ポケットモンスターXY~あなたへ贈る百日草~ (黒助2号)
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第1話 カロス地方へようこそ

昔書いていた小説を一部リメイクして再投稿しました。
皆さんの暇つぶしになれば幸いです。


1

 

カロス地方。美しい空と森の恵みに溢れていたこの地は、最早その面影を残してはいなかった。美しかった空はどす黒い雲に覆われ、かつて緑に満ちていた美しい土地は紅蓮の炎に焼き尽くされていた。

この肥沃の大地は王である男の怨念が作り出した兵器の余波で破壊しつくされ、殺戮され、残滓の欠片も残してはいない。人も、ポケモンも……誰も生きてはいなかった。

 

「ふ、はは……はははは……!」

 

死の世界の中でたった一人生きていた王の顔は充足感に満ち、されど今にも泣きだしそうな掠れた声でただ笑っていた。

 

「やった……。やったよ……」

 

虚ろな視線で周囲を見回す。

傍らに常に控えていた最愛の友の行方を眼差しが、身振りが尋ねている。

 

「どこだ……? フラエッテ、どこにいるんだ……」

 

長い、長い戦争があった。王の愛したポケモンも戦争に使われた。

数年経って戻ってきたのは小さな棺に入れられた最愛の友の姿。

 

王は悲しんだ。

どんな手段を使っても、何を犠牲にしても友を生き返らせたかった。たとえ禁忌に触れることになろうとも。

王は命を与える機械を造り出し、愛したポケモンを冥府から呼び戻した。

 

だが、……喜びも束の間、王の悲哀は憤怒へと姿を変えた。

彼は既に愛したポケモンを傷つけた世界が、人が、ポケモンが、すべてを許せなくなっていたのだ。

命を与える機械を兵器へと転用し、数多の犠牲の上に成り立つ命の矢をカロス全土に撃ち込んだ。

 

そうして王は人を超え、破壊の神となった。

 

神の雷によって悲しい戦争は終わった。もう、これで人もポケモンも、誰一人傷つくことはない。私と君の望んだ優しい世界が、ここから始まるのに……。何故私の傍らに君がいない?

 

王は知らない。

彼の最愛の友は自らの命が多くを蹂躙したと知ったことに。

王は気づかない。

彼の落した命の矢がもたらした数多の犠牲に心を痛め、友は王の元を去っていたことに。

復讐にとりつかれていた彼は今の今まで気づけなかった。

何かを求めるように、虚空へと手を伸ばす。だが、誰も彼の手を取りはしない。

 

「あ、ああ……」

 

嗚咽を漏らし空虚な自分自身の手を胸に抱いて、見つめた。

憎しみを晴らし、怒りに曇った眼は少しずつ、正気を取り戻していく。

 

見渡す限り破壊の痕。生きている人間もポケモンも、誰一人として存在しない。

 

王が愛した地も、愛した人たちも、愛したポケモンたちも、みんな自身の手で葬り去ってしまった。他でもない、自分自身の手で。

 

「ああ、ああああ……」

 

やさしい王が治める、やさしい世界。

それが王と友が望んだ世界。だが、もう。それを見ることは叶わない

もう二度と、戻ることはできない。取り返しがつかない。

 

涙と絶望が滂沱の如く溢れ出る。

あの笑顔をもう、思い出すことができない。

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

声帯を痛めるほどの絶叫は、死に満ちた荒野に虚しく響き渡る。

 

戦争は終わった。

だが、夢にまで見た世界の先には、彼が思い描いたものは何一つなかった。

 

そして、3000年の時が流れた……。

 

2

 

船を乗り継いで、車体に揺られて何時間になるだろう……。

引っ越しのトラックに揺られながら、モンスターボールを弄んでいた。

 

「カロス地方か……」

 

ビジネスショートの黒い髪。身長こそ高くはないもののジャケットの上からでもわかる筋肉質な体格。日に焼けた肌に精悍な顔立ち。疲れ気味な目元が健康的な外見と相反した老成された印象を与える。

 

「どんな所だろうな?」

 

まだ見ぬ新天地に思いを馳せるというより、トラックの中で時間を潰すために隣にいる尻尾が6本あるポケモンに話しかけるが返ってくるのは退屈そうな欠伸だけであった。恐らくは気分が乗らないのであろう。

その反応に少年は「相変わらず気紛れな奴……」と特に気を咎めるでもなく苦笑する。これくらいで気分を害してはこのお稲荷様の相棒は勤まらない。

だが、退屈すぎて脳みそが溶けてきそうなので、同じく暇そうにしている相棒の首辺りを撫でていると今まで此方に興味なさそうにしていたこいつは途端にもっと撫でろと言わんばかりに膝の上に乗ってきた。

 

「ふふ……」

 

思わず微笑みながら膝の上に抱きながらモフモフしているとトラックがゆっくりと止まった。

荷台が開き、新居があるアサメタウンに到着したことを悟る。

 

「さて、行こうか」

 

立ち上がると同時に足元に降りる。

これが後にカロス地方全土を震撼させる大事件に立ち向かう少年――アトリと彼の最初の相棒であるロコンがカロス地方に踏み出した第一歩であった。

 

 

アサメタウン。町のキャッチコピーはこれから花咲く町。

ポケモンセンターすらないような田舎町のようだが、逆にこれくらい静かで穏やかな空気の方が母さんにはいいかもしれない。麗らかな陽気の中で僕とロコンは揃って伸びをして、窮屈な荷台から解放された喜びを噛み締めていると、急に上空から飛来物が急降下して――「痛ってぇぇ!!」――頭に刺さったぁぁぁッ!!

 

激痛に悶絶して涙眼になって顔を上げるとそこに感極まったように突進してくるモコモコの電気羊が……。シンオウ地方でも高級品として知られるファシミアブランド顔負けの羊毛が心なしかパチパチと帯電して膨れ上がっているような――――アバババババババババババババババババババババ!!!!

 

「あら、アトリ。遅かったのね」

 

愛しの息子の到着に気づいて出迎えに来たのか、新居から外に出てきた母・サキ。

メリープによる現在進行形拷問的愛情表現を気にも留めず至って普通の調子で話す。

 

「アバババババババババババババ!!」

「ふふ。メリープもムックルもアトリと別行動がよっぽど寂しかったみたいね。すごく喜んでる」

 

待て、母よ。ここで頭から血を流しながら感電して焦げている息子を見て他に言うことはないのか? それともアレか? 一人だけじゃなく、皆平等に構ってあげなさいってか? そいつは無理な注文だぜマイマザー。なぜならあの荷台のスペースはどう頑張っても一人と一匹しか入らない!! モンスターボールを使え? そんなもんは知らん!! 決して思いつかなかったわけでも、忘れていたわけでも、ましてやオレの頭が悪いわけではない!!

 

あ、待ったムックル。嘴でオレの指の爪を剥ごうとするのはヤメテ! マジで痛いから!!

メリープも! そろそろやめないとオレが天に召されてしまうから勘弁してください!!

そしてロコン! 貴様一人(1匹)だけ我関せずという風な態度をとるのはやめなさい!! 悲しくなるだろうが!!

 

カロス地方に来て一日目。この日は引っ越しの荷物運び込みとメリープ、ムックルのご機嫌うかがいに一日を費やしたのであった……マル!

 

 



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第2話 アサメの出会い

 

 

1

 

爽やかな朝を楽しむには爽やかな寝起きが必要だ。朝の寝起きとは一日を始めるためには重要な意味を成す。シンオウに『一年の計は元旦にあり』という言葉があるが、まったくもってその通りだと感心する。物事は総じて出だしが肝心だ。目覚ましで起きて、モーニングコーヒーを飲んで今日一日の計画を立てる。それがオレのルーチンで、一日がいい日になるという自分独自のジンクスでもある。

何が言いたいのだこの野郎だって? オーケーブラザー説明しよう。

必要なのは目覚ましによる自主的な目覚めであって、決して外部からたたき起こされることではない。まして自分のポケモンに生爪を剥がされそうになる激痛に目覚めることなど、あってはならな――「あ、痛い痛い! 待ってムックル! 起きるからオレの爪剥がしにかかるのマジやめて!!」

 

2

 

「はよ」

「おはようアトリ。ずいぶん遅かったのね」

「母よ、短針が6時をまわっていない時間を一般的には遅いとは言わないと思うんだ……」

 

不機嫌な態度を隠す気なしに暖かいコーヒー片手に自分の席に座る。

 

「って待てムックル。それはオレのコーヒーだ。」

 

飲もうとするところを割り込んでくるムックルを一睨みするがこの鳥はまったくそんなこと意に介さず嘴を突っ込んでいたコップから顔を上げて「なんで怒ってるの」というように首を傾げている。

 

「まったく……、しょうがない奴だな」

 

そういってコーヒーをムックルに譲り、トースターで焼けたパンにジャムを塗り、大口を開けて放り込もうとした次の瞬間――手からオレの朝飯が消えた。

 

「ロコーン! お前それオレの朝飯!! 最後の一枚だったのに!!」

 

オレの朝飯を横取りしたお稲荷様はそんなの関係ねえ! と言わんばかりにマイペースに食パンを頬張っている。さらに深い溜息をついた。

 

「仕方ない、サラダでも――ってメリィィィさぁぁぁん!? そこでおいしそうにムシャムシャ食っていらっしゃるそのサラダはもしかしなくてもオレのサラダじゃあーりませんかァァァ!?」

 

ムシャムシャと無表情でサラダを平らげる電気羊に頭を掻き毟った。っていうかお前ら揃いも揃ってなんで人の朝飯を……。

 

「あらあら、みんな元気いっぱいね」

「待って! オレの朝飯は? オレはいったい何を食ったらいいの!?」

「そうねえ」

 

母さんはしばらく考え込んでから、台所へ向かい何かを持ってきた

 

「はい、これ」

 

手渡されたのはカンパンだった。しかも賞味期限は一ヵ月前に切れている。

 

「………………オレの扱い悪くね?」

 

カンパンを一口齧って一言。ぼそぼそした食感が口の中の水分を根こそぎ奪っていく。

 

「マズッ……」

「ああ、そうそう。テレビつけて。今日はプラターヌさんがゲストとしてでるみたいよ」

「へいへい」

 

不味いカンパンを飲み込みながらテレビの電源をつける。

 

『ようこそ。ポケットモンスターの世界へ。私の名はプラターヌ。俗にポケモン博士と呼ばれているよ。この世界にはポケットモンスター。縮めてポケモンが沢山いる。

ポケモンは不思議な生き物でね。私たちはそんなポケモン達と助け合い共存している』

 

テレビの中の青いシャツの上に白衣を纏った服装に顎にはオシャレひげが生えている軽そうなワカメに苛立ちを募らせる。溜息をついた後、立ち上がる。

 

「あら、どこいくの?」

「サイホーンの顔見に行くんだよ」

「…………そう」

 

少しの逡巡。おそらくオレの心境を見破られたのだろう。

振り向けばきっと母さんは悲しい顔をしているだろう。

オレは罪悪感から逃げるように扉を閉じて外に出ていった。

 

「ガキだな、オレは……」

 

母さんに気を遣わせてしまった。本当はオレだってわかっている。

あの人に感謝こそすれ、恨む筋合いなど全くない。お門違いもいいところだ。

これはあくまでオレが勝手な感傷が引き起こしたこと。だが、『間違っているから』というだけで簡単に割り切れるほど、精神的に熟達していなかった。

自嘲気味なつぶやきにいつの間にかついてきていたロコンはクゥーンと鳴く。心配そうな顔で見上げてくる円らな瞳に頑なだった心が少しだけほぐれた。

 

「ごめんな、ロコン。大丈夫、オレはきっと大丈夫」

 

微笑を浮かべロコンの頭をそっと撫でる。

別にプラターヌ自身には非はない。

決して嫌っているわけでもない。あの人には本当に良くしてもらった。

昔は長期の休みのたびに一緒に遊んでくれた。だが、やはりあの人を見るたびにヤツの顔がチラついてしまう。オレがもう少し大人なら、あの人と上手く折り合いがつけられるのだろうか。そんな思考を振り払い、ロコンを頭にのせてから足を進める。

 

「サイホーン、起きてるか?」

 

サイホーンレースのために母が手塩にかけて育てたサイホーン。

生まれた時から一緒の母の唯一の手持ちポケモン。訓練中に幾度も振り落されたことも今となってはいい思い出だ。

あの日、アイツの所為で母さんは多くのものを失った。サイホーンレースのサイホーンを育てるための厩舎。多くのサイホーンたち。サイホーンレース発展の為のありとあらゆる夢。

…………許さない。母さんを泣かせ、生き甲斐を奪ったあいつをオレは絶対に許せない。

金で奪われたものは、金で奪い返す。そのためには、金が必要だ。

そうして母さんは自分の夢を叶えられる。

 

「明日のためのその1。先ずは働け!」

 

人間は働かないと腐る。

まずは手近なとこからコツコツと。近くのショップでアルバイト募集を探してみるかな。

マネーとはパワーなのである!

 

 

10時を回った頃、隣の家への挨拶に向かおうと引っ越し際に整頓された手土産を取り出していたところ、呼び出しのチャイムが鳴った。

 

「アトリ、でてくれるー?」

「へーい」

 

ムックル用の止まり木を組み終わり、ロコンの部屋に移ろうとしていたオレは作業の手を止めて玄関へ向かう。階段を降りる際にロコンに後ろから飛び掛かられ、ポケウッドの一流スタントマンも顔負けの階段落ちを披露したのはここだけの話だ。

玄関を開けると、色黒でツインテールの活発そうな女の子が輝くような笑顔で出迎えてくれた。

 

「こんにちは、はじめましてー♪ サナでーす」

「え? あ、はじめまして」

 

突然の来客に訳のわからないまま条件反射で差し出された手を握りブンブンと振り回される。カロス地方にも突撃! 隣の晩御飯があったのだろうか。

 

「えーっと、あなた達は?」

「サナでーす! よろしくね♪」

「あ、いや。そういう意味じゃなくて」

「こっちはあなたのお隣さんのセレナでーす♪」

 

紹介された少女を見て一目で恋に落ちたのかと錯覚するほどに胸が高鳴った。

背はアトリより少し高い。日に透けると金色にも見える栗色のウェーブの髪をポニーテールにしてチラリと見える白い項は妙な艶がある。カロスでは珍しくない碧い目はキリッとしており、可愛いというよりも美人と評する方が相応しいだろう。

そして、ついうっかりと自己主張の激しい胸部に視線を注いでしまい、慌てて目を逸らす。

その容貌は冴えない風貌のアトリからすると近寄ってすみません、と言ってしまいそうな神々しさすら感じる。

 

美人だ。美人の上に超をつけてもいいくらいの美人だ。

 

「急に訪ねてごめんなさい。アトリ、あたし達プラターヌ博士の指示で、あなたを迎えに来たの」

「えっと……、すみません、話が見えないのですが……」

「え? 博士から聞いてないの?」

「なにをですか?」

「え?」

「え?」

「…………」

「…………」

 

状況が今一つ飲み込めず困惑していると、ホロキャスターに着信が入った。

間が持たなくなっていたオレは逃避も兼ねてホロキャスターに注意を向ける。

 

「すみません、いいですか?」

「どうぞ」

「ロコン、お客様の相手を頼む」

 

わかった! といわんばかりに尻尾をピンとたてたロコンは外面の愛想を振り撒き始めた。

 

セレナとサナと名乗った少女達がロコンを物珍しそうに見入っているのを確認して、少し離れた場所でホロキャスターを取り出す。

発信者の名前は――プラターヌ博士。

 

《やー、アトリ。ようこそ、カロス地方へ。歓迎するよ》

 

エキゾチックなラテン系音楽がテーマソングに似合いそうな男はそう言って陽気に笑った。

 

「…………どうも。その節は色々お世話になりました」

《なんだい、随分他人行儀じゃないかアトリ。昔みたいにもっと砕けた口調で接してくれてもいいんだよ?》

「いえ、分を弁えていますので。それよりも博士、家に博士の使いを名乗る方がいらしているのですが」

《そうそう、そのことで連絡したんだよ。君に頼みたいことがあるんだ》

「頼みたいこと?」

《詳しい概要は隣のメイスイタウンで話すけどね、君の好きなポケモンの絡む儲け話さ》

「…………承知しました。それではまた折り返し連絡をさせていただきますので、よろしくお願いいたします」

 

ホロキャスターをオフにしてセレナさん達の所へ戻る。

 

「話はつながったかしら?」

「うん。頼みたいことがあって、詳しい概要は隣のメイスイタウンで話すってことでいいのかな?」

「メイスイタウンはあっちのアサメの小道を道なりに進んだところにあるよー!」

 

サナの指さした方向には大きな門があり、そこから一本道が伸びている。

 

「遠い?」

「すぐ近くよ。大体10分くらいで着くわ」

 

それならすぐ済むか?

ロコンは一緒に来る気満々だから連れていくとして、ムックルとメリープを連れていくまでもないか。

 

「ええ。それじゃあ行きましょう。…………、あ。そうだ、言い忘れていたわ」

 

そう言うとセレナさんは振り返り、顔を覗き込んでくる。

 

「アサメタウンにようこそ! 今日からは隣同士、よろしくね」

「そうなんだ。それじゃ改めまして……はじめまして、フワ・アトリです。これからよろしくお願いしますね」

「よろしくねー♪」

 

にこやかな表情を心がけて右手を差し出す。サナさんの方はすぐに握手に応じてくれたが、セレナさんは先ほどまでの友好的な態度は何処へ行ったのか、顔を引き攣らせて一向に手をとる気配はない。

 

「…………はじめ、まして? 今、貴方私に『はじめまして』って言った…………?」

 

そこで初めてオレは彼女の異変に気付いた。

セレナは不機嫌そうに肩を震わせ、何かブツブツと呪詛を唱えるように何か呟いている。

オレは彼女に何か粗相を働いたのだろうか?

 

「…………、そうね。はじめまして、お隣さん……ッ!」

 

やけに険のある口調で応じられても反応に困るんだが……。内心困惑しながらどうにか握手に応じてもらえたので、少しだけホッとする。

近所付き合いは大切なので、ここで人間関係を拗らせるのは得策ではない。

よりよい隣人関係を構築するためには、まずは第一印象が大事。子供のオレの対応一つでそこまで深刻なことにはならないとは思うが、何が原因でご近所トラブルになるかわからない以上、対応に用心はしておかないと。

 

「挨拶も済んだし、はやく隣町に行こっ! もう待ちきれないよ」

「あ、ああ。そうだね」

 

とりあえずセレナさんに対するリカバリは後でするとして、今は叔父さんの用事が先だ。

以前世話になっていることがある以上、よっぽど無茶ぶりされない限りはここで借りを返しておくのも悪くない。

 

「ロコン、とりあえずこの中入ろうか」

 

頭によじ登ってきたロコンをモンスターボールに戻してアサメの小道へと向かった。

はてさて、叔父さんから何を申し渡されることやら……。

 

 

 



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第3話 プラターヌからの依頼

 

 

1

 

子供のころは、自分は何でも出来ると信じていた。

根拠はない。ただ、目の前には果てしない未来が広がっていて、無限ともいえる可能性に毎日がキラキラしていた。

恐れはなかった。信じて、努力すれば、不可能なんてない。

どんな夢でも叶えられる。

ただ無邪気にそう信じていられた。

 

2

 

アサメの小道を抜けたオレたちはその先の川沿いの町メイスイタウンという小さな町に到着した。セレナさんの言っていた通りアサメタウンから本当にすぐ近くで、わざわざわける意味があるのかな? と疑問に思ったが、その辺は大人の事情というやつなのだろう。

 

「おーい、こっちだよお」

 

声のした方向に意識をやるとオープンカフェの椅子に肥満た――訂正、体格のいいウソハチの様な髪型をした男の子と、細身で小柄な……えーっと、たぶん、男、かな? うん、中性的な容姿の男の子が座っていて手を振っている。

 

「おーい! おまたせー!」

 

そういってサナさんは手を振り返して、走っていく。

 

「あそこが待ち合わせ場所よ。行きましょう」

 

先導するセレナさんに促され、後に続いて椅子に座った。

 

「紹介するねー♪ こっちにいるのが、」

 

サナさんは奥にいるウソハチ頭のデ――じゃない、巨漢を指す。

 

「オーライ、見かけに騙されちゃいけないぜ☆ 動けるデブとはぼくのこと! パワフルダンサー・ティエルノここに参上!!」

「よ、よろしく……」

 

自己紹介がてらリズミカルでコミカルなダンスをしてから握手する。

この体でそこまで軽い動きが……!? こいつ、やりおる……ッ!!

っていうかこの自虐ネタは笑うところなんだろうか?

なんだか笑ったら失礼な気がするし、かといって笑わなかったら自虐ネタ振った方としては居た堪れないはず……。

ど、どうするオレ? オレの取るべき的確な対応は……!?

表面上平静に、だが内心ではテンパりマックスで次の対応を考えていると、細身の男の子が立ち上がった。

 

「ひ、貧弱なんて言わせない! たった1つの真実見抜く冴える頭脳派・名探偵トロビャ!」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「いま、噛んじゃった?」

「噛んだねぇ」

「噛んだわね」

 

サナさん、ティエルノ君、セレナさんが順番にツッコミをいれて、赤面したトロビャくんは小さくなって固まっている。

うん、わかるよ。そういう決め台詞とかって失敗するとすごく恥ずかしいよね。

 

「諦めちゃダメだトロバっち! 諦めたらそこで試合終了だよ! と、いうわけでtake2!」

「やめたげてよお! もうすでに彼のライフはゼロだよ!?」

「貧弱なんて言わせない!」

「ってやっちゃうの!?」

 

意外にメンタル強いな、オイ!!

 

「たった1つの真実見抜く冴える頭脳派・名探偵トロバ!」

「「二人そろってパワー&ブレイン! ただ今参上!!」」

 

決めポーズと同時に彼らの後ろでクラッカーが炸裂する。

あまりに高いテンションについていけず、若干表情を引き攣りながらも差し出された手を握られハグされる。

 

「いやー、見事に決まっちゃったねえ。新しい仲間が来るって聞いていたから張り切って準備したんだよねえ」

「はい。構想に1カ月! 練習に1週間前かけた甲斐がありましたね!」

「えーっと、僕のためにわざわざありがとう……」

 

と、言うべきなんだろうか……? ダメだ。ペースを握られっぱなしじゃ上手い立ち回りができない。どうせ上辺だけの付き合いなんだから、もっと上手くやらないと。

気を取り直してにこやかな表情を顔に張り付ける。

 

「改めまして、初めまして。フワ・アトリです。よろしくお願いします」

「オーライ、よろしく! 仲良くなるためにニックネームで呼びたいんだけどいいかな?」

「勿論」

「それじゃあ『アトリーム』でどう?」

「…………え?」

 

なんだろう? 『アトリーム』というワードに強い拒否感を覚える。何故だろう?

でも今は、そんな事はどうでもいいんだ。重要な事じゃない。

それよりも気になるのはアンタの着ているバニプッチTシャツと『アイスクリーム』かけているのか、ということだ。だとしたらお笑いだ、ヤマダくん彼の座布団を1枚持って行ってくれたまえ!!

 

「えー、やだーっ! アトタロがいい!!」

 

困惑しているところにサナさんが抗議をいれる。

けど、それは語呂悪くね? その上、本名よりも長いあだ名という本末転倒だと気づいてほしい。

 

「ぼ、僕は控えめにアトPのほうが……」

 

と、言ったのは名探偵トロバ君だ。

控えめでもなんでもねーよ。皮膚炎のようなネーミングは嫌がらせ以外のなんでもない。

 

「とんでもないあだ名を付けられそうだから、どう呼ばれたいか自分で決めたら?」

「普通にアトリでいいよ」

 

セレナさんの助け船に速攻で乗った。

ただでさえ『借金王』とか『貧乏人』だの言われていたのにこれ以上変な呼び名を増やされてたまるか!!

 

「呼び捨てでいいの?」

「うん。そう呼んでくれたらうれしい」

「仲良くなりたいからあたしもそう呼ぶね。あたしたちのことも呼び捨てでいいよ」

「わかったよ、よろしくサナ」

「よろしくー☆」

 

さて、一段落したところで。

 

「そろそろ本題に入らない? 僕はここに呼び出されたのか教えてほしいんだけど」

「あ、そうですね。まずはこれを受け取ってください」

 

そう言ってトロバが差し出されたのは赤い何かの機械。ちょうど手の平サイズで持つと手に馴染む。

 

「これは?」

「これは『ポケモン図鑑』と言って、捕まえたポケモンを自動的に記録、過去にわかった研究データ、性質、特性、強さをレベルとして数値化して表示するなど、非常にハイテクな道具なのです」

「へえ? 便利な道具だね」

 

起動させるとホロキャスターのような3Dのホログラムがスクリーンとして表示される。

投影されたスクリーンに触れると画面が色々動く。

 

「おお。科学の力ってスゲー」

 

……この最新技術の塊、売ったらいくらになるかな?

 

「気に入ったみたいですね」

 

金がかかっていそうな技術に、さぞ目がキラキラしていたのだろう。トロバは苦笑してこちらを見ている。

我に返って顔が熱くなった。ダメだ、つい素がでてきてしまった。

オレの素の性格は気性が荒い為、敵を作りやすい。うまく自分をコントロールできないなんて、オレはまだまだ未熟な証拠……。

 

「えっと、プラターヌ博士はこれを僕に渡して、何をさせたいのかな?」

「は、はい。博士はこのポケモン図鑑をもって様々なポケモンを捕まえることを期待なさっています。研究が進んだといっても、まだまだカロス地方にはポケモンの生息地、雌雄の特徴の違い、同種の個体が地域によって姿を変えるといった様に不明な点が多々あります。そこで博士はぼくたちに図鑑を持って旅をすることを要請してきました。これはいわば博士からのミッションです!」

「つまり、フィールドワーカーとして研究を手伝ってほしいってことでいいのかな?」

「そ、その通りです。詳しいことは預かってきた書類に記載してありますので……」

 

トロバから書類を受け取り、目を落とす。業務内容はポケモン図鑑を携えての分布、生態調査。及び、研究所でも個体数の少ないポケモンの育成――――これは実質、博士からの餞別として見るべきだろう。

待遇として、旅にかかる費用の一切を研究所で負担すること。一定の成果を上げることによるボーナスが約束されている。それとは別に一ヵ月あたりの基本給――かなり安めだが、ボーナスの方が高く見積もってあるので、そこでバランスをとっているのだろう。

『旅の過程で君たちの本当にやりたい事を見つけられることを祈っています』の一文で最後が閉められている。

 

「ねえねえ、早くパートナーになるポケモンに会わせて!」

「だよねえ! ぼくとトロバっちがポケモンと出会った時の感動、サナ達も味わってねえ」

「あー、もしもし。盛り上がっているところ本当に悪いんだけど、」

 

用紙を折り畳んで、ティエルノたちに話しかけるが、興奮している彼らの耳には届かない。

ティエルノはモンスターボールが3つ入っているショーウインドウの様なケースを取り出し、オレたちの前に置く。

ヤバい……。どんどん言い出せない雰囲気に……。

 

「あたしのパートナーはフォッコちゃんね!」

 

まず、サナが炎タイプの狐ポケモンの入ったボールを手にして開閉ボタンをタッチする。

出てきたフォッコは赤い瞳でサナの膝に乗って「キュー……」と鳴いた。

 

「わー、可愛すぎ♪ これからよろしくね、フォッコ!」

 

応えるように尻尾をピンと立てて「キュン!」と鳴く。赤と黄色のツートーンカラーの尻尾はフォッコの感情を表すように左右に大きく揺れていた。

 

このフォッコ、確かにあざといぐらい可愛い。それは事実として認めよう。だが、しかし! うちのお稲荷様のほうが絶対可愛いけどな!! ――じゃなくて、早く言わねえと……!

けど、この流れで言ったら絶対に空気が読めないって、パッシング受けるんだろうなぁ……。

あ、ヤベッ……。胃が痛くなってきた……。

だれかー胃薬をくださーい! 胃にスーッと優しく、よく効く奴を1ダースほどーッ!!

 

「私の名前はセレナよ。プロのポケモントレーナーを目指して一緒に頑張りましょう、ハリマロン!」

 

落ち着いた声でイガグリ頭のハリネズミに優しく語り掛ける。

勇ましい眉をしたハリマロンは物怖じすることなく、片手をあげて挨拶する。

こっちもこっちで可愛いな、オイ。だが、しかーし! うちのメリーさんとムクドリには及ばない!! じゃなくて!!!!

 

「あとは、アトリだけね」

 

そう言われ、残ったボールを差し出される。

オレはしばらく考えた後、意を決して口を開いた。

 

「悪いけど、今回の話は辞退させてくれないかな」

 

案の定、驚愕の視線が一斉にオレに集中した。

あ~、やっぱりこのタイミングでこんな話したら引くよなぁ……。

胃ーガペインな状態に耐えつつ、緊張を解きほぐすように小さく息をついた。

 

「どうして!? こんなにいい話は滅多とないのに、どうして――!!」

「理由を、聞かせてほしいなあ」

 

声を荒げるセレナをティエルノが静止して落ち着いた様子で水を向けてくれる。

正直、助かる。針の筵を覚悟しての発言だったため、彼の気遣いに少し救われる。

だが、まあ……理由を言えば彼もまた、間違いなくオレを軽蔑するだろう。

やっぱり、最初から上手くやるなんて無理だったんだろうな……。

「気を悪くしないで聞いてほしい」と前置きしてから話を始めた。

 

3

 

「つまり、アトリの家には借金があるんだねえ?」

「まあ、そういうことだね。厩舎と土地を手放して、残りはプラターヌ博士が工面してくれたから、何とかなったけど……そうじゃなかったらと思うと――正直考えたくないな……」

 

「あまり言いたくなかったんだけど」と、苦笑しつつアトリは疲れた表情で話を続ける。

 

「プラターヌ博士は返済しなくていいって言ってくれたけど、そういうわけにはいかないだろう? だから、僕は一日も早く博士に立て替えてくれたお金を返して、牧場を買い戻すために金が要るんだ」

「だ、だったら猶更プラターヌ博士の依頼を受けるべきでは?」

 

そこで一定の成果を上げてボーナスを貰えばいいと言い含めるが、アトリは微笑を浮かべて首を左右に振った。

 

「それが出来たらいいんだけどね、僕には才能がないから」

 

基本給が安すぎる以上、成果を出し続けるしかない。だが、もし成果が伴わなければ待っているのは低所得生活だ。厩舎を買い戻すと決めた以上、アトリが求めるのは安定した基本給と高い手取りなのである。セレナの敵愾心に満ちた視線に気づき、肩を竦めた。

 

「そんなに非難がましい目で見ないでほしいな」

「旅をしながらポケモントレーナーとして修業すればいいじゃない。私たちはプラターヌ博士に選ばれたのよ。あなたにだってそれだけの素質があるに決まっているのに、それを磨かないのは、ただの怠慢よ」

 

その言葉を聞いた途端、アトリの心が不快な騒めいた。

ゆっくりと目を伏して、落ち着けと心の中で何度も反芻する。

 

「僕にとってポケモンバトルは既に『趣味』でしかないよ。確かに僕がチャンピオンになって厩舎と土地を買い戻すことが出来ればそれが最高の形なんだろうけど、残念ながら僕にはそれだけの資質も実力もない。大成する器じゃないんだ。見込みがない以上、僕は他の方法を模索しなければならない」

 

ポケモントレーナーが副職を持つことを正式に認可されている理由といえば、一言で言って儲からないからである。

ポケモントレーナーになること事態は簡単だ。十歳になると同時に協会への加入資格が得られるため、あとは申請して講習を受けて、加入金とトレーナーとしてのランクを示すジムバッジに応じた登録費を払えば、誰でもポケモントレーナーを名乗れる。

 

ポケモン勝負に勝てば協会から賞金の差し引きが行われる。これとスポンサー企業の広告収益がポケモントレーナーの主な収益となっているのだが、賞金の額は相手と自分のジムバッジの数と手持ちポケモンの総合レベルによって厳正なる審査を受けて変動する。一般的にはプロとアマの境目はバッジ8つが境界線と言われている。

7つまではランク7と呼ばれるチャレンジャーズリーグ。8つからはマスターズリーグと分類され、マスターズリーグからはより厳密なランキングが設けられ、賞金額はチャレンジャーズと比べ段違いに上がる。それでもやっと手持ちポケモンを賄えて、自分もどうにか食っていけるレベル。そこから更に儲けようとなると、スポンサーを探すか、地方チャンピオンか、四天王クラスの人気トレーナーになる必要があるのだ。

 

因みにチャレンジャーズで勝率を上げ、高額の賞金を得るために態とジムバッジを取らないトレーナーもいるが、その場合納める税金の歩合も割高になるし、あまりに悪質だと協会が判断したら最悪トレーナーカードを剥奪され、最低5年間は再取得を禁じられるのでハイリスク・ローリターン過ぎるのである。閑話休題。

 

単体では経済活動としては成立すらしていない。やりがいと熱狂。そして、人間とポケモンが共に手を取り合うというこの世界の象徴。これらの要素があるからこそ、今日まで競技としてのポケモンバトルは廃れず、寧ろ更なる飛躍を遂げているのである。

 

「僕は、絶対に失敗できないんだ……」

 

父の残した借金の所為で、すべて母はすべてを奪われた。

手塩にかけたサイホーンのほとんどは人手に渡り、厩舎は潰され今では高層ビルが聳えたっている。自らの夢を奪われた母は正直、痛々しすぎて見ていられなかった。

だから、オレは必ず母さんの夢を買い戻す。どれだけ時間がかかろうとも、必ず札束で横っ面ぶん殴って、すべてを奪い返す。

それがオレのやるべきこと。自分の夢より優先すべき目的。

 

「…………、わかったよお」

「ティエルノ!」

 

誰もが沈黙する中で、その気まずい空気を払拭するようなのんびりした口調で、ティエルノはそういった。

 

「セレナ、残念だけど仕方ないことだよお。ぼくたちにもぼくたちのやりたい事があるように、アトリにもアトリの事情があるってことなんだよねえ」

「……………………、ごめん……」

 

こちらの心情を推し量ってくれたことに、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

同時に抱いた夢を、目標へと昇華して走り出す彼らが羨ましく思う。

 

「誘ってくれてありがとう。君たちの成功を祈っているよ」

 

逃げるように席を立ち、ティエルノたちから逃げるようにハクダンの森へと向かう彼らと逆方向へと足を向ける。

彼らが眩しくて、直視できなくて、惨めさで一杯で……。

 

 

彼らが見えなくなったことを確認してから思いっきり走った。そして人目のつかないこと場所に移動したのを確認してヘナヘナと座り込んでしまった。

モンスターボールを持った手で額を小突く。

 

「オレを軽蔑するか、ロコン……?」

 

六本の尻尾を持つ狐は何も言わず、ただ憔悴した自分の主人を見つめていた。

その直後――異様な気配に背筋が寒くなる。反射的に振り返るとハクダンの森から夥しい数の鳥ポケモン達が一斉に飛び立っていく。まるで何かに恐怖しているかのように、彼らにはまったく余裕が感じられない。

 

「何が、あった……? あの方向には――まさか!!」

 

嫌な予感がした。こういうことはスクール時代に何度か経験がある。この雰囲気はヤバい。

自分の取り越し苦労であればそれでいい。

だが、もし予感が当たっていたとしたら……?

 

「あいつらが危ない……」

 

アトリは踵を返してハクダンの森へと走り出した。

 

 



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第4話 赤い弾丸

 

 

1

 

ハクダンの森。木漏れ日が落ちることで有名な森林浴の人気スポット。

静かな、薄暗い森の中で歩くセレナの周りにはブリザードが吹き荒れている――様に見える。

 

「セレナ、なんだか機嫌悪くない?」

「……………、別に」

 

返ってくる声のトーンは氷点下を突破していた。言葉とは裏腹に「私は不機嫌です」という本音が丸聞こえであった。

 

「でも、仕方ないよ。アトリにだって家庭の事情があるんだから。無理に連れ出したって何もならないよ」

「何が家庭の事情よ! ただ逃げただけじゃない!」

 

普段は冷静なセレナの剣幕にサナの体がビクリと震えた。

 

「アトリ程の才能があれば、プロのポケモントレーナーも、それどころか四天王クラスのトレーナーになることだって夢じゃないのに!」

 

悔しかった。あれほど才気に溢れ、努力も怠らなかった彼が、あんな風に覇気が感じられない腑抜けに成り下がってしまったのが。

 

セレナの両親はカロス地方でも有名なプロのポケモントレーナーだった。

親が優秀の場合、サラブレットにも過度な期待を寄せるケースは珍しくない。幼いセレナにも周囲の期待という名のプレッシャーが重くのしかかっていた。

その期待に応えようと、セレナは物心ついた時から勉強に没頭した。遊ぶ時間などかなぐり捨てて両親の資料、カロス地方に生息しているありとあらゆるポケモン達の勉強に没頭した。当然、そんなことをしている子供が周りに馴染めるはずはなく、通っていたトレーナーズスクールでは遠巻きに『ガリ勉ブス』と陰口を叩かれ、孤立していた。

セレナもセレナで人より多く勉強していることへの自負から周囲を見下しきっていた。自分以外は努力を怠っている怠け者だ。無能な奴が僻んでいるだけだ。

そう思い込んで、優越感を見出して惨めさから目を逸らしていた。

そんな傲慢な自我の塊となって、凝り固まっていたある日――シンオウ地方のトレーナーズスクールから数人の交換留学生がやってきた。

そこでの主席の男の子は、粗暴で、粗忽で――セレナが軽蔑してきた馬鹿そのものであった。

 

セレナはそんな馬鹿に完膚なきまで叩きのめされたのである。

悔しくて、認めたくなくて、何度も挑んだが、結果は変わらなかった。

頭をカチ割られた気分だった。だが、カチ割られて初めて見えてきたものもあった。

馬鹿にして見下していた少年は、セレナ以上にポケモンとコミュニケーションをとり、戦略を練り、時には人を集めてディスカッションを行い違う視点から見た戦略パターンを積極的に取り入れていた。彼は自分以上に人とポケモンに向き合って努力してきていたのだ。

 

『自分は誰よりも努力していて、自分以外は有象無象だ』

 

唯一の拠り所であったプライドを木端微塵に粉砕されて、凝り固まった傲慢な思想が浮き彫りになり、自分の器の小ささを否応なく思い知らされた。

 

自分が怠惰だと見下していた同級生たちはセレナより長い時間、自分のポケモン達と息を合わせるため、深い愛情を注いでいたこと。

机にかじりついての勉強ではなく、積極的に他のトレーナーと交流を深め、直接経験を積んでいたこと。

それらのことはセレナが無駄だと言って切り捨てたものばかりだった。

しかし、それこそが『ポケモンと共に歩む者』が最も必要とする要素なのだ。

 

そして何よりも自分よりも努力して、楽しそうにポケモン達に向き合っているアトリの姿が眩しくて、羨ましくて、いつしか目で追っていた。

粗暴だけど、優しくて。

粗忽だけど、人間味があって

馬鹿だけど、筋の通らないことは嫌いで。

 

――変わりたい!

 

近づきたくて――そう、強く思った。

周囲を見下して歪んだプライドに固執していた自分と決別して、新しい自分に生まれ変わりたい。

見下すことをやめて、認め合おう。

相手を否定するのではなく、歩み寄ろう。

悪いところだけではなく、良いところも数えてみよう。

 

自分が変わり始めてから、周りも徐々に変わっていった。

孤立することはなくなり、少ないけれど友達もできた。

以前よりもポケモン達とも息が合うようになり、喜びを分かち合うことができた。

世界がモノクロから鮮やかな彩りに満ちたものに変わった。

 

それは彼がシンオウ地方に帰ってからも、色褪せず。

今度会うときはもっと格好いい自分でいよう。

 

夢を追って努力し続ければ、いつか必ず同じ夢の途中で彼に会えるはずだから。

 

そう思っていたのに――何故……ッ!!

 

なまじ相手への信頼が大きかっただけに、裏切られたと感じた失望感もひどく大きかった。

 

「ああ、もう!!」

 

度し難い苛立ちを発散させるように大声で叫ぶと――一斉にハクダンの森に生息する取りポケモンが飛び立った。

 

「え? な、なんでしょうか?」

「セレナっちの声に驚いたかねえ?」

「そんなわけないでしょ。下がって!」

 

この張りつめた圧迫感は尋常ではない。

モンスターボールのスイッチを押し貰ったばかりのハリマロンを出した。

 

「ハリマロン……、警戒して。この森、何かいる……」

 

ハリマロンもこの異様に重い空気を察したようで臨戦態勢に入っている。

長い一瞬が過ぎ去ろうとしたその直後――赤い高速物体がハリマロンと衝突し、気絶させた。

 

「ハリマロン!?」

 

気絶したハリマロンを戻す。いくら受け取ったばかりとはいえ、最大限の警戒をしていたハリマロンを一撃で、しかも気配を感じる間もなく倒した。

――強い! 即座に彼我の実力差を悟った。

ハクダンの森は穏やかな環境からか本来それほど強いポケモンは生息していない。

にもかかわらず、これほどのレベルのポケモンがいるということは――――いけない。今は目の前のことに集中しないと……!

思考を断ち切り、セレナの手持ちで最も強いポケモンを繰り出す。

 

「アブソル、お願い!」

 

右側頭部に伸びている彎曲した黒い角が特徴的な白い四足歩行の美しいポケモンは既に周囲を警戒している。

かつて災いポケモンと恐れられる原因となった類稀なる危機察知能力をもってすればこの森に潜むもの相手に先制できるはずだ。

 

「索敵は任せるわ。何か見つけ次第、『不意打ち』で迎撃して」

 

尻尾が一度立つ。感覚を研ぎ澄ませ、攻撃の予兆を探る。

姿勢を低く保ち、瞑想するように目を閉じる。一瞬の出来事であった。

目にも留まらぬ高速の拳がアブソルに迫る。アブソルは目を見開いて――――赤いナニカとアブソルは正面からぶつかった。

 

鍔迫り合いを演じるアブソルと赤いポケモン――ハッサム。

両者の力はしばらく拮抗していたが、やがてアブソルの方が押され始めた。

 

「セレナ!」

「サナ、来ちゃダメ! 今のうちに逃げて!」

「でも!!」

「いいから!!」

 

サナ、ティエルノ、トロバ。この三人のバトルの腕ははっきり言って低い。

目の前のハッサム相手には何もできずにやられてしまうであろう。そして、セレナもこの三人を守りきる自信がない。それほどまでにこのハッサムは強い。

だが、イコール逃げることができないわけではない。ハッサムの様子は尋常ではない。まるで怨念に塗れているかのような、暗い気迫が周囲を圧迫している。

今闘っている目の前の敵以外は気にも留めていないであろう。内向的だった自分にできた友達を危険な目にあわせたくない。だから――!!

 

「早く逃げて!!」

 

サナ達は少しだけ顔を見合わせて苦汁を呑み込むように歯を食いしばる。

 

「わかりました!」

「すぐに助けを呼んでくるからねえ!」

「ごめん、ごめんねセレナ!」

 

三人はメイスイタウンに走り出す。これでいい。

勝てないまでも、サナ達が誰か大人を連れてきてくれれば、対抗のしようがある。

そう、思った直後だった。

 

押し負けたアブソルに無数の鋼の拳を叩き込み撃破したハッサムはサナ達の逃げ道に回り込む。

まるで『一人も逃さない』と言わんばかりに、赤い鋏を持ち上げて威嚇していた。

恐怖で一歩。二歩と後ずさりする。

 

この中で最もバトルに優れているセレナのポケモンは全員戦闘不能。

サナ達も対抗できるポケモンを連れていない。逃げ道を塞がれ逃走も不可能。

 

――もうダメだ。

 

この場にいる誰もがそう思ったその時だった。なんの前触れもなく、上空から降り注いでいた陽射しが強くなった。

 

「下がれ!」

 

怒号と同時に青い鬼火がハッサムの背中に直撃し、火傷を負わせる。

 

「最大火力でぶちかませッ!」

 

待ってました、と言わんばかりにロコンは大きく息を吸い、炎の塊を飛ばした。

着弾した炎弾は炸裂し、火の粉が辺りを飛び交う。

 

「無事か!?」

「アトリ、何でここに!?」

「話は後! 今はそれよりも早くここから離れるのが先だ!」

 

起き上がったハッサムの眼には憎悪すら超越した怨念の炎が激しく燃え盛っている。

恐らくはこのままアトリ達を無事に帰すつもりなど、全くないのであろう。

 

「弱点ピンポイントだったってのに……、なんてタフな奴……!」

 

ハッサムの属性(タイプ)は鋼と虫。そして虫ポケモン屈指の近距離アタッカーである。だからこそ、最初の鬼火でハッサムの力を抑えこみ、タイプ共通の弱点である炎タイプのロコンが繰り出す弾ける炎を指示した。その上、ロコンの特性である『日照り』によって炎タイプの技にブーストがかかっていたのだ。この技選択はこれ以上ないほどに的確だったと自負している。だが、相対している深紅の虫ポケモンは倒しきれなかった。

そこから絞り出される答えは、そう多くはない。

1つは、相当な強靭な精神力でダメージによる気絶から踏み留まっていること。

そして、もう1つは、単純にレベルが違いすぎるということ。

 

「アトリ、手伝うよ!」

 

そういってサナはフォッコを繰り出そうとするが、

 

「バカ野郎、手を出すな! このハッサムは半端じゃねえ!」

 

怒りからか、立ち上がり木を殴る。状態異常『やけど』の効果で攻撃力が落ちているにも関わらず、左拳は木に減り込んでいた。

 

「わーお……、すっげーキレてやがる」

 

『羽休め』で失われた体力を回復するハッサムを見て状況が最悪すぎて思わず笑いが零れた。

 

『ニンゲン……、許サナイ……ッ!』

 

プレッシャーからか頭にハンマーで殴られたかのような頭痛と共に幻聴が脳内に駆け巡った。一瞬の激痛に微かに眉間に皺を寄せた後、気を取り直してどこか付け入る隙がないかと注意深く観察する。

やや左半身に開いた構え。鋏はいつでも相手を攻撃できるように固く閉ざされている。

そして、憎悪を滾らせて血走った眼――そこでアトリはあることに気付いた。

もう一度、ハッサムの足の開きを確認して突破口が開いたことを確信する。

 

――だが、どうやって生かす?

 

スピード、パワー共に向こうが圧倒的。テクニックもレベルから察するに相当なものであろうと予測される。

対してこちらが持っているアドバンテージはタイプ相性、そして先ほど発見したこのハッサム特有の『ある弱点』のみである。

まともに正面からぶつかってもまず当たらないだろう。技どころか、一歩でも動けばバレットパンチ一発で返り討ちだろう。状況は圧倒的に不利。それを采配でひっくり返すのがポケモントレーナーの本領なのだが、アトリは明確な策を立てられずにいる。どのルートを辿っても、予測される結末はすべてロコンの敗北。せめて一度だけでも『瞑想』で積む時間があれば活路が見いだせるのだが――有効な手立てを探り当てられないまま、長い1秒が過ぎ去ろうとしていた。

 

睨み合いは続く。ハッサムもたとえマグレ当たりでも、あと一撃でもくらえば自分もただでは済まないことを理解しているからこそ、自分からこの均衡状態を崩せない。

 

チラリと目線だけで上空を見た。

 

――よし……。勝ち筋が見えた!

 

少し笑って何も言わず上空を指差した。

 

「降下ッ!!」

 

号令と共に太陽を背にしたムックルが突撃してくる。

高速で滑空してくるムックルを後ずさり、やり過ごす。その直後ハッサムの体がビクリと震えた。反射的に振り向くと、背後には電気を蓄えたメリープが佇んでいる。

 

反射的にバレットパンチを繰り出そうとするが、ハッとして意識を前のロコンに戻すが、すでにロコンは“ハッサムの死角になっている右”に回り込んでいた。

ロコンの気配を感じ、すぐ対応しようとしたが、大きく体勢を崩した。

 

「レベルに差があっても受けきれねえぞ?」

 

人差し指でコメカミを一度叩く。それがロコンへの合図だった。

 

弾ける炎がハッサムに直撃、意識が一瞬飛ぶ。

タイミングを逃さず、アトリはモンスターボールを投げる。脱出すべく、ハッサムは抵抗を試みたが既にボールを破壊するだけの馬力を残してはいなかった。

カチリ、と音がしてボールがハッサムに定着したことを確認してから拾い上げた。

 

「死ぬかと思ったぁ~」

 

アトリ気が抜けたのかヘナヘナとその場に座り込んだ。

本当に危なかった。ムックルとメリープが来てくれなければ、アトリ自身もやられていたかもしれない。

 

「大丈夫、怪我はない!?」

「オレは、な。そっちこそ大丈夫かよ?」

 

慌てて駆け寄るセレナに頭にムックルを乗せたアトリは力なく笑いかける。

 

「だ、大丈夫。けど、アブソルとハリマロンが……」

「とりあえずメイスイまで戻ってポケモンを回復させよう。話はそれからだ。な?」

 

半泣きのセレナを落ち着けるためにゆっくりとした口調で語りかける。

サナ達に休める場所への誘導を頼み、アトリはもう一度ハクダンの森を見渡した。

何処にでもある穏やかな雰囲気の森だ。こういった環境で凶暴な野生ポケモンが出現するとは考えにくい。いや、それ以前に、ストライクからハッサムに進化させるにあたって特殊な手順を踏まなければならない。故に、“野生のハッサム”など、本来はあり得ないのだ。

その上、あのハッサムは右目が見えていなかった。そしてあの人間への敵愾心。

あらゆる可能性を吟味して、導き出される答え。

 

――このハッサムはもしかして……、

 

「アトリ、どうしたのですか?」

「…………いや、なんでもねえ。それより早く行こうぜ?」

 

アトリは一旦考えるのをやめて、トロバたちの後に続いた。

 

 

 



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第5話 ライバル

 

1

 

メイスイタウンに戻ったアトリたちは、サナの伝手で、かつてポケモンセンターに勤めていた女性が住んでいる家を訪ねていた。

 

「急なお願いを聞いていただいて本当にありがとうございます」

「いいのよ。私も昔取った杵柄が役に立つならとてもいいことですもの」

「状態はどう、でしょうか……?」

 

控えめに尋ねるのはセレナだ。

自分のポケモンの状態を聞くのが少し怖く、言葉が尻すぼみになってしまう。女性は安心させるように優しく微笑んだ。

 

「ハリマロン、アブソルは大丈夫よ。意識もすぐに戻るわ」

「よかった……」

 

心底安堵したように胸を撫で下ろした。

先ほどまで蒼白になっていた顔が、少しずつ赤みが差してくる。セレナのポケモンへの愛情を垣間見てアトリも少し嬉しくなる。

 

「ハッサムの方は?」

 

てきぱきと手慣れた手つきで作業を進める彼女を手伝いながら、アトリは意識を失っているハッサムを見た。

 

「傷の方は大したことはないんだけど……」

「だけど?」

 

煮え切らない女性の発言に水を向ける。しばらく躊躇していたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「相当衰弱してるわ。この子の右目は――もう見えないでしょうね……」

「……、トレーナーの認識IDは?」

「ダメ、消去されているわ」

 

ハッサムはストライクにメタルコートという道具を持たせて交換することで進化する、いわば品種改良種である。当然、野生で出現することはまずありえない。

つまり、このハッサムは何らかの理由でトレーナーの手元を離れ野生化したものだろう。

このハッサム、戦闘用にかなり鍛えられており実力、素質ともに一級品。以前のトレーナーが育成に相当な労力を注いだことが伺える。

そんなハッサムを手放す理由はそう多くはないだろう。

 

いるはずのない野生のハッサム。消去された認識ID。見えない右目。あの時感じた人間への過剰なまでの敵愾心。

 

数多の選択肢の中から最も高い可能性は――

 

「トレーナーに捨てられたポケモン……」

 

バトル用に鍛え上げたが、右目が見えなくなってトレーナーに見限られたと考えるのが最も自然な思考の流れだろう。

 

「そんな……、そんなことって……」

「たまにいるんだよ、そういう下衆なトレーナーがよ……ッ!」

 

愕然とするサナにアトリはあくまで平静を装って告げる。だが、隠した感情の隙間からはハッサムのトレーナーだった者への隠しきれない嫌悪感が見て取れる。

稀にポケモンを戦う道具としか見ていないトレーナーが存在する。ハッサムのトレーナーは右目が見えなくなったハッサムを戦闘では『使えない』と判断して捨てたのであろう。

唾棄すべき行為である。吐き気すら覚える。

 

「とりあえず、これで出来ることは全部よ」

 

錠剤になっている栄養剤を砕いて投与した後、女性はアトリにハッサムのモンスターボールを渡す。

 

「どうする? 手に負えないなら、しかるべき施設に預けることができるけど」

「いえ、自分が引き取ります」

 

『やめておけ』と、もう一人の自分が囁きかけてくる声を聴いた気がした。

確かに、ここでハッサムを手放すのが、『賢い』選択なのだろう。この選択は事なかれ主義の自分らしくない。

誰だって厄介なことには関わりたくないものだ。だが、不思議とそうする気にはなれなかった。

 

「…………、大変よ」

「はい」

 

念を押す様な言葉に淀みなく頷く。

たとえ、上から目線の憐れみと、善意の押し付けと批判されようとも、傷ついて、苦しんでいるポケモンを放っておきたくなんてない。アトリは自分のポケモンには出来る限りの愛情を注いできたつもりだ。そして、それに応えるように3匹ともアトリを好いてくれている。

ロコンは気分屋だが、人の心の機微に敏感で。

ムックルは寂しがり屋で、すぐ甘えてきて。

メリープは冷静なくせに、放っておかれるのが嫌いで。

人間とポケモンとの間に、悲しみしか残らないなんて、そんなのは嫌だ。

 

「はい、治療は終わり。また傷ついたらいつでも寄ってね」

「何から何まで本当にありがとうございました」

 

ボールを受け取り、頭を下げて、仲間たちの元へと戻る

 

「災難だったな」

「情けないわ。私の判断ミスがポケモン達を傷つけた」

「…………、あれは仕方ないだろ。相手が悪すぎる」

「それでも、ポケモンが傷ついたのは私の力不足よ。簡単に仕方なかったなんて言わないで」

「………………、そうだな。悪かった」

 

自分の軽率な発言を戒めつつ、素直に謝罪する。

ポケモントレーナーを名乗る者は例外なく『自らのポケモンの命を預かっている』という責任を重く受け止めたうえでの行動が求められる。

彼女は既にポケモントレーナーとしての心構えができていたのだ。だったら自分の気づかいは見当違いだ。それを認めつつ、あえて言う。

 

「けど、君の所為じゃない。君はあの場で出来る最善を尽くしたとオレは思う」

「最善を尽くしたからって結果が伴わなければ意味がないわ」

「じゃあ聞くがよ、お前の言う理想的な結果ってなんだよ?」

「それは……」

 

セレナは言葉に詰まった。

理想的な結果。明文化しろと言われても、即答はできなかった。

友達を守るために、あのハッサムを完膚無きまでにねじ伏せる事? ――それならあのハッサムはどうなる?

トレーナーへの行き場のない怒りを抱えたまま『人間を傷つけた』をこと弾劾されて、『有害指定携帯獣』として駆除されることになる。事情を知る前なら特に何とも思わないだろうが、事情を知ってしまった今となってはその結末はかなり後味が悪い。

 

「そもそも、あのハッサムの事情を察してしまった時点で後味の良いようにはならねえよ」

「でも、何も出来な――」

「頼むから!」

 

語気を強めてセレナの後ろ向き発言を遮った。頭に血が上っていたことも気づき、一拍おいて、セレナの目を真っ直ぐ見る。

 

「『出来なかったこと』と一緒くたにして『守れたもの』まで否定しないでくれ。オレは馬鹿だから、うまく言えないけど、お前とポケモン達が前に立ってくれたからこそ、オレは奇襲を成功させることができて、結果友達を助けることができた。セレナとポケモン達が頑張ってくれてなければ、多分もっと悲惨なことになってたと思う」

 

ニカッと子供の様な笑顔にセレナは思わず毒気を抜かれてしまう。

 

「なにも出来なかったわけじゃない」

 

そういうところ、変わってないわね。

そして、ちょっといい話で終わろうとしていたところで、今まで口を挟めないでいたサナが躊躇いがちに先ほどから気になっていたことを指摘した

 

「ねえ、アトリの口調変わってない?」

 

アトリは固まった。

 

「……………………………………………………気ノセイダヨ」

 

裏返った声からは明らかな動揺が伝わってくる。そこにとどめとばかりに冷たい目線のセレナの口撃!

 

「いいかげんに猫被るのやめたら? あなたが『僕』とか、はっきり言って気持ち悪いから」

「キモ……ッ!?」

 

セレナの吹雪攻撃。アトリは氷漬けになって動けない!

と、言わんばかりのあんまりな言われ様にアトリは思わず絶句して固まった。

 

「随分な言い種じゃねえ――じゃないか。君は僕の何を知っているっていうのかな?」

 

うっかり素がでかけて慌てて咳払い。気を取り直したアトリは、あくまでも猫をかぶり続ける。刺々しい言い方だが、本来粗暴な性格である彼が激昂しなかっただけでも大した進歩である。

セレナは呆れ果てた様に深いため息をついた。

 

「あなたのことならよく知ってるわよ。…………私のこと、まだ思い出せない?」

「…………え?」

 

上目づかいで水を向けられ、記憶を掘り起そうと頭を捻る。

 

「ごめん、思い出せない。確かにセレナっていう友達はいたけど――」

「だからそれよ」

「まさか。あの『セレナ』と君じゃ全く似ても似つかな――」

「格好つけてターザンごっこをしてベトベトンの群れに突っ込んでヘドロ塗れになっていたのは一体何処の誰だったかしら?」

 

アトリは石化した。忘れ去りたい、やらかしてしまった過去を不意打ちで掘り起こされ脳みそが処理落ちしてしまっている。数秒後、顔が見事なバオップ色に染まった。

 

「テ、テメッ……ッ! なんでそれを……ッ!?」

「あ、本性がはみ出てる。結構ワイルドなんだね」

「意外でした。穏やかな人だと思っていたのですが……」

「結構荒っぽい言葉遣いなんだねえ」

 

セレナによって化けの皮を剥がされたアトリに対するサナ、トロバ、ティエルノが三者三様の見解を述べる。が、そんなことを気にしている余裕は今のアトリにはない。

 

「他にもウツボットによじ登って遊んでいたら足を滑らせて口の中に落ちて、危うく消化されそうになったこととか、」

「なんで人の黒歴史を事細かに把握してやがりますか貴様! あの時のことはあの場にいた奴しか知らないはずだ! ストーカーか!? それとも叔父さんから聞いたのか!?」

 

クールビューティー・セレナによる真綿で首を絞められる精神的窒息プレイで歓喜できるような特殊な性癖を生憎アトリは持ち合わせていなかった。

墓の中まで持っていこうと心に決めていた若気の至りによる珍プレーをバラされたことへの羞恥心半分。怒り半分。この気持ちをどこに持って行ったらいいのかわからず、頭を抱えてのた打ち回る。

 

「だから私があの時のセレナなのよ」

「嘘をつけ! オレの知っているセレナは天パの髪がボッサボサで! 今時瓶底メガネをかけてて! 自分の外見に無頓着なガリ勉女だぞ!? 決してお前の様な美人ではない!!」

「褒めるか、貶すかどっちかにしたら?」

 

心底呆れたように溜息をついた。

セレナは勿論のこと、サナ、ティエルノ、挙句の果てにはトロバの冷たい目線一斉にアトリに突き刺さる。テメー何処まで鈍いんだよ(要約)――的な非難たっぷりの視線を浴びてやっとアホの子・アトリは冷え切ったその場を取り繕うようにぎこちない笑みを浮かべた。

 

「………………………………………………………………………………………ホンマに?」

「ホンマ」

 

頭の天辺からつま先まで視線を巡らせ、もう一往復する。

 

「別人28号じゃねえかッ!!」

「開口一番失礼千万ね」

「顔面リフォームかッ!? 悪魔に魂売り渡したのかッ!?」

 

表情一つ変えないセレナの右ストレートがアトリの顔面にクリーンヒットした。

そして、ゴミ虫を見るような目で一言。

 

「殴るわよ」

「殴ってから言うなよ……」

 

かつてトレーナーズスクールで鎬を削り合った幼馴染の再会。

もし、少女漫画ならそれだけで恋愛ものになってしまいそうな展開に心躍らせながら見守っていたサナであったが色気もひったくれもないバイオレンスな展開に目が点になった。

 

「痛ぇな……」

「まったく、もう……。馬鹿なところとデリカシーがないところ全くは変わってないんだから」

「お前もなぁ。相変わらずきつい性格」

 

差しのべられた手を握り立ち上がる。

 

「久しぶり、セレナ」

「久しぶり、アトリ」

 

互いに高く上げた手と手を高い位置で打ち鳴らす。

カロスに来て良かった。懐かしい友人に会えたことを心から喜んだ。

 

「ずっと会いたかった……」

「え……?」

 

袖口を掴まれ、上目づかいで見上げてくる。思わぬ不意打ちにアトリは赤面した。

 

――まさかシンオウで振られまくっていたオレに春が来たのか!?

 

とか、自分に都合のいいことを妄想してしまうのは思春期を拗らせているハイクラスなサクランボーイなので仕方ないことであろう。

だが、数秒後、それが大いなる勘違いであることを悟る。

 

「勝ち逃げなんて絶対に許さないからね」

「えっと、セレナ……さん? 目が据わっているのですが……?」

「今日はポケモンのダメージを抜かないといけないから、明日」

 

投げつけられた手袋をキャッチする。最高に嫌な予感がした。

 

「終生のライバルであるあなたにポケモンバトルを申し込むわ! いいわよね?」

「いや全然、全く、少しも良くない!」

「答えは聞いてない」

「じゃあ聞くなよ!!」

 

 



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第6話 モフ モフ モフ

 

 

1

 

勝負を控えた夜。アトリは自室でムックルを膝の上に乗せて毛繕いをしていた。彼の肩の上ではすでに毛繕いを終えたロコンがデレーっと、あられもない姿でくつろいでいる。

自慢のたてがみをブラシで整え、ムックルのツボである頬の辺りを優しく掻き回すと気持ち良さそうに首を傾ける。

 

「よし、できた。メリープ、次、お前の番。おいで」

 

ムックルが場所を空け、アトリの頭で羽を休める。順番待ちしていたメリープが代わりに膝に前足を乗せてアトリの顔をペロペロ舐めて愛情表現する。

メリープの羊毛には多量の電気を含んでいるので、手入れの前に絶縁体手袋を忘れない。

 

コンコン――と控えめなノックにただ短く「どうぞ」と応じる。

 

「お先にいただきましたー」

「いやー、いいお湯だったよお」

 

そう言って部屋に入ってきたのはトロバとティエルノだ。あの後、図らずもアサメに足止めされることになった二人を家に誘い、今に至る。因みにサナは隣のセレナの家にお泊りである。

 

「プラターヌ博士への連絡はした?」

「はい。……博士は明日のバトルを楽しみにしていましたよ」

「…………そうか」

 

トロバと目を合わさず、そっけなく嘯く。手を動かしながら、トロバの方を見て一言。

 

「しかし、お前本当に男だったんだな」

「今までなんだと思ってたんですか!?」

「綺麗な顔してるだろお。うそみたいだろお。ついてるんだぜ、それで」

 

ティエルノがぶっこんだ下ネタ発言にアトリは脱力、ジワジワと込み上げてくる笑いを堪えて羊毛に顔を突っ伏する。

と同時に額に静電気が走り「イテッ!」と短く悲鳴を上げる。メリープを見ると不服そうに円らな瞳をジト目にして睨んでいたので、真面目に毛づくろいに集中した。

10分後――

 

「でけた」

 

メリープはとっても気持ちよさそうに伸びをして欠伸をする。そして、そのまま膝の上でくつろぎ始めた。

 

「お前ら、オレをソファーかなにかと勘違いしてないか……?」

 

嘆息しながらも満更でもない様子で苦笑する。

 

「本当に慣れてますね」

「ま、付き合いが長いからな」

「と、ところでずっと気になっていたんですが――」

 

トロバがロコンを物珍しそうに覗き込む。

 

「珍しいポケモンですね」

「ロコンのことか?」

 

本当に物珍しそうに見ているトロバに少し驚く。確かに『日照り』の特性を持っているオスのロコンは珍しいが、『ロコン』というポケモン自体は珍しくはない。

 

「ロコン……。可愛いですね」

「分かるか!?」

 

トロバの『可愛い』発言にアトリは食いついた。

 

「可愛い! そう、可愛いんだよこいつは!! この円らな瞳、プニプニの肉球、6本に分かれた尻尾の美しさはもはや芸術の域に達している!! そして何よりもォォォォォォォォ! モフモフが素晴らしいッッッ!!!!」

「「…………」」

「モフモフはロコンだけじゃないぞ! ムックルもメリープも――フワフワモコモコモフモフなんじゃああああああああああああああいッッッ!!!!!!」

 

ひたすら手持ちポケモンの可愛さを語るアトリは既に目が逝っており、鼻の下が伸びて、口から涎が垂れている。トロバとティエルノはドン引きしていたが、彼のポケモン達は慣れたものでさっさとそれぞれの寝床に去っていく。

それでもアトリは構わず熱弁を続ける。

 

「私はモフモフが好きだ。私はモフモフガ好きだ。私はモフモフガ大好きだ。茶色いモフモフが好きだ。羽毛のモフモフが好きだ。羊毛のモフモフが好きだ。黄色いモフモフが好きだ白いモフモフが好きだ。黒いモフモフが好きだ。紫のモフモフが好きだ。青いモフモフが好きだ。緑のモフモフが好きだ。オレンジのモフモフが好きだ。

トゲトゲしたモフモフが好きだ。フカフカしたモフモフが好きだ。

虎縞のモフモフが好きだ。獣臭いモフモフが好きだ。

草むらに。森に。空中に。水辺に。海辺に。洞窟に。荒れ地に。火口付近に。

カントーに。ジョウトに。ホウエンに。シンオウに。イッシュに。カロスに。

この地上において生息するありとあらゆるポケモンのモフモフが大好きだ。

メリープのフカフカのモフモフに顔を埋めるのが好きだ。

飛び付いてきたムックルをキャッチして撫で回すときのモフモフ感は実に心が踊る。

気紛れで気の向いた時にしか触らせてくれないロコンが手入れをせがんでくるときは絶頂すら覚える。

モフモフに押し潰されるのが好きだ。モフモフが自分から離れていく瞬間は悲しいものだ。

電気ポケモンのモフモフに触れて電撃を浴びせられるのはとてつもない痛みと苦痛を伴う。

諸君私は清濁併せ持った充実のモフモフライフを望んでいる。

更なるモフモフを望んでいる。

モフモフモフ!! よろしい――ならばモフモフ――ドワッハ!!」

 

いい感じに乗ってきたアトリの大演説を「モフモフモフモフうるっせええええ!!」と言わんばかりに遮ったのは眠たくなってきていたお稲荷様の鉄拳制裁ならぬ炎熱制裁だった。

 

「アトリ、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ……。ちょっと焦げただけ……」

「アフロになってるけど大丈夫かい?」

「アフロは……大丈夫じゃねえかも……」

「そこ重要ですか?」

「たけやぶやけた。逆さから読んでもたけやぶやけた……」

「意味が分かりません、しっかりしてください!!」

「わたし負けましたわ。逆さに読んでもわたし負けましたわ……」

「ティエルノも乗っからないでください、ますます意味が分かりません!!」

「さーて、バカやってるのも飽きたし、そろそろ寝るか」

「そうだねえ」

「会話が自由すぎます! キャッチボールしてください、お願いですから!!」

「ところでアトリ。ぼくたちは何処で寝ればいいのかねえ?」

 

アトリの部屋にはベッドが一つ。そして寝袋が二つ。特等席のチケットは一枚しかない。

一つ分の陽だまりに三つはちょっと入らない。

 

「オレはベッドで寝る。男は黙って床で寝ろ」

「アトリだって男だよお」

「あら、アタシは女よ。アタシのことはアトリエちゃんと呼んでちょうだい」

 

筋肉質な男が小指を立てて、裏声のおネエ言葉で喋る。はっきり言って相当気持ち悪い。

真面目なトロバは対応に困り、ティエルノを見るが、

 

「まあ、アトリエったらずるいじゃない。ティエだってベッドで寝たいわ!」

 

と、まさかの悪ノリに悪ノリを更に被せ、再び現場はカオスと化した。オカマとおネエが交わるとき、気持ち悪さは二乗になる。二倍ではない。二乗だ。

 

「あらあら、ティエったらはしたないわ。まだ汚れたバベルの塔が股の間についてるのによくもレディを名乗れたわね。解体工事をしてから出直していらっしゃい。オーホッホッホ!」

「あらやだわ。自分だってまだネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲の武装解除がまだの癖に、よくそんな事が言えるわね。プンプン!」

 

トロバの脳裏に『ツッコミ不在の恐怖』という言葉が浮かんだ。

ボケがボケを呼び、呼び込んだボケがさらにボケを加速させていくという恐怖の現象。

巻き込まれた相手が常識人であればあるほど、その精神はガリガリ削られていくのである。

メリープとムックルは既に夢の世界に旅立っている。

アトリのロコンに視線で助けを求めるが、彼は6本の尻尾を左右させてふてぶてしく欠伸をするだけで主人の悪ノリを止める気はゼロのようだ。

 

「オホホホ! そんな貧相なお胸でわたくしの魅力に勝てると思って? Dカップになってから出直していらっしゃったらどうかしら?」

 

――いや、君のはただのデブですよ、ティエルノ!!

 

「オホホホ! 胸しか誇るべきところがないなんて悲しいですわね。今の女性に求められているものは――ズバリ女子力ですわ。因みにわたくしの女子力は53万です。わたくしの料理で墜ちなかった殿方はいらっしゃいませんことよ?」

 

――オトメンどころか、完全オネエじゃないですか。それでいいんですかアトリ!?

 

脳内でツッコミを入れるも、トロバの明晰な頭脳をもってしても処理が追いつかない。

茶番だ。まさしく茶番である。

しかも最悪なことにこの茶番には観客はトロバ一人しかいない。

このままいけば加速を続けるボケに『どくどく』よろしく、HPを削られてしまう。

生憎トロバの鋼の精神を持ち合わせていなかった。

彼のとるべき選択肢はいくつかある。

 

ストップ・ザ・小芝居!! と、ツッコミを入れてそのボケに歯止めをかけること。

固唾を飲んだトロバは恐る恐るフリーダムな彼らに視線を向ける。

 

「「く~や~し~い~わ~! キイイイイイイイイイ!!」」

 

――うん、無理ですね!

 

彼のツッコミレベルでは『転がる』をしているミルタンクに炎タイプのポケモンを繰り出すようなものである。要するに無謀だ。

ならば彼の取るべき道は――ひとつしかない!

 

「アトリエもティエもレベルの低い争いはやめなはれ。お二人が束になってかかってもわっちの知性あふれる本物の色気にはかないませんどすえ」

 

いっそのこと加速を続けるボケに同化してしまい、あとは野となれ花となれ。

 

「「…………」」

 

やるだけやって、飽きたらやめるであろう。そう、タカを括って参加した寸劇だったが、二人から返ってきたのは奇異の視線だった。

 

「あ、あれ? 二人ともどうしたんですか?」

「い、いや……。なんていうか……お前がおネエ言葉すると似合いすぎててシャレにならないというかなんというか……」

「だよねえ……」

「ひ、ひどい! あんまりですよ!」

「さて、今度こそ寝るか」

「そうだねえ」

「なんですか、その連係プレーは!? 今日会ったばかりでどうしてそんなに息が合っているんですか僕は恥のかき損じゃないですかァァァ!!」

 

羞恥心で顔を赤面したトロバの嘆きをそれぞれ黙殺してそれぞれ寝床について、明かりを消す。

静寂が笑いのツボを刺激し、笑いが漏れるもしばらくすると、疲労からか寝息が二つアトリの耳に届いた。

 

トロバとティエルノに感謝していた。

彼らがいなければ、自分はもっとナーバスになっていただろう。

何かを諦め未練を絶つことは、弛まぬ努力を続け目的を達成することと同等に難しい。

ドロップアウトしたアトリの最後のポケモンバトル。

介錯の相手が初めての対戦相手だったセレナなのは、なんの因果であろうか。

不完全燃焼だからこそ、未練が残る。だから、明日のバトルで全てを出し尽くす。

未だ残る未練を断ち切るために――そして、自分の培ってきたものが、少しでもこれから上を目指すセレナの血肉にしてもらえるのなら、――そういう終わりも悪くない。

女々しい考えかな? と、少し笑う。

 

明日が待ち遠しいと思えるのは、いつ以来だろうか。

高揚に胸を高鳴らせ、再び目を閉じる。その夜は不思議とよく眠れた。

 

2

 

ポケモンバトル。カロス地方だけではなく、この世界で最もメジャーな競技である。

人間とポケモンが共に歩む象徴として、遥か古より営み続けられてきた行い。

たかがバトルと侮ることなかれ、極みに近い者は、手合せしただけで相手の本質を感じ取るほど奥深いものなのである。

人間とポケモンが絆を育むため、互いが認め合うため、ただひたすらに強さを追い求めるため――理由は人それぞれではあるが、その営みはもはや日常の一部になるまで昇華されている。

早朝のアサメの小道でも、二人のポケモントレーナーによるポケモンバトルの火蓋が切って落とされようとしていた。

 

「2対2でいいか?」

「ええ。全力での勝負をお願いするわ」

「心配するな。手加減する気なんかサラサラねえよ」

 

モンスターボールを構えるセレナ。対峙するのは何処かのシンオウ四天王と同じ髪型をしたアトリ(アフロ)がそれに応じる。両者の緊迫した二人。固唾を飲んで見守るサナ、ティエルノ、トロバ。

 

「…………、ごめん。やっぱりその髪型何とかしてくれる?」

「…………、そうだな」

 

シリアスをギャグにしてしまうアフロのアトリは水を被って髪の毛を真っ直ぐに戻す。そして、再びアトリとセレナは対峙した。

 

「さあ、お仕事の時間だ。いくぜ野郎ども!」

「わたしとポケモン達のいいところ、見せてあげる!」

「ムックル!」

「ハリマロン!」

 

同時にボールが舞い、ムックルは空を、ハリマロンは地を駆け抜けた。

 

「上へ!」

 

アトリの指示をほぼ同時にムックルは空高く、高く飛び上がる。太陽を背にした上空からの突撃は迎撃しにくい。それはアトリがトレーナーズスクールで培った最も信頼性の高い、ムックルの必勝パターンだった。

ハリマロンは草タイプ。アトリのムックルの飛行技ならば、一撃で決めることは容易い。

だが、セレナの対応は落ち着いたものであった。

 

「制空権はあげるわ。ハリマロン、転がって加速よ」

 

勇ましい眉のハリマロンはすぐさま転がり、加速していく。

『転がる』は時間の経過と共に威力が上がっていく岩タイプの技だ。

 

「いけッ!」

 

合図と同時にムックルは急降下。加速をつけての攻撃でハリマロンとぶつかり合う。

弾き出されたのは――ムックルだ。

ムックルはややよろめきながらも体制を立て直す。が、ダメージはかなりのものだった。

 

「既に飛行対策はしてあるわ。タイプ相性だけでは、私のハリマロンはとまらない」

 

手持ちに加わったばかりのポケモンをここまでつかいこなしていることにアトリは戦慄を覚えた。

上空から加速をつけての急降下はムックルの戦術パターンの中でも、最も突破力のある攻撃だ。それを正面から跳ね返した、ということは真っ向勝負では勝てないということだ。

アトリの頬を冷や汗が一筋伝う。今の衝突でハリマロンの回転を止められなかったのは痛かった。ロコンに交代すれば、遠距離からの炎で簡単に倒せるだろう。だが、――

 

目線でムックルを追った。

ムックルは決して浅くはないダメージの中でも、闘志は失っていない。

なら、腐ってもポケモントレーナーのオレがやるべきことは一つ! 勝利の為の道筋を見つけ、そこにアイツを導くこと! なければ作る!!

 

こめかみを人差し指で何度も叩く。

こうして考えている時間と比例して加速して技の威力を増していくハリマロン。

転がるは岩タイプの技。まともに受けたらムックルは今度こそ弾き飛ばされてしまうだろう。

地形は道の舗装があまり進んでいない林道。なら――ッ!

 

「あれやるぞ、真っ向勝負だ!」

 

ムックルが低空で飛び回り、チキンレースよろしく、正面からハリマロンに向かっていく。

 

「受けてたつわ!」

 

セレナの言葉に後押しされるかのように、ハリマロンは更に加速してムックルに向かってくる。

 

そうだ、そのまま真っ直ぐ突っ込んで来い。

 

今にも破裂しそうな心臓の音が聞こえる。

自分が判断をしくじれば、ムックルは深い傷を負う。身に重くのし掛かるプレッシャーの中で、アトリの集中力は鋭く研ぎ澄まされていた。

 

こめかみを人差し指で一度叩く。

慎重に――、慎重にタイミングを計った。

 

ムックルとハリマロンの衝突まであと5メートル……4……3……2――今!

 

「嘘ぴょん!」

 

合図と同時にムックルは180度捻り込みながらピッチアップ。紙一重でハリマロンの攻撃の上を通り過ぎる。次の瞬間、ハリマロンの体が宙を舞った。そして、空中で身動きの取れないハリマロンは慣性に従い、林道の木に激突する。

 

「ハリマロン!?」

「見たか! ムックル自慢のマニューバ! インメルマンターン!」

 

ムックルは再びしながらの縦方向のUターン。再び180度捻り込みハリマロンの頭上をとった。

 

「決めろ! 『つばめ返し』!」

 

ハリマロンの頭上に滑空するムックル。だが、セレナも黙って見ているだけではない。

 

「『つるのムチ』で迎撃して」

 

ハリマロンは『つるのムチ』でムックルを捕まえようとしたが、死角になっている頭上であること。ムックルがバレルロールですべて回避。そして、ムックルの技が決まった。

 

「ナイスだ、ムックル!」

 

「褒めて褒めて!」と言わんばかりに手にとまったムックルと頬を擦り合わせる。

 

目を回し、戦闘不能に陥るハリマロンをボールに戻す。

 

「ありがとう、お疲れ様」

 

セレナはハリマロンが宙に浮いたポイントに視線を落とす。

そこには、未舗装の道には珍しくもない僅かな凹みがあった。普通に歩いている分には気にならない僅かな窪みではあるが、スピードの乗った球体ならその僅かな窪みでも大きく跳ね上がってしまう。制御が効かないまま空中に投げ出されて無防備に晒した。

そこをすかさず頭上から攻撃を繰り出す。

 

あのムックルの迷いない動きから察するに、行き当たりばったりの戦略ではない。このパターンを想定して相当な訓練を積んできたのであろう。

派手さはなく、運に頼らず、弛まぬ努力に裏打ちされた実力。不思議と悔しさはなかった。体の底から沸々と、高揚感が湧き上がる。

 

普段は粗暴で熱い闘志を前面に押し出しながら、頭の芯では冷静に勝利への道筋を計算し続ける底冷え熱血漢。覇気をなくしたライバルが、今セレナの前に帰ってきた。

 

これだ。これがフワ・アトリだ! これこそが私が惚れ込んだ最高のライバルだ!

 

誇らしい気持ちで、一杯で。

同時にこれが彼と競える最後のバトルなるということに泣きたくなって。

勝ちたくて。でも、この時間を終わらせたくなくて。

 

色々な気持ちが混在して形にできない。

だから――!

 

「今この瞬間に全力を尽くすわ」

 

切り札にして最高のパートナーの入ったボールを繰り出した。

 

 



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第7話 ピリオド

 

 

1

 

母さんには言っていない。

失踪した父親が、一度だけ電話をかけてきたことを。

かかってきたのは地下通路入り口の事務所。何処で嗅ぎ付けてきたのか、最近勤め始めたばかりの職場だった。

内容は金の催促。そこで初めて聞いた事実は借金を父の弟であるプラターヌ博士が払ってくれる、ということ。

『あんたはそれでいのかよ?』と投げかけた問いに対してあいつは『払ってくれると言っているのだからいいんじゃないか。あいつは俺と違って金持ちだからな』と言って気にも留めていなかった。

 

――――嗚呼、本当に、

 

『それより金を持ってないか? 働いてるんだから、少しくらい都合がつくだろう?』

 

――――なんてクズ……ッ!

 

その言葉は、僅かに残っていた『肉親としての情』を捨てる理由としては十分過ぎた。

毎日借金取りに断続的に浴びせられる罵声。

大事なものを手放して泣いていた母さんの姿。

 

こんなクズの所為で、何もかも――!

 

自分の中にこいつの血が半分でも流れていると思うと、寒気がする。

 

オレはオレのプライドにかけて親父の様なロクデナシのクズには絶対にならない。

親が親なら子も子だなんて、絶対に言わせてなるものか。

安定した職に就いて、真っ当な生き方をするんだ。

誰に恥じることなく、胸を張って生きていけるように。

 

ポケモントレーナー? 才能ないからやめちまえ。

必要ないなら切り捨てろ。

表と裏を巧みに使い分けろ。

大人に、一人で何でも背負える大人になるんだ。

そして、必ず全部取り戻す。

 

2

 

「うーん。シンオウに比べてカロスの物価はちょっと高いわね」

 

メイスイタウンの朝市に来ていたサキは苦笑しながら一人こぼした。

 

「でも、物は本当にいいのよねえ」

 

市場に出ているどの商品も鮮度、品揃え共にシンオウ以上に充実している。

カントー地方、ジョウト地方、ホウエン地方、シンオウ地方、イッシュ地方。数ある地方の中で最も食文化への関心が高いのがこのカロス地方だ。その食文化を語ろうと思えば、分厚い論文が一つ出来上がる。

 

「奥さん、いかがです? ミアレシティでも出店している当店自慢の一品『ミアレガレット』!」

「あら、美味しそうね」

「今なら焼きたてが出せるよ! ――って!?!?!?!?」

 

店主は思わずサキを二度見した。

『まさか』という気持ち。『もしかして』という期待。

その疑問を解消すべく、固唾を飲んで、彼女に尋ねる。

 

「も、もしかして、まさかとは思いますが……サイホーンレーサーのサキ、選手……ですか……?」

「そうよー?」

「ッッッ!!!!!!!!!!」

 

まさかの肯定の言葉に店主の男は目を白黒させてダッシュであっちへバタバタ、こっちへバタバタ何かを探し出すように漁っている。そして出てくるや否やメモ帳とペンを徐にサキの前に差し出して首を垂れた。

 

「ファンでした! サインしてください!!」

 

サイホーンレーサー『サキ』。サイホーンレース発祥の地にして、メッカであるこのカロス地方に住んでいてこの名を知らない者はいない。

彼女は彗星の如く現れ、その卓越した技量でありとあらゆるタイトルを総なめにし、整ったアイドル的な容姿も相俟って圧倒的な人気を博した伝説的なレーサー。

その人気ぶりは社会現象にまでなったほどである。

一般人の男性と結婚を期に、引退してサイホーンレースの世界から姿を消すが、その神話的な存在感故に、今なお根強い人気を残している。

店主もその内の一人だった。

 

「あら、嬉しいわね。引退して随分経つのに私を知ってくれている人がいるなんて」

 

はにかみながら手帳とペンを受け取ってサインをしていく。

 

「はい! 自分たちの世代であなたはヒーローであり、アイドルでしたから!」

「ふふ、ありがとう。これからも贔屓にさせてもらうわ」

 

サインだけではなく握手にまで応じてもらえて憧れの選手を前に店主は窒息寸前だった。

 

「カロスに戻ってきたということは、もしかしてカムバックですか!?」

「いいえ、残念ながら。けど、アサメタウンでサイホーンレースの教室を開く予定ではあるわ」

「――ッ!! 本当ですか!? あなたにコーチしていただけるなら、是非とも家の坊主も通わせたいですね」

「お待ちしてるわ。ビシ! バシ! いきますからねー」

 

『おい、この先だろ!?』

『急げ、いいところ見逃すぞ!』

 

そのままご近所トークに花を咲かせていると、喧騒が耳に飛び込んできた。

周りを見回すと、1番道路に走っていく町の人間の姿が目に留まる。

『何かあったのだろうか』というサキと店主の疑問に答えるかのように店主の屋台に少年が駆け込んできた。

 

「とーちゃんとーちゃんとーちゃん!!! たいへんたいへんたいへんたいだよ!」

「コラ。お客さんの前で騒がしいぞ、ジャン! そして切るところが違う!」

「うわっと! ご、ごめんなさい」

「いいのよ。それより、変態がどうしたのか教えてくれる?」

「変態じゃなくて大変! 今、アサメの小道でセレナ姉ちゃんがバトルしてるんだよ!」

「それくらいで騒ぐな。どうせいつもみたいに圧勝だろ? このあたりであの嬢ちゃんに勝てるトレーナーはいねえからな」

「それが相手がめちゃくちゃ強くて、押されてるんだ!!」

「何ィ~~~~~ッ!?」

 

店主は耳を疑った。アサメタウンのセレナといえば、有名ポケモントレーナーを両親のもとで英才教育を受け、名門トレーナーズスクールを主席で卒業した才女である。

このあたりのポケモントレーナーで彼女に勝てるものはおらず、末はチャンピオンと将来を渇望されている地元のホープトレーナーだ。

その彼女が、どこの馬の骨ともわからないトレーナーに押されている。――あり得ない!

 

「あ、相手はどこの誰だ!?」

「わ、わからないよ! この辺では見かけない奴だったもん!」

「流れ者か? こんな田舎にどうして――ってサキさん、荷物置きっぱなし!」

 

走る。走る。走る。

隣の家に住むポケモントレーナーを目指す女の子の名前。

プラターヌから聞いていた息子の他の4人の子供たち。

そして、大人の都合で振り回された末に雁字搦めになって、自身の夢にピリオドを打ってしまったアトリ。

何かが変わるかもしれない。何かが変えられるのかもしれない。

 

胸にわだかまった微かな期待。希望的観測かもしれない。

だけど、それでも――!

 

たった一人の息子に、死んだように生きてほしくはない。

 

それだけを想い、アサメの小道に走った。

 

3

 

サナ。トロバ。ティエルノ。

そして、集まり始めていたギャラリーもこの不思議な昂揚感に包まれていた。

ムックルと相対するのは災いポケモンと呼ばれていたアブソル。

アトリは人差し指でこめかみを軽く叩いた。ムックルの得意とするのはそのスピードと多彩な空中機動で相手を翻弄する奇襲、撹乱戦法。当然、戦略パターンもそれに準じたものが多い。

対するアブソルは素早さこそないものの、高い打撃力と未来予知にも似た第六感から相手の動きを先読みし、こちらの一手、二手先の対応が出来るムックルの天敵。

 

気持ちを切り替えるように浅い呼吸を一つする。

 

弱気を見せるな。不安はポケモンに伝わる……。

迷うな。トレーナーが迷えばポケモンも迷う。

 

「真正面からの殴り合いがご所望か。ならよォ!!」

 

相手の土俵で勝負するな。クレバーで強かに、立ち回れよ!

このバトルの主導権を握るのはセレナじゃない。このオレだ!

 

「お前のスピードでぶっちぎれッ!」

 

ムックルは羽を大きく広げ、大きく旋回する。アブソルとムックルの大きさ比は4:1。その体格差を生かして前後上下左右、縦横無尽に空を駆ける。

アブソルはその攪乱に一切反応せず、ただ静かに――何かを待っているかのように。

 

背後をとり、攻撃に転じようとした一瞬をめがけて、アブソルの『不意打ち』が決まる。

 

「ムックル!」

 

直撃をうけてムックルは目を回す。墜落する前にモンスターボールに戻した。

 

「ありがとな。――後出しジャンケンしている気分だな、チクショウめ」

「私の切り札よ。そう簡単には倒させはしないからね」

 

セレナの自信満々な顔とアブソルの踏ん反り返ったドヤ顔が見事にシンクロする。

腹立つなあの顔……。あのアブソル、ぜってえ性別オスだろ。

と、いう思考を片隅に置いといて、次に出すポケモンのことを考える。

 

今、アトリの手持ちは3匹。

まず昨日捕まえた隻眼のハッサムはアトリの手に余るので除外。

特性『日照り』によるブーストで手持ちの中で圧倒的火力を持つロコン。

決定力は劣るが手持ちの中でも最もタフで守りに長けているメリープ。

 

この面子の中であのアブソル相手に勝てる可能性があるとすれば――

 

「――メリープ!」

 

モフモフ自慢の電気羊メリープはバチバチと羊毛が弾けている。

張り切っているのか、いつもより余計に弾けまくっている。

 

「意外ね。あなたの切り札はあのロコンかと思っていたわ」

「確かにオレの手持ちのエースはロコンだ。けどな、エースを出すことが必ずしも最適とは限らない」

 

「ファアアア!」と、メリープは円らな瞳を細めて闘志を燃やしているのが、伝わってくる。

はやく指示よこせって? お前もやる気満々だな!

 

「クライマックスだ、一緒に熱くなろうぜッ! 挨拶代わりの――」

「アブソル『不意打ち』!」

「――コットンガード!!」

 

メリープのもっさりしたモコモコがさらにモフモフになって決まり損なった不意打ちの衝撃を吸収してしまう。

 

「『挨拶代わり』っていったら普通仕掛けてくるものじゃない?」

「そんな法則オレは知らん! ――10万ボルト!」

 

メリープの繰り出す十万ボルトをアブソルはお得意の先読みで危なげなく躱していく。

 

「回避に専念、迂闊に攻撃しないで。メリープの『静電気』で動きを封じられるわよ!」

 

攻撃に転ずるのは確実に仕留めるとき。と、アブソルには伝わっていた。

メリープの特性『静電気』。あの誰もが『触りたい!』『飛び込みたい!』と切望させるあの見事なモフモフは大量の電気を含んでおり、うかつに触ると痺れて動けなくなってしまう。

 

加えてセレナのアブソルには近接距離での直接攻撃以外に相手にダメージを与える術を持っていない。今は我慢のときだ。

 

「まだまだァ、10万ボルト!」

 

前進しながら連続して放つメリープの電撃は回避に専念したアブソルにかすりもしない。

一見すれば、破れかぶれで放っている攻撃。だが、その攻撃の裏に、アトリは何かを狙っている。

 

――10万ボルトでアブソルを誘導していることには気づいているわよ。アトリの狙いはあのポイント。あそこなら両脇の木が邪魔で回避ルートが2パターンまで絞り込まれる。ならその筋書きにあえて乗ってあげようじゃない!

 

アトリの思考をトレースしたセレナは勝利への確信を得て笑う。

あえてアブソルに指示を出さずに状況を静観。慎重にタイミングを計る。

そして、アブソルがアトリの狙いのポイントに立つ。

メリープの位置はアブソルの真正面。彼我の距離は約3メートル。

 

「10万ボルト!」

「辻斬り!」

 

――どんな強力な攻撃でも、受ける覚悟で受ければ、

 

「一度くらいは受けられるわ!」

「ヤバッ――コットンガード!」

 

ダメージ覚悟で突っ込んでくるアブソル。メリープはアトリの指示通り綿で身を包み、守りを固める。だが、セレナはそれすらも計算にいれていた。

 

「狙いはそっちじゃないわ」

 

アブソルはメリープを覆っているコットンガードのクッションを爪と角で引き裂いていく。

 

「これで、メリープは無防備ね」

 

10万ボルトはその威力故に技の発動までにほんの僅かなタイムラグが生じる。適切な距離ならば、それを補って余りあるコントロールと威力を発揮できるが、この距離ならば出す前に詰め切れる。

 

「チャージの時間は与えない!」

 

振りかぶったアブソルが放つ辻斬りがメリープに迫る。

その瞬間――メリープはあえて、一歩前に踏み出した。

最高速度に達する前にアブソルとメリープが激突。力負けしながらもメリープは決して後ろに下がりはしなかった。

 

「ゼロ距離なら!!」

 

メリープの10万ボルトをアブソルは右へ半歩移動してさらに一撃加える。更に左の爪でメリープを斬りつける。最早独壇場であった。

 

畳みかけるアブソルの攻撃が迫る。

いくらメリープがタフとはいえ、アブソルの攻撃を一方的に受けて立っていられるはずがない。誰もがセレナの勝利を疑わなかった。

 

次の瞬間、アブソルの動きがピタリと止まる。

 

「そんな、どうして――!?」

 

一方的に殴られていたメリープの眼は狙いを澄ますように、しっかりとアブソルを見据えている。状態異常『マヒ』。キーワードはアトリが最初に言った『挨拶代わり』。

アトリがその言葉を口にしたら相手の隙を見て『電磁波』を放つようにあらかじめ言われていた。派手に10万ボルトを連発したのは攻撃一辺倒の単純な攻めを相手に印象付ける為。

アブソルの動きが止まるのが先か、メリープが倒れるのが先か。そして、賭けに勝てたのは自分が傷つくにも関わらず、トレーナーのアトリに判断を預けてくれたメリープの信頼と根性があってこそ。

 

――ありがとう。トレーナーとして、お前たちを誇りに思う。

 

メリープのダメージは浅くはない。

だから、すべての力を振り絞って。

最後のバトルで全力を尽くせる相手になってくれたセレナとアブソル――そして、出会って、支えられてきた全ての人とポケモン達に感謝を込めて――最後の一撃の指示を出す。

 

「決めろォ!」――イエッサー!

 

電撃が直撃して、崩れ落ちたアブソル。

モンスターボールに戻すセレナ。

 

「ありがとう、ございました……」

 

――会えて、良かった……。

 

彼女と彼女のポケモン達に深く深く礼をした。

万雷の拍手の中、駆け寄ってきたセレナが差し出してきた手を、アトリは強く握った。

 

「最後にいい試合をさせてもらった。これでオレもピリオドを打てる……」

「本当に、トレーナーを引退するの……?」

「……ああ。オレの人生は、もうオレだけのものじゃない。だから、もういいんだ……」

 

僅かな後悔や未練はあるが、全力を尽くせた。

だから、この気持ちに蓋を出来る。セレナにタスキを託すことができる。

 

子供のころは、自分は何でも出来ると信じていた。

根拠はない。ただ、目の前には果てしない未来が広がっていて、毎日がキラキラしていた。

恐れはなかった。信じて、努力すれば、不可能なんてない。

どんな夢でも叶えられる。自分達にはそれだけの力がある。

そう信じていた。事実、厩舎で働きながら通っていたシンオウのトレーナーズスクールでは座学・実技共に常に主席を維持していて、その辺のトレーナー相手のバトルなら連戦連勝だった。自分とポケモンなら何処までも行ける。本気でチャンピオンを志し始めた直後だった。

 

父親がトバリのスロットで借金を作り蒸発した。母が経営していたサイホーン厩舎を妙な宗教団体の様な連中に地上げされて失い、オレは働きながらもますます研究にのめり込んだ。絶対にポケモントレーナーとして大成する。そして、厩舎を取り戻す。

それだけを目標に気が遠くなるほど、戦略パターンを練り込み続けた。

だが、オレが研究を重ねれば重ねるほど、比例して黒星が増えていく。如何すればいいか分からず、焦りと焦燥だけが心を焼いていく。そんな毎日の中――オレはポケモンを初めて3ヶ月にも満たない年下の女の子にオレは惨敗した。

彼女はオレが長年研究し続けてきた必勝パターンを悉く覆し、圧倒的な力の差を見せつけてきた。

8歳の頃から5年間。必死に研究を続けてきた。タイプ相性、各ポケモンに応じた戦略パターン、それによって立てられる対策への対策。対策の対策の対策に対する対策。螺旋のように続く思考を止めることなく、必死に進み続けてきた。

 

相手に対する侮りはあった。

自分に対する自惚れもあった。

だが、そんなものでは覆い隠せないほどの、絶対的な才能の差があった。

世の中には天才という評価では生温いほどの怪物が存在していたのだ。

 

それと同時にチャンピオンやプロになるのはこういう人間なのだと知る。

実力の履き違えがあまりに滑稽で、恥ずかしさで逃げ出したくなった。

 

心が折れた音がはっきりと聞こえた。

 

そのころからだ。

自分の中で天井が見えてしまったのは。

それを振り切るために努力して、成長すればすると同時にその天井は自身に迫ってくる。

焦燥。葛藤。才能。限界。――抜け出せない袋小路。そして諦観。

 

自分の才能に見切りを付けるには十分だった。

 

ある人は負け犬と言って嘲笑した。

ある人は仕方ないよねと言って哀れんだ。

ある人は悔し涙を目に一杯溜め込んで嘘つきと罵った。

 

それから三年間、これといって目標も働いて金を稼ぐだけの毎日が続いていた。

 

そんなときだ。父の弟であるプラターヌ博士が「カロス地方へ来ないか」と誘ってくれたのは。父の縁者である叔父さんへの複雑な感情はあったが、オレはこの提案に賛成した。もう、シンオウ地方には、もういたくなかった。

 

けど、これでよかったのだと思う。

情けなく逃げだした先で、こんなにも熱い勝負をさせてくれた。

だから、これでよかった。

でも、

 

「ああ、クソ……」

 

目頭が熱くなる。

もういいはずなのに――

諦められるはずなのに――

 

――どうして、『次』を考えちまうんだ……?

 

走ったって必ず目的地に辿りつけるわけじゃない。

成功するのなんて、才能と運を併せ持ったほんの一握りにすぎない。

それでも、溢れ出るこの衝動――諦めたくない……ッ!

