。

 

「へえ、そうだったのか」

「俺が今着てるシャツを選んでくれた時のダーシャは、このブラウス着てました」

 

 あれは第三次ティアマト会戦が終わって間もない頃だった。自分の私服がダサいことにようやく危機感を抱いた俺は、ダーシャに頼んで一緒に私服を選んでもらったのだ。ほんの一年九ヶ月前なのに、遠い昔のように感じる。

 

「一昨年の四月三日だったっけ?」

 

 横からアルマが口を挟む。

 

「ああ、そうだよ。ていうか、なんで知ってんの?」

「ハシェクさんに再会した日だから良く覚えてるよ。私もあの日はエルビエアベニューにいてさ。お兄ちゃんがすぐ近くにいたってのは、後でダーシャちゃんに教えてもらったの」

「そ、そうだったんだ」

 

 藪蛇をつついてしまった。当時の俺はまだアルマを恐れていた。だから、再会した旧友リヒャルト・ハシェクから、アルマが近くにいることを知らされて逃げ出してしまったのだ。

 

「ダーシャちゃんは『妹にデート見られるの恥ずかしいのかなあ』って言ってたけど」

「ま、まあね。デレデレしてるとこ見られたら恥ずかしいからね」

 

 頭をかいてごまかす。うまいこと勘違いしてくれてよかった。まあ、自分が恐れられてたなんて想像もつかないよな。

 

「ハシェクさんもそう言ってたよ」

「あの後もハシェクに会ったの?」

「メアド交換したからね」

 

 メアドを交換。その言葉に心臓が高鳴る。前の人生のハシェクは帝国領遠征で戦死した。全然意識してなかったし、安否確認も忘れていたが、彼が生きている可能性に思い当たったのだ。

 

「メアド知ってる?」

「知らないの?」

「聞きそびれてさ」

「てっきり知ってると思ってたよ。同じ部隊だったし」

「同じ部隊?」

「ハシェクさんも第三六戦隊だから」

「いや、知らなかった。どうしてるのかな」

 

 さらに心臓は鼓動を早める。俺が率いた第三六戦隊は過半数が戦死した。ハシェクが生きている可能性は低い。

 

「生還したよ。怪我もほとんどなし」

 

 それを聞いて安心した。あれだけ多くの人が死んだ戦いで生き残ってくれたというのは嬉しい。心に温かいものが広がるのを感じながら、作業を続ける。

 

「あー、これ懐かしい」

 

 アルマが手にとったのは、ふかふかしたニットの帽子だった。

 

「ほう、この帽子にも何か思い出があるのかね?」

「初めて会った時にダーシャちゃんがかぶってた帽子ですよ」

「確かカプチェランカだったか」

「ええ、そうです」

「私は行ったことがないが、専科学校の同期が寒い星だと言っていた。そいつは灼熱の砂漠で死んでしまったがね」

 

 アルマとブレツェリ大佐の会話に出てきたカプチェランカという惑星は、同盟と帝国の歴史的な係争地の一つだった。地表は雪と氷に包まれていて一〇日のうち九日はブリザードが吹き荒れているという極寒の惑星だが、地下に眠っている膨大な鉱物資源を巡って激戦が繰り広げられていた。この一〇年間だけでも四度の地上戦がカプチェランカで起きている。ダーシャとアルマが出会ったのは、四年前の戦いだった。

 

「あの時にダーシャちゃんからもらったパウンドケーキの味は今も忘れません。ブランデーがたっぷり染みこんでて体があったまりました」

 

 心の底から幸せそうな笑顔になるアルマ。薄々予想はしていたが、やはりダーシャに食い物で釣られたらしい。食い意地の汚さだけは前も今も変わらない。

 

「そういえば、ダーシャがエリヤ君と最初に出会った時はロールケーキをあげたと……」

「このスカートにもいろいろ思い出あるんですよ!」

 

 遺品を手に取るたびにいろんな記憶が蘇る。服や帽子の一つ一つがそれを身に着けていた時のダーシャを思い出させてくれるのだ。俺達三人は遺品を整理しながら、それにまつわる思い出を語り合った。ダーシャのことだけを考え、ダーシャのことだけを語り合う。とてもとても幸せな時間だった。

 

 それから四日間、俺とアルマはブレツェリ家を訪ねて遺品整理を手伝った。時間がかかったのは、しょっちゅう手を止めて三人で思い出話にふけっていたからである。こんな時間がいつまでも続いたらと思った。しかし、遺品には限りがある。ブレツェリ夫妻が保管する物、俺やアルマが保管する物、形見分けする物、遺贈する物などの仕分けが進むにつれ、どうしようもなく寂しい気持ちになっていった。

 

「やっぱり、ダーシャちゃんは生きてますよ」

 

 すべての作業が終わった時、アルマはポツリと呟いた。俺とブレツェリ大佐は大きく頷く。今もなお、ダーシャの存在感はそこらの生者よりはるかに大きい。二度と会えなくなっても、ダーシャが俺達の中から消えることはない。俺達が生きている限り、ダーシャも生き続ける。そう確信した。

 

「いつでも好きな時においで。私はハイネセンに残るから」

 

 別れ際にブレツェリ大佐は俺とアルマの手を握りしめながら、そう言った。

 

「シュパーラ星系に赴任されると伺ってましたが」

 

 アムリッツァの敗戦から二か月が過ぎ、人事も動き始めていた。大打撃を受けた部隊の統廃合がだいぶ進み、承継部隊のポストが埋められていった。ブレツェリ大佐は准将昇進と中央支援集団への栄転を打診されたが、昇進を辞退してフェザーン方面転属を希望した。数日前にシュパーラ星系のJL77通信基地司令官代行の話が来ていると聞いたばかりであった。

 

「父の故国の近くで最後のお勤めをしたい。そうすれば、休暇のたびにフェザーンに住む親戚に会いに行ける。子供がいなくなった今、夫婦だけで過ごすのは寂しい。そう思っていた」

 

 ブレツェリ家はダーシャの祖父、ブレツェリ大佐の父の代にフェザーンから移民してきた。親族のほとんどは今もフェザーンに残っている。だから、そちらの方面への転属を希望したのだ。

 

「では、どうしてハイネセンに?」

「私の子供は多くの人の中で今も生きている。君達がそれを教えてくれた。子供を知る人が大勢集まるハイネセンにいれば、彼らの中にいるダーシャやマテイやフランチに会える」

「ああ、なるほど。俺も大佐と話してると、ダーシャに会ったような気持ちになります」

「そうだろう。私がシュパーラに行ってしまっては、エリヤ君もアルマ君もダーシャに会えなくなってしまう」

 

 ブレツェリ大佐は目を細めて笑う。ダーシャがいなくなってから、初めて見る大佐の笑顔である。俺とアルマもつられるように笑った。

 

 ブレツェリ家を出た後、俺とアルマは人気のないニューブリッジ地区の歩道を歩いていた。第四艦隊の官舎街だったこの地区は、アスターテの敗北から一年近く経った現在ではゴーストタウンと化している。

 

「ダーシャのお父さんは何とか立ち直れそうで良かったよ。俺も頑張らないと」

「そうだね。落ち込んだ顔なんてダーシャちゃんには見せられない」

「あいつは俺の顔見るたびに『かわいいかわいい』ってうるさかったけど、暗い顔してる時だけは絶対に言わなかった」

「かわいいって言われると嬉しいよね。ダーシャちゃんの前だと、つい明るい顔しちゃう」

「ああ、わかるわかる」

「これまで出会った人が一人欠けただけでも、私は今の私になれなかった。だから、少しでもお返ししたいと思う。ダーシャちゃんに対しては、かわいいって言ってもらえる顔をするように頑張ることかな」

 

 生真面目なアルマらしい決意だった。

 

「アルマならきっとできるよ」

「ありがと」

 

 驚くほど自然に兄妹の会話ができていた。この数日間のおかげでアルマとの間にあったぎこちなさがだいぶ薄れていたのである。ごく自然にアルマを良い奴だと思えるようになった。ダーシャを好きな奴は良い奴に決まっているのだ。

 

「お父さんはもう大丈夫。心配なのは……」

「クリスチアン教官だね」

「うん」

 

 俺の恩人であり、アルマの専科学校時代の教官である第四方面管区地上軍教育隊長エーベルト・クリスチアン大佐は、帝国領遠征で大勢の教え子を失った。逃げ遅れて戦死した者もいれば、味方に置き去りにされて行方不明になった者もいる。部下への愛情が強いクリスチアン大佐は、食べ物が喉を通らなくなるほど落胆した。現在は栄養剤で何とか体力を維持しているそうだ。

 

「最近はメールにも返信してくれるようになったけど、まだまだ辛いみたい。教官は情に厚い人だから」

「おとといのメールでは退役願いを書いてるって言ってた。あれほど軍隊を愛してたのに」

 

 俺とアルマはため息をついて、顔を見合わせる。正確に言えば、自分より五、六センチほど上にあるアルマの顔を見上げたのだが。

 

「戦って死ねた艦艇部隊はまだいいよ。地上部隊は衛星軌道を制圧されたら、手も足も出ないから」

 

 アルマの表情に影がさす。地上部隊の彼女にとって、帝国領遠征は無念な戦いだった。まともに戦う機会も与えられず、艦艇部隊にくっついて逃げるだけ。味方に置き去りにされて、逃げられなかった者も多い。アルマの所属する第八強襲空挺連隊は第九艦隊とともに逃げ延びたが、友人知人の多くが戦死または行方不明になった。

 

 帝国軍の追撃を振り切るために、地上部隊からの救援要請を無視した俺に言える言葉はない。無視した救援要請の中には、アルマの専科学校時代からの親友が所属する部隊からのものもあったのだ。

 

「最近はうちの部隊でも国家救済戦線派の支持者が増えててね。私も勉強会の案内をもらったよ」

 

 アルマの呟きは電光となって、俺を打ちのめした。政治家による軍部統制を否定する国家救済戦線派は、地上部隊を中心に支持を広げている。地上部隊の士官であるアルマに誘いの手が伸びても不思議ではない。しかし、自分の妹に過激思想集団が接触しようとしているのは、何とも寒気がする。

 

「行くの?」

 

 動揺を悟られないように務めながら質問をする。

 

「極右の勉強会なんか行くわけないじゃん。怖いでしょ。講師があのアラルコン少将だし」

「変なこと聞いてごめん」

 

 良く考えたら、真面目なアルマが過激思想集団なんかに近づこうとするはずがない。講師が悪名高いサンドル・アラルコン少将とくれば、なおさらだろう。

 

 首都防衛管区第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将は、苛烈な戦闘精神と卓越した指導力の持ち主で、子飼いの部下は「アラルコン親衛隊」と呼ばれるほどの結束を誇る。正規艦隊や教育部門で抜群の実績を示したが、非戦闘員殺害疑惑で何度も告発されたために軍上層部の忌避を買った。海賊討伐作戦「終わりなき正義」の際に民間人虐殺疑惑で世論の批判を浴びてから、言動が急速に右傾化。現在は統一正義党代表マルタン・ラロシュ系列の極右メディアで人気を集め、ラロシュ思想の勉強会から発展した国家救済戦線派では代表世話人の一人だった。

 

「クーデターとかそういうのは論外だけど、総司令部にはちゃんと責任取ってほしいよ。若手参謀だけ裁くとか言ってるけど、それじゃ納得できないって」

「俺もそう思うよ」

「総司令官は病気で仕事できなかったから悪くないとか、総参謀長はいい人過ぎて強く出られなかったから悪くないとか、作戦主任や情報主任や後方主任は若手参謀に仕事取られてたから被害者だとか、上の人はそんなことばっか言ってていらいらする。若手参謀を止められなかったのは罪じゃないの?」

 

 アルマの疑問に答える言葉を俺は持っていなかった。軍上層部はアンドリュー・フォークとリディア・セリオ大佐を中心とする若手参謀グループの暴走で片付ける方針に決めたらしく、総司令官ロボス元帥、総参謀長グリーンヒル大将、作戦主任参謀コーネフ中将、情報主任参謀ビロライネン少将、後方主任参謀キャゼルヌ少将らの役割を軽く見せようと努力していた。

 

 上の人の末端に連なる俺には、敗戦責任問題が彼女の求めるけじめと別の論理で動いていることが理解できる。ロボス元帥の責任を追及すれば、総参謀長や主任参謀の責任問題も浮上する。彼らは同盟軍で最優秀の人材だ。断罪したら軍はさらに弱体化する。生真面目なアルマの耳を上の人の論理で汚したくなかった。

 

「それなのにロボス元帥暗殺未遂は取り調べるっておかしくない?」

「まあね」

 

 曖昧に言葉を濁す。昨年末のロボス元帥狙撃事件は、市民を大いに喜ばせた。市民の怒りは若手参謀グループに集中していたが、ロボス元帥に同情的なわけではない。彼が戦犯でないというのは軍部の主張であって、市民から見れば立派な戦犯なのだ。

 

 警察には実行犯の免罪を求めるメールが殺到した。気の早いことにまだ逮捕もされていない実行犯の弁護費用を負担すると言い出す実業家、無料で弁護を引き受けると表明する弁護士まで現れた。窓を開けさせるきっかけを作ったアムリッツァの英雄ルフェーブル中将が共犯の疑いで事情聴取を受けたとの報が流れると、抗議の電話やメールで警察の回線はパンクした。もちろん、情報はまったく集まらない。捜査陣もまったくやる気を見せようとせず、ルフェーブル中将と会話した俺が事情聴取を受けてないほどだ。軍部は捜査の徹底を求めたが、進展する見込みは皆無だった。

 

 軍部の主張と市民感情は完全に乖離してしまっている。アルマの発言からも分かるように、軍部でも上層部の計算と中堅以下の感情は乖離していた。俺の気持ちは市民のそれに近い。冷静でいるには、あまりに多くの物を帝国領遠征で失ってしまった。俺もアルマもルールにかなり忠実な性格だと思う。それでもルールを飛び越えた断罪を求めたくなるのが今の同盟軍の現実であった。

 

「お兄ちゃん、あれ見て」

 

 アルマが指さした先には、クリームたっぷりのパンケーキのイラストが描かれたスタンド看板があった。

 

「住民が全然いないのに営業してるのか」

「五ディナールだって。安いよね」

「一〇枚食べても五〇ディナールだもんな」

「二〇枚食べても一〇〇ディナールだよ」

 

 さすがにそれは食べ過ぎじゃないかと思った。スイーツはパンケーキだけではない。ケーキやパフェもある。そして、スイーツを食べるなら、パスタやサンドイッチも頼んでアクセントを付けないと、舌が甘さで麻痺してしまうのだ。

 

 しかし、アルマは突っ込む隙も与えずに店の中に早足で入っていく。食い意地の張った妹に苦笑しながら、俺も後を着いていく。心がささくれだった時は甘い物を食べて心を癒やすに限るのだ。



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第九十九話:裁くのは誰か 宇宙暦796年1月8日~1月中旬 最高評議会議長公邸~ハイネセン国防中央病院

 一月八日の夜。俺は久しぶりに最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトと議長公邸の一室で面会した。俺の前にはマフィンとコーヒー、トリューニヒトの前には紅茶とチョコクッキーが置かれている。

 

「傷の調子はどうだい?」

「おかげさまであと一ヶ月もせずにリハビリが完了しそうです」

 

 トリューニヒトが最高の治療環境を与えてくれたおかげで、予想以上にリハビリが早く進んでいた。さらに治癒を進めるべく、マフィンを口にする。さすがはフィラデルフィア・ベーグルのドライフルーツ入りマフィン。糖分が体に染み入って、傷が良くなっていくようだ。もちろん錯覚だが。

 

「治療費はいずれ体で返してもらうよ。いろいろと働いてもらわないといけないからね」

「今日はそのお話ですか?」

「そうとも」

 

 簡潔な返答の後、トリューニヒトは間を置くように紅茶をすする。次の任務は何だろうか。砂糖とミルクでドロドロになったコーヒーを飲み、糖分を補給しながら心の準備をする。

 

「エリヤ・フィリップス少将には、宇宙艦隊司令官直属の第二独立機動集団司令官、イゼルローン要塞防衛司令官、辺境総軍機動艦隊副司令官のいずれかを考えている」

「まだ決まっていないのですか?」

「ビュコック君とルフェーブル君は大部隊の統率には慣れていない。ヤン君はまだ若い。エリヤ君には彼らの助けになってほしいのだが、誰が一番君の力を必要としているのか決めかねているのだよ」

 

 少将昇進は想像の範囲内だった。国防委員長マルコ・ネグロポンティは第一二艦隊の生存者を全員昇進させる意向を三日前に表明した。市民の同情を集めている第一二艦隊を顕彰して、軍部への逆風を少しでも和らげようということだろう。

 

 だが、トリューニヒトが提示したポストは少々きな臭い。正規艦隊を統括する宇宙艦隊司令長官にはアレクサンドル・ビュコック中将、対帝国の最前線を担うべく設立されたイゼルローン方面管区の司令官にはヤン・ウェンリー中将。対テロ戦争の教訓を踏まえてイゼルローン同盟側出口からエルゴン星系までの防衛を統括する新設の辺境総軍の司令官にはシャルル・ルフェーブル中将が大将昇進のうえで就任することが内定していた。いずれも帝国領遠征で活躍した名将だが、トリューニヒトとは疎遠だ。ビュコック中将とヤン中将は反トリューニヒト派と言ってもいい。

 

「それはまあ、表向きの理由でね。実戦部隊の頂点に立つ三司令官ポストは、帝国領遠征の功労者たる彼らに渡さざるをえない。だが、司令官は渡しても部隊までは渡したくないというのが本音なんだ」

「やはり派閥絡みでしたか」

 

 要するに彼らが率いる部隊をトリューニヒト派に取り込むのが俺の役目ということだ。前の歴史の英雄ヤン・ウェンリーとアレクサンドル・ビュコック。前の歴史では無名だったが、実力では二人の英雄に匹敵するシャルル・ルフェーブル。この三提督のうちの一人と部隊の主導権を巡って争うなんて、想像するだけで気が重い。

 

「もう少し切実な理由もあるのだよ」

「と申しますと?」

「一例を挙げると、ローゼンリッターの連隊長だったワルター・フォン・シェーンコップという男がいる。君もヴァンフリート四=二で会ったことがあるはずだ」

「はい、シェーンコップ准将のことはよく知っております」

 

 トリューニヒトの口からシェーンコップの名前が出てきたことに穏やかならざるものを感じた。凡人同士の連帯を唱えるトリューニヒトと反骨精神の塊シェーンコップ。この二人の相性は間違いなく最悪だ。

 

「率直に言ってくれたまえ。どういう男だと思う?」

「格好いい方ですよね」

「外面ではない。内面だ」

 

 はぐらかすことに失敗した。ごまかしが通じないとなると、慎重に答えねばならない。マフィンを食べて心を落ち着けてから、ゆっくりと口を開く。

 

「底知れない方だと思います」

「君らしい善意的な表現だね。私なら油断ならないと言うが」

 

 トリューニヒトの顔は微笑みをたたえているが、目は笑っていない。

 

「その油断ならない男が現在はヤン君の下でイゼルローン防衛司令官臨時代理を務め、要塞防衛マニュアルの作成にあたっている」

「我が国には要塞防衛のノウハウがありません。帝国軍の残したマニュアルを元に同盟なりのノウハウを積み上げていく必要があります。シェーンコップ准将は実戦指揮のみならず、教育訓練においても力量のある方。適任ではないでしょうか」

 

 今はローゼンリッター連隊長を務めるカスパー・リンツから聞いたシェーンコップの指導法を思い出した。部下に仕事を任せて自分はチェックに専念する。穴が見つかったらフォローして、フォローしきれなかった場合は自分が責任を負う。実務を知り尽くしたシェーンコップのチェックとフォローによって、部下は安心して経験を積める。そうやってリンツやブルームハルトのような優れた人材を育てた。陸戦の天才は教育訓練の天才でもあった。

 

「我が国に要塞防衛の専門家はいない。シェーンコップ君がイゼルローン要塞の防衛マニュアルを作成すれば、彼は要塞機能のすべてを知る唯一の存在となる。それがどれほど危険なことか、わからない君ではないだろう」

 

 トリューニヒトの言葉にはっとなった。官僚組織で最も強いのはノウハウを知り尽くした者だ。たとえば、クレメンス・ドーソン中将のパワーの源は豊富な業務知識にある。どんなポストに就いても圧倒的な知識をもって、「ドーソン中将に話を通さなければ、仕事が回らない」という状態を作ってしまうのだ。いざとなったら反乱も辞さないような危険人物に話を通さなければ、イゼルローン要塞を運用できない。途方も無い事態だ。

 

「シェーンコップ准将抜きで要塞を運用できなくなりますね」

「そう、あの危険な男が五〇万の防衛軍と難攻不落の要塞を支配することになるのだ。国家の安定にとって、重大な脅威だろう」

「ハイネセンに召還することはできないのですか?」

 

 あのシェーンコップとイゼルローン要塞の支配権を巡って抗争するなど、想像するだけで胃が痛くなりそうだった。人事権を持つ国防委員会はトリューニヒト派の牙城だ。辞令一枚でケリが付くなら、それに越したことはない。

 

「権力と権威は往々にして一致しないものでね。権力を持っていても、権威が無ければ意味が無いのだよ。議長の椅子も座り心地が悪くてね。みんな私の言うことを聞いてくれないんだよ。あのアルバネーゼの首すら飛ばせない有様だ」

 

 トリューニヒトは苦笑を浮かべた。彼は最高評議会議長就任後、議会第一党である改革市民同盟代表も兼ねることとなった。しかし、党の主流派は非主流派のトリューニヒトに協力しようとはせず、ことあるごとに足を引っ張った。帝国領遠征に対して非協力的な姿勢を貫いたため、軍部での発言力も伸びていない。ヤン中将やビュコック中将といった反トリューニヒト的な人物が台頭したことを考慮すれば、相対的には後退したといっていいかもしれない。

 

 果断な戦後処理を期待されたトリューニヒトであったが、政界と軍部に根を張る遠征推進派の抵抗を排除することはできなかった。多くの場面で妥協を強いられ、そのたびに市民は失望を買った。支持率は下落の一途をたどり、三月の総選挙を乗り切るのはほぼ不可能と見られている。

 

「心中お察しします」

「こんなことになるなら、レベロに議長職を渡しておけば良かった。そうすれば、私も政権内野党として好き勝手できたんだがね。上にいる者の足を引っ張るのは簡単だが、下にいる者を蹴落とすのは難しい」

 

 何と言っていいかわからない。トリューニヒトは一昨年のヴァンフリート四=二基地攻防戦以来、党内主流派に負け続けてきた。それでも非主流派の実力者としての地位を保てたのは、責任を負わずに済む立場だったからだ。負けても一旦引けば傷を負わずに済む。しかし、今はそうもいかない。失敗するたびに責任を問われて傷を負う。

 

「軍部の抵抗が激しくて、軍法会議の見通しも立っていない。告発できない可能性も出てきた」

「本当ですか?」

「血を流さなかった者に発言力はない。それが軍人の論理のようだ。良くシトレ派の者が言ってるだろう?『安全な後方から戦争を口にする以上に醜いことはない。戦場に立ってから言ってみろ』と。要するに彼らから見れば、我々が安全な場所から無責任に煽っているだけに見えるのだな。『血をまったく流していない政治家がしゃしゃり出て、血を流した者を断罪するのは我慢ならん。おまえらの都合を押し付けられた者のことも考えろ』ということらしい」

 

 その主張の文面自体は筋が通っている。俺もシュテンダールにいた時は、後方から無責任に煽り立てる連中に怒りを感じたものだった。ただ、それが総司令部を免罪する理由になるというのは不思議である。総司令部こそ安全な後方から戦争を煽った連中ではないか。

 

「俺のシュテンダールにいた時は同じような怒りを感じました。総司令部に対してですが。軍上層部がそれを理由に総司令部を免罪しようというのなら、俺は同じ理由で総司令部に対する断罪を求めます」

「提督や参謀といった人種にとっては、総司令部のオフィスで後方と前線の板挟みに苦しむのも血を流したうちに入るらしい。ストレスで体を壊す者も多いし、失脚すれば残りの人生は生きた屍も同然になる。死傷者が出るという点では前線と変わりない。戦争において我々がそのようなリスクを冒さなかったというのは事実だ」

「おっしゃることはわかります。しかし、総司令部が血を流したことで免罪されるのなら、俺達が前線で流した血に対する責任は誰が取るのですか?」

「彼らの論理を使えば、政治家が取ることになるのかな。遠征を止められなかった責任、総司令部に政治の都合を押し付けた責任。だが、政治家の戦争責任そのものを問う法律はない。失政を裁いてはならないというのは、民主主義社会の前提だからね。どうしても裁きたいのなら、関連する不正行為を個別に裁くことになるだろう。たとえば、中央情報局と軍情報部とフェザーン駐在高等弁務官事務所の情報操作疑惑のような」

「要するに軍上層部がノーといえば、総司令部は裁けないということですか?」

「軍の協力なしで軍法会議を成立させるのは困難だ。ロボス元帥の責任を追及すれば、どうしても総参謀長のグリーンヒル君、作戦主任のコーネフ君、情報主任のビロライネン君、後方主任のキャゼルヌ君らの責任問題に発展する。シトレ派としては、後方と前線の板挟みに苦しんだグリーンヒル君やキャゼルヌ君をどうしても救ってやりたい。ロボス派としては、何としてもコーネフ君とビロライネン君を温存して再起に繋げたい。そこで利害が一致した」

 

 何とも気分の悪い話だった。遠征軍の中枢にいた総参謀長や主任参謀らが責任を免れるはずもない。仮に軍上層部の主張するように、若手参謀グループに実権を奪われていたのだとしたら、その無力に対する責任を負わねばならない。若手参謀より軽いと仮定しても、責任自体は存在するのだ。

 

「彼らのシナリオ通りに進んでも、軍法会議を開いて責任の軽重を問う必要はあるでしょう。無為無策だから許されるなんて立場でもないでしょう?」

「グリーンヒル君は最悪の事態を回避するために努力した」

 

 そこで言葉を切った後、トリューニヒトは紅茶にクッキーを浸してから口に入れる。ゆっくり咀嚼して飲み込んでから、意地の悪い微笑みを浮かべた。

 

「ということになっている」

「それは聞いています」

 

 グリーンヒル大将はロボス元帥とも前線の提督とも親しい関係にある。そのため、提督達の細かい要望を非公式にロボス元帥に伝える役割を担っていた。半分以上はロボス元帥に受け入れられなかったし、取り次ぎを断られることも少なくなかったにせよ、グリーンヒル大将に借りがあると感じる者は多い。

 

「功績も多い」

 

 言葉を切ってから、トリューニヒトはまたクッキーを紅茶に浸してから口にする。飲み込んだ後にまた意地の悪い微笑みを浮かべた。

 

「ということになっている」

「それも知っています」

 

 第一二艦隊が撤退した翌日に占領地確保にこだわるロボス元帥を説得して集結命令という形で他の艦隊を後退させたのも、ルイス少将の献策を実行に移して輸送船団を襲撃から救ったのも、第一二艦隊がアムリッツァで補給を受けられろう計らったのも、提督達の要望を聞き入れて第一二艦隊に援軍を送ったのもグリーンヒル大将だった。俺の目にはアンドリューやセリオ大佐の背後で事態を傍観して、どうしようも無くなった時だけ収拾に出て来る人に見えるが、軍上層部には救いの神と認識されていた。

 

「グリーンヒル君は誰かが一方的に得をすることも一方的に損をすることも望まない。誰も傷つかない解決案を提示すること、全員が等しく痛い目を見る妥協案を提示することにかけては、右に出る者はいない。最善より次善を求める。どんな場合でも彼がいれば、最悪は回避できる。軍上層部は安全装置としてのグリーンヒル君を高く評価している。ビュコック君、ルフェーブル君、ヤン君も彼に対してはきわめて好意的だ。最大の功労者たる彼らの意見は無視できない。グリーンヒル君の告発は見送らざるを得ない。総参謀長を告発しないのなら、総司令官の告発も難しい」

 

 グリーンヒル大将が安全装置であるという表現は言い得て妙だった。第一二艦隊の撤退要請は無視したが、ギリギリで全滅を防ぐための手は打ってくれた。第六次イゼルローン攻防戦ではラインハルトを打ち破る作戦指導はできなかったが、部分的にヤン・ウェンリーの策を採用して全面敗北を防いだ。確かに功績は大きい。グリーンヒル大将と直接折衝した人は感謝するだろう。一五〇〇万の死を招いた責任を贖えるだけの功績とは思えないが。

 

「それにロボス派も重鎮のアップルトン君やホーウッド君を失った。アル・サレム君は重傷を負った。個人的にロボス君を許せなくても、血を流したロボス派は救ってやりたいという感情を持つ者も多い。第一二艦隊のヤオ君なんかはそうだな。彼の場合はロボス派の崩壊によって、私の力が相対的に強くなることを警戒する気持ちもあるだろうが」

「ここでも血の論理ですか……」

 

 苦い気持ちが胸の中を満たしていく。前の歴史の本を読んだ時には、「血を流した者だけが戦争を語れ」の論理が絶対的に正しいと思い込んでいた。獅子帝ラインハルト・フォン・ローエングラムも英雄ヤン・ウェンリーもこの論理を掲げて、安全な場所から戦争指導にあたる権力者を無責任と糾弾した。それがまさか責任回避の論理として利用されるとは、夢にも思わなかった。

 

「民主主義体制ではなぜ後方にいる文民が前線の軍人を統制するのか、エリヤ君はわかるかい?」

「軍人が戦争指導の全権を握ったら、軍事独裁政権が生まれてしまうからです」

「では、絶対に政治的野心がないと保証できる軍人になら、戦争指導の全権を委ねてもいいのかな?」

「そういう軍人がいたら、委ねてもいいのではないでしょうか。軍人の方が戦争には詳しいですし」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、前の歴史のヤン・ウェンリーだった。何度も政府に野心を疑われたが、彼が権力を求めていなかったことに関しては多くの証言がある。

 

「エリヤ君の言うことは間違いだ」

 

 表情や口調こそ穏やかであったが、一切の妥協を許さない強固さがあった。冷や汗が背中を流れる。

 

「何が間違いなのでしょうか?」

「民主主義の原則は圧倒的な強者を作らないことだ。血を流さない文民が戦争指導をすることで、軍人と文民の力を拮抗させる。そうやって、戦争指導者の力をあえて弱める。血を流した軍人が戦争指導を行れば、発言力が大きくなりすぎて、文民は一言も口を挟めなくなってしまう。文民による断罪を拒否している今の軍上層部を見ればわかるだろう?文民の口出しを許さない戦争屋なんて、政治に手を出す気がなくても大迷惑だ」

 

 トリューニヒトが苦々しさをこうもはっきりと出すのは珍しい。表情や口調はまったく変わっていないのに、感情の強さははっきりと伝わってくる。

 

「彼らはどうやらシビリアンコントロールというものを勘違いしているらしい。クーデターを起こさなければ、あるいは勝手に戦争を起こさなければ、民主主義を尊重したことになると思い込んでいる。国家救済戦線派と自分達が違うと思っているのなら、思い上がりも甚だしい。いずれ戦争屋どもにシビリアンコントロールというものを教えてやらねばな」

 

 一瞬だけトリューニヒトが俺の全く知らない人間のように見えた。彼の全身から放射された強烈な負の感情に、心臓が握り潰されそうなプレッシャーを覚えた。

 

「どうしたんだい、エリヤ君。マフィンを持ってこさせようか?」

 

 いつもと同じ優しそうなトリューニヒトの声で我に返る。

 

「お願いします」

 

 必死で動揺を抑える。

 

「私は政治家だ。軍部の意思がどうあろうと、主権は国民にある。彼らの期待を裏切るようなことはしないよ」

 

 トリューニヒトの微笑は未だかつて見たことがない不吉な色を湛えていた。

 

 

 

 結局、帝国領遠征の敗戦責任を問う軍法会議が開かれることはなかった。総司令官ロボス元帥は病気のために若手参謀グループの暴走を招いた責任を取って、宇宙艦隊司令長官を辞任すると同時に軍籍から退いた。軍令の責任者である統合作戦本部長シトレ元帥も同時に軍籍を退き、同盟軍を支配した二元帥の時代は終焉を迎えた。

 

 総参謀長グリーンヒル大将も若手参謀グループの暴走を招いた責任を問われた。統合作戦本部作戦担当次長と宇宙艦隊総参謀長を解かれて、国防委員会査閲部長に転任した。国防委員会内部部局の部長職は正規艦隊司令官に匹敵する要職である。グリーンヒル大将は左遷されたが、軍中枢には留まった。統合作戦本部長への含みを残した温情人事である。敗北を回避するために最大限の努力をしたこと、寛大な処分を望む軍上層部の意見が考慮されたと言われる。

 

 作戦主任参謀コーネフ中将は第一八方面管区司令官、情報主任参謀ビロライネン少将はバンプール星系警備管区司令官、後方主任参謀キャゼルヌ少将は第一四補給基地司令官に左遷された。彼らも若手参謀グループを止められなかった責任を取ったのである。グリーンヒル大将と比べると重い処分ではあるが、数年後の中央復帰は確実視されている。

 

 若手参謀グループの中心人物で最大の戦犯とされるアンドリュー・フォーク准将の告発は見送られた。転換性ヒステリーで倒れた後に軍医団による精神鑑定を受けた結果、「遠征開始前後より深刻な心神喪失状態にあり、責任能力は認められない」と判断されたのだ。予備役に編入された後、精神病院に収容された。彼が倒れてからその役割を引き継いだリディア・セリオ大佐もやはり心神喪失状態にあったと判断されて、告発を免れた。

 

 若手参謀グループでアンドリューやセリオ大佐に次ぐ立場にあったヘロニモ・ベルドゥゴ准将ら三名は予備役編入。総司令部で作戦指導に関与した一一名、ハイネセンの軍中央機関で政治工作に関与した一九名は辺境に左遷。主任参謀とは違い、中央には決して戻れない片道切符であった。

 

 戦犯の断罪を望んでいた市民はこの結果に憤慨した。若手参謀グループが一人も告発されなかったことはもちろん、総司令部首脳陣に対する寛大過ぎる処分も怒りを刺激した。作戦指導の失敗を若手参謀グループの暴走によるものとして、首脳陣の免罪を試みた軍上層部のシナリオに市民はノーを突きつけた。遠征期間中ほとんど表に出ようとしなかった首脳陣は、市民の目には無責任に映ったのだ。

 

 民主化支援機構幹部の処遇も市民を激怒させた。理事長ロブ・コーマックは退役軍人支援機構理事長、副理事長ユルゲン・フォン・ハッセルバッハは全国亡命者協会会長、専務理事ワン・チー博士はテンプルトン大学理事、専務理事マリーズ・ジレはフィッツウィリアム社上席副社長、事務局長ソフィア・ララインサは財務委員会高等参事官に就任。その他の理事や上級管理職もそれぞれ新しいポストを得た。しかも、三人の辞退者を除く全員が高額の退職金まで受け取るという厚顔ぶりである。

 

 遠征推進派の政治家や文化人も何一つ制裁を受けていない。最高評議会の評議員、改革市民同盟と進歩党の執行部役員の中で遠征を支持した者は辞職したが、依然として代議員の地位を保っている。

 

 失政それ自体を裁く法律は存在しない。言論によって世論を誘導する行為それ自体を裁く法律も存在しない。それらを裁けば、民主主義の根幹が崩れてしまうからだ。それでもなお問わずにはいられない。

 

「政府と軍部が暴走した時でも、民主主義のルールを守らねばならないのか」

「民主主義のルールでは暴走した者を止められないのではないか」

「民主主義のルールはもしかして間違っているのではないか」

 

 それに対しては二つの答えがある。

 

 一つ目は「民主主義のルールが間違っている」という答え。統一正義党代表マルタン・ラロシュは、「支持者の顔色を伺う政治家とそれに追従する高級軍人のエゴが遠征を失敗に導いた。そして、彼らは同盟憲章が保証する権利に守られている。民主主義とは無責任のことなのだ」と主張する。遠征を支持したために失速したラロシュであったが、断罪を求める世論に迎合しつつ、「遠征そのものには正義があった」と信じたい主戦派の欲求に応えることで勢いを取り戻した。

 

 二つ目は「民主主義のルールは正しい。ただ、正しく運用されていないのだ」という答え。反戦市民連合のジェシカ・エドワーズは、「選挙で政治家を選ぶだけでは、民主主義は正しく機能しません。政治家が期待通りの仕事をしているかどうか、市民が監視して初めて機能するのです。私達は政治家に政治を任せきりにしてはいなかったでしょうか?彼らが何をしているか、正しく理解していたでしょうか?」と問いかける。遠征にまつわる意思決定の不透明さを批判することによって、エドワーズは「推進派に騙された」と憤慨する世論の支持を得た。

 

 推進派を断罪できないトリューニヒト政権の支持率は二〇パーセント台まで落ち込んだ。それに反比例するように過激主戦派の統一正義党と急進反戦派の反戦市民連合の支持率は急上昇した。遠征前にサンフォード前議長が「このままでは左右の急進派に挟撃されて、連立与党は惨敗する」と危惧した事態が生じたのだ。

 

 トリューニヒトのファンである俺にとっては、あまり望ましくない展開であった。遠征中のラロシュのふざけた発言は絶対に許せないし、エドワーズは国防予算削減を公約に掲げているから支持できない。ただ、総司令部や民主化支援機構を断罪できないトリューニヒトの指導力に不安を感じるのも事実である。トリューニヒトは良い人だけど、はっきり言って喧嘩は弱い。一昨年はアルバネーゼ、昨年は遠征推進派と争って敗れた。彼に断罪は期待できないんじゃないかと感じる。

 

 遠征推進派や総司令部を断罪したところで、ダーシャは帰ってこないのはわかってる。謝罪させたところで、撤退戦やアムリッツァで死んだ部下に届かないのもわかってる。ただ、何らかのけじめは付けてもらわないと、俺の気分がすっきりしないのだ。禊ぎを終えた後に軍部の頂点へ上り詰める総司令部首脳、地位や名声をほしいままにする民主化支援機構幹部を見るのは耐え難い。

 

 ハイネセン国防中央病院の待合室でぼんやりとテレビを見ていた。三流コメディアン上がりの司会者は、いつものように軍部批判を展開する。帝国領遠征の惨敗、戦犯に対する甘すぎる処分は軍部を嫌われ者にしてしまった。新体制では反戦派に近い軍人が主流派となっているため、主戦派も遠慮なく軍部を攻撃した。

 

「軍人諸君は恥を知らないのか!」

 

 その司会者の言葉に待合室にいる人々は縮こまったように見えた。軍服を着用している者はほとんどいない。軍服を着て街中を歩くことが恥ずかしいのだ。

 

 ため息をつきながらテレビを見ていると、急にニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。画面は切り替わり、家が炎上する様子が映し出されている。

 

「こちらハイネセンのオークス地区です!家が炎上しています!この家の持ち主はラザール・ロボス退役元帥とみられます!」

 

 若い女性レポーターは目を大きく見開き、絶叫するように第一報を伝える。

 

「やったぞ!」

「ざまあ見やがれ!」

 

 待合室では歓声があがる。俺は驚きのあまり、声も出せなかった。

 

「見てください!ロボス退役元帥の家が燃えているのです!」

 

 画面を通しても、レポーターの歓喜が伝わってくる。出入りするロボス元帥の家族からコメントを取ろうと張り込んでいたら、予想外のスクープを掴んで喜んでいるのだろう。下品といえば下品だが、待合室にいる誰もそれを咎めようとはしない。

 

 歓呼に包まれる待合室の中、俺はじっと炎上するロボス元帥の家を眺めていた。燃え盛る炎が俺の心のもやを焼き払ってくれる。そんな錯覚を覚える。

 

 興奮して叫び続けていたレポーターにジャンパーを着た姿の男が走り寄ってきて何かを手渡す。レポーターは叫びを止めると渡されたものを見て、まだ大きくなる余地があったのかと驚くほどに目を見開いた。

 

「犯行声明です!たった今、憂国騎士団が犯行声明を出しました!今から画像を流します!」

 

 画面が切り替わり、白いマスクに憂国騎士団行動部隊の制服を身にまとった男五人が画面に現れた。真っ暗な部屋の中、照明が男達を照らしだしている。一人が真ん中に立ってマイクを握り、他の四人は視聴者を威圧するかのように警棒を構えていた。

 

「我々憂国騎士団は本日一二時、国賊ラザール・ロボス宅破壊作戦を敢行した!私利私欲から三〇〇〇万将兵に塗炭の苦しみを味わわせ、一五〇〇万を敵の手に委ねておめおめ逃げ帰ってきたにも関わらず、一命をもって詫びようともせず、裁かれることもなく、のうのうと生き延びるなどまったくもって許し難い!我々は天に替わってロボスに鉄槌を下し、異国に空しく散った御英霊を慰めるものである!」

 

 マイクを握り締めて声明を読み上げる白マスクの男の姿は、どこか現実感が欠けていた。まるで芝居を見ているようだ。

 

「恥知らずの国賊ども!これで終わりではないぞ!次は貴様の番だ!天は貴様らの罪を決して許さない!法が裁かぬのならば、我らが裁く!貴様らは決して逃れられない!卑劣漢にふさわしい報いをくれてやる!」

 

 白マスクの男はカメラに向かって指を突きつける。憂国騎士団の苛烈な断罪宣告に待合室は静まり返っていた。俺の心臓の鼓動は、容易ならざる事態の始まりを告げていた。



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第百話:超法規的攻勢 宇宙暦797年1月中旬~2月6日 ブレツェリ家

 極右組織憂国騎士団によるロボス退役元帥邸焼き討ち、そして帝国領遠征の戦犯に対する宣戦布告は市民を驚愕させた。マスコミはこぞってトップニュースとして扱い、ロボス元帥邸が焼け落ちる映像を流し続けた。憂国騎士団の公式サイトにアップされた宣戦布告の動画は短時間で凄まじいアクセス数を記録した。

 

 映画のワンシーンを思わせる宣戦布告の翌日から、憂国騎士団は戦犯の自宅や勤務先などを次々と襲撃。一週間で一二か所が破壊された。私刑とみなして批判する者はごく一部に留まり、大半は積極的にせよ消極的にせよ歓迎した。破壊される建物の映像がテレビで流れるたびに、市民は溜飲を下げた。

 

 正義のための暴力を肯定して四〇億人を抹殺したルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのアンチテーゼとして建国された同盟では、どのような理由があろうともテロは否定されるべきものとされる。公の場でテロを正当化する発言をすれば、常識を疑われてしまう。昨年のテルヌーゼン補選では、憂国騎士団を選挙妨害に投入したことがトリューニヒト派候補の敗北を招いた。そんな国でテロが歓迎されるというのは、異常事態である。

 

「リベラリストとしての私は暴力を容認できない。しかし、私はリベラリストである前に感情を持った人間である。私の感情は不正な戦争に責任を持つ人々が無罪となることを容認できない」

 

 経済学者マイク・ベインズは、苦渋混じりにそう語った。彼の長女エミリアと次女アナベラは民主化支援機構職員、甥のスチュアートは地上部隊隊員として帝国領遠征に参加したが、占領地に取り残されて行方不明になった。暴力は許せないが戦犯はもっと許せないというベインズの言葉は、憂国騎士団に消極的支持を与える大多数の心情を象徴していた。

 

 当初は控えめに論評していたマスコミも世論の流れを見極めたのか、次第に憂国騎士団の肩を持ち始め、今では一部リベラル系を除くほとんどのマスコミが肯定的な報道をしている。ネットでは憂国騎士団を「義士」「正義の味方」「真の愛国者」と賞賛する書き込みが溢れた。各地の支部には入会希望者や献金が殺到しているという。今や憂国騎士団の白マスクは正義の象徴であった。

 

 主戦派も反戦派も憂国騎士団の暴力を容認する現在の風潮に危機感を抱く者は少なくない。彼らの多くは自分に暴力が向けられることを恐れて口をつぐんだが、公然と批判する者もわずかながら存在する。

 

「我が党の中にも憂国騎士団を正義の味方と称える者が少なくないと聞く。だが、私は諸君に問いたい。最も尊重されるべき人間の尊厳を打ち砕き、恐怖によって屈服させようとする者のどこに正義があるのか?法を踏みにじり、ほしいままに振る舞う者のどこに正義があるのか?『テロリズムが歴史を建設的な方向に動かしたことはない』とアーレ・ハイネセンは語った。今こそ、あらゆる暴力を否定する同盟憲章前文の精神に立ち返らなければならない。正義はただ法と言論によってのみ実現されるのだ」

 

 最良のハイネセン主義者と言われる最高評議会副議長兼財務委員長ジョアン・レベロは、進歩党の会合でそう訴えた。

 

「戦争を起こすのは言葉です。戦争を起こそうとする者は言葉を使って人を戦争に同意させ、言葉を使って暴力を振るう理由を人に与えます。人を説くことができなければ、戦争を起こすことはできません。政治家、軍部、民主化支援機構、メディアが一体となって、あの愚かな戦いを正当化しようと皆さんを説き続けました。彼らを拳で殴りつけたところで、彼らの言論から正当性を奪うことはできません。彼らを徹底的に議論で打ち負かさなければ、彼らを本当の意味で裁くことはできません。言論を暴力で断罪することはできないのです」

 

 急進反戦派の指導者である反戦市民連合代議員ジェシカ・エドワーズは、非暴力闘争の理念を強調し、憂国騎士団の暴力では戦犯を断罪できないと述べた。

 

 また、ハイネセン記念大学教授デズモンド・エインズリー、ウィルモット賞作家アキム・ジェメンコフなど反戦派文化人五一名は、「あらゆる暴力を否定する」という内容の共同声明を発表。左派政党の環境党、楽土教民主連盟も暴力容認の風潮が強まっていることに懸念を示した。

 

 幹部が襲撃対象となった軍部も憂国騎士団の活動を快く思っていなかった。大多数は反軍的な世論に遠慮して沈黙を保ったが、宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック大将、イゼルローン方面管区司令官ヤン・ウェンリー大将のように不快感を露わにする者もいた。ヤン・ウェンリー大将は、反暴力法違反を理由にイゼルローン要塞における憂国騎士団の活動を禁止するとともに、要塞憲兵隊に徹底的な取り締まりを命じた。

 

 しかし、彼らの声は圧倒的な支持の声に押し流されてしまった。憂国騎士団への疑念を口にした者はたちまち白眼視された。ネットで懐疑的な書き込みをしたら、それに一〇倍する罵倒が浴びせられた。遠征反対派の論客として鳴らしたレベロやエドワーズ、アムリッツァの英雄であるビュコック大将やヤン大将は、批判こそ受けなかったものの声望を落とした。

 

 ここまで憂国騎士団の人気が高まると、スポンサーの一人とされる最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトが関係しているのではないかと疑う者が出てくるのは、必然的な成り行きである。そして、彼が筋金入りの遠征反対派であったことを知らない者はいない。一連の襲撃事件との関係を問われたトリューニヒトは、「彼らは愛国者だ」とのみ答えた。

 

 警察は憂国騎士団の襲撃を一切阻止しようとせず、事件後もおざなりな捜査しかしなかった。憂国騎士団行動部隊に、警察OBが大勢在籍しているのは周知の事実だった。トリューニヒトは国家保安局公安副課長を務めた元警察官僚で、現在も警察と太いパイプを持っている。

 

 直接的な証拠は何一つなかったが、多くの者はトリューニヒトが憂国騎士団に密命を下して、戦犯に罰を与えたと信じた。低下する一方だった支持率は、憂国騎士団人気の高まりとともに上がり始めた。

 

 遠征継続決議をめぐる中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所の情報操作疑惑について内偵捜査を進めていた国家保安局が、一月末に強制捜査に乗り出すと、トリューニヒトの支持率はさらに上昇した。これまでの優柔不断な姿勢をかなぐり捨てて徹底捜査を指示したこと。そして、国家保安局とそのOBであるトリューニヒトが一心同体のように見えたこと。この二つが市民に「正義の断罪者」というイメージを強く植え付けたのだ。

 

 そして、民主化支援機構元幹部、遠征推進派のオピニオンリーダーが次々と国家刑事局に身柄を拘束された。いずれも交通違反、公的手続きの不備といった通常なら罰金か注意程度の微罪である。たった二キロのスピード違反で拘束された者、引っ越しの翌日に「居住地と免許証に記載された住所が違う。不実記載だ」と拘束された者もいた。遠征にまつわる不正行為を取り調べるための別件逮捕であることは明らかだった。強引過ぎる手口に批判もあったが、大多数の市民は喝采を送った。

 

 警察と憂国騎士団を使って断罪を進めるトリューニヒトの支持率は、上昇というより直進に近い勢いで伸びていった。支持率が七九パーセントまで達した二月五日、トリューニヒトはとんでもない爆弾を投げ込んだ。

 

「我が改革市民同盟は本日の臨時党役員会にて解党を決定しました。昨年一一月に執行部を一新してイオン・ファゼカス作戦に反対した者を中心に党改革に取り組んできました。しかしながら、イオン・ファゼカス作戦を最も強く支持した党が存続していること自体が有権者に対する裏切りではないかと思い至り、解党して謝罪するしかないと判断したのです」

 

 一世紀以上の歴史を誇る二大政党の一角を選挙前月に解散する。そのニュースは同盟全土を驚愕させた。

 

「もちろん、改革市民同盟が一四六年にわたって守り抜いてきた主戦派の灯火が消えることはありません。イオン・ファゼカス作戦に責任を負う者、古い体質を引きずる者のいない新党を近日中に結成し、主戦派の灯火を移し替える所存です」

 

 遠征前からずっとささやかれてきたトリューニヒト新党がこのタイミングで結成されると予測できた者はいなかった。改革市民同盟を解散するなんて、想像を絶していた。

 

 改革市民同盟は支持率が低迷しているとはいっても、二大政党の一角である。一世紀以上かけて全星系全惑星全市町村に支部を作り、あらゆる業界とパイプを築いてきた。集票能力、集金能力は他党の追随を許さない。政権を狙うならば、改革市民同盟の組織力を使った方がいいに決まってる。

 

 また、トリューニヒトが新党から排除すると明言した遠征推進派議員や長老議員は、党支部と業界団体の大半を握っている。彼ら抜きで新党を作れば、集票力と集金力は著しく弱くなる。全国防衛産業連合会、全国航空宇宙産業連盟、全国銃器工業連合会、全国水素エネルギー協会、全国自動車産業同盟といった軍需関係業界団体、同盟軍地方部隊、国家警察の支持を受けるトリューニヒトは、大政党の有力議員の一人としては強力だが、政党のオーナーになるには心許ない。

 

「ほんと、大丈夫なんですかね」

「君がトリューニヒト議長を信じずに、誰が信じるんだね?」

「いや、トリューニヒトはいい人ですよ。でも、ちょっと頼りなくて」

「親近感を感じるとか?」

「それはないです」

 

 今日の俺は俺はブレツェリ家でテレビを見ながら、ジェリコ・ブレツェリ准将が作ってくれたオムレツを食べていた。ブレツェリ准将は雑誌のページをめくっている。

 

「昨日党を解散したばかりで新党の名前も発表してないのに、全選挙区に候補を擁立するとか言い出してるからな。確かに信じろという方が難しい」

「あの人は受け狙いで適当なことをポンポン言っちゃうところがあるんですよ。そこが魅力といえば魅力なんですが、頼りないですよね」

「だが、最近は有言実行じゃないか。ひょっとして、本当にやってしまうかもしれんぞ?」

「実行しすぎです」

「確かにな。こちらとしては泣き叫んで地面に這いつくばってくれたらそれで満足なのに、議長は半殺しにする。そこまでされても困るのだが」

「そうなんですよ」

 

 ブレツェリ准将の表現は、俺の気持ちを的確に表していた。ロボス元帥の家が炎上した時は、確かに気分が良かった。しかし、連続すると自分が望んでいる断罪ではないという気持ちになってくる。憂国騎士団の圧倒的な暴力の前では、相手が被害者に見えてきて気分が悪いのだ。自分が被害者で相手が加害者に思える程度に手加減してくれないと、断罪した気にはなれない。微罪逮捕もそうだ。

 

 やはり、正当な手続きによる断罪でなければすっきりしない。法によって権利を擁護された加害者が丁寧な手続きによって犯した罪を一つ一つ暴かれ、文句のつけようもない加害者であることを証明されて、ようやく俺の被害意識は満たされる。

 

「君には悪いが、次の選挙は議長には入れないでおくよ。あの路線で突っ走られてはたまらない」

「進歩党に入れるんですか?」

「地方部隊を苦しめた副議長の党など冗談じゃない。反戦市民連合に入れる」

「でも、あの党も国防予算削減するって言ってますよ?」

「しかし、エドワーズ先生のお父さんは地方が長かった。地方が長い退役軍人の候補もたくさん立てている。いざ政権を取ったら、無茶な予算削減はしないんじゃないか。エリート揃いの進歩党よりはよほど地方に配慮してくれそうだしな」

 

 ブレツェリ准将は後方勤務本部直轄の中央支援集団に着任したばかりだが、キャリアの大半を地方で過ごしている。だから、地方部隊が基準になるのだろう。

 

 ジェシカ・エドワーズの父親は、補給専科学校を出て経理畑でキャリアを重ねた人物だ。中佐まで昇進し、退役時に大佐に名誉進級した。士官学校事務長や第六艦隊経理部長代理を務めた経験もあるが、地方勤務の方が長い。父のキャリア、そして戦死した婚約者が軍人だったという背景が軍部におけるエドワーズ人気に貢献していた。

 

「まあ、確かに進歩党よりはマシそうですね。地方部隊でトリューニヒトのキャラが苦手な人は、反戦市民連合に入れるでしょう。あの党は庶民の党ですし」

「エドワーズ先生は国防もよく勉強してる。先週の討論番組であのヴェンタカラマン先生をこてんぱんにやっつけてた」

「トリューニヒト派屈指の国防問題の論客をですか」

「よほどいいブレーンが付いてるのだろうな。反戦市民連合は本気で政権を取りに行くつもりのようだ」

 

 臨戦状態にある自由惑星同盟では、国防政策に通じていない政党は、政権担当能力が無いとみなされる。反戦派もその例外ではない。国防予算を削減するなら、少ない予算で帝国と戦える現実的なビジョンも同時に提示しなければならない。例えばレベロは国防予算を削減する際に、軍部のブレーンと相談して作成した少数精鋭化戦略を提示した。

 

 今度の選挙では軍部改革が焦点となる。反戦市民連合は軍人好みの経歴を持つエドワーズに優秀な軍事ブレーンを付けることで、国防に強い党というイメージを打ち出そうとしているのだろう。地方部隊経験者を立候補させるのは、シトレ系の反戦派エリート軍人が立案した進歩党の少数精鋭化戦略と一味違う反戦的国防ビジョンをアピールするためではないか。

 

「そうなると、ますますトリューニヒトが不安ですね。一体どうするつもりなんだか」

「今の議長の資金力では小政党がせいぜいだからな。政権を握っている間に人気稼ぎに励んで、次の政権党とより有利な条件で連立しようとしてるのかもしれん」

「ああ、なるほど」

 

 オムレツの最後の一切れを飲み込みながら頷いた。

 

「おいしかったかい?」

「ええ。フェザーン風の味付けおいしかったです」

「卵を六個も使ったから、大雑把な味になったのではないかと思っていたが。君の舌に合ったようで何よりだ」

 

 ブレツェリ准将は顔をほころばせていた。しかし、俺に言わせれば卵を六個しか使っていないからこそ、味が繊細になったのだ。ダーシャにオムレツを作ってもらう時は、いつも七個か八個は卵を使ってもらってた。

 

「これ読むかい?」

「あ、どうも」

 

 俺はブレツェリ准将が読んでいた雑誌を受け取った。国防委員会が発行している同盟軍の広報誌『月刊自由と団結』の最新号。今月はイゼルローン方面軍提督特集だった。

 

「なかなか面白かったぞ。今話題の部隊だしな」

 

 ブレツェリ准将は人の悪い笑いを浮かべる。そういう心臓に悪い冗談はやめて欲しい。イゼルローン方面軍司令官ヤン大将は、トリューニヒト派の要塞憲兵隊長コリンズ大佐を更迭したばかりなのだ。表向きの更迭理由は「麻薬中毒者が起こした立てこもり事件の時の不手際」だったが、憂国騎士団を真面目に取り締まろうとしなかったのが真の理由であることは明らかだった。こんな時にイゼルローン要塞司令官なんかに任命されたらたまらない。宇宙艦隊か辺境総軍に行きたい。

 

 冗談を聞き流して、広報誌のページを開く。一ページぶち抜きでヤン大将の写真が掲載されている。直立不動で敬礼し、引き締まった表情をしている。九年前とほとんど変わらない童顔には青年らしい活力がみなぎり、中肉中背の体格が均整がとれているように見える。見るからに颯爽とした青年提督だ。あの身なりに無頓着なヤンをここまで格好良く撮れるのは、統合作戦本部のカメラマンルシエンデス准尉しかいない。

 

 もう片方のページには彼の戦歴や逸話が軍人好みの暑苦しい文体で記載されていた。この文中のヤンは、忠誠心、責任感、勤勉、公正、規律といった軍人的美徳を完備した理想的な軍人であった。事実に反することはまったく書いていないが、修辞の力によって読者を誘導しているのだ。ヤンの戦歴よりもライターの腕に感嘆させられた。ただ、ヤンは間違いなく憮然としていると思う。

 

 次のページは、要塞駐留艦隊副司令官エドウィン・フィッシャー少将の記事だ。見事な銀髪に整った口ひげを持つダンディな紳士である。ルフェーブル中将と似たような経歴を歩んだようだ。士官学校を下位で卒業後、ひたすら軍艦乗りとしてキャリアを積み、五〇を過ぎて大佐で退役するかどうかの瀬戸際に功績を立てて准将に昇進。それから六〇近くまで大過なく務め、アスターテ会戦後に第四艦隊の残存戦力を率いてヤン傘下に入った。現在は部隊運用経験の乏しいヤンの片腕として手腕を振るっている。前の歴史で記録が少なかった彼の詳細な経歴は、とても興味深かった。

 

 その次のページは、第二分艦隊司令官グエン・バン・ヒュー少将の記事。カメラマンを睨み殺すつもりなんじゃないかと錯覚するぐらい、鋭い目つきの中年男性だ。前の歴史では短慮な猛将というイメージだったが、意外にも結構なエリートだった。正規艦隊と軍中央機関を往復しながら階級を上げていき、三七歳で准将に昇進。アスターテでは第六艦隊で戦い、第一三艦隊が成立すると第六艦隊の残存戦力を率いてヤンの傘下に入った。積極性と猛訓練ぶりに定評があるそうだ。

 

 そのまた次は、第三分艦隊司令官オーギュスタン・ダロンド少将。線の細いエリートといった風貌の中年男性。これは聞いたことのない名前だ。アスターテで第二艦隊に所属して奮戦し、その残存戦力を率いてヤンの傘下に入った。ヤンの少将級分艦隊司令官の中で名前が残っているのは、フィッシャー、グエン、アッテンボローの三人だが、同盟軍の一個艦隊は四個分艦隊で構成される。ダロンド少将は名前が残らなかった四人目なのだろう。勤勉で忠実な提督らしい。

 

 分艦隊司令官紹介の最後のページは第四分艦隊司令官ダスティ・アッテンボロー少将。弱冠二七歳で少将の階級を得た俊英中の俊英であるが、ダーシャには物凄く嫌われてた。前の歴史ではヤン配下最優秀の用兵家として勇名を馳せた。士官学校を二位で卒業した後、統合作戦本部や正規艦隊司令部で参謀としてキャリアを重ねた。提督になる前に経験した部隊勤務は、駆逐艦艦長一度のみ。絵に描いたようなスーパーエリートである。アムリッツァで奮戦し、第一〇艦隊残存戦力の一部を率いてヤンの傘下に入った。

 

 今度は一ページで三人の提督がひとまとめに紹介されている。司令官直轄部隊を率いる三人の准将だ。浅黒い肌に精悍な顔立ちのヘラルド・マリノ准将は、艦隊旗艦ヒューベリオンの艦長から昇格したばかりの若い提督である。ルーカス・マイアー准将の肥満体は、この戦歴ならば闘将の貫禄と言えよう。ベテランらしい不敵な面構えのガオラン・スラット准将は守勢に強く、オーバーヘルレンの岩の異名を……。

 

「えっ!?」

「どうしたんだ、いきなり変な声をあげて」

「すみません、ちょっとこれ読んでもらえますか」

 

 俺は今読んでいるページをブレツェリ准将に見せて、ある単語の上を指でなぞった。

 

「ガオラン・スラット准将と読めるが、この名前が何かしたのかね?」

 

 俺の見間違いではないようだ。経歴欄にも「エル・ファシル動乱で活躍」と書いてある。やはり、この提督は俺の知るガオラン・スラットと同一人物であるらしい。違うのは階級と表情だ。

 

 一昨年に俺はエル・ファシル警備艦隊所属の第一三六七駆逐隊司令に就任した。その時に首席幕僚を務めていたのが、ガオラン・スラット少佐だった。下士官から三〇年近くかかって少佐まで昇進しただけに技能は低くなかったが、向上心と緊張感が完全に欠けていた。手抜きをするのが癖になっていて、細かく指示をしなければ動こうとしない。日の当たらない部署を歩いているうちに向上心を無くしてしまった無気力軍人の典型だった。

 

 エル・ファシル動乱終結後、警備艦隊の生き残りが全員一階級昇進した際にスラット少佐は中佐に昇進した。少佐と中佐では格段に仕事の質が変化する。俺の評価では少佐止まりの人。中佐レベルの仕事に着いて行けないんじゃないかと思った。その後は興味を失って、アムリッツァから生還した後の安否確認でも名前を検索しなかった。

 

 忘れ去っていたはずの無気力な少佐がいつの間にか提督になっていたという事実は、衝撃的であった。経歴を読んでみると、アスターテ会戦の功績で中佐から大佐、イゼルローン攻略の功績で大佐から准将に昇進。帝国領遠征中の勇戦でオーバーヘルレンの岩の異名を得た。要するにヤンの部下になってから、急に働き始めたのだ。

 

「どうした?何を落ち込んでいる?」

「この人、俺の下では全然仕事しなかったんですよ。それがヤン大将の部下になった途端、急に仕事しだして提督までなっちゃったんです。自分が凄くダメな上司に思えてきて……」

「ヤン提督は第二艦隊、第四艦隊、第六艦隊の敗残兵をまとめて、数ヶ月であれだけ強力な部隊を作った。統率の天才と自分を比べても仕方あるまい」

「まあ、おっしゃるとおりなんですが」

 

 確かにあのスラットにやる気を出させたという一点だけでもヤンは天才だ。彼の下にいれば、あのカプランだって提督になれるのではなかろうか。

 

「性格は君の方が良いと思うがね」

「准将はヤン大将をご存知なんですか?」

「いや、まったく面識はないが」

「気休め言わないでくださいよ。ますます落ち込んじゃうじゃないですか」

「いや、根拠はあるぞ。ヤン提督は反暴力法違反を理由に憂国騎士団の活動を禁止した。反暴力法の筆頭発議者は議長だ。つまり、ヤン提督は議長が議員立法として提出した法律を使って、憂国騎士団を封じたわけだな」

 

 議員立法の筆頭発議者は、法案作成の際に中心的役割を果たした議員が務める。俺の方が性格が良いとブレツェリ准将が言った理由がわかった。

 

「きっついことしますね」

「ヤン提督は艦隊戦以外の戦いもなかなか強いようだ」

 

 俺はブレツェリ准将のように笑ってはいられなかった。トリューニヒトに対してあからさまに喧嘩腰でいる実戦部隊最高幹部の存在は、とても心臓に悪いのだ。

 

「それにしても、反暴力法の筆頭発議者なんて良くご存知でしたね」

「君は私より法律に詳しいのに知らないのかい?」

「法律の条文と判例は暗記しても、発議者までは覚えられないですよ。反暴力法は一昨年の対テロ総力戦の最中に山のように作られた治安関係新法の一つだから、なおさらです」

「私も勉強したわけではないよ。たまたま、これを読んだばかりだったから覚えてただけさ」

 

 ブレツェリ大佐は棚の上に置きっぱなしの『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』を指さした。反戦ジャーナリズムの巨匠ヨアキム・ベーンが書いたルポルタージュの名作である。ダーシャの遺品でもあった。何度も読もう読もうと思ったけど、結局読まなかった。

 

「治安関係新法の発議者全員の名前が載ってるんだよ」

「憂国騎士団のルポなのに、どうしてそんなことまで書いてるんですか?」

「読んでみたらわかる」

 

 これまで読まなかったのは、憂国騎士団にいまいち興味を持てなかったせいだった。しかし、今や憂国騎士団は世論を左右する存在となった。興味を持たずにはいられない。今こそ読むべき時かもしれないと思ったその時、つけっぱなしのテレビから、ニュース速報を知らせるチャイム音が流れた。

 

「本日二〇時四五分、銀河帝国より史上最大規模の捕虜交換の申し出がありました。最高評議会は臨時閣議を開いて対応を協議中です」

 

 画像は切り替わらず、テロップだけが流れた。しかし、そのニュースはどんな画像よりもショッキングであった。前の人生で捕虜収容所にいた俺が帰国するきっかけ、そして迫害に晒されるきっかけとなった捕虜交換。日時はだいぶずれたものの今の人生でも発生した。

 

「ほう、最近は妙なことばかり起きるな。まるで違う世界に入ってしまったかのようだ」

 

 ブレツェリ准将の呟きは、何かの本質を的確に捉えているように思われた。



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第百一話:風が吹くとき 宇宙暦797年2月19日 フェザーンに向かう船の一室

 自由惑星同盟最高評議会は二月六日夜の臨時閣議で、銀河帝国軍が申し入れてきた捕虜交換交渉の受諾を決定した。両軍ともに約四〇〇万の捕虜を解放するとみられる。細部はこれから詰めていくが、成立はほぼ確実とみられる。一五七年にわたる両国抗争の歴史の中でも前例の無い大規模な捕虜交換が成立した裏には、両国の政治的事情が絡んでいた。

 

 来月末に総選挙を控えた同盟では、各党の宣伝戦が激しくなっている。そんな中で四〇〇万人の帰国が実現すれば、立役者の最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの評価は大きく上がる。帰還兵四〇〇万とその家族一〇〇〇万の票は、有権者一〇五億の〇・一パーセントに過ぎない。しかし、「同胞を見捨てない指導者」というイメージは、その数十倍から一〇〇倍に及ぶ票を掘り起こすであろう。

 

 帝国領遠征の失敗は、国家財政を破綻寸前まで追い込んだ。国内に収容されている帝国軍捕虜は四〇〇万人。捕虜一人を一年間収容するのに必要な経費は二万五〇〇〇ディナール。四〇〇万人の捕虜を解放すれば、国家予算の二・七パーセントにあたる一〇〇〇億ディナールを節約できる。そして、同盟は四〇〇万の納税者を獲得する。トリューニヒトは財政面でも得点を稼げるのだ。

 

 昨年二月のアスターテ会戦で二〇〇万、秋の帝国領遠征で一五〇〇万を失った同盟軍は戦力不足に苦しんでいる。経験を積んだ将兵は一朝一夕で育つものではない。四〇〇万の帰還兵は喉から手が出るほど貴重な戦力であった。半数の二〇〇万を艦艇部隊要員とすると、まだ所属が定まっていない第八艦隊や第九艦隊の残存戦力と合わせて二個艦隊を編成できる。残る半数のそのまた半数の一〇〇万を地上部隊要員とすると、六六個師団を編成できる。捕虜交換によって、軍は大きな戦力を補充できるのだ。そして、トリューニヒトは軍に大きな貸しを作る。

 

 捕虜交換は同盟の国益、トリューニヒトの政治的利益の両方を満たすおいしい取引であった。申し入れを受けたトリューニヒトが二つ返事で飛びつくのは当然であろう。だが、同盟だけが得をするわけではない。提案してきた帝国、いや帝国軍宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥も得をする。

 

 昨年の一一月に皇帝フリードリヒ四世が後継者を決めないまま死亡すると、帝国政界は混乱の渦に叩きこまれた。次期皇帝の有力候補は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵が推す皇孫エリザベート、皇帝官房長官リッテンハイム侯爵が推す皇孫サビーネのいずれかと思われた。枢密院保守派の支持を受けるブラウンシュヴァイク公爵、先帝側近グループの支持を受けるリッテンハイム侯爵の勢力は宮廷を二分する。次期帝位を巡る両派の争いは膠着状態に陥った。

 

 この状況を憂慮したのが国務尚書リヒテンラーデ侯爵である。昨年の秋に同盟軍三〇〇〇万が侵攻してきた際に、イゼルローン方面辺境を一時的に放棄することで帝都の混乱が収まるまでの時間を稼ぎ、疲弊した同盟軍を撃退することに成功した。しかし、一時的とはいえ国土の三割が敵の占領下に落ちたという事実は、帝国の権威を大きく傷つけた。帝国内地の反乱が一段落した後も各地で散発的な反乱が起きている。皇帝不在のままで門閥貴族の抗争が続けば、これを好機と見た不満分子や共和主義者が一斉蜂起しかねない。リヒテンラーデ侯爵は革命の恐怖に囚われた。

 

 リヒテンラーデ侯爵は個人的にも窮地に立たされていた。辺境の一時的な放棄を提案したのはラインハルトだが、苦肉の策として後援したのはリヒテンラーデ侯爵だった。先帝の政治的無関心に付け込んで官界の支配者となった彼は、ブラウンシュヴァイク公爵派とリッテンハイム侯爵派の双方に快く思われていない。どちらが次期政権の座に就いても、国土を敵に委ねた責任、反乱を招いた責任を理由に追放されるのは確実である。

 

 公人としての責任感と私人としての保身から、リヒテンラーデ侯爵は自らの手で新皇帝を擁立することを決意した。革命を恐れた保守派貴族官僚はリヒテンラーデ侯爵を支持したが、彼らの勢力だけでブラウンシュヴァイク公爵派とリッテンハイム侯爵派に対抗することはできない。改革に消極的な両派を嫌う若手改革派エリートの支持、そして軍事力が必要となる。その両方を持つラインハルトを取り込んだリヒテンラーデ侯爵は、五歳の皇孫エルウィン・ヨーゼフを強引に即位させた。

 

 新皇帝が即位すると、リヒテンラーデ侯爵は爵位を公爵に進め、摂政と帝国宰相を兼ねて、臣下の身としては前例のない強大な権限を手中に収めた。ラインハルトは爵位を伯爵から公爵に進め、宇宙艦隊司令長官に就任した。同盟軍三〇〇〇万を撃退したラインハルトの権威は、軍務尚書エーレンベルク元帥と統帥本部総長シュタインホフ元帥の権威を大きく上回り、軍部の第一人者となった。ここにリヒテンラーデ=ローエングラム枢軸体制が成立したのである。

 

 門閥貴族は新体制に激しく反発した。漁夫の利をさらわれた形になったブラウンシュヴァイク公爵派とリッテンハイム侯爵派はもちろん、両派に与しなかった者も不快感を露わにした。爵位を持たない帝国騎士の娘を母に持つ新皇帝エルウィン・ヨーゼフは、門閥貴族との繋がりを持っていない。ラインハルトは下級貴族や平民出身の若手改革派エリートに人気があるが、門閥貴族との交際は皆無に近い。官僚が改革派と結託して、門閥貴族抜きの新体制を作ろうとしているように映ったのだ。

 

 リヒテンラーデ公爵は枢密院と相談せずに、閣議決定だけで国政を動かしていった。先帝の側近も国政から排除された。門閥貴族の意見を国政に反映させる枢密院と皇帝側近職という二つのルートは、いずれも閉ざされてしまった。貴族官僚と改革派の力は日を追うごとに大きくなり、門閥貴族の力は小さくなっていった。

 

 貴族官僚は門閥貴族の出身だが、貴族としての立場より官僚としての立場を優先する傾向がある。昨年死亡した前財務尚書カストロプ公爵は、貴族財産への課税に言及していた。貴族特権を放棄しようと考える者はいないが、行政上の問題を解決するために部分的制限を検討する者は多い。

 

 新体制に協力している改革派は、免税特権廃止、正規軍と私兵軍の指揮権一元化、皇帝直轄領と貴族領の行政機構一元化、各種優遇措置撤廃といった貴族特権の大幅制限を主張する。すべての貴族領を廃止し、貴族に宮廷常駐を義務付けて国庫から支給される年金で生活させるよう主張する者もいる。

 

 貴族特権が全面廃止されることはないにせよ、財政難打開や行政効率化のために貴族官僚と改革派が協力して部分的制限に踏み切る可能性は高い。門閥貴族の危機感は頂点に達した。部分的制限はやむ無しと考える者、新体制に協力することで特権を守ろうと考える者もいたが、大多数は特権死守と新体制打倒を目指した。

 

 この動きを復権のチャンスと見たブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵は、声高に特権擁護を主張することで新体制に反発する貴族の支持を集めた。新体制打倒を望む支持者の声、権力を横取りしたリヒテンラーデ公爵に対する憎悪に動かされた彼らは同盟を結んだ。

 

 リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸体制と、ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合の対立は、激しくなる一方だった。何度か両派の間で話し合いが持たれたが、妥協が成立せずに決裂した。もはや、両派の亀裂は話し合いで解決できないほどに深いと、専門家の多くは考えている。

 

 両派は軍事力を動員して相手を威圧しようと試みている。ブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合側の門閥貴族は、領地に残っている子弟や家臣に命じて私兵軍を動員させているそうだ。旗幟を明らかにしていない正規軍部隊に対して、両派が勧誘工作を展開中という報道もある。帝都オーディンは一触即発の緊張状態だった。

 

 軍事力では門閥貴族の過半数と正規軍の一部を取り込んだブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合が優位にある。リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸体制は正規軍の支持を固めきれず、信頼できる軍事力はラインハルトが率いる九個艦隊のみ。しかも、アムリッツァ会戦で総戦力の三割を失い、定数割れを起こしている。

 

 捕虜交換を申し込んできたラインハルトの真意が戦力増強、そして正規軍の支持獲得にあることは明らかだった。これほど双方にとっておいしい取り引きは珍しい。

 

「ご理解いただけたでしょうか?」

 

 国防委員会情報部対外情報課のバグダッシュ中佐は、どこか得意げに見えた。今の俺はフェザーンに向かう船の一室で、一〇人ほどのトリューニヒト派高級士官と一緒に、帝国情報の専門家バグダッシュ中佐から帝国情勢のレクチャーを受けていたのだ。

 

 ようやく傷が完治して少将に昇進した俺の最初の任務は、捕虜交換交渉の随員だった。国防委員会高等参事官の肩書きで交渉団に加わり、軍人としての立場から助言を行う。俺と一緒のレクチャーを受けている者は、みんな交渉団のメンバーだった。

 

 同盟と帝国の間には正式な国交がないため、形式上は両軍の前線部隊同士で捕虜を交換する。同盟側の代表はイぜルローン方面管区司令官ヤン・ウェンリー大将を務めることになっていた。しかし、四〇〇万人の捕虜交換ともなると、前線司令官の判断では決められないことも多い。そのため、実際の交渉は両国の政府高官が中立国のフェザーンに赴いて行うのだ。

 

 同盟側の代表は国防委員会副委員長ハリス・マシューソン退役准将。地方部隊でキャリアを積んで、タナトス星系警備管区司令官で退役。前々回の総選挙で改革市民同盟から立候補して代議員に当選し、二年前からトリューニヒト派に加わった。地方部隊重視のトリューニヒトに重用され、昨年一一月から国防副委員長に就任した。経験不足からか、評価はあまり高くない。

 

 帝国側の代表は宇宙艦隊総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタイン中将。前の歴史では銀河最高の策士と言われた彼だが、現時点の同盟ではほとんど知られていない。同盟が詳細な情報を持っている帝国軍将官は大将クラス、もしくはキャリアが古い中将クラス以上に限られる。ラインハルト配下の将官はいずれもキャリアが浅いため、情報部は必死で調査している最中だ。彼が代表と聞くと、裏に何かありそうで不安になる。

 

 宇宙艦隊、辺境総軍、イゼルローン方面軍のいずれにも赴任せずに済んだのは喜ばしいことであった。同盟軍で最も勇名高い三提督の部隊に派閥抗争要員として送り込まれるなんて、想像するだけでも心臓に悪い。

 

 あの策士オーベルシュタインが代表を務める交渉団とやり合うのも十分心臓に悪いが、数日で終わる分だけまだマシである。帝国も交渉成立を望んでるから、変にこじれることもないはずだ。いや、こじれないと祈りたい。

 

「質問がある」

「どうぞ」

「門閥貴族はなぜそこまで特権にこだわるのだ?内戦など愚の骨頂だろう。国のことを思うなら、妥協するべきではないか。それに戦ったら自分や一族だって死ぬかもしれん。特権を手放せば、丸く収まるはずだ」

 

 質問したのは初老の准将だった。姓はジャクリだったはずだ。今年に入ってから、トリューニヒト派の人数が急増していて、なかなか覚えきれない。

 

「貴族の特権とは、何のためにあるものと思われますかな?」

「支配階級の力を強化するためであろう。だが、支配階級がいかに強くとも、国が滅んでしまっては意味が無いぞ」

 

 ジャクリ准将の答えはもっともだった。しかし、バグダッシュ中佐は「わかってないな」と言わんばかりの表情を浮かべる。

 

「小官も帝国で勤務するまではそう考えておりました」

 

 バグダッシュ中佐は帝国に潜入して諜報網を組織するケースオフィサーの経験者だ。この場にいる誰よりも帝国には詳しい。出席者は彼の言葉を聞き逃すまいと耳をすます。

 

「では、何のためにあるのだ?」

「門閥貴族には三つの義務があります。一つ目は領地を統治する義務。二つ目は私兵軍を率いて領地を警備する義務。三つ目は家臣団を維持する義務。我が国に例えて言うと、門閥貴族は地方政府の運営者であり、地方部隊の運営者です。そして、地方政府の公務員と地方部隊の軍人の雇用主でもあります」

「それは知っている」

「貴族はその必要経費をすべて私財で賄わなければなりません。それゆえに貴族の財産は免税特権で保護されます。帝国は実質的には皇帝私領、貴族領、自治領の連邦です。貴族領主や自治領主に統治や警備を丸投げすることで、中央政府の負担を軽くしています。免税特権の廃止というのは、言うなれば我が国の星系政府や惑星政府が持ってる財源に、中央政府が課税するようなものですな。いかに門閥貴族が贅沢をしても、領地経営費に比べたら微々たるものです」

 

 バグダッシュ中佐の説明はとてもわかりやすかった。同盟が各星系共和国の財政権に介入するようなものだ。地方財源に課税して得られた税金を補助金として還流したとしても、財政の独立は失われる。財政の独立が失われたら、地方は完全に中央に従属させられてしまう。事実上の連邦制だった帝国は、単一国家に変質するだろう。

 

「国体が根本から変わってしまうな」

「そうです。行政委託業者としての存在意義を失いたくないという者も多いでしょうが、それ以上に国体の変動を避けたいという者の方が多いでしょう。どれだけの混乱が生じるか、想像も付きませんからな。責任感から特権保持を望む立場もあるのです」

「要するに中央集権派と地方分権派の争いか。これは妥協できんだろう。我が国でも……」

 

 ジャクリ准将は途中で言葉を飲み込んだ。一五七年前に対帝国戦が始まるまでの同盟では、中央集権派と地方分権派が激しく対立していたのだ。正規艦隊が治安出動の名目で地方分権派弾圧に奔走した事実は、同盟軍史に暗い影を落としている。

 

「交渉相手はこれから国家の方向性を賭けて戦おうとしている。そういう連中であることを肝に銘じた上で、交渉に臨んでいただきたいですな」

 

 そうバグダッシュ中佐は締めくくった。前の歴史では、門閥貴族は権力欲とラインハルトへの怒りに目が眩んで、無用の戦いを仕掛けた愚者とされていた。しかし、彼らには彼らの正義があったようだ。ファーレンハイト提督のような良識派、オフレッサー上級大将のような低い身分からの叩き上げが門閥貴族に与した理由が少しは理解できたような気がする。

 

「他に質問は?」

「捕虜交換が罠という可能性はないかな?」

 

 質問したのはヤネフ大佐という壮年の士官だった。

 

「罠とは?」

「解放された捕虜の中に工作員が紛れ込んでくる可能性だ」

 

 ヤネフ大佐の疑問に他の出席者も同意を示す。俺以外の者は知らないが、オーベルシュタインは策士の中の策士なのだ。交渉以外の場所で罠を仕掛けてくることは、十分に考えられる。しかし、バグダッシュ中佐は軽い冷笑を浮かべた。

 

「それは十分に考えられます」

「対策はあるのか?」

「皆さんも御存知の通り、情報活動には人、金、時間が必要です。仮に出席者の皆さんが工作員かどうか、情報部が調査するとしましょう。一人あたり最低二人の防諜要員を貼り付けます。予算は一日あたり二〇〇ディナールから三〇〇ディナール。期間は最低でも二週間、普通は一ヶ月以上かかるでしょう。四〇〇万人を調査するとなると、防諜課に相応の予算と人員を割り当てていただきかねばなりませんな。一〇〇〇人に一人の割合で怪しい者を集中的に調べるとしても、八〇〇〇人の要員が必要ですが」

 

 バグダッシュ中佐は明らかに皮肉を言っていた。ここにいる士官は全員トリューニヒト派であった。そして、宇宙艦隊総司令部とともに帝国領遠征を推進した情報部の予算は、トリューニヒト派の手によって大幅に削減されている。

 

「しかし、情報機関は我々だけではありません。中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所の協力を仰げば、何とかなるでしょう」

 

 ここでわざわざ中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所を持ち出してくるところに、バグダッシュ中佐の悪意が感じられる。どちらも国家保安局の強制捜査で事実上活動停止状態なのだ。そして、国家保安局のバックにはトリューニヒトがいる。

 

「議長閣下より十分な後援をいただければ、阻止してみせます。皆様から議長閣下に進言願いたいものです」

 

 芝居がかった口調が口ひげを綺麗に整えた伊達男のバグダッシュ中佐とよくマッチしていた。ヤネフ大佐は怒りで顔を赤くして席に着く。

 

 思わぬところから、トリューニヒト派に対する情報部の不快感が垣間見えた。部長のカフェス中将、次長のボーノ少将らアルバネーゼ系幹部も留任したままだ。現在の情報部は軍部における反トリューニヒト派の牙城の一つと言っていい。前の歴史では、情報部は救国軍事会議のクーデターに与した。バグダッシュ中佐については良く知らないが、前の歴史でヤン・ウェンリーやユリアン・ミンツの情報部長を務めた人物も似たような名前だった気もする。いずれにせよ、危険な徴候なのは確かだ。

 

 出席者の殺気がこもった視線を背にバグダッシュ中佐が退出すると、緊張していた空気が一気に緩む。室内が雑談の声で騒がしくなった。

 

「なんだ、あいつは」

「情報部は長い間、国防委員長の統制を受け付けなかった部局だからな。特権意識があるんじゃないか?」

「困ったものだな。トリューニヒト議長が選挙で勝ったら、徹底的に掃除してもらわねば」

「そうだそうだ」

 

 出席者の情報部批判が耳に入ってくる。トリューニヒト派の軍人は真面目だが、刺々しい人が多くて困る。だから、第三六戦隊の参謀チームを編成する際に、トリューニヒト派をあまり加えなかった。

 

「あと、統合作戦本部もだ。シトレ時代の悪風がまったく改まっていない」

「国防委員の先生方を無視して話を進めようとするからな。おとといも国境防衛担当委員のランブラキス先生が怒ってた。この期に及んで、軍事の素人は黙ってろという態度はさすがにまずいだろう」

「幕僚専制を改めなければ、我が軍は市民の信を失ってしまう。国防予算が削減されればされるほど、市民が喜ぶ時代になってはたまらん」

「そうさせないためにドーソン大将が次長に就任されたのだ。あの方が統合作戦本部の膿を出し切ってくださるだろう」

 

 今度は統合作戦本部が槍玉に上がった。トリューニヒト派は良く言えば政軍関係を大事にする軍人、悪く言えば政治家の顔色を見る軍人が多い。そんな彼らには、プロフェッショナリズムを振りかざして、政治家の介入を拒む統合作戦本部のエリート参謀は我慢ならない存在なのだ。

 

 シトレ元帥が帝国領遠征の責任を負って辞任に追い込まれると、第一艦隊司令官ネイサン・クブルスリー中将が大将に昇進の上で統合作戦本部長に就任した。アムリッツァで功績を立てた三提督はいずれも中将の中では序列が低く、軍部の頂点に立てるような威信は持っていない。現職の大将は全員失脚した。そのため、健在な中将の中で最も序列が高く、人望も厚いクブルスリー中将が本部長に就任したのだ。しかし、彼は国防委員会に敵対的なシトレ元帥の姿勢を受け継いで、トリューニヒト政権と対立関係にあった。

 

 統合作戦本部が政治を軽視している現状を問題視したトリューニヒトは、国防委員会防衛部長クレメンス・ドーソン中将を大将に昇進させると、新設の統合作戦本部統括担当次長に任命した。統合作戦本部次長は作戦担当と管理担当の二人がいるが、統括担当はその上席にあって全体を統括する。他の次長二人は中将でドーソン大将よりも若い。忠実なドーソン大将を本部長と同格に近いポストに据えて、クブルスリー大将の影響力を弱めようとしたのだ。

 

 階級が上がるにつれて、旧シトレ派とトリューニヒト派の間に広がる亀裂の大きさを実感することが多くなった。戦闘に勝とうと思うのであれば、政治家の意見を雑音と切り捨てる旧シトレ派のやり方が正しいと思う。しかし、戦闘を継続しようと思うのであれば、政治家と協調するトリューニヒト派のやり方が正しい。どちらも正しいが、それゆえに歩み寄るのは不可能だろうと思う。

 

「だが、問題はトリューニヒト議長が次の総選挙で勝てるかどうかだ。ラロシュやエドワーズが勝てば、せっかくの布石も水の泡となる」

「ラロシュが勝てば国家救済戦線派が勢いづくからな。奴らの狙いは軍部独裁だ」

「エドワーズは我が派とも旧シトレ派とも距離を置いているが、どう動くかな。地方部隊に手を伸ばしているようだが」

「彼女はキャゼルヌ少将、ヤン大将、アッテンボロー少将らと個人的に親しい。彼らがブレーンになるんじゃないか?」

「幕僚専制、正規艦隊優遇か。やはり、トリューニヒト議長に勝っていただかねば、軍への逆風は続くな」

「勝つのではないか。一〇日前とは情勢が完全に違う」

 

 大佐の階級章を付けた壮年男性が言う通り、この一〇日間で同盟政界の情勢は一変していた。発端は二月九日のトリューニヒト新党結成だった。

 

 二月五日に改革市民同盟を解散させたトリューニヒトは、四日後の九日に新党「国民平和会議」の結成した。参加した代議員はトリューニヒト派代議員を中心とする一〇七名。主戦派政党でありながら、党名に反戦派をイメージさせる「平和」の文字を入れた理由は、「帝国打倒、恒久平和実現の意志を明確にするため」としている。そして、全選挙区への候補擁立と単独過半数の獲得を目指すと述べた。

 

 現在の同盟議会定数は一六三九。現有議席一〇七の国民平和会議が単独過半数の八二〇を獲得するには、最低でも七一三議席は上積みしなければならない。戦犯断罪で高まったトリューニヒト人気は、捕虜交換交渉受諾によってさらに盛り上がった。国民平和会議が立てた候補が当選する可能性は極めて高い。問題は資金、そして人材だ。候補者を立てるにはお金がかかる。候補者には代議員にふさわしい人材を選ぶ必要がある。どちらもトリューニヒトには足りない。新党結成にあたって、景気の良いことを言ってみたかっただけなんじゃないか。そう思っていた。

 

 しかし、国民平和会議は結党から三日後の二月一一日に第一次公認候補四四六人を発表、二月一三日には第二次公認候補五一二人を発表した。地方議員が一番多く、退役軍人、元警察官、元官僚も多い。政治評論家エイロン・ドゥメック、女優シエラ・ソラなど右派有名人も立候補している。候補者に地方議員と元官僚が多いのは旧改革市民同盟と共通しているが、ビジネスマンが少ない点が異なる。

 

 資金もかなり集まっている。新興複合企業ユニバース・ファイナンス、恒星間運輸の最大手サンタクルス・ライン、コンピュータソフト大手レッドグレイヴといった財界傍流の大企業が次々とトリューニヒト支持を表明。大物投資家ケアリー・マーケット、ヘンスロー社会長ハロルド・ヘンスローは五〇万ディナールを献金した。運用資産五〇〇億ディナールと言われる巨大投資家集団ウォーターズも近日中に献金する見込みだ。もちろん、小口の個人献金も殺到している。

 

 結党から一週間も経たないうちに、全選挙区の半数以上で国民平和会議の支部が開設された。その多くは旧改革市民同盟の遠征推進派代議員から離反した地方組織と言われる。傘下の支部を根こそぎ奪われて、立候補を断念した者もいるそうだ。

 

 国民平和会議から排除された旧改革市民同盟遠征推進派は、共和国民主運動、自律党、保守同盟の三党に分裂。激しい逆風の中、頼みにしていた地方組織はトリューニヒトによって切り崩されていった。全国企業家連盟、全国農業者連合会、十字教などの有力支援団体も自主投票を決定。集票力と集金力を喪失した三党の支持率は、いずれも一パーセントに満たない。

 

 連立与党体制の破壊者として支持を伸ばしたジェシカ・エドワーズの反戦市民連合とマルタン・ラロシュの統一正義党は、よりラディカルな破壊者トリューニヒトの出現によって、すっかり影が薄くなってしまった。一時期三〇パーセントに迫った両党の支持率は、二〇パーセント前後まで低下した。

 

 旧改革市民同盟と二大政党の一角を形成した進歩党は、不人気な緊縮財政の継続に固執したこと、超法規的なトリューニヒトの戦犯断罪に批判的なこと、遠征継続派に与した代議員を公認したことなどが重なって低迷。世論に迎合しない党委員長ジョアン・レベロの誠実な姿勢が裏目に出た。党支持率は一〇パーセントを切っている。

 

 国民平和会議は、結党から一週間後の世論調査でいきなり支持率三二パーセントをマークしてトップに躍り出た。今後もさらに伸びるものと予測される。懸念材料があるとすれば、憂国騎士団の暴走ぐらいだ。

 

 世論の圧倒的な支持を得た憂国騎士団の行動は、どんどん過激さを増していった。遠征推進派に与した旧改革市民同盟や進歩党の集会への殴り込みは、世論の期待に沿ったものといえる。しかし、反戦市民連合や統一正義党のデモ隊への襲撃、トリューニヒトの断罪行為を批判したマスコミへの攻撃は支持されなかった。市民が憂国騎士団に期待していたのは戦犯断罪であって、戦犯以外への攻撃など、誰も望んでいなかったのだ。

 

 憂国騎士団ハイネセン支部のメンバーが二月一三日にハイネセン都心のグエン・キム・ホア広場で集会を開いいて三万八〇〇〇冊に及ぶ本を燃やすと、さすがに断罪行為を歓迎していた者も鼻白んだ。反戦的な本、体制批判の本、個人主義を賛美する本を次々と火中に投じ、「国家を破壊せんとする文化的攻撃を粉砕せよ!」を高らかに叫ぶ白マスクの集団ははっきり言って怖かった。

 

「なんという奴らだ!規律も何もない!ただの過激派ではないか!」

 

 携帯端末の向こう側でクリスチアン大佐は激怒していた。彼は反戦思想、体制批判、個人主義を嫌っている。しかし、それらを排除するために過激な行動をしてもいいとは思っていない。秩序を愛し変化を嫌う保守主義者のクリスチアン大佐にとっては、憂国騎士団の焚書集会は過激すぎて秩序を乱す行動と映ったのだ。

 

 過激な行動を好むのは、「正義のための暴力は肯定される」と主張するマルタン・ラロシュの支持者ぐらいだが、憂国騎士団とラロシュは対立関係にある。焚書集会はどの層にも受け入れられなかった。保守層からの思わぬ反発に直面した憂国騎士団は、二名を団員資格無期限停止、五名を団員資格一時停止、数十名を戒告、ハイネセン支部の執行部全員を辞職させるなど厳しい処分を下して収拾を図ったが、イメージ回復は容易でないとみられる。

 

 警察の手で断罪が進んでいることも憂国騎士団の人気に陰りを生じさせた。国家保安局は情報操作に加担した中央情報局とフェザーン駐在高等弁務官事務所の幹部四名を逮捕。国家刑事局によって別件逮捕された遠征推進派の中からは、遠征絡みの汚職について取り調べを受ける者も出ている。法が悪を裁いてくれるのであれば、暴力の出番は無い。

 

 違法捜査に近い国家刑事局のやり方にはちょっと引いてしまう。しかし、国家保安局はルールに則った捜査を進めていて好感が持てる。

 

 今日は二月一九日。ハイネセンを出発してから九日目。あと四日から五日でフェザーンに到着する。二年七ヶ月ぶりのフェザーン、待ち構えるは義眼の参謀長、そしてカフェレストラン「ジャクリーズ」の冬メニュー。いずれも生半可な覚悟で向き合える相手ではない。政治談義にふける高級士官たちを横目に、ほっぺたをパチンと叩いて気合を入れた。



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第百二話:義眼の誠実、獅子の統率 宇宙暦797年2月24日~25日 フェザーン自治領主府

 自由惑星同盟とゴールデンバウム朝銀河帝国の捕虜交換交渉が二月二四日、フェザーン自治領主府で始まった。両国とも捕虜交換を心の底から望んでいるのは周知の事実であり、合意が半ば成立したような状態である。交渉はもっぱら実務レベルの調整に終始すると見られていた。

 

「我々が用意した資料です。目を通していただきたい」

 

 帝国側代表の宇宙艦隊総参謀長パウル・フォン・オーベルシュタイン中将が出してきた資料の厚みは、同盟側代表団の面々を唖然とさせた。同盟側が提示した資料をノートとすると、帝国側の資料は辞書だった。前の歴史で最高の策士と恐れられたオーベルシュタインは、いきなり先制攻撃を仕掛けてきた。

 

「心配は無用です。すべて同盟公用語で記載しました」

 

 オーベルシュタイン中将はひとかけらの愛想も混じってない口調でそう付け加える。そんな問題では無いと言いたげな同盟側代表の国防副委員長ハリス・マシューソンの表情は、彼の義眼には映っていないようであった。

 

「ほんの少しだけお待ちいただけますかな?これだけ充実した資料でしたら、すべて目を通すまで時間もかかります。別室で落ち着いて読ませていただきたく思うのですが」

「構いません」

 

 マシューソンの申し出をオーベルシュタインは二つ返事で受け入れる。同盟側代表団は資料を持って別室に移動し、対応を協議することになった。

 

「まいったな、あちらも一刻も早い交渉成立を望んでいるとばかり思っていたが」

 

 軍人家族問題担当国防委員ジョスラン・ミレーは、困惑を隠そうともしない。虚勢を張るよりは人間らしいが、政治家がそれでいいのかと少し思う。

 

「あちらの代表は見るからに油断ならなさそうな奴だ。文面にどんな罠を仕込んでるか、知れたものではではない。一言一句、見落とさないように読まねば」

 

 前の歴史を知る者なら誰でも同意しそうな意見を苦々しげに述べたのは、広報担当国防委員タリク・アベラだった。優秀な官僚は単語一つで天地を入れ替えることができる。アベラは場当たり的に有権者に迎合するパフォーマンス屋と言われていたが、プロの政治家だけあって警戒すべきところはちゃんとわかっていた。

 

「事務総局から人は出せないと言われたから、実務の出来る人材をあまり加えなかった。だが、こんなことになるのなら、無理を言って引っ張ってくるべきだった」

 

 マシューソンは顔をしかめながら、後悔を口にする。オーベルシュタインの出してきた資料に記されているのは、ほとんどが実務的な事柄だった。国防委員達は政治のプロではあるが、実務には疎い。軍人の随員はトリューニヒト派の躍進に伴って中央入りした人ばかりで、統合作戦本部や国防委員会での勤務経験が豊富ないわゆる「軍官僚」はあまりいなかった。

 

 四〇〇万人の捕虜を全土の収容所から集めて、受け渡し場所のイゼルローンまで移送するとなると、膨大な事務作業が発生する。帝国領遠征の敗戦処理も続いている。国防委員会にいる実務向きの人材は、みんな忙しかった。合意を確認するだけの交渉に人を割く余裕などなかった。他の委員会は政権交代を見据えて対応策を練っていて、やはり人を割く余裕が無い。だから、代表団は実務に疎い者ばかりになったのだ。

 

「フィリップス少将がおられたのは幸いでした」

 

 唐突に俺の名前が出たことに驚き、声のした方を見る。発言したのは俺より一歳上の若手参謀バルト・クローン中佐だった。どうしたことか、あちこちから同意の声があがる。

 

「そうだ、フィリップス提督は法務に強い」

「そして、あのドーソン提督に鍛えられた軍政畑のエースだ」

 

 期待の眼差しが俺に集中する。天井に視線を向けて気付かぬ風を装う。だが、マシューソンが早足で俺のところに歩み寄ってきた。ここまで間合いを詰められては、知らん振りできない。

 

「フィリップス提督」

「はい」

「貴官は。帝国法にも強いと聞く」

「ええ、まあ」

 

 曖昧に言葉を濁す。確かに帝国法は理解できる。帝国領遠征の際に占領統治に必要になると思って、基本五法典と軍事法典を学んだからだ。しかし、それがあのオーベルシュタイン相手にどれほど役に立つだろうか。

 

「貴官が頼りだ。帝国が文面の中に仕掛けた罠を法務のプロの目で見抜いてもらいたい」

 

 マシューソンは俺の肩を強く叩いた。頭がくらくらしてくる。オーベルシュタインの策謀に対抗させられるなんて、悪夢でしかなかった。

 

 心を落ち着けるために、テーブルの上に置かれていたコーヒーに砕いた角砂糖を三個入れて飲み干す。糖分を補給した俺は、国防委員のヤーナ・コロトコワとファン・イーニンを呼んで協力を要請した。弁護士出身のコロトコワは法律に明るく、元ケイマン星系警察幹部のファンは実務に強い。オーベルシュタインらをあまり長く待たせることはできない。こちらが礼を失すれば、オーベルシュタインに付け込む口実を与えてしまう。隅々まで精査するには、時間も人数も足りなかったが、全力で取り組むしか無かった。

 

 三人がかりで一言一句をなぞるように資料を読み込んだ。生涯でこれほど熱心に文字を読んだ経験は、数えるほどしか無い。一国の威信を賭けた交渉の成否が俺達にかかっているのだ。他の交渉団メンバーにも目を通してもらい、一致団結してオーベルシュタインが文面に仕込んだ罠を探し続けた。

 

「そろそろよろしいでしょうか?」

 

 部屋の外から自治領主府スタッフの声がする。帝国側の代表団を待たせ過ぎると、会談場所を提供してくれた自治領主府のメンツも潰してしまう。そろそろ潮時だった。

 

「申し訳ない。今から戻ると伝えてくれ」

「かしこまりました」

 

 マシューソンはスタッフが歩き去っていったのを確認した後に、俺達の方を向いた。

 

「コロトコワ委員、ファン委員、フィリップス提督。資料の中におかしな所はあったか?」

「私の見た範囲では文章に曖昧さがまったくなく、おかしな部分は見られませんでした」

「コロトコワ委員と同意見です。もう少し時間があれば、あるいは見つかるかもしれませんが」

 

 コロトコワとファンは揃って罠の存在を否定する。

 

「フィリップス提督は?」

 

 マシューソンの問いにすぐ答えることはできなかった。コロトコワの言う通り、帝国側の資料には曖昧なところがなく、どうとでも解釈できる余地を残す官僚的作文術は使われていない。抜き出した確認事項が異常に多いために長くなっているが、文章自体はとても簡潔で誤読の余地が皆無。丁寧に細部を詰めて、お互いが納得してから合意したいという気持ちすら感じられる。相手がオーベルシュタインでなければ、誠実さを賞賛してもいい文章だった。

 

「引っかかる部分があるのかね?」

 

 俺の沈黙を問題を発見したためと、マシューソンは受け取ったようだ。しかし、文章には何の問題もない。これだけ誠実に書かれた文章から罠の存在を見出すとしたら、一〇倍の人数と時間が必要になるだろう。出してきたのがオーベルシュタインであるという一点のみに、引っ掛かりを感じる。

 

「特にありません」

 

 そう答えるしか無かった。疑う根拠は前の歴史の記憶のみ。今の歴史で俺との接点は皆無。現時点では同盟は彼の経歴すら把握していない。「何となくですが、あの代表は信用できません。きっと罠があるはずです」なんて言葉には、何の説得力もない。警戒すら促せない。第六次イゼルローン攻防戦の時と同じだ。具体的に罠の存在を証明できない以上、できることはなかった。

 

 会議の席に戻った後は、お互いが提出した資料を巡るやりとりが続いた。不審な点を感じたら、質問をして説明を聞く。納得しかねる部分があれば、妥協が成立するまで話し合う。

 

「一四五ページのこの部分では、『我ら』という主語が国防委員会を指すのか、貴国の国民を指すのか、少々わかりにくいですな」

「ええと、国防委員会を指していると解釈してください」

「しかし、それでは次の文と意味がうまく繋がりませんな」

 

 オーベルシュタインの鋭い追及を受けたマシューソンの額には、脂汗を流れている。同盟側の資料は文章が少ないために、細部では言及されていない部分が多かった。一方、帝国側の資料は説明が尽くされていて、突っ込める余地は少なかった。

 

 同盟の資料作成者が無能だったわけではない。交渉を形式的なものと考えていたために、仕事が甘くなってしまったのだろう。国防委員会の人員は帝国領遠征の戦後処理、そして捕虜交換に割かれてしまっていて、形式的な交渉で使う資料なんかに手間を掛けられない。

 

 帝国も同盟に負けず劣らず忙しいはずだ。リヒテンラーデ=ローエングラム枢軸とブラウンシュヴァイク=リッテンハイム連合は、公然と兵を集めて対決の時に備えていた。捕虜交換関係の事務作業もある。門閥貴族出身の軍官僚の中には、ラインハルトに非協力的な者も多いだろう。人手が足りない時に手間暇かけて充実した資料を作って、位階が高い者なら誰でも良さそうな交渉に知恵袋のオーベルシュタインが出てくる。ラインハルト陣営がここまで力を入れる理由が理解できなかった。

 

 交渉は二日間続いた。信じがたいことであったが、オーベルシュタインはきわめて誠実な交渉相手だった。手の内は全部明かし、説明を惜しむこともしない。言葉尻を捉えようともしないし、言質を取ろうともしない。ひたすら丹念に見解の相違を洗い出しては、納得するまで話し合う。

 

 しかも、親切だった。帝国と同盟が非公式に交渉を持つと、どちらの言葉を使って交渉するか、どちらが上座につくかなんてことで揉めることが多い。相手を公式な交渉相手と認めていないために、共通の外交礼式が存在しないからだ。しかし、今回はまったく揉めなかった。頼まずともオーベルシュタインは同盟語を使ったし、儀礼的な部分でも全部こちらに譲ってくれた。こちらが出した資料の内容を改善するアドバイスまでしてくれた。

 

 交渉というものは、大きく分けて二種類ある。一つ目は激しく言葉を戦わせ、相手の揚げ足を取ろ、譲歩を引き出す敵対的交渉。二つ目は自分を理解させる努力と相手を理解する努力を重ねて、信頼関係を築いていく友好的交渉。今回の交渉は後者の典型であった。

 

「次に帝国と交渉する時もあの人に出てきてもらいたいものだ。手強いが好感は持てる。思い通りにならなくても、納得はさせてもらえそうだ」

 

 控室で休憩している時に、そんなことを言った国防委員もいた。前の歴史の記憶だけで判断するなら、陰謀の下準備か何かと疑うところだ。しかし、俺がこの目で見て判断する限りでは、オーベルシュタインという人は、隙あらば他人を引っ掛けようとするタイプではないようだった。誠実で信頼できるという印象だった。

 

 そう言えば、トリューニヒトが大犯罪者アルバネーゼ退役大将を「信義に厚い」「優れた謀略家ほど信義を大事にする」と評したことがあった。もしかしたら、それはオーベルシュタインにも当てはまるのかもしれない。ここまで真摯に他人に向き合える人物であれば、他人を排除する時も真摯に取り組もうとするだろう。決して相手を見くびらず、丁寧に追い詰めていくに違いない。仮に策略家でなかったとしても、敵には回したくないタイプだ。

 

 二月二五日の一七時に同盟と帝国は合意に達した。日時は三月一〇日、場所は予想通りイゼルローン要塞。たったの一三日しか余裕がない。トリューニヒトは三月末の投票日前に記念式典を開きたいし、ラインハルトは一日でも早く帰還兵を自軍に組み入れたい。過密スケジュールになるが、やむを得ない。

 

 会議終了後、俺達はフェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーが主催する晩餐会に招かれた。帝国の代表団も全員出席して、一緒に食卓を囲む。タキシード姿のフェザーン人を挟んで、同盟軍の礼服と帝国軍の礼服が並んでいる有様は、なかなか壮観である。

 

 出てくるのはフェザーン風のフルコース。ヨタというサワーキャベツのスープ、マスのコーンフラワー焼き、オリーブのパン、ムール貝のワイン煮、鹿肉のロースト、プロシュトという豚の生ハム、野菜サラダ。最後はクレムシュニタというクリームケーキで締める。舌が貧しい俺にも最高の素材を最高の技量で調理したことが分かるほどに美味だった。

 

 前の人生ではまだ捕虜だった俺が、今は同盟軍の少将としてフェザーン自治領主が主催する晩餐会に招かれている。まるで夢のようなひとときだ。料理が少なすぎるのが残念であったが、何事も完璧とは行かない。明日のカフェレストラン「ジャクリーズ」が本番なのだと、自分に言い聞かせる。

 

 帝国側の出席者は三分の二が軍人だった。二〇代半ばから三〇前半の者がやたらに多い。その年齢で准将や大佐の階級章を付けている。少将の階級章を付けている者は二人いた。前の歴史の本で見覚えがある顔は、髪型に特徴のあるゴッドハルト・フォン・グリューネマン少将のみ。他の者は途中で戦死、あるいは出世コースから外れて歴史に名を残せなかったのであろう。ラインハルトが標榜する実力主義の苛酷さを垣間見たような気がした。

 

 同盟軍の出席者のうち、軍人は二分の一。年齢は二〇代から五〇代まで様々。階級は准将と大佐が多い。高い階級に昇った軍人が無能なはずはないが、明らかに帝国軍より見劣りするように思えた。覇気の量が格段に違うのだ。

 

 覇気の違いは文民の出席者の間にも見られた。帝国側の文民は軍人ほど若くはなかったが、それでも三〇代の者が多い。彼らが噂に聞く若手改革派官僚なのだろう。貴族特権制限、中央集権改革を主張して、今や帝国政界の主要プレイヤーとなった者達だ。

 

 同盟の文民はほとんどが政治家だった。年齢は若くても四〇代、最年長は七〇近いマシューソン国防副委員長。伸長著しいトリューニヒト派の代議員として羽振りを利かせる彼らであったが、政治家というより政治屋と言った方が適切で、主張らしい主張があるわけではない。国政に議席を持つだけあって、頭は俺なんかよりずっと切れる。オーベルシュタインと話を詰めていった際の手際もなかなかのものだった。しかし、帝国の若手改革派官僚と比べると、はるかに覇気に欠ける。

 

 友好を深めるべき席なのに、帝国側も同盟側も自国だけで固まってしまっている。覇気に富んだ帝国側から見れば、同盟側は志の低い凡人ばかりに見えて興味を感じないのかもしれない。凡人が多い同盟側から見れば、帝国側はギラギラしすぎていて付いていけないように見えるのだろう。かく言う俺も帝国側の人と何を話せばいいかわからなくて、同盟の政治家や軍人とばかり話してる。

 

「それにしても、貴国の高級士官の方々は皆お若いですなあ。私など六〇を過ぎて、ようやくあなたと同じ准将でした」

 

 マシューソンが最も年配に見える帝国軍准将に話しかけているのが見えた。年配と言っても四〇代前半。同盟であれば、まだ中堅である。

 

「ローエングラム元帥閣下はまだ二〇歳ですからな。トップが若くなれば、しぜんと下も若くなります。小官は一番の年寄りなもので、いつ時代遅れになるか冷や冷やしておりますよ」

「ヴィンクラー准将は老いなどとは無縁のように見えますが、私の思い違いですかな?」

「自分ではまだまだ若い者に負けないつもりですが、そんなことを言ってる時点で年寄りですな」

 

 ヴィンクラー准将と呼ばれた人物は、大きく口を開けて笑った。良くも悪くも凡人揃いの同盟側出席者と合わない帝国側出席者の中にあって、世慣れた感じの彼は話せる存在として引っ張りだこだった。

 

「アムリッツァの戦いでローエングラム元帥麾下の部隊と戦ったが、信じられないぐらい戦意が高かった。あそこまで粘るなんて想像を超えていた。どのような統率をすれば、あのような軍隊を作れるのだ?」

 

 ジャクリ准将の質問は、俺がずっと知りたかったことでもあった。他の軍人もそう思っていたらしく、一斉に耳をそばだてる。

 

「簡単な話ですよ。食事を良くする。清潔で快適な兵舎を用意する。酒や賭博は大目に見る。給料水準を引き上げる。部下をかわいがる者を指揮官に任命する。親しく声をかけて、常に気にかけているとメッセージを送り続ける。功績にはいささか過分と思えるほどの報酬を与える。それだけのことです」

「本当にそれだけなのか?」

 

 ヴィンクラー准将の答えに、ジャクリ准将は納得がいかないようだ。フェザーンに向かう船中で聞いた話では、部隊運営に熱心な印象を受けた。だからこそ、当たり前のことをしただけでこれだけの効果が上がるとは信じがたいのだろう。

 

「ローエングラム元帥閣下は予算を取ってくるのがお上手な方でしてね。あの方の配下に入った部隊は、運営予算が五割増額されました」

「ああ、なるほど。アイディアがあっても、予算がなければ実現はできん。実現に移したとしても、途中で予算がなくなって中途半端に終わる。ローエングラム元帥麾下の方々が羨ましい。小官もそれぐらい予算を取れる上官がほしい」

 

 ジャクリ准将はため息をついた。他の同盟軍人も同感という表情を見せる。彼らがトリューニヒト派に入った理由の一端が何となく理解できた気がした。そして、旧シトレ派のエリートに敵意を燃やす理由も。

 

「予算の他にもう一つ秘訣があります」

 

 得意げなヴィンクラー准将の言葉に、再び全員が耳をそばだてる。

 

「ぜひお聞かせ願いたい」

「これまでの我が国は皆さんも御存知の通り、身分で昇進が決まっていました。佐官の四〇パーセント、将官の八〇パーセントを門閥貴族出身者が占めていたのです。何不自由ない環境でエリート教育を受けた彼らは、平民どころか下級貴族ともほとんど接することがありません。ですから、兵士、下士官、下級将校の気持ちがまったくわかりません。待遇に気を配ろうとせず、功績を立てた者に目をかけようともしない。そんな指揮官のために命を賭けられますか?」

「無理に決まっている」

「そこに現れたのがローエングラム元帥閣下です。下の者の言葉に耳を傾け、待遇を良くしてやって、功績に厚く報いる。自分達の気持ちをわかってくれる理想の提督ですよ。奮い立たずにいられますか?」

「貴官の言うとおりだ。話を聞いているだけでも血がたぎってくる。直に部下となった者であれば、なおさらであろう」

「ローエングラム元帥閣下が平民や下級貴族出身の若手を指揮官に取り立てた理由もそこにあるのです」

「おお、ぜひ聞かせてくれ!」

 

 話を聞いている同盟軍人達の目は、好奇心で輝いている。ラインハルトの部下が語るラインハルト人事の真実。軍人であれば、興味を持たずにはいられない。

 

「門閥貴族出身の指揮官はみんな下の者の気持ちがわかりません。低い身分から出世した者でも階級を上げて門閥貴族と付き合うようになれば、影響されて下の者の気持ちがわからなくなります。門閥貴族出身者の指揮官、低い身分出身のベテラン指揮官にも能力の高い者は少なくありませんが、ローエングラム元帥閣下は『指揮官は兵士とともに戦うべきである。それができない者は指揮官ではなく無能というのだ』と言って、一切登用しませんでした。それゆえに、若手から人材を求めることになったのです」

 

 理路整然としたヴィンクラー准将の説明に、同盟軍人はみんな感嘆の声をあげる。俺も例外ではない。自分の知識が塗り替えられる瞬間というのは、とても心地良い興奮を覚える。

 

 ラインハルトが若手ばかり登用した理由は、門閥貴族やベテランに有能な人物がいなかったためと、前の歴史の本に書かれていた。しかし、ラインハルトの引き立てた若手が台頭する前の帝国軍指揮官が無能だったとは思えない。彼らが一進一退の攻防を繰り広げた同盟軍指揮官も有能だった。門閥貴族やベテランの優れた指揮官を使わずに、未熟な若手を起用した理由が理解できなかったが、ヴィンクラー准将の述べた「兵士の気持ちがわからない者は、どんなに能力が高くても無能とみなす」という基準が加われば納得できた。

 

「ローエングラム元帥閣下は統率というものをよくわかっておられるのだなあ」

「指揮官は部下を見て戦わねばならんのだ。我々の取り組みはやはり正しい」

「ずっと軍中央や艦隊司令部で勤めてた連中には、それがわからん。ほとんど部隊を経験せずに提督になる。だから、部下ではなく理想を見て戦おうとするのだ」

「そのくせ、あやつらの方が兵に人気がある。まったくもって理解できんわ」

 

 同盟軍人はラインハルトに対する賞賛と、旧シトレ派のエリートに対する批判を口にした。ラインハルトに自分達、門閥貴族に旧シトレ派を重ねているらしい。不満は理解できる。しかし、他国の軍人の前でそれを口にするのは、さすがにみっともない。

 

「階級対立は我らだけではないのですな」

「うむ。我が国にも貴国の門閥貴族のような輩がおるのだ。軍服を着た貴族だな、奴らは」

 

 頭の痛いことに、ヴィンクラー准将に向かって、旧シトレ派エリートの批判を始める者まで現れた。

 

「他国の者が聞いて良い話なのでしょうか?」

「構うものか。知られて困る話でもない」

「まあ、お気持ちはわからんでもないですな。今だから言えますが、小官も門閥貴族の上官に『弾は前から飛んでくるとは限らんぞ』と教えてやりたくなることは再三ありました」

 

 一度付いた火は止まらない。トリューニヒト派士官の口は旧シトレ派の悪口を吐き続け、ヴィンクラー准将は苦笑を浮かべながら応じる。マシューソンら政治家も止めようとせず、薄笑いを浮かべる。

 

 トリューニヒト派は凡人集団だ。良く言えば地に足がついていて現実的、悪く言えば視野が狭く目先の感情や利益に左右される。軍人も政治家も旧シトレ派エリートに対する反感を優先して、ここが外交の場であることを忘れてしまっている。悪い部分が出てしまった。

 

 ドーソン大将かロックウェル大将がいたら止めてくれるはずだ。あの二人も凡人だが、けじめには厳しい。しかし、ここにいない人に期待しても仕方がなかった。この場にいる最高位の軍人である俺が止めなければならないと思い、席を立って歩き出す。

 

「しまった」

 

 気づいた時は遅かった。慌てていたせいか、足がもつれて盛大に転んでしまったのである。周囲の視線が一斉に俺に集中する。

 

「おお、大丈夫ですか?」

 

 歩み寄ってきたのはヴィンクラー准将だった。政治家や同盟軍人もやや遅れてやってくる。

 

「だ、大丈夫です……」

 

 ヴィンクラー准将が差し出した手を取って立ち上がった。俺が格好悪いのはいつものことだが、今回は一層格好悪い。

 

「はっはっは、酒が過ぎたのでしょう。今宵の酒は実にうまい。いずれもフェザーン産の逸品です。お気持ちはよくわかります」

「ご心配おかけします」

 

 どうやら、飲み過ぎたと勘違いされたらしい。酒は一滴も飲んでいないのだが、シラフで転ぶよりはまだ格好がつくと思って、否定はしなかった。

 

「それにしても、あなたはお若いですなあ」

「小官がですか?」

「ええ、一番階級が高いのに一番お若くていらっしゃる。ローエングラム元帥閣下と同年輩のようにお見受けします」

 

 ヴィンクラー准将は帝国軍人というよりフェザーン人ビジネスマンと言われた方が納得できそうな笑いを浮かべる。他国の軍人から見ても、自分に貫禄が欠けていることがはっきりして、ちょっと落ち込んだ。

 

「そ、そんなに若くないですよ。来年で三〇ですし」

「それにしたって、二九歳で少将ではありませんか。我が国の名将ミッターマイヤー提督もあなたと同い年です。さぞ武勲を重ねられたのでしょう」

 

 ヴィンクラー准将の主君はあのラインハルトだ。年の割に高すぎる俺の階級を武勲の結果と思うのも無理もない。しかし、前の歴史で全銀河屈指の名将と言われたウォルフガング・ミッターマイヤーと比べられて誇れるような武勲などない。さすがの俺でも、身の程は知っている。ミッターマイヤーと同レベルなのは、身長ぐらいだ。

 

「いや、それほどでも」

「若いのになかなか謙虚でいらっしゃる。過去の武勲を誇らず、未来の戦いを見据えておられるわけですな」

「そういうわけではないですよ。実際、威張れるようなこともしてませんし」

「貴国は武勲がない者に、自由戦士勲章やハイネセン記念特別勲功大章を授与するような国ではないでしょう?名誉戦傷章も二つお持ちだ。言わずとも武勲のほどは伝わります」

 

 どう答えていいかわからない。胸につけている武功勲章の半分は、エル・ファシル脱出作戦とエル・ファシル義勇旅団の虚名で得たものだ。同盟でもそれが虚名だと知らない者がほとんどなのに、ヴィンクラー准将に理解できるわけがない。

 

「フィリップス少将は我が国の若手士官でも随一の人材。エル・ファシル脱出作戦では、動揺する三〇〇万の民間人を救出。エル・ファシル奪還作戦では、義勇軍を率いて活躍、ヴァンフリート基地では、司令官を救出。エル・ファシル動乱では、テロ部隊と戦って内戦を食い止める。終わりなき正義作戦では、参謀として海賊鎮圧に貢献。アムリッツァでは、最後まで戦場に踏みとどまって勇戦。苦境にあってひときわ活躍する勇者です」

 

 鼻高々に俺の功績を並べ立てるのは、マシューソンだった。ラインハルトに仕えるヴィンクラー准将の前で誇れるような功績ではない。しかも、最初の二つは完全な虚名なのだ。心臓が恥ずかしさのあまり止まりそうになる。

 

「若手随一の人材は、ヤン・ウェンリー提督と聞いておりました。アスターテ、イゼルローン、アムリッツァのいずれでも我が軍に苦杯を飲ませた方です。しかし、そのヤン提督以上の人材がいるとなると、我が軍のみが人材を誇るわけにはいきませんな」

 

 ヴィンクラー准将がヤン・ウェンリーの名前をあげると、政治家や同盟軍人の顔色が少し変わった。彼らは旧シトレ派エリートの典型と言われるヤンに対して、あまり良い感情を持っていない。

 

「確かにヤン提督の武勲は赫々たるものです。しかしながら、軍人に求められるのは武勲だけではありません。忠誠心、人望、信頼性、責任感、協調性といったものも大事です。フィリップス少将はそれらも含めた総合力で随一であるとお考えください」

「ほう、貴国は人柄に階級を授けるのですか。なかなかに興味深い」

 

 皮肉交じりのヴィンクラー准将の言葉に、周囲の顔色はさらに変わる。

 

「人柄ではありません。能力です」

「能力を示すのは、武勲ではありませんかな?」

「功績は戦場のみで立てるものでもないでしょう?組織を運営すること、強い部隊を作ること、事務を処理すること、予算を引っ張ってくることも立派な功績です」

「おっしゃるとおりです。しかしながら、それはすべて勝利のための努力。勝利につながって初めて評価されるべきもの。組織を守るだけで評価されては、命を賭けて戦った者が浮かばれないのではありませんか?組織を守るための努力ではなく、勝利のための努力を評価すべき。その思いがローエングラム元帥と兵士を結びつけているのです」

「しかし、組織無くしては勝利もありえませんぞ」

「なるほど、その点においてヤン提督はフィリップス提督に劣ると」

 

 ヴィンクラー准将は口角を上げてにやりと笑う。周囲の態度から何かに気づいたようだ。

 

「いえ、決して劣るとは申しません。武勲では若手どころか同盟軍全軍でもヤン提督に及ぶ者はいないでしょう」

「武勲だけでは随一の評価を授けられないと、おっしゃったではありませんか」

「我が国は民主主義国家。多様な価値観の存在が前提です。当然、軍人の評価基準も一つではありません」

「なるほど、あなたの基準はヤン提督を随一であると認めない。そういうことですか」

 

 図星を突かれたマシューソンは黙り込んでしまった。タナトス警備管区司令官を務めていた頃に、管区内に赴任したヤンが挨拶に来なかったことを九年経った今も根に持っている。そんな噂がマシューソンにはあった。そんなことはないだろうと思っていたが、もしかしたら事実なのかもしれない。

 

 ドーソン大将もそうだが、凡人は小さな非礼をいつまでも忘れないのだ。頭の一つも下げて、「あの時は申し訳ありませんでした」と謝りさえすれば、きれいさっぱり許してくれるのだが、謝らなければいつまでも怒りを持ち続ける。

 

「世の中にはどうあっても認められない相手がいる。それは事実です。私の場合は一〇年ほど前の上官ですな。部下は命令通りに動くのが当たり前。失敗すれば部下の無能を罵って厳罰を下し、成功すれば命令した自分の手柄と言って昇進や勲章を独り占め。抜群に優秀で皇室への忠誠も厚く、理想的な指揮官と評価されてましたが、それは門閥貴族の評価です。私にとっては最悪の上官でしたよ。選民意識で凝り固まってるくせに功績は抜群。だから、見下すこともできずに怒りが溜まっていくわけですな」

 

 感慨深げにヴィンクラー准将は語る。

 

「理想を語りたがる戦争屋。選民意識で凝り固まってるくせに功績だけは多い。奴らとまったく同じだな」

「そうだ、だから武勲だけで評価してはいかんのだ」

「自由惑星同盟は自由の国だ。軍人も多様な基準で評価するのが正しい」

 

 周囲は同意にかこつけて、ヤンや旧シトレ派エリートを評価したくない理由を口にする。シトレ派とロボス派のトップエリートが軍に君臨していた頃には、思っていても言えなかった二流エリートや叩き上げの本音。それがロボス派崩壊、トリューニヒト派躍進によって吹き出した。

 

 いったい、同盟軍はどうなってしまうのだろうか。トップエリートとそれ以外の断層はとてつもなく深い。ビュコック大将やルフェーブル大将は非エリート出身の提督だが、架け橋にはなっていない。俺もやはり架け橋になれないのだろうか。

 

「我らにはフィリップス提督がいる。奴らだっていつまでも武勲を誇ってはいられまい」

「あの第一二艦隊にあってひときわ奮戦した提督だからな。機会さえあれば、ヤン提督に劣らぬ武勲をあげるだろう」

 

 周囲がちらちら俺の方を見る。あの天才と武勲を競うなんて、冗談でも考えたくなかった。才能の桁が違いすぎる。ヤンへの反感から、分不相応に持ち上げられてはたまらない。一滴も酒を飲んでいないのに、前の人生で悪酔いした時のような気分になっていた。



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第百三話:トリューニヒトの春 宇宙暦797年2月25日~3月24日 国防委員会庁舎

 二月二五日、自由惑星同盟と銀河帝国がイゼルローン要塞で三月一〇日に捕虜交換式を開くことに合意すると、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは捕虜交換プロジェクトチームを結成した。トリューニヒト自らがリーダーとなり、国防委員長マルコ・ネグロポンティが事務局長として実務を取り仕切る。政府のトップと国防のトップが陣頭指揮を取ることで、政府が一丸となって取り組む姿勢を示したのである。

 

「捕虜交換は国家事業である!全力で取り組むように!」

 

 プロジェクトチーム結成翌日、ネグロポンティは国防委員会の職員全員を集めて檄を飛ばした。「熱心に取り組んだ者は、勤務評価で優遇する」との内部通達が出され、「通常業務を放り出して取り組む者が多い。これでは仕事が回らない」との苦情が寄せられた翌日には、「捕虜交換プロジェクトを最優先にせよ」との通達が出た。

 

 同盟軍の持つあらゆるリソースが捕虜交換事業のために動員された。国防委員会の職員は二四時間体制で捕虜リスト作成、必要な人員や物資の計算などに取り組み、庁舎は不夜城と化した。管内に捕虜収容所を持つ星系管区や方面管区の司令部は、通常業務を後回しにしてでも捕虜交換事業に協力するよう求められた。正規艦隊や地方部隊の艦艇が捕虜移送に動員された。各地の補給基地に集積された食糧、衣服、医薬品などが捕虜を給養するために放出された。

 

 国防委員会が動員したリソースを組織して具体的な移送計画を組んだのは、中央支援集団司令官に復帰したばかりのシンクレア・セレブレッゼ中将である。辺境に左遷されて第一線から遠ざかっていたセレブレッゼ中将は、最高評議会が捕虜交換交渉を受諾した二月上旬に中央に呼び戻された。四〇〇万の捕虜と四〇〇万の帰還兵を移送する一大輸送作戦を手際良く指揮できる人材は、彼をおいて他にいなかったからだ。

 

 同盟軍最高の後方支援指揮官と言われたセレブレッゼ中将を支えたのは、「チーム・セレブレッゼ」と言われる強力なスタッフ集団だった。ヴァンフリート四=二で多くのスタッフを失ったセレブレッゼ中将がかつてと同じ実力を発揮できるか危ぶむ声もあったが、それが思い過ごしにすぎないことはすぐに分かった。エマヌエル・カルーク少将ら旧チームの生き残りにセレブレッゼ中将が辺境で見出したオーブリー・コクラン大佐らを加えて結成された新チームは、旧チームに劣らぬパワーを発揮した。

 

 受け入れる側のイゼルローン要塞では、セレブレッゼ中将に匹敵する手腕を持つアレックス・キャゼルヌ少将がイゼルローン捕虜交換事務総長として采配を振るっていた。帝国領遠征の敗戦責任を負って辺境に左遷された彼は、すぐにイゼルローン要塞事務監に転じた。そして、捕虜交換に関わる事務を担当することになった。

 

 ネグロポンティ率いる国防委員会とセレブレッゼ中将率いる中央支援集団は、驚くべき手際の良さで、全土から集められた四〇〇万の捕虜をほんの一三日でイゼルローン要塞まで送り届けるという難事業を進めていった。キャゼルヌ少将は迅速に受け入れ体制を整えた。昨年の大敗で弱体化したかに思われた同盟軍の後方支援体制は、内外に健在ぶりを示したのである。

 

 不安要因が全く無いわけではなかった。敗戦後に勢いを取り戻した宇宙海賊は、各地で航路の安全を脅かし、移送船団にもその毒牙を向けようとしていた。敗戦後の不景気は生活難に陥った軍人や公務員の不正行為を招き、捕虜のために集められた物資の多くが横流しされた。国防委員会とイゼルローン捕虜交換事務局の確執も深刻だった。しかし、トリューニヒトが強力なリーダーシップを発揮したため、停滞には至らなかった。

 

 捕虜交換式は予定通り、三月一〇日に決行された。全銀河のマスコミがイゼルローン要塞に集まり、特別番組を組んで報道している。二日前にハイネセンに戻った俺は、国防委員会庁舎の第一講堂にある巨大スクリーンを通して交換式の様子を眺めていた。

 

