魅魔様見聞録 (無間ノ海)
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幻想郷黎明期
彷徨う悪霊魔女 ~Ancient Ghost and Witch


初投稿です。魅魔様が主人公で旅をするような小説を書きたくて投稿しました。お見苦しい点もあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。


 灰色の大地があった。人っ子一人いない、滅びた大地。

 

 聞こえるのは轟々と鳴り叫ぶ風の音だけ。

 生命の途絶えた、死に塗れた土地。

 

 ここは太古の昔より、月より降り注ぐ魔力に覆われた神秘の島であった。

 天然の結界によって外界からの影響を断たれ、豊富な神秘から育まれた特異な生態系を何千年もかけて構築し、魔法によって築き上げられた文明が聳える場所だった。

 知識あるものが見れば、魔界の文明を模した地だと気づいただろう。

 

 …もっとも、天災なのか魔法の暴走による人災なのか、完全に滅びてしまったが。

 今では灰に残さず覆われた、文字通りぺんぺん草も生えない死した土地である。

 

 

 そこにふわふわと漂う、女がいた。

 翠の長い髪を垂らし、怖ろしい程にととのった顔立ちの女であった。 

 

 纏っている深海を思わせる長いローブの裾には星と月の意匠が刻まれ、頭には太陽をあしらい白いフリルのついた三角帽子。

 そして手には、白銀の三日月を柄に据えた、長い長い杖を持っていた。

 

 しかし最も可笑しな所は、その襤褸のようなローブから覗くのが、脚ではなく白い霊魂の一部であるということか。

 まるで、その女が幽霊であるかのように。

 髪と同じ色をした切れ長の瞳には、まさしく星空を吞むような、深すぎる叡智が宿っている。

 

 だが彼女を知る者がいるなら、彼女がそんなただの幽霊のような生易しい存在ではないことを理解していたはずだ。

 

 翠の()()が口を開く。

 

 「ここも大した代物はなさそうだねえ。碌な魔力があるわけでもなし。…気まぐれに来てみたけど、余り意味はなかったか。」

 

 魔女が、三日月をあしらう杖を、がしりと握りこむ。

 

 次の瞬間、凄まじい魔力が彼女の体から噴き出した。

 まるで清水のように美しく蒼い神秘の奔流は、彼女が掲げる杖の先に一切の無駄なく折り重なって圧縮されていく。

 同時に、何重にも重なった魔法陣が幾つも杖の周囲に現れ、くるくると回転を始めた。

 

 そして何の気なしに、けだるそうに彼女が杖を振るったその瞬間。

 

 蒼い破壊が吹き狂った。

 島が海から引き剝がされ、塵も残さず消し飛んだ。

 光が消えて残ったのは、海に空いた大穴と、深海を超えて抉り取られた海底のみ。

 

 そうして一瞬で島一つを消し飛ばして後片付けを済ませた魔女は、そのまま興味を失ったように紅い唇を開いた。

 

「…さて、次の場所に行くとしようかい。今度こそ、私を満たしてくれるものがあればいいんだが。」

 

 彼女の名は魅魔。

 悪霊(Revengeful Ghost)、久遠の夢に運命を任せる精神、数え切れない名を持つ、古き復讐の悪霊。

 

 太古より今まで、いつまでもさまよい揺蕩い続ける、大魔女の悪霊であった。

 

 



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湖のアトリエ ~Hideout

 

 星空の下で、少女が笑っている。

 

「私ね、大きくなったらこの力で皆を助けるの!」

 

 暗い部屋の中で、少女が首を傾げている。

 

「■■■、それなあに?何をするの?」

 

 水晶と鎖に覆われて、少女が叫んでいる。

 

「やめて!どうして!?どうしてこんな事するの!?」

 

 灰と死体の上で、少女が慟哭している。

 

「なんで…?なんでなのよう…!」

 

 

 

 

 

 

 自然からの魔力を豊富に蓄える湖。

 そのほとりにある森の中で、高度な結界と攻性魔法で隠蔽、防衛された、草木に覆われる古びた洋館。

 そこが魅魔の本拠点、アトリエである。

 

「…何だ、夢かい? …私らしくもないねえ、全く…」

 

 そんな独り言を苦りきった顔で呟きながら、魅魔は天蓋付きの大きなベッドからのそのそと体を起こした。

 

 既に太陽は昇りきっているのだが、普段から生活リズムも何もないぐうたらな彼女からしてみれば十二分に早起きであったりする。

 ぼさぼさになった髪を無造作に広げて、ふわあ…、と大きな欠伸をして今にも二度目の夢の世界へと旅立ちそうなその様には、長い時を生きた大魔法使いの威厳などとても見受けられない。

 …あるいは一欠けらの色気と可愛らしさならあるかもしれないが。

 

 しかしまあ、こんな様子で外に出るというのは、如何に世間に無頓着な魅魔とてしたくはない。

 というわけでベッドから身を乗り出して、そのままぱちんと指を鳴らせばあら不思議。

 その残響が部屋に響きわたるや、部屋中にある家具が一斉に動き出した。

 ベッドの布団はしわ一つ無く綺麗に伸び、昨日の夜に床に散らかしていた魔導書や記録の類は一瞬で本棚の中に飛び込み、淡い黄色の寝間着は何時もの深い青の魔導士服に早変わり。

 最後に三角帽子を被って杖を手元に呼び出し、ようやっと一息ついた。

 

 散らかりまくっていた雑多なものを片付けて現れたのは、黒い木材で作られた何ともシックな雰囲気を漂わせる部屋だ。

 大きな黒い文机が目を引くここは、魅魔の書斎兼寝室である。魅魔の過ごすこの家の部屋は、基本的にこの書斎と隣の魔法工房、そして彼女が旅で集めてきた山ほどの魔法関連の素材や希少品等が保管してある倉庫の三つだけ。

 偶に気まぐれで部屋を増築することもあるが、ほぼ全て空き部屋と化しているのが実際のところだ。

 

 特徴的な翠の髪を綺麗に撫で付け終えた魅魔は、続いて隣の自分の工房に入った。

 

 中は外観からは想像も出来ない程に大きく、何かを抽出している最中の試験管や、勝手に記録を付けているタイプライターのような魔道具、過去から未来千年分の星見図等々が置かれている。

 そして中心部に、工房のみならずこの館全体に魔力を回すメインエンジンである集積魔力炉が塔のように聳えていた。

 一通り見回して検知魔法を走らせ、異常がないことを確認した魅魔は、うむ、と満足げに頷いた。

 

 彼女のような魔女、というか魔法使いは、基本的に魔力と呼ばれる科学の定義には存在しないエネルギーを元手に、魔法を扱うことを生業とする種族である。

 種族という言葉の通り、魔法使いは人間ではない。

 正確には、生まれつき魔力や魔法を操って生きている先天的な魔法使い。

 そして捨食・捨虫の法という、食欲と睡眠欲を放棄し、自身の成長を停止させる魔法を会得することで、不老長寿の人外と化した後天的な魔法使いの二種類がある。

 

 いずれにしても、人としての理をかなぐり捨てた外法の種族なのだ。

 魅魔も、睡眠や食事はあくまで嗜好品の範疇であり、別に必須というわけでもない。(そもそも彼女は悪霊であるから、たとえ魔女でなくとも人外なのだが。)

 

 そして、彼らにとっては自己の魔法の研鑽は至上命題である。

 個々人によって目的のテーマこそ違えど、それを極めあげることに何の疑問も持たず、倫理を踏み倒し一切の手段を選ばないという点については、魔法使いというのは共通している。

 

 だからこそ、魔法使いにとって自身の工房は、必要を通り越してもはや不可欠と言ってもいいのだ。

 

 因みにだがそれだけに、工房にはまた別の防衛システムが張り巡らされている。

 具体的には館の中でもこの部屋だけが異界化されて空間がずらされており、碌な対策無しに踏み込めば折り畳まれて空間の狭間に永遠に取り残され、よしんば工房に入れても精神に直接作用する術式で精神をすりつぶされて発狂し、様々な属性に対応した攻撃が秒間何千回と叩き込まれて焼き尽くされる羽目になる。

 

 一通りの作業を終えた魅魔は屋敷の外に出て、湖のほとりで椅子を出して座り込む。

 霊体の脚なのに意味あるのかと思われそうだが、彼女にとっては落ち着くためにあるに越したことはない代物なのだ。

 そのまま無造作に適当な釣り竿を呼び出して、水面に針を投げ込んだ。

 

 別に魔法で水流を起こして魚をかき集めるでも、錬金術で強力な釣り餌を作るでもすれば魚など幾らでも集まるのだが、余り彼女は釣りに関してそういったことをしなかった。

 それは、この行為が何故か彼女の精神を落ち着かせるのに丁度良かったからだろう。

 

 悪霊であるが故に常に激情と怨念に晒されながらも、魔女として魔力を緻密に操り魔法を精巧に動かす為に、冷静な精神を常に保たなくてはならない。

 そんな彼女にとっては、釣りというのは材料集め以上に自分の心を落ち着かせる為の、いわば儀式なのだ。

 

 とはいえ、だからといって反則をしていない以上、釣れるかどうかは運次第なわけで。

 

「釣れないねえ…。こりゃあ今日の予定は無しにして、気長に待つかな。」

 

 釣りの結果だけで一日の予定を丸々キャンセルするのは、実に気まま吞気な彼女らしいと言えた。

 因みに、今日一日の釣果である大型の淡水魚三尾は、冷凍されて巨大倉庫行きになったとだけ言っておこう。

 

 




次回は旅に出るかも。


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導く旅路 ~Ruin Journey

 

 「さて、そろそろ行くとしようかね。」

 

 早朝、魅魔はそんなことを口走った。

 今回は、キッチリいつもの魔女の服を着こみ、更には外出の支度まで済ませている。

 

 何をするのかというと、旅である。

 彼女は、通常の魔法使いのように、一人でアトリエに引きこもって研究をするだけの、根っからの研究者ではない。

 研究や研鑽はしていても、思い立ったら即館を飛び出す。そしてそのまま何年も帰って来ないこともある、自由過ぎる放浪者でもあるのだ。

 その道中で、自分以上に自由で凶暴な花妖怪や、自分を滅殺しに来る地獄の使いなんかと殺し合うこともあるが、まあ些細なことである。

 

「今回は、北の方を彗星が指したからそっちに行ってみようかしら。

 前は…、何だったか、風に誘われて迷ったんだったかね。」

 

 基本魅魔の旅には、これといった目的は無い。

 星が瞬いたからとか、お菓子が上手く焼けたからとか、本当に適当極まりない動機であてもなく彷徨うのだ。

 道程も特に決めず、徒歩であったり、魔女らしく飛行であったり、異界を介してテレポートすることだってある。

 

「どうしようかねえ。昨日は殊更月が良く輝いていたし…決めた。歩きにしよう。」

 

 杖の石突で地面を一突き。

 それだけで、緩められていた館の結界が締め上げられ、侵入防止の魔法の仕掛けが、一斉に活性化する。

 

 魅魔は、鼻歌を歌って上機嫌そうに、此度の旅をはじめた。

 

 

 

 道中は、余り特筆すべきことはない。

 

 やったことといえば、大体が襲い掛かってくる魔法生物の狩猟と捕獲ぐらいだ。

魔力を吸って生きる神秘に近い生物を魔法生物と呼ぶが、彼らの身体は良い生体素材になる。

 そんな訳で、昼夜問わず気性の荒い彼らの襲撃を受けては、皆殺しにするか生きたまま捕らえるかで素材を回収していた。

 

 しかし、そんな中でも探せば珍しい物は見つかるもので。

 

 一応小規模の工房に近い神殿が見つかったりもした。

 小さくとも神殿の造り自体はしっかりしたもので、どうも神を祀ることと、よりその神に奉仕する為に魔法の研究をしていたらしい。

 まあこの悪霊にはそんなこと関係ないので、持ち主もいないならいいだろうと遠慮なくあさられてしまったが。

 因みに、その中でも一つ、彼女の興味を殊更に引くものがあったりする。

 

 そんなことをしながら北に足を進めて早一ヶ月。

 魔女はそこで、はじめてその歩みを止めた。

 

 

 

 

 

「…ほう、こりゃ凄い。人間も中々に面白いことを考え付くもんだ。」

 

 そんなことを言いながら、魅魔が首を上げて眺めているのは、北極海に存在する巨大な「門」である。

 赤錆びていても、かつての威容を感じさせるその佇まいは、見るものを圧倒する何かがあった。

 

 ここは北極、地球の最果てである。

 一般の人間どころか、魔術師や魔法使いであっても、近づくのをためらう魔境であった。

 しかし、敢えてこの地で魔法の研究を進めていた、物好きな人間たちがいたのである。

 その僅かに残った遺産が、この門なのだ。

 

 道中色々な魔法生物を捕らえたり、様々な遺跡を掘り返したりしながら一ヶ月。

 彼女は、この最果ての場所で、ようやく足を止めたのだった。

 

「材質は、鉄と金が主体。

 そこから魔力が行き渡るように、色々と触媒を混ぜ物にしてあるね。

 そして吸い上げるのが、地上の地磁気か。

 地球が発する大き過ぎる磁力を、ちょいと拝借して魔力に変換して溜め込めるように細工してある…。

 溜まり切ったところで一気に解放して、異界の門を開くって寸法かい。

 行き先は…、まあ、どうせ()()()だろうね。」

 

 自然や星々ではなく、地下の最奥にあるコアが発する磁気の力を借りて、半永久的に魔力を溜める発想と技術。

 彼女が感嘆したのはそこだった。

 

「私も触媒の扱いやら、星の魔力の支配には自信があったんだけどねえ。

 成程、地球の磁力は盲点だった、感謝しとくよ。」

 

 彼女はただの怨霊ではなく、地球の全ての人類に憎悪と激情を持つ悪霊である。

 故に本来は人間の魔術師や人間出身の魔法使いに感謝などせず、ただ呪ってやるのが常なのだが…。

そこはそれ、これはこれ。

 魔法使いの端くれとしては、新たな知見を与えてくれた者には、感謝を示すのが道理というもの。

 

 だからこそ、分からないことが一つ。

 

「しかしまあ、ここまで発展させておいて、どうして放棄したのかねえ。

 私なら、心血そそいで完成させたものを投げ捨てたりはしないんだが。

 少なくとも保存魔法を必死になってかけるところ……んん?」

 

 と、そこまで考察しておいて、魅魔は思わず疑問の声をあげた。

 何かがおかしい。

 放棄された、ただの遺構であるはずなのに、未だに何故か違和感と圧力を感じる。

 

「ちょっと待とうか、これは…ああ、なるほどねえ。

 合点がいったよ。

 別にコイツ、ただの廃棄物ってわけじゃあなかったんだね。」

 

 もう一度、更に精確に状況を精査して感じ取れるのは、微弱に流れる魔力の痕跡。

 地磁気の変換で流れる魔力ではない、この門の機能を再起動(リブート)する為の、外部から送り込まれた燃料。

 

「となると、未だにこれを使ってあの場所に行き来しているやつがいるってことか。

 まだまだ現役ってことだね、気に入ったよ。

 また今度、来てみようか。」

 

 彼女は明確にこの場所を記録・記憶することに決めた。

 旅先での場所を殆ど忘れてしまう彼女にしては、非常に珍しいことに。

 

 そうときまれば、と幾つもの魔法を、この場所を刻む為に引きずり出す。

 杖を構えて、目的の魔法を起動する為の魔法陣を展開。

 呪文を唱えた。

 

「……a…,……mus,…u……….」

 

 ―――『天蓋羅針盤』

 

 次の瞬間、彼女のまわりに、巨大な全天の星空が発現した。

 地球、月、太陽系は勿論、彼女の何百年もの宇宙の観測で積み上げた星々の模型が、架空の天蓋の中で瞬いている。

 

 もっとも、今回用があるのは地球のみ。

 地球のモデルを拡大した。

 そこには、これまで魅魔が訪れた場所の中でも、覚えようと決める程重要な場所が幾つか、正確な座標に記録されている。

 極東の中心部であったり、かつて月の都があった大陸中央であったり、個人的に交流のある魔法使いや妖怪の住処であったりなどだ。

 

 続いて、杖を一振り。

 

 ―――『星海の観測鏡』

 

 ―――『精密な星時計』

 

 ―――『月光算術塔』

 

 三種類の魔法を稼働し、星々の測量と時間の測定、それらを複雑怪奇な演算で組み合わせる。

 普通の脳なら頭がパンクするが、星と月の魔法を扱う故に、星々の位置と影響を常に把握しなくてはならない彼女にとっては慣れたもの。

 あっという間に正確な現在の位置をはじき出し、地球のモデルに座標を記録した。

 

 そして指を鳴らして全ての魔法を停止し、魔法陣を収めれば、キラキラと白く輝く北極の大地が戻ってきた。

 

「さてさて、収穫もあったことだし、家に帰って研究に戻ろうか。

 いいものも手に入ったし、また進展がありそうだねえ。」

 

 行きは徒歩に決めたが、わざわざ帰りもそうするとは言っていない。

 何の躊躇も無く軽い深度の異界と空間を繋ぐことを繰り返し、館までショートカット。

 

 彼女の第■■■■回目の旅行は、これにて幕を閉じた。 

 

 




靈異伝まで何話かかるんだろ…


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探究 ~Magus Road

もうすぐ別の人物登場させます。
魅魔様一人やと会話が減ってしょうがないんや…


 

 

 旅行…というか放浪が終われば、またいつも通りの研究と研鑽の繰り返しだ。

 

 アトリエに帰って来た魅魔は、まず持ち帰った旅の成果を確かめる。

 

 役に立ちそうな素材は分別して倉庫に入れる。

 今回なら、山ほど手に入った魔狼の骨は魔力をよく通す導線に、毛皮は頑丈な緩衝材に、内蔵は魔力を効率的に取り出せる燃料となる。道中邪魔だったからと刈り倒した大木は、木の魔力を多く含む為に、木属性の魔道具の建材になる。

 こういった風に、蒐集したものを分別し、次々と倉庫に投げ込んでいくのだ。

 

 幾らあってもすぐに使い尽くしてしまうような消耗品や、滅多に手に入らない希少品、魅魔が個人的に気に入った代物などは、すぐ取り出せるように工房内のコンテナに放り込んでいる。

 術式を書き込むのに丁度いい紙材や、触媒として使い込む宝石や鉱石。

 

 ――そして、最大の成果とも言える、水晶で形づくられた心臓など。

 

「あの神殿を作った奴らは、相当祀ってた神様とやらに入れ込んでたらしいねえ。魔法使いとして以上に、宝石職人として褒められるべきね。」

 

 そう魅魔が評する程には、その心臓の出来上がりは見事なものだった。

 形は正しく寸分の狂い無く、人間の心臓そのもの。曇り一つ無い透明が、工房の窓から差す光を吸い込んで輝いている。

 

 これだけでも悪趣味さに目をつぶれば大したものだが、コレの真価はまた別にある。

 

 おもむろに魅魔は目を閉じて、自身の魔力を手に持つ心臓に流しこんでみる。

 

 

 するとどうしたことか。

 神経など通っていないはずの心臓が唐突に脈動し、心臓を通る気流が一気に加速された。

 

 

「鉱石で人体の一部を完璧に再現するか。これをしようと思えば、細胞単位で人間のものと同じ構成にして、像と完璧に同期させる必要がある…。相当、鉱石加工に秀でた魔法使いがいたみたいね。」

 

 この心臓は元々、あの神殿に安置されていた、崇拝対象と思しき神の像に嵌め込まれていたものだ。どうもあの像、本物の生き物のように自律して動けるものだったらしい。

 

 像を動かすために、エネルギーとして魔力を行き渡らせる目的でこの心臓は作られたのだと、魅魔は当たりをつけた。

 

 つまるところ送るものは違えど、役割は人間の心臓と同じである。魅魔も、その役割を持つだけの道具を作るのならともかく、全く同じものを作れと言われたら、確約は出来ない。

 

 自分の力で確実に再現できないものは、魔女にとって宝物。

 故にこれは彼女にとっては、貴重なコレクションの一つに認定された。

 

「何で像を動けるようにしたのかは分からないけどね。せっかくだし、これは飾っておこうか。」

 

(―――或いは本当に、神の憑坐にでもするつもりだったのかしら。神降ろしの台座として…?)

 

 そこまで考えたところで、魅魔は首を振って思考を打ち切った。狂信者の作った代物の役割など、幾ら考えてもキリがない。

 そもそも、神など大抵ろくでもない奴ばかりだ。平然と気まぐれで他人の営みを滅茶苦茶にする彼らを、魅魔は信用はしても信頼することはない。

 

 

「整理も終わったし、研究の方を進めようか。」

 

 そんなことを呟きながら、彼女は工房の魔道具達を起動させた。

 

 

 

 

 魔法使いの工房は、魔法を極める為の研究棟である。同時に、彼らにとって恐らく、一生で一番時を費やす部屋であろう。

 それほどまでにこの場所は重要であり、故にここに凝った細工や装飾を巡らすものも多い。

 

 彼女も例にもれず、自身の工房を、一目で分かるような高級そうな部屋に整えていた。

 壁には赤地に金糸細工のタペストリーがかかり、天井からは明るく発光する鉱石を、シャンデリア風の装飾にした照明が下がっている。部屋の隅には、書斎のそれよりも何段か大きい本棚が、明らかに異様な雰囲気の本たちを胎に収めている。机の上では先程稼働し始めた道具たちが、健気に仕事を果たしていた。

 

 

 その内の一つに向かって、魅魔は座り込む。同時に、幾つもの記録紙と魔導書が、本棚から飛んできた。

 これらは皆、魅魔が自身の研究を執筆、編纂したものである。

 

 その中から、星と月に関する研究を書いている最中の記録紙を取り出した。

 

「今のところ、扱いに困っているわけじゃあないんだけどねえ。もう少し効率よく、月の魔力を抽出したいところ…」

 

 ペンを構え、頭を回転させ始めた。

 

 

 

 

 

 実のところ、彼女は魔法使いという種族として、最高峰とも言える領域にいる。故に実力、万能性を鑑みるなら、別にこれ以上馬鹿真面目に魔法の研究など進める必要など全くない。

 

「って、口先の得意なだけの脳筋共は言うんだろうけど。」

 

 

 ―――だがそれはそれ、これはこれだ。

 そんなものは魔法・魔術の何たるかを知らぬ、部外者の戯言に過ぎぬ。

 

 『魔法使い』とは、魔法の、神秘の最奥にたゆまず進み続ける者。

 歩みを止めた『魔法使い』など、最早『魔法使い』ではない。

 

 理屈どうこうではない、種族としての生理反応だ。妖怪が人を脅かし喰らうのと同じく、魔法使いは魔法を窮める。

 

 その(さが)を棄てた者が、どうして魔法使いを名乗れようか。

 

 

 

 魅魔もまた、その性に心の髄まで憑りつかれた生粋の魔法使いである。

 むしろ他の魔法使いよりも長らく務めている分、一入とも言えた。

 

「星の位置による魔力の収集効率の上昇は、多分これ以上は見込めないか…。それをするぐらいなら、いっそのこともっと広範囲からかき集めるようにした方がいいかね。現状、まだまだ利用出来ていない星もあることだし。」

 

 呟きながら、杖を床に突く。そして詠唱。

 

「…………e,d……yu…,……re.」

 

 

 ――――『魔力の胎動』

 

 

 次の瞬間、星から降り注いでいた魔力が、一斉に魔女に取り込まれた。星々が降らせる魔力を、魔法を利用して吸収、圧縮し、いつでも使えるように待機状態にしたのである。

 

 しかしながら、魅魔は不満げな顔。

 

「ダメだねやっぱり。ただ範囲を増やして集めるだけじゃあ大して違わない。吸収できる星を増やせればいいんだけどねえ。」

 

 彼女の現在の研究は、天体魔法の強化、効率化だ。

 これらは雑味の少ない魔法な分、簡単に高威力を叩き出せる……理論上は。

 

 純度が高いというのは、言い換えれば繊細ということ。一つの差異で効率も結果もコロコロ変わる。

 彼女をして扱いづらく、つまりは未だに果ての見えない、発展の余地ある魔法だった。

 

「或いは別系統の力を組み込むのもありかも知れないね。霊力、神力、どれもまだ試せていないし。どれ、手始めに術式に組み込んでみようか。」

 

 研究の基本は、実験と考察。物は試し、やってみて考える。そこは、科学であろうと魔術であろうと変わらないのであった。

 

 倉庫から幾つもの魔道具や遺産を取り出し、魔法陣の術式に組み込んでみたり。

 他人の書庫から失敬した、魔導書の理論を利用してみたり。

 星見図を見て、新しい星の配置による影響を調べてみたり。

 

 

 

 人外特有の休息の要らない身体を存分に生かして、何百時間も思いついたことを実践し、記録し、更に応用する。これまで数え切れないほど繰り返してきた作業だったが、何百年経っても彼女はこの研究の時間が好きだった。

 人ならざる者たちは、皆例外なく精神娯楽、時間潰しに飢えている。打ち込めるものがあるならば、妖生をかけて挑むのは必然と言えた。

 

 魔法の研究を進めるのもその一環。

 落ち着いた雰囲気を好む魅魔らしいといえば魅魔らしい。

 

 

 ……が、どんなに穏やかな時間であっても、必ずや終わりが来るというもので。

 

 

「お邪魔しますわ、魅魔。」

 

 

 その蜂蜜のように蕩けた声が、工房に立つ自分の背後から聞こえた時、魅魔は平穏な時間が終わったことを悟ったのだった。

 

 

 



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境界の大妖 ~Border of Illusion

 

「お邪魔しますわ、魅魔。」

 

 その声が聞こえた瞬間、(魅魔)は手に持った杖を声の方向に振り切っていた。

 

 音を置き去りにして杖を振り切ったと同時、待機させていた数々の魔法が文字通り刹那のタイムラグも無く不躾な侵入者へ襲い掛かる。飛来する風刃に、迸る火砲、極めつけに光速の光槍。普通の人間や妖怪なら反応すら出来ない内に直撃して一発で粉微塵だ。

 

 …しかし、今目の前に立っているこの女は、あいにくと『普通』ではなかった。

 

「あら、随分と血気盛んねえ。」

 

 そんなことをのたまいながら、ソイツは白い手袋で覆われた華奢な手で私の魔法を文字通り『握り潰した』。その手に触れた瞬間掌が握りしめられ、大火力の私の魔法が一つ残らず木っ端微塵に砕け散る。

 声音から薄々感づいてはいたが、どうやら侵入者は予想通りの人物だったらしい。

 

「…アンタか。一体何をしに来たんだい。」

 

「そう焦らないで。別に喧嘩を売りに来たってわけじゃないのよ?」

 

 一先ずこちらが矛を収めたことを確認すると、ソイツはくるくると回していた愛用の日傘を閉じる。

 

 ―――その女は、見た目はただの小柄な美少女だ。

 金糸に陽光を照り返したような、脚まで届く長い髪。名を示すかのような、鮮やかに過ぎるアメジストの瞳。不気味ささえ覚えるほど白い肌を、太極図をあしらった導師服風のドレスで覆っている。

 

 しかし私はよく知っている。「最強の妖怪が誰か」という問いに対して、こいつはまず間違いなくその答えの一角に入ることを。

 

 妖怪の賢者。

 境界に潜む化け物。

 神隠しの主犯。

 

 示す名は数あれど、どれもこいつに相応しい。

 

 ―――境界の大妖、八雲紫。

 

「…毎度言ってる気がするけどね、紫。私の工房に踏み込む時は、きちんと呼び鈴を鳴らして入ってきな。何の為に玄関なんてものがついてると思ってるのよ。心臓が止まるじゃないか。」

 

「御免なさいね。スキマ妖怪としての性だから、諦めて頂戴。それに、貴女の心臓はそんなことで止まるほど軟じゃないでしょう。金剛石製の間違いじゃない。」

 

 全く謝意のない空っぽの謝罪と不躾極まりない言葉に青筋が立つが、正直コイツ相手にまともな返答なぞ期待するだけ無駄だと思い直す。

 

「それに、ちゃんと貴女の攻撃を止めてあげたわよ?あのまま逸らしてたら、多分湖と向こう側の山脈が消えてたけど。」

 

 …まあ、それに関しては認める。実際自分でも魔法を撃った後に「やっちまった」って思ったから。よし、それに免じて、後で思いっきり悪戯を仕込むだけで済ませてやろう。私は優しい。

 

 ただ分からないのは、コイツの目的だ。わざわざこの女が、こんな辺鄙な所まで出張る理由が分からない。

 

 そんな考えが表に出ていたのか、紫は咳払いして、口を開いた。

 

「私がここに来た理由は、たった一つです。魅魔、貴女の力を見込んで頼みがあるのよ。」

 

「…本当に今日は珍しい日だね。アンタが誰かに真摯に頼み事をするなんて。明日は隕石が降ってくるね、きっと。」

 

「別にふざけているわけではないから茶化さないで。」

 

 そうは言うがはっきり言って違和感しかない。自分とコイツの会話と言えば、さっきみたいな煽り合い茶化し合いが普通だ。今回のような真面目でまともな頼み事など経験が無かった。

 

 しかしそうだとしても、疑問が一つ。

 

「解せないね。アンタが出来ないようなことを、私に依頼するっていうのかい?一体どんな難題よ、それは。」

 

 紫の能力は『境界を操る程度の能力』。文字通り、万物、森羅万象に存在する境界に、意のままに干渉出来るという、およそ規格外にも程がある力だ。

 

 存在の有無そのものに干渉したり、同格の相手の抵抗を無視したりすることは出来ないが、逆に言えばそのくらいしか制限が無い。私のさっきの魔法を苦も無く相殺出来たのも、この能力によるものなはずだ。

 

 0~100までの内、1~99までを自在に動かせる反則の能力。加えて、本人の化け物じみた計算能力と機転。これらが合わさって、八雲紫は、全能にほど近い万能の存在として君臨していた。

 

 というわけで、そんな紫が出来ないことを私がやるというのは少々無理がある。直接戦闘するだけなら負けるつもりはないが、万能さならコイツの方が上なはずだ。

 

 そのような思考と共に視線を送れば、紫は首を横に振った。

 

「言葉が足りなかったわね。私の夢の実現に、貴女の力を貸して欲しいのよ。私だけではどうしても手が足りないわ。」

 

「アンタの夢…、ああ、『理想郷』か。夢物語だと思っていたんだが…、私にこうして話を持ってくるあたり、実現の目途が立ったってことかしら。」

 

 確信を持ってそう呟けば、紫はコクンと頷いた。

 

 『理想郷』―――妖怪と人間が争わずに共存する地。互いの確執を考えれば有り得ないはずのそれを一から創り上げるという、文字通り世界をひっくり返すような、大それた野望。

 コイツが昔から、それこそ何百年も前から抱く大望であり、鼻で笑われそうな夢物語。自身の能力を持ってしても到底不可能であるはずのそれが…、どうやら実現出来そうであるらしい。

 

「ただ、理想郷の創立を実行に移すには時期が悪い上に、私と同じ様に創立の柱となれる者達を集める必要があるわ。貴女には、その者達を集める役割を担って欲しいのよ。」

 

「ちょっと待った。私はまだ引き受けるとは一言も言ってない。そもそも、その理想郷には人間が入るんだろう?私の種族と、そして行動原理を忘れたとは言わせないよ。」

 

 私は紫を睨みつけた。

 私はどこまで行っても魔女で、そしてそれ以前に悪霊だ。人類全てに復讐するまで私は消えないし止まらない。その意味では、コイツの願いと私の存在は完全に相反するものなのだから。

 

 もちろん紫も分かっていたのだろう。少したじろいだが、すぐさま言葉を返してきた。

 

 ―――とはいえ、返ってきたのは予想外の返答だったが。

 

「ええ、貴女の存在意義については理解しているわ。…でも貴女、気づいてる?」

 

「?……何にだい?」

 

 

 

「…貴女の敵意と憎悪が、年々薄れているということに。」

 

 

 

「っ!……何を……」

 

「言葉の通りよ。」

 

 決して、誰にも知られていなかったはずだ。表に出てこないように、読み取られないように、心を完全に深層に押し込めた。

 

 ……だというのに、どうしてこいつがそのことを知っている!?

 

 自覚していなかったと言えば噓になる。以前の私なら、人間全てを無条件に見下し、恨み、殺そうとしていた。その単語を出されただけで、目の前の相手を八つ裂きにする程度には、人類に対して悪意と憎悪を抱いていたのだ。

 

 しかし今では、人間を何処までも追って地獄を見せてやろうとするような気概は持っていない。目の前に現れたら殺すが、少なくとも館に引きこもって魔法の研究に打ち込める程度には落ち着いている。そうでなければ、故人とはいえ『門』を作った人間たちに称賛を送ったりはしない。

 

 だが、私はそれを認めるわけにはいかない。全人類への復讐心、それが私の原動力である以上……決して失ってはならないのだ。それは、()()()()()()()()()()なのだから。

 

 確かに憎悪は薄まったかもしれない、だがそれがどうしたというのだ。私が奴らに抱く思いは変わらない。私の…()()()の苦しみを味合わせるまで、止まるわけにはいかない。

 

そんな自分に言い聞かせる思考を止めるかのように、紫が再び口を開いた。

 

「はっきり言うわ。疲れているんでしょう、貴女?自分の本能と思考の齟齬に、衝動と理性の壊れ合いに。」

 

 その言葉に、思わず苛立ちと苦しさが溢れて、かすれた声が出てしまう。

 

「…だとしても、それはアンタが口を出すことじゃないだろうが――!」

 

 確かに言う通りなのだろう。図星だということはとうに分かっている。

 それでも、長年自分の拠り所だった憎悪が否定されてしまうことは、私を否応なしに苦しませた。自身の存在意義そのものが、根底から崩れてしまうのは怖かった。それを認めてしまえば、私はワタシでなくなってしまうから……。

 

 

 

 しかし。

 紫は続けた。

 

「いいえ、私は口を出すわ。だって……見ていられないもの。貴女、今とんでもなく苦しそうな顔してるわよ。自覚はないかも知れないけど、今にも壊れそうなくらいには。」

 

 紫はスキマから手鏡を取り出して、私に見せつけた。

 ―――そこには、色などとうに失った蒼白の顔で、苦しみ続ける、私の顔が。

 

「…じゃあどうすればいいっていうんだい。このまま、奴らのことを忘れて消えろってか!」

 

 どうやら普段の冷静な私は、もはやどこかへさよならしてしまったらしい。後からみれば、自分でも驚き失笑してしまうほどに、私は激昂した。

 

 感情の昂ぶりに耐え切れず、魔力が漏れ出した。それだけでなく、悪霊として、妖怪としての妖力が久方ぶりに顔を出す。漆黒のエネルギーがぶちまけられ、空間が押し潰されていく。

 

 これ以上はダメだ。収まりがつかなくなる。悪霊としての本能でどうしようもなく暴走しつつある自分を、私の微かに残った理性の部分は、何処か俯瞰するように私を見ていた。

 

「私は、人間に……全人類に復讐するために生まれた、いや、生み落とされたんだ。そのために私は進んできたんだっ!今更お前に止められる筋合いなどあるものか!!」

 

 悪霊としての衝動が暴れだし、最早殺意すらも無差別になった私を前に、しかし紫は冷静だった。

 

「ええ、それでいい。別に私はあなたを止める気などないわ。私が貴女に持って来た話は、私の理想の実現の為だけではない、既に壊れかけている貴女の精神を元に戻す為でもある。だからこそ、他ならぬ貴女に頼みに来たのよ。貴女の存在の揺らぎをとどめるにはそれしかない。」

 

 宥められても、衝動は止まることはない。『魅魔』の心ではなく、『悪霊』の、種族としての本能はその程度では止まらなかった。

 だが、こんな私にも少しはまともな思考が残っていたのか、心の中で紫に尋ねた。

 

 分からない。

 どうしてお前はそんなことをする。他の力ある者達に、直接言えば良かろうに。どうして放っておいてくれない、疎まれても関わってくる?

 

「どうしてそこまで関わるのかって?

 簡単よ、貴女に消えられちゃ私はとっても困るし、そしてなにより…

 

 

 

 ―――友の苦しむ姿を、見ていたくないからよ。

 

 



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賢者信憑 ~Rival

 

 「……は?」

 

 私は、ポカンと口を開けた。

 クスクスと笑う紫。

 

 いや待て。コイツ、今何と言った。友人?私がか?

 

「落ち着いてくれたみたいね。もう一度言ってあげましょうか?貴女の友として放ってはおけなかったのよ。」

 

 妖力と魔力の放出は、既に止まっていた。

 …昔から意味不明な奴だとは思っていたが、まさかここまでとは。多分前代未聞だろう。神の荒御魂、災厄そのものとまで謳われたこの私をよりにもよって単なる人情で助けようとした大馬鹿は。

 

「貴女の心持ちも分からないではないわ。人間と違って妖怪にとっては自分の存在意義は何よりも重要な柱ですもの。でも今の貴女はそれ自体が揺らいでいて、何か新しい転機が必要なのよ。だからわざわざこのことを貴女に依頼しに来たわけ。」

 

「…良いだろう。そこまで言うのなら話は聞こうじゃないか。」

 

「話が早くて助かるわ。」

 

 ―――この判断が正しいものなのかは、私には分からない。

 しかし、いつも胡散臭いだけのコイツの瞳が、純真な決意と信頼の色を浮かべているのが見て取れた時。

 今回ばかりは少しだけ、信用してやろうという気になったのは確かだった。

 

 

 

 

「……成程。じゃあ要するに、幹部として各地の力ある者を集めて来いってことだね?理想郷の創設、運営を円滑にする為に。」

 

「そういうこと。私一人で実行するには、規模が大き過ぎるわ。なにせ……」

 

 ―――世界中の幻想の存在を、一点にかき集めるのだから。

 

 紫の考えたことは、随分とまあ、頭のネジが残さず吹き飛んだとしか思えないような代物だった。

 

 妖怪や神、その他の伝承に残る人外達は例外なく人の感情に起因する存在だ。

 妖怪ならば、恐怖。神ならば、畏敬や崇拝。

 

 そういった感情や精神性によって彼らは存在している。いわばエネルギー源だ。

 故に彼等の存在そのものが、人間共の抱く感情に絶対的に依存していると言ってもいい。

 

 今現在、人間は幻想を抱いている。畏怖、恐怖、崇敬といった感情を人外達に向けているのだ。その幻想は妖怪が、神が、この世界に充分力を持って存在出来る原因となる。

 この状態では彼らの力は強く、この世の存在として当たり前に実在できる。

 

 しかしながら、そこにはいずれ限度があるのだ。人は光をもって闇を祓い、文明を築き上げて天敵を駆逐する。恐ろしいもの、分からないものが存在しうる夜闇をその賢しさをもって打ち壊すだろう。

 

 そこには、人外達が居られる居場所など何処にも無い。かつての幻想は忘れ去られ、そこにいた者達は痕跡すら残さず消え去るのだ。

 

 ……そんな予想を、紫は私に話した。そして私にとしても、その予想には大いに賛同できる。

 人間の成長能力は妖怪のそれとは根本的に違う。儚く数の多い人間と、強固で絶大な妖怪の単なる価値観の違いであるそれは、しかしいずれ両者の力関係を逆転させうる。

 

「私はその時に備えて理想郷を造り上げる。人妖を問わない、忘れ去られた者達の行き着く最後の楽園として。」

 

 世界中の幻想の存在がその力を弱めた時、理想郷に導かれ引き込まれるように細工をする。そのために張るのが、常識と非常識を内と外でひっくり返す、稀代の大結界。

 『幻と実体の境界』。

 

「これを張って、理想郷の中に忘れ去られた者達が行きつけるようにします。そして、世界中から幻想が失われたその時、もう一つの結界をもって理想郷を永劫に封鎖するわ。」

 

 世界から彼らが完全に忘れられた瞬間に、理想郷を完全なる論理結界で隔離する。その強力無比の結界をもって、外と内の行き来や干渉を完璧に封じる。

 

 これで非常識達が常に存在出来る、ケージの完成というわけだ。

 

「だが人間はどうする?幾ら世界中の神秘を流れ込ませても、畏れを抱く人間がいないんじゃ話にならんだろう。それに、お前の理想にも沿わないはずだ。」

 

「ええ、だから今のうちに人間を引き入れ、畏れを持った状態で隔離するの。彼らが闇を祓う力を完成させず、我らのことを忘れない限り流れ込んだ者たちは永遠に存在出来る。勿論彼らが滅びてしまっては元も子もないから、安全対策は最高のものを用意するわ。」

 

「…飼い殺しってわけかい。共存かどうかは疑問符がつくね。」

 

 そう言うと紫は苦々しく顔をしかめた。無理もない、やはり限度があったのだろう。形として人妖の共存は出来ても『共栄』は不可能だったということだ。まあこればかりは二種族間の関係上仕方のないことなのだが。

 

「そこは妥協するしかないわ。それにゆくゆくは改善出来るかも知れない。」

 

「まあ、言いたいことは分かった。出来るだけ境界の揺らぎを防ぐためにも、力のある連中を予め引き込んでおいて出来れば協力させるんだね。私の伝手を探ってみるよ。物好きな奴ならいい返事がくるかもしれない。」

 

「お願いするわ。そういう輩に後から入られて無茶苦茶されると困るのよ。彼らには結界内のパワーバランスを保ち、秩序を維持する為の中心となってもらいます。」

 

「……けど私の件はどうなのよ?私の衝動を抑えることには繋がってないと思うけど。」

 

「ええ、そっちはもう一つの依頼に関係があるのよ。」

 

「は?」

 

 おい待て今なんて言った。―――もう一つ。

 

「二つもあんのかい!?」

 

「正確には、大きく分けて二つよ。一つは先ほど言った通り、各地の協力的な有力者を集めること。もう一つは、キーとなる結界そのものに関係があるわ。」

 

「えー、面倒くさい…」

 

 思わず溜息をついてしまった。

 しかも紫の面持ちがより引き締まったから、恐らく頼みの本命はこちらだろう。こりゃあ後で報酬は弾んでもらわなくてはいけない。

 

「話を続けるわよ。先ほど話した二つの結界のうち、後者の内外封鎖の論理結界の方は、ある人間に管理させるつもりでいるわ。貴女には彼女を鍛えてあげて欲しい。」

 

「更にとんでもないことを頼んできたね。私に人間を鍛えろ?蟻に言葉を話させろっていう方が、まだ現実的だよ。」

 

 つまりは不可能ということだ。何の冗談だよ、一体。

 そんな感じで文句を言うと、コイツは待ってましたと言わんばかりに笑顔になった。正直胡散臭い。

 

「勿論、直接魔法や技術を叩き込めなんて言わないわよ。貴女なりに、彼女の霊力の才を伸ばす手段を取って頂戴。神のように、気まぐれな試練を与えるでもいい。妖怪として、絶望と力への渇望を与えるでもいい。或いは、切磋琢磨するような相手を与えるでもいいわ。

 ただし……」

 

 そこで言葉を区切る。笑みはいつのまにやら消えていた。

 

「機が満ちるまで、決してあの子を殺さないで。もし故意に死なせたら、私が貴女を殺すかもしれない。」

 

 そう言い切った紫の目には、まるで子供を目の前で奪われた獣の母のような強すぎる赫怒の炎が宿っていた。

 長生きはしてみるものだ、まさかコイツがこんな目をするなんて。

 

「…アンタがそこまで入れ込む人間なんて珍しいね。もしかして、アンタが親代わりをしてるのかい。」

 

「…そうよ。彼女を一目見て、私の理想を任せられるのはこの子しかいない、と思ったの。才能的にも、人間としても。」

 

「でもなんで人間に?アンタか、同格の妖怪を核にすれば良いだろう。仮に幾ら強かろうと人間の寿命は短いわよ。そこまでのリスクを背負う必要があるのかい?」

 

「私はあくまで管理者、そしてゲートキーパーよ。調停者にはなれないわ。」

 

 理解した。コイツがその人間に期待しているのは、結界を維持する為のコアとしての役割、そして結界内の人妖の調停者としての役割だ。

 内部の小競り合いやパワーバランスの崩壊を抑えるための切り札ということだろう。

 

 コアの役割は兎も角、調停者は内部の人間と密接に関わる以上は人間でなくてはならない。人外には、人を本当の意味で治めることは不可能だ。

 人間は良くも悪くも、違うものを排斥する。いうなれば癌に対する自浄作用のようなものだ。価値観も生態も違う存在を、連中は己らの守護者として、味方として見ないだろう。

 故にその席を戴くのは人間でなくてはならないのだ。

 

 外側を管理する妖怪代表としての自分と同じような、内側を調整出来る人間代表を作るつもりなのだろう。

 

「そんな訳で、彼女には大妖怪や神をも調伏出来る人間になって貰う必要がある。だから敵としての指導役には、貴女が適任というわけ。」

 

 貴女なら、余計な手加減はしないでしょう?

 

 そんな心持ちが透けて見える。生かさず殺さず戦ってやれ、というわけだ。正直死ぬほど面倒である。

 

「大体、かなり難しいことは分かってるんでしょ?殺さない自信なんてないよ。幾ら手加減していても死ぬかもしれない。」

 

「……その時は潔く諦めるわよ。あの子がその器ではなかった、荷が重かったということでしょう。ならばどのみちあの子は死んでいた。それを課した責は、全て私にあるわ。」

 

「―――そうかい。」

 

 本当に全てを吞み込むつもりなのだろう。何もかも受け入れんとする決意の色がその声からは聞き取れた。

 

 ……ならば僥倖、仕事は仕事だ。この私が持てる力でもって、そいつの才の全てを余すことなく引き出してやる。

 

「そして、その子が『完成した』と思ったら、魅魔。―――貴女は今度こそ彼女と、全力全霊で戦っていいわ。」

 

「『機が満ちるまで』ってのはそういうことか。……でも正気かしら、その子死ぬよ?」

 

 そいつがどれほどの天才かは知らないが、流石に齢幾十にもならないような小娘にどうこうされるほど私は甘くない。客観的に見ても本気でやりあえば人間よりは私の方が力は遥か上だ。

 

「別に命の奪い合いをしろとは言わないわ。貴女の納得できるようなルールで、『人間』である彼女と存分にやり合って構わない。その勝敗は指定しないわ。いずれにしても、決着が着いたら、貴女の精神は安定しているでしょう。」

 

「私の悪意を受け止められる器を作って、完成したら戦えってことか。……分かったよ。受けてやる。ただし、報酬はこれ以上ないほど取らせて貰うからね。」

 

 観念してそう言うと、紫は満足げに笑って扇子をとりだし、バサッと広げた。

 

「そう言ってくれると思ったわ。頭の回る貴女相手だと交渉が楽ね。報酬の件は、また後日に決めましょう。」

 

「はいはい、どうもありがとう。で、今すぐ理想郷に行けば良いのかい。」

 

「今はまだいいわ。有力者へ渡りをつける方を先にして頂戴。それと――」

 

 まだ何かあるのか、言葉に間が出来る。

 

「さっき言ったかも知れないけど、出来ればあの子には切磋琢磨出来る友人が欲しいの。有り体に言えばライバルね。それが一人いるだけで全然効率が違うわ。」

 

「冗談はよしておくれ。今度は人間の子育てをしろって?」

 

「別にその子は普通の人間である必要はないわ。もちろん種族的には人間であって欲しいけど。純粋培養の、貴女特製の人造人間(ホムンクルス)とかなら貴女も殺意が沸いたりしないでしょう?」

 

「……ふむ……」

 

 予想だにしない言葉が飛んできてしまった。顎に手を当てて考えてみる。

 確かにその発想は今までに無かった。自分の生み出した人造人間なら別に恨んだりはしない。魔法の研究にも役に立つかも知れないし、メリットは有る。

 

 今までは人造人間など単なる実験材料でしかなかったが、方針を変えてみるのもありといえばありだ。

 

「それに、もしもその子が貴女に並び立てるほどに優秀なら、貴女の研究を手伝ってくれるんじゃない?」

 

「そうかもしれないね。……よし、ついでだ。作ってやろう。」

 

 結局考えてみたが、新しい知見というのは手間暇をつぎ込んで余りある報酬。悩んだ末、受けることにした。

 

 

 ―――そしてこの時の紫の口出しが、私のその後の運命を戻しようがない程に捻じ曲げてくるなんて、予想だにしなかったのだ。

 

 

 実のところ、この時私は、適当にある程度の実力を持っただけの肉人形でも作ってやるつもりだった。単なる訓練相手程度なら、戦闘能力だけで十分だろうと。

 ……しかしそんな考えは、次の一言で残さず吹き飛んだ。

 

「まあ、貴女の育てた人間が幾ら優秀でも、うちの子には敵わないと思うけど。」

 

「―――ああ?」

 

 私の魔法と技術が、その小娘に劣っているって?……上等だよ、ええ?

