黒鉄さんちのラスボス姉ちゃん (マゲルヌ)
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本編
1話 ただ何よりも強く


「はああああッ!!」

 

 張り詰めた空気を切り裂いて甲高い叫び声が上がる。床板を蹴り出す擦過音が断続的に聞こえ、竹刀のぶつかる音が激しく打ち鳴らされていく。多くの門弟が固唾を呑んで見つめるその先では、二人の少年少女が刃を交えていた。

 

 一人は黒髪の少年、黒鉄王馬。

 黒鉄本家の嫡男であり、魔力値は世界でも有数のAランクを誇る。剣士としての才能にも恵まれ、彼自身、何よりも強さを追い求める生粋の求道者。将来この国随一の騎士になることが約束された、誰もが認める天才サラブレッドである。

 

「はあッ!!」

 

 今も、八歳とは思えない動きで相手の懐へ飛び込み、残像すら生じる速度で竹刀を振るっていた。同年代どころか大人でも、下手をすればプロの騎士ですら不覚を取るかもしれない。

 そんな必殺の一撃が少女の矮躯へ叩き込まれようとし――

 

「……遅い」

「なっ!? ――ぐぁッ!?」

 

 寸前、少女は事もなげにそれを打ち払い、逆に王馬の胴を激しく打ち据えた。攻撃直後の無防備な腹を撃ち抜かれた彼は、まるで車に撥ね飛ばされたような勢いで吹き飛び、道場の壁へ叩きつけられた。

 再起不能になってもおかしくないほどの苛烈な一撃。その惨状を見た門弟の一人が慌てて彼に駆け寄り助け起こす。

 

「お、王馬様ッ!! ご無事ですか!?」

「カホッ! ゴホッ! よ、余計な真似を……するな!」

「で、ですが……」

 

 気遣う手を振り払い立とうとする王馬。しかしダメージが大き過ぎるのか、足腰が震えてなかなか身体を起こせずにいた。当然そのままやらせるわけにはいかず、かと言って切り上げて勘気を被るのもたまらず、やむなく門弟は一時中断を宣言した。

 その様子を遠目に見ながら、壁際に並んだ者たちがヒソヒソと言葉を交わし始める。

 

「……な、なんて強さだ。あれがもう一人のAランク、刹那様……」

「なぜ鍛錬に参加されないのか、これまで疑問に思っていたが……」

「多分、力の差があり過ぎたからだろうな。あんなの誰も相手になれねえよ」

「無理もない……。神童・王馬様ですら、あのザマなんだから」

 

 王馬に相対する白髪の少女、名を黒鉄刹那という。彼らの主家たる黒鉄家の長女であり、本来ならば敬意と崇拝を以って接すべき相手だ。

 しかし――

 

 

 

「――そこ」

 

 

 

「「「ッ!?」」」

 

 瞬間、弛緩していた空気は一瞬で張り詰め、その場にいる全員が口を噤んだ。彼らが少女を見る目は皆一様に恐怖によって彩られていた。

 

「静かに……して」

「も、申し訳ありません、刹那様!」

「ご無礼をいたしました!」

 

 ……異様な光景だった。

 彼らは何れも、黒鉄の門弟となることを許された実力者たち。相応の強さとそれに付随するプライドを持った一廉の武芸者である。仮にも二回り年下の少女に見下されて、何も感じないような腰抜けではない。

 

「ど、どうか……ご容赦を……ッ」

 

 しかし、彼らがそれを表に出すことは決してない。口にしたが最期、自分の命はここで終わるのだ――と。

 そんな荒唐無稽な予感に押さえつけられ、ただ従順に頭を垂れるしかなかった。今この瞬間この場の全ては黒鉄刹那という怪物に支配されていた。

 

「王馬様……、やはり今日は、このくらいで……」

「二度も言わせるなッ……邪魔だ!!」

 

 ――否、ただ一人だけ、その支配に抗う者がいた。

 彼は震える膝に拳を叩きつけ、竹刀を杖代わりになんとか立ち上がる。

 

「大したことないッ。この程度……すぐに治まる!」

 

 黒鉄王馬は、どんな強者が相手でも決して膝を屈しはしないのだと、眼前の姉を睨み付けた。

 刹那はそんな弟の勇ましい姿を見ながら、三日月のごとく口元を吊り上げる。

 

「……うん、……かなり……手加減した……。立てなきゃ……おかしい……フフ」

「ッ! 貴様……!」

「早く、来て……。時間の……無駄」

「舐、めるなあああッ!!」

 

 王馬は怒りに歯を食いしばり、薄笑いする姉へ突貫していった。その身体は今にも倒れそうなほどボロボロで到底勝ち目があるようには思えない。王馬自身もそれは痛いほど分かっていた。しかしだからと言って、無抵抗に敗北を受け入れることなどできはしない。

 

 今朝方刹那がフラリと道場へ現れたとき、王馬は当初鼻で笑っていた。

 ――『これまで鍛錬から逃げていた臆病者が、今さら何をしにきた?』と。

 

 王馬の価値基準は徹頭徹尾戦いのみに置かれている。

 伐刀者(ブレイザー)として生まれたのなら、武の頂を目指して然るべき。ゆえに、才があるにもかかわらず戦いから逃げた姉のことなど、彼は侮蔑の対象としか見ていなかった。

 

 

「はああッ!!」

「隙、だらけ」

「ガ――ッ!?」

 

 それが、いざ蓋を開けてみればこの結果だ。

 これまで必死に鍛え上げてきた心・技・体、その全てが姉には通用しなかった。岩をも砕く剣技も、残像を生じる足さばきも、魔力による身体強化も、切り札である風の能力すらも……。あらゆる攻撃が受けられ、いなされ、切り払われた。

 自分と同い年の子どもで、鍛錬する姿など見たこともなくて、今も闘争心の欠片も感じられないこの姉が、どうしてこんな力を身に付けているのか?

 何もかもが……理解不能だった。

 

「貴様……、それほどの力……一体どうやって手に入れたッ!」

「??」

 

 フラフラの状態で竹刀を構えながら、王馬は目の前の姉へ叫ぶ。

 

「俺はこれまで、ずっと己を鍛え続けてきた! 毎日毎日、血反吐を吐いて努力し続けてきた! そうしてここまで強くなったんだ! それなのになぜッ、お前は俺よりも強い! なぜ圧倒的強者としてそこに立っている!? 答えろ、黒鉄刹那ああッ!!」

 

 王馬は慟哭しながら竹刀を叩きつけた。そうしなければ自分の中の何かが折れてしまいそうだったから……。

 その必死な姿を見て僅かに考え込んだ刹那は、やがて鍔迫り合いの中、ポツリと呟いた。

 

 

 

「……見て……、覚えた……」

 

 

 

「…………は?」

 

 思わず王馬は竹刀を取り落としそうになる。

 気にする様子もなく刹那は続ける。

 

「鍛錬は……自分一人で、やっていた。……他人と一緒に……やらなかったのは、……一人の方が……上達が早いから。……剣術も魔術も……見て……覚えた。……やったら……すぐ、できた……」

「な……にを……」

「……それで今日は……ちょっと、暇になったから……遊びにきた。……弟が……付き合ってくれて……とても楽しかった。…………王馬は、どう? ……“遊び”、楽しかった? フフ」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 なにを……言っている……?

 

 見て……覚えた?

 やってみたらできた……だと?

 自分がプライドを捨てて頭を下げ、教えを乞い、必死の思いで手に入れたそれを――否、それ以上のものを――見様見真似で身に付けたというのか?

 

 さらには言うに事欠いて、暇になったから“遊び”に来た……だと?

 強くなるため必死で足掻く自分の姿を、こいつはただの“遊び”と言い捨てたのか?

 己以外の有象無象の戦いなど全て下らないお遊びであると、そう見下して笑っているのか、この女は!!

 

「……ざ……るな……」

「……?」

「ふざけるなああああッ!!!!」

 

 叫びとともに王馬の身体から大量の魔力が立ち昇り、二人の竹刀が粉々に砕け散った。そうして柄だけになったものを、王馬は忌々しげに投げ捨てる。

 互いの武器が同時に消失するという結果。本来ならばここで試合は終わりである。

 

「来いッ、《龍爪》!!」

「おっ……と。……フフ……まだ、元気……」

 

 しかし王馬は固有霊装《龍爪》を顕現させると、躊躇いなくそれを一閃、刹那の身体を大きく弾き飛ばした。

 ざわり、と道場内の空気が揺れる。着地した彼女の胴衣の裾は大きく斬り裂かれ、額からは一筋の血が流れていた。それは幻想形態であれば決して起こり得ない事態。王馬は逆上のあまり、霊装を実像で展開して姉に襲い掛かったのだ。

 

「お、王馬様ッ!? 何をなさいますかッ!?」

「おやめください! こんなところで固有霊装(デバイス)を、それも実像形態で使用するなど!」

「御父上に知られればどうなるか! 若ッ、すぐに消し――」

「邪魔をするなああッ!!」

「があああッ!?」

 

 諫言は一蹴され、門弟たちは吹き飛ばされた。全員が道場の壁に激しく叩きつけられ、中には少なくない血を流している者さえいた。

 しかし王馬はそれを一瞥すらしない。門弟の惨状も父の叱責も、今の彼にとっては些事でしかなかった。他の何を捨ててでも眼前の姉を打倒する、今頭にあるのはその一念のみ!

 

「もっとだ! もっと……力を……!」

 

 その想いに呼応するように、王馬の身体から大量の魔力が溢れていく。先ほどまでの彼とは一線を画す圧倒的な魔力の奔流。それは室内を暴れ回り、うねりを生じ渦となり、ついには巨大な竜巻となって道場の屋根を突き破った。

 心が折れるどころか、ここにきて王馬は限界を乗り越え、新たな能力に目覚めたのだ。

 

 竜巻を発生させ、周囲全てを弾き飛ばす《風神結界》

 風の鎧を纏い、相手の攻撃から身を守る《天竜具足》

 不可視の刃を飛ばし、敵を幾重にも切り刻む《真空刃》

 

 そして――

 

「俺はッ、貴様などには絶対負けん! 武を愚弄する貴様などに、俺の刃が破れてなるものか!」

 

 激しい風を纏いながら、王馬は両手に持った野太刀《龍爪》を頭上へ掲げた。霊装が輝き、周囲を旋回していた暴風が共鳴・収束していく。

 半径数十メートルに渡り吹き荒れていた竜巻は徐々にその範囲を狭めていき、やがては巨大な力を秘めた風の柱となって王馬の全身から立ち昇った。

 

 発動すれば辺り一帯が確実に吹き飛ぶ必滅の一撃。

 人の身では決して抗えない、大いなる力の具現。

 瓦礫と化した道場に倒れ伏す門弟たちは、皆一様に空を見上げ絶望の表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

「…………クヒッ!」

 

 

「……ッ!?」

 

 だが忘れるなかれ。ここにはもうひとり人外が――――否、埒外の生物が存在していたのだ。

 額から流れる血もそのままに、刹那は顕現した弟の力を見て笑っていた。

 

「あはッ……すごい、すごい……! なに……それ! 負けるのが悔しくて……急に強くなった……の!? ……すごい、王馬! ……よく、頑張った! クヒヒッ!」

 

 それは、歓喜だった。

 触れただけで肉片と化す圧倒的暴威に曝されながら、その顔には欠片の恐怖も浮かんでおらず、少女は心底嬉しそうに嗤っていたのだ。

 まるで、『ようやく面白くなってきた』と言わんばかりに……。

 

「ッ……この期に及んでも、なお侮るか!」

 

 限界を超えた力をも見下され、彼の心に残っていた最後の枷が解き放たれる。もはや一片の慈悲すら与える必要なし!

 

「良かろう! ならば最期までその驕りを抱いたまま、塵となって消えゆくがいいッ!! 黒鉄刹那ッ!!」

 

 そして王馬は、天高く掲げられた風の大剣を、力の限り振り下ろした。

 

 

 

 

月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)ッ!!!!」

 

 

 

 

 ――轟ッ!!

 

 50メートルを超える極大の刃が、たった一人の人間に向けて振るわれる。大気を引き裂き、暴風を巻き込み、少女に向かい真っ直ぐに突き進んでいく。着弾した瞬間、一帯は真空の刃によって全て切り刻まれるだろう。

 もはや何をもってしても防御など不可能!

 王馬はそう確信し、自身の勝利を想って口の端を吊り上げ――

 

 

 ――――ッ。

 

 

「…………?」

 

 そのとき彼の耳は、確かにその音を捉えていた。

 ……眉をひそめる。

 吹き荒れる暴風によって周囲は轟音に包まれている。そのような小さな音が聞こえてくるはずがない。

 しかし彼の耳には、間違いなく“それ”が届いていたのだ。

 

 

 

 ――キ…………ン……ッ!

 

 

 

 刀の鯉口を切る、冷たく重い金属音が……!

 

「――ッ!」

 

 王馬の背すじがゾクリと震えた。

 それは彼が生まれて初めて感じる、本能が発する恐怖であった。

 

 

 

 

「来て――――■■」

 

「あ……」

 

 その声が聞こえた直後、“それ”は唐突に始まり――そして、瞬きの間に終わっていた。

 いつの間にか刹那の手元に現れていた霊装。

 鍔も鞘も刀身も、全てが白一色に染まった刀が、彼女の手で抜き打たれた瞬間。

 

 音は――――聞こえなかった。

 ただ王馬の意識のみが、この上なく流麗に振られた抜刀の軌跡を、朧気ながら捉えていた。

 そこから生じた剣閃は、彼の全力たる伐刀絶技(ノウブルアーツ)とぶつかり合い、何ら拮抗することなくそれを食い破る。白の刃はそれでもなお止まらず、雨も風も残らず薙ぎ倒し、やがて少年の視界いっぱいまで迫った直後、

 

 

 ――――カッッッッ!!!!

 

 

 内包する力の全てを炸裂させたのだ。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「ッ…………ハッ!!!?」

 

 次に王馬が目を覚ましたとき、視界に映るのは抜けるような青空だった。自身が創り出した嵐などすでになく、当然ながら右手の霊装も掻き消えていた。身体は力なく大地に横たわり、自由に動かせる箇所など一つもない。

 そこまで把握したところで、ようやく彼にも理解が及んだ。

 

 ――自分は敗けたのだ、と。

 

「――ッ! ……ちく……しょう……ッ!」

 

 久しく感じることのなかった苦い敗北感。王馬は唯一動く口の端を歪め、血を吐くように呻きを上げた。

 ……ただ負けたことのみが悔しいのではない。

 何より今彼が腹立たしいのは、結局最後まで、姉に“戦い”をさせられなかったことだ。

 

 実像で放ったクサナギを押し退けた以上、刹那の攻撃もまた実像であったことは間違いない。……にもかかわらず、まともにくらった王馬の身体は五体満足で残っていた。

 これはつまり、刹那が彼の攻撃を破る、ギリギリの強さで技を繰り出したことに他ならない。王馬の力量を正確に測り、突発的な成長すらも読み切り、身体を撫でる程度に調節した一撃をあの一瞬で放った。結果として王馬の肉体には傷一つなく、意識のみを飛ばされる程度に収められたのだ。

 それはすなわち――

 

(結局、最初から最後まで、奴の掌の上だったということか……ッ!!)

 

 その気になればあの姉はいつでも自分を倒せたのだ。

 まさに先の言葉通り、姉にとってこの戦いなど単なる“遊び”に過ぎなかった。王馬が必死に足掻き、喰らい付いている最中、刹那は力の半分すら出さず、全てを笑い混じりにあしらい愉しんでいたのだ。

 彼女にとっての“戦い”など、まだ始まってすらいなかったのだ!

 

 あまりの屈辱感に王馬の身体は打ち震えた。

 ……しかし、その怒りを刹那にぶつけることなどできない。できるはずがない。

 戦いは結果のみが全て。敗者に文句を言う権利など有りはしない。見下され、遊ばれたことにどれほどの憤りを覚えようと、結局悪いのは弱かった王馬自身なのだから。

 

 ……ゆえに、敗北者たる彼に今できることは、この怒りを呑み込むことと、悔しさを糧とすること。

 そして――

 

 

「ッ――いいか黒鉄刹那ッ!! 俺はいずれ必ず、貴様を叩きのめす!! 貴様がどれほど強大であろうとも……、どれほどの化け物であろうとも……、俺は俺の全てを以って、必ずそれを越えてみせるッ!!」

 

 ――有り余るこの激情を忘れぬように、憎らしい姉へ宣言することだけだった。

 

「いつか俺が力を付け、再び貴様に挑んだとき! そのときこそが貴様の最期だ! 首を洗って待っておけッ!」

「…………」

 

 刹那は何も言わない。その闇色の瞳からは何の情動も感じられなかった。

 おそらくこの天才の姉は、不出来な弟になどもう何の興味も無くなったのだろう。

 ……構わない。もとより返事など求めていない。

 これは彼が彼自身のために行う、己が魂への誓いなのだから。

 

「お前は、必ず……俺が倒す! ……せいぜい、それまで……誰にも、殺されないよう…………気を付ける……こと…………だ…………な……ッ」

 

 ゆえに王馬は、内心などおくびにも出さぬよう、最後の最後まで憎まれ口を叩きながら、その意識を落としたのだった。

 すまし顔のいけ好かない姉を、いつか絶対打倒してやることを心に誓いながら……。

 

 

 

 ……後に《風の剣帝》と呼ばれ、世界に名を轟かせる修羅の男・黒鉄王馬。

 彼の長きに渡る求道の人生は……、最強の姉を追いかける果てのない茨の道は、今この瞬間に始まったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 そして、その弟からラスボス認定された姉の方はといえば……、

 

 

 

(……おかしい……。あまり……仲良くなれた……気がしない……?)

 

 

 

 更地に一人佇み、不思議そうに首を捻っていた……。

 

 

 

(なんで……だろう? 強くなれば……仲良く、なれるんじゃ……ないの? ……なんだか、王馬……怒ってた?)

 

 数年ぶりに顔を合わせた弟と、出会って五秒で戦いとなったことについて思い悩む。

 ……いや、別に戦ったこと自体は良いのだ。刹那だって戦いは嫌いではないし、無視もせずあちらから誘ってくれたことは素直に嬉しかった。

 しかしどうにも、王馬の機嫌が悪そうだったことが気にかかる。一言喋るごとに眉間にしわが寄っていたし、……最後は険しい顔で『叩きのめす』なんて言われてしまったし……。

 

「うー……ん」

 

 刹那は暫し考え込む。一体何がいけなかったのだろう、と。

 しかし結局最後までその答えは分からず、仕方なく彼女は次善の策に出ることにした。

 

(…………よし。……とりあえず……手当てして……あげよう。……戦いの後の……友情は……ジャ〇プでも……定番。……きっと……仲良く……なれる……はず……)

 

 彼女はグッドアイデアとばかりに嗤いながら、弟に手を伸ばそうとした。

 

 

 

「せ、刹那様……ッ!!」

「……ぅん?」

 

 だがそこへ、後ろから見慣れぬ大人――確か門弟の一人だったか?――が、蒼い顔で話しかけてきた。否、叫んでいた。

 まるで何か恐ろしいものでも目にしているように、ガタガタと身体を震わせながら。

 

「…………な……に?」

「あ、あの! こ、これ以上はもう……。……えっと……あ、あとは我々が、お世話しますので……、その、今日のところは……!」

「…………」

 

 どうやら彼は王馬の手当てをしてくれるつもりらしい。なるほど、弟への親切はとてもありがたい話。普段であれば諸手を挙げて歓迎するところだろう。

 ……が、できれば今だけは遠慮して欲しかった。彼女はこれから弟と数年来の隔絶を埋めようとしているのだ。今この機を逃してしまえば、次などいつになるか分からない。

 

 ……え? 『また改めて誘いに行けば良いじゃん』って?

 馬鹿野郎、コミュ障が自分から声をかけられるわけがないだろう。こういうイベントや切っ掛けがなければ会話なんて無理なのだ。何気ないお喋りができるのなんてリア充だけなんだよ、チクショウめ!

 刹那はそんな想いを込めて視線を送った。

 

「…………(ジーーー)」

「ひ、ヒィぃ!?」

 

 

 ――お、おいッ、あいつヤバイんじゃないか!? こ、殺され……ッ。

 ――さ、さすがに……それはないだろ……。結果として、助けてくれたわけだし……。

 ――いや……ただ戦いに夢中だっただけじゃ……。

 ――おい、やめろッ。聞こえるぞ!

 

 

「どどッ、どうかお願いします、刹那様ッ! お、お慈悲をッ!!」

「………………。はぁ……」

 

 どうやら駄目だった模様……。確かに彼らの方が、刹那よりずっと王馬との付き合いは長い。ならばこの反応もむべなるかな。傷付いた仲間の世話を、ポっと出の女に任せたいとは思うまい。

 刹那は溜め息を吐きつつ、軽く手を振った。

 

「……わかっ……た。…………早く……連れ、てって……」

「! ははッ、はいぃッ!!」

 

 門弟たちは慌てて王馬を担ぐと、凄まじい速さで走り去っていった。

 ときおり蒼い顔で刹那の方を振り返りながら、

 

『な、なんと恐ろしい……』

『やはり黒鉄の血は異常』

『姉弟どっちもヤバイ』

『さっきの見る限り、王馬様も危険では?』

『いや、アレに比べればよほどマシ』

 

 などと……、よく分からないが、そこはかとなく失礼なことを叫びつつ、彼らは一目散に駆けていってしまった。

 その姿を見送りながら刹那は軽く落ち込む。

 どうやら王馬だけでなく、家人全員から自分への印象は悪いようだ。これはなんともマズイ事態である。おそらく自分に何か至らない点があり、それが王馬と彼らの好感度を著しく下げているのだろうが……。

 

「なんで……だろう……?」

 

 このままでは今後の行動にも差し障りがある。そこで刹那は、ここまでの自分の行動指針を振り返ってみた。

 その概要は、大まかに以下の通りである。

 

 

※ 口下手で弟妹とうまく話せない。

 → でも仲良くなりたい。

 → 会話以外に良い方法はないか?

 → 黒鉄は武門の家。

 → 強い者が尊ばれる。

 → 強くなれば、人気者になれる?

 → 弟妹たちとも……、仲良くなれる……!

 (ミッションコンプリート!)

 

 

 過去に三徹して練り上げたこの計画。

 改めて考えてみて、刹那はう~んと首を捻った。

 

「…………やっぱり……間違っては……いない……はず? ………………いや、ダメ……ここで思考停止……しちゃ、いけない……。常識にとらわれず……発想を……変えてみる……」

 

 他人に話せば間違いなく、『まずお前は常識を学べ』と言われるところであるが、自分の思い込みを疑うことができた点は、彼女の確かな進歩であった。

 

 ゆえに、刹那は考えた。

 深く深く、考えた。

 考えて、考えて、考え抜いて……。

 やがて、普段大して使わない頭が煙を吹き始めたとき、

 

「ッそ……そう……か……! 強くなれば……即、人気者になれる……なんて……安直過ぎる……考え……だった!」 

 

 

 ――刹那はようやく、自分が酷い思い違いをしていることに気が付いたのだ。

 

 

「要するに……! この程度の……強さじゃ! ……人気者には……なれないんだ……!」

 

 

 ――しかしそれは、全くの的外れだった!

 

 

「ならもっと! ……強くなるしか……ない、よね……! ……血なんか……流さないくらい、強く……! 伐刀絶技(ノウブルアーツ)を……素手で、殴り返せるくらい……強く……! そして……この世界の誰よりも……強く、なれば……!」

 

 そうなればきっと、長男だけでなく、『100メートル先の竹藪から見ていた次男』とも、『500メートル先の屋敷で震えていた次女』とも、絶対に仲良くなれるはず! 刹那は期待に鼻息を荒くした。

 

 ……え? 両親? いやー、あっちはちょっと……。多分話とか通じそうにないし、今のところ期待薄……。

 それよりも刹那はまず、()(さら)で純粋な兄妹たちとこそ友誼を結びたかった。

 そのためにも今はとにかく、修行、修行、修行!

 子どもは強いヒーローに憧れるもの。ならば自分は最強の騎士となって、世界一頼れるお姉ちゃんとして慕われてやる。そしてそれを達成したときこそ、仲良し黒鉄四姉兄弟妹(よんきょうだい)爆誕の、記念すべき日がやって来るのだ!

 

「クフフフッ……待ってて……ね……、マイブラザー&シスター……。私は、絶対……あなたたちと……仲良くなって……みせる、からッ!」

 

 こうして黒鉄刹那は、ますます間違った方向へ向け、全力で爆走を開始するのであった。

 

 

 

 

 

 ――これは、圧倒的コミュ障を患ったアホの子が、弟妹たちと仲良くなるため修行に励み……、修羅と化し……、やがて最強のラスボスとなっていく、ハートフル残念ストーリーである……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……先に会話能力磨けよ、とか正論を言ってはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




おまけ:『主人公の言語解説』

「……そこ(の人たち)……(集中して)静かに(観戦)して。(よそ見すると危ないよ?)」

「うん……(念のため)かなり……手加減した……。(だから、王馬ほどの力があれば)立てなきゃ……おかしい……(さあ、応援してるから頑張って)フフ」

「早く、来て……。(寝ていたら、せっかくの交流)時間の……無駄」

「鍛錬は……(寂しいけど)自分一人で、やっていた。……他人と一緒に……やらなかったのは、……(コミュ障なのでむしろ)一人の方が……上達が早い、から。……剣術も魔術も……(道場を遠くから)見て……覚えた。……(毎日10000回反復練習)やったら……すぐ、できた……(頑張った)」

「……それで今日は……(一段落ついて)暇になったから……(勇気を出して)遊びにきた。(忙しそうだったから帰ろうとしたけど)弟が……(わざわざ時間作って)付き合ってくれて……とても楽しかった。……王馬は、どう? …………(お姉ちゃんとの)遊び、楽しかった? フフ」


(注)
刹那にとって『鍛錬』とは苦しいものではなく『楽しいこと』。
楽しいことであれば、それはすなわち『遊び』。
ゆえに彼女にとって、『鍛錬』=『遊び』という認識。
何の苦も無く、24時間365日全力鍛錬が可能な頭ヤバい子。




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2話 仲良くなるって難しい

 黒鉄家の朝は早い……。

 まだ日も昇りきらぬ早朝から、敷地内の道場では威勢の良い掛け声が上がり始めていた。

 

「それでは、素振り始めッ!!」

「はい!」

 

 ――『伐刀者でなければ黒鉄にあらず』

 

 そんな時代錯誤とも言える不文律のもと、黒鉄の血に連なる者たちが老若男女問わず厳しい稽古に励んでいた。

 時代が進み、戦闘畑以外に鞍替えする武家も多い中、個人の力を今もここまで重視しているのはこの黒鉄家ぐらいだろう。

 

「適当に回数を熟すんじゃないぞ! 一回一回、正しいフォームを意識しながら振るんだ!」

「はい!」

 

 道場内を見渡してみても、いい加減な態度で鍛錬に臨む者は一人もいない。

『実力さえあれば身一つで栄達できる』という期待か、それとも『力が足りなければ見限られる』という不安か……。その理由は人の数だけあれど、皆負けるものかと言わんばかりに、一心に竹刀を振り続けていた。

 なんとも感心な心掛け。日本の伐刀者たちの未来はきっと明るいことだろう。

 

 

 

 

「そ、そこぉ! じ、軸がぶれているぞぉ! ももッ、もっと集中しろぉ!!」

「はは、はいぃ! すみませええんッ!」

 

 ……否、どうやらそうではなかった模様。

 別に彼らは、力を付けたいがために鬼気迫る顔になっていたわけではないようだ。

 

 チラ……、チラ……、チラ……。

 

 門弟たちは気もそぞろなままに、ある方向をチラチラと盗み見ていた。その理由は聞こえてくる素振りの音を()()()一目瞭然であろう。

 

「さあッ……あ、あと50本! 各自、気合いを入れて振れ!」

「は、はい!」

 

 

 ブン! ブン! ――――ブォオオオオン!!

 

 ブン! ブン! ――――ズバアアアアン!!

 

 ブン! ブン! ――――ドパアアアアン!!

 

 ブン! ブン! ――――ゴガアアアアン!!

 

 

「「「………………」」」

 

 ――音なのに目に見える、とはこれ如何に?

 そんな哲学的疑問を覚えるほどの凄まじい圧が、道場の端から吹き付けられていた。……何人かは物理的にひっくり返ってしまっている。

 

「……あ、あの、……師範」

「余計なことを言うな。……私は気にしていない」

「いや、まだ何も言ってませんけど……。で、でもやっぱり注意した方が――」

 

 弟子の一人がおずおずと述べた瞬間、師範はクワッと目を見開いた。

 

「何も言うなと言ってるだろッ。私は全く気にしてないからなッ!」

「そのセリフがもう、気にしているって証拠じゃないですか!」

「う、うるさい! あんなの相手にどう注意しろってんだ!?」

「そりゃそうですけどッ!」

 

 師範と弟子たちが蒼い顔で見つめる先――――道場の隅っこには、この場に似つかわしくない小柄な影があった。

 身の丈130cmほどの白髪黒目の幼い子ども。新調した胴衣に身を包み、無表情で竹刀を振るうその姿は、彼らにとってもはや、確認するまでもない恐怖の代名詞。

 ――黒鉄家長女・黒鉄刹那は、相変わらず何を考えているか分からない佇まいのまま、暴風の如き素振りを繰り返していた。

 

「フン……フン……フン……」

 

 ――ブオオオン! グオオオン! ボシュウウウッ! ズンバラガアアアン!

 

「「「………………」」」

 

 

 ……控えめに言って、死ぬほど怖かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

(フ、フフフ……。朝から、大勢で……一緒に稽古……。評判を……上げるための……布石なり)

 

 恐怖の視線を向けられる怪物幼女は、無表情の下に不気味な笑いを隠しながら絶好調で竹刀を振るっていた。

 王馬と戦ったあの日以降、刹那はこうして毎日、門弟たちの朝稽古に参加し続けていた。数年ぶりに家族以外と会話した結果、刹那は『自分でも事務会話程度なら可能!』と判断。これを機に他者との交流を再開し、自身の風評を改善しようと試みたのだ。

 また、もう一つの目的として、自分より強いであろう師範クラス(※そんな奴はいない)に師事し、今以上に実力を高めようという狙いもあった。

 ……向こうからすればとんだ災難である。

 

「フン……! フン……! フン……!」

 

 ……とはいえ、生来のコミュ障はそう易々とは変えられず、いまだ積極的に話しかけるなどの行動はできていない。

 その代わりに彼女が今行っているのが、コレ。

 皆の目に留まるところで稽古し、『あわよくば年少者や初心者の指導役に抜擢されないかな?』という、迂遠かつヘタレ極まりない企みであった。……本人としては大真面目なのだ。

 

「ハッ……!」

 

 力を込めて振り下ろす。

 何度も何度も振り下ろす。

 音速を超えて振り下ろす。

 衝撃波が起きて穴が開く。

 慌てて止めて周りを見る。

 精一杯の笑顔を浮かべる。

 

(や、やり方……、聞きに、来ても……いいんだよ……? フフ)

 

「――ッ!?」

 

 バババッ。

 一斉に目を逸らされた。

 

(……な、なぜ?)

 

 そんな、危険物を見る目に疑問を抱きつつも、刹那はめげることなくアプローチを続けていった。

 

 竹刀の振りが間違っていれば、指摘しようと近付き――逃げられる。

 足さばきを反復していれば、教えてあげようと近付き――逃げられる。

 打ち込み相手を探していれば、お役に立とうと近付き――逃げられる。

 指導方法に悩んでいれば、ちょっと意見を述べようと近付き――逃げられる。

 

 逃げられる。

 

 ……逃げられる。

 

 …………逃げられる!

 

 

 ……………………。

 

 気付けば道場内は、刹那の視線から全力で逃げ回る戦場と化していた。

 例えるならば――それは狩り場。

 哀れな草食獣と化した門弟たちは、善意の捕食者に捕まらないよう死にもの狂いで稽古に励んだ。

 実戦さながらの緊張感に包まれる道場内で、走力と野生のカンを飛躍的に高める門弟たち。傍から見ていた師範たちは皆一様に頭を抱えた。……一体何の訓練なんだ、コレは。

 

 そしてやがて、

『あれ? もしかして私……避けられてる……?』と、刹那が真実の一端に達しようとしたところで、

 

「すッ、すみません、刹那様……ッ!」

「うぇ?」

「お……、お引き取り下さいぃぃい!」

「うぉえぇぇえ……?」

 

 ――グイ、グイ、グイッ!

 ――ガラガラガラッ!

 ――ポイッ!

 ――ピシャリッ!

 

 一人の弟子の勇気ある行動により、猛獣は野へ返され、道場内に平和が戻ったのだった。

 

 

 ――ドッ!!

 ――ワアアアアアッ!!

 ――ヨクヤッタアアア!

 ――コノイノチシラズウウウ!

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

「…………な、なぜ?」

 

 共に稽古して仲良くなろう作戦、…………失敗であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――トボ、トボ、トボ……。

 

「はぁぁぁぁ……」

 

 数分後、道場から離れた雑木林の中を、刹那は溜め息を吐きながら歩いていた。

 いかに彼女が重度のコミュ障とはいえ、十日も間近で接していればさすがに気付く。

 どうやら自分は、稽古にも混ぜてもらえないほどに嫌われているらしい。……久しぶりにちょっと泣きそうだった。

 

 桁違いの実力と無表情から勘違いされがちであるが、刹那はコミュニケーション能力が壊滅的なだけで、その内面はごくごく普通の女の子なのだ。

 

 ……ただちょっと目が死んでいて、表情筋がほとんど動かなくて、人との接し方が分からなくて、日常会話でどもってしまって、……でも戦いのときだけは急にテンション上がって饒舌になってしまう……、そんな普通の女の子なのである。

 

 ………………。

 

 …………普通の女の子なのである!

 

 

 ゆえに、大勢の人間から忌避されるような態度を取られれば、さすがにこうして落ち込みもする。

 

 ……ついでに言うとあの日以来、王馬とも一度も話せていなかった。

 刹那としてはアレを切っ掛けに徐々に距離を縮めていくつもりだったのだが、弟の方にそんな気はサラサラないらしい。

 姿を見つけて近付こうとしても、彼は苦々しい表情を浮かべてすぐに踵を返してしまう。ならば稽古のときに話そうと思っても、王馬はあれからずっと自主錬に励んでいるらしく道場などで顔を合わせる機会もない。

 

 ――もしや勢いで『お前を殺す』宣言などしちゃったものだから、顔を合わせづらいのだろうか?

 

(そんな……。お姉ちゃんは……気にして、ないのにッ。……また、真剣で……斬り掛かってくれても……全然良いのに……ッ!)

 

 刹那は人とのコミュニケーションに飢えていた。

『……殺し合いってコミュニケーションだっけ?』とか言ってはいけない。

 

「…………もしかして……私、……一生……ボッチの、まま…………? うぅぅ……」

 

 そんな傷心状態で歩いていたからだろうか?

 刹那は至近距離に近付くまでその集団に気付けなかったのだ。

 

 

 

 

 ――オイ、お前! なに勝手にうろついてんだよッ!

 

 

 

 

「…………んんっ?」

 

 不意に聞こえてきたのは剣呑な調子の怒鳴り声。その発生源はちょうど目の前の茂みの向こう側辺りだ。

 発言者の姿は見えないが、声の高さから考えておそらく彼女と同年代の子ども。それが複数人集まり、何やら激しく言い争っている。

 

「俺たちの場所使ってんじゃねえよ!」

「そこに居られると目障りなの。早く消えてくれない?」

「そうよ! あんたみたいなのと一緒にされたらこっちも迷惑なの!」

「こんな奴いなくなってくれた方が世の中のためよねッ」

「そうだ、そうだ! 早く消えろ~~」

「きゃははははッ!」

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……う……うわ……ぁ」

 

 聞くに堪えない罵詈雑言に刹那は思い切り顔を顰めた。どうやら行われているのは“喧嘩”ではなく、所謂“いじめ”というやつのようだ。

 刹那自身に経験はないが前に何かの本で読んだ記憶がある。確か――大勢で寄って集って一人を攻撃する迷惑行為――だったか? そのとき読んだ事例も大概には酷いものだったが、今向こうで展開されているコレも引けを取らないくらいには見苦しい。

 子供時分からこんな行為をして楽しむなど、彼らの親は一体どういう教育をしているのだろう?

 

 ……それともまさか自分が知らないだけで、これが同年代における通常のコミュニケーションなのか? だとしたらなんと恐ろしいのだ、子ども社会とは……!