 午前一〇時頃、帝国軍の代表団が真っ赤な戦艦から降り立った。先頭に立つのは赤毛にずば抜けた長身の美男子。画面に「帝国軍代表団長 宇宙艦隊副司令長官 ジークフリード・キルヒアイス上級大将」のテロップが流れると、ホールの各所からざわめきが聞こえた。

 

 アムリッツァでは赤い旗艦を駆って活躍し、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が宇宙艦隊司令長官に就任すると同時に副司令長官に就任したキルヒアイスは、同盟でもローエングラム派の重鎮として認知されていた。しかし、経歴に関してはほとんど知られておらず、貴族身分を示す「フォン」が名前に付いていないことから、平民出身の重鎮にふさわしい閲歴を持つ壮年の提督と思われていたのだ。それが二〇歳そこそこの若者だったと想像できる者はいなかった。俺も前の歴史の知識がなかったら、腰を抜かしていたに違いない。

 

 キルヒアイスに続いて降り立ったのは、金髪で貴族的な風貌を持つ三〇前後の人物。画面には「代表団副団長 第三猟兵艦隊副司令官 シュテファン・フォン・プレスブルク中将」のテロップが流れた。階級から判断すればラインハルト陣営の最高幹部のはずなのに、前の歴史では聞いた覚えがない名前だ。

 

 その後には三〇代と思しき三人の人物が続く。テロップはそれぞれ「代表団 第三猟兵艦隊参謀長代理 ハンス・エドアルド・ベルゲングリューン准将」「代表団 第三猟兵艦隊副参謀長 ホルスト・ジンツァー准将」「代表団 第三猟兵艦隊陸戦隊司令官 オスヴァルト・ハイアーマン准将」となっている。ベルゲングリューン准将とジンツァー准将は前の歴史でも見覚えのある名前だった。

 

 随員の肩書きから見るに、キルヒアイスの直率部隊が「第三猟兵艦隊」という名前であることがわかる。今の人生で学んだことだが、提督の名前を冠して呼ばれることが多い帝国の正規艦隊は、「第○槍騎兵艦隊」「第○竜騎兵艦隊」といった古風な正式名称を持っているのだ。

 

 同盟軍の兵士は全員捧げ銃の敬礼で帝国の代表団を出迎え、軍楽隊が同盟軍歌を演奏する。最高評議会議長、最高評議会評議員、同盟議会議長、最高裁長官などが受けるものと同等の栄誉礼である。国歌でなく軍歌が演奏されているのは、あくまで軍同士の交渉という建前だからだ。

 

 同盟軍代表団長のイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は、副団長キャゼルヌ少将、随員のフィッシャー少将、ムライ少将、シェーンコップ准将を引き連れて、帝国軍代表団を迎え入れる。ヤン大将がキルヒアイス上級大将と握手を交わすと、ホール内に拍手が鳴り響いた。

 

 両国の代表団は肩を並べて会場内に入り、共に中央のテーブルに歩み寄る。そして、ヤン大将とキルヒアイス上級大将がテーブルの前に立って捕虜名簿を交換し、交換証明書にサインをした。スクリーンの中で展開される歴史的場面に、ホール内の興奮がどんどん高まっていく。

 

「銀河帝国軍及び自由惑星同盟軍は、人道と軍規にもとづき、たがいに拘留するところの将兵をそれぞれの帰還せしめることを定め、名誉にかけてそれを実行するものである。

 

 帝国暦四八八年三月一〇日 銀河帝国軍代表ジークフリード・キルヒアイス上級大将

 

 宇宙暦七九七年三月一〇日 自由惑星同盟軍代表ヤン・ウェンリー大将」

 

 証明書が帝国語と同盟語で読み上げられた瞬間、ホールの興奮は最高潮に達した。いてもたってもいられなくなった俺は、立ち上がって力いっぱい拍手をする。もちろん、他の人も総立ちになる。ホールの中は歓声と拍手に包まれた。

 

 その後、双方の代表が短い挨拶を述べて交換式は終了した。政治家が式に参加していれば、長々とスピーチしたかもしれない。しかし、軍同士の補量交換式という建前上、軍人以外の者は式に出席することすらできず、スピーチもあっさりしたものとなったのである。

 

 式が終わると、俺は席を立ってホールから出た。他の人達も席を立つ。交換式は終わっても、国防委員会の仕事は終わらない。これから帰還兵四〇〇万人の受け入れ準備をしなければならないのだ。

 

 俺は国防委員会高等参事官の肩書きのまま、捕虜交換プロジェクトチーム事務局の法務部門に所属していた。四〇〇万人も帰還兵がいると、途方も無い数の発生する法的問題が発生する。その処理が法務部門の仕事だった。

 

 交換式当日から、羽目を外した帰還兵の乱行が報告された。酔って暴力を振るう者、窃盗をはたらく者、民間人を恐喝する者などが現れ、立小便やゴミの路上投げ捨てといった迷惑行為は数えきれない。憲兵では抑えきれず、要塞防衛軍まで出動する騒ぎになったそうだ。迷惑行為に留まらない違反を犯した者は、簡易軍法会議で処分される。これから膨大な書類が法務部門に集中するだろう。

 

 帰還兵の中には、軍を相手取って訴訟を起こすつもりでいる者が少なくない。捕虜になる前に重大な軍規違反を犯し、同盟領の土を踏むと同時に軍法会議に告発される者も多い。このような訴訟への対応も法務部門の仕事となる。

 

 ただでさえ多い仕事を帰還兵達はさらに増やしてくれた。バーラト星系に向かう移送船団の中で帰還兵同士の乱闘事件が多発して、多くの者が憲兵に拘束された。事務管理の都合から収容所の居住区単位で船を割り当てたのが失敗だった。

 

 前の人生で九年間を捕虜収容所で過ごした経験から言うと、同じ収容所にいた者は憎み合うことが多い。収容所は自然環境が過酷な惑星に設置されることが多く、供給される物資も少ない。帝国軍は捕虜が逃げ出さないように監視するだけで、捕虜の生活にはまったく干渉しない。そんな場所で幅を利かせるのは暴力、そして派閥だ。腕力がある者、仲間が多い者が物資を独占する。だから、捕虜同士の抗争が絶えない。ストレスを晴らすためのいじめも横行する。捕虜生活の間に蓄積した憎しみが船の中で爆発するのは、当然の成り行きであろう。

 

 毎日朝八時から仕事を始めて、日付が変わった後に山積した書類を残して国防委員会庁舎内の仮眠室で眠る。官舎に戻る時間すら惜しいのだ。憲兵司令官の副官をしていた時も日付が変わるまで帰れないことはあったが、毎日ということはなかった。国防委員会の職員が言うには、予算編成期や議会の会期中はいつもこれぐらい忙しいそうだ。予算と人事を盾に威張り散らしていると言われる軍官僚の苦労の一端が理解できたような気がする。

 

 帰還兵リストは交換式が終わった翌日から、国防委員会が作成したサイトで公開されている。家族や友人を探したい場合は、アクセスして名前を検索すればいい。空き時間にじっくり検索して知っている人を探すつもりだったが、なかなか時間が取れない。

 

 安否が気になる行方不明者は何人かいる。しかし、彼らの名前が載ってなかったら、仕事が手につかなくなってしまうかもしれない。特にイレーシュ・マーリア大佐の名前が見付からなかったら、ダーシャがいなくなった時に匹敵するショックを受けるに違いない。そう考えた俺は、帰還兵リストをまだ検索していなかった。

 

 大物捕虜の行方は検索しなくても耳に入ってきた。国防委員会にいれば、どんなに忙しくても軍や政治に関連するニュースは流れてくるのだ。

 

 撤退戦の最中に行方不明になった第九艦隊副司令官ライオネル・モートン少将、第一二艦隊参謀長ナサニエル・コナリー少将らの生還は、世間を大いに喜ばせた。彼らの身を捨てた奮戦がなければ、俺は生きて帰れなかった。だから、個人的にも嬉しかった。

 

 生還して喜ばれる者もいれば、喜ばれない者もいる。不名誉な敗戦の戦犯とされた者、遠征推進派の有名人などは、生きていたことそのものが怒りを買った。その最たる者が第三艦隊分艦隊司令官のウィレム・ホーランド少将である。モートン少将と共に奮戦したにも関わらず、遠征推進派としての言動が憎まれた。撤退戦の傷が癒えないとかで、包帯姿で担架に横たわったまま帝国の移送船から降りてきたことも「同情を買うための演出」と批判を浴びた。助けてもらった恩はあるが、功名心にイレーシュ大佐を巻き込んだのは許せない。どう反応すればいいかわからなかった。

 

 帰還者リストに名前が入っていないことが問題になるような者もいた。帝国領遠征で逃げ遅れて降伏した第七艦隊司令官イアン・ホーウッド中将は、「私は司令官だ。部下が一人でも収容されている間は、帰るわけにはいかない」と言って、帰国を拒んだそうだ。人事の達人と言われた提督らしい気概に、市民は賞賛を惜しまなかった。

 

 九年前のエル・ファシルで民間人を見捨てて逃亡したアーサー・リンチ少将は、収容所で行方不明になったらしい。前の人生でも捕虜交換の数か月前に姿を消して、俺達旧部下の間では自殺したとか殺されたとか噂されていた。どっちも収容所では日常茶飯事である。今さら帰ってこられても、少佐に昇進してエリートコースに乗ったシェリル・コレットを困らせるだけだ。不謹慎な言い方だが、日常茶飯事が起きてくれてホッとした。

 

 リンチ少将と一緒にエル・ファシルから逃げた者は、全員帰還者リストに名を連ねているが、これは特にニュースにはなっていない。なんで俺がそんなことを知っているのかと言えば、彼らを不名誉な逃亡者として軍法会議に告発する書類の準備を担当することになったからだ。

 

 はっきり言って気が進まない仕事だった。成り行きで偶然担当することになったに過ぎないのだが、仕事として処理できるほどにエル・ファシルの逃亡者を突き放せない。前の人生の俺は彼らとともに逃亡者として告発された。軍法会議は免れたものの不名誉除隊処分を言い渡されて、前科者同然の身分となった。エル・ファシルで逃亡せずに人生をやり直し、将官まで昇進した俺がかつての自分と同じ立場の者を告発するなんて、悪い冗談としか言いようがない。仕事に私情を交えるべきではないが、法律の範囲内で最も軽い処分が下るように取り計らわずにはいられなかった。

 

 今の同盟で最もホットなニュースが捕虜交換なのは言うまでもない。それと同じぐらいホットなのは、もちろん今月末の総選挙である。

 

 国防委員会と中央支援集団は帰還兵四〇〇万の移送作業で大忙しだったが、世間的には三月一〇日の交換式で大成功に終わったとみなされていた。昨年の大敗、それに続く景気悪化で沈みきっていた同盟社会は久々の明るいニュースに大喜びして、捕虜交換プロジェクトを指揮したトリューニヒトに惜しみない賞賛を浴びせた。政権支持率は八四パーセントに達し、残りの任期が三週間にも満たない政権としては異例なほどの支持を受けている。

 

 警察や憂国騎士団などの強行手段に訴える手法、市民の歓心を買うことを優先する政治姿勢に対する批判が無いわけではなかった。短期間で集めた巨額の選挙資金の出所を巡る疑惑もある。トリューニヒト政権の四か月で経済成長率が低下し、犯罪発生率が上昇していることなどを指摘して、「結果を全く出していないのに、人気だけが膨れ上がっている」と指摘する者もいる。

 

 しかし、それらの問題は市民にとっては些細な事であった。改革市民同盟と進歩党の二大政党連立が招いた政治的停滞、来年春に迫った財政破綻、アスターテと帝国領遠征の敗北による軍事的危機を打開する指導者を彼らは求めていた。強行手段を厭わない姿勢は大胆さと映り、人気取りに熱心な姿勢は誠実さと映ったのである。トリューニヒトが率いる国民平和会議の支持率は、五〇パーセントを突破した。

 

 マルタン・ラロシュの統一正義党は、社会の停滞を打破できない議会政治に対する苛立ち、市民感情から遊離した理念や打算で動く政治家に対する不満を背景に台頭し、強行手段による社会変革を訴えて人気を獲得した。しかし、トリューニヒトの出現ですっかり食われてしまった。差別化を図るために議会政治を攻撃し、独裁による国家改造を主張したのも裏目に出た。支持者の多くがトリューニヒトに流れ、支持率は一〇パーセントを割り込んだ。

 

 ジェシカ・エドワーズの反戦市民連合は、二〇パーセント前後の支持率を保っている。カリスマのあるエドワーズを前面に押し出す戦略が功を奏し、帝国領遠征の敗北で盛り上がった反戦感情や反軍感情に訴えかけることに成功した。退役軍人の候補者を多数擁立してプロの視点からの軍部改革を訴えさせ、感情論に留まらない現実的なアプローチを示したことも信頼感を高める一因となった。

 

 ジョアン・レベロの進歩党は、ハイネセン的自由主義と反戦論を堅持して、支持を確保しようと試みた。緊縮財政と増税の必要性を訴え、経済成長は規制緩和と市場原理の尊重によって成し遂げるべきと主張した。トリューニヒトの手法を警察権力の増大を招くものと批判し、自由な社会の堅持を訴えた。帝国が近い将来に起きる内戦で消耗すれば、和平も可能だとの見通しを示した。具体的な根拠を示し、理路整然と自分の政策を説明する姿勢は誠実そのものだったが、変革を求める市民感情からは完全にかけ離れていた。支持率は五パーセント前後まで低下している。

 

 もはや、トリューニヒトの圧勝を疑う者はいなかった。トリューニヒトファンの俺としては、大いに喜ぶべきことであろう。しかし、強い指導者として人気を集めていく彼と、自分の知っている気さくな彼が違う人間のように見えてしまって、多少の寂しさも感じる。

 

 帝国ではブラウンシュバイク公爵とリッテンハイム侯爵を中心とする不平貴族数千人が帝都オーディン郊外のリップシュタットに集まって、帝国宰相リヒテンラーデ公爵とラインハルトに対抗するための同盟を結んだそうだ。大軍を集めることで兵力に劣るリヒテンラーデ公爵とラインハルトを威圧して屈服させるつもりなのだろう。しかし、緊張を高めて妥協を引き出すなんて、大抵は失敗するものだ。武力衝突は必至だった。

 

 同盟も帝国も大きく動いている。こんな時には今のトリューニヒトのような強い指導者が必要なのかもしれない。そう思った。

 

 

 

 帰還兵歓迎式典を翌日に控えた三月二四日。すっかり春の色に変わったハイネセンの街角を俺は歩いていた。ソフトクリームを食べながら歩いても体が冷えない程度に暖かく、ソフトクリームが溶けない程度に涼しく、一年で最も過ごしやすい時期である。

 

 今日で二個目のソフトクリームを片手に持って食べながら、ゆっくりと道を歩く。二週間ぶりに官舎に戻ってゆっくり休んだおかげで心も体もリフレッシュされて、世界の色彩が鮮やかになったように感じる。昨日は国防委員長直々の休養命令を受けて、一日だけ休ませてもらったのだ。そして、出勤も昼からで良いという。どういうつもりでネグロポンティが休暇をくれたのかは良くわからないが、ありがたく休ませてもらった。

 

 総選挙直前ということもあって、街中は選挙ポスターだらけだった。ハンサムなトリューニヒトが優しく微笑む国民平和会議のポスター、若く美しいエドワーズが凛とした眼差しで遠くを見据える反戦市民連合のポスター、髪と髭をきっちり整えた紳士風のレベロが硬い表情をしている進歩党のポスター、野性的な風貌のラロシュが軍服を身にまとって拳を握りしめる統一正義党のポスターは、それぞれ党風を象徴しているかのようだ。

 

「すいません」

 

 声のした方向を見ると、明るいオレンジ色のトレーナーを着た女の子がスッとビラを差し出した。ソフトクリームを持ってない右手でビラを受け取る。

 

「あなたが変える

 

 私が変える

 

 我が国の未来 

 

 安心と安全のリーダーシップ

 

 国民平和会議 ユベール・ボネ」

 

 ビラには、地味なスーツをきちっと着こなした初老の男性の写真がプリントされていた。国民平和会議副議長のユベール・ボネ。国家保安局の防犯部長を務めた元警察官僚である。トリューニヒト派の大物だが、この選挙区から立候補してるとは知らなかった。

 

「ボネ先生をよろしくお願いします」

 

 にっこり微笑む女の子が着ているトレーナーには、トリューニヒトのイラストがプリントされていた。そして、オレンジはトリューニヒトのイメージカラー。考えるまでもなかった。彼女は国民平和会議の選挙スタッフだ。

 

「あれ?」

 

 女の子は俺を見て首を傾げる。

 

「どうしたんですか?」

「エリヤ・フィリップス少将閣下ですよね……?」

「そうですが」

「あー、やっぱり!お久しぶりです!」

 

 どこで知り合った人なのだろうか。じっくり観察してみる。年齢は二〇歳前後。この年頃の子にしては珍しく化粧をしていないが、すっぴんでも十分通用する肌だ。髪型は少々古臭いが、清潔感はある。清貧というか、禁欲的というか、そんな感じがする。こんな子がなんで俗っぽさが売りの国民平和会議の選挙スタッフをやってるのだろうか。

 

「みんな、閣下の活躍を楽しみにしてるんですよ!」

 

 どうやら俺のファンらしい。ソフトクリームを口にして糖分を補給してからもう一度考えてみたが、やはり思い出せなかった。とても嬉しそうにしている彼女には悪いが、聞いてみるしかない。

 

「申し訳ありません、どこでお会いしましたっけ?」

「ああ、すいません。三年前の夏です。閣下に教会のビラをお渡ししたんですよ。あの時はアイスキャンディーを召し上がってらっしゃいましたよね」

 

 思い出した。ハイネセン第二国防病院を退院した翌日、憲兵司令部に向かう途中に地球教徒の女の子からビラを貰った。エル・ファシル出身と聞いて、いたたまれなくなって逃げ出したのだ。

 

「あの時の方でしたか。雰囲気が違ってたから、わかりませんでした。本当に申し訳ないです」

「いいですよ、別に」

 

 必死で頭を下げる俺を彼女は笑って許してくれた。

 

「確か二年前は教会で奉仕活動をしながら、大学を目指してるっておっしゃってましたよね?」

「ええ」

「今も勉強続けてらっしゃるんですか?」

「去年からテンプルトン大学に入りました」

「凄いですね……」

 

 テンプルトン大学は私立の名門と言われる。社会科学の研究が盛んで、民主化支援機構専務理事を務めたワン・チー博士など、数多くの大学者を輩出した。民主化支援機構に多くの人材を送り込み、「解放区はテンプルトン学派の実験場」と皮肉る声もある。それはともかく、教会で暮らしながらあんな高レベルの大学に合格したというのはとても凄い。

 

「信仰の力です。母なる地球が私を支えてくださったんです」

 

 目がきらきらと輝いている。相変わらず信仰は続けているようだった。地球教徒がトリューニヒトの党の選挙スタッフをやっている。それ自体は何らおかしいことではない。

 

 地球教団は国民平和会議の支援団体の一つだった。宗教団体が政党の支援団体になり、信者を動員して選挙運動を手伝わせるなんて珍しいことでもない。国民平和会議を支援している宗教団体は一〇を下らないし、その中で地球教団より大規模な団体はいくつもある。今のところ、地球教団は大きな問題を起こしていない。前の歴史ではトリューニヒトの間に黒い関係があったという噂があったが、ローエングラム朝の憲兵隊が調査より教団殲滅を優先したために真相は闇の中だった。

 

 おかしなことは何一つ無いはずだった。しかし、別人になったかのように強い指導者となったトリューニヒトと地球教団がセットで並ぶと、なんか不吉な感じがする。今はどうなってるか知らないが、前の歴史の地球教団はフェザーンを動かすことができた。帝国政府要人に接近できるような暗殺組織も持っていた。見かけよりずっと強大な力を持つ地球教団がトリューニヒトの躍進に協力してる可能性は……。

 

「どうかしました?」

「いや、なんでもないですよ。ところで学費はどうなさったんですか?テンプルトン大学の学費って、結構高いですよね?」

 

 純真な彼女の前で地球教団を疑っていることに後ろめたさを感じた俺は、慌てて話題を変えた。

 

「奨学金をいただいたんです」

「教団の?」

「いえ、ユニバース・ファイナンス奨学財団の奨学金です」

「ユニバース・ファイナンス社ですか」

 

 ユニバース・ファイナンス社は、トリューニヒトの有力支援企業の一つだった。投資事業で稼ぎ出した資金を使って企業を次々と買収し、ほんの一〇年で同盟有数の複合企業にのし上がった。経営陣にはフェザーン系外資の同盟法人幹部経験者が名を連ねており、フェザーン流経営が躍進の原動力とされる。

 

 ふと、頭の中でフェザーンとトリューニヒトが地球教という糸を介して繋がってるような。そんな連想をしてしまった。しかし、それは考え過ぎというものだろう。フェザーン自治領主府はすべてのフェザーン企業を支配下に置いているわけではない。それにフェザーン系外資の同盟法人幹部経験者なんて、投資や金融の大手にはいくらでもいる。疑い出せばきりがない。

 

「勉強頑張ってください」

「はい!ありがとうございました!」

 

 明るい彼女の声を背に、その場を去っていった。前の歴史を動かしたプレイヤーがちゃくちゃくと表舞台に出てきている。帝国のプレスブルク中将、同盟のセレブレッゼ中将のように前は登場しなかったプレイヤーもいるし、アムリッツァの結果のように既に大きく変わってる点もあり、とっくに展開は変わってる。それでも聞いたことがあるプレイヤーが出てくるのは、心臓に良くない。

 

 国防委員会に到着した俺は、まっすぐに国防委員長室に向かった。出勤したらすぐに国防委員長ネグロポンティのもとに顔を出すように言われていたのだ。

 

 委員長室にはネグロポンティの他に、珍しい人物がいた。統合作戦本部統括担当次長クレメンス・ドーソン大将だ。ネグロポンティとドーソン大将は親しい関係にあるが、統合参謀本部から国防委員会まで気軽に行き来できるほど暇ではない。軍政のトップと軍令のナンバーツー。同盟軍の超重要人物二人が揃っているなんて、只事ではない。

 

「エリヤ・フィリップス、ただいま到着しました」

 

 背筋をピンと伸ばして敬礼をする。

 

「ご苦労」

「どのような用件でありましょうか?」

「それについては、ドーソン次長から説明がある」

 

 ネグロポンティがドーソン大将の方を見る。ドーソン大将は咳払いをした後、ゆっくりと口を開いた。

 

「昨日、首都防衛司令官ロモロ・ドナート中将が地上車に跳ねられて病院に運ばれた。貴官にはドナート中将が職務に復帰するまでの二か月間、代理を務めてもらいたい」

 

 首都防衛司令官はその名の通り、同盟首都ハイネセンポリス及び惑星ハイネセンの防衛部隊を指揮する。戦力は地上部隊四個師団と宇宙部隊一〇個戦隊。その他、軌道防衛部隊や大気圏内空軍部隊も指揮下に入る。途方も無い大任だ。それにしても、俺が代理になるというのは不自然である。

 

「どうして小官が代理を務めるのでしょうか?首都防衛軍の副司令官は空席ですから、最先任のアラルコン少将が代理となるはずですが」

「それではまずいのだ」

「なぜでしょうか?」

 

 アラルコン少将は国家救済戦線派の幹部だが、軍人としては一流だ。俺なんかより、ずっとうまく務まるではないか。何がまずいんだろうか?

 

「二日前、第一空挺軍団司令官レフ・ドロコフ少将が階段から転落して入院した。指揮権を引き継いだのは、副司令官マルク・リリエンバーグ准将」

「順当な人事ですよね」

「四日前、横領が発覚した第九機甲師団長アシュトン・セクスビー准将は職務停止処分を受けた。指揮権を引き継いだのは、副師団長チュス・ガメス大佐」

「何かおかしいのでしょうか?」

「五日前、第五陸戦軍団司令官モイミール・クリシュ少将が何者かに襲撃されて重傷を負った。指揮権を引き継いだのは、最先任の師団長エルメル・カンニスト准将」

「確か強盗に遭われたんでしたよね」

 

 自業自得のセクスビー准将はともかく、他の二人は運が悪いとしか言いようがない。それにしても、立て続けにハイネセン周辺の地上部隊指揮官がトラブルに見舞われるなんて、珍しいこともあるものだ。

 

「この二週間でハイネセン周辺に駐屯する七つの部隊で指揮官が動けなくなった。昨日で八つ目になるな」

「偶然にしては、できすぎてますね」

「これを偶然と思うのは、貴官ぐらいだと思うがな」

 

 ドーソン大将は嫌味たっぷりに言う。

 

「サンドル・アラルコン、マルク・リリエンバーグ、チュス・ガメス、エルメル・カンニスト。共通点は?」

 

 出来の悪い生徒に噛んで含めるように、ドーソン中将は指揮権承継資格者の名前をあげる。アラルコン少将は国家救済戦線派の代表世話人の一人。リリエンバーグ准将も代表世話人だったはずだ。ガメス大佐は部隊教育にラロシュの著書を使って、懲戒処分を受けたと聞いたことがある。カンニスト准将は第一〇艦隊の陸戦隊司令官だった時に過激思想で周囲を辟易させて、当時の艦隊司令官ウランフ中将に更迭された人だったはず。なるほど、そういうことか。

 

「国家救済戦線派ですね」

「そうだ。現時点でハイネセン周辺に駐屯する地上戦力の半数が国民救済戦線派の手に落ちた。アラルコンが首都防衛軍の指揮権を掌握すれば、宇宙戦力まで掌握されることになる」

「まさか……」

 

 何の意図も無しに、国家救済戦線派がハイネセン周辺の地上部隊を掌握しようと考えるはずがない。彼らが地上部隊の指揮権を掌握しようとする狙い。答えは一つだ。

 

「現在、ハイネセンでクーデター計画が進行している。我々はそう判断して、調査を開始した。まだ全貌は明らかになっていないが、証拠が固まった段階で関与した者を拘束する」

 

 クーデターという言葉は、どこか現実離れしているように感じる。しかし、ハイネセン周辺の地上戦力が国家救済戦線派に掌握されつつあるのは事実だ。選挙で勝てないと悟ったラロシュの信奉者は、クーデターによって軍事独裁を実現するつもりに違いない。とんでもないことになった。

 

「速やかに首都防衛軍を掌握し、内部の国家救済戦線派を監視せよ。それが貴官の任務である」

「監視だけでよろしいのですか?」

「奴らの支持者が大勢紛れ込んでいる首都防衛軍を鎮圧に使うのは危険すぎる。出動命令を出したら、貴官を拘束した上でこれ幸いと首都の制圧に乗り出しかねない。鎮圧には信頼できる別の部隊を用いる」

 

 ドーソン大将の言葉からは、事態が想像以上に切迫していることが伺えた。俺がしくじれば、首都防衛軍はクーデターに参加してしまう。昨年の敗戦で同盟は疲弊した。今クーデターが起きたら、滅亡してしまう。鎮圧できたとしても、市民は軍に対する信頼を失い、滅亡への道を歩むことになる。何としてもクーデターを阻止しなければならない。そう誓った。



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第十二章:暗闘の首都
第十二章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。首都防衛司令官代理。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。帝国領遠征で婚約者のダーシャ・ブレツェリを失う。国防委員会高等参事官として捕虜交換に関わった後、首都防衛軍の国家救済戦線派監視を命じられる。小柄で童顔。真面目。努力家。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。運用能力はそこそこ。用兵は下手。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

旧第三六戦隊関係者

チュン・ウー・チェン 35歳 男性 原作人物

同盟軍准将。旧第三六戦隊参謀長。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事のすべてに通じる。参謀チームを取り仕切るエリヤの知恵袋。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ハンス・ベッカー 32歳 男性

同盟軍大佐。亡命者。旧第三六戦隊情報部長。参謀チームのムードメーカー。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 37歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。旧第三六戦隊人事部長。参謀チームの司令部の引き締め役を担う重鎮。公正な堅物。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

シェリル・コレット 24歳 女性 オリジナル人物

同盟軍少佐。旧第三六戦隊司令官副官。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。有望な若手士官。頭の回転が速い。機転が利く。引き締まった長身。感情表現が豊か。トレーニング好き。

 

クリス・ニールセン 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。旧第三六戦隊作戦部長代理。参謀チームで最も若い部長。オーソドックスな部隊運用をする。純朴で生真面目。少食。

 

リリー・レトガー 39歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。旧第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。参謀チームのムードメーカー。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

エドモンド・メッサースミス 25歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。旧第三六戦隊作戦参謀。グリーンヒルに目をかけられた有望な若手士官。未熟だが意欲は高い。社交性がある。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

エリオット・カプラン 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。旧第三六戦隊人事参謀。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。能力も意欲も完全に欠如。参謀チームのお荷物。あまりの役立たずぶりにエリヤに愛想を尽かされた。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。元ベースボール部のエース。

 

アルタ・リンドヴァル 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍医中佐 旧第三六戦隊衛生部長。精神科医。メンタルケアの指導にあたる。

 

エドガー・クレッソン 50代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第二分艦隊司令官。エリヤの上官。長く苦しい撤退戦を闘いぬいた。優れた戦術指揮官。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ジャン=ジャック・ジェリコー 40代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第二分艦隊参謀長。第二分艦隊と第三六戦隊の連絡役。味方の思惑に翻弄される自分の立場に絶望。アムリッツァ会戦終盤に沈みゆく旗艦に留まって死亡した。気が弱い。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳(故人) 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。遠征終了後にエリヤと結婚する予定だったが、アムリッツァ会戦で負った傷が元で死亡した。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代半ば 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧する。陸戦専科学校教官時代にアルマを指導した。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 34歳(行方不明) 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。士官学校卒の参謀。撤退戦の最中に行方不明となる。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。海賊討伐作戦でエリヤとともに戦う。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

ジェリコ・ブレツェリ 60歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍准将。フェザーン移民の子。下士官から叩き上げた後方支援のベテラン。アムリッツァ会戦で3人の子供をすべて失った。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

アルマ・フィリップス 24歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。食いしん坊。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 42歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。最高評議会議長。国民平和会議代表。警察官僚出身の主戦派政治家。帝国領遠征が失敗に終わると、最高評議会議長に就任。警察や憂国騎士団を使った暴力的な戦犯断罪によって支持を広げる。改革市民同盟を解党して新党国民平和会議を結成。政治家を軽んじる旧シトレ派軍人を不快に思っている。凡人のための世界を作るという理想を持つ。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。蕩けるような愛嬌。人懐っこい笑顔。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。長身。俳優のような美男子。人間のエゴに肯定的。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大将。統合作戦本部統括担当次長。旧シトレ派を牽制するために統合作戦本部に送り込まれた。エリヤに国家救済戦線派の監視を命じる。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の情報参謀。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ジャクリ 60代前半 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。トリューニヒト派の提督。部隊運営に熱心な人物。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 27歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍予備役准将。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。帝国領遠征の敗戦責任を押し付けられて、予備役に追いやられる。転換性ヒステリー治療の名目で精神病院に押し込められた。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 59歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍退役元帥。前宇宙艦隊司令長官。天才ラインハルトと互角に戦った超一流の用兵家。人心掌握や権謀術数にも長ける。帝国領遠征失敗の責任を取って引退。病気治療を名目に責任を逃れる。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 34歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊司令官。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征で味方の撤退を援護している最中に重傷を負って捕虜となったが、捕虜交換で帰国。強烈な覇気の持ち主。天性のリーダー。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

シャルル・ルフェーブル 69歳 男性 原作人物

同盟軍大将。辺境総軍司令官。士官学校を出てから半世紀近く艦隊勤務を続ける生粋の軍艦乗り。重厚で隙のない用兵をする名将。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。エルゴン星系で辺境防衛を統括する。飄々とした老人。ロボス暗殺未遂関与疑惑がある。前の歴史では帝国領遠征で戦死。

 

カーポ・ビロライネン 36歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。優秀な参謀。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

イヴァン・ブラツキー 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。アムリッツア会戦で第一二艦隊を使い潰そうとした。用兵家としては凡庸だが、粘り強さと運用能力に優れる。凡人が努力で到達しうる最高峰レベルの指揮をする。

 

アナスタシヤ・カウナ 20代 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。元後方支援集団参謀。アムリッツァ会戦において総司令部から第三六戦隊に派遣された監視役。

 

ポルフィリオ・ルイス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。アスターテやアムリッツァで活躍した有能な指揮官。

 

旧シトレ派関係者

シドニー・シトレ 60歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍退役元帥。前統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。帝国領遠征に反対したが、引退に追いやられた。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ドワイト・グリーンヒル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。国防委員会査閲部長。あらゆる派閥に顔が利く社交の達人。軍部の安全装置と言われる良識の人だが、権謀術数にも長ける。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷。前の歴史ではクーデターの首謀者となるが敗死した。

 

アレクサンドル・ビュコック 71歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。宇宙艦隊司令長官。反トリューニヒト派。兵卒から半世紀以上かけて宇宙艦隊司令長官まで上り詰めた伝説の人。巧みな砲術指揮と粘り強さに定評がある。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。反骨精神が強い。前の歴史ではチュン・ウー・チェンとともにラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ヤン・ウェンリー 30歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。イゼルローン方面軍司令官。反トリューニヒト派。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。イゼルローン回廊で帝国の侵入に備える一方でトリューニヒトとの敵対姿勢を強める。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。反権威主義者。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 36歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。イゼルローン要塞事務監。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷されたが、ヤンによってイゼルローン方面軍に呼ばれる。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。イゼルローン要塞駐留艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 33歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。イゼルローン要塞防衛軍司令官代理。ローゼンリッターの前連隊長。イゼルローン要塞掌握に取り組んでいる。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 27歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッターの連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。脱色した麦わら色の髪の美男子。白兵戦技と射撃術の達人。絵と歌がうまい。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ウラディミール・ボロディン 40代(故人) 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征において、部下を救うべく独断での退却を決断した。撤退戦の際に後続を断つために踏みとどまる。奮戦の末に自決。ノーブレス・オブリージュを体現した名将の中の名将。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

ヤオ・フアシン 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。元第一二艦隊副司令官。実戦派の提督。豪胆な人物。トリューニヒトを嫌っている。ボロディンから撤退戦の指揮を引き継ぐ。

 

アーイシャー・シャルマ少将 60代(故人) 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊後方支援集団司令官。飄々とした人物。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。統合作戦本部長。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。帝国領遠征後に統合作戦本部長に就任。トリューニヒトと対立する。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退。

 

国家救済戦線派関係者

サンドル・アラルコン 50代 男性 原作人物

同盟軍少将。第二巡視艦隊司令官。国家救済戦線派代表世話人の一人。非戦闘員殺害疑惑と過激思想で悪名高い人物。苛烈な戦闘精神と指導力の持ち主。有能な艦隊指揮官であり教育者である。原作では第八次イゼルローン攻防戦で敵を侮って深入りして戦死。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ユリエ・ハラボフ 26歳 女性 オリジナル人物

同盟軍軍人。士官学校上位卒業のエリート。ドーソンの副官を務めた後、不祥事によって辺境に左遷。エリヤの無神経な言葉に深く傷つき、口もきかない間柄になっている。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。丁寧で細かい仕事をする。徒手格闘の達人。

 

マティアス・フォン・ファルストロング 70代 男性 オリジナル人物

亡命者。門閥貴族の名門ファルストロング伯爵家の二二代当主。帝国の元フェザーン駐在高等弁務官。政争に敗れて同盟に亡命してきた。匂い立つような気品を全身にまとった銀髪の老紳士。神経が凄まじく太い。どぎつい冗談を好む。逆境も楽しめる楽天家。

 

ライオネル・モートン 46歳 男性 原作人物

同盟軍中将。元第九艦隊副司令官。異数の武勲を重ねて二等兵から提督まで叩き上げた。同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督と言われる名将。不屈の戦闘精神の持ち主。帝国領遠征で味方の撤退を援護している最中に捕虜となったが、捕虜交換で帰国した。実年齢より数年老けて見える。無骨な人物。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 62歳 男性 原作人物

最高評議会副議長・財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。帝国領遠征に反対し、サンフォード政権崩壊後に副議長となる。大衆受けしない選挙戦略が祟って支持を失う。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。国民平和会議に支持層を奪われて支持を失う。国家救済戦線派に理論面で絶大な影響を与える。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。帝国領遠征の責任を取って辞任。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。帝国領遠征後も安全保障諮問会議委員に留まる。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

ジェシカ・エドワーズ 29歳 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合所属。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。国防政策に強い。大衆路線が功を奏して総選挙で支持を伸ばす。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

マルコ・ネグロポンティ 40代後半 男性 原作人物

国防委員長。トリューニヒト派政治家。トリューニヒトが最も信頼する腹心。ドーソンとともにエリヤに国家救済戦線派監視を命じる。前の歴史ではヤンを査問会に掛けた責任を問われて失脚。

 

ハリス・マシューソン 60代後半 男性 原作人物

同盟軍退役准将。国防副委員長。トリューニヒト派政治家。地方部隊司令官を歴任し、タナトス星系警備管区司令官を務めた。狭量な人物。能力もさほど高くない。前の歴史では赴任の挨拶をしなかったヤンに不快感を感じた。

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 51歳 男性 原作人物

同盟軍大将。後方支援集団司令官。同盟軍最高の後方支援司令官。辺境に左遷されていたが、捕虜交換に際して中央に呼び戻される。400万人の捕虜を迅速に輸送した功績で大将に昇進。再起を果たす。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 51歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 38歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 53歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。



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第百四話:チームフィリップス再起動 宇宙暦797年3月25日~3月28日 第三巡視艦隊司令部

 帰還兵歓迎式典が執り行われた三月二五日、俺は空席だった首都防衛副司令官に就任。交通事故で入院した首都防衛司令官ロモロ・ドナート中将の代理として、首星ハイネセンの守りを担う首都防衛軍を指揮下に置いた。

 

 この二週間の間に、ハイネセン周辺に駐屯する地上部隊の指揮官が立て続けに職務遂行不可能な状態に陥り、過激思想を信奉する国家救済戦線派の幹部が指揮権を掌握した。首都に近い地上戦力の半数が過激派の手中に落ちたというのは、極めて深刻な事態である。国防委員長ネグポンティと統合作戦本部統括担当次長ドーソン大将は、国家救済戦線派が地上部隊を掌握してクーデターを企てていると判断。サンドル・アラルコン少将の宇宙防衛軍掌握を阻止するために、俺を司令官代理に任命したのだ。

 

 首都防衛軍は地上部隊三個軍団と宇宙部隊一〇個戦隊の他、宇宙防衛管制隊、軌道防衛隊、大気圏内空軍なども傘下に収め、宙・陸・空すべての攻撃に対応する能力を持つ。ハイネセンに駐屯する正規艦隊や中央地上総軍といった外征戦力を指揮下に収めることはないが、一つの惑星を警備するには十分すぎる戦力を持つ。同盟政府の近衛隊とも言うべき部隊が過激派のアラルコン少将に掌握されたら、確実にクーデターが起きる。この任務の成否に、民主政治の未来がかかっていた。緊張せずにはいられない。

 

 憲兵司令部から取り寄せた資料によると、首都防衛軍の三割が既に国家救済戦線派に浸透されていた。他の部隊も主要幹部の顔ぶれから判断するに、反トリューニヒト色が強いと見られる。俺の司令官代理就任に対し、「首都防衛軍をトリューニヒト親衛隊にするつもりか」と不快感を示す者も少なくないと聞く。

 

 いかに部隊が反感を抱いていても、上位司令部がしっかりしていれば抑え込むことはできる。司令部は報告書や記録類を通して、部隊の弱点を知ることができる。司令部から送られてくる補給と情報が無ければ、部隊は行動できない。帝国領遠征において総司令部を敵に回した第一二艦隊がたちまち窮地に陥ったことは、苦い記憶として残っている。首都防衛軍司令部を掌握すれば、国家救済戦線派を抑えるのも難しくないと思っていた。

 

 しかし、司令部に着任して早々に、参謀長イヴェット・チャイルズ少将をはじめとするスタッフの冷ややかな視線に直面した俺は、自分が甘かった事を知った。参謀のほとんどは、ドナート中将と同じ旧シトレ派である。政治が軍に介入することを何よりも嫌う彼らは、俺の司令官代理就任を司令官の入院に付け込んだトリューニヒトの介入と判断したらしい。

 

 首都防衛軍の現状を把握しようと思って参謀に情報提供を求めても、部外者への説明用に簡略化したような薄っぺらいファイルが出てくるだけ。書類はすべて参謀が処理してしまって、俺は最後のサインのみを求められる。一つ一つ細かく条件指定した上でしつこく催促しないと、資料の一つも出てこない。

 

「将兵の借金問題に関する資料を持ってきてくれないかな」

「それでは曖昧に過ぎて、どの資料を閣下が必要となさっているのかわかりかねます」

 

 まともな参謀なら関係する資料をひと通り持ってきて、要不要は司令官に選ばせるものだ。

 

「関係する資料をひと通り持ってきてくれたらいいから」

「ですから、何がどう関係するのかわかりかねると言っているのです」

 

 もちろん、参謀の仕事をしている人間がわからないということは有り得ない。仮にわからないのであれば、資料が保管されている場所に司令官を連れて行って、一緒に探すぐらいのことはする。

 

「ああ、済まない。部隊ごとの借金トラブル発生件数に関する向こう三年間の統計」

「そんな名前のファイルはありません。ファイル名を正確に言っていただけなければ、取り出しようもありません」

 

 もちろん、資料のタイトルを一言一句正確に言わなければならないという決まりはない。しかし、不満そうな表情を見せるとこう言われる。

 

「他の部隊のことは存じませんが、首都防衛軍ではそのように決まっております」

 

 実に官僚的な答弁である。旧シトレ派は融通が効くというイメージがあるが、長年にわたって巨大組織の同盟軍を動かしてきたトップエリート集団だけに、こういうやり口はお手のものなのだ。第一二艦隊の無断撤退を総司令部に伝えた時のグリーンヒル大将の対応は、官僚的な巧妙さに満ちていた。

 

 頭脳、耳目、手足となるはずの参謀がこんな態度では、まったく仕事にならない。しかし、ドナート中将が選んだ参謀を、代理に過ぎない俺が勝手に更迭するわけにはいかなかった。部隊運営そのものは手続きに則って滞り無く進んでいるため、職務怠慢で告発することもできない。エリート参謀の巧妙な抵抗の前に、手も足も出なかった。こんな有様では、首都防衛軍司令部は頼りにならない。

 

 首都防衛軍副司令官は地上部隊の軍団長、もしくは三~四個戦隊からなる巡視艦隊の司令官を兼ねる。クーデターに備えるのであれば、地上部隊を率いた方がいいが、俺は地上部隊運営のノウハウを持っていなかった。部隊を掌握する前に国家救済戦線派が行動に出てしまっては、元も子もない。だから、第三巡視艦隊司令官に就任した。

 

 第三巡視艦隊の保有戦力は三個戦隊二〇三〇隻。首都防衛軍の中では例外的に反トリューニヒト感情が薄い部隊で、前任の司令官はトリューニヒト寄りだった。俺が司令官になっても他派閥の反感を買わず、なおかつ掌握しやすい部隊を選んだのである。首都防衛軍司令部の代わりに、この部隊を国家救済戦線派対策の拠点として活用することにした。

 

 まず、司令部の参謀を信頼できる人物で固めた。幸いなことに第三六戦隊で苦労を共にした参謀は、動かしやすいポストにいる者ばかりだった。俺を実戦部隊の指揮官にしようと考えていたトリューニヒトは、着任と同時にベストメンバーでチームを組めるように配慮してくれていたのだ。

 

 参謀長に元第三六戦隊参謀長チュン・ウー・チェン准将、副参謀長に元第三六戦隊人事部長セルゲイ・ニコルスキー大佐を起用した。チュン准将は従来通り司令部全体の采配、ニコルスキー大佐は管理業務全般を担当する。部隊規模の拡大に伴う業務量増加に対応するために、副参謀長職を設置した。

 

「作戦部長はニールセン中佐、情報部長はベッカー大佐に引き続きお願いしたい」

 

 俺がそう言うと、元第三六戦隊作戦部長代理クリス・ニールセン中佐、元第三六戦隊情報部長ハンス・ベッカー大佐は頷いた。

 

「副参謀長になったニコルスキー大佐の人事部長、統合作戦本部入りしたレトガー大佐の後方部長が空いたね。後任はどうしようか?」

 

 俺は参謀長チュン准将、副参謀長ニコルスキー大佐、作戦部長ニールセン中佐、情報部長ベッカー大佐の顔を見回した。統合作戦本部に転出したリリー・レトガー大佐を除く旧第三六戦隊司令部の部長級参謀を第四会議室に集めて、第三巡視艦隊の参謀チーム編成会議を開いているのだ。最も信頼する彼らには、ドーソン大将の許可を得て本当の任務を告げている。クーデター阻止のために必要なメンバーを集める会議でもあった。

 

「小官の後任はファドリン中佐で問題ないでしょう。人事部を良くまとめてくれるはずです」

「確かに彼女以上の人材は思い浮かばないな」

 

 ニコルスキー大佐の推薦通り、元第三六戦隊人事参謀のリリヤナ・ファドリン中佐を人事部長に昇格させることに決めた。

 

「難しいのは後方部だね。全体をまとめられる人がいない。レトガー大佐の統率力に依存しすぎてた。彼女がいずれ中央入りするのは既定路線だったから、リーダーシップを取れる人材を一人ぐらい採用するべきだったのに」

 

 自分の先見の明の無さに、思わずため息が出てしまう。元第三六戦隊後方部長のレトガー大佐は、ドーソン大将の腹心だった。階級こそ二つも違うが、トリューニヒト派内部では俺と対等に近いポジションにある。旧シトレ派にも顔が利く。中央の要職に登用される可能性は、十分に想定できた。手を打たなかったのは、俺のミスである。

 

「落としてしまったパンを嘆いても仕方ないでしょう。拾って食べれば良いのです」

 

 何を言いたいのか良く分からないチュン准将の微妙な比喩に、みんなで顔を見合わせる。行儀の悪いチュン准将は、しょっちゅうパンを床に落とすが、平気な顔で拾って食べるのだ。要するに「くよくよするな」ということなのだろうか。

 

「旧第二分艦隊司令部のメンバーから選ぶしかなさそうですな」

 

 ベッカー大佐が何事も無かったかのように話を進める。

 

 部隊規模が大きくなれば、当然それを動かすための参謀も増員しなければならない。知り合いの中から選びたかったが、憲兵司令部や第一一艦隊司令部で知り合ったドーソン系参謀は、みんな軍中央の要職に就いている。エル・ファシル警備艦隊で知り合った人は、半数が正規艦隊入りして、残りの半数はビューフォート准将の参謀になった。第一一艦隊第一分艦隊で知り合った人は、そのまま第一一艦隊司令部に横滑りしている。そこで第三六戦隊の上位部隊だった第一二艦隊第二分艦隊司令部の生存者を中心に選んだ。彼らは帝国領遠征を共に戦い抜いた戦友である。

 

「ヴォルゴード後方部長は戦死、後方部ナンバーツーのヴァルザー中佐はサルキシャン准将に引っ張られました。そうなると、パレ中佐かシャーキン中佐でしょう」

 

 チュン准将は第二分艦隊司令部後方部の主な参謀の名前をあげる。比喩を聞かなかったことにされたことなど、まったく気にかけていない。

 

「シャーキン中佐は切れ者だけど、切れすぎてちょっと怖いね。パレ中佐はシャーキン中佐ほど仕事はできないけど、温和で付き合いやすい。パレ中佐がいいな」

「では、パレ中佐にお願いしましょう」

 

 オディロン・パレ中佐の後方部長起用が決まると、作戦部長ニールセン中佐が肩から力を抜いて大きく息を吐いた。性格がきついシャーキン中佐が後方部長になったらどうしようと心配していたのだろう。

 

「部長職はこれで全部決まったね。次はこの二人の人事について、みんなの意見を聞きたい」

 

 俺がテーブルの上に置いたのは、元作戦参謀のエドモンド・メッサースミス少佐と元副官のシェリル・コレット少佐のファイルだった。

 

「まずはメッサースミス少佐。彼はコミュニケーション能力が高い。そして、真面目で努力家。だけど、ちょっと臨機応変さに欠けるように感じる。調整型の人材だよね」

「確かにそうですね」

 

 上司だったニールセン中佐は同意を示す。

 

「調整型の作戦参謀もそれはそれでありかもしれない。でも、彼の能力は兵站でより生きてくるような気がするんだ」

「しかし、彼は戦略研究科出身の秀才。理論をしっかり学んでいます。作戦以外をやらせるのは、もったいないような」

 

 首を傾げるニールセン中佐に、ニコルスキー大佐が頷く。反応を示さないのはマイペースなチュン准将と帝国出身で戦略研究科のことが良くわからないベッカー大佐。

 

 自由惑星同盟軍は常時臨戦態勢にあるため、任官後の軍人を軍学校で勉強させる余裕が無い。そのため、専門科に分かれて、基本的な参謀教育や指揮官教育を行う。専門科の中で最もレベルが高く、人気もあるのは戦略研究科。艦隊司令官や艦隊参謀に必要な戦略的戦術的素養の習得を主眼とする。卒業後は参謀となって、提督や参謀長を目指す。戦略戦術に強いことから、作戦立案や部隊指揮を任されることが多く、功績を立てやすい。同盟軍将官の六割がこの戦略研究科の出身であった。

 

「戦略研究科で学んだ運用理論は、兵站にも応用できる。あのセレブレッゼ大将は戦略研究科出身だしね。仮に兵站屋にならなかったとしても、兵站屋の視点を身に付けることで作戦屋としての幅が広がる」

「なるほど。確かに一理ありますね」

 

 史上最大の捕虜移送作戦を成功させて大将に昇進した時の人の名前は、ニールセン中佐とニコルスキー大佐を納得させるには十分だったようだ。

 

「さて、次はコレット少佐。少将の副官は大尉か中尉と決まってる。副官にはなれないから、参謀をやってもらうことになるね」

「参謀ですか……」

 

 ニコルスキー大佐が難しい顔をする。

 

「不満なんですか?彼女の頭脳なら十分務まるでしょうに」

「そう、ベッカー大佐の言う通り、頭脳なら十分、いや十分以上に務まる。だが、理論的基礎が弱い。戦略研究科で戦略戦術をやるか、経理研究科でロジスティックスをやった者でなければ、短期間で参謀業務に対応できない。戦略研究科でもロジスティックスを学ぶし、経理研究科でも戦略戦術は学ぶ。この両科は互換が効くが、他の科は難しい」

「その専門科制度ってのが良くわからんのですよ。小官の祖国では、士官学校生徒はすべてひと通りの知識を修得することになっていましたからね」

「我が国は帝国と違って、リソースに余裕が無いのでな。成績と適性を考慮して、参謀候補は研究科、前線指揮官候補は専修科と割り振ることで効率化を図っているのだ」

「秀才を集めて英才教育を施すってわけですか。そして、そこから漏れた者は専門職にすると」

「そういうことになるな」

 

 ニコルスキー大佐はベッカー大佐に、同盟士官軍学校の専門科制度を説明する。

 

「コレット少佐は陸戦専修科。陸戦指揮官を専門的に養成する科目だ。陸戦隊か地上部隊の大隊長が順当だろう。私としては陸戦隊に行ってもらって、いずれフィリップス提督のもとで艦隊陸戦隊を率いるための勉強をして欲しいと思うよ。専修科から将官になれる者は滅多にいないが、彼女の才能なら可能性は十分にある」

「まあ、確かに彼女の思考は戦術向きです。見栄えもいい。優秀な指揮官になるでしょうな。あれだけ頭が良いのに、戦略研究科とやらに行かなかった理由が良く分かりませんが」

「私にもわからんよ。世の中には不思議なことも多い」

 

 俺もその疑問は抱いていた。士官学校では優秀そうな生徒は、とにかく戦略研究科に行かせようとすると聞く。教え子が栄達したら、その教官の評価は半永久的に高まるからだ。コレット少佐ほど優秀なら、成績が悪くても教官が押し込もうとするはずである。

 

 たとえば、かのヤン・ウェンリーは中の上程度の成績だったが、戦略戦術関連の成績が抜群に良いことに注目したある教官が強引に押し込んだそうだ。嫌がるヤンを無理やり学年首席のワイドボーンと戦術シミュレーション勝負をさせて評価を高めてやり、戦史研究科廃止に加担して逃げ道を塞いだというから、念が入っている。あまりに強引すぎて、その教官は今でもヤンに憎まれているそうだが。

 

 しかし、戦略研究科を出ていないのであれば、なおさら参謀を経験させないといけない。俺自身、参謀経験のおかげで何とか指揮官が務まっているのだ。

 

「コレット少佐は積極性、柔軟性、分析力が抜群に高い。作戦向きの思考をしている。指揮官に進むにせよ、一度は作戦を経験して視野を広げて欲しいと思う」

 

 俺は宣言するように言った。

 

「勉強という意味での参謀ですか」

「そういうこと。副参謀長は彼女がいずれ将官になれると言った。将官になった時、参謀の視点の有る無しで大きく違ってくるはずだ。立案や分析ができない将官は、全面的に参謀に依存してしまうからね。ワーツ提督の例もある」

「あの方はワイドボーン参謀長に作戦を丸投げなさってましたからな。『俺には作戦は分からん。好きにやれ』と。当時は兵卒あがりの猛将と秀才参謀の美しい関係ともてはやされていましたが、あのような結果になってしまいました」

 

 三年前に戦死したラムゼイ・ワーツ少将の例をあげたら、ニコルスキー大佐の顔に浮かんだ難色が薄くなった。他の三人も興味深そうに聞いている。

 

「ワーツ提督は二等兵から叩き上げた猛将だったけど、参謀業務の経験は皆無。作戦はワイドボーン参謀長に丸投げして、自分は指揮に徹した。作戦というのは戦場の呼吸を感じる指揮官と、一歩下がった場所にいる参謀が異なる視点から協力して作っていかなければならない。ワイドボーン参謀長は優秀だったけど、一つの視点では足りない。だから、戦場の呼吸を読みきれずに、当時は少将だったローエングラム侯の奇襲を受けて敗死した。ワーツ提督が作戦を分かっていたら、展開は違っていたかもしれない」

「ビュコック大将は兵卒出身、ルフェーブル大将は士官学校の艦艇専修科出身ですが、ご自分で作戦案や分析書も作れますからね。参謀と対等に討論できる理論的素養もお持ちです」

 

 チュン准将は同盟軍を代表する二人の老提督の名前をあげる。いずれも参謀教育を受けていないにも関わらず、並の参謀では太刀打ち出来ないぐらい高い作戦能力を持った提督だ。

 

「そう、だから名将なんだ。前線一筋の両提督がどうやって作戦を勉強したのかはわからない。でも、後天的に身に付けることもできるわけだ」

 

 俺は出席者の顔をぐるりと見回す。

 

「コレット少佐はまだ二三歳。ビュコック提督やルフェーブル提督が作戦を勉強し始めた時期よりは何十年も早い。遅いなんてことはないよ」

 

 全員が賛成の意を示し、コレット少佐の作戦参謀起用が決まった。議論が少々長引いたが、彼女は今後のチームの中核になる人材の一人であることは全員が認めている。方針が分かれるのも当然であった。

 

「カプラン少佐はどうなさいますか?」

 

 ニコルスキー大佐が元人事参謀エリオット・カプラン少佐について質問する。

 

「駆逐艦の艦長に就任したばかりだ。急に動けと言われたら、彼も部下も迷惑するだろう」

「仰る通りです」

 

 俺の説明でニコルスキー大佐は引き下がった。トリューニヒト派の大物アンブローズ・カプラン代議員の甥にあたるエリオット・カプラン少佐は、能力も意欲も完全に欠けていたにも関わらず、どういうわけか参謀チームの中ではあまり嫌われていなかった。だから、排除するにもそれなりの説明が必要になるのである。

 

「彼はシュテンダールでベースボールの指導を通じて、住民との融和に大きく貢献した。現場で指導にあたってこそ生きる人材じゃないかと思うんだ」

「そう言えば、カプラン少佐は任官してからずっと司令部勤務でしたね」

「ミドルスクール時代はベースボール部のキャプテンだった。やはり、体を動かしながらリーダーシップを取るのが性に合ってるんだろうね。参謀では彼の良さを殺してしまう」

 

 空気が読めない上に仕事をしないカプラン少佐を目障りに感じた俺は、考課表を使って彼がいかに指揮官向きの人材かをせっせとアピールした。伯父のカプラン代議員に対しても、カプラン少佐のリーダーシップを賞賛した。その結果、めでたく駆逐艦の艦長に転出したのである。

 

「ところで今日面接したユリエ・ハラボフ大尉だけど、印象はどうだった?」

 

 今度はユリエ・ハラボフ大尉の処遇について話し合う。ドーソン大将の元副官だった彼女を採用することは、とっくに決まっていた。問題はどんな仕事を任せるかである。

 

「真面目な女性ですね。少々堅苦しいところはありますが、暗さはありません。人柄には好感を持てます。法律知識も豊富です。人事屋であれば、公正な仕事が期待できそうですね。ただ、人事経験を持たないのがネックになります。二六という年齢を考えれば、仕事に慣れるまで少々時間がかかるでしょう」

 

 ニコルスキー大佐は、人事屋としての立場から所見を述べる。

 

「でも、俺が初めて参謀を経験したのも二六の時だったよ」

「ご自分の適応力を基準になさるべきではないでしょう。付け加えますと、閣下は参謀に向いていないと考えます」

「どうして?」

「参謀には積極性は不可欠です。気づいたことは何でも指摘する。意見を通すためなら、手間は惜しまない。正面から通せないのであれば、搦め手から攻める。司令官に足りない部分を補うためなら、指示待ちではいけないのです。閣下は参謀としては、消極的に過ぎます」

 

 言われてみると、確かに俺は参謀に向いてない。第一一艦隊第一分艦隊の副参謀長だった時は良い仕事ができたが、あれは上司のルグランジュ提督が人使いの天才だったからだ。

 

「彼女は司令官閣下のご親戚ですか?」

「違うけど、どうしてそう思ったの?」

 

 ベッカー大佐の言葉に、びっくりしてしまった。確かにハラボフ大尉は俺の妹と顔の作りが似ている。しかし、俺と妹はあまり似ていないはずだ。それ以前にベッカー大佐と妹は面識がないが。

 

「いえ、印象が良く似てたので。国防委員会情報部の在籍経験があるとのことですが、知識量はなかなかですね。性格的にも情報向きでしょう」

 

 俺と印象が似てるというのは納得できなかったが、情報屋としての評価は納得できた。真面目で信頼の置ける人柄は、情報の世界では武器になる。イゼルローン方面軍のムライ参謀長は、優秀な情報屋と言われる。帝国のオーベルシュタイン総参謀長も前の人生で読んだ本によると、情報部出身だった。

 

「作戦以外は何でもできると思いますが、副官を任せてみてはいかがでしょうか」

 

 そう言ったのは、チュン准将だった。ハラボフ大尉と関係がこじれたきっかけは、副官の仕事だった。和解したとはいえ、そんな相手を副官に起用するというのは、少々心臓に悪い。

 

「どうしてそう思う?」

「コレット少佐と比べると柔軟性に欠けますが、周到さでは勝るという印象を受けました。憲兵司令部での勤務経験もあります。想定されるような任務であれば、ハラボフ大尉が適任でしょう」

 

 コレット少佐を副官に推薦したのもチュン准将だった。俺は気が進まなかったが、結局はチュン准将の意見が正しかった。今の俺はコレット少佐をチームの中核と考えている。ハラボフ大尉が副官にふさわしいというのもたぶん正しい。

 

 今回の任務は国家救済戦線派の監視、そしてクーデターの阻止である。情報に適性があるハラボフ大尉が副官に向いているというチュン准将の意見には、説得力があった。豊富な法律知識もこのような任務では武器になる

 

「参謀長の意見はわかった。ハラボフ大尉を副官にしよう」

 

 俺の後任の副官になったせいで失敗した人を副官に起用することになるというのも、妙な巡り合わせであった。そもそも、俺を嫌っていたはずの彼女が俺の部隊にやってくるまでの経緯自体が妙だった。

 

 

 

 第三巡視艦隊司令官就任が決まった当日、官舎でマフィンを食べながら端末を開いて司令部スタッフの人選を考えていた。呼ぶことに決めた人には、すぐに通信を入れて引き受けるかどうかを聞く。すぐに引き受けてくれそうな人を選んだため、リストはどんどん埋まっていった。そんな時にドーソン大将から携帯端末に通信が入ってきたのである。

 

「スタッフの人選は決まったか?」

「七割ほど決まりました。内諾も取れています」

「ほう、就任当日にそこまで意中の人材で埋めてしまうとは、大したものだ」

 

 ドーソン大将は感心したように、口ひげをひねる。大して上機嫌でもなさそうなのに、褒め言葉が出てくるなんて変だ。つい身構えてしまう。

 

「ところでだ、三割も空いてるのなら、一人ぐらい突っ込む余裕もあるのではないか?」

 

 来た。誰かを押し込んでくるつもりだ。ドーソン大将の性格なら、見込みのある若手は自分の手元に置いて育てる。トラブルメーカー、あるいは有力者の親族あたりを押し込んでくるつもりではないか。やっとカプラン少佐を追い出したのに、面倒なことになった。

 

「どんな方でしょうか?」

 

 余裕があるとは言わず、相手が何者かを聞く。大恩あるドーソン大将の推薦でも、あまりに変な人だったら断らなければならない。

 

「貴官はユリエ・ハラボフ大尉を高く買っていたな?」

「はい」

「それは今でも変わりないか?」

「変わりません」

 

 ハラボフ大尉の名前が出てきたことに戸惑いながら応答を続ける。確か、彼女は辺境に左遷されていたはずだ。ドーソン大将が大尉と呼んでいるということは、あれからまだ昇進していないことになる。経歴も能力も抜群なのに三年も昇進しないというのは、何かおかしい。

 

「貴官の司令部で使ってみる気はないか?」

「願ってもない話ですが、事情を聞かせていただけないでしょうか?」

「懲戒処分が重なって、予備役に編入されそうになっていてな。現在はすべての職を解かれて、ハイネセンで待命している。士官学校時代にハラボフ大尉を指導した小官の同期が、何とか救ってやりたいと言っておるのだ」

 

 驚きのあまり、即答できなかった。一つはハラボフ大尉が予備役に編入されかけているということ。一五〇〇万人を死なせたグリーンヒル大将やコーネフ中将ですら、懲戒処分は受けずに軽い左遷だけで済んだのに。そして、もう一つはドーソン中将に相談を持ち掛けてくるような同期の友人がいたことだった。言っちゃ悪いが、同級生には嫌われてそうなイメージがあった。

 

「懲戒処分の内容によっては、引き取りかねますが」

「小官も詳細は知らんが、友人は不当だと言っておったな。確かに半年間で八回も同一人物から懲戒申請されて、そのうち半分が通るというのは、只事ではない」

「濫訴ですね、それは。懲戒申請は伝家の宝刀。そんなに気軽に使うべきものではありません。そして、通す方も通す方です。ちゃんと調査した上で処分を下したのでしょうか?」

「最近の我が軍はモラルの低下が甚だしい。戦隊や星系警備管区のレベルでは、信じがたいことも多々起きている。シュパーラやリオ・ヴェルデの事件とかな。それもこれもちゃんと管理せんからだ」

 

 ドーソン大将は放任主義の旧シトレ派が多数派を占める管内で起きた事件をあげた。もっと酷いガンダルヴァの事件を挙げなかったのは、責任者がトリューニヒト派だからであろう。去年の大敗は同盟軍のモラルに致命的な一撃を与えた。市民の間に広がる反軍感情、甘すぎる戦犯処分に対する現場の反発、二線級の人材の上昇などが現場を大きく混乱させている。

 

「そのような理由で有為な人材が失われるのであれば、由々しき問題です。ハラボフ大尉はこちらで引き取りましょう」

「そうだ、人材は大事にせねばならんのだ。よろしく頼むぞ」

 

 ハラボフ大尉をまったく大切にしていなかったことも忘れて、ドーソン大将は言った。とにかく俺に引き取らせたいのだろう。ただ、彼女の意志を無視して話を進めるわけにはいかない。ドーソン大将や友人の名前を出す許可を得た後、ハラボフ大尉に通信を入れた。

 

「お久しぶりです。どういったご用件でしょうか?」

 

 二年八か月ぶりに聞くハラボフ大尉の声からは、強い警戒が感じられた。どういうわけか映像はオフになっている。

 

「今日、第三巡視艦隊の司令官に就任した。今はスタッフを選んでいるところだ。ハラボフ大尉にも来て欲しいと思ってる」

「私がですか……?」

 

 ますます警戒の色が濃くなる。画像がオンになっていたら、とても不機嫌そうなハラボフ大尉の顔が見えたに違いない。警戒を解く必要を感じた俺は、ドーソン中将やその友人の名前を出して事情を説明する。

 

「お誘いを頂いたのは、ドーソン大将閣下に対する配慮であると解釈してよろしいのですか?」

「俺は以前からハラボフ大尉の能力を評価している。ドーソン大将の依頼は、単なるきっかけに過ぎないよ」

「閣下には私の能力なんて必要ないでしょう。必死で仕事をしても、閣下に遠く及ばない程度の能力です」

 

 俺の後任は大変だと言った彼女に、「雑な仕事でごめんね」と返したことをまだ忘れていないらしい。あの発言をしたことは、今でも後悔している。来る来ないは別として、謝らなければならない。

 

「あの頃はどれだけ頑張っても完璧とは思えなかった。九九パーセントできても、一パーセント足りないことが気になった。一〇〇パーセントじゃなかったら、雑な仕事だと感じた。とんでもない間違いだったけどね。振り返ってみると、憲兵司令部では、自分の能力の範囲で最高の仕事をしたと思う」

 

 ここで一旦言葉を切る。当時の俺は他人を仰ぎ見るばかりで、自分の立ち位置がわからなかった。しかし、人の上に立つようになった今ならわかる。努力を欠かさないというのは、それ自体が一種の能力だ。俺は結構いい仕事をしてた。

 

「当時の俺は自分のことしか見えてなかった。他人の苦労がわからなかった。だから、ハラボフ大尉は完璧にやってると思い込んでた。無神経なことを言ってしまった。本当に済まないと思う」

 

 ようやく謝罪の言葉を口にできた。しかし、ハラボフ大尉からの返事はない。

 

「君が出してくれたコーヒーは、何の注文もしてなかったのに俺の好みに合っていた。憲兵司令官オフィスの書類はきれいに整理されていた。物の配置も良く考えられていた。君がどれだけ真剣に仕事に取り組んでいたか、少しは理解しているつもりでいる。俺が評価している君の能力というのは、そんな姿勢だ」

 

 機会があれば伝えようと、ずっと思っていたことだった。スクリーンは相変わらず真っ暗。顔が見えないのがもどかしく感じる。

 

「最初から完璧な人間はいない。だけど、人間は成長する。俺は自分が今よりもっと成長した時のことを考えてチームを組んだ。一緒に成長していけるかどうか、そして未来を共にしていけるかどうかを基準に選んだ。俺のチームに天才は必要ない。能力の範囲内で最大限の努力をする人、努力を惜しまない人、誠実で信頼できる人を求めている。つまり、君のような人だ」

 

 真っ暗なスクリーンに向かって語りかける。ハラボフ大尉はいったいどんな顔をしているのか。ちゃんと聞いててくれるのか。不安になってくる。

 

「改めてお願いしたい。ユリエ・ハラボフ大尉の力が俺のチームには必要だ。俺を助けて欲しい」

「喜んでお引き受けします」

 

 俺が言い終えるのとほぼ同時に、返事が帰ってきた。抑制の効いた声からは、感情が読み取れない。映像情報がない通信は、本当に不便だった。

 

 昨日の和解、そして副官起用決定を思い出して感慨にふけっていると、会議室に備え付けの通信端末が鳴った。特別な呼び出し音がする。チュン准将らは部屋から出て行った。ドーソン大将からの連絡が来た時のみ、この音が鳴る。そして、ドーソン大将からの連絡が来たら、俺以外の者は退室するように取り決めているのだ。

 

「フィリップス提督、今晩歓迎会を開く」

「場所はどちらでしょうか?」

「メイプルリッジ地区で一番ポテトサラダがうまい店だ」

「どのような芋を使っている店ですか?」

「メークインだ」

「了解しました。楽しみにしております」

 

 敬礼をすると、通信を切った。今の会話はすべて暗号である。「二〇時からカーニーシティー八七丁目一〇番地のマドゥライビル地下で、第一回の国家救済戦線派対策会議を開く。メンバーは出張中の一人を除いて全員出席」というのが、本当の内容であった。

 

 

 

 一九時四五分、マドゥライビル地下一階に降りて、「休業中」の札がかかった中華料理店の扉を開いた。真っ暗な店内をペンライトで照らしながら進み、厨房の奥にある「冷凍庫」と書かれた扉に手をかざす。

 

「掌紋確認しました」

 

 機械的な声とともに一つ目のロックが解除される音がした。今度は「あーあー」と声を出す。

 

「声紋確認しました」

 

 今度は二つ目のロックが解除された。最後にメーターを偽装したスキャナに眼球を映し出す。

 

「虹彩確認しました」

 

 三つ目のロックが解除される音とともに、扉が開いた。中は艦隊司令部の会議室のような部屋。スクリーン、通信設備、コンピュータなどが置かれている。長方形のテーブルには一〇人ほどが着席していた。

 

「ただいま到着いたしました」

 

 敬礼をすると、全員が一斉に立ち上がって敬礼を返す。一番の上座には議長役のドーソン大将、二番目の席には第一一艦隊司令官ルグランジュ中将が、三番目の席には新任の情報部長ブロンズ中将がいた。その他の者も全員将官である。ルグランジュ中将を除けば、親トリューニヒト的な将官であった。

 

「久しぶりだな、フィリップス提督。まさか、本当に貴官とともにラロシュ朝銀河帝国を打倒するために戦うことになるとは思わなかった。下手なことを言うものではないな」

 

 ルグランジュ中将は大きく口を開けて笑いながら、俺の手を力強く握る。一年前に彼が言った「ラロシュが銀河帝国を作ったら、一緒に倒してやろう」という冗談が本当になってしまった。

 

「一昨年の対テロ戦争、昨年のイオン・ファゼカスで情報部の威信は失墜した。名誉挽回を賭けて頑張るつもりだ。協力してくれ」

 

 ブロンズ中将は気さくな口調で語りかけ、俺の肩を叩く。彼は国防委員会監察総監部でトリューニヒトの意を受けて、粛軍に取り組んできた軍官僚だ。

 

 前の歴史ではルグランジュ中将とブロンズ中将は、クーデター政権の救国軍事会議に参加した人物であった。しかし、今回はマルタン・ラロシュと国家救済戦線派に対抗する側である。俺の記憶に残っている救国軍事会議メンバーは残り二人。事実上のナンバーツーだったエベンス大佐の動静は良くわからない。トップのグリーンヒル大将については、「クーデターを企んでいる」という噂が盛んに流れていた。

 

 一体、どんな展開が待ち受けているのだろうか。まったく先が見えなかった。



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第百五話:二つの会議と二つの対策 宇宙暦797年3月28日~3月30日 マドゥライビル地下~第三巡視艦隊司令部

 三月二八日二〇時。中華料理店に偽装した軍情報部の秘密拠点の一室にて、最初の国家救済戦線派対策会議が開かれた。壁面の大型スクリーンには、ハイネセンポリス近郊の地上部隊配置図が映し出されている。

 

「では、報告を頼む」

 

 議長役の統合作戦本部統括担当次長クレメンス・ドーソン大将は、自分では重々しいと信じている口調で言った。しかし、上ずった声と安物の背広のおかげで、いかにも背伸びしているように見える。

 

 最初に手を上げたのは、第七歩兵軍団司令官エリアス・フェーブロム少将だった。トリューニヒト派からは「議長の忠臣」、反トリューニヒト派からは「トリューニヒトの忠犬」と呼ばれる人物だ。

 

「第七歩兵軍団では三個師団中、二個師団が危険な状態にあります。佐官級の過半数が過激派に荷担しております。師団長は二人とも議長閣下に心を寄せておりますが、部隊運営の実権は過激派の手中に収まっており、抑えが効かない状態です」

「残る一個師団は?」

「過激派が浸透中です。先日開かれたラロシュ思想勉強会に、多くの佐官級が参加したとの報告が入っております」

「ご苦労」

 

 報告を終えたフェーブロム少将は着席した。想像以上に厳しい第七軍団の現状に、出席者の表情は険しくなる。

 

 次に手を上げたのは、第五空挺軍団司令官コンスタント・パリー少将。帝国領遠征後にトリューニヒト派に参加した新参だが、能力と忠誠心によって信頼を得た。現在はトリューニヒトの有力な軍事ブレーンの一人と目される。

 

「現在、三個師団のうち一個師団の指揮権が国家救済戦線派に掌握されています。ただ、師団長代理のダンフォード大佐は人望が薄く、過激派将校すらまとめ切れていないのが幸いです。残る二個師団も過激派の伸長が著しいですな。やはり、先任者の疑惑が響いているようです」

「あの馬鹿が、こんな時につまらんことをしおって」

 

 ドーソン大将は吐き捨てた。第五空挺軍団の前司令官アムリトラジ少将は、買春疑惑で先週更迭されたばかりであった。トリューニヒト派幹部であるアムリトラジ少将のスキャンダルは、国家救済戦線派に格好のアピール材料を与えたようだ。

 

「今月に入ってから、我が派のスキャンダルがマスコミに頻繁にリークされています。ダーティーなイメージが付いてしまっては、清貧を標榜する過激派を利するばかり。そちらの対策も考慮願いたい」

 

 パリー少将は出席者の顔を睨みつけるように見回す。二流エリートや叩き上げが多いトリューニヒト派は、表舞台で揉まれた経験が乏しいせいか、脇の甘い者が多い。旧シトレ派のエリート意識、国家救済戦線派の過激思想のような精神的バックボーンを持たないため、誘惑にも転びやすい。そこを徹底的に攻撃されている。

 

 パリー少将が着席した後は、別の者が代わりに報告に立つ。軍団司令官、軍団参謀長、師団長クラスの者が述べる部隊の内情は、いずれも深刻であった。トリューニヒト人気は市民の間では圧倒的であったが、軍部においては低下しつつある。政治主導の軍部改革に対する警戒心、トリューニヒト派軍人の腐敗などが主な要因だった。トリューニヒトに失望した者の多くがクリーンな国家救済戦線派に心を寄せた。

 

「首都防衛軍でも過激派の浸透が急激に進んでいます。第二巡視艦隊司令官アラルコン少将、第一首都防衛軍団司令官ファルスキー少将、首都大気圏内空軍副司令官ミゼラ准将の三名が中心的指導者と見られます。宇宙部隊と地上部隊のそれぞれ半数と大気圏内空軍で過激派将校が主導権を握り、宇宙防衛管制隊、軌道防衛隊でも過激派の勢力が広がりつつあります」

 

 俺が首都防衛軍の状況を報告すると、ざわめきが起きた。

 

「他はともかく、宇宙防衛管制隊はまずいな。アルテミスの首飾りが過激派の手に落ちたら、とんでもないことになる」

「二個正規艦隊に匹敵する戦力だ。辺境総軍とイゼルローン方面軍の機動艦隊が合同で攻撃しても攻略は難しい」

 

 出席者は口々に懸念を示す。宇宙防衛管制隊が統括する「アルテミスの首飾り」と呼ばれる防衛衛星群が国家救済戦線派の手に落ちることを、彼らは恐れていた。三六〇度全方向に濃密な対艦火力と防空火力を放射できる球状の防衛衛星一二個は、コンピューター制御で相互連携することによって、死角の無い完璧な防御を実現できる。

 

「極端な話をすると、地上部隊を掌握する必要はない。宇宙防衛管制隊を掌握するだけで首都も掌握できる」

 

 衝撃的な発言をしたのは、パリー少将だった。

 

「どういうことだ?」

「アルテミスの首飾りはあくまで防宙兵器。地上は制圧できんぞ」

「地上に火力を向けられないように、プログラムされているしな」

 

 出席者はこぞって疑念を呈す。俺もみんなと同じ意見だった。アルテミスの首飾りは強力な兵器だが、外敵以外に対しては無力である。

 

「惑星ハイネセンの人口は一〇億。そして、その大人口はもっぱら外部から供給される物資に依存しているのだ。アルテミスの首飾りを手に入れた者が民間船に対する攻撃指令を出したらどうなる?」

 

 そんなこともわからないのか、と言う表情でパリー少将は言う。ようやく、彼の危惧が理解できた。

 

「流通が遮断されてしまいますね。一週間もしないうちにハイネセン全土で物資不足が生じるでしょう」

「その通りだ」

 

 俺の返答にパリー少将は、合格点をくれた。

 

「エル・ファシル動乱を乗り切った貴官であれば、それがどれだけ恐ろしいことか、理解できるはずだ」

「流通の回復があと一日、いや半日遅れていたら、エル・ファシル全土が物資不足に怒った暴徒で埋め尽くされていたと思います」

「あれが陽動でなくて、主攻だったらどうなった?地上の物流拠点を攻撃して、備蓄物資を破壊する。道路や空港を破壊して、流通を妨害する。そうやって物資不足を助長されたら、一週間ももたずにエル・ファシルの秩序は崩壊しただろう」

 

 想像するだけで恐ろしくなった。あの時の敵がパリー少将の言ったような作戦を使えば、エル・ファシルは間違いなく内乱状態に陥っていた。

 

「わかったか?首都防衛軍の帰趨は、単純な兵力数以上に重要なのだ。貴官が抑えきれないのであれば、小官が代わってやっても良いのだぞ?」

「ど、努力します……」

 

 地上軍屈指の戦略家の鋭い視線にたじろいでしまった。彼と俺では貫禄が圧倒的に違う。

 

「まあ、あまりきついことを言うな。貴官には特殊部隊を抑える役目がある。今はそちらに専念してくれ。あの第八強襲空挺連隊まで過激派に染まってしまえば、貴官が危惧するテロ攻撃も自由自在だからな」

 

 ドーソン大将が助け舟を出してくれた。第五空挺軍団に所属する第一特殊戦闘群を抑えるのが、パリー少将の役目だった。第一特殊戦闘群には、最強の陸戦部隊と言われる第八強襲空挺連隊を含む特殊部隊三個連隊が所属している。この部隊の帰趨は、決定的な影響を及ぼすのだ。

 

「貴官から見れば頼りなく見えるかもしれんが、フィリップス提督は修羅場では強い。何と言っても、あのエル・ファシル動乱を防いだ男だ」

 

 ルグランジュ中将は苦笑混じりで、パリー少将をなだめる。頭のてっぺんからつま先まで鋭気がみなぎっているパリー少将から見れば、俺なんて子供のようなものだろう。頼りなく見えても仕方がない。

 

「フィリップス提督が修羅場に強いのは、良く存じております。小官が本作戦の責任者であれば、やはり首都防衛軍はフィリップス提督に任せるでしょう。しかしながら、修羅場を回避できるに越したことはありません」

「肝に銘じます」

 

 どこまでも油断のない名将の言葉に、直立不動で答える。期待を裏切ってはならないと思い、気を引き締めた。

 

「各部隊からの報告が終わったところで、次の議題に移ろう。指導者になりうる人物の動向だ」

 

 ドーソン大将は妙にかしこまった声で議題の変更を告げた。スクリーンに二〇人以上の写真が映し出されると、ブロンズ中将が立ち上がった。

 

「ブロンズ中将、説明を頼む」

「現在、情報部は過激派指導者一九名、過激派と結びうる可能性のある軍の有力者一一名に監視を付けています」

 

 過激派の枠に入っている一九名は、みんな国家救済戦線派の幹部だった。何かあるたびに名前のあがる者ばかりで、意外性はまったく無い。しかし、関係者の枠に入っている一一名は、驚くべき顔ぶれが揃っていた。

 

 宇宙艦隊司令長官アレクサンドル・ビュコック大将を筆頭に、地上軍総監ケネス・ペイン大将、後方勤務本部長ハンス・ランナーベック大将、国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将といった軍の大将級、中将級の大物ばかりだ。国家救済戦線派で最高位の者は少将。しかも、軍部では傍流にある者しかいない。クーデターを成功させるには、軍主流の大物と手を組む必要がある。しかし、これほどの大物に容疑がかかっているとなると、穏やかではない。

 

「質問があります」

 

 挙手したのは、第三歩兵軍団参謀長ベルガラ准将だった。

 

「なんだね」

「なぜ、グリーンヒル大将の名前があるのでしょうか。このような企てに加担するような御仁とは思われませぬが」

 

 ベルガラ准将の疑問に、そうだ、そうだと同意する声がポツポツと出る。グリーンヒル大将の人脈は、すべての派閥に及んでいる。トリューニヒト派でも、グリーンヒル大将に親近感を持つ者は少なくなかった。

 

「過激派将校との頻繁な面会が認められた」

「面会しただけで過激派と関係があるというのは、乱暴ではありませんか?」

「人目につかない場所で盛んに時事を語り合っているというのは、穏やかではない」

「後進が道を誤らぬように諭しているかもしれませんぞ。あの方は同盟軍きってのリベラリスト。過激派に共感するはずなどありません」

 

 一部出席者の共感の視線を背負ったベルガラ准将は、しつこく食い下がる。長い物に巻かれるタイプの彼がここまで反論するのは珍しい。

 

「ミイラ取りがミイラになることもある。貴官も参謀ならば、想定される可能性はすべて潰さなければならないということは分かるだろう?」

「猫に羽が生えて、空を飛ぶような可能性にも備える必要があるのですか?それとも、ルイス中将の話を真に受けられましたか」

「グリーンヒル大将と親密な関係にある者の言葉だ。参考の一つにはしている」

「馬鹿な」

 

 もはや、ベルガラ准将は上位者に対する礼儀すら忘れるほどに興奮していた。しかし、咎める者はいない。

 

「やはり、あのルイス提督が言い出したことか」

「誣告を事とする者の言葉を信じるのは、まずいだろう」

「グリーンヒル大将に用いられなければ、今の地位もなかっただろうに。議長の悪口を言ってグリーンヒル大将に取り入ったくせに、今度はグリーンヒル大将の悪口を言って議長に取り入ろうというのか」

 

 グリーンヒル大将とさほど親しくない者までが疑問を口にし始める。ドーソン大将も首を傾げている。第一〇方面管区司令官ポルフィリオ・ルイス中将は、グリーンヒル大将の軍事面における片腕と言われていた人物だ。中将になれたのもグリーンヒル大将が彼の献策を用いたおかげだった。それなのに権力を失った途端に悪口を言い出すなんて、さすがに下品に過ぎる。アスターテの英雄の名前が泣くというものだ。

 

 ルイス中将はアンドリュー・フォークがヒステリーというデマを流布して、総司令部の免罪に貢献した人物の一人でもある。前の歴史でグリーンヒル大将がクーデターを起こしたことを知っていても、ルイス中将が言うのであれば無罪じゃないかという気になる。

 

「ベルガラ准将。確か貴官の奥方の兄上は、グリーンヒル大将の口添えで再就職したのであったな。エインズワース社のシニアアドバイザー。技術大佐の再就職先としては悪くない」

 

 パリー少将が撃ち込んだ言葉の弾丸は、ベルガラ准将の心臓を直撃したかのように見えた。こうも鮮やかに人間の顔が凍りつく瞬間なんて、滅多に見れるものではない。

 

「世の中には、軍服を脱いでも付き合える友人とそうでない友人がいる。エインズワース社は、軍服を脱いだグリーンヒル大将に友情を示す必要性を認めないだろう」

 

 グリーンヒル大将の政治力が失われたら、ベルガラ准将の妻の兄は失業する。パリー少将はそう言っていた。

 

「誰しも友人を失うのは怖いものだ。グリーンヒル大将は友情に厚い御仁。軍服を着続けていたいと願って過激派の友人を作ったとしても、理解できないことではない」

 

 保身に汲々とする軍幹部の心理をこれほど的確に言い当てた言葉は無かった。統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官といった要職に就くと、大勢の人間が権力目当てに群がってきて派閥が生まれる。派閥に大勢の人間を集めなければ、大きな仕事はできない。集めた人間を使って仕事をしているうちに、義理が生まれる。権力を失ってしまえば、力になってくれた者に対する義理を果たせなくなる。だから、誠実で義理堅い者ほど、権力に執着するのである。

 

 去年の敗戦の責任を取って左遷されたグリーンヒル大将は、二、三年ほどしてほとぼりが冷めたら、クブルスリー大将から統合作戦本部長の座を禅譲されると見られていた。しかし、トリューニヒトは史上最悪の大敗を招いた人物が軍のトップになることを認めなかった。ドーソン大将を統合作戦本部に送り込み、次期本部長候補として擁立した。グリーンヒル大将の本部長就任の可能性は、大きく遠のいたとされる。トリューニヒト派の勢力が大きく後退しない限りは、査閲部長の任期が切れると同時に、予備役に編入される可能性が高い。

 

 ベルガラ准将の妻の兄みたいな人間に対する義理を果たすために、グリーンヒル大将がクーデターに荷担して権力維持を狙う。その可能性をパリー少将は指摘したのだ。

 

「まあ、そういうことだ。疑わしきは疑えというのがこういう時の鉄則なのでな。グリーンヒル大将が貴官の知る通りの人柄であれば、いずれ潔白は証明される。悪く思わんでくれ」

 

 穏やかな口調でブロンズ中将は、力なくうなだれるベルガラ准将を諭した。

 

「人を疑うというのもあまり気持ちの良いものではないな。自由な社会を守るという目的が無ければ、ごめんこうむりたいものだ」

 

 ルグランジュ中将は角張った顔に、彼らしくもない複雑な表情を浮かべる。

 

「信用できることを証明するために疑うというのも本末転倒かもしれんが、しかしこれは必要な手続きなのだ。小官はこれまで監察をやってきた。監察の手が入ることで、軍の動きが透明化される。多額の税金を使っておいて、何をやってるのかわからんようでは、市民の信頼が得られんからな。監察総監部にいようが、情報部にいようが、信じるために疑うという態度は変わらんよ」

 

 コンプライアンスの番人と言われたブロンズ中将だからこそ言える言葉であろう。ドーソン大将は満足そうにうなずく。

 

「そうだ、それこそがトリューニヒト議長閣下と小官が取り組んできたことなのだ。市民のための軍、市民に信頼される軍を作る。市民と軍が一体となって、初めて充実した国防が実現できる。だからこそ、過激派が軍を乗っ取るような事態は絶対に回避せねばならんのだ」

 

 ドーソン大将の力強い声に場が引き締まる。ブロンズ中将は大きく相槌を打ってから、出席者全員を見回す。

 

「ここにいる者の中には、監視リストに入っている者と親しい者もいるだろう。だが、疑われたからといって、クーデターに加担したと決まったわけではない。立場上、加担する可能性のある者をリストアップしたまでだ。彼らの潔白を信じるのであれば、『あんな立派な人を疑うなどとんでもない』ではなく、『いくらでも調べてくれ。どうせ何も出てこないから』と考えてもらいたい」

 

 どこまでも秩序の番人としての立場を貫くブロンズ中将の発言は、深い感銘を与えてくれた。世間では疑われたというだけで、犯人扱いされたと考える者が多い。ヴァンフリート四=二基地で憲兵をやってた頃も取り調べただけで怒る者が多かった。しかし、犯人であるかどうかを確定するのは、取り調べた後なのだ。取り調べる側は確定するまで相手を犯人扱いせず、取り調べを受ける側は怒らずに自分の潔白を信じる。それが正しい姿なのである。

 

「では、簡単に監視対象者の動静について報告する」

 

 ブロンズ中将は監視リストに載っている三〇人の動静について報告した。不可解な会合、人目を忍ぶ密会、尾行や盗聴に対する異常なまでの警戒などが、ほぼ全員に認められるという。

 

「しかしながら、現在は政局が大きく動いている最中だ。明日は総選挙の投票日、来月上旬には新議会が招集されて、首班指名が行われる。政局に備えた動きである可能性も大きい。白か黒かを確定するには、今しばらく調査を続ける必要がある」

 

 報告を聞きながら、視線を動かす。付き合いが長いドーソン大将、公明正大なルグランジュ中将、堅実を極めるブロンズ中将、知略に優れたパリー少将、そしてトリューニヒト派の将官達。このメンバーなら、国家救済戦線派とグリーンヒル大将が組んでも大丈夫な気がした。

 

 

 

 三月二九日、総選挙投票日。俺はもちろん国民平和会議の候補者に投票した。官舎に帰ってからは、ずっとテレビの選挙特番を見ていた。大好きな政治家が率いる党の大勝が予想される選挙というのは、実に気分の良いものである。ダーシャが側にいたら、さぞ不機嫌だっただろうけど。彼女はトリューニヒトが大嫌いだったから。

 

 開票速報で国民平和会議の当確議席を表す数字が増えていくたびに興奮した。あのトリューニヒトの党が一歩一歩勝利に近づいているのだ。今年に入ってからのトリューニヒトには、違和感を覚えることもあった。それでも、トリューニヒトを好きなことには変わりない。政権を取ったら、あんな無理もしなくて済むはずだ。一つでも多く議席を取って、思い通りの政治ができるようになってほしいと願った。

 

 翌三〇日の午前三時過ぎに全議席が確定した。

 

 国民平和会議  一〇〇一議席 改選前一〇七議席 穏健主戦派・遠征反対派

 反戦市民連合  三七四議席  改選前一八〇議席 急進反戦派・遠征反対派

 進歩党     八五議席   改選前四四二議席 穏健反戦派・遠征推進派と反対派が混在

 統一正義党   七七議席   改選前二二九議席 過激主戦派・遠征推進派

 環境党     二九議席   改選前五一議席  穏健反戦派・遠征反対派

 楽土教民主連合 四〇議席   改選前四八議席  穏健反戦派・遠征反対派

 国家社会党   一七議席   改選前三三議席  急進主戦派・遠征推進派と反対派が混在

 共和国民主運動 六議席    改選前一九一議席 穏健主戦派・遠征推進派

 自律党     四議席    改選前二八三議席 穏健主戦派・遠征推進派

 保守同盟    二議席    改選前五八議席  穏健主戦派・遠征推進派

 無所属     四議席    改選前七議席 

 

計一六三九議席

 

 ヨブ・トリューニヒトの国民平和会議は、単独で議席の六割を占める圧勝を収めた。戦犯断罪と捕虜交換で最高潮に達したトリューニヒト人気を背景に、無党派層、穏健主戦派、過激主戦派、穏健反戦派を満遍なく取り込んだ。

 

 ジェシカ・エドワーズの反戦市民連合は、議席をほぼ倍増させた。従来の支持層である急進主戦派に加えて、無党派層、穏健主戦派の取り込みに成功した。去年の敗戦で高まった反戦感情が追い風となり、進歩党に代わって反戦派第一党となった。

 

 二大政党の一角を占めていた進歩党は、議席の八割以上を失う惨敗を喫した。従来の党の主張を繰り返すだけの選挙戦術には新しみに欠け、遠征推進派議員の公認は市民感情を逆撫でした。その結果、従来の支持層である穏健反戦派にもそっぽを向かれてしまったのである。

 

 一時は政権を伺う勢いだった統一正義党は、改選前の三分の二に及ぶ議席を失った。アピールポイントのリーダーシップと社会改革で国民平和会議に後れを取ってしまい、支持を集めるために主張を過激化させたことが支持者離れを招いた。遠征推進派だったことも選挙戦後半の失速に繋がった。

 

 進歩党とともに二大政党の一角を占めた旧改革市民市民同盟系の三党は、いずれも獲得議席数一桁に留まった。評議員経験者や党幹部も軒並み落選。去年の遠征を決定した評議員も引退したサンフォード前議長とカッティマニ前法秩序委員長を除いて全員落選した。

 

 総評としては、国民平和会議の圧勝、反戦市民連合の躍進、二大政党と統一正義党の凋落といったところであろうか。遠征推進派と反対派で明暗がはっきりと分かれた。

 

 

 

 一睡もしないまま、首都防衛軍司令部に出勤した。案の定、空気は沈みきっている。参謀達はみんなこの世の終わりのような顔をしていた。旧シトレ派は進歩党の支持者が多い。進歩党が凋落して、トリューニヒトの時代がやってきたことに絶望しているのであろう。この顔を見たくて、わざわざ先にこちらに出勤した。我ながら人間が小さいとは思うが、意地悪な旧シトレ派エリートに、少しは意趣返しをしたかったのだ。

 

 溜飲が下がったところで首都防衛軍司令部を出る。そして、迎えに来てくれた副官のユリエ・ハラボフ大尉とともに公用車に乗って、第三巡視艦隊司令部に向かう。隣りに座ってるハラボフ大尉の表情が鋼鉄の面を被ったように冷たいので、気まずさから逃れようとカーテレビのスイッチを入れる。

 

「国家刑事局は本日九時三〇分、アリエル・アゼマ前代議員を収賄容疑で逮捕しました。アゼマ前代議員には、昨年の帝国領遠征の際に民主化支援機構が使用するコンピュータの入札にかかわる……」

 

 流れてきたニュースは、遠征推進派政治家の逮捕を伝えた。これまで警察の手によって断罪されてきた遠征推進派の中には、一人も政治家はいなかった。代議員の不逮捕特権に守られていたからだ。しかし、落選したらただの人である。不逮捕特権を喪失した翌日の逮捕は、だいぶ前から捜査を進めていたことを示す。これからは遠征推進派政治家の逮捕が相次ぐはずだ。トリューニヒト劇場はまだまだ続く。市民は大いに溜飲を下げるだろう。

 

 司令部に入ると、さっそく参謀を集めて会議を開いた。ようやく全員揃った新チームメンバーの初仕事である。

 

「最初の議題は第三巡視艦隊の部隊運営方針について。参謀長、報告を頼む」

「了解しました」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン准将は立ち上がって、ファイルを開いた。

 

「手元に配った資料を読んでもらいたい。我が第三巡視艦隊に所属する第一〇一戦隊、第一〇二戦隊、第一〇四戦隊。いずれも練度、規律、モラルは水準以下。装備の更新はここしばらく行われていない。需品類の備蓄量は心許ない。戦闘に堪える状態とは言いがたいね」

 

 同盟首星を警備する部隊であれば、さぞ精鋭であろうと普通は考えるだろう。しかし、実情は首都防衛軍という格好良い名前にそぐわない二流の部隊であった。予算は少なく、練度は低く、モラルは低く、装備は旧式。地方部隊よりややましという程度である。良い人材や新しい装備は、正規艦隊や地上総軍といった外征部隊に優先して回される。ハイネセン周辺に宇宙海賊が姿を見せることもないため、実戦の機会もない。警備以外の仕事が無いため、業界用語では「警備員」と呼ばれる。

 

「こちらは比較資料。第二巡視艦隊に所属する四個戦隊のデータ。装備は我が部隊と同水準だが、練度、規律、モラルは遥かに上を行く。需品類の備蓄量も潤沢。かなり良い状態にあると言える」

 

 第二巡視艦隊を比較対象としたのは、あのサンドル・アラルコン少将が率いる部隊だからだった。仮にクーデターが起きた場合は、最大の敵となる部隊である。参謀長、副参謀長、四人の部長には事情を打ち明けて、第二巡視艦隊を仮想敵として部隊を作っていくように指示していた。

 

「予算の比較資料はありますか?」

「用意していないけど、ほぼ同額だね」

 

 チュン准将は、後方参謀メッサースミス少佐の質問に答えた。にわかに会議室が騒がしくなる。

 

「同水準の予算でこれだけの差が出るのか」

「さすがはアラルコン提督だ。過激思想に染まっても、力量はまったく鈍っていない」

「我々も負けてはいられないな。頑張らねば」

 

 いい雰囲気だ。第二巡視艦隊との差を認めつつ、挑戦していこうという気持ちがある。あとは俺次第ということになるだろう。あの程度の予算で高水準の部隊を作れる提督に張り合うのは、容易ではないが。

 

「どのようなマニュアルを使っているのだろうか。目を通してみたいものだ」

 

 ある若い参謀の声が耳に入ってきた時に気づいた。そうだ、別に張り合う必要はない。学べばいいのだ。

 

「今度、第二巡視艦隊を視察に行ってみるよ。その時にマニュアルを見せてもらえるかどうか、交渉してみよう」

 

 苦労して作り上げたノウハウを簡単に教えてくれるほど気前が良いとは思わないが、部隊の様子を見るだけで得るところは大きいはずだ。ついでに第二巡視艦隊の人間と顔を繋いでおけば、監視もしやすくなる。

 

 部隊運営の方針をみんなで話し合った後、次の議題に移る。

 

「次は首都動乱時の行動計画について話し合う」

 

 首都動乱時の行動計画とは、すなわち対クーデター作戦である。

 

「それは首都防衛軍の担当では?我々が作ってしまっても良いのでしょうか?」

「問題ない。研究の一種と考えてほしい。研究するだけなら、歩兵連隊が帝都オーディン攻略作戦を考えるのも自由だからね」

 

 質問した若い参謀には研究と答えたが、本当は現実のクーデターに対応するための作戦を作る。それを知っているのも参謀長、副参謀長、四人の部長のみだ。事前に察知して阻止するのが最善だが、阻止できなかった場合の対応も考えなければならない。それが首都防衛軍を預かる者としての義務だ。

 

「ここに三〇年前に作られた『午睡計画』のファイルがある」

 

 俺は国防研究所から借りてきた「午睡計画」のファイルを全員に示した。三〇年前に「六月事件」と呼ばれるクーデター未遂事件が発生した後、当時の首都防衛司令官が作成した対クーデター作戦計画である。

 

「これを参考にして、より質の高い計画を作り上げてもらいたい。想定するケースは三つ。一つ目はハイネセン中心部で反乱軍が蜂起するケース。二つ目は近郊の部隊が反乱を起こしてハイネセンに進撃してくるケース。三つ目は衛星軌道上から反乱軍がハイネセンに降下してくるケース」

 

 俺の指示に会議室の空気は引き締まる。

 

「一つ目の作戦は『クレープ計画』、二つ目の作戦は『タルト計画』、三つ目の作戦は『エクレア計画』と名付ける。急ピッチで作り上げて欲しい」

 

 作戦名を告げた途端、チュン准将とコレット少佐を除く全員があっけに取られたような顔になる。いつにない俺の覚悟に驚いたのだろうか。

 

「ハラボフ大尉、みんなに午睡計画の写しを配って」

 

 ものすごく困ったような顔のハラボフ大尉に指示を出す。クールな彼女の表情パターンに、困り顔が存在することを初めて知った。

 

 会議の終了を宣言しようとしたその時、緊急速報を告げるブザーの音が鳴り響いた。そして、スクリーンに司令室の通信担当者が現れる。

 

「どうした、何があった?」

「統合作戦本部長クブルスキー大将閣下が本部ビル内で銃撃されました!」

 

 軍部の最高指導者がお膝元でテロに遭った。衝撃的な報告に、会議室は驚きの声に包まれる。

 

「誰が本部長を狙ったのだ!?」

「軍のトップを狙うなど、エリューセラ民主軍以外には考えられないでしょう」

「いや、奴らならビルごと本部長を吹き飛ばそうとするはずだ。一人を殺すために一万人が巻き添えになっても構わないと考える連中だからな」

「輝ける神の鉄槌委員会の残党かも」

「クブルスリー大将は、腐敗とは程遠いお人柄。金権政治家と大企業しか狙わない鉄槌委員会の標的になるとは考えにくい」

「アポロニア人民党黄旗派、秋風旅団、真のチャールトン主義者党、闘争的戦犯法廷あたりじゃないの?軍幹部を狙った前歴もあるし」

「そう言えば、本部長は闘争的戦犯法廷の公式サイトで死刑宣告を受けてたなあ」

「ネットでは戦犯保護者と言われてますからねえ。狙われてもおかしくはありません」

 

 みんなは口々にテロ組織の名前をあげた。要人が狙われたら、真っ先に名前があがる組織ばかりだ。最初にそういった組織を疑うのが常識だろう。

 

「単独犯の可能性もある。ネットの反軍サイトを読んで、頭に血が昇った国士気取りとか。去年末から今年初めにかけて、そんな連中が相次いで軍人襲撃事件を起こした」

「素人が護衛に守られた本部長に簡単に近づけるか?プロの犯行だろう」

「いや、一二年前の後方勤務本部長暗殺未遂犯は、何の背景もない麻薬中毒者だった。素人にもできないことはない」

 

 昨年の帝国領遠征の敗北以来、反軍感情は異常なまでに高まった。一部の尖鋭分子による暴力事件も多発した。憂国騎士団の戦犯襲撃が始まってからは下火になったが、まだまだ続いている。彼らの仕業と考えるのもきわめてまっとうだ。

 

 しかし、俺は前の歴史を知っている。前の歴史でもクブルスリー大将は、同じ時期にテロの対象となって負傷した。前と今で襲撃時期が重なったことが偶然とは思えない。偶然の連続である戦場では、同じような状況で同じような計算をしても、採るべき策は変わってくる。しかし、偶然の要素が少ないオフィスの戦いにおいては、状況と計算が似通っていれば、選択できる策もさほど変わらない。誰が仕掛けても、似たような策を選ぶ。

 

 トリューニヒトが総選挙で圧勝した直後に、統合作戦本部長を排除しなければならないと計算した者がいる。前の歴史でクブルスリー本部長暗殺未遂の糸を引いていたのは、クーデターを起こした救国軍事会議グループだった。伝記や戦記の通俗的な知識しかない俺には、どんな意図があったのかは良くわからない。ただ、常識的に考えれば、統合作戦本部の混乱を狙ったのであろう。

 

 本部長代行に就任する可能性が最も高いビュコック大将は、官僚組織を動かす能力に欠ける。統合作戦本部を掌握するまで時間がかかるはずだ。その次に可能性が高いドーソン大将は、統合作戦本部中枢にいる旧シトレ派の高級参謀に嫌われている。本部長代行になれば、首都防衛軍司令部で俺が受けたような抵抗を受けるに違いない。いずれにせよ、統合作戦本部の機能はしばらく停止する。

 

「へえ、犯人は軍服を着てたのか」

「軍人を装って近づいたにしても、護衛は何してたんだ。不用心過ぎないか」

 

 俺が思考の中に埋没している間に、続報が入ったようだ。犯人が軍服を着用していたと聞いて、世界が凍りついたような感覚を覚えた。前の歴史で暗殺未遂を実行したのは、アンドリュー・フォーク予備役准将。クブルスリー大将と顔見知りであることを利用して、至近距離まで近づいた。

 

 採用できる策は限られる。しかし、実行者は誰でも良いはずだ。アンドリューである必要はない。そう、近づけるのなら誰でもいいはずなのだ。

 

「司令官閣下」

 

 ハラボフ大尉の声が俺を現実に引き戻す。

 

「どうした?」

「アンドリュー・フォーク予備役准将が面会をお申込みになっておられますが、いかがいたしましょう?」

「用件は?」

「本日、退院なさったそうです。病院がちょうど第三巡視艦隊司令部の近所だから、立ち寄ったとか」

「ああ、第六国防病院に入院してたのか。入院先は秘密になってたから、一度も見舞いに行けなかったな」

 

 あんな別れ方をしてからも俺に会いたいと言ってくれる。そして、彼は今の世界では暗殺未遂犯ではない。それがたまらなく嬉しかった。

 

「お会いになりますか?」

「うん、今すぐ会おう。もう会議は終わったしね。三〇分ぐらい空けられる?」

「問題ありません」

 

 俺はさっそく会議室を出て、ハラボフ大尉とともに応接室に向かう。そして親友との再会が足取りを軽くさせる。

 

「……第五空挺軍団のパリー少将が暴漢に襲われたらしいぞ。元部下だとか」

「……マジかよ。お偉いさんには受難の日だな」

「……まあ、トリューニヒト議長の圧勝が一番の災難だろうよ。これから粛清が始まるからな」

 

 廊下を行き交う兵士の口の話し声が、右耳から左耳に抜けていく。パリー少将も災難に遭ったらしいが、喜びで頭がいっぱいになってる今の俺には、深いことは考えられない。ドーソン大将やブロンズ中将が対応を考えてくれるはずだった。足が床から浮いたような気分で、第三巡視艦隊司令部の廊下を歩き続けた。



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第百六話:断罪の果てに見えた過去の自分 宇宙暦797年3月30日~31日 第三巡視艦隊司令部~スシバー~官舎

 アンドリュー・フォークと直接会ったのは、昨年の七月末以来だった。そして、会話を交わすのは一〇月中旬以来。敬愛するロボス元帥を守ろうと奔走した末に倒れ、総司令部首脳陣の責任をすべて押し付けられた親友は、五ヶ月に及ぶ療養を終えて、再び俺のもとに現れたのだ。

 

 再会の場となったのは、第三巡視艦隊の応接室。テーブルを挟んで向かい合わせに座る親友の姿を見ると、感慨にふけらずにはいられない。ロボス元帥を選んだアンドリューと、第三六戦隊を選んだ俺は、去年の一〇月一七日に完全に決裂したと思ってた。しかし、アンドリューは退院したその足で、わざわざ俺を訪ねてきてくれた。

 

「どうしたの?」

「あ、いや、なんでもない。コーヒー飲みなよ」

 

 俺に促されて、アンドリューはコーヒーを飲んだ。俺が自らいれたコーヒーだ。佐官時代は自分でいれたコーヒーを来客に振る舞っていた。しかし、将官になってからは仕事が多くなって、副官や副官付下士官がいれたコーヒーを振る舞うようになった。しかし、今日はアンドリューをもてなすために、自分でいれたのだ。

 

「うまいね。やっぱ、エリヤのいれたコーヒーはうまいよ」

「だろ?」

「病院のコーヒーは本当に薄くてね。色がついたお湯みたいだった」

 

 アンドリューはコーヒーを口に含んで、噛みしめるように味わうと、力なく微笑んだ。去年と比べても、あまり体調が良くなったようには見えない。

 

「まあ、しばらくは自宅で療養するんだね。ゆっくり休んで栄養つけてさ」

「そういうわけにはいかない。すぐにでも軍務に復帰しないと」

「いや、焦ったらだめだ。疲れた頭では良い策も浮かばない。ベストコンディションで軍務に取り組まないと」

「大丈夫だって。完治したって主治医の先生が言ってた。今すぐ軍務に復帰できる」

 

 やつれ切った顔でそう言われても困る。主治医も主治医だ。無責任なことは言わないでほしい。どう見ても休養が必要じゃないか。

 

「トリューニヒト議長やネグロポンティ国防委員長に口添えしてくれないか。仕事が欲しい」

「どうしてそんなに焦ってるの?急ぐ必要ないだろ」

 

 いくらアンドリューの頼みでも、聞き入れるのは難しい。アンドリューを帝国領遠征の戦犯と信じ込んでいる者は多い。戦犯に暴力を振るえば、英雄扱いされる御時世だ。俺が口添えしても、世論受けを気にするトリューニヒトは、力になってくれないだろう。仮に復帰できても、受け入れる部署があるとは思えなかった。俺が第三巡視艦隊にポストを用意しても、間違いなく部下が猛反発する。ほとぼりが冷めるまで休職した方がいい。

 

「今の俺は予備役だろ?働かないと生活できないんだ」

 

 アンドリューが予備役ということを失念していた。それでは給料は出ない。官舎にも住めない。勤続期間は短く、武功勲章も持ってないため、年金受給資格は無い。退職金も雀の涙。若くして将官となった秀才も、今や単なる若年失業者なのだ。

 

 しかも、軍部とマスコミが全銀河にアンドリューの悪名を流布した。戦犯を雇ったことが明るみに出れば、抗議の電話が殺到する。戦犯の再就職先に対する襲撃事件も少なくない。民主化支援機構元専務理事マリーズ・ジレを重役として迎え入れたフィッツウィリアム社の本社ビルは、憂国騎士団にロケット弾攻撃を受けた。これでは戦犯を憎んでいない者でも、怖くて敬遠してしまう。時給七ディナールのコンビニ店員アルバイトにもありつけないだろう。やはり、世間が彼のことを忘れるまで休むべきではないか。

 

「貯金はないの?」

「ロボス派は飲み会多いでしょ?交際費がかかるんだよ。階級が高くなると、下の者におごらなきゃいけないし」

「実家に帰って休むとか」

「二度と帰ってくるなってさ。家族全員に着信拒否されちゃったよ」

「ロボス派の援助はないの?」

「ロボス閣下は入院中。軍に残ってる人には、面会を申し込んだけど断られた。ランナーベック大将みたいに、着信拒否してくる人もいる。入院前に『いざとなったら、彼らを頼りなさい』と言われて閣下から渡された政治家やビジネスマンのアドレスに連絡したら、『もうロボスさんとは関係ない。連絡しないでくれ』と言われた」

 

 アンドリューが置かれた状況に愕然とさせられた。まるで前の人生の俺じゃないか。卑劣な逃亡者として不名誉除隊処分を受けた後、家族には白い目で見られ、友人には絶縁を言い渡された。アルバイトにも雇ってもらえなかった。どこに行っても、エル・ファシルの逃亡者を非難する目が付きまとう。自分が生きていける場所は、広い宇宙のどこにもないと感じたものだ。

 

 法の網をくぐり抜けて、断罪を回避した戦犯が許せなかった。合法的に裁けないのであれば、超法規的な手段もやむなしと思った。憂国騎士団や警察を使ったトリューニヒトの断罪はやり過ぎだと思ったけど、それでも逃げられるよりはましだと思い、沈黙によって消極的支持を与えた。しかし、そんな態度がアンドリューをここまで追い込んでしまったのではないか。

 

 エル・ファシルの逃亡者に対する攻撃がいつどのように始まったのかは、良く覚えていない。捕虜交換後にネットに顔写真付きの逃亡者リストが出回って、気が付いたら冷たい視線に囲まれていた。もしかしたら、帝国領戦犯と同じ経緯をたどったのかもしれない。過激な断罪を主張する者に、「裁かれないよりまし」と消極的支持を与える者、「関わりたくない」と敬遠する者が引きずられる形で、逃亡者に対する攻撃が激しくなったということだ。

 

「俺が頼れるのは、予備役准将の肩書きだけだからさ。復帰が認められて現役の准将になったら、給料と住居が手に入る」

 

 すべてに見放されて現役復帰に最後の望みを賭けるアンドリューの姿には、強烈な既視感があった。前の人生で実家を追い出された俺が最後の望みを賭けたのも軍隊だった。空腹を抱えて駅前をさまよっていた俺は、「前科処分歴不問、即日入営可、朝昼夕三食無料」の謳い文句に目を奪われて、志願兵に応募したのである。

 

 やはり、今のアンドリューは軍隊に戻るべきではない。軍に志願した俺は不名誉除隊にも関わらず採用されて、食事と住居を得ることができた。しかし、逃亡者リストを見た下士官や古参兵の徹底的ないじめに遭ったのだ。仮にアンドリューの現役復帰が認められても、トリューニヒト派、旧シトレ派、国家救済戦線派の三大派閥はすべてアンドリューを敵視している。首都防衛軍司令部で俺が受けているよりもずっと激しい嫌がらせに遭うだろう。一介の少将に過ぎない俺の権力では、アンドリューを守ることはできない。

 

 親友の頼みであっても受け入れることはできないと俺は判断した。世間が戦犯に対する怒りを忘れるまで、あるいはロボス元帥やグリーンヒル大将などの総司令部首脳陣が法廷に引きずり出されて名誉が回復されるまで、時間を置く必要がある。それに心身が万全であるとも言い難い。今は休むべきだ。

 

「やっぱり無理だ。休んだ方がいい」

「でも、先生はすぐにでも復帰できると言ってた」

 

 アンドリューは主治医にでたらめを吹きこまれているらしい。主治医がでたらめを言ってまで退院を急がせる理由は、想像がつく。

 

 軍人は現役・予備役・退役を問わず、軍病院で無料の医療を受けられる。財政を担当するジョアン・レベロは、「不当な軍人優遇」「軍病院による民業圧迫だ」と言って、軍人医療制度の縮小を国防委員会に要求した。軍病院のベッド数も大幅に削減され、今はどの軍病院も過密状態にある。

 

 民間病院への転院も難しい。社会保障を所管する人的資源委員長ホワン・ルイは、「バラマキは自由、自主、自立、自尊のハイネセン主義に反する」「与えるだけの社会保障から、自立のための社会保障に」「福祉事業も自立すべきだ。自由競争が福祉の充実に繋がる」と言って、社会保障の効率化を進めた。その結果、社会保障はとてもハードルが高い制度になった。医療扶助を受けて入院するのは難しい。

 

 早くベッドを空けたいという主治医の気持ちはわかる。民間病院への転院手続きが難しいのもわかる。しかし、今のアンドリューの立場も少しは考えてほしかった。都合のいいことばかり吹き込んで、休養が必要な患者を無一文で社会に放り出すなんて、無責任にもほどがある。名前も顔も知らない主治医に少し腹が立った。

 

「もう少し休んだ方がいいと思うけどな。顔色がびっくりするぐらい悪い」

「でも、先生が働けるって言ってるんだ。休むにしたって、お金のあてもない」

「あてはあるよ。あまり褒められた手段じゃないけど、俺の顔を使えば、軍病院の入院枠の一つぐらいは、君のために確保できる。宗教法人の慈善病院に入院するのもありだ。十字教、半月教、地球教なんかは、予備役軍人や退役軍人を積極的に受け入れてる。うちの衛生部長に頼んで、そういった病院への紹介状を書いてもらうこともできる」

 

 アンドリューの顔が強張り、心外だという表情になる。しかし、ここは何としても納得してもらわなければならない。何の展望もなく、療養を勧めているわけではない。それを必死で伝える。

 

「まあ、ゆっくり考えなよ。行くとこないんなら、うちの部隊の来客用宿舎に泊まればいい。ビジネスホテル並みの設備はある。士官用の食事も用意する。ずっと泊めるのは無理だけど、一週間ぐらいは大丈夫」

 

 説得を終えたところで、アンドリューの目が焦点を失っていることに気づいた。そして、顔全体がぴくぴくと痙攣を始める。嫌な空気を感じる。まるで戦場に立った時のような空気だ。何かあったらすぐ動けるように、ソファーから軽く腰を浮かせて身構える。

 

 アンドリューは懐に右手を入れて、素早くブラスターを取り出した。横に飛びのいたが、アンドリューの動きが一瞬だけ早い。彼の射撃の腕なら、俺が動いても確実に仕留める。やられたと思ったまさにその時だった。

 

「准将閣下、どういうおつもりですか!?」

 

 俺の横に立っていたハラボフ大尉がいつの間にか回りこんで、両手でアンドリューの右手首をねじり上げた。狙いをそらされたブラスターは天井に穴を開ける。

 

 ハラボフ大尉はそのまま両手をアンドリューの右腕ごと時計回りに大きく回転させて、背負い投げの体勢に持ち込んだ。テーブルに叩きつけられたアンドリューは、銃を取り落とす。ハラボフ大尉はすかさずアンドリューの上に馬乗りになって、胴体と両腕をしっかりと押さえ込む。ほんの一瞬でハラボフ大尉は、アンドリューを制圧してしまった。さすが徒手格闘の達人だ。

 

「司令官閣下!警備兵を!」

 

 呆気にとられていた俺は、ハラホブ大尉の叫び声で我に返り、携帯している警報ブザーのボタンを突き破らんばかりの勢いで押した。けたたましい警報が鳴り響き、銃を構えた警備兵が応接室に雪崩れ込む。

 

「アンドリュー、どうしてこんなことをしたんだ……?」

 

 虚ろな表情で天井を向いているアンドリューは、俺の問いに答えようとしなかった。

 

 

 

 二度目の国家救済戦線派対策会議は、俺がアンドリューに襲われたその日の深夜に、初回と異なる場所で開かれた。今回はスシバーに偽装した秘密拠点である。

 

「クブルスリー本部長は、全治四か月だそうだ」

「しばらくは公務に復帰できそうにないか」

「ビュコック大将かドーソン大将が代行を務めることになるだろうな。こんな大事な時期に面倒なことになった」

「ただでさえ悪い軍のイメージがさらに悪くなった。国防予算増額に市民の理解を得られなくなるやもしれん」

「反戦市民連合が反軍キャンペーンを準備しているという情報もある。新政権発足前に主戦派の出鼻を挫くのが狙いだろう。格好の餌を与えてしまった」

 

 出席者は統合作戦本部長クブルスリー大将暗殺未遂事件について話し合っていた。統合作戦本部長が本部ビル内で銃撃されたというニュースは、内外に大きな衝撃を与えた。もちろん、国家救済戦線派との戦いに及ぼす影響も小さくない。混乱が生じれば、それだけ付け入る隙も大きくなるのだ。

 

「それにしても、許せんのはリディア・セリオだ!一五〇〇万人も殺したのに、まだ殺し足りないのか!」

「つまらないことをしてくれたものだ。本部長を殺したところで、失われた未来が戻ってくるわけでもあるまいに」

「しかし、クブルスリー本部長も必死に擁護してやった戦犯に撃たれたのでは、自業自得としか言いようが無いな。少しは反省してもらいたいものだ」

 

 クブルスリー大将を襲撃したのが、アンドリューとともに帝国領遠征の最大の戦犯とされるリディア・セリオ予備役大佐であったことが出席者の怒りをさらにかきたてた。

 

 この場にいる将官は、みんな総司令部首脳陣から敗戦責任を押し付けられたアンドリューとセリオ予備役大佐を最大の戦犯と信じ込んでいる。帝国領遠征に参加したビュコック大将やヤン大将ですら、総司令部首脳陣の言い分を鵜呑みにしているのだ。参加しなかったトリューニヒト派将官が信じ込むのも無理はない。

 

「そして、フォークはフィリップス提督を襲った。六年来の友人を襲うとは、なんと見境のないことか。ヒステリーとは恐ろしいものだな」

 

 第七歩兵軍団司令官フェーブロム少将の言葉には、強烈な悪意が感じられた。トリューニヒト派には、負の感情を取り繕おうとしない人が多い。同じ派閥であっても、こういうところには付いていけないと感じる。

 

「セリオはクブルスキー大将の元部下。フォークはフィリップス提督の友人。そして、小官を襲ったフラーデクは、エル・ファシル地上戦を共に戦った元部下。まさか、偶然と考える者はおるまいな」

 

 第五空挺軍団司令官コンスタント・パリー少将が口を開くと、話し声はピタリと止まった。

 

「クブルスキー大将を倒せば、軍の統帥機能は混乱する。小官を倒せば、第一特殊作戦群の番人がいなくなる。フィリップス提督を倒せば。アルテミスの首飾りの番人がいなくなる。黒幕は近づきやすい者をわざわざ選んで、我ら三人を一度に倒そうと差し向けてきたのだ。ここまであからさまだと、かえって清々しいとすら言える」

 

 みんながテロリストの仕業と考えていたクブルスリー大将襲撃、そして傍目には独立した襲撃事件に見える二つの襲撃事件を、パリー少将はいともあっさりと一本の糸で繋いでしまった。前の歴史の知識がなければ、俺も三つそれぞれが独立した事件と考えたに違いない。出席者は感心のつぶやきを漏らす。

 

「そこまで計算していたとは、なんて恐ろしい奴らだ」

「徹底的に背後関係を調べなければ」

「拷問や自白剤の使用も考慮しようか」

「この際、手段は選んでられん。発覚しなければ、問題ないだろう」

 

 物騒な会話が交わされる。

 

「貴官らは馬鹿か」

 

 舌打ちせんばかりの表情で、第一一艦隊司令官フィリップ・ルグランジュ中将は言い放った。

 

「そのようなもの、使うまでもないだろう。刺客は三人とも我らの手中にあるのだ。フォーク准将とセリオ大佐は、最近まで軍病院に入院していた。顔を合わせた者もそう多くはない。奴らの交友関係を徹底的に洗えば、陰謀の糸も自ずと手繰れるというもの。表に出せない手段で自白を引き出したら、裁判の時に困ったことになるぞ?『軍部の跳ね上がりがクーデターを起こそうとしていました。憲章で禁止されている手段で引き出した自白が証拠です』などと市民に言えるのか?いい恥晒しではないか」

 

 さすがはルグランジュ中将だった。目先のことに囚われず、さらに先を見据えている。

 

「うむ、ルグランジュ提督の言う通りだ。市民の信頼を失っては、元も子もない。議長閣下にも傷が付く」

 

 ドーソン大将の言葉が場を決した。トリューニヒト派にとって、「市民の信頼」「議長閣下」の二つの言葉は、最優先すべきものなのだ。

 

「国防委員長と相談した結果、ビュコック大将に本部長代行を依頼することに決めた。帝国は内戦寸前。しばらくは宇宙艦隊の出番も無い。仮に黒幕が二段目のテロを仕掛けてきたとしても、目標が限られていれば警戒も楽になる。ビュコック大将の周りに、警戒要員をびっしり貼り付ければ良いのだからな」

 

 ビュコック大将に本部長代行を任せるというドーソン大将の案は、妙案のように思えた。テロリストの攻撃は必ず奇襲の形を取る。守るべき場所が多ければ多いほど、警戒の目が分散して、テロリストに有利になる。目標がわかってさえいれば、テロを防ぐことはそんなに難しくない。最高評議会や統合作戦本部の建物がテロ攻撃を受けないのは、常時厳戒態勢にあるという極めて単純な理由によるのだ。

 

「ビュコック大将がクーデターに参画していたら、どうするつもりですか?統合作戦本部を手中にするために、仕組んだ可能性もありますぞ」

「警戒要員とは、テロにのみ警戒するわけではない」

 

 その答えに質問者は納得の表情を浮かべた。ビュコック大将への警戒を強めるというドーソン大将の意図を察したのである。

 

「我々の警戒はどうしましょうか?小官とフィリップス提督が狙われたわけですが」

 

 パリー少将がドーソン大将に問う。

 

「そうだな、護衛を付ける必要があるだろう。空挺あがりの猛者を護衛に付けたおかげで、貴官は無傷で済んだのだからな」

「何の用心もなくこのような任務にあたると思われたのならば、このコンスタント・パリーも随分と舐められたものです」

「まあ、さすがに敵も通行人が全員護衛とは思わんだろう」

「サンタ・マルタに行ってから、丸腰では歩けなくなりました」

 

 パリー少将はニヤリと笑う。サンタ・マルタ星系は、軍とテロ組織の衝突が車の衝突事故と同じ頻度で起きると言われる危険地域である。地上軍兵士の死亡率は、対帝国戦より高い。「サンタ・マルタ帰り」は猛者の代名詞であった。言葉の一つ一つに格の違いを見せ付けられる。これほどの人物でも前の歴史では名前が残っていないのだから、運命とは不思議なものだ。

 

「それにしても、フィリップス提督。貴官は不用心すぎるな。自分の立場を考えなかったか」

 

 いきなりパリー少将に睨まれて、ギクリとなってしまった。

 

「いや、彼は友人でしたから。嬉しくてつい……」

「たまたま副官が徒手格闘の達人だったために無傷で済んだ。だが、そうでなければ深手を負っていた。貴官が倒れた後に、また外部から司令官代理を派遣するというのでは不自然に過ぎる。アラルコンを代理にせざるを得ない。わかるか?首都防衛軍があの過激な男の手中に収まる瀬戸際だったのだぞ?」

 

 圧倒的な正論の前に、言葉もなかった。

 

「小官の部下の中から、護衛を付けてやろう。六人のチームを四交代体制、合計二四人。完全武装の一個小隊にでも襲われん限りは、大丈夫な連中だ」

「あ、ありがとうございます……」

「貴官の身の安全は、ハイネセンの安全でもある。礼には及ばん」

 

 怖い人だけど、頼りにはなる。この人が味方でいてくれて良かったと思った。

 

「フィリップス提督、フォークの事件はどう処理した?今のところ、マスコミには漏れていないようだが」

 

 俺とパリー少将の会話が終わったのを見計らって、ドーソン大将は質問した。

 

「フォーク准将を第三巡視艦隊司令部の一室に保護しました。二四時間体制で警備にあたっております」

「逮捕ではなく、保護かね?」

「襲撃事件として扱えば、軍のイメージがさらに悪化する恐れがあります。ですから、『フォーク准将は面会中に倒れた。健康状態が回復するまで保護する』と内部には説明しております」

「うむ、正しい処置だ。ただでさえセリオの事件でイメージが悪くなっているのだ。フォークまで事件を起こしたとなれば、それこそ軍は何をしていたと言われる」

 

 ドーソン大将が俺の措置を認めてくれたことに安心した。俺が守りたかったのは、軍のイメージよりもアンドリューだった。襲撃犯ということになれば、彼の社会的生命は完全に終わる。

 

「フラーデクの事件もフィリップス提督と同様に処理いたしました」

「さすがだ。貴官らは良くわかっておる」

 

 パリー少将も事件を隠すことにしたと聞いて、ドーソン大将は満足げに頷いた。

 

「ブロンズ中将、情報部の調査はどこまで進んだか?」

 

 情報部長ブロンズ中将は、ドーソン大将の声に応じて立ち上がり、報告を始めた。

 

「クブルスリー本部長襲撃事件に絡んで、怪しげな動きが報告されました。ラヴィスの第一歩兵軍団、リリエンバーグの第一空挺軍団、カンニストの第五陸戦軍団は警戒レベルを二段階引き上げました。師団レベル、旅団レベルでも上級司令部の了解なしに警戒レベルを引き上げた部隊が多数見られます」

「ほう、手回しのいいことだ」

「アラルコンの首都防衛軍第二巡視艦隊は、衛星軌道上にて演習中でした」

「なに!?」

 

 ルグランジュ中将、パリー少将を除く全員の顔から血の気が引いていく。

 

「これは小官の私見ですが、パリー少将とフィリップス少将の職務遂行能力喪失が確認でき次第、宇宙と地上の双方からハイネセン制圧に取り掛かろうと過激派どもは考えていたのでしょうな」

「他に考えようがあるか!」

 

 蒼白な顔のドーソン大将は、大声で吐き捨てた。

 

「フィリップス提督!」

「はい」

「なぜ、アラルコンに演習など許可したのだ!?」

「一度却下したのですが、参謀に『書式が完璧に揃っている。なぜ却下するのか』と言われて、通さざるを得ませんでした」

「時期というものを考えろ!」

「気を付けます……」

「首都防衛軍の参謀にも国家救済戦線派の内通者がいるのではないか!?早急に調べろ!参謀どもが過激派と結託して、書式の整った申請書を作っている可能性もあるのだからな!」

「はい!」

 

 ドーソン大将に指摘されるまで、首都防衛軍司令部の旧シトレ派参謀が国家救済戦線派と結託している可能性は、まったく考えていなかった。ハイネセン主義者と全体主義者が組むことなど有り得ないと考えていたからだ。しかし、参謀と部隊が手を組めば、演習にかこつけて部隊を出動させること、決起の際に用いる弾薬や食糧を融通することも思いのままだ。反トリューニヒトで一時的な同盟を組む可能性も考慮しなければならない。情報部がグリーンヒル大将やビュコック大将を監視している意味を深く考えるべきだった。

 

 首都防衛軍を急いで掌握しなければならない。旧シトレ派参謀が俺の首都防衛軍掌握を妨害しつつ、国家救済戦線派の行動にフリーパスを与えていたとしたら、取り返しの付かないことになる。着任してから今日までの数日間は、第三巡視艦隊の体制を整えるのに精一杯だった。しかし、今後は首都防衛軍にも目を配らなければならない。参謀が情報を出そうとしないのなら、自ら部隊を視察して情報を得ることも考えよう。

 

 多くの課題を残しつつ、二回目の国家救済戦線派対策会議は終わった。

 

 

 

 官舎に戻ると、日付が変わって午前二時になっていた。就寝前に端末を開いてメールをチェックすると、国防委員会からメールが届いていた。

 

「なんだろう、面倒な用事だったらやだなあ」

 

 開いてみると、想像しうる限り一番面倒な用事だった。首都防衛司令官代理に就任する直前までの俺は、国防委員会でアーサー・リンチ少将とともにエル・ファシル市民を見捨てて逃亡した将兵の告発準備を担当していた。その件に関して、「罪状評価が甘すぎる。どういうつもりか聞かせてもらいたい」と後任者から問い合わせが来たのだ。