 

 そうまで言うなら、その娘を上回る、最強の人造魔法使いを作ってやろうじゃないか。古今東西、何処を探してもいないような、史上最強の人造魔女を。

 

「上等だよ、紫ぃ…!!」

 

「あら、やる気になってくれたみたいで嬉しいわよ、ふふふ。」

 

 上手く乗せられているのは、理解している。だが此処までコケにされては、いっぱしの魔女として看過出来ない。理屈ではない、魔法使いとしてのプライドの問題だ。

 

「ともかく、確かに伝えたわ。後日うちの子を見せるからそれまで好きに動いていて頂戴。」

 

「いいだろう、目にもの見せてくれるよ……!」

 

「頼もしいわね。それじゃ。」

 

 そこで話を切って、紫は扇子を横に薙いで真っ暗なスキマを開く。そしてスキマにずるりと滑り込んで、姿を消した。

 

 とんでもない話が舞い込んだが、これもまた一興。

 やるからには全力で。それが私のすべきことだ。

 

 気炎を上げながら、私は人体関係の魔導書をありったけ呼び出した。

 

 




というわけで、第二登場人物はゆかりん。
二人は昔からの悪友のような関係です。


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博麗靈夢 ~Eastern Wind

 

「ぐぬう、これも失敗かい……!」

 

 工房の机を前に、魅魔は唸っていた。

 机の上には何時ものような天体関係の道具は無く、代わりに人体を中心とした、生体操作関係の魔導書が山積して何本ものタワーを形成している。更には、泡立つ液体の入った試験管や、得体の知れない生物の死体が、所狭しと机を占領していた。

 

 事の発端は数ヶ月前の、あの八雲紫との会談だ。

 

 当然ながら、紫に煽られてあれだけの啖呵を切った以上、何が何でも目標の人造人間を作るつもりだった。普段から、何においてもすぐ飽きる程度の活力で動く彼女からは、信じられない程にやる気を出していた。

 

 ――――が、やる気に必ず結果が付いて来るなら、勉強なんて概念は生まれないわけで。

 

 案の定、魅魔はこうして、高すぎる目標の壁に首を垂れていたのである。

 

 「ああ、もう!そもそも私の専門は天体だっての。いきなり私に並ぶような人造人間が出来るかい!」

 

 苛立ちを振り払うように、ガジガジと頭を掻いた。それもその筈、今回使うような生命体に関係する魔法を、魅魔は不得手としているのだから。

 正確には、殆ど触らない内に、他の魔法ばかり優先していて、結果余り扱えないようになったというべきか。

 それでもただの人造人間なら片手間で完成できるが、今回魅魔が自身に課した目標は、『見た目も構造も人間だが、自分に並ぶ最上位クラスの魔力を持つ魔法使いの人造人間』という、余りにも前代未聞のものであった。

 

 彼女は天体の運営や利用を命題として、邁進してきた魔法使いだ。決して、人体の扱いに秀でた死霊術師(ネクロマンサー)などではない。そういう意味では、この結果は必然といえた。

 

 しかも無駄に気炎を上げたせいで、紫に仕返しを仕掛けてやるのをすっかり度忘れしたのである。次こそは忘れまいと心に決めた。

 

「うーむむ…。このままじゃ埒が明かないわね。一旦研究を切り上げて、仕事の方を先にしようか。」

 

 乱れた精神のままでは、碌に研究なんて進むはずがない。魅魔は一旦気持ちを切り替えて、紫の依頼を優先し、知り合いの力ある存在達に話をつけに行くことにした。

 

 口元に手を当てて、歪んだ顔を仕切り直す。次の瞬間には、いつもの飄逸にして大胆不敵な、大魔女の姿が戻ってきていた。

 

「さて、話を聞いてくれるような連中ねえ…。東洋の方は既に紫が動いているだろうしね。私は西洋と異界の方に渡りをつけることにしようか。」

 

 催促されずとも自分からこうして動くあたり、なんやかんや魅魔自身もこの仕事に乗り気だった。そそくさと『天蓋羅針盤』を起動し、交流のある人物を探してみる。

 

 暫く視線を走らせた後、北欧中心部にある光点を見つけだした。

 

「ふむ、西洋には…、ああ、あいつがいたか。どうせ日がな一日寝ぼけてるんだろうし、叩き起こしてやるかね。」

 

 哀れ北欧の妖怪は、真っ先にトラブルメーカーに目を付けられたのであった。

 

 月光の杖を取り出し、魔法陣を描き出す。魅魔の足元に鮮やかな陣が浮かび、空間が捻じ曲がる。

 

―――『光錨転移』

 

次の瞬間、魅魔の姿が光共に消え去った。

 

 

 

 

「……魅魔は上手くやってるかしらね。」

 

 ふと、(八雲紫)は何の気なしに呟いた。

 

 現在、私は日本の丁度真ん中当たりに位置する山奥、そこに存在するボロボロの廃神社の境内に腰かけていた。ここは私の理想郷の拠点、その最有力候補である。

 そして私の隣では、とある人間の少女が一生懸命身の丈程もある大幣を振っていた。

 

 元々、彼女が不安定な状態にあったことはかなり前から気づいていた。それでも口を出さなかったのは、正の方向であれ負の方向であれ、彼女が自力で立ち直ってくれることを望んでいたからである。

 妖怪に対して、下手な精神への働きかけは何よりも毒となりうるのだから。……結局、それでも盲目に魔道と復讐に傾倒していくのだから、無理矢理に目を覚まさせる羽目になったが。

 

 今回伝えた依頼は、魅魔にとっても、()()()にとってもかなりの荒療治だ。要は、生死をかけて思いっきり魅魔のストレスを発散させようというのだから。

 

 ただ、そこまで魅魔が本気でかかってきてなおこの子が生き延びられる、それぐらいの能力を身に付けてくれないと、いずれこの先で彼女は悲惨な目にあうだろう。

 こうして茨の道を進ませたのはそれが理由だ。

 

 そして魅魔には明かさなかったが、何よりも大きいのは魅魔とこの子の姓が持つ因縁だ。彼女にとっては、この子は恐らく世界で一番殺意を持つ相手であるはず。

 

 何せ彼女をの力を封じ込み、貶めたのはこの子の祖先なのだから。

 

 その時が来れば、魅魔はきっと手加減などするまい。だからこそ、こうしてこの子を鍛えている。

 

「紫、どうしたの?」

 

「何でもないわ、心配してくれてありがとう。」

 

 隣にいた少女が声をかけてきた。

 めでたい紅白柄の巫女服に身を包み、紫のかったつやのある長い黒髪を真っ赤なリボンで纏めている。瞳は一片の曇りもない黒で、磨り減るほどに磨き上げられた黒曜石を思わせる。

 

 安心させるように声をかけて、彼女の、()()の頭をそっと撫でた。

 

 博麗靈夢。

 彼女は赤子の頃、布にくるまれてこの廃神社に置き去りにされていたのだ。

 

 今でもはっきりと思い出せる、この娘と出会ったあの時を。

 私が運命と出会った、あの瞬間の情景を。

 

 

 秋神が紅葉を色づけ始める季節、空が不気味に輝く逢魔時。

 私は、理想郷を作り上げる際に最重要要素となる二つの結界、その設置のための土地を探して、日本の山奥を飛行していた。

 

 ここは地図にものっていない人間の秘境や、私の旧友の鬼を始めとする日本屈指の妖怪たちが縄張りにする霊峰、更には複数の異界とも隣接する地点だ。故に早くから目をつけており、この辺りの領域を擁するように結界を張るつもりでいた。

 

 スキマによる観測なら一瞬で終わるが、折角の大事な理想郷の核となる地だ、自分の両の目で見つけてみたかったのだ。

 

 そして、このボロボロの廃墟と化して、しかし未だに霊力を残すこの神社を見つけたのである。

 鳥居は基礎ごと崩れ落ち、賽銭箱はヒビだらけ、本殿はもぬけの殻、飾られている高貴なはずの紫の布は襤褸雑巾と見紛うほど。屋根や壁は、何の冗談かと思うぐらい、穴の空いていない所を探し出す方が難しい始末。

 

 こんなとっくの昔に廃棄されたような神社に、どうして未だに霊力が残っているのか。

 奇妙に思った私は、力の発生源と思われる本殿の階段を覗き込んだ。

 

 

 そしてそこで、彼女を見つけた。

 

 

 布に包まれて眠る、籠に入れられた赤子だ。

 見間違いようもない、ただの人の子。

 

 しかしその身に秘められた霊力は、この大妖怪の体に僅かながらも圧力を与えてくる程のもの。

 

 決め手となったのは、この子が薄く薄く身に纏う、結界だった。恐らく無意識で外敵を排除しようと、生存本能で張っていたのだろう。

 ――誰にも教わることなく、自力で。

 それだけで、この子の才能が万に一つも見られない、類稀なものであることは疑いようもなかった。

 

 真っ白な布には、幾つもの防御術式が刻まれていた。この子の親が、この神社の元の神主が、せめてもの愛として遺したものか。

 

「立地としても、この場所に文句は無い…。決めた。」

 

 ここを結界の拠点とし、その役割をこの子に担って貰おう。

 

 具体的にどうするかなどは、何も浮かばなかった。それでもこの子に己の悲願を託す気になったのは、敢えて言うなれば、天啓というやつなのかも知れない。

 

 ボロボロの賽銭箱を見やる。

 ヒビだらけのそれに、しかしはっきりと筆文字で刻まれたその名は、『博麗神社』。

 

 博麗の血を引く、天衣無縫の人の子。

 私の夢を託すに相応しい、靈の力に愛された巫女。

 

「……靈夢。」

 

 今日から貴女は、博麗靈夢よ。

 

 こうして私は、私だけの巫女を見つけた。

 

 

 

 始めは、この子の世話にはかなり手間取った。

 なにせ私は妖怪、子育ての経験なんてあろうはずがない。何もかも手探りで、それでも考えては思いついたことを片っ端からしてあげた。

 

 この子が住むための神社を直して。

 出来るだけ新鮮な食事を沢山与え。

 棚の奥にあった着物を手ずから直し、巫女としての紅白衣装も用意してあげた。

 幼少期に、自分が与えられる限りのものを与えた。

 

 そして今、彼女を理想郷の調停者としての役割を果たせるように仕立てるべく、私は彼女に戦闘技術を叩き込んでいる。

 

「靈夢、もう一度。今度は結界にヒビを入れるだけじゃなくて、完全に打ち壊せるようにしましょう。」

 

「えー、まだやるのー?」

 

「頑張ったら、今日のおやつは豪華にしてあげるわよ。」

 

「ほんと?じゃあ頑張る!」

 

 今この子にさせているのは、私がそれなりの強さで張った結界を、霊撃で完全に破壊する修行だ。

 手加減しているとはいえ、一流の陰陽師ですら傷一つ入れられない私の結界に、既に大きなヒビが入っている。

 

 

 この子は天才だった。

 いや、最早それすらも通り越して、鬼才と言う方が正しいかもしれない。

 

 私が見出した時から、人の身とは思えないほどの化け物じみた霊力を保有していた。

 まだ三歳の、普通なら言葉も覚束ないような幼児の内に、一瞬で初めての技を習得した。

 そこから、大抵は手本を見せるだけで、或いは手間取っても一週間ほどで、私の力を、技術を、経験を、まるで砂地が水を吸い込むかのように吸収していった。

 

 もはや低、中級妖怪程度なら、片手間で相手できるほどに身体も技巧も鍛えられ、その刃は上級の妖怪にすら届きうるほどだと思わせる。

 天性のセンスと人間としての最高峰に当たる身体と霊力、それらを土台として練磨された力は、それほどのものだった。

 

 更には、博麗の血に隠された()()

 私が調べてみても、存在だけしか知りえないそれは、しかし彼女の先代を妖怪に対抗する急先鋒に仕立て上げるほどのもの。

 靈夢の天才的な感覚は、齢一桁にしてそれすらも掴みかけている。

 

 ただ欠点を挙げるなら、その天才性故に怠けやすいことと、何故か真っ先に習得して然るべき『飛行の術』が一切使えないことか。

 

 前者はまだ分かる。

 あらゆる困難の何もかもを、ほぼ努力せずに突破出来てしまうのだから、そんな性格にもなるだろう。

 

 だが後者は致命的だ。

 飛行できるか否かで、選択肢は大幅に減少する。少なくとも、放置できる問題ではない。

 

 いざとなれば、代替の飛行手段を用意する。それは運の良いことに、博麗神社に元々残されていた。

 

「靈夢、少し裏の方にいるわ。もし結界を壊せたら呼んで頂戴。……さぼらないようにね。」

 

「うぐ!?は、はーい…。」

 

 何でばれたんだと言わんばかりにしょんぼりする靈夢はさておき、神社の裏手の方に回る。そこには、四季折々の木々草木によって彩られた空間に鎮座する、大きな池があった。淡青の水はとても綺麗で、少しの濁りも浮かんでいない。

 

 陽を照り返して燦然と光るその池に向かって、声をかける。ここに彼が居れば、顔を出すはずだ。

 

「玄爺、出てきて下さる?」

 

 ほどなくして、ザバザバという音と共に波紋が浮かび、水底から一匹の亀が姿を現した。

 普通の亀よりもかなり大きく、立派な白い髭と眉を蓄えている。その目には、理性なき獣には有り得ない、聡明で理知的な光があった。

 

「この老いぼれを呼び出すとは。何の用ですかな、八雲殿。」

 

「ええ、以前から貴方に言っていた、靈夢を乗せて飛行して欲しいということ。どうやら、本当に貴方の力を借りることになりそうですわ。」

 

「ふむ、そうですか。余り気は進みませぬが、しかしお嬢様の為となれば、動かないわけにもいきますまい。いやはや、人を乗せて仙術を使うなど、何百年ぶりですかの。」

 

 彼の名は玄爺。

 ここ博麗神社に古くから居つく妖怪亀であり、そして世にも珍しい、仙人となった亀である。

 

 彼もまた何千年と生きた大妖怪の一角で、その見事な仙術を用いて、昔からこの博麗神社の守り人のようなことをしていたとか。神社がとっくに廃棄されても、荒らされないように守っていたそうだ。

 靈夢は本来ならば博麗神社の巫女の跡取り、何日も放置されていたというのにあの子が害されず飢えもしなかったのは、先代が消えた後も彼が世話を焼いていたからである。

 

 そして今、神社の再建を行う代わりに、何かと靈夢の為に動いて貰っているのである。

 今回呼び出したのも、その一環だ。

 

「恐らく、靈夢が飛行出来ないのは、才能の不足によるものではないでしょう。体が成長すれば、制御が楽になって飛行術も使えるはず。それまでは、貴方に靈夢を背に乗せて飛んで頂きたい。」

 

「なるほど、畏まりました。対応できる術の準備をしておきましょう。それでは。」

 

「ええ、よろしくお願いします。」

 

 パシャンと水が跳ね、玄爺はまた水底に戻っていった。

 

 今回彼にお願いしたのは、飛行出来ない靈夢の代わりに、空中での足になって貰う事。靈夢を背中に乗せて、仙術で飛んでもらうのだ。

 

 機動力については心配していない。彼の仙術は、私をして見事だと思わされるものだし、彼も靈夢には無茶を強いないだろう。後は、靈夢ができるだけ早く飛行術を修得することを祈るしかない。

 

「…他の妖怪たちについては、こちらでも動いておかないとね。天魔や鬼共、後は彼岸の閻魔にも根回ししないと…。」

 

 これからの苦労を思って、思わずはあっ…と溜息をついてしまう。色々言われていても、所詮は私も一人の妖怪の身。こうも仕事が続くと、やっぱり疲れちゃうのだ。

 

「紫ー、割れたよー!?」

 

「ああはいはい、今行くわ!」

 

 そして今は、子育てという別方面の苦労もあった。人間の親というものは、つくづく偉大なものだなあと思い知らされる。

 

 スキマ妖怪・八雲紫。休みが欲しいです。

 

 



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蠢く怪物たち ① ~Scarlet

 ゲルデン・スカーレット。

 またの名をスカーレット卿。

 

 欧州で覇権を伸ばしつつある妖怪『吸血鬼』。魔界から流れ込んだ悪魔を源流とする最上位妖怪の一角。

 

 強大な種族であるその中でも、彼は『真紅の公爵』、『血染めのスカーレット』などと恐れられる、吸血鬼の中でも一際強い実力と権勢を誇る怪物である。

 ルーマニアとブリテンを中心とし、父の代から長年にわたって勢力を拡大させてきた。

 

 まさしく、夜の王。

 今や大陸でスカーレット卿の名を聞いて恐れ慄かない者はいない。

 

 そんな彼ではあるが、やはり弁慶にも泣き所はあるというべきか。実は彼、この世でたった二名ほど頭の上がらない人物がいた。

 

 一人は彼の妻。

 貴族の義務としてまだ百にもならぬ内に娶った彼女は、家ではただの愛妻家である彼にとっては、絶対に怒らせたくない人である。その上病弱な深窓の令嬢のくせして気が強く、怒ると笑顔で威圧してくるので単純に怖い。

 

 そしてもう一人が、彼の父の代から大きな借りがある――

 

 

 

 

 

 穏やかな午後の風が吹く草原。そこにキンッという甲高い音を立てて、何の前触れも無く人影が現れた。

 

「よっと……、ここだ。」

 

 あらかじめ魔法の錨で座標をマークし、空間を繋げてそこまで一気に瞬間移動する便利な魔法、『光錨転移』。魅魔はそれを駆使して、こうして遥々ルーマニアまでやってきたのだった。

 首を上げて、目の前に立つものを見上げてみる。

 

「相変わらず趣味悪い色だねえ。どんな神経してたらこんなところに住めるのやら。」

 

 目の前には、もはや城じゃないのかと疑いたくなるような、バカでかい屋敷があった。屋敷の周りをさらに大きい塀がぐるりと囲み、がっちりとした鋼鉄の門扉が侵入者を拒絶している。

 

 しかし何よりも意味不明なのは、屋敷の全面が真っ赤っかに塗られていることだろう。

 吸血鬼の特性故か最低限の数しか揃えられていない窓以外、その全ての壁と屋根が真っ赤に色づけられている。しかも屋敷だけでなく、塀やその装飾、玄関扉まで赤色ときた。

 

 遠目でも分かりそうなほど、赤色が目立つ豪勢な屋敷。何を隠そう此処こそが、吸血鬼ゲルデン・スカーレット卿の本拠地。

 

 その名を、『紅魔館』と言った。

 

 その紅魔館の門扉に近づくと、門番であろうか、一人の女性が立っている。否、正確には"立ったふり"というべきか。

 

 なぜならお仕事をしているはずのこの時間に、今まさに門にもたれかかって、ぐっすりすやすやとお休み中なのだから。

 

 その余りの潔い眠りっぷりに少し苛立ってしまった魅魔は、自慢の杖を高く振りかぶり、

 

「起きな、門番中華娘!」

 

 地面に叩きつけた。

 文字通り雷が落ちた。

 門番は飛び上がった。

 

 

「あはは、いや~お久しぶりです、魅魔さん。この所襲撃が多くて見張っていたら、いつの間にか熟睡してしまったようで…」

 

「アンタの場合は単に寝坊助ってだけだろうに。」

 

 先ほど雷を落とした魅魔とその雷の直撃で叩き起こされた門番は、現在門番の案内で紅魔館の中を歩いている。自然の雷の数十倍はあろう威力の直撃を食らっても、この女性にとっては目覚ましがわりにしかならなかったようだ。

 

 門番の女性は、一目で分かる中華風の装いである。綺麗な赤の髪を垂らして、緑色のチャイナドレス風の衣装を纏い『龍』の意匠が刻まれた帽子を被っていた。

 

 彼女の名は、紅美鈴(ホンメイリン)

 ほんわかした雰囲気だが、彼女もまた古くから生きる中国出身の妖怪。妖怪であるのに、人間が強者と戦う為の武術を敢えて身に付けた何とも変わり者な妖怪である。

 門扉の前でサボっていた通り、現在はここ紅魔館の門番を努めている。

 

 ちなみに魅魔とは、同じ大陸発祥ということもあって何かと縁のある間柄であったりする。

 

 更なる余談だが、門番であるのにメイド長と庭番にも任命されており、警護に加えてメイドとしての仕事や妖精メイドへの指示と庭園の世話もしなくてはならないという、中々に苦労人気質な妖怪でもあった。

 

「あっ、御当主様と会うんですよね?後で持っていきますけど、紅茶のお好みはありますか?」

 

「好きにしとくれ。私はとっととこの悪趣味な空間から抜け出したいのさ。」

 

 二人は、紅魔館当主の執務室へと向かっている。そして当然、そのためには無駄にだだっ広い廊下を通るわけで。

 

「しかし毎度思うが、何だってこんな無茶苦茶な色なんだい。館中が殺人現場にしか見えん。」

 

「今代の当主様のご意向だそうですよ?ここにやって来る他の吸血鬼の方達もお嫌いではないそうで。」

 

 そう、実はこの紅魔館、外側だけでなく中身の廊下や部屋まで真紅なのである。白い調度品以外は全て赤、赤、赤。しかも鮮やかな赤ではなく、どちらかといえば固まり始めた血のようなどす黒い紅色だ。

 

 はっきり言おう、滅茶苦茶目に悪い。

 

 魅魔だって魔女の端くれであるからには血なんぞ見慣れきっているが、その色が好きかといったら首を横に振らざるを得ない。

 

 そうこうしているうちに、館の最奥、細かい装飾が彫り込まれた重厚な扉の前に着いた。美鈴は佇まいを正し、コンコンと四度ノックする。

 

「失礼いたします。御当主様、お客人をお連れ致しました。」

 

「入れ。」

 

 扉が開き、二人は中に進んだ。

 

 中は、見るからに高級そうな芸術品で彩られた、だだっ広い部屋だ。陶器や絵画の調度品が居並び、天井にはシャンデリア。その奥には大きな黒檀の机があり、そこに一人の男が座っている。

 

 艶やかな黒髪をオールバックに撫で付け、黒い貴族の服で統一した紳士。人間とは思えないほどととのった魔性の顔立ちに、人ならざることを示す紅く煌めく瞳。いかにも高貴といったその男性は、よく通るバリトンボイスで話しかけた。

 

「ようこそ、魅魔殿。ご無沙汰しておりますな。」

 

 彼こそが、最高峰の吸血鬼の一角として一世を風靡する傑物。ゲルデン・スカーレットである。

 

「おや、起きてたのかい。てっきり何時も通り爆睡してるのかと思ったんだけどねえ。」

 

 魅魔は、そんな彼に対して気安げにからかう。ただの妖怪がそんなことをすれば即首が物理的に飛んでいるが、今日の彼は苦々しげに口を歪めるばかり。

 

 何を隠そう、ゲルデンが頭の上がらない人物のもう一人が、目の前に立つ噓つき悪霊である。

 スカーレットの始祖が欧州に根付いて勢力を伸ばし始めた時から、魅魔は戯れに彼らに自作の魔道具を与えたり、魔導書を融通して貰う代わりに邪魔者を消したりと、色々な面で手を貸していたのだ。

 特にゲルデンに至っては彼が生まれた時から知る人物でもあり、魔術を叩き込まれた師匠でもある。それもあってぶっちゃけ魅魔のことは苦手なのだ。

 

「お戯れを。最近は寝る時間などろくに有りはしません。そもそも夜に来て下さっていれば、満足な歓迎も出来たのですが。」

 

「嫌だよ、面白くないだろう?」

 

 間髪入れずそう返されて、彼は思わず溜息をついた。とはいえ、このいたずら好きの悪霊に何を言おうと無駄なことは大昔から身をもって承知しているので特に苦言は漏らさない。

 

 そもそも妖怪は夜が主な活動時間だが、こと吸血鬼は陽光を弱点とすることから当然夜行性であり、外に出られない昼は寝ているのが普通だ。つまり普通の生物とは生活サイクルが真逆なのである。

 その為、吸血鬼を訪問する場合には、通例夜に訪問することが礼儀となる。

 

 ではなぜ魅魔は、この午後の昼過ぎという常識のない時間に来たのか。

 ……何のことはない、単に寝ているであろうゲルデンをからかいたかっただけである。

 

 実は読み通り先ほどまでゲルデンは寝ており、魅魔がここに来た時の魔力反応で慌てて飛び起き、美鈴が対応している間に急いで身支度を済ませたのである。

 

 

 それはさておき。

 

 

「ゲル坊、アンタに少し伝えておきたい事がある。」

 

「…ほう、珍しいですな。貴女がわざわざ口頭で伝えに来るとは。いつもなら使い魔で済ませるでしょうに、何か重大な案件でも?」

 

「使い魔じゃないのは他にも用事があるからさ。とはいえ、重要なのは確かだよ。」

 

 そこで魅魔は、紫の計画、それに合わせて強大な力を持った妖魔に協力を取り付けていることなどを話した。ゲルデンは話を聞いて考え込む。

 

「…難しいですな。私は既にこの地の覇権を一身に背負う身。今更欧州を離れるわけにもいきません。」

 

「勿論、今すぐってなわけじゃないとも。あくまで『外』で妖達が暮らしにくくなった時のことだよ。」

 

 そう言われて、この契約を受ける意味を考える。

 

 メリットはある。

 いずれ千年、二千年経てば、魅魔の言った事が現実になり得る可能性は高い。この悪霊が肯定したというのは、即ちそういうことだ。そうなった時の避難先があるというのは、かなり大きい。

 

 デメリットは、欧州を離れて極東の島国に行かなくてはならないこと。当然今まで積んできた功績は水の泡、さらに辺境に海を跨いで飛び立つことになる。

 更には賢者とやらに借りを作ることになる。彼ら貴族にとって、貸し借りとは一つ一つが強い強制力を持つ非常に重いものだ。

 

 吸血鬼のとんでもスペックの頭脳で数秒間考え、決めた。

 

「いいでしょう。その話、受けさせて頂きます。ただし、この場所を離れるのはどうしようもなく切羽詰まった時だけです。それまではこの地に居座り、ここで存在出来ないようになれば極東に移り、その『賢者殿』の示すようにしましょう。とはいえ、これではこちらのメリットばかりですので、何かしらの報奨は用意させて頂きます。」

 

「そうかい。まあ、受けるんだったらその辺の細かい話は紫と詰めてくれ。」

 

「分かりました。」

 

 そう滔々と語る彼からは、堂々とした威圧感のある妖気が立ち昇っている。魅魔との立場をあくまで『対等である』と示すために、妖力を解放していたのだ。

 彼も吸血鬼の貴族が一、幾ら大恩ある相手とはいえ、誇りをもって相対する。並みの妖怪ならそれだけで圧死してしまいそうな圧力を感じて、魅魔は、

 

(―――あの寝坊助ゲル坊がよくもここまで立派な生意気に育ったもんだ。先代よ、どんな教育したんだい。)

 

 苦笑して、

 

(興が乗った。少しだけ見せてやろう。)

 

 一瞬だけ魔力を解放した。

 

 

 解放の時間は10000分の1秒間にも満たない。

 しかしその一瞬で、ゲルデンの妖力が押し潰された。紅魔館の防御結界が破壊された。窓ガラスが残さず粉微塵と化した。魔力の暴風が全てを蹂躙した。

 

 

(これは……)「何と……!!」

 

 その時ゲルデンは吸血鬼(彼ら)の天下であるはずの『夜』が、今日この時ばかりは自分に牙を剥く感覚を味わった。星々の浮かぶ美しい夜空が、闇夜の刃となって自分一点に降り注ぐ、そんな恐ろしい幻覚を見たのである。。

 ようやく被害が落ち着いたとき、彼は大きく息をついた。

 

「……流石の化け物ぶりですな。私も精進したと思っていましたが…やはり程遠い。」

 

「まあ、二千も生きてない若造に負けちゃ立場がないからね。それにしても実力の割れてない相手を、余り不用意に威圧するのはやめておきな。」

 

 魅魔はそう言いつつ、ぱちんと指を鳴らした。館中の壊れたものが逆再生の早回しのごとくどんどん修復されていき、あっという間に元の紅魔館の姿に戻っていく。叩き壊された調度品や窓や壁が一瞬にして復活していく。

 

 魅魔の忠告に耳が痛いなと笑ってしまう。同時に、やはり目の前の魔女は敬意に値すると改めて実感したゲルデンだった。吸血鬼は誇り高く傲慢な分、一度その力と認めた相手は決して裏切らないのである。

 

 と、そこに美鈴がティーセットをワゴンに乗せて運んで来た。

 

「あのー、お茶が入りました。後、さっき館中のガラスが吹っ飛んだのですが…。」

 

「そこに並べておけ。なに、ちょっとした戯れだ。気にしなくていい。」

 

 美鈴が二人の前に紅茶と茶菓子を並べる。両者はそれを飲んで、殺伐とした空気を落ち着かせるように一息ついた。

 

「と、そうだ。ゲル坊、少し貰いたいものがあるんだが。」

 

「何でしょうか?魔導書なら地下のヴワルにまだかなりの数残っていたはずですが。」

 

 ヴワル――正式名称、ヴワル魔法図書館。

 世界中の稀覯本・古書・奇書等々をかき集めることを趣味としていた先代スカーレット当主が、自身のコレクションを保管し、また世界中の書物の内容を蒐集する為に地下に設立した、大図書館だ。

 

 魔法図書館の名が示す通り、危険極まりない魔導書の類もメインコンテンツの一つとして腐るほど収められている。未だに先代が設立した巨大な情報収集魔法が生きており、世界中の書物を感知した瞬間にその中身の情報を取得して記述するよう設計されているのだ。

 その規模は、後のアメリカ議会図書館や大英図書館を鼻で笑えるレベルと言えば、実感できるだろうか。

 

 もっとも、今回魅魔の用があるのはそちらではない。魅魔は首を横に振ると、杖でピッと目の前のゲルデンを指した。

 

「お前さんだよ、ゲルデン。強大な妖魔の血が欲しいんだ。」

 

「…そういうことなら、まあ構いませんが。しかし吸血鬼の血など貴女なら幾らでも持っているのでは?」

 

 そう言いながらも、ゲルデンは袖をめくって腕を出す。魅魔は魔法で痛みのないようにその血管から空中に血を吸い上げながら、返答した。

 

「実はホムンクルスを作りたいんでね。出来ればお前さんの媒体から用意したい。」

 

「ホムンクルス……ああ成程、そういうことですか。」

 

 ゲルデンは納得して頷いた。同時に、空中に浮かぶ血液の球体が完成し、魅魔はそれを圧縮して懐に放り込んだ。

 

 今回魅魔が欲しがったのは、人造人間を動かすに足る強力な生体触媒だ。

 事実、魅魔はただの吸血鬼の血なら倉庫にかなりの量を保管しているが、人造人間という精緻な生命体に使うには、時間の経った『死んだ血』ではダメなのである。生命に使える限りなく新しく、神秘を帯びた血が欲しかったのだ。

 

「さて、私の用事はこれで終わりだよ。そういえば、ローズはどこに行ったのよ。さっきから全然見ないけど。」

 

「家内は出かけています。何でも、美味な人肉料亭を見つけたとかで。」

 

「あの子の放浪癖も相変わらずだねえ。」

 

 クスクスと魅魔は笑ってしまう。とはいえ、苦労を背負わされているゲルデンには笑えないが。

 

 ローズとは先述のゲルデンの妻だ。

 おっとりした感じの美人で、吸血鬼の割に体が弱く余り外に出られない、そのくせ放浪癖持ちで目を離すとすぐどこかに行ってしまうお転婆娘。ゲルデンも最初は自分で止めていたのだが、今ではもう諦めて信頼できる使用人を付けて好きにさせている。

 

「あれが望むなら好きにさせますよ。どの道自分で止められるほど時間が空いていないので。」

 

「いい子じゃないか。大事にしてやりな。」

 

 置き土産にお節介を焼いて、話は終わったとばかりに魅魔は転移で姿を消した。はあ……と大きく息を吐いて、ゲルデンは椅子にのしかかる。

 

「やれやれ、随分と大きな契約をしたものだ。『理想郷』か……。」

 

 まさかこんな大言壮語を実行に移す奴がいるなど思いもしなかった。正直、幾ら魅魔の話とて信じられるかは微妙だ。とはいえ、一度結んだ契約を違えはしない。吸血鬼も悪魔の端くれ、故に契約を何よりも絶対視する。

 

「これはローズにも話しておかねばな。」

 

 一人ごちた時、丁度門番に戻っていた美鈴の呼ぶ声がした。噂をすれば影が差す、きっとローズが帰って来たのだろう。

 

 帰って来てすぐに元気よく土産話をするであろう妻を思い、ゲルデンは苦笑して扉を開けてやった。

 

 



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蠢く怪物たち ② ~Innocent Fairy

 

 ふわふわと夢魂が漂う美しい世界。

 現実と夢の隙間に隠された、悪夢達の安息所。

 

 ここは『夢幻世界』。

 とある一対の絶大な悪魔たちによって形づくられた、彼女達の楽しい遊び場。吹きこぼれた哀れな夢の集う、何処までも広がる停滞した異界。

 

 蒼き欠けた月が穏やかな光を齎す中で、現よりはじき出された夢たちがふわふわと漂う。その様はまるで幼子が大事に抱える宝石箱のよう。

 

 そんな文字通りの魔境の中に、巨大な真っ白の屋敷があった。

 芸術品のような白磁の壁と青い屋根で彩られ、何本もの大木の如き柱で支えられたその屋敷は、遠方からでも見上げねばならぬほど現実離れした大きさである。周囲にはこれまた見事な大輪の花々が冗談のように咲き狂い、夢幻世界に満ちる穏やかな光をはじいて屋敷を極彩色に照らし上げていた。

 

 まさしく幻想的。どんな名画もこの光景の前には有象無象に成り下がる、そんな景色が広がっていた。

 

 屋敷の名を『夢幻館』。

 ここはかの悪魔達から夢幻世界の門番と運営を任された、とある大妖怪の根城である。

 

 

 

 夢幻館中心部にある一室。

 外壁と同じような真っ白い不思議な石材に黒と紫のコントラストが美しいタイル張りの床で構成されたその大部屋で、一人の妖怪が椅子に腰かけていた。

 

 新緑色の髪を長く伸ばし、淡い桃色のかった白いシャツに深紅のベストを羽織り、赤いもんぺのようなズボンを履いている。顔立ちは人外特有の作り物のように端正なものであり、傍には美しく装飾された日傘がおいてあった。

 その目はこの世の全ての『赤』をかき集めて凝縮したような、重く、深すぎるルビーライト。

 

 妖怪が口を開く。

 

「…つまり、私はその『賢者サマ』とやらの話の通りに、夢幻館を動かせばいいわけね?」

 

 すると机の上に置いてある大きな水晶玉から、返答が返ってきた。よく見ればその中には人影が蠢いており、何処かに音声と映像を繋いでいる通信機のようなものと見てとれる。

 

「そーそー、頼んだよ幽香。」

 

「でもその前に悪霊の魔女から話を通すって言ってたわ。私たちにはよく分からないけど、多分貴女の知り合いなんじゃない?」

 

 一発で察しが付いた。悪霊の魔女、そんな呼び名を聞いて彼女が思い当たる人物など一人しかいない。

 

「分かったわ、ソイツから話を聞いてみる。準備が出来たらまた言うわね。」

 

「任せたわよ。」

 

 それを最後に通信がぶつりと切れ、水晶玉が元の透明に戻る。後に残るのは女が一人、静寂に満ちた空間に佇むのみ。

 

 友を見届けた後、不意にその妖怪は日傘を手に取り、ひゅるり、と振るった。

 

 

 風が吹き荒れた。

 

 夢幻館中に妖力を纏った暴風が走り回る。

 それは窓ガラスを叩き割り、クローゼットを吹き飛ばし、哀れなメイドたちを外に弾き出し、硬く閉ざされた門扉をぶち抜き、正面の前に広がる花畑の一画を地面ごと抉り飛ばして、夢幻世界の空へと消えていった。

 

 その一部始終をぼんやりと眺めていた元凶は、ふいと花畑の方を見やった。

 するとどうしたことやら、先の暴風が滅茶苦茶にした一画が時を巻き戻したかのように戻っていく。土は独りでに周りから埋まっていき、そこから一輪の花が息を吹き返す。それに乗じるように鈴蘭、向日葵、椿と、四季など知ったことかと言わんばかりに様々な花たちが咲いていき、あっという間に庭園は元の姿を取り戻した。

 

 壊して、直す。時などいじっていないのに一瞬にて破壊と再生が起きる様は、神の御業への冒涜であろうか。或いは、彼女こそが神なのか。

 

 戯れに小規模の天変地異を起こしたその女は、そのまま日傘を担いで居室を出た。廊下を歩く絶対の主人の姿にメイド達が慌てて頭を下げて出迎える。

 

 玄関の門を開き夢幻世界の入り口がある空を見上げる。淡い光を放つ、少しだけ欠けた蒼い月の浮かぶ空。そこには、薄暗い空の中に混じって()()が存在していた。

 

 門の傍に控えていた少女が問う。トレードマークたる逆刃の奇怪な大鎌を、今日も死神の如くぎらつかせながら。

 

「どちらへ?」

 

「……ちょっと旧友に会いにね。」

 

 簡潔な一言、それと同時に一陣の烈風。周囲を吹き飛ばす風が吹けば、もうそこに主人の姿は無くなっていて。

 

 空に浮かぶのはまるで天地をひっくり返した時にそのまま湖だけが取り残されたような、奇妙な光景。しかし地上から飛び立った女は迷わずそこに飛び込んだ。

 

 地表に向かいながら、女は思う。

 

(さて、貴女とは久しぶりの再会かしら。簡単には潰れないで頂戴ね?……ねえ、魅魔。)

 

 

 オリエンタルデーモン。宵闇小町、最強最悪の呼び声高い花妖怪。

 

 その名を、幽香。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲルデンへの通達も終わり、(魅魔)は久々に羽を伸ばして釣りをしていた。

 

 この所紫に頼まれたことやらホムンクルス制作やらに、気分屋の私らしくもないやる気で取り組んでいたせいかかなり精神的な疲労が溜まっていたのだ。それを解消しようと、一旦全部を忘れて趣味の釣りに興じているというわけである。

 

 今日の場所は趣向を変えて、いつもの館そばの湖ではなく館から少々南に離れた場所にある海岸線で糸を垂らしている。

 海釣りは嫌いではない。いつもは面倒くさいから近場で済ませているだけで、たまには大海原に住んでいるものを狙うのも悪くないのである。

 

 ちなみに悪霊のくせに海水は大丈夫なのかと聞かれそうだが、残念ながら私に盛り塩なんてちゃちなものは効かない。効かせたくば、高位の神が直々に拵えたものをありったけ持ってくるが良かろう。

 

 

 と、そんなことをしてる内に一匹釣れた、これで5匹目だ。

 

「今日は引きがいいねえ。この分なら触媒に使う分だけ取っといて残りは捌いてしまおうか。」

 

 別に霊体に飯なんぞ要らないのだがそこはそれ、これはこれ。どうせ味覚が有るんなら楽しんだ方が得である。私も妖怪の一、そして妖怪にとっては精神の娯楽こそ何よりの生き甲斐なのだ。

 

 私は上機嫌で鼻歌を歌い、釣った魚を生け簀に入れた。

 

 

 …後から思い返せば、それが契機になってしまったのかもしれない。

 

 

 突然、頭の中に二重の警報が鳴り響いた。今までの戦闘経験で培った本能と、とんでもない妖力が恐ろしいスピードで飛んで来ることを感知した結界が同時に悲鳴を上げたのである。

 

「何なんだい、全く……!」

 

 悪態をつくと同時に釣竿を手放し杖を召喚。

 

 私はそのまま、迫りくる妖力を肌で感じながら腕に最速で魔力を注ぎ込む。自分が信頼する本能の感覚でタイミングを測り……

 

 ――――今!!

 

「――――おおぁっっ!!」

 

 体を捻って、手に持った杖を思いっきり薙ぎ払った。

 

 

 杖先とその空を裂いた()()が激突した瞬間、海が消えた。ただの衝撃で海原が吹き飛び、余波の熱で干上がった海岸線が熔解し蒸発した。雷鳴を轟かせる暗雲が真っ二つに分かたれた。

 

 

 その様に動揺を覚えることはなく、溶岩とガラス質だけになったその場所から即座に魔法で転移し、離脱して体勢を整える。

 

 魔力で強化した私の膂力は、ただ一振りで文字通り山河を叩き割れると自負している。加えて今回は、激突の瞬間に一瞬で張れる中で最も硬い結界を杖先に何重にも展開していた。魔法で対処しなかったのは、あのタイミングなら近接で迎撃した方が余程早くて確実だからである。

 

 何も魔法使いだからって遠距離だけが得意とは言っていない。私はクロスレンジでもそこらの大妖怪なら軽く粉砕できるのだ。

 

 ……ならばその一撃を食らって、土煙の向こうでなお平然としているあの女は、やはり普通の妖怪ではないのだろう。

 

 緑色の長髪を惜しげもなく晒し、膨大な妖力を滾らせる女。その出自故か、本人の気性に反して迸る力は清廉にして純粋無垢、そして神聖。

 

 幸運にも私はその女を知っていた。というか以前戦った。

 …まあだからこそこうして思いっきり苦虫を百匹まとめて嚙み潰したような顔をしているわけだが。いや本当なんでコイツがここにいるんだ。

 

「……随分と御挨拶じゃあないか、幽香。」

 

 幽香。

 私の知る中でも間違いなく最強級の妖怪であるこいつは、無駄に優雅な佇まいでニコニコと笑みを浮かべている。こいつとは以前旅先で喧嘩を吹っ掛けられて以来腐れ縁が続く関係だ。

 

「だって貴女の魔力を感じとったんですもの。せっかくの再会なのにお話だけじゃ面白くないでしょう?」

 

「断るよ、私は今忙しいんだから。生憎と戦闘狂(バトルジャンキー)に付き合う趣味も暇もないんでね。」

 

「あらそう、でもごめんなさい。私、他人の意見を聞くのは苦手なの。」

 

 人の話聞く気あんのかてめえ。そう突っ込んでやりたい所だったが、生憎とそれは不可能であった。

 

 私が口を開く前に、幽香はその拳を振るってきていたのだから。

 東洋の鬼にも匹敵するその怪力でもって地面を踏み割った脚が、たったの一歩で私との距離を無に帰し、そこに花妖怪の凶拳が迫る。

 

「帰りな!」

 

 だが舐めてくれるなよ。ただ奇襲を仕掛けただけで私に攻撃を当てられると思っているなら魔女ってものを侮りすぎだ。

 魔法使いは同じ轍を踏まん!

 

 薄々どうせこうなるだろうと思って待機させておいた時空干渉の魔法を発動させ、私と幽香の距離を一気に拡大する。勿論、術の起点となっている私の位置は動かない。結果どうなるか。

 

 哀れ花の大妖は、自分の飛んできた方から逆向きに亜光速で吹き飛んでいった。

 

 とはいえ、あの外道女がこの程度で黙るわけがない。そう長くしない内にまた戻ってくるに違いない。勿論、それをただ座して待つわけがないが。

 

「……『魔力の胎動』」

 

 星と月の魔力を蒐集し、純度を高めて精製する。そして、五属性の魔力を結集して太陽系を模した自動迎撃魔法を起動させた。

 歳星、熒惑、鎮星、太白、辰星。

 

 ――――『渾天儀・陽(オーレリーズサン)

 

 私の周囲に五色の宝石のような回転ビットが出現する。それらは本物の宝石に見紛うように光を照り返して輝いていた。

 これらは小さくとも元の惑星の性質を宿し、自律稼働で迎撃や防御を行ってくれる優れものだ。感覚としては使い魔に近く、しかし使い勝手は下手な使い魔よりも遥か上である。

 

 いつどこでも武装が取り出せるようにと作った、私の標準的な装備魔法だ。卑怯というなかれ、誰も一体一でやるとは言っていないのだ。更に上位のものもあるが、今は時間が無い。

 

 と、そこへ。

 

 …………ズドォォォンッ!!!

 

 音の何倍という速さで何かが着地、いや「着弾」し、爆音と共に一帯が消し飛ぶ。荒れ狂う衝撃波と爆風が、そこらじゅうの溶岩も砂塵もまとめて散り散りに変えた。

 

「ふふふ、遊びましょう?」

 

 まあ勿論のこと、風情もへったくれもない幽香のご帰還である。ご丁寧にも無茶苦茶になった地面から大小様々な異様の植物を生やしながら。

 

「そうれ!」

 

「裂け。」

 

 ――――『大茨』

 

 ――――『風浪』

 

 幽香の振るった日傘に応じて飛び出した馬鹿でかい茨を、水流と鎌鼬の刃で残さず切り裂く。そのまま幽香本体にも差し向けるが、開いた日傘で全て受け止められてしまった。コイツが愛用するだけあって、相変わらず頑丈極まる傘である。

 

「まだまだ、『放箭火(ホウセンカ)』」

 

「…! 『断崖』。」

 

 今度はこれまた巨大な鳳仙花もどきを呼び出して、実を爆発させて中の火炎弾を流星のごとくぶちまける。だが所詮は植物を介した術だ。黄色に輝く球体から相性の良い金属性の防壁を作り上げ、完全に防いでやった。

 

 まだまだ幽香は飽きる気がしないらしい。憎たらしいほどに優美な様子を崩さないまま更にテンションをあげてきやがったので、遅れをとらぬようこちらも力を引き上げる。

 

 ――――一呼吸、おいて。

 

「「ッッ!!!」」

 

 どちらともない攻撃、そして激突。私と幽香の更なる闘争の舞台が開幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 あらゆるを破壊する規格外の暴力と、あらゆるを超越する桁違いの魔技。

 

 二人の超級の怪物による激闘。二人の力の底からすれば未だ小手調べにも満たないが、それでもそれは確かな争いだ。

 

 幽香はそのまま何度か牽制の植物攻撃を仕掛けてきたが、埒が明かないと思ったのか、それとも単純に飽きたのか。抑えていてもその身から漏れ出るほどに絶大なる妖力を滾らせて、生身で殴りこんできたのである。

 携える日傘は、少し振るうだけでも壊れそうなほど細く優美な見た目に反して、幽香の唯一愛用する武器だ。それは刃もない細い棍棒もどきだというのに、しかし幽香が持てばただ振るわれるだけで敵を粉砕し切り刻む最凶の剣と化す。

 

 こうなると、オーレリーズによる援護も不可能。そもそも肉弾戦を行っている二人のスピードが速すぎて話にならないのだ。

 

 左足の蹴り、頭突き、アッパーカット、そして日傘の剣戟。

 技術など感じられない豪快にして単純な暴力。特に意識はしていなくても、妖力によって無意識のうちに強化されているそれは、いとも容易く生物の出して良いような速度と威力の限度を超えた。

 

 幽香の一撃一撃は、人間どころか妖怪であっても一撃もらえば塵すら残らないような代物。それを魅魔は、幽香の日傘同様に頑強さ折り紙付きの杖で弾いていく。

 当然こちらは魔法による干渉と魔力強化による高度な合わせ技だ。筋力で負けるなら搦め手をかき集めてそれを上回る、ただそれだけのこと。

 

「ハアァッッ!!」「フッッ……!!」

 

 砲弾の如く迫りくる左の拳。極小の壁が覆う手甲を沿わせて、軌道を逸らして空を切らせる。しかし当たれば必殺のその一撃すら幽香にとってはフェイクに過ぎない、本命は大上段から大剣じみて振り下ろされる日傘。

 それは間もなく魅魔の頭蓋を消し飛ば――さない。

 

 日傘を完全に振り上げ、切り返して振り下ろす。腕が一瞬だけ硬直したその瞬間に、いつのまにやら背後から飛んできた極太の鎖が腕を縛り付けたのだ。見れば、空間に大穴が開いてそこから錨を吊るすかのような大鎖が何本も飛び出している。

 それは幽香の腕を留めるに至らずとも、コンマ一秒にも満たない、されど明らかな間隙を作った。

 

 魅魔が反射で振り上げた神速の杖がかち合う。美しい白銀の三日月はこの世で唯一枯れない花を流麗に絡めとり、手首を粉砕するほどの捻りを加えて思いっきり弾き返した。

 

 絶死の一撃を技巧で弾かれて踏鞴を踏む幽香の周囲に、決して隙を逃すまいと一瞬で何千何万と重なる魔法陣が現れた。術者の膨大な魔力を存分に巻き込み燃料とした破壊の魔砲は、目の前に立つ化け物を葬るべく太陽と星々の魔力を収束させていく。

 

 地盤を余波だけで砕き、熔解させる灼熱の閃光が幽香の周り全方位から降り注いだ。

 

 白光。撃砕。しかし屠るには未だ届かず。

 

「お返しするわ。」「おっと!」

 

 自分に傷をつけるだけの見事な一撃に対する返答は、単純明快、振るわれる豪腕。魔法の使用による刹那の魅魔の硬直を、幽香の観察眼は見逃さない。

 咄嗟に杖で受け止め、空間魔法で慣性を殺し、更に何重にもなる空気のクッション。これだけ張られた対策をその剛撃はいとも容易く貫通し、魅魔の腕にびりびりと衝撃を与えて彼方まで吹き飛ばした。

 

 しかし吹き飛ばされている最中も戦いは続く。追撃をかけようとした幽香の前に、魅魔の信頼する五色のビットが立ちはだかった。

 

 幽香が突進の勢いで押し切ろうとしても、オーレリーズはそれを許さない。ある時は属性魔力による光線と光弾を雨あられと撃ちまくることで初動を潰し、またある時は五色全てが合わさり自動で強大な結界を編み上げて攻撃を弾く。

 その隙に魅魔が体勢を整えて、更なる魔法を幾つも待機させて反撃に転じた。

 

 幽香と魅魔の攻防は、既に千日手に陥りつつあった。攻めては守られ、攻められては弾く。二つの翠が踊り狂う様は、その殺伐とした実情に似合わない、ある意味の美麗さを思わせるもの。

 しかし、もはや音の速さを桁区切りの彼方へ置き去りにした超速の攻防は、余人に見ることすら許さない。

 

 知らない者が見れば、このままいつまでも戦いが続くと思っただろうが……唐突にそれは終わりを告げた。

 

 

 

 魔女の勝利という形で。

 

「……『月光の槍衾』」

 

「なっ…!」

 

 何の前触れもなく出現した何百もの光の槍が幽香を四方八方から貫き、その場に縫い留めた。さらに十重二十重の輝く小規模の結界が幽香を締め上げ、完全に動きを抑え込む。即席だが非常に頑丈な檻の完成である。

 この魔法は月魔法の槍と結界により相手の魔力を吸い上げて封殺する魔法だ。必然的に力任せで脱出するのは無理がある。

 

 何のことはない、戦闘の間にちゃっかり詠唱しておいたのだ。もっとも少し苛烈すぎる攻撃のせいで、魅魔にしては完成まで時間がかかったが。

 

「ちょっと、出しなさいな。」

 

「嫌に決まってるだろ誰が逃がすか。」

 

 内心で、人の折角の休憩時間を台無しにしてくれやがってと悪態をついた。ようやく辺りを見渡せば、既に周辺一帯は見る影もなく変貌していた。

 

 波打ち際の白い砂浜と綺麗な水に煌びやかな陽が映える、あんなにも美しくのどかだった海岸線。そこは既に、流星群が直撃したかのようなクレーターだらけの灰色の大地に様変わりしている。水どころか溶岩すらも残っておらず、もはや灰と塵とクレーターに覆われるばかり。熱くない灼熱地獄、そんな言葉がしっくりくるほど酷い有様だ。

 当然釣った魚は生け簀ごと消し飛んでしまった。

 

「で、改めて何の用なのよ。お前さんがわざわざあそこから出ることなんて少ないだろ。」

 

「幻月達を通じて、賢者とか名乗る奴から貴女に会えって言われたのよ。何でも、東の方の国に夢幻館を移して欲しいから貴女に話を聞けって。それでどうせ会うのなら、ついでにちょっと遊んでいこうと思って。」

 

(よし、元凶()は後でぶっ飛ばす。)

 

 魅魔は心に決めた。あいつ絶対にぶん殴る。

 しかもあのポンコツ賢者はこいつらまで理想郷に取り込むつもりらしいが、果たしてそれが猛毒に浸された諸刃の剣だと理解しているのだろうか。

 

「アンタが素直に誰かの言うことを聞くなんて思いもしなかったんだけど、何か取引でもしたのかい。」

 

「別にそういうのは無いけれど、そこって将来沢山妖怪やら神やらが集まるんでしょう?だったら行って戯れてみたいと思わない?」

 

 思うわけないだろうが馬鹿か。やはりコイツの考えなぞ理解しようとするだけ無駄なのだろう。とりあえず、余計な事をされる前にとっとと帰って貰うことにしよう。

 

 戦闘狂の思考回路を理解することを放棄した魅魔は諦めて帰還させることにした。

 

「地図はあげるわよ。どうせ私は使わないし、それを持って早く帰りな。」

 

 指を振るい、幽香に指し向ける。結界に囚われたままの幽香の掌には、いつのまにやら一枚の古びた和紙が握られていた。わざわざ相手の手の中に地図を呼び出したのである。

 

 実はこの前出かけている間にもう一度紫が来て、理想郷の場所を記した地図を机の上に置いて行ったのだ。既に『羅針盤』に座標を記録したので魅魔には無用である。

 

「あら、ありがとう。帰ったら読ませてもらうわね。」

 

 それに驚いた風もなく、素直に礼を言う幽香。

 

 次の瞬間、幽香の気迫と力が一気に増した。桁上がりに妖力が増加し、内側からの恐ろしい圧力によって槍衾にヒビが入る。本来なら決して解除不可能なはずの結界を、力ずくでぶち破るつもりらしい。

 

「それじゃあ、折角だし続きを……。」

 

「するわけないでしょう。」

 

 が、魅魔がそもそもそれを許すわけがない。封印ごと夢幻館のある位置まで転移で飛ばしてやった。

 

 

「あー、しんど……」

 

 せっかく久々に羽を伸ばそうと思ったらこの有様である。休暇どころか余計に疲れてしまった。そもそもここまで本格的な戦闘は久々である。

 

「あいつホントに手加減ってものを知らないからねえ……。()()()()()()()()()()()()とはいえ――」

 

 予想外のことで気力を使い果たしてしまった魅魔は、杖の石突を地面に突き刺した。同時に、黄金色に光が漏れて空間が歪曲していく。

 

 ――――『光錨転移』

 

 魔女はアトリエに飛び、後には地図も役に立たない荒廃し尽くした大地だけが取り残されたのだった。

 

 

 

 心を休ませるべく、帰って十秒で彼女が寝室のベッドに倒れこんだのは言うまでもないことだろう。

 

 

 



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花妖怪の軌跡 ~Flower Master

 

「―――へえ、極東の……なんて言ったかしら。そうそう、日本だったわね。そんな辺鄙な所に作ったの。」

 

 魅魔の手で見事夢幻館にリリースされた幽香だが、現在は館の自分の部屋に戻って一緒に飛ばされてきた地図を読んでいた。

 自分と同格にあたる悪魔の姉妹には、既に報告を済ませてある。

 

 『理想郷』とやらの場所。極東の小さな島国の中心部に、それは明確に書かれていた。

 

 地図を見る限り、どうやら幸いにも目的地近くには湖があるようだった。此処を利用すれば、夢幻世界の出入口である湖をそのまま繋げられる。

 

 夢幻館は現世と夢幻の境界となる建物。故に夢幻館さえ湖底に建ててしまえば、それを起点として夢幻世界そのものもそこに接続することも可能となるのだ。

 

 幽香はそこまで思考を巡らせたところで地図を閉じる。そしてそのまま、なめし革の柔らかな椅子に深く体を沈み込ませた。

 

(ここならば、あるいは…。)

 

 幽香は目を閉じて、自身の記憶に思いを馳せる―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実のところ、幽香の本性は別に戦闘狂というわけではない。というよりも、彼女の生来の性格はもう少し可愛らしげなものだ。

 ……それが今に至るまで捻じれに捻じ曲がってしまったのは、不幸というべきなのか、それとも物珍しきものとして歓迎すべきか。まあどちらにせよ、暢気気ままなこの女はそれもまた一興だと受け入れているのだが。

 

 

 きっと今となっては、本人を除けば知るものなどほぼいないであろう、彼女の軌跡。ちょっとだけ物騒で子供っぽくて可愛らしい、小さな小さな少女のお話。

 

 今はもう、その面影もないけれど。あの頃の世界は綺麗なものであった。

 

 人が文明を切り拓く以前の、原初の自然。今よりも更に過酷で無慈悲で、そして確かに息づいていた太古の世界。その自然は何人にも穢されることなく、遥かに強大な力を持っていた。

 

 そんな自然の生み出した、権化とも言える存在。今よりも確かに多くて力も強かったけれど、それでもやっぱり純真で矮小で、吹けば飛ぶように弱い者達。彼女たちは老いることも死ぬこともなく、ただ気ままに過ごしていた。

 ―――だがそんな彼女たちにも、確かに『異端』と称すべき者はいるのだ。極稀とはいえ妖怪に、神に変じる者だっているのである。この世の全てがそうであるように、『例外』というのはいつの時代も存在するのだから。

 

 しかしだからといって、誰が思いつくというのだろう。

 暴力の権化、最強の妖怪たる幽香が、元々はそんな矮小な自然の一欠片であったなどと。儚く弱々しいしいはずの、妖精の一人に過ぎなかったなどと。

 

 彼女は花の妖精であった。

 今の強大で恐ろしくて淑女然とした彼女からは考えもつかないような、どこにでもいる、可愛らしくて無邪気でいたずら好きな、そんな花から生まれた妖精。四枚の羽根を広げ、ただ花と対話し無邪気に笑うだけの小さな妖精。

 それこそが、幽香という存在の原点。

 

 ただほんの少しだけ周りより力が強く、ほんの少しだけ好奇心旺盛で、ほんの少しだけ成長が早かっただけ。しかしそのほんの少しの差異は……

 

(……私から『普通』という概念を奪い去った。)

 

 

 ある時、いたずらの一環で人を突き落とした。くすくすと笑顔で崖から身体を押し出したのを覚えている。非力な妖精でも思いっきり突き飛ばせば人の体を押しやることもできたのだ。別に害意なんて大層なものはなく、ちょっとばかり驚いてもらうだけのはずだった。

 その人間は真っ赤な血と脳漿をまき散らして死んだ。

 

 そこから段々と、幽香の仕掛ける行動はおかしくなっていった。彼女が変わったわけではない。ただ少しずつ、少しずつ、いたずらが笑えないようなものになっていったというだけの話。

 しかし彼女自身の気性が変わっていなかったからこそ、それは余計に性質の悪いものであった。悪びれもしない、疑問にも思わない。そんな者が自分の行いを変えるはずもないのだから。

 

 とある時には、毒花を人間の庭に咲かせてやった。自然のものより少しだけ強いその花の毒は、大事に大事に庭の手入れをする人間の体を徐々に蝕んでいった。数年後に、肉と骨を残さず侵されて人間は死んだ。

 

 またある時には、手に力を集めて撃つことを覚えた。綺麗な光の玉のようなそれを人間に当ててみた。多少のケガで済むはずのその攻撃は、当たり所が悪かったのか彼女の脳を強く揺さぶった。運の悪いその人間は、倒れてそのまま動かなくなった。

 

 弱々しい妖精の悪戯のせいで無辜の人間の命が奪われる。決して有り得ないことではないとはいえ、それが立て続けに起こるとなれば黙っているわけもない。

 

 勿論、悪趣味の過ぎる妖精を人間たちは潰した。貴様が俺たちの親を、妻を、子を殺したのか、と。まるで、妖怪(人間の敵)がそこにいるかのように。

 

 ―――しかし殺すことなどできない。できようはずもない。妖精は自然の具現、肉片になるまですりつぶしたとて『一回休み』になるだけの、不死の存在故に。

 

 死なない体を利用して、幽香は気分の赴くままにいたずらを続けた。しかし他の者たちにとっては、既にその行いは到底『いたずら』などと呼べるものではなかったが。悪意の有無の差こそあれど、人間からすれば気まぐれで自分たちの命を奪うものなど天敵に変わりはない。

 故にこそ、妖精でありながら彼女は恐れられ始めた。徐々に徐々に、彼女に対する恐怖と畏怖が伝染していったのだ。

 

 誰も、それこそ本人でさえ気づけない程にゆっくりと彼女は逸脱していく。

 定められた枠から。生まれた時の器から。

 

 

 そして彼女が恐れられ、もはや『妖精』とは言えぬ程にその力を増した時、彼女はそのあるべき器を破った。

 殻を壊し、姿が変わる。力が変じる。自然の化身として与えられた儚く無限の存在は、恐れられるべき強大で有限の存在に変貌する。

 

 その瞬間だった。名もなき『花の妖精』が終わり、『花の妖怪』たる幽香が生まれたのは。

 

 

 だが、その種族を変えても彼女の気性が変わることなどなかった。妖精時代から変わりやしない、ただ好奇心旺盛なままの無邪気で無垢な子供。畏怖を向けられながらも、ただそのままで。

 

 そんな彼女は、強くなった体であることをしようと思った。

 

 ―――戦い。

 強いものたちを見つけては、片っ端から喧嘩を売ったのだ。

 

 壊し壊される、恐ろしくも充実した日々。懐かしいことである。あの時は生きていること自体がとっても面白かったのだ。

 

 とはいえそれは、彼女にとっては単なる遊びのつもりだった。単に生きる上での刺激、暇つぶしが欲しかっただけ。たとえるなら、主人にじゃれつく仔犬のように。あるいは遊びたがる幼子のように。

 

 

 だから、それを許さないほどに幽香がとんでもない速さで進化していたことは、きっと幽香本人にとっても不本意だったのだろう。

 

 

 何をしても壊れてしまう。一緒に遊んだら潰れてしまう。どれだけ相手が強くても、いつの間にか自分は相手を殺している。

 ……つまらない話だ。心が冷え切っていくようだった。

 

 幽香の強さは成長によるもの。次元違いのスピードで行われる進化であり深化。

 

 好奇心のままに手当たり次第に喧嘩を吹っ掛けて戦いあう、それだけであればまだいい。だが彼女の成長、進化の速さは、妖精であった時から凄まじいものだったのだ。そのせいでその力は妖精として定められた枠を逸脱し、妖怪と化したのだから。

 

 倒すほど、勝つほど、傷つけられるほど、その力、その格は跳ね上がっていく。

 

 妖になった後もそれは変わらない。否、むしろ更に速くなっていた。

 

 自分の有り様を変えぬまま周囲に戦いを挑み、幾ら実力差があっても圧倒的な進化速度でそれを易々と踏みつぶしてしまう。いつしか血は滾らなくなり、『闘争』は『作業』と化し始めた。

 

 そんなことを続けて、気がつけば――

 

 

 

 ――――幽香は、頂きに立っていた。

 

 

 

 成長に成長を重ね、何時しか誰も自分を受けとめられなくなっていた。手を触れれば崩れ、足を振るえば消え失せる。

 否、「誰も」ではなかった。もはや「何もかも」であった。

 

 幽香のその『存在』の質量を、大きさを、支えられるものなどない。余りにも成長と進化を重ねたために。育ち過ぎた一輪は、世界すらも超越した究極の大輪として花開いてしまったのだ。

 

 

 絶対にして最強、異常にして究極。

 

 

 種族どうこうの話ではない、まさしく極致。何もかもが有象無象と化す、絶対の頂点。あらゆるものを見下ろすことしか出来ず、周りの存在を感じることすらない。

 ただそこに在るだけで全てを押し潰してしまう、頂点の領域。

 

 そんな極限に至った彼女を襲ったのは、

 

(……下らない。つまらない。分からない……。)

 

 ―――どうにもならない、孤独と停滞。

 

 当然だった。

 

 幽香は単に他人と遊びたかっただけ。好奇心の向くままに行動していただけ。

 そんな彼女が、究極の高みから触れられない小さな世界を見下ろしたところで楽しめるはずもない。望まぬまま頂点に立ったが故の、高嶺の花の孤独。

 

 世界から弾き出されたに等しい光景の中、彼女は考えた。どうすれば元に戻れる?何をすればあの頃みたいに遊べる?