 

「おい、何とか言えよ! 無視してんじゃねえぞ!」

「弱過ぎて親にも見捨てられたくせに!」

「才能無くて稽古も付けてもらえないんだろ? かわいそ~!」

「あ、そうだ! だったら俺たちで鍛えてやろうぜ!」

「皆で殴って鍛えてやればちょっとは頑丈になるかもな!」

「無能を見捨てないなんて、俺たち優しい~!」

 

 ……そうこうしている内に事態は徐々に不穏な空気を漂わせていた。

 最初は軽い悪口程度だったものが、反応の悪い相手に苛立ったのだろうか、今や虐めっ子たちは蹴ったり小突いたりと直接手を出し始めている。

 

「……ア……アワ……アワワ……ッ」

 

 いけない、このままではもしかすると大きな怪我に繋がるかもしれない。

 刹那は焦った。

 見知らぬ子どもの喧嘩など関わっても気まずいだけだが、見捨ててしまうというのも少々薄情だ。できればどうにかして場を収めたいとは思う。

 

 だがここで、彼女持ち前の“コミュ障”が立ちはだかる。言い争う子どもを仲裁するスキルなど刹那には皆無だ。

 口下手な彼女に話術で落ち着かせるなどできるはずもなく、言えるとしたら精々『やめる? 死ぬ?』という控えめな忠告くらい。……これでは別の争いが始まってしまう。

 かといって腕尽くというのもマズイ。

 身体ができておらず、魔力防御もできない子どもに刹那が本気で拳を振るえば、彼らの肉体など容易く弾け飛ぶ。……“弾き飛ばす”ではない、“弾け飛ぶ”だ。文字通りのバラバラ、いじめ事件がたちまち猟奇事件へ発展するだろう。

 

「……や、やっぱり……、口で……なんとか、……するしか……ない……ッ」

 

 総合的に考え、『話し合いで穏便に解決する他ない』という結論に達した刹那。

 幸いコミュ障改善計画のために、人間関係のハウツー本は腐るほど読み漁ってきた。この手の争いのシミュレーションも何度か行っている。

 ……惜しむらくは実践経験がゼロである点だが、そこはもう気合いでなんとかするしかない。解放軍相手に三日三晩戦い続けたときと比べればまだマシだろう。

 

「よ……し……!」

 

 そう考えた刹那が、決意を新たに立ち上がったときだった。

 

 

 

 

「オラッ、くらえよ、無能の一輝!」

「うぐッ!?」

 

 

 

「ッッ!!!?」

 

 

 ――ガッサアアアアアッ!!!

 

 その名が聞こえた瞬間、刹那は全力で茂みから頭を突き出していた。

 

「うわわッ!?」

「なっ、何だ! 誰だ!?」

「やッ、山姥!?」

 

 他の連中になど目もくれない。

 その中心に蹲る小さな人影を、彼女はただただ凝視する。

 

 

 

 

 

 

「………………一、輝……?」

 

 

 

「……え?」

 

 地面に倒れている少年と目が合う。

 ……間違いなかった。

 そこにいたのは正真正銘、彼女の弟・黒鉄一輝(くろがねいっき)だった。

 こうして間近で顔を合わせるのはベビーベッドで対面して以来六年ぶりだが、遠くから偶に観察はしていたため、刹那にはすぐ本人だとわかった。柔らかな黒髪に綺麗な黒い瞳を持つ、相変わらず柔和で優しげな少年だった。

 

 ――その一輝がなぜこんな目に?

 ――争いの原因は何だ?

 ――何か悪いことでもしたのか?

 

 考えなければならないことは多々ある。

 しかし今の刹那の頭にそんなものが入り込む余地などなかった。

 

「な、なんだよ、お前! 邪魔すんなよ!」

「そうよ! 私たち大事な話をしてるんだから!」

「そうだ、そうだ! 関係ねえ奴は引っ込んで――――ヒィッ!!!?」

 

 今、刹那の脳内を占める感情はただ一つ。

 地面に引き倒され、血と砂に塗れる弟の顔を見た瞬間、

 

「…………今すぐ……、やめる? …………それとも――

 

 

 

 

 

 ――――死ぬ?

 

 

 

 

 

 刹那の辞書から、“穏便”という二文字は消し飛んでいた。

 

「ひッ、ヒぃいいいいッ!?」

 

 話し合いで解決する?

 何を馬鹿なことを……。

 撃って良いのは撃たれる覚悟のあるやつだけ。そしてこいつらは躊躇なく一輝を撃った(暴行した)のだ。ならば当然やられる覚悟くらいできていよう。粛清しても何の問題もない。

 自身に関しては言わずもがな。伐刀者の端くれとして、戦いの中で殺される覚悟などとうに済ませている。ゆえにこの場で戦闘を開始したとして、道義的にも倫理的にも一切の問題は生じない。

 文句の付けようもない完璧な論理展開だった。

 

「……さあ、……お前たちの……、罪を……数えろ……ッ!」

 

 ――轟ッッ!!

 刹那は大人げなく魔力を解放した。

 

「「「うッ!? うあ゛ぁああぁあ゛ああッッ!!!?」」」

「た、たたたッ、ダス、た、助けッ……ッ」

「ごめ゛んなざい! ごめ゛んなざい! もうじまぜんん!」

「し、死にだぐない゛いッ!」

「お母ざあ゛あああん!!」

「あ゛ああぁあ゛あぁあ゛ッ!?」

 

 当然ながら、殺気を纏った彼女を前に、何の訓練も受けていない子どもが耐えられるはずもなく……。

 半数は半狂乱のまま逃げ出し、もう半数はその場で卒倒していろいろなものを撒き散らかしていた。なんとか死傷者が出なかったのはギリギリで本人の良心が働いたからか……。

 ――ともあれ、こうしていじめっ子たちは退散し、事態は一応の解決を見たのである。

 

 

 

――――

 

 

 

「…………、ふ……ぅ……」

 

 小さく息を吐きながら刹那は纏っていた魔力を霧散させる。

 いろいろと気になる点は残っているが、ともかくまずは傷の手当てをしてやらねばならない。その上で何があったのか、少しずつ話を聞いていこう。

 そう思いながら彼女は地面に跪く弟の前に立ったのだ。

 

 

 

 ――立った……のだが、

 

 

 

「……」

「……」

 

「…………」

「…………」

 

「………………」

「………………」

 

「……………………」

「……………………ッ」

 

 

(……ど、どう……しよう……! なんて……声……かければ……ッ!)

 

 

 ――コミュ障が、発動していた。

 気まずい沈黙が場を包み、刹那は再びアワアワと慌て始める。

 その姿からは、先ほどいじめっ子を蹴散らしたときの頼もしさなど微塵も感じられない。

 

(な、なんで……いじめられてた、か……聞く? ……い、いや……ダメ。……いきなり……そんなこと、聞いても……傷付ける……だけ。…………じゃ、じゃあ……自己紹介? 『初めまして~、お姉ちゃんですよ~』……みたい、な? ………………ダ、ダメだ……気持ち、悪い。これじゃ、事故紹介。……ほ、他の話題……他の、話題…………。………………なッ、何も思い付かない……!)

 

 なんとか会話の糸口を探すが、何の案も出ずますます混乱する駄目姉ちゃん。

 

 しかしそれも無理のない話であった。

 なにせ二人が顔を合わせるのは一輝が赤ん坊のとき以来。つまり、彼らの会話はガチでこれが人生初なのだ。

 数年間同じ敷地で過ごしてきて一度も話したことがないという、嘘のようなホントの話。必然、初対面における刹那のコミュ障は遺憾なく発揮され、彼女は不安げに自分を見上げる弟を前にただ硬直するしかなかった。

 

「……ぁ」

「――ッ! わっ、と……と……ッ」

 

 不意に一輝の身体が傾き始め、刹那は慌ててその身を受け止めた。

『すわ重傷でも負わされたかッ?』と腕の中を確認してみれば、そこには目を閉じたまま浅い呼吸を繰り返す一輝の姿が……。

 どうやら疲労と安堵からか、意図せず眠りに落ちてしまったらしい。

 

「――ほっ。……よ、良かった……」

 

 喋らなくて済んで安心したような……、でも少しばかり残念なような……。

 そんな複雑な気持ちを抱きつつ、刹那は一輝の頭を膝に乗せ、地面へ横たわらせた。そして持っていたハンカチを水魔術で湿らせると、顔の汚れをゆっくり拭き取っていく。

 

「……ん、しょ、…………ん、しょ……」

 

 久しぶりに触れ合うからか、その手付きはおっかなびっくり……、恐る恐る……。

 しかしそこには確かに、弟に対する深い思いやりが溢れていた。この光景を一目見れば、彼女を怖がる者たちの印象も一発で変わると確信できるくらいには……。

 ――そうしてそのまま弟の頬をモチモチすること数分、

 

「? ……でも……こいつら……、なんで……一輝を……?」

 

 ふと、刹那の頭に疑問が過ぎる。先ほどは頭に血が上って気にしていなかったが、この連中の一輝への態度……よくよく考えれば少し不可解にも思えるのだ。

 こいつらの性根がネジくれているのは先の会話からも自明であるが、だからこそ浮かんでくる疑問。

 

 ――果たしてこんな小物どもに、本家の息子をいじめる度胸があるものだろうか?――と。

 

 なにせ本家の長といえば……。

 

「………………」

 

 刹那の脳裏に、とある男の顔が思い浮かぶ。

 相も変わらず記憶の中でさえピクリとも笑わない仏頂面。

 ……自分だって人のことは言えないはずだが、……まあそれはそれ。

 

「…………、あの人……なら……、……何か……知ってる……かも? ……いや……でも、…………う~~~ん……」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 そのままたっぷり数瞬は迷った後……、結局刹那は、眠る一輝を背負ってトボトボと歩き出した。

 ……仕方がない。あまり積極的に会いたい相手ではないが、コミュ障ボッチの彼女に聞き込みなど不可能な話。何かしらの情報を得るにはあの男を頼るしかなかったのである。

 

「………………、はああああぁぁぁぁ……」

 

 澄み切った青空を見上げながら、刹那は今日一番の長い溜め息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 そして、弟を医務室のベッドに寝かせてから……一時間ほど後。

 

 ――コン、コン、コン……。

 

 

「……父、上……? …………今……いい……?」

 

 

 刹那は、父・黒鉄厳(くろがねいつき)の書斎を訪れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 




▼ 刹那は “人に話を聞く”を おぼえた!

 しばらく社会生活を送ったおかげで、刹那の賢さとコミュ力が少しだけ向上しています(当社比)
 ……といっても元々がアレなので、まだまだ余裕でポンコツです。ご安心ください。





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3話 大事なのはブレイクスルー

 伐刀者(ブレイザー)として生まれた者はその身にとてつもない力を宿している。

 下位の騎士であっても常人では全く歯が立たず、上位の実力者ともなればその力は最新の軍事兵器にも匹敵する。優秀なブレイザーの保有数がそのまま国家のパワーバランスになるという、なんともトンデモビックリ人間なのだ。

 

 当然、そのような存在を首輪もなく野放しにはできないため、各国は“魔導騎士制度”という枠組みを作り、彼らを国家の下に統制した。認可を受けた学校を卒業した伐刀者に限り、免許と魔導騎士という立場を与え能力の使用を許可するというものだ。

 

 そしてここ日本国において、騎士制度を管理・運用している元締めこそが“黒鉄家”であり、その黒鉄家を現在主導している人物が彼女の目の前にいるこの男……。

 

 

 

「何の用だ、刹那。……手短に話せ」

 

 刹那の父、黒鉄家現当主・黒鉄厳(くろがねいつき)は書類から顔すら上げず娘へ問いかけた。

 相も変わらず血も通っていないような冷たい態度。しかし別に刹那が殊更に嫌われているわけではない。この父は誰に対してもだいたいこんな感じなのだ。

 ……これで組織の長が務まるのかは(はなは)だ疑問ではあるが。

 

「……聞きたい……ことが……ある」

 

 刹那の方も特に文句を言うでもなく質問事項のみを淡々と問いかけた。親子二人、仲良く語り合いたいわけでもない。

 ……というか不可能だ。この無愛想二人が揃ったところで盛り上がるビジョンなど欠片も浮かばない。……ほら、秘書の人もすごく居心地悪そう。

 

「なんだ? 稽古については好きにしろと言っただろう」

「……ち、がう……、別件……」

「王馬のこともお前の裁量でやって構わん。死なない程度に鍛えてやれ」

「そのつもり……だけど、……それも、違う」

「お前が徹底的に潰したことで解放軍も大人しい。しばらく任務は白紙だ」

「その話……でもない……。もっと、別……」

「……では、一体何だ?」

 

 その都度話を否定していると、ようやく父が顔を上げ刹那の方を見た。仕事中に時間をとられたせいかその眉は煩わしそうに顰められているが、そこは我慢してほしい。

 なにせこれから話す内容はお互いにとっての最重要事項なのだから……。

 

「聞きたい、のは……一輝の……こと……」

「……なに?」

 

 ピクリと厳の眉が動く。

 

「さっき……一輝が、……分家の連中に……いじめられてるのを……見た。……何か、知ってる……?」

「………………詳しく話せ」

「ん……」

 

 刹那は問われるままに先ほど見聞きしたことを説明していった。

 虐めのシーンを思い返すことで危うく怒りまで再燃しそうになったが、同時に刹那の心には微かな安堵も生まれていた。

 一輝の名前を出した途端、厳の空気が明らかに変わったからだ。

 これはおそらく、彼が一輝について真剣に考えている証拠。

 いろいろと性格に難のある父だが、やはり息子が害されたとなれば心中穏やかではいられないのだろう。

 

(よかっ、た……。『親に捨てられた』……なんて……、やっぱり……あいつらの……妄言……だった)

 

 そうしてたどたどしくも刹那は状況を説明していき、

 

「――――で、――――と、いうことが……、あった」

「………………。そうか」

 

 全てを聞き終えた厳は、やがて顔を俯かせ思索に耽り始めた。その様子を見ながら刹那は誰にも分からないくらいに微かな笑顔を浮かべる。

 やはり父は息子について真剣に考えてくれているようだ。

 いじめの件を把握していなかった点は少し頂けないが、それもこれからはキチンと対応してくれるだろう。

 なんといっても彼は――『秩序』を何より重んじる男なのだから……。

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

 

「――――放っておけ」

 

 

 

 

「……………………、は?」

 

 ホッと気を抜いていた刹那にかけられたのは、予想外の言葉だった。

 

「…………え? ……や……、父上……? …………なん……て……?」

 

 思わず間の抜けた声が漏れ、脳内で言葉を反芻。そんなはずないだろうと思い直し、今一度問いかけてみる。

 ――が、返ってきたのは無情のダメ押しだった。

 

「放っておけ、と言ったのだ。特に意図していたわけではないが、あいつが大人しくなるのならむしろちょうど良い。分家の者たちについては後で戒めれば問題なかろう」

「は……ぁ?」

 

 言葉もなく刹那はただ呆気に取られていた。目の前の男が何を言っているのか、本気で分からなかったのだ。

 一方で厳の方は、『これで説明は充分』とでも言うように話を切り上げ仕事に戻ろうとしていた。慌てて刹那はそれを止め、さらに詳しい説明を促す。

 返ってきたのは『は? なぜこれで分からんのだ?』と言わんばかりの呆れ顔……。そこへ右拳をブチ込みたくなる衝動をなんとか抑えつつ、刹那は冷静に話を聞き出していった。

 

 

 

 

 ――父曰く、一輝の魔力はFランク相当であり、魔導騎士になるには才能が全く足りない。ゆえに稽古は付けずに一般人として生活させる予定だった。だが本人は魔導騎士になることを強く望んでおり、一人でも己を鍛えようとしている。

 ……これがただの子どもならば問題ない。いずれ才能の壁に行き当たり、自ずと諦めることになるだろう。

 しかし厄介なことに一輝は武芸について天性の才を持ち、さらには自身を追い込む精神力まで持ち合わせていた。もしこのまま鍛え続けていけば、将来的に才ある騎士を凌駕する可能性は十分にある。

 それはきっと、とても聞こえの良いサクセスストーリー。おそらく万人が憧れる輝かしい英雄譚となるだろう。

 

 

 ――だからこそ、そんなものを認めるわけにはいかない。

 

 

 一つや二つならまだしも、最低のFランクが高ランクを上回るなど、秩序に真っ向から反する異常事態だ。もしそんな光景を見てしまえば、安易にそれを真似しようとする者が際限なく現れるだろう。

 だが実際にそんなことをやれる者などほんの一握り――才能とはまた別の何かを持った“異常者”だけだ。ほとんどの者は無謀な壁に挑戦した挙句、ことごとくが破滅の道を歩むだろう。

 それは“魔導騎士制度”という秩序の崩壊だ。黒鉄の長として、日本国の秩序を守る公人として、断じてそのような真似を許すわけにはいかない。

 

 

 ――ゆえに一輝には、なんとしても騎士の道を諦めさせなければならないのだ。

 

 

「しかし当人が思いのほか頑固でな。いくら『何もするな』と言っても全く聞き入れず、ほとほと手を焼いていたのだが……。こうして周り全てから否定されれば諦めるかもしれん。ゆえに、それまでの間は放置で構わん」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

「…………あ、の……!」

「む?」

 

 あまりの衝撃に呆けていた刹那は、僅かな言葉をなんとか絞り出す。

 もしかしたら……、万が一…………、那由他の向こうにある可能性にかけて……。

 

「……その……こと……、一輝に……言った……? ……二人、だけで…………話し、た……?」

「? わざわざ言うまでもないことだろう。黒鉄の家に生まれた以上、私を滅して公に尽くすのは当然のこと。あいつも今は子どものように駄々をこねているが、その内自分で気付いて自重するだろう」

 

 ………………。

 

「……お前もこんな些事を気にしていないで、己の為すべきことを為せ。その暴れたがりの精神性は褒められたものではないが、きちんと制御できている点については評価している。定期的に戦いの場は用意してやるから、これからも黒鉄としての役目を十分に果たせ。……いいな?」

 

 そう言って厳は話を締め括り、『これ以上説明することはない』と再び視線を落としてしまった。

 その不動の佇まいはまさに“鉄血”。

 黒鉄の長として、日本の国防を担う者として、誰が何と言おうと己の信念を貫き通す鋼の精神性を感じさせた。

 

「…………ッ」

 

 偉大なる父の揺るがぬ姿を見せつけられ、刹那は力なく俯いた。

 ……震える少女の胸に去来する想いは、ただ一つ。

 そう、この瞬間彼女は、自身の父親に対して、心の底からこう思っていたのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――こいつ……! 超、コミュ障じゃねえか……ッ!!!?

 

 

 ――と。

 

 

(な……なんて……こった……。偉大は……偉大……でも……、父は……“偉大なるポンコツ”……だった……!)

 

 前々からズレた父だとは思っていたが、まさかここまでとは予想外。

 そういう裏事情があるのなら、まずはきちんと腹を割って話し合うべきなのに、それを一言罵っただけで放置とか!

 ただでさえ分かり難い意図だというのに、この状況で冷静に考えて真意に気付けなどと、まだ年齢一桁の子どもに何を期待してやがるのだ、この父はッ。

 

 ……あと、しれっと付け加えられたせいで流してしまったが、なぜに自分が“暴れたがりのバーサーカー”扱いされているのかッ!

 自分はただ、命のやり取りに少しばかり興奮するってだけで、相手を傷付けたり殺したりすることが好きなわけではない! いくら付き合い薄い親子だからってこの誤解はあんまりではないか!

 

「ぐ……ぐぬ……ぬ……ッ」

 

 などと、言いたいことは次から次に湧いていたが、それをそのまま伝えたところでおそらく無駄だろう。

 昔から父は一度決めたことは絶対翻さない。どんなに理不尽であろうとも、それが必要だと認めれば何が何でも断行する。親子の情など二の次・三の次の、冷血鉄血関白親父なのだ。

 ゆえに――

 

「……そ、う。…………よく……わかった」

「そうか。……ならばもう行け。私は忙しい」

「ッ――失礼、します……ッ」

 

 ゆえに刹那は決めた。

 ――もはやこの父に頼ることなどしない、と。

 ――弟を助けるため、自分がやれることをやってやる、と。

 そんな断固たる決意のもと、彼女は荒々しく父の書斎を飛び出したのだ。

 

 

 

「よ、よし……。まずは一輝から……、詳しい話を、聞い――――ッッ!?」

 

 行動を開始しようとしたその矢先、無意識に広げていた彼女の探知網に不穏な反応が引っかかった。

 それはここから遠い、敷地の端辺り……。

 見覚えのある魔力反応の周りを、複数の個体が取り囲んでいるのを察知したのだ。

 

「…………一、輝ッ……!」

 

 瞬間、刹那は走り出していた。

 一歩で床を踏み砕き、二歩目で家具を吹き飛ばし、三歩で窓ガラスを突き破って屋外へ飛び出す。そして足裏に魔力壁を創り出すと、一刻も早く現場に到着すべく、全力で飛翔を開始した。

 

「~~ッ! ッんとに……もうッ! ……どいつ、も……こいつ……もッ!」

 

 その過程で刹那のイライラは最高潮へと達していく。

 何しろ今日は、朝から不満と鬱憤が目白押しだったから……。

 

 ――門弟たちは揃って冷たいし、王馬は会話もしてくれないし、悪ガキどもは弟を虐めるし。……そして極めつけに、父は相変わらずの冷血人間だしッ!

 全員こっちの気も知らず、自由気ままにやりたい放題!

 

 だったらもうッ……自分だって――

 

 

「好き勝手……やっても! 許される……よね……!!」

 

 ――そうだ。

 何もお行儀良く、社会の流儀に合わせる必要などなかった。

 そもそもの話……最初に“虐め”という違法行為を――強引で暴力的な力技を吹っ掛けてきたのはあいつらの方なのだ。

 ならば、こちらだけ一方的に遠慮する理由などどこにもないではないか!

 

 そう……つまりは結局……最終的に、

 導き出される結論は――!

 

 

 

「力尽くで……、解決すれば……良いんだッ!!!」

 

 ――論理など捨て去った、100%ゴリ押しの答えだった!

 

 

「……み、見て……ろよ、……父上……! ……そっちが……その気なら……、こっちに、だって……“考え”が……ある、からな……! 子どもがいつまでも……従順だなんて……思う、なよ……ッ! …………フ、フハ……、フハハッ……、フハハハッ――――――クハーッハッハッハッハッ!!!!」

 

 

 己の神がかり的発想に高笑いを上げながら、少女は音速の壁をブチ抜いて全力で空を翔けたのである。

 

 

 

 

 ……なお、進行方向の窓ガラスは全て割れた。(悪評一つ追加)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……黒鉄一輝にとって、自分の家とは“檻”だった。

 古くから日本の国防を担ってきた名門・黒鉄家。この名家において、平均の十分の一の魔力しか持たない劣等性の彼に居場所などなかった。

 物置部屋に押し込められ、出来損ないと罵られ、親族全てから見下され嘲笑される日々。まだ幼い少年の心がどれだけ傷付いてきたかは想像に難くないだろう。

 

 しかしそれでも、大人たちの態度はまだ幾ばくかマシだった。見下す対象とはいえ相手はまだ幼い子供。無視をしたり嫌味を言ったりする程度はあれ、それ以上の迫害などはそうそう起こらなかった。……一応は彼らも、最低限の分別はつく大人ではあったからだ。

 

 ……だがそれも子どもに関しては当てはまらない。

 大人の空気というものは、彼らが思う以上に敏感に伝わるものだ。まだ理屈では分からずとも、一輝という少年が家全体から軽んじられていることは幼い心にも容易に理解できた。

 そして幼さとはときに驚くほどの残酷さを発揮する。一輝が分家の子どもたちから虐めの標的とされるのに、さほど時間はかからなかった。

 

 

 

 

「オラッ、くらえ!」

「うぐッ……!」

 

 頬に衝撃を受け、地面に倒れ込む。額を強く打ち付け、口の端からは血が滲んでいく。

 それを痛いと思う間もなく、今度は背中側を蹴られた。できるだけ衝撃を和らげようと身体を丸めるも、周囲の笑い声は一層酷くなり、ますます勢いを付けて蹴り付けられる。

 

「あ……ぐぅ……ッ」

 

 与えられる痛みに耐えながら、一輝は自身の迂闊さを悔いていた。

 ……今日はもう、大丈夫だと思っていた。

 一度リンチを受けた後なのだから、しばらくの間は迫害されることはないだろうと、そう思っていたのだ。

 

 ……甘かった。

 一輝に対して害意を持つ者は先ほどの連中以外にも大勢いる。人目を気にせずノコノコ出歩いていれば、再びこうなるのは必然の流れだった。

 

(……そうだ。もっと慎重に……、用心深く行動すべきだった)

 

 今さら悔いるももう遅い。すでに周りを十人以上に囲まれており、味方のいない一輝には誰かに助けを求めることもできない。

 今の彼にできることはただ一つ。

 とにかく耐え忍び、嵐が過ぎるのを待つことだけだった。

 

 

 ……幸いと言うべきか、耐えることには慣れていた。

『何もするな』と父に告げられ、昨日までの友が全て敵に変わったあの日から、一輝はずっと耐えてきた。

 身体の痛みだけではない。嘲笑の視線にも、言葉の刃にも、あらゆる理不尽な扱いにも、今日までずっと耐えてきたのだ。

 

 ……だから、今更この程度で心を揺らしたりはしない。

 しばらくの間ジっとしていればそれで終わり。多少の痛みは残るが、それだけのこと。……いつものことだ。

 いつも通りなけなしの魔力を振り絞って、一人静かに耐え続ける。それが今の彼にできる唯一の抵抗だった。

 

 

 ……そう。

 ここには彼に手を差し伸べてくれる味方など、もう誰もいないのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 ――『…………一、輝……?』

 

 

 

 

 

(――ッ!?  違うッ! そんなもの、僕は望んでいない! 期待なんて……、していないッ!)

 

 脳裏に一瞬だけ浮かんだ少女の姿……。一輝は慌ててその像を振り払う。

 

 ――黒鉄刹那。これまで話したことすらなかった、一つ年上の姉。

 何度か話には聞いたことがあった。自分たち兄妹には、王馬の上にもう一人、会ったことのない姉がいるのだと。

 王馬と同じくAランクの伐刀者であり、その実力は天才揃いのAランクの中でもさらに次元違いの化け物。

 

・僅か三歳にしてプロの騎士を圧倒した。

・解放軍の高ランク伐刀者をまとめて蹂躙した。

・戦いにおいて本気を出したことはない。

・それでも生涯無敗である。

 

 等々、信じがたい噂を挙げれば枚挙に暇がなく、それを裏付けるように、先日は神童・黒鉄王馬を一刀のもとに叩き伏せたという。

 まさに、全てを持って生まれてきた天才。

 一輝とは何もかもが異なる、違う世界で生きる選ばれた人間。

 

 そんな雲の上の存在が、自分のような落ちこぼれを助けるとはとても思えない。いや、そもそも伝え聞く性格からして、他人を助けるような人物だとは考え難かった。

 

 そうだ。あれは単に目の前の埃を掃っただけ。

 進む方向に邪魔なものがあったから、ただ煩わしくて排除しただけのこと。

 自分のような不出来な弟をわざわざ助けてくれるはずが――

 

 

 

 

 ――『…………大……丈夫……? ……痛く……ない……?』

 

 

 

 

(ッ!? 違うッ! こんなのはただの幻だ! 僕の弱い心が見せた、都合の良い妄想だッ!)

 

 こんな温かい手など、自分は知らない。

 こんな優しい声など、自分は聞いていない。

 己を慈しんでくれる相手など、もうこの家にいるはずがない……。

 ……いつの間にか腕に巻かれていたこのハンカチも、無意識の内に自分で巻いただけ……、ただそれだけのことなんだ!

 

「聞いてんのかよ、てめえ!」

「あぐッ!?」

 

 考えに没頭するあまり無視してしまったのか、大柄な男子がいきり立って背中を蹴り付けてきた。

 衝撃に息が詰まり、一輝は激しく咳き込む。

 泥だらけで地面に転がる痛ましい姿。普通なら良心が咎め、思わず躊躇することだろう。

 しかし彼らの心にそんなものはない。痛みに悶える様を見て、楽しくてたまらないと笑い、囃し立てる。

 

 

 ……そうだ、現実はこんなものだ。

 都合良く助けてくれるヒーローなんて存在しない。

 

 騎士になりたいと望んでも、誰も聞いてくれない。

 友達になりたいと願っても、誰も受け入れてくれない。

 助けてほしいと叫んでも、誰もその手を取ってはくれない。

 この数年で思い知らされた、受け入れざるを得ない冷たい現実……。

 

(――ッ……でも、……それ、でもッ!)

 

 このままただ負けるだけじゃ、あまりに悔し過ぎるから……。

 だからせめて、情けない声だけは上げてやるものかと、少年は強く拳を握り、グッと歯を食いしばった。

 

「アハハハッ、ほら食らえよ、無能野郎がッ!!」

 

(――ッ……ああ……、これが当たったら、さすがに怪我じゃ済まないだろうなぁ……)

 

 眼前に迫る木刀を冷静に観察しながら……、しかし幼い身ではやはり恐怖は拭えず、一輝は最後にギュッと目を閉じ、そのときを待ったのだ。

 

 ……そして一秒後。

 聞こえてきたのは予想通り、骨が砕ける鈍い音――

 

 

 

 

 

 ではなく、

 

 

 

 

 

「……間に…………合った……!」

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 いつか夢の中で聞こえた、優しく囁くような声だった……。

 次いで、カランッと地面を叩く音と鼻腔をくすぐる甘い香り……。

 慌てて一輝が目を見開いてみれば、そこにあったのは切り落とされた木刀と、そして――息を呑むほどに美しい後ろ姿。

 淡く光る白髪を風に靡かせながら、振り切った右腕をゆっくり下ろしていくその少女は、

 

 

 ――――紛れもなく彼の姉、黒鉄刹那であったのだ。

 

 

「……な、……なん……で……」

「…………」

 

 闖入者は彼の疑問には答えず、その場にいる者たちを睥睨(へいげい)していた。一輝からは背中側しか見えないためどのような表情かは分からない。

 しかし彼らの引きつった顔と、そして、少女の全身から立ち昇る魔力光を見れば、何を目にしているのかは想像が付く。

 

「な……。だ、誰だよ、お前……。邪魔すんなよ!」

「そ、そんな奴助けんのかよ! お前も同じ目に遭わせるぞ! ど、どけよッ!」

「………………」

 

 動揺する彼らの誰何の声にも刹那は何も答えない。勢いを増していく白光を身に纏ったまま、静かに相手を睨み据えている。

 

 ……怒っていた。

 黒鉄刹那は今……、この場で明確に怒っていた。

 

 一体何に対して?

 

 ………………。

 ……いや、まさか、そんなことは有り得ない。……あるはずがない。

 

 自分とは何もかも違う天才が……、

 全てを持って生まれてきた、選ばれた人間が……ッ。

 

 

(――落ちこぼれの弟を殴られたことに、憤りを覚えるなんて……!)

 

 

「…………お前、たちは……」

「「「――ッ!」」」

「…………やってはならない、……ことをした……」

 

 重々しく空気を震わせた声は、紛れもない怒りに満ちていた。滅多に動かぬその表情を憤怒の形に歪め、少女は侮蔑を込めて吐き捨てる。

 

「どこまでも……醜い、奴ら……」

「な、なに……ッ」

「抵抗できない相手を……虐げて……悦に入る。……集団で他者を害し……、自分は強いのだと……思い上がる……。なんて、醜い……“弱者”の姿……!」

「て、てめえッ、俺らが弱者だと!?」

「ちょっと魔力が強いからって、調子に乗ってんじゃ――ッ」

 

 

「――黙れ」

 

 ――ズ…………ンッ!

 

「あグぁッ!!?」

 

 ただ一言。

 それだけで格付けは終わっていた。圧倒的な魔力の圧により、彼らは一人残らず地面に叩き付けられ、苦しげに息を吐いた。

 

「……もう、何も……喋らなくて良い……。反省など……求めていない……。……ただ恐怖と……絶望だけ感じて……、ここで、死んでいけ……ッ!!」

「う……ッ、うあ゛ぁああぁあ゛ああッッ!?」

 

 ……そこからは、あっという間の出来事だった。

 悲鳴を上げて逃げようとする彼らを、刹那は一人も逃さず魔力の鎖で捕縛、砂砂利の上に投げ捨てた。

 謝罪を繰り返す言を冷然と無視し、淡々と、無感情に……。蹴倒し、殴り倒し、順に地面へ沈めていく。命乞いする子どもを無慈悲に踏み付けるその姿は、まさしく暴君そのものであった。

 

「ひッ、ひぃィいッ!!?」

「ごめんなさい!! ごめんなさい! ゆ、許してえええッ!!」

「…………フン」

 

 やがて全員を地面に蹴り転がした刹那は小さく鼻を鳴らす。

 何人かはまだ意識があるようだったが、もはや興味も無くなったのだろう……。苦しげに呻く彼らを路傍の石のように捨て置くと、少女は自身の背後を振り返った。

 そして視線の先にいる相手をジッと見る。

 

「………………」

「………………ッ」

 

 それは朝の光景の焼き増しだった。

 姉弟二人……。互いに言葉もなくただ相手のことを見つめている。一輝にはここからどうして良いのか分からない。

 

 ――この人は本当に、自分を助けてくれたのか?

 ――まだ自分にも味方がいると、希望を抱いて良いのか?

 ――信じた相手にまた……、裏切られはしないのか?

 

 疑問と期待と恐怖が、頭の中をグルグル回っていた……。

 

 

 

 

 

「……ケガ」

「え……?」

 

 気付けば姉は触れ合うほどの距離から彼を見つめていた。

 

「……ケガ…………大、丈夫……?」

「……ぁ」

 

 ジッと目を合わせたまま、ポツリと告げられた一言。

 ……それだけで、充分だった。

 

 ぶっきらぼうに放られた、飾り気のない簡素な言葉。しかしそこには確かに、弟の身を案じる姉の優しい想いが滲んでいた。

 今まで幾度となく心無い言葉をぶつけられてきた彼だから分かる。

 この人は間違いなく、自分を助けるために駆けつけてくれたのだと――そう心から確信できたのだ。

 

(……僕の、姉さんは……、こんなにも、優しい人……だったんだ……)

 

 数年ぶりにかけられた温かい言葉に、一輝の心が柔らかく解きほぐされていく。

 ……同時に彼は無責任な噂を信じた自分を恥じた。

 確かに噂通り、姉には苛烈な一面もあった。けれど本当の彼女はとても慈悲深く、不器用で、そして温かい人だった。初めて顔を合わせる弟を何の見返りもなしに救ってくれるような、優しい心の持ち主だったのだ。

 

 ……それなのに自分は安易に噂を信じ込み、この人を否定しようとした。二度も助けられておきながら、意固地になって礼を言うこともしていなかった。

 風評だけで悪く言われる辛さを、誰よりも知っていたはずなのに……。

 

(ッ……いや、……今からでも、遅くない……ッ)

 

 姉はこうして自分を助けてくれた。

 目の前にやってきて、優しく手を差し伸べてくれた。

 ならば今度は……自分が返そう。

 姉弟二人、改めてここから始めよう。

 

(僕に何ができるかは分からない……、けれど今はまず……、この『ありがとう』の気持ちを、素直に言葉にして伝えよう!)

 

 想いを新たにした少年は、差し出された手を強く握り、二本の足で立ち上がった。

 幼い姉と弟が見つめ合い、手を取り合って並び立つ。

 今ここに、姉弟による愛と勇気の英雄譚が始まりを告げたのだ。

 

「ね、姉さんッ! 助けてくれて、本当にありが――

 

 

 

 

 

 

 

「黙れ!! この愚弟がッ!!!」

 

 ――スパアアアーーンッ!!

 

「ブフェえッ!!?」

 

 否、始まることはなかったッ!!

 紡がれた言葉は、キャッチされることなく即座にリリース!

 一輝は頭部に強烈な横Gを受け、激しく地面を転がっていた。

 

「~~~~ゲ、ゲホッ! エホッ! ……えッ!? な、何ッ!? ……何が起きて――ッ」

 

 突然の状況変化に一輝の混乱は極みに達する。

 ()()()()()()()()()()()を気にする余裕もなく、現状を把握するだけで手一杯だった。

 

(……な、なんで僕……地面に倒れて……ッ。……えッ? ……も、もしかして今、姉さんに張り飛ばされたッ!?)

 

 そう……、真相はなんとも驚き。

 感謝とともに彼が口を開いた直後、刹那は目にも止まらぬ速さでビンタを振り抜き、弟の顔面をブッ飛ばしたのだ。

 

 あまりに唐突過ぎる姉の奇行。

 助けた相手に追い撃ちをかけるという予想もできない非道。

 それを正面から食らい、一輝の心に湧き上がった感情は、

 

 ――『信じたのに裏切られた!』という恨み言でもなく、

 ――『やっぱり僕に味方なんていないんだ!』という泣き言でもなく、

 

 ただただ純粋に――

 

 

 

 

「いや、普通この流れでビンタしますか!? 姉さん!」

 

 

 

 

 ――という至極真っ当なツッコミだった!