 

「今さら九年前の事件を裁くこともないだろうに。帝国の収容所で遊んでたわけでもないんだし」

 

 前の人生で逃亡者として苦労した経験から、積極的に告発する気にはなれなかった。法律知識から判断しても、主体的に関与した二九名を除けば、譴責相当が妥当だろう。示しを付けるにしても、主体的に関与した者に重罰を下せば十分ではないか。首謀者と考えられる元参謀長、元作戦部長、元後方部長の三名を階級剥奪の上で死刑にすれば、市民だって納得するはずだ。

 

 国防委員会がどうしてエル・ファシルの逃亡者を厳しく処罰したいのか、俺には良くわからなかった。最近忙しくて使ってなかったネットで調べてみる。

 

「なんだ、これは……」

 

 検索結果を見て、愕然としてしまった。「エル・ファシル」で検索したら、「エルファシルの逃亡者リスト」と書かれたページが最上位に来たのだ。信じられないことに、エル・ファシル市庁、エル・ファシル惑星政庁、エル・ファシル星系政庁、ネット百科事典のエル・ファシルの項よりも上位にある。しかも、コピペがあちこちの大手コミュニティサイトに貼り付けられていた。

 

 さらに調べると、逃亡者リストに載っている人物の住所やアドレス、写真などがあちこちで晒されていた。攻撃を促す書き込みも凄まじい量にのぼる。逃亡者に加えた暴行を自慢する書き込みすらあった。

 

 既視感で頭がクラクラした。前の人生の俺に降りかかったことが今も別の場所で起きている。いや、エル・ファシルの逃亡者だけではない。帝国領遠征の戦犯も同じような目に遭っているということを、昨日の昼に見たばかりだった。やはり、合法的手段によらない断罪はまずい。法によって裁かなければ、際限がなくなってしまう。

 

 一睡もできないまま、朝を迎えた。これで丸二日寝てないことになる。今日は早めに仕事を切り上げて、ゆっくり休もう。そう思いながら出勤した。



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第百七話:司令部制圧作戦 宇宙暦797年4月1日~3日 第三巡視艦隊司令部~首都防衛軍司令部

 第三巡視艦隊情報部長ハンス・ベッカー大佐は、トランシーバーのような装置を手にしていた。

 

「始めますよ」

「よろしく頼む」

 

 俺が頷くと、ベッカー大佐は第四会議室に入っていった。そして装置に収納されていたアンテナを取り出し、水平方向に向ける。そして、腕を使って大きな円を描くようにアンテナを回した。回し終わったら、今度はアンテナを垂直方向に向けて回した。立ち位置を変えながら、ベッカー大佐は何度もアンテナを回す。

 

「盗聴電波の反応はありません」

 

 ベッカー大佐の言葉に一同は胸を撫で下ろし、ぞろぞろと第四会議室に入っていく。一昨日アンドリューに撃たれかけた件で自分の不用心ぶりを反省した俺は、考えうる限りの警戒を行うことにした。執務室や会議室に入る際は、軍情報部や警察が使う盗聴器発見機を使って、盗聴器の有無を調べさせることに決めたのだ。

 

「全員着席したね。では、今から会議を始めよう」

 

 出席者は参謀長チュン・ウー・チェン准将、副参謀長セルゲイ・ニコルスキー大佐、作戦部長クリス・ニールセン中佐、情報部長ハンス・ベッカー大佐、人事部長リリヤナ・ファドリン中佐、後方部長オディロン・パレ中佐、副官ユリエ・ハラボフ大尉の七名。第三巡視艦隊司令部の首脳陣である。彼らは首都防衛軍における国家救済戦線派対策の中枢だった。

 

「昨日、宇宙防衛管制隊の基地で惑星間ミサイルの爆発事故が発生したのは、もうみんな知っているね?」

「死亡者一四名全員が一〇代の志願兵、原因はミサイルの欠陥。何ともやりきれない事故です」

 

 ニコルスキー大佐は沈痛そうな表情を浮かべる。

 

「予算が足りないんだ。だから、高給取りのベテランを安く雇える少年兵に入れ替えて、形だけは定数を揃えようとしてる。正規艦隊、イゼルローン方面軍、辺境総軍以外の部隊は、どこもそんな状態だよ」

「それなのに市民は国防予算増額に反対しています。一体我が軍はどうなってしまうのでしょうか?」

「お金をけちった代償は、血で払うことになる。それもけちった人とは別の人の血でね」

 

 前の人生のハイネセン、そして一昨年のエル・ファシルで見た光景を頭の中に思い浮かべる。お金さえあれば助かった人、お金さえあれば犯罪者にならずに済んだ人がたくさんいた。そして、アンドリューもそうだった。財政に余裕が無いのは分かっている。しかし、それでも「節約」という言葉が「殺人」と同義に思えてならない。

 

「しかし、予算は議会が始まった後の話。今は目の前の事件に対応しなきゃいけない。首都防衛司令官代理の俺は、責任を追及される立場。真相を明らかにして、許してもらえるまで謝り続けるのが仕事。しばらくは首都防衛司令部にかかりきりだね。国家救済戦線派への対応は後回しになる」

「ドーソン大将も不運でした。統合作戦本部長代行に就任した当日に事故が起きるとは」

「そうだね。軍のトップとして対応しなきゃいけないから」

 

 最悪のタイミングで最悪の事故が起きた。ため息をつかずにはいられない。ビュコック大将が本部長代行を引き受けてくれていたら、事故対応とクーデター対応を別々にできたのに。

 

「今日の議題はスケジュールの組み直し。優先度の低い事項は先送り。高い事項も遅れるけど」

「国家救済戦線派の策略という可能性はありませんか?」

 

 そう指摘したのは、作戦部長ニールセン中佐だった。

 

「どうしてそう思ったの?」

「この事故によって、彼らは四つの利益を得ます。第一に閣下と本部長代行を事故処理に縛り付けることができます。国家救済戦線派は動きやすくなるでしょう。第二に閣下と本部長代行に大きな政治的失点を与えることができます。閣下が司令官代理を辞任すれば、国家救済戦線派のアラルコン少将が首都防衛軍を掌握します。第三にトリューニヒト政権のイメージに傷をつけることができます。そうなれば、国家救済戦線派に心を寄せる者がますます多くなります。第四に宇宙防衛管制隊の司令官を引責辞任に追い込めます。管制隊内部の国家救済戦線派が勢いづくでしょう」

「うーん」

 

 確かに国家救済戦線派にとって良いことづくめである。しかし、あまり考えたくない可能性だった。

 

「過激派とはいっても、それは現体制に否定的という意味での過激派だ。テロ組織の過激派とは意味が違う。清廉さを売りにしている彼らが少年兵を巻き添えにできるかな?」

「清廉だからこそ、必要とあらば残虐になれるとも言えます。親しい者を選んで刺客に送り込んでくるような連中です。多少の犠牲は大義の前に許されると考えても、不思議ではありません」

「そこまでする相手とは思いたくない。しかし、その可能性は排除しない方がいいね。俺が国家救済戦線派を甘く見たせいで犠牲が増えたら、目もあてられない。事故と謀略、両方の可能性で調べを進めよう。事故なら首都防衛軍を管理しきれなかった俺の責任、謀略なら国家救済戦線派を監視しきれなかった俺の責任。どっちにしても、司令官代理は降りることになるだろうけど。せめて真相は明らかにしなきゃね」

 

 内には首都防衛軍のエリート参謀に遠慮して、外には国家救済戦線派を刺激することを恐れた。そんな俺の無為が少年兵の命を奪った。最近は政治的な力関係に目が行き過ぎて、初心を見失っていたように思う。何のために軍人をやっているのか、何のためにクーデターを阻止しようとしているのか、ちゃんと考え直さないといけない。ダーシャにこんな俺を見られたら、間違いなく叱られてしまう。

 

 

 

 首都防衛司令部の司令官執務室に着いた俺は、デスクの上に置かれた一冊の薄っぺらいファイルを見て呆然となった。

 

 昨日、俺は首都防衛司令部の参謀チームに、宇宙防衛管制隊の事故に関わる資料の提出を求めた。旧シトレ派は軍の不祥事に対して厳しいと言われる。エリート意識が強い人達ではあったが、それゆえに高いモラルを持っているのは、誰もが認めるところだ。だから、爆発事故の真相解明には、積極的に協力してくれるものと思ってた。デスクの上には読みきれないほどの資料が積まれていると思ってたのだ。

 

「これで全部?」

「全部です」

 

 首都防衛司令官副官のティエリー・グラニエ少佐は、自信満々に言い切った。

 

「あれだけの大事故なのに?」

「資料は量ではありません。質です」

「でも、事故関係者のここ三ヶ月の勤怠表だけでも、このファイルが一五冊は必要になるよね?質を云々する以前に、最低限の量に達してないんじゃないかな?」

「紙の量と情報量は、必ずしも比例しません。少ない文字数に多くの情報を詰め込めば、紙資源を節約できるのです」

 

 トリューニヒト派の人間は、分厚い資料を作る傾向がある。グラニエ少佐があてこすりを言ってるのは、明らかだった。

 

「つまり、膨大な資料に匹敵する密度の情報があのファイルの中に詰まってるということ?」

「そうお考えいただいて結構です」

 

 いつもと変わらず慇懃無礼な副官の言葉にイラッとしながら、ファイルを開く。中身はパンフレット以下だった。この程度の情報は大衆紙にも載ってる。

 

「グラニエ少佐、ファイルに目を通して欲しい」

「小官は既に目を通しましたが」

「だったら、もう一度頼む」

「その必要を感じませんが」

「いいから読め!」

 

 さすがに我慢の限度を超えていた。依頼形で話す余裕もなく、命令形で怒鳴りつける。グラニエ少佐はしぶしぶファイルを開いて目を通す。

 

「どうだ?事故の全容を理解できたか?」

「事故は昨日起きたばかりです。調査が進んでいない段階では、状況把握に終始するのもやむを得ないかと」

 

 まだ返せる言葉のストックが残っていることに少し感心してしまった。参謀にとって、弁舌は最も大事な仕事道具の一つだ。グラニエ少佐はきっといい参謀になれるだろう。だが、感心してばかりもいられない。今の俺にとって、グラニエ少佐の優れた弁舌は、障害物でしかないのだ。

 

「俺には理解できない。なんせ、ハイスクールしか出てないからね。士官学校の戦略研究科を出た貴官とは、頭の出来が違う。参謀のみんなには、馬鹿な司令官の頭でも理解できるような資料を作って欲しかったな」

 

 普段は思っているだけに留めているような皮肉がどんどん口をついて出てくる。いくら小心な俺でも、こんな大事な時に言葉遊びに終始する副官に遠慮する必要は感じなかった。

 

「参謀全員を今すぐここに呼んで来て欲しい」

「外出中の者、休暇中の者もいます」

「出先にいる者は今すぐ呼び戻せ。休暇は現時点で終了。フェザーンで観光してたとしても、今すぐハイネセンに向かうように伝えてね。二週間以内には着くだろう」

 

 我ながら言ってることが無茶苦茶なのは分かってる。しかし、連絡一本入れるにもいちいち反論してくるような副官とまともに会話する気にはなれない。舌打ちせんばかりの表情でグラニエ少佐は司令室を出て行った。

 

「使わないに越したことは無いけど」

 

 ポケットの中から取り出した小型録音機を手のひらに乗せてつぶやく。そして、素早く設定を終えると、ポケットに戻した。

 

 三〇分後、参謀長イヴェット・チャイルズ少将以下の参謀全員が執務室に集まった。みんな憮然とした顔をしている。補佐役として一定の敬意を払われてしかるべき参謀を呼びつける俺の態度に、プライドを傷つけられているのだろう。しかし、今の俺には関係なかった。彼らのプライド、そして背後にいるクブルスリー大将やビュコック大将に遠慮したことが、国家救済戦線派の暗躍、ミサイル爆発事故を招いたのだから。

 

「このファイル一冊に、首都防衛司令部が総力を結集して集めた情報が詰まってるってことでいいのかな?」

 

 薄っぺらなファイルをかざして、わざとらしくひらひらさせる。

 

「まだ詳細不明な部分が多いですから」

 

 チャイルズ少将が一同を代表して答える。

 

「死傷者の勤怠表、事故が起きた部署の日報、ミサイルの定期整備の記録、納品記録などなど。そういうのは調査が進んでない段階でも集められるよね?」

「ファイルの中に要約してあります」

「貴官らの要約ではなく、生の資料を読みたい」

「膨大な量にのぼりますので、直に目をお通しになったら、時間がいくらあっても足りないかと」

 

 生の資料は何が何でも見せたくないようだ。組織においては、情報量と影響力は等しい。俺に情報を与えて、主導権を握られるのが嫌なのだろう。これまでは俺をトリューニヒトの手先とみなす彼らの気持ちに配慮して、あまり強いことは言わなかった。でも、ここで譲るわけにはいかない。参謀に遠慮して、司令官代理の仕事を蔑ろにしていい状況じゃない。

 

「でも、読みたいんだ。俺は頭が悪くてね。貴官らに理解できる要約も俺には簡潔すぎて理解できない」

「ご冗談を。司令官代理は若くして要職を歴任されたエリートではありませんか」

 

 今度はプライドをくすぐってきた。司令官になるような人は、みんな能力相応に高いプライドを持っている。エリートは自分の輝かしい経歴、叩き上げは泥にまみれて勝ち取った栄光を誇りにしている。だから、「わからない」という言葉が言えない。わからない時も見栄を張って、「わかる」と言ってしまう。そこに官僚的な手口の入り込む余地がある。わざと司令官に意味不明の説明をして、プライドをくすぐりつつ強引に承諾を取ろうとする参謀がいるのだ。

 

「とにかくわからないんだから、しょうがない」

 

 俺はもともと能力が高くない。だから、「わからない」と言ってもプライドが傷つかない。彼らはいつも人を見下ろしてきたが、俺はいつも見上げてきた。相手より劣ることを認めても、何の抵抗も感じない。

 

「小官らはわかるように最大限の努力を尽くしました。それなのに頭ごなしにわからないと言う態度はいかがなものかと」

 

 今度は歩み寄ってくれない俺が悪いと批判する方向に転換したらしい。さすがは戦略研究科を出た作戦屋。多彩な戦術を持っている。

 

「生の資料を読ませて欲しい。そうでなかったら、遺族や市民に十分な説明ができない」

「説明すべきことは、全部このファイルの中にまとめました」

「どうあっても、俺に生の資料を見せたくないんだね?」

「閣下を些事で煩わせるわけにはいきませんから」

 

 この会話で彼らの肚は良くわかった。情報を持たずにしどろもどろの答弁をする司令官代理は、いかにもカメラ映えがしない。世論の批判を俺に集中させて、首都防衛軍司令部から体良く追い出そうと考えているのだ。そして、事故の真相究明の手柄は、自分達が手に入れる。

 

「わかった。この資料で記者会見に臨むよ」

「おわかりいただけましたか」

 

 やれやれという表情を浮かべる参謀を背に、俺は執務室を出て行った。グラニエ少佐が後をついてこようとしたが、司令官に屁理屈で抵抗するのを仕事と思っているような副官なんて必要ない。早足で歩いて振り切った。

 

 その後、人気のない場所に行って携帯端末でドーソン大将と連絡を取った。録音した参謀との会話を聞かせ、考えついた対抗策を提言する。ドーソン大将から多少の修正を受けて、対抗策は完成した。

 

 記者会見の会場は、案の定騒然となった。俺の読み上げた薄っぺらいファイルに載った情報でマスコミが満足するはずがない。

 

「これで市民が納得すると思ってるんですか!?」

「一〇代の少年が亡くなったんですよ!?それなのに無責任ではありませんか!?」

「軍はどうして情報を出そうとしないのですか!?これでは揉み消しに動いていると言われても、文句は言えませんよ!?」

 

 怒りに目を輝かせる記者の集団、俺を無能な司令官代理として映し出しているカメラが視界に入る。しかし、まったく怖くなかった。

 

 俺とチャイルズ少将の押し問答を録音した小型録音機は、ドーソン大将を通して国防委員会監察総監部の手に渡った。明日にでも首都防衛軍司令部に、臨時監査の手が入る。俺の読み上げたファイルに載っていない情報を参謀が持ってることが判明したら、ただでは済まないはずだ。

 

 

 

 記者会見から二日後の四月三日、首都防衛軍司令部の応接室で俺は意外な来客を迎えていた。

 

「いやあ、なかなか痛快でしたなあ。小官も日頃から参謀どもの姑息さには、腹にすえかねておったのですよ」

 

 俺と向かい合わせに座っている五〇代前半の男性は、吊り上がった目を細めて愉快そうに笑っていた。

 

「なんせ、弁が立たないものでしてな。いつもやり込められておるのですよ。だからまあ、理屈の多い奴は苦手ですな」

 

 口下手というのが間違いなく嘘と思えるぐらい良く喋っているのは、第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将だった。メディアでは強面の極右論客なのに、実際に会ってみると妙に気の良さそうなおじさんだった。

 

「その点、司令官代理は若いのにあまり口が達者ではない。失礼ながらこのアラルコン、親近感を感じますぞ」

 

 親近感を持たれても困る。

 

「いやいや、良い方が上官になってくださった。貴官となら話が通じそうだ」

 

 どう答えていいかわからず、曖昧に笑う。脇に立つ副官のハラボフ大尉の顔に救いを求める視線を送ったが、さり気なく逸らされてしまった。

 

 最大の敵と面会するにあたって、俺は最大限の用心をした。俺の脇には徒手格闘の達人ハラボフ大尉が控える。面会の二時間前に応接室に運び込んだ二つの家具の中には、パリー少将が付けてくれた空挺あがりの護衛が一人ずつ潜む。応接室の周囲には、警備兵一個小隊が待機。アラルコン少将が携帯していたブラスターは預かった。随員五名は武器を預かった上で、別々の部屋に通して接待中である。俺自身もいつでもブラスターを抜けるような態勢を取る。

 

 だが、一向に怪しげな動きを見せない。首都防衛軍を乗っ取ってクーデターを起こそうとしている人物が何の策もなく俺の懐に飛び込んでくるとは思えないのだが、今のところはただ喋ってるだけだった。

 

「お嬢さん、コーヒーのおかわりをいただけるかな」

 

 アラルコン少将はハラボフ大尉にコーヒーのおかわりを頼んだ。これでもう七杯目だ。一体何杯飲むつもりなんだろうか。

 

「いやいや、今日は本当に喉が渇きますな。春のハイネセンは過ごしやすくて結構なのですが、空気が乾燥気味でいけません。だからといって、夏は湿気が多すぎる。なかなか中庸とはいかんものです」

 

 それだけ喋ってたら、喉も渇くのも当たり前だと思う。空気は関係ない。

 

「どうぞ」

 

 ハラボフ大尉は、アラルコン少将の前にスッとコーヒーを差し出した。

 

「おお、これはうまそうだ。ご馳走になりますぞ」

 

 喜びに目を輝かせたアラルコン少将は、熱々のブラックコーヒーに口をつけた。そして、熱さに顔をしかめる。新しいコーヒーが来るたびにこれをやっているのだ。猫舌なのにどうして熱いコーヒーを頼むのだろうか。

 

 ダーシャも猫舌なのに、いつも熱いココアを欲しがった。口から息をふーふー吹いて冷ましてから飲むのである。ぬるいココアを最初から頼めばいいと言っても聞かずに、頑なに熱いココアを欲しがった。本当に変な奴だと呆れたものだったが、世の中は広い。毎度毎度、口を付けては熱がる変人もいる。

 

「それにしても、酷い事故でしたな」

「どの事故でしょうか?」

「事故といえば、三一日の事故ではありませんか、少年兵が亡くなった事故」

「ああ、なるほど」

 

 どうも会話のペースが掴めない。唐突に話題を変えてくる人はどうもやりづらい。

 

「新聞を見ましたか?みんなミドルスクールを出てすぐに軍に入った若者です。普通の若者がハイスクールや大学に行ってる間に、軍隊に入って汗をかいとるわけです。亡くなった若者は整備兵ですから、油にまみれてたんですな。そんな真面目な若者が事故で亡くなったのですよ。いかが思われますか?」

「悲しいですよね」

「そう、悲しいのです。ミドルスクールを出て軍に入る若者は、貧しい家の生まれが多い。ミドルスクール卒の学歴なら、民間では時給七ディナールか八ディナールのバイトにありつけません。しかし、軍隊に入れば二等兵で一一〇〇ディナールほどの月給が出るわけですな。もちろん、住居と食費は無料。病気になれば、本人は無料、家族も極端な割安で治療が受けられる。貧しくて学歴のない若者にとって、志願兵ほど良い職業は無い」

「そうなんですよね」

 

 俺は曖昧に肯定する。アラルコン少将の話は、認めるにはいささか心の痛む現実であった。 軍隊の階級は、徴兵で集められた者を除けば、社会階級を如実に反映している。士官学校を出て士官になった者は上流や中流上層、専科学校を出て下士官になった者は中流下層の出身者が多い。そして、志願兵に応募する者は貧困層が多い。義務教育終了時点の学力と社会階層は、かなり高い相関関係にある。だから、軍隊に入る経路と社会階層の相関関係も高い。

 

「しかし、志願兵は任期制。特技兵で無ければ、一期三年、三期を勤めたら解雇されます。満期を迎えた時に下士官になれなければ、軍隊生活はそこで終わります。下士官はこの一〇年で二割削減されました。今では志願兵から下士官になるのは狭き門。義務教育終了程度の学歴しか持たない二〇代半ばの若者が社会に放り出されるのです。軍隊経験は職歴としては、ほとんど評価されません。大卒の若者がわんさと失業しているこの御時世。一〇代後半から二〇代前半の青春時代を国防に捧げた若者は、行き場が無いのですよ。いかが思われますか?」

 

 返答が難しい質問だった。志願兵の失業問題はとても深刻だ。三期を勤めて除隊した後に、仕事が見つからずに身を持ち崩す者も少なくない。刑務所とホームレス収容施設には、元志願兵の経歴を持つ者がたくさんいる。下士官であっても、二〇代や三〇代で軍を退いた者の何割かは、元志願兵と同じ運命をたどる。退役軍人という言葉は、自由惑星同盟では社会的弱者と同義なのだ。現役軍人としては心が痛むが、どうやって解決すればいいのかわからない。

 

「そうですね。国防予算がもっと多ければ、良い待遇ができるのですが」

「しかし、現状は国防予算が少ない。経験豊富な下士官をあてるべき仕事に、若年の志願兵をあてる。我が軍の根幹は志願兵。それを一期三年の徴兵で水増ししとります。満期を迎えたら、若い兵と入れ替えです。現在の我が軍は若者を使い捨てて成り立っとるわけです。根幹を粗末にする軍隊に未来がありますか?若者を粗末にする国に未来がありますか?」

 

 熱っぽく語るアラルコン少将。彼の問題意識はきわめてまっとうだ。軍事独裁による国家変革という過激な主張も出発点から過激だったわけではない。誰にでも理解できるような出発点だからこそ、国家救済戦線派に支持が集まる。そんな当たり前の事実を再確認させられた。

 

「現場を離れてはおりますが、小官は今でも自分を教育者と思っとります。部下を指導する際も教育者として接しとります。軍隊の階級で言うと、上は准将から下は二等兵。社会階級で言うと、上は代議員の息子から下は元浮浪児。それだけ多種多様な部下の指導法を考えますと、どうしてもそれぞれの背景を考えんといかんのです。すると、どうしても社会の問題にぶち当たる。部隊を運営するというのは、社会を運営することなんですよ」

「小官も部隊を運営していると、それを実感します。生まれ育ちも価値観も多種多様ですからね」

「だから、軍人は政治家でもあるべきなのです。部隊という社会を運営する者が政治をできなくて、何としますか?戦争屋や小役人に社会が運営できますか?」

 

 アラルコン少将の言う戦争屋は旧シトレ派、小役人はトリューニヒト派のことだろう。軍事独裁主義者と言われたら、世間の人は視野の狭い戦争馬鹿を想像するはずだ。しかし、国家救済戦線派の指導者には、政治家や企業家のような資質を持つ者が多いと言われる。軍隊を使って国家を運営しようなどという発想は、経営者的な資質が無い人間には思いつかないからだそうだ。眉唾だと思っていたが、俺が間違っていたようだ。

 

「軍人が政治と無縁でいられないというのは、おっしゃるとおりです。軍隊と政治は協力していかなければならない。軍隊は社会の一部であり、小社会です。政治との付き合いは大事です」

 

 あえてシビリアンコントロールを尊重する意見を述べる。アラルコン少将も俺がそういう意見の持ち主だってことぐらいは知ってるだろうが、確認のつもりで言う。

 

「そうです。政治とは上手く付き合わないといけません。政治を無視してはいけませんが、政治に引きずられるのも良くない。主体性を持って政治と付き合わねばならんのです」

 

 否定されると思ったら、同意された。しかも、極めて中庸な意見が返ってきた。対面してからずっと感じていたことだが、単なる狂信者とは違うようだ。

 

「議会と軍部はパートナーですから」

「そうです、パートナーなのです」

 

 あえて反対意見をぶつけたのに、あっさり肯定されて拍子抜けした。メディアでは議会政治を否定してるのに。いったい、この人は何なんだろうか。わからなくなってきた。

 

「議会と軍隊は良く似ています。代議員の一人ひとりを司令官、秘書を参謀、傘下の地方議員や党組織幹部を部隊指揮官、支持者を下士官兵と考えるとよろしい。代議員はお互いに競い合いますが、国益のために存在することは変わりない。これは司令官と同じです。代議員の政争は司令官の功名争いです。代議員も司令官も政治家です。似た者同士ですから、議会と軍隊は仲良くしないといけません」

「ああ、なるほど。そう言われると似てる気がします」

 

 アラルコン少将のたとえ話はとても良く理解できた。社会の経営に指導的立場で携わり、権力を争うという点で司令官と代議員は同じ本質を持つ。違うとすれば、司令官は軍部人事で、代議員は多数決で選ばれるということだ。

 

「で、私としては頭に来とるわけですな。代議員も政治家も下の者に支えられて威張ってられる。それなのに最近の者は駆け引きばかりです。付き合う相手といえば上の者ばかり。下の者の面倒なんてちっとも見ようとしない。『仕事をせい』と叱ってやりたくなりますな」

 

 軍部政治に深入りして初心を見失っていた俺には、深く突き刺さる言葉だった。誰のためにパワーゲームをしてるのか、忘れてしまってはいけない。

 

「お恥ずかしい限りです」

「いやいや、司令官代理は良く頑張っておられる。第一二艦隊にいた頃は、下の者の生活にも気を配っておったと聞いておりますぞ。首都防衛軍には赴任して日が浅いですが、これから頑張っていただけるものと期待しとります」

「期待に背かないよう頑張ります」

 

 普通に解釈すれば、激励のはずだった。しかし、発言者が過激派指導者のアラルコン少将となると、どうも単純には受け止められない。俺を騙そうとしているのか、取り込もうとしているのか。アラルコン少将の考えが読めない。ただ、かなり手強い相手なのはわかった。

 

 責任追及の矛先は、首都防衛軍の参謀に向かっている。情報隠蔽の疑いで監察総監部の取り調べを受けている参謀の穴は、当分の間第三巡視艦隊の参謀が埋めることになった。爆発事故の真相究明は、監察総監部が中心になって進めている。

 

 首都防衛軍の司令部を掌握した俺は、ようやく舞台に上がった。そして、姿を表した国家救済戦線派の巨魁アラルコン少将。ついに本当の戦いが始まる。



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第百八話:プレイヤーの自覚 宇宙暦797年4月上旬 焼肉屋~首都防衛軍司令部

 三月三〇日の統合作戦本部長クブルスリー大将暗殺未遂事件、そして三一日の惑星間ミサイル爆発事故。総選挙翌日から二日連続で起きた不祥事は、軍部の威信を大きく傷つけた。そして、四月に入ってからは、立て続けに地方部隊の反乱が起きる。

 

 四月三日に惑星ネプティスにおいて惑星警備司令官デイビッド・ハーベイ准将率いる反乱軍が、第四方面管区司令部、惑星政庁、宇宙港、恒星間通信基地、物資集積センターを占拠。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの辞任、同盟議会の即時解散及び再選挙、対帝国挙国一致政権樹立、財政再建路線回帰、公務員改革の徹底、正規艦隊再建などを要求した。

 

 四月五日には惑星カッファーにおいてルイジ・バッティスタ大佐率いる反乱軍が、第九方面管区司令部のあるヘルソン市を攻撃。ネプティスの反乱軍と同じような要求を掲げている。

 

 恒星間航路が集中するネプティスとカッファーの反乱によって、同盟領の四割にあたる地域が交通途絶した。第四方面管区と第九方面管区は機能を停止。周辺管区は勢いを増す宇宙海賊への対応に追われ、鎮圧部隊を差し向ける余裕が無い。一昨年の第七方面管区司令部テロを凌ぐ危機的状況が到来した。

 

 前の歴史では、救国軍事会議のクーデターに連動して地方反乱が発生した。今回も国家救済戦線派のクーデターと独立した動きではないと見るべきだろう。対策会議が秘密裏に動かせる人員は、それほど多くはない。ハイネセンの危険人物に監視を貼り付けるだけで手一杯で、地方に目を向ける余裕はなかった。そこを見事に突かれてしまった。

 

 個人的には、ネプティスの反乱軍指揮官がハーベイ准将だというのがショックだった。彼は第三六戦隊で戦艦群司令として戦い抜いた男だ。信頼できる指揮官と思っていただけに、こんな暴挙に加担したのが残念でならない。そういえば、アムリッツァ会戦の直前に総司令部への怒りを露わにしたことがあった。無責任な遠征推進派への怒りが彼を反乱に駆り立てたのだろうか。

 

 ますます混沌としていく情勢の中、混沌の総本山となっている軍部に対する批判は、どんどん大きくなっていった。

 

 遠征推進派の前代議員を片っ端から逮捕している警察は、軍部にも捜査の手を伸ばす方針を示した。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトがその裏にいるのは、言うまでもない。市民の声に応えつつ、軍部の膿を出し切ってしまおうと考えているのだろう。本来ならばトリューニヒト派の牙城である憲兵司令部を動かすべきところだが、不正行為を指摘する内部告発が相次いで混乱状態に陥っていたため、やむなく警察を動かしたのだ。

 

 権力を使って軍部を粛正するトリューニヒトに対し、反戦派は言論をもって軍部を批判した。その急先鋒が反戦市民連合のジェシカ・エドワーズである。

 

「三一日の事故で亡くなった整備兵は、全員一六歳から一九歳の未成年者でした。一五〇年にわたる戦争は、社会に多大な負担をかけてきました。そして、一〇代の少年少女を動員しなければ、戦争を継続することもできないところまで来ているのです。主戦論者は、戦わなければ国が滅んでしまうと言います。しかし、今の社会を見てください。軍事費で国家財政は破綻寸前。過重な動員が社会基盤の劣化を招いています。これでもなお、戦わなければ国が滅ぶと言えるでしょうか?帝国軍がハイネセンに迫るより、社会の自滅が先なのは明らかではありませんか」

 

 ニュース番組に出演したエドワーズは、軍事負担が限界に達していることを鋭く指摘する。来年の春頃に同盟国債のデフォルトが確実視される現状にあっては、きわめて説得力に富む主張だ。

 

「そして、軍も信用に足る存在とはいえません。首都防衛軍司令部は真相を明らかにして、事故再発を防ぐべき立場です。にも関わらず、情報を隠蔽して責任逃れを図りました。彼らは市民を守るためではなく、組織を守るために戦っているのです。こんなに腐敗した軍隊に帝国を打倒する力があると言われて、信用できますか?主戦論者は、私達反戦派を非現実的な理想論者と言います。しかし、お金も人材もなく、軍隊は腐敗しているという状況で、『勝つまで戦え』と言い続けるだけで勝てると主張する方が、よほど非現実的な理想論とは思いませんか?」

 

 ここまで軍をボロクソに言われると、少々イラッと来る。しかし、帝国領遠征軍総司令部や首都防衛軍司令部の醜態をこの目で見た俺には、エドワーズの軍部批判を否定することはできない。彼らには彼らの事情があるにしても、市民の目にはどうしようもなく腐りきっているように見えるだろう。

 

「私達は非現実的な理想論を捨てて、現実論について話し合わなければなりません。すなわち、和平です。五〇〇年近く続いたゴールデンバウム朝の矛盾は、もはや帝国の存立を揺るがすところまで来ています。構造改革の是非をめぐって、改革派と保守派は激しく対立し、武力をもって決着を付けようとしています。どちらが勝ったとしても、損害は小さくありません。そして、体制の立て直しに注力せざるを得なくなるでしょう。九〇年前にマンフレート亡命帝が和平を打診してきた時よりもずっと、和平成立の可能性が高いと考えられます」

 

 エドワーズは戦争継続の不可を説いた後で、帝国情勢を根拠として和平の見通しを示す。前の歴史は、エドワーズの予想から大きく外れた展開となった。

 

 改革派は保守派との内戦でほとんど損害を受けずに勝利した。改革派指導者のラインハルト・フォン・ローエングラム元帥は、もう一人の改革派指導者クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵を打倒。没収した保守派とリヒテンラーデ派の権益を元手に国庫を充実させて、翌年にはイゼルローン要塞を攻撃する余裕を見せた。

 

 一方、同盟は救国軍事会議のクーデターに端を発する内戦で大きく消耗して、帝国との国力比は絶望的なまでに開いた。対等な和平を言い出すなどおこがましい存在に落ちぶれた同盟は、やがてラインハルト率いる遠征軍の前に降伏した。

 

 前の歴史の結果のみから逆算するならば、エドワーズの分析は甘すぎたということになろう。しかし、結果論を頭の中から排除して、現時点で知り得る情報を元に常識的な分析を行えば、比較的現実的な見通しといえる。和平の可能性を除けば、主戦派の軍事専門家も概ね似たような分析をしていた。

 

 三月下旬にリップシュタットで軍事同盟を結んだ保守派門閥貴族は、帝国全軍のおよそ三五パーセントに相当する二八三〇万の兵力を集めた。盟主は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵、副盟主は前皇帝官房長官リッテンハイム侯爵、実戦部隊総司令官は第一竜騎兵艦隊司令官メルカッツ上級大将が務める。

 

 改革派が集めた兵力は、帝国全軍の二四パーセントに相当する一九七〇万。帝国宰相リヒテンラーデ公爵が政治面の指導者、宇宙艦隊司令長官ローエングラム元帥が軍事面の指導者を務める。

 

 兵力では保守派が圧倒的だが、半数は貴族私領を警備する私兵軍だった。帝国の私兵軍は同盟の地方部隊に相当する。同盟の地方警備は正規軍の二線級部隊が担当するが、帝国では貴族が自腹で養う私兵部隊が担当するのだ。練度、装備ともに劣悪な私兵軍。歴戦の貴族将校を多く擁する正規軍。この二つの集団がどれだけ協調できるかが勝敗の鍵を握る。

 

 改革派はほぼ全軍が正規軍だった。改革派にも私兵を持つ門閥貴族は参加していたが、戦力の均質性を重んじるローエングラム元帥は正規軍のみで戦う方針だった。子飼いの部隊は昨年のアムリッツァ会戦で大損害を受け、戦力面では圧倒的に不利と見られた。しかし、捕虜交換で獲得した帰還兵四〇〇万に加え、前宇宙艦隊司令長官ミュッケンベルガー元帥派の一部が勇名を慕って傘下に入ったため、正規軍の数では保守派を凌ぐ。経験の浅い若手将校が多いが、昨年の戦いで経験と自信を得て、保守派の貴族将校との差は大きく縮まったと見られる。

 

 保守派は貴族私領、改革派は皇帝私領を主要な経済基盤としている。しかし、保守派の私兵軍は周辺宙域にある皇帝私領を次々と接収。保守派に味方した皇帝私領長官も多い。改革派の手に残されたのは、首都圏とイゼルローン方面辺境星域の皇帝私領のみだった。改革派は宮内省が管理する皇室財産を軍資金に流用しているが、経済基盤の弱体さを覆すには至らない。

 

 銀河経済の中心地フェザーン自治領から容易に資金調達できるのも保守派の強みである。領地経営者である門閥貴族は、経営資金の調達、生産物の売買、資産運用などを通じて、フェザーン企業と関係を持つ者が多い。交易路となるフェザーン方面辺境星域は、保守派の支配下にある。フェザーン駐在高等弁務官レムシャイド伯爵も保守派に味方していた。

 

 結束においては、正規の命令系統を使用できる改革派が優位にある。官僚はリヒテンラーデ公爵を頂点とする行政機構、軍人はローエングラム元帥を頂点とする軍事組織の一員として、命令に服従する義務がある。

 

 保守派は改革派に対抗する有志の同盟という形を取っているため、全員が対等という建前だった。伯爵以上の爵位を持つ有力貴族、中将以上の階級を持つ高級将官が大勢参加していて、序列を決めるのも難しい。足並みの乱れは必至だった。

 

 軍事力では保守派有利だが、正規戦力の割合が高い改革派も侮りがたい。経済力では保守派が圧倒的に有利。結束力では改革派有利といったところだ。しかし、門閥貴族の二割、正規軍と私兵軍を合わせた帝国軍の四割に及ぶ中立派は、しばらく様子見に徹すると見られ、内戦は最低でも一年以上に及ぶと予測された。

 

 予想される死者は一〇〇〇万から二〇〇〇万の軍人。両軍が有人惑星の争奪戦を展開した場合は、数億の民間人が死者の列に加わる。生産活動や流通の停滞、インフラ破壊が引き起こす経済的損害は一〇兆帝国マルクを越えると見られ、改革派がすべての貴族財産に課税したとしても、補填できない額だ。内戦終了と同時に和平を打診すれば、経済的にも軍事的にも疲弊した帝国が応じる可能性は、決して低いとはいえなかった。

 

 前の人生では、この時期は迫害が怖くて政治に関心を持つどころじゃなかった。後になって本を読んでも、エドワーズのことは短期間だけ活躍して救国軍事会議に殺された悲劇の政治家、そしてヤン・ウェンリーの友人として軽く触れられるだけだった。しかし、リアルタイムで見ると、現実的な和平の見通しを立てられる政治家だったようだ。トリューニヒトの政敵ではあるが、前の歴史のように名前も残らないようなチンピラ軍人に殺されるなんて末路はたどってほしくないと思う。

 

 

 

「そんなにうまくいってたまるか。虫が良いにも程がある」

 

 テレビを見ていたクリスチアン大佐は、苦々しそうに舌打ちした。今の俺はハイネセンの第一陸戦専科学校に転任したばかりのクリスチアン大佐と一緒に、焼肉屋でランチを食べていた。

 

「そうですか?結構筋が通ってる気がしますが」

「こちらの都合だけではないか。疲弊した帝国が国内の不満を外に向けるために、強硬論を煽る可能性だってあるのだぞ。去年、我が国でそれをやった奴がいるだろうが」

「ああ、確かに」

 

 それも道理だと思いながら、焼けた肉を鉄板からクリスチアン大佐の取り皿に移す。クリスチアン大佐は、フォークでずぶりと肉を刺して口に放り込んで咀嚼する。肉食獣を思わせる獰猛な食べっぷりに見とれてしまった。

 

「それにだな、帝国が疲弊していても、我が国がもっと疲弊している可能性だってある。エドワーズの言う通りに国防費を削減すれば、帝国の内戦が終わるまでに正規艦隊再建は間に合わん。戦力がない相手から和平を申し込まれて、受け入れる相手がどこにいるか。話し合いのテーブルに立つにも、それなりの力がないと相手にされんぞ」

 

 手に持ったスペアリブの骨をへし折って、片方を口に放り込んでボリボリかじりながら、クリスチアン大佐は和平の可能性を否定した。

 

「要するに帝国の内戦が終了した時点で、ある程度の戦力を確保しておく必要があるのだな。軍拡をしないといかん。エドワーズにそれができるか?」

「できないでしょうね。本人が望んでも、支持者が認めないと思います」

「軍拡を主張するトリューニヒトは、絶対に和平なんか口に出さん。軍拡してから和平を言い出す指導者がいなければ、どうもならん。そして、和平のための軍拡など、主戦派も反戦派も受け入れんぞ。軍人が考えつく最適解なんぞ、政治的には実現不可能なものばかりだ」

「おっしゃる通りです」

 

 同意したのは、最後の言葉に対してであった。軍人の立場で思いつく最適解は、市民の支持が得られないとか、予算が足りないとか言った理由で実現できないことが多い。

 

「だからだな、政治みたいなつまらんもんに手を染めるのはやめておけと、いつも小官は言っておるのだ」

 

 強烈なクリスチアン大佐の眼光に、思わず震えてしまう。そして、ホッとした。帝国領遠征が終わった直後の抜け殻みたいな状態を、完全に脱したみたいだ。

 

「兵士に良い物を食べさせるには、やはり予算が必要なんです。そうなると、どうしても政治家と関わらないわけにはいかないんですよ」

「奴らは無償で金をくれるほど、お人好しではない。必ず代償を要求する。取り引きを続けるうちに、すっかり軍服を着た政治家になりきってしまうのだ。貴官には、そうはなってほしくないのだがな」

「気を付けます」

「まあ、政治をやりたいのなら、軍服を脱いでから好きなだけやるのだな。軍のために予算を散りたかったら、国防委員にでもなればいい。先例はいくらでもある。国防族という奴らは好かんが、あれはあれで筋は通ってる」

 

 やはり、この人には敵わないと思った。トリューニヒトのためにクーデターを阻止しようとしてるなんて知られたら、軽蔑されるに違いない。

 

「軍の中から国家改造に取り組もうとなさってる方もおられますよね。大佐はああいう人たちについて、どうお考えになりますか?」

「国家救済戦線派か」

 

 クリスチアン大佐は、ものすごく不愉快そうな顔になる。聞かなければ良かったと後悔した。

 

「つまらん奴らだ。議論なんぞにうつつを抜かす暇があるなら、技能の一つも身に付ければいいものを。その方がよほど国家の役に立つというものだ」

 

 豪快に切り捨てた。やはり、クリスチアン大佐はどこまでもクリスチアン大佐だった。

 

「首都防衛軍には、国家救済戦線派がたくさんいるんですよ。どう付き合えばいいのか、良くわからなくて」

「ああ、貴官の下には子供殺しのアラルコンがいたな。代理とはいえ、あんな狡猾な奴の上司になるのは大変だろう?」

「それについてはコメントは控えますが、とにかくあのグループの支持者が増えてるんですよ」

「若く真面目な将校ほど、部隊運営に悩むものだ。しかし、シトレ元帥やロボス元帥に近い者は、エリート同士で固まって部隊に見向きもしない。トリューニヒトに近い者は、上官や政治家の顔色ばかり見て、部隊には細々とした規則ばかり押し付けてくる。相談に乗ってくれるのは、国家救済戦線派の者しかおらん。アドバイスを受ける間に、危険思想も吹き込まれるわけだな。要するに指揮官の怠慢が若者を誤らせるのだ。若者の悩みにしっかり向き合っている指揮官の部隊では、あんな者がのさばる余地など無い」

「なるほど」

 

 地上部隊の現場で将兵と向き合ってきたクリスチアン大佐ならではの意見だった。アラルコン少将はシトレ派やトリューニヒト派の軍人と違って、親しみやすい感じだった。下級将校や下士官兵の相談にも気軽に乗ってくれそうな雰囲気がある。

 

「つまり、しっかりした指揮官を部隊に配するだけで過激派は根絶できる。指揮官を教育するのは、司令官たる貴官の役目だ。しっかりと励むのだぞ」

「頑張ります」

 

 時計を見る。そろそろ司令部に戻らなければいけない。

 

「今日は楽しかったです。落ち着いたら、また一緒にごはんを食べましょう。今度は妹も連れてきます」

「うむ、何かと多難なおりだ。難しいこともあるだろうが、元気でな」

 

 クリスチアン大佐と握手を交わした。ゴツゴツとした分厚い手の感触が心強く感じられた。

 

 

 

 四月に入ってからの俺は、早朝から深夜まで、首都防衛軍司令部で仕事に励んでいた。第三巡視艦隊司令部から連れてきた参謀に集めさせた資料に目を通し、各部隊のデータを把握する。部隊指揮官と面談を重ねて、生の情報を耳に入れる。連絡会議を開いて、意思疎通の円滑化を図る。時間はいくらあっても足りない。

 

「そして、予算も足りない」

 

 俺はため息をついて、分厚いファイルを閉じた。

 

「深刻な状態と言う他ありませんね」

 

 最も深刻とは最もかけ離れた口調で応じる参謀長チュン・ウー・チェン准将の右手には、夜食のハムチーズサンドが乗っている。潰れているのは言うまでもない。

 

「今年度分の一般予算は、レベロ財務委員長が組んだギッチギチの緊縮予算。国防予算は削減されてる上に、宇宙艦隊やイゼルローン方面軍重視の配分。首都防衛軍は大幅減額だ。国防特別会計補正予算が成立するのは、早くても二か月先。反戦市民連合の抵抗次第で、三か月先や四か月先にも伸びる。本部長暗殺未遂事件やミサイル爆発事故のおかげで、世論は国防支出削減に傾いてる。これじゃあ、国家救済戦線派が動き出すのに間に合わない」

「昨年のイオン・ファゼカス作戦では、経費に五〇〇〇億ディナール、戦後処理に二〇〇〇億ディナールを遣いました。国防予算を圧縮しつつ、対帝国戦力の再建に取り組む必要があります。残念な話ではありますが、後方警備の予算が削られるのは避けられないでしょう」

「それはわかってるけど、愚痴の一つも言いたくなるよ。エル・ファシル警備艦隊や第三六戦隊と違って、予算をふんだんに遣えないから」

 

 旧シトレ派のチュン准将らしい緊縮財政支持、正規艦隊重視の意見だった。確かに財政破綻を避けつつ、帝国との戦いに備えるのなら、それがベターではある。しかし、俺としてはやはり地方にも予算を付けて欲しい。

 

「堅くなったパンを嘆いても仕方がありません。湯気に当てれば良いのです」

 

 前向きになれと言いたいんだろうか。なんか微妙な比喩だ。

 

「でもさ、ネプティスやカッファーの反乱も地方部隊に予算がついていれば、すぐ鎮圧できたんだよ。あの規模の反乱に正規艦隊を動かすわけにもいかないし」

「ビュコック司令長官は、正規艦隊の動員を考えてらっしゃるそうですよ」

「へえ。反戦派のビュコック提督が正規艦隊の治安出動を検討するなんて意外だ」

「軍の反乱だから、治安出動ではないということだそうです。財政難の中で多めに予算を付けてもらってる以上、少しは仕事してるところを見せておかないといけないとも」

「なるほどね」

 

 歴戦のビュコック大将らしい老獪な立ち回りだ。オフィスでの仕事に慣れていなくても、融通をきかせるのはうまい。第一二艦隊にマイクテストを装って情報を流してくれた時もそうだった。

 

「正規艦隊を増強しておけば、来たるべき帝国の内戦にどのような対応もできる。宇宙艦隊総司令部はそこまで見据えて、存在をアピールするつもりのようです」

「さすがだなあ」

 

 宇宙艦隊総司令部には、旧シトレ派のエリート参謀がずらりと揃ってる。エリートだけに大所高所からの戦略的判断は飛び抜けている。泥臭い政治をする人間や現場で汗をかく人間には、こういった視野は持てない。政治を嫌う、汗をかかないというエリートの欠点は、雑事に惑わされずに遠くを見詰められるという長所でもある。欠点と長所は表裏一体なのだ。

 

 ふと、昼にクリスチアン大佐と交わした会話を思い出した。エリートのチュン大佐なら、クリスチアン大佐とは違う視点があるかも知れない。そう思って意見を聞いてみることにした。

 

「帝国との和平の可能性ですか。興味深い命題です」

「参謀長はどう思う?」

「不可能では無いと思います」

「正規艦隊の増強、和平の打診。両立するかな」

「しますよ」

 

 クリスチアン大佐が熱弁を振るって成り立たないと主張したのに、チュン准将はあっさりと成り立つと言った。

 

「どうやって両立させる?」

「トリューニヒト議長を和平論者に転向させる、もしくはエドワーズ代議員を軍拡論者に転向させる」

「それはさすがに無理じゃ」

「政治が嫌いなクリスチアン大佐には、自分がブレーンになって、政治家を動かすという発想がありません。だから、両立しないと言ったのでしょう。閣下も自分の意見で人を動かすという発想はないですよね。聞かれたら答える、あるいはお願いをする。そんな形でしか、意見をおっしゃいません」

「そうだね。自分の意見で人を動かすということに抵抗を感じる。思ってることを全部言わなきゃいけないでしょ?それがどうも嫌なんだ」

 

 物を考える時に、どうしても前の人生の自分という視点が混じってしまう。しかし、そんなものを根拠として人に説明できるわけがない。だから、思ってることをあまり口に出さない習性ができた。

 

「これまではそれで良かったかもしれません。しかし、少将ともなれば言葉に重みが出てきます。その重みを生かしていただきたいと個人的には思っていますよ」

「ブレーンとして行動する必要があるってことかな」

「はい。先日は首都防衛軍司令部を掌握なさいましたね。主体的に行動すれば、状況に介入することもできる。軍中枢にも手を伸ばせる。少将はそんな地位です」

 

 確かに第三六戦隊司令官の時とは全然違う。クーデターを止めようとするとか、首都防衛軍を率いるとか、マスコミの前に責任者として出るとか、立ってる舞台がいきなり大きくなったような気がする。要するに観客からプレイヤーになったということか。

 

「そうだね、できるだけのことはしよう。できることの範囲が広がったんなら、自分の無力を悔いることも少なくなるかもしれないから」

「はい。差し当たっては、国家救済戦線派のクーデター阻止に全力を尽くしましょう」

「限られた予算で頑張ってみるか。堅くなったパンに湯気を当てて食べるんだ」

 

 チュン大佐は何も言わずに頷いた。俺の決意に頷いたのか、堅くなったパンの食べ方に頷いたのかはわからない。

 

「戦力の充実は諦めて、連絡体制と信頼関係の構築に努める。俺の指示通りに動いてくれるなら、弱体な戦力でも使いようはある」

「作戦、情報、人事、後方はそれぞれ手分けして、各部隊の担当者と打ち合わせを重ねています。連絡体制はそう遠くないうちに完成する見通しです」

「打ち合わせ、データ集め、そして対クーデター計画立案。時間の余裕が無い中で良く頑張ってくれている。参謀のみんなには、本当に頭が上がらないよ」

「それが我々の仕事ですから」

 

 チュン准将は微笑むと、潰れたハムチーズサンドを俺に差し出した。ありがたく受け取って口にする。忠実な参謀の存在は、本当に心強い。

 

「おいしいね。いい具合に潰れてる」

「第一首都防衛軍団司令部の売店で購入したパンです。近くにラ・リュフレ製パン所があるせいか、パンの品揃えがなかなか充実してました」

「ああ、そういえば参謀長は、第一首都防衛軍団へ打ち合わせに行ってたんだったね。どうだった?」

「お手元のハムチーズサンドをご覧になればわかるように、パンや具のカット具合は大雑把。そこが素朴な手作り感に繋がっています。職人技を感じさせる繊細なパンも良いですが、家庭的なパンも良いものです」

「いや、そうじゃなくて。司令部の雰囲気とか」

 

 無邪気に目を輝かせて売店のパンを褒め称えるチュン准将には申し訳ないが、俺が知りたいのはそんなことではない。第二巡視艦隊に匹敵する国家救済戦線派の巣窟が名参謀の目にどう映ったたのか、聞いてみたかった。

 

「規律は行き届いていますが、堅苦しくはありません。将兵の動きは整然としています。良い部隊です」

「ファルスキー司令官の印象は?」

「噂通りの好人物でした」

「そうか、やはりね」

 

 第一首都防衛軍団は、俺の持っているデータでは首都防衛軍に所属する地上部隊の中で最も強力だった。装備こそ旧式だが、練度、規律、モラルは対帝国の一線に立つ精鋭部隊に匹敵する水準を誇る。司令官ファルスキー少将は、戦術家としても管理者としても第一級の人物。チュン准将の評価は、データが事実であることを示していた。

 

「首都防衛軍最優秀の宇宙部隊と地上部隊を敵に回すことになりそうだね」

「クーデターに対応するのは、私達だけではありません。戦闘は他の部隊に任せて、首都防衛軍は危険分子の監視に徹しましょう。現状の戦力ではそれがベストです」

「そうだね。俺達の強みは司令部に集まる情報を握っているということ。それを生かして戦っていこう」

「もちろん、首都防衛軍単独でも戦える準備はします。他の部隊があてにならない状況も想定しなければなりません」

「対クーデター計画は、すべて首都防衛軍単独の戦いを前提としている。第一一艦隊をはじめとするこちら側の部隊がすべて制圧されることだってありうるんだからね。こんな戦力しか用意できないという条件で作戦を作れなんて、無茶ぶりなのはわかってる。参謀達には苦労をかける」

「いつも万全な戦力をもって戦えるとは限りませんよ。サンドイッチが売ってなかったら、食パンを食べる。そんな代替手段を探すのも我々参謀の仕事です。閣下お一人では見つからないアイディアも、我々がチームを組んで考えれば誰かが思いつくでしょう」

 

 チュン准将は参謀の仕事について述べつつ、たまに何も塗っていない食パンを食べる理由をさりげなく告白した。おかしくなって、つい口元がほころぶ。

 

「いや、せめてジャムぐらいは塗って欲しいけど。それはともかく、指揮官としての俺の存在価値は、予算を引っ張ってきて戦力を造成する能力にある。『サンドイッチを仕入れられなかったから、食パンをおいしく食べられる方法を考えてくれ』なんて頼むのは、いささか心苦しいんだよ」

 

 冗談を言いながら、笑ってみせた。難しい時だからこそ、明るく振る舞わなければいけない。

 

「ところで、『クレープ計画』『タルト計画』『エクレア計画』の具体的な中身をドーソン大将らに知らせなくてもよろしいのですか?」

「あくまで首都防衛軍としての行動計画だからね。それに……」

 

 言葉に出すべきかどうか、一瞬だけ迷った。しかし、言った方がいいだろう。チュン准将には、知っておいてもらった方がいい。

 

「アンドリューが刺客としてやってきた。ハーベイ准将が反乱を起こした。もはや、誰が国家救済戦線派と組んでいてもおかしくないと考えるべきだ。対策会議のメンバーに内通者がいる可能性だってある。ドーソン大将やルグランジュ中将と戦うなんて想像したくもないよ。だけど、想像したくないなんて理由で対抗策を立てないようでは、無責任に過ぎる。願望で方針を決めるのは良くない」

「そういう理由でしたか」

「俺と個人的に親しいから、絶対に国家救済戦線派に味方しないなんて理屈は成り立たない。信念もあれば、立場もある」

 

 トリューニヒト派の俺と親しい人が、トリューニヒト政権を武力で倒そうと思っても不思議ではない。前の歴史でクーデターを起こしたドワイト・グリーンヒルは、アレクサンドル・ビュコックやヤン・ウェンリーといった軍部リベラル派と親密な関係にあった。それなのに軍事独裁政権を作ろうとしたのだ。

 

「それならば、私を信じてしまってもよろしいのですか?トリューニヒト議長を良く思っていないのは、ご存知でしょう?」

「参謀長が采配を振るってくれなければ、俺は戦えない。脳みそがはたらかず、心臓が鼓動せず、目が見えず、耳が聞こえず、手足が動かないなんて状態では、どうしようもないよ。裏切られたら、そこでおしまい。そのつもりで信用する。他の参謀も同じ」

「なるほど」

「俺はドーソン大将ほど能力がないからね。参謀を信用しなければ戦えないんだ」

「わかりました。信用を裏切らないよう、努力しましょう」

「よろしく頼む」

 

 右手をスッと差し出すと、チュン准将はポケットから潰れたパン・オ・ショコラを取り出して乗せてくれた。握手を求めたのに、パンを欲しがってると勘違いされたようだ。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言って、もらったパンを口に運ぶ。おいしい。

 

「それでは、私はこれで」

「今日も官舎に帰るの?」

「ええ、子供に顔を忘れられてはたまりませんので」

「なるほどね、お疲れ様」

 

 敬礼をすると、チュン准将は執務室を出て行った。どんなに遅い時間になっても、彼は必ず官舎に帰る。

 

 今日のように深夜まで仕事が及ぶと、普通は職場に泊まり込む。家族の顔を半月近く見てないなんてこともざらにある。前線に出れば、数か月は帰れない。高級軍人は常に家庭崩壊の危機に晒されている。そんな中にあって、チュン准将は家族との関係にかなり気を遣っていた。

 

「家族といえば……」

 

 デスクの引き出しを開ける。中には首都防衛軍司令部で二日前にばらまかれた怪文書が入っていた。作戦参謀のシェリル・コレット少佐がエル・ファシル市民を見捨てて逃亡したアーサー・リンチ少将の娘であることを暴露し、「根っからの男好き」「尻の軽い女」「フィリップス少将とできている」といった下品な中傷が並び連ねられ、もっともらしい性的不品行のエピソードまで書かれている。コレット少佐の容姿が端整なおかげで、文章に気持ち悪い生々しさがある。証拠物件として保管しているが、見るだけで気分が悪くなる。早く犯人を捕まえて、捨ててしまいたい。

 

 同盟も帝国もハイネセンも首都防衛軍も俺の人間関係もすべてが混沌としていく中、春の生暖かい夜は過ぎていった。



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第百九話:正義の在り処 宇宙暦797年4月9日 車の中~国防委員会庁舎前

 公用車に乗り込んだ俺は、いつものように副官ユリエ・ハラボフ大尉から手渡されたクオリティーペーパー三紙とタブロイド三紙を読んでいた。首都防衛軍司令部にいる間は、書類以外の物に目を通す暇がない。だから、移動時間に新聞を読むようにしているのだ。

 

 六紙とも昨日発生した惑星パルメレンドの反乱をトップニュースに持ってきていた。四月八日、第一一方面管区巡視艦隊副司令官スニル・ヴァドラ准将を指導者とする反乱軍は、パルメレンド全土を制圧下に置いた。そして、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの即時辞任、国防体制の再建、政治腐敗の一掃などを求めた。パルメレンドに司令部を置く第一一方面管区は機能を停止し、同盟領の二割近い星域が交通途絶。同盟領の過半がハイネセンと切り離されるという前代未聞の危機に、同盟国内はパニックに陥った。

 

 穏健反戦派の「ハイネセン・ジャーナル」は、反乱軍を「民主主義の敵」と批判。そして、反乱が長引けばインフレが起きて経済に破滅的な影響をもたらすとの分析を示し、「平和的手段による解決が望ましいが、正規艦隊の治安出動も検討すべきであろう」と提言する。経済重視の立場から反戦派の立場に立つハイネセン・ジャーナルらしい主張であった。

 

 穏健主戦派の「リパブリック・ポスト」は、反乱軍を「秩序の敵」と激しい論調で批判して、トリューニヒト支持と即時討伐を訴える。反乱の原因を地方部隊の弱体化、政治介入を嫌う軍上層部の体質に求める分析は、トリューニヒトの国防政策に迎合するものだった。旧改革市民同盟主流派に同調して昨年の帝国領遠征を支持したリパブリック・ポストは、大きく部数を落とした。親トリューニヒト路線に転換して、主戦派の支持を取り戻そうとしている。

 

 反体制的な「ソサエティ・タイムズ」は、反乱軍を批判する一方で、「監察官や憲兵を使った強権的統制、警察や憂国騎士団を使った遠征推進派軍人への攻撃、忠誠心を基準とした高級軍人人事などが軍部の反感を招いたのではないか」と指摘する。そして、トリューニヒトの強権志向に警鐘を鳴らした。

 

 マルタン・ラロシュべったりの極右的論調で知られる「ウィークリー・スター」は、反乱軍を「憂国の志士」と呼んで、熱烈なエールを送る。そして、「くそったれな社会を叩き壊すのは、軍服を着た志士達の拳なのだ」とさらなる軍人の決起に期待を示す。

 

 一部に「ヨブ・トリューニヒトファンクラブ会報」と揶揄される「ザ・オブザーバー」は、分析などそっちのけで、反乱軍指導者ヴァドラ准将に対する個人攻撃を展開。ミドル・スクール時代の作文まで持ち出して、徹底的にこき下ろす。ヴァドラ准将を戯画化して描くことで、反乱を滑稽なものに見せようとしている。

 

 反権威主義の「アタック・トゥー・ザ・フューチャー」は、反乱軍とトリューニヒトの両方を徹底的に攻撃。「准将と警視正のつまらない喧嘩。仲良く退場すれば片がつく」と締めくくった。警視正とは、トリューニヒトが国家保安局を退職した時の階級だった。大雑把な表現ではあるが、軍隊と警察権力の対立という構図でこの反乱を捉えている。

 

 同じニュースでも視点の違いによって、こうも見解が変わってくる。どの見解が正しいのかは、俺にはわからない。全部正しいのかもしれないし、全部間違ってるのかもしれない。前の人生で歴史の本を読んだ時は、正解は一つしかないと思っていた。しかし、今になって思うと、その正解は本を書いた人物にとっての正解でしかなかった。間違ってるとされたトリューニヒトやドーソン大将にも本人なりの正解があった。俺は俺なりの正解を見つけられるのだろうか。そんなことを考える。

 

「申し訳ありません、時間までに到着しないかもしれません」

 

 俺を現実に連れ戻したのは、専属ドライバーのジャン・ユー曹長の声だった。

 

「どうしたの?」

「渋滞に巻き込まれてしまいました。都市交通制御センターの管制コンピューターが故障したせいで、信号が止まってるんです」

「またか。最近多いね」

 

 一〇年ほど前から水面下で進行していた社会基盤の劣化は、去年の初め頃から表面化してきた。停電や断水が頻繁に起きるようになった。消防車や救急車の現場到着時間が以前の二倍以上に伸びた。前は一週間ほどで届いた恒星間宅配便が二週間近くかかるようになった。都市交通制御センターのトラブルもそのほんの一角であった。

 

「オペレーターが二〇歳前後のパートと六〇歳以上の嘱託ばかりですからねえ」

「三〇代から五〇代の働き盛りが現場にいないもんね」

「民間にはまともな待遇の仕事がありゃしませんから。最近は軍もかつかつですが」

 

 長引く不況によって、民間企業は正規労働者を抱え込む余裕を失った。進歩党のハイネセン主義的な労働政策のもと、熟練の正規労働者一人を雇うお金でパートタイマー三人を雇う経営が合理的とされた。勤続年数が長いベテランは解雇され、安く雇える若者と老人がパートに採用された。熟練労働者が相応の待遇を期待できる職業は、今や軍人、警察官、公務員ぐらい。しかし、進歩党は財政再建と小さな政府を掲げて、軍、警察、行政機構を縮小している。働き盛りの熟練労働者が職場から消えたのは、相応の待遇を用意できる職場がないという理由にすぎない。

 

「三〇過ぎのベテランを二〇〇〇ディナールにも満たない安月給で雇うわけにはいかないからね。軍隊だって同じ。三〇過ぎの下士官、四〇過ぎの叩き上げ士官をこの五年間で一割削減した。今の現場を支えてるのは、有期雇用の若い志願兵だよ。ベテランの受け皿がないんだ」

 

 もっとも、これは進歩党に批判的な主戦派の立場からの主張である。反戦派にはまた別の見解があった。

 

 過重な軍事動員によって、軍隊が熟練労働者を吸収してしまった。国防予算が財政を圧迫したために教育予算が削減され、労働者の技術水準が低下した。軍隊の肥大化が熟練労働者不足を招いた。受け入れる職場はあるのに、絶対数が少ないのだ。軍隊に雇用されている熟練労働者を民間に戻す。国防予算を削減し、教育予算を増額する。そうやって、熟練労働者の絶対数を増やせば、労働市場に現れる。熟練労働者不足の理由を労働政策に求めるのは、軍隊の肥大化という根本的な問題から目を背けようとする非現実的な態度だ。反戦派はそう主張する。

 

「反戦派の経済学者の先生は、『軍隊を縮小してベテランを職場に戻せば、生産性が向上して解決する』と言ってますが。どうなんですかね?私は技術部門と縁がないんで、軍がそんなにたくさん技術者を抱え込んでるのかどうか、良く分からんのですが」

「そうねえ……」

 

 どちらが正しいのか、まずは労働人口から考えてみよう。同盟軍の総兵力三五〇〇万は総人口一三〇億の〇・二三パーセント、帝国領遠征以前の五〇〇〇万でも〇・三八パーセント。三〇代から五〇代の人口は総人口の三〇パーセント程度。全軍がその年齢層で構成されていたとしても、微々たるものだ。過去の歴史を参考にすると、徴兵制を採用する軍隊の平時動員数は総人口の約一パーセント、総力戦体制になると約八パーセント、軍事適齢層すべてを対象とする根こそぎ動員は約二〇パーセントになる。同盟軍は肥大化を危惧されるほど、大きな軍隊ではない。

 

 今度は教育訓練期間から考えてみる。四年制大学及び二年制専修学校卒業者の数は、この一〇年で緩やかな減少傾向にある。非正規労働者はこの一〇年で総労働人口の二七・二パーセントから四〇・一パーセントに増加した。年代別で見ると、二〇歳以下、六〇歳以上の年代で伸びが大きく、二〇代がそれに次ぐ。教育水準の低下、長期雇用の減少が若年層から教育訓練の機会を奪っているという現実が見える。

 

 最後に賃金水準から考えてみる。一〇年前と比べ、賃金水準は一〇パーセント近く低下した。年齢別に見ると、三〇代から五〇代が特に高い低下率を示す。業種別に見ると、技能労働従事者の低下が著しい。能力の高い三〇代から五〇代の人材が技能労働の現場から去っていくのは、当然の成り行きであろう。

 

 統計から判断すれば、軍隊の肥大化に理由を求める反戦派より、雇用環境に理由を求める主戦派に分があると言える。反戦派の主張通り、軍隊に雇用されている熟練労働者を民間に戻し、教育予算を増やして若年労働者の技能水準を高めたとしても、能力の高い失業者を増やすだけであろう。ただ、雇用環境悪化の根本的な原因は、国家財政の半分に達する国防支出にあるのは事実だ。

 

 帝国と同盟の戦争は、イゼルローン回廊周辺星系の攻防に終始する限定戦争である。地上戦も前線拠点の確保という意味合いが強く、点と線の奪い合いだ。イゼルローン回廊を越えて同盟領に侵攻したコルネリアス一世の親征軍も兵站拠点と補給線を確保しながら、まっしぐらにハイネセンを目指した。面の制圧を前提とする戦いは、昨年のイオン・ファゼカス作戦が初めてだった。このような戦争では、想定される戦線は極めて狭くなり、必要とされる兵力も少なくなる。

 

 必要な兵力が少ないのなら、質を高めようと考えるのは自然な成り行きだ。対帝国戦の戦費の大半は、正面兵力の質的強化に投じられる。高価な兵器を装備した少数精鋭同士が争う。それが対帝国戦争の本質なのだ。だから、動員兵力数が少ないわりに、コストが高くなる。同盟経済を圧迫しているのは、軍隊ではなく軍事費の肥大化であった。軍縮しなければ、解決しないという反戦派の指摘自体は正しい。

 

「つまり、戦争をやめなきゃ解決しないってことですか」

「ま、究極的にはそういうことになるね。イゼルローンを挟んで延々と戦争を続けてるだけじゃ、根本的な軍縮は実現できない」

「要塞がこちらの手にあってもですか?トゥールハンマーぶっ放せば一発でしょう?」

「トゥールハンマーの射程を潜り抜けて要塞に接近する方法なんて、いくらでもあるよ。第二次、第三次、第五次、第六次の攻防戦では、同盟軍が要塞外壁まで肉薄した。そして、イゼルローン要塞が不落ではないってことは、去年証明された。イゼルローンの防御力は絶対的じゃない。だから、帝国軍も駐留艦隊を置いて、なるべく要塞に同盟軍を接近させないように戦った。トゥールハンマーはあくまで最後の切り札。最初からあてにするものじゃない」

 

 シドニー・シトレ元帥やウィレム・ホーランド少将が要塞外壁に直接攻撃を加えた場面は、この目で見た。前の人生で読んだ戦記では、カール・グスタフ・ケンプ、ナイトハルト・ミュラー、オスカー・フォン・ロイエンタールらも要塞外壁を攻撃した。特にロイエンタールはヤン・ウェンリーの防衛線をあっさり突き破った。一流の用兵家なら、イゼルローン要塞に肉薄するのは難しくないということだ。それがわかってたから、帝国軍も最初からトゥールハンマーに頼らなかったのだろう。

 

「イゼルローン方面軍だけに任せるわけにはいかないんですか?ハイネセンには後詰め用の艦隊を二つぐらい置いて、押し寄せてくる敵を削り続けてたら、金もかからないでしょう?」

「相手だって何の考えも無しに要塞に突っ込んでくるわけじゃないよ。それなりの勝算を立ててやってくる。無傷では勝てない。予備戦力を確保したい。イゼルローン方面軍が負けて、敵の大軍が同盟領に雪崩れ込んでくる可能性だってある。コルネリアス一世の前例があるからね。本土決戦用の戦力も必要になる。専守防衛でもお金はかかる」

「負け続けてるうちに、あちらさんが諦めるってことはありませんか?」

「反戦派の力が強い同盟だって、イゼルローンを七回攻撃して陥落させた。専制国家の帝国なら、反戦派に遠慮しなくていい。どれほど損害が出ても、軍事的脅威を排除するため、そして軍高官が手柄を立てるために、何度でもイゼルローン遠征軍が送り込まれるだろうね。何らかの協定でも結ばない限り、戦争は続く」

 

 敗戦の記憶も生々しい今は口に出して言えないが、情勢次第では同盟が再び帝国領に侵攻しようとする可能性だってある。要塞陥落のリスクを背負って回廊内で戦うより、アムリッツァ星域あたりまで確保して前進防衛ラインを構築した方が確実だ。イゼルローン要塞を確保した帝国が何度もティアマト星系確保を試みたのは、前進防衛ラインを築くためだった。

 

「和平するか、降伏させるかしないと、終わらないってことですか」

「そうだね。何の話し合いも無しに、勝手に戦いをやめてくれるなんてのは有り得ない。同盟も帝国もお互いに、隙を見せれば敵に付け入られると思ってるから」

「なるほど」

「大雑把に言うと、和平協定を結んで戦争を終わらせようと思ってるのが反戦派、降伏させてむりやり和平を結ばせようと思ってるのが主戦派ってことになるね」

「いやあ、実にわかりやすい説明でした。士官学校ではそういうことも勉強するんですなあ。戦略やら経済やら、兵隊あがりの私なんぞにはさっぱりです」

 

 ジャン曹長は第三六戦隊からの部下なのに、未だに俺のことを士官学校卒と勘違いしていた。今さら訂正するのもめんどくさい。

 

「そういうわけじゃないけど、こういう話も抑えておかなきゃ、政治家には相手にしてもらえないからね。覚えなきゃいけないんだよ」

 

 政治家であれば、国家予算の半分を費やす国防に無関心ではいられない。主戦派はもちろん、反戦派であってもひと通りの軍事知識を持っている。臨戦状態の同盟では、軍事音痴の軍隊批判に耳を貸す者はいないのだ。そして、政治家が興味を持つ軍事とは、平時における戦力整備、戦時における戦力運用、政治手段としての戦力行使、軍隊と政治経済の均衡といった戦略だ。だから、政治家と話すには、戦略、政治、経済の知識をひと通り身に付けなければならない。

 

「いつも疑問に感じるのですが、どうしてそこまでして政治家と付き合わなきゃいかんのですか?ビュコック提督やヤン提督は、そんなチャラチャラしたことはしないでしょう?いや、閣下がチャラチャラしてるとは、言いませんがね。ドーソン提督やロックウェル提督なんて、下手な代議員よりよほど政治活動に熱心です。ああいう方を見てると、疑問になるんですよ」

「戦いに勝つには、予算、兵力、物資が必要だ。そして、その分配を担当するのは政治家。彼らは国防の重要性を議会や市民にアピールして、予算を取ってきてる。だから、必要と思えないものに予算は出せない。ビュコック大将やヤン大将ぐらい偉い提督なら、何も言わなくても政治家が予算をつけるよ。でも、俺はそうじゃないからね。頑張って必要性を説かなければ、お金も人も物も手に入らない」

「戦争だけしてるわけにはいかないってことですか。面倒ですねえ」

「面倒だけど、シビリアンコントロールってそういうものだから」

「私にゃあわかりません」

 

 ジャン曹長は、苦笑混じりの声で答えた。どう反応していいかわからず、曖昧な笑顔で返す。

 

「しかし、このままでは埒があきませんな。ピタリとも動かんですよ」

「まいったな、これでは間に合わない。今日は面倒な用事だから、なるべく相手を待たせたくないんだけど」

「金は遣ってもまた稼げますが、時間はそうではありません。人件費をケチって時間を無駄にするなんぞ、本末転倒ですわ」

「まったくだよ。最近は何をするにも時間がかかるようになった」

 

 浪費した時間は二度と戻らない。だからこそ、用兵は巧遅より拙速を良しとする。素早く行軍できる指揮官、決断の早い指揮官は例外なく有能だ。時間を効率的に使う能力は、軍人に不可欠な資質である。俺がそれを持っているかどうかは、秘密ということにしておく。

 

「司令官閣下、車を降りて歩いて行きませんか?」

 

 そう提案したのは、ハラボフ大尉だった。

 

「確かにこれじゃあ歩いたほうが早いね。軍服で街中は歩きたくないんだけど、背に腹は変えられない」

 

 去年の帝国領遠征以降、軍のイメージは悪化する一方だった。軍服を着て歩くと、すれ違いざまに「税金泥棒」と呼ばれる。少年志願兵募集担当者がミドルスクールの進路担当者に面会を拒否される。街中で地上部隊が行進訓練をすると、たちまち苦情の電話が殺到する。途方もない人命と税金を浪費したあげくに惨敗し、戦犯を「軍に必要な人材」と擁護し、不祥事も後を絶たない。その挙句に地方で反乱を起こして、市民生活を脅かす。そんな軍に対し、市民の怒りは頂点に達していたのだ。

 

「こんなこともあろうかと、スプリングコートを用意しておきました。後ろのトランクに積んでいます」

「助かった。さすがはハラボフ大尉だ」

 

 ハラボフ大尉らしい気遣いに感心した。前任のコレット少佐と比べると機転に欠けるが、細かいところに良く気が付く。

 

「ありがとうございます」

 

 ありがたさの一欠片もないような表情で返事を返すと、ハラボフ大尉はさっさと車を降りてしまう。俺は彼女の後を追うように車を降りた。

 

 

 

 俺とハラボフ大尉は、国防委員会のあるキプリング街に向かった。軍用ベレーを外し、スプリングコートを羽織った俺達二人は、どこからどう見ても民間人以外の何者にも見えないはずだ。軍服と私服では、俺が他人に与える印象はかなり違う。通行人に正体がばれる心配もない。

 

 不満がないわけではなかった。一応ユニセックスらしいが、少々デザインがふわふわし過ぎてる。ハラボフ大尉が着てるようなかっちりしたデザインで良いのに。これでは、まるで俺がハラボフ大尉の副官ではないか。そう言えば、一昨年にフェザーンに行った時に、ハラボフ大尉が用意してくれた服も妙にふわふわしていた。一体何を考えているのか、冷たい表情からは伺い知れない。

 

 地下鉄ダンロー通り線に乗って、キプリング街四丁目駅で降りる。ほとんどの客は仕立ての良いスーツを着ている。官庁街のキプリング街は、最高評議会と九委員会、その他の政府機関が集中する行政の中枢だ。一三日の第二次トリューニヒト政権成立を目前に控えて、官僚、政治家、ロビイスト、政党スタッフといった人々が忙しく駆け回っているのであろう。

 

 地上に出ると、すぐに国防委員会ビルが視界に入った。旗、プラカード、横断幕などを手にした群衆がビルを取り囲んで、何やら騒いでいる。警官隊が出動しているが、群衆の数に比して人数は少なく、抑えきれないんじゃないかと心配になる。。

 

「まいったなあ。反戦派の抗議行動にぶつかったか」

「いえ、あれを見てください。憂国騎士団の団旗です」

 

 ハラボフ大尉が指した方向を見ると、確かに憂国騎士団の団旗がはためいている。

 

「ほんとだ。なんで、憂国騎士団が国防委員会を囲んでるんだろう?」

 

 憂国騎士団は親トリューニヒト、親軍部の過激主戦派団体。そして、国防委員会はトリューニヒト派の牙城。なぜ憂国騎士団が国防委員会に牙を剥いているのか、良くわからない。

 

「三日前にイゼルローン方面軍のヤン大将が憂国騎士団を批判なさいましたよね」

「ああ、そんなニュースもあったね」

 

 三日前、民主化支援機構元理事長ロブ・コーマック邸襲撃事件の第一回公判がハイネセン同盟地方裁判所で開かれた。コーマック邸襲撃犯として自首した憂国騎士団団員三名は、市民から英雄視されて減刑嘆願が殺到。公判は被告人の演説会と化した。多数派は「まさに憂国の志士」と拍手喝采を浴びせ、少数派は「くだらない茶番劇」と冷ややかな目を向けた。ヤン大将は後者に属する。

 

「民間人の家を焼くのが愛国心というのか?そんなに国のために戦いたいのなら、軍隊に志願すればいいじゃないか」

 

 テレビ局から超高速通信でコメントを求められたヤン大将は、苦々しげに述べた。反戦派有力軍人のこのような発言は珍しくもないし、立て続けに大事件が起きてる最中ということもあって、大した騒ぎにはなっていない。

 

「ヤン大将の発言に対する抗議行動ではないでしょうか」

「どうして、国防委員会なのかな?」

「方面軍司令官は国防委員長の指揮監督下にあります。イゼルローンへ行って直接抗議できないなら、監督者に抗議しようということでは?」

「ああ、そういうことか」

 

 ハラボフ大尉の説明に納得した。しかし、これだけ騒ぎになっていれば、中に入るのも大変そうだ。ほんの少し迷った末に、そのまま歩いて行くことに決めた。ただでさえ遅れているのに、これ以上待たせるわけにも行かない。遅れる旨は伝えているが、なるべく早く行った方がいい。憂国騎士団団員の隙を縫って早足で歩き、警官隊のいる場所まで辿り着けば、何事も無く入れるだろう。

 

 集まった憂国騎士団団員のほとんどは、私服姿だった。趣味の良い服を着ている者もいれば、みすぼらしい服を着ている者もいる。総体的に見ると、中流に属すると思われる服装の者が最も多い。年齢層は一〇代半ばの少年から、八〇を越えた老人まで様々だが、一番多いのは三〇代から四〇代。職場から消えたと言われる年代だ。性別は男性が多めだが、女性も決して少なくはない。世間がイメージする白マスクに戦闘服の憂国騎士団団員は、行動部隊に所属する専従の活動家だ。団員の大多数を占める一般団員は、ごく普通の市民なのである。

 

 人がまばらな場所を見つけた俺は、すかさず足を踏み入れた。敵陣の隙を見抜く勘、そして機を見て攻めに転じる決断力。それは死戦をくぐり抜けた提督にしか身につかない能力なのだ。

 

「きさまーっ!!何をしとるかーっ!?」

 

 一〇歩も歩かないうちに、見つかってしまった。たちまち、警棒を手にした白マスクの行動部隊隊員が集まってくる。

 

「どうしよう……?」

 

 白マスクの怒号が響く中、俺はすっかりびびってしまっていた。前の人生で極右団体構成員にリンチされた記憶が蘇り、膝がガクガク震えてくる。隣にいるハラボフ大尉は、即座に攻撃に移れるよう構えを取る。

 

 体格の良い白マスクが俺をちらりと見た。そして、何かを確認するかのように小さく頷くと、飛ぶような勢いで俺に駆け寄ってきた。ハラボフ大尉がすかさず俺の前にカバーに入る。白マスクとはハラボフ大尉の衝突を覚悟したその時だった。

 

「フィリップス少将閣下ではありませんかっ!!」

 

 白マスクは直立不動になって俺に敬礼をした。一体どういうことだろうか。殴られるとばかり思ってたのに、事情が飲み込めなくて混乱してしまう。

 

「小官をお忘れになりましたかっ!?」

 

 どこかで聞いた覚えがある声のような気もするが、この怒号の中では声質がわかりにくい。誰だろうか。

 

「隊長、隊長。マスク取りましょうよ!顔わかんないですよ!」

「ああ、そうか。うっかりしていた」

 

 隊長と呼ばれた男は、他の団員の指摘を受けて白マスクを外す。そして、改めて敬礼をした。

 

「ご無沙汰しておりました!レオニード・ラプシン予備役少佐であります!」

「ああ、貴官か。ヴァンフリート以来だな」

 

 思いがけない場所で懐かしい顔に出会った。ハラボフ大尉は事情を掴めないのか、困ったような顔で俺を見る。

 

「ハラボフ大尉、彼は俺の元部下だよ。ヴァンフリート四=二基地の憲兵隊にいたんだ」

 

 レオニード・ラプシンは、俺が隊長代理をしていたヴァンフリート四=二基地憲兵隊の第六憲兵中隊長だった。一昨年の四=二基地攻防戦で負った傷の後遺症がひどくて現場に復帰できず、大尉から少佐に名誉進級して現役を退いた。まさか、憂国騎士団の行動部隊に入ってるとは、思いもしなかった。

 

「現在は憂国騎士団行動部隊にて、大隊長の職を任せていただいております」

 

 満面の笑みを浮かべるラプシン予備役少佐。どんな反応をすればいいのだろうか。素直に賞賛するには引っ掛かりを感じるが、かと言って同情を示すのも何か違う。

 

「そうかあ」

 

 迷った挙句、曖昧な返事でお茶を濁すことにした。

 

「閣下に叙勲推薦をいただいたおかげです」

「貴官、そして散っていった第六中隊の将兵に報いる方法が、他に思い浮かばなかった」

「大勢の部下を死なせてしまったのに、おめおめと生き残った自分を恥ずかしく思いました。しかし、勲章をいただいたおかげで、救われた気持ちになったのです。軍には戻れませんでしたが、憂国騎士団で国を守るための戦いを続けております。私は果報者です」

「それは良かった」

 

 ヴァンフリート四=二基地憲兵隊は、俺の未熟さの犠牲になった部隊だ。その生き残りが暴力的な極右組織の幹部という立場であっても、笑顔で語れるような第二の人生を歩んでいるのは、喜ぶべきことだった。

 

「この場に集まった仲間は、みんな不本意な形で軍や警察を退いた者です。まだまだ国のために戦える。そんな思いを抱えて悶々としていた我々に、憂国騎士団が新しい戦場を与えてくれました」

 

 淡々とした口調で語るラプシン予備役少佐の目に、陶酔や狂信の色はまったくなかった。非人間的で怖いイメージがある白マスクの下には、人間の顔がある。そんな当たり前の事実に気づいた。

 

「ヤンは我々を戦場に出る勇気がない臆病者と嘲りました。戦場を奪われて、新しい戦場で生き返った我々を嘲笑したのです。自分が司令部で策略を練っている間、誰が体を張っていたのかを考えもせず、前線に出ろと煽り立てる。司令部だけが戦場とでも勘違いしているのでしょうか。とんでもない話です。鉄槌を下してやらなければなりません。そんな怒りが我々をここに結集させたのです」

 

 ラプシン予備役少佐の解釈は、ヤンの悪意を過大に見積もりすぎているように思う。ヤンはおそらく憂国騎士団の背景を知らない。ヤンは極右を嫌悪しているが、軍隊経験者がいるのを知っていて、わざと嘲るほど卑劣とは聞いたことはない。前の歴史の知識を抜きにしても、紳士という評判を覆すような事件は、現時点では起きていない。

 

 しかし、ヤンを弁護してラプシン予備役少佐をたしなめる気にもなれなかった。憂国騎士団の行動部隊に退役軍人や退職警官が多いのは有名な話だ。だから、火器や爆薬を使ったテロに長けている。ヤンは憂国騎士団の怒りを買って、官舎に爆弾を放り込まれた経験を持つ。憂国騎士団の背景に関心を示さないのはまだしも、火器や爆弾の使用から軍隊経験者の存在を想像しないのは、いかがなものかと思う。

 

 結局のところ、ヤンという人は典型的なエリート気質の個人主義者ではないか。遠くは良く見通せるが、足元は見えない。歴史や用兵には強い興味を持つが、他人の事情には興味が無い。大局的な戦略はわかるが、予算を引っ張る苦労、将兵の汗の臭いはわからない。視点の置き方次第で清廉高潔とも、冷淡かつ傲慢とも解釈できる。この件のヤンは、冷淡かつ傲慢に感じる。

 

「隊長のおっしゃる通りです。あいつは反戦派でしょう?『軍隊が強くなるのは危険だ』『軍隊は放っとけば悪いことをする』などと言って、軍隊を小さくすることばかり考える。エリートは何があっても、軍に残れるからいいですよ。辞めたところで再就職先は選び放題。軍隊が小さくなったら、真っ先に切られるのは我々下っ端。この不況じゃろくな再就職もありません。憂国騎士団に拾われなかったら、今頃はホームレスです。我々を切り捨てておいて、軍隊に志願しろなどと言う。今の軍は未成年者の志願しか受け付けないって、知らないんですかね?ふざけた話です」

 

 別の白マスクが話に割り込んでくる。ラプシン予備役少佐よりだいぶ若い声だ。不気味な白マスクを被った人から愚痴っぽい言葉を聞かされると、なんか不思議な感じがする。しかし、憂国騎士団団員の肉声というのは、とても興味深い。

 

「先日のミサイル爆発事故を知らんわけじゃあるまいに。亡くなった一四人は、みんな未成年だったろ。ヤンはどう思ってるんだろうな。我々が志願しないせいで、彼らが犠牲になったとでも思ってるのかねえ」

 

 今度は年配者っぽい白マスクが割り込んできた。職場の休憩室で話しているようなのんびりした口調と、白マスクのギャップがなんか面白い。

 

「あいつ、部隊で汗をかいたことないだろ。ほんの短い間だけ収容所にいた以外は、ずっと司令部勤め。司令官と参謀しか相手にしないまま、提督になっちまった。ああいう提督は細かいことに口を出さんから受けはいいが、下っ端に興味が無いだけさ。理屈ばかりで、人の苦労を思いやる気持ちがまったく無い。どんなに才能があっても、絶対に出世させたらいかんタイプだね」

 

 またまた別の白マスクが割り込んでくる。なんか、白マスクが口々に喋り始めて、収拾がつかなくなってきた。ただ、彼らが「冷淡なエリートに対する怒り」というかなりわかりやすい理由で動いているのは理解できた。

 

「司令官閣下。あまりお待たせしてはいけません」

「ああ、ごめん。行かなきゃね」

 

 ハラボフ大尉に肘を突っつかれて、長すぎる寄り道をしたことに気づいた。

 

「ご所用でしたか。お引き止めしてしまって申し訳ありません」

「いや、いいんだよ。貴官が元気になってくれていて嬉しかった」

 

 恐縮するラプシン予備役少佐に、笑顔で気持ちを伝える。

 

「閣下こそ同盟軍きっての名将と我々は思っております。ヤン・ウェンリーなんぞに負けぬ武勲を期待しております」

 

 答えに困ってしまった。昔の部下とはいえ、憂国騎士団団員にヤン・ウェンリーとの競争に勝つことを期待されるという妙な状況に戸惑っているのだ。

 

「期待してるのは、隊長だけじゃないですよ。うちの支部では、トリューニヒト議長の写真と一緒にフィリップス提督の写真も貼ってますから」

「えっ!?」

 

 俺の写真が憂国騎士団支部に貼られてるという他の白マスクの発言に、びっくりしてしまった。白マスクの下の人間臭さは面白いが、それでも憂国騎士団が他人の家を叩き壊す暴力集団という事実が覆るわけではない。そんな集団に持ち上げられるのは困る。

 

「他の支部でも写真を貼ってる所は少なくありません。憂国騎士団はフィリップス提督を応援しています」

 

 頭が痛くなった。ありがた迷惑もいいところだ。悪いイメージが付いたら、今後に差し支えるかもしれない。しかし、彼らの肉声を聞いてしまったから、あまり強いことは言えなかった。

 

「……ド・ヴィリエ大主教講話集二巻は買ったか?」

「……いや、まだだが。今月はちとポーカーの負けが込みすぎてな」

「……それはいかんなあ、母なる地球への信心が足りんのではないか」

「……いやいやいや、信心は足りてるんだが、金が足りんのだよ」

 

 呆然としている俺の耳に「ド・ヴィリエ大主教」「母なる地球」という単語が入ってきた。母なる地球とは、言わずと知れた地球教団のご本尊。ド・ヴィリエ大主教は前の歴史において、地下に潜った地球教の指導者として、ローエングラム朝銀河帝国やヤン・ウェンリー一派にテロ攻撃を仕掛けた人物である。現時点では穏健な教団だし、前の歴史でも権力者だけをピンポイントで狙って庶民に迷惑を掛けなかった。しかしながら、銀河政治のフィクサーとして隠然たる力を持つ教団の信者が憂国騎士団にいるというのは、何か冷やっとする。

 

「どうかなさったんですか?」

「地球教団の信者、憂国騎士団にもいるの?」

「ええ、結構多いですよ」

 

 ラプシン予備役少佐はあっさり肯定した。

 

「うちの組織は退役軍人がたくさんいるでしょう?地球教の慈善事業で世話になって、入信した者が多いんですよ。信者が入団後に他の団員を勧誘するケースも多いですね」

「ああ、なるほど」

 

 憂国騎士団の行動部隊には、退役軍人が多い。地球教団は退役軍人を対象とする慈善事業に大きな実績がある。貧困に苦しむ退役軍人が地球教団の世話になって入信し、憂国騎士団行動部隊で職を得る。ヤンのような良識派エリートに見捨てられた退役軍人に手を差し伸べたのが、フィクサーの地球教団や暴力組織の憂国騎士団だけだったというのは、何ともやりきれない構図だった。

 

 反戦派ジャーナリストのヨアキム・ベーンが『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』を信じるならば、ラプシン予備役少佐らは黒幕に利用されているということになる。しかし、利用するという形であっても、利用価値すら認めずに軍から放り出した人々よりましな気もする。

 

「ヨブ・トリューニヒト議長ばんざーい!エリヤ・フィリップス提督ばんざーい!」

 

 白マスクと一般団員の歓呼を背に、国防委員会のビルに入っていった。何が正しくて、何が間違っているのか。正直、わからなくなってくる。

 

 これから向かうのは、エル・ファシル逃亡者告発担当者ロザリンド・ヴァルケ准将のもと。厳罰を求める担当者とやり合わなければいけない。携帯端末のメールボックスには、国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将から昨晩送られてきたメール。「エル・ファシル逃亡者減刑嘆願に協力して欲しい。一度話を聞いてくれないか」という内容。

 

 国家級最戦線派の正義、主戦派の正義、反戦派の正義、ヤン・ウェンリーの正義、憂国騎士団の正義、ヴァルケ准将の正義、グリーンヒル大将の正義。一度にたくさんの正義を放り込まれた俺の頭の中は、カオスと化していた。



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第百十話:大物の度量、小物のこだわり 宇宙暦797年4月9日 国防委員会庁舎~三月兎亭

 国防委員会の一室で面会した国防委員会高等参事官ロザリンド・ヴァルケ准将は、国立中央自治大学法学部に派遣されて弁護士資格を取得した法務部門の切れ者という経歴からは想像もつかないほど、優しげな風貌の女性だった。年齢は四〇歳前後。色白で彫りが浅く、おっとりとした感じがする。

 

「本日はお忙しい中お越しいただき、誠にありがとうございます」

 

 風貌に似つかわしい穏やかな声で、ヴァルケ准将は礼儀正しく礼を述べた。

 

「あまりフィリップス閣下にお時間を取らせるわけにも参りませんので、早速始めましょう」

 

 そう言うと、ヴァルケ准将は手元の分厚いファイルをめくった。中身は逃亡者告発関連の書類。俺が首都防衛司令官代理に就任して逃亡者告発担当から外れると、彼女が新しい担当者になった。今日は逃亡者の処分に対する見解の相違についての話し合いだった。

 

「エル・ファシル警備艦隊司令部作戦部員ケビン・パーカスト大尉についてですが……」

 

 ファイルをめくりながら、ヴァルケ准将は俺の下した判断について次々と質問をする。一つ一つ丁寧に回答したが、プロらしい鋭い突っ込みに押され気味だった。

 

 一時間ほどかけて質問を終えたヴァルケ准将は、パタンと音を立ててファイルを閉じると、俺の方を向いてゆっくりと口を開いた。

 

「寛大すぎます」

 

 表情も声色も穏やかなままで、ヴァルケ准将は言い切った。

 

「寛大すぎるかな?」

「ええ。法を大きく逸脱しています。明らかに手心を加えていると、市民には判断されますよ?」

「しかし、条文と判例から判断するに、この程度の処分が適当だと思う」

「市民感情に対する配慮が皆無です。あまりに市民感情から乖離していては、軍の信頼性が失われます」

「しかし、条文や判例から乖離しすぎると、もっと信頼性が揺らぐんじゃないか?」

「主権者は誰なのかを忘れてはなりません。市民は厳罰を求めています」

 

 要するに「市民の処罰感情を満足させる処分を下せ」と、ヴァルケ准将は言っていた。法律のプロにも二種類いる。法を厳密に運用するタイプと、状況に応じて柔軟な運用をするタイプだ。状況というのは、スポンサーの都合やプロ本人を取り巻く力関係のことだ。組織の法務部門では、組織の都合に応じた解釈をひねり出すタイプが重宝される。武勲と無縁のキャリアを歩んできたヴァルケ准将が、四〇そこそこで現在の地位を得た理由が理解できた。

 

「感情論に流されるべきではない。感情は一時のものだが、判例はずっと残る。一時的に盛り上がった処罰感情に従って不当な処分を下したら、悪い判例を作ることになる」

「不当な処分とは、去年の帝国領遠征の戦犯処分のことです。悪い判例を作った上に、軍事司法の信頼性が大きく揺らぎました。市民は軍の公正さを信頼できなくなっています。自浄作用がない組織とみなされているのです」

「あれは確かに……」

 

 去年の戦犯処分は色んな意味で悪い前例を残してしまった。法を曲げて戦犯を救ったせいで、市民の処罰感情が手の付けられないところまで高まった。擁護者のいないエル・ファシルの逃亡者を厳罰に処して、軍に対する信頼を取り戻すべきと主張するヴァルケ准将は、法律のプロとしては正しくないが、政治的には正しい。

 

「私見ですが、閣下こそ感情論に流されているのではありませんか?」

「小官が?」

「ええ。閣下はエル・ファシル警備艦隊に所属してらっしゃいましたね」

「そうだね」

「市民を見捨てて逃亡した者と袂を分かった閣下は、厳罰を求められるものとばかり思っていました。しかし、過去の仲間に対する贔屓があっても不思議ではない立場でもあります」

「そんなことはないよ」

 

 口先では素っ気なく否定したものの、内心では動揺していた。困ったことにヴァルケ准将の推測は、結論だけなら当たっていたのだ。過去に同じ部隊にいたからではなく、前の人生の自分と同じ境遇にあったからという理由ではあるが。

 

「さらに付け加えますと、閣下のもとにはリンチ少将の一番下の娘さんがおられます。名前はシェリル・コレット少佐」

「そうだね」

 

 ヴァルケ准将がコレット少佐の存在を認識していたことに、少し嫌な気分になった。彼女がリンチ少将の娘ということを知っている人間は、意外と多いようだ。エル・ファシルの逃亡者に対する断罪が盛り上がったら、さらに激しい攻撃にさらされるかもしれない。

 

「彼女に対する贔屓から、逃亡者に対する判断が甘くなっているということはありませんか?」

「えっ!?」

 

 驚きのあまり、大きな声をあげてしまった。そんな解釈が成り立つとは、想像もしなかった。

 

「二三歳で少佐。士官学校上位卒業者並みの昇進速度です。しかし、士官学校の成績は最下位に近く、これといった武勲もありません。本来ならまだ中尉でしょう。閣下の司令部にいるという理由以外で、彼女の早い昇進を説明するのは難しいように見受けられます」

「実力を評価したんだよ。彼女は才能がある」

「閣下のおっしゃる通り、才能があったとしましょう。しかし、才能とは表面に表れにくいもの。閣下が彼女を重用する理由に疑いを抱く声も少なくありません。品の無いことではありますが、彼女の容姿に理由を求める者もおります」

「そんなわけないだろう」

 

 苦々しさを隠す気にもなれなかった。そもそも、コレット少佐を副官に起用する際の最大のネックは、見苦しい容姿だったのだ。すっきり痩せたのは、採用から半年近く経った頃だった。勘ぐるのもほどほどにして欲しい。

 

「それならば結構です。士官学校上位卒業の経歴、もしくは誰もが納得できる武勲が無い若手の過度な重用は、反感を招きます。閣下のためにも本人のためにもなりません。ご注意ください」

「ああ、わかった。忠告ありがとう」

 

 何の感謝もこもっていない口調でヴァルケ准将に答えた。彼女の意見が常識に沿ったものであるのは認める。しかし、常識的であるからといって、好意的に受け止める気にはなれなかった。エル・ファシルの逃亡者問題、そしてコレット少佐の処遇。不安を残しながら、ヴァルケ准将との面会は終わった。

 

 

 

 西洋料理の名店三月兎亭は、ハイネセンポリスの中心部からやや外れた高級住宅街にあった。店内は品の良い調度品で統一されているが、気取った感じはない。店内の照明は薄暗くなっていて、テーブルに置かれたキャンドルの炎で明かりを採る。素朴な温かみがあって、ゆったりとくつろげそうな雰囲気だ。しかしながら、俺はくつろぐどころか、緊張の極致にあった。

 

「フィリップス少将は、こういう店には慣れていないのかな?」

 

 俺と向かい合って座っている国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将は、気さくな口調で問いかけてきた。肉付きの薄い端正な顔は、優しげな表情を作っている。きれいに撫で付けられた白髪交じりの頭髪、一見して高級品とわかる趣味の良いジャケットは、見るからにダンディだ。創造主が他人に好感を与えるという目的でこの人物を造形したんじゃないかと思ってしまう。

 

「ええ、まあ……」

 

 硬くなっていた俺は、目上相手にも関わらず、気のない返事をしてしまった。料理に熱中することでグリーンヒル大将から意識を逸らしてきた。しかし、最後のデザートを食べ終えてしまって、フルコースは終了した。もはや逃げることはできない。グリーンヒル大将に店選びを任せずに、大衆的な店を指定すれば良かったと後悔した。

 

「そこまでかしこまることもない。プライベートなのだ。もっと気楽にしなさい」

 

 俺の緊張ぶりに、グリーンヒル大将は苦笑した。のんきなものだ。俺がグリーンヒル大将を目の前にして落ち着いていられるわけがないのに。

 

 彼は帝国領遠征軍総参謀長として、一五〇〇万の死者・行方不明者に責任を持つ立場でありながら、アンドリュー・フォークとその後を継いだリディア・セリオにすべての責任を押し付けて、軍中枢に留まった。遠征軍の生き残りとして、そしてアンドリューの友人として、納得の行かないものを感じる。第一二艦隊の名誉のために奔走してくれたとはいえ、彼の無責任な対応が抗命行為の直接的な引き金になったことを考えると、素直に感謝するのは難しい。

 

 前の歴史ではクーデターを起こして、国家に巨大な損失を与えた。今もクーデターを企てているとの疑惑をかけられて、情報部の監視を受けている。同盟軍上層部に強力な人脈を張り巡らせているだけに、不気味な存在だ。

 

 エル・ファシルの逃亡者の減刑運動について話したいと言われてやってきたが、この時期に呼び出されると裏を感じてしまう。万が一に備えて、店内に客を装った護衛七人、店の周囲に通行人や工事作業員を装った特殊部隊二〇人を待機させているが、安心はできない。

 

「軍の大先輩の前ですから」

「ははは、私のような能力の無い者でも先輩と認めてもらえるわけだ。嬉しいな」

 

 皮肉とも取れるような言い回しであったが、グリーンヒル大将の表情や口調には、屈託がまったく感じられない。素直に喜んでいるように思える。

 

「ご冗談を」

 

 冷や汗が流れる。明らかにグリーンヒル大将に押されていた。アラルコン少将の時もそうだったが、警戒している相手に気さくに接してこられると、ペースが狂ってしまう。

 

「冗談ではないさ。君は私なんかよりずっと優秀だ。二九歳の時の私は大佐だった。それも士官学校を首席で卒業したおかげで昇進できた。君は士官学校を出ていないにも関わらず、実力で少将に昇進した。差は明らかではないかな?」

「上官、同僚、部下に恵まれました。自分の力など微々たるものです」

「誰に対しても良き上官であり、良き同僚であり、良き部下である者はいない。たまたま君が良い人間に巡り会えたわけではない。君の力が彼らを良い人間にした」

 

 静かに、そして力強くグリーンヒル大将は言い切る。

 

「それほどのものでもありません」

「私には才能がなかった。用兵家としても、参謀としても、そつなくこなせるだけで際立った物はなかった。ならば、せめて才能ある者を育てる。それを自分の仕事と思い定めて生きてきた。人に甘すぎる、人を見る目が無さすぎると良く言われた。見込み違いの者もいたし、恩を仇で返す者もいた。それで構わないと思っていた。一〇人に一人でも物になってくれたら、十分に釣りが来る」

 

 淡々とした声でグリーンヒル大将は語る。彼が才能を愛する人物であることは有名だった。そして、人に甘すぎるということも。彼が目を掛けた者には、大成した者も多いが、問題を起こした者も多い。

 

 グリーンヒル大将の期待を裏切った者で最も有名なのは、アーサー・リンチ少将である。士官学校時代から目を掛けられたリンチ少将は、功績を重ねて四〇そこそこで少将に昇進。一〇年後の宇宙艦隊司令長官候補と言われていた。それがエル・ファシルで市民を見捨てて逃亡して捕虜となり、今は生死さえわからなくなった。

 

 最近では、軍事面の知恵袋だったポルフィリオ・ルイス中将が期待を裏切った。指揮官としても参謀としても一流の実績をあげて、三〇代半ばにして中将に昇進。軍人としては大成したが、人間性に問題があった。士官学校の教官だった時に、ヤン・ウェンリーの才能を見出したが、戦略研究科に転科させる際の悪辣な手口で憎悪を買った。アスターテでは第四艦隊に属していたが、交戦開始と同時に味方を見捨てて第二艦隊と合流して武勲をたてた。そして、現在は恩人のグリーンヒル大将がクーデターを企てていると言いふらしている。

 

 このような失敗にもめげずに、「一〇人に一人でも物になってくれたら、十分に釣りが来る」と言い切って、才能ある者を育てようとする度量には感心させられる。

 

「閣下に推薦していただいたメッサースミス少佐も良く頑張ってくれています」

「君と共に仕事をした者は、凡庸な者であっても花開く。メッサースミス君は良い若者だ。一時は娘と結婚させようと考えたこともある。彼が君の下でどのように花開くのか、楽しみにしている」

「恐れ入ります」

 

 生涯をかけて才能を育ててきた人物に、ここまで言われると恐縮してしまう。

 

「私は上の立場から人の才能を伸ばすことしかできない。しかし、君は下の立場からでも伸ばすことができる。その最たるものがドーソン大将だ」

「そんなことはありません。小官がドーソン閣下に力を伸ばしていただいたのです。あの方が上官でなければ、今日の小官はおりませんでした」

「ドーソン大将は、厳格に過ぎて独善的と言われていた。側近にも誹謗中傷を好む者、不要な提案をして点数を稼ごうとする者が多かった。しかし、憲兵司令官を務めた時に、誠実な副官を得たことで欠点が改善された。穏やかな者や生真面目な者が側近に集まるようになり、誠実さ、情の厚さといった良い面が前面に出るようになった。誠実に取り組む副官の姿勢が、ドーソン大将を良い上官にしたのだ」

「小官はそれほどのこともしておりません」

 

 あまりに過分な評価に戸惑った俺は、そっけない言葉を返してしまった。笑顔を作って、無愛想な印象を与えないように心がけてはいるが、どこまでグリーンヒル大将に伝わっているだろうか。

 

「ドーソン大将は、有能過ぎてすべてを自分で取り仕切ろうとするところがあった。プロ意識の強い参謀とは、事あるごとに対立した。しかし、第一一艦隊司令官を務めた時に、人柄の良い参謀を得たことで欠点が改善された。その参謀が他の参謀の言葉をドーソン大将に聞き入れやすい形に直して伝えることで、艦隊運営は改善された。ドーソン大将が敵の不意打ちを受けて平常心を失いかけた時、その参謀の言葉によって立ち直った。争いを避けながら向き合おうとする参謀の人柄が、ドーソン大将を良い提督にしたのだ」

「他にできることがありませんでした」

 

 グリーンヒル大将は、俺が憲兵司令部や第一一艦隊司令部でやってきた努力を良く調べているようだった。その上で過分な評価をしてくれる。目上の人にここまで手放しで褒められると、気恥ずかしくなる。どうも、グリーンヒル大将の思惑が読めない。

 

「君は他人と功績を争うのではなく、功績を立てさせることによって栄達した。上司だろうが、同僚だろうが、部下だろうが、有能な者だろうが、無能な者だろうが、引っ張り上げる力が君にはある。地位が上がって、関わる人間が多くなればなるほど、君の力は発揮される。いずれは統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官にもなると、私は見ている。軍を退いたとしても、必ず別の場所で頂点を極めるだろう」

「身に余るお言葉です」

 

 過分を通り越して、法外と言っていい評価をグリーンヒル大将は述べた。ヨブ・トリューニヒトを除けば、ここまで高く俺を評価してくれた人はいない。しかし、相手が相手だ。動揺が喜びをはるかに上回る。

 

「しかし、その素晴らしい君の力も二〇歳を越えるまでは、まったく発揮されることが無かった。ジュニアスクール、ミドルスクール、ハイスクールのいずれでも平凡な生徒だった。ハイスクールを卒業した後は、パン屋で半年ほどアルバイト。その後、コーヒーショップにバイト先を変えた。中流階級の若者としては、ごくありふれた経歴といえる。そんな君の人生の転換点は、九年前のエル・ファシル脱出作戦。アーサー・リンチ少将の命令を拒否したことから、すべてが始まった」

 

 グリーンヒル大将の声がナレーションのように頭の中に響いた。俺の経歴を徴兵以前までさかのぼって把握している。すべて調べあげた上で俺と向き合っている。褒め言葉も単なる社交辞令以上の意味があるに違いない。注意していたつもりではあったが、想像以上に油断ならない。

 

「ここで一つ質問をしたい。あの時にリンチ少将の命令に従えばどうなったか、一度でも想像したことがあるかな?」

 

 その質問は言葉の矢となって、俺の心臓を打ち砕いた。どこまで俺を動揺させれば、気が済むのだろうか。想像するも何も、俺は実際に経験した。思い出したくもない経験だ。

 

「……非難されていたでしょうね」

 

 辛うじて声を絞り出して答える。

 

「君は記者会見で『エル・ファシルで市民を見捨てて逃げた卑怯者と言われることが怖い』と言った。結果として、それは正しかった。君と異なる選択をした者は、断罪を待つ身となっている」

「あの記者会見、ご覧になっていたのですか?」

「ちょうど、妻が娘を連れてエル・ファシルに帰省していたのだ。心配で心配でたまらなくて、ずっとテレビを見ていた。君の言葉は本当に頼もしく感じられたよ」

「恐縮です」

「しかし、それももう過去の話だ。三〇〇万人の民間人は誰一人欠けることなく生還した。私の妻子は無事に戻ってきた。君は栄達の道を歩んだ。一方、逃げた者は帝国の収容所で九年過ごした。今さら憎む理由は無いと、私は思っている」

 

 グリーンヒル大将は、どこまでも大物だった。自分の顔に泥を塗り、妻子を危機に晒したリンチ少将とその部下に怒るのが当然と思われる立場なのに、何のわだかまりも感じさせない。

 

「小官もそう思います」

「君がエル・ファシルの逃亡者に対して、寛大な処分を求めたと聞いた時、意外に思った。彼らが批判を受ければ受けるほど、あの時の君の選択は正当化される。最も厳しく一番断罪を求めるだろうと思っていた」

「同じことをヴァルケ准将に言われました」

「彼女なら、そう言うだろう」

「個人的な感情と法の運用は別物であると答えました」

「納得してもらえたかね?」

「無理でした。市民感情への配慮が足りないと」

「市民感情に左右された量刑のどこが公正なのだろうか。感情に流されるだけでは、法律の意味が無いのだが」

 

 憂い混じりに嘆息するグリーンヒル大将に、少し違和感を感じた。法の運用が市民感情に左右されてはならないという言葉自体は正しい。しかし、巧妙に立ち回って敗戦責任を逃れた人物に、法の公正を口にされると、「何様のつもりだ」という気持ちが湧いてくる。大物過ぎて、俺のような小物の感情に無頓着なところがあるのではないかと少し思った。

 

「仲間同士のかばい合いを疑われる事例も少なくありません。最近は軍に対する逆風もますます強くなっています。神経質になっても無理は無いでしょう」

 

 俺は遠回しに帝国領遠征の敗戦責任問題について言及した。グリーンヒル大将のように、法に照らせば裁かれるべき人間がまったく裁かれなかった。その事実が法の信用を失わせて、憂国騎士団の暴力的な断罪に支持を与えたのだ。

 

「君は『月刊国防研究』の三月号を読んだかね?」

「はい、読みました」

 

 国防研究所が刊行している『月刊国防研究』には、最新の戦略研究の成果が掲載されている。軍人はもちろん、政治家の購読者も多く、国防政策に及ぼす影響力は大きい。主流的な論説から大きく外れたことは書いてないため、「優等生の作文」と馬鹿にする者もいる。それでも主流的な意見を知るには都合が良いため、毎月購読していた。

 

「今年度の対帝国戦略シミュレーションの記事はどうだった?」

「どうでしたっけ?記憶にありません」

 

 月刊国防研究の目玉記事の一つに、毎年三月号に掲載される対帝国戦略シミュレーションの結果報告がある。同盟軍と帝国軍の最新データを使い、国防研究所の研究員が全銀河を舞台に戦略レベルの模擬戦闘を行う。ラインハルトの台頭、ヤン・ウェンリーのイゼルローン攻略のような常識から外れた事件は予測できないが、両軍の現有戦力を反映した結果になるため、戦略立案の参考になると評判だった。

 

「そうだろう。載っていないのだから」

「どういうことですか?」

「公表できないような結果が出た。だから、掲載されなかった」

 

 グリーンヒル大将の言葉に耳を疑った。そんなことが有り得るのだろうか。

 

「詳しく教えていただけないでしょうか?」

「既に帝国で内戦が始まった今となっては無意味な結果になったが、内戦が起きないという仮定で今年一年間の戦略シミュレーションを行った。イゼルローン回廊は二度にわたる帝国軍の攻勢によって突破され、エルゴンに至る星域はことごとく陥落。シャンプールに押し込められた辺境総軍が第一艦隊と第一一艦隊の来援を得て、帝国軍五個艦隊を迎え撃つところで全ターンが終了した」

「えっ!?」

 

 あまりにも衝撃的な結果に、呆然としてしまった。国防研究所のシミュレーションは、指揮官の能力を戦力係数の一要素として組み込んでいる。これまでの実績からすれば、ヤン大将の戦力係数は、「一個艦隊の司令官として最優秀」といったところだろう。昨年までの実績から想定されるイゼルローン方面軍の実力では、帝国軍に回廊を突破されてしまうと予測しているのだ。辺境総軍は精鋭だが、シャンプールに押し込められた段階で相当な戦力を失ったはずだ。数ターン続いていたら、シャンプールを突破した帝国軍がバーラト星系に向かっていたのは間違いない。

 

「敵国の内戦のおかげで執行猶予を与えられた死刑囚。それが今の我が国だ。内戦がどれだけ続くかはわからない。しかし、内戦が終わったら、どちらが勝っても帝国政府の指導力は著しく強化される。強い政府のもとで急速に戦力を回復した帝国は、いずれ大挙して我が国に攻め込むだろう。何年後になるかは分からないが、五年を越えることは無いと私は考えている」

「五年以内という根拠はなんでしょうか?」

「帝国の新指導者は、あまり長い時間を内政に費やすことができない。改革派が勝利して貴族特権を廃止すれば、一〇兆帝国マルクが得られる。しかし、それは一時金でしか無い。早期に我が国との戦争を終結させなければ、帝国財政の赤字構造は解決しない。一〇兆帝国マルクで財政危機を回避できる期間は五年が限度。改革派が積極財政政策を採用するか、貴族特権を保持する保守派が政権を取ったら、もう少し短くなる。だから、帝国は五年以内に必ず決戦を挑んでくる」

 

 経済的な理由を根拠にしたグリーンヒル大将の予測は、驚くほど前の歴史に沿っていた。内戦に勝利して政権を握ったラインハルト・フォン・ローエングラムは、七九九年に惑星ハイネセンを攻略。翌八〇〇年に再度ハイネセンを攻略して、同盟を完全に併合した。

 

 前の人生で読んだ歴史の本では、政権を獲得したラインハルトが基盤固めも終わらないうちに同盟に攻め入った理由を、ラインハルト個人の好戦性に求めた。しかし、財政問題に理由を求めるグリーンヒル大将の説明の方がすっきりしている。ラインハルトは貴族特権廃止で得た資金を軍拡や福祉政策につぎ込んだ。当然、財政上の猶予期間は短くなる。短期決戦を挑むのも当然の道理と言えた。

 

「なるほど。そう言えば、帝国の財政危機も我が国と負けず劣らず深刻でしたね。前財務尚書カストロプ公爵が亡くなる直前に、貴族財産課税に言及したほどですから」

「一度攻勢を凌げば、帝国は我が国に和平を申し込むか、財政破綻するかの二択を迫られる。だから、我が国は戦力再建を急がねばならない」

「それはおっしゃる通りです」

「そのためには、少しでも多くの戦力を確保する必要がある。だから、私はエル・ファシルで逃亡した者を擁護する。むろん、彼らは数的にも質的にも弱小な集団だ。今の我が国に必要なのは、どのような者であっても戦列に加えるという姿勢なのだ。今は派閥争いをしている時ではない。そして、断罪の名のもとに法を曲げて感情を満足させている時ではない。わだかまりを捨てて団結し、戦力を再建すべき時なのだ」

「団結は必要だと思いますが……」

 

 グリーンヒル大将の分析、そして問題意識はきわめて説得力に富むものだった。今の同盟軍では派閥争いが激しくて、帝国軍より他派閥を憎んでいるようにすら見える。同盟社会は断罪に熱中して、処罰感情を満たすことに熱中しているように見える。こんな状況で戦力を再建できるとは思えない。

 

 ひっかかる点があるとすれば、それはグリーンヒル大将自身にあった。彼の作戦指導によって、同盟は一五〇〇万を失った。彼が敗戦責任を逃れたせいで、市民は断罪を望むようになった。同盟を苦境に陥れた人物が、苦境を脱するための団結を呼びかけるということに、釈然としないものを感じてしまう。

 

「第一二艦隊にいた君には、戦犯の私がこのようなことを言っても、うさんくさく聞こえるのかもしれないな。そう思われても仕方のない面はある。言い訳と思うのなら、そう思ってくれても構わない。今さら格好を付けられる立場でないことぐらいは分かってる」

「そんなことは思いません」

 

 慌てて否定した。俺の持っている疑念をまったく否定せず、自分を良く見せようともしない。そんな態度に出られると、人間性を疑っている相手であっても、申し訳なくなってしまう。

 

「点と線の確保に最適化された我が軍には、面を制圧する能力は無い。イゼルローンからオーディンに至る点と線の確保という計画が、解放区民主化支援プランの追加によって、帝国領という面の制圧を目的とする計画にすり替えられた時点で、イオン・ファゼカス作戦の失敗は避けられなかった」

「なぜ反対なさらなかったのですか?」

「議会の決定は、最高評議会議長であっても覆せない。決定が下った以上、総司令部の仕事は目標達成に全力を尽くす以外にはない。ロボス元帥が最高評議会に直接作戦案を持ち込んだ経緯から、総司令部は政府に大きな借りを作っていた。強く意見できる立場ではなかった」

「そういうことでしたか」

 

 総司令部は目標が修正された時点で、帝国領遠征の失敗を予測していた。しかし、動き出した時点では、もう止めることができなかった。何ともやりきれない事実だ。本気で勝てると思っていてくれた方がまだ救いがあった。だが、グリーンヒル大将は総司令部の重鎮ではあっても、作戦案を持ち込んだロボス元帥の一派ではない。立場的には巻き込まれたようなもので、この点において非難できない。

 

「政府からは半日おきに前進と勝利を求める通信が入ってくる。前線からはひっきりなしに作戦継続の不利を訴える報告が入ってくる。勝利を得るのは難しく、即時撤退は絶対に政府が認めない。そんな中、我々は政府と前線の両方を満足させつつ、破局を回避する道を探った。早期に大きな戦果をあげて、作戦を終了させるという道だ。結局、何一つ達成できず、君達に犠牲を強いるだけに終わってしまった。本当に済まないと思う」

 

 グリーンヒル大将は、机に両手をついて頭を下げた。言葉から自己を正当化するような響きは全く感じられない。悔恨のみが伝わってくる。

 

「やめてください」

 

 情けなくなるぐらいに、声が上ずっていた。テレビでグリーンヒル大将の謝罪を見た時は、「頭を下げるぐらいで済むものか」と意地悪な感想を抱いたものだ。しかし、ずっと目上の相手に、目の前で頭を下げられると、とても悪いことをしたような気持ちになってしまう。本当に俺は小心者だ。

 

 何も言わずに頭を下げたままのグリーンヒル大将と俺の間に、気まずい時間が流れる。彼がゆっくりと顔を上げた時、安堵で胸がいっぱいになった。

 

「罪に服するという道もあった。しかし、それで自分の不手際で死なせてしまった者に対する責任を果たせるのだろうかと思った。死んだ者が生きていれば負うであろう責任、すなわち祖国防衛の責任を彼らの分も背負うことが本当の贖罪ではないか。そう考えて、私は軍に留まった。卑怯者の言い訳と思ってくれても構わない。第一二艦隊にいた君には、その資格がある」

 

 しっかりと俺の顔を見据えるグリーンヒル大将の目には、卑怯者とは程遠い覚悟が宿っていた。手の内を全部明かし、正面から向き合おうとする。そんなグリーンヒル大将の姿に、フェザーンで出会ったパウル・フォン・オーベルシュタインが重なって見えた。誠実で責任感が強いがゆえに、卑怯者の汚名も厭わないタイプだ。単なる卑怯者より、ずっと恐ろしい。

 

 身内同士のかばい合いを嫌悪するビュコック大将やヤン大将がグリーンヒル大将を擁護する理由もようやく理解できた。彼らは「戦いを口にするなら、血を流すべきだ」という血の論理を信じている。そして、死んで責任を取るという発想を嫌う。卑怯者の汚名を被ってでも戦い続けるというグリーンヒル大将の責任の取り方に、彼らは深い共感を覚えたのだろう。あるいは彼らがそれを勧めた可能性もある。

 

「私には軍を再建する責任がある。今は少しでも多くの戦力を集めなければならない時だ。エル・ファシルで逃げた者に機会を与えたい。そのための協力をお願いしたいのだ。エル・ファシルの英雄と言われた君が声をあげてくれたら、世論の流れも変わるかもしれない。引き受けてもらえるだろうか?」

 

 エル・ファシルの逃亡者に機会を与えたいというグリーンヒル大将の頼みは、前の人生で機会を奪われた俺には、とても誠意のこもったものに思えた。前の人生でこの言葉を聞いていたら、歓喜で涙を流したに違いない。

 

 しかし、それでもなお釈然としないものがあった。グリーンヒル大将が政府と前線の両方を納得できる道を誠心誠意探っていたとしても、第一二艦隊を犠牲にしたことには変わりはない。アンドリューに責任を押し付けて生き延びたことにも変わりはない。問い詰めたら誠意ある謝罪の言葉が返ってくるのは分かっていても、やはりグリーンヒル大将の処罰を求める気持ちは残る。心中で血涙を流しながら、必要な犠牲として切り捨てたのだとしても、切り捨てられた者に深い縁を持つ者としては、やはり容認できなかった。

 

 前の人生の経験から考えれば、グリーンヒル大将に協力すべきであった。しかし、今の人生で抱いた感情は、許せないと主張する。俺は信頼関係を大事にして生きてきた。それはつまり、一人一人との感情的な繋がりにこだわりを持つということでもある。帝国領遠征で死んでいった者に対するこだわりが、総司令部の首脳陣にいた者と協力することを許さない。グリーンヒル大将が能力も人格も傑出した存在なのは認めるが、それとこれとは話が別だ。感情の繋がりによって戦い抜いてきた俺には、ビュコック大将やヤン大将のような大局的な視点に立てなかった。

 

「おっしゃることはわかります。しかし、閣下には協力できません」

「理由を聞かせてもらえないか?法の公正な運用を重んじる君と、来るべき祖国防衛戦争に備えて戦力を集めようとする私。国益という点で一致できると思っていたが」

 

 口先で言った法の公正な運用など、方便に過ぎない。前の人生の自分と同じような境遇にある者を放っておけないという感情が根っこにある。別の感情が満足しない以上、グリーンヒル大将とは手を取り合えないのだ。

 

「自分は第一二艦隊の生存者、そしてアンドリュー・フォークの友人です。婚約者はアムリッツァで亡くなりました。自分の中では、あの戦いはまだ終わっていません。整理できるまで、時間をいただきたいのです」

 

 目を伏せて、割り切れない感情があることを遠回しに伝えた。強い言葉で感情を伝えたら、腰の低い態度に気勢を削がれてしまうだろう。理論的に批判しようとしても、ビュコック大将やヤン大将のような人物を納得させられるだけの正当性を主張できる人物相手には、分が悪すぎる。衝突を回避するのが最善だと判断した。

 

「そうか、わかった」

 

 グリーンヒル大将は、俺の言葉に納得したように深く頷いた。

 

「ホーランド少将も同じことを言っていた。時間が必要というのは、理解できる」

「あのホーランド少将ですか?」

 

 唐突にウィレム・ホーランド予備役少将の名前が出てきたことに驚いた。捕虜交換によって帰国した彼は、再起不能の重傷を負っていた。もはや軍に復帰できる見通しも立たず、予備役に編入されて療養生活中と伝えられる。旗艦を撃沈された際に一緒にいた者の生死について一切触れようとせず、精神的にも再起不能では無いかと噂されていた。そんな人物とグリーンヒル大将が接触しているというのは、穏やかではない。

 

「先日、見舞いに行ってきた。あのような結果になったとはいえ、彼の才能には惜しむべきものがある。再起のきっかけになったらと思って、協力を頼んだ」

「どうでしたか?」

「落ち込んでしまっていて、まったく会話にならなかった。何も考えられない状態だと言っていたよ。痛ましいことだ」

「そこまでひどい状態でしたか……」

 

 俺の恩師ともいうべき存在で現在は生死不明のイレーシュ・マーリア大佐を戦いに巻き込んだホーランド少将には、あまり良いイメージがなかった。だが、こうも心身に深い傷を負っていると聞くと、少しかわいそうになる。

 

「エル・ファシルの逃亡者、ホーランド少将、その他にも戦力として活用できる人材は数多い。彼らを再び戦列に呼び戻し、すべての力を結集させる、それが自分がなすべき最後の戦いだと考えている。もはや、時間は残されていない。だが、無理強いをするつもりもない。君の協力が得られる日を待っている」

 

 そう言うとグリーンヒル大将はすっと立ち上がった。一八〇センチを越える長身が彼の人物としてのスケールの大きさをそのまま象徴しているように感じる。才能を育てることに生涯を賭ける教育者。帝国の侵攻を五年以内と予測して、戦力を集めようとする戦略家。グリーンヒル大将の目線は、常に遠い未来を見ている。

 

 近日中に国家救済戦線派のクーデターが迫る中、グリーンヒル大将との出会いがどのような意味を持つのか。身長相応に低い俺の目線では、計り知ることができなかった。



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第百十一話:顔の見えない戦い 宇宙暦797年4月11日 首都防衛軍司令部~エスニック料理店

 四月一一日の午前、首都防衛司令部で将官会議を開いた。出席者は司令官代理の俺、参謀長代理のチュン准将、第一巡視艦隊司令官エルランデル少将、第二巡視艦隊司令官アラルコン少将、第一首都防衛軍団司令官ファルスキー少将、第二首都防衛軍団司令官シュナル少将、第三首都防衛軍団司令官ルエンロン少将、宇宙防衛管制隊司令官ベルガミン少将、軌道防衛隊司令官ミーニ少将、首都大気圏内空軍司令官キースリー少将、首都水上艦隊司令官フリスチェンコ少将の他、戦隊司令官や師団長など准将三〇人。将官だけでも第一二艦隊の倍近い大所帯だった。

 

「そろそろ、統合演習の時期ではありませんか?」

 

 飯でも食いに行こうと言わんばかりの気楽な口調でアラルコン少将は言った。

 

「まだ早くないかな?統合演習は毎年七月か八月頃じゃないか」

「そんなお役人のようなことを言ってはいけませんなあ。昨日は辺境総軍が反乱して、司令官のルフェーブル大将を拘束しました。地方の混乱がいつハイネセンに飛び火してくるか、わからない情勢ですぞ。まさに我ら首都防衛軍の真価が問われる時ではありませんか。いざという時にうまく動けなかったら末代までの恥晒し。一日でも早く演習をしなければ」

「今はその時期ではない。しばらくは部隊単位の能力向上に努めてもらいたい」

 

 俺は官僚的な論法を使って、アラルコン少将の意見を却下した。惑星シャンプールの辺境総軍で地上部隊が反乱を起こしたのは事実だった。極致に達した地方の混乱がハイネセンに飛び火することを懸念するのも常識の範囲内であろう。ただ、発言者のアラルコン少将に問題があるのだ。

 

 統合演習には、首都防衛軍の全部隊が出動する。その際に国家救済戦線派側の部隊がすべて蜂起すれば、ハイネセンを宇宙と地上の両方から制圧できる。これまで地方で反乱した部隊は、すべて演習を口実に出動して蜂起した。こんな時にアラルコン少将が統合演習の前倒しを口にすると、良からぬ企みをしているのではないかと疑ってしまう。

 

「しかし、実弾射撃訓練も許可していただけないではありませんか」

「国防委員会の経理部から、弾薬使用量を抑えてくれと言われててね。少し待って欲しい」

「それでは困ります。査閲部に『訓練日数が少ない。もっと増やせ』とせっつかれているのです」

「でも、予算がおりるのはまだ先なんだ。シミュレータで頑張ってもらえないか」

 

 今度は予算を理由に却下。アラルコン少将率いる第二巡視艦隊の実弾射撃訓練日数は、平均より多い。部隊単位の射撃能力も後方警備部隊としては、最高水準にある。査閲部にうるさく指導されるような部隊ではない。

 

 実弾射撃訓練をする際には、訓練実施の数日前に弾薬が部隊に支給される。訓練を口実に入手した弾薬を使ってクーデターを起こそうとしているのではないか。そんな疑いを抱いてしまう。国家救済戦線派部隊からの弾薬、食料、燃料などの支給を伴う要請は、すべて却下するようにドーソン大将から厳命されていた。

 

「金がないとあらば仕方ありませんが、実地で運用せねば勘が鈍ります。早めにお願いしますぞ」

「すまない。なるべく早く予算がおりるよう努力する」

 

 どんどん嘘をつくのがうまくなるなと自嘲した。出世するにつれて、どんどんやることが不純になっていく。

 

 不満の色を浮かべながらアラルコン少将が着席すると、入れ替わるようにファルスキー少将が発言を求めた。アラルコン少将と並ぶ国家救済戦線派の巨頭は何を言うつもりなのだろうか。緊張で鼓動が早くなる。

 