 

 

 ……簡単な話だ。

 

 

 抑え込め。

 自分を抑圧しろ、妖力も魔力も吞み込んでしまえ。

 

 あの頃と同じように遊べるまで。周りにもう一度触れられるまで。

 

 自身の力を暗く、深く、重く……。

 

(閉じ込める……!)

 

 発されていた力の方向がぐるりと反転し、幽香を内側に内側に、際限なく押し潰し続けた。花は回帰し、つぼみに、若草に、芽に、そして種へと変じていく。

 

 まるで死に絶えた星が自身の重さで壊れて壊れて壊れきって、宙の黒い墓場へとなり果てるかのように。

 

 その日、一つの怪物がその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして幽香は、自前の力を通常の領域まで抑え込むことに成功した。鎧であり矛であった自身の力を逆転させることで、殺す寸前まで自分自身を押し潰すという荒業で。

 

 ……しかし古今東西どんな生き物であっても、無茶にはリスクが付き物だ。特に自分を死に至らしめかねない無茶であるならば尚更に。

 

 元々、幽香が戦いをよく行っていたのは、ただ自分の好奇心と暇つぶしの為である。戦闘や勝利という概念そのものを好んでいたわけではない。

 しかし次元違いの力を無理矢理内側に封じ込めたからだろうか、どうしようもなく疼いて、渇いて、餓えて仕方がなかった。

 

 即ち、不安定化。それが自分で自分を害した代償。どんな生物だって自由に動けないほど拘束されたらいい気はしないだろう。以前なら制御出来ていた力は無理矢理に閉じ込められて暴走し、不快さの発露として渇望が齎される。

 

 『発散』を、本能で求めるようになったのだ。封じた後も未だに自分の中で燻る残滓を持て余してしまっていた。

 

 精神にその主体を置く妖怪という種族にとって、致命的すぎる状況。渇望は己を食い荒らし、衝動が心を汚染していく。

 

 

 そんな状況にあった彼女を救い上げたのが、今の彼女の友人兼雇い主――――

 

 

 妹の夢月と姉の幻月、二人合わせて『夢幻姉妹』。

 うそっこメイドとかわいい悪魔。最凶極悪の悪魔の双子。

 

 

 今でもよく覚えている。自分たちの出会いは最悪の一言だった。

 

 

 魔界から現世に出現したばかりの彼女たちに、獣となりかけていた幽香は衝動的に襲いかかったのである。

 

「ねえ……、あなた達、強い?」

 

「だあれ、貴女?いきなり何よ。」「強いかねえ。うーん……そこそこ強い方なんじゃない?」

 

「そう、だったら……私と戦って?」

 

 ……今思い出しても笑える会話である。

 

 ともあれ、幽香の初撃で開戦したその死闘は、およそ三日三晩続いた。

 

 

 

 

 幽香が妖力光線をぶち込み、二人が回避。

 

 夢月が懐に潜り込んで拳を叩き込み、妖力を爆発させて吹き飛ばした先に、幻月が先回りして地面に向けて幽香を蹴り飛ばす。そのまま急降下して二撃目を与えようとする幻月を、しかし地面を抉りながら着地した幽香がとっ捕まえて夢月にぶん投げた。

 

 夢月が受け止めた所に再び光線を撃ち込むが、今度は強力な結界で弾き飛ばされる。幽香自身が自分の攻撃の光で一瞬だけ目がくらんだ、そのタイミングで幻月が後ろに回り込み……

 

「食らいなさいっ!」

 

 一つ一つが岩山を崩壊させる程の光弾を、天使の如き美しい羽根から雨あられとぶちまける。一体秒間何万発撃っているのかと聞きたくなるような、隙間など一切ない、容赦なしの弾幕攻撃。

 

 それを、しかし幽香は力尽くの体当たりで、ボロボロになりながらも打ち破った。大半の力を封じ、以前より遥かに弱り切っていても、未だに幽香の体は恐ろしい堅牢さを誇る。

 

「……だあぁぁぁっ!」

 

 そのまま凄まじい威力の乱打を幻月に打ち込む。いかに頑丈な悪魔でも一撃受ければ死にかねないそれを、幻月は掌で横から弾き、逸らし、あるいは避けていく。

 

 姉が卓越した技術で敵の攻撃を捌く間に再び夢月が攻撃。魔力を込めに込めた剣で、背中側から緑の少女を滅茶苦茶に切りつける。

 

 しかし双方にとって不幸なことに、それで倒れるほど彼女は弱くはなく。

 反撃に豪腕が振るわれ、姉妹揃って遠方に吹き飛ばされる。

 

 敢えて攻撃に合わせて自分から下がり、衝撃を殺しながら距離を取って仕切り直し。幽香が向かって来る間に息を整えて、夢月が幻月に話しかけた。

 

「お姉ちゃん。今気づいたけど、あいつ理性ないの?」

 

「よく分かんないけど、振り回されてる感じはするわね。それも外側から操られてるんじゃなくて、内側の狂気か衝動に押し流されてるみたい。」

 

「ふーん……」

 

 次の瞬間、莫大な妖力が夢月から漏れ出した。それに呼応するように幻月の周りに魔法陣が現れ、こちらも輝いてエネルギーが増していく。

 今までただ襲われるまま身を守ること、無力化することに徹していた最凶の悪魔姉妹が、とうとう殺る気(やる気)になったのだ。

 

 面白い獲物(玩具)を見つけた。悪魔がこんな機会を逃すわけがないのだから。

 

「あはは、じゃあ決めた!お姉ちゃん、あいつ力づくで捕まえて私たちの下僕にしましょ!」

 

「ふふっ、奇遇ねえ夢月。―――私もちょうど同じこと考えてたわぁ!」

 

「ううぅ…、があぁ!」

 

 三者三様に叫び、二人の悪魔と一人の妖怪が再び激突する。

 

 魔力と妖気が爆発して、更に戦火が燃え広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――こんな無茶苦茶な戦いが常時ヒートアップを続けながら三日三晩と続いたのだ。

 

 嬉しい誤算だったのは、当時の彼女たちが魑魅魍魎集う魔界の中でも指折りの実力者であったことか。以前とは比べものにならぬほど弱体化しているといえども、それでもなお自分が強いことを幽香は分かっていた。

 

 ……だから戦いが終わって互いに地に膝を着いた時、相手が生き残っていたというのは、幽香にとってもっとも嬉しいことだった。

 ようやく、自分の衝動を受け止めてくれるものが現れたのだ、その時の彼女の喜びは筆舌に尽くしがたいものがあった。

 

 

 見渡す限り灰と炎にまみれた焦土の中で、膝を着いて今にも倒れそうな影が三つ。言わずもがな、丸三日と戦い続けて同時に限界の来た幽香と夢幻姉妹だ。

 

「はあ…、はあ……」「がふっ、ぐう…」

 

「ふう、ふふっ……、楽しかった……」

 

 熱気の充満する地獄のような大地で力尽きかけている三人は、傍から見れば襤褸雑巾にしか見えない有様。それでも三人は人智を超えた怪物、まだまだ息絶えることは無い。

 

「こんなに満たされたのって、何年ぶりかしらね……。――ねえ、貴女達のお名前は?」

 

「……夢月。」「今更それ聞くの……幻月よ。」

 

 夢幻姉妹は自分たちと並ぶほどの相手の強さを知って。

 幽香は戦いという名の遊戯を存分に楽しんで。

 

 三日三晩をかけてようやくそれぞれが戦意を失い、落ち着いて話をできる状況と相成った。

 

 

 その後、互いの事情を教えあって、先までの殺し合いが噓のように仲良くなった幽香に、幻月の方がとある提案をした。

 

「ねえ幽香、私たちのことを手伝ってくれないかしら?」

 

「手伝う?」

 

「そう。私たちはこっちの世界に、自分たちだけの世界となる異界を作ろうと思ってる。そこで貴女の強さを見込んで、そこの管理と警護をして欲しいのよ。言わば門番兼王様代理ね。」

 

「ふーん……、それで私の方に利はあるの?」

 

 その問いを聞いて、悪魔の姉は『悪女の笑み』としてお手本に出来そうなほどイイ笑顔でのたまった。

 

「貴女戦い大好きでしょ?私たちの作りだす世界に入り込んで来れるなんて余程の強者だけよ?貴女はそいつらを相手に好きなだけ遊べるわ。

 私たちは平穏を得られる、貴女は思うままに戦える。勿論、その他にも最大限の便宜は図りましょう。それに……」

 

「―――此処じゃ苦しいでしょう。自分を抑え込まないといけないから。」

 

 その返答に思わず幽香は目を細めた。幻月のたぐいまれな観察眼は、幽香が自身の最奥に秘した力を見抜いていたらしい。

 

 少し考えて、乗るに値すると考えた幽香は花の咲くような微笑を浮かべて言った。

 

「そう、じゃあ受けてあげるとしましょうか。」

 

「決まりね。」「やったー。」

 

 

 こうして信用できる協力者を手に入れた夢幻姉妹は、自分たちが好き放題できる隠れ家『夢幻世界』を、そしてその中の唯一の建物として『夢幻館』を設立。そして幽香はその管理を依頼された。

 

 その後、現世に出ては残虐非道の限りを尽くす悪魔の姉妹を討とうと乗り込んでくる手練れの退魔師・魔術師。

 或いはかつて魔界に名を馳せた彼女たちや、強大な妖怪として知られる幽香を倒して名を上げようとする血の気の多い妖怪共を相手どって何百年か経ち、現在に至るというわけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の、妖怪の中でもかなり数奇だと自分でも確信するような生を思い返して、幽香は意識を現実に戻した。どうやら少しばかり、うとうとと居眠りしていたらしい。使い慣れた座り心地のいい椅子のせいだろうか。

 

(いずれ忘れ去られる幻想の存在の終着点。そこならば、()()()()であっても居られるかもね。)

 

 幽香が理想郷への転移を受け入れた本当の理由は魅魔に語ったことだけではない。いや勿論それもあるが。

 

 

 ありのままの自身を表に出すこと。封じ込め続けている自身の力を解放し、それでもいられる世界を探すこと。

 それこそが幽香の望み。

 

 なにせ幻月と夢月が全力で構成した夢幻世界ですら、現世よりマシとはいえ幽香の力に耐え切れないのだから。

 勿論彼女は望みを叶えられないと生きていけないような軟弱ではないが、どうせなら目一杯動ける場所に行きたいと考えるのもまた当然のことだった。

 

 姉妹との出会いや何百年もの間の戦いで心は慰められたが、今もなお幽香の力は彼女自身を縛り潰している。この忌々しい自縄自縛を解けたらどれほど気持ちいいことか。

 

 

 こんなに真面目に考えを巡らせるなんて、らしくもないことだと自分でも思いながら、スッと掌を宙に掲げる。無尽蔵に等しい自身の力の上澄みを、ほんの少しだけ鍵を緩めて表に出す。

 

 凄まじい魔力が幽香の体から解き放たれた。透き通るように純粋な魔のエネルギーは、波濤の如く館を満たし、空間を震わせ、夢幻世界全体に波及していく。

 膨大な木行の魔力が、異界内部のあらゆる場所から植物を生やし、育て、そして枯らせる、瞬間的な繁栄と滅亡のサイクルを引き起こしていた。

 

 幽香は超級の妖力を持つが、彼女の強さはそれだけではない。

 

 彼女は夢幻姉妹によって、魔界にて発展している『魔法』の存在を教えられた。

 持ち前の好奇心と成長能力で暇つぶしに会得したその術は、かの悪霊には届かぬといえども既に理外と呼べる域まで達している。彼女もまた、妖怪でありながら超一流の魔法使いでもあるのだ。

 

 しかし内部にいる者が余計なことをすれば、大規模の魔法に巻き込まれて即死するだろう。

 なにせ世界一つを動かす魔法だ、事故を起こせば死体すら残るまい。一部を除いて別にどうでもいい有象無象しかいないと言っても、勝手に手駒を減らしてしまうのはよろしくない。

 

 拡声の魔術を使い館中に声を響かせる。

 

『これから夢幻世界全体を移動させるわ。巻き込まれて死なないように。』

 

 忠告はした、これで死ぬようならそいつが間抜けだっただけのこと。

 

 なお主人の無慈悲で大雑把な性格を熟知している使用人たちが大慌てで自室に引きこもったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 無限大の大きさである魔界や地獄には及ばぬとはいえ、広大な空間を持つ夢幻世界。それを丸ごと何千キロもの距離を隔てて狙った場所に転移させる。

 並みの術者にはまず不可能だと断言できるが、生憎彼女は進化の怪物。魔法の才能も経験も並みのそれとは比較にならない。ならば、少なくとも彼女には不可能ではないのだろう。

 

「――――『放浪者の回廊』」

 

 幽香がそう唱えた時、異界の地面全域に大規模な魔法陣が現れ眩く輝く。同時に、地上であれば山脈が倒壊するレベルの大地震が夢幻世界全体に波及した。

 

 ただでさえ強大な振動はどんどん大きくなり、魔法陣から溢れ出す毒々しいまでの青の輝きが視界の全てを覆いつくす。家具が倒れて砕け散り、館内にいた者たちを怯えさせた。

 世界の終わりを思わせる光景は、しかし術者にとっては魔法の行使の順調さを示す指標でしかない。

 

 空間を埋め尽くすその青い青い光は、数十秒で消え去った。そしてほどなくして振動も完全に止む。

 

 そこまで確認してから、幽香はだらりと手を降ろした。そして自分の力に改めて栓をして魔力の放出を封じる。

 

「……これで大丈夫。着いたわね。」

 

 手応えはあった、ちゃんと成功しただろう。

 何ともあっさりしたものだが魔法とはそういうものである。結果に至るまで長い時間は必要としない。

 もっとも危うげなくこんなことが出来るというのは、それだけ彼女が魔法を含めた『力』という概念そのものに精通しているということの証左なのだが。

 

 暫くすると、久々に新天地に来たことに少しだけ上機嫌な幽香の耳に、間延びした無邪気な少女の声が扉越しに飛び込んできた。

 まだとても幼い少女の声だ。知らないものが聞けば、こんな理不尽と無慈悲をごちゃまぜにして固めたような魔王に仕える者の声音とは思わないだろう。

 

「お疲れ様です幽香様ー、負傷者は特におりません。それと夕餉が出来ましたよー。お召し上がりくださいな。」

 

 声の主は聞くまでもない、きっと湖の門番を努める可愛い吸血少女だろう。流石に湖の外側にいるようでは置き去りにしてしまうので館に引っ込んでいるよう伝えていた。

 この分だときっとこの館そのものの門番である廃業死神も食卓についているはずだ。配下としてそこそこ信頼でき、苛めると可愛らしくて楽しい彼女たちのことが、主である幽香は嫌いではなかった。

 

「すぐに行くわ。ああ、料理は冷やさないように置いておきなさい。」

 

「はぁい。」

 

 少女の足音が遠のくのを聞き、新しく足を踏み入れた地が自分を楽しませてくれることを期待しながら、幽香はそっと用済みの地図を握り潰して灰にかえした。

 

 

 




今回は幽香さん主役。他の夢幻館メンバーは東方幻想郷で改めて出すかと。

幽香さん妖精説は昔から言われてますが、それ以外にも過去話とか色々混ぜこんだら強さがやばいことになりました。なんやこの人。


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七つの宝典、魔女の誕生 ~Seventh Heaven

今回魔法要素が濃いですが、真剣に解釈して頂く必要はありません。
雰囲気で楽しんで頂いたら結構です。

それと今更ですが、拙作は旧作とWIN版の時間は数百年単位で異なる設定です。
ご容赦ください。


 

 

 休日をどこぞの花妖怪に滅茶苦茶にされた魅魔は、現在アトリエの書斎と工房で悪態をつきながら絶賛本棚あさりの真っ最中であった。

 

「やれやれ、まさか()()の出番がもう一度来るとは思いもしなかったわ。どうせ使うなら、人間に復讐するその時ぐらいだと思ってたんだけどね。」

 

 そう言いながら魅魔は膨大な資料を次々と引っ張り出して、内容を確認している。

 魔導書、記録紙、はたまたそれらにすら含まれない単なる雑紙メモ書き等々、一体何処にそんなに詰まっていたのかと言いたくなるような数の資料が散乱する様は、まさに混沌。

 しかしそれでもお目当てのものは見つからないようで、魔女は資料を引き抜いては目を通して、後ろに放り出してはそれが地面に着く前に新しい資料に手をかけている、そんなサイクルが十数分たった今でも続いている。

 

 そして苦節三十分、とうとう狙い目のものを本棚から引っ張り出した。

 

 見た目は艶のある白金のような肌の、分厚い本。本物の銀より美しく照り映えるその姿は如何にもな高級の舶来品。

 ……しかし当然これはただ珍しいだけの本ではない、見るものが見れば間違いなく一目で背筋を凍らせていただろう。

 

 ―――その白銀の表紙からは、凄まじいという言葉すらも陳腐に思えるほどの星の魔力が吹き出しているのだから。

 

 そして一冊でもこの手にある限り()()()()()は既に手中同然。

 

「……集え。」

 

 魅魔が手に持った本に向かって呟いたその一瞬で、その一冊に同期した六冊の本が空中に出現した。

 

「こんな制御の難しいものは置いとくに限るんだがね。まあもしこの間みたいなことがまたあっても困るし、仕方ないんだけど。」

 

 ぶつくさと独り言を言いながら、七冊の本を丁寧に机の上に並べた。

 

 

 その七冊の本はどれも色と装飾こそ違うが、同じように美しく装丁された書物である。

 紅、白、紫、水、朱、黒、そして銀。

 鮮やかな色合いに宝石による飾りや金糸銀糸の刺繡が加えられ、これ一つで芸術品として成立しそうなほどだ。…そして、とんでもない魔力を滾らせていることもまた同じ。

 

 さてそもそもこれらが何なのかという話だが、結論から言うなら魔導書である。

 ただし、他とは用途も性能も異なる『特別製』だが。

 

「こいつらを使うのはいつぶりになるかな……。最近は本格的な戦いなんて殆どしなかったし、腕がなまってないといいけど。」

 

 魅魔がかつて数百年をかけ、その技術を総結集して作り上げた、()()()()()()()

 それが七冊の本の正体である。

 

 通例、魔導書(グリモワール)というものは、知識の保管と守護、ひいてはその伝授の為のものだ。

 自身の研究や研鑽の記録媒体、或いは弟子に魔法を教える時の教材として使うのが本来の用途。

 

 しかし書かれた内容を上手く利用出来れば、これらは魔法を簡単に発動できる強力な『補助ツール』としても扱えるのだ。

 ややこしい魔法陣などは全て魔導書内部に刻まれているのだから、あとは魔力を通して発動させればいい。一から陣を構築して発動させるよりずっと簡単である。

 

 杖と並ぶ、魅魔の魔法使いとしての兵装。それがこれなのだ。

 

 そして魅魔がこんな書物とは名ばかりの破壊兵器を作り上げた最たる理由は極々単純、自分の身を守るためである。

 

 悪霊となった後にも、魔界を彷徨い、地獄に追われ、様々な苦難が降りかかる身であった以上、どうしても通常とは一線を画す戦闘能力が必要だったのだ。用済みとなってからは、気まぐれでヴワルに置いたり自分でも隠し場所を忘れたりしていたが、今回の幽香の襲撃やホムンクルスの作成の件もあって、久々にこれらを手元に集めたというわけだ。

 

「ふむ、一先ず必要なのは……」

 

 彼女が手に取ったのは、紅色と白、銀色の書物。紅色を机の上の台に据え付け、白色と銀色をローブの懐に入れた。

そして残りは適当に本棚にぶち込んでおいた。まあ後でまた使うかも知れないが。

 

 これらの魔導書には、これまで魅魔が研究し、作り、習得してきた魔法の真髄が刻まれている。それを属性、或いは種類によって七冊に分類しているのだ。

 

 

 

 ―――台に置いた血のように赤い紅色の書、『化外(けがい)の宝典』。

 肉体操作をはじめとする生体への干渉魔法を主とする。

 

 ―――それに対となるのが、雪のように美しく白い『幽魂(ゆうこん)の宝典』。

こちらは生物の精神や霊魂に作用する魔法を記している。

 

 ―――基礎となる五属性の魔法を羅列する紫紺の『虹霓(こうげい)の宝典』。

これには属性魔法の基本から応用まで、魔法使いが真っ先に極める内容を詰め込んである。

 

 ―――時間、或いは空間に直接干渉する魔法が収められた淡い水色の『時計の宝典』。

 

 ―――月を利用した魔法を編纂した煌びやかな朱色の『月輪(がちりん)の宝典』。

 

 ―――呪いによる魔法を孕む漆黒の『呪詛(じゅそ)の宝典』。

 

 ―――天体魔法をありったけ書き込まれた銀色の『白銀(しろがね)の宝典』。

 この宝典は色がそのまま名前になっているが、星の魔力は美しい銀色であることに由来していたりする。

 

 以上が魅魔謹製の魔導書、全七種。当然ながらどいつもこいつも桁違いの危険物ばかりであった。

 

 

 

 そんな本とは到底呼べない代物を開き、魅魔はテキパキと作業を進めはじめた。

 

 取り敢えず用があるのは、化外の宝典と幽魂の宝典、白銀の宝典である。

 化外と幽魂の方は、ホムンクルスの製作にあたって役に立つ魔法がないかの確認。

 白銀の方は、単に最近荒事が増えてきたので持っておいた方がいいか程度の認識である。

 

 結局、ホムンクルスを作るにあたって最大の課題は、元になる細胞すらも無いのに一から魔法使いの肉体をそう簡単に作れるわけないだろうという、至極当然にして非常に難易度が高いものだった。

 禍々しい赤い本をパラパラと開き、自分が嘗て組み上げた魔法の中に役に立つものが無いか探す。

 

「お、あったあった。『もし魔法使いの肉体の代替品を新製する場合は、'紅夢の受肉'の使用が最も手早い解決策となろう。』

 ……ああ思い出した、確かにそんなのがあったっけか。」

 

 化外の宝典・疑似生体作成魔法『紅夢の受肉』。

 悪魔や吸血鬼などの魔力に強い適正を示す妖魔の血液を媒介とし、新たに疑似的な肉体を作り出す魔法。

 作られた肉体は、魔法使いの骨肉と同質のものだ。魔力の伝導に優れるのである。

 

 まあできるのは生物ではなくて単なる肉塊だが、そこは仕方がない。

 魂が無いのなら、肉体が生物として働けるはずもないのだから。それについては、また別に考えがある。

 

 そして()()()()、新鮮で貴重な吸血鬼の血が手に入っている。

 運の良いことだ、これなら高位の魔法の発動にも支障をきたすことは無い。

 

 魅魔は掌に小さな小瓶を呼び出した。

 

 その中には、溶かしたルビーのように色濃い鮮血。

 すなわち、吸血鬼ゲルデンの血。

 

 これを使い、新しく分子単位で人間と全く同じ体を作り上げるのだ。

 

 他にも原材料は必要だ。

 倉庫から要りそうなものを次々と呼び出していく。人間の肉体は勿論、哺乳類に限らず、魚類、鳥類、その他得体の知れない魔法生物の死体など。

 魔力とこれらで、全く新しい肉体を構成する。

 

 当然遺伝子情報は一から組み上げる。これらはあくまで分解してホムンクルスに作り直す為の材料に過ぎないのだから。

 なにせ作るのは魅魔の誇りをかけた人造人間。余計な血など入れる必要は無い。

 

 

 準備は整った。

 

 宝典のページを開くと、何百何千と互いに重なった複雑な多重構造の魔法陣が姿を現した。

 すかさず魔法陣に大量の魔力を流し込み、その眠っていた効力を覚醒させた。本来なら非常に複雑な陣と詠唱を必要とする上位魔法を、魔導書を利用して、より速く、より正確に。

 

 ページと同じ魔法陣が足元の床にも出現したのち、それがみるみるうちに拡大してゆく。

 そちらにも魔力を巡らせながら、構築されるであろう体の形をイメージする。

 魔導書と床の陣が怪しい紫色に輝きだし、魔法の起動が始まった。

 

 ――――『紅夢の受肉』

 

 瓶の蓋を開け、床の陣にパラパラと血を落とす。小瓶一本分しか無い貴重品だ、ここで使い切ってでも確実に成功させる。

 

 魔法陣が血を吸い込んだ瞬間、紫電が走り光が一気に強くなった。

 周りに並べられた生き物の名残が、宙で分かたれ、塵と消え、その塵が新たな肉体を形成し始めた。

 

 一寸たりとも狂い無く、骨が、肉が、神経が、あらゆる細胞が現れ、繋がれる……。

 

 これから作られる肉体は、自分と並ぶ魔法使いの'器'。故に妥協は無しだ、決して失敗は許されない。

 

 既に魔法陣の輝きは工房どころかアトリエ中に満たされている。至近距離にいる魅魔には、もう白紫の色しか見えていない。

 それでも魔力を注いで注いで注ぎ込み続けて―――

 

 

 フッと、光が消えた。

 

 

 太陽が落ちたかのように、あれだけ視界を焼いていた紫光が一瞬にして消え去ったのだ。光が消えれば、そこにあるのは何時も通りのアトリエ。

 残ったのは、ただ一つだけ。

 

 床に焼け付くほど魔力を注がれた魔法陣の上に、一人の少女が横たわっている。

 

 とても小さな、綺麗な幼女だった。

 

 服を纏わず、生まれたそのままの姿で彼女は瞑目していた。

 肩に掛かるほどの髪は、己の中核となったものを示すかのように真紅であり、肌は真っ白。恐ろしく左右の均整が取れた幼い顔立ちに、人間としては少し尖ったエルフ耳。

 その様を何も知らない者が見れば、素晴らしい腕を持つ人形師の傑作と勘違いするだろう。

 それは何も、この子の容姿のせいだけではない。

 

 ()()()()()()()という、生物として有り得ない状況にあったのだから。

 

 すぐさま魅魔は杖を振って、周囲の領域ごと彼女の『時間』を止めた。

 

「さて、次はこいつに()を入れてやらないとね。見た感じ中々上手くいったじゃないか。」

 

 慣れない魔法ではあったものの、どうにか最高に近い結果に終わり、魅魔はご満悦。

 

 そして彼女の言う通り、未だにこの子は'生命'ではない。

 血を核とし、死体をバラして繋いで作った、単なる'人形'に過ぎない。ここに魂を吹き込み、魂魄を完全なものにすることで、ようやく'生命'として完成に至るのだから。

 

 しかしここで問題が一つ。

 

「今度は魂魄を作らないといけないんだが……。一からやるとまた彼岸の連中が五月蠅いからね……」

 

 なにせ彼岸の是非曲直庁や地獄というのは、一言でいえば魂を管理し輪廻を適切に運行する為の巨大機関だ。

 

 当然、勝手に魂を新造したり、或いは滅殺したりすれば地獄からの咎めは免れない。というか、もしやれば死に物狂いで殺しに来るだろう。

 

 魅魔自身、輪廻から外れた悪霊という種族柄彼岸とは相容れないので、地獄の死神や鬼神とは何度も激突している。その為今更なんだという話ではあるが、しかしこれ以上そこの連中を刺激して追っ手が増えれば面倒なのは確かだ。

 

 結論、魂は一から作らない方がいい。

 

「でもそうなるとどうしたらいいのかねえ。どこかから掻っ攫ってこようか…?」

 

 方法として確実なのはそちらだ。そもそも幾ら魅魔でも、魂魄を完全に自力で作るのは難しい。

 

 そうなると輪廻の輪から適当な魂を引きこんで吹き込む方が失敗はしづらいのだ。だが、こちらでも問題があった。

 

「でもなあ、どうせなら自分で全部組みたいのよね。大体引きこんだ魂の魔力が多いか少ないかなんて分からないし。」

 

 魅魔が作るのは『自分と並ぶ魔法使い』。

 魂の魔力の許容量は当然相当多くないとお話にならない。

 

 ……となると、残された手段は一つ。

 

「よし、決めた。」

 

 まだ無垢な魂を持って来て、魔法で改造しよう。

 魅魔が出した結論は、そんな外道の極致だった。

 

「全部自分では揃えられないけど、そこは仕方ないか。持って来た魂を限界まで改造して、最大限魔力に耐え切れるようにするだけで良しとしよう。」

 

 新造ではなく改造ならば、地獄もお咎めなしとは言わないものの、ある程度こちらへの対応を後回しにするだろう。魂の数自体は増減していないからだ。

 

 人間の魂は、やはり強固な自我と思念を持つ妖怪の魂と比べれば、あまり頑丈ではない。その為、人間の持つ魔力は許容量の問題で、妖怪のそれより少なくなってしまう。

 最初から魔法使いを作るつもりならば、魂を最大限強くし、魔力の許容量を上げておかねばならないのだ。

 

 方針は決まった、後は具体的にどう行うかを考えねばならない。

 

「そうと決まれば…、おいで『幽魂』。」

 

 懐から飛び出してきたのは、早速出番が回ってきた霊魂魔法の神髄結晶。魂に干渉するならこれを使うのが一番手っ取り早い。

 

 同時にその他の霊魂関係の記録紙や遺物なども取り出して、床に並べる。

 魅魔は未だ未完成な少女の肉体を眺め、霊魂を改造し吹き込む為の具体的な方策を考え始めるのだった。

 

 



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霧雨魔理沙 ~Magic and Scarlet Dream

 

 

 ホムンクルスを完成させるべく、『幽魂の宝典』のページをめくり続けて数日。

 

「……ほう。丁度いいのがあるじゃないか。」

 

 そう魅魔が言った時、開かれていたページに書かれた魔法は、霊魂に小規模の傷を付けて欠けさせ、そこに術者による任意の改変を与えるというもの。

 

 言うなれば切り貼り、または移植手術に近い。

 最初から魂を変質させるのに比べるとかなり手段が荒っぽいが、四の五を言っていられるほど選択肢は多くないのだ。

 

「よし、これにしよう。少し厄介だがどうとでもなる。」

 

 魂を輪廻の内から連れて来るのは、魅魔からすればそこまで難しくはない。

 彼岸の審判と浄化を終えて、冥界にて転生を待つ霊魂をこちらに導くだけだ。

 

「早速始めよう。あまり時間をかけたくはないしね。」

 

 なにせ魂魄に対する直接手術だ。是非曲直庁に感づかれると面倒なのは間違いない。

 拙速に越したことはないだろう。

 

 魅魔は傍に寝かせてある、器となる肉体に視線を向けた。青い穏やかな光に包まれた少女の体は、作られて数日経ったとは思えないほどに完璧に保存されている。

 

 あの後呪いを併用して魔力の消費を抑えたが、劣化しないようにずっと肉体の時間を止めておくのは、やはり消耗が激しいのだ。

 早いうちに生物として完成させる方が望ましい。

 

 計画を立てた魅魔は、すぐさまそれを実行に移すことにした。

 

 

 

 

 

 まずは魂の呼び出しだ。

 と言ってもすることは単純。冥界に空間を繋ぎ、純粋無垢な人間の魂を器に宿らせるのである。

 

 何時もの杖を呼び出し、大きく前方に向けて円を描く。

 すると円に沿って正八角形の魔法陣が浮かび、輝き出した。

 

 

「幽明の境よ、今を持ってその姿を顕界に現せ……」

 

 

 八角形が幽玄な桜色の光を溢れさせる。

 

 死者達の憩いの国たる冥界の、死の冷気が流れ込んできた。

 ひゅるり、ひゅるりと、生者を凍えさせる黄泉の風が、冥界の桜の花弁に彩られて吹いてくる。

 

 『オオー……オオーー……!』

 

 死者の声だ。霊子密度の低い顕界側へ引き寄せられてきたのだろう。

 

 魔法陣は冥界と顕界の境を穿つもの。極小の異界を介して、此岸と彼岸の空間を繋いだのだ。

 

 完全に穴を開けてしまえば、そこを起点に幽明の結界が崩れ現世に癒着してしまう。故に魅魔は、魂が通れるほどに境目を薄くするだけに留める。

 

 

 静かに静かに、魅魔は門を維持し続ける。

 

 彼岸の者にも悟られぬよう、静かに。

 

 転生を待つ魂が、こちらに迷い込んでくるまで。

 

 

「……来た。」

 

 

 小さな小さな純白の霊魂が、こちらに流れ込んできたのを魅魔は感じとった。すぐに門が閉じられ、桜の花弁も冥府の冷気も姿を消した。

 結界を修復して魔法陣を消し去る。

 

 そして漂う魂を、極小規模の結界で覆った。

 

 立方体の魔力の檻に閉じ込められたそれは、何の穢れも知らぬとばかりに白く輝いている。

 球体に魅魔と同じ形の足を付けたその姿は、正しく人魂であった。

 

 勝手に他のものに宿らぬよう、厳重に封じ込める。

 

 

「さあて、本番はここからだよ…。」

 

 流石に面立ちを硬くして、魅魔は呟いた。

 

 ――そもそも霊魂というものは、とかくデリケートなものだ。

 

 実体のある肉体と違い、余計な真似をすればすぐに壊れてしまう。

 魅魔自身、悪霊という霊体の存在であるので霊魂の扱いは人より優れるが、それでも魂を大胆に傷つけ継ぎ接ぎするなどという荒業は如何に彼女でも難しい。

 先の肉体を作った時より遥かに厄介だ。

 

「それでもここまで来たならやるしかないんだけどね。……起きろ。」

 

 開きっぱなしだった『幽魂の宝典』が宙に浮かぶ。

 

 人魂と同じく汚れ一つない、美しい純白の書物が記すのは、精神を司る霊魂魔法が秘奥。

 

 他人の魂に傷を入れ、そこから入り込んで魂魄を自在に弄ぶ外法。

 

 

 ――――『魂魄奪胎』

 

 

 名を唱えると共に魔導書に魔力を巡らせ、魔法陣が動き出す。

 びっしりと文字紋様で埋め尽くされた、正六角形の陣が純白の光を纏い始めた。

 

 それをちらりと眺めると、魅魔はそのまま結界に封じた霊魂に掌をかざした。ページと同じ紋様が、掌に、そして霊魂の前にも輝きだす。

 

 じわじわと、自分の魔法が魂に穴を開け、穿孔しているのを感じる。

 

 少しずつ、水に晒される岩のように霊魂が欠けていく。

 

 

 ―――目を閉じる。静謐に浸る。

 

 自身の意識を、浮かぶ魂の奥底に沈み込ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そこは、'空白'と呼ぶに相応しい場所だった。

 

 得体の知れない白い大地が広がるばかり。他には文字通り、何も存在しない土地だった。

 

 

 

 人の精神、魂というのは、言わば非常に小さい異界に等しい。精神世界という単語は、決して間違ったものではないのだ。

 

 そこに一つだけ存在する、異物。

 翠色を靡かせる、魔女。

 

『まあ分かってたけど、やっぱり何にもないか。冥界で転生の準備を終えてたんだし、当然だけどね。』

 

 魅魔はそこに、自分の精神を滑り込ませていた。

 

 この霊魂の中には何も存在していない。精神世界は真っ白、空っぽであった。

 

 

 これは、魂が彼岸にて浄化を終えたことを意味している。

 

 地獄の炎で焼かれ、冥界をさすらい、生前の穢れを綺麗に洗い流すことで、次の体への転生を可能とするのだ。生前の罪業を流すというのは、それ即ち記憶も知恵も流すことを意味する。

 だからここには何もない、全てを洗い去ってしまったから。

 

 とはいえ、今回はその方が好都合だ。好きなように魂を弄れるのだから。

 

『さて、取り敢えずは容量を大きくしないとね。私と同じだけとは言わないけど、せめて大妖怪と同レベルの魔力には耐えられるようになってもらわないと。』

 

 言うは易く行うは難しとはよく言われるが、魅魔の発言はそれ以上である。

 

 元は普通の人間の魂を、世界をただ在るだけで変貌させる、生粋の化け物共のソレへと改造しようというのだから。大妖怪や修羅神仏とは、そんな規格外極まる存在なのである。

 

 とはいえ、そんな無理無茶無謀を幾度も押し通してきたのが、魅魔という更なる怪物なのであって。

 

 

『―――拡大。』

 

 

 外側の自分の身体の魔力を魂に一気に流し込む。

 

 それを内側に潜り込ませた自分の意識で誘導し、『幽魂の宝典』の陣を介して霊魂に改変を加えていく。

 魂の空間を少しずつ少しずつ、押し広げていく。

 

 

 

 

 白い大地が広がりだした。

 じわじわと、厳冬の海が少しずつ少しずつ、凍りつくように。

 

 

 同時に、天に向かって何本もの巨大な白い柱が立ち、上にも空間を拡大していく。

 まるで、この無垢なる世界を一つの宮殿に作り変えるように。

 

 

 更にそれには飽き足らぬと言わんばかりに、縦横無尽に同じく白い柱が数え切れないほど生えてくる。小さい浮島のような霊魂の世界は、純白の石柱によって押し広げられ、引き延ばされ、支えられる。

 複雑ながらも規則的な石柱は、この世界を決して崩れさせないと思わせるような堅牢さを持っていた。

 

 

 この柱は、魅魔の魔法でもって作り出した霊魂の支柱。これを使い、魂の拡大と強化を同時に行っているのだ。

 

 恐らく彼女以外には不可能であろう、狂気じみた緻密さと速度をもって行われる魂への施術。

 

 

 ―――体感では数十分、或いは数時間経った後。

 

 未熟で小さな精神世界は、何千何万という柱に支えられた、巨大な宮の如き、美しき水晶の洞の如き世界へと変貌していた。

 

 

 

 そこまで確認したところで、魅魔は意識を浮上させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐっ…うぅ…!はあっ、はあっ……!」

 

 

 意識を現実に戻した途端、魅魔は恐ろしい倦怠感に襲われた。

 

 息が辛い、腕が上がらない、頭が響く。

 霊体を変異させた疑似的な肉体から、どうっと玉の汗が噴き出した。

 

「ぐう……、やっぱり無茶が過ぎたかな…」

 

 なにせ他人の魂に割り込んだ挙句、絶対に傷がつかないように拡大するという無茶苦茶をやってのけたのだ。コンマ一秒と気が抜けない、繊細に過ぎる作業を限界ギリギリまでしていたのだから当然と言える。

 

 目を開けば、景色は意識を沈める前と何ら変わっていない。

 立方体に閉じ込められた霊魂と、光に包まれた少女の器。そして何時もの工房。

 

 息を整えて一息つき、意識をしっかりさせてから目を見開く。

 そこには疲労の色など欠片も残っていなかった。

 

 

「さあ、最後の仕事だ…!」

 

 

 一連の最後の大仕事。

 魂を肉体に埋め込み、魂魄を馴染ませ、一つの生命体として完成させる。

 

 指を鳴らし、肉体の劣化をとどめていた時間停止を解除する。魔法をかけた張本人なら解呪は容易い。

 

 結界に包まれた魂を器に近づけ、皮膚に触れた所で結界をほどいた。

 

 慎重に、慎重に、肉体の中に魂を誘導する。少女の薄い胸板の上から魂が入り始め、数十秒で完全に魂が入りきった。

 

 だがまだ終わっていない。

 

 

「よし、『霊体の観測鏡』。」

 

 

 小さな魔法陣が魅魔の左目にモノクルのごとく浮かび、魂魄の様子を写してくれる。

 これがなければ、肉体に入った霊体の観測は出来ない。

 

 観測鏡の写す光景を確認しつつ、器に魔力を流し込んでいく。

 

 肉体と霊体の形が完璧に合い馴染むまで、魔法を使って調整するのだ。霊体の形を、一寸の狂い無く器の形に整えていく。

 

 

 ――シナプスが発火する――

 

 

 ――神経が信号を走らせる――

 

 

 ――肺が空気を取り入れる――

 

 

 ――心臓が鼓動を鳴らす――

 

 

 今まで置物でしかなかった器官が火を入れられ、各々の役割を果たし始める。ただの肉塊が、生命体として起動した瞬間だった。

 

 

 今度も非常に難しい作業だが、霊魂自体に干渉した時ほどではない。ものの数分で作業は終了した。

 

 そしてこれにて、ホムンクルス作成の全工程が終了したことになる。

 

「ふうー……、終わった…」

 

 ようやく大仕事を終え、魅魔は大きく安堵の息をついた。

 

 ここまで疲労困憊になったのは、彼女の体感では数百年は遡る。普段なら全力どころか本気の片鱗も出さずに物事を片付けてしまうが故に、久々の大仕事は魅魔の精神を必要以上に削り取っていた。

 

 

 ―――だがそれだけのことをした甲斐はあったと言えよう。

 

 ()()から()()へとその本質を変え、少女はこんこんと眠り続けている。

 意識を持たないながらも、深く息を吸っては吐くその姿は、人形ではなく人間のそれだ。

 

 魅魔は安らかに過ぎる可愛らしい寝姿を見て苦笑する。

 

「全く、私にここまで苦労を強いるなんてね。その分ちゃんと役には立って貰うよ?」

 

 見た目は人間。

 脆弱な肌理細かい柔肌も、呼吸で命を保つ姿も、強固とはとても言えない精神の構造も、どれもまごうことなき人間のもの。

 

 

 だからこそ、鋭い者ならばそのおかしさに気付いたはずだ。

 人間であるはずの躯体から、無尽蔵に魔力が湧き上がるという、その異常に。

 

 

 例えるなら、しがない一匹の蟻が、クジラやゾウと見紛う存在感を放っているようなもの。矮小なはずの存在が醸し出す、不釣り合いな圧迫感。

 …それはまさに、異様だった。

 

 彼女は魅魔の持つ魔法と技術をつぎ込んだ、生物として最高傑作と言える。

 

 種族として人間でありながら、その身が持てる力は人でなしのそれ。矛盾という言葉を体現したかのような、不可思議で理不尽な存在だった。

 

「人間の相手なら人間に限る。紫の言うことからして、向こうのも相当人間として完成されてるだろうしねえ。私の傍につくならこれぐらいでないと。」

 

 この少女は魔法使いではなく、人間だ。

 弱い人間の肉体でありながらも規格外の魔力を持ち、軽々とそれを扱えるように魅魔が仕立てたのだ。魂の拡大だけで施術を終わらせ、その有り様にまで手を加えなかったのはそのためである。

 

 

 わざわざこんな回りくどい手段を取った理由は単純。

 

 人外としての魔法使いとして作っていたなら、紫の言う人間のライバルとはなりえない。あくまで『人間』でありながら、最強の魔女のポテンシャルを持たせなくてはならないのだ。

 

 人間という種族は何処まで行っても未完成でありながら、未完故に幾らでも成長できる能力を持つ。個として完成された半永久の妖怪とは別方向の、閃光のように生きる強さ。

 忌々しくも、その強さを魅魔は誰よりも認めていた。

 

 人間として生み出し、その強さを遺憾なく発揮させる。

 そうでなくては、魅魔のプライドが許さない。

 

「私の心血注いだ魔法使いが、あいつの育てた奴に劣るなんて許せないからね……」

 

 ―――要するに、意地であった。

 

 

 

 とにもかくにも、これにて完成。

 

 そして生命を生み出したからには、その造物主として名をつけなくてはならない。

 

 

 未だ白い肌を晒した裸体で眠る少女を見やる。そして立ち昇る魔力の質を、その慧眼で見通した。

 

「ふむ……こいつの気質は『霧雨』か。そして属性は闇に通じる『水行』…」

 

 存外、この子は水に縁近い性質らしい。

 

 そして、魔法使いとは細かな理を繋げて魔法とする生き物である。

 

「……よし、決めた。」

 

 名は体を現す。

 

 そのあるべき姿と気質から、魅魔は彼女の名を決定した。

 

「霧雨の天候。そしてお前は、理を億分の一にも裂いて生まれた魔道の子…」

 

 

 

 ――――今日からお前は、『霧雨魔理沙』だよ。

 

 

 

 魔法と紅夢より生み出された、小さな人間の魔法使い。

 

 彼女はこの日、世界に生まれ落ちた。

 

 

 




 旧作ではステージタイトルに副題がついていることから、それに合わせてサブタイトルを大幅に改訂しました。こうしないと後で酷いことになりそうなので…。

 それと、幾つか見にくい所を改訂しています。ご了承ください。


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魔女の弟子 ~Little Witch

 

 

 湖の傍にそびえ立つ洋館。

 結界に覆われ、いつもなら静寂に包まれているはずのその館は、しかしここ数日はどうにも騒がしかった。

 

 

 ―――とはいえ、だからといって何か物騒なことがあったわけでもない。

 

「きゃはは、魅魔様ーこっちこっち!!」

 

「やっかましいよ魔理沙!あと工房の中で騒ぐんじゃない!物が壊れるだろうが!」

 

 ……単に館の主とその娘兼弟子が、日夜バカ騒ぎをしていただけなので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紆余曲折あってようやく目標の人造人間を作ることに成功した魅魔だが、今度はその育て方に頭を悩ませていた。

 

「一々、初めから言葉だの動作だの教えるのは論外。かといってどうすりゃちゃちゃっと仕込んでやれるのやら…」

 

「???」

 

「お前のことだよ。」

 

 魅魔の言葉に、赤毛の幼女――『霧雨魔理沙』が可愛らしく小首を傾げる。無邪気で暢気なその仕草に呆れた魅魔は、トンっと少女の額を小突いてやった。

 

 

 結局魅魔は、魔理沙を自身の弟子とし、親代わりとして育てることに決めた。

 

 魔理沙の肉体も霊魂も、自尊心の暴走の結果とはいえ、魅魔が本気で作り上げたものだ。

 此処までしたのだから、当然魅魔も彼女には少なからず愛着が湧いている。少なくとも、ただの実験材料兼当て馬で終わらせていいような存在ではない。

 

 故に方針を変え、自分の助手として使えるように、魔法使いとして完全に大成させることにしたのだ。

 

 従者ならば使い魔や式神で幾らでも代用出来る。魅魔が魔理沙に求めるのは、そのポテンシャルを最大限に活かし、自分の不可能なことにまで手を回せる、自身の補佐に相応しい魔女となることだった。

 

 ……だからこそ、こうして彼女の教育方針に頭を悩ませているのだが。

 

 今の魔理沙は、身体だけ少しばかり成長した赤ん坊である。故に世間の一般常識から魔法の知識に至るまでゼロから教えてあげねばならないが、普通に教えていてはそれこそ何年かかるか知れたものではない。

 そのために魅魔は、魔理沙に手っ取り早く知識を埋め込める手段を模索している最中だった。

 

(強制的に精神魔法で書き込むか?いやダメだ、いくら強化してあるとはいえ間違いなく精神が破綻する。ならば……)

 

 あーでもない、こーでもない、と稀代の大魔女が苦悩する様は、彼女の悪友である某スキマ妖怪が見たら大爆笑していただろう。あの愉悦趣味は人を煽るのが大好きなのだ。

 

 

 そうして魔導書を覗きながら何千通りかの方法を脳内で組み上げた時――

 

「あ、これなら大丈夫かも。」

 

 結論は、意外にあっさり構築された。

 

 

 

「だー、やー。」

 

「はいはい、ちょっと待ってなさい。」

 

 未だ言葉も喋れない魔理沙を宥めすかし、魅魔は呪符を数千枚ほど呼び出した。そしてそのまま、精神魔法を使い自分の脳内にある知識を転写し、記録紙上に焼き付ける。

 

 

 ――――『種子遷巡(しゅうじせんじゅん)

 

 

 普段使う高度化や暗号化が施された言語と違い、平易な言葉で知識が黒字で書かれていく。

 ほどなくして、魔法以外のほぼ全ての知識を書き終えた。

 

「さあて、次は…」

 

 そして本題はここから。

 

 ――――『月光算術塔』

 

 久々に使用する高速演算魔法が、その名の通り月光で象られた塔のような魔法陣を高く聳え立たせた。別に無くたって構わないのだが、作業がとっとと進むので使うに越したことはない。

 

 それを用い、記録紙に書かれた内容を今度は()に書き換える。

 

 算術塔の魔法陣に内容を刻み、数字と記号で出力させる。言葉で書かれたものを、莫大な数の演算式で構成された言語(プログラム)に置き換えていく。

 

 

 果たして完成したのは、数式と幾何学模様をびっしりと焼き付けられた大量の符。

 

「ほら魔理沙、横になりな。」

 

「だーうー!」

 

 魔理沙を寝室のベッドに横たわらせる。本人はご主人に構ってもらえて嬉しそうだが。

 

 そしておもむろに、魅魔は呪符の一枚を魔理沙の胸にあてがった。

 

 

 瞬間。

 

 

「う…あ……!が、いっぃぃ!?」

 

 白符が胸に吸い込まれ、魔理沙はうめき声を上げ始めた。頭を痛そうに抱え、動悸が激しくなり、少女が出してはいけないような苦しげな声が口から漏れる。

 控えめに言ってもその様子は尋常ではなかった。

 

 しかしそれぐらいは想定していたのだろう、魅魔は顔色一つ変えずに、彼女の額にコツンと杖を当てた。同時に、神経に強制的に介入する魔法が発動し、魔理沙の苦痛をブロックして和らげる。