 

「いやおかしいでしょ!? あそこでアレはないでしょ!? もうハッピーエンド目前だったじゃん! 不器用で優しい姉に助けられて、そこから新しいストーリーが始まる流れだったじゃん! なのになんでビン――」

「黙れと言っている、バカちんがッ!!」

「ブヘらあッ!?」

 

 返答は無情の踵落としだった。いたいけな少年の顔が激しく地面にめり込む。

 負傷した弟に対して、致命打必至のヤベえ一撃。

 そのあまりの暴虐ぶりに、倒れたまま見ていた虐めっ子たちすらドン引きしていた。

 

 ――あ、上げてからまた叩き落とすとか……、こいつ俺たちよりヤバくね?

 ――ああ……、行動の意図がわかんねえよ。純粋に怖えよ……。

 ――だ、だよねッ? 一体何がしたいのさ、この人!

 

「……弱者は、……許せない……」

「「「え……?」」」

 

 被害者と加害者がなぜか通じ合っていると、不意に、本人の口から答えが語られ始めた。

 地面から頭を引っこ抜いた一輝は、()()()()()()()()()にも気付かぬまま必死に耳を傾けた。

 もしかしたら何か怒りの原因が分かるかもと――

 

「自らを……鍛えることなく……、他者を害して……悦に入る……弱者ども……。……そして、……何より――ッ!」

 

 カッと目を見開き、刹那は目の前の弟を睨んだ。

 

「碌に抵抗もせず……ッ、ただ虐められるだけの……軟弱者ッ! ……真に私が気に入らないのは……お前だッ、一輝……ッ!!」

「ええッ!? むしろメインは僕だった!!?」

 

 愕然として叫ぶ一輝。

 ここにきてようやく彼にも理解が及んだ。

 ……つまりこの姉は、『虐げられる弟を救いに来てくれた』わけではなく、『いじめられるような弱者が気に入らなくて、ただ蹴っ飛ばすためにやって来た』のだ!

 自分を高めない弱者は許せないし、そいつに虐められるような軟弱者は輪をかけて許せない。

 誰よりも強いがゆえの苛烈なる主張。完全無欠の、超・上から目線であった。

 

「諦める……なよッ……。もっと……強くなれよッ!! ……いじめっ子なんて……肋骨の五・六本も折ってやればッ……、大人しくなるよ!!」

「「「え、えぇぇ……」」」

 

 この場に集う面々の想いは今、立場を越えて完全に一致した。

 

 

 

 ――あ……こいつ関わっちゃダメな奴だ――と。

 

 

 

「……鍛えてやる」

「……へ?」

「軟弱なお前を……、私が……根性ごと……叩き直してやる……! 明日から……いや、……今から早速、特訓開始だ……ッ!」

「ッッ!!? いやいやいやッ! せ、せっかくだけど姉さんッ、僕自分のペースで自主練してるから! 忙しい姉さんの手を煩わせるなんて申し訳ないから! いや、もうホント気にしないでッ!!」

 

 ……今、自分の目の前には、地獄の釜の入り口が開いている。

 それを本能で察知した一輝は、全身全霊でお断りの言葉を繰り返した。

 

「ケガがなくて……本当に良かった……。今すぐ……特訓を……開始できるッ!」

「さっきの“心配”ってそういう意味!?」

「――と、いうわけで……、コレはしばらく……私の方で、“遊ぶ”から……、お前たち……手出し無用……な?」

「ッ!? は、はいッ!! もう何もしません! ち、誓いますッ!!」

「ほ、他のヤツらにも言い聞かせますので! だ、だからどうかッ、命だけは……ッ!」

 

 しかし姉は全く聞いてくれない。そんなもの知らんとばかりにグイグイ話を進めていく。

 ……当然である。

 なぜなら彼女は、黒鉄刹那だから。

 何物にも縛られない、絶対の暴君であるから。

 弟の境遇も感情も、彼女の知ったこっちゃないのである!!

 

 刹那はノッシノッシと一輝に近付くと、弟の襟首を掴んでニンマリと嗤った。

 

「さあ……一輝……? 楽しい……楽しい……、お姉ちゃんとの特訓(遊び)の……始まりだよぉ……?」

「ッい…………、いやああああッ!! だだッ、誰でも良いからお願いッ、助けてえええええーーーッ!!!!」

 

 ……秋晴れの爽やかな空に少年の悲鳴が木霊する。

 父に突き放されてより二年と少々。

 一度も弱音を吐くことのなかった心強き少年は、本日久方ぶりに声を上げて泣いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――黒鉄刹那考案:

『被害者も加害者もボッコボコ! & こいつ俺のオモチャだから手出し無用な?』作戦、これにて無事完了である!!

 

 

 

 ※なお、弟からの好感度については考慮しないものとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・弟を助けたい。
 → だけど自分の評判は最悪。
 → 仲間と思われたら余計にいじめられるかも?
 → じゃあ『助けた』と思われなければ良い。
 → 全員無差別にボッコボコ & 弟をオモチャ扱い。
 → ドン引きして誰も関わらなくなる。
 → いじめそのものが無くなる!(ミッションコンプリート)

 ……以上、ポンコツお姉ちゃんによる『弟救出悪役ロール作戦』でした。
 仲良し姉弟への道はやや遠のきましたが、弟を助けられた上、直接話すこともできたので、本人的には大満足です。






※おまけ:【オリ主の伐刀絶技紹介】

長女の慈悲(みねうち)
 インパクトの瞬間、自身の魔力で相手の身体を覆い、その上からブン殴るという、無駄に高度な打撃技。全身を覆う防護膜の働きによって、術者の設定した衝撃と痛みしか通らなくなり、対象は滅多なことでは死ななくなる。……というか死ねなくなる。
 刹那がいじめっ子を粛清するため新たに習得した伐刀絶技であり、殺しちゃいけない相手をボコボコにするにはうってつけ。
 ……ただしあまり感度を上げ過ぎると、勢い余ってショック死するので気を付けよう。

※その他、使用例
・演劇で相手を安全に吹き飛ばせる。
・痛覚最大で自分を殴ることで精神力を鍛えられる。
・戦闘訓練の事故を予防できる。
・疲れて気絶するまで無限に特訓を続けられる。
・安全に拷問できる。……etc.




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4話 これは訓練です

「ハッ、ハッ、ハッ……!」

 

 黒鉄家の朝は早い。……しかし黒鉄一輝の朝はもっと早い。

 門弟たちの鍛錬が開始されるよりさらに前、まだ薄暗い時間から少年の活動は始まる。軽い準備運動から始まって……、ランニング、筋トレ、素振り、型稽古、イメージトレーニング等々、七歳児にはハードな練習メニューを一人黙々と熟していく。

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!」

 

 無論彼には指導者などいないため、その全てが遠目に門弟たちを観察して覚えた見取り稽古だ。持ち前の観察眼で理を読み解き、乏しい経験からなんとか試行錯誤を繰り返してきた。

 導いてくれる師もおらず……、励まし合える友もおらず……、強くなれている保証もないまま努力を続ける日々。

 ――『本当にこの行動は正しいのか? さっさと諦めた方が楽なんじゃないのか……?』

 そんな不安に駆られたことも一度や二度ではない。

 

 

「ハアッ……、ハアッ……、ハアッ……!!」

 

 しかしそれでも、一輝は諦めなかった。

 才能が足りないなら、それを補うほどの努力を……。

 努力だけで足りないなら、今以上にもっと努力を……。

 それでもまだ足りないなら、この魂を削ってでも……!

 

 どれほど辛くても、どれほど馬鹿にされようとも、彼が歩みを止めることは決してなかった。全ては憧れの曾祖父に追い付くため。そして魔導騎士になるという夢のため。その一念のみで彼は今日まで努力を続けてきたのだ。

 幼くして後の大成を感じさせる、断固たる決意がそこにはあった……。

 

 

「ハアッ……、ハアッ……、ハアッ……、――――はひぃぃッ……!」

 

 まあ……それはそれとして。

 そんな努力家な一輝少年は、今現在――

 

 

 

 

「そぉれ……。もっと走れ……、走れぇええ……!」

「ひぃいい!? 来たああッ!」

 

 

 ――ポン刀片手に迫る(オニ)から、決死の思いで逃げていた!

 

 髪を振り乱して走る少年の背後から、刃渡り90cmの刃がブン、ブン、ブン!

 もちろん模造刀などではなくガチの本物。避け損なえば手足なんぞスパッと飛んでく業物である。

 朝っぱらから姉に叩き起こされて、かれこれこうして一時間以上。一輝はずーっと悲鳴を上げながら、広大な敷地内を追い回されているのである。

 ほら今この瞬間も、キラリと光る刃が少年の後頭部へ迫り――

 

「いやあああッッ!! 死ぬ! 死ぬ! これ絶対死んじゃううわああッ!?」

「……コラ……気を、抜かない……。真面目に、やらないと……首……飛ぶ、よ……?」

「いや絶対おかしいでしょコレえッ!? それって真剣だよね!? 当たったら致命傷だよね!? 普通訓練でこんな危険行為やりますかッ!?」

「…………??」

「『何言ってるか分からない』って顔しないでよおお!!」

 

 ………………。

 

 ……誤解のないように、一応説明しておこう。

 これは訓練である。

 一見すると、刃物持って弟を追い回すいじめ――というか、殺人未遂にしか見えないが……、ポンコツ姉が弟のためを想って考えた、歴とした訓練なのだ。

 

※弟を鍛えてあげよう。

 → でもまだ幼いし、激しい筋トレとかは良くない。

 → ランニングを中心に、走力とスタミナを鍛えよう。

 → ついでに根性と精神も鍛えてあげよう。

 → ……よし、真剣持って追い回そう。

 

 こんな感じの流れである。

 ……三行目から四行目がちょっとジャンプアップし過ぎな気がしないでもないが、実のところ理には適っていた。幼い身体に負荷をかけ過ぎると、正しい成長を阻害してしまうことがある。ゆえに、最初の内は伸び伸びと自然な動きを覚える方が良いのだ。

 実際、開始前にそう説明された一輝も、『あ、この人まともなことも考えられるんだな……』と納得の表情を見せていた。

 

 

 ――スッパアアアンッ!!

 

「ふおおおッ!? い、今スパって!! き……斬れた! 髪の毛斬れたよ姉さんンンッ!!」

「ン……だから言った。……真面目にしないと……首、落ちる……って。……髪の毛で……良かった、ね?」

「なんにも良くないんですけどおおッ!!?」

 

 ……残念ながら、互いの『伸び伸び』の感覚は、致命的にズレていたのだけれど……。

 

「……大、丈夫……避けられない……攻撃は……してないから……。……ちゃんと集中すれば……躱せる、から……。集中して……限界超えて……命懸けで死線を潜れば……ちゃんとギリギリで……躱せるから……! さあ、修行頑張れ一輝……! じゃすとどぅーいっと!!」

「これは修行じゃなくて“拷問”って言うんだよ姉さんンンンッ!!」

 

 

 ――その日、謎の奇声と爆音が黒鉄の敷地を揺らし、住民たちは静かに黙祷を捧げたという……。

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶはッ……! ごふッ……、あべらぁ……ッ」

「……フ、フフフ。……手取り、足取り……一緒に……訓練……。これはもう……仲良し姉弟と言って……差支え、ないのでは……?」

 

 一時間後、白目をむいて倒れる弟の横で、ポンコツ姉ちゃんは呑気にポヤポヤ喜んでいた。

 疎遠だった弟とこうして仲良く(?)なって、一緒に愉しく修行に励む。数日前には想像もしていなかった関係の進展ぶりに、刹那の口角は知らず上がっていく。

 

(ッと、……いけ、ない……声に……出てた……。……気を、抜くのは……厳禁……)

 

 緩みそうだった表情を刹那は慌てて引き締める。

 ……そうだ、ここで気を抜いてはならない。あくまで今の自分は――“難癖付けて弟を虐める理不尽な姉”なのだ。どこに人目があるか分からない以上、そのスタンスを崩すわけにはいかなかった。

 ……正直、一輝から怖がられる現状には寂しさを覚えないでもないが、初めて事務会話以上のコミュニケーションができたことに関しては大いに感動しているところだ。

 ――自分は今、仲良し姉弟(目標)へ向かって着実に前進している!

 その確かな手応えをモチベーションに、刹那は今日も今日とて心を鬼にし、優しく弟を鍛えていくのであった。

 

 

 

 

 ゆえに――

 

「……じゃあ……今度は……、……来客の、応対を……しよう、かな……?」

 

 ――ッッ!!?

 

 ゆえに刹那は迅速に次の行動へ移ることにした。一輝が気を失っている間に、不審者の処理を済ませようと考えたのだ。

 

 ……そう、少し前から感じていた視線。

 一輝に対して並々ならぬ感情を送り続ける怪しい人物が、彼らの後方三十メートルほどの林の中にいたのだ。

 警戒して逃げられないよう魔力による探知は行わなかったが、どうやら下手人の隠形の腕は大したものではないらしく、刹那が普通に気配を読むだけで容易く位置を割り出すことができた。

 後はちょちょいと身柄を確保して少しばかり“お話”をするだけである。

 

「……で、は……、その顔……、拝ませて……もらおう、かな……?」

「ッ!?」

 

 ――ガサリッ!

 

 刹那は茂みへ向けて一歩を踏み出した。それを見て相手は今さら逃げようとしているようだが、もう遅い。

 こうして声をかける前にすでに包囲は完了していたのだ。ターゲットの周囲にはすでに幾重にも魔力鎖が配置してあり、対象がいずれかに触れた瞬間、即捕縛できる仕掛けになっている。

 

「ッ!? ~~ッッ!!?」

 

 言ってる傍から発動したようだ。謎の人物の声にならない悲鳴が、魔力の鎖を媒介にひしひしと伝わってきている。

 果たしてこの人物は一輝に悪感情を持っている悪ガキなのか……、もしくはこちらの動向を探りにきた父の部下なのか……。まさか、大穴で“刺客”なんてことはないと思うが……。

 仮に、本当に一輝を狙って来た賊ならば――

 

「…………情報……吐かすため……、拷問……すべき……?」

「~~Δ♯×%&●♪$!?」

 

 刹那の呟きの直後、恐怖の念が一気に増大した。なんとか拘束を振り解こうと必死に暴れ、身を捩っているようだ。もしこれが通りすがりの出歯亀ならばここまで恐怖を感じはすまい。

 ……もしかするとこれは本当に“当たり”なのかもしれない。ならばじっくり丁寧に、お話に付き合ってもらう必要があるだろう。

 彼女は初めての拷問にちょっとだけワクワクした。

 

「……では、犯人よ……、……洗いざらい……ゲロして、もらおう、かッ……!!」

 

 刹那は思い切り魔力鎖を引っ張り、標的を茂みから釣り上げたのである。

 

 ――ガッサアアアア!!

 

 

 

 

 

「ひやああああ゛あッ!!? ごめんなさい、ごめんなさい! 殺さないでええええーーーッ!!」

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……んえ?」

 

 刹那はポカンと口を開けたまま、間抜けな声を漏らした。

 引き抜いた鎖の先に吊るされていたのは……、悪ガキでも、刺客でも、ましてや父の部下でもなく……、

 

 

「しッ……死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくなッ――――きゅぅぅぅ……」

「……………………。……珠、雫(しず く)?」

 

 

 白目をむいたまま気絶する、彼女の末の妹だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒鉄珠雫(くろがねしずく)は特別な人間だった。それは思春期によくある思い込みなどではなく、客観的な事実である。

 名門・黒鉄本家の娘として生まれ、伐刀者としての位階は一流と言っていいBランク。身体能力こそ平均の域を出ないものの、魔力制御の才はそれを補って余りあるほど高く、指導に当たる高ランク騎士さえ唸らせるほど。

 勉学に関しても申し分なく、礼儀作法や教養も完璧。さらには万人が誉めそやす可憐な容姿まで持ち合わせていた。

 才能、容姿、頭脳、血統、そして社会的地位。人が凡そ望む全てのものを持って生まれてきた特別な人間、それが彼女であった。

 

 必然、周囲の者たちは挙って彼女を特別扱いした。

 珠雫がいくら我が儘を言おうが、他の子どもに理不尽を働こうが、いつも頭を下げさせられるのは周囲の方。

 彼女以外の姉弟が、一輝(無能扱い)王馬(気難しい)刹那(例のアレ)であったことも影響したのだろう。それらに比べればまだ取っ付きやすい珠雫に対し、分家の連中はあからさまに媚びてきたのだ。

 

 珠雫をチヤホヤすることで本家の覚えを良くし、できるだけ出世に繋げたい。そんな下世話な想いが笑顔の裏に常に透けて見えていた。

 六歳の小娘に顎で使われてペコペコする大人たち。権力の前では皆例外なく右へ倣え。

 そんなプライドのない人間全てを珠雫は見下し……、そして、その様を見て悦に入る自分自身のことを何よりも嫌いになっていった……。

 

 

 

 ――そんなある日のこと、彼女の価値観が引っくり返る事件が起きる。

 

 その日も珠雫はいつも通り、気まぐれに横暴を働いていた。

 分家の子どもたちへ嫌味を吐き、彼らの親に頭を下げさせ、その姿を見てさらに見下す言葉を放つ。

 よくよく見れば彼らの拳は微かに震えており、本心では悔しいのだということはよく分かった。それでもなお彼らは一言も言い返してこない。その情けない姿を見て珠雫はますますイラつき、余計に暴言を重ねていく。

 

 “黒鉄の娘”として特別扱いされればされるほど、まるで『珠雫という人間そのものには価値がない』と言われているようで……。こうして周囲に噛み付くことで、彼女はなんとか自分の心を保つしかなかったのだ。

 ……ままならない気持ちから罵倒を繰り返す少女と、逆らうわけにいかず静かに耐える親類たち。

 軋んでいく空気と、行き場をなくして澱んでいく怒気。

 どうにも収拾が付かなくなっていくその状況を、最終的に鎮めたのは――

 

 

 

 ――パシ…………ン!

 

 

 

「…………、え?」

 

 ――珠雫の左頬から響く、乾いた殴打の音だった。

 いつの間にか目の前には兄・黒鉄一輝が立っており、厳しい顔で彼女を睨んでいたのだ。

 

「…………謝るんだ、珠雫」

「……え、…………え?」

 

 突然の事態に珠雫はうまく状況を飲み込めないでいた。

 

 ――なんで落ちこぼれの兄がここに?

 ――なんで私に、命令しているの?

 ――どうして私が、謝らないといけないの?

 

 疑問を咀嚼している間に左頬は徐々に熱を帯び始め、やがてジンジンと痛み出す。そこでようやく珠雫は自分が兄に叩かれたのだと理解した。

 

「え……、や……な、なんで……。だ、だって……私……悪くッ」

 

 初めて感じる頬の痛み、そして家族に叩かれたのだというショックに、珠雫の気は動転した。まともに言葉も発せないまま涙で視界が霞んでいく。

 

 なぜ? どうして自分は叩かれた?

 今まで誰も怒らなかったのに……。

 私が望めば、みんな黙ったのに……ッ。

 誰かに叩かれたことなんて、一度もなかったのに……!

 

「……わ、私ッ……悪くなんかッ……ない、のに!」

「いいや……、君が悪い」

「……ッ」

 

 泣きながら絞り出した言葉はあっさりと否定された。

 しゃくり上げる妹の目をジッと見ながら、兄は淡々と糾弾を続ける。

 

「君が本家の娘であっても、彼らに命令する権利なんてない。それができるのは黒鉄の当主のみで……、それも、人々を守るために必要なときだけだ」

「……だ、だって……わ、私……ッ」

「彼らは便利に使っていい道具なんかじゃない。一人の意思ある人間なんだ。君がやった理不尽で身勝手な罵倒なんて、断じて許されるものじゃない」

「で……も……、わ、私…………悪、く……ッ」

「……珠雫、今すぐ皆に謝りなさい」

「……ぐす……ひぐ……。わ、悪く……えぐッ……」

 

 

「謝るんだッ! 珠雫!!」

「――ッ!」

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 その後のことはあまり覚えていない。

 ……ただ、初めての怒声に声を上げて泣いたこと、そして、自分を叱る兄の強い意志を秘めた瞳だけは、今でも鮮明に思い出すことができた。

 庇ったはずの分家の者たちに取り押さえられ、殴る蹴るの暴行を受ける中、ただジッと自分を見続けていた兄。

 

 ――どんな理不尽な目に遭おうとも、誰にも認められなくても、絶対に心だけは敗けてたまるか。

 何より雄弁に語っていたその瞳に、珠雫の心は訳も分からぬまま強く揺さぶられてしまったのだ。

 

 …………いや、この際取り繕うのはやめよう。

 周囲のことを見下し、自分のことすらも諦めていた少女は、このとき初めて誰かの生き様に憧れたのだ。

 落ちこぼれの烙印を押され、家族からも蔑まれ、満足な愛さえ受けられなかった少年が、それでもなお自分自身を諦めなかった尊い姿に、何より強く憧れたのだ。

 

 

 ――灰色だった少女の世界に、鮮やかな火が灯った瞬間だった……。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 とまあ、こんな感じの経緯で……。

 愛しの――じゃなかった……、ちょっとだけ尊敬する兄に会うべく、珠雫は姉への恐怖を押し殺し、ここまで偵察にやってきた。

『一輝があの恐ろしい姉に連れ去られ、二人で寝食を共にしている』と聞かされ、なんだかよく分からない焦りを感じた結果、居ても立ってもいられずこうして突っ込んできたのである。

 

(私の方がお兄様の良さをずっと分かってる! あんなポっと出の姉なんかに絶対負けないんだから!)

 

 自分たち兄妹の絆はあんな姉よりずっと強いのだと、珠雫は心の中で鼻息を荒くした。

 

 

 

『…………ダメだ……、そんな……たら……』

 

 

 

 ――ほら今も、耳を澄ませば兄の声が聞こえてくる。

 

 

 

『…………したら、…………が…………てしまう……』

 

 

 

 ――自分を変えてくれた力強い言葉が、はっきりこの耳に届いている。

 

 

 

『…………謝る…………早く……』

 

 

 

 ――きっと倒れた自分を案じて、兄が優しく声をかけてくれているに違いない。

 

 

 

『……早く……いて…………、……が折れ…………』

 

 

 ――ならばそろそろ目を覚まして、大切なお兄様に挨拶しなければ。

 そしてそのときこそ、兄妹による仲良し甘々ハッピーストーリーが始まるのだ!

 

「う、うーん、お兄様ぁ……ッ」

 

 温かな微睡みの中、少女は兄に『おはよう』を言うため、ゆっくりと目を開いていった。

 心地良い浮遊感とともに暗闇が開け、眩い光が世界を照らしていく……。

 そしてやがて、少女の瞳にその光景が飛び込んできて――

 

 

 

 

 

 

「ダメだよ姉さんンッ!! 人間の身体はこんなのに耐えられるようにできてないよッ! う、腕が折れるうう!!」

「……大……丈夫。……人は……そう簡単に……壊れ、ない……。何度も……確かめた、から……間違い、ない……。安心……する」

「何一つ安心できる要素がないんだけど!? ていうか過度な筋トレは禁止じゃなかったのッ!? これめちゃくちゃキツいんだけどッ!?」

「?? 何、言ってる……? これは掌への……魔力集束、訓練……。物理的負荷は……そんな……ない、よ?」

「“人間乗せて片手逆立ち”のどこが低負荷なのさ!――って、ああッ! 手に針があ!!」

 

 

「………………」

 

 目覚めた少女の瞳に映ったのは……優しく語りかけてくれる兄の笑顔ではなく、

 

 ――剣山の上で片手逆立ちしながら、拷問官()にグイグイ体重をかけられている虜囚()の姿だった!

 

 小さな腕はプルプル痙攣しながら“く”の字に曲がり、身体は今にも針に突き刺さりそうなほど傾いている。

 針の直径は10cm、長さはズズイと1m、それが5m四方に数十本。倒れてしまえばどんな人間も確実にお亡くなりになる、まさに地獄の処刑場であった。

 

 

「――――ッお、……お兄様ああああ゛あ゛あ゛ッ!!!?」

「え、珠雫? 良かった、目が覚めたん――ブふぇえッ!?」

 

 ――ドゴオオオンッ!!

 

「……おっ、と」

 

 直後、珠雫は全力で駆け出していた。汗だくでこちらを振り向いた兄の横腹目掛け、全身全霊でタックルを敢行。蛙が潰れたような声が聞こえたが、全て無視。

 ゴロゴロと地面を転がって跳ね起きると、奪い返されないようにしっかりと兄の身体を確保する。

 そして5mほど向こうに着地した刹那をキッと睨んだ。

 

「……ど、どうしてッ、……なんで、こんなことを……ッ!」

「…………? なに、が?」

「なにが……、じゃありませんッ!!」

 

 珠雫はギリと歯を食いしばる。

 ……一輝が恐ろしい姉に連れ去られたと聞いたとき、ある程度のことは覚悟していた。きっといろいろ酷い扱いを受けているのだろうと、心の準備だけはしてきた。

 が、現実は想像の遥か上だった。斜め上どころか大気圏の外である。

 

「何なんですか、この仕打ちは!? 一応は“特訓”という名目だったのでしょう!? 教え導いてあげると手を差し伸べたのでしょう!? それなのにこんな……酷い真似ッ……、こんなのもう、ただの拷問じゃないですかッ!!」

 

 自分から兄に会いに来た恥ずかしさとか、怪物姉への恐怖とか、そんなものは全て彼女の頭から吹き飛んでいた。

 ――この悪辣な姉の下からなんとしても兄を助け出す! 頭の中はもうそれ一色だ。

 

 相手は恐ろしい化け物? 戦ったら絶対に助からない?

 ――それがどうした!!

 いつかは戦わなければならない()、それが今だったというだけの話だ。たとえ刺し違えることになろうとも、大切な兄の命だけは絶対守ってみせる!

 

「さあ来なさい白髪鬼! お兄様への無体は、この黒鉄珠雫が許しませんッ!!」

「………………」

「どうしました!? 何をジッと見てるんですッ! 私のような有象無象、あなたが恐れる理由などどこにもないでしょう! 早くかかって来なさい!!」

「………………、ン」

 

 その啖呵に応えるように、やがて刹那は静かに腕を上げ、ピッと珠雫を指差した。

 

「――ッ!」

 

 瞬間、珠雫は全身をビクリと震わせる。

 

 …………やはり、怖い。

 覚悟を決めて臨んだはずなのに、正面に立たれただけで震えが治まらない。その闇色の瞳で見られるだけで、魂の鼓動まで止まってしまいそう。

 

(ッ……で、でもッ、……絶対に膝は屈しません! 最悪命を失ってでも、お兄様の身だけは必ず……!)

 

「……あ、の……」

「くっ、来ますかッ!」

「……や……、じゃなくて」

「な、なんです! さっきから何が言いたいんですか!?」

「えっと………………、一輝が…………死に、そうで」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「………………へ?」

 

 紡がれたのは、想像していたよりもずっと優しい声と、想像もしていなかった指摘の言葉。

 気の抜けた珠雫が思わず下を向けば――

 

「…………あ」

「か、かひゅ……、こひゅっ……。し、しずッ…………し、ぬぅ……ッ」

 

 ガッチリと首を極められ、顔中真っ青にしている兄と目が合った。口の端からは泡を吹き、良く見ると額には大きなタンコブまでできている。

 弱弱しく妹の腕をタップして、震えながら必死で助けを求めて――――あ、腕落ちた。

 

「――――ッお、……お兄様ああああ゛あ゛あ゛ッ!!!?」

「んぐぇ! さ、さらに極まっ――」

「……あ……、早く……放した、方が……」

「いやああああ!! お兄様死なないでええええッ!!!」

「ンガポポポエェ……ッ!?」

「し、珠雫……? その歳で、兄殺しは……感心、しない……よ? ……ねえ待って……話、聞いて? ……聞いてよぅ」

 

 

 守るべき兄の命は、姉より先に妹の手で散りそうだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――十分後。

 

「カホッ、ゲホッ! ……な、なるほど……、そういう理由で、僕に会いに来てくれたんだね……」

「……えっと……その…………はい……。概ね、そんな感じです……うぅぅ」

 

 珠雫は目覚めた兄の前で正座し、ここまでの経緯を説明していた。その顔は両掌でギュッと覆われており、耳まで真っ赤に染まっている。

 

 ……一言で言えば彼女は今、恥ずかしさで死にそうであった。

 チョークスリーパーで兄を葬りかけたことだけではない。

 夢の中で思い返した、肉親に聞かせるには若干恥ずかしい内容……。珠雫はそれをマルっと全部一輝に話してしまったのだ。

 

 ……さすがに一番恥ずかしいところは咄嗟にぼかしたが、『謝りたかった』だの、『会いに来るのが照れ臭かった』だの、『心を入れ替えました』だの、そこそこ恥ずかしいところはほとんど全部喋ってしまっていた。

 寝惚けているところに非常識な光景を目の当たりにして、気が動転してしまったのだろう。……げに恐ろしきは寝起き直後のテンションである。

 

「あ、あの……、その節は私のせいで、いろいろとご迷惑を……」

「いや、僕の方こそ……、あのときはついカッとなって叩いちゃって……ごめんね?」

「いえそんな……私が悪かったんですから。……先ほどのことも……なんと謝れば良いか……」

「い、いや、気にしないで。むしろ、僕の方から謝りに行かなきゃいけなかったのに……」

「いえそんな、私の方が――」

「いやいや、僕の方が――」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「「………………、ふふっ」」

 

 ……だが、結果としてこれで良かったのかもしれない。

 勢いとはいえ素直に謝罪できたこと、そして一輝の性格が大らかだったことが幸いしたのだろう。二人はまるで、長年連れ添った兄妹のように穏やかに会話ができていた。

 その嬉しさから、珠雫の顔は思わずほころぶ。

 当初の予定とは若干違ったけれど、こうして無事に兄と仲良くなることができた。ならば少々の恥ずかしさなど些細なことだ。

 

(だって、お兄様がこんなところにいる理由なんて、もうないんですからね! フフッ)

 

 もう一つの方の理由でも、珠雫は顔をニヤケさせる。

 一輝が刹那のもとに身を寄せていた訳。それは、他に頼れる相手がいなかったからというのが最も大きい。鍛えてくれる相手も、守ってくれる相手もいなかったため、たとえ悪魔の誘惑と分かっていても、悪辣な姉の手を取るしかなかったのだ。

 

 ならばこれからは、珠雫が一輝を守ってあげれば良い。

 これまでの横暴を反省した直後で少々バツは悪いが、自分が少し強めに言い付ければ、家人たちも兄への嫌がらせをやめるだろう。一輝が望む、武術の指導者だって手配してあげられる。

 そうなればもう、こんなところからはオサラバだ。

 代わりに始まるのは兄と妹による甘々仲良しストーリー。明るいバラ色未来が、若い二人を待っているのだ!

 

「フフフ。――と、いうわけでお兄様? 今すぐ私と一緒に帰りましょうッ」

 

 達成感と高揚感を噛みしめながら、珠雫は笑顔で右手を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――「いや、僕はここに残るよ。……姉さんのところに」

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「………………、は?」

「え?」

 

 思ったよりも低い声が出たことに、珠雫自身が驚いた。――が、今一番気にすべきはその発言内容であった。

 

「し、珠雫? なんか今、怖い声が聞こえ――」

「どういうことですかああッッ!!?」

「のわあ!?」

 

 珠雫は全力で一輝の両肩に掴みかかった。敬愛する兄にはとても見せられない表情を晒していたが、それを気にする余裕もない。

 

 ――どうして、なんで一緒に帰ってくれないの?

 ――やっぱりまだ怒っているから? 私のことが嫌いだから?

 ――なぜ? どうして一緒に居てくれないの、お兄様ッッ!!

 

「…………ごめん。混乱させちゃったね、珠雫」

 

 堂々巡りを繰り返す雫の頭を、一輝の掌が優しく撫でる。

 

「別に君のことが嫌いだとか……、一緒に居たくないとか……、そういうことじゃないんだよ?」

「だ、だったら……ぐすっ……なんで……? ……いつもあの人に、酷い目に遭わされているんでしょう?」

 

 珠雫の問いに、一輝は深く……、それはもう深く頷いた。

 

「……うん、確かに……。……毎日姉さんから頭のおかしい訓練を………………訓練? …………うん、訓練のはず……、きっとアレは……訓練、だろう…………、訓練、だと思う? ――をずっと受けているけど」

「ほらぁ! 完全に目が死んでるじゃないですかぁ!?」

 

 強い意志を秘めた兄の瞳が、一瞬で闇に染まってしまった。そのヤバ過ぎる症状を目にして、珠雫は再び涙目で一輝の身体を揺する。やっぱりこんなところに兄を置いていけねえ!

 

「でもね? 僕は今、これまでで一番、成長を実感できているんだ」

「………ぁ」

 

 妹の心配をよそに、一輝はフワリと柔らかく笑う。

 

「あの人は確かに恐ろしい人だったけど、噂通りその実力は凄まじかった。……だからと言って指導者としても優秀、とは限らないんだけど、事実として僕は今、一人のときよりも確実に前へ進めていると感じてる」

「………………」

 

 再び光を取り戻した、大好きな兄の優しい瞳。

 その輝きは、珠雫の記憶に刻まれたどの色よりも力強く――そして眩しい。

 

「それにさ……ここでやめちゃうと、途中で逃げたみたいでカッコ悪いでしょ? 今の僕の目標は強くなることの他にもう一つ……、あの鬼より強い姉さんに一撃カマしてやることだからね。ここで力を付けて、いつか絶対あの冷静な顔を崩してやるんだ、フフフフ」

「お、お兄様……?」

「フフフ……いやホント、何なんだあの訓練は。いくら鍛えるって言っても限度があるだろ。ちくしょうあのクレイジー姉さんめ、いつか絶対目にもの見せてやるぞッ」

「…………」

 

 そう言って、珍しく悪態を吐く一輝の顔は、言葉とは裏腹にとても穏やかで……。

 彼が本心から『ここに居たい』と思っているのだと……、なんだかんだで姉に感謝しているのだと、珠雫の目から見ても容易に分かった。

 それは歪で、過酷で、とてもまともとは呼べない関係なんだろうけど、あの頃よりも遥かに生き生きと笑っている兄の顔を見てしまえば、珠雫にはもう何も言うことはできず……。

 

「だからね、珠雫……、僕のことは心配しないで? 一人でもなんとか、頑張ってやっていくから。――ね?」

 

 兄の幸せだけを一心に願う控えめな少女は、これからも彼の心が健やかであることを祈りつつ、潔くその身を引いたのであっt――

 

 

 

 

「――ムッスウウウウーーーッッ!!」

 

 

 

 

 ――否! そんな殊勝な態度、このブラコン妹にあるはずがなかった!!

 

 仮にこれが十年後、精神的にも余裕が生まれ、兄のことを本気で一番に考えられるようになった頃なら、話は違っただろう。

 だが今ここにいるのは、この間まで甘やかされてきたワガママ娘。兄の本音を聞かされたからと言って、『はいそうですか』と、いきなり大人な態度が取れるほど物分かりは良くない!

 

 兄と会えないのは寂しいし、いつでも自由に話せないのは嫌だし!

 何より! 一輝があの姉と二人きりだということが、なぜだかムチャクチャ気に食わないッ!!

 ――少女は今、過去最高に恋する乙女(ワガママ)であった。

 

 そしていろいろとトチ狂ってしまった少女は、ついに言ってはならない“言葉”を口にしてしまう!