 

モンスターボールの中にいるこの最高の仲間達と共に、どこまでも、どこまでも走っていきたい。だが、それは我が儘なのだ。

 

オレにはチャンピオンになれるだけの才能はないのだから。

 

泣くつもりなんてなかったのに、一筋だけ頬を伝った涙を慌てて拭う。

涙を悟られないよう、後ろを向く。

これから夢を追う彼女に「頑張れよ。応援してる」と。

それだけ言って人垣をかき分けてアサメタウンへと足を進めていった。

 

 



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第8話 いざ、就活!

 

 

1

 

「さあ、遠慮はいらん。存分に食べなさい」

 

ムックル、メリープ、ロコンは主人の部屋で目の前に置かれた品に目を丸くした。

目の前に広げられているのは最近話題になっているポケモン用高級菓子『ポフレ』である。

しかもこれでもか! と、言わんばかりに山のように積まれている。

自慢げに胸を張っているアトリを見て、三匹はそれぞれ割と真面目に主人の精神状態が心配になった。

『アトリ』という人間のパーソナリティは基本倹約家だ。身もふたもない言い方をしてしまうと財布の紐が固いドケチである。もっと適切な言葉があるとすれば100メートル先の小銭の音にすら反応する謎特技を標準装備している守銭奴なのだ。

そんなアトリのまさかの大放出に3匹とも大いに困惑している。

 

――まさか偽物!? 本物は何処だ!? 

――エマージェンシー、エマージェンシー。明日のカロス地方の天気は雨あられ。所により槍が降るでしょう。

――槍で済めばいいケドね。アタシは隕石でも落ちてこないか正直ビクビクしてるわ……。

 

「テメー等失礼なこと考えてねえか?」

 

以心伝心。羽振りのいいアトリに違和感バリバリな3匹に睨みを効かせると、揃いも揃って示し合わせた様に首を左右に振って否定した。

彼らの説得力の欠片もない否認にアトリは青筋を立てて表情を引き攣らせる。

今まで一緒に頑張ってくれたポケモン達に労おうと、身を切るような思いで奮発したというのにこいつ等ときたら……。

悲しいやら腹立たしいやら複雑な思いだったが、やがて力が抜けたように溜息をついた。

 

「そんなところにいないで、お前もこっちに来たらどうだ?」

 

少し離れた場所では親の仇のようにアトリをしばらく見つめていたハッサムに声をかける。

 

「そういえば自己紹介がまだだったな。アトリだ、よろしく」

 

ハッサムは何も言わず「カーッ、ペッ」と、まるで中年オヤジの様に痰を吐き捨てる。嫌悪感と不信感丸出しのハッサムにアトリは思わず苦笑い。

 

「別に取って食おうってわけじゃねえから心配するな」

 

それでも警戒を解くことのないハッサムにアトリは短く嘆息した。

無理もない。疑うな、と言われて疑うのをやめる馬鹿はいない。

信頼とは積み上げるのに時間がかかるくせに、本当に些細なことで木端微塵に砕け散ってしまうものだから。

以前のトレーナーとどのような関係を築いていたかは分からないが、彼はトレーナーに一度裏切られている。

 

正直言ってどうすればいいかわからなかった。メイスイタウンの元看護士には自分が何とかする、と言ったもののアトリにはここまで深刻な溝を埋め合わせた経験がない。

仮に自分が「父と和解しろ」と言われても、絶対に無理だ。

 

人間とポケモン。

手を取って歩いていけるはずなのに、互いの距離が遠い。

 

こういう時はアレだな。

 

「とりあえず仲良くやっていこうぜ」

 

問題の先送り! アーンド出たとこ勝負。明日にゃ明日の風が吹く。

傍でその様子を見ていたロコンはポフレを頬張りながら深いため息をついた。

 

 

プラターヌポケモン研究所 御中

取締役プラターヌ様。

 

拝啓、研究所の候、貴社ますますのご清栄のことを喜び申し上げます。

先日は、仕事のご依頼いただき、ありがとうございました。

さて、本日は誠に勝手ながら、ご依頼を辞退させていただきたく、ご連絡申し上げます。

ご依頼を頂きながら辞退申し上げるのは、大変心苦しく、ずいぶん悩みました。今回は、ご迷惑をおかけし、本当に申し訳ございません。

お引き立て頂いたことを、心から感謝しております。勝手な申し出ではありますが、何卒お許しいただきたくお願い申し上げます。

御社のますますのご発展をお祈りしております。

 

敬具――

 

「こんなモンかな?」

 

詫び状をしたためて、封筒の中に入れた。流石にホロキャスターで、しかも、口頭で断りを入れるのは感じが悪いし、礼節に欠ける。

 

満腹になったロコンたちがそれぞれの寝床で寝静まったことを確認してから喉の渇きを覚えた。リビングに行って水を一杯一気に煽って冷蔵庫に体を預けた。

考えるのはこれからのこと。

頭の中で『何かをしなければ』という気持ちはあるのに、何をいていいのかわからない状態。

以前ならこんなことで迷いはしなかっただろう。自分のやりたいことは決まっていて、実現させるために何をすればいいのか、明確だった。

今は動くしかない。そう思ってはいても、心と体が上手く噛みあっていないのは明白だった。

 

「アホらしい。グダグダ言い訳を探してんじゃねーよ」

 

自身の女々しさに思わず自嘲の笑みが浮かぶ。

そうだ。迷う必要はない。『働いて金を稼ぐ』自分のやることはこんなにも明確になっているのだ。あとは目標に向かって我武者羅に働けばいいだけの話だ。

 

「アトリ、ちょっといいかしら?」

「ほああああああああああああああああ!?」

 

母に不意打ちで声をかけられて思わず叫んで回転。後ろに飛びのく。そして冷蔵庫の扉で後頭部を強打してのた打ち回る。

 

「そんなに驚かなくていいじゃない」

「い、いや……気配がなかったから……!」

 

バクバクと早鐘を打つ胸を押さえこぶをさすって起き上がる。

 

「母さん、明日から就活始めるよ。とりあえずハクダンシティにあるフラダリラボの支部に面接行ってくるから」

 

今や一人に一台持っている通信機器『ホロキャスター』を開発したフラダリラボ。

一流企業であるラボに就職できれば、かなりの収入が見込める。

とはいっても内定をもらえなければただの皮算用に過ぎないのだが。

 

「プラターヌさんの依頼は?」

「知っていたのかよ?」

「ええ。プラターヌさんから前もって話を聞いてたから」

 

母の人の悪さを糾弾する気にはなれなかった。

同時に何を思ってそうしたのか、あえて追求しない。

 

「……断ったよ。オレはもうトレーナーを引退したから」

 

頭の中にあった原稿を読むかのように、スラスラと答える。

声のトーンは平坦。表情にも一切変化はない。だが、ほんの一瞬だけアトリの目が泳いだのをサキは見逃さなかった。

 

「とりあえず書類選考は通ったみたいだから、明日面接に行ってくるよ」

「アトリ……」

「競争率は相当高いから内定もらえるかどうかは分からないけど、ダメ元でさ」

「アトリ」

「もしダメだったらポケモンセンターの看護助手かな。給料はそんなに高くないけど、公務員だから安定してるし、ポケモンの栄養学の基礎なら頭に入ってるから」

「アトリ……!」

「……………………」

「無理してる」

「はっ」

 

母の的外れな言葉を思いっきり鼻で笑った。

 

「無理なんかしてないさ。これはオレが選んだことだから」

「そうやって周りに嘘をついて、自分を騙していくの?」

「……みんなが、みんな自分の気持ちに正直に生きてたら、相当嫌な世の中になるだろ?」

「茶化さないで」

 

おどけたように言うアトリに釘を刺すように厳しい口調で言う。

アトリは母の静かな剣幕に肩を竦めて苦笑した。

誰もが必ず自分の夢を叶えられるわけではない。夢に向かって弛まぬ努力を継続してきた者なら余計にそうであろう。だからこそ日々を生きていくためには自分に嘘をつくことも必要だ。

悔いはない。だから諦められる。

そう言って自分を上手く騙すから、次のステップに進むことができるのだ。

 

「辛いのは今だけだ」

 

失恋の傷を癒すように、この如何ともし難い胸の痛みも、いずれ時間が解決してくれる。

 

「でも、カサブタにならない傷はいつか必ず膿んでくるわ」

「そこはほら、今後の課題ってことでひとつ」

 

痛いところを突かれる前に、言い逃げのように踵を返してその場を後にする。

最早、アトリは感情のメーターが振り切れるのを必死に抑えている状態だった。

これ以上何か言われれば、抑制が効かなくなる。本来自分の感情を制御するのは得意ではないのだ。

サキは何かを言ってやりたくて、去っていく息子に手を伸ばすも、途中で止めて拳を握る。

今の彼女が何を言っても、説得力に欠ける。自分達親の不甲斐なさが子供の一生を縛り付けることがどうしようもなく歯痒く、情けなかった。

 

3

 

ハクダンシティ。古式ゆかしい町。

アサメタウンからメイスイタウン、ハクダンの森を挟んだ位置にある町で、ポケモン協会公認施設ハクダンジムを擁する地方都市である。

規則的に敷き詰められ舗装された石畳の道。

町の中心になっている巨大なロゼリアの姿を模した噴水。

街の至る所に花が咲いており、町の人々はそれをオープンカフェで眺めながら優雅に紅茶を楽しむ。

その様は『古式ゆかしい』という町のキャッチコピーに違わず、情緒と気品を兼ね備え心惹かれる。

 

その中でも異彩を放っているのが、町の郊外にある10階建の摩天楼。

『フラダリラボ・ハクダン支社』。

ライブキャスターの発展形である通信機器『ホロキャスター』を開発した会社として世界的に有名な一流企業である。

 

「デケエ……」

 

見上げた先にあるビルにアトリは感嘆の声をあげた。

アトリの出身地のトバリシティにもこのような大きな建造物は数える程度しか存在しない。

『見ろよ、かっぺがいるぞ』と、遠くから嘲笑が聞こえてきた。

『田舎者で悪いか』と内心憤慨しながら、早足でビルの中へと入る。

 

身嗜みよし。スーツよし。履歴書よし。筆記用具よし。

あると有利だと聞いていたので一応名刺も作ってきてケースの中に入れてある。

面接の受付を済ませて待合室に案内された。募集は15歳から20歳まで。

 

――どいうことだ? 半端な時期にしても、他の受験者が少なすぎる。

 

待合室にいたのは15名前後。募集定員は最大3名。一流企業の募集にしては少なすぎる。

しばらく考え込んでいたが、やがて気持ちを切り替える。

 

―――なんにしても倍率が低いことはオレにとって歓迎すべきことだな。

 

深読みしても仕方ないので、待ち時間の間、面接のイメージトレーニングして過ごす。

 

「フワ・アトリさん」

 

15分ほどして、担当者に呼ばれ部屋へと案内される。緊張で胃が痛くなるのを堪えながら手の平に人を書いて呑み込んだ。気合が入ったのを確認して扉を三回ノックした。

 

『どうぞ』

「失礼します!」

 

筆記テストも問題なし。わからない問題もなく、全問落ち着いて解けた。

面接の内容は至って普通だった。

自己紹介、志望動機に始まり、自身の長所と短所、細かな経歴、何故トレーナーズスクールを辞めたのか。――これは正直にぶっちゃけた。今後の課題、ジムバッジの数などなど。

面接の基本は謙虚で前向きな姿勢だ。少しでもマイナスイメージを持たれれば面接官は容赦なく持ち点を減点していく。アトリ自身はそこそこ好感触だと思う。

すべての企業が一概にそうだとは言えないが、経験が浅くても若い人材を欲しがる。アトリは16歳。受験者の中では一番若い。その上募集は20歳まで。

仮に一日の長があったとしても、そうは変わらないはずだ。

 

4

 

数々の人間を見てきた者にとって履歴書一枚でわかることは実に多い。

字に気合が入っているか。履歴書を使いまわしていないか。修正液を使っていないか。

手抜きの跡がある不心得者のものはすべて外した。

 

悪くない。だが、

 

フラダリラボの社長は履歴書を見て眉間に深い皺を刻んだ。

 

フワ・アトリ。

この男は最終試験に回すべきかどうかを決めあぐねていた。

字に気合は入っている。面構えも悪くない。ペーパーテストはぶっちぎりのトップ。

マジックミラー越しに見ていた面接での受け答えも年の割にはしっかりした受け答えで目を見張ったのも事実だ。だが、彼の眼はほんの僅かな濁りが感じられた。

諦念と未練の狭間にあるようにユラユラと不安定に揺れている。

芯のないものは折れやすい。だが、彼からは切実な『何か』が感じられる。

 

「一度、直接話をしてみるのも悪くない」

 

アトリの履歴書を最終試験の方に回し、社長フラダリは静かに立ち上がった。

 

 



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第9話 燃える男

 

1

 

ポケモンセンター。

ポケモン協会が運営している公共施設であり、トレーナーの免許を持っている人間なら誰でも利用できる施設である。提供しているサービスはトレーナー格安で宿泊を提供、ポケモンの預かりシステムの端末貸出、そして最も多く利用されているサービスはポケモンのリラクゼーション及び傷の手当であろう。

チャンチャンチャララン♪ というチャイムの後に流れるアナウンスはワンパターンだ。

 

《お待たせいたしました。番号札12番でお待ちのお客様、お預かりしていたポケモン達は元気になりましたよ》

 

アトリは休憩時間をここで過ごしていた。最終試験の発表は14時。あと2時間ほど時間はある。その間にやるべきことがある。

どうもさっきからメリープの様子がおかしい。落ち着きがなく、そわそわしている。

会社側の意図はわからないまでも、手持ちを連れてくるようにといった指示があってよかった、と思う。こうして面接の合間を縫って健康状態をチェックすることができる。

トレーナーカードを持っていれば、治療は無料。勘違いならそれに越したことはない。

 

カウンターで手持ちポケモンを預け、番号札を受け取る。

 

「お?」

 

フレンドリーショップの方に見覚えのあるシルエットを見つけて足音を殺して近寄っていく。

 

「お客さま、なにかお探しですか?」

「いえ。友達の付き添いですので――」

 

振り向いた瞬間、声の主の人差し指がセレナの頬にプニッとめり込んだ。ショップの店員かと思えばスーツを着た、したり顔の少年――アトリがいた。

 

「よう、昨日ぶり」

「…………そうね」

 

子供のようなイタズラに特にリアクションするでもなく、普通に応じる。

ちょっかいをかけたアトリとしては少し肩を透かされた気分だった。

 

「その格好……」

「ああ、今就活中でな」

「似合ってないわね」

「自分でもそう思うから、それは言うなよ」

 

若干トゲを含んだ言葉を笑って受け流すと、セレナは露骨に眉を下げた。

 

「…………本当に、もうやめちゃうのね」

「オレに拘らなくてもいいだろう。世の中にはオレなんかより、強いトレーナーなんてごまんといるぞ」

「……隣で同じ目標を追いかけるのは、誰でもいいわけじゃないのよ」

「そういう殺し文句は誰彼かまわず言うもんじゃねえぞ。勘違いして変な虫が寄ってくる」

「あんたは私のライバルなんだから、別に勘違いしてくれてもいいわよ」

「からかうなよ」

 

「あー、アトリだー!」

 

買い物をしていたサナ、ティエルノ、トロバはアトリがいることに気が付き、走り寄る。

 

「アトリー! アトリだー、アハハハハハ!」

「テンション高っけえなオイ。酔っぱらってんのか」

「酔ってるよお」

「嘘だろ!?」

「嘘ですよ」

 

ティエルノに見事担がれたアトリは脱力した。

 

「スーツなんて着てどうしたんですか?」

「ただ今、しゅーかつちゅー」

「スーツを着ているっていうより、着られてるって感じだねえ」

「あはは、似合わなーい」

「いい加減にしないとキレちゃうぞ☆」

「ティエルノ、サナさん、失礼ですよ」

 

トロバのフォローも空しく、ティエルノとサナはひたすら笑い続ける。アトリは両者の頭を軽く叩き、買い物カゴを覗き込んだ。

 

「で、これは?」

「見ての通り、これから旅に必要になるものだよお」

 

そう言ってティエルノは買い物カゴの中にあるモンスターボールや傷薬などのポケモン関連の商品を見せる。アトリはしばらくカゴの中を覗き込んで切れ長の眼を大きく見開いた。

 

「カ タ ハ ラ イ タ イ ワ」

「え、なに? 彼は一体どうしちゃったの?」

 

何かのスイッチが入ったアトリにセレナは勿論、4人は困惑した。

 

「まず、これ!」

 

手に取って二つの傷薬をティエルノたちに見せる。

 

「使用期限がそれぞれ違う! 期限が長いものを選ぶ、これ買い物の基本アルネ!」

「なんで片言!?」

「次にこれ!」

 

セレナのツッコミを無視してアトリはモンスターボールを手に取って見せる。

 

「モンスターボールは10個単位で買うのがベスト! 10個単位でプレミアボールがおまけについてくる! お前ら4人いるなら1人頭15個買うとして、一人頭1.1個分お得! お得なのでっす!!」

「べ、別に1.1個分くらい――」

「カーッペッ、カーッペッ、カーッペッ! 馬鹿者ォ! これから旅をしようって奴が切り詰められる物を切り詰められなくてどうする! 路銀だってタダじゃないんだぞ! 旅をするなら『一円を笑うものは、一円に泣く』って言葉を骨の髄まで叩き込め!!」

 

仮にもポケモントレーナーとして旅立つのだから、金銭に関してはとことんシビアにならなければやっていけない。いくらプラターヌ博士からのバックアップがあるとはいえ、旅先では予定通りに進むことの方が少ないのだ。『もしも』のときの蓄えは1円でも多い方がいい。どんぶり勘定では、あっという間に行き詰る。

そして何もよりも安く買えるものを高く買うなどアトリの守銭奴スピリッツが許さない。

 

「今から貴様らに買い物のイロハをみっちり仕込んでやる! 泣いたり笑ったりできなくしてやる!」

「サ、サナは遠慮しようかな~なんて……」

 

逃げようとするサナの肩をガッチリと掴む。ギギギ、とブリキ人形の様な音が聞こえてくるようなモーションでサナは振り向いた。

まるで道化師を思わせるような不気味な笑み。眼からハイライトが消えており、取り込まれてしまいそうな深く暗い穴が見える。

 

「逃 ガ ス カ」

「いや~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!」

 

2

 

「良き買い物であった。余は満足じゃ」

 

ご満悦のアトリと対照にセレナを始め、4人はゲッソリしていた。

守銭奴アトリによる一円単位の無駄も許さない恐怖政治――もとい、コンサルタンティングによって結果そこそこの削減ができたものの、4人は色々削られたような気がする。

 

「さてと、」

 

時計に目を通すと、開始時間まで、あと1時間。名残惜しいが、そろそろ戻るべきであろう。

引退した人間がしゃしゃり出るのはここまでだ。

 

「いい気分転換になったよ。そろそろ戻るな」

 

メリープの体調は何処にも問題なし。

これで午後からの最終試験に挑むことができる。

 

「……うん、面接頑張ってね」

 

セレナの激励が本心ではないことは知っている。

だけど、こればかりはアトリがどう足掻いたところで、どうすることもできない。

だから、何の柵もなく夢を追える彼らへの嫉妬を、挫折を知らない彼らへの羨望も、気づかない振りをして、自分を誤魔化しながら、生きていく。

これからも、ずっと……!

 

「セレナたちはこれからどうするんだ?」

「私はハクダンジムに挑戦するわ」

「サナはセレナの応援~!」

「ボクとティエルノはこの辺のポケモンの分布調査をしています」

「しばらくこのあたりにいるから、また何かあったら声をかけてねえ」

「そっか。そんじゃ、お互い健闘」

 

失敗して現実の厳しさを知ればいいんだ。

そんなことをほんの少しでも考えてしまう自分が後ろめたくて、情けなくて、惨めで。

何故友達の門出を心から祝福してやれないのか。

僻み根性丸出しで、骨の髄まで腐っている自分が本当に嫌になる。

 

『泥棒ッ!!』

 

明後日の方向から聞こえてきた叫び声で全員の意識がそちらを向いた。

ローラースケートを履いた男が、こちらへ滑ってくる。

 

『その男を捕まえて! ひったくりよ!!』

 

指をさして、叫ぶ女性の傍らに転倒している老婆の姿が見える。

 

『お願い、ヤコちゃんを返して!!』

 

そんな老婆の悲痛な叫びを無視して、ひったくり犯の男は足を押し上げて一気に最高速度に達して人垣を掻き分けていく。

このまま人ごみに紛れてしまえば逃走成功。あの老婆の身なりからしてこのブランド物のバッグには相当な額の金が入っているに違いない。

 

「へへ、ちょろいもんだぜ」

「ところがギッチョン!」

 

逃走する引ったくり犯は足を払われ、盛大にひっくり返る。

 

「観念しな、このコソ泥野郎!」

「く、くそ!」

 

一回転して腰を強打した男は破れかぶれにモンスターボールを投げた。出てきたのは――毒バチポケモンのスピアーだ。

 

「出番だ、ロコン」

 

対抗すべく、アトリの投げたモンスターボールからお馴染みのキツネポケモンが出てくる。――と、同時に日差しが強くなる。

 

スピアーは黄色と黒のツートーンカラーの体を左右に揺らして上下左右目まぐるしく動き回ってロコンの動きを牽制する。少しでも隙を見せれば、両腕と臀部に付いている毒針で狙い撃ちしてくるであろう。

だから――

 

「ロコン、ノーダメージで仕留めろ。反撃を食らうことは許さん」

「舐めるな! スピアー、毒針だ!」

 

プライドを傷つけられた引ったくり犯の剣幕を鼻で笑って受け流す。

この程度のオーダーをこなせないような柔な鍛え方はしていない。

ロコンは尻尾を立てて承諾の意を表すと、背後に回り込み尻の毒針で狙ってくるスピアーの攻撃をヒラリとかわす。

 

「電光石火!」

 

ロコンは直ぐ様切り返し、高速の体捌きでスピアーとの間合いを詰める。

スピアーは慌てて崩れた体勢を立て直し、迎撃を試みるが、明らかに初動に差が有りすぎる。

 

「弾ける炎!」

 

アトリの出す指示とほぼ同時にロコンは日照りで火力にブーストのかかった焔をお見舞いする。ロコンの大火力が直撃したスピアーは地に落ちた。

引ったくり犯の顔が青ざめ、スピアーをボールに戻すことすらせずに、背を向けて脱兎の如く逃げ出そうとローラースケートを走らせる。

 

「逃がすかゴラァァッ!」

 

即座に反応したアトリは一歩、二歩と大きく助走を付けて一気に跳躍した。

打点の高いドロップキックは引ったくり犯の背中を正確に捉え、相手に地面を嘗めさせる。

 

「オレの目の前で盗みを働くとはいい度胸だこの腐れチ●コのホー×× 野郎ッ!」

 

マウントポジションをとってに三発殴り、胸ぐらを掴んでガクガク揺すりながらひったくり犯に浴びせかける罵詈雑言。そのあまりにひどい内容にセレナは顔を真っ赤に染めるよりも先に、頭痛を覚えた。

ライバルが……私のライバルが、下品なチンピラみたいになってる……。

 

「ねーねー、セレナ」

「どうしたの、サナ?」

「『ホー××野郎』ってどういう意味?」

 

サナの発言にティエルノとトロバは眼を剥き、セレナは更に頭を抱えた。

 

「サナ、その言葉は今すぐ忘れなさい」

 

後でアトリとはゆっくりと(肉体言語で)話をしなければいけない。そんなセレナの考えを他所にアトリの怒りのボルテージは上がっていく。

 

「テメーは一万稼ぐのに何時間の労働が必要か知ってるのか!?

額に汗して働かないようなロクデナシが人から労働の対価を横取りしじゃねえ、このスットコドッコイのドサンピン!!」

 

「アトリ、ブレイクブレイク! チンピラモードになってる!」

 

トロバとティエルノに制止され、アトリは荒い息を一気に吐き出して気分を落ち着けた。

その隙にセレナが盗まれたハンドバッグを確保して、駆けつけてきた老婆に手渡した。

 

老婆はバッグの中のモンスターボールを取り出し開く。中から飛び出してきたコマドリポケモン・ヤヤコマは元気に飛び回り、主人である老婆に壮健な姿を見せつけた。

 

「ヤコちゃん、よかった。よかったよ……」

 

老婆は心の底から安堵し、その場に座り込むとむせび泣き始めた。

元気に飛び回っていたヤヤコマはそんな彼女を慰めるように、肩に止まり頬を擦り付ける。

 

「ありがとねえ、ありがとねえ」

 

何度も何度も大泣きしながらお礼を言う老婆を前にアトリはむず痒くなってそっぽを向いた。こういう面と向かって感謝を示されるのは苦手だ。後の対応はセレナたちに押し付けて、早々に闘争を図ろうとした直後、――「アトリ、危ない!!」――セレナの叫び声に反射的に振り向くと、ナイフを持ったひったくりの男がアトリに斬りかかろうとしていた。

 

やばい!!

 

咄嗟にバックステップしてやり過ごすも、バランスを崩し倒れ込む。

 

「ガキが……! ぶっ殺してやる!」

 

アトリに殴られ血まみれになった顔が醜く歪む。眼は血走っており、鼻息は荒い。

頭に血が上り、完全に理性が決壊していた。

ナイフを振り上げアトリを刺そうと肉薄する。咄嗟に腕を振り上げ、ガードしようとするが、間に合わない。

 

冗談じゃねえ! こんなところで――ッ!

 

迫りくる凶刃に、死を覚悟して目を固く閉じた。

が、いつまでたっても激痛はやってこない。

恐る恐る目を開けると、アトリとひったくり犯の間に割って入っていた男がいた。

ナイフを持った腕は闖入者の男に掴まれ、押しても引いてもビクともしない。

業火を思わせる赤い髪を逆立たせ、厳格さを表す顎鬚と合わさって獅子の様に見える。

身に着けている黒と基調としたファー付きのスーツは、所々アクセントとして赤があしらっており、非常にセンスがいい。

そして、彼の眼には不思議な輝きを宿していた。

炎のような男。

それが彼への第一印象であった。

 

「奪う側の人間か……。汚らわしい……ッ!」

 

赤い髪の男が吐き捨てた直後、ロコンが撃った炎がひったくり犯に直撃し、今度こそ彼は意識を失った。

 

 



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第10話 責任と呪縛

 

 

1

 

「大丈夫!? 怪我はない!?」

「あ、ああ……」

 

半泣きになったセレナはアトリに駆け寄る。しばらく動けず茫然としていたが飛び付いてきたロコンに押しつぶされ、支えきれずに潰れた。

 

「痛てて、ロコン、爪! 爪しまえ。食い込んで――アダダダ!!」

 

アトリの訴えもなんのその。力いっぱいしっかり捕まって離さないロコンの背をポンポンとタップして落ち着けるように努めた。

男を拘束した後、赤い男がアトリに手を差し伸べる。ロコンを抱きながら、促された手に従って手を預けると一気に吊り上げられた。

 

「危ないところを――ありがとうございました」

「君の行動は勇猛だったが、軽率だったな。相手を拘束するまで気を抜いてはいけない」

 

威圧的な外見に反して、穏やかで理知的な語調。だが、その言葉は激しい叱責よりもアトリの心に突き刺さった。唇を噛み締めて彼の言葉を刻む。

一歩間違えば怪我では済まないところだった。

最悪、殺され、――脳裏に刻まれたひったくり犯の血走った眼を思い出し、今更になって背筋が寒くなる。

 

「とはいえ、君と君のロコンのおかげであのご婦人の大事なポケモンは奪われずに笑っていられる。その点において私は君の勇気に敬意を抱くよ」

 

落としてから、上げる直球ど真ん中の賛辞にアトリは赤面した。

気恥ずかしすぎて赤髪の男から視線を逸らして、抱き上げていたロコンの体で顔を隠す。

 

「もしかして照れてる? ねえねえ、照れてる?」

 

からかうような口調で横から覗き込んでくるサナに軽いデコピンで対応する。

 

「……近頃はあのような下賤の輩が増えて、嘆かわしい限りだ。美しくない」

 

拘束していたひったくり犯を見て呻くように言った。

美しくない。そんな言葉を使った彼はきっと自分自身が是とする美意識があるのであろう。カロス地方では美意識の高い人間が多いと、以前に何かの本で読んだことを思い出す。

 

「他人から奪い、私腹を肥やす思考は私には一生かけても理解出来ないだろうね」

「ああ、確かにそれは分かります」

「ほう。わかるかね」

「手に入れた持ち物っていうのは、それなりの労力の対価として手に入れたものです。それを横から出てきて掠め取るって考え方は、生理的に受け付けませんよ」

 

アトリはお金が大好きだ。

給与とは労働の対価であると同時に、自身の仕事に付けられた値段なのである。定期預金によって桁が増えた通帳を眺めるときは快感を通り越して、絶頂すら覚える。

だが、他人からそれを横取りしようとする気にはなれない。

 

犯罪は割に合わないからである。

人の生涯年収は個人差があれど、大体1億~3億円。それが人間の一生分の値段である。

だが、一度犯罪で捕まれば、経歴に傷がつき、それから先の自身の人生の値段を底値で買い叩かれても文句は言えない。

傷のついたメロンが相場より安く取引されるのと同じものだ。

裏にそんな打算がることを知ってか知らずか、赤い髪の男は目を瞬かせてアトリを見つめた。

 

「君とは気が合いそうだね」

 

少しだけ逡巡して、「そうかもしれませんね」と、適当に返すと赤い髪の男は柔らかい笑みを浮かべた。

 

「出来るなら君とは少し語り合いたいところではあるが、今は時間が惜しい」

 

赤髪の男は何かを悟った様に、明後日の方を向く。

時間にしてほんの数秒。男が見ていた方角から、制服を着た男たちがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。

 

「あ、警察が来ましたよ」

「あとはよろしく!」

 

トロバが言葉を発するのとほぼ同時に、ロコンをボールに戻したアトリと赤い髪の男は駆けだした。

 

「あ、ちょっと待って」

 

続いてセレナもアトリを追うべく走り出すが、彼の背中はどんどん遠ざかっていく。

残された3人は顔を見合わせた後、面倒事を押し付けられたことに気づいて頭を抱えた。

こうしてポケモン図鑑のデータ収集のための旅はまた出発が遅れてしまうのであった。

 

2

 

「って、よくよく考えたら、なんであなたも逃げてるんですか?」

「人にはそれぞれ事情というものがあるのだよ」

 

しばらく男にうろんな視線を向けていたが、一拍置くように息を吐いた。

 

「それはそうと先程のロコンの動きは素晴らしかった。名のあるトレーナーと見受けられる」

 

赤い髪の男からの賛辞に、苦笑して肩を竦めた。

 

「いえ、そんな大層なものじゃありませんよ。ジムバッチも1つも持っていませんし、無名もいいところです」

「ふむ。君ほどの実力を持ちながら、なんと勿体無いことか」

「買いかぶり過ぎですよ。僕にはそんな大層な才能なんて……」

 

くすり、と。男が口元を崩した。

笑われた。一瞬頭に血が上りかけるが、相手は命の恩人だ。

自重しなくてはならない。一拍置いて、平静を保った。

 

「何が可笑しいのですか?」

「いや、失敬。実に面白い。そう思ってね」

「バカにしてるのですか?」

「気に障ったのなら謝罪しよう。だが、君の物の見方は何処か老成していて、それでいて若者特有の視野の狭さを併せ持っている。厭世的とも言ってもいい」

「自分の力量を正確に見極めて、自身の分を弁えているだけですよ。それにあなたはさっき僕のことを『厭世的』と言いましたが、人生に嫌気がさしている訳ではありませんよ。むしろ、やるべきことがハッキリしていて充実しています」

「いいや。君は絶望している」

 

断定的な口調で必死に覆い隠してきた核心に迫られて思わず息を呑んだ。

反論しようと、赤い髪の男を見据えるが、猛々しい眼力に威圧されて目を逸らした。

 

「君は自分に才能がないと言った。だが、私には君には十分通用するだけの力を感じる。この矛盾はいったい何故だろうね」

「貴方に人を見る目がないのでしょう?」

「それはない。私はこう見えても数多くの人を見てきた。賢しい者。浅ましい者。心の強い者。弱い者。人に温もりを与える者。そして、奪う者……。本当に、嫌になるほど様々な人間を見てきたよ」

 

眉間を指で押さえこんだ。彼の言葉の端々には根深い疲労感と徒労感。そして、諦念が滲み出ていた。

 

「その中で身についた特技がある。一目顔を見れば、その人間の性格や才覚、そして何を考えているのかが分かる、というものだ」

「…………そんな勘の様なものがアテになるとは思えませんね」

 

苛立ちを隠すことなく、嘲るような口調で突っぱねる。如何に恩人といえどもこれ以上自分の心を土足で踏み荒らすことは看過できない。

 

「何事も『理解しようとする姿勢』が無ければ、受け入れられないものだよ。君に足りない者は説得力よりも納得力だろうね」

 

赤い髪の男は辛辣で無礼な物言いに怒るでもなく、逆に痛烈な切り返しを見舞う。

こうも的確に痛いところを突かれては閉口するしかない。

 

「それに、勘を馬鹿にしてはいけないな。経験に基づく感覚的な判断は、理論すら超越する精度を叩きだすことすらあるのだよ。君もトレーナーなら経験があるだろう」

「くっ……!」

 

苛立ちで奥歯を噛み締めた。

確かにそうだ。ポケモンバトルで勝つには知識だけではダメだ。

知識で頑丈な土台を作りあげ、実戦経験によって叩き上げることで確かなものになっていく。第六感は時として理論を超越する。

思えばアトリが惨敗したあのトレーナーも理論よりも感覚と勘で戦うようなトレーナーだった。

 

「その私が言うのだから間違いない。君は絶望している。そして、それに気づかないように、自分の気持ちに蓋をして、闇雲に就職活動をしている。そんなことをすれば、いつか必ず君は――壊れてしまうよ。シンオウ地方トレーナーズスクールトバリ本部の元主席フワ・アトリくん」

 

瞬間、後ろに飛び退いて警戒態勢に入る。モンスターボールを構えて、目の前の男に鋭い視線を投げつけた。

 

「お前……誰だ……?」

 

アトリは自分の名をこの男に明かしていない。それに就職活動中であることも。

にもかかわらず、この男はアトリの名前と近況を知っていた。最初からアトリのことを知っていて近づいてきたのだ。だとすれば、この男は――頭の先からつま先まで見て、もう一往復。

 

よくよく考えればこの男は警察から逃げていた。そして、この見る者を威圧するような風貌と理知的な口調。間違いない。こいつはインテリ系【検閲削除】だ!

 

「借金取りか!? 金ならねえぞ、コノヤロー! それともあの親父をリッシ湖の底にでも沈めたって報告か!? だったらグッジョブだコノヤロー!」

「…………君は私をなんだと思っているのだね?」

「インテリヤク○!!」

「誰がインテリヤ○ザか!!」

「え、違うの?」

「違う!! 私をあのような奪う側の人間と一緒にするな!」

 

憤慨した赤い髪の男は咳払いを一つして仕切りなおした。

やはりこのタイミングまで黙っていたのは少々底意地が悪かったかもしれない。

心の中でそう前置きをして、通常通りの口調になるように努めた。

 

「私の名はフラダリ。株式会社フラダリラボの代表取締役にして、君の叔父プラターヌ博士の友人でもある」

「……………………………………はあ?」

 

まず、アトリが返した反応は何言ってんだコイツ? というものだった。

次に仮に赤い髪の彼――フラダリの言っていることが本当だと仮定する。

フラダリラボの社長で――自社の入社試験を受けているのだから、オレが就職活動中だと知っていて当たり前。

プラターヌ博士の友人で――ならオレのトレーナーズスクールのときの云々を知っていても不思議じゃない。ってことは……!?

 

仮定を当てはめると、疑問に思っていた箇所がすべて腑に落ちてしまう。

背中に冷たい汗が流れてく、酸欠状態のコイキングの様に口をパクパクさせる。

 

「えっと、社長……、これは……その……!」

 

拙い拙い拙い拙い!

アトリの顔色が白から青。青から土気色へと変わっていく。

社長へのあんな無礼やこんな無礼がアトリの脳裏に浮かんでは消えていく。

なんとか弁明しようと脳みそをフル回転させるが、上手い考えが一向に浮かばない。

 

「言っただろう。私は顔を見れば、その人間が何を考えているかがわかる、と。その私に対し何とか誤魔化してやり過ごそうと考えるのは少々浅はかではないかね?」

「ああ、ますますドツボにッ!!」

 

やらかしてしまったアトリは頭を掻き毟った後、力なく項垂れた。

 

「ふふ。驚いているね。黙っていてすまない。履歴書にあった君の顔から滲み出ている憂いがどうにも気になっていてね。調べてみたらプラターヌ博士に選ばれた5人の子供達の1人というじゃないか。どうにも居ても立ってもいられなくなってね、こうして直接会いに来た次第――「絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた絶対落ちた」――って聞いているのかね君」

 

死んだ魚の様な目で諦めモード入るアトリにフラダリはツッコミを入れる。

 

「落ち着きたまえ。誰も不採用とは言っていない。むしろ私個人としては君を非常に買っているのだよ」

「え。じゃあ採用ですか!?」

「いや、不採用だがね」

「憎シミデ人ガ殺セタラ……ッ!」

 

見事な上げ落とし論法に僅かな、本当に僅かな、誰が何と言っても僅かな殺意を覚える。しかも本人は悪気なしである。

余計にタチが悪い。

 

「アンタはいったい全体何をしやがりたいんですか、このモッサリオサレ赤頭がッ!」

 

ヤンキーモード全開でメンチをきる。

アトリの顔で激しく自己主張する青筋が、彼の憤怒を物語っている。

対するフラダリは目を閉じて少しも動じず、落ち着きを払って対応している。

 

「ガルルル……ッ!」

「まあ、落ち着きたまえ」

「何をどう落ち着けと?」

「………………………………いいから、落ち着けと、言っている」

「………………………………ハイ」

 

カッ! っと目を見開かれ、ヤンキーモードのアトリを慄かせるほどの静かな迫力にアトリは一気に平常心に引き戻された。

 

「繰り返し言うが、私個人としては君を高く評価している。だが、それは人として、そしてポケモントレーナーとしてだ。プラターヌ博士に選ばれるほどの才能。それを生かすべき場は私の元ではない。それがフラダリラボの社長としての私の判断だ」

 

誰もがその能力を正しく使うことでフラダリの切望する美しい世界への道が開く。フラダリはそう信じて疑わない。フワ・アトリには才気がある。今すぐにポケモンリーグに出しても通用する、とまではいかないが、その伸び代はいまだ未知数。発展途上だ。

その彼が『走る前から諦める』と言う。そんな馬鹿な話があるものか。

 

「いいかね。この世界はもっと素晴らしくならなければならない。そのためには選ばれた人間とポケモンは、より多くの努力をしなければならない」

 

ポケモンリーグの熱狂と興奮。誰もが憧れてやまないあのステージで戦えるのは、才能に加え、幾千通りの戦略を学び、幾万とポケモンとのコンビネーションを折り重ねた者だけだ。

 

あの盛大な歓声を誰もがもらえるとでも……?

 

若い才能を潰す手伝いなど御免こうむる。

 

「君が表舞台で活躍してくれることを願っているよ」

 

眉間に皺をよせ、言いたいことを必死にこらえているアトリに気付かない振りをして、フラダリは彼の元を去っていく。

走るか、走らないか。あとは彼次第なのだ。

達成困難な目標を実現させるには、第一歩を踏み出す勇気が必要だ。

叶う確証のない不明瞭な未来へと踏み出す心の強さがなければ、才能があっても成功するはずがない。

 

だが、もしフワ・アトリにその心の強さがあるのならば――

 

フラダリの口元が僅かに緩む。

 

「フワ・アトリ君、君は行き詰ったこの世界を打破する新しい可能性を……私に示してくれるか……?」

 

答えるべき相手のいない問いかけは、ハクダンシティに吹く風の中へと消えていった。

 

3

 

ハクダンシティを逃げるように去りハクダンの森の中を走り抜ける。

ハクダンシティからずっと走り続けて、心臓は跳び跳ねて、肺は酸素を欲して暴れ回っている。止まった後、息を整えて周囲を見回した。人気のないことを確認した次の瞬間、アトリは足に力が入らなくなり、崩れ落ちる。そして――

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」

 

――感情が弾けた。ありったけの声量で、ただ雄叫びをあげる。貯め込んでおくのは、もう限界だった。

 

「どいつもこいつも! なんだってオレを引きずり込もうとしやがんだよ! オレがどんな思いで諦めたかも知らない癖に!」

 

プラターヌ博士も。フラダリも。母も。セレナも。

揃いも揃ってトレーナーへの道を進むべきだと仄めかす。お題目のように『君には才能がある』と無責任な言葉を並べて。

自分がどれだけ苦しんで、諦めたかを知らない癖に。

本心を明かせば、アトリはポケモントレーナーの道へと進みたかった。

たとえ、失敗すると分かっていようとも全力で走って粉々になるならば、それはそれで本望だった。

今までの人生でポケモンバトル以上に情熱を傾けていたものはない。

だが、今の状況で我を通すことは許されない。自分一人の問題なら、失敗しても自分だけの責任だ。

しかし、もし今の自分が失敗したら、困るのは自分だけではない。

母も。アトリも。アトリの手持ちポケモン達も。等しく破綻してしまう。

 

「自分の人生を好き勝手に使えるのは、自分のケツを拭ける奴だけだ! そうじゃない奴はただの無責任なウジムシだ!!!」

 

世の中には自分の都合だけで片の付くことなど、何一つない。誰もがイデオロギーをぶつけ合い、理想と現実に折り合いの中で生きていく。それが人生というものだ。

それができない者は、淘汰されるか弾きだされる。

追うべき責任を放棄するということは、その人間の生きる意味を根こそぎ否定することに他ならない。それが、アトリがこの世で最も軽蔑する父から学んだことであった。

だが、その強い責任感が鎖となってアトリに絡みつく。まるで呪いのように歪に変質させて、心を蝕んでいっている。

 

「オレだってなぁ! 出来ることなら何も考えずに自分のやりたい事やりてえよ! けど、やりたい事やってたら生活していけねえんだよ! 生きるために諦めたのに……、オレにどうしろってんだ!!」

 

悔しさで、地面に叩きつけた拳が血で滲む。一度堰を切った感情の濁流は留まることを知らない。

 

「なんでオレなんだよ、他の奴でも良かっただろ!? なんで……オレが……こんな、死んでるみたいに生きないといけないんだ……! チクショウ。不公平だろ、こんなの……」

 

夢を語りながら実現させるために、何の努力もしていない人間だっている。

圧倒的な才能を見せつけられるのも。

父の残した借金の返済で追われるのも。

自分じゃなくても良かったはずなのに。

何故よりにもよって本気でやりたい事のあるオレのところにやってくる?

何故、責任を全うしようとするオレを寄って集ってつつき回すんだ?

何も見たくない。何も聞きたくない。

苦しい……。辛い……。だれか……、

 

「だれか……、助けてくれ……」

 

そんな彼が絞り出した、誰かに聞いてほしい言葉であり、誰かに聞かれたくない言葉だった。

腹の中で煮えくり返っていたものすべてを吐き出して、何とも言い難い疲労感で途方に暮れた。

 

そのとき背後からパキッ! と枝を踏む音が耳に届き、我に返った。

振り向いたその先には、最も醜態を晒したくない彼女の姿があった。

 

「セレナ……、どうして……」

「え、えっと……その……」

 

5年間。止まっていた時計の針が、今動き出す。

 

 



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第11話 ゆびきり

 

 

1

 

初めて見たポケモンリーグの記憶は、今でもよく覚えている

チャンピオンリーグの防衛戦。

手に入ることが非常に困難なプレミアムチケットを、父が取引先から貰ってきた。

その父に手を引かれ、カントー地方トキワシティにあるポケモンリーグ本部『セキエイ高原』。

ドームになっているスタジアムの中へ入り、ゲートを潜って目に飛び込んできたのは鮮やかな緑の人工芝。スポットライトの光で反射されて思わず目が眩んだ。だんだん目が慣れてきて目を開けると、そこには圧倒的な熱狂があった。

 

その中心地で戦っている二人のトレーナーと二匹のポケモン。

リザードンとカメックス。

炎と水。相性的には挑戦者のリザードンの方が劣性である。だが、相性だけでは決まらない戦術と戦略の応酬があった。

リザードンは持ち前の速さで空中を飛び回り、遠距離から火炎を放ち、カメックスは堅い守りを生かした専守防衛に努めつつ、隙あらば一撃確定の『ハイドロポンプ』を撃ちだしてリザードンにプレッシャーをかけていく。

 

トレーナーは常に周囲に気を配り、戦況の把握に努め、適宜最善の指示を出していく。

 

剥き出しの才能が、技、心が、意地が――互いが激しくぶつかり合い、練磨し、昇華していく。そのバトルから感じたことは、花火の様な一瞬の美しさ。

 

子供心に鮮烈な憧れを抱いた。

その時の記憶は、今も尚色褪せることはない。

 

「父さん。僕、ポケモントレーナーになりたい。それで、チャンピオンになるんだ!」

 

父はアトリの頭を撫でて、帰りにトレーナーになるために必要な教材を黙って彼に買い与えた。帰りにはしゃぎ過ぎて眠ってしまったアトリを背負う父の背中は、不思議なほど安らいだ。

 

今思えば、この頃が一番幸せだったのだと思う。

自分自身の可能性を信じていられて、愛情を注いでくれた両親。

今では軽蔑しきっている父も、あの頃は真面目で責任感の強い尊敬できる人だった。

 

それなのに――――何故、ここまで捻じれてしまっただろう……。

 

2

 

「なんの用だ……?」

 

睫の濡れた眼を鋭く尖らせてセレナを睨み付ける。抑えた――それでいて不穏な調子が漂う声色で彼女に問いを投げかける。

 

「ごめんなさい……、盗み聞きするつもりはなかったのだけど……。心配で……」

「同情のつもりかよ。うっざ」

 

攻撃的な言葉がセレナを容赦なく打ち据える。

煮詰められた敵意と悪意をダイレクトにぶつけられ、思わず怯む。よく知っているはずの横顔は、凄惨さを増していき別人のように見えた。

吐き捨てるように言って荒っぽい足取りでセレナの横を通り過ぎようとするアトリの手を、彼女は咄嗟に掴んで引き留める。煩わしさを隠すことなく無機質な眼で睨み据えられ、セレナは思わずゾッとした。

 

「離せよ」

 

行き場のない怒りがマグマ溜まりのように、腹の底でグツグツと煮えたぎっているのを感じる。ちょっとした刺激で噴火してもおかしくない。それでも、セレナはアトリの手を離すことが出来なかった。

 

「今1人にしたら、暗いところに引き摺りこまれていきそうで……」

「はあ? は、ははは、ははははははあははははは!」

 

怒っていたアトリは軽蔑しきったように肩を竦めて笑う。セレナの背筋に悪寒が走った。明らかに情緒が不安定だ。ひょっとしたら自分が思っている以上にアトリの精神状態は追い詰められているのかもしれない。

 

「同情のつもりかよ、ふざけんなッ!!」

 

顔を醜く歪めて、恐ろしい声でセレナを詰った。追い詰められて、見境を無くした言葉の暴力は留まる事を知らず、加速していく。

 

「温かい所でぬくぬく暮らして、自分のやりたいことを自由にやれる奴はいいよなァ! こっちは逃げられないんだよ! テメエらみたいにやってたら、生活やっていけないんだよ!! それなのに何でみんなして寄って集って突き回すんだよ!? ぬるま湯の中にいる甘ちゃんがこっちに来るな!! 放っておけよ、消え失せろ!!」

 

憤怒、僻み、嫉妬。フラダリとの会話でつけられた僅かな傷から、必死に押さえつけていた醜い感情が理性を食い破って溢れ出てきて止まらない。

違う。セレナのせいじゃない。セレナは何も悪くないのに……!

 

「お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のせいだ!!」

 

感情のコントロールがまったく効かない。

砕けた心で放つ論旨は最早めちゃくちゃだった。

 

「お前さえ、お前さえ……いなければ!」

 

やめてくれ。こんな酷い事、言いたくない!

傷つけたくないのに、相手を傷つける言葉が止まらない。

 

「こんな気持ち思い出すことはなかったのにッ!!」

 

火花が飛び散った。

数瞬遅れて張られた頬が熱を帯びる。

殴られた。その事実を認識するのに更に数秒を要した。

当然だ。これだけ好き勝手相手を罵って、傷つけて相手が怒らない方が異常だ。

頭は既に冷えていた。それと同時に自分の発した言葉の酷さを自覚する。

後悔しても、もう取り返しがつかない。壊れたものはもう、元には戻らない。

 

『カサフタにならない傷はいつか必ず膿んでくる』――ホントだよな……。なんで、何もかもこうも上手くいかないんだろう……。

 

「もうさあ……、いいだろ? オレはもうダメなんだよ……。こんなクソくだらねー奴に構ってないで先に進めよ……頼むから……」

 

腹の底に沈殿していた猛毒をすべて吐き出したアトリはやがて精魂尽き果てたのか、力なく木にもたれかけた。

これ以上、傷つきたくない。傷つけたくない。疲れた……。何も、考えたくない。

何も見たくない。何も聞きたくない。眼を閉じて耳を塞いで、すべてをシャットアウトした直後だった。抱きすくめられて心地のいい温かさが伝わってきた。

腕のぬくもりと、涙の熱さ。そして自身に向けられている感情が怒りではないことがアトリを困惑させる。

 

「ずっと、溜め込んでいたのね……」

 

囁く声が耳を打つ。

荒い息が続き、唇が震える。焦点の定まっていない目は虚空を仰ぎ見ている。

やがて、落ち着きを取り戻したアトリの顔から険しさが引いていった。

後に残ったのはドロドロで塞いでいた胸にぽっかり空いた大きな風穴。その中に温かい湯が流し込まれていくのを感じた。かじかんでいた心に温もりが分け与えられていくように。軋る心に頑なに縛り付けられた鎖が、少しずつ、少しずつ――解きほぐれていく。

ポツリ、ポツリと少しずつ話し始めた。

 

「……ずっと……辛くて……、けど、弱いところ、見せられなくて……」

 

誰かに頼ることはできなかった。父の様なロクデナシにならないために、強くならなければならなかったから。

追うべき責任から逃げることはできない。そのためには、自分の力だけで現状をどうにかしなければならないと、ずっと思っていた。

 

「それでも……諦められ、なくて……。才能ないのに……」

 

自分の一番得意なことで成功して、すべて取り戻すつもりだった。

だが、才能の塊のような人間に、積み重ねた自信ごと木端微塵に砕かれて、自分が井の中の蛙だったことを思い知らされた。

 

「絶対、失敗……、できないから……、オレがなんとかしないと……」

「それであなたが潰れたら元も子もないでしょ」

 

諭すように、優しい口調でセレナは言う。

 

「一人で頑張り過ぎ。少しは周りを頼ってよ……」

 

何かを成し遂げるために、一人で無理することは時と場合によって必要だ。しかし、無茶することを普通にしてしまったら必ず亀裂が走る。その亀裂はいつしか必ず崩壊へと繋がっていくだろう。

 

「きっとプラターヌ博士だって、あなたの可能性を縛りたくてやったわけじゃない。あなたにもっと自由に生きてほしかっただと思う」

 

母は夢を追うように促してくれて。

プラターヌ博士は自分の夢と生活に必要な経験を積める仕事を用意してくれて。

セレナはこんなに酷いことを言った自分に優しくしてくれた。

今更になっていろんな人の優しさが見えてくる。

 

「…………ゴメ、………オレ、セレナに…………沢山、酷いこと……」

 

まるで溺れる者のようにセレナの体にしがみついて咽び泣いた。

 

「本当にバカ……。こんなボロボロになるまでやせ我慢しないでよ……」

 

3

 

鼻を啜って、泣き腫らした眼を強引に拭う。気づけば日は傾いており、時刻は4時を過ぎていた。マイナスの衝動を全て吐き出して、受け止めてもらえた為、心の負担は驚くほど軽くなった。

 

 

「オレには才能がない……」

「ペラップみたいに繰り返し言っていたわね、それ」

 

頭の中をスッキリさせたくて、空を見上げて大きく息を吸い込む。心なしかいつもより呼吸がしやすくなったような気がする。

 

「昔は自分の可能性信じていられたんだけどな、世の中には『天才』なんて言葉が生ぬるいほどの怪物がいるって、思い知らされて……」

「…………」

 

セレナは何も言わずにアトリの横顔を見つめて、黙って聞いている。

ややあってアトリは低い声で言葉を紡いだ。

 

「本当に強かったよ。勝てる気がしなかった……」

 

肩を竦めて力なく笑う。

 

「越えるべき壁が大きいことは、喜ばしいだと思うわ」

「そうだな。けど、オレは――、」

 

一拍おいて眼を閉じた。内省すると、あれだけ複雑に砕けていた心情の尻尾が、拍子抜けするほどあっさりと掴めた。

 

「――オレは怖くなった……。ポケモンリーグにひしめく強豪達はみんなあれぐらいの才能の上に努力してる。そんな中に飛び込んでいくには、覚悟がいるんだ」

 

何ということはない。

アトリは、覚悟より恐怖が勝った。家庭の事情が絡まって複雑になっていただけで、結局のところ、それだけの話だったのだ。

 

「オレが失敗すれば、家族が路頭に迷う。借金生活の中で、唯一手放さずに済んだ。けどもし失敗すれば今度こそ、こいつらが路頭に迷う」

 

自分の限界を悟り、引退したトレーナーが自身の手持ちすら養えなくなって、手放してしまうというのは、よくある話だ。アトリやセレナもそうならないとは、誰にも断言できない。

 

「だから、自分を騙して確実な方法で養おうと、思った。それが『逃げ』だってことに気づかないふりして……」

 

アトリはずっと勘違いをしていた。

彼の負うべき責任とは、――家族を守ることだったのだ。父の残した借金を返済することは、責任を果たす為の手段でしかなかったというのに、いつの間にか手段が目的へと変わってしまっていた。借金を返すのに、人の手を借りることは恥だ。しかし、家族を守る為に人の手を借りる事は、決して恥などではない。

アトリは結局、つまらないプライドに固執して、自分で自分を追い詰めていただけなのだ。

 

確かに、こんな様じゃあ周りから見たら危なっかしくて仕方ねーよな……。

 

「それでも、それで終わりじゃないでしょ?」

 

そう言うとセレナは拳を高く、高く突き上げて声を張り上げた。

 

「『才能も、環境もカンケーねえ! 壊れない壁を前に言い訳を探してる暇があったらオレはそれを突破するために突き進む! ダメでも倒れるときは前のめりだ!』」

「誰の言葉だ?」

「昔のあなたの言葉よ」

 

驚いたようにセレナを見た。自分でも忘れていた過去の自分の無責任な言葉。

自分には必要ないと思って千切って捨てた気持ちをセレナは後生大事に拾い集めてくれていたのだ。思わず

 

「何も知らないガキが、偉そうにほざいていたか……」

 

広げた掌を静かに握る。

腕。足。膝。全身から力が漲ってくる。

 

「けど、今のオレよりずっとかマシだな」

 

瞳の奥に小さな、それでいてはっきりした篝火が灯った。

そうだ。そうだった。昔のオレはどうしようもなく馬鹿で、身の程知らずで、恐れを知らなかった。怖さを知ったアトリには、子供のころの様な向こう見ずな強さはもうない。それでも――『家族を守る』という、この小さくて重い責任を背負って突き進む強さは必要だ。

 

ぐだぐだ言い訳して一歩を踏み出せない者は、一生かけても何も変えられない。

 

「これからどうするの?」

「そうだな……」

 

しかし、アトリを取り巻く現状は何も変わっていない。稼がなくては、家族が路頭に迷う。

借金返済とは別問題としても、このカロス地方で暮らしていく為には、当面の生活費は必要だ。

 

「とりあえず、目標預金額500万!」

 

口に出して言うことで、自分の向かうべき方向を明確化させた。

500万円あれば、母と家のサイホーンの当面の生活は成り立つ。勿論、一時しのぎに過ぎないことはわかっている。母の収入も計算に入れて、3年といったところであろう。

だが、アトリが全力で走るための期間は出来る。自分とポケモン達だけなら、切り詰めれば何とかなる。3年全力で走って何ともならないのなら、プロとしてはやっていけない。

その時は潔く諦める。

捨てるのではなく、背負って走る。きっと、それが今、フワ・アトリという人間に必要な『強さ』なのだ。

 

「セレナ、先に行って待っていてくれ。オレは必ず後で追いつく」

 

セレナは何かを察したように、静かに頷いた。

 

「……チャンピオンになって待ってるから。だからアトリも絶対に追ってきて。私のライバルとして、不甲斐ないことしたら、承知しないから」

 

「約束」と言ってセレナは小指を差し出す。アトリは少し照れくさそうにしながら、自分の小指を差出して、固く引き結んだ。

 

「ところでセレナ、一つ言っておきたいことがある」

「なに?」

「デカカァァァァァいッ! 説明不要!!」

 

言うだけ言ってスッキリしたアトリだが、セレナには何のことかわからない。

視線を自身の胸部に落としてから、ボン! と赤面した。唇を『へ』の字に引き結んで、プルプルと体を震わしている。

 

「このセクハラ野郎!」

 

真っ赤にして突き飛ばそうとするより先に、アトリはさっさと逃げを打つ。

 

まず、自分の力量の小ささを認めよう。

その上で、少しずつでいい。自分に出来ることから、始めていこう。

 

頑張れ。頑張れオレ……。

 

きっとこれがオレのはじめの一歩だ。

いつだって止まった時間を動かすのは、前に進もうと足掻く意志なのだから。

 

 

 



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第12話 リーマン戦士・アトリ

 

 

1

 

「フェアリータイプ。近年発見された18種類目のタイプにつけられた名称。これの大きな特徴といえば、ドラゴンタイプに対して無効化・抜群をとれることだ。今まで猛威を振るっていたドラゴンタイプのお家芸『竜の舞から逆鱗』を躊躇させることができるのは大きな利点と言える。課題はこのフェアリータイプのタイプ相性のまとめとバトルでの運用法をレポートにして提出すること。期限は一週間後。何か質問はあるかい?」

「あ、あの……、先生」

 

一人の女子生徒が手をあげる。講義をしていたアトリは彼に発言を促した。

 

「今更な質問なんですけどタイプってなんなんでしょうか?」

 

クラス中から爆笑が巻き起こって質問した生徒は狼狽えた。当然と言えば当然かもしれない。ポケモンや技の一つひとつには備わっている『タイプ』と呼ばれる属性が備わっており、得手不得手があるポケモンバトルにおいてそのタイプ相性を正確に把握して運用することは基本にして奥義と呼ばれるほど重視されている。

そんなことはこのトレーナーズスクールに通う人間なら、誰でも知っている常識だ。

クラスメイト達の冷やかしの声に質問した生徒は必死に言葉を探すが、うまく言葉に出来ず、赤面して俯いてしまった。

 

「静かに。授業中だぞ」

 

見かねて三回ほど手を打つ。静かになったのを確認してから、そして質問した生徒の横まで移動した。

 

「どういう意味かな?」

「えっと……、新しく増えて……、それによって抜群だったものが……、今一つになったりとか、その……よくわからないっていうか……こう、もやもやしてて……」

 

しどろもどろになった言葉の切れ端を頭の中で補完する。彼女の言いたいことがなんとなくわかり、なるほど、と心の中で唸った。

 

「面白いところに目を付けたね」

 

やんわり肯定すると、質問した生徒は顔を上げた。

 

「ポケモンのタイプによる分類法を提唱したのはカントー地方の携帯獣研究の権威『オーキド・ユキナリ』博士だ。その人の論文には『タイプとは人間における免疫の様なものだ』と記載されている」

「めんえき……?」

「そう、免疫。一回おたふくになったら、二度と感染しないっていうアレね。わかりやすいように『ピクシー』を例に挙げてみようか」

 

教科書に記載されている妖精ポケモン『ピクシー』のページを開く。

 

「この『ピクシー』は5,6年前まではノーマルタイプに分類されていた。ノーマルタイプの弱点は?」

「え、えっと格闘タイプ、です」

「正解。当然、ピクシーを倒すのに格闘タイプのポケモン、もしくは技で臨むトレーナーは多いわけだ。だがある日、ピクシーに格闘タイプの技があまり効かなくなった。正確な原因は未だ研究中だけど、現在学会では『格闘タイプを受けすぎた為、格闘タイプに対する耐性が出来てしまったのではないか』っていう説が最も有力視されている。一度できた新種のタイプは適性のあるポケモンに広がるのが早い。それはコイル、レアコイルのときで実証済みだからな。ピクシーやクチートにも広まるのも時間がかからなかった。そうして出来たのが、フェアリータイプってわけだね」

 

教壇に戻り、一冊の本を取り出す。そして、質問した生徒の机に置いた。

 

「5年前の本だけどね、オーキド博士のタイプ分類法における論文が掲載されている。興味があったら読んでみることをお勧めするよ」

 

授業終了のベルが鳴り、アトリは教壇に戻った。そしてお決まりの台詞で閉める。

 

「今日の授業は終わり。次の講義は社会見学の後だから、1週間後だね。課題忘れるなよ」

「きりーつ、礼」

 

何人かのアトリに懐いている生徒がわらわらと寄ってくる。

 

「せんせー、今度のミアレシティへの社会見学は一緒に来るの?」

「非常勤講師だからね。センセはお留守番」

 

えー、とブーイングが起きた。

 

「今度の社会見学の行き先はミアレジムとプラターヌポケモン研究所だよ。先生も来ればいいのにー」

 

生徒の一人の言葉に思わず苦笑した。

働いているところを身内に見られるとか、どんな罰ゲームだ。

 

「それより気を付けろよ。最近、ミアレシティの辺りで偽札事件やら、ポケモン強盗とかが多くなってるから、防犯対策はしっかりな」

「せんせーまで親みたいな事言うなよー」

「先生は若者に小言を言うのがお仕事なのさ」

「若さに嫉妬してるの?」

「シャラップ、クソガキ」

「もっと丁寧に、生徒への愛をこめて!」

「お黙りやがってください、クソ御子息」

「せんせーのそういうノリのいいところ、嫌いじゃないぜ」

「ああ、そりゃどーも!!」

 

口の減らない子供達の壁をかき分けて教材をまとめて、足早に職員室へと向かっていった。次は工事現場のアルバイトだ。時間的には余裕はあるが、早めに現場入りすることが新人の礼儀だろう。

 

「学長、抗議終わりましたー!」

「ご苦労様。お茶でもどう?」

「すみません、すぐに現場に行かなきゃいけないので」

 

アトリは今、週三回でハクダンシティのトレーナーズスクールの講師と工事現場のアルバイトを兼任していた。3か月前にアサメの小道で行ったセレナとのポケモンバトルをこのスクールの理事長が観戦しており、トレーナーとしての腕を見込まれて講師にスカウトされたのであった。

因みに時給はそんなに良くない……。

 

「ごめんなさいねえ。このスクールの経営状態がもう少し安定すれば、貴方を正式に雇い入れることだって出来るのに……」

「いえ、非常勤講師てしてでも雇ってくださったこと、本当に感謝しています。僕は目標金額を貯めたらポケモントレーナーとして旅に出ます。その時に自分の持っている戦略論が古くなっていては意味がありません。ここで働いていれば、資金を貯めつつ、最新の戦略を学ぶことができますしね」

「生徒たちの中での貴方の評判、すごく良いわよ。親しみやすくて、講義もわかりやすい。戦略論も交えたポケモンバトルの実戦訓練も積極的に行ってくれるいい先生ですって」

「あ、ありがとうございます」

 

ここで働き始めてからアトリは今まで以上にポケモン関係の論文や戦略論を貪り読むようになった。そしてその中で培った知識が授業で生きてきているのは、肌で感じている。

だが、その努力は、あわよくば成長した生徒に自分の練習台にしよう、という打算込みで、決して生徒たちの将来を慮っているわけではない。それゆえに素直に評価を受けとることに抵抗があった。罪悪感と照れでアトリは居心地が悪くなり、わざとらしい動作で時計を見る。

 

「それじゃあそろそろ失礼します!」

「これ持っていきなさい」

 

投げ渡された物をキャッチする。缶コーヒーだ。

 

「ありがとうございます!」

「気を付けてねー」

 

学長の激励を受け、走り出す。ハクダンシティから北へ15分。今日の現場は4番道路パルテール街道。完全なる調和を目指して作られた庭園。

中央に設置されたペルルの噴水。両端のタッツーの像が中央のパールルを称えるように水のアーチを描いている。テーマは『受け入れ調和を生み出すこと』であるそうなのだが、芸術方面の感性がガッカリな人であるアトリには残念ながらただの噴水だ。

今日の仕事はこの噴水のパイプの修繕工事だ。

毛むくじゃら、腹巻、口ひげの三拍子揃った先客に気さくに手を挙げて挨拶する。

 

「お疲れ様です。オヤカタ、今日もよろしく!」

 

『オヤカタ』と呼ばれたオッサン――もとい、穴掘りポケモン・ホルードは長い耳でアトリとハイタッチして引き続き現場の準備に取り掛かった。

カロス地方にはアトリの知らないポケモンが多く、実に新鮮だ。特に『ホルード』の進化前があの愛らしい『ホルビー』だと知ったときは衝撃を受けたものだ。

……可愛らしさにつられて育てた生徒たちのトラウマにならないか心配なアトリであった。

 

「こら、アトリ。オメー、ワシのポケモンに勝手にあだ名を付けんじゃねえ」

「すみません、監督。このホルード見たら、もう普通に『オヤカタ』って名前がパッと思い浮かんで――――これはもう、オヤカタって呼びますよね、呼ぶしかないでしょ!! ああ、監督メチャクチ呆れた顔してる!」

「…………、クソバカなこと言ってねえでさっさと仕事に入れッ!」

「押忍ッ!! フワ・アトリ、仕事に入ります!!」

 

監督の指示に敬礼で応え、挨拶して現場入りした。

ヘルメットを被りツルハシを持って既にホルードが掘った穴の中に入る。

 

「おーう、アトリ来たか。今日も頼むぜ」

「ッス! 今日もよろしくお願いしまっす! どこを掘ればいいですか?」

「そっちの方がまだ手つかずだからそっちを頼む。わかってると思うが水道管ぶち抜くなよ」

「了解です。それじゃあメーリさんのひ・つ・じ!」

 

調子外れに動揺の1フレーズを口ずさみながら、メリープを繰り出した。尻尾の先端についているライトで穴の中を照らし出す。堅そうな地面を見て、ニヤリと気味の悪い、えげつない笑みを浮かべた。

 

「金ッ! 稼がずにはいられないッ! わ――ッははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!!」

 

ちょっとイッちゃってる馬鹿笑いを響かせながら、ガスガスガスガス!! と、固い地盤でもお構いなしにどんどん掘り進んでいる。

シンオウ地方の地下通路での労働を経て獲得した労働で鍛えあげられた並外れた怪力と底なしのスタミナがあってこそなせる技だろう。

前向きメンタリティを取り戻したアトリには、もともと高かった基礎能力に加え、やる気でブーストがかかっている。今のアトリは水を得た魚だった。

それがバトルのナビゲーターたるポケモントレーナーとして必要な能力であるか、どうかは定かではないが。

 

アタシ、本当にこれに着いていって大丈夫なのかな? と、主人の乱心ぶりに呆れたように深いため息をつくメリープであった。

 

2

 

「ふむ」

 

監督は三面六臂な彼の働きぶりを見て感心したように鼻を鳴らす。

口には絶対に出さないが、監督はフワ・アトリを高く評価していた。

近頃は夢を語りながら、ただ『夢を見るだけ』という楽なスタンスから一歩進まない者が多い。そして、一歩を踏み出せない臆病者が、夢を目標と言い換えて前進する者を『馬鹿な奴』と指さして嘲笑うのだ。監督はそういった人間に対して苦いものを感じていた。

だが、この少年は逆境をものともせず、実現のために研鑽を怠らない。

トレーナーズスクールで講師をして、給料は多いが危険で辛い土木作業に必死に食らいつき、帰った後もポケモンとのコミュニケーションと戦略の研究を怠らない。

働きながらも、目標に向かって前進する。言うは易いが、相当な覚悟と強い意志を持たなければとてもできないことである。

不意に昔読んだことのある漫画の1フレーズを思い出した。

 

「『努力した者が全て報われるとは限らない。しかし、成功した者は皆すべからく努力している』か……」

 

監督はポケモンバトルに関しては門外漢だ。トレーナーとしての『資質』とは何を指すのか、さっぱりわからない。だが、そんな彼にも一つはっきりとわかることがある。

もし、彼に才能があるとすれば、それは間違いなく『努力し続ける才能』なのだ、と。

そんな彼だからこそ、周りの人間はみんな彼を認めるのであろう。

勿論、そんなことは絶対に正面きって本人には言ってやらないが。

 

3

 

労働の汗というのは素晴らしいものである。それは労働に喜びを感じる者なら共通して抱く認識であろう。

 

「ぐふ、ぐふふふ、ふふふふふふ……」

 

そして、労働の対価として支払われる金には、それを上回る素晴らしさがある。

預金通帳を眺めながらハクダンの森の曲がりくねった道を障害物にぶつかることなく歩いていた。ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべるアトリの眼は『¥』マークになっており完全に不審者である。

土木の仕事は給料がいい反面、危険と体への負担が比例して大きい。

給料の良さにつられて応募して3日で逃げていく若者が多い中、3か月続いているアトリはどうやら珍しい存在らしい。確かにここに限らず、仕事は辛いが、その分実入りは大きい。

それにこの3カ月間、トレーナーズスクールとの兼任で真面目に勤め上げて預金通帳の額が80万を突破した。母もサイホーンレースの教室を開き始めて、徐々にだが軌道に乗ってきている。母であるサキが伝説的なレーサーだということも大いに関係しているのであろう。このペースでいけば、2年以内に旅立つことが出来そうだ。

それに一度馴染めば周りの人の雰囲気が良く、働きやすい職場だと思う。正直腰掛けとしてしまうには惜しいくらい。そう思えるくらい、良い人たちに巡り合えた。

自分には壊滅的に運がないと思い込んでいたが、自分の対人運だけは捨てたものではないようだ。

 

「さて」

 

あまり通帳を剥き出しで持ち歩くのは褒められたことではない。

もっと通帳に記帳された額をもっと眺めていたい、という名残惜しさの首根っこを押さえこみ、上着の内ポケットの中に仕舞い込む。その拍子に懐に入れていた『万が一』いうときの為に取っておいてある1万円札が落ちた。

慌てて拾おうとすると、風に流されて1メートルほど先に移動する。

軽い足取りで一歩跳び、屈みこんだら、更に強い風が吹き一万円札を攫っていく。

 

「ムックル頼む!」

 

モンスターボールから飛び出したムックルは風に舞う一万円札をチャッチしてとんぼ返りしてくる。

一万円札を受け取って懐にしまい、腕を差し出す。ムックルは羽をパタパタさせて舞い降りた。

 

「ムックルモフー」

 

手に止まったムックルを引き寄せてモフモフの羽毛を堪能する。

アトリはロコンの毛やメリープの羊毛とはまた違う、鳥ポケモンの心地のいい柔らかさが好きだった。

 

ぴゅるるるる。

 

甘えた声を出すムックルが愛おしくて、指で頬をくすぐると「やめろよー」と、嫌がりながら満更でもない声が聞こえてくるようである。

もう少し一緒に遊んでいたいが、そろそろ腹の虫の自己主張が激しくなってきたので、ムックルを肩に乗せて帰路につく。

そろそろハクダンの森を抜ける地点に達したところで、アトリは顔をしかめた。

視線の先には散乱したモンスターボール。そして、疲れ果てて膝をついている生徒の姿があった。昼間のタイプ相性について質問してきたあの子である。

『ジョゼット・ジョースター』。それが彼女の名だ。

出席簿で名前をみた瞬間、「何するだァーッ!」というセリフと「親、狙ってるだろ!!」というツッコミが脳裏を過って笑いを堪えるのに必死になったことは記憶に新しい。

 

まあ、それはそれとして――

 

それにしても意外だった。彼女は昼間の授業からわかる通り、他に人間にはない視点から、思わぬ質問をぶつけてくる慧眼の持ち主だ。だが、その反面、引っ込み思案で自分からアクションを起こすことが少ない。そんな彼女がこんなところで何をしているのか。

立ち止まって様子を伺うと再び野生のポケモンが飛び出してきた。

緑色の体に、ひょうきんな表情をした草猿ポケモン・ヤナップである。

ジョゼットはヤナップの動きに合わせてモンスターボールを投げる。

ヤナップは、パシュッ! と音を立てて一旦ボールに収まるも、モンスターボールを破壊して外へ飛び出してきた。そのまま木に飛び移り、ジョゼットを馬鹿にしたように笑うと、そのまま森の奥へと姿を消してしまった。

 

「ハア……」

 

ジョゼットは疲労で膝に手を突く。すでに疲労困憊しているようで肩で息をしている。

 

少し離れて様子を伺っていたアトリは両目を手で覆い空を仰いだ。

下手すぎる。

まず『弱らせてから捕獲する』という基本中の基本すらなっていない。

ボールコントロールも甘すぎる。あれでは「逃げてくれ」と言っているようなものだ。

 

「オレには関係ないな」

 

そう嘯いて踵を返す。

アトリが講師の時間は16時までである。ただでさえ疲れているのに金にならないサービス残業など絶対にお断りだ。

 

「まだまだ!」

 

背中越しにそんな声が聞こえてくる。

スクールでは聞いたことのない声だった。彼女はいつだっておどおどしいて、蚊の鳴く様な声で怯えながらにしか話さない。そんな子供が、これ以上ない強い意志を示している。

 

もしかして彼女は怯えず話す環境さえあれば、化けるのではないだろうか?

 

進めていた足をピタリと止めて一考する。

 

ちゅい?

 

肩に止まっているムックルが「どうしたの?」と言わんばかりに首を傾げた。

 

「ま、練習台は育てておくに越したことはねえよな」

 

――それは誰に対する言い訳だい?

 

僅かな偏頭痛と共に聞こえてきた幻聴を聞こえない振りをしてやり過ごして、ジョゼットの方へと戻っていった。

 

 



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第13話 ジョジョの微妙な冒険

1

 

光と影。表と裏。正と負。

物事は大まかに分けて2つの種類の見方が出来る様になっている。このハクダンの森もそうなのであろう。

日中は差し込む柔らかな陽光とおだやかな空気によって森林浴スポットとして人気が高いこの森も、夜になると何か良くないものが潜んでいそうな不気味な雰囲気に包み込まれる。

3カ月ほど前にも、この森に潜んでいた凶暴なポケモンが新人トレーナーを襲撃したという事件があった。

ジョゼットは奥行きのある深い暗闇に、ごくりと息を飲んだ。

清濁併せて全てを覆い隠してしまう闇は怖い。だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

ほんの5時間ほど前、両親から『トレーナーズスクールを退学しては?』と打診された。ジョースター家はかつてカロス地方を総べていた『王』に仕えていた所謂、やんごとなき家柄であり、ジョゼットはそこの令嬢だ。

『いいですか、ジョゼット。ポケモントレーナーの様なヤクザな仕事よりも、ジョースター家に相応しい立派な淑女になるのですよ』

それが母の口癖だ。

『君には向いていないね。ジョースター家に相応しい人を見つけて家庭に入った方がいい』

それが、ジョゼットに大して興味を持っていない父の弁だ。

 

だが、ポケモン好きの彼女は、ポケモントレーナーになりたかった。

当然、トレーナーズスクールに入学した時も、相当揉めた。あれほど親に――というより主に反対したのは母親だが――逆らったのは生まれて初めてだった。

その結果、勝ち取った『5年間の自由』。

しかし、現実は非常だった。トレーナーズスクールに入学して思い知らされたのは、自分の小ささ。非才さであった。

座学は得意だったが、肝心の実技がへっぽこだった。致命的なまでの運動音痴。

反射的な判断力の無さは我ながら救いようがない。その上、地元の名家の人間だということも手伝ってか、イジメとまではいかないまでもクラスの中で孤立してしまっていた。

 

これ以上は無駄だろう。

 

それが、両親が下した判断だった。身にならないことに労力を費やすよりも、花嫁修業を始めなさい、と。

勝手に自分の限界を決めつけられて、将来のレールを引かれてしまったことが、どうしようもなく悔しかった。

 

足元に散らばった壊れたモンスターボールを見回した。

もう3時間ほど捕獲を試みても成果は芳しくない。

頑張っても、頑張っても――未だにポケモンは捕獲できない。

 

それでも、だとしても――。

ジョゼットは息を整え、頬を伝う汗を乱暴に拭って、俯いた顔を上げた。

例え資質がなくても、今こうしていることは、紛れもなく自分自身の意思だ。

その思いを両親にわかってもらう為にも、ジョゼット・ジョースターの本気を見せつけなければならない。

 

モンスターボールを構える。残りはあと3つ。

それが尽きたら、一度ハクダンシティのポケモンセンターに戻ってモンスターボールを補充しなくてはならない。

 

「まだまだ!」

 

柄にもなく大声で気合を入れ直す。母がいたら『はしたない!』と言っただろうか。

 

不意にガサリ、と背後の草むらが揺れた。

 

野生のポケモンだろうか。そう思い、振り向こうとしたが、ガサ! バキッ! という枝を踏み抜いたような音を聞いて身を固くする。

この森にはあんな足音をたてるほどの大きなポケモンは生息していない。

ということは、後ろにいるのは人間。

 

『いいですか、ジョゼット。最近は物騒になってきましたからね、夜に一人歩きはなりませんよ』

 

母の言葉が脳裏を過る。

ジョゼットの年齢は11歳。しかし、世の中には『だからこそいい!!』と宣うような特殊な性癖の男がいることも知っている。そのことがジョゼットの危機感を煽り立て、正常な判断能力を奪っている。

逃げ出したくても、足が震えて動かない。

 

「おい、夜の森で1人いると危な――「イヤですッッッ!!」

 

肩に手を置かれた瞬間、理性をかなぐり捨てて、握り拳を目一杯握って力の限り振り抜く。

僅かに遅れて背後にいた人物の顔を見て、驚愕のあまり目を見開いた。

視線の先に居たのはつい最近、トレーナーズスクールの非常勤講師に就任した教師だった。

かろうじてジョゼットの一撃をガードしていたものの、突然のことに目を白黒させている。

肩に乗っていたムックルは怒りで羽をパタパタさせ、ビビビビビビビッ!! とジョゼットを思いっきり威嚇していた。

 

ジョゼットの頬に冷たい汗が流れる。

 

言えない……! 痴漢と間違えたなんて、そんな失礼なこと絶対に言えないッ!!

けど、今思いっきり『嫌』って……!

 

2

 

――『嫌』!? そんな拒否られるほど、オレ何かしたっけか!?

 

気まずい空気の中、双方の心の叫びがぐるぐると交錯する。

耳元で思いっきりジョゼットを威嚇しているムックルの頭を押さえて静かにさせる。

 

「で、こんなところで何してるんだ?」

 

先ほどの『嫌』発言は気になるが、いつまでも貝のように押し黙っていても話は進まない。

状況を進めるべく、溜息をついてから口火を切った。

何をしていたかは明白だが、会話にはとっかかりが必要なものである。

 

「え、えっと、その……ポケモンを、捕まえてて……」

「こんな時間に? 明日でいいだろう」

「それじゃダメなんです!!」

 

大声が森に反響して、我に返る。

 

「ご、ごめんなさい……。はしたないところを……」

「いや、気にしてないよ」

 

しばらく、落ち着かないように右往左往していたが、やがて意を決したように、アトリの眼を真っ直ぐ見据えた。

 

「……本気だってことを、示さなきゃいけないんです」

 

『何が何でも引かない』と語っていた。アトリはしばらく彼女の意思を推し量るように黙して語らなかったが、やがて口角を吊り上げて鼻を鳴らした。

まいった、真剣な人間にはどうにも弱い。

 

「ムックル」

 

アトリの呼びかけにムックルは「ちゅい?」と首を傾げた。

 

「ジョゼットにちょっと力を貸してやってくれ」

 

ムックルは膨らんで揺れる。この仕草は鳥ポケモンが不服を訴えるときのサインだ。

 

「頼むよ」

 

ムックルはやや不服そうにしながらも、飛び上がり旋回してジョゼットの頭上にとまる。

尾を左右させて「よろしく」と挨拶した。

 

「いいんですか!?」

「というか、」

 

辺り一覧に散らばったモンスターボール。その数は20を軽く越えるだろう。

モンスターボールの単価は200円。200×20=4000円を消費して成果をあげられないということになる。

4000円の損害。他人事ながら考えただけで胃に穴が空きそうだ。

 

「嫌かもしれませんが、協力させて下さい!」

「いやだなんてそんな! えっと、すみません。さっきの『嫌』は、えっと……痴漢と、勘違いしてしまって……」

「痴漢!? ちょっと待て! テメエ、オレを痴漢と間違えやがったのか!?」

「ごごごごごごめんなさい――――ッ!!」

 

穏やかな教師の顔から突如チンピラの様な粗暴な言葉づかいに変わり純粋培養のお嬢様であるジョゼットは面喰ったのであった。

 

3

 

ポケモンの捕獲はポケモントレーナーに必須の技術ではあるが、その難易度は地味に高い。

そこそこ腕のあるトレーナーなら、『当て所』と呼ばれる部位に当てるだけで無傷で捕まえることも可能である。

携帯獣。ポケットモンスターを捕まえるモンスターボール。

カントーの『赤門』タマムシ大学の老教授が発見した『ポケモンは衰弱時に縮小し、狭いところに隠れる』という特徴を踏まえて開発されたモンスターボール。

直径20cmのそれを30㎝~60㎝の動く標的に的確にヒットさせるのは結構な高等技術である。

残念ながらジョゼットにそれを出来るだけの技量は備わっていない。

ならば、彼女のやることは一つしかなかった。

 

「ムックルに指示を出して弱らせる。まずはそこからだね」

 

ポケモンは弱らせてから捕まえろ。

これはポケモントレーナーの間では既に合言葉になっている。

だが、弱らせすぎてもいけない。衰弱しすぎると、ポケモンは肉眼で捉えるには難しいほど縮小してしまいモンスターボールを当てるどころではなくなってしまう。

 

「難しそうです……」

「大丈夫だよ。ムックルはこう見えて相当な実力派だ。匙加減は心得ているさ」

 

チッチッ、ピュールリ♪

 

アトリの言葉に気を良くしたムックルは肩に乗り耳を甘噛みする。

鳥ポケモンは噛む力が強い為、非常に痛い。

 

「それじゃあ行こうか」

「はい」

 

ムックルの若干バイオレンスな愛情表現もほどほどに草むらを選り分けてターゲットを探していく。しばらく探し回っていると、黄色い小さなポケモンが2人の視界に入ってきた。

 

「見っけ」

 

電気ネズミの『ピカチュウ』。その愛らしい容姿と捕まえやすさで世界中で人気を博しているポケモンだ。一般では野生のピカチュウは気難しいとされ、ペットにする場合はブリーダーが卵から孵したものが取引されているという。

木の実を齧っていたピカチュウはこちらに気がいたようで、こちらを警戒するようにじっと見つめてきた。

 

「あ、初めまして。よろしくお願いいたします」

「なんでやねん」

 

律儀にお辞儀して応じたジョゼットに思わずツッコミをいれた。

だが、アトリのツッコミを他所に、野生のピカチュウは円らな目を丸くしたかと思うと、更に律儀にお辞儀を返してきた。

 

嘘だろ。こんな珍光景見たことがない。

 

「はい、お互い正々堂々闘いましょう」

 

おかしい。アトリの知っている野生のポケモンとのバトルは『屈服させるか、させられるか』のもっと殺伐としたものだったような気がする。

 

なんだ、この和気藹々とした空気は?

 

若干混乱気味なアトリを置いてけぼりにして、彼女とピカチュウはお互い距離をとった。

 

「ムックルさん、お願いします」

「ビビビッ!!」

 

旋回して飛び回るムックルととてもいい笑顔のピカチュウはお互い向かい合う。

そして――

 

「『体当たり』です!」

 

ムックルが正面から地上のピカチュウに突撃する。だが、一直線すぎるその動きはピカチュウに見切られ、跳び箱の要領で上を飛び越される。着地と同時にすかさず電気ショックがムックルに撃つ。電撃はムックルに直撃し、飛行のバランスが崩れたがすぐに持ち直した。

 

「あ、え……えと、えっと……」

 

ムックルの方は落ち着いているが、今のでジョゼットの方が相手にのまれてしまった。

動揺して浮足立っており、ポケモンに次の指示を送ることすら忘れている。

 

「落ち着け。ムックルはまだまだいけるからガンガン行け!」

「は、はい! ムックル、もう一回『体当たり』です!」

 

空中で飛び回っているムックルと目が合う。アトリは2度、人差し指でコメカミを叩いた。

 

「ピギャギャッ!」

 

ムックルは頭部を上げてピッチアップ、ピカチュウの頭上から『体当たり』を繰り出す。

スピードを乗せた当身はピカチュウの頭部を的確に捉えた。ダメージを受けたピカチュウは目を回しているのか、動きがフラフラしている。

 

「ジョゼット、今を逃すな! モンスターボールを!」

「は、はい!」

 

アトリの指示でジョゼットはカバンの中から空っぽのモンスターボールを取り出して、投げつける。ボールはピカチュウの手の先に当たり、一旦中に収まるが、すぐに破壊して飛び出してくる。ピカチュウは木に登ってこちらの様子を伺った。

 

「逃げる気だ! ムックルに指示を!」

 

「は、はい! ムックルさん、お願いします!」

「ビビビビビビビッ!」

 

ジョゼットが指示を出し終わる前にムックルはピカチュウの退路を塞ぎ、威嚇する。

驚いたピカチュウは木から落ちた。眼を白黒させているそばから、ムックルは上からマウントポジションを取りピカチュウを押さえつける。

 

「チャ、チャンスです!」

「待て!」

 

モンスターボールを投げようとするジョゼットを制した。

 

「コントロールが良くないんだ。もっと距離を詰めろ!」

「はい!」

 

指示通り、ジョゼットはムックルとピカチュウが格闘しているすぐ傍まで走って移動してモンスターボールを構える。

 

「投げるときに肩の力を抜け! 最後まで標的をよく見ろ! ピカチュウの動きをよく見て――」

 

一歩踏み込み、テイクバック。力を貯めて――

 

「――思いっきり投げろ!」

「はいッ!」

 

返事と同時にモンスターボールを投げる。ピカチュウの動きを抑え込んでいたムックルはボールのあたるタイミングを計り、ギリギリまで引きつけて飛び上がる。

ボールはピカチュウの頭部の房に当たり、中に吸い込んでいく。

 

ボールが揺れる。

お願い。

ボールがもう一度揺れる。

お願い……!

ボールが更にもう一度揺れる。

 

「お願い、捕まってッ!」

 

カチッ! と。

ポケモンがボールに定着する音が聞こえた。

 

「…………、やった?」

 

信じられない、といった表情で一歩。また一歩と、ボールに近づき拾い上げた。

 

傍で見ていたアトリは小さくガッツポーズをしてから、胸を撫で下ろした。

自分が捕獲を試みるよりも心臓に悪い。

 

「ピピピ、ピューイ♪」

「お疲れさんムックル。よく働いてくれたな」

「チュイチュイ♪」

 

肩にとまったムックルにオレンの実を差し出す。差し出した実は嘴で啄まれ、あっという間になくなってしまう。

 

「ジョゼットもよく頑張――」

 

言いかけてアトリとムックルはギョッとした。

ジョゼットがモンスターボールを抱えて泣いているのだ。

 

泣くほどのことか? そう言いかけてやめた。

あのボールの残骸の数からして、相当長い時間、薄暗いこの森で頑張ってきたのだ。

 

ポケモントレーナーとしては本当に小さな一歩だ。だが、ジョゼット・ジョースターにとってこの一歩はとてつもなく大きい一歩になるに違いない。

ハンカチという気の利いたものを持っていないアトリは黙って彼女が泣き止むのを待っていた。

 

3

 

夜道に伸びる影二つ。

ポケモンの捕獲を終えたアトリはジョゼットを送り届けるべく、彼女の家のあるハクダンシティまでとんぼ返りしていた。横ではジョゼットが後生大事にモンスターボールを抱いて横に並んでいる。

 

「なんだか、先生には助けられてばかりの様な気がします」

「気にするなよ。生徒を助けるのはセンセのお仕事だからな」

「…………仕事、ですか」

 

ジョゼットは小さく溜息をつく。

 

「どうした?」

「いえ、なんでもありません。あ、家はここです!」

「おおう……」

 

三階建て。瀟洒な外観。噴水や池まで完備している広い庭。

豪邸だ。まごうことなく豪邸だ。あまりの豪邸に圧迫された。

 

「先生、どうしたんですか」

「いや、格差社会の理不尽さにちょっと……」

「え?」

「いや、何でもない」

 

クソ、金持ちめ! と心の中で毒づきながら、平静を保つ。

今のアトリは『教員』なのだ。自分の立場に準じた言動をしなくてはならない。

 

「それでは、送って頂いてありがとうございました」

「あ、ちょっと待て。最後に言わないといけないことがある」

 

呼び止められて足を止めた。

 

彼女の感動に水を差してまで、言うべきか、言わざるべきか。

少し迷った。だが、ジョゼット・ジョースターはもうただの子供ではない。

彼女は今日そうなったばかりとはいえ、自分と同ランクのポケモントレーナーだ。ポケモンと関わっていく上で、知っておくべきだと最終的に判断した。

 

「君は野生のポケモンがモンスターボールで捕獲されるとトレーナーの言うことを聞く様になるのは何故か、知ってるか?」

 

アトリの突然の問題提起にジョゼットは心臓を掴まれたような気分になる。

激しい動悸を感じながらも、ジョゼットは首を左右に振った。一年程前、『ポケモンの解放』を謳いイッシュ地方全土を震撼させた秘密結社『プラズマ団』。彼らの事件がニュースで流れてから、『モンスターボールとはポケモンの意思を縛る道具ではないか』という疑問が鎌首をもたげることは何度かあった。

しかし、その疑問の答えを調べることはなかった。……いや、怖くて答えを知りたくなかった。

 

「それはな、ポケモンがトレーナーに対する序列を設けているからだ」

「序列……? モンスターボールにポケモンを従わせる機能が付いているんじゃなく?」

「安心していい。モンスターボールにそんな機能はないよ」

 

ジョゼットの疑問に笑って返す。

 

「ポケモンは頭がいい。だけど、それ故に自分より下と見なした人間の言うことは絶対に聞かない。ポケモンをボールに収めた瞬間、ポケモンの中でトレーナーの方が序列が上だ、というヒエラルキーが出来上がる」

 

屈伏させるか、させられるか。

ポケモンとの『絆』や『友情』、『共存繁栄』を語っておきながら、その実態はなんとシビアなものか。

 

「……私たちトレーナーはポケモンを縛っているっていいたいんですか?」

「ある意味ではそうなる。けど、それだけじゃない」

「と、いいますと?」

「『屈服』によってポケモンは一時的にトレーナーを『仮の主人』と認識する。だけど、トレーナーが自分の親として相応しくないと判断したら、途端にトレーナーの言うことを聞かなくなる。だからこそ、ポケモントレーナーには『精神の成長』『自分の力を示す』『絆を深める』などの心構えがないといけない」

 

ポケモンの奥底に眠る闘争本能を満たすために甘やかさずに鍛え上げる。

ポケモンと積極的にコミュニケーションをとり絆を深める。

ポケモンを苛烈に扱って見放される。

多種多様な未来があるが、全てはこれから次第なのである。

 

「ポケモンは人を選ぶ。なら、ポケモントレーナーは、自分のポケモンが付いていきたくなる奴であるべきだ」

「……私にも、出来るでしょうか?」

「それを決めるのも、これからの君次第だよ」

 

まるで自転車の補助輪を外すように、やんわりと突き放す。

 

ああ、そうか。この人は自分で考えろって言いたいんだ。

 

ジョゼットはモンスターボールを投げて、ピカチュウを外に出す。

近付き、膝を付いて眼を合わせた。

ピカチュウは不思議そうに、ジョゼットの眼を見つめ返す。

 

「これからよろしくお願いしますね。ピカチュウさん」

「ピッカ!」

 

――こちらこそ!

 

そんな声をアトリは聞いた気がした。

 

あ、なんか頭痛ェ……。

 

 



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第14話 明日、晴レルヤ

 

 

1

 

ジョゼットを送り届けて、アサメの小道を通り抜けて家路につく。

思ったより遅くなってしまった。時計の短針は既に10を指している。

昼はスクールの講師。夜は体力の消耗の激しい土木作業。

その上、余計な仕事まで抱え込んでしまい、疲労はかなり蓄積されている。

 

「サービス残業なんて慣れないことはするんじゃねえな」

 

皮肉気な口調とは裏腹に、わだかまりなく笑っていることに、アトリ自身、気づいていない。

明日は休みだ。少し長めに睡眠をとって、午後から22番道路まで足を延ばしに行くつもりである。

22番道路。デトルネ通り。

ハクダンシティとポケモンリーグを繋ぐ道路であり、修行の為集まるポケモントレーナーが多い。

ブランクを埋めるためには実戦が一番。

そして、その中で自分自身の力を計り、現状を知っておくことは重要だ。

とはいえ、負けるつもりなど毛頭ない。アトリは『勝つため』にバトルに挑むのだ。

既に走り出しているセレナと、スタート地点にすら立てていないアトリとで差が出るのは仕方ない。

だからこそ、その差を埋める為の努力は怠れない。立ち止まっているアトリが、上を目指すことを辞めてしまえば、今度こそ自分の『夢』は『夢』のまま終わってしまう。

一度はアトリが捨て、セレナが大事に拾い集めてくれた大切な夢だ。

もう二度と、手放しはしない。

 

恐れはある。今の生活は心身的な負担もかなり大きく、いつ潰れてもおかしくない。依然、状況は厳しいままである。

だが、同じ夢を追う仲間がいるから頑張れる。

陳腐で使い古された台詞だが、悪くない。

 

「たっでえまー」

 

今夜はディスクに保管してある『グリーンVSレッド戦』を見て士気を高めよう。

そう思い、ややテンションが上がった状態で自宅のドアを開いて飛び込んできた光景を前に浮かれた気持ちは木端微塵に粉砕された。

忘れもしない。3か月前、アトリに大きな爪跡を残した獅子を思わせる赤頭。

唯一違うところと言えば、服装がファー付き黒スーツではなく、裸エプロンだったのだ。

 

もう一度言おう。『裸エプロン』である。

 

あまりにショッキングな光景に、顎が外れるぐらい驚いているアトリを他所にフラダリは優雅な動作でカップにコーヒーを注いでいく。

 

「どうぞ」

「ありがとう。いただきます」

 

そう言ってサキはコーヒーの香りを堪能しながら一口飲み込んだ。

 

「美味しい」

「趣味で経営しているカフェで出しているオリジナルブレンドです。ミアレシティに立ち寄った際には是非とも来てください」

 

会話だけ聞いていればまともだが、その光景に裸エプロンの社長がいるというだけで、筆舌に尽くしがたいものへと変貌してしまう。如何せればいいかわからず、立ち尽くしているとフラダリと目があった。

 

「おかえり。ご飯にするかね? お風呂にするかね? それとも、私にするかね?」

「それは勿論、お・ま・え――――ッてバカァ! 何、気色悪い事やらせるんですか!!」

「シンオウではこれが正しい出迎え方だと聞いている」

「何その間違ったシンオウ知識!? 誰から吹き込まれたんですか!?」

「プラターヌくんからだが?」

「………………………なんか、すみません……」

「気にすることはない」

 

それにしても、こんな明らかに間違った知識を鵜呑みにするとは……。

 

「真面目かッ!!」と叫びたい衝動に駆られるが、事の発端が自分の身内だけに強くは出れない。アトリの胃が痛む。

 

「因みに誤解しているようだから言っておくが……今の私の格好は裸エプロンではなく、海パンにエプロンだ」

 

エプロンを脱いで、あったらいけない部分にカエンジシ♂の飾りつけのなされている赤いブーメランパンツをアピールするフラダリ。

アトリの胃はメルトダウン寸前であった。

クールに燃える炎のような男。それがフラダリへの第一印象であったが……180度どころではない。もうすでにどの角度にもっていっていいのかすらわからない。

 

「大して変わりませんよ! 自分の家にそんな海パンはいた変態がいるってだけで僕のストレスがマッハなので、早く服を着ていただけませんかね!!」

「アトリ! お客様になんてことを言うの!」

「母さんも母さんだ! この人の奇行をどうして止めないんだよ!? こんな変態と二人っきりってご近所に知られたら下世話な噂を立てられて主婦の井戸端会議の肴にされんだろうがッ! 大体母さんは昔から警戒心ってモンが――「やー、サキさんいいお湯でした」

 

風呂場の方から出てきた水で湿ったワカメこと、叔父のプラターヌの姿を確認して固まる。

そして、勝手に冷蔵庫を開けてアトリが大事にとっておいた苺牛乳を勝手に飲んでいる男への対応を決めて、無言でロコンを繰り出した。

 

「撃て。よく狙って撃て。家具の修理代はあの野郎に弁償させるから構わず全力で撃て」

「わーっとっとと! 落ち着いて、話し合いのテーブルにつこう! 紳士なら誰でも知っている紳士協定だよ!?」

「ああ、わかった。話を聞こうか。アンタをぶちのめした後でなッ!! つーか、テメー、母さんにナニをしたァァァッ!!!」

 

逃げるプラターヌを追い回すアトリ。ロコンも悪乗りして一緒になってプラターヌを追い回しているものだから始末に負えない。

その様子を見かねたサキが財布から小銭を取り出して投げる。

 

「100円ッ!!」

 

チャリーンという音と同時にアトリはプラターヌを追うことを辞め、1にも2にもなく床に落ちた小銭にルパンダイブする。拾った小銭を眺めてアトリはニタリと笑った。

一拍遅れて、動きを真似たロコンがアトリの頭部に着地する。

ロコンの標準的な体重は9.9㎏。意外に重いのである。そんなものが勢いよく乗りかかってきたら当然待っているのは――――

 

ドスン!! という音が部屋に響いた。

 

2

 

「これを見なさい」

 

客人への無礼を働いた罰として正座させられているアトリの目の前に一枚の紙を差し出した。

大きなコブを摩りながらアトリは訝しげな表情をしながら、紙を受け取った。

 

「講演会の依頼……?」

「その通り。私は私の思う美しい未来へ進むための道筋を模索している。今はまだ見えないが、輝かしい明日の為にはまず、良き隣人との相互理解を深めることは重要だ。その手段としてサイホーンレースの生ける伝説『フワ・サキ』選手に講演会を開いていただきたいと考えて無礼を承知でお邪魔させていただいた次第だ」

「それでどうしてあんなふざけた格好になる必要があるのか、理解に苦しむのですが」

 

棘のある口調で蒸し返し、サキが軽くアトリの頭を叩く。

だが、ほんの軽い皮肉を流さずフラダリは真剣に考え込むそぶりを見せた。

 

「むぅ……、あれはあれで決まっていたと思うのだが……」

 

からかっているのか? と一瞬思ったが、フラダリの真剣な表情をみて思い直した。

コイツ、マジだ!!