 少々リスキーだが、幼い彼女にずっと脳内を無茶苦茶にされる痛みを耐えさせるというのも酷な話だ、致し方無い。

 

 

 数分を掛けてようやく苦痛が収まり、うめき声を止め、ぱちりと目を開けた赤髪の少女。それは先ほどとは、全く雰囲気が異なっていた。

 

 その理性を見て取れる瞳は、物事の道理を一端ながらも理解する知性を持ったことを告げている。

 

 彼女の胸に吸収された、白紙となった呪符を取り出して、魅魔は問う。

 

「おはよう。自分の名前が言えるかい?」

 

 

「霧雨……魔理沙……。」

 

 

 成功だ。

 ほっと魅魔は胸をなでおろした。

 

 先ほどの符に書かれたプログラムは、本来ならば式神を運用する為のものだ。主人が行動や反射など、ありとあらゆる情報を膨大な算術式として素体に与え、その解をもって素体の潜在能力を最大限に発揮させる。

 これでようやく、式神は主の手足として機能し得るのだ。

 

 この時、式神は主の知性を与えられ、理性なき獣から知的生命体に変貌する。これを利用し、知性と記憶のみをプログラムし、式神に行うのと同じ要領で魔理沙に与えたのだ。

 要は、式術をわざと失敗させて知識だけを与えたのである。

 

 無茶苦茶極まりない手法な上、赤子故に苦痛に慣れない魔理沙には結構な負担がかかったようだが、魅魔が強制的に痛みと副作用を抑えればそれも何とかなった。

 

 

「私が誰か分かるかい?」

 

「魅魔……魅魔様!私のお師匠様!お母様!」

 

 今度は自分についても聞いてみれば、赤髪の少女は華やぐような笑顔で元気に応える。

 ちゃんと分かってくれているようだ。良かった良かった、と安堵する。

 

 しかしまさか、自分が『母』などという呼ばれ方をされる日が来るとは思わなんだ。人類全員を殲滅しようとしていた昔に比べたら丸くなったものである。

 ―――まあ、悪い気はしないのだが。

 

「いいかい魔理沙、よくお聞き。お前にはこれから必要なことを同じように覚えてもらうよ。少し辛いかもしれんが、私の弟子なら耐え切りな。」

 

「はーいっ!」

 

 本当に分かってるのだろうかこの娘、と魅魔が思うほどに明るい返事である。どうやらこの人造魔法少女、性格の方は創造主に似ずやたらと元気なようだ。

 

 

 その後、数日かけて何度も式神の札を通してみたが、二回目からは慣れたようであまり苦痛を覚えずに吸収してくれた。肉体の構成からして魔法と相性がいいのだ、適応能力が高かったのだろう。

 

 

 

 

 

 それから、魅魔と魔理沙の共同生活が始まった。

 

 魅魔自身人と暮らすことは殆ど無い上、小娘の顔色を伺って生活するのもアホらしいというスタンスもあって、基本の生活以外はほぼ自由で放任主義の毎日である。

 ただ魔理沙のアクティブさは魅魔の想像の上をいくものであったので、魅魔が相当振り回されたというのも事実なのだが。

 

 

 例えば昼食。

 

「魔理沙ー、飯だよ。」

 

「今日はなあに?」

 

「適当に作ったシチューだよ。

食べたら皿置いて風呂入って寝な。」

 

「私、大盛りがいい!」

 

「ああはいはい、欲しけりゃ食べ終わった後適当に自分で入れな。」

 

「はーい!」

 

 

 例えば風呂。

 

「私はいいから先にとっとと風呂に入っておいで。」

 

「はーい……て、あっつぁ!?魅魔様、魅魔様っ!このお風呂すっごく熱いよぉ!」

 

「そりゃ燃料に余ってた薪全部ぶち込んだからね。文句言わず肩まで浸かって百数えなさい。」

 

「ひーん!?」

 

 

 また森の中での散歩の時。

 

「魅魔様、これなんて言うキノコ?」

 

「あん?……名前は忘れちまったね。魔法を使う時に便利な触媒になるやつだ。特に水と木のね。…ただ食うんじゃないよ、白い奴は大抵食ったら死ぬからね。」

 

「へえー…、あむ!むぐ、……美味しい!」

 

「うん?…おいコラ魔理沙ァ!口に入れるなっつったろ私は!」

 

 ちなみに魔理沙が口にしたのはドクツルタケの亜種である。シャレにならないので魅魔が即解毒したが。

 

 

 また就寝前のひと時。

 

「魅魔様、何してるの?」

 

「お前にそのうち使わせる魔導書の調整だよ。一々魔法について全部説明する気はないからね。」

 

「へー…、あ、そうだ魅魔様。寝る前にこのご本、読んで?」

 

「はあ?読みたきゃ勝手に読めばいいだろうに。」

 

「きゃは、ベッドで魅魔様の声が聞きたいの!」

 

「はあー…、まあ私ももう寝るから構わないけどねえ。」

 

「先に行ってるね!」

 

「こら走るんじゃない!」

 

「きゃはは!」

 

 冒頭の一幕は、この時の魅魔がベッドに行く時の騒ぎである。

 

 

 何にせよ、何とも不思議で騒がしい毎日だった。

 ずっと独りで暮らしてきた魅魔にとっては騒がしく、煩わしく、しかし新鮮な日々だった。

 

 そして、数年を以て魔理沙が、ようやく『人間の少女』として完成したその時。

 

 彼女の「親」は、「師」となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東の国の、奥深く。

 

 誰にも知られぬままに山間に作られた、人々が身を寄せ合うひっそりとした隠れ里。

 

 峻厳な霊峰と深い渓谷に包まれたこの地は、さる都の貴人を始め、表より姿をくらませた人々が、妖怪からその身を守るべく結集して作り上げた人里だ。

 都には存在を知られず、しかし豊かな自然の恵みによって、その存続を成り立たせる村である。

 

 この地に集った退魔師や陰陽師らの力添えもあり、無秩序な妖怪のテリトリーに囲まれつつも、危うげな平穏を保てている不思議な地でもあった。

 

 そして、霊峰が見渡す限りの紅葉に彩られ、天高く空気が澄むころ。

 その隠れ里において、一つの大きな動きが、水面下でうねりを上げていた。

 

 

 人里中央にある、寝殿造の大きな屋敷。

 その奥の部屋にて、か弱そうな少女と大柄な男性が話をしている。

 

「……では、そのように。」

 

「ええ、お願いいたします。(あやかし)の手を少しでも里へ入れられては、防衛網を総崩れにされかねません。山の鬼や天狗らを始め、更なる徹底した警戒を。それと先ほど言ったように、霊山を担う『博麗神社』に赴き、かの地の力ある者に何としても話を通しなさい。」

 

「承知致しました。」

 

 物々しい様子で男がそう告げると、少女の前からうやうやしく退出する。

 見るものがいれば、大の大人が成人もせぬような少女に指示を仰ぎ、あまつさえ最上級の敬意を払っているという異様な光景に目をむくだろう。

 

 しかしこれで良いのだ。

 少なくともこの里において、彼のように歴戦の猛者たる陰陽師に指示を下せるのは、()()()()()()()()()()ともいえる、かの貴人をおいて他にいないのだから。

 

「ふう、死に際のこの身には、間接的にとはいえ魑魅魍魎共の相手は堪えますね……」

 

 里中に指令を伝えるべく出ていく陰陽師を見送ったその少女は、外見に似合わぬ達観した様子で体を伸ばす。

 

 肩口まで切り揃えた薄紫色の髪に、磨き上げた紫水晶の如く輝く瞳。

 透かし模様を入れた萌黄色の着物や見事な花の髪飾りは、彼女がただの市井の人間ではないことをまざまざと語っている。

 

 

 ――その求聞持の力にて、神代より日ノ本の一切の歴史を記憶に残す女傑。

 歴史書の編纂後、身を隠しながらもその辣腕にて人里を率いる貴人。

 

 名を、『稗田阿礼』。

 

 

 後の世に実在を疑われる、伝承の存在となる彼女は、しかしその表情を曇らせている。

 

 なにせこれから、自分を慕ってくれている人々の目を欺き、人間の敵であるはずの「妖怪」と()()()()()()()()()()()()()()

 

「さて……里の周囲を鎮圧し、秩序を維持する体勢を整え、博麗神社と交流を作る。これで宜しいのですね?……八雲殿。」

 

 阿礼は、虚空に向かってそう話しかけた。部屋の中空、普通なら誰もいないはずのそこに向けて、独り言のように。

 

 そこから返答が返ってくることは、ないはずなのに。

 

「ああ、重畳だ。十分だよ、稗田阿礼殿。」

 

 よく通る声と共に、()()()()()()

 

 夜の闇より真っ暗なそこから、ずるりとはい出てきた、大陸の術士のような純白の服と頭巾を纏う女。

 

 その女は床に降り立つと、挨拶もそこそこに美麗な装丁を施された巻物を取り出し、机に広げる。

 阿礼も驚くような様子はない。

 

「では始めようか。稗田殿。」

 

「ええ、貴女達は私を利用するべく、私は里の平穏を守るべく。私たちの約定、ここに結ぶと致しましょう。」

 

 妖怪と人間の、異例の取引。

 それは誰にも知られてはいけない、重く、固い契り。

 

 

 人妖の知られざる宴は、静寂に吞まれ、夜と共に過ぎてゆく。

 

 




 魔法修行関連はまた別のお話として一つにまとめたいので、該当の記述をサイレント修正しました。ご容赦ください。


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楽しい魔法講座 ~Magus Pain

 流石に魔法関係のお話を蔑ろにするのはいかがなものかと思い、別話に分けました。



追記:やらかして挿入投稿の場所を間違えてました。ごめんなさい。


 

 

 魅魔が彼女の「親」ではなく、「師匠」として振る舞い始めたその日の朝。

 

「魔理沙、これからは私自ら魔法をお前に教える。言っとくけど、私に配慮なんか期待するんじゃないよ。分からなくても置いていく、自力でついて来い。」

 

「はいっ、魅魔様。」

 

 感性こそまだ未熟だが、一先ずの知識を手に入れて物心ついた魔理沙を前に、堂々とスパルタ宣言をする魅魔。

 

 これから魔法を手づから教えていくのだ。

 

 魔法だけは先の手法で覚えさせず、自ら教鞭を取ることにした魅魔だが、別に気まぐれというわけではない。単純に、魔法だけは基礎からして感覚的な部分があるので、どうしても先達から直接教える方が効率がいいのである。

 

 

「―――では、始めようか。」

 

 かくして、魔女の師弟が生まれた。

 

 

 

 

 

 そも、魔法とは。魔術とは何ぞや。

 赤子に等しい魔理沙には、一から教えていくしかあるまい。

 

「魔法。或いは魔術。魔界を源流として生まれた技術で、どんな世界にも多かれ少なかれその影がある。私らが生涯を掛けて存在意義として求め、窮める対象だよ。人によってその在り方は千差万別だし、その定義を深く考える必要はない。ただ魔力を使う術法。これだけを覚えておきな。」

 

 妖怪は自己の在り方が確立した生き物だが、魔法使いの場合それは魔法一つに集約される。言葉の通り、存在意義なのだ。

 

 兎にも角にもこれを研究、研鑽する。それが魔法使いという生き物の在り方だ。

 

 

 

「先ずは魔力だ。これは魔法の基本となる。魔法の根源、原動力。これに気づき、触れ、操ることが魔法使いの基礎であり、そして真髄でもある。とにかく形だけでもこれが出来なきゃ話にならん。」

 

「前提条件ってこと?」

 

「そうだ。」

 

 科学のように体系化されない技術である魔法は、やはり科学とは対極に混沌としている。その様は人によって十人十色、千差万別なのだ。

 だがそんな中でも、必ず共通して存在する、ある概念がある。

 

 それが魔力。

 自然に満ちる神秘の力、霊性の具現。不可思議のエネルギー、魔術の燃料。これを基にして術を動かせるのである。 

 

「自然の属性の魔力、星から降り注ぐ魔力、異界より齎される魔力。魔力は、その大本に様々な源泉がある。」

 

「属性?」

 

 聞き慣れぬ単語に、魔理沙が首を傾げた。

 

「五行――『木火土金水』は聞いたことがないかい?基本的に、魔力の、ひいては自然界そのものがこの五つの属性に大別される。例えば山や大地は『土』、風や雷は『木』だ。」

 

 魔力の基本となる五つの属性。

 五行思想にも現れているこの五属性は、魔力の基本の色だ。触媒魔法などではこの属性の相性などが大きく効力に関わり、故に重要視される。

 

 ただこれと決まっているわけではないので、魔力の性質の大別は五つから、人によって増えたり減ったりする。ちなみに魅魔の場合はこれに『日』『月』を加えた七曜の七属性だ。

 

 自然を大別するなら、更にここに『三精』や『四季』の性質まで加わり六十にまで膨れ上がるのだが、流石にそこまで話すのはややこしいし面倒である。

 

「このことは後で話そうか。とにかく魔力の扱いが何より重要だと心に刻んでおきなさい。」

 

「はーい。」

 

 

 

 理解が出来たなら次は実践。同時にこれが非常に難しいものでもある。だからこそ、魅魔は一人での研鑽を良しとせず、自分の手を貸して経験を積ませることを選んだ。

 

「魔力についての基本の理論はこんなところだよ。とはいえ、どうせ素で気づけというのも無理な話だからね。」

 

 そう言って、魅魔は魔理沙の背中側に回り込み、その華奢な背骨に手を当てた。

 

 嫌な予感。

 

「これからお前に魔力を流す。滅茶苦茶痛いだろうが、我慢して感覚を覚えな。自力で力の流れを掴み、制御出来るように努めるんだ。」

 

「う!?……は、はーい」

 

 

 明らかにただでは済まない鍛錬法。ちょっとダウナーである。

 

 霊体を破壊しないよう手加減するとはいえ、魔力を直接体に流し込むのだ。制御の目途が無い以上、死ぬほど痛いに決まっている。

 これは言ってみれば、骨髄に熔けた鉛を流し込んで熱という概念を知覚させるようなもの。普通の人間ならまず一瞬でショック死するだろう。

 

 だが荒療治である分、制御さえ出来れば途轍もない時間短縮に繋がるのもまた事実だ。

 

「そら、いくよ。」

 

「えーと…」

 

 ピシイッッ!と体に軋る異音。そして。

 

 

 

「……が、ぐうぅぅっ!?ぎゃああぁぁぁ!!」

 

 体内を魔力の奔流が這いずりまわり、少女の神経に烙印を捺すような激痛を走らせた。

 

(ああ、痛い、痛い、体中が焼きつくみたい……!もう熱いのかも冷たいのかも分かんないっ、いだい、いだい……!!)

 

 涙すら出ないほどのとんでもない激痛。例えるなら心臓から外皮まで、鉄の棘で身体を余すことなく貫かれた挙句、その棘をドロドロになるまで発熱させたような感触。

 それを受けながらも思考が回せるあたり、称賛されるべき精神力と言えよう。

 

 あまりの痛みに心が壊れそうになりながらも、この地獄を一瞬でも早く終わらせようと、魔理沙は殆ど無意識下で感覚を尖らせる。

 

(魔力、エネルギー、霊性の力、一体どれが…?いや……)

 

 

 白熱する感覚の中で痛みの根源、この体を痛めつけている元凶を探す。それこそが目的の力だ。気が狂う灼熱と動けなくなる凍結を彷徨い、五里霧中ながら全神経を一点に集中する。

 

 そして百里の果てにあるのではないかという、遠い遠い視界の先に。

 

 

 

 ―――『虹』を見た。

 

 

 

 外皮を、体内を、濁流となって押し潰す虹の大河。

 洪水のように滅茶苦茶に氾濫し、骨を、神経を、削り取っていた。

 

 本当にそういう色をしているわけではない。ただ頭の中で、そのように見えただけ。

 

 だが見えた。知覚出来た。それだけでも大躍進だ。

 

 

 魔理沙の体は、『紅夢の受肉』という魔法使いの新たな受肉の為だけの魔法によって作られた。

 そして、それゆえに人類として最高の魔力適正を持つ。

 

 それは彼女の魔法使いとしての適性が桁違いであることを意味し、魅魔がこんな無理矢理な鍛練法を選択したのも、彼女ならば死なずに自分の鍛錬を熟してみせるだろうという確信があったからだ。

 

 その期待は、裏切られなかった。

 

(感じる……?『流れ』がある、虹色の河が私の中で暴れてる…!

痛い、触ると焼けるみたい……きゃは、そうなの、これが魔力!! 痛いぐらいが何よ、私はこれを抑えて、掴んでみせる…!)

 

 痛みを敢えて嘲笑い、目標を前にした狂気じみた精神力で静かに作業を進行させた。

 

 

 虹を操る。

 

 無茶苦茶に暴れ狂う大水を、堤防で囲って一方向に誘導する感覚。虹色の流れを掌握し、際限なく膨れ上がる力を無理に押さえつけずゆっくりと制御していく。

 ―――循環させるのだ。

 

 

「ほう……!」

 

 魅魔の目には、魔理沙から噴き出しては大気中に霧散していた魔力が、虹色の鎧となって彼女にまとわりついたのがしっかりと見えた。

 

 ――果たして、見習い魔女は師匠の魂胆通りに、漏出する魔のエネルギーを捉え手繰ることに成功してみせたのだ。

 

 過剰な流量を抑え、循環により自身へのダメージを減らす。今の魔理沙にはこれが精一杯。

 もちろん魔力の純度は底辺な上、ロスも呆れるほど多い。―――が、それでも成功は成功だ。

 

 

 苦痛への耐久と極度の集中で、眼球の周りにビキビキと青い血管を浮かべながら、何とか声を絞り出した。

 

「魅魔、様……これで、いいの……!?」

 

「まあ及第点だね、良しとしよう。それを…そうさな、三十分は維持し続けるんだよ。とにかく体に慣らし続ければ自然にできるようになる。」

 

 爆発寸前の火薬庫をギリギリで抑え込んでみれば、返ってくるのはあと三十分続けろという無茶ぶり。

 

 更なる鬼畜所業の上乗せに、魔理沙はほんの少しだけ涙目になった。

 

 

 

 

 

 数日をかけて、なんとか三十分の外部魔力の保持を可能にした魔理沙を待ち受けていたのは、魔力の支配を更に高次へと引き上げる鍛錬。

 

 即ち――自分自身の魔力の掌握。

 

「魔法使いは外部と自身の両方から魔力を抽出する。その点、お前の体と魂は私の肝煎りだ。そのポテンシャルを最大限引き出せば、他の有象無象とは桁の違う魔法を扱えるようになるだろうね。」

 

「本当!?」

 

 アドバイス代わりの激励に、弟子が奮起したのは言うまでもない。

 鍛錬を始めた時の激痛などもう忘れたかのように、必死になって自分の中の魔力を引きずり出そうとしていた。

 

「魂魄の内部、阿頼耶識の領域に魔力は隠されている。そいつを見つけだすんだ。魔法使いの体は基本的に魔力の良導体で、全身にその排出口がある。一度こじ開けてしまえば、あとは軽く引き出せるようになるから。」

 

 先の鍛錬のように、自律神経すら含めて全神経全感覚を集中し、体内の魔力の掌握に当てる。但し今度は、その集中先は体内の更に深い部分、魂の領域だ。

 

 余計な感覚を使わないよう安楽椅子に腰掛け、座禅のように瞑想する。呼吸すらも浅くなってくるほどに深く意識を沈み込ませた。

 

 それを見届けつつ、師匠としてお節介を一つ。

 

「私の時はこんなもの無かったからね、感謝するんだよ?」

 

 口へ空気の流れを作り、自然呼吸を深くさせる。そして精神をある程度認識し易くする呪いを付与。

 気休めだがこんなものだろう。あとは本人次第だ。

 

 

 

 海よりも深く、空よりも高い場所に、魔理沙はいる気がした。

 気がした、というのはどうせ錯覚だろうと認識していたからである。

 

 

 深海に身を投じるかのごとき長い長い瞑想の末、魔理沙は今、ある種の一つの境地に達していた。

 

 五感が機能しなくなり、何も感じなくなってしまったのだ。

 それは本当に、どこよりも深く、誰よりも高い所にいるような錯覚を認識してしまうほどに。

 

 同時に、直感した。

 

(此処が、魂の内側。私の源流、その一つ。)

 

 此処が、求めていた場所なのだと。

 

 

 何も見えない。何も聞こえない。ただただ宇宙のような暗黒に抱擁されているだけ。

 だが、何も分からないわけではなかった。

 

 ……すぐ傍に、燃えるような塊があることを、第六感で感じていたのだ。

 それは、あまりにも大きな気配だった。

 

 燃えると言っても、決して火の玉が目の前に浮いている訳ではない。そんなちゃちなものでは断じてない。

 

 

 ―――例えるなら、それは恒星。

 鮮烈に耀き、何億年と燃え続ける偉大なる燈火。近づけばその主人であるはずの己すら瞬く間に焼かれてしまうと思わせる、極大の紅蓮。

 

 

 それほどのエネルギー、神秘の塊。

 

(これが、私の魔力。私だけの力。)

 

 何と熱く、大きく、荘厳なものなのだろう。これまで見てきたものが、宝石に比した硝子の玩具に思えてくる。

 あの人はこれを造ったというのか、この美しく絶大な、神秘の焔を。目指す場所がどれほどの頂きか、少しだけ分かった。

 

 

 幼い魔女の心は、歓喜に打ち震えていた。

 

 手を伸ばすのに、躊躇いは無かった。

 

 触れた瞬間、闇が白に染まった。

 

 

 

 

 ―――意識が戻る。

 視界に入る、見慣れたアトリエ。椅子に腰掛け、師匠がこちらを眺めていた。

 

「おや、戻ってきたか。どうだった?」

 

 まだ意識がはっきりしない。ふわふわとした浮いた感覚。掠れる視覚。

 

 しかし、自分の奥底にあるあの『星』から、どくどくと血流のように力がなだれ込んでいることは、しっかりと認識していた。

 

 

 おもむろに手を伸ばす。掌の穴を開き、流れ込む力を噴き出させる。

 

 ―――虹色が、手を覆った。

 

「やったっ……出来た!!」

 

 これが、これが魔力。自分だけの、魔理沙だけの力。

 

 魔法使いとしての第一歩、魔法を使うための念願の力。

 

 大きな喜色の声は上がらなかった。ただ心地よい疲労感と達成感、欲しかったものを今掌中に置いているという悦びを噛み締めていた。

 

 そしてその『視野』もまた、魔力に触れて以前とは別物と化している。ただの可視光しか取り入れることが出来なかったその目は、今や世界に満ちる極彩色の魔光をはっきりと捉えていた。

 魔を覗き見る、魔女の目だ。

 

 激変した世界を眺める。

 木の精が、湖の水気が、天体から降りる極光のカーテンが。明確に見てとれるようになった神秘の情景が、魔理沙を祝福しているようだった。

 

「上手くいったみたいね。どんな感じだった?」

 

 お前の魂の中は。

 

 少しだけ悩んで、そのまま答える。

 

「真っ暗で何にも分かんなかった。ただ、とっても大きな魔力があったの。まるで星みたいに大きいのが。」

 

 その言葉に、魅魔は()()()()()()()()()()()()()

 

「とにかく、これでお前は魔法使いとしての入り口に立ったわけだ。まあ、まだ半人前の未熟者のなり立てが一歩踏み出しただけだが……」

 

「むー、酷いよ!そこまで言わなくてもいいじゃない。」

 

 可愛らしく怒る弟子にニヤリと笑い、偉大な先達は言葉を贈った。

 

 それは、祝福であり、宣告であり、嘲笑であり、呪いであった。

 

 

「―――魔法使いの世界にようこそ、霧雨魔理沙。」

 

 私は、お前を歓迎しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、分かってるとは思うが、魔力の扱いだけが魔法使いの能力じゃない。寧ろここからが本番だよ。」

 

 そう、あくまで魔力は魔法をはじめとする術法の為のエネルギー。魔法の本質はこれだけではなく、魔法を使わない魔法使いは魔法使いではない。

 本題はここからだ。

 

「次は術式だ。魔法の本領は基本的にここにある。私が何回か口走ってるのを聞いたことぐらいあるだろう?」

 

「それって、魅魔様が火を起こすのに使ったりしてる魔法陣とかのこと?」

 

「そうだ。あれもその一種だよ。」

 

 『術式』。魔法を発露させるための、言わば回路である。魔力をエネルギーとするなら、術式が回転するエンジン、或いは演算回路だろうか。

 

 魔法とは、要するに神秘による現実への干渉だ。魔力を通して術式を起動し、起動した術式は魔道の法則に従い現実に干渉を行う。

 基本的にこの一連の流れで、魔法使いは魔法を行使する。

 

「お前の言う魔法陣も、外部に出力、可視化された術式の一つだね。他には退魔師の御札に描かれてる梵字なんかもそうだ。」

 

「ほへー……」

 

 とは言っても、術式に触れたことすらない魔理沙には如何にも感覚が分からないわけで。

 分からせるには()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 魅魔は表情を消した。

 

 

「魔理沙、ちょっとそこに立ってごらん。」

 

「え?」

 

 言われるがままに工房の壁の傍に立って。

 

 唐突に魅魔が腕を振るった。

 

 

 ボオォォンッッ!!

 

 

 ―――それは、余りにも非常識過ぎる光景だ。

 

 そこに最初から爆弾が仕掛けられていたかのように、魔理沙の顔面からいきなり爆炎が上がったのだ。悲鳴をあげる暇すら無かった。頸は飛んでいないが、頭部を焼き焦がされて死なない人間がいるはずもない。

 即死だ。誰かがいれば、そう言っただろう。

 

 だが、生憎とこの魔女に常識が通じるはずも無く。

 

 どさりと横向きに倒れた死体に指を向けた瞬間、焼け焦げた外皮が修復され、沸騰し白濁した眼球は綺麗な光を取り戻し、消し飛んだ脳髄と皮下組織が埋め合わされる。ふさふさの紅色の髪もちゃんと元通りだ。

 一瞬で魔理沙は、殺されて、蘇生された。

 

 いきなりで何が起きたのか理解出来ていなかったのか、トロンとした目をこちらに向けていた魔理沙は、ハッと意識を取り戻すと慌てて魅魔から距離を取った。

 

「ちょ、ちょ、え、魅魔様何するの!? 私今死んでたよ、ねえ死んでたよね!?」

 

 敬愛する己の師匠相手でも、流石にいきなり炎でぶち殺されると生物としての警戒心が上回るらしい。雨に濡れた仔犬のように恐怖でブルブル震える魔理沙に、魅魔は似合わぬ穏やかさで問いかけた。

 

「今使ったのがどういう術式か理解できたかい。直撃を食らったんだから、どんな経路で魔法が発動したか、少しは解ったはずだよ。」

 

「へっ?……あっ」

 

 確かに、何か陣のようなものを介して魔力が変質し炎が起こされたのが、おぼろげながら感覚に残っている。直撃の瞬間に無意識で感じ取ったのか。

 この陣が、つまりは術式なのだろう。

 

(え、じゃあこれを教えるためだけにわざわざ……?)

 

 ということは、自分の師匠は通告も無しに、ただ授業の一環として自分を殺して、そして蘇生させたということか。

 確かに即死なので痛みも何も無かったが―――なんかこう、あんまりにもあんまりである。

 

「……むううーー!」

 

 頬を膨らませてポカポカと魅魔のローブをはっ叩くが、魅魔はかゆいかゆいと笑うばかり。

 

「それで、その術式を今ここで描けるかな。」

 

「…まだ無理。微かに記憶に残ってるだけだし。」

 

 本当におぼろげなのだ。せいぜい魔力が何か複雑な紋様を通り抜けたのが分かったぐらいで、それが何型なのか、中身に何を描かれているのか、皆目見当もつかない。

 

「そうか、じゃあもう一発……」

 

「え、ちょ、ま」

 

 本日二度目の爆轟。

 

 

 結局、数十回ほど殺されたことで、魔理沙はようやく火炎の魔法陣を描けるようになり、魔法における術式という概念をある程度理解できた。

 

 代償として、魅魔への好感度はちょっと、いや結構減ってしまったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法使いの先達としての経験に基づいた指導は、弟子に痛みを強いながらも、本来ならば有り得ない速度での魔法の習得を可能とする。

 

 それでも何年とかけて、小さな魔女は地道に努力を積み重ねなくてはならない。

 

 

 ―――魔道とは日進月歩。

 積み重ねた歴史をもって、魔女は力を成すのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある日には、魔力を常時均等に放出し続ける鍛練。

 

「魅魔様、これでいいの?」

 

 そう言った魔理沙の手には、両手大の水球が浮かんでいた。水晶玉のようにがっちりとした、透明な純水の真球だ。

 水魔法で造った魔力の水球である。

 

「ああ、それでいいよ。その水魔力の球体を、出来るだけ長く保つんだ。力を注ぎ過ぎてもいけないし、欠けさせてもいけない。少しでも大きさが変わると破裂するから、そしたらやり直しだよ。」

 

「平気平気、こんなの一発でクリアしてみせ……わきゃあ!?」

 

 調子に乗った瞬間、ズパァンッと快音が響き水球は爆発。当然至近距離の魔理沙はぐっしょりと濡れ鼠と化した。

 見事なまでのフラグ回収である。

 

「……魅魔様ぁぁ」

 

「替えの服をありったけとっておいで。今日は一日中これをするからね。」

 

「うええぇ……」

 

 ちなみにこの日の限界は二十四分と五十三秒であったという。

 

 

 

 

 

 

 

 またある日には、触媒を効率良く扱う鍛練。

 

 

「そもそも触媒ってのは、属性を抽出した魔法の強化物質だ。その効果は必要なエネルギーの減少から、魔法の効力強化や反転まで行える優れものでね。まだ未熟なお前には、これをマスターしてもらう。」

 

 唐突な魅魔の宣言で始まった触媒魔法の試験。

 内容は至って簡単。『コップ一杯の水を触媒を使って凍らせろ』である。

 

 テーブルの上にゴロっと用意された数々の結晶や金属から、魔理沙が選択したのは『銀』であった。

 

 水の入ったコップに、ポンポンと銀を投入する魔理沙。

 入れ終えたら魔力を込めて、更に触媒の力で変質させる。属性魔法の基本でありながら、高い応用と威力を持つ触媒魔法は、往々にして魔法使いの登竜門だ。

 

「水の属性を集めて…更に金の相生で強化して…よし、『凍れ』!」

 

 発声と同時、中身が一気に凍結し、コップが砕け散った。

 

 残ったのは、綺麗にコップの形を保ったまま凍り付いた氷塊である。

 

「やった、成功!」

 

「『金生水』。金は水を生じる、属性魔法の基礎中の基礎だから覚えておきな。それと氷は水と金に値する、そのために金属性の銀を選んだのは正解だよ。」

 

「きゃは、うん!」

 

 魔法を一発で成功させたお褒めの言葉に、魔理沙は花のような笑顔を咲かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 また魔道具を扱う時もあった。

 

 

 ある時魅魔が持って来たのは、古びた大判の本。しかしボロボロであるにも関わらず、その表紙からは隠し切れない高貴さや異様さが滲み出ている。

 

「できるだけ毒性を薄めた魔導書だよ。これなら()()()()()()今のお前でも使えるはずさ。」

 

 これは元々何処かの工房から押収した代物に、魅魔が手を加えて危険度を抑えたものだ。

 

「読む!」

 

 知識と力に餓える少女が、教材に飛びついた。

 

 ところで彼女の頭からは、とある事実がすっぽりと抜け落ちていた。

 数日前に魅魔から忠告されていたことである。

 

『魔法に関する文献や遺物を見つけても、決して安易に触ってはならない。それらには必ず何かしらの仕掛けがある。対抗策を万全にしてから触れること。』

 ―――即ち、元来杖や魔導書というのは、その施された細工のせいで非常に危険な代物だということを。

 

 

 パラリ、とページをめくった瞬間……魔理沙の視線が固定される。

 

 石像のように体勢を固定されて―――瞬きも許されないまま、魔導書に仕掛けられた精神魔法が、中身の情報を脳内に注ぎ込み始めた。

 

「ぐが……あぁぁぁっっ!?」

 

 最初に魔力を流し込まれた時並みの、意識が吹っ飛びそうな激痛が脳内を蹂躙したのだ。

 

 書き込まれていた内容が目を通さずとも精神に刻み付けられるが、知識を得られる喜びよりも苦痛の方が今は上回っていた。

 

「あーあー、だから前に言ったろう?能無しに他人の知識を覗くとしっぺ返しを食らうって。」

 

 頭の中を直接弄られて絶叫する魔理沙に、魅魔が呆れたように言うが、助ける素振りは見せない。

 

 まあ察しはつくだろうが、この女、事態を予測していながら敢えて引き起こしたのだ。つまり確信犯である。

 

 杖や魔導書といった魔法使い本人に特に縁近いものには、程度の差はあれどこういった精神魔法が仕込んである。不躾な侵入者には報復となる機能だが、正当な使用者ならば道具自ら機能をサポートしてくれる便利なものだ。

 

 使い方は慣れて覚えろ。

 忠告を忘れてやらかした罰代わりに、ここで無理矢理慣らさせるつもりであった。

 

「あああぁぁぁぁ……!!!」

 

 結局、魔理沙が自力で解呪し本を閉じるまで、工房には丸一晩絶叫が響き続けた。

 

 精神汚染への多大な抵抗と、魔導書の仕組みの扱い方を心得はしたものの、暫くは魔理沙は魔導書の類に触れることはなかった。

 

 

 

 

 

 幾度も幾度も、気だるげな師から元気な弟子は学ぶ。

 

 親密に、残酷に、魔女たちの宴は続けられる。

 

 それはまるで逢瀬のように、それはまるで処刑のように。

 

 楽し気な退廃に塗れた授業は、何処までも続くような錯覚さえ覚えるほどだった。

 

 



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御阿礼の約定 ~Fantasy Saga

 時は数日前に遡る。

 

「ぐうっ…やはり私に残された時間は少ないですね…」

 

 稗田阿礼は、その端正な顔立ちを苦々しく歪め、自室で体を横たわらせていた。

 

 ここは稗田家の屋敷の奥の一室であり、阿礼の為だけに造られた彼女の書斎だ。ここには彼女の側仕えでさえも、許可なしに入ることは許されない当主専用の部屋である。明確な官位こそ持たないものの、これほどの重厚な建築が提供される程度には、彼女は里の、そして国の要人であった。

 そしてこの部屋で、彼女がわざわざ昼間から床についている理由は、決して風邪になったなどという軽い理由ではない。

 

 先の言葉の通り、もはや自身の命が長くないことを、悟っていたからである。

 

「私を除けば、統率を取れる者はいない。『群』を失った人間は弱いもの。果たしてこの里は存続できるのか……」

 

 見聞きしたものを決して忘れない、完全記憶能力。

 稗田阿礼が生まれ持った能力であり、彼女が歴史書の編纂を任された所以であり、そして彼女の命を削る呪いでもあった。

 

 死ぬことが怖いわけではない。生来の強力な求聞持の能力は、魂に結びついた力であり、転生をはじめとして彼女の魂魄に大幅な異常を与えている。

 その異常は、あるべき阿礼の寿命すらも歪めてしまっていた。

 都の高名な薬師に見てもらわずとも、自身が人並みに生きられないことは、生まれた時より本能として承知していた。

 

(しかし問題は、私がいなくなった後、どうやってこの里を存続するか。この里で、いっとう地位と能力が高いのは私であり、だからこそ彼らは従ってくれていたというのに……。

 稗田家唯一の直系である自分がいなくなれば、遅かれ早かれ権力闘争によってこの里の秩序は崩壊するだろう。そうなれば、陰陽師や退魔師の統率まで取れなくなってしまう……)

 

 権力闘争などどうでもいいが、戦える人間の統率が失われることは大問題だ。『群れること』が、人間が妖怪に抗する最も効果的な手段であると、彼女は知っている。

 逆に、一人一人の人間が持つ力など、妖怪や神にとっては微々たるものでしかない。如何に屈強なこの里の退魔師たちであっても、一対一で連中と戦うことなどまず不可能だ。

 

(どうすれば……)

 

 私利私欲に塗れた里の上役達は知るまい、彼女が死に体で無理を押して自分たちを救おうとしていることなど。

 だが、その優れた頭脳と積み重ねた経験をもってしても、里を救う打開策は浮かびそうになかった。

 それでも諦めることなど出来ず、苦痛と死の予感に苛まれながらも、彼女は里一番の知恵者として、他のことが全く目に入らない程に策を打ち立てるべく集中していた。

 

 だから、一体誰が彼女を責められるのだろう。

 

「お困りのようですわね。」

 

 そのどろりとした不気味な女の声がかけられるまで、侵入者の存在に気づかなかったことを。

 

 

 

「なっ!?」

 

 声がかけられた後方に、阿礼は勢いよく振り返った。そしてその女を視認する。

 

 黄金に煌めく金髪に、異国風のドレスを纏い、日傘を持った、その女を。

 

 明らかに異様な風体に、阿礼は女の正体を一目で見抜いた。

 

「妖怪……!!一体どうやってこの部屋に!?」

 

「ふふっ、それは内緒ですわ。まあ説明しても余り理解はされないでしょうし。」

 

 阿礼が問い詰めても、妖怪は扇子を口に当ててはぐらかすだけ。

 そういう問題ではないと、阿礼は歯嚙みすることしか出来ない。

 

 ここ稗田家の大屋敷は、里中の陰陽師の協力を得て、妖怪の力を弾き返す強力な結界にその全域を覆われている。下級なものはもとより、中級の妖怪の攻撃であっても、その清浄な力の城壁は易々と無効化するだろう。

 

 

 つまりそれは、その結界を何ら苦にすることなく突破してみせ、更には護衛の誰にも悟らせることなく部屋に侵入したこの妖怪が、大妖怪と称されるべき規格外の化け物であることを意味していた。

 

「おっと、名乗り遅れましたわ。私は、八雲紫。以後お見知りおきを。」

 

「……稗田阿礼です。」

 

 冷や汗をかきつつも、阿礼は何とか名乗り返す。

 

 八雲紫。

 聞いたことの無い名前だが、幸いにも相手は言葉の通じる上級妖怪。結界を軽々と突破された以上、下手な刺激は避けるべきだ。

 

 (恐らく助けを呼んでも無駄ね……

 どうにかしてこの窮地を切り抜けないと……!)

 

「存じておりますわ、この国の根幹となる歴史書を編纂するのに力を貸した偉人だと。都では中々に評判が高いとお聞きしますが……」

 

「……っ!」

 

 ――公的な記録は殆ど残っていないはずだが、如何やら自分の情報は全て筒抜けらしい。

 分かっていてわざわざ接触してきたということか。

 

「あら、そんなに怖がらずともよろしいのに。元より貴女をどうこうする気は無いのですから。」

 

「……では一体、何が目的なのです?私を都に対する人質にでもするおつもりで?」

 

「いいえ、どうしてそんなに面倒なことをしなくてはならないのでしょうか。」

 

 胡散臭い。

 回答を流しながら、意図を読ませず微笑む姿は、そうとしか形容出来ない。絶対碌なヤツではないなと直感で確信し、何時攻撃されてもいいように警戒しておく。

 

 しかし、そんな阿礼の警戒は、次の一言で欠片も残さず吹き飛んだ。

 

「稗田阿礼さん、貴女の里を救いたくはありませんか?」

 

 ……その一言は、今の阿礼にとっては何よりも望んでいた、お釈迦様が地獄に垂らした蜘蛛の糸であったのだから。

 

 

「それは、どういう……!」

 

「言葉の通りです。貴女は今、この里を救おうと苦慮していらっしゃるでしょう?そのために、我々が手を貸そうというのよ。その代わりといってはなんですが、貴女個人に少し協力して頂きたいことがありまして。」

 

 要するに、取引だ。

 稗田阿礼を利用する為に、里の人間を妖怪の魔の手から救ってやろうということらしい。

 

 だが生憎と、それではいそうですかと頷けるほど阿礼は楽天家ではない。当然だ、ここは隠れ里であると同時に、都の学者もどき共とは違う、本物の、百戦錬磨の退魔師たちが屯する場所でもある。

 妖怪にとっては忌々しいことこの上ない出城であり、逆にここが潰されれば魍魎共は大喜びで三日三晩酒を飲みあかすだろう。

 

 取引内容とはいえ、そこを妖怪が庇護する?幾らなんでも荒唐無稽だ。だまくらかして、ここを瓦解させるつもりに違いない。

 

「……誰が信用するもんですか。人間が妖怪の言うことを素直に聞くと思って?私を協力させるにしても、貴女に利が無さすぎるでしょう、わざわざこの里を守ってまで私と引き換えだなんて。

 そもそも、ここから無事で帰れるとでも?」

 

 薄命の才女は、床に伏せるほかない無力な自分を鼓舞するように、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 阿礼の判断は正しい。

 幾ら異常な力を持つ妖怪でも、里の退魔師たちを相手するには相当の消耗を強いられるはずだ。この屋敷から何の痕跡も残さず脱出できるわけがない、彼らは必ず侵入者に感づくはず。

 

 そして何より、妖怪の言うことを簡単に信用するほど、人間は甘い生き物ではない。

 妖怪は人間を喰いむさぼり、人間は妖怪を祓い滅する。古来より続くその関係で築かれた二種族の溝は、誇張抜きに、海より深いと言っても過言ではない。

 

 

 故に、彼女の誤算は唯一つ。

 

 そもそも始めから、相手は()()()()()()()()()()()()()()()()()ということ。

 

「ふむ、そう…。余り貴女の命に負担をかけたくはなかったんだけど、ねえ……!」

 

 言葉と共に、妖怪が豪奢な扇をぱちりと閉じる――

 

 刹那、阿礼は自身が砂丘に転がる砂粒に変じたように錯覚した。

 

「な、か、っぐううぅぅぅっっ!!?」

 

 重力が何千倍にもなって阿礼を押し潰しているかのように、悍ましい重圧が横たわる彼女へ容赦なくのしかかったのだ。

 気圧が激変し、空そのものが降ってくるかのような、身の毛がよだつ自然の鉄槌。

 手を着くことも出来ず、体を持ち上げることさえ許されない。

 

「残念ながら、貴女に拒否権を与えるつもりはないのよ。」

 

 紫は何も特別なことはしていない。

 ただ人間には猛毒である自分の妖気を予め抑え込んでいて、それを今解放した、たったそれだけ。

 

 ただし、大妖、八雲紫の妖力は、ただの威圧で済むものではなかったという話だ。紫の内より溢れ出す妖気は、力の海となって部屋のすべてを満たす。空間を遍く埋め尽くす深海の如き妖気の圧は、ただただ重暗く、ただただ禍々しい。

 それは脆弱に過ぎる人の子を押し潰し、彼我の格の差を錯覚として悟らせるには十二分のものであった。

 

(見誤った……!!こいつは、始めから里など眼中になかったのか……!!)

 

 同時に、阿礼は今まで紫が語ったことに何一つ噓がないことを悟った。

 

 何のことはない、その気になれば人間の里など片手間で潰せるであろう化け物が、里を破壊するために、わざわざ契約を結んでまで自分を手に入れようとする訳がない。

 戦う者ではない阿礼にも、この妖怪の異常に過ぎる力量が、人に抗えるようなものでないことは察しが付いた。

 この妖怪は、本当に自分が必要で、そのために気まぐれで取引を持ち掛けてきたのだ。

 

 肺を圧迫され呼吸すら許されない中、阿礼がそこまで事態を把握したところで、フッと圧力が消えた。

 

「がっ……はあ、はあ……!」

 

「…話を受けてくれる気にはなったかしら?」

 

 息を整える阿礼に、紫は平然と問うた。

 

「…ぐっ……本当に、里を存続させられるの…?」

 

「ええ、もちろん。」

 

 ――貴女さえ、協力すればね。

 

 人里の賢人は、ただ妖怪の言葉を受け入れることしか出来なかった。

 

 

 

 

「それで、私に何をさせるつもりなのですか。」

 

 数刻を経て、調子を取り戻した阿礼は、体を起こして座り直し紫にその目的を尋ねる。

 即ち、妖怪の不利すらも受け入れてまで、一個人に一体何をさせる気なのかと。

 

「簡単です。

 貴女の求聞持の能力を貸してほしいの。」

 

「……それは私の寿命を分かっていて言っているのかしら。」

 

 妖怪の簡素な説明に、阿礼は胡乱な目で聞く。

 

 彼女の命はもう長くない。後数年もしない内に彼岸からお迎えが来るというのに、今更ものを覚えても仕方がない。

 先ほどの言動からして、それはこの女も分かっているはずだった。

 

「ええ、()()()()は、もう長くないでしょう。―――――でも、()()()()()はどうかしら?」

 

「……まさか。」

 

 全身が、ゾッと総毛だつ。

 この妖怪は、来世以降まで阿礼の魂を縛り付けるつもりなのか。

 

「そういうことです。

 時に阿礼さん、貴女は自分の魂の特異性を理解していらっしゃる?」

 

「……能力のこと?」

 

「それによる異常です。…貴女の能力は魂そのものに影響を与えている。それによって、貴女は同じ能力と記憶を引き継いで、転生するのよ。

 このことはいずれ地獄の閻魔から説明されるでしょう。」

 

「なっ……!」

 

 そこまでは分かっていなかった。自分の記憶や能力まで、新たな転生体に受け継ぐなど普通は有り得ないことであり、それはこれから先、阿礼が何代にも渡って前世の記憶を縛られることを意味している。

 生者に、自身の霊魂の歪さが分かるわけもなかった。

 

 驚く阿礼に、紫は更に畳みかけた。

 

「そこで提案です。

 稗田阿礼殿、貴女にはこの地域の歴史を編纂して頂きたい。」

 

「この地域……ですか?」

 

「私は、これより里や妖怪の山、山上の神社などを覆う結界を張り、その一帯を一つの郷とします。貴女には、その内部の妖怪たちの情報や歴史を、転生以後より縁起物という形で纏めて頂きたいのです。」

 

「……」

 

 突拍子もない話だが、噓を言っている雰囲気は無い。

 こんな無茶苦茶な噓をつくほど、この女は愚かではないことに阿礼は感づいているし、つまりそれは今語った信じ難い事柄が全て事実であることを示している。

 

「その代わりに、知性ある妖怪たちには、この里の人間を里の領地を出ない限り、襲わないように厳命しておきましょう。理性も無いような下級の連中はどうにもなりませんが、その程度はこの場所の人間たちなら大丈夫でしょう?」

 

「……貴女なら、鬼や天狗、河童らを抑えられると?」

 

「そうでなければ、こんなことは言わないわ。それに、ここを襲われることは私たちにとっても不都合なのです。」

 

 …正直を言えば、断りたい。

 だが話が本当ならば、これを受ければ里の存続を一気に確実なものにできるし、何よりも拒否すればこの妖怪がどんなことをやらかすか分かったものではないのだ。

 それに縁起物の編纂は、危険な妖怪の情報を残し、里の人間たちの生存の確率を引き上げることができる。決してデメリットばかりではないらしい。

 

「……分かりました。ただし、約束は必ず守って頂きます。」

 

 結局、阿礼に出来ることは、自分を身代わりにして少しでも里に貢献することだけだった。

 

「それは僥倖。

 ええ、名に懸けて裏切りませんとも。」

 

 クスクスと考えの読めない笑みは変わらずに、八雲紫は協力を得られたことを喜ぶ。

 

 ここに、千年を超える、人妖の誓約は相成った。

 

 

 

「そうと決まれば、私の式神を呼びますわ。私は他にすることがありますので、後の詳細は、あの子と共に決めて下さいな。では、御機嫌よう。」

 

 言うが早いか、紫は扇子を薙いでスキマを開き、その中に沈み込むように姿を消した。

 阿礼がスキマの不気味過ぎる見た目に、一瞬怯んだ瞬間の早業である。まあ夜よりも真っ暗な闇の中に、どでかい目玉が無数に浮かんでいれば普通の人間は怯むものだが。

 

 それはともかく。

 

「式神……?」

 

 はて、と阿礼は小首をかしげた。

 阿礼の知る限り、式神とは陰陽道の使い魔である。疑似的に生命体としての振る舞いは可能だが、あくまで術者の手足となる存在であり、決して主人の話を代行できるような高度な代物ではなかったはずだ。

 

 そんな想像は、紫が開けた空間の裂け目より出現した、一人の妖怪によって何もかも吹き飛んだ。

 

「――お初にお目にかかる。」

 

 その女は、紫と似たような、純白に青い前掛けをあつらえた導師服と頭巾を被っていた。

 蠱惑的な身体をドレスで覆い、白く輝くような顔は、まさしく傾国という言葉を体現するかのように美しい。

 

 だが何よりも目につくのは、頭巾から覗いている狐の耳と、黄金に輝く見事な毛並みの九本の尾だろう。

 

 幸いにも、阿礼はその妖怪の種族を知っていた。知っていたからこそ、ただでさえ悪い顔色を更に真っ青にしていたのだが。

 

「まさか……九尾の狐!?