 

「…………、私も……やります」

「……へ?」

「……私も、『やる』と言ったんです」

「いや……、え? 待って。……や、やるって、何を……?」

 

 惚けたことを聞く一輝をギロリと睨むと、珠雫は高らかに宣言した。

 

 

 

「私もッ! 姉さんの訓練をいっしょに受けると言ってるんですッッ!!!」

 

 

 

「はああああ゛あ゛ーーーーッ!!?」

 

 一輝はその場で引っくり返った。多分ここ数か月で一番の驚きようだった。

 

「い、いやいやいや! 何言ってるのさ珠雫!! 馬鹿なこと言うのはやめなさい! こんなのまともな人間のやることじゃないからねッ!?」

「嬉々としてやってる人間が何言ってるんですか!! なんですかッ、苦痛は全部自分のものですか!? もしかしてどMなんですか、お兄様はッ!?」

「いや違うよッ!? ていうかどこで覚えたのそんな言葉! 女の子がそんなこと言っちゃダメ!!」

 

 問題発言を連発する妹をなんとか宥めようとするも、興奮した珠雫は聞く耳も持たず。

 

「とにかくッ、もう決めましたから!! 私も明日から……いえ、今からいっしょに参加します! そうそう二人きりになれるだなんて思わないでくださいね、お兄様!!」

「言ってる意味が分かんないよ、珠雫!」

 

 もう――グダグダであった。先ほどまでのちょっとしたシリアス空気など完全に吹き飛んでしまっている。

 そんな中――

 

 

「……珠……雫ぅ」

「ピィッ!?」

 

 ……誰よりもシリアスをぶち壊す人物といえば、この人。

 一瞬前まで数十メートル先にいたはずの刹那が、珠雫の後ろからヌルリと顔を出した。そして、飛び上がる妹の肩に手を置くと、恐ろしい笑顔でニタリと嗤う。

 

「……自分から……訓練、したいとは……すごく感心な……心がけ……。歓迎、するよ……珠雫?(本心)」

「おおお、おうよ!ですッ。どどど、どんと来いですッ、この野郎!」

「よ、よすんだ、珠雫! 死にたいのか! ていうか目と膝がめっちゃ泳いでるよ、ホントに大丈夫!?」

「ななな、何言ってんですか。ここ、これはアレ、武者震いってやつですから! 全然ビビッてなんか、ないですから! ――さ、さあ、姉さん! あなたの訓練とやら、私にも見せるがいいですよ!!」

「! フフ、フ……わかっ、た……。珠雫の、ことも一緒に……全力で鍛えて……あげる、からッ。……期待……すると、良いよッ!」

「ののッ、望む、のぞむところろおロロおオッッ」

 

 

 

 ――かくして妹は、自ら地獄の門をくぐってしまい、兄は額を押さえながら天を仰いだのであった。

 

 そして――

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

 

 

「――――う……、うにゃああああ゛あ゛あ゛ーーーーッッ!!!?」

 

 

 

 

 

 その日、一人の少女が危うく天に召されかけたが、兄を想う心によってなんとか生還したらしい……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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5話 社会見学へ行こう

 戦いにおいて重要なもの――それは何と言っても“実戦経験”であろう。

 知識や技術も疎かにしてはならないが、最後にモノを言うのはやはり、“本物の戦いを知っているか否か”、これに尽きる。

 

 ――血と硝煙の香り、剣戟と発砲の音、兵たちの叫びと気迫、零れ落ちていく命の温度。どれも映像や口伝だけでは決して実感できないものだ。

 直接目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、触れて確かめ、心で感じ……、ようやくそれらは生きた経験となり、戦士たちの背中を支えるバックボーンとなる。

 支えを持たない新兵たちが呆気なく散る様を、刹那は両手で数え切れないほど見てきた。無慈悲な死は戦場の習いとはいえ、力を出し切れないまま命を落としてしまう姿は、やはりどうにも勿体なく感じる。

 

 ゆえに刹那は常々、『新人には早めに戦場の空気を教えるべき』と、周囲に強く説いているのだ。(※どうでもいいことだが、彼女は現在八歳である)

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 と、いうわけで……。

 

 

 

 

「……王馬。……一緒に、戦場体験(社会見学)……行こう……!」

 

「――帰れ」

 

 現在時刻は午前二時。

 刹那は弟の部屋を電撃訪問し、上記の頭が沸くようなセリフを放っていた。当然アポなし、事前の連絡なし。寝ているところを叩き起こされた王馬の顔には、見事なまでの青筋が浮かんでいた。

 

「何をしに来た。次に会うのは死合う時だと言ったのを忘れたか? …………あと何時だと思っている」

 

 仁王像のごとく眉を吊り上げながら、王馬は姉を詰問する。怒りながらも冷静に言葉を発しようとするその様は、彼の心の確かな成長を示していた。

 ――が、姉はそんなものどこ吹く風。若干ウザいテンションのまま、王馬の目の前で人差し指をチチチと振る。

 

「んふ……んふふふッ……そんなこと、言って……良いのか、なぁ~……? んふふふふッ」

「~~~ッ。……早く、用件を言え……ッ」

 

 思わず霊装を抜きそうになるのをなんとか堪え、王馬は質問を続けた。ここで激情のまま襲いかかったところで、姉を喜ばせるだけだと分かっているからだ。

 ……あと単純に、まだ勝てないから。

 自分で思っておいてなんだが、王馬は頭の血管が切れそうになった。

 

「……今から……、戦いに……行くん、だよ……」

「……なに?」

「……違法伐刀者の、情報が……回ってきた……ので、……戦いに行こうと……思ってる、の……」

 

 告げられた興味深い内容が、王馬の頭に昇った激情を冷ましていく。

 

(……なるほど。“招集”、か)

 

 ――特別招集。それは、学生騎士に治安維持の現場を体験させるための制度。

 インターンと言い換えれば分かり易いだろうか? 本来は騎士学校卒業後でなければ伐刀者として活動できないが、一部優秀な学生に限り、早くから経験を積ませる目的で現場に召集されることがあるのだ。

 刹那はこれを六歳の頃から、本家の命により幾度となく繰り返してきた。もちろん一度も負けなしの全戦全勝。“黒鉄の白髪鬼”と言えば、業界の一部ではつとに有名だ。

『小学一年生は“学生”じゃなくて“児童”じゃね? マズくね?』という声が上がったこともあるが、ぶっちゃけ人材不足ゆえに、こまけぇこたぁいいんだよ!の精神でスルーされてきた。

 ……実際誰よりも強かったので、何の文句も言えなかったのである。

 

「……王馬……『実戦に出たい』って……言ってた、でしょ……? いっしょに……どう……?」

「…………フン」

 

 不機嫌顔のまま鼻を鳴らす王馬。

 確かに、以前から招集(それ)に興味はあった。身を削るような鍛錬を毎日繰り返している王馬だが、その成果を確かめる機会がないことが大きな不満だったのだ。

 実戦に出させてほしいと直訴しても、父からは『お前にはまだ早い』と言われ、家人からは『本家のご子息に危険なことはさせられない』と、全て却下されてきた。

 

 対してこの姉は……、周囲から忌避されていること、そして、認めるのは癪だが圧倒的な実力を有していることから、すでに数え切れないほど任務を熟しているらしい。

 経験と実績の両方において、王馬とは天と地ほどに差があるのだ。それらを埋める機会が得られたと思えば、確かにこれは悪い話ではなかった。

 

 

 ……なかった、のだが――

 

 

「……んふっ……、皆で……現場、体験……ッ。……ウフフフフッ」

「…………、チッ」

 

 楽しそう(?)に鼻息を漏らす姉を見ていると、なんとも言いようのないイライラが込み上げ、つい断りたくなってしまう。

 さらに言えば、後からこれを“貸し”と言われても面白くないし、逆に全く恩に着せられないとしても、それはそれで施しを受けたようで腹が立つ。

 そして何よりも――

 

「おい」

「ぅん?」

 

 王馬は視線を横にずらしながら、刹那の背後をピッと指差した。

 

「……まさかとは思うが、その二人も連れて行く気ではないだろうな?」

「「…………」」

 

 そこに手持ち無沙汰に立っていたのは、四姉弟の残り二人、一輝と珠雫であった。姉以上に話したことのない兄を前に、なんとも気まずそうに視線を彷徨わせている。

 

「……え、えっと、おはようございます、……王馬兄さん」

「……どうも」

「挨拶などはいい。……おい、本当にこいつらも連れて行く気か?」

「?? ……当然……でしょ? ……弟、妹に……経験を積ませる、のが……目的……なんだから……」

「…………チッ」

 

 返答は半ば予想したものだったが、王馬の心は平静ではいられなかった。湧き上がってきた感情は、『ふざけるな!』の一言である。

 

 一方は騎士としての素養が皆無の弟。そしてもう一方は、才能に胡坐をかく怠惰な妹。どちらも戦闘能力において自身より数段劣る存在だ。

 それだけでも充分我慢ならないというのに、さらにこいつらは、戦いに出る心構えもできていないときた。

 両名ともまるで、今から遠足にでも行くかのような気の抜けた顔。『姉の手で鍛えられている』という噂を聞いたこともあるが、この分では期待はできない。おおかた玩具として弄ばれているだけなのだろう。

 そのような足手纏い二人を抱えての戦闘など、断じて御免被るというものだった。

 

「――フン、貴様の下らん遊びに付き合うほど暇ではない。やりたいなら自分たちだけで勝手にやるがいいッ」

 

 覚悟もない者を遊び半分で戦いに連れ出すなど……、やはりこの姉とは全く分かり合える気がしない。

 改めてそう認識しながら、王馬は問答無用で扉を閉めようとしたのである。

 

 ――姉がポツリと零した、その言葉を聞くまでは……。

 

 

 

 

「……そっか……。…………怖い、もんね。……仕方、ないか……」

 

 

 

 

 ………………バキリッ。

 

「……おい待て。…………今……なんと言った?」

 

 手の中のドアノブを握り潰しながら、王馬は硬い口調で問いかけた。

 これまでの比ではないほどの怒気を含んだ声音。しかし姉は顔色一つ変えず同じ答えを返してくる。

 

「……ん? ……だから……(私が離れるときは二人の守りを頼もうと思ってたけど、同意もなく決めるのは確かに勝手だった。それに、不確定要素が発生して二人が危険な目に遭ったら)怖い、もんね……。……うん、仕方ない……って」

「ッ……貴、様……!」

 

 王馬の頭の中で何かが切れそうになる音が聞こえた。

 ……が、どうにかギリギリで持ち堪える。

 ここで勢いのまま暴走しても姉の思う壺だ。初めての模擬戦のときからそうだった。この姉はいつもこうやって相手をおちょくり、その反応を見て楽しんでいるのだ。思惑通り付き合ってやった時点でこちらの負けである。

 ――心を乱さず落ち着いて行動し、いつの日か正攻法で見返してやればそれでいい。

 王馬は冷静にそう考え、気を鎮めるように息を吐いて――

 

「や……気に、しないで……。(私の)考えが甘いって……分かったから……。(今回は私が傍に付いて、二人を)守ってあげる……から……。王馬は……残って(自分の修行して)くれて……いい、よ……?」

 

 ――ブチンッ。

 

「行き先はどこだあッ!! とっとと案内しろッ!!!」

 

 一瞬で前言を撤回していた!

 

「……え? ……良い、の……? 怖く、ない……? 無理、しなくても……いいん、だよ?」

「~~ッ!! 構わんッ! どんな相手だろうと俺が全力で叩き潰してくれるッ!!」

「! ……分かっ、たッ! いっしょに、行こう……王馬! ……あ、……でも今回の相手は……チンピラみたいな……モン、だから……。(一輝たちが危ないかもって)怖がらなくて……良いから、ね……ッ!」

「~~~~ッ!! 早くッ……行くぞ! 俺の自制心が……、効いている内になッッ!!」

「ンッ!」

 

 ポンコツな姉とメンドクサイ兄は、互いに異なる意味で興奮しながら競うように廊下を駆けて行った。

 姉兄弟妹(きょうだい)で初めての社会見学は、こうしてなんとも締まらないまま始まったのである。

 

 

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「……お兄様……、あれは、ひょっとして……」

「うん……。多分だけど、いろいろ噛み合ってない気がする」

「…………なるほど。ああいうのを“コミュ障”って言うんですね。ああはならないようにしないと」

「コ、コラッ、珠雫! 家族にそういうこと言っちゃダメでしょッ!? …………た、たとえ事実だとしても!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんながあって、出発からおよそ二時間後。

 ――()()()()では夕方過ぎ。

 

「さあ、みんなッ、……対ショック態勢、取って……!」

 

 ――ッドオオオオーーーーンッ!!

 

「うにゃああああッ!!?」

「ぐわああああッ!!」

「ぬうううぅ……ッ!?」

 

 四人はなぜか、某国辺境の荒野に立っていた!

 周囲にはテロリストらしき連中が大量に闊歩し、砲弾や魔術を雨あられと降らせてくる。よくよく目を凝らせば、遠くの方では正規軍っぽい集団が攻撃を受けている姿も見える。

 どこからどう見ても、ガチの戦場ド真ん中であった!

 

「チィ……!《風神結界》!!」

 

 初の実戦でクレイジーな現場へ放り込まれながら、王馬は瞬時に動揺を鎮め、風の防壁を展開した。接近する敵の砲弾は全て、高速回転する風の刃によって切り刻まれていく。

 魔術による火炎や毒気もまた同様。素早い空気の流れによって全て周囲へ拡散され、結界内は清浄な空気に保たれていた。

 咄嗟の対応としてはほぼ完璧。あらゆる状況を想定して冷静に対応する、まさにAランク騎士の面目躍如といったところであろう。

 

「……おぉ、……王馬、すごい。……ちゃんと……できてるッ……80点……!」

「~~ッ(イッラアアア!)」

 

 ……いや、あまり冷静とは言えなかった。頭の中の大半は姉への怒気で溢れ返っている。――簡単な捕縛任務? 安全な社会見学? ……そんなわけあるか、この馬鹿姉がッ!

 できればこの場で風の刃をブチ込んでやりたいところだが、今集中を解くと自分が死にそうなのでそれもできない。

 代わりに王馬は、疑問を怒声に乗せて姉へ叩き付けた。

 

「おい貴様ッ、これは一体どういうことだ! “特別招集”でこんな戦場に呼ばれるなど聞いたことがないぞ!!」

「……んえ……招集……? …………何の、話……?」

「……は?」

 

 キョトンとした姉の返答を聞き、王馬の時間が止まる。

 

「…………これ、……“特別招集”じゃ……ない、よ? ……ただの…………え、っと……私用?」

「………………は?」

 

 ……技が途切れなかったのが奇跡だった。それほど王馬は呆気に取られていた。

 戦場のド真ん中に放り出されているこの状況が……、“命じられた任務”ではなく“ただの私用”? 一体何を言っているのだ、このアホ姉は?

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 ――ッ!? いや、待てッ!?

 

 冷や汗一つ垂らしながら、王馬は恐る恐る確認する。

 

「……ま、まさかとは思うが、貴様。……よもやこれが公式の任務ではなく、『ただ私的に戦闘に参加しただけ』などと言うつもりでは――」

「?? まさかも……何も……、最初から……そう言ってた、でしょ……?」

「…………」

 

 ――――――ブチン。

 本日二度目の、何かが切れる音。

 

「~~(ひと)ッッ(こと)も言っとらんわッ、このたわけがあッ!! 何が『相手はただのチンピラ』だッ!! よく見ろッ! モノホンの解放軍だ! 生粋の違法伐刀者だッ! 超ド級の犯罪者どもだろうがッ!!?」

「? ……心配……要らない、よ? ……ランクは……高く見積もっても……Dか……精々、Cくらい……。それも……能力に驕って……鍛錬を怠る……怠け者たち……。つまりは……ただの“雑魚”!」

 

 

 ――ぐふうッ!?

 ――し、珠雫!? しっかり! 今のは別にそういう意図じゃないから! 最近の君はすごく頑張ってるからッ!

 ――お、お兄様ぁ……。

 ――珠雫は必ず優秀な伐刀者になれるよ、僕が保証する! むしろ見てよ、僕の方こそホラッ、存在価値もないような落ちこぼれで…………、ぐふうッ!

 ――お、お兄様あああッ!!

 

 

「そもそもここはどこだ!? どう見ても日本ではないだろうがッ!」

「ここ? ……欧州の……片田舎の……岩石、地帯……。日本から飛行機で…………10時間、くらい……?」

「な、なぜそんな場所にあっさり到着しているッ!?」

「…………頑張って……飛んできた、から……? 音速の何倍かで、飛べば……割とすぐ、着くよ……?」

「~~~~、こ、この化け物がぁッ!!」

 

 まさかの地球の反対側、しかも自力で飛行してきたという驚愕の事実。移動中の記憶が王馬にないのは、おそらく衝撃で気絶していたからだろう。

 彼はそろそろ、この姉は人間以外の何かではないかと本気で疑い始めていた。さっきから頭が痛いのは、きっと謎の電波でも発しているからに違いない。

 

「……じゃ、私……敵の殲滅……行ってくる、ね……?」

「な、なにッ?」

 

 弟の混乱を気にすることなく、刹那は三人から離れるとフワリと宙へ浮かび上がった。

 

「みんなは……見学……してて……。――あっ、王馬は……二人を……守ってて、ね? ……フフ、……やっぱり……二人、いると……楽だ、ね……」

「な、おい待っ――ぐおあぁッ!?」

 

 引き止める声も空しく、刹那は全身から魔力を放出しながら、凄まじい勢いで飛び立って行ってしまった。しかもわざわざ、王馬の結界を壊さないようスリ抜けていくというオマケ付き。

 真正面から技術の差を見せ付けられ、彼の頭の血管はそろそろ限界が近かった。

 

「……うぅぅッ、あの人に関わってからこんなんばっかです。……もうやだぁ、珠雫おウチ帰るぅ……」

「し、しっかりして、珠雫! ここで気を抜くと死んじゃうよッ!」

「うえぇぇんッ!」

 

「…………チッ」

 

 その上こんなお荷物どもの世話まで押し付けられて、王馬の機嫌はさらに下降していく。

 出発前の予測通り、二人は慌てふためくばかりで碌に対応できていなかった。そのような状態で放り出していくわけにもいかず、姉が帰って来るまでの間、王馬がその身を守ってやらねばならない。彼がこの場で戦いの経験を積むことはもはや叶わないだろう。

 つまりこの後はもう、ただ結界を維持するだけの退屈な作業しか残っていないのだ。

 

(フン……やはり時間の無駄だったな。実戦の空気を知れたことだけが、唯一収穫と言えば収穫か……)

 

「珠雫、魔術の構成が甘くなってるよ。ほら、王馬兄さんがちゃんと防御してくれてるから、僕らは落ち着いて身体強化を維持しよう?」

「わ、わかってますよぅ、ぐすん……。……ありがとうございます、大兄さん」

「………………フン。貴様ら、死にたくなければそこを動くなよ?」

 

 しかしまあ、一応は血を分けた兄弟どうし。

『最低限命だけは守ってやるか』と、王馬にしては珍しく兄らしいこと考えていた。

 

 ――そんな矢先であった。

 

 

 

 

「――ッ!! 珠雫、下だッ!!」

「ッ!? 《宵時雨》!!」

「貴様ら何を言って――ッ!?」

 

 変化は唐突だった。

 突如、結界内にある地面の一部が隆起、その下から多数の帯状の刃が飛び出し王馬の身体へ殺到したのだ。

 

「……ッ!!」

 

 ……致命的な油断だった。Aランクである自分の防壁を木っ端伐刀者如きが破れるはずがない。そんな根拠のない自信の裏をかき、敵は無警戒だった足元から奇襲をかけたのだ。

 気を抜いていた王馬の意識は全くそれに反応できず。

 あわや、彼の身体が刃に貫かれんとしたそのとき、

 

 

 ――パキ…………ンッ。

 

 

「……な……に……ッ」

 

 その場の全てが停止していた。

 十本以上あった刃は、どれも結晶に覆われた氷のオブジェと化していた。いやそれだけに留まらず、触手に連なる地面すらも広範囲に渡って氷で覆われていたのだ。

 それが誰の手に由るものかなど、確認するまでもなかった。

 

「兄さん! 六時方向に敵ッ!」

「ッ! 《真空刃》!」

 

 ――GUAAAAAッ!?

 

 呆けていたのはほんの一瞬。王馬とて天才と呼ばれた身である。

 弟の声に反応して素早く風の刃を射出し、後方50mほどに隠れていた敵を岩場ごと吹き飛ばした。

 

「……ッ」

 

 倒れた敵兵の身体からは、大量の魔力が霧散していくのが見える。おそらくあのまま気付かなければ、無警戒な後方からさらに追撃を受けていただろう。心を乱した王馬の防壁では、それを防ぎ切れたかは怪しいところ。

 つまり彼は、格下と侮っていた弟妹たちの手で二度も命を救われたのである。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……《凍土平原》 ……なんとか……間に合いましたッ」

「ありがとう、珠雫。文句なしの発動速度だったよ。さすがは魔力制御Aだね」

「え、えへへ……、どういたしまして、お兄様」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「………………なぜ」

「え?」

 

 気付けば王馬は弟へ向かって問いかけていた。

 関係が良くないことなど思考の外。今すぐ聞かずにはいられなかったのだ。

 

「なぜ……、攻撃が来ると分かった? 索敵能力の類は持っていなかったはずだろう、お前は?」

「……え、えっと……、その…………お、音が聞こえたので」

「なに……?」

 

 声をかけられるとは思っていなかったのか、一輝はやや声を上擦らせながら兄の質問に答えていく。

 

「……僕には兄さんたちのように、防壁を張ることも遠距離へ攻撃することもできません。この場でできるのは精々、周囲の様子を窺うことくらいです。はは……、皆知っての通り、ダメダメの落ちこぼれですからね」

「…………」

「でも、だからこそ…………唯一できる観察(そこ)だけは役に立とうと、目と耳に魔力を集中していたんです。そうしたら、地下から何かが迫ってくる音が聞こえて……」

「ッ……この戦闘音の中で、か?」

「……微かに、でしたけどね。半分は当てずっぽうみたいなものです。それに、結局防御自体は珠雫にやってもらったので、自慢できることじゃありません」

「そ、そんなことッ。あのタイミングで合図してもらわなければ、とても間に合いませんでした。あれは間違いなくお兄様の功績ですッ!」

「あはは、ありがとう、珠雫。――で、その後は、敵が追撃しようするのが見えたので、遠距離技を持つ兄さんに攻撃をお願いした――と。……えっと、こういう経緯、なんですけど……」

 

 そう言って恐々(こわごわ)と、……いや、どちらかというと自信無さげに、一輝は兄の顔を見やっていた。その仕草からは“自慢”などの色は欠片も感じられず、『自分のやったことなど大したことない』と本気で思っていることがうかがえた。敵を倒せたのはあなたのおかげ、自分はただ頼んだだけだ、と。

 

「…………ッ」

 

 ――だからこそ王馬は、より一層悔しかった。

 ――だからこそ王馬は、素直に認めるしかなかった。

 

 この二人は、王馬より圧倒的に劣る力しかないにもかかわらず、格上である彼を守ってみせたのだ。

 姉に敗れて以降、王馬が『矮小だ』と見下していた、取るに足らない力。それを使ってこの二人は、見事にAランク騎士を上回ってみせたのだ。

 

 ……認めたくはない。しかし、認めなければならない。

 敗北すらも受け入れられなくなっては、それはもはや敗者以下、戦う資格すら失ってしまうのだから……。

 

 

 

「…………そう……だな」

「え……?」

「……落ちこぼれにしては……、悪くない……読みだった。……連携についても……未熟者にしては……及第点、だろう……」

「え? あ、はい……。恐縮、です?」

「…………」

 

 ……違う、そうじゃない。それで褒めたつもりか、王馬よ。

 まさに、あの父娘にしてこの弟あり。日本の国防を担う黒鉄家は、なんと半数以上がコミュ障だった。……大丈夫なのか、この国の未来。

 

「…………だが、勘違いするなよ? これで俺が小手先の技術に傾倒するわけではない。俺が求めるのはあくまで“圧倒的な力”。それは今後もビタ一文変わらん」

「……は、はあ」

「………………。だがまあ……なんだ……? お前がその道を行くと言うのであれば……特に文句を言うつもりはない。……落ちこぼれが足掻く姿も……まあ、暇潰しの座興程度にはなるだろう……」

「……え……えっと……? ありがとう、ございます?」

「……ああ」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………」

「…………」

 

 微妙な沈黙が場を支配する。気の置けない心地良い空気というわけではなく、さりとて気まずいというほど重くもなく……。

 例えるならアレである。仕事漬けで会話もない父親と、ある朝リビングでばったり会ってしまったときの、あの微妙な空気。

 

 …………いや、やっぱ若干気まずいぞコレ。

 

「(……お、お兄様、……お兄様……ッ)」

「(うぇッ!? ど、どうしたの、珠雫?)」

 

 そんな硬い空気を打破すべく動き出したのは、感情の機微に敏い妹であった。彼女は兄の耳元に口を寄せると、導き出した推論を述べ始めた。

 

「(……多分、ですけど。大兄さんは、私たちのことを褒めようとしているんじゃないでしょうか?)」

「(えぇ? で、でも……割と罵倒された気がするんだけど)」

「(きっとアレですよ……素直になれないお年頃ってやつです。ホラ、何て言うんでしたっけ、こういうの? 最近流行りの……えーと……)」

「(あ……それって、テレビとかで偶に聞く……?)」

「(あっ、そうです、それですッ。『最初は面倒くさいけど、真意に気付けば段々可愛く思えてくる』って評判のアレ。――察するに、これまで私たちを見下してきたものだから、今更素直に褒めるのが照れ臭いんでしょう」

「な、なるほど……さっきから歯切れが悪かったのはそれで。……あ、そう考えるとさっきのセリフも、なんだか誉め言葉に聞こえてきたかも。荒いのは口調だけで、見下す単語はあまり入ってなかった気がする」

「でしょ、でしょ? 本音を言うのが恥ずかしくて、つい婉曲表現に走っちゃったってわけですよ」

「なるほど……つまりこれが、あの有名な――」

「ええ、これが今、世間で流行りの――」

 

 

 

「「所謂(いわゆる)……“ツンデレ”……ッ!」」

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「~~~~ッ」(プルプルプルッ)

 

 ……耐えろ。耐えるんだ。

 どれほど屈辱的に評されたとしても、それを甘んじて受け入れるのが敗者の務め。この悔しさを糧としたとき、自分はまた一つ殻を破り新たなステージへと昇華するだろう。だから今は呑み込むんだ、黒鉄王馬! いつの日かまとめて敵にぶつけてやるために!

 結論:今日のことは全部、なんもかんもあの馬鹿姉が悪い!

 

 

 ――ドッゴオオオオンッ!!

 

 

「ッ!?」

「ただ、いま~……」

 

 ようやく心の整理が付いた頃、凄まじい轟音が鳴り響き、上空から(くだん)の姉が舞い降りてきた。

 その全身は当たり前のように無傷であり、戦場どころか、近所のコンビニに行ったときよりも綺麗なままである。

 

「……全員、捕縛して……転がして、きた……。後は正規軍が……回収して、くれるから……、仕事は……終わり」

 

 刹那の指し示す方向を見れば、そこはまさに死屍累々といった有り様だった。

 解放軍が潜んでいたアジトは岩場ごと抉り返され、濛々と立ち込める煙の中に、ロープでグルグル巻きにされた人間が無造作に積まれている。

 皆殺しにした方が早かったろうに、なんと一人も死なせていない上、ご丁寧に個人の携行武器まで全て破壊してあった。

 その向こうに見えるのは敵の用意した戦車だろうか? パーツに分かれて壁にめり込んでいるため判然としないが、とりあえずこの女が、軍事兵器を素手でバラしてしまったことだけは理解できた。

 

「……相変わらずの、化け物め」

「ぅん?」

「フン、……なんでもないッ」

 

 改めて姉との差を見せつけられ、悔しい思いが湧き上がってくる。

 ――が、敗れたあの日ほどに心は乱れていない。

 心の中で(おり)になっているわけではなく、『何クソ』という純粋な負けん気として表情に表れていた。

 あれから多少時間が経ったおかげか……、それとも、己と同じく無謀な道に挑もうとしている同類を見つけたからか……。それは定かではないが、少なくとも今日ここに来たおかげで、自分が一歩前進できたことは確かであった。

『認めるべきことは認めるべき』と、先ほど自戒したばかり。ゆえに王馬は、業腹ではあるが仕方なく、拗らせ男子にしては珍しく、『この馬鹿にも多少の感謝はしてやるか』と殊勝な想いを抱いたのであった。

 

「……おい」

「ン?」

「…………なんだ、その……。…………きょ、今日のことは――」

「あっ、話なら……後で、ね……。一輝と珠雫も……、帰る準備、して?」

「~~ッ、こ、このアマは……ッ」

 

 珍しく素直になろうかと思った途端これである。少しは場の空気というものが読めないのか、このアホはッ。

 

「ほら、王馬も……。あ、忘れ物とか……ない?」

「貴様に叩き込む拳ぐらいだッ。まったくいちいち癇に障る女――んん?」

 

 ――いっそこの場でリベンジマッチでも挑んでやろうか?

 そんな王馬の激情は、視界の先に見えた違和感によって立ち消えとなった。

 先ほど刹那が戦っていた場所。そこでは正規軍がテロリストたちを捕縛している最中だが、その内の何割かがこちらへ向かって近付いていたのだ。

 不可解なことに、彼らはいつでも引き金を引けるよう武器を抱えながら、この距離でも分かるほどに警戒心を募らせている。

 そう、まるで……今からもう一戦、戦いでも始めようとしているような……。

 

「…………。おい、……おい貴様」

「ん?」

「……あの連中に、挨拶等は良いのか? ……あれだ、共に戦った仲なのだから、労いだとか、事後処理の話し合いとか……いろいろあるのだろう?」

「? そんなの……ないよ……? それより……私たちも……逃げない、と……」

「………………」

 

 意味深い沈黙がその場に満ちた。

 ……いや、まだ分からない。もしかしたら今回も、姉の言葉が足りないだけなのかもしれない。

 そんな儚い希望に縋り、王馬は最期の質問を投げかける。

 

「これは……“特別招集”ではないと言ったな?」

「うん」

「そして……ただの“私用”だとも言った」

「うん」

「……つまりこれは、お前が私的に外国の治安部隊とコンタクトを取り、その上で戦いの支援要請を受けた、と。……そういうことなんだな? そうなんだろ? おい、頼むからそう言え、コラ」

 

 必死な問いへの返答は、イラつく笑いと手を叩く音だった。

 

「ン、ンフフフッ……何、言ってるの、王馬? ……私に……外国とコネなんて……あるわけ、ないじゃないッ……。……んフフッ……意外と……早とちり、さんッ」

「~~~~ッ(イッッラアアア!!)」

 

 希望はどこにもなかった。いるのは空前絶後の阿呆だけだった。

 要するにこの姉は、弟と妹に本物の戦場を体験させるため、縁もゆかりもない武力紛争へ飛び入り参加したのだ。

 日本のテロリストは自分が一掃してしまったものだから、『ならば国外へ行くか』と安易に思い付き、コンビニに行く感覚であっさり国境をブッチぎってしまったわけだ。

 しかもメンバーは年齢一桁の子ども四人のみという。

 ……ちょっと頭おかしいとかいうレベルではなかった。

 

「~~本ッッ物の馬鹿なのかッ、貴様はッ!? どうするんだ、これ! 黒鉄の責任問題どころではない! 間違いなく国際問題だ! 明日の世界トップニュースだぞ!!」

「大丈夫、だよ……? 全員に……認識阻害かけて……実在しない人間に……見せてる、から……。ンフフ……、そのくらいの配慮……ちゃんと……してるよぉ」

「配慮する点が違うッ! まずは戦場に殴り込むのをやめろ! 正体不明の武装集団になってるだろがああッ!!」

 

 叫びながら頭を抱える王馬。

 そしてその横では、残る二人が疲れたように溜め息を吐いていた。

 

「ああもう……やっぱり最後はこんなオチですよ」

「ははは……まあ、姉さんだからね」

「ッ!? …………おい、お前たち……。なぜさっきからそんなに、落ち着いている?」

 

 発狂寸前の兄とは対照的に、大して動揺を見せない弟と妹。

 嫌な予感を覚えた王馬が恐る恐る問うてみれば、予想に違わず、聞きたくない答えが返ってくる。

 

「ハハハ……もう何度も連れ出されてますから。えーと、これで何回目だっけ、珠雫?」

「多分、7、8回目だったと思います。途中何度か気絶しっぱなしの回があったので、正確な数字は自信ないですけど……」

「ああ、あったあった! 初回なんか、二人揃って一日中気を失ってたんだよね。いやー懐かしいなあ」

「夢と現実の両方で走馬灯を見たんでしたね。あれは貴重な体験でした」

 

 そう言って楽しげに話す彼らの目は、お約束のように死んでいた。それを見てようやく王馬は理解する。

 

 ――これから戦場へ行くのに、遠足前のような気の抜けた顔?

 当然である。なぜなら二人にとって、こんなものは年中行事だから。大多数が青褪めるような戦場も、彼らにとっては遠足に行くのと変わらないから。

 まさしく常在戦場の精神。齢一桁にしてこの二人は、すでに一端の狂戦士であったのだ。

 チクショウ、なんてことだ。姉だけでなく、弟と妹もすでに頭がおかしかった。黒鉄の未来は一体どうなってしまうんだッ?

 

「じゃ、急いで……帰るので……、皆……しっかり掴まってて、ね?」

「ッ!?」

「あ……、戦闘機にスクランブル……かかってる、みたい。……ちょっと速めに……飛ぶ、ね?」

「ッ!!?」

 

 いつの間にか刹那は魔力の鎖を大量に伸ばし、三人の身体へ巻き付けていた。さらにその外側からは魔力のヴェールが展開し、彼らの身体を羽毛で包むように覆っていく。

 ――なるほど、こうやって風圧や衝撃を軽減していたのか、なんとも器用なモンだなぁ……。

 などと感心している場合ではない。王馬は鎖を振り解こうと暴れながら、なんとか姉を思い留まらせようと声を上げる。

 ……だって魔力チャージ量が、明らかに行きより多いんだもの。

 

「おいッ、おい姉、聞け! やるならせめて往路と同じレベルで良いだろうッ。いやむしろ少し手加減を……!」

「却、下……。さすがに戦闘機は……ちょっとだけ、本気出さないと……振り切れない、から……」

 

 姉の反応はにべもない。

 そして弟たちの反応もどうしようもない。

 

「フフ、それで振り切れちゃうのが頭おかしいんだよなぁ……」

「しかも“ちょっとだけ”って……。クフッ、さすがに草生えますよw」

「だからなぜそんなに落ち着いている貴様ら!? 死が恐ろしくないのか!?」

「兄さん、慣れですよ、慣れ。何回かやってると、その内恐くなくなりますから」

「コツは……なるべく早めに気絶することですね。その分恐怖を感じる時間が短くなるので。……目覚めたとき首が変な方向に曲がってることもありますけど、特に問題はありません」

「大有りだ、馬鹿野郎ども! 貴様らあのアホに毒されて頭がおかしくなっているんじゃないのか!? ――ッ!? おい、馬鹿やめろ! 浮き上がるんじゃない! ステルス系の技とか使えば何とかなるだろ! そんな派手に魔力をチャージするな! エンジンのように後ろで噴かせるな! ちょ、待っ、だから、ホント、やめ――ッ」

 

 そして動き出した四人の子どもたちは――――音を置き去りにした。

 

 

 

 

「ッ~~~~Δ♯×%&●♪$〇ッッ!!?」

 

 

 

 

 薄れゆく意識の中、せり上がる濁流を喉奥で感じながら、王馬は強く心に誓った。

 

 

 

 ――もう二度と、コイツらに関わるものかオロロロロ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那と出会ってから、一輝の生活はガラリと変わった。

 理不尽な暴力は鳴りを潜め、周囲に怯えて暮らすこともなくなった。

 慕ってくれる妹とも会えるようになり、疎遠だった兄とも少しだけ距離が縮まった。

 ……全てはあの日、暴虐な姉の手によって、無理矢理に救い上げてもらったから。

 

 まあ肉体的には、以前より死にそうなことも多いけど……。

 相変わらずあの姉ちゃんは、何を考えているか分からないけど……。

 面と向かって言われた『気に入らないから』という理由も、間近で接すれば接するほど、なんだか疑わしくなってくるけど……。

 それでも、望んでいた稽古も付けてもらえるようになり、今の彼は概ね幸せであった。

 

 どうにも分かりにくい姉のことも、これから時間をかけてゆっくり理解していけば良いだろう。

 そう結論付けて、一輝は答えの出ない悩みを一旦保留にしたのである。

 

 

 ――コン、コン。

 

 

「あれ? 今日は姉さん出かけるって言ってたのに……。もしかして、珠雫かな?」

 

 鍛錬が休みということは聞かされているはずなのに、自分に会いに来てくれたのだろうか?

 だとしたら嬉しい。誰かが訪ねてきてくれてドアを開けることなど、もう何年もなかったから。

 

(フフっ、こういうのを“ボッチ”って言うんだっけ? これからは少しずつ、友達も作っていった方が良いかなあ?)