戦慄するアトリの肩にプラターヌはそっと手を置く。

 

「フラダリさんは文武共に文句なしに一流なんだけどね、昔から服装のセンスだけは本当に残念なんだよ」

「スーツのセンスはいいのですか?」

「あれは僕のコーディネートさ。やっぱりコーディネートはこーでねーと!」

「まあ、その辺は置いておきましょう」

 

プラターヌの寒いオヤジギャグを右から左へ置いといてのジェスチャーをして、しれっと流す。

気になるのは講演会一回についての報酬だ。一回につき50万円。

講演会の報酬は法人か個人かによって金額が違う。

法人だと半日拘束で200万。個人だと5万から10万といったところが相場である。

それゆえにこれは破格の待遇といえるだろう。

 

逆に話がうますぎて――

 

「怪しい、と思ったかい?」

 

プラターヌにこちらの心情を見抜かれて、ドキリとした。

 

「安心していい。この取引は正式なものだよ。『フラダリラボ』と『プラターヌポケモン研究所』のトップが保証する」

「む……」

 

よくよく見れば契約書にはカロス地方の三大企業の内、二企業が連名となっていて、正式な社長印まで押されている。その上、一人は身内である。

疑うべき点は何処にも見当たらない。

 

「サキ選手のサイホーンレースの実績を考えれば、これくらいの報酬が妥当だ」

「いまいちピンと来ないのですが、母はそんなに有名な選手だったのですか?」

 

アトリの知っている母は『昔サイホーンレーサーだった』という事と、『サイホーンレースの発展に並々ならぬ情熱を持っている』という事くらいである。

 

「勿論さ。その神話的な活躍からサイホーンレース協会の生ける伝説として、殿堂入りを果たしているほどだ」

「ここを見てごらん」

 

プラターヌが開いたタブレットの端末を覗き込む。カーソルは9番道路『トゲトゲ山道』を指していた。

 

「この道はサキさんがサイホーンと一緒に道なき道を踏破したことで出来た道なのさ」

「本当なんですね……」

 

母に驚愕の眼差しを送ると「テヘペロ☆」とリアクションする。

ひいき目なしに見て、一応美人の部類には入るのだろうが、40近い中年女性、ましてや自分の母親にそんなものを見せられたら気持ちが萎えるどころの話ではないだろう。

 

「もっと早くこうしていれば、良かった」

 

夫より稼ぎの多い妻。

彼の自尊心を傷つけないよう、レーサーとしての自分を封じてしまった。

カロス地方を離れ、道楽程度にしか、サイホーンレースに触れる事がなくなった自分に『これでいいのだ』と嘘をつき続けてここまでやってきた。

夫が遊んで作った借金で首が回らなくなっても、その考えを持ち続けた。

だが、それは過ちだった。

その嘘の所為で、自分の子供がしなくてもいい苦労をして、追い詰められていたことに気付くことのできなかった自分は愚かだ。サキの最も収入を得られる仕事であり、最もやりがいのある仕事はレース関係の仕事だったというのに。

 

「あなたの目標金額にはまだまだ及ばないけど」

「……十分だよ。けど、いいの? これだけあれば厩舎を買い戻す資金として蓄えることもできるだろう?」

「……親の立場からするとね、金銭的な理由で『子供の可能性を奪っている現状』っていうのは、本当に不甲斐ないのよ」

 

アトリの描く夢は大きすぎる。代償を支払ったからと言って、必ず叶うものではない。

だが、彼が夢の実現のために、血の滲むような努力を重ねてきたかをサキは知っている。

トレーナーズスクールで主席をキープし、夜遅くまで戦略の論文を貪り読み、体力作りも怠らない。才能も周囲に認められ、これで叶わなければ嘘だ、と本当にそう思っていた。

それ故に、夢を奪われて、アトリが『働くだけの空っぽの器』になってしまったときは、見ていられなかった。

 

「これまであなたは私達のことを第一に考えて、自分のことは二の次にしていたんだから、今度はお母さんがあなたの力になる番よ」

 

そうしなければならない状況だったとはいえ、もとはと言えば、元夫とその妻であった自分が蒔いた種なのだ。

子供の一生を拘束しなければ何もできないなど、サキの親としてのプライドが許さない。

アトリが家計を考えて、夢を追えないのなら、自分が稼げば、アトリは何の柵もなく、夢を追いかけることができる。

これが親として出来る、唯一にして最大の手助けだった。

 

「それに我々が来た理由はもう一つある」

「伺います」

 

サキは何かを察して、席を外す。

ロコンをモンスターボールに戻し、プラターヌ、フラダリと対面して座る。

 

「回りくどいのは好かない。単刀直入に言おう。私にはポケモントレーナーとしての君に投資する準備がある」

「―――――ッ!?」

 

口から心臓が飛び出るかと思った。

企業からのポケモントレーナーへの投資。それは珍しい事ではない。

実力のあるトレーナーにはスポンサーがつく、というのはどのスポーツにもあり得ることだ。だが、しかし今回の話は明らかに異例だ。

ポケモントレーナーとしてのランクであるジムバッジを一つも獲得しておらず、トレーナーズスクールの推薦があるわけでもない。実績らしい実績など一つも持っていないアトリには分不相応な話なのである。

 

「御冗談を」

「私は真面目な場での冗談は好まない」

「……光栄な話なのですが、何故、何も成し遂げていない僕に?」

「『一目見れば才能の有無が分かる』『私は君を高く買っている』。私が以前、君にそう言ったのを覚えているか?」

「はい」

「あのとき、君の心は折れていた。自分の可能性を信じることのできない精神的な弱さが君のネックとなっている。そう判断したからこそ、あの場で君を落とすことにした」

 

いくら才能があろうとも、精神的に弱い人間には何も成し遂げられない。

絶望に打ちひしがれ深い闇の底にいても「それでも」と顔を上げて、実現させるという断固たる覚悟がなければ、大望を掴むことなど、出来はしないのだ。

 

「あの時既に君が逆境に立ち向かう覚悟を決めたのなら、君のスポンサーになろうと決めていたのだよ」

「……………」

「勿論、無名のトレーナーである君に投資するなど、ラボの役員は反対するだろう。だから、君には実績を作って示してもらいたい」

「具体的に何をすれば?」

「ハクダンジム攻略」

 

ポケモンジム。

ポケモン教会公認のジムリーダーが管理している対戦施設。そこでジムリーダーに実力を認められたトレーナーに贈呈されるジムバッジはそのままポケモントレーナーのランクを表すものになっている。当然、その攻略は容易ではない。

ポケモンの力量とトレーナー知恵。

共に相当なレベルに達していなければ、ジムリーダーに勝利することは叶わないであろう。

 

「こちらで信用できる人間に君の力量を査定させてもらうがいいかね?」

「勿論です。やります。やらせてください!」

 

ジムリーダー『ビオラ』は虫タイプのエキスパートだと事前調査で判明している。

アトリの手持ちのタイプは炎タイプのロコン。飛行タイプのムックルがいる。

タイプ上の利はアトリにある。これは千載一遇のチャンスだ。

 

「そして、僕からも改めて君に依頼がある」

「……以前、詫び状を送ったと思うけど」

「ああ、これかい?」

 

プラターヌは白衣のポケットからアトリの送った詫び状を取り出して見せる。

 

「こんなものは、ドーン!」

 

決め台詞と同時にゴミ箱に放り投げられる。

 

「あー! なにするんですか!?」

「僕はこんな答えを聞きたいわけじゃないのだよ。さあ、データ収集の依頼を受けるか『はい』か『イエス』で答えてほしい」

「それ、選択の余地ないですよね」

「まあ、冗談はさておき――」

「フラダリさん、これは真面目な場での冗談じゃないんですか?」

「……あれはこういう生物だと思えば…………」

 

遠い目で言うフラダリにシンパシーを抱いてしまう。

 

「この石を見てほしい」

 

そう言ってプラターヌは丸い石をテーブルの上に置く。

綺麗な石だ。水晶の様に透き通っていて、真ん中に赤と黒のグラデーションの平行四辺形は遺伝子の螺旋のようにも、捻じれた葉っぱにも見える模様が浮かんでいる。

 

「私の研究はカロス地方最大の謎と言われている現象『メガシンカ』の解明」

「『メガシンカ』?」

 

聞きなれないキーワードをアトリは訝しんだ。

 

「ポケモンの進化限界を超えた進化とされている」

「仰っている意味がよくわからないのですが」

「順を追って話をしようか。二段階進化したポケモンが更にもう一段階進化する可能性がある、と言ったら君は信じるかい」

「そんな馬鹿な。そんな話は聞いたことが無い」

 

通常ポケモンは多くとも一段階から二段階進化することで最終進化形態へと姿を変える。

それ以上進化したという事は、これまでに前例のないことである。

 

「それはそうだよ。その現象はカロス地方でしか確認されていない上に、目撃証言も少なく学会でも都市伝説のような扱いを受けているのだからね」

 

プラターヌに渡された資料を読み漁り、咀嚼する。

姿を変える。能力の向上。特性の変化。

思考の渦の中でややあって、アトリの中である仮説が組みあがった。

 

「博士の言葉を疑うようで申し訳ないのですが、それは『フォルムチェンジ』とは違うのでしょうか?」

 

特定の条件下――天候や道具、季節によって姿形、タイプ、得手不得手を変化させるポケモンがいる。『メガシンカ』というのがどのような現象かどのような代物かは見たことのないアトリにはわからないが、特徴を見る限り『フォルムチェンジ』と酷似している。

その疑問にプラターヌは静かに頭を振った。

 

「確かに『フォルムチェンジ』とよく似ている。だけど、まったく別物だよ」

 

アトリは身を乗り出してプラターヌの話に耳を傾けた。

 

「メガシンカしたポケモンは総じて能力が急上昇する。それは適応し、得手不得手が変わる『変形(フォルムチェンジ)』というレベルではない。それは、正真正銘の『進化』だよ」

「メガ、シンカ……」

 

キーワードを反芻して、頭の中に刻み込む。

 

「アトリ、君にはポケモンのデータ収集とは別に、その『メガシンカ』について調査をお願いしたいんだ」

「………………、」

 

フラダリの様子を伺う。

 

「私は構わない。私の会社は君のスポンサーではあるが、君は社員ではないのだから、私には君に指示する権利はない。だが、プラターヌ博士の研究は我々にとって有益なものだ。出来るなら調査に協力してほしい」

 

「…………、少し考えさせてください」

 

外堀を埋められたアトリは絞り出す様な声でそう言った。

 

3

 

「では、日時は明後日の午前10時。ハクダンジムの前で待ち合わせにしよう」

「はい。よろしくお願いします!」

 

去っていくフラダリに対して深々と頭を下げて、姿が見えなくなるまで見送った。

 

「さて、ぼくもお暇しようかな」

「はい。お気をつけて」

 

慇懃な態度を崩さないアトリにプラターヌは少し泣き笑いのような表情を浮かべた。

 

「君が、元気そうでよかった……」

 

あのままでは確実に潰れてしまうと思ったから、カロス地方に呼んで、一度諦めてしまったポケントレーナーとして旅立てるようにお膳立てをした。

プラターヌに対して心を閉ざしているアトリが、受けるはずがないというのに。

 

兄とその妻との間に出来たプラターヌにとって初めての甥。

幼いころ、無邪気に慕って来てくれることが嬉しくて――よく二人で色んなところへ遊びに行った。

だが、兄が借金を残して消えたことで彼は昔のようにプラターヌに笑いかけてくれることが無くなってしまった。

無理もない。自分は彼をどん底に突き落とした男の弟なのだ。

何故このようなことになってしまったのか。深い悔恨は今も尚、プラターヌの中で火傷の様に疼いている。

 

「結局、私には何も出来なかったね……」

 

ずっと、壁を作られていて――

でも、笑っていてほしくて――

彼の心を救いたいと手を尽くしてきたが、結局彼は自分の力など必要としていなかったようだ。きっとアトリには、自分の力は必要なかったのだろう。

きっと、もうわだかまりを埋めることはできない。

だが、それでも良かった。

例え嫌われていたとしても、アトリが笑っていてくれるのなら、それだけで……。

 

「私のことを嫌いなら嫌いで仕方ないと思っている」

「……別に、アンタのことが……嫌いな訳じゃねえよ……」

 

プラターヌはその言葉にハッと顔を上げた。

アトリは罰が悪そうに、それでいてどこか荒い――言い換えれば親しい者へのぞんざいさを感じさせるような口調へ変わった。

 

プラターヌには感謝してもしきれない。

それは紛れもなくアトリの本心だ。

彼がいなければ、アトリとサキは膨大な借金を返す術もなく、首を括るしかなくなっていたであろう。間違いなく、アトリ達の恩人なのである。

だが、それと同時に彼はアトリが最も憎む父の弟だ。

 

「ただ……、アンタの顔見てると、どうしてもアイツの顔がちらついて、イラついてしまって……」

 

父とプラターヌは違う。責められるべきはアトリの父であり、プラターヌではない。彼を恨むのは筋違いもいいところだ。

そんな事はアトリにだってわかっている。

それでも、そんな理屈で簡単に割り切れる程、人の心は単純なものではない。

 

「………………、今はまだ、アンタと距離を置きたい。時間がほしいんだ……。オレがちゃんと割り切るための時間が……」

 

『嫌悪』と『恩義』、そして『親愛』が入り交じっている状態だ。

そんな状態でわだかまりなく、彼と笑い合える程、アトリは精神的に成熟していない。

プラターヌはアトリの心情を推し量り、距離感を確かめる。

 

「いつか、そんなことがあったねって笑いながら話せるようになるといいね」

「真摯に受け止めた上で前向きに検討させて頂きます」

 

政治家の様な言い回しをするアトリにプラターヌは大きく笑う。

 

理不尽な八つ当たりの様な感情を向けられても、受け止めて、いつも通り笑っているプラターヌは大人だ。未熟なアトリにはとても真似出来ないだろう。

 

この人って結構凄い。

アトリは心の底からそう思った。

 

 

 



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第15話 期待の新星

 

 

1

 

時刻は午前8時30分。予定より一時間半早くハクダンシティに到着してしまった。

時間潰しとウォームアップも兼ねて手持ちポケモン達と町の外周を走っていた。

因みにハッサムはボールの開閉スイッチを押しても反応なしのサボりである。

 

目視でゴール地点を確認。

 

「ラストスパート!」

 

弾む息を呑み込んで声を張り上げる。

同時に全員がピッチを上げた。

まず先頭に躍り出たのはムックルである。羽ばたき風に乗って圧倒的なスピードで滑空していく。

ロコン、メリープもそれに続き、ゴールしていく。

少し遅れてアトリもゴール地点に到達した。

 

「お前ら、速すぎ……」

 

息を切らせて、早鐘を打つ心臓を押さえた。

昔は競争してもこんなに差がつくことはなかったが、今ではアトリの方が水を空けられてしまっている。

寂しく思う反面、頼もしくなる。

 

このチャンスを掴むことが出来れば、アトリは柵を気にすることなく、旅立てる。逆に掴み損ねれば――

 

そこまで考えて、頭を振る。

違う。掴み損ねはしない。

与えられたチャンスは必ずものにしてみせる。それくらいの気概がなくて、どうしてプロになるなどと言えようか。

 

そうだ。これはポケモントレーナーとしてのオレがぶつかる最初の壁だ。

壁を突破する。それだけだ。

単純な理屈だが、アトリが複雑なことを考えても、篭で水を組むようなものである。

トレーニングが終わっても元気にじゃれついている3匹を見て肩の力を抜く。

 

大丈夫だ。

こいつらと一緒なら、必ずやれる。

 

アトリには非凡な才能はない。

前向きになった今でも、その考えは変わっていない。

確かに育成における才能は捨てたものではないと自覚している。

多くの人が評価する『フワ・アトリの才能』とはそこなのだろう。

だが、アトリはそれだけでは勝てないと知っている。

 

かつて、偉大な発明家はこう言った。

 

『天才とは99%の努力と、1%のひらめきで出来ている』と。

 

5年前、圧倒的な実力でアトリを負かせた『ヒカリ』という少女の様に、戦略で最も重要なことは『相手の意表をついて主導権を握る』ことである。

 

だが、彼には『1%のひらめき』に相当する発想力というものがない。彼は既存の戦略を詰め込み、模倣して、多い手札で効果的に運ぶことによって真価を発揮するタイプだ。

セレナとのバトルの際使用した地形を利用した『転がる』の封殺も、ヒカリが使用した戦略を模倣したものに過ぎない。

 

それはアトリの強さであり、弱さでもある。

既存の戦略は手堅い安定感がある代わりに、対策も立てやすい。そして、相手が新しい戦略でぶつかってきた場合、明確な対策が瞬時に組み立てられない。

そうなった場合、どうカバーしていくか。

 

「最後にものを言うのは地力の差……」

 

両手で頬を張り、弱気の虫を追い払う。

無い物ねだりをしても、仕方ない。

才能を理由に諦める方向にいくのは、もうたくさんだ。それならば、今あるものでどう戦っていくかを考える方が建設的である。

 

「やってやるさ……ッ!」

 

次の瞬間。視界の端で何かが発光した。

驚き、目をやると、アトリのメリープが眩い光を放っている。

 

四足歩行から二足歩行へ。

尻尾の色が黄色から青へ。

身体中を包んでいた羊毛は頭部と胸部を除いて抜け落ちピンク色の素肌を晒す。

やがて輝きは収まり、メリープの進化形『モココ』が威風堂々たるその姿を見せつけた。

 

進化。ポケモンの最大の神秘であり、特徴である。

十分に育ったポケモン、もしくは一定の条件を満たしたポケモンが姿を変える現象であり、進化前と比較して大きくパワーアップする例がほとんどだ。

 

「ファアアア!」

 

モココは空に向かって喜びの声をあげる。ロコンとムックルも彼の進化を祝福するように飛び回っている。

 

「そうか……。最近落ち着きがなかったのはこれの前兆だったのか……」

 

大事なジム戦の前にこうなってくれたことは吉兆の前触れか。

開いた拳を強く握りしめる。

 

確かにオレには才能はない。

だが、ポケモンバトルはオレだけの能力で決まるわけじゃない。

オレ達はチームだ。

才能のないオレの役割は、こいつらの力を信じて、最善の策を選択すること。

こいつらと一緒なら何処までもいける。きっと――いや、絶対に、だ。

 

2

 

午前9時30分。ハクダンシティのカフェで仕事をしていた女性は大きく伸びをした。カールした癖毛がチャームポイントの彼女の名はパンジー。ミアレ出版に勤めているジャーナリストである。

彼女は現在悩みがあった。

出版している雑誌――月刊ポケモンファンの今月号の特集。期待の新人トレーナーの資料が今一つなのである。

最近破竹の勢いで連勝記録を伸ばしているアサメタウンのサラブレッド。

セレナ・ベクシルに取材を断られたのは痛かった。

彼女の実力はパンジーの知る限りバッジ1つトレーナーの中では頭ひとつ抜けている。

虫タイプに不利な草タイプと悪タイプでの立ち回りは芸術と言っても差しつかせない。

その上、見るものを見惚れさせる美しい容姿。

彼女が取材を受けてくれれば、雑誌の特集記事は華やかなものになったであろう。

 

「逃がした魚は大きかったわね……」

 

とはいえ、いつまでもここで管を巻いていても仕方がない。

締め切りは待ってはくれないのである。

ないならないで、今あるトレーナーの記事だけで凌ぐしかない。

気持ちを切り替えて資料を整理していると見知った顔がパンジーの視界に入ってきた。

 

「ジーナさん、デクシオくん!」

 

向こうが此方に気付いたことを確認して大きく手を振ると、二人ともパンジーの方へ歩み寄ってくる。

赤と青。色違いのスカーフにデザインがよく似た白を基調とした服装に身を包んだ男女はそれぞれパンジーに一礼した。

金髪のショートカット。白い肌のデクシオ。

黒髪のセミロング。褐色の肌のジーナ。

彼らは腕の立つトレーナーであると同時に、携帯獣進化の研究における世界的な権威・プラターヌ博士の高弟に名を連ねる将来有望な研究者である。

 

「おはよう」

「ごきげんよう、パンジーさん!」

 

パンジーの挨拶にジーナは元気よく応じる。

 

「今日はどうしたのかしら? プラターヌ博士からの頼まれごと?」

「はい。今日はちょっとジム戦見学――「プラターヌ博士の秘蔵っ子の実力を測りに行きますの!」

 

ジーナがデクシオの発言に被せるように言う。

デクシオが慌てて制止しようとするが、暴走列車は止まる気配を見せない。

 

「わたくしも暇ではありませんが、フラダリさんに『どうしても』と頼まれたら断れませんわ! まあ、わたくしも? 実績がないランク0のトレーナーにも関わらず、あのフラダリさんに『投資させてくれ』とまで言わせるトレーナーが気になる――「わー! わー! ジーナ、ストップそれまで! 不確定な情報をむやみやたらに触れ回るのはダメだよ」

 

デクシオがジーナの口を塞いで向こうに引っ張っていく。暴れる彼女から2、3発ビンタを頂戴したデクシオは煤けた様子でパンジーの前に戻ってきた。

その様子にパンジーは苦笑する。

勝気で前のめりなジーナと控えめで慎重なデクシオ。

お互いが、お互いの持っていない資質を補完し合っているこの二人は本当にバランスがいい。

 

「それってオフレコ?」

「え? えーっと、そういう訳では、ない……のかな?」

「よかったら私にも見せてもらっていいかしら?」

「え? いや、でも……」

「よろしいのではなくて? ジム戦は基本、見学自由ですわよ」

 

デクシオは暫く考え込む素振りを見せるが、やがて問題なしの方にジャッジがあがった。

 

「わかっているとは思いますが、ジム戦の前に彼との接触はお断りさせて頂きます。

出来るだけ平常心で挑んでいただきたいので。顔出しもNG。先程聞いたフラダリラボがスポンサーになる、という話も正式な決定が下るまでオフレコという条件でお願いします。あくまで観客席で観戦するだけ、ということでお願いします」

「問題ないわ」

「それではレッツゴー! ですわ!」

 

先陣をきるジーナ達から少し離れて、ハクダンジムに向かう。ジムの前に到着すると、青いジャケットを羽織ったウルフカットの少年が顔を強張らせながら、ソワソワと落ち着き無く行ったり来たりを繰り返している。

 

ジーナは写真を取り出して、彼と見比べる。そして、指をパチン! と鳴らした。

 

「ビンゴですわ!」

 

少年は此方に気づいたようで、会釈をしてからデクシオ達の方へと向かっていく。

 

「失礼ですが、フラダリラボの方でしょうか?」

「正確にはフラダリラボから貴方の査定を委託された者ですわ!」

「はじめまして。僕はデクシオ。こっちが――」

「麗しきわたくしの麗しい名前はジーナ! 以後お見知りおきを!」

「ご丁寧にどうもありがとうございます。ご存知かもしれませんが、僕はフワ・アトリです。今日はよろしくお願いします」

 

一見すると礼儀正しい好青年に見えるが、どうにも丁寧すぎて嘘臭い。あの歳で愛想笑いが様になり過ぎている。

パンジーには彼が腹に一物持っているように思えて仕方がなかった。

 

3

 

ハクダンジム。ランクを示すジムバッジを管理する施設であると同時に、虫タイプのエキスパートの育成を目的としたいわば道場の側面を持っている………はずなのだが……。

あたり一面には虫ポケモンの写真がこれでもか! というくらいに展示されている。

 

「これは?」

「ああ、ジムリーダーのビオラさんはジムリーダーであると同時にカメラマンも兼任しているんだ」

「ポケモントレーナーとしても、カメラマンとしても一流! ああ、同じ女性としてあこがれますわ……!」

「ジーナー、戻ってきてー」

 

うっとりしているジーナはデクシオに揺すられ正気に戻る。咳払いを一つしてごまかすように更に大きな声を張り上げた。

 

「それじゃあ僕たちは先に観戦席へと移動してますね。健闘を祈ります」

「グッドラックですわ!」

「はい、ありがとうございます」

 

デクシオとジーナの後ろ姿が見えなくなったことを確認して頭を上げる。ポケモンリーグの登竜門。さしずめオレは道場破りって立ち位置か?

アトリは深呼吸をひとつした。

全身の血が逆流するほど緊張している癖に、頭の中はクリアだ。五感のすべてが研ぎ澄まされて、勘が鋭くなる。

今なら何でも出来そうな気がする。

 

「おーす、未来のチャンピオン! 初めてのジム戦か?」

「はい。よろしくお願いします」

 

受付にトレーナーズカードを提示する。カードに内蔵されているICチップを機械で読み込んでいる間に簡単な説明が執り行われた。

 

「このジムはみんな虫タイプのポケモンの使い手ばかりだ。わかっていると思うがエスパー、草、悪タイプのポケモンはカモネギにされてしまうぞ」

 

そういえば、セレナはこのジムを攻略したのだろうか。

彼女の手持ちポケモンはみんな虫タイプと相性が悪かったはずだ。

 

「そこのバーを蔦って降りればジムリーダーとジムトレーナー達のいるフロアに降りられるぞ。フロアには仕掛けが施されていて、そこを抜けた奴だけがジムリーダーに挑む権利を得られるから頑張れよ」

 

返却されたカードをポケットの中へしまって説明を受けた棒の方へ向かっていく。

その両脇に設置されているポケモンジムのエンブレムを象った石碑の前で足を止めた。

そこにはハクダンジムがその実力を認めた無数の兵の名前が小さく刻まれている。その最後尾に刻まれている彼女の名前を見つけてアトリはそっと背中を押されたような気がした。

 

そうか。やっぱりセレナはここのジムリーダーに勝ったんだな。

 

遠く離れていても、近くに感じている。

彼女がこのジムを攻略したのなら、アトリはセレナのライバルとして負けるわけにはいかない。

 

靴ひもを結び直し、ジャケットを脱ぎ捨てる。跳躍してバーを掴み、勢いを利用して一気に下のフロアへと踏み込んだ。

 

「うおッ!?」

 

着地の瞬間、予想外の地面の柔らかさにアトリの声が裏返った。

状況確認。周囲を見回す。

足元を中心に広がるクモの糸。狭く弾力のある足場でバランスをとるのは難しい。

 

地上までの位置は目測で約5メートル。安全のためにマットが敷いてあるとはいえ、落ちたらそれなりに痛そうだ。

 

「よっと」

 

ゆっくりと、慎重に。

足場を踏みしめて立ち上がる。そして、一歩、一歩。バランスを取りながらすり足で前に進んでいった。

やがて、バランスの悪い足場に順応したアトリの足取りは軽くなる。

 

「こんなところでバトルになったら厄介、だなっと」

「そういうわけにはいかないのよ!」

 

ミニスカートをはいたトレーナーがアトリの前でモンスターボールを掲げる。

 

「私はハクダンジム所属のジムトレーナー・ミク! ジムリーダーに挑む力量があるかどうか、貴方の力量を計らせていただきます!」

「よっしゃあ、行くぜ野郎ども!」

 

アトリもモンスターボールを取り出して応じる。

眼と眼があったらポケモンバトル。トレーナー同士のローカルルールではあるが、スタンダードでもある。その礼儀に則って――

 

「仕事の時間だ!」

「お相手させていただきます!」

 

ムックルと蜂の子ポケモン・ミツハニーが同時に空中に躍り出る。

互いに足場の悪条件をリセットするベターな選択だ。

 

「ミツハニー、『風起こし』!」

 

ミツハニーは風を巻き起こし、空気の渦がムックルを煽り空中の機動力を封じる。

アトリは人差し指でコメカミを叩いた。

 

「向かい風だ、利用させてもらえ!」

 

ムックルは翼の仰角を合わせ、風を受け止める。

ハングライダーの要領で浮き上がったムックルはミツハニーの頭上を飛び越えた。

 

「『ツバメ返し』!」

 

ピッチダウンしてミツハニーの背後に回り込んだムックルは、加速して下から上への当て身を喰らわせる。効果は抜群だ。

最大加速からの飛行タイプの技を受けてミツハニーは倒れた。

戦闘不能となったミツハニーをボールに戻したミクは2匹目にコクーンを繰り出す。

 

「コクーン、『固くなる』!」

 

表皮の硬度を上げて防御力を上げる算段であろう。確かにムックルの打撃攻撃には防御力を上げる選択は間違ってはいない。

だが、甘い。アトリの手持ちは一匹ではない。

 

「戻れ、ムックル!」

 

ムックルをボールへ戻し、ロコンを繰り出す。

彼我の距離は約3メートル。『サナギ』という形態上、コクーンの動きは非常に遅い。

足場の悪さなど動く必要がなければ――

 

「――どうってことはねえッ!」

 

強い日差しのブーストがかった『弾ける炎』を受けたコクーンはひとたまりもない。

倒れたコクーンをモンスターボールに収めたミクは悔しそうに唇を噛み締めながら一礼した。

 

「負けました……」

「ありがとうございました!」

 

最敬礼をしてから、子供の様な明け透けな笑顔を浮かべた。

 

4

 

「強い……」

 

モニターで観戦していたパンジーはアトリと彼の手持ちポケモンの実力に唸りを上げた。

よく鍛えられている上に、彼自身の状況判断がスピーディかつ的確である。

最初のムックルは悪条件である足場の悪さを無効化できるという考えから。

相手が防御力の高いコクーンに変えるや否や、接近戦ではなく、中遠距離戦へと戦略をシフトして対応した。僅か3手で完全勝利。

ジムトレーナーはジムリーダーに劣るものの、並のトレーナーでは太刀打ちできないほどの実力を有している。そんなジムトレーナーを彼はまったく寄せ付けない。

バッジを所有していないトレーナーの強さではない。

 

「あれだけの実力があるのに、今までどこに隠れていたというの……?」

 

戦慄すると同時に、胸の高鳴は治まるどころか、乱れる一方だ。

 

期待の新人。ダークホース。新星の誕生。

 

活字がパンジーの頭の中で踊っている。

手元にノートパソコンがあれば、この気持ちをすぐにでも文章にして記すことができるというのに!

 

「勝てると思いますか?」

 

デクシオの問いにパンジーは少し考え込むような素振りを見せた。

 

「そうね。可能性は十分にあると思うわ。でも妹もそう簡単に負けはしないでしょうね」

 

見上げたモニターの中ではアトリがハクダンシティジムリーダー・ビオラと相対していた。

 

 

 



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第16話 VSビオラ

 

 

1

 

「勝負に挑むその表情。いいんじゃない、いいんじゃないの」

 

目の前にいる女性はハクダンシティジムリーダー『ビオラ』。

『笑顔を見逃さないカメラガール』の異名を持つ虫タイプのエキスパートである。

ビオラは挑戦者のデータが入力された書類をスタッフから受け取り目を通す。

 

「アサメタウンのフワ・アトリ君。初めてのジム戦ね。いいんじゃない、いいんじゃないの!」

「よろしくお願いします」

 

精悍な表情を崩すことなく、一礼する。

礼儀正しい態度の裏に、ギラついた野心が滲み出ている。

目の前にいる人は壁だ。行く手を阻む壁は死力を尽くしてぶっ壊す。

言葉にしなくても、ビオラにはアトリの心の内が手に取るように感じる。

 

覚悟の質はバトルにも表れる。だからこそビオラにはわかる。

彼は強い。叶う事なら、ジム戦として実力を量るバトルよりも全力の手合せをしたいくらいである。

 

「負けて悔しがるのも……、勝った瞬間も、どちらも被写体として最高!」

「悔しがってるところを撮るんですか。悪趣味ですね」

 

アトリは好戦的な笑みを浮かべなら揚げ足取る。

それに対して、ビオラもまた好戦的な笑みで応じた。

 

「それが嫌なら勝つしかないわね」

「勝てば総取り、負けたら総スカン。わかりやすくていいですね」

 

数拍置いて、対峙した両者は一歩後ろに下がってモンスターボールを掲げた。

 

「準備はいいか、野郎ども……ッ!」

「ハクダンシティジムリーダー・ビオラ――シャッターチャンスを狙うように勝利を狙うわよ!」

「――いくぞ、仕事の時間だッ!」

 

ムックルとアメモースが同時にモンスターボールから飛び出した。

目玉ポケモンの分類通り両羽についている目玉模様の羽が相対する者に怖い印象を与える。

が、顔の紋様に隠れている円らな瞳がやけに可愛らしい。

見る者によってその印象をがらりと変えるポケモンであろう。

 

「先手を取れ! 『燕返し』!」

 

ムックルの最短距離からの一撃にアメモースは成す術なくダメージを受ける。

だが、浅い。

アメモースの特性『いかく』の所為で腰が引けてしまっている所為が、ダメージの通りが悪い。

 

「アメモース、『蝶の舞』!」

 

指でコメカミを叩く動作をしながら相手の戦略を分析する。

蝶の舞は素早さ・特殊攻撃・特殊防御の能力を一時的に高める技。

という事は、

 

――居座る気満々かよ!

 

アメモースの覚える技と言えば水・氷・虫タイプ。

虫タイプの弱点を補うために、水・氷タイプは確実に覚えていると予想した方がよい。

そして、ロコンはともかく、素早さでムックルに劣るメリープでは確実に先手を取られる。今後の展開を有利に運ぶためには何としてもムックルで決めなければならない。

 

「『電光石火』で轢き逃げアタック!」

 

一気にトップスピードに乗ってアメモースに当て身を見舞う。

アメモースの体勢が崩れかけるが、威嚇され腰の引けた打撃では倒すに至らない。

 

「この展開! いいんじゃない、いいんじゃないの!」

 

スピードを落とすムックルの背後にアメモースが回り込む。

ムックルは振り切ろうとスピードを上げるが速さは『蝶の舞』で速度の底上げをしているアメモースに分がある。

 

「『冷凍ビーム』!」

「ループで振り切れ!」

 

空中で翻り背後を取ろうと試みるが、ビームが翼を掠め、ムックルの翼が凍りつく。

バランスを崩したムックルは地面に真っ逆さまだ。

 

「戻れ、ムックル!」

 

地面と激突する前にモンスターボールへ戻す。

ボールの中のムックルは寒さで膨らんで体調不良を示している。

 

「よく頑張ってくれた。――飛行・炎タイプの対策はバッチリってところですか?」

「勿論。虫タイプのエキスパートとして出来ることは全部やっているつもりよ」

 

アトリはコメカミを指で叩く。

今の発言でアメモースが水タイプの技を覚えていることは確定した。

ロコンを出せば、間違いなく水タイプの技で応戦してくるであろう。

 

「ロコン!」

 

だが、あえてロコンで挑む。

タイプの利があろうと、スピードの遅いモココでは速・特攻・特防を上げた状態の特殊攻撃を受けるにはリスクが高すぎる。

 

「『ハイドロポンプ』で迎え撃って!」

「何かする暇を与えるな、『電光石火』!」

 

ビオラの指示を受け、アメモースは技を撃つ為のタメを作るが、その隙にロコンの技がクリーンヒットする。

すでにムックルの攻撃で弱っていたアメモースはあえなく撃沈した。

 

「これでイーブン!」

「逆境を跳ね返すその勢い。いいんじゃない、いいんじゃないの!」

 

アドバンテージを無くしても尚、ビオラは余裕な笑みを浮かべた。

アトリの頬を冷たい汗が伝い、落ちる。

此方にタイプ相性の利があっても攻めきれていない。底の知れないジムリーダーの実力に戦慄を覚えた。

 

いや。

 

頭の片隅に敗北の未来が過って、慌てて弱気の虫を振り払う。

 

アトリとてこの三か月間、働く以外、何もしなかったわけではない。ハクダンシティからアサメタウン、そしてポケモンリーグお膝元22番道路で修行してきた。

その中にはこのビオラに勝利したランク1のトレーナーも確かにいたのだ。

 

落ち着け。ランク0のトレーナーはみんなこの道を突破してきた。だったらオレがやれない理由はねえッ!

 

「次はこの子よ!」

 

ビオラはそう言って次のポケモンを繰り出した。

 

「デンチュラ!」

「電気タイプか!」

 

電気グモポケモン・デンチュラ。分類名が示す通り、虫タイプと電気タイプを併せ持つこのポケモンは飛行タイプへのカウンターとしての役割を持っているのだろう。

その上、打たれ強さを犠牲にした速さは虫タイプトップクラスのスピードを誇る。

ムックルで挑んだなら確実に封殺されていただろうが、ロコンなら電気タイプの技は等倍である。特性は場の空気が変化したことから『複眼』じゃなく『緊張感』であろうと予測する。

問題になるのは耐久力。タイプ相性的にはアトリのロコンに分があるが、スピードはビオラのデンチュラに分がある。

先手を取られると一撃で沈められる可能性は十分に考えられる。その逆も然り。

 

「……………………」

「……………………」

 

動かざること山の如し。

互いに一撃で決まるこの状況で、迂闊に動くことは出来ない。

先の先をとるか、後の先をとるか。両者の間に重苦しい沈黙がわだかまる。

 

「行け!」

 

先に沈黙を破ったのはアトリだ。号令と同時にロコンは『弾ける炎』を撃つ。

デンチュラはサイドステップでそれを回避。自身の糸で作った電撃を纏った網をロコンに投げつける。空間を制圧する面攻撃。

ロコンのスピードでも避けきれない。

 

「焼き払え!」

 

炎で網をボロボロにして通電を断つ。燃え散った網が舞う中、視線をデンチュラの居た地点へと戻す。だが、そこにデンチュラは既にいない。

 

「避けろ!」

 

反射的に右へと避ける。ロコンのいた地点に上空から電撃が降り注いだ。

デンチュラは天井や壁に糸を張り付けて、四方八方へと飛び回りながら地上のロコンに電撃を見舞う。

地に足を付けているポケモンにとって上空は完全に死角だというのは、ムックルの得意戦法から熟知していた。

 

「足を止めるな! 的にされるぞ!」

 

トレーナーの指示通り左右に動いて的を絞らせないように動くものの、それだけですべての攻撃を回避するのは限度がある。

激しい無酸素運動をこのまま続けていれば、先にロコンのスタミナが切れてしまう。

 

だが、

 

コメカミを指で一度叩く。

 

「その一手は研究済みだッ!」

 

言うと同時に天井を指差す。

ロコンもまた、天井に狙いを定めて火を飛ばす。

炎の塊は空中を飛び回るデンチュラに掠りもせずに素通りするどころか明後日の方向へと飛んでいった。

 

「無駄よ! 誰もデンチュラには追い付けない!」

「追い付く必要なんてない! なぜならッ!」

 

飛び移っているデンチュラの糸が切れた。

スピードに乗り、無軌道な動きで相手を攪乱するデンチュラを捕捉することは至難の技だ。

しかし、糸で吊り下がっているデンチュラの対極の位置に張り付いている、いわば『支点』となっている糸はその限りではない。動きの少ない天井に張り付けている糸を切れば、あとは空中に投げ出される無防備な的の出来上がりである。

糸を使って回避するにはシングルアクション必要である。その間隙を逃す手はない。

 

「撃て!」

 

ロコンの『弾ける炎』が空中に投げ出されるデンチュラを肉薄する。

 

勝った!

 

アトリは勝利を確信して拳を握った。

 

「『光の壁』!」

 

着弾の瞬間、デンチュラの前に半透明の壁が割り込み、軌道を阻む。

ロコンはアトリの指示が来ないことに戸惑いつつ、地上に着地したデンチュラと距離をとった。

 

勝利を確信していただけに、衝撃が大きい。驚愕のあまり思考が数秒間停止してしまっていた。

 

 

ビオラはアトリの作ってしまった大きな隙をあえてその最大の隙を見逃した。

 

ポケモンの育成能力は文句なし。手持ちポケモン達が能力面で劣る未進化ポケモンだが、一歩も引かず善戦していることから、よく鍛えられているとわかる。

特にあのロコンの資質は文句なし。トレーナーの指示に少しの逡巡を見せることなく的確に応じていることから、彼らのコンビネーションはかなり高いレベルまで昇華されている。

対策を講じてある戦略には滅法強い反面、アクシデントに対応する能力に乏しく、精神的な弱さが目立つ。

 

ビオラはアトリの評価を心の中のノートに書き綴っていく。

 

デンチュラが着地したのを確認してから、待機を命じる。

ここで畳みかけて封殺してしまうことは簡単だ。だが、それではジム戦の意味がない。

挑戦者はビオラが戦略を切り替えたことを察した筈だ。この挑戦者なら気づかない筈がない。

この後の対応を見るには、挑戦者の力量を推し量る『ジムリーダーとしてのビオラ』のやるべきことだ。

 

アトリは持ち直したのか、コメカミを指で叩いて思考を巡らせている。

 

 

『光の壁』。一定時間、ロコンの『弾ける炎』やモココの『10万ボルト』といった特殊攻撃技を半減する性質を持つフィルターを張る技。

特殊攻撃をメインにしているロコン、この後に控えているモココにとって非常に手痛い展開である。

 

 

 

光の壁を突破するには日照りのブーストを受けた『弾ける炎』でも火力不足。ロコンの『日照り』終了時間まで残り2分。それを過ぎれば素の火力だけで勝負に挑まなくてはならない。どちらにしてもジリ貧。

それまでに勝負を決めなければない。

 

その為には――

 

一度のアイコンタクト。それだけで十分だった。

心は痛むが、これ以外に突破口を開く術がない。

 

ロコンは地に伏せる。

 

「何の真似?」

「………………」

 

ビオラの問いかけに沈黙で返す。

あんな姿勢ではあのロコン自慢の機動力を十全には生かせない。

だが、アトリの思考を巡らせるときに出る癖はそのまま続いている。

 

ダメージを最小限に抑えるための防御姿勢。光の壁が消えるまでの時間稼ぎか。

何にしてもやることは変わらない。

 

「十万ボルト!」

 

強烈な電撃がロコンに降り注ぎ、ダメージが蓄積していく。

 

ここから先は根競べだ。耐えてくれ、ロコン!

 

「もっとだ!」

 

もっと!

 

「もっと!」

 

もっと!

 

「もっと燃やせッ!!」

 

アトリとロコンの思考がシンクロし、共鳴する。

互いの神経が溶け合っているかのような不思議な感覚だった。

 

その上、腹の底から湧き上がるこの高揚感。血が沸騰しているのに、頭の中は妙にクリアだ。

ああ、そうだ。この感覚……。セレナとの勝負で感じたこの感覚……。

 

負ける気がしねえッ!

 

腹の底にある炉を制御するのではなく、敢えて暴走させる。そうして行き場を失って臨界点に達したエネルギーを一方向に――

 

「氾濫させろッ!!」

 

夥しい量の焔が空気を侵し、デンチュラを襲う。日照りのブーストがかかった膨大な燃焼エネルギーはフィルターに阻まれても、デンチュラのダメージキャパシティを超えるには十分すぎた。

 

「もどって、デンチュラ」

 

戦闘不能のデンチュラをボールに戻してアトリに微笑みかける。

まさかあの追い詰められた状況で、更にギアをあげてくるとは。

 

「肉を斬らせて、骨を断つ。本当にする人は珍しいわね」

「そうですね。心は痛みますが……、本当に痛いのはロコンです。だけど、こいつはそれをわかっているにもかかわらず、オレの指示に従ってくれている。オレはこいつの覚悟に報いるために全力を尽くす。それだけですよ」

 

手段を選ぶつもりはないことを示唆しているが、ポケモン達を道具扱いしているわけではない。トレーナーとポケモン達が目標を統一して、それを達成するためのチームとして行動している。

 

「あなた達ってサイコーのコンビね!」

 

心からの賛辞をトレーナーに贈る。そして、最後の一匹を投入する。

 

「ビビヨン、お願い!」

 

上部の赤と黄色で表された太陽の模様および、下部の水色で表された海の模様のビビヨンが空中を飛び回る。

同時にガラス越しに照らしつけられた日輪の光が弱くなる。

デンチュラの十万ボルトを受けて、ロコンの相当深いダメージを負っている。加えて、先ほどの炉の暴走の影響で最早ロコンは満身創痍だ。

この場合は手傷を負わせて、撃ち逃げするのがベター。

 

「鬼火!」

 

キラリと銀色に光る『何か』がロコンの周りに飛び散った。

相手を『火傷』状態にする小さな青い火を飛ばそうとした次の瞬間――――爆炎がロコンを包んだ。

 

 



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第17話 サービス残業

 

 

1

 

「な、にが……起こっ……た……?」

 

鬼火を放ったはずが、いつの間にか炎に包まれていたのはロコンの方だった。

行動の起こりを認識すら出来なかった。先制攻撃や、ミラーコートなどといった分かりやすいものではない。もっと恐ろしいものの片鱗を味わった気がする。

 

「さあ、追い詰めたわよ。貴方の底力を見せて頂戴!」

 

無様だな。と自嘲した。

『楽勝だ』と油断した途端、追い詰められている。たった1勝がこんなにも遠い。

 

『残り1勝は追い詰めたのではなく、追いかけていると思いなさい』

 

「残り1勝を、追いかける……」

 

アトリは拳を握り、思いっきり自分自身を殴りつけた。

ビオラは彼の奇行に目を剥くが、当の本人は何かが吹っ切れ、スッキリした顔をしている。

 

これを教訓にしよう。油断するな。攻めの姿勢を忘れるな。

プロとしての道を行くのなら、常に自分が崖っぷちにいるという事を骨の髄まで叩き込め!

 

アトリの欠点である精神的な不安定さ。その克服の第一歩を踏み出した。

 

ビビヨンは虫・飛行タイプ。相性の有利はアトリにある。このまま一気に攻める。ロコンを戦闘不能にしたあの技の正体は気になるが、ここはリスクを背負ってでも強引に行く場面だ。

 

「行くぞ、モココ!」

 

アトリのモココとビオラのビビヨンが会い見える。そして――――勝負は僅か二手の攻防で決した。

 

2

 

「貴方たち本当にサイコーの! いいんじゃない、いいんじゃないの!」

 

モココの『パワージェム』で辛くも勝利したアトリは喜ぶ、というよりも心の底から安堵した表情を浮かべていた。

緊張を解いた途端に胃の痛みがそれはもう、どえらいことになっている。

モココはそんなアトリを気遣うように背中をさすっていた。

 

「大丈夫?」

「え、ええ。まあ……」

 

青い顔で精いっぱいの笑顔を作ろうと試みるが、どこぞのクレイジーピエロのようになっており、ビオラの顔が引きつった。今の彼を被写体にして写真を撮るとしたら、テーマは『ホラーショーへようこそ』という感じになる。子供にトラウマを残すことは必至であろう。

しばらくして落ち着いたことを確認してからビオラはアトリに自身の管理しているバッジを手渡した。

 

「これが『バグバッチ』よ。ランク1に昇格ね。おめでとう」

「ありがとうございます」

 

素直に喜ぶ気にはなれなかった。

全体的に有利な構成だったにも関わらず、最後の一体まで勝負がもつれ込んでしまったのは、トレーナーの慢心と研究不足によるところが大きい。交代の見極めポイントが悪い。初戦で攻撃力が下げられたムックルではなく、打たれ強くタイプ相性も有利なモココに即交代するべきだった。そうすれば2戦目以降も流れを有利な方向に持っていける。

メンタルのコントロールもまだまだ甘すぎる。その所為で二戦目のデンチュラ戦は咄嗟の切り替えが出来ていなかった。その隙に一気に攻め込まれれば倒されていたのはロコンだ。

勝ったといっても課題が非常に多い内容である。

 

「すみません、聞いてもいいでしょうか?」

「なにかしら?」

「最後のビビヨン、ロコンに何をしたんですか?」

 

ロコンが『鬼火』を放とうとした瞬間、周りが爆発した。

結局バトル中にあの現象の謎を解き明かすことは出来なかったが、今後の対策の為、解明しなくてはならない。戦略の種をそうそう簡単に明かしてくれるとは思っていないが、物は試しだ。拒否されたならそれで構わない。若干時間はかかるが、自力で調べ上げるつもりだった。

 

「あれは『粉塵』っていってね、浴びせた相手が炎タイプの技を使うと爆発してダメージを与える技よ。ノーモーションで撒けるから、どんな相手にも先制をとれるのが強みね」

 

ビオラは驚くほどあっさりと教えてくれたため、やや拍子抜けしてしまった。

それと同時に先ほどの展開も腑に落ちる。早速『粉塵』についての研究と対策をしなくてはならない。

 

「ありがとうございました!」

「頑張ってね。貴方とポケモン達なら何処までも行けるはずだから」

「はい! 失礼します!」

 

一分一秒でも立ち止まっていられない。

ポケモンセンターに寄った後、スクールの資料を読ませてもらわなければ。

モココと一緒に走り出し、どんどん小さくなっていく後ろ姿をビオラはカメラを構えてフィルムに収めた。

 

 

「タイトル『走り出せ、前向いて』。…………『Take off!』でもいいかしら?」

「意地悪ね」

 

「姉さん、来てたの?」

「ええ。あのメンバー、どう見てもランク0のトレーナーに出すメンバーじゃないわよ」

 

アメモース、デンチュラ、ビビヨン。

どれも最終進化形態であり、未進化ポケモンとは比べ物にならない強さを持っている。

駆け出しから初心者が多く属するランク0のトレーナーに対する昇級試験としては難易度が高すぎる。

 

「バレちゃった?」

 

ビオラはテヘペロと、舌を出す。

パンジーの指摘通りアトリの相手をしていたメンバーはジムバッジを4つ持っているトレーナー。即ちランク5の審査用のメンバーだ。

 

「フラダリ社長から要望があったのよ。『彼は既にランク4くらいの実力があるからジム戦はそのレベルに合わせて』ってね」

「気の毒……」

「『人生を左右する大事な勝負で油断して負けるような奴はいらん』だそうよ」

「相変わらず厳しい人ね」

 

そう、フラダリは厳しいのだ。フラダリラボ所属になる以上、彼には企業に利益を還元する義務が生じる。その厳しい条件に妥協はしない。

だが、裏を返せばそれはそれだけ彼のこれからに期待しているとも解釈できる。

彼は出来ないことをやれとは絶対に言わない人間である。

なんにしても、

 

「前途多難ね」

「そうね。けど、彼ならきっと大丈夫」

 

嘆息交じりに言うパンジーの言葉にビオラは笑った。

 

3

 

「今日はありがとうございました」

 

モココをモンスターボールに戻し、ジーナとデクシオに最敬礼をした。

 

「ギリギリだったね」

「はい、ギリギリでした」

 

デクシオのやんわりとした、それでいて鋭いツッコミにアトリは苦笑を零した。

 

「けど、自分自身の課題もはっきりしました。克服のためにどうするべきかはまだわかりませんが、それを認識できたことは、収穫だと思います」

「前向きだね」

 

そうだ。

行き詰っていた自分自身にもまだまだこんなに伸び代がある。そのことが純粋に嬉しい。

ないものを羨んで後悔するのはもう嫌だ。

『才能』が如何とか言うのは、やるべきことを全部やった後だ。

余裕のなかった頃は『才能』が全てだと思っていたが、こんな風に考えられる日が来るとは。

人生というのは本当にわからないものである。

1%の発想がないなら、ある奴から吸収すればいい。その上で、それを『対策』『模倣』して自身の強みとする。それがフワ・アトリのトレーナーとしての目指すべき道。

 

「今日の失敗をただの失敗として終わらせない。失敗を次に生かしてこそ、失敗した甲斐があるってモンですよ。その為には落ち込んでいる暇なんてありません。今直ぐにでもやれることをやっていかないと」

「その考え方よくってよ! このジーナ、責任を持ってフラダリさんにあなたを推挙いたしましょう!」

「そうだね。内容はどうあれ君はフラダリさんの出した課題をクリアした。悪いようにはならないと思うよ」

「ありがとうございます」

 

前向きな返事を得られて胸を撫で下ろす。挨拶もそこそこにデクシオとジーナと別れ、トレーナーズスクールへと足を向ける。今日、生徒たちはミアレシティへの社会見学へ行っているので鉢合わせする心配はない。

即ちそれはアトリが自分の調べものを存分に出来るということだ。

抑えきれない高揚がアトリの足を速くする。

 

いよいよだ。

いよいよ、ポケモントレーナーとしてのスタートを切れる。

それまでにやれることをやっておく。

ふと学長やジョゼット、生徒たちに監督、現場の先輩たちの顔が脳裏に過った。

次に進むという事は、彼らと別れるという事だ。

 

オレはあの人たちに、何かを返せるのだろうか。

 

考えても仕方がないので一旦保留した。

スクールに着き学長に鍵を開けてもらい、資料室の本を読み漁った。

 

「ビビヨン……覚える技は粉系全般……。粉塵を持っているかもしれないというのは炎タイプのポケモンと対峙した時の駆け引きとしてつかえる。種族としての能力は高いとは言えないが、『眠り粉』と『蝶の舞』の合わせ技が填まったときの爆発力は凄まじいの一言。トレーナーの技量が問われるテクニカルタイプってところか……」

 

そこまで調べて一旦思考を打ち切った。

 

「騒がしいな……」

 

慌ただしい雰囲気に怪訝な顔をする。

生徒たちはミアレシティに行っていて、先生たちもほとんど引率に着いて行っているはずである。何かあったのだろうか。

 

「アトリ!」

 

そう思った直後、血相を変えた学長が資料室に飛び込んできた。

 

「学長。如何したんですか?」

 

只ならぬ気配を感じ取り、アトリも気を引き締める。

 

「何かあったんですか?」

「ミアレシティに行っていた家の生徒が強盗に襲われたって!」

「はあ!? ちょっと待ってください!」

 

何故襲われたのか。引率の先生は何をやっていたのか。何を盗られたのか。

色んな事が一瞬で頭を駆け巡ったが、一拍間を置いて、まず何を訪ねるべきか逡巡した。

 

 

「怪我人は!?」

「不幸中の幸いなのか、軽傷ですんだけど連れて行ったポケモンを奪われたそうなの」

「生徒の名前は?」

「…………ジョゼット・ジョースター」

 

4

 

「ジョゼット!」

 

警察の事情聴取から解放され、母親と共にスクールに戻ってきた。

学長と親が話をしている間、ジョゼットはアトリと対面していた。酷いショック状態に陥っていて、俯いたまま黙して語らない。

 

「大丈夫か?」

 

必死に言葉を探して第一声がそれである。

大丈夫なはずがないというのに。自分の言葉選びの稚拙さに嫌気がさす。

ジワリと眼尻から涙が流れ落ちる。その様子が痛々しく眉間に深い皺を寄せる。

 

「ピカチュウさんが……」

「ああ、聞いている」

 

隣の椅子に座ったアトリはそう応じた。

大まかな概要はアトリの耳にも入ってきている。

社会見学の自由時間に単独行動をして、路地裏に迷い込んでしまったところを『ポケモンを寄越せ』と脅された。

彼女とピカチュウも必死に抵抗を試みたが、捕まえたばかりのピカチュウでは力及ばず、ジョゼットも大人の力に叶うはずがなく、強引にモンスターボールごとピカチュウを奪われてしまったとのことである。

 

「私はトレーナーだから、守ってあげないといけなかったのに……!」

 

顔をグシャグシャに崩し、泣き崩れる。頬は痛々しいほど腫れ上がっていた。

 

アトリは神妙な面持ちで彼女が落ち着くのを待っていた。

シビアな言い方だが、今回の一件はジョゼットにも非がある。勿論、ジョゼットのポケモンを奪った犯人が一番悪いのは言うまでもない。だが、そんな悪意から身を守る予防策は心得ておくべきである。

カロス地方に来たばかりのアトリでも知っているほど治安の悪さに定評のあるミアレシティ裏路地に――しかも、最近強盗事件が多発しているにもかかわらず――子供1人とポケモンだけで歩けば無防備を晒しているようなものだ。

それを防ぐために、自由行動中は必ず3人以上で行動するように口を酸っぱくして言ってきたというのに。

そう思う反面、その軽率さを責める気にはなれなかった。

ジョゼット・ジョースターはクラスで孤立している。対人関係が不器用で、その内向的な性格も手伝って同年代とのコミュニケーションが上手く取れていない。

そんな彼女が楽しそうな雰囲気の中に――笑い声の中に独りぼっちの人間は辛くて、居た堪れなくて身を置けるはずがない。だからこそ、唯一の友達であるピカチュウと共に集団を離れてしまったのだろう。

 

情けない。彼女の孤立を知っていながら、アトリは何もできなかった。

孤立した人間がどうやったら輪に戻れるのか。

適当にヘラヘラとその場を取り繕って、真っ向から向き合う事を避けていた自分にはその知恵がない。

アトリに出来るのは、精々今まで培ってきたポケモンに関する知識を彼女に教える事だけだ。本当に役に立たない。

 

更に号泣するジョゼットの横について、彼女が落ち着けるように慰めるように頭を軽く撫でながら見守っていた。

1時間ほどして落ち着いたのか、鼻を啜りながら顔を上げる。

 

「大丈夫だ。きっと警察が何とかしてくれる」

 

確証がない気休めもいいところだが、今は彼女の精神状態を前に向けることが先決だ。

何も言わず、頷いた。

 

少しだけ前向きになったジョゼットに安心したように微笑を浮かべる。

今は信じて待つしかない。それ以外に何もできないが、それだけは出来る。

その時、ドアがノックされた。「どうぞ」と促すと控えめに開かれたドアから入ってきた女性のあまりの美しさに目を奪われた。

 

綺麗な人だ。

顔のパーツがどこをとっても恐ろしい程整っている。

腰まで伸ばした金糸の様なきめ細かい金髪。

タレ目がちで、ジョゼットと同じところにある泣きぼくろが妙な色気を醸し出している。

常に浮かべている穏やかな笑顔が更に雰囲気の柔らかさを強調している。

 

ジョゼットの母という事は30歳以上だろう。だが、そうとは思えないほどの美貌を保っている。アトリの母のサキも相当な美人ではあるが、ジョゼットの母の美しさは格が違う。

 

「初めまして。ジョゼットの母です。娘がいつもお世話になっております」

「あ、いえ」

 

貴婦人の様な優雅なお辞儀。あまりにも品のある仕草にアトリは言葉が上手く出てこず戸惑った。

 

「でも、もう結構ですので」

 

表情をまったく変えないまま、声のトーンが落ちる。

一瞬アトリは彼女が何を言っているのかわからず、目を丸くした。

 

「トレーナーズスクールを辞めさせることにしましたの。ジョゼットは将来ジョースター家に相応しいだけの殿方と結婚するのです。こんな場末の学校ではなく、相応の学歴がないとお話になりませんわ」

「え? ちょっと待って。どうして――お母様、勝手に、決めないで……」

「決めてあげてるのですよ」

 

ジョゼットの反論をあくまで柔らかく、言い聞かせるようにジョゼットの母はそう言い放った。

 

「聞き分けのないことを言わないで。ポケモントレーナーとしての知識などあなたの将来には何の役にも立たないでしょう」

 

やはり表情を変えることはなく、穏やかな笑顔のまま淡々とした口調で言い続ける

アトリはここで初めてジョゼットの母の異様さに気が付いた。

彼女の穏やかな笑顔は仮面の様だ。人形の様に整った顔が余計にそう連想させるのかもしれないが。

 

「ちょっと待ってください、お母さん。貴方は今、ご自分で何を言っているのか、本当に理解されていますか?」

 

見かねたアトリは苦言を挟む。

 

「何を言っていますの?」

 

アトリの方を向く、ジョゼットの母の表情にやはり変化はない。

 

「ああ、『場末』と言ったのがお気に障ったのでしょうか?」

「違います。そんなことはどうでもいいんです」

「お若いようですが気楽でいいですわね。悩みなんて軽いものしかないのでしょう。子供なんて自我ばかり強くて……。つい先日もこの学校を辞めるようにいったら、私達への嫌がらせの様に、あろうことかジョースター家に相応しくない野良のポケモンを捕まえて家の敷地に上げて困りましたのよ」

 

この手応えの無さはなんだ?

会話をしているはずなのに、根本的なところをのらりくらりと躱されてしまっている。

彼女が初めて自分の力で勝ち取り、大切に育てようとしていた絆をこんなに軽く見ている。

あの時ジョゼットがどれだけ頑張ったか。どれだけ喜んだか。そういったものをジョゼットの母親はすべて黙殺してしまっている。

果たして彼女は本当にちゃんとジョゼットのことを見ているのだろうか?

 

子供の将来を案じて指図するのは『親』という立場上、あってしかるべきだ。だが、彼女の言っていることは、『子供の選択肢』を無理やり削ぎ落として、自分の定めた理想の型に嵌めようとしている。それは、子供の意思を無視した『支配』でしかない。

 

「…………私は、お母様にとって、ただの道具……?」

 

か細い声で発したジョゼットの言葉に背筋が寒くなった。

精神的に相当思い詰めていなければ、12歳の子からこんな言葉が出てくるはずがない。

これはジョゼットの出したサインだと、アトリは直観的にそう思った。

だが、それに対する母親の態度は冷淡だった。

 

「だったらなんだというのですか?」

 

アトリは一瞬耳を疑った。

 

「いい加減になさい。馬鹿はディーオだけで十分ですわ。貴方はわたくし達の言う通りしてればいいので――」

 

ドガッ!!  と、机を殴りつける音が教室に響く。

石のように固まっていたジョゼットも思わず首を竦めた。

恐る恐るアトリを見ると、射殺さんばかりの怒りの眼差しをジョゼットの母に向けている。

表情を崩すことのなかったジョゼットの母親は目を見開き、慄いた。

 

緊迫した空気が張り詰め、息苦しさを感じる。長い3秒を経て、

 

「……今のなし!」

 

我に返ったアトリは曖昧な笑みを浮かべて、手をバッテンに交差させる。

ジョゼットは思わずズッコケた。

 

「お母さん。貴方には貴方の価値観があるのでしょう。僕には理解できませんが、それは否定はしません。貴方にしてみれば未熟で稚拙なのかもしれません。ですが、彼女なりに真剣に取り組んでいるのです。結果失敗したとしても、それは必ず次に生きてきます。だから、『ダメだ』と決めつけないで、ジョゼットの話もちゃんと聞いてあげてください。お願いします!」

 

ジョゼットの母は深く頭を下げたアトリを鼻で笑うと、ジョゼットの手を引き、教室を出ていった。

残されたアトリはやりきれない表情を浮かべて、深刻に何かを考え込んでいる。

ふと浮かんできた考えを否定するように左右に激しく首をふった。

 

「いやいや、待て待て。何考えてんだオレ?」

 

普通はこういった事は警察に任せるのが筋なのであろう。

彼らは日夜犯罪者を捕まえる為に訓練を続けているその道のプロだ。素人が出しゃばって、首を突っ込んでも足を引っ張るだけである。

 

だが、それでも――。

 

ポケモン強盗は刑法では『窃盗事件』として扱われる。

警察の仕事はあくまで犯人を逮捕することであって、盗まれたポケモンを取り返すのは民事の分野だ。そして警察は民事不介入。

12歳のジョゼットが民事裁判を起こすのは不可能。

普通ならそこで親が子供に変わって民事を起こすだろうが、あの親がジョゼットの意を汲んで、彼女のピカチュウを取り返す為に動くだろうか。――ありえない、と即断定した。

 

 

諦めがついたかのように、大きなため息をつく。

色々と細かいことは気になるが、全部開き直った。

 

ならば、やるべきことは一つだ。

自分のやろうとしていることは、己の分を弁えない愚か者の行為だ。

アトリはどちらかというと、悲観的現実主義者だ。ヒロイズムなんて肌に合わないし、人助けなんてもっと柄じゃない。

その上、これは完全なボランティア。アトリのこの世で一番嫌いなタダ働きだ。

それでも、近しい人間が泣いているところを見捨てられる程、冷血になったつもりはない。

そして何よりも、他人の大事にしているものを平然と踏みにじる腐った根性が気に食わない。

 

ホロキャスターを手に取り番号を入力して、連絡をとった。

 

「もしもし、プラターヌ博士? すみませんけど、今夜からしばらくそっちに泊めてくれません? …………え? いきなりどうしたって?」

 

それは勿論、

 

「残業ですよ。サービス残業」

 

 

 



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第18話 八つ当たりだッ!

 

1

 

受け取ったメールに書かれていた文章はひどく簡素だった。

 

ジム戦突破。

フラダリラボがスポンサーについてくれるかもしれない。

 

セレナは微笑を浮かべて何度も何度も文章を読み返す。

絵文字も顔文字もなにもない本当に愛想の欠片もないたった一つのメール。

だが、彼女にとってはどんな情熱的なラブレターよりも大きく心を揺さぶられる。

アトリが自分を追いかけてきてくれる。

また、彼と競いあえる。

それが嬉しくて、高揚が抑えきれなくなってしまう。

あの日交わした約束を思い返さない日は1日たりともなかった。

慈しみに満ちた笑顔で、小指を包み込む。

 

「いやらしい笑い~!」

 

対面して座っていたサナは注文していたカフェオレをウェイトレスから受け取りながら茶化した。

 

「アトリから?」

「……どうしてそう思うの?」

「なんとなく?」

 

そう言ってストローでグラスの中の氷を掻き回す。

 

「ねえ、前から思ってたことをズバリ聞いていい?」

「なに?」

「セレナってアトリのこと好きなの?」

 

サナの疑問に対し、セレナが返すのは微笑。

 

「私たちはライバルよ」

 

セレナはアトリを必要としている。同じ道を歩み、同じ目標に向かって鎬を削り高め合う。そんな相手はアトリ以外にあり得ない。

 

「そうじゃなくてー、ライバルとして以外に」

「そうねー……」

 

サナの投げた問い掛けに少しの間黙考する。

 

「バカで、頑固で、融通がきかなくて、出来の悪い弟みたいなかんじかしら?」

 

可哀想アトリ! と、サナは遠く離れた友人に心底同情した。

あれだけ矢印を出しているにも関わらず、『出来の悪い弟』扱い。

それにしても、彼女は本気でそう思っているのだろうか。

あれだけ彼を気にかけているにも関わらず、彼女は自覚がないのならば。

 

「セレナってさー」

「ん?」

「ポケモンのこと以外は本当に鈍いよね……」

「心外な評価ね。自分ではしっかりしているつもりだけど」

 

飲んでいた紅茶を飲み干して、カフェから出る。

 

そんな風景には特に興味を示さず、セレナは時計を確認した。

 

「そろそろ研究所にいきましょうか」

「そだね」

 

プラターヌ博士との約束の時間まであと1時間ほどあるが、早く行って研究所の仕事を見学させてもらうのもいいかもしれない。そう考えた矢先であった。

雑踏の中一匹のニャスパーと目が合った。

 

「うっ……!」

 

セレナの頭に何か流れ込んでくる。

フラッシュバックするイメージ。そこから垣間見たものは――――赤いスーツの男達が勝負に負けたポケモントレーナー達からモンスターボールを強奪する場面であった。

大事なパートナーたちを奪われ泣き、嘆き、悲嘆に暮れるトレーナー達。

気心しれたトレーナーから強引に切り離され、怖がっているポケモン達。

その様子を見て嘲笑する赤スーツ達。

その気持ちがダイレクトにセレナに伝わってくる。

 

「――レナ、セレナ!?」

 

サナの声に我に返る。

ニャスパーのいた場所に視線を戻すと、既にそこには

先ほどの白昼夢はいったい何だったのであろうか。身に覚えのない出来事だったにも関わらず妙なリアリティが感じられた。

 

普通ならこんな白昼夢など取るに足らないことなのだろうが、最近このミアレシティで恐喝、強盗、紙幣偽造などの事件が頻発していることを鑑みるに、無関係と一笑することは憚られる。

 

少し、調べた方がいいのかもしれない……。

 

2

 

「――――――」

 

アトリは眼前に広がる圧倒的な建造物群に言葉を失っていた。視界に納まる範囲でもシンオウ地方最大の都市コトブキシティの5倍以上はある。

 

華やかな雰囲気の店舗がひたすら並列しており、煌びやかなネオンがそれを彩る。

 

ここはカロス地方一の大都市――ミアレシティ。整備された石畳に西洋風にアレンジされたビル群に囲まれたコンクリートジャングル。世界一の華やかさを誇る都市であり、眠らない街の異名を持つこのミアレシティには世界中から観光客が絶え間なくこの町を訪れる。

中心部にそびえ建っているプリズムタワーはこの町の象徴であり、ポケモトレーナー達にとっては試練の場所でもある。

田舎者のアトリにはひたすら目が痛い光景だ。長くこの中に晒されていると酔ってしまうかもしれない。プラターヌポケモン研究所までの地図を片手に歩き出した。

そして1時間後――――

 

「迷った……」

 

言葉の通り迷子である。

プラターヌポケモン研究所はハクダンシティ側のゲートを通り抜けて西へ真っ直ぐ。

普通なら約15分で到着できるはずだ。だというのに、4倍の時間をかけても、一向に辿りつけない。あまつさえ、こんな薄暗い如何にも治安の悪そうな場所に紛れ込んでしまうとは。

自分の方向音痴っぷりに思わず頭を抱えてしまった。

 

「と、とりあえず来た道戻れば元の場所に戻れるよな、うん」

 

でっかい独り言の後更に歩き出す。

そうして更に迷ってしまうアトリであった。

 

3

 

《邪魔なら始末すればいいわ》

 

一人の甘い粘液の様な声が通信機から聞こえてくる。不穏な指示を躊躇うことなく部下の男に下した。

敵対組織の排除。

下知を受けた部下の男は恐怖で声を震わせながら、イエスマンとなった。

少しでも彼女の機嫌を損ねれば、始末されるのは自分だとわかっているからだ。

通信機越しの上司の顔はさぞ凄惨な笑みを浮かべているのだろう。

 

《……失敗すれば、わかるわね……?》

 

冷酷な口調でそう言い放つ上司に部下の男の背筋に寒気が走った。

何としても任務を全うしなくてはならない。でなければ待っているのは――――

 

赤いスーツの男はすぐさま行動に移した。

 

4

 

人目を憚るミアレシティの路地裏に似つかわしくない美女を見て、不良少年三人は口笛を吹いた。

スレンダーな体躯だが、女性特有の凹凸がハッキリしているスーパーモデル体型。

日に焼けた肌を惜しげもなく披露しているヘソ出しノースリーブにサイドリボンの穴空きジーンズという格好も見る者に扇情的な印象を焼き付ける。

そのたたずまいは妖艶の一言。

こんな上玉を放っておく手はない。

 

「へいへいへいオネーサン。ミアレの裏路地を一人で歩いてると危ないぜ?」

「そうそう。悪ーい奴等にいけないことされちゃうぜ?」

 

お決まりの台詞を吐いて、女性の腰に手を回す。

赤いサングラスに越しの眼が歪んだ。

 

「……そう。貴方達――――死にたいのね?」

 

凄惨な冷笑を浮かべた直後のことだった。

 

「ここは何処だァァァァァッ!!!!」

突然の大声に驚き、発生源に視線を向ける。陰鬱な雰囲気の少年が力なく崩れ落ち、打ちひしがれていた。どうやら田舎者が路地裏に迷い込んでしまったのだろう。このミアレシティでは珍しい事ではない。

不良少年三人は顔を見合わせて下卑た笑いを浮かべる。

どうやら「こいつを財布にしよう」という思考が一致したようである。

 

「坊ちゃん、俺達よお、今からこの美人とデートしに行くんだけどよお、懐がちょっとばかり心許ないんだ」

「つーわけでぇ、恵まれない俺達に金貸してくれねえ? 拒否権はねえけどよぉ!」

「………………」

「おい、何シカト決め込んでんだよ! 大人しく有り金全部差し出すのと、殴られてから有り金全部ぶんどられるか――「ウガ―――――――――――――――――ッ!!!」――オゴォ!?!?」

「きょ、兄だぁぁぁぁいッ!!?」

 

咆哮と共にバッドボーイAの股間に蹴りが炸裂。白目を向いて泡を吹いている男の体は空中で綺麗な弧を描き、そして――――尻からゴミ箱に突っ込んだ。

 

「ちょ、お前なにしてくれちゃったの? 今、兄弟が軽く1メートルくらいは飛んだんだけど!?」

「信じれば人は飛べるハズ」

「訳が分からねえよ!?」

「って言うかシメる! ボコる! しばき倒すッ!!」

「こいつワンテンポ遅いぞ!?」

「なんだってミアレシティはこんなに広いんだ!? 一本道の筈だろ!? どうなっていやがる!?」

「知らねえよ!」

「この鬱憤、晴らさでおくべきかッ!!」

「ええい、話にならねえ! ――行け、シシコ!」

「バオップ!」

 

赤いたてがみをはためかせる若獅子ポケモンと炎タイプの三猿が姿を現す。

対するアトリは、カロスに来てから一度もバトルで使っていないモンスターボールを取り出した。

 

「ハッサム!」

 

流線型のフォルムを持つ赤いポケモンは不快感を隠すことなく大きな舌打ちをした。

面倒なところに呼び出しやがって。ぶっ殺すぞ。と目で訴えている。

ハッサムの右目の傷に気付いたバットボーイズ達はあからさまに嘲笑した。

 

「なんだ、そんなポンコツで俺達とやろうってのか?」

 

あからさまな侮蔑に過去に高見に立っていたハッサムのプライドが痛く傷つく。

この怪我の所為で、ハッサムはかつての実力も、トレーナーからの信頼も、

好きでこんな風になったわけではない。鋏を握り込み悔しさのあまり、身震いした。

 

「バカめ、こいつを甘く見るな」

 

毅然と言い放った暫定トレーナーの言葉にハッサムは俯きかけた顔をあげた。

 

「確かにこいつはハンディキャップがあるさ。けどな、それでもオレはこいつの実力に惚れたんだ。いいことを教えておいてやる。バトルではな、1+1が2じゃなくて3にも4にもなるんだよ」

 

忘れ去っていた筈のトレーナーからの信頼の言葉がその悔しさを霧散させる。

 

「ははっ、馬鹿かテメーは! そんな欠陥品ごときバオップとシシコの敵じゃねえ!」

「タイプ相性一から勉強し直せよ。まあ、病院行った後になるだろうけどなぁ!」

 

ハッサムの口元が少しだけ――、誰にもわからないくらい少しだけ綻んだ。

 

――別にアレを倒してしまっても構わんだろう?

 

「遠慮はいらねえぞ。いくぜ、フルボッコ!!」

 

指示に応じるようにファイティングポーズをとるハッサム。

アトリもコメカミを軽く指で叩き、臨戦態勢に入る。

反発している様でいて――正確にはこの意地っ張りなハッサムが一方的に嫌っているだけだが――この一人と一匹、実は似た者同士である。

 

「舐めるな! 俺たちゃ天下のランク3! その辺の雑魚とは違うのだよ、雑魚とは!!」

「俺達地獄三兄弟自慢のコンビネーション見せてやるぜ!」

「ごちゃごちゃウルセエ。口喧嘩しに来たわけじゃねえんだろ? オレの言葉を否定したいのなら、実践してみろ!」

「「死ねよやあああッ!!」」

 

怒声と共にシシコとバオップをけしかける。

迎え撃つハッサムはゆらり、と柳が揺れるような動きと共に一瞬で間合いを詰める。

左側から来るのはわかっていた。死角から飛んでくる火を最小限の動きで回避。

すれ違いざまに相手の二匹を倒すや、否やバッドボーイB,Cにボディブローを食らわせ、意識を刈り取っていく。

 

「スゲェ……」

 

決着は一瞬だった。その洗練された戦い方にアトリが指示を出す隙が一切ない。

隻眼というハンディキャップを持ちながらも、そんなものものともしない程強い。

一体全盛期のハッサムはどれ程の実力を持っていたのだろうか。アトリの貧相な想像力では思い描くことすらかなわない。ハッサムは勝利宣言のように鋏を高く掲げた。

 

「スゲェぞ、ハッサム。お前、そんなに強かったんだな!」

 

惜しみない称賛を送った。

高く掲げた拳をぶつけ合おうと近づくが、

 

「って、アタタタタタタタタッ!!」

 

世紀末の様な怪鳥音を発する。決して暗殺拳を振るっているわけではない。

ハッサムの開いた鋏が頭部をスッポリ収めて締め上げている。

『アイアンクロー』である。

鋼タイプのハッサムだけに。などとつまらない事を考えている暇もない。アトリの頭部が悲鳴を上げている。このままでは患っている不治の病(馬鹿)が余計に悪化してしまう。

この病に効く特効薬がない以上、更なる悪化は避けなければなるまい。

 

「も、戻れ、ハッサム~!」

 

裏返り気味の情けない声と共にモンスターボールの中にハッサムを戻す。

しばらく痛みで悶絶していたが、やがて気を取り直して絡まれていた美女に向き直る。

 

「大丈夫ですか、お姉さん?」

「ええ。おかげで助かったわ」

 

精いっぱい格好つけているが、痛みの所為で涙目である。

 

「強いわね、格好いいわよ」

 

女性はアトリに近づき怪しげに微笑むと慣れた仕草でその頬を撫でる。女性慣れしていないアトリはたちまち赤面した。

 

「あ、あの……」

「なにかしら?」

 

艶めかしい笑みに対して鼻の下が伸びるのを必死に堪え、状況を打開するための問いを投げかける。

 

「プラターヌポケモン研究所は何処でしょうか?」

 

5

 

女性に連れられ、路地裏からイベールアベニューに、そこからノースサイドストリートに出て西に真っ直ぐ進むこと約30分。やっとのことでプラターヌポケモン研究所に到着した。

 

「嗚呼、会いたかったよプラターヌポケモン研究所……。もう君を離さない!」

 

感無量とばかりに滂沱の涙を流しながら門にへばり付き、頬擦りするアトリに通行人の奇異の視線が集まった。

 

「ありがとうございます。助かりました」

「ミアレシティは広いからね。迷うのも無理ないわ」

「ハ、ハハハ……」

 

乾いた笑いでお茶を濁す。先程の醜態を思い返すと羞恥心で顔を覆いたくなる。

 

「何かお礼をしないとね」

「いえいえ、お構いなく」

「そういうわけにはいかないわ」

「うーん、それなら一つだけ伺ってもいいでしょうか?」

「どうぞ」

「最近ミアレシティで何か変わった話を聞きませんでしたか? どんな些細なことでもいいんです。何かあったら教えてください」

 

女性はしばらく考え込むそぶりを見せた。

 

「そうね……。関係あるかどうかはわからないけど……、」

「お願いします」

「妙な噂があるわ」

「それはどんな?」

「サウスサイドストリートの路地裏の何処かで足音が聞こえてくるという話よ。噂では三千年前カロス地方で起こった戦争で戦死甲冑の騎士の亡霊が自分の首を探して夜な夜な彷徨っているとか……」

 

アトリの口元が引き攣った。

 

「あ、生憎ですがそういう科学的に信憑性のない話は信じてないんです!」

「貴方は科学で証明できないものは信じないってクチ?

信憑性のない話でも根拠はあるわ。このミアレシティは三千年前、最も大きな戦いがあったと伝わっているわ。そんな場所なら怨念の一つや二つ、残っていても不思議じゃない」

「い、いや~……。ひ、冷えますね」

「そうね。そろそろ日没かしら?」

「と、とにかく貴重な話ありがとうございました! 暗くなる前に帰った方がいいですよ、うん! 本当なら送っていくべきなんでしょうが、また迷ってしまっては本末転倒です。決して幽霊話が怖いわけではなく!!」

「そうね。そういうことにしておきましょう」

 

女性の眼がまるでアトリを値踏みするように細くなる。

果たして彼は動くか、臆して逃げ出すか。

少なくとも腕は立つ。捨て駒としては上等すぎるくらいだ。

成功しても、失敗しても自分たちの組織には何のダメージもない。

 

「じゃあね、貴方なかなか素敵だったわよ」

 

そう言って女性は大人の微笑みを見せる。その甘くも苦い表情は間近で見たアトリの心を掴んで離さない。

アトリの頬に唇を寄せて去っていく。アトリは小さくなっていく彼女の背中から視線を外すことが出来なかった。

 

「素敵、かぁ~」

 

今まで全く縁のなかった形容詞を自分に使われ、浮かれずにいられる人間がいるだろうか。いや、いない!

去って行った彼女の唇の柔らかさを思い返し、相乗効果で口元がだらしなく開いた。

 

「へえ? 楽しそうじゃない」

 

不意にかけられた聞き覚えがあり過ぎる声に血の気が一気に引いた。

ギギギ、と壊れたブリキ人形の様な動作で後ろを振り向く。

アトリの背後に立っていたのは自他ともに認める彼のライバルの少女――セレナである。

彼女の表情は満面の笑顔。だが、その眼はまったく笑っていない。

正直言って最高に怖い。半端ではないプレッシャーで冷や汗が止まらない。

その上、心なしかセレナの方からダイヤモンドダストが飛んできているような気がする。

 

「『私を追ってきてくれる』って言ってたのに、こんなところであんな美人とデート? 随分と余裕ですね、アトリさんは」

「えっと……、違うんだセレナ。オレの話を聞け! 二分だけでもいい!」

 

まるで浮気現場を押さえられた夫の様な台詞だが、アトリの心情的にはあながち間違いとは言い難い。アトリの必死の弁明に対し、セレナが浮かべるのは冷笑で応えた。

 

「関係ないわ。私とあなたはただのライバル。それ以上でもそれ以下でもないんだから」

「わ~おッ! 絶対零度ぉッ」

 

いつもの軽口もどこか寒々しい。

心底不愉快そうに鼻を鳴らし、研究所の中へと入っていった。

取り付く島もなく、手を伸ばし途方に暮れるアトリ。その様子を少し後ろで撮影していたサナがポン、と彼の肩を叩いた。

 

「……サナ」

「浮気サイッテー♪」

「ち、違うんだァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!」

 

アトリの悲痛な叫びが夕暮れのミアレシティに空しく響いた。

 

 

 



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第19話 ど根性ガエル

 

 

1

 

「何やってるんですか?」

 

プラターヌポケモン研究所にやってきたトロバは目の前の状況が理解できず口元をひくつかせた。

一緒に来たティエルノは横で笑い転げている。

 

彼の視界に入ってきたのは何故か静かに怒っているセレナ。彼女に対してDOGEZAをしているアトリ。その様子を面白がって動画撮影しているサナであった。

 

「アトリがね~、浮気したの」

「異議あり! 不適切な発言は慎んでいただきたい!」

 

《じゃあね、貴方なかなか素敵だったわよ》

 

ホロキャスターの動画機能を立ち上げて件の女性がアトリの頬にキスした決定的瞬間を再生する。流石、カロス地方が誇る大企業が開発したデバイス。3Dで映し出される動画の画質は他地方の技術の追随を許さない。アトリのだらしなく緩み切った表情までバッチリと再現されていた。

それを見たティエルノは笑いすぎて引きつけを起こし、トロバは「やってしまいましたね」という視線を送り付け、セレナの機嫌は更に悪くなった。

 

「何撮ってんだよテメーはァァァッ!!」

「思い出沢山出来るかな?」

「そんな思い出いらんわ! そもそもなんでオレ謝ってんの!? オレとセレナって別に付き合ってるわけじゃ――なんでもありませんすみませんごめんなさい」

 

ギロリと睨みを効かされた。とんでもないプレッシャーを放つセレナに対し、再び平身低頭。細かい理屈はさておき、この場は謝っておいた方がよさそうだ。

 

「やあ、お待たせー……ってどうしたんだい、アトリ。まるでミアレシティに到着して早々道に迷って、絡まれている女性を颯爽と助けた女性に道案内してもらい、別れ際にお礼としてキスされた現場を彼女に見られたようじゃないか」

「見てきたような予想ありがとよ! 大当たりだよチクショーめェッ!」

 

何処かの総統閣下の様な叫び声をあげたところで、プラターヌは困ったように肩を竦めた。

 

「セレナ、その辺にしてあげたらどうだい? 彼も反省しているみたいだし」

 

おお、とセレナの怒気に慄いて、傍観に徹していた3人から感嘆の声が上がった。

 

「流石博士! 僕たちに言えないことを平然と言ってのけるッ! そこに痺れる! 憧れるゥ!」

「浮気の一つや二つ、大したことではない。私が若い頃だったら、そのままホテルへ――」

「「少しは自制しろッ!!」」

 

アトリとセレナのツッコミが見事にハモった。

 

2

 

「よく来てくれたね」

 

叔父の言葉に背筋を伸ばした。無精ヒゲに見せかけて緻密に整えられた顎鬚を蓄え、やや癖のある髪をワックスで無造作にセットしたプラターヌを見て心の中で舌打ちした。

 

我が叔父ながら腹の立つほどイケメンである。イケメンこじらせて【検閲削除】ほしいくらいのイケメンである。

 

「これを君に」

 

プラターヌが差し出したのはモンスターボール。

 

「これは?」

「中に入っているのはカロス地方の御三家。泡ガエルポケモン――ケロマツだよ。この子の育成を君に任せたい」

 

泡ガエル、ということは水タイプのポケモンだろう。攻撃面でも防御面でも優秀な水タイプは是非手持ちに迎え入れたいポケモンである。だが、

 

「……いいんですか?」

 

伺うような視線をプラターヌに送る。

一度は断ったというのに、こんなにアトリにとって都合のいい展開があっていいのだろうか。タダより高い物はない、という。受け取ったが最後、手痛いしっぺ返しを食らうなんてこともありえるのだ。

 

「勿論、ポケモン図鑑のデータ集めは請け負ってもらうけどね。基本的には君の旅の目的を優先してもらって構わないよ」

「僕にとって都合よすぎませんか?」

「そうかもしれないね。けど、それでも僕は君にこの子を託したい、と思ったんだ。」

 

プラターヌから向けられる真っ直ぐな信頼。猜疑心が強く、八つ当たりの嫌悪を向ける自分は果たして彼の信頼に値する人物だと言えるのだろうか。

 

「それにね、甥っ子の夢を実現させる手伝いくらいはしたいよ」

 

悪戯っぽく言うプラターヌにしばらく呆気にとられ、黙って頭を深く下げた。

口には出せないが最大限の感謝を込めて。

ケロマツの入っているモンスターボールをプラターヌから受け取ってボールを開いた。

 

「初めまして、だな。オレはフワ・アトリ。よろしく頼む」

「ケロ♪」

 

某平面ガエルにそっくりな泡ガエルはニッコリ笑って右手を上げた。

 

「アトリ! ポケモンバトルしよ!」

 

サナがウキウキとした様子でモンスターボールを取り出した。

熱烈なラブコールにアトリは苦笑する。タキガワ・サナの実力は未知数だが、ブランクのあるアトリとしては勝負勘を取り戻す為に一戦でも多く受けたいところである。しかし、今回ばかりは時期が悪い。アトリがミアレシティに来た目的は強奪されたジョゼットのピカチュウを奪還することだ。優先順位をそちらに定めている以上、このバトルは丁重にお断りするべきであろう。

 

断ろうと思ったところで再び思案する。ここで断るとして、断る口実はどうする?