 では、八雲紫の式神というのは……」

 

「いかにも、稗田阿礼殿。

 確かに私は九尾であり、そして紫様の式でもある。

 私は八雲藍、以後お見知りおきを。」

 

 九尾の妖狐。

 

 神獣とも怪物とも伝えられる、この国の妖怪の中でも最強クラスの妖獣だ。その九本の尾は化け狐の頂点に立つことを意味し、遥か太古より恐れられる悪名高い白面金毛の大妖怪。

 

 しかし何よりも戦慄すべきことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()という事実。

 如何やらあの胡散臭い女は、自分の想像を遥かに超えた化け物だったらしい。

 

 決定的に対立する前に協力を選択した自分の判断を内心で称賛しながら、阿礼は弱みを見せまいと振る舞いを正す。毅然と姿を立て直したのを見て、藍と名乗った九尾は静かに対面に座った。

 

「改めて、紫様の約定を受けてくれたことに感謝する。ここからは、私と貴女で明確な取り決めをしていきたい。」

 

「分かりました。」

 

 式神の方は主人と違い、ちゃんとした真面目で実直な性格らしい。人を惑わす紫と比べて、話が楽に進むので有り難いと思った。

 

 藍は袖に手を入れ、懐からするりと巻物を二本取り出す。木簡ではなく、この時代貴重な紙を使い裏地に金押しの紋様が入った代物だ。朝廷の書物などに使われていそうな高級なものである。

 

「取り決めは、こちらの紙に記述しておく。そちらとしても、明確に記載している方がいいだろう?」

 

「ええ、お願いします。」

 

 妖怪は得てしてプライドが高く約束を破ることは滅多にないが、それでも契約は契約。書に明記された形として、残しておくに越したことはない。

 

「では先ずは此方からだ。――――我々は、貴女に転生後に我らの領域の歴史を縁起に編纂することを望む。縁起の内容は編纂者の裁量によるが、公表の前に紫様、或いは私による検閲を入れるものとする。異存は?」

 

「ありません。」

 

 こちらに特にデメリットは無いのでそう返すと、いかなる術技か、広げられた二本の巻物にシュルシュルと全く同じように墨が走り、今の内容をきっちりと明文化していた。

 

「それでは次は此方からも。――――私は、貴女がたに我々の里の庇護を求めます。里の内部で決して人間に手を出されぬよう、他の妖怪を退けて頂きたい。」

 

「受け入れよう。ただし、こちらが可能な範囲内でだ。」

 

「構いません。」

 

 阿礼の言葉を藍が受諾し、これまた墨が走り達筆な文字で盟約が刻まれる。

 

「我々を超えるような術者でない限りは、干渉できない特殊な文字だ。改竄は心配せずとも構わない。――――こちらは貴女の分だ。」

 

「頂きます。」

 

 先程の巻物の内、一本が阿礼に渡された。

 

「これで一先ずの大枠は決めた。ただこの後も、諸々の調整のために何度か来させてもらうことになるだろう。―――ああ、もう楽にして頂いて構わない。」

 

 そして藍は微笑を湛え、ふんわりとその雰囲気を緩めた。きりっとした美人の表情はそのままに、こちらに緊張を強いるような張り詰めた空気がほどけたのだ。

 その意外な様子に、或いはこちらが彼女の素なのかもしれない、と阿礼は思った。

 

「それと、この里の庇護の為に、里の人間に幾つかして欲しいことがある。それをあなたから指示をして頂きたい。」

 

「この里の為に……ですか?」

 

「ああ、差し当たっては――――」

 

 ――――山の上の神社に、行ってもらおうか。

 

 

 

 神社。

 神道にまつわる八百万の神々を祀る祭祀の場だ。阿礼も一度加護を得ようと神宮に立ち寄ったことがあるが、あの光景は素晴らしかった、いやそうではなく。

 

「……神社ですか?そんなものが山の上に?いったい何のために?」

 

 意味不明な藍の要請に思いっきり不可思議な目を向ける阿礼。というか山の上に神社があるとか初耳である。

 大妖怪に対する畏敬も何もない視線に、藍は苦笑した。それもそうだろう、と思ってしまったから。

 

「知らないのも無理はない。山の上には廃墟になった神社があるのだがね、つい最近そこが再建されたのだ。そこの巫女に助力を請うといいだろう。まだ若いが、実力は保証できる。」

 

「はあ……」

 

 廃墟。確かにそれは噂話程度には聞いたことがある。

 この里を構築する際、周辺の調査をした里の陰陽師が山の頂上に不思議な廃墟があると言っていた。

 

 原型をとどめない程に崩落して朽ちていたそうだが、まさか神社だったとは。恐らく何十年と以前に廃棄された場所なのだろう。再建された、ということは神を勧請しれっきとした祭祀施設として生まれ変わらせたということか。

 

「巫女……ですか。人間ですよね、信用できるので?」

 

「そうでなくては私もこんなことは言わない。急く必要はないが、そこに一度話を通しておいてほしい。」

 

「……分かりました。それでは、その神社の名前は何と?」

 

「『博麗神社』という。同じ姓を冠した巫女が、そこの管理を担っている。」

 

 その気になればそこらの妖怪など一蹴できるであろう彼女がこんな事を言い出す理由は分かったものではない。が、一先ず受けることにした。

 巫女とやらの素性は知らないが、里を守れればそれでいいのだから。それに、人間と妖怪、どちらの助力を得たいかなど、語るまでもない。

 

「お願いするよ。それでは。

 ああ、その前に……」

 

 何かを思い出したかのように藍は立ち止まる。そしてそのまま腕を振るった。

 

 何をするつもりなのか、それを阿礼が問う前に、バリン!と硬質なものが割れる音がした。阿礼の部屋を覆う壁全体からだ。

 そこから淡く輝く光の粒子が散り散りに飛んでくる。それは阿礼の目にも見えるほどの、濃密な霊子。

 

 結界。阿礼の脳裏によぎったのはその二文字。

 

 (ああ、そりゃそうよね。気づいてなかったけど。)

 

 よく考えたら当たり前である。あれだけ馬鹿げた妖圧がまき散らされているのに里の人間が気づかない訳がないし、部屋が壊れていないのもおかしい。妖力も霊力も、完全に遮断するような結界を張っていたのだろう。

 しかしこんな強力な代物を一体何時の間に張り巡らせていたのか。紫も藍も、そんな術を使うような素振りは全く見せなかったというのに。

 

「紫様が張っていた結界だ。我々がここに来たことが誰かに知られてはいけなかったからね、勝手ながら張らせてもらっていた。

 それでは、また。」

 

 そういうと、藍は主人と同じく宵闇色の空間の狭間を作り出し、そこに滑り込んだ。

 

 

 スキマが閉じれば、そこは何時もの慣れ親しんだ自室だ。妖怪の存在が幻であったかのように妖力の気配などなく、穏やかな朝日が淡く差し込む、静かな書斎である。

 

 チュチュ、ピピピッという四十雀の綺麗なさえずりで我に返った阿礼は、自分が生きていることを実感するように、思いっきり深く息をついた。

 

「……はあぁぁぁ……つ、疲れた……」

 

 大妖怪二人の圧力を前に毅然と立ち向かった体と心は、今すぐにでも倒れてしまいそうなほど疲労困憊だった。恐らくこの部屋に阿礼以外の人間がいたら、私ちゃんと生きてるよね?殺されてないよね?と問いかけていただろう。

 ここまで死を目前に感じたのは久しぶりだ。二人がいなくなって初めて、連中がどれだけ存在感があったか良くわかる。

 

「こっっわ……」

 

 取り敢えず今日はもう寝よう。

 一目でヤバイと分かる連中だったが、逆にその協力を得られたのはとても大きい。一番大きな問題である人里壊滅の危機は過ぎ去ったのだ

 弱みを見せることなく対等に立ち向かった自分を褒めながら、とりあえず何もかも忘れようと言わんばかりに阿礼は布団に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、妖怪の襲撃の激減への対応や縁起の準備や博麗神社への人の派遣や、八雲の連中の調整のための再訪問で一睡もできない大忙しになったのは別のお話。

 

 




幻想郷縁起は阿一の頃からの編纂だそうですが、紫が検閲するところを見ると先代の頃からこんな裏話があったのでは? というお話です。

それと、過去話の見づらいところなどを何度か修正しております。どの書式がいいか試しているので書式がコロコロと変わっているのですが、作者が迷走してるんだなーと思って頂いたら結構です。申し訳ありません。


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空虚の巫女 ~Blood Rain

「こんにちは、魅……ぎゃふぅ!?」

 

 ゴアーン、という腹の底まで響くような間抜けな音が、朝っぱらの湖に響き渡る。

 

 魔理沙と一緒に朝餉の支度をしていた魅魔は、不埒な侵入者に向けてトラップの召喚魔法を起動させた。意地の悪いその罠は、以前言いたい放題抜かしてくれた腹いせも兼ねている。

 結果、中華の都で使うようなどでかい銅鑼(どら)が隕石じみて落下し、哀れなスキマ妖怪の頭を撥にして景気よく朝を告げてくれた。

 

「痛ったぁぁぁ……!ちょ、ちょっとひどくない!?」

 

「……魅魔様、あれ誰?」

 

「単なる泥棒さ、気にしたら駄目だよ。そんなことより魔理沙、卵は焼けたかい。」

 

「うーん、生っぽいからもうちょっと強火で……でも下手に魔力を注いだらお鍋が壊れちゃうし……」

 

「無視!?」

 

 盛大な歓迎に何時もの胡散臭いキャラをかなぐり捨てて抗議する紫だが、当の暢気な魔法使い達は魔法の練習を兼ねて卵と魚を焼くのに夢中である。思いっきり無視されてそろそろ怒りだすかガチ泣きしそうな妖怪の賢者に、流石に面倒になったのか魅魔が気だるげに問うた。

 

「ったく、何なんだい紫。私は見ての通り朝飯の準備の最中なんだが。」

 

「いや誰のせいだと……まあいいわ。魅魔、貴女に頼んでおいた件なのだけど――」

 

「きゃは、焼けた焼けた!魅魔様、熱い内に食べましょう!」

 

「はいはい、机の上に並べておきな。―――せっかくだ、お前も食べていくかい?」

 

「……いただくわ。」

 

 

 

 結局、先に食事を済ませてしまったほうが話しやすかろうと考えた紫は、魅魔と、そして名も知れぬ紅色の髪の少女と和やかに食卓を囲んでいた。紫も妖怪でありながら食事に道楽を見いだすタイプであり、丁度朝ご飯を食べていなかったこともあって、ご相伴にあずかったのである。

 決して、二人のマイペースさに心を折られたとかそんなことはないのだ、決して。

 

 そして、白米と魚と煮汁と卵焼きの朝食を終えて、熱いお茶の一杯を流し込んだ時、ようやく紫は話を切り出した。

 

「―――それで、その子が貴女の人造人間?随分と可愛がってるみたいだけど。」

 

「そうだよ。ほら魔理沙、挨拶は?」

 

「うふふっ、初めまして、得体の知れない妖怪さん。私は魔理沙、霧雨魔理沙。」

 

「…ええ、初めまして、魔理沙。私は八雲紫。貴女の師匠の古い友人よ。」

 

「そうなの?こんなに若く見えるのに。」

 

 何気ない魔理沙の言葉に、紫は思わず卒倒しそうになった。

 

 魔理沙に悪意は無い。単に師匠である魅魔が何千年と生きていることを知っているから、どう見積もっても十代前半か中頃にしか見えない紫がその古馴染みということに驚いただけ。

 …しかし、古今東西、妖怪だろうと女というのは若くいたいもので、自分の歳を自覚したくはないのが普通なのであった。大妖怪の中でも馬鹿げた歴史を重ねる紫なら特に。

 なお当の師匠は紫の反応に腹を抱えて大笑いである。

 

「……魅魔ぁ」

 

「くっくっ、まあいいじゃないか。それで、一体何の用事だい?」

 

「…釈然としないけど、まあいいわ。」

 

 咳払いを一つし、魔女の顔に視線を向ける。そこには、先ほどまでの普通の少女と見紛う可愛らしい様子は既に無く。

 

 『妖怪の賢者』の名に相応しい、清も濁も飲み込む冷徹な瞳だけが、そこにあった。

 

「―――改めて、そこの少女が、私の『人間』に対となる者なのね?」

 

「その通りだよ、八雲紫。」

 

 和やかな雰囲気を一変させた師匠と客人に、魔理沙はほんの少しの恐怖を覚えるが、それは紫にその華奢な腕を触れられたことで一気に増大した。

 

「ふゃっ!え、何……?」

 

「大丈夫よ。何もしないから、少しだけ目を見せてもらってもいいかしら?」

 

 急に柔肌に触れられて驚く魔理沙を、紫は宥める。そして、その美しい瞳で魔理沙の顔を覗き込んだ。

 

 

 紫の、本物の紫水晶よりもなお美麗に輝く瞳は、三界のあらゆるを見渡す叡智の瞳。星の域すら越えて世界を観測するその目は、魔理沙の肉体も内面も、容易く見通した。

 

(……種族は人間。肉体もそれにたがわぬ脆弱なもの。しかし魔力の保有量だけは別ね。靈夢に匹敵、或いは凌駕する力の深さ。それを齎すのは、大きく変じさせられた巨大で純朴な魂、そして……)

 

 普通は分かるはずもない情報を照魔鏡の如き目が照らしあげ、手に取るように紫の脳裏に走らせる。優雅な風体を崩さぬままに熱心なその様子に、意外と熱くなりやすい性格は変わっていないなと、魅魔は苦笑した。

 そして、そのまま視線を弟子の方に向ける。暢気な魔理沙といえども、少しは怖がっているだろうと見てみれば――

 

(―――綺麗。)

 

 しかして、対する魔理沙の瞳は、夕焼けよりも深い真紅に染まっていた。

 

 自分を隅々まで見通す紫紺を、真紅が恐怖など知らぬとばかりに見つめ返す。それは、目の前の女の力の大きさに憧れたからか、或いはその叡智を示す紫紺の美しさに魅せられたからか。まるでどこかの花妖のようなルビーアイは、無意識に目の前の力を見通し手に入れようと、残酷なまでにいっとう輝いていく。

 

「はい、おしまい。もう大丈夫よ。」

 

「あっ……」

 

 しかし、そんな不可思議な時間は、紫が声をかけて魔理沙の腕を離したことで終わりを告げた。先ほどまでの怯えようは何処へやら、魔理沙は思わず残念そうな声を上げた。

 少女の様相に紫は首を傾げたが、気にすることでもないかと、魅魔に向き直る。

 

「ちょっと見てみたけど、この子なら大丈夫でしょう。いい仕事をしてくれたわね。」

 

「当たり前さ。私が直に育てた弟子だよ?不足があってたまるもんですか。」

 

 紫の反応に、魅魔が太鼓判を押す。一見すれば単なる親バカ師匠バカだが、大魔女にして大悪霊の魅魔から見たその評価は普通に重い。事実、彼女が()()()()梃入れしたのであろう魔理沙の潜在の力量は、紫から見ても愛娘(靈夢)に並ぶものだった。

 

 これならば、構わない。紫は「本題」を切り出した。

 

「さて、魅魔。前に貴女と話した時に、私の育てている子を紹介すると言ったわね?」

 

「ああ、お前の『理想郷』の核になるって人間だろ?調停者として育てているんだったか?」

 

「そう。――――そして、それとは関係なしに、貴女は一度あの子を見ておくべきよ。」

 

「……?」

 

 紫の言に、魅魔は疑問符を浮かべた。ただ紫はお構いなしに、百聞は一見に如かずとスキマを開いてしまったが。

 ついてきて頂戴。言外にそう言いながら、紫紺と黄金の貴婦人は、大目玉が幾つも浮かぶ暗い異界に身を躍らせる。

 

「……まあいいか。魔理沙、少しここで留守番していなさい。そう何日もしない内に帰るから。食べ物は好きなのを出して食べていいからね。」

 

「はーい。気をつけてね、魅魔様。」

 

 誰の心配をしているんだい、そう言って笑いながら翠の髪を翻して、魔女も暗黒の異空へと飛び込んだ。

 

 

 

 スキマが閉じても、暫く魔理沙はぬぼーっと虚空を見つめていた。

 

 師匠の心配はしていない。あの咲き誇る紫色の花のような女性は魅魔と知り合いのようだったし、そもそもうちの師匠については心配する方が無駄だ。

 世間なら一人前と認識されるほどには腕を上げてようやく認識できたが、あの人は既にある種の()()使()()()()()()()()に位置している一人。弟子としての贔屓目抜きに、まず殺すことは不可能だと断言できる。

 

 なら何故彼女たちが行った後も、スキマのあった場所を見つめているのかという話だが。

 

(――――()()()()()。私と繋がる、何かが。)

 

 二人が入り込んだ空間の裂け目。あそこから一瞬だけ伝わってきた気配。それがどうにも魔理沙の気を引いて仕方がないのである。

 

 決して悪い感じではないのだ。例えるなら、今までずっと会えなかった最愛の旧友をちらりと見かけて惹かれるような、或いはずっと探し求めていた自分の半身をようやく見つけたかのような。

 あえて言うのならば―――『運命の相手』というやつか。

 

 比翼連理、自分と対になって然るべき者。感じたことのない未知の感情に、幼い魔女の心はどうしようもなく揺れるばかり。

 

「……考えても分かんないわねー。忘れちゃいましょ。」

 

 ただ、考えても分からないことに思考を巡らせ続けるほど彼女も酔狂ではない。理解不能なものは理解不能と、思考を早々に断ち切った。

 

 

 だが『魔法使い』ではなく、『霧雨魔理沙』の直感が告げていた。アレはその内、自分の目の前に現れると。

 

 そしてその時は、然程遠い未来ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ここよ。残念だけど、今貴女はあの子に姿を見られると困るから、ここから覗いてもらうほかないわ。」

 

 紫と魅魔が黒い空洞を抜けた先は、異空間の大広間だった。先程通っていたトンネルと同じような空間で、しかし今度はどこまでも続いているかのように巨大な領域である。

 空間に浮かび床を埋め尽くすラプラスの大目玉は七色に輝いていて、周囲の視界は十分に明るかった。

 

 ―――スキマ。八雲紫の真骨頂たる、無限に広がる異空間。ありとあらゆる世界の狭間に存在する、紫の牙城にして象徴。

 

 相も変わらず悪趣味な空間だと魅魔が周りを眺めていると、唐突に紫は漆黒の扇子を一薙ぎした。すると、何もなかった虚空に、ピィッと切れ込みが入り光が漏れ出す。

 そしてそこから、ビニールにカッターを沿わせたかように綺麗な一文字の断裂が空間に入り、そこが身の丈程もある大口を開けてスクリーンの如くその先の光景を映し出した。

 

「ここで見ていて頂戴。すぐに分かるから。」

 

 言うなり紫はどこからか椅子を取り出して寛ぎ、鑑賞する姿勢に入ったので、説明よこせと睨みつけていた魅魔も諦めてそれに従った。

 

 美しい場所だった。

 桜や梅の並木を始め、四季の風情を感じさせる自然の調和は、そうとしか形容できない。そしてそれに見事に彩られた建物が一つ。

 朱色の鳥居に注連縄や賽銭箱が据え付けられた、小さな建物。しかし小さくとも、それは立派な『神社』であった。

 

(……神社、確か極東の建物の一つだったか。神を祀る神殿の一種と聞くけれど…うん?)

 

 魅魔が脳内の記憶を引きずり出していたが、それはすぐに中断された。本殿から誰かが出てきたのである。大きな幣を持って、風に黒髪をたなびかせる小さな少女。境内を歩いて、どこかへ向かおうとしているらしい。

 

 

 ――――そしてその少女を一目見た瞬間、魅魔の時間は凍りついた。

 

 見間違えるはずがない、あの忌々しいほどに鮮やかな紅白を。

 勘違いするわけもない、あの穢れ無き透明で美しい霊力を。

 

 何百年と昔の記憶がフラッシュバックする。頭の中で、チリチリとあの光景が光っている。

 

 忘れられるものか。

 忌々しい術で妖力を、怨念を、魂を切り離されたあの痛みを。恐ろしい霊力を放つ太極の宝玉で、自分の半身を砕かれた屈辱を。抑え込まれた自分の力を、地獄の底に封じられたあの瞬間を―――!!

 

「博麗――!!」

 

 自身の身体を焼いてしまうのではないかと感じるほどの悍ましい妖気が魅魔から漏れ出した。

 

 身を焼くほどの憎悪、赫怒、絶望。ありとあらゆる真っ黒な負の激情が、魔力と妖力と混じり合い、空間を埋め尽くしていく。

 並の人間なら肌で感じただけで発狂するような暗黒のエネルギーは、干渉不可能なはずのスキマすら力ずくで破壊してしまいそうになっていた。

 

 だから、ここに魅魔に並ぶような大妖怪がいたことは幸運だっただろう。主に開放されたらここら一帯の人間が残さず死にかねなかったという意味で。

 

「はいそこまで。」「ぐっ!?」

 

 魅魔が素っ頓狂な声をあげて前のめりにふらついた。同時に、暴力的な炎獄の妖気が霧散する。

 何のことはない、正気に戻すために紫が魅魔の頭を愛用の日傘で思いっきりフルスイングしただけだ。

 

 すっかり正気に戻って恨めしげにこちらを睨む魅魔に、紫は言った。

 

「貴女の気持ちはわかるけど、今は彼女には手を出さないで。約束を忘れたわけじゃないでしょう?」

 

 その一言に以前紫と交わした約束を思い出す。『今は』手を出してはいけないのだと。――約束を破ってはならない。

 

「……すまないね。怨敵の前だから理性が飛びかけたよ。」

 

 落ち着きを取り戻した魅魔に、紫は安堵の溜息をついた。流石に魅魔が理性を失って暴れだせば、たとえスキマといえどあっという間に破壊されかねない。

 

(……でもまあ、仕方がないのでしょうね。)

 

 

 嘗て人類史上最大最悪の悪霊であった魅魔は、しかしとある人間たちの決死の奮闘によって、自分の半身とも言える妖力と、人類に対する憎悪のほとんどを奪われ、地獄にて封印された。

 滅ぼすには強大に過ぎるそれらは、何百年と経った今でも封印の術式によって地獄にて隔てられ、眠り続けている。

 

 そして彼女を封じた稀代の陰陽師。彼らこそ何を隠そう、『博麗』の血の始祖たる者たちなのだ。

 

 その当時のことを当事者でない紫は知らない。だが、ほぼ存在しないに等しい記録を辿る限りは、その昔、本格的に魅魔が暴走し全人類を絶滅させようとした為に、彼らが文字通り自らの身を捧げることで、彼女を含む地上の厄介者を纏めて封印することに成功したのだという。

 

 噓か真か、封印に成功した者達は、陰陽師と妖怪の二人一組だと聞いている。妖怪と人間が共同戦線を張るという、紫の最も望ましい姿がそこにはあったのだろうか。

 

(そして彼らの遺した唯一の至宝こそ、私が預かっている()()()()らしいわね。流石に危険すぎるから靈夢には持たせていないけれど…)

 

 今も本殿に眠っている、自分ですら危険だと感じるほどの、博麗の至宝。もしかしたら、過去に魅魔もアレを見たことがあるのかもしれない。

 すっかり落ち着いて観戦ムードに入ってしまった友人を横目で見ながら、紫はそんなことを考えていた。勿論、愛娘の雄姿もしっかり目に焼き付けながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひぃぃ!やめ……!!」

 

 ズンッッッ!!!――グチュリ。

 

 轟音と共に吹き飛んだ地面と、生々しく飛び散る鮮血に肉片。目出度いはずの紅白の衣装が、血煙に染まる草花と同じく、ざあざあと降り注ぐ血の雨のせいで赤一色に変わってしまった。

 

 他ならぬ自分がやったことだというのに、(靈夢)はそれを、何処か他人事のように見つめていた。

 

(――――こんなものか。)

 

 こんなものだというのか。人が恐れるはずの、妖怪というものは。今しがた皆殺しにした者達のように、幣の一振り、札の一投げ、針の一本で砕け散る、そんなにも脆いものなのか。

 

 ……それは分からない。もしかしたら、私よりも遥か格上の者もいるのかも知れない。だが、どうでもいい。

 

 仇なすならば殺すのみ。そうでないなら捨て置くだけ。

 

 至極単純で白と黒しかない行動原理を、私は矛盾を孕んだまま、曖昧模糊に受け入れる。おおよそ人間のそれではない心持ちは、私が狂っているのか、それとも博麗の血による能力のせいか。

 

 ふわふわと浮いた、現実味のない半透明の世界。

 私が見ているのは、いつだってそんな世界だった。

 

 

 

 

「どうぞ。」

 

「ありがとう、頂くわね。」

 

 里周りの妖怪を残らず駆除した後、私は里一番の大屋敷、稗田家の本邸に来ていた。さすがは名家の接待というべきか、出てくるお茶菓子は私でも高級品とわかるような銘菓である。おいしい。

 

 私が、何時ものような出涸らしではない、熱くて濃いお茶を楽しんだのを見てから、目の前に座る少女―――稗田阿礼は、話を切り出した。

 

「改めて、博麗靈夢さん。私たちの依頼を受けて頂き感謝致します。やはり貴女にお願いして正解だったようですね。」

 

「構わないわ、どうせ弱い奴ばかりだったもの。元より妖怪にうろちょろされると私も困るしね。」

 

「……頼もしい限りですね。未だ若い身空なのに。」

 

「それはお互い様じゃないかしら。」

 

 阿礼は寂しげな笑みを浮かべた。

 

 

 神社のある山の麓に人が作った隠れ里があるという話は、元々紫や藍から聞いていた。その時はまあ、私には関わることではないだろうと聞き流していたのだが、つい先日そこから遣いが来たのである。

 里に来て、妖怪退治に手を貸して欲しいという嘆願。正直面倒だという気持ちの方が強かったが、紫が実戦に出ろと言うし、報酬も弾むということもあって山を下りたのだ。

 

 そして人里に着いた後、目の前にいる少女から正式に引き受けた依頼。それは、里の周囲に蔓延る低級の妖怪どもを全滅させよ、というもの。

 

 討伐隊を組んで繰り出す里の人とは別行動で、私も妖怪退治に動き出したのである。

 

 里を一歩出てみれば、出るわ出るわ、単なる化け化けから妖精、土蜘蛛に蟒蛇に夜雀、はては蟲妖怪の大蝗まで。妖共の悪趣味な見本市は、里のすぐそこにまで迫って来ていた。

 

 

 ――――全て滅ぼした。

 

 

 妖精たちは札の一発で一回休みにし、土蜘蛛の足は全て削いでやり、夜雀の翼を引き裂いた。大蝗は流石に蟲の大妖怪だけあって硬かったので、霊撃で甲殻を砕いてから幣の一閃で頭をかち割ってやった。

 復活は決して許さない。徹底的に、鏖殺し尽くした。

 

 

 ………初めて、妖怪を殺した。身体を砕き、封印で縛り、妖力の欠片も残さぬほどに霊力で焼き尽くした。

 

 なのに――何も感じなかった。

 

 鮮血で体を染めても、人の言葉で命乞いをされても、聞くに堪えないような断末魔を上げていても、私はその全てを踏みつぶして彼らを屠った。

 

 奴らが妖怪だから?人間の敵で、人を喰うから?……違う、そんなんじゃない。私はそれが現実であると分かっていながら、まるで何処か幻を見ているかのように見えていた。

 

 もし戦う理由があったのなら、例え相手が人間であっても、私は同じことをしていたはずだ。

 

 世界が……遠かったのだ。

 

 

「……靈夢さん?どうかしましたか?」

 

「あっ……ごめんなさい、ボーっとしてた。」

 

 気づいたら、阿礼が心配そうな顔でこちらを覗き込んでいた。考え込んでしまったらしい。

 

(何をアホらしい、こんなに悩みこんだりして。私のガラじゃないわよ。)

 

 紫から『頭が春一色』なんて言われるほどには、私は能天気だ。妖怪をぶちのめしたぐらいでくよくよするような性格じゃないのだ。

 解らないなら忘れてしまえ。

 

「それで報酬っていうのは……」

 

「ああ、この里では結構都から外来の商人さんたちが品物を持ってきてくれるんです。金銭の代わりに、それをある程度融通しようかと思いまして。」

 

「ふーん……」

 

 …まあ話に聞く『京の都』とやらには行ったことがないし、珍しい食材やお菓子とか手に入るんなら、私としても悪くないと思う。そもそもこの時代お金は余り流通しておらず、使いどころに困っちゃうのだ。

 食べ物の方が大事なのである。

 

「それでいいと思うわ。どの道お金があっても殆ど使わないと思うしね。」

 

「分かりました。」

 

 報酬の件を纏めた後、阿礼とは幾つか話をして別れた。今後も頼ることになるかもしれないとか、神社への参拝も余裕があったら行うとか。

 

 

 そして、神社に帰ろうと里を横切っていた、その時。

 

 見たのだ。見てしまったのだ。

 

 道行く行商人が、手伝ってくれた退魔師たちが、家の小窓から顔を覗かせる幼子が。

 

 ――――皆一様に、恐怖の混じった目で私を見ていることを。

 

 まるでそこに、人ならざるものがいるかのように。妖怪が我が物顔で闊歩しているかのように。

 

 どうしてかは分からない。少なくとも私はその理由が思いつかなかったし、そもそもそれを気にするほど私は繊細ではない。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなことも、幼かった私には分からなかった。

 

 

 



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征伐 ~Humans Battlefront

長らくお待たせ致しました。


 

「……あれが『博麗の巫女』、ですか。」

 

 稗田阿礼は、つい先ほどまでここにいた紅白の少女を見送ってから、恐怖で震える体の力を抜くように大きく息を整えた。

 

 

 八雲藍。あの金毛九尾の言う通りに神社に人を送ってみれば、確かにそこは再建されており、そこを管理する者もいたという。彼女が阿礼に語ったことは噓ではなかったということだ。

 

 であれば、とりあえずは神社の管理者に会わなくては話にならないのだが、体が弱い阿礼が直接神社に出向くなど無謀を通り越して論外である。この時代、山は過酷な環境の中妖怪が跳梁跋扈する魔境であり、一人前に鍛えた者でさえ気を抜けば一瞬で命を落としたのだから。

 

 故に失礼には当たるものの、先方に人里に来てもらうことにしたのだ。どちらにせよ、新しく神社が現れたのなら、里のトップとして神職の者には顔を合わせる必要があったのだから。

 

(……一体どんな方なんでしょうね。やはり強そうな男の人でしょうか。)

 

 この時、藍から実力を保証される人間であり、尚且つ妖怪が居つく山の中一人で暮らす者ということで、阿礼は若々しい偉丈夫の想像をしていた。そして、普通ならその想像は大いに正しい。妖怪と戦うのは大抵身体能力に優れる若い男性だ。

 

 

 ―――だから、障子を開いて入ってきたのが女性、それも未だ十になったか否かほどの少女だったのだから、一瞬目を疑うほど驚いたことは言うまでもないだろう。

 

 

 紅色の袴に純白の装束。この国には珍しい黒紫の髪を大きな赤いリボンで飾った少女。

 まるで日本人形のように端正な美貌であるのに、何故か雰囲気からは人間らしさが溢れている、そんなだまし絵のような不思議な女の子。その様相も相まって、狐狸にでも騙されているのかと冗談抜きに思った。

 

「なっ……貴女が、博麗神社の神官なのですか?」

 

「私じゃダメなの?」

 

 後から思い返せば、凄く失礼な発言である。せっかく来てもらったのに相手の身分を疑ってしまったのだから。

 

 少女は博麗靈夢と名乗った。どうやら間違いなく山上の神社の神職であるらしく、博麗の巫女として神社を管理しているのだとか。

 阿礼としては、再建の為の人手はどうしたんだとか、そもそもいつあそこに来たんだとか、色々ツッコミたい所はあったのだが、今回の用件は全く別。グッと我慢した。

 

「それで、靈夢さん。改めてお願いがあります。事前に話は聞いていると思いますが……」

 

「里の周りの妖怪を潰せばいいんでしょう?どんな感じにすればいいかは聞いていないけれど。」

 

 余りにも気負わない少女の答えに、阿礼は、妖怪退治に行くのに軽すぎやしないか、そもそも本当にこんな幼い子が戦えるのか……などなど、里を治める者として、そして一介の大人として思ってしまった。だがその時、ふととある違和に感づいた。

 

 瞳だ。玻璃玉のようなその瞳には、正しく何の色も浮かんでいない。恐怖も、焦りも、そして嘲りも慢心も。それだけならまだしも、人間として必須であるはずの喜怒哀楽すらほとんど読めない。いや、抱いていない。

 ()()()()()()()()()()、彼女は自分に相対し、妖怪を滅すると言っているのだ。

 

 ゾワリと、体が凍りついた。彼女は妖怪をなめてなどいない。いや、それどころかもはや心も何も無い。ただただ妖怪を退治するという決定事項を伝えているだけ。

 活発で喜怒哀楽が激しそうなのは、見た目だけ。純粋で、そして真っ直ぐな強い光を映すだけの彼女の瞳は、そのことを何よりも如実に語っていた。

 

 その時の阿礼の思考を一言で表すならば。

 

 ――――コレは、何だ?

 

 

 

 結局、靈夢には周辺の雑魚妖怪の掃討を依頼して、人里の他の陰陽師と共に送り出した。それは神社を一人で切り盛りする靈夢の腕を信用したのもあるし、何よりもあの尋常ならざる風体に気圧されたのだ。

 どちらにせよ、彼女の様子は対妖怪の客将として雇うに十分だと判断したのだ。

 

 そして結論から言うならば。

 

「……本当に彼女は人間なのでしょうか。」

 

 阿礼がそう口走るほどには、彼女は強く、そして異常だった。

 

 

 

 

 里から出る退魔師や陰陽師は、何人かでまとまって群を作り遠征する。

 

 子供ということもあって、周りの陰陽師たちからは奇異や疑惑の目で見られるまま、里を出て妖怪退治に入った靈夢。お目付け役の陰陽師に至っては彼女を新手の自殺志願者に疑う始末であった。それでも仕事は仕事、式神を複数飛ばして周辺の様子を探らせながら山の中へと入りこんでいく。

 そしてほどなくして、靈夢は彼を瞠目させるような正気を疑う行動に出たのである。

 

 化け化けや妖精は、事あるごとに里に迷惑をかけてくるからか、里の近くに馬鹿みたいな数の集団で屯していた。そこに彼女は、あろうことか身一つで躊躇なくその中心に飛び込んだのだ。

 

 連中は地力こそ人間に満たないほど弱いが、集団で襲い掛かって来られれば話は変わる。妖精の悪戯で人が死ぬこともないわけではないのだ。流石に無謀が過ぎると、それを見ていた陰陽師が助けに入ろうとした。

 

 ――まあ、そんな暇などなかったのだが。

 

 妖精は光弾を放ち、化け化けが憑りついて心を狂わせようとしたのだろうが、靈夢はそもそも相手の攻撃をまともに受ける気はなかった。

 

 妖精は何十も固まって、自然の妖力や魔力を玉としてどんどん打ち込んでくる。幾ら個々は弱いと言っても数が数、暴力的な物量で押し潰されればどうしようもない。だからこそ妖精たちも本能的にそのようにして靈夢に向かっていったのだが、残念ながら致命的なまでに相手が悪かった。

 周囲から飛んでくる黄色や赤の弾丸を、まるで風にあおられる蝶のように、ふわふわ、しゅるしゅると避けていく。余りにも自然、天衣無縫なその動きは、里の者に、戦場で一人少女が幽雅に舞っているように錯覚させるほどのもの。靈夢が弾を避けているのではなく、舞いを捧げる少女を彩るかのように、弾が勝手に避けて掠めていくようにすら見えた。

 

 化け化け、つまり怨霊の精神攻撃は妖怪も人間も狂わせる恐ろしいものだが、こちらはそもそも靈夢には届かない。うっすらと靈夢の周りで光る、霊力の壁。結界ですらないような不格好なそれは、しかしどういうわけか、強力な負の念である化け化けの攻撃を完膚なきまでに遮断していた。無意識下で張られる薄っぺらいだけの城壁が、いっそ残酷的なまでに、ただただ硬い。

 

 そして少しでも間隙ができれば、振舞われるのは札弾と封魔針の嵐。身体を捻ってできた空間に少女の右腕がぶれる度、音の壁を引き裂いてお札と針が飛来する。術式を刻まれ祈禱にて加護を得たお札は、人ならざる者に触れた瞬間その力を封じ込む。霊力を纏い貫通力を大幅に増した銀の大針は、当たり前のように数十体の妖怪共の身体をまとめてぶち抜いた。

 

 人間が、妖怪に数で勝るのではない。その逆、圧倒的な個の人間が、圧倒的な数の人外を蹂躙する。

 

 余りにも現実離れしたその光景。援護に回っていた陰陽師にも、その姿は何よりも鮮烈に刻まれた。

 

(これが、これが十にもならぬ小娘だと!?)

 

 未だに農村で遊んでいるのが当たり前の歳の童女が、そこらの退魔師など歯牙にもかけない実力で人外を殺していく。

 その小さな体に向けられる何千もの攻撃を一発たりとも掠らせず、逆に彼女から放たれる攻撃は平然と妖精も怨霊も等しく滅していく。幻覚を見せられているという方がまだ説得力があった。

 

 自分ならばどうだろうか。確かに妖精の群れ程度なら同じように殲滅することは可能だが、それはちゃんと事前に準備をして高度の術で纏めて始末する場合だ。間違っても、あんな真正面から大群に喧嘩を売って蹂躙するやり方などではない。真似しろと言われても無理がある。

 

 この時、その陰陽師はようやく思い知った。彼女は伊達や酔狂で死にに来た小娘ではない。その双肩に妖怪退治と人間守護の任を負った、確かな実力を持った巫女なのだと。

 自分たちと同業の、頼れる援軍なのだと。

 

 ……()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 

 妖精たちの掃除は二十分余りをかけて終了した。正直途中から数えるのも億劫になるほどの数だったが、それでも靈夢と陰陽師たちはやり遂げたのである。

 これだけやっても一回休みになるだけでその内復活してくるだろうが、少なくとも里に大群で奇襲をかけられるという事態は避けられるはずだ。

 

「博麗殿、助かりました。いかに妖精と怨霊とはいえこれだけの数、里になだれ込まれてはどうなっていたことか……」

 

「別に構わないわ。どうなろうが興味もないしね。」

 

 見ようによっては淡白すぎるその態度。齢を考えれば生意気だと怒られそうな反応に、しかし礼を述べた陰陽師は頼もしいなと苦笑するだけだ。

 

 靈夢はあれだけの大立ち回りをやってのけておきながら、まるで消耗していなかったのである。他の陰陽師たちの休息の時間は必要であったので、これ幸いとその間の見張りは彼女に任されたのだ。

 そんなわけで、現状自分たちの安全を確保してくれている靈夢の態度は余り気にならないというわけである。その人情味に欠けた態度も、彼女はそんなものなのだと受け入れてしまったのだ。

 

 ……なおどう考えても人間のスタミナではないことは指摘されていない。周りの者も考えることを放棄した。

 

 

 休息を終えて、式神を周辺に飛ばせるだけ飛ばして索敵を行いながら、更に山の奥の奥へと一歩ずつ進んでいく。まさか里周りの連中が妖精や人魂だけのはずはない。必ずや、人間を襲い食らう妖怪がうろついているはずだ。少なくとも、彼らはそう確信していた。

 そして勘が当たったのか、そう何里もしない内に新たな妖魔の気配が伝わってきたのである。

 

 何度目かになる人型式神の回収。一度周辺に派遣したそれを一斉に回収し、おかしなものがあれば式神が教えてくれる手はずになっている。

 そして此度のそれは――

 

「むっ、これは……」

 

「瘴気、或いは厄気ね。しかも相当凶悪な…。厄神か土蜘蛛でもこの辺りにいるのかしらね。」

 

 触れることすら躊躇われるほどドス黒く変色した式神。進行方向のやや左寄りから帰ってきたそれは、この先に靈夢の語ったような、非常に厄介で凶悪な能力を携えた妖怪が潜んでいることを如実に教えてくれた。

 

 なんてことのない風に言う靈夢だが、里の陰陽師たちは厳しい顔。元より人間よりも妖怪の方が地力が上なのは当たり前だが、それに加えて今しがた予想した連中は能力が悪辣なのだ。根本的に人間には相性が悪い上に拡散性も強いので、少しでも里にちょっかいを出されたらえらいことになる。放置はできない。

 かといって、倒すのもこれまた難しいのだ。単純に相手が強いのである。土蜘蛛であれ厄神であれ、その地に名を轟かす英傑が複数集まって相手にするような化け物どもだ。本来ならこちらが数で上回り、徹底的に相手の弱点を突くことでようやく倒せるような連中である。

 

「撤退して里に知らせるか?」

 

「いや、ここまで来ておいて引くわけにはいかないだろう。叩ける内に叩いておかねば。」

 

「しかし準備などしていないぞ?上手くいくか?」

 

「だからといって、ここで目を離して逃げられたらどうする?いつどこに現れるか分からんぞ!?」

 

 やいのやいの、援軍を呼ぶかここで仕掛けるかの議論が続く。どちらの考えも頷けるのだが、こと今に関しては水掛け論で浪費する時間はない。この中で最も陰陽師の経歴が長いまとめ役の老人が、鶴の一声で決定した。

 

「―――行くぞ。ここは多少の犠牲を許容してでも相手を探るべきだ。あわよくば倒せずとも弱らせることぐらいはできるだろう。里には連絡用の式神をできるだけ多く飛ばしておけ。」

 

 選択は、吶喊。

 その一言で決意を固めたのだろう、全員の目には恐怖をも捩じ伏せる炎が宿っていた。

 

 里まで式神の耐久力が持つ可能性は低いが、それでも一応連絡は飛ばしておく。狼煙が使えればいいのだが、それでこちらの居場所がばれたら本末転倒だ。

 

 それに加えて、邪魔を入れられないよう周りの妖怪を抑えなくてはならない。そしてそれは、先ほど圧倒的な力を見せた今回限りの援軍が適任だろう。

 

「申し訳ありませんが露払いをお願いできますかな、巫女殿。」

 

「ここまで来たら最後まで付き合うわ。私の神社の周りをうろつかれたら面倒だもの。」

 

 清々しいほどに自分のことしか考えていないが、それでも頼れる一戦力だ。里の陰陽師で使い慣れた陣形を組む。力で劣る人間が、全員で負担を分散する鉄壁の布陣。

 

 紅白が風を切って宙に踊り、一瞬で夜闇に沈んで見えなくなる。彼女の心配は全てが終わった後だ。

 

「さあ、行くか。」

 

 その決戦に喊声は上がらない。しかしそれに勝る気迫を出しながら、帰るべき場所を守るために彼らは死地に赴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――戦いが始まって、どれほど経っただろうか。

 少なくとも、そこまで経ってはいないはずだ。月が昇った辺りから自分たちはあの妖怪らに喧嘩を売って、未だに月は天に輝いているままなのだから。

 

 ……だというのに。

 

 どうして、既に自分たちは立つことさえままならないのか。どうして、もう戦える者が残っていないのか。

 

「ぐうっ……あぁぁ…!」

 

 男はボロボロに叩き壊された自らの身体を引きずり起こす。へし折れた体中の骨が軋み、体を覆う火傷に痛覚が悲鳴をあげるが、今ばかりはその一切を無視して上半身を起こす。

 そして、周りを見まわした。

 

 

 ―――地獄だった。

 

 

 そうとしか言えなかった。別に見渡す限りの業火があるわけでもないし、針山が聳え立っているわけでもない。そもそも男は死んだこともなく、地獄を見たことなどありはしないのだ。

 

 ……それでも、苦悶の声と焼け尽きた森と、そして何よりも無残なほどに叩きのめされた同僚の体で満たされたこの場所を『地獄』以外にどう形容しろというのか。

 

 呻き声をあげる同胞の陰陽師たち。幸い気を失っていてもまだ死んではいないらしい。しかしここまで無力化されたのだ、皆殺しにされるのも時間の問題だろう。

 

 そしてその中心部に立つ二つの影。

 

 一つは女性の細長いシルエットにスカートのようなふんわりとした下半身。そして背部からのびる、一本が屋敷の大黒柱ほどもありそうな巨大な漆黒の脚。

 もう一つは小さく、知らぬままに見れば幼子と勘違いするほど。しかしそんな甘い考えは、小さな体に不釣り合いなほど大きい後ろの翼を見れば吹き飛ぶだろう。

 

 ―――土蜘蛛。そして夜雀。

 

「やれやれ、人間が一斉に屯して襲い掛かってくるから何事かと思ったけどそんなもんかい?だとしたら期待外れだね。病にろくに耐えられない、力も情けないほど弱い。そんな奴が私に勝てるものか。」

 

「まあせっかく来てくれたんだ。貴女たちの肉は私たちが美味しく頂いてあげるわよ。」

 

 勝負を仕掛けてきた里の者たちを軽々と蹂躙した怪物共は何でもないかのように嘯く。所詮は人喰い、その思考も食欲のことしか頭にない畜生同然である。

 そんな連中が抗いようのない馬鹿力を持っているからこそ、なお性質が悪いのだが。

 

(くそっ、一体だけならどうにでもなったものを……!)

 

 予想通りというべきか、式神の示した方向にいたのは土蜘蛛であった。話に聞く通り大きな塚を作ってそこを縄張りにしており、まどろんででもいるのか近づいても反応すらしなかったのである。

 

 これ幸いと周囲を取り囲み、感づかれる前に塚ごと封印してやろうとしたのだが……よりにもよって最悪のタイミングで邪魔が入ったのだ。

 

 それこそ、さっきからこちらを煽ってくる夜雀である。一体いつ来たのか、奇襲をかけようとした人間たちに歌声で逆に奇襲をかけることで横槍を入れてきたのだった。

 

 夜雀の歌声は聞いた者を鳥目にする。昼ならば視界が暗くなる程度で済むが、不味いことに今は夜。里の陰陽師たちはその声によって、一発で全盲にまで追い込まれてしまったのだ。

 

 視界を奪った不届き者を潰さなくては複雑な封印など出来るわけがない。なので目の見えないまま何とか倒そうとしたのだが、目の前でそんな大騒ぎをされたらどれだけ暢気な者でも飛び起きるに決まっている。

 

 結果、陰陽師たちは夜雀に視界を封じられたまま飛び出してきた土蜘蛛とやり合うという羽目になった。

 

 当然そんな状態で伝承に残るほど腕力に優れる土蜘蛛に勝てるわけがない。舞台は敗北必至の戦場となり、こうして目の前の惨状が出来上がったのだ。

 

 更には、満足に戦えなかった原因は夜雀の妨害だけではない。 

 

(体がっ…動かない……!)

 

 男に出来るのは、上半身を起こすことだけ。神経も筋肉も完全に麻痺して、更にはそれを使うための体力すらない。体が恐ろしく発熱して寒気が走り、皮膚は真っ黒にただれ切っていた。

 明らかに外傷だけでなく、体の内側から徹底的に病に侵されている。それもただの風邪なんぞではない、致死性の流行り病を一気に振り掛けられたような惨状。

 

 原因は分かり切っていた。あの土蜘蛛だ。

 

 『病を司る程度の能力』。

 これこそが、土蜘蛛が人間に対して相性最悪な理由であり、放置できなかった理由。疫病は人間には太刀打ちできない最悪の天災の一つであり、同時に死そのものとして見られるほど人間を簡単に殺戮する代物。

 そしてそれを操る怪物が、人間に簡単に倒されるわけがない。

 

 

 「……この、化け物がっ!」

 

 自分以外の声が響き、男はハッと振り返った。見れば、男の同僚の一人が立ち上がっている。男同様にボロボロになった体と服の袖を引きずって、されどその瞳には恐怖は無い。あるのはただただ、仲間を甚振ってくれた憎悪と、人間を害する外道共に対する怒り。

 

 ……そして二体の返答は、冷たく無感情な視線。生意気にも抗い盾突く蟻を冷徹に見下す色。

 

「おや、まだ立てる奴がいたんだ。あれだけ嬲ってやったのに大した根性だね。まあそのせいでお前が最初に死ぬんだけど。」

 

「どうせだし、貴方は一番丁寧に殺してあげる!心を狂わされて死ぬか、真っ二つにへし折られて死ぬか、どっちがいい?」

 

 氷を思わせる冷たい土蜘蛛の視線は羽虫に対するような鬱陶しさだけを孕み、夜雀はもはやまともに戦うことすらできない人間に嘲笑と狂笑を浴びせかける。

 彼ら彼女らにとって、決死の思いをもって人間が立ち上がることは、餌が無謀にも抗いの意思を見せた以上の意味など持たないのだから。

 

 そして人間にとってもまた、天敵の抜かすことに興味などない。

 

「っ、そういうことは……こいつを食らってから言え!」

 

 陰陽師は化け物どもの戯言には耳を貸さず、袖から一枚の札を取り出した。何の変哲もない、茶色の地に血の陣が描かれた霊符。

 妖怪たちは今更一体何をする気やら……という呆れた眼差しを向けて―――すぐさまそれは瞠目へと変化した。そしてそれは、味方である男も同じ。

 

 その体から、今まで見せたものとは明らかに質が違う濃密な霊力が吹き出し、札に注ぎこまれたのだ。くすんだ茶色の符は過剰な熱量を受け取って、煌々と白く輝いている。

 それが自分たちを害し得るものだと妖怪は直感する。しかしどれだけ早く動いたとしても、もう手遅れだ。

 

 死に体の陰陽師に今更そんな術を満足に扱える体力があるわけもない。凄まじい負荷に耐えられず口や鼻から血が噴出する。文字通り身を削り、自らの命を繋ぐ最後の生命力すらも糧として、術を撃つつもりなのだ。

 

 ここで刺し違えてでも討つ。人間の持つ、執念の一撃。

 

「お前、まさかそれ……!」

 

「死にやがれ、妖共!!」

 

 咆哮とともに霊符が地面に叩きつけられた。

 

 

 その瞬間、地盤が爆発した。衝撃波によって何十メートルと地面が叩き割られて吹き上がり―――そしてその無秩序なはずの破壊の力は、刻まれていた陣によって指向性を持つ。

 地面の土が、岩盤の岩塊が、地上の大木が、力の奔流に巻き込まれて巨大な波動と化す。更なる質量の増加によって破壊力はますます増大し。

 

 結果、霊力の暴風による陸の大津波は、術者の狙い通りに土石の激流と化して仇敵たる妖怪たちに襲い掛かった。

 

 

 人為的な土石流に巻き込まれた一帯は、完全に地盤から掘り起こされた荒地と化した。当然、巻き込まれた妖怪たちの姿は見えない。

 

「はあ、はあ……ゲホッ!……どんなもんだ……っあ!?」

 

 どさり、と。

 

 見事仇に一矢を報いた陰陽師は、しかしその体を仰向けに横たえた。

 

 体力が尽きたのだ。自分の体の最低限の機能を保つ余力すら、攻撃に回してしまったから。それこそもはや受け身をとる余裕もなく、頭から倒れ込んでしまうほどに。

 

「っ!大丈夫か!」

 

 不幸中の幸いは、寸前で目覚めてそれを見ていた男がいたことだろう。呆けた頭を振り払い、仲間を助けるべく痛んで碌に動かない体を今だけは全力で動かす。激痛が走っても無視だ。

 

「……ごほっけほっ……!味方、か……?」「待ってろ、今治療してやる。」

 

 ほぼ掠れたノイズにしか聞こえない陰陽師の言葉をよそに、男は懐から符を取り出す。残り最後の装備である回復用の呪。攻撃用のものはもう使い果たしてしまった。

 

 符を胸に当て、それを介して霊力を通す。外傷は後回しだ、まずはエネルギーを使い果たして力尽きかけている体をどうにかしなければ。

 

 ぽうっ、と陰陽師の体は輝き始めた。男の霊力を介し、霊体が修復されはじめたのだ。尽きかけた体力を補充されて弱り切っていた脈動が復活しはじめ、痙攣を繰り返していた肺の動きは少しづつ正常に戻りだす。

 

 そして、男も残った力を使い果たすころ。ようやく、陰陽師の体は正常に機能し始めた。

 

 峠は超えた。後は自然の治癒力に任せておけばいい。そうして安堵して、男も座り込もうとした、その時だった。

 

 

 ―――引き裂く。

 

 

 ずぶりと、男の腹から()()()が飛び出した。

 

「あっ……え?」

 

 理解する暇などなく、漆黒の爪撃が臓腑を貫き、早贄のごとく空中に吊り下げられて――ようやく男の体と頭は、迸る激痛と状況を認識した。

 

「ごっふ…が、ああぁっ!?」

 

「痛い、痛い、痛い……。全く、あんたのお仲間はよくもやってくれたね。ここまで傷を付けられたのは久しぶりだよ。」

 

 煮えたぎる溶岩を思わせる、沸騰する苛立ちと憎悪を隠し切れない低い声。それは間違いなく、先の決死の術で押し流された土蜘蛛のもの。

 

 しかしその姿は、先ほどの様子とはまるで違う。

 

 土石流に飲み込まれれば如何な妖怪でも無傷ではいられなかったのだろう。

 皮膚は半分以上が引き剝がされており、ぐじゅりぐじゅりと生理的嫌悪を煽る音を立てて体液と組織がこぼれている。いたるところの欠損から、病を引き起こす瘴気と共に毒々しい妖力が吹きこぼれていた。

 

 人間ならば間違いなく致命傷。だが再生能力に優れる妖怪にとっては致死の傷とはならない。

 

 つまりは、殺せていなかったのだ。仲間の命をかけた一撃もこいつらにとっては「痛い」で済むものだったのである。

 

 そして格下の種族に傷を負わされて黙るほど気性の良い妖怪などいない。

 

「決めた。あんたたちは此処で全員殺す。その後あんたたちの村も見つけて全員殺す。」

 

 その目には何の感情も浮かべていない。そこにあるのは清水のように透明な殺意。体と誇りに傷を付けられた土蜘蛛はここにきてあらゆる油断と慢心を消し去り、人間たちを『獲物』でも『玩具』でもなく、『敵』として認識していた。

 手負いの獣は恐ろしいというが、それは妖怪にも通じるものだったらしい。

 

 血が抜けたせいか、目の前が暗くなる。もう腹を貫かれた痛みも感じなくなってしまった。

 

 自分はここで終わる。里はこいつに滅ぼされる。諦観と眠気が『死』と共に迫ってきていた。

 

「死ね。」

 

 端的な一言。二本目の巨脚が愚かな人間の頭を穿ち潰そうと、音を超えて唸り――――

 

 

 

 

 

 ――――フッ……と。空が斬られた。

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 その困惑の声は尤もなものであった。

 自分が振るおうとしている四肢の感覚。それが知覚することもないまま消失したのだから。

 

 理解不能。全くもって把握できない現状に、脳が理解することを放棄する。さながらそれは、コンピューターが知らないデータを打ちこまれ、エラーコードを吐き出すかのように。

 

 それでも反射的に自分の脚に目を向けたのは生物としての本能故か。

 

 ―――既に、そこにあるべき黒鉄の如き脚は消し飛んでいるというのに。

 

 自分の鉄塊すら超える強度を持つ脚部。それが根元から見事に真っ二つにされ、綺麗な断面を晒していたのだ。認識した瞬間、削ぎ取られた苦痛が流れ込んできた。

 

「――馬鹿なっ!?」

 

 一体何時の間に?否、それ以前に一体誰が!?

 

 答えを探すべく、痛みを無視して土蜘蛛の眼球は回る。誰がやったのだと、見えない敵への警戒と恐怖を隠すことなく。

 

 そして、それはすぐ目の前に。

 

「――――女?」

 

 振り返った先。そこに巫女服を纏い目を伏せた一人の女、否、童女が、その長い髪を晒して佇んでいた。

 

 人間の中でもさらに弱者に当たるはずの、その矮躯。しかしその姿を認識した瞬間、土蜘蛛は一切の音と景色が消えたように錯覚した。それほどの、怪物じみた存在感。

 

 『死』が言葉を紡ぐ。

 

 

「……あんたかしら?」

 

 この人たちにケガさせたのは。

 

「何だか知らないけど、その人たちに傷つけるんじゃないわよ。」

 

 私の仕事が増えるんだから。

 

 

 身の毛がよだつほどの霊力が込められたお祓い棒が、絶死の刃となって振り下ろされた。

 

 

 



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虐滅 ~Unparalleled Slash

 

 

 無造作に振り下ろされた幣。何の変哲もないはずの単なる木の棒に、しかし土蜘蛛の本能は今までにないほどの警報を鳴らした。妖怪といえど所詮元は野生動物である、肉体は本能に無条件に従い転がるようにその一撃を回避した。

 だがことここに限っては、紛れもなく英断であったと言えるだろう。

 

 

 その一閃は、触れた大地を地の底まで削り飛ばしたのだから。

 

 

(冗談だろう!?)