「星道二六号線の復旧はまだですかな?」

「それは俺じゃなくて、首都政庁の管轄だよ」

「あの程度の工事が三日過ぎても終わらないというのは、手際が悪すぎませんか?我が軍団の工兵隊を動かせば、一日でかたが付きます」

「首都政庁も予算が無いみたいだから」

「それは存じております。ですから、何度も協力を申し入れました。しかし、『できない』の一点張りです。司令官代理からも一言お口添えいただけませんか?二六号線が復旧しなければ、非常事態が起きても、ハイネセン市内への迅速な展開が難しくなります」

「それはまずいね。俺の方からも申し入れておくよ」

 

 また嘘をついてしまった。星道二六号線が万全な状態であれば、第一首都防衛軍団が使用している戦闘車両や輸送車両は、一時間以内にハイネセン中心部まで到達してしまう。クーデターを阻止するためには、星道二六号線が壊れたままでいてもらわなくてはならない。

 

 ガス管爆発事故を装って星道二六号線を使用不能にしたのは、情報部の破壊工作員だった。そして、復旧を遅らせるよう首都政庁に圧力をかけているのも情報部。国家救済戦線派に与する第一首都防衛軍団の展開を妨害するために、星道二六号線を使えなくした。

 

「ここ一週間、首都防衛軍では輸送関係や通信関係のトラブルが相次いでいます。こうも機動力が低下しては、非常事態に対処するのは困難です。安全対策の徹底をお願いしたい」

 

 強い懸念を示したのは、ハイネセンの対宇宙防衛網を統括するベルガミン少将だった。

 

「大気圏内空軍は三割が行動不能状態。既に通常の防空任務にも支障が出ております。これ以上事故が発生すれば、首都の防空体制は破綻するでしょう」

 

 大気圏内空軍を率いるキースリー少将の顔には、疲労の色が浮かんでいる。戦力運用に苦労しているのだろう。

 

 情報部は星道二六号線以外にも、国家救済戦線派部隊に対する様々な妨害工作を展開している。主要な将校が国家救済戦線派に味方しても、輸送や通信が機能しなければ、動きを止めることはできる。事情を知らないベルガミン少将やキースリー少将には申し訳ないと思う。しかし、彼らの配下にいる国家救済戦線派部隊を止めるには、他に方法がないのだ。

 

「今日で安全指導員によるチェックが終了する。問題点を洗い出せば、適切な対策もできる。国防特別会計補正予算が成立したら、予算面でも対応できるはずだ。それまで君達には苦労をかける。本当に申し訳ない」

 

 できるだけ申し訳無さそうな表情を作って謝った。首都防衛軍司令官代理になってから、演技ばっかりうまくなったような気がする。ヴァンフリート四=二基地にいた時もそうだったが、味方を欺くというのは精神的にきつい。

 

「安全指導員というのは結構なアイディアです。トラブルが起きれば、犠牲になるのは将兵ですからな。安全にはいくら気を遣っても、遣い過ぎということはありません」

 

 アラルコン少将の言葉に、ファルスキー少将が頷く。自分達の企みが露見していないとでも思っているのだろうか。警戒心が乏しいにもほどがある。

 

 安全指導員とは、トラブル多発を理由に俺が送り込んだ監視役だった。安全指導の名目で各部隊の輸送、通信、整備などを掌る部署に浸透し、いざという時はサボタージュをする。これは情報部ではなく、ヴァンフリート四=二基地での経験を踏まえて発展させた俺のアイディアだった。

 

 現場の反感を買わないように、情報部や憲兵隊出身者ではなく、正規艦隊や後方支援集団で経験を積んだ技術のプロを選んだ。彼らには本当の任務を教えずに、「安全指導に必要」と言って、部隊の動向を探らせている。何事もなかったとしても、彼らの高い能力は部隊の能力向上に益するはずだ。

 

「指導員といえば、陸戦指導員の部隊派遣はいつになるのですか?」

「まだ人数が揃わないんだよ。今は訓練計画に関わる助言だけで我慢して欲しい」

「それは残念です。特殊部隊の指導を受けられると、兵が楽しみにしておりますので」

 

 心底から残念そうな表情を見せる第一〇三歩兵師団長ハッザージ准将。彼もまた国家救済戦線派の幹部である。陸戦指導員の本当の任務が分かったら、どんな表情になるのだろうか。

 

 俺は地上軍最精鋭の第八強襲空挺連隊から、二個小隊七七人の隊員を陸戦指導員の名目で呼び寄せた。彼らの本当の任務は地上部隊及び陸戦隊を有する艦艇部隊の監視、そして俺の警護である。驚くべきことに首都防衛軍の国家救済戦線派は、陸戦指導員派遣に何の反対もしなかった。司令部に陸戦指導員を入れて、俺の要求通り訓練計画立案に携わらせている。

 

 今のところ、情報戦では俺が国家救済戦線派をリードしているように見える。しかし、アラルコン少将もファルスキー少将も並の人間ではない。俺の狙いを見抜いた上で乗ったふりをしている可能性もある。まだまだ油断はできなかった。

 

 

 

 午後は第四会議室で司令部首脳会議を開いた。出席者は参謀長チュン准将、副参謀長ニコルスキー大佐、作戦部長ニールセン中佐、情報部長ベッカー大佐、人事部長ファドリン中佐、後方部長パレ中佐、経理部長ボルデ大佐、通信部長マー技術大佐、法務部長バルラガン中佐、憲兵隊長コントゥラ中佐、副官ハラボフ大尉の一一名。

 

 新たに会議に加わったボルデ大佐は資金面からの国家救済戦線派監視、コントゥラ中佐は憲兵による監視活動、マー技術大佐は対クーデター計画の要となる通信手段確保、バルラガン中佐は対クーデター計画に合法性を与えるための法的アドバイザーとして、国家救済戦線派対策に携わる。

 

「これまでの報告をまとめると、国家救済戦線派の怪しげな動きは一切見られないということになります」

 

 チュン准将は各部門の報告を総括した。

 

「うーん、見落としてるってことはないのかな?」

 

 俺は出席者の顔を見回す。情報部には諜報活動、憲兵隊には監視活動による情報収集を任せた。人事部には人員配置、後方部には物資の流れ、経理部には金の流れといった事務の側面から、国家救済戦線派部隊の動きをチェックさせた。しかし、怪しい点が何一つ見当たらなかったのだ。

 

「これだけのチェックを潜り抜けて悪企みできる相手であれば、正直言って我々の手には負いかねますな」

 

 情報部長ベッカー大佐は、肩をすくめて両手を広げ、お手上げのジェスチャーをする。

 

「部隊の動きを書類から消すのは困難です。もしかしたら、敵は首都防衛軍の兵力を使う気がないのかもしれないですね」

 

 難しい顔でファイルをめくりながら、副参謀長ニコルスキー大佐は言う。

 

「でも、アラルコン少将の第二巡視艦隊とファルスキー少将の第一首都防衛軍団が動かなければ、敵は主力部隊抜きで首都制圧に乗り出すことになる。彼らもプロの軍人だ。それぐらいはわかってると思うけどな」

「国家救済戦線派が敵ではないという可能性はありませんか?」

「まさか」

 

 参謀長チュン准将の突拍子もない指摘を、俺は即座に否定した。

 

「ですが、彼らが完璧な機密保持能力と演技力を併せ持っていると考えるよりは、すっきりしませんか?」

「だけど、他にクーデターを起こしそうな勢力はいるかな?国家救済戦線派の次に強い動機を持っているのは旧ロボス派だけど、彼らはハイネセンにいる部隊を掌握していない。外にいる旧ロボス派最大戦力の辺境総軍は、反乱軍に乗っ取られた。旧シトレ派は動機も戦力も持っているけど、テロやクーデターは彼らの流儀に合わない。最高指導者のクブルスリー大将が殺されかけてるしね。トリューニヒト派には動機がない。他の中小派閥は戦力がない。クブルスリー大将襲撃当日の怪しげな動きから見ても、国家救済戦線派以外には考えられないんじゃないか?」

「大将級の者なら、派閥の助力を得ずとも事を起こすだけの力は持っています。そして、彼らの過半数は現体制に良い感情を持っていません」

「うーん……」

 

 言われてみると、チュン准将の意見にも一理ある。国家救済戦線派の幹部は、実戦部隊の少将や准将。兵力は持っているが、政治力では軍中枢の大将に遠く及ばない。そして、部隊を持っていない大将でも、軍高官として築いた人脈を生かせば、大兵力を動かせる。前の歴史では、旧シトレ派の重鎮グリーンヒル大将がクーデターの首謀者となった。クーデターを起こすには、大将の方が有利だ。そして、動機もある。旧シトレ派の大将は、トリューニヒトに対する嫌悪感を隠そうとしない。旧ロボス派の大将は、ルフェーブル大将を除く全員が失脚寸前だった。

 

「大将と言えば……、ああ、これ言っちゃっていいんですかね?」

 

 コントゥラ中佐が周囲をきょろきょろ見回しながら、妙に歯切れ悪く問うた。そんな態度をされると、聞かずにいられなくなってしまう。

 

「憲兵隊長、ここにいるメンバーの間では隠し事は無しにしよう」

「司令官代理閣下を尾行していた者の身元が分かったんですが……」

「ああ、調査を頼んでおいた件だね。言ってくれ」

 

 ここ数日、妙な視線を感じた俺は、「歩く速度を頻繁に変える」「わざと不自然な行動をする」「近くを歩く人物の靴に目を配る」といった憲兵隊仕込みの尾行確認法を使い、どうやら自分を尾行している者がいるらしいことに気づいた。そこで第三巡視艦隊憲兵隊に命じて、尾行者の身元を探らせたのだ。

 

「尾行をしていたのは、宇宙艦隊総司令部情報部防諜課所属のポリーヌ・サミュエル中佐とハーラルト・キスケ大尉。二人とも昨年まで第五艦隊司令部情報部に所属していました」

 

 出席者が一斉に色めき立った。コントゥラ中佐の報告は、前第五艦隊司令官、現宇宙艦隊司令長官のアレクサンドル・ビュコック大将が俺を尾行させたと示唆していたのだ。

 

「どうして、ビュコック大将が司令官代理に尾行を付けるのだ?」

「陰謀などに手を染めるお人ではないと思っていたが」

「何かの間違いに決まっている」

 

 あのビュコック大将が俺を尾行させるなど、にわかには信じがたかった。そこでコントゥラ中佐に確認をする。

 

「間違いはないのか?」

「写真を持参いたしました。ご確認ください」

 

 コントゥラ中佐が差し出した数枚の写真には、俺を尾行する人物が映っていた。宇宙艦隊司令部で撮影されたサミュエル中佐やキスケ大尉の写真と、俺を尾行した人物を比較すると、かなり似ている。

 

「確かにこの二人には見覚えがある。だけど、尾行者がサミュエル中佐やキスケ大尉と同一人物なのか、これではわからないな」

「私が確認しましょう。サミュエル中佐とは、第四艦隊で一緒に仕事したことがありますから」

「頼む」

 

 俺は確認を申し出てきたチュン准将に写真を手渡した。彼は何度も写真を見比べた。事が事なので慎重である。

 

「サミュエル中佐で間違いありません」

「参謀長が万に一つも見間違うことは無い。でも、どうしてビュコック大将が俺を尾行させるんだろう?」

「別の者の指示で動いていることも考えられます。即断は避けられた方がよろしいかと」

「ああ、言われてみればそうだ。宇宙艦隊の総参謀長、あるいは情報部長の指示で動いてる可能性だってあるね」

「総参謀長モンシャルマン中将、情報部長ラウントリー准将がビュコック提督に無断で部下を動かすような人とは思えませんが、もう少し調べるべきでしょう」

 

 チュン准将ののんびりした口調には、人を冷静にさせる作用があるらしい。宇宙艦隊司令長官が首都防衛司令官代理に尾行を付けたのではないかという疑惑で動揺した出席者は、落ち着きを取り戻した。しかし、宇宙艦隊総参謀長や総司令部情報部長が独断で尾行を命じたとしても、重大事態に変わりはない。

 

「ここでああだこうだ言っても始まらない。国防委員会情報部に頼んで、裏を取ってもらう。時間もないことだし、次の話題に移ろう。『クレープ計画』、『タルト計画』、『エクレア計画』の進行状況について報告して欲しい」

 

 場を強引に収めた俺は、チュン准将に対クーデター作戦の進行状況に関する報告を求めた。

 

「既に『クレープ計画』、『タルト計画』、『エクレア計画』ともに原案は完成しました。現在は検討を重ねているところです」

「決定案ができあがる見通しは?」

「あと一週間ほどいただけたら」

「わかった。ただ、現在はいつ変事が生じるかわからない状態だ。明日、計画を使う可能性だってある。念のために原案をコンピュータに入れておいてもらいたい。キーワードを入力したら、全部隊に共有できるようにしよう」

「了解しました。誰に任せましょうか?」

「コレット少佐がいいね。彼女はこの種の仕事が早い」

「最良の人選だと思います」

 

 チュン准将は俺の人選に同意を示した。怪文書事件でコレット少佐の評価は大きく傷ついた。彼女は何も悪くないのだが、怪文書に便乗してあること無いこと言いふらす者がいた。士官学校時代に撮られたと思われる虐待写真まで流出した。仕事を与えて信頼が揺らいでいないことを示さなければならない。

 

 犯人はあっさり見つかった。首都防衛軍の第一二三戦隊司令部に所属する二三歳の中尉。勤務態度良好で性格も温和。士官学校では、コレット少佐と同期だった。そんな人物が戦略研究科を出たにも関わらずエリートコースに乗れない自分と、逃亡者の娘と白眼視されて成績も最低に近かったのに異例の昇進を遂げたコレット少佐を比べて腹が立ち、怪文書を作ってしまったのだそうだ。地味な経歴の若手を重用すれば反感を招くというヴァルケ准将の忠告が早くも的中したことになる。

 

 後味が悪いばかりの事件のことを頭から追い払った。そして、作戦部長ニールセン中佐に声をかける。

 

「ところでニールセン中佐、司令部機能移転はどこまで進んだ?」

「現在、B1、B2、B3は完了しました。B4も明朝までには完了します」

「良くやってくれた。作戦部の頑張りには、本当に頭が下がる」

 

 三つの対クーデター計画のうち、「クレープ計画」は首都防衛司令部が反乱軍の攻撃で陥落するという仮定のもとに立てていた。俺はニールセン中佐と作戦部に用意させた四つの秘密司令部のうちの一つから反撃を指揮する。仮に俺が秘密司令部に着く前に捕虜になったら、チュン准将が指揮することになっていた。

 

「対クーデター計画の共有キーワード、首都防衛司令部および四つの秘密司令部の司令部機能作動及び停止キーワードは、俺と参謀長が手分けして入力する」

 

 対クーデター作戦は情報戦である。素早く動いてクーデター側に付いていない勢力を一つでも多く味方に引き入れなければならない。キーワードを俺とチュン准将が独占することで情報漏洩を避け、敵に先手を打たれないようにした。

 

「身辺警護計画はどういたしますか?」

「俺と責任者が直接相談して決めるつもりだ。情報漏れを少なくしたいからね」

「承知しました」

 

 俺の身辺警護は、陸戦指導員の名目で呼び寄せた第八強襲空挺連隊の隊員に任せることに決めていた。パリー少将が付けてくれた空挺の猛者一六人は、忠誠の対象が俺ではないという点で不安な存在だった。できることなら、身辺警護は自分で呼び寄せた者に任せたかった。もちろん、パリー少将が付けてくれた者を追い返すことはしないが。

 

 クーデターと戦う準備は、着々と整っている。事前に鎮圧できるに越したことは無かったが、相手はこの段階まで俺達を出し抜いてきた。クーデターを起こされてしまう可能性は決して低くはない。最悪の場合も想定すべきであった。

 

 

 

 深夜には、無国籍エスニック料理店を偽装した情報部の秘密拠点で開かれた国家救済戦線派対策会議に出席した。最初に話題になったのは、昨日発生した惑星シャンプールの反乱だった。

 

「反乱軍は例によって対帝国挙国一致体制、腐敗一掃、トリューニヒト議長の辞任などを要求しているそうだな」

「民主的に選ばれた指導者を武力によって辞任させようなどとは片腹痛い。そんなに軍事独裁がお望みなら、帝国に亡命すれば良いではないか。反乱を起こすよりずっと簡単だろうに」

「国防充実と財政再建を同時に訴えているが、まったく不可解なことだ。どこから予算を持ってくるつもりでいるのか」

「汚職や利権とは無縁だと、アピールしたいのではないか。財政再建と腐敗批判を主張すれば、どんな者でもクリーンに見える。予算交渉の苦労を知らない者が考えそうな人気取りだ」

 

 冷笑混じりの批判に、賛同の声があがる。こんな情勢でも他人の悪口を言うと元気になる辺り、いかにも凡人集団のトリューニヒト派らしかった。

 

「彼らは政治を知らんかもしれないが、それは現在の情勢とはあまり関係がないことだ。辺境総軍は旧第三艦隊を中核とする精鋭中の精鋭。それが過激派の手中にあるという事実こそ重んじるべきではないか」

 

 第一一艦隊司令官ルグランジュ中将が引き締めにかかった。彼は出席者の中で唯一の非トリューニヒト派。凡人集団と毛色の異なる存在が議論に重みを与える。

 

「艦隊はあまり意識しなくても良いでしょう。反乱軍の指導的メンバーは、ほとんど地上部隊もしくは警備部隊所属の高級軍人。艦隊を指揮できるのは、第二〇戦隊司令官のヤーヒム・プラーシル准将ただ一人。一万隻を越える艦隊を率いるには、准将では重みが足りない。まして、幹部をことごとく捕えた直後では、将兵の動揺も激しい。無理に動かそうとすれば、反乱軍に敵対する可能性もあります」

 

 答えたのは第五空挺軍団司令官パリー少将。トリューニヒト派らしからぬ非凡な人物だ。ルグランジュ中将とともに会議の引き締め役を担うことが多い。

 

「ふむ、そんなものか」

「奴らとしては、辺境総軍を無力化できれば満足といったところでしょう。あとはイゼルローン方面軍を無力化すれば、介入能力を持つ外の部隊はいなくなります」

「シャンプールを保持すれば、イゼルローン方面軍の介入も阻止できるな。私が反乱軍の指揮官ならば、警備部隊を動かして、出張ってきた艦隊とイゼルローン要塞の間の補給線を攻撃する」

「敵がルグランジュ提督と同じ戦略を採用すれば、シャンプールを占拠するだけで、外部からの介入を阻止できるわけですな」

「私が考えつく程度のことは、誰だって考えつくだろう。辺境総軍とイゼルローン方面軍は無力化された。周辺の方面軍は活性化した海賊への対応で手一杯。反乱鎮圧に向かう余裕はない。反乱軍が航路を遮断したことによって、ハイネセンと国土の八割が切り離された。我々が孤立したハイネセン、そして国家の最後の防衛線となる」

 

 最後の一言はパリー少将のみならず、出席者全員に向けられていた。動揺してはいけない。そして、浮ついてもいけない。俺達の後には誰もいない。そんな当たり前のことをルグランジュ中将は再確認させてくれた。

 

「では、ブロンズ中将。報告を頼む」

 

 完全に空気が引き締まったところで、議長役のドーソン大将は情報部長ブロンズ中将に報告を求めた。

 

「では、辺境の反乱に関する調査報告から始めましょう。反乱首謀者のハーベイ准将、バッティスタ大佐、ヴァドラ准将の三名と国家救済戦線派の繋がりが確認されました。国家救済戦線派の会合への出席が数度確認されています」

 

 反乱軍と国家救済戦線派の関係を示すブロンズ中将の報告は、予想の範囲内だった。しかし、昼の会議でチュン准将に言われたことが引っかかる。俺はすっと手を伸ばした。

 

「質問よろしいですか?」

「なんだね?」

「国家救済戦線派の会合は、かなり敷居の低い集まりです。出席するだけなら、誰だって出席できます。興味本位でちょっと顔を出しただけの出席者も少なくありません。会合に出席したというだけでは、繋がりの有無を判断するには弱いのではないでしょうか?たとえば、ハーベイ准将は昨年まで小官の部下でした。当時の人事資料では、思想的な危険性は一切認められておらず、服従心、忠誠心ともにAランクとされていました。そのような人物が数か月で過激派の完全な同志になりきってしまうとは、どうも想像しづらいのです」

 

 俺の質問にブロンズ中将は、ほんの少しだけ考えこむような顔をした。俺が投げた小石に、どんな反応が返ってくるのだろうか。

 

「では、フィリップス少将は、反乱軍と国家救済戦線派が無関係ではないかと言うのかな?」

「無関係とは思いません。ただ、活動実績、あるいは主要な指導者との関係を確認できなければ、両者の繋がりを断定するのは困難ではないでしょうか」

「それはもっともである。だが、国家救済戦線派は昨年末から急速に台頭してきた集団。メンバーの大半はここ数か月で過激化した。以前から過激思想に触れていた者は、幹部クラスでもごくわずか。そして、メンバーの流動性も高い。情報部や憲兵隊でも十分に把握できていないのだ。詳細については、今後の調査結果を待ってもらいたい」

「軍の有力者との関係を調査する予定はあるのでしょうか?」

「既に調査している。宇宙艦隊司令長官ビュコック大将、後方勤務本部長ランナーベック大将、地上軍総監ペイン大将、査閲部長グリーンヒル大将、戦略部長シャフラン大将との関係が浮上した。特別に親しいというわけではないが、どのような糸も軽視すべきではなかろう」

 

 俺が注意を促さなくても、ブロンズ中将はチュン准将が指摘した大将級高官をちゃんと調べているようだった。

 

「ビュコック大将といえば、何やら胡散臭い動きをしているようだな。何か掴めたか?」

 

 議長役のドーソン大将の口から、俺を尾行させた疑いのある人物の名前が出たことに少し冷やっとした。

 

「宇宙艦隊総司令部の情報部員を中心とするメンバーで極秘の調査チームを組んで、トリューニヒト派に探りを入れているようです。ここにいる者の中では、パリー少将、フィリップス少将、サイクス少将などに尾行が付いています」

 

 ブロンズ中将の報告は、あの尾行がビュコック大将の差し金だったことを伝えていた。あの老提督に目を付けられたというのは、ショックだった。心当たりがないでもないが、さすがに孤立した第一二艦隊を助けてくれた人があの程度の件で俺を憎むとは、考えたくもない。

 

「あの老人め!本部長代理の件といい、艦隊の件といい、ことごとく我らの邪魔ばかりする!過激派に通じているのではないか!?」

 

 ドーソン大将は忌々しげに吐き捨てた。本部長代理はわかるが、艦隊の件とは何だろうか?気になって質問をした。

 

「艦隊の件とは?」

「こともあろうに、反乱鎮圧に第一一艦隊を動員しろと言ってきたのだ!過激派鎮圧の主力部隊がハイネセンからいなくなるではないか!」

 

 ビュコック大将は反乱鎮圧に正規艦隊を動員する方針だった。二年近く戦っていない第一一艦隊動員は、常識の範囲内であろう。それに第一一艦隊をクーデターの鎮圧に使うという話は、ビュコック大将は知らないはずだ。クーデター容疑者の一人に話せないのは当然ではある。しかし、今のドーソン大将は頭に血がのぼっていて、そんな指摘を受け付ける雰囲気ではない。たとえ冷静であっても、耳に痛いことを言わないという理由で信頼を得た俺には指摘できないが。

 

「我々の邪魔をしているとは限りませんぞ」

 

 トリューニヒト派では「忠臣」、他派からは「忠犬」と呼ばれる第七歩兵軍団司令官フェーブロム少将が、怒り狂うドーソン大将に突っ込みを入れた。

 

「では、何のつもりだ!?」

「小官の思うに、ビュコック提督は我が派のスキャンダルを探り出そうとしているのではないでしょうか?声望ある者を狙い撃ちして、我が派に打撃を与えるつもりでしょう」

「そういうことか!こんな非常時に我が派の足を引っ張ろうとは、老害め!」

 

 やはり、忠犬は忠犬だった。ドーソン大将の怒りは、フェーブロム少将が注いだ油でますます燃え上がる。

 

「先日、情報隠蔽をフィリップス少将に暴かれて失脚したチャイルズ少将は、ビュコック提督のもとで作戦部長を務めたこともある人物。フィリップス少将に対する意趣返しなのは、間違いありません」

「遺恨を優先するとは、なんと器量の小さいことか!だから、武勲だけの者を出世させてはいかんのだ!」

 

 フェーブロム少将は、ますますドーソン大将の怒りを煽り立てる。あのビュコック大将がチャイルズ少将の件で報復に出るなんて俺には信じられないが、ドーソン大将の中では既成事実化したようだった。こうなると、もう誰にも止められない。

 

 ドーソン大将とフェーブロム少将が無能で無責任だったら、まだ救いがある。しかし、困ったことに二人とも抜群に優秀な軍人だった。責任感も強い。旧シトレ派と国家救済戦線派を一刻も早く排除しなければ、同盟軍は市民の信頼を失って存続できなくなると本気で信じている。優秀な人物が真剣に考えた結果、帝国軍より味方を憎むようになっているから救い難いのだ。グリーンヒル大将が危機感を持つのも理解できる。

 

「国家救済戦線派の動静ですが、ますます不穏の度合いを増しております」

 

 ブロンズ中将が何事もなかったかのように報告を再開すると、ドーソン大将の怒りは急に収まった。何をするためにここにいるのか、ようやく思い出したらしい。

 

「最近になって、どの部隊でも会合の回数が急増しています。今年に入ってから加わった者の過激化が激しく、年長者も抑えきれていない様子です。こちらをご覧ください」

 

 ブロンズ中将がリモコンのスイッチを入れると、スクリーンには隠し撮りされたと思しき国家救済戦線派の会合が映し出されていた。「クーデターを起こせ!」「腐敗政党を打倒するのだ!」と物騒な叫び声が飛び交う。慎重な発言をする者は怒鳴りつけられて、出席者の発言は過激さを競い合っていた。

 

「こちらは国家救済戦線派の者が指揮官を務める大隊です」

 

 画面が切り替わり、地上部隊の訓練風景が映し出された。最高評議会や同盟議会の建物の写真を標的に貼り付けて、実弾射撃訓練を行っている。そして、全弾撃ち終えた後に隊員全員で万歳を唱えた。過激派にふさわしい暴力的な光景だ。

 

 それからもブロンズ中将は、国家救済戦線派の隠し撮り画像をスクリーンに写し出していった。熱狂、興奮が渦巻き、まさに暴発寸前といった趣があった。クーデターをやらなければ、上層部がリンチにかけられるのではないかとすら思える。首都防衛軍でこのような光景が報告されていないのは幸いだった。アラルコン少将ですら、穏健派なのかもしれない。

 

「なんと野蛮な。軍規も何も無い。まるで暴徒だ」

「こんな奴らが野放しとは。憲兵は何をしているのだ」

「ルドルフの国家革新同盟青年隊よりひどいんじゃないか」

 

 出席者の声には、反感と恐怖が半分ずつ含まれていた。

 

「ここにいる者は民主主義の最後の盾となる。そのつもりで過激派の陰謀と戦ってもらいたい」

 

 ドーソン大将がいつになく真剣な表情で締めくくり、会議は終了した。日付は変わって四月一二日。刻一刻と戦いの時は迫っているように感じられた。



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第百十二話:民主政治防衛計画 宇宙暦797年4月12日 首都防衛軍司令部~国防委員会~首都防衛軍司令部~官舎

 四月一二日午前八時二〇分、首都防衛軍司令部で副官のハラボフ大尉から今日のスケジュール説明を受けている最中に、ドーソン大将からの緊急連絡を知らせる特別な呼び出し音が鳴った。この音が鳴った時は、誰であろうと部屋の外から退出する決まりになっている。ハラボフ大尉が退出して一人になった俺は、通信端末のスイッチを押した。

 

「フィリップス少将、芋ゆで会の日取りがわかった」

 

 ドーソン大将は暗号を用いて、情報部がクーデターについての決定的な情報を掴んだことを伝えた。

 

「いつでしょうか?」

「明日だ」

「明日ですか!?」

 

 そう遠くないうちに始まると思っていた。今すぐ始まってもいいように準備を整えた。だが、日取りがわかると、やはりびっくりしてしまう。物質的な準備はできていても、心理的な準備ができていなかったことに気づいた。

 

「そうだ、こちらも早くコロッケを作らねばならん」

 

 緊急会議の開催を伝えるドーソン大将の声は震え気味だった。明らかに狼狽している。俺がしっかりしなければ、戦いにならない。冷静になるよう、自分に言い聞かせた。

 

「わかりました。具はどういたしましょう?」

「牛と豚の合挽肉を用意してもらいたい。ちょうどピカリングマートの特売日だ」

「急ぎ用意いたします」

 

 緊急会議の場所は国防委員会庁舎六階の第二会議室。国防委員会の事務総局に話を通し、すべてのスケジュールをキャンセルして会議に出席しても、決して怪しまれない口実まで用意してくれたそうだ。統合作戦本部長代行に就任してからは悪い面が目立つドーソン大将だったが、こういった手回しの良さはさすがだった。

 

「パン粉の心配はいらない」

「ご配慮いただき感謝いたします」

 

 国防委員会から迎えのヘリを寄越してくれるという。対策会議に出席こそしていないが、もともとクーデターの話を俺に持ち込んできたのは、国防委員長ネグロポンティだった。緊急会議開催にあたっても、最大限の便宜をはかってくれる。政治家を味方に付けたら、本当に心強い。

 

 通信を切った後、部屋の前で待機していたハラボフ大尉を呼び寄せて指示を出した。

 

「国防委員会の事務総局から、緊急の呼び出しを受けた。今からキプリング街に向かう。予定は全てキャンセルしてくれ」

「了解しました」

 

 指示を受けたハラボフ大尉は、一秒たりとも無駄にしたくないと言わんばかりの早足で部屋を出て行く。ドーソン大将、ネグロポンティ、そしてハラボフ大尉はみんな自分の仕事をしようと努力している。俺も自分の仕事に全力を尽くすべきだった。

 

 

 

 首都防衛司令部と統合作戦本部の間は車で移動すれば三〇分ほど、地下鉄で移動すれば五〇分ほどかかる距離にある。最近は交通管制システムのトラブルが多いため、倍近くかかることもあり得る。しかし、ヘリを使えば一〇分もかからない。急ぎの用がある時はヘリに限る。

 

 統合作戦本部屋上のヘリポートに到着すると、ドーソン大将から言われたとおりの口実を使って受付を通過し、第二会議室へと向かう。何の因果か、三日前に誘いを断った査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将とエレベーターで乗り合わせてしまって、少し気まずかった。

 

 九階でグリーンヒル大将が降りると、入れ替わるように壮年の男性士官が乗り込んできた。その人物が国防研究所上席研究官ティム・エベンス大佐であることを理解した時、ますます気分が落ち込んだ。

 

 一一年前に廃止された士官学校戦史研究科出身のエベンス大佐は、主に教育研究畑でキャリアを積んできた学者軍人だった。戦略家としても一流と言われ、統合作戦本部や宇宙艦隊総司令部でも活躍。アムリッツァ会戦では第八艦隊所属の戦隊を率いて武勲を立て、机上の理論家に留まらないところを見せた。会戦終了後に遠征軍総司令部作戦主任参謀のステファン・コーネフ中将を公衆の面前で殴打するという事件を起こし、准将から大佐に降格されたと聞いて、学者らしからぬ意外な一面に驚いたものだ。

 

 政治的にも問題は無い。リベラルかつ合理主義的な教育を志向するウィンターズ主義派に属し、全体主義的かつ精神主義的教育を志向するグリニー主義派の教育者が多い国家救済戦線派とは、激しい対立関係にある。

 

 何の問題もないはずのエベンス大佐を見て気分が落ち込んだのは、彼が前の歴史でグリーンヒル大将の参謀格としてクーデターを起こした人物であるという記憶を呼び起こされたせいだった。しかし、今の歴史ではそのような素振りは見られない。

 

 俺の読んだ戦記では、エベンス大佐についてはさしたる記述もなく、単に軍国主義者とだけ記されていたが、現時点では自由主義者に近いように思える。士官学校校長時代のシドニー・シトレ元帥がウィンターズ主義的教育を推進したこともあって、同盟軍で最も自由主義的な旧シトレ派と、教育研究部門のウィンターズ主義派は、友好関係にあるのだ。

 

 不吉な記憶を頭から振り払い、エレベーターを降りる。第二会議室はすぐに見つかった。ネグロポンティとドーソン大将が隠れ蓑になる会議をでっちあげてくれたおかげで、人目を気にせずに堂々と中に入っていった。

 

 会議に参加したのは、一四名であった。軍人は統合作戦本部長代理ドーソン大将、第一一艦隊司令官ルグランジュ中将、情報部長ブロンズ中将、第七歩兵軍団長フェーブロム少将、第五空挺軍団司令官パリー少将ら一一名。文民は最高評議会議長秘書官オーサ・ヴェスティン、国防委員長補佐官オネスト・カッパー、国家保安局警備部長エルキュール・コラール警視監の三名。

 

 最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの代理人ヴェスティン、国防委員長ネグロポンティの代理人カッパー、警察官僚の代表コラールの出席は、事態が軍部単独で対処できる範囲を越えていることを示していた。

 

 情報部が入手した大量の証拠文書のコピーに目を通し、隠し撮り画像や盗聴記録を試聴した出席者の顔からは、どんどん血の気が失われていった。

 

「まさか、これほどの計画が水面下で進行していたとは」

「六月事件、いや建軍記念日事件を凌ぐ規模ですな」

「民主政治の危機ですぞ、これは」

 

 出席者が驚くのも無理はない。国家救済戦線派のクーデター計画は、実に良く練り上げられていた。軍事政権樹立寸前までこぎつけて、「民主主義が危篤状態に陥った一二時間」と言われた九〇年前の「建軍記念日事件」ですら、俺達が立ち向かおうとしている敵には及ばないように思える。

 

 一三日正午を期して、ハイネセンポリス中心部で極右組織のデモ隊が暴動を起こし、騒乱状態を作り出す。同時刻に暴徒を装った愛国青年団行動部隊が首都政庁に乱入し、ハイネセンポリス市長と第一副市長を拘束する。市長権限を継承したクレマン・ギーユ第二副市長は、非常事態宣言を発令して軍の緊急治安出動を要請。ここまでが第一段階となる。

 

 地上軍一三個師団は暴徒鎮圧を名目にハイネセンの中心部まで進軍して、素早く政治経済の中枢を占拠。空軍四個航空団は上空から、水上軍三個戦隊は海上から、宇宙軍二個戦隊と軌道防衛隊は衛星軌道上からハイネセンポリスを封鎖する。ハイネセン中枢部の占拠、政府や軍の要人の拘束、ハイネセン市内の同盟軍制圧を成し遂げた時点で第二段階が終了。

 

 ハイネセンを軍事的に制圧した反乱部隊は、全土に戒厳令を発令。最高評議会メンバー全員を解任し、同盟議会を解散させる。統一正義党代表マルタン・ラロシュを首班とする暫定政権が全権を掌握して、クーデターは完了する。

 

「首都政庁のクレマン・ギーユという男は、党派色のない実務官僚を装って出世街道を歩んできましたが、その正体は極右のフィクサーです。長年にわたって奴を重点的に監視してきた我々がクーデターの陰謀を見抜けなかったとは、面目ありません。統一正義党系列の組織が明日の昼にハイネセン中心部でデモを企画しているという情報は、こちらにも入っております。首都警察の機動隊、そして我らの対テロ部隊を動員して、デモ隊を封じ込めましょう。軍部には反乱部隊の鎮圧をお願いしたい」

 

 反体制活動取締りの責任者コラール警視監は、警察官僚らしからぬ率直な態度で非を認め、全面協力を申し出た。

 

「非常事態法に基づく緊急治安出動であれば、国防委員会や統合作戦本部を通さずとも部隊に直接出動を要請できる。過激派もうまい策を考えたものだ」

 

 フェーブロム少将は腕組みをして、治安作戦の専門家らしい見解を示した。最近は狭量さが目立っていたが、敵の力量を正しく評価できるだけのプロ意識は持っているようだった。

 

 自由惑星同盟は建国以来、何度と無くクーデターの危機に晒されてきた。しかし、国家救済戦線派の計画は、完成度、規模ともに過去のどの計画をも凌ぐ水準にある。出席者の中で冷静さを保っていたのは、ルグランジュ中将、ブロンズ中将、パリー少将、コラール警視監ぐらいだった。情けないことだが、俺も冷静でいられない多数派に属している。

 

 会議室がさわめく中、議長役のドーソン大将は胸を逸らして、大きく咳払いした。しかし、さわめきは止まらない。傷ついたような表情を見せた後、ドーソン大将はさらに大きく咳払いした。ざわめきが止まると、自分の威厳を再確認して満足気な表情になった。

 

「これで過激派の意図ははっきりした。明日を決行日に選んだのは、明後日のトリューニヒト議長再選阻止が目的だろう。議長辞任と選挙無効を主張する地方反乱軍の動きとも、つじつまが合っている。だが、奴らの思い通りにはさせん」

 

 重々しい言葉とは裏腹に、声は明らかに上ずっていた。未曾有のクーデター計画に立ち向かうプレッシャーは、凡人には重すぎるのだ。ドーソン大将は、救いを求めるような目でパリー少将を見る。

 

「パリー少将、説明を頼む」

 

 声に応じて、不敵な表情と鋼のような肉体を持つ地上軍の名将が立ち上がった。ほぼ同時に正面の大きなスクリーンに、部隊配置が詳細に記されたハイネセンの市街図が映し出される。

 

「こちらをごらんください。敵は二個空挺師団を除き、すべてハイネセン郊外に駐屯している部隊です。予想される侵入経路は八つ。何事もなければ、一時間以内にハイネセン中心部の制圧が可能でしょう。それに対し、我々はこのように対応します」

 

 パリー少将が軽く手を振ると、同盟国旗のマークが付けられた部隊が移動して、ハイネセンポリスの外周部と中心部で円を作った。

 

「演習を名目に部隊を出動させて、二重の防衛ラインを形成。外周部にはタムード准将とランフランキ准将率いる六個師団が展開して、郊外からの侵入を防ぎます。中心部には小官が率いる三個師団が展開して、外周部で食い止めきれなかった敵を防ぐとともに、市内に潜む敵を制圧します。ルグランジュ提督率いる第一一艦隊艦艇部隊は衛星軌道上に、アンデルベルグ准将率いる第一一艦隊大気圏内空軍は上空に、ネチャエフ准将率いる第一一艦隊水上部隊は海上に展開。ジョフレ少将率いる第一一艦隊陸戦隊は、不穏な部隊の牽制にあたります」

 

 地上軍と第一一艦隊の連携によるハイネセン防衛構想が示されると、出席者の間から感嘆の声が漏れた。政治好きのトリューニヒト派将官でも、心に軍服を着た人達だ。これほど大規模な宙陸統合作戦に、軍人としての興奮を感じずにはいられないのである。

 

「このような大動員をせずとも、事前に首謀者どもをことごとく検挙してしまえば良いのではありませんか?首都憲兵隊の六個憲兵連隊、国家保安局の対テロ部隊三個大隊でかたが着くでしょう。足りぬとあれば、首都警察の機動隊一〇個連隊もいます。正規艦隊まで動かす必要があるとは思えませんが」

 

 議長秘書官ヴェスティンが疑問を呈した。この太った中年女性は、トリューニヒトが代議員に初当選した時から私設秘書を務めた懐刀である。表向きの地位こそ低いが、出席者の中では屈指の実力者だった。

 

「これだけの計画を立てる相手です。事前に察知された場合の対応策も用意しているはずです。憲兵を動かして首謀者を逮捕しようとしたことが仇となった建軍記念日事件の例もあります。敵の計画が動き出して、修正不可能になった段階で一網打尽にするにしくはありません」

 

 パリー少将は大物秘書の鋭い視線を悠然と受け止めて、大部隊を動員すべき理由を説明する。

 

「敵の計画が動き出した段階で、既に手遅れだったということにならなければ良いのですが」

「情報部の活躍で我々は敵の計画を事前に察知しました。むしろ、動き出してもらった方がやりやすいのです。下手に手を出して、敵が計画を修正してくれば、事態があらぬ方向に動く可能性もありますので」

「敵は暴動を鎮圧するという名目でクーデターを起こすそうですが、クーデターを鎮圧するという名目で出動した部隊がクーデターに参加するなんてことになれば、あらぬ方向どころではありませんよ」

「忠誠心が疑わしい部隊には、すべて待機を命じてあります。出動するのはすべて議長閣下に絶対の忠誠を誓う部隊です」

「前々から忠誠心を疑われる程度の者には、反乱など到底おぼつかないでしょう。ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールで反乱を起こした部隊の忠誠を疑っていた者がいましたか?」

「ほう、秘書官殿は軍の忠誠心をお疑いになりますか?」

「何事であれ、完璧であるという前提で話を進めるのは、私の趣味には合わないのですよ」

 

 地上軍の名将と秘書官の非友好的な議論が続く。小心なドーソン大将は困ったような表情で行方を見守っている。

 

「ヴェスティン秘書官、少々お言葉が過ぎるのでは」

 

 コラール警視監が静かな口調で秘書官をたしなめた。神経質なインテリっぽい外見に似合わず、相当な胆力のある人らしい。『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』では、憂国騎士団の黒幕の一人と名指しされていたが、それほど悪い人には見えなかった。もっとも、俺に疑われるようでは、悪党など務まらないだろうが。

 

「私も長年反体制活動の取締りに従事してきましたが、事を急ぎすぎて取り逃がしてしまった経験は何度もあります。身内の恥を晒すようですが、二年前の第七方面管区司令部襲撃も事前に察知できていたのです。しかし、功を焦ったシャンプール支局の勇み足でテロリストを取り逃がしてしまい、所在を掴もうと躍起になっている間に事件が起きました。我々は昨日、陰謀の存在を情報部から知らされたばかり。準備不足のままで対テロ部隊を動かしたら、こちらの動きを敵に知らせることになりかねません」

 

 豊富なテロ対策の経験に裏打ちされたコラール警視監の意見は、全員を納得させるに足るものがあった。「国家保安局は第七方面管区司令部襲撃を事前に察知していた」という一部でささやかれていた噂が事実であるというさりげない告白の衝撃も説得力を高めた。ヴェスティン秘書官はコラール警視監とパリー少将の顔を見比べた後、軽く頷いて姿勢を正した。

 

「小官の意見もコラール警備部長と同じだ。やましいことをする者は、とかく用心深い。いつもこちらの動きに目を凝らして、何かあれば逃げ出そうと考えている。だから、こちらの態勢が整うまで泳がせておかねばならんのだ。パリー少将の案を採用したいと思うのだが、皆の意見も聞かせてもらいたい」

 

 自分だけが重々しいと信じるような口調で、ドーソン大将はパリー少将の案に対する支持を表明した。会議室の大勢が決したのを読んで意見を述べるあたり、小心者らしくて共感してしまう。

 

「フィリップス少将、貴官の意見はどうだ?」

 

 俺を指名したドーソン大将の魂胆が痛いほどにわかって、少し悲しくなった。ルグランジュ中将あたりに意見を求めたら、異論が出てくるかもしれない。だから、同意してくれそうな俺を選んだのだ。実際、俺は対案を持っていないから、同意するより他にはないのだが。

 

「異存はありません。ただ、質問があります」

「ほう、なんだね?」

「小官の役割についてです。忠誠心に問題がある首都防衛軍を動かさないというのはわかるのですが、首都防衛軍司令部を離れるのはまずいのではないでしょうか。アラルコン少将の拘束は別の者に任せても問題無いはずです」

 

 クーデター鎮圧作戦において、俺は一個連隊を率いて第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将の拘束に向かうことになっていた。だが、情報部の工作でアラルコン少将の部隊は動けない状態にある。危険人物ではあるが、司令官代理の俺がわざわざ市中心部から車で一時間もかかるような場所まで出向く必要があるとは思えない。信頼の置ける大佐か中佐を差し向ければ、それで十分ではなかろうか。

 

「そういうわけにはいかないのだ」

 

 答えたのはドーソン大将でも立案者のパリー少将でもなく、情報部長ブロンズ中将だった。

 

「なぜでしょうか?首都防衛軍司令部は非常時に備えて要塞化されています。たとえ航空支援を受けた一個旅団に襲撃されても、二個大隊の警備部隊だけで三時間は持ちこたえられる設計です。二個大隊を臨時に増員しましたから、もっと長く戦えます」

 

 クーデターが発生したら、警備部隊を率いて首都防衛司令部に立てこもり、陥落が避けられなくなった段階でヘリか非常通路を使って脱出するつもりでいた。過去の戦史を紐解くと、成功したクーデターは概ね四時間以内に目標をすべて制圧している。最終的に司令部が陥落しても、首都制圧に手間取れば、反乱軍の求心力は大きく低下するはずだった。

 

「その警備部隊に裏切り者がいる。どれほど堅固な要塞でも、内応されたらあっという間に陥落してしまう」

「裏切り者ですか?国家救済戦線派に浸透されていない部隊を選んだつもりでしたが」

「誰が裏切り者かは不明だが、入手した文書の中に記された首都防衛司令部攻撃計画では、警備部隊の内応を前提としているような記述がある。工作は既に完了していると見るべきだろう」

 

 ブロンズ中将は俺の持っていた計画に死刑宣告を下した。どこまでも国家救済戦線派は先手を打ってくる。大丈夫と思っていた部隊にも内応者がいるとなれば、司令部に篭って抗戦する計画は、放棄しなければならない。

 

「首都防衛司令部が安全でないとわかった以上、貴官がハイネセン市内にいても無意味だ。郊外に出るのがベストと考える。仮にパリー少将やルグランジュ提督が敗北した場合は、接収したアラルコンの部隊、首都防衛司令官の非常権限で召集した部隊をもって、ハイネセン奪還に動いてもらいたい」

 

 話を引き継ぐように、ドーソン大将はクーデターが成功した場合のハイネセン奪還という俺の本当の任務を語った。参謀に作らせた三つの対クーデター計画は、いずれもクーデター成功後の反撃プランまで視野に入れていた。首都防衛司令官の非常権限を行使して、クーデター側に味方していない部隊を召集し、ハイネセン奪還にあたるのも予定のうちではあった。ドーソン大将の指示は、俺が自主的にやろうと思っていた戦いを鎮圧作戦の中に公式に盛り込んだものといえる。

 

「身に余る大任ですが、信頼に背かないよう力を尽くします」

 

 表情を引き締め、明るい声を作って命令を受諾した。謙遜でも何でも無く身に余る大任だとは思っていたが、ドーソン大将の信頼に応えなければならない。ただ、残念なことに俺の体は決意を裏切って、腹痛を訴えていた。

 

 

 

 会議終了後、俺はルグランジュ中将に誘われて、国防委員会の食堂で一緒に食事をした。今日のメニューは中華。いつもの俺はパフェやケーキを出す店でしか食事をしない。第三巡視艦隊司令官に就任した時も食堂でパフェを出すと聞いて安心したものだ。こういう機会でもなければ、中華を食べる機会は無かった。

 

「相変わらず、貴官は良く食べるなあ」

「そうですか?まだ、三杯目じゃないですか」

「それはチャーハンだけだろう。貴官の中では、エビ餃子三皿、饅頭五個、中華粥二皿、春雨サラダ二皿は無かったことになっているのか?」

「まだラーメン食べてませんから」

「意味が分からん」

 

 ルグランジュ中将は呆れ顔で麻婆豆腐を口にした。

 

「ラーメンで思い出しましたが、第一一艦隊司令部のカフェでランチを食べると、食後にアイスクリーム付いてきますよね。まだやってるんですか?」

「なんでラーメンで思い出したのは知らんが、二月末でやめたぞ。食堂運営費が削られてな」

「残念です。俺達軍人の力が至らないばかりに、こんなことになってしまいました」

 

 不況の影響がカフェのメニューにまで及んでいる事実に、心が激しく痛んだ。去年の帝国領遠征以降、景気悪化は留まるところを知らず、ついに恐慌の時代を迎えた。失業率と物価は上昇し、株価とディナールの価値は暴落した。そして、おいしいアイスクリームが食べられなくなってしまったのだ。

 

「そんなに悲しい顔をすることもないだろう。いずれ、良い時代も来る」

「スイーツは嗜好品です。それが食べられなくなるということは、嗜好品を楽しむ経済的余裕が社会から失われているということを意味します。生きていくために必要な物しか食べられない時代って、想像するだけでも恐ろしいですよ。希望を持たなければならないのは分かっていますが、それでも落ち込んでしまうのです」

「貴官は良くも悪くも現在しか見ない男だと思っていた。だが、国家の未来を憂いているのだな」

「当然でしょう」

 

 パフェやケーキが食べられなくなるかもしれない未来。いくら脳天気な俺でも、そんな未来を予感して憂いずにはいるなんてことは不可能だ。

 

「貴官のような若者に希望を与えられない社会。何としても、変えねばなるまいな」

「どうなさったんですか、いきなり」

 

 急に真剣な表情になったルグランジュ中将に、ちょっとびっくりしてしまった。

 

「ああ、いや、なんでもない」

「驚かさないでくださいよ」

「すまんな。私はそろそろ行かねばならん」

「そういえば、これから査閲部に行かれるんでしたね」

「まあ、書類仕事は苦手だが。今回ばかりは人に任せておけんのでな」

 

 ルグランジュ中将は苦笑して席を立った。これから演習に偽装したクーデター鎮圧部隊の出動計画を、査閲部に提出しに行くのだ。

 

「苦労のほど、お察しします」

「敵を欺くのは望むところだが、味方を欺くのはどうもやりにくいな。それに一緒にいるだけで空気がまずくなる奴もいる。こんな仕事はこれきりにしたいものだ」

「同感です」

 

 俺とルグランジュ中将の価値観は、それほど近くはない。しかし、今の愚痴には心から共感できた。味方を欺いてると、どうも気分がすっきりしない。とげとげしいトリューニヒト派軍人の作る空気は苦手だ。

 

「今の仕事が終わったら、また飯でも食おう。スイーツがうまい店にしようか」

「甘い物、苦手じゃありませんでしたっけ?」

「私は苦手だが、妻と娘が好きなんだよ。休みの日になると付き合わされるもんだから、知りたくもないのに店だけは覚えてしまう」

 

 二倍の敵に背後から襲われてもこうも困らないだろうと思えるような困り顔を、ルグランジュ中将は見せた。同盟軍屈指の名将が妻子に付き合って、苦手なスイーツを口にしてるところを思い浮かべると、気持ちが少し上向いた。

 

「おい、笑っただろ?」

「気のせいじゃないですか?」

「まあ、貴官には真面目くさった顔は似合わん。へらへら笑ってろ」

 

 大きな口を開けて豪快に笑い、右手で強く俺の肩を叩くルグランジュ中将。前の歴史ではクーデター派に参加したが、今の歴史では鎮圧側にいる。海賊討伐作戦の時に感じた不吉な予感が外れてくれて、本当に良かったと思った。

 

 

 

 首都防衛軍司令部に戻った俺は、さっそく司令部首脳会議を開いた。鎮圧作戦の概要を伝えて、明日の役割分担を決めた。

 

 俺は情報部長ベッカー大佐とともに一個連隊を率いて、アラルコン少将の拘束及び第二巡視艦隊の接収にあたる。表向きには部隊視察を装い、動員する部隊もこちらの意図を悟られないように中隊単位に分散して、第二巡視艦隊司令部に向かう。

 

 参謀長チュン准将は打ち合わせの名目で作戦部長ニールセン中佐を連れて、第三巡視艦隊司令部に赴く。俺が司令官を務める第三巡視艦隊は、首都防衛軍では唯一信頼できる戦力だった。俺がクーデター派に拘束もしくは殺害されたら、チュン准将が第三巡視艦隊を率いて代わりに対クーデター計画を実行する手はずだ。

 

 副参謀長ニコルスキー大佐は首都防衛軍司令部に残って、防戦の指揮をとる。できればニコルスキー大佐も連れて行きたかったが、司令部のトップとナンバーツーとナンバースリーが全員不在なのはまずい。責任者が務まる者を一人は残しておかなければならなかった。

 

「例のものは用意してくれた?」

「もちろんです」

 

 幹部達が一斉にかばんを開けると、一〇個近い新品の携帯端末がテーブルの上に並んだ。彼らの家族の名義を借りて新規契約した携帯端末だ。

 

「ありがとう。お金は全部俺が払う」

 

 財布を取り出して、契約にかかった費用をすべて現金で支払った。明日の戦いでは、これが何よりも強力な武器となる。

 

「ハラボフ大尉、例のものは用意できた?」

 

 無言で副官が差し出した紙袋には、衣服とハイネセン市の地図が入っていた。地図は一〇〇パーセント、いや一二〇パーセントの出来だった。作戦に必要な重要施設が種類ごとにマークされている。衣服は何というか、予想通りだった。仕事は完璧なのに、服選びのセンスだけは完全に狂ってる。困った顔でハラボフ大尉を見たが、いつもの冷たい表情のままだった。

 

 気を取り直して、「クレープ計画」、「タルト計画」、「エクレア計画」のファイルを取り出した俺は、幹部達と最後の詰めを行った。国防委員会の会議結果を踏まえた形で計画を修正し、それぞれの役割を確認した。

 

「これでできることは全部やった。あとは護衛の計画だけど、それは後で担当者と直接打ち合わせをする」

 

 こうして、首都防衛軍司令部は明日のクーデター鎮圧作戦に向けた最終調整を終えた。仕事を定時で切り上げさせ、明日に備えて十分な休養をとらせた。もちろん、俺自身も早めに眠りについたのである。

 

 

 

 目覚めたのは朝六時。ダーシャがいなくなって半年以上が過ぎ、一人で迎える朝にもすっかり慣れてしまった。カーテンを開けたら、眩しい朝日が部屋に差し込む。

 

「そういえば、いきなりカーテンを開けて良く怒られたっけな」

 

 ダーシャは服も下着も付けずに寝る。だから、彼女がベッドから出てすぐに、軍隊に入った時から起きてすぐに反射的にカーテンを開ける習慣が身についていた俺がカーテンを開けると、丸っこい顔を子供のようにむくれさせて怒るのだ。何も言われずにカーテンを開けられることすら、今は寂しく感じてしまう。

 

 頭を横に激しく振って意識を現在に戻すと、急いで身支度を整えた。そして、ダーシャの画像データが詰まった小型記憶媒体をポケットに入れる。今度はいつ官舎に戻れるかわからない。二度と戻れない可能性だってある。どんな端末を使っても、ダーシャの画像を見られるようにしておきたかった。

 

 四月一三日、天気は快晴。ハイネセンの一番長い一日が始まろうとしていた。



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第十三章:首都動乱
第十三章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。首都防衛司令官代理。第三巡視艦隊司令官。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。首都防衛軍司令部を素早く掌握した後に、ドーソン大将が指揮する国家救済戦線派クーデターの鎮圧作戦に参加。アラルコン少将逮捕及び第二巡視艦隊接収に向かう。真面目で小心。童顔で小柄。努力家。適応力が高い。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。運用能力はそこそこ。用兵は下手。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

首都防衛軍司令部関係者

チュン・ウー・チェン 35歳 男性 原作人物

同盟軍准将。第三巡視艦隊参謀長。首都防衛軍参謀長代理。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事のすべてに通じる。司令部全体を采配するエリヤの知恵袋。対クーデター作戦では第三巡視艦隊掌握を担当。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ハンス・ベッカー 32歳 男性

同盟軍大佐。亡命者。第三巡視艦隊情報部長。首都防衛軍情報部長代理。参謀チームのムードメーカー。エリヤと同行する。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 37歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。第三巡視艦隊副参謀長。首都防衛軍副参謀長代理。管理業務全般を担当する重鎮。首都防衛軍司令部の留守を守る。公正な堅物。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

クリス・ニールセン 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊作戦部長。首都防衛軍作戦部長代理。参謀チームで最も若い部長。エリヤの指示を受けて、対クーデター体制の準備にあたった。チュンと同行する。オーソドックスな部隊運用をする。純朴で生真面目。少食。

 

シェリル・コレット 24歳 女性 オリジナル人物

同盟軍少佐。第三巡視艦隊作戦参謀。首都防衛軍作戦参謀兼務。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。エリヤの副官を経て作戦参謀に起用された若手士官。早すぎる出世と逃亡者の娘という出自を不快に思う者から陰湿な嫌がらせを受ける。士官学校の成績が悪く陸戦専修科出身。頭の回転が速い。積極性、柔軟性、分析力が抜群に高く戦術向き。引き締まった長身。感情表現が豊か。トレーニング好き。

 

エドモンド・メッサースミス 25歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。第三巡視艦隊後方参謀。首都防衛軍作戦参謀兼務。グリーンヒルに目をかけられた有望な若手士官。戦略研究科出身の秀才。真面目で努力家。社交性がある。臨機応変さに欠ける。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

ユリエ・ハラボフ 26歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三巡視艦隊司令官副官。首都防衛軍司令官代理副官兼務。士官学校上位卒業のエリート。懲戒処分が連続して予備役編入寸前のところをエリヤに拾われた。副官として隙のない仕事ぶりを見せる。エリヤを銃撃しようとしたフォークを取り押さえる。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。仕事は丁寧で細かく、情報に適正がある。法律知識が豊富。徒手格闘の達人。

 

リリヤナ・ファドリン 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊人事部長。首都防衛軍人事部長代理。ニコルスキー大佐の推薦によって起用された旧第三六戦隊の人事参謀。首都防衛軍司令部の留守を守る。オーソドックスな部隊運用をする。純朴で生真面目。

 

オディロン・パレ 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊後方部長。首都防衛軍後方部長代理。第二分艦隊司令部の生き残り。切れ者ではないが温和な人物。首都防衛軍司令部の留守を守る。

 

国家救済戦線派対策会議関係者

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大将。統合作戦本部統括担当次長。統合作戦本部長代行。トリューニヒト派最高幹部。対策会議の議長役でクーデター鎮圧の総指揮をとる。銃撃されたクブルスリー大将の代行も務める。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。同盟軍では珍しい無派閥の将官。エリヤの元上官。クーデター鎮圧の実行部隊指揮官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

マービン・ブロンズ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。国防委員会情報部長。トリューニヒト派。粛軍に取り組んできた監察畑の軍官僚。コンプライアンスを重んじる人物。対策会議では情報収集と妨害工作を担当。原作では救国軍事会議のクーデターに加担。

 

コンスタント・パリー少将 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第五空挺軍団司令官。地上軍屈指の戦略家。トリューニヒトの有力な軍事ブレーンの一人。クーデター鎮圧作戦の立案者。カミソリのような鋭気の持ち主。不敵な表情。鋼のような肉体。異様に用心深い。

 

エリアス・フェーブロム 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第七歩兵軍団司令官。トリューニヒトの忠臣もしくは忠犬と呼ばれる。治安戦のプロだが、度量が狭い。

 

国家救済戦線派関係者

サンドル・アラルコン 50代前半 男性 原作人物

同盟軍少将。第二巡視艦隊司令官。国家救済戦線派代表世話人の一人。非戦闘員殺害疑惑と過激思想で悪名高い人物。部隊運営や教育指導に長けており、社会問題への関心が深い。苛烈な戦闘精神を持つ。口がやたらと良く回る。マイペース。吊り目。原作では第八次イゼルローン攻防戦で敵を侮って深入りして戦死。

 

トマシュ・ファルスキー 50代後半 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一首都防衛軍団司令官。国家救済戦線派代表世話人の一人。戦術家としても管理者としても第一級の人物。好人物。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳(故人) 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。遠征終了後にエリヤと結婚する予定だったが、アムリッツァ会戦で負った傷が元で死亡した。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

エーベルト・クリスチアン 40代後半 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。政治に深入りしていくエリヤを危惧。久々にハイネセンで再会した。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

イレーシュ・マーリア 34歳(行方不明) 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。士官学校卒の参謀。撤退戦の最中に行方不明となる。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

 

ジェリコ・ブレツェリ 60歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍准将。フェザーン移民の子。下士官から叩き上げた後方支援のベテラン。アムリッツァ会戦で3人の子供をすべて失った。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

アルマ・フィリップス 24歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。食いしん坊。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 42歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。最高評議会議長。国民平和会議代表。警察官僚出身の主戦派政治家。帝国領遠征が失敗に終わると、最高評議会議長に就任。警察や憂国騎士団を使った暴力的な戦犯断罪によって支持を広げる。改革市民同盟を解党して新党国民平和会議を結成。3月総選挙で圧勝した。政治家を軽んじる旧シトレ派軍人を不快に思っている。凡人のための世界を作るという理想を持つ。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。蕩けるような愛嬌。人懐っこい笑顔。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。長身。俳優のような美男子。人間のエゴに肯定的。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の情報参謀。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ジャクリ 60代前半 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。トリューニヒト派の提督。部隊運営に熱心な人物。

 

ロザリンド・ヴァルケ 40歳前後 女性 オリジナル人物

同盟軍准将。弁護士資格を持つ法務のプロ。政治上の要請に応えて法解釈をする人物。優しげな風貌。礼儀正しい。

 

ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 27歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍予備役准将。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。帝国領遠征の敗戦責任を押し付けられて、予備役に追いやられる。転換性ヒステリー治療の名目で精神病院に押し込められる。退院当日にエリヤを銃撃しようとして拘束された。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 59歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍退役元帥。前宇宙艦隊司令長官。天才ラインハルトと互角に戦った超一流の用兵家。人心掌握や権謀術数にも長ける。帝国領遠征失敗の責任を取って引退。病気治療を名目に責任を逃れる。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 34歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊司令官。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征で味方の撤退を援護している最中に捕虜となったが、捕虜交換で帰国。再起不能の重傷を負って予備役に編入。天性のリーダー。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

シャルル・ルフェーブル 69歳 男性 原作人物

同盟軍大将。辺境総軍司令官。士官学校を出てから半世紀近く艦隊勤務を続ける生粋の軍艦乗り。重厚で隙のない用兵をする名将。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。シャンプールの反乱軍に捕らえられる。飄々とした老人。ロボス暗殺未遂関与疑惑がある。前の歴史では帝国領遠征で戦死。

 

カーポ・ビロライネン 36歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。優秀な参謀。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

イヴァン・ブラツキー 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。アムリッツア会戦で第一二艦隊を使い潰そうとした。用兵家としては凡庸だが、粘り強さと運用能力に優れる。凡人が努力で到達しうる最高峰レベルの指揮をする。

 

アナスタシヤ・カウナ 20代 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。元後方支援集団参謀。アムリッツァ会戦において総司令部から第三六戦隊に派遣された監視役。

 

ポルフィリオ・ルイス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。第一〇方面管区司令官。アスターテやアムリッツァで活躍した有能な指揮官。グリーンヒルの軍事面での知恵袋だった。目的のために手段を選ばないために嫌われている。現在はグリーンヒルがクーデターに加担したという噂を流布している。ヤンの士官学校時代の教官。

 

旧シトレ派関係者

シドニー・シトレ 60歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍退役元帥。前統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。帝国領遠征に反対したが、引退に追いやられた。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

ドワイト・グリーンヒル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。国防委員会査閲部長。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷。トリューニヒトがドーソンを擁立したために、復活の目が遠のく。クーデターを起こすという噂が流れている。同盟の滅亡を予見し、エリヤに協力を求めるが拒絶される。あらゆる派閥に顔が利く社交の達人。軍部の安全装置と言われる良識の人だが、権謀術数にも長ける。凡人には計り知れない度量と視野を持つ大人物。他人の才能を愛し、多くの人材を引き立てた。エリヤを高く評価している。好感を与える容姿と表情。ダンディな紳士。前の歴史ではクーデターの首謀者となるが敗死した。

 

アレクサンドル・ビュコック 71歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。宇宙艦隊司令長官。反トリューニヒト派。兵卒から半世紀以上かけて宇宙艦隊司令長官まで上り詰めた伝説の人。巧みな砲術指揮と粘り強さに定評がある。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。対策会議メンバーの疑惑を招く行動をたびたび取る。反骨精神が強い。前の歴史ではチュン・ウー・チェンとともにラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ヤン・ウェンリー 30歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。イゼルローン方面軍司令官。反トリューニヒト派。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。イゼルローン回廊で帝国の侵入に備える一方で、トリューニヒトとの敵対姿勢を強める。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。反権威主義者。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 36歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。イゼルローン要塞事務監。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷されたが、ヤンによってイゼルローン方面軍に呼ばれる。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。イゼルローン要塞駐留艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 33歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。イゼルローン要塞防衛軍司令官代理。ローゼンリッターの前連隊長。イゼルローン要塞掌握に取り組んでいる。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 27歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッターの連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。脱色した麦わら色の髪の美男子。白兵戦技と射撃術の達人。絵と歌がうまい。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ウラディミール・ボロディン 40代(故人) 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征において、部下を救うべく独断での退却を決断した。撤退戦の際に後続を断つために踏みとどまる。奮戦の末に自決。ノーブレス・オブリージュを体現した名将の中の名将。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

ヤオ・フアシン 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。元第一二艦隊副司令官。実戦派の提督。豪胆な人物。トリューニヒトを嫌っている。ボロディンから撤退戦の指揮を引き継ぐ。

 

アーイシャー・シャルマ少将 60代(故人) 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊後方支援集団司令官。飄々とした人物。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。統合作戦本部長。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。帝国領遠征の戦犯を擁護してトリューニヒトと対立。元部下のセリオ大佐に銃撃されて重傷を負って休養中。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 62歳 男性 原作人物

最高評議会副議長・財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。帝国領遠征に反対し、サンフォード政権崩壊後に副議長となる。大衆受けしない選挙戦略が祟って総選挙で大敗。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。国民平和会議に支持層を奪われて、総選挙で大敗した。国家救済戦線派に理論面で絶大な影響を与える。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。帝国領遠征の責任を取って辞任。総選挙に出馬せずに政界から引退した。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。帝国領遠征後も安全保障諮問会議委員に留まる。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

ジェシカ・エドワーズ 29歳 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合所属。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。国防政策に強い。大衆路線が功を奏して総選挙で大勝を収める。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

マルコ・ネグロポンティ 40代後半 男性 原作人物

国防委員長。トリューニヒト派政治家。トリューニヒトが最も信頼する腹心。ドーソンとともにエリヤに国家救済戦線派監視を命じる。前の歴史ではヤンを査問会に掛けた責任を問われて失脚。

 

ハリス・マシューソン 60代後半 男性 原作人物

同盟軍退役准将。国防副委員長。トリューニヒト派政治家。地方部隊司令官を歴任し、タナトス星系警備管区司令官を務めた。狭量な人物。能力もさほど高くない。前の歴史では赴任の挨拶をしなかったヤンに不快感を感じた。

 

旧第三六戦隊関係者

リリー・レトガー 39歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。旧第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。統合作戦本部入りしてエリヤの元を離れた。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

エリオット・カプラン 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。旧第三六戦隊人事参謀。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。能力も意欲も完全に欠如。エリヤの画策で駆逐艦艦長に転出させられる。妙な愛嬌があり、あまり嫌われていない。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。元ベースボール部のエース。

 

アルタ・リンドヴァル 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍医中佐 旧第三六戦隊衛生部長。精神科医。メンタルケアの指導にあたる。

 

エドガー・クレッソン 50代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第二分艦隊司令官。エリヤの上官。長く苦しい撤退戦を闘いぬいた。優れた戦術指揮官。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ジャン=ジャック・ジェリコー 40代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第二分艦隊参謀長。第二分艦隊と第三六戦隊の連絡役。味方の思惑に翻弄される自分の立場に絶望。アムリッツァ会戦終盤に沈みゆく旗艦に留まって死亡した。気が弱い。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

レオニード・ラプシン 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍予備役少佐。憂国騎士団行動部隊の大隊長。エリヤの元部下。ヴァンフリート四=二基地攻防戦で負傷して予備役に編入された後、憂国騎士団に入る。ヤン・ウェンリーを嫌っている。

 

マティアス・フォン・ファルストロング 70代 男性 オリジナル人物

亡命者。門閥貴族の名門ファルストロング伯爵家の二二代当主。帝国の元フェザーン駐在高等弁務官。政争に敗れて同盟に亡命してきた。匂い立つような気品を全身にまとった銀髪の老紳士。神経が凄まじく太い。どぎつい冗談を好む。逆境も楽しめる楽天家。

 

ライオネル・モートン 46歳 男性 原作人物

同盟軍中将。元第九艦隊副司令官。異数の武勲を重ねて二等兵から提督まで叩き上げた。同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督と言われる名将。不屈の戦闘精神の持ち主。帝国領遠征で味方の撤退を援護している最中に捕虜となったが、捕虜交換で帰国した。実年齢より数年老けて見える。無骨な人物。

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 51歳 男性 原作人物

同盟軍大将。後方支援集団司令官。同盟軍最高の後方支援司令官。辺境に左遷されていたが、捕虜交換に際して中央に呼び戻される。400万人の捕虜を迅速に輸送した功績で大将に昇進。再起を果たす。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 51歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 38歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 53歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。



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第百十三話:抵抗への脱出 宇宙暦797年4月13日 ハイネセン郊外の車道

 俺は公用車に乗って、ハイネセン郊外の第二巡視艦隊司令部へと向かっていた。前後には第五空挺軍団司令官パリー少将が着けてくれた護衛が乗り込んだ警護車が各一台。その他に第一三九〇連隊所属の一個歩兵中隊が民間仕様のジープ、トラック、ワゴン車、セダンなどに分乗して従う。第一三九〇連隊に所属する他の九個中隊も別方向から、やはり民間仕様の車で第二巡視艦隊司令部を目指す。

 

 第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将の拘束及び兵力接収が俺の任務だった。表向きは視察ということになっている。第一三九〇連隊の兵士が民間仕様の車を使っているのは、相手に俺の目的を察知させないためだった。

 

 第一三九〇連隊とは別に、陸戦指導員の名目で呼び寄せた第八強襲空挺連隊二個小隊の分乗した車が数キロ後方の民間車の車列に紛れ込んで走っている。妹のアルマが率いるこの部隊は、最悪の事態を想定して用意した。彼らの存在を知っている者は、俺と参謀長チュン准将と副参謀長ニコルスキー大佐と副官ハラボフ大尉のみ。まさに切り札である。

 

 午前一一時、公用携帯端末に接続したハンズフリーイヤホンから、若い女性の声が聞こえてきた。声の主は首都防衛軍司令室オペレーターのナターリヤ・セーニナ曹長。第三六戦隊司令部でオペレーターをしていた人物だ。

 

「こちら首都防衛軍司令部、こちら首都防衛軍司令部。聞こえますか?」

「聞こえるよ」

「では、始めます」

 

 セーニナ曹長はいささか緊張気味に開始を告げた。首都防衛司令部に入ってきた情報を俺に逐一報告するのが彼女の役目である。

 

「ハイネセン中心部のコモンウェルス通りに、極右組織のデモ隊二〇〇〇人が集結中です。暴動に発展する恐れありと判断した首都警察は、機動隊二個連隊を出動させました」

 

 情報部からの情報通り、国家救済戦線派はハイネセン中心部に極右組織のデモ隊を集めた。警察はデモ隊の倍近い人数を動員して、押さえ込もうとしている。

 

「また、ハイネセン中心部に通じる道路や地下鉄駅に検問所を設置して、デモに参加しようとする極右組織の支持者を取り締まっています。武器所持や公務執行妨害の疑いで多数の逮捕者が出た模様です」

 

 検問所を設けてデモ参加を阻止する行為は、同盟最高裁に憲章違反と判断された前例がある。法的には限りなく真っ黒に近い手を警察が打ってくるなんて、予想を超えていた。しかし、それだけ真剣なのだろう。なにしろ、民主主義の運命がかかっているのだ。

 

「司令部に『軍隊が市内をうろついているが、どういうことか』という問い合わせが殺到しています。各部署から人員を集めて応対要員を増員していますが、追いつきません」

 

 軍も動き始めたようだ。市街戦演習の名目でハイネセン市内に出動し、反乱部隊の進軍を阻止するのだ。市民の不審を買うのは、織り込み済みだった。連隊規模の演習を行う際は、遅くとも二週間前から近隣住民に周知する決まりになっている。地上部隊九個師団と一個正規艦隊が何の知らせも無しに市街地に現れたら、不安になるのは当然と言える。

 

 問い合わせに対しては、「演習だから心配ない」と答えるように指導していた。司令部公式サイトにも掲載させた。それでも、慌てて問い合わせる市民が後を絶たないようだった。国家救済戦線派を欺くために直前まで伏せていたせいか、まったく周知が進んでいないのだろう。クーデターが鎮圧されるまでの数時間とはいえ、現場に大きな負担は掛けたくない。

 

「首都政庁のメール配信サービス利用も検討するように、ニコルスキー副参謀長に伝えておいて欲しい」

「了解しました」

 

 首都政庁は防災情報、防犯情報などを市民の携帯端末にメール配信するサービスを行っている。首都防衛司令部から正式に依頼をすれば、演習の件も配信してくれるはずだ。

 

 セーニナ曹長が伝えてくれる情報は、すべて鎮圧作戦が順調に進んでいることを示していた。極右のデモ隊はパリー少将の空挺軍団と首都警察機動隊が抑えてくれる。首都政庁も厳戒態勢にあった。極右暴動とギーユ第二副市長の市長代行就任を阻止できれば、敵は部隊を出動させる大義名分を失う。強引に出動させたとしても、ルグランジュ中将の第一一艦隊と地上部隊が守りを固めている。

 

「統合作戦本部長代行はイゼルローン方面軍に、ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの反乱鎮圧を指示しました」

 

 クーデター鎮圧と平行して、地方平定作戦も始まった。イゼルローン方面軍に方向の離れた四つの反乱を鎮圧させるなど、一見すれば愚かに思える。前の歴史では、ヤン・ウェンリーに嫉妬したドーソン大将の愚策と酷評された。しかし、現状ではこれが最善の策なのだ。

 

 第一一艦隊はクーデター鎮圧に必要な戦力。第一艦隊の配下にはクーデターに加担してる可能性のある軍部の大物と関係の深い部隊が多いため、手元に置いて監視しておきたい。辺境総軍はシャンプールの反乱で機能を停止した。そうなると、イゼルローン方面軍以外に、反乱鎮圧にあたれる部隊は見当たらなかった。

 

 ひと安心した俺は、イヤホンを右耳だけ外す。そして、ドライバーのジャン曹長に声をかけた。

 

「第二巡視艦隊司令部に着くまで、あとどれぐらいかな?」

「三〇分ぐらいですかねえ」

「そうか。渋滞につかまって、無駄に時間を食ってしまった」

 

 本来はクーデター鎮圧作戦開始から三〇分以内に、第二巡視艦隊司令部制圧に着手する予定だった。しかし、思わぬところで時間を浪費して、予定が遅れている。クーデター参加予定者の中に名前は無いアラルコン少将の拘束は、鎮圧作戦全体の中ではさほど重要では無い。状況次第では中止しても構わないと、ドーソン大将に言われている。だが、万が一ということもある。俺が手間取ったせいで計画全体が破綻してしまってはまずい。

 

「最近は予定なんてあってないようなもんです。バスや地下鉄の遅れもひどくなってます。前は五分か一〇分遅れで運行してた路線でも、二〇分の遅れがざらじゃないですよ」

「作戦はスピードが命だよ。交通管制センターの予算をけちったおかげで失敗するなんてことになったら、目も当てられない。今後は国防委員会からも交通関連予算増額をはたらきかけないといけないね」

「正規艦隊なんかより、そっちに予算つけてもらいたいですよ。でなきゃ、私らドライバーは仕事になりゃしません」

「俺もそう思うよ」

 

 半ばおどけるような口調で言うジャン曹長に同意した。

 

 これまでの軍部主流派は、国内を戦場とする治安戦を「汚い戦争」と嫌って、対帝国戦にばかり力を入れてきた。そのツケがエル・ファシル危機、海賊活動の活発化などを招き、クーデター鎮圧作戦にも悪影響を及ぼした。一段落したら、治安戦にも力を入れなければならない。いざという時に大部隊を素早く国内展開できる態勢を作っておかなければ、本土決戦になっても有効な防衛ができないだろう。

 

 そんなことを思っていると、左耳に着けたままのイヤホンから流れてくるセーニナ曹長の声に雑音が混じりだした。首都防衛司令部は最高級の通信機を使っている。滅多なことでは雑音など入るはずもないのに、どうしたのだろうか?

 

「雑音混じってるよ?通信機にトラブルでもあったの?」

 

 俺の質問に対して返ってきたのは、より一層酷くなった雑音だった。

 

「セーニナ曹長、何があった?貴官が答えられないなら、司令部通信大隊の隊長に代わってくれ」

「……司令部が……の……攻撃を……」

「良く聞こえない!もっと大きな声で頼む!」

「……通信妨害……受けて……」

「攻撃!?通信妨害!?」

 

 どうやら、首都防衛司令部が攻撃を受けているようだ。心の底からこみ上げてくる恐怖を抑えつつ、質問を続ける。

 

「誰だ!?誰の攻撃を受けてる!?」

「……空挺……、第四九空挺旅団……」

 

 氷の刃を当てられたような寒気を首筋に感じた。第四九空挺旅団長ウー・フェン大佐は、ハイネセン中心部の鎮圧部隊を指揮するパリー少将の腹心だ。そのウー大佐が率いる部隊が裏切ったとしたら、鎮圧作戦は根底から崩壊する。

 

「本当に第四九空挺旅団なのか!?」

 

 否定を期待して問い返した。しかし、イヤホンから聞こえてくるのは雑音のみ。首都防衛司令部との通信を切った後、統合作戦本部のドーソン大将に通信を入れた。しかし、こちらも雑音しか聞こえてこない。

 

「まさか、統合作戦本部も……」

 

 事態を把握するため、そして最悪の予感を打ち消す情報を得るために、ルグランジュ中将の第一一艦隊司令部、パリー少将の第五空挺軍団司令部に通信を入れた。しかし、返事は無かった。

 

「いや、たまたま通じないだけだ。通信が混み合ってるんだ、きっと」

 

 今度は国防委員会に通信を入れる。大きな雑音が聞こえると同時に通信を切って、宇宙艦隊総司令部、後方勤務本部、地上軍総監部、第一艦隊司令部など、情報が集まりそうな軍機関に次々と通信を入れる。

 

「また雑音か!」

 

 イラっと来た俺は、イヤホンのコードをひっつかんで乱暴に引っ張った。俺の耳から外れたイヤホンが車の窓ガラスに当たって音を立てる。

 

「司令官代理閣下」

「なんだ!?」

 

 反射的に振り向くと、左隣に座っている副官ハラボフ大尉の端整な顔があった。いつもと同じ優しさのかけらもない冷ややかな視線。「何を焦ってるんですか?馬鹿じゃないですか?」と言われてるような気がする。

 

「指示をお願いします」

 

 視線に負けず劣らず冷たい声でハラボフ大尉は指示を求める。冷静沈着な彼女も指揮官たる俺の指示がなければ動けないのだ。取り乱している場合ではない。落ち着いて指示を出さなければ。

 

「チュン准将に連絡を取る。携帯端末を用意してくれ」

「了解しました」

 

 俺はハラボフ大尉からクリーム色の丸っこい携帯端末を受け取った。部下の家族名義で契約したばかりの民間用端末だ。ハイネセン市中央部が制圧されたら、公務用携帯端末の使用をやめて、別の端末を使うことに決めていた。

 

 軍から支給される公務用の携帯端末は、中央通信管制司令部が管理する通信網を使用する。敵が中央通信管制司令部を制圧した後も使い続けたら、通信内容を傍受される危険があった。だから、秘密司令部に逃げこむまでは、敵が把握できていない名義の民間用端末を使って、味方と連絡を取るのだ。チュン准将、ニールセン中佐ら司令部の外にいる者もこういった端末を使用して、俺と連絡を取り合う。

 

「もしもし、俺だけど」

「私です。連絡お待ちしておりました」

 

 番号を入力して送信ボタンを押すと、数秒もしないうちにチュン准将が出た。こんな時だというのに、いつもと変わらずのんびりした声だ。

 

「昼食はどうした?」

「もう食べました」

「どれぐらい食べた?」

「もう満腹です」

「それは良かった」

 

 念には念を入れて、俺もチュン准将も符丁を使って会話している。チュン准将が第三巡視艦隊司令部に到着し、部隊を完全に掌握したことを知って安心した。

 

「閣下はお召し上がりになりましたか?」

「まだ食べてないよ」

 

 第二巡視艦隊司令部に到着していないことをチュン准将に知らせた。

 

「では、夕食は私が用意しましょう」

「よろしく頼む」

「デザートはクレープでよろしいですか?」

「ああ、それでいいよ」

 

 ハイネセン中心部で反乱軍が蜂起するケースを想定した対クーデター作戦「クレープ計画」の発動、俺が秘密司令部に入るまでチュン准将が指揮権を預かることなどを取り決めた。

 

「それでは、楽しみに待っております」

「ありがとう」

 

 最後に軽い挨拶を交わしてから、通信を切った。クレープ計画はチュン准将に任せれば大丈夫だろう。あとは俺が秘密司令部まで逃げきれるかどうかが問題だ。

 

 クリーム色の端末をシートに置くと、再び公務用携帯端末を手に取った。第一三九〇歩兵連隊長モロ中佐に、アラルコン少将拘束作戦の中止と行軍目標変更を伝えなければならない。敵がハイネセンポリスを制圧して、交通封鎖を完成させるまで、どんなに早くともあと一時間はかかる。それまでに第一三九〇歩兵連隊を俺の身辺に集結させ、警護体制を整える必要があった。

 

「あれ、出ないな」

 

 モロ中佐と回線が繋がらなかった。もう一度発信してみたが、やはり繋がらない。何かのトラブルがあったのだろうか?こんな時だけに、何でも悪い方に捉えてしまう。

 

「うわっ!」

 

 ジャン曹長は大声をあげて、右に急ハンドルを切った。俺の上半身はバランスを崩して、ハラボフ大尉の右肩にぶつかってしまった。

 

「曹長、どうしたんだ!?」

「前の警護車が急に後退してきたんですよ!」

「なんだって!?」

 

 身を起こして前を見ると、確かに前の警護車がとんでもない勢いで後退してきていた。ジャン曹長がハンドルを切らなければ、衝突していたに違いない。

 

「畜生っ!」

 

 ジャン曹長の声とともに車が急加速し、俺は前に倒れこんで前部座席にぶつかった。

 

「曹長……!?」

「今度は後ろの警護車が急に加速してきたんです!こうしなきゃ、派手にぶつけられてましたよ!いったいどうなってるんですか!?」

「俺に聞かれても困る!」

 

 何が何だかさっぱり理解できなかった。前後の警護車に乗り込んでいるのは、パリー少将が付けてくれた空挺あがりの猛者である。警護中に車間距離を取り損ねるなんて、彼らのキャリアからは信じられないミスだった。

 

 窓の外を見ると、こちらが回避した後も二台の警護車は強引に車間距離を詰めようとしてきた。たまりかねたジャン曹長が右側に車線変更しようとすると、後ろから猛スピードで走ってきたバスが脇に付けてきて進路を塞ごうとした。第一三九〇歩兵連隊の将兵が乗ったバスだ。

 

 間一髪ですり抜けて車線変更に成功すると、今度は車線を逆走してきた大型トラックが前方から迫ってきた。かわしたら今度はワゴン車が左後方から接近してくる。

 

「少将閣下、我が軍の運転マナーは狂っちまったみたいですよ!」

 

 次々と接近してきては、進路妨害しようとするジープ、トラック、ワゴン車、セダン。公用車はそれを間一髪でかわしていく。高速道路の上で繰り広げられる映画のワンシーンのようなカーチェイス。観客であれば堪能できただろうが、残念なことに俺は画面の中で追い回される側だった。

 

 どんなに鈍い俺でも、ここまで来ればさすがに気づく。パリー少将が付けてくれた護衛、そして第一三九〇連隊の将兵は、クーデター側に味方して俺を狙ってる。右ポケットに忍ばせた発信機のスイッチをこっそりと押した。これで後方にいるアルマの部隊は、異変に気づいてくれるはずだ。

 

「エリヤ・フィリップス少将!あなたには逮捕命令が出ています!直ちに車を降りてください!」

 

 キャンピングカーを偽装した隠密作戦用指揮車のスピーカーから流れるモロ中佐の声が、俺の推測を裏付けた。味方に見捨てられたことはあっても、明確に攻撃を受けるのは始めてだった。同じ同盟軍の制服を着た者と戦わなければならないと思うと、恐怖で体全体が震えてきた。

 

「止まりますか!?」

「冗談じゃない、行けるところまで突っ走ってくれ!」

 

 俺らしくもない即断即決だった。特殊訓練を受けた第八強襲空挺連隊の兵士は、市街地では一〇倍の一般兵に匹敵する戦力を発揮する。二〇〇人前後の歩兵と七七人の特殊部隊隊員が市街地で戦えば、間違いなく後者が勝つ。アルマが到着するまで時間を稼げば助かる。それに同じ軍服を着た仲間を平気で攻撃してくるような連中は怖い。

 

「アイアイサー!」

 

 俺の指示を受けたジャン曹長は公用車を急加速させて、敵の車列の隙間をすり抜けた。だが、敵の車はおよそ三〇台。圧倒的な数の前に、公用車はあっという間に右の路肩に追い込まれた。前後と左側は、敵の車でガッチリブロックされてしまった。

 

「あなたは完全に包囲されています!これ以上の抵抗は無意味です!降伏してください!」

 

 スピーカーからは、モロ中佐の降伏勧告が流れてくる。車から降りた敵兵は銃を構えて、公用車を取り囲む。

 

「どうします!?」

「車からは降りない。外に出て頭に銃を突きつけられてしまったら、俺達はおしまいだからね。とにかく時間を稼ぐ」

 

 徹底抗戦の意志をジャン曹長に伝えると、腕組みをして座席に深く腰掛け直した。内心はいつものように不安に満ちている。心臓はとんでもない速度で鼓動する。背中は冷や汗でびっしょりだ。

 

「今すぐ車から降りてください。小官は閣下の勇名をお慕い申し上げております。あまり手荒な真似はしたくないのです」

 

 敵兵の列から進み出てきた四〇代の士官が車の窓に顔を寄せて、俺に直接呼びかけた。少佐の階級章を付けているところから見て、連隊作戦主任あたりだろうか。

 

「逮捕命令というのなら、逮捕状が出ているはずだ。見せてもらいたい」

 

 こうなった以上、アルマが到着するまで徹底的に時間を稼ぐしか無い。徹底的に難癖を付けることに決めた。

 

「ご覧になってください」

 

 あっさりと少佐は逮捕状を示した。緊急逮捕令状の書式通りに作られている。だが、令状請求者の欄には「首都戒厳司令官 フィリップ・ルグランジュ中将」のサインが記され、逮捕理由の欄には「戒厳令法第一〇五条に基づく行政拘束」と記されている。今回の鎮圧作戦にあたっては、戒厳令は施行されないはずだった。ルグランジュ中将が俺の逮捕状を請求するというのもおかしい。

 

「なんだい、これは?戒厳令が施行されたなんて聞いてないよ?」

「正式な発表はまだですが、本日正午をもって施行されました」

「ハイネセンで戒厳令が施行される際は、首都防衛司令官をもって戒厳司令官に充てるはずだ。なぜ小官ではなく、ルグランジュ中将が戒厳司令官なのだ?」

「フィリップス少将の指揮権は、戒厳令施行と同時に剥奪されました。現在はルグランジュ中将が首都防衛司令官代理を兼務しています」

 

 俺とルグランジュ中将は、協力して国家救済戦線派のクーデターを阻止する仲間のはずだった。昨日は一緒に食事をして、再会を約束してから別れた。そんな相手が戒厳司令官に就任して、俺の逮捕を命令したという。サインも間違いなく本人のものだ。何がどうなっているのか、俺にはさっぱりわからなかった。だが、うろたえたら相手に付け込まれてしまう。無理筋でも、強気に出るべきだ。

 

「そもそも、その戒厳令は正式なものなのか?首都防衛司令部は、攻撃を受けているという報告を最後に連絡を絶った。ハイネセン中心部の軍機関もすべて連絡が取れなくなった。何者かが混乱をいいことに、戒厳令が施行されたなどと嘘を言いふらしているのではないか?貴官らはこの逮捕状が正規のものかどうか、ちゃんと確認したのか?」

 

 今度は逮捕状を偽物と決めつけた。少佐の顔に困惑の色が浮かぶ。どうやら、事情をちゃんと知らされていないらしい。

 

「小官らは上官の命令を受けただけですから」

「貴官の上官は誰だ?」

「モロ連隊長であります」

「連隊長は誰から命令を受けた?」

「戒厳司令官直々のご命令です」

「戒厳司令官とは誰だ?」

「ルグランジュ中将閣下です」

「本当にルグランジュ中将の命令なのか?何者かが騙っている可能性はないのか?そもそもサインが違うじゃないか。小官は去年の春までルグランジュ中将の副参謀長だったんだ。偽のサインなんかで騙せると思ってほしくないな」

 

 逮捕状のサインがルグランジュ中将の直筆ということはわかっていた。しかし、目の前の少佐がそれを知っている可能性は低い。仮に知っていたとしたら、それはその時だ。

 

「少々お待ちください」

 

 心底から困り果てた様子で少佐は言うと、携帯端末を取り出した。誰かと連絡を取っているようだ。車の外にずらりと並んでる敵兵を見てると、「いきなり発砲してきたらどうしよう」「手榴弾を投げてくるかもしれない」なんて考えが次々と浮かんでくる。恐怖に飲み込まれることを恐れた俺は、少佐が携帯端末で話している間に視線を車内に戻した。

 

 ジャン曹長の顔は真っ青になっている。順調な時は楽天的なのに、逆境になるとたちまち悲観的になってしまうところは、俺と良く似ていて親近感を覚える。ハラボフ大尉は冷ややかに俺を見ていた。屁理屈をこねる俺を軽蔑しているかのような目だ。

 

「閣下、非常用携帯端末に連絡が入っています」

 

 ハラボフ大尉に指摘されてクリーム色の携帯端末を見ると、小刻みに震えていた。画面に映っているのは、アルマに渡した非常用携帯端末の番号。救援の到来を予感した俺は、緊張しながら受信ボタンを押した。

 

「あと一分です!車のドアロック解除!身を伏せて、目をつぶって、耳を塞いで!繰り返します!車のドアロック解除!身を伏せて、目をつぶって、耳を塞いで!スタングレネードを使います!私の言ったことをそのままみんなに伝えてください!」

 

 ゆっくりはっきりした口調でそう言うと、アルマからの通信は切れた。言われたとおり、ハラボフ大尉とジャン曹長にアルマの指示を伝える。ジャン曹長は半信半疑でドアロックをすべて解除すると、運転席に伏せて耳を塞いだ。ハラボフ大尉も身を伏せて耳を塞ぐ。部下が指示を守ったのを確認した俺が身を伏せようとすると、ドアの外からモロ中佐の声がした。

 

「フィリップス少将!ごらんください!逮捕命令が正規のものであるという証拠です!納得いただけたら、車から降りてください!従っていただけない場合は、不本意ではありますが、無理にでも降りていただきますぞ!」

 

 モロ中佐が持ってきた証拠とやらにほんの少しだけ興味が湧いたが、今はそんなものを気にしている場合では無い。身を伏せると、「都合の悪いことには目を背けるのか」みたいな言葉が聞こえたような気がしたが、構わず目をつぶって耳を塞いだ。何も見えず何も聞こえない世界で、心臓の鼓動がどんどん早くなっていく。たった数十秒が途方もなく長く感じられた。前の人生を含めても、これほどアルマを心待ちにしたことはなかった。

 

 その瞬間は唐突にやって来た。固くつぶった目でもはっきりと分かるほどの強い光、塞いだ耳でもはっきりと感じるほどの爆音が俺の周囲を満たした。しばしの静寂の後、公用車のドアが開き、腕を強い力で掴まれる感触がして、車外に引きずり出される。

 

「エリヤ・フィリップス少将閣下!救援に参りました!」

 

 ゴーグルを着用して、ヘッドホンのような物を首にぶら下げたアルマは、長身をまっすぐに伸ばし、堅苦しすぎるぐらいに丁寧な敬礼をした。彼女の背後では、ゴーグルを着用した第八強襲空挺連隊隊員がライアットガンや特殊警棒を使って、スタングレネードの音と光にやられて動けなくなった敵兵を制圧している。

 

「目標確保!撤収!」

 

 そう叫ぶと、アルマは右手に持ったホイッスルを吹いた。第八強襲空挺連隊隊員はピタッと戦闘を中断して、目にも見えない早さでアルマや俺を守るようなフォーメーションを作り上げる。アルマの部下の一人がリュックの中から対閃光ゴーグルとヘッドホンを取り出し、俺やハラボフ大尉やジャン曹長に手渡した。

 

「こちらを着用してください。ゴーグルは遮光用、ヘッドホンは耳栓です。もう一度スタングレネードを使います」

 

 言われるがままに、ゴーグルとヘッドホンを着用した。アルマがもう一度ホイッスルを口に当てると、第八強襲空挺連隊隊員は一斉に首にぶら下げたヘッドホンを耳に着用。そして、一斉にスタングレネードを投げる。強い光と爆音が奇襲に浮足立った敵兵をさらなる混乱に陥れた隙に、アルマ隊に守られた俺達は素早く離脱した。

 

 

 

 俺とハラボフ大尉とジャン曹長は、アルマの運転する車に乗って移動中だった。全員私服に着替えている。

 

「まるでアクション映画のワンシーンみたいでしたよ。それにゴム弾と特殊警棒使って、一人も殺さずに済ませたでしょう。いや、本当に凄かったですなあ」

「三分もかかってしまいました。まだまだ改善の余地があります」

 

 ジャン曹長の褒め言葉にも、アルマはまったく喜びの色を見せなかった。

 

「そんなもんなんですか?」

「ローゼンリッターなら、二分半もかからずに完了させられる作戦。この差は命取りですね」

「中尉殿のおられる第八強襲空挺連隊と、ローゼンリッターは互角って言われてるんじゃないですか?」

「それは過去の話です。二年前にワルター・フォン・シェーンコップという方が連隊長に就任してから、ローゼンリッターの戦力は飛躍的に向上しました。今は別の方に連隊長をお譲りになりましたが、シェーンコップ連隊長が残した人材とノウハウは生きています。当分はローゼンリッターの優位は動かないでしょう」

 

 あれだけ鮮やかな奇襲を決めた第八強襲空挺連隊の精鋭ですら、シェーンコップが鍛え上げたローゼンリッターには及ばない。妹が語った真実は衝撃的だった。

 

 前の歴史では銀河最強の陸戦部隊と言われ、今の人生ではヴァンフリート四=二で共に戦ったローゼンリッターが強いことは分かっている。しかし、別の精鋭部隊と比較してなお強いとプロに言われると、また違った説得力がある。

 

「へえ、どの世界もてっぺんは大変なんですなあ」

「大変だからこそ、上り甲斐もあると私は思っていますよ」

 

 アルマはにっこりと微笑んで、優等生的な答えを口にした。彼女がこういう人間なのはわかっている。それでも、肉親がよそ行きの対応をしているところを見ると、なんか違和感がある。

 

「フィリップス閣下。どの辺りまで来たら、車を乗り換えますか?」

 

 あまりにもアルマの言葉が丁寧すぎて、自分に話を振られたと気づくまで一〇秒ほどかかった。公私のけじめをきっちり付けているのは立派だが、いつも俺のことを「お兄ちゃん」と呼んでる妹に「閣下」と呼ばれると、自分のことでないような気になってしまうのだ。

 

「三キロ先のバーナーズタウン駅前に、レンタカーショップがある。今の車は駅前に入る前に乗り捨てて、レンタカーに乗り換えよう」

「検問対策はいかがいたしましょうか?」

「警備部隊の駐屯地域は避けて、外征部隊の駐屯地域を移動する。外征部隊はその性格上、地域の地理に疎い。警備任務にも慣れていない。外征部隊の敷いた非常線は、幹線道路周辺を除けば雑になる。治安戦の常識だ」

「地域の地理に強い警察が動き出せば、区画道路も危ないかもしれませんが」

「ここに来るまでを思い出してくれ。街中に出動してたのは軍隊だけで、警察は出動していなかった。おそらく、敵の中に警察を動員できる立場の者はいない。動員できるようになるまで、しばらくは時間がかかるはずだ。その間に距離を稼ぐ」

「承知しました」

 

 妹を納得させた俺は、クリーム色の携帯端末を操作した。通信機能、ネット閲覧機能ともに使用不可。敵はハイネセンポリス全域に通信規制をかけたようだ。通信が生きていれば、市内の反クーデター勢力が結集する隙を与えてしまう。俺がクーデターを起こすとしても、二四時間は通信規制をかける。経済活動に支障が出るため、それ以上の規制はかけられないが。

 

 今度は車載テレビのリモコンを入れる。どのチャンネルを付けても、ひたすらCMを流し続けている。敵はハイネセンポリスのテレビ局も制圧したようだ。情報発信機能の独占は、クーデター成功には不可欠である。いずれ、敵のクーデター声明が発表されるはずだ。

 

 ハイネセンポリス中心部がクーデター勢力に制圧されたケースを想定した対クーデター作戦「クレープ計画」の主眼は、ハイネセンポリス外部にいる勢力の結集にある。

 

 ハイネセンポリスの外に駐屯する地上軍の合計は、およそ一六〇万。地上での戦闘力は侮りがたいが、一部隊で一五〇万前後の兵力を抱える第一艦隊、第一一艦隊に比べれば弱い。宇宙艦隊直轄下にある分艦隊単位の独立部隊ですら、数万から数十万の兵力を持つ。軍事力勝負なら、ハイネセンポリスの正規艦隊を手中に収めた者には決して勝てない。だが、惑星ハイネセンの地上で内戦をするつもりなど、俺にはなかった。

 

 ハイネセンポリスの人口はおよそ五〇〇〇万。一都市の人口としては、全宇宙でもフェザーン市に次ぐ規模である。しかし、惑星ハイネセンに居住する人口一〇億の五パーセントに過ぎない。敵が惑星ハイネセンの軍隊をことごとく手中に収めたとしても、直接軍政を敷ける範囲はハイネセンポリスとその衛星都市の人口二億程度が限界である。クーデター派の部隊が地方都市にある放送局や通信センターをことごとく制圧することも不可能だ。

 

 敵が支配を確立する前に、地方都市を掌握して拠点とする。そして、放送局で大衆にアピールし、通信を使って地方有力者と交渉し、惑星ハイネセンに住む一〇億の過半数を味方につける。同盟の官僚や軍人は、市民の顔色をいつも伺っている。こちらが市民の支持を得れば、クーデター勢力の主体的な支持者以外は、容易に切り崩せる。

 

 いかに素早くハイネセンポリスを脱出できるか。いかに大衆に存在をアピールできるか。すべてはスピード勝負だった。「クレープ計画」は一週間以内の決着を目標としている。それ以上時間をかけたら、敵が惑星ハイネセンの支配を完全に固めてしまう。そうなれば、経済的軍事的に弱体な地方星系では対抗できなくなる。

 

「見てください!テレビが映りました!」

 

 ジャン曹長に言われて車載テレビを見ると、放送席が映し出された。背後にはあるのは、質素な国立放送ニュースのセットでもなければ、瀟洒な民間放送ニュースのセットでもなく、大きな同盟国旗。これだけでクーデター勢力の性格が伺えるような気がする。

 

 誰がクーデターを企てたのか、ハイネセンの要人はどうなったのか、そしてクーデター勢力は何を企てているのか。車内の全員が固唾を呑んで注目していると、スクリーンの中に三〇代後半の軍人が着席した。

 

「宇宙暦七九七年四月一三日、軍は統治能力を喪失した最高評議会及び同盟議会に代わって、自由惑星同盟政府の全権を掌握した。最高評議会、同盟議会、同盟最高裁判所の権限を停止し、新たな統治機関として、自由惑星同盟救国統一戦線評議会を設立する。評議会は国家正常化のため、全土に無期限の国家非常事態宣言及び戒厳令を発令した。同盟憲章は一時的に停止され、立法・行政・司法の全権は、すべて評議会に帰属するものとする。すべての同盟市民及び政府機関は、評議会の決定に従う義務を負う」

 

 カメラではなく原稿に目線を向け、早口で宣言を読み上げる人物は、国防研究所上席研究官ティム・エベンス大佐。前の歴史でクーデターを起こした人物であった。



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第百十四話:衝撃、そして反撃 宇宙暦797年4月13日 ハイネセン郊外の車道~バーナーズタウン~ボーナム総合防災公園

 二七〇年に及ぶ自由惑星同盟の歴史は、内部対立の歴史でもある。ダゴン会戦以前は中央集権派と地方分権派、以降は主戦派と反戦派が抗争を繰り返してきた。そして、武力によって両派の対立に終止符を打とうとする動きもまた繰り返された。クーデターの企ては記録に残っているだけで一六回、疑惑に留まるものも含めれば三〇回近くに及ぶ。

 

 ダゴン会戦以前は中央政界で分権派が優位になるたびに、集権派の牙城である軍部がクーデターを企てた。対帝国戦争が始まると、軍縮や対帝国和平を止めようとする主戦派軍人、あるいは無謀な大規模出兵や全体主義的改革に反対する反戦派軍人がクーデターを企てた。しかし、そのすべてが未遂に終わった。

 

 最大のクーデター未遂事件は、九〇年前の七〇七年に起きた「建軍記念日事件」である。首都防衛司令官エスペランサ・バレリオ大将は、最高評議会議長官邸警備隊を含む首都圏駐在部隊の七割を取り込んでクーデターを企てた。反乱部隊は本会議中の同盟議会議事堂に突入して、最高評議会議員と代議員を全員拘束。統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官、地上軍総監の支持を取り付けて、軍事政権樹立に手が届いたところで誤算が重なって敗北した。

 

 バレリオ大将は「民主政治を絞首台の一二段目まで導いた男」の悪名を後世に留めることになったが、救国統一戦線評議会なる組織はいともあっさりと民主政治を絞首台まで引きずり上げた。俺達はハイネセンポリス郊外の農道を走る車の中で、車載テレビを通して歴史的瞬間に立ち会っている。

 

「これより、救国統一戦線評議会布告を発表する」

 

 画面の中のティム・エベンス大佐の話し方は、抑揚がない上に早口で聞き取りづらかった。目線を原稿に落としたままなのも感じが悪い。エベンス大佐の本分は研究者であって、こういう場面で上手に喋れないのは理解できる。しかし、こうも拙劣だと、「もっと喋り慣れた人を用意できなかったのか」と余計なことを思ってしまう。

 

「一、銀河帝国打倒という崇高な目的を達成するために、速やかに挙国一致体制を確立する。

 二、議会を停止して、非効率と腐敗を一掃する」

 

 帝国打倒のための挙国一致体制は、クーデターに先立って地方で蜂起した部隊も主張するところだった。本当に挙国一致体制を作ろうとしてるのか、それとも独裁の隠れ蓑として挙国一致を唱えているのかは、にわかに判断しがたい。

 

「三、本日一六時より、全国に無期限の戒厳令を布く。

 四、五人以上の集会、デモ、ストライキを禁止する。

 五、本日二二時より、夜間外出禁止令を全土で施行する。二二時から翌日五時までの外出を制限する。

 六、国防、通信事業、運輸事業、医療事業、福祉事業、救国統一戦線評議会が指定した基幹産業に従事する者及び救国統一戦線評議会が特に許可した者は、夜間外出禁止令の対象外とする。

 七、国民の団結を妨げる政治活動、極度に暴力的な政治活動を禁止する、その他国益に反する政治活動を禁止する。

 八、国益に反する情報、秩序を乱す情報、著しく事実と異なる情報、政府機関に対する敵意を煽り立てる情報を流布した者は処罰する。

 九、混乱を招く情報を排除して正しい情報を伝えるために、全ての放送番組、出版物、ネットコンテンツに対する検閲を実施する。

 一〇、全ての放送事業者は、救国統一戦線評議会が配信する番組を最優先で放映せよ」

 

 戒厳令の施行、政治活動や夜間外出の制限、言論統制は、一見すると全体主義的な政策に見えるが、実のところは反クーデター勢力の封じ込めを目的とした技術的な措置である。俺がクーデターを起こしたとしても、政権基盤が固まるまでは同じ措置をとるだろう。正統性を欠いた政権にとって、批判的言論と政治集会ほど怖いものはないのだ。

 

「一一、軍人に警察官と同等の司法警察権を付与する」

 

 これも極めて技術的な措置。軍政下における軍人の主な仕事は、治安維持である。警察権を持たなければ、仕事にならない。

 

 

「一二、恒星間輸送及び恒星間通信はすべて救国統一戦線評議会が管理する。

 一三、宇宙港及び星間通信局はすべて軍が管理する」

 

 輸送と通信の統制も技術的な措置だ。自由な星間通信を認めれば、ハイネセン外部の惑星にいる反クーデター勢力が連絡を取り合って団結してしまう。自由な星間交通を認めれば、反クーデター勢力同士が合流してしまう。通信と輸送を握ることで、各惑星の反クーデター勢力を分断できる。

 

 救国統一戦線評議会は、技術面では抑えるべき部分をしっかり抑えている。俺を騙してハイネセンを制圧した手際と合わせて考えると、軍事的にはかなり高い能力を持った組織のようだ。

 

「一四、反戦思想や反軍思想を持つ者は公職から追放する。

 一五、良心的徴兵拒否を刑事罰の対象とする。徴兵拒否を奨励する政治団体や宗教団体には、解散命令も検討する」

 

 かなり反戦思想や反軍思想に厳しい態度を取っている。どうやら、救国統一戦線評議会のイデオロギーは、主戦派に属するようだ。最初の項目であげた帝国打倒の挙国一致体制は、方便ではないと判断すべきであろう。

 

「一六、政治家及び公務員の汚職を厳罰に処す。悪質な違反者には死刑を適用する。

 一七、違法薬物及び人身売買を厳罰に処す。悪質な違反者には死刑を適用する。

 一八、売春、違法薬物、賭博など有害な娯楽を追放し、質実剛健な風俗の回復を目指す」

 

 汚職や犯罪に対する厳格な態度、風俗の引き締めは、国家救済戦線派すなわちラロシュ派の主張に近い。旧シトレ派の主流を占める進歩党的ハイネセン主義者は、汚職には厳罰を求めるが、犯罪には寛容な処罰を求める傾向がある。トリューニヒト主義者はその反対で犯罪に対しては厳しく、汚職には比較的甘い。やはり、国家救済戦線派がクーデターを企てたのだろうか。

 

「一九、不要な支出を徹底的に削減して、財政破綻回避に全力を尽くす。

 二〇、必要を超えた弱者救済を廃し、社会保障予算の無秩序な増大を阻止する。与えるだけの福祉から、自立のための福祉に転換する。

 二一、不要な公共事業を見直し、地方財政への国庫支援を抑制する。バラマキから、自立のための投資に転換する」

 

 財政政策については、救済より自立を重視して政府支出を抑制する。これは進歩党のジョアン・レベロやホアン・ルイの路線に近い。国家救済戦線派の財政政策は、トリューニヒト派と同じように自立より救済を重視し、政府支出拡大を容認する。救国統一戦線評議会という集団は、弱肉強食のルドルフ主義的潔癖さより、自立を尊ぶハイネセン主義的潔癖さに近い性格を持っているようだ。

 

「市民及び同盟軍将兵諸君に、救国統一戦線評議会の議長を紹介する」

 

 布告を読み終えたエベンス大佐は、一切声の調子を変えずに席を立つ。代わりに席に着いた人物の顔を見て、思わず舌打ちをしてしまった。ジャン曹長は顔全体で苦虫を噛み潰し、アルマはため息をつく。ハラボフ大尉は冷たい目で画面を見る。

 

 きれいに撫で付けられた白髪交じりの頭髪、端正な目鼻立ちに年輪を加えた渋みのある顔。四日前に食事を共にしたばかりの国防委員会査閲部長ドワイト・グリーンヒル大将だった。

 

 結局、前の歴史と同じように、グリーンヒル大将とエベンス大佐がクーデターを起こした。前からグリーンヒル大将が怪しいと言う噂が流れていたし、実際に会ってみて油断ならない人物とも思った。それなのに、首都防衛軍の監視に忙殺されて情報部に任せきりにしてしまった。俺がもっと多くの監視要員を動かせる立場であれば、十分な目配りもできたかもしれない。権限を越えて動けない組織人の限界がこうも残念に思えたのは、これが初めてだった。

 

「皆さん、はじめまして。同盟軍のドワイト・グリーンヒルと申します。本日より救国統一戦線評議会の議長を務めさせていただくことになりました。主力部隊の大半が失われ、財政は破綻寸前。それなのに権力者は私利私欲にとらわれて、果てのない権力争いを続けています。このままでは同盟は滅亡する。その思いから私達は立ち上がりました。国家を救うため、皆さんの力をお借りしたいと考えております。よろしくお願いいたします」

 

 グリーンヒル大将は感じの良い微笑を浮かべて、穏やかに語りかけた。目線はしっかりと正面を向いて、カメラの向こうの聴衆を見詰める。カメラを見ようとせず、早口で一方的に喋ってる印象を与えるエベンス大佐と比べると、役者の違いは一目瞭然である。厄介な人間を相手に回してしまったものだと思う。

 

「引き続き、副議長以下の評議員を紹介する」

 

 再びエベンス大佐が抑揚のない早口で言った。誰が参加しているのか気になる一方で、知りたくないという思いもある。前の歴史と参加者が同じであれば、想像したくもない事実に直面することになる。あの人とは戦いたくない。

 

「副議長フィリップ・ルグランジュ中将。宇宙艦隊司令長官代理及び首都戒厳司令官」

 

 目の前が真っ暗になった。逮捕状のサインを見た時点で薄々は疑ってた。前の歴史でクーデターに参加した人物でもある。しかし、何かの間違いだと思った、いや思いたかった。しかし、もう認めるしかない。ルグランジュ中将はクーデターに荷担して、俺を逮捕させようとした。昨日一緒に食事をした時、いやそれ以前からクーデターに荷担して俺を欺いていた。頭の中を「なぜ?」「どうして?」という文字がぐるぐる回って、脳みそをぐちゃぐちゃにかき回す。

 

「副議長マービン・ブロンズ中将。国防委員長代理」

 

 国家救済戦線派対策会議の主要メンバーだった情報部長ブロンズ中将の名前は、ぐちゃぐちゃになった俺の脳みそに追い打ちをかけた。対策会議は彼のもたらした情報をもとに動いていた。そもそも、ブロンズ中将が国防委員長ネグロポンティに持ち込んだ情報がきっかけで、対策会議が設置されたのだ。憲兵隊は内部告発が相次いで機能しなくなっていた。監察総監部はブロンズ中将の古巣だった。俺達はブロンズ中将の持つ情報ルートを頼るしか無かった。

 

 どうやら、最初から最後までブロンズ中将に騙されてたようだ。首都圏の地上部隊司令官を次々と襲撃したのは国家救済戦線派ではなく、存在しないクーデターの陰謀をでっち上げる工作ではないか。トリューニヒト派幹部のスキャンダル報道、憲兵隊を混乱状態に陥れた内部告発も、情報部に依存させようとするブロンズ中将の策略のように思える。グリーンヒル大将を監視対象に加えたのは、監視要員を装ったクーデター派の連絡要員をグリーンヒル大将に貼り付けることで、怪しまれずに連絡を取るためではないか。

 

 ブロンズ中将は前の歴史でクーデターを起こした人物の一人だった。しかし、今回は情報部粛正を託されたトリューニヒト派幹部として、俺の前に現れた。経歴、言動ともに疑いを差し挟む余地はなかった。そんな人物にここまで周到な工作をされたら、「前の歴史でクーデターに参加したから」なんて理由は、一ミクロンも説得力を持たない。完全に出し抜かれた。

 

「副議長ヤオ・フアシン中将。法秩序委員長代理」

 

 今度はヤオ中将である。第一二艦隊副司令官として帝国領遠征軍総司令部と対立した硬骨漢がなぜクーデターに参加しているのか。総参謀長グリーンヒル大将に苦しめられた将兵の恨みをわかっているはずではないのか。一時は民主化支援機構の建前を支持したほどの熱烈なハイネセン主義者でもあり、思想的にも軍事クーデターなどとは最も縁遠いはずだ。もう、何がなんだか訳が分からない。

 

「評議員コンスタント・パリー少将。地上軍総監代理」

 

 クーデター鎮圧作戦を立案したトリューニヒトの軍事ブレーンの名前をエベンス大佐が口にしたことで、俺は全てを理解した。第四九空挺旅団を動かして首都防衛司令部を攻撃させたのは、やはりパリー少将だった。

 

 空挺あがりの警護要員がモロ中佐と一緒になって俺を襲撃してきたのも、当初からの予定だったのだろう。クブルスリー大将が襲撃された日に、俺とパリー少将も襲撃された。この事件がきっかけとして、パリー少将は対策会議メンバーの身辺に空挺あがりの護衛を派遣した。しかし、これも暗殺の危険を匂わせることで、対策会議メンバーの周囲に部下を送り込み、いざとなったら身柄を拘束するための布石だったのかもしれない。

 

 ブロンズ中将は情報部長の立場を利用して国家救済戦線派のクーデターをでっち上げ、鎮圧作戦の名目で部隊を出動させる大義名分を作る。戦略に長けたパリー少将は作戦立案にあたり、強大な正規艦隊を握るルグランジュ中将は実動部隊の責任者となる。クーデター鎮圧を主導した三人が実はクーデターを企んでいただなんて、全知全能の神でもなければ読めるわけがない。

 

「評議員ナレンドラ・コースラー少将。統合作戦本部長代理」

 

 評議員の中で初めて納得の行く名前が登場した。コースラー少将はグリーンヒル大将の側近中の側近と言われる。グリーンヒル大将が部隊を率いる時は人事部門の責任者に、参謀長を務める時は副参謀長かそれに相当する地位に必ず起用される。変な言い方だが、こんな時でもいるべき人がいると安心する。

 

「評議員マルカ・ヤノフスカヤ少将。財務委員長代理」

 

 国防研究所副所長ヤノフスカヤ少将は、国防研究所社会経済研究室長、士官学校戦略研究科長などを歴任した教育研究部門の大物だ。一度も部隊勤務を経験せずに、圧倒的な教育研究業績によって将官まで上り詰めた。政治的野心が皆無と言われる天才研究者がクーデターに参加するのも意外である。

 

「評議員レッテリオ・ランフランキ准将。国務委員長代理。

 評議員ミゲラ・タムード准将。地域社会開発委員長代理。

 評議員オーヴェ・ヴィカンデル大佐。首都警察長官代理」

 

 第二二機甲師団長ランフランキ准将と第一〇二歩兵師団長タムード准将は、鎮圧部隊の指揮官だった。ヴィカンデル大佐が参謀長を務める第六四陸兵師団も鎮圧作戦に加わっていた。彼らもまたクーデター勢力とグルだった。

 

「評議員ナイジェル・ベイ大佐。情報交通委員長代理」

 

 またまた、頭がくらくらしてしまった。憲兵隊時代からの知り合いだったベイ大佐は、抜群の忠誠心と責任感の持ち主だった。武勲が乏しいために大佐に留まっていたが、トリューニヒトの信頼は厚い。前の歴史の本でも見かけた覚えがない。ルグランジュ中将が参加した今となっては、無意味な嘆きかも知れないが、ベイ大佐がどうして参加したのか理解できなかった。

 

「評議員エーベルト・クリスチアン大佐。人的資源委員長代理」

 

 その名前が目に入った瞬間、自分の視覚を疑った。その次に同姓同名だろうと考えた。俺自身、自分と同姓同名のエリヤ・フィリップスという軍人を二人見たことがある。一人は陸戦部隊の下士官、一人は巡航艦艦長だった。エーベルトという名もクリスチアンという姓もありふれている。過去にクリスチアンという姓を持つ部下を持ったこともある。同盟軍全軍に五万人いる大佐の中で、エーベルト・クリスチアンという名前が二人や三人ぐらいいるのは、むしろ当然と言える。

 

 今度はクリスチアン評議員の顔が画面に映し出された。鋭い目つきはまるで殺人者のようだ。大きい鼻は自尊心の高さ、厚い唇は激しやすい性格を想起させる。角ばった輪郭に合わせるかのように短く切り揃えられたブロンドの髪は、没個性的な軍人スタイルである。どこからどう見ても典型的な悪人面。いかにもクーデターに加担しそうに見える。あの人格高潔なクリスチアン大佐とは、別人に違いない。そうだ、別人なのだ。

 

「教官……」

 

 運転席から聞こえるアルマの驚きの声が、俺の現実逃避をあっけなく終わらせた。

 

「嘘だ」

 

 認めたくない思いを言葉にして、口から吐き出した。

 

「何かの間違いだろう、他人の空似ということもある」

 

 あのクリスチアン大佐がクーデターに加担したなど、認めたくもなかった。英雄の虚名に振り回される俺を広報担当として守ってくれたこと、進路に悩む俺を叱り飛ばして職業軍人の道を開いてくれたこと、政治に深入りする俺を心配してくれたこと、ダーシャと一緒に俺とアルマの関係修復に動いてくれたことなど、さまざまな思い出が頭の中に浮かんでくる。戦場経験に裏打ちされた骨太な軍人哲学は、俺が軍務を遂行する上で一つの指針となった。父親とも師とも言うべき大佐がこんな暴挙に加担するはずがない。

 

「いや……、しかし……、少将閣下、この方は間違いなくエーベルト・クリスチアン大佐。専科学校で私を指導してくださった方です」

 

 ハンドルを握ったまま震える声で言うアルマ。

 

「フィリップス中尉、貴官は間違いを言っている。貴官の教官はそのような人ではない」

 

 俺は首を大きく横に振って答えた。ジャン曹長、そしてハラボフ大尉が俺の顔を見る。テレビの中では、救国統一戦線評議会の放送がまだまだ続いていた。

 

「評議員ティム・エベンス大佐。経済開発委員長代理及び天然資源開発委員長代理。評議会事務局長を兼ねる」

 

 暖かい春の昼下がり、陽光に照らされた車の中。エベンス大佐の下手くそなアナウンスは、俺の耳を右から左へとすり抜けて行った。

 

 

 

 バーナーズタウン駅近くのスーパーマーケット駐車場に車を置いた俺達は、ハラボフ大尉がレンタカーショップで偽造身分証を使って借りた車に乗り換えた。俺とハラボフ大尉は、ドーソン大将の許可を得て、首都防衛軍情報部防諜課に作らせた偽造身分証を複数所持している。防諜課のデータは別の場所に保管しているため、首都防衛司令部が陥落しても足が着く心配はない。これに加えて、普段のイメージと異なる私服を着用して偽装している。

 

 救国統一戦線評議会は二〇〇万を超える兵力を持っているが、五〇〇〇万の人口と一万二〇〇〇平方キロの面積を有する巨大都市の隅々まで、兵士を貼り付けることはできない。政府施設、軍事施設、通信施設、幹線道路、主要駅、宇宙港、空港、海港など、守るべき目標は多数にのぼる。ハイネセンポリスにいるクーデター不参加部隊に備える人員、行政機構を監視する人員なども用意しなければならない。クーデター参加部隊しか頼れない段階では、救国統一戦線評議会は優先度の高い目標に兵力を貼り付けることになる。その隙を突けば、逃げ切れる見込みは十分にあった。

 

 農道を使ってあっさりハイネセンポリスを抜け出した俺達の車は、最も近いボーナム市の秘密司令部を目指して走り続けた。アルマの部下は車やバイクに乗って、俺達の車を中心とした半径一〇キロ以内に分散している。そして、警察の不審を招かないように走行位置を入れ替えながら、手信号や灯火信号を使って、リレー式にアルマに道路情報を伝える。こうやって通れる道を確保して、軍の検問をすり抜けていく。

 

「まるでスパイ映画みたいですなあ」

「市街地の戦闘では、今回のように通信機が使えないケースも少なくありません。ですから、第八強襲空挺連隊は通信機を使わずに戦う訓練も積んでおります。これはその応用ですね」

「いや、なんていうか、今日はカーチェイスあり、奇襲作戦あり、脱出作戦ありで、何から何まで映画みたいです。中尉殿もまるで映画女優のようで」

「ありがとうございます」

 

 しきりに感心するジャン曹長に対し、完全に儀礼的な笑顔で答えるアルマは、俺と血がつながってるとは到底思えないような切れ者に見えた。クリスチアン大佐の件で受けたショックも顔には出ていない。童顔というより幼顔と言った方が良いような顔もこういう時は、妙な風格を醸し出す。

 

 ふと、隣の席でつまらなさそうな顔をしながら、救国統一戦線評議会の放送を記録し続けているハラボフ大尉に目を向けた。最初に思ったほどアルマに顔がそっくりというわけではなかったが、その違いがかえって雰囲気を似たものとしている。

 

 完全に仕事用の顔になっているアルマ、味方に襲われようがクーデターが起きようが冷たい表情を崩さないハラボフ大尉、空気を読まずにずけずけと物を言うジャン曹長。変に気を使おうとしない三人のおかげで、クリスチアン大佐やルグランジュ中将のクーデター参加で受けたショックもやや和らいできた。

 

 俺達は何事も無く、一八時三〇分頃にボーナム市に入った。首都圏の北端に位置するこの地方都市の人口はわずか三二万。政治的にも経済的にも重要度が低く、自由惑星同盟建国期まで遡る歴史以外にこれといった取り柄を持っていない。救国統一戦線評議会もこの古都に対する関心が薄いらしく、街頭には兵士が見当たらなかった。

 

「予想通りだ。まだ救国統一戦線評議会の手はここまで回っていない。予定通り、この街を拠点にする」

「しかし、本当に何も無い街じゃないですか。手を回さないのも納得といいますか」

 

 首を傾げるジャン曹長。確かに一見すると、この街には何もないように見える。強いて言えば、同盟建国期の面影を残す街並みぐらいだろうか。一個工兵連隊が駐屯しているが、「自由惑星同盟軍史上で三番目に古い部隊駐屯地を廃止するのはよろしくない」という理由だけで定数割れした二線級部隊が置かれているに過ぎず、軍事的重要度は皆無に等しい。

 

「この街には反撃に必要な武器がすべて揃ってる。それなのに敵は押さえようとしなかった。俺達の勝利は疑いない」

 

 あえて強気に断言してみせる。本当は不安で不安でたまらなかった。条件にピッタリ合っていた街だったから、四つの秘密司令部の中での優先順位は第二位とした。何もない街なのは知っていたが、実際に見たら予想以上に何もない街だった。ただでさえ心が弱ってる時にこんなしけた街並みを目にしたら、さらに落ち込んでしまう。「ここを拠点に戦えるのだろうか」という疑念が頭の中をぐるぐる巡る。

 

 反応が気になって、周囲をちらちら見回した。アルマは何の反応もせずに、ハンドルを握っている。ハラボフ大尉は相変わらずの冷たい目で俺を見る。ジャン曹長だけが感心したような表情を浮かべた。何を言っても感心してくれる人だけに反応されても、全然嬉しくなかった。

 

 暗い気分のまま、車の窓から日が落ちていく街を眺める。街行く人々の様子には緊迫感が感じられず、クーデターが起きたことを知らないんじゃないかと思ってしまう。

 

 目的地のボーナム市総合防災公園に到着した時には、一九時を過ぎていた。大都市のパラディオンで生まれ育ち、現在は巨大都市のハイネセンポリスで暮らす俺にとって、夜の闇に包まれた地方都市郊外の大公園はとても不吉に感じられる。

 

 胸を不安に高鳴らせながら車から降りた俺を待ち構えていたのは、情報部長ベッカー大佐を始めとする首都防衛軍参謀及び技術スタッフ、そしてアルマの部下。一〇〇人を超える大集団。みんな、俺達と同じように私服を着用していた。

 

「ご無事で何よりであります」

 

 ベッカー大佐は、いつもと変わらぬくだけた調子で敬礼をした。少し緊張がほぐれて、口元が緩んだ。

 

「情報部長はいつもと変わりがないな」

「閣下も変わりがありませんな。緊張してらっしゃいます」

「そうか、緊張しているように見えるか」

「本番になれば落ち着くでしょう。閣下はいつもそうでした。いつもと変わらぬ閣下であれば、我々には何の不安もありません。命をお預けいたします」

 

 芝居がかった口調でそう言うと、亡命者の情報部長は左足をすっと前に伸ばして腰を落とし、右膝を地面に付け、右手を胸に当てて頭を下げた。まるで帝国貴族を思わせるかしこまった挨拶だった。

 

「分かった。しばらくの間預かろう」

 

 ごく自然に笑みが浮かんだ。

 

「我々も閣下に命をお預けします」

 

 アルマが直立不動で敬礼をすると同時に、彼女に従う第八突撃強襲連隊隊員二個小隊も寸分たがわぬ敬礼を見せた。それから数秒遅れて、ハラボフ大尉、ジャン曹長、首都防衛軍参謀、技術スタッフも敬礼をする。

 

「よろしく頼む」

 

 敬礼を返した後、俺は歩き出した。公園の案内図を持ったハラボフ大尉が左脇に、ボストンバッグを手にしたベッカー大佐が右脇に寄り添い、アルマの部隊と参謀と技術スタッフが周りを取り巻く。全員ラフな私服で、一見すると夜の練習にやってきた社会人スポーツサークルか何かのようだ。しかし、実際は同盟の民主主義を守る最後の部隊なのだ。

 

 公園の本部管理棟に着くと、警備員を呼び出した。かねてから用意しておいたボーナム市長の署名入り管理棟利用許可書を見せる。

 

「ああ、どうぞ。お通りください」

 

 初老の警備員は気のない返事をすると、さっさと事務室に引っ込んだ。

 

「少将閣下。今の人、酒の匂いがしてましたよね?」

 

 若い参謀の一人がやや不快そうに問うた。

 

「そうだね」

「国家がどうなるかも分からないという時なのに、緊張感に欠けてはいませんか?」

「みんながみんな、国を思って一喜一憂する必要はないよ」

 

 それだけ言うと、俺は薄暗い本部棟の廊下をすたすたと歩いて行く。二年前、ヨブ・トリューニヒトは場末のバーで俺に言った。「目先のことしか考えられない凡人のためにこそ、民主主義はある。政治を考えなくても暮らしていける世の中を作りたい」と。俺が守るべき民主主義は、国難のまっ只中でも仕事中に飲酒してるような人のためにあるのだ。

 

 俺達は二階の「防災司令室」と書かれたドアの前に着く。ハラボフ大尉が解錠カードを使ってドアを開くと、広い室内にやや古びたオペレーション用の端末、大きなマルチビジョン、大型通信設備などが並んでいた。

 

「これが閣下のおっしゃってた武器ですか」

 

 開いた口が塞がらないといった風情で、ジャン曹長は防災司令室を眺める。

 

「総合防災センターの指揮通信設備。これが欲しかったんだ」

 

 俺はにっこりと笑って頷いた。ハイネセン首都圏には、非常時に災害対策本部となる総合防災センターが八つある。いずれも市消防本部ビルや防災公園管理棟の一部にひっそりと間借りする地味な存在だ。首都消防局の管轄だが、首都圏防災体制の一翼を担う首都防衛司令部も管理権を行使できる。クーデター勢力の監視の目も届きにくい。そこである条件を満たした四つの総合防災センターを秘密司令部として選び、設備の点検作業を装って司令部機能を移した。

 

 部下を連れて防災司令室の中に入った俺は、防災指揮官用端末の電源スイッチを入れた。通常パスワードを打ち込み、防災指揮管制システムを作動させる。さらに操作を続けると、音声パスワード入力を求める画面が現れた。

 

「パスワードAの入力をお願いします」

「今日のおやつは、フィラデルフィア・ベーグルのマフィン」

「パスワード一致。解除しました。パスワードBの入力をお願いします」

「明日のおやつは、パティスリー・マルシェのフランボワジェ」

「パスワード一致。解除しました。パスワードCの入力をお願いします」

「コーヒー豆は、パディエダイヤモンドをコーヒーシルクロードの特売日にまとめ買い」

「パスワード一致。解除しました」

 