アトリのやろうとしていることは言うまでもなく逸脱行為だ。

今、この場で公言すれば絶対にプラターヌ博士にとめられるだろう。

適当な口実を用意するにしても、突発的についた嘘ではどうしても穴が出来てしまう。勘が良く聡いセレナなら絶対にアトリが何か隠していることを察する。下手を打てば巻き込んでしまう可能性だって考えられる。

ならば、選ぶべき選択肢は一つ。

 

「いいよ。ちょうどコイツの育成方針を決めようと思ってたところだし」

「今の間は何?」

「気にするな」

 

勘の鋭いセレナの追及を内心冷や汗を流しながら躱してサナに向き直った。

既に彼女はフォッコをボールから出しており、臨戦態勢に入っている。

 

「1対1でいい?」

「いいのか? フォッコとケロマツだったらこっちが有利だぞ」

「いいの。アタシのフォッコだってかなり強くなってるから! 負けないよ」

「いくぞ、ケロマツ。初陣だ」

「ケ~ロ♪」

 

アトリの言葉に応えるようにケロマツは勇ましくフォッコの前に立った。

 

「あの二人、博士を置いてきぼりで勝手に臨戦態勢入ってますけど止めなくていいんですか?」

「何が?」

 

我に返って慌てるセレナに対し当事者の一人であるプラターヌは「訳が分からないよ?」と言わんばかりに首を傾げる。

 

「だから! 研究機材とかその他諸々ポケモンバトルの余波で壊されちゃいますよ!?」

 

右も左も前も後ろも高そうな研究機材ばかりである。もし壊れてしまえば弁償。そうなればサナは勿論、アトリの借金スパイラルは更に深みに嵌ってしまうだろう。

 

「ああ、それね。多分まともな勝負にはならないと思うよ」

「え?」

 

あっさりと言い放つプラターヌの言葉に目を丸くする。バトルの経験値とトレーナーとの呼吸はサナとフォッコに、タイプ相性とトレーナーとしての一日の長はアトリとケロマツに、それぞれ分がある。セレナの読みではほぼ互角の勝負が繰り広げられると予想される。

だというのに、プラターヌはワンサイドゲームになると予測した。

よほどアトリとあのケロマツの相性がいいのだろうか。それとも、アトリが負ける、と考えているのか。

出来れば親友であるサナには勝ってほしい。だが、アトリが自分以外の誰かに負けるところも見たくない。

矛盾している考えを自覚しつつ、目の前で繰り広げられるバトルを目に焼き付けるべく両者を凝視した。

審判を買って出たトロバの手が上がる。試合開始の合図だった。

 

「フォッコ、『ニトロチャージ』!」

「ケロマツ、全力で回避!」

 

炎で体を包むフォッコを激流の様な速さと、流水のように滑らかな方向転換で自在に翻弄する。

肉眼で捉える事すら難しいスピード。空中でひるがえりケロマツは背中に張り付いた。――――トレーナーであるアトリの背中に。

 

「…………………は?」

 

プラターヌ以外の誰もが状況を理解できず目を点にする。破れかぶれで突撃してきたフォッコのニトロチャージがアトリの股間を直撃する。アトリはたまらず撃沈。青い顔でピクピクと痙攣している。

トロバとティエルノは痛そうな顔で股間を押さえて、目を背けた。

 

「「スタイリッシュ逃走~~ッ!?」」

 

セレナとサナの叫びが研究所中に響き渡る。

ポケモンがトレーナーを盾にするという前代未聞の奇行をやらかしたケロマツは「危なかったZE☆」と言わんばかりに額の汗を爽やかに拭った。

 

 

 

 




ケロマツ   ♂ 特性:激流
臆病な性格。逃げるのが早い。


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第20話 研究所の夜

 

 

1

 

「しっかりしろ、傷は浅いぞ! オーイ!?」

 

元気のない息子に呼び掛けるが、ウンともスンとも言わない。

その形相はひどく切実だった。

未使用のままライジングサン出来なくなるのは非常に困る。男として死活問題だ。

 

「すまないね、アトリ」

 

プラターヌはアトリの肩にソッと手を置いた。その表情は今までにないほど慈愛に満ちていた。

 

「この子は少し臆病なんだ」

「そういうことは最初に言ってくれ!」

 

ポケモンがトレーナーを盾にする珍プレーもそれなら合点がいく。

それを知っていれば無理にバトルさせたりはしない。ポケモンバトルとはあくまでトレーナーとポケモンの同意の上で行われる競技だ。嫌がるポケモンにそれを強いるのはただの虐待でしかない。

 

「けどね、そんな性格とは裏腹にバトル自体は好きなんだ」

「…………、なんて」

 

面倒くさい性格、という言葉を辛うじて飲み込んだ。

 

「いままでウチの研究者達と組んでバトルをしてきたけど、一度も勝てたことがない。怖いが先立って逃げ回るから試合にすらならない」

 

ケロマツは申し訳なさそうに照れ笑いを浮かべた。その様子を見たアトリは僅かに眉を潜める。ケロマツに対して思うところはあるが、今言うべきことではない。

プラターヌ博士から宿泊先を提供して貰うのならば、ここは彼への義理を立てておくべきだろう。

 

「戻れ、ケロマツ」

 

モンスターボールの中にケロマツを戻してプラターヌ博士に向き直る。

 

「申し訳ありませんが、暫くお世話になります」

「ゆっくりしていってよ」

「はい、ありがとうございます」

 

ジョゼットのピカチュウが見つかるまでの間、この研究所に逗留させてもらうことになる。

少し前ならプライドが邪魔をして彼に頼ろうなどと思わなかっただろうな、と自分自身の心境の変化を思ったより好意的に受け止めることができていた。

 

「ところでミアレシティを迷わなくなるようなコツって何かありませんかね?」

 

このミアレシティは広すぎる。土地勘のないアトリ1人では目的地に辿りつけるかすら怪しい。かといって道案内など頼めば、自分勝手な越権行為に巻き込んでしまう恐れがある。

それだけは絶対に避ける為、アトリは是が非でも単独で動かなくてはならない。

 

「だったらこのアプリがお勧めですよ」

 

そう言ってトロバがホロキャスターにマップアプリを転送してきた。ミアレシティの有名どころから裏道までバッチリナビゲートされるマップアプリ。先程案内してくれた女性が言っていた『サウスサイドストリートの路地裏』も入力されていることも確認できた。

これがあればどんな方向音痴でもミアレシティを散策できるだろう。

 

「サンキュー、トロバ」

「ユアウェルカム、ですよ」

「さて、今日は遅いし積もる話もあるだろうからみんな泊まっていってよー」

 

2

 

闘えなくなった途端に、俺は必要ない存在になった。

 

「意地っ張りー」

 

モンスターボール越しのハッサムにロコンは茶化す様な口調で言った。

言われた当人は憮然とした表情を崩すことなく黙して語らない。

 

「まだアトリのことが信用できない?」

「…………人間なんてみんな同じだ」

 

やがてハッサムは重い口を開いた。

 

「信じてる。任せた。頼むぞ。人間は耳触りのいい言葉ばかり並びたてる癖に、必要なくなったら簡単に捨ててしまう」

 

俺は強かった。

強いポケモン同士を交配させて意図的に強いポケモンを作り出す『厳選』と呼ばれる作業。

数多の兄弟の中から選び出された最高の能力を持つストライク。それが俺だった。

卵から孵されてすぐにハッサムへと進化させられ、地獄の様な特訓を繰り返してきた。

重りを付けた上で戦闘に放り込まれて戦闘経験を積み、慣れてきたら苦手とする炎タイプの技を受けさせられた。苛烈な訓練に一日に何度も何度も瀕死になってポケモンセンターと草むらを往復する日々。痛かった。辛かった。毎日辞めたいと思っていた。

それでも、ある日勝利の味を知ってしまった。

運用試験と称されて挑んだ小さな大会。そこで一人で勝ち抜いて優勝をもぎ取ってみせた。

厳しい修行の末、必殺まで昇華した拳で敵が沈まないことはない。ハッサム特有の高い攻撃力と防御力、そしてあるまじき速さ繰り出される炎ポケモンをも寄せ付けない。圧倒的な力の差がそこにあった。

トレーナーに実力を認められた俺はその日のうちに正式メンバーに加わった。

 

そこからは本当に楽しかった。

 

バトルに出ればどんな相手でも常勝無敗。嫌いだった訓練もより一層厳しいものになったが、それすらも勝利するための代償として嫌ではなくなっていた――いや、むしろ誰よりも熱心に訓練に励んでいたという自負もあった。

当時俺を使役していたトレーナーは人格は兎も角トレーナーとしての能力は非常に高い事も、不敗の大きな要因だったと思う。

 

俺はまだまだ強くなる。何も怖くなかった。

いずれ最強のポケモンになり、最強のトレーナーにしてみせる。

いつしかそんな野心を抱いていた。しかし―――

 

ある日、バトル中に右目を傷つけられてしまった。

すぐさまポケモンセンターに担ぎ込まれ緊急手術が行われた。だが、治療の甲斐なく、この右目は光を失った。

故意だったのか、事故だったのか。今となっては分からないし、どうでもいいことだ。

右側からの攻撃に対する対応が出来ない。

負けて。負けて負け越した結果――俺のトレーナーは、俺を解き放った。

 

勝てないオレには居場所はないらしい。

 

登り詰めるにはあんなに時間がかかったのに……落ちるのは本当に、あっという間だった。

 

普通にバトルを行う分には支障はない。だが、全盛期ほどの戦闘能力は期待できない。

たったそれだけの理由で、俺は居場所を放り出された。

 

「身勝手で傲慢。自分の特にならない奴は簡単に切り捨てる。それがニンゲンだ。あのトレーナーだって例外じゃない」

「アトリはそんな奴じゃない!」

 

全身の毛を逆立てて噛みつくように叫んだ。

フワ・アトリはロコンのトレーナーだ。

何処までも着いて行く。何があっても彼を信じ続ける。

フワ・アトリのポケモンであること。それはロコンにとって誇らしいことだ。

そのトレーナーを侮辱することだけは許さない。

 

「アトリのことを知りもしないのに、人間ってだけで決めつけるのはやめろよな!」

「…………、お前は何故あのトレーナーにそこまで義理立てする? 所詮アイツはニンゲン、どんなに近くにいても俺達ポケモンとは相容れない存在だ」

 

犬歯を剥き出しにして唸るロコンを心から案じるような口調で言う。

 

「アトリはリアリストを自称するだけあって現状を正しく認識する目を持っている。それでも自分達が借金苦で首が回らなくなってるときだって、僕たちを手放そうとしなかった」

 

自身の力量は正確に把握し、見切りをつけたというのに、自分を慕ってくるポケモン達のことは絶対に諦めなかった。それが自分の首を絞めることになることは、重々承知しているはずなのに。

 

「人間は勝手だ。その意見には部分的に肯定するけどね、あいつは馬鹿で擦れてるけど、優しくて性根は真っ直ぐだよ。馬鹿だけど。そういうやつだから僕たちはアトリに着いて行きたいんだ。馬鹿だけど」

「オイ……、フォローしてるのか、ディスってるのか分からなくなってきてるぞ?」

「フンフンフフ~ン♪」

 

ハッサムの鋭いツッコミをやり過ごすように明後日の方向を向いて鼻歌を歌う。

 

「誤魔化してんじゃねえよ」

「兎に角! 人間だからって一括りにしてアトリを貶めるのだけはやめてほしい。アトリは僕らを捨てた様な人間とは違う人間なんだから」

 

ロコンの発言には何処かで妙な引っ掛かりを感じた。

 

「まさか、お前も……俺と同じ……」

「さてね。まあ、気が向いたら話すかもね」

 

心の中で「いつか君が心からアトリを信頼できるようになったら」とつけたして。

会話を切って欠伸をする。もうそろそろ寝る時間だ。

普段は外でアトリと一緒に寝るのだが、生憎アトリはまだ資料室で調べものの最中だ。

モンスターボールの中で体を丸めて寝息をたて始めた。ロコンに対して僅かなシンパシーを感じ、その彼に全幅の信頼を受けるフワ・アトリというトレーナーに対する感情を持て余したハッサムを置き去りにして。

 

3

 

「……スピードに優れる反面、防御は紙。一撃でもまともに攻撃を貰えば終わりだな」

 

研究所の資料を読み漁り、目ぼしい情報には付箋を張り付けていく。

それにしてもカロス地方のポケモンへの興味は尽きない。シンオウ地方とは気候が違うからか、生息しているポケモンや生態がまるで違う。

シンオウ地方に生息している似たような高速型の水ポケモン・フローゼルは懐に飛び込んで持ち前のスピードで圧倒するインファイターだったのに対して、ケロマツの最終進化形態『ゲッコウガ』はイン・アウトレンジどちらでも器用に立ち回ることができる。特化して得意不得意をはっきり分けたスペシャリストか。それともどんな局面でも対応できる汎用性を重視した万能型か。そのあたりの選択が育成のポイントになるだろう。

少々迷ったが、方針は意外に早く決まった。

 

「あの性格だから接近戦はまず無理だな。なら、メニューとしては――」

 

ブツブツと呟きながら、育成計画をチラシの裏に書き連ねていく。

ある程度、訓練メニューを決めたところで、扉が三度叩かれた。

許可を得て入室してきた訪問者を一瞥して再び作業に没頭する。

 

「寝不足は肌に悪いぞ」

「根を詰めすぎるのもね」

 

地の薄い毛布とコーヒーを2人分準備してきたセレナは余裕の笑みを浮かべて切り返した。

悪戯に失敗した子供のようにアトリは唇を尖らせる。

 

「無理は禁物」

「心配するな。プラターヌ博士が研究資料に隠したヘソクリ探してるだけだから」

 

肩を竦めて笑ってからコーヒーを受け取る。一口飲んで再び資料のページをめくった。

 

「少し休んだら?」

「休んでる暇なんかあるかよ」

 

5年間のブランク。ジムリーダー・ビオラとの対戦でその重みを自覚させられた。

ランク1の試験であの苦戦。相性の利があってもこの様だ。

自分の非才さを理由に降りるつもりは毛頭ないが、これから才能を持つ上に努力を重ねる怪物達相手に戦っていくとなると、力不足感は否めない。死にもの狂いだけでは足りないのだ。

今までやってきた事にプラスアルファで何かを足さなければ、本当にただ時間の浪費で終わってしまう。

 

「……ケロマツの?」

「まあな」

「ねえ、余計なお世話だと思うけど、本当にあの子にポケモンバトルが出来ると思う?」

 

数時間前に起こった惨状を思い返す。バトルのたびに逃げ回っている様では勝てるはずもない。アトリは作業の手を止めて、セレナに向き直った。

 

「あいつは、ケロマツはバトルに向いてない」

 

あくまで率直に、客観的な口調で言い放った。

性格がポケモンバトル向きではない。それは間違いなく正当な評価であろう。

トレーナーとしての才能がないアトリとしては才気に溢れたガブリアスやバンギラスといったバトル向きで、誰が使役しても強いポケモンをメンバーに組み込みたいのが本音だ。

 

「けどよ、そこで見切りをつけてしまうのは何か違うような気がするんだよな」

 

かつて遠い地方の四天王の一人はこう言った。

『本当に強いトレーナーはどんなポケモンを選ばない』と。

 

壁は誰にでもやってくる。

壁を乗り越えようと必死にもがいて、苦しんでいるポケモンを見捨てる奴はポケモントレーナーとして失格だ。

大事なのは『そこが限界ではない』と信じてやること。信じさせること。

誰だって自分の可能性に行き詰まったとき、もう駄目だ、と思うことはあるだろう。

実際、才能というものは残酷な程不平等なものだと知っている。

 

だが、それでもオレもケロマツもそこが限界などとは思わない。

ポケモンが望む限り、トレーナーが先に諦める選択肢はあり得ない。

 

「ごめん。無粋なことを言ったわ」

「気にしてねえよ。……ところで、話が変わるけどお前明日はどうすんだ?」

 

明日は日曜日。アトリの仕事も休みだろう。巷で騒がれているポケモン強盗の情報を集めるにも、アトリが一緒なら心強い。

 

「ミアレジムに、って言いたいところだけど、今ミアレシティのジムリーダー出張中なのよね。だから、ちょっとミアレシティを散策してみようと思うの」

「ふーん。……気を付けろよ。最近物騒だからな」

 

突き放す様なの言葉に少しムッとした。心配してくれてはいるのだが、それだけではあまりにも甲斐性がないのではないか。

 

「一人で歩いてるとナンパに引っかかっちゃうし、誰か一緒に来てくれると嬉しいんだけど」

「サナ達と一緒に行けばいいじゃないか。ナンパが気になるならトロバとティエルノあたりにも声をかけたらいい」

 

普段セレナが保っているクールな表情が崩れ、むくれた。

 

「頑張ってね、ヘソクリ探し」

「おーう。見つけたら何か奢ってやるよ」

 

アトリはセレナの刺々しさが多分に含まれていた口調を気にすることなく、振り向かず軽く手を振っているだけだ。

 

「………………バカ」

 

小さく呟いて、部屋を出ていった。

 

セレナがいなくなったことを確認して盛大にため息をついた。

 

「ホントにな」

 

明日からポケモン強盗の情報収集を本格的に始めるつもりだ。

セレナが知ればきっと自分も力を貸す、と言って聞かないだろう。

自分勝手な感傷の上に成り立つ危険行為に巻き込む訳にはいかない。

距離をおくにしてももう少し上手く出来ればいいのに。

 

「もう寝よう」

 

今日は一日色んなことがあり過ぎて疲れてしまった。

電気を消してソファに横になる。眼を閉じて数秒で夢の世界へと落ちていった。

 

 

 

 



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第21話 ザンネンキング イン カロス

1

 

近代的な大都市圏と、豊かな自然が共存する地方。空から見渡すイッシュ地方は息を呑むほど綺麗だった。

あの中に様々なヒトとポケモン達が共存している。

白と黒が混じり合うだけの灰色だと思っていた世界はこんなにも色づいていたのだ。

 

不意に涙が滲んできた。不思議だ。

愛着なんて全くないと思っていたのに、いざ離れるとなるとひどく名残惜しい。

 

或は彼女と過ごした時間が、彼にそう思わせるのか。

 

――よいのか? 君にはレシラムのトレーナーと共に生きるという道もあるぞ。

 

青年は首を左右に振った。

 

「きっと、今のボクが彼女の傍にいたら邪魔になってしまうよ」

 

何も知らず借り物の理想を振りかざしているだけの操り人形だった愚かな自分。

自分の過ちの所為でいったいどれほど多くのものを傷つけてしまっただろうか。

 

『英雄』の資格がない自分にはイッシュの白い英雄の隣に相応しくない。

だが、

 

「ボクは、知るべきなんだ。人間とポケモン。白と黒を分けるのではなく、異なる存在を許し合うことを。異なる考えを受け入れることで 世界は化学反応をおこす。 これこそが……世界を変えるための 数式……」

 

それが彼女との戦いでボクが感じ取ったこと。

そうだ。世界にはまだ見たことのない数式がある。

見に行ってみよう。

ただ与えられただけの理想を、本当に自分の理想にするために。

彼女が愛した数式を解き明かすために。

雷雲が割れ、隙間から眩いほどの光が差し込んでくる。

 

「行こう、ゼクロム」

 

青年の声と共にゼクロムが咆哮を上げる。

青い稲光と共に空を駆けて行った。

この日、プラズマ団の王を称した『N』という青年はイッシュ地方から姿を消した。

 

2

 

トロバにダウンロードしてもらった地図アプリは実に使い勝手が良かった。

ミアレシティの土地勘がないアトリでも簡単に目的地に辿り着けた。

サウスサイドストリートの路地裏。華やかな街並みに埋もれて目立たないこの目的地にはアトリ一人では絶対に辿りつけなかったであろう。

 

「……………………」

 

それはそれとして、フワ・アトリは今人生で最大の危機に陥っていた。

 

「ご注文をどうぞ♪」

 

プライスレスな笑顔を向けられ、冷や汗が流れ落ちる。

調査前の腹ごしらえに、と入ったカフェの注文システムがまるで理解できない。

 

驚くことなかれ。彼は基本的に『外食』というものをしない。

トレーナーズスクールに通っていた頃は友達と一緒に買い食いすることはあったが、5~7年前、本当に数えるほどでしかなかった。

その後、父の残った借金の所為で手持ちを優先に食べさせて、本人は塩水をオカズに砂糖水を飲むような赤貧生活を送っていたので外食とは完全に無縁。

それ以前に、守銭奴スピリッツが『外食』と言う言葉に拒否反応を起こす。

だが、ここ数日バトルで勝ち越している為、アトリの懐は軽く小金持ち状態。昨日のサナにつけられた唯一の黒星。その分マイナスになった所持金を鑑みても少しくらい普段頑張ってくれている手持ちポケモン達に贅沢させてやりたい、と思う。

 

アトリはケチではない。倹約家なのだ。

 

それなのに、注文という段階で躓くとは……!

恐るべし、ミアレシティのオシャンティカフェ!!

 

「あの、お客様?」

 

落ち着け……。落ち着くんだアトリ・フワ! Smart&Kooooooolになれ!

 

努めて冷静に状況を分析する。

どんな店にも注文方法というものがある。そのルールに乗っ取って行動すればいいだけ。つまり隣の人の真似をすればいいのだ!!

そう思いアトリは右のギャル風の女性の注文を盗み見た。

 

「ご注文はお決まりですか?」

「シングルグランデヘーゼルナッツチョコレートチップエキストラホイップキャラメルソースホワイトモカフラペチーノ」

 

意味がわからんんんんんんん!!

ナニソレ、 呪文!? 呪文なのか!?

いや、待て。まだ左に人がいる。左のヴィジュアル系の青年はジョジョ立ちをしながらこう言った。

 

「翼をください。この背中に鳥のように白い翼つけてください」

「店長~、アホが一人来ています~」

「嗚呼、過ちのエンジェル」

 

ハイ、無理ッ!!

 

その上、店内は7割程カップルで埋め尽くされている。

一人で入店したアトリとしてはアウェー感が半端ない。

 

彼女といちゃついている奴は小指をタンスの角にぶつけてもんどりうってマッハ7で地獄の8丁目まで大滑降していけばいいのに。

女性が近寄り難い孤高の雰囲気を纏った少年アトリは心の中でそう毒づいた。言い回しは大切。

 

横文字だらけのメニューと睨めっこをしても、まるで状況が打開できる気がしない。

さっぱりわからない。とイケメンな変人物理学者の様に言ってみたいが、アトリがやっても多分決まらないだろう。

 

サイズSTGVってなんだ? 普通はSMLじゃないのか?

コーヒーメインの店なのにアイスコーヒーがないってどういうことだ?

そして相変わらずあの呪文の意味が分からん!

助けて僕のスーパーピンチクラッシャァァ―――!

 

疑問がグルグル頭を駆け巡り、打つ手がなくなったことを悟る。

キリキリと。キリキリと。ストレスがテンパっているアトリの胃を締め上げる。

硬直している時間があまりにも長いので、被害妄想なのだが店員がプライスレスな笑顔のまま青筋を浮かべているような気がした。

 

あわやこのまま胃に穴が空いてしまうのを待つばかりか、と思っていたところ助けは後ろからやってきた。

 

「炎タイプ、電気タイプ、飛行タイプのポフレを1つずつ。アイスコーヒーにキッシュを一つ。コーヒーのサイズはどうするんだい?」

「え? あ、ええっと……一番小さいやつで」

「それじゃあサイズはショートで。ボクはドラゴンタイプと電気タイプのブレンドポフレを。あとはオレンフラペチーノを」

 

テンパっていたアトリの代わりに注文を済ませてくれた青年はサイドへと促す。青年に従うままアトリは移動した。

 

「えーっと、ありがとうございます。助かりました」

「気にすることはないよ。君のポケモンが君を助けてほしいと言ってきたから、それに応えたまだよ」

 

緑の髪の青年は早口で言ってから穏やかに笑った。

 

男とは思えないような美貌。

心の底まで見透かされそうな澄んだ眼差し。

身を翻した際になびく長髪は不思議な気品の様なものが感じられる。

 

何故だろう。彼を目の前にすると頭が高いような気がしてくるのは。

彼がもつこの威光。おそらく只者ではない。

 

「ボクはN。アトリ、キミの様にポケモンに愛情を持って向き合っている人を待っていたんだ」

 

これがフワ・アトリとNとの出会いであった。

後にアトリは思う。この邂逅が、自分の人生の転機だったのではないか、と。

 

3

 

「ハリマロン、つるのムチ!」

 

セレナの指示とほぼ同時に居合の様なムチの一撃が相手のウリムーを打ち据える。

氷タイプと地面タイプのウリムーに草タイプの攻撃は効果抜群。一撃でウリムーの意識を刈り取っていった。

 

「ああ、ウリムー!」

 

男の子は気絶したウリムーをモンスターボールに戻して項垂れた。

 

「むむむ。なかなかやりますね! 次はアチシが相手です!」

 

次に控えていた女の子はそう言ってすかさずポニータを繰り出す。

炎タイプは草タイプに効果抜群。セオリーに忠実な良手ではある。しかし、

 

「『転がる』!」

 

ハリマロンはものともしない。岩タイプの技で粉砕する。高速で転がり抜けたハリマロンはスリップしながら残心をとる。

 

その佇まいはまさしく『いぶし銀』と呼ぶにふさわしかった。

本来コンパスの長く、脚力の強いポニータはハリマロンよりも足の速いポケモンではあるが、レベル差で大きく水をあけている。彼我の戦力差は歴然だ。

 

「まだやる?」

 

事実上の降伏勧告にストレート負けでの5人抜きを食らった子供たちは両手を上げた。

 

ノースサイドストリートの路地裏。ポケモン強盗の現場の調査に乗り出そうとしたところ、ここを秘密基地にしている彼らに「ここに入りたければ僕たちを倒してみろ」とバトルを挑まれたのである。

 

「目と目があったらポケモンバトル。スタンダードだけどね、いきなりすぎるわよ」

 

問答無用でポケモンを繰り出してけしかけられたらレベルの差があっても手加減する余裕すらない。おかげで彼らの手持ちポケモンはボコボコである。

 

「知り合い同士ならそれでもいいかもしれないけど、知らない人とバトルするときは必ず、トレーナーズカードを提示して合意したことを確認するのがマナーよ」

「「「「「……………………」」」」」

 

仕草でトレーナーカードの提示を求めると5人全員が気まずそうに眼を逸らした。

 

「…………、まさかあなた達無免許じゃないでしょうね?」

「……チガイマスヨ」

「トレーナーズカードを見せなさい」

「ごめんなさい、全員無資格です!」

 

少年たちの体感温度が3度ほど下がった。

 

「…………今すぐそこに正座しなさい」

「え? あの……下は石畳だよ?」

「そうね。だから?」

「座ったらすごく痛いよ?」

「そうね。きっと痛いわね」

「…………あ、あの」

「正座」

「……………………はい」

 

問答無用で石畳の上に正座させられる。

腕を組んで仁王立ちのセレナの眼は明らかに据わっていた。

 

声を荒げはしないが、静かに激怒している。緊張感のない言い方をするなら激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームである。

 

「いい? ポケモンは近すぎて忘れられがちだけど接し方が難しいのよ。炎ポケモンの扱いを間違えれば大火傷を負し、電気タイプは感電。氷タイプは迂闊に手を出すと凍傷になる。それを無視して取り返しのつかないことになった人やポケモンだっていっぱいいる。

の。それなのにまともな知識を持ち合わせていないのにポケモンバトル? ふざけないで」

 

彼女の言葉に5人はぐうの音も出ない。

セレナの怒りは何も大げさなことではない。

協会は免許のない人間が人間はポケモンを持つことを原則的に禁止されている。

彼女の言った通りポケモンへの接し方を誤り死亡するという事故も報告されているし、無免許でポケモンバトルを行い、ポケモンを死亡させるケースだってある。

だからこそ、トレーナーズカードを持たない人間がポケモンを持つ場合、親名義にして届け出をだし、責任の所在を明らかにする。その上で協会が『危険が少ない』と判断したポケモンでないと持つことを許可されない。

ポケモンバトルなどご法度である。

 

自分の身を守るため、そして手持ちのポケモンのためにも、ポケモンへの適切な接し方を知っておかねばならない。

これはポケモントレーナーが必ず刻んでおかなければならない心構えだ。

 

ポケモンの命を預かるポケモントレーナーになるとはそういう事なのだ。

 

「今後一切免許を持たない状態でポケモンバトルをしないで」

「何も知らない癖に……!」

「なんですって?」

「ちょっと、マコン……!」

 

少女が嗜めようと声をかけるが、マコンと呼ばれた少年はセレナに反抗的な視線を投げつけた。

 

「私が何をわかっていないって言うの?」

「……僕たちだって無免許でポケモンバトルをすることくらいわかってる。でも、仕方ないんだ!」

 

しゃがれた声でマコンは叫ぶ。動機を言い訳に自身を正当化している様な言葉だが、彼からは如何しようもない焦燥が感じられる。

セレナは目を閉じて思案する。動機が行動を正当化するわけではない。

彼らのやっている行為はセレナには絶対に許容できないし、許容するべきではない。

それなのに、

 

「……何があったのか話してくれるかしら?」

 

水を向けてしまうのは甘さなのだろうか。

正論は正しい。だが、世界は正論だけで回っているわけではない。

 

マコンは乱暴に涙を拭って、少しずつ事の経緯を話し始めた。

 

 

 



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第22話 サーチガルド

 

 

1

 

「なんでオレの名前……?」

「トモダチがキミのことをボクに教えてくれたんだ」

「トモダチ?」

「ボクはポケモンのことをそう呼んでいるんだよ」

「おかしなことを言いますね。それじゃあ、まるでポケモンと会話が成立している様に聞こえますよ」

「ああ、話しているよ。……そうか。キミにも聞こえないのだね。やはりヒトにはトモダチの声が聞こえないのが普通みたいだ。可哀そうに」

 

電波!?

 

失礼ながら、アトリがNに下した評価だった。ポケモンの声が聞こえるなど、イッちゃっているお方から逃げるべきか、滅多と食べられない豪華な朝食を優先するべきか。

天秤はしばらく左右に揺れ動いていたが、食い意地には勝てなかった。

 

キッシュを一口齧って咀嚼する。目頭が熱くなった。流石は食文化に関しては一家言あるカロス地方。美味すぎる。

雑ではない食事はいい。最高である。

 

「アトリ、キミには夢があるかい?」

「ん? まあ……、一応」

 

食べ終わったアトリはコーヒーを飲みながら答える。

借金の完済。プロのポケモントレーナーとしての成功。

どちらかと言えば実現させるべき目標だが、確かに『夢』という定義に当てはまるのかもしれない。

 

「そうか……。ボクにも、夢があったんだ。……ダレにもみえないものがみたかった。ボールの中のポケモンたちの理想、トレーナーという在り方の真実、そしてポケモンが完全となった未来……。そんな未来を夢見て突き進んできたけど、それは間違っていたようなんだ……。認めたくない事に蓋をして、誰を傷つけても構わず走り続けてきた。ポケモン達のシアワセ、そんな大義名分を振りかざして間違った数式を強引に世界に当てはめようとした。ただ、間違いを間違いと認めるだけで良かったのに……」

「へー、そうなんだー」

 

言葉を選んだ返事をしながら早口で一方的にまくしたてるNに冷ややかな視線を送る。

会話のキャッチボールというより、会話の千本ノックといったところだろうか。

彼は人と話すことに慣れていないのか。それとも電波系特有の会話が成立しないアレな人なのか。

いずれにしても厄介なのに捕まってしまった。

食事を終えて膝に乗ってきたロコンを抱き上げる。

ムックル、モココ、ケロマツ、ハッサムが食事を終わらせたのを確認すると、ロコン以外の手持ちをモンスターボールに戻して席を立った。

 

「もう行くのかい?」

「すみませんが、この後大事な予定が控えているのでこの辺で失礼させて頂きます」

 

足早にカフェを出て、路地裏の入り口に立つ。華やかな表通りからはかけ離れた雰囲気を察知してアトリの表情が硬くなる。ここから先は一切の油断が許されない。優位になると油断してしまう悪癖のあるアトリは自分を強く戒めた。

 

「ここに用があるのかい?」

「って、なんで着いてきてるんですか」

「キミに頼みたいことがあるんだ」

「入信はしませんし、怪しい壺もいりませんよ。押し売りお断り!」

「? なんの話だい?」

「あー、いや。違うなら別にいいんです」

 

キャッチセールスや怪しい新興宗教の勧誘ならタイキックだ。密かにそう決心していたアトリは一安心。ホッと胸を撫で下ろした。

 

アトリ以外の人間にあまり懐かないロコンがNの指をペロリと舐めた。

Nはロコンを抱き上げて、額を合わせる。

 

「キミは……、そうか。キミも――――、うん……。――――キミは今、幸せなんだね?優しいヒトに巡り合えたみたいで、本当によかった……」

 

宇宙と交信中……!?

 

突然始まったNの奇行に普段のアトリならば突っ込みをいれているだろうが、なんとなく彼に対しては恐れ多くて強気に出られない。

 

人間のマイナスな匂いに敏感なロコンが撫でるのを許容しているので、悪い人間ではなさそうなのだが、特別関わりたいとも思わない人種だ。

 

薄暗い路地裏へ踏み入って周りを探る。周りを見渡してもさして変わったところがあるわけではない。ロコンに匂いを辿らせても成果は芳しくなかった。

 

「やっぱ初っ端から当たり引くなんてそう都合よくはいかねえか……」

 

あの女性の話を鑑みるに何かが起こるとしても夜だろう。それまで釣りでもやってみようか。そんなことを考えていたが、

 

「さっきまでこの周辺に怪しいヒトがうろついているのは間違いないみたいだよ。まだ近くにいるんじゃないかな」

 

Nはそう断ずる。アトリは再び路地裏を見渡した。

やはり何処にも怪しい箇所は見当たらない。

 

「その根拠は?」

「あの子たちに聞いた」

 

指さした先に居たのは屋根の上にとまっていたのは2匹のヤヤコマである。

 

「あー、うん……」

 

Nの不思議ちゃん発言にどうリアクションをとったものかと、思案するも構わず彼は更に早口で捲し立てる。

 

「グレーゾーンが真っ白、というのは逆に腑に落ちない。物事は完璧であればあるほどに作り物だと宣言しているようなものだ。潔白というのは人が作り出すものだからね。とすれば、この『怪しさの欠片もない場所』っていうのは偽装によるものだと考えられる。

偽装を行う理由はただ一つ。見られたら困るものがある、ということだ」

「うーん……」

 

アトリは再び思案する。

『ポケモンの声が聞こえる』というNの電波な主張に信憑性があるかどうかはさて置き、彼の展開するロジック自体は理に適ったものだ。それを鑑みて、この周辺を探ってみる価値はあるかもしれない。

 

不意に上空のヤヤコマがけたたましく鳴き始めた。

 

「アトリ、こっちに誰か来るらしいよ」

「……隠れて様子を見ましょう」

 

二人と一匹は道端に放置してあった空っぽのゴミ箱に身を隠して外の様子を伺った。

路地裏に現れたのは青い繋ぎ姿の金髪に眼鏡が特徴の少年だった。年齢はアトリと同じか、少し下くらいであろうか。

身の丈ほどの怪しげな機械を抱えて、マッドサイエンティストを思わせるような邪悪な笑みを浮かべている。そしてやたらと息が荒い。

不審人物のテンプレートともいえる人物が現れたことで警戒のレベルを最大まで押し上げた。

 

それとほぼ同時に、ビー! ビー! ビー! と、金髪眼鏡の少年が持っている機械が鳴り始める。

 

「誰かいますね?」

 

あからさまに敵意に満ちた口調で言い放たれ、アトリはロコンに目配せをする。

それに応えるようにロコンは腹の中の炉を燃やし始めた。

ここで立ち回りを演じるのは避けたいが、こうなってしまった以上、見つかるのは時間の問題だ。幸いあの少年はまだ此方の詳しい位置は把握していない。

今なら奇襲が成立する。

あの彼が如何に使い手だろうと、機先を制すれば主導権を握ることは出来る筈だ。

 

だが、敵もさる者。

金髪眼鏡の少年も既にモンスターボールに手をかけ、臨戦態勢に入っている。自分が不利な状況に置かれていることを理解しているからこそ、油断も隙も一切見せない。

 

現状把握が上手いトレーナーは総じて強い。先制の利があろうとも、一撃で仕留めるくらいの気概で挑まなければ返り討ちにあうだろう。

迂闊な先制攻撃は出来ない。

少年も闇雲に動けば即座にやられることをわかっているからこそ迂闊に動けない。

 

勝負は一瞬。

両者の間に切迫した空気が流れる。

数時間にも匹敵する数秒間――――その緊迫を破ったのは意外な人物だった。

 

 

「シトロンさ~ん!」

 

手を振りながら元気に駆けてくる元気印の少女を見て警戒心が一気に吹き飛んだ。

 

「って、お前の知り合いかよッ!!」

「「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!」」

 

ゴミ箱の中から突如、姿を現したアトリにサナとシトロンは腰を抜かすほど驚いたのであった。

 

2

 

流石に現場で一悶着はまずい為、路地裏から少し離れた場所で仕切りなおした。

 

「この人はシトロンさん。サナの友達なんだよ!」

「フワ・アトリです。よろしく」

「よろしくお願いします」

「シトロンさんはね、カロス地方の最年少のジムリーダーの記録を塗り替えたトレーナーでミアレシティでは『10年に1人の天才児』っていって有名なんだよ」

「ジムリーダーでしたか。道理で只者じゃないと思いましたよ」

「い、いえ。それほどでも。アトリさんもあのフラダリラボから声がかかるほどの強いトレーナーだってサナさんから聞いてますよ」

「ジムリーダーに無名の木端トレーナーの名前を憶えていただいて恐悦至極です」

 

握手を交わす。

慇懃な言葉や穏やかな笑顔とは裏腹に、『ジムリーダー』であるシトロンに向ける眼差しは野心に満ち満ちている。カロス地方のジムリーダーとして新参者であるシトロンだが、

これは挑戦者の眼だ。彼とのバトルは恐らく相当タフな展開となるだろう。

 

 

「それであっちのイケメンは?」

 

少し距離をとったところにいるNをサナが気にしている。

社交性の高いサナですら声をかけるのを躊躇うほどの人を拒絶する壁の様なものを感じる。

肩を竦めて苦笑する。意外に人見知りするタイプの様だ。

 

「あっちはN。さっき知りあった。言動は多少不思議ちゃんだけどよ、割といい奴だから大丈夫だよ」

 

『割といい奴』。無意識のうちにでたNへの評価に自分自身驚いた。

どうやらアトリは知らないうちにNへ好感情を持っていたらしい。

 

「サナさんの話では不良みたいな人を想像していたのですが、思っていたより普通な人で安心しました」

「テメエ、ゴラ……! オレについて何を吹き込みやがった?」

「あ、あはは。気にしないーい!」

 

サナに対してヤンキーモード全開でメンチをきるアトリに密かに前言を撤回する。

 

「ところでアトリさんは何故ここに? 今、ミアレシティの路地裏は治安が悪いから地元民はあまり近寄らないのですが……」

「治安を乱している元凶に用があるんだよ」

「もしかして貴方も?」

「『も』ってことはアンタも?」

「はい。僕はミアレシティのジムリーダーですから。このミアレシティの平和を守る義務がありますから」

「サナはお手伝い。アトリはどうして?」

 

少し考え込む仕草を見せたが、すぐに正直に話すことを決めた。

サナも同じ目的である以上、目的をオープンにして情報を共有してしまった方がいいだろう。その上天下のジムリーダーが味方に付いてくれるなら、アトリとしても心強い。

 

「生徒のポケモンが盗まれてな。……取り戻してやりたいんだ」

「じゃあ、アトリは生徒のために?」

「よせやい、そんなんじゃねえよ。メソメソして不登校になられたら、オレの仕事での評価が下がっちまうだろ?」

「うん、わかった!」

 

サナのいい返事をする。そして、続けてこう言った。

 

「アトリはツンデレなんだね!」

「全然わかってねえじゃねえか」

 

裏手でツッコミを入れる。

人の行動を好意的に見るのはサナの美徳なのだが、それ故にどちらかと言えば胸に一物ある言動の多いアトリとは噛み合わないのであろう

 

「手掛かりはあるんですか?」

「ここで妙な噂を聞いたからとりあえずここから潰していこうと思って。最悪、襲ってくる奴を釣って片っ端から潰していけば、適当なところで手がかりくらい掴めるだろ? うまくいけば本命が出てくるかもしれないし」

「すごーい! アトリ、頭いいね!」

「だろ? もっと褒め称えてくれてもいいぞ」

 

感嘆するサナを他所にシトロンは思わず苦笑い。

慈しみに満ちた視線がアトリに集まる。優しさからかその場にいた誰も「頭が悪すぎる」とは指摘しなかった。バカな子ほど可愛いとはよく言ったものである。

 

「懸賞金目当てじゃなくて生徒のためなんだね。私、アトリのことを見直しちゃったよ」

「懸賞金?」

「昨日、事態を重く見たミアレ警察がポケモン強盗に懸賞金をかけたのですよ。犯人逮捕に貢献すれば200万、有力な情報の提供だけでも20万の賞金が出るそうです」

 

サナの言葉を補足するようにシトロンが説明する。アトリはキラキラした笑みを浮かべた。

 

「テンション上がってキターッ!」

 

突如三次元で荒ぶるキャプションを披露し始めたアトリに3人は激しく動揺した。

 

「か、彼は一体どうしちゃったんですか?」

「アトリはお金が大好きなの」

「金が嫌いな奴がいるか! しかも200万っつったらオレの半年分の給料じゃねーか! サービス残業が200万の大仕事に化けるなんてホアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!! ハッスル失礼!」

「嬉しそうだね」

「嬉しいなんてモンじゃねー! テンション上がりすぎて軽く全裸になれるレベルだ!」

「それ、やったら通報しちゃうからね♪」

「HAHAHAHAHAHA! イッツシンオウジョークさ、サニーちゃん♪」

 

テンション鰻登りでとてもうざいアトリを見てNとロコンは深いため息をついた。

 

「ねえ、真顔で聞くよ。キミのトレーナーは本当に大丈夫なのかい?」

 

――大丈夫。アトリの良いところは全く別のところにあるから。

 

「さて、そうと決まれば善は急げ。さっさとそいつらボコって、捕まえて、市中引き回しにした上で打ち首獄門に処してしまおう」

「そうですね。それではまず、炙り出しから始めましょうか。では、ちょっと失礼して……今こそ! サイエンスが未来を切り開くとき!!」

 

眼鏡が怪しく光り、マッドでクレイジーな笑みを浮かべたシトロンは大掛かりな機械を作動させた。

 

「なんだ、それ?」

「よくぞ聞いてくれました! 名付けて電波キャッチマシーン! 特殊な音波を飛ばして人間やポケモンの持つ微弱な電波をキャッチして解析、サーモグラフィーとして表示することによってソナーの役割をはたします。他にも人間の息遣いを検知するほか、心臓の鼓動をチェックしたり、さらには人のストレスレベルも監視したりできる。壁の向こうにいる人を検知するよう設計できるという優れものなのです!!」

 

あからさまに怪しい物体を得意げに語るシトロンを見てアトリは急激に不安になった。

 

「……ホントに大丈夫なのか?」

「だいじょーぶ! シトロンさんは発明家としても有名なんだから」

「なら、いいけどよ」

 

早速現場に戻り、センサーを起動させる。……反応はなかった。

 

「反応ありません。どうやらここはハズレのようですね」

「そっかー……。それじゃあまた情報収集からやり直しだね」

「いや、待て」

 

踵を返そうとするシトロンとサナをアトリは制止した。

Nの言葉を信じるわけではないが、どうにも引っかかる。

 

「なにをするつもりだい?」

「まあ、見てろって」

 

Nに軽くそう言うと、アトリは這いつくばって石畳に耳をつけた。そして――

 

「「うっ……!」」

 

シトロンとサナはほぼ同時に顔をしかめた。

シャカシャカ――シャカシャカシャカ、と地面や壁を這い回っているのである。

 

その有り様は匍匐前進というよりも、まるで夏場に出撃しては人々を恐怖のどん底に陥れる黒い彗星Gのようだ。

 

3分ほど続けて、アトリは立ち上がった。

 

「地下、だな……」

「どうしてそう言いきれるんですか?」

 

確かにセンサーとて万能ではない。生体反応を消しさる技術で偽装されてしまえば、たちまちセンサーは役立たずと化してしまう。だが、根拠がない以上、それは可能性の低い憶測の域をでない。

にも、関わらずアトリは確信を持った様に言う。

 

「聞き取れるか、聞き取れないかのレベルだけどよ……、小銭の音がした」

 

シトロンの疑問にアトリはあっけらかんと答えた。

 

「どんだけ~……」

 

突っ込み所が多すぎて、何処から突っ込んだらいいのかわからないシトロンは使えば必ず突っ込みとして機能する言葉を発することで精一杯だった。

 

「え~、当てになるの?」

 

アトリの提示した胡散臭い根拠にサナはうろんげな眼差しを向ける。

 

「舐めるな。オレがその気になれば3㎞先の小銭の音すらも聞き分けられる。それに関してだけはセンサーよりも高い精度を叩きだせる自負がありますとも、はい」

「ブレないよね、その守銭奴っぷり」

「誉め言葉として受け取っておこうか。ちなみにお前の所持している小銭は568円」

 

サナは無言で財布を開けて小銭の額を数える。ドンピシャだった。

 

「怖いよ、アトリ! すごいじゃなくて怖い!」

 

戦々恐々としてするサナを無視して再び意識を集中して聞き耳を立てる。

 

「ここだな」

 

設置してあったダストボックスを退けると、いかにもな隠し階段が見つかった。

 

「さて、いよいよ突撃だ。レイディースエンジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん。準備はいいか?」

「アトリさんっていくつなんですか?」

「ぴっちぴちのの16歳だけど、なにか?」

「いいえ、なんでも」

 

アトリの年齢詐称疑惑をとりあえず脇に置いておいて、シトロンの表情は真剣なものに変わる。

 

「隊列は僕が先頭、次にサナさん。Nさん、アトリさんは脇と後ろを固めてもらいます。

 

シトロンとサナは静かに、それでいて速やかに隠し階段に足を踏み入れる。

アトリもその後に続こうするが、

 

「来ないのか?」

 

石の様な表情のまま動かないNに気づき呼びかける。

 

「ヒトは愚かだ……。なんで一緒に生きているトモダチの痛みが理解できないのだろう……? ボクにはそれが腹立たしくて仕方がない……」

「いつだってそういう馬鹿はいる。それが現実って奴だ」

「何も思わないのかい?」

「思わないわけじゃないが、世の中の人間、誰もがポケモンの事を慮っているわけじゃない。奴らには罪の意識はないだろうさ。ただ、自分の利になり、それが出来るからやっているだけだろうよ」

「それはニンゲンのエゴだ。そんな理屈に振り回されて、一体どれだけのトモダチが傷つけられた? ボクにはそれが許せない」

「…………そうだな」

 

Nの真摯な糾弾を斜に構えずに受け止めた。

それと同時に、Nに対して尊敬の念を抱く。

アトリは余程の理由がなければ、間違っていると思ったものに噛みつかずに日和ってしまう。薄情とも言えるだろう。

それが出来るNは根が純粋なのだろう。間違っていると思ったものに対して真っ直ぐに怒りをぶつけられる。それは一種の才能だ。アトリにはできない。

 

「安心していい。人間でも、ポケモンでも、自分の都合だけしか考えていない奴はいつか必ず痛い目を見るから」

 

Nの言葉に背中を押されるように、再び諍う覚悟を決める。

アトリの言う『いつか』は今日だ。

奴らの所為でジョゼットは傷つけられて泣いている。

奴らには教えてやらなければならない。世の中には自分の都合だけで済むことなど、何一つないということ。

そして――――やったら、必ずやり返されるという事を。

 

「利息は高いぞ。3倍返しだ」

 



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第23話 ふらんだーすの犬

 

 

1

 

上下左右鉄ごしらえの階段をシトロン、サナ、アトリ、Nの順に降りていく。

階段自体は50メートルにも満たない短いものであったが排気口すらない地下階段――閉塞感で息が詰まる。前方への警戒で一番緊張していたシトロンは繋ぎのファスナーを少し開けた。

 

「頑丈だな」

 

アトリは隔壁を軽く叩いた。

 

「これは単なる鉄じゃありませんよ」

 

そう応じてシトロンは壁にスイッチを入れたセンサーを近づける。全く反応がない。

 

「おそらくこれは電波を通さない特殊な合金で作られています。この技術力、スゴイ……!」

 

感心すると同時に、ジムリーダーであり、発明家でもある彼のプライドは痛く傷つけられた。発明とは人々を豊かにするために行われるべきものであり、決して私利私欲の為に行うべきものではない。それが『世界を明るくする発明家』の通り名を持つシトロンの誇りであり、信念だ。だが、この隔壁を作った主はシトロン以上の技術力を持ちながら、それを自身の悪事を隠蔽するために使っている。

シトロンは拳を握る。絶対に負けたくない。

突き当りのドアが彼らを阻んだ。シトロンは眼鏡を押し上げる。

タッチパネルの中に0から9、そしてエンターキーが規則正しく並んでいる。

パスワード式の電子ロック。ドアにはでかでかと【秘密結社ふらんだーすの犬の秘密基地】とデカデカと掲げられていた。その下には『3ケタのパスワードを入力するのであ~る』と書かれたカイザー髭の男が笑っている様に見えるプラスチック製の看板が張り付けられている。

 

「ふざけた看板だな」

「呼び鈴とかないかな?」

「あっても押すなよ。絶対に押すなよ?」

「それは押せっていうふりなの?」

「んなわけねーだろ」

 

アトリ、N、サナの繰り広げるコントを他所にシトロンは電子ロックを前に考え込んだ。

パターンは10の3乗――すなわち1000通り以上。普通に押していてはロックを解除する前に犯人グループと鉢合わせしてしまうだろう。

 

「どうする? 探って押している時間もねぇし、ぶっ壊すか?」

 

メキメキと、指に力を込めて血管の浮き出た腕を突き出す。

アトリはこう見えて元炭鉱マン。そして現役で工事現場とトレーナーズスクールの講師という激務を当たり前のようにこなす底なしの体力と穴掘りで鍛えた怪力を併せ持つバリバリの肉体派である。そして守銭奴の彼の前に吊るさされた人参――もとい200万の賞金。

今のアトリならこの頑丈な扉のドアノブを強引に引っこ抜くくらいはやりそうだ。

守銭奴はいつだって金の為なら限界を超えるのである。

 

シトロンはアスリートの様なムキムキの筋肉と自身の細腕を見比べた後、深い溜息をついた。

 

「そんなことしたら音で気づかれちゃいますよ」

「なら、どうする?」

「僕に考えがあります。サナさん、鉛筆かシャーペンを持っていませんか?」

「はい」

 

呼びかけに応じてシトロンにシャーペンを渡す。するとシトロンはシャーペンの芯をカッターナイフで削り始めた。少しすると、粉末の山が出来上がる。

シトロンはそれをキーロックの前に持っていくとふっと、息で吹きかけた。

 

「おお」

「わあ♪」

「なるほど」

 

三者三様、シトロンの機転に関心の声を上げる。

黒い粉末はパネルに張り付き指紋が露わになる。

パスワードは『777』。

 

「って、ラッキーセブンかよ。どこまでもふざけたヤローだ」

「きっといいことあるよ♪」

「開けますよ」

 

慎重に、ゆっくりと扉を覗き込んでから、監視カメラがない事を確認して開く。全員が息を呑んだ。

扉の向こうにはこれまた細長いトンネルがあり、向こう側から風が吹き抜けてきていることから開けた場所があることがわかる。

 

シトロンを先頭に三角になるようにアトリとNは後ろに2列、中心にサナと陣形を整えて慎重に進む。トンネルを抜けるとそこは雪国であった、なんてことはなく、どうやって地下に運び込んだのか疑問に思うほどの巨大な機械群がそびえており、絶え間なく動き続けている。工場の様な鉄骨で出来た階段や通路が至る所に張り巡らされている。

 

「ミアレシティの地下にこんなものが出来ていたとは……」

「思いっきり違法着工じゃねえか。これだけでどれだけ懲役うてるんだろうな」

「静かに。誰かいる」

 

Nの言葉と同時に一同の視線が巨大な製造機を仰ぎ見ている2人に注がれる。

一人は陽気なアロハシャツと短パンの上に白衣。そしてオールバックに威厳のある眉毛を蓄えた三十半ばあたりの男。

もう一人はレディススーツに身を包み、長い髪を結いあげているステレオタイプな『出来る秘書』といった女性である。

 

「いよいよで、あ~~るッ!」

「はい、プロフェッサー」

「我輩たちが世界征服という大いなる野望を持ち組織を結成して幾星霜……」

「3年です、プロフェッサー」

「そうであったか。訂正訂正。今のノーカンであ~る。――オホン、我輩たちが世界征服という野望を持ち組織を結成して早3年……。社畜根性に徹した我輩たちはコツコツと地味な仕事をこなし、臥薪嘗胆の毎日を送ってきたのであ~~るッ!」

「おいたわしや、プロフェッサー……」

「しかしッ!! 今日この時を以て我ら『ふらんだーすの犬』が世界に席巻する時が来たッ!! まずは我輩特製の偽札の力で世界征服の手始めとしてこのミアレシティを我らの植民地にしてしまうのであ~~るッ!!」

「流石です、プロフェッサー」

「我輩の科学力はァァァァァァァアアア!! 世界一ィィィイイイイ!!!!!」

 

無造作に振り向いた『プロフェッサー』と呼ばれたアロハの男とアトリの眼があった。

彼の持つ札束にうっかり釘づけになってしまい、反応が遅れてしまったのは不覚である。

 

「見たな! そして聞いてしまったであるな! 我輩の壮大かつ遠大な計画草案をッ!」

「壮大と遠大は同じ意味です、プロフェッサー」

 

『プロフェッサー』と呼ばれた男に秘書の女性がツッコミを入れる。

誰もがその濃すぎるキャラクターの前に戦々恐々としていたが、ただ一人、シトロンだけが憤然としながら前に進み出た。

 

「貴方ですね! 最近巷で偽札をバラ蒔いているという不届きな人は!」

「バレてしまってはしかたがないのであ~~るッ! メイドの土産に天才的な我輩の名を刻むがよいのであ~~るッ!」

 

やたらと尊大な口調の男は特撮に出てくるキャラクターのようなヒロイックなポーズを決めた。

 

「我輩こそ! 秘密結社『ふらんだーすの犬』が誇る天才科学者! ヘンゼル! そして、こっちが助手の――」

「グレーテルでございます」

 

「フランダースの犬なのにヘンゼルとグレーテルなのか?」やら、「秘密結社なのに、堂々と名乗りを上げるのはどうなんだ?」などというツッコミどころ満載の自己紹介がアトリの理性を領空侵犯してくる。色々と脱線していきそうなので脳内会議では満場一致のスルーが可決された。

 

「偽札なんか作って! 何が目的ですか!?」

「知れたこと! この素晴らしい出来映えの偽札をカロス中にバラまき、物価を吊り上げ! その上で我輩達が前もって買い占めておいた商品を相場より安く売れば濡れ手に泡のウッシッシ! やめられません、稼ぐまで!」

「テンメェェェ! うちの家計簿を赤く染める気かッ!」

「おっと、しまった情報漏洩ッ! おのれ、やりおるな! 実に高度な誘導尋問であった!」

 

バカにしているのか、バカなのか。

恐らく後者であろう男、ヘンゼルを前にしてサナとNは顔を見合わせた。

 

「ねえ、あの人相手にしなくちゃダメ?」

「そうだよ。ボクたちの目的はポケモン強盗を捕まえること。彼らの相手をしている暇はないと思うんだ」

 

「なんたる僥倖ッ! 一粒で二度美味しい我輩の提案を聞けるのはミアレシティでもここだけであ~~るッ! そうであるな、グレーテル?」

「その通りです、プロフェッサー・ヘンゼル」

「我輩の言葉を神の言葉として心得て拝聴するのであ~~るッ! このまま何も見なかったことにすればよいのであ~~るッ!!」

「お断りします!」

「右に同じく!」

 

シトロンとアトリは揃って身構えた。

 

「僕はミアレシティのジムリーダーです! この町で悪事を働くなら、黙っていられません!」

「その通り! 町の平和とうちのエンゲル係数のために、テメエはここで叩き潰すッ!」

「嗚呼、なんたる悲劇! 所詮言葉は無力なの? 口で言ってもわからないお子さんはブッて、叩いてわからせる! 子供たちにオトナの世界の厳しさを説いてやるのも年長者の役割なのであ~~るッ! そうであるな、グレーテル?」

「勿論です、プロフェッサー・ヘンゼル」

「よろしい、ならば戦争なのであ~~るッ! グレーテル、今まで作った偽札を運び出す準備をするのであ~~るッ!」

「はい、プロフェッサー・ヘンゼル」

「ロコン!!」

 

悠然と部屋から退出しようとするグレーテルより先にアトリの指示が飛ぶ。いつでも撃てるよう既に腹の中の炉を暴走させていたロコンは素早く前へ出た。

 

「『オーバーヒート』ッ!」

炉から氾濫した炎はロコンの特性『日照り』の恩恵を受け、荒れ狂いながらグレーテルの進行方向である鉄骨へと向かって行く。溶解させて、行く手を阻むつもりであろう。

 

ジムリーダー・ビオラのポケモンが使った『光の壁』すらもものともしないロコンの最大火力の一撃。

だが、膨大な熱量を阻む者があった。

屈強な岩肌で夥しい量の炎は霧散してしまう。アトリとロコンは揃って距離をとった。冷や汗が吹き出し、頬を伝う。

 

「ドサイドンだとォッ!?」

 

岩・地面の複合タイプ。

体長2.5メートルという巨体に違わぬ圧倒的な攻撃・防御能力を持ち、その外見で怪獣ファンから熱狂的な人気の対象となっている。

 

「ここはマネーロンダリングと聞いてお札束風呂でエンジョイした天才的な我輩が相手なのであ~~る!」

「資金洗浄の意味がちげえッ!!」

「やかましいのであ~~るッ!! さあ先生、その太くて硬いモノでそのロコンを昇天させてしまうのであ~るッ!」

「堂々と卑猥なこと口走ってんじゃねえッ!」

 

ドサイドンがドリルを回し、ロコンに突撃する。

アトリはこめかみを一度叩いた。『角ドリル』。一撃必殺と名高いその攻撃はタメが長い分避けやすい。ほぼ同時にロコンに回避の指示を飛ばした。

ギリギリまで引きつけてドサイドンの攻撃を回避。ドリルに貫かれ地面に大きな空洞が出来上がる。

 

「シトロン! ここは任せて逃げたあの女を追え!」

「ですがそれではアトリが!」

「自分の身ぐらい自分で守る! それよりサナとNを頼むぞ! ジムリーダーのお前の傍ならオレの傍より安全だ!」

「わかりました!」

「アトリ、気を付けてね!」

「無理だけは禁物だよ」

「応ともよ!」

「先生ッ! 行かせてはならぬであ~る!」

 

脇を走り抜けるシトロンたちに攻撃を加えようとドサイドンは拳を振り上げるが、

 

「ロコン、もう一発!! オーバーヒートォッ!!」

 

夥しい量の炎をドサイドンに浴びせる。

『オーバーヒート』は撃った後、炉の暴走の反動で一時的に技の威力が落ちるデメリットがあるが、それでもロコンの特性の恩恵で桁外れの威力を誇る。

だが、それでもドサイドンに与えたダメージは微々たるものであった。

 

「流石であ~~るッ! ものともしないであ~~る! レツゴー! レツゴー! レツゴー! セ・ン・セ・イ!」

 

ドサイドンの凄まじいタフネスに後ろに控えていたヘンゼルは両手に扇子を持って無駄に洗練された無駄のない無駄な動き――長くて細かい描写も面倒くさいので念仏踊りとしておこう――念仏踊りを披露している。

 

「鬼火!」

 

再び突撃してくるドサイドンの攻撃を躱し、鬼火で火傷を負わせる。

これでドサイドンの高すぎる攻撃力は封じたも同然。しかし、このままでは良くない。

ロコンとドサイドンは相性が最悪である。その上『オーバーヒート』の連発でロコンは疲弊してしまっている。最早ドサイドンを倒すことは不可能に近い。

幸いドサイドンの能力に反比例してヘンゼルのバトルはロマン溢れる技で攻めるタイプだ。戦略が填まれば恐ろしく強いが、アトリなら相手にペースを掴ませずバトルを展開することは容易い。

 

「よくやった。戻れ、ロコン!」

 

十分に役割を果たしてくれたロコンを一旦下げる。

ムックルは飛行タイプ。技のバリエーションを考えても適役とは言えない。

モココは論外。鈍足の上メインの電気技を無効化されてはいくら打たれ強さに定評があったとしても押し負けるだろう。

となると、ドサイドンに有効なポケモンは――

 

「行くぞハッサム!!」

 

出会った当初はアトリに敵意を向けていたが最近は近づいた気がする。

指示を聞いてくれさえすれば自身の手持ちの中で一番強いハッサムを繰り出す。

しかし、ハッサムはアトリとドサイドンを見るなり「へっ」と鼻で笑うとその場に肘をついて寝そべった。

 

「ちょ、おま――ハッサムさぁぁぁん!?」

「隙ありであ~るッ! 『岩石砲』!!」

 

巨大な岩石の弾丸が拘束の螺旋を描きながらハッサムに真っ直ぐ飛来する。

 

「危ねえッ!! ハッサム!!」

 

モンスターボールは間に合わない。間に合うか、間に合わないかなど考える間もなく、アトリはハッサムに駆け寄った。

 

飛来してくる巨岩の弾がスローになった。

 

ヤバい……。死ぬ――ッ!!

 

ハッサムを庇うように体を覆い、目を固く閉じた。次の瞬間――――ハッサムは寝そべりながら拳で飛来する岩石を粉々に砕いていた。

 

「…………は?」

 

何が何だか分からないアトリはただ目を丸くするばかりだ。

ハッサムは鋏を開いて閉じるとアトリに見えないように表情を和らげる。

 

――バーカ。

 

僅かな頭痛と共にそんな声がいつもより鮮明に脳に響く。

誰が発した声かわからずアトリは辺り一帯を見渡した。だが、周囲にはアトリたち以外誰もいない。

 

「あ、危ないであろう! 危うく我輩殺人犯になるところだったであ~るッ!」

「偽札作りの主犯が気にすることかよ」

「我輩、子供とお年寄りには紳士的な心優しき科学の子なのであ~~るッ!」

「それなら大人しくお縄を頂戴しやがれコノヤロー!」

「それは断固として断るのであ~るッ!」

「ハッサム! バレットパンチ!」

 

アトリは指示を飛ばすが、ハッサムは既に高イビキをかいて眠ってしまっていた。その様子を見てヘンゼルは指をさして大笑いする。

 

「いう事を聞いてくれないポケモンとは! トレーナーが未熟な証拠なのであ~る!」

「うるせえ、ワキガ野郎!」

 

ハッサムをモンスターボールに戻し、最後のモンスターボールを取り出した。

ハッサムがダメとなればドサイドンに有効なのはコイツしかいない!

 

「勝負はこっからだ! 覚悟しやがれ!」

 

ケロマツはモンスターボールから飛び出す。ドサイドンの強面を見て涙目になり、思いっきり腰が引けていた。

 

ホントに大丈夫かコイツ!?

 

昨日の惨劇を思い返し、多大な不安を感じるアトリであった。

 

 



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第24話 弱者の道

 

 

1

 

先回りしたサナのフォッコが放った『目覚めるパワー』がグレーテルの進路を塞ぐ。

 

「追い詰めましたよッ!」

 

後になって追いついたそしてシトロンが息切れしながら鋭い語気で言い放った。

技術者であり、頭脳労働専門のシトロンは運動が得意ではないが、幸いにもグレーテルと名乗った女性の足の速さはシトロンと対して変わらないようだった。

 

「大人しく自首してくれるなら手荒なことはしません。ですが、抵抗を続けるのなら少々強引な方法で拘束させてもらいます」

 

事実上の降伏勧告を告げる。

追い詰められたグレーテルはゆっくりと振り向き、シトロン、サナと相対した。

相変わらず微笑を浮かべている。息を切らせることなく、まったく表情を変えない。

 

「追い詰めた、ねえ……」

 

グレーテルの品のある微笑が徐々に剥がれ落ちる。

 

「ふふ、はは……。あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」

「な、なに?」

 

けたたましく笑い出した。

その形相は先ほどまでの淑女然としていたグレーテルのイメージとはかけ離れ過ぎており、サナは身じろぎする。

 

「『追い詰めた』。確かに追い詰められたわね。これではプロフェッサーに命じられた任務は果たせない」

 

レアコイルの10万ボルトの照準がグレーテルに定まる。いつでも撃てるよう、彼女の一挙一動に最大限の注意をはらった。

 

「ですが、ここで最も厄介な貴方はここで釘づけにしなくては」

「レアコイル、10万ボルト!」

 

グレーテルがモンスターボールに手をかけた瞬間、シトロンは指示を飛ばす。

電光が閃き、余波でショートしたケーブルが火花のシャワーが飛び散っていく。同時に巻き上がった煙がシトロンとサナの視界を奪った。

 

「やったの!?」

「『地震』!」

 

地面に衝撃を伝導させ地に足を付けたすべての者の骨芯に衝撃を叩き込むという地面タイプの荒業がサナのフォッコを襲う。

 

「フォッコちゃん!」

 

弱点である地面タイプの攻撃を受けたサナのフォッコは倒れた。

 

「レアコイル、ラスターカノン!」

 

すぐさまシトロンの攻撃指示を受けたレアコイルが煙の向こうに鋼タイプのエネルギーを飛ばす。タイプ一致攻撃かつ高火力。レアコイルの高い特殊攻撃能力も手伝ってフェアリータイプ対策の第二のメインウェポンでもある。だが、倒しきること叶わず、レアコイルにも『地震』を叩き込まれる。

鋼と電気の複合タイプが苦手とする地面タイプの攻撃を受けたレアコイルは地に落ちた。

 

「何人たりともプロフェッサー・ヘンゼルの邪魔はさせません」

 

煙が晴れ、姿が見えなかったポケモンの姿が露わになる。

シトロンはレアコイルをボールに戻して歯噛みした。

攻撃を阻んだのは水魚ポケモンのヌオー。緩慢な動作と間延びした声。愛嬌を感じさせるその表情に反して電気タイプキラーとして名の通ったポケモンである。

そして、鋼タイプに抵抗力を持つ水タイプのヌオーならばレアコイルの『ラスターカノン』で倒しきれないことも道理である。

 

「私たちが貴方の膝元であるミアレシティで事を構えるのに何の対策もしていなかったとでも? ジムリーダーであるあなたへの対策は十分なのよ。投降すれば手荒なことをしないわ。でも、そうじゃなければ………わかるわね?」

「シトロンさん……」

 

サナが縋るような目でシトロンを見る。サナの手持ちはフォッコ1匹。もはや戦えるポケモンはいない。十分に対抗策を練られているシトロンが破れてしまえば2人はグレーテルに投降する他、選択肢が残されない。

 

「サナさん、下がって。ここは僕に任せてください」

「でも……」

「大丈夫ですよ。」

 

シトロンは穏やかな声色で告げる。

 

「この程度で『対策は十分』と言われるほど、ジムリーダーは甘くはありません」

 

グレーテルの表情が僅かに剣呑なものなった。

 

「あら、随分と余裕ね、坊や。それとも単なる強がりかしら」

「確かに僕は電気タイプのスペシャリスト。地面タイプのヌオーは僕のポケモン達に対して有効でしょうね」

 

シトロンはエレザードを繰り出しながら眼鏡の弦を直した。

 

「ですが、ポケモンバトルはタイプ相性だけでは決まるわけではありません」

「『地震』!」

「『草結び』!」

 

指示が飛んだのはほぼ同時。だが、ヌオーが動くよりも速く、エレザードの技が決まる。

水タイプと地面タイプ。

その両タイプの弱点である草タイプの攻撃によりヌオーのダメージは甚大だ。

これ以上の戦闘続行は困難だと判断したグレーテルは直ぐ様ボールにヌオーを戻し、次のポケモンを繰り出した。

 

「いきなさい、グライガー!」

 

地面タイプでありながら飛行タイプでもあるグライオン。

草タイプの技は半減され、その上、ここは地下。エレザードが唯一使える水技『波乗り』は使えない。完全に詰みだ、とほくそ笑んだ。だが、シトロンは余裕を崩さない。

 

「『破壊光線』!」

 

エレザードが隠し持っていた『ノーマルジュエル』が光り出す。ノーマルタイプの技の増幅効果を持つ宝石の力を受け、オレンジ色の極太のエネルギーが迸った。圧倒的な光の奔流はグライガーを呑み込み、隔壁を抉り込み、その名の通り破壊の限りを尽くしていく。

当然、そんな超火力の攻撃を受けたグライガーは意識を失い、地面に墜落した。

 

「僕は電気タイプのエキスパート。ならば、その弱点タイプである地面タイプへの対策は念入りに行っています」

 

嫌な汗が一筋流れた。

強すぎる。

手持ちを地面タイプで固め、電気対策は万全にしていたというのに、既にグレーテルの手持ちはあっという間に壊滅状態である。底の知れないジムリーダーの実力に深い戦慄を覚えた。

だが、同時に安堵する。ヘンゼルがシトロンと戦わずに済んだことを。

 

無名の一般トレーナーにグレーテルの敬愛するヘンゼルが負ける道理などあるはずがないのだから。

 

2

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 

勇ましい掛け声をあげながらアトリは走る。ドサイドンと逆方向へ。

彼の背中に張り付いているケロマツは振り落とされまい、と更に強くしがみついた。

 

――今日はこの辺で勘弁してやるぜ。命拾いしたな!

 

「なんで台詞だけは超強気ィィィッ!?」

 

いつもよりひどい偏頭痛と共に頭の中に直接響いてくる幻聴に思わずツッコミを入れる。

ドサイドンは怒りの咆哮をあげた。そして、明らかにアトリごとケロマツを狙った一撃を放つ。

 

「ぬおおおおおおおおおおおおおおッ! 借金返すまで死んでたまるか――――ッ!」

 

死に物狂いで遮蔽物に身を隠し、タッチの差で岩石砲をかわす。

岩石の弾丸は遮蔽物のすぐ上を通り過ぎ、背後の隔壁を大きくひしゃげさせる。

 

「かすった! 今、髪にかすったって!」

「ふははははは! カエル煎餅にしてあげるのであ~~るッ!」

「何が『ふははははは!』だ! 芝居がかってんじゃねえよ、この劇団ひとり!!」

 

悪態をつきながら、指でこめかみを叩き続ける。

 

ロコンの『鬼火』は確かに決まった。

火傷を負ったポケモンは攻撃力が大きく落ち込むのが、普通だ。

だというのに、出鱈目なこの威力。

素の攻撃力が優れているだけでは説明がつかない。だとすれば、

 

「『チーゴの実』か『ラムの実』あたりの状態異常を治療する木の実を持っていたのだろうね」

「やっぱりか。迂闊だった……」

 

思わず天井を仰いだ。

物理アタッカーを火傷状態にして攻撃力を封じ込める、というのは定石だ。

定石であれば、対策が立てられているのは考えて然るべきことだ。ましてやドサイドンのように物理攻撃が生命線のポケモンならば、尚更である。

 

「ところでN、なんでアンタここにいるんだよ?」

「キミがどんなバトルをするのか、見てみたくてね」

 

シトロンと共に逃げたグレーテルを追った筈の連れは逼迫したこの状況に関わらず相変わらず穏やかな表情を浮かべてドサイドンを見た。

 

「どうやら彼はキミのトモダチよりもレベルが遥かに上の様だね。ボクの手は必要かい?」

「いいや、間に合ってるさ」

 

成り行き上変態プロフェッサーと戦っているが、Nの叩き潰したい相手は別にいる。

ここで余計な戦力を投入するわけにはいかない。それに、

 

「オレ達にも一応意地ってモンがあるからな」

「それはキミのポケモンならこの局面を切り抜けられるっていう信頼? それとも個人的な拘りかい?」

「両方だ」

 

Nの問いかけに即答して鞄の中を徐に漁りはじめる。そして、とあるアイテムを一つ取り出した。

 

「それは?」

「一発逆転するためのとっておきさ。結構値の張った貴重品だが、この際仕方ねえ」

「いつまで隠れているのであるかッ! 出てくるのであ~るッ! 『ストーンエッジ』!」

 

鋭利な石の塊が地面から隆起し、遮蔽物を吹き飛ばす。

無防備を晒したアトリにドサイドンは岩石砲の照準を合わせた。

轟音と共に撃ちだされた巨大な石礫。アトリはケロマツを抱え地面を転がり、どうにかやり過ごした。

すぐさま起き上がり、ケロマツをボールに戻し、新しいモンスターボールを掲げる。

ケロマツ、ハッサム以外に状況を打開できる正真正銘、最後の砦だ。

 

「ムックル!」

 

ロコンとスピードのツートップである鳥ポケモンは室内でも構わずその翼をはためかす。

縦横無尽に飛び回るムックルにアトリは取り出したアイテムを投げ渡す。

嘴で受け取ったムックルはドサイドンに向かって一直線に特攻する。

 

「岩タイプに鳥ポケモンをぶつけてくるとは愚かなり、名も知らぬトレーナーよッ! この一撃で沈むのであ~るッ! 『ストーンエッジ』!」

 

タイプの相性が悪く、耐久力のない鳥ポケモンを屠るのに十分すぎる大技。

その強烈過ぎる一撃がムックルの体に直撃する。

強烈な一撃にズタボロにされながらも、確かに墜ちずに羽ばたいている。

 

「バカなッ!? 飛行タイプに岩タイプは――」

 

確かにムックルの耐久力ではドサイドンの放つ岩タイプの技はダメージキャパシティを超えるのに十分すぎるだろう。だが、だからこそアトリがムックルに渡した道具が真価を発揮する。

 

『気合のタスキ』。

如何に強力な一撃であろうと、如何にタイプの弱点を突こうとも自身が無傷であれば一撃だけ耐え忍ぶことのできる逸品の力を借りて、ムックルは最後の力を振り絞る。

道具の力を頼るなど、と情けないといえば、情けない話だろう。

だが、力の劣るものが自分よりも強い相手に勝利する為にはいつだって策が必要なのである。

なにも王道だけが道ではない。舗装されていない獣道とて、貫き通せば自分の道なのだ。

才能で劣るなら他の何かで。

泥臭くても、なりふり構わず自身が望む結末をもぎ取るために。

可能性が1パーセントでもあるのなら、その1パーセントを引き寄せる為に出来ることは全てやり尽す。

弱者には弱者の闘い方や意地があるのだがら。

 

「左捩じり込み!」

 

ムックル得意のマニューバを生かし、ドサイドンの懐に一気に飛び込む。

この間合いならば小回りの利くムックルの独壇場である。

 

「『がむしゃら』!」

 

自身のダメージを相手に共有させる使いどころの難しい技だが、彼我のレベルに関係なくダメージを与えられるムックル唯一の技が決まる。

 

「こ、こんな小細工! 認めないのであ~るッ! 先生、その蚊トンボを叩き潰してしまうのであ~るッ!」

 

ドサイドンが破れかぶれに放った拳をムックルは難なく躱す。

 

認めてやるよ、変態プロフェッサー。

アンタのドサイドンのレベルはオレの手持ちポケモンの強さを遥かに凌駕している。

アンタはオレ達よりも強い。けどよぉ――

 

「勝つのは、オレ達だッ!!」

 

――その通り!

 

叫びに呼応するようにムックルがその姿を変えていく。

 

「電光石火!」

 

ムクバードはムックルの頃とは比べ物にならないスピードで静かにドサイドンにトドメの一撃を見舞い、ついにドサイドンの巨体は崩れ落ちた。

 

3

 

「この扱いに不服を申し立てるのであ~るッ!」

 

ロープでグルグル巻きにされたヘンゼルは仁王立ちするアトリたちに向かって言うがその声は当然のように無視された。

 

「まあ、色々ツッコミたい事はあるけどよ……。まずコレはなんだ?」

「勿論我輩の作り出した偽札であ~るッ!」

 

絵柄。質感。感触。透かし。ありとあらゆる偽造防止技術が再現されており、守銭奴のアトリを以てしても本物と区別がつかない程の出来栄えである。

ただ、一点を覗いては。

 

「何故、フクザワ・ユキチじゃなく、貴方の肖像画がお札に印刷してあるのですか?」

「プロフェッサーの偉大さはフクザワ・ユキチなみですから違和感はありません」

「そういう事じゃないと思うよ……」

 

サナはげんなりとした様子でツッコミを入れた。

偽札とはそもそも本物に似せた偽造紙幣であるからこそ脅威になるのであって、明らかに偽物だとわかる代物は精々人生ゲームか子供もお店屋さんごっこにしか使い道のない玩具でしかない。

 

「お年寄りや子供が間違って使ってしまったら大変であろ~ッ!」

「お前、実はいい奴だろ!?」

「プロフェッサーの魅力をわかって頂けて私も嬉しいです」

 

その場にいた誰もが脳裏に「本末転倒」という言葉を思い浮かべつつも、誰もその言葉を口に出すことはなかった。なんとなく口に出してしまったら疲労が更に詰み上がるような気がした。

 

「ねえ、この人たちどうしよっか?」とサナ。

「放っておいて問題ないんじゃない?」とN。

「こいつ等バカだし、野放しにしても実害少なさそうだよな」とアトリ。

「わ~~ッ! ダメですよ!」

 

三者がそれぞれやや投げ槍な意見を発する中、シトロンは慌てて彼らの話をぶった切った。

 

「一応ここまで大掛かりな違法建築をやっちゃってるんですから、ちゃんとしかるべき措置をとらないと!」

「けどなぁ……。ここが空振りだった以上、ポケモン強盗はもう一回手がかり集めるところから始めねえと。正直ここで余計な時間を喰ってる暇はないだろ。さっさとムクバードの治療もしてやりてえし。……ぶっちゃけこれ以上こいつ等に構って余計な体力消耗したくない」

「ぶっちゃけすぎです!」

「我輩には見え~~るッ!!」

 

そんなアトリとシトロンのやり取りにヘンゼルは陸に上がったコイキングのようにビチビチと跳ね回った。

 

「何が?」

「知れたことッ! ポケモン強盗の鯵と鯖! 失敬失敬ノーカンであ~るッ!」

「手短にな。さもねえと水車に張り付けて大回転させてやる」

「わ~おッ! 脅迫上等!? まさか我輩のナウでヤングな言い回しに嫉妬の炎がメラメラと燃え盛っているのであるな? フッ、天才とはいつも時代も羨望と妬みに晒されるものであるなッ!」

「お~い、水車の準備だ。死なない程度に痛めつけるぞー」

「抑えてアトリ! 気持ちは痛い程! 本当にわかりますけど! 貴重な情報源なんですッ!」

 

静かに激怒するアトリとそれを必死に抑えるシトロンとゴーイングマイウェイに脱線していくヘンゼル。このままでは埒が明かないと判断したNがドサイドンの入っているモンスターボールを拾い上げて小さな声で囁きかけた。

 

「彼がポケモン強盗のアジトを知ってるって言ってるよ」

「マジか!?」

 

アトリ、シトロン、サナの視線が一斉にNに集まる。

 

「サウスサイドストリートにあるレストラン・ド・フツー横の路地裏。そのあたりを根城にしている赤いスーツの集団がこの事件の犯人だって」

「おい、そうなのか? っていねえ!」

「あそこ!」

 

サナに促される方向に視線を向けるとヘンゼルとグレーテルのコンビは緊急脱出用のエレベーターに乗り込んでいた。

眼を離したとはいえその早業にその場にいた誰もが怒るより先に舌を巻く。

ちゃっかりNの拝借したモンスターボールも忘れずに持っていっている辺り間抜けなのか、抜け目がないのか判断に困るところだ。

 

「今日はこの辺で勘弁してやるのであ~るッ!」

「逃げるのか変態プロフェッサー」

「紳士な我輩をよりにもよって『変態』扱いするとは失敬であ~るッ! 逃げるのではないのであ~るッ! これは勇気ある撤退なのであ~~るッ! そうであるな、グレーテル」

「その通りです、プロフェッサー・ヘンゼル」

「それでは紳士淑女諸君! ついでにチンピラ! さよなら、さよなら、さよなら!」

 

捨て台詞まで残して、ヘンゼルとグレーテルは基地を放棄していく。

アトリ、N、シトロン、サナの誰もが空いた口が塞がらなかった。

 

「なんかよぉ……、どっと疲れた気がする……」

「こんな疲労感と徒労感……。滅多と味わうことはないでしょうね……」

「サナ、思い出づくりしたいけど、あの人たちのことはわすれよーっと……」

 

ポケモン強盗の情報を仕入れるという大きな収穫はあったが、なんとなく労力とつりあっていない気がするのは決して気のせいではないだろう。

 

「カロス地方には変な人がたくさんいるんだね」

「「「一緒にするなッ!!」」」

 

Nの発言にアトリ、シトロン、サナが一斉に喚くようにツッコミを入れた。

 

 

 



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第25話 ポケモントレーナーとして

 

 

 

1

 

『ミアレシティにて連続的にモンスターボールが強奪される事件が発生しております。犯行は複数人で囲みポケモン勝負を強引に行った直後、戦闘不能になったポケモンを強奪するといった手口で行われています。同一犯の犯行と予想されていますが、報告された犯人の特徴が多岐にわたるため特定は困難を極めております。……犯行は路地裏など人目に付かない場所で行われています。ミアレシティにお住いの皆さまは十分にご注意ください』

 

ニュースキャスターが告げる情報には目新しい情報はない。

ポケモン強盗が本拠地としている空きテナントを目の前にセレナはどうするべきか、少しだけ迷った。

 

時間は少し遡る。

 

ミアレシティの路地裏。

ここはこの町の名門トレーナーズスクールに通うマコン達の遊び場になっている。大人たちの眼が届かないちょっとした秘密基地。若く血気盛んで善悪の境界が曖昧な子供が『決まりだから』という理由だけで納得できるはずもなく、必要なのはカードではなく技術だという何処かのスキルアウトの元リーダーの様な理屈でことに及んでいた。

 

「それでここでポケモンバトルの練習をしていたのね」

 

セレナの言葉にマコン達は首を縦に振った。

この場所は本当にこっそりポケモンバトルを行うにはうってつけだった。ごっこ遊び延長のようなものであったが、言うまでもなく彼らのしていたことは違法である。だが、「どうせバレやしない」という意識が彼らの自制心を鈍らせてしまっていた。

それに関してはセレナにも覚えがあるので、なんとなく怒るに怒れない。

 

このグループのリーダー格であるのがマコンとスタンであった。

二人の実力はほぼ拮抗しており、日々切磋琢磨して良きライバルとして競い合っていた。

だが、そんな日々はそう長く続かなかった。

親友であるスタンのポケモンが奪われた。

全身黒づくめフルフェイスヘルメットを被った女性と真っ赤なスーツに全身を包んでいるマフィアの様な集団だった。一緒にいたマコン達も負けじと応戦したが、フルフェイスヘルメットの女性一人に全員成す術もなくボコボコにされた。

 

「警察にはそのことを?」

「……警察に言えばポケモンを殺すって……! 無免許でバトルしてた僕たちが悪いんだから警察も本気で動いてくれないって……!」

「だから、自分たちで取り戻そうと?」

 

マコン達は自責の念からかしばらく黙していたが、やがて観念したように頭を垂れた。

 

「ポケモン盗られてからあいつ塞ぎこんでしまって……、スタンはショックで……、寝込んじゃって……。……あいつのあんな姿、見てられない……」

「……許せないわね」

 

表情を一切崩さず冷淡な声で断じる。

静謐な話し方だったが、その弁舌の影から無理やり押さえつけた怒気が感じられる。

鋭利な冷気のようにマコン達の心に突き刺さった。ポケモンに守られるだけではなく、ポケモンを守ることがポケモントレーナーの使命である。

それが出来ない自分たちはポケモントレーナーの卵として最低のことをしてしまったんだ。

羞恥と自責で顔があげられなくなる。だが、次に投げられた言葉は予想外の言葉だった。

 

「分かる範囲で赤スーツの集団の情報を教えて」

「え……? 何をするつもりなの……?

 

ゆっくりと目を閉じた。

ポケモンを盗まれた被害者たちの憤り、怨み、悲嘆、絶望。

セレナの瞼裏には傷ついた果てに流す涙は鮮烈に焼き付いて離れない。

彼らの無茶を咎めたい気持ちをとりあえず棚に上げて、得た情報を総合して考える。

昨日、ニャスパーと目が合った時に頭に浮かんだヴィジョン。同じく路地裏で起こった事件。ポケモンを強奪していたのは赤スーツの男だった。彼らのポケモンを強奪した犯人も赤いスーツ。

手口も酷似している。繋がった気がした。これだけ共通点があれば、無関係と考える方が不自然である。

そして、トレーナーとしての矜持がこれ以上の蛮行は許してはおけないと言っている。

 

「ポケモン強盗は私が捕まえる」

 

力強い断言にマコン達の顔が一斉に上がった。

 

「助けて、くれるの……?」

「勘違いしないで。貴方たちのやったことを肯定するわけではないのよ」

 

突き放す様な厳しい物言いに彼らの背筋が伸びる。

 

「けど、あなた達が友達のポケモンを取り戻したいという気持ちは伝わってきたから……」

 

『友達のポケモンを取り戻す』という気持ちには共感できる。

 

それに、気になることもある。加害者はいずれも赤いスーツを着ていたという共通点がある。それだけ特徴的で重要な情報が何故一般に公開されていないのか。

そこに何かしらの作為を感じられるのだ。その謎を解くためにも直接犯人グループたちと接触した彼らの情報は必要なのだ。

 

「貴方たちの持っている情報を私に教えて」

 

2

 

ポケモンセンターのトイレの中で青い顔をしたアトリは指でこめかみを軽く叩いた。

彼が考え事をする時の癖である。なんとなく軽い衝撃を受けるたびに脳みそが刺激を受けて活性化するような気がする。

 

ムックルがムクバードに進化したが、ドサイドンとの戦闘で傷ついた彼女は既に戦力としてカウントすることは出来ないだろう。この脱落はあまりにも大きい。

真っ当な戦力として数えることの出来るのはロコンとモココの2匹。

目にも留まらぬ逃げ足――逆に言えば縮地の如き瞬足を見せるケロマツは主に性格上の問題でバトルに繰り出すにはまだまだ場数を踏む必要がある。

ハッサムの実力は申し分ないが、多分指示を聞いてくれないだろうな、と大きく肩を落とした。

どちらも一朝一夕で解決できる問題ではないだけに余計に頭が痛い。

 

 

「ロコンとモココだけで何処までやれるか……」

 

敵が岩・地面タイプでも繰り出してこようものならその時点でアトリの敗北が確定する。

一応ロコンとモココ。それぞれに隠し玉は完備しているが、相手に通じるのは一撃限り。その上、決定打になるか、と聞かれれば厳しい、と答えざるを得ない。

堅実にいくならば、ムクバードの回復を待つべきだろう。

 

 

――たすけて……。

――帰して……。

――怖い、怖いよ……。

 

「う……、……ッ!!」

 

突如耳鳴りと共に強烈な頭痛がアトリを襲う。

まただ。これで何度目だろうか。

先程の変態プロフェッサーとの戦闘の後から、との幻聴が脳の芯に直接響く様に鮮明に聞こえてくる。そしてそれが断続的ながらもだんだんと間隔が短くなってきている。

 

「くそッ、うるせえ。なんだテメエ等。オレの中に入ってくるな……ッ」

 

自分の中に自分じゃないものが入ってくる感覚は気分のいいものではない。

自我が浸食されて他人の境界線が崩壊していく錯覚を覚え眩暈で立っていられなくなった。

 

「アトリ、こんなところにいたんだね。シトロンが探して――――どうしたんだい?」

「Nか……。悪い、少しだけ待ってくれ」

 

座り込んでいるアトリを見つけたNが気遣うように屈みこんだ。

 

「気分が優れないのかい?」

「ただの耳鳴りと偏頭痛だ。大分納まってきたから大丈夫……」

 

冷や汗を乱暴に拭って立ち上がる。落ち着きを取り戻すように大きく息を吐いた。

 

「シトロンがどうしたって?」

「今後の方針を決めるから来てほしいって」

「ほいほい、了解っと」

 

先程までの痛みが嘘のように軽い足取りで扉に手をかける。

Nがアトリの方をじっと見ていることに気付いた。

 

「何か言いたそうだな」

 

水を向けるとNはしばらく逡巡していたが、やがて意を決したように早口で捲し立てた。

 

「ポケモンを傷つけることを前提としたバトルスタイル。さっきのドサイドンとのバトルがキミの戦い方かい? だとしたら失望したよ。キミはポケモンへの愛情を持っているトレーナーだと思っていたのに……わかりあうためといい、トレーナーは勝負で争い、ポケモンを傷つけあう。そしてそれを当然と信じて疑わない。……ボクが最も醜く愚かだと感じるトレーナーの姿そのものだよ、キミは……!」

 

Nの耳の痛い言葉に神妙に唇を噛み締めた。

彼の神々しさと相まって苦言が鋭い冷気の様にアトリを刺す。

やがて低く唸るように「……そうだな」と彼の言葉を肯定した。

 

「オレは必要なら手持ちを傷つける様な指示を出す。勝つために出来る最善を尽くす。それがオレのポケモントレーナーとしての覚悟だ」

 

手持ちポケモン達への愛情は嘘偽りない。だがその一方でトレーナーとポケモンという関係をビジネスライクに割り切っている自分もいる。

 

「ポケモンを傷つくことになってもかい?」

「オレについて来るなら、勝負に徹する覚悟を決めてもらう。……こいつらを駒として利用するオレを、お前は『冷酷だ』『非道だ』と軽蔑するか?」

 

「それもいい」と自嘲気味に笑うアトリを前に今度はNが言葉に詰まる番であった。

沈黙の帳がおりる。

Nはポケモンバトルを好まない。

ポケットモンスターと呼ばれる生物の中に眠る闘争本能を満たす行為であっても、戦いである以上、傷つき痛みを伴う。問題はそれを強いているのか、どうか。

 

3

 

「いいか、シトロン。時間と金は常に反比例の関係にある。時間とは人間誰もが持つ共通の財産だ。金をかければ時間を節約できる。時間をかければ金が節約できる。勿論、時間をかけた方が良い結果を得られることもあるだろう。だが、しかし! オレはあえて後者をとる! 残念なことに人類は有史以来、浪費した時間はどれだけ莫大な財をつぎ込んでも買い戻すことは出来た試しがない! 人類の文明が三次元から四次元へ飛躍しない限り、時計の針を右に戻す手段はないからだ。

故に今ここでカチコミをかける。そうする必要があるとみた!」

 

N並の早口にシトロンとサナは思わず苦笑い。

先程の自称秘密結社『ふらんだーすの犬』との戦闘でシトロンとアトリはそれぞれ手持ち一匹ずつが戦闘不能。サナに至っては唯一の手持ちを沈められてしまっている。

手持ちポケモンの回復を待つべきだ、と主張するシトロンに対して展開したロジックが先ほどのものだ。

 

「しかし、危険すぎます。敵の戦力は未知数。応援を呼ぶ時間も必要ですし、万全の状態で挑むに越したことはありません」

「うーん。サナはシトロンさんにさんせー! せっかく犯人たちの居場所がわかったんだから、捕まっているポケモン達を確実に助け出す為には傷の手当てが第一だよ」

「それだよ」

 

アトリは人差し指をコメカミに押し当てながら言った。

 

「敵の戦力は未知数。もっと言わせてもらえば、あの変態プロフェッサーからの情報は本当に信用に足るモンなのか? オレ達を嵌めるための罠って可能性も考えられる。だったら斥候としてオレが探りを入れれば、敵戦力の数、罠かどうかくらいは見極められるはずだ」

「単独で動く気ですか!? 危険すぎます、バカですか!?」

「わーおッ、切れ味するどーい」

 

出会って間もないシトロンにまでバカ扱いされたことに思わず苦笑い。

言われ慣れているので別に傷つきはしないが。……本当に、全く、全然傷ついていないが。

気を取り直して咳払いをひとつ。

軽すぎる物言いにシトロンの眉が更につり上がるが、真顔に戻ったアトリが手を突き出して制した。

 

「オレ達の中で一番強いのはジムリーダーであるシトロン、お前だ。お前が罠にかかってリタイヤって展開は士気的にも、戦力的にも絶対に避けたい」

「でも、それじゃあ君が――」

「危険は承知の上。もしオレがやられたとしても、最後にお前が勝ってポケモンを取り戻してくれればオレ達の勝ちだ」

「けど、」

「『けど』じゃない。……時間があるなら回復を待つって手もありだけど、オレには時間が残されていないんだ……」

 

ドラマなどでよく聞く死亡フラグ全開な台詞にシトロンとサナは目を剥いた。

神妙に彼の次の言葉を待つ。

 

「…………明日仕事で4時起きだから」

「休めないの?」

「休めねーよ」

 

生活費の確保はアトリにとって最優先事項である。

そして、ポケモントレーナーとしての旅立ちが決定しているアトリにとって近いうちにやめる職場ではあるが、今まで良くしてもらった分、最後まで務めを果たすことで報いたい。

それはジョゼットのピカチュウを取り戻すことと同じくらい大事なことだ。

 

「それしかありませんか……」

 

シトロンは苦渋に満ちた表情で低く唸りを上げる。

 

「くれぐれも無茶だけはしないでくださいね」

「まあ、出来る限りはな」

 

万が一見つかって敗北したとしても、元・炭鉱マンであるアトリならばその並外れた体力と筋力に任せて暴れてそう簡単には強奪されることはない。

 

「見つけたらムックルを飛ばす。――悪いな、ムックル。いや、今はムクバードか。痛いだろうけど、もうちょい力を貸してくれ」

 

――任せて!

 

応急処置を終えたムクバードはモンスターボール越しに傷ついた羽を広げ尻尾を左右に振った。

 

「本当にすまない……。きついだろうが、今はお前の気持ちに甘えさせてもらう」

 

一歩引いたところでその様子を見ていたNは渋い顔をする。

傷ついた状態でトレーナーに酷使されるポケモン。

彼とNとの考えは違いすぎる。

 

正直、目を背けたかった。

ポケモンが傷つく姿を見たくない。

だが、眼を背けるわけにはいかない。

英雄としての資格。真実を見極め、再び目指すべき理想を掲げる。

 

それを手に入れる為にフワ・アトリというトレーナーを見極める必要がありそうだ。

明確な答えを出せずにいるNに、同じ力を持つ彼を糾弾する資格はまだないのだから。

 

――異なる考えを否定するのではなく 異なる考えを受け入れることで 世界は化学反応をおこす。

 

Nの脳裏にイッシュの白い英雄として選ばれた少女の姿が浮かんだ。

未来は見えず、彼女の愛した数式はまだ解き明かせない。

 

 



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第26話 セレナVSアケビ

 

1

 

カロス地方最大の都市ミアレシティは実に広大だ。敷地は勿論、住人の数、そしてミアレステーションを入り口に毎日のように訪れる多くの外国人観光客。

人の回転率は文字通り世界一であろう。

そんな巨大都市の中で目当ての人物を足のみで探すのは非常に困難であろう。だが、セレナたちの目当ての人物へと続く糸を見つけるのは拍子抜けするほど簡単だった。

さもありなん。犯人たちの特徴は全身赤スーツ。しかもご丁寧に髪の色から付けているバイザーまで真っ赤ときた。時代の最先端を行き過ぎた人類に理解するには早すぎる彼らのファッションは美意識の強いカロス地方――しかもその中心地であるミアレシティにおいて悪目立ちすることこの上ない。午前中だけで山の様な目撃証言が集まった。

そしてやってきました。彼らのアジト。

サウスサイドストリートにあるレストラン・ド・フツー横の路地裏。

その奥に人目を憚るようにひっそりと存在している廃工場。セレナはこっそりと物陰から伺い見た。そこに件の赤スーツが根城にしているという情報をナンパしてきたバッドボーイズを締め上げて手に入れたが、その情報通り怪しい赤スーツが入り口前で仁王立ちしている。

 

一度身を隠して思案する。

強行突破することは可能だろう。だが、目的はあくまで盗まれたポケモンの奪還。

勝つだけでは目的を達成することは不可能だ。

 

アトリに協力してもらうべきか……?

 

バッグの中からホロキャスターを暫く見つめていた。

一人より二人。彼ならば心強い味方になってくれる筈だ。

 

気を付けろよ。最近物騒だからな。

サナ達と一緒に行けばいいじゃないか。ナンパが気になるならトロバとティエルノあたりにも声をかけたらいい。

おーう。見つけたら何か奢ってやるよ。

 

昨日のフワ・アトリの数々のザ・無神経ワードが脳裏を過る。

 

あのキングオブ無神経の手を借りなくても!

 

無表情なまま持つ手に力が入り、端末が軋んだ。

怒りが静かに燃え盛る。

 

そんな中セレナはスカートの裾を軽く引かれて咄嗟に振り向いた。

 

2

 

見張りの男は欠伸を噛み殺した。

 

「そういやぁ、よぉ聞いたか?」

「何を?」

「大幹部様が直々に邪魔者の始末に動いたらしいぜ」

「ああ、あの自称秘密結社か」

 

『ふらんだーすの犬』と彼らの組織は敵対関係にある。対立の理由は一言でいうなら縄張り争いだ。ふらんだーすの犬は偽札を生産し、ミアレシティの経済を自在に操ろうと画策し、彼らの組織はとある目的の為にポケモンを奪っている。

目的自体は互いに邪魔になるものではない。それどころか二つの組織が組めば、ミアレだけには収まらない強大な犯罪シンジケートが出来上がる。それが出来ないのは偏にふらんだーすの犬の頭目であるヘンゼルが組織のやり口が許容できないからである。

曰く「美学が足りないのであ~るッ!」だそうだ。

奴らには何度も煮え湯を飲まされている。

ポケモンを奪うという任務を妨害されたことは片手の数だけでは足りない。

彼らの組織は大幹部主導による警察への圧力や情報操作の甲斐あって尻尾を掴まれるような失態は犯していないが、あまり派手に動かれ過ぎると目障りだ。

 

「けど、大丈夫か? ふらんだーすの犬の頭目はジムリーダークラスの実力者だろ。うちの組織で相手になるのは幹部くらいじゃないか」

 

ヘンゼルのふざけた態度と反比例するように彼の手持ちポケモン達は総じてレベルが高い。生半可な実力では策を巡らそうとも、粉砕されてしまうだろう。

 

「大丈夫だろ」

 

そう言って肩をすくめた。

 

「刺客に選ばれたのは無名のトレーナーらしいが、大幹部様が直々に依頼しただけあって腕利きみたいだし、万が一やられたとしても、我々『フレア団』の預かり知らない――」

 

続きを言うことは叶わなかった。

糸が切れた人形の様に突如昏倒した相方に慌てて近寄ろうとするも、それを小さなポケモンが阻んだ。

 

「な、なんだよ?」

 

じせいポケモン・ニャスパーはその真ん丸い目はジッと彼を見据えて何も言わない。フレア団員の男はニャスパーを退かそうと手を伸ばす。

所詮は小さなポケモンと侮っていたことが、それが彼の犯した致命的なミスであった。

次の瞬間、彼も意識を失った。

 

『あくび』

 

ニャスパーの使う補助技の1つである。

同じく相手への入眠作用を引き起こす『催眠術』や『眠り粉』と比べ、効果が現れるまでのタイムラグがあるが、その分、効力にムラや個人差がない分使い勝手が非常にいい。

 

「ありがとう。助かったわ」

「フンニャー!」

 

寝息を立てている見張り番二人の脇を通り抜けセレナはカフェで目が合ったニャスパーと共に内部への侵入を果たす。

廃工場の内部は荒れてはいたが、非常灯がついていることから電気が生きていることを物語っている。

更に注意深く観察すると、頻繁に人の出入りがある痕跡が散見できた。

周囲を見回して警戒するが、少なくとも赤い服の集団はまだ侵入されたことに気付いてはいないようである。

 

「フニャー」

 

突然ニャスパーの耳が何度も開いて閉じる。

セレナの問いかけに答えることなく、ニャスパーはその短いコンパスにあるまじき早さで駆け出した。セレナも慌てて追いかける。

 

「どうしたの?」

 

ニャスパーが再び耳をパタパタさせるとセレナの脳裏に鮨詰めにされているポケモン達の映像が流れ込んでくる。

その中のポケモン達は皆憔悴、または衰弱しきっていた。エスパータイプの能力でポケモン達の居場所を探り当てた事を悟る。

 

「そっちにさらわれたポケモン達がいるのね?」

「フニャッ」

 

「イエス」と答えているような気がした。

そうとわかれば迷う必要はない。入り組んだ工場内をニャスパーが示す通りに進むのみである。二階の突き当りにある部屋でニャスパーは足を止めた。

セレナはドアノブを捻るが鍵がかかっていてノブが回らない。

 

「ニャスパー。お願い」

「ニャ!」

 

ニャスパーの耳が全開になり眼に仄かな青い光が灯る。エスパーポケモンのお家芸『サイコキネシス』によって鍵はいとも簡単に外れされた。恐る恐る扉を開くとそこにはニャスパーに見せられたヴィジョンと寸分違わぬ光景があった。

檻にはそれぞれA・B・Cと書かれた札が張り付けられている。

Aが丁寧かつ数が少ないのに対し、B、Cと順を追って数が多く乱雑な扱いになっていることが気になったが、今は考えている時間が惜しい。

すぐさま警察に通報しようとしてホロキャスターを開いたその直後だった。

 

「フンニャッ!!」

「――――ッ!?」

 

セレナを目掛けて飛んできたドス黒い波動。その間にニャスパーは『光の壁』を張り体を滑り込ませた。ニャスパーの小さな体は吹き飛ばされ棚に激突する。

 

「ニャス――「アハハハッ! 惜っしい!」

 

バイザーを被り、オレンジ色に髪を染めた赤服の女性がポチエナを従えて軽薄な笑いを浮かべていた。

 

すぐさまニャスパーの頭部を揺らさないよう手を触れた。

呼吸は確認出来るが、浅く荒い。相当な重症を負っている。

 

すぐさま持っていたヒールボールを取り出した。

弱っているところに付け込んでいるようで気は引けたが今はことは一刻も争う。

瀕死寸前のニャスパーをボールの中へ収めた。これで当面の怪我の方は問題ない。

 

攻撃したきた相手を睨み据えた。

不意打ちでポケモンの技を、しかも躊躇する事なく頭部を狙ってきていた。目の前のオレンジ髪はセレナを殺すつもりで攻撃を加えてきたのだ。ニャスパーが庇ってくれなければ間違いなく死んでいたであろう。

そして、傷つけても罪悪感を抱くことなく軽薄に笑っている。

 

「なんてことをするの!」

「『なんてことを』はこっちのセリフ。何しようとしてくれてるの。それ、集めるの苦労したんだからねー」

 

オレンジ髪は軽い調子でそう言い放つ。

 

セレナは『それ』と示されたポケモン達を伺い見た。一目で分かるほど、衰弱している。特に『C』とラベリングされているポケモン達の環境は劣悪極まりない。狭い檻の中に身動きがとれないほどすし詰めにされている。

早く医者に見せなければ手遅れになるかもしれない者もチラホラと確認できる。

 

「酷い……ッ!」

「あれー、激おこ? 激おこなの?」

 

セレナは怒りのあまり目眩を覚えた。激情が荒波のように押し寄せて、口の中は噛み締めすぎて微かに血の味がした。抑えきれない程の怒りを覚えることは初めてだ。

 

「こんなことをして……何も思わないの!?」

「何が?」

「こんなに苦しんでるのに! 何も思わないのかって聞いてるのよ!」

「別に? 私は嫌な思いしてないし」

「――――ッ!ハリマロン!!」

 

反射的にモンスターボールを投げた。目頭が熱い。

この女は自分が加害者になっていることへの自覚も、他者の苦しみへの想像力も完全に欠落しているのだ。

 

許せない!