 

 自分の交友関係の少なさに思わず苦笑しながら、一輝は小走りで扉へ近付いていった。

 

「はいはーい、今開けまーす」

 

 ――ガチャリ。

 

「いらっしゃい、珠雫。今日はどうし…………、え?」

 

 訪問者は、可愛い妹でも、尊敬する兄でも、感謝する姉でもなかった。

 

 

 

 

「ンふふふふぅ~~、お久しぶりですねぇ、一輝くぅん?」

 

 ここ最近は会うこともなくなっていた天敵。それが喜悦に満ちた表情を浮かべながら、一輝を見下ろして立っていたのだ。後ろに多数の手勢を引き連れ、彼を決して逃がさぬように囲って……。

 

「あ、赤座……さん……」

「おほほほ、今日はお姉さんはいないんですねえ? これは好都合ですぅ」

「……何か……御用、ですか?」

 

 一輝が険しい顔で見上げれば、赤座と呼ばれた男は実に楽しそうに、その恵比寿顔を吊り上げたのだった。

 

 

「んっふっふ。ちょ~っと私たちと、お話しませんかぁ~~?」

 

 

 

 ――少年の身に、悪意が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 いつの間にか王馬君がツッコミキャラに……。
 クールでカッコいい王馬君ファンの皆様、真に申し訳ありません。
 
 そして次話、ちょっとだけ緊迫回です。




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6話 策など力で粉砕する

 赤座守。黒鉄の分家・赤座家の当主であり、連盟日本支部では倫理委員会の代表を務めている。

 役職に就くだけあってそれなりに優秀な男ではあるが、その性格は陰湿の一言。常に他人の粗を嗅ぎまわり、チャンスがあれば追い落として自分が上に行こうと画策している。倫理委員という仕事柄、情報収集が癖になるのは仕方ないことであろうが、それを差し引いても下衆・下世話と言わざるを得ない男であった。

 また極端なランク至上主義者でもあり、非伐刀者や低ランクの騎士をあからさまに見下している。一輝に対しても会う度に嫌味の言葉を吐いており、『Fランクは恥』という風潮を、黒鉄家全体に強く広めてきたのもこの男……。謂わば一輝にとって、怨敵・天敵と呼べる存在であったのだ。

 

 

 そんな人間が配下を引き連れて行う“お話”が、まともなものであるはずがなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――

 

 

 

 

 

 

 

「ぐうッ!?」

 

 打撃音とともに幼い身体が宙を舞い、地面へと叩き付けられる。激しい痛みに蹲りそうになりながらも、一輝は根性で態勢を立て直し、襲い来る敵を正面から見据えた。

 途端、視界いっぱいに迫ってくる拳。ダッキングにより紙一重で躱す。

 そこへすくい上げるように下段蹴り。身体ごと捻って地面へ倒れ込む。

 頭上から連続で襲ってくる踏み付け。形振り構わず地面を転がり、全身のバネを使って跳ね起きる。

 そこでようやく追撃が途切れ、一輝は大きく距離を取って息を吐いた。

 

「ッ――はあッ、はあッ、はあッ……!!」

「んフ~~、どうしたんですか一輝くん? 動きが悪くなってきましたよぉ? ホラ、もっと頑張って、私たちと“お話”しましょうよ~」

「……ッ!」

 

 荒い呼吸を落ち着けようとする一輝に、神経を逆撫でする声が投げかけられる。

 久しぶりに感じる理不尽に怒気を発しそうになるが、寸でのところで一輝は堪えた。今は余計なことに体力を使っている場合ではない。まだまだ敵は目の前にたくさん残っているのだ。

 

「さあ、お前たち! この落ちこぼれ君にキッチリ稽古を付けてやりなさい! 徹底的にね!」

「「「はっ!」」」

 

(くっ……! 落ち着け……まだ身体は動く。できることを冷静に、確実に実行するんだッ)

 

 赤座の命令で部屋から連れ出された後、突如襲い掛かってきた黒服の男たち。自分をリンチして一体何を企んでいるのか知らないが……、今はとにかくこの場を切り抜けなければならない。

 幸い彼らは伐刀者ではないらしく、動きそのものは一般人の範疇だ。姉による地獄の特訓に比べれば、スピードも威力も大したことはない。

 

(訓練を思い出せ。アレに比べればこのくらいッ)

 

 フラつきながらも一輝は冷静に思考する。

 こちらを侮り、連中は一直線に近付いてくる。相手は子どもで自分たちは大人、おまけに多勢に無勢だ。全員が油断しきり、反撃の可能性も考えずに大振りを繰り返してくる。付け入るスキは充分にあった。

 

(ギリギリまで引き付けて――――ここだッ!)

 

 

「これで終わりだ、小僧――ッ!?」

 

 振りかぶられた拳が当たる直前、一輝は全力で地面を蹴った。繰り出されたパンチを全て紙一重で躱し、男たちが驚愕に動きを止める。

 

「な!? どこへ「ハッ!!」ガッ!?」

 

 その隙を見逃すことなく、一輝は横から手刀を一閃した。無防備に顎を撃ち抜かれた三人の男たちは、くぐもった呻き声を上げながら崩れ落ちていく。

 ……残心。……警戒。……しばしの間。……そして沈黙。

 勝利を確信したところで、一輝もまたその場で膝を着いた。

 

「はぁッ、はぁッ、はぁッ! ケホッ!」

 

 乱れ切った呼吸をなんとか整える。多人数からの攻撃を延々と捌き続け、体力もすでに限界が近かった。

 それでも勝つことができたのは、偏に地獄の特訓の賜物であろう。伐刀者相手ではないとはいえ、碌に魔力もない子どもが体術だけで大人を倒すなど、本来ならば有り得ないことだ。姉による日々の指導は、一輝の中で確実に実を結び始めていた。

 

「チィッ、意外に粘りますね……」

「フッ、フッ、フゥッ、…………フゥゥゥ……ッ」

「でもまあ、その様子ではここらが限界でしょう。所詮はFランクの悪足掻き、倒されるまでの時間をほんの少し伸ばせただけでしたねェ?」

 

 赤座から揶揄の言葉が投げかけられるが、一輝はそんなものには取り合わない。相手がペラペラ喋ってくれているなら回復する絶好のチャンスだ。挑発など全て無視し、次の戦いに備えて呼吸を整えていく。

 

 ――走れない戦士に勝利などない。たとえ足が動かなくても根性で走り続けろ。

 

 訓練中に何度もブッ飛ばされながら、その都度言い聞かされてきた姉の言葉。

 己の中に息づく教えに従い、一輝は心を律し、冷静に戦いを継続していた。今の彼にとって、姉の言葉以上に心に響くものなど有りはしないのだから……。

 

「フフフッ、それにしても、非伐刀者相手にこの体たらくとは……。一体彼女はこんな落ちこぼれのどこを気に入ったんでしょうねえ? 玩具は多少不格好な方が良いというタイプなんでしょうか?」

「――ッ!」

「まあ……素行のせいで孤立して、誰でも良いから相手をしてほしかったってとこなんしょうが……。ンフフフッ、嫌われ者どうしつるんだところで、余計に評判が下がるだけだって分からないんですかねえ? 相変わらず頭の足りてない小娘ですよ、まったく」

 

 しかし、だからこそその言葉は――

 

「……せ……て……さい」

「…………はい?」

 

 

 ――恩人を揶揄するその言葉だけは、決して許容できなかったのだ。

 

 

「訂正してくださいッ!!」

「う、おッ!?」

 

 叫ぶと同時、一輝は立ち上がった。感情の高ぶりとともに魔力が溢れ出し、燐光のように周囲へ散っていく。

 自発的な放出すら困難な一輝の魔力が漏れ出すなど、本来ならばあり得ないこと。それほどまでに彼は今、激しい怒りを覚えていた。

 

「……確かにあの人は強引で……、何を考えているかよく分からない人です……。いつもいつもこっちを振り回す、トラブルの塊みたいな人です!」

「な、何を……」

 

 ……理性では、こんなことをすべきでないと分かっていた。

 相手が語るに任せて時間を稼ぎ、できるだけ体力を回復させる。それがこの場における最善だ。整えた呼吸を乱した上に敵愾心を呷るなど、何の益もない愚かな行為。それを分かっていてなお、一輝には黙ったままでいることなどできなかった。

 

「でも……! 姉さんは決して、僕を玩具扱いなんてしなかった! 皆が僕を“いない者”として扱う中、真っ直ぐに僕と向き合って、全力で鍛えてくれた! 今僕がこうして立っていられるのは、間違いなくあの人のおかげなんだ! その恩人を侮辱するような発言、断じて聞き捨てなりませんッ。今すぐ撤回してくださいッ!!」

 

 ――ビリビリビリッ……!

 

「ぬぉ、ぉ……ッ」

 

 それは、とても七歳の子どもに出せる覇気ではなかった。胆力の弱い者なら思わず怯んでしまうほどの威をたたえており、事実、赤座の引き連れていた黒服たちは軒並み気圧され、その場を後退(あとずさ)っていた。

 

「ち、ちぃ……、情けない奴らめッ」

 

 しかし腐っても伐刀者の端くれ。リーダーたる赤座だけはすぐさま精神を立て直し、忌々しい子どもを睨んだ。そして、一瞬気圧されかけた事実を払拭するかのように侮蔑の笑みを浮かべる。

 

「フンッ、落ちこぼれが一端の口をききおって! 私は何も間違ったことは言ってませんよッ。――Fランクを鍛える? ハッ、成長も期待できないクズに構うなど、まさに愚かの極み! 時間をドブに捨てるようなものです! そんな当たり前のことも分からぬ小娘を、馬鹿だと言って何が悪いッ!」

「…………ッ」

「ほらほら、どうしたんですッ? 図星で何も言い返せませんか、落ちこぼれのFランク君! 反論できるものならしてみなさいな! クハハハハ!」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

「じゃあ――――僕が伐刀者に勝てば、撤回してもらえるんですね?」

 

 

「…………なんですって?」

 

 ピクリ、と赤座の眉が動く。一輝は気にせず淡々と続ける。

 

「ですから……、落ちこぼれの僕が伐刀者を倒せたら、先ほどの発言は撤回してもらえるのか、と。そう聞いているんですよ、伐刀者の赤座さん」

「……ク、クフフ……フ……。面白いことを言う子ですねぇ?」

 

 これ以上ないほどに分かり易い宣戦布告だった。

 今この場にいる伐刀者は黒鉄一輝と赤座守の二人のみ……。戦うのだとすれば当然、彼らが刃を交えることになる。

 つまり、このFランクの落ちこぼれ少年は、成人した伐刀者に対してこう言っているのだ。

 

 ――今からお前をぶっ倒すから、さっきの発言を撤回しろ――と。

 

「ンッフッフ~~! いやはやなんとも、威勢が良いのは大変結構なことですが…………。少々、調子に乗り過ぎではないかね、一輝くん?」

 

 それは彼がここに来てから初めて見せる、明確な怒りだった。

 確かにこの赤座という男……、伐刀者として何か突出したものがあるわけではない。

 騎士としての位階はCランクと高めだが、死に物狂いで鍛錬してきたわけでもなく、魔術や体術の腕も全体で見れば精々中の上くらい。倫理委員の職に就いてからは戦場に出る機会も減り、昔よりさらに腕は落ちているだろう。

 

「Fランクの君が私と戦って勝てると、……本気で思っているんですか?」

「ええ。思ってなきゃこんなこと言いません」

「……ッ」

 

 ……しかしそれでも、彼とて一端の伐刀者である。曲がりなりにも現場を経験してきた意地もあるし、戦う者としての矜持もまだ辛うじて残っている。落ちこぼれの子どもに侮られて、笑って流してやるほど心は老いてはいなかった。

 

「……いいでしょう。子どもの思い上がりを正してやるのも大人の務め。…………後悔するんじゃありませんよ、この落ちこぼれが!!」

 

 そう言って赤座は、右手に霊装を展開した。

 金色に光る長大なバトルアックス。一輝にとって、家族のもの以外で初めて見る霊装だ。幻想形態ではあるものの、赤座の高い魔力量も相まって凄まじいポテンシャルを感じさせる。まともに食らえば、おそらく一撃で昏倒させられるだろう。

 

「来てくれ、《陰鉄》!!」

 

 しかし、今更その程度で臆する一輝ではない。なにしろ彼は普段から、これとは比べものにならないモンスターに追い回されているのだ。

 動揺することなく黒刀を正眼に構え、正面の赤座をジッと見据えた。

 そして――

 

「――行きますッ!!」

「フンッ、そんなナマクラでッ!」

 

 挑発を聞き流し、一輝は弾けるように駆け出した。

 地力が大きく離れている以上、長期戦は不利。鍛えた脚力で勢いに乗り、そのまま一気に正面から突っ込む――

 

「ハアッ!」

「ぬッ!?」

 

 ――と見せかけ、右斜め前へ跳んだ。

《隕鉄》を軽く打ち付けながら、赤座の左手側へ素早く駆け抜ける。そのまま利き腕とは逆側へ位置取り、相手の視界から外へ逃げるよう、反時計回りに大きく旋回していく。

 まだ幼い彼は、体格でも腕力でも大きく赤座に劣っている。特に、伐刀者の要である魔力に関しては平均の十分の一という少なさだ。正面からまともに打ち合ったところで、力負けすることは目に見えていた。

 勝ち筋があるとすれば一つ。素早い動きで相手を翻弄し、無防備な急所に最大の一撃を叩き込むしかない。

 

「チィ、猪口才な!!」

「遅い!」

「ぐ、ぬ!?」

 

 見え見えの大振りを、余裕をもって躱す。予想通り一撃の威力は高いが、その動きは鈍重の一言。閃光のような姉の攻撃と比べれば、まるで蠅が止まるような鈍さだ。

 インターバルのおかげで僅かに体力は回復しており、まだしばらくは余裕があった。一輝は正面から鍔迫り合うことはせず、霊装を受け流しながらひたすら回避に徹した。当たりそうで当たらないギリギリを維持し、涼しい顔で剣を振りながら隙を窺い続ける。

 

「フッ……、はあッ……!」

「ええいッ、ちょこまかと!!」

 

 必然、激しやすい赤座はイラついてくる。元々の大振りはさらに大雑把になり、ますます躱しやすくなっていく。ときおりこちらからも軽く斬りかかり、冷静さを回復させないように攻撃を繰り返し……。

 そして攻撃を繰り返すこと数分、いよいよ赤座のイラつきが最高潮に達したところで――――少年は勝負に出る。

 円運動の勢いをそのまま突進に乗せて、一輝は最大速度で赤座へ突っ込んでいく。

 振り返った赤座はその姿を見て、嘲笑の笑みを浮かべた。『ついに我慢できずに突っ込んできた。正面から叩き潰してくれる!』と。

 

「愚か者め! くらいなさいッ!!」

 

 散々焦らされてイラつき、ようやく訪れたチャンス。赤座は罠だとは微塵も疑わず、考え無しの一撃を叩き込んだ。

 躊躇も加減もなく、勢いよく振り下ろされる金色の斧。技術的には拙い限りだが、威力だけは伐刀者の名に恥じないもの。まともに受ければ技もクソもなく、刀ごと切り伏せられて終わるだろう。

 

 ――だからこそ少年は、そこに勝機を見出した。

 

 霊装が身体に振れる寸前、一輝は満を持して奥の手を繰り出す。

 姉の指導の下、伐刀者と渡り合うため編み出した新たな技。

 魔力による伐刀絶技ではなく、身体能力のみで繰り出す純粋な体術。

 その名も――

 

「第四秘剣、《蜃気狼》!!」

「ッ、なにッ!?」

 

 赤座の目の前で一輝の身体が()()()

 素早いステップで緩急を付けて相手を幻惑する、彼独自の足技だ。まだまだ完成には程遠い出来だが、ペースを乱した赤座にはこれでも充分な効果を発揮した。

 全力の振り下ろしを難なく掻い潜り、目の前には無防備な赤座の胴体。一輝にとって最初で最後、絶好のカウンターチャンスだった。

 疾走の勢いに加えて魔力も発動し、身体中の力全てを切っ先に集約。そのまま一気に――前方へ突き出した!

 

「第一秘剣、《犀撃》ーーー!!」

「ぐ、がぁッ!?」

 

 全ての力を《隕鉄》に乗せ、胴体へと叩き込む。雷速の突きは狙い過たず赤座の鳩尾に直撃し、くぐもった呻き声が上がった。

 冷静さを失わせ、新技で隙を作り、最大の一撃を急所へ叩き込む。

 全てが彼の狙い通り。ミス一つない、完璧な試合運びだった。

 

「――が…………かッ……く…………」

 

 

 だが――

 

 

「――――く…………ク、ハッ」

「……え?」

「クッ……ハ、ハハハ! 弱いッ……なんとも、弱いですねえッ!!」

「なッ!?」

 

 信じがたい光景が広がっていた。直撃したはずの隕鉄の切っ先は、赤座の身体に触れることすらなく、数センチ手前で停止していたのだ。

 

「今度はこっちの番ですッ!!」

「! しまっ――がぁッ!?」

 

 動揺し、動きを止めてしまった一輝を、斧による薙ぎ払いが襲う。

 咄嗟に隕鉄を差し挟んで防御したものの、小さな身体はまるで蹴られた小石のように吹き飛んでいく。固い地面を何度も転がり、身体の節々を打ち付け、最後に広場の端の樹に激しくぶつかったところで、ようやく一輝の身体は停止した。

 傷口からは赤く光る血光が舞い、実際に斬られたような激しい痛みが身体全体を襲う。

 

「ゴホッ……。な、なん……で……。今、確かに……当たって」

 

 一輝の内心は、痛みよりも激しい疑問に支配されていた。

 刃は間違いなく急所に届いていたはず。それなのになぜ赤座は無事だったのか?

 何か特別な秘策でも用意していたのか?

 攻撃を受けた瞬間発動する、防御型の魔術でも仕込んでいたのか……?

 

「ンッフッフッ。なぜ防がれたのか不思議ですか、一輝くん? 完璧に攻撃が決まったはずなのに、どうして私にダメージが入っていないのか、と」

「……ッ」

「いいでしょう。では、頭の足りない君のために教えてあげます。…………あのねぇ、一輝くん? 君は――」

 

 

 

 

 ――魔力量が低すぎるんですよ。

 

 

 

 

「…………は?」

 

 一輝は一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

 ――魔力量に乏しいFランク(落ちこぼれ)

 そんなことはこれまでに散々言われてきたことであり、今ここでわざわざ言い直すような話ではないのに……。

 

「おや……まだ分かりませんか? では、もっと分かり易く言い換えましょうか。…………要するにね、一輝くん? 君のそのナマクラ刀は、私の魔力を貫くには足りなかった、と。……ただそれだけの話なんですよ」

「――ぇ」

 

 思わず一輝は、息を呑んだ。

 赤座の言葉が脳に浸透するに連れ、理解を拒否するかのように身体が震えてくる。

 馬鹿な……そんなはずがないだろう……。

 だってその口ぶりでは……まるで……ッ。

 

「そんな……、そんな、ことが……ッ」

「クフフフッ、あるんですよねえ、これが! 君が勝つために練り上げた渾身の刃は、私の無意識の防御すら破れなかった! そういうことなんです!」

「――ッ」

「分かりますか、一輝くんッ? これが現実です! 残りカスのような魔力しか持てなかったFランク騎士の、どうしようもない現実なんですよ!」

 

 伐刀者が生まれ持った魔力量は、生涯変化することはない。

 魔力の訓練をいくら繰り返しても、制御技術が向上するだけで、保有量そのものは全く変わらない。それが現在の定説だ。

 つまりそれは……、

 

 

 それはッ――

 

 

「あぁそうそう、一輝くん。君にもう一つ伝え忘れていたことがありました」

「……え?」

 

 絶望的な事実が頭を過る間際、赤座が思い出したように陽気な声を上げた。

 落ち込みそうな姿を見て、元気付けてくれた? ――否、そんなわけがない。

 赤座は建物の陰に目を向けると、下卑た笑みを浮かべながら手招きをした。

 

「お前たち! 彼女をここへ!」

「はっ! ……さあ、こちらです」

「い、いや! 離して!」

 

 赤座の指示に従い、黒服たちの手によって連れて来られた人物。

 それは――

 

「お、お兄様ッ!!」

「ッ!? な、なんで……!」

 

 壁際から手を引かれて現れたのは、一輝の大切な妹・珠雫であった。彼の視線の先で、なんとか黒服たちから逃れようとその身を捩っている。

 幸い、一輝のように殴られたりはしていないようだが、自分の意志に反した状態であることは明白だった。

 

「あ、赤座さん! どういうことですか! なんで、珠雫にこんな……!」

 

 このときばかりは動揺すら忘れ、一輝は赤座に食ってかかった。

 ――なぜ……どうして珠雫が捕まっている? 自分のような酷い扱いなど受けるはずないのに……。

 ――それに珠雫はBランク。非伐刀者による拘束くらい、簡単に振り払えるはずなのに。

 ――いや、そもそも権威主義のこの男が、大切にされている本家の娘にあんな真似ができるわけが……。

 

「は、離して! 離しなさい! あなたたち、こんなことをしてタダで済むと思ってるの!? このことは全てお父様へ報告しますから! この場にいる全員、厳しい処分を覚悟しておきなさいッ!!」

 

 その言葉通り、珠雫は優秀な伐刀者として父に大切に扱われている。このような不当な扱いを受けたとなれば、当事者は確実に処分されることになるだろう。

 ――にもかかわらず、赤座は笑みを崩さない。……むしろ、珠雫の言葉を待っていたと言わんばかりだったのだ。

 

「ンフフ、わざわざ報告する手間なんて取らせませんよ、珠雫さん? …………だってこれらのことは全て――

 

 

 

 

 ――その御当主様の命令なんですから。

 

 

 

 

「…………は?」

 

 それはどちらの声だったのか。

 思考を巡らせていた一輝も、抗議を続けていた珠雫も、想定外の言葉にピタリと動きを止めた。

 

「…………ど、どういう……こと、ですか……?」

「ンン? どういうも何も、そのままの意味ですよ?」

 

 掠れた声で問う一輝に対し、赤座は嗜虐的な笑みを浮かべる。

 

「あのですねぇ、一輝くん。大変申し上げにくいのですけれど、御当主様曰く――『いい加減、あの落伍者に騎士の道を諦めさせろ』ということでして……」

 

 ………………。

 

「…………え?」

「ああ、もちろん、抵抗すれば力尽くで構わないという許可も頂いていますよ? 『多少の負傷なら構わない。さっさとあいつの心を圧し折れ』とね。いやはや、さすがは黒鉄本家のご子息、なんとも厳しい教育方針ですなあッ」

「…………え、……ぁ……ぇ……?」

 

 当て擦りのような嫌味の言葉にも、一輝は碌に返事も返せなかった。先ほどから予想外の事態が連続し、すでに脳の処理限界を超えてしまっていた。

 代わりに問い質したのは、焦った様子の珠雫だ。

 

「ど、どういうことですかッ!?  これまでは何の干渉もなかったのに! お兄様が暴力を振るわれたときだって、あの人は守ろうともしてくれなかったくせにッ。それをなぜ今になってッ!」

「おやぁ、何を言ってるんですか、珠雫さん。そもそもの話、今回の事の発端はあなたなんですよ?」

「は……? な、何の話ですか。誤魔化さないでください!」

「ンフフフ、いえね? 刹那さんが一輝くんで遊ぶだけなら、別に放っておいても良かったんですよ。……こう言ってはなんですが、彼女は黒鉄家においては“はみ出し者”。非常識な行動もすでに内外に知られていますし、今さら外聞を取り繕ったところでどうにもなりません。ならば最低限仕事さえ熟してもらえれば、後はもう放置で良いだろうと、そういう結論が出ていまして……。落ちこぼれに多少関わったくらいで、あの人の腕が落ちるとも思えませんしねえ?」

 

 そこで赤座は一旦言葉を切り、困惑する珠雫へ嗤いかけた。

 手負いの獲物をじわじわ追い詰める、肉食獣の如き笑みだった。

 

「ですが……、あなたは別ですよ、珠雫さん? あなたはいずれ黒鉄の看板を背負って立つ方だ。Fランクに合わせて訓練などして、成長が阻害されては困ります。――それに何より、黒鉄の汚点である彼と関わって、あなたの経歴に傷が付いては困るのですよ」

「ッ!」

 

 事の真相を知ったことで、珠雫の顔が青ざめていく。

 

「フフフ、ご理解いただけましたかね?」

「……そ、んな。……じゃあ、これは全部……、私の……ッ」

「まあそういうわけで、御当主様は私に『珠雫を一輝から引き離せ』と……、そしてそのために『一輝に騎士の道を諦めさせろ』とお命じになったのです。珠雫さんが下手に抵抗しないよう、魔力封じの腕輪まで渡してね?」

「! ……そ、れは……ッ」

 

 赤座が、珠雫の手首に嵌められた腕輪をコンコンと小突き、一輝は驚愕に目を見開く。

 それは魔力の使用を阻害する、対伐刀者用捕縛器具だった。治安維持にあたる騎士に対し、国や公的機関から貸し与えられるものであり、個人が簡単に用意できる代物ではない。

 ……それこそ、正式な使用許可を出せるとすれば……、国防を担う黒鉄の長くらいしか心当たりはなく。

 つまり……、今ここで赤座が述べた内容は、全て――

 

「…………ッ」

「ハハハハッ! 分かりましたか、一輝くんッ、これが現実ですよ! もしかして、“頑張ればいつか認めてもらえる”とでも思っていましたかッ? ……フフ、残念! 君がFランクである以上、そんなことはあり得ません! 今日まで御当主様が君に何もしなかったのは、ただ“どうでも良かったから”! 今回君を処断したことも、ただ“妹の邪魔になって目障りだったから”! そこに君個人に対する情なんてビタ一文ありません! まさに君は、黒鉄家の“いない者”! 努力しても何ら意味ない“落第騎士”! Fランクとして生まれた時点で、君の居場所なんてどこにもないんですよ! アッハハハハッ!!」

 

 赤座が何か叫び続けているが、すでに一輝の耳には聞こえていなかった。

 水の中で前後不覚となっているかのように……。

 妹からの呼びかけも、赤座の吐き出す哄笑も、全てがこもった雑音のようにしか感じ取れなかった。

 

 

 

「…………父……さん……」

 

 

 

 ――ピシリ。

 

 一輝の心の中で、何かがひび割れる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…………な~んて。まあ、ほとんど嘘なんですけどねぇ?)

 

 膝を着き、虚ろな表情を浮かべる一輝を見下ろしながら、赤座は心中で舌を出した。先ほどこの男が得意げに語っていた内容……、実はその半分以上が、ただの出まかせであったのだ。

 彼が厳から命令を受けてここへ来たのは事実だが、その際命じられたのは、『珠雫が一輝のもとへ通う頻度を減らせ』ということのみ。

 彼女が本家で受けている教育が少々滞ってきているため、あまりサボらないように釘を刺せ、という程度の話であり、一輝の処遇に関しては(一見すると冷たい態度にも思えるが)話題にすら上がらなかった。

 

 赤座はこれを、“厳にとって一輝はどうでもいい存在だから”と解釈した。

 彼にとっては、いや、黒鉄に連なるランク至上主義者にとっては、至極当然の発想と言えるだろう。

 ――Fランクが鍛錬に励む姿は目障りだが、所詮は落ちこぼれの悪足掻き。加えて、指導に当たっているのはあの化け物なのだ。いずれは鍛錬の厳しさに音を上げるか、もしくは才能の差に絶望して諦めることだろう。ゆえに、それまでの間はあの危険な姉のお気に入り(玩具)として、精々ご機嫌取りの役に立ってもらおう。

 赤座は、厳がこのように考えていると解釈したのである。

 

(ならばここは一つ、私の役に立ってもらっても良いですよねえ?)

 

 そこで赤座は、愚かにも一計を案じた。言われたことをただ熟すだけなら子どもの使いと変わらない。自分はそんな無能どもとは違う。

 珠雫をただ連れ戻すだけでなく、目障りなFランクに騎士の道を諦めさせ、さらにはあの(化け物)さえも、コントロールできるようにしてみせよう。その考えのもと、赤座は一輝を必要以上に痛めつけ、才能の無さを突きつけ、最後に捏造した父の言葉をぶつけたのだ。

 途中、部下を倒されたり、自分が決闘をすることになったり、最後の一撃でいくらかダメージを貰ったりと……、予想外のことは多々あったが、なんとか狙い通りの展開まで持ち込めた。

 

 後は少し時間を置いてから、自分が手を差し伸べてやれば万事解決だ。

『騎士の道は駄目だったけれど、君には別の道で生かせる才能がある。将来私の下で働きませんか?』などと甘い言葉を囁けば、傷心の子どもなどコロッと転ぶことだろう。

 そのまま少しずつ懐柔していき、やがてはこちらの手駒として育成していく。刹那のもとで鍛錬に励み続けているように見せかけ、日常の中でさり気なく『○○してほしい』ということを伝えさせれば良い。

 そうすれば、頭の足りないあの小娘のこと、多少は気に入っている弟からの頼みならば、よほどの無茶でない限り聞いてくれるだろう。

 

(ククク、何も私が表立ってあの化け物と関わる必要はありません。相手が気付かぬ内に、都合のいい駒として使い倒す。これぞまさに、一流の策士の仕事というものです!)

 

 一輝は騎士の道を諦めて自分の配下に。

 珠雫は悔しくは思うだろうが、兄に居場所ができるとなれば、負い目から何も文句は言わないだろう。

 そして刹那は現在、“特別招集”の真っ最中。

 先ほど一輝に対して嘯いてみせたが、実は刹那の不在も赤座の策略によるものだった。一輝への工作を妨害されないよう、本家を介して彼女に任務を言い付けたのである。

 倫理委員会が以前から把握していた、まだ壊滅していないテロ組織の情報。国の治安部隊に知らせればすぐにでも解決できるこの事案を、赤座はいつか有効活用するために放置していた。

 そして今朝方早く、本家からの命令として刹那を現地へ派遣したのだ。任地は遠く大阪、ここから500km先の彼方。こちらの情報を彼女が知る術はなく、あと数日は現地で掛かりきりになるだろう。その間に全ての工程を完了すれば、何もかもが自分の思い通りとなる。

 

(あの怪物を手駒にできるとなれば、もはや私に不可能などなくなる。こんな汚れ仕事はさっさと返上して、上へのし上がるとしましょうか。フフ、そしていずれは、長官の地位さえも……)

 

「ク……クククク……、クハハハハッ……」

 

 抑えようとしても湧き上がる哄笑が、口の端から漏れ出す。

 バラ色の未来に思いを馳せる赤座は、自分が最高の仕事をしたと思い込んでいた。

 ――傷付けられた相手に服従する者など滅多にいないし、珠雫が父に改めて訴えれば嘘はバレるし、最終的に刹那に知られれば全てが終わるのだが、得意の絶頂にいる彼は、自分が薄氷の上に立っていることにも気付かない。

 

「さて、では一輝くんの懐柔は…………夜にでも行いますか。まだ時間はありますし、フフフ、仕上げはじっくり行いましょう」

 

 ゆえに、彼は気付かない。

 少年の策を力で粉砕したのと同じことが、自分の身にも起こり得るということを……。

 そう――――小人の賢しい策略など、圧倒的な力によって粉砕されるということを……。赤座は全くもって、考えもしていなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 ……ふと、彼は違和感に気付いた。

 先ほどから誰の声も聞こえない。……いやそれどころか、衣擦れの音すらも聞こえないのだ。自分の取り巻きは指示しない限り勝手に動かないが、それでも全くの無音ということはあり得ない。

 

「ふぅ……、無能どもが。まだ彼ごときの威圧にビビッているのですか?」

 

 溜め息を吐きながら、赤座は背後の部下たちへ振り返ろうとした。

 その瞬間――――突如それは起こったのだ。

 

「さあ、早く珠雫さんを連れて戻ります――ヨ゛!?」

 

 

 

 

 

 ――――ドクンッ!!

 

 

「ッな゛! ……なんッ……ごれ、はッ……ガァ!?」

 

 赤座の巨体が大きく跳ねた。調子よく機能していた心拍が乱れ、次いで足腰が揺れ、ついには身体全体が震えだす。

 自重を支えることもできなくなり、赤座は崩れるようにその場に膝を着いた。両手両足を地面に投げ出し、深く呼吸を繰り返し、しかし身体は楽になるどころか辛くなる一方。

 

「……あ……あ゛あッ……、ごれ……わ゛ッ」

 

 重力が何倍にもなったかのような圧の中で、赤座はふと思い出す。

 ……そうだ。以前戦場へ出たとき、自分はこれと同じ症状に見舞われたことがあった。

 

 経験による虫の知らせ? 第六感による危機回避?

 

 ――否! これは違う。断じて違う!

 脳が危険を察知して、回避すべく警鐘を鳴らしているわけではない!

 ただただ純粋に、人が持つ当然の機能として、

 

 

 ――死の恐怖を前に、身体が悲鳴を上げているだけだ……!

 

 

「……あ……、あぁぁ……ッ」

 

 気付いたときには、すでに遅かった。望まず地面を見つめる赤座の視界を、暗い影が覆いつくしていた。赤座の身体の半分ほどしかない小さな影。しかし今は、それがどんな化け物よりも恐ろしい。

 絶対に見上げたくない。しかし、見ざるを得なかった。

 なぜなら、自らの首に()()が巻き付き、強制的に上へと引っ張り上げていくのだから。

 

「……ぁ……あ゛…………あがあ゛……ッ」

 

 首が軋み、呼吸ができなくなるのもお構いなしに、赤座の首は身体ごと吊り上げられていく。

 その過程で徐々に明らかになっていく全容。

 周囲に倒れ伏す部下たち。呆然と見上げる子どもたち。

 溢れ出る魔力の奔流。視界を走る幾千もの白銀の鎖。

 

 そして――

 

 

 

「…………赤座…………何を、やっている……?」

 

 

 

「ひ、ひぎィイいいあッ!!?」

 

 

 ――深淵が、彼を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本作での捏造設定。

・赤座さんのランク
 調べてもランクが分からなかったので、本作ではCランクとしました。CかDかで迷ったのですが、“低ランクを見下す”という設定上、Dだとちょっと弱いかなと思いまして……。結果、そこそこ高ランクの嫌味キャラが誕生しました。噛ませ犬には最適です。

・赤座さんの強さ
 技術的には平均ぐらいですが、ランク相応の魔力はあるので結構強い設定。成長した一輝なら普通に倒せるでしょうけど、今の段階だと素の能力差で押し切られてしまいます。
 原作では一輝が下位ランクの生徒を圧倒したりしていますが、あれは10年に及ぶ弛まぬ鍛錬の結果だと思いますので、今回は残念ながらこういう結果に……。
 カッコいい主人公の活躍が見たい人は、ぜひ原作を読もう!(ステマ)

・魔力封じの腕輪
『非伐刀者の黒服が珠雫を拘束する』という話の都合上誕生した、ご都合便利アイテムです。腕に嵌められると魔力がうまく練れなくなり、下手な伐刀者だと一般人以下まで弱くなってしまいます。
 どこかのエ○漫画にありそうな設定ですが、本作は健全作品ですので、女の子に無理矢理嵌めて『抵抗できないだろ、グヘヘ……』なんて展開はありません。ご安心ください。






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7話 まずはブッ飛ばす。話はそれからだ

 その日、久しぶりに家から命じられた“特別招集”のため、刹那は朝早くから大阪を訪れていた。

 任務内容は解放軍――――の下部の、下部の、そのまた下部の小さな犯罪組織の捕縛。繁華街に数人、伐刀者らしき怪しい連中が潜伏している可能性があるので、それを一網打尽にせよというものだった。

 ……ぶっちゃけ、テロリストとは名ばかりのチンピラ集団で、わざわざ彼女が派遣される必要があるのかは疑問だったが……。

 

 まあご近所付き合いとか面子とか、その他諸々あるのだろうと、刹那は深く考えることなく了承した。『普段好き勝手やらせてもらっているんだし、たまの任務くらいは家の顔を立てようか』という殊勝な態度である。

 いろいろと暴走しがちな少女であるが、こういうとこで我が儘は言わない辺り、意外と常識的な性格なのだ。…………ただちょっとその“常識”が世間とズレているだけで、本人なりに真面目に生きようとしている点は、どうかご留意いただきたい。

 

 その証拠に、自分で飛べばほんの数分で着くところを、えっちらおっちら新幹線で三時間かけて大阪までやってきた。

 現地の騎士さんとの顔合わせも面倒臭がらずにちゃんと行ったし(『ん……』とか『そう……』しか言ってないけど)、昔お世話になったベテランさんへの挨拶も、敬意を持ってきちんと行った(『ども……』とか『しゃす……』しか言ってないけど)。

 

 そして入念な打ち合わせの末、いよいよ始まった捕縛任務。

 刹那が外から建物を精査し、刹那が外からトラップを無効化し、刹那が外からテロリストを鎖で捕らえ、そこへ大阪の皆さんが突入して敵を制圧。

 ……神妙な雰囲気で始まった対テロ作戦は、開始から僅か2分で終了した。

 

(……私……来る必要……あった?)

 

 ――などと思いつつも、早く終わるのならばそれに越したことはない。

 その後は戦闘専門の刹那は特にやることもなく、さりとて勝手に帰るわけにもいかず、犯人の移送や物品の押収をボヘーっと観察していたのだが……。

 

 ふとそのとき、彼女は弟たちのことが気になった。

 ちょくちょく忘れられがちな事実であるが、この子重度のコミュ障なため、知らない人と積極的に話すなんてことはできず、アウェイで一人待っている時間が少々苦痛になってきたのだ。

 そこで刹那は、『ちょっとあの子たちの様子でも見れないかなぁ?』と思い立ち、手元から()()()()を取り出した。

 

 それは家族との連絡用スマホ――――ではなく、小さな白い(もや)……、魔力の塊であった。刹那がそれを地面へ垂らすと、不定形の塊はアスファルトを通り越して大地へ浸透していき……、やがて、地下深くに存在する魔力の層と接触した。

 

 ――キ…………ン……ッ!