 

 思わず脳内で叫んだのもむべなるかな。小娘の、本気でもない棒切れの斬撃が、大地を砕き割るなど普通はまず有り得ない。しかしどれだけ否定しようと、事実は事実。

 

「逃がさないわ。」

 

 驚愕を覚える土蜘蛛を前に無感情の声が響く。地が割れる踏み込みと共に、同等以上の威力を持つのだろう閃戟が豪雨の如く降り注いだ。

 

「チィィッ!」

 

 悪態をつく暇もないまま、土蜘蛛は次々と空間を駆け巡るお祓い棒を回避していく。外皮の一寸先を掠める幣は、身体には触れていないというのになお此方の肌を抉るほどの勢いで飛んでくる。反撃すら許さない、隙間なき暴力の嵐。

 このままではじり貧、押し負ければ真っ二つにされて死ぬ。

 

(ならば……)

 

 迷いは一瞬。追い詰められながらも頭の一部で冷静に判断を下した土蜘蛛は、自慢の武器を一本、()()()ことに決めた。

 

「おおぉぁっっ!!」

 

 袈裟切りを辛うじて避けたその時、土蜘蛛は靈夢に柱が如き黒の巨脚を迫らせた。鋼よりもなお硬く鋭い土蜘蛛最大の武器は、衝撃波をまき散らして華奢な少女の肢体を貫かんとする。

 それを。敵は。

 

「児戯ね。それで私を倒せると思う?」

 

 ()()()()()()()

 

 文字通りの一撃で、陰陽師達が束になっても傷一つつけることも叶わなかった黒鉄の剛槍が、何の抵抗すらも感じさせずスパリと断ち切られたのだ。この時点で、土蜘蛛の攻撃が相手にはほぼ通用しないということが、身をもって分かってしまった。

 ……だが土蜘蛛本人は、そんなことは折り込み済み。

 

 再度巫女が振り返った先にはもう、冷たい風が寂しく吹き抜ける、薄暗い森が広がるばかりであった。

 

「って、いない…?アイツ何処行ったのよ。手間とらせてくれるわね、全く。」

 

 もとより、一時の時間を稼ぐデコイとして使えれば、それで良かったのだから。

 

 

 

 

 

「ぐうっ…!派手に、やられたね…!」

 

 その土蜘蛛といえば、稼いだ時間を使って全力で逃げ馳せていた。そして少し離れた未開の森の中、自らを休ませ治癒に没頭する。

 あの大脚は単なる囮。自慢のそれを一本使い潰してでも、心を落ち着かせ体を癒す時間を欲したのだ。

 

 一般的に妖怪の体は非常に頑丈で、尚且つ優れた再生能力を有する。ある程度以上の格の妖怪であれば、腕を砕かれようが首が吹っ飛ぼうがすぐさま再生するほどなのだ。

 ―――そのはずなのだが。

 

「傷が、治らんっ……!」

 

 上半身を覆う裂傷と火傷、そしてズッパリと滑らかに斬られた大脚。その全てが常からは考えられぬほど遅々とした修復しか見せず、血のように妖気が傷口から漏れ出し激痛を訴えかける。

 ただ負傷しただけならこんなことにはならない。その理由は唯一つ。

 

(治癒の妨害術式か、あの陰陽師め…)

 

 一番初めに目覚め、命を賭して最期の一撃を撃ちこんできたあの陰陽師。地面を根こそぎ抉り大質量の大波とするあの攻撃は、致命傷ではなくとも決して少なくない傷を土蜘蛛に与えていた。

 それだけならまだしも、霊符を通してその攻撃に付与された術式は、回復封印。破れかぶれに見せかけて、妖怪の最大の脅威たる治癒能力を封じていたのだ。

 

(これさえ無ければ、あの娘の動きにも少しは対応できたのにっ)

 

 強かな人間に悪態をつきながらも、思考は止めない。最優先で対処すべきはあの巫女だ。

 

 とにかく速く、鋭い。人間では有り得ない程に。

 一応タネは分かるのだ。恐らくは霊力で身体能力を跳ね上げているのだろうが、それにしたって馬鹿げている。そもそもあれだけの強化を施して、身体が自壊していない方がおかしいのだ。

 

 認めよう、あいつは強い。自分を追い詰めるほどの力を持った人間が現れるとは思ってもみなかった。それが正直な感想だ。

 

 だが対抗策が無いかと問われれば、話は変わる。自分には、妖怪として恐れられる『能力』があるのだ。

 

 久々に強者ではなく、弱者としての戦い方を曝け出そう。その判断を下すのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 木々の間をするりと抜けて、暗鬱の森を疾走する影。華奢な体躯をしならせ紅白を翻すその姿は、言わずと知れた博麗の巫女。

 

 あの後すぐに隙を突かれて逃げられたことに気付いたが、一旦追撃は後回しにしていた。流石に共闘関係にある以上、倒れている陰陽師の面々を放置することはできなかったのである。

 

 まず負傷の少ない癒者を叩き起こし、自分の霊力を大幅に割いて譲渡する。取り敢えず全員を治癒するのにこれだけあれば足りるだろうという、かなりのどんぶり勘定だ。

 餅は餅屋、回復は専門の知識と技術を持ち合わせた者に任せれば良い。

 

 更に襲撃を防ぐ結界を、倒れた人々を覆うように張り上げ、後顧の憂いを断ってから追撃に走り出したのだ。

 

「さーて、何処まで逃げたのかしらね……うん?」

 

 土煙を上げていた足を止める。

 

 ――密林の中。嫌な匂い。静かすぎる夜。そして、風切りの響き。

 

「っ!」

 

 ギャリィンッッ!!という甲高い音を立てて、お祓い棒が何かを弾いた。硬質で、鋭い音。まるで、鍔迫り合う刃物のような……

 

「……糸?」

 

 雲の隙間から差し込んだ月光に照らされたのは、鍛えた鋼を延ばしたような美しい銀の糸。半端に蜘蛛の巣を編んでいるそれは、無惨にもお祓い棒に引きちぎられていた。

 

 そして。

 

 ごおっ、という音と共に風が吹き込み、あっという間もなく靈夢の周りを毒々しい紫煙が覆いつくした。妖気に満ち満ち、不気味な紫色に輝く濃密な瘴気は、まあどう見ても焚火の煙ではない。

 

「これで倒れなっ!」

 

 この事態の下手人であろう土蜘蛛の声が背後から響いた。だが遅い。気付いた時にはどうしようもない。

 

 これぞ土蜘蛛の能力、病を自在に引き起こす妖煙。妖力をばら撒くだけで致死の重症を百単位で拡げうる力を、土蜘蛛は瘴気という形で人間一人に差し向けたのだ。瘴気は一秒と経たず、哀れな小娘を吞み込まんと森に溢れ満ちる。

 

 おまけに先ほど飛んできた切断力のある鋭い糸も、風に巻かれて流れてくる。頑丈な蜘蛛の糸に妖力を纏ったそれは、欠け散った刀身が飛来するに等しい。

 

 それを知ってか知らずか、自身に対する明確な脅威を、生まれて初めて認識した瞬間。

 靈夢の唇は動いていた。

 

 

「『通さない』」

 

 

 たった一言。

 その言葉を発すると同時に、靈夢の四方を覆うように白光する巨大な結界が展開された。半透明に薄っすら輝く防壁は、妖精共の弾幕を防いでいた不格好な霊力の鎧とは訳が違う。土蜘蛛の放つ毒煙を完璧に凌いで見せた。

 

 言霊。

 本来は単なる空気の振動でしかないはずのそれは、彼女の並ならぬ膨大な霊力と、巫女としての天賦の才覚により、術式要らずの霊術として昇華された。

 

 それを見て、土蜘蛛は()()()

 

「術にも『病』はあるだろうよ!」

 

「っ!」

 

 朽ちる。

 

 朽ち果てる。

 

 完全に外界を隔絶していた結界が、ボロボロに浸食されてきていることを、靈夢の霊力感知が如実に感じ取った。

 人や生き物に病を齎すだけだった能力は、妖力に満たされ一点に圧縮されたことで、今や無機物や魔術すら喰い破らんと変質を遂げていたのだ。ベキリ、ベキリと異音を鳴らして、白壁を黒煙が見る見る覆いつくす。

 

(獲ったっ)

 

 確信した。

 

 人間に対してこの上なく刺さる能力を、ありったけの妖力を使って差し向けたのだ。奇襲は成功し、もはや逃げ場はない。結界を解けば猛毒の空気に感染して即死、壁を上張りするのも、術すら食い尽くす瘴気の中では不可能。

 

 完全に詰みだ。絶対に抜け出せない。

 

 

 ―――そのはずだった。

 

 

 靈夢にはそこまで詳しいことは分からない。だが少なくとも、このままでは自分が負けることは察した。

 であれば、遺憾だが()()()()()()()必要があるだろう。

 

 ……ことここに至っても、彼女は命の危機感を抱いていなかった。あるのはただ、何時ものような非現実味と倦怠感のみ。

 

「ああもう、面倒くさいわねー……はあぁっっ!」

 

 烈帛と共に、ガシャアンッ!!と硬質のものが砕け散る音が響いた。

 

「何を…?」

 

 一体何を考えたか、巫女は自分の結界の一面を体当たりで砕いたのだ。当然、穴が開けばそこから瘴気は流れ込む。

 死を前にして血迷ったか、と土蜘蛛が嘲笑しようとして。

 

 爆発的に上昇した気配に、笑みを飲み込んだ。

 

 

 体を捻る。捩る。ギリギリと、軋みを幻聴する程に。

 

 霊力を高める。昂る。霊気の圧が、周囲に罅を入れる程に。

 

 ドクンッと、震える霊体に耐え切れず、虚空に鼓動が一つ鳴り響いた時。

 

 

 

 

 ――――回転。貫通。そして蹂躙。

 

 

 

 

 横薙ぎの竜巻が、全てを粉砕した。

 

 結界に開いた大穴から、暴風を纏い飛翔する靈夢が回転砲弾と化し、瘴気も結界も木々も全て巻き込んで、壊し尽くしたのだ。

 

 体を覆う超高密度の霊子は、触れる瘴気も妖力も一切合切消し飛ばした。進行方向にあった全てのものが、手に持ったお祓い棒に斬り潰された。蒼白の霊力の暴圧は、存在そのものを許さない焦熱。

 それは、正しく竜巻そのもの。極小の暴風圏。

 

 奥義でも何でもない。どこぞの九尾の回転飛行を参考に、その身のポテンシャルを少し本気で行使しただけの、ただの思いつきの技。それだけで、絶死の状況が覆された。

 

 されど、土蜘蛛がその理不尽に臍を嚙むことはない。

 

 竜巻は土蜘蛛へ向けて爆進し、気づいた時には残る六本全ての脚が刎ねられ、その妖生に王手を掛けられていたのだから。

 

 

「あんたみたいな、人間の皮を被った鬼みたいな奴がいるなんてね…。冥土の土産に覚えておくよ。」

 

「あらそう、まあ好きにするといいわ。どうせ此処で終わりなんだしね。」

 

 脚を剥ぎ取られ、抵抗の手段すら奪われた土蜘蛛の態度は、存外に真摯なものであった。殺傷とは無縁に思えるほど、両者の空気は穏やかなもの。

 しかしそれは、ただの雰囲気による錯覚に過ぎない。勝者はその権利を行使し、敗者は結果をただ受け入れるのみ。

 

「それじゃあ、さよなら。」

 

 何の気概も抵抗も無く、無慈悲なまでに清廉な大幣が、妖の頭を薙いだ。

 

 

 その瞬間。

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「これは……?」

 

 脈絡無く視界が完全に封じられ、流石に靈夢が困惑の声を上げる。先程まではちゃんと月明かりと星の輝きで十分に目が見えていたのに、いきなり一寸先も見えない真っ暗闇と化したのだ。

 

 同時に、たった今斬られたことに気づいたかのように、ズルリと土蜘蛛の頭蓋がずれる。人を苦しめた病魔の化身は、その熾烈な生き様に似合わぬほど、あっけなく退治された。

 だが、既に靈夢の眼中にそれはない。あるのは、この事態を引き起こした下手人への興味と敵意。

 

(目は完全に役に立たないか。)

 

 辛うじて自分が立っていることは分かるが、それ以外を認識するのは今まで盲目になった経験の無い彼女にとっては至難。

 ご丁寧にも殆ど物音がなく、下手人は完全に奇襲暗殺を遂げるつもりらしい。

 

 まあ、それで靈夢に通じるかと問われれば、別の話なのだが。

 

「……そこね。」

 

 不意に獣のような反射で振り返り、懐の霊符が投擲される。唐突に投げられた御札は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「そんな、噓っ!?」

 

「本当よ、潰れなさい。」

 

 直後、振り切られたお祓い棒から放たれた霊力波が、声の上がった場所を粉々に叩き潰した。

 

 

「ぎゃああぁぁぁぁっ!」

 

 皮膚を霊子の猛炎で炙られ悲鳴をあげながらも、必死の限りで恐怖の権化から距離を取る、もう一人の妖怪――夜雀。

 

 歌声で人間を狂わせ盲とする鳥の怪は、意気揚々と村から出て来た馬鹿な人間共を狩りつくし、大事な食料として味わうつもりであった。実際にその計画は、途中までは順調に行ったはずなのだ。

 己の協力者である土蜘蛛が、目の前で易々と殺されるまでは。

 

(何、何あれっ!人間じゃない、あんな人間いるはずないっ!)

 

 いっそあの女が妖怪であれば、どれ程良かったことか。しかし相手は、紛れもない人間。身体を焦がす混じり気のない霊力が、何よりもそれを酷薄に教えてくれた。

 ……そして人間が天敵たる妖怪に容赦をする理由など、芥子粒一つ程もありはしない。

 

 夜雀は未だ生まれて間もなく、妖怪としての格も然程高くない。だから妖怪としても高い力を持つ土蜘蛛と組んだのだ、自分の能力で罠を仕掛け、確実に一網打尽にする為に。

 その狩人が、殺された。

 

「うぅ…あああぁぁ!!」

 

 やけっぱちで、残る妖力を全て掌中に集めて放つ。散弾銃すら及ばない数の弾丸が、夜を彩るグラデーションを描いて死神に襲いかかった。

 

 撃って、撃って、撃って。

 掠めて、掠めて、掠めて。

 

「何で…何で!」

 

 当たらない。

 何処まで撃っても弾は服を掠め、地面にめり込むだけ。目の見えていないはずの紅白の人間には、全くもって当たりやしない。身体を僅かに傾げ、軽くステップを踏む、ただそれだけで。

 

「目が…見えてる!?」

 

「違うわよ。」

 

 思わず口走る言葉に、怨敵が言葉を返した。

 

 

「私が避けてられているのは直感。まあ、要するに勘ね。アンタの弾、分かりやすいんだもの。」

 

 

「……は?」

 

 その言葉を理解した瞬間、追い詰められているのも一瞬忘れ、夜雀は呟いた。

 

 靈夢の直感は、シャーマンとして最高峰の身にあるからこその、この上なく理不尽なものだ。ほぼ神託に近いそれは、運命を、世界の外側を覗き見る必中の代物。

 

 だが悲しいかな、夜雀はそんなことは知り得ない。

 

 勘。勘?

 何だそれは。ふざけるな。そんな不確かなもので、私の攻撃を悉く封じられ、逆に私は殺されようと追い詰められているのか。

 余りにも理不尽な理屈に、苛立ちが口を突きそうになった。

 

 未来予知の領域にある彼女の勘は、その瞬間を見逃さない。

 

「隙あり。」

 

「ぎゃぐうっ!?」

 

 針に糸を通すような疾走で弾幕を駆け抜けた巫女が懐に入り込み、膨大な霊力を一閃に込め、夜雀のふわふわとした綺麗な翼を――真っ二つに切り裂いた。

 

「その羽根があっちゃ、すぐにでも逃げられそうだしね。先ずはそれから頂くわ。」

 

 まるで焼き魚の骨を取るとでも言うように軽妙な台詞。だが、その対象にされている夜雀からすればたまったものではない。

 

「こん…な、こんな、終わりなんて……!」

 

 死にたくない。

 

 それが、神を嘲笑う妖怪の、初めて抱いた祈り。

 奇しくもそれは、彼女が喰らってきた幾十の命の、今際の祈り。

 

 

 そして、祈りを踏み躙る者の祈りが。

 

 

「ひ、ひぃっ――やめ……!」

 

 

 天へと届く、道理は無し。

 

 

「悪いわね。私は妖怪の神じゃないわ。ただの――巫女よ。」

 

 

 ―――轟音と共に、土塊と肉片が飛散した。

 

 

 

 

 血の雨が降る。

 妖気と、砂埃と、血漿の舞う、凄惨の雨。

 

 見事、里を脅かす天敵を『退治』した巫女は、その雨を微動だにせず浴びていた。

 

 それは、今すぐに里の人々を助けに行く必要を感じられなかったから。

 あるいは。

 

「ギギッ…ギジャオオオォォォ!!」

 

「五月蠅いわね、そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ。」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 靈夢は、少し離れた木々の裏に更なる妖怪が潜んでいることを、今し方退治した連中と戦っている時から気づいていた。

 まあそもそも、ビリビリと肌に刺さるような殺気と、喧しいほどに感知に引っかかる妖力。まず感づかない方がおかしいのだが。

 

 改めて、森から飛び出して来た化け物を見遣る。

 

 形はまんま蝗だ。大きな複眼、太い脚、立派な触角。これ自体は見慣れたもの。

 

 もっとも、体長二丈、六メートルを超える超巨大昆虫を蝗と言っていいかは、怪しいところではある。

 

 そして人化できず、人語も解さない。当然意思疎通も不可能だ。

 唯々妖力を撒き散らし、本能のままに人を、物を喰らうことしか頭に無い、醜い獣。

 

 そのどす黒い瞳には、知性の色は欠片も存在しない。

 

 土蜘蛛と夜雀は中級以上の妖怪故に違ったが、低位の殆どの妖怪は得てしてこんなものだ。ただ強いだけの獣、彼等は己の業に従うことしか知り得ない。

 

 そんな者にしてやれることは、一つだけ。

 

「来なさい。せめて、静かに死なせてあげる。」

 

「ジャガギャァァ!」

 

 その憐れみを、宣戦布告と受け取ったか、それとも餌の鳴き声を聞き取っただけか、或いはそんなことを認識する知性すら無いのか。

 

 どちらにせよ、秒と経たず、死線は開かれた。

 

 

 

 節の入った緑の皮膚と、槍のような幣が激突する。

 小手調べとは言え、土蜘蛛の脚を掻っ捌いたのと同等の威力はあるはずなのだが。

 

「えらく硬いわね…」

 

 どこか機械的に憤怒の叫び声をあげながら、こちらに突っ込んでくる大蝗。

 それをいなし、お祓い棒の一撃を叩きこんでも、傷一つついていなかった。

 

「知性も持たない低級な存在のくせに、力だけは無駄に大きいのね。」

 

 面倒なことだ、と溜息をつきながらも、靈夢はお祓い棒を繰る手を止めない。大地を叩き割る強靭な後ろ足での蹴りを、軽々とした身のこなしで回避していく。

 

 元来、農作物を無茶苦茶に荒らすことから、蝗を始め「蟲」の妖怪は殊更恐れられるものだ。

 自分たちの衣食住に直結する大切な財産を、連中は何の前触れも無く、大群でもって食い尽くすのである。

 

 「恐れ」は妖怪の力にして存在意義。

 たとえ生まれたばかりの赤子同然であっても、その種族としての格は如何ともし難い。

 

 暴れ狂う大蝗に何度も攻撃を仕掛け、その悉くが弾かれる。

 千日手となりつつある状況に、遂に靈夢がしびれを切らした。

 

 

 動きを止める。

 

「アンタは今までの連中みたいにはいかないのね。……聞いての通りよ。コイツ相手なら、使っても問題は無いでしょう?」

 

 

 ねえ、紫。

 

 

 少女は虚空に話しかける。気配はしない、だがどうせあの趣味の悪い師匠なら、覗き見ているはずだと考えて。

 

 返事は帰ってこない。だが()()が笑ったのが分かった。

 

 

 音も立てずに、懐に手を入れて、霊符を抜き出す。

 巫女服と同じ紅白のそれは、これまでの結界用のものとは全くの別物。すなわち破魔の札、攻撃の術式。

 

 ――同時に、抑えていた封を解いた。

 

 蒼白の霊気が極大の瀑布となって立ち昇る。天を衝くほどに眩い柱と化すそれは、靈夢の持つ本来の霊力。今の今まで、封印し隠してきた本来の力。

 滅する。ただ、その為に。

 

「ギッ!?ギイィィィ!」

 

 大蝗の本能が、これまでにない警告を上げた。

 理屈は分からない。だが、「アレは駄目だ」と、そう告げるように。

 

「今度は手加減抜きよ。一瞬で……散らしてあげる。」

 

 空の左手が霊気の紋を刻む。背中に、後光の如く九字が浮かぶ。

 

 霊符を、差し向けた。

 

 

 

 ――――『九字靈撃・神仙』

 

 

 

 蒼白が、蝗の皮膚を砕く。

 生来の硬さも、鎧代わりの妖力も。一切合切を区別なく、破魔の力を得た霊力の激流が押し潰し、粉砕した。

 

「ギャアアアァァ…!!」

 

 彼には、何が起きたか分かるはずもない。ただ認識できるのは、眩しい不可思議なものに自分が砕かれ、焼かれていることだけ。

 そしてこのままでは、死ぬということだけ。

 

 逃げよう、その判断は早かった。

 意地も矜持もない、生存本能に従った脱出。

 

 後ろ足に渾身の力を込め、濁流から辛うじて身を外して。

 最期にその複眼が捉えたのは。

 

 逃げた先から、罅割れ焼けただれた自らの額に、お祓い棒を振り下ろす『紅白』の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…住民には何と知らせるべきでしょうかね。」

 

 以上が、奇跡的に全員生還できた退魔師・陰陽師達から受けた報告と、靈夢の話を総合して阿礼が把握した、此度の妖怪退治の顚末である。

 

 はっきり言って荒唐無稽、平時なら一笑に付す戯言なのだが、よりにもよって全て真実なのだから性質が悪い。

 

 帰ってきた靈夢の、あの一周回って笑えてくるほどの馬鹿げた霊気を見れば、誇張などでは決してないことも察せられる。

 

「取り敢えず緘口令は出しましたが……」

 

 たとえどれだけ強かろうと、人間を人間が恐れるようでは話にならない。

 今回の一件は、現場にいた当事者たちには、決して漏らしてはならぬと口封じを強いた。

 

 なにせ里周辺の妖怪を皆殺しにした後、損耗していたとは言え中級・大妖怪を相手にして圧倒できる戦力だ。

 恐ろしくなるのも分かるが、それで先方の機嫌を損ねたらシャレにならない。八雲との約定のこともあるし、味方に付ければそれこそ安泰である。

 

「とはいえ、私だって怖いんですよ…?」

 

 言いながら、自分の掌を見つめる。それは、厳冬の寒気に晒されたように震えていた。

 

 

 妖怪への本能的な恐怖ではない。神々の威容への崇敬でもない。

 

 ――ただただ、圧倒的な強者への、畏怖。

 

 

 阿礼の心中を支配しているのは、ただそれだけだ。

 そして、里の者が抱くものもまた同じだろう。緘口令があっても、人の口に戸は立てられない。

 

「はああぁー……」

 

 「どないしよ」と、この見た目だけ若い椿花の貴人が、頭を抱えるのも仕方のないことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありゃあ、駄目だね。」

 

 一部始終の無双劇を見届け、開口一番に魅魔は断じた。

 

 

 先の光景を見ての第一声がこれである。きっと他に人間がいれば、この女の正気を疑っただろう。アレをどのように見たらそんなことを言えるのか、と。

 

 残念ながら、もう一人の観戦者はその反応を期待して、この魔女をここに連れてきた張本人なわけだが。

 

「何をもって、そう言い切ったの?」

 

「確かに、人間にしては強い。未完の割にあそこまで地力に溢れる人間は、ここ最近じゃあの娘くらいでしょうね。」

 

 そう。人間、常人としては。

 

「けどアンタがあの娘に求めてるのは、理想郷の調停者だ。この時代でその役割を果たすには、まだまだ未熟で粗削りすぎる。」

 

 妖怪の賢者が博麗の巫女に求めるのは、己の対極たる『人間』の調停者。

 

 人と、妖と、神と、その他大勢の人外達を抑えこむには、博麗靈夢はまだ若く、そして未完成だった。

 

 彼らの実力などピンキリだ。ただ在るだけで平然と理不尽を振りまく連中を相手にするには、靈夢にはまだ早い。

 

 

 

 ……そして何より、もう一つの問題点。

 

「不自然に世界から『浮いてる』わね。才能に溢れすぎた結果か。どちらにしろ、あれじゃ『人間』ではいられないよ。」

 

 博麗の血、空を飛ぶ力。

 境界を見定め、空を、地を、理を、世界を飛び越える破格の能力。

 

 数百年前は魅魔も散々に苦しめられた、博麗の秘儀である。

 

 靈夢の場合、なまじっかそれが殊更に強く影響するせいで、精神も半分浮世離れしているのだ。

 おまけに暴走する能力の余波に反発し、無意識のうちに大地から足を離せなくなっている。飛行ができないのもそれが原因か。

 

「やっぱり、あの子が飛べないのは飛行に致命的に相性が悪い訳じゃないのね。」

 

「寧ろ元からふざけた適正を持って生まれた弊害だろうさ。制御出来ない力は毒になるからね。」

 

 博麗の力に、これまでにない高い適正を持って彼女は生まれた。

 それを操るには、彼女は未だ遠く、若い。

 

「たとえ同じ生まれでも、精神が己と乖離し過ぎている者を、人間は『人間』と認めない。私としちゃどうでもいいけど、それはアンタには不都合なんでしょう?」

 

「その通り。あの子には、それを克服してもらわないといけないのよ。」

 

 博麗の巫女は、人間側でなくてはならない。箱庭の守護者の座にある者が人間以外では、その任を果たせない。

 

 紫が魅魔との対決を望んだのは、そこに解決策を見出したから。

 

「難儀なもんだよ、本当に。」

 

「それはお互い様でしょうに。」

 

 紫がこの気難しい悪友を呼び出したのは、方向性こそ違えど、彼女ほど『人間』を知り尽くした者もいないからだ。

 紫は気が遠くなるほどの時間で人間を愛し、魅魔は気が遠くなるほどの時間で人間を憎んだ。

 

 この二人ほど、人間という種族に精通する人外もそう居ない。

 博麗と人間への恨みさえ除けば、彼女は頼りになる賢人であった。

 

 

 

 スキマを再び閉じ、薄暗く七色の無限空間が戻ってくる。

 

「じゃあ帰りましょうか。」

 

「ああ、もう用は無いからね。」

 

 そうして、互いに帰路につこうとして。

 

 

「そう言えば、一つ聞いていいかい?」

 

「何かしら。」

 

「お前さん、あの娘に枷をかけてたろう。わざわざ攻性の術を使うなって言い含めてたのか。」

 

 靈夢が最後の最後、近接攻撃の殆ど通じない大蝗という強敵が現れるまで、ずっとお祓い棒一本でやり合っていたのは理由がある。

 

 実はこのスキマ妖怪、本当に必要になるまで攻撃に霊術を使うなと、固く言いつけていたのだ。

 使ったら報酬没収だと、わざわざ脅してまで。

 

 ちなみに彼女の忠実な式たる金毛九尾は、これを聞いて呆れかえったという。

 

「一つは見極めね。無茶な相手に無鉄砲に殴り掛からないか、ちゃんと敵を見据えられるか、その確認。」

 

「もう一つは?」

 

「―――極限まで制限されてこそ、あの子は光る。未完の大器でありながら、あの子の輝きは既に無二のもの。あの子の成長の余地は、海の淵より深いのだから。」

 

 

 ならば。

 ニチャリ、と形のいい唇を歪ませ、境界の支配者は嘯いた。

 

 

「もっともっと、成長する所を、靈夢が輝く所を、見てみたいとは思わない?」

 

「……お前にまともな感性を期待した私が馬鹿だったよ。」

 

 成長を見守ると言えば聞こえは良いが、つまりは宝石に力尽くで圧力をかけ、磨きだして悦に浸るに等しい。

 

 

 怨敵の末裔とはいえ、この超越者の愉悦趣味に付き合わされる娘に、魅魔は思わず深く同情する。

 

 如何に情に厚く、慈悲深いといえど、妖怪の趣味など所詮こんなものであった。

 

 




一度データが吹き飛んだ挙句テストが重なって、かなり期間が開いてしまいました。待ってる人がいらっしゃったら申し訳ありません。

靈夢さん無双。この時点でも人間の中でも強い方ですが、紫さんの目標からするとまだまだこれからです。


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秘神の世界 ~Fixer Secret

 

 湖が凍る、とある冬の日。

 

「ぐぬぬぅぅ……きゃああぁぁ!?」

 

 ドカン。バキン。ドゴオ。

 

「いったああい…!」

 

「……何を考えて、魔導書丸ごとに無理やり魔力を流してぶっ放そうとしたんだい。小一時間ほど教えて貰おうか、馬鹿弟子?」

 

 溜息をついて、魅魔は馬鹿弟子(魔理沙)のぶっ壊した壁を見やる。ものの見事に館には大穴が開き、半壊していた。

 

 取り敢えず、焼け焦げ吹き飛んだ建物を放置すると何時崩落するか分かったものではないので、魔法を使ってとっとと直す。

 時計の宝典・中章、部分時間回帰魔法。

 

 

 ――――『星霜転輪』

 

 

 疑似的な時間の巻き戻しにより、あっという間にアトリエが再構築された。防御結界新調のおまけつき。

 

「で、なんでこんなことを?」

 

「魅魔様が『同系統の魔法を多重に重ねたら強い』って言うから…」

 

 だから魔導書のページを開かず、表表紙から裏表紙まで魔力を流し込んだらしい。よく館の半壊程度で済んだものだ。

 

「大砲の砲口同士を合わせて、爆薬目一杯詰め込んで火を入れるようなものよ、それは。上手く扱えなくてやけになるぐらいならやめときな。」

 

「うー、はーい…」

 

 魔導書を本ではなく、道具として扱う修行。一流の魔法使いの登竜門に、魔理沙は未だ足を引っ掛けていた。

 

 

 

 

 

 

 あの数百年ぶりの『博麗』との邂逅から数年。

 

 魅魔は変わらず、着々と魔理沙に魔法を仕込んでいる。本人が師に造られた天才なのも相まって、十と少々の小娘とは思えぬほどに、その技巧は上達していた。そもそも手本である師が最高峰、というのもあるのだが。

 

「そう言えば魅魔様。」

 

「何だい?」

 

 夜、余った素材を使って作ったスープを飲んで、暖炉に当たって身体を暖めながら、魔理沙が問うた。

 ちなみに空いている錬金術用の大釜を使ったので、調理というより調合である。

 

 寝る前に一息ついて、師匠と語らうこの和やかな時間が、魔理沙は好きだった。

 

「魅魔様はどうして魔法を極めたの?」

 

「……ふむ。」

 

 なんと答えるべきか。

 

 割と答えに窮する問いである。確かに元々の種族は悪霊であるわけだし、魔法を修める理由もない。それでも何故か、と問われると。

 

「気まぐれ?」

 

「えー…」

 

 何時も自分には理不尽な論理と法則を求める師とは思えない返答に、弟子が呆れるのも仕方なかった。

 とはいえ、魔理沙は余り知らないが、この魔女は元来かなり適当かつ気まぐれである。あと大嘘つき。

 

「別に何の理由も無しに、魔道を歩んだわけじゃないよ。衰弱しきっていた私が生き残るために、一番手っ取り早かったのがソレ、ってだけさ。」

 

 封印によって、悪霊の力を剥奪されて。それでも生き残る為に、矮小となった身を補うために、地上や魔界でひたすら魔法を研鑽したのだ。

 

「むぅー…」

 

 だが、生憎そんな曖昧な答えでは、力に窮する少女を納得させることは出来ないようで。

 

 赤い髪を垂らした少女は、ほんのり桜色の頬を可愛らしくぷくーっと膨らませていた。

 

「……意地悪。」

 

「誰にだって話したかない過去なんて幾らでもあるさ。さ、もう休みな。」

 

 言うが早いか魔理沙の軽い身体を姫抱きに持ち上げた。羞恥と混乱で目を回している内にベッドにポンと放る。ボスっといい音がなって、少女が完全に布団に飲み込まれた。

 

 抵抗する間もなく、すぐにくぅくぅと寝息が聞こえてくる。元気なようでも疲れ切っていたのだろう。苛酷な魔法の授業は、人間の魔理沙には途轍もない負担がかかるのだ。

 

「さてと…」

 

 アトリエを出る。静かに、小さな弟子を起こさぬように。

 さっきから()()()()()()()()()不届き者の顔を拝むために。

 

 

 

 

 

 

 

「で、誰なんだいさっきから。肌がチリチリするんだが。」

 

 冷え込む湖のそばで、虚空に向かって話しかける。存在こそしていないが、確かにそこから此方を震わせるような神気が漂うのだ。

 紫ではない。しかし彼女同様、小深度の異界に身を潜めているらしい。

 

 引きずり出してもいいのだが、敵意は無いのでそのまま待つ。

 

 期せずして、動きがあった。

 

 

 ―――霊台方寸、死すれどあれかし。

 

 

 荘厳な言の葉が響く。森羅万象を震わせ、圧する。

 

 

 ―――稠凋に満ち満ちる望月に、燦々反ずる者も無し。

 

 

 無数の扉が現れ、開く。

 時間、空間。そんなものを忘れたかのように、その門扉からは、四季も処も無視した光景が覗いた。

 ある扉は、紅葉の差す夕暮れの寺。またある扉には、煌々と陽の照りつける夏風の草原が映る。雪冠を帯びる森林の上空から吹雪がなだれ込み、極めつけに見渡す限りに桜花満開の花の都が見えた。

 

 

 ―――さりとてその障碍、怨讐、瞬、如何に多きことか、救いがたきことか。

 

 

 中央に降臨する、一際大きな扉。

 異界の奥底から出現したそれは、別格の雰囲気を放っていた。

 

 

 ―――その黒魄、魔に堕つれど、努努鎮まりなりなむ……

 

 

 扉が開く。

 そこに広がるは、()()。日の光輝、月の眩耀すら無い、文字通りの虚ろの世界。誰も、何も、居られず、入れない、暗闇とくすんだ臙脂色の世界。

 ――――『後戸の国』。

 

 そこから現れた、車椅子に腰掛ける一人の女。

 

 天上に瞬く北斗七星を誂えた橙の狩衣に袖を通し、山吹色の長髪に大きな冠を戴冠している。片手には、鏡にも見える美しい漆塗りの小鼓。

 絶大な神力を内に秘め、超然と笑みを浮かべる姿は、並々ならぬ神格であると見てとれた。

 

「……初めまして、と言おうか。星宙の魔女よ。」

 

「これはまた、随分なものが出てきたね。」

 

 秘神、秘仏の類か。無節操すぎて最早暗黒に思える様々な力の粋が、女の形をなしている。

 

 向こうは自分のことを知っているらしい。となれば、紫か紅魔の関係だろうか。

 

「我なるは、摩多羅隠岐奈。あらゆる存在の背に秘せられし、絶対なる秘神である。」

 

「魅魔だよ。と言っても、貴女は私を知っているようだがね。」

 

「左様。私は八雲紫と共に、理想郷の創成に携わる賢者が一角よ。この度はそれについて、其方に是非を問いに来た。」

 

「ほう……」

 

 なるほど、やはり紫と理想郷の関係者か。協力者の話は聞いていたが、彼女がそうであるらしい。

 

「これより我らは核となる結界を張る。(うつつ)(まほろば)、相反する両翼を混沌の太極と成す、稀代の大結界を。さすれば現に拒まれた幻の者共は、彼の秘境に招かれる。」

 

 これぞ『幻と実体の境界』、その本質。現実に否定された者達を理想郷へ招く、言わば結界の形を成した門。

 

「それを創る上で、私に協力しろっていう話だろ?」

 

「その通り。」

 

 実は以前から打診は受けていた。何せこの結界、範囲こそ秋津洲(日本本島)の中央部だけだが、その実質の干渉範囲はこの星の全域に渡る。

 当然だが、こんなことは前代未聞の所業だ。小国を覆える結界だけでも前例のないほど巨大だが、それに全世界に影響を及ぼさせるなど、試そうとした者すらいまい。

 

 故に、八雲紫や摩多羅隠岐奈ら『賢者』達は考えた。如何に己の力が強大であろうと、ことが大きすぎるだけにそれだけでは不安が残る。

 確実に成功させるにはどうしたらいいのか、と。

 

 結論はシンプルイズベスト。

 

 ―――各地の知り合いに助力を仰げばいい。

 

「まあそれで私にお鉢が回ってくるのは良いんだが……他にも手を貸せる連中はいるんだろうね?流石に私の力だけで、そこまで範囲を拡大出来ないわよ?」

 

「無論だ。大江・伊吹山の鬼や天狗共、京の大妖ら日本の妖怪は言うに及ばず。西洋の吸血鬼に獣人、悪魔、お前のような魔女達にも力を借りる。」

 

「随分と大盤振る舞いだねえ。」

 

 逆に言えばそれぐらいしなければ、成功など以ての外なのだ。それぐらい、彼女らの企図は無茶苦茶かつ無理難題なのである。

 

「特にお前の力は我等に並ぶほどの格別だ。当てにしているよ?」

 

 超然としたそれまでの態度を崩した隠岐奈は、そう言って女童のようにからからと笑った。仮面を外したように模様が一変したが、どうやらノリの軽い此方が素のようだ。

 神の性格なぞ考えるだけ無駄だと承知している魅魔は、面倒そうな反応を返すだけ。

 

「…ま、報酬も貰ったし、良しとするけどね。」

 

「当然だ。寧ろそれ、賢者としての仕事じゃ一番の大仕事だったからな?これで流されたら骨折り損だ。」

 

 隠岐奈が遠い目をするが、それも致し方無い。

 というのも、報酬として事前に要求したものは、魔理沙に使えるような魔導書なのである。当たり前だが、そんなものがそこらに転がっているはずもない。

 

 魅魔の手で作ったものは、どいつもこいつも他人に使わせることを想定していない劇毒だ。そうでなくとも、まだ小さい弟子に使わせるには、予め限りなく弱いものでなくては。

 

 そんな指定が入ったせいで、紫たちは魔法使いと取引するか工房にこっそり押し入るかを繰り返す羽目になり、ようやく何冊かが手に入ったのである。

 

 ともあれ、契約は成ったのだ。

 

 ――顔を引き締め直して、隠岐奈は告げた。

 

「もうあと数日で始めることになるだろう。任せるぞ。」

 

 ――答えるは太古の魔女、獰猛と威厳の笑み。

 

「いいだろう。魔法使いは契約を破らん。」

 

 

 

 

「そう言えば、お前さんは何の神なんだい?えらく無秩序で混沌としているけど。」

 

 話を変え、魅魔は隠岐奈に聞く。彼女をして、これほどまでに数多の側面に顔を持つ神仏は初めてだった。

 

 性格自体は如何にも神らしい。自らを敬い信仰する者には慈悲と霊験を、蔑ろにする者には無慈悲と神罰を。そこは変わりないようだ。だがその霊験自体が、読み切れないほどの多角であった。

 

「そうさなあ……私の支配は多岐にわたるゆえな、一口には答えられん。後戸の神であり、障碍の神であり、地母神であり、能楽芸能の神であり、宿神であり星神であり、また養蚕や被差別民の神でもあるぞ。後は忘れた。」

 

「……無節操だねえ。」

 

 一体どれだけの権能を持っているのか。それでいてまだまだ底が無い。

 複数の方面に権能を持つ神はいるが、それにしたって彼女は異質、膨大に過ぎる。余りにも神性が多すぎ、神として混沌としていた。

 

 例えるなら、絡繰り箱にハノイの塔、古今東西ありとあらゆるパズルを無作為に積み上げ、ジェンガを組んでいるようなものだ。

 

「私はあらゆる存在の背中に扉を作り、後戸の世界より世を見守る。習合支配もお手の物さ。」

 

 そう言って、隠岐奈はニヤリと笑った。

 

 

 

 摩多羅神、摩多羅隠岐奈という神の本質は、すなわち究極の絶対秘神だ。

 

 彼女の本当の正体は誰も知らない。知ってはならない。如何なる者も、決して知ってはならぬ未知の世界そのもの。その正体を見てはいけない、聞いてはならない、語ってはならない。そういう神。

 

 無限にも等しい深淵に、無限に等しく習合した神々、その混沌が満ち溢れる。

 底へ手を伸ばそうと、届かぬ足りぬ。彼女は自分を隠してこそいないが、それと理解が及ぶか否かは別問題。拡散する無限級数の如く、決して到達出来ない蒼茫の神遠。

 

 ―――故に、威風堂々の神秘。

 ―――故に、究極の絶対秘神。

 

 

 

 威厳ある古めかしい口調と、童女と区別の付かない軽薄な口調を反復横跳びするのも、この神の抱える神性習合による異常性の一つだろう。相手する側としては厄介この上ないが。

 

「そんなのが何で彼奴に協力してるんだい?余り関係性が分からないんだがね。」

 

「なに、あやつとは昔々から交友と敵対を繰り返していてね。今回は偶々理想が合致したから、仕方なく手を貸しているの。」

 

 スキマを司る妖怪と、バックドアに潜む秘神。成程、お似合いではある。

 

「紫の奴が表なら、私は裏だ。私の賢者としての役目は、即ちフィクサー。パワーバランスに裏から手を入れ制御する。幾ら理想郷の土地が頑丈でも、修理する者は必要だろう?」

 

黒幕(フィクサー)とはこれまた言い得て妙だね。」

 

 これこそが摩多羅隠岐奈の真髄。郷内における過剰な力の偏りをその特異な権能でもって修正、制御し、秩序とパワーバランスを保ち続ける。まさしく『黒幕』。

 

「大抵のことはどっちか一人で何とか出来るんだけどねー…結界についてはちょっと大きすぎるから。」

 

 悩ましげに首を傾げる様相も、整いすぎた顔立ちのせいで実に様になっていた。

 

「まあ兎に角、私たちが日本から結界を拡げるから、結界の拡散に気づいたら順次動いておくれ。お前が手を貸せば大陸の殆どは範囲に入るだろうし。」

 

「はいはい、分かったよ。」

 

 音もなく、四季折々の情景を浮かべる扉が閉まる。月が明々と照らす湖に幾つも開いた時空の歪みが正され、やがて後戸の御世に通ずる錠門だけが残った。

 

 隠岐奈はキュリキュリと車椅子を動かして、元の世界に帰ろうとした――所で振り返り。

 

「そうそう、お前の育ててる弟子だが。()()使()()()のかい?」

 

「…まだだね。普通ならもう一人前だが、こと博麗とやり合うには未完成だ。」

 

「そうか。余り時間は無いぞ。」

 

 それだけ告げて、秘神は静かに闇の中に身をやつした。

 

 

 

 

「分かっているよ、言われずともね。」

 

 吐き詰めるように呟いた。

 ちょうどその時、後ろからガチャリとアトリエの扉が開かれる音がした。

 

「むみゅうう……魅魔様ぁ?」

 

 寝ぼけまなこを擦りながら、赤髪の少女が這い出してくる。毛布を纏って枕を抱えたままであり、本当についさっきまで熟睡していたのだろう。

 

「起こしたか。すまん。」

 

「んーん…誰か来てたの?」

 

 神格の残滓。ほんの少しとも言えないほど薄っすらと隠蔽されたそれを、魔理沙の感覚は当たり前のように捉えていた。

 ()()()()()()()()()()()()も、分からずに。

 

「…………いいや、何でもないよ。さ、もう入りな。凍った湖の傍は寒くて仕方ないだろ?」

 

「んー…」

 

 むにゃむにゃと、寝言を呟きながらアトリエに戻る。

 それに付いていきながら、魅魔は一抹の不安を覚えていた。

 

 

「危ういね、やっぱり。」

 

 

 

 

 

 

「ふうっ…やれやれ。小娘相手とは言え、感づかれず動くのも難しいもんだ。」

 

 冷や冷やしたよ、と冠を外して椅子に放る山吹色の秘神。

 車椅子から腰を上げ、カツカツと音を立てて歩みだす。視界の殆ど通らない暗黒の領域を、まるで自分の城であるかのように。

 

 それは事実だ。この『後戸の国』は、真実彼女の城であり、掌であり、あらゆる存在のバックドアそのもの。文字通り自分の宮殿にして体内同然のこの世界では、隠岐奈は絶対神同然の権能を行使する。

 

 真紅よりも真っ赤な、謎すぎる木々植物のカーテンと絨毯を通り抜け、その先に待つのは―――二つの物体。

 

「お前たち、帰ったぞ。」

 

 その言葉をかけられた。それがスイッチだったように。

 

 糸が切れた人形の如く鎮座していた物体は、スッと首を上げて主を迎える。

 

『お帰りなさい、お師匠様。』

 

「おう、丁礼田に爾子田よ、二人ともちゃんと留守番してたか?」

 

 無論、この問いに意味など無い。彼女ら二童子、「丁礼田」と「爾子田」は隠岐奈の操り人形。主人に奉仕することだけを存在意義とする、人間の皮を被っただけの肉の傀儡だ。

 その隠岐奈が命令を下していないのに、留守番など出来ようはずもない。

 

 されど、この秘神のタチの悪いのは、心など持たぬはずの人形に元の人格をしっかり残しているということだろう。

 

「そうですよ!聞いて下さいよお師匠様、爾子田がね……!」

 

「ちょ、それ言ったら丁礼田もでしょー!?」

 

 記憶も感情も無いのに、喧嘩を始める二人。勿論、そんな事実などありはしない。意地の悪い「お師匠様」の戯れだ。

 

「分かった分かったお前たち。話は後でゆっくり聞いてやろう。」

 

 ほっぺたをむいむい引っ張って取っ組み合いをしていた二人の動きが、歯車を抜かれた機械のようにピタリと止まった。

 

 紅草の庭園の中央に置かれた、扉をあしらった玉座に隠岐奈が座り込む。すぐに、先の喧嘩が噓のように息の合った動きで、玉座の隣に二童子が侍る。

 左座に竹を携えた丁礼田が。右座に茗荷を携えた爾子田が。それぞれの配座に着いた。

 

 暗がりに満ちた後戸の国に、突如として光が幾筋も差し込む。数多の扉が空間に出現し、一斉に開かれたのだ。

 つながる先は、全国全世界の妖怪や神の背中の扉。

 

 同時に二童子が手に持った竹と茗荷を構え、振りかざして踊り始めた。踊りとは言うが、常軌を逸したその踊りには規則性も美術性も、誰かを楽しませようという心情すら込められていない。

 ただただ無作為で無茶苦茶な、神奉の為の乱舞。狂いに狂った気違いの囃し。己の神へ捧げる、隠岐奈の為の踊り。

 

 これが、隠岐奈が部下として二人に与えた力。背中で踊ることで、望むがままに生命力を、精神力を跳ね上げ、或いは抑える能力。

 いわばバッファー。この二人は隠岐奈の意向に従い、舞を捧げ、人外達の力を司る。

 

 相手の力量そのものを裏から操る力と叡智、そして信念。

 故に摩多羅隠岐奈もまた、『賢者』の座にあるのだ。

 

 

 

 二人に躍らせながら、隠岐奈は考え込む。

 

 魅魔との会話を途中でぶった切り、異界に急いで戻ったのには理由がある。

 

 霧雨魔理沙。熟睡していた彼女が此方に感づき起きだしたからだ。いずれ楽園の機構たる『博麗の巫女』の隣にいるべき彼女に、自分の存在を知られるのは余りよろしくない。

 まさかこの自分が、たかが十年研鑽を積んだだけの小娘に見つかるとは思わなかったが。

 

「さて、どうしたものか。」

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今隠岐奈の頭を占めるのはそのことばかりだ。

 

 一度会ってみて分かった。アレは本格的に此方に引き込まざるを得ない。放置するには余りにも危うく、保有する力も大きすぎる。

 

 今はその強固な精神と優れた魔法の技術で抑えているが、枷が無ければその内どうなるか分かったものではない。

 下手をすれば、折角の楽園をぶち壊される可能性だってある。

 

 故に、枷を付けるのだ。そして楔はこの楽園、それそのもの。

 「縁」は得てして力の源に、そして首を絞める鎖にもなる。

 

 確かに危ないことは間違いないが、逆に引き込めば理想郷は更に強固になる。見逃すには惜しすぎる。

 

「差し当たって、逆鱗はあの魔女見習いか……とんだ厄ネタだよ、本当に。」

 

 言葉とは裏腹に、隠岐奈の口角は隠し切れないほど、邪悪に歪んでいた。

 

 元よりこの神は、決して善神などではない。むしろ世間一般で見るなら間違いなく悪神の類だろう。

 善も悪も飲み干し、自らの混沌の一部とする器がある。

 

 だからその貌は多彩で、尚且つ無貌だ。二童子よりも幼く見える姿も、こうして権謀術数を手繰る姿も、全て彼女の持つ一面に過ぎない。

 結局のところ彼女だって、何処まで行こうと狂っているのだ。その身に溢れかえる狂気を喰らっているのだ。

 

 『表』は優しすぎる。甘すぎる。

 これでは、いつかは守りきれまい。

 

 故に私が、奸佞邪智を巡らそう。必要とあらば、如何なる手も打とう。

 嗚呼、嗚呼、何と嘆かわしい。何と悲惨で――――何と甘美で、楽しいのか。

 

「くく、くくくっ……くはははっ!!あっはっはっは……!!」

 

 

 賢者の名を冠した絶対秘神、摩多羅隠岐奈。

 究極に座す邪神は、その悲惨で甘美な幻想に、どこまでも狂笑を響き渡らせていた。

 

 

 




 第二賢者、おっきーなです。最近賢者との絡みばっかりな気がする…。
 年末にギリギリ投稿できました。

 夏から投稿してて、未だに序章が終わってない小説があるらしいですね(白目)
 何はともあれ、よいお年を。読んで下さった皆様、ありがとうございます。


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幻想郷 ~Next History of Lotus Asia

 

 

 幻想の楽園。

 そう謳われるべき、未だ遥かな理想郷。

 

 

 ―――妖は願う。それが自らの望みの架橋とならんことを。

 

 

 ―――神は願う。それが護る者らの平穏の苑とならんことを。

 

 

 ―――人は願う。それが魍魎災禍亡き楽園とならんことを。

 

 

 

 遥かな太古より、変わらず大地を照らし続ける白燐の星――月。

 

 その慈しげな光を浴びながら、博麗神社の朱色の鳥居に、二つのシルエットが腰掛けている。

 

 境界の妖怪、八雲紫。

 絶対秘神、摩多羅隠岐奈。

 

 遂に地上の賢人達は、理想郷創設という大望に手を伸ばすべく、その重い腰を上げようとしていた。

 

「巫女の様子は如何だ。」

 

「ぐっすりよ。後でちゃんと仕事出来るように寝かせたわ。」

 

 そう言いながら、本殿に目を向ける。今日の主役の一人である彼女は、今頃そこですやすやと眠っているだろう。後で起こすのがちょっと心苦しい。

 

 彼女には、結界を張るのを手伝って貰う。その霊力を起点にすることで、巫女による結界の調整を容易にするのだ。

 

「では頼むぞ。私は後戸の国から手を加える。」

 

「お願いするわ、隠岐奈。」

 

 山吹色の秘神が姿を消す。彼女の本拠である、後戸の国に。

 

 

 残ったのは境界の大妖。

 

 彼女は金細工の盃に清酒を注ぎ、一人月光を水面に浮かべて月見酒を楽しんでいた。

 神社に咲き誇る早咲きの桜と水辺の蓮花が、寂れた神社と調和し、一つの異空と見紛う美麗を醸しだす。酒の肴にはぴったりだ。

 

 さしずめ、大仕事の前の最後の一献。惜しむらくは、この風情を楽しむ者が自分一人であることか。

 

 

 ―――否、()()ではなかった。

 

 

『相も変わらず、寂びた奴だね。出店を開いてもいないくせに、背中で閑古鳥が啼いてるよ。』

 

 明朗に響く童女の声が、中空から聞こえた。

 

 紫はそれには驚かない。なんたって彼女は()()()()()()()()()。友人の酒の匂いに、彼女が釣られぬわけがない。

 

「そう思うのなら姿を見せたら?どうせコレ目当てなんでしょう。」

 

 そう言いつつ、盃を空に向ける。

 

 「当たり」と言わんばかりに、風が吹いた。

 

 

 

 霧が萃まる。

 

 冬の澄んだ空気に、妖気が混じる。

 

 気配が現れ、虫のように小さいものから、大山のそれへと変わりゆく。

 

 色が、匂いが、気が混じり合い、集まり合い……やがてそこには、一人の少女が立っていた。

 

 

 橙色の髪を晒し、袖口と裾が襤褸となった白い袖無しとスカート。

 腰と腕輪、持っていた大きな瓢箪には重い銀鎖が繋がれていた。

 

 その先の分銅は、彼女の在り方を物語る。

 赤の三角錐は『調和』、即ち『密』を。黄の球は『無在』、即ち『疎』を。そして青の立方は『不変』、即ち彼女自ら、『自分自身』を。

 

 そして何よりも目立つ、頭から伸びた、捻じれ狂う二本の角。リボンの結ばれたそれと闇夜の中で赤く輝く眼は、彼女の種を明確に告げている。

 ―――妖怪最強の種族、『鬼』。

 

 そして彼女は、その更なる頂点。

 

 (あつ)まる夢、幻、そして百鬼夜行。妖を統べる、鬼の頂点。百万鬼の首魁にして、その頭領。

 

 

 ――――伊吹萃香。

 

 

 

「良く分かってるじゃないか。流石は私の親友だね。」

 

 開き直ってからからと笑う鬼に、スキマ妖怪は溜息をつくばかり。

 この伊吹萃香、鬼の御多分に漏れず酒が大好きな上、その反則的な能力で何処で酒宴をやろうが必ずかぎつけるのだ。そして必ず、そこの酒を飲み尽くすのだから始末に負えない。

 

「まあどうせ来るとは思ってたわよ。準備は終わったのかしら?」

 

「おうさ、取り敢えず華扇は向こうにいるし、間の雑事は天魔にぶん投げたよ。」

 

 それは準備とは言わない。

 くそ真面目の茨木童子と天狗の棟梁の苦労が浮かばれる。

 

 想像はつくだろうが、紫はこの鬼を始めとした「妖怪の山」に巣くう面々も取り込んでいる。なにせ日ノ本でも随一の妖怪一大勢力だ、手を回さない理由がない。

 鬼と天狗の両トップ、酒吞童子こと伊吹萃香と実質的に山を仕切る天魔が、彼女と交流があったことも幸いした。

 

「それよりも酒くれ、酒!」

 

「これ結構貴重なものなのよねえ、じゃあそっちのも一口頂戴。」

 

 それぞれが酒器を出す。紫は上品な椀を、萃香は豪快な大杯を。

 紫の注ぐ酒は自前で造った、とても貴重な純米の清酒。対して萃香は一抱えもありそうな紺塗りの大瓢箪――「伊吹瓢」から、酒虫で造った無限の酒を入れる。

 

 互いに対等を示す五分五分に酒を注ぎ、コクリと乾した。

 

「か~……やっぱキクねえ、アンタの酒は!濁酒(どぶろく)も悪かないが、アンタの清酒は二味も違う。」

 

「こっちも美味しいわ。流石は鬼の至宝。」

 

 己に気兼ねなく酒を交わせる相手は、二人には貴重なのだ。続けてもう一杯も飲み干し、二人して月を眺める。

 

 

「……アンタがこの話をした時は、遂に自分を弄り過ぎて狂ったのかと思ったけど。」

 

「しょうがないわよ。大言壮語だとは理解していたわ。」

 

 人妖問わぬ、桃源郷。種の諍いを廃した楽園。

 

 阿呆な話だ。

 紫も如何にこれが途轍もない道程かを分かっていた。人間の大敵たる鬼の萃香に至っては、この話を聞いた瞬間大笑いをした後に、数百年ぶりに素面となって真剣に紫の診察を始めようとしたのだから、その無謀さは推して知るべし。

 

 

 ……それでも、此処まで来た。

 

 

「今更退けない。此処まで来たのに、頓挫させる気は無いわ。」

 

「安心しなよ、親友の一世一代の暴挙だ。ここで存分に付き合ってあげなきゃ鬼の名が廃る。」

 

 やっぱりこういう時、この万年酔いどれの親友は頼りになる。

 

 報酬はこの酒百斗分ねー、と笑いながら言う友人に、妖怪の賢者は是を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 萃香も帰り、時は草木も眠る丑三つ時。

 

「―――準備はいい、靈夢?結界を張るだけで良いからね。」

 

「何時でも大丈夫。」

 

 境内に立つ、博麗の巫女と妖怪の賢者。

 

 巫女は目を覚まし、遂に結界をこの地に降臨する準備が整った。

 

 

 二人は胸の前で手を組み、自らの霊力と妖力を練り上げる。

 そして内包する力を完全に活性化し―――全開にした。

 

 

 コオオオオオォォォ―――……!!