 パスワードをすべて入力し終えると、ボーナム総合防災センターの指揮通信システムと端末に保管されていた首都防衛司令部のデータがリンクしたことを示す文章が現れた。

 

「よし、通信準備頼む」

「はい!」

 

 俺の指示を受けて、首都防衛司令部通信部のスタッフが通信設備の操作を開始した。

 

 総合防災センターの指揮通信システムは、首都圏にあるすべての公共機関、警察、消防、軍隊と接続される首都圏防災通信ネットワークの中枢にある。そして、惑星ハイネセンにある他の防災通信ネットワークとの交信も可能だ。このネットワークは外部の干渉を受けない複数の有線通信網、無線通信網、衛星通信網によって構成され、天災やテロによってどの通信網が破壊されても、機能し続けるように作られている。

 

 惑星ハイネセン全土に交信可能でなおかつ救国統一戦線評議会の干渉を受けない独自の通信システムを手に入れる。ここから「クレープ計画」は本格的に動き出す。

 

「準備完了です!惑星ハイネセン全土の防災通信ネットワークとの交信が可能になりました!」

「ありがとう」

 

 通信機の前に立った俺は、ハラボフ大尉から手渡されたスピーチ原稿を開いた。端っこにきれいな字で、「評議会が出頭を要求した四六名の要人の中に、トリューニヒト議長の名前が含まれていました。どうやら拘束を免れた模様です」と記されている。

 

 トリューニヒトは逃げ延びた。その知らせに希望が湧き上がってくる。トリューニヒトが姿を現して、最高評議会議長権限を行使して全軍を指揮下に収めれば、救国統一戦線評議会はあっという間に倒れる。最高評議会議長及び議長権限継承資格を持った評議員が全員拘束されるケースを想定して作戦を組み立てていたが、もっと楽に勝てるかもしれない。潜伏中のトリューニヒトと連絡をとって、救国統一戦線評議会の追跡を逃れられるように手を打つ必要もある。

 

「自由惑星同盟国民の皆様、首都防衛司令官代理エリヤ・フィリップスです。現在ハイネセンで進行している危機的事態について、防災通信をお借りしてお話したいと思います」

 

 俺は防災通信ネットワークの向こうにいるすべての公務員、軍人、警察官、消防官に向けて語りかけた。救国統一戦線評議会への反撃は、今この瞬間から始まる。人生で最も重要なスピーチに臨んでいるのに、不思議と緊張を感じなかった。



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第百十五話:彼らは兵隊を持っているに過ぎない 宇宙暦797年4月13日 ボーナム総合防災センター

 俺はプロンプターに映し出される原稿の文字を目で追って行く。俺が昨日作った文案を、ハラボフ大尉が車の中で救国統一戦線評議会の発表を踏まえて手直しした原稿だ。

 

「本日昼頃、武装勢力がハイネセンポリスで蜂起しました。私も視察に向かっている最中に襲撃されましたが、間一髪で脱出しました。同じ軍服を着た者に襲われたことに驚いた私は、武装勢力が救国統一戦線評議会を名乗っていること、議会と最高評議会に代わって全権を掌握したと言っていることを知って、さらに驚きました。自由惑星同盟は民主主義国家。主権者たる市民が統治者を選ぶ国です。議会と評議会を武力で排除すれば、選挙の洗礼を受けずとも統治者になれるなどという話は、聞いたことがありません。彼らはいかなる資格をもって、統治者を名乗っているのでしょうか?民主国家に生きる一市民として、問わずにはいられません」

 

 穏やかな声色で語りかけるように問う。もちろん、目線は正面をはっきりと見据える。カメラと一体になったプロンプターを使っているおかげで、カメラ目線で原稿を読むことができる。この時のために、秘密司令部とした四つの総合防災センターすべてに用意させておいたのだ。

 

「ハイネセンポリスで蜂起した部隊は、判明しているだけで一個艦隊一六三万、地上部隊九個師団一二万。周辺の都市で蜂起した部隊も含めると、彼らは二〇〇万を越える兵力を持っていると推定されます。宇宙艦隊、第一艦隊は司令部を急襲されて動きが取れません。ハイネセンポリスの外には、一〇〇万を超える部隊が駐屯していますが、統一された指揮権のもとにあるわけではありません。彼らは現時点ではこの惑星で最大最強の軍事勢力です。しかし、それ以上でも以下でもありません。彼らは兵隊をたくさん持っているに過ぎないのです」

 

 救国統一戦線評議会の軍事的優位を認めた上で、「兵隊を持っているだけ」とばっさり切り捨てて、恐るるに足りないと印象づける。

 

「政府中枢を制圧し、政府や軍部の要人を捕らえれば、忠誠の対象を失った市民は大軍を持った自分達に服従するとでも、彼らは思い込んでいるのでしょう。しかし、それは軍事力の多寡のみですべてを量ろうとする軍国主義者の論理です。強大な軍事力を持ったルドルフの末裔にわずか四〇万人で挑んだアーレ・ハイネセンの精神を受け継ぎ、三〇〇年以上にわたって戦い抜いてきた自由惑星同盟の市民には、そんな論理は通用しません。自由惑星同盟の市民は、自らの統治者を自らの手で選びます。軍隊を並べて脅迫する者に服従するなど、決して有り得ないのです」

 

 自由惑星同盟の政権は軍事力の多寡ではなく、市民の支持の多寡によって決まる。その原則論を前面に押し出す。

 

「武装勢力は全権を掌握したと言っていますが、実際はハイネセンポリスすら完全に手中に収めたとは言い難い状態です。ヨブ・トリューニヒト議長は、拘束を免れました。首都防衛軍司令部は陥落しましたが、第三巡視艦隊を始めとする数十万の部隊が抵抗を続けています。その他にもハイネセンポリス周辺で武装勢力に抵抗している部隊は、一〇万を下りません」

 

 多少誇張しているが、嘘を言っているわけではない。チュン准将が掌握した第三巡視艦隊だけでも二六万人の将兵がいる。首都防衛軍所属の他の部隊がことごとく日和見していても、数十万は抵抗していることになる。

 

 司令部が陥落して無力化した第一艦隊には一五六万、宇宙艦隊には司令長官直轄部隊と帝国領遠征で生き残った正規艦隊の残存戦力を合わせて四七〇万の将兵がいる。それだけいれば、クーデターに抵抗する部隊も一〇万人ぐらいはいるだろう。帰趨がはっきりしないハイネセンポリス周辺の地上部隊も三〇万人はいるが、抵抗の姿勢を見せる部隊も多少はいるのではないか。

 

 希望的観測ではあるが、人心に訴えるという意味では、確証のある悲観より根拠の無い楽観の方がはるかに有意義である。エル・ファシル危機を経験してからは、あえて楽観的に振る舞うように心がけるようになった。悲観論を唱えて賢者ぶって見せるより、楽観論を唱えて愚かと言われる方を俺は選ぶ。

 

「つまり、彼らはハイネセンポリスの一部を掌握しているに過ぎない一介の武装勢力であるにも関わらず、政府中枢機関と要人の身柄を抑えただけで、あたかも同盟全土の統治者であるかのように振る舞っているのです。テレビを見れば、彼らの主張ばかりが流れています。通信は彼らの手によって規制され、首都で何が起きているかは掴めません。一見、彼らがすべてを支配したように見えるでしょう。しかし、それは放送局と通信施設を占拠して、情報を統制することで自分達を大きく見せかけているに過ぎません。皆さんの不安に付け込めば、服従させられると彼らは勘違いしています。繰り返しますが、彼らは兵隊をたくさん持っているだけなのです」

 

 情報統制のからくりを暴露して、実体以上に膨れ上がった敵の存在感を相対化する。これは対クーデター計画のもととなった「午睡計画」が最も重視しているポイントだった。

 

 クーデターを起こした者の最大の武器は、実は軍事力ではなく情報力である。どのチャンネルを付けてもクーデター勢力の主張が流れていれば、彼らが唯一の支配者であるように見えるだろう。自由な通信ができなければ、仲間と連絡を取ることもできず、クーデター勢力の流す情報のみに依存させられるだろう。そうやって、状況がわからずに混乱している多数派を取り込んでいくのだ。

 

「彼らは支配者ではありません。皆さんは孤立していません。ハイネセンポリスとその周辺には、宇宙艦隊と第一艦隊その他の部隊を合わせて六〇〇万以上、クーデターに参加していない地上部隊を合計すると三〇万以上、警察官は二〇万、消防官は一〇万、公務員は一〇〇万。ハイネセンポリスの外には、一〇〇万以上の地上部隊、二五〇万以上の警察官、一〇〇万以上の消防官、一八〇〇万以上の公務員がいます。ハイネセンポリスには五〇〇〇万、惑星ハイネセンには一〇億の市民が住んでいます。結束すれば圧倒的な数なのに、メディアと通信を独占する敵によって、『自分は孤立している』『二〇〇万の軍隊に敵わない』と思い込まされている。それが現実です」

 

 救国統一戦線評議会は少数派に過ぎず、画面の向こうにいる人々は多数派である。ただ、分断されているに過ぎない。具体的な数を列挙することでそう強調する。

 

「この戦いは軍隊と軍隊の戦いではありません。統治者を僭称する武装勢力二〇〇万と自由惑星市民一三〇億の戦いです。市民的自由を巡る市民戦争なのです。武装勢力に欺かれて先制奇襲を許してしまいましたが、それでもハイネセンポリスの中心部を奪われたに過ぎません。皆さんの手元にある人員や物資は無傷です。市民もまだ武装勢力に屈したわけではありません。皆さんや市民が結束すれば、武装勢力を打倒することは容易です。そして、私は結束に必要な連絡手段、そして正規の指揮系統を皆さんに提供できます」

 

 話をどんどん広げて、少数の武装勢力対多数の市民という構図を作り上げ、勝利への展望を見せる。軍隊と軍隊の戦いであれば、救国統一戦線評議会に対抗できる戦力はイゼルローン方面軍ぐらいである。何百万いようと、統一された指揮のもとに置かれていない部隊は弱い。だからこそ、敵も統合作戦本部、宇宙艦隊総司令部、首都防衛司令部、第一艦隊司令部などを制圧して、正規の指揮系統を破壊した。しかし、市民戦争なら戦闘をせずとも勝利できる。

 

「首都防衛軍司令官代理エリヤ・フィリップスは、国防基本法第一〇七条の規定により、惑星ハイネセンの治安維持に必要な措置を行います。首都防衛軍は本日四月一三日二一時二二分をもって、警戒レベル五を宣言。惑星ハイネセンにいる部隊のうち、宇宙艦隊及び地上総軍に所属する部隊を除く全部隊を首都防衛軍の指揮下に編入の上、総動員を発令。二四時間の即応態勢に移ってください。惑星ハイネセンに居住するすべての予備役軍人に、緊急防衛召集を発令。最寄りの首都防衛軍駐屯地に出頭してください。また、宇宙艦隊及び地上総軍に所属するすべての部隊、惑星ハイネセンの警察機関、消防機関、指定公共機関に治安維持への協力を要請します」

 

 惑星ハイネセン全土の防衛に責任を持つ首都防衛軍司令官の権限。これが俺の持つ最大の武器であった。正規の指揮系統を破壊されて混乱している軍隊、警察、消防、その他の公務員を首都防衛軍の指揮系統に一本化する。首都防衛軍と地方警備部隊以外の部隊や機関には、協力要請の形式をとるが、クーデターによって首脳部が壊滅している現状では、事実上指揮下に入ることになる。

 

「なお、この措置は武力闘争及びその後方支援を求めるものではありません。あくまで治安維持を目的としております。武装勢力に参加している者も同盟市民であり、同盟軍人です。同胞同士での流血は、私の本意ではありません。首都防衛軍に表立った協力をすれば、危険に晒される方もいるでしょう。その場合は武装勢力に対するサボタージュ、あるいはこちらの主張を密かに流していただくといった形のご協力をお願いしたいと考えております」

 

 俺の意思が武力闘争には無いこと、流血を望んでいないこと、非暴力的な闘争手段を主とすることなどを明言する。敵陣営であっても同盟市民の血を流してしまえば、人心が離れてしまう。

 

「なお、動員命令及び協力要請は警戒レベル引き上げと同時に、メールにて皆さんの公用端末に送付いたしました。民主主義を守るために結束しましょう。一日も早くハイネセンに平穏を取り戻しましょう。ご清聴いただきありがとうございました」

 

 作戦部に用意させておいた命令文や要請文をメールで一斉送付して、救国統一戦線評議会の妨害を受けない連絡手段の存在をアピールする。そして、結束を訴えた後に謝辞を述べ、カメラに向かって深々と頭を下げた。

 

「終了です」

 

 カメラを担当していた技術スタッフが放送終了を告げると同時に、防災司令室は割れるような拍手に満たされた。そして、みんなが次々と握手を求めてくる。

 

「お見事でした。トリューニヒト議長みたいでしたよ」

「ありがとう。最高の褒め言葉だ」

 

 情報部長ベッカー大佐と強く握手を交わしながら、満面の笑みで答えた。大仕事を終えた満足感が気持ちを高揚させる。

 

「知り合った頃の閣下は、褒め言葉を聞くたびに恥ずかしがったものですが。今は随分と素直になられました」

「褒め言葉は素直に受け止めろと俺に言ったのは、情報部長じゃないか」

「覚えてますよ。昔の閣下はからかい甲斐がありました。あの時はブレツェリ大佐とスコット准将もいましたね」

 

 三年前、ハイネセン第二国防病院に入院してた頃のことをふと思い出した。やることがなくて、いつもダーシャ、ベッカー大佐、スコット准将の三人とロビーでお茶を飲んでいたものだ。

 

「ダーシャがいきなり俺の目を真剣に見詰めてさ。何言い出すかと思ったら、『本当にかわいいですね』だよ。どんなことでも褒められたら『ありがとう』って言うことに決めてたけど、あれは本当に参った」

「懐かしいですな。あの時は自分が閣下にお仕えするなんて、想像もつきませんでしたよ」

「そうだね。ダーシャと婚約することになるとも想像してなかった」

「私は想像してましたがね。ブレツェリ大佐、ガンガン押してきてたでしょう。『ああ、これはじきに押し切られるな』って思ってましたよ。入院中に付き合わなかったのは、誤算でしたがね。おかげで退院後にスコット准将に一杯おごる羽目になりました」

「貴官ら、そんな賭けをしていたのか」

 

 三年目にして知った真実に、思わず苦笑してしまった。

 

「しかしまあ、あの会話のきっかけになった人がここにいるというのも奇妙な縁ですな」

 

 ベッカー大佐は司令室の片隅で端末を操作するハラボフ大尉に視線を向ける。かつて俺を意識しすぎて煮詰まってた彼女に、「雑な仕事をしてごめん」と失言をした俺は、ベッカー大佐に説教されたのだ。

 

「いや、あの時はね。どうかしてたんだ」

 

 やや後ろめたい気持ちになって、頭を軽くかいた。

 

「閣下」

 

 俺を呼ぶ声に振り向くと、真後ろにハラボフ大尉が立っていた。ついさっきまで部屋の隅にいたのに、いつの間に移動してきたのだろうか。武術の達人はとんでもない距離から間合いを詰めてくる。幹部候補生養成所時代にカスパー・リンツと組手をしたら、五メートル離れていてもあっという間に懐に入り込まれた。徒手格闘に長けたハラボフ大尉もそういう技を会得しているのかもしれない。

 

「なんだい?」

「第二巡視艦隊のアラルコン少将より、通信が入っております」

「アラルコン少将?」

 

 今のスピーチは防災通信ネットワークを通して、惑星ハイネセンにいるすべての部隊に放送された。当然、アラルコン少将のところでも放送されている。しかし、動員命令の返答はメールで行うように命令文の中に書いたはずだ。いったい、どういうつもりで通信してきたのだろうか。対立するウィンターズ主義派が二人も加わっている救国統一戦線評議会にアラルコン少将が与しているとは思えないが、クリスチアン大佐が評議員になっている以上、絶対ということは無い。警戒しながら通信に出た。

 

「司令官代理、お疲れ様でありました!実に素晴らしい演説でしたな!このアラルコン、心底感激いたしましたぞ!救国統一戦線評議会とやらは、あのエベンスめがいるせいか、むやみに理屈っぽくていけません!それに比べて、司令官代理のお言葉の歯切れのよいことと言ったら、まるで上質なピクルスを口にしたようでした!ワインが欲しくなります!」

 

 通信が繋がると同時に、口を大きく開けて笑うアラルコン少将の顔がアップで映し出されて、少しのけぞってしまった。声も鼓膜が震えそうなぐらいに大きい。送信音量を大きくセットし過ぎではなかろうかと思った。

 

「第二巡視艦隊は、首都防衛軍司令官代理エリヤ・フィリップス少将を支持いたします!陸の上でも役に立つ男が勢揃いしておりますゆえ、何なりとお申し付けいただきたい!」

「感謝する」

 

 アラルコン少将の支持表明を笑顔で受け入れた。救国統一戦線評議会副議長ブロンズ中将の破壊工作によって戦力が低下してはいるが、将兵三二万を擁する第二巡視艦隊の加入は、事態が流動的な現段階では極めて大きな意味を持つ。もともと味方に数えていなかった部隊が味方に付いたのも嬉しい。

 

「救国統一戦線評議会とやらは、祖国を軍国主義にしようと企むけしからん奴らです!民主主義を守るため、共に戦いましょう!」

 

 筋金入りの軍国主義者に、「民主主義を守るために戦おう」と真顔で言われると、反応に困ってしまう。よほどエベンス大佐を嫌いなのか、それとも俺に合わせてるだけなのか、にわかには判断し難かった。

 

「良く分からんという顔をしてらっしゃいますな」

「そんなことはない。貴官の民主主義に対する気持ちは、良く分かっているつもりだ」

 

 内心を見透かされたようだ。味方になったといっても、やはり油断ならない相手である。

 

「いやいや、隠さなくても良いですぞ。小官は口は回りませんが、馬鹿ではありません。世間で軍国主義者と言われていることぐらい、ちゃんとわきまえております」

 

 アラルコン少将はさっぱりとした表情を崩さず、良く回る口で自己認識を述べる。ごまかしが通用しないことを悟った俺は、単刀直入に話すことに決めた。

 

「小官は貴官と付き合いが浅い。だから、どうしても世評を通して見てしまう。貴官は民主主義を嫌っていると言われる。小官はその世評を覆すほど、貴官という人物を良く知らない。だから、救国統一戦線評議会の一部評議員に個人的反感を抱いてはいても、軍国主義的イデオロギーには一定の理解を示すものと思っていた」

「誤解も甚だしいと言わざるを得ませんな。司令官代理ほどの方が世評を鵜呑みになさるとは、本当に心外です」

「すまん」

「ですが、それを率直にお認めになる姿勢には、好感を覚えます。露骨に偏見を持っているのに、紳士ぶって認めようとしないウィンターズ主義派や旧シトレ派の奴らより、ずっと立派でいらっしゃる」

「貴官相手に取り繕っても仕方が無いからね」

 

 敵わないという気持ちを込めて、苦笑いをした。これまでの言動から判断するに、アラルコン少将は正直を好む人のようだ。そして、人情の機微に敏い。ならば、両手を上げて懐に飛び込むに如くはなかった。

 

「小官から見れば、個人主義者はみんな軍国主義者です。奴らは軍隊を戦争の道具と考えております。軍隊をただ戦争にのみ奉仕する存在とみなし、戦争がなければただのならず者だと言っておるのです」

「軍隊を『戦争の道具』『ならず者』とみなすのは、むしろ軍国主義に敵対する側の見解じゃないかな?個人主義者は軍隊的な秩序を嫌うしね」

 

 アラルコン少将が軍国主義的と決めつけた個人主義的軍隊観は、世間では民主主義的な軍隊観と言われる。軍部反戦派の巨頭であるイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は、事あるごとにそのような軍隊観を口にしている。

 

「軍隊はそれ自体が一つの社会。そして、軍隊社会で生きる者は市民社会の一員。それを戦争のみに奉仕する個人主義者の集団にしようとするのは、軍事至上主義、軍国主義でしょう。国家の中に軍事国家を作ろうとする考えです。それのどこが民主主義なのですか。小官は違います。あらゆる階層の市民が集まる軍隊こそ、エリートや富裕層が集まる議会よりもずっと多様な階層の利害を平等に反映しうる存在と考えております。軍隊的秩序が生む力は、どのような組織よりも市民の幸福に寄与しうると考えております。市民が主役ですから、民主主義の中の民主主義です」

 

 軍隊を戦争の道具とするのは軍国主義で、軍隊による統治こそが真の民主主義である。そんな過激思想をこんな時に披露するアラルコン少将が大胆なのか、抜けているのか、俺にはいまいち判断がつかなかった。

 

「救国統一戦線評議会のイデオロギーは、貴官の考える民主主義と反している。そう解釈していいのかな?」

「そうですとも。奴らの布告はもうご覧になったでしょう?戦争に向けた体制作り優先で、貧困や失業には目を向けようとしない。福祉は切り捨て、公共事業も削減すると言っとるでしょう。まさに戦争のためにすべてを奉仕させる軍国主義ですよ。小官が理想とする体制は、軍隊が市民に奉仕する体制。貧困や失業の解決こそ最優先。軍国主義とは似ても似つきません」

「なるほど、それなら貴官とは相容れないな」

 

 アラルコン少将の主張の是非はともかく、救国統一戦線評議会との路線の違いは理解できた。救国統一戦線評議会の布告は、確かに戦時体制強化に偏っている。社会問題解決に軍隊を使おうとするアラルコン少将、そして国家救済戦線派の路線とは相容れないだろう。

 

「ご理解いただけましたか!軍国主義者どもをこらしめてやりましょう!」

「貴官と第二巡視艦隊の力、頼りにしている」

 

 敬礼を交わし合って、アラルコン少将との通信は終わった。画面からアラルコン少将の顔が消えると同時に、汗がどっと吹き出た。

 

「信じてもよろしいのでしょうか?」

 

 右隣にいる警備責任者のアルマは、目に不審の色を宿していた。

 

「何のこと?」

「アラルコン少将です。水面下で救国統一戦線評議会と通じている可能性も考慮すべきでは」

 

 そう言えば、アルマはアラルコン少将の過激思想を嫌ってた。今の通信を見て、さらに嫌いになったかもしれない。やたらと調子の良いアラルコン少将は、堅物のアルマとは相性が悪そうに見える。

 

「その可能性は低いと見ていいだろう。彼と救国統一戦線評議会の路線は、完全に食い違ってる」

「現政権を倒して軍事独裁政権を作るために、路線の違いを棚上げして一時的に共闘することもありえます」

「アラルコン少将の目的は社会問題解決であって、軍事独裁政権はその手段に過ぎない。社会問題に対する関心が薄い救国統一戦線評議会に協力すれば、かえって目的から遠ざかることになる」

「本気で社会問題に取り組もうと考えているのでしょうか?権力欲しさのポーズなら、救国統一戦線評議会に擦り寄る可能性だってあるでしょう」

「アラルコン少将がそういう人なら、なおさら救国統一戦線評議会には協力できない。主張を覆して擦り寄ったら、支持者に見放されてしまう。支持者がいない政治家ほど無力な存在はいない。救国統一戦線評議会にも冷遇されるだろうね。権力が欲しいなら、主張を貫き通して支持者の心を掴んでおかなきゃいけないんだ。アラルコン少将が理想家だとしても、権力亡者だとしても、救国統一戦線評議会への参加はデメリットしか存在しない」

「わかりました」

 

 アルマは言葉とは裏腹に、腑に落ちない表情を浮かべて引き下がった。納得できないのも仕方が無いと思う。過去に非戦闘員虐殺の疑いで何度も告発されたアラルコン少将には、何をしでかすかわからない危険人物という評価が定着している。だが、危険人物にも危険人物なりの計算があるのだ。

 

 表沙汰にはできないことであったが、救国統一戦線評議会のブロンズ中将は、クーデターを起こす前に第二巡視艦隊の輸送系統や通信系統に破壊工作を仕掛けた。アラルコン少将を潜在的な味方とみなしていたら、そんな真似はしないはずだ。潜在的な強敵はいくらでもいるのに、頼れる工作員には限りがある。味方に付きそうな三二万の兵力を弱体化させるために、工作員を差し向ける余裕は無い。敵を無能と思うのは誤りだが、万能と思うのも誤りだ。どんな強敵でも手持ちのリソースの制約を越えた行動は取れないのである。

 

 俺は指揮卓に座ると、ハラボフ大尉が置いた箱の中から取り出したマフィンを食べて、糖分を補給した。そして、端末のメールボックスを開く。

 

「意外と少ないな」

 

 惑星ハイネセン全土に向けて放送したにも関わらず、動員命令や協力要請を受諾するメールは一〇〇通程度しか来なかった。それも大半が群司令部、連隊司令部、旅団司令部、警察署、消防署、市役所といった小規模組織。有力といえるのは、旧第八艦隊系の第六五戦隊、第一首都防衛軍団、第三首都防衛軍団、第七機甲軍団、第三一陸戦軍団、第五大気圏内航空軍、四つの州警察本部、一つの州消防本部、二つの州政庁、一つの特別市政庁。

 

 受諾のメールを送ってきた有力組織のうち、ハイネセンポリス周辺に拠点があるのは、第六五戦隊、第一首都防衛軍団、第三首都防衛軍団のみ。第七機甲軍団はハイネセンポリスから一〇〇〇キロ離れたミルズワース市に駐屯。第三一陸戦軍団と第五大気圏内空軍は、ハイネセンポリスのある北大陸と別の大陸に駐屯。州警察本部、州消防本部、特別市政庁はすべて首都圏から遠く離れた地域だった。

 

 チュン准将率いる第三巡視艦隊とアラルコン少将率いる第二巡視艦隊に、第六五戦隊、第一首都防衛軍団、第三首都防衛軍団、その他の群、連隊、旅団規模の部隊を合わせると、現段階で俺に味方する首都圏の兵力は八〇万に及ぶ。ただし、第六五戦隊、第三首都防衛軍団はまだ動員を完了しておらず、戦力としては信頼出来ない。

 

 拒絶の返事を送ってきた組織も五〇ほどあった。その中には、旧第七艦隊系の第一二戦隊、旧第八艦隊系の第二五戦隊、旧第一二艦隊系の第六二戦隊、第一九歩兵軍団、第二機甲軍団、第一工兵軍団、第一大気圏内戦略航空軍といった首都圏の有力なクーデター未参加部隊も含まれる。

 

 残念なことではあるが、拒絶の返事を送ってきた部隊のうち、第二五戦隊、第六二戦隊、第二機甲軍団、第一大気圏内戦略航空軍は、メールの中で救国統一戦線評議会に対する支持も明言した。俺のメールを黙殺して、救国統一戦線評議会支持に回った部隊もいるはずだ。多数派工作では大きく遅れを取っている

 

「前途多難だな」

 

 溜め息が出そうになったが、辛うじてこらえた。戦いはまだ始まったばかりだ。劣勢にあって弱気を見せては、ますます不利になってしまう。

 

「閣下、第三巡視艦隊のチュン准将より通信が入っております」

 

 副官は冷たい声で参謀長からの連絡を伝える。

 

「繋いでくれ」

 

 名参謀のチュン准将なら、何か良い策を授けてくれるのではないか。そんな期待が声を上ずらせた。スクリーンにいつもと変わらぬのんきな顔が現れた途端、不安は急に収まっていった。

 

「司令官代理閣下、演説お疲れ様でした」

「ほんと、今日は大変だったよ。そちらはどうだ?」

「第三巡視艦隊司令部、第一〇一戦隊司令部、第一〇二戦隊司令部、第一〇四戦隊司令部、すべて敵に包囲されていますよ。合計でざっと五〇万ほど。第三巡視艦隊の倍の兵力です」

 

 参謀長は朝食のメニューを知らせるかのようなのんびりとした声で、第三巡視艦隊の危機的状況を報告した。心臓がきゅっと締め付けられるように痛む。

 

「……それは参ったね」

「まあ、じきに引くでしょう。五〇万もの兵力をずっと私だけに貼り付けておくほど、あちらも余裕が無いでしょうから」

「参謀長は本当に大胆だな」

「敵が全軍の四分の一もの兵力をこちらに振り向けたのには、閣下と第三巡視艦隊の合流を阻止する意図がありました。今の放送で別の場所にいるとわかった以上、囲む必要も無くなります」

「それがわかっていても、俺ならそんなに落ち着いてられないな」

 

 鈍感にすら思える参謀長の大胆不敵ぶりに、すっかり舌を巻いてしまった。前の歴史の彼は、獅子帝ラインハルト率いる大軍すら恐れなかった。たかが二倍の同盟軍など、恐るるに足らないのかもしれない。

 

「落ち着いてもらわないと困りますよ。敵はこれから躍起になって閣下を探しにかかるでしょうから」

「ああ、そうだな。見つかる前に部隊をボーナムに集結しないと。地上戦に慣れてない兵士なら一〇万、地上戦に慣れた兵士なら五万もいればもちこたえられる」

「兵力のあてはできましたか?無ければ第三巡視艦隊の戦力を半分ほど割きますが」

「大丈夫だ。第一首都防衛軍団と第三首都防衛軍団が味方についた。動員済みの第一首都防衛軍団を使おうと思う」

「第一首都防衛軍団の精鋭が味方に付きましたか。これは心強いですね」

「問題は道路だね。星道二六号線が壊れたままだから、こちらに着くまで時間がかかる」

 

 自分の愚かさがどうしようもなく腹立たしかった。国家救済戦線派に与する第一首都防衛軍団の駐屯地と首都圏各所を結ぶ星道二六号線は、ブロンズ中将の工作によって破壊されたままだった。ブロンズ中将に騙された俺は、修復工事を妨害した。それがこんな形で響いているのだ。

 

「他に我が方に味方した有力部隊はありますか?」

「首都圏では第二巡視艦隊と第六五戦隊。圏外では第七機甲軍団、第三一陸戦軍団、第五大気圏内空軍だね」

「小部隊も含めると、首都圏で我が方に味方した部隊は八〇万前後ですか。上出来です」

 

 意外な参謀長の言葉に驚いた。だが、何の根拠もなく楽観論を唱えるような彼ではない。何を考えているのか、聞いてみたくなる。

 

「そうかな。敵は既に首都圏だけで第二五戦隊、第六二戦隊、第二機甲軍団、第一大気圏内戦略航空軍を取り込んだ。こちらが把握していない部隊もいくつかは取り込まれているだろう。二五〇万は越えたんじゃないか。すっかり遅れを取ってしまった」

「クーデターの衝撃から皆が立ち直れずにいる初動段階では、情報通信網を握っている敵が圧倒的に優位です。それに演説が終わってすぐに態度を決めるわけにもいきません。協議を始めたばかりの部隊もあれば、夜が明けてから協議を始める部隊もあるでしょう。交通封鎖や通信封鎖によって幹部が集まれずに、協議を開く見通しが立っていない部隊も多いはずです。それなのに閣下は八〇万も集めました。素晴らしい出だしです」

「そう言われると、確かに上出来に思えてくるな」

 

 自然と笑みがこぼれてきた。

 

「正直申しますと、国家救済戦線派の第二巡視艦隊と第一首都防衛軍団は、計算外と考えておりました。計画段階でクーデターに参加していなくても、軍事独裁志向の彼らはいずれはクーデター側に付くものとばかり思っていたのです」

「軍事独裁志向の人達にもいろんな流派があるらしいよ。アラルコン少将が言ってた」

「私はハイネセン主義者ですので、ああいう人達はつい軍国主義で一括りにしてしまいます。しかし、それではいけないのかもしれませんね」

 

 チュン准将は苦笑した後、敬礼をして通信を切った。緊張が解けたせいか、疲れがどっと押し寄せてくる。今日は本当にいろんなことがあった。生涯で最も長い一日だった。

 

「情報部長!副官!」

「はい」

「今からベッドで仮眠する。俺が寝てる間の責任者は情報部長。こちらに向かっている第一首都防衛軍団との連絡にあたってほしい。第三首都防衛軍団から動員完了の報告が入ったら、すぐにこちらに向かわせるように。何かあったら起こしてくれ」

「タンクベッドはご使用にならないのですか?」

「あれじゃ、精神的な疲れは取れないからね」

 

 二人の腹心に指示を終えると、アルマを伴って仮眠室に向かった。明日はいろいろやるべきことがある。第一首都防衛軍団が到着したら、秘密司令部を正規の司令部に切り替える。政治家やマスコミを呼び寄せて、協力体制を築きあげる。メディアを使って、惑星ハイネセン全土の市民にアピールを行う。体力と精神力を十分に蓄えておかねばならなかった。



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第百十六話:決起宣言 宇宙暦797年4月13日 ボーナム総合防災センター~ボーナムテレビネットワーク~ボーナム総合防災公園

 四月一四日、俺はいつもとまったく同じ朝五時〇〇分に目覚めた。幹部候補生養成所を出て士官になってからは、何時に就寝しても必ず同じ時間に目覚めるようになった。目覚ましなど使わずとも、規則正しい生活に慣れきった体が勝手に目覚めてくれるのだ。睡眠が足りない場合は、休憩時間に三〇分から一時間単位の仮眠を小刻みに入れて補う。寝付きの良さは、俺が持つ数少ない才能の一つだった。

 

 シャワー室で温かいお湯を浴びてさっぱりすると、新しい軍服に着替えて司令室に入った。交代で休憩を取っているのか、俺が眠りに就いた時の半分程度の人数しかいない。参謀と技術スタッフの勤務割は情報部長ベッカー大佐、第八強襲空挺連隊から連れてきた警護要員の勤務割はアルマに任せてある。彼らがこれで大丈夫と判断したのなら、俺が心配する必要はなかった。

 

「おはよう」

「おはようございます」

 

 俺が声をかけると、司令室にいる者全員がこちらを向いて敬礼をした。微笑を浮かべて頷き、敬礼を返す。

 

「情報部長、動きはあったか?」

 

 俺が不在中の責任者を務めていたベッカー大佐に報告を求めた。

 

「今のところはありません」

「第一首都防衛軍団は?」

「四時四八分に、工兵が星道二六号線の修復工事を終えたとの報告が入りました。これから留守部隊一個旅団を除く全軍が出発。第二巡視艦隊との合流を目指すように見せかけつつ、こちらに向かうそうです。到着予定時刻は九時前後」

「思ったよりも工事が長引いたか。まいったな」

 

 顔では平静を保っていたが、心の中には憂鬱な気持ちが広がった。当初の予定では、八時までに味方部隊が到着してるはずだった。一時間の遅れは、致命的な結果をもたらしかねない。

 

「軍団所属の航空支援部隊を先行させるように要請しますか?一個旅団を三〇分以内に空輸する能力がありますが」

「やめておこう。敵には強力な大気圏内空軍部隊がいる。下手に航空部隊を先行させたら、第一首都防衛軍団が敵の注意を引いてしまう」

 

 俺の持っている戦力は、敵と比べると圧倒的に少ない。敵の注意を引く動きは極力避けるべきだった。

 

「了解しました」

「敵の動きはどうだ?第一首都防衛軍団の動きに勘付いた様子はないか?」

「第二九一歩兵連隊、第八三対空ミサイル連隊より、敵の五個師団がブラックストーン川沿いに展開中との報告が入っています」

「第二巡視艦隊との合流を阻止する布陣だね。どうやら、敵は完全に第一首都防衛軍団の陽動に引っかかったようだ」

「第一首都防衛軍団のファルスキー少将と第二巡視艦隊のアラルコン少将は、国家救済戦線派の有力幹部。行動を共にするはずという先入観が敵の判断を狂わせたのでしょうな」

「ファルスキー少将は、そこまで読んで陽動を仕掛けたわけか。名将の名に恥じない用兵だ」

「第二巡視艦隊の陸戦隊四個旅団がセミネール公園を押さえているのも大きいのでしょう。ブラックストーン川とハイネセンポリス北辺部の中間点にあたる場所です」

「第一首都防衛軍団と合流する態勢を取りつつ、ハイネセンポリス進撃の可能性も匂わせているわけか。アラルコン少将もなかなか抜け目が無いね」

 

 国家救済戦線派の大物二人の見事な動きに、感嘆せずにはいられなかった。軍国主義者がクーデター鎮圧作戦の主力になるというのも妙な話だが、本当に頼りになる。

 

「情報部長、他の部隊はどうだ?第三首都防衛軍団と第六五戦隊は使えるようになったか?」

「動員完了の報告がありました」

 

 心の中で拳を握りしめて、ガッツポーズを取った。第三首都防衛軍団の四万人、第六五戦隊の八万人が動かせるようになれば、戦略の幅は大きく広がってくる。特に地上戦専門部隊の第三首都防衛軍団の存在は大きい。ハイネセン周辺にいる兵力の大半は、艦艇部隊の兵士に小火器を与えて編成した臨時陸戦隊だ。重火器や戦闘車両を多数保有する地上戦専門部隊と比べると、戦闘力は大きく見劣りする。地上部隊一万の戦力は、臨時陸戦隊五万に匹敵すると言っていい。

 

「よし。両部隊の使い道も考えないとね。情報部長は仮眠をとってくれ。起きてから協議しよう。しばらくの間、司令部運営は貴官に任せることになるが、いずれ第三巡視艦隊司令部より他の参謀も呼び寄せる。それまで踏ん張ってもらいたい」

「参謀長より、『上級参謀が情報部長一人では、司令部運営に差し支えるだろう。第三巡視艦隊の包囲が解けたから、作戦部長以下の参謀数人をそちらに送る』との連絡がありました。もうじき着くでしょう」

「そうか、参謀長はちゃんと手配してくれていたか」

 

 やはりチュン・ウー・チェンは最高の参謀だ。遠くにあっても、こちらの司令部運営に気を配っていてくれる。

 

「では、これより仮眠をとってまいります」

 

 ベッカー大佐はややふらつき気味の足取りで司令室から退出した。

 

「司令官閣下、朝食をどうぞ」

「ありがとう」

 

 副官のハラボフ大尉が差し出した朝食のトレイを受け取り、指揮官席に座る。メニューはチーズリゾット、ローストチキン、ポテトサラダ、ソーセージと豆のスープ、プロテイン入り牛乳、ジャムクラッカー。すべて総合防災センターに備蓄された非常食だった。脂肪と炭水化物たっぷりの非常食は、空きっ腹にはとても美味に感じられた。量が少なすぎるのが難点であろうか。

 

「追加食です」

 

 食べ終えた俺が物足りなさそうな顔を見せたところで、ハラボフ大尉は食べ物が乗ったトレイを差し出した。最初とまったく同じメニューだ。大喜びで受け取ると、さっそく胃袋に放り込む。冷たい視線を感じるが、そんなのは気にしない。

 

「相変わらず、食欲旺盛でいらっしゃいますね」

 

 その声に振り向くと、ポロシャツ姿の作戦部長ニールセン中佐がいた。左手にはチョコバーを持っている。

 

「作戦部長、来てくれたか」

「ただいま到着いたしました。他の者も来ております」

 

 ニールセン中佐が顔を向けた方向を見ると、作戦参謀コレット少佐、後方参謀メッサーシミス少佐ら私服姿の参謀九名が並んでいた。

 

「まさか、グリーンヒル大将がこのような暴挙に加担するとは思いもよりませんでした。恩義は忘れがたいですが、小官は軍人です。憲章と国旗に対する忠誠を優先いたします」

 

 グレーの地味なシャツを着たメッサースミス少佐は、沈痛な表情で恩師との決別を表明した。もともと、彼はグリーンヒル大将の推薦で参謀チームに加わった人物だ。苦しい心中は察するに余りある。

 

「何があろうと、貴官に対する信頼が揺らぐことはない。これまで通り、軍務に取り組んでもらいたい」

 

 俺は優しげな笑顔を作って、メッサースミス少佐の肩を強く叩いた。

 

「ありがとうございます」

「貴官はもう飯を食ったか?」

「まだです、昨日から何も口にしておりません」

「それは良くないね。これからが本番なんだ。ちゃんと食べないと、体がもたないよ」

 

 ショックで何も食べる気がしないのはわかる。しかし、今は無理にでも食べて、体力を付けてもらわないと困る。

 

「ハラボフ大尉、メッサースミス少佐に食事を用意してやってくれ。非常食にレトルトの卵粥があったはずだ。あれは食欲が無い時でも食べやすい」

 

 ハラボフ大尉に食事を用意するように指示した。そして、再び参謀の方を向く。

 

「貴官らは飯を食ったか?」

「食べました」

 

 最初に返事をしたのは、コレット少佐である。ロングのニットにジーンズというラフな格好だ。

 

「貴官のことだ。プロテインバーで済ませたんじゃないか?」

「トーストと目玉焼きも食べました」

 

 俺は首を軽く横に振った。何も食べてないようなものではないか。今の彼女なら、多少食べ過ぎたところでスタイルが崩れるとは思えない。ちゃんと食べてもらわないと困る。

 

「作戦部長、貴官は?」

 

「これですよ」

 

 ニールセン中佐は左手に持ったチョコバーを示す。彼は推薦者のアンドリューに負けず劣らず食が細い。他の参謀にも食事をしたかどうか質問したが、みんなほとんど食べていなかった。

 

「全員分の食事を用意してくれ。俺の分もね」

 

 追加の指示を受けると、ハラボフ大尉は端末を操作して臨時炊事係を務めるアルマの部下に連絡を入れた。

 

「閣下はもうお召し上がりになったのでは」

「コレット少佐、栄養はいくらとっても多すぎることはない。食事は軍人としての基本だと、いつも言っているだろう?」

「はい」

「食事と睡眠だけは、最優先で確保しなければならない。空腹では集中力を保てない。眠らなければ判断力が鈍る。だから、小官は食べられる時はできるだけたくさん食べて、眠れる時はできるだけ眠るようにしている。貴官の知力と体力は人並み外れているが、それも栄養がなければ十分に発揮できないよ」

 

 コレット少佐だけでなく、参謀全員に言い聞かせる。難しい試験をくぐり抜けて士官学校に合格する者は、例外なく優れた知力と体力を持っている。食事や睡眠を多少抜いても高いパフォーマンスを発揮できる。それゆえに空腹や睡眠不足のままで仕事に没頭する傾向があった。しかし、戦場では紙一重で勝敗が決まる。十分な食事と睡眠をとり、万全を期するべきなのだ。

 

「そういえば、ダゴンの英雄リン・パオ提督は大食いだったそうですね。ダゴン会戦の最中もトーストを六枚も平らげて、味方を驚かせたとか」

 

 メッサースミス少佐が同盟軍史上最大の英雄の名前を出した。

 

「そう、リン・パオ提督の精力的な指揮も栄養あってのものなんだ。学校ではリン・パオ提督の食欲を豪胆さの証と教えてるけど、俺は緊張感の証だと思ってる。彼にとっては、食事もまた戦いだったんだ。みんなにもそのような心構えを持って欲しい」

 

 俺なりのリン・パオ解釈を示すと、参謀達はみんな納得したようだった。やがて食事が運ばれてくると、戦いの臨む時のような真剣な表情でトレイを受け取って席に着く。満足した俺は自分の席に座って、三食目を平らげた。

 

「私の教官が同じことを言っていました。『軍人の基礎は飯と睡眠だ。良く食べる奴と良く眠る奴は、良い軍人になれる』と」

「フィリップス中尉、聞いていたのか」

 

 アルマに今のスピーチを聞かれていたことを知って、少し恥ずかしくなった。今の話は俺とアルマの共通の恩師にあたるクリスチアン大佐の持論なのだ。

 

「はい。まるで教官が話しているような感じがして、とても懐かしくなりました」

「そうか」

 

 穴があったら入りたいような気持ちになった。九年前に言われたことをそっくりそのまま話したのだ。クリスチアン大佐が話したような感じになるのは当然である。

 

「大食い以外に取り柄がなかった私でしたが、『良く飯を食うから、きっと良い軍人になれる』という教官の言葉を励みに努力して、何とかいっぱしの軍人になれました」

 

 懐かしそうにアルマは語る。いっぱしの軍人というのは、彼女のキャリアを考えるといささか謙遜が過ぎるように思える。しかし、大食い以外に取り柄がなかったというのは、決して謙遜ではない。かつての彼女は、努力嫌いで食べるのと寝るのが大好きな怠け者だった。

 

「俺も同じことを言われたよ。あの時は信じられなかったけど、今になって思えば正しかったんだろうね。ひたすら食べて体力を付けて、仕事や勉強を人より多くやった。その結果、二〇代で閣下と呼ばれる身分になった」

 

 九年前にエル・ファシルの英雄としての広報活動を終了して、打ち上げを開いた時のことが懐かしく思い出される。民間で就職したいと言った俺に、クリスチアン大佐は「貴官は良く飯を食う。良く眠る。きっと良い軍人になる」と言ったのだ。あの会話が俺の軍人としての原点だった。食事と睡眠をたっぷり取って蓄えたエネルギーで能力不足を補う。そうやって戦い抜いてきた。

 

 クリスチアン大佐の言葉が、こんなにも深く自分の中で根付いていることをあらためて確認すると、強い悲しみを感じた。あの大佐が今や敵なのだ。栄養を補充しなければ。折れそうな心を支えるエネルギーがほしい。そう思った俺は、急いでポテトサラダを口に運んだ。

 

「中尉、これはうまいよ」

 

 ゆっくり味わって飲み込んだ後、アルマに笑いかけた。

 

「私も食べました。非常食とは思えない味ですね」

「この分なら、昼飯も晩飯も期待できるな。今日も一日頑張ろうか」

「はい」

 

 俺とアルマは顔を見合わせて、笑顔で頷きあった。

 

 

 

 朝食終了後、俺はニールセン中佐ら作戦参謀に命じて、第三首都防衛軍団と第六五戦隊の動かし方を検討させた。

 

「今のところは動かさない方が良いでしょう。どちらも交通の要衝を押さえる位置にいます。第三首都防衛軍団のサルパイ少将、第六五戦隊のマスカーニ准将は、統率力に定評のある指揮官。駐屯地の防御工事が完了すれば、三倍の敵に包囲されても持ちこたえられます。司令部に呼び寄せるより、敵の機動を妨害させるべきと考えます」

 

 ニールセン中佐が述べた結論に俺は同意した。ボーナム市内に展開できる兵力はせいぜい五万。第一首都防衛軍団に一~二個師団を加えれば十分だった。第三首都防衛軍団と第六五戦隊が駐屯地に陣取っていれば、第二巡視艦隊、第三巡視艦隊とともに首都圏北部の車道の半数を押さえることができる。敵の地上部隊がボーナムを制圧しようとしても、大部隊を素早く展開させるのは困難になる。

 

「その方針で行こう。さっそく第三首都防衛軍団と第六五戦隊に出す指示書を作ってくれ」

 

 部隊の配置が決まったら、今度は市民へのアピールについて打ち合わせなければならない。タンクベッド睡眠を終えたベッカー大佐が司令室に戻ってくると、情報参謀を集めて会議を開き、現時点で判明した情報を集約させた。

 

「携帯端末の使用規制は未だに続いています。解除の見通しは立っていない模様です」

「固定端末からのネット接続は制限されていません。ただ、大手コミュニティサイト、有名政治サイトへのアクセスは制限されています」

「首都圏の放送局は、すべて救国統一戦線評議会のプロパガンダ番組のみを流し続けています。地方局は一部がプロパガンダ番組を流していますが、大半は通常通りの放送を続けています。ただ、救国統一戦線評議会を批判する論調は見られません」

「我々を支持するハイネセンポリスの警察機関からの情報によると、市内には様々なデマが飛び交っている模様。救国統一戦線評議会は抑えにかかっていますが、効果はあがっていないようです。情報統制が完全に裏目に出ました」

 

 情報参謀からの報告は、すべて救国統一戦線評議会による情報統制、デマの蔓延を伝えていた。

 

「予想通りだ」

 

 俺は満足気に頷いた。完全に「クレープ計画」で想定した通りに事態が進んでいる。情報に対する信頼というのは、複数の情報を比較検討した上で初めて得られるものだ。情報統制がうまくいけばいくほど、救国統一戦線評議会の発信する情報は信頼を失う。人々は救国統一戦線評議会が真実を隠していると思い込み、「隠された真実」という触れ込みの怪しげな情報にも簡単に飛びつくようになる。情報統制は反対勢力の団結を防ぐ反面、自らの信頼を損なう諸刃の刃。そこに付け入る隙があった。

 

「皆が真実を求めているのなら、俺達がそれを提供する。救国統一戦線評議会が隠そうとしている真実をね」

 

 精一杯、真面目な顔を作って言った。デマが信用される状況に乗じて、こちらに都合の良い情報を流す。情報統制を逆手に取って、宣伝戦で優位に立つ。それが「クレープ計画」の肝だった。

 

「昨日の演説の動画はどれぐらい流れてる?」

「救国統一戦線評議会の監視の目が届かない群小コミュニティ三四箇所で同時に公開したところ、短時間で膨大なアクセス数を記録しました。削除後も別の群小コミュニティで公開し、削除されるたびに場所を移しております。我々の把握できないところで独自に動画を保存して公開している者もうなぎのぼりに増加し、我々が何もせずとも拡散されていくステージに移っております」

「予定通り、第二攻勢を開始する。ボーナムテレビネットワークに向かうよ」

 

 

 

 俺はベッカー大佐、ハラボフ中尉、アルマ、第八強襲空挺連隊の兵士五人を連れて総合防災センターを出ると、ミニバンに乗り込んだ。そして、兵士の運転でボーナムテレビネットワークのあるハザードアベニューに向かう。

 

「のどかですねえ。まるでクーデターなんて別世界の話のようです」

 

 ベッカー大佐の視線の先には、朝日に照らされた郊外住宅地が広がっていた。さほど広くない道路には、通勤車の乗った路線バスや自家用車が走る。通学中の少年少女、散歩中の老人が歩道をのんびりと歩く。

 

「ハイネセンポリスの人が俺達を見れば、そう思うんじゃないかな」

「ああ、確かに閣下の仰るとおりですな」

 

 俺が指摘すると、ベッカー大佐は苦笑を浮かべた。この車に乗っている者は、全員私服を着て目立たないようにしている。俺はポップな水玉柄のパーカー、ベッカー大佐は∨ネックのスポーティーなトレーナーを着ていた。

 

「偽装用にベースボールの練習道具も積んである。ボーナム総合防災公園のベースボールグラウンド使用許可証も持ってる。早朝練習帰りの社会人チームにしか見えないよ」

「あれを真面目に受け止めてる人は少ないってことなんでしょうな」

 

 ベッカー大佐が指さした先には、車載テレビがあった。画面の中では、救国統一戦線評議会のエベンス大佐が図表を使って、抑揚のない早口で対帝国戦略について話している。

 

「まるで士官学校の講義か何かみたいだね。これじゃ市民には受けないよ」

「戦略としてはどうでしょうか?そんなに悪くないように思えましたが」

「悪くないと思うけど……」

 

 曖昧に言葉を濁した。はっきり言うなら、エベンス大佐が説明する対帝国戦略は、悪くないどころか最善の戦略と思える。

 

 正規艦隊を六個艦隊まで増強し、二個艦隊をイゼルローン回廊、二個艦隊をエルゴン星系、二個艦隊をハイネセンに配置。イゼルローンの艦隊が最前線、エルゴンの艦隊が後方支援、ハイネセンの艦隊が予備となる。艦隊決戦は徹底的に回避して、イゼルローンの確保にもこだわらない。イゼルローン回廊を放棄した場合は、四個艦隊が分艦隊単位、もしくは戦隊単位で各星系に分散して拠点を変えつつ補給線を叩く。前の歴史の「神々の黄昏」戦役でヤン・ウェンリーがラインハルトの遠征軍を苦しめたゲリラ戦略をより大規模かつ組織的にしたものであった。

 

 救国統一戦線評議会がゲリラ的防衛戦略を構想しているとなると、昨日の布告の意味も理解できる。ゲリラ戦の基地となる有人惑星が簡単に陥落してはまずいから、防衛部隊を大幅に増強する必要がある。三五〇〇万の正規軍を維持するだけで精一杯の同盟財政では、これ以上の正規軍増強は困難だ。兵役義務のある一九歳から五〇歳までの成人男女の臨時動員で補うことになろう。来るべき祖国防衛戦争に向けた国家総動員体制の構築。それが救国統一戦線評議会の目的ではないか。

 

 四日前、救国統一戦線評議会議長のグリーンヒル大将は、近い将来の祖国防衛戦争に必要な戦力を集めていると俺に言った。そして、派閥争いをやめて団結しなければならないと。同盟の政治体制では、国家総動員体制を構築するのはほぼ不可能に近い。艦隊決戦戦略に最適化された同盟軍をゲリラ防衛戦略型に組み替えるのも、短期間では困難だ。独裁でなければ、これほど大胆な安全保障政策転換は不可能だろう。

 

 前の歴史でクーデターを起こした救国軍事会議は、時代錯誤的な軍国主義集団と言われて後世の笑いものになった。だが、救国統一戦線評議会は、それなりの合理性を持って動いている組織のようだ。しかし、合理的だからこそ葬らなければならない。

 

「どんなに立派な構想があっても、クーデターはダメだよ。合理性だけでは、戦争はできない。グリーンヒル大将が総参謀長として指導したイオン・ファゼカス作戦がそうだった。純軍事的には合理的な作戦だったけど、正当性が皆無だった。『確実に勝てる見込みがあるから戦いましょう』なんて言われても、そんなのは提督や参謀の計算だよ。前線指揮官や下士官兵は、計算のためには命を賭けられない。正当性無き合理性には、まったく意味が無い」

「なるほど。将兵を動かせない勝算というわけですか」

「帝国ならそれでいいかもしれないけど、この国は同盟だ。兵士も納得しないと力を出せない」

「私の祖国は戦争に向かない体制だと思っておりましたが、この国もあまり変わりがないようですな」

「戦争に向いた体制って、どこかにあるのかな」

 

 再びテレビの中に視線を戻す。エベンス大佐の退屈な説明は続いている。内容はしっかりしているのだが、話し方が理屈っぽすぎて退屈に感じるのだ。彼の講義はさぞ居眠りする生徒が多かったんじゃないか。そんなことを思った。

 

 

 

 ボーナムテレビネットワークの裏口では、報道部長とスタッフ数人が俺達を待っていた。趣味の良いジャケットにノーネクタイの報道部長は、揉み手せんばかりの勢いで近づいてきた。

 

「フィリップス提督の演説は動画で拝見しました。私どもの局をお選びいただき、誠にありがとうございます」

「こちらこそアピールの場をいただけたこと、感謝に堪えません」

「感謝などとんでもない。私はジャーナリストです。社会正義のために真実を伝える義務があります」

 

 欲望にギラギラと輝く報道部長の目は、彼が社会正義と別の論理で動く人間であることを示している。

 

「あなたのような素晴らしいジャーナリストにお会いできて幸運でした」

「スタジオは既に用意が整っております。どうぞ、こちらに」

 

 喜びを隠し切れない声でそう言うと、報道部長は俺達を案内した。最後尾にいるアルマは露骨に嫌そうな表情をしていた。報道部長の全身から漂ってくる俗物臭に辟易したのだろう。だが、こういう人物だからこそ、この場面では頼りになるのだ。

 

 首都圏にある八つの総合防災センターのうち、秘密司令部に選んだ四つには共通点があった。番組制作能力と送信機能を持つ放送局が同じ市内に複数あるという点だ。市民にアピールをする際には、どうしても放送局を使う必要があった。人口が少ないにも関わらず、建国期に設置された放送局が惰性で存続していたボーナム市は、最適な条件を備えていたのだ。

 

 秘密司令部を置いた四都市の放送局の報道部門の中で、軽率で欲深い人物をあらかじめリストアップしておいた。秘密を守るためには、アピールを行う当日に出演希望を伝えて、短時間で交渉を成立させなければならない。慎重で思慮深い人物より、スクープに目が眩んで後先考えずに飛び付きそうな人物の方が交渉相手としては望ましかった。

 

 控室に入った俺は、素早く軍服に着替えた。髪型は自分でセットするつもりであったが、なんとヘアメイクがやってくれた。もちろん、地方の放送局に専属のヘアメイクがいるはずもない。出勤直前に有線通信で呼び出された報道部長の知り合いの美容師とのことだった。

 

 ハラボフ大尉に清書してもらった演説原稿に目を通し、番組スタッフに渡した。マフィンを三個食べて糖分を補給してから、スタジオに入って演説に臨む。

 

「市民の皆さん、おはようございます。首都防衛軍司令官代理エリヤ・フィリップスです。現在、武装勢力がハイネセンポリスを占拠しております。彼らは市民の代表を追放すると、救国統一戦線評議会を名乗り、市民と政府機関に武器を突きつけて服従を要求しております。首都の治安を預かる者として、憲章と国旗に忠誠を宣誓した一軍人として、そして皆さんと同じ民主主義の国で生まれ育った一市民として、ハイネセンポリスを民主主義の手に取り戻すお手伝いを皆さんにお願いするために、ここにやってきました」

 

 丁寧に、そして穏やかに。救国統一戦線評議会のスポークスマンエベンス大佐と俺の違いを市民に印象付ける。

 

「本日、四月一四日は先月の総選挙で選ばれた新代議員が初めて議会に集まって、新しい最高評議会議長を選出するはずの日でした。昨年の敗戦によって大きく傷ついた我が国が新しい政府と議会のもとで、再出発に向けた第一歩を歩み出すはずの日でした。しかし、武装勢力はその前日を選んで蜂起して議会の停止を宣言することによって、市民の選択を否定したのです。彼らに先立って地方で蜂起した武装勢力もまた総選挙の無効を主張しました。武装勢力は『銀河帝国を打倒して、自由と民主主義を守る』と言っていますが、やっていることは民主主義の否定以外の何物でもありません」

 

 今日という日がどういう日であったかを述べることによって、救国統一戦線評議会が行ったことの不当さを訴える。

 

「確かに銀河帝国と自由惑星同盟は、不倶戴天の敵です。同盟が帝国を滅ぼさなければ、帝国が同盟を滅ぼすでしょう。同盟を守るためには、帝国との戦争を継続する必要があるという武装勢力の主張は間違ってはいません。しかし、同盟はなぜ同盟たり得ているのかを武装勢力は理解しているのでしょうか?そもそも、同盟は民主主義の新天地を求めて、帝国の流刑地から脱出した共和主義者の末裔です。ダゴン会戦から一五七年に及ぶ帝国との戦いも、帝国領の支配者になるための戦いではありませんでした。私達に人間としての権利と自由を保障してくれる民主主義を守るための戦いでした」

 

 同盟は何のために帝国と戦ってきたか、同盟は何を守ろうとしたのか。原則論に立ち返って説き起こす。

 

「私達が求めているのは、人間が人間として当たり前に持っている権利、自分で自分の生き方を決める自由、自分の手で選んだ代表による政治、すなわち民主主義です。帝国との戦争はそれを実現するための手段です。手段のために目的を否定するなど、本末転倒としか言いようがありません。繰り返しますが、一五七年の戦いは帝国の支配者になるための戦いではなく、誰にも支配されないための戦いだったのです。私達の敵はゴールデンバウムの姓を持つ支配者とその家臣ではなく、彼らの内にある民主主義を否定して私達を支配しようとする野心でした。武装勢力もそのような野心を持っているのではないかと、私は疑っています」

 

 市民が戦うべき相手とは何か。挫くべきは野心である。民主主義を否定して帝国と戦うことには何の意味もない。そう言って、救国統一戦線評議会の正統性を正面から否定する。

 

「武装勢力は二〇〇万を越える軍隊をハイネセンポリスに集めて、その武力によって同盟全土の市民一三〇億に服従を命令しています。彼らの軍隊は一つの軍隊としては、我が国でも最強に近い力を持っています。他の軍隊はほとんどが分断されて孤立して、ハイネセンポリスの二〇〇万に対抗する力を持っていません。そのまま戦えば、彼らが勝つでしょう。しかし、結束すれば話は別です。首都防衛軍の指揮下には、八〇万を越える軍隊がいます。ハイネセンポリス周辺には、どちらにも味方していない軍隊が五〇〇万はいます。惑星ハイネセンの他の地域には、一〇〇万の軍隊がいます。結束すれば、武装勢力を優に圧倒するに足る数です」

 

 ハイネセンに展開する救国統一戦線評議会の軍隊。それが何ゆえに強いのか、そしてどうすればその強さを挫けるのか。数をあげて、わかりやすく説明する。

 

「惑星ハイネセンの外に目を向けますと、合わせて二六〇〇万を越える軍隊がいます。特にイゼルローン方面軍は、二〇〇万を越える戦力を持っていて、単独で武装勢力に対抗しうる能力を持っています。武装勢力は強大ですが、それは他の軍隊が分断されているからです。彼らが最も頼りとする軍事力もそれほど盤石ではないということは、ご理解いただけることと思います」

 

 同盟軍には三五〇〇万の兵士がいる。そのうち、ハイネセンの外にいるのは二六〇〇万。彼らも勘定に加える事で、救国統一戦線評議会の存在感を小さく見せる。

 

「そして、この戦いは軍隊と軍隊の戦いではありません。支配者になろうとする武装勢力二〇〇万と自由を求める同盟市民一三〇億の戦いです。武装勢力はメディアを独占して、自分は強い支配者だと言っています。通信を独占して、皆さんが連絡を取り合うことを妨げています。そうやって、皆さんを孤立させて、自分が支配者であると信じこませようとしています。しかし、皆さんは決して孤立していません。孤立しているのは実は武装勢力なのです。彼らは一三〇億を支配する権利を持っているかのように振る舞っていますが、実際は二〇〇万の兵隊を持っているに過ぎません。二〇〇万の兵隊で一三〇億人の市民の大海に漂っている儚い存在なのです」

 

 市民こそ多数派で、救国統一戦線評議会は少数派だ。メディアと通信の力で多数派たる市民を孤立させているだけだ。そう訴えて、自分達が多数派であることを思い出させる。多数派であることを自覚した時の市民は強い。その強さに俺は賭けた。

 

「首都防衛軍は今、この放送局があるボーナムに司令部を置いています。そして、ハイネセンポリスを奪還する準備を整えています。すべての同盟市民の皆さん。首都防衛軍の戦いへの協力をお願いします。武器を取れる方は、武器を取ってください。私達は兵士を必要としています。技術がある方は、技術を提供してください。私達は技術者を必要としています。物を持っている方は、物を提供してください。私達は武器や食料を必要としています。私達のもとまで来れない方は、私達の主張を流していただく、情報を提供していただく、サボタージュによって敵を妨害するといった形での協力をお願いします。私達は一人でも多くの仲間を必要としているのです」

 

 具体的な協力要請に入る。協力の敷居を高くしてはならない。部屋にいて固定端末のキーを操作しているだけでも、首都防衛軍の戦いに参加している気分になってもらわなければならない。どのような立場でもできることはあるのだと語りかける。

 

「星系政府の皆さん、惑星政府の皆さん、州政府の皆さん、市町村当局の皆さん。義勇兵の編成に協力をお願いします。あらゆる行政機関の皆さん。資材と情報の提供をお願いします。同盟軍将兵の皆さん。部隊単位でも個人単位でも結構です。共闘をお願いします。私が首都防衛司令官代理として命令できるのは、首都防衛軍及び国防基本法第一〇七条の規定によって指揮下に入れた部隊のみです。その他の方々は、星系首相であろうと一市民であろうと、対等の同志です。私は皆さんの司令官として命令するのではなく、同志として協力をお願いする次第です」

 

 カメラの向こう側にいるすべての人にお願いするつもりで、丁寧に頭を下げた。救国統一戦線評議会は命令するが、俺は対等な立場で協力をお願いする。民主的な性格を強調して、救国統一戦線評議会との違いを際立たせる戦略だった。

 

 最後に首都防衛軍が用意した参加受付用、寄付受付用、情報提供受付用のそれぞれのアドレス、総合防災センターにある首都防衛軍臨時司令部の住所、首都防衛軍各部隊駐屯地の住所がテロップとなって、画面に表示された。

 

「ありがとうございました!素晴らしい演説でした!放送中もずっと電話が鳴りっぱなしで、もう対応が大変ですよ!」

 

 上機嫌の報道部長は両手で俺の右手を強く握った。

 

「これからスタッフを連れて、私と一緒に首都防衛軍の臨時司令部まで来ていただけますか。密着取材もお願いしたいのです」

 

 メリットだけを並べ立てて、報道部長を救国統一戦線評議会に敵対する立場にしてしまった。必要だったとはいえ、逮捕されてしまっては後味が悪い。そこで取材要請を口実に臨時司令部に連れて行って、保護しようと思った。

 

「おお、それは素晴らしいアイディアですな!フィリップス提督が戦略戦術の天才なのは存じておりましたが、まさかメディア戦略でも天才だったとは!」

「いえ、感謝いただくほどのことでも」

「ジャーナリスト魂が燃え上がってきました!最高の番組を作ってみせますよ!いやあ、今年のマイケル・リチャーズ賞が楽しみですなあ!」

 

 すっかり報道部長は有頂天になっていた。もう今年のマイケル・リチャーズ賞を取ったつもりでいる。パトリック・アッテンボローのような超一流ジャーナリストでも最終選考落ちするような賞が、二流以下のジャーナリストに取れるわけもないのだが。何というか、幸せな人だ。

 

「行きましょう」

 

 アルマがハラボフ大尉のような冷たい表情で言った。似ている顔で似ている表情をされると、ハラボフ大尉が二人いるようで微妙な気分だった。

 

 

 

 総合防災センターにある臨時司令部に戻った俺達は、殺到する協力申し出への対応に追われていた。直接足を運んできて、協力を申し出る者も多い。

 

 一番多かったのは、予想通りだったが義勇兵の志願者だった。グラウンドが人でいっぱいになった。年齢は一三歳から一〇一歳まで、職業は一般的な職業をほぼ網羅してた。落選中の元代議員、オペラ歌手、プロベースボールチームのコーチなんて変わり種もいる。

 

 物資もほんの一時間でとんでもない量が集まった。食料や衛生用品が詰まったダンボールがあっという間に、グラウンドに山積みになった。重機を積んだトレーラー六台で乗り付けて、「全部寄付しますわ」と言った建設業者には、その場にいた全員が度肝を抜かれた。

 

 人手と物はいくら多くても多すぎるということはない。しかし、それを運用する人材はなかなか集まらなかった。首都防衛軍から連れてきた参謀と技術スタッフだけでは、これだけの人と物を整理するのは難しい。市役所、警察署、消防署の協力が得られればすぐ解決するのだが、組織は思い立ったらすぐ動くわけにも行かない。協議に時間がかかっているのだろう。仕方のないことだった。

 

「今、どれぐらい集まってる?」

「義勇兵志願者は一万人ぐらいですね」

 

 なぜか副官のハラボフ大尉ではなくて、参謀のコレット少佐が答える。あまりに人と物が集まったせいで、職務分掌も混乱しているようだ。

 

「この街の人口は三二万だよね。それなのに一万も集まったのか」

「車のナンバーを見ると、近隣から一斉に集まってきたようです。半径三〇キロ以内に五〇万以上の都市が四つありますし」

「熱い人が多いなあ」

 

 同盟国民の熱しやすく冷めやすい気性は熟知していたつもりであったが、それでも一時間で一万人という集まりようには驚かされた。二億人以上が住んでる首都圏でも、それだけの人数を短時間で集められるのはハイネセンポリスぐらいだ。

 

「食料は十分ですが、水が足りません。あと、野営用のテントも」

「第五一四工兵連隊の協力が得られたらいいんだけど、まだ返事来ないんだよな。同じ市内なんだから、断るにしても返事ぐらいくれたらいいのに」

 

 ボーナム市に駐屯している第五一四工兵連隊は、協力要請にも何の反応も示さなかった。首都防衛軍臨時司令部がボーナムにいることを公表してからも反応がない。

 

「ああ、そうだ。来ないといえば、第一首都防衛軍団もまだだ。今は八時三〇分過ぎだから、あと三〇分か」

「今襲われたら、まずくありませんか?」

 

 懸念を示したのは、作戦部長ニールセン中佐だった。

 

「大丈夫じゃないかな。義勇兵が集まってからじゃ遅いよ。目撃者が大勢いる場所で武力行使したら、支持を失ってしまう。やるなら放送直後だったね」

 

 前の歴史の救国軍事会議には、二〇万人の群衆に発砲したチンピラ軍人がいた。しかし、救国統一戦線評議会のメンバーは、まともな人物が揃っている。民間人を戦闘に巻き込む愚を良く弁えているはずだ。

 

「閣下」

 

 ハラボフ大尉がいつになく緊迫した様子でやって来た。

 

「どうしたんだ?」

「ハイネセンポリスから、Z-Ⅸ輸送機の大群がこちらに向かっています。その数、およそ六〇〇機」

「Z-Ⅸが六〇〇機!?」

 

 あまりの驚きに間抜けな声を発してしまった。Z-Ⅸは空挺部隊が使ってる輸送機だ。六〇〇機もあれば、空挺部隊二個師団を車両込みで送り込める。そんな大部隊が空挺降下してきたら、義勇兵はことごとく捕虜になってしまうだろう。

 

「第一首都防衛軍団が到着する前に、奇襲するつもりか」

「まだ敵が到着するまで時間はあります。一旦、ボーナム市外に出て第一首都防衛軍団と合流すれば良いでしょう。そうすれば、戦力的にはこちらが上です」

「そうだな、作戦部長。貴官の言うとおりだ」

「敵が二個空挺師団しか動かさなかったのが幸いでした」

「随分と中途半端な策だね。奇襲をかけるなら、もっと早く仕掛けるべきだった。第一首都防衛軍団を意識してるなら、もっと多く兵力を動かすべきだった。俺に逃げられたら、破綻してしまう策じゃないか」

 

 敵にはパリー少将やクリスチアン大佐といった優秀な陸戦指揮官がいる。彼らが立てたとは思えない愚策だった。

 

「逃げてはいけません」

 

 そう言ったのは、コレット少佐だった。最年少参謀の初めての進言は、良くわからない進言だった。

 

「なぜだ?」

「義勇兵は閣下の部下ではありません。空挺が迫ってる今、ここを離れたら見捨てたと思われてしまいます」

「ああ、そうか。そういうことか」

 

 コレット少佐の指摘で敵の狙いが理解できた。敵は俺がこの場所から逃げるところを義勇兵に見せようとしているのだ。俺がいなくなったら、義勇兵はすぐに逃げ散る。そして、見捨てられたと言いふらすだろう。そうなれば、俺が何を言っても信頼されなくなってしまう。そして、反クーデター勢力も瓦解する。このタイミングで襲撃してきたのも、大勢の義勇兵が集まって、なおかつ俺が逃げられると判断できる時期を見計らったに違いない。

 

「義勇兵を率いて迎え撃つ!第一首都防衛軍団が到着するまで、時間を稼ぐんだ!」

 

 武器すら揃っていない義勇兵で空挺二個師団に対抗できる自信はなかった。敵が義勇兵を巻き込んで攻撃を仕掛けてくる可能性は低いが、義勇兵を巻き込まずに俺を制圧する方法はいくらでもある。クーデター発生二日目、いきなり最大のピンチを迎えた。



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第百十七話:賑やかな群衆と正義なき軍隊 宇宙暦797年4月14日 ボーナム総合防災公園

 ボーナム総合防災公園の陸上競技場に集結した義勇兵一万人は、空挺部隊二個師団がこちらに向かっているとの情報に騒然となった。ある者は恐怖で青ざめ、ある者は泣き言を喚き散らし、ある者は怒り狂って敵を罵倒し、ある者は徹底抗戦を叫んだ。百人百様の反応であったが、残念なことに冷静さを保っている者は一人としていなかった。義勇兵とは言っても、今の彼らは俺のアピールを聞いて愛国心をにわかに燃え上がらせた群衆に過ぎない。にわかに燃え上がった炎は、はかなく消えてしまう物なのだ。

 

「せめて数十人ごとに部隊を組ませて、責任者を決めておけば……」

 

 作戦部長ニールセン中佐の顔に後悔が浮かぶ。言いたいことは理解できる。群衆であっても、部隊を組織すればパニックに飛躍的に強くなる。責任者が自主的に統率を保とうと努力するからだ。だが、今さら言っても仕方のないことだった。俺は軽く首を横に振って、作戦部長の後悔を否定した。

 

「いや、一時間で一万人もの人間を組織するなんて無理だよ。住所、氏名、年齢、職業の確認が済んだだけでも上出来だった」

「しかし……」

「堅くなったパンを嘆いても仕方がない。湯気に当てればいいんだ」

「はあ……」

 

 参謀長チュン・ウー・チェン准将の言葉を引いて、三歳年下の作戦部長をたしなめた。彼は優秀な作戦参謀だが、神経が細すぎるのが欠点だった。決してマイペースを崩さないチュン准将と比べると、難局では少々頼りないと言わざるを得ない。

 

「いかがいたしますか?」

 

 不在の参謀長と副参謀長に代わって参謀長の役割を務める情報部長ベッカー大佐が、俺の判断を問う。

 

「貴官の意見は?」

「敵の狙いは奇襲によって、義勇兵の意気を戦わずして阻喪させることにあると思われます。義勇兵がフル装備の空挺と直接向かい合ったら、あっという間に挫けてしまうでしょう。バリケードを作りましょう」

「しかし、時間が足りない。工兵部隊がいても、この短時間では無理だ」

 

 ベッカー大佐の言う通り、素人集団の義勇兵が正規軍と対峙するには、バリケードは必要不可欠だ。臨時司令部が公然化した後は、バリケードで囲む予定だった。だが、敵が到着するまでの十数分程度で作るのは不可能だ。

 

「義勇兵が乗ってきた車があるでしょう?あれを並べて、タイヤの空気を抜きましょう。帝国の共和主義者が暴動を起こす時に良く使う手です」

「ああ、なるほど。その手があったか。早速手配してくれ」

 

 帝国軍での経験に基づくベッカー大佐の意見に、俺はすぐさま同意した。同盟軍の国内警備部門は、対テロ戦や対海賊戦の経験は豊富だが、暴動鎮圧には不慣れだった。一方、帝国軍は国内警備部門はもちろん、外征戦力の正規艦隊も暴動鎮圧に出動する。元帝国軍のベッカー大佐は、この場にいる者の中で最も暴動戦術に詳しいのだ。

 

「閣下はどうなさいますか?」

「前に出よう。俺が姿を見せなければ、義勇兵が不安になる」

 

 俺は何の躊躇もなく、先頭に立つことを決断した。義勇兵が部隊ごとにまとまっていれば、リーダーが俺の代わりに統率してくれる。しかし、現時点では義勇兵が統率者と認める存在は、俺一人だった。彼らを統率する姿勢を見せなければならない。

 

「承知しました」

 

 ベッカー大佐は、急いで参謀や技術スタッフを呼び集めて指示を出した。バリケード構築が完了するかどうかは微妙なところだが、部下達に任せるしか無かった。後は俺自身の覚悟だ。

 

 あと一〇分ほどで空挺の大部隊が降下してくる。戦闘が生じる可能性は低いだろう。対群衆戦術は威圧のみで屈服させるのが最善、非致傷性武器で鎮圧するのが次善、普通の武器で鎮圧するのが最悪とされる。空を埋め尽くす輸送機の大群、降下してくる空挺の精鋭、装甲に覆われた戦闘車両には、戦わずして義勇兵の心を挫くだけの威圧感がある。三万人近い空挺の大部隊を相手に、一万人の義勇兵の抗戦意欲を保ち続けるというのは、途方も無い難題であった。

 

 正直言うと、俺自身怖くて怖くてたまらない。自分が義勇兵の一人だったら、空挺が視界に入った時点で一目散に逃げ出す。だが、このような場面では、統率者の怯えはあっという間に全員に波及する。俺が少しでも怯えを見せたら、義勇兵はことごとく屈服するだろう。強大な敵に呑まれてはならない。一人で空挺二個師団と対峙するぐらいの覚悟を見せなければならない。

 

「マイクロバスはもう少し左にお願いします!」

「ダンプカーはもっと前に!」

 

 目の前では拡声器を持った部下が義勇兵に指図を出して、車のバリケードを組んでいた。ボーナムテレビネットワークの報道部長とスタッフは、目を輝かせてカメラを回す。みんな俺を信じて戦おうとしている。裏切るわけにはいかなかった。覚悟を決めた俺は、左隣に立っている副官に声をかけた。

 

「ハラボフ大尉!」

「はい」

「マフィンはあるか!?」

「こちらが最後です」

「貰うぞ!」

 

 ハラボフ大尉が差し出したマフィン入りの袋を引ったくるように受け取る。中に入っていたマフィン四個を立て続けに口の中に放り込んだ。糖分が体に染み渡り、心が落ち着いていく。

 

「情報部長!」

 

 今度はベッカー大佐を呼んだ。

 

「はい」

「バリケードはあとどのぐらいで完成する?」

「二分ぐらいですかね」

「一番車高のある車は?」

「あのトラックですな。四メートルほどあります」

 

 ベッカー大佐が指した先には、バンタイプの大型貨物トラックが櫓のように大きくそびえ立っていた。

 

「よし、あれの上に乗ろう。貴官らは一緒に来てくれ」

 

 ベッカー大佐、ハラボフ大尉らを連れて歩き出そうとすると、アルマが早足で近寄ってきた。

 

「閣下、あの場所はおやめください。前に寄りすぎていて危険です」

「それでいいんだ。先頭に立って戦う姿勢を見せなきゃいけないからね。それに軍服の下には、中尉に言われた通りに薄型のボディーアーマーも着込んでる」

「狙撃の危険があります。この公園は災害発生時の避難民収容を想定して作られているため、遮蔽物がありません。空挺の狙撃兵なら、二キロ先から頭に命中させるぐらいはやってのけます」

 

 狙撃の可能性。それが頭の中に浮かんだ途端、少し寒気を感じた。確かにこんな広い場所でトラックの上に乗ったら、狙撃のいい的だろう。だが、狙撃を恐れてバリケードの後ろに隠れることはできなかった。恐怖を振り払うように、大きく首を横に振る。

 

「空挺二個師団相手なら、どこにいようが危険だよ」

 

 精一杯落ち着いた態度を装ったが、声が微妙に震えた。

 

「姿をお見せになるのでしたら、前に出る必要はありません。あそこにまだバリケードに加わっていないトレーラーがあります。奥にあのトレーラーを移動させて、その上にお立ちになれば、危険に身を晒さずとも、皆に姿を見せられます」

「それはだめだ。そんなに後ろにいたら、いざとなったら逃げるんじゃないかと疑われる」

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、九年前のエル・ファシルの光景。アーサー・リンチ少将らが逃亡したことに激怒した人々が集まった星系政庁前広場は、一触即発の状態だった。逃げると疑われたら、あの顔が俺に向けられるのだ。

 

「そのおつもりはないのですか?」

「無い。俺は逃げない」

 

 逃げるべきでない時に逃げたらどうなるか、俺は良く知っている。逃亡者の汚名を背負って、家族にも友人にも見放されてしまう。目の前で俺の身を案じる妹も、前の人生では悪鬼のような存在となって逃亡者となった俺に憎しみをぶつけてきた。

 

「いけません、それは!」

 

 クーデターが起きて以来、ずっと軍人の顔をしていたアルマが初めて妹の顔になった。

 

「私は五か月前に親友の最期を看取りました!その上、あなたの最期までは……!」

 

 ブレツェリ准将とともに、ダーシャの臨終に立ち会ったアルマの抱える思いは、分からないでもなかった。これ以上話せば、決心が鈍る。そう判断すると、何も言わずに妹から視線を逸らして歩き出した。

 

 

 

 輸送機のエンジン音がけたたましく響くと同時に、ボーナム総合防災公園の上空は、無数のパラシュートで埋め尽くされた。三万人近い兵士の一斉パラシュート降下は、まるで戦争映画のワンシーンのようであった。空挺仕様の戦車や装甲車も次々と降下してくる。俺達が呆気に取られている間に、二個空挺師団は広大なボーナム総合防災公園を包囲してしまった。

 

「こんな連中が敵なのか……」

 

 早くも敗北感が俺の心を侵食し始めた。ハラボフ大尉、アルマ、ベッカー大佐ら数名の部下が一緒にトラックの貨物室の上に立って脇を固めていたが、二個空挺師団の圧力に抗するには心許なかった。

 

 軍人として何度も死線を越えた俺でも恐れを感じているのだ。義勇兵はさぞ怯えていることだろう。そう思って周囲を見回すと、バリケードの上にずらりと並んで気勢をあげていた。義勇兵の怒号が響き渡る中、ひときわ太い声が耳に入った。

 

「こいつを見ろ!俺は去年の戦いで両足を失くした!てめえらの親玉のグリーンヒルがしくじったせいだ!」

 

 二〇代半ばの男性は右手で拡声器を持ち、左手で自分の下半身を指し示す。膝までまくり上げた男性のズボンから覗く両足は、いずれも機械製の義足だった。

 

「戦友はみんな死んじまった!ずっと勤めてきた軍隊もお払い箱になった!生きてたって面白いことは何もねえ!フィリップス提督と一緒にここで死ぬ!さあ殺せ!グリーンヒルが俺の戦友を殺したように殺せ!」

 

 去年の帝国領遠征の帰還兵と思しき男性の叫びに、義勇兵は「よく言った!」「いいぞ!」と喝采を浴びせた。

 

「俺は先月の総選挙でトリューニヒトの党に入れたんだ!それなのにどうしてトリューニヒトが追い出されて、救国なんちゃらの軍人がふんぞり返ってんだよ!?おかしいじゃねえか!何が民主主義だ、馬鹿野郎!」

 

 帰還兵から拡声器を受け取った作業服姿の中年男性が救国統一戦線評議会を罵ると、義勇兵はさらに盛り上がった。

 

「主戦派のトリューニヒトをクーデターで倒して、戦争を続けるってわけわからんぞ!」

「あれは禁止、これも禁止、逆らったら処罰する、国に甘えるな自立しろって、まるで風紀委員会みたい。救国風紀委員会って改名したら!?」

「お前らの言ってる政治の腐敗ってなんだ!?トリューニヒトが戦ってる軍部や民主化支援機構のことだろ!つまり、お前らのお仲間だ!」

「さっさとあのくそつまんねえ説教番組やめろよ!」

「私用の星間旅行禁止ってどういうことだ!明日からフェザーン観光に行く予定だったんだぞ!キャンセル料払え!」

 

 義勇兵は次々に拡声器を手にとって、思い思いの言葉をぶつける。ボーナムテレビネットワークのスタッフは、まるでイベントの取材でもしているかのような振る舞いだ。バリケードの上には歓声や拍手が響き渡り、まるでお祭り騒ぎだった。その反対に空挺隊員は、遠目でも分かるほどに意気消沈している。

 

 俺が心配するまでも無かった。熱しやすい同盟市民の感情は、救国統一戦線評議会に対する不満を口に出す場を与えられ、大いに燃え上がっている。義勇兵の戦意は、空挺部隊の出現程度では挫けなかった。敵は義勇兵を威圧するどころか、萎縮してしまっている。あまり戦意が高くないのかもしれない。クーデター勢力との戦いは武器ではなく精神の戦いであると、対クーデター作戦の元になった「午睡計画」には記されていた。今のところは俺達の精神が優位だ。そう思った瞬間、乾いた音が響いた。

 

「あれはなんだ!?」

 

 騒いでいた義勇兵が一斉に音のした方向を向いた瞬間、大きな炸裂音とともに空がまばゆく輝いた。義勇兵は言葉を失い、嘘のように静かになった。

 

「信号弾……」

 

 アルマがぽつりと呟く。敵は信号弾を空に向けて放ち、俺達を威嚇したのだ。効果は絶大であった。

 

 静寂の中を敵の指揮通信車がゆっくりと進む。最前列で止まると、野戦服を身にまとった人物が中から身を乗り出した。クーデターの中心人物パリー少将の片腕で、交渉手腕に定評があるロフリン准将だった。彼を選んだという一点においても、救国統一戦線評議会の姿勢が垣間見える。

 

「市民諸君!五人以上の集会は、評議会布告第四号違反である!即刻解散せよ!諸君は評議会に従う義務がある!」

 

 ロフリン准将の声は、指揮通信車の拡声器を通して静まり返った総合防災公園に轟いた。義勇兵は示し合わせたかのように、俺に視線を集中する。

 

「エリヤ・フィリップス少将の指揮権は、評議会により昨日付で停止された!彼の命令に従うのは違法である!今ならば、諸君の責任は一切問わない!評議会の指示に従い、即刻解散せよ!」

 

 拡声器から聞こえてくる自分の名前が、俺に今の立場を教えてくれた。この場にいる一万人の義勇兵の命運、救国統一戦線評議会との戦いの行方、そして自由惑星同盟の民主主義の将来が俺一人にかかっている。歴史の分岐点に立ったことを自覚した瞬間、凄まじい恐怖に襲われた。膝がガクガク震えだした。心臓がバクバク鳴りだした。腹が締め付けられるように痛みだした。胸の奥から吐き気がこみ上げてきた。

 

 歯を全力で食いしばる。拳を強く握りしめる。今さら引くことなど、できはしない。小心者の俺には、期待に背くことはできなかった。目の前の部下や義勇兵だけではない。ここにいない多くの者が俺を信じて戦い続けている。踏み留まらなければならない。

 

 左隣のハラボフ大尉を向いて手を伸ばすと、拡声器を渡された。軽く頷いた俺は正面を向く。ズラリと並んだ屈強な空挺隊員に圧迫感を覚えたが、ついさっきまで彼らが義勇兵の怒りに怯んでいたことを思い出す。

 

「びびってるのは、あっちでしょ。怖がることないじゃん」

 

 ダーシャがここにいたら、そう言って俺の臆病さを笑い飛ばしてくれたに違いない。あいつは前に進むことしか知らなかった。

 

「そうだ、恐れることはない。彼らも怯えている」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、一歩前に進み出ると左手で拡声器を構え、トラックの上から空挺部隊を見下ろした。

 

「戦友諸君、私は諸君を待っていた。諸君に私の言葉を聞いてもらう機会を待っていた。その機会がようやく訪れたことを心より嬉しく思う」

 

 できる限りの笑いを顔に浮かべ、明るい声を作って語りかけた。俺は目の前にいる空挺隊員と戦闘をしたいわけではない。そのことを言葉と態度の両方で示すのだ。

 

「フィリップス少将!これ以上市民を戦いに巻き込むな!貴官は内戦を起こすつもりか!?評議会は平和的解決を望んでいる!貴官がその障害となっている!今すぐ集会を解散して、評議会に投降せよ!」

 

 ロフリン准将が叫んでいるが、聞いていないふりをした。交渉に長けたロフリン准将と議論したら、言い負かされるに決まってる。俺は反射的に右手で腰のブラスターを抜き放った。そして、何も言わずに高々と掲げることによって、ロフリン准将の弁舌に応えた。

 

「私は諸君に向ける銃を持たない」

 

 右手を開くと、銃はあっけなく俺の足元に落ちた。空挺隊員から漂う空気が変わったのが感じられる。視覚に訴えるとっさのパフォーマンスは、功を奏したようだった。

 

「私は数十度の戦いに参加した。すべて民主主義と自由惑星同盟を守るための戦いだった。私の銃はいつも市民の権利と自由を脅かす者にのみ向けられてきた。だから、諸君に向けられることは決してない」

 

 視覚と言葉によって、俺に戦う意志がないことを重ねてアピールした。義勇兵の大きな拍手が湧き上がる。救国統一戦線評議会もそれなりの根拠を持って動いている集団だ。論理を戦わせれば、議論が巧みなロフリン准将に一日の長がある。ならば、攻めるべきは揺れ動く空挺隊員の感情だ。

 

「民主主義を守るために戦うというのなら、なぜ評議会に協力しようとしないのだ!?終わりの見えない党派争いに終止符を打ち、一致団結して国難にあたるために評議会は決起したのだ!それなのに貴官は団結を妨げようとしている!矛盾していること、甚だしいとは思わないか!」

 

 ロフリン准将は、なおも議論に持ち込もうとする。だが、俺はそれを無視して、軍服のジャケットを脱いだ。そして、下に着込んでいたボディーアーマーを脱いで右手に持ち、高々と掲げた。

 

「私は諸君の銃を恐れない」

 

 俺の手から離れたボディーアーマーは、さっきの銃と同じように足元に落ちた。

 

「私は知っている。諸君の戦いは、すべて民主主義と自由惑星同盟を守るための名誉ある戦いだった。諸君の銃は市民の権利と自由を守るためにのみある正義の銃だ。ならば、諸君の銃が私に向けられることは、決して有り得ないと信じる」

 

 自分では爽やかと信じる笑顔を作り、信頼を重ねて示す。再び義勇兵の拍手が湧き上がった。そして、空挺隊員の圧迫感が急速に薄れていく。彼らが武力行使に消極的なことを俺は確信した。ロフリン准将が議論にこだわるのも、部下の忠誠心を信頼できないからではないか。

 

 自由惑星同盟軍の軍人は、日頃から「自分達の戦いは民主主義を守る聖戦だ。自分達は正義の戦士なのだ」と教えられている。それゆえにイデオロギーを持たない帝国軍より高い戦意を維持できるが、正義に反すると感じた戦いでは途端に弱くなる。救国統一戦線評議会の正義は、どうやら将兵に受け入れられていないようだ。ならば、こちらの正義が受け入れられる余地は十分にある。

 

「私は市民の代表たる政府によって任命された首都防衛軍司令官代理である。政府に託された首都防衛の任を果たすためにここにいる。私は憲章と国旗に忠誠を誓った一軍人である。公務員法及び国防基本法が定める憲章擁護義務を果たすためにここにいる。私は民主主義の国で生まれ育った一市民である。同盟憲章が定める抵抗権に基づき、志を同じくする市民とともに戦うためにここにいる」

 

 自分が何者であるか、どのような論理に従っているかをはっきりと語る。どんなに正しくとも、立ち位置の明確でない相手の言葉は信頼されない。明確にそして簡潔に語らなければならない。

 

「では、諸君は何のためにここにいる?民主主義と自由惑星同盟に敵対する者と戦うためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。市民から権利と自由を奪おうとする者と戦うためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。諸君の生命に脅威を及ぼす者を排除するためか?ならば、諸君の敵はここにはいない。我々の敵は、ハイネセンポリスの真ん中に陣取って、諸君に服従を強要する者のみである。決して諸君と敵対することは無い。諸君は敵と戦う訓練は受けているが、決して敵対しない者に武器を向ける訓練は受けていないはずだ。重ねて問う、諸君は何のためにここにいる?」

 

 空挺隊員に「なぜここにいるのか」を畳み掛けるように問いかける。単純明快な俺の立場と空挺隊員のあやふやな立場を対比させて、彼らの心理にさらに揺さぶりをかけるのだ。自分の立場を疑い始めたら、どんなに勇猛な兵士でも動きが鈍るということを、去年の帝国領遠征の経験は教えてくれた。

 

 義勇兵の「そうだそうだ」「ちゃんと考えろ」という叫びが俺の言葉の効果を増幅させた。もはや、目の前の大部隊は恐るるに足りない存在だった。トラックの上からも迷っていることがはっきりと見て取れる。ロフリン准将は声をからして俺の論理を批判し続けているが、口を開くたびに義勇兵の口汚い野次に遮られる。敵は完全にこっちに呑まれた。この状態で強硬手段を採るのは不可能に近い。首都第一防衛軍団が到着するまでこの状態を保てば、それで俺の勝ちだ。

 

「閣下、お耳を」

 

 アルマが俺の耳に顔を近づけて、小さな声でささやきかけてきた。

 

「どうした?」

「敵が動き出しました。仕掛けてきます」

 

 指摘されて空挺部隊を見ると、確かにわずかな動きが見られる。勝ちを確信した自分の甘さが、少し情けなくなった。自分が圧倒的に不利な立場ということを忘れていた。

 

「この状態で仕掛けてくるとはね」

「私が敵の指揮官でも、ここが最後のチャンスと考えます。これ以上決断をためらったら、部隊が自壊します」

 

 一瞬アルマの顔を見直して、それから納得した。参謀教育を受けていない彼女が師団レベルの判断を理解できる理由は良くわからないが、とにかく理には適ってる。

 

「今の時間は?」

「八時四九分です」

 

 内心でため息をついた。頑張って時間を稼いだが、第一首都防衛軍団が到着するまで間に合わなかった。

 

「どんな手で仕掛けてくると思う?」

「催涙ガスではないでしょうか。上空で破裂させてガスを散布させるタイプの砲弾を使えば、負傷者もほとんど出ません」

「なるほど」

 

 確かに催涙ガスを使えば、血を流さずに群衆を制圧できる。威圧だけで義勇兵を解散させて、救国統一戦線評議会の実力を見せつけるという敵の意図は粉砕できたが、俺が負けたことには変わりがなかった。

 

「政治的には私達の大勝利です。二個空挺師団を動かしたのに、半数以下の群衆に圧倒されて催涙ガス使用に追い込まれたという事実は、救国統一戦線評議会の無力を示す格好の材料になります。トリューニヒト派、統一正義党、進歩党、反戦市民連合といった勢力は、救国統一戦線評議会の最初の失点を見逃さないでしょう。戦いはこれからです。第八強襲空挺連隊の精鋭七七人が命に替えて退路を確保……」

「終わってない」

「えっ!?」

「最初の方針通りだ。最後まで義勇兵とともに戦う。勢いではこちらが勝ってるんだ。ここで逃げたら、この勢いは二度と得られない」

 

 目を丸くするアルマを尻目に、俺は再び拡声器を握って後ろを向いた。

 

「義勇兵の皆さん!第一首都防衛軍団はすぐそこまで来ています!国歌を歌いましょう!私達のために駆けつけてくれた仲間を歓迎するには、国歌こそがふさわしい!」

 

 俺の提案に義勇兵は大きな拍手を送った。そして、ダンプカーの荷台に積まれた巨大スピーカーから、大音量の自由惑星同盟国歌『自由の旗、自由の民』が流れ出す。俺が歌い始めると、周囲にいる部下、そして義勇兵が一斉に唱和し始めた。

 

「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し

 解放された惑星の上に

 自由の旗をたてよう

 吾ら、現在を戦う、輝く未来のために

 吾ら、今日を戦う、実りある明日のために

 友よ、謳おう、自由の魂を

 友よ、示そう、自由の魂を」

 

 一万人が思い思いに張り上げた大声が音楽に乗った。拙劣ではあったが、みなぎる熱気がそれを遥かに凌駕した。バリケードの上にいる者も地上にいる者も全員が肩を組み、勇ましいメロディを歌った。気が付いたら、俺はアルマ、ハラボフ大尉と肩を組み、大きさだけは人並み以上の調子っ外れな声を張り上げて歌っていた。

 

「専制政治の闇の彼方から

 自由の暁を吾らの手で呼び込もう」

 

 携帯簡易ガスマスクを着用した空挺隊員は戦闘隊形を組み、戦闘車両の砲の照準はバリケードに向けられている。催涙弾が上空で炸裂してガスが地面に散布されると同時に、俺達を制圧する手筈に違いない。既に万策尽きていたが、そんなことはもうどうでも良かった。一万人の大合唱に気分が盛り上がって、この世のものとは思えないほどに楽しかった。半分本気、半分やけくそで声を張り上げ続けた。

 

「おお、吾らが自由の民

 吾ら永久に征服されず」

 

 ついに最後の一節まで歌い終えた。驚くべきことに俺達が歌い終わるまで空挺部隊の攻撃は始まらなかった。妙な高揚感の中に包まれた俺達は、ここが戦場ということを忘れかけていた。いや、忘れたかったのかもしれない。余韻を共有しようと思って左を向くと、ハラボフ大尉は素早く顔を背けた。

 

「自由ばんざい!」

「民主主義ばんざい!」

「祖国ばんざい!」

「フィリップス提督ばんざい!」

 

 拳を振り上げて歓声をあげる人々を見た俺は、ひと仕事を終えたような満足感に包まれていた。第一首都防衛軍団がギリギリで間に合わなかったのは残念だが、これだけ盛り上げたら勝ったような気がする。

 

「自由ばんざい!」

 

 その叫び声はあらぬ方向から聞こえてきた。空挺部隊が展開している方向だ。驚いて視線を向けると、一人の空挺隊員が簡易マスクを外し、俺達に答えるかのように全力で拳を突き上げていた。それが呼び水となった。

 

「自由ばんざい!」

「民主主義ばんざい!」

「反逆者を倒せ!」

「フィリップス提督ばんざい!」

 

 空挺隊員は次々とマスクと銃を地面に投げ捨てると、叫び声をあげた。戦闘車両は次々と砲の照準をバリケードから外した。

 

「いったい、何が起きたんだ……!?」

 

 俺が目を丸くしている間に、その動きは急速に空挺部隊の間に広がっていった。空挺隊員は先を争うように武器を投げ捨てて、俺達を支持する叫びをあげた。部隊を率いて鎮圧しようとした指揮官もいたが、部下がことごとく武器を投げ捨てて戦闘を放棄してしまった。

 

「第七一空挺連隊第三中隊は、これよりエリヤ・フィリップス少将の指揮下に入ります!」

 

 中隊指揮車から身を乗り出した若い将校は、拡声器を使って味方する意志を伝えた。ついに部隊ごとの寝返りまで発生した。

 

「俺をバリケードに上げてくれ!アピールしたい!」

 

 バリケードの真下に走り寄ってきた空挺隊員が叫ぶ。俺は部下に命じて、その隊員を急いで引き上げさせて拡声器を渡した。

 

「義勇兵のみんな!俺はアマンシオ・バランディン!同盟軍の伍長だ!たった今、部隊から脱走した!反逆者の命令を聞くなんて、もううんざりだ!正義のために戦いたい!一人の市民として仲間に加えてくれ!」

 

 バランディン伍長がアピールを終えると、あっという間に周囲に義勇兵が集まってきた。

 

「よく言ってくれた!お前は仲間だ!」

「歓迎するぞ!」

 

 義勇兵はバランディン伍長に次々と握手や抱擁を求めた。女性の義勇兵は伍長の頬にキスの嵐を浴びせた。

 

「市民の皆さん!我々第二四空挺連隊第二大隊は、第二四空挺連隊より離脱しました!これより、我々は市民のために戦います!市民軍の市民大隊です!市民大隊と呼んでください!私、フェレンツ・イムレは、市民の少佐であります!」

 

 バリケードから遠く離れた場所で、部隊指揮車の拡声器を使って独自のアピールを始める者も現れた。

 

「市民軍ばんざい!」

「市民大隊ばんざい!」

 

 バリケードの内と外で同じような歓声が沸き上がり、もう収拾がつかなくなった。バリケードから義勇兵が次々と飛び降りて、空挺隊員と抱擁を交わし合う。逆にバリケードに登って、義勇兵と握手を交わし合う空挺隊員もいた。

 

 たったの数分で二個空挺師団は軍隊の体を成さなくなり、ボーナム総合防災公園は義勇兵と空挺隊員が入り乱れて歓声をあげるカオスと化した。何が起きているのか、さっぱり理解できずにいる俺の耳に、報道部長の馬鹿でかい声が響いた。

 

「素晴らしい反響ですよ!私どものチャンネルは、救国統一戦線評議会にあっという間に封鎖されましたが、他の地方局が放送してくれましてねえ!あちこちの局から、映像を使わせてくれって引っ張りだこですわ!惑星ハイネセン一〇億の市民が閣下のご活躍を見ていたんですよ!いやあ、今年のマイケル・リチャーズ賞が楽しみです!授賞式には、閣下も呼ばせていただきますよ!」

 

 笑いが止まらないといった顔の報道部長は、汗ばむ手で俺の手を強く握りしめた。さすがにマイケル・リチャーズ賞は無理だろうと思いつつ、曖昧に笑って報道部長の追従を聞いていると、待ちに待った叫びが聞こえた。

 

「第一首都防衛軍団が到着したぞ!」

 

 上空には戦闘ヘリ部隊が展開し、地上には歩兵部隊が展開。第一首都防衛軍団は空と地上の両方から、空挺師団制圧にとりかかった。戦闘を放棄した空挺部隊の大多数は義勇兵とともに両手を掲げて第一首都防衛軍団を迎え入れ、秩序を保っていた数少ない部隊はあっという間に制圧された。三万近い兵力を持つ二個空挺師団は、わずか三〇分で完全に消滅。ボーナム総合防災公園の防衛は大成功のうちに終わった。



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第百十八話:ハイネセン市民軍 宇宙暦797年4月14~16日 ボーナム総合防災センター

 自主的に部隊を離脱した二万人以上の空挺隊員の帰順を受け入れ、救援に来てくれた第一首都防衛軍団をねぎらう。そういった手続きを終えて、義勇兵と空挺隊員と第一首都防衛軍団将兵が昔からの友であるかのように交歓している陸上競技場を後にした俺は、臨時司令部のある総合防災センターに向かった。これから抵抗運動を組織する作業が待っているのだ。休んではいられない。

 

「なんだ、これ……?」

 

 端末を開くと、新着メールがなんと五五六通も届いていた。いや、たった今三通来たから五五九通だ。

 

「義勇兵志願、資金提供、物資提供、情報提供の申し出が殺到しています!処理しきれません!」

「激励の通信が多すぎて、回線がパンクしそうです!」

 

 悲鳴混じりの報告を受けた俺は呆然となっていた。テレビに出て支援を求めたが、まさか処理能力をはるかに超える反響が来るとは、夢にも思わなかった。

 

「閣下!第一首都防衛軍団司令部より、三〇〇〇人ほどの義勇兵志願者が公園の入り口に集まっているとの報告が入っております!」

「三〇〇〇人も!?」

 

 既に集まった義勇兵一万人も氏名を聞いて登録する以上の手続きは進んでいなかった。これ以上来られても、今は対処できない。

 

「セビタ市の主戦派市議団一四人が面会を求めています。いかがいたしましょうか?」

「たしか、セビタ市は一〇〇キロぐらい離れていたはずだ。アピールから二時間ぐらいしかたってないのに、そんな遠くから来れるものかな?」

「ヘリに乗ってやってきたそうです」

「首都圏上空は救国統一戦線評議会の空軍部隊の目が光ってるじゃないか!命知らずにもほどがある!」

 

 危険を顧みずに支持表明に駆けつけてくれるのは、ありがたいと思う。しかし、今の首都防衛軍司令部の処理能力では、彼らの熱意に応えることができない。

 

 俺が連れてきた首都防衛軍のスタッフは、参謀と専門スタッフを合わせても四〇名程度。首都防衛軍スタッフの半数近くは副参謀長ニコルスキー大佐とともに陥落したであろう首都防衛軍司令部に残り、四分の一は第三巡視艦隊司令部でチュン准将を補佐している。一個戦隊しか運用できない程度の人数で、反救国統一戦線評議会勢力を組織化するのは不可能に近い。

 

 スタッフ不足は想定していた。「クレープ計画」では、味方についた部隊や行政機関からスタッフを借りて乗り切るつもりであった。しかし、俺達の勢力は予想を超える速度で拡大している。まとめきれなければ、勢力拡大がかえって混乱を招く可能性もあった。救国統一戦線評議会に乗じる隙を与えてしまっては、せっかくの勝利も仇になってしまう。一刻も早くスタッフを集めて、反救国統一戦線評議会勢力の運営体制を整える必要があった。

 

「よし、第一首都防衛軍団司令部と交渉して、スタッフを借りよう。あと、空挺隊員の中で司令部勤務経験のある者を呼び寄せる。あと、ハイネセン緊急事態対策本部の設置を急ごう。こちら側に付いた首都圏の行政機関から人を出してもらう」

 

 当初の計画では、もっとゆっくり進めるはずだったスタッフ集めを急ぐことに決めた。作戦部長ニールセン中佐に第一首都防衛軍団との交渉、情報部長ベッカー大佐に空挺隊員からのスタッフ選抜を任せ、俺自身は行政機関との交渉にあたる。

 

 対クーデター作戦「クレープ計画」における首都防衛軍臨時司令部の役割は二つ。第一に臨時司令部と首都防衛軍支持を表明した部隊の統制。第二に首都防衛軍及び義勇軍に対する兵站支援である。一時間ほど経つと、士官、下士官、兵卒合わせて五〇〇人ほどのスタッフが首都防衛軍臨時司令部に集まった。彼らが対クーデター作戦の運用部門となる。

 

 一方、緊急事態対策条例に基いて設置されるハイネセン緊急事態対策本部の役割は三つ。第一に義勇兵や寄付を集めて、首都防衛軍臨時司令部に引き渡す。第二に各地の自治体や警察組織や消防組織の統制。第三に企業やメディアとの協力体制構築。この組織は文民部門であり、首都防衛軍臨時司令部との関係は、国防委員会と統合作戦本部の関係にあたると考えれば良い。

 

 ハイネセン緊急事態対策本部の編成は、臨時司令部の編成と比べるとだいぶ難航した。条例に則った編成をすれば、ハイネセン惑星政庁長官が本部長となる。副本部長はハイネセン惑星政庁副長官、首都防衛軍司令官、首都警察長官、首都消防局長官、ハイネセンポリス市長。本部員はハイネセン惑星政庁の各局長。事務局長はハイネセン惑星政庁危機管理室長。だが、このメンバーの大半は、救国統一戦線評議会の拘束下にある。

 

 救国統一戦線評議会は蜂起した際に、惑星政庁、首都政庁、首都警察本部、首都消防局を占拠。最高幹部はほぼ拘束されてしまった。対策本部メンバーに指定された者のうち、拘束を免れたのは惑星政庁の会計管理局長、都市整備局長、教育局長、水道サービス局長。そのうち、会計管理局長は救国統一戦線評議会に出頭。教育局長と水道サービス局長は行方不明。ボーナムにやって来て俺を支持してくれたのは、都市整備局長のみ。正規メンバーが俺と都市整備局長だけでは、いかにも俺のお手盛りという感じがして見栄えが悪いが、それでもスタッフの受け皿となる組織は必要だ。

 

 唯一健在な副本部長の俺が本部長代行に就任し、本部員の欠員は本部員代理資格を持つ各部局のナンバーツーをあてることとした。連絡がついた生活文化局次長、環境局次長、福祉保健局次長、監査委員会事務次長を本部員に登用し、危機管理室副室長を事務局長に登用した。スタッフには味方の自治体から応援にやってきた職員、ハイネセンポリスから脱出した惑星政庁職員や首都政庁職員をあてる。

 

 味方の自治体には、首長を本部長、副首長及び軍・警察・消防の代表者を副本部長とする自治体単位の緊急事態対策本部を設置させて、ハイネセン緊急事態対策本部の指揮下に組み入れた。この措置によって、各行政機関は一元的な指揮系統の元に入ることになる。

 

 

 

 押し寄せてくる参加希望者を取り込みつつ、反救国統一戦線評議会組織を築く。二つの大仕事を並行した俺達は、この一日で想像を絶する作業量を処理した。ハイネセン緊急事態対策本部と首都防衛軍臨時司令部による指導体制がひと通り完成したのは、四月一四日の二三時五〇分頃のことである。

 

 緊急事態対策本部の指揮下に入った自治体は、惑星ハイネセンにある自治体の三割に及ぶ。集まった義勇兵は、全土で三〇〇万人。物資や資金を提供してくれる者は、その一〇倍以上に及ぶ。俺の勢力は、二四時間前とは比較にならないほどに拡大した。しかし、依然として状況は予断を許さない。

 

 首都圏の軍隊や自治体では、俺に対する支持はさほど広がらなかった。日和見をしていた首都防衛軍の第一巡視艦隊と第二首都防衛軍団がようやく指揮下に入り、宇宙部隊三個戦隊と地上部隊六個師団が支持を表明。六〇万を越える兵力が新たに加わって、首都圏で俺に味方する部隊は一四〇万を数えた。しかし、正規艦隊や宇宙艦隊直轄部隊に所属する部隊が、相次いで救国統一戦線評議会支持を表明。首都圏で救国統一戦線評議会を支持する部隊は、三〇〇万を越えた。首都圏で俺を支持する自治体は一割に留まる。

 

「風は明らかにこちらに吹いてる。でも、なかなか敵は崩れてくれない。それどころか勢力を拡大してる有様だ」

「高級軍人や政治家は、奇跡より現実を信じるということなのでしょうね」

 

 のんびりした声で辛辣な答えを返したのは、通信スクリーンの向こうにいる参謀長チュン・ウー・チェン准将だった。

 

「一時の熱狂に流されず、現実的に彼我の力量を判断する。組織を背負う者としては、正しい態度だよ。朝やったことをもう一度やれと言われても、絶対にできないからね」

「救国統一戦線評議会の対応は敵ながら見事なものでした。手持ちの戦力を素早く動かして、我々に味方する部隊をことごとく包囲。ボーナム総合防災公園の件がまぐれであると印象付けることに成功しました」

「あの状況で何の対処もできなきゃ、無力に見られても仕方ないよね。勢力拡大に処理能力が追いつかなかった。味方が包囲されても、個々に持ちこたえてくれることを期待するしかなかった。頼りなく見えても仕方ない。それに敵は流通も握ってる。物資供給の不安から、あちらに味方した部隊も多いと思う」

 

 思わず溜め息が出てしまった。救国統一戦線評議会は人心をまったく掌握できていないが、打ってくる手は的確だ。

 

「政治的な問題もあるでしょうね。正規艦隊や宇宙艦隊直轄部隊の幹部は、旧シトレ派や旧ロボス派で占められています。トリューニヒト議長が再選されたら、彼らは粛清人事の対象になる可能性があります。グリーンヒル大将の方が彼らとしては受け入れやすいでしょう。あの方は正規艦隊重視路線ですしね」

「中央政界ではトリューニヒトの国民平和会議が圧倒的に強いけど、地方政界では旧二大政党の力が根強く残ってる。惑星ハイネセンで最も多くの首長と地方議員がいる政党は進歩党、その次は旧改革市民同盟系の共和国民主運動。どっちもトリューニヒト路線とは真っ向から対立してる上に、政策的にはグリーンヒル大将と親和性がある。民主主義へのこだわりが薄い人なら、救国統一戦線評議会という選択もありだろうね。レベロ財務委員長とホアン人的資源委員長が捕らえられてなければ、進歩党は反救国統一戦線評議会でまとまったんだろうけど」

「理想主義者には、二つのタイプがあります。政策にこだわりがあるタイプ。そして、イデオロギーにこだわりがあるタイプ。理想の政策を実現するために、非民主主義的な手段を用いることを容認できるか否かの違いですね。まあ、私は容認できません。しかし、世の中を良くするためなら、容認してもいいという人は多いでしょう」

「救国統一戦線評議会が世の中を良くできるとは、俺には思えないよ。でも、それは俺がトリューニヒト支持者だからだろうね。何が何でも帝国に勝たなきゃいけないと思ってる人とか、緊縮財政を続けなきゃいけないと思ってる人とかは、救国統一戦線評議会の独裁に期待してもおかしくないと思う」

 

 俺の悪いところは、自分を信じ切れないところだと思う。他人の正しさを頭ごなしに否定しきれないのだ。だから、ロフリン准将がふっかけてきた議論からも逃げ続けた。

 

 救国統一戦線評議会が市民や兵士に嫌われているのは、完全に感情的な問題だ。しかし、論理や打算で動くエリート層には、それなりに説得力を発揮できる。感情論者や教条主義者には反発されて、合理主義者に支持される存在というのは、物語では善玉と決まってる。前の歴史の本でも、感情論者や教条主義者は悪く書かれてた。自分が悪役かもしれないと思うと、あまり愉快な気分になれない。

 

「閣下に対する反感、もしくは恐怖もあるかもしれません」

「反感は分からないでもないけど、恐怖はないんじゃない?能力無いし、見た目も弱そうだし」

「正確に言えば、閣下が起こされた奇跡に対する恐怖でしょうか」

「まぐれだよ、あれは。俺だって何が起きたか良くわからなかった。今でもやっぱりわからない」

「傍から見れば、得体のしれない熱狂ほど怖いものは無いですよ」

「ああ、それはわかるな。新興宗教の祭典とか、極右や極左の集会とか、そういうのが盛り上がってるのをテレビで見ると、ちょっとびびってしまう」

 

 五日前に国防委員会庁舎前で出くわした憂国騎士団のデモ隊を思い出した。旧知のラプシン予備役少佐と出会わなければ、ただ怖いと感じるだけで終わっていたはずだ。

 

「率直に申しますと、私も少々恐ろしくなりました。あの中にいれば、何とも思わなかったのでしょうが」

「俺を良く知っている参謀長ですら恐ろしく感じたなら、良く知らない人はなおさらだろうね」

 

 また溜め息が出た。チュン准将の言うことはいつも正しいが、それゆえに時折苦く響く。今日は特に苦かった。義勇兵が差し入れてくれたシュークリームを口に入れる。甘くておいしい。

 

「しかし、戦い方としては正解だったと思います。議論上手のロフリン准将ではなく、将兵に向かって語りかける。理あって情に欠ける救国統一戦線評議会相手には、有効な手でしょう。いかに高級軍人や政治家が敵の理を信じても、その下にいる者達が揺らげば覆せます」

「大衆の支持によって、軍事政権を倒す。クレープ計画はそういう作戦だ。一度やると決めたからには、徹底的にやらなきゃ」

「それにしても、救国統一戦線評議会は大衆受けを気にしてないというか、無視しているようにすら感じられますね。我が国は民主主義国家。軍の力だけで安定統治を敷くのは不可能です。ですから、過去のクーデター未遂事件では、政治家や官僚なども関与しておりました。しかし、現在明らかになっている範囲では、救国統一戦線評議会には文民が一人もいません。背後にいる文民勢力に政権を引き継ぐまでの短期的な暫定体制なのか、それとも……」

 

 チュン准将は珍しく言葉を濁した。

 

「どうした、率直すぎるぐらい率直な貴官らしくもないな」

「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは軍人出身ですが、政治家としては軍隊を政治の一手段として使いました。国家救済戦線派も軍隊を政治の手段に使おうとしています。しかし、救国統一戦線評議会はその正反対です。軍隊を作る手段として政治を使おうとしています。彼らは思想性も何もなく、政治や世論に左右されない効率的な戦争指導を追及した結果として、軍事独裁に行き着いたのではないでしょうか。そうであれば、文民がいない理由も理解できます」

「ああ、なるほど。対帝国戦争に専念するために、クーデターを起こしたわけか。政治や世論に左右されたくないから、文民をメンバーに加えていない。それは確かにルドルフと反対だね。ルドルフは内政に専念するために議会を永久解散した。ルドルフの軍隊は政治の道具だった」

「軍隊を政治に利用されたくない。プロフェッショナルとしての仕事に専念したい軍人ほど、そんな思いを強く持っています。主戦派は軍隊に金も出しますが、口も出します。愛国、服従といった軍国主義的イデオロギーも押し付けてきます。それを不合理と思う軍人は、あまり口出しをしない反戦派に心を寄せる傾向があります。私も含めた旧シトレ派というのは、その典型ですね。軍人としてのプロ意識が行き着いた果てのクーデターであれば、グリーンヒル大将やエベンス大佐のような非軍国主義的な人がメンバーに多いのは、むしろ当然でしょう」

 

 救国統一戦線評議会は、プロ意識の高い非軍国主義的軍人の集まりではないか。そんなチュン准将の指摘は、極めて興味深いものだった。そして、思い当たるふしもある。

 

 四日前、救国統一戦線評議会議長のグリーンヒル大将は、近い将来の祖国防衛戦争に必要な戦力を集めていると俺に言った。そして、派閥争いをやめて団結しなければならないと。グリーンヒル大将は、派閥争いや政治干渉を排除して、純粋に祖国防衛戦争を戦うためにクーデターを起こしたのかもしれない。

 

「救国統一戦線評議会はイデオロギー的な問題でなく、技術的な問題を理由に決起した集団ってことか。それなら、魅力を感じる人も多いだろうね。政治に配慮せずに政策を遂行できる体制って、軍人や官僚にとってはある意味理想的な体制だから。国難を救った後に民政に復帰すると言えば、軍事独裁の批判も避けやすい」

 

 去年の帝国領遠征に参加した俺は、政治介入の害悪をさんざん味わった。政治に介入されずに戦えたら、どれほど楽なことだったかとあの時は思ったものだ。

 

「しかし、我が国の政治は民意の反映。どんな腐敗した政治家であっても、市民によって選ばれたことには変わりありません。政治を無視する姿勢は、どれほど合理的な理由があっても、決して市民の支持を得られないでしょう。誰だって自分が無視されたら不快ですから」

 

 チュン准将の言い方は、単純ではあるが本質を突いている。相手が正しくて自分が間違っているのが分かっていても、無視されるというのは不快なのだ。だから、市民は救国統一戦線評議会を支持しない。救国統一戦線評議会の正しさは、正しいがゆえに受け入れられないだろう。いろんな意味でやりにくい相手であった。

 

 

 

 クーデター発生から三日目の四月一五日、ハイネセン緊急事態対策本部と首都防衛軍臨時司令部による指導体制は本格的に始動した。義勇兵の組織化は驚くべき速度で進み、各地で次々と義勇旅団や義勇連隊が結成された。多くの支援物資が救国統一戦線評議会の封鎖をかい潜って、ボーナム市に流入した。防災通信ネットワークを利用した指揮通信体制も整備されて、首都防衛軍臨時司令部は首都圏にある一四〇万の部隊を完全に掌握した。

 

 反クーデターの動きも表面化してきた。首都圏から遠く離れた主要都市では、反戦派やトリューニヒト派による大規模な反クーデターデモが行われた。救国統一戦線評議会支持を表明した自治体では、首都防衛軍を支持する公務員のストライキが多発。西大陸のカルデニア州議会においては、救国統一戦線評議会を支持する州知事に対する不信任が可決された。

 

 有名人も次々と反クーデターの態度を鮮明にした。休暇旅行中の元第九艦隊副司令官ライオネル・モートン中将は、ハイネセン南大陸の保養地マイルフォードから首都防衛軍支持を表明。反戦派文化人の作家アキム・ジェメンコフ、映画監督メリッサ・モンテサントらは、「反戦人民戦線」を結成して反クーデター決起を呼びかけた。楽土教テルヌーゼン大教区長ドゥッチォ・カファロは、説法の中で救国統一戦線評議会への不服従を訴えた。芸能界では、コメディ俳優アルフレート・ブフタ、歌手マドロン・リュミエールなどが首都防衛軍支持を表明した。

 

 同盟軍史上最大の英雄ブルース・アッシュビー元帥の最期を看取ったことで知られるドナルド・ヒース退役中将は、ボーナム総合防災公園に駆けつけると、義勇兵登録名簿に「ドナルド・ヒース 八一歳 年金生活者」とのみ記した。正体が判明したのは、公園攻防戦終了から二時間後のことである。

 

「久しぶりに血が騒いでしもうた。この老体を一兵卒として使ってくれんかね」

 

 ヒース提督はそう言っていたが、俺が生まれる前から提督だった人を一介の義勇兵として扱うわけにもいかない。結局、義勇軍査閲総監の肩書きを贈って、臨時司令部に席を設けた。アッシュビー元帥の作戦参謀を務めた古老の存在は、反クーデター勢力に重みを与えてくれるはずだ。

 

 一五日の午前に臨時司令部を訪れた代議員エイロン・ドゥメックは、扱いに困る人物だった。紳士的な風貌で物腰も穏やかだが、少しでも自分が蔑ろにされていると感じた途端にへそを曲げてしまう。それも怒鳴り散らすのではなく、遠回しにぶつぶつ文句を言うのだ。特に食事と寝室が気に入らなかったらしい。ここは対クーデターの最前線だ。日頃からドゥメックが享受しているような生活を提供できるはずもないのだが、納得してもらうまで時間がかかった。

 

 代議員の肩書きを持ってるだけの人物なら、手の空いてるスタッフを世話役につけて放っておけば良い。だが、ドゥメックは極めて有用な人材だったから、必死で機嫌を取る必要があった。もともと推理作家だった彼は、過激な政治的発言で注目を集めてから言論活動に軸足を移し、政治評論家に転身。トリューニヒトのブレーンを務めていたことから、三月総選挙に国民平和会議から出馬して代議員に当選した。大衆向けの政治バラエティ番組に良く登場していたため、知名度は抜群に高い。大衆向けにアピールするには、もってこいの人材なのだ。

 

「ヨブ・トリューニヒトが勝つか、反逆者が勝つかの問題ではありません。我々が奴隷になるか、自由になるかの問題です。奴隷になりたければ、反逆者を支持するとよろしい。しかし、我々は生まれながらの自由民です。ならば、答えは決まっています。反逆者にノーを突きつけ、市民軍にイエスを示しましょう!市民軍司令官エリヤ・フィリップス提督のもとに結集しましょう!」

 

 カメラに向かって反クーデターを訴えるドゥメックは、着古された作業服を身にまとい、いつもは綺麗にセットしている髪をやや乱れさせ、洗髪や洗顔をせずに汗臭さを醸しだし、見るからに最前線で戦う勇士のような雰囲気がある。メディア慣れしているだけあって、見せ方を良く心得ていた。

 

 今や反クーデター勢力の本拠地となったボーナム総合防災センターの建物には、首都防衛軍や空挺部隊の軍旗、同盟国旗と並んで、青地に二丁のライフルが斜めに交差したマークが描かれた旗がたなびく。この旗は義勇兵が即席で作った旗で、「市民軍の旗」と呼ばれる。正規軍と義勇軍の連合軍である反クーデター勢力部隊は、公園攻防戦の際に投降した空挺部隊大隊長フェレンツ・イムレ少佐が市民軍を自称して以来、「市民軍」の通称で呼ばれるようになった。

 

 現在、ボーナム総合防災公園周辺に集結している戦力は、第一首都防衛軍団四万五〇〇〇人、帰順した空挺部隊二万六〇〇〇人、義勇兵三万三〇〇〇人。合計すると一〇万を超える。要塞化工事も完了し、地上からの攻撃では攻略するのは不可能となった。

 

 だが、まだまだ有利とはいえなかった。救国統一戦線評議会側の部隊は、優勢な勢力を生かして首都圏の主要交通路を封鎖している。外部からの支援物資は、二割ぐらいしかこちらの手元に届かない。首都圏にいる一四〇万の正規軍と五〇万の義勇兵を養えるかどうかは、微妙なところだ。

 

 惑星ハイネセンの経済は、外部から流入してくる物資への依存度が高い消費型の社会だった。主要宇宙港を押さえる救国統一戦線評議会は、他星系から流入してくる物資を独占できる立場にあった。つまり、一〇億の住民を物資によってコントロールできる。クレープ計画では、クーデター開始から民間備蓄物資が尽きるまでの期間を一週間と見積もる。

 

 補給の不安が首都圏の諸勢力を救国統一戦線評議会寄りにしている。大規模な反救国統一戦線評議会活動も、首都圏では今のところほとんど発生していない。あと数日で決着を付けなければ、確実に敗北する。まだまだ難しい情勢だった。

 

 他星系からやって来た流通関係者を通じて、惑星ハイネセンの外の情報も入ってくる。四一一の有人星系のうち、反救国統一戦線評議会の態度を明確にしたのはわずか三三星系に留まる。五八星系が救国統一戦線評議会支持を打ち出し、残りの星系は曖昧な態度を取った。

 

 自由惑星同盟の経済は、惑星ハイネセンに住む一〇億の消費人口を抜きにしては動かない。救国統一戦線評議会は、ハイネセンの主要宇宙港、星間流通の要衝であるネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの四惑星を押さえている。どの星系も経済上の理由から、対立は避けたいのだろう。

 

 地方部隊もほとんどは曖昧な態度を取った。帝国領遠征軍が壊滅して以来、活発化した宇宙海賊への対応に追われて、救国統一戦線評議会どころではなかったのだ。明確に反救国統一戦線評議会の姿勢を打ち出した有力地方部隊は、第六方面管区巡視艦隊司令官ラルフ・カールセン少将、モハメディア星系管区司令官ローレ・イェーリング准将、マルーア星系管区司令官アーロン・ビューフォート准将ら二〇名程度に留まった。

 

 動向が注目されたイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は、救国統一戦線評議会の協力要請を拒否して、対決姿勢を打ち出した。数日中にイゼルローン要塞を出発して、最も近いシャンプールの反乱軍を攻撃に向かうものと思われる。そこまでは良かったが、どうも動きが怪しげだった。

 

「救国統一戦線評議会と対決するのは結構。シャンプール反乱鎮圧命令は情勢の変化で消滅したと考えるのが普通でしょうが、それでもまあ強弁すれば名目にはなります。しかし、何の政治的アピールも無いというのは、一体どういうことでしょうか?」

 

 ハイネセン緊急事態対策本部会議の席で疑問を呈したのは、惑星政庁福祉保健局次長アルトマイアーだった。

 

「担当区域を越えて軍を動かすのならば、それなりの理由が必要です。この場合は他星系の政府と交渉して、出動要請を引き出すのが一般的でしょう。しかし、そういう話も聞こえてこない。どんな根拠に基づいて動いているのやら。どうも不気味ですな」

 

 惑星政庁都市整備局長インサーナは、眉間にしわを寄せる。

 

「イゼルローン方面軍が自立を目論んでいる可能性は?」

「さすがにそれはないだろう」

 

 俺はとんでもないことを言い出したアルトマイアーをすぐさまたしなめた。しかし、他の対策本部メンバーは、かなり真剣な表情で考え込んでいる。どうも雲行きが怪しい。

 

「フィリップス提督。いくら非常時だからとはいえ、我々もイゼルローン方面軍も政府のルールに拘束される立場。何の説明も無く担当区域を超えるのは、そのルールに則れば私戦に等しい行為。要するに自立、あるいは反乱ですよ」

 

 確かにアルトマイアーの主張は正しい。救国統一戦線評議会と対決するにしても、それなりの法的根拠を用意しなければ、中央の政変に乗じて周辺星系を切り取ろうとしたと思われても仕方が無い。仮に救国統一戦線評議会を打倒するためにハイネセンに向かっても、単に権力を奪取したいだけなのか、トリューニヒト政権を復活させたいのか、見分けがつかない。

 

 前の歴史では、ヤン大将は五月のドーリア星域会戦直前に宇宙艦隊司令長官ビュコック大将の命令書なるものを公表して、「事前に討伐命令を受けてるから、私戦ではない」と主張した。伝記の中では、先見の明があるヤンはクーデター発生に備えて法的根拠を用意したとされる。俺もずっとそう思ってた。だが、対クーデター計画を作成する際に、法務部と一緒に法律研究を重ねるうちに考えが変わった。

 

 そもそも、宇宙艦隊司令長官は実戦部門の責任者であって、反乱討伐を命じられる側だ。討伐を命じる権限は、軍令の責任者たる統合作戦本部長にある。クーデター直前にヤンに四方面の反乱鎮圧を命じたのは、統合作戦本部長代理ドーソン大将だった。ビュコック大将に反乱討伐を命じる権限はない。

 

 宇宙艦隊司令長官の命令を受けて反乱を討伐するというのもおかしいが、「いつ誰が反乱を起こすか分からないけど、起きた時は討伐するように」という命令書の内容も胡散臭い。あまりに曖昧すぎて、命令書としては通用しない代物である。ヤンがでっちあげたと思われても仕方がないし、ビュコックが出したのが分かっても、間違いなく「ヤンと結託して何か企んでた」と勘繰られる。要するに前の歴史のヤンは、相当怪しい根拠で動いていたのだ。

 

 ヤンが現段階で何のアピールもしていないということは、やはり今回もビュコック大将の命令書を根拠に動くつもりなのだろうか。必ずしも前の歴史と同じ動きをするとは限らない。どこかの星系政府の出動要請を引き出してる可能性もある。だが、現時点では白黒付けずに灰色と判断すべきであろう。

 

「まあ、星間通信を敵が独占してる現状では、今の我々はよその星系と直接交信できないんだ。流通業者が漏らす伝聞だけで、イゼルローン方面軍の行動を判断するのも時期尚早だと思うよ。念のために、緊急事態対策本部の名前で協力要請を出そう。イゼルローン方面に向かう流通業者を見つけて、こちらのメッセージを持ってってもらう。それでいいんじゃないか?」

 

 様子見をしようという俺の提案にも、メンバーは乗り気でない表情を見せる。彼らは優秀な行政官僚だが、リスクを取りたがらない傾向がある。困り果てた俺は、オブザーバーとして参加している危機管理の専門家に質問した。

 