 

 瞬間、周囲の一般人は愚か、伐刀者たちにも気付かれない程度に魔力が励起し、刹那の視界の半分が別の風景へと切り替わる。

 遠くの方では慌ただしく動く伐刀者たちの姿が……、そしてすぐ目の前には、片眼を閉じて座っている彼女自身が映っていた。

 

(…………ン。……感度、良好。……久しぶり、だけど……よく、見える……)

 

 ――実はこれ、刹那がかつて日本中に張り巡らせた、“対テロリスト用広域探査網”である。闇に潜む犯罪者を炙り出すため、彼女は自身の魔力を長い時間かけて大地に染み込ませ、文字通り日本全土に網を張ったのだ。

 これを励起した瞬間、刹那はその場にいながら日本のありとあらゆる場所を観測できる。中でも特に、未登録の魔力や、それが複数集まった場所には殊更強く反応するため、怪しげな違法伐刀者など日本へ入った瞬間即御用となる。

 結果、ここ数年で解放軍が計画したテロは全て未然に防がれ、この国から大規模犯罪組織は一掃されることになったのだ。

 

 ……その後、手間暇かけて作ったのを消すのも勿体なかったため、これは刹那専用の観察・情報用ツールとして、今もこうして一部が残されている。無論彼女は常識人なので、一般の方のプライベートを覗き見るような不埒な真似はしない。

 残しているのは、誰でも入れる公共施設と、黒鉄の敷地の中でも個人のプライバシーを侵さない範囲のみ。それも常時発動しているわけではなく、何らかの必要に迫られた際に、年に数回用いる程度だ。

 

 そして今現在、彼女は弟たちに会いたくてたまらない禁断症状……。

 つまりは紛うことなき、“必要に迫られたとき”なのであった!

 

 

 ――閑話休題。

 

 

 刹那は遥か遠く、黒鉄の土地を目指して地下の魔力網を辿っていった……。

 

 ……京都。

 ……名古屋。

 ……浜松。

 ……静岡。

 ……横浜。

 ……そして、東京。

 

 久しぶりの使用で大分起動に手間取ってしまったが、ついに刹那の視界は黒鉄の本宅まで辿り着く。

 

 ――ああ、これでようやくあの子たちの顔を見られる。

 そうしたら気持ちを切り替えて、あともう一踏ん張り任務を頑張ろう。

 残りの仕事をきっちり熟して……、人間関係も少しは改善して……、最後まで行儀よく良識のある行動を心がけよう。それがいつかきっと、あの子たちを守ることにも繋がるだろうから……。

 そんな穏やかな考えのもと、刹那は視界に映し出された映像を、嬉々として覗き込んだのである。

 

 そして――

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

「…………赤座………………コロス」

 

 

 

 次の瞬間、刹那は常識なんぞブっ飛ばし、東京・大阪間を30秒で駆け抜けたのであった。

 

 

 ――以上、回想終わり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

「……で? ……何が……あった、の?」

 

 大阪から急ぎ飛んで帰り赤座(下手人)を捕縛した直後、刹那は弟妹たちに詳しい事情を訊ねていた。姉が地面に正座して座り、その対面にこれまた二人が正座して向かい合っている状態だ。

 ……ちなみに、まず真っ先に尋問すべき対象は、三人の横で白目をむいて倒れている。弟たちを助けるために首ごと吊り上げたは良いものの、つい勢い余って力を入れ過ぎてしまい、そのまま意識をオトしてしまったのだ。

 ゆえに仕方なく、まずは二人から事の顛末を聞こうとしているのだが……。

 

「………………」

「………………」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

(……どう、しよう。……空気が……重い……)

 

 何があったのか尋ねても、両名とも一向に口を開いてくれなかった。珠雫は時おりこちらを見ては気まずそうに視線を逸らし、一輝に至っては、虚ろな表情で地面を見たままだ。試しに顔を覗き込んでみても、碌に反応も返してくれない。

 ここまでノーリアクション状態が続くと、もしや自分の方が何か間違えてしまったのでは?と不安になってくる。

 例えば……、先ほどの光景は別にいじめではなく、ただ普通に模擬戦をしていただけだったとか? そういえば霊装も幻想形態だったし、もしかするとこの状況も、ただ模擬戦に負けて落ち込んでいるだけなのだろうか?

 だとしたら、赤座が目を覚ましたら謝らなければならないが……。

 

 ……謝る? ……あの赤座に?

 

「………………」

 

 なんか……、……すごく……嫌だ……。

 

 ……理由? ……だって赤座だもん。

 

 

「……あ、あの……ッ」

「ン?」

 

 刹那が嫌な想像に唸っていると、珠雫の方がようやく口を開いてくれた。その表情は多少強張ってはいるものの、恐怖などの感情より決意の方が上回っているように見える。

 これは正直予想外だった。珠雫からはずっと怖がられ、避けられていると思っていたため、説明があるとしたら一輝本人からだと考えていたのだ。

 

「私から話しても…………いい、ですか?」

 

 ――とはいえ、好意的になってくれたならありがたい話。これならスムーズに事情を聞くことができるし、もしかしたら助けなども求めてくれるかもしれない。

 もしそうなったら姉として全力で応えてあげよう。刹那は無表情の下でやる気と決意を強く固めた。

 

「ん……、話して……みて……?」

「は、はい! ……じ、実はさっき、この男がお兄様に――「珠雫」――え?」

「…………話さなくて……いいから……」

「お、お兄様……?」

 

 意を決して語られ始めた言葉は、被害者本人の手によって止められていた。

 一輝は珠雫の腕に軽く手を添えたまま、その先を語るのを制止していたのだ。言葉の穏やかさとは裏腹に彼の表情は厳しく、真っ向からそれを受けた珠雫は思わず息を呑む。

 だが、それでも兄への心配と、そして疑問が勝ったのだろう。酷く困惑しながらもおずおずと一輝を問い質した。

 

「な、何を言ってるんですか、お兄様? ……は、話さなくていいって……一体どういう……?」

「そのままの意味だよ。姉さんに話す必要はないし、助けを求める必要もない」

「ッ!?」

 

 思いもしなかった言葉に珠雫は目を見開く。

 

「な、なんでッ! そりゃすぐに解決とはいかないでしょうけど、姉さんが動いてくれれば、きっと何か変化が……ッ」

「いいんだ。……もういいから……、珠雫ももう、何も言わないで……」

「で、ですから! それがなぜなのかと理由を聞いて――」

 

 

 

 

「何も変わらないからだよッ!!!」

 

「ッ!?」

 

 普段の一輝らしからぬ怒鳴り声に、珠雫の言がピタリと止む。

 声を荒げる一輝を見るのはこれが初めてではない。しかし、彼女の記憶の中にあるものとそれは明らかに違っていた。諫めるためでも諭すためでもなく、今の一輝はただイラつき、煩わしそうに言葉を吐いていたのだ。

 

「……君も聞いただろう? 今回の赤座さんの行動が、父さんの指示だってことを」

「ッそ、それは……」

「そうである以上、何をやったってこの状況は変わらないよ。黒鉄の当主が、『アレはもう要らない』と口に出して宣言したんだ。誰が何を訴えたところで、もうどうしようもない」

「そ、そんな……みんなで考えれば……まだ何か、良い方法が――!」

「それと珠雫……、君はもう、ここへ来ちゃいけない」

「……ぇ? …………ど、どういう……意味ですか?」

「これも、そのままの意味だよ。もういっしょに訓練をすることはできないし、僕に会いに来てもいけない」

「! な……ッ、なんでですか!?」

 

 突き放すような兄の言葉を受けて、ついに珠雫は立ち上がった。視線だけこちらに寄越す一輝を見下ろしながら、珍しく非難するように真意を問う。

 それでも一輝の態度は変わらない。温度のない瞳と硬い口調のまま、妹に事実を突き付けていく。

 

「当たり前の話だろう? 君がここに来ることを父さんが禁止して、ついに部下を使って実力行使までしてきたんだ。このまま同じことを続けていたら、次はもっと酷いことになるかもしれない。……だったらもう、僕たちは会わない方が良い。分かるだろ?」

「……ッ……ぁ……」

 

 状況も呑み込めないまま押し付けられる拒絶の言葉に、珠雫はまともに言葉を返すこともできないでいた。

 兄と離れ離れになってしまう恐怖……、そして、嫌われたかもしれないという恐怖で身体が震え……、最後になんとか絞り出せたのは、ただの一般論でしかなかった。

 

「で……でもッ……私……お兄様のことが心配で……! お、お気持ちは分かりますけど、そんな風に自棄(やけ)にならないでくださいッ! 私が尊敬するお兄様は、こんな理不尽なんかに負けないッ……すごく強くて、立派な人で……ッ!」

 

 

 

「…………心配? …………気持ちが、分かる……?」

 

 だがそれは、一輝をますます意固地にさせる結果しか生まなかったのだ。

 

「本当に……心配しているの?」

「……え?」

「本心では君も、僕を落ちこぼれと見下しているんじゃないの? ……無駄な努力をしている愚か者だって、心の中で笑っているんじゃないの?」

「お、お兄様……? 何を言って……」

「姉さんと兄さんは言わずと知れたAランク。そして君も、世間では十分に天才と呼ばれるBランクの神童なんだ。……分かるかい? 姉弟の中で僕だけが、何の取り柄もないFランク(落ちこぼれ)だった。黒鉄の歴史上類を見ない、何の価値もない残りカスだったんだッ」

「! そ、そんなッ……ちが……」

「そんな僕のことを、君が心配している? 気持ちが分かる? あまつさえ、尊敬しているだって? ――信じられるわけないだろうッ!!」

「ちがッ…………わ、私は……本当に、お兄様のことを――ッ!」

 

 言葉は心へ届くことなく、ついに一輝は妹に背を向ける。

 

「お、お兄様……」

「もういいから、放っておいて……。今は……僕を一人にしてくれッ!!」

「! ま、待って……! 行かないで、お兄様!」

 

 そのまま走り出す一輝の後ろ姿を見ながら……、消えてしまいそうな兄の背を見送りながら……、

 珠雫はただ力なく、腕を伸ばすことしかできなかったのだ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘイ……ストッ、プ!!」

「グベェえッ!?」

「……え?」

 

 ――だがここに、そんなシリアスなどものともしないKYA(空気読めない姉)がいた!

 刹那は一輝の眼前に一瞬で回り込むと、惚れ惚れするようなローリング・ラリアットを披露した。前も見ずに飛び出していた一輝は、見事それをカウンターで被弾! 空中で縦に三回転した後、脳天から勢いよく地面に突き刺さった。

 

「ゴブッふ!?」

「え……え……、えぇ……?」

「フシュゥゥ――」

 

 ヤバげな呻き声を上げる一輝と、膝をついたまま目を点にする珠雫と、そして、会心の一撃を振り切って大きく息を吐く刹那。

 三者三様の反応により、場には一瞬の空白が生まれていた。

 

「……ゴ、ゴホッ……ゲホッ……!」

 

 その状況から一早く脱したのは、最もダメージの大きい一輝であった。少年はふらつく頭を両手で押さえながら、何とか二本の足で立ち上がる。姉による日々の地獄特訓は確かに実を結んでいたようだ。

 

「ね……姉さん? ……い、いきなり何をすr――」

「シャラッ……プ!」

「ぐべぇッ!?」

 

 当然の疑問に答えることなく、刹那はクワっと目を見開き全身から魔力を放出した。まだ回復しきっていない一輝はその圧をモロに受け、再び後方へ引っくり返ってしまう。

 その間に姉は、ポカンと口を開けたままの妹を手招きする。

 

「珠、雫……。こっち……来て……」

「え? で、でも……」

「気にしなくて……いい、から……。……ほら、こっち」

「……あ。……は、はい」

 

 おずおずと妹が近付いてきたのを確認すると、刹那は地面に倒れたままの弟を上から覗き込んだ。見下ろす少女の表情には、言われなければ分からない程度に、僅かに怒りの感情が浮かんでいる。

 ……先ほどの二人の言い争いから、おおよそ何があったかは彼女も理解できていた。一輝がこんな風に捨て鉢になっている理由も、決して分からなくはない。

 分からないではないが……、しかし――

 

「……一、輝」

「な……何……ですか?」

 

 ビクリと震えた一輝に対し、刹那はスッと隣を指して告げる。

 

「……ショック、だったとしても……、……八つ当たりは……感心、しない……」

「え……ぁ」

 

 頑なだった一輝の態度が不意に解ける。姉が示した先で目に入ってきたのは、泣きそうな顔で震えている妹の姿だった。

 それに伴って先ほどの自分の言動を思い出し、さすがに頭が冷えたのだろう。言う必要のないことまで言ってしまった罪悪感から、一輝はバツが悪そうに視線を逸らす。

 

「はい……逸ら、さない」

「おぐフっ!?」

 

 だが今日の姉は甘くなかった。逆側を向こうとした弟の頭頂部を掴むと、そのまま180度回転させる。……首元から鳴った不穏な音については、今は無視だ。

 

「……ホ、ラ……言うこと……ある、でしょ? ……ちゃんと……謝、る……」

「おぁががガッ!?」

「ね、姉さんっ。わ、私は別に大丈夫ですから! と、というかそれ、お兄様の首が……ッ」

「い、いいんだ、珠雫。……ゲホッ」

「お、お兄様?」

 

 姉の手から解放された一輝は呼吸と佇まいを正し、妹に深々と頭を下げた。

 

「…………ゴメン。……さっきの態度は、僕が悪かった。……君が悪いわけじゃないのに……酷いことを言って、傷付けてしまった。……ホントに、ごめん」

「あ……いえ……。私は別に……その……気にしていないので」

「……いやホントに……全部、僕の心が弱いのがいけないんだ……。反省しています。許してほしい」

「……そ、それなら私だって……、勝手に押し掛けたせいで、ご迷惑をおかけして……」

「ううん。会いに来てくれたことは、素直に嬉しかったよ。今回のことで、君が責任を感じる必要は全くない」

「で、でも私……お兄様のことを、下に見て……傷付けて……」

「い、いやッ、あれは僕の勝手な嫉妬と言うか、勢いと言うか……。し、珠雫がそんなこと思っていないのはちゃんと分かってるからッ」

「で、でも……もしかしたら本当にお兄様の言う通り……無意識に失礼なことを考えていたのかも……。私、すごく性格悪いし……」

「そ、そんなことないよ! それならむしろ僕の方が……! 剣術オタだし……、陰キャ気味だし……」

「そ、それなら私だって……。排他的だし……、口悪いし……、若干ヤンデレだし……」

「いや、そこは僕が――」

「いえやっぱり私が――」

「いや僕――」

「いえ私――」

「「――――!」」

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

「…………あ……あれ……」

 

 言い争う(?)弟妹たちを見ながら、姉は少々焦る。二人を強引に仲直りさせたまでは良いが、今度は謝罪合戦が始まってしまった。

 どちらも年齢以上に賢い子だし、何より、互いを強く想い合う良い子たちだ。正面から話し合わせさえすればすぐに解決すると思っていたのだが、事態は思ったより深刻だったらしい。

 一輝は、言葉が過ぎて妹を傷付けてしまった罪悪感から……、そして珠雫の方も、自分が遠因で兄にケガを負わせた負い目から、ギクシャクとした空気が解消されない。卑屈な態度で互いに頭を下げ合っており、どうにも収拾が付かなかった。

 

「……姉さんも……手を煩わせてしまって……ごめんね」

「え……?」

「せっかく始めてくれた訓練だけど、もう、終わりにしても良いかな? ……このままだときっと、姉さんにも迷惑がかかるから」

「え……、ちょ、待っ」

 

 ついにはこちらにまで波及してきた! 一輝は力ない笑顔を浮かべたまま、訓練の終了を宣言したのだ。

 当然刹那としては、肝心なことを聞き返すが……。

 

「……き、騎士になる、夢は……どう、するの……? ――――諦める、の……?」

「ッそ、それは……、えっと……。…………ま、また、一人で頑張ってみるよ。……訓練のやり方はひと通り教えてもらったんだし、……うん、別に今までの状態に戻るだけで……心配なんて要らないよ、姉さん。……あ、あははは……はは……は」

「……ッ!」

 

 ………………。

 

 ……マズイ。これは本格的にマズイ。

 弟の心は想像以上に傷付いていた。

 消え入りそうな笑顔の中には姉への思いやりと、罪悪感と、……そして何より、大きな諦観が混在していた。

 

 この瞬間刹那は、一輝が直面するもう一つの問題に気付く。

 それは周りの環境ではなく、彼本人の心に起因する根深い問題だった……。

 すなわち――

 

 

 ――彼はFランクである自分に対し、“諦め”と、深い“自己否定”を抱えているのだ。

 

 

 ……もちろん普段は表に出て来ないし、それが彼の全てというわけでもない。一輝の想いと努力は本物だし、夢に向かって真っ直ぐ進んできた姿も嘘偽りない本当の姿だ。

 しかし同時に、負の感情は無意識下に確実に存在しており、自分でも気付かない内に一輝の心を責め苛んでいる。

 実際今も、せっかくの有効な訓練から自ら離れようとしたり、妹に対して思ってもいないことを言ったりと、無意識の内に、“諦め”や“自棄”という負の方向へ近付いていた。

 

 この傷をどうにかするには、今までのようにただ守るだけでは不十分だ。この子が自分で自分を守れるように……、何より、自分のことを肯定して、前を向いていけるように、手を引いて導いてあげなければならない。

 そして本来ならば、それが親の最も大事な役割のはずだった……。

 

 しかし一輝の場合その父が何もしないどころか、現状一番の敵として立ちはだかっている。母親も異を唱えることはなく、周りの大人も全てが父の言いなり。

 頼れる先達など一人もいない、完全な袋小路状態。幼い少年の心が悲鳴を上げて軋むことなど、当然の結果だった。

 

 

(ッ……なんで、ここまで……この子を……ッ)

 

 湧き上がる怒りに、刹那はギリと歯を食いしばった。

 誰か個人に対してではない。

 弟をこんな風に追い込んだ者たちと、彼を取り巻く状況全てに対してだ……。

 

 一輝が赤座に害されていると知ったとき、刹那はあの男を血祭りに上げればそれで済むと思っていた。二度とふざけた真似ができないように、消えないトラウマを刻み付けてやればそれでいい、と。

 しかし、事はそう単純ではなかった。誰か特定の個人をブッ飛ばしたところで、おそらくこの状況は変わらない。

 

 息子の道を阻もうとする父の意志と……。

 一輝を害そうとする者たちの悪意と……。

 そして何より、自分を否定する一輝自身の心……。

 

 これら全てを解決しなければ、状況は改善されないのだ。

 

(ッ……かと言って……どうすれば……あの子を、救える……? ……この、多少の腕力と……嫌われ者の評判しかない私が……、どうやって……あの子を……助ければ、良いッ?)

 

 解決法を模索して、刹那はなんとか知恵を振り絞るが……。

 結果は芳しくない。元々頭など大して使わない上、心の悩みなど経験したこともない少女だ。弟の心を救う方法などすぐには思い付かない。

 

 ――ランクという絶対の秩序。

 ――一人の子どもへ集中する悪意。

 ――魔力が足りないことへの葛藤。

 

 この現実を前に、自分に一体何ができるのか?

 初めて経験する悩みに対して、刹那は進退窮まり、頭を抱えるしかなかったのだ。

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

「……じゃあ……姉さん、珠雫。……僕はもう……行くね?」

「ッお兄様、待って! ……ね、姉さんも、何か言ってあげて! お兄様を説得してください!」

「あ……でも、赤座さんをこのままにはしておけないね……。一応、医務室に連絡を入れておこうか」

「な、何言ってるんですか! こんな奴のことなんて気にする必要ありません! お兄様のことを散々見下して、私にこんなものまで付けて……!」

「あ、そうか。その腕輪も外してもらわないと……」

 

 

 

「んんッ?」

 

 そのとき、弟たちの会話を遠くに聞きながら、刹那の頭にいくつかの単語が引っかかった。

 

 

 ……Fランクの、一輝?

 

 …………魔力を封じられた、珠雫?

 

 ………………低ランクを見下す、赤座?

 

 

 ………………。

 

 

「…………あ」

 

 瞬間、彼女の胸にストンとそれは落ちてきたのだ。

 

(……ああ、なんだ。……お誂え向きに……あるじゃ、ないか……)

 

 魔力が足りない一輝の悩みも……、

 息子に対する父の妨害も……、

 右へ倣え、な親族どもの悪意も……。

 そして、弟を傷付けてくれたこの野郎への報復も……。

 

 全て丸ごと解決する、たった一つの冴えたやり方が……。

 

「う、う~ん……、う~~んッ。……く、鎖が……鎖が、たくさん迫ってくるぅぅ……ッ」

「……よ、し!」

 

 そうと決まれば善は急げだ。さっさとこの男と話をつけよう。

 刹那はすぐ横で安らかに寝ている男に、容赦なく拳を振り下ろした。……その右腕全体に、眩いばかりの雷光を纏わせながら。

 

「アッカザさあああんッ! 起ぉおきいぃてええええーーッ!!」

「んえ? あびゃびゃびゃびゃああああーーーーッ!!?」

 

 全身に強めの電気マッサージを受けた赤座は、気持ち良さそうな声を上げて勢いよく起床する。

 さすがは高ランク伐刀者、なんとも元気が良くて素晴らしいことだ。刹那は満面の笑みで赤座の顔を引っ叩――じゃなかった、優しく叩いて気付かせてあげた。

 

「フンッ!」

「へぶウッ!? ――え? な、なにッ? え? 鎖……いっぱい? 身体? 痺れ……て……?」

「赤座……さん。……こっち、こっち」

「――ッ!? せ、刹那ッ! さんッ!?」

 

 視界に刹那を捉えた赤座は、横たわった体勢で一メートルほど飛び上がり、そのまま五体投地へと移行した。

 

「――もももッ、申し訳ありませんん! わたくし先ほどは、調子に乗っておりましたあ!! もう二度とあんな真似はいたしませんので、どうかお許しを!!」

 

 額を地面に擦りつけ、謝罪を繰り返す赤座。

 なんとも見事なジャパニーズ土下座。これなら今から行う提案も、きっと快く受けてもらえるに違いない。

 刹那は穏やかな笑みを浮かべながら、赤座の左肩に手を添えた。

 

「……そっか。……じゃあ……お願い……聞いて、くれる……?」

「はい! なんなりと! ………………え゛?」

「ん? 今……なんでもするって……言ったよ、ね……?」

「い、いやその……な、“何でも”……とまでは……――ヒギィ!?」

「大、丈夫……、大丈夫。……ちょっとした……簡単な、頼み事……だから」

「ひぃぃぃ……ッ。……い……一体……何をすれば、よろしいのでッ?」

 

 這いつくばったまま唾を飲み込む赤座へ、刹那は優しく、その冴えたやり方を伝えてあげたのだ。

 

 

 

 

 

「……私と……模擬戦……しよう、か?」

「……は?」

 

「……一般にも……公開で、ね……?」

「「……はッ?」」

 

「……あ……私は……魔力、使わないから……安心、して……?」

「「「は、はあああああッ!?」」」

 

 

 

 三人分の叫び声が、快晴の空に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 一輝くんの感情が爆発してしまう回でした。
 原作の彼は穏やかで紳士的な若者ですが、さすがに七歳で父から『要らない』と言われたら(赤座の嘘だけど)、少しは荒れちゃうかな、と。
 解釈違いと感じる方もいらっしゃるかと思いますが、本作での設定としてご容赦ください。


 そして、赤座さんの勇姿は次回へ持ち越しです。










おまけ:オリ主の技紹介

・魔力で編んだ鎖
 刹那が最も多く使用する攻撃技。本気で殴ると相手が死んでしまうため、負傷させず捕縛できる手段としてとても重宝している。用途によって細かく使い分けもできるので、大変便利。

(例)相手が抵抗するときは振り回して地面にドン。
   強敵相手なら複数使って袋叩き。
   たくさん敵がいるときは、数百本展開して範囲内を一掃。……etc.


・魔力の盾
 3話で登場。見たまんま、魔力を板状に固定する防御技。百メートル以上に広げることも、球状に展開することも可能。
 ただ作ったは良いが、本人に魔術防御など不要であったため、最近はもっぱら跳躍用の足場として用いられている。攻撃こそ最大の防御なり。


・飛行(音速超え)
 圧縮した魔力を勢いよく放出し、ロケットのように空を飛ぶ高速移動技。音速の壁を超えて衝撃波が発生するため、市街地での使用は大変危険。
 ゆえに、これを使うときは一旦上空まで跳び上がり、目的地近くまで飛行した後、最後は自由落下で到着している。
 目撃者からすれば完全に飛び降り自殺。トラウマです。


・魔力による気配察知
 魔力を薄く広く展開することで、範囲内の敵の位置・力量・感情などを探る解析技。平たく言えばH○NTER×H○NTERの“円”。
 最大展開半径は50kmほどで、上記の高速飛行の際にはこれを前方へ延ばして衝突などを防いでいる。


・広域魔力探査網
 いくら捕まえても減らない違法伐刀者に辟易し、刹那が開発したチート技。どんな伐刀者が潜り込もうと瞬く間に捕まえてしまうため、一時期日本政府には『どうやったんだッ、方法を教えてくれ!』という問い合わせが各国から殺到した。しかし本人以外は真相など知らないため、担当者たちは対応にとても苦慮したという。
 最終的に、『日本には今でもニンジャがいる』という結論に達し、この騒動は沈静化した。それで納得するのか、諸外国。






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8話 力こそパワー

 黒鉄家の広大な土地には、伐刀者を育成するための施設が多数存在している。代々優秀な伐刀者を輩出してきた名家だけあり、道場やトレーニングルーム、医療機関や各種研究設備など、その数と規模は下手な国有施設を上回る。

 黒鉄王馬が普段利用しているのも、そんな中の一つであった。

 

「……ん?」

 

 姉に追い付くべく、今日も今日とて訓練場へ向かっていた王馬は、周囲の雰囲気がいつもと違うことに気付いた。建ち並ぶ施設の内の一つ、ローマのコロッセオにも似た屋外競技場の周りでは、多くの人員が慌ただしく駆け回っていたのだ。

 普段の鍛錬でもときおり騒がしくなることはある。骨肉を砕くことも厭わない黒鉄家の鍛錬では、怪我人が出て搬送されることも珍しくはない。

 しかし、今日の様子は明らかに常と違っていた。皆どこか浮足立ち、何かに急かされるように動き回っている。……よくよく見れば、黒鉄の関係者ではない顔ぶれも含まれているではないか。

 

「……何か、大きな催しでもあったか?」

 

 以前の王馬ならさして気にもしなかっただろう。自分には関係のない些事と切り捨て、さっさと鍛錬へ向かったはずだ。

 しかし姉に敗れ、弟たちの力を見せ付けられて以降、彼も少しずつ変わり始めていた。

 偶には違うことにも目を向けてみるか――と、ストイック少年にしては珍しく気まぐれを起こし、忙しなく動く人の間をぬって競技場内へ入っていったのだ。

 そうして王馬の目に飛び込んできたものは……、

 

 

 ――早く片付けろ! 追加機材の搬入だ!

 ――医療班呼んだか!? まだ来てないぞ!

 ――もうすぐ到着予定です!

 ――ハイスピード・カメラは舞台の両脇へ……ッ!

 ――モニター映ってないぞ! 何やってんのッ!?

 

 

「……なんだ、これは……?」

 

 普段の黒鉄家ではまず見られない光景。

 家の関係者たち数百人が集まりざわつく観客席と、慌ただしく動くスタッフ(?)たちの姿がそこにあった。

 

 ……一応この競技場は、騎士学校やプロリーグでも使われている公式のものを採用している。リング以外の補助設備――カメラやモニター、放送機材等も豊富に揃っており、外部への映像配信も可能だ。

 だが、名家とはいえあくまで私家に過ぎない黒鉄家で、それらが実際に使われたことはない。実物と同じものを使用してはいても、それは門弟たちを本番の雰囲気に慣れさせるためであって、外部に公開されたことなど一度もない。

 古い家系の例に漏れず、黒鉄にも門外不出の技術や、ちょっとばかり苛烈な訓練風景はあるのだ。まかり間違っても、検閲なしで一般人に見せられるものではなかった。

 

 ……つまり、何が言いたいのかというと、

 

 

 

 ――ドオオオーーーンッ!!

 

「ッ!!?」

 

 

 

『……これが……一番よく、使う技。……鎖で締め上げて……地面に……叩き付けたり……』

『ほうッ、なんとも器用なものですね! 伐刀者とは皆こんなことができるんですか、赤座さん!』

『い、いやぁ、ハハハ……どうでしょうねぇ? 彼女は、その……かなり特殊な事例でして……』

『……で、……戦車とか、要塞とか……対象が、大きければ……』

 

 

 ――ゴゴゴゴゴッ、…………ズガアアーーーンッ!!

 

 

『……こう……魔力砲で……吹き飛ばしたり、する……』

『おおぉ! これはまた凄まじい一撃ですね! さすがは“天才少女騎士”といったところでしょうか、赤座さん!』

『ハ、ハハハ……こんなに強い子が自国にいてくれて、我々は幸運ですなぁ、ハハ……』

『……ムフー』

 

 

 ――ヤッベえよ、なんだよアレ、人間技じゃねえだろ……。

 ――ガキ連中はあの鎖でやられたらしいぞ。何人かは今も部屋から出て来ないって。

 ――死んでないだけマシだろ。王馬さんとの模擬戦見たらマジでそう思うわ……。

 ――一体何考えてんだ、赤座さんは……。死ぬ気か?

 

 

 つまり……、こんな風にカメラを招き入れ、大衆に技を見せ付けながらインタビューを受けるなど、黒鉄では考えられない奇行なのだ。

 しかも気持ち得意げな姉の隣には、なぜか顔中汗だらけの赤座が立っている。黒鉄の関係者の中でも特に反りが合わないであろう二人が、カメラの前で仲良く(?)並び立ってインタビューを受けるなど、一体何があればこうなるのか?

 王馬の頭は疑問符で溢れ返った。

 

「……今度はまた、何をしようとしているんだ、あいつは? ………………む?」

 

 どうリアクションを取るべきか王馬が頭を悩ませていると、人波から離れたところに見知った背中を発見する。

 

 

「珠雫……。姉さんは一体……何を考えているんだろう?」

「分かりません……。いつも突拍子もないことばかりする人ですけど、今回のは特に分かりません」

 

 最近はもう、姉とセットになっている感のある二人――一輝と珠雫が、観客席の最後列にポツンと腰かけていたのだ。ここから見える後ろ姿からだけでも、彼らがどんな表情をしているかは容易に想像できる。おそらく今鏡を見れば全く同じ顔が映っていることだろう。

 王馬は軽く眉間を揉み解しつつ、弟たちの元へ歩み寄っていった。

 

「おい、お前たち。これは一体何の騒ぎだ?」

「え……? あ、兄さん」

「大兄さんも来てたんですか? 珍しい……」

「少し気になって見に来ただけだ。そんなことより、あの阿呆はまた何をしようとしている? ……まあどうせ、碌なことではないんだろうが」

「えっと、実は――」

 

 そして王馬は、昨日の出来事について一通り聞かされることになった。

 一輝が赤座に襲われた事件に始まり……、父からの命令、姉による粛清、そして、唐突に提案された公開模擬戦。

 ときおり相槌を挟みつつ、偶に頭部を押さえながら弟の話を聞くこと数分。やがて王馬は、すっかり慣れきってしまったように大きく溜め息を吐いた。

 

「…………ハァ。やはり碌なことではなかったな。さしずめ、『野生動物が持ち物に手を出されて怒り狂っている』というところか。奴らは縄張り意識が強いからな。二度と舐めた真似をされないよう、念入りに報復する気なんだろう」

「えぇぇ……。そんな、姉を熊や虎みたいに……」

「どちらかと言うと“野生の竜”じゃないですかね? 気ままに飛び回って、周囲をしっちゃかめっちゃかにしていく暴走系ドラゴン、みたいな?」

「あぁ、確かにその方が近いか。竜は貯め込んだ財宝に執着するものだったな。侵入者に対して苛烈という点も一致している」

「恐怖的にも破壊力的にもピッタリです」

「傍迷惑という点も同じだな」

「……どうしよう。兄と妹がどんどん毒舌になっていく……」

 

 と言いつつも、特に否定はしない一輝。

 ここで、『弟を傷付けられて怒ったのでは?』という発想に誰も至らない辺り、弟妹たちからの姉に対する心情がうかがえた。

 

 ……いや、実際にはこれまで、『ひょっとしてこの人、優しいのでは……?』と淡い希望が芽生えかけたこともあったのだ。しかしその都度、本人の破天荒ぶりによって全て吹き飛ばされてきた。

 今回だってそうだ。

 

 ――弟が襲われてイラっとしたので、一般公開で模擬戦を行う?

 

 まったくもって、意味が分からなかった……。

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

『おっと、そろそろ時間ですね。ではお二方、準備の方をお願いできますか?』

『……ン。……じゃ……、お願い』

『はい。それでは――――刹那さんの魔力を、封じますッ』

 

 ――ガチャン!