 

 

 最高の人間と最古の妖怪。二人の放つ圧力の高まりが共鳴し、空間を震わせ、澄んだ音が世界に響く。途方もない気配を受けて、人も、妖怪も、獣も虫も、その一瞬だけ足を止めた。

 蒼く可視化されるほどに濃密な、霊気と妖気。

 

 しかしこれは準備運動、前座の前座に過ぎない。これほどの気をもって、ようやく大結界を築き上げるに足るのだから。

 

 

 紅白に身を包んだ幼い博麗が、スッとお祓い棒を正眼に構える。そして目を瞑り、祈りを捧げるように天へと向けた。

 

 瞬間。

 

 

 ()()()()()()

 

 

 博麗神社の境内を中心に、ビシリ、ビシリと大地が罅割れ、霊光が溢れ出す。地脈も地形も巻き込み、巨大な断裂が迸った。

 

 大地を横切る青銀の焔は、妖怪の山を、広大な竹林を、霧立ち込める湖を、人の隠里を、外の世界から隔てるように駆け抜ける。

 

 やがて構築されたのは、恐ろしく巨大な円陣。博麗神社を起点と終点にして結ばれた、何百里にも渡る霊力の境界。

 

 

 目の前で境界が閉じられ、完全に完成したことを見届けた靈夢は、お祓い棒を降ろす。

 そして手を振るい、陣を描いた。

 

 ――空に浮かぶ、朱の八角。

 

 蒼ざめて輝く境界が、白に染まる。そして極光は大地から天へと伸びた。大地の境界が、天地を別け隔てる結界と成る。

 

 

 天頂にて極光が結ばれ完成するは、超常規模の大天蓋。想像を絶する空のドーム。星空を背景に、淡く輝く半球が完成した。

 

 

 

 振り向いて言った。ここからは、お前たちの仕事だと。

 

「終わったわ、これで良いのよね?」

 

「十分よ、お疲れ様。」

 

 スキマが開き、ふわりと揺れる金毛が突如として現れる。

 

「靈夢、よくやってくれた。下がれ、後のことは私達に任せろ。」

 

「分かった。」

 

 八雲の従者、九尾の藍の言葉に靈夢は素直に頷き、慌てて境内から下がる。

 

 これはあくまでただの結界。何の効果も持たない、ただ馬鹿でかいだけの領域だ。

 隔てることも、引き込むことも出来ない、ただの境界。

 

 だからこそだ。無垢な境界という名のキャンバスには、好き放題にオーロラを描ける。そして妖怪の賢者ならそれが可能。

 その土台は娘が用意してくれた。彼女が好きに弄び、書き込める結界を作れたのも、靈夢の力あってこそだ。

 

 

 ……故に、ここから先は彼女らの出番。

 

 楽園を護る管理者の仕事、境界の支配者の本領だ。

 

 こと境界についてはこの世で右に出る者のいない、スキマ妖怪がその全力を振るう。行使するのは何百年にも渡って営々と組み上げた、究極の術式だ。加えて、裏の管理者によるサポート付き。

 これでしくじるはずもない。

 

「始めましょう。」

 

 ピッ、ピッと、紫の形の良い指が印を結ぶ。この日の為に百年間とかけて完成された、前代未聞の大秘術。世界を幻想と実体に別け隔てて異界となす、最高最悪の大術式。

 幻想を内に、現実を外に。その位差をもって造られるは、幻の者達を誘う、伝説の夢の国。

 

 

「『夢郷……」

 

 指が振り下ろされる。

 術式が解放される。

 

 

 

 

 ――――『幻と実体の境界』

 

 

 

 

 

 斯くて、世界が別たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――おっ、きたきた。」

 

 何時もの湖の畔に立っていた魅魔。

 

 満月の魔力を存分に浴びていた彼女は、今この瞬間、遠く離れた東の国で、文字通り世界が激変したことを感じ取っていた。

 

 

「魅魔様!これって……」

 

「おや、お前も気づいたかい?」

 

 慌てて起き出して魅魔に問い詰めるのは、彼女の弟子である魔理沙。

 

「うん。でもこれって、あんまりにも……」

 

「強すぎる?」

 

 こくんと頷く。

 

 今もこうしてビリビリと肌を震わせる、絶大な妖力。考えるまでもない、紫のものだ。

 大結界を張るために全力で解き放った妖圧が、何千里と離れたこの場所まで伝わっている。

 

 そしてその大結界は、今どんどんとその範囲と効力を拡大させており、その余波は此処まで届いていた。世界中の人外達がその力を貸した成果だ。

 その結果が、忘却を惹きつける強大な引力。

 

「辛かったら寝てても良いよ。力に敏感なお前にはきついだろう。」

 

「……ううん、起きてる。勿体無いもん。」

 

 まだ幼く、それでいて過敏な少女には少々辛かろうが、それを気合で魔理沙は捩じ伏せた。

 

 こんな力を、そして大魔法を肌で感じるのは初めてのことだ、そして次の機会は何時になるか分からない。

 叡智を求める魔法使いなら、見逃すには余りにも惜しすぎる。

 

 そんなことを幼心に考えて、どっかりと腰を据えた。

 

「――魔法使いとしてのスタンスが順調に芽生えてきたみたいで、私は嬉しいよ。」

 

 口角を上げながら、魅魔は宙に手を伸ばした。

 

 

 そして手から伸びた、虹色の煌めき。

 

 細い細い、まるで糸になるまで引き延ばした虹を、数百と束ねたような光。七色の糸束は宙に伸び、天蓋に広がり、魔法陣を描き、月と星が支配する夜を更に虹の楽園へと変貌させた。

 

 その正体は、恐ろしく高密度に圧縮された純粋の魔力。

 触れれば熔け落ちてしまいそうなそれは、紫たちへの援護射撃だ。

 

 術式を解析し、更にその効力を大幅に上乗せしてやる。

 

「ふおおおぉ……!!」

 

 遠方の所業だけでもお腹いっぱいなのに、更なる極限の御業に目を輝かせる魔理沙。

 未熟な自分には、何が起きているのか分からない。だが『凄い』ことは察せられた。

 

「――これだけやれば、大陸の大半はカバーできたかしら。」

 

 術式を展開、延長し、魔力を注ぎ込んで範囲と効力を引き上げる。その影響領域は、アトリエを中心に魅魔達のいる大陸のほぼ全域にまで拡大された。

 ここまでやればもう十分。後のことは他の連中にやらせよう。

 

「魔理沙。私はもう寝るけど、まだしばらく此処に居るかい。」

 

「うんっ!」

 

 元気の良い返事に、お休みとだけ返してアトリエに戻った。

 

 

 

 

 

 

「やってるねえ、やってるねえ。」

 

 所変わって、日ノ本は妖怪の山。鬼を筆頭に、天狗、河童、山姥など多くの妖怪が一大勢力を築く大霊峰。

 

 ぐびぐびと瓢箪から酒を食らっているのは、それを統べる四天王の一人である、伊吹萃香。

 

「ちょっと萃香、貴女も手伝ってよ……!」

 

 そんな頭領にツッコミを入れたのは、今も結界維持に躍起になっている一人の女鬼。

 桃色頭から二本の角を伸ばし、蔓椿のあしらわれた服装を着た美人だ。

 

 同じく鬼の四天王の一角にして、奸佞邪智の鬼。鬼の中でも随一の神算鬼謀を有するブレイン。

 

 茨木童子こと、茨木華扇その人だ。

 

 そんな彼女は今、紫の結界に妖力を注ぎ足している真っ最中。なんせ日本の妖怪の中心とも言えるこの場所を、結界が取りこぼしでもしたらシャレにならないのだ。

 繊細に微調整を繰り返しながら、この山での結界の維持をより強固なものにしようと奮起しているのである。

 

「いや、悪い悪い。友人や部下が一斉に躍起になってんのを見るのは久しぶりでね。酒が進む進む。」

 

「そうでなくても貴女は四六時中吞んでるでしょうが。」

 

 まあそんな中で、自分たちのトップがのんべんだらりと好き放題吞んでいるようなら、文句の一つも出ようというわけだ。

 

「はいはい、悪かったよ。―――これでどうだい。」

 

 

 轟音をあげて、萃香が妖力を渦巻かせる。洪水を思わせるように逆巻く鬼気があぶれ出し、結界の…華扇が操る方陣に吸い込まれていく。

 

 それに加え、駄目押しに他所から強引に霊力を奪い始めた。

 

 地脈。大地の血管であるそれに流れる膨大な力を、自らの能力でもって収束する。より細く、そしてより強く。萃香からしてみれば児戯にもならぬ手遊び。

 収束したものの行き先は簡単。出口を華扇に向けて繋いでやるだけでいい。

 

 周辺の生命が少しばかり枯れるかもしれないが……まあそこはご愛嬌というやつだ。

 

「わわっ、ちょ、馬鹿!いきなり流し込まないでよ!」

 

 ただ当然、繊細に調整している焚火にガソリン投げられたような身からするとたまったものではないわけで。

 

 あたふたする副官を肴に、鬼の大将は極彩色に染まる空を見上げた。

 

「さあて……妖怪も神も抗えない理相手にどこまでやれるか、この伊吹萃香様が見届けてやろうじゃないか。」

 

 

 頑張りなよ、紫。

 

 親友への激励は、酒と一緒に吞み込んだ。

 

 

 

 

 

「藍、貴女の機能を一時的に止めるわ。式の演算領域を返してもらうわね。」

 

「御意。」

 

 式神が膝を着き、平伏して動きを止めた。彼女を動かしていたリソースも含め、ありとあらゆる余力をつぎ込む。

 

「……隠岐奈!」

 

『任せておきなさい。』

 

 秘神のサポート。結界の制御、力場の強化、境界の固着。その全てを彼女が補う。

 

 

 

 駆ける。駆ける。駆ける。

 

 結界の力が、星の全てを覆いつくす。

 

 

 迸る。迸る。迸る。

 

 理が裏返り、吞み込まれて逝く。

 

 

 忘却の果てに行き着く先。

 

 夢の理想郷は、今ここに。

 

 

 

 

 ――――一つの世界が、閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 それは、世界の裏側に潜む、知られざる者達にも伝わった。

 

 

 

 永遠の魔法に閉ざされた、蓬莱の庵。

 

 銀の薬師と、月影の美姫。

 

「っ!!姫様、屋敷の奥へお下がり下さい。これは……」

 

 天地を覆う強大な気を感じて、薬師は窓から空を見上げた。

 

 突如として自分たちを囲う感じたこともない力に焦る従者を、主は宥める。

 

「ふふっ、大丈夫。心配しないで、永琳。――これは誰かの須臾の願い。それを形作る為の、夢と幻の海淵。そのために私達を引きずり込んでるのね。」

 

 黒髪の姫は、くすりと笑んだ。

 

「誰とも知れぬ夢想家さん。貴女は望みを叶えたの?」

 

 

 

 彼岸の奥底に鎮座する、是非曲直庁。

 

 黒白の閻魔と、地獄の女神。

 

「―――始めましたか。全くあの者は迂遠が過ぎる。その割にやることが大それているのだから困ったものです。」

 

 身の程を弁えぬ罪深い妖怪に、黒ですね、とため息をつく緑髪の閻魔少女。

 

「まあまあ、いいんじゃない映姫ちゃん。貴女が新しい異界の閻魔に異動になるだけよん。」

 

 頭の固い閻魔に茶々を入れるのは、彼女らのトップ。地獄そのものと言える地獄神だ。

 ちなみに今は異界担当ということで赤カラーである。

 

「さてさて、紫ちゃん?ちゃんと許可してあげたんだし、つまらなくしちゃったらどうなるか分からないわよん?」

 

 神に気に入られるほど面倒なことも、この世にはそうそうあるまい。

 三界一のトラブルメーカーは、ぺろりと舌を出して笑った。

 

 

 

 月の裏側、静かの海。

 

 月の使者と、玉兎。

 

「地上にて、大規模な空間位相差の変化を確認。次元の部分的反転と概念力場の発生を観測しました。」

 

 基本不真面目な玉兎の中で、月人に並ぶ優秀さと勤勉さを兼ね備えたエリートから報告が送られる。

 

 観測結果を示す数々の数値、グラフのデータ。それを見て、月の使者の指揮官達は自らの手に余ると判断した。

 

「すぐに嫦娥様を始め、月の都本土に緊急連絡を。指示内容によっては探査機の投入及び地上観測部隊の派遣を行います。」

 

 久々に大わらわになる静かの海の地上観測所。どうか何も起こりませんように、と穢れを厭う彼女らは願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様。と言うべきかい?」

 

 翌朝一番に、魅魔が話しかけたのは黒い大穴。否、スキマ。

 

 とくれば、当然その大穴にふんぞり返っているのは胡散臭いスキマ妖怪であるはずなのだが、果たして目に映るソレを彼女だと判別できる者が何人いるだろうか。

 

 グッタリとスライムのように蕩けた、ただの残念美人を。

 

「……ええ、もうホントに疲れたわ。何百年ぶりかしらね、この疲労の感覚。」

 

「つい最近私も味わった感覚だよ。たっぷり堪能するといい。取り敢えず、『おめでとう』とは言っておくよ。」

 

「ありがとうねぇ…」

 

 何時もの軽口もキレがない。まあ当然か、とは魅魔も思う。

 

 数千年越しの悲願達成。その第一関門を突破できたのだ。何百年という準備期間の苦労や、結界を張るために絞り出した全力を思えば、脱力もするだろう。

 

「魅魔。済まんが紫様は酷くお疲れだ。長居は遠慮して欲しい。」

 

 とそこへ、甲斐甲斐しくやって来た良妻賢母な九尾の狐。家事の最中だったのか、ご丁寧に割烹着を着ている。

 

 そして彼女から「式」が外されていた。信じ難いが、最早式神の維持すら不可能なほど消耗したらしい。

 

「おっと悪かったわね。まあゆっくり休ませてやりな。」

 

「承知している。」

 

 魅魔は振り返った。

 

 背中に広がるのは、青空に包まれる山河、竹林、人里、そして神社。完成した理想郷。この高所からはその全貌が一望できた。

 美しい。誰かが見れば、きっとそう言う。

 

 

 主人の布団を取り替える藍をよそに、魅魔は一番聞きたかったことを口にした。

 

「それで紫。―――この場所の名前、決まったのかい?」

 

 そう、この「理想郷」「楽園」の名。

 何時までも一般名詞のままでは格好もつかないだろう。

 

 そして名付け親は、この地の母であり、管理者である、八雲紫こそが相応しい。

 

「……そうね、もう考えてあるわ。」

 

 安直だけどね、と笑う。

 

「忘れ去られた者達がいずれ行き着く、最後の楽園。皆が笑って過ごせる箱庭。現実に否定された幻想達の、平穏の拠り所。」

 

 

 

 故に。その名を。

 

 

 

「――――『幻想郷』。」

 

 

 




 明けましておめでとうございます。(激遅)

 副題の意味が一発で分かった人は凄い(小並感)
 ともあれ、これにて序章を一旦完結です。遅いわ。


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東方靈異伝 ~Highly Responsive to Prayers
靈異伝 ~A Sacred Lot


 お待たせいたしました。ようやく本編始まります。


 

 東の国の、奥深く。

 

 桜並木が花吹雪く、楽園の小さな神社。

 

 ごく限られた者にしか知られていない、もの寂びた秘境。

 その幼き管理者にして守護者たる『博麗の巫女』は、現在―――

 

 

「……暇ね~」

 

 

 ――猛烈に暇を持て余していた。

 

 いや、決して責められたことではないのだ。

 この辺り一帯を鎮護する任を負っているとはいえ、彼女の出番などそれこそかなりの緊急事態に限られる。人間として最高峰の存在だからこそ、人間の味方であっても軽々とその腰を上げることは許されない。

 付け加えるなら、博麗の巫女が動くとは、それ即ち人間の大の危機ということ。彼女の出番など、無い方がいいのだ。

 

 とは言っても、流石に何日も境内で日向ぼっこをしていたら、いかなのんびり屋でも飽きるわけで。

 

「何か面白いことでも起きないかしらねー……」

 

 こういう思考に靈夢が走ってしまうのも、仕方のないことだろう。

 

 結界が作られた後にやっていることと言えば、神社の掃除や整備、神社に手を出すこまごまとした木っ端妖怪やそれにも満たぬ幼体を祓うことぐらい。

 数年もそんな生活が続けば、心は乾き、体は自然と新しい刺激を求めてしまう。

 

「爺には毎日せっつかれてるけど、そもそも修業はもうやることが無いのよねー。」

 

 玄爺の口酸っぱい説教を脳内であっさり切り捨て、何か刺激になるものはないかと、くるくる頭を回転させる。

 

 贅沢に甘いものが食べたいな――

 何処か遠出をして獣でも狩ってこようか――

 久々に紫達と会おうかな――

 

 ごちゃごちゃと頭に言葉を浮かべていた、その時のことだった。

 

 

「……え?」

 

 

 ピリッと、勘が鳴った。

 

 何かが起きた。そう直感が囁いている。

 それも、生まれてこのかた感じた直感とは明らかに異なる、特大の警鐘。

 

 即座に飛び起き、気配を探る。霊力の流れを監査し、五感全てと第六感を一瞬で活性化させた。常人には到底不可能な全方位への極限集中も、彼女なら息をするように容易いこと。

 

 知覚範囲を大きく広げ、見つけだした方向は……

 

「神社の裏手?」

 

 神社の裏側の方、それもかなり離れたところだ。方角としては北東、即ち鬼門である。

 

「そんな所に何かあったかしら。少なくとも前に覗いたときは何も無かったと思うけど……?」

 

 一応ここら一帯の地形は把握している。確かそのあたりにはただ岩山が幾つか連なる程度だったはずだ。

 

(鬼門……もしかして地獄?でも何処か違う感じもする。中らずと雖も遠からず、ってところかしら。)

 

 だが丁度いい。そもそも今は絶賛暇の特大セール中だったのだ。こんな面白そうな状況を見逃すわけにはいかない。

 

「決まりね。見に行ってみよっと。」

 

 

 お祓い棒を引っ掴み、大量の霊符に鎖を通して袖の下に仕込む。ジャキジャキと音を立てる封魔針は何時でも放てるように腰に括り付けておく。

 白の巫女装束と紅袴をピシッと伸ばし、いつもの戦闘スタイルを整えた。

 

 のだが、何かが不足している気がする。

 はてな、と首を傾げた。

 

 普通ならこれで十分なはず。なのに自分の勘は、今回はこれでは足りない、と言っているようだ。今までこれに頼って生きてきたから、無視は出来なかった。

 

「……あ、そうだ。あれを持っていこうかしら。」

 

 不意に思いついたのは、今まで気にはなっていたのに、一切触れる機会が無かった代物。

 明確な祭神の存在しないこの神社において、適当に御神体として祀られている、博麗神社最大の至宝。

 

 ごそごそと本殿の中に入り、最奥の御厨子(みずし)に奉納された、太極図を球にしたようなその宝玉を取り上げる。

 

「あったあった。これさえ持っていけば大丈夫でしょ。」

 

 

 ――――『陰陽玉』。

 

 無限に力の湧き出す、博麗の秘宝。日ノ本全ての妖怪を滅して余りあると謳われた、まごうことなき至高の霊玉。

 

 

「大事に祀ってあるだけで、使ったことはなかったのよねー。ついでだし持っていこうっと。あるものは活用しないとね。」

 

 未熟なうちは、何故か紫に触れることを禁じられていたのだ。一人前になってからも結局使う場面が無くそのまま御神体として扱っていたが、折角出番があるなら使ってみたい。

 

 紅白の球体を抱え、今度こそ鳥居を抜けた。

 

 ゆったりと朝の甲羅干しに浸っていた最中、不幸にも己の仕える主人が境内を飛び出すのを見咎めた老亀は慌てて声を掛ける。

 

「御主人様、どちらへ!?」

 

「ちょっと外に出てくるだけ!心配しなくていいよ!」

 

 止めようとするも、時すでに遅し。

 とんでもない脚力と霊力放出を発揮してジェット機ばりに己の体をかっ飛ばした主には追いつけず、あっという間にその姿は森の奥底に消えてしまった。

 

「ああもう、あの方は!!目を離すとすぐに御勤めから逃げなさる……」

 

 博麗の持つ務めを綿々と継いでいくことは玄爺の役目。だが支えるべき主人がこれでは先が思いやられると、彼は頭を抱える他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは、宇宙の奥底。

 

 全ての異界、星々、あらゆる位相を支える、無限の無限乗に拡がる暗黒の領域。

 暗闇と魔力に満ちた大気が支配する、魔法の世界。

 

 ――――『魔界』。

 

 

 そんな魔境の中の魔境で蠢く、幾つかの影。

 魔界首都こと『パンデモニウム』―――魔界の中枢とも言える一等の大都市。その最奥に、彼女らは居た。

 

 神殿の一室に並べられた、場違いな純白のテーブルと椅子。そして最高級の魔法の茶器。

 見てわかる通りに、誰かさんの「お茶会」の最中である。

 

「……神綺様。地上から不正規ルートでの侵入が確認されました。」

 

 クセ一つ無い美しい金色のロングを靡かせたメイドが、主に報告を行う。

 

「あら、お客様かしら。聞かせて頂戴、夢子ちゃん?」

 

 その主は、六枚の純白の翼を背中から伸ばし、真っ赤なフリル付きの奇怪なドレスを纏う少女だ。威圧感のある見た目に反して、ぽわぽわとした天然な空気を漂わせている。

 

「はい。以前人間に封印されたゲートです。先日出現した新たな異界との融合により綻びができたようで、更にそこから人間の侵入者が発生したとのこと。」

 

「やんちゃな子なのねー。」

 

 クスクスと微笑む少女からは、緊張など微塵も感じられない。

 

「ゲートの綻びは安定しており、再封印よりは放置が宜しいかと。侵入者は排除致しましょうか?」

 

 物騒なことを言うメイドに、主人はあらあらと笑うだけ。しかし事実として、最強の魔人たる彼女を動かせば侵入者の排除には一秒とてかかるまい。

 

 そんな中、唐突に三人目の声が飛び込んできた。

 

「―――いえ、此度は私が向かいましょう。」

 

 その声の主は、お茶会に座していたもう一人。同じく巨大な六枚羽を持つシルエット。但しその薄蒼の存在からは、精気というものが欠片として感じられなかった。

 

 そのことに、二人は少しだけ驚く。

 今の今まで声を発さなかった彼女が、急に口を出したのだ。いやそもそも、彼女がこうして何かしら能動的な動きを見せることがまずほとんどありえないこと。

 

「サリエル?貴女が出るなんて、どうしたのいきなり?」

 

「貴女様が直接向かわれるほどのことでは……」

 

 彼女はこの世界の絶対神と、唯一同格とも言える存在だ。事実メイドも、己が主へのものと同じく別格の敬意を払っている。たかだか不慮の事故一つ、侵入者一人の対処の為に動くような者ではない。

 

 だから彼女が動いたのは、使命感でも何でもない。

 

「なに……ほんの少し、今の()()が気になっただけです。」

 

 

 ただ『天使』らしからぬ己の欲。

 望郷の情故に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 魔界の暗闇の渦の中で。地獄の滾る釜の底で。

 

 己が望みに従うべく、神々はほんの少しだけその身を熾す。

 

 それは彼らにとって、須臾にも満たぬ一片の戯れ。されど人には、世界には余りにも重すぎる試練。

 

 そして、飛び回る夏の虫は、火を火を思うことはできない。

 

 禍いに自ら飛び込む少女は、己を取り囲む運命と禍難の鎖に、未だ気づくことはなかった。

 

 

 これは幻想郷の、最初の試練。

 産声を上げた理想郷を守るべく、少女が駆け、神と仏が剣を振るう、知られざる神話となった大事変。

 

 

 ――――星が、燃える。

 

 ――――始まりの、異変。

 

 

 

 

 ――――東方靈異伝。

 

 



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風の神社 ~宙

 

「お前は半端者の忌子、生きるに値しない。出ていくが良い。」

 

 …生まれながらに妖怪の血が混じり、村を追い出された。

 

「貴様は禁忌を犯した、これ限りで都に貴様の居場所は無い!」

 

 …謀略に嵌められ、あるべき地位を奪われた。

 

 

 全てを奪われた私達は、二人から一人になった。

 私達には、私達しか居なかった。

 

 一人の世界は好きだった。何が起きても裏切られない。何があっても孤独にならない。とても心地良い世界。

 

 ――――だからソレが起きた時、私達の世界を守るために刃を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金属をかち合わせるような音が響く。

 

 剣も盾も無いのに、自分がかち合わせるその拳と蹴りからは黒鉄の音がする。

 

 怖い。恐ろしい。

 その硬さと、そして重さを感じ、心底そう思った。

 

「そこまで。」

 

 ピタリと、首筋に添えられた手刀。白魚のような形の良い指で作られたそれは、その実は鋼よりも硬く鋭い刀身。もしもあと一センチも深ければ、首が消し飛んでいただろう。

 

「……参りました。」

 

 手刀が収められるのを見て力が抜けてしまい、へなへな~っと膝がくずおれる。やっぱりこの感覚は、何時まで経っても慣れやしない。

 目の前に立つ師匠(魅魔)は、この時になると毎回殺しに来るからだ。

 

「ふむ、昨日より耐えられる時間は伸びたじゃないか。十秒だけ。」

 

「ぐぬっ…!」

 

 これは数ヶ月前から始まった、毎朝の組手だ。

 

 両者、魔力制御込みで徒手空拳での一対一。

 始めた理由は師に曰く、『魔法使いは肉体も資本だ』とのことである。また、これは魔力の高速循環と身体強化の演習でもあった。

 

 ちなみに毎度殺しに来ると言ったが、足元にはちょっとした呪詛が仕込んであり、どんな大怪我を負っても瞬時に治癒される。

 ……だからといって、朝が来るたびに命の危機を感じないといけないのはちょっと頂けないが。

 

 そして未だに勝ったことは無い。瞬殺じゃないだけ相当に手を抜いてくれているのだろうけど、何百戦しても勝ち目の糸口すら見つからないのは地味に傷つく。

 

 その場から動かすことさえ出来やしないのだ。殴り掛かった所で、回避からのカウンターで沈められる。かと言って、今回のように魔力を纏って防戦を主体にしても、基礎能力の差が大きい以上一瞬で押し切られて負けてしまう。

 

「やっぱり体の使い方に無駄が多い。魔術もそうだが、余計な力を抜くことを意識しなさい。脱力と緊張、その落差が大きければ大きいほど、鋭く速くなるからね。」

 

「でも難しいよー。」

 

 大体、力を抜けってなんだ。どれだけ抜こうとしても、人間である以上絶対に少しは力みが出る。

 

 でも魅魔は出来るんだから不可能ではないのだろう。それが余計に悔しい。

 一度隙を突いて魔力放出込みの本気でぶん殴ったことがあるが(今思えばわざと作った隙なのだろう)、身体が羽毛に変じたように手ごたえは無く、かと思いきや隕石のような裏拳が飛んでくる始末だ。あれは死ぬかと思った。

 

「神経の一本一本、筋肉の一筋一筋を意識して制御すればいい。魔力で強化した上でそれが出来るようになれば、他の魔法の扱いも段違いに楽になる。」

 

 勿論魔理沙はその土台にすら立てていない。魅魔は幾度も魔法を組み込んだ白兵戦を経験したから自然とこれが可能なのだ。

 筋力も、技術も、力の効率も、その全てが遥かに遠い。

 

 ぶすくれた魔理沙は、建物に戻ろうとした。その瞬間である。

 

 

 ――――魅魔が、あらぬ方向に振り向いた。

 

 

「えっ?どうしたの魅魔様?」

 

 不審に思った魔理沙が声をかけるも、魅魔は無視。否、そもそも彼女は弟子の声を耳に入れていなかった。

 

「この気配は……」

 

 頬を引き攣らせ、焦点が合わないほど目を見開いている。見たこともない表情。驚愕、歓喜、疑問、虚脱が綯い交ぜになった坩堝。

 

 初めて見る師の表情に魔理沙は不安になり、気を戻す為に耳元で大声を叫ぼうとした。

 だがそれは、再びの魅魔の一言で遮られる。

 

「魔理沙。」

 

「えひゃい!?」

 

 重く深い、静かな声。それだけで足が縫い留められた。

 

「急用が出来た。お前はアトリエで魔術の復習をしておきなさい。」

 

「急用?何日で戻るの?」

 

 思わず問い返す。この鬼気迫る様相からして、今回はかなり只ならぬことが起きたと見えた。もともとこの人がふらりと何処かに消えてしまうことは数多いが、こんな状態ではいつ戻るかも分からない。

 

「……数週間は掛かるだろう。私が戻って来るまで、アトリエには誰一人入れないように。結界の発動法は分かってるね?」

 

「うん。気をつけてね、魅魔様も。」

 

 思わず漏れた弟子の心配の声を、誰に向かって言ってんだいと強気に笑い飛ばす。

 

 三日月の杖を呼び出し、石突を突けば閃光が走る。

 風と共に土埃が巻き起こり、煙が晴れた時には魔女の姿は消えていた。

 

 

 

「……あ、結界」

 

 呆然としている暇はない。

 再起動した魔理沙はすぐさまアトリエに入って扉を三重に施錠し、更に仕掛けを動かすべく魔法工房に入る。

 

「こんな時の為に、ちゃんと私に使えるように再調整してくれたんだから。」

 

 工房の中央で、ぐおんぐおんと静かに唸る集積魔力炉。アトリエ全体の術式に魔力を供給するメインエンジンだ。

 

 身長百四十センチ台の魔理沙からしてみれば、見上げねばならぬほどに巨大なそれ。根元に近づくと、複雑に魔法陣の絡み合った貴石の石板が埋め込まれている。魔理沙にも扱えるように簡略化した操作基板。

 そっと手を翳し、魔力を流し込んで操作した。

 

 魔法を使うのは魔理沙ではなく、アトリエに多様多彩に仕組まれた魔術的な仕込みだ。柱から壁、床の隅々まで術式が組まれ、家具の配置までが意味を持っている。

 未だ魔理沙には理解の及ばぬ領域。だがブラックボックスは、扱い自体は子供でも出来る。陣を操り、目的の魔法を使わせた。

 

 周りの景色に薄もやがかかり、忽ち館が霞に覆われたように見えなくなった。

 

 呪詛の宝典・終章。恒常発動結界魔法。

 ――――『永劫天秤の呪い』

 

 屋敷に働くあらゆる力、あらゆる干渉を一切合切はねのける、強力な結界型呪詛。これがかかっている限り、時間の流れも、四つの力も、因果律の変化さえ完璧に隔絶してしまう。

 つまりは、変化が拒絶されるのだ。何があろうが時空は変化せず、アトリエは決して掠り傷一つ負いやしない。

 

「地震、暴風、雷、隕石。何が来たって耐えれるのよー。」

 

 よっと、とベッドに飛び込む。スプリングがギシリと鳴った。

 

 こうして魅魔が出かけることは初めてではない。自分が生まれてから頻度は減ったそうだが、それでも何度か家を留守にすることはあった。

 それでも、あんなに気迫を剝き出しにすることは今までになかった。それがどうにも魔理沙を不安にさせる。

 

 何が起きたか、事情は聞かなかった。聞いたところで意味はない。自分では傍観者にすらなれはしないのだから。

 

「大丈夫、だと思うけど。」

 

 

 不意に口角に触れる。言葉に反して、それは醜悪に弧を描いていた。

 それは、もう一つの感情の発露。

 

 ……身を焼く、恋焦がれるような渇望。

 

 あの人があんなに真剣になる、それほどの力の持ち主がいるのだ。それもこの世界の何処かに、自分の手の届く場所に。

 

 それを考えるだけで、少女の本能が、欲望となって沸き立ってしまう。

 知らずの内に、お腹の下が熱くなる。

 

「見てみたいなあ……会いたいなぁ……」

 

 相反する鬱屈した情動を抱え、少女はくるまるようにして、鬱蒼と笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女が疾駆する。風を切って、森を貫いて突き進む。

 

「方向はこっち……どんどん強くなる……」

 

 既にかなりの距離を走ってきた。直感の反応はうるさいほどに強くなっている。

 間違いなく、この先に何かあるのだ。

 

 それに此処まで来て分かったことがある。

 

(焦っているのかしら?こんな背筋が凍ることは今までに無かったのに。)

 

 焦燥。

 それが靈夢をここまで急がせている理由だ。顔には出ていないが、目的の場所に近づくほど、体の芯が凍るような焦りが胸の奥から湧き上がる。最初は好奇心から近づいてみたが、今はそれ以上に放っておいてはいけないという感情にかられている。

 

 生存本能を煽り立てる、そんな存在がこの先にいるのだ。

 

「今は真冬でもないのにね。」

 

 気を紛らわせるように冗談を言いながら石畳を踏み割り、更に加速し続ける。地面に罅が入って砕け散るたびに、小さな体は砲弾と化して突き進んだ。

 

 

「これか……」

 

 果たして北東の先にあったのは、ぽっかりと開いた『穴』だ。

 

 山の中、岩壁の崖下に大口を開けるようにして、まさしく「一寸先は闇」な空洞が出現しているのである。

 

「こんなもの前には無かったよね。どう見ても普通の洞窟じゃないし。」

 

 そう言い切れる理由は、この洞窟の周りに起きている異常性だった。

 この辺り一帯の空間が捻じれるように曲がっている。重力の働く方向もおかしく、さっきから木の葉が空に向かって落ちている。

 明らかにただの地形ではない。

 

「此処まで来たんだから……」

 

 ―――入らないわけにはいかないわね!

 

 爆音を奏で、闇へと身を躍らせた。

 

 

 

「うーん……」

 

 ―――広い!!!

 

 靈夢が抱いた初めの感想はそれである。

 

「傍目じゃただの小さい洞窟なのにね。」

 

 そう、この穴。

 空間が相当歪んでいるらしく、外から見ればただの洞穴。しかし内側は、もう一つの世界が裏返しに秘められているのかと思うほど、巨大な領域だった。

 

 内部は宇宙を思わせる漆黒の空間。

 夜空を彩る星屑の代わりに、紫色の得体の知れない球体が、そのべらぼうにでかい体躯を見せびらかしている。白い満月よりも、遥かに巨大な紫色の星だ。

 

 果ては窺えない。この空間が余りにも巨大すぎるのだろう。何も無い暗がりは、奈落を四方八方に延ばしたようにも見える。落ちたら帰って来れる保証はない、というか十中八九永遠に落下し続けることになる。

 

 少なくとも、精神的に良い光景ではないことは確かだった。

 

(道が有るのはありがたいわね。私はろくに飛べないから。)

 

 カンカンっと、つま先を地面に叩きつける。ブレる気配もない頑丈なそれは、黒と紫の宙域に不自然に浮いた、透明な唯一の地面。

 無限に伸びるクリスタルにも似た二本の道は、この暗黒領域を渡る為の光の橋のよう。欄干や手摺はないが、そこはご愛嬌というやつだ。

 

 地上ではまずお目にかかれない景色を物色しながら、靈夢は物怖じせずに道を突き進んだ。

 

 

 

 何キロの距離を踏破しただろうか。

 変わり映えのしない道を遠慮会釈なく踏み躙り、新幹線のように駆け抜ける。

 

 いい加減肥えた目が飽きを訴えてくるころだった。

 

「なにこれ??」

 

 景気よく突っ走っていた靈夢の前にいきなり立ちふさがったのは、紅と黒で構成されたタイル……を面白おかしく並べた集合体。

 より正確に言うなら、赤い梵字が刻まれた黒地の正方板が数十枚、不思議な形に並べられているのだ。

 

 そして問題は。

 

「これじゃ通れないんだけど。誰よ、こんなもの置いた奴は。」

 

 その集合体が完全に道を封鎖しており、行く手を阻んでいるということか。目的地はこのさらに先、進みたければ撤去するほかない。

 

 そしてもう一つ、気になる点。

 

「これは、鳥居?……こんな禍々しい境内があってたまるもんですか。」

 

 まるでこの先が本殿である、と言わんばかりに据えられた朱塗りの角張った和風のアーチ……即ち、鳥居だ。更に赤黒のタイルの障害物は、その鳥居と重なるように配置されている。

 言うまでもないが、これまで神社の面影など影も形も無かった。なのに急に現れた鳥居。靈夢が小首を傾げるのも、仕方のないこと。

 

 分からないなら調べるしかない、とタイルに触れてみる……が。

 

「!?かったっ……!!」

 

 硬い。硬すぎる。

 鉄塊だってここまで頑丈ではないだろう。

 

 壊してみようと攻撃をかましてみるが、案の定全て無意味。

 練り上げられた健脚の蹴りも、お祓い棒による剣聖の如き鋭い斬撃も、ゼロ距離からの渾身の霊撃すら弾かれた。

 

「ぜえ、ぜえ……だれが作ったのよ、こんなもの……!」

 

 全力の攻撃を連発したせいで、怪物フィジカルの靈夢といえど、流石に疲労が隠せない。

 

 恐ろしく堅牢に造られた代物だ。梵字の持つ力からして、おそらくは内側を封じ外界を遮断する結界の一種。それ自体は凡百と変わらない。

 だが余りにも硬すぎた。この自分が一撃一撃に力を込めて、それでなお罅割れるどころか揺らぎすらしない。空間固定などというインチキですらなく、ただただとんでもなく頑強なのだ。

 紫ですら、これほどのものを造るのは一苦労ではなかろうか。

 

(打つ手なしか……?)

 

 普通なら、諦める。

 だがここまで来たのに手ぶらで帰りたくはないし、何より異常な気配はこの先。結界越しにも感じ取れる馬鹿げた気配。こんな奴を放置しては満足に眠ることさえ出来ない。

 

 

 打つ手なし……本当に?

 

 あるではないか。

 自分の直感に従い、持ってきたものが。何時もの装備では足りぬのではと、持ってきたものが。あらゆる妖怪を滅ぼすに値する、破壊の宝玉が。

 自分に操れるか、などとどうでも良い。

 

 ―――この鬱陶しい壁を、叩き割れるならばそれで良い。

 

「……ハッ」

 

 肺の空気を入れ替え、胸の内に抱えた宝物を取り出す。暗黒の異界の内側に在ってなお、その輝きは衰えることはない。

 こんこんと霊力を大海のように溢れさせる、太極の球体。恒星の如き無限に等しい力を一抱えに秘めた、博麗の至宝。

 

 掌を壁に向ける。特大の弾丸に運動エネルギーを叩き込む為の砲台。

 爆薬は自分の霊力だ。蒼い燐光とともにエネルギーが逆巻き、薬莢代わりに腕に収斂される。

 

「持っていきなさい……!!」

 

 躊躇うことなく、砲撃のように陰陽玉を撃ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「靈夢が消えた……?」

 

 紫は不意に顔を上げた。

 

 この世界で、彼女に観測できない場所は無い。

 その力に、距離も時間も関係ない。

 愛娘の気配を、見失うわけもない。

 

 なのに見失った。

 

 はてさて、これは一体どういうことか。

 答えは彼女の優秀な従者が持って来てくれた。

 

「紫様、境界に引き込まれたことで『神玉の封印』に緩みが発生しました。靈夢は恐らくそこに迷い込んだのかと。また、陰陽玉を持って行ったようです。」

 

「なるほどね。」

 

 音もなく現れた藍の言葉に頷く。

 能力を使って見えないということは、自分すら干渉できないほど隔離能力に優れた場所に引き込まれたとしか考えられない。

 

 『神玉の封印』――それは博麗神社の裏に巧妙に隠された、有り得ないほど強固に構築された謎の封印。紫ですら、解呪に五日は掛かると思わせた傑作。

 現世と異界を分断していた、古の防壁。

 

 そして予想が合っていれば一大事だ。

 平静を装っているが、その脳はいつになく猛回転していた。

 

(確かに陰陽玉ならあの結界も突破できる。きっと陰陽玉が鍵になっていた。)

 

 靈夢が踏み込んだ結界内は、観測すら不可能な異空領域だ。見えなかったのはそれが原因。

 そこまではまだいい。問題は、

 

(中にいる連中、よねえ。)

 

「……藍。先に不躾な来客に残らずお帰り願うわ。原因も恐らく、封印の『中』よ。」

 

「承知いたしました。しかし……」

 

 靈夢は?

 言いたいことは分かる。

 

「どのみち術式領域を突破できない以上、今の私達に手出しは不可能よ。それに、中の連中はこんな塵どもとは比較にもならないでしょう。」

 

 ぐしゃり、と足元のゴミ(死体)を踏みつぶす。緑色の血が飛び散った。

 

 現在、紫たちは正体不明の異界からの侵入者を相手取っている最中だった。そしていきなり現れた、封印を介して幻想郷と紐づいた別世界。

 何も関係がないと見る方がおかしい。

 

「だから私たちはそこの招かれざる客人のお相手よ。中のことは出来る者にやらせましょう。」

 

 振り向く。

 

 黒。

 明らかに地上の生物ではない、さりとて妖怪でも神でもない。

 影を液状にして、子供が粘土細工代わりに好き勝手に固めたような、名状のしがたい化け物がそこにいた。

 

 

 ()()()()()

 

 

「っ!何時の間にっ」

 

「××××××!!」

 

 イソギンチャクにも似た触手を凄まじいスピードで、藍に振り下ろす化け物。

 判断は一瞬。即座に札をばらまいて式神使役、十二神将を降臨させてガードしようとするも。

 

(間に合わん!)

 

「×××ッ」

 

 黒の毒手が、藍の柔らかそうな肢体を串刺しにしようとして。

 

「×、」

 

 声が途切れた。

 怪物の判読不可能な声が切れた。

 

 触手が全て根元から刻まれた。

 

 怪物の身体が赤い劫火に包まれた。

 

「……!!!」

 

 自分の惨状に気づき、悲鳴をあげて逃げ出そうにも、恐ろしい火力の火炎はそれを許さない。

 物理的に存在を許さない破壊の火に、嬲るように神経を直接炙られ、筋肉と内臓が焦げていく。あっという間に細胞の一つ一つが焦がされて蒸発していく。

 

 黒焦げの死体すら残すことなく、化け物は灰にかえされた。

 

 見ると、主人が藍に向けて、オペラグローブの指先を伸ばしている。

 

(ああ、そうだ。忘れていた。)

 

 自分が死ぬわけがない。何故なら、最強たる己が主がここにいるのだから。

 至極単純な斬撃と火炎の術でも、彼女の規格外の妖力にかかれば、一つ一つが万死の一撃と化す。鬼とは違う方向性で、完成された究極の個。

 

 自分の未熟さ、情けなさに反吐が出る。

 だが反省は後だ。

 

 周りに目をやった。

 十尺はある一つ目の巨人。さっきのよりも大きいイソギンチャクモドキ。平原を大群で埋め尽くす黒い魔獣。皆飢えて、目につくものを片端から喰らわんと涎を垂らす。

 異界の醜悪な化外たちの大行進。

 

「呆ける暇はないわよ、藍。私達の愛しい箱庭に、埃を溜めるわけにはいかないもの。」

 

 主は変わらず、従者を頼っているのだから。

 

「そうですね。情けない姿をお見せしました。」

 

 パンッと両頬を叩き、気合を入れる。

 

 

 ――――『二重黒死蝶』

 

 ――――『飯綱権現降臨』

 

 

 真っ黒に染まる即死の呪力を孕む、赫と蒼の美しい蝶が群れだす。

 

 修験道の神より十三種の加護を賜り、神徳により力を跳ね上げる。

 

 

「「去ね。」」

 

 

 平穏を乱す化け物どもに、二人の怪物が牙を向いた。

 

 



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永遠の巫女

 筆が乗らない時に東方新作の発表来て狂喜乱舞したので一気に書き上げました。


 

 

 轟音と共に巨大な運動量を叩き込まれ、赤黒の障壁に向けて疾走する、二色の球。

 

 果たしてそれは主の狙い通りに目標に吸い込まれるように直撃し、いとも容易く邪魔な障害物を破壊した……のだが。

 

「なっ!?」

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 確実に貫通する軌道と速度だった。なのにどういうわけか、タイルを抵抗なく割った後に不自然に跳ね返ってきたのだ。

 まるで壊すことは許しても、貫くことは許さないという風に。

 

 更には砕け散ったタイルから、弾けるように白い弾丸がばら撒かれた。撃退用のトラップ。

 

(罠!! しくじった!)

 

 咄嗟に札をばらまいて弾丸を相殺する。幸い強度は無かったらしく、札一枚で無力化できた。

 

「くっ……」

 

 呆ける暇はない。膨大なエネルギーを放出する霊具が、今度は自分に向けて飛んできているのだ。

 黄金より重い球体が靈夢の細い身体に直撃すれば、どうなるかはお察しである。

 

「そう簡単に言うこと聞いてくれないわよね!」

 

 右腕に渾身の霊力を送り込み、筋力と耐久を何十倍にも強化する。

 大きく身体を捻って脊髄周りに力を込めた。

 

 そして鞭の如く腕をしならせ、思いっきり玉に掌を撃ち込む!