 

「『つるのムチ』!!」

 

轟ッ!! と唸りをあげたムチがポチエナの顎を打ち据える。

急所に攻撃を受けたポチエナは吹き飛び、意識を失った。

 

「あはは! 大人に逆らうのが格好いいとか思っちゃうお年頃ってわけ?」

「わからないなら、もう黙ってて! ポケモン達は返してもらうわ!」

「アハハハ! あなたっておもしろーい!」

「言ってなさいッ! 『転がる』!」

 

ハリマロンは空中で回転し、コンクリート製の床を抉ってオレンジ髪へ突撃する。

オレンジ髪は落ち着いた様子でモンスターボールからエアームドを繰り出した。

鋼と岩のぶつかり合う音が響く。そのままハリマロンとエアームドは鍔迫り合いを演じた。

よく響く衝突音を聞きつけた赤スーツ達がワラワラと集まり始めていた。

 

「アケビ様、どうなさいました!?」

「下がっててねー。今この子と遊んでるところ――だからッ!!」

 

気勢とともにエアームドはハリマロンを押し返す。

負けじと更なる加速を付けて突進してくるハリマロンをエアームドは更に弾き返した。

 

「無駄無駄無駄ァ――ッ! エアームドに物理技なんて通じない!」

「そんなこと!」

「なら食らっちゃえ! 『鋼の翼』!」

 

縦回転しながら突っ込んでくるハリマロンに相対速度を合わせ、鉛色の羽を打ち付ける。

ハリマロンの体は大きく空中へと投げ出された。間髪入れずアケビの指示が飛ぶ。

 

「『ドリル嘴』!」

 

エアームドの鋭い嘴は螺旋を描きながらハリマロンに急迫した。草タイプのハリマロンに対して飛行タイプの技は効果抜群である。

空中では回避する術がない。

 

「ムチを!」

 

セレナの指示とほぼ同時にハリマロンは『つるのムチ』エアームドの羽に引っ掛けて、強引に飛び越える。

エアームドの背とハリマロンの頭部が僅かに擦過した。

 

「アハハハ、やるじゃん♪」

 

アケビは上から目線の賛辞を送る。

事実彼女はこのバトルの主導権を握っていた。

着地したハリマロンは息が上がっている。タイプ相性的にもレベル差的にもハリマロンに勝ち目は薄い。このままでは勝てない。切り札であるアブソルならばエアームドに勝利を収めることは可能だろうが、

 

セレナは周囲を伺い見た。

 

アケビに勝つだけで終わりではない。

彼女に勝ったとしても、後ろで控えている赤服達が黙ってはいない。恐らくは乱戦になる。

拐われたポケモン達を助けるために、今この場でのアブソルの投入は出来るだけ避けたい。

 

そう、このままでは。

 

セレナは深く深呼吸をした。

感覚を研ぎ澄まし、ゆっくり――ゆっくりと、集中の世界へ足を踏み入れていく。

 

アトリとの再戦に向けて研鑽を続けてきた奥の手だ。

未だに習得したとは言い難いが、今この場を打開したいと思うならば、やるしかない。

 

ハリマロンの呼吸を感じる。

相手の呼吸を感じる。

 

自分の鼓動が遠く、然れどしっかりした音が千々に乱れ打つ。

大事なのは呼吸とリズム。

そして、何よりもハリマロンとの心の同調。

 

「実戦でやるのは初めてだけど、用意はいい?」

 

ハリマロンはセレナを見ずに頷く。

言葉では上手く表現出来ないが、繋がっていることを感じる。彼もセレナと同じくポケモン達を蔑ろに扱う赤スーツ達に酷く憤っているのだ。

ならば、ポケモントレーナーとしてその気持ちに応える。

セレナはこの一戦にポケモントレーナーとしての全てを賭けた。

 

「GO!」

 

セレナの指示とほぼ同時にハリマロンら果敢にエアームドへと立ち向かっていった。

 

 



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第27話 シンクロ

 

 

 

エアームドはぎりぎりまで引き付けてからハリマロンの攻撃の軌道から外れた。

いくら早くとも所詮は直線的な動きだ。時間経過に比例した加速にさえ気を付ければかわすことなど造作もない。だが、

 

「逃がさない!」

 

回転しているハリマロンはツルの鞭で強引に軌道を変える。突然の予想していなかった軌道変更に対応しきれず、ハリマロンの攻撃をまともに喰らったエアームドは僅かによろめいた。

 

「アハハハ! やっるぅ♪ なら、これならどう!?」

 

アケビの声と共にエアームドは空中へ羽ばたいた。いくら狭い部屋の中とはいえ空中を自在に飛び回る鳥ポケモンに直接攻撃を当てることは至難の技だ。

 

「『ツルのムチ』!」

 

襲いくる植物のムチをエアームドは避けるまでもないと言わんばかりに羽で弾いた。

 

「アハハハ! そんな攻撃通じませーん」

 

アケビはあからさまにセレナを嘲ってエアームドを突撃させる。

真正面から攻撃をもらったハリマロンは吹っ飛ばされ、壁に体を打ち付けた。

彼女の言う通り先ほどの攻撃でエアームドは全くといっていいほどダメージを受けていない。草タイプの技は鋼と飛行タイプを併せ持つエアームドにはほぼ効果がないのは自明の理である。

 

「アケビ様、そろそろ……」

 

楽しい時間に水を指した部下にあからさまな舌打ちするが、確かに頃合いかもしれない。

欲を言うともう少しいたぶって遊びたかったが、そろそろ上役が撤退の準備をするために訪れる頃だ。

その前にこの侵入者に対して何らかの始末をつけなければならない。

 

仕方ないなぁ、と溢し大きなため息をつく。

享楽主義のアケビではあるが、あの大幹部の怒りを買うような事だけは御免こうむりたかった。

 

「楽しかったけど、そろそろ終わり。エアームド、とどめを――」

 

そこまで言いかけて初めてアケビはエアームドの様子がおかしい事に気づいた。

消耗が激しすぎる。肩で息をしており、動きに精彩さが欠けている。

調子に乗って攻撃を受けすぎたかも知らない。

 

「『羽休め』!」

 

アケビの指示と共にエアームドは地に降りて失った体力を回復する。

その期を逃さずハリマロンは突撃してきた。

 

「無駄無駄ァ♪ 何度も言ってるでしょー。エアームドに物理技は――」

「確かにエアームドの硬い羽根を上からの攻撃でダメージを通すは難しいでしょうね。でも――関節まで硬いわけじゃないでしょ!」

 

ハリマロンは渾身の力を以て『瓦割り』の拳を関節に打ち込んでいく。

エアームドはたまらず悶絶した。

備えていた飛行タイプを一時的に消失していたところに格闘タイプの技。その上、精密無比な攻撃を繰り出せるテクニック。

 

「意図的に急所を狙える的確さがあれば、そんなもの問題にならないわ!」

 

エアームドの表情が更なる苦悶に歪んだ。苦し紛れに空中に逃げようとしたところを首に鞭をかけた。空中へ跳び上がり、間合いを更に詰めた。

 

「『瓦割り!』」

 

ダメ押しの一撃が頭部にヒットする。

 

不思議だ。練習では10回に1度決まればいいところだったというのに。

自分のイメージが、そのまま現実に反映される。何一つ失敗する気がしない。

 

ハリマロンの呼吸を感じる。

ハリマロンの視界を感じる。

ハリマロンの動きを感じる。

 

セレナとハリマロンの五感が完全にシンクロしていた。

 

「こんな……馬鹿なッ! 『羽休め』!」

 

体力の回復を図るも、それは一時しのぎにしかならない。

 

ラッシュ!

ラッシュ!!

ラッシュ!!!

 

次から次へと蓄積されていくダメージが回復量を上回っている。そして――遂に均衡は崩れた。

 

「そんな……! そんなことが出来る筈が……!」

「終わりよ!」

「クッ、舐めるな!」

 

セレナの指示とほぼ同時にハリマロンが深く踏み込む。小さな体をバネにして全身全霊の一撃を放つ。エアームドの体が浮き上がった。

 

「そこッ!」

 

残心をとっていたハリマロンが空中で回転。遠心力を利用してエアームドを打ち据えた。鋼の翼は地に堕ち、意識を手放した。

 

「強いのね。……そう、強いのね」

 

自身の敗北を噛み締めてアケビはモンスターボールにエアームドを戻した。

同時に様子を伺っていたフレア団員達がセレナを取り囲む。

 

「アハハハ! たった一人でここまで辿り着いたことは誉めてあげる。でも、」

 

アケビが片手を上げると同時に団員達は一斉に手持ちポケモン達を繰り出し、臨戦態勢に入る。

 

「私たちがこんなにもいるんだからさっさと降参しちゃいなさい。楽しませてくれたお礼にあなたの命だけは助けてあげるから」

 

セレナはその提案を鼻で笑った。

『あなたの命だけ』。

きっとその勘定にセレナのポケモンは入っていない。ならば選ぶべき道は一つだ。

 

セレナのハリマロンはバランスを崩し、膝をついた。

分の悪く能力面でも勝るエアームド相手に強引に勝利をもぎ取った代償として既に体力は限界に達している。少し押されただけでも倒されてしまうだろう。

 

「戻って、ハリマロン」

 

まだやれる! と意思表示するハリマロンをボールに戻す。ポケモントレーナーとしてこれ以上の無茶は許容出来ない。

 

「ありがとう。よく頑張ってくれたわね」

 

ハリマロンに労いの言葉をかけてから、周囲の状況を分析した。

おおよその数は10匹以上15匹未満。ズルッグ、イシツブテ、ナゾノクサ、コラッタ、ホルビー、コフキムシ、レディバ、ミツハニー。

一匹一匹のレベルは脅威には程遠い。しかし、数が多すぎる。

 

セレナの手持ちで戦闘可能なのは先程のニャスパー含めて3匹……、いや。そのうち1匹はまだ捕獲したばかりの為実戦に出せるレベルではないので実質残り1匹だ。

 

要注意なのは出口付近に陣取っているズルッグ。格闘と悪タイプを併せ持つあのポケモンはアブソルが相手どるには少々分の悪い相手である。

ズルッグを一撃で沈められるかどうか。セレナ達が勝てるかどうかの別れ道だ。

その時だった。

 

「『オーバーヒート』ッ!」

 

突如、上から圧倒的な熱エネルギーがズルッグに向かって放出された。

 

炎タイプ指折りの大技を不意打ちでまともに受けたズルッグは倒れた。

 

「だ、だれ?」

 

その場にいた誰もが射線を逆に辿って炎を撃った相手を伺い見た。射手とトレーナーはセレナとフレア団員達を一望できる遥か高みにて威風堂々と佇んでいた。顔は強い逆光のせいではっきりとは確認できない。

 

「誰だ!?」

「天が呼ぶ! 地が呼ぶ! 人が呼ぶ! 悪を倒せと俺を呼ぶ! 聞け、悪人ども! オレは通りすがりの正義の味方! ポケモントレーナーA!!」

 

格好つけてどこかで聞いたことのある名乗り口上を叫ぶポケモントレーナーA。

フレア団員は呆気にとられていた。二次元ならともかく、現実でこの手の名乗り口上を述べる人間を初めて見た。第三者ならば、名乗りをあげている間に攻撃しろ、などという野暮なツッコミを入れそうなものだが、合理的な思考だけでは説明できないものがここにある。

セレナはこのような奇行をやらかす人間に一人だけ心当たりがあった。

と、いうより彼のすぐ側に『日照り』による日輪を背負っているロコンがいるとなれば、少年の正体はほぼ確定的である。

 

「セイヤーッ!!」

「ちょっ!?」

 

更に格好つけて飛び降りる少年にセレナは大いに慌てた。床までは15メートル近くある。着地を失敗すれば骨折は避けられない。

だが、ポケモントレーナーAは難なく一回転半を決めながら着地した。続けてロコンもすぐ横に着地する。スーパーヒーロー着地だ。

周りのフレア団員たちは彼の運動神経に称賛の拍手を送る。そんな時だった。

 

メキッ!

 

セレナだけではなく、その場にいた誰もがそんな不吉な音を耳にした。危機を感じ取ったロコンは自分だけさっさと逃げを打つ。

直後、床が抜けて、ポケモントレーナーAは下の階に落下していく。長い間放置されていた工場だ。老朽化していた部分が着地の衝撃に耐えられなくなったのであろう。

 

「「「……………………」」」

 

その場にいた誰もが開いた口を塞ぐことを忘れた。

ズダダダダダダダダッ! と、下の階から駆け上がる音と共にポケモントレーナーA――フワ・アトリは部屋に戻り、フレア団員達を横切り、セレナの隣に戻ってきた。

 

「オレ、参上!!」

 

何事もなかったように威勢よく宣言した。普通なら良くて骨折、悪くて死亡というような事故に見舞われても怪我ひとつない辺り彼の頑丈さが伺える。

 

「何やってるのよアトリ……」

「登場の仕方は大事だろ?」

 

セレナは天井を仰いだ。

格好つけるつもりが相当残念なことになっているのを本人以外誰もが気付いていないのは幸なのか不幸なのか……。体の頑丈さと賢さが反比例しているのでは、と考えると納得できてしまうから不思議である。

 

「あなたってホント馬鹿ね」

「手厳しいッ!」

「アハハハハハハハハハハハハハハ! あなたコメディアン? もー、サイコー!!」

 

床をバンバン叩きながら笑い転げるアケビにアトリは鋭い視線を投げつけた。

 

「タイマンなら邪魔する気はなかったが、一対多数は卑怯だろ」

「アタシ達全員に勝てるとでも?」

「負ける喧嘩はしない主義だ。お前ら程度にそんなてこずるとも思わねーしな」

 

あからさまな挑発だったが効果はあったようだ。殺気だったフレア団員達の何人かはアトリのロコンにターゲットを絞り込んだ。

 

「あなた様子を伺っていたわね?」

「ああ」

 

背中越しのセレナの問いかけにアトリは少々逡巡を見せたが、低く唸るように肯定の言葉を吐いた。

 

「文句なら聞くぞ」

「最悪……」

 

セレナな非難の声は覚悟をしていたが、少々堪えた。

だが、言われても仕方ない。

アケビがとりまきをけしかけない限り、一対一の勝負なのだ。

その勝負に横槍をいれることは木っ端トレーナーのアトリとしても憚られる。

そう言い訳して斥候の役割から逸脱しようとしなかった。

 

セレナがあの程度の相手に負けるとは思ってはいなかったが、万が一負けたとしてもアケビと呼ばれた女性の享楽的な言動を鑑みるに遊びの道具とされるだけで、ポケモン共々本格的な危害まで至るには相応の時間がかかるだろう。彼女にはシトロンが到着するまでの時間稼ぎと敵を消耗させる為の先鋒としての役割を果たしてもらう。

とはいえ、人質にされてシトロンが動きづらくなるのは良くない。

セレナの旗色が悪くなるまでは相手の戦力の分析と布石を打つことに専念。旗色が悪くなるようならば助太刀する。

 

そう決めていたとはいえ、悪く言ってしまえば彼はセレナ達を捨て駒扱いしたのである。普通なら親しい者が窮地に陥っていれば、一も二もなく助けに入るのが正しい人としての在り方なのだろう。

よくもまあこんな狡猾な手段が思い付くものだ、と我ながら呆れ果てた。

だからこそ、どんな糾弾も甘んじて受ける心づもりであった。そして今がその時だ。

唇を噛みしめ、懲役を告げられる罪人のような面持ちで侮蔑の言葉を待つ。

 

だが、セレナが発した次の言葉はアトリが予想もしていなかったものであった。

 

「貴方に手の内明かしてしまうなんて……」

「そこかよ」

「他に何があるの?」

「いや、見てたのなら助けろ、とか」

 

罵声を浴びせられたい訳ではないが、想定外なセレナの反応に拍子抜けしてしまう。

なまじ糾弾を受ける覚悟を固めていただけに余計にだ。

 

「見くびらないで。ちゃんとわかってる。あなたが見ていて何もしないってことは何か出来ない理由があるから。違う?」

「そういう理由もなきにしもあらずなんだがよ……」

 

歯切れの悪い言葉を並べるアトリの唇に指を当てて強引に言葉を止める。

 

細かい理屈はもうどうでも良かった。

アトリが自分を助けにきてくれたこと。

そして何よりも『ライバル』として肩を並べて共に戦えることが不謹慎化かもしれないが、ただ嬉しかった。

自分の顔が少々赤くなっていることを感じる。

 

「別に私一人でも十分だったわよ」

 

照れ隠しに強がりを言ってしまうなんて私もまだまだ子供だな、とくすぐったい気持ちになってしまう。

アトリは苦笑した。

 

「まあ、けどやるなら」

「うん。1人より2人よね」

 

拳を掌に打ち付けてセレナと背を合わせる。そして、ロコンとアブソルもそれぞれのトレーナーと共に戦うべく、前に立って臨戦態勢に入った。

 

「背中は預けるわよ」

「任された。さあ、仕事の時間だ!」

 

多数に無勢。

状況は依然不利のままだ。

だが、アトリと一緒なら――

 

どんな強敵が来ても負ける気がしなかった。

 




お久しぶりです。
(誰も待っていないかもしれませんが)更新間が空いてごめんなさい
私生活がアホみたいに忙しい上にスランプで仕事以外でパソコンを開けていませんでした。
最近やっと少し落ち着いてきましたので、少しずつ小説を書く時間をとっていきたいと思っています。
スランプを脱出したわけではないので、いつまでにと約束はできないところが心苦しいですが、それでもいいという心の広い方はどうかお付き合いください


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第28話 ビリビリ

 

 

1

 

「いいか、お前にオレ達の命を預ける」

 

作戦を告げた新しいトレーナーはおれにそう言った。

 

「ビビりで、逃げ腰で、ヘタレ。お前は致命的なまでに荒事に向いていない」

 

こいつはおれに喧嘩を売っているのだろうか。

 

「だが、そのお前の臆病さをオレは買う。恐怖に敏感だってことは逆に言えば慎重だってことだ。そんなお前だからこそオレ達が派手に暴れている間にデッドラインを見極めて暗躍することが出来ると思っている」

 

今までのは別に怖いから逃げたいとかそういうのではなく、ただ気乗りしなかっただけだ。

そんなケロマツの心の内を察したかは定かではないが、アトリは言葉を続ける。

 

「逃げるのは自由だ。けど、その場合、オレはお前を見捨てる。仲間を見捨てて逃げるような奴をオレはオレの手持ちに加える気はない」

 

別にいいさ。おれはまだあんたを主人と認めたわけじゃない。

おれの隠れた才能を見抜けないボンクラにおれも着いて行く気はない。

 

「だが、怖さに耐えて役割を全う出来るなら――」

 

アトリはケロマツの眼を真っ直ぐに見据えた。

 

「約束する。どんなことがあってもオレはお前を見捨てない」

 

一拍おいて告げたその言葉は恐ろしく真摯にケロマツの心に響いた。

 

本当におれに任せるのか?

本当に、こんなおれに……?

怖くて怖くて怖くてバトルの度に逃げ回ってきた。

勝ちたい。でも怖い。

その度にトレーナーとなる人間からは見捨てられ、期待されることなどなかった。

 

おれは負けてない。

おれが本気出せばだれよりも強いんだ。

おれの力を見抜けないトレーナーがヘボなんだ。

 

惨めな気持ちに蓋をして。態度だけは尊大に振る舞い。

自分以外の誰かの所為にして、今まで逃げ続けてきた。

その度に惨めな気持ちは肥大して、それを誤魔化す為だけにまたハリボテのプライドを主張する。そんなことを繰り返すうちにいつしか信頼されないことが当たり前になっていた。

 

だけど、本当はそんなの嫌だった。

いつだって負けたくなくて、信頼されたくて――

でも、情けない自分を認めるのが嫌で――

 

「この役割はお前にしか果たせない。もし失敗してもオレがどんな手を使ってもケツを持ってやる。それがオレのトレーナーとしての役割だからな」

 

だから気負わずに行け。そう言ってアトリは拳をケロマツに向ける。自分が震えていることを知られてしまうことが恥ずかしくてリアクションを返せずにいた。

自分を信じてすべてを任せてくれるトレーナーなんて、これまで一人だっていなかった。

そこまで内省を経てケロマツは初めて自分の気持ちに気づく。

 

おれだって本当は――――

 

2

 

「来るぞ、6時の方向! 伏せろ!」

 

背後から迫っていたイシツブテの体がロコンの上を通過して大きく体勢を崩す。息をつく間もなく、間髪入れず指示が飛んだ。

 

「正面! 風下だ、粉系の技が来るぞ!」

「させない、『挑発』!」

 

アブソルがロコンをフォローするように前に立ち、補助技封じが決まる。直後アブソルが伏せ、出来た隙間から『弾ける炎』を飛ばしてナゾノクサを倒す。それとほぼ同時にセレナのアブソルもイシツブテを蹴散らした。

 

「数でたたみ込め!」

「生かして帰すな!」

 

手持ちポケモンを倒されたフレア団員達は更にポケモンを繰り出しロコンとアブソルにけしかける。

 

「数が多すぎる!」

 

数を頼りに波状攻撃を仕掛けてくる大勢のポケモン達を前にアトリとセレナは回避を主体にバトルを組み立てざるない。

ロコンに『熱風』を覚えさせていれば一網打尽に出来ただろうが、生憎アトリのロコンは数の暴力に有効な技が使えない。唯一使える広範囲攻撃と言えば『弾ける炎』くらいだが、しょぼい火が周囲に飛び散るだけで効果は薄いだろう。その上先程の『オーバーヒート』の反動でロコンの腹の炉の機能が一時的に落ちている。そしてセレナのアブソルも1対1の立ち合いに特化したポケモンであり、耐久が高い方ではない。本領である先読みと状況判断で補ってはいるが、一つ間違えれば挽回不可能な劣勢を強いられるだろう。

 

だが、今はこれでいい。と、アトリは思う。

元々多勢に無勢。劣勢のところに強引に勝機を作り出すのだ。

辛抱がいる。

 

「クソ、ちょこまかと!」

「そんなトロ臭い攻撃に当たるほど軟な鍛え方はしてないんで、な!」

 

手を振りかざすと同時に『弾ける炎』が正面にいるナゾノクサを捉え、間隙を縫ってロコンを狙ってきたミツハニーを『不意打ち』で仕留める。

 

「何してるの! 相手は二人なんだから囲みなさい!」

 

アケビの激が飛びフレア団員達は拙い動きでアトリとセレナを取り囲もうと動き始めた。

包囲は徐々に範囲を絞り始め、波状攻撃はロコンとアブソルに届き始める。

一撃一撃の威力は対してことはなくとも、蓄積すればそれほど打たれ強くない2匹はやがて力尽きるだろう。そうなればアトリたちに抵抗する術はない。

人間がポケモンに勝てる道理はないのだから。

蟀谷を一度だけ叩く。

『日照り』のタイムリミットまであと一分を切った。頃合いだろう。

 

「ロコン、退路を確保!」

 

二度目の『オーバーヒート』を放つ。一度目よりやや威力が落ちたが、それでも尚勢いよく燃え盛る炎はほぼタメなしで撃った所為で狙いが甘い。だが、当てることが目的ではない。射線上の敵が退避した一瞬をアトリは見逃さなった。

 

「ちょ――!? 何するのよエッチ!」

「暴れるな、落ちるぞ!」

 

セレナを抱きかかえて中央突破し、ロコンとアブソルもそれに続く。

 

「戦略的撤退ッ!」

 

傲慢ともいえるほどの自信を見せていた男が見せる清々しい程見事な逃げっぷりにフレア団員達は一瞬唖然とした。

 

「何をボーっとしてるの! さっさと追いなさい!」

 

言われるまでもない。あの生意気な小僧には大人の怖さを教え込んでやらなければならない。

散々アトリに見下され憤然としていたフレア団員達はすぐさま手持ちポケモン達を刺客として放った。

 

「絶対に捕まえて! アイツらが外に逃げてアタシたちのことが公になれば――アタシ達全員あの女狐に殺される!」

 

お気楽なアケビの顔色が変わっていたことに部下達は誰も気づいていなかった。

 

3

 

「ちょっと逃げてどうするの! あと少し、あと少しなのに……ッ!! 戻って! 戻りなさい!!」

「戦略的撤退だっつってんだろ。あのままやりあっても負け確定だろうがッ」

「それは……そうだけど……」

 

アトリの言うこともわかる。わかるのだがもう少しで弱ったポケモン達を助けてやれるところに来て出直しというのは、もどかしくてたまらない。

 

「この場はオレに任せろ。ルール無用の場外乱闘は得意分野だ。奴らは一人残らずぶちのめす。そんでもって誘拐されたポケモン達は絶対にトレーナー達の元に返す。絶対に、だ」

 

決意に満ちた横顔にセレナは何も言えなくなった。

そうだ。細かい経緯は知らないが、アトリだってここに乗り込んできた以上、奪われたポケモン達を助けたいに決まっている。

そしてなによりフワ・アトリは自分が実力を認めたライバルなのだ。

その彼が『任せろ』と言った。

ならば自分のするべきことは一つ。彼を信じて力を貸すことだ。

 

「ところでさっきから柔らかいものが肩にあたってるんだが、オレへのご褒美?」

 

アトリお得意の軽口にセレナは不意に自分の今の状況を自覚した。

横抱き。俗に言うお姫様抱っこというものである。

その上余計な体力の消耗を抑えるためか、抱擁の様な形になっており、アトリとセレナの体が密着している状態にある。

そのため胸がアトリの肩に思いっきり当たっているのだ。

 

「~~~~~~~~~!?!?」

 

かぁっと頬が熱くなった。鼻の下が伸びきっただらしない顔は、先程の真面目な顔との落差が激しすぎる。

 

「貴方はいつもいつもどうして余計な一言がついてくるのよ!!」

「暴れるな、落ちるだろうが!」

 

羞恥と怒りを発散するようにアトリに連続でチョップを見舞う。

バランスを崩さないようにアトリはセレナを抱く力を更に強く込めた。

 

「へ、変なところ触らないでよ! 自分で走るから降ろして!」

「お前足遅いだろうが。捕まっちまうぞ!」

「う~~~~っ! 変態! 変態! 変態!」

「ヘイへイ、もうお好きなように!」

 

目の前で繰り広げられる痴話喧嘩にロコンとアブソルが盛大な溜息をついたが、すぐさま後方から気配を感じ取った。

 

「おいでなすった」

 

無数の威嚇の声と共にフレア団員が放ったポケモン達がアトリとセレナを猛追してくる。

それに少し遅れてフレア団員達が続いてきた。

 

「待て、逃げるなゴラァ!」

「悔しかったら捕まえてみろ。まあ悪趣味スーツに頭に赤いウ○コ乗っけてるセンスのかけらもない奴に捕まるような間抜けではないけどな!」

 

ドスの利いた声で追ってくるフレア団員達を尚挑発するように捨て台詞という名の罵詈雑言を吐きながらアトリは自慢の快速を遺憾なく発揮する。

 

「ところで、その赤いウ○コって血便? いい肛門科紹介してやろうか!?」

 

スタイリッシュにきめた赤スーツ。

炎をモチーフとした髪型。

ハイセンスを自負している彼らはその二つを下品な揶揄を受けた上に、大人を敬わない著しくモラルに欠ける言動に益々激怒した。

 

「何処までもコケにしやがって! 殺してやる!」

「貴重な酸素が勿体ないので腐ったハラワタで息しないで頂けませんか~?」

 

本気で殺意を向けてくるフレア団員達相手にそれでもアトリはゲス顔をキラキラさせて言い放つ。セレナはアトリにチョップを食らわせた。

 

「何をする?」

「逃げてるのに何で煽るのよ!?」

「逃げてない。これは戦略的撤退だ。それより口を閉じていろ。舌噛むぞ!」

 

アトリの言葉に嫌な予感を覚えた。

そっと進行方向を伺い見ると視線の先は行き止まりになっていてこれ以上進みようがない。

それでもアトリは減速する様子を見せない。

 

「ウィー・キャ~ン……!」

 

アトリが自身に満ちた笑みを浮かべているのを見て予感が徐々に確信に変わっていく。

セレナの血の気が引いた。この先は正確には行き止まりではない。

通ろうと思えば通れるのだ。ただまともな神経を持ち合わせた人間ならばやらない。思いついたとしても絶対に実行には移さない。そう、『普通』ならば。

残念なことにセレナはアトリが自身の運動能力の高さに物を言わせて色々やらかしてきた事を知っている。そして何よりも決定的なのは彼がバカであるということだ。

幼い頃から時が流れていて普段は理知的な言動をしているのを度々見てきたのだが、感情が昂ぶったときのはっちゃけぶりをセレナは自分の眼で度々目撃してきた。ということは、

 

気づけばアトリは勢いのままに手すりに足をかけていた。

吹き抜けになっている下に見えるのは恐らくこの工場で最も広いと思われる踊場だろう。

 

「待って、ここ二階―――!!」

「フラァイゴォォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!!!」

「い、や、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

空中に躍り出て落下していく中、セレナはアトリに力一杯しがみついた。コンクリートの床までの高さ目測約5メートル。落下までの時間は1秒にも満たない。

その1秒の中でセレナの脳裏に走馬灯が浮かぶ。アトリを信じて任せたことを早くも後悔していた。

 

「ケロマツ!」

 

アトリの指示を受け階下で隠れて待機していたケロマツが胸と背中から出ている泡を落下地点に広げて着地の衝撃を殺す。

 

「よーし、受け身はバッチグーッ! 流石オレ!」

「お前達どこから――!?」

「勿論上からァッ!」

 

入り口で待ち伏せていたフレア団員達のポケモンをロコンとアブソルが倒し、トレーナーに延髄斬りをかまして沈黙させる。

 

「ケロマツ、準備は?」

 

サムズアップで応えたケロマツから引っ張り出してきた工場の火災防止用の放水ポンプを受け取る。

 

「やっぱりな。廃工場なら絶対にあると思った。……って、おーい、セレナ?」

 

落下のショックからトランス状態に陥っているセレナは反応を示さない。

アトリは無茶をさせ過ぎたか、と反省しつつ、どうするべきか思案する。

相手が男ならば気付けとして頬を張るくらいはするだろうが、セレナは女の子だ。

気付けの為とはいえ女性に暴力を振るうのは自他ともに認める紳士であるアトリのやることではない。

そう判断してセレナを復活させるための魔法の呪文を唱えた。

 

「スカートめくれてる」

「――――ッ!?」

 

慌てて隠すも時すでに遅し。思わぬ眼福にご満悦のアトリは柏手を打って拝んでいた。

 

「黒のアンダースコートか。定番だが――嫌いではない!」

「変ッッッ態!!!!!! こんな時に信っじられない! 馬鹿じゃないの!? バカバカバカバカッ!!」

「よーっし、ここで迎え撃つぞー」

「しれっと流した!? ――ってどういうこと?」

 

「言ったろ? 『奴らは一人残らずぶちのめす』ってな」

 

そう言って先程の放水ポンプを見せた。

 

「何をするつもり?」

「酷い事」

 

アトリの言葉の意味が分からず説明を求めようとするもそんな時間はなかった。

 

『いたぞ、あそこだ!』

 

怒号と共に迫ってくるフレア団員とポケモン達に身構えようとするがアトリはそれを制する。ポンプの口を向けるとケロマツにアイコンタクトを送る。ケロマツはポンプのコックを開き放水を開始する。

高水圧で噴出する水の勢いに負けてフレア団員達とそのポケモン達は恐慌状態に陥が、長い間整備していなかった所為か、水の勢いはすぐに弱くなり、すぐに何もでなくなった。

 

「き、さま! よくも我々自慢のおしゃれスーツを……!」

「覚悟は出来てるんだろうな」

 

「1つ聞いてもいいか?」

「ああ!?」

 

怒り心頭のフレア団員達に冷たく腹に響く声で言う。

 

「お前たちは人からポケモンを奪うとき何を考えている? 何故そんな酷いことが平然とできる?」

「知るか! 俺たちがハッピーになれれば他のトレーナーやポケモンがどうなってもどうでもいいんだよ!」

 

「最っ低!」

 

吐き捨てるようにいうセレナの肩をアトリは掴み押しのけた。

普段のおちゃらけたアトリとは全く別の横顔。思わず息を呑んだ。

敵意と悪意。

3か月前に自分に向けられたもの以上の憤怒の瞳は真っ直ぐにフレア団員達に向けられていた。

 

「そうか……。それがお前らの理屈なら、それが自分達に跳ね返ってきても文句はないな」

「なに?」

「反撃の手段がないとでも思ったか? お前らは既に一網打尽だ。……水は電気をよく通す」

 

多勢に無勢。数で圧倒するだけの有利な条件は最早消え失せている。

投げかけた問いに対する回答を言い終わるのを待たずにアトリはロコン、ケロマツをボールに戻しモココを繰り出した。

ずぶ濡れのところに電気タイプ。

水を向けられてこれから自分達の辿る末路を察した。察してしまった。

 

「オレの生徒を泣かせた利息はきっちり払ってもらうぞ」

「待っ――、降参――!!」

「……お前達はここで終われ」

 

蟀谷を叩く。それが合図とばかりに電光が廃工場内に閃いた。

 



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第29話 逆転

 

 

 

1

 

青白い光がアケビの眼を眩ませる。耳を劈くのは一瞬のスパークの音。

恐る恐る目を開いたとき飛び込んできた光景はまさに地獄絵図であった。

刺客として放った部下と部下のポケモン達が意識を失い痙攣しながら泡を吹き失神していた。

 

「いえーい」

 

上手く相手を陥れたザマミロ感を噛み締めモココの尻尾とハイタッチする。

 

個々のレベルでは相手にならなかったが、数で押し込めばやがて疲弊する。あれほど自信を見せていたトレーナーがプライドに固執せずあっさり撤退したことには面喰ったが、それを単なる『敗走』と判断して何の疑いもなく追撃した。

状況が示していたのはあのトレーナー達の敗北。

確信した勝利をひっくり返された。それはアケビにとって大きな衝撃だった。

 

派手に暴れたのは策を用意させる為までの時間稼ぎと陽動。

傲慢な言動と敗走しても尚続けられた挑発はこの場に誘い込むためのもの。

あのトレーナーは最初から自分達を一網打尽にするつもりで、ここまで誘い込んだのだ。

 

真っ当なポケモントレーナーとしての矜持を持つものなら禁じ手中の禁じ手としているトレーナーへの直接攻撃を行った。

 

恐ろしい。あの歳でなんという狡猾さ。そして何よりも人を害することへの躊躇いがない。

アケビにはわかる。あの少年は自分達と同類。奪う側の人間だ。

アトリは蔑みを込めた鋭い視線をアケビに投げつけた。

 

「さて、檻の鍵を出してもらおうか」

 

手持ちのモココを擁して抑揚のない声で迫ってくる。冷たい汗が背中を伝う。

 

「アハハ……。無理。そんなことしたらアタシが上に殺され――ガッ」

 

胸ぐらを掴む。ものすごい力で締め上げられて息が出来ない。

地上で溺れて我武者羅にもがくが、拘束を解くことは叶わなかった。

 

「いつお前の事情なんか聞いた? 勝手に死ねよ。オレには関係ない」

 

アトリは淡々と語る。その眼差しと声色にはいつもある体温が一切感じられない。彼の背後にいたセレナにすら感じられる程の強烈な圧迫感に固唾を飲んだ。

 

「別に檻をぶち壊してもいいけどよ、中のポケモン達に余計な不安を与えたくない。分かるよな? つか、分かれ」

 

掴まれた力が少しだけ緩む。せき止められていた酸素を取り込む為、過剰な呼吸音と咳き込みが工場内に反響する。

 

「何マジになってんのさ。ポケモンなんていなくなったらまた新しいの捕まえればいいだけの話でしょ! そんなのでこっちが殺されるなんて冗談じゃない!」

「……価値観の相違だな。お前たちが奪ったものは奪われた奴にとってなくてはならない存在だ。分からなくてもいいさ。オレもお前らみたいなクズに理解できるとは思ってない」

「なんでアタシだけ悪く言うの? アタシだって不幸だもん!」

 

アケビの言い分を知らねえよ。と吐き捨てた。

 

「被害者ぶるな、加害者。お前らの事情なんて知ったこっちゃないと言っただろう。オレはお前らがうちの生徒から奪ったポケモンを取り返す為だけにここにいる。わかるか? 努力してやっと捕まえて、大事にしているポケモンを奪って、……お前らがあの子を泣かせたんだよ。お前らがッ!!」

 

「うるさいうるさいうるさい!  アンタの生徒が泣いてる? ポケモンが可哀そう? どうでもいいわよ! そんなことよりアタシはアタシがよければいいの!」

 

『そんなことより金を持ってないか? 働いてるんだから、少しくらい都合がつくだろう?』

そんなことより――

そんなことより――

ソンナコトヨリ――

 

嗚呼……。この女はアイツと同類だ。他人の痛みや苦しみに対して共感を覚えない。

自己中心的で無責任。一番嫌いなタイプの人間だ。

 

「もういい……。喋るな……ッ!」

 

更に締め上げて口を封じる。この女の理屈はこれ以上聞くに堪えない

拳を握った。

 

「鍵はお前の顔面を潰した後、勝手に持っていくから――くたばれ」

 

拳を振り上げる。アケビはアトリの腕に爪をたてるが、物凄い力で掴まれビクともしない。

傷つけることへの罪悪感はない。ただ、ドス黒い喜びが心の中を巣食っていた。

自覚がない悪意に満ちた笑みが顔に浮かぶ。

拳を振り下ろそうとした直後だった。アトリの腕をセレナが抑えていた。

 

「離せ」

「離さない。……もう十分でしょ。これ以上はやり過ぎよ」

 

セレナの言葉をアトリは鼻で笑った。

 

「こいつ等みたいな人間は反省しない。反省しないやつは改心もしねえ。そうしてまた罪のない人から理不尽に奪うんだ。こいつ等みたいなやつがいるから――!」

 

理不尽にすべてを壊される悔しさはよく知っている。

オレがそうだった。無条件に信じていた希望に満ちた未来は、木っ端微塵に打ち砕かれた絶望は筆舌に尽くしがたい。これ以上、奪われてたまるか。

 

「そうだとしても、あなたのやっていることは間違っている。今のアトリは大義名分で自分のしようとしていることを正当化しているだけよ」

 

真っ直ぐに自身を糾弾の言葉が投げられる。にも関わらず不思議とアトリの心が不快に騒めくことはなかった。アトリは堅く目を閉じて彼女の言葉を反芻する。

 

「お願いだからやめて。私にあなたを、軽蔑させないで……」

 

身を焼く様な怒りが鎮火されていくような感覚を覚えた。

セレナの言うことは正しい。その『正しさ』が間違っていることを心の何処かで自覚しているアトリには心地よかった。

 

「その言い方は反則だ」

 

拳を解き、吊り上げていたアケビを降ろす。

 

「………………、オレは……他の誰に嫌われても、お前にだけは嫌われたくない……」

 

2

 

「悪い、モココ。心配をかけた」

 

アケビを筆頭に気を失っているフレア団員達を拘束した後、心配そうにアトリを見ていたモココをそっと撫でる。

 

「セレナも。悪かった……」

 

よかった。いつものアトリだ。

 

罰の悪そうな笑みを浮かべるアトリを見て、セレナは安堵した。

さっきのアトリは本当に怖かった。

普段ノリが軽すぎて『バカ』と揶揄されることの多い彼は時々別人のように激しい感情を露わにする。

アトリは気性の荒いところがあるものの、その本質は非常に繊細であることを最近知った。

故に自分を追い詰めて、何かの拍子に道を踏み外してしまいそうな危うさがある。

何が彼のスイッチになっているのかは大体想像がついたが、迂闊に踏み込むことは憚られた。

 

「警察に連絡するわよ」

「頼む。オレはこっちに来ている仲間に連絡をいれる。――モココ、こいつらが少しでも妙な動きを見せたら電撃をお見舞いしてやれ」

「そう言えばあなたどうしてここにいるの?」

「ちょいと賞金稼ぎの真似事を。こいつら捕まえたらなんと賞金200万! フワ家の稼ぎ頭としたら黙っているわけにはいかねえな」

「フラダリラボからのスポンサーの申し入れがあったから、もう無理にお金を稼ぐ必要はないんじゃ――」

 

ちっちっちっ、と人差し指を左右に振る。セレナはイラッとした。

 

「それはそれ。これはこれ。借金問題を別にしてもオレはお金が大好きなのです」

「…………金の亡者」

「金の亡者など存在しません。いつだって金を必要とするのは明日を生きようとする人だけなのです」

 

悟りきった表情で名言っぽいことを言う拝金主義の申し子に閉口する他なかった。

そのとき――何かを察知したセレナのアブソルはいななきを上げた。

 

――危ない!

 

頭の芯から響く声にアトリは僅かな頭痛を覚える。

 

直後。有無を言わせぬ攻撃がアトリに迫る。正体不明の乱入者の攻撃を両腕で受け止めた。

アトリのホロキャスターが地面に落ちる。

そこにいた誰もが予想もしていなかった。危機察知能力に優れたアブソルがいなければ最初の一撃で意識を飛ばされていたであろう。防げたのはまぐれに近い。

 

「いっ――てぇ……ッ!」

 

ガードの上から衝撃が突き抜けてきた。

蹴りを受けた腕が痺れる。セレナのアブソルが黒いライダースーツに攻撃を仕掛ける。ライダースーツは続けてセレナのホロキャスターを破壊。身を翻し、拘束していたアケビの隣に着地。抱えながら間合いをとった。

 

「セレナ……、あいつ……」

「ええ。少なくとも味方ではないみたい――」

「仮面トレーナージョーカーみたいで超カッコいいッ!!」

 

無言でアトリにチョップを叩き込む。

ライダースーツを見る目が子供のように輝いている。そういえば彼は昔から特撮ヒーローが大好きだった。

 

「おしいゾ。モデルは仮面トレーナーブラックだゾ」

「誰だ!」

「あそこ!」

 

セレナが指差した方向には赤いスーツと赤い髪の恰幅はいいが顔色は悪い男がいた。

服装からして赤スーツの仲間であることは容易に想像できる。彼が投げたモンスターボールから飛び出してきたゴルバットがアケビの拘束を解いた。

 

「失態だゾ、アケビ」

「クセロシキ!? なんでここに!」

「ボスの命令だゾ。ミアレシティでの作戦は中止。ここは放棄するゾ。お前は即座に撤収。証拠になりそうなものは既に破壊済みだゾ」

 

あからさまな不愉快を示す舌打ちが工場内に響いた。

 

「堂々と撤退の相談なんかしやがって。逃がすと思ってんのか!?」

 

正気に戻ったアトリが一歩前に出る。

 

「家の家計とオレの心の平穏の為にお前は今ここで潰す」

 

クセロシキと呼ばれた男は鼻で笑った。

 

「…………、ならば仕方ないゾ。――――エスプリ、始末するゾ」

「やれモココ! 10万ボルト!」

 

クセロシキが指を鳴らす。黒いライダースーツ――エスプリとモココが動いたのはほぼ同時だった。10万ボルトを巧みに躱しトレーナーであるアトリとセレナを目掛けて駆けてきた。

アトリは迎え撃つため腰を低く構える。あの強烈な蹴りを何度も受けては腕が壊れてしまう。

 

それなら――!

 

突っ込んできたエスプリの両腕を封じ、正面から組み合った。

細い腕だ。その上、小柄だ。

普通ならそんな体格の相手に肉体派であり、キレてる筋肉が自慢のアトリが力負けすることはあり得ない。そう、普通なら。

 

「なら、そのスーツにカラクリがあると見たッ!」

 

押して駄目なら引いてみろ。

力押しが通用しないと判断するや否や直ぐ様組んだままエスプリの下に潜り込み、腿の辺りを下から蹴りあげる。

 

「おらよッ!」

 

気勢と同時に巴投げが決まり、エスプリは空中を舞う。

 

「モココ!!」

 

指示が来ると予想していたモココは即座に応じてエスプリに電撃を飛ばした。空中に投げ出されたエスプリに避ける手段はない。

迫る電撃を前にエスプリは空中で回転。モーションの小さいアクロバティックな動きで電撃を躱していく。

 

着地と同時に加速。

アトリに頬に拳を叩き込んだ。

吹き飛ばされたが、受け身はとれた。追撃がこないうちに立ち上がり、モココ共々エスプリと間合いをとる。

口の中に鉄の味が広がっていく。

殴り飛ばされた拍子に切ったのだろう。

唾液と一緒に吐き捨てた。

 

「ほう? トレーナー強化機能を完備しているエスプリと渡り合えるとは……。お前なかなか面白いゾ」

「ウルセー、見物料とるぞゴラァ!」

「惜しい。実に惜しいゾ。敵でなければ同じ仮面トレーナーファン同士、話があったかもしれない。……今からでも遅くないゾ。フレア団に入る気は?」

「死ねッ!」

「残念だゾ」

 

クセロシキはゴルバットをけしかける。そしてもう一匹。モンスターボールから飛び出してきたポケモンは初めて見るものだった。カロス地方にしか生息していないポケモンだろう。紫色を基調としたイカなのか鳥なのか判断に困る姿。

見た目から悪タイプのような印象を受ける。

 

「カラマネロ、アブソルに『馬鹿力』。ゴルバット、モココに『シザークロス』だゾ」

「アブソル、呼吸を合わせて!」

 

アブソルの動作とセレナの意識がシンクロする。一瞬だけカラマネロの動きがスローモーションになった気がした。

 

「『不意打ち』!」

 

悪タイプの気を纏った攻撃がカラマネロを襲う。狙いをすませた精密かつ力強い一撃はカラマネロの急所を的確に捉えた。

 

入った!

 

確かな手応えと共にアブソルとセレナは勝利を確信した――次の瞬間。

アブソルが逆に吹っ飛ばされた。

 

3

 

モココとゴルバットが交錯した。

モココは一撃を受けるが特性『静電気』により動きが鈍ったゴルバットに『10万ボルト』を直撃させる。クセロシキのゴルバットは意識を手放し、地に落ちる。

すかさずセレナのアブソルの方を伺い見た。

カラマネロとアブソル。一瞬の鍔迫り合いを制したのはカラマネロであった。

 

なんて奴。

 

アトリは戦慄した。

先程のエアームドとの勝負で見せた『必中の急所攻撃』。如何なる防御をしようとも意味をなさない最強の矛を受けた。――にも関わらずアブソルを返り討ちにした。

あのカラマネロはセレナのアブソルのレベルを超越している。相対的にアトリのハッサム以外の手持ちよりも強い、ということになる。

だが、――まだだ。活路はある!

 

「『10万ボルト』!」

「『馬鹿力』だゾ」

 

モココに多少のダメージはあるが、『馬鹿力』の反動で一時的に攻撃力が落ちている筈。

アトリのポケモンの中で最も守りに長けるモココならば、なんとか耐え抜くことは出来るだろう。一か八かそこを突く!

 

「アトリ、正面からぶつかってはダメ! カラマネロの特性は――!」

 

言い終わる前にモココはカラマネロに殴り飛ばされた。咄嗟に体を滑り込ませる――――勢いを殺しきれず壁に激突する。

 

「っか、は……ッ!」

 

体中に激痛が走り、一瞬呼吸がとまる。

 

「アトリ!」

 

駆け寄ってきたセレナに助け起こされ覚束ない足取りで立ち上がる。――右足首に激痛が走った。どうやら足を捻ったようだ。

 

「モココ……、大丈夫か……!?」

 

痛みに歯を食いしばり、状況を確認する。

モココからの反応はない。完全に意識を失っている。

 

何故だ? 何故オレ達が負けている!?

 

予想もしなかった完全敗北。アトリは半ばパニック状態に陥っていた。

 

『馬鹿力』は己の筋力のリミッターを一時的に外し殴りつけるというシンプルながらも強力な格闘タイプの技だ。

発動には肉体に多大な負担を強いる。限界点まで高められた力と引き換えに発揮した後、筋繊維が損傷――いわゆる『筋肉痛』のような状態となり、能力が低下するという反動がある。

アトリはそこに付け入る隙があるとみていたのだが。

カラマネロの攻撃能力は低下どころか、むしろ先程アブソルに向けたものよりも強力になっている。

 

ポケモンの肉体は人間よりも遥かに強靭で回復も比較にならない程であることを考慮しても、回復するということはありえない。

 

「一体、これは……どういう手品だ……?」

 

あのカラマネロの強さは単にレベルに差があり過ぎるだけでではない。何か秘密があるはずだ。敗因を解析できないアトリにセレナはそっと耳打ちした。

 

「……カラマネロの特性『天邪鬼』……」

「初めて聞く特性だな……」

「能力のアップダウンが逆転するっていうものよ」

「…………、クソがッ」

 

アトリは苦々しげに呟いた。

つまりカラマネロは『馬鹿力』で攻撃を行いながらも自分自身の能力もあげていたという事になる。『電磁波』などの搦め手を使用すれば活路があったかもしれないが、勝利を目の前に『倒す』ことに拘泥してしまった。相手の戦力を見誤ったアトリの失策だ。

 

物理攻撃・防御の能力を二回上げたカラマネロ。

対するアトリたちはあのカラマネロに対抗できるポケモンがもう残っていない。

万策尽き、アトリたちの勝利は消えた。

その事実が彼らの肩に重く圧し掛かる。一般トレーナーとの野試合ならば賞金を払うだけで済むが、今目の前にいるのはポケモンマフィアだ。自分たちは間違いなく制裁を受けるだろう。

 

アトリは蟀谷を一度叩いて気持ちを切り替えた。苦い気持ちはあるが、今は悲嘆に暮れている場合ではない。

万策尽きた今、此方の敗北は動かない。同じ負けにしても『負け方』というものがある。

 

残り戦力を一気に投入して玉砕――ありえない。

シトロンたちが来るまで時間稼ぎを――――ダメだ。時間を稼ごうにも、レベルに差があり過ぎる。特性『天邪鬼』を備えたカラマネロに二度攻撃させた時点でオレ達の敗北は動かない。徒にポケモン達を傷つけるだけだ。唯一ハッサムならば対抗しうるだろうが……オレを嫌っているあいつがこの場面で動いてくれるはずがない。

逃げる――いや、セレナは足が遅い。それにオレはこの状態でエスプリとカラマネロに挟まれている時点で逃げ切ることは不可能。

…………、いや、一つだけ手がないことはないが……。

 

「なあ、よお。ものは相談なんだが、見なかったことにするから見逃してくれっていうのは有りか?」

 

アトリの提案にクセロシキは一笑した。

 

「無いゾ。警察やマスコミは我らの圧力で押さえつけることは出来るが正直お前達のような正義感ぶった偽善者は目障りゾ。我々に歯向かえば、どうなるか知らしめる必要があるゾ」

「見せしめって訳か。趣味悪ィ」

「だが、効果的だゾ」

 

交わされる不穏当な会話。自分達の命が脅かされているという状況が現実味を帯びてくる。

セレナは心臓を鷲掴みにされるような、吐き気すら催す恐怖に膝が震える。

こういうことも起こるのだと覚悟はしていた。していたつもりだった。

いざその場面に直面すると自分の心の弱さと自覚してしまう。言い様のない恐怖に息が乱れた。

 

情も。矜持も。尊厳も。

何もかもかなぐり捨てて、ここから逃げてしまいたい。

 

鎌首をもたげる弱い考えをセレナは強引に捩じ伏せた。

あの子供たちに奪われたポケモンを取り戻すと約束した。

 

心は決まっているのに体がうまく連動してくれない。震える唇を噛みしめる。

 

しっかりして!

本当に私は出来るだけのことをやったの?

本当に私はもうダメだと思えることをやったの?

まだ出来ることはあるはず。

諦めなければ絶対に――!

 

「セレナ……。ここは退け。ここはオレ達が引き受ける」

 

クセロシキが聞こえないギリギリの声量でアトリが言った一言はセレナには信じがたいものだった。

 

「ミアレのジムリーダーを呼んで来るんだ。研究所の斜め向かいのポケモンセンターだ。サナもそこにいる」

「貴方を置いて私だけ逃げろって言うの!? 馬鹿にしないで。私も一緒に戦う!」

「バカ野郎。『ジムリーダー出動』っていう強力な切り札を今使わずにいつ使うってんだ。

それにあのエスプリとかいう奴の相手はお前じゃ無理だ」

「でも、それじゃあアトリが……死んじゃう……」

「ハッサム」

 

アトリが繰り出したハッサムを見てセレナは身を固くした。

3カ月前に自分達を襲ったポケモンだ。無理もないだろう。

 

「こいつならあのカラマネロと互角に渡り合える。オレもオレでエスプリって奴1人なら何とか凌げる」

「でも……! でも……」

 

それ以上言葉が出てこなかった。アトリは目に溜まった涙をそっと拭った。

 

「なら、オレを連れに早く戻って来い」

 

セレナは逡巡していたが、やがて小さく頷いた。

 

「死んじゃ、嫌だよ……」

「当たり前だ。借金返すまで死んでたまるか」

 

アトリが応じるとセレナは工場の出口に一目散に駆けていった。彼女の姿が消えたことを確認してから小さく溜息をついた。

 

「随分あっさり見逃すじゃねえか」

「手負いの獣ほど厄介なものはないゾ。もしあの女に手を出したらお前は例え破滅しても我々に無視できないダメージを与えるほど暴れることくらいお見通しゾ」

「よくわかっているじゃねぇか」

 

もしセレナに危害を加えるつもりだったら首を刎ねられたとしても、喉笛を食い千切ってやるつもりだったが、そうならずに済んで安心した。死に直面して安心したというのも些か妙な話だが。

クセロシキという男はアケビと違いメリットとリスクを天秤にかけるタイプだと踏んでいたが、どうやら当たっていたようで本当に良かった。

 

「見せしめは一人で十分だゾ。お前が死ねばあの娘の反抗心を挫ける。皆殺しにしては我々の脅威は伝わらない」

 

アトリは鼻で笑ってハッサムに手持ちポケモン全員のモンスターボールを渡した。

 

「ハッサム。こいつらを連れてプラターヌポケモン研究所へ行け」

 

――お前はそれでいいのか……?

 

「オレは『損害』って言葉が嫌いなんだ。……負けの責任はトレーナーにある。お前達の所為じゃない。こいつらが気に病む様だったら、そう……伝えてやってくれ……」

 

――…………。

 

ハッサムは何も言わない。アトリもこれ以上語るべき言葉を持っていなかった。

クセロシキに向き直る。

 

「まぁ……、いっちょ楽に頼むわ」

「心配は要らないゾ。此方としても時間が惜しい」

 

覚悟は決まっているが、自身の末路に皮肉っぽい笑みを浮かべてしまう。

 

「しくじったなぁ……。こんなことなら昨日のうちに高い生命保険に入っとけばよかった。」

 

こんな時まで金の心配か。

『守銭奴』という骨の髄まで染み付いた習性に我ながら呆れ果てる。

 

死ぬのは怖い。当たり前だ。

でも、ここでアトリが残らなければ、別の誰かが命を落とす。

アトリは聖人ではない。見ず知らずの人間やポケモンの為に犠牲になるなんて冗談ではない。何を血迷ったか今回はサービス精神をだしてしまったが、命までかける気はない。

そんな自己陶酔など一銭にもならない。

 

だが、今守りたいのは赤の他人などではない。

 

セレナ。ロコン。モココ。ハッサム。ケロマツ。

 

その中の誰か一人でも失う。それはアトリの人生において大きな損害だ。そしてこの損害は、ここから先どれだけ金を稼いだとしても一生補填することは不可能だろう。

 

だったら、仕方、ないよな……。

 

自分の運命を受け入れようとした、その時だった。

 

轟ッ!! と爆炎がカラマネロに吹きかけられる。予想もしていなかった攻撃にアトリと炎の中から飛び出してきたカラマネロは射手を一瞥した。

 

モンスターボールを内側から強引に破ったロコンがアトリを守るように前に立つ。

 

「やめろ、ロコン! お前の勝てる相手じゃない! オレのことはいいから――!!」

 

お断りだ!!

 

脳に直接響いてきた剣幕の声にアトリは気圧された。

 

ボクはフワ・アトリのポケモンだ。君以外の誰にだって使われてやるものか。

放逐でも絶交でもなんでもしてみなよ。させないけどね

もし力が及ばなくて死ぬことになったとしても、そのときはボクも一緒だよ。

お別れなんて嫌だよ! 最期まで、一緒に……いさせてよ……ッ!

 

「邪魔だゾ。カラマネロ、始末しろ」

 

ロコンの想いを打ち砕くようにカラマネロの一撃が彼を襲う。そのままロコンは動かなくなった。続いてハッサムが『バレットパンチ』を繰り出すが更に能力を上げたカラマネロとの互角。だが、拮抗は長くは続かなかった。

力押しでは埒が明かないと判断したクセロシキはカラマネロに合図を送り、カラマネロは力を受け流す。鋼の拳は壁を突き破り、ハッサムの動きを封じる。

 

「トドメだゾ」

 

ロコンに駆け寄ろうとするが、エスプリに取り押さえられ身動きが取れない。ハッサムも拳を強引に引き抜き、再び拳を引き絞るが、カラマネロが右の死角にいる所為で反応が一瞬遅れた。

 

「やめろ、やめてくれ! 頼む! オレの命ならくれてやるからそいつには手を出すなッ!」

「やれ」

「やめろおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の瞬間――――轟音がその場にいた全員の意識を釘付けにした。

 

網膜に焼き付くような閃光。恐る恐る目を開くと上空に雷霆を纏った黒いドラゴンが姿を現した。

 

思わず息を呑む。

 

漆黒の翼を広げた荘厳なる佇まい。

タービンの様な形状の尻尾からは青白いスパークが飛び散っている。

音を超越し、振動となった雷鳴はアトリに尋常ならざる圧力をかける。

 

目の前の光景に誰もが目を疑った。

 

「……あれは……ゼクロム!?」

 

カロス地方から遠く離れたイッシュ地方の伝説に登場する理想を象徴するポケモン。

黒陰のゼクロム。

 

真実を象徴する白陽のレシラムと対を成す存在。

 

人々の記憶が風化するほど遥か昔――イッシュ地方を焼き尽くし、姿を消した伝説のポケモンが今、アトリたちの前に舞い降りた。

 

 



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第30話 声を聞く者

 

 

1

 

その場にいたすべてのものは畏れを孕んだ眼差しで黒いドラゴンの推参を迎え入れた。その神々しさに圧倒されていた、といってもいいかもしれない。纏っている雷光の余波一つひとつがアトリのモココの渾身の一撃に匹敵する。

我に返ったハッサムは直ぐに拳を握った。

 

「よせ、 絶対に手を出すな!」

 

アトリは慌てて制止の指示を飛ばす。

圧倒的な存在感を前に自分の強さに絶対の自信を持つあのハッサムすら気圧されている。無理もない。伝説の名に恥じないあの力。格が違いすぎる。

 

危機を察したのか、エスプリはアトリから離れ、クセロシキの傍に控える。

拘束を解かれたアトリはゼクロムを刺激しない様ロコンの安否を確認した。

 

「……生きている。良かった……」

 

意識を失ったロコンをモンスターボールに戻して一歩、二歩と後退。出口に視線を送った。

退路にクセロシキとエスプリが陣取っている。撤退は難しい。

 

奇しくもゼクロムの乱入によりロコンの命を拾うことは出来た。好意的な解釈をすれば『助けられた』ともとれる。

 

だが、油断は出来ない。

 

先程放たれた雷は威嚇。ゼクロムはクセロシキのカラマネロには傷ひとつつけていない。

敵か。味方か。第三勢力か。

ゼクロム、またはトレーナーの思惑が明確にならない以上、三つ巴の乱戦になる可能性も捨てきれない。

 

そして――そうなったが最後。オレ達は一瞬で消し炭にされる。

策を弄して小賢しく立ち回ろうにも先程の感電作戦で打ち止めだ。いや、それ以前にあのゼクロム相手に小細工が通用するとは思えない。

 

電気タイプを無効化できる地面タイプが手持ちに加えていない事を歯痒く感じてしまう。

万事休すか、と思った直後。クロムに騎乗している人物を見て、警戒を解いた。

 

「おっせーよ、N。しかも美味しいところ掻っ攫いやがって!」

「そう言わないでくれないか。トモダチにキミが突貫したと聞かされて急いで駆けつけたんだ。それに遅れたお陰でいいものが見れた」

 

アトリの威力偵察と言えッ! ビシッ! と指さし口にする屁理屈をスルーして地面に降り立つ。

そして、感極まった様子で両手を大きく広げ、天を仰いだ。

 

「キミの全身から溢れでるトモダチへのラブ! 確かに見せてもらったよ!!」

「お前はホントに歪みねえな!」

 

突っ込みを入れるアトリをやっぱりスルーしてクセロシキを一瞥する。

 

「捕らえたポケモン達を置いて去れ、奪う者達よ。そうすればボクはキミ達を追うことはしない」

「我々を見逃すと?」

「ボクはポケモンを傷つけるバトルを好まない。だが、キミたちがトモダチを傷付けるというのならば戦わなければいけない」

 

響き渡り反響するゼクロムの咆哮。カラマネロは一歩、二歩と後ろへ下がる。

戦意を根こそぎ挫く様な圧力を前にしても主人を守る為に戦うつもりなのだろう。

 

だが、クセロシキは動かない。

じっと闖入者であるNを注視していた。

自然界ではあり得ない緑の髪。人間とは思えないほどの美貌。そして、ゼクロム。

数多のキーワードに合致する人物にクセロシキは一人だけ心当たりがあった。

 

「そうか。お前の正体がわかったゾ。…………イッシュ地方の黒の英雄。…………いや、こう呼んだ方がいいか。ポケモン解放組織プラズマ団の王よ」

「――――ッ!?」

 

クセロシキの言葉にアトリは驚愕した。

 

「アイツが……プラズマ団の首領……?」

 

プラズマ団。

当時シンオウ地方にいたアトリですら、その存在を認知していた。

『ポケモンの解放』という大義をかざし、悪辣の限りを尽くし、イッシュ地方のポケモンリーグ本部に攻め入るという前代未聞の大事件を引き起こしたテロリスト集団。『白の英雄』と呼ばれた少女の活躍により壊滅したと聞いたが、主犯核は未だ逃走を続けており、その残党達は水面下で暗躍を続けている。

 

その中でも『王様』と称され崇められていた青年はポケモンと言葉を交わし、未来を見透す不思議な力を備えている、とまことしやかに囁かれている。

 

そして、その実力はイッシュ地方のチャンピオン『アデク』をも凌ぐ。

 

小さな笑声が耳を打つ。そこには嘲弄と軽侮の響きがあった。

 

「同じ穴のムジナが滑稽を通り過ぎて哀れですらあるゾ」

 

吐かれた侮蔑の言葉が刺さっているかどうかはNのポーカーフェイスで推し量ることは出来なかった。ただ、彼は左右にかぶりを振る。そして、静かな口調で告げた。

 

「自分が何をしてきたかはよくわかっているさ。ボクにキミタチを咎める資格がないこともわかっている」

 

ポーカーフェイスが崩れ自嘲の笑みが漏れた。

 

「でも――それでも、ボクはこれ以上トモダチが傷つくことは見過ごせない」

 

アトリを一瞥し、再びクセロシキを睥睨した。

重い空気が工場内に満ちる。

Nとゼクロムも。

クセロシキとカラマネロも。

アトリとハッサムも。

 

睨み合い動けない。動こうとしない。

何時間にも匹敵するほどの密度の何十秒を経て――静寂に一石を投じたのはクセロシキであった。

 

「……エスプリ、この場は退くゾ。こちらの目的は達成した。これ以上の諍いは無益でしかないゾ」

 

「ざけんな、逃がすか!」

 

アトリは痛む足を引きずって怒りの形相で追いすがろうとする。

クセロシキの言葉と同時にエスプリが煙幕を張った。煙はあっという間に工場内に広がって視界を奪っていく。

 

煙を掻き分け我武者羅に進むが目標に辿りつくことはない。

ハッサムは『剣の舞』を使う。そして、攻撃力を上げた『バレットパンチ』を床のコンクリートに打ちつけた。

 

ブワッ!! と拳圧で煙が割れた。だが、既にクセロシキとエスプリは姿を消している。

入り口付近には落ちていた電子キーらしきカードを拾い上げた。

 

「ポケモン達は……!?」

「安心して。ポケモン達はまだ上の階にいるよ」

「…………、そうか」

 

短く応じるとケロマツを解き放ちカードキーを投げ渡す。

 

「閉じ込められている奴らを出してやってくれ」

 

キーをキャッチしたケロマツは即座に身を翻す。走り出そうとしたところをアトリは慌てて呼び止めた。

用事があるなら一度に言えよと、振り向きざまの視線が非難がましい。アトリは苦笑いで受け流し、咳払い。真面目な顔になった。

 

「……いい働きだった。これからもよろしく頼む」

 

それはケロマツがずっと待ち望んでいた言葉だった。

嬉しくて、照れくさくて思わず背中の泡で顔を隠して、逃げるように二階へと駆け上がっていく。心なしか後ろ姿は少し浮かれている様にも見えた。

そんなケロマツを微笑ましい気持ちで見送る。

逃げたクセロシキたちへの腹立ちが少しだけ和らいだ気がした。

 

だが、それはそれとして――決着をつけておかなければならないことがある。

ゼクロムをモンスターボールの中へと戻していたNへと視線を投げつけた。

それは一転して、ひどく剣呑なものであった。

 

「N、さっきあの野郎が言っていたことは本当か?」

「………………」

 

Nから返ってくるのは沈黙。沸騰しかけていた感情をなけなしの理性で無理やり押さえつけた。激情を露わにNに詰め寄る。だが、それでもNは何も言わない。

 

「違うって言えよ……ッ!」

 

一言。そう言ってくれさえすれば、例え偽りだったとしても受け入れるつもりだった。

 

人間とポケモン。

命じる者と命じられる者。

アトリは勝つために、ポケモンを捨て石とする戦略をたてることがある。

手持ちポケモン達への情は人並み以上に持ち合わせているという自負はあるが、勝負の場では馴れ合いではなく勝利に徹する。

これはフワ・アトリのポケモントレーナーとして覚悟でもある。

だが、その在り方に疑問を持たないわけではない。

ポケモンの献身を人間が都合のいいように使っているだけではないか、という考えが過ったこともある。

少々の罪悪感を抱えながらも、その疑問を直視することはなかった。

もし、そうであれば、ポケモンバトルはただの人間のエゴではないか。

 

『ポケモンは戦うものである』

 

自分の夢を叶える為に、この世界のその価値観を盲信していたかったから。

 

だが、Nはその価値観に正面から正々堂々と異を唱えた。

痛いところを突かれたと感じた。だが、不思議と腹は立たなかった。

寧ろポケモンと人間との関係をビジネスライクに割り切っていた自分を否定されたことに、どこか安堵していた自分がいた。

 

Nとは今日知り合ったばかりだ。アトリは彼の事を何も知らない。だが、彼がポケモン達に対して至上主義とも言える強い愛情を持っていることは痛い程に伝わってきた。

そんな彼がポケモンを食い物にする組織の頭目であるなど、俄には信じられない。

 

アトリは一人の人間としてNが好きだったのだ。

Nからの言葉はまだ返ってこない。アトリはそれを肯定と捉えた。

 

「信じたくは……なかった……」

 

憤怒と悲哀が入り混じった形容しがたい感情が満ちる。

ただ、はっきりしているのは信頼を裏切られたことへの失望感があることだけだった。

激しい眩暈と頭痛がアトリを襲った。少し遅れて吐く息が燃えるように熱いことにも気が付く。次の瞬間、浮遊感で前後不覚に陥ったアトリは地面に倒れた。

 

それを見たハッサムはギョッとしてすぐさまアトリに駆け寄る。

 

『オイ、しっかりしろ。聞こえないのかッ!?』

 

土気色になった顔から冷たい汗が吹き出し、体は火のように熱い。

異常事態だ。

ハッサムはNを睨みつけ、すごい剣幕で怒鳴った。

 

『貴様、こいつに何をしたッ!!』

 

近づいてくるNからアトリを庇うように前に出た。

 

「彼のことなら心配ないよ。声を聞きすぎてオーバーロードしただけさ」

 

Nは微笑を浮かべる。

 

「どうやら彼は混ざっているようだね。だからかな? 聞くチカラが不安定で体に負担が大きい。それなのにあれだけ強い思念の叫びを聞き続けたんだ。無理もない」

 

Nの動きを警戒しながらもハッサムは意識が朦朧としているアトリを担ぎ上げた。

 

「……キミは優しいね。それとも彼が特別なのかな?」

『べ、別にコイツの為にやってるわけじぇ――!』

 

噛んでしまい、恥ずかしさでワナワナと震えるハッサム。笑うか、突っ込むかをしてくれればまだ間がもつ気がする。

 

「うん。ニンゲンの世界のことはニンゲンに任せて、ボクたちはアトリを休める場所へ運ぼう」

『触れてこない!?』

 

まさかの放置にハッサムは真っ赤になった。もともと赤いが。

気を遣ったのか、端にマイペースすぎるだけなのか。ハッサムの予想では恐らく後者である。

色々言ってやりたいこと頃だが今は世話に焼けるこの男を運ぶのが先だろう。

Nに先んじてプラターヌポケモン研究所まで駆けていく。

 

全ての歯車は回る。

このカロス地方を襲う悲劇と、辿るべき末路。

未来を見通すチカラを持つ自分だけがその結末を知っている。

 

「いや」

 

Nは静かにかぶりを振った。

自分の見た未来が彼女によって覆されたように。

 

「……未来は常に不確定だ」

 

3

 

グランドホテル・シュールリッシュ。

派手な建造物が多いミアレシティでも頭一つ飛び抜けている超高級ホテルのスイートルームのドアの前で執事のアカマロは痛む胃を押さえた。

失敗した作戦の報告するのはいつだって気が重い。だが、いつまでもここでこうしているわけにはいかない。主人はひどく気が短い。

報告が一秒でも遅れようものなら、厳しい制裁を受けかねない。

意を決してノック。促されて部屋へと入っていった。

 

「時間通りね。残念だわ」

 

主人である赤い髪の女性は玉座を思わせる椅子の上で座していた女性はクスリ、と嗜虐的な笑みを浮かべた。

表情とは裏腹に赤いサングラスの向こう側から覗く瞳からは何の感情も伺えない。

傍で控えているメスのカエンジシは獰猛さを隠すことなく低く唸りを上げる。

 

「報告を」

 

促されてアカマロは体を強張らせた。与えられる威圧感で胃酸が逆流してきそうだ。

 

「能力の高いポケモンをカテゴリAと分類し、交配させて出来た卵。及びカテゴリB・Cから抽出された生体エネルギーと一緒に既に本部への運び込みが終了しております。途中、ポケモントレーナー3人に妨害されるというアクシデントがありましたが、戦略目的は十分に果たせたかと」

 

エスプリの映像媒体の戦闘データを交えて廃工場で起こった一部始終を報告し、主人の言葉を待った。

 

「損害は」

「何人かの団員が逮捕されましたが、現場責任者のアケビ様と救出にあたったクセロシキ様は無事撤収しております。証拠となるものは何一つ残しておりません。…………逮捕された団員の救出については如何にしましょう?」

「使い捨ての駒を助ける必要なんてあるかしら? なくなったならまた補充すればいいだけでしょう」

 

言葉通り彼女はフレア団の作戦の手足となった彼らに何の感情も抱いていない。

捕まったのはいずれも組織の内情を知らされていない末端。彼らからフレア団の情報が漏洩することはない。…………ないのだが、腑に落ちないものを感じてしまう。

 

だが、アカマロはその本心を腹の底に押し込んだ。

 

「邪魔をしたトレーナー達のデータを出しなさい」

「現在身元が判明しているのは2名です。セレナ・ベクシル。もう一方はフワ・アトリ。両名ともアサメタウン在住のポケモントレーナーです。最後の1人は…………申し訳ありません。現在鋭意調査中です。どうもカロス地方の人間ではないようでして……」

 

カロス地方の人間ならば、フレア団のデータベースにヒットしない筈がない。

だが、この主人にそんな言い訳が通じるかどうか。気づけばカエンジシはアカマロの背後に回り込んでいた。主人の下知が降れば即座に喉笛を食い千切れるように、姿勢を低く構えている。

アカマロの息が荒くなり、冷たい汗が流れた。

鼓動が煩いくらいに鳴り響き、全身が恐怖で震える。出来るなら一目散に逃げ出してしまいたいが、頭と体が切り離されているようにまるで言うことを聞いてくれない。

主人は小さく舌打ちをした。

 

「まあいいわ。カロス地方で本格的に生活するならいずれ身元もわかるでしょう」

 

お咎めなしにアカマロは安堵の息を漏らす。

いつもなら『わからない』などと報告しようものなら、鎖に繋がれてリンチにされる等の暴行を受けるのだが、どうやら今日は主人の機嫌がいいようだ。

 

「男のトレーナーの方の詳細データを出しなさい」

 

アカマロは言われるがまま、『フワ・アトリ』の詳細データをスクリーンに映し出した。

 

「彼は使えるわ」

「………………………………、」

 

純粋な才能では『セレナ』という少女の方が上だろう。

彼女は傑物だ。

アケビとの戦い。彼女は確かにポケモンとシンクロしていた。

あの瞬間、彼女は並のトレーナーでは辿り着けない領域。

四天王クラスのトレーナーですら踏み込むのが容易ではない集中の世界――いわゆるゾーンに入っていた。

あの粗削りな急所必中の呼吸を完全にものにし、手持ちポケモン達の力量を底上げすれば、彼女は四天王クラスのトレーナーに化けるだろう。

 

比べてフワ・アトリという少年はポケモンを扱う腕が巧みで、状況の読み方に光るものを感じる。だが、セレナに比べると明らかに見劣りする。

その才能を評するなら筋は悪くない、という控えめな程度の表現が的確だろう。

だが、ある一点において、女はアトリをいたく気に入った。

 

心と合理を切り離せる精神性。

 

彼は敵となる者を粛清することを躊躇わなかった。

自身を捨て駒にすることを厭わなかった。

そういう人間は勝ち筋を通す為なら、自分を含めどんな犠牲も厭わない。

今は理性と良心が彼にブレーキをかけているが、理不尽に対する怒りが何かの拍子に爆発したら――――その先にある未来を想像して女は邪悪に微笑んだ。

 

燃えるような大義を掲げながらも、やり口が何処か生温い団員の多いこの組織には、彼の様な人間が必要だ。

一度敵と見做した者に対する冷酷さはフレア団として――否、自分の手駒としては是非ともほしい人材だ。

問題は今回の事件で彼が『フレア団は敵だ』という認識を抱いたという事にあるが、それならばそれでやりようはある。

恩を決して忘れない義理堅さを利用し、時間をかけて籠絡してしまえばいい。

そうするだけの材料は揃っている。

もし、味方にならないならば――――消してしまえばいいだけの話だ。

 

毒蛇の様な女の視線はモニターの中のフワ・アトリをジッと見据えていた。

 

 



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第31話 告解

1

 

人と結婚したポケモンがいた。

ポケモンと結婚した人がいた。

昔は人もポケモンも同じだったから普通の事だった 。

 

2

 

夢を見ていた。

ニンゲンを妻としてめとった炎ポケモンの長。それがオレだった。

ポケモンは力を以て攻めてくる敵を討ち滅ぼす剣となり、ニンゲンは知を以て同胞を守る盾となる。

 

妻として迎えたニンゲンが信頼と献身を示すとオレは更なる力を手に出来た。

灼熱の炎は岩をも溶かし、翼から撃ち出す衝撃波は万物を砕く。

日輪を背負い、大空を自在に飛び回る姿は見るものを圧倒した。

 

誰よりも強くあること。それがオレの長としての証明だった。

 

今日も敵を討ち滅ぼすため、出陣する。

討伐する相手は『王』を名乗るニンゲンだ。

 

妻と縁のあるニンゲンから助力を請われた。戦争で自分たちの部族のポケモン達が王に捕らえられ、生命エネルギーを奪われている。助け出すのに力をかしてほしい、と。

オレは快諾した。

ポケモンとしてニンゲンが求めるなら力を示さなくてはならない。

それが始まりのポケモンであるアルセウスによって定められた『世界の理』だ。

 

同胞を伴い、先頭にたって敵を焼き尽くした。

 

勝利の旋回で同胞から喝采を浴びる。

残るは『王』が建造したと言われる『キカイ』を破壊するだけだった。

 

次の瞬間――――『キカイ』から発せられた眩い閃光がオレ達を包んだ。

 

刹那。脳裏に過ったのは最愛の妻の顔。

 

まだ死ねない。

身籠った妻を残して。

生まれてくる子供を残して。

絶対に、死んでたまるか!

 

かくして想いは虚しく、虹色の閃光は容赦なく彼の刹那を焼き尽くしていった。

 

3

 

焼けつくような喉の渇きで目が覚めた。

悪い夢を見ていたような気がするが、その内容を全く思い出せない。

 

「ぅ……、あー……」

 

最早慢性的になりつつある偏頭痛に加え、体の節々もひどく痛む。

表情を歪めながら起き上った。周囲は薄暗いが外から差し込むネオンの光でここがプラターヌポケモン研究所の一室だとわかった。

 

ややあって、自分が何故ここにいるのか思案する。Nに食って掛かった以降の記憶がない。

 

全身が汗でベタベタな事に気づく。そして、自分から悪臭が漂ってきている事にも。

自分で自分が臭い、ということは実際にはもっと臭いのだろう。

 

僅かに光が漏れ出していることに気がつき、覚束ない足取りでそちらへ向かう。

途中で何かに躓きながらもなんとか辿りつき、手で輪郭を探り、ドアであることを確認すると、ドアノブを回し一気に開け放った。

涼しい風が通り抜け、爽快感で気分が楽になった。

それと同時に飛び込んできた光景を前に、少々の間目を丸くした。

 

ロコン。モココ。ムクバード。ケロマツ。

手持ちポケモン達が部屋の前で一枚の毛布に包まりながら雑魚寝をしている。

 

心配してくれたのだろうか……?

 

自身に向けられる信頼を実感し、嬉しい反面、ひどく胸が痛んだ。

 

「やあ、気が付いたんですね」

 

声の主は以前、ハクダンジムに挑戦した際にフラダリラボ査定要員を務めてもらったデクシオであった。

声を出そうとするが、喉が張り付いているような感覚が邪魔をして、上手く発声出来ない。

それを見てデクシオは穏やかに微笑んだ。

 

「ちょうどよかった。水を持ってきたので、よかったらどうぞ」

 

差し出された水をひったくるように受け取ると一気に飲み干した。

3杯ほど飲んだところでやっと落ち着いたアトリは壁にもたれ、一息ついた。

 

「ありがとうございます」

「どういたしまして。プラターヌ博士を呼んできますので少し待っていてください。

……あ、まだ熱があるみたいですから無理は禁物ですよ」

 

遠ざかっていくデクシオの足音を聞きながらアトリは寝息をたてているロコンをそっと撫でた。

金に目が眩んだか、フワ・アトリ。

オレの見通しの甘さがこいつらを危険にさらした。全員無事に生き残れたのは殆ど運だ。

 

Nの言葉が今更になって刺さる。

 

愛情。信頼。絆。

 

どれだけ綺麗な言葉で飾ったとしても、オレはポケモンを自分の都合で使い、傷つけている。

 

もしかしたら、それこそがポケモントレーナーの本質かもしれない。

そこまで考えてかぶりをった。

 

くっそ、こんなこと考えてしまうのはNのせいだ。

あの野郎、今度会ったら問答無用でぶん殴ってやる。

 

そう決意した直後。足音が聞こえる。

プラターヌ博士かと思ったが違った。現れた人物を見て険しい表情を浮かべながら立ち上がった。

 

「よく逃げずにオレの前に顔を出せたもんだな、このクソムシが……ッ!」

 

吐き捨てるように投げられた言葉をNは黙って受け止めた。

 

「ここじゃロコン達を起こしてしまう。ちょっとツラ貸せ。N」

 

3

 

警察での事情聴取を終えたセレナは一息ついた。危険を犯したことへの小言はあったが、このミアレシティを騒がせていたポケモン強奪事件を解決した正義のトレーナーとして近々賞金と感謝状が授与されるとのことだ。

セレナとしてはあまりそういったものに興味がなく、それよりも囚われていたポケモン達の方が気がかりである。

 

幸いポケモン達は衰弱こそしているものの、命に別状はなく近日中にそれぞれトレーナーの元に返さされることを聞き安心した。

マコンたちもこれで無茶をする必要もなくなるだろう。

 

もう目を覚ましているかな……?

 

熱でダウンしているライバルに思いを馳せる。

 

倒れたアトリを見たときはショックのあまり心臓が痛くなった。一緒にいた緑髪の青年が言うには問題はないそうだが、それでも心配だ。

ミアレのジムリーダーが修理してもらったホロキャスターを開いた。

 

『今からアトリの様子を見に行くつもりだけど、サナはどうする?』

 

送ったメールの返事は1分もしないうちに返ってきた。

 

『ごめ~ん。アタシこのあとユリーカちゃんの様子を見てくるようにシトロンさんに頼まれてるんだ。一先ず別行動でいいかな?』

 

アトリたちと一緒に行動していたジムリーダーも事後処理に追われているのだろう。

了解のメールを送り、慌ただしい警察署内の階段を足早に降りていく。

少しでも早くアトリに会いたかった。

 

そんな中でふと目に着いたピカチュウを連れた一人の少女。可憐な深窓の令嬢。セレナが少女に抱いた第一印象であった。

誰かに話しかけようと右往左往している。警察という男くさい空間の中では一際異彩を放つ存在ではあるが、生憎今は間が悪い。

警察所内にいる誰もが連続ポケモン強盗事件の事後処理に忙殺されており、何か言いたそうにしつつも積極的に話しかけてくるでもない彼女に対応する余裕がないのだろう。

 

セレナとしては一刻も早くプラターヌポケモン研究所に向かいたいが、困っている人に気づいているのに放っておくのは人としてどうかと思う。

 

「あの――」

「ひゃい!?」

「――――ッ!?」

 

裏返った声を上げて飛び上がられ、セレナまで驚いてしまった。

 

「ご、ごめんなさい! あ、あの、その……」

 

わたわたと赤面して狼狽する少女を見て微笑ましい気持ちでいっぱいになった。

小さなポケモンのようで可愛いらしい。

 

「落ち着いて。どうかしたの?」

「す、すみません……。ええっと、その……プラターヌポケモン研究所に行くにはどうしたらいいのでしょうか……?」

 

4

 

外に出た両者の間に沈黙が満ちていた。問うべきことは山ほどある。

そして、その返答如何によっては彼と戦うことになるだろう。それでも、ポケモントレーナーとして生きていくならば日和るわけにはいかない。

 

そして、ややあって彼は口を開く。

 

「キミからしたらボクのしたことは本当に許しがたいんだろうね」

「ああ、その通りさ」

 

にべもなく言い放った。焼き尽くすような怒りの瞳はNをただ真っ直ぐに見据えている。

 

「他人の痛みを省みず、自分勝手な理屈で人を傷つける。その癖、テメエがかざした理屈がテメエに跳ね返ってくることを想像すらしていない。

そんな身勝手で無責任な奴らの醜悪さをテメエも見ただろう。

…………お前らプラズマ団も所詮は同類だ。『ポケモンの解放』とかいうご立派な大義名分を掲げちゃいるが、結局はテメエのモノサシを押し付けて好き勝手暴れている悪党の集まりじゃねえか……!

よくよく考えりゃ、あのクセロシキとかいう野郎を逃がして当然だよなぁ。お前も同じ穴のムジナなんだからよぉ。…………大切にしているポケモンを奪って泣かせるってのはどんな気分だよ?」

 

Nは微動だにせず、静かに視線を返してくるだけだった。

もし、Nが僅かにでも後ろめたさで視線を逸らせばアトリは再び彼に詰め寄っただろう。

だが、彼から断罪を受け入れる覚悟のようなものを感じられた。

 

「オレは……ポケモンのことを第一に考えるお前のスタンスが好きだったし、だからこそ考えが相容れないものだったとしても尊敬していた。なんで、あれだけポケモンを大事に出来るお前がプラズマ団の首領なんて……ッ!」

 

喉が詰まるような感覚が邪魔をしてそれ以上の言葉が出てこない。

アトリはやるせない気持ちで奥歯を噛み締めた。

 

「なんでだよ、言い訳くらいしろよ。N……ッ!」

 

震える声を絞り出す。相手を偽らないNの高潔さが辛い。

いっそ都合のいい嘘で騙してくれればよかったのに。

 

「…………加害者のボクが何を言っても言い訳にしかならない。ボクが、ボクのしたことがポケモン達を傷つけたことには変わりないのだから」

「……………………」

「キミは言ったね。『ポケモンを傷つけるニンゲンに罪の意識はない』って。…………、その通りだよ。

…………ボクに罪の意識はなかった。ただ、理想を求めて我武者羅に走っていただけさ。

…………、そのために誰が傷ついたとしても、ボクは止まれなかった」

「お前の言う理想ってのが、ポケモン解放ってやつか?」

「そうだよ……。

『すべてのポケモンはトレーナーから解放しなければならない。ポケモンとニンゲンは相容れない存在。今の世界の在り方では多くの価値観が交じり合い、灰色になっていく。ならば、ポケモンと人間を区分し、白黒はっきりわける。ポケモンを完全な存在になれる。それを成し遂げたとき最も美しい数式が完成する』

…………それこそがボクが掲げた理想だった。…………彼女に出会うまでは」

「彼女?」

「ゼクロムと対になる存在・レシラムに認められたトレーナー。真実を象徴する白の英雄」

 

白陽のレシラムを従え、イッシュ地方のジムリーダーと共にプラズマ団の野望を打ち砕いた少女。自らの掲げた理想を打ち砕いたプラズマ団にとっては仇敵ともいえるような存在に思いを馳せているにも関わらず、Nの浮かべる表情はひどく穏やかである。

 

「……教えてくれ。お前にいったい何があった?」

 

決意に満ちたアトリの顔を見てNはやや躊躇う様子を見せたが、すぐに真摯にアトリを見返した。

 

「…………そうだね、キミに話しておくのもいいかもしれない。」

 

嘯く声は静かだが、それでいて威厳に満ち溢れている。

魂を奪われてしまいそうな美貌にアトリは息を呑んだ。

 

「その前に――――出てきなよ」

 

自身に投げられた言葉ではないことを反射的に理解して、後方を見やる。

暗がりから姿を現したのは2人。げんなりした顔で溜息をつく。

 

「プラターヌ博士にフラダリさん……。盗み聞きですか」

「すまない。こんな美しくないことをつもりはなかったのだけが……」

 

いつでも自信と威厳に満ち溢れたフラダリにしては珍しく申し訳なさそうに言う。

プラターヌも気まずさを誤魔化すように肩を竦めた。

Nはフラダリを一瞥すると、プラターヌに視線を移す。

 

「カロス地方のポケモン博士……」

「立ち聞きしてしまってすまないね。だけど、君の手配書はこのカロス地方にも出回っているからね。目を離すわけにはいかなかったのさ」

「ボクがここにいること、国際警察に通報するかい?」

「…………、君は私の甥っ子や弟子を助けてくれた恩人だよ。そんなこと恐れ多い」

 

Nは微笑を浮かべ「アリガトウ」と呟くと再びアトリに向き合った。

 

「トレーナーとポケモンの関係に疑問も持たず、人間の勝手なルールでポケモンを分類し、ポケモンという存在を理解したつもりになる……。そんなポケモン図鑑が許せなかった……」

「今は違うのかい?」

 

プラターヌの問いに対し、Nは静かに首を左右に振る。

 

「…………正直わからない。未知の数式に対して明確な解を見出せないボクに何かを非難する資格はない……」

 

トレーナーとポケモンの関係に疑問をもたず、人間の勝手なルールでポケモンを分類し、ポケモンという存在を理解したつもりになる。――本当に?

自分やアトリと違い、声を聞く術を持たない彼らにとってはポケモンの研究とはトモダチと理解し合う為の唯一の術なのかもしれない。

間違っているのは世界か、それとも自分? それをはっきりさせるためにも――

 

「アトリ。キミに――キミ達にボクのすべてを話そう」

 

 



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第32話 王の帰還

 

1

 

物心つかない頃からポケモンと共に生きてきた。

 

人里に降りると迫害を受ける毎日。

遠巻きに投げられる侮蔑の言葉。

そんなものは日常茶飯事で、酷いときは石を投げられ、暴行を受けた。

 

父と名乗る男ゲーチスに連れられて、『ハルモニア家』の一員として迎え入れられた後も、変わらず隔離され、人間から傷つけられたポケモンとばかり触れあってきた。

 

ポケモンバトルに負け続ければ必要とされなくなり。

望まれて捕獲したというのに、思い通りにならなくなれば掌を返し。

自分の眼鏡に敵う才能を持っていなければ生まれたてであっても容赦なく捨てて。

 

殴られた。

骨が折れた。

気温ですら凶器だった。

 

逃げたとしても、『ポケモンは所有物だ』というこの世界のルールが彼らを縛りつける。

そんな思念の叫びを聞き続ける日々の中で、いつしかニンゲンに対して軽蔑以外の感情が持てなくなっていた。

 

醜悪で、浅ましく、恐ろしく傲慢。

それがニンゲンの本質。

奴らからポケモンを救う為には、ポケモンを縛る鎖であるトレーナーから『ポケモンを解放』するしかない。

 

ゲーチスは言った。

 

『ポケモンはニンゲンと共にいる限り、ポケモンは不幸になる』

『ニンゲンはポケモンと一緒にいるべきではない』

『この世界は歪んでいる。英雄の資格を持つ者が、この歪な世界をあるべき姿に変革しなくてはならない』

 

ならばボクが英雄になる。

すべてのポケモンを苦しみから解放するためにチャンピオンをも越える。

そうすればポケモンが傷つくことはない。

そうすればボクのトモダチは幸せになれる。

 

自分がやるしかない。

ポケモンの叫びが聞こえる自分が。

 

ゲーチスに請われ、志を同じくする者を集めた組織。

それがポケモン解放組織『プラズマ団』の始まりだった。

 

2

 

己の境遇を告白する声に、表情に悲嘆や憤りは見られない。

第三者が観察した事実を報告するようにひたすら淡々としていた。

 

確かに洗脳のような刷り込み教育を受ければ、己の価値観が絶対と思うのも無理からぬことだろう。Nはグレーゾーンを許容しない。出会って一日もたっていないが、彼の言動には物事を白か、黒かに分けたがる傾向がみられる。

 

潔癖――――純粋ともいえる。純粋な人間は危うい。とある人物を評する言葉に『白い糸は染められるままに何色にも変ずる』というものがある。

周囲の環境次第で善にも悪にもなりうる、というこの言葉はNにも十分に当てはまることではないだろうか。

だが、

 

「お前はポケモンの声が聞こえると言ったな」

 

尖った声でアトリが言う。

今となっては疑う気はない。身を以てそれを経験してしまったのだから。

だが、だからこそ解せない。

 

「トレーナーから引き離されるポケモンはなんて言っていた?」

「色々だったよ。『一緒にいたい』っていったトモダチもいた。『助けてくれてありがとう』って言ったトモダチもいた……」

「おかしいと思わなかったのか?」

 

誰かにとっての『善』は誰かにとっての『悪』になるように、世の中白と黒で分けられる程単純なモノなら誰も苦労はしない。

誰もが何かに縛られ、また何かで縛っている。そしてその枠の中で生きるということが社会で生きる、ということだ。

個人が我欲のままに振舞えば当然他者の権利が無視される。

だからこそ、自身や周囲の安全を確保する為に『破ればペナルティを受ける』という事実が浸透させ、自らを律するという概念が生まれた。

誰も一人になることは出来ない。世の中には自分の都合だけで済むことなど何一つとしてないのだ。

 

例え刷り込みがあったとしても、自分で自分の行動がおかしいと気付くチャンスはあったはずだ。

その行動に信念があったとしても、奪われた側の人間には『奪われた事実』しか残らない。慮っている相手の言葉すらも届かないのならば、その行為はただの独善に成り下がる。

 

閉ざされた環境の中にいたNに対して酷なことを言っている自覚はある。

 

だが、『仕方ない』で済ませたくない。

 

アトリは失踪した父が残した借金を返す為に罪を犯したことは一度もない。

父のようなロクデナシにならない為のプライドがあった。

犯罪は割に合わないという打算もあった。

だが、それ以上に家族を守るという意思が、その決意をより強固なものにしていた。

家族を守る為に、別の誰かを傷つける。そんな真似は死んでもしてたまるか。

 

「置かれた環境を理由にやらかしたことを正当化されるなんてクソみたいな理屈がまかり通ってたまるかよ……ッ!」

 

Nを一人の人間として認めているからこそ、『仕方ない』で済ますことは出来なかった。

 

「アトリ」

 

噛みつくアトリをプラターヌが諌めた。

 

「最後まで話を聞こう。頭に血が上りやすいのは君の悪い癖だ」

 

Nは静かにかぶりを振った。

 

「いや。アトリ、キミの言うとおりだよ。ボクのしたことは許されることじゃない」

 

人によって傷つけられたポケモン。

人と生きることで幸せになったポケモン。

どちらも真実であることを認められず『ポケモンの解放』するべきだという思想を押し通そうとした。僅かに芽生えた疑問に固く、固く蓋をして、ニンゲンとポケモンを切り離そうとした。

 

「ポケモンに信じられている彼女に出会うまで、それが正しいことと信じて、迷いはなかった」

 

世界をあるべき姿へ変革する数式の中に飛び込んできた不確定要素。

本来、異物でしかないそれにどうしようもなく魅かれた。

彼女と一緒にいると、ポケモン達は本当に幸せそうに笑う。それはNが夢見ながらも、あり得る筈がない、と諦めた光景だった。そんな風でいられれば、どれ程良かっただろう。

彼女のことを知れば知るほど蓋をした疑念が日に日に膨れ上がっていく。

ヒトとポケモン、そして外の世界を知るたびに、自分の目指している理想は間違っているのではないか。

試さずにはいられない程に。そして――

 

「ボクはボクの理想が間違っていないと証明するために、理想を司るゼクロムとトモダチになったボクは、真実を司るレシラムを伴う彼女に挑み、敗れた……。………………そこから先はキミが知っての通りだよ。ポケモン解放は世界を支配しようと目論んだゲーチスが用意したただの方便。つまるところボクの願いはただの独り善がりでしかなかった」

 

想いは歪んだ野望に利用され、歪にねじ曲げられてしまった。

こんなのは違う。こんなことは望んでいない。

 

「『ヒトはポケモンを傷つける』。

ボクにとってそれが世界のすべてだった。…………本当はわかっていた……。

この世界にはポケモンを傷つけるニンゲンばかりではなく、ポケモンを愛し、ポケモンに愛されるヒトもいるってことを。

けど、認めるわけにはいかなかった。今まで接してきたトモダチの苦しみを無かった事になんてできない。

傷つけたかったわけじゃない。ただ、苦しんでいるポケモンを救いたかっただけだ。だのに――ッ! 」

 

全てを語り終えたNは夜空を仰いだ。研究所から差し込む僅かな光で涙が反射している。

何か言おうとしても、言葉が見つからない。

静寂の帳が落ちる。聞いていた誰もNの辿ってきた数奇な人生にアトリも、プラターヌも、フラダリも絶句していた。それと同時にパズルのピースが足りないような奇妙な違和感を覚える。だとしたらNは何故オレにこんなことを話している?

 

「アトリ、キミに聞きたいことがある」

「……なんだよ?」

「キミは誰もが強くなれるわけではない、という悲しい真実を知っている。だのに何故、心折らずに理想を追うことが出来る? キミのその強さは何処から来ているんだい?」

 

その問いでパズルのピースが全て嵌ったような気がした。

そうか。こいつは挫折を知らないから立ち直り方が分からないんだ。

だから、どうしたらいいかわからず、次の一歩を踏み出せずにいる。

 

「理想と真実ってモンは本当に相容れないモンなのか? 真実を知った上で理想を追い求める道だってあるんじゃねえのかよ。

確かに、オレは自分が天才なんかじゃねえことを知って、一回ドロップアウトした人間だよ。本当の天才ってモンはオレみないなモンじゃない。けど、それでもオレは自分の小ささを知ったからこそ、次に何をしたらいいかを考えることができた」

 

足りない物を嘆いるだけではどうにもならない。

才能がないなら、ないなりに戦い方がある。道具で、読みで、模倣で――いくらでも補う方法は存在する。

 

「ハラは決まっている。だったら後は走るだけさ。幸い、こんなオレを信じてついてきてくれる奴等がいることだしな」

 

タイムリミットが尽きるまでに一歩でも前に進まなければ絶対に一生後悔する。

何より半端なことをしていては、手持ちポケモン達にも、応援してくれている母にも、自分を立ち直らせてくれた彼女にもあわせる顔がない。

 

「叶う保証はないのに?」

「分かってねえな、N。オレは――――『叶うから頑張る』じゃなくて、『叶えたいから頑張る』んだ」

 

怖いよな、N。

今までやってきたことだけじゃダメだって嫌ってほど見せつけられて全部ぶっ壊してから組み直してやり直すのは……。

でも、きっと大丈夫だ。

 

「オレはタイムリミットまで全力で足掻く。お前はどうする? 結局何がしたいんだ」

「…………ボクにはボクの理想がわからない。プラズマ団の、いや――ゲーチスの野望の為の道具でしかなかったボクに一体何が出来るんだろうね……」

「自分のやりたいことやればいいんじゃね?」

「でもボクに英雄の資格は……」

「英雄じゃなけりゃお前の理想は実現できないのか? お前が理想を掲げたのは自分自身の意思でそうしたいと思ったからじゃないのか?