「アドーラ参事官、貴官はどう思う?」

「仮にイゼルローン方面軍が良からぬ意図を持っていた場合、こちらの出した要請が悪用される可能性もあります。それにどんなに早くても、バーラト星系に到着するには、一か月はかかるでしょう。一方、我が陣営に残された時間は、せいぜい四日か五日。イゼルローン方面軍との提携を模索するメリットは皆無かと存じます」

「イゼルローン方面軍の二〇〇万がこちらに味方する。そのインパクトは大きくないかな?時間切れまでに返事が来るかどうかは微妙だけど、間に合ったら救国統一戦線評議会に対する圧力になるんじゃないか?」

「遠すぎて圧力にはならないと考えます。自立が疑われる相手と手を組んだことで、諸勢力や市民の不信を買う恐れもあるでしょう。ケリム辺りまで彼らが進出していたら、リスクを承知の上で検討する余地もありますが」

「うーん」

 

 砂糖とクリームでドロドロになったコーヒーを口につけて、糖分を補給しながらアドーラの意見を脳内で検討することにした。

 

 距離と正当性の両面から検討した上で、ヤンと提携するメリットが皆無というのは筋の通った意見だった。納得できないとすれば、それは前の歴史の英雄に対する期待ゆえだろうか。だが、そんな理由で手を組むわけにもいかない。前の歴史の実績を考慮するのならば、極めて怪しい根拠をもって戦ったという事実も考慮すべきであろう。

 

 前の歴史のクーデターについて、少し考えてみる。ヤンは五月のドーリア星域会戦で勝利して、クーデター勢力の艦隊戦力を全滅させた。六月に起きたスタジアムの虐殺事件で、二万人の市民を虐殺したクーデター勢力は、完全に支持を失った。八月にバーラト星系まで到達したヤンのもとには、シドニー・シトレ退役元帥をはじめとする諸勢力が結集。満を持してハイネセンを目指し、軍事衛星群「アルテミスの首飾り」を破壊して、クーデター勢力を降伏に追い込んだのである。完全な鎮圧劇、英雄にふさわしい鮮やかな……、いや違和感がある。

 

 まず、ドーリア星域会戦でクーデター勢力は一個艦隊、一五〇万に及ぶ戦力を喪失した。この時点で軍事力のバランスは、ヤンに大きく傾いた。スタジアムの虐殺事件でクーデター勢力は完全に支持を失った。誰がどう見てもヤンの勝利は確実である。この時点で雪崩現象が起きて、クーデター勢力が崩壊してもおかしくないだろう。今のハイネセンで同じことが起きれば、確実に雪崩現象が起きて、俺は勝利する。だが、実際はスタジアムの虐殺から雪崩現象が起きるまで二か月近くかかった。恩師にあたるシトレ退役元帥ですら、最後の最後になってようやくヤンを支持した。

 

 これでは完全な鎮圧劇どころではない。今の俺の視点から見れば、信じがたいほどにもたもたしている。クーデター勢力がしぶとかったのか、あるいはヤンの手際が悪かったのかは、怪しげな命令書を先見の明と評する程度の本に書いてた内容では伺い知れない。だが、ヤンが圧倒的に有利だったにも関わらず、最後まで日和見を続けた者が多数にのぼり、ハイネセンのクーデター側部隊も最後まで離反しなかった。少なくとも、当時の人は今のアドーラのように、ヤンを頼りたくないと思っていたようだ。

 

 ヤンとの提携に対する未練は断ち切れた。俺は前の歴史の知識に従わずに、努力を重ねてここまで来た。決定権を握る立場になって、少し迷ってしまったが、前の歴史の英雄だからといって、遠くにいる灰色の人物に声をかける必要はない。どうせ、あと四日か五日で勝負は決まるのだ。

 

「よし、参事官の意見に従おう。イゼルローン方面軍との提携は見送る。みんなもそれでいいかな?」

「異議なし」

 

 満場一致でイゼルローン方面軍との提携は見送られた。

 

 

 

 四日目の四月一六日は、大きな動きのあった日だった。

 

 首都圏以外の地域では、反クーデターの動きが激化した。市民軍の旗を掲げる勢力が増加して、反クーデターのデモやストライキも多発。救国統一戦線評議会に味方した自治体では、首長が市民によって追放される事件、首長が警察を動かして市民軍の旗を掲げたデモ隊を検挙させる事件も起きた。救国統一戦線評議会側の部隊には、義勇軍によって駐屯地を包囲された部隊もある。

 

 地方の動きは首都圏には波及せず、軍事的なバランスはほとんど変動していない。義勇兵や情報提供者は増加している。敵将兵の戦意が低下しているとの情報もある。だが、まだ崩れるには至らない。

 

 政治的には、大きな動きがあった。救国統一戦線評議会が新たな布告を出したのだ。夜間外出禁止令の緩和、出頭命令に従わなかった要人の市民権停止及び財産凍結、軍事裁判所の設置、評議会の部分的改組、ハイネセン緊急事態対策本部及び首都防衛軍臨時司令部メンバー全員に対する出頭命令、義勇兵に対する解散命令など、大半は事態の変化に伴う追加措置である。しかし、一つだけ異質な項目があった。

 

「四二の組織に対する活動停止命令ですか。どれもトリューニヒト議長と縁が深い組織ばかりですな」

 

 情報部長ベッカー大佐は、副官ハラボフ大尉が救国統一戦線評議会の放送を聞いて書き取ったメモに目を通していた。

 

「与党の国民平和会議、憂国騎士団などのトリューニヒト応援団、国家保安局とその傘下にある治安警察部門、ユニバース・ファイナンスやサンタクルス・ラインなどの有力支援企業。露骨な狙い撃ちだね」

「いっそ清々しいぐらいですな。議長の最大の支持基盤である軍需関係業界団体が入ってないのが不思議ですが。あと、老舗の大企業も除外されてますね」

「軍拡路線だからね。軍需業界は敵に回せないだろう」

「これも妙ですよ。なんで地球教なんでしょうか?議長を支持してる教団の中には、もっと大手で過激なのもあるでしょうに」

「わからないなあ」

 

 義勇兵が差し入れてくれたマカロンを口に入れた。トリューニヒトの支持基盤を潰そうという狙いは分かるのだが、どうも選考基準が良くわからない。首をかしげている俺のところに、ハラボフ大尉が近寄ってきた。

 

「閣下、救国戦線統一評議会より通信が入っております」

「救国戦線統一評議会!?」

「和議の打診だそうです」

 

 思わず腰を抜かしてしまった。敵からいきなり直接通信、しかも和議の打診が来たら誰だって驚く。

 

「わかった、すぐ出る」

 

 急いで指揮官席に座り、通信端末に向かった。

 

「久しぶりだな。いや、そうでもないか。貴官と最後に会ってから一〇日程度しか経っていないのに、遠い昔のように感じる」

 

 スクリーンに映し出されたのは、見慣れた顔に聞き慣れた声。救国戦線統一評議会評議員のクリスチアン大佐であった。



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第百十九話:平行線の終わりにあったのは笑顔 宇宙暦797年4月16日 ボーナム総合防災センター

 どんな顔をすれば良いのか、俺にはかわからなかった。スクリーンの向こうにいる人物を敵に回す覚悟は、決めたつもりだった。だが、いざ目の前にしてみると、自分の覚悟の弱さを思い知らされる。戦いたくないという思いが、心の奥からこみ上げてくるのである。

 

「お久しぶりです」

 

 結局、平凡な挨拶を返すのみに留まった。

 

「うむ、いつもながら良い敬礼だ」

「ありがとうございます」

 

 手が震えているのに気付かれなくて良かった。もっとも、クリスチアン大佐なら気づいていても気づかないふりをしてくれただろうが。

 

「貴官と小官の間には、社交辞令はいらんだろう。手短に要件を伝える。救国統一戦線評議会は、市民軍との和睦を望んでいる」

 

 クリスチアン大佐は、俺達の事をはっきりと「市民軍」と呼んだ。

 

「どのような形の和睦ですか?」

「市民軍の政権参加を希望する。もちろん、対等な立場での参加だ。ハイネセン緊急事態対策本部の地位を公認し、全自治体をその指揮系統に編入する。ハイネセン緊急事態対策本部の本部員をすべて救国統一戦線評議会の評議員に加える。各自治体の緊急事態対策本部長には、救国統一戦線評議会の地方支部長に任命する。市民軍の義勇兵組織を公認し、構成員の役職及び階級の保持を認める。全自治体に義勇兵部隊を組織させ、すべて市民軍に編入する。緊急事態対策本部と義勇軍の活動経費は、すべて救国統一戦線評議会より支払われる」

「俺達の地位を認めた上に、権限を増やしてくれるわけですか。少々話がうますぎますね」

 

 思わず眉をひそめてしまった。謀略に長けた救国統一戦線評議会のことだ。うまい話の裏にどんな罠を用意しているか、知れたものではない。

 

「それだけ市民軍を評価していると思ってもらいたい。緊急事態対策本部の指揮系統は、動員組織としてきわめて有用だ。義勇軍は我々が思い描く国民総動員体制のモデルケースとなる。評議会と市民軍が協力すれば、全国民の力を来るべき祖国防衛戦争に結集できる」

「あまりにも俺達に譲歩しすぎでしょう。これでは、おいしい話で釣っておいて、後で一網打尽するつもりのように見えてしまいますよ」

「小官がそのような姑息な真似をすると思うか?」

「そうは思いません」

 

 鋭い眼光にひるみそうになったが、辛うじて踏みとどまる。

 

「ただ、救国統一戦線評議会は信頼できません。俺はクーデターが起きる前から、救国統一戦線評議会のメンバーに騙されてきました。ブロンズ中将、パリー少将、ルグランジュ中将は、仲間のふりをして俺をひっかけました。クーデターが起きた一三日には、道路の上で襲撃を受けました。一四日には、空挺部隊に攻撃されました。こちらの勢力が小さい時は攻撃してきたのに、大きくなった途端に手のひらを返して和睦を申し入れてくる。信用しろと言う方が無茶じゃないですか?」

 

 クリスチアン大佐相手には、腹芸など必要ない。はっきりと警戒の意を伝えた。

 

「もともと、評議会は貴官を仲間に加えるつもりだった。小官やルグランジュ副議長はもちろん、グリーンヒル議長も貴官の能力と人格を高く評価している。祖国防衛戦争の総司令官となるべき人材は、貴官とヤン・ウェンリーをおいて他にはいない。だが、事前に誘ったら、貴官は必ずトリューニヒトに知らせるだろう。蜂起直後に誘ったとしても、貴官は評議会に加わらなかったはずだ。だから、グリーンヒル議長やルグランジュ副議長は、蜂起した後に貴官を拘束して説得しようと考えていた」

 

 あの天才ヤン・ウェンリーと並べられるとは、随分と高く評価されたものだ。一週間前にエル・ファシル帰還兵救済運動への協力を持ちかけてきたグリーンヒル大将は、やたらと俺のことを褒めていた。社交辞令ではなく、本気で俺を評価して仲間に加えようとしていたのだろうか。だが、俺はグリーンヒル大将の仲間にはなりたくない。何を言われても、裏を感じてしまう。

 

「失礼ながら、グリーンヒル大将のなさることには小細工が多すぎて、信用できかねます」

「今は非常時だ。策が多くなるのはやむを得ない。評議会の流している番組は見ただろう?あと五年以内に間違いなく帝国軍が攻めてくる。党派争いを仕事にしているような連中が政権を握っていては、確実に我が国は滅亡する。軍部の指導のもとに総動員体制を作り上げて、全国民の力を結集してあたらねばならん時だ。手段を選んではいられん」

「俺も市民軍も救国統一戦線評議会に対する不信感から立ち上がりました。救国統一戦線評議会がどれほど市民から強い反感を受けているかは、大佐もご存知でしょう?グリーンヒル大将の指導で祖国防衛戦争を戦えますか?本気で全国民をまとめたいとお考えなら、投票によって国民から信任されたトリューニヒト議長と国民平和会議に、指導を任せるべきはありませんか」

「政治家は駄目だ。軍人が考えつく最適解なんぞ、政治的には実現不可能なものばかりだと前も言っただろう?貴官だって分かってるはずだ。支持率や予算ばかり気にしている連中に、効率的な戦争指導はできん」

「それが救国統一戦線評議会に味方した理由ですか」

「そうだ」

 

 クリスチアン大佐は力強く肯定した。チュン准将が言っていたように、プロ意識の強い軍人ほど政治嫌いになる傾向がある。予想はついていたが、やはり軍人としてのプロ意識がクリスチアン大佐をクーデター支持に走らせた。一〇日ほど前の焼肉屋での会話で、政治との距離を取るように言っていたことと、今の彼の立場がようやく一本の線でつながった。

 

「小官らは権力目当てに決起したのではない。あくまで軍人としての義務を果たすために、一時的に政権を握る必要があると思ったまでのこと。五年後、もしくは帝国の侵攻軍を撃退した後に、総選挙を行って新しい議会に政権を明け渡すつもりだ。もちろん、評議員は一人も選挙には立候補しない」

「大佐の志は理解しました」

 

 他の人間がそう言ったのなら、野心をごまかすための方便と思っただろう。だが、クリスチアン大佐に野心がないことは、長い付き合いで良くわかってる。ルグランジュ中将もそうだ。権力欲しさに自分と部下の命を賭けるような人じゃない。他の評議員も政治的野心とは、ほど遠い顔ぶればかりだ。ブロンズ中将やパリー少将だって策士ではあるが、野心家では無い。

 

「ならば、志は同じはず。評議会と組むのだ」

「それはできません。あなた方が清廉なのは、良く知っています。しかし、それは大した問題では無いのです。どのような高い志があり、決して腐敗しないとしても、やはりクーデターは許されないと俺は考えます。我が国は民主主義社会。ルールを踏んで動くことによって、初めて将兵は納得して戦うことができます。あなた方の指導では、将兵は納得しないでしょう。これは合理性ではなく、感情の問題です。現場で兵士を直接指導なさってきた大佐ならご存知のはず」

「ルールを破っているのは承知の上だ。だからこそ、市民に納得してもらえるように、戦争の危機を訴えている。情理を尽くして話しあえば、きっと分かってくれるということを、小官は指導経験から学んだ」

「ルールを踏み外せば、どれほど崇高な理念であっても、どれほど合理的な計算であっても、人の心を捉えることはできない。人の心を捉えられなければ、必ず敗北する。それを軍務経験から学びました」

 

 どこまでも話は平行線だった。叩けば響くような間柄だった俺とクリスチアン大佐がこうも行き違うのは初めてだった。

 

「そして、快適な生活を提供できなければ、人の心は離れていく。貴官らの物資は、あと数日しかもたんはずだ。なにせ評議会が流通を抑えているのだからな」

「外部の支援者が封鎖網の隙を縫って、物資を運んできてくれます」

「支援者の持っている物資も遠からず尽きる。備蓄用の民需用備蓄物資は、せいぜい一週間程度しかもたんはずだ。災害用備蓄物資もあくまで他地域から救援物資が届くまでの繋ぎ。数百万人や数千万人の生活を二週間以上養い続けることなど、想定していない。評議会は今の状態を数日間維持すれば、間違いなく勝利するのだ。物資がなくとも精神力で戦えるなどとは、貴官も思っておらんだろう?悪いことは言わん、評議会と手を組め。約束は必ず守る。いや、小官が守らせる」

 

 いつもと変わりのないまっすぐな目だった。声からは心底俺を心配していることが感じられた。クーデターに参加しても、クリスチアン大佐はクリスチアン大佐だった。

 

「優位にあるはずの評議会がなぜ和睦を申し出たのですか?大佐のおっしゃるとおりなら、破格の条件を出さずとも、あと数日で俺達をことごとく捕虜にできるでしょう?」

 

 恩人の善意に揺らぎそうになる心を必死で抑えながら、冷静な表情を作って答えた。

 

「評議会の目的は権力ではなく、祖国防衛戦争を共に戦う仲間を集めることにある。貴官が作り上げた市民軍には、仲間たるにふさわしい力を持っている。飢えて結束を失ってからでは遅い。今の気力充実した市民軍を戦友としたいのだ。そして、これは甚だ個人的なことではあるが……」

 

 驚くべきことに、あの単純明快なクリスチアン大佐が一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 

「小官は貴官ら兄妹と肩を並べて戦いたいのだ」

 

 表情も声もいつもと変わりなく豪気なのに、これ以上はないほどの悲痛さが伝わってくる。胸が張り裂けそうな気持ちになる。

 

「俺だって、できることならそうしたいですよ。しかし、大佐は救国統一戦線評議会に味方なさっているでしょう。救国統一戦線評議会を離れて、市民軍に来ていただけませんか。そうすれば、一緒に戦えます」

「貴官にとって、評議会は相容れない敵か?」

「市民軍の側に身を置いている以上、そういうことになります」

「では、貴官にとって、評議員の小官は敵か?」

 

 一番聞かれたくない質問だった。しかし、避けて通ることができない質問でもある。軽く深呼吸をしてから口を開く。

 

「残念ながら、今のあなたは敵です。敵とは呼びたくありませんでしたが」

「小官もだ。貴官に敵とは呼ばれたくなかった」

 

 これほど寂しげなクリスチアン大佐は初めて見た。強い罪悪感を感じる。だが、今さら後戻りはできなかった。反クーデターの旗印のもとに集まった数百万人の期待を裏切ることは、俺にはできないのだ。

 

「このような結果になってしまって、本当に残念です」

 

 目を伏せて、うつむき加減で答えた。

 

「まあ、まだ決裂と決まったわけではない。評議会の提案をメールで送付した。これを市民軍の会議に掛けてもらいたい。貴官の一存で受け入れるか否かを決められる組織でもなかろう」

「わかりました。どのような返事ができるかは保障できませんが、会議の件は請負いましょう」

 

 急に感情を消して事務的になったクリスチアン大佐に対し、俺も事務的に応じた。気持ちは別れの敬礼に込めて、通信を切った。

 

 

 

 市民軍と通称される集団は、三つの組織によって構成されている。一つ目は反クーデター側の軍隊を統率する首都防衛軍。二つ目は反クーデター側の行政機関を統括するハイネセン緊急事態対策本部。三つ目は民間人の義勇兵を統率する義勇軍司令部。

 

 首都防衛軍司令官代理と緊急事態対策本部長代理と義勇軍最高顧問を兼ねる俺は、三組織の調整会議の議長役を務める。クリスチアン大佐との通信が終わると、ただちに三組織の最高幹部を召集して、テレビ会議を開いた。

 

「フィリップス提督を評議会第一副議長、緊急事態対策本部本部員六人と首都防衛軍幹部四人と義勇軍幹部四人を評議員に選出。緊急事態対策本部と首都防衛軍と義勇軍の活動経費は、すべて評議会が負担。権限も拡大してくれると。なんとまあ、気前がよろしいことですなあ」

 

 第一首都防衛軍団司令官ファルスキー少将は、感心しているのか、皮肉を言っているのか、良くわからないような口ぶりだった。

 

「論外でしょう、これは」

 

 画面の向こうでプリントアウトした提案書をわざとらしく放り投げてみせたのは、第二巡視艦隊司令官アラルコン少将。救国統一戦線評議会の参謀格であるエベンス大佐との不仲は有名だ。

 

「検討する余地もあるのでは」

 

 緊急事態対策本部メンバーの惑星政庁生活文化局次長スン・クァンは、提案書に興味を示したようだ。

 

「馬鹿を言いなさんな。我々が何のために集まったか、次長はお忘れか?」

「しかし、我が陣営の物資はあと四日か五日しかもたん。交渉の余地は残しておくべきだ」

「敵の幹部に収まる余地かね?」

 

 アラルコン少将がスン次長の和睦論に激しく噛み付く。

 

「そういうわけではない。物資がなくなれば我らの組織も維持できなくなる。後方支援を担う緊急事態対策本部の一員として、物資を得る手段に無関心ではいられないのだ」

「我々が問題にすべきは、反逆者を倒せるか倒せないかであろう。反逆者に物乞いをして、組織を維持したところで何の意味があるか。誰かに高く売りつけるために組織を作ったのなら、話は別だがな」

「いくらなんでもそれは非礼ではありませんか?」

「小官は見ての通りの粗忽者。卑怯者と臆病者に対する礼は知らんよ」

 

 組織防衛を口にするスン次長に、強烈な皮肉を叩きつけるアラルコン少将。画面越しに険悪な空気が漂う。

 

「アラルコン提督、そこまでだ」

「司令官代理がおっしゃるるのなら、仕方ありませんな」

 

 俺が慌てて止めに入ると、意外にもアラルコン少将はあっさり引き下がった。

 

「こんな提案をされるということは、要するに足元を見られてるということです。フィリップス提督は、部隊を動かさずにハイネセンポリスへの離反工作で状況を打開する方針でいらっしゃる。しかし、こちらが行動しなければ、ハイネセンポリス内部の不満分子も動きようがないのでは?首都圏の全軍を動かして、ハイネセンポリスに進軍すべきです。敵が強硬手段に出れないのは、ボーナム公園の攻防で明らかではありませんか」

 

 西大陸義勇軍司令官ベルナベ・カルモナが持論のハイネセンポリス進軍論を主張すると、他の義勇軍幹部も同意を示す。

 

「でも、敵主力の第一一艦隊は依然として高い士気を維持してる。空挺部隊は司令官のパリー少将が着任して日が浅かったおかげで士気が低かった。状況が違うよ」

「途中からクーデターに参加した部隊は、さほど士気が高くないでしょう。彼らがことごとく崩れたら、第一一艦隊が独り奮闘してもどうにもなりますまい。あえて行動に出て、敵部隊の離反を促すのも選択肢として考えるべきでは」

「あと二日早いかな。ハイネセンポリス市内の敵部隊に士気低下が見られるという情報が複数の筋から入ってきてる。敵は寝返りを恐れてるのか、第一一艦隊を始めとする信用できる部隊を俺達の正面に配置して、新しく味方した部隊をハイネセンポリス市内に配置してるそうだ。実際、前面に出てきてる敵部隊は、ほとんど評議員が司令官を務める部隊ばかり。敵は明らかに味方の寝返りを恐れてる。仮に民衆が市内で蜂起しても、中心部に陣取る精鋭以外は動かないと推測できる」

「わかりました」

 

 俺の説明を聞いたカルモナは、不承不承と言った感じで引き下がる。

 

「みんなの意見をもっと聞かせてもらいたい」

 

 俺が議論を促すと、首都防衛軍の将官、緊急事態対策本部の惑星政庁官僚、義勇軍の幹部が口々に自分の意見を述べ出した。兵站を担当する惑星政庁官僚は和睦に前向き、実戦部隊の将官と市民をまとめる義勇軍幹部は反対が多かった。

 

「反対論が優勢のようだね。チュン准将、貴官は何も言っていないようだけど、何か意見はあるかな?」

 

 画面を見回した後、参謀長チュン・ウー・チェン准将に意見を求めた。彼は第三巡視艦隊司令官代理の資格で、テレビ会議に顔を出している。

 

「私も和睦には反対です。ただ、反対の仕方にも多少は芸がいるでしょう」

「芸とは?」

「単に拒否するだけでは、あまり面白くありません。こちらからも要求を突きつけましょう」

「要求を出すなんて、考えもしなかったな」

 

 指摘されて気づいたが、俺はイエスかノーか以外考えてなかった。条件を付けるのは和睦の時だけと思ってた。

 

「要求が受け入れられたら、和睦を呑むというのか?」

 

 第二水上艦隊司令官デオダート少将が険のある目つきでチュン准将を睨む。

 

「ええ、その通りです。戦う理由がなくなりますから」

「貴官はいったいどういう……!」

「デオダート提督、まずは彼の話を聞こう。批判はそれからでいい」

 

 俺がやんわりたしなめると、デオダート少将は怒りの言葉を飲み込んだ。

 

「チュン准将、聞かせてくれ」

「トリューニヒト議長の政権復帰、捕らえられた要人全員の解放、最高評議会及び同盟議会と同盟最高裁判所の復権を要求します」

 

 チュン准将は、トーストの焼き方に注文を付けるような口調で要求項目を述べた。出席者はみんな感心したような表情になる。

 

「なるほど、そうすれば良いアピールになるな」

「敵が要人の一部でも解放してくれたら、我々の得点になる」

「市民軍が何のために戦っているかを再確認できるというのもいい」

 

 チュン准将の案は出席者に受け入れられた。このタイミングを見計らって、俺は口を開いた。

 

「議論は出尽くしたようだ。これより決を取る」

 

 市民軍を構成する三組織の代表者は、チュン准将が述べた要求を呑んだ場合のみ和睦に応じると満場一致で決議した。

 

 

 

 調整会議が終わると、俺はすぐにクリスチアン大佐に通信を入れて、会議の結果を知らせた。

 

「そうか、市民軍は和睦を望まないか」

「ご期待に添えず、申し訳ありませんでした」

「いや、貴官らが受け入れるとは思っていなかった。万に一つの可能性に賭けてみたが、賭けなど大抵は外すものだな」

 

 クリスチアン大佐の顔は、どこか晴れ晴れとしていたようにすら見えた。やはり、この人とは戦いたくない。俺はある決意をすると、口をゆっくりと開いた。

 

「交渉というのは一度で終わるものではありません。何度も会談を重ねて、信頼関係を築いた上で成立させるものです」

「それはそうだな」

「できればハイネセンポリスは無血奪還したいと考えています。救国統一戦線評議会だって、俺達に勝つなら無血で勝ちたいはず。流血を回避するためには、チャンネルがあった方が良いとは思いませんか」

「うむ、それは魅力的な提案だ」

「一度、ボーナム総合防災公園までお越しいただけませんか。大佐が使者として来ていただけるなら、こちらとしても安心して交渉を進められます」

「そして、小官が来たら、その場で拘束するわけか」

 

 スクリーンの向こうから聞こえてくる声は、指摘の内容とは裏腹に穏やかだった。背中に冷や汗が流れる。

 

「そんな卑怯なことを俺がするとお考えですか?」

「貴官はするだろう。甘い男だからな」

「見抜かれていましたか」

 

 不器用に微笑むクリスチアン大佐につられて、俺も微笑んだ。

 

「小官を拘束して評議会から引き離せば、戦わずに済む。仮に自分が勝利したら、小官が自発的に投降したと偽って、トリューニヒトに取りなすこともできる。そう考えたのだろう」

「やはり、大佐には敵いません」

 

 苦笑するしかなかった。俺の狙いは完全に見抜かれていた。

 

「まったく、貴官はどこまでも良い奴だ。そして、良い軍人だ。貴官のように情の厚い指揮官のためなら、兵は喜んで戦うだろう」

「助言を頂いて職業軍人になってから、ずっと大佐のような指揮官になりたいと思っていました」

「最初に見た時から、貴官は大食いで寝付きも良かった。きっと良い軍人になると思っていたが、予想以上に良い軍人になった。小官の知る限り、貴官は最も良い軍人であった」

「大佐のご指導のおかげです」

「最も心強い味方にならなかったのは残念だ。だが、最も心を湧かせてくれる強敵となってくれることを慰めとしよう。貴官が最後の敵であれば、負けたとしても悔いはない。負ける気はしないがな」

 

 クリスチアン大佐は、大きく口を開けて笑った。妙に透き通った笑いのように感じた。

 

「期待に背かぬよう頑張ります」

「体を大事にせよ。貴官を捕らえたら、小官とルグランジュ副議長が何に換えても助命する」

 

 どう答えればいいかわからずに、曖昧な笑いでごまかした。

 

「お互い、悔いのない戦いをしよう」

「お元気で」

 

 不思議と悲しくはなかった。最後は笑って別れよう。そんな気持ちが湧き上がってきて、自然と笑顔になった。

 

「貴官と妹はもうすぐ誕生日であったな。貴官のアドレスに祝福のメッセージの動画を送っておいた。恥ずかしいから、人目に付かない場所で見てもらいたい」

「ありがとうございます」

「貴官ら兄妹は良く似ている上に、誕生日まで近い。何もそこまで似せる必要もないと思うのだがな」

 

 照れ隠しか、クリスチアン大佐は殊更に笑ってみせた。今日の彼はやたらと良く笑う。まるで俺に笑顔を印象づけたいとしているかのように。

 

「俺はあんなにかっこ良くないし、あんなに真面目じゃないし、あんなに優秀じゃないですよ」

「妹もそう言っていた。やはり良く似ている」

 

 ひとしきり笑った後、クリスチアン大佐は一瞬だけ横を向いて険しい顔になった。そして正面に向き直る。

 

「事件が起きた。名残は惜しいが、そろそろ終わりにしよう。また会おう」

「次にお会いできる時を楽しみにしております」

 

 お互いに笑顔を交わし合った後、スクリーンは真っ暗になった。

 

 

 

 クリスチアン大佐に言われたとおり、周囲に人がいない時を見計らって動画ファイルが添付されたメールを開いた。

 

「なんだ、これ?」

 

 メールに添付されていた動画ファイルは三つ。「エリヤ・フィリップス少将へ」「アルマ・フィリップス中尉へ」という題名の祝福メッセージ動画らしきファイルの他に、「aaaaa」といういかにも適当に命名されたような名前のファイルが添付されていた。

 

「妙に気になるな」

 

 イヤホンを端末に装着した後、「aaaaa」のファイルを開いた。すると、再生画面にクリスチアン大佐が姿を現した。祝福メッセージ動画と同じものかなあと漠然と考えた。

 

「通信で話せば、傍受される恐れがある。メールも一〇〇パーセント安心とはいえない。だから、このような形で伝える。小官らしくもない遠回しなやり口だが、容赦願いたい」

 

 祝福メッセージとは程遠い緊迫した雰囲気が画像の中から伝わってくる。

 

「小官が伝えたいのは、評議会が戦おうとする敵のことだ。評議会が戦う祖国防衛戦争は、外なる敵のみと戦うにあらず。我が国を蝕む内なる敵とも戦わねばならない。その中で最大の敵は二つ」

 

 救国統一戦線評議会の布告において名指しで敵視されていたのは、反戦派のみだった。トリューニヒトと関係の深い組織が新しい布告で活動停止命令を受けていたが、これはトリューニヒト派を弱める策だろう。救国統一戦線評議会が最大の内なる敵と呼ぶ二つの勢力とは、反戦派とあとはどこだろうか。

 

「帝国に勝るとも劣らない最大の敵。それは“フェザーンロビー”、そして“保安警察グループ”だ。最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、この両者の利益代弁者とも言うべき存在だ。だからこそ、我々はクーデターに訴えて、ヨブ・トリューニヒトを打倒しなければならなかった。だが、両者の勢力はあまりに大きい。評議会が全面対決を挑めるほど大きくなるのは、しばらく先の話となろう。当分はヨブ・トリューニヒト攻撃に巻きこんだ風を装って、一部を攻撃するに留める」

 

 俺の予想は完全に外れた。まさか、救国統一戦線評議会がフェザーンロビーと保安警察グループを敵視しているとは思わなかった。どちらも雑誌に掲載される裏の勢力図ではお馴染みのプレイヤーだが、国政を左右するほどの勢力とはみなされていない。

 

 フェザーンロビーとは、フェザーン系外資企業及び親フェザーン的な財界人の意を受けて動く圧力団体の総称である。彼らは政治献金やメディア工作を通して、経済財政政策をフェザーン的市場経済主義に則った方向に動かしているとされる。フェザーンロビーの主張する政策は、フェザーン自治領主府がシンクタンクの提言という形式で、同盟政府と帝国政府に要求する経済改革の内容をまとめた年次改革提言書の内容と被る部分が多い。そのため、フェザーンロビーをフェザーンによる内政干渉の尖兵とする向きもある。

 

 前の歴史では、フェザーンロビーの背後にいるとされるフェザーンは、同盟と帝国の共倒れを狙う地球教の非公式別働隊であることが判明している。ヨブ・トリューニヒトとも相当関係が深かったらしい。今の歴史でもユニバース・ファイナンスなどのフェザーン系外資がトリューニヒトに多大な支援をしている。

 

 保安警察グループとは、国家保安局を頂点とする保安警察組織の通称である。犯罪捜査を担当する刑事警察に対し、保安警察は治安維持を担当する。反体制勢力、急進反戦派、過激主戦派、宗教団体など反社会的勢力の監視、帝国及びフェザーンのスパイの摘発、テロやゲリラの防止、要人警護などが主な仕事だ。テロ警戒や雑踏警備に出動する機動隊も保安警察に所属する。反戦派や自由主義者には、権力者の手先になって国民を監視していると言われるが、規模も予算も軍隊と比べると圧倒的に小さく、その力は治安分野に限定されると言われる。

 

 前の歴史の本には、保安警察グループの名前は載っていなかった。国家保安局OBであるトリューニヒトは保安警察グループの一員だったが、彼を軍国主義政治家とする論調が一般的だったために、軍部や軍需産業との関係ばかり取り上げられた。むしろ、一部で保安警察グループの非公式別動隊と言われる憂国騎士団の方が前の歴史では有名だった。ヨアキム・ベーンの『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』は、保安警察グループ、憂国騎士団、トリューニヒトの三者の関係を取り上げた。

 

 トリューニヒトと関係が深いとされる二つの勢力を、救国統一戦線評議会はいかなる理由によって最大の敵とみなしたのだろうか。好奇心がむくむくと湧き上がって、動画を注視した。

 

「まずはフェザーンロビーだ。奴らは……」

 

 クリスチアン大佐がフェザーンロビーについて話し始めたところで、指揮卓に近づいてくる人の気配を感じて動画を閉じてロックをかけた。気配がする方向を見ると、副官のハラボフ大尉であった。

 

「どうした?」

「ハイネセンポリスで反戦市民連合の大規模なデモ行進が行われる模様です」

「反戦市民連合が!?」

 

 反戦市民連合と言えば、反戦派の女傑ジェシカ・エドワーズの党だ。クーデター以来、ずっとなりを潜めていたのに、どうして今頃動き出したのだろうか。前の歴史でエドワーズとその支持者二万人が虐殺されたスタジアムの虐殺事件の記憶が頭をよぎる。

 

「詳しくは情報部長に伺ってください」

「わかった」

 

 ハラボフ大尉について、情報部長ベッカー大佐のもとに向かった。彼は広い防災司令室の中で俺と離れたデスクを使っている。

 

「情報部長、反戦市民連合が動き出したと聞いた。説明を頼む」

 

 俺が声をかけると、端末に向かって仕事をしていたベッカー大佐は立ち上がって説明を始めた。

 

「三〇分前から、ハイネセンポリスの各所に反戦市民連合の支持者の大集団が現れました。市内の何処かにある地下拠点から集合指令が出たものと思われます」

「数は?」

「およそ二〇万人」

「に、二〇万人!?」

「警察内部にいる情報提供者八人が二〇万人前後と推定する情報を送ってきました。精度はきわめて高いと思われます」

「どうやってそんな人数を動員したんだ?反戦市民連合は救国統一戦線評議会の部隊に本部を制圧されて、地下に潜ったはずだ。それに携帯端末も使えない。一体どうなっている!?」

 

 二〇万のデモ隊なんて、そんなに簡単に動員できる数ではない。相当に周到な準備が必要になるはずだ。しかも、ハイネセンポリスでは携帯端末は使用規制されている。二〇万人を集めるだけの通信網なんて、どうやって作り上げたのだろうか。考えれば考えるほど、反戦市民連合の組織力に驚嘆の念を覚える。ジェシカ・エドワーズ、そして反戦市民連合指導部の力量は、俺の想像を遥かに超えていた。

 

「軍の通信部隊の一部が反戦市民連合に荷担して、軍の通信網を使用させていたという情報が憲兵筋より入っています」

「なるほど、そうやって通信網を確保していたわけか」

 

 反戦市民連合には、退役軍人の党員が少なくない。指導者のエドワーズも退役大佐の娘。軍隊に工作するルートなんて、いくらでも持っているはずだ。

 

「よし、今から対応を協議しよう。ハラボフ大尉、首都防衛軍とハイネセン緊急事態対策本部と義勇軍の三組織調整会議を再度召集するように」

「はい」

 

 ハラボフ大尉は通信端末に向かって早足で歩いて行った。鍛錬のせいか、ただ歩いているだけなのに後ろ姿がやけに格好良い。

 

「……二個歩兵旅団が出動した模様」

「……指揮官はクリスチアン評議員」

 

 情報部によって傍受されたハイネセンポリス市内の通信が耳に入ってくる。どうやら、クリスチアン大佐が自ら鎮圧指揮に赴いたようだ。彼の指揮ならば、前の歴史で起きたスタジアムの虐殺のような悲劇は、万に一つも起きないであろう。

 

 敵を信頼するというのも変な話であったが、流血の事態を心配せずに対応を考えられるのは有難いことであった。前の会議が終わって二時間もしないうちに再度会議を開くことになるとは思わなかったが、事態が動く時なんてそんなものだ。二〇万人デモという事件をいかに利用して、戦いを有利にするか。その考えで俺の頭はいっぱいになった。



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第百二十話:市民軍と反戦市民連合 宇宙暦797年4月16日 ボーナム総合防災センター~通信指揮車

 ハイネセンポリス市内で反戦市民連合の支持者二〇万人がデモ行進。その報はテレビ会議に出席した首都防衛軍、ハイネセン緊急事態対策本部、義勇軍の幹部らを驚愕させた。

 

「厳戒下のハイネセンポリスで二〇万人。よくも集めたものです」

 

 緊急事態対策本部メンバーのアルトマイアー福祉保健局次長は、開いた口が塞がらないといった顔をした。

 

「反戦市民連合は今や反戦派最大勢力。資金力、党員数ともにこの半年で飛躍的に増大した。ここが勝負どころと判断したのだろうな」

 

 西大陸義勇軍司令官カルモナ義勇軍中将は、良く整えられたあご髭を触って軽くひねる。地方政界で揉まれてきた彼には、反戦市民連合の狙いが良く見えるのだろう。

 

「つまらん真似をしてくれたもんだ。事前に我々に連絡してくれれば、内外から敵を揺さぶれたものを」

 

 腹の底から苦々しいといった口ぶりで、第二巡視艦隊司令官アラルコン少将が吐き捨てる。

 

「それは筋違いというものだぞ。反戦市民連合の支持者は、主戦派に強い反感を持っている。主戦派中心の市民軍と連携すれば、一割も集まらなかったはずだ」

 

 カルモナがアラルコン少将を穏やかにたしなめる。

 

「この期に及んで主戦派、反戦派などという枠組みにこだわるとは、つまらん奴らだ。そんなのを二〇万人どころか、二〇〇万人集めたところで物の役に立たんわ」

「二〇万人は二〇万人、敵の動揺は激しいだろう。さらなる反戦派の決起も期待できる。好機と判断すべきだ」

「烏合の衆に何を期待できるというのかね?」

「誰かが先頭を切れば、他の者は後を着いて行くだけで良い。我々だって、フィリップス提督が先頭を切ってくれたおかげで力を合わせることができたのだ。エドワーズが決起すれば、他の反戦派も反クーデターに動き出す」

「団結こそが大事な時なのに、エドワーズはあえて足並みを乱した。フィリップス提督とエドワーズが主導権を奪い合うなんてことになれば、敵を利するばかりであろうよ」

「主導権を奪いあう時間などなかろう。それぞれが独自の戦いをしている間に決着が付く」

「ならば、独自で戦って独自で負けてもらえばよろしい。始末されたらされたで、敵が人心を失うだけのこと。大いに結構ではないか」

 

 反戦市民連合のデモに対する反感を露わにしたアラルコン少将と、期待を示すカルモナ。立場の違いが姿勢の違いとなって現れる。

 

「エドワーズめが独自の戦いをしたいというのならば、好きなだけさせてやればよろしいのではありませんかな。混乱しているハイネセンポリスに乗り込んで、市街戦が起きてしまえば、流血を回避してきたフィリップス提督の努力も水泡に帰してしまいます。反戦派の起こした火事に巻き込まれるなど、まっぴらごめんですぞ」

 

 アラルコン少将は、皮肉を混じえながら静観を進言した。首都防衛軍の国家救済戦線派将官は積極的に、緊急事態対策本部メンバーは控えめに同意する。

 

「この混乱に乗じてハイネセンポリスに進軍すべきです。敵の士気はただでさえ低下しています。我々が近づけば、先を争って降るでしょう。ハイネセンポリス内部の主戦派市民も両手をあげて我々を迎え入れてくれるに相違ありません」

 

 スクリーンに顔を近づけたカルモナは、力強い口調で進軍を主張する。義勇軍幹部、そして首都防衛軍のトリューニヒト派将官がこの意見を支持した。

 

 俺は腕組みをして、静観論と進軍論の双方を頭の中で検討する。

 

 ハイネセンポリスのデモを組織した反戦市民連合は、激しく軍部批判を展開するエドワーズを前面に押し立てて支持を広げた政党である。こちらが連携を申し入れたとしても、おそらくは拒絶される。指導部が乗り気でも、支持者が納得しないだろう。連携がないままにハイネセンポリスに向かっても、混乱を招くだけに終わる可能性が高い。無血解決を目指す俺としては、ハイネセンポリスの混乱は避けたいところだ。

 

 混乱を懸念する気持ちもある一方で、混乱こそチャンスとも思う。救国統一戦線評議会は理に偏りすぎて、市民や兵士の気持ちを掴めなかった。揺さぶりをかければ、雪崩をうってこちらに寝返ってくるのではないか。兵士がいなくなれば、救国統一戦線評議会は抗戦を断念するだろう。俺達に残された時間はそれほど多くない。リスクを承知の上で強引に仕掛ける必要も感じる。

 

「見事に意見が二つに分かれたね。アドーラ参事官はどう思う?」

 

 決めかねた俺は、オブザーバーとして出席している首都政庁参事官アドーラに意見を求めた。

 

「ハイネセンポリスに進軍すべきと考えます」

「理由は?」

「確かに反戦市民連合との連携は不可能です。しかし、敵と妥協する可能性も皆無。彼らは我々の味方ではありませんが、敵にとっては強大な敵対者。我々と敵の勢力は、現時点ではほぼ拮抗しています。しかし、反戦市民連合がデモを成功させて、第三勢力としての立場を確固たるものとすれば、敵に二正面作戦を強いることが可能となります」

「なるほど、敵の敵であってくれるだけで十分ということか」

「今のハイネセンにおける最大勢力は、クーデターを支持する者でも抵抗する者でもなく、『最も強い者になびく者』です。反戦市民連合が参戦すれば、救国統一戦線評議会の力は相対的に低下して、我々が最も強い者となります。敵が各個撃破に出る前に動いて、反戦市民連合の動きを間接的に支援すべきです」

 

 第三勢力としての反戦市民連合に期待するというのが、アドーラの意見だった。だが、そこまで期待できるものかという疑問もある。

 

「だけど、俺達が動き出す前にデモがあっさり鎮圧されてしまう可能性もある。反戦市民連合の実力を計算に入れてもいいのかな」

「反戦市民連合には、厳戒体制の首都で二〇万を動員できる組織があります。エドワーズや党指導部の指導力も相当なもの。デモ隊の鎮圧は容易ではありません。苦労の末に鎮圧しても、『救国統一戦線評議会は弱い』という印象を植え付けることができます。現段階においては、その印象は致命的。そして、指導部が生き残っている限りは、デモが鎮圧されても反戦市民連合は強力な抵抗勢力として機能し続けます」

 

 二日前のボーナム公園攻防戦の際に、アルマは敵が催涙ガス使用準備を始めたのを見て、「私達の勝利です。救国統一戦線評議会の無力を示す格好の材料になります」と言った。あの時と比べると群衆の数はずっと多いが、本拠地のハイネセンポリスで起きたデモの鎮圧に手間取ったら、救国統一戦線評議会が受ける打撃は大きいだろう。それに市街地だから群衆に紛れれば、反戦市民連合の指導部も逃走は容易だ。地下に潜れば、何度だってデモを組織できる。アドーラの分析には、十分な説得力があった。

 

「そこまで計算してデモを組織したってことか。反戦市民連合の指導部には期待できるね」

 

 もっとも、クーデター鎮圧後は強敵になるだろうけど。心の中でそう付け加えた。しかし、心配すべきは未来の政治より、目の前の戦いである。

 

「俺はハイネセンポリス進軍を支持する。意見のある者は?」

 

 誰も口を開かなかった。票決の結果、三組織調整会議は賛成多数でハイネセンポリス進軍を決定した。

 

 

 

 会議が終了すると、すぐさま俺は首都防衛軍及び臨時に傘下に入った正規軍部隊の将官、首都圏義勇軍幹部に連絡をして、テレビ会議を召集。ハイネセンポリス進軍作戦について話し合った。

 

 ハイネセンポリス進軍に際して最大の障害となるのは、市民軍の前進を阻むべく配備された第一一艦隊臨時陸戦隊及び評議会幹部直率の地上部隊である。

 

 第一一艦隊の将兵一五〇万のうち、衛星軌道上に展開する一個分艦隊三〇万人を除く一二〇万人が臨時陸戦隊に編成されて、地上に配備されている。評議員ランフランキ准将は四万、評議員タムード准将は四万、評議員ヴィカンデル大佐は二万。評議員に次ぐ地位のペイネ准将、チャーコン准将、イグナチェンコ准将はそれぞれ三万。ヘジュマン大佐とル=スュール大佐はそれぞれ一万五〇〇〇。合わせて一四二万。第一一艦隊司令官ルグランジュ中将は人望が厚い。他の地上部隊も評議会幹部やその同調者がしっかり掌握している部隊ばかり。寝返りは期待できそうになかった。

 

「俺達が首都圏に展開している正規兵力は現時点で一五〇万にわずかに届かない。数は敵とほぼ互角だけど、戦力を集中する能力では、主要交通路を押さえてる敵が優る。どうやってこれを突破するか。それが問題だね。みんなの意見を聞かせてほしい」

 

 ハイネセンポリス周辺の敵部隊配備図を出席者に示して意見を求めた。最初に応じたのは、第一首都防衛軍団ファルスキー少将が口を開いた。

 

「陽動を使いましょう」

 

 ボーナム総合防災公園防衛部隊を指揮するファルスキー少将は、駐屯地からボーナム市に移動する際も陽動を使って救国統一戦線評議会の封鎖網を突破した。得意戦術なのだろうか。

 

「しかし、敵の地上部隊総司令官は、地上軍屈指の用兵家パリー少将だ。陽動に簡単に引っかかるかな?」

「パリーが直接率いる部隊相手には、通用せんでしょうな。しかし、パリーはハイネセンポリスで全軍を統括する立場。前線指揮官の質は玉石混交です。第一一艦隊の臨時陸戦隊は、艦隊戦の専門家が指揮官を務める部隊が大多数。地上部隊の指揮官でも戦術能力に劣る者は少なくありません。ハイネセンに駐屯する一線級部隊の指揮官は、管理能力を基準に選ばれる傾向があります。二線級部隊の指揮官は、言うまでもないですな。乗じる隙は十分にあります」

 

 ファルスキー少将は思想的には過激だが、用兵家としての実績は一流だった。同じ派閥のアラルコン少将と違って、人格的にも円満と言われる。そんな彼ができると言うからには、十分な成算があるのだろう。今は巧遅より拙速を重んじるべき時だ。俺はほんの少し考え込んでから、全員の顔を見渡した。

 

「みんなの意見は?異論がなければ、ファルスキー少将の案を採用する」

 

 地上戦の専門家はそれが最善、艦隊戦の専門家は他に選択肢がないと言った表情で頷いた。

 

「では、陽動を使って、敵の防衛網を突破する。さっそく作戦を立ててくれ。時間が無いから、方針と役割分担ぐらいしか決められないけどね」

 

 方針が決まると、早速打ち合わせに入った。地上戦のベテランが多い国家救済戦線派将官が中心となって、話し合いが進む。ほんの数分で大まかな作戦ができあがった。

 

「地上部隊及び艦隊陸戦隊は旅団単位に分かれ、指揮官の戦術能力が未熟、もしくは将兵の練度が低いと思われる敵を陽動で誘い出し、戦線に穴が空き次第突破する。標的となるのは地上軍一六個旅団及び第一一艦隊の臨時陸戦隊二〇六個旅団。臨時陸戦隊となっている艦隊要員は、大げさに動いて敵の目をひきつける。義勇軍は一斉にデモ行進を行って、ハイネセンポリスを目指す。敵が阻止に動けば、その場で停止して敵を引きつける。阻止されなければ、そのまま前進。現場の裁量に任せる部分が多くなると思う。みんなの指揮官としての力量に期待する」

 

 会議終了を告げると、スクリーンの向こうにいる正規軍や義勇軍の幹部は一斉に敬礼をして、それから通信を切った。俺も会議室を離れて防災司令室に入った。そして、首都防衛軍参謀とともに打ち合わせをする。

 

「情報部長を臨時参謀長、作戦部長を臨時副参謀長とする。臨時参謀長は司令部、臨時副参謀長は俺の傍らで全軍の調整にあたるように」

 

 情報部長ベッカー大佐と作戦部長ニールセン中佐に、正規軍と義勇兵合わせて二〇〇万の調整の総責任者を任せた。参謀としては若手の部類に入る二人には、少々荷が重すぎるかもしれない。本来ならば、チュン准将とニコルスキー大佐に任せたい仕事であった。しかし、チュン准将には俺の代わりに第三巡視艦隊を統率するという仕事がある。ニコルスキー大佐は首都防衛軍司令部に残してきた。手持ちの人材でやりくりするしかなかった。

 

「第一首都防衛軍団、第一市民空挺旅団、第三市民空挺旅団、第四市民空挺旅団、第五市民空挺旅団、第六市民空挺旅団は出撃」

 

 市民空挺旅団とは、二日前の公園攻防戦で投降した空挺部隊のことだ。彼らは元の所属部隊から離脱した後に市民軍を名乗り、六個旅団に再編成されていた。市民軍と通称される反クーデター勢力にあって公式に市民軍を名乗っているのは、彼らだけであった。

 

「出撃部隊の指揮は、俺自身がとる」

 

 総司令官たる立場を考えれば、指揮通信機能が充実した総合防災センターで指揮を取るべきであろう。しかし、俺はあえて自ら前に出る姿勢を示すことにした。ハイネセンポリスのエドワーズがデモ隊の先頭に立っているのに、俺が安全な司令部にこもっていては格好が付かない。

 

「司令部の留守は、第二市民空挺旅団に任せる」

 

 第二市民空挺旅団は拠点確保に長けた部隊だ。工兵部隊によって要塞化された現在のボーナム総合防災公園なら、二個師団を相手にしても数時間は守り通せる。敵が空挺を投入してくる可能性も低い。市民空挺旅団の母体となった二個空挺師団は、パリー少将が司令官を務める第五空挺軍団の所属だった。パリー少将は用心深い人物だ。子飼いに裏切られてもなお空挺を信用し続けるとは思えなかった。

 

 臨時副参謀長ニールセン中佐、副官ハラボフ大尉、警護担当のアルマらを従えた俺は、第一首都防衛軍団から借りた指揮通信車に乗り込んだ。そして、正規軍六万六〇〇〇と義勇軍三万三〇〇〇を率いて、ボーナム市を出発した。

 

 

 

 救国統一戦線評議会は軍の通信網を占有することによって、惑星ハイネセンの軍隊が結束して反クーデター行動に出ないようにした。だが、首都防衛軍は各部隊と防災通信ネットワークとリンクさせることで独自の指揮通信網を作り上げた。俺の乗っている指揮通信車には、防災通信ネットワークを通じて各部隊からの報告が入ってくる。

 

「第二九〇歩兵旅団より報告。第一一艦隊の五個臨時陸戦旅団がフックス川沿いに南下を開始しました。第一三九歩兵旅団と連携して、さらに南へと引きつけます」

「第八三陸戦旅団より報告。第四八五歩兵旅団の防衛線を突破しました。ハイネセンポリス外縁部まであと三〇キロ」

「第二首都圏義勇師団より報告。前面に敵の二個連隊が出現。攻撃してくる様子は見られません」

 

 作戦は驚くほど順調に進んでいた。敵軍の大多数を占める第一一艦隊の臨時陸戦隊は、陽動に面白いように引っかかった。第一一艦隊に所属する専門の陸戦要員はせいぜい一五万。臨時陸戦隊一〇五万は艦隊戦の勇者だが、地上戦では素人。練度の低い臨時陸戦隊や義勇兵を敵正面に貼り付けて、地上部隊を陽動に使うこちらの作戦は完全に的中した。

 

「第三巡視艦隊より報告。第一〇七戦隊司令官ガーベル准将が直率する臨時陸戦隊一〇個旅団の前方二〇キロに、二万近い敵陸兵部隊が出現。ヴィカンデル大佐配下の陸兵部隊と思われます」

「よし、よくやった!」

 

 思わずガッツポーズをとった。第一〇七戦隊司令官ナディア・ガーベル准将は、第三巡視艦隊に所属する三個戦隊の司令官の中でも際立って無能な提督。配下の将兵の質も低い。そんな部隊の足止めに陸兵の精鋭が動くなんて、想像以上の戦果である。

 

 戦略スクリーンに目を向けた。敵を示すのは赤い点、味方を示すのは青い点。ハイネセンポリスに通じる交通路に陣取っていた赤い点は、時間を追うごとに散り散りバラバラに乱れていった。その隙を縫って、青い点がハイネセンポリスに着々と接近していく。

 

 次に各部隊から送られてきた画像が映し出されたメインスクリーンを見る。そこにはヴァンフリート四=二基地司令室のメインスクリーンで見たような戦闘光景は無かった。無言で睨み合いを続ける敵、もしくは進軍路を塞ごうと機動する敵の姿があった。両軍合わせて三〇〇万人以上が動く大作戦にも関わらず、一発の射撃も放たれることなく、機動と睨み合いだけに終始する奇妙な戦いだった。どちらかが発砲すれば、その瞬間から首都圏を舞台とする血みどろの内戦が始まるということを両軍ともに知っているのだ。

 

 戦況は師団レベルや旅団レベルで展開している現段階では、調整も各師団や各旅団単位で行われる。高度な調整が必要な場合も戦線を指揮する軍団司令官や分艦隊司令官が出れば十分だった。地上戦経験が皆無に近い俺が指導に介入すれば、かえって混乱を招く恐れがある。俺の総司令官としての仕事は督戦、そして反戦市民連合やその他の勢力との交渉であった。

 

「通信員、反戦市民連合から返事はないか?」

「ありません」

「そうか」

 

 軽くため息をつき、マドレーヌを口にした。反戦市民連合の支持者が掌握しているとされる正規軍部隊や行政機関に、防災通信ネットワークを通じて反戦市民連合に連帯を訴えるメッセージを何度も送ったが、まったく返事が無かった。

 

「臨時副参謀長、やはり反戦市民連合は俺達と連絡を取り合う気がないのかな」

 

 軽く弱気になった俺は、ニールセン中佐に声をかけた。

 

「支持者が納得しないでしょうからね」

「でも、反戦市民連合の支持者には、現役退役問わず軍人が多いよ。それに国防関連の議論を見ると、エドワーズ代議員にはかなり優秀な軍人のブレーンが付いてるみたいだ。連絡を取った方が軍事的に有利だとか、そういう進言をしてくれる一人ぐらいはいたっていいじゃないか」

「軍人なのに急進反戦派を支持するような人がそんなことを言うとは思えませんが……」

 

 若い臨時副参謀長の控えめな正論は、俺の弱音を正面から叩き潰した。

 

「ま、まあ、そうだな」

 

 マドレーヌをもう一つ口にして、心を落ち着かせた。連携できるとは思ってないが、それでも拒否の返事ぐらいは欲しかった。連携拒否を判断した人物、返事を送った人物が分かれば、反戦市民連合と交渉する際の手続きが理解できる。敵だろうが味方だろうが中立だろうが、交渉が成立しない相手ほど始末に負えないものはないのだ。

 

「フィリップス提督」

 

 冷淡な声が耳に突き刺さった。振り向くと、声に負けず劣らず冷たい表情をしたハラボフ大尉がいた。

 

「首都警察カトリンズ署より総合防災センターに送られてきた情報です」

 

 機械的な手つきでハラボフ大尉が差し出した紙は、総合防災センターにいるベッカー大佐が転送してきた警察情報をプリントアウトしたものだった。

 

「ありがとう」

 

 受け取って早速目を通す。紙には反戦市民連合のデモの様子が記されていた。デモ隊は市内一三箇所に集合し、飛び入り参加の通行人を加えて数を増やしつつ、グエン・キム・ホア広場を目指しているという。

 

「グエン・キム・ホア広場……」

 

 アーレ・ハイネセンの盟友で自由惑星同盟の実質的な建国者と言われる人物の名を冠したこの広場は、主要な政府施設が集まるキプリング街にある。救国統一戦線評議会が本拠地とする統合作戦本部ビルとも近い。そんな場所に数十万人ものデモ隊が集結したら、救国統一戦線評議会の権威は失墜する。

 

 読み終えると、秒針で計ったかのようなタイミングで別の紙がすっと差し出された。無駄のない動作、綺麗で細長い指が機械的印象を与える。

 

 今度は軍や警察の動きだった。首都警察機動隊はやる気が無いらしく、ほぼ無抵抗でデモ隊を通している。解体された国家保安局から救国統一戦線評議会の法秩序委員長代理ヤオ中将の直轄下に移された国家保安機動隊は、出動命令をそのものを拒否。

 

 機動隊のサボタージュに直面した救国統一戦線評議会は、ハイネセンポリスの郊外に配備されている軍隊に動員命令を出した。だが、寝返りを警戒されて郊外に配備されていた部隊だけに動きが鈍かった。忠誠心の高い部隊のほとんどは、ハイネセンポリスの市外で市民軍と対峙中。残りは惑星ハイネセン全土に散らばって、重要な軍事施設、星間通信施設、宇宙港などを抑えている。救国統一戦線評議会が頼れる部隊は、ハイネセン中心部の政府中枢を守る三万のみのようだ。

 

 脳裏にクリスチアン大佐の動画の内容がちらついた。国家保安機動隊、首都警察機動隊はいずれもクリスチアン大佐が「最大の敵」と呼んだ保安警察グループの一員である。あの動画を見た後では、機動隊のサボタージュが偶然と思えなくなる。

 

 今度もちょうど読み終えたタイミングで紙が差し出された。隅に書かれた時刻を見ると、総合防災センターより転送されてきたのは一分前。最新情報だ。

 

 ハイネセンポリス中心部の情勢は、刻一刻と緊迫の度合いを増していた。三〇万に膨れ上がって一三方向からグエン・キム・ホア広場を目指すデモ隊のうち、八部隊は軍隊が敷いた非常線に阻止された。どの部隊も即席のバリケードを築き、軍隊相手に一歩も引かない姿勢を見せる。残る五部隊は勢いが凄まじく、出動した軍隊も後退を重ねている。

 

 警察報告を見ているだけでも熱気が伝わってきそうだった。二日前の公園攻防戦に参加した義勇兵に勝るとも劣らなかった。たとえ市民軍と対峙する部隊をすべて呼び戻したとしても、抑えきれる気がしない。このまま救国統一戦線評議会を倒せるんじゃないかと思えてくる。

 

 再び戦略スクリーンを見た。敵部隊は戦線を縮小して戦力を集結させて、市民軍のハイネセンポリス接近を阻止しようとしたが、四つの主要星道を封鎖した第一首都防衛軍団に阻まれた。戦線の穴を市民軍部隊がすり抜けていく。

 

「フィリップス提督はおられますか!」

 

 わざと送信音量をでかくしてるんじゃないかと疑いたくなるような馬鹿でかい声が通信スクリーンから聞こえてきた。こんな通信を寄越してくるのは、俺の知る限りでは一人だけ。第二巡視艦隊司令官アラルコン少将だ。

 

「どうしたんだい?」

「見てください!我が艦隊の陸戦旅団はあと一五分ほどでハイネセンポリスに到達いたしますぞ!一番乗りです!」

 

 野戦服を身にまとったアラルコン少将は、大はしゃぎで通信スクリーンの背景に映る交通標識を指し示す。「マイルズビルまで二〇キロ」と標識には書かれていた。マイルズビルはハイネセンポリス外縁部にある工業団地地区。これによって二つの事実が知れた。まず、アラルコン少将配下の陸戦旅団がハイネセンポリス入り目前ということ。そして、その陸戦旅団を自ら率いているらしいということ。

 

「貴官はもしかして、自分で陸戦旅団を率いてるのか?」

「当然でしょう!年甲斐もなく血が騒ぎましてな!司令部に大人しく座ってはおれません!」

 

 アラルコン少将は分厚い胸を強く叩いた。しかし、血が騒ぐとかそういう問題ではない。アラルコン少将は艦隊畑であって、地上戦指揮の経験はないはずだ。

 

「いや、貴官は地上部隊を率いた経験がなかったと思ったが」

「そんなことは大した問題ではありません!」

「そうだな、貴官の言うとおり、大した問題ではなかった」

 

 勢い負けしてしまった。

 

「では、次はハイネセンポリスでお会いしましょう!」

 

 いつものように一方的に喋り終えた中年提督は、上機嫌で通信を切った。すっかり圧倒された俺は糖分を補給しようとマドレーヌに手を伸ばした。

 

「司令官代理閣下、非常事態につき直接連絡させていただきます」

 

 糖分を補給しようという俺の試みは、スクリーンに現れたベッカー大佐の緊張した顔によって中断された。ただならぬ気配を感じた俺は、表情を引き締め直した。

 

「何があった?」

「救国統一戦線評議会の部隊が反戦市民連合のデモ隊に発砲しました」

「本当か、それは?」

「確認のために複数の警察、消防、行政の情報提供者に問い合わせたところ、事実であると返答がありました」

「なんてことだ……」

 

 頭がクラクラした。一滴の血も流さずに解決しようと努力してきたのに、すべて無駄になった。クーデターを鎮圧できたとしても、軍隊が市民に発砲した事実は残る。同盟軍史に拭いようの無い汚点を作ってしまった。

 

「市内の状況はどうなっている……?」

「各所で軍隊とデモ隊が衝突しているとのこと。詳細はわかっていません」

 

 めまいがますます激しくなった。どれだけ犠牲者が出るか、知れたものではない。前の歴史で起きたスタジアムの虐殺事件以上の大惨事である。同盟軍が治安部隊から対帝国部隊に転じたダゴン会戦以降、最悪の市民虐殺事件になる恐れも出てきた。

 

「誰だ、誰がこんな馬鹿なことをしてくれた?」

 

 まともな軍人なら、市民に発砲すればどんな結果になるかはわかっていたはずだ。目の前の暴動を鎮圧しても、完全に人心を失ってしまう。同盟軍の看板にも傷がつく。救国統一戦線評議会はまともな軍人の集団だと思っていたのに、前の歴史でスタジアムの虐殺を起こしたチンピラ軍人みたいな人物も紛れ込んでいたのか。

 

「発砲したのは、評議員クリスチアン大佐の部隊だそうです」

「えっ?」

 

 ベッカー大佐が何を言っているのか理解できなかった。

 

「どの部隊が発砲したって?」

「評議員クリスチアン大佐の部隊です」

「いや、だからどの部隊が発砲したのかを聞いてるんだ」

「ですから、評議員クリスチアン大佐の部隊と申しました」

 

 ややうんざり気味の顔でベッカー大佐は答えた。

 

「しかし、あのクリスチアン大佐が……」

 

 クリスチアン大佐がそんな命令を下すはずはないが、慎重なベッカー大佐が怪しげな情報を持ってくるはずもない。一体どういうことなのか、必死で考えた。

 

 クーデター前のクリスチアン大佐は、ハイネセン陸戦専科学校の歩兵教育部長。子飼いの部隊は持っていなかった。デモ隊鎮圧に出動した際に率いていた二個歩兵旅団も臨時に預かった部隊と思われる。そして、旅団長の階級は大佐。あのクリスチアン大佐でも自分と同じ階級の指揮官を二人も臨時に指揮したら、いろいろとやりにくかっただろう。俺にも身に覚えがある。つまり、悪いのはクリスチアン大佐ではなく、二人の旅団長。そして、無能な指揮官を部下に付けたグリーンヒル大将だ。クリスチアン大佐は悪くない。うん、きっとそうだ。そうに決まっているのだ。

 

「クリスチアン大佐指揮下の『歩兵旅団』が発砲したんだね。ご苦労だった。続報が入り次第、伝えて欲しい」

 

 歩兵旅団を強調しつつ、労いの言葉をかけた。やや戸惑い気味の顔でベッカー大佐は敬礼して通信を切った。気持ちを切り替えた俺は、ニールセン中佐に意見を問う。

 

「ハイネセンポリス中心部では、軍とデモ隊が衝突してる。この機に乗じて前進すべきか、それとも自重すべきか。貴官はどう考える?」

「そうですねえ。前進したら一気に敵を倒せるかもしれません。ですが、ハイネセンポリスの混乱も一層激しくなります。流血も深刻になるでしょう。自重すれば流血の拡大は回避できます。少なくとも市民軍のせいで流血が酷くなったと言われずに済みますし、人心はこちらに決定的に傾いたことには変わりありませんが。ただ、決着は数日先になりますね。敵は無能ではありません。多少の時間があれば、事態を収拾するでしょう」

「難しいところだね」

 

 判断に迷うところだった。だが、既にアラルコン少将の部隊がハイネセンポリス手前まで迫っている。今から会議を開く余裕もなかった。指揮官としての決断を示さなければならない時だった。

 

「ハラボフ大尉、第三巡視艦隊司令部に通信を入れてくれ」

 

 俺の決断、それは最も信頼する参謀長に意見を問うことだった。



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第百二十一話:首都進軍 宇宙暦797年4月16日 通信指揮車~ハイネセンポリス市街臨時指揮所

 第三巡視艦隊司令部との回線はすぐに繋がり、参謀長チュン・ウー・チェン准将の顔が現れた。パンを食べる時も戦場にある時もまったく変わらぬのんびりした顔には、どこか人を安心させるものがある。

 

「参謀長、ハイネセンポリス騒乱の情報はそちらにも入ってるかい?」

「ええ、ベッカー臨時参謀長より転送されてきました」

「単刀直入に聞きたい。俺達はどう対応すべきだろうか?」

「ハイネセンポリスに入って、デモ隊を救援すべきと考えます」

 

 参謀長は何の迷いも見せずに即答した。

 

「追い詰められた救国統一戦線評議会が無差別な武器使用に走る可能性はないかな?それに反戦市民連合は、俺達に良い印象を持ってないみたいだ。最悪、三つ巴の市街戦になるかもしれない」

「市民を決して見捨てない。その理想を貫く態度が閣下の最大の力。中心部で軍が市民に発砲している最中に我々が傍観していれば、後でどう説明しても見捨てたと思われるでしょう。その瞬間から、閣下の理想は色褪せてしまいます」

「軍隊が発砲しているのに傍観したという事実の前では、何を言っても言い訳になってしまうね。どう説明しようと、こちらの理屈で見捨てたのは事実だから」

 

 一週間前にグリーンヒル大将と面会した時のことを思い出した。彼の口から語られた遠征軍総司令部の苦しい立場、艦隊決戦で勝利を収めて作戦を終了させるという選択の正当性は、理屈としてはとても筋が通っていた。しかし、総司令部の合理的な選択によって見捨てられた戦友や部下の面影が脳内に残っている限り、許すことなど決してできなかった。

 

「理屈としては理解できても、感情が認めない。閣下はそれを良くご存知のはずです」

「デモ隊を救援に行こう。彼らが俺達を味方と思ってなくても、俺達にとっては保護すべき市民。見捨てるわけにはいかない」

「その通りです」

 

 チュン准将は微笑みを浮かべて軽く頷いた。「合格」と言われたような気がした。

 

「血を流さずにデモ隊のところまでたどり着くには、どうすればいいだろうか」

 

 救援に向かうと決めたら、今度は流血を避ける方法が問題となる。敵部隊も同じ同盟軍には変わりがない。血を流したら、軍の内部に大きな亀裂を生んでしまう。

 

 ハイネセンポリスの外には一四〇万、郊外には一二〇万、市街には一〇万の敵が展開している。そのうち、郊外の部隊は戦力外とみなしても問題ないだろう。デモ鎮圧命令を黙殺して郊外に留まっている彼らが俺達を食い止めようとするとは思えない。忠誠心の厚い市外と市街の部隊が問題だった。空軍力に劣る俺達は、市街地に大部隊を展開する能力を持たない。ハイネセンポリス市街に陣取る一〇万の敵を数で威圧するのは、不可能に等しい。市外にいる一四〇万も状況に応じてハイネセンポリスに入ってくるはずだ。彼らには空輸という選択肢もある。

 

「軍事作戦と考えれば、空軍力が乏しい我々には困難な作戦です。しかし、宣伝戦であれば可能性はあります。我々が『市民を救う』という大義名分を掲げて進めば、それを阻もうとする者は『市民を見殺しにした』という汚名を背負います。そのような汚名に耐えられる将兵はそれほど多くありません。ボーナム総合防災公園では、最も忠誠心の厚いはずの部隊が寝返りました。敵がその二の舞を恐れていることが部隊運用から推測できます。敵にとって部隊は唯一の財産。自壊の危険を犯してまで、閣下が率いる市民軍に強硬手段を用いる可能性は低いと思われます」

「俺達が戦ってるのは、武器の戦いじゃなくて精神の戦いだということをすっかり忘れてた。正義を見失った軍隊ほど脆いものはない。精神的優位に立つ絶好の機会を見過ごすところだった」

 

 やはりチュン准将の意見を聞いて良かったと思う。傍らのニールセン中佐は優秀な作戦参謀だけど、その発想は軍事の域に留まる。政治面も考慮に入れて戦略を立てられる参謀は、チュン准将しかいなかった。

 

「では、すぐに全軍に指示をお願いします」

「わかった。ありがとう」

 

 通信を終えた後、俺は手元の端末を操作して、簡単な指示書を書き上げた。そして、副官のハラボフ大尉に見せてチェックさせる。

 

「問題ありません」

「よし、全部隊と回線を繋いでくれ。そして、指示書を送信」

「はい」

 

 ハラボフ大尉はすぐに指示を遂行し、全部隊と回線が繋がる。俺は通信機の前に立って、マイクを握った。

 

「先ほどハイネセンポリス中心部において、反戦市民連合のデモ隊に救国統一戦線評議会側部隊が発砲。現在も衝突が続いている。我々は市民を守る軍隊。軍隊が市民を攻撃するなど、決して見過ごすことはできない。これよりハイネセンポリス市域に入り、デモに参加した市民を保護する。あくまで諸君の任務は保護であって戦闘ではない。よって、正当防衛及び緊急避難と認められる場合のみ、武器使用を許可する。その他は送信した指示書に従え」

 

 事実関係と方針を伝えた後、軽く一呼吸をする。

 

「我々は今日まで同胞の血を一滴も流さずに、ひたすら団結を訴えてきた。敵は武器を持たぬ同胞に攻撃を加えた。どちらに正義があるかは、言うまでもない。正義なき軍隊は武器を持った群衆に過ぎない。群衆に正義の行軍を阻むことができようか。胸を張って進め。健闘を祈る」

 

 放送を終えると同時に、複数の部隊が「これよりハイネセンポリス市域に進入する」と報告してきた。軍とデモ隊の衝突の報を聞いて進軍を停止し、俺の指示が出るまで待機していたのだろう。クーデター開始から四日目にして、市民軍は首都に足を踏み入れることになった。

 

 

 

 

 日が落ちかけた夕暮れ時の空の下、ハイネセンポリス郊外を市民軍部隊の車列が進んでいく。指揮通信車の拡声器からは、行軍目的を知らせるアナウンスが流れる。

 

「市民の皆さん!我々は首都防衛軍です!現在、反戦市民連合のデモ隊の保護に向かっています!我々の目的は戦闘ではありません!負傷者の収容及び脱出援護が目的です!決して皆さんにはご迷惑をおかけしないと約束いたします!」

 

 一部の部隊は歩道を徒歩で進みながら、本作戦の趣旨と救国統一戦線評議会の暴虐を訴えるビラをばら撒く。事前に用意したビラではなく、部隊の広報担当者がその場で作った文章を輸送車に載せた印刷機で刷った即席のビラだ。刷り上がると同時に配布し、手持ちのビラが切れたら刷り上がるまで待つ。市民軍らしい手作りの宣伝活動と言えよう。

 

 俺達の行動に対し、市民は概ね好意的だった。笑顔で手を振る者、「頑張って」と声を掛けてくれる者、「虐殺者をやっつけてくれ」と叫ぶ者も見られる。

 

 どうやら、俺達が宣伝する前から、多くの市民が発砲事件を知っていたようだ。厳しい情報統制の下でどうやってそんな情報を知り得たのかは分からないが、ただでさえ不人気な救国統一戦線評議会の人気がさらに落ち込んだのは事実である。

 

 郊外の敵部隊は予想通り、俺達を阻止しようとはしなかった。俺のもとに通信を入れてきて、阻止行動は一切しないと約束してきた部隊も複数にのぼった。最も心配だった市外の部隊はハイネセンポリスに入ろうとせず、市外にいる市民軍と対峙中だった。

 

 中立部隊は今のところ静観の姿勢を保っている。市民を救うという大義名分は兵卒や下級将校には通用しても、上級将校には通用しない。彼らは部隊の保全、地位の維持を第一に考える。完全にパワーバランスが市民軍に傾くまでは、静観を続けるはずだ。敵に回らないだけでありがたいと考えるべきであろう。

 

 市民の支持はこちらにある。敵部隊は行く手を阻もうとしない。だが、完全に順風満帆とはいかなかった。

 

「こちら第二義勇師団。前方のメルヴィル橋が破壊されています」

 

 スクリーンの向こうにいるシェリル・コレット少佐は、やや太めの眉を寄せて困ったような顔をしていた。今の彼女は参謀長として第二義勇師団に出向中である。第二義勇師団長は軍事の素人であるため、事実上の指揮官だった。

 

「またか」

 

 俺もコレット少佐につられるように困り顔になる。郊外から中心部に向かう進路上にある橋やトンネルが破壊されたという報告が相次いでいた。

 

「いかがいたしましょう?」

「迂回してもらいたい。工兵がいない義勇兵部隊じゃ、浮橋は作れないからね」

「了解しました」

 

 ぴしゃっと音がしそうな敬礼をして、コレット少佐はスクリーンから消えた。俺は肺の中の空気をすべて吐き出すようなため息をつき、臨時副参謀長ニールセン中佐の方を向く。

 

「まいったなあ。まさか破壊工作員を足止めに使ってくるなんて、予想してなかった」

「部隊の寝返りを恐れずに、我々を足止めできますからね」

「情報部が敵に味方してることをすっかり忘れてた。工作員は汚れ仕事に慣れてる」

 

 再びため息をついて、ボーナム総合防災センターから転送されてきた情報に目を通す。この指揮通信車の情報処理能力では、市民軍の指揮統制が精一杯だった。各地の情報提供者から送られてくる情報は、従来通りボーナム総合防災センターで処理している。

 

「催涙弾やスタングレネードを使用する軍隊に対し、デモ隊は剥がした道路の敷石を投げて応戦」

「デモ隊が立てこもるアレクサンダービルに軍隊が突入した数分後に火災が発生。出動した消防車は現場に辿りつけず、立ち往生しているとのこと」

「装甲車がデモの隊列に突入、死亡者が出た模様」

「デモ隊の一部がバリケードに火を放って逃亡」

 

 分単位で情勢が悪化しているのが分かる。ハイネセンポリス中心部で生じた軍隊とデモ隊の衝突は、もはや市街戦と言っていい事態まで発展した。

 

「救国統一戦線評議会も反戦市民連合も何をしてるんだ。完全に統制を失ってるじゃないか」

 

 苦々しさを自分の中で貯めこんでおく気になれなかった俺は、傍らのニールセン中佐に愚痴を言った。

 

「しかし、一度火が付いた群衆を落ち着かせるのは、至難の業ですよ」

「反戦市民連合のデモ隊は一三部隊に分かれてグエン・キム・ホア広場を目指していた。発砲されたのはクリスチアン大佐がいた方面のはず。それなのにどうして他の一二部隊まで軍隊と衝突してるんだ?」

「やはり、例の未確認情報を事実と考えた方が辻褄が合うのでは」

「未確認情報は所詮未確認情報だ。軽々しく信用するな」

 

 イラッときた俺は、刺々しさを声に乗せてニールセン中佐に叩きつけた。指揮通信車に乗り組んでいる者の視線が俺に集中する。たじろぐニールセン中佐、不安の色を浮かべるアルマ、「何をいらついてるのか、みっともない」と言いたげなハラボフ大尉。他の者も驚きを隠せない様子だ。

 

「あ、いや、こんな時だからこそ慎重にならなきゃね、うん」

 

 自分が指揮官らしくない振る舞いをしたことにようやく気付き、慌てて取り繕った。たかが未確認情報一つに心を乱されるなど、みっともないとしか言いようがなかった。

 

 先ほど丸めて放り投げた紙を拾い上げて開いた。その紙に記されているのは、「発砲前にクリスチアン大佐がジェシカ・エドワーズを殺害したとの目撃証言あり。真偽は確認できず」という内容の未確認情報。カリスマ的な人気を誇るエドワーズが殺害されれば、確かにすべてのデモ隊が怒り狂って軍隊にぶつかっていくだろう。だが、この推論には無理がある。クリスチアン大佐が武器を持たぬ者を殺害するなど、有り得ないからだ。

 

「閣下、首都防衛軍臨時司令部より通信が入っております」

 

 そう告げに来たハラボフ大尉の表情は、いつもと変わりがない。前任者のコレット少佐は表情だけで通信の重要度が伺えたが、ハラボフ大尉は私信であろうと非常事態の報告であろうと同じような表情で報告してくる。しかし、臨時司令部に残っているベッカー大佐が直接通信してきたというだけで、かなり重要な内容なのは想像に難くなかった。

 

 繋ぐように指示すると、いつになく緊迫した表情のベッカー大佐がスクリーンに現れた。

 

「緊急報告です。ジェシカ・エドワーズ反戦市民連合議長の死亡が確認されました。ルッジェロ・レンティーニ副議長、アンジェリア・ベイリー副議長、マルコ・サフラ事務局長、ジェニース・コシフ執行委員、ガオ・シャオミン執行委員、ラウノ・ヴァンハラ執行委員、レンカ・フラートコワ執行委員の死亡も確認されています。その他の執行委員も行方不明」」

 

 最重要、そして最悪の内容だった。反戦市民連合の党三役が全滅。執行委員は死亡もしくは行方不明。その事実は怒り狂ったデモ隊を抑えられる者、党を代表して救国統一戦線評議会と交渉できる者がいなくなったことを示す。救国統一戦線評議会は武力鎮圧以外の選択肢を失った。

 

「いかがなさいますか?」

 

 ニールセン中佐が俺の判断を問う。

 

「市民軍は反戦市民連合の指導者を助けに行くわけじゃない。市民を助けに行くんだ。そして、この事態を収拾できるのは、市民に武器を使わなかった市民軍のみ。方針は変更せず、前進を続けると全部隊に周知せよ」

「了解しました」

 

 必死で動揺を抑えながら、臨時副参謀長に指示を出した。最悪の事態であっても、司令官が冷静さを失うわけにはいかないのだ。

 

 市民軍は情報部の妨害工作に苦しみながらも前進を続けた。最も前進していた第二巡視艦隊第一陸戦旅団、第五市民空挺旅団、第二四二歩兵旅団、第八三陸戦旅団が一九時頃に市街地まで到達。二〇時頃には、正規軍と義勇軍合わせて三二個旅団一五万人が市街地を守る敵部隊の前面に展開。ハイネセンポリス市街に立てこもる救国統一戦線評議会とそれを取り囲む市民軍。ついに対決の時がやって来た。

 

 

 

 救国統一戦線評議会側の部隊は、時間を追うごとに数を増やしている。市外から余剰戦力を空輸してきたのであろう。市街地の外れには、ハイネセンポリスの空の玄関口と言われるヤングブラッド空港がある。この巨大空港の処理能力をもってすれば、一〇〇〇機や二〇〇〇機の輸送機を受け入れるなど、造作も無いことだ。

 

 市民軍も負けじと数を増やしていた。市街地から逃げてきたデモ参加者、郊外から駆けつけて来た市民、救国統一戦線評議会側の部隊や中立部隊から脱走してきた将兵が加わり、総数は二〇万を軽く超える。

 

 質に劣る義勇軍や一般市民を多く含む市民軍は、自動車でバリケードを築いて防護力を高めている。保護したデモ参加者に食事や医療を提供するための避難所も設置された。隊列を組んだ正規軍将兵や義勇兵がパトロールにあたる。通路は市民が手を繋いで作った人間の鎖、その前に立つ正規軍部隊によって二重にガードされている。

 

 敵は市民軍の前進を阻止しつつ、市街地から逃れてくるデモ参加者を拘束するために、戦闘車両を並べて封鎖線を築いた。しかし、本気で拘束しようと考える者はそれほど多くないらしく、相当数のデモ参加者が封鎖線を素通りして市民軍の元に逃れてきた。

 

 市民軍のバリケードの上には、国旗や同盟軍旗や市民軍旗の他、様々な政治団体や労働組合の旗が立ち並び、全党派連合軍の様相を呈している。日頃から激しく対立してる憂国騎士団、統一正義党、反戦市民連合の旗が並んでいる光景など、驚天動地であろう。

 

 参戦者の中には顔なじみも少なからず含まれていた。最も嬉しかったのは憂国騎士団行動部隊第二大隊長レオニード・ラプシン予備役少佐の参戦だった。

 

「憂国騎士団行動部隊第二大隊九〇名、市民軍に馳せ参ずべくやってまいりました!」

「憂国騎士団は活動禁止処分、行動部隊メンバーは全員拘束対象だったはずだ。貴官の部隊はハイネセンポリスを拠点にしていたはず。良く無事でいてくれた」

「ほとんどの同志が拘束されましたが、残った者を苦心して集めました。数こそ少ないものの軍や警察で鍛えあげられた猛者が揃っております。何なりとお申し付けください」

 

 ラプシン予備役少佐の笑顔に思わずじんときてしまった。彼が所属していたヴァンフリート四=二基地憲兵隊は、俺の未熟な指揮によって壊滅した。それなのにもう一度俺の指揮で戦いたいと笑顔で言ってくれる。これが喜ばずにいられるだろうか。

 

「三年前はヴァンフリート四=二、今はハイネセンポリス。戦場も敵も違うが、市民と国家を守るための戦いには変わりがない。あの時は勝てなかった。今度こそ俺と貴官で勝とうじゃないか」

 

 心からの笑顔でラプシン予備役少佐と握手を交わした。

 

 直接の顔なじみではないものの縁のある部隊も参戦してきた。ダーシャの父親ジェリコ・ブレツェリ准将が司令官を務めるモンテフィオーレ基地兵站集団の補給群、通信群、輸送群が補給物資と機材を携えて脱出してきたのだ。

 

 ハイネセン郊外にあるモンテフィオーレ基地は、後方支援集団所属の支援艦艇が母港とする重要拠点であった。そのため、救国統一戦線評議会の精鋭が厳重に警備している。そんな基地から兵站集団の中核部隊を脱出させるなど、よほど念入りに準備しなければできないことだ。ブレツェリ准将の尽力に心から感謝した。

 

 敵味方の勢力がハイネセンポリス市街地を取り巻く半径三〇キロの円の上に集中しつつある。四月の夜だというのに、汗がじんわりとにじむ。集まった人々の熱気のせいであろう。緊張が高まる中、俺はテントの中に設けた臨時指揮所の中で市民軍幹部とともに作戦を練っていた。

 

「敵が行動を起こす可能性が最も高いのは、夜明け前でしょう。徹夜組の集中力が途切れ、なおかつ闇に紛れることができる時間帯です」

 

 第一首都防衛軍団ファルスキー少将の意見に出席者全員が頷く。過激派の老将は今や市民軍の重鎮であった。

 

「地上戦要員の一部に休養を命じておこう。夜明け前に備えて、元気な戦闘員を確保しておく」

「さすがはフィリップス提督。配慮が行き届いていらっしゃる」

 

 第二巡視艦隊司令官アラルコン少将が俺の指示に同意を示す。歴戦の彼が同意することで、経験の浅い俺の決定に重みが加わる。

 

「敵が攻撃を仕掛けてくるとしたら、第一特殊作戦群が主力になるはず。目標はおそらくこの臨時指揮所。司令部を襲撃して指揮系統を破壊するというのは、特殊部隊の常套手段です」

 

 警護担当のアルマがそう指摘すると、出席者は考えこむような顔になった。第一特殊作戦群はアルマの所属する第八強襲空挺連隊を含む特殊部隊三個連隊からなる。要するにアルマに匹敵する実力者が三個連隊も集まった部隊なのだ。そんな精鋭を今まで温存してきた理由はわからないが、使うとしたらこの場面であろうことは衆目の一致するところだった。

 

 階級こそ中尉と低いものの特殊戦の専門家であるアルマの意見は、幹部会議でもそれなりの重みがある。市民軍幹部は、アルマを中心に特殊部隊対策を練り上げていった。

 

「情報部の工作員にも警戒する必要がありますね」

 

 ようやく合流した参謀長チュン准将は、口元にパン粉が付いたままという緊張と程遠い顔で警戒を促した。アルマの他数名が軽く顔をしかめるが、チュン准将はどこ吹く風と受け流す。

 

「デモ参加者や脱走兵に紛れ込まれたら、水際でのチェックは困難ではないか?」

 

 アラルコン少将が難しい顔で指摘する。数万人に及ぶデモ参加者や脱走兵をいちいちチェックできないというのは、確かにその通りだ。

 

「水際での阻止は諦めて、工作員が狙ってきそうな指揮通信系統、補給系統を重点的に警戒しましょう。敵の入ってくる場所を塞げないのであれば、敵が狙いそうな場所を固めるのです」

「なるほど。そういえば、貴官は情報参謀の経験もあったな」

 

 作戦、情報、後方、人事を満遍なく経験したがゆえの総合力がチュン准将の持ち味である。アラルコン少将は納得したような表情になった。

 

 市民軍幹部は指揮通信系統や補給系統の要所をリストアップして、協議しながら優先順位を付けて行った。そして、「ここを潰されたらまずい」と判断した場所を重点的に警備させることに決める。

 

 その他にも様々なことを話し合って決めた後、市民軍幹部はそれぞれの持ち場に戻っていく。指揮所スタッフ以外に残ったのは、チュン准将やニールセン中佐を始めとする参謀、副官のハラボフ大尉、警護担当のアルマのみであった。

 

「参謀長、パンはある?」

「ありますよ」

 

 簡潔に答えると、チュン准将はポケットから潰れたポテトサンドを取り出した。俺は礼を言って受け取ると、すぐに口に入れた。意識していないのに、顔が笑顔になる。

 

「おいしいね。パンもポテトもちょうど良い潰れ具合だ」

「気に入っていただけて何よりです」

「参謀長から貰った潰れたパンは、戦場では何よりのごちそうだよ」

 

 随分と長いこと潰れたパンを食べていなかったような気がする。ようやくいつもの戦場に帰ってきたような気持ちになった。

 

「フィリップス中尉もいかがですか?」

「えっ、私ですか!?」

 

 不意にチュン准将に声をかけられたアルマは、彼女らしくもなく狼狽した。しかし、潰れたチーズベーコンクロワッサンを手渡されると、たちまち笑顔になってかぶりつく。食べ物で釣られるとは、我が妹ながら情けない。

 

「いよいよだね」

「ええ、いよいよです」

 

 俺とチュン准将は顔を見合わせた。

 

「救国統一戦線評議会は当初想定したよりもずっと堅固だった。反戦市民連合があそこで立ち上がってくれなかったら、物資が切れるまでに自壊の兆しが見えるかどうか、微妙なところだった。四日目の夜に山場が来るなんて、予想できなかった。反戦市民連合を結果として捨て石にしてしまった。なんか申し訳ないよ」

 

 俺は軽く目を伏せた。反戦市民連合は救国統一戦線評議会に与えた打撃と引き換えに、党三役及び執行委員の半数が死亡した。新興組織の反戦市民連合にとって、党の躍進を支えた優秀な指導部の喪失は致命的である。数はまだ不明だが、死亡した支持者の数も万を下ることはないはずだ。軍縮派の彼らと軍拡派の俺は政治的には敵対しているが、それでも一方的な犠牲の上に勝利を得るのは心苦しく感じる。

 

「エドワーズ代議員には期待していました。こんな結果になってしまって、本当に残念です」

「参謀長は反戦派だからね。俺は主戦派だから、あの人とは対立する側だけど。それでも、こんなに呆気なく亡くなってしまうのは残念だね」

 

 自分でも驚くほどに、エドワーズの死に寂しさを覚えた。反戦市民連合を踏み台にしたことへの罪悪感とは異なる感情が混じっているようだ。

 

 エドワーズに対して特に好意を持っているわけではなかった。前の人生でクーデターが起きた時に、彼女が殺害されたと聞いても何とも思わなかった。今の人生でも優秀な政治家とは思うが、好きな政治家ではない。可哀想以上の感情はないはずなのに、どうしてこんなに寂しく感じるのだろうか。

 

「閣下がエドワーズ代議員の死にそこまで落胆なさるとは、正直意外でした」

「本当だね、俺も意外だよ。なんでだろう?」

 

 どうしてそんなに寂しく思ったのか、ほんの少し考えた。頭の回転を良くするためにマフィンを食べようと思って机に視線を向けると、写真立てに飾られたダーシャ・ブレツェリの写真が目に入った。その瞬間、俺はすべてを理解した。

 

 ダーシャがまだ俺の側にいた頃、こんなことを言っていた。

 

「世の中には二つの考え方があるの。一つは好きな人が殺されたら、憎しみが晴れるまで戦おうという考え方。もう一つは好きな人が殺されたら、誰も失いたくないと思って戦いをやめようという考え方。どっちが正しいかなんて、私が決めることじゃないけど。でも、私は誰も失いたくないと思うよ」

 

 好きな人が殺されるなんて想像もしたくなかった俺は、こう答えた。

 

「俺にはわからないや。経験が無い。経験もしたくないよ」

「想像できない?」

「想像したくないと言ったほうが正解かな。好きな人が誰かに殺されていなくなるなんて、考えるだけで恐ろしくなっちゃう」

「そうだよね。たぶん、エドワーズさんもそう思ってた。でも、その恐怖に向き合うしか無かったんだよ。向き合って、もう誰も失いたくないと思った。だから、戦争を止めるために立ち上がったんじゃないかって」

「誰も失いたくないって気持ちはわかるよ」

 

 この時、俺は初めて反戦論者に共感を覚えた。誰も失いたくないという気持ちは、俺の頭でも十分に理解できたからだ。

 

「主戦派も反戦派も理屈じゃないんだよ。もちろん、理屈は大事だけど。でも、根っこは感情。理屈だけで主戦論や反戦論を言う人は信用出来ないな」

 

 最後にダーシャはこう締めくくった。俺は主戦派、ダーシャは反戦派。信じるイデオロギーはまったく違っていたけれど、持っている感情は同じだった。だから、俺達は一緒にいた。

 

「エドワーズ代議員は婚約者を失ったのがきっかけで反戦運動に身を投じた人だ。それは誰もが知っていることだ」

「ええ、そうですね」

「ダーシャ、いやブレツェリ大佐がエドワーズ代議員について、こんなことを言ってた。『好きな人を失う恐怖と向き合って、誰も失いたくないと思った。だから、エドワーズ代議員は戦争を止めようと思ったんじゃないか』ってね。そんな彼女も今はいない。俺は好きな人を失った恐怖に向き合いながら生きている。無意識のうちにそんな自分とエドワーズ代議員を重ねていたのかもしれないね」

 

 俺は軽く微笑んだ。ダーシャのことを話す時は、絶対に笑顔を作ると決めている。

 

「なるほど。よくわかりました」

 

 チュン准将も微笑みを返す。マイペースな彼だが、他人の気持ちには敏感だ。参謀の仕事の何割かはコミュニケーションである。優秀な参謀は戦略戦術のみならず、他人の気持ちも理解できなければならないのだ。

 

 パンを食べていたアルマは、時間が止まったように固まった。その目は涙で潤んでいる。ダーシャの親友であり、その死を看取った彼女の中には、まだ深い悲しみが残っているのだ。

 

「ア……、いやフィリップス中尉。ブレツェリ大佐は自由主義を愛していた。今のハイネセンにいたら、きっと命がけで救国統一戦線評議会と戦おうとしたはずだ。俺達が彼女の分も戦おうじゃないか」

 

 アルマは何も言わずに頷いた。

 

「戦いましょう」

 

 真剣な顔つきのニールセン中佐が声をかけてきた。驚いて周囲を見ると、指揮所にいる者はみんな神妙な顔になっている。ここが狭いテントの中ということをすっかり忘れていた。

 

「戦うぞ!」

 

 照れくささを吹き飛ばすかのような大きな声で叫んだ。他の者も一斉に俺の叫びに応じ、テントの中は「戦うぞ!」という叫びに満たされた。チュン准将はその様子を一人微笑んで眺める。市民軍と救国統一戦線評議会の戦いは最終局面に入ろうとしていた。



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第百二十二話:二転三転急転 宇宙暦797年4月17~18日 ハイネセンポリス市街臨時指揮所~統合作戦本部ビル~第一一艦隊駐屯地

 静まり返った夜の闇を銃声が切り裂いたのは、四月一七日午前二時五〇分のことだった。臨時指揮所の中は瞬く間に緊張でみなぎった。寝袋にくるまって仮眠していた者も慌てて飛び起きる。ひりひりするような空気。ついに始まったのだ。

 

「何があった!?確認を急げ!」

 

 皆が忙しく走り回る中、俺は全ての部隊に報告を求めた。一分もしないうちに第二義勇師団参謀長シェリル・コレット少佐が俺の疑問に答えてくれた。

 

「敵の装甲車部隊がバリケードに突入してきました!」

「数は!?」

「およそ五〇台です!」

「全面攻勢の先駆けにしては、五〇台は少なすぎる。陽動に違いない。貴官もエル・ファシルで経験したはずだ。冷静に対処せよ」

「かしこまりました!」

 

 コレット少佐がスクリーンから消えると、苦い気持ちが広がった。義勇兵部隊がどれほど冷静に対処できるかは疑問である。時間が時間だけに集中力も落ちている。それを見越して、敵は陽動を仕掛けてきたのであろう。実質的な戦闘指揮官であるコレット少佐の乏しい経験も懸念材料であった。

 

「全部隊、厳戒態勢に入れ!最優先警備目標を厳重に固めろ!奇襲部隊や工作員に注意せよ!」

 

 市民軍の全部隊に通信を入れて、守りを固めるように指示した。こちらが陽動に惑わされて態勢を崩せば、敵に乗じられる。

 

 メインスクリーンに映し出された第二義勇師団の状況は最悪だった。装甲車はバリケードに向けて、まっしぐらに突き進んだ。勇敢あるいは無謀な義勇兵が行く手に立ち塞がり、身を挺して食い止めようとする。装甲車はまったくスピードを緩めず、何人もの義勇兵が紙くずのように吹き飛ばされた。

 

 徹底して流血を回避しようという俺の目論見は脆くも崩れ去った。取り返しのつかない事態に血の気が引いていく。

 

「なんてことだ……」

「すぐに増援を送りましょう。装甲車を食い止めなければなりません」

 

 絶句した俺に参謀長チュン・ウー・チェン准将がすかさずフォローを入れる。

 

「そうだった。せめて、被害の拡大は阻止しなきゃね。動かしても支障ない予備戦力は?」

「第三市民空挺連隊がよろしいかと」

「装甲車五〇台に一個空挺連隊は大袈裟すぎないか?」

「後続に備える必要もあります」

「わかった。参謀長の言う通り、第三市民空挺連隊を送ろう」

 

 チュン准将の進言を受け入れて、第三市民空挺連隊を第二義勇師団の救援に向かわせた。それから、メインスクリーンに視線を戻して戦況を眺める。

 

 突進してくる装甲車目がけて焼夷手榴弾を投げつける義勇兵。強引にバリケードと装甲車の間に割り込むバス。荷台に義勇兵を満載して戦場を走り回りながら、焼夷手榴弾をばら撒くトラック。無人運転で装甲車の車列に突入していく乗用車。数台の装甲車が動きを止めると、バリケードの上から飛び降りた義勇兵が突入していく。

 

「やるなあ」

 

 第二義勇師団の果敢な戦いぶりに、思わず唸ってしまった。

 

「閣下がエル・ファシル義勇旅団を率いて戦われた時もこんな感じだったのですか?」

 

 アルマの不要な突っ込みに少しイラッとした俺は、聞いてないふりをした。彼女はエル・ファシル義勇旅団が活躍したと本気で信じ込んでいる。だが、実際はアルマの方がはるかに活躍した。本人にその気がなくても、嫌味を言われた気分になってしまう。

 

「指揮官が良いのでしょうね」

 

 チュン准将は胸元からパン粉を払いながら、スクリーンに視線を向ける。義勇兵の先頭に立って突進し、装甲車の上に飛び乗るコレット少佐が映っていた。引き締まった長身の彼女が勇戦している様子は、とても絵になっていた。

 

「頑張ってるね。でも、ちょっと前に出過ぎじゃないか?」

「戦い慣れていない義勇兵の士気を保つには、身を挺してみせるのが最善。閣下もボーナム総合防災公園でそう判断なさったのではありませんか?」

「いや、あれは……」

 

 逃げるのが怖かっただけだ、と言いかけてやめた。こればかりは気心の知れた参謀長とも決して共有できない感情だ。前の人生でエル・ファシルから逃亡した後に味わった恐怖の記憶が、逃げることを許さないのだ。

 

 エル・ファシルといえば、コレット少佐は市民を見捨てて逃げたアーサー・リンチ少将の娘である。父の汚名がどれほど大きな苦労を彼女にもたらしたかは、想像に難くない。士官学校では虐待と言っていいような仕打ちを受け、外見が変わり果ててしまうほどのストレスに苦しんだ。俺の部下になってからもたびたび嫌がらせを受けた。それなのに軍を辞めようとしなかった。彼女は俺と同じだ。逃げる恐怖を知っている。

 

「そうだね、これが正しい。さすがはコレット少佐だ。戦いというものを良く知っている」

 

 チュン准将には決して理解できないであろう共感を込めて、コレット少佐の選択を肯定した。

 

 第二義勇師団は重装備を持っていない素人の集団であるにも関わらず、装甲車部隊相手によく戦った。義勇兵の攻撃にたまりかねて逃げ出す装甲車、包囲されて降伏する装甲車も現れた。だが、その勇戦は敵に焦りを生じさせたようだ。数十人の義勇兵に取り囲まれて立ち往生した装甲車のビーム砲から、光条がほとばしった。数人が撃ち倒され、他の者が逃げ散っていく。自由になった装甲車は、ビーム砲を乱射しながらバリケードに突進していった。

 

「第二義勇師団より報告!装甲車に跳ね飛ばされた義勇兵二名の死亡が確認されました!」

 

 オペレーターの報告は、俺を奈落の底に突き落とした。ついに市民軍から死者が出た。血を流さずに勝つという目標は達成できなかった。俺達が勝っても負けても、同胞殺しの事実がこの国に深い亀裂を残す。最悪としか言いようがなかった。

 

「第二義勇師団より追加報告!銃撃を受けた義勇兵一名が死亡」

 

 最初の死者が出てから一分もしないうちに三人目の死者が出た。これからどれほど死者が増えていくのか、想像もつかない。

 

「第一〇三歩兵師団より報告!敵陸戦部隊が前進を開始しました!兵力は五個中隊前後!」

「第三七機甲師団は戦闘状態に突入!」

「第一〇四戦隊第一臨時陸戦旅団の防衛線に、敵の三個戦車中隊が侵入してきました!」

「第六義勇師団です!敵が銃撃を始めました!」

 

 落ち込んだ俺に追い打ちをかけるかのように、敵の攻撃を伝える報告が連続した。報告が終わると、また別の攻撃が報告される。まるでオペレーターの声帯を休ませまいと頑張るかのように、敵は攻撃を仕掛けてきた。

 

「午前三時二三分現在、敵は三三箇所で攻勢に出ています。すべて大隊規模から中隊規模の限定的な攻勢です」

 

 副官のハラボフ大尉はオペレーターの報告を簡潔にまとめた。ひっきりなしに入ってくる報告をすべて把握するなど、手と耳が四つあると言われる彼女ならではの仕事といえよう。

 

「第二巡視艦隊より報告!巡視艦隊の通信大隊本部近くで敵工作員が拘束されました!」

「第四五歩兵師団より報告!武器弾薬集積所に不審者が侵入!警備部隊と銃撃戦を展開中!」

 

 同時多発攻撃の次は工作員だ。チュン准将が予想したとおり、敵は指揮通信系統や補給系統を直接叩きに来た。

 

「首都防衛軍臨時司令部より報告!三個陸兵師団がボーナム市に進軍中!」

「敵の野戦砲兵部隊が第一首都防衛軍団司令部に向けて砲撃を開始!」

「第一一艦隊の臨時陸戦隊一〇個旅団が第六五戦隊司令部を包囲しました!」

 

 今度は市民軍の有力部隊の拠点が攻撃を受けたという報告が続く。打てる手はすべて打つと言わんばかりだ。これだけ短時間で手数を繰り出されると、俺の頭脳の処理能力では速度についていけない。

 

「参謀長、貴官はどう考える?」

 

 俺は傍らの参謀長を頼ることにした。困った時は参謀の知恵を借りる。これが司令官というものだ。

 

「防衛戦への攻撃はいずれも小規模。戦力も分散したまま。これは陽動です」

「なるほど、陽動か。惑わされてはいけないな」

 

 のんびりしたチュン准将の声は、心を落ち着かせてくれる。陽動というのはわかりきっていることではあるが、それを参謀に確認してもらうことに意味がある。司令官の思考の整理は、参謀の大事な仕事なのだ。

 

「拠点が陥落する可能性も高くはありません。我が軍の大部分はハイネセンポリスの郊外、もしくは市外におり、容易に救援できます。動揺を誘うための攻撃でしょう」

「外部の部隊に連絡して救援に行かせれば、心配はいらないな」

「一番の脅威は工作員です。指揮通信系統、補給系統がやられたら、組織的な戦闘ができなくなってしまいます。対策法は既に各部隊に指導済み、重要拠点は警備経験豊富な空挺や陸兵で固めてました。後は現場に任せましょう」

「警備体制を作るまでが俺達の仕事。できるだけのことはやった」

「防衛戦と拠点への攻撃は、注意を引きつけるための陽動。破壊工作は組織的な動きを阻害するのが目的。本命はやはり第一特殊作戦群でしょう。特殊部隊は奇襲作戦で最も力を発揮します。一般部隊を派手に動かして注意を引きつけ、工作員を使って我らの部隊を動けなくして、本隊を孤立させてから第一特殊作戦群で素早く制圧する。オーソドックスな作戦ですが、それだけに防ぐのは困難。現場の動揺を防げるかどうかが鍵です」

「対応はテロリストとの戦いと同じだね。陽動に惑わされず、本命を冷静に待ち受ける」

「ボーナム総合防災公園の攻防以降、将兵の離反を恐れた敵は、閣下との直接対決を避けてきました。つまり、敵はリスクを冒してでも直接対決に踏み切るところまで追い込まれたのです。恐らくはこれが最後の戦いとなるでしょう」

 

 チュン准将が敵の動きを整理してくれたおかげで、進むべき道が見えてきた。味方の士気を維持し、各部隊との連携を保ち、第一特殊作戦群の攻撃を凌ぎきること。

 

 義勇兵や市民が多く混じっている市民軍は動揺しやすい。基本的に有志連合である市民軍は、もともと首都防衛軍に属している部隊を除くと相互連携体制が弱い。あのローゼンリッターに匹敵する第八強襲空挺連隊を含む特殊部隊三個連隊からなる第一特殊作戦群は、市街戦では無類の強さを誇る。考えれば考えるほど、不安材料ばかりが残る。

 

 この一戦に同盟の未来がかかっている。三日前のボーナム総合防災公園に続き、再び俺は歴史の分岐点に立った。緊張で心臓が飛び出しそうになる。腹が痛くなり、手の平に汗がにじむ。だが、司令官が緊張すれば部下は動揺してしまう。

 

 強く拳を握りしめて気合を入れると、まっすぐに通信機の前に向かった。通信員に全軍放送の用意をさせて、マイクを握る。一呼吸してから、ゆっくりと口を開いた。

 

「市民軍の旗の下に集ったすべての皆さん。ついに敵の全面攻勢が始まりました。これは皆さんの勝利を意味しています。なぜならば、敵はもはや暴力でねじ伏せる以外の道を失ったからです。敵は二〇〇万の軍隊で脅迫すれば、同盟市民一三〇億は怯えて服従すると思い込んでいました。しかし、皆さんは脅迫に屈することなく、民主主義の正義を示しました。同盟市民は軍事独裁を決して受け入れないということが明らかになったのです」

 

 市民軍には戦いの素人が多い。ちょっとしたことがきっかけで不安に流される。正義を示して、自信を持たせることが必要だった。トリューニヒトも「凡人には誇りが必要だ。誇りがあれば、努力しなくても強くなれる」と言っていた。

 

「敵の攻撃は一見すると苛烈に見えます。しかし、ろうそくの炎は消える直前に燃え上がるといいます。命運が尽きかけているからこそ、敵は今の攻撃にすべてを賭けざるを得ないのです。数時間耐えれば、戦いは終わります。敵はすべてを失い、軍国主義は敗北します。民主主義が復活し、世界は再び自由の光に満たされます。今こそ、勇気が試される時です。これからの数時間は、同盟市民にとって最も英雄的な数時間となると私は信じています。惑わされてはいけません。恐れてはいけません。胸を張りましょう。前を向いて笑いましょう。共に闘い抜きましょう。皆さんの力を今しばらくお貸しください」

 

 ひたすら前向きな言葉を紡ぎだし、最後に頭を深々と下げた。単純な俺は自分の言葉にも気分を動かされてしまう。気持ちが上向いたところでマフィンを立て続けに三個食べて糖分を補給。心を引き締めた。

 

 

 

 市民軍は驚くほど勇敢に戦った。正規軍はもちろん、義勇兵や市民もパニックを起こさずに力を尽くした。メインスクリーンには、国歌を歌いながら迫り来る戦車に立ち向かう義勇兵、土のうを運んでバリケードを補強する市民、バリケードの上で「家族に銃を向けてはならない」と書かれた横断幕を掲げる市民などが映る。

 

 英雄的な行為も多く見られた。無反動砲を巧みに操って一人で二〇台近い戦車を破壊した陸戦隊員、敵車両に繰り返し肉薄して焼夷手榴弾を投げつけた予備役軍人、銃撃に倒れた味方を担いで敵前を走り抜けた若い義勇兵、敵の小隊長と談判して味方に引き入れてしまった中年の義勇兵といった無名の英雄の活躍が次々と報告されて市民軍を勇気づけた。

 

 俺の知っている者も活躍を見せた。首都圏義勇軍に出向して兵站司令官となったメッサースミス少佐は、補給系統を襲撃してきた装甲車部隊と激闘を展開した。ラプシン予備役少佐は退役軍人や元警官からなる憂国騎士団行動部隊を率いて、戦車の砲撃で崩されたバリケードを死守した。軍を退いた第三六戦隊の生き残りの何人かは義勇兵として奮戦し、第三六戦隊の名を知らしめた。

 

 情報部の工作員が拘束されたという報告も各所から入った。大半は警備部隊によって拘束されたが、義勇軍や市民に発見された工作員もいた。

 

 ハイネセンポリス内部の情報提供者から寄せられた情報も市民軍にとっては希望の持てるものだった。市街に展開する敵部隊の中に、出動を拒否する者が現れた。いくつかの部隊では、出動を受け入れた指揮官に対して将兵の一部が反乱した。第六二戦隊の反乱者は、戦隊司令部を占拠したという。三日前の時点で綻びが見えていた敵将兵の戦意は、ついに限界に達したように思われた。

 

 市民軍は優位にある。臨時指揮所にいる誰もがそう思っていた時、情報提供者から、「第八強襲空挺連隊の駐屯地から三〇機ほどの輸送ヘリが飛び立った」という情報が送られてきた。輸送ヘリ三〇機の輸送力をもってすれば、第八強襲空挺連隊の全兵員を空輸できる。温存されてきた第一特殊作戦群がついに動き出した。臨時指揮所は一瞬にして緊迫した空気に包まれる。

 

 俺は部隊運用担当のニールセン中佐に命じて、予備にとっておいた二個市民空挺旅団と一個陸戦旅団を臨時指揮所の周囲に集めさせた。また、参謀長のチュン准将に近隣の部隊を援軍に呼ぶ手筈を整えさせた。空挺や陸兵は精鋭だが、三個旅団で第一特殊作戦群を相手に市街戦をするのは不安だ。それでも、援軍が来るまではこの戦力で耐えなければならない。

 

 第一特殊作戦群を迎え撃つ覚悟を決めたものの、内心は不安でいっぱいだった。戦いにおいて最も勇気が試されるのは、敵を待つ時だとクリスチアン大佐が言っていた。戦いが始まれば、目の前の相手に集中すれば良いからだ。そういえば、クリスチアン大佐はどうなったのだろうか。全然情報が入ってこなくて不安になる。

 

 臆病な俺は敵が早く仕掛けてくれることを心の中で祈り続けた。しかし、俺の願いに反して、なかなか第一特殊作戦群はやって来なかった。

 

「俺達が緊張に耐え切れなくなったのを見計らって、仕掛けてくるつもりなんだろうか」

 

 そんな疑念が湧いてくる。特殊部隊ならば、その程度の芸当はお手のものだろう。しかし、日が昇っても第一特殊作戦群は来なかった。そうこうしてるうちに敵の攻勢は止み、市外の拠点からは「敵が退き始めた」という報告が相次いだ。工作員もことごとく拘束されて、敵の工作は空振りに終わった。

 

 臨時指揮所にいる者すべてが不審に思いながらも警戒を続けた。気が緩んだところを襲撃してくることも有り得る。俺とチュン准将が参戦した第三次ティアマト会戦では、敵将のラインハルトは司令官のドーソン中将が疲れきったのを見計らって後退し、緊張が解けたところで奇襲をかけてきたのだ。敵が残っている限り、油断するわけにはいかなかった。

 

 春の朝日に照らされながら、不気味な沈黙を保つ敵に備えて神経をすり減らす。そんな時間が過ぎていく。徹夜明けの俺達には、朝の日差しもかなりこたえる。コーヒーをがぶ飲みして眠気を抑えていた俺に、副官のハラボフ大尉が徹夜の疲れをまったく感じさせない足取りで近づいてきた。

 

「閣下、第八強襲空挺連隊より通信が入っております」

「第八強襲空挺連隊?」

 

 なぜ第一特殊作戦群配下の部隊から通信が入ってくるのだろうか?不審に思いつつも出てみることにした。

 

「小官は第八強襲空挺連隊連隊長代行ハシム・ジャワフ中佐です。辞任した前連隊長ペリサコス大佐に代わり、指揮官を務めております」

 

 スクリーンに現れたのは、ジャワフ中佐と名乗る壮年の黒人男性だった。第八強襲空挺連隊に所属するアルマにスクリーンを見せて身元を確かめさせると、「この方は間違いなく第八強襲空挺連隊の副連隊長ジャワフ中佐です」との答えが返ってきた。

 

 昨日の時点では、ペリサコス大佐はまだ連隊長の職にあったはずだ。胡散臭いものを感じつつもジャワフ中佐と会話を続けることにした。

 

「用件を聞かせてもらいたい」

「第八強襲空挺連隊はこれより第一特殊作戦群を離脱し、首都防衛軍司令官代理フィリップス少将の指揮に従います」

 

 ローゼンリッターに匹敵する最精鋭部隊が寝返る。とてつもない成果だが、こうもあっさり味方すると言われると、なんか拍子抜けしてしまう。

 

「理由を聞かせてもらえるかな?」

「我が連隊は国家を守る最後の盾。同胞を攻撃せよなどという命令は聞けません。第一特殊作戦群司令部を最後まで説得しましたが、聞き入れられなかったため、単独で離脱いたしました」

 

 ようやく事情が飲み込めた。どうやら、第八強襲空挺連隊は出動命令を拒否したらしい。第一特殊作戦群が動けなかったのも第八強襲空挺連隊の出動拒否が原因であろう。ペリサコス大佐の辞任というのもそれに絡んでいるのだろうか。

 

「なるほど。第一特殊作戦群が動けなかった理由がようやくわかった」

「他の二個連隊も出動には消極的でした。間もなく第一特殊作戦群を離脱するでしょう」

「最強の第八強襲空挺連隊が味方になってくれたら、これ以上に心強いことはない。心から歓迎する」

 

 緊張が解けて、意識せずとも笑顔になった。隣にいるアルマも原隊との敵対状態が終わったことに安心したのか、笑顔を見せた。

 

 第八強襲空挺連隊の帰順から間もなく二個連隊も帰順を申し入れてきた。救国統一戦線評議会が切り札として温存してきた第一特殊作戦群は戦わずして崩壊した。それと時を同じくして、第一市民艦隊を名乗る部隊からの通信が入ってきた。

 

「第一市民艦隊のハムディ・アシュール少佐であります。我ら第一市民艦隊は市民軍を支持いたします」

 

 精悍な顔に美しい口髭を生やしたアシュール少佐は、聞き慣れない部隊名を名乗った。

 

「第一市民艦隊?」

「昨日までは第一二艦隊の第六二戦隊でしたが、市民艦隊になりました」

 

 第六二戦隊と言えば、市民軍への参加を拒否して救国統一戦線評議会に味方した部隊。反乱者に戦隊司令部を制圧されたと聞いていたが、アシュール少佐がその指導者であろうか。なかなか貫禄のある面構えをしていて、指導者にふさわしい雰囲気がある。

 

「貴官が第一市民艦隊の指揮官かな?」

「共同代表です。小官は政治面、もう一名は軍事面を担当しております」

 

 軍隊に共同代表というのも妙な話だ。市民艦隊ならば、それもありということなんだろうか。俺には良くわからない。

 

「もう一名の代表も紹介してもらえるかな」

「現在は反動分子掃討に出ております。閣下も良くご存知の方ですので、改めて紹介するまでもないとは思いますが」

「誰だろう?」

 

 共同代表をしている人物は、初対面のアシュール少佐にまで「紹介するまでもない」と言われるほどに俺と親しいようだ。戦隊司令部を制圧するような反乱部隊の軍事指揮官なら、能力もかなり高いはずだ。しかし、第六二戦隊にはそんな知り合いはいなかった。

 

「閣下の腹心のカプラン少佐であります」

「は?」

 

 今の俺はとても間の抜けた顔をしていたに違いない。カプラン少佐というのは、俺の知る限りで最も能力に欠ける軍人の一人だ。あまりの無能にうんざりして、「指揮官に向いている。艦長を任せるべき」と言って司令部から追い出した人物が俺の腹心であるはずもない。第六二戦隊にいるというのも初めて知った。

 

「そのカプラン少佐とは、エリオット・カプラン少佐のことかな?」

「ええ、第三六戦隊で閣下を補佐したエリオット・カプラン少佐です」

 

 何がどう伝われば補佐したことになるのかは知らないが、あのカプラン少佐が第六二戦隊を乗っ取った反乱者の指揮官なのは事実のようだ。あれほど仕事嫌いな男が反乱を指揮するなんて、まったく想像ができなかった。

 

「ご苦労だった。第一市民艦隊には後で追って指示を出す。これからも市民のために働いてもらいたい」

 

 次に通信する時もアシュール少佐が登場してくれることを祈りつつ、第一市民艦隊との通信を終えた。

 

 第一特殊作戦群の崩壊、第一市民艦隊の帰順をきっかけに、救国統一戦線評議会は急速に崩れていった。救国統一戦線評議会から離脱して市民軍に帰順する部隊、救国統一戦線評議会を支持する指揮官に反乱した将兵からの通信が臨時指揮所に押し寄せた。中立部隊も次々と市民軍支持を表明した。

 

 

 

 新たに市民軍に参加した部隊の受け入れ、反乱者への支援などで大わらわの臨時指揮所に所在不明だった最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトが秘書官オーサ・ヴェスティンら男女数人を従えて現れたのは、午前九時過ぎのことだった。

 

「エリヤ君、苦労をかけたね」

 

 久しぶりに肉眼で見るトリューニヒトの笑顔は、春の日差しのように暖かかった。クリスチアン大佐は動画の中でトリューニヒトを「危険な勢力の利益代弁者」と言っていた。だが、実際に本人を目の当たりにすると、そんな懸念は吹き飛んでしまう。

 

「良くご無事でいらっしゃいました」

 

 喜びで震えそうになる声を懸命に抑えながら、背筋を伸ばして敬礼をする。

 

「こちらの地球教徒の人達に匿ってもらってね。彼らの地下教会にこもって、軍国主義者と戦っていた。一刻も早く市民軍と合流したかったけど、警戒が厳しくてね。ようやく出てこれたってわけさ」

 

 トリューニヒトは随行した男女を俺に紹介した。よく見ると、ヴェスティン以外の随員はみんな地球をあしらった首飾りを着けている。地球教徒が祈りに用いる聖具だ。地球教は救国統一戦線評議会に活動停止を命じられた組織の一つ。反クーデターの戦いに協力するのは、自然な成り行きであろう。

 

「市民軍の戦いをご存知でしたか」

「知っているとも。良くやってくれた」

 

 その言葉と笑顔だけですべてが報われたような気がした。やはり、この人は良い人だ。凡人に甘いせいで狭量な者や悪事を働く者を集めてしまう悪癖があるが、その甘さゆえに俺もトリューニヒトの下でやっていけるのだ。

 

「そのお言葉が何よりの報酬です」

「ははは、気が早いね。まだ戦いは終わってはいないよ。幕引きが残っている」

 

 トリューニヒトは苦笑して、ヴェスティン秘書官の方を見た。秘書官がバッグから取り出した書類を受け取ったトリューニヒトは、素早くペンを動かしてサインをすると俺に手渡す。そして、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、書類の内容を読み上げた。

 

「首都防衛司令官代理エリヤ・フィリップス少将に統合作戦本部長代理・宇宙艦隊司令長官代理・地上軍総監代理を命ず 最高評議会議長・国防委員長代理ヨブ・トリューニヒト」

 

 統合作戦本部長代理と宇宙艦隊司令長官代理と地上軍総監代理を兼ねる。つまり、同盟軍三五〇〇万の指揮権をこの俺が預かるということだ。二世紀に及ぶ同盟軍史上でも、こんな巨大な指揮権を手中にした者は一人としていない。トリューニヒトが思いつきで適当な事を言う人なのは良く知っているが、それでも冗談が過ぎるというものであろう。

 

「ご冗談を」

「私は冗談が苦手でね」

「これが冗談でなければ、小官が一人で全軍を指揮することになりますが……?」

「そうとも。全軍を指揮下に収めて、反逆者を討伐するんだ。もちろん、あのイゼルローン方面軍も君の指揮下だ」

 

 途方も無い指揮権に目が眩んでしまった。だが、命じられたからには、全力を尽くさなければならない。

 

「謹んで引き受けます!」

 

 勢い良く敬礼をする。トリューニヒトは嬉しそうに目を細めた。

 

「さあ、私を放送設備のある場所に案内してくれ。私が無事なことを全市民に知らせて、安心させなければいけないからね」

「失礼いたしました!これよりご案内いたします!」

 

 早速トリューニヒトをボーナムテレビネットワークの中継車まで連れて行った。最高評議会議長の来訪に仰天した報道部長は、みっともないぐらいに興奮してスタッフを叱り飛ばしながら放送を準備した。カメラが向けられると、トリューニヒトは一瞬にして気さくな雰囲気から、指導者らしい威厳のある雰囲気に切り替わる。

 

「市民の皆さん。私ヨブ・トリューニヒトは皆さんの愛国心と献身のおかげで、ようやく職務に復帰いたしました。最高評議会議長として、皆さんが私に期待される役割、すなわち自由と民主主義を守るための役割を遂行いたします。救国統一戦線評議会に与する全ての同盟軍部隊及び行政組織に対し、最高評議会の統制に服するように命令します。同盟憲章体制を支持する全ての同盟軍部隊及び行政組織に、救国統一戦線評議会との戦いに立ち上がるように命令します。この命令の履行期限は、本日一三時とします。首都防衛司令官代理エリヤ・フィリップス少将に統合作戦本部長代理と宇宙艦隊司令長官代理と地上軍総監代理を兼任させ、救国統一戦線評議会討伐を命じます。全ての同盟軍部隊は、フィリップス少将の指揮下に入るように」

 

 トリューニヒトの復帰によって、勝敗は決した。正規の命令系統が復活した以上、救国軍事会議に加担する行為、誰にも従わずに日和見する行為は、国家に対する反逆も同然となる。中立を守っていた者は、先を争うように俺の指揮下に入った。救国統一戦線評議会側の部隊は、次々と降伏してきた。

 

 

 

 驚くべき速度で救国統一戦線評議会の勢力は縮小していった。一一時頃には評議員のランフランキ准将が師団長を務める第二二機甲師団、タムード准将が師団長を務める第一〇二歩兵師団、ヴィカンデル大佐が参謀長を務める第六四陸兵師団などの救国統一戦線評議会の中核部隊も投降した。評議員ベイ大佐は単身で俺のもとに出頭して投降した。

 

 正午には救国統一戦線評議会の支配領域は、政治中枢地区のキプリング街及び第一一艦隊の駐屯地のみとなった。キプリング街に立てこもる救国統一戦線評議会本隊三〇〇〇は、俺が指揮する地上部隊二〇万によって包囲された。第一一艦隊は戦隊単位で駐屯地に立て籠もって抵抗を続ける。

 

 一三時を過ぎると、救国統一戦線評議会はキプリング街すら維持できなくなった。救国統一戦線評議会幹部が立てこもる統合作戦本部ビルの周囲は空挺部隊四万に包囲され、上空は五〇〇機の戦闘ヘリ部隊によって封鎖された。勝利はほぼ確定している。問題は救国統一戦線評議会によって捕らえられたままの要人九四名の身柄であった。敵が要人を人質にして交渉を求めてきたら、少々厄介なことになる。念のために第八強襲空挺部隊を待機させているが、できれば自主的に降伏して欲しかった。

 

 降伏を呼びかけようと考えた俺は、救国統一戦線評議会に通信を申し入れた。すぐに回線が繋がって、スクリーンに評議会議長グリーンヒル大将の端整な顔が現れる。最後に出会ってから八日しか経っていないのに、随分と老けたように見えた。

 

「フィリップス少将、君の言いたいことはわかっている。これ以上の抵抗は無益なだけでなく、国家と国民の再統合に害をもたらす。せめて潔く幕を引くつもりだ」

「ありがとうございます」

 

 先に降伏を申し出てくれたことに、心から感謝した。個人的には好きになれない人だったが、それでもやはり大物だった。

 

「君にはやられたよ。高く評価していたつもりだったが、ここまでとは思わなかった」

 

 グリーンヒル大将の声からは、ひとかけらのわだかまりも感じられない。

 

「我々の目的は腐敗した民主政治を浄化し、この国を守ることにあった。民主主義の名のもとに横行する衆愚政治。自浄能力を欠いた権力者。欲望に駆られた者が繰り広げる万人の万人に対する戦い。アーレ・ハイネセンの精神は失われた。こんな社会に対して、君はなにか思うところはなかったのか?」

「無いといえば嘘になります」

「政治が絡めば、最適解を選べなくなる。腐敗した権力者は政治的駆け引きで生き残る。軍事戦略は軍事的合理性ではなく、市民感情や予算に左右される。合法的な手続きが非合理な結果を生む。君もそれはわかっているはずだ」

「わかっています。去年の帝国領遠征はそんな戦争でした」

「ならば、我々と手を取り合えたのではないか。あの戦いで君と同じ物を見たヤオ中将は、我々の同志になってくれた。君がそうならなかったのは残念だ」

 

 心底から残念そうに、グリーンヒル大将は言った。俺は心の中で首を横に振る。

 

 俺が理性で生きる人間なら、グリーンヒル大将と手を取り合う可能性もあった。彼の言うことは合理的で説得力がある。しかし、感情の問題で無理だった。俺はヤオ中将のように、大義のために感情を忘れるようなことはできない人間だ。あえて言うならば、グリーンヒル大将は遠くを見すぎていて、目先しか見えない俺とは心の距離が遠すぎたのだ。

 

「駆け引きを誤って敗れてしまったが、我々の目指すところは決して間違ってはいなかった。いつか理解してもらえる日が来る。そう信じているよ」

 

 グリーンヒル大将はこれ以上ないぐらい爽やかに笑う。トリューニヒトの笑顔を太陽とすれば、彼の笑顔は涼風であった。

 

 一三時三九分、救国統一戦線評議会議長グリーンヒル大将は、評議会の解散と降伏を決定。捕らえていた要人を全員解放した。グリーンヒル大将、副議長ブロンズ中将、副議長ヤオ中将、評議員コースラー少将、評議員ヤノフスカヤ少将は、俺のもとに出頭して投降。評議員パリー少将、事務局長エベンス大佐は自決。救国統一戦線評議会は五日目にして潰えた。

 

 だが、評議会が解散しても戦いは終わらなかった。副議長ルグランジュ中将率いる第一一艦隊が各地の駐屯地に立て籠もって抵抗を続けているのだ。包囲を続ければ、いずれは物資が尽きて降伏するはずだ。問題は衛星軌道上に展開する第一分艦隊の存在である。この部隊が上空から睨みを効かせている間は、いかなる宇宙船も宇宙空間に出られない。

 

 一五時一六分、俺は四〇万の兵を率いて第一一艦隊司令部直轄部隊駐屯地を取り囲んだ。中にはルグランジュ中将が自ら直轄部隊の将兵二〇万を率いて立てこもっていた。

 

「ルグランジュ提督。救国統一戦線評議会は解散しました。もはや、これ以上抵抗しても将兵を苦しめるだけです。降伏していただけませんでしょうか」

 

 元上官で個人的にも親交があったルグランジュ中将に降伏を勧めるなど、嫌な役回りだった。しかし、同盟軍総司令官ともいうべき立場の俺には、このクーデターの幕引きをする責任がある。避けて通るわけには行かなかった。

 

「それはできんなあ。家を出る時に妻に『男がやると決めたら、とことんやれ』と言われてな。それに部下もまだやりたいと言っている」

 

 ルグランジュ中将は吹っ切れたような笑いを浮かべて、降伏勧告を拒否。他の駐屯地に立てこもる第一一艦隊所属の分艦隊や戦隊も降伏を拒否した。

 

 四〇〇万近い大軍をもってハイネセンポリス内外に分散している第一一艦隊の駐屯地を包囲した俺は、兵糧攻めをしつつ第一一艦隊首脳陣と交渉を重ねた。敵は完全に意地だけで戦っている。しかも、上は提督から下は兵卒までがその意地を共有している。話し合いを大事にして末端にまで参加意識を持たせるルグランジュ中将の統率スタイルの精華であった。

 

「惜しいですね」

 

 日付が一八日に変わって間もない頃、四度目の交渉の席で俺はため息まじりに言った。

 

「何がだ?」

「いえ、この艦隊がルグランジュ提督の指揮で帝国と戦ったら、どれほど活躍したことかと。そんなことを思ってしまいました」

「はっはっは、そう言ってもらえると嬉しいな。この私が丹精込めて育てた精鋭だ。正面からやりあえば、ローエングラム公にも引けを取らんと自負しているぞ」

 

 ルグランジュ中将は分厚い胸をドンと叩いて大笑いした。この名将がこの艦隊を率いて帝国と戦う機会が永久に訪れないことを思うと、胸が締め付けられるような気持ちになった。

 

「なにを暗い顔をしているのだ?私は負けて貴官は勝った。それなのに私が笑って、貴官が落ち込んでいては、どちらが勝ったか分からんではないか」

 

 紅茶を麦茶のようにがぶがぶ飲みながら、ルグランジュ中将はさらに笑う。周囲にいる第一一艦隊の参謀らもつられて笑う。死刑か自決以外の道が残されていないというのに、なぜこんなに明るくいられるのか。俺には理解できない。

 