 

 

「………………んんッ?」

 

 王馬の眼前でさらに意味不明なことが起きる。

 インタビュアーの声に反応してリングへ視線を戻した彼は……、何やら見間違えをしてしまったようで、二度、三度と自分の目を擦ってみた。

 

 ……いやだって、おかしいんだもの。

 伐刀者同士が模擬戦を始めようという緊迫した状況。

 魔力が何よりも重要となるこの場面で、姉があり得ない行動をとっているのだから……。

 刹那がスッと両腕を差し出すと、インタビュアーが見覚えのある腕輪を取り出し、彼女の両手首にしっかり嵌めたのだ。

 王馬の記憶違いでなければ、あれは確か魔力を封じる道具ではなかっただろうか……?  霊装どころか、無意識に纏っている魔力防御や身体強化すら霧散させてしまうという、超強力な捕縛用魔術器具……。

 

「……お、おい……おい、弟。…………あれは一体……何をやっている?」

 

 視線を逸らさぬまま王馬が問えば、戸惑いとともに信じられない答えが返ってくる。

 

「えっと、あれが姉さんが出した“模擬戦の条件”で……。その……『私はこの戦いで、魔力も霊装も使わない』って……」

「……は? ………………は?」

 

 豪胆な王馬が言葉を失うのも無理はなかった。

 魔力を持たない人間が高ランク伐刀者に挑む……、それはほとんど“自殺”と変わらないからだ。

 

 Fランク騎士を揶揄する言葉として、『拳銃程度で負傷する雑魚』という言い回しがあるが、本来拳銃とは決して弱い武器ではない。創作などでは噛ませ扱いされがちだが、金属の塊を音速で撃ち出す兵器が弱いはずもなく、当たり所が悪ければ手足がちぎれ飛ぶことさえあり得る。

 その強力な一撃を、伐刀者の魔力防御はいとも容易く防いでしまうのだ。高ランク騎士ならば言うまでもなく、大部分を占めるEランク騎士――落第騎士(Fランク)を除けば最下点の者たち――でさえ、精々打撲程度しか負うことはない。

 そして……、魔力で強化された伐刀者の一撃は、そんな堅牢な守りすらも突き破り、致命傷を与えてしまうのだ。

 

 高ランクの伐刀者とは謂わば、常人とは全く別種の生き物と言って良かった。

 生身の人間が戦って、ただ負けるだけならば幸運。下手をすれば目を覆わんばかりの大惨事となるだろう。

 ……そんな相手と魔力も無しに戦おうとするなど、まさしく正気の沙汰ではなかった。

 

「な、何を考えている、あの馬鹿はッ!? しかもその様子を、テレビを通して一般にも公開するだとッ? 頭がおかしくなったとしか思えんぞ!!」

「あの人の頭がおかしくないときなんてありましたっけ?」

「くっ、そういえばそうだった! ――いやッ、というか、そうだッ! 父は何をやっている!? こんな世間を揺るがすような見世物、あの堅物が許すはずがないぞ!」

「えっと、それが……」

 

 目を血走らせながら迫ってきた兄に対し、一輝は困った様子で答える。

 

「実は、父さんは昨日から出張中で……」

「なッ!? こんなときにかッ!」

「いえ、逆です、大兄さん。お父様がいない今だからこそ、姉さんはこんな大事をしでかしたんです。居れば確実に止められたでしょうから」

「あのスタッフさんたちも、ネット放送中心のローカル局の人たちらしくて……。『大手のテレビ局は黒鉄と繋がっていて、気付かれたら放送を止められるから』って」

「な、なぜそういう細かいところだけそつがないんだッ、あいつは!?」

「ね? 赤座に対する交渉といい、変なとこだけ気が回るんですよ、あの人。こういうバランス感覚があるのは正直意外でした」

「……でも結局最後の決め手は、『断ったらこの場で殺すぞ(赤座さんへの脅し)』だったんだよね……」

「そして極め付けは、“赤座だけ実像形態を用いる”という特別ルール……。スプラッタ待ったなしですよ、これは」

「Oh……」

 

 王馬の口からエセ外人みたいな声が出た。

 破天荒かと思えば意外と常識的だったり……、だけども最後はやっぱり安定の非常識姉ちゃん。

 相変わらずの行動の乱高下ぶりに、王馬の精神力はもはや限界を迎えようとしていた。

 そして――

 

「ねえ、兄さん。…………姉さんは一体、何を考えているんでしょう?」

 

 不安そうに問いかける弟妹たちへ向け、王馬がなんとか絞り出した言葉は、

 

 

 

「――んなモン知るかッ!!!」

 

 

 

 奇しくも数分前の彼らと、全く同じであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……よし、よし。……いい……感じ……)

 

 会場をグルリと見渡し、刹那は満足気に頷いた。

 客席がガラガラでは格好が付かないからと、赤座の伝手で多方面から人を引っ張ってきてもらったが、見ての通り期待以上の人数が集まってくれた。

 赤座の部下を始めとして……、黒鉄家所属の門弟たち、非伐刀者の一般職員、加えてその家族や友人たちが200人ほど、観客席でざわつきながらこちらを見ている。

 刹那の依頼通り、赤座は『当主の許可は得ている(※嘘)』という情報をきちんと周知してくれたようで、門弟たちが慌ててどこかへ連絡を取る様子もない。さすがは倫理委員会の長、人間性はともかく仕事に関しては有能である。

 

 ……唯一残念だったのは、時間がなくて外部の観覧者までは呼べなかった点だが……、まあ一番来て欲しかった客層は呼べたことだし、後はできるだけ多くの人が放送を見てくれることを期待しよう。

 

(……あっ。……一輝たちも、いた。……ヤッ、ホー……)

 

 観客席の後方には一輝()珠雫()と――なんと、こういうイベントを嫌いそうな長男坊の姿まであるではないか。

 王馬は一輝と珠雫ににこやかに話しかけ、兄妹で仲睦まじく盛り上がっている様子だ。あの王馬が大きなリアクションを交えて楽しげに会話するなど、少し前ならば考えられなかったこと。順調に態度が軟化しているようで何よりである。

 

 ……こちらを見ながら、若干目が血走っているように見えるのは気になるところではあるが……。

 まあ真面目な王馬のことだ、訓練のやり過ぎでちょっと寝不足なのだろう。身体だけは壊さないよう気を付けてほしいものである。

 ――なにせこれからは、兄弟妹(きょうだい)三人で仲良く歩んでもらわないといけないのだから……。

 

 

 

「では、刹那さん。改めて条件を確認しますが……」

「ん。……わかっ、た」

 

 まだまだ弟たちを眺めていたい欲求をグッと堪え、刹那はスタッフから差し出された紙面に目を通していく。

 その内容は以下の通りである。

 

 

 ――黒鉄刹那VS赤座守、エキシビジョンマッチ特別ルール――

 

 ・本模擬戦において、黒鉄刹那は一切の魔力を使用しない。

 ・その証明として、黒鉄刹那は魔力封じの腕輪(直前に第三者が本物と確認)を両腕に装着する。

 ・黒鉄刹那の使用武器は、刃引きを施した日本刀。

 ・赤座守の使用武器は、固有霊装(実像形態)。

 ・決着は降参、もしくは一方の意識が無くなった場合とする。(レフェリーストップはなし)

 ・ただし30分経過しても決着が付かない場合、勝敗は判定により下す。

 ・相手を死に至らしめる攻撃も可とする。

 ・この模擬戦で被ったあらゆる不利益について、両者は異議申し立てを行わない。

 ・この模擬戦で赤座守が勝利した場合、黒鉄刹那は彼の部下として以後服従する。(この項目のみ非公開)

 

 ――以上の条件を、騎士の誇りにかけて遵守することをここに誓う。

 

 

 

「よ……し」

 

 何度か読み直して内容に誤りがないことを確認し、刹那は誓約欄にしっかりと拇印を押した。滲まないように、上から軽く息を吹きかける。

 

「フゥ……フゥゥゥ……」

「……本当に、よろしいんですね?」

「ん?」

 

 そこへ、同じく誓約書を持っていた赤座が、緊張した面持ちで問いかけてきた。常に他人を小馬鹿にする笑みを浮かべた男には珍しく、その顔は緊張で硬く強張っている。

 

「今なら……、まだやめられますよ? いくつか条件を緩くしてもいいし……なんなら模擬戦自体を別の競技に変えたっていい。あなたが能力をフルに使ってデモンストレーションでもしてくれれば、観客も十分満足してくれるでしょうしね。……何もこんな、命を捨てるような真似をしなくても良いのでは?」

「…………」

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

「――怖い、の?」

「は?」

「さっきから……口数、多いし……。ずっと、震えてるし。……そんなに怖い? ……私と、戦うの」

「なッ……なにを……」

 

 狼狽える赤座へ向けて紙面を見せ付けながら、刹那は告げる。

 

「……こんなに有利な、条件……たくさん、付けてあげて……。勝ったときの餌まで……用意して……。……まだ、足りない、の……? 今の私……ただの八歳児、だよ……?」

「……ッ」

「大人と、子どもで……、伐刀者と、一般人で……。こんなに、ハンデまで付けて……まだ、足りない? ……まだ、怖いの? ……絶対勝てるって……決まった勝負じゃないと……、戦うことさえ……できないの……?」

 

 

 

 

 

 

 

 ――あなた……どこまで、怖がりなの?

 

 

 

 ビキリ……ッ。

 

 

「ッ……いいでしょう。私とて伐刀者の端くれ、そこまで虚仮にされて引き下がるわけにもいきません。……その思い上がり、せいぜい後悔しないことですね!!」

「……ン。頑張って」

「~~~ッ、姉弟揃って可愛げのないッ!」

 

 赤座はそう吐き捨てると、足取りも荒く開始位置まで歩いていった。

 その背を見送りながら刹那はグッと両拳を握る。口下手ゆえにうまく()()できるか不安だったが、やる気を出してくれたようで何よりだ。ここまで来て今さら中止となっては、何のために走り回ったのか分からない。

 

 コミュ障の身で交渉事や宣伝などは辛いものがあったが、目的のために刹那も腹を括って頑張ったのだ。

 特に、黒鉄の息がかかっていないテレビ局を引っ張って来れたのは大きかった。番組プロデューサーを始めとして、スタッフ全員がかなりのアグレッシブ変人揃い。今も、実像を使用すると聞いて門弟たちがざわつく中、彼らは目を輝かせてガッツポーズをとっている。

 数字を取るためならばたとえ火の中水の中、どんな修羅場だろうと迷わず突っ込む変態たち。彼らならこの試合も、最後まで滞りなく放送してくれるだろう。一番大きな問題もこれでクリアである。

 

 

 ――ビーーーーーッ!!

 

『時間になりました。両選手スタンバイをお願いします!!』

「ん」

 

 スタッフのアナウンスを受け、刹那もまた開始線まで移動する。インタビュアーたちが脇へ下がり、観客の注目が舞台へ集まり、ざわついた喧騒が静まっていく。いよいよ戦いのゴングが打ち鳴らされる。

 

「ククク、余裕ですねぇ、刹那さん?」

「ぅん?」

「ですが、私には分かっていますよぉ? あなたの狙いが……」

「……狙い?」

 

 ゴングを待ちながら深呼吸する刹那へ、赤座の粘っこい声がかけられる。その声音は先ほどまでの強張ったものではなく、常日頃の不快な響きを取り戻していた。右手に顕現させた固有霊装(バトルアックス)を弄びながら、ニヤニヤと邪な嗤いを浮かべている。

 緊張が解れたのなら刹那としても喜ばしい限りだが……。

 はて? “狙い”とは一体?

 

「いけ好かない小娘ではありますが、あなたが類を見ない天才であることは事実。たとえ魔力が使えなくとも、積み上げられた経験と技術は他の追随を許しません」

「はぁ……。どう、も……?」

「ンフフぅ。つまりあなたは、その戦闘技術でもって私の攻撃を凌ぎ、時間切れによる判定勝ちを狙っているのでしょうッ? 昨日の一輝くんのようにヒット&アウェイに徹し、アウトボクサーよろしくポイントアウトをしようと! 模擬戦の条件に時間制限を盛り込んだのもそれが狙いですッ!」

「…………?」

 

 

 ビーーーーーーッ!!

 

 ――Let’s Go Ahead !!

 

 

「ククク、甘い……、甘いですねえ! その程度の戦略、私が予想できないと思いましたか? これでも現役時代はパワーファイターで鳴らしていましてねぇ? そういう小賢しい連中への対処は、とっくの昔に慣れっこなんですよ! 常人となった今のあなたがいくら頑張ろうが、結局最後には伐刀者の力の前に敗れ去――プベラァアッッ!?」

 

 ――ドゴオオオーーーン!!

 

 上機嫌に紡がれていた口上は、轟音によってかき消された。長々とした前フリに暇を持て余した刹那が、とうとう痺れを切らして赤座へ突撃。顔面に右拳を叩き込んだのだ。

 

 

 ――『おぉーっと! 刹那選手の先制右ストレートが炸裂ーーッ!! 赤座選手、まともに食らって吹っ飛ばされたあああッ!!』

 

 

「……げ、げほッ、けほッ!? えッ、なん……でッ!?」

「さっきからあなた……何、言ってるの……?」

 

 尻もちを着いたままの赤座を見下ろし、刹那は首を傾げる。

 ……距離を取ってヒット&アウェイ? 

 ……時間切れを狙ってポイントアウト?

 そんなスマートで堅実な戦い方、この脳筋少女にできるわけがないだろう。

 何よりも――

 

「それじゃ、あなたに……苦痛を与えられない、じゃない……?」

「ひぇあッ!? な、なんで痛みが! あ、あなたッ、魔力を使ったのなら失格にッ――――え?」

 

 不正を指摘しようとした赤座の喚きは、途中で立ち消えとなった。

 伐刀者を殴り飛ばしたはずの刹那の身体からは、欠片の魔力も漏れていなかったのだ。両手首に嵌めた腕輪が反応していないことからも、彼女が魔力を使っていないのは間違いない。

 ならばなぜ、赤座は頭から血を流して倒れているのか――?

 

「あ、あなた……一体何をしたのです!? 魔力も無しにこんなこと、できるはずが……!」

「?? ……何って……、魔力防御の上から……普通に、ブッ飛ばした……だけ、だよ?」

「……は? …………は?」

 

 ……それは、この上なく単純な話だった。

 魔力とは決して、おとぎ話に出てくるような“魔法”の力ではない。何でも叶う奇跡の御業ではなく、現実に存在する“戦いの一手段”でしかないのだ。

 

 ――拳銃の弾でも打撲程度しか負わない。

 

 伐刀者の防御力の高さを表す有名な言葉だが、逆に言えばこれは“打撲程度の傷なら負ってしまう”という事実も示していた。いかに強固な守りであろうとも、物理的な壁であることに変わりはなく、それ以上の力をぶつければ競り負けてしまうのは道理……。

 

 つまるところ真相は――

 

 

 ――『な、なんと刹那選手! 赤座選手を素の腕力だけでブッ飛ばした模様です! 魔力使用禁止という圧倒的不利な状況! 当然搦め手で攻めるものと思いきや……ッ、まさかの正面突破ですッ!!』

 

 

「あ、あなたッ、本当に人間ですかッ!!?」

「失、礼……。どこから、どう見ても…………普通の、女の子ッ……!」

「ど、どこが普通ッグアアアーッ!?」

 

 失礼なツッコミなど無視し、刹那は再び駆けた。

 抜き放った日本刀で赤座の胴を薙ぎ払い、そのまま周囲を素早くサークリング。固められた防御の隙を突いて、目にも止まらぬ連撃を繰り出していく。

 

「ぐッ! げぶぅッ!?」

 

 相手を軸に周囲を幾重にも旋回。その戦法は昨日の一輝のものと似通っているが、やっていることはまるで違っていた。ヒット&アウェイではなく、言うなればヒット&ヒット。

 距離を取るようなことはせず、クロスレンジからひたすらに刃を叩き込む。ときおり返される反撃など避ける素振りすら見せない。柔弱な斧の一撃を軽く打ち払うと、逆に生じた隙へ斬撃の嵐を浴びせかける。

 肩口、手首、脇腹、背中、大腿、足首……。

 全身のあらゆる箇所へ剣閃が着弾し、発動した魔力防御の光がその都度弾ける。

 

 

 ――『す、凄まじい連撃!! あまりの速さに赤座選手、全く反応できていません! い、いやッ、ていうか速ッ!? ここから見ていても全然目が追い付きません! ってかもう手元が見えないんですがッ!?』

 

 

 やがてその速度は常人に捉えられる限界を超え、斬撃の壁となって赤座へ襲い掛かっていく。

 黒鉄家に代々伝わる奥義――旭日一心流・烈の極《天津風》。

 打ち込む剣戟の強さ・角度をあらかじめ決め、それらを幾万回も繰り返して身体へ染み込ませることで、思考を排除した神速の連撃を可能とする。

 その斬数、実に108。絶え間なく襲う無数の斬撃を前に、相手は碌な反撃も許されず切り刻まれることとなる。

 

「このッ、調子に乗――カハあッ!?」

 

 苦し紛れに振られる斧など何の抵抗にもならない。

 黒鉄に連なる者の常として、赤座の剣技も分類するなら旭日一心流に含まれる。攻撃に対してどう動くのか、どう反応するのか……。刹那にはその全てが手に取るように分かるのだ。

 赤座の動きに合わせて108の斬撃をその都度組み換え、詰め将棋のように一手一手追い込んでいく。その組み換え作業も当然のごとく、反射によるノータイム。

 仮に一流の武芸者であれば、決められた型から逆算して躱すことも可能だろうが、デスクワークで鈍りきった男にはそれも不可能。赤座は亀のように丸まってただ苦痛に耐えるしかなかった。

 

「フンッ!」

「ぐっぶ!?」

 

 そして……数えて107つ目、刹那は左からの斬り上げを赤座の胴体へ叩き込む。

 身体がくの字に折れ、続けて放たれる返しの一撃。

 狙うは人体の急所、無防備に差し出された首筋。

 威力、速さ、角度。全てが完璧な108撃目が、赤座の首に吸い込まれていく。防御も回避も反撃も、決して間に合うタイミングではない。

 観衆も、一輝も、そして画面の前の視聴者も、この瞬間試合の終わりを確信していた。

 

 

 

 

 

 

 ――が、

 

 

 ガキンッ!!

 

「ッ!?」

 

 肉を裂く音の代わりに上がったのは、金属どうしをぶつけたような硬質な打撃音だった。

 刹那は訝る。

 ……赤座が手にした斧で、なんとか攻撃を防いだのだろうか?

 

「……ン…………、ンふふフフ……、温いですねえッ!」

「ッ!」

 

 ――否。

 首筋を狙ったトドメの一閃は、赤座の肩口から発せられる魔力によって完全に受け止められていた。衝撃によって魔力光が弾けることもなく、逆にジリジリと刹那の刃を押し戻していく。

 

 ……そう。魔力は決して奇跡の力ではない。それ以上の力をぶつければ容易に崩せる、物理的な現象でしかない。

 ならばその逆も然り。伐刀者が全霊を以って防御を発動すれば、魔力は術者の意気に呼応してどこまでも高まり、全てを弾き返す無敵の鎧となるのだ。

 

「舐めるんじゃありませんよッ! 小娘があああッ!!」

「ッ!」

 

 必然――裂帛の気合とともに放たれた一撃は、魔力も纏わぬ少女の守りを容易に上回った。

 

 ――ドオオオオオンッ!!

 

 薙ぎ払いを刀で受け流し、刹那は五メートルほどの距離を後退する。

 体重を感じさせない軽やかな着地。一見するとダメージなど皆無である。

 

「ッ!? ――コ、フッ」

「…………クフッ、……くフフ……! ようやく、届きましたねぇッ!」

 

 赤座が嗤い、観衆がざわめき、そして、刹那はその足元をフラつかせた。完璧な防御を見せたはずの少女の口からは、少なくない量の血が溢れ出ていた。

 

 

 ――『ッ! ああーっと、これはああ!! 刹那選手、どうやらダメージを受けた模様です! バックステップでうまく捌いたように見えましたが、一体何が起きたのでしょうかッ!?』

 

 

 彼女に痛撃を与えたものの正体は、赤座が力任せに振り下ろした一撃――――その余波であった。

 素早い少女に直接攻撃を当てることが難しいと判断した赤座は、斧の先に大量の魔力を充填し、着弾と同時に前方へ放射状に解放した。回避のために空中にいた刹那にはそれを避ける術はなく、結果、指向性を持った魔力の波によって、内臓を激しく揺さぶられたのだ。

 

 先ほどまでの赤座であれば到底不可能な高等技術。この短時間の内に明らかに実力がアップしていた。

 ……いや、正確には“取り戻した”と言うべきか。

 長らく実戦から遠のいて鈍っていた戦闘の勘が、命の危機に瀕することにより急速に呼び起こされたのだ。

 

「フッハハハハーーッ! 感謝しますよぉ、刹那さん! 錆び付いていた魔力の使い方をようやく思い出せました!」

「ッ!」

「今度は、こちらから行きますよおおおッ!!」

 

 チャンスと見て赤座が飛び出す。この試合で初めて見せる積極的な攻勢に会場がざわめく。

 何より観衆を驚かせたのはその速度だ。鈍重な動きで攻撃を耐えるだけだった男が、目を見張るような動きで相手に襲い掛かったのだから……。

 

 振り下ろされた斧を刹那はギリギリで躱す。

 狙いを外れた一撃がリングを粉砕し、撒き散らされた破片が両者の身体を叩く。

 刹那がこれまでに披露してきた神業とは全くの逆。

 伐刀者という生き物が持つ“力”を、これ以上ないほど分かり易く伝える、圧倒的なまでの暴威の塊だった。

 

「そらそらそらアアッ!! どうしましたか、その程度ですかあ! さっきまでの勢いはどこへ行ったんですッ!?」

「ケ、ホ……ッ!」

 

 接近する赤座から距離を取るべく、刹那は全力で足を使う。

 ――が、振り切れない。先ほどまでは見失っていた刹那の動きを、今の赤座は目で見て確実に捉えていた。

 

「ハアアアッ!!」

「ッ!」

 

 大量の魔力を込めた上段からの打ち下ろし。今までとは比べものにならない速度。

 回避――は不可。

 戦斧の側面に刃を添え、流れに逆らわないよう僅かに軌道を逸らす。ガラスを引っ掻くような不快音を響かせながら、刀身を滑った斧は少女に当たることなく、派手に石床を叩き割った。

 

「オッホホホ、器用なものですねえ! 思わず拍手を送りたくなるほどです!」

「い……()つ……」

 

 それでも……、打ち合った刹那の両腕は酷く痺れ、衝撃を流した足首は折れる寸前まで軋んでいた。いくら技量で上回ってはいても、ただの人間と伐刀者では、身体能力に絶望的なまでの差があるのだ。

 

 車をひっくり返す程度なら今の刹那にもできる。

 数メートル跳び上がることも不可能ではない。

 鉄球を握り潰すことだって、やってやれないことはないだろう。

 

 ……だがそこが、人間という生き物の限界だ。

 戦車を蹴り上げることはできないし、

 天高く舞い上がることもできないし、

 戦艦の主砲を受け止めることもできない。

 そして、唯一それができるのが、高ランク伐刀者という選ばれた特異存在である。

 その化け物が勘を取り戻し、全力で魔力を展開できるようになった以上、肉体のぶつかり合いで刹那(人間)が勝てる道理などなかった。

 

 ――必然。

 

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 時間が経てば()()なることなど、自明の結果であった。

 

「ホッホッホ、お加減はどうですかぁ、刹那さん? 随分と辛そうに見えますがぁ?」

「フゥ……フゥ…………、ケホッ」

 

 数十合に及ぶ剣戟の末、刹那の身体には大小様々な傷が生まれ、全身余すところなく血濡れとなっていた。

 特に酷いのは左腕だ。強力な斬撃を受け流すため幾度も掲げられた細腕は、先の一撃によってついにひしゃげ、有り得ない方向へ曲がっていた。動かそうとしてもすでに痛み以外の感覚はなく、この試合中はもはや使い物にならないだろう。

 

 対して、赤座の方はほとんど無傷。

 刹那が振るった攻撃は皮膚にすら届かず弾き返され、開始直後に負わせた傷もすでに魔力で塞がりかけている。

 両者の姿を見比べれば、この試合の行く末など明らかだ。会場の空気もすでに緊張から解き放たれ、そこかしこから好き放題に声が上がっている。

 

 

 ――あーあ……、いくらなんでも無謀だったんだよ。

 ――魔力無しだなんて戦いを舐めるからだ。

 ――もういいだろ。早く治療してあげた方が良い。

 ――天才と持て囃されて調子に乗り過ぎたな。

 ――これで少しは大人しくなるだろう。

 ――あんなにすごい子でも勝てないなんて……。

 

 

 黒鉄の主流派からは、嘲笑と喝采が……。

 末端の弟子や非伐刀者からは、落胆と憐憫が……。

 意図するところは真逆ではあるが、彼らの心の内に浮かんだ想いは皆一致していた。

 

 

 ――やはりただの人間では、どうやっても伐刀者には勝てないのだ――と。

 

 

「ハァ……、ハァ……、ハァ……」

「ンフフフフッ、苦しそうですねぇ、刹那さん? ですが、これもルールでしてね。あなたが負けを認めるまで、私は何度でもこの斧を振るいましょう。早めに降参した方が身のためなんじゃないですかぁ? オっホホホホホッ!」

 

 

 ――『な、なんとも凄惨な展開となって参りましたッ。……こ、これ、このまま放送して大丈夫なんでしょうか? 幼女の流血とか、さすがに切り上げた方が良いんじゃ……』

 

 

 体力は削り取られ、全身は血塗れ。

 骨折の影響で絶えず痛覚が意識を苛み、今にも倒れ込んでしまいそうな満身創痍。

 そんな、どこからどう見ても詰みの状態で少女は……、

 

 会場の空気と、対戦者の嗤いと、

 そして、死に体となった自分自身を見下ろし……、

 

 

 

 

 

 

「――――クヒッ」

 

 

 

 この上なく愉しそうに、小さく嗤ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 赤座さん大活躍の回でした。
 原作ではステラに一瞬で“アッカリ~ン”された赤座さんですが、『勘を取り戻せばこのくらいはやれるのでは?』と考えた結果、本作では大暴れしてもらうことに。
 全国の赤座ファンの皆様、楽しんで頂けましたらば幸いです。


 ……そして非常に残念なお知らせですが、彼の活躍は今回で終了です。









【以下、本作での捏造設定について補足】

 Q、魔力を封じられるとどのくらい不利になるの?
 A、原作やアニメでの描写を参考に、本作では伐刀者の魔力事情を次のように解釈しました。

・伐刀者は普段から魔力を纏っており、体表面の防御や身体強化を無意識に行っている。
・霊装を展開すると一段能力が底上げされる。ゆえに、素手の状態より霊装を出していた方が身体能力は高くなる。
・そこから強化魔術や伐刀絶技を使うと、さらに化け物級に力が跳ね上がる。
・しかし魔力がなくなると、体力が余っていても疲労困憊になる。

 これらを元に伐刀者の状態を段階分けすると、こんな感じ。

 ①魔力を封じられた状態(かなり弱る) < ②素の状態 < ③固有霊装展開 < ④強化魔術使用or伐刀絶技発動

 右へ行くほど全体の能力が上がっていきます。
(H○NTER×H○NTER的に言えば、①絶<②纏<③練<④発 って感じでしょうか)

 そして今回、刹那は①の状態で③~④の赤座に挑んだわけですが……。


 …………どう考えても無謀過ぎますね、これ。
 全くの魔力ゼロ状態なので、相手の魔力を貫く霊装も、最低限の魔力防御も強化もありません。Fランクの一輝が戦うよりもさらに不利です。
 こんな状態でもしCランクに勝っちゃったら、果たして世間の反応はどうなってしまうのでしょうか……?


 ――お父さんのリアクションがとても愉しみです。






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9話 ね、簡単でしょ?

「お兄様ッ!?」

 

 ――気が付けば、一輝は駆け出していた。

 昨日の傷はまだ癒えておらず、一歩進むごとに全身に痛みが走るが、そんなもの全てどうでもいい。背後からかけられる妹の声も置き去りに、観客席の階段を全力で駆け降りていく。

 

「ハアッ、ハアッ、ハアッ! ……姉さんッ!」

 

 昨日、珠雫の魔力が封じられたのを見て、自分には分かっていたはずだった。

 いくら姉が強いといっても、それはあくまで“伐刀者としての”強さ。

 桁外れの腕力も、目にも止まらぬスピードも、決して傷付かぬ頑強さも、全ては膨大な魔力による外付けの力に過ぎない。

 ゆえに、ひとたびそれらが封じられてしまえば、伐刀者の前では狩られる対象でしかなくなってしまう。

 

 そんなことは……分かっていたはずなのに。

 

 

 ――あの姉さんなら大丈夫。

 

 ――何か考えがあるんだろう。

 

 ――自分如きが口出しするなんて、烏滸がましい話だ。

 

 

 ……そんな、尤もらしい理由を並べ立て、心配するような素振りだけ見せ、死地へ赴く姉の背を、素知らぬ顔のまま見送ったのだ。

 

(僕は……なんて軽率な真似をッ!)

 

 仮に一輝が何か言ったところで、あの唯我独尊の姉が聞き入れてくれたかは怪しかったろう。

 ……しかしそれでも、何かやれることはあったはずだ。

 完全に止めることはできなくても、命の危険が伴う行為だけはなんとか思い留まってくれたかもしれない……。少なくとも必死で懇願すれば、あのような無茶な条件の内、一つや二つは無くすことができたはずだ。

 

 ……なのに自分は最初から動こうともしなかった。

 もしや心のどこかで、『負けた悔しさを晴らしてもらおう』などと暗い期待でも抱いていたのだろうか?

 だとしたら一輝は、自分で自分を殴り倒したくて堪らなかった。できることならこの場で地面に頭を叩き付け、額をブチ割ってやりたいくらいだ。

 

(ッ――いや、そんなのは全部後だ! 今は一刻も早く――!)

 

 歯噛みしながらも一輝は前へ進む。

 後悔も自己嫌悪も今は全て後回し。

 己の弱さで夢を諦めるだけならまだしも、他者に苦痛を肩代わりさせるなど、騎士以前に人として失格だ。

 今、自分が何を置いてもなすべきこと――それはこの試合を止めること!

 

 そのためならば、憎き赤座に土下座もしよう。

 靴を舐めろと言われれば、喜んで這いつくばろう。

 服従しろと言われれば、文句も言わず従おう。

 

「そのくらいのことをしなきゃ、姉さんに申し訳が立たないんだッ!」

 

 密集する観客の合間を駆け抜け、試合場を隔てるフェンスに足をかけると、一輝は躊躇いなく宙へ飛び出した。

 真後ろで見ていた客の一人が悲鳴を上げる。

 

 地面までおよそ5メートル。

 魔力が乏しい一輝にとっては危険な高さ。

 着地の衝撃とともに何かが割れる音が周囲に響く。――が、そんなもの構うものか。

 血濡れになった姉と比べれば、この程度の傷などどうということもない!

 

 

 

 ――『依然として赤座選手の猛攻が続いております! しかし刹那選手、これを全て凌ぐ、凌ぐ、凌ぐううーーッ! 力勝負では分が悪い中、なんとか剣技だけで全ての攻撃を受け流しています! さすがは天才少女、すごいのは魔力だけではありませんッ! ――とはいえ、さすがにそろそろ苦しいか、足が止まってきたぞおッ!!』

 

 

「……ッ」

 

 遠目に姉の痛々しい姿が見える。その有り様はモニター越しに見た光景とは比べものにならない。

 身体はどこもかしこも血濡れの状態。目に見えて折れ曲がった左腕は言うまでもなく、身体の至るところが変色し腫れ上がり、両脚の挙動も明らかに怪しくなっている。

 もはや“重傷”などというレベルの話ではない。間違いなく命にかかわるほどの大怪我。今すぐにでも試合を止め、医者のもとに連れて行かねばならない。

 

「姉さんッ!!」

 

 一輝は全速力でリングサイドまで走り寄った。

 しかし――

 

「待ちなさい」

「ッ!?」

「悪いが、ここから先は立ち入り禁止だ、一輝くん」

 

 舞台へ上がろうとした一輝の前に、見覚えのある顔ぶれが立ち塞がる。

 過去に何度か道場で会ったことのある、黒鉄の主だった門弟たち。彼らはリング周りに警備員のように並び立ち、姉のもとへ行こうとする一輝の行く手を阻んでいた。

 強行突破したくとも、彼らは全員が経験豊富な伐刀者。今の一輝が敵う道理などなく、少年は焦燥のまま必死に頼み込むしかなかった。

 

「そこを通してください! 早く止めないと姉さんが……!」

「ダメだと言っているだろう? 君の姉さんと赤座さんとの間で、すでに話はついているんだ。どちらかが倒れない限り、途中でこの試合が止められることはない。……たとえそれで“不幸な事故”が起こったとしてもね」

「ッ!」

 

 不幸な事故。不吉な単語から連想される未来に一輝の顔が蒼くなる。

 そこへ追い打ちをかけるように、横合いから粗野な声が上がった。

 

「おいおい、怖がらせるようなこと言うなよ。まだ逆転の可能性は残ってるぜ? ま、ゴミみたいなもんだけどよ」

「ここから神様にでも祈ったらどうだ、坊主? あんなバケモン、助けてくれるかどうかは疑問だけどな」

「おいおい、聞かれたら殺されるぞ?」

「へ、聞こえやしねえよ。もうボロボロじゃねえか、あのガキ。『魔力なしで戦う』とか言って調子に乗るからああなるんだ。いい気味だぜ」

「ッ、あなたたち……!」

 

 連中のあまりな物言いに、一輝は割れんばかりに奥歯を噛み締めた。

 

「おい! 余計な口を利くな、お前ら! ――とにかく、君が行ってもできることは何もない。分かったらここで、大人しく見ていなさい」

「――ッ、そんなこと、できるわけがないでしょうッ!!」

 

 過去に自分自身を罵倒されたときとは比べものにならない。それほど脳内が沸騰していた。

 中には同情的な視線を送る者もいたが、それに気付く余裕もないまま、一輝は怒りに任せて右腕を突き出す。

 

「来てくれ、《隕鉄》!!」

「ッ! 一輝くん!」

 

 通してくれないのなら是非もなし。

 もはや激情に任せ、一輝が霊装を抜いて押し通ろうとしたそのとき――

 

 

 

 

 

「――止めなさい、一輝」

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 それを冷たい声で押し止めたのは、舞台中央で戦っていたはずの姉本人だった。

 先ほどまで赤座に追い込まれ、足も止まりかけていた刹那は、いつの間にかあっさり攻撃を振り切り、一瞬で一輝の目の前までやってきていた。そうしていつも通りの無表情のまま、彼女は弟に向かってクイと顎をしゃくってみせた。

 

「……ここは……お前の出る幕じゃ……ない。……邪魔だから……さっさと、すっこんでて……」

「……ね、姉さんッ」

 

 大怪我を負っていることなど全く感じさせない。弟が必死の想いで止めに来たことなど、心底邪魔としか思っていないような視線と態度。

 その超然とした雰囲気に一瞬気圧されかけるも、一輝はなんとかそこで踏みとどまる。

 ――今この場で引いてしまったら、ここまで来た意味が何もない!

 一輝は唾を飲み込むと、舞台下から刹那へ向けて叫んだ。

 

「姉さん、もうやめて! これ以上続けたら死んでしまうよ!」

「…………」

「どうして……どうしてこんな無茶をしたんだ! いくら赤座さんに腹が立ったからって、こんな命にかかわる真似をする必要はないじゃないか! 姉さんが何を考えているのか、僕には全然分からないよッ!!」

「…………はぁ。……うるさい、な……」

 

 必死の懇願にも姉が応じることはなく……。

 それどころか煩わしそうに一輝を一瞥すると、周囲の大人たちへぞんざいに手を振った。

 

「あなたたち。……それが……上がって来ないよう……押さえておいて……。横槍で反則負けは……ドッチラケ、だから……」

「……え?」

 

 まさか話しかけられると思っていなかった男たちは、間の抜けた顔で刹那を見返す。

 対する返答は、さらに冷たい視線だった。

 

「…………聞こえなかった? 早くしてって、言ったの。…………それとも、……陰口を叩く仕事が……そんなに、忙しい……?」

「ッ!? い、いえッ、了解しました! ただちにッ! ほら、こっちに来いッ!」

「! や、やめッ、放してください! ね、姉さん、なんでッ!?」

「……言った、でしょ……? お前なんて……お呼びじゃ、ないの……。分かったら……大人しく、引っ込んでて……」

 

 もはや視線すら向けず、刹那は面倒臭そうに踵を返した。その横顔からは、弟に対する一片の興味すら感じ取れない。

 

「姉……さん」

 

 初めて姉から受ける明確な拒絶。

 冷然としたその態度に一輝の胸がズキリと痛む。

 

 ――赤座に無様に負けたことで失望されたのか?

 ――昨日の妹への態度を見て呆れられたのか?

 ――或いは、胸の内の諦めの感情を見抜かれ、ついに見限られたか……。

 

 何れにせよ……、自分の声はもう二度と、姉に届くことはない。

 その事実に一輝は項垂れ、伸ばしていた手を力なく下ろしたのだった……。

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 

「……そこで、見ていて……」

 

 

 

「――え?」

 

 聞こえてきた柔らかな声に反射的に顔を上げる。

 視線の先にいる姉は僅かだけ振り返り、その闇色の瞳で一輝を見つめていた。

 

「……“見ること”が……唯一の取り柄、なんでしょ……? なら、目を逸らしちゃ……ダメ。……たとえ、目を背けたくなっても……、最後までちゃんと……その目で、見ていて……」

「ね、姉さん……?」

 

 突き放したかと思いきや、今度は導くかような穏やかな物言い。

 姉の意図するところが全く分からず、一輝はただ困惑するしかない。

 

「い、一体……何を言って――」

「分かったの!? 分かってないの!? どっち!!」

「ッッ! わ、分かりましたッ!! ここでちゃんと見てますッ!!」

 

 思わず聞き返そうとしたところへ、今度は落雷のような怒鳴り声。

 初めてのとき以来の姉の大声に、一輝は条件反射的に背すじを伸ばし、戦いを止めに来たことすら忘れて傾注の姿勢を取った。

 

「よ、し……」

 

 刹那はそれ以上話すこともなく前へ向き直ると、一足に戦場へと戻っていってしまった。結局姉が何を言いたかったのか分からず、残された当人としてはますます困惑するしかない。

 

 けれど……、けれど勘違いでなければ……、

 最後にチラリと見えた横顔には、確かに弟を想う温かさが感じられて……。

 

(も……もしかして、姉さんは……)

 

 

 

「僕に何か……見せようとして、くれている……?」

 

 

 不安と疑問と恐怖と、そして……、ほんの少しの希望を持って……、少年は遠ざかっていく姉の背中をジッと見送ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方……、冷たく弟を突き放した姉本人は、と言えば――

 

 

 

「……フ……フフ……フ。……んフフフフッ」

 

 

 

 リング中央へ戻りながら、こみ上げてくる笑いを必死に押さえていた!

 

 

 

 ……端的に言えば超浮かれていた。

 

 

 

 ・赤座が意外な底力を発揮してくれたこと。

 ・試合が予想以上に盛り上がってくれたこと。

 ・そして、伐刀者の力を大衆に分かり易く伝えられたこと。

 

 理由としてはいくつか挙げられるが、

 最も大きかったのは言うまでもなく――

 

 

 

(フ……フヘヘッ……。い、一輝が……一輝が私を……心配して、くれたッ)

 

 可愛い弟が、自分を心配してここまで駆け付けてくれたこと――これに尽きる。

 先ほどは厳しい態度を見せた刹那であったが、その内心は言うまでもなく真逆。頭の中身までスキップする勢いで、上機嫌に歩みを進めていく。

 なにせ嫌われている――少なくとも怖がられている――と思っていた弟が、あそこまで必死になって己の身を案じてくれたのだ。これまでの落差も相まって、今の刹那はまさに天にも昇る気分であった。

 周囲に人の目があるため、意識してあえて冷たく接したが、果たしてあれで誤魔化しきれたかどうか……。

 

「お、や……?」

 

 

 ――お兄様! お一人で突っ走らないでください! 生身であんなとこから飛び降りて、大怪我したらどうするんですか!

 ――ご、ごめん、珠雫。さっきはつい、頭が真っ白になって……。

 ――むぅぅ。……そりゃあ、お気持ちは分かりますけど……。

 ――フン。俺か珠雫に頼めば問題なく着地できただろうに……。だから愚弟だと言うんだ、お前は。

 ――あ、兄さんも……。心配してくれて、ありがとうございます。

 ――ッ……フン、勘違いするな。俺はあの阿呆の末路を近くで見に来ただけだ。お前の方はあくまでついでだ、ついで。

 ――ツンデレ乙。

 

 

「お、おお……ッ」

 

 さらには遅ればせながら珠雫と、そして、一番自分のことを嫌っていそうだった王馬までが駆け付けてくれたではないか。

 もちろんメインは一輝を心配してのことであろうが、ときおりこちらの方にも目を向けながら、チラチラと心配そうな視線を送ってくれている。

 刹那はもう、それだけでご飯三杯はいけそうだった。

 

(ン、んフフフフッ……。も、もしやあの子たちは……、姉を……嬉死(うれし)させる、つもりなの……?)