オレはプラズマ団とか、ゲーチスとか、理想を司る英雄とか、そんな柵を全部取っ払った『N』っていう1人の人間に『どうしたいか』を聞いているんだよ」

 

目を閉じて自分の心に問いかける。

難しく考えず、ただ『自分が何をしたかったのか』を。

あれだけ複雑に絡まっていた数式の解は、驚くほど簡単に導き出せた。

 

人に関わるポケモン達が皆幸せになるわけではない。

だが、かつて自分が掲げた理想は救いたいと願ったポケモンを傷つけることもあり得ることを知った。彼女がそれを教えてくれた。

だが、それでも――償いたいと思う。

そして、

 

「ボクは、……ボクは本当にポケモン達を幸せにするための数式を見つけたい」

 

例え与えられた理想だったとしてもポケモンを救いたい想った自分の気持ちに一点の曇りはなかったのだから。

 

「だったら、その夢を追いかければいいじゃねえか」

 

今わかった。

ポケモンを酷使して、傷つける。

そんな『ポケモントレーナー象』こそが自分の憎しみの根元だったのだ。

それは結局、一つの視点から与えられた一面でしかない。

『理解できない』と斬り捨てていたアトリが、自分を理解しようとし、背中を押してくれる。

世界は白と黒だけではない。驚くほど無軌道な個の集まりだ。

それぞれの価値観に従ってバラバラに動く。だから失敗もする。

だが、個とは可能性だ。みんながそれぞれ違う価値観を持つからこそ、個では気づかない可能性を導き出せる。

 

『Nよ… お互い理解しあえなくとも否定する理由にはならん!そもそも争った人間の どちらかだけが正しいのではない。それを考えてくれ』

 

脳裏に蘇るアデクの言葉。

異なる考えを否定するのではなく 異なる考えを受け入れることで 世界は化学反応をおこす。

大事なのは理解できるか、どうかではない。理解しようとする努力をするか、どうかだ。

 

トウコ……。

キミの愛した数式がほんの少し、ボクにも理解できたような気がするよ……。

 

「ボクに……間違えてしまったボクに、出来るのかな?」

「間違えない人間なんざ見たことねーよ。オレだって間違いだらけだ。

うだうだ考えていても仕方ないだろ。やれることがあるなら、まず動け。間違えたら軌道修正しながら動け。煮詰まったとき考えるよりも動いた方が手っ取り早い」

「なんだろう? 問題が一気に軽くなってきた気がする……。仮にもイッシュ全土を巻き込んだ大事件を起こしたプラズマ団の王様に言うべきことなの、それ?」

「うるせえ、オレは頭が悪いんだ。これ以上難しいこと考えさせるんじゃねえ」

「ああ……。ロコンの言っていた通り、キミは本当にバカだ……」

「おうよ。なんたってオレは『バカと呼ばれることに定評のあるバカ』だからなッ!」

 

アトリとN。示し合わせた様に二人同時に噴き出した。

 

「オレからもお前に聞きたいことがある」

「…………、なにかな?」

 

「オレの頭の中に直接響いてくるこの声。これがお前の言うポケモンの声って奴なのか?」

「…………、そうだよ。元々そういう素養はあったのだろうね。

シンオウ地方には人間とポケモンが添い遂げたという伝説が多い。

その子々孫々がアトリで、ポケモンとの会話が出来る能力が隔世遺伝としてアトリに伝わったとしても、なんら不思議じゃない」

 

「ちょっと待って。さっきは聞き流していたけど、ポケモンの声が聞こえるっていうのは本当なのかい!?」

「うん。アトリとボク、お互いが聞いた声が全く同じということは間違いなく、アトリはポケモンの声が聞こえるヒトなんだろうね」

「凄いじゃないか、羨ましい!」

 

感嘆の声をあげるプラターヌに対しアトリは渋い顔をした。プラターヌに悪気はないのだろう。

 

「気軽に言わないでくださいよ。

便利なのは否定しませんが、声が聞こえてくる度に結構頭が痛くなるんですよ。

声のデカさによっちゃあ、それこそ吐きそうなくらい」

 

確かにポケモンの研究を生業にする人からすれば夢の様な能力だ。アトリとしてもポケモンと話が出来たらどれだけ素晴らしいだろうか、と夢想したことがあることは否定しない。

便利以上にデメリットが大きい。しかも、自分自身でコントロールできないとなるとあまり実用性が高いとも思えない。

 

「N、これ音量調節とか出来ねーのか?」

「うーん……。ボクにとっては聴こえることが当たり前だからね。そういうのはわからないよ」

「さいでっか……」

 

感覚的なものを理屈で説明するのは難しいということだろう。

どうやらこの偏頭痛とは長いお付き合いになりそうだ。

アトリはあからさまに肩を落とした。

 

「私には才能はないだろうか?」

「うん、ない。キミは何か違う。同類な感じがしない」

「そんなぁ……」

 

Nの一刀両断にショックのあまり打ちひしがれるプラターヌをフラダリが慰めるように肩を置いた。

 

「それで、これからどうするつもりだ?」

「……イッシュ地方に戻るよ。やらなければならないことがあるからね」

「プラズマ団、か?」

「うん。プラズマ団はボクの理想の残滓だ。始めたからには終わらせないと、ボクは次に進めない。…………ポケモンとも、向き合えない」

「ならばホドモエシティに行くといい」

 

今まで沈黙していたフラダリがホロキャスターを差し出した。

画面に載っていたのはコラムだ。

イッシュ地方のニュースで、その中でプラズマ団と思わしき集団がかつての行いを悔い改め、贖罪の為にトレーナーとはぐれたポケモンの保護活動を行っている旨が書かれている。

 

「これは……!」

 

Nは思わず息を呑んだ。

 

「今プラズマ団は2つに割れている。一方は掲げていた『ポケモン解放』のスローガンを建前と切り捨てて組織ぐるみの悪事を行う者たち。そして、もう一方が――君の理想を信じ、本当にポケモンの為に出来ることを模索し始めた者たち」

「プラズマ団は逮捕されたはずなんじゃ……?」

「それについてはホドモエのジムリーダーからの働きかけがあったそうだ。彼らを自らの保護観察下に置いたうえで、自分達が償いを考えさせ、実行させる更生プログラムの一環として奉仕作業を行ってもらっている。

自首してきたことも『更生の余地あり』と判断される後押しになったそうだ。

…………彼らは今もプラズマ団の王――つまり、君の帰還を待ち望んている」

「ボクの……、帰りを? ――そう、だったのか……。参ったな。本当にボクは何も分かっていなかったんだね……」

「分かっていないなら知っていけばいい、と私は思う。」

 

Nがゼクロムを繰り出し、その背に跨る。別れの時は近づいていた。

 

「…………アトリ、アリガトウ。キミにはとても大切なことを教わった気がするよ」

「…………教えた覚えはねーよ。オレに会わなくてもお前は自分が納得する答えを弾き出しただろーさ。それに――」

「それに?」

「いや、なんでもねえ。気にするな」

 

言いかけてやめた。

こんな恥ずかしいこととてもじゃないが、素面で言える自信がない。

 

 

漆黒のドラゴンは飛び立ち、尻尾の電光は流星のように流れたと思えば瞬く間に夜の闇に消えていった。遠い竜の嘶きだけがいつまでも空に残響している。

一抹の寂しさを覚えながら、ぽつりと呟いた。

 

「あれでよかったんですかね……?」

 

随分と偉そうな説教を垂れてしまった気がする。バイトとはいえ、仮にも教師をしている者の言うべき言葉ではないが、誰かを導くなんて本当に柄じゃない。

惑うアトリを諭すようにフラダリは肩に手を置いた。

 

「血ヘドを吐きながらでも前に進もうとする意思のある者は、遠回りしたとしても自分だけの答えを見つけられる。私はそう信じている」

「そんなものですかね?」

「あまりこうあるべきだ、と固く考えることはない。正しいことが必ずしも正解とは限らない。何事にも揺るがない強固な信念とは、裏を返せば『何があっても変わるまい』という停滞でもある。

ならば、揺らいでも、変わっていくことも決して悪いことではない。……そうだろう?」

 

静かに頷いた。

目を閉じて出会って一日にも満たない自分と遠いようで近い友人に思いを馳せた。

 

 

 

こんな恥ずかしいこととてもじゃないが、素面で言える自信がない。

ポケモンが差し出す献身と信頼を『当然のもの』と受け取ってはならない、ということを。

勝負に徹するならば、ポケモンを捨て駒としなければならない場面もあるだろう。だからかこそ中途半端はなしだ。

 

それがポケモントレーナーとしてのアトリの覚悟だ。

それぐらいの覚悟をもたず、どうしてあの高みに望むことができようか。

 

だが同時に『差し出される信頼と献身に持てる全てを懸けて応える』というポケモントレーナーとして忘れてはいけない心構えがあることを、改めて自覚した。

いや、させられた。

一方的に求めるだけの関係では、いつか必ず破綻する。

 

ポケモントレーナーを続けていくならば、傲慢に陥らないよう、自らをより一層強く戒めなければならない。

 

Nの言葉がなければ、一生気づけなかったかもしれない。

 

だから、

 

「ありがとう。お前と会えて良かった」

 



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第33話 大食漢と完璧超人

 

1

 

「おかわり」

 

幾重にも積み重ねられた食器を見て、ポケモン図鑑の状況をプラターヌ博士に報告しに訪れたトロバとティエルノは軽く引いた。

 

「熱があるのにそんなにバカ食いして大丈夫なのかい?」

「タダメシとなれば、そりゃあ食うだろ」

「というか、よく熱があるのに食欲落ちないよねえ」

「あー、むしろ逆。疲れると食欲が増すんだよ」

「と、いうことは……」

 

ティエルノは考え込むそぶりを見せた。

 

「どうした?」

「今、大食いチャレンジの店を回れば大儲けできるんじゃ?」

「それだ!」

 

我が意を得たり、と言わんばかりの晴れ晴れとした表情を浮かべた。

 

「よし、ティエルノ。すぐ行くぞ。便は急げって言うからな」

「それを言うなら善は急げだよお」

「というか、まだ寝てないとダメですよね!?」

「オレが腹いっぱいになり、かつ収入が得られる素晴らしい内容を前には些細な問題だ」

「君はバカですか!?」

 

チッチッチッ、と指を左右に振ってドヤ顔を曝した。

ウザさ天井知らずである。

 

「ノン・ノン・ノン。ワタクシ、フワ・アトリは家のエンゲル係数下げる為ならなんでもする覚悟でございますとも、はい」

「歪みない! それよりも病院には行くべきでしょう」

「こんなもんメシ食って、根性入れればすぐ治る。出来れば病院には行きたくない」

「なぜ?」

「…………経済的な理由」

「「…………」」

 

うっかり地雷を踏み抜いてしまった。

若干間があったことと、目が泳いでいることが気になったが、アトリが家の借金を返すために四苦八苦している苦労人だということは知っていたが、病院へ行けない程困窮を極めていたとは……。

自分の浅慮を深く反省――

 

「じゃなくて、注射が怖いんだよね」

「人の恥ずかしい秘密をさらっと暴露するなよッ!!」

 

ノックなしに部屋の中に入ってきたプラターヌ博士によって恥ずかしい秘密を暴露されたアトリは真っ赤になって噛みついた。横で飲み物を口に含んでいたティエルノは盛大に吹き出して部屋の中に虹が出来あがった。

センチメンタルな気持ちをバッキバキの木端微塵に踏み砕かれたトロバは心底呆れ果てた様に溜息をついた。

 

「子供ですか」

「うるせーッ!」

「何はともあれ、君の仕事先には明日は休むって連絡を入れておいたからゆっくり体を休めるといいよー」

 

プラターヌの言葉を聞いた途端、アトリは血相を変えた。

 

「ちょっと待ってください。何を勝手に――!」

「安静って言葉を知ってるかい?」

「仕事に穴を開けて職場に迷惑をかけるわけには――!」

「休みなさい」

「いや、けど」

「休め」

「………………ハイ」

 

有無を言わさぬプラターヌの口調に逆らえようか。

いや、逆らえまい。反語。

 

不承不承という態度を隠さないアトリにプラターヌは溜息をついた。

どうも彼は生活において、自分の事よりも仕事に比重を重く置いている気がする。

 

「まったく……。責任感が強いのはキミの長所だけど、自分が壊れるまで無理する所は悪癖だね」

 

『勤勉』とも言えるし、張りつめた生き方とも言える。

ただ、仕事よりもやりたい事を優先する、という個人主義の強い考え方が大半を占めるこのカロス地方ではアトリの生き方は明らかに異端だ。――その所為で周りから浮いてしまわないといいのだが……

 

「あと馬鹿なところとか」

「馬鹿なところですね」

「やめてあげて! しまいにゃ泣いちゃうぞゴラァッ!」

 

情けない声をあげるアトリ。

プラターヌは人知れず安堵の息をもらした。

彼らのやりとりを見る限り、今のところは問題なく馴染んでいるような気がする。

いや、自分からいじられ役になることで、とっつきやすく振る舞っている。

相手に侮られやすい、という欠点のある振る舞いではあるが、これもアトリなりの処世術なのだろう。

 

「あ、プラターヌ博士。ポケモン図鑑の状況ですが」

「はいはい、どれどれ」

「無視かテメエ等!!」

「まあまあアトリ。ドードー」

「オレはポニータか? ギャロップか!? だったら乗ってやろうじゃねーか、ヒヒーン!」

 

バタバタいているアトリとティエルノを横目にプラターヌ博士はトロバの集めたデータに目を通して感嘆の声をあげた。

 

「凄いじゃないか。アバンセ通りからベルサン通りまでのポケモンのデータが集まっている!」

「なにいいいいいいい!?」

 

プラターヌが受け取ったデータを覗きこむ。

 

「マジだ。スゲエ……」

 

データの信憑性を上げる為に1個体につき雌雄それぞれ10匹以上捕獲してあり、更に水辺のポケモンに関いては水質・環境に関する調査を行い、その上でトロバの考察をレポートにまとめている。これを完成させる為にどれだけ膨大な労力と時間を費やしたのだろうか。

アトリも近々ポケモン図鑑を受け取る身として、トレーナー修行とボーナス。二重の理由で図鑑のデータ収集に意欲的だった。

3ヶ月――それだけの時間があれば、トロバと同じ範囲のデータ収集は出来る。

だけど、――果たしてここまでのものを完成させられただろうか。

いや、これはトロバだったからこそ出来た仕事だろう。

 

気づかれないよう奥歯を噛み締めた。

 

「僕はポケモントレーナーとしての強さはアトリやセレナさんには勝てないでしょう。でも、ポケモン研究に関する熱意と知識量は誰にも負けません」

 

静かなトロバの宣言にアトリは圧倒されそうになった。

 

誰よりもポケモントレーナーを志した日から、ポケモンのことは誰よりも研究してきたという自負はある。その努力は誰に誇っても恥ずかしくはない。

だが、トロバはアトリの上をいく仕事をしてみせた。

仕事への熱意と姿勢。社会人として何よりも大事な部分で負けている。

流石は博士の選んだ人材だ。七光りだけで選ばれたオレなんかとは比べ物にならない資質を持っている。

 

やっぱり才能のない奴の努力なんて――――ハッとして思考を強制停止した。

 

ダメだ。弱い考えに呑まれるな。

自分自身を叱咤した。

張り合う事から逃げて妥協してしまえば生き腐れるだけ。

その先にあるのは底の見えない生き地獄だ。競う事から逃げてしまえば、オレのポケモントレーナーとしての生き方に意味はない。

 

弱い考えをねじ伏せる為の理屈を探す。

 

よし。逆に考えてみよう。

トロバがオレに対して威嚇ともいえる宣戦布告をしたということは、裏を返せば、光栄なことにそれだけオレの力量を認めてくれている、とも受けとれる。

 

スタートもしていない内から諦めるのは、オレを信じてついてきてくれいる手持ちポケモン達への裏切りだ。そして、オレはスポンサーについてくれると言ってくれたフラダリさんに報いるためにも、責任を放り出すような真似は絶対にしたくない。

 

どれだけ才気に溢れた人物だとしても、競争の世界に身を置いている時点で何処かの誰かに負けているんだ。

それでも、負けたくないから――いや、勝ちたいから泥濘の底へ進んでいく。

真剣勝負の末に得た勝利の味を知ってしまえば、誰だってそう思うだろう。

オレだって例外ではない。

 

そうとも。オレは、勝ちたいんだ。誰にも負けたくない。

 

「なら、競争だな」

 

アトリの宣言を受けたトロバは少しの間目を丸くして、

 

「望むところです」

 

そう言って笑った。

 

2

 

沈黙が重い。

気まず過ぎる雰囲気にセレナは心底困っていた。警察で出会った少女――ジョゼット・ジョースターをプラターヌポケモン研究所までの案内を買って出たはいいが、会話が全く続かず困り果てていた。

 

伝家の宝刀である「今日はいい天気ね」と天気の話を振れば、怯え気味に「そうですね」と返されるだけで終わり、それ以降、会話が続いても一言、二言で途切れ、沈黙してしまう。

それでもなんとかしようと、コミュニケーションを試みるがジョゼットのガードはエアームドよりも固く、刀折れ、矢尽きた。

かつてクラスメイトから『ガリ勉ブス』と揶揄された社交性ゼロであった自分と決別したという自負はあるが、ストックしてあった話題を悉く返してくれないとなると自分のコミュ力に自信をなくしてしまう。ペリーの様な突破力が欲しい。

 

こんなときアトリがいれば……。

 

負けを認めるようで癪だが、そう思わずにはいられなかった。アトリはコミュ力が高い。その上最近は社会人として働いていた経験からか、本音と建て前の使い分けにますますの磨きがかかっているような気がする。

本人に言わせれば「TPOを分けて対応を変えていくのは大切なことだろ」という事らしい。普段のアトリを知っているセレナにとっては胡散臭過ぎる一人称『僕』とあの対応が何故か人に受け入れらていることが釈然としないが。

 

「あ、あの……?」

「ハッ!?」

「あ、あの……顔が赤いですよ? もしかして、体調が優れないのでは……」

「だ、大丈夫よ。気にしないで」

 

自分の顔が熱い事に指摘されて初めて気づく。心なしか動悸も少し激しくなっているような気がする。体調は全く悪くないのだが、もしかして風邪でもひいてしまったのだろうか。

わからないが、これ以上アトリの事を考えるのはやめておいた方がいい気がする。

なんとなくそんな気がする。

やや強引に話の面舵を別の方向へきった。

 

「ところで、プラターヌ研究所へは何をしに?」

「え、えっと………、わたし……先生みたいに、なりたい……です……」

 

ん? いきなり話が明後日の方向に飛んだ気がする。

そもそも『先生』という人物の様になる為に、プラターヌ博士がどう関係してくるのだろうか。

訝しげにしているセレナに気がついたのか、ジョゼットは「えっと、あの……。その……」と慌てふためいた後、今にも消え入りそうな声でポツリ、ポツリと語り始めた。

 

「……この子は、私の通っている、トレーナーズスクールの……先生と一緒に捕まえたのです……」

 

モンスターボールからピカチュウが飛び出し、軽やかな動きでジョゼットの肩に飛び乗った。

ひょうきんな表情で甘えるピカチュウの仕草にジョゼットは微笑を浮かべた。

 

「私、……下手だけど、先生が、教えてくれたお陰で……ピカチュウさんとお友達になれました……」

「いい先生ね……」

 

凄い完ぺき超人を連想してしまう。

ジョゼットの表情が途端に明るくなった。

 

「はい! 先生は素晴らしい方です。ポケモンへの造旨が深くて、バトルも強くて格好良くて……。夜遅くまでこの子と友達になるお手伝いをしてくれて……。すごく、大人で頼りになるのです……」

 

ジョゼットが慕うのも分かる気がする。親身になってくれる存在というものは、時として何よりも心強いものだ。その教師の誠実さを十分の一でもアトリに分けてほしい。

 

「友達が出来た事が嬉しくて、浮かれてたから……あんな人たちにこの子を奪われてしまって……」

 

震える声から悔恨の念が伝わってくる。そんなジョゼットをピカチュウが優しく撫でた。

涙が滲む眼をそっと拭う。小さく鼻を啜った。

 

「えっと……何が言いたいのか、っていうと……ええっと、私、強くなりたいのです。この子を守ってあげられるくらい、ポケモントレーナーとしても、人間としても……。その為には、プラターヌ博士に弟子入りするのが、一番いいと思ったのです……」

「…………」

 

強くなりたい。

ただ、それだけのたった一つの想い。

不器用な少女の意志は痛々しい程強く、真っ直ぐで、これ以上ない程の真剣さが伝わってくる。セレナは何か言おうとしたが、直ぐに言うべき言葉がないことに気づく。

重苦しい沈黙が両者の間に満ちた。

そこから一切の会話はないまま、研究所に到着した。

 

 



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第34話 大貧民・前編

 

 

1

 

「8できって、キング! ボクの勝ちです」

「…………………………………、」

「おめでとう。これで18回連続大貧民だよお。今の気持ちを一言でいうなら?」

「インチキだァァァァァァァァ!!」

 

アトリの叫びが研究所を突き抜けた。

 

「絶対イカサマか何かしてるだろ! チクショウ、お巡りさん、こっちですッ!!!!」

 

時刻は20時過ぎ。いくら熱があるといっても、若者が寝るには少々早すぎる時間である。

最初はプラターヌ博士の部屋で宝(エロ本orヘソクリ)探しをしようとしていたが、トロバに必死で止められた為、仕方なくその辺にあったトランプで大富豪に興じていた。

 

18連敗で転落人生まっしぐらのアトリに大富豪ティエルノは憐れみの眼差しを向けた。

 

「アトリって本当に金運がないんだねえ」

「しばくぞテメエッ! つーか、おかしいだろ! オレのところに絵札が1枚も回ってこねえのはどういうこった!?」

「とは言っても、シャッフルはアトリがしているわけですから、ボク達がイカサマをする隙なんてありませんよ」

「単純にアトリの引きが弱すぎるだけだよお」

「うるせえ、もう一回だ! 次は勝つ! ぜってえ勝つ!」

 

頭に血を昇らせながらもカードのシャッフルを再開する。

現実でもゲームの中でも『大貧民』などという不名誉極まりない称号は守銭奴のアトリには我慢ならない。

 

「ちょっと待ってください。下が何か騒がしいですよ」

「あん?」

 

トロバの指摘を受けてアトリは耳を澄ます。声は聞こえないが、プラターヌポケモン研究所内での小銭の音ははっきり聞こえた。

 

「……698円と367円」

「何か言った?」

「いや。何も」

 

訪ねて来た人物の所持金を言い当ててしまう自分の才能が怖い。

心の中で自画自賛をしながら、訪問者よりも自分の名誉挽回の方が重要なアトリは再びカードをシャッフルし始めた。

カードを配り始めると、 698 円の音が部屋に近づいてくる。そして、扉が 3 回叩かれた。

「入ってまーす」

何食わぬ顔で下品なギャグを飛ばしたアトリにトロバはチョップでツッコミをいれる。

「ノックで返すのがマナーじゃない?」と被せたティエルノにもう一発お見舞いした。

扉を開けて入って来た 698 円はセレナだった。

「今バカなこと言ったの誰?」

深い溜息と共に零した言葉は脱力していた。トロバとティエルノが一斉にアトリを指差す。

 

「よぅ、セレナタン。そんな不景気な顔をしてどうした? 便秘か?」

 

こめかみが引き攣り、眉間に深い皺が刻まれた。

 

「…………マキシマムドライブきめていい?」

「メモリブレイクされる!?」

「その後タコ殴りにするから」

「ヒイイイイッ!! アクセルトライアルもビックリなオーバーキル!?」

「人ににあれだけ心配をかけておいて、貴方ときたら……!」

「無茶したのはお互い様だろ! お前だって1人であのオサレ集団にカチコミかけにいってたじゃ――」

「あ゛ぁ゛!?」

「イエ、ナンデモアリマセン」

 

美人がしてはいけない顔で凄みをきかせられ、反論を封殺された。

理不尽だ! と心で叫びながらも、本能が「逆らうな」と命令して来る。

絶対零度のブリザードを背景ににじり寄って来るセレナに失禁寸前である。嫌な予感しかしない。

 

怖い怖い! セレナが怖い!

そういえば落語で怖いと思ったもの程寄ってくるといった感じの話があった気がする。

その理屈で考えると「金が怖い」と思えば金運アップでウッハウハ!?

 

「覚悟はいいでしょうね……?」

 

うん。アホな事を考えている場合ではなさそうだ。

 

自らの生命活動の危機を感じ取り、瞬きでSOSのモールス信号を送る。しかし、

 

《タ》《ス》《ケ》《テ》

 

コラコラ、そこの2人。まだ死んでねえから無言で黙祷を捧げるんじゃない!

一縷の望みをかけて、場の空気が温まる小粋な台詞を考えた。

 

「い、いやん♪ 優しくして――「バルス」――目が、目がぁぁぁッ!!!!」

 

流れる様な動作で、しかも笑顔を保ったままアトリに目潰しを敢行するセレナに戦慄してしまう。

彼女の美貌に密かに憧れていたトロバだったが、にこやかに笑いながらハンカチで返り血を拭うセレナに震えあがった。――――怖すぎる!!

ガラガラと音を立てて淡い初恋が崩れ去っていった。

親友のハートブレイクを察したティエルノはそっと肩に手を置いた。

 

「プラターヌ博士はいないの?」

「博士なら急ぎの仕事があるって言ってフラダリさんと書斎に籠ってるぞ」

「うわっ、もう復活した!?」

「頑丈ですから!」

 

ややヤケクソ気味に高笑いする傍らでじゅるり。と音が聞こえた気がした。

何故かその音が気になって左右を見回したが、何もない。

 

「……思ったより元気そうで安心したわ」

「たった今元気じゃなくなったけどな……」

 

ポケモンの声、……なわけねえしなぁ……。

もし、そうなら頭に響くようなあの感覚が伴うはずである。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでも……」

 

あの音のことが無性に気にはなったが、とりあえず脇に置いておく。

 

「困ったわね。どうしたらいいかしら……」

「何かあったのか?」

「プラターヌ博士にお客様がいるのよ」

「アポは?」

「ごめん。わからない」

「アポなしかぁ……」

 

アトリは渋い顔をした。

社会人たるもの訪問の前に相手の都合を確認することを忘れてはならない。アポイントなしの訪問とは、それだけ相手の時間を奪うということになり失礼にあたる。確かに仕事の都合上アポなしで訪問しなくてはならない事もあるだろう。しかし、こんな遅い時間を選んでくるとは何事か。

特にプラターヌ博士は遊んでいる様に見えて色々と多忙な人なのだ。

全く物事の筋道というものが――

 

「どんな人だったのですか?」

「それがね、すっごい綺麗な女の子」

「よし。野郎ども見に行くぞ」

「賛成」

 

可愛いと巨乳は正義。

叔父さんめ、ロリコンの趣味があったとは見直したぜ。明日から敬意をたっぷり込めて『ロリコンヌ博士』と呼ぼう、と心に決めながらドアノブに手を伸ばそうとする。その時だった。

 

唐突にもらった平手打ち。予想外の肘。そして、トドメのスカイアッパー!

 

特に理由のない暴力がアトリを襲う!!

 

「………………」

「………………」

 

まるで格闘ゲームのKOシーンのようにアトリの体が宙を舞う。

ズベチャッ! と無残な音を立てて、危険な角度から落ちたアトリを見て二人は血の気が引いた。心なしか首が曲がってはいけない方向に曲がっている気がする。

 

「アトリ! ご、ごめん。私、そんなつもりじゃ……!」

 

セレナのSはドSのS。

 

混乱の極みにあるセレナを他所に、トロバとティエルノはピクリとも動かないアトリを恐る恐る棒で突いた。

反応がない。ただの屍の様だ。

 

「えーっと……、死んじゃった?」

「借金返すまで死んでたまるかァァァッ!!」

「「うわあああああああああああああああああああああああああああ!!」」

 

アトリの戒名を考え始めていたところに唐突に起き上がったゾンビを前に失禁しそうなほどびっくりした。

変な方向に曲がっている頸部を強引にゴキン! と嵌めなおすと、セレナに詰め寄った。

 

「殺す気か、流石に今のは死んだかと思ったぞ!?」

 

「ご、ごめんなさい……。なんだか、こう……アトリがあの子と一緒に仲良く話しているところ想像したら体が勝手に動いちゃって……」

「……………………」

 

申し訳なさと拗ねた様な感情が入り混じった口調に、叱責の言葉が出てこなくなった。しかもこの女、無意識に言っていやがる!

全く、超がつくほど頑丈だったオレだったらよかったものの、他の奴だったら確実に死んでいる攻撃だった。

彼女の攻撃を受けきることが出来るのは『自分だけ』という事実が優越感になってしまうあたり、オレも病気だ!

 

「顔が赤いわよ? もしかして熱が上がってきたんじゃ――」

 

額に当てらた手は冷えていて心地いい。

同時に柔らかな香りが鼻孔をくすぐった。

綺麗な手だ。そしてその向こうからこちらを覗いているセレナと目が合い、顔の距離が近いことに気が付く。

非常に整った顔立ちに、緩やかにカールのかかった髪は光の当たる角度によっては金色にも見える。恐ろしいほどの美貌が自分のすぐ近くにあった。

 

自分を必要としてくれていて、アトリも同じように彼女を必要としている。

1つだけ決定的に違うのは、セレナはアトリを純粋にライバルと見ているのに対し、アトリのそれには、やや恋愛感情が入り混じっている。

 

意識した途端、心臓が激しく跳ねた。

アトリは自分の理性が溶けていきそうになるのを、必死に堪える。

 

落ち着け。落ち着くんだ、フワ・アトリ!

冷静に。

冷静に……冷静、に……――――なれるわけねーだろうがあああああああ!!

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

全力疾走でセレナから逃げる。心臓が爆発しそうで限界だった。

好きな女の子の顔が至近距離にあって平静でいられる思春期男子が一体この世にどれだけいるだろうか。

 

ドップラー効果の様に遠ざかっていくアトリの絶叫にティエルノはほっこりと微笑みながら青春だねえ。と呟いた。

 

2

 

「申し訳ありません。プラターヌは現在取り込み中ですので、後日此方からご連絡させていただきます。ご都合のよろしい時間帯を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

研究所で受付をしていたジーナの言葉にジョゼットは唇を噛み締めた。

アポなしの無礼は承知の上だが、それでも退き下がれない理由がある。

 

 

だが、それを上手く言葉に出来ない。

発声しようとする度に、喉に異物が詰まっているかのような感覚が邪魔して上手く話せない。ジョゼットは口を引き結んだ。

 

人にとって当たり前のことが、自分に出来ない。

 

情けなさと悔しさでジワリ、と目尻に涙が浮かんでくる。

 

その時だった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!! という足音と土煙を巻き上げて

叫び声と共に走り去っていく男性は研究所を飛び出し、ネオンの光に満ちたミアレシティの闇に消えていった。

 

唐突に目の前で起こった奇行種の行動に目を見開いた。

 

「相変わらず元気だね」

 

人当りの良さそうなデクシオが苦笑交じりにそう評する。ジーナに至っては慣れてるのか、澄ました表情を一ミリたりとも変化させていない。

 

「あ、あの……今の……」

 

口をパクパクさせながら二の句が告げられないでいるとデクシオは肩を竦めた。

 

「気にしないでください。この研究所には少し変わった人が多いんです」

「そういうものです!?」

 

人見知りメーターをぶっちぎって全力でツッコミをいれてしまう。

久しぶりに大きな声を出して咽てしまった。

 

「ジョゼットちゃん」

 

声をかけられ顔をあげる。

声の主はセレナ・ベクシル。少し吊り上がった猫の様な目と上品な顔立ちからきつめで、近寄り難い印象を与えるが、警察でなかなか道を聞けなくて、困っていたところを助けてもらい、しかもここまで案内を買って出てくれるなど、実際は非常に思いやりのある人だ。

 

「ごめん。プラターヌ博士、今日はどうしても忙しいみたい……」

「あ、う……あ、……」

 

心底申し訳なさそうに告げる姿をみて、胸が痛くなる。

事前の約束もなく、こんな時間に押し掛けた私が悪いのに……。この人が謝る事なんて、何一つないのに……。

 

必死に言葉に乗せようとするが、上手く話せない。

受付にいた女性と男性に。セレナの後ろにいる男性2人も。

私を見ている。

全く知らない人に見られている。それだけで声が出せなくなってしまう。

何か言葉を発したら笑われそうで、目の前の人はそんな事しない、と分かっていても理屈じゃない。

 

嫌いだ。こんな自分……大嫌いだ……!

 

人と人が話す。

友達と一緒に遊んだり――

他愛もない話で笑いあったり――

 

繋がることが怖い。

皆が簡単に出来ている事が――出来て当たり前のことが自分には出来ない。

私はきっと欠陥人間なんだ……。

だから、お母様も、お父様も、私の事を見てくれない……。

私の居場所なんて何処にもない。

こんな出来損ない――消えてしまえばいいのに!

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドッ!! という足音と土煙を巻き上げて戻ってきた。蹴破る勢いドアは開かれ、ジョゼットは体を硬直させた。

 

「ただいま」

「おかえり。気は済んだ?」

「応。いい汗かいた」

 

先程は見逃した奇行種の顔がわかり、ディープインパクトが巻き起こった。

 

「先生!?」

「あん? ……………………ジョゼット・ジョースター!? どうしてここに!?」

 

3

 

セレナを通じて一通りの事情を聴いた後、アトリの知り合いなら、ということで応接室を使わせてもらえることになった。

ジーナとデクシオにお礼を言い、応接室の中へ入っていく。

研究所の応接室ということで、飾ってあるポケモンの骨格標本をジョゼットは珍しそうに眺めていた。そんな中で口火を切ったのはトロバであった。

 

「……お知り合いですか?」

「うん。僕の勤めているトレーナーズスクールの生徒だよ」

「それなら是非、親友の僕のことも紹介してよお!!」

「ひっ……!」

 

ハートを乱舞させながら、鼻の下が伸びきっているティエルノはジョゼットに迫りながら求愛のダンスを披露する。だが、効果は芳しくなく、ジョゼットは小さく悲鳴を上げてアトリの後ろに隠れた。

 

「落ち着いて、ティエルノ。ジョゼットが脅えている」

 

庇うようにアトリが前にでる。ジョゼットはアトリの後ろに隠れ袖を掴んで様子を伺う。

 

「驚かせてごめんね。あの2人は先生の友達だから、心配しなくていいよ」

「は、はい……」

 

アトリの優し気な口調にトロバとティエルノは笑いをこらえた。

『チンピラ』と揶揄される普段のアトリに慣れてくると、今の彼の物腰柔らかな振舞いが不気味すぎる。

以前、セレナが「気持ち悪い」と一刀両断したときは密かに酷い、と思っていたのだが、今なら彼女の気持ちがすごくわかる。

必死に笑いを堪えている二人に勘づいたのか、アトリは柔和な笑顔を張り付けたまま振り返った。

 

ゾクッとトロバとティエルノの背中に悪寒が駆け巡る。

 

「紹介するよ。僕の友人のトロバとティエルノ。2人ともプラターヌ博士の弟子なんだよ」

 

そう言って、トロバとティエルノに爽やかな笑顔を向けた。

 

「は、はい! よろしく、お願いします……」

 

段々尻すぼみになりながらも、二人に向ける眼差しは尊敬と憧れで輝いている。

こんな美少女にそんな風にみられたら普段なら舞い上がる。だが、今二人はそれどころではない。先程から冷や汗が止まらないのだ。

 

柔和な笑顔を見せているアトリは一見友好的にみえるが、「余計な事を言いやがったらぶち殺す」とその目は語っていた。

 

トロバとティエルノは引きつった笑いを浮かべて、お互いの顔を見合わせた。

 

口は災いの元。君子危うきに近寄らず。雉も泣かずば撃たれまい。

昔の人が残した有り難い訓示に従い、余計なことは言わないことを心に決める。

 

アトリをからかう分には問題なさそうなネタだが、実害を被るとなると、本気で生き埋めにされかねない。

 

まだ死にたくないのだ。

 

「ねえ、ちょっと待って。ジョゼットちゃんの言っていた先生って、アトリのこと!?」

「は、はい……。セレナさんも先生とお知り合いだったのですね」

「え、ええ……」

 

セレナは曖昧な返事でお茶を濁した。

自分の知っているアトリはバカな上にセクハラ魔神でおまけに一周回って清々しくなるほどの守銭奴だ。

おおよそ『格好いい』という表現とは対極の位置に属している。

 

確かに軽薄な態度の裏に隠されている責任感の強い真面目さに時々ドキッとはするけど……。

 

アトリは生徒が奪われたポケモンを取り返す為に、マフィアに戦いを挑むと言っていた。

それを思い出して、チクリと胸が痛んだ。

 

そっか……。この子の為だったんだ……。

自分を慕ってくれる可愛い女の子が困っていたら…………助けてあげたくなるよね……。

 

アトリはセレナのライバルだ。恋人ではない。

当然、アトリが誰と交際することになっても、自分の関与するべきことではない。

理屈では分かっている。だが……、

 

なんだろう……。すごくモヤモヤする。

 

おかしい。こんな気持ち、ありえない……。

だから、これはきっと姉が弟を心配するような心持ちに違いない。

そう結論づけるが、モヤモヤはいつまでもたっても消えることはなかった。

 

「あ、あの……先生……、さっき先生が奇声をあげて走っていくところを、みたのですけど……」

「ああ、見られていたのか。恥ずかしいな……。体力作りの為にランニングをしていたんだ」

「……奇声をあげていたのは?」

「自分に気合を入れていたのさ」

 

いくらなんでもそれで誤魔化されは――

 

「そうなのですか! 流石先生です!」

 

誤魔化せちゃうの!? とその場にいた全員が心の中でツッコミを入れた。

最早アトリの言うことは白いものでも黒くなるような気がする。

ジョゼット・ジョースターの将来が心配になる5人であった。

 

「ところでプラターヌ博士に弟子入りしに来たって聞いてけど?」

「……はい」

「………………事前の約束もなく、こんな夜遅くに? 」

「……………………」

「責めるわけじゃないけど、あまり褒められたことじゃないよ。せめて事前に相手の都合くらいは確認しないと」

「でも……、」

「でも?」

 

ジョゼットは俯いて唇を噛み締めて黙り込んだ。

 

 

嫌な予感がしたが、聞かないわけにもいかない。

乗りかかった船だ。ここで責任を投げ出すのは性に合わない。

 

「理由があるなら教えてくれないか? 何か力になれるかもしれない」

 

言いにくそうに口を噤んでいたが、やがて意を決したように口を開いた。

 

「……、私、家出してきたのです!!」

 

ジョゼットの言葉を理解するのに、30秒ほど時間を要した後――

(非常勤講師歴3カ月とはいえ)教師人生最大の重要案件に直面し、捻じ切れんばかりの胃の痛みがアトリを襲った。

 

 



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第35話 大貧民 後編

前回のあらすじ。
ジョジョ「家出しちゃったんだぜ!」
アトリ 「なん……だと……」



 

1

 

「…………………………、……」

 

あまりのことにフリーズしそうになった。誰か再起動かけてくれ。

原因は――心当たりがあり過ぎる。

 

「昨日のことが原因かい?」

 

問いにコクリ、と頷いた。

 

「…………それだけじゃありません。ピカチュウさんを引き取るなって。この子はジョースター家の人間の手持ちに相応しくないからって……! ……どうして、そんな酷いこと……言えるの……? 私にとっては大事なお友達なのに、……好きでジョースターの家に生まれたわけじゃ、ない! 私はお母様の人形じゃない!!」

 

憤慨するジョゼットに黙って寄り添った。

 

「……、子供じみていると、嗤わないのですか?」

「相談役が相手の悩みを嗤ってどうするのさ。真剣には真剣で返すのが僕のポリシーだからね」

 

こめかみを叩く。

とはいえどうしたものか。親に反抗して家出。言葉だけ聞くと思春期にありがちな行という言葉で片づけることは出来る。だが、今回の彼女の行動をそれだけで片付けてはいけない気がした。

愛想笑いという名の嘘笑いを顔面に張り付けながら、心の中で頭を抱えてしまう。

 

こういうのは非常勤講師の仕事じゃねえ。誰か学長呼んで来い!

 

とはいえここにはアトリしかしない。『出来ない』からといって投げ出すなど、出来る筈もない。それに――

 

『貴女の意見など聞いていません』

 

あの母親の言葉を思い返す。

これはきっとジョゼット・ジョースターのだしたサインだ。対応を誤れば、彼女を奈落の底へ突き落とすことになりかねない。

重すぎるプレッシャーでアトリの胃が締め付けられた。

 

「あ、あの~」

 

セレナが遠慮がちに手を上げた。

 

「私達ここにいていいの?」

 

うん、うん。とトロバとティエルノが揃って頷いた。

「あ、悪い」とアトリは自分の配慮不足を詫びる。

ジョゼット・ジョースターの事情はアトリしか知らない。これから始める話はジョゼットの家庭環境や内面に深く関わってくるものだ。いくらセレナとはいえ、他人に前でするものではないのかもしれない。

 

「えーっと、じゃあホント申し訳ないんだけど、少し外に出ていてもらえるかな」

「そうね。――じゃあ行きましょうか」

「あ、……待って、ください……」

 

部屋を出ようとしたセレナのスカートの裾をジョゼットは控えめに掴んだ。

 

「あ、あの一緒にいてください……」

「え? 私は別にいいけど、いいの?」

「はい……。セレナさんにも聞いて……いただいて、お力添えいただけたらと……」

 

当事者であるジョゼットがいてほしいというのならば、アトリが反対する理由はない。

それにしても、こんな短時間にセレナのことを随分気に入ったようだ。

 

「それではボクたちはリビングにいますから」

「うん、ごめんね。終わったらそっちにいくから」

「じゃあねえ、ジョゼットちゃん! また後でねえ!」

 

 

トロバとティエルノが退室したことを確認してから、改めてジョゼットの隣に座った。

 

「じゃあ事情を説明しても?」

 

頷いたのを確認してからポケモントレーナーを目指すことを反対されていること。ジョゼットの意向を無視して通っているトレーナーズスクールを退学させられそうになっていること。私見ではあるが、抑圧的な家庭環境であることをそれとなく含ませて説明した。

 

「なにそれ!?」

 

聞き終えた瞬間、セレナは激怒した。

 

「自分の子供の可能性を摘み取ろうとするなんて、しんっじられない! ジョゼットちゃん、そんな言葉聞く必要なんかないわよ。自分の人生なんだから、後悔のないようにあなたのしたいことをした方がいいわ」

「いやいやいや、無責任にけしかけるんじゃない」

「貴方はおかしいと思わないの!?」

「思うところはあるけど、親の立場からしたら簡単にゴーサインは出せないだろう。特にポケモントレーナーなんて、食っていけないことで有名な職なんだからよ」

「う……。で、でも……」

 

現実的な視点を突きつけられて口ごもった。

本心を言ってしまえばアトリはセレナと概ね同意見だ。

自分の人生は自分の納得できるように、やりたいことをやった方がいい。

だが、無責任に後押しすることも出来ない。

冗談抜きでこれはジョゼットの一生に関わる問題だ。本来ならアトリの手に余る様な問題なのだ。慎重に考えなければなるまい。

 

「……、先生は……どう思うのですか……?」

 

ジョゼットは縋る様な眼でアトリを見てくる。

トン、とコメカミを叩く手を止めた。

 

「その質問に答える前に君に確認しておきたいことがある」

「……え?」

「君自身は考えているんだい? ただポケモントレーナーになりたいのか、それとも――」

 

一拍おいてアトリの顔から愛想笑いが消える。『優しい先生』であるアトリの険しい顔にジョゼットは背筋を正した。

 

「プロのポケモントレーナーとして生きたいのか」

 

鋭い眼差しでジョゼットを見据える。

 

「答えろ。ジョゼット・ジョースター」

 

低く平坦な声は偽りを許さないと言外に告げていた。

 

「わ、たしは――私は……!」

 

喉が詰まる様な感覚が邪魔をして上手く声が出ない。

背筋が冷たくなるほどの圧迫感に押しつぶされそうになったが、固唾を飲んで覚悟を決めた。

 

「私はプロのポケモントレーナーになって……、チャンピオンになりたいです!」

 

言った。言い切った……!

父母の前では絶対に言えない自分の夢を、初めて誰かに打ち明けた。胸のつっかえが取れた様な気分だった。

身の程知らずかもしれない。実力の履き違えを嗤われるかもしれない。

それでも、私は挑戦したい!

 

「そうか」

 

フッとアトリは柔らかくする。

分を弁えない発言に絶対に反対されると思っていたが、予想外の反応にジョゼットは肩透かしを食らった気分になった。

 

「……嗤わ、ないのですか」

「嗤う? どうして?」

「だって、実技が、壊滅的……なのに……」

「あー、確かに君の実技はお世辞にも優秀とは言えないね。けど、それがどうしたっていうのさ? 苦手は経験を積むことである程度克服できるものだし、それでも足りない分は他で補えばいい。現時点の実力なんてものはね、そんなに重要じゃないのさ。それに――」

 

アトリは冗談っぽく肩を竦めた。

 

「先生が生徒の夢を嗤ったらお終いでしょ。君がその気なら僕は出来る限り力を尽くすよ。そうだね……。差し当たってまずは親御さんに連絡を入れさせてもらおうか」

「え? ちょ、ちょっと待って。アトリ、何を言っているの?」

 

「ジョゼットの力になる」と宣言した直後アトリの突然の手の平返しにセレナは動揺を見せ、ジョゼットの表情が凍った。

そんなことをすれば彼女は家に連れ戻されてしまう。それは他でもないアトリが一番よくわかっている筈なのに。

セレナの非難混じりの苦言にアトリは微笑で応えた。

 

「ジョゼットの目標を達成するために君のご両親の力添えが必要なのさ」

「どういう、ことですか……?」

「順を追って話すね。君はプラターヌ博士の弟子にしてもらうつもりでここまで来た、といったね?」

 

コクリと頷いた。

 

「結論から言って、それは無理なんだ」

「それはアトリが決めることじゃないんじゃない?」

 

その言葉には多分に棘が含まれていたが、苦笑交じりに流して話を続けた。

 

「いや、そういう意味じゃなくて。ジョゼットが家出人だって知った上で君を弟子として迎え入れてしまえば、プラターヌ博士は労働者法に反したとされて罰せられる。この子の歳では労働契約を結ぶにあたって必ず親権者の同意が必要になるからね。最悪誘拐犯扱いされることだってありえる」

「あ……」

 

思わぬ視点からの指摘に目から鱗が落ちた。言われてみれば確かにそうだ。

ジョゼットの心情を慮るあまりに、そこまで考えが及んでいなかった。

それでも諦めきれないジョゼットは尚も食い下がった。

 

「お金なんて要りません。プラターヌ博士のところで勉強が出来るというだけで――」

「残念だけど、それも却下だよ」

 

僅かに苛立ちが滲んだ口調にセレナは首を竦めた。

 

「労働にはそれに見合った報酬が必要だ。

働いて給料を貰うっていうことは、責任を負うってことだ。給金が出ないということは、当然責任を持つ必要がないってことでもある。

そんな人の仕事にどれだけの価値がある?」

「なら、このままトレーナー修行を――」

「それこそ無謀だよ」

 

言い終わる前にバッサリ切った。

 

「何故ですか……。そんなの……『力を貸してくれる』って先生、言ったじゃないですか!」

 

返ってきた容赦のない言葉にジョゼットは強く反発した。自分がどれだけの苦悩を経てこの選択をしたのか、先生ならわかってくれると思っていたのに!

裏切られた気分で一杯だった。

 

「別に君を貶めているわけじゃないよ。これは才能以前に物理的に無理なんだ」

「そんなこと……! お父様とお母様に頼らなくても、私たちだけでやっていけます」

 

自分がポケモントレーナーになるのに、あの人たちの力は借りない。

理解を示そうともせず否定するだけの人たちの力なんて借りたくない。

自分の力だけでなんとかしようと決心したこその家出だったのに……!

 

「なら逆に聞こう。君が現状で修行の旅を始めるにあたり、明確なプランはあるのかい?」

「プラン、ですか……?」

「旅に必要な資金は? 衣食住は? 自分の身はどうやって守る? どの街をどのように回る? 各町のジムリーダー対策は考えたのかい?」

「うぅ……。で、でもジョウト地方リーグのソウル・シルバーも後ろ楯なしで、リーグ準優勝を成し遂げたのですよ。私だって――」

「なら聞こう。君は『ソウル・シルバー』並の実力を持っているのかい?」

 

強烈なカウンターを見舞われ、反論のロジックを間違えたことを悟ったが既に遅かった。

 

「よりにもよってプロのトップランカーを引き合いに出すんじゃない。向こうが新幹線ならこちらは各駅停車の普通電車の様なものなのだよ」

 

苦渋に満ちた表情で容赦なく突きつけていく。

そして、その言葉はまるでブーメランになってグサグサとアトリの心にも確実に突き刺さっていた。

 

「後ろ盾なしで旅が出来るのはその道だけで食べていけるようなほんの一握りの天才だけだ。技量の低いトレーナーには下積みが何よりも大事なんだよ」

「…………」

 

尚納得できないといった表情のジョゼットにアトリは「これだけはやりたくなかったけど……」と嘯いてホロキャスターの電卓機能を開いて画面を見せた。

 

「いいかい、ランク0のトレーナー1試合分の賞金が大体200円程度。それを踏まえて一ヵ月の食費を2万から3万に設定。ホロキャスターの通信費に1万5千。衣類や整容に1万から2万。その他諸々の経費に安くて3万必要だと考えると、最低でも1カ月9万から10万くらいは必要だ」

 

手慣れた様子で電卓を弾いていく。その横顔は今まで見たことがない程生き生きして輝いておりジョゼットを唖然とさせた。気が進まないと言いながらもこの男、ノリノリである。

 

「そこから逆算して――月々ざっと500戦以上は勝ち越さないと厳しいね」

「……そんなに、いるのですか?」

「これでもかなり削った方だよ」

「食費はわかりますけど、衣類やホロキャスターの通信費とか……、そんなに必要でしょうか……?」

「必要だよ。身嗜みを整えない人は人から相手にされない。そして、情報を断ち切るということは社会との関りを断つという事と同義だ。人とポケモンを相手に商売をするのなら、その辺はちゃんとしないといけない」

「…………」

「そして、誤解を覚悟で敢えてビジネスライクな言い方をさせてもらえば、ポケモントレーナーにとってポケモンは商売道具であり、ビジネスパートナーだ。

しかも、勝敗がこれ以上ない程シビアに突きつけられ、実績がそのまま自分の値段になる以上、相手も死に物狂いで勝ちにくる。

そんな人たち相手に、君は月に500勝勝ち越す事が出来るかい? …………、いや、出来たとしても、きっとポケモンへの負担はきっと相当なものになる。その事については考えたかい?」

 

一つひとつの理屈がジョゼットの心をへし折りにきているようだった。

だが、ここまで言葉を尽くされて尚「わからない」などとは言えなかった。

言ったらこの人はきっと自分を軽蔑する。この優しい先生にだけは絶対に嫌われたくなかった。

 

「反対されているから、スポンサーになってほしいと頼みたくない。

その程度の覚悟なら辞めておきなさい。

戦わなければ――勝たなければ生き残れない。君が踏み込もうとしているのはそういう世界だ。

ポケモンバトルみたいな勝敗を明確にする世界の中心には天才なんて言葉が生ぬるいくらいの化物が闊歩している」

「…………無理です。きっとあの人たちは、私が何を言っても、聞いてくれない……」

「心配しなくていい。説得には僕も力を貸そう」

 

ジョゼットは顔を上げた。

 

「最悪でもプラターヌ博士のところで勉強させてもらうところまでは持っていってみせるよ。僕が君に望むことはただ一つ。どんなことを言われても絶対に折れないでくれ、という事だけだ」

 

ジョゼットが折れた時点で、アトリは戦うための大義名分を失う。

その時点でジョゼットが望む未来は砕け散るだろう。

ジョゼットの眼から雫が落ちた。鼻を啜り、両手で涙を拭っていく。

 

「『力を尽くす』と言ったはずだよ。僕は僕に出来ることをする。まあ、相当揉めるだろうけどね」

 

明後日の方向を向きながら煤けた笑いを零す。

道のないところに道を作るのだ。相当な覚悟と辛抱がいる。

目には目を。歯には歯を。モンスターペアレントにはモンスター教師を。

向こうがどんな理屈を展開してきたとしても、食らいつく。

相手が折れるか、自分が折れるかの我慢比べだ。

既に退職届は用意してある。

もし向こうがアトリのことを問題にしてきたならば、自分が責任をとって退職という形をとれば、学長たちに類が及ぶことはないだろう。

諦観混じりではあるが、アトリは既に肚を括っていた。

 

こんな面倒なことをしなくてももっと簡単な解決策はあるにはある。

アトリがプラターヌ博士より依頼されたポケモン図鑑のデータ収集の話をジョゼットに譲ればいい。

たったそれだけの事で彼女の問題は解決する。

だが、それは絶対にしたくなかった。

プラターヌ博士からの給金とフラダリラボラトリーズからの契約金。

この2つの資金源があるからこそ、アトリはトレーナー修行の軍資金と借金の返済を行える。

債務者であるプラターヌ博士は返済しなくてもいい、と言ってくれてはいたが、男親のような屑にならないためにも、そんな甘えは許されない。

 

その為にジョゼットの夢が断たれることになろうとも、絶対に譲ることは出来ない。

耳障りのいい言葉を並びたてつつも、その実自分の保身を最優先に考えている。

後ろめたい気持ちで一杯だった。

まるで蜘蛛の糸だ。だとしたら、自分も自らの業の深さで地獄に落ちるのだろうか。

 

「……どうして、そこまでしてくれるのですか?」

「……生徒を助けるのは先生のお仕事だからね」

 

後ろめたさはある。

けど、だとしても――オレはオレのやるべき仕事をする。

 

冗談めかして言ったが、本心だった。給料を貰っているのなら、その責任を果たす。

 

「………、先生……ありがとう……」

 

その一言は残業の報酬として、十分だった。

フワ・アトリの教師としての最後の見せ場だ。やってやるさ。

先程から自己主張してくる胃の痛みに気付かない振りをして、決意を固めた。

 

2

 

部屋に案内した途端、ジョゼットは糸が切れたように眠ってしまった。

疲れていたのだろう。あの歳の頃の子供が親に反逆するという行為は、それだけで相当な覚悟を伴う。

その上、人見知りの激しい彼女にとって見ず知らずの他人を訪ねるというのは、どれだけ勇気を振り絞ったのか。想像に難くない。静かに扉を閉めて電話口にてジョースター邸の電話番号をプッシュする。

ジョゼットの両親に連絡をとり、事情を説明した途端、「貴方が唆したのでしょう!」という母親のヒステリックなお言葉を頂戴した。落ち着かせようと宥めてみるも右から左で、まったく埒が明かない。

向こうもそう判断したのか、途中から窓口から父親に代わり今回お互いが頭を冷やす為の時間をとる、という名目で納得してもらった。

一悶着あったが、どうにか三者面談の約束も取り付けることができた。父親の方が幾分か話が通じそうだ。当日は母親よりも父親と話した方が良さそうだ。

受話器を置いた途端、眩暈がアトリの視界を歪める。

なんだか酷く疲れた。更に熱が上がってきたような気がする。

 

待っていたセレナは深い溜息をついた。

 

「でかいため息だな。何かいいことあったのか?」

「別に……。ただ、私って本当にダメだなって思って……」

「はあ?」

「私、ジョゼットちゃんの事で、何も言ってあげられなかったんだ……。何か言おうと思っても、上辺だけの言葉になりそうで……」

 

ポケモントレーナーである両親に囲まれ、昔からポケモンバトルの訓練ばかりしてきた。いわばポケモントレーナーに特化した人間だ。そのことについて不満は全くないし、これでいいとも思っていたのだが、最近アトリを見ていると自分のそのあり方に少しばかり思うところがある。

 

「それなのにあなたは自信を持ってジョゼットちゃんの背中を押してあげて。……凄いなって……同じ年なのに、どうしてこんなに違うんだろうって思うと自分が情けなく なってくるわ」

「…………オレだって、自信なんかねーよ」

 

今度はアトリが溜息をつく番だった。

 

「オレは叔父さんやフラダリさんみたいに頼りになる大人じゃない。それなのに根拠もなく、無責任に……」

 

とんだ詐欺師もいたモンだ。と自嘲混じりに嘯いた。

背中を押したといっても、結果次第では突き落としたとなってしまう。夢を後押しすることが、必ずしも当人の為になるとは限らない。

何故ならば、夢とは大部分が叶わないものだからだ。

競技人数とプロの数を考えると、ジョゼット・ジョースターやアトリ自身でさえ、プロになれる可能性は0.1パーセント未満。確率論だけで述べるのなら、アトリは反対するべきなのだろう。

誰もが大なり小なり何かを諦めてながら生きている。

「けど、それでもあの子の『先生』である以上そんな腑抜けたことは言っていられない。自信がなくても、自信があるように振る舞わなくちゃ…………、ジョゼットも怖いだろ」

 

現実主義者な自分がそう囁きかける一方で、『ひょっとしたら』なんて甘いことを考えてしまう自分もいる。

そもそも『見果てぬ夢』を持つ人間というのは損得で動きはしない。

人はそれを狂っていると言う。故に夢を追う人は皆、狂っているのだろう。

現実的に割りきって、俯瞰していたアトリも根本の所で狂っているのだろう。

地平線の遥か向こう側。あるか、どうかもわからない輝きに向かって突き進む事でしか生を実感できない。度しがたいほど愚かで、これ以上ないほど幸せな存在。それこそがポケモントレーナーの正体だ。

 

狂気と情熱は表裏一体。

燃やすことによって、前に進むエネルギーになる。

そして、それが尽きたとき、初めて見果てぬ夢から覚めるのだ。

 

「少なくとも今回の件ではオレはお前がいてくれて良かったと思っている」

「別に無理にフォローしてくれなくてもいいわよ……」

「赤の他人ならともかく、本性バレてるお前相手にそんな七面倒くさいことするか、アホらしい。オレは立場上厳しいこと言わなきゃいけなかったから、あの場で表だってジョゼット側にたってくれるだけでも、随分彼女の精神的な負担を和らげられた。セレナがいなければ、オレは彼女を潰してしまっていたかもしれない。

だからさ、…………ありがとう」

「…………」

 

ぶっきらぼうながらも、体温のある言葉に堪らなくなった。

顔が熱くなっているのを感じた。どうしようもなくアトリに惹かれてしまう。

確かにアトリは世間一般で好まれるような爽やかな性格でも、甘いマスクのイケメンでない。

性格もバカで守銭奴とかなり残念だ。

だが、顔立ち自体は決して悪くないし、バカと言われる一方で、年齢に不相応なほどの実直さと思慮深さを持ち合わせている。

守銭奴なところも、置かれてきた環境上、やむおえないことでもある。

寧ろそのパーソナリティが絶妙な金銭感覚や繋がっている事を鑑みると、一概に欠点とも言い難い。

 

数々の残念さが悪目立ちしていて見つけ難いが、一旦立ち止まって注意深く観察すると、非常に魅力的な人間だとわかる。

全体的に通好みというか、『わかる人にはわかる』といった感じなのだろう。

それはセレナにとって不満でもあり、自分だけがわかるという優越感でもあろい、複雑だ。

 

やっぱり私、アトリのことが好――そこまで考えてセレナは耳まで真っ赤になった。

 

ありえない! ありえない! ありえない!

 

あまりにもあり得ない結論が出そうになり、頭を抱えて首を左右に振った。

アトリとの関係はライバルだ。それ以外にありえない。絶対にありえない。

 

「おーい。百面相してないでさっさと行こうぜ」

 

セレナの懊悩に気づきもせず、呑気なことをいうアトリを恨めしく思う。

せめてもの意趣返しとばかりにアトリの首をくすぐると、「ふぉうっ!」と奇声をあげて飛び上がった。

 

「やりやがったな、この!」

 

アトリも負けじとセレナの脇腹をこそぐり応戦した。

 

「ちょ――どこ、触ってるのよ、……エッチ!」

「お前が先にやってきたんだろ」

「お巡りさーん、こっちに変態がいまーす!」

「あ、てめっ! こんな時に女の武器を――!」

 

一進一退のじゃれあいは両者が両者の手を握る形で膠着状態になった。

不意に目が合った。そして――腕を引かれ、アトリはセレナを抱き竦めた。

アトリの鼓動の音が聞こえる。体が火照っている所為か、少し汗臭いというか、男くさい。でも――それでも不快には感じなかった。むしろ筋肉質な体つきは安心感を与えてくれる。

ずっとこうしていたい。そう思った矢先だった。

我に返ったアトリは真っ赤な顔で飛び退いた。

 

「わ、悪い……。今のはその……、オレが悪い……」

 

目を泳がせながら、しどろもどろになっているアトリを見て悪戯心が湧き上がってくる。

 

「変態さーん♪」

「わー、すみません! ごめんなさい! 頼むから訴えないで!」

 

顔を真っ赤にして慌てふためくアトリを眺めているのも面白かったが、流石に少し可哀そうになってきた。

 

「仕方ないわね。だったら」

 

くすり、と微笑みセレナはアトリに体を預け、そして――。

ガブリ。「痛ってェェェェッ!」思いっきり首筋に噛みついた。

 

「これで許してあげる♪」

 

嬉しそうに勝ち誇った笑みを浮かべる。

セクハラ被告のアトリとしては「ありがとうございます……」としか言えなかった。

 

首筋がズキズキして、ヒリヒリする。

内出血を起こしているかもしれない。

 

衝動的に抱きついてしまった自分が悪いので、何も言えない。

 

噛みつかれる方が、セクハラで訴えられるよりマシなのだから。

出るところに出られたら確実に懲役うたれる。執行猶予などつくはずもなく、問答無用でブタ箱で臭い飯を食う破目になるだろう。

この程度で済んで幸運と考えるべきか。

 

アトリのホロキャスターの着信音に遮られた。

 

「っと、シトロンか。――もしもし」

『こんばんは。調子はどうですか?』

「ボチボチでんな。で、どうした?」

『ミアレ警察から君に届けてほしい、というものを預かったので、データで添付して送りますね』

「待ってましたァ!」

 

あの赤スーツ共を捕らえた報酬だろう。Nはイッシュ地方に帰ったため、受け取れないとして、シトロンはジムリーダーという立場上受け取るわけにはいかないだろう。

となると、賞金の分け前は

賞金の金額に心を躍らせながら添付されてきたデータを開いた。

85万。それがアトリに渡される金額であった。

 

「シャアラアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

ガッツポーズと共に飛び上がった。

お金万歳。通帳残高に余裕があると心にも余裕が出てくるというものだ。

――っと。もう一つデータが?

開いた途端目を疑った。擦った。瞬きを何度も繰り返した。

見間違いであってくれ、と願いデータに視線を移す。

見間違いなどではなかった。もう書類データの一番上にはまごう事なく『請求書』の3文字。そして、その額も奇妙なことに85万。

 

「オイ、シトロン。余計なものがついてる」

「いいえ。間違っていませんよ」

「……………………」

「……………………」

「アンベルリーバブルやァッ!!」

 

唐突。あまりにも唐突な代金請求にアトリはそれ以上の言葉が出てこなかった。

アズマオウの様に口をパクパクさせて、視線でシトロンに説明を乞うた。

 

「あ……、ありのまま今起こった事を話すぜ!

オレは黒字にしたと思ったら赤字になっていた。な……、何を言っているのかわからねえと思うが、オレも何が起こったかわからなかった……。

頭がどうにかなりそうだった……。借金だとか詐欺だとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……」

「昼間に君が赤い集団を一網打尽にした作戦だけど……」

 

水をかけて電撃を浴びせるというものだろう。

 

「ああ、あの作戦か。あれは我ながら見事だと思ったね」

「あれが悪かった……」

「え……?」

「ミアレシティの中央のシンボルについては知っていますか?」

「ああ。プリズムタワーっていったけ?」

 

町の中心に位置する、ミアレシティのシンボル。

『プリズム』の名に違わず、七色に輝く電光は24時間絶えることなく輝き続ける。

その外観から、憎きカップル共から定番のデートスポットとして絶大な人気を誇っている。

 

「君の電撃の余波がプリズムタワーに送電している中継点をショートさせてしまって、多大な損害が出ているんです」

「いや、あれはけど……あのロクデナシ共を捕まえる為に仕方なく……」

「わかっています。わかっていますけど……それはそれ。これはこれ、ということで85万円。耳をそろえてしっかり払ってもらいます」

「あ……、ぁ、あ……、」

 

唐突ではあるが、諸君は色即是空と言う言葉をご存じだろうか?

仏教の根本原理といわれる考え方で、物質なんてあるかどうかわからない曖昧な存在であり、互いの存在があり始めて知覚できるものだ、という意味だ。

個人的にこの考え方は量子物理学のシュレディンガーの猫に通じるものがあると思う。

まあ、それはそれとして今日、オレはもう一つ、オレなりの新しい解釈を追加したいと思う。

 

「ありえないんだぜ――――ッッッ!!!!」

「アトリ―――――!?」

 

泡を吹いて卒倒したアトリにセレナは駆け寄った。

 

色即是空。――すべてが水の泡。

お後がよろしい様で。

 

 




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第36話 トラウマ

1

 

目を覚ましたロコンは周囲を見回した。

乱雑に置かれた書類と専門書の数々。散らかったその部屋には見覚えがあった。

アトリの叔父の研究者の住処だ。

 

「アトリは――!」

 

自分のトレーナーの居場所を探るべく鼻を利かす。目的の匂いは直ぐ近くにあった。

氷枕を頭に乗せて「赤字……」「大損……」とうなされている。

人に心配をかけておいて、どんな夢をみているんだか。

 

ふと首筋の噛み傷に眼がいった。

内出血しており、くっきりとした痕は激しい自己主張をしている。

鼻を近付けて匂いを検めてみる。

 

「あの女の匂いがする……」

 

ヤンデレっぽく言ってはみたものの、別にクレイジーでサイコなことを考えているわけではない。ただ単に一度言ってみたかっただけだ。

 

「それにしても」

 

ロコンは鼻を鳴らした。

 

こんなマーキングして他の女を牽制するくらいなら、さっさとアトリをものにしてしまえば良いのに。

 

アトリLOVEなムクバード辺りは猛反発しそうだが、ロコンとしてはセレナがアトリと番になることはやぶさかではない。

見たところアトリもあの子が好きみたいだし、二人の間には全く問題らしい問題が見当たらない。だというのに、

 

「ニンゲンの考えることはホントわからないなぁ……」

 

ロコンはあのセレナという少女が嫌いではなかった。非道に対して当然の様に怒りを向けられる性根の真っ直ぐさはアトリとよく似ている。それは彼女の手持ちポケモン達の幸せそうな様子からも、彼女の人柄を伺い知ることが出来る。

 

……昨日会ったあの女はダメだ。あの獲物を狙うような冷たい目からは何だか嫌な感じしかしない。

 

「ねえ、ハッサム。君はどう思う?」

 

暗がりで不機嫌そうに腕組みをしていた隻眼のハッサムに水を向けると、不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「確かにニンゲンの考えることはよくわからねえな。特にそのバカに関しては完全に理解不能だ」

 

自分の命を餌に他を逃がす。

確かにあの状況下では、合理的な判断だった。合理的すぎる。普通なら思い付いたとしても、実行には移さない。

 

どうせ口だけだ。すぐにビビッて助けを求めてくる。

 

そう思っていたが、この男は最後の最後までハッサム達の身を案じはすれど、泣きつくことはなかった。実際、Nという男が介入しななければ、あのバカは確実に命を落としていただろう。そして同時に思う。

 

「そいつはどっかおかしいぞ」

 

献身的。自己犠牲。滅私奉公。

そう言ってしまえば聞こえはいいが、明らかに生物の理に反した行動だ。

そして、あそこまで体現されると逆に気味が悪い。

 

「何処か大事なところがぶっ壊れていやがる。」

「……、やるべきことが分かっているだけだよ」

「だから、それがおかしいって言ってんだ!」

 

気に食わない。あの冷徹なまでの現実主義。

本来生物の持つべき自己愛やエゴイズムすらも理性で抑え込み、自分を切り捨てる事すらも割り切って行えてしまっているというのなら、

感情を切り離し、理に従う。それではまるで『ポケモントレーナー』としての役割を全うするだけの機械の様ではないか。

ハッサムの剣幕に対してロコンは微笑を浮かべた。

 

「…………………、ありがとう」

「あ?」

「アトリを心配してくれてるんだよね……」

「ざっけんな。んなわけねーだろうが!

テメエ等最近勘違いしてねえか? 俺はテメエ等の仲間じゃねえ!」

 

自分を裏切ったニンゲンが憎い。その気持ちは消えることなくわだかまり続けている。

鋏を固く握り、奥歯を噛み締めた。

 

「騙されるかよ……!」

 

怨念を多分に孕んだ声を絞り出す。

 

「あいつは俺を信用させて、俺を利用して、そして、また俺を裏切るんだ!」

 

震える声で発する言葉は自分に言い聞かせているようだった。小さく溜息をついた。

彼の気持ちは分からなくはないが、些か面白くない。

 

「……そう思いたい気持ちは分かるよ。確かにニンゲンの中にはそういうのもいる。けど、そうじゃないのもいる。アトリはそうじゃない方だ。一方的な視点だけでわかった気になって、関係ない人に八つ当たりしている君も、相当勝手だよ」

 

辛辣な物言いにハッサムは鋏を振りかざした。

 

「黙れ! 信じたってどうせ裏切られるだけだろうがッ! それなのに、どうして信じられる!? 何故、信じろと言う!? お前だって命を選別された末に捨てられたのなら俺の言っている事がわかるだろう!」

「…………知ってるよ、そんなことは。言われるまでもない……」

 

憎むべき対象がハッキリしているハッサムと違い、憎むべき相手が曖昧なロコンとは事情が違うのかもしれないが、ロコンも厳選の末にあぶれた末にトレーナーに捨てられたポケモンだ。

生まれたばかりで捨てられたポケモンの末路は悲惨だ。

庇護者はいない。狩りをする力もない。生きていきたくても、その術がない。

勝手な理屈で命を選別し、要らなくなれば簡単に捨てる。望んでこの世に生まれたわけじゃない。誰が産んだくれと頼んだ。必要としないなら何故作った。

あの頃の自分は確かに人を憎み、己を怨み、世界を、この世の全てを呪っていた。

 

独白を一旦打ち切ったロコンは一息つく。想像を絶する過去にハッサムは絶句した。

 

「そんな立場に追い落とされて、何故またニンゲンを信じる気になった……?」

「裏切らないって確証がなければ信じちゃいけないかな? 」

 

その答えに納得がいかないハッサムは憮然とした。

ロコンは静かにアトリの隣に座ると、窓の外の月を見あげた。満月は薄い雲に隠され朧になっていた。瞳を閉じて言葉を紡いだ。

 

「確かに僕の昔の思い出は少しもいいものじゃなかったよ。でも僕はそれでもいいと思っている。辛い思いをして、辿りついた先が信じるに足るニンゲンに出会えた」

 

流浪の中で迂闊にも縄張りを犯してしまい報復として野生のポケモンの群れに嬲られ、なんとか逃げ延びたはいいものの、朦朧とする意識の中でドブ川に落ちた。

酷い悪臭を放つ汚水が呼吸器に入り込み息が出来なかった。意識が遠のき『死』を感じ取ったその時、近くで遊んでいた子供に拾い上げられた。

 

意識は朦朧としていたが、不思議とはっきり覚えていた。

 

その子はあろうことか、気管に詰まっていた汚水と泥を何の躊躇いもなく、……いや訂正。少し躊躇ったけど、口で吸い出してボクの命を繋ぎとめた。

そのままなし崩し的に一緒に生活することになって大いに困惑した。

夜に安心して眠れる温かい寝床。何もしなくても食べられる温かい食事。一緒にいるだけで嬉しそうに笑ってくれる大事な家族。

生まれて初めて触れた温かいモノに居心地が悪かったが、少しずつ――少しずつ慣れていった。

そんな温かさが普通なんだと。――だが、それは普通であるが故に、これ以上ない程尊いものだった。

今までの辛いことは彼に――アトリに会う為だけにあったのだと。

 

「きっとね、理由なんて必要ないんだよ。アトリを信じてついていくことは誰に強要されたわけでもなく、自分自身が信じると決めたことだからね」

「……裏切られてもまた、信じられる程、俺は強くねえ……」

「そうかもね……。……じゃあ無理に信じることはないよ。君がニンゲンを憎んでいるのは、君が君を捨てたトレーナーの事が好きだからだし、そんな人に裏切られたら、信じるのが怖くなるのは当たり前だよ」

 

裏切られるから信じない。そんな生き方はきっと、とても悲しい。『信じること』と『裏切ること』。その二つは密接に繋がっているようで、実は全く違うことだ。

他者からの信頼を裏切るのは悪意を持ったその者が卑劣だからだ。

信じることに理由はいらないが、他者から向けられる信頼を平気で裏切れる者であれば、見限る理由としては十分すぎる。…………アトリがかつて彼の父にそうしたように。

 

「それに、僕がそうしたように、アトリを信じると決めるのも君自身だからね。

だから、アトリが君の信頼を勝ち取るそのときまで、僕はのんびり待つことにするよ」

 

「あ、そうそう。それともし理由が必要なら――」と前置きしてロコンは目を細めた。

 

「君はアトリが『壊れている』と指摘していたよね。…………、確かにそうかもね。

……アイツはね、ろくでもない父親の所為ですごい苦労をしてきた。だからかな、絶対に人の道を外れることはしない、って価値観が深く刻み込まれてしまっているんだ。それこそトラウマになるくらいに……」

 

あの粗暴さ故に誤解を受けやすいが、本来アトリは『規律』や『道理』といった『秩序』を重んじる性格だ。

信頼を裏切られる痛みを身を以て知っている彼は、決して『他者を裏切る卑怯者』にならないと固く誓っている。

 

アトリを苦しめ続けたあの男は本当に100回殺しても足りないくらいだ。

特にアトリが地下通路で一山当てて持ち帰ったボーナスを翌日スロットで全部摩った時のことは今でも忘れられない。

思い出したらまた腹が立ってきた。やっぱりあの時喉笛を噛み砕いておくべきだったか。

 

愛くるしい外見に定評があるロコンの凶悪な顔を見せられハッサムは思わず恐れ慄いた。

 

「お、おい……。お前、色々ヤベエ顔してるぞ……」

「あ、ごめんごめん。ひどく不愉快なことを思い出して、つい。話を戻すね。

君は裏切られる怖さを知っている。でも、それはアトリも同じだよ。

彼は血の繋がった父親に何度も手酷い裏切りを受けている。信頼を裏切られる痛みを身を以て知っているアトリが、『他者を裏切る卑怯者』になるはずがない」

「随分な自信じゃねえか」

「これは確信だよ」

 

正直、ロコンもニンゲンはあまり好きではない。

でも、アトリは好きだ。彼が好きだから彼の為に尽くし、守る。

 

「アトリが僕を必要としている。

その事実があれば、ボクは例え捨て駒にされたとしても、役割を全うしてみせる。

その結果、裏切られたとしても、アトリを信じた事をボクは絶対に後悔したりしない」

 

戦う理由など、ただそれだけあればいい。

そこが地獄の底であろうと彼の傍らに立ち続ける覚悟はある。

それがポケモントレーナー『フワ・アトリ』の手持ちポケモンとしての矜持だ。

 

「…………、そこまで言わせるあいつは一体何者なんだ……?」

 

ロコンは犬歯を剥き出しにして笑った。

 

「決まっているじゃないか。僕の主人であり唯一無二の親友。そしてただのバカ。……それだけだよ」

 

2

 

「うあああーっ……!」

 

顎が外れそうなほどの大あくびをして寝惚けた頭を覚醒させた。首を回すとボキボキッ! と関節が悲鳴をあげる。

 

その上、妙に肩が凝った。

どうやらアトリのデリケートな体はソファーでの睡眠がお気に召さないようである。

 

後でモココに軽く電気を流してもらおうかな。

 

そう思いながら勢いをつけてソファから飛び上がった。

頭はすっきり。関節は固いが、熱を持っている感じはしない。

 

体調は良好。あと、気がかりなのは――

 

「天に召します我らが父よ……」

 

ポケットの中に入れたままになっていたホロキャスターを取りだし、十字をきった。

そのあとメッカの方向に祈りを捧げ、柏手を打ってからメール画面を開いた。

 

これだけばら蒔いておけば、どれか一つは当たるだろう。

 

下手な鉄砲の理屈で祈りを捧げるのも相当罰当たりな気がしないでもないが、あえて見て見ぬふりをしようと思う。

 

夢であるように。何度も願ったよ。俯いたまま――ホロキャスターを開いて更に項垂れた。

 

「ジーザス……」

 

日頃の信心が足りなかったようだ。

割と切実な願いも虚しく請求書のデータはしっかりと残っている。

 

ちくせう。朝日がやけに目に沁みるぜ。

 

一夜明けても流石にダメージが大きく、動き出す気力を絞り出すのに15分ほど時間を要した。

 

落ち込むことはないぞ、フワ・アトリ。

本来の目的のジョゼットのピカチュウ奪還は達成したじゃないか。

ポケモンマフィアに正面から喧嘩を売って無事だったことも喜ばしい。普通なら数の暴力で磨り潰されるところだ。

 

生きているのだからいいじゃないか!

 

そうとも。命とは! そこにあるだけでも奇跡なのだ!

生きている限り、明日はやってくるのだから!

 

……というか、そうでも思わなければやってられない。

 

「顔でも洗いに行くかぁ……」

 

いいとこ探しでボロボロになったメンタルを癒しながら部屋から出て、下の階に降りると珍妙な光景と遭遇してしまった。

 

「……………………」

 

衣紋掛けの下の部分に足を引っかけて逆さまにぶら下がりながら、振り子のように左右に揺れているムクバード。

それを見て大喜びで跳ね回っているケロマツ。

自身の手持ちが繰り広げるシュールかつ微笑ましいその光景にどうリアクションしたらいいものか。

少しばかり悩んでいると、ムクバードの方がアトリに気がついた。

 

ピィ! と一声鳴いて羽ばたき、アトリの寝癖だらけの頭の上に着地した。15キロの重みはアトリの首に多大な負荷を強いてくる。

背が伸びなくなったらどうしよう、と割と切実に思う。

一応169から170をウロウロしてはいるが、アトリの目標は175㎝程。更に欲を言えば180㎝台まではいきたい。

 

「オイ。オレの頭は鳥の巣じゃねえぞ。降りろ、重い」

 

不満を隠さないアトリの抗議もなんのその。

ご機嫌なムクバードは登頂部でおもむろに毛繕いを始めた。

ロコン程ではないが、ムクバードともそこそこ長い付き合いだ。これは聞く気がないな、と察し、盛大に溜息をついて抗議を諦めた。そんなアトリの足元で少し居心地の悪そうなケロマツがチラチラと彼の方を伺っている。

アトリは小さく笑った。

 

「おう、おはよう」

 

ゲ、ゲコ……。

 

ぎこちないながら、小さく手をあげて返したのを確認してしゃがみ込んでケロマツと目線を近くした。

 

「2人とも昨日はよくやってくれた。今日は何も予定はないからゆっくり休んでくれ」

 

チッチッ、チューイ。

ムクバードは嬉しそうに一周飛んでから再びアトリの頭の上に着陸した。

 

だから首が……。身長が……。

 

階段を降り、洗面所のドアを開けた。次の瞬間――――

 

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

衝撃的すぎる光景を前にアトリは顎が外れそうなほど口を開き、自分でも聞いたことの無いような絶叫をあげた。

 

ダダンダスダス! ダダンダスダス!

という未来から来た殺人マシーンの映画のテーマソングが脳内で再生された。

 

シャワールームと洗面所が繋がっているのだが、そこでシャワーあがりと思わしき筋肉モリモリマッチョメンの変態――もといフラダリさんが鏡の前でダブルバイセプスをきめていたのだ。

しかもご立派なガンを隠すことなく晒しているその姿は弱っている状態で直視するには辛すぎる。

 

その姿にムクバードは威嚇の声を上げ、ケロマツは既に逃走したのか何処にも姿が見当たらない。

 

「む。君かね」

 

アトリに気付いたフラダリはポーズを変える。

僧帽筋や肩、腕、胸の太さを強調するモストマスキュラーである。それと同時にメデューサに囲まれた益荒男が起き上がってきたため、必死に威嚇していたムックルは遂に石になった。

 

「何故隠さないのですか……?」

「紳士は何事も恥じたりしない」

 

鍛え上げた肉体を見せつけたいという気持ちは分からないでもないが、頼むから前を隠せ。何故朝からむさ苦しい男の裸体を見せつけられなければならない! そう物申したい衝動に駆られたが、相手はスポンサー。近々アトリの上司になる人だ。ここは我慢すべきだろう。

だが、怒りに似た感情が喉元を過ぎると、今度は色々とやるせなさすぎて泣けてきた。

膝から崩れ落ちて、手を突き打ちひしがれた。

 

「なんでや……。

普通はここで風呂上がりのセレナとバッタリ遭遇してってゆうラッキースケベの黄金パターンやろ……。何が悲しくておっさんの裸と御対面せなあかんねん……」

「君は一体何を言っているのだね?」

 

アトリも自分が何を言っているのかよくわからないので、フラダリがわからないのも無理もないだろう。やあ、人間の心理とはままならないものであり、摩訶不思議なものでもある。

 

「む。首筋のその傷――そうか。大人になったのだな」

「残念ながら違います。お願いですから、前を隠してください」

 

モストマスキュラーの格好のままで如意棒を目の前に晒されて頭が痛くなってきた。思わず両手で目を覆ったその時だった。

 

ガチャリ。

 

「おはようアトリ。ごめんね、ジョゼットちゃんのことなんだけど――」

 

そこまで言いかけたセレナは固まった。アトリも固まった。

ここで彼女の視点から見たアトリとフラダリの体勢を少し考えてみた

 

四つん這いになっているアトリの目の前にはフラダリのエレガントなエレファントがある。

そして、その前で顔を覆っているアトリの手は丁度フラダリのアレに位置が重なっている。

セレナから見たらアトリがガチムチなフラダリのアレを握ってアレをアレしているようにも見えなくもない。

 

表現がアレばかり光景が創造しにくいだろうが、諸兄達の豊かな想像力に委ねたいと思う。少し前の朝ドラでも『妄想の翼を広げるのです』と言っていた。閑話休題。

 

そんなものを見せられたセレナは驚きのあまり持っていた化粧品や洗面道具を落としてしまった。

ガシャン! という音が洗面所内に空々しく響く。

自分の置かれえた状況に気が付いた――というより察してしまったアトリの心臓は今にも爆発しそうな動悸を響かせる。冷たい汗が全身から噴出してきた。

凍りついた時間のなか、セレナは大きく深呼吸した。そして――――

 

「フラ×アト、キタ――――――――――――――――ッ!!」

「誤解だアッ―――――――――――――――――――!!!」

 

この日、プラターヌ研究所にて、トレーナーズスクール講師兼ガテン系ポケモントレーナーフワ・アトリに新たなトラウマが深く刻まれた。

 




アクセス解析をチェックして驚きました。

ユニーク数がとんでもないことにΣ(゚Д゚)

こんなにも多くの方に読んで頂けたのは百日草を再投稿以来初めてのことです。
偏に拙作を読んでくださっている皆さんのおかげです。

特にお気に入り、高評価をつけてくださった全ての方に多大なる感謝を!
本当にありがとうございました!!


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第37話 ガチンコ

 

 

1

 

赤いポケモンマフィアとの大立ち回りから数日が過ぎた。ミアレシティを騒がせていた強盗事件の犯人の正体について当初メディアは競って報道していたが、周到なまでに痕跡を残していない彼らに対し、ニュースとして伝えられることが殆どないに等しく、犯人たちについて様々な憶測をしていたが、どれも信憑性に乏しく、荒唐無稽なゴシップにしかならないその話題は直ぐに大衆を飽きさせた。

一週間もすると世間の興味は大物政治家の収賄事件や有名芸能人の不倫報道などに移り変わりミアレシティを騒がせたこの事件は人知れず日常の中に埋没していった。

あれだけの事をしておきながら、何一つ痕跡が残っていないことに些か不自然さを覚えはしたものの、日々之平穏に過ごしたいアトリとしてはこれ以上ポケモンマフィアに関わるのは真平御免ではあるし、それよりも今は力を注ぐべき事がある。

 

授業を終わらせたアトリは一旦教員室に戻っていた。約束の時間までまだ少しある為、テストの採点などの残務処理や業務の引き継ぎ作業に取り掛かろうとしていたが、正直あまりはかどってはいない。

 

落ちつけ。相手も同じ人間。腹を割って話せばそれなりにやれる……、はず!

 

説得の為の材料は揃えさせた。決して簡単な交渉ではないが、十分な勝ち目はある。

だが、本当にこれで良いのだろうか。

 

「落ち着かないようね。……汗をかいているわよ」

 

アトリの緊張を感じ取ったトレーナーズスクールでの上司であり長でもある学長は柔和な笑顔で声をかけた。彼女の言葉にアトリはうつむき、唇を引き結んだ。

 

「今日、ジョゼット・ジョースターの両親を交えた面談があるんです」

「そう……、今日だったのね。……彼女の母親を話しあいの席につかせるなんて、凄いじゃない」

 

学長の賛辞に対し苦笑交じりに「どうも」と謙遜したが、再びその表情に暗い陰が落ちた。

 

「……正直、怖いです」

 

本心が自制心をスルリと抜けてしまい、一瞬「しまった」と思う。

気持ちを戦闘モードに切り替えていたというのに、弱音を吐いてしまうなんて。

張りつめていた糸を自分から緩めてしまうなど、有り得ない失態だ。

 

「体の力を抜いて、ゆっくりと深呼吸するいいわよ」

 

言われた通り深呼吸をする。だが、焦燥は依然と胸の内に居座っており、心を焼いていった。

 

「力みすぎね。そんなことでは出来る事も出来なくなってしまうわよ」

「流石に気負わずにいられる程、神経太くありませんよ。下手すれば人ひとりの人生を捻じ曲げてしまうことになりかねないんですから……」

 

自分の上司であり、恩人でもある老婆は柔らかな笑顔を崩さず、アトリの愚痴とも言うべき不安に耳を傾け続けた。

 

「彼女の夢はあまりにも身の丈に合っていません。失敗する確率の方が高い……」

「最初の一歩に関わったからって、その先に責任を感じる必要はないわ。それに人生っていうのはね、失敗しても案外なんとかなる様に出来ているのよ」

「しかし、そこから立ち直れなくなる人も少なからずいます。彼女がそうじゃないとは限らない」

 

現実の厳しさに屈して腐ってしまう、というのはよくあることだ。

かつてのアトリがそうであったように。

そして、その夢を追うように背中を押したのは紛れもなくアトリだ。

しかし、アトリがジョゼットの人生に責任を持ってやれるわけではない。アトリの人生はアトリのもので、ジョゼットの人生もまたジョゼットのものでしかない。

だが、それではあまりに無責任ではないだろうか。

眉間に皺を寄せて鳩尾を抑える。胃が痛い。

とんでもないプレッシャーに圧し潰されそうだ。

 

「夢が叶わなかったからって、今まで辿って来た道に何を見出すかは人それぞれよ。若い時は苦い思い出でしかなくても、年をとるとそれも人生を彩る大事な思い出になっていたりする」

「思い出作りじゃ意味がありません。戦って勝たなければ、報われなければ彼女は何のために頑張ったのか……」

 

家族に反対されながらも、1人で野生のポケモンを捕まえようとしたこと。

自分の意志がなく、流されるだけだった彼女が、ポケモントレーナーになりたいという意志を見せたこと。

そして、今――その意志を通す為に戦おうとしていること。

 

だけど、楽しいや好きだけでやっていけるなんて、ありえない。いくら努力したところで報われないケースなんて、この世の中腐る程転がっている。

 

いつか彼女はオレと同じように自分がどう頑張っても覆せない絶対的な才能の差を知るだろう。だが、同時に不完全燃焼故に断ち切りたいのに断ちきれない未練を抱える苦しみもよく知っている。正直、どうするのが正解か、わからない。

 

「彼女にはオレと同じ苦しみを味わってほしくない……」

「……貴方は夢が破れたからって、その道に意味がなかったと思うのかしら?」

「そんなことは……!」

 

否定の言葉は反射的に出た。

逃げていた自分を繋ぎとめてくれた人たちに出会えて、永遠に失くしたと思っていた夢を再び追う事が出来るようになった。

それは一歩を踏み出せたのは背中を押してくれて、手を引いてくれた人たちがいたお陰だ。これほど幸せな事はそうはないだろう。

 

「例えこの先プロになるという目標が叶わなかったとしても、志したことを後悔はありません」

 

……今までやって来たことを否定し、後悔することはその道を支えてくれた恩人たちへの裏切りだと思うから。

 

「そう、それが貴方の答え。自分でもそうするべきだと思ったから、貴方は袋小路に入って進む事も、戻る事も出来ない彼女の助けになりたいと思ったのでしょう。なら、自信を持って存分にやってあげなさいな」

「本当に、それでいいんでしょうか……?」

 

自分がそうだからといって他人がそうだとは限らない。

アトリとジョゼットは違う人間なのだから。

 

「いい事を2つ教えてあげましょう。人生は『出来るか、出来ないか』じゃない。『やるか、やらないか』よ」

「2つ目は?」

「大き過ぎる目標を前に途方にくれた時は、先のことじゃなくて、今やるべき事に集中するの。何故なら――」

「何故なら?」

 

アトリは固唾を呑んで続きを待った。

 

「ずっと上ばかり見上げていたら首が疲れちゃうじゃない」

「………………………………、」

 

思わぬ方向に落ちをつけられアトリはしばし二の句が告げられなかった。学長の顔を見つめ、それからこの冗談ともつかぬアドバイスの真意を理解して吹き出した。

 

この人は不思議だ。

自分はポケモンに対してはともかく、人の対する警戒心はかなり強い方だと思っている。故に人付き合いはその殆どが理詰めと打算で形成されている。

そんな自分を俯瞰してみると、本心を見せることの出来る相手が驚く程少ないことに気付く。だが、この人を前にすると、警戒の糸が緩んでしまう。彼女の柔和な雰囲気がそうさせるのか、自分が学長に気を許し過ぎているだけなのか。

 

「先の事を考え過ぎるのは良くないわ」

「けど、行き当たりばったりでは必ず詰みますよ」

「先を考えるというのは今を蔑ろにするという意味ではないわ。その時、その瞬間に最善を尽くす。それがきっと、なりたい自分に繋がっていくの」

 

そう言って学長はコロコロと笑った。

 

「心は決まった様ね」

「はい。お陰さまで」

 

気づけば不安を忘れていた。そして、再び直視してもさっきの様に胃が痛くなる事は無い。

 

「難しいことを考えずに貴方の正しいと思う事をやりなさい。いい結果っていうものは、きっとそういう人の所にやってくるのだから」

「はい。学長」

 

穏やかな声で応え、彼女とのやりとりを心に刻みつけた。

そろそろ時間だ。行かなくては。

 

2

 

両親に挟まれたジョゼット・ジョースターは緊張しながら何度も時計の方を窺った。

約束の時間の5分前。未だ先生は姿を現さない。

 

「待たせるのが彼の礼儀かしらね」

 

紅く塗られた唇からは容赦のない毒を吐きだされる。左側に座っている自分とよく似た顔の母親は苛立たしげに体を震わせ、不愉快そうに鼻を鳴らした。

一方、父の方は母と対象的に瞑想しているかの様に悠然と構えている。座っているだけで放たれる圧迫感にジョゼットは居心地が悪そうに更に身を小さくした。

 

「遅くなってしまい申し訳ありません」

 

駆けこんできた若い教師に両親は立ち上がり礼をする。ジョゼットも慌ててそれに倣った。

先生は礼で返し、慌ただしく椅子に腰をかける。

そんな彼の様子を見て、ジョゼットは安らぎを覚えた。

 

「お忙しい中、お時間を頂いてしまい申し訳――」

「前置きはいいわ。さっさと始めましょう。時間が勿体ないわ」

 

母の撥ね退ける様な態度に先生は困った様に笑った。

 

「とは言っても、改めて話し合う必要もないでしょうけど」

「と、いいますと?」

「以前お話しした通り、この子の進路は私共で用意します。あなたの助けなど必要ありません」

「トレーナーズスクールを辞めた後の具体的な進路は決定しているのですか?」

「ええ、既に縁談の話もいくつか。その中で良さそうなところと婚約を進めたいと思います」

「な――っ!」

 

思わず立ち上がりかけた私を先生は「待て」と言わんばかりに手で制した。

そのまま母を見据えていつも通りの穏やかな声で話しかける。

 

「なるほど。私が聞いている娘さんの進路希望とは随分と違いますね」

「ジョゼットをポケモントレーナーになんて絶対にさせません。こんな面談を行う事自体が時間の無駄よ」

「家の中だけで問題が解決できていないから、このような大事になったのでしょう」

 

一転して声が低く冷たくなった。

これまで積極的な発言がなかった反撃にジョゼットの母は豆鉄砲を食らったような顔になる。

 

今だ、行け。と、眼で指示されているような気がした。

 

「お父様、お母様、お願いします。私、どうしてもポケモントレーナーになりたいのです」

 

背中を押されて今までにない程淀みのない声が出た。

 

「駄目に決まっているでしょうッ!!」

 

母は突然爆発した。今まで見た事もない剣幕にジョゼットは首を竦めて、委縮した。

 

「由緒正しきジョースター家の人間が、ディーオだけじゃなく貴女まで! ポケモントレーナーになりたいなどと! 恥を、恥を知りなさい!」

 

金切り声で詰られ一瞬怯んだが、負けじと食い下がった。

 

「どうして? お兄様だってポケモントレーナーとしての道を選んだじゃないですか! 何故、私は駄目なのですか!?」

「貴女に才能がないからです! 失敗すると分かっていて、その道を進ませる親が何処にいますか! いいですか、貴女が思っている程、現実は甘くは無いの。才能のない人間はどんなに血の滲むような努力をしても、天才に追いつく事は出来ない。そうして自分が夢見た華やかな舞台は自分じゃない天才の為に用意されているものでしかない事に気がつくの!」

「でも――ッ!」

「貴女は私の言う通りにしていればいいの! 立派な殿方の元に嫁いで、お家を守る。それが貴女にとって一番幸せな道なの! 何故わかってくれないの!?」

 

何故分かってくれないのか? 私自身の言葉、本当の気持ちはこの人にとってそんなにも価値がないのか?

 

顔が青ざめ、頭が真っ白になる。

負けるな。犯行しろ。反逆しろ。自分の本当の気持ちを伝えるんだ!