「勝負では俺が勝ちました。しかし、指揮官としては負けたような気がしますよ」

「貴官も良くやったではないか」

「いえ、今の状況でこれだけの明るさを保つのは、俺には無理です」

「そこは認めてくれるわけか」

 

 ルグランジュ中将の笑いが大きくなるのに比例して、俺の気持ちは落ち込んでいく。最後の灯火のように感じるのだ。俺と同行してきた参謀や国防委員も同じように感じているらしく、葬式帰りみたいな顔をしていた。

 

「どうだね、私の艦隊は?いい艦隊だと思わんか?」

「思います」

「少しでも長くこいつらの司令官をやっていたかった。だから、死ぬしか無いと分かっていても、引き延ばしてしまった。だが、これ以上は未練が残る。もう終わりにしよう。貴官には迷惑をかけた」

 

 ルグランジュ中将の顔がふっと優しくなった。死ぬつもりなのは、薄々分かっていた。だが、言葉に出されると重みをもってのしかかってくる。

 

「迷惑とは思いません。お気持ちは良くわかります」

「指揮してみるか?」

「どういうことです?」

「この艦隊が帝国と戦ったら、どれほど活躍するかと貴官は言ったではないか。私はもう指揮できんから、代わりに貴官が指揮してみろ」

 

 ルグランジュ中将が第一一艦隊に込めた愛情、そして第一一艦隊を率いて帝国と戦えなかった無念を伝わってきて、胸が詰まる思いがした。涙が出ないのが不思議なぐらいだ。これほど重い頼みを断るなんて、俺にはできなかった。

 

「わかりました。いつの日か、この艦隊を率いて帝国と戦いましょう」

「ちゃんと用兵の腕を磨いておけよ。貴官の統率と管理はなかなかのものだが、用兵は今一つだからな」

「はい」

「そんな暗い顔をするな。貴官の取り柄は脳天気だ。笑え」

「はい」

 

 無理に笑顔を作る。

 

「それでよし!」

 

 勢い良くルグランジュ中将は立ち上がった。

 

「第一一艦隊は本刻をもって、宇宙艦隊司令長官代理フィリップス少将の指揮下に入る!」

 

 四月一八日〇時四四分、第一一艦隊が降伏。その二時間後、司令官ルグランジュ中将は、副司令官ストークス少将、参謀長エーリン少将、副参謀長クィルター准将ら主だった部下とともに自決。救国統一戦線評議会の勢力は完全に消滅し、ハイネセン四月クーデターは六日で終結した。



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第十四章:改革者トリューニヒト
第十四章開始時の人物


主人公

エリヤ・フィリップス 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。首都防衛司令官代理。第三巡視艦隊司令官。統合作戦本部長・宇宙艦隊司令長官・地上軍総監の三職の臨時代理。国防委員長ヨブ・トリューニヒトのお気に入り。クーデター発生後にハイネセンポリスを脱出。市民軍と呼ばれる勢力を結集して数々の危機を乗り越える。六日目にして救国統一戦線評議会のクーデターを鎮圧した。真面目で小心。童顔で小柄。努力家。適応力が高い。対人関係の配慮に長ける。法律知識が豊富。部隊運営能力が高い。運用能力はそこそこ。用兵は下手。演説がうまい。甘党。大食い。爽やかな容姿。

 

首都防衛軍司令部関係者

チュン・ウー・チェン 35歳 男性 原作人物

同盟軍准将。第三巡視艦隊参謀長。首都防衛軍参謀長代理。第三巡視艦隊参謀長代理。分析力と洞察力に優れたプロの参謀。作戦、情報、後方、人事を満遍なく経験。政治にも視野が及ぶ戦略家。エリヤの代わりに第三巡視艦隊を統率しつつ、知恵袋として救国統一戦線評議会打倒に貢献。超マイペースで他人の視線をまったく気にしない。いつもパンを食べている。おっとりした容姿。どんな時も緊張感皆無で軍人らしくない。身なりに無頓着。ハイネセン主義の理想を信奉する。前の歴史ではビュコックを補佐してラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ハンス・ベッカー 32歳 男性

同盟軍大佐。亡命者。第三巡視艦隊情報部長。首都防衛軍情報部長代理。参謀チームのムードメーカー。エリヤとともにハイネセンポリスを脱出。エリヤの傍らにあって、市民軍の参謀長格として活躍。主に指揮通信や情報面を担当した。帝国軍の内情に詳しい。社交性に富む。リーダーシップがある。垂れ目。背が高い。遠慮なく物を言うお調子者。

 

セルゲイ・ニコルスキー 37歳 男性 原作人物

同盟軍大佐。第三巡視艦隊副参謀長。首都防衛軍副参謀長代理。管理業務全般を担当する重鎮。首都防衛軍司令部の留守を守ったが、救国統一戦線評議会の攻撃を受けて捕虜となった。公正な堅物。リーダーシップがある。長身で逞しい肉体の持ち主。前の歴史では帝国領遠征でスコット提督率いる輸送艦隊の参謀を務める。キルヒアイスの襲撃を受けて戦死。

 

クリス・ニールセン 26歳 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊作戦部長。首都防衛軍作戦部長代理。参謀チームで最も若い部長。エリヤの傍らにあって、市民軍の副参謀長格として活躍。主に作戦面を担当した。有能な参謀だが政治面への配慮に欠ける。純朴で生真面目。少食。

 

シェリル・コレット 24歳 女性 オリジナル人物

同盟軍少佐。第三巡視艦隊作戦参謀。首都防衛軍作戦参謀兼務。第二義勇師団参謀長。エル・ファシルにおいて逃亡したアーサー・リンチの娘。救国統一戦線評議会との戦いに参加。ハイネセンポリスの決戦では、第二義勇師団を率いて活躍。士官学校の成績が悪く陸戦専修科出身。頭の回転が速い。積極性、柔軟性、分析力が抜群に高く戦術向き。引き締まった長身。感情表現が豊か。トレーニング好き。

 

エドモンド・メッサースミス 25歳 男性 原作人物

同盟軍少佐。第三巡視艦隊後方参謀。首都防衛軍作戦参謀兼務。首都圏義勇軍兵站司令官。救国統一戦線評議会との戦いに参加。ハイネセンポリスの決戦では、補給線を守りぬいた。グリーンヒルに目をかけられた戦略研究科出身の秀才。真面目で努力家。社交性がある。臨機応変さに欠ける。前の歴史では査問を受けているヤン・ウェンリーの救出に奔走していたフレデリカ・グリーンヒルを宇宙艦隊司令長官ビュコック大将に取り次いだ。

 

ユリエ・ハラボフ 26歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大尉。第三巡視艦隊司令官副官。首都防衛軍司令官代理副官兼務。士官学校上位卒業のエリート。救国統一戦線評議会との戦いでは、エリヤを副官として良く支えた。エリヤに対する態度がどんどん冷たくなっている。無表情。生真面目。繊細。すっきりした美人。無駄のない身のこなし。仕事は丁寧で細かく、情報に適正がある。法律知識が豊富。徒手格闘の達人。

 

リリヤナ・ファドリン 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊人事部長。首都防衛軍人事部長代理。ニコルスキー大佐の推薦によって起用された旧第三六戦隊の人事参謀。首都防衛軍司令部の留守を守る。オーソドックスな部隊運用をする。純朴で生真面目。

 

オディロン・パレ 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍中佐。第三巡視艦隊後方部長。首都防衛軍後方部長代理。第二分艦隊司令部の生き残り。切れ者ではないが温和な人物。首都防衛軍司令部の留守を守る。

 

市民軍関係者

アルマ・フィリップス 24歳 女性 オリジナル人物

エリヤの妹。同盟軍中尉。第八強襲空挺連隊所属。救国統一戦線評議会との戦いでは、エリヤの警護を担当。身を挺して兄を守りぬいた。陸戦専科学校卒業後、わずか五年で中尉の階級を得た優秀な陸戦部隊のエリート。端整な童顔。引き締まった長身。生真面目。素直。思い込みが激しい。異常に前向き。食いしん坊。前の人生では逃亡者になったエリヤに最も冷たかった。醜く太っていて、今とは全く異なる容貌だった。

 

サンドル・アラルコン 50代前半 男性 原作人物

同盟軍少将。第二巡視艦隊司令官。国家救済戦線派代表世話人の一人。クーデターが起きると真っ先にエリヤを支持。実戦部隊の重鎮として活躍し、ハイネセンポリスへの一番乗りを果たした。非戦闘員殺害疑惑と過激思想で悪名高い人物。部隊運営や教育指導に長けており、社会問題への関心が深い。苛烈な戦闘精神を持つ。正直を好む。口がやたらと良く回る。マイペース。吊り目。原作では第八次イゼルローン攻防戦で敵を侮って深入りして戦死。

 

トマシュ・ファルスキー 50代後半 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一首都防衛軍団司令官。国家救済戦線派代表世話人の一人。クーデターが起きると真っ先にエリヤを支持。ボーナム総合防災公園防衛戦やハイネセンポリス進軍に大きく貢献した。戦術家としても管理者としても第一級の人物。好人物。

 

レオニード・ラプシン 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍予備役少佐。憂国騎士団行動部隊の大隊長。エリヤの元部下。ヴァンフリート四=二基地攻防戦で負傷して予備役に編入された後、憂国騎士団に入る。救国統一戦線評議会の追跡を逃れて逃亡。逃げ延びた部下を集めて、ハイネセンポリスの決戦直前に市民軍に参加。

 

エリオット・カプラン 29歳 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。旧第三六戦隊人事参謀。第六二戦隊所属の駆逐艦艦長。トリューニヒト派幹部アンブローズ・カプランの甥。エリヤに無能を嫌われて転出させられた。ハイネセンポリスの決戦の最中にアシュールとともに決起して、救国統一戦線評議会に味方する第六二戦隊司令部を占拠。妙な愛嬌があり、無能なわりには嫌われていない。お調子者だが気が小さい微妙な性格。空気を読まない。プロスポーツとテレビ番組と女性と週刊漫画にしか興味が無い。元ベースボール部のエース。

 

ハムディ・アシュール 30代 男性 原作人物

同盟軍少佐。第六二戦隊所属。ハイネセンポリスの決戦の最中にカプランとともに決起して、救国統一戦線評議会に味方する第六二戦隊司令部を占拠。精悍な顔に美しい髭を生やしている。指導者らしい貫禄がある。前の歴史ではヤン・ウェンリー不正規軍の幹部。

 

報道部長 40代 男性 オリジナル人物

ローカル局ボーナムテレビネットワークの報道部長。市民軍を密着取材する。二流以下のジャーナリスト。軽率で欲深い俗物。

 

ファビオ・マスカーニ 40代 男性 原作人物

同盟軍准将。第六五戦隊司令官。エリヤを真っ先に指示した人物の一人。統率力がある。前の歴史では解体しようとしていた軍艦をメルカッツに奪われる。

 

エイロン・ドゥメック 50代 男性 原作人物

代議員。国民平和会議所属。トリューニヒトのブレーンの一人。市民軍では大衆向けの宣伝に従事した。作家から政治評論家に転身し、大衆向けの政治バラエティで活躍。知名度を評価されて代議員となる。一見紳士風だが人間が小さい。メディア慣れしていて、見せ方を良く知っている。前の歴史ではクーデター鎮圧式典の司会者を務める。

 

ビジアス・アドーラ 40代 男性 原作人物

首都政庁参事官。危機管理の専門家。市民軍ではオブザーバーとして会議に参加。政治的な検知からの意見を述べる。前の歴史では同盟滅亡後にラインハルトへの忠誠宣誓を拒否した。

 

救国統一戦線評議会関係者

ドワイト・グリーンヒル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。国防委員会査閲部長。救国統一戦線評議会議長。同盟の滅亡を予見し、防衛体制を作り上げるためにクーデターを起こした。ハイネセンポリスの決戦後、潔く敗北を認めて評議会を解散。部下とともに投降。あらゆる派閥に顔が利く社交の達人。軍部の安全装置と言われる良識の人だが、権謀術数にも長ける。凡人には計り知れない度量と視野を持つ大人物。他人の才能を愛し、多くの人材を引き立てた。エリヤを高く評価している。好感を与える容姿と表情。ダンディな紳士。前の歴史ではクーデターの首謀者となるが敗死した。

 

フィリップ・ルグランジュ 40代(故人) 男性 原作人物

同盟軍中将。第一一艦隊司令官。救国統一戦線評議会では副議長・宇宙艦隊司令長官代理・ハイネセン戒厳司令官。主力部隊を率いて最後まで抵抗した。エリヤの降伏勧告を受け入れた後に自決する。同盟軍では珍しい無派閥の将官。エリヤの元上官。全員で話し合いながら部隊を運営していくため、配下の結束力は高い。指揮官としても参謀としても有能だが、治安や政治には疎い。感情表現が素直で愛嬌に富む。物分かりが良く、冗談を好む。顔は強面。前の歴史では救国軍事会議のクーデターに参加して敗死。

 

エーベルト・クリスチアン 40代後半(生死不明) 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大佐。救国統一戦線評議会では評議員・人的資源委員長代理。軍事が政治に振り回されることへの苛立ちからクーデターに参加。救国統一戦線評議会の使者として市民軍に和平を打診。交渉決裂後、反戦市民連合のデモ鎮圧に出動した。配下の部隊が発砲したとされるが、詳細は不明。生死も不明。地上部隊で活躍した歴戦の勇士。エリヤを職業軍人の道に進ませた。根っからの軍人思考。無愛想。情に厚い。人相が悪い。前の歴史ではクーデターに参加して、スタジアムの虐殺事件を引き起こした。

 

マービン・ブロンズ 40代 男性 原作人物

同盟軍中将。国防委員会情報部長。救国統一戦線評議会では副議長・国防委員長代理。トリューニヒトの下で粛軍に手腕を振るった軍官僚だったが、クーデターに参加。情報部の工作員を使って、様々な妨害工作を仕掛けてきた。グリーンヒルらとともにエリヤに投降。監察畑出身。コンプライアンスを重んじる人物。原作では救国軍事会議のクーデターに加担。

 

コンスタント・パリー少将 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第五空挺軍団司令官。地上軍屈指の戦略家。救国統一戦線評議会では評議員・地上軍総監代理。トリューニヒトの有力な軍事ブレーンの一人だったが、クーデターに参加。救国統一戦線評議会の地上部隊総司令官としてエリヤを苦しめた。クーデター失敗を悟って自決。カミソリのような鋭気の持ち主。不敵な表情。鋼のような肉体。異様に用心深い。

 

ティム・エベンス 30代(故人) 男性 原作人物

同盟軍大佐。国防研究所上席研究官。救国統一戦線評議会では評議員・事務局長・経済開発委員長代理及び天然資源開発委員長代理。リベラルなウィンターズ主義派に属する研究者。戦略戦術にも通じている。理屈っぽくて退屈な話し方をする。

 

ヤオ・フアシン 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。元第一二艦隊副司令官。救国統一戦線評議会では副議長・法秩序委員長代理。リベラルな人物だったが、クーデターに参加。実戦派の提督。豪胆な人物。トリューニヒトを嫌っている。

 

ナイジェル・ベイ 30代 男性 原作人物

同盟軍大佐。救国統一戦線評議会では評議員・地上軍総監代理。トリューニヒト派の情報参謀だったが、クーデターに参加。ハイネセンポリスの決戦後に単身でエリヤに投降。上昇志向が強く性格がきつい。前の歴史ではトリューニヒトの腹心として数々の陰謀に関与。

 

市民軍以外の反クーデター派関係者

ジェシカ・エドワーズ 29歳(故人) 女性 原作人物

代議員。反戦市民連合議長。30万人のデモ隊をハイネセン中心部に集めて救国統一戦線評議会打倒を目指す。クリスチアン大佐率いる軍隊と衝突して死亡したとされるが、詳細は不明。火を吹くような弁舌と高いカリスマ性を持つ反戦派の新星。国防政策に強い。輝くような美貌。前の歴史では救国軍事クーデターのさなかにクリスチアン大佐によって殺害される

 

ヤン・ウェンリー 30歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。イゼルローン方面軍司令官。反トリューニヒト派。若き天才用兵家。人事マネージメント能力も抜群に高く、強力な参謀チームを率いる。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。クーデター直前にドーソンから地方反乱討伐を命じられる。救国統一戦線評議会のクーデターには参加しなかったが、不審な行動をとって市民軍の疑惑を招く。冷静沈着。無頓着。冴えない童顔。反権威主義者。他人の期待通りに振る舞うことを嫌う。前の歴史ではラインハルトを苦しめた用兵の天才。

 

アレックス・キャゼルヌ 36歳 男性 原作主要人物

同盟軍少将。イゼルローン要塞事務監。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷されたが、ヤンによってイゼルローン方面軍に呼ばれる。同盟軍最高の後方支援専門家。部下を動かすのがうまい。会議を通して自分の考えを徹底する。前の歴史ではヤン・ウェンリーの後方支援を担当した。

 

フョードル・パトリチェフ 30代半ば 男性 原作人物

同盟軍准将。イゼルローン要塞駐留艦隊副参謀長。エル・ファシル危機で活躍した。前の歴史ではヤン・ウェンリーの副参謀長。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ 33歳 男性 原作主要人物

同盟軍准将。亡命者。イゼルローン要塞防衛軍司令官代理。ローゼンリッターの前連隊長。イゼルローン要塞掌握に取り組んでいる。陸戦指揮、部隊運営に天才的な力量を示す。一人の戦士としても同盟軍最強。貴族的な風貌の美男子。優雅な物腰。言動と女性関係は奔放。大胆不敵で反骨精神旺盛。服従心、忠誠心とともに希薄。危険人物の中の危険人物。前の歴史ではヤン・ウェンリーの腹心として地上部隊を率いた。

 

カスパー・リンツ 27歳 男性 原作人物

同盟軍中佐。亡命者。最強の陸戦部隊ローゼンリッターの連隊長代理。エリヤの幹部候補生養成所時代の唯一の友人。脱色した麦わら色の髪の美男子。白兵戦技と射撃術の達人。絵と歌がうまい。前の歴史ではヤン・ウェンリーに従って、ローゼンリッター最後の連隊長を務めた。

 

ジェリコ・ブレツェリ 60歳 男性 原作人物

ダーシャ・ブレツェリの父親。同盟軍准将。モンテフィオーレ基地兵站集団司令官。フェザーン移民の子。下士官から叩き上げた後方支援のベテラン。救国統一戦線評議会の監視下にあったが、配下の後方支援部隊を密かにエリヤのもとに派遣。白髪混じりの短髪。目が細い。やせ細っていて貧相に見える。正直。情に厚い。子供思い。前の歴史ではラグナロック戦役に際してJL-77通信基地司令官代行を務めた。

 

アーロン・ビューフォート 48歳 男性 原作人物

同盟軍准将。マルーア星系管区警備司令官。航路保安のベテランで対海賊戦の経験が豊富。エリヤとはエル・ファシル脱出作戦以来の関係。明確に反救国統一戦線評議会の姿勢を打ち出す。下士官あがりの叩き上げ。管理能力に欠ける。実年齢より数年若く見える。気さくで懐の広い人物。沈着にして大胆。苦境でも軽口を叩ける。前の歴史ではラインハルトの親征軍をゲリラ戦で苦しめた。

ライオネル・モートン 46歳 男性 原作人物

同盟軍中将。元第九艦隊副司令官。異数の武勲を重ねて二等兵から提督まで叩き上げた。同盟軍で最も多くの勲章を持つ提督と言われる名将。不屈の戦闘精神の持ち主。休暇旅行先で反クーデターを表明。実年齢より数年老けて見える。無骨な人物。

 

個人的に親しい人

ダーシャ・ブレツェリ 27歳(故人) 女性 オリジナル人物

エリヤの恋人。同盟軍大佐。第十艦隊の分艦隊副参謀長。遠征終了後にエリヤと結婚する予定だったが、アムリッツァ会戦で負った傷が元で死亡した。士官学校を三位で卒業したエリート。反戦派寄りの思想を持つ。アルマの親友。同期のアッテンボローとは不仲。丸顔。目が大きい。胸が大きい。強引で後先を考えない。ストレートに好意を示す。性格が結構きつい。ファッションにうるさい。

 

イレーシュ・マーリア 34歳(行方不明) 女性 オリジナル人物

エリヤの恩師。同盟軍大佐。第三艦隊の分艦隊参謀長。士官学校卒の参謀。撤退戦の最中に行方不明となる。幹部候補生養成所を受験するエリヤの学力指導を担当し、努力の楽しさを教えた。教育指導能力に優れる。美人だが人相が悪い。180センチを越える長身。率直な物言いを好む。

 

トリューニヒト派関係者

ヨブ・トリューニヒト 42歳 男性 原作主要人物

トリューニヒト派領袖。エリヤの後ろ盾。最高評議会議長。国民平和会議代表。警察官僚出身の主戦派政治家。帝国領遠征が失敗に終わると、最高評議会議長に就任。クーデターが発生すると地球教の地下教会に隠れ、ハイネセンポリスの決戦が終わった後にエリヤのもとに現れた。エリヤに全軍の指揮権を与える。政治家を軽んじる旧シトレ派軍人を不快に思っている。凡人のための世界を作るという理想を持つ。人の心に入り込んでいく話術の持ち主。大衆扇動の達人。蕩けるような愛嬌。人懐っこい笑顔。行儀はあまり良くない。その場のノリで適当な事をポンポン言ってしまう。長身。俳優のような美男子。人間のエゴに肯定的。前の歴史では最高評議会議長を務める。ヤンウェンリーと対立し、保身の怪物と言われた。

 

クレメンス・ドーソン 46歳 男性 原作人物

エリヤの恩人。同盟軍大将。統合作戦本部統括担当次長。統合作戦本部長代行。クーデター鎮圧の総指揮にあたったが、救国統一戦線評議会に欺かれて捕虜となった。指揮官としても参謀としても優秀だが、独善的に過ぎるのが欠点。細かい口出しが多いため人望は薄い。政治的な策謀に長ける。神経質。几帳面。小心。小柄。感情に流されやすい。口髭が特徴的。前の歴史では政治家と結託して末期の同盟軍を牛耳った政治軍人。

 

スタンリー・ロックウェル 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。トリューニヒト派の実力者。元ロボス派。前の歴史では数々の政治的陰謀に関与し、最後はラインハルトの怒りを買って処刑される。

 

エリアス・フェーブロム 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第七歩兵軍団司令官。救国統一戦線評議会に欺かれて捕虜となった。トリューニヒトの忠臣もしくは忠犬と呼ばれる。治安戦のプロだが、度量が狭い。

 

ジェレミー・ウノ 30代 女性 原作人物

同盟軍大佐。トリューニヒト派の後方参謀。派閥意識が強い。前の歴史ではヤンの部下として帝国領遠征に参加。

 

ジャクリ 60代前半 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。トリューニヒト派の提督。部隊運営に熱心な人物。

 

ロザリンド・ヴァルケ 40歳前後 女性 オリジナル人物

同盟軍准将。弁護士資格を持つ法務のプロ。政治上の要請に応えて法解釈をする人物。優しげな風貌。礼儀正しい。

 

旧ロボス派関係者

アンドリュー・フォーク 27歳 男性 原作人物

エリヤの友人。同盟軍予備役准将。士官学校を首席で卒業したスーパーエリート。帝国領遠征の敗戦責任を押し付けられて、予備役に追いやられる。退院当日にエリヤを銃撃しようとして拘束された。現在はエリヤの保護下にある。文武両道の達人。社交性も高い。真面目。謙虚。神経質。長身。ハンサム。前の歴史では世紀の愚策とされる帝国領侵攻作戦を立案して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ラザール・ロボス 59歳 男性 原作人物

ロボス派領袖。同盟軍退役元帥。前宇宙艦隊司令長官。天才ラインハルトと互角に戦った超一流の用兵家。人心掌握や権謀術数にも長ける。帝国領遠征失敗の責任を取って引退。病気治療を名目に責任を逃れる。豪放。肥満。将帥の風格がある。前の歴史では帝国領遠征で大敗を喫して、同盟軍主力を壊滅させた。

 

ウィレム・ホーランド 34歳 男性 原作人物

同盟軍少将。第三艦隊の分艦隊司令官。大胆で機動的な用兵を得意とする名将。功を焦って忌避を買い、閑職に回される。帝国領遠征で味方の撤退を援護している最中に捕虜となったが、捕虜交換で帰国。再起不能の重傷を負って予備役に編入。天性のリーダー。大言壮語癖があり、自己顕示欲が強い。イレーシュとは士官学校の同期だが、仲は悪い。プロスポーツ選手のような逞しい長身。前の歴史では第三次ティアマト会戦で功を焦って突出しすぎて、ラインハルトに討たれた。

 

シャルル・ルフェーブル 69歳 男性 原作人物

同盟軍大将。辺境総軍司令官。士官学校を出てから半世紀近く艦隊勤務を続ける生粋の軍艦乗り。重厚で隙のない用兵をする名将。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。シャンプールの反乱軍に捕らえられる。飄々とした老人。ロボス暗殺未遂関与疑惑がある。前の歴史では帝国領遠征で戦死。

 

カーポ・ビロライネン 36歳 男性 原作人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。優秀な参謀。帝国領遠征失敗の責任を問われて左遷。前の歴史では帝国領遠征軍の情報主任参謀。

 

イヴァン・ブラツキー 50代 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。ロボスの腹心。アムリッツア会戦で第一二艦隊を使い潰そうとした。用兵家としては凡庸だが、粘り強さと運用能力に優れる。凡人が努力で到達しうる最高峰レベルの指揮をする。

 

アナスタシヤ・カウナ 20代 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。元後方支援集団参謀。アムリッツァ会戦において総司令部から第三六戦隊に派遣された監視役。

 

ポルフィリオ・ルイス 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍中将。第一〇方面管区司令官。アスターテやアムリッツァで活躍した有能な指揮官。グリーンヒルの軍事面での知恵袋だった。目的のために手段を選ばないために嫌われている。現在はグリーンヒルがクーデターに加担したという噂を流布している。ヤンの士官学校時代の教官。

 

旧シトレ派関係者

シドニー・シトレ 60歳 男性 原作人物

シトレ派領袖。同盟軍退役元帥。前統合作戦本部長。軍部反戦派の大物。財務委員長ジョアン・レベロの盟友。清廉で厳格。帝国領遠征に反対したが、引退に追いやられた。長身の黒人。前の歴史ではイゼルローン要塞攻略を実現したが、ロボスの帝国領侵攻失敗に巻き込まれて引退を余儀なくされた。

 

アレクサンドル・ビュコック 71歳 男性 原作主要人物

同盟軍大将。宇宙艦隊司令長官。反トリューニヒト派。兵卒から半世紀以上かけて宇宙艦隊司令長官まで上り詰めた伝説の人。巧みな砲術指揮と粘り強さに定評がある。アムリッツァ会戦で活躍した三提督の一人。救国統一戦線評議会に捕らえられた。反骨精神が強い。前の歴史ではチュン・ウー・チェンとともにラインハルトと激戦を展開。マル・アデッタで壮烈な戦死を遂げる。

 

ウラディミール・ボロディン 40代(故人) 男性 原作人物

同盟軍中将。第一二艦隊司令官。帝国領遠征において、部下を救うべく独断での退却を決断した。撤退戦の際に後続を断つために踏みとどまる。奮戦の末に自決。ノーブレス・オブリージュを体現した名将の中の名将。紳士的な風貌。正統派の用兵家。前の歴史では帝国領遠征で奮戦の末に戦死した闘将。

 

アーイシャー・シャルマ少将 60代(故人) 女性 オリジナル人物

同盟軍少将。第一二艦隊後方支援集団司令官。飄々とした人物。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ネイサン・クブルスリー 50代 男性 原作人物

同盟軍大将。統合作戦本部長。宙陸統合作戦に長けた指揮官。ノブレス・オブリージュの意識が強い。帝国領遠征の戦犯を擁護してトリューニヒトと対立。元部下のセリオ大佐に銃撃されて重傷を負って休養中。前の歴史では同盟末期の統合作戦本部長。トリューニヒト派との確執に嫌気が差して引退。

 

政界関係者

ジョアン・レベロ 62歳 男性 原作人物

最高評議会副議長・財務委員長。経済学者出身の反戦派指導者。進歩党の重鎮。緊縮財政を主導し、聖域だった国防予算の削減に踏み切る。シトレ派と親密な関係にある。クーデターが発生すると捕虜となる。前の歴史では自由惑星同盟最後の最高評議会議長。破滅を回避しようとしたが、ヤン・ウェンリーを陥れようとして晩節を汚した。

 

マルタン・ラロシュ 50代 男性 オリジナル人物

極右勢力指導者。統一正義党代表。過激な言動で人気を集める反民主主義者。国民平和会議に支持層を奪われて、総選挙で大敗した。国家救済戦線派に理論面で絶大な影響を与える。

 

ロイヤル・サンフォード 70代 男性 原作人物

最高評議会議長。主戦派指導者。改革市民同盟代表。閣僚経験、党務経験ともに豊富。調整能力に長けているが、リーダーシップには欠ける。帝国領遠征の責任を取って辞任。総選挙に出馬せずに政界から引退した。前の歴史では選挙のために無用の出兵をして、国家に大損害を与えた。

 

ルチオ・アルバネーゼ 70代 男性 オリジナル人物

同盟軍退役大将。最高評議会安全保障諮問会議委員。軍情報部の実質的な支配者。同盟軍内部に巣食っていた麻薬組織の創設者。麻薬取引によって得た汚れた金と帝国情報を使って、政界のフィクサーにのし上がった。帝国領遠征後も安全保障諮問会議委員に留まる。信義に厚く、部下や協力者は決して見捨てない。

 

マルコ・ネグロポンティ 40代後半 男性 原作人物

国防委員長。トリューニヒト派政治家。トリューニヒトが最も信頼する腹心。ドーソンとともにエリヤに国家救済戦線派監視を命じる。前の歴史ではヤンを査問会に掛けた責任を問われて失脚。

 

ハリス・マシューソン 60代後半 男性 原作人物

同盟軍退役准将。国防副委員長。トリューニヒト派政治家。地方部隊司令官を歴任し、タナトス星系警備管区司令官を務めた。狭量な人物。能力もさほど高くない。前の歴史では赴任の挨拶をしなかったヤンに不快感を感じた。

 

旧第三六戦隊関係者

リリー・レトガー 39歳 女性 オリジナル人物

同盟軍大佐。旧第三六戦隊後方部長。ドーソンの子飼い。統合作戦本部入りしてエリヤの元を離れた。円満な人柄で協調性に富む。さほどやり手ではないが、調整能力が高い。緊張感のない話し方をする。

 

アルタ・リンドヴァル 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍医中佐 旧第三六戦隊衛生部長。精神科医。メンタルケアの指導にあたる。

 

エドガー・クレッソン 50代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少将。第二分艦隊司令官。エリヤの上官。長く苦しい撤退戦を闘いぬいた。優れた戦術指揮官。アムリッツァ会戦で戦死。

 

ジャン=ジャック・ジェリコー 40代(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍准将。第二分艦隊参謀長。第二分艦隊と第三六戦隊の連絡役。味方の思惑に翻弄される自分の立場に絶望。アムリッツァ会戦終盤に沈みゆく旗艦に留まって死亡した。気が弱い。

 

その他個人的な関係者

グレドウィン・スコット 40代後半 男性 原作人物

同盟軍准将。第二輸送業務集団司令官。軍事輸送のプロ。三次元チェス狂い。物凄く大人げない性格。前の歴史では帝国領遠征の際に輸送部隊を率いたが、キルヒアイスに奇襲されて戦死。

 

バラット 30代 男性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。クリスチアン大佐の元部下。幹部候補生養成所を受験するエリヤの体育指導を担当した。単純。面倒見が良い。

 

ガウリ 30代 女性 オリジナル人物

同盟軍軍曹。軍所属のスタイリスト。エリヤの個人的な友人の一人。

 

ルシエンデス 40代 男性 オリジナル人物

同盟軍曹長。軍所属のカメラマン。エリヤの個人的な友人の一人。

 

マティアス・フォン・ファルストロング 70代 男性 オリジナル人物

亡命者。門閥貴族の名門ファルストロング伯爵家の二二代当主。帝国の元フェザーン駐在高等弁務官。政争に敗れて同盟に亡命してきた。匂い立つような気品を全身にまとった銀髪の老紳士。神経が凄まじく太い。どぎつい冗談を好む。逆境も楽しめる楽天家。

 

ヴァンフリート四=二関係者

シンクレア・セレブレッゼ 51歳 男性 原作人物

同盟軍大将。後方支援集団司令官。同盟軍最高の後方支援司令官。辺境に左遷されていたが、捕虜交換に際して中央に呼び戻される。400万人の捕虜を迅速に輸送した功績で大将に昇進。再起を果たす。パワフルだが逆境に弱い。前の歴史では帝国軍の捕虜となった。

 

エイプリル・ラッカム 51歳 女性 オリジナル人物

同盟軍元少将。グロースママの異名で知られる麻薬組織の最高指導者。軍の後方支援システムを私物化して、麻薬密輸に悪用した。帝国軍と同盟軍を操ってヴァンフリート四=二基地の戦闘を引き起こし、混乱の中で逃亡に成功。現在は行方不明。小太りで人の良さそうなおばさん。ユーモアに富む。

 

ファヒーム 50代後半(故人) 男性 オリジナル人物

同盟軍少佐。ヴァンフリート四=二基地憲兵隊副隊長。エリヤと対立しがちなベテラン憲兵。ヴァンフリート四=二基地司令部ビル防衛戦で身を挺してエリヤを救い、壮烈な戦死を遂げる。

 

ループレヒト・レーヴェ 30前後? 男性

帝国軍の憲兵。帝国のある重要人物の使者としてフェザーンに派遣され、エリヤにヴァンフリート四=二事件の真相を伝える。誠実で公正。正義感が強い。鋼のような自制心を持つ。法曹関係者っぽい容姿。

 

義勇旅団関係者

マリエット・ブーブリル 38歳 女性 オリジナル人物

エル・ファシル義勇旅団の副旅団長に登用された元従軍看護師。上品そうな美人。刺のある性格。トラブルメーカー。外面がとても良い。

 

エリヤの家族

ロニー・フィリップス 53歳 男性 オリジナル人物

エリヤの父。警察官。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

サビナ・フィリップス 52歳 男性 オリジナル人物

エリヤの母。看護師。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。

 

ニコール・フィリップス 31歳 女性 オリジナル人物

エリヤの姉。前の人生では逃亡者になったエリヤに冷たくあたった。



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第百二十三話:一瞬の高揚、押し寄せる書類、歩き出すイメージ 宇宙暦797年4月18日~6月22日 グエン・キム・ホア広場~首都防衛軍司令部

 四月一八日正午、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、グエン・キム・ホア広場に集まった市民三〇万人の前でクーデターに対する勝利を宣言した。

 

「親愛なる市民の皆さん。本日四月一八日、皆さんは専制者に対して偉大なる勝利を収めました。今や専制の暗闇は打ち払われ、自由の光が再びこの国を照らしたのです。正義!団結!信念!忠誠!献身!勇気!尊厳!人間が持ちえるあらゆる美徳がこの六日間で示されました。皆さんはアーレ・ハイネセンの長征に始まる自由惑星同盟の偉大な戦いの歴史に最も素晴らしい一ページを残したのです。私、ヨブ・トリューニヒトは真の民主主義者であり、真の愛国者である皆さんと共にこの六日間を戦い抜いたことを誇りに思います。自由万歳!民主主義万歳!自由惑星同盟万歳!」

 

 トリューニヒトが拳を振り上げて叫ぶと、群衆は何かに導かれたように立ち上がった。貴賓席に座っていた俺も立ち上がる。強烈な熱気が広場全体に広がった。

 

「自由万歳!」

「民主主義万歳!

「自由惑星同盟万歳!」

 

 広場にいる者すべてが拳を振り上げて、腹の底から声を振り絞って万歳を叫んだ。高揚感が広場を満たす。

 

 熱狂の頂点に達した会場の中に自由惑星同盟国歌「自由の旗、自由の民」のメロディが流れだすと、さらに群衆の興奮は高まる。

 

「友よ、いつの日か、圧制者を打倒し

 解放された惑星の上に

 自由の旗をたてよう」

 

 三〇万人が一斉に国歌を唱和する。歌声が大きなうねりとなり、すべての者の心が一つになる。

「とーもよー、いーつのひかー、あっせーいしゃーをだとうしー

 かーいーほうーされたーほーしのうーえにー

 じーゆうーのはーたーをたーてよーうー」

 

 俺は調子っぱずれの声を張り上げて、トリューニヒトの朗々とした美声に合わせるように歌う。胸の中に熱いものがじわじわと広がっていく。

 

「わーれらー、いーまーをたーたかーうー、かーがやーくみーらいーのたーめーに

 わーれらー、きょーうーたーたかーうー、みーのーりあーるーあーしーたーのたーめーに

 とーもーよー、うーたおーうー、じーゆうーのたーましーいーをー

 とーもーよー、しーめそーうー、じーゆうーのたーましーいーをー

 

 もはや、俺はメロディーに合わせて歌詞を叫んでいるだけであった。胸の中が熱いものでいっぱいになり、感動で心が震えだす。ボーナム総合防災公園での国歌斉唱とは、また違った感動だ。この場に居合わせた自分は本当に幸せ者だ。そんなことを考える。

 

「おーおー、わーれらーがじーゆうーのたーみー

 わーれらーえーいきゅーうーにせーいふーくさーれずー」

 

 国歌を歌い終えた瞬間、空気が弾けた。その次の瞬間、津波のような拍手、爆音のような歓声が広大なグエン・キム・ホア広場全体を満たした。

 

「自由万歳!」

「民主主義万歳!

「自由惑星同盟万歳!」

「ヨブ・トリューニヒト万歳!」

 

 三〇万人が万歳を叫ぶ。中には感極まって涙を流す者もいた。この高揚、この一体感こそが求めていた物のように思えた。無我夢中で万歳を叫びながら、自分がこの三〇万人の中の一人であることを誇りに思った。

 

「エリヤ君」

 

 その声に振り向くと、暖かい微笑を浮かべたトリューニヒトが立っていた。いつの間に演壇から降りてきたのだろうか。

 

「これが君の成し遂げたことだ。みんな、君を待っている。来たまえ」

 

 トリューニヒトは熱狂する群衆のいる方向に軽く顔を向ける。そして、俺の手を引いて演壇へと引っ張っていく。

 

「皆さん!英雄エリヤ・フィリップス君に拍手を!」

 

 トリューニヒトが俺の手を握って高々と掲げると、拍手が大津波となって俺のもとに押し寄せてきた。

 

「エリヤ・フィリップス提督万歳!」

 

 グエン・キム・ホア広場にいる三〇万人が全員俺の名前を叫ぶ。緊張のあまり心臓の鼓動が早くなり、腹が痛み出す。どこまでも俺は小心者だった。必死で笑顔を作って手を振りながら、エル・ファシル脱出作戦の時とは比べ物にならない大フィーバーに戸惑いを感じる。

 

 急に自分があの三〇万人から引き離されたような気がして寂しくなった。群衆の一人として万歳を叫び、手が痛くなるぐらい拍手をしたかった。高揚の中に身を浸し、一体感を味わいたかった。いつも群衆の歓呼を浴びる側にいる者は、どうやってこの孤独と戦っているのだろうか。群衆に向かって手を振るトリューニヒトの笑顔を眺めながら、そんなことを思った。

 

 

 

 これが物語であれば、トリューニヒトの勝利宣言に続く高揚の中でハッピーエンドを迎えたであろう。しかし、俺が生きているのは現実。高揚は一時で終わり、現実が再び冷酷な顔を見せる。

 

 救国統一戦線評議会のクーデターは六日で終了した。トリューニヒトは最高評議会議長に再選されて、第二次トリューニヒト政権が本格的に動き出した。しかし、すぐに人心を一新して出直すというわけにもいかなかった。

 

 六日間にわたる中央権力の不在、四月初めからの地方反乱は、同盟経済に多大な悪影響を及ぼした。ハイネセンとフェザーンの株式市場では、同盟企業の株価が軒並み暴落。航路の遮断は流通の停滞を引き起こした。各地で物資が不足して、短期間で物価が高騰した。

 

 国内治安の悪化も深刻だった。各星系が自分の思惑で動くような状況では、星間警察活動は停滞する。そこに犯罪組織やテロリストが付け込んだ。正規の指揮系統の停止によって分断された地方部隊が自衛に徹している間に、宇宙海賊の活動は勢いを増した。クーデター鎮圧後も一度火がついた犯罪者の勢いはなかなか収まらなかった。

 

 国防体制の再編も大きな課題であった。一個正規艦隊を始めとする二〇〇万の将兵がハイネセンポリスで蜂起。地方で蜂起した者、途中参加した者も含めれば、同盟全軍三五〇〇万の一割以上に及ぶ四〇〇万がクーデターに加担したことになる。この事実は現行の国防体制に対する信頼を失墜させるには十分であった。同盟軍は全面的な再編の必要に迫られた。

 

 クーデターの事後処理も大仕事だ。残党処理、全容の把握、参加者の処分、背後関係の調査、損害の算定と補償など、成すべきことは多い。

 

 トリューニヒトはつくづく運がない人だ。第一次政権では帝国領遠征の後始末、第二次政権ではクーデターの後始末から出発した。前の歴史においてユリアン・ミンツの書いたヤン・ウェンリーの伝記では、トリューニヒトを「決して傷つかない男」と評していた。だが、俺の目では貧乏くじばかり引いているように思える。

 

 複数の大問題を抱え込んだまま出発した第二次トリューニヒト政権が最初に取り組んだのは、救国統一戦線評議会の残党処理であった。

 

 ネプティス、カッファー、パルメレンド、シャンプールの四惑星は、救国統一戦線評議会勢力に占拠されたまま。惑星ハイネセンでは、混乱に乗じて多くの救国統一戦線評議会支持者が逃亡。衛星軌道上に展開していた第一一艦隊第一分艦隊は、ルグランジュ中将の命令を受けて投降したが、それでも三〇〇隻ほどが従わずに姿を消した。救国統一戦線評議会を支持した星系共和国のうちのいくつかは、憲章秩序への復帰を拒んだ。主力が潰えたとはいえ、残党はまだまだ侮り難い力を残していた。

 

 第一一艦隊降伏後に統合作戦本部と宇宙艦隊と地上軍に対する指揮権を返上した俺は、惑星ハイネセンの残党対策に専念。地方の残党には、統合作戦本部長代理に復帰したドーソン大将が対処することとなった。

 

 俺はツェイ首都警察長官、首都憲兵隊司令官エスコフィエ少将と協力して、惑星ハイネセン全土に捜査網を張り巡らせた。単独もしくは少人数で逃亡する者は、次々と捜査網に引っかかって拘束されていった。武装して大人数で逃亡する者に対しては、空挺部隊や陸兵部隊が出動した。市民が情報提供に積極的だったこともあって、クーデター鎮圧から一週間で一〇万人近い残党を拘束。五月に入る頃には、新たに拘束される者はほとんど見られなくなった。

 

 ドーソン大将はクーデター前にイゼルローン方面軍に与えた四惑星討伐指令を正式に解除。他の部隊にあらためて討伐命令を下した。第一艦隊司令官パエッタ中将はネプティス、宇宙艦隊副司令長官に臨時任命されたロックウェル大将はカッファー、フェザーン方面航路保安司令官シャンドイビン中将はパルメレンド、イゼルローン方面軍司令官ヤン大将はシャンプールの残党討伐をそれぞれ命じられた。ヤン大将以外の三名は親トリューニヒト的な人物。トリューニヒト派に手柄を立てさせるようとするドーソン大将の意図は明白である。

 

 地方の救国統一戦線評議会勢力は決起してから日が浅く、駐留軍を完全に掌握しきれていなかった。そんな段階でハイネセンの主力が壊滅したことが彼らの運命を決した。討伐軍派遣が決定して間もなく、四惑星すべてにおいて駐留軍内部の反救国統一戦線評議会勢力が一斉に蜂起。市民も同調し、救国統一戦線評議会勢力は窮地に立たされた。

 

 反救国統一戦線評議会勢力に包囲されたカッファーのバッティスタ大佐は自決。パルメレンドのヴァドラ准将は抗戦を断念して討伐軍に降伏。ネプティスのハーベイ准将は反救国統一戦線評議会勢力の鎮圧に乗り出したが、不利を覆すことはできずに自決。シャンプールのプラーシル准将は数十万の将兵を連れてガラティア星系に逃れると、辺境の救国統一戦線評議会支持者を糾合しようとしたが、態勢を整えきれないうちにイゼルローン方面軍の攻撃を受けて敗北。他の勢力も討伐軍の前にことごとく降伏した。地方の救国統一戦線評議会勢力は、四月中にほぼ平定されたのである。

 

 残る残党勢力は行方をくらました第一一艦隊残党の三〇〇隻、ハイネセンに潜伏中とみられる情報部の工作員十数名ぐらいだ。前者については、地方部隊が協力して対処にあたる。後者については、首都警察保安部と首都憲兵隊が追跡を続けている。どちらも事を起こすだけの力は持っていないと見られる。

 

 五月中旬から、グリーンヒル大将ら評議会メンバー九名、評議会事務局メンバー一二名、その他の重要な役割を果たした者七六名に対する軍事裁判が始まった。裁判の様子は「軍事機密に抵触するため非公開」とされた。過去のクーデター裁判でも、同じ理由で非公開となった前例はある。それでも、批判は免れられなかった。反戦派は「都合の悪い事実をもみ消すつもりだろう。主戦派のやりそうなことだ」と皮肉った。主戦派は「グリーンヒルやヤオら反戦派将官を微罪で済ませようとする軍部反戦派の陰謀ではないか。去年の帝国領遠征の前例もある」と疑った。

 

 多少の不安は残るものの、残党勢力の平定と軍事裁判開始をもって、救国統一戦線評議会の勢力はほぼ消滅したように思われた。

 

 救国統一戦線評議会残党との戦いが終わると、今度は書類との戦いが待ち受けていた。活躍した者に恩賞を与えるには、功績審査の参考になる文書が必要となる。公式記録を作成するには、日誌や戦闘記録を集約する必要がある。死傷者に補償を行うにも、金や物を出してくれた者に感謝状を送るにも、借りてきた機材が破損した場合に公費から修理費を支出するにも、しかるべき部署に文書を提出しなければならない。しかし、市民軍はたった六日で惑星ハイネセン全土に一五〇〇万に及ぶ人員を擁するまで膨張した組織。人や金の流れを正確に把握するだけでも一苦労だ。

 

 市民軍を構成する首都防衛軍、ハイネセン緊急事態対策本部、義勇軍の中心メンバーは、朝から晩まで書類仕事に忙殺された。首都防衛軍司令官代理とハイネセン緊急事態対策本部長代理と義勇軍最高顧問を兼ねる俺のところには、膨大な書類が決裁を求めて集まってくる。また、国防委員会や統合作戦本部からとんでもない量の文書を提出するように求められた。

 

 書類仕事だけでも大変だというのに、広報の仕事もひっきりなしに舞い込む。首都防衛軍司令部広報室長ズオン・バン・ドン中佐と副官ユリエ・ハラボフ大尉が作ったスケジュール表には、テレビ出演、インタビュー、記念式典、政財界の要人との面談などの予定がびっしりと書き込まれていた。

 

「もう少し仕事を減らしてくれないか。これじゃあ、書類を読む時間も取れやしない」

 

 ため息混じりでズオン中佐に苦情を漏らした。俺には市民軍の書類仕事、救国統一戦線評議会残党摘発の指揮という大切な仕事があるのだ。広報活動が大事なのはわかるが、さすがに限度というものがある。

 

「なにせ国防委員会が閣下の広報活動に乗り気なもので、小官としてもあまり強くは言えないのです」

「広報室長の責任じゃないのはわかってるよ」

 

 精一杯優しい表情を作って、しきりに頭を下げるズオン中佐を慰めた。俺と国防委員会の板挟みに悩む彼の立場は理解できる。そして、俺に広報活動をさせようとする国防委員会の立場も。

 

 去年の帝国領遠征失敗で低下した同盟軍のイメージは、今回のクーデターによって最底辺まで落ち込んだ。軍隊とデモ隊が衝突して三万人近い民間人の死者を出した四月一六日の事件は、軍にとって決定的な汚点となった。クリスチアン大佐が反戦市民連合議長ジェシカ・エドワーズに暴力をふるう動画、軍隊がデモ隊に銃撃を加える動画などがネットに流出し、市民を激怒させた。

 

 反戦派メディアは死亡したエドワーズを民主主義の殉教者、軍を虐殺者と位置づけて、反軍感情を煽り立てるキャンペーンを展開。それに対し、国防委員会は反クーデターで活躍した軍人や義勇兵をメディアに出演させることによって、「市民の軍隊」「民主主義の擁護者」というイメージを定着させる戦術に出る。

 

 英雄のなり手には事欠かなかった。一四日のボーナム総合防災公園攻防戦、一六日夜から一七日早朝にかけて展開されたハイネセンポリスの決戦は、ダース単位の英雄を生み出した。彼らの素晴らしい活躍は、市民を大いに興奮させた。メディアを通して紹介される彼らの素顔は、市民の好奇心を大いにかきたてた。反クーデターの英雄達は市民の心を鷲掴みにして、「軍は反クーデターの主役であり、救国統一戦線評議会とは別物である」と印象付けることに成功した。

 

 首都防衛軍で最も人気のある英雄は、シェリル・コレット少佐とエドモンド・メッサースミス少佐であった。コレット少佐の凛々しい長身、義勇兵の先頭を切って突撃した勇気は、汚名に塗れた父親との対比によって強調され、タフな女性闘士として羨望の的となった。メッサースミス少佐の秀才らしい繊細な風貌、悲壮的な戦いぶりは、恩師グリーンヒル大将との決別によって強調され、悲劇の貴公子として同情を寄せられた。苦しい立場にあった二人の部下の人気ぶりは、とても喜ばしかった。

 

「コレット少佐とメッサースミス少佐の人気ぶりはなかなかのもの。しかし、首都防衛軍、いや市民軍の一番人気はダントツで閣下ですよ。閣下が出演なさると、反響が格段に違うと国防委員会の担当者が言ってました」

 

 俺の人気ぶりを語るズオン中佐は、なぜか嬉しそうだった。

 

「俺なんか見たって、全然面白くないだろう。コレット少佐やメッサースミス少佐と違って、目の保養にもならないのにね」

「ネットの評判はご覧になってないんですか?」

「見てるよ。さっぱりわけがわからない」

 

 ネットの中では、褒め殺しとしか思えないぐらいに俺の評判が高まっていた。「同盟史上最高の名将」「ダゴンのリン・パオとトパロウルに匹敵する英雄」「ヤン・ウェンリーを超えた」などと言われると、恥ずかしくて穴に入りたくなる。「何をやっても絵になる。生まれつきの役者」「笑顔がとても爽やか」「こんな彼氏がほしい」といった評価に至っては、何を見ているのかと疑ってしまう。裏方のハラボフ大尉まで、「いつもフィリップス提督の隣にいる美人」と呼ばれて人気が高まっているほどだ。これだけ中身の無い人気が先行すると、恐ろしくなってくる。

 

 九年前のエル・ファシル脱出作戦と違って、英雄と呼べる人材には事欠かないはずだ。それなのになぜ俺を持ちあげるのだろうか。将官になった今では、広報活動の重要さは十分に理解できる。軍のイメージを良くするためならば、喜んでメディアに出る。だが、広報活動に時間を取られて、司令官としての仕事に支障が出るようでは困る。書類仕事は遅々として進まない。クリスチアン大佐のように、仕事を強引に断ってくれる広報担当が欲しかった。

 

 気分転換にテレビを見ようと思った俺は、リモコンを使って電源を入れた。スクリーンに映ったのは、妹のアルマの笑顔。肉親の顔をテレビで見ると、なんか恥ずかしい気持ちになる。即座にチャンネルを切り替えた。今度はエリオット・カプラン少佐の脳天気な顔が映り、反射的に電源を切った。

 

 反クーデターの英雄の中で最も人気があるのは、コレット少佐、メッサースミス少佐、第一五陸兵師団のファン=バウティスタ・バルトゥアル中尉、第三義勇師団のアルベルタ・グロッソ義勇軍軍曹、第七義勇師団のネルソン・ハーロウ義勇軍少尉、第一市民旅団のフェレンツ・イムレ少佐。そして、アルマとカプラン少佐だった。

 

 アルマが人気なのは理解できる。聡明そうな童顔、モデルのようなスタイル、真面目そのものの言動、純粋な性格、輝かしい軍歴は、誰にでも好感を与えるであろう。だが、カプランはさっぱり理解できない。長身でそこそこ顔も良いが、性格はいい加減だし、気の抜けた言動が多い。どこに人気の出る要素などあるのだろうか。そういえば、メディアでもてはやされる反クーデターの英雄は、みんなルックスの良い者ばかりだ。所詮人間は外見なのかと思ってしまう。

 

 考えれば考えるほど、後ろ向きになってしまう。疲れているのかもしれない。今の俺は救国統一戦線評議会と戦った六日間に勝るとも劣らないほど多忙だった。朝から夜まで書類と格闘しつつ、外に出て広報活動をこなす。睡眠は首都防衛司令部の仮眠室で取る。もう半月以上は官舎に戻っていなかった。

 

 だが、仕事に忙殺されるのもそれはそれで悪くないと思うこともある。負傷して公務から離れた帝国領遠征後の二か月は、後ろ向きなことをたくさん考えた。今回も後ろ向きになる種はたくさんある。

 

 その中の最大のものは四月一六日に軍隊とデモ隊が衝突した事件に関する報道だった。調査が進むにつれて、憂鬱な真相が明らかになってきた。

 

 クリスチアン大佐が強引に指導者のジェシカ・エドワーズを拘束しようとして暴力を振るった。それに怒ったデモ参加者数名がクリスチアン大佐に飛びかかって、乱闘が始まる。デモ隊の勢いに恐れをなした一部の兵士が発砲したのがきっかけで混乱が拡大し、全面衝突に発展した。つまり、あのクリスチアン大佐が三万人近い犠牲者を出した事件の責任者ということだ。

 

 信じたくはなかった。だが、デモ参加者が携帯端末で撮影した動画には、クリスチアン大佐とエドワーズの口論、激怒してエドワーズを殴り倒すクリスチアン大佐、指示を受けて倒れたエドワーズを拘束しようとする兵士、怒り狂った群衆の波に飲み込まれるクリスチアン大佐などが映し出されていた。デモ参加者や兵士の供述も動画の内容が真実であることを示した。動画を見る限り、明らかにクリスチアン大佐が最大の責任者だった。そして、その生存は絶望的であった。

 

 クリスチアン大佐は主戦派と反戦派の双方から激しく攻撃された。反戦派はクリスチアン大佐を虐殺者と批判し、軍を攻撃する材料にした。主戦派は軍の名誉を汚した犯罪者と罵った。国防委員会はクーデター鎮圧から一週間も経たないうちに、クリスチアン大佐の階級剥奪を決定。俺が軍人になるきっかけを作った恩人は、今や同盟市民の敵となったのである。

 

 どんなに好きな相手でも悪事をはたらいたら憎悪して、どんなに嫌いな相手でも善行をすれば好きになるのが当然だと思い込んでる人が世間には多いようだ。メディアの中には、俺の口からクリスチアン大佐の悪口を言わせようとする者も少なくなかった。恩を受けた者からも批判を浴びるような悪党と印象付けたいというわけだ。しかし、そんな要求など受け入れられるはずもない。俺は小物だが、さすがに最低限の恥は知っている。「罪は罪として裁かれるべきだが、人間としては嫌いになれない」までが俺の限界であった。

 

 クリスチアン大佐が貶められる一方で、四月一六日の事件の被害者は「民主主義の殉教者」と美化された。死傷したデモ参加者には、政府から見舞金が支給された。死亡した反戦市民連合代議員二六名には、議会名誉勲章が授与された。トリューニヒトは議会で自らジェシカ・エドワーズの追悼演説を行い、「民主主義に殉じた真の英雄」と称賛した。そして、演説を終えると、その場でエドワーズの葬儀を国葬、その他の代議員の葬儀を議会葬とする緊急動議を提出。賛成多数で可決された。一部の反戦派は「あざとい演出」と批判したが、概ね好意的に受け入れられた。

 

 海賊討伐作戦で共に戦った第一一艦隊首脳部の自決もかなりこたえた。司令官ルグランジュ中将は、死の瞬間まで一点の曇りもなく爽やかだった。謹厳実直な副司令官ストークス少将、苦労性の参謀長エーリン少将、みっともないぐらいに将官昇進に執着した副参謀長クィルター准将らもみんな和やかに談笑して最期の時を過ごした。それが一層悲しみをかきたてる。

 

 ハイネセンポリスの決戦で市民軍に犠牲者が出たことも気分を暗くさせた。軍人一五名、義勇兵二七名、市民八名。対帝国戦争であれば、少ない犠牲で済んだと自分を慰めることもできよう。しかし、同盟市民同士の戦いでは、一人の死者だって多すぎる。反戦派の中には、「市民を軍隊の弾除けに使った」「わざと反戦市民連合救援を遅らせて、市民軍を温存した」と俺を批判する者もいる。結果からはそう見られても仕方ない面もあるが、それでも不本意と言わざるを得ない。目的のためなら手段を選ばない人間と思われるほど、腹が立つことは無いのだ。

 

 絶え間なく押し寄せてくる書類やメディア出演依頼に押し流されて、後ろ向きな考えに身を委ねる暇など持てないうちに、月日は過ぎていった。

 

 

 

 論功行賞は六月の半ば頃から始まった。クーデター終了から二か月近くもかかったのは、功績審査に必要な書類を揃えるのに時間がかかったこと、そして政治的な綱引きが原因である。

 

 ハイネセンポリスの決戦で救国統一戦線評議会と戦って死亡した軍人には二階級昇進と自由戦士勲章、義勇兵には義勇軍階級より一階級高い正規軍階級及び自由戦士勲章、一般市民は議会名誉勲章が与えられた。遺族には一時金が支給され、死亡者の階級及び勲章に準ずる遺族年金受給が認められた。

 

 市民軍に参加した者は軍人文民を問わず、全員従軍章を授与された。そして、功績の大きさによって、表彰状、一時金、勲章などが与えられた。それに加えて軍人には昇進、義勇兵には義勇軍階級昇進や正規軍人授与を受ける者もいた。

 

 俺自身は中将に昇進し、自由戦士勲章、ハイネセン記念特別勲功大章、共和国栄誉章、五稜星勲章など、九つの勲章を受章された。自由戦士勲章の受章はこれで二度目になる。原則として死者に授与される自由戦士勲章を生きて二度受章した者は、現役軍人ではヤン・ウェンリー大将、ライオネル・モートン中将ら四名に過ぎない。受章式では生ける伝説に名を連ねる畏れ多さに手が震えてしまい、受け取った勲章を落としてしまった。なんと小心なことだろうか。我ながら本当に情けない。

 

 コレット少佐、メッサースミス少佐の両名は、五月一一日の九時に揃って中佐に昇進し、六時間後の一五時に大佐に昇進。事実上の二階級昇進を果たした。広報の仕事でもこの二人は一緒に出ることが多い。軍の広報誌『月刊自由と団結』では「フィリップス提督門下の新鋭」と紹介されていた。部下が評価されるのは嬉しいが、コレット大佐は二四歳、メッサースミス大佐は二五歳。俺を引き上げたのと同じ力がこの二人にはたらいているのを感じて、少々不安になってしまう。

 

 参謀長チュン・ウー・チェン准将は少将、情報部長ハンス・ベッカー大佐は准将、作戦部長クリス・ニールセン中佐は大佐に昇進した。救国統一戦線評議会との戦いで中心的役割を果たした彼らの昇進は、順当といえる。亡命者でありながら三二歳の若さで将官となったベッカー准将は、メディアでも話題を呼んだ。

 

 首都防衛軍司令部に残って捕虜となった副参謀長セルゲイ・ニコルスキー大佐は准将、人事部長リリヤナ・ファドリン中佐と後方部長オディロン・パレ中佐は大佐、その他の参謀も一階級昇進した。彼らは救国統一戦線評議会との戦いには参戦できなかったが、チュン少将、ベッカー准将、ニールセン大佐らとともに対クーデター作戦「クレープ計画」の立案に携わったことを評価されての昇進であった。

 

 副官のユリエ・ハラボフ大尉は、少佐に昇進した七時間後に中佐に昇進。副官としての活躍が大きいが、それ以上に人気が事実上の二階級昇進の原動力となったのは明らかであった。「副官の仕事に差し支える」という理由でメディアへの単独出演を拒否する彼女の態度もかえって人気を高めた。目立つのを避けているせいでかえって人気が高まっていくという訳のわからない状況には、彼女も困惑しているのではないだろうか。氷のように冷たい表情からは、そんな様子はまったく伺えないが。

 

 妹のアルマは大尉に昇進した六時間後に少佐に昇進した。第八強襲空挺連隊の精鋭七七名を率いて市民軍司令部の警護にあたった功績はもちろん、将来のスターとしての期待も含まれているのであろう。二四歳での少佐昇進は、俺より二年も早い。士官学校を出ていない軍人としては、想像を絶するスピード出世だ。能力、容姿、人格を兼ね備えた模範的軍人としてメディアでもてはやされる妹を見ると、前の人生の愚鈍で意地悪な妹は一体何だったんだと思ってしまう。

 

 なんと、あのエリオット・カプラン少佐も大佐に昇進した。第六二戦隊の司令部を占拠した功績は確かに大きい。市民を驚かせるようなインパクトもある。だが、あんなダメ軍人をいきなり大佐に抜擢して良いものだろうか。大佐といえば、実戦部隊では戦艦や巡航艦数十隻もしくは駆逐艦百数十隻を率いる群司令、司令部では正規艦隊司令部部長を務める立場。カプランはトリューニヒトの腹心の甥。一人でも信頼できる軍人が欲しいトリューニヒトには、うってつけの人材であろう。しかし、少しは人を選んでほしいと思う。

 

 政府は市民軍に昇進を大盤振る舞いした。二階級昇進した者は一五名、一階級昇進した者は数えきれない。極めて政治的な理由での大盤振る舞いだけに、功績が大きかったにも関わらず、政治的な理由で昇進できなかった者もいた。

 

 第二巡視艦隊司令官サンドル・アラルコン少将は、真っ先に俺を支持してくれた。首都圏市民軍の二割に及ぶ戦力を持ち、市民軍の重鎮として救国統一戦線評議会打倒に大きく貢献した。功績の大きさでは、実戦部隊随一であろう。誰もが彼の中将昇進を疑わなかった。だが、反戦派メディアが七年前に不起訴になったはずの民間人殺害疑惑を蒸し返した。准将以上の階級に昇進するには、議会の承認が必要となる。多くの議員が民間人殺害疑惑のある者の昇進を認めることに二の足を踏み、アラルコン少将の昇進は見送られた。

 

 第一首都防衛軍団司令官トマシュ・ファルスキー少将も昇進を見送られた。彼の率いる第一首都防衛軍団は、市民軍の最精鋭部隊だった。ボーナム総合防災公園の防衛、ハイネセンポリス進軍作戦、ハイネセンポリスの決戦のすべてにおいて、全軍の中核として活躍。ファルスキー少将自身も市民軍随一の陸戦戦術家として、陸戦に疎い俺を良く補佐してくれた。功績の大きさでは、アラルコン少将と一、二を争う存在だった。しかし、記者会見での軍国主義的な発言が問題視されて、議会が昇進を認めなかった。

 

 その他にも政治的な理由で昇進を見送られた者は多い。その大半は国家救済戦線派の幹部。将官人事の承認権を持つ議会で単独過半数を占めるのは、トリューニヒト率いる国民平和会議。誰の差し金であるかは、言うまでもない。

 

 軍部の四派閥のうち、救国統一戦線評議会のクーデターで最も打撃を受けたのは、旧シトレ派であった。重鎮のグリーンヒル大将、ヤオ中将らを始めとする多くの派閥メンバーがクーデターに参加。参加しなかった統合作戦本部長クブルスリー大将、宇宙艦隊司令長官ビュコック大将らも鎮圧には何ら寄与しなかった。イゼルローン方面軍司令官ヤン大将は、救国統一戦線評議会参加拒否以外の意思表示をせずに配下部隊を動員して、シャンプール方面に向かう準備をしたことが「ドサクサに紛れて辺境で第三勢力になろうとしたのではないか」との疑惑を招いた。

 

 その次に打撃を受けたのは、トリューニヒト派である。ブロンズ中将、パリー少将、ベイ大佐の三名が救国統一戦線評議会の評議員となった。シトレ派の四名に次ぐ人数だ。ある軍事評論家が「救国統一戦線評議会は、旧シトレ派とトリューニヒト派の連立政権」と言ったのも間違いとは言えいだろう。表沙汰にはなっていないが、ドーソン大将がまんまとブロンズ中将の謀略に引っかかったのも大きな失点である。俺が鎮圧に成功したことによって、トリューニヒト派はギリギリで面目を保った。

 

 旧ロボス派はさほど打撃を受けなかった。評議員になったのは准将一名のみ。大将や中将が何人もいる旧ロボス派の中では、幹部の末端といったところである。積極的にクーデターに加担した者は少なかった。重鎮のルフェーブル大将が司令官を務める辺境総軍の一部がクーデターに参加したのが唯一の失点と言えよう。クーデターよりも、派閥全体で抱えている帝国領遠征の敗戦責任という爆弾の方が大きな不安要素であった。

 

 最も打撃が少なかったのは、国家救済戦線派だった。一人も評議員にならなかった。軍事裁判にかけられた者も全派閥の中で最も少ない四人。代表世話人のアラルコン少将とファルスキー少将を始めとして、市民軍に参加した者は全派閥の中で最も多く、クーデター鎮圧の主力部隊であった。巨大な功績を盾に発言力を高めるものと予想された。

 

 トリューニヒト派のダメージを最小限に抑えつつ、国家救済戦線派の台頭を抑えこむ。それがトリューニヒトにとっての最良のシナリオだ。

 

 短期間で地方平定に成功したドーソン大将は、多少ではあるが失地を回復した。四方面の討伐軍のうち三方面をトリューニヒト派の提督が担当したことによって、派閥としてもクーデター鎮圧に貢献したというイメージを作るのに成功した。市民軍で活躍した二〇代から三〇代の軍人を抜擢することで、手駒を増やした。鮮やかな手際といえる。

 

 それに対し、国家救済戦線派封じ込め策は強引過ぎて気分が悪かった。クーデターを恐れるトリューニヒトの気持ちもわからなくもない。だが、国家救済戦線派はトリューニヒトの政権復帰に大きく貢献したのだ。ちゃんと功績に報いなければ、それこそクーデターを招くのではないかと心配になる。

 

 

 

 入院中の首都防衛軍司令官ロモロ・ドナート中将は、来週にも退院して職務に復帰する見通しだった。そうなれば、俺は首都防衛軍司令官代理の職を離れて、新しい任務が与えられる。

 

 現在、国防委員長ネグロポンティと統合作戦本部長代理ドーソン大将は、大規模な海賊討伐作戦を準備中と言われる。国内治安回復とトリューニヒト派の点数稼ぎの一石二鳥を兼ねているのであろう。

 

 幸いにも四月に始まった帝国内戦は、しばらく続きそうだった。ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の改革派軍が保守派貴族軍を帝国内地のアルテナ星域で打ち破り、レンテンベルグ要塞を攻略。改革派軍のキルヒアイス上級大将は、イゼルローン側辺境からフェザーン側辺境に侵入して、保守派貴族の資金源となっているフェザーン交易の遮断を試みる。物量に優る保守派貴族軍は反攻作戦を準備中であった。

 

 帝国内地の三分の一とイゼルローン側辺境を支配する改革派軍に対し、保守派貴族軍は帝国内地の三分の二とフェザーン側辺境を支配下に置く。改革派軍は正規軍の比率が高い精鋭だが、経済力に劣る。フェザーン交易を押さえる保守派貴族軍は、フェザーン方面から資金と傭兵をいくらでも集められる強みがあるが、正規軍の比率が低く質に劣る。一方的な展開は考えにくい。帝国の内戦が続いている間に、得意の治安分野で成果を出して支持率を高めようとトリューニヒトは考えているようだ。

 

 一方、帝国内戦への介入を主張する者もいる。第一〇方面管区司令官ポルフィリオ・ルイス中将が統合作戦本部に提出した作戦案は、世間を驚かせた。内戦勝利後の民主化改革、対等講和などを交換条件に保守派貴族軍と軍事同盟を締結。イゼルローン駐留艦隊、第一艦隊、宇宙艦隊直轄の独立部隊からなる四万隻の遠征軍をイゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将に指揮させて、イゼルローン回廊から改革派軍の支配地域に侵攻し、保守派貴族軍と共同で改革派軍を倒そうというのである。

 

 この現状でルイス中将の案が通る可能性は低い。帝国領遠征の悪夢はまだ記憶に新しい。国内はクーデター後の混乱から立ち直っていないし、警戒されているヤン大将に四万隻もの大部隊を任せようというのも非現実的だ。ただ、ロボス元帥とアルバネーゼ退役大将が不正な政治工作で遠征案を通した例もある。ルイス中将は手段を選ばないことで悪名高い人物。失地回復を目指す旧シトレ派に話を持ち込まれたら少々厄介だ。動向に注意を払うべきであろう。

 

 明日、六月二三日はトリューニヒトと久しぶりに面会する。最近は強引過ぎるやり方に不満を感じることもある。クリスチアン大佐に託された動画を見終えた後では、今年に入ってからの躍進にも何か裏があるように感じる。それでも、トリューニヒトと会えるのは嬉しかった。



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第百二十四話:疑惑と信頼の狭間 宇宙暦797年6月22~23日 官舎~最高評議会議長公邸

 六月二二日の深夜。トリューニヒトと会う前日にも関わらず、自室の端末でクリスチアン大佐に託された動画を繰り返し見ていた。

 

「まずはフェザーンロビーだ。奴らはフェザーンの勢力均衡政策を担うエージェント。初代自治領主レオポルド・ラープ以来、フェザーン外交の至上命題は『帝国四八、同盟四〇、フェザーン一二』の勢力比を維持し、『恐怖されるほど強からず、侮りを受けるほど弱からず』という地位を確保することにあった。フェザーンロビーの金は、同盟と帝国の政界の隅々まで行き渡っている。我が国に積極策を採らせたい時は主戦派への献金を増やし、消極策を採らせたい時は反戦派への献金を増やす。これは誰でも知ってることだな」

 

 画面の中のクリスチアン大佐は、教育畑のベテランらしく基本的な事実の確認から入る。まるで講義を受けているような気分になる。

 

「だが、従来のフェザーンロビーの影響力は、決定的なものとはいえなかった。我が国にもロビー活動を展開する組織は多い。全国企業家連盟、全国農業者連合会、全国労働者会議、全国退役軍人協会、惑星環境保護ネットワークなどは、フェザーンロビーに匹敵する力がある。あくまで有力ロビーの一つだった。それが変化したのは六年前。アドリアン・ルビンスキーが五代目の自治領主に就任してからのことだ」

 

 動画の左下にフェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキーの精悍な顔が映る。前の歴史ではラインハルトに反抗し続けた陰謀家として知られたこの人物は、現在はしたたかな政治指導者として同盟と帝国の頭痛の種となっている。

 

「ルビンスキーはダミーを通して経営難に苦しむ企業に多額の資金を投入し、密かに配下に組み入れていった。我が国を代表する企業の多くがフェザーンロビーのダミーとなった。不況の影響で全国企業家連盟や全国農業者連合会など有力ロビーの力が軒並み低下する中、フェザーンロビーは急成長を遂げて最大のロビーとなった」

 

 クリスチアン大佐はフェザーンのダミーが記されたリストを示した。フェザーンのダミーとしてはユニバース・ファイナンス社や投資集団ウォーターズ、ダミーに支配された同盟企業としてはサンタクルス・ライン社やレッドグレイヴ社などが名を連ねる。いずれもトリューニヒトの有力支援者だ。

 

「フェザーンロビーの最大の敵は、既得権益者の立場から外資自由化に反対する財界や労働界の既成勢力。主戦派最大勢力の改革市民同盟も反戦派最大勢力の進歩党も既成勢力との縁が深く、献金をしても限定的な効果しか得られない。そこでフェザーンロビーは既成勢力との縁が薄いトリューニヒト派と反戦市民連合に目を付けた。奴らの関心は安全保障と社会政策にばかり向いている。経済運営には興味を持っていない。だから、フェザーンロビーが求めるフェザーン企業の参入障壁撤廃、外国人投資規制の完全撤廃を何も考えずに受け入れた。文字通りの売国奴だな」

 

 恩人の口から語られる総選挙の水面下で起きたフェザーンロビーと既成勢力の争い。こんな話は前の歴史の本にも載っていなかった。主戦派系メディアも反戦派系メディアもフェザーン企業の活動規制撤廃を支持し、それに反対する財界や労働界の主流派を「既得権益にしがみつく悪党」と批判した。「フェザーンからの投資をもっと呼び込め」と主張する財界人は、改革派財界人と呼ばれてもてはやされた。だから、フェザーン企業の活動規制撤廃は善だと何の疑いもなく信じていた。

 

「昨年の敗戦で改革市民同盟と進歩党の支配力が揺らいだ隙に、トリューニヒト派と反戦市民連合はフェザーン資金を使って組織を急速に拡大し、総選挙で勝利した。フェザーンの金が大手を振って我が国に流れ込み、フェザーンロビーの手先が堂々と国政に口出しをする。そんな時代がやって来た。フェザーンの金無しに国家を運営することはできん。だが、フェザーンに国を売り渡すなど言語道断。祖国が経済植民地になるなど、見過ごしてはおけん。フェザーンロビーとその代弁者は何としても打倒せねばならん」

 

 フェザーンによる経済植民地化。保守的愛国主義者のクリスチアン大佐には、耐え難いことであったろう。そして、リベラリストのグリーンヒル大将にも。一見、水と油のように思える彼らが手を組んだ理由が理解できる。

 

「次は保安警察グループ。奴らの仕事は反体制運動の監視。軍と比べるとはるかに規模が小さく目立たない存在であるがゆえに、過激分子の巣窟になってきた。すべての市民を監視下に置こうと企む者、一部政治家と結びついて政権批判封じに暗躍する者、極右勢力と結びつく者が後を絶たなかった。これも公然の事実だな」

 

 保安警察の過激分子の存在は、同盟市民であれば誰もが知っている。保安警察の歴史は、過激分子が引き起こした数々の不祥事で彩られている。極右組織との黒い関係が明るみになって処分される者が数年に一度くらいの割合で出るが、そんなのは定例行事のようなものだ。極右もドン引きするような国民監視法案を作ろうとしてすぐに引っ込めるということが十数年に一度くらいの割合で起きるが、これも定例行事である。保守的で過激派嫌いのクリスチアン大佐には、保安警察の過激分子は不快なはずだ。

 

「しかし、奴らは所詮闇に生きる者。表で力を持つことはできなかった。憲章擁護局が設立された時は、反共和思想取り締まりを名目に最高評議会すら監視下に置いた。だが、市民の支持を失って四年で廃止に追い込まれ、設立に関わった者もすべて失脚した。その後も憲章擁護局復活を求める動きは何度と無く起きたが、いずれも失敗に終わった。保安警察グループの組織や予算は、軍と比べれば遥かに少ない。それが保安警察グループの発言力増大を抑えた。市民は軍を国家の守護者と考えてきた。だが、ヨブ・トリューニヒトの台頭からそれが変化した」

 

 多種多様な出自の人々によって構成される自由惑星同盟は、ダゴン会戦以前は旧銀河連邦系ロストコロニー、以降は帝国からの亡命者という異分子を抱え込んできた。保安警察は自由惑星同盟が国民統合を成し遂げるための必要悪だった。しかし、必要悪はあくまで必要悪でしか無く、保安警察は一時期を除けば日陰者に過ぎなかった。それがトリューニヒトの台頭によって変化したと、クリスチアン大佐は述べる。

 

「世間一般では、トリューニヒトは主戦派とみなされる。口先で主戦論を唱えるという意味ではそうだろう。だが、奴と従来の主戦派には、決定的な違いがある。それは軍部の独立に関する考え方だ。従来の主戦派は介入はしても、軍部の独立を尊重する姿勢は崩さなかった。だが、トリューニヒトは軍部を支配しようとしている。トリューニヒトは憲兵と監察総監部を取り込むと、綱紀粛正の名のもとに軍内部に監視網を作り上げた。地方部隊を取り込んで、彼らの持つ情報網も手中に収めた。その背後には軍部を支配しようと目論む保安警察グループの過激分子が控えている」

 

 トリューニヒトの軍部支配の陰謀。これは多くの者が公然と指摘するところだった。軍部がこれまで政治と対等に近い立場にあったのは、軍中央や正規艦隊に勢力を張る軍部エリート集団の力によるところが大きい。しかし、トリューニヒトが取り組んだ軍運営の透明化は、彼らの権力基盤を掘り崩した。トリューニヒトが自ら軍内部に派閥を結成したことによって、政治が直接軍運営に関与するようになった。「軍の要望が政治に届きやすくなった」と歓迎する者は多いが、「政治に軍を乗っ取られてしまう」と危惧する者も多い。

 

「保安警察グループの究極の目的は、憲章擁護局復活と警察国家建設。トリューニヒトの軍部支配強化は、ここ数年の活発な治安立法、憂国騎士団の強大化と同一線上の動きなのだ。去年の帝国領敗戦で軍の威信は地に落ちた。トリューニヒトは戦犯断罪を大義名分に警察と憂国騎士団を動かして、軍を攻撃させた。総選挙で勝利したトリューニヒトは、警察出身代議員を国防委員として大量に送り込むはずだ。警察出身のネグロポンティも国防委員長に留任する。遠からず軍はシビリアンコントロールの名のもとに保安警察グループの手に落ちる」

 

 画面の中のクリスチアン大佐の表情が一段と険しくなった。軍隊を家族だと考えている彼にとっては、保安警察グループの軍部支配は絶対に許せないのであろう。グリーンヒル大将やエベンス大佐のような軍部リベラリストは、政治の軍部介入を嫌う。警察国家建設など言語道断であろう。ここでもクリスチアン大佐とグリーンヒル大将は手を組みうる理由がある。

 

「小官は自由惑星同盟という国を愛している。愛する祖国が経済的には外国に支配され、政治的には警察に支配される。そんな未来など見たくもない!断固として奴らの陰謀と戦う!」

 

 急にクリスチアン大佐の声に熱がこもり、バーンと大きな音がして画面が揺れた。興奮してカメラを置いたテーブルを叩いたのであろう。クリスチアン大佐は感情の量が人よりもずっと多い。人情家であり、激情家でもある。知り合って間もない頃の自分がクリスチアン大佐の激情を恐れていたことを思い出し、少し懐かしくなる。

 

「貴官は甘い男だ。親しいトリューニヒトがこのような陰謀に加担するなど、小官の言葉だけでは信じるまい。小官も最初に話を聞かされた時は信じられなかった。だが、ある人物が示した証拠が真実を教えてくれた。陰謀と戦い続けてきた勢力が数年の時をかけて集めた証拠だ。貴官が我が陣営に投じた時にそれを見せよう。投じるつもりが無いのであれば、それはそれで構わん。貴官ならば、いずれ真実にたどり着く」

 

 俺が敵に回っても、揺るがぬ信頼をクリスチアン大佐は示してくれる。何度動画を見ても、この場面では胸が締め付けられるような思いがする。だが、たとえトリューニヒトが陰謀を企んでいたとしても、俺はやはりクーデターを鎮圧しようとするだろう。俺はトリューニヒト個人のためではなく、市民が選んだ政府を守るというルールのために戦ったのだ。

 

「我ら以外にも陰謀と戦う者は少なくない。仮に我らが敗北したとしても、その者達が志を引き継いで必ずや祖国を守り抜くだろう。貴官もその中に加わる日が来ることを信じる」

 

 力のこもった言葉。堅苦しい敬礼。見ているだけでクリスチアン大佐の気迫が伝わってくるようだった。これが見たかった。トリューニヒトと対峙する勇気をクリスチアン大佐に吹き込んで欲しかったのだ。

 

 動画が終わった後、手元にある本を開く。題名は『憂国騎士団の真実―共和国の黒い霧』。大物反戦派ジャーナリストのヨアキム・ベーンが憂国騎士団の背景を徹底的に追跡した力作だ。この本の元の持ち主だった婚約者ダーシャ・ブレツェリの顔を思い浮かべながら、ページをめくっていった。

 

 憂国騎士団は今でこそ誰もが知る有名組織だが、台頭してきたのはほんの三年前。それ以前の歴史はほとんど知られていなかった。ベーンは徹底的な取材によって、憂国騎士団の草創期を明らかにしていく。

 

 ペーンによると、憂国騎士団の設立届は、六年前にシヴァ星系の惑星ミトラ第二の都市ラジャバラヤンで提出された。設立者はイグナート・スクリプチェンコという一介の歴史教師。団員の数は三〇人を超えることがなく、その大半が籍だけ置く幽霊団員。団費を滞納する者も多く、年四回の機関誌を発行する資金にすら事欠く有様。スクリプチェンコはすっかりやる気を失くしてしまい、設立から二年過ぎた頃には定例会議も開かれなくなった。

 

 開店休業状態の零細政治サークルに過ぎなかった憂国騎士団の躍進は、三年前に団長がスクリプチェンコから実業家ベルトラン・デュビに交代した時に始まる。デュビは独立系放送局を買収すると、二十四時間体制で愛国思想を宣伝する番組を流させた。他の極右組織の番組とは比較にならないほどに質が高い憂国騎士団の番組は、あっという間に極右層の心を掴んだ。また、デュビは退役軍人や元警察官を雇い入れて行動部隊を結成し、反国家的な言動をした有名人や反戦組織を襲撃させた。これらの派手な活動によって、憂国騎士団の知名度は一躍高まった。

 

 団費収入や寄付が増加して憂国騎士団の財政が安定するまでは、デュビがポケットマネーで宣伝放送や行動部隊の経費を負担していたとされる。しかし、ペーンは綿密な調査の末に、デュビの資産の大半が粉飾によって計上された架空資産に過ぎないことを証明。デュビの豊富な資金が別の場所から出ていると結論づけた。

 

 憂国騎士団はデュビが団長に就任した二年後の七九六年には、一般団員二四万、行動部隊四〇〇〇を擁する大組織に成長した。極右組織の中では統一正義党系に次ぐ規模。過激ぶりでも飛び抜けた存在だ。それなのに驚くほどに逮捕者が少ない。国家保安局の監視対象からも外れている。保安警察と憂国騎士団の蜜月関係は、誰もが知る公然の秘密である。

 

 反戦派は「保安警察は極右に甘い」と言っているが、ベーンはそれを否定する。保安警察を統括する国家保安局の白書によると、極右最大勢力で一時は国政の第三党だったこともある統一正義党系列の有力六団体は、国家保安局の重点監視対象に指定済み。これらの団体の幹部はしばしば別件逮捕の対象となり、事務所もしばしば家宅捜索される。保安警察は極右に甘いのではなく、憂国騎士団にのみ甘いのだとベーンは言う。

 

 一般的には、国家保安局OBのヨブ・トリューニヒトが憂国騎士団を保護しているとされる。しかし、ベーンはその定説にも異論を唱えた。国家保安局時代のトリューニヒトは、エリートとは言っても副課長に過ぎない。かつての上司や同僚にも国家保安局の中枢に入っている者は少なく、トリューニヒト個人の影響力で保安警察を動かすのは困難。政治家としても、主戦派の有力政治家の一人に過ぎなかったトリューニヒトの力で保安警察ほどの大組織を抑えるのは難しい。トリューニヒト個人の権力では、憂国騎士団を保安警察から守れない。

 

 では、誰が憂国騎士団の保護者か。ペーンは国家保安局こそ憂国騎士団の保護者ではないかと推測する。憂国騎士団はトリューニヒトの手で保安警察から保護されているのではなく、保安警察の頂点に立つ国家保安局が自ら保護しているというのだ。ベーンは憂国騎士団行動部隊と国家保安機動隊を詳細に比較。戦術や装備の面において共通する点が多く、前者が後者の支援を受けている可能性が高いと指摘した。

 

 統一正義党の指導者マルタン・ラロシュは、激烈な社会批判によって不満分子の支持を得た。そのため、系列の極右組織は反体制色がきわめて濃い。それに対し、憂国騎士団は体制に親和的であり、政府に批判的な者も襲撃対象とする。アスターテ会戦の戦没者慰霊祭でトリューニヒトに反抗的な態度を取ったヤン・ウェンリーも憂国騎士団の襲撃を受けた。憂国騎士団とは、国家保安局が極右組織を隠れ蓑として作り上げた白色テロ部隊なのではないか。ペーンはそう推測する。

 

 さらにペーンは議員立法に注目した。資料を徹底的に分析して、ここ六年間で治安関連の議員立法が急増したこと、その七割に一〇人の保安警察出身代議員が関与していることを突き止めた。最も多くの立法に関わってたのはヨブ・トリューニヒト、その次はトリューニヒト派重鎮のユベール・ボネ。第三位のジョージ・オールポート、第四位のロレンシオ・エレロもトリューニヒト派。第五位にようやく非トリューニヒト派のネストレ・カヴァレラの名前が現れるが、第六位から第一〇位まではトリューニヒト派。総選挙以前のトリューニヒト派の勢力を考慮すれば、異常といえる。

 

 非合法部隊の憂国騎士団を使って反体制的な者を弾圧し、トリューニヒトら保安警察出身代議員を使って有利な法的環境を整備する。そうやって、誰にも気付かれないように、権力を手中に収めていく。最終的な保安警察の目標が警察国家の建設ではないかというベーンの結論は、クリスチアン大佐と全く同じであった。

 

 帝国領遠征の戦犯断罪に活躍した保安警察と憂国騎士団の評価は大いに高まった。三月総選挙では、多くの保安警察出身者が国民平和会議から立候補して代議員となった。四月クーデターでは、反戦市民連合のデモ鎮圧を命じられた保安警察系部隊は出動を拒否し、憂国騎士団は市民軍に参戦して、救国統一戦線評議会打倒に貢献。クーデター後に発足した第二次トリューニヒト政権の評議員一一名のうち、議長を含む四名が保安警察出身者。評価が落ちるところまで落ちた軍に対し、保安警察は我が世の春を謳歌している。

 

 フェザーンへの依存度も高まった。トリューニヒトは従来の緊縮財政を積極財政に改めて、大型国債発行によって資金調達する方針を明らかにした。堅実な同盟の投資家は、高利の同盟国債などには見向きもしない。ここ数年、同盟国債はリスクを恐れないフェザーン人投資家向けの金融商品と化していた。そして、トリューンヒトはフェザーンからの投資を呼び込んで景気刺激を目指すとして、外国投資規制の全面撤廃を打ち出した。

 

 クーデター鎮圧後の政局は、まさにクリスチアン大佐やベーンが危惧したとおりに動いた。強引な戦犯断罪以降、俺はトリューニヒトのやり方に疑念を感じつつある。特に国家救済戦線派に対する待遇には、納得いかなかった。トリューニヒトの人柄にほだされずに、自分の意見をちゃんと言うには、心の中に疑念を抱えておかなければならない。グリーンヒル大将と対峙した時には、彼に対して疑念を抱いていたおかげで取り込まれずに済んだ。トリューニヒトとしっかり対峙するために、俺はこの世にいないクリスチアン大佐の力を借りたのだ。

 

 

 

 六月二三日の午後九時。最高評議会議長公邸の応接室に入った俺を待っていたのは、両手を広げて出迎えるトリューニヒトの笑顔だった。

 

「久しぶりだね、エリヤ君。こうして二人きりで会うのは一月以来かな」

「ええ、五か月ぶりですね」

 

 俺もつられて笑顔になる。

 

「もうそんなに経ったのか。最近は時の流れが早く感じるようになった。一か月や二か月はあっという間だよ」

「色々ありましたからね」

「そう、色々あった。エリヤ君にも私にも」

 

 トリューニヒトはゆっくりと噛みしめるように言い、それから右手を差し出した。俺も右手を差し出して、トリューニヒトの手を握る。

 

「しかし、何があっても私と君は友人だ」

 

 右手で俺と握手を交わしながら、トリューニヒトは俺の左肩を親しげに叩いた。心の中がじわじわと暖かくなっていく。「俺は本当にこの人が好きなんだなあ」と改めて思う。

 

「先にかけたまえ」

「お気遣いをいただき感謝いたします」

 

 俺はトリューニヒトの勧めに遠慮なく従い、ソファーに腰掛けた。俺が腰掛けてから、トリューニヒトも腰掛ける。来客を迎える際は、必ず客の後に着席するのが彼の流儀なのだ。

 

 俺の前に置かれているのは、コーヒーとフィラデルフィア・ベーグルのドライフルーツ入りマフィン。トリューニヒトが用意しないなんてことはあり得ないが、それでもいつもと変わらぬ気配りが嬉しい。トリューニヒトの前には、いつものように紅茶とチョコクッキー。

 

「今日も疲れただろう。コーヒーとマフィンを用意させた。口に合うかな?」

 

 トリューニヒトに勧められて、コーヒーを口にする。砂糖とミルクでドロドロになっていて、俺の口に良く合う。フィラデルフィア・ベーグルのマフィンも本当においしい。思わず顔が綻ぶ。

 

「おいしいです」

「それは良かった」

 

 太陽のようなトリューニヒトの笑顔は、疑念で曇った俺の心をたちまち明るく照らし出す。慌てて頭を横に振った。今日はトリューニヒトにちゃんと意見を言わなければならないのだ。

 

「君が私のやり方に不満なのはわかっている」

 

 表情をいつもの微笑みに変えて、静かにトリューニヒトは言った。俺の心を読んだかのようなタイミングでの言葉に、思わず動揺してしまった。

 

「君は人の絆を大事にする。共に戦った者にあの待遇では、決して納得がいかないだろう。それがわかっていたから、君を呼んで話をしようと思った」

 

 トリューニヒトは俺が言いたいことを先に言って、完全にペースを掴んでしまった。だが、このまま押し切られる訳にはいかない。必死に自分を励まして口を開く。

 

「でしたら、アラルコン少将やファルスキー少将ら国家救済戦線派幹部の昇進を……」

「それはできない」

 

 俺が言い終える前に、トリューニヒトはきっぱりと否定した。

 

「どうしてですか?信賞必罰は軍隊の根幹。彼らの功績に報いなければ、誰も国家を信用しなくなってしまいます。過激思想の持ち主を昇進させる危険より、国家が信用を失う危険が大きいと俺は考えます」

「我が軍では往々にして忘れられがちだが、階級は功績ではなく、能力に対して与えるものだよ。優れた佐官が優れた将官になれるとは限らない。昇進させたがために、かえって長所を殺すこともある。君の部下のガーベル君がその典型だ」

 

 第三巡視艦隊所属の戦隊司令官ナディア・ ガーベル准将の名前を出されて、思わず納得しそうになった。同盟軍史上でも五本の指に入ると言われる名艦長のガーベルは、第五次イゼルローン攻防戦において、たった一隻で三〇隻の敵艦を戦闘不能にするという空前の戦果を挙げた。帝国軍に「イゼルローンのラグナロク」と恐れられ、当時の宇宙艦隊司令長官ツァイス元帥は五〇万帝国マルクの懸賞金を掛けたと言われる。二九歳の若さで将官に昇進したガーベルだったが、提督としては二流以下だった。失態続きで第一線から外され、ここ二年は前線に出してもらえなかった。

 

「まあ、確かにガーベル提督は大佐のままでいた方が良かったですよね」

「そうだろう。彼女の功績には勲章で報いて、艦長に留めておくべきだったのだ。功績があったからといってふさわしくない者を昇進させてしまっては、本人にとっても軍にとっても大きな損失だよ」

 

 トリューニヒトの言うことは、いちいちもっともだ。しかし、ここで問題になっているのは、ガーベルのように明らかに資質に欠ける人物のことではなかった。本来の話題に戻さなければならない。

 

「アラルコン少将もファルスキー少将も中将たるにふさわしい力があります。俺が中将なら、彼らが中将でもおかしくないと思います」

「私から見れば、彼らは君に遥かに劣るけどね」

「お世辞は勘弁して下さい。統率力、用兵能力、運用能力、管理能力。どれ一つとして、俺は遠く及ばないですよ」

「指揮官としては、確かに彼らの方がずっと上だろう。しかし、軍人としては必ずしもそうではない。彼らは忠誠心に欠ける。軍人の仕事は戦いに勝つことではなく、国家を守ること。国家を守れない勝利は無意味だ」

 

 トリューニヒトは信頼を何よりも重んじる。忠誠心を問題にすることは予想の範囲内。十分に反論できる。

 

「彼らは四月のクーデターで見事に国家を守りました。十分に忠誠心を示したと考えます」

「国家に対する忠誠心ではないだろう。君に対する忠誠心、あるいは好意か」

 

 トリューニヒトは穏やかな表情をまったく崩していない。それなのに放たれる言葉は恐ろしく鋭い。警戒されているのだろうか。背中に冷や汗が流れる。

 

「まさか、俺みたいな頼りない司令官に忠誠心なんて……」

「彼らの理想は軍事独裁。君の中に理想の指導者を見たのではないかな?」

「俺が理想の指導者だなんて、まさか……」

「君は私が期待して育てた指導者だ。彼らがそう思ったとしても無理は無い」

「冗談はよしてくださいよ。俺はそんな大したものじゃありません」

 

 どんどん話が危険な方向に進んでいるような気がする。まるで首筋に刃物を当てられているかのようだ。いつもよりトリューニヒトの姿がずっと大きく見える。

 

「冗談ではない。君がクレメンスの副官だった時から、私は君の指導者たる資質に期待していた。クレメンスの短所を矯正せずに、長所を活かそうとする発想。決して人を批判せず、司令部の融和に務める姿勢。嫌いな者に対しても、なるべく良い面を見出そうとする公正さ。私の考える指導者たる資質を君はすべて持っている。だから、あらゆる立場での思考を理解できるよう、様々な任務を経験してもらった。期待通り、いや期待以上に君は良い指導者になってくれたよ。そして、今言っていることも私が期待した通りだ」

「指導者ですか……」

 

 トリューニヒトが俺に期待していたのは指導力。その事実に驚きを感じた。てっきり忠誠心に期待しているものとばかり思っていた。

 

「君の昇進を後押ししたのも功績ではなく、能力を評価したからだ。君は自分の功績が足りないことを気にしていたようだが、より高い階級にふさわしいと考えたからどんどん昇進してもらった。功績なんて後からついてくる。もはや、君が高い階級にふさわしくないと考える者はどこにもいないはずだ」

 

 冗談を言っているのでないことは、目を見ればわかった。

 

「わかったかね?彼らは市民に選ばれた政府に忠誠を誓うという発想を持っていない。彼らの忠誠は国家ではなく、優れた指導者に向けられる。そして、忠誠というのは一方的なものではない。良い指導者は部下の期待に応えようと努力するものだ。そして、君は良い指導者だ。彼らが君に政府に対する反逆を期待した時、君はそれに応えずにいられるだろうか?」

 

 難しい質問だった。俺はできる限り部下の期待を裏切らないように心がけてきた。反逆を期待されたらどうなるのだろうか。

 

「自信がありません」

「だからこそ、私は彼らを軍から排除しなければならない。君という腹心を失わないためにね」

「そういう場合って、普通は部下じゃなくて指導者を排除するものじゃないんですか?」

「政治家を動かすのは支持者だと、私はいつも言っているね?」

「はい」

「部下の言葉に良く耳を傾ける指導者は、部下によって動かされる。それは政治家も軍人も同じだよ。悪い政治家がいるとしたら、それは悪い支持者の責任だ。悪い政治家を排除したところで、悪い支持者は別の政治家の元に集まる。そして、その政治家を悪い政治家にする。だから、排除すべきは悪い支持者だ」

 

 支持者を主、政治家を従とするトリューニヒトの政治家論は、いつ聞いても独特だった。彼はフェザーンロビーと保安警察グループを良い支持者と思っているのどうか、ふと気になった。だが、あえて波風を立てる必要もないと思い、言わないでおくことにした。今の俺が言うべきことは、他にあるのだ。

 

「俺の下に着かないとしても、やはり彼らの昇進は認められませんか」

「そうしたら、他の者を指導者と仰いで反逆を期待するだけのこと。彼らには予備役になってもらう。私は誰も失いたくない」

 

 トリューニヒトは食い下がる俺を突き放すかのように断言した。

 

「だが、彼らの功労は認める。ハイネセン記念勲功大章、五稜星勲章など五つの勲章を授与。予備役編入時に中将に名誉昇進させて。中将相当の年金を支給する。予備役編入後も裕福に暮らせるはずだ。不祥事があったとはいえ、功労者が困窮しては市民も納得しないだろう。国家救済戦線派幹部の中で不祥事があった者もこれに準じる待遇をしよう」

 

 どんな表情をすればいいか、俺にはわからなかった。些細な不祥事をつついて彼らを軍から追放しようとするトリューニヒトの手法には違和感を覚えるが、追放後の生活や名誉に対する配慮は彼らしい気配りに満ちている。なんか複雑だ。

 

「もともと一時金と年金で十分裕福に暮らせるだけの勲章は与えるつもりだった。名誉昇進は、まあ君に対するサービスかな」

 

 トリューニヒトは悪戯っぽく片目をつぶり、軽くウィンクした。

 

「あ、ありがとうございます」

「これが最大限の妥協だよ。彼らは軍には残しておけない。アラルコン君の場合は、非戦闘員殺害疑惑という爆弾もある。反戦派がそこに火を付けてきたら、軍のイメージがさらに悪くなる」

 

 国家救済戦線派を抑えこもうとするトリューニヒトの意思が強固なことを改めて思い知った。これ以上、俺が食い下がれる余地は無かった。

 

「わかりました」

「君は甘いが、それは悪いことではない。君が甘ければ、私やクレメンスが厳しくすればいい。私が厳しすぎれば、君が甘くすればいい。そういう役を君に期待していると思ってもらいたい。君の甘さによって生きる者も多いだろうからね」

 

 俺は甘い。それはクリスチアン大佐がいつも言っていたことと同じだった。そして、クリスチアン大佐と同じように、トリューニヒトも俺の甘さに肯定的だった。決して相容れなかった二人が同じことを言っているのに、不思議なものを感じた。

 

「シェリル・コレット君、エリオット・カプラン君、ユリエ・ハラボフ君。他の者の下では生きなかったが、君の下に来て初めて生きた者達だ。それに加えて、エドモンド・メッサースミス君。この四名の二階級昇進は、私の期待を示したものと思ってもらいたい。君が彼らをどこまで引き上げられるか、彼らが君をどこまで押し上げられるか。私は楽しみにしている」

「やはり議長閣下のお声がかりでしたか」

「凡人も英雄になれる。君の市民軍はその可能性を示してくれた。コレット君やカプラン君のように期待されなかった者、ハラボフ君のように挫折した者、メッサースミス君のように愚直な者も英雄となった。凡人から生まれた英雄の部隊。まさに私の理想とするところだ。君にはその実現を託したい」

 

 トリューニヒトの目に熱っぽい光が宿る。凡人が団結して市民軍を結成し、非凡なエリート集団の救国統一戦線評議会に勝利する。トリューニヒトにとっては、自分の凡人主義が肯定されたように感じたのであろう。

 

 そして、俺の次の任務も見えてきた。部隊を作れということは、正規艦隊か方面管区の司令官だろう。

 

「次の俺の仕事は、どこかの部隊の指揮官でしょうか?」

「しばらくゆっくり休んでもらって、それから正規艦隊編成に携わってもらう。編成完了後は君が司令官だ」

「俺が正規艦隊司令官ですか?」

 

 正規艦隊司令官という言葉を噛みしめるように口にする。俺が同盟軍の最精鋭を率いるなんて、夢のような話だ。いきなり第一一艦隊司令官になれるとは思っていなかったが、実績を積めばいずれはなれる日も来るだろう。ルグランジュ中将との約束を果たすためにも、これから率いる艦隊で用兵の腕を磨いておかなければならない。

 

「第八艦隊、第九艦隊、第一二艦隊の残存戦力。解散する辺境総軍と第一一艦隊の戦力。宇宙艦隊直轄部隊の一部。これに新造艦を合わせた六万隻で五個艦隊もしくは六個艦隊を編成する。一年後が目処だ」

 

 目が点になった。辺境総軍と第一一艦隊を解散するというのは、一体どういうことだろうか。百歩譲って辺境総軍はいい。しかし、第一一艦隊が解散してしまったら、約束を果たせなくなるではないか。

 

「第一一艦隊と辺境総軍を解散するのですか?」

「どちらもクーデターに加担した。そのまま残しておくわけにはいかないさ」

「いや、しかし、第一一艦隊の首脳部はみんな自決したじゃないですか。今はもうすっかり政府に忠実な部隊ですよ」

「評議会が解散した後も彼らは抵抗を続けた。政府ではなく司令官個人に従うような部隊は忠実とはいえないな」

「いや、しかしですね。せっかくの精鋭です。バラバラにして新しい艦隊を作るより、今の形を保ったままの方が戦力になります」

「第二第三のルグランジュ君が現れてはたまらないからね。私は政府の指導者だ。やはり、政府に対する忠誠心を第一に考える」

 

 忠誠心を持ちだされては、反論のしようがない。第一一艦隊がルグランジュ中将に従って最後まで抵抗したのは事実。信頼重視のトリューニヒトには、「信頼できないが、力があるから使う」という選択肢は存在しない。

 

「同盟軍はしばらくの間、国内治安と艦隊再編に取り組む。帝国領遠征とクーデターの反省を生かして、真の市民の軍隊を作るべき時だ」

「ルイス提督の出兵案はどうなさるおつもりですか?」

「彼は去年のロボス君よりたちが悪いな。ロボス君には背負うべき支持者がいた。同意はできなかったが、理解はできた。だが、ルイス君は何も背負っていない。それなのにやたらと状況を動かしたがる。アスターテでも帝国領遠征でもそうだった。クーデターの際も賢しら顔でグリーンヒル君がクーデターを起こすと噂を流すだけで、止めようとしなかった。引っかき回して自分の力を誇示したいだけではないか。そんな戦争屋の案など、検討の余地もなく却下だ」

 

 トリューニヒトは強い口調で言った。出兵が実現する可能性は低いと思っていたが、それでも最高責任者の口から直接否定する言葉を聞けて安心した。

 

「私のやり方を強引すぎると感じることもあると思う。私が自由を奪おうとしていると言う者、独裁をしようとしていると言う者もいる。だが、凡人は放っておけばいがみ合う。信頼と忠誠なくして、凡人のための政治はできないのだ」

 

 彼が自分で言っているように凡人のための政治をしようとしているのか、あるいはクリスチアン大佐やベーンが言うように同盟を警察国家にしようと企んでいるのかは、俺にはまだ良くわからない。

 

 だが、政権を取ってからのトリューニヒトが、明らかに以前と違っているのは理解できた。信頼を重んじるあまり、信頼できない者を排除しようとする傾向が強まっていないか。凡人の期待に応えようとするあまり、強引になりすぎているのではないか。そんな危惧を覚えた。



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第百二十五話:家族の真実 宇宙暦797年6月下旬~7月10日 ハイネセン~パラディオン~エクサルヒア警察官舎

 六月下旬に首都防衛軍の指揮権を本来の司令官ロモロ・ドナート中将に返還した俺は、同日付で首都防衛軍副司令官と第三巡視艦隊司令官の職を解かれた。そして、一か月の長期休暇を与えられた。

 

 当初はハイネセンのジェリコ・ブレツェリ准将宅で過ごそうと思っていた。今年に入ってからの俺は、休日をブレツェリ准将夫妻とともに過ごすことが多かったのだ。彼らが作ってくれるフェザーン風料理が何よりも楽しみだった。

 

「せっかくの休暇なのに、ハイネセンで過ごすこともないんじゃないか?」

 

 しばらく家に泊めてくれるように頼むと、ブレツェリ准将は意外にも渋い顔をした。

 

「他に行きたい場所もないんですよね。フェザーン観光なんか行ったら、一か月どころじゃ済まないですし」

「せっかくの長期休暇なんだ。家族に顔を見せてきたらどうだね?もう九年も帰っていないのだろう?」

「いやあ、なんか気まずくて……」

 

 九年前に帰郷した時、前の人生で家族や元同級生に抱いた恐怖が蘇ってきた俺は、逃げるように故郷を離れた。それからというもの、故郷の人間とは一切連絡を取っていなかった。去年の妹との復縁をきっかけに、家族とは連絡を取るようになったが、どこかよそよそしさが残っていた。

 

「そうやってぐずぐずしているうちに九年が一〇年、一〇年が二〇年、二〇年が三〇年と積み重なっていく。人間関係というのは、一度すれ違ってしまえば、なかなか元に戻せないものだ。私にもそうやって疎遠になった友人は多い。気がついた時には、相手はとっくに墓の中なんてことになったら、取り返しがつかないぞ?」

「いやあ、別に……」

 

 パラディオンの街は懐かしいが、もう一度会いたい人は特にいないというのが本音だ。長いこと会ってない両親や姉なんかより、戦友や部下の方がずっと親しみを感じる。

 

「君のことだ。家族より軍の仲間にずっと親しみを覚えているのではないか?」

「あ、いや、そんなことはないですよ」

 

 ブレツェリ准将にあっさり本音を見抜かれた俺は、みっともないぐらいにうろたえてしまった。

 

「軍の仲間と親しく付き合うのは大いに結構。だが、それだけなのは良くないぞ。良くも悪くも軍というのは、特殊な社会だ。ずっと中にいると、その特殊さが普通だと思ってしまう」

「確かにおっしゃる通りです」

「生涯を軍で過ごすわけにもいくまい。将官のポストは佐官と比べると遥かに少ない。現在のポストの任期が終わった時に進むべきポストが空いてなければ、その時点で予備役編入だ。定年まで務められる将官は、ビュコック提督やルフェーブル提督のように極端に昇進の遅い将官ぐらいだよ。昇進の早い君はそれだけ退役も早くなる。順調に出世したとしても、統合作戦本部長を何年かやれば、そこであがりだからな。遅くとも四〇代半ばまでには、軍を退くことになるはずだ」

 

 軍を退く日がいつかやってくるなんてことは、考えもしなかった。だが、ブレツェリ准将の言う通り、昇進の早い者はそれだけ退役が早くなるのは事実である。士官学校出身者の大半は、五〇前に大佐の階級で退役する。将官になれないままで七、八年が過ぎると、後進の大佐にポストを譲り渡すよう迫られるのだ。未熟な二〇代のうちに将官に抜擢されて、業績をあげられずに三〇代で予備役編入されるケースも珍しくはない。早すぎる昇進はかえって軍人としての寿命を縮めるのだ。

 

「そういえば、ダゴンの英雄リン・パオ元帥とユースフ・トパロウル元帥は、ほんの短い間だけ統合作戦本部長を務めて、四〇代半ばで軍を退きましたね。民間では仕事らしい仕事をできずに、九〇過ぎまで生きたとか」

「やれ二〇代で准将だ、三〇代で少将と言っても、戦争しかできない者が早く昇進したところで、長すぎる余生を持て余すだけさ。軍から離れた後の人生を充実させるには、軍と関係ない人間関係を作ることだ。そういう意味で家族や同郷人はとても大事だぞ」

「なるほど、わかりました」

 

 数多くの軍人の人生を見詰めてきたベテランならではの訓戒に、俺は深く頷いた。

 

「アルマ君も里帰りするそうだ。ちょうどいいではないか。一緒に行ったらどうだ?」

「アルマと一緒にですか……」

「気が進まないようだな」

「別に気が進まないってことはないですよ」

 

 思いっきり嘘をついた。

 

「ならば一緒に帰るといい。彼女は喜んで受け入れるはずだ」

「しかし……」

 

 帰るとしても、アルマと一緒は嫌だ。彼女の身長は俺より六センチも高い。並んでいると、俺の背の低さが目立ってしまう。だから、広報の仕事でもアルマとの共演だけは頑なに拒否した。

 

「やはり身長を気にしているのか?」

「そ、そ、そんなことはありません!ないんです!」

「そんなことだと思っていた」

 

 懸命に否定する俺に、ブレツェリ准将は呆れた顔をする。

 

「ダーシャがいつも言っていたよ。エリヤは身長を気にし過ぎだとね。あの子にとっては、そこもまた君のかわいいところのようだったが」

 

 あの馬鹿、そんなことまで父親に言ってやがったのか。俺もダーシャは体重を気にし過ぎだと思ってたけど、誰にも言わなかったぞ。

 

「ほんと、あいつはいらないことばかり言いますね。困ったものです」

「こういうくだらんことも気軽に言い合えるのが家族というものさ」

 

 冗談めかして笑うブレツェリ准将。彼が七か月前に三人の子供を亡くしたことを思い出し、俺は言葉を失った。

 

「マテイともフランチともダーシャとも、永久に馬鹿話ができなくなった。だが、君は違う。君の家族はまだ全員生きている」

 

 ブレツェリ准将は表情を引き締めた。そして、ゆっくりと噛みしめるように語る。ダーシャは二度と父親にいらないことを言えない。ブレツェリ准将は二度と子供と馬鹿話ができない。それは途方もなく重い事実だった。

 

「一度故郷に帰って、家族に会ってきなさい。私からのお願いだ」

「わかりました」

 

 ノーと言えるわけがなかった。こうして、俺は九年ぶりに故郷パラディオンに帰ることになったのである。

 

 

 

 アルマとともにハイネセンポリスを出発した俺は、一〇日間の船旅を終えてタッシリ星系第四惑星パラスの衛星軌道に到達した。

 

 本来ならば一週間の行程であったが、軍が派遣した護衛部隊の都合で三日も遅れた。現在の同盟の国内航路は宇宙海賊の脅威に晒されている。ハイネセン-タッシリ航路を通行する民間船には、船団を組むこと、護衛部隊とともに行動することが義務付けられていた。こんなところにも国内治安悪化の余波が現れているのだ。

 

「着陸施設のトラブルのため、本船は今しばらく衛星軌道上にて待機いたします。パラディオン宇宙港への到着予定は、あと一時間ほど遅れます。お客様にはご迷惑をお掛けいたします」

 

 船内に流れたアナウンスは、長旅に疲れた俺をさらにうんざりさせた。船旅をしていて、到着寸前の足止めほどいらいらすることはない。糖分を補給して心を落ち着かせようとマフィンの箱に手を伸ばしたら、空っぽだった。アルマの方を見ると、案の定笑顔でマフィンを口に運んでいる。

 

「なあ、アルマ」

「どうしたの、お兄ちゃん?」

 

 パッチリした目を喜びに輝かせながら、もぐもぐとマフィンを食べる妹。そんな目で見られると弱い。

 

「何でもないよ」

 

 つくづく俺は小心者だ。俺の船室にやってきて、当然の権利のように俺の菓子を食い散らかしていく妹に手も足も出なかった。

 

 気を紛らわすために、端末を開いて週刊国防新聞の電子版を読む。首都防衛軍司令官ドナート中将が三月三一日の惑星間ミサイル爆発事故の責任を取って辞任するというニュースが第一面に掲載されている。

 

 事故が発生した時点では、入院中のドナート中将の代わりに俺が司令官代理を務めていた。ドナート中将は直接の責任者とは言えない。しかし、事故に至るまでの管理体制の不備、隠蔽工作を行った首都防衛軍参謀二一名の人事などに関する責任を問われて辞任に追い込まれたのである。第七歩兵軍団司令官エリアス・フェーブロム少将が後任に予定されているらしい。

 

 ドナート中将は旧シトレ派、フェーブロム少将はトリューニヒト派。隠蔽工作に関わった首都防衛軍の旧シトレ派参謀は、軍法会議に告発された。アラルコン少将、ファルスキー少将、ミゼラ准将ら国家救済戦線派将官は予備役に編入されて、首都防衛軍を去った。これでトリューニヒト派以外の勢力は首都防衛軍から一掃された。首都防衛軍参謀を司令部から追放した俺が言うことではないが、憂国騎士団を戦犯断罪に使ってから、トリューニヒトのやり口がどんどん荒っぽくなっているようで心配になる。

 

 有力ネットコミュニティサイトを幾つか検索して、一連の首都防衛軍粛清に関する世論の反応を調べてみた。旧シトレ派に近い進歩党の支持者、国家救済戦線派に近い統一正義党の支持者を除けば、概ね好意的なようだ。帝国領遠征やクーデターを引き起こした軍部に失望した市民は、トリューニヒトの豪腕に拍手喝采を送ったのである。

 

 ひと通り検索を終えた俺は、再び週刊国防新聞電子版を開いた。第二面の四分の一ぐらいを使って、イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将の留任決定を伝えるニュースが掲載されていた。紙面の幅からもわかるように、ヤン大将の留任決定は大方の予想を裏切らない結果だった。

 

 クーデターが起きた時、ヤン大将はクーデター参加拒否以外の意思表示をせずに、配下部隊を動員して不信を買った。「ドーソン大将から受けた反乱鎮圧命令を実行しようとしただけ」とヤン大将は言い張り、他に優先事項があったことから、この問題はさほど重視されなかった。宇宙艦隊副司令長官への栄転を名目に、ヤン大将からイゼルローン方面軍の指揮権を取り上げようとする動きも一部にはあった。だが、トリューニヒトの主要支持層である女性と若者に絶大な人気を誇るヤン大将の排除は、危険な賭けである。結局、なし崩し的に留任が決まった。

 

「休暇中なのにこんなの見てるの?お兄ちゃんはほんと仕事人間だね」

 

 マフィンを食べ終えて手持ち無沙汰になったのか、アルマが端末を覗きこむ。

 

「暇さえあれば、船内のトレーニングルームで筋トレかランニングに励む。休憩時間には教本を読む。そんな奴には言われたくないな」

「トレーニングは趣味だから」

 

 彼女にとってのトレーニングは、趣味ではなくて呼吸ではないか。そんなことを思ったが、あえて口には出さない。

 

「俺にとっては、人事が趣味なんだよ。ほら、人付き合いって面白いだろ」

「趣味じゃなくて呼吸じゃないの?」

 

 俺があえて使わなかった表現を使いやがった。だが、幼い顔に無邪気な笑みを浮かべられると、何も言えなくなってしまう。ダーシャが「アルマちゃんの愛嬌は才能」と言っていたのを思い出した。

 

「趣味だよ」

 

 この妹に口では敵わないと思いつつ、俺は会話を打ち切った。ちょうどいいタイミングで着陸施設復旧を伝えるアナウンスが流れる。アルマを船室から追い出すと、急いで荷物をまとめた。

 

 俺とアルマは故郷パラディオンの宇宙港に降り立った。ターミナルビルには、大勢の市民が出迎えに詰めかけていた。大きな歓声と拍手で出迎えてくれる市民に対し、俺は笑顔で手を振って応える。アルマも笑顔で応えるが、やや引きつっている。

 

 それから、ターミナルビルの四階の多目的ホールで記者会見に臨んだ。地元マスコミの記者からさまざまな質問が飛んでくる。

 

「フィリップス提督の帰郷は実に九年ぶりだそうですね」

「軍務に精励していたら、いつの間にか九年も経っていました」

「久しぶりのパラディオンの印象はいかがですか?」

「昔と全然変わってなくて安心しました」

「パラディオンでは、いかがお過ごしの予定でしょうか?」

「まずは実家に帰って、自分の部屋でゆっくり寝たいと思っています」

「フィリップス提督は甘党でいらっしゃいますね。パラディオン名物のピーチパイは今が旬の季節ですよ」

「もちろん楽しみにしています」

「結婚のご予定は」

「まだ考えていません」

「史上最年少の二九歳一か月で中将に昇進なさったフィリップス提督には、キャメロン・ルーク元帥、ウォリス・ウォーリック元帥に続く三人目の惑星パラス出身元帥の期待がかかっています」

「郷里の英雄に比べられるなんて、恐縮の至りです。皆さんの期待を裏切らないよう頑張ります」

 

 ハイネセンの記者に比べると、はるかに素朴な質問ばかり。それほど受け答えに気を使う必要は無かった。だが、隣にいるアルマは緊張でカチカチに硬くなっている。まだまだマスコミ慣れしていないようだった。

 

 記者会見を終えると、宇宙港からパラディオン市内に向かう。市内では大勢の市民が街頭に集まって、同盟国旗やタッシリ星系共和国旗を振りながら、俺とアルマを歓迎してくれた。パラディオン市政庁、在郷軍人会パラディオン支部、母校のオールストン・ハイスクールを表敬訪問した。

 

 

 

 パラディオン市政庁が用意してくれた公用車で実家に向かっている間、アルマは疲れきった顔になっていた。

 

「ねえ、九年前もこんな感じだったの?」

「まあ、こんな感じだったね」

 

 俺の返事を聞いたアルマは、肺を空にするような大きい溜め息をついた。アルマの弱ったところなんて、救国統一戦線評議会との戦いの真っ最中でも見なかった。よほどこのフィーバーに参ってるようだ。

 

「やっぱ、私は英雄って柄じゃないなあ。お兄ちゃんみたいに平然と受け止められないよ」

「受け止めるって、何を?」

「みんなの期待」

「俺だって受け止められないよ」

「そんなことないでしょ。期待を受けるために生まれてきたみたいに見える。九年前からそうだった」

「そんな立派なものじゃないって」

「徴兵される前のお兄ちゃんは、こんな感じじゃなかったのになあ。遠くに行っちゃった気がして寂しかった。やっと手が届いたような気がしたけど、やっぱりまだ遠いね」

「慣れだよ慣れ。俺だって九年前はアルマのように戸惑ってたんだから」

 

 優しそうに見える笑顔を作ってアルマにアドバイスをした。なんか、今の人生で初めて兄らしいことをしたような気がする。

 

 車窓から実家が見えると、アルマの表情に生気が戻ってきた。パラディオン市の中心部からやや外れた住宅地区の中の古びた集合住宅。パラディオン市警察のエクサルヒア官舎に俺の実家はあった。

 

 俺とアルマは公用車を降りて、エクサルヒア官舎の敷地内に入る。戸数三〇〇の大規模官舎だけあって、敷地面積は相当なものだ。中には公園もあれば、運動場もある。ジュニアスクールの五年度から徴兵されるまでの八年間を俺はこの官舎で過ごした。だが、懐かしいという気持ちはほとんど感じない。九年前は今の人生を始めて間も無くて、周囲に気を配る余裕がなかった。ゆっくりこの敷地内を見て回るのは、前の人生から数えると六〇年ぐらいぶりであろうか。懐かしさを覚えるほどの記憶も残っていない。

 

「どうしたの?あまり懐かしくない?」

 

 アルマが不思議そうに俺を見る。

 

「いや、そんなことはないよ。思ったよりずっと寂れた感じがして、ちょっとびっくりしてた」

 

 俺は慌てて周囲に視線を向けて、パッと思いついた印象を述べて取り繕った。

 

「そっかあ。無理は無いよね。九年前はほぼ満杯だったこの官舎も、今じゃ二〇〇世帯住んでるか住んでないかぐらいまで減ったから」

「一〇〇世帯も減ったのか。やっぱ古いのが嫌なのかな?」

「違うよ。人員整理。財政難でパラディオン市警察の定員が三割近く削減されたの」

「三割も!?」

 

 思わず目を丸くしてしまった。警察官の定員削減自体は、財政難にあえぐ地方ではさほど珍しくもない。三割どころか六割削減した自治体、警察を解散して民間の警備会社に警察業務を委託した自治体すら存在する。だが、家族が関わってくると、現実味が格段に違ってくる。

 

「お父さんもだいぶ前から整理対象候補にあげられててね。毎年、年度末が近づくたびに退職勧告に怯えてるよ」

「そっか……」

 

 警察官に限らず、公務員の人員整理が行われる際に真っ先に目を付けられるのは、勤続年数の長いベテランである。今年で勤続三〇年目になる父のロニーは、交通警察部門の警部補という最も整理対象になりやすい立場。それほど優秀なわけでもない。父が感じる不安のほどは、想像に難くなかった。

 

「でもね、お兄ちゃんがクーデターとの戦いで活躍したおかげで、『今年も首が繋がった』って喜んでたんだよ」

「そんなの関係あるの?」

「あるよ。英雄の親を辞めさせちゃったら、世間体が悪いでしょ?」

「まあ、確かにそうか」

 

 あまり認めたくないことではあるが、法の下の平等が建前の同盟でも家族の七光というものは厳然と存在する。俺の七光が父の首を繋いでくれるのならば、少しは親孝行ができたということになる。

 

「辞めさせる人を選ぶって難しいんだよ。能力や人柄に大差なかったら、そういう微妙なところも分かれ目になるの」

「家族の評判も関係してくるのか。なんか嫌な話だね」

「九年前のエル・ファシルで逃げた人の家族なんて、今年は危ないんじゃないかな」

「何だって!?」

 

 反射的に大声をあげて、アルマを睨みつけた。エル・ファシルの逃亡者が絡んでる話を黙って聞き流すなど、俺には不可能だ。

 

「あ、ほら。二年前のグランド・カナル事件、覚えてる?護衛部隊が一隻を残して民間船を見捨てた事件」

「覚えてるけど、それがどうした?」

 

 俺の豹変にうろたえるアルマ。だが、配慮する心の余裕など、俺にはなかった。

 

「結構大騒ぎになったでしょ?民間船を見捨てて逃げた艦の乗員もバッシングされたよね」

「だから、それがどうしたんだ?」

「お父さんの同期の友達にオラジュワンさんって人がいてね。その人の弟が逃げた巡航艦で副長をしてたの。グランド・カナル事件関係者の個人情報がネットに流れてから、オラジュワンさんは職場で嫌がらせされるようになってね。年度末に退職勧告受けたの」

「そんなの偶然だろ」

 

 口では否定したが、内心では分かっていた。オラジュワンという人は、弟の悪評の巻き添えになって退職に追い込まれたのだ。自由惑星同盟とはそういう国である。

 

「だから、今年はエル・ファシルの……」

「それでいいと思ってんのか!?」

 

 アルマの言葉を遮って、問い詰める。前の人生の彼女は逃亡者になった俺に対し、執拗な攻撃を加えてきたのだ。エル・ファシルの逃亡者を嫌ってる可能性は十分にある。

 

「いいとは思ってないよ……」

「本気でそう思ってんのか?コレット大佐とか、内心で見下したりしてなかったか!?」

「そんなわけないでしょ!」

 

 怒鳴り返したアルマの目には、涙が溜まっていた。

 

「私が家族の罪まで責めるような人間に見える?コレットさんを見下してたように見える?お兄ちゃんには、私はそんなふうに見えてたの?」

 

 涙ながらに問いかけてくるアルマの姿に怒りが引いていき、代わりに罪悪感が広がっていく。あのダーシャが親友と呼び、クーデターでは最初から最後まで俺の側で戦ったアルマ。妹であるかどうか以前に、一人の人間として信頼するに足る実績を示した。そんなアルマを信用しきれなかった自分の狭量さが恥ずかしくなった。怒りをぶつけずに、落ち着いて話すように努めなければならない。

 

「九年前のエル・ファシルでの俺は、本当に紙一重でさ。あと五分決断が遅れてたら、リンチ提督に言われたとおりに逃げて、今頃は逃亡者として叩かれてたと思う。そして、アルマにも迷惑かけてた。そう思うと、エル・ファシルの逃亡者のことは、他人事とは思えなかった。だから、いらついてしまった」

「そんなことは……」

「あるんだよ」

 

 アルマの目をまっすぐに見詰め、強い口調で言い切った。前の人生の経験を口にできないのがもどかしい。しかし、気持ちだけは伝えなければならない。そうしなければ、本当の意味で九年前、いや前の人生も含めると六九年前のエル・ファシルから始まった悪夢は完全に終わらないのだ。

 

「思い返してみると、人生って偶然の連続でね。数秒判断が遅ければ危なかったとか、咄嗟の一言のおかげでうまくいったとか。そんなことばかりだよ。アムリッツァでは、俺の部隊は弾薬切れ寸前だった。ボーナム総合防災公園の戦いだって、まったく成算がなかった。どうして生き残れたのか、今になってもわからない。外から見れば、すべて計算済みのように見えるかもしれないけど、実際はそうでもなくてさ。非常時に落ち着いて計算する余裕なんかないよ。その場その場を切り抜けようと必死であがいてたら、生き残ってしまった」

 

 潜り抜けてきた戦場が脳裏に浮かんでは消える。俺の九年間の軍歴において、確信を持って決断できた戦いは何一つなかった。

 

「内心はいつも不安だらけ。終わった後も後悔ばかり。何年経っても、『あの時の判断は正しかったのか』と疑わずにいられないような判断もある。英雄と言われていても、内実はその程度だよ。九年前のエル・ファシルの五分。その差が俺の運命を変えた」

 

 ひと気のない夕暮れ時の官舎敷地内。俺の独白だけが静かに響く。

 

「この年で提督になれたのは、みんながチャンスをくれたおかげだよ。エル・ファシルで五分決断が遅れたら、俺はこんなにチャンスを貰えなかった。人生って不公平だよね。立っている場所の違いで運命がまったく変わるんだから」

 

 前の人生では、逃亡者のレッテルが俺からチャンスを奪った。チャンスが巡ってくるか否か。それだけで人生はまったく変わる。本人は気づいていないだろうが、目の前にいるアルマだってそうだ。前の人生では愚鈍で意地悪なデブだったのに、今の人生で陸戦専科学校に入学したことがきっかけで運命が開けて英雄となった。

 

「アルマも知ってる通り、元々俺は冴えない奴だったよね。勉強も運動もできなかった。友達もいなかった。それがエル・ファシルでたまたま英雄になったおかげでチャンスをもらって、人生が変わった。世の中にはどんな生き方をしても必ず英雄になれる人もいるかも知れないけれど、俺はそうじゃなかった。俺は偶然で英雄になった。だったら、偶然で逃亡者になっていたかもしれない。他の人もそう。エル・ファシルの逃亡者だって、リンチ提督の下にいたという偶然、そして決断が遅れたという偶然のおかげで逃亡者になった」

「偶然っていうのはわかるよ。私もお兄ちゃんが英雄になったおかげで、学科が駄目だったのに専科学校に入れた。教官にもダーシャちゃんにも会えた。お兄ちゃんが逃亡者になってたら、今頃はアルバイトでもしてたのかな。意地悪な先輩にしょっちゅう鈍臭いって叱られて、休みの日は家でゴロゴロ。つまんないつまんないって言いながら毎日を過ごしてたのかな。想像するだけで怖くなる」

「今頃は俺のせいで、逃亡者の家族って叩かれてたかもしれないよ?」

「ああ、そっか。お父さんの首も危なくなるね。エル・ファシルの逃亡者の家族って、私にあり得たかもしれない未来なんだ。やっとわかった」

 

 前の人生で自分が歩んだ運命をアルマは想像力によって正しく理解した。そして、俺も前の人生で自分が家族に憎まれた理由をやっと理解できた。

 

 前の歴史では、帝国領遠征の損害は今よりも大きく、クーデターは四か月も続いた。今と比べると、ずっと財政難は深刻だったろう。警察の人員削減もより厳しく行われたはずだ。俺が逃亡者になれば、警察の人事担当者は良い口実ができたとばかりに父を退職させようとしただろう。警察を辞めさせられたら、当然官舎からも追い出される。五〇過ぎでこれといった特殊技能も持っていない元警官に、良い再就職が見つかるとは思えない。母は看護師、姉は教師。一家で路頭に迷うことはないだろうが、生活は苦しくなる。失職の危機が俺に対する憎悪を生んだのではないか。

 

 当時は怯えるばかりで、周りがまったく見えてなかった。家族とまともに話せなくて、家計の状況などもまったくわからなかった。六〇年近く経ってようやく状況が理解できるなんて、皮肉なものだ。

 

「そういうこと。だから、あまり無神経なことを言ってほしくなかった」

「ごめん」

「わかってくれたらいいんだ。エル・ファシルの逃亡者、そしてその家族にはあまり冷たくしないでほしい。俺達にあり得たもう一つの未来なんだから」

 

 俺の言葉にアルマは深く頷く。前の人生の経験を一切引き合いに出さずに、エル・ファシルの逃亡者を擁護する言葉。ようやく見付けることができた。これでようやく逃亡者擁護の戦いに踏み出せる。深い満足感を覚えた時、俺達を呼ぶ声がした。

 

「エリヤ!アルマ!こんな所にいたのか!」

 

 叫んでいるのは父のロニー。母のサビナ、姉のニコールの三人が駆け足で近づいてきた。

 

「いつまで経っても帰ってこないから、心配してたんだぞ」

 

 喜び九割、困惑一割といった表情の父。身長は俺より三、四センチ高い。髪の毛は年の割に白髪が多い。顔つきは良く言えば人が良さそう、悪く言えば押しに弱そう。服装はポロシャツにスラックス。典型的な中年男性の普段着である。当たり前ではあるが、メールに添付された画像とそんなに違わなかった。

 

「相変わらずエリヤもアルマも寄り道好きだねえ。今日も買い食いしてたの?」

 

 母はやれやれといった感じで俺とアルマを見る。身長は俺より二、三センチほど高く、女性にしてはがっしりしている。顔は優しそうだが、目に宿る光は強い。動きやすい服装を好む母らしく、半袖のパーカーを着ていた。

 

「英雄になっても、あんたらは変わんないね。ま、英雄になったぐらいで変わられたら困っちゃうけどさ」

 

 姉は笑顔で軽口を叩きながら、俺とアルマの肩をぽんぽんと叩く。小さい頃から俺と良く似ていると言われたやや男っぽい顔。職場からそのまま直行してきたのか、半袖のブラウスにズボンを履いている。シンプルではあるが、細身の姉には良く似合う。身長は父とほぼ同じ。忌々しいことに姉も妹も俺より背が高いのだ。

 

 家族と話しながら敷地の中を歩き、実家のあるD棟に入り、エレベーターで三階までのぼった。作りが全体的に古臭い感じがする。壁はひび割れていて、照明は薄暗い。ハイネセンの高級士官用官舎に住む俺から見れば、驚くほどに古ぼけていた。エル・ファシル警備艦隊に赴任した際に視察した下士官世帯向けの官舎よりややマシといった程度。地方財政の困窮ぶりをこんなところで実感させられる。

 

 九年ぶりに足を踏み入れた実家も貧相な感じがした。やはり自分や知り合いの軍人が住む官舎と比べてしまうのである。警察の階級を軍の階級に例えると、警視監は中将、警視長は少将や准将、警視正は大佐、警視は中佐や少佐、警部は大尉、警部補は中尉や少尉、巡査部長は下士官、巡査は兵卒に相当する。タッシリ星系警察では、警視監は市警察を統括する州警察の長官、あるいは州警察を統括するパラス惑星警察の主要六部長を務める。警部補の父は市警察の係長職。自分がこの九年間でどれほど家族と遠く離れた場所に行ってしまったのかを、官舎は如実に物語っていた。

 

 ダイニングルームに入ると、テーブルの上に積み上げられている山盛りの食べ物が目についた。見るからにこってりしたマカロニ・アンド・チーズ、ほくほくのフライドポテト、こんがり焼けたローストチキン、大皿いっぱいのジャンバラヤ、さっぱりしてそうなシーザーサラダ、ぶつ切りの白身魚が浮かぶフィッシュチャウダー、厚切りのパンにハムとチーズを挟んだサンドイッチ。どれも俺とアルマの好物ばかり。当然、デザートは別に用意しているはずだ。しんみりした気持ちはあっという間に吹き飛ぶ。

 

 ビールをがぶがぶ飲みながらトリューニヒトのようにぽんぽんと適当なことを言う父。俺とアルマに食べ過ぎるなと言い、父の適当な発言に突っ込みつつも満更でもなさそうな母。俺とアルマの皿が空になると、どんどん食べ物を放り込んで飲み食いする有様を楽しむ姉。脇目もふらず飲み食いに勤しむアルマ。

 

 昨年の八月に初めてブレツェリ家を訪れた時のことを思い出した。他人の家族の団らんに混ぜてもらっただけなのに、本当に楽しかった。自分が団らんの一員であるというのは、また違った楽しさがある。

 

「いきなりしんみりした顔になってんね。どうしたのさ?」

 

 姉のニコールが興味深そうに俺を見る。

 

「友達の家に行った時のことを思い出したんだ」

「ダーシャちゃんかあ」

 

 何もヒントを与えてないのに、姉はぴたりと当てた。

 

「何で分かるの?」

「弟の結婚相手だよ。探り入れるに決まってんじゃん」

 

 楽しげに笑ってからビールを飲み干す姉を見て、男前という言葉が頭の中に浮かんだ。前の人生では、彼女は俺を擁護したために何者かに腕を折られた。それ以来、俺を徹底的に無視するようになった。しかし、今の人生では昔と変わらぬ面倒見の良い姉として振る舞っている。

 

「姉ちゃんには、ほんと敵わないなあ」

 

 ごく自然に苦笑が浮かんだ。彼女を何の屈託も無しに「姉ちゃん」と呼ぶのは、何年ぶりだろうか。

 

「携帯端末で何度か話したことあるよ。感じのいい子だったね」

「ダーシャはいい奴だからね。会ったらもっと好きになってたよ」

「残念だね、本当に」

 

 姉は一瞬だけ軽く目を伏せて、それからビールを自分のグラスに注いでグイと飲み干した。ビールと一緒に目に見えない何かを飲み干しているかのように見えた。

 

「ま、頑張りな。あんたはまだ生きてんだから」

 

 大きく口を開けて笑うと、姉は俺の皿にジャンバラヤをどさっと放り込んだ。俺は無言で頷き、ジャンバラヤを口に入れる。

 

 母らしい大味な味付けを舌で楽しみながら、帰ってきて良かったと心の底から思った。そして、きっかけを作ってくれたジェリコ・ブレツェリ准将とダーシャに改めて感謝した。この日、俺は本当の意味で家に帰った。



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第百二十六話:老貴族の黄昏 宇宙暦797年7月11~18日 公立体育館~カフェ・ワシントン~パラディオン市内のホテル

 どうも俺は貧乏性らしい。ゆっくり休むということができないのだ。せっかく故郷に帰ってきても、与えられた時間をしっかり使わなければいけないと思ってしまう。

 

 帰郷二日目の午前はタッシリ星系政庁で星系首相、パラス惑星政庁で惑星知事と面談。午後からは市内でパレード。夕方は地元テレビ局の番組にゲスト出演。夜は地元政財界の主戦派が開催する激励会に出席した。

 

 三日目は退役軍人協会、愛国遺族会、戦没者遺児支援協会、傷痍軍人援護会といった軍関連団体を訪問。これは軍の広報が入れた予定ではなくて、俺自身の希望だった。今後の俺は正規艦隊司令官として一〇〇万を越える将兵を率いる立場。退役軍人や戦没者遺族の生の声を聞き、軍人と社会の関わりについての理解を深める必要を感じたのだ。軍隊の中にいては聞けないような話をたくさん教えてもらって、いろいろと勉強になった。ただ、反戦市民連合系の遺族団体である反戦遺族協会に訪問拒否されたのが心残りだった。

 

 四日目は犯罪者社会復帰支援センター、失業者宿泊所、野宿者保護施設、薬物中毒者更生施設、アルコール中毒者更生施設などを訪問した。退役軍人には野宿生活を送る者、困窮のあまり犯罪に走る者、軍隊で覚えた麻薬やアルコールの依存症に苦しむ者も多い。前日の団体訪問で拾い上げられなかった退役軍人の境遇を理解するためには、こういった施設を訪れる必要があった。前の人生で困窮して犯罪を重ねて、麻薬やアルコールに依存した自分の経験を見詰め直す意味もある。

 

 四日目でやりたいことを終えてしまった俺は、五日目から暇を持て余すようになった。前の人生で逃亡者になる前の記憶がだいぶ薄れていて、旧知の名前を思い出しても全然懐かしく感じなかった。行動範囲が狭かったから、これといって行きたい場所もない。そういうわけでアルマとともに名物のピーチパイを食べ歩き、余った時間はひたすら近所の体育館でトレーニングに励んだ。

 

 俺は朝のトレーニングメニューをひと通りこなして、プロテインドリンクを飲みながら休憩中だった。平日の朝に公立体育館のトレーニングルームを利用する者は少ない。おかげで注目されなくて済んだ。

 

 数少ない利用者の視線は、逆立ち片手腕立て伏せをするアルマに釘付けだった。一本だけで全体重を支えるアルマの腕は、軍服の上からは想像できないぐらい筋肉が付いている。上半身はフィットネス用のブラトップのみを着けているため、綺麗に割れた腹筋が見える。ニコルスキー准将やコレット大佐の筋肉もなかなかの物だが、アルマは別格だった。幹部候補生養成所時代に見たカスパー・リンツの筋肉には及ばないが、性差を考慮すれば止むを得ないところだ。

 

 俺もわりと鍛えてる方だとは思う。かつてバラット軍曹が「筋肉は努力を裏切らない」と言った通り、正しいトレーニングをすれば筋肉は着実に増えていく。それが楽しくて、よほど忙しい時以外はトレーニングを欠かさなかった。雑誌で「体育会系提督」と紹介されたこともあるし、ネットでは「筋肉で戦争をしてる」と書かれることもある。それでもアルマには及ばない。

 

 心のなかに広がる敗北感を打ち消すため、アルマが持ってきたマフィンの袋を開けた。そして、立て続けに口に入れる。いつもアルマは俺の菓子を勝手に食べてしまう。たまにはこれぐらい許されるだろう。

 

 二時間後、俺とアルマはパラディオン市中心部の「カフェ・アトランタ」の前にいた。平日午前中だというのに、長蛇の列ができている。パラディオン、いや惑星パラスで最もおいしいと評判のピーチパイ目当てに、彼らは並んでいるのだ。あまりの人の数に恐れをなした俺は、アルマに伺いを立てた。

 

「なあ、人が多すぎないか?出直そうよ」

「だめ」

「こんな暑い中、ピーチパイを食べるためだけに並ぶのってきついだろ」

「きつくない」

「今日みたいな日は、ピーチパイよりアイスクリームの方がおいしいと思うんだ」

「ピーチパイがいい」

 

 アルマは一切の妥協を拒んだ。俺が勝手にマフィンを食べてしまったことにまだ腹を立てているのだ。カフェ・アトランタのピーチパイをおごるまでは、許してもらえそうになかった。

 

 うんざりしながら、列の最後尾に向かう。英雄の名前を使えば並ばずに店に入れるかもしれないが、そんなのは俺のプライドが許さない。注目を浴びないように、わざわざイメージと違う服装を選んだ意味もなくなる。

 

 ふと、行列の中に見覚えのある姿が見えた。上品なジャケットにジャボと呼ばれる帝国風の胸飾りが良く似合う老人。体躯は抜き放った細身の剣のようだ。美しく刻まれたしわ、綺麗に整えられた銀髪と口髭が、端整な顔に年輪の深みを加える。理性ではなく本能がこの人物が高貴な存在であることを教えてくれる。

 

 地方都市のカフェの前では、老人の貴族的な風貌はどう見ても場違いであった。だが、誰も好奇の視線を向けようとしない。ここにいるのは当然であると言わんばかりの傲然とした雰囲気が力づくで周囲を納得させているのだ。

 

「あのお爺さん、まるで貴族みたい。なんで並んでるのかな?」

 

 アルマが極めてまっとうな疑問を抱く。老人のように高貴な存在と、ピーチパイを食べるために並ぶという庶民的な行為を結びつけるのは、非凡な想像力の持ち主以外には不可能であろう。

 

「さあ、わからないな」

 

 軽く受け流して、見なかったことにしようと思った。老人のことは嫌いではないが、こんな時には絶対に会いたくないタイプだ。

 

 老人の顔がこちらに向いた。偶然では無かった。視線が俺をまっすぐに捉えている。服装を変えてカモフラージュしているが、そんなものが鋭敏な老人に通用するはずが無かった。老人は口元に微笑を浮かべて、ゆっくりとこちらに歩いてくる。逃げられないと悟った。

 

「久しいな。息災であったか」

 

 老人の短い問いには、生まれながらにして人の上に立つ者のみ持つ鷹揚さが凝縮されていた。

 

「どうにか永らえておりました」

 

 俺は直立不動になり、なぜか敬礼で応じる。

 

「ふむ、それは重畳であるな」

 

 老人は尊大に頷いた。圧倒的な風格の違いが老人の尊大さを素直に受け入れさせる。こうして俺と門閥貴族マティアス・フォン・ファルストロング伯爵は、予想もしなかった場所で一〇か月ぶりの再会を果たした。

 

 

 

 カフェ・アトランタの狭い店内。俺とアルマとファルストロング伯爵は同じ席に座り、ピーチパイを食べている。炎天下の中、一時間近く並んだだけの価値はあった。惑星パラスで一番うまいピーチパイということは、すなわち銀河で一番おいしいピーチパイなのだ。アルマは満面の笑みでかぶりつく。ファルストロング伯爵はナイフとフォークを使い、綺麗に切り分けては口に入れる。

 

「ほう、妹にせがまれて来たのか」

「はい」

「女性というのは、甘い物が好きであるからな。わしも若い頃は良く付き合わされたものだ。おかげでオーディンの甘味にすっかり詳しくなってしまった」

 

 勝手にマフィンを食べてアルマに怒られたこと、代償としてカフェ・アトランタのピーチパイをおごるように求められたことを伏せて事情を説明すると、ファルストロング伯爵は苦笑気味に感想を述べた。海千山千の老貴族も若い頃は女性に弱かったと知って、少し親しみを覚えた。

 

「兄も結構甘い物が好きなんですよ。ここに来る前に私のマフィン、全部勝手に食べちゃったんです」

 

 隠そうとしていた事実をアルマがあっさりばらした。まだ根に持っているらしい。

 

「その埋め合わせということか。納得がいった」

 

 ファルストロング伯爵は人の悪い笑みを浮かべる。宮廷政治で培った鋭敏さをこんな場所で発揮しないでほしいと心の底から思いながら、四つ目のピーチパイを口にした。

 

「ええ、兄は本当に食いしん坊で困ります」

「はっはっは、勇名高い提督も妹君から見ればただの食いしん坊か」

「兄が兵役に行ってから、実家の食費が三分の二になったんですよ」

「五人家族なのに、一人で食費の三分の一を使っていたとは。呆れたものだ」

 

 自分の大食いを棚に上げて攻勢に出るアルマ。愉快そうに笑うファルストロング伯爵。妙に意気投合してしまってる。俺は苦境を切り抜けるべく、自分から質問をした。

 

「ところで伯爵閣下はなぜパラディオンにいらしたんですか?」

「卿が帰郷していると聞いてな。今を時めく英雄兄妹の顔を拝んでみるのも一興であろう」

 

 真面目くさった顔で俺とアルマの顔を見に来たと語るファルストロング伯爵。聞かなければ良かったと後悔した。

 

「……というのは冗談でな。ただの旅行じゃよ。先日、中央情報局をめでたくお払い箱になった記念にな」

「お払い箱ですか?」

「トリューニヒトにしてみれば、改革市民同盟と付き合いの深いわしは扱いづらいのであろう。それに亡命してきたのは一一年前。持ってる情報もすっかり古くなった。ここらが潮時だろうて」

 

 ファルストロング伯爵が就いていた中央情報局特別顧問は、亡命者に与えられるポストとしては最高級のものだった。俸給は同盟軍中将や各委員会部長職と同等。専用のオフィスと秘書、運転手付きの公用車を与えられる。誰もが羨む地位を失ったのに、実にさばさばしたものだった。

 

「そういうことでしたか」

「年金はたっぷり出る。亡命の際に持ち込んだ資産もまだまだ残っている。暇もある。ならば、同盟国内をゆっくり旅してみようと思うた。亡命してから一一年、ハイネセンとイゼルローン以外に行ったことがなかったでな」

「なるほど。この時期にパラディオンにお越しになったのは、やはりピーチパイですか?」

「卿ではあるまいし、食べ物目当てに立ち寄ったりはせんよ。七三〇年マフィアゆかりの地を巡っておるのだ。この店のピーチパイもかのウォリス・ウォーリックが贔屓にしておったと聞いて食べに来た」

 

 どうやらファルストロング伯爵の中では、俺は食いしん坊ということになったらしい。それはともかくとして、同盟史上最高の軍事集団と言われる七三〇年マフィアの一員ウォリス・ウォーリック提督は、惑星パラスの出身。パラス第二の都市パラディオンにもウォーリック提督ゆかりの場所は多い。七三〇年マフィアゆかりの地を巡っているファルストロング伯爵が立ち寄るのも当然といえよう。だが、なぜ七三〇年マフィアなのだろうか。

 

「なぜ七三〇年マフィアゆかりの地を巡ろうとお考えになったのですか?」

 

 取り繕ったところでファルストロング伯爵にはすぐに見抜かれてしまうと思った俺は、ストレートに疑問をぶつけることにした。

 

「卿らにとっては、アッシュビーら七三〇年マフィアは英雄であろう?」

「ええ」

 

 そんなのは確認するまでもないことだ。同盟軍史上最高の戦術家ブルース・アッシュビー元帥とその腹心六人は、全員が士官学校七三〇年度卒業者だったことから、「七三〇年マフィア」と呼ばれる。帝国軍相手に連戦連勝し、第二次ティアマト会戦では帝国の軍制に根本的な変更を迫るほどの巨大な戦果をあげた。彼らに匹敵する英雄といえば、ダゴン星域会戦に勝利して亡国の危機を救ったリン・パオとトパロウルの両提督ぐらいだ。

 

「彼らが活躍した時期は、わしが幼年学校から士官学校に進む時期とちょうど重なっておってな。戦うたびに味方が惨敗するものだから、それはもう悔しくて悔しくてたまらんかった。早く一人前の軍人になって、アッシュビーをやっつけてやりたいと願ったものじゃよ」

 

 ファルストロング伯爵はとても懐かしそうに語る。勝敗なんてとっくの昔に超越してしまったような風格のある彼も、一〇代の頃は味方の敗北を心から悔しがる純粋な少年だったようだ。

 

「ああ、そういえば当時の軍務尚書が無念のあまり憤死したと聞いたことがあります」

「学校でも教官が『そんなことでアッシュビーに勝てるか』と喚いて、わしらの尻を必死で叩いておった。授業が終わったら、仲の良い者同士で集まってアッシュビーを倒す戦略を話し合ったものだ。当時はすべての国民がアッシュビーを憎み、アッシュビーを倒すことを願った。敵役ではあったが、あの男はわしらにとっては紛れも無いスーパースターであったな。後にも先にもあれだけ人の心を掴んだ提督はおるまいて」

「アッシュビー提督を始めとする七三〇年マフィアは、伯爵閣下にとっては思い出のスターなのですね」

「そういうことになるな」

 

 心の底から嬉しそうに笑うファルストロング伯爵を見て、ふとラインハルト・フォン・ローエングラムについて考えた。彼は第六次イゼルローン攻防戦、第三次ティアマト会戦、エルゴン会戦、アスターテ会戦、アムリッツァ会戦で同盟軍を叩きのめした。今の同盟の少年少女にとって、ラインハルトはどのような存在なのだろうか?少年時代のファルストロング伯爵にとっての七三〇年マフィアのようなスーパースターなのだろうか?