 

 さながらバレーボールの選手のように見事なフォームで陰陽玉を弾き飛ばした、が。

 

「ぐ、あああ!」

 

 ビリビリと掌越しに伝わる衝撃。

 骨がへし折れ、筋繊維がブチブチと千切れる。陰陽玉から逆流する無尽蔵の霊力が、腕の細胞を粉微塵に砕いてしまった。

 

 それでも何とか腕一本を代償にその勢いを殺すことに成功し、パワーを受け流された陰陽玉は、コロコロと橋の上を転がってようやく止まった。

 

 

 ―――えらい目に遭ったが、これでやっと落ち着ける。

 

「痛った…うわあ……」

 

 改めて見ると酷いものであった。

 内側から爆発したように右腕が完全に砕け、ほぼ挽き肉と化しているのだ。至る所に断面ができて血が噴き出し、液状に磨り潰された筋肉と骨が覗いていた。

 これまでの人生で最大の大怪我が自分の攻撃による自滅とは、何とも皮肉なものだった。

 

 何はともあれ、まずは腕を直さねば。

 

「……『浄癒』」

 

 紫から教えて貰った治癒術式に、霊力を流し込んで肉体を修復する。妖怪の妖力による圧倒的な回復能力を、人間の霊力で模倣する術だ。

 

 ボコボコと嫌悪感を煽る音を立てて、砕けた骨や潰れた肉が胴の方から生えるようにして再生していく。

 無茶苦茶な治療に激痛が走るが顔には出さず、思考を巡らせた。

 

(やっぱりまだ陰陽玉を扱えてるとは言い難いわね。私も未熟だったってことかしら。)

 

 霊具、魔道具といった神秘に類する道具というものは、薄弱なれど意思を持つ。

 魂もどき、或いは欲望(神霊)の成り損ないが宿っていると言い換えてもいいかもしれない。

 

 それらは基本的に影響は及ぼさないが、特に陰陽玉のような最高格の代物であれば、主の命に己の意思で従い動くこともある。

 陰陽玉の詳細を靈夢は知らないが、少なくともそんじょそこらの秘宝に負けるような霊具ではないはずだ。

 

「つまり、それが私に牙を剥いたのなら、まだ私は主人として認められていない。」

 

 本来の主であれば、陰陽玉が自律的に攻撃を避けているはず。

 だが今の靈夢は主人と認められていない。陰陽玉の力を制御できていない。

 

 道具如きが何を偉そうに、と思うかもしれないが、陰陽玉に限らず最高位の道具は自分で主を選ぶもの。そもそも陰陽玉の放つ力が完全に靈夢を上回っているのだから、調伏できていないのも仕方がない。戻ってきた陰陽玉を受け止めきれなかったのもそれが原因。

 

 しかしそうなると、どうすべきか。

 

 まず分かっているのは、この障壁はただ貫くことは出来ないということ。恐らくは障壁の一枚一枚が相互補完し合っており、全てのタイルを破壊しつくさない限り侵入を許さない仕組み。

 つまり先の攻撃を繰り返し、全てのタイルをぶち壊す必要がある。

 

「手でぶん投げるのは無しね。同じことになるわ。」

 

 どうせ跳ね返ってきて二の舞を踏むのが目に見えている。

 

 また壁自体にトラップが仕込んであるのは予想外だった。ただ超頑丈なだけの障壁ではなかったらしい。魔弾自体は簡単に迎撃できるので、そのために余計な危険を負う気はない。

 魔弾の迎撃の為に両手は空けておきたい。となると……

 

「お祓い棒で弾くか御札で調整。もしくは最悪足で蹴り飛ばそうかしら。」

 

 可能な限り触れずに軌道を調整し、間に合わないようなら足で蹴る。つまり蹴鞠の要領だ、昔藍に教えてもらったのが功を奏した。

 これなら手でぶっ叩くよりはマシなはず。

 

 方針は決まった。あとは実行のみ。

 

「本当にてこずらせてくれるわね……首を洗って待ってなさいな。」

 

 元凶に向けて恨みつらみを吐き捨て、完全に治癒した右腕でお祓い棒をギュンギュンと回転させる。

 

 助走をつけ、陰陽玉を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途轍もないスピードで飛来する、超が付くほど巨大な魔力の塊。

 

 果たしてそれが、ただの一体の悪霊であると気づけた者はいただろうか。

 

「こっちか……」

 

 衝撃波を撒き散らしながら空を駆け、ジェット気流に乗って雲を抜ける。

 そうして目的地の近くに到着し、地上に降りようと視界が開けた。

 

 そして、その光景を目にする。

 

「げっ……!」

 

 見渡す限りとんでもない数の、魔獣、怪獣、魑魅魍魎。

 この世の者とは思えない冒涜的な怪物達が、本能のままに大地を行進していた。草木は踏み荒らされ森が燃え、地獄絵図を呈していた。

 

 そして彼らは、目の前にいるものを二種にしか分けることが出来ない。

 ――即ち、喰えるか、喰えないか、だ。

 

「×××××!!!」

「××、××」

 

 地上に降りてきた新たな獲物に、影の獣は目を血走らせて咆哮を上げる。聞くに堪えない、憎悪と欲望渦巻くオーケストラ。

 

 だが事実彼らは強い。地上の生き物では基礎能力からして歯が立たず、素で食い物にできる上位者にして捕食者だ。 

 どう獲物を喰らってやるか、という思考に走るのも仕方ない。

 

 ……故に彼等の誤算はただ一つ。

 降りてきたのは獲物ではなく、歯を突き立てることすら許されぬ『星』であったこと。

 

「面倒だねえ……気を使う掃除は嫌いなんだよ。」

 

 術式を起動、魔法陣を敷設。この程度であれば一秒とて掛からない。幸いにも、このあたりには金属性の魔力を多く感じられた。

 使うのは属性魔法の到達点の一角、「手軽に高火力」で一掃してやろう。

 

「金、白、渦巻、竜眼。」

 

 虹霓の宝典、終章。金属性最高位傀儡魔法。

 

 ――――『銀鱗竜』

 

 

 大地を叩き割り降臨したのは、威厳と理智を思わせる顔つきの、銀一色の鱗に覆われた途方もない大きさの生物。五十メートルはあろう長い身体が、哀れな贄を見定めるように鎌首を擡げる。

 

 それは蛇どころの威圧感ではない。

 ―――幻想種の頂点。この世のあらゆる生き物の系譜から外れた存在。生物のルールを置き去りにした、最強の生命体。

 

 竜種。

 

 白銀の竜皇が、産声を上げた。

 

「グウウゥゥオオオオオ!!!!!」

 

 咆哮だけで大気が共鳴し、地脈が溢れる。あくまで神獣の模倣といえど、存在自体が周りにとっての猛毒になるほどの、桁の違う格。

 

 流石にこれほどの化け物がいきなり出現するとは思っていなかったようで、周りの魔獣たちはすぐさま仲間を踏みつぶしながら一目散に逃げ出した。

 

 もっとも、それは甘いと言わざるを得ない。

 魅魔がわざわざこんなものを出した理由。それは、邪魔な連中をフルオートで殲滅する為なのだから。

 

「私が戻ってくる間、此奴らを潰しておくように。逃がすな。」

 

 主人の命に従い、銀の竜が暴れ出した。

 

 咆哮をあげ、空圧で地盤ごと圧壊させる。

 鞭のように尾を振るい、塵も残さず消し飛ばす。

 鱗を散弾銃のように飛ばし、体に風穴を開ける。

 口腔に魔力を集積させて、超高熱の吐息として放つ。

 

 なにせ攻撃の一発一発が対軍兵器級だ。なすすべもなく蹴散らされていく。

 

 これの正体は、地中の金属を魔力によって再構成した特大ゴーレム。勿論竜種を模してスペックを構築しているので、本物には及ばずとも最強の生物の真似事ができる。

 多少魔力消費はかかるが、事前に設定していたアルゴリズムに従って、最高効率で命令を実行しようと自律稼働する。陸地を傷つけない、フルオートの大掃除にはもってこいだ。

 

 中には止めようと殴り掛かっている者もいるが、そもそも傷を負っても自動で修復する仕様だ。

 燃費についても、周囲の金魔力を絞り上げて内部の炉でエネルギーに変換している。エネルギー切れは無い。

 

「さて……多分向こうの方に、うん?」

 

 先を急ごうとすると、山の向こう側で強力な気配が二つ。此処まで届いて見える発光が出る辺り、向こうもこちらと負けず劣らずの馬鹿騒ぎらしい。

 死をばら撒く凶悪な妖力と、神霊を使役する式神遣いの妖力。

 

「さては紫と藍か。あいつらもここにいるんだね。」

 

 知り合いがいるのは素直にありがたい。

 状況を問うべく、急行した。

 

 

 

「これで何体かしら?」

 

「二千四百と七で御座いますね。」

 

 黒死の蝶弾が触れる度、魔物の肉体が真っ黒に染まり有無を言わせず死に至る。

 式神や爪、尻尾が掠る度、魔物の半身が吹き飛んで鼓動を止める。

 

 八雲の主従は、異界の侵入者を倒し続けることで現状維持に務めていた。

 

 一応抑え込んではいるが、正直何時までもつことやら。もし限界が来たら人里や他の国にこ奴らが入り込む。そうなれば、待っているのは虐殺だ。

 出来ればすぐにでも決め手が欲しい。

 

 そして式は、術者ほどの視野は持っていなかった。

 

「紫様、このままでは……」

 

「焦ることはないわよ、藍。もうすぐ致死のナイフが手に入るわ。」

 

 少しずつ焦りが出る藍に対して、紫は涼しげな顔。もちろん、千客万来な魔物を潰して捻って壊しながらだ。

 

 紫の言うことを疑うわけではないが、それにしてもどういうことか。

 答えを聞く前に、それは現れた。

 

「―――さて、こいつはどういうお祭りなんだい?聞かせてもらおうか、紫?」

 

 スナップ音と共に真っ黒い無数の魔力弾が斉射され、紫と藍の周囲に蔓延る者達の頭を全て吹き飛ばす。

 血飛沫を歓声代わりに現れたのは、馴染み深い深海色と翠の魔女だった。

 

「あら、お早いお着きね。魔理沙に手を出されたのかしら?」

 

「馬鹿言え、この私がそれを許すわけないだろう。」

 

 どうやら切り札は彼女だったらしい。藍は不躾を承知で会話に割り込んだ。

 

「魅魔、すまんが靈夢が元凶のいると思しき異界に突入した。何か突破の方法があるなら教えてくれ。」

 

 入り口の結界を指差す。生憎と紫や藍が触れても入ることすら出来なかった代物だ。

 ほうほう、と見遣る。

 

「あー、この結界に入り込むのは多分お前たちじゃ無理だ。かなり強力な理法式の結界だよ。」

 

「何?」

「でしょうね。」

 

 訝しむ藍と納得する紫。

 

「到達するまでに挟まれた無限の距離と位相を突破しなくちゃいけない。空間を重ねてガチガチに固めた、隔離能力に特化させた世界を展開してる。例外は――」

 

「――博麗家の血の者、と。道理でね。」

 

 入る以前に、そもそも到達出来なかったのだ。如何に紫でもこれでは干渉もできない。

 

「すると魅魔、どうやってこの中に入るつもり?あなたでも一筋縄ではいかないでしょう。」

 

「その前に一つ聞かせなさい。今回の一件は、()()()()()()()()()()()()

 

 真剣な表情で聞いた。これはどうしても聞いておきたかったのだ。

 

 紫は見つめ返し、数秒と逡巡した後、改めて溜息をついた。

 

「……ええ、これは完全に私の想定外よ。異界の対応を見誤っていたわ。」

 

「よし、なら手加減はいらないね。」

 

 もしもこれが紫の手の内の事態であれば、さっさと目的を達成して逃げ去るつもりであった。

 だがそうでないのなら遠慮する気はない。堂々と大手を振って介入できる。

 

「助かるわ。でもどうやって?」

 

「簡単だよ。」

 

 そう言って結界に触れる。魅魔は博麗に連なる者ではないので、当然動きが急速に遅くなり不動となるほどに固定された。

 

「私でもこれを破るのは無理だ。けどこの先にはちょっと因縁があってね。その繋がりを利用する。」

 

「縁?元凶と繋がりがあるのか?」

 

 それは、彼女を此処まで貶めた所以。

 

「『悪霊』としての私はこの先だ。」

 

「「!」」

 

 息を吞んだ。それは博麗の始祖に封じられた魅魔の半身。

 つまり、魅魔にとっては長年探してきた、文字通り自分自身の一部がこの先に封じられているということ。

 

「それで此処に来たのね。」

 

「ああ、何処にやったのかと思っていたが、封印ごと異界に隠すなんてね。見つからないわけだよ。」

 

 これがここ数百年で最大のチャンス。

 何が何でもこれを機に、半身を奪い返す。

 

「制御は出来るんでしょうね?暴れられたら止められないわよ。」

 

「安心しな、しくじったりしないよ。」

 

 

 目を閉じて、異界の奥底から伝わる妖力のラインを辿る。

 

 ほんの微かな気配だ。ほぼゼロと言ってもいい。

 しかしいくら離れて減衰されようが、重力であれ電磁気力であれ、力というのは決して真にゼロになることはない。希釈に希釈を重ねても、無限遠にまで届くのだ。

 

 そしてほんの僅かであっても、何よりも探し続けた自分の一部。見逃すわけはない。

 

「……見つけた。」

 

 多重次元の位相を数え切れないほど重ねたその先。空間をランダムに分断した重層が壁となって隔てられているその先に、感じる自分の妖力。

 

 確かに遠い。正しく無限に等しい距離だ。歩いていけば、到着するより宇宙が終わる方が早いだろう。

 だが今の魅魔には理を塗り替える魔術、魔法がある。せっかく研鑽した神秘の技術、ここで使わねばいつ使うのか。

 

「少し長旅になるかね……『境界レンズ』」

 

 何百何千と重なった空間を可視化する。

 隣接した異界を上手く利用して、多重にショートカットできる。既に座標は見えているのだから、見失う心配も無い。

 

「行ける?」

 

「何とかね。地上は任せた。」

 

 次の瞬間、光となってその姿が消える。

 異界へ潜り込んで遥かな闇の底に突入を開始したのが、紫には見えていた。

 

「任せるって言ってもねえ……」

 

「……せめて、先にアレだけは片付けておいて欲しかったのですが。」

 

 二人そろって背後に目を向ける。

 

 そこには、未だに暴れ続ける銀の竜像。敵を追い詰めながらこちら側に寄ってきている。

 尾を振り回し、頭突きを繰り出し、殺息(ブレス)をぶちかましとやりたい放題。心なしか、弱い者虐めを楽しんでいるようなのは気のせいだろうか。

 

 もちろん仕事ぶりは褒めてやるべきなのだろうが、終わった後にあのドラゴンを大人しくさせて、崩れた地形を補修する手間を考えたら……

 

「「はあ……」」

 

 とっととこのバカ騒ぎにケリがつくことを願いつつ、主従もまた戦線に復帰した。

 

 

 

 

 

 弾く。弾く。弾く。

 

 陰陽玉を札で飛ばし、お祓い棒で弾き、咄嗟の時は蹴り返す。

 

 このループによって、靈夢は安定して障壁を削ることに成功していた。

 もとより靈夢の学習能力はすさまじく高い。加えて望む通りの体捌きを行える身体能力とセンスを持つ以上、この結果は必然であった。

 

 タイルを破った瞬間、クラスター爆弾のように光弾がぶちまけられる。

 

 ―――チュチュチュン!!

 

「おっと!」

 

 陰陽玉を札で弾いて時間を稼ぎ、その隙に光弾の嵐を大幣の一薙ぎで全て吹き飛ばした。

 

 光弾は霊子を相当に圧縮した弾丸だ。スピードが速い上、見た目に反して硬く重いのでこちらも当たると致命傷になる。

 だが逆に言うなら…当たらなければどうとでもなる。

 

「一度見たのよ、当たるわけないでしょう。」

 

 最後の障壁に向けて札を放ち、陰陽玉を誘導し――直撃。

 あっという間に全てのタイルを削り飛ばした。

 

 同時にガシャアアアン、という硝子の割れるような音とともに、鳥居を残して障壁が完全に崩落。

 

 ようやく道が開けたのだ。

 

「はあー……やれやれね。またおんなじ仕掛けがあるかもしれないし、警戒はしておきましょ。」

 

 鳥居の向こうに広がるのは、障壁以前の全く同じような光景。だが未だに直感がこの先に行けと囁いている。

 

「行きましょうか。」

 

 

 

 

 そこからは流れ作業だ。幾度も出てくる出てくる、密閉型の障壁。

 基本の攻略法は同じ。ギミックは一度発動させれば対処法を編み出せる。ならば余程のことがない限り攻略可能。

 

 

 第二の壁―――千鳥模様とそれを埋め合わせる形の障壁が三枚。問題なく突破。

 

 

 第三の壁―――不規則な波形と小円の組み合わせと、起点となる中央の楔形魔法陣。魔法陣を壁代わりにすることで効率よく全壊させた。

 

 

 第四の壁―――黄色い特殊な障壁を内部に持ったリングと、小球が付属した形。これも魔法陣と同様に反射を可能としていたので、加速させながら弾き返すことで一掃することに成功していた。

 

 

 ……そして、第五の地。

 

 ここに来て、ついに橋が途切れていた。この先は本当に何もない。

 進むべき道が、存在しない。

 

 とは言え、全くの手掛かりなしというわけでもなかった。

 今の今まで全く生物の気配が無かった空間に、突如として生命の力が現れたことを、靈夢は悟っていたのだ。

 

(霊気が明らかに濃い。妖怪ではないけど完全な人間でもない。幽霊か何か、あちら側の存在。)

 

「バレバレよ、出てきたらどう?それとも怯えて出てこれないのかしら。」

 

 空中に向けて挑発。煽られて気配の主が出てくるように仕向ける。

 というかこれで出てこられないと本格的に詰むので反応してくれないと困るのだ。

 

 ―――そんな願いが、通じたのかは定かではないが。

 

 

 景色が塗り替わった。

 

 

「!」

 

 暗闇と紫の星の空間が崩れ落ち、光の橋も砕けて塵に帰る。

 変わって黒が青に染まってゆく。

 

 果たして現れたのは、青一色に浸食された、何も無い世界だった。

 

 遠近感が掴めない。何処を見ても青色の光しかない。音も匂いも無く、生命の息吹も欠片として感じられない。

 何の面白味もない世界に、ここを作った奴は相当の悪趣味だろうという割と失礼な感想を抱く。

 

 そして、感じられていた気配が収束し。

 そこに現れたのは。

 

「え。」

 

 何故だ。何故それがそこにある。何故それが牙を剥く。

 

 

 他ならぬ、ソレ(陰陽玉)が。

 

 

 全く同じではない。赤と黒ではない、白と黒。そして太極の片の穴は、割れたように歪だ。

 だが本能が訴えかける。アレも本物だ。紛れもない、本物の陰陽の霊具だと。

 

 そして、敵は考えることすら許してくれなかった。

 

 回転数を跳ね上げ、巨大な陰陽玉は散弾の豪雨を暴風と共に後継者に降らしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たれ。」

「来たれ。」

 

 無感情な声が響く。

 陰陽玉の中に閉じ込められた、否、密封された二つの影。

 

「我らの子、博麗の御子。」

「振るえ、穿て、駆けよ。」

 

 巨大な球から、戸惑いながらも紅白の少女が戦いに駆けだすのを見届ける。

 己の体でもある球に、膨大な力が幾度も叩き付けられるのを感じる。

 

「使え、仕え、遣え。」

「身を焔とせよ、魂を氷とせよ。」

 

 この身は門番。

 封印の主人にして鍵。二つの異世界から、封じられた者達から、平穏なる現世を護るもの。

 

 ―――故に、破るなら。

 

「この身を超えよ。」

「我らと等しく。」

 

 そうでなければ、この先には行かせない。

 死ぬのが分かっているから。中の怪物が暴れ出すのが分かっているから。

 

「封印を破ってはならぬ。」

「封印は破られねばならぬ。」

 

 自分たちすら倒せない者の為に、門を開けてはならない。

 

「この身と同化せよ。」

「我らを吞み込め。」

 

 だから上回り、吞み込め。

 自分たちを。更なる飛躍の為に。

 

 ―――少女の目が変わった。

 

 透明な殺意。破壊の渇望。

 確執呪縛を振りほどき、吹っ切れた人間特有の瞳。

 

「そうだ。」

「そうだ。」

 

 それで良い。これで良い。

 それでこそ。

 

「「永遠の巫女に相応しい。」」

 

 ―――我らの理想に、相応しいのだ。

 

 



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陰陽 ~Positive and Negative

 

 

「ちいいぃぃ……!」

 

 巨大な陰陽玉の回転が竜巻を起こし、そこに乗って飛んでくる高速の霊弾。

 ただトラップが仕掛けてあるだけの木偶の坊な障壁と違い、明らかにこちらを殺傷するための攻撃。明確な殺意が、そこにはあった。

 

 更にもう一つの攻撃。

 

 ギュウウウゥゥ――と回転が加速し、高速でこちらに向けて落下してきたのだ。

 その姿は、まるで自転する隕石。

 

(突進!?回避っ)

 

 ドン!!と地面を踏みつぶし、その場から消え去る。次の瞬間、黒白の隕星が地面を磨り潰した。ゴリゴリゴリッという耳障りな音が響き渡る。

 直撃すれば間違いなく粉微塵だろう。

 

 姿がブレるほどの高速で移動しながらも、靈夢は苦い顔だった。

 

(こちらを殺す気で撃ってくるわね。思考能力のない式神じゃない、あれ自身が一個の生命体……)

 

 ならば攻撃を与えて叩き落すしかない。

 

 腹を括り、回避から迎撃へスタイルを切り替えた。

 

「……だあっ!」

 

 初撃は蹴り上げ。

 霊弾の隙を見計らい、こちらの陰陽玉を蹴り上げる。

 

 放たれた紅白のボールは、光弾の弾幕を紙のようにぶち破り、そっくりな巨大陰陽玉に直撃した。

 

 ―――ガオオォン!

 

 横っ腹に与えられた圧力に耐えきれず、敵が力を漏らして発光する。

 

 効いている。どれぐらい耐久があるのかは知らないが、陰陽玉による攻撃は通じるし、無条件で攻撃を反射するようなふざけた能力も持っていない。

 無論これで倒せるとは思わない。だが効いているなら、確実に削れる。

 

(ならば倒れるまで殴るのみ!)

 

 跳ね返ってきた陰陽玉にお札を叩きつけて張り飛ばし、更なる追撃をかけた。

 ギシリッ、と敵の回転軸が傾ぐ。

 

 ついでとばかりに敵方にも直接札を投げつけた。予想はしていたがこちらは完璧に弾かれてしまう。だが放たれてきた光弾は打ち消した。

 

 いける。

 このまま削っていけばいずれ行動不能に陥るだろう。反撃もギリギリながら対処可能。術式発動不可能に追い込めばこの薄気味悪い結界も解除されてゲームセットだ。

 

 ―――そう思っていた矢先だった。

 

 

 

「矢張りお前は、完全だ。」

 

 陰陽玉が輝き、熱した鉄のように姿が変わる。

 うつろに響き渡る二重の声。

 

「人の守護者、世界の調停者。」

 

 巨大な球体から、煌びやかな人型へ。

 

「我が子孫、我が末裔。その完成形。」

 

 現れたのは、陰陽師の男。魔術師風の女。

 

「……冗談キツイわよ。」

 たらり、と冷や汗が流れた。

 

「「故に継げ。我らの力を。」」

 

 三態へ変容し、再び門番が牙を剥いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何千もの狭間の異界を炙り出し、そこに身体を滑り込ませる魅魔。気分はモグラである。

 

『確実に近づいてきている。もうすぐ辿り着けるはず。』

 

 泳ぐようにして異界への突入と離脱を繰り返し、無限大の道をショートカットする。

 もう一つの自分の気配はどんどん大きくなっていた。

 

 そうして、踏破できないはずの距離を潜り抜け。

 

「ここだね。」

 

 どぷんっ、と異界を潜りぬけて、その世界に降り立った。

 

 

「なるほど、此処に出たか……」

 

 その光景を一目見て、魅魔は納得の声を上げた。

 

 そこは、炎と暗黒に覆われた領域。

 魂を浄化し焼き祓う炎の海と、地上の光が齎す『影』が降り注ぐ世界の裏側。

 

 

 ―――『地獄』。

 

 

 此処こそが、半身を封じていると思しき場所だった。

 

「懐かしい。ほんとに変わってないわね、いやそりゃあそうなんだけど。」

 

 何もかも、悪霊となる前の記憶のままだ。

 一面が赤と黒に包まれたおどろおどろしい景色。遥か向こうには富士山どころかエベレストも超える剣山が幾本も聳え、それすら上回る超大な火柱が空間を支えるように延びている。ここにはないが、幾万の魂を納める祠や十王の坐す審理の殿などもあったはずだ。

 

 ちなみに言うまでもないが、此処は部外者がそう易々と侵入できる所ではない。

 魔界に並んで無限大の面積体積を持つこの世界は、地上から最も遠く遠く離れた死者の国だ。あわよくば入れても、地獄を満たす超高熱に捲かれて死ぬだけである。

 

 だが逆に言えば、特大級の厄ネタを封じる場所としてはもってこいだ。

 

 下手な封印では手に余ると判断して、わざわざここに自分を叩き落した判断は忌々しくも称賛に値する。

 まあ、この魔女が大昔はそのレベルでヤバかったという証左なのだが。

 

「まっ、だからって破れないと思ったら大間違いだよっと……ん?」

 

 得意げに独り言を漏らすうちに、おかしなことに気が付いた。

 

 ()()()()()()()()

 

「……妙だね。」

 

 地獄なんだから誰もいないのが当たり前、とはならない。地獄や是非曲直庁は基本的に超巨大組織で、十王を筆頭に数え切れないほどの閻魔や鬼神長とその下の神霊や妖怪が勤務している。

 

 つまり、不気味なれど割と活気があるはずなのだ。

 なのに誰もいない。

 

「ここら一体から全員を退避させた?」

 

 魔法で見てみても、周囲には誰もいない。

 明らかに異常だ。何者かの思惑があったとしか思えない。

 

「権限からして、指示を出したのは十王クラスか?けどこんな広範囲の者を退避させる意味なんて……」

 

 疑問は尽きない。ここまで明らかな異常は正直無視したくはない。

 

 だがこれ以上は考えても分からないため、目的地に向かいながら調べることにした。

 

 幸いにも、位相はここで合っている。後は飛んでいけば着く。

 一刻も早く身体を取り返す為に、魅魔は炎を眼下に飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に動いたのは男だった。

 こちらを指差して、技を唱えた。

 

「『震』」

 

 空間全体がぐらぐらと揺らぎ、こちらの動きを阻害する。霊子を巻き取られ、強化や霊術の効率がガクンと下がった。単純だが厄介な効果。

 

 続いての二撃目。

 

「『霊波』」

「っ!」

 

 霊力を伴う巨大な衝撃波。ほぼ全面をカバーする範囲と、腕を掲げてガードしてもなおビリビリとこちらを揺さぶる威力。

 

 わざと自分から後ろに吹き飛ぶことで衝撃を殺し、転がって受け身をとる。

 

「攻撃範囲が厄介ね……」

 

(それに此奴ら人間じゃない。余りにも行動が機械的すぎる。)

 

 正体は霊魂をそのまま刷り込んだ変幻自在のゴーレムか。

 つまり息切れや幻術によるヒューマンエラーは狙えないということ。

 

 そこに怯みはしても臆することはない。すぐに態勢を立て直し、冷静に陰陽玉を操った。

 お祓い棒で弾き飛ばした砲弾が、男の芯に直撃する。一瞬の硬直。

 

 その隙に追撃をかけた。

 

 何度も御札を投げて陰陽玉の軌道を修正し、連撃を叩きつける。術の範囲はともかく威力はそこまでではないので強引に攻撃を繋ぎ続けた。

 

「『霙』」

 

 陰陽玉の形の時と同じ、白い霊弾を雨と降らせてくる。しかしこちらは数が少ない代わりに、威力速度共に大幅に上昇しており、さらに追尾機能まで付いていた。

 

 流石にこれは受けるわけにはいかないので、一度下がって回避。バック転の要領で弾丸を回避すると、逸れた弾で地面がビシバシと割れていく。

 

 弾を撃ち終え、途切れなかった応酬に一瞬だけ隙間が空いた。

 

(今!)

 

 霊力のブーストをかけ、地上からの対空飛び蹴り!

 

 ほぼ直線軌道で男の顎をかちあげたその格闘術は、負傷こそ与えられずとも、上から降ってきた陰陽玉に脳天を直撃させることに成功した。

 

 ここにきて男が動きを見せた。

 

 その一撃にとうとう耐え切れなくなったのか、仕留めきれないことにしびれを切らしたのか。

 男の姿が影と消え、代わりに角を生やした魔術師風の女が出てきたのだ。

 

「ちょ、だからそれは反則……!」

「『風鎌爪』」

 

 咄嗟にジャンプ。

 刹那、見えない巨大な爪が地面を引っ掻き、何本もの平行な傷が地面を走った。

 

 直撃すれば間違いなく輪切りだ。絶対に当たってはいけない。

 

 何度も何度も執拗に、靈夢のいる座標を風の鎌が断裂する。恐るべしはその威力と連射性、鎌鼬でもここまで悪辣ではなかろう。

 

(でも慣れてきた。もう当たらない。)

 

 だが一度見れば適応は出来る。段々と靈夢も余裕を持って躱せるようになっていった。

 

「『槍燐』」

 

 それにも飽き足らず、更なる凶悪な魔術を飛ばす女。魔力を巻き込み、魔法陣が煌めく。

 男が範囲を重視した東洋の術を使うなら、女は威力重視の西洋の術か。

 

 まもなく現れたのは、摂氏にして三千度を超える炎の槍。一瞬にして女を中心に放射状に槍が形成されていく。何本もの紅炎の槍先が宙の靈夢を狙った。

 空中で靈夢は身動きは取れない。当たれば消し炭だ。

 

(だったら!)

 

 空中で身体を反転させ、術式に霊力を流し込む。握りしめた右手が霊光に満たされる。

 回避不可能ならば、迎撃するまで。

 

「霊気、解放……」

 

 ――――『封魔陣』

 

 封印の式が光壁となって拡散する。魔を封ずる聖なる方陣。それは突進してきた炎の刃を逆に吹き散らすのみならず、女の身体を粉砕しようと猛烈な圧力を叩きつけた。

 並の妖怪なら当たった瞬間圧死だ。

 

 だが男の時と同様、女にダメージは通らない。体幹がぐらついただけだ。頑丈さは陰陽玉であった時と変わらないのだろう。

 しかし構わない、どうせこれで倒せるとも思っていない。あくまで隙を作る牽制だ。

 

 本命は。

 

「締鎖!」

 

 回転して宙を漂う陰陽玉が、不自然に加速された。まるで鎖に繋がれ、思いっきり引っ張られたように。

 そしてその行き先は。

 

「……!」

 

 気づいたときにはもう遅い。

 

 ゴガァン!!と轟音をたてて、無慈悲な霊宝が女の頸に直撃した。

 

 ――――光が、弾けた。

 

 

 

 

 

「何よ、ここ……」

 

 気づけば靈夢は一面真っ青の世界から一転、ある街の中に立っていた。

 

 活気のある街だ。行商が大声で道行く客を呼び込み、幾軒もの建物が並んでいる。そして目の前にあるのが、中心と思しき巨大な建造物。

 もしや、噂に聞く京の都とやらだろうか。

 

「幻術?いや……」

 

 視点で分かる、これは恐らく誰かの記憶の中だ。

 あの時自分は、陰陽玉で女の頸を折ったはず。その時の光に飲まれて今ここにいる。あるいは女の負傷がトリガーになって、記憶の共有が発動したのかもしれない。

 

 視点の人物は線が細いが、背の高さからして男か。白い絹服を肩から掛けて歩いている。

 

(どうにもならないわね。終わるまで待ちましょうか。)

 

 先と違い、この術に害意はない。身体を自由に動かすこともできない以上、この悪夢が覚めるのを待つしかないようだ。

 

 どうにかなる。その直感に従って、映画鑑賞の気分でその視界を眺めることにした。

 

 

 

 記憶は続く。

 

 

 

 ―――生誕。奇跡。悲劇。裏切り。決意。融合。落胤。継承。

 

 

 

 ―――迫害。殺意。真実。嘆願。刃。秘匿。抱擁。

 

 

 

 そのどれもが、残酷で、狂っていて、荒唐無稽で、そして哀しい記憶。

 靈夢をして、心にクるものがあった。

 

 ――――そして全てが終わった時、それが現れた。

 

 

「……やっと分かったわ。これ、アンタ達の生前の記憶なのね。何とも苦しい人生だったじゃない。」

 

 目の前に立つ、二人の人物。

 人間の陰陽師と、妖怪の魔術師。

 

 彼らは戦った時のように無機的で冷徹な目ではなく、我が子を見つめるような穏やかな慈愛の目を向けていた。

 

 そして、その言葉も、また。

 

『そうだ、靈夢。今のは私達の記憶であり、同時に君が受け継ぐべき歴史だ。』

 

『我が儘に付き合わせてごめんなさい。どうしても知っておいて欲しかったの。今の生き残りはあなただけだから。』

 

 まあこの記憶を見せられた時点で、彼らが自分に縁のある身であることは分かっていた。

 とはいえまさか。

 

「博麗神社を作った二人が、こんなところにいるなんて思わなかったけど。」

 

 彼らこそが、博麗家の始祖。神社と陰陽玉を作り、後世に遺した人物。封印システムと同化して、門番としてこの場所を守り続けていた。靈夢を始め、博麗の血は彼らから始まったのだ。

 それを聞いて、二人の顔に苦笑いが浮かんだ。

 

『悲願とはいえ、本当は君に重荷を背負わせる気はなかった。だが状況が変わってしまったんだ。このままでは現世が滅ぶ。』

 

『でも今の貴女では対抗できない。ならばせめて私達を通して……』

 

「はいはい。分かってるわよ、これがアンタ達の不器用な親心だってのは。感謝はしないけど、覚えておくわ。」

 

 それは彼女なりの最大級の賛辞。

 二人の行動が全て、死地に飛び込む子孫の自分への餞別だと知ったから。

 

『この先は天と地、魔界と地獄。その内君が追ってきた、現世に異変を引き起こしている元凶は魔界にいる。』

 

「は? 異変?」

 

 靈夢は知らない。現世で怪物の大行進が起きていることを。最悪の地獄絵図を辛うじて彼女の師たちが留めていることを。

 それらを彼らは、結界越しの観測によって知っていた。分かっていることを事細かに説明する。

 

「嫌な予感の正体はそれだったの。要するに元凶をぶっ飛ばして収めればいいのね。」

 

 その言葉に頷いた。

 

 ズッ……と二人の影が光の粒となって消え始める。その粒子は、靈夢の身体にどんどん流れ込み始めた。

 

『君は私達の願いそのものだ。それに見合う器を持って生まれてきた。だから合格だ、ここを通そう。』

 

『せめてもの助力に、貴女に残りの力を渡すわ。陰陽玉の主人も正式に貴女になる。忘れないで、私達は何時も貴女達と一緒にいる。』

 

 それを最後の言葉として、彼らは何も残さず消え去った。

 

 子孫への力と、遺志を除いて。

 

「ついでだし、叶えてあげましょうか。」

 

 そして、彼女は強い。重荷を重荷と思わぬほどに。在って当たり前と言わんばかりに、彼女は他者の想いを背負う。

 

 

 ―――前を見据える。新たな道だ。

 脈打つ真っ黒な太陽がこちらを見下ろし、何本もの深紅の柱が聳える領域。

 

「……安心しなさい。サクッと終わらせてきてあげるわ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「侵入者……間違いなく彼女ですな。承知いたしました。では、そのように。」

 

『うむ。其方に任せたぞ。』

 

 人影が歩いていた。

 虚空より齎される命に従い、厳かに返事をしている。

 

「それと、規定に基づき神殿の半径二千由旬より種別を問わず、あらゆる人員を退避させて頂きたい。巻き込めば確実に殺してしまいます。」

 

『解っている。既に手隙の渡し死神を遣わした。』

 

 三途の川の船頭たちの、せっかくの休暇が無残に潰れた瞬間である。今この時にも、彼らは数多くの鬼神や獄卒、罪人たちを大急ぎで連れ出していた。

 

「重畳。後はこちらにお任せを。」

 

『彼女の解放は人類史全ての呪いの解放を意味する。必ず防がなくてはならん。』

 

「認識しております。それでは。」

 

 ぶつりと念話が途切れる。

 

 人影は、自分の神殿の傍に腰掛けた。地獄の中でも、場違いに静かで青い色合いの空間である。

 

「さて、貴女はどう出るでしょうなあ。とは言えこちらも一介の仏の身。軽々しく封を解くわけには参りませぬ。」

 

 まるで侍のように古めかしい口調だった。

 

 後ろを見やる。

 

 そこには、水晶のように透明なガラス質の物体。アメジストに近い質感のそれには、まるで琥珀のように、中に人が閉じ込められていた。

 

 碧の髪を流し、死者の証である三角の白頭巾。学生服(セーラー服)にも似た白と青の衣装を纏う彼女は、一見死体に見えるほどこんこんと眠っていた。

 

「貴女と会うのはこれで二度目……今度こそ、貴女を輪廻のあるべき流れへ戻してみせましょうぞ。」

 

 人影は穏やかにくすくすと笑う。

 

 その身から、隠し切れない狂気と炎を溢れさせながら。

 

 



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破邪の小太刀と月夜の杖

 はい、お待たせいたしました。魅魔様vsコンガラ様です。ぶっちゃけこれの為に靈異伝編を書きたかったと言っても過言ではない。


 

 

(門…かしら。)

 

 銀の大扉。

 その言葉に相応しいものが、駆けてきた靈夢の前に聳えている。

 

 縦何百メートルはあろうかというゲート。白銀一色の門がガッチリと閉ざされて行く手を阻んでいた。

 

 そしてこれまでと同じような障壁が、扉を守っている。

 

 頭上には、心臓のように鼓動を打つ巨大な暗黒の太陽。暗い光と熱が、彼女と門を照らしていた。

 

 ―――しゅるり、と陰陽玉を構える。

 

 それらはまるで享年まで仕えた従者のように横に並び、彼女の周りをゆっくりと回り始める。

 

 今まで意識して制御していた宝玉は、その創造者二人の権限と力を宿した靈夢を、改めて正式な主人として認めてくれた。

 これまで四苦八苦していたのが噓のように、呼吸の如くその莫大な力の挙動をコントロールできる。

 

 ただただ、心地よかった。

 

「叩き破ってあげる。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 所変わって、地獄。

 

 魅魔は、地獄の中でも一等の灼熱空間に身を置いていた。

 

 ここは『炎の腐海』と呼ばれる場所だ。名前の通り、あらゆる存在が朽ち果て燃え尽きる炎に覆われた炎海の海底である。

 

 禍々しい色の梵字で埋め尽くされた精緻な加工の柱が何本と伸び、その巨大さは遠近感を狂わせる。

 その空の中心では、この地獄の炎をかき集めたように煌々と輝く炎陽が、世界を赤く照らしあげていた。

 

 もっとも、この場所がどれだけ熱かろうが、魅魔には通らないのだが。

 

「デキる魔法使いは、太陽から身を守る術ぐらい持ってるもんさ。」

 

 そういいながら、より正確な位置を探るため探査の魔術を使う。

 

 

 気配を辿り、辿り、辿り―――

 

 腐海を抜け、炎陽をくぐり、柱の中央へ―――

 

 ―――チリッ……!!

 

 

「!!?」

 

 そこまで見て、()()()()()()()()()()()()()

 

 少し後から、そのことに自分で気付く。

 

(威圧?いや、睨まれただけか……!)

 

 攻撃を受けたわけじゃない。

 

 覗き見た場所から睨み返されただけだ。

 

 ただその視線の主が、余りにも規格外な神力の持ち主だったために。

 反射で警戒せざるをえなかったのだ。

 

 そして幸か不幸か、その神力の持ち主には心当たりがある。

 

「何であいつがよりによって此処に来てるんだろうねえ――取り返すのが無茶苦茶難しくなったよ。」

 

 ため息をついても事態は変わらない。

 

 今ので確実にこちらの位置がバレた。

 ならば絶対に追撃してくるはずだ。見逃してはくれまい。

 

 ――あの剣士なら、そうするはず。

 

 その思考を呼び水にして。

 

 

 

「―――変わっておりませんなあ。」

 

 

 ()()()()()

 

 

 緋の腐海の底から、その影は現れた。

 

「幾星霜を介そうと、その在り様は不動のもの。であれば、やはり私が祓うに値する。」

 

 

 中性的すぎて、男とも女ともつかない容姿。長い黒髪を後ろにまとめ、白無垢の上に羽織と一体化した真っ赤な装束を羽織っている。

 見るからに神具と分かる神々しい直剣と盃を提げ、額から伸びるのは真紅の鋭い一本角。

 

 一目の印象は、『鬼』だろうか。

 少なくとも、立派な角をつけたヒト型人外とくれば、鬼かその亜種であるのが普通。

 

 しかし、魅魔は知っていた。

 

 コイツだけは別だ。

 

 ―――そんなものより、遥かにヤバい。

 

 

「魔理沙を連れてこなくて正解だったね。」

 

「おや、数千年ぶりの再会だというのに、他人の心配とはつれませんのう。」

 

「お前みたいな異常者に大事な弟子を会わせられるかい。」

 

 友人のようなことを言っているが、その実バリバリの敵対関係である。必然、苦い顔をしてしまうのも仕方ない。

 だが不用意には飛び込まない。それだけ油断ならない相手なのだ。

 

「一応聞いておきたいんだが、お前が何で此処にいるんだい。

 

 ――――なあ、『コンガラ』よ。」

 

 にこりと、笑みが深くなった。

 

 コンガラ―――知られた名であれば矜羯羅童子(こんがらどうじ)。十王の一角、秦広王こと不動明王の近侍にして副官。

 

 しかしながらそれは表の顔。その本来の立場は、地獄最強の戦士の一人に列せられる、是非曲直庁の切り札(ジョーカー)である。

 

「なに、貴女の魂の闇を感じたが故、神殿にて待ち構えていただけのこと。我が主は貴女をより確実に祓うべく、私の戦いの場を設けて下さった。」

 

 その範囲、実に半径二千由旬(約二万四千キロ)。どれだけ暴れても、これなら周囲に被害は届かない。

 

「……用意周到なこった。私を討つためにそこまでするかしらね。」

 

「貴女を完全にすれば、それこそ未曾有の虐殺が起きる。霊界のバランスは大いに崩れ、輪廻は不可逆の危機を迎えるでしょうな。上はそれを危惧し、私に封印の守護と、貴女の討伐を任じたのです。」

 

 魅魔の半身は、地獄からしても破壊不可能だった。それだけ強力な怨念なのである。だから封印という手段で留めおくしかない。

 だが封印していても、奪い返されたら不味い。その上隠すのも難しいときた。

 

 ならばどうするか。

 

 簡単だ。

 『最強』に守らせればいい。

 

(あわよくば私を消せれば一石二鳥、か。)

 

 

「……さて、お喋りは此処までといたしましょうぞ。」

 

 スルゥ――と差した剣が引き抜かれた。

 

 汚れ一つ、反り一つない純白の諸刃造り。読み切れないほどの装飾を施したそれは、彼の主の象徴。衆生の穢れを一切合切焼き清める、仏神の宝剣。破邪顕正、ただそれだけを願われ鍛たれた太刀。

 

 メラリッ、と彼の周囲が紅色に歪み始める。恐ろしく高密度の神力は、練り上げられた剣気と共に鋭く重くなってゆく。

 

 

「……来たれ、『白銀(しろがね)』、そして『月輪(がちりん)』」

 

 対する魅魔も、その全力を引きずり出す。

 

 杖を構え、両脇に呼び出した銀と朱の魔導書を浮かべる。これまでとは桁の違う魔力が渦巻き、宝典が何重もの魔法陣を展開し始めた。それは宝典の、本来の姿。

 

 人を千度消滅させても足りぬ魔法が幾つも浮かぶ。それでも油断はしない。目の前の相手は、それを遥かに超える正真正銘の化け物だ。

 

 

「では。」

 

「死ね。」

 

 

 開戦と共に、地獄が砕けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初撃は、横薙ぎの斬撃。

 剛剣と柔剣、その双方を突き詰められた究極の剣技が、神の筋力で振るわれる。

 

 それは目の前の空間を鋭く真二つにかち割り、さらに余波で地面が塵となって吹き飛んだ。

 

 もっとも、これを甘んじて受ける魅魔ではない。

 上空へ上がって回避。そして反撃の準備は、とっくに終わっている。

 

「『雪崩』」

 

 滝と見紛うほどの物量で降り注ぐ、星魔力の実体弾。軌跡の重なりが一つの極太の光線に見える密度で放たれる。

 地面が何百メートルの奥深くまで掘削された。

 

 が、仏の一柱がこれで落ちるわけもなく。

 

「フッ!!」

 

 上空への、渦を巻くように捻られた剣の一薙ぎで魔弾の滝は打ち消され、勢い余って地獄の天井に深く深く真円の大穴が開いた。

 

「小技はお返ししましょうか――『紅杵』」

 

 爆音が発生し、中空の魅魔に向けて真紅の雷光が奔る。空が更なる朱に染まった。

 

 その雷撃がこれまた真っ二つに裂かれ、中から翠の人型が現れた。

 しかしその姿は、数秒前とは異なっている。

 

「そういえば、貴女は足を生やせるのでしたか。」

 

「いっぺんで良いからその横っ面を蹴り飛ばさないと、気が済まないんだよ。」

 

 エクトプラズム状の亡霊の足は、いつの間にかすらっとした白い二本足に早変わりしていた。

 傍目には、人間と区別はつかない。

 

 一瞬意識が逸れた瞬間、その姿が消える。

 物理的な超速度ではない、時計の宝典に属する空間操作系の瞬間移動。

 

 微風一つ起こさず背後に現れた彼女を、コンガラは驚異的な直感と経験で察知していた。ぐるりと眼球が回り、視線が向いた。

 同時に、攻撃が放たれる。

 

「『魔空星帯』」

「『苛焔球』」

 

 容赦なく敵を磨り潰そうと猛回転する小さな小惑星帯。

 魔力妖力を打ち消し超高温で相手を苛む火炎弾。

 

 腕の一振りで術が何千回と放たれ、互いの猛攻が激突して潰し合い、地形を土煙に変えていく。

 

 

 

 その土煙がボッと吹き飛び、今度はコンガラが白兵戦を仕掛けた。

 

「シイィィィィィィィ!!」

 

 呼吸が蒸気と化した。

 地震を引き起こす踏み込みと共に、純白の剣がブレる。

 

 ―――面打ち、上薙ぎ、突き、袈裟斬り、逆袈裟、兜割り。

 

 全く無駄のない身のこなしを崩すことなく、分子単位の恐ろしく正確な斬撃が放たれる。それを繋げ、束ね、まるで襲い掛かる龍のように、一切の余地なく繋げられる連撃の型。反撃を許さず切り刻むための近距離乱舞技。

 

 その連撃の速度は、文字通り空を駆ける彗星のそれに匹敵した。

 

 銀閃の数秒後に、今更気づいたように地盤が粉々に砕ける。

 

「グッ……!!」

 

 魔術では間に合わない。神経と筋肉、外皮に魔力を巡らせる。もとより高い全てのステータスをさらに何乗と強化し、近接での応戦に出た。

 

 怒涛の攻勢を、杖で受ける、弾く、流す。激しいながらも余分な力を抜き、大気のように手ごたえを無くす。絶えず形を変えつつも決して崩されない、流水の如き槍術。

 だがそれをもってしても。

 

(守り切れん……)

「おおおぉ!」

 

 裂帛の斬撃が振りかぶられ、その度に傷が増えていく。

 コンガラの一発一発が、こちらのガードを正面から破る威力だ。直撃したら間違いなく真っ二つ。先ほどのように魔術を使う隙すらない。

 

 さらに厄介なのが、緩急。彼の得意とする柔剣術。

 

 ぴたりっ、とコンガラの動きが止まる。

 

(!)

 

 まるでフィルムが底抜けしたかのような一瞬の静止。そして魅魔は、彼の動きを捌くように動いていた。

 静止は、()()()()()()()()

 

「しゃっ!!」

 

 次の瞬間、零から百へ。一切の加速の概念を丸投げして最高速度に至った一閃が、杖越しに魅魔の腕を皹入らせる。

 

「ぐうっ!」

「これも受けますか……」

 

 動きが止まる瞬間に魔術を放ち、怯んだ隙に距離を取りながら再生させる。

 

(手の内は分かっているんだがね……!)

 

 時たまやってくる『崩し』の攻撃。紙一重で捌いてはいるものの、先程からこれのせいでかなり翻弄されていた。

 

 加速の段階が存在せず、静止と全速のみの急動作で幻惑する。生物として色々とおかしい、コンガラの極限まで練り上げた筋力と体幹あっての技術だが、なかなかどうしてこちらに刺さる。

 

 

「ふっ!」

「?」

 

 正面衝突では分が悪い。

 咄嗟に判断した魅魔がコンガラの突きを見切り、肩をつかむ。頬を掠める剣先を無視してそのまま空いた腹に掌底を当て、そして。

 

「ぜえあぁっ!」

「なんと……!」

 

 ふわり、とその体躯を宙に浮かべたのだ。

 

 投げ技。

 遠い未来では合気道の部類に入るだろうか。だがその技には、相手を転がし無力化する意図などない。あるのはただ、相手の力を使って身体を壊す、純粋な殺気。

 

 ズガアアァァン!!

 

「がっは……!!」

 

 受け身もなく地面に叩き付けられ、閉じた口から血が噴き出した。

 地面が真っ二つに割れる。鍛え上げた芯軸を根本からへし折る、えげつない威力の投げだった。

 

(油断できませんな、本当に!)

「死ね」

 

 喉元に杖を突きつけられた。

 

「ぬううぅん!!」

 

 だが身体を壊されるのは、これまでの生で千度と下らぬ。

 噴き出した血ごと苦痛と空気を吞みこみ、体の軸を回し、大車輪を描くように剣を払う。絶死の状況すら、妙手を以て攻め番に変えるのだ。

 

 距離を取り間合いから逃れた魅魔と、立ち上がりと共に剣を鞘に納めたコンガラが、同時に振り向く。

 

「いい加減に、倒れなっ」

「それはっ、承服できませんなあっ!」

 

 ――――『燈火』

 

 ――――『已み抛り・弓張』

 

 熱源を収束して振り切られる杖先、両腕を後ろに振りかぶるほどの勢いをつけた居合がかち合った。

 

 吹き上げた塵やがれきは、もはや暗雲となるほどに集まりキノコ雲を形成している。

 

 両者とも、得手不得手をものともせず、苛烈に、されど柔軟に戦い、一歩たりとも退きはしない。

 

 

 それでも、やはりクロスレンジにおいては、地獄最高の剣士が一枚上手だった。

 

 両腕を正眼に構え、ゆったりと振り上げる。

 

 誠心、一擲。

 

「オォッ!!」

「がっ…!」

 

 杖の正中に上段切りが直撃し、彼方へぶっ飛ばされた。

 

 力を溜めただけあり、身体の芯に響く重い一撃。如何なる硬い防御の上からでも叩き切るという、執念の宿った一打ち。

 しっかり受けてもゴリゴリと体力を削られる。

 

 だがこれは、魅魔の策中であった。

 

「ずっとこんな陰気な場所にいちゃ、気も滅入るだろう。久しぶりの日の目を浴びるといい。」

 

 吹き飛ばしによって一瞬できた間隙。それは、待機している魔法を叩き起こすのに十分な時間。

 

(しまった!)

 

 コンガラが気づき、追撃に踏み込もうとしてももう遅い。

 ニヤリと口元が歪む。

 

 ……術式発動、出力最大。

 

 

 ――――『王の白陽(ロイヤルフレア)

 

 

 彼らの間に小さな紅蓮色の恒星が現れた。

 それは小さくとも、星の奇跡を宿した光。

 

「!!」

 

 その危険度を察したコンガラが飛びのく。

 

 次の瞬間、恒星は白く、白く、輝き始め…

 

 

 そして全てが、白き光と熱の爆発に一掃された。

 

 

 

 

 

 

 

「さて、少しは効いてるかな……」

 

 白銀の宝典・中章。日属性拡散系爆発魔法。

 名前通り、太陽フレアを疑似太陽で完全再現する狂気の代物。

 

 ミニサイズとはいえ、破壊力だけなら本家の宇宙的災厄にも匹敵する、能動と攻撃に優れる日属性の代表魔法だ。消耗も少なく、頼れる火力要因である。

 

 更地となった地獄を眺める。普段獄炎が満たされているこの場所も、流石にこの魔法を受けてはその耐熱性も意味をなさなかったらしい。

 地獄を支えていた柱ごと、溶岩でできた滑らかで巨大なクレーターに激変していた。

 

 ……その真ん中で、人間大の溶岩流の柱が一本。

 

「ま、そううまくはいかないわね。」

 

 じゅおおおおお、とその溶岩が白煙をあげ、蒸発を始める。

 

 やがて現れる、手、角、剣、装束。

 

「ふーむ、魔法使いに変わったとはいえ、破天荒の度合いは変わっていないようですの。」

 

 そんな暢気なことをのたまいながら、矜羯羅童子はその姿を曝け出した。

 その様子に、決定的なダメージは見られない。精々が、服の端が焼け焦げていることぐらいか。

 

 変わっていることがあるとすれば、それは。

 

 ―――彼の身体を、まるで糸と見紛うほど細い紅蓮のオーラが纏っていること、だろうか。

 

「あんた自身の炎かい、それ?」

 

「いかにも。私の権能が不定ながら形をなしたものですな。」

 

 隠すことでもないので正直に応える。

 

 彼を覆う赫黒の細長い気。

 その正体は、途轍もない密度で圧縮された炎、あるいはプラズマ。本来なら現象として視認することすらも不可能な超々高温・高密度の神気を無理やり押しとどめ、辛うじて火炎の形をなしているのだ。

 その結果が、自然では有り得ない糸のように細い炎。

 

 温度にして、先の爆発のさらに数十倍。

 

「そりゃ通じないよねえ、全部ソレが守ってくれるんだから。」

 

「便利なものです。鎧にもなれば刃にもなる。」

 

 これと比較すれば太陽ガスも溶岩も氷も変わらない。全てが触れれば蒸散する。

 つまり、あのオーラを突破しなければ傷もつかないということ。

 

「さて、ここからは本気で参りましょう。次はこちらの手番です。」

 

 メラメラと、紅花の神気が揺らぐ。

 

「っっ……『城壁』!!」

 

 刹那、膨れ上がった。

 

 

 

 ――――『火生三昧・往生』

 

 

 

 あらゆる不浄を焼き滅ぼす仏罰の炎。

 

 その破滅的な熱量が。

 

 たった一人の標的に向けて解き放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オオオォォ――――………。

 

 

 亡霊の叫びの如き音が、燃え尽きた地獄にて反響する。

 それは巻き込まれ浄化された亡者の声か、あるいは戦場としてとばっちりを受けた地獄そのものの声か。

 

 コンガラの放った一撃は、フレアに炙られクレーターと化した地獄を更なる火力でもって、完全なる異世界にしてしまった。異界の境界線すら粉砕するほどの威力だったのだ。

 見渡す限りは灰と、溶解し冷えた黒い大地のみ。怨霊すら、立ち入ることを躊躇われるような状況。

 

 あの世の神々の力をもってしても、その大地は元には戻るまい。

 

 そう、それほどの大技を放っておきながら……

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

「……私が言うのもなんですが、ちと頑丈すぎやしませんかの?」

 

 油断なく構えたまま、呆れた目を向ける。

 その視線の先に、場違いな白く光る壁があった。

 

 それが今更気づいたように炎を噴き出しながらボロボロと崩れ落ち、その先にいたのは。

 

「はあっ……相変わらずのアホ火力め。それじゃ料理しても鍋ごと食材が燃えちまうだろうに。」

 

 憎まれ口を叩きながら出てきた、悠々たる魔女だった。

 

 とはいえ無傷ではない。防御魔法を貫通する炎撃に右腕は丸ごと焼き捨てられ、無残にも全身に大火傷を負っていた。

 だがふらつきもせず身体を再生しながら話に付き合う様は、そんな痛ましさを微塵も感じさせない。

 

地獄(ウチ)の料理人は中々優秀な者たちが多いのでね。私が厨房に火を入れなくとも美味な料理を揃えてくれますな。三途の川の古代魚などは特に旨い。」

 

「羨ましいこった。じゃあこれが終わったらご相伴にでもあずかろうか。」

 

 無論不可能である。魅魔の種族柄、彼らと出会えば即座に殺し合いになる。

 あくまで戦い中の与太話に付き合っているだけだ。

 

 

 その隙に回復して、戦術を整える。

 

(いってて……威力は無茶苦茶だねホントに。さーて、どう攻略したもんか。少なくとも攻撃力は向こうが上だね。)

 

 余裕な様子を計らっているが、ぶっちゃけやせ我慢だ。治癒術式で治療はできても、体力と魔力はごっそり持っていかれた。

 

 先の火生三昧は、明王が瞑想と共に大千世界全ての仏敵を討ち滅ぼすために放つ、まさしく究極の炎。

 『城壁』は百枚近い対属性障壁を張り合わせた、あらゆる攻撃に耐えうる対人最硬クラスの防御壁魔法だったのだが、それでもやはり全てを凌ぎきることは出来なかった。

 

 それをコンガラは、特にもったいぶらずにぶちかました。それだけで彼の格の高さが窺える。

 あれが切り札ということはないだろう。恐らくは本気の状態で放つ奥の手の一つ、或いは単なる大技。

 

(『城壁』が破られかけた以上、防御は愚策か。守ったところでどうせ向こうの出力に押し負ける。)

 

 ―――ならば、大技を出させないほど攻めまくる。

 

 結局のところ、行き着くのは一つしかなかった。

 

 即ち、ゴリ押しである。

 

 

 

「『渾天儀・宙(オーレリーズユニバース)』」

 

「むっ」

 

 落ち着いた詠唱と共に出現する、七色に輝くビット。星々の力を閉じ込め攻防自在の使い魔として使役する、魅魔の代名詞。

 ただし今回の出力は、以前幽香に使ったそれとは比較にならない。込められた光は、「陽」を蠟燭とするなら、「宙」は太陽のそれ。

 

「『破魔の剣・玻璃の型』」

 

 その危険度を肌で感じ、コンガラも大きく体を開いて剣を構える。無駄を極限に排し、一刀にて切り捨てる為の型。己ではなく、人を、敵を斬るための技。

 必要とあらば、いつでも彼岸の敵を斬れるように。その刃は、一握の慈悲をもってあらゆる罪業を断つ。

 

 ビキビキと、二人の肉体に青筋が浮かんだ。集中により目は血走り、脱力から涎が伝う。

 

 闘気が、凪いで。

 

 

 ふっ、と両者の呼気が重なった。

 

 

「「ッッ!!」」

 

 

 剣先が鼻を掠めた。

 

 熱線を躱した。

 

 杖が胴を薙いだ。

 

 炎が髪を焼いた。

 

 

 魔術と剣戟が寸分空けず入り交じり、散った火花は万を、億を超え、一瞬にして兆へと届く。

 

 屠る意を存分に込めた攻撃の一つ一つが、舞踊を思わせる美麗な技前。それが絶えず絡まりもつれあい、醸す画は神話が一幕の如く。

 

 

 大気が鉄槌となって降り注いだ。

 

 剣気が嵐となって吹き荒れた。

 

 細められた水流が斬撃を撒き散らした。

 

 風を引き裂く掌底が四肢を砕いた。

 

 

「……ォオオ!」

「……ゥアア!」

 

 斬り、撃ち、殴り、弾く。地道に相手を削り続け、タイミングを見計らった両者の動きが変わった。

 

 続いては、堰を切ったように大技が飛び合った。二人の研鑽の果ての果てが、惜しげもなく奥義としてその粋を見せつける。

 

 

 ――――『月の天盤』

 

 ――――『炎熱請来』

 

 ――――『万雷・雨傘』

 

 ――――『下段払い・屍人』

 

 

 月の盾が剣を弾き押し潰そうと迫る。晒した隙を潰そうと悪夢の業火が湧き上がる。豪雨の如く降る雷撃が空を虹のように彩る。敵の中心を抉ろうと下段を殺意の剣が舞う。

 

 互いに互いを潰し合う、後先を考えない強力な攻撃の応酬。コンマ一秒と間はなく、攻める、攻める攻める攻める……。

 果てしない大技の殴り合いの末……

 

「「!」」

 

 ガキンッ!と硬質の音が響き、体幹が大きく崩れた。

 ようやく二人にできた、初めての大きな隙。

 

 魅魔が杖を構え、魔導書の回転が最高潮に達する。

 コンガラが足を止め、炎が白刃を覆いつくす。

 

「静寂の月、死の安寧を……」

 

「悪徳よ、魔性よ、此処に降伏せよ……」

 

 ここでなんとしても倒す。

 そう、告げるように。

 

 

 ――――『月女神の寂世』!!

 

 ――――『秘奥・修羅狩り』!!

 

 

 万物の死を示す月光が、世界を切り裂いた。

 

 阿修羅すら殺す一薙ぎが、天も地も塵に変えた。

 

 



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