心の中で戦意を鼓舞しようとするが、負けてしまう。

炸裂したガラス片の様な声が、必死に立ち上がった闘志をズタズタにしていく。

完全に心が折れる刹那――

 

「娘さんはッ!!」

 

低くも鋭い声が母の声を呑み込んだ。威圧するような冷たい眼は母を威嚇している。

 

「娘さんには才能がない、というのは大きな間違いですよ」

「…………、どういうことかね?」

 

これまで何も言わなかった父が重い口を開いた。

 

「こちらをご覧ください」

 

手渡したファイルを父が見た途端、今まで感情が見えなかった彼が驚き目を見張ったのがわかった。

資料には旅の目的、自分があげるべき成果、昇進の為の試験管である各町のジムリーダーのエキスパートタイプと対策の詳細が書かれていた。

そして、短期的な目標を三カ月分。そしてそれを達成する為に自分に何が必要か。タイプのバランスを考えたチーム構成が数パターン書き込まれている。

 

「これは……」

 

父は手に取った資料を一瞥して驚き、目を丸くした。

 

「娘さんが作った計画書です。ポケモントレーナー、ひいてはプロになる為に何が必要かを自分で調べ上げて作成しました。ポケモン研究の権威プラターヌ博士のお墨付きです」

「本当に、これだけのものをジョゼットが……」

「確かです」

 

先生は落ち着きをはらって言った。それから母親は鋭い眼で先生を睨みつけていたが、父親は食い入るように資料を読み込んでいる。

 

「具体的な話をしましょう。

娘さんは捕獲や戦闘といった実技の成績はあまり良くはありませんが、座学に関しては他のどの生徒よりも優れています。もし、『才能がない』というのが現時点の実力を指して仰っているのであれば、些か早計ではないでしょうか。それはある程度経験を積めば十分改善可能かと。もしより高度な訓練を望むのであればプラターヌポケモン研究所への推薦状を準備させて頂きますが?」

 

「馬鹿な」まるで悪い冗談を聞いているかのように父は肩を竦めた。

 

「あの研究所はカロス地方の中でも5本の指に入る程の名門だよ。失礼を承知で言わせてもらうが、君の様な若い教師の推薦状がどれほどの効力をもつか、私には疑問だよ」

 

「私は所長のプラターヌ博士に対して、その……」先生は一瞬非常に苦々しげな表情を浮かべ、少し顔を背けたがすぐさま父に向き直った。

 

「極めて個人的なものではありますが太いパイプを持っています。その上彼女の成績であればプラターヌ博士の助手見習いとしての採用は十分に実現可能であるかと」

 

確かにあの名門で働く事が出来るというのはカロス地方の人間にとってエリートの証。ステータスだ。だが、――ジョゼットは自分の望む形と少しずれて来ているのを感じた。

自分がなりたいのは研究者ではなく、トレーナーなのだ。

先生の思惑が見えずに困惑している。

 

「折衷案として研究者としての道を推すのかい。確かに娘の性格ならポケモントレーナーよりも向いているのだろうが……」

「いいえ。私が研究所を推す理由はそれだけではありません。研究者からポケモントレーナーに転向するケースは意外に多いのですよ。そして、ポケモン研究者として博士号をとれば職業的な潰しが効きます。ポケモントレーナーとして大成しなかったとしても、将来的に必ず役に立ってくれるでしょう」

 

それはポケモントレーナーだけが自分の道じゃないと、示すと同時に少しでも可能性を引き上げる為の手段である、という考えに至るのにそう時間はかからなかった。

確かに、プラターヌポケモン研究所への弟子入りはポケモンに関する見識を深める為には最高の環境だ。

 

「彼女は本気です。強引に抑えつけたとしても、考えを変える事は無いでしょう。いずれ必ず同じ事を繰り返しますよ」

「だったらなんですか!  この子がまた今回の様な事件に巻き込まれたらどうするの! 衣食住は!? 不確定で危険な仕事に就けるなんて冗談じゃありません、子供の将来がかかっているのですよ!」

 

先生はしばらく何かを考える仕草を見せて「重要なのはそこですか……」と口の中だけでそう呟いた。再び両親に向き直った。

 

「確かに親御さんの立場からするとそうかもしれませんね。ポケモントレーナーという職業は経済的に不安定で、心身ともに危険も大きい。特にそれだけで食べていけるトレーナーと言うのは本当に一握り限り。……そこは認めます」

 

落ち着きを払った声で肯定した。

 

「……ですが、本気であることを示している相手に対して『危ないから』『食べていけないから』といった理由だけで、成果を上げる機会も与えずに問答無用で却下するのはあまりに理不尽ではないでしょうか?」

「だから無謀な挑戦でも応援してあげろって言うのですか? 転んで大怪我をすると分かっていながら!」

「傷ついて、打ちのめされても、それを覚悟の上で立ち向かう。挑むとはそういうことですよ」

「この――ッ!!」

 

パァン! と室内に乾いた音が響いた。

唐突に母が先生にビンタを見舞ったのだ。

 

「お母様、何を――ッ!」

 

反射的に立ち上がりかけたが、父に制された。目線で促されるまま、母の横顔を見る。酷く傷つけられた母の顔を見て愕然としてしまう。人の唇とはあんなにも震えるものなのか、と場違いな事を考えてしまった。

 

「夢を諦めた人には傷つく覚悟がなかったとでも……!? 好きで諦めたとでも……」

 

絞り出すかのような声だった。

自分には理解が及ばなかったが、先生の言葉が母の何かを刺してしまったのだと予想がついた。だが、先生は怯むどころか、更に切り込んできた。

 

「全力で走って、転けたら大怪我をするでしょう。けど、例えそうだとしても、彼女は温室の花じゃない。いつまでも大人が守ってやれるわけじゃないでしょう。苦しくても、辛くても自分自身の力で戦わなければいつまでも経っても生きることが辛いだけです」

「それで、もし失敗したらその代償は誰が支払うの!? あなたにその責任が負えるとでも言うの!?」

「責任なんて負えませんよ。自分の行動の責任は自分で負うべきです。そして、私は彼女が本気で自分の夢を追う事を望んでいる。なら、私は教師として、考えるうる最善のサポートで彼女の本気に応える! その覚悟がなければ、今この場に立っていません!」

 

母は何か言いたげに口をパクパクさせるが、言葉にならず、やがて疲れ切ったかのように椅子に持たれかけ目を覆った。

 

「熱意だけで何とかなる程、現実は甘くないわ……」

 

母は苦い声で嘯く。先生は少し悲しそうに首を左右に振った。

 

「しかし、これは彼女の人生です。そして貴女は親だ。彼女の将来について、口を出す権利はあっても、強要する権利はない。ジョゼット・ジョースターの人生は彼女の物だ。彼女が納得のいくものでなければならない。違いますか……ッ!?」

「……無謀な夢を追う人間は、その内どう頑張ったって越えられない壁にぶつかる。努力すれば報われる。そんなのはおとぎ話の世界だけよ……」

「ええ、知っています。そうして初めて『自分には才能がない』ということに気付いてしまう……。そうして自分自身に失望して、虚無感が自分の内側から食い荒らす地獄の様な日々を送ることになる。あれは、怖い……。うん、怖いですよね……」

 

被せるように言った言葉にその場にいた全員の驚いたような視線が先生に注がれた。

 

「貴方、まさか……」

「そのまさかですよ。……私も、かつて挫折した側の人間です」

 

思わぬ告白に誰もが言葉を失った。自分の憧れの存在でもあり、誰よりも強いトレーナーであると信じていた人の過去に驚愕するしかなかった。

セレナさんはその事を知っていたのだろうか。ふとそんな事を思ってしまい、胸に形容しがたい不快な痛みを感じた。

 

「……どうして……、それでも貴方はジョゼットの夢を、応援してあげられるの……?」

 

母は信じられないものを見る様な眼で先生を見つめ、私は息を呑んだ。

私も知りたかった。そこまで分かっていながら

投げかけた問いに対して先生は自嘲の笑みを浮かべる。

 

「…………それでも、私は悔しかったんですよ。不完全燃焼で終われる様な中途半端な気持ちじゃなかった。家族を養う為だと自分に言い訳して、向き合うことから逃げて、ずっと後悔し続けていた」

 

母は唇を噛んで先生から目を反らした。先生の言葉の一言一言が母の心に突き刺さっていくのをジョゼットは感じていた。

 

「けど、自分の小ささを知ったからこそ、自分がやるべき事が見えて、諦める前に出来る事がまだまだある事に気付けたんです。

そして、ごちゃごちゃ考えてばかりで、進む事も戻る事も出来なかった情けないオレを見捨てないで、支えてくれた人がいた。だからオレは、また立ち向かえた。結果、また後悔することになるかもしれない。苦渋を味わう事になるかもしれない。それでもッ、だからこそ――なりたい自分に少しでも近づきたいって気持ちは人から否定されるものなんかじゃねえッ!!」

 

普段穏やかな先生が荒々しい声で吠えた。感情を剥き出しにした先生に父も、母も、そしてジョゼットもただ、ただ圧倒された。

だが、だからだろうか。彼の言葉は酷く響いた。恐怖で一杯だった心に温かなものが注がれ、ゆっくりと熱が浸透していく。こんな自分の可能性を信じてくれることがただ、ただ嬉しかった。

 

「言葉が過ぎました。お許しを」

 

落ち着きを取り戻した先生は咳払いをしてそう言った。

 

「諦めるのは簡単です。ただ力を抜いて状況に流されてしまえばいい。でも、それをした瞬間、自分が欲しいと願ったものは永久に手に入らなくなる。欲しいものがあるなら、苦しくても、辛くても、ひたすら足掻くしかない。意志の伴わない決断は必ず泥沼に嵌るということも……かつて、自分の夢を持っていた貴女なら分かる筈です」

「私がそれを強いているとでも言いたいの?」

「親からの言葉というものは良くも悪くも子供にとって本当に重いものなんですよ……」

 

沈痛な表情から発せられる言葉から妙な実感が込められていた。

 

「…………気持ちだけで何とかなる程、現実は甘くないわ」

「その通りです。熱意や気合で何でも出来るなんて非科学的なことはいいません。ですが、八方塞がりの状況を打開するには有効な手段だと考えています」

 

母は俯いて唇を引き結んだ。

 

「……失敗した時の娘さんの気持ちを慮る貴女は優しい人なんでしょう。ですが、その優しさはジョゼットさんを見ていない様な気がするんです。そうではなく、彼女を信じて、助けになってあげてください。それが、きっと彼女の力になるはずです」

「……お母様」

「…………………、勝手にしなさい。私はもう知らないわ……」

 

震える声は小さい癖にいやに耳に残る。

母はこれ以上耐えきれないと言わんばかりに立ち上がり、教室を去っていった。

 

その小さな背中にジョゼットは痛みを覚えた。

自分の記憶の中の母はいつだって恐ろしく、絶対的なものだった。

 

あんなにも弱いお母様の声、聞いた事がない……。

 

「すまないね」

 

静寂の中、ポツリと放たれた父の声は水面に落ちる水滴のようだった。

 

「此方こそ出過ぎた事を言いました。重ねてお詫びいたします」

「…………あれは昔、ピアニストを目指していてね、指先が割れるほどの、凄まじい程の努力を重ねていたのだが、芽が出ず結局挫折してしまった。あれは夢破れた時の辛さをよく知っている。だから、ジョゼットに自分と同じ思いをしてほしくない、とよく言っていたのだよ」

「貴方は、どう考えているのですか?」

「『挫折の苦しみを味わってほしくない』その点は私も妻と同意見だ。だが、……正直わからないな。私はコレが私たちへの反発や、若者にありがちな華やかな職業への中途半端な気持ちで『ポケモントレーナーになりたい』と言っているのだと思っていたが、どうやら違うようだ」

「私、……中途半端な気持ちで言ったわけじゃありません……」

「だが、私たちにはそうは見えなかった。……いや、この言い方はずるいな。『そう見ようとしなかった』と言う方が正確かもしれない」

 

これは後悔、悔恨、懺悔。それらすべてを吐き出すように父は告白する。

 

「『こんなことなら夢なんて見なければよかった』。それが諦めた日に妻が言った言葉だ。あんな悲痛な声は、後にも先にもあのときしか聞いたことがない」

 

ああ、そうか。

唐突に腑に落ちる。お父様もお母様も苦しんでいたんだ。

何も分かってくれないと感情任せに反発していた自分が恥ずかしい。

良く考えれば分かった事だ。彼らだって人間だ。自分と同じように感情がある。

そしてこの人は夢破れて後悔し続けてきた母を間近で見続けてきたからこそのものだったのだろう。

 

だというのに、――どうして私はいつもこうなんだろう。

自分のことで一杯一杯になって周囲の人の気持ちにまで気が回らない。

そんな言葉で、こんな結末が欲しかったわけじゃない。けど、先生を責める事は出来ない。

先生は私の為に汚れ役を引き受けてくれた。こうなってしまったのは自分が不甲斐無いせいだ。初めてピカチュウを捕獲したときも、今回もこの人が傍にいてくれるだけでどんな困難も乗り越えられるような気がした。この人がいてくれたら――お母様も分かってくれるかもしれない。そう思っていた。

けど、それじゃあ駄目なんだ。

私が望むのなら、先生に頼ってばかりじゃなくて、私がお母様にちゃんと自分がどうしたいかを言わないと。言って、分かって貰いたい。そして、ちゃんと胸を張って、自分の夢を叶えたい!

例えそれが叶わなくても、自分の意志は自分で伝えないと。私はまだ、自分で何一つ貫き通せていない!

そう思った瞬間、胸の中で何かが弾けたような気がした。

気付けば既に席を立っていた。

 

「私、行ってきます!」

 

弾むような自分でも驚く程、威勢のいい声がでた。

教室を飛び出し、母を追う。階段を駆け下りて、玄関で急いで靴も履き替えもせず、追いかける。校門のところでようやく後姿を確認した。

 

「待って!」

 

呼び止めても母は足を止めてくれない。

全力疾走で息がはずみ、心臓が爆発しそうだ。それでも、

 

「ママ!」

 

顔を上げて母の手を掴んだ。

 

「離して……」

「離しません! 話を、お話、しを聞い……てもらえ、るまで、意地でも……!」

 

必死に息を整える。ママはやっとこっちに振り返ってくれた。

 

「…………、言っておきますが、貴方の進もうとしている道は貴方以外の沢山の人も目指しているのよ。そして、その中の殆どの人が夢破れて去っていくの……。

このままいけば、貴方は、将来後悔する事になるわ。必ずよ」

 

白い、白い石のような表情。覇気のない声は何よりも悲しそうだった。

自分の力が及ばず夢を諦めた人の悔しさや苦しみが今なら理解できるなんて、綺麗事は言えない。私は未だにスタートラインにさえ立ててすらいない。

きっと母の言う通り、私はこれから今まで感じていた以上に苦しむのだろう。

だけど、だとしても――

 

「ママ……。私はね、自分が上手くいかないのは、ずっとパパとママの所為だって思ってきたの。でも、そうじゃない。私が……。

夢を叶えるためには立ち向かう必要があって、私は今までパパとママに分かって貰う為に、本気で立ち向かう事から逃げて来たんだと思う。

ママの言う通り望まない結果になって、傷つくかもしれない。でも傷ついたっていい! それでも、私頑張りたいの!」

 

どんなに泣いても、苦しくてもその道を選んだのは自分だ。

それに、きっと苦しいだけじゃない。

そして、私もママもいつの間にか大前提を忘れている。

 

「ママは今でも、ピアノが好き?」

「――――――ッ!」

 

息を呑んだのがわかった。

 

「私はポケモンが好き。ポケモントレーナーになりたいだなんて、最初はママの言う通り、ぼんやりした憧れだったけど、ピカチュウさんと過ごして、一緒に遊んで、バトルして……」

 

そうやって過ごす日々が何よりも愛おしくて――

 

「もっとこの子の魅力を知りたい。もっと力を引き出してあげたい。私はピカチュウさんと一緒にプロになって、一番強いトレーナーになりたい! ポケモンバトルが――ううん、ポケモンが好きだから」

「その為に一生を棒に振る事になっても?」

「はい。どれだけ反対されても、この気持ちが変わる事はありません。私はポケモントレーナーになります」

「………………、許さないわ」

 

絞り出すような声だった。だが、それを聞いたとしても、心が委縮することはなかった。

何を言われても、もう揺るがない。

今は認めて貰えなくてもいい。頑張って、結果を出して、改めて認めてもらえばいい。

深い、深い礼をして踵を返す。その時だった。

 

「ジョゼット、私はまだ許していないわ!」

 

3

 

嗚呼、離れる。離れて行く。大切な私の娘。私が守ってあげないといけないのに。

 

もう、止められない。もう、駄目なんだ。

 

ディーオと違って、ジョゼットには才能がない。だから、自分の様になってほしくなくて、私の考える最善の人生を歩んでほしかった。

小石をどけて、綺麗に舗装して、決して怪我をしない様に大切に、大切に育ててきたつもりだ。

 

でも、何処で間違えたのだろうか?

 

いつからかディーオも、ジョゼットは私に心の底から笑いかけてくれることがなくなってしまった。

嫌われてもいい。子供たちが幸せになってくれさえすれば、私は何も要らなかった。

 

だけど、ディーオは家を飛び出し、今度はジョゼットまでも私の傍から離れようとしていく。私と同じ苦しみを味わってほしくないのに、娘は自分から茨の道に近づいていく。

挫折するのを分かっていながら、どうして黙って見ていられようか。

 

「ママは今でも、ピアノが好き?」

 

ぶつけられた質問に思わず怯んだ。

コンクールで失敗すれば内臓が引っくり返る程悔しくて、上手く演奏できて、沢山の拍手を貰えると飛び上りたくなるほど嬉しくて――――そんな気持ちにさせてくれるピアノを、自分は確かに愛していた。いや、今でも愛している。

 

…………………………そうだ。本当は心の何処かで分かっていた。

自分のしている事は、ジョゼットの為になっていない。

 

『彼女は温室の花じゃない。いつまでも大人が守ってやれるわけじゃないでしょう。苦しくても、辛くても自分自身の力で戦わなければいつまでも経っても生きることが辛いだけです』

 

本当に、腹立たしい程にその通りよね……。

無傷で最善の道を生きていけるのなら良かった。

けど、そんなものは何処にもない。躓いて、転んで、泣いて、挫けて、傷だらけになって――――それでも起き上がって、前に進む。自分がかつてそうしたように、ジョゼットもそうしていくのだろう。

 

「私はまだゆるしていないわ……」

「許して。ママ……」

 

目頭が熱くなり、決壊した。

本当に愚かしい。自分はただ、自分のエゴを娘に押し付けていただけで、彼女の本当に願った事を見ようとはしなかった。

直視したら、その眩しさで目が潰れてしまいそうで……、妬ましくて……。

だから、彼女を支配しようとした。本当に度し難い……。

 

最愛の娘に縋る様にしがみついた。

 

「ママ、ごめんなさい……。私は悪い娘です……」

「いいえ、いいえ。貴女を苦しめていたのは私の方……。ジョゼット、愚かなママを許して……」

「うん……。うん……」

 

ジョゼットも同じ様に背中に手を回す。

喜びが胸を満たし、2人は並んで眩しい光の中にいた。

 

 

教室の窓から様子を窺っていたアトリは安堵の息を吐いた。

 

「なんとかなりましたか……」

 

他人の家の事情に口を挟むのは本当にハードルが高い。

これだけ胃が痛むのは久しぶりだ。出来れば今後こういう事は謹んで遠慮させてもらいたい。

 

「ジョゼットは成功すると思うかね?」

「そればかりは蓋を開けてみなければ分かりません。ですが、失敗することを否定的に捉えないでください。失敗したとしても、案外なんとかなるものですよ。

仮になりたいものになれなかったとしても、そこで終わりじゃありません。

道は続いていて、必ず違う道があるんですから」

 

『挫折』とは限界ではない。オレは挫折する事によって、時間はかかったが、自分が次にやるべき事を見出した。挫折は次のステップに進むための壁だ。壁を叩き壊す力がなければ、回り道をしてもいいし、梯子を使って登ってもいい。

そうやって皆、次のステップに進んでいくのだろう。

そして、オレが今やるべき事は――――ジョゼットの父親に向き直り、思いっきり頭を下げた。

 

「重ねてお詫びします。本ッ当に! 申し訳ありませんでしたッ!」

 

人様の家の事情に土足で踏み込み過ぎたことへの謝罪である。

こんなに出しゃばるつもりは無かった。ポケモン研究所の見習い研究員としての進路を用意し、スマートかつソフトに説き伏せるともりだったというのに。

あの母親に反抗したくなったのは、完全に自分の我儘だ。そして、その我儘が拗れさせてしまった。何故オレは、こんな風にしか出来ないのだろうか。

嗚呼、穴があったら入りたい……。

 

「……娘は随分と君を信頼している様だ」

「えっと、恐縮です」

 

目一杯の謝罪はさらっと流され突然話が飛んだことに困惑を隠せない。

 

「これからも娘が迷った時は力になってやってくれないか」

「……え、ええ。全力を尽くします」

 

あれ? これ許してもらえる流れ?

その割に父親の目が笑っていない事が気になったが。

 

「ところでその首筋の傷は大丈夫かね?」

「え、ええ。ちょっと、虫に刺されまして……」

 

セレナに嚙まれた首筋の傷を大きめの絆創膏で隠していた。

肉体的ダメージと精神的ダメージ。両方狙ってきたわけか。

あやつめ、やりおるわ!

しかし、向こうはその気がないだろうとはいえ、意中の相手につけられたキスマークだ。男としては満更ではなかった。

 

「そうかね……。ところで、話は変わるが、もし信頼されていることを逆手にとって年端もいかない娘に手を出すロリコン淫行教師は父として制裁を加えるべきだろうが、どう思うかね?」

「天地神明にかけて、相手は娘さんではありませんです、はいッ!」

 

なんだよジョゼット、超愛されてるじゃん!!

 

5

 

そんなやりとりを影から伺う者がいた。

アトリが『学長』と呼び、慕うこの老婆はホロキャスターの通信スイッチを入れた。それほど間を空けずに赤いフードを被った人物が姿を現す。

 

『私を呼び出したということは嬉しい報告をしてくれるのでしょうね?』

 

獲物を値踏みするような視線にさらされ『学長』は震えあがった。

報告を上げようとするが、『学長』は口の中が渇いていたのか、声がかすれた。

 

「……はい、大幹部様。貴方様の指示通りに事は運んでいます」

『それは重畳。貴方はそのまま対象の信頼を得る事に努めなさい』

「はい。……しかし大幹部様、重ねてお尋ねしますが、あの少年は本当に我々にとって必要な存在なのでしょうか? この3カ月彼を監視してきましたが、あの若者の秩序を重んじる気質は我々と相容れるものでは――」

『彼は強いわ。そして、心の奥底に怒りが燻り続けている。父親への、自分の境遇への、世界への激しい怒りが。今の彼がこの世界の本当の姿に気付けば、必ず私たちの誘いに乗るでしょう』

「…………そうだといいのですが」

『私の計画に異論でも?』

「いいえ! いいえ、滅相もございません」

 

滑らかな声は毒の様だった。

『学長』は震えあがり、即座に頭を垂れた。

自分よりも遥かに年下ではあるが、彼女を怒らせてはならない。それは自身が所属する組織において暗黙の了解ともなっている。怒らせたが最期、その人物は生きたまま体を焼かれる苦痛を味わい尽くす事になるだろう。

 

「決して異議を唱えている訳ではございません。お許しを」

『……まあ、いいでしょう。別命を降すまで、引き続き対象との信頼関係を構築しなさい』

「はい、大幹部様」

 

『学長』が応え終わる頃にはホロは既に消えていた。

 

 

通信を切った大幹部は妖艶な笑みを浮かべた。

『あの少年は本当に我々にとって必要な存在なのでしょうか?』

その質問の稚拙さが、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて滑稽に思えてくる。

必要に決まっている。…………ただし、組織にではなく自分に、ではあるが。

怒りの申し子である彼ならば、破壊の繭『Y』を目覚めさせるキーとなりえるだろう。

彼の出番は今ある全ての物を焼き払い、破壊し尽くした後だ。

極悪非道な『フレア団』を打ち倒した若き英雄。万人受けするプロパガンダとしては十分すぎる。

 

堕落しきった世界をあるべき姿へ作りかえる。そして、美しく生まれ変わった世界を支配するのは――――その為に。

 

「必ず貴方を手に入れる」

 

獰猛な笑みは闇の中へ深く、深く溶けていった。

 

 




またまた評価をくださった方々、本当にありがとうございました。
おかげさまで3/8のランキングに載るという快挙を遂げさせていただきました。
感無量です。支えてくださった皆様、心から感謝いたします。


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第38話 宴会

 

 

1

 

「やま」「かわ」

「ブラで」「猫耳」

「揺れる」「おっぱい」

「女子のパンツは」「かぶるもの」

「よし、入れ」

 

酷い合言葉を言わされたトロバはげんなりとした様子でアトリの家に入ってきた。

 

「さっきの本当に必要ですか?」

「何を言う。秘密基地に合言葉は様式美みたいなもんだろ」

「うーん、これぞ男のマロンだねえ」

「おいおい、それを言うならロマンやがな」

 

わははは、と同時にアトリとティエルノの馬鹿笑いが部屋に響く。

ひょっとして既に酩酊しているのではないだろうか。とトロバは訝しんだがすぐに思い直した。この2人は年中無休で酔っ払っているようなものだ。

 

「シトロンさんはまだですか?」

「さっき連絡があったからもうそろそろ――」

 

言っている側からチャイムが鳴った。

 

シトロンめ、照れて合言葉を言えなかったな。

 

男のロマンを解さぬ友人の無粋さをホウエン地方の海よりも広い心で許しながら扉を開ける。アトリは目を丸くした。

 

ドアの向こうに立っていたのは自分と同じ年頃の少年ではなく幼女だった。

もう一度言う。幼女である。

カロスでは珍しくない青く円らな瞳、そして可愛らしい顔立ちはシトロンとよく似ている。

蜂蜜色の髪を前で結い、左に流した髪型は個性的ながら、活発な彼女によく似合っていた。

 

「……シトロン、若返りと性別反転させる装置を遂に発明したんだな。科学のチカラってスゲー!」

「そんなわけないでしょう」

 

隣にいたシトロンのリュックに仕込んである『エイパムアーム』と名付けたマニュピリーターがパシンとアトリの頭を一閃した。

 

「冗談だ。こんばんは、ユリーカちゃん。久しぶりだね」

「こんばんは。アトリさんも久しぶりです!」

 

しっかり者のシトロンの妹は元気よく挨拶するとニパッと弾けるように笑った。

 

「今日はお兄ちゃんのそーげーで来ました」

 

たどたどしくも一生懸命背伸びした言葉にアトリは思わずほっこりして口角が緩んだ。

 

「そっかー。折角来たんだし一緒に遊んでいくかい?」

 

発言を色々と自重しなければならなくなるだろうが、流石にこんな夜に小さな女の子を1人帰すわけにはいかない。

 

「おきづかいありがとうございます。せっかくですが、この後サナさんとセレナさんと一緒に女子会の約束をしているので、今日はこれで失礼します」

 

ペコリと一礼してユリーカはシトロンに向き直った。

 

「じゃあね、お兄ちゃん。アトリさんに迷惑かけちゃダメだよ」

 

いや、どちらかと言うとオレが迷惑かけることになる、多分、絶対、確実に。

そんなアトリの不穏な心の声を知る由もないユリーカは何か気付き、ポーチからクシを取り出した。

 

「もー、お兄ちゃんってば。髪の毛が跳ねたままだよ!」

 

背伸びしてシトロンの頭をクシでとかしていく。

 

「ユ、ユリーカ……。もうそのくらいで……」

 

人前で妹に世話を焼かれていることを恥ずかしく感じたのか、ゲスい笑みを浮かべながら温かく見守っているアトリに感づいたのか、シトロンはユリーカを引き離そうとするが、

 

「何言ってるの! お兄ちゃんは発明以外のことはホントに無頓着なんだから、わたしがしっかりしないと! 身嗜みを整える社会人として大切なことなんだからね!」

「なんだか何処かで聞いたようなセリフですね」

 

明後日の方向を向いて下手くそな口笛を吹くアトリにジロリとシトロンの非難がましい視線を刺さる。

 

確かに吹き込んだのはオレだが、意見としては真っ当だと自負している為、謝る気も反省する気も全くない!!

 

「――はい、できた!」

 

一部跳ねていた髪はぴっちりとした七三になっていた。今時芸人でもここまでステレオタイプな七三メガネは披露出来ないだろう。アトリは必死に笑いをかみ殺していた。

 

「それじゃあアトリさん、お兄ちゃんをよろしくおねがいします!」

 

口許を掌で覆い、咳払いして気を取り直した。礼を尽くしてくる相手に対して礼で返さないのは無礼すぎる。

 

「はい、よろしくされました」

「ユリーカもすぐそことはいえ気をつけて行くんだよ」

「はーい!」

 

手を降りながらセレナの家に向かっていくユリーカの後ろ姿が見えなくなってからシトロンを伴い、家に入った。

 

「相変わらず仲良いな」

 

シトロンは芸術的なまでに決まっている七三メガネをかき乱し、崩してから深いため息をついた。

 

「人前でああいうことをするのはやめてほしいですよ……」

「世話を焼く事でお前を独占したいんだろ。微笑ましいじゃねーの」

「そのゲス顔やめてください……。そう言えば『スパトレ』のモニターの効果はどうですか?」

 

『スパトレ』とはシトロンが開発したポケモンのトレーニングの為の器具である。特殊なサンドバックをひたすら叩き、専用のメニューをこなすことによって必要な部位の筋力が強化していくというスポーツ科学の視点から開発した新世代ツールである。そのモニターを引き受けたアトリはその効果を肌で感じていた。

 

「トレーニングの効率の良さは普通に走るだけとは比べものにならないな。質も申し分ない。ただ、一般向けにするなら、もう少し負荷を軽くした方がいいじゃないか?」

「なるほどー。後でデータを送ってくださいね」

「ああ」

 

今、アトリの傍にはハッサム以外のポケモンはいない。

それ以外はポケモンセンターでメディカルチェックを受けている。

この短期間で徹底的に肉体の筋肉を破壊し、各手持ちのタイプの技を使う各気管を虐待の一歩手前まで負荷をかけた。明らかにオーバーワーク。これを常時行えば、確実に何匹かは潰れるだろう。だからこそ、短期間に集中して。

それほどにまで過酷なトレーニングを耐えてくれたロコン、モココ、ムクバード、ケロマツにはどれ程感謝しても足りないくらいだ。

 

オレはもう、誰が相手でも負けられねえ。相手がポケモンマフィアであろうと、四天王であろうとも絶対に後れはとらない。

 

そうとも。負ければ、全てを失う。大切にしているものを、文字通り何もかも――

 

誰かが闇の中で囁いた。アトリは自分の血が冷たくなるのを感じていた。

 

そうさせない為ならどんな手段であってもとるし、どんな力であっても手に入れる。

それを邪魔する者は誰であろうと――

 

思い詰めた表情を浮かべるアトリに気付く者は誰もいなかった。

 

2

 

「あ、来たねえ」

「すみません、お待たせしました」

「大丈夫です。僕たちもさっき来たところですから」

 

シトロンはキョロキョロと部屋を見回し、そう言った。アトリの部屋は古い論文やポケモン関係の資料が多いが、それが手作りと思わしき本棚にタイトル順に並べられている。床にも埃やゴミ、物が落ちておらず、整理整頓が行き届いていた。

 

「……意外に片付いているんですね」

 

普段のアトリの大雑把さから見てもっと散らかっているだろうと思っていたシトロンにとってこれは少なからず驚きだった。

 

「『意外と』は余計だ」

「こう見えてアトリは結構几帳面ですよ。とてもそうは見えませんけど」

「さらっと酷いこと言うなよ」

「そうだねえ。集合時間の15分前には待ち合わせ場所に絶対先についてるもんねえ」

「お前らが時間にルーズなだけだって」

 

カロス地方にきてカルチャーショックを受けた事が個人主義の強さである。

シンオウ地方では個よりも全を重視する考え方が浸透している為、時間に遅れようものなら大目玉確実だが、カロス地方ではそのあたりが緩いようである。

確かにそれぞれの個性を伸ばしやすいという利点は認めるが、アトリとしてはシンオウ地方の考え方が性に合っていた為、困惑を隠せない。

 

「それよりもあれ、届いたんですよね?」

「ああ、今日な」

「見せてほしいなあ」

 

ティエルノに促されて取り出したのはエンジ色のジャケットとピンバッジだ。

背中と肩には『大樹を背にした鳥』のエンブレムが刻印してあり、一目でフラダリラボ所属のトレーナーだと判別できるようになっている。

ラボ所属のトレーナーは必ずこのエンブレムをあしらった衣服の着用を義務付けられている。

一種の制服のようなものだ。

プラターヌ博士の話によると、これを身につけられるということは、それだけでありとあらゆる特権が与えられ、周囲からも一目置かれる存在になる。

一種の社会的なステータスにもなっているそうだ。自分達の力量を評価されていることが嬉しい反面、浮かれる気にはなれなかった。

 

「浮かない顔ですね。もっと喜んでいるかと思ってました」

「まぁな。……それなりにプレッシャーを感じてはいるさ」

 

権利には必ず義務が伴う。

特権を享受する以上、必ず会社に利潤を還元できる人間でなくてはならない。

そして、もし自分が馬鹿なことをすれば、会社の評判を貶めることになる。

恩を仇で返すような振る舞いは絶対にできない。

 

「考えすぎるとそのうちハゲますよ」

「ハゲねーよッ!」

「セレナに励ましてもらえばいいんじゃなーい?」

「誰が上手いこと言えと……!」

 

彼らといると深刻になって悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えてくる。

腹が立つ反面、少なからず救われる。

そうこうしているうちにトロバとティエルノは飲み物と食べ物の準備を済ませていた。

 

「それじゃあ乾杯の準備しようよお」

 

そう言ってティエルノはアトリとシトロンに缶を差し出した。

シトロンは受け取った瞬間、露骨に怪訝な表情を浮かべる。

缶にはアルコール度数が表示されていた。

 

「あの……これって……もしかして」

「「酒」」

 

アトリとティエルノのあっけらかんとした声がハモる。

シトロンは眩暈を覚えた。

彼らはジムリーダーが逮捕権限を持っていることを忘れているのだろうかバカなのか。

 

「アトリ、犯罪は主義に反するんじゃありませんでしたっけ?」

「シトロン、規律は守らなければ秩序を失う。だけどな、人はロボットじゃない。それだけじゃ生きていけねえのさ。これはすなわち規律を守るための適度なガス抜きってやつだ!」

「だ、だからって飲酒はちょっと……。っていうか頻繁に呑んでるんですか?」

「まあな。炭鉱の荒くれ達にとってギャンブル・煙草・酒は立派なコミュニケーションツールだからな。その三つの中なら酒にいくだろうよ。おまけに飲み比べに勝てば酒代タダと来たら向かうところ敵なしさ。まあ、こっち来てからはロコン相手に晩酌する程度だけどな」

「ポケモンと晩酌……?」

 

確かに炎ポケモンは全体的に強い酒を好む。彼らの腹の底にある炎を生成するための炉を持つ彼らにとってアルコールはむしろ絶好の燃料だ。だが、ポケモンと晩酌……?

絵面を想像すると何となく泣けてくるのは自分だけだろうか?

 

「まあまあ、シトロンさん。今日はアトリの旅立ちとフラダリラボの所属トレーナーになったことを祝っての宴会ですから、少し羽目を外しても言いっこなしですよ」

「で、本音は?」

「酔っぱらいの相手はシトロンさんに任せて僕は安全圏にいようかと」

「キミのことは貴重なツッコミ専門だと思ってたのに……」

 

女の子と間違わんばかりの容姿を持つ少年のゲスい発言にやや引いてしまう。

きっと彼もアトリとティエルノの言動に振り回される内に徐々に毒されていったのだろう。

 

「おーい、オレもツッコミ属性もってるぞー」

「アトリは最初はまともかと思ってましたけど、……ねえ?」

「そうですね。キミは関わっていくうちにそこそこ狂ってることがわかってきました」

「ワーオッ! 一刀両だーんッ!」

「まあまあ。ほら、皆の分注ぎましたよ。乾杯しましょう、そうしましょう」

 

ビールの入ったグラスがそれぞれに行き渡る。いつの間にか飲酒する流れになってしまったシトロンはこれ以上は無駄だと悟り、グラスを手に取った。確かに公ではない祝いの席で規律を持ちだすのは少々無粋だったかもしれない。

 

「それじゃあアトリ。乾杯の音頭を」

「うぇい、オレが!?」

「今日は君が主役だから当然だよお」

「んじゃ、僭越ながら――」

 

咳払いをして立ち上がった。

 

「えー、カロス地方に来て早いものでもう4カ月。あっという間だったけどいろんなことがあったと思う。色々な柵があったが、晴れてポケモントレーナーの修行の旅に出れることになった。これも偏にこんなオレに『諦めるな』とくれた人たちのお蔭だと思う。だからオレはその人たちの恩に報いるためにも――「長くなりそうだから先に乾杯!」――「「かんぱーい!」」――っておいッ!?」

 

締まらない体で始まった飲み会ではあるが始めてしまえば細かいことはどうでもよくなり、一杯、二杯とどんどん空き缶がゴミ袋の中に入れられていった。これが地獄の始まりだと、彼ら――いや、彼はまだ知らない。

 

2

 

一方その頃――

 

「セレナ、また胸が大きくなった?」

 

サナのいきなりな発言にセレナはプフォ――ッ! と口に含んでいた紅茶を派手に吹き出した。

 

「ゲホゲホッ! な、なにを――!」

「すっごいよね。わたしも成長したらこれくらいほしい~」

 

そう言ってユリーカはセレナに正面からダイブした。

 

「ふおおおおおおおお! フワトロ~……! ……サイズってどれくらいなの!?」

「そ、そんなこと教えるわけないじゃないの!」

「これはちょっと強引な手段をとるしかないよね~」

「ちょ、ちょっとサナ……? 眼が怖いんだけど……」

 

両手をワキワキと卑猥な動きをさせながら迫って来るサナ。嫌な予感しかしない。

逃げようと後ずさるがセレナにしがみついたユリーカが重くて逃げる事が出来なかった。

顔を上げたユリーカはイヒッ! と可愛らしくも小憎たらしい笑みを浮かべる。

 

「ちょ……サナ、やめ……ッ!」

「バスト・アナラ~イズ☆」

「いやああああああああああああッ!!」

 

威勢のいい声と共にルパンダイブ。そのナイスバディに絡みつき胸を揉みくだした。

涙目で必死に抵抗するセレナを強引に押さえつけて、事に及んでいると何だかいけない事をしている気がする。この背徳感、癖になりそうだ。

 

「ふひひひ、良い乳してまんなぁ!」

「やだ……ッ! あぅ、ぁ……や、あ……ッ!」

「アタシにも! アタシにも!」

 

そう言ってユリーカもセレナに飛びついき、大きく眼を剥いた。

 

「ふおぅっ! おっきい!! 手に収まりきらないなんて!!」

「や、めて……。やだ……!」

「よいではないか~、よいではないか~!」

「よいではないか~、よいではないか~!」

「い、いい加減に……ッ、しなさいッ!!」

 

悪代官となったサナとそれを真似るユリーカをひっぺ返したセレナは顔を紅潮させながら荒い息を整えた。

 

「すごーい! 柔らかくて手に収まりきらない感じ!」

「サナの診断ではEカップだね。Excellent!!」

 

興奮気味に語るサナと羨望の眼差しを送るユリーカ。

余談だが、彼女によると、Aは『ありえない』、Bは『微妙』、Cは『丁度いいね』、Dは『Dynamic』、Fは『Fantastic』だそうだ。

更に余談だが、タキガワ・サナはAである。

 

「アタシも大きくなったらこんなメロンになりたい!」

「メ、メロン……!?」

「これならアトリもイチコロ、やったね☆」

「な、ななな! なんでそこでアトリが出て来るのよ!?」

 

赤を通り越して紫色といってもおかしくない顔色にサナはニヤニヤとゲスい笑顔を浮かべる。

 

「何よその顔は――ッ!」

「もー、セレナは可愛いなぁ!!! アトリじゃなくて私の嫁になるのだー!」

「え? セレナさんってアトリさんが好きなの?」

「ち、違うの! 違うのよ! 私たちの関係はもっとストイックなもので……、その、れ、恋愛感情なんて浮ついたものじゃなくて、えっと……その……」

「いい加減素直にゲロしちゃいなYO☆」

「も―――――ッ!!! なんで私、こんな尋問受けてるのよ!?」

「女子会の定番だよねー」

「ねー。今ごろお兄ちゃん達も同じ様な事になってると思うよ」

「トロバっちのツッコミが冴えわたる予感……」

「何言ってるのサナ。トロバはツッコまれる方でしょ」

「えーっと……、……セレナこそ何言ってるの……?」

 

3

 

「一番、ティエルノ歌います!」

「「イエエエエエエエッ!!」」

「朝にそびえる黒鉄の巨根♪ スーパーソリスト・コカンガーゼット♪

僕らの嫁は二次元にいる~♪ 1クールごとに交代さー♪」

 

ティエルノは歌っている。服を脱ぎ捨て、露わにした上半身アーボックの様なペイントを施し、踊りながら歌っている。

ステップを踏むたびに、脂肪を蓄えた腹はタユンタユンと、下のドンファンは風もないのにブ~ラブラ♪ と、大きく揺れた。

 

「伸ばせ 如意棒 エロゲでハッスル♪

今だ妄想 シコシコファイアー♪

DT 捨てたい コカンガーッ ゼェェェェット!!!!」

 

酷い下ネタソングを歌い終えたティエルノはやり切った表情で額の汗を拭った。

続いて同じように裸になったアトリ(パンツ一丁)が立つ。絶対防衛圏は一応守られてはいるものの、だから何だというのだ。この地獄絵図の中では焼け石に水程度のものだろう。

 

「オレの歌を聞けえええええええッ!」

「「ヒィィハァアアアアアアアッ!!」」

「お金が欲しいな♪ 出来たら3千万借金借金いっぱいあるけど♪

みんなみんなみんな 返済してる♪ いつかはきっと綺麗な体になるんだ♪」

 

シトロンは目の前のとち狂った光景に頭痛を覚えた。

普段ツッコミに回っているトロバも顔を真っ赤にして、何処からか引っ張り出してきた懐中電灯をサイリウムのように振り回しており、アッパッパーになっている。そして例にも漏れず全裸だ。

 

「1億円と2千万くれたら愛してる~♪」

 

悪夢がそこにあった。もはや歌の統一感すらあったものじゃない。

 

「YAH! ブラザー飲んでるぅ?」

 

酔っぱらってベロンベロンになったティエルノはシトロンの肩に手を回す。

 

「飲み過ぎですよ」

「心配するな。オレは工場用のアルコールを飲み干しても潰れた事が無い」

「そりゃ現金賭けたらキミは無敵でしょうけど」

「お前もそれなりに飲めないと女の子にモテねーぞォッ!!」

「モテる必要なんてありませんよ。ボクには彼女がいますから」

「「「……………………」」」

 

その時、酔っ払い共の時間が止まった。

 

「ユリーカちゃんと血が繋がってなかったのか?」

「違います」

「そうか。二次元にいるんだな」

「違います」

「わかった。脳内彼女だな?」

「違います、ちゃんと実在している人ですよ!」

 

痛い人扱いされ、少々頭にきたシトロンは彼らにわからせる為、写真を取り出して見せた。

スポーティな服装に引き締まったアスリートの様な体つき。蜂蜜色の髪をポニーテールにしている活発そうな女の子が無邪気な笑顔を浮かべ、シトロンと腕を組んで写っていた。緊張のあまり顔が強張っているところが彼らしい。

 

それを見た瞬間、男ヤモメ3人組はセメントになった。

 

「随分、幸せそうじゃねえか」

「あ、分かります? 正直最初告白されたときは戸惑ったんですけど、付き合ってみると大切にしたいなって、思えてきて……」

「告白された、ってえ?」

「許せんな」

「許せないねえ」

「え? え? 何がですか?」

 

殺気立つ2人に対してシトロンは困惑を隠せない。

 

「オレ達、彼女いない同盟――」

「――裏切り者には死に制裁を」

「ええええええええええええええええっ!? ボク、いつの間にそんな可哀そうな同盟に入っていたんですか!?」

「残念だ、シトロン。オレ達の友情がこんな形で裏切られるなんて」

「君は本当に良い奴だったよお。…………よく知らないけど」

 

幽鬼の様な足取りでジリジリと距離を詰めて来る2人に対し、後ずさりした。

 

「ちょっと! ちょっとちょっと! 待ってください、話せば分かりますッ!」

「そうですよ。2人ともちょっと落ち着いてください」

 

助かった! 割って入ったトロバにシトロンは心の底から安堵した。

このメンツの中で一番の常識人である彼ならこの暴走列車2人を取り成してくれるに違いない!

 

「友達同士、仲良くしないと」

「そうです! トロバくんは今いい事言いました!」

「た、確かにそうだな。すまないトロバ。オレ達が間違っていたよ……」

「そうだねえ。僕達、友達なのにねえ……」

「友達なら」

「仲良く」

「一緒に制裁を加えないとねえ」

 

三者三様底抜けに邪悪な笑みを浮かべた。

 

「そうきましたか……」

 

ブルータス、お前もか! 裏切りの末に謀殺された過去の権力者はこのような心境だったのだろうか。シトロンはリアルに彼の心境を辿っていた気分であった。

 

「素敵なパーティーになりそうだぜヒャッハー!」

 

彼の言うところの『パーティー』とは間違いなくサバトの類いだろう。

 

「肉は均等に切り分けてあげますよ。あ、ミンチの方がよかったでしょうか?」

 

自分の殺害方法を相談されても困る。

 

「余った部分は埋めて肥料にしなくちゃねえ。これぞ環境に優しいエコだねえ」

 

環境になら優しいかもしれないが、被害者には全く優しくない。そして、キミ達のやろうとしていることはエコではなく、エゴだ!

 

「諸君、これより異端審問会を始める」

「「いえー!」」

 

アトリは藁人形に五寸釘を打ち込み始め、ティエルノは拷問器具を両手に破滅のダンスを踊りだし、トロバは包丁を研ぎ始めた。

 

「この裏切り者のクソ野郎に対する制裁を募集。トロバくん」

「殺しましょう」

「ちょっと!?」

 

トロバの包丁が怪しく光った。

 

「ティエルノくん」

「拷問にかけましょう」

「待って!?」

 

ティエルノの拷問器具が禍々しく光った。

 

「「議長、裁定を」」

「拷問にかけてから殺して、コンクリで固めて沈めようぜ☆」

「まさかの全部乗せ!?」

「「それだッ!!」」

「『それだッ!!』じゃないですよ!」

 

ダメだ、このままでは殺される! ガチな身の危険を肌で感じたシトロンは普段発明以外の事にはあまり使わない脳みそをフル回転させた。

 

「待ってください。僕たち友達ですよね!? 暴力ではなく、話しあいで解決しましょうよ!」

 

勿論、このくらいで殺気立っているアトリ達が治まるとは考えていないが、今は生き残るために少しでも時間を稼がなくてはならない。

しかし、シトロンの予想に反してアトリ達は正気を取り戻したかのように、はっとした表情を浮かべた。そして、短絡的な自分達を恥じるようにシトロンから眼を背ける。

やがて、アトリはかすれた声で静かに話し始めた。

 

「……そうだな。確かにオレ達は会って日が浅いけど大切な友達だ。一緒に彼女のいない灰色の青春を送る大切な同志だ。……そんな奴が彼女作って、無責任にオレ達の盟約を引っかき回して…! 許せないなッ!!!」

「だから! 人を勝手に変な同盟に巻き込まないでくださいッ!!!」

 

言うや否やシトロンは180度回転。部屋のドアを乱暴に開け階段を駆け降りていった。

 

「「「デストローイッ!!」」」

 

バカ3人はブリッジで階段を降りて行った。通常状態でそのようなことが出来る筈がないのだろうが、シトロンへの負の感情が彼等に限界を超えさせる。

正気を失ったその姿はまるで祟り神。げに恐ろしきは人の業なのだろう。

 

「大人しく殺されれば辞世の句を詠むくらいのことは許してやるぞ!」

「それで譲歩のつもりですか!?」

「逃げても、逃げても、僕たちからはから逃れられない…」

「チャイルドプレイですかッ! ネタが古すぎますよ!」

「…………………」

「いや、逆に何か言ってください、トロバ! 無言で迫ってこられるのが一番怖いんですけど!」

 

狭い家の中で追いかけっこを演じる。体力に自信がないシトロンではあったが逃げる時に咄嗟に持っていたエイパムアーム内蔵リュックのお蔭でなんとか3バカの追撃を躱すことができた。

 

「ぐふっ!」

 

それは突然のことだった。ティエルノが倒れたのだ。

 

「どうしたティエルノオオオオオオオオッ!?」

「……もう、無理……。デブは、スタミナが……ないんだよお……」

「ティエルノオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

己の信念に殉じた仲間の死に哀悼を捧げ、アトリとトロバはターゲットを見据えた。

 

「シトロン、その罪必ず贖わせてやる……ッ!」

「はい、異端者は滅殺ですね!」

「ボクが何をしたって言うんですか――ッ!!」

「オレ達を差し置いてリア充ライフを満喫したこと」

「それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪。それが罪」

「怖い怖い怖い!! アトリ、横見て! トロバが祟り神になってますよ!?」

「サァ 大人シク 裁キヲ 受ケ入レヨ」

「ダメだ、こっちも完全に我を忘れてる!! ――冗談ではありません。彼女をライモンの遊園地に連れていくって約束しているんです! こんなところで死ねませんよ!」

 

その時、トロバの脳裏に1年ほど前に体験した恐ろしい体験が過った。

あれは、とても暑い夏の日のことだった……。

トロバはお小遣いを貯めてイッシュ地方のライモンシティにある遊園地へ行った。

友達と別行動をとってその辺をブラブラしていると、遊園地には場違いな山男に声をかけられました。

 

「ヤらないか」と。

 

まだ坊やだったトロバはこの時点でおかしいと気付けなかった。誘いをポケモンバトルと勘違いして、接戦の末に勝利した。そこまでは良かった。その男はバトルの後「お近づきの印に」と言葉巧みに観覧車の中へ――そこから地獄は始まった……。

 

『オオウ…ムシムシとしてて、まるでサウナだな少年!』

 

『アアア……。熱いなァ……。少年の肌を汗がつたっているぞ……』

 

『ところでだ……少年……、恋人とかいないのか?』

 

「ギャアアアアッ――――――――――――――――――――――――――!!!」

 

トロバの叫びが家の中に木霊し、アトリの鼓膜を突き抜けた。

 

「なんで隣に座ってくるんですか!? なんで近寄ってくるんですか!? なんですか、そのヌメヌメした液体は!?」

「オイ、トロバどうした!? しっかりしろ!」

「やめてさわらないで僕は女顔かもしれませんですが、そっちの気はありませんんんんんんんんッ!!」

 

トロバは白目を向いて痙攣していた。白昼夢か、フラッシュバックか。

何にしても自分の手に負えないと判断したアトリは即座にトロバを絞めおとし、風邪をひかない様、そっとタオルケットをかけて隅に避けた。

 

「あ、あの……大丈夫ですか……?」

「おのれシトロン! よくも同志を二人も葬ってくれたな!」

「いや、2人とも完全に自爆っていうか自滅――」

「おのれシトロン! よくも同志を2人も葬ってくれたな!」

 

そういうことにしておきたいらしい。

 

「death or die or 死だ。好きなのを選べ」

「それ選択の余地ないですよね? どれ選んでもボク死にますよね?」

「フンッ!!」

「ワアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

繰り出される拳を横っ飛びで我武者羅に避ける。

轟音と共に壁に大きな穴が空いた。

 

「フシュー……。次ハ逃ガサン……」

 

シトロンは青褪めた。あんなもの貰ったら死んでしまう。

 

いつの間にか復活していたティエルノとトロバがシトロンの退路を塞ぐ。

完全に追い詰められた。

円状に取り囲み、ジリジリと距離を縮めてくる異端審問会のメンバーを前にシトロンは死を覚悟した。

 

一体何故自分がこんな目にあわなくてはならない?

彼女を作ることの何が悪だというのか。

だというのに、彼らは理不尽な理由で自分に制裁を加えようとしている。

 

そう思い至った時、シトロンの中でプツン――と、何かが切れた。

 

「エレザード」

 

黒い頭に黄色い胴体をした襟巻トカゲを解き放つ。

 

「い・い・か・げ・ん・に――しろおおおおおオオオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

その夜、フワ家に怒声と共に文字通り雷が落ちた。

 

お酒は二十歳になってから。酒は呑んでも呑まれるな。

翌朝、羽目を外し過ぎた三馬鹿はシトロンにその2つを固く誓わされたという。

 

 



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第39話 コボクタウンの貴族サマ

 

 

1

 

ポッポ、ビードル、コクーン、キャタピー、トランセル、ホルビー、コフキムシ、コフーライ、ヤヤコマ、ジグザグマ、三猿、ピカチュウ、ルリリ、シシコ、ビッパ、ノコッチ、コダック、リオル、ミツハニー、スボミー、レディバ、エネコ、ラルトス、トリミアン、ヤンチャム、メェークル、ケーシィ、ゴクリン、ホルビー、ドードー、プラスル、マイナン、ズルッグ、ゴクリン……。

 

 

ミアレシティの5番ゲートを抜けた先にあるベルサン通り。

特徴と言えばミアレシティから出て直ぐの場所にあるスケーティングパークなど若者が好みそうな遊技場にコボクタウン周辺に広がっているラベンダー畑。そんな環境のせいか生息しているポケモンは草タイプや虫タイプ、そしてノーマルタイプが多いように感じる。

 

このあたりのポケモンは結構捕まえたな……。と雲一つない青空を仰ぎながらボンヤリと考えていた。

 

思い返せば大変だったなぁ。

いや、もう…………。

ズルッグの群れに囲まれたときは本当に死ぬかと思った……。

思い返すだけでどっと冷汗が噴き出てくる。

しかし、のんびりしている時間はない。ここまで捕獲するのに2週間もかかってしまった。

 

アトリの捕獲したポケモンの数はトロバの捕まえた数には遠く及ばない。しかも彼は既にこの先にある化石掘りの名所である『コウジンタウン』周辺に生息しているポケモンまで同じように捕獲済であると言っていた。

 

このままじゃダメだ。

 

内心酷く焦っていた。

 

トロバは『ポケモンの生態系と環境の因果関係』という視点からデータの信頼性を高める為により多くのポケモンを捕獲が必要、という事であの数の捕獲を行っているのであって、何の考えもなく捕獲しているだけのアトリがトロバに勝てる道理はない。同じことをやってみて、改めてトロバの凄さを肌で感じる。

 

オレはオレでトロバとは違う方法で、成果をあげないと、博士の研究に貢献しているなんて言えないし、ポケモン図鑑を受け取った意味もない。とはいってもどうしたもんかねぇ……。

 

彼に並ぶにはアトリ自身それを考える必要がある。しかし、それはアトリにとって最も難しいことだった。

模倣は得意だが、自分から何かを生み出すことが出来ない。

模倣は悪手ではない。発展とは常に模倣することから始まるのだから。

しかし模倣は模倣でしかない。競争社会に身を置いている以上、自分で考えず真似だけに留まっていては先んじることなど一生出来ない。

 

くぅん……。

と、ボールから出ていたロコンが心配そうに前足を足に乗せて身を乗り出した。

 

「大丈夫だ、ロコン。大変なのは最初からわかっていたことだ」

 

頭を撫でると手の甲に顎を寄せてきた。撫でるならそこを撫でろ、ということらしい。

要望通り顎と首のラインを指でコショコショとさするとリラックスしたように体を預けてきた。ああ……、癒される……。

こうしていると後ろ向きな気持ちを前に向けようとする気力が湧いてくる。

 

得意じゃない、とか言っている場合じゃない。

 

出来るか、出来ないかじゃねえ。やるか、やらねえかだ。

 

そこまで考えたところでグウウウウウウウウウウウウッ! と腹の虫が鳴った。

 

「腹、……減った……」

 

やっぱりオレみたいな大飯喰らいがカロリーフードだけでもたせるのは無理があったか……。

時計を見る。時刻は14時ちょっと過ぎ。今食うと夜に腹が減って眠れなくなってしまう。

 

オレは今、絶賛金欠の真っ只中である。購入したモンスターボールは底を尽き残高も食費を除けば少々心許ない。

倹約家のオレがそんな事態に陥ったのには勿論深い訳がある。一言でいえばこの間の酒の席での狼藉だ。

家の壁に大穴を空けたのは負い目からかオレに少々甘い母も流石にキレた。修繕費はオレの貯金から全額支払う事が決定し、その損失補てんの為に本来予定していた路銀を大幅に減額する必要があった

酒の席とはいえ悪乗りしすぎたなぁ、と深く反省する。

 

次は外さない。一撃で始末する。

 

ぎゅるるるるるるるるる! とまた激しい自己主張をする腹の虫に拳を叩き込み、強引に沈黙させる。心頭滅却すれば火もまた涼し。

これくらい、昔の貧乏生活に比べれば屁でもないはずだ。

フラダリラボの給料日まであと1週間。それまではなんとしても耐えてみせる。

 

さて、休憩終わり。ロコンの心底呆れきった表情に気付かない振りをして立ち上がる。

体を休めていると空腹でおかしくなりそうな為、歩きながら考えることにした。

アトリが歩き始めるとロコンもトテトテと短い脚を回転させて、同じように歩き始めた。

可愛い。

 

ポケモン図鑑を再び広げた。思案するのは最後の一匹の事。

このあたりには目当てであった地面タイプのポケモンは生息していないようだ。

最有力候補として狙っているのは身軽さと力強さを兼ね備えた『ガブリアス』だ。

ガブリアスは非常に気が荒い。

そういうポケモンの場合、手懐ける為に幼い『フカマル』から育成するというのが常套手段ではあるが、進化前の『フカマル』『ガバイト』はお世辞にも強いポケモンとは言えない為、育成には非常に長い時間と手間がかかる。

しかし、だからこそそれを乗り越えた『ガブリアス』とトレーナーの絆は強固であるし、力自体は言わずもがな。総じてハイリスク・ハイリターンな上級者向けのポケモンだと考える。

もし、ガブリアスが無理なら『岩』との複合というタイプ的に癖が強いものの圧倒的なパワーを持つ『ドサイドン』も悪くないな、と家にいる人懐っこい母のサイホーンを思い出していた直後のことであった。

 

「―――――ッ!」

 

久しぶりに脳を直接締め付けられるような頭痛に見舞われて思わず眉間を抑え込んだ。

 

まただ。またニンゲンが来た!

あの時みたいにぼくたちのナワバリを壊すつもりだ。

でていけ。でていけ、でていけ、でていけ、でていけ!!

 

まるで泣き喚いているような声が鼓膜を介さず大音量で響いてくる。気遣うロコンの声すらも遠い。

あまりの騒音にしばらくは動けずにいたが、やがて声は遠ざかっていった。

 

「んだよ、今の……」

 

アトリの袖を噛んで思いっきり引っ張った。

 

「待て、ロコン! これ本革なんだから噛まないでくれ、頼むから!」

 

フラダリラボから支給されたこのレザージャケットは間違いなく高級品だ。

最初着たとき動悸・息切れ・緊張などの症状がみられた為、間違いない。それをボロボロにされてしまったら確実にアトリの胃に穴が空く。

情けない声で懇願するもロコンは引っ張ることをやめない。何か訴えたいことがあるのだろうか。

 

「何かあるのか?」

 

問いの答えを示すようにロコンは駆けだした。アトリも少し遅れてそれに追随する。

本道から外れた小さな脇道。注意深く観察しなければ、そこにあることも気づかないだろう。舗装すらされていない細い獣道を駆け抜けた先で見たものは野生のズルッグに囲まれている壮年の男性と若いメイド。そして2人を守る為に懸命に奮闘しているプラスルとマイナンの姿があった。

二匹ともよく戦っているが、数の暴力ともいえるズルッグの連携を前にジワジワと劣勢に陥っていく。

男性のプラスルが倒され残ったメイドのマイナンもズルッグ達に取り囲まれた。

 

「旦那様お逃げください。ここは私が命に替えても!」

「駄目だロザリー! 君のポケモンはもう疲れ切っているじゃないか!」

「しかし、旦那様をお守りするのがメイドであるわたくしの使命! 貴方様に怪我を負わせてしまったらわたくしは御恩を受けた先代様に合わす顔がございません」

「……君を見捨てて逃げるくらいなら私は共に死ぬことを選ぶよ。……お願いだ。最後のその時まで一緒にいさせてくれ……」

「旦那様……」

 

現状把握だガネ。金の匂いを察知したアトリはコメカミを指で叩いた。

ロコンと目配せした後、モンスターボールを構える。

 

「火炎放射」

 

戦闘モードに入ったロコンは日輪を背負い、炎を投射する。

ズルッグは悲鳴を上げて避けた。危うく倒されかけて怒り心頭なズルッグ達は一斉にロコンに襲い掛かるが、それよりも早くアトリはロコンをモンスターボールに戻し、退避させる。

破れた包囲網からプラスルは脱出して主人達の前に立つ。その横にアトリが投げたモンスターボールからモココが飛び出した。

突然間に入ってきた乱入者にズルッグ達は距離を取る。体を帯電させた電気を少しずつ放ち、ズルッグ達を後退させた。

 

「よーし、そのまま戦況維持。まだ倒すなよ。……お困りですか~?」

「な、何者!?」

 

突然割って入ったアトリにメイドは顔をしかめて不信感を露わにしたが、男性の方は興味をひかれたように目を見開いた。

 

「君は、その紋章はフラダリラボの……」

「はい、フワ・アトリと申します。突然ですが商談と行きませんか?」

「商談ですって!?」

「ええ。私がズルッグ達を追っ払う代わりに貴方は私の旅の資金をほんとちょっぴり負担するというシンプル極まりない話ですよ」

「他者の危機に付け込んで金儲けとはなんて不謹慎な!」

「地獄の沙汰も金次第なんて言葉も別解釈が存在するくらいですし」

「くっ、この俗物が! あなたも金が命よりも大事だというクチですか!」

「そこまでは言いませんが、社会の輪の中で生きている以上は金がなければ明日を生きることも出来ませんからね。多少生臭くなるのは仕方のないことかと。それに……」

 

ズルッグ達の様子を伺った。出来れば退いて欲しいところではあるが。彼らは頭に相当血が昇っているのか、退く気はないようである。

 

「……私には貴方たちを助けなければいけない義理も道理もないですからね」

「いいよ。君の話、受けよう」

「旦那様!?」

「大丈夫だよロザリー。フラダリラボのトレーナーなら信用できる」

「交渉成立」

 

ズルッグ達に向き直った。

 

「モココ、お仕事の時間だ」

 

バチバチバチ! と更に激しく帯電し、青く光り臨戦態勢にはいった。

 

「事情はなんとなく察している。倒すのは本意じゃない。

ニンゲンを二度と襲わないと誓って退くなら追撃しないと約束する」

 

ウソだ。後ろを向いた瞬間に攻撃する気だろう!

 

「舐めるな。オレは約束は守る。このまま人間を襲えば、お前達は災害指定携帯獣として認識されれば、お前たちは問答無用で処分される。この意味が分かるな?」

 

騙されないぞ。いいように丸め込もうとしているだけだ!

そうだ。ぼくたちの縄張りを壊したニンゲンのいうことなんて聞けるものか!

怯むな。全員でかかればなんとかなる!

 

一斉に襲い掛かってくるズルッグ達。アトリは小さく舌打ちをした。

 

「モココ、突撃。包囲網に突っ込め!」

 

雪崩れ込むズルッグ達とモココが衝突する。四方から『だまし討ち』『けたぐり』『頭突き』と一斉に繰り出してくるズルッグ達を見てアトリはコメカミを二度叩いた。

 

「『放電』」

 

溜めていた電気を全方位に解き放つ。強力な電撃を受けて、弾き飛ばされたズルッグ達は悲鳴をあげる間もなく倒れた。腹の底から苦いものが込み上がって来るようだ。

 

「残念だよ……」

 

小さく呟いて男性とメイドの女性に向き直った。

 

「終了です」

「ありがとう。君は命の恩人だよ」

「いいえ、仕事ですから。それよりも約束の報酬を――」

 

ぐるるるるるるるるるるるるるるぅ!! とアトリの腹部がまたしても自己主張を始めた。

 

あ、やばい。なんか体調悪い。汗もすげえし、足が震えるし。めまいもしてきやがった。

 

「お腹が減っているのかい?」

「いいえ、別に。全く」

 

ドスドスドス!! と顔面蒼白になりながらも腹部に拳を叩き込み続けるその姿は非常にシュールな光景である。

 

メイドの女性は引いていたが、男性の方は微笑を浮かべた。

 

「よければ家に来ると良い。食事くらいはご馳走させてくれ」

「いいんですか!?」

「旦那様!? よろしいのですか?」

「いいではないか。彼は私達の命の恩人だ」

「…………かしこまりました」

「私はジョルジュ・ド・ショボンヌ。こっちのメイドはロザリー。

よろしく、フワ・アトリ君」

 

ショボンヌ……? どこかで聞いたような…………って、あ!

 

「もしかしてショボンヌ城の……?」

「うん。管理を任されている」

 

お貴族サマ!?

 

コボクタウンのショボンヌ城といえばカロス地方でもガイドブックに掲載されているほどの有名観光地である。かつてのショボンヌ城主はカロス地方を治めていた王の別荘『パルファム宮殿』の管理を任されていたことから貴族としての格が相当高かったことが伺える。

 

 

相手がブルジョワなら相当な額をふっかけても良さそうだが、それよりも彼には『有益な使い道』がある。

元貴族ならばメガシンカの情報を文献や古い伝承などが家に伝わっているかもしれない。

そういったものは大抵家宝として扱われ、流れ者相手に閲覧を許されることはあまりないかもしれないが、フラダリラボ専属トレーナーとしての社会的地位と個人的に恩を売れれば可能性はあるかもしれない。

 

やっと自分にもツキが回ってきた。しめしめとほくそ笑んだ。

 

 



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第40話 ツンツン デレデレ

 

1

 

コボクタウンの北に切り立つショボンヌ城。3000年以上カロス地方の歴史に寄り添い続けてきたその古城には近付くものを圧倒する威厳に満ち溢れていた。

そして、中に広がるのは世俗とは切り離された別世界。

ゴージャスな食事。

きらびやかな内装。

絢爛たるインテリアの数々………………なんてことはなく、ショボンヌ城に招待されたアトリは驚きのあまり絶句していた。

一言で言い表せばショボい。

二言で言い表せばボロくて、ショボい。

部屋の隅には蜘蛛の巣が張り巡り、窓ガラスのヒビをセロハンテープで補強し、家具などのインテリアに至ってはその殆どに差し押さえの札が張り付けてある始末。

 

「お、おう……」

 

それ以上の言葉が出てこない。

 

「今、食事の準備をしよう。君は苦手なものはあるかね?」

「い、いえ。特には」

「旦那様。丁度木の実畑でマトマの実が完熟していました。それを使われては如何でしょうか?」

「素晴らしい。ではロザリー、私が収穫に行っている間にお客様のお茶をお出しして」

「畏まりました」

「えっと……ショボンヌさんが作るんですか?」

「今日は私が当番だからね」

 

ジョルジュはさも当然の様に答えたが、アトリの混乱は更に極まった。

 

この男、貴族ではなかったのだろうか……?

 

アトリはブルジョワが嫌いだ。

奴等は自分の出自を鼻にかけ、真っ当に額に汗して働くものを見下している。

百歩譲ってそれが自分自身の実力や努力によって勝ち取ったものならば、まだ僻んでいるだけだと自分を納得させられたであろう。

しかし、どうしようもない生まれの違いによって生じた格差。ただ金持ちの家に生まれたというだけで、自分が尊い存在であると勘違いして周囲を見下す――いわば生まれ持った才能に甘えているだけの怠惰な人間には心底虫酸が走る。

 

だからこそ、あるところに吹っ掛ける算段をしていてもあまり良心は痛まなかったのだが……。

 

「失礼ですが、他にメイドさんとかは?」

「うーん……。私は所謂没落貴族だからね、恥ずかしい話だけど使用人を雇うほどの財はないんだよ。事実ロザリーにすら満足な給金を渡せていないし……」

「そんな! 私が旦那様にお仕えしているのは、私自身の意思ですっ!」

 

息巻くロザリーにジョルジュは一瞬目を丸くしたが、すぐさま深い笑みを浮かべた。

 

「ありがとう。君にはいつも助けられているね」

 

ジョルジュは軽い足取りで鼻歌を歌いながら出かけていった。

 

残されたアトリとロザリーの間に沈黙が訪れる。

というよりもロザリーの方から話しかけるなオーラが漂っており、アトリとしても別段彼女に関心があるわけではないし、一応客人ではある為、危害は加えられないだろう。好き好んでわざわざ爆弾の処理をする趣味はない。

ロザリーは鼻を鳴らすと無言でティーセットを準備し始めた。主の命令通りアトリをO・MO・TE・NA・SHIする準備だろう。嫌いな相手だろうと仕事に私情を持ち込まないその姿勢は嫌いではない。慣れた手際で紅茶の準備をするロザリーはまごうことなくプロのメイドであった。

 

出涸らしで入れた殆んど白湯の紅茶に雑巾に浸す。搾ってカップに注ぎ込んだ。

 

「どうぞ」

「見てたよ」

 

心の中でゴングが鳴った。売られた喧嘩は高額買取がモットーだ!

 

「このファッキンメイド! 客に雑巾玉露とはどういう了見だ、ゴラァッ!」

「違いますぅー、これは玉露じゃなくて紅茶ですぅー。目が腐ってるんじゃないですかぁー!」

「じゃかーしいッ! それが客に対する礼儀かってんだよッ!」

「うっさい、タカり屋! 何を企んでいるのか知らないけど、ウチにはお金なんてないわよ! ザマーミロ!」

「ナイチチ張ってんじゃねえ、この貧乳!」

「ぬぁんですてぇっ!! あんたはまな板の凄さを分かってない、貧乳にはね、ロリっぽい色気があるのよ!」

「知るか! 貧乳の字を考えてみろ、『貧しい胸』だ! ないよりもある方がいいに決まってんだろうがッ!」

「清貧って言葉があるのよバーカッ! 『巨乳』と書いて『たれチチ』と読むアタシは清く慎ましいの!」

「巨乳を侮辱するか貴様ッ!!」

「アンタこそ貧乳舐めるなッ!!」

「やんのか、この【検閲削除】が――――ッ!!」

「やってやろうじゃない、表に出ろ。この【検閲削除】ッ!!」

 

乱舞する毒舌。吹き荒ぶ規制用語。チンピラトレーナーと毒舌メイドの罵詈雑言のガチンコ勝負は――

 

「お楽しみのところ悪いがよ、ちょーっと邪魔するぜ!」

 

男の乱入によって強制終了と相成った。

 

2

 

スキンヘッドにタンクトップ、悪趣味なショッキングピンクのハートに黄色い文字で『Love&peas』のタトゥを入れるという装いは如何にも暴力の大安売りといった頭の悪そうな男。

 

それが闖入者に対して抱いた第一印象であった。

人を見た目で判断してはいけないとよく言うが、それは道端でパンツ一丁のおっさんにあったからってこんな格好していても変態と決めつけてはいけないと言っているようなものだ。

何よりも『Peace』の綴りを間違えている。あれでは『愛と平和』ではなく『愛と豆』だ。

 

「チャイムを鳴らさずに入ってくるなんて些か無礼ではないでしょうか?」

 

皮肉をふんだんに乗せたロザリーの言葉に男は嘲るような笑みを浮かべた。

 

「こいつは失敬。呼び鈴を鳴らしても返事がなかったから中で貧乏を拗らせてぶっ倒れてるのかと思ってよぉ。おおっと重ねて失礼! ボロ過ぎて呼び鈴がぶっ壊れてただけかぁ!」

「当家に如何なるご用件で……?」

「オメーじゃ話にならねーんだよ。使用人風情が出しゃばってくんじゃねえ」

「アンタたちだって使いっぱしりじゃない! 話にならないはこっちの台詞よッ」

 

男の顔が不愉快そうに歪んだが、すぐに得意げな笑みを浮かべた。

 

「うちの主は借金の担保として木の実畑の権利をご所望だ。今日こそ寄越して貰うぜ」

「……毎月返済は滞りなくしているはずだけど?」

「ああ、利子分のだけはな。だが、利子は利子だ。5年前の洪水の復興に際して借りた金はまるまる残っているんだぜ。それでも返済を待ってやってるのは一重にここの城主と旧友だったうちの主人の温情だ。だがよ、それを当然のものととられたら困るわけだ」

 

事情はわからなかったが、会話の流れで話が見えてきた。

それはかつてアトリと母がうんざりするほど聞かされ続けてきた内容。要は借金の支払いの催促だろう。

 

「何が主の温情よ! 皆が助けを求めていたあの時、事態を傍観していただけの癖に!」

 

忌々しげに顔を歪め、声を荒げる。それは先ほどアトリに向けたものとは比べものにならないほどの怒気を孕んでいた。にも関わらず男は鼻で笑いロザリーに迫っていった。

 

「俺の女になるってんなら、特別に主人に口を聞いてやってもいいんだぜ? 正直お前のその生意気な面をメチャメチャに歪ませてやりてたまらねえんだよ」

 

舌嘗めずりをしながらねっとりした視線をロザリーに這わせる。アトリはそっぽを向いて舌を出した。

 

「お断り! アンタみたいな下品な奴のオモチャになるくらいなら死んだ方が100倍マシよ!」

 

男は怒りに顔を紅潮させ、ロザリーをひっぱたいた。殴られて口の中を切ったロザリーはそれでも負けじと男を睨み返す。

 

「よーく分かった! 城主サマが頷き易いようにボロ雑巾にしてやる――オワッ!?」

 

いきり立つ男の目の前をムクバードが滑り込み、とんぼ返りをうってアトリの腕に着地した。

 

「そこまでだ」

 

男は表情を一層険しくさせて、アトリを睨み付ける。

アトリもこめかみを指で叩きながら男に冷ややかな目線を向けた。

 

「先客はこっちだ。割り込みはマナー違反だろう」

「クソガキ、大人の話し合いに口を挟んでんじゃねえ!」

「大人を自称するのなら道理くらい弁えろ、ハゲ」

 

男のハゲ頭に目に見えるほどはっきりと血管が浮かんだ。顔は紅潮し、口許を大きく歪ませ、怒りを露わにする。

 

「生意気なガキには躾が必要だな。アリアドス、ズバット!」

 

モンスターボールを2つ開き、ポケモンを繰り出す。

 

「あのガキを血祭りにあげろ! 再起不能だ!!」

「……いけ」

 

アトリもケロマツを繰り出し、臨戦態勢に入った。

 

「アリアドス、ズバットや――「遅いッ!」

 

男の指示よりも先にムクバードは突撃し、ケロマツは後ろに下がった。ムクバードはアリアドスを頭上から仕掛ける。

 

「ケロマツ、撃て!」

 

攻撃の隙を狙ってムクバードを襲おうとしたズバットに向けて水鉄砲を発射し、牽制する。

その間に一撃でアリアドスを沈めたムクバードは目にも留まらぬスピードでズバットに肉薄した。

 

「燕返し!」

 

一閃。ムクバードの攻撃を受けたズバットは大きくよろめき、だめ押しとばかりにケロマツの放った『水鉄砲』の直撃を受ける。勝敗はあっという間に決した。

 

「お引き取り願おうか」

「ふざけんじゃねえ、ガキの使いじゃねえんだぞ!」

「帰る気なしか。なら――!」

 

ムクバードはその隙に男の背後に回り込み、肩を掴んで天井近くまで持ち上げた。

 

「ま、待て待て! なにする気だ、テメェ!?」

「無粋な輩にはお引き取り願おうと思ってな。自分の足で帰らないならこのまま窓から放り出すが、どうする?」

 

2階の窓から放り出されたら良くて全身打撲。悪くて骨折。どちらにしても大怪我は免れない。しかも、アトリのあの羽虫を見るような冷たい眼。あれはやると言ったら必ずやる奴の眼だ。

 

「分かった、帰る! 帰るから離してくれええええええ!!」

「その言葉が聞きたかったんだよ」

 

ムクバードに目線で合図を送り、掴んでいた鈎爪を離す。落とされた男は無様に尻餅をついて悶絶した。

 

「お、覚えていやがれ!」

 

フィクションの世界でしか聞いたことのないベタな捨て台詞を吐きながら男はそそくさと退散していく。もう少し捻りのあるセリフを言って欲しいものである。

ムクバードとケロマツがアトリの前に座る。眼を輝かせて何かを要求する2匹にアトリは笑みを零した。

 

「よくやったケロマツ。訓練通りに出来たな。ムクバードもいい動きだったぞ」

 

ケロマツには後方からの射撃による遠距離戦を、ムクバードには高速機動による電撃戦を徹底的に叩き込んだ。スパトレによる基礎訓練に技術を乗せると驚くほど早く効果が出た。

特にケロマツの成長に関しては著しい。接近させず遠距離から撃つ戦い方なら問題ない。

命中率に不安が残り、まだ暫くはバトルにおいてフォローが必要だろうが、この分なら十分な戦力としてカウントすることが出来そうだ。将来的には高速移動する砲台としての運用が出来たら……。

 

「…………お礼を、言うべき?」

「んな不服そうな顔で言わなくていいよ。それにオレはオレの都合で動いただけだしな」

 

契約が不履行のまま文無しになられては困る。特に当てにしているメガシンカに関する文献まで差し押さえられでもしたら目も当てられない。

 

「善意でやったわけじゃねえ」

「えーっと、アンタもしかして…………ツンデレ?」

「だれがツンデレか」

 

 



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第41話 あいつらはグルメじゃない

 

 

1

 

「さあ、召し上がれ」

 

目の前に出された料理に眼をしばたたかせた。チーズリゾット。

リゾットはこのカロス地方でよく食べられている家庭料理でシンオウ地方でいうところの雑炊のようなものだ。凝った物の多いカロス料理としては珍しく作り方も簡単、味もシンプルな料理だ。

だが、侮るなかれ。シンプルが故に誤魔化しが一切効かず、その簡単さゆえに作り手のアレンジセンスが最も問われる料理でもあるのだ。

アトリは唾を呑み込んだが、すぐに口の中に唾が溜まっていく。

湯気に乗った香りが鼻孔をくすぐり、腹の虫の自己主張は更に激しくなった。

 

「いただきます」

 

逸る気持ちを押さえ一口すくって口に運ぶ。次の瞬間――大きく眼を見開いた。

 

う、美味いッ!

 

濃厚なチーズにマトマの酸味の利いた辛さが絡み合い、互いに強調し、協調し合うアクセントになっている。どちらか一方が主張しすぎてもいけないその絶妙な味のバランスは芸術品の域!

上に添えられたパセリも味がしつこくなりがちなチーズ料理の口当たりをさっぱりとさせていて、二口、三口とどんどん箸が進んでいく。気づけば皿は空っぽになっていた。

素晴らしいの一言。少量ではあるのにこの満腹感。美味すぎて体が震えるなんてこと、今まで母さんの料理を食べても一度もなかったというのに!

 

いや、そんなことはどうでもいい!

 

無言で席を立ちあがり、窓を開けた。

城の二階から一望できるのは侘び寂びという表現が似あう古い町並み。

そんな枯れた魅力のある町の空気を目一杯吸い込み、そして――――

 

「う――ま――い――ぞォォォォォッ!!!!」

 

――叫んだ。

 

「アンタは味皇様か」

「デザートにプリンはどうだい?」

「いただきます! ――――ふぉう!?」

 

とろけるような舌触り。口にした瞬間ふわりと広がるブランデーの香り。

 

「なんと!?」

 

まったりとして、しつこくない。そして、少し焦げ目のついたカリカリなカラメルの苦味がまろやかな甘味にパンチを利かせている。

 

「なんとぉー!?」

 

オレはこの味に出会う為に生まれてきたんだね――――――ッ!!!

 

「いや、喜んでもらえて何よりだ」

「貴族ってのは食うばかりかと思ってましたよ。……金とれますぜ、コレ」

「うーん……。料理は趣味だからねー、食べた人の満足そうな顔を見てるだけで私は十分だよ」

 

何を呑気な、という言葉をかろうじて飲み込んだ。

あの手の取り立てが来るという事は相当質の悪い相手から金を借りているという事だ。

だというのにまるで危機感が足りていない。気づいた時には何もかも奪われ、手遅れになっている可能性だってあるというのに。

 

どうでもいいさ。

 

蟀谷を一度叩いて思考を一区切りした。

借金に苦しんでいるという点でシンパシーは感じるが、アトリが彼の借金問題に口を出すのは明らかに出しゃばり過ぎだ。当初の目的通り、利用するだけ利用したら後腐れなく離れるべきだ。思うところがないわけではないが、今のオレに他人に構っている余裕なんてありはしないのだから。

 

「ところで約束の報酬の話だけども……」

 

きた! とアトリは身構えた。

値切りの算段であろう。当然といえば当然だ。相手に白紙の小切手を渡せばどれだけ吹っ掛けられるかわかったものではない。特にアトリのような人種には注意しなければ骨までしゃぶり尽くされるのは必至。

誰だってそーする。オレでもそーする。

 

「支払いを分割にしてもらえないだろうか?」

「…………分割?」

 

思わぬ提案にアトリは大いに困惑した。

 

「値切りではなく?」

「とんでもない! 君は命の恩人だ。そんな相手に支払う報酬を値切るなんて恥知らずもいいところだよ」

「……、そうですか」

 

ジョルジュの欲のなさというか、人の好さに少し鼻白んだが、すぐに気を取り直して話を続けた。

 

「ご心配なく。私が貴方に求める報酬は金銭ではなく、情報です。私はプラターヌポケモン研究所からの依頼で『メガシンカ』という現象について調査しているんです」

「メガシンカ?」

「はい。聞いたことはありませんか?」

 

ジョルジュは少し考え込む仕草を見せたがやがて小さくかぶりをふった。

 

「いや、すまないが聞いたことのない言葉だ。ロザリー、君は」

「いいえ。アタシも残念ながら……」

「そうですか」

 

大して期待したわけではないが、空振りに終わり少しだけ気を落とす。だが、それは表に出さずに話を続けた。

 

「『メガシンカ』とは進化を越えた進化と言われ、一定条件下でポケモンを大幅に強くする、と言われています。存在事態は確認されているらしいのですが、いかんせん事例が少ない上に公式の場でメガシンカを使ったトレーナーが全くいないため、都市伝説のような扱いを受けているのが現状です。私の仕事はその『メガシンカ』の真偽の解明、及び使い手と研究所とのパイプ作りです」

 

そして、『メガシンカ』の力を手に入れることも。と、そっと心の中で呟いた。

 

「なるほど。それで君は私に何を求めるんだい?」

「この土地に代々伝わる貴重資料、準貴重資料の閲覧許可をいただけないでしょうか?」

 

プラターヌポケモン研究所で読んだ資料によると、『メガシンカ』するポケモンと使い手としてのトレーナーは古くからカロス地方の歴史の転換期にしばしば姿を現し、なんらかの役割を果たしているという記述が度々見られた。ならば、その歴史の詳細を紐解けば今よりも有益な手掛かりが得られるかもしれない。

 

「なるほど……」

 

ジョルジュは合点がいったように何度か小さく頷いてアトリを見た。

 

「貴族であれば一般に出回っていない珍本や希書を保管している可能性は低くない。もしそういったものがなくとも、なんらかのパイプは持っているはずだ、というわけだね」

 

察しの良さに目を少し見開いた。

1を聞いて10を理解する。頭のいい御仁だ。

先ほどの値切る素振りを一切見せなかったことから察するに危機感のなさは無欲な性格からくるものなのか。

 

「よろしい。なら着いてくるといい。書庫まで案内するよ」

「いいんですか?」

「何がだね?」

「今日会ったばかりの見ず知らずの他人をホイホイ信用して。私が貴方に悪意を持って近づいてきたとは考えないのですか?」

 

言ってしまってから「しまった」と思った。彼が危機感のないお人好しならそのまま利用しつくしてしまえば良かったというのに、わざわざ不信感を煽る様な真似をしてしまった。

だが、そんなアトリの言葉にジョルジュは微笑で応える。

 

「わざとそういう露悪的な言葉を選ぶんだね。いい子だからやめておきなさい」

 

まるで大人が子供に対して「心配ない」と安心させるように優しく、柔和に。

 

「君がどんな思惑を持って私達を助けたのだろうと、君が恩人であることに変わりはない。私にできることなら出来る限りのことはさせてもらうよ」

 

見つめられてアトリは身を固くした。

妬み。利己心。執着。そして、己の野心。

それら全てのドス黒い感情を見透かすような深い色の瞳。イノセントとも形容できるその色は何処かNを思い出させた。

 

人間として完全に負けた気分になりながら、ジョルジュの後に着いて歩いていった。

 

2

 

書斎に通されたアトリは呆気に取られていた。床から天井にかけてぎっしりと敷き詰められた文献の数々。よく見れば装丁された本だけではなく、バラバラになっている羊皮紙や巻物だったりと、その種類は多種多様にわたる。

 

「我がショボンヌ家に代々伝わる文献の数々だよ。5年前の洪水で一部の資料が流されてしまったけど、それでもこれだけの蔵書量ならきっと君の仕事の役に立つと思う。ここを自由に使ってくれたまえ」

 

そういってジョルジュは書庫のカギを差し出す。アトリはそれを受け取ると再び積み上げられた資料の一冊を手に取り、ページをめくった。

 

「アンノーン文字……」

 

『アンノーン』というポケモンがいる。

28種類の形態を持つそのポケモンの似姿を用いたこの世文字は界最初に使われたものとして、学会で広く知られている。アトリも幼い頃叔父のプラターヌ博士から一通り教わったため、読むだけなら何とか出来る。だが、アンノーン文字の厄介なところは文字の一つひとつに膨大な語彙――大雑把とも言う――があり、同じ表現でも読み手によって解釈が大きく異なるということにある。解読するには前後の文脈から意味を予想して当てはめていく他ないが、そこでまた一つ問題が生じる。

この手の歴史書には時の権力者にとって都合の悪いことが書かれていることがしばしばある為、摩擦を避ける為、内容を寓意や様々な比喩表現を用いて婉曲的に記していることが多い。その場合、アンノーン文字の難解さと合わさって解読には多大な根気と運を必要とするだろう。

アトリはかかる労力を予想してしまい、げんなりとした。

 

「これは…………、一朝一夕では終わりませんね……。また明日来てもいいですか?」

「それならしばらくここに逗留すると良い。ロザリーに部屋の準備をさせよう」

「待ってください! いくらなんでもそこまで甘えるわけには――」

「何故だね? 部屋なら余っているよ」

「いや、そういう問題ではなく……」

 

言葉を濁したが、アトリの言わんとしていることはわかるだろう。人一人の一日あたりの生活費は安く見積もって三、四千円。

だが、ジュルジュの作る食事は決して安く買い叩いていい代物ではない。そして、残念ながらアトリには相応しい対価を払うだけの潤沢な資金はない。

タダで逗留というのも惹かれはするが、人間としての良識を無くしたくはない。ショボンヌ家は経済的に逼迫しているのに、そこに更に寄生するようなろくでもない真似は自分自身のプライドに懸けて絶対に出来ない。

 

「うーん……、気にしなくてもいいのに」

「気にします」

 

守銭奴でも守銭奴なりに美学は持ち合わせているのだ。

 

「それならこうしないかい? 私の持っている木の実畑がそろそろ収穫の時期なんだ。午前中はそこで君に働いてもらって午後から調べものを行う。それなら私もアルバイトを募集しなくて済むし、君も余計な心配をしなくてよくなる」

「うーん……」

 

コメカミを叩きながら吟味する。渡りに船な提案ではあるが、今はケロマツに少しでも実戦経験を積ませたい関係上、出来れば日中は野試合などの戦闘訓練に当てたいところではある。アトリの本職はあくまで『ポケモントレーナー』なのだ。

食っていけなくて副業で日々の糧を得るにしても、一番に考えなくてはいけないのは、ポケモン達の成長である。例えランク1の半人前――正確には1/8人前――でも。いや、だからこそ、その意識だけはしっかりと持ち続けなければ――

 

「昼食もつけよう」

「よろしくお願いします」

 

脊髄反射で頭を下げていた。食欲の前にはプライドなど無力だ。ここしばらくカロリーフードだけで過ごしてきた反動か、自身の食に対する執着が金銭に対するそれに近づいてきているような気がする。

健全な精神は健全な肉体に宿ると言うし、人は食わなければ生きていけない。

そして何よりも、雑ではない食事はいい。最高である。

 

「それじゃあ明日からよろしく頼むよ」

「はい、よろしくお願いします!」

 

3

 

一方その頃――コボクタウンの北西に位置するパルファム宮殿。300年前、当時の権力者が自らの権威をひけらかす為に作られたその豪華絢爛なる館の一室。装飾過多な男――フェルナン・M・パルファムは玉座を思わせる造りのソファ腰掛けながら、この世に数個しかnない秘宝――『ポケモンの笛』を磨きながらアトリが追い払ったスキンヘッドの男――フィリップ・マツモトの報告に耳を傾けていた。

 

「で、事を荒立てた挙句、何の成果もなく、おめおめと逃げ帰ってきたと?」

 

動く度に身に付けている金細工とダイヤで装飾された高級ブランド時計と貴金属のアクセサリーがぶつかってジャラジャラと音をたてた。

フィリップにはそれすらも恐ろしかった。

 

 

「も、申し訳ありません……。ですが旦那ぁ、奴等にとんでもなく強ぇトレーナーが用心棒につきまして……」

「言い訳はいい」

 

ピシャリと言い放たれて竦みあがった。

この強欲な男を敵に回せば、あっという間に今の暮らしを手放すこととなる。

自身の事業拡大の為に着手したポケモン達の住処を奪う強引な開発計画。

ポケモン達との共存共栄を無視した――いわばこの世界の禁忌を犯すその計画に当然コボクタウンの住民の殆どが反発した。しかし、フェルナンは札束で有力者の横面を叩き、その計画を無理やり可決させた。このコボクタウンではフェルナンこそが『王様』なのである。

この男が黒と言えば、白い物でも黒くなる。

今、自分達がこの町で好き勝手振る舞えているのも、偏にフェルナンという後ろ盾があるからに過ぎない。

 

「しかし、君の言った用心棒のトレーナーというものは気になるな」

 

カロス地方では知らない者がいない程ポピュラーな『大樹と怪鳥』の紋章。

それを掲げるという事は、すなわちその用心棒があの忌々しいフラダリラボ直轄トレーナーである証。

フェルナンが薄く笑う。それを見たフィリップはとてつもなく嫌な予感がした。

 

「そのトレーナーを屋敷に招待したまえ」

 

 



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第42話 悪夢

1

 

煤けた匂いがやけに鼻についた。

目を覚まし、目の前にあった風景に愕然とする。

荒廃。崩壊。倒壊。

360度何処を見ても無傷な建物は存在しない。

 

瓦礫と化している廃墟群を見るに、そこはかつて都市と呼ばれるに相応しい街並みだったのだろう。

 

溶けた太陽から注がれる光は空を不吉なほど赤く染める。乾いた風が虚しく瓦礫の山を吹き抜けた。

 

滅んだ世界。そんな言葉が脳裏によぎった。

 

「誰か……、誰もいないのか……?」

 

今にも崩れそうな足場を闇雲に走り、探し回るがそこには人間やポケモンはおろか、生物の気配すら感じない。

 

母も、セレナも、プラターヌ博士も、フラダリさんも、ティエルノも、トロバも、サナも、ジョゼットも、学長も、手持ちポケモン達でさえも。

誰もいない。完全なる孤独。

 

一体何があった?

 

記憶の糸を手繰りよせようとするが、不思議なことに何も思い出せない。自分が何故ここにいるかすらわからないのだ。

 

もう一度周囲を見回した。

今度は少しでも手掛かりを得るために、より一層注意深く。

すると視界の端にあるものが写った。

 

花が一輪浮いている。

いや、あれは花ではない。ポケモンだ。

 

フラエッテ。

 

さして珍しくもないフェアリータイプのポケモンであるが、アトリが見たその個体は異彩を放っていた。

 

赤と黒の百日草に乗り、その体は力強く、そして禍々しい青い光を帯びている。

 

通常フラエッテは『妖精の花』と呼ばれる花と共生関係にある為、百日草に乗る個体など見たことがない。ましてや青く光る個体など変異種である色違いの個体にしても、あり得ないのだ。

そして何よりも、ずっと見つめていると魂まで吸いとられてしまいそうな……そんな恐ろしさを感じる。

 

そのフラエッテは悲しげに首を左右に振ると何処かに飛び去っていった。

 

「待ってくれ!」

 

思わず駆け出した。

追いついて何がどうなるわけではない。しかし、あのフラエッテはこの崩壊した世界でアトリが眼にした唯一『生きている』存在だ。

アトリのポケモンの声が聞こえる能力が上手く働けば、会話が成り立つかもしれない。

そこに一縷の望みを賭けたかった。しかし、

 

「うわっ!」

 

脆い足場が崩れ、瓦礫の山を滑り落ちる。

激痛に顔を歪めながら、すぐさま立ち上がった。そこで目の前に飛び込んできた光景を前に愕然とした。

 

「嘘だ……。あれは、プリズムタワー……!?」

 

カロス地方一の大都市ミアレシティのシンボルは全焼し、倒壊していた。

これがあるということはこの焼けた都市群はかつて賑わい、栄華を極めていたあのミアレシティということになる。

無惨な姿に変わり果てた街を再び見回しても、アトリは絶望的な気分になった。

 

ここには親しい人が沢山いた。

プラターヌ博士も、フラダリさんも、トロバも、シトロンも、ユリーカちゃんもここに住んでいたというのに……。

 

いや、待て。

 

受け止めきれない現実から、希望に向けて眼を逸らす。

 

まだ死体を確認したわけじゃない。

もしかしたら違う街に避難しているだけかもしれない。

何処かで助けを求めているかもしれない。

都合のいい考えかもしれないが、いい結果を求める以上は行動するんだ!

何もかもが不確定な内は折れてたまるかッ!

 

腹を括り、一歩を踏み出した瞬間――ドクンッ! と心臓が跳ねた。

 

訝しげに思う間もなく、鼓動はどんどん早く、そして直接耳に届くほど大きな音をたてる。

そして、耳鳴りと同時に全身の血が沸騰した。

 

ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!

 

全身を生きたまま焼かれるような筆舌に尽くし難い苦痛に、声帯を痛めるほどの絶叫をあげる。いっそ殺してくれ、と思いながら死ぬことが出来ない。そんな苦痛もやがて体の感覚に馴染み、寧ろ灼熱がエネルギーとして体に循環し、力がみなぎってきた。

かつて実感したことのない全能感を実感する。そして同時に恐ろしいことが起こった。

 

言葉が消える。記憶が消える。人間としての感情が消える。変わりに心の底で疼く獰猛な想いが鎌首をもたげる。

 

戦いたい……!

戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい。戦いたい!

 

 

周囲の景色が色を変えていく。

遠ざかる意識の中でふと腕を見た。視界に入った自分の腕が橙色の爬虫類の腕になっていた。

 

何だ、これは……?

 

何なんだ、これは――――――ッ!!

 

慟哭は言葉にならず、ポケモンの咆哮として荒野に虚しく響いた。

 

2

 

勢いよく跳ね起きた。

暫くしてから、あの光景が夢であったことを理解した。

自分の左手を見る。夢に出てきた橙色の爬虫類の腕ではなく、ちゃんとした人間の腕。夢であったことに心底安堵した。

 

夢……。あの凄まじい悪夢は本当に夢だったのだろうか?

焼けた建物の匂い。

崩壊した街。

そして…………、自我が消えていくあの感覚。思い返すとおぞましさで鳥肌が立ってきた。

夢と一笑するにはあまりにもリアル過ぎる。

 

クソッ、こんな話を読むから……。

 

手に取ったのは昔の寓話集。

 

人間だった者がポケモンに変化し様々な災厄からポケモン世界を守る為に奮闘する冒険譚。

美しいが傲慢な姫が魔法でケロマツに変えられ誰からも相手にされなくなるが一人の少年と出会い愛を知ることで、他人を慈しむことを学ぶといった王道な話。

1000年生きたポケモンが自分の寿命が尽きる時、周囲の命を吸い取って眠りについているという恐ろしい話。

永遠を生きるといわれるポケモンが滅んだ大地に命を分け与え、自分は大樹になった話。

人間と添い遂げたポケモンが死に、怒った男が復讐に狂い、全てを破壊し尽くしてしまう悲劇的な話。

 

メガシンカの文献を探す中で気分転換に読んでみたが、どれも意外と面白く、読み進めると止まらなくなった。どうやら読んでいる内に寝落ちしてしまったらしい。

独特の本の匂いと若干のカビ臭さのある書庫は空気が籠り少々息苦しい。

 

流れ落ちてくる汗をそっと拭った。

 

今何時だろう?

 

暗幕の隙間から差し込む光を見てぼんやりそう思う。

次の瞬間――ホロキャスターの目覚ましが鳴った。素早く目覚まし機能を止め、もう一度額に張り付く玉のような汗を片手で拭った。窓を開けと、少し涼しい風が頬を撫で付けた。

 

「クアーッ! 生き返るゥ!」

 

まるで仕事帰りの駆けつけ一杯を味わうサラリーマンのような声をあげたところで、扉をノックする音がした。

 

「起きろ寝坊助――ッ! 旦那様が朝ご飯を準備してくれたわよー! ってすごい汗じゃない。何してたの?」

「別に……」

 

ロザリーに説明するのも億劫だった。自分が自分であるのに、自分でなくなるあの恐怖は他人に話しても理解も共感も得られると思えない。

 

返答が些か無愛想なものになったが今のアトリにはそこまで気を回している余裕はない。

そこからロザリーは何かを察したようでははーん? と呟くと非常に腹の立つ笑顔を浮かべた。

 

「あんたいくら健康をもて余してるからって余所の家で自家発電に及ぶのはどうかとおもうわよ?」

「テメエ、このメスドッグ! 朝っぱらからケンカ売ってのかッ!!」

 

あまりにも失礼な物言いに憂鬱を忘れて吠える。チンピラと揶揄されるアトリと同程度には喧嘩上等な彼女であるが、返ってきた反応はいつもと違った。

 

赤面。ロザリーの顔がオクタンのように耳まで赤くなっていた。俗にいう乙女の顔である。

 

「そ、そんな……、確かにアタシは夜は旦那様だけの雌犬になりたいと思っているけど、物事には順序ってものが…………ああ。いけません、旦那様! そんなごむたいな!!」

「…………、今日の朝飯はなにかな!!」

 

脳内で自分とジョルジュの悪代官ごっこを繰り広げるロザリーを見なかったことにしてアトリは競歩で食堂へ急いだ。

正気に戻った彼女が食卓に現れたのは5分後のことであった。

 

3

 

朝食を済ませて直ぐに、ジョルジュとロザリーに着いて彼の所有する木の実畑へと向かった。コボクタウンの西に位置する7番道路の接した場所にあり、歩いて5分といったところであろうか。防鳥網に囲まれた畑には規則正しく木々が並んでおり、熟した木の実が生っている。よく目を凝らしてみて驚いた。

ヤチェの実。オッカの実。ソクノの実。それだけではない。

ありとあらゆる珍種の木の実が現在の需要と供給のバランスを崩すほど、実を結んでいるのだ。アトリは脳内でソロバンを弾き始めた。

 

あれだけあればオレなら一財産築ける!

 

そこまで考えたところで邪な考えを良心が蹴り飛ばした。

と、そのときだった。

 

「あー! アトリだ!!」

 

元気のいい声が響く。声がした方向に視線をやると、ホウエン地方の生んだ元気少女――タキガワ・サナが物凄い勢いで此方に駆けてくる。

アトリはぎょっと眼を剥いた。

彼我の距離目測にて約5メートル。それでも彼女は走るスピードを緩めない。

そんな事を考えている内に元気娘はアトリを目掛けて高く跳び上がった。

 

このままではぶつかる!