 

「思えばわしはずっと前ばかり見てきた。ここらで昔を振り返ってみるのも悪くない。そう思った時、七三〇年マフィアが頭の中に浮かんできた。かつての敵をしのびながら旅をするのもまた一興というものだ」

「なるほど、良くわかりました」

 

 俺は深く頷いた。権謀術数に生きた老貴族がすべてを失った時、思い出のスターゆかりの地を巡ることを思い立つ。まるでロードムービーの題材のようだ。

 

「卿と会えたのは僥倖であった。地元のことは地元の者が一番詳しかろう。案内せよ」

「案内ですか?」

「うむ、食費は全額払うぞ」

 

 どうやら、ファルストロング伯爵は俺を食べ物で釣れると思っているらしい。案内するのはやぶさかではないが、食べ物目当てと思われては困る。どう答えるべきだろうか。

 

「喜んでお引き受けします!」

 

 元気に答えたのは、ファルストロング伯爵と俺が話している間、ひたすらピーチパイを注文しては胃袋に収めていたアルマだった。

 

 

 

 その日から二日間、俺とアルマはファルストロング伯爵をウォーリック提督ゆかりの地に案内した。地元民の生活感を味わいたいというファルストロング伯爵の希望で、文化発信地のケニーズ通り、ショッピング街のアンダーブルック通り、ウォーリック提督が子供時代に住んでいたウェスト・トリニティ地区、俺の実家のあるエクサルヒア地区にも行った。

 

 ファルストロング伯爵がパラディオンで過ごす最終日の夜。俺達三人はファルストロング伯爵が泊まっているホテルのレストランでディナーを共にした。

 

「これで卿らとも最後か。時が過ぎるのは早いものだ」

 

 ファルストロング伯爵は意外にも残念そうだった。

 

「本当に楽しかったです」

 

 満面の笑顔でそう言った後に、アルマは馬鹿でかいナジェールエビの香草焼きを豪快に食いちぎる。この二日間、アルマはひとかけらの遠慮もなく、ファルストロング伯爵の支払いで食べまくった。「本当においしかったです」の間違いではないかと思ったが、黙って三杯目のスープを飲み干した。

 

「わしも年を取ったようだ。若い者に物を食べさせるだけで楽しい気持ちになるとはな。このマティアス・フォン・ファルストロングが最後は好々爺になって人生を終えるというのも、それはそれで悪くない」

 

 自嘲半分、照れ半分といった感じでファルストロング伯爵は微笑む。最初に会った時から思っていたことだが、こんな人が宮廷闘争に深入りするなんてさっぱり理解できない。

 

「帝国貴族がみんな伯爵閣下のように優しい人だったら、同盟と帝国も戦争せずに済んだのでしょうね」

 

 エビの香草焼きを食い尽くしたアルマは、口の周りの食べかすをナプキンで拭いてからしみじみと言った。

 

「わしのような者しかおらんから、戦争が終わらんのだ」

「ブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵みたいな感じ悪い人と伯爵閣下は違うでしょう?」

 

 アルマにかかれば、帝国最大の門閥貴族も「感じ悪い」とばっさりである。これは女性ならではの感性だろう。男性の俺には、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵やウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵の強面は威厳たっぷりに見える。

 

「何も変わらんよ。わしもオットーもウィルヘルムも」

「リッテンハイム侯爵は味方を撃って逃げた人じゃないですか」

 

 アルマは形の良い眉をひそめて嫌悪感を示す。敵国の内戦とはいえ、先日のキフォイザー星域会戦でリッテンハイム侯爵が演じた醜態は、軍人として認められるものでは無いのだ。

 

 帝国内戦の初戦はラインハルト率いる改革派軍が優位だった。改革派軍は初戦のアルテナ会戦で勝利して、レンテンベルク要塞を攻略。正面決戦の不利を悟った保守派貴族軍は、物量の優位を生かして次々と新手をぶつけた。消耗戦を強いられた改革派軍は、戦術的には勝利を重ねたものの疲弊が激しく、決定的な勝利を得られない。このまま消耗戦が続けば、数に劣る改革派軍は確実に敗北する。

 

 改革派軍は状況を打開すべく、思い切った手に出た。全軍を二つに分けて、ラインハルト率いる本隊は帝国内地で保守派貴族軍の主力を拘束する。その間にキルヒアイス上級大将率いる別働隊は、フェザーン側辺境の制圧に向かう。保守派貴族軍の最大の資金源であるフェザーンルートを遮断し、物量の優位を覆すのが目的だ。

 

 五月から六月にかけて、キルヒアイスの別働隊は六〇回以上の戦闘にことごとく勝利して、辺境の保守派貴族軍拠点を攻略していった。保守派貴族軍副盟主のリッテンハイム侯爵は、辺境に所領を持つ貴族とともに辺境救援を主張。一方、盟主のブラウンシュヴァイク公爵は「本隊を破れば、辺境の別働隊は立ち枯れる」として、消耗戦の継続を主張した。両派は激論の末に決裂し、七月の初めにリッテンハイム侯爵は辺境の領主とともに独断で辺境奪回に向かった。

 

 リッテンハイム侯爵とキルヒアイスはキフォイザー星域で衝突。戦いはキルヒアイスの一方的な勝利に終わる。一目散に逃げ出したリッテンハイム侯爵は、退路を確保するために前方にいた自軍の輸送部隊を攻撃。間一髪でガルミッシュ要塞に逃げ込んだものの、怒った部下の自爆攻撃によって殺害された。

 

 保守派貴族軍は副盟主と総戦力の三割、そして辺境奪回の機会を永遠に失った。シャンタウ星域で初めて戦術的勝利を収めたブラウンシュヴァイク公爵配下の主力とは明暗を分ける形となった。改革派軍はここぞとばかりにリッテンハイム侯爵の醜態を糾弾。キフォイザー星域会戦の映像は、フェザーンを経由して同盟のマスコミの手に渡り、門閥貴族の腐敗ぶりを示す格好の素材として全土に放映されたのである。ウィルヘルム・フォン・リッテンハイムの名前は、卑怯者の代名詞として全銀河に鳴り響いた。

 

「わしもウィルヘルムの立場なら、そうしたかも知れん。卑怯な振る舞いではあるが、気持ちはわかる」

 

 意外にもファルストロング伯爵はリッテンハイム侯爵に同情的だった。アルマは驚きで目を丸くする。ファルストロング伯爵が亡命するきっかけとなったベーネミュンデ侯爵夫人の皇后擁立問題では、リッテンハイム侯爵はファルストロング伯爵と対立する陣営にいたはず。恨み重なる政敵の醜態なのに、なぜ理解を示すのだろうか。不思議に思った俺は、アルマとファルストロング伯爵の会話に割って入った。

 

「確か、伯爵閣下とリッテンハイム侯爵は政敵同士でしたよね?」

「そうじゃな」

「もっと厳しいことをおっしゃるとばかり思っていました」

「帝国にいたら、そうしたであろうな。ウィルヘルムを蹴落とす良い機会を見逃したりなどせぬ。じゃが、今のわしは異国に老醜の身を横たえる敗残者。政敵だの派閥だのは、もう終わった話じゃよ」

「では、改めてお伺いします。伯爵閣下はリッテンハイム侯爵の件をどのようにお考えなのでしょうか?」

 

 姿勢を正して質問をする。前の歴史の本では、ひたすら門閥貴族を愚かで卑劣な存在として書いていた。門閥貴族の価値観には、一分の理も存在しないかのように見えた。しかし、歴史の本の価値判断がそれほどあてにならないことは、同盟軍人と直に接して学んだ。門閥貴族に主張すべき理があるとしたら、それは一体どんなものなのだろうか。興味を強くそそられる。

 

「門閥貴族というのはな、生まれつきの権力者なのだ。生まれながらにして家を背負い、家に仕える者を背負う。そして、命ある限り権力者としての責任を果たさねばならぬ。血が与えてくれた権力は、心臓が止まるまで手放せんからな。ウィルヘルムはリッテンハイム一門二四家の総帥。自分の家の他に一門の家にも責任がある。戦いのさなかに命を落とせば、核を失ったリッテンハイム一門は瓦解するであろう。ならば、何と言われようと生き残らねばならん。一門が結束していさえすれば、一時の汚名などいずれ取り返せる。そう考えるのが門閥貴族というものだ」

 

 血の与えてくれた権力は、心臓が止まるまで手放せない。命ある限り権力者としての責任を果たさなければならない。ファルストロング伯爵が語る門閥貴族の権力と責任は、民主主義の国で生まれ育ち、前の人生で貴族無き帝政を経験した俺には、とても新鮮だった。

 

 同盟の権力者と関わって、彼らの背負う責任の重み、その重みが生む権力への執念を知った。今の俺には、権力というものがどれほど重いものか良く理解できる。自分の意思とは無関係に権力を持たされて、死ぬまで責任を果たさねばならないとしたら、それは途方もなく辛い人生のように思える。卑怯としか見えなかったリッテンハイム侯爵の行為も、権力者としての義務感と考えると別の顔が見えてくる。

 

「同盟の政治家に権力を与えるのは市民です。市民の支持を失うか、引退すれば、政治家は権力者をやめて一介の市民に戻れます。支持基盤を他の者に譲渡することだってできます。しかし、門閥貴族に権力を与えるのは血筋。家臣や領民の支持を失っても、引退したくなっても、血筋を捨てることはできない。どんなにボロボロになった権力でも、持ち続ける義務がある。辛いですね」

「それゆえに門閥貴族は強い。下級貴族や平民とは、権力に賭ける執念が格段に違う。権力のためなら、どんな卑劣な真似もできる。同盟と違って、大衆受けを気にする必要がないからな。執念深い卑怯者が喧嘩に強いというのは、理解できるじゃろう?」

「はい」

「喧嘩に強い者が必ずしも戦争に強いわけではないというのが面白いところでな。むしろ、喧嘩の下手な者ほど戦争には強い。戦争で卑怯な真似をしたら、兵を失望させて士心を失う。家門を大事にすれば、公平を欠いて士心を失う。宮廷では百戦錬磨のウィルヘルムは、戦場では卑怯で不公平な指揮官となる」

「門閥貴族として優れた資質も軍人としては仇になるということですか」

「そうじゃな」

 

 実に明快であった。門閥貴族の強さと弱さがすっきりと理解できる。

 

「要するに門閥貴族はエゴイストってことでしょうか?家を守ろうとする強烈なエゴが門閥貴族の強さ。でも、それって国を運営するには向いてないような」

 

 アルマは本当に言葉を選ばない。聞こえの悪い表現でずばっと突っ込んでくる。真っ直ぐなダーシャの親友だけのことはある。

 

「まあ、向いとらんな」

 

 ファルストロング伯爵は実にあっさりと認めた。門閥貴族として国家の中枢にいた者がこれでいいのかと思ってしまうぐらいだ。

 

「同盟の者がイメージするような貴族の放蕩者なんてのは、帝国貴族では少数派でな。この世の人間の大多数は凡庸な者。凡庸な者同士では、教育に金を掛けた者の方が優秀になるのは道理。幼少の頃から家門を背負って立つべく文武を仕込まれた門閥貴族の子弟は、概ね常人より優秀じゃよ。しかし、それもあくまで家門を守るための能力。優秀なエゴイストが集まったら、手柄争いと足の引っ張り合いが始まるのは火を見るより明らかであろう。じゃから、帝国には猛将や闘将はおっても、アッシュビーのような名将はおらんのだ」

 

 門閥貴族は優秀なエゴイスト。一人のプレイヤーとしては優秀でも、エゴが強すぎてチームプレーはできない。そんなイメージがファルストロング伯爵の話から掴み取れた。

 

「ローエングラム元帥はどうでしょう?」

 

 質問せずにはいられなかった。ここまで話を聞くと、やはり門閥貴族としてラインハルトをどう考えているのか聞きたくなる。

 

「わしが亡命した時には、ローエングラム元帥は一〇かそこらの子供だった。一人の人間としては良く分からん。じゃが、門閥貴族をなるべく使わん方針には覚えがあるな。当時は暴挙と思った。じゃが、ローエングラム元帥の戦いぶりを見ていると、なかなかの卓見だったように思えてくる」

「覚えがあるんですか?」

 

 門閥貴族を使わない方針は、ラインハルトの独創とばかり思っていた。しかし、ファルストロング伯爵は覚えがあるという。かつてラインハルトのような改革者がいたということだろうか。これも前の歴史の本では読んだことのない話だ。

 

「今上陛下の父君にあたる故ルートヴィヒ皇太子殿下は、門閥貴族に嫌われておってな。まあ、わしも亡命前はあの方を引きずり降ろそうとした側にいたのじゃが。しかし、わずかながらルートヴィヒ殿下を盛り立てようとする者がおった。その者達はルートヴィヒ殿下が門閥貴族に嫌われているのを逆手に取り、下級貴族や平民を積極的に登用した。家門を背負わぬ寒門の者は、個人的な恩義で動く。たとえ寒門を見下していても、親衛隊や秘書団は寒門で固めるのが門閥貴族の倣い。じゃが、ルートヴィヒ派の者は門閥貴族が就く高位ポストにまで寒門を登用しようとした」

 

 現皇帝エルウィン=ヨーゼフの父親であるルートヴィヒ皇太子が門閥貴族に嫌われていたのは、かなり有名な話だ。だからこそ、門閥貴族排除を狙うリヒテンラーデ公爵とラインハルトは、エルウィン=ヨーゼフを擁立した。しかし、皇太子の生前に支持者がいたという話は、初めて聞いた。帝国の派閥抗争の実態は、同盟にはなかなか伝わってこない。ラインハルトの活躍と直接関係ないせいか、前の歴史の本でも見かけなかった。

 

「結果はどうだったんですか?」

「中心となったのは、ツァイスという男じゃ。わしが亡命した時は上級大将。亡命してから三年ぐらい後に帝国元帥に進み、宇宙艦隊司令長官となった。あの男が宇宙艦隊司令長官をしている間、エルゴン星系まで押し上げた前線は同盟軍の反撃を受けてイゼルローンまで押し戻された。第五次イゼルローン攻防戦では、要塞が陥落寸前まで追い込まれた。その次の年にタンムーズ星域で同盟軍に惨敗して辞任に追い込まれた。結果的には失敗したのであろうな」

 

 どれも俺の記憶にある戦いだった。イゼルローンまで前線を押し戻した同盟軍の反撃とは、六年前の「自由の夜明け」作戦。エル・ファシル義勇旅団が活躍したことになっている戦いだ。第五次イゼルローン攻防戦は言うまでもない。四年前のタンムーズ星域会戦は、あのロボス元帥が元帥号を獲得した戦いだ。ツァイス元帥は後任のミュッケンベルガー元帥と比べると明らかに失敗した。

 

「発想は良くても、結果が出るとは限らないんですね」

「結果を出す力はまた別じゃからな。ツァイスは発想力だけ、ローエングラム元帥は結果を出す力もあったんじゃろう。世間の者は最初に思いついたか否かをさも一大事のように言うが、そんなことには何の意味もない。結果を出せたかどうかが問題じゃて」

「おっしゃる通りです」

 

 ツァイス元帥がなぜ失敗したのかはわからない。登用する人材を誤ったのかもしれないし、良い人材を登用したのにツァイス元帥自身の用兵手腕がついていかなかったのかもしれない。いずれにせよ、ラインハルトと同じアイディアを持っていても、それだけではラインハルトになれないということが分かる。

 

「まあ、しかしツァイスも仕事をせんかったわけでも無いようじゃが」

「どういうことですか?」

「ちょっと時間をもらえるかな」

 

 そう言うと、ファルストロング伯爵はポケットから分厚いメモ帳を取り出して、とんでもなく早さでめくりだした。俺とアルマは鮮やかな手つきに見入ってしまう。ピタッと手を止めると、ファルストロング伯爵はあるページを示した。

 

「二月にローエングラム陣営の分析を頼まれた時のメモじゃよ。あまり役には立たんかったがな」

 

 ラインハルト陣営の幹部の名前が帝国語で書き連ねられている。名前の横には、ラインハルトの元帥府に登用される前の階級、丸や三角やバツ印などのマークが付されていた。

 

「これは?」

「ローエングラム陣営の人的構成の傾向じゃよ。オーベルシュタイン家の次男坊以外は知らん者ばかりじゃから、中央情報局の持っとるわずかな経歴情報を頼りに分析した。一定の傾向はあった」

「オーベルシュタイン参謀長をご存知なのですか?」

 

 前の歴史で銀河最高の謀略家と言われ、今もラインハルトの知恵袋として活躍するパウル・フォン・オーベルシュタイン。それをファルストロング伯爵が知っているというのは、気になる話だ。

 

「オッフェンブルク一門には珍しく真っ直ぐな若者じゃったな。素直に過ぎて行く末が少々心配であった。あのような者が栄達するのは、結構なことだ」

 

 まったく想像もしなかった感想が返ってきた。海千山千のファルストロング伯爵から見れば、あのオーベルシュタインも正直者なのか。それとも、ファルストロング伯爵が亡命した後に変わったのか。いずれにせよ、俺には計り知れないことだ。

 

「では、ローエングラム陣営の傾向について話すとしようか」

 

 門閥貴族が分析したラインハルト陣営の傾向とは何なのか。心臓が高鳴る。

 

「中将級以上の艦隊司令官一〇名のうち、七名がツァイスの元帥府に在籍した経験がある。アムリッツァ会戦で戦死した中将一名もやはりツァイスの元帥府に在籍しておった」

「ほとんどがツァイス元帥の元部下?」

「この者達は寒門出身にも関わらず、ローエングラム元帥に引き立てられる前から、少将や准将の階級を持っていた。門閥貴族でもこれほど早い出世はなかなかできるものではない。まして、寒門ではな。ルートヴィヒ皇太子派の拡大を狙ったツァイスが有望な若手を元帥府に集めて、元帥権限で階級を引き上げたということになろう」

 

 確かにラインハルト陣営の主要提督は、若い上に出身身分も低い。それなのにラインハルトに仕える前から高位にあった。前の人生で読んだ提督たちの伝記では、ラインハルトに仕える以前の経歴は驚くほどに簡潔だった。異常に早い昇進も有能さゆえとされていたが、尉官や佐官の権限では目立つ功績を連続してあげるのは不可能に近い。そして、帝国軍は信賞必罰が不公平な軍隊。武勲をあげても上司に横取りされるなんてのは、珍しくもないと言われる。尉官や佐官の頃にツァイス元帥の引き立てを受けたと考えれば、彼らの異常な出世の背景も理解できる。

 

 ルートヴィヒ皇太子は若くして死亡し、失敗続きのツァイス元帥は軍を追われて、その派閥は崩壊した。門閥貴族に敵対的なルートヴィヒ=ツァイス派の引き立てによって、異常な出世を遂げた寒門出身の若者。彼らが派閥崩壊後に軍内部でどのような視線に晒されたかは、想像に難くない。前の人生で読んだ伝記によると、ウォルフガング・ミッターマイヤー提督は少将の高位にあったにも関わらず、門閥貴族の私怨で殺されかけた。ラインハルト配下の提督が共有する反門閥貴族感情のルーツは、ルートヴィヒ=ツァイス派にあったのかもしれない。

 

「なるほど、確かにツァイス元帥は大きな仕事をしたようです」

 

 ツァイス元帥の人事が及ぼした影響の大きさに深く嘆息した。ファルストロング伯爵は興味深そうに、アルマは不思議そうに俺を見た。

 

「ほう、卿はローエングラム元帥を随分と高く評価するのだな」

「去年の帝国領遠征でさんざん苦しめられました。気にするなという方が無理ですよ」

「卿をしてこう言わせるとはな。ローエングラム元帥はアッシュビーに優るとも劣らぬスターらしい。同盟の若者は幸せだ。強大な敵がいれば、心を一つにできる」

 

 ファルストロング伯爵は優しそうな笑いを浮かべる。だが、俺は笑う気になれなかった。強敵を前にしても、同盟軍の派閥争いは止むことがない。かつての帝国国民が心を一つにしてアッシュビー元帥を憎んだように、同盟市民がラインハルトを憎める日は来るのだろうか。不安は募る。

 

「そうできたらいいんですけどね」

「半生を賭けて権力を求めてきたわしもすっかり脂っけが抜けてしもうた。半生を平凡に生きてきた卿も今は英雄であろう。わしも卿も変わった。ならば、他の者が変わる可能性を信じても良いのではないかな?」

 

 他の者が変わる可能性を信じろ。老人の言葉は俺の心に深く刺さった。この席にいる者はみんな変われた人間だ。料理が盛られた皿を空き皿に変える機械と化しているアルマもそうだ。市民軍にも凡人から英雄に変わった者がたくさんいる。曇った心にうっすらと陽光が差し込んできたように感じた俺は、笑顔で三品目のシーフードピラフを注文した。



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第百二十七話:トリューニヒト粛軍 宇宙暦797年7月末~9月上旬 ブレツェリ家~官舎

 昨年の帝国領遠征敗北以来、市民の間に高まった軍部改革の声は、四月に起きた救国統一戦線評議会のクーデターによって最高潮に達した。閉鎖的な軍運営が軍人の暴走を招いたとみなした市民は、政治主導の軍運営を望んだ。

 

 軍の政治的中立が失われることを恐れた旧シトレ派は、徹底的に軍部改革に抵抗。帝国領遠征の戦犯を擁護し、従来通りの軍運営を続けようとした。しかし、世論の攻撃から守り通したグリーンヒル大将、派閥重鎮のヤオ中将らがクーデターを起こしたために面目を失った。これまで連携してきた反戦派も改革支持に回り、完全に孤立した旧シトレ派は抵抗を諦めたのである。

 

 最後の抵抗勢力が潰えたことによって、軍部改革を阻む者はいなくなった。俺が休暇を終えてハイネセンに戻った七月末頃から、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは世論の圧倒的な支持を背景に軍部改革に乗り出す。国防委員長ネグロポンティ、統合作戦本部長代理ドーソン大将、宇宙艦隊副司令長官臨時代理から国防政策担当議長補佐官に移ったロックウェル大将の三名が改革の推進役となった。

 

 第一一艦隊など全員がクーデターに加担した部隊は、すべて解体された。一部がクーデターに加担した部隊、一時的に救国統一戦線評議会の命令を受け入れた部隊、惑星ハイネセンにあって日和見した部隊は解体こそされなかったが、再編の対象となって徹底的な人員入れ替えが行われた。

 

 解散された部隊や再編対象部隊に所属していた者は、すべて徹底的な取り調べを受けた。特に責任が重いとみなされた者は、軍法会議に送られた。軍法会議に送るまでもないが十分に責任があるとみなされた者は、予備役に編入された。上官の命令に従っただけの者に対しても重い処分が検討されたが、「さすがにそれは不当だ」「さすがに何百万人も処分するのは無茶」との意見が多数を占め、大佐以上の階級を持つ指揮官、中佐以上の階級を持つ参謀が予備役編入されるに留まった。その他の者は地方の警備部隊や教育部隊に転出させられた。

 

 クーデターに関与しなかった後方勤務本部長ランナーベック大将、地上軍総監ペイン大将、前首都防衛軍司令官ドナート中将ら一三名の軍高官は、監督責任を問われて予備役に編入された。陸戦隊総監グリーソン中将、大気圏内空軍総監ホッジズ中将ら九名は閑職に回された。

 

 地方反乱軍を出した第四方面管区、第九方面管区、第一一方面管区は再編の対象となった。第四方面管区司令官リリュー中将、第一一方面管区司令官アモーディオ中将は、監督責任を追及されて予備役に編入された。第九方面管区司令官イリインスキー中将は、半年の減給処分のみで現職に留任した。リリュー中将が旧シトレ派、アモーディオ中将が旧ロボス派であるのに対し、イリインスキー中将がトリューニヒト派であったことが処分の差に繋がったと言われる。最大の反乱部隊を出した辺境総軍は解体されたが、司令官ルフェーブル大将は予備役編入を免れた。

 

 グリーンヒル大将ら救国統一戦線評議会幹部の裁判はまだ続いていたが、クーデター関係者の処分は一段落したといえる。

 

 トリューニヒトはクーデターに関わった者の処分と平行して、将官クラスや大佐クラスの人事異動に着手した。政治色の濃い者や過激思想を持つ者が「世代交代」の名目で予備役に編入され、「適材適所」の名目で中央から追放された。

 

 保守的な軍長老の技術科学本部長フェルディーン大将や戦略部長シャフラン大将、アルバネーゼ退役大将と親密な国防委員会事務総局次長ユーソラ中将、ウィンターズ主義派教育者の国防研究所所長ナラナヤン中将、シトレ退役元帥の腹心だった宇宙艦隊副参謀長マリネスク少将、国家救済戦線派の理論家と言われる第一艦隊第三分艦隊司令官ミュラトール少将など、反トリューニヒト的な軍高官が次々と予備役に編入された。三九歳のマリネスク少将、四四歳のミュラトール少将の予備役編入は、世代交代が単なる口実に過ぎないことを物語る。

 

 帝国領遠征軍総司令部の作戦主任参謀だった第一八方面管区司令官コーネフ中将、情報主任参謀だったバンプール星系警備司令官ビロライネン少将といった帝国領遠征の戦犯は、一階級降等の上で予備役に編入された。アムリッツァ会戦で第一二艦隊を使い潰して不評を買った辺境総軍第二分艦隊司令官ブラツキー少将、統括参謀として第三六戦隊を監視した第二四一支援群司令カウナ大佐など、戦犯とはいえないまでも遠征推進に深く関わった者も全員予備役に編入された。

 

 クーデター鎮圧の功労者だった国家救済戦線派のアラルコン少将、ファルスキー少将、ミゼラ准将らは、既に予備役に編入されていた。それに加えて、第一歩兵軍団司令官カヴィス少将、第一空挺軍団副司令官リリエンバーグ准将、第四五歩兵師団長ワン准将らは、世代交代を理由に予備役に編入。第五陸戦軍団司令官代理カンニスト准将、第一〇三歩兵師団長ハッザージ准将らは辺境の警備司令官に転出。国家救済戦線派幹部は首都圏から一掃された。第二大気圏内空軍司令官ロジャー少将ら反戦派将官も首都圏から追放された。

 

 一連の人事によって異動対象となった者は大将から二等兵までおよそ三八一万人、軍を追われた者は将官だけで四一一人に及ぶ。全軍の一割に及ぶ凄まじい粛軍人事である。

 

「まるでラングトン疑惑ではないか。これは民主主義のやり方ではない。独裁だ」

 

 リベラリストの進歩党委員長ジョアン・レベロは、トリューニヒトの強引な粛軍を激しく批判した。例にあげたラングトン疑惑とは、銀河連邦首相となったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦軍統合参謀長クラーク・ラングトン大将を陥れるために仕掛けた陰謀を指す。ラングトン大将の失脚をきっかけに軍部の反ルドルフ派は一掃された。ルドルフを引き合いにしたレベロの激烈な批判も世論の共感を呼ばなかった。

 

「レベロ委員長は軍部にお友達が多いですからねえ。気が気でないのでしょう」

 

 ニュースキャスターのウィリアム・オーデッツは、冷笑を浮かべてレベロと旧シトレ派の親密な関係を皮肉った。

 

「しかし、交友関係は私的な事。軍部改革は公の事。けじめは着けなければいけません。トリューニヒト議長も軍部には多くの友人を持っていらっしゃいますが、心を鬼にして改革に取り組んでおられます。これは軍部を市民のもとに取り返す戦い。議長の戦いではなく、我々市民の戦いであるということを忘れてはならないでしょう」

 

 一転して、オーデッツは厳粛な面持ちになって軍部改革への支持を訴える。「軍部改革は市民の戦い」というのは、最近のトリューニヒトが良く口にする言葉だ。今やマスコミはトリューニヒトの応援団と化していたのである。

 

 

 

 トリューニヒトの苛烈な粛軍人事は、市民の溜飲を大いに下げた。しかし、悪者を追い出したらそれで解決とは行かないのが現実である。空いたポストには、後任を任命しなければ組織は機能しない。粛軍人事と後任人事の両方が成功して初めて、改革を成し遂げたことになるのだ。最初に注目の的となったのは、首脳人事である。

 

 軍部トップの統合作戦本部長クブルスリー大将、ナンバーツーの宇宙艦隊司令長官ビュコック大将は留任した。二人とも監督責任を問われる立場であり、反トリューニヒト派でもある。トリューニヒトとしては、できるものならこの機に排除したかっただろう。しかし、正規艦隊再建という大事業を推進するにあたって、彼らの名声は必要不可欠であった。

 

 統合作戦本部長代理ドーソン大将は、クブルスリー大将の復帰に伴って統括担当次長に戻った。彼もまた監督責任を問われる立場であったが、クーデターの事後処理に振るった手腕が評価され、トリューニヒトの厚い信頼もあって不問とされた。粛軍人事の功績から国防委員会事務総長もしくは統合作戦本部幕僚総監への起用も取り沙汰されているが、当分の間は現職に留まって海賊討伐作戦の指導にあたるものと思われる。

 

 後方勤務本部長には、後方支援集団司令官シンクレア・セレブレッゼ大将が起用された。早くから将来の後方勤務本部長候補と目されていたが、三年前のヴァンフリート四=二攻防戦の失態によって逼塞を余儀なくされた。今年の二月の捕虜交換において、四〇〇万の捕虜を迅速に移送した功績で復活を遂げて、遂に後方部門の頂点を極めた。彼は元々ロボス派だが、中央に呼び戻してくれたトリューニヒトに好意的だった。軍部掌握を狙うトリューニヒト、人事秩序の維持を望む軍部、清新な人事を期待する市民のすべてを満足させる人事であった。

 

 地上軍総監には副総監ギオー中将、技術科学本部長には艦艇技術開発部長シェンク技術中将が昇格し、共に大将に昇進した。両名ともにトリューニヒト派。兵科出身者のポストとされていた技術科学本部長への技術科出身者起用は注目を集めた。

 

 首都防衛軍司令官には、予想通りトリューニヒト派の第七歩兵軍団司令官フェーブロム少将が就任し、同時に中将に昇進。クーデター鎮圧の際には、救国統一戦線評議会に加担した部下に捕らえられて活躍できなかったフェーブロム中将であったが、トリューニヒトに対する忠誠心を評価されて昇進を果たした。

 

 国防委員会事務総局の部長職一一のうち、八つをトリューニヒト派が占めることとなった。クーデター派の牙城となった情報部は徹底的に粛清されて、アルバネーゼ退役大将の系列に連なる生え抜きは姿を消し、憲兵隊と監察総監部から移ってきたトリューニヒト派の人材に占められた。教育部からはリベラルなウィンターズ主義派が追放されて、全体主義的なグリニー主義派が主要ポストを独占した。

 

 軍運営の透明化を掲げるトリューニヒトは、監察と憲兵重視の方針を打ち出した。国防委員会監察総監を中将ポストから大将ポストに格上げし、前辺境総軍司令官ルフェーブル大将を起用。方面管区司令官級だった憲兵司令官を国防委員会部長級に格上げし、通信部長ルスティコ中将を起用。大物の起用によって権威を高めようとしたのである。

 

 統合作戦本部と宇宙艦隊総司令部の幹部ポストにもトリューニヒト派が進出していった。ドーソン大将に勝るとも劣らない神経質ぶりで有名なジェニングス少将の宇宙艦隊副参謀長就任は、特に注目された。宇宙艦隊総司令部の管理機能強化が表向きの理由であったが、ビュコック大将の監視役として送り込まれたのは明らかだった。

 

 ハイネセンに駐屯する艦艇部隊や地上部隊は、一部の警備部隊を除けば対帝国戦に用いられる外征部隊。全軍の中で最も優秀な将兵で構成される精鋭部隊である。しかし、粛軍人事で基幹要員が失われてしまった。トリューニヒトはその穴を自分に忠実な者で埋めようとした。

 

「ほう、二二歳の駆逐艦艦長か」

 

 新聞をめくったジェリコ・ブレツェリ准将は、大して面白くもなさそうに呟いた。今日も俺はブレツェリ家で夕食を食べていた。ギバニッツァというフェザーン風パイを食べ終えてから質問をした。

 

「どんな人ですか?」

 

 予想は付いている。だが、手続きとしてこの質問は必要だった。

 

「市民軍の英雄らしい。ハイネセンポリス決戦の功績で中尉から大尉に昇進して、駆逐艦ナーシサルⅧの艦長代理に就任したそうだ」

「またサプライズですか……」

 

 思わずため息をついてしまった。優秀で忠実な人材など、なかなかいるものではない。そして、トリューニヒトは能力より忠誠心を重視する。トリューニヒトに忠実な者は、資質や経験に関係なく登用された。市民軍に参加して功績をあげた者も登用された。そのため、実戦経験の乏しい者、経験はあるが能力に欠ける者などが多数含まれた。

 

「議長はフレッシュな若手、叩き上げの苦労人、義勇軍で活躍した民間人を好んで抜擢する。どうすれば市民に受けるのか、良くわかっている」

「まあ、確かに市民は喜ぶでしょうが……」

 

 トリューニヒトは「硬直化した軍部人事に風穴を開ける」と称して、大胆な抜擢を行った。「年功序列にとらわれず、優れた者を抜擢する」と言って、二〇代や三〇代の若手を抜擢した。「埋もれていた人材を発掘する」と言って、下士官や兵卒から叩き上げた老軍人を抜擢した。「軍の常識にとらわれない人材を求める」と言って、市民軍で活躍した義勇兵に正規軍階級を授与してポストを与えた。小説であればこのような人事は大成功するのだろうが、俺には不安しか感じられなかった。

 

「若手が滅多に登用されないのは、経験や技能が乏しいからだ。年を取っても埋もれているのは、軍に長年いたのに大した仕事ができなかったということだ。軍が民間人を重用しないのは、軍事が常識の世界だからだ。抜擢すれば才能がいきなり開花する。そんな都合の良い話は、そうそうあるものではない。結局のところ、教育と経験に優る才能は無い。つまらん結論だが、そこそこ年を取ったエリートが一番強いということになるな」

「トリューニヒトは凡人のための政治を標榜し、『凡人は弱い。だから団結しなければならない』と考えている凡人主義者です。団結を乱す非凡さの存在を許せない。だから、非凡なエリートを遠ざけて、凡人を近づけようとしてる。その気持ちは分かるんですよ」

「忠誠心のある凡人を集める。それもそれでひとつの見識ではあるな。なにせ非凡な者は扱いにくい」

「トリューニヒトは信頼関係を大事にする人です。抜擢人事で恩を売りつつ、話題を作ろうとしてるんでしょう。とてもうまい手だとは思います。しかし、限度があると思うんですよ。結束した凡人は強いですが、凡人は何人集めても凡人です。戦争では非凡な人に頼らなければ、勝てない場面もあります。帝国領遠征で第一二艦隊の非凡な人達と一緒に戦って思い知りました。一〇〇万人の俺より、一人のヤン・ウェンリーの方がずっと役に立つ場合もあるんです」

「ほう、ヤン提督や旧シトレ派をそこまで高く評価してるとは意外だな。嫌いだとばかり思っていたが」

 

 興味の色がブレツェリ准将の細い目に宿る。

 

「嫌っているように見えましたか?」

「君とヤン提督はエル・ファシルの英雄で年齢も近い。何かと比較される立場だ。旧シトレ派とは首都防衛軍司令部で衝突した。市民軍には旧シトレ派はほとんど参加しなかった。外野からは確執があるように見えるな」

 

 付き合いの深いブレツェリ准将にも、俺がヤンや旧シトレ派を嫌ってるように見えた。つまり、俺のことを良く知らない人から見てもそのように見えるということだ。これはまずい。

 

「ヤン提督と俺なら、文句なしにあちらが上。比べるのも馬鹿馬鹿しいぐらいです」

 

 俺には味方の血を一滴も流さずにイゼルローンを落とすことは不可能だ。ヤンと同じ策略を使って同じ部下を使ったとしても、やはり不可能だろう。あれはヤンの判断力やリーダーシップがあって初めて可能になるのだ。アムリッツアで見たヤンの戦いぶりも人間業とは思えなかった。比較対象になると思う方が間違っている。

 

「旧シトレ派の人は苦手ですが、戦争では敵いません。大局的な視点で戦略を練る、敵の大軍に何の躊躇もなく立ち向かうなんてことは、俺みたいな凡人にはできないですよ。第一二艦隊の人達の記憶が脳内に残っている限り、旧シトレ派を嫌いになるのは無理です。本当に格好良かったですから」

 

 第一二艦隊のシトレ派軍人は、命を投げ出すことを何とも思ってなかった。苦境にあっても冗談を飛ばす余裕を忘れなかった。理解はできなかったけど、本当に格好良いと思った。ボロディン中将の最後の訓示には、心の底から感動した。理念に賛同できなくても、理念を貫こうとする姿には深い共感を覚えたものだ。

 

「なるほど。それは嫌いになれないな。格好良いと思ったものを嫌うのは無理だ」

 

 ブレツェリ准将は口元に微笑みを浮かべる。

 

「今や俺と旧シトレ派の間は、どうしようもなくこじれてしまいました。彼らは俺のことをトリューニヒトの手先と思っています。誰とは言いませんが、俺に尾行を着けた人もいました。俺自身、第一一艦隊と首都防衛軍では旧シトレ派を引っ掛けて司令部から追放しました。俺は彼らを警戒しているし、彼らも俺を警戒している。俺の仲間は俺が彼らと対立することを期待し、彼らの仲間は彼らに俺と対立することを期待する。こうなると、腹を割って話そうというわけにもいかなくなります。理解はできないし、信用もできないけれど、格好良いとは思う。そんなところです」

「尊敬はしているが、なるべく遠くから尊敬したいと言ったところか」

「ああ、そうです。そんな感じです」

「今さら『尊敬しています』と言ったところで、君の立場なら裏があると思われるのがオチだ。議長はビュコック大将やヤン大将の武勲をいつも讃えているが、誰一人として議長が彼らを本気で尊敬してるとは思っていないからな。遠くから何も言わずに尊敬するのが一番だろう」

 

 ここで「旧シトレ派と腹を割って話せ」なんて無茶を言わず、旧シトレ派の悪口を言って俺に迎合しようともしない。ブレツェリ准将のそんなところが俺は好きだった。ペチェニツァというフェザーン風ソーセージをつまんでから、軽く微笑む。

 

「誰かに好かれたら別の誰かに嫌われてしまう。残念ですが、それが人間関係ですから。ダーシャは良い奴でしたが、それでも万人に好かれるというわけにはいきませんでした」

「あの子は好き嫌いがはっきりしていた。だから、敵も多かった。同期のアッテンボロー提督とは不倶戴天の間柄だったな」

「ああ、良く悪口言ってましたね。根本から合わないようでした。ダーシャと仲良くできる人は、たぶんアッテンボロー提督とは仲良くできない。アッテンボロー提督と仲良くできる人は、ダーシャと仲良くできない。そんな印象を受けましたね。アッテンボロー提督はドーソン大将とも不仲。たぶん、俺とも相性悪いんでしょう。面識はありませんが」

 

 ダーシャは人の好き嫌いが激しい。俺と親しい関係にあるトリューニヒトのことも嫌ってた。しかし、ダーシャと仲良くしつつ、トリューニヒトとも付き合うことはできた。ダーシャも「トリューニヒトは嫌いだけど、トリューニヒトを好きなエリヤは好きだ」と言ってた。しかし、ダスティ・アッテンボローに対する嫌いっぷりは次元が違ってた。「あいつと仲良くできる人間性の持ち主って時点で近寄りたくない」とまで言ってた。誰かに好かれたら、誰かに嫌われる。それは諦めなければならない。

 

「私は彼と少しだけ面識があるが、まあ君とは無理だろうな。君はおよそ反骨精神というものを持ち合わせていないが、彼は反骨精神の塊だ。君は愚直だが、彼は怜悧だ。正反対でも仲良くできる者はいるが、この組み合わせはそうもいかんだろう」

「遠くから何も言わずに尊敬するぐらいがちょうどいいんです。実績ある名将なのは事実ですし」

「君は用兵が下手だが、彼は天才的だ。どこまでも対照的だな」

「ほっといてください。気にしてるんですから」

 

 俺が軽くむくれると、ブレツェリ准将は苦笑した。

 

「しかし、君もこれから正規艦隊司令官だ。用兵が下手だなどとは言ってられないぞ。無能な指揮官は人殺しに等しいからな」

「ええ、頑張らないと……」

「それもあの名誉ある第一二艦隊の司令官。ボロディン提督の名を辱めない戦いをせんとな」

「そうなんですよね」

「随分浮かない顔をしてるな。どうした?」

「第一二艦隊は思い入れのある艦隊。その司令官を拝命するのは、この上ない名誉。しかし、ボロディン提督の名を辱めない戦いができるかどうか、不安でたまらないのです。第一二艦隊に加わる部隊の訓練を視察しましたが、酷いものでした。将兵の技量、指揮官の運用能力ともにかつての第一二艦隊の足元にも及びません」

 

 第一二艦隊司令官に内定した俺は、運用構想を練るために、個艦単位、群単位、戦隊単位の訓練をそれぞれ視察した。しかし、粛軍人事で基幹要員がことごとく入れ替えられてしまったせいか、驚くほどが動きが悪かった。去年の帝国領遠征で戦ったラインハルトの部下よりずっと酷い。それに加えて戦意も低かった。

 

「仕上げるまでどれぐらい時間がかかりそうだね?」

「参謀長は三年かかると言っていました。かなり甘く見積もって三年だそうです」

「どんなに遅くとも、帝国内戦は年内に終わると言われてるな。敵が内政に二年を費やしたとしても、間に合わない計算か」

 

 ブレツェリ准将の予測は彼独自のものではなく、同盟とフェザーンの専門家が等しく共有する常識的なものだった。

 

 七月にシャンタウ星域で初めての戦術的勝利を得た保守派貴族軍であったが、フェザーンルートを遮断された影響は大きく、戦力の補充もままならなくなった。物量任せの消耗戦を継続できなくなった保守派貴族軍の前線はじりじりと後退していき、八月には本拠地ガイエスブルク要塞の周辺まで改革派軍の部隊が姿を見せるようになる。数日間にわたる小競り合いの後、両軍の主力はついに衝突した。激戦の末に改革派軍が大勝利を収めたが、保守派貴族軍の主力を壊滅させるには至らなかった。

 

 優勢にある改革派軍は内戦前半の消耗戦で疲弊しており、保守派貴族軍を攻めきれずにいる。保守派貴族軍も侮り難い戦力を残してはいるものの、改革派軍の主力を撃破する力はなかった。両軍ともに決め手を欠いたまま、ガイエスブルグ要塞周辺で睨み合いを続けた。純軍事的に見れば、内戦は膠着状態に入ったかに見える。しかし、経済的にはそうでは無かった。

 

 四か月にわたる内戦は、帝国経済に深刻な影響をもたらした。両軍ともに大金を投じて軍需物資を買い集めたために生活必需品が急騰し、民衆生活を窮迫させた。保守派貴族私兵軍の通商破壊、改革派軍のフェザーンルート攻撃による流通路の遮断は、さらなる窮迫をもたらした。自給能力を持たない単一農業惑星や鉱山惑星は飢饉に見舞われて、多くの餓死者が出た。帝国内地の工業地帯では生産活動が大幅に縮小され、失業者が街頭に溢れた。

 

 民衆の不満が高まる中、保守派貴族軍は増税に踏み切った。最大の資金源だったフェザーンルートはキルヒアイス上級大将によって遮断され、保守派貴族軍不利と判断した帝国国内の金融業者も貸し渋りを始めた。彼らが頼れる資金源は、税金しか残されていなかったのだ。しかし、去年の一時的な辺境失陥及び帝国内地の大反乱、そして目の前で起きている保守派貴族軍の敗北は、帝国と貴族の支配が絶対的なものでないことを民衆に教えた。保守派貴族軍の支配地域において、相次いで民衆が蜂起した。

 

 今やブラウンシュヴァイク公爵直轄領の惑星ヴェスターラントですら、代官のシャイド男爵が民衆反乱軍に追放される有様。保守派貴族軍は足元から崩れつつある。前の歴史と違ってシャイド男爵は生きているらしく、ヴェスターラントの虐殺が起きる気配はない。それでも、保守派貴族軍がそう長くないのは明らかである。しかし、改革派軍も保守派貴族軍の自壊をのんびり待っていられる状況ではなかった。民衆の窮乏は彼らの支配地域でも起きているのだ。不満が爆発する前に決着を着けなければならない。だから、専門家は「遅くとも年内に終わる」と予測しているのだ。

 

 改革派軍と保守派貴族軍のどちらが勝ったとしても、勝者は圧倒的な権威のもとに新体制を築き上げるだろう。専門家は新体制構築が完了するまでの期間を一年から二年と予測した。これまでの戦闘の推移から、内戦に参加している帝国正規艦隊はさほど損害を受けずに済むものと思われる。二年間で同盟の戦力が帝国に追いつくのは、絶望的であった。

 

「一人前の下士官を育てるには一五年、一人前の艦長を育てるには二〇年かかると言われます。今は戦時中ですので五年は短くなりますが。予備役に回された人、辺境に飛ばされた人を呼び戻さなきゃ、ちゃんと動ける艦隊は作れないですよ」

「だが、それは議長が認めんだろう」

「そうなんですよ」

 

 考えれば考えるほど溜め息が出る。新艦隊の編成にあたって、俺はかなり大きな裁量権を与えられた。普通の司令官は参謀と専門スタッフしか選べないが、現時点で新艦隊の司令官に内定した五名は一から艦隊を作っていくという特殊な立場にある。そのため、分艦隊司令官から群司令まで選ぶことを許された。

 

 俺は用兵能力が低い。だから、オーソドックスな運用でも十分戦える指揮官を配下に揃える必要があった。だが、国防委員会が用意した候補者リストに載っている人材は、経験が浅い若手、経験はあるが意欲と能力に欠けるロートル、上の受けは良いが部下の受けが良くない者ばかり。粛軍人事によって飛ばされた者は、リストから除外されている。

 

 粛軍人事で飛ばされなかった者のうち、それなりに優秀な者は他の司令官内定者四名との取り合いになる。そうなると、個人的なコネが物を言う。俺は他の四名と比べると、正規艦隊での勤務経験が少ない。そのため、優秀な人材を見付けても他の四名に取られてしまう。来てくれたのはエル・ファシル動乱の際に俺の上官だった前マルーア星系警備司令官アーロン・ビューフォート少将、市民軍で共に戦った前第六五戦隊司令官ファビオ・マスカーニ少将のみだった。

 

 困り果てた俺は国防委員会と談判して、粛軍人事で飛ばされた人材も候補者リストに加えるように頼んだ。今は亡きルグランジュ率いる旧第一一艦隊には、優秀な人材が多かった。彼らを呼べたら、ルグランジュ中将との約束も果たせる。だが、「それはできない」の一点張りだった。トリューニヒトやドーソン大将やロックウェル大将にも頼んでみたが、やはり駄目だった。そんなわけで自分の手足となるべき指揮官を消去法で選ぶという不毛な作業を強いられていた。

 

「他の司令官も人選には苦労しているらしい。モートン提督は直轄の三個戦隊をすべて大佐に指揮させるとか聞いたな」

「随分思い切ったことしますね」

「司令官を空席にして、副司令官の大佐に代理をさせるそうだ。君が首都防衛軍を指揮した時と同じだな。モートン提督がいた第九艦隊系の部隊には、粛軍で飛ばされた者が多い。残った者もほとんどは元司令官のアル・サレム提督に引っ張られてしまう。少ない手駒を有効活用する苦肉の策だろう」

「うまい手ですね。俺も考えておきましょう」

 

 この手を使えば、准将に分艦隊、大佐に戦隊、中佐に群を指揮させることができる。多用しすぎるのはまずいが、一階級下の者も候補にできるのはありがたい。

 

「まあ、編成が決まるまでは、皮算用にすぎんがな。六万隻で一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成するか、一万隻の艦隊を六つ編成するか。ずっと揉めてるだろう?」

「今後の国防戦略の方向性に関わる問題ですからね。議論を尽くすに越したことはないですよ」

 

 部隊編成によって、採用できる戦略や戦術も変わってくる。だから、簡単に増やしたり減らしたりするわけにはいかない。同盟軍の正規艦隊は平均すると一万三〇〇〇隻前後。一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成すれば、従来通りの運用ができる。一万隻の艦隊を六つ編成すれば、運用も大きく変わる。

 

 一万隻の艦隊を六個編成するように主張したのは、国防政策全般を担当する国防委員会戦略部だった。彼らは帝国領遠征の戦訓から、「国土内での防衛戦争は、艦隊決戦ではなく補給線の遮断によって決する」と結論づけた。そして、これまでバーラトに集中していた艦隊母港を地方に分散させて、平時は航路保安に従事するものとした。小編成の艦隊による国土防衛戦略。それが戦略部の唱える新戦略構想だった。

 

 一方、同盟軍の戦力運用計画を担当する統合作戦本部作戦参謀部は、一万二〇〇〇隻の艦隊を五つ編成するように主張した。彼らはアムリッツァ会戦の戦訓から、「主力決戦が最終的な勝敗を決する。帝国艦隊との正面戦闘に耐えうる打撃力と防護力を確保するためにも、従来型に近い編成を維持するべきである」と結論づけた。国内航路の中心にあるバーラトにすべての正規艦隊を置き、敵が攻めてきたら迅速に国境に展開させて阻止する水際決戦戦略。ダゴン星域会戦以来の実績を誇る防衛戦略の堅持を作戦参謀部は訴えた。

 

 戦略部の新戦略構想は、トリューニヒト派に支持された。補給線の確保及び遮断は、トリューニヒトの支持者が多い地方部隊の航路保安任務に通じるところがある。正規艦隊を地方に常駐させるというのも国内治安重視のトリューニヒト派好みだった。

 

 作戦参謀部の構想は、旧シトレ派に支持された。旧シトレ派は正規艦隊経験者が多く、従来通りの運用で力を発揮できる。また、「軍隊は市民を守るもの。戦闘に市民を巻き込んではならない」という旧シトレ派のノーブレス・オブリージュは、有人惑星が多数存在する星域での戦闘も辞さない新戦略構想を容認できなかった。治安維持に正規艦隊を用いるのも、リベラルな旧シトレ派には受け入れられないことだった。

 

 どちらが正しいのかは、俺には判断がつかなかった。前の歴史の本には、こんな議論は載ってなかった。それに同盟の持ってる艦隊戦力に大きな差があって、前の歴史で通用した戦略がそのまま通用するとは限らない。五個艦隊もしくは六個艦隊もあれば、二度にわたるラインハルト・フォン・ローエングラムの同盟領遠征の展開はまったく違っていたはずだ。ラグナロック戦役において同盟軍が急遽編成した第一四艦隊と第一五艦隊が一万隻編成だったはずだが、会戦用の決戦戦力だから、新戦略構想の判断材料とはならない。

 

 意地の悪い人は、「トリューニヒト派は三つ目の艦隊司令官ポストが欲しくて、一万隻構想を支持しているのだろう」などと言う。現時点で新艦隊司令官に内定している五名のうち、俺を含む二名がトリューニヒト派、一名が旧ロボス派、一名が旧シトレ派、一名が派閥色の薄い人物だった。六個目の艦隊司令官ポストをトリューニヒト派が手に入れたら、正規艦隊でのトリューニヒト派の勢力は圧倒的なものになる。しかし、そんな次元で国防戦略の方向性に関わる議論をやっているとは、あまり思いたくない。その可能性を完全に否定できる材料がないのが残念だが。

 

「だが、早く決めてもらわんと困るぞ。海賊のせいで物価はどんどん上がっている。宅配便も以前の倍以上時間がかかるようになった。早く正規艦隊を編成して、海賊を討伐してほしいものだ。不便で不便でたまらん」

「すぐに動ける正規艦隊は、第一艦隊だけですからね。フェザーン方面に一個艦隊、イゼルローン方面に一個艦隊を派遣するとしても、新しい艦隊が最低一つは必要です」

 

 ため息が出そうになったため、マフィンを食べて糖分を補給した。治安に強いのを売りにしてきたトリューニヒトにとって、海賊討伐作戦は最優先事項のはずだ。市民も海賊対策の遅れに苛立っている。一体どうするつもりなのだろうか。第一一艦隊を解散しなければ、さっさと海賊を討伐できたのに。どうも、最近のトリューニヒトの考えることはわからない。

 

 

 

 トリューニヒトから通信が入って来たのは、ブレツェリ家で夕食を食べて帰って間もなくの事だった。

 

「やあ、エリヤ君。時間はあるかな」

 

 いつもと変わらない暖かいトリューニヒトの笑顔。どんなに不満を感じても、この笑顔一つで心が溶けてしまうのだから、本当に俺は現金だ。

 

「ええ、大丈夫です。どんなご用件でしょうか?」

「海賊討伐作戦の指揮を君に頼みたいと思ってね。イゼルローン方面航路を担当してもらう」

 

 買い物を頼む時のような気軽な口ぶりだったため、一瞬何を頼まれたのかわからなかった。海賊討伐作戦の指揮なんて、クブルスリー大将やドーソン大将のような大物がやるような大任ではないか。動揺を抑えつつ、質問をする。

 

「艦隊編成の目処がついたんですか?」

「ついてないよ」

「では、編成後に俺が指揮をとることになるのでしょうか?」

「市民は一日も早い問題解決を望んでいる。悠長に待っている暇はない」

 

 正規艦隊は編成しないが、海賊討伐は始める。一体何を考えているのか。俺には飲み込めない。

 

「海賊討伐のために任務部隊を臨時編成する。『イゼルローン方面派遣艦隊』。それが君の率いる部隊だ」

「臨時編成ですか?」

「そうだ。国防委員会と相談しながら編成したまえ。ネグロポンティ君には、なるべく君の希望を叶えるように話しておこう」

「わかりました」

「派遣艦隊は司令官直属部隊と四個分艦隊の一万隻編成。配下の分艦隊は司令官直属部隊と三個戦隊の二〇〇〇隻編成。戦隊は五〇〇隻編成で頼む。任務が終わっても解散するのがもったいないような良い部隊を作ってもらいたい」

 

 トリューニヒトは物凄く人の悪い笑いを浮かべた。要するに臨時編成の任務部隊を一万隻編成で作らせて、遠征終了後に正規艦隊に衣替えさせるつもりなのだろう。そうやって、戦略部の一万隻編成六個艦隊構想を既成事実化してしまうつもりなのだ。

 

「期待しているよ、エリヤ君」

 

 とんでもない人だと思いつつ、笑顔を向けられるとつられて笑ってしまう。この人には本当に敵わない。そう思わずにはいられなかった。こうして、俺はイゼルローン方面派遣艦隊の編成と海賊討伐を引き受けることになった。



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第百二十八話:イゼルローン方面派遣艦隊始動 宇宙暦797年9月3日~10月上旬 統合作戦本部~仮司令部~派遣艦隊旗艦ゲティスバーグ

 九月三日、自由惑星同盟政府は海賊討伐作戦「正義の鉄槌」を発表した。イゼルローン、フェザーン、エリューセラ、ロンドニアの四方面にそれぞれ一万隻の艦隊を派遣し、地方部隊と協力して海賊討伐を行う。二年前に実施された海賊討伐作戦「終わりなき自由」をも上回る同盟史上最大規模の治安出動である。

 

 反戦市民連合や進歩党などの反戦派は、二年前の治安出動の際に起きた数々の不祥事を例にあげて、「軍による国民弾圧に道を開く」と反対した。

 

「私は二年前の治安出動に賛成票を投じた。非常時には非常の手段もやむを得ない。そう考えたのだ。だが、それは誤りであった。治安回復の大義名分のもとに、軍人の非行、組織的な人権弾圧がまかり通った。あの時に投じた賛成票は、二〇年の政治家人生の中で最も悔やむべき一票であったと悔やんでいる。二年前の過ちを繰り返してはならない。私は治安出動に反対の意志を表明し、もって政治家としての責任を果たすものである」

 

 進歩党委員長ジョアン・レベロはこのように述べて、治安出動反対の論陣を張った。反戦派議員は次々と演壇に立ち、長時間の演説をして議事進行を阻止した。議事妨害は少数党による一種の調整要求である。議事妨害が行われたら、多数党と少数党の間で意見調整が始まるのが同盟議会の慣例だった。しかし、与党国民平和会議は、「市民は迅速な問題解決を求めている」として、調整要求に応じずに採決を強行。治安出動は賛成多数で可決された。海賊討伐を望む世論もこれを受け入れた。

 

 かつてルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは自派の圧倒的な議席数を背景に強行採決を濫発して権力を強め、銀河連邦を簒奪するに至った。その反省から、同盟では少数党による議事妨害は多数党の専制を防ぐ手段として広く受け入れられてきた。帝国領遠征の際も遠征反対派が議事妨害を行って、遠征推進派に抵抗している。強行採決が世論に受け入れられるのは、極めて異例な事態であった。

 

 一部の反戦派系を除くマスコミは海賊討伐作戦を肯定的に報じて、応援ムードを盛り上げた。市民の圧倒的な支持を背景に、関連予算もあっさり議会を通過。強烈な追い風を背に討伐軍の編成は進んでいった。

 

 イゼルローン方面派遣軍総司令官と派遣艦隊司令官を兼ねる俺に与えられた戦力は、艦艇一万六〇〇隻、将兵百二七万人に及ぶ。七八〇年代から九〇年代前半にかけて建造された主力世代艦が中心となり、ここ三年で建造された新世代艦が加わる。その他、拠点制圧を担当する地上部隊は二三万人、補給や整備などにあたる支援部隊は一一万人。予算も装備も潤沢でハード面の不安はない。

 

 問題はソフト面だ。公式には気鋭の若手、叩き上げのベテラン、市民軍の英雄、忠実な愛国者で構成された精鋭部隊ということになっている。だが、気鋭の若手とは実戦経験に乏しい者のことであり、叩き上げのベテランとは経験があるが意欲に乏しい者であった。市民軍の英雄とはクーデター鎮圧の功績によって実力以上の地位を得た者のことであり、忠実な愛国者とは愛国心をアピールするのが上手なだけの者であった。

 

「練度は劣悪、戦意も低く、協調性にも欠けています。軍規違反者は再編前と比べると倍増、勤務能率は三〇パーセント低下しました。どうにかなりませんか?」

 

 俺は統合作戦本部統括担当次長クレメンス・ドーソン大将に、イゼルローン方面派遣艦隊に編入される予定の部隊のデータを示した。

 

「新人事基準で規範意識と忠誠心のある者を選りすぐった。結束力のある精鋭部隊ができるはずだったのだがなあ……」

 

 困った表情のドーソン大将は口髭をひねる。彼がトリューニヒトの命令を受けてロックウェル大将や国防委員会人事部とともに作成した新人事基準は、従来よりも忠誠心、愛国心、従順性、規範意識などを重視したものだった。しかし、このような精神的な部分を客観的に判断するのは困難である。そうなると、仕事そっちのけでアピールに励む者、要領の良い者ばかりが評価される。真面目な者を集めようとして、かえって不真面目な者ばかりが集まった。

 

「予備役に編入された者、地方に飛ばされた者を呼び戻すわけにはいきませんか?」

「それはできん。忠誠心に欠ける者を能力本位で登用した結果が、アルバネーゼとラッカムの麻薬組織、去年の帝国領遠征、そして今年のクーデターだ。軍閥の暴走は許さないという姿勢を徹底せねば、軍は市民の信頼を完全に失う」

 

 ドーソン大将はきっぱりと言った。トリューニヒトとともに政治主導の軍部を作ろうと戦ってきた彼にとっては、忠誠心が疑わしい者の復帰は断じて認められないのだ。俺が強気だったら、「負ければ信頼を失います」と言い返したかもしれない。だが、小心者の俺には、すがるような目でドーソン大将を見ることしかできなかった。

 

「いかがいたしましょう?」

「前政権の人員整理によって予備役に編入された者には、愛国的な者も多い。彼らを現役に復帰させるよう、国防委員会に依頼しよう。しばらく現場から離れているが、それでも十分戦力になるはずだ」

「ありがとうございます」

 

 さすがはドーソン大将だ。すぐにトリューニヒトと俺の両方が満足できる解決策を思いついてくれた。

 

「明らかに忠誠心に欠ける者と入れ替える。至急リストアップするように」

「わかりました」

「あとは捕虜交換から戻った正規艦隊経験者を優先的に配属しよう。イゼルローン方面派遣艦隊は議長閣下の理想とする新しい軍隊のモデルケース。貴官には何としても功績を立ててもらわねばならんからな」

「議長閣下と次長閣下の期待を裏切らぬよう、努力いたします」

「貴官には説明するまでもないだろうが、海賊討伐作戦は艦隊のみで戦うものではない。地方部隊との協力も重要になる。協力体制を築くのもまた派遣艦隊司令官の任務に含まれる。艦隊を指揮するよりもずっと重要な任務かも知れん。なにせ地方部隊には忠誠心が疑わしい者が多い。そのような者を使うのは、並大抵の苦労ではなかろう。やはり、能力本位の登用はよろしくないな」

 

 急に声を低くして、わざとらしい口調でドーソン大将は念を押す。彼が何を言いたいのか、鈍い俺にも理解できた。粛軍人事によって、地方部隊の人材の質は向上した。艦隊の質が不安なら、地方部隊を活用しろと言外に言っているのだ。

 

「肝に銘じておきます」

「国土を面に見立てて防衛する新戦略構想では、正規艦隊、地方部隊、行政、市民が一体となった協力体制が不可欠となる。貴官が市民軍で見せた調整手腕に期待している」

「ご指導ありがとうございました」

 

 深々と頭を下げた。最近のドーソン大将は粛軍人事で評判を落としているが、身内への優しさは昔から変わらない。彼が元上官だったことに心の底から感謝した。

 

「まあ、誰も貴官の用兵には期待しておらんからな」

 

 ドーソン大将の付け加えた余計な一言が心に突き刺さった。どうしてこの人は無駄に嫌味なのだろうか。感謝の気持ちがほんの少しだけ薄れるのを感じながら、次長室を退出した。

 

 再招集された予備役軍人と正規艦隊経験者の帰還兵の加入によって、イゼルローン方面派遣艦隊の質はだいぶ向上した。だが、長らく第一線から離れていた者を中核に据えても、正規艦隊のような動きは期待できない。質の問題を完全に克服するのは不可能であった。

 

 将兵の質に問題があるならば、せめて運用で補わなければならない。参謀長チュン・ウー・チェン少将、副参謀長セルゲイ・ニコルスキー准将、作戦部長クリス・ニールセン大佐、情報部長ハンス・ベッカー准将、人事部長リリヤナ・ファドリン大佐、後方部長オディロン・パレ大佐など、おなじみの面子を参謀チームの上層部に起用。部隊規模の拡大にともなって、参謀の人数は三倍以上に増えた。俺の知り合いだけでは数が足りず、チュン少将に旧シトレ派、ニコルスキー准将に旧ロボス派の知り合いを集めてもらって、ようやく人員を確保した。

 

 指揮官人事は思い通りにならなかった。直轄部隊二二〇〇隻は俺自身、第一分艦隊二三〇〇隻は派遣艦隊副司令官を兼ねる前第二方面巡視艦隊副司令官ジョゼフ・ケンボイ少将、第二分艦隊二〇〇〇隻は前マルーア星系警備司令官アーロン・ビューフォート少将、第三分艦隊二一〇〇隻は前第六五戦隊司令官ファビオ・マスカーニ少将、第四分艦隊二〇〇〇隻は前ケイマン星系警備司令官ハイメ・モンターニョ少将がそれぞれ率いる。

 

 四名の指揮官のうち、ビューフォート少将は信頼できる。エル・ファシル警備艦隊にいた時の上官で、俺に艦隊指揮の基礎を教えてくれた人物だ。エル・ファシル危機においては、星系警備司令官代行を務めて内戦を防いだ。前任地のマルーア星系でも海賊討伐に実績をあげた。リーダーシップ、用兵、運用のすべてに優れ、対海賊戦の経験も豊富。いち早く反クーデターを表明したこともあって、トリューニヒトの覚えもめでたい。人格、能力ともに派遣艦隊の中核として期待できる提督である。

 

 マスカーニ少将は、第六五戦隊を率いて市民軍の最初期から参加し、主力の一翼を担った。主に正規艦隊でキャリアを積み、帝国領遠征では第八艦隊に所属した。用兵は柔軟性に欠けるが、堅実な運用能力を持つベテラン提督である。分艦隊レベルではリーダーシップや運用能力が人並み以上にあれば、十分に通用する。

 

 問題はケンボイ少将とモンターニョ少将である。ケンボイ少将は「軍規に厳しい」と評判だったが、実際は厳罰主義が行き過ぎて将兵を萎縮させるタイプの提督。モンターニョ少将は「忠実で献身的な勇将」と評判だったが、実際は部下を酷使して実績をあげるタイプの提督。どちらも指揮能力は高いし、上の受けも良いが、リーダーシップに問題がある。旧人事基準では准将でキャリアを終えていたはずだ。それが忠誠心重視の新人事基準では、昇進の対象となった。新人事基準で作られたリストの中から、一番優秀そうな者を選んだのが仇となった。

 

 戦隊司令官人事も妥協の連続であった。同盟軍人の一万人に一人しかいない将官は、すべて実力と実績の両方が飛び抜けた選ばれし者である。しかし、帝国領遠征や粛軍人事によって多くの人材が失われ、将官に至る門がいささか広くなった。その結果、本来ならば将官に成り得ない人材が大挙して門を潜り抜けた。大佐に長く在任したにも関わらず実績に乏しく、数年後の予備役編入が確実視されていた者。実績はあるが、資質の欠如から昇進を見送られた者。資質はあるが実績も経験も十分でないために、将官昇進はまだ早いと思われる者。そんな者が新たに将官となったのだ。

 

 古参の准将で粛軍人事の対象にならなかった者でも、能力の高い者は要職に就いていて簡単には動かせない。大佐までは飛び抜けた実力者だったが、将官としては物足りない。簡単に動かせる古参の准将は、そんな者ばかりである。

 

 能力のある者を選べない以上、より無難な者を選ぶしかない。二線級の人材が名を連ねる候補者リストの中から、トラブルを起こしそうにない者、俺や分艦隊司令官との意思疎通ができそうな者を選んだ。それに再招集された予備役将官や捕虜交換で返ってきた将官を若干名加えて、イゼルローン方面派遣艦隊の上級指揮官人事は固まった。

 

 支援部隊指揮官には、モンテフィオーレ基地兵站集団司令官ジェリコ・ブレツェリ准将が就任した。ダメ元で国防委員会に希望を伝えたら、あっさり通ってしまったのだ。俺との特別な関係が考慮されたらしい。個人的に親密で後方支援の実績もあるブレツェリ准将の就任は、珍しく満足できる人事であった。

 

 イゼルローン方面派遣軍副司令官を兼ねる地上部隊総司令官には、前第一五陸兵師団長ロマン・ギーチン少将が就任した。市民軍で活躍した彼は、トリューニヒトが派閥の看板として期待している若手将官である。何としても武勲を立てさせたいというトリューニヒトの意志がはたらいているのは、言うまでもない。

 

 トリューニヒトが押し込んできた市民軍の英雄は、ギーチン少将だけではなかった。「市民軍を率いたエリヤ・フィリップスの下に、再び市民軍の英雄が集って活躍する」というドラマを演出したいのであろう。あまり有り難くはないが、トリューニヒトは俺のスポンサーだ。予算だけ貰っておいて、意向を無視するのは不誠実というものであろう。五か月前に市民を熱狂させたフェレンツ・イムレ大佐、ファン=バウティスタ・バルトゥアル少佐、ネルソン・ハーロウ大尉、アルベルタ・グロッソ准尉といった人々がイゼルローン方面派遣軍に名を連ねることとなった。

 

 シェリル・コレット大佐とエドモンド・メッサースミス大佐も引き続き俺の下で働くことになった。俺としては参謀としての経験を積ませたかったのであるが、トリューニヒトが二人に俺直属の指揮官としての活躍を期待したため、駆逐群を指揮させることにした。戦艦群や巡航群の数倍の艦艇を動かす駆逐群は、艦隊用兵の基本を習得するにはちょうどいい。

 

 あのエリオット・カプランも俺の元で再び働くことになった。トリューニヒトはカプランと面会してからすっかり気に入ってしまったらしく、統合作戦本部に転属させようとする伯父の国務委員長アンブローズ・カプランの意向をはねつけて、イゼルローン方面派遣艦隊に押し込んできた。俺直属の指揮官として武勲を立てさせるつもりでいるつもりなのは、言うまでもない。

 

 カプランを直属で使いたくなかった俺は口実を作ろうと思って、シェリル・コレットに「カプランと一緒に働きたいか」と質問した。カプランが第三六戦隊にいた頃、まだ太っていた彼女に体重を質問するというとても失礼な真似をやらかした。コレット大佐が拒否したら、それを口実にカプランをビューフォート少将にでも預けるつもりでいたのだ。

 

「カプラン君ですか?」

 

 コレット大佐の吊り目気味の目がきらきらと輝いた。彼女の目がこんなふうに輝くのは、喜んでる時だ。意外な反応に驚きつつ話を続ける。

 

「どうかな?」

「いつ戻ってくるか楽しみにしてたんですよ。そろそろかなあと思ってたんです」

「えっ!?」

「第三六戦隊で最初の友達ですから」

「そうなのか?」

「まだ人見知りしてた頃の私に、話しかけてきてくれたのが彼だったんですよ」

「言われてみれば、帝国領遠征の前の大佐はあまり人と話さなかったなあ」

「トレーニングのやり方とか、色々教えてくれて」

「そ、そうか……」

 

 こんなに嬉しそうな顔をされては、手も足も出なかった。カプランが俺の直属になることを伝えて、コレット大佐をさらに喜ばせる以外の道は、俺には残されていなかったのである。

 

 カプランが戻ってくることが確定したとなると、今度は配置を考えなければならない。あんな奴ではあるが、階級は大佐だ。旗艦級戦艦の艦長、もしくは群司令でなければ釣り合わない。なるべく迷惑を掛けない配置を必死になって考えた。

 

「司令官閣下がお悩みになるお気持ちはわかります。カプラン大佐に戦艦群を任せて砲戦を経験させるか、巡航群を任せて機動戦を経験させるか、駆逐群を任せて防御戦を経験させるか。あるいは旗艦級戦艦を任せて操艦をさらに勉強させるか。私が閣下でも迷うでしょう」

 

 俺の相談を受けた人事部長ファドリン大佐は、大きすぎる胸を抱え込むように腕を組み、悩ましげにため息をついた。どうやら、彼女は本気で迷っているらしい。

 

「人事部長はどう思う?」

「私には人を見る目がありません。カプラン大佐を最も理解なさってる閣下に判断いただきたく思います」

 

 残念そうに首を振るファドリン大佐。カプランが第三六戦隊で人事参謀をしていた頃、彼女は人事副部長だった。女性は仕事ができない者を露骨に嫌う傾向が強い。ファドリン大佐もその例に漏れず、カプランを嫌っていた。しかし、クーデターの終盤の活躍で見直したらしく、今は「人事なのに人を見る目がなかった」と後悔しきりだった。

 

 そして、俺は人を見る目があるということになっている。カプランを参謀チームから追い出すために、「リーダーシップがある」「指揮官向きだ」と嘘をついて回った。駆逐艦艦長になったカプランが俺の意図と全く関係ないところで活躍したせいで、「フィリップス提督はカプランの才能を見抜いて艦長に転出させたのだ」ということになってしまった。困ったことにカプラン本人までそう信じ込んでしまってるのだ。今や俺はカプランの最大の理解者ということになっていた。

 

「そう簡単には決められないよ」

 

 あんないい加減な人間をどう扱えばいいのか、俺にはさっぱり分からない。

 

「人事資料をもう一度ご覧になりますか?」

「頼む」

 

 ファドリン大佐からカプランが駆逐艦艦長だった頃の人事資料を受け取って目を通す。「リーダーシップがある」「仕事熱心」「期待度大」などといった褒め言葉が並ぶ。否定的な評価は「経験浅く、技能に劣る」ぐらいだが、これも「自分の手でじっくり育てたい素材」と続く。俺がこの目で見た印象と人事資料の評価がさっぱり結びつかないのだが、俺以外の人間が全員褒めているからには、やはりカプランは何らかの能力があるのかもしれないと思い直した。

 

「ゲティスバーグの艦長なんていかがでしょう?操艦経験を積みつつ、閣下の用兵を直に学ぶにはちょうど……」

「それはやめとこう」

 

 即座に却下した。旗艦ゲティスバーグの艦長には俺の命を預けられる人間を選びたい。カプランが役に立つ人間だとしても、旗艦の艦長だけは勘弁してほしい。

 

 いくら考えても、カプランにどの部隊を任せるべきか判断がつかなかった。結局自分では決められず、チュン少将と相談して、カプランに第二九一戦艦群司令を任せることに決めた。

 

 アルマは第八強襲空挺連隊第三大隊長として、イゼルローン方面派遣軍に加わる。第八強襲空挺連隊はクーデターに参加したにも関わらず、前連隊長ペリサコス大佐と側近数名が逮捕されるに留まり、再編は行われなかった。新連隊長ジャワフ大佐がどんな取引をしたのかはわからないが、第八強襲空挺連隊はトリューニヒトに忠誠を誓い、海賊討伐に参加することとなったのである。

 

 副官は市民軍の時と同じくユリエ・ハラボフ中佐が務める。彼女の続投が決まるまでには、紆余曲折があった。

 

「もう一度言ってくれないかな?」

「ですから、仕事に私情を挟みたくないと申しました」

 

 イゼルローン方面派遣艦隊編成が決まった当日に、副官就任依頼の通信を入れた。すると、拒否の返事が返ってきたのだ。彼女が俺を見る時の冷たい目を思い出す。あまりに頼りなさすぎて、愛想を尽かしてしまったのだろうか。

 

「やはり俺は上官として頼りなかったか」

「そんなことはありません」

「君が俺に対して抱く感情なんて、他に思い当たらないぞ。確かに君みたいなしっかりした人から見れば、俺は頼りない上官だ。それは認める」

 

 何も映っていないスクリーンに向かって話しかけた。彼女は今回も三月末の時と同じく画像をオフにして、音声のみで俺の通信に応じている。表情が見えないのが不安をかき立てる。

 

「頼りないとは思っておりません」

 

 まったく抑揚のない声が真っ暗なスクリーンの向こうから帰ってくる。頼りないと思っているのでなければ、嫌いということなのだろうか。しかし、提督が部下に「俺のことを嫌いなのか」と聞くなんて、さすがにみっともなさすぎる。

 

「とにかく、副官を任せられるのは君しかいないんだ。これからも俺を助けてくれないか。頼りない上官だからこそ、君の補佐を求めている。そう思ってくれて構わない」

 

 副官になってもらえなければ困るという気持ちを言葉に乗せて、スクリーンの向こうに送る。返事は返ってこない。一分、二分と時間が過ぎていく。真っ暗な画面の向こうにいる彼女は、一体どんな顔をしているのだろうか。いつもの冷たい表情でいいから見せて欲しい。何もわからないというのは、小心者の俺にはこたえる。

 

「お引き受けします」

 

 その返事が返ってきたのは、五分が過ぎた頃だった。こうして、ユリエ・ハラボフ中佐は再び俺の副官となったのである。

 

 文民の専門家からなる治安アドバイザーチームの編成、現地義勇兵の活用など、二年前の海賊討伐作戦では用いられなかったアイディアも交えつつ、俺はイゼルローン方面派遣艦隊を編成していった。

 

 

 

 イゼルローン方面派遣艦隊の編成が終わったのは、九月半ばの事だった。それから半月掛けて訓練を行い、一〇月一日にハイネセンを出発した。それと前後して、フェザーン方面派遣艦隊、エリューセラ方面派遣艦隊、ロンドニア方面派遣艦隊も出発した。

 

 最初の目的地であるカナンガッド星系に到達したイゼルローン方面派遣艦隊は、分艦隊ごとに分かれて周辺星系への展開を開始。星系に入った部隊は、戦隊単位に分かれて星系内航路の要衝に展開。戦隊はさらに群単位に分散して警戒にあたる。

 

 二年前の海賊討伐作戦においてイゼルローン方面の平定を担当したドーソン提督は、作戦宙域を一〇〇以上の戦区に分けて、戦区担当部隊が海賊を捕捉したら、他戦区の部隊や地方部隊を呼び寄せて包囲して潰す戦略を採用した。この戦略では正規艦隊が主、地方部隊が従となる。

 

 俺の持つ戦力は二年前のドーソン提督と比べると、質量ともに劣る。そこで地方部隊との協力体制をより強化して、派遣艦隊と地方部隊を同行させた。粛軍人事で中央から追われた人材を吸収して強力になった地方部隊を中核戦力として、よそ者で戦力的にも弱体な派遣艦隊はその助っ人という形で作戦を遂行するのだ。

 

 フェザーン方面、エリューセラ方面、ロンドニア方面の各派遣艦隊も活動を開始した。イゼルローン方面派遣艦隊も負けてはいられない。

 

 同盟国内で正規軍と海賊の戦いが始まった頃、帝国の内戦は終わりに近づきつつあった。保守派貴族軍の支配地域で勃発した民衆蜂起は、改革派軍の援助を受けてみるみるうちにその勢いを増していった。主力が出払ってしまって、手薄になった貴族領警備部隊は苦戦を強いられた。一部の警備部隊は化学兵器や生物兵器を用いて反乱を抑えようとしたが、改革派軍に保守派貴族の残虐さを宣伝する材料を与えただけであった。

 

 保守派貴族軍主力はガイエスブルグ要塞で改革派軍主力と対峙をしていて、鎮圧に赴く余裕はない。要塞で釘付けにされている間に領地を失ってしまう。そんな不安がガイエスブルグ要塞にいる貴族を激しく動揺させた。自壊を恐れたブラウンシュヴァイク公爵は、フレーゲル男爵ら強硬派の意見を容れて、決戦を準備していると専らの噂だ。

 

 改革派軍も決戦を望んでいた。経済状況の悪化によって高まった民衆の不満は、臨界点に近づきつつあった。改革派最高指導者の帝国宰相リヒテンラーデ公爵は警察を使って反抗を押さえ込んでいるが、内戦を終わらせなければ根本的な解決には至らない。フェザーン側辺境を平定したキルヒアイス上級大将の部隊は、主力部隊と合流するべくガイエスブルグ周辺宙域に向かい、決戦に備えようとしている。

 

 帝国内戦終結を控えた今、対帝国戦の最前線にあるイゼルローン方面軍の役割は増大した。しかし、政府とイゼルローンの関係はうまくいっているとは言えなかった。独自路線を歩むイゼルローン方面軍は、トリューニヒトが伸ばした粛軍の手をことごとく跳ね除けた。

 

 イゼルローン方面軍司令官ヤン・ウェンリー大将は軍部反戦派の大物にして、反トリューニヒトの急先鋒として知られる人物だ。トリューニヒトの最大の政敵だった故ジェシカ・エドワーズの友人でもあり、その他の交友関係もことごとく反トリューニヒト的な者ばかり。去年から何かとトリューニヒトと角付きあわせてきた。

 

 帝国領遠征戦犯の断罪問題では、グリーンヒル大将やキャゼルヌ少将らを擁護して免罪させた。憂国騎士団のイゼルローンでの活動を禁止し、インタビューで公然と批判した。戦犯断罪に全力を尽くしたトリューニヒトから見れば、許し難い存在であろう。

 

 クーデターの際にも疑わしい動きを見せた。クーデター反対を表明したにも関わらず、クーデター首謀者グリーンヒル大将の娘を副官として機密に関与させ続けた。目的を明らかにしないまま、部隊を動員した。「ヤンはグリーンヒル大将と通謀しているのではないか」と疑う者もいる。

 

 国防委員会の指導にも忠実ではなかった。教育部が出した「新兵教育における精神教育の時間を増やすように」との通達を黙殺し、逆に精神教育の時間を減らした。人事部が新人事基準を用いるように指導しても、無視して旧人事基準を使い続けた。規律違反取締り強化期間に入っても一切取締り強化を指示せずに、国防委員会が課した摘発ノルマも完全に無視した。粛軍人事の対象となった方面軍副司令官・イゼルローン要塞事務監キャゼルヌ少将の解任に全力で抵抗して見送らせた。

 

 ヤン大将はグリーンヒル大将やキャゼルヌ少将の苦労の程を知っていたから、擁護したのであろう。憂国騎士団に敵対したのは、リベラリストとして暴力性を容認できない気持ち、自分自身や親友のジェシカ・エドワーズがが襲撃された経験によるものであろう。国防委員会の指導に従わなかったのは、合理性を重視し精神論を嫌うリベラリストとしての信念ゆえであろう。それはそれで筋は通っているが、その筋を通そうとする限り、トリューニヒトと共存し得ないのは明白であった。

 

 ヤンの部下にも、トリューニヒトと共存し得ない者は多い。イゼルローン方面軍ナンバーツーのキャゼルヌ少将は、旧シトレ派の幹部で有力戦犯でもある。分艦隊司令官アッテンボロー少将は、旧シトレ派のプリンスで筋金入りの自由主義者。要塞防御司令官シェーンコップ少将は、強烈な反骨精神の持ち主。副官フレデリカ・グリーンヒル大尉は、クーデターでトリューニヒト政権を打倒しようとしたグリーンヒル大将の娘。彼らはヤンがトリューニヒトとの共存を望めば、立場をなくしてしまう。

 

 イゼルローン方面軍には、旧シトレ派、旧第二艦隊系、旧第四艦隊系、旧第六艦隊系、旧第一〇艦隊系という五系統の将兵がいる。それなのにトリューニヒトの切り崩しを受けること無く、鉄の結束を誇る。トリューニヒト派がイゼルローンに赴任しても、コリンズ大佐のように理由をつけて追い払われてしまう。二〇〇万の将兵が全員トリューニヒトと共存できないような背景を持ってるとは思えないから、ヤンの手腕によるものだろう。もしかしたら、複雑な構成の部下を一つにまとめ上げるために、あえてトリューニヒトを共通の敵に仕立て上げているのかもしれないが。

 

 ヤン・ウェンリーという人は、ハイネセンとイゼルローンの間にある四〇〇〇光年の距離、要塞と駐留艦隊の武力、首脳部の強力な結束を活かし、イゼルローン方面軍を反トリューニヒト派の楽園とした。前の歴史の本では学者肌で政治音痴とされていたが、今の俺の目には一流の政治家に見える。ヤンが用兵と統率と実務の天才なのは知っていた。それに加えて政治までできる。彼の才能には底というものが無いのであろうか。

 

 内戦終結で一気に緊張が高まるであろう帝国との国境、その国境を守る部隊は天才指導者のもとで政府との対決姿勢を強める。そんな不穏な状況の中、イゼルローン方面派遣艦隊はカナンガッド星系を中心とする五星系で作戦行動を開始した。



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第百二十九話:ルドルフの処方箋 宇宙暦797年10月上旬~12月初旬 派遣艦隊旗艦ゲティスバーグ

 二年前に初めて艦艇部隊指揮官になった俺は、三三隻の駆逐隊を率いてエル・ファシル危機を戦った。去年は六五〇隻の戦隊を率いて、帝国領遠征に参加した。そして、今は一万六〇〇隻の艦隊を率いてイゼルローン方面航路の海賊討伐にあたっている。

 

 当然ながら、三三隻の用兵と六五〇隻の用兵と一万六〇〇隻の用兵は全然違う。駆逐隊を率いた時は、上官の指示に従ってひたすら局所的な戦闘の指揮に専念した。戦隊を率いた時は、担当戦区全体の戦況を見渡しながら、配下の七個群を動かした。今回の戦いでは、複数の星系にまたがる広大な戦線に分散した四個分艦隊を統括し、状況に応じて直轄の三個戦隊を動かす。大局的な視野から戦略を立案し、補給組織や情報網を整備し、前線指揮官を指導する能力が問われる。

 

 補給組織や情報網の整備には問題がなかった、俺はもともとこの種の仕事に向いていたし、トリューニヒトは必要な予算をたっぷり与えてくれた。後方勤務本部や軍情報部も全面的に協力してくれた。俺自身は戦略眼に欠けていたが、参謀長チュン・ウー・チェン少将が補ってくれた。問題は前線指揮官の指導である。

 

 局所的な戦闘を指揮するのは、隊司令や群司令といった部隊指揮官の仕事。部隊指揮官を束ねて宙域的な戦闘を指揮するのは、戦区指揮官である戦隊司令官の仕事。分艦隊司令官は複数の戦区を統括する星系規模の大戦区指揮官。俺は分艦隊司令官及び直轄戦隊司令官を指導する形で戦闘に関与する。艦隊司令官ともなると、広大な星系の経略すら部下に任せなければならない。だが、困ったことに俺の部下は今ひとつだった。

 

 第二分艦隊司令官ビューフォート少将には、安心して仕事を任せることができる。大まかな方針を示して必要な支援を与えれば、それで十分だった。第三分艦隊司令官マスカーニ少将は自主性に欠けていてやや頼りなかったが、細かく指導すれば結果を出してくれた。だが、第一分艦隊司令官ケンボイ少将と第四分艦隊司令官モンターニョ少将は、細かく指導しても結果を出せずにいる。

 

 海賊討伐作戦が始まってからの一か月は、失望の連続だった。可能な限りの配慮をしたつもりだったが、それでも十分とは言えず、旗艦ゲティスバーグには連日のように憂鬱な報告が飛び込んできた。

 

「第四分艦隊より通信。バルディビア宙域の海賊が包囲網を突破して逃亡。現在追跡中です」

 

 副官ユリエ・ハラボフ中佐のいつもと変わらぬ冷たい声が、俺を苛立たせた。第四分艦隊には二〇〇〇隻の戦力があり、さらに第三方面巡視艦隊の半数が指揮下に加わっている。それだけの大戦力があるのに、なぜ一〇〇隻にも満たない海賊を取り逃がしてしまうのか。二年前の海賊討伐作戦でルグランジュ提督が率いた将兵なら、一個戦隊で包囲網を敷いても、取り逃がしたりはしなかった。

 

「支援部隊を送ってほしいとのことですが、いかがいたしましょう」

 

 有り余るほどの戦力があるのに、それでも足りないというのか。驚きと怒りで頭が沸騰しそうな自分を懸命に抑えて、参謀長チュン准将を手招きする。

 

「参謀長、今動かせる部隊は?」

「第二二戦隊と第四七戦隊が動かせます」

「わかった。第二二戦隊を派遣しよう」

 

 部下の不甲斐なさに心の中で腹を立てつつも援軍を送ることにした。一旦任せた以上、最後まで面倒を見るのが司令官の義務なのだ。怒ってはいけないと自分に言い聞かせると、砂糖とミルクでドロドロになったコーヒーを飲み干して糖分を補給する。

 

 イゼルローン方面派遣艦隊は練度が低く、群司令や戦隊司令官も二線級の人材ばかり。現場の努力に期待できない以上、分艦隊司令部が目を配る必要がある。それなのに第四分艦隊司令官モンターニョ少将は、現場に厳しいノルマを課すだけで目を配ろうとしない。しかも、高圧的な態度で地方部隊の反感を買って、協力体制にひびを入れた。目上に弱く目下に厳しい彼の性格が、第四分艦隊の能力低下を招いたのだ。

 

 事態を憂慮した俺はモンターニョ少将に通信を入れて、現場に目を配り、地方部隊と協調するように何度も勧告し、詳細な指導文書も与えた。モンターニョ少将は俺の指導に従ったが、目下に無理を押し付ける形で実施しようとしたために、結果を出せなかった。部下の苦労を顧みない強引な戦いぶりで上官の困難な要求を達成することによって、彼は武勲を重ねた。今さらスタイルを変えようも無いのであろう。勇敢で任務に忠実と評された提督が、それゆえに大軍の管理者として不向きなのは皮肉な話である。政治的な事情から、更迭するのも難しい。我慢して使い続けるしか無かった。

 

「昨日、第一分艦隊の下士官が麻薬使用の疑いで、プエルトモント市警に逮捕されました。こちらが第一分艦隊より送られてきた報告書です」

 

 第四分艦隊に対する苛立ちを腹の中に収めることに成功して間もないというのに、第一分艦隊の不祥事をハラボフ中佐が伝える。たちまち脳内の糖分が底を尽き、苛立ちが広がった。機械的に報告書を差し出すハラボフ中佐の手つきも、こんな時は苛立ちを募らせる。

 

「ありがとう」

 

 顔に優しげな笑いを貼り付けて、報告書を受け取る。三歳年下の副官は俺の虚勢を見透かしたかのような冷ややかな視線を向けてくるが、それでも苛立ちを表に出さないのが上に立つ者の義務なのだ。

 

 報告書の中に「サイオキシン」という単語を発見した俺は、不快感で唇を軽く歪めた。人類の科学が作り上げた最悪の合成麻薬サイオキシン。三年前に同盟軍内部の密輸組織が憲兵隊によって摘発されると流通量が激減したが、去年から回復の兆しを見せていた。前の人生においてサイオキシン中毒に苦しみ、今の人生で密輸組織と戦った俺には、サイオキシンの再流行は看過できるものではない。

 

 逮捕された下士官の経歴を見ると、二年前に予備役に編入されて、海賊討伐作戦のために再招集された人物であった。いつから麻薬を服用していたのかは、調査中とのこと。ただ、薬物使用を疑った警官の職務質問がきっかけで逮捕されたというから、常用者であるのは間違いなかった。

 

 同盟軍は違法薬物対策マニュアルを作成して各部隊に配布し、すべての指揮官に年一回の予防講習を義務付けて、薬物問題の啓蒙に取り組んでいる。指揮官がしっかり目を配っていれば、常用者を見つけるのはさほど難しくない。だが、第一分艦隊では薬物問題に限らず、指揮官の目配りが行き届いているとは言い難かった。

 

 第一分艦隊司令官ケンボイ少将は、軍規に厳しい提督として有名な人物だ。軍規違反者は厳罰に処し、重大な違反があった場合は上官や同僚に対しても連帯責任を問う。彼が指揮官となった部隊は、まるで神学校の寄宿舎のような雰囲気になると言われる。だが、過度の厳罰主義がただでさえ大きな軍人のストレスを増大させ、かえって借金、飲酒、ギャンブル、女遊び、麻薬などに溺れる者を増やした。連帯責任を恐れるあまり、他人の違反に見て見ぬふりをする気風も生じた。ケンボイ少将の厳罰主義は、第一分艦隊のモラルをかえって低下させてしまったのだ。

 

 厳罰主義を改めるよう、ケンボイ少将に何度も指導した。だが、俺の指導を「過度の厳罰を与えた指揮官は厳罰に処す」といった手法で実施するほどに、ケンボイ少将の厳罰主義的な発想は根強かった。同盟軍にあって提督まで昇進した者が無能であろうはずはない。指揮官としては、恐怖によって統率された将兵を手足のように動かして武勲を重ねた。参謀としては、部隊の引き締め役を担った。だが、分艦隊という大軍の管理者としては、彼の有能さはかえって有害であった。

 

 部下を信頼して任せるのが良い指揮官だと、世の中では言われている。口でそれを言うのは簡単だが、信頼して任せれば結果を出せる部下など、そうそういるものではない。それどころか、細かく指示を与えても結果を出せない部下も多いのだ。部下を選ぶのも指揮官の能力と言われても、選べない場合はどうすれば良いのだろうか?部下を育てるのも指揮官の能力かもしれないが、時間がない場合はどうすれば良いのだろうか?今になってようやく、部下に任せたがらないドーソン大将の気持ちが理解できた。

 

 これまでの自分は、指揮官として恵まれた環境にあった。第一三六七駆逐隊は小世帯ゆえに、直接指導がしやすかった。第三六戦隊は経験豊かな精鋭が揃っていて、俺の未熟な指揮でも素晴らしい動きを見せてくれた。しかし、イゼルローン方面派遣艦隊は練度も戦意も低く、指揮官の力量にも期待できない。俺が出張って直接指導すれば、司令官としての仕事が滞ってしまう。

 

 結局、イゼルローン方面派遣艦隊は、カナンガッド方面の海賊平定に一か月近くを要した。海賊の勢力が比較的小さく、地方部隊が強力なこの方面でこんなに時間をかけるとは、拙攻もいいところだ。

 

 他の三方面の派遣艦隊も当初は苦戦していたが、次第に持ち直して戦果をあげつつある。フェザーン方面のシャンドイビン中将は、前職のコネを活かして地方部隊との協力体制を築いた。エリューセラ方面のモートン中将は、弱兵を巧みに運用して戦果をあげた。ロンドニア方面のカールセン中将は、闘志をむき出しにする姿勢が将兵の戦意を盛り上げた。四つの方面派遣艦隊の中でイゼルローン方面派遣艦隊の戦果が最も乏しかったのだ。

 

 もともと戦意が低い上に、戦果もあげられないとあっては、軍規が弛緩するのは火を見るよりも明らかだった。イゼルローン方面派遣艦隊司令部の住民サービス部には、将兵の迷惑行為に対する苦情が殺到。暴行や窃盗で地元警察に検挙される将兵も現れた。表沙汰にはならなかったが、捕虜虐待も報告された。

 

 トリューニヒト派の軍人といえば、任務より規律を優先すると言われるぐらいに規律にやかましく、部下より市民の顔色を見ていると言われるぐらいに世間体を重視する。規律と協調こそが凡人の力なのだ。しかし、イゼルローン方面派遣艦隊の現状は、トリューニヒト派の理想とは程遠い状況にある。

 

 今のところはトリューニヒトがマスコミを抑えてくれるおかげで、表立った批判を受けずに済んでいる。だが、いつまで経っても成果を挙げられなければ、いずれは抑えきれなくなるはずだ。熱しやすい同盟市民の反感が俺と部下に向けられるなど、想像したくもない悪夢である。

 

 困り果てた俺は、参謀長チュン少将や情報部長ベッカー准将とともに策を練り、過激な方法で局面を打開することにした。マスコミが嗅ぎつける前に、先手を打って方面派遣艦隊内部の不祥事をすべて公開し、戦隊司令官二名を含む高級士官一四名を更迭。

 

 注目を集めた直後に自ら直轄部隊を指揮してジャムシード星系に向かった。そして、方面巡視艦隊や星系警備艦隊と連合して、残虐非道で有名な惑星タフテ・ジャムシード周辺宙域の海賊組織を素早く壊滅に追い込む。功績をあげた者には、派遣艦隊、巡視艦隊、警備艦隊の区別なく、手厚い恩賞を与えた。

 

 市民や将兵は分かりやすさを好む。これまでの経験が俺にそれを教えてくれた。わかりやすい成果をあげれば、市民は大喜びし、将兵の士気も盛り上がる。部下が頼りにならない以上、勢いで突破するしかないと思い定めた。

 

 不祥事に厳しく対応し、残虐な海賊を素早く討ち滅ぼしたイゼルローン方面派遣艦隊は、たちまち市民の称賛の的となった。気を良くしたイゼルローン方面派遣艦隊将兵の士気は大いに高まり、これまでとは比較にならない戦いぶりを見せるようになったのである。

 

「閣下はウッド提督の再来だそうですよ」

 

 指揮卓に新聞を持ってきたのは、情報部長ベッカー准将だった。俺のことを銀河連邦時代最高の名将になぞらえる記事に、恥ずかしさを覚えてしまう。

 

「まだ、大した戦果あげてないのになあ。浮かれすぎだよ。ここまで持ち上げられたら、後が怖くなる」

「しかし、これぐらい盛り上がらなければ、我が艦隊はろくに動かない。閣下はそう判断なさったんでしょう?」

「いや、それはそうだけど」

「自分で盛り上げといて不安になるなんて、閣下は相変わらず気が小さいですな」

 

 亡命者の情報部長は、相変わらず一言多かった。

 

「元はといえば、情報部長の策じゃないか」

「私はあの本を参考にしろと申し上げただけですよ。形になさったのは閣下です」

「まあ、確かに参考になったよ。なにせ、『ウッド提督の再来』と呼ばれた海賊討伐のプロフェッショナルの著書だからね」

 

 俺は指揮卓の隅に置かれた本に目を向ける。布製のブックカバーがかかっていて、表紙は隠れている。『現代における宇宙戦略の新原則』という題名のこの本は、銀河連邦時代末期に海賊討伐で活躍してウッド提督の再来と賞賛されたある提督が、自らの経験をもとに記した対海賊戦略理論の著作であった。

 

「亡命する時に持ってきたんですが、役に立つ時が来るなんて思いませんでした」

「なかなか読めない本だからね」

「私の祖国の士官学校では必修なんですが、こちらでは教えないんですね」

「まあ、俺が出た幹部候補生養成所は、下士官に士官としての基礎教育をする場所だから、戦略理論なんて教えないんだよ。まあ、あれは士官学校でもさすがに教えないと思うけど……」

 

 本を手にとって表紙をめくる。そこには「銀河連邦軍少将 ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム 著」と記されていた。

 

 

 

 俺が参考にした本の著者の末裔が支配する国家の内戦は、一一月に入って最終局面を迎えた。民衆反乱によって失われた領地の奪還を望む保守派貴族軍の強硬派が、盟主のブラウンシュヴァイク公爵を説き伏せて、最後の決戦を決意させたのだ。

 

 ガイエスブルグ要塞前面に展開した保守派貴族軍は、経験豊かな貴族軍人の奮戦によって、一時はラインハルト率いる改革派軍を圧倒する勢いを見せた。しかし、正規軍と私兵軍の混成部隊による勢い任せの攻撃は、精強な改革派軍によって跳ね返されてしまう。敵の攻勢終末点を見切ったラインハルトは、キルヒアイス上級大将の巡航艦部隊を投入した。疲弊した保守派貴族軍は、高速で突入してくるキルヒアイス上級大将を支えきれずに後退を開始。勢いづいた改革派軍は全面攻勢に出て、ついに保守派貴族軍を潰走させた。

 

 完全に秩序を失った保守派貴族軍が、抵抗を続けようとする門閥貴族と降伏を望む平民及び下級貴族出身の職業軍人の両派に分裂して同士討ちを展開する中、改革派軍はガイエスブルグ要塞に突入した。追い詰められたブラウンシュヴァイク公爵は、毒酒をあおって自決。七か月に及んだ帝国内戦は、改革派軍の勝利によって幕を閉じたのである。

 

 ラインハルトはガイエスブルグ要塞に入り、保守派貴族軍残党掃討を開始した。三四代皇帝オットー・ハインツ二世の曾孫にあたるローテンシュタイン公爵、枢密顧問官フーデ公爵、前科学尚書ウィルヘルミ侯爵、第一竜騎兵艦隊司令官メルカッツ上級大将、白色槍騎兵艦隊司令官エルクスレーベン大将などの有力者が未だ逃亡中。貴族領の一部も抵抗を続けている。勝利したとはいえ、未だ予断を許さない状況にある。

 

 キルヒアイス上級大将が内乱鎮圧に果たした功績を高く評価した皇帝エルウィン・ヨーゼフは、元帥号とエッシェンバッハ伯爵位を授与した。だが、六歳の子供が自らの意志でこのような人事を行えるはずもない。帝都オーディンにあって内政を統べる帝国宰相リヒテンラーデ公爵が裏にいるのは、言うまでもなかった。

 

 キルヒアイスが元帥号と伯爵位を得れば、功績から言って帝国軍三長官の一角を占めるのは間違いない。軍務尚書エーレンベルグ元帥は軍を退いた後、侯爵家当主の資格で枢密院議長に就任する予定だった。ラインハルトはエーレンベルグの後任の軍務尚書となり、キルヒアイスはラインハルトの後任の宇宙艦隊司令長官に就任すると言う見方が有力だ。そうなれば、ラインハルトとキルヒアイスの地位は同等となる。

 

 リヒテンラーデ公爵の意図がラインハルト陣営の分裂にあるのは、明らかだった。キルヒアイスは元帥号と伯爵位を辞退したが、リヒテンラーデ公爵は重ねて勅令を出した。ラインハルト陣営では、功績査定すら始まっていない段階で、一人だけ昇進を認められたキルヒアイスに対する反感が強まっているという。保守派貴族軍が敗北した今、ラインハルトとリヒテンラーデ公爵の暗闘が始まろうとしていた。

 

 帝国の暗闘が始まった頃、同盟国内でもトリューニヒトとイゼルローン方面軍の暗闘が激しくなった。旧シトレ派の牙城だった統合作戦本部と宇宙艦隊司令部の切り崩しに成功したトリューニヒトは、軍部の完全掌握を目指してイゼルローン方面軍に手を伸ばした。

 

 トリューニヒトがイゼルローン方面軍の中で最も敵視しているのは、方面軍副司令官と要塞事務監を兼ねるキャゼルヌ少将である。かつてはシトレ元帥の腹心として、現在はイゼルローン方面軍司令官ヤン大将の知恵袋として、トリューニヒトに敵対してきた。帝国領遠征の重要戦犯の一人でもあり、何としても排除したい人物である。

 

 粛軍を口実にキャゼルヌ少将を予備役に編入しようとすると、ヤン大将は統合作戦本部長クブルスリー大将、宇宙艦隊司令長官ビュコック大将といった旧シトレ派人脈を総動員して助命に動き、トリューニヒトの軍部掌握を阻止しようとする進歩党、トリューニヒト叩きの材料に飢えている反戦派マスコミも呼応する動きを見せたことから、断念に追い込まれた。

 

 ヤン大将はイゼルローン方面軍司令官、駐留艦隊司令官、要塞司令官を兼ねているが、実際は艦隊指揮に専念している。要塞事務監のキャゼルヌ少将が「事務監は要塞の唯一の少将職で、後方部隊を統括する指揮官である。つまり、要塞の次席指揮官である」という理屈で、事実上の要塞司令官を務めていた。そこでトリューニヒトは要塞防御司令官のシェーンコップ准将を少将に昇進させて、キャゼルヌ少将の指揮権の根拠を弱めようと試みた。しかし、ヤン大将がキャゼルヌ少将の指揮権の優越を明言したことにより、トリューニヒトの目論見は失敗に終わる。

 

 次にトリューニヒトが目を付けたのは、ヤン大将の副官のフレデリカ・グリーンヒル大尉だ。彼女の父親であるドワイト・グリーンヒル大将は、クーデターの首謀者として軍事裁判を受ける身である。そこで「証人として出廷を求める」との名目で召還し、ヤン大将の側近グループの一角を切り崩そうと試みた。だが、グリーンヒル大尉は病気を理由に出廷を拒否。医師の診断書もあったことから、召還は見送られた。

 

 あの手この手で切り崩しを試みるトリューニヒトであったが、なんといっても距離が遠く、要塞内部にも内通者はいなかった。そのため、イゼルローン方面軍の言い分を検証できないまま、鵜呑みにせざるを得なかった。

 

 新部隊増設を名目に将兵を引き抜き、補充要員としてトリューニヒト派の士官が率いる新兵部隊を送り込んだ。だが、その多くがイゼルローン方面軍に取り込まれてしまい、取り込まれなかった者は不正行為などを理由にハイネセンまで送還されてしまった。不正摘発を糸口に切り込もうとしても、イゼルローン方面軍の職務執行状況や会計手続きには一分の隙も無く、監査をことごとくすり抜けてしまう。合法的にイゼルローン方面軍を切り崩す手段は、存在しないかに思われた。

 

 合法性にこだわらなければ、一角を切り崩すぐらいはできる。しかし、そんなことをすれば、旧シトレ派と全面戦争になってしまう。派閥色の薄い者も反発するだろう。海賊討伐作戦、正規艦隊再建、新戦略構想といった大事業を推進するには、旧シトレ派や派閥色の薄い者の協力も必要となる。イゼルローン方面軍にばかりこだわってはいられなかった。

 

 更に言うと、トリューニヒトは国政を統括する最高評議会議長。国防だけにこだわっていられる立場でもない。財政危機、不況、失業、治安悪化、福祉崩壊など、取り組むべき問題は山積しているのだ。トリューニヒトは去年発表した政権構想「共和国再建宣言」の実現に全力で取り組んだ。

 

 財政危機に関しては、最大の債権者であるフェザーン政府と交渉して、彼らが要求する外国籍企業の参入障壁撤廃、外国人投資規制の完全撤廃などを受け入れる代わりに、債権の一部放棄を認めさせた。ただ、大型国債を発行したため、政府債務残高はそれほど減っていない。クリスチアン大佐が危惧したように、フェザーンの資金への依存度は高まったといえる。

 

 トリューニヒト政権の経済財政政策は、積極財政を根幹としている。大型国債発行で集めた資金を公共事業に投資して、景気浮揚と雇用確保を狙った。公共事業と言っても、むやみやたらにでかい工事をしたわけではない。老朽化したインフラの修繕、中途で放棄された開発事業の再開などに予算を付けたに過ぎない。公務員の定員も一〇年前の水準に戻されて、廃止された公共サービスの多くが復活した。それだけで巨額の予算が消化されて、巨大な雇用が生まれたのだ。六年間のレベロ財政がどれほど徹底して予算を削ってきたかが伺える。

 

 治安にも莫大な予算が投じられた。警察官の定員が以前の水準に戻されて、大幅に増加した。街頭防犯カメラは倍増。地域住民の防犯パトロールに対する公費助成も始まった。物量戦術で治安を維持するトリューニヒトのやり方は、反戦派から「国民監視の強化」「警察国家」と批判された。そういえば、クリスチアン大佐の動画や『憂国騎士団の真実』でも、トリューニヒトは警察国家を作ろうとしていると言われていた。

 

 進歩党のホアン・ルイが推進した自立重視のハイネセン主義的社会保障政策も転換されて、自立を前提としないサービスの充実を目指した。トリューニヒトの支持層である退役軍人、亡命者、貧困層といった社会的弱者に対する給付金も増額された。徹底して凡人に優しい社会というトリューニヒトの理想が反映された政策だ。

 

 あまり注目されないが、トリューニヒトは教育政策にも力を入れている。警察官に学校常駐させて、非行を防止する。退役軍人を教師に採用して、軍隊仕込みの規範意識を指導する。奉仕活動をカリキュラムに取り入れて、利他心を養わせる。学校に対する行政の監視を強化して、教師の問題行動を防ぐ。青少年栄誉賞を創設して、模範的な青少年を顕彰する。モラル重視、精神教育重視がトリューニヒトの教育政策の特徴といえよう。

 

 当然のことながら、これらの政策は自由を重んじるハイネセン主義と真っ向から対立する。反戦派はトリューニヒトを「全体主義者」「社会主義者」と批判し、多額の国債を発行して予算を大幅増額する手法を「人気取りのばら撒き」と批判した。

 

「トリューニヒト議長は、『我が国は危機にある。だから、非常の手段もやむを得ない』と言う。だが、危機を理由に非常手段を認めた末に何が起きるかは、既に歴史が答えを出している。それは今から四八七年前の銀河連邦でルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが起こしたのと同じことだ。もちろん、トリューニヒト議長がルドルフになるなどとは思わない。だが、トリューニヒト議長が使命感ゆえに成したことが、未来のルドルフに道を開くのではないかと危惧する」

 

 議会で良心法が可決された直後、ジョアン・レベロは演壇に立ってトリューニヒトの非ハイネセン的な手法を批判した。だが、彼の熱弁は世間には顧みられなかった。

 

 積極財政によって、景気回復や雇用改善の兆しが見えてきた。市民が何よりも望む経済の安定が実現しようとしている。犯罪検挙率の増加、社会保障の充実も市民を大いに喜ばせた。長きにわたって沈みきっていた世の中は、少しずつ明るさを取り戻しているかのように見えた。レベロが語る民主主義の危機より、トリューニヒトの強権がもたらした希望を市民は信じたのである。

 

 反戦市民連合の分裂もトリューニヒト批判が力を持たない理由の一つであった。四月一六日の事件で執行部が壊滅した反戦市民連合は、混乱状態に陥った。未熟な新執行部に対する反発が党内抗争を引き起こして、離党者が続出。反戦市民連合はここ数年で台頭し、今年の総選挙で飛躍した。新興勢力ゆえの結束の弱さが分裂を招いたと言える。クーデター前には最強の批判勢力だった反戦市民連合は、見る影もなく弱体化してしまったのだ。

 

 トリューニヒト派には明るい時代、反トリューニヒト派には暗い時代がやってきた。そんな時代にあって、イゼルローンは反トリューニヒトの砦としてそびえ立つ。

 

 銀河の二大国が激しく揺れ動いた七九七年は、最後の月を迎えた。イゼルローン方面派遣艦隊は処分された者の補充要員としてハイネセンから派遣されてきた将兵、現地で募った義勇兵を迎え入れて、陣容を充実させていた。

 

「一生逃亡者と蔑まれて生きるぐらいなら、名誉の戦死の機会をいただけませんでしょうか」

 

 そう言って志願してきたエル・ファシル警備艦隊元参謀のケビン・パーカスト元大尉を隊長とするエル・ファシル逃亡者の義勇兵部隊も戦列に連なる。

 

 ウッタラカンド星域方面の作戦を完了して意気上がるイゼルローン方面派遣艦隊は、次なる戦場のシヴァ星域方面へと移動。フェザーン方面派遣艦隊のシャンドイビン中将、エリューセラ方面派遣艦隊のモートン中将、ロンデニア方面派遣艦隊のカールセン中将も順調に作戦を進めている。海賊討伐作戦は佳境に入りつつあった。



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