 

そう思ったアトリは咄嗟に彼女の体を受け止め、空中での円運動で慣性を殺す。遠心力でサナの体がすっぽ抜けそうになるのをなんとか耐えて、地面に下ろした。

腕関節が抜けそうになりながらも無事にサナを下ろすことが出来たことに安堵するアトリに対し、彼女は楽しそうに目を輝かせた。

 

「ねえねえ、今の面白かったからもう1回やって!」

「出来るか阿呆! 危ねェだろうが、怪我したらどうする!?」

「大丈夫だよ。アトリがちゃんと受け止めてくれるってわかってたから♪」

「じゃあ次からは避ける。勢いあまって地面に激突して痛い目見ればいいんだ!」

「またまたー。相変わらずツンデレなんだから♪」

「純度100パーセントの本心だよッ!」

 

勝手にいい奴認定されていることに強い抵抗を覚えたが、サナは話を聞く気がないようだ。

 

「驚いたな。君たちは友達だったのかい?」

「違いま「そうでーす♪」

 

ぐいぐいくるサナにはどうにもイニシアチブを握られてしまう。よく考えたらサナとサシで話をするのは初めてだ。自分の感覚では彼女はアトリの友達というより友達の友達といった方がしっくりくる。

ビジネスライクな付き合いは得意だが、それ故にサナの様なコミュ力モンスターと1対1で話すとなると気後れのようなものを感じてしまうのだ。

そんな人類皆兄弟みたいなノリで接せられても対応に困る。

 

「アトリもアルバイト?」

「ああ。ショボンヌさんの持っている文献を見せてもらうことと、下宿させてもらう条件としてな」

「? ジョルジュさんならきっとただで泊めてくれると思うんだけど? 」

「それはいけない。取引ってのは基本的にフェアに進めなくちゃいけない。バランス感覚って奴だな」

 

世の中はギブ・アンド・テイク。

与えてもらってばかりというのは寄生や搾取と変わらない。それは自身の信を損なう行為だ。

交渉で目指すものは利害一致である。

信の置けない人物からの言葉には白いものですら黒くする力がある。

逆に信用のできない者の言葉に一体どれ程の価値があるだろうか。

 

「相手を出し抜いて一時的に儲けたとして、そのあとに続くもんがなけりゃ意味がない。市場が先細るだけだ」

「……………………」

「ンだよ?」

「今はじめてアトリのことちょっとカッコいいって思っちゃった」

「はじめてかよッ! ……まあ、いいや。仕事だ、仕事! さっさととりかかるぞ」

 

サナの酷い物言いに自尊心が大いに傷つくが、いつまでも話をしているわけにはいかない。

 

「今日はよろしく頼むよ」

「はい」「はーい♪」

 

アトリに与えられたのは堆肥をばら撒いた土を『プラウ』と呼ばれる重い犂を農場のケンタロスに牽引してもらい、一緒に耕基していく作業だ。

 

懐かしいな……。

 

重労働によって流れてくる滝の様な汗を拭いながらも、アトリはなんだか温かい気持ちになった。シンオウ地方にいたころ、母がレース用サイホーンを育てていた厩舎の横で幼馴染の親が経営している農場の手伝いをかつては真面目だった父と一緒によくしていた。

アトリはもっぱら幼馴染と一緒にスコップや鍬で畑を耕していた。

途中で作業に飽きてロコンと彼女のポケモンであるガーディを伴い、探検したり、ポケモンバトルの真似事をしたり、毎日日が暮れるまで一緒に遊んだ。

あの頃は重くてこの器具を持ち上げることすら出来なかったが、今では軽々とまではいかないが、扱うことが出来る。

 

――負け犬!

 

脳裏に浮かんだ彼女に最後にぶつけられた言葉を思い出して胸が疼いた。

あの頃のオレは確かに負け犬だった。圧倒的な才能の差に立ち向かうよりも先に逃げることを選んだ。『家族の為』というもっともらしい言い訳だけを残して。

 

…………ツグミ、オレはあの時よりも少しは前に進めているんだろうか。

 

誰よりも長い時間隣で過ごしてきた幼馴染のことを思い出して胸が痛んだ。隣でその様子を見ていたロコンは小さく鳴いた。

 




前話の更新で同じ話を繰り返し投稿してしまいました。
混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。

ニコニコカービィさん、誤字報告ありがとうございました。


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第43話 となりのカビゴン

 

1

 

時刻は正午過ぎ。午前中の作業を終えたアトリたちは木陰の下で容赦なく照り付ける真昼の太陽をやり過ごしながら、昼食をとっていた。

 

「ごちそーさま! すっごく美味しかったね♪」

「そうだな」

 

食べ終わり、そして目の前にお供えのように置かれていた大量のお菓子に目を落とした。

 

「いっぱい貰っちゃったね♪」

 

これ等は全部、この木の実畑で働いている大人たちから貰ったものだ。

彼(彼女も含む)等は若いバイトが珍しいのか、新参者のアトリとサナに競うように絡んでいき、お菓子を渡していく。仕事にも熱意をもってあたっており、わからない事を聞きに行くと皆例外なく親切に教えるだけではなく、作業工程の因果関係を考えるよう会話を巧みに誘導している。優しくて、尊敬できる人たちだ。

 

「ああ。食いきれねえな、コレ」

 

半分嘘で、半分本当だ。

自他ともに認める健啖家であるアトリならば、平らげることなど造作もない。

しかし、せっかくの好意を独り占めするのは少々勿体ない。アトリは手持ちのモンスターボールを取り出し、ロコンたちを繰り出した。

サナはその中にいたアトリのハッサムを見て、ビクリと身を固くした。

 

それを見てアトリは『しまった』と自身が迂闊であったことを悟った。

サナは以前、このハッサムに襲われている。あの時はセレナ――そして、彼女の手持ちのアブソル――のおかげで大事には至らなかったものの、それでも襲われた恐怖は刻まれてしまっている。

ハッサムもまた身勝手な人間の都合に振り回された被害者だったとはいえ、害する側に回った以上、その理由が免罪符にはなりえない。

しかし、ここでハッサムをボールに戻してしまえるほど、無神経にはなれなかった。

アトリはハッサムのトレーナー(おや)であり、守るべき対象なのだ。

板挟みでどうしたものかと考えていると、察したハッサムは鼻を鳴らしてその場を去ろうとした。

 

「ねえ、ハッサム! これ美味しいから食べてね!」

 

去ろうとするハッサムの前に回り込んで、サナは一番高そうで、豪華なポフレを差し出した。

少々声が裏返り、手が震えている。明らかに怖がっているのが伝わってくるが、目だけは決して反らさなかった。

 

ハッサムはしばらく無言でサナを睨んでいたが、やがて毟り取るようにポフレを受け取ると一口で全部食べて、向こうの方へ歩いて行く。

サナはハッサムが行った後、へなへなと座り込んだ。

 

「……お前、スゲーな」

「喧嘩なんて、したくないよ。だって、サナはみんなと仲良くしたいから……」

 

アトリは眼を瞠った。

自分の本心など言葉で上塗りしていくらでも取り繕える。そんな本心を伴わない言葉を発する者は保身のために簡単に掌を返す。

それを知っているからこそ襲われた恐怖を感じながらも、だが、だからこそ歩み寄りたいと言葉と態度で示した彼女の姿勢に掛け値なしの敬意を抱いた。理屈ではわかっていても、なかなか出来ることではない。

 

「……子供っぽいかな?」

「いや、お前ホントに格好いいわ」

 

アトリの本心からの言葉にサナははにかむように笑った。

 

「出てきて、テールナーちゃん♪」

 

サナの投げたモンスターボールから飛び出てきたゾロアークと似たタイプの二足歩行の狐ポケモンは優雅な仕草でお辞儀すると、サナの横にちょこんと腰掛けた。

 

「フォッコが進化したのか?」

「うん! フォッコのときは可愛かったけど、進化して綺麗になったでしょ?」

「お、おう……」

 

可愛らしさの中に美しさを内包したその姿は確かに何処か不思議な色気がある。だが、同時にフォッコの時の方が可愛かったな、とも思う。しかし口には出さない。

トレーナーであるサナが気に入っているのだから、アトリの否定的な意見など彼女の気分を害させるだけで、両者にとって利があるわけではない。ここは適当にお茶を濁すのがベターだろう。

 

アトリの真意を見抜いたロコンがあからさまにため息をついたが、気にしないでおこうと心に決める。下手に咎めてヤブヘビになるのは避けたかった。

少々あからさまでわざとらしいが、食べ始めたポケモン達を余所に木の実の花に群がっているミツハニー達に視線を移した。サナもつられるように同じ方を向いて不思議そうに首を傾げた。

 

「あれ、何やっているのかな?」

「養蜂だろ? 色々手広くやっているよな」

「へぇ~、サナ初めて見たよ」

「まあ、確かに珍しいな。養蜂は広い土地とミツハニー達を育成・管理するための専門的な知識が必要だから相当難しいらしいからな。簡単ではないらしいし」

 

ミツハニーの集めた甘いミツは巣の中で発酵させることで、ハチミツとなる。

自然界で最も甘い蜜。低カロリーでビタミン、ミネラルなどの栄養が豊富。中でも天然もののハチミツの価格は1キロ5000円と胃に穴が空きそうな値段で取引されている。

その上、ブランドがつこうものなら左うちわでウッハウハである。

 

「それだけじゃないよ」

 

話に入ってきたのはロザリーを伴ったジョルジュであった。

 

「見てごらん。ミツハニーたちに受粉してもらっているんだ。彼らは花の蜜でハチミツを作るから、私たちはそれを差し支えない程度に分けてもらう。こうやってお互い上手く共存していけば、いつかは……沢山の人が笑顔になれる。そんな農場を作りたいと思っているんだ」

「興味深いですね」

 

本心からの言葉だった。世の中に人間はポケモンと人間の共存を是としているが、同時に何処か理想論であることを理解している。だが、この農場はそんな理想論を可能な事として実現させているのだ。この農場へのアトリの関心は高まるばかりだ。

 

「これは市場に出す前のサンプルだけど、よかったら食べてみてくれないかね?」

「いいんですか?」

「サンプルだからね。あとで感想を聞かせてくれると助かるよ」

「そんじゃ遠慮なく」

 

一口食べてみて、クワッ!! と眼を見開いた。ファストフードや携帯保存食に慣れきったナマクラのような舌にさえ抉り混んでくる脳髄を溶かすような蕩ける甘酸っぱさ。

 

甘くて、美味くて、眼が回りそうです。

 

口にすればどんな絶望の淵にいようが、問答無用で笑顔になれるだろう。

 

「これは甘味のビックリ箱や――ッ!」

「美味しいかい?」

「物凄く……! オレはこれほど美味いハチミツを初めて食べました」

「本当だ。美味しいー♪」

 

口にしたサナも思わず満面の笑みを浮かべる。

 

正直ここまでのものだとは思ってみなかった。

あの下品な借金取りが木の実畑の権利書をよこせと言ってきたのも頷ける。

財テクに優れている人間にとって、この木の実畑を手に入れるメリットは計り知れない。文字通り金の生る木だ。

 

そこまで考えてロザリーがあからさまにアトリに気の毒そうな視線を送っていることに気付いた。

 

「なんだよ?」

「別に。花でさえ受粉するのにアンタときたら……、って思って」

「ちょっと待て! 何故童貞認定しやがった。このクソビッチ!」

「なんですって、この永世童帝! 一生モテずに干上がってろ!」

「未来はわからねーだろうがッ!!」

 

相変わらずしょうもない口喧嘩を繰り広げるアトリとロザリーを脇にジョルジュは感慨深げにミツハニー達を見つめていた。

 

「養蜂は4年前に始めてね」

 

「え? 放っておいていいの?」とサナはトムとジェリーよろしく追い駆けっこを演じるアトリとロザリーを指差す。ジョルジュは「あれがあの2人のコミュニケーションだから」としれっと流して話を続けた。

 

「右も左もわからず随分苦労したよ。やっと今年になって出荷の目途がたって、市場で大々的に売り出してもらえるようになったんだ。これでこの町の皆にもちゃんとした仕事をつくってやれる……」

 

苦労の滲み出るような口調であったが、それに反して仕草は何処か誇らしげだ。

そんなジョルジュを横目にアトリはいがみ合っていたロザリーにジョルジュに話し声が聞こえない位の距離をとった事を確認し、彼女にずっと引っかかっていた疑問を投げかけた。

 

「なんだっていきなりそんな畑違いな商売を始めようと思ったんだよ? その……あんまり良い状況はじゃないだろ?」

 

会社経営における新部門設立というものは普通、現在ある部門が軌道に乗り、安定したところで新たなる市場を開拓するために行うものだ。

借金するほどに困窮しているジョルジュにそんな余裕があるとは思えない

 

「何年か前にあった集中豪雨。フェルナンが進めていた無茶な開発計画で地盤が緩くなっていたせいで土砂崩れが起きて、彼らは住むところを無くしたの。町に出て、悪さをするようになった。旦那様はあの子たちがそんなことせずに生きられるようにする為に彼らを引き取ったの」

「それにしても、せめて借金を完済し、黒字になってからの方が彼自身の生活も楽になるだろうに」

 

見ず知らずの他人の為に傷ついて、背負わなくていい責任を背負い込んで――そんなことをしていれば、いつかは壊れてしまう。

 

「当時あの子たちは『有害指定携帯獣』と認定されていて、処理もやむなし、っていう空気が出来上がっていたわ。悠長に構えている暇はなかったのよ。旦那様が私財を擲ってでも引受人とならなくてはあの子たちはポケモントレーナーに処理されていたわ」

 

昨日倒したズルッグ達の姿が脳裏を過ぎる。人を恨んでいた彼らもまた、その時の被害者だったのだろうか。

 

「あの子たちだけじゃないわ。この辺りには未だにあの時のことで住処を追われたポケモン達が人を襲ったり、農作物を荒らしたり……そんなことが度々起こっているの」

 

いや、後悔などするものか。

彼らは明らかに害意をもって人間に襲い掛かっていた。

『有害指定携帯獣』は狩らねばならない。それは秩序を守るために必要なことだ。

アトリの生まれる以前から世界はそうして回っていた。そして、これからもそうやって回っていくだろう。

ハッサムのときのように捕獲できて時間をかけてでも和解が出来るのならそれが一番良かった。しかし、あの数を相手にそんな悠長なことは言っていられない。一掃しなければ、モココに余計な傷を負わせていただろう。

倒す前に警告はした。両方を選べない以上、どちらか片方を切り捨てる以外に道はない。アトリの天秤の針は身内贔屓だった。ただ、それだけの話だ。

 

あの判断に間違いはなかったと信じている。――だから、後悔などするものか、と心を潰し、繰り返し念じた。

 

「……馬鹿な人だ。見捨ててしまえばもっと楽になれるっていうのに……」

「目の前で危機に陥っている人・ポケモンを見捨てられない。それがあの方なの。確かに利口な生き方ではないわね。でも、そんなあの人だから、私たちは喜んで彼に着いていくの。それと――」

 

ロザリーはアトリの胸倉を掴んで剣呑な表情で凄んだ。

 

「二度とあの人を馬鹿だなんて言わないで。今度同じこと言ったら問答無用で殴るから」

 

アトリは胸倉を掴んでいる手を外したが、静かな視線を注ぐだけで特に反論はしなかった。

ロザリーもそれ以上何も言わなかった。一言「戻るわよ」と言い踵を返し、アトリもそれに追随した。

 

その時だった。

 

「大変だ―――――ッ!!」

 

そんな叫びが農場に木霊した。

 

2

 

「そんな、まさか……」

 

それ以上の言葉が出てこなかった。

ミアレシティと木の実畑を繋ぐ狭い橋のど真ん中を占拠して、塞いでいるのは巨大なポケモンだった。惰眠を貪っているそれは縦には勿論、とにかく腹回りが大人の身長を上回るなど、とにかく凄まじい。普通のカビゴンの倍以上の大きさを誇るこの個体にサナや近所の子供たちは腹の上でトランポリンのように跳ね回って大喜びだ。しかしロザリーを始め周りの大人たちは皆一様に頭を抱えていた。

 

「…………、昔見た映画を思い出します」

「となりのカビゴンかい? あれは名作だったね……」

 

父親といっしょに古い家に引っ越してきた姉妹が森に住むカビゴンと出会い、交流を深めていくというアニメ映画だ。心温まるストーリーに当時幼かったジョルジュも夢中になったものだ。

 

在りし日に思いを馳せるのをやめて、再び街道を塞ぐカビゴンに視線を注ぐ。

この道を塞がれるということは、この木の実畑の流通が麻痺するということを意味する。

第一次産業の流通は時間が命。木の実は干せば保存がきき栄養素の7割を保つことができるといわれている。しかし、代わりに味の方はひどく落ちる。

ミアレシティの2つ星レストランが大口の卸先にある以上、不味いものを納品するわけにはいかない。信用問題だ。しかもよく見ればこの橋、カビゴンの重量に耐え切れず、破損しているではないか。カビゴンを退けて終わりではない。その後にかかる橋の修理時間を考えればもうあまり猶予はない。

自分のことだけならまだしも従業員の給料が払えないなど、絶対に許されないことだ。

そうでなければ自分がこの場所を作った意味すら喪失してしまう。

 

それだけではない。カビゴンというポケモンは大食らいで有名だ。

野生のカビゴンによって草の根一つ残さず食い荒らされた、という農家は後を絶たない。

この巨大カビゴンが起きた時、真っ先に被害を受けるのは自分たちの木の実畑だろう。

 

こんなときにフェルナンに持っていかれたアレがあれば、こんなもの窮地でもなんでもなかったというのに……。

 

 

「オレの出番だな」

 

アトリは巨大カビゴンの腹の上で遊んでいる子供たちを退避させて、子供たちのブーイングを受けるも本人は素知らぬ顔で一歩前に出た。

 

「出来るのかい?」

「暴れまわっているならともかく、寝ているだけのポケモンなんて簡単に捕まえられますよ。とはいえ、この巨体です。念には念を入れて――」

 

モンスターボールの上位互換である高性能ボール――スーパーボールを取り出して掌で弄ぶ。

 

「えー、スーパーボールってアトリのイメージじゃな~い」

「200円の低性能をいくつも投げるよりも、600円1つで済ますほうがコスパがいい。そんでもってオレがこれを出すってことは、絶対に逃がすつもりはねえってことでもある」

 

アトリの表情は真剣なものに変わった。怠惰を貪っている巨大カビゴンに狙いをつけて、コンパクトに振りかぶる

 

「フッ――――ッ!」

 

裂帛の気合を込めてスーパーボールを投げる。一切の無駄のない洗練されたフォームから繰り出されるボールは風を切る音を連れて、カビゴンの額に吸い込まれていく。

 

狙いに寸分の狂いもない。フラダリラボに所属しているトレーナーなだけはある。周囲の誰もがフワ・アトリという少年の技量に舌を巻いていた。恐らくは自分を含むこの場にいる誰がモンスターボールを操っても彼ほどの精度でポケモンに当てることは叶わないだろう。

 

その場にいた誰もがこのカビゴンの捕獲成功を信じて疑わなかった。しかし、次の瞬間――――

 

―――グシャッ!! という音をたて、アトリ秘蔵のスーパーボールは砕け散った。

木っ端微塵になったスーパーボールの破片は音もたてずに地面に舞い散り、風に攫われていく。

 

その時――――時間が止まった。

 

「オレの600円がァ―――――――ッ!!!!」

 

「時を戻そう」などと都合のいい展開はなく、まさかの捕獲失敗にアトリは絶叫し、泡を吹いて失神する。

土気色になってうなされるアトリを周囲の従業員たちが担架で運び出すのを他所に、ジョルジュはカビゴンに近づいた。

 

「ボールが砕けた、ということは誰かのポケモン?」

 

ジョルジュは再び思案する。

もしこれが人の手によるものであれば、いったい誰が……?

 

一瞬、かつての友の顔が脳裏を過り、血の気が引いた。

 

…………最低だ。今一瞬考えた。

 

かつて同じ夢を見て、共に切磋琢磨しあってきた唯一無二の友達。

ほんの些細な行き違いで決裂してしまったけれど、それでも確かにまだ友情を感じている。

 

そんな彼を一瞬とはいえ、私は疑ってしまった……。

 

階段を昇っている途中で担架の持ち手が折れ、階段を転がり落ちて頭部が潰れたマトマの実のようになっていたアトリを他所に、ジョルジュは深い自己嫌悪に包まれていくのだった。

3

 

その光景を人目を憚りながら遠巻きに見ている女性がいた。どう見ても隠密行動には向かない派手な赤い装束で身を包んだその女性は紫色に染めた髪をそっとかきあげてホロキャスターを開いた。

 

「アケビを退けた例の少年を捕捉しました。現在、ショボンヌ城を逗留しているようです」

《結構、そのまま監視を続けなさい。間違っても彼と敵対することのないように》

 

紫色に染めた髪と合わせた口紅を塗った唇を引き結んだ。

 

「しかし、この町は『バラ』の作戦区域のすぐ近くです。もしも、我等がこの町の裏で暗躍していることを彼が嗅ぎ付けてきたら……」

 

フェルナン・M・パルファムをうまく取り込めたとしても、尻尾を掴まれてしまっては意味がない。情報統制や口封じ自分たちの存在を秘匿できるとはいえ、極秘裏に事を済ますに越したことはない。

 

ホロキャスターの向こうの女性は怪しく微笑んだ。

 

《その時は彼の好きにさせなさい》

 

わからない。

大幹部様は何故あそこまであの少年に執心しているのだろうか?

 

フェルナンはこの町の有力者だ。彼を取り込み――無理なら挿げ替え――少しずつ、自分たちの息のかかった人間をこの町に増やしていけば、ここを新たな拠点を手にすることも容易いというのに。

 

腕が立つ上に、自分たちへの敵愾心を募らせている者を放置するメリットがわからない。

不安の芽は早々に摘み取る。それが成功の鉄則だ。だというのに――どうしてあの方はあの少年を――――

 

いや、やめよう。彼の処遇は私の考えることではない。

自分に与えられた任務はあの少年――フワ・アトリの動向を見張り、あの方に報告すること。それ以外は考える必要のないことだ。

 

すべてはあの御方の理想とする世界を実現するために与えられた役割は完璧にこなして見せる。

 

紫髪の女性――コレアは光学迷彩システムを起動し、周囲の風景と同化する。

そして、再び大幹部より直々に賜った『フワ・アトリ』の監視任務を開始した。

 

 

 




ガルパンはいいぞ……


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第44話 姦計はめぐる

1

 

手の者から報告を受けたフェルナンはほくそ笑んだ。すべて順調だ。払い戻しと違約金。それらすべてをこの農場の貧弱な財源から支払わなければならない。

大幅な損失。融資元である銀行への返済も滞る。間違いなく不渡りを出すだろう。

 

そうなれば……来年の融資は絶望的だ。

これによって経営が破綻したジョルジュの農場を底値で買えば――

 

「これであの農場は労せず私の手に入るという寸法だね」

 

これでジョルジュも、自分の管理下におけると思うと心が躍る。5年前このコボクタウンが大雨に見舞われ、その被災者を救うためにジョルジュは自らの私財を擲って被災者を支援した。

その結果、ジョルジュはフェルナンに多額の借金をした。その時から――それ以前からも彼を手中に収めようと機会を狙っていたが、本懐が遂げられるこの日をどれだけ待ち望んだことか。

彼の能力は自分に管理されてこそ真価を発揮するというものだ。

フェルナンに追随するように緑色の髪と同色のサングラスをかけた赤いスーツの女性は微笑を浮かべる。

 

「はい。成功の暁には――」

「わかっている。収益の3割を君が帰属する組織へ譲渡する。そういう契約だ」

「ありがとうございます。我が主も喜ぶことでしょう」

「……ご苦労。下がっていいよ」

「はい」

 

『バラ』と名乗ったその女が退出するのを確認してフェルナンは鼻で笑った。

 

「女狐め。3割だと? ふっかけやがって」

 

彼女が現れたのは数日前のことだった。突然現れ、かねてより狙っていたジョルジュの農場を手に入れる算段をする代わりに先ほどの条件を提示してきた。フェルナンはその誘いにのったが、約束など最初から守るつもりなどない。

 

大いなる破滅のあと、選ばれた者が最後の審判の後に作られる争いのない、平和で穏やかな理想郷ともいうべき新世界で生きられる。

 

そういった彼女の語る終末論にはうんざりしていたし、その後訪れるという『美しい世界』にも別段関心はない。

 

何よりも気に入らないのは、フェルナンにはその資格があって、ジョルジュにはその資格がないということだ。

 

人の真贋を見抜く眼力すら持たぬ有象無象共など、私の肥やしになっていればよい。

利用価値のなくなったものは捨てる。紅茶の出涸らしを捨てるのと同じ原理だ。

たかが犯罪組織をつぶす程度、造作もない。

ただ問題は報復……。

そのカウンターとして――

 

「是が非でも彼は迎え入れておきたいな」

 

2

 

「カビゴンに登れたということは荷物の運搬もできるのでは?」

「ミアレシティに運搬する荷がどれだけの数あると思っている? その1つずつカビゴンの体を超えて運搬するのかね。とてもじゃないが無理だ」

「なら海路を使えば――」

「……ミアレシティに水路などない。あったとしても下水道くらいだ」

「なら空輸なら――」

「そんな予算どこから引っ張ってくるのかね!」

「生憎この農場の経営は火の車です。そんな経費はとても……」

「馬鹿な。今回の出荷が間に合わなければそれこそこの農場は潰れるぞ!」

 

ショボンヌ城の一室にてジョルジュ以下5名、農場経営に携わる重鎮達が口々に今後の対策について話し合っていた。

 

巨大カビゴンによる橋の占拠及び破損。

この農場の収入の4割を占めるミアレシティへの流通のストップ。

それに伴う農場への損害。そして、目覚めたカビゴンの食欲への対策。

現状大きな問題となっているのはこの4点である。

 

だが、話せど話せど、一向に有効な打開策は浮かばず無為に時間だけが経過していく。

警察にカビゴンのトレーナーIDの照合を頼んだが、結果は持ち主不明。

どうやらあのカビゴンのボールには書類偽造による架空の人物のトレーナーIDが使われているらしい。

IDを消して捕獲できるようにしてもらえるとのことだが、申請を出してシステムを更新されるのは1か月後。とてもではないが間に合わない。

 

 

打つ手なし。完全に八方塞がりだ。

 

元バッドガールズだった彼女はロザリーには難しいことはわからない。

されど、普段のんきな主人の険しい顔に心を大いに痛めた。少しでも気持ちが安らぐように、紅茶を用意しにキッチンに向かった。

来客用のティーセットに農場でとれたきのみから作った自家製の茶葉。

それらを準備してお湯を沸かし始める。

この農場はロザリーには勿論、5年前の洪水とパルファム宮殿の主が行った開発で職や住処を失った町の人やポケモン達の大切な居場所だ。なくなってしまえば自分も、働いてくれている町の人たちも、家族同然のポケモン達も、みんな行き場を失ってしまう。

想像しただけで胸が張り裂けそうなほど痛んだ。

紅茶を入れる手がぴたりと止まる。

 

「……怪我はもういいの?」

「おっと、心配してくれるのか? 嬉しいね」

「社交辞令」

「ワーオッ! 人畜無害にして無病息災とご近所でも評判なオレになんて辛辣なッ!」

 

気に食わない客人にして怪我人フワ・アトリはわざとらしく泣き真似をする。

そんな彼の横でロコンは盛大なため息をついた。

 

「……状況はあまり良くないみたいだな」

「ええ。最悪よ最悪。あんたに構っている暇はないからさっさと向こうに行ってくれる? それともカビゴンを退ける方法、何か思いついたの?」

 

この男――フワ・アトリは嫌いだ。金に汚いところがフェルナンを彷彿とさせる。

常に斜に構えた言動は旦那様の善性や、一生懸命働いている従業員を馬鹿にしているようにも見える。

 

「捕獲が出来ればよかったんだが、それが出来ないならお手上げ。打つ手なし」

「役立たず」

 

ふんぞり返って敗北宣言するアトリにロザリーが放つ言葉は冷たい。

アトリは肩を竦めて苦笑いした。

 

「そう言うな。一応周り調べてみて収穫はあった」

 

そう言って取り出した手土産を目にしてロザリーは頬をひくつかせた。

 

「ま、まいど……」

 

簀巻きにして逆さ吊りにされた昨日のスキンヘッドは愛想笑いを浮かべて挨拶した。

 

「それ……なに……?」

「農場の周りをチョロチョロしてるところをロコンが見つけてな、怪しかったから」

「縛って吊るしたと?」

「おう」

 

ロザリーは眼を覆った。とりあえずどこから突っ込みを入れたらいいものか。

 

「で? 昨日の今日でよく顔を出せたなハゲ。よっぽど愉快な脳細胞をしていると見える。ミディアムかレア、どっちがいい?」

 

ロコンが軽く火を吹いた。

 

「……ウェルダンでもいいぞ」

「あっつぁああ!! 熱い熱い! 勘弁してくれよトレーナーの旦那ァ!」

「ちょっと、今はそんな奴に構っている場合じゃないでしょう。あのカビゴンを退ける方法を考えないと――」

「その必要はない。サクッと拷問すればこいつの上の業突く張りの悪だくみに裏付けがとれるだろ」

 

一瞬、彼が何を言っているのかわからなかった。

 

「どういうこと?」

「相手の商売を妨害して、八方塞がりになったところに足元を見て底値で買い叩く。地上げ屋がよく使う手口だ」

 

それはつまり今回のことを仕組んだ黒幕がいるということだ。

 

「フェルナンが……。そんな、まさか……」

「経営が黒字に転化するってタイミングで明らかに人為的な妨害工作。疑うなって方が無理だろ」

「しょ、証拠は?」

「ねーよ。けど今この農場が潰れて一番得するのはそいつだ。ジョルジュさんが他にも誰かに恨みを買っているってことだったら話は別だけどな」

「そんなことあるわけないじゃない!」

「それにはオレも同感だ。見ず知らずの人間をサラッと信じてしまう。あんな善人、そうそう誰かに恨まれるとは思えない。とすれば1番怪しいラインは決まる」

「け、けど態々損害を増やして買い取るなんて、そんなことありえるの?」

「この農場には一般に流通していない木の実が沢山ある。ヤチェの実、オッカの実、ソクノの実……。どれも栽培が難しく、プロのトレーナーなら大枚をはたいてでも欲しいはずだ。乾燥させてからポケモンセンターや民間の医療機関に卸したら、その利益を独占できる。

その上、新部門の養蜂も軌道に乗り始めている。

流通の問題とコスト、そしてやり方をちょっと見直せば、1年でこの農場はすごい利益を出すよ」

「信じられない……」

 

めまいがする。

今でこそ疎遠だが、ジョルジュとフェルナンは無二の親友だった。その相手をたかがお金の為に、ここまで汚い手で陥れるなど……人間の所業ではない。

アトリもまた憂いに満ちた表情を浮かべた。

 

「守銭奴になれとは言わねーが、自分たちの持っている物の価値は正しく認識した方がいい。『無欲』といえば聞こえはいいが、こいつの主人と同じ守銭奴のオレから言わせればそれは付け入る隙だ。こういうハイエナみたいなのは他人を陥れてでも、自分の利益を増やそうとする。…………全く、度し難い」

 

アトリの言葉にはまるで体験してきたかのような、妙な実感があった。

もし、彼の言った推測がすべて当たっていたとしたら――考えただけで沸々と腹の底から怒りが湧き上がってくる。

 

「まあ、なんにしてもまだ証拠はない。裏をとるのはこれからだ。――――まずは手始めに炙り焼きにしてやろう。煮ても焼いても食えそうにねぇが」

「いやあああああ! サディスティックないい笑顔――ッ!!」

 

黒い笑み全開のアトリと、「これって自白の強要じゃない?」と目線で訴えかけるも主人と同じく黒い笑みを浮かべる――こちらはアトリと違い、黒くとも可愛いが――ロコン。一人と一匹は青くなるスキンヘッドにじりじりと詰め寄った。

 

「勘弁してくれぇ!俺の主人があんたに会いたがっているって伝えたかっただけだ! あんたと事を構える気なんざ全くねえ! 本当だ、信じてくれ!」

 

絶叫し顔中から色んな汁を垂れ流して泣きを入れるスキンヘッドが少しばかり哀れに思えてきた。見て少しだけ溜飲が下がったことだし、脅かすのはこれくらいでいいだろう。

 

「……仕方ないわね。冗談はここまでにして、用件を聞きましょう」

「冗談?」

「え?」

「え?」

 

妙な温度差を感じた。少しばかり開いた間。

それを誤魔化すかのようにアトリは大げさに頷いた。

 

「ああ、そうそう。冗談だ、冗談。イッツ・シンオウジョークさ。HAHAHA」

 

早口で捲し立てるアトリに何処か薄ら寒いものを感じる。まずこいつを捕まえた方がいいのではないか、と思いながらスキンヘッドの拘束を解いた。

 

3

 

日が傾きかけた頃、会議を終えすっかり憔悴しきったジョルジュが顔を出した。

 

「ロザリー、すまないが水を一杯くれないかね」

「はい、旦那様」

 

受け取った水を一気に呷り、一息つく。

僅かにだが目に生気が戻った。

 

「アトリ君、変な事に巻き込んですまないね」

「…………大丈夫ですか」

「うん。少しだけ厄介なことになったけど心配はいらないよ。きっとなんとかなるから」

 

なんとか笑って見せていたが、僅かに曇った表情から彼の暗澹たる気持ちが感じ取れた。

 

「フェルナンに頼んでみるよ。この間、彼に担保として預けた『ポケモンの笛』があれば、カビゴンを動かすことが出来るかもしれない」

 

ポケモンの笛……。聞いたことがある。

この世に5つとない希少品。一度吹けばこの世の物とは思えないほど綺麗な旋律を奏で、深い眠りについているポケモンですらも瞬く間に目覚めさせてしまうという。

確かにそんな便利アイテムがあれば、今直面している問題など簡単に解決できるだろう。

フェルナンが解決策を先に奪っておいたからこそ、進退窮まった状況にジョルジュを追い込めたと考えられる。アトリの予想を補強するファクターがまた1つ増えた。

 

「旦那様、でもそれは……!」

「もうそれしか方法はない」

 

アトリは蟀谷を指で叩き始めた。

どうやらジョルジュはフェルナンに交渉を持ち掛けるつもりのようだ。

しかし、それは無条件降伏だ。必ず相手は頭を垂れたジョルジュの足元を見て無理な条件を吹っかけてくるだろう。そして彼はそれを飲む。

そうしなければどうにもならない状況ではある。だが、

 

……気に入らねえ。

 

沸々と腹の底から怒りが込み上げてくるのを感じた。

借金を払いきれず、ただ破産するだけならばアトリは我関せずの姿勢を貫くつもりだった。

ジョルジュの困っている者を助けたいという考えは人として尊く、そして正しい考え方だ。

しかし、助けたい、という思いだけですべての人やポケモンを助けられたら誰も自分の弱さに葛藤などしない。現実と折り合いをつけて自分の弱さと共存していかなければ、やがては身の丈に合わない理想に潰されてしまう。

もしそうなったとしても、それはジョルジュが選んだ道であり、気の毒には思うが、自分の手の届く範囲を見誤ったジョルジュの落ち度だ。あるいは彼は彼の信念に殉じたのだろうな、と思ったかもしれない。

 

しかし、今回の件は明らかに違う。

悪意を持った者がジョルジュを、農場で働く人間を、自分たちの仕事に胸を張って生きているポケモン達を陥れて、不当に上前を撥ねようとしている。

 

そんな理不尽は許してはおけない。許してはいけない。

 

「考えがある」

 

アトリは一歩前に進み出た。

首を突っ込むな、と理性は警告してくる。面倒ごとになるのは火を見るよりも明らかだ。

だが、そんなことはもう考えないことにする。どう動くかはもう決めた。

 

「どういうこと?」

「これを」

 

ジョルジュに渡したのは『愛と豆』改めフィリップが持ってきたパルファム宮殿の主からの手紙。

中身は「フラダリラボ直参トレーナーである貴殿を客人として我が屋敷に招き入れたい」といった内容である。

 

「……私には君の行動を制限することはできない。君がフェルナンのところに行きたいっていうのだったら……」

「ああ、違いますよ。そういうことじゃありません」

「どういうことだい?」

「僕を招いたってことはフェルナンって人は僕になんらかの利用価値があると考えたのでしょう。なら、直接話す場が出来る」

「……あんた、いったい何を考えてるの?」

「借金していると言いましたね。いっそのこと、そいつにもっと金を出させましょう」

「なんですってええええええ!?」

 

4

 

アトリの計画を聞き終わり、ジョルジュは深く考え込んだ。

 

「もちろん、今の計画はあくまで構想段階。実現しようとするなら、もう少し詰めていかないといけない」

「チンプンカンプンだわ!」

「君、年齢はいくつだったかな?」

「17歳ですが?」

「その年でよくこんな大がかりな事が思いついたね。末恐ろしいよ」

 

正直、アトリ自身も大言壮語を吐いた、という自覚はある。

フラダリラボやプラターヌポケモン研究所への根回しもいるし、彼らがこの話に乗らなければ、このプランは水泡に帰すだろう。良い物が必ず売れるとは限らないのだ。

だが、一方でジョルジュの料理の腕や、この農場の経営方法ならフラダリやプラターヌなどは乗ってくるような気がする。そうなればフラダリラボとプラターヌポケモン研究所を巻き込んだ大立ち回りとなるだろう。

 

そして、フェルナンという男からも、是が非でも金を搾り取ってやらなければならない。

 

「よく分からないけど、本当にうまくいくんでしょうね……?」

「…………わからん!」

「役に立たないわね」

「仕方ねえじゃんよー。オレの働いていたところは気に入らないことあれば拳で解決する。そんなリングマみたいなおっさんが殆どだったんだからよー」

 

非難がましいロザリーの発言にアトリは唇を尖らせて反論した。

幼い頃から大人に混じって働いてきたことから人よりも世間擦れしていると自負はしているが、バカであることに定評のあるアトリとしては策を考えるなんてまどろっこしいことは肌に合わない。そんなことするよりも元凶にドロップキック一発見舞った方が遥かに手っ取り早いとすら思っている。

 

「何か言いたそうだな」

 

水を向けられたロザリーはジョルジュを見て一瞬だけ逡巡したが、意を決したように口を開いた。

 

「……あんたを味方だと思っていいわけ?」

「失礼だよ、ロザリー」

「ですが!」

「確かにその懸念は尤もだと思いますよ」

 

信用のできない相手に自分たち――いや、大切に想っている人の命運を任すのは誰だって不安だろう。

 

「ですが、そこは信じてください。私はフラダリラボのトレーナーです。

無名の木っ端トレーナーを拾ってくれたフラダリ代表には返しきれない恩がある。あの人の名前を汚すような真似はしません。絶対にです。それに、この農場が無くなるとオレが困る。報酬の件、頼みますよ」

 

ジョルジュは頷き、アトリの手を取った。

 

「情けない話だが、今は君しか頼れない。お願いだ、どうか皆を守ってほしい」

「最善を尽くします、とだけ言っておきます。それでは早速、パルファム宮殿の主に招待を受ける旨を伝えます」

 

淀みない声で答え、部屋を後にする。沈みゆく夕日を無感情な瞳で見つめた。

 

 

――お前は嘘つきだ、フワ・アトリ。

 

不意に心の中で囁く嫌な声を聞いた気がした。

 

自分の気持ちに嘘をつくな。

本当は元凶を叩き潰してやりたくてウズウズしているのだろう?

だったら構うことはない。闘争本能の赴くままに全てを焼き尽くしてしまえ。

 

闇の中から這い出た姿の見えない怪物は父がアトリ達に行った仕打ちを、終わりのない虚無的な日々を思い出させる。

 

平然と家族を裏切ったあの父を持つお前は知っているだろう。人とは裏切るものだ。

友を裏切って平気な人間だっていても不思議じゃない。

 

そして、他人を平気な顔で欺くお前も、いつかきっと同じように大切な者を傷つける存在になり下がるだろう。

 

そんなことにはならない……。

アトリは静かに頭を振って闇の中で囁く声を否定した。

 

オレはあいつとは違う。恩を受けた人に仇で返すような真似はしない。

そんなことをするくらいなら、死んだほうがマシだ。

 

闇の中でアトリを見つめている何かが嘲るように笑った気がした。

 

その虚勢、どこまで続くか見物だな……。

 

アトリは眉間に深い皺を刻みつつ、今やるべきことに意識を集中させる。

闇の中からじっとアトリを見ている存在はもう感じなかった。

 

 

「オレは守銭奴だ。相応の報酬があればどんなことでもする。だけどな、守銭奴にも守銭奴なりにプライドはある。契約を結んだ相手は絶対に裏切らねえ。例え報酬の100倍提示されてもな」

 

 




評価をつけてくださった皆さん、ありがとうございました。

前回に引き続き、誤字報告してくださったニコニコカービィさん、ありがとうございました。

ひとまずストック分はあと僅かとなっていますが、コクボタウン編の着地点はほぼ出来上がってます。更新速度を速めるために章ごとに小出しにするという方法を考えています。しばらくお試しでそちらでやってみようと考えています。



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第45話 VSトリミアン

1

 

「ハッサム」

 

モンスターボールから飛び出た瞬間、 180度回転してアトリに殴りかかってきた。

アトリは次々に繰り出されるハッサムの拳を避ける。避ける。避けまくる。

攻め手を止めたハッサムの舌打ちが脳に直接響いた。いつもの偏頭痛に思わず顔が歪む。

 

『外したか』

「外したか、じゃねえ! 何しやがるッ!」

『お前の残念な顔をリフォームしてやろうかと思っただけだ』

「余計なお世話だ。つーか言うほど残念じゃねえ!」

 

と、思いたい。

少なくとも不細工ではないはずだ。

 

『何の用だ?』

「単刀直入に言うぞ。力を貸せ」

 

やはりと言うべきか、ハッサムは鼻で笑った。

 

『そういうことは他の奴に言え。俺は寝るのに忙しい』

「そうはいかない。今回ばかりは是が非でもお前に働いてもらわないと」

『ざけんな。何故この俺がニンゲンなんざ助けるために動かなければならない』

「ニンゲンの為だけじゃない。ポケモンの為に、だ」

 

ハッサムは剣呑な表情を浮かべて、アトリの首に手をかけた。

 

『ポケモンの為? 報酬の為にニンゲンの犠牲になったポケモンを始末したお前にそんなことを言う資格があるとでも思っているのかよ?』

「…………」

 

今度は一切の抵抗をしなかった。自分の言葉の何がハッサムの逆鱗に触れたのかをよく理解していたからこそ、逃げるわけにはいかなかった。

 

『そのよく回る舌、首ごと切り落ちしてやろうか』

「お前がやるべきだと思ったならそうするといい」

 

毅然と言い放ったアトリにハッサムは右目を細めた。鋭利な眼差しはアトリの覚悟を試すかの様に注がれる。

 

「…………許せないんだ」

 

囁く声は氷点下まで冷え込んだ。

 

「昨日のズルッグ達を見ただろう。住処を奪われた怒りのままニンゲンを襲い、結果――オレが始末した。やりたくなかったのに……ッ!」

 

血を絞り出すような声をなけなしの理性で押さえこむ。

気を抜くと怒りが溢れそうにだった。怪物は檻の中で荒れ狂っていたが、大丈夫だ。

手綱はまだ握られている。

 

「このまま放っておけばジョルジュさん達だけじゃなく、そこで働いているポケモンもあいつらの様に行き場を無くす。策はある。

今だけでいい。オレをトレーナーと認めて、力を貸せ、ハッサム」

 

鋏に力が篭る。首筋から一筋、血が流れた。

それでもアトリは身じろぎせず、ただ身を委ねた。

重苦しい沈黙が訪れた。

 

『嫌な奴だ……』

 

やがてハッサムは矛を収めた。

 

『善人と呼ぶにはあまりにも汚く、悪党と呼ぶには甘すぎる』

「清濁併せ持ってこその人間だ。お前の人間像は極端すぎるんだよ」

 

フン、とハッサムは不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

『いいぜ。お前の喧嘩、助太刀してやる』

 

信じることに理由はいらないとロコンは言っていた。

だが、ハッサムは彼ほど素直にアトリを慕うことなどできない。

彼は聖人君子ではない。強欲で、自己評価が異様に低く、敵と認識したものには冷酷で、やるべきと判断したなら激しい感情を腹の底に収め、最も合理的な方法で事態の収束を図る。

一方で、その気性の荒さとは裏腹な秩序を重んじ、自分が不利になろうとも最低限の筋は通そうとする。

 

矛盾だらけ、欠点だらけな人間だ。しかし、だからこそ――

 

『お前がこれから何をして、何者になっていくのかこの目で見届けてやる。その代り俺の主に相応しくないことをしやがったら即ぶっ殺してやるからな。よく覚えておけ』

「応とも! そんじゃあ大いに頼りにさせてもらうぜ!」

 

モンスターボールの中でロコンが静かにほほ笑んだ気がした。

 

2

 

フェルナン・M・パルファムから招待を受けたアトリは6番道路の長い並木道を抜けた先にあるパルファム宮殿を前にして固まっていた。

でかい。兎にも角にもでかい。ジョゼット・ジョースター宅よりもでかい。

その上所々にあしらった金色の細工がライトアップされており、夜でも眩しさに目が眩みそうだ。

なんだろう、この胸の高鳴り。キュンキュンしちゃう!

あれは絶対本物の金だ。黄金だ。ゴールドだ。

不景気だ、就職難だ、とはいっていても金はある所にはあるのだな、と思う。

 

同時にあの金ぴかをこっそり合法的に頂いて借金の返済の足しにならないだろうか、とせこい上に不穏なことを考えていた矢先だった。

 

「フワ・アトリ様、ですね」

 

モノクルをかけた老紳士が優雅に一礼した。執事だ。

モココが「ファー……?」と首を傾けた気がした。

違う。羊ではない。執事だ。

 

「私はルータス・クルザント・メルルギアット・バンフェム・キンヴァリー。パルファム家にお仕えさせて頂いている執事にございます」

「ル、ルータス・クル……?」

 

あまりにも長すぎる名前にアトリの残念な脳細胞は早々に職務を放棄した。

 

「どうぞ親しみをこめて執事のルーたん。または魂の名であるセバスチャンとお呼びください」

 

一切合切表情を変化させずそう告げる執事のルーたんを前にアトリはもしかして自分はとんでもない場所に足を踏み入れてしまったのではないか、と戦慄した。

 

「おや、如何致しましたか? 顔色が優れませんね。ルーたん心配ですぞ」

「い、いえ少し……胃が……」

「左様ですか。医者を手配いたしましょうか?」

「おかまいなく……。それよりも」

「はい。では、我が主の元へ案内いたしましょう」

 

巨大な門が開いた。ルータスに連れられ屋敷へ通され更に愕然とした。

目の前に鎮座していたのは、またしても黄金像。ミロカロス像がアトリを迎えた。

長い廊下の側面にはこれまた黄金のキリキザン像と金銀細工が規則正しく配置されている。

高い天井にはこれまた値の張りそうなロココ調のシャンデリアがこれでもか! というくらいに吊るされていた。

 

アトリは並々ならぬ怒りを覚えた。

これだけの財を持ちながら、まだ不足か。まだ他者から奪おうというのか。

ジョルジュさんは自分が貧しくても、他の誰かの為に自分の身を削っているというのに、何故お前のような奴が……!

 

強く握った拳で掌から血が滲んだ。

 

一呼吸置き、気持ちを平静に保つよう努める。

 

落ち着け。

あの銭ゲバには利用価値がある。キレたら負けだ……。これはそういう喧嘩だ。

最初から厳しい交渉になることはわかっていたはずだ。短気を起こすなよ、オレ。

 

「こちらで主人がお待ちです」

 

そう言われて通されたのは2階のバルコニー。先が見渡せないほど広い庭園を臨んでいる一人の男がいた。

 

「やあ、待っていたよ。私はフェルナン・M・パルファム。このパルファム宮殿の管理を任されている者だ。君の名前を聞いておこうか」

 

高そうな高級スーツを身にまとい、腕にはブランド物の時計や金銀細工のアクセサリーをジャラジャラと光らせている。整ってはいるが、何処か一癖ありそうな顔立ちにアトリは一層気を引き締めた。

 

「フラダリラボ直轄トレーナー、フワ・アトリと申します。本日はお招きいただいて恐悦至極に存じます」

 

一礼しながら心の中で舌を出した。アトリの心中など知る由もないフェルナンは上機嫌に笑った。

 

「いいね。礼儀正しい人間は好きだよ」

 

礼儀正しいのは表面上だけで、本性はチンピラに近い気がするが、この場であえてそんなことを言う必要はないだろう。

 

「今日はよく来てくれたね。粗末なところだけどゆっくりしていってくれ」

 

『粗末』という単語に気付かれないよう小さく鼻で笑った。

貧乏人の僻みかもしれないが、過剰な謙遜は嫌味にも聞こえる。

 

「昨日の君の活躍はフィリップから聞いたよ。すごく強いそうじゃないか」

「失礼。その『フィリップ』という方はどなたでしょうか?」

「刺青のスキンヘッドの男さ。あれでも私の部下の中で腕の立つ方なのだが、そんな彼を全く寄せ付けなかったそうだね。ぜひ一度君のポケモン捌きを直に見てみたいと思ってね」

 

ルータスはシルフカンパニーの刻印が打たれた革製の箱を開いた。中に入っていたのはまたもや金色のモンスターボールが6つ。その中に1つを手に取り、フェルナンは構えた。

 

「私と1対1のポケモンバトルをしてくれないかね」

「……いいのですか? 私は末端とはいえ、フラダリラボのトレーナーです。社の名前を貶めない為に、手を抜くことはできませんよ」

「構わない。むしろそれでこそ意味がある」

「承知しました。では――仕事の時間だ。いくぞ、ハッサム!」

「マリー!」

 

マリーと呼ばれたポケモン、トリミアンは咆哮をあげた。

その打たれ強さと忠実な性格からカロス地方で高貴な身分の人間の護衛として働いてきたポケモンで、ミアレシティでは長い体毛をカットすることで様々な姿にすることが流行っている。そして、フェルナンのトリミアンもその例に漏れずレディカットと呼ばれる帽子を模したトリミングをされていた。

品種改良や研究が進んだ現代ではどちらかといえばバトルよりも鑑賞・ペットとして人気が高いポケモンだが、侮ることはできない。マイナーなポケモンは戦略の予想がつかない。その不確定要素は十分な脅威だ。

 

「くれっぐれも物は壊すなよ。そこら辺の装飾、1つでもぶっ壊そうもんならオレの借金スパイラルが更に加速すること請け合い。やあ、無情……」

 

半笑いでがっくりと肩を落とすアトリにハッサムはヘッとシニカルな笑みを浮かべる。

 

『態とぶっ壊してやるのも面白いかもな』

 

笑えない冗談だ、と心の中で笑って蟀谷を指で叩き始めた。

羊のルーたん、もとい執事のルータスがゴングとハンマーを持ってハッサムとトリミアンの間に立った。

 

「それではお二人ともよろしいですかな? ポケモンファイト、レディーゴー!!」

「マリー、『ワイルドボルト』」

 

トリミアンは咆哮をあげて全身に電光を纏った。そのままハッサムの死角に回り込み突撃してくる。それをハッサムはまともに受けた。

ハッサムの体が衝撃で大きくよろめく。トリミアンはすぐさまハッサムの間合いの外へ離脱し、再び右側に回り込む。

 

「いけるか!?」

『余裕ッ!』

「よし! 舞えッ!」

 

ハッサムは『剣の舞』を使い、力を研ぎ澄ます。その間隙を縫ってトリミアンは再び激突した。交錯する一瞬を狙ってハッサムはトリミアンを捕まえよう鋏を伸ばす。しかし、見えない右側ではそれも叶わず空を切った。

 

「ふふ、うちのマリーもなかなかやるだろう? 一流のポケモントレーナーが手塩にかけて育てた自慢のポケモンだよ」

「……………」

「ふっ、会話を楽しむ余裕もないかい。それではマリー、もう一撃!」

 

三度目の『ワイルドボルト』を見舞ったとき、フェルナンは違和感を覚えた。

 

「何故倒れない?」

 

『ワイルドボルト』は『ボルテッカー』に次ぐ電気タイプの上位技。その威力は折り紙付き。最初の一撃で大きくよろめいたことから効いていないはずがない。

 

「もう一回だ!」

 

突撃してくるトリミアン。アトリは蟀谷を叩いていた指を止めた。

 

「そこだッ!」

 

ハッサムは直線的に突っ込んでくるトリミアンを躱し、鋼の挟を首にぶつけた。

鋭い一撃はトリミアン特有の柔らかく衝撃を吸収する『ファーコート』をも突き抜ける。

ハッサムは一歩下がり、残心をとった。しかし、倒れたトリミアンが起き上がってくることはなかった。

 

「そこまで、ですな」

「素晴らしい、期待以上の腕前だ!」

 

トリミアンをモンスターボールに戻したフェルナンは手を叩きアトリを賞賛した。

 

「マリー、ご苦労だったね。ルータス、マリーを労わってあげなさい」

「かしこまりました」

 

ルータスはトリミアンの入ったモンスターボールを受け取ると一礼をして退出した。それを見届けた後、フェルナンはアトリに歩み寄った。

 

「客室へと案内しよう。そこで少し話をしようか」

 

通された客間は酷く居心地が悪かった。

いい加減見慣れてきた金銀細工の装飾や派手な甲冑をオープン・ザ・プライスな場所に持っていったらどれだけの値が付くだろうか、などと想像しただけでもトキメキの導火線が体中を駆け巡りそうだ。

 

「そう緊張することはない。楽にしたまえよ」

 

曖昧にほほ笑みながら、ブルジョワアレルギーなアトリは心の中で人様に聞かせることの出来ない罵詈雑言を並べ立てた。

フェルナンの入れた紅茶を口に含んだ。不思議と深みのある味わいに少し緊張が和らいだ気がした。

 

人格や趣味が破綻している人間がこんなうまい紅茶をいれるなんて詐欺じゃなないか。

 

「本当はジョルジュにも一緒に来てほしかったのだがね、あることを境に疎遠になってしまったんだ。寂しいことだね」

「昨日のような取り立てをしていれば当然のことかと」

 

アトリの軽いジャブのような嫌味にフェルナンは怒るどころか苦笑して受け流した。

 

「誤解しないでほしい。あれはフィリップが勝手にやったことで私としては穏便に事を済ましたいと思っているのだよ」

「なら、そのように指示を出せばいいでしょう」

「それがそうもいかないんだよ。困ったことに彼は頭に血が上るとすぐに暴力に訴えるからね。制御が効かないんだ」

「上司なら部下の教育くらいちゃんとしてください」

「ははは、耳が痛い」

 

一体その言葉の何割に真実があるのだろうか。政治家と金持ちはたいていが二枚舌だ。

 

「さて、今日は君を招待したのは他でもない。君の腕を見越してお願いがあるのだよ」

 

きた。本題。

 

「私のもとでその力を存分に発揮してみる気はないかね」

 

リアクションはとらず紅茶を飲みこみながらその提案を咀嚼した。

 

「貴方のもとには既に荒っぽい連中がいるでしょう。わざわざ私を雇う必要はないのでは?」

「フィリップのことかね? 彼は頭が悪い。むやみに事を荒立てるから、揉み消すのに随分余計な手間をかけさせられた。事実、昨日もジョルジュのところのメイドに狼藉を働こうとしたらしいじゃないか。その点、君なら安心だ。相応の礼節を心得ているし、何よりもフィリップよりも腕が立つ」

「それはつまり、フィリップの後任として私があの人(ジョルジュさん)の取り立てを担当しろ、ということですか?」

「誤解しないでほしい。私は彼を追い詰めたいわけじゃないんだ。こう見えて彼を高く買っているのだよ。あの料理の腕はまさしく至高の宝。その気になれば、あの3つ星レストラン『レストラン・ド・キワミ』以上の名店にだって出来る。

だが、悲しいかな。彼は自分の才能を生かす術を知らない。毎日毎日彼の料理の価値がわからない従業員の賄い食を作るだけなど、才能の無駄使いにもほどがある」

 

その理屈はわかる。

才能というのは世間に評価されることで初めてその価値を認められるものだ。

 

「賃金は月に40万円出そう。君の働きによっては更に増額もあり得る。どうだね?」

 

やけに喉が渇く。ちびちび飲んでいた一気に紅茶を飲みほした。

 

「…………ジョルジュさんと友達だったんですってね」

「なんだね、藪から棒に。……『だった』ではない、今でも彼は私の大切な友人だよ」

「だったら何故こんな回りくどい方法をとるのですか? あの人なら『一緒にやろう』と言えば、『NO』とは言わないでしょうに」

 

ほんの一瞬だが酷く不愉快そうな表情を見せた。

 

「なんということはない。ちょっとした行き違いさ」

「というと?」

 

フェルナンは紅茶を飲んだ。

アトリにはそれが苦い感情を一緒に押し流しているように見えた。

 

「……かつて私はジョルジュと世界一のレストランを作ると約束をしていた。私は経営で、ジョルジュは厨房で。2人で組めば、あの『ズミ』とかいう若造の構える店よりも大きな――このカロスを代表するレストランにさえできただろう。彼が私の経営方針に異を唱えさえしなければ……」

「差支えなければ、何があったのか聞かせていただけませんか?」

 

深いため息と共に首を左右に振った。

 

「私はVIPを相手にした高級レストランとして売り出すことにしていた。ジョルジュの家が経営している木の実畑でとれた最高級の食材を最高のシェフが料理する。私の家のコネクションがあれば、客足のきっかけは作れる。食べてさえもらえれば、どんな大金を積んででも食べたいという客が殺到する。……事実、始めて3年間はとても順調だったよ。

あと少し、あと少しで2つ星に手が届くところだった。それを――ッ!」

 

カップを持つ手に力が入り、目を強く瞑る。眉間には深い皺を刻まれており、強いストレスを感じているのがわかった。

 

「彼はある日急に情熱を失った。

より多くの人に食べてもらえる大衆食堂でなければ嫌だと言ったんだ! 『限られた僅かな人よりも、多くの人に自分の料理を食べてもらいたいと』。私は『バカな』といった! 当然許さなかったさ。有名にするには知名度が必要だ。知名度を上げるには格の高い顧客を呼ぶしかない。そして、そんな舌の肥えた顧客に満足してもらうには相応の値段をつけなければならない。彼を世界一の料理人にプロデュースする為には、貧乏人にかまけている暇などないのだよ!

しかし、それに我慢が出来なかった彼は辞表を出して、実家に引っ込んでいった。ジョルジュという柱を失ったレストランは一気に客が離れていった。……こうして私たち2人の夢はあっけなく崩れていったよ……。いや、『私たちの』と思っていたのは私だけかもしれないな……」

 

フェルナンはカップに温かい紅茶を注ぎ、一口飲む。そして立ち上がり日の落ちた庭を臨んだ。

 

「些か喋りすぎたね。すっかり遅くなってしまった。ルータスに部屋を準備させよう。返事は明日でいい。今晩はゆっくり休んでいってくれたまえ」

「お気遣いいただきありがとうございます」

「なに、客人をもてなすのは当然のことさ」

 

4

 

「うおー……、終わらねえ……」

 

あてがわれた部屋でアトリはホロキャスターのアプリに文字や数値を打ち込んでいた。

終わらない例の計画のプレゼン用資料作成。

貧乏時代、中二病を患っていたときの黒歴史妄想がこうして役に立つなど、正直夢にも思っていなかった。今、見ると酷い内容だ。内容の稚拙さが実に恥ずかしい。

しかし、そのおかげで今回のプランを思いつき、パルファム宮殿を訪れるまでにプレゼン資料の骨格が出来上がったのも、また事実。

人生というセーブもロードもないクソゲーはどんな装備が役に立つのかわからないものである。

 

しかし気がかりなのは、先ほどのフェルナンの言葉。

 

彼の話を真実だとすると、先に裏切ったのはジョルジュの方だ。しかし、と少し思案する。

会って間もないが、自分の知るジョルジュは『たくさんの人を笑顔に』とかお花畑なことはいいそうではが、無責任に投げ出すようなことはしない人だ。むしろ背負わなくてもいい余計な責任まで背負うタイプだ。

 

……どうにも解せない。フェルナンの語ったジョルジュ像とアトリの考えているジョルジュ像に乖離を感じる。まだ語られていない真実があるような……そんな気がする。

 

そして、もう一つ。フェルナンの目的は木の実畑の権利を得て、利益を貪ることではない。

ならば、何故? 

 

「……ああ、そういうことか」

 

もし、フェルナンの目的が想像通りだとすれば、今回の問題は驚くほど簡単に決着が尽きそうだ。

 

「大人が拗らせるとこうも面倒くせェことになるんだな」

 

オレも気をつけよう、と決心するアトリだったが、横で欠伸をしていたロコンは「手遅れだよ」と既に拗らせている主人に失笑していた。

 

というか、そんなものどうでもいいんだよ。

ジョルジュとフェルナンの間にどんなわだかまりがあろうと関係ない。

そんなもんは今回の計画達成後に当人同士で何とかしろってんだ、大人なんだから。

それよりもプレゼン資料が終わらねェ……。

型落ちのホロキャスターでは処理能力が遅すぎる。

もっとスペックの良いパソコンが欲しい……。

 

頭を抱えて考え込んでいたその時だった。

 

「動くな、であーる」

 

唐突に後ろから声をかけられた。

首筋には何やら鋭利なものがチクチクと刺さってくる。

 

「そのままゆっくり振り向きな、であ~る。少しでもアクセス数を爆上げするような行お動をすると吾輩特性光る! 回る! 音が出る! 『クルクールーまーわーるーこのドーリールー♪(バリトンボイス)』が貴様を大変なことにするのであーる!」

 

聞くものの疲労感と徒労感を煽るこの声は物凄く聞き覚えがあった。

言われた通りゆっくりと振り向くと目の前にいたのは期待を裏切らない(裏切ってほしかった)あの2人組。

 

「お、お前らはヘンデスとグレテル!」

「ヘンゼルと!」

「グレーテルです」

 

自称・今をときめく秘密結社『ふらんだーすの犬』が擁する一億五千万年に一人の大天才プロフェッサー・ヘンゼルとその助手グレーテルは決めポーズを決めながらアトリの前に姿を現した。が、次の瞬間―――――出オチ感溢れる二人組はロコンの炎で爆散。黒焦げにされた。無常である。

 

 

 




続けて46話冒頭を更新します。


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第46話 プレゼン

1

 

「どうする……。どうする……」

 

フィリップは落ち着かない様子で部屋の中を右往左往していた。事は重大だ。少し前にこの屋敷の主が迎え入れたフラダリラボ所属のトレーナー。

彼を招いた目的が気になり、部屋の外から聞き耳を立てていたが、まさかフェルナンが奴に鞍替えするつもりだったとは……。

 

もし、フワ・アトリがフェルナンの申し出を受ければ、用済みの自分はすぐさまお払い箱になるだろう。そうなれば……かつてのロケット団の様に今までやってきたことの報いをうけることになる。

 

カロス地方から遥か遠くにあるカントー地方。そこを牛耳っていたポケモンマフィアロケット団。そこにいた日々は本当に楽しかった。

 

無論上への上納金やフロント企業の運営など考えることはあったのだろうが、フェルナンの役割は頭脳労働とは別だ。上に命じられた通り暴れて、壊して、奪って。

限度を超えなければどんな享楽も許される。趣味と実益をかねた素晴らしき日々。

 

だが、ある時そんな日々は終わりを告げる。

ロケット団最強のポケモントレーナーであり、カリスマであるボスが一人の少年に完膚なきまでに叩きのめされたのだ。ロケット団における絶対者の敗北は団員たちを震撼させた。

そしてさらに悪いことにボスはその敗北を境に一部の側近達に対し一方的な解散宣言をしたうえで姿を眩ましたのである。

未だにボスを信奉している上役が言うには「ボスのポケモントレーナーとしての矜持がそうさせた」とのことだが、フィリップからすれば馬鹿馬鹿しいことこの上ない。真正面から勝てなければ闇討ちするなり、人質をとるなりやりようはあるはずだ。寧ろマフィアとしての本領はそこにあるはずだというのに。

何にしてもカリスマを失った組織の凋落はあっという間であった。

頭に切れるものはまだいい。持ち前の頭脳を生かして組織の再編・縮小に重宝されたり、一般社会に帰ることが出来るのだから。

しかし、自分のような暴力しか取り柄のないアウトローはそうもいかない。

しかもフィリップは組織のしてきた違法な仕事を知りすぎている。万が一国際警察などに捕まれば幹部どころか生命線であるフロント企業の存続が危うくなるほどの情報も握ってしまっている。頭が悪く、重要機密を握っている構成員が辿るべき末路は一つだ。

粛清されそうになったのをカロス地方に逃れ、現在に至る。

野垂れ死にしかけたところをフェルナンに拾われ、私兵として暴虐の限りを尽くしてきた。

今まで自分が好き勝手やってこれたのは偏にこの町を牛耳っているフェルナンの後ろ盾があったからだ。

 

主人のフェルナンに窘められてからは目に余るような行動は控えていたつもりだったが。

 

このままでは以前の二の舞だ。

 

「元ロケット団員、マツモト・フィリップ」

「誰だ!?」

 

ここには自分以外誰もいなかった。物音もさせず、気配も感じさせず女はフィリップの直ぐ傍で笑っていた。

 

「あんたは……」

 

見た者に強烈な印象を残す赤い服。近未来的なゴーグル。髪の色と同じ緑色をした唇は怪しい笑みを浮かべていた。女の名はバラ。

最近フェルナンと懇意にしている組織の幹部だ。

 

「おめでとう。貴方は見事我々の作る理想郷へのチケットを手に入れました」

「な、なにを言ってやがる?」

「いい話があるんです。聞きますか?」

 

2

 

「あーたらしい、あーさが……来た……。……きーぼーうのあーさだ……」

 

ボソボソとした声で呟くように歌う。

騒がしい一夜が明け、交渉の朝がやってきた。金細工が朝日に反射されて眩しいぜ。

フカフカの高級ベッドの誘惑を跳ねのけ、変なのに絡まれつつも、徹夜でプレゼン資料を作ったオレを誰か褒めてくれ。

作ったプレゼン資料を精査する。骨子は出来ているものの、やはり粗さがある。

せめてもう一週間あれば、現在の経営状況と今後の利益率を加味して、数値化できたというのに。自分で考えといてなんだが、かなり無茶だ。だが、分が悪いとは思っていない。

フェルナンとジョルジュの関係。オレを迎え入れたい事情も察しがついた。

オレの計画ではカビゴンを退けて流通の回復を図るというのは絶対条件ではない。

カビゴンを退ける必要などない。要は農場の財務状況さえ改善して当面凌げれば、解決策はあるのだ。

だが、懸念事項には変わりない。解決できるというのなら、それに越したことはない。肝心のキーマンが自称1億年に一度の奇跡の大天才などと修飾語過多な肩書を持つ阿呆とその秘書だ。

当てになるかどうかはわからないが、失敗しても致命傷ではない。

 

執事のルーたんに案内されて、昨日の装飾過多な部屋に通された。

そこで悪の親玉は優雅にモーニングとしゃれこんでいた。

 

「やあ、おはよう。よく眠れたかね?」

「おはようございます。いやー……、残念ながら。どうにもフカフカのベッドは落ち着かなくて」

 

フェルナンはため息をついた。

「その様子だと君を引き抜くのは難しそうだね」

「そうですね。僕はフラダリさんを尊敬しているし、あの人がボスであることに誇りを持っています。だから、フラダリラボから貴方に鞍替えすることなんて、絶対にありえませんよ」

 

もしそれでもオレを買収したいというのであれば、頭金として提示した金額の一万倍は持って来いというものだ。

柔らかい物腰での強い拒絶にフェルナンは不敵に笑った。

 

「嫌われたものだ。」

「信頼関係の築けない相手とは仕事をしたくないだけです。ましてや、スカウトのときに隠し事をする人とは、ね」

 

ピクリ、とフェルナンの眉が動いたのをアトリは見逃さなかった。

アトリはこめかみを指で叩き、徹夜明けの脳みそを強制労働に駆り出し始めた。

 

「貴方は誰かの報復を危惧しているのでは?」

 

フェルナンの表情は動かない。だが、食事をする手は止まった。

アトリは図星をついたと判断する。

思えば最初から腑に落ちなかった。

ただの用心棒というのなら、フィリップだけでも十分だったのだ。このコボクタウンにおいてフェルナンが一番の権力者ならば、フィリップというわかりやすい暴力装置があれば事足りる。だが、フェルナンはそれでは不十分、と判断したということは、考えうる理由は『抗争』の為の戦力確保。悪どいことをしているのなら、絶対に何処かから恨みを買っている為、『報復』とあたりをつけた。

先ずは第一段階『相手の真意を読み、こちらを侮れないと誤認させる』ことは達成。

これでフェルナンをリングに上がらざる得ない。

 

「なるほど、なるほど。

君は周りから馬鹿呼ばわりされているらしいが、なかなかどうして……。

だが、いいのかね? 君が私の呼び出しに応じた理由はわかっている。農場からミアレシティを繋ぐ唯一の道、7番道路――リビエールラインを封鎖しているカビゴンを退ける為に当家が所有している『ポケモンの笛』を借りに来たのだろう?」

「『ポケモンの笛』なんてなくても問題ないんですよ」

「なに?」

 

怪訝な顔をするフェルナンに対し、アトリはやたらと派手な見た目のノートパソコンと冊子を取り出した。

 

「どういうことかね? あの農場の経営状態は良くないはず。今回の件で取引が成り立たなければ大きな負債を抱えることになるのは明白。それを問題ないとは――君は一体何を考えている?」

 

喰いついてきた。と心の中でほくそ笑んだ。

あとは、こちらの話にどれほど説得力を感じてもらうか。ここからが正念場だ。

 

「その前に僕がここに来た理由をはっきりさせておきましょう。僕がここに来た理由は――――このコボクタウン一の大富豪であるフェルナン・M・パルファム氏に新事業のプレゼン、そしてヘッドハンティングをしに来たから、ですよ」

「新事業? プレゼン? ヘッドハンティング?」

 

よしよし。良い感じに混乱しているな。そのまま混乱していろよ。

冷静になる暇は与えない。ここで一気に畳みかけてやる。

 

「まずはお手元の資料をご覧ください」

 

フェルナンはアトリに渡された資料の表題には『農場直営古城カフェレストラン『株式会社ショボンヌファーム』の設立計画と銘打たれていた。

 

3

 

時間を少し遡る。

 

「やまいだれがつく方の知的なあなた。叡智の人ではないが、Hではあるあなた。久しいな! 皆さまお待ちかね――――吾輩である!」

「誰が痴的でエッチだ。適当な事抜かしてると埋めるぞ、ゴラァ」

「うひゃーははははははっ! 相変わらずのチンピラっぷり、流石はこの一億年に一人の天才とご近所でも評判の吾輩をまぐれでも倒した男であーる!」

 

黒焦げで拘束されているこの状況で何故ふんぞり返っている?

何処行ったら売ってるんだ、この強メンタル(図太さ)

 

ミアレシティでのあの事件のあと、枕に『赤スーツのついで』がつくものの、シトロン主導でふらんだーすの犬の捜査は行われていた。

しかし、こいつらときたらバカっぽいくせに意外と抜け目がなく、赤スーツと同じように全く手がかりがない。

結局は有力な手がかりは掴めないまま捜査は打ち切られた。

シトロンは苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていたが、やったことが地下の違法着工と一目でわかる偽札(おもちゃ)を作っていたというだけで、特に実害があったわけではないので、警察の判断は妥当と言える。

 

ちなみにふらんだーすの犬が作った地下室は今やシトロン専用の工作室になっているそうだ。ユリーカちゃんの目を逃れ、夜な夜なマッドな笑い声をあげながら、趣味である発明に勤しんでいるとかなんとか。転んでもただでは起きないやつだ。

 

「お前らは何でここにいるんだ?」

「知れたこと! 偉大なる我輩の次なる計画の為の下準備であーる!」

「ここの城主の悪名は有名です。ならば、そこから偉大なるプロフェッサーの野望の実現の為、資金を頂戴しようと思った次第です」

「なんじゃそりゃ羨――けしからん」

「今、ちらっと本音が出ませんでしたか?」

 

気のせいだ。

 

「しかし、わざわざオレに接触してくるとは……捕まる覚悟は出来ているんだろうな」

 

通報の為にホロキャスターを開き、シトロンの番号を検索する。すると変態プロフェッサーは目を剥いて陸に上がったコイキングのように跳ね始めた。

 

「ひ、人を呼ぶわよッ! であえ、であえィッ!」

「人呼ばれて困るのはお前だろうが。自分の立場分かってるのか? 関わりたくはないが、見つけてしまった以上は対応せざる得ない。今回は見逃さねえぞ」

 

「オーノーッ! お主、悪人面に違わず心が狭いのであーるッ!」

「誰が悪人面だッ。いい加減にしねえと捻りつぶすぞッ! ったく、出てこなければよかったものを……」

「何を言うッ! この世紀の大天才が宿敵にして終生のライヴァルと認めた貴様と夕日の砂浜で鼻血を吹くまで殴り合い宇宙(そら)! 宿敵同士が出会ってしまったその瞬間、雌雄を決するために闘うことこそ理論的科学的運命的方程式! そして育まれる断金の友情ッッ!」

「育まれません! 恐ろしいことを言うなッ! もういい。通報する」

「うぬううううんッ! やらせはせん、やらせはせんぞおおおおおッ!! 我が野望を遂げるまでは! 負けられません、勝つまでは!!」

「はいはい。そーですね」

「よくぞ聞いてくれたのであーるッ!! 偉大なる吾輩の崇高な野望! それは――――」

 

聞いてない。聞きたくない。会話が成立していない。

 

「ええっと……………………、世界征服?」

「なんで疑問符ついてんだよ。さては何も考えてないな!?」

「ええい! どうでもよいであろー! 我輩のセクシー&ダンディーな野望を達成した暁には我輩を認めなかった学会に復讐してやると決めたのであーるッ!」

「わーお、ルサンチマン……」

「別段恨みは無いのであるがな!」

「今すぐ『復讐』の意味を辞書で引いてこいッ!」

「HAHAHA☆」

「笑ってんじゃねーよッ!!」

 

どうしよう。凄まじく疲れてしまう。

というか、プレゼンの資料作りで忙しいんだが……、運悪く見つけてしまった以上、放置しても面倒になる気がする。今回の計画はオレにとっても未知の領分であるため、万難を排して挑みたい。不確定な要素は出来るだけ潰しておきたいのだ。

なのだが――そういえばこいつらって、あのシトロンが認めるくらいの高い技術力をもってるんだよな?

 

「一応聞いておくが、まさか、あのカビゴンはお前らの仕業じゃないだろうな?」

「カビゴン? なんのことであるか?」

「いい歳したおっさんが小首を傾げるな。可愛くない! いや、そっちの秘書さんは可愛いからオーケー!」

 

心の中のそろばんを弾き始める。制御できるかは未知数。

というか、こんなマルマインみたいなの制御できるとは思えない。だが、利用価値はある。

大事なのは、どの方法が一番オレにとっての利益に繋がるか。今は事情聴取を受ける時間が惜しい。タイムイズマネー。マネーは大事。ならば、リスクをとる価値はある。どうせ失敗してもともと。裏切ったら警察に突き出せば済む話だ。

 

「なぁ、おい。変態プロフェッサー。オレと取引をしないか?」

「なななんとッ!? なんとッなんとッなんとォォォッ! 吾輩の天才的頭脳を見込んだそこの貴方ッ! お目が高いッ。吾輩の超高度な技術をお目に掛れるのはカロス地方でもここだけッ。お代は見てのお帰りであるッ!!」

「『詳しく聞こう』プロフェッサーはとおっしゃっております」

「通訳どーも。出来ればこの後はそこの馬鹿フェッサーよりもアンタと会話したいもんだが」

「私の役目は偉大なるプロフェッサーの素晴らしさを全世界に伝えることです。それ以上でもそれ以下でもありません」

 

うん、なるほど。通訳以上は期待するなってことだな。……畜生めェッ!

 

「世話になっている農場とミアレシティを繋ぐ道路にでっかいカビゴンが陣取っていて封鎖されている。アンタの科学力でそのカビゴンを退かせないか?」

「? 捕獲すればよかろー」

「どうにも人のポケモンみたいでな。人の生活に影響の出るくらいだから『有害指定携帯獣』として処理できなくもないが、そこの経営者がそれを嫌うし、オレも出来るならその方法はとりたくない。というわけで――」

「この大天才科学者ヘンゼルに頭を垂れて助力を乞うのであるな!? ううううううむ、普段ならジーニアス&アインシュタインな吾輩のこの頭脳、安売りなどしないのであるが、我が宿敵(とも)の頼みであれば致し方なし! うっひゃひゃひゃひゃ! その程度の些事、この天才に掛れば朝飯前の夕飯前の昼飯前の朝飯前! 赤子の手をサブミッションのごとく解決してくれようッ!!」

「『俺に任せろ』とおっしゃっています」

「…………どーも」

 

勝手に宿敵(とも)認定されていることに物申したい衝動に駆られるが、今は少しでも時間が惜しいのでスルーすると心に決めた。

本当にこいつに任せて大丈夫だろうか、と一抹どころか百抹くらいの不安を覚えたが、腹を括ることにする。賽は投げられたのだ。

相手をするのは疲れるが、ロコンのソフトな態度を下衆ではなさそうだし、失敗しても致命傷には成りえない。

その後、秘書のグレーテルからヘンゼルが自作したという超派手にデコレーションされたノートパソコン――通称・デコパソを借り受け今に至る。

パワーポイントを立ち上げ、資料がホログラフで表示される。

オレの旧型ホロキャスターと比べ格段に処理が早くて助かる。が、この動きに連動してデコってある電飾がピカピカ光るのは何とかならないのだろうか。

そんなことを考えながらプレゼンを開始した。

 

3

 

フェルナンに出資を求める新体制。

古民家カフェならぬ農場直営古城カフェレストラン。『株式会社ショボンヌファーム』。

その実情は6次産業と呼ばれるアグリビジネスである。

卸売り部門、養蜂部門、レストラン経営を収入の3本柱に据える。

自家製の木の実、野菜を使用することで輸送費の削減によるコストカットを行う。

ポケモントレーナーへのニーズに応える為にテイクアウトのファストメニューも拡充する。

 

「プロモーションとしてジョルジュさんには元・有名レストランのシェフという前歴がありますので、それを最大限利用する予定です。

加えて私と個人的な親交があるプラターヌ博士やミアレシティのジムリーダー・シトロン氏といった社会的に地位のあり有名なゲストが『絶賛した』というコメントがあれば、広告塔として十分なパワーを持ちます。そして、フラダリラボは通信事業。提携すればカロス地方に情報を拡げるノウハウは知り尽くしている。これは経営が軌道に乗った際に構想している自社製品をブランド化して通信販売を展開するという計画にも生きてきます。如何でしょうか?」

 

フェルナンは興味深げに資料を読み込み、そして息をついた。

 

「確かに面白い試みだね。経営破綻しかけた企業の価値を高めるにはもってこいのハッタリだ」

「ハッタリ、ですか……」

「そうだろう? 確かに目の付け所は悪くない。これをまだ若い君が考えたのだとしたら、本当に大したものだ。お世辞抜きにそう思うよ。だが、この構想には大きな欠点があるということも気づいているかね?」

 

ヒヤリと、背筋が寒くなる。だが、表情を変えてはならない。

営業スマイルというポーカーフェイスを貫かなければ、この交渉に勝ち目はない。

 

「……と、いいますと?」

 

素知らぬ顔でアトリは返す。それを見てフェルナンはお見通しだとばかりに笑った。

 

「表情を変えないか。本当に大したものだよ。

そんな君だからこそ、この計画の穴に気付かないはずがない、と確信したよ。プランは良くても、それを実践するだけの時間が足りない。

『フラダリラボ』と『プラターヌポケモン研究所』このカロス地方を代表する2つの企業がそう簡単に出資を決めるはずがない。そして、断頭台の刃は容赦なく首を刎ねる。お終いです。助かる道はただ一つ、私に買収されることだ」

 

ばれてーら。と内心肩を竦めた。

とは言ってもここまでは予想通り。むしろバレない方が問題だ。

 

「ところでフェルナンさん。貴方は私が何故ショボンヌ城に逗留していたか、ご存じでしたか?」

「何を言って――――――」

 

そこまで言いかけて、フェルナンは何かに気付いた。

そして、眼を見開いてアトリを凝視する。

 

「まさか……ッ」

 

アトリは営業スマイルをやめて、相手に不敵に映る様に笑った。

 

「その通りです。私がこの町を訪れたのは偶然なんかじゃない。この農場に出資する価値があるかどうか。それを見極める為に、フラダリ代表からの命令で派遣されてきたのですよ」

 

虚実入り乱れる化かしあいはここからなのだ。

 

 



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第47話 金には変えられないもの

 

1

 

スッキリとした晴れ空に反してロザリーの心はどんよりしていた。

ロザリーはこの農場が好きだ。

ジョルジュを初め、働く人たちはみんな優しく、ロザリー自身も随分良くしてもらった。

ジョルジュの人徳か、ここはとても居心地がいいのだ。

実家と絶縁状態にあるロザリーにとってここの人たちは家族も同然だった。

 

ロザリーの父はエリートだったが、プライドが高くて傲慢で、気に入らないことがあると人に当たり散らす嫌な奴だった。

母は父には絶対服従していたが、自分より弱い人間や、世間的なマイノリティに対し侮蔑的な態度をとる思いやりのない人間だった。

 

そんな両親の影響もあってか、幼い頃のロザリーは問題の多い子供だった。

 

わざと学校の窓を割ったり。

わざと外の壁にペンキで落書きをしたり。

わざと学校をサボったり。

 

親が教師に呼び出されることは日常茶飯事で、そんな日は必ず家で苛烈な折檻が行われた。

 

今にして思えば、あの頃のロザリーは両親に少しでも気を引きたくて、叫んでいたのかもしれない。

 

そんなことを繰り返すうちに両親はあっさりロザリーを『いないもの』として扱い、簡単に切り捨てた。

 

そこからはロザリーはタガが外れたかのように道を踏み外した。

 

喧嘩。暴行。恐喝。盗み。

夜の町を駆け回り、悪い仲間とつるんで、沢山人を傷つけ、多くの人に迷惑をかけた。

 

そんなある日だった。

 

喧嘩でボロボロになって人目を忍んで路地裏で体を休めていると、人の良さそうな物好きがボロボロだったロザリーを拾って介抱してくれた。

それがジョルジュとの出会い。

 

最初は胡散臭いと思った。

介抱の見返りとして肉体関係を迫る下劣な男なんて、山ほど見てきた。

それでもいいと思っていた。向こうもこちらを利用するのだ。こちらも利用してやる。適当に相手して、時が来たら金目の物を奪って逃げればいいだけだ。

そう思っていたのに……彼はいつまでもたっても見返りを求めてこない。

彼はロザリーが傷を癒していくことを確認する度に本当に嬉しそうな顔をする。

その優しい顔の裏にいったいどんな醜い企てがあるのか。

 

暴いてやろうと、傷が癒えたあとも理由をつけて彼に近づいて注意深く観察した。

けど、そんなものはいつまでたっても見つけられなかった。

自分のことに関しては適当なのに、人のためになると、とても頑張ってしまう。困っている人がいたら、考えるよりも先に体が動いている。

今までロザリーの周囲にいたのとは全く違うタイプの人間だ。

 

ジョルジュという男はお節介焼きで、人のために貧乏くじを引いてばかりいる。

だが、その傍らにはには多くの幸せと笑顔があった。

彼の優しさを知れば知るほど、惹かれていくのがわかった。

 

昔読んだ『幸福の王子』という童話があったが、彼がまさにそれだ。

 

そんなジョルジュを馬鹿だ、お人好しだ、と揶揄するフェルナンやアトリのような人もいる。

だが、その優しさに救われたロザリーはそんなジョルジュを誇りに思い、ただ愛しい。

 

誰よりも彼の傍にいて、誰よりも彼を支えてきた自負はある。

フェルナンとジョルジュが決裂したときも。

水害で地盤が脆くなっているところが土砂崩れを起こしたときも。

住むところや職を失くした地域住民やポケモンを助けるためにフェルナンに借金をしたときも。

ロザリーはずっとジョルジュの傍にいた。

 

彼はただ単純に人の喜ぶ顔をみたいだけなのに……。

 

どうして、優しい人は損ばかりするのだろう?

 

『正義は勝つ』なんてよく言うけど、いつだって得をしているのは悪くて、狡い人間だ。

 

本当にあの男――フワ・アトリを信じて良かったのだろうか?

あいつは自分のことを味方だと言ったが、果たして本当にそうなんだろうか。

疑心暗鬼でモヤモヤグルグルしているそんなときだった。

 

「あ、ロザリーさーん、こんにちはー!」

 

底抜けに明るい声をかけられ振り向くとそこにはタキガワ・サナの姿があった。

 

「こんにちは、サナちゃん。今から仕事?」

「はい! アトリが帰ってきてたら一緒にって思ったんですけど、まだ帰ってきてないんですね」

「…………、買収されて裏切ってなければいいんだけど」

「えー、アトリが? ないない、絶対にないですって」

 

サナはカラカラと軽快に笑いながら、手をブンブンと振った。

 

「分からないじゃない。あいつは守銭奴なんでしょ? だったら、どっちに着いた方が儲かるかなんて裏で考えていそうじゃない!」

 

自分でも醜い考え方だというのはわかっている。だが、どうしても不安なのだ。

あの男、果たして信じるに値する人間なのか。

 

「ありえないよ」

 

サナは笑みを消し、真摯にロザリーを見据えて言い切った。

 

「アトリってね、斜に構えたツンデレな言葉で誤解されやすいけど、本当はすごく繊細で周りの人に気を使うタイプなんだよ。多分、ジョルジュさんに辛辣なのって同族嫌悪なんじゃないかな?」

「…………」

 

うっそだぁー。という心の声をキャッチしたのか、サナは再びほほ笑んだ。

 

「サナたちね、旅に出る初日に怖いポケモンに襲われたんだぁ。それで追い詰められて、すごく危なかったところを助けてくれたのが、アトリだよ」

 

それを皮切りにサナはアトリのやって来たことを熱っぽく語りはじめた。

 

襲ってきたポケモンが人間によって理不尽に捨てられたポケモンだと知って見捨てることが出来ずに自分の手持ちに加えたこと。

そのポケモン――ハッサムがアトリをトレーナーとして認めつつあること。

ポケモンスクールの生徒のポケモンを強奪したポケモンマフィアに殴り込みをかけたこと。

サナの言葉をにわかには信じられなかった。

 

話を盛っているのではないか、と思うほど、ロザリーの思っているアトリ像と解離している。

 

「アトリってね、打算的な癖して、お人好しだから、面倒事になるってわかっていても最終的に放っておけないみたい。けど、貧乏くじ引くのがいやだから、自分が動くために納得できる理由を探してる」

「めんどくさい奴ね……」

「だってそれがアトリなんだもん♪ 小物臭いジョルジュさんって感じ」

「いや、そこまでは言ってないんだけど……」

「けど、そんなアトリだから、誰よりも現実的に解決の糸口を探ってる。

今回も勝算があるから、動いたと思うから、信じて任せて大丈夫だとおもうよ」

「……あいつのこと、随分信頼してるのね」

「もちろん! だって、アトリはサナの大切な友達だもん♪」

 

2

 

「フラダリ代表からの命令で派遣されてきたのですよ」

 

実際はアトリがジョルジュに会ったのは完全に偶然でそんな事実は全くない。

 

つまりはハッタリだ。法螺だ。ガセだ。デマである!

 

フラダリラボに報告したのとプラターヌ博士に計画を話したのも昨日、パルファム宮殿を訪問する前だった。

実際のところ、フラダリ代表は返事を保留されてしまっていた。当然と言えば当然だ。零細企業への融資など、傘下のトレーナーの進言だけで進めるべき話ではない。

 

当然、フェルナンもこんなハッタリは容易く見抜くだろう。

 

だが、それでもいい。大切なのは可能性の提示。『今後そういうことがあるかもしれない』と思って損失バイアスがかけられればそれでいいのだ。

 

それに決して口から出まかせを言ったわけではない。フラダリさんの判断は『保留』であって、『却下』ではない。

あの農場の木の実の味は文句なしの一級品。

フラダリ代表は副業でカフェを営業している。本人は道楽だと言っていたが、味にうるさいカロス地方の住人相手に、しかもミアレシティの一等地に店を構えて黒字を出していることから、相当なものだと想像できる。そんなフラダリ代表であれば、必ず興味を示すはず。

そして、胃袋を掴んでしまえば、必ず事態は好転すると確信している。

 

もうひとつ、思わぬ収穫がプラターヌ博士の方が意外と乗り気であったことだ。あの人の趣味はカフェ巡りという名の食べ歩きだ。昔から美味しい物に目がない。

それに、有難いことに、オレがあの農場を使ってやろうとしていることを説明するとますます意欲を見せてきた。近日中に農場を訪問するという言質もとってある。

 

プラターヌ博士からフラダリ代表に共同事業として売り込む手もあるかもしれない。

 

もし、融資が通れば株の権利の内訳は、まず社長であるジョルジュに4割。農場の経営幹部全員合わせて2割。プラターヌポケモン研究所、フラダリラボに2割ずつ。残り1割は民間に細かく細分化する。そして、最後の1割をフェルナンに。

例えフェルナンがTOB――敵対的買収を進めようとしても、フラダリラボとプラターヌポケモン研究所の麾下である企業相手にことを構えるのは避けたいだろう。

 

そして、資金調達の目処が立ち、財務状況を改善した農場は、今回の事件の損害で傾くことはない、というのが当初の計画。

 

ジョルジュは枕に貧乏がつくが正真正銘の貴族サマ。ハリボテであろうと、貴族という権威は商売を行う上で大きなアドバンテージだ。

 

フラダリラボの企業理念は『より美しい世界を創る為に』。

プラターヌポケモン研究所へは『人間とポケモンとの共存社会にむけたテストモデル』として。あの農場はこれら二つの理念に通じており、利益の見込みを充分。

 

両企業の支援が得られるならば、輸送面、宣伝面の改善も大幅な上昇を期待できる。

借金苦のとき、現実逃避も兼ねて、いつか金持ちのウハウハ左団扇社長生活というリビドーに満ち溢れた自分の未来を妄想していた。

そのために独学――立ち読みともいう――で学んだ知識がこんなところで役に立つとは人生とは何が役に立つかわからないものだ、としみじみ感じ入ってしまう。

 

しかし、まだだ。まだ緩めるな。

こちらはあくまでカードを一枚切っただけ。しかも、ハッタリで相手を威嚇しているにすぎない。ここから先はフェルナンの反応次第で綱渡り。

この細い細いロープ、果たして渡り切れるか。

 

3

 

ふむ、とフェルナンは目の前にいる少年に注視しながら心の中で唸った。

ない物をあると見せかけ時間を稼ぐ。虚構を利用した兵法だ。

なかなか小賢しい。

だが、まだ青い。そんなブラフが見抜けない程、自分は愚鈍ではない。大方時間を稼ぐのが目的だろう。

 

しかし、だ。

 

何故これほどまでにアトリがここまで強気になれるかが引っかかった。

嘘の裏にはがある。ごく稀に理由もなく虚言を用いる輩がいるのはフェルナンも承知しているが、目の前のこの男はそういうタイプではない。必ず理由があるはずだ。

嘘をついてまで出資をさせようとする理由はいとも簡単に理解できる。

だが、万が一の可能性もある。調査を行う間、農場の買収計画は一度白紙に戻した方がいいだろう。再び農場を買収する計画を練るには今少し時間がかかるが、問題ない。

 

輸送の問題が解決しない限り主導権はこちらにある。出荷の時間までに解決しなければ負債を抱える為、時間稼ぎの策に乗ったとしても、問題はない。

 

もう一度、時をかけてジワジワと圧力をかけてジョルジュを追い込むだけだ。その間、ジョルジュは苦しむだろうが、自分を切り捨てた復讐と考えれば長い時間をかけて眺めているのも一興だろう。

 

ならば――

 

フェルナンは口の端を吊り上げた。

 

「であれば、下準備が整ってから声をかけてくれたまえ。詐欺のような投資話に耳を傾けるほど暇ではないからね」

 

にべもなく一蹴すると見せかけて一石投じてみる。

フェルナンに声をかけたという事は、彼らはフェルナンの資金を必要のだ。必ず食い下がってくるだろう。

 

自身の勝利を確信し、傲慢な笑みを浮かべるフェルナンに対するアトリは相変わらずこめかみを指でトントンと叩き続け――やがて、止まった。

次はどんな詭弁を用意してくるかとほんの少し楽しみにしていたが、アトリの言葉は思いもよらないものであった。

 

「じゃあ、交渉決裂ですね。さようなら」

「…………、なに?」

 

驚くほどあっさりと。フワ・アトリは踵を返した。そのまま振り返らずにスタスタと出口の方へと向かっていく。これには流石のフェルナンも驚きを禁じ得なかった。

 

「待ちたまえ。君たちには私の力が必要ではないのかね?」

「けど、貴方にその気はないのでしょう? それではこれ以上ここにいてもただの時間の浪費です。では、さようなら。僕は一刻も早く帰ってフラダリ代表とプラターヌ博士を出迎える準備をしなければならないので」

「ポケモンの笛は!? 資金はどうする!? この私を説得しなければ、」

「貴方は何か勘違いをなさっているようだ。フラダリラボとプラターヌポケモン研究所が出資する以上、貴方の出資は絶対条件ではないのですよ。あくまで『あれば助かる』くらいのものだ。潤沢な資金があれば、タイムリミットはぐーんと伸びる。その間にゆっくりとカビゴンを退かせてしまえばインフラも回復する。

それに、本来僕は貴方に『ショボンヌファーム』の株を渡すことも、貴方が農場の経営に一枚咬むのも、反対なんですよ。理由は言わずもがな、でしょう」

「ならば、何故ここに来た!? 何故私を引き入れようとしたのだ!?」

「ジョルジュさんがそれを望んだからです」

 

背後から頭部を殴りつけられたような衝撃がフェルナンを襲った。

 

「僕自身何故、あの人が貴方に株式持ってほしかったのかはわかりませんでしたが……、貴方の話を聞いて腑に落ちました。

ジョルジュさんはこの計画を、貴方との和解のきっかけにしたかったのでしょう」

「……バカな、そんなバカな!?」

 

人を疑うことを知らない無二の親友はある日突然フェルナンの背中を刺した。

ジョルジュはあの時、自分を裏切った。裏切ったのだ。

 

「確かにあんたの話を聞いているとジョルジュさんが一方的に裏切ったように聞こえる。

その時の事情は当事者であるアンタらにしかわからないでしょう。

しかし、本当に、真剣に、何も理由がなくあの人がそんなことをすると思っているのですか?

裏切られたと思って何も考えずに憎んだのじゃねえのか? 本当は向き合って、決裂してしまうのが怖かったからアンタは――あんたたちはお互いに向き合わずに逃げたんじゃねえのかッ!?」

「黙れッ!」

「いいや、黙らねえッ!  それでも、後悔しているからアンタは歪んだ形でも元に戻したくてジョルジュさんを『支配』しようとしたんじゃねえのかッ!!」

「黙れと言っているッ!!」

 

剣幕で水を打ったかのように静まった。

 

「貴方のやり方には大きな見落としが2つあります」

「なんだと?」

「ひとつは従業員のストライキ」

 

アトリの指摘をジョルジュは鼻で笑った。

 

「下民共の代わりなどいくらでもいるだろう」

「侮るなよ。農場という『ハードウェア』を手に入れたとしても、それを管理する人材という『ソフトウェア』がなければ機能するものか。仮にゴッソリと入れ替えたとしても、人材育成にかかる時間はどう考えますか?」

「そんなもの、ジョルジュがいれば立て直しなどいくらでもきくさ!」

「なによりも最大の問題はジョルジュさんがこれまで通り農場で働き続けるか、ということですよ」

「――――――ッ!?」

 

まったく予想していなかったところから殴りつけられ、フェルナンの血の気が引いた。ジョルジュが自分の元から去るというケースは全く想定していなかったのだ。

 

それを見逃さなかったアトリは更に追い打ちをかけてきた。

 

「その顔から察するに、考えていませんでしたね。いや、あえて考えなかったといったところでしょうか」

 

心の内を看破されたフェルナンは羞恥と怒りに震えた。

 

「貴方への借金を返済するために事業を始めて、それが軌道に乗り始めたタイミングで、計画がとん挫した。普通の人なら腐ってやめてます。ジョルジュさんがそうならないという保証はありますか?」

「そんなもの、どうにでもなる。いざとなれば強制的にでも――」

「そんな後ろ向きな理由で縛りつけられて、モチベーションが保てると思いますか?」

「金だッ! 金を積めばジョルジュだって――「あんたはアホかッ!」

 

「―――――ッ!?」

 

一回り以上年の離れた少年にストレートに正面から罵倒されてフェルナンは絶句した。

 

「ジョルジュさんが金を積めば動く様な人間なら、最初からこんなに拗れてねえだろうが!

いい加減世の中には金で買えないものがあることぐらい理解しろッ!!」

「出たな、貧乏人の常套句ッ! 私はその言葉が世界で二番目に嫌いなんだ――ッ!」

「そうか、一番目はなんだ!?」

「『タダ働き』!」

「気が合うな、オレもそうだ! だが、今はそれを置いとくとしてアンタほどの人なら信用が経済にどれだけ影響を及ぼすか知ってるだろう!」

 

貨幣とは富を保証するものである。勿論貨幣事体に価値があるわけではない。

価値の尺度として、富を貯蔵するものとして、交換の手段としての機能を信用できる機関が保証するからこそ価値が生まれる。逆に信用のない貨幣は誰も欲しがらず、価値が生まれない。

 

「オレたちの崇拝している『金』――資本経済のシステムは信用を土台、にして成り立っている。『信用』を軽視し、道理を無理でこじ開けるような思い上がったことしてると痛い目見るぞ」

 

ぐうの音も出ないとはまさにこのことであった。

 

「私怨に目が曇り、策を弄しすぎましたね」

「貴様の様な子供に何がわかる……」

「貴方の気持ちは貴方にしかわかりませんよ。ジョルジュさんも同様です。

何を思って、そんなことをしたのかなんて、結局のところ本人に聞くほかないんです」

「…………」

「その気があるのであれば、三日以内にショボンヌ城へお越しください。ですが、期限をオーバーした場合、貴方がジョルジュさんと組む機会は二度と訪れないと認識してください」

「……出ていけ。貴様の顔など、二度と見たくない」

 

それ以上は何も言わずアトリは部屋から出ていった。

 

 



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