 

 ――この後刹那がやろうとしていること。

 試合後のことを考えると、さすがの彼女も少しばかり躊躇していたが、もはや欠片の憂いすらなくなった。

 為すべきことはただ一つ。目の前にいる怨敵を、ただ全力でブっ潰すだけだ!

 

「さあ……! 続きを、やろうか……赤座さんッ!」

 

 戦場に舞い戻った刹那は赤座の前で刀を掲げ、意気揚々と構えを取った。

 身体も刀もすでにボロボロ、体力は削り取られ、歩行すらも覚束ない満身創痍。どこから見ても敗北寸前であることに変わりはない。

 しかし――

 

「……ッ!」

 

 目に見えるほどに漲る少女の戦意。全身から溢れるその凄絶な剣気は、余裕の態度で待ち構えていた赤座を一歩後退させた。

 

 絶対的優位のこの状況で、死にかけの少女の覇気に圧倒されてしまった。

 ――直後、その事実に赤座は憤る。ともすれば、昨日弟にも同じ反応を見せてしまったことを忌々しく思ったのか?

 それとも、先ほど刹那の動きを見失ってしまったことに、一抹の不安でも感じ取ったのか……?

 

「ッ……フ、フン! いいんですか、刹那さん? せっかく弟さんが止めに来てくれたのに無下にして。ここらでやめておいた方が身のためなんじゃありませんか? フハハハッ!」

 

 子どもを恐れた事実を振り払うように、赤座は霊装をリングに叩き付けると、無理矢理に笑みを浮かべた。

 

 対して、刹那の返答は――

 

 

 

「……クヒッ。…………まだ、……怖いんだ……?」

「な……なにッ?」

「……試合前と……いっしょ、だね……? ……どんなに、有利でも…………安心、できない……。絶対の、保証がないと……子どもを虐めることさえ……満足に、熟せない。……権力が、通用しなければ……一対一で……戦う勇気すらない……臆病者……。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ホント……どこまで情けないの、あなた……?

 

 

 

「ッ~~こ、この小娘があッ! ちょっと優しくしてやれば図に乗りおってッ!!」

 

 吊り上がった口元から発される純度100%の煽り文句。

 強かに図星を突かれたことで赤座の恐怖心は見事に霧散。そこからの強烈な揺り戻しは、この日最高の怒りを彼にもたらした。

 

「いいでしょうッ! 今後部下として使い倒すためにも、ここらで一度分からせておくのも悪くない。iPS再生槽さえあれば、多少の傷も問題なかろうッ!」

 

 赤座が両手でバトルアックスを掲げ、身体中の魔力を注ぎ込んでいく。

 

「精々即死しないよう、気を付けることですねッ!!」

 

 溢れんばかりに注がれる魔力によって赤座の戦斧が明滅する。ただでさえ強力なCランク騎士の霊装が、さらに強く・凶悪になっていく。

 武器の硬さと鋭さをひたすら強化するという、どこまでも単純な、それゆえに防御の難しい一撃。

 攻撃力だけで言えば、すでにBランクにも匹敵する凄まじい威力。生身の人間が食らえばどうなるかなど今更言うまでもない。

 

「さあ、刹那さん。――――覚悟は、よろしいですね?」

「…………フン」

 

 しかし、刹那の顔に動揺の色はなかった。

 命の危機に瀕している中、どこまでもいつも通り、鷹揚に、尊大に、上から目線で言い放つ。

 

「……御託は……いい。……さっさと、来て――――この、チキン野郎」

「~~ッ、後悔しなさい!!」

 

 ――ドッッ!!!

 

 直後、赤座の姿が掻き消えた。

 高密度の魔力を用いた踏み込みは、人体に許された限界速度を容易に飛び越え、赤座の身体を音速の世界へと(いざな)う。

 リングがひび割れる音が聞こえるより早く、赤座は刹那の眼前へと肉薄した。

 

 影すらも置き去りにする突進。

 刹那の意識はなんとかその動きに追従していたが――絶望的なまでに速さが足りなかった。

 躱すことは愚か、武器を打ち合わせることすらできていない。

 全てがスローモーションに見える高速の世界の中。

 刹那はなんとか反撃を届かせようと右腕を伸ばすも、それが赤座へ到達するより早く……、

 振り下ろされた戦斧は容赦なく、躊躇なく……、

 

「これで終わりですッ!!」

「……ッ」

 

 

 ――グシャアッッ!!

 

 

 少女の肩口へ直撃したのだった。

 

「ッゴ……プ……ッ」

 

 悍ましい水音が響き、刹那の口から赤黒い血塊が溢れ出る。子どもの小さな身体へと、戦斧の厚い刃が深々と食い込んでいく。

 荒事に慣れている黒鉄の者たちですら、思わず目を逸らしてしまうような凄惨な光景。

 刹那は咄嗟に刀の鞘を掲げることで、なんとか両断される事態だけは防いだ――――が、それが今の彼女の精いっぱいだった。

 着弾と同時に解放された魔力は刹那の体内で激しく荒れ狂い、彼女の身体機能を次々に損傷させていく。魔力ゼロの生身でそれに抗う術はなく、やがて限界に達した少女の身体は、力なく宙を泳ぎ……、

 

 

 

 

 

 

「……グ、が……ッ!?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()のだった。

 

 

 

 

 

 

 ――『お、おおーっとオーー!? これはどうしたことだ!! 戦斧の一撃を受けた刹那選手ッ、ついにダウンを喫してしまいましたが、なんと正面の赤座選手も同時に倒れているッ!! 一体何が起こったんだああ!!?』

 

 

「か、かハッ!? ……な、なに……ッ……、ど……どう、して……ッ!」

 

 実況が驚きとともに叫ぶが、誰より混乱しているのは赤座本人であったろう。両膝をリングに着き、口の端から血を流しながら、訳も分からぬままに息を荒げている。

 

 魔力を練り上げた渾身の一撃は、確かに刹那の身体へ命中していた。

 彼女は左肩付近を深く切り裂かれ、間違いなく致命傷を負っていたはずだ。仮にあそこから悪足掻きで反撃したとしても、十分な威力が発揮できたはずがない。

 ……いや、そもそも刹那が万全だったとしても、すでに彼女の攻撃は赤座には通用しなくなっていたのだ。こうして彼が地に伏す状況など、この試合中に有り得るはずがなかった。

 

「ッ!? い、一体何をしたんだ、お前はアアッ!?」

 

 恐慌状態の赤座に対し、同じく膝を着いたままの刹那は薄く笑みを浮かべて答える。

 

「――第二秘剣・裂甲」

「な、なに……?」

「……一輝と一緒に……開発中の技……。……剣を使って放つ……いわゆる、“寸勁”ってヤツ……。……それをカウンターで……あなたの心臓に、直接打ち込んだの……。割と……効いた、でしょ?」

「なッ」

 

 

 ――『えー、ただ今先ほどのリプレイ映像を確認しております。赤座選手が斧を振り下ろした後の……ここ! ……うっぷ! す、少しばかりショッキングな光景ですので、皆さんご注意を……。……、えー、はい、確かに刹那選手が右手の刀でカウンターを打ち込んでいますね。シビアなタイミングにもかかわらず、ドンピシャリで心臓にクリーンヒット! 凄まじい技量です――――が、しかしこれは……』

 

 

 

「ゲホッ、ゴホッ! ――そ、そうです! 有り得ません!」

 

 戸惑い気味の実況に同調するように、赤座が声を張り上げる。

 

「仮にあのとき、あなたが捨て身の覚悟で反撃を成功させていたとしてッ、私の防御を突破するのは不可能だったはず! 外側だけでなく内臓にだって魔力は通っているんです、衝撃が届くわけがない!!」

「うん……そう。……悔しい、けど……今の私じゃ……あなたの、魔力は……貫けない」

「な、なら――ッ」

「……だから赤座さんには……思いきり頑張って、もらったんだよ……」

「は、ハア…?」

 

 言葉の意味が分からず、赤座の口から頓狂な声が出る。その表情からは微かに恐怖の感情が見え隠れしていた。

 

「……な、何を……何を言ってるんですか、あなたは……?」

「? 分から、ない? 単純な……話、だよ?」

 

 未だ血が流れ出る肩の傷をなぞりながら、刹那は続ける。

 

「……魔力が分厚くて……防御が、貫けないなら…………使い切ってもらえば……いいだけ、でしょ……?」

「ッ!?」

 

 ――魔力とは決して、おとぎ話に出てくる魔法の力ではない。いかに強固でも物理的な壁であることに変わりはなく、それ以上の力をぶつければ競り負けてしまうのが道理。

 

 試合開始直後、二人の間で交わされたこのやり取り……。

 あの場では“強度”についてのみの話だったが、当然、“持続性”についても同様のことは当てはまる。

 どれほど強固な壁であろうとも、所詮は一個人の有限の魔力から生み出されたものに過ぎない。リソースを他に割り振れば、当然その壁は薄く脆くなってしまう。

 

 赤座が刹那を攻撃し始めて10分以上。

 長々とペース配分もなく攻め続け、さらにはトドメのために大量の魔力を振り絞ったのだ。肉体の防御に使用できる残存魔力など、不足して然るべきであった。

 

「あ……あなたッ! そのために私の攻撃を受け続けたのですかッ!?」

「……ン。……即死、しないように……苦労した……」

「ま、まさか、あの挑発の類も……ッ」

「加減を、無くさせるために……、悪口……頑張ってみた……」

「あ、足が止まっていたように見えたのもッ!」

「攻撃を……連発して、もらえるよう…………動きを、止めてた。……うまく釣れて、良かった……。もうちょっとで……死ぬとこ、だったけど……フヘヘ」

「……あ、有り得ない……。……有り得ないッ!!」

 

 無意識の内に、赤座は後ずさっていた。

 目の前の得体の知れない生き物から、少しでも遠くへ離れようと……。

 

「あ、あなたッ、正気なんですかッ!?」

 

 ……当然の反応であった。

 魔力が切れるまで生身で伐刀者の攻撃を受け続けるなど……、そんなもの、『どうぞ殺してください』と言っているようなものだ。

 

 事実、刹那はこうして、目を覆わんばかりの重傷を負っている。

 直撃を受けた傷口は10cm以上肉を抉られており、後少しで心臓に達するほどに深い。防御に使った左腕は衝撃で半ば千切れかけ、今も断続的に血を噴き出し続けている。体内で荒れ狂った魔力は身体のそこかしこから皮膚を切り裂いて溢れ出し、もはや全身で朱くないところを探す方が難しい。

 先ほどまでの怪我など比べるべくもない。まさに死一歩手前の様相だった。

 

 ――にもかかわらず、刹那の顔には恐怖も緊張も全く浮かんでいない。

 致命傷を負い、あと幾ばくもなく死にそうに見える少女は、幼い顔に薄い笑みを浮かべたままゆっくりと立ち上がった。

 

「あ……。……でもこれじゃ……失血死、しちゃうね。――――フンッ!」

「ッ!?」

 

 そして刹那は、いまだ血を吹き続ける左肩に力強く右拳を叩き付けた。衝撃を受けた肩口は波打つように蠢くと、やがて収縮した筋肉によって傷口は完全に覆われてしまう。

 魔力も道具も使わない、強引にもほどがある止血方法。

 尋常でない痛みも感じているはずなのに、刹那はそれを微塵も見せることなく、それどころか、『これでもうしばらく戦える』と言わんばかりに喜色を浮かべる。

 その異常極まる行動に、赤座の身体は目に見えるほどに震え上がった。

 

「ッ……あ、あなたッ、頭おかしいんじゃないですか!? それだけの力があれば、いくらでも安全に、確実に、勝ち組として楽に生きられるのにッ! な、なぜこんな、進んで命を投げ出すような真似を!? い、一体何がしたいんですか、あなたはッ!!」

「?? ……おかしなこと……聞くね、赤座さん?」

 

 心底不思議そうに刹那は首を傾げる。

 

「……信念に、従って……命がけの戦いに、身を投じる……。勝敗の見えない、強敵と……力の限り、ぶつかり合う……。伐刀者として……これ以上ない……喜びじゃ、ないの?」

 

 それはまるで、誰かに伝え聞かせるようで……。

 

「……たとえその過程で……負けたとしても……それは、次に勝つための……大切な、財産……。AランクでもFランクでも……変わらない。……勝って、負けて……悔しくて、泣いて……それでもあきらめずに……また、立ち上がっていく。……そうしてずっと……一生、戦っていくの。……それが伐刀者っていう……生き物、でしょ……?」

 

 会場全体へ向け、謳うように語りかけ……。

 そして最後に刹那は、赤座へ穏やかに笑いかけたのだ。

 

「……だからね、赤座さん? ……試合が終わるまで、あと少し……、変わらず本気で……全力で、殺しに来てね? ……そうすれば私……もっと強く、愉しく、なれるからッ!」

「ッ……い、イカれてる……。全く理解できませんッ! そ、それで結局死んでしまったらどうするんですかッ!?」

 

 真っ当な人間として、当たり前の赤座の問い。

 対する刹那もまた、当然のように答えたのだった。

 

 

 

 

「――決まってる……。それこそ……本望、でしょ? ……クヒッ」

 

 

 

「ッ! こ、この狂人めがぁッ!!」

 

 嫌悪と怯えの入り混じった視線。

 幾度となく受けてきたそれを今さら気にすることなく、刹那は腰を落とし刃を構える。

 

「さあ……お喋りは、ここまで……。……決着、つけようか。――――赤座、さんッ!」

 

 ――ドッッ!!

 

「ヒッ……!」

 

 瞬間、刹那は駆け出していた。

 その動きのキレは、先ほどまでとまるで段違い。

 万全の状態……、いや、明らかに以前よりも速くなっていた。

 

 少女は本能的に理解する。

 ――なるほど、これが命の危機に際しての成長か。

 追い詰められ、血を流し、死の淵まで突き落とされたことで、何が何でも生き抜こうと、彼女の身体が次の段階(レベル)へと移行したのだ。

 

「……フフッ!」

 

 思いがけないレベルアップに刹那は嗤う。

 ――ああ、そうだ。人間死ぬ気になれば、どこまでだって強くなれるんだ。

 ランクや魔力なんて、強さのほんの一側面。決して絶対的な指標なんかじゃない。

 そのことを教えてやるためにも、自分はただの人間のまま、この男に勝ってみせる!

 

「……精々死なないようにッ……気を、付けて……!!」

「ッひ、ヒィイイイ!? 来るなッ! くるなあアアアーーッ!!」

 

 迫り来る“死”に恐慌をきたし、赤座は無我夢中で霊装を突き出した。残り少ない魔力を注ぎ込み、戦斧の先から大量の魔力弾を発射する。

 ……ますます防御が薄くなることは理解していた。しかしそれ以上に、あの化け物を自分に近づけたくない!

 その一心で繰り出された魔力弾のつるべ打ちは、Cランク騎士の名に恥じない凄まじい弾幕を形成する。

 

「クヒッ」

「ッ!」

 

 ――が、それも彼女の前では無駄。

 純粋な体術と速度のみで、刹那は襲い来る魔力弾のことごとくを躱していく。

 間違いなく魔力の類は使っていない。

 それなのに……当たらない!

 音速を超える弾幕を足捌きのみで掻い潜り、弾き飛ばし、見る見る内に赤座へ近付いていく!

 そして――

 

「――第四秘剣、蜃気狼ッ!!」

「そ、その技ッ!?」

 

 叫ぶと同時、刹那の身体が複数に分裂した。

 昨日の戦いで一輝が見せた足技――その完成版である。素早く細かいステップで残像を発生させ、相手を幻惑する高速歩法。

 その総数、実に10以上。本物と寸分違わぬ幻影が、上下左右から次々と赤座へ襲い掛かっていく。

 

「う、う゛あ゛あ゛あ゛あーーーッッ!!?」

 

 現実離れしたその光景を前に、ついに赤座は霊装を掻き抱き、完全防御の姿勢を取る。

 先ほどの刹那の一撃が効いたのか……、それとも、()()()()()()()()()()()()()()()()

 鳩尾を中心に残りの魔力を掻き集め、全力で胴体部を守りにかかった。

 

 

 ――必然、()は全くのガラ空きとなる。

 

 

「ほら、ね。……あの子が積み上げたものは……無駄じゃ、なかった……」

「ッ!?」

 

 赤座の目の前……、彼の記憶にあるよりやや上の位置で、刹那が刀を引き絞っていた。

 慌てて赤座が霊装を引き上げようとするも、もう遅い。

 何より、魔力の移動が間に合わない。

 

「……あなたが見下した……弱者の“力”。…………その身で存分に、味わえッ!」

 

 霊装にも魔力にも守られていないガラ空きの頭部へ向け、全ての勢いを集約した一撃が狙い放たれる。

 

「第一秘剣――《犀撃》ーーーーッ!!」

「ゴ、ガァッッ!!?」

 

 神速の突きが人体の急所である喉元へと撃ち込まれた。

 全体重を乗せた一撃は、僅かに残った魔力防御など容易く打ち砕き、その下にある人体に着弾する。果物を磨り潰すような破砕音とともに、赤座の身体は天高くまで打ち上げられ――

 

 

 ――ドゴォオオオオオンッ!!

 

 

「……ゴッ……ハ……!」

 

 やがて重力に従い、硬いリングへ叩き付けられたのだった。

 

 

 

 ――『あ、赤座選手ダウウウウンッ!! 凄まじい一撃が入りました! 刹那選手、目にも止まらぬ突進からの全力の突き技! 赤座選手の身体が高く宙を舞いました! こ、これは大丈夫かッ、果たして意識はあるのかああッ!?』

 

 

 

「……ゲ、ゲフッ!? ……エふぉあッ! ……あ……あがぁッ」

 

 地に落ち、身体をくの字に丸めて痙攣する赤座。声を出して苦しんでいることから、まだ命も意識もあるのは間違いない。

 ――が、その有り様は決して“無事”とは言えなかった。

 “犀撃”を受けた喉元からは、両手で覆われた状態でも分かるほど大量の血が流れ出ていた。おそらく表面だけでなく、気道も潰れかかっているのだろう。苦しげに息を吐く度に、壊れた笛のような音が何度もか細く漏れている。

 寸勁のダメージに落下の衝撃も重なり、もはや満足に呼吸もできていない。放っておけば間違いなく、遠からず危険な状態に陥るだろう。

 

 

 ――カッ!!

 

「ヒッ……!?」

 

 その顔のすぐ傍に、刹那はヒビだらけの刀を勢いよく突き刺した。震えながら己を見上げる男を無表情のままジッと見下ろす。

 

「……さ、赤座さん……立って?」

「……ぇ、……ぁ?」

「……まだ……意識ある、でしょ? ……()()、やろう?」

「ッ! ……ァ……ぁ、あぁ……ッ」

 

 何かに気付き、赤座は腹這いのまま逃げようとする。

 しかし叶うはずもなく、刹那はその襟首を掴むとギリギリと吊り上げていく。

 

「ぅ……ぎ……ッ!」

「……試合時間……残り10分……。耐え抜けば……あなたの勝ち、だよ? ……見て? さっきのでまた……肩の傷、開いちゃった……。全身も、こんな血みどろ……。判定になれば、きっと……赤座さんの、勝ちだよ……?」

「ぅ、あぁ、あッ……た、助……け……ッ」

「どうした……の? 逃げ回れば……それで、勝ちなんだよ? ……ううん……その前に私……失血死、するかも……。それか……あと一撃でも、食らえば……その場で、死ぬかもしれない……。勝ち目はまだまだ……十分、あるよ?」

「……む、無……、もぅ、動け……、や、やめ……ッ」

「……大、丈夫……。どんなに、弱くたって……たとえ、死にかけてたって……、諦めない限り……チャンスは、あるから……。戦いに生きると、決めたなら……これくらい根性で……克服して、みせて……。あの子は何度も……見せて、くれたよ?」

 

 そして刹那は、最期に赤座と至近距離で目を合わせると、凄絶な笑みを浮かべ言い放ったのだ。

 

「さあ、頑張って……! 限界を超えて、赤座さん……ッ! 私も地獄の底まで……付き合って、あげるからッ!!」

「――――ッッ……こうッ…………ます!」

「ン? 何ッ? 聞こえない、よッ!」

 

 

 

 

「……ごッ……ごうざん゛!……ごう参、しまずッ! ……わ、わだじのッ……ま゛、まげですうううッッ!!」

 

 

 

 

 ――ドサリッ!

 

「……そっ……か。……残、念……」

 

 赤座の身体をリングに投げ落とすと、刹那は心から残念そうに呟いた。

 

 

 

 

 ――ビィイイイイーーーッ!! 勝者! 黒鉄刹那ッ!!

 

 

 同時に、無機質な機械音声が少女の勝利を高らかに告げる。

 

 

 

 

『し、試合終了オオオオーーッ!! 信じられない結果です! 刹那選手勝ちました! 全身血まみれの大怪我を意にも介さず、その身を犠牲に攻撃を耐え続け――――ついに! ついに八歳の少女がッ、魔力なしでCランク騎士を打ち破りましたーーーッ!!』

 

 

 

 

 ――この瞬間、『魔力を持たない只人が、高ランク騎士を打倒する』という、史上初の偉業が達成されたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 対赤座戦、これにて決着です。いかがだったでしょうか?

 当初は『覚醒からの無双』という展開も考えていたのですが、やはりここは“人間のまま”勝ちたいなということで……、こんな感じの泥臭い、地味目の決着となりました。
 刹那の第二形態(?)を期待して下さった皆様、誠に申し訳ありません。
 弟に道を示すためには、魔力でなく人間としての強さを見せないといけませんからね。



 ……成人男子を素手でブっ飛ばせる幼女は“人間”じゃない?

 ダイエット目的で世界最強になった露出系痴女がいる世界だし、これくらい普通普通。







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10話 踏んで踏まれて強くなれ

 その感情を何と言い表せば良いのか、黒鉄一輝はすぐには言葉にできなかった。

 

 ――魔力もなしに伐刀者を倒したことへの“驚愕”か?

 ――常軌を逸した勝利方法への“恐れ”か?

 ――軽率に命を賭けたことに対する“怒り”か?

 ――はたまた、自分より厳しい条件で勝ってしまった姉への“嫉妬”なのか?

 

 様々な感情が綯い交ぜになり、とても一言で表すことはできなかった。

 

「…………姉、さん」

 

 それでも一輝には今、確かに分かることが一つだけあった。

 有り得ない出来事を前に皆が怯える中、ただ一人彼にだけは、姉の声なき叫びが聞こえてきたのだ。

 

 

 

 

 

 ――ほら、頑張ればできたぞ……? だからお前も諦めるな――――と。

 

 

 

 

 

 Fランクだとか平均以下だとか、そんなレベルの話ではない。

 全くの魔力なしの状態で、あの姉はCランクの伐刀者を倒してしまった。魔導騎士の才能などなくても、全てを賭して挑めば勝てるのだと、その身で以って見せられてしまったのだ。

 

 ……もちろん、頭の中の冷静な部分では理解していた。

 いくら魔力を封じられようと、あの姉を一般人と同列に見ることなどできない。魔力以外のあらゆる才能――剣術、体術、身体能力――全てが飛び抜けた規格外の天才なのだ。他人がアレと同じことを、そっくりそのままできるわけがない。

 

「ッ……姉さん!」

 

 けれども一輝は――――魅せられてしまった。

 理性がいくら『無理』と叫ぼうとも、胸の内に浮かんだ熱はもう止められない。

 初めて会ったあの日と同じ、全てを薙ぎ倒し進んで行く背中に、憧れたこの想いはもう止められない。

 

 兎にも角にも黒鉄一輝は今、胸に込み上げてくる熱い気持ちを彼女に伝えたくて堪らなかった。制止の声も振り切って、リング中央へ向かい真っ直ぐに駆けていく。

 視線の先、満身創痍の刹那がこちらへ振り返るのが見える。身体中ボロボロで今にも倒れそうだというのに、その瞳は相も変わらず静かな湖面のように凪いでいた。これほどの偉業を成し遂げておきながら、呆れるほどに普段通りな佇まい。思わず一輝は苦笑してしまう。

 

 ――ああそうだ、あれが僕たちの姉さんだ。

 ぶっきらぼうで無愛想で、何考えてるか分からなくて、いつも弟妹たちを好き勝手に振り回してくれて。……けれども世界一優しくて頼りになる、僕たちの自慢の姉さんなんだ。

 世界中があの人を恐れようとも、僕だけはそれを知っている。皆が彼女を遠ざけるというのなら、せめて弟である自分だけは、あの人の傍にずっと寄り添い続けよう。

 

「姉さんッ!!」

 

 そして一輝はついに、辿り着いた姉の目の前で、天にも届けと思いの丈を叫んだのだ。

 

「僕に戦う勇気をくれて、本当にありが――ッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「黙れ!! この愚弟がッ!!!」

 

「ブへらあッ!!?」

 

 ――ドゴオオオオーーンッ!!

 

 そして予定調和のごとく、顔面からリングへめり込んだのであった!

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 ――――え?

 

 十秒ほどの静寂の後……。

 誰かの呆けた声を皮切りに、恐怖に慄いていた観客たちが今度は別の意味でざわつき始める。

 

 ――……え、……え? ……今あの子……、弟のこと……蹴った?

 ――あ、ああ……。ものすごい踵落としだった……。

 ――……い、いや、なんでだよ。温かく祝福される流れじゃなかったか、今?

 ――ねえ、ちょっと? あの子痙攣してない? 大丈夫?

 ――何あれ怖い……。どういう状況なの、コレ?

 

『常識破りの少女の戦いに恐怖していたら、今度は子どもの頭がリングにめり込んでしまった……?』

 全くもって意味の分からない展開だった。彼らが呆気に取られて固まってしまったのも無理はない。ほら、赤座を運び出そうとしていた門弟たちでさえドン引きしてるし……。

 

「ッ~~~~! っっ!! ~~~~ッぷはぁあッ!? げほっ! ぺっ! ぺッ!!」

 

 だが言うまでもなく、今一番驚いているのは被害者本人であったろう。

 

「い――――いやいやいや! おかしいでしょ、姉さん!? ここでコレはないでしょ!? 今度こそエンディングの流れだったじゃん! 姉に導かれた弟が希望を見つけて、挿入歌とともにエンドロールの流れだったじゃん! なのになんで踵落と――ッ」

「黙れ、このヘタレがッ!!」

「ブフェえッ!!?」

 

 返答は神速の上段回し蹴りだった。口答えすら許されず、一輝はもう一度リングへと沈んだ。恐怖劇から感動のフィナーレかと思いきや、始まったのはまさかのバイオレンス系不条理喜劇。

 親愛の情を熨斗付けて叩き返された少年は、現状に若干のデジャヴ感を覚えながら痛みに呻いた。

 

「……一輝。……まさかとは、思うけど。……お前、……『自分が元気付けてもらえた』とでも……思ったの……?」

「痛つつつ~~ッ――え?」

 

 痛みに震える身体をなんとか起こせば、視線の先には冷然とした姉の無表情。

 そのあまりの冷たさに思わず背すじが震えるも、一輝はなんとか恐怖を乗り越え、己の推論を――否、希望的観測を述べていく。

 

「……えっと…………ね、姉さんは、僕のために……この戦いをしてくれたんだよね……? たとえ魔力が無くても、頑張れば勝てるんだ……報われるんだって。……それを教えてくれるために、傷だらけになってまで戦ってくれたんだよね? ね!?  そうだよねッ!?」

「――ハッ! 笑わせないで、くれる……?」

 

 二度目の返答は――――見事なまでの嘲笑だった。

 

「私が赤座を、ブッ飛ばしたのは……奴が私の物に手を出して、ムカついたから……。魔力を使わず、倒したのも……、ランク至上主義者にとって……一番の屈辱だと、思ったから……。そこにお前への気遣いなんて……微塵も存在、しやしないよ……。勝手な妄想で自惚れないで、この愚弟」

「そッ……そんなぁ……」

 

 お手本のような侮蔑の表情。

 “吐き捨てる”というに相応しい語り口調。

 突如姉から向けられたそれらに対し、弟が抱いた感情は絶望でも傷心でもなく、ただ一言、

 

 

 ――『そりゃないよ、姉さん……』であった。

 

 

 さもありなん。

 身体を張って仇敵と戦ってくれて、『そこで見ていて』と穏やかな声で諭されて……、そして最後は劇的な逆転勝利と来れば、後は優しい抱擁から大団円一直線――そう思ってしまうのが自然な流れではないか。

 なのにそこから、踵落とし&蔑みドSってどういうこと!?

 

 一輝は憤慨した。

 甚だ遺憾だった。

 ……後、一人で勝手に舞い上がっちゃったことに対して、若干の恥ずかしさを覚えて居た堪れなかった。両手で顔を覆ったままプルプルと震える。

 

 

 

「……フン。……どいつも、こいつも……的外れの……阿呆ばかり。……結局赤座の奴も……全くの期待外れ、だったし……」

「……え?」

 

 すでに刹那は一輝のことなど見ていなかった。

 彼女が見つめる視線の先には、気絶したまま門弟に運ばれていく赤座の姿。

 重傷を負った対戦相手に対し、労いの言葉でもかけようというのだろうか?

 

 ――否。

 その視線の寒々しさを見れば、そんなはずがないことくらい誰にでも分かる。

 

「……これだけハンデがあれば……少しは面白くなると、思ったのに……、結局自滅からの、呆気ない終わり……。見せ場を作ってやる、暇もなかったよ。……本人の戦い方と同じ……なんともお粗末で……無様な決着だったね、ククッ」

「! ……ね、姉さん。さすがにそんな言い方は……」

「なぜ? 事実でしょ? ……何を憚る、必要があるの? ……おまけに最後は……情けない泣き言からの、無様なギブアップ。……まだチャンスはあったのに……ちょっと血を流したくらいで……あっさりヘタれて、諦めた。……これが経験豊富な、Cランク騎士……? 黒鉄が誇る、門弟の実力……? ハッ! 戦いよりも……笑いを堪える方が、大変だったよ……。どいつもこいつも……話にならない、雑魚ばかり!」

「ッ! 姉さん! それ以上は――ッ」

 

 まさに死体に鞭を打つ扱き下ろし。

 最後は力及ばなかったとはいえ、試合中盤は赤座も騎士として恥ずかしくない戦いぶりを見せていた。それをこうも悪しざまに罵られては、聞く側が眉を顰めてしまうのも無理はない。

 ……これまで散々虐げられてきた一輝ですらそう感じたのだ。

 ならば、曲がりなりにも赤座の仲間である彼らが黙っていられるはずもなかった。

 

「おいッ!!」

「……ン?」

「さっきから黙って聞いてれば好き放題言いやがって! 何様だ、テメエ!!」

「Aランクだからって調子乗ってんじゃねえぞ!!」

「ッお、おい馬鹿、やめろッ!」

 

 赤座を運んでいた門弟たち。その内の数人が眦を吊り上げて刹那に詰め寄る。

 元々がプライドの高い黒鉄の若者たち。中でも彼らは生まれたときからエリートとして扱われてきた、言うなれば選民意識の塊だ。如何な本家の直系とはいえ、八歳の小娘にここまで言われて笑って流せるはずもない。

 必然、血の気の多い10人ほどがその後へ続き、次々と霊装を抜き放っていった。

 

「おい、お前ら! あの傷じゃもうほとんど動けないはずだ! 取り囲んで一斉にやるぞ!」

「おう! 魔導士型は前へ! 遠距離技をありったけ叩き込んでやれ!」

「充分に弱らせたら、後は全員でタコ殴りにすりゃいい!」

 

 身体中から血を流す満身創痍の状態。その上魔力も封じられ、今にも死にそうな幼い少女。

 対する相手は完全武装した伐刀者が10人以上。普通ならどう考えても、凄惨な未来しか見えない状況だ。

 

「……そっかぁ。……あなたたちが……付き合って……くれるんだぁ? フヒヒッ」

「あん? 何笑ってんだ、このガキ。状況が見えてねえのか?」

「大方、引っ込みが付かなくなってパニクってんだろうよ。このまま大勢の前でボコって赤っ恥かかせてやる!」

「そうだねぇ……。さっきは尻切れで、白けちゃったから……改めて、始めよっか……? あれが私の、全力と思われても……面白くないし、ね? キヒヒヒッ!」

 

 そんな空気の中、刹那はどこまでも嬉しそうに嗤う。

 門弟の喚きなど軽く聞き流し、両腕を目立つように前方へと掲げる。そこには何ら異常のない魔封じの腕輪が、今も変わらず彼女の両手首を縛っていた。

 

「じゃあ、皆? ……よく……見てて、ね……?」

 

「へっ、さっきから何訳の分からないこと――――ヲッ!!?」

 

 

 

 

 

 ――変化は唐突だった。

 

 何か合図があったわけでも、分かりやすい叫び声が上がったわけでもない。刹那は両手を前へ突き出した状態で静かに佇んだままだ。

 けれどもその瞬間、この場のナニカが決定的に変わっていた。先ほどまでの、横暴でありながらもどこか笑いを含んだような――言うなればお遊びのようなやり取りから……。重く、冷たく、全身に纏わりつくような、重厚で濃密な空気へと変貌していたのだ。

 

 刹那の両手首に確かに嵌められた二つの腕輪。伐刀者の魔力を分解するはずのそれが、内側から溢れる光により激しく明滅し、ヒビ割れていく。

 どんな高ランク伐刀者の魔力も封じ込めてきた特殊な腕輪が、まるで空気を入れ過ぎた風船のように大きくたわみ、膨らみ――

 

「……さすがに……死なないとは、思うけど……、

 

 

 

 

 

 ――――気を付けて、ね……?

 

 

 

 

 

「ッ!! ダ、ダメだ、姉さん! 待っ――!」

 

 ――バキンッ!

 

 制止の声が掛かろうとした瞬間、硬質な何かが砕ける音が響き……、そして、()()()()()()()()()

 舞台中央に立つ少女の身体から、一個人から発されたとは思えないほどの膨大な魔力が溢れ出す。白く輝くオーラは濁流のようにうねり、猛り狂い、すり鉢状の闘技場を瞬く間に呑み込んでいった。

 

 

「がッ……ぐ……おぁがああッ!!?」

「な、なん……何、がぁ゛あ!?」

「あ……ガッ……い、息……が……ッ」

 

 

 ――変化は劇的だった。

 それは、Aランクという最上級の枠組みですら測りきれない、圧倒的魔力による暴風だった。至近でそれに曝された門弟たちは、たちまちの内に発狂寸前にまで追い詰められていく。

 撒き散らされた魔力に、毒素のような何かが付随していたわけではない。そもそも純粋な魔力に人を害する要素など皆無だ。

 ただ彼女の“ソレ”はあまりに強大で、あまりに濃密過ぎた。人間の常識を遥かに超える馬鹿げた魔力の波は、物理的な圧すら伴い、彼らを地面に縫い付けてしまっていた。

 

(ぐッ……! い、いやこれは……それだけじゃ、ない……!)

 

 背後で同じく膝を着いていた一輝は、その現象の違和感を嗅ぎ取る。

 これまでにも何度か姉の“威圧”を見たことはあった。しかし今回の“コレ”は今までとは明らかに違っていた。

 いつだったかの分家の子どもたち、そして昨日の赤座一派にしても……、強大な力で動きを封じられることはあっても、あんな風に胸や喉を掻き毟って苦しむことなどなかったはずだ。

 

「……ねえ、……どう?」

「ッ! ……ぁ!」

 

 その答えが――姉自身の口から語られる。

 

「これが、私の……伐刀者としての、能力(ちから)……。()()()()()()()()()……だけど……、どう?」

「……な、なんッ……!? どう、いう……ッ」

「ン? 言葉通り、だよ?」

 

 コテンと首を傾げ、少女は何でもないことのように言い放った。

 

「私は……知覚範囲の魔力を全て……意のままに、操れるの。……そしてそれを使って……、どんな現象でも……自由に引き起こすことが、できるんだよ?」

「な……ッ!?」

 

 刹那がフワリと右手を振るうと、周囲の魔力が激しく蠢動。空気中の水蒸気が凝集し、掌に水の塊が出現した。

 それを軽く放るとさらに腕を一振り。弾かれた魔力が空気を動かし、巻き起こった風が水球を微塵に吹き飛ばす。

 もう一度振れば、霧となった水は空中でピタリと静止。纏わりついた魔力により水素と酸素に分解され、生じた火花によって炎を生み出す。

 最後に軽く足踏みすれば、リングの石板が砂となって盛り上がり、燃え盛る火球を覆い尽くして鎮火させた。

 

「ッ!?」

「フフ……器用、でしょ……? ……やろうと、思えば……もっと大規模な、現象も、……複雑な術式だって……創れるよ……?」

「ッ……ばッ! そ、そんな……馬鹿なッ!?」

 

 見せ付けられた一連の光景を前に、門弟たちは絶句する。

『伐刀者の能力は各個人に一種類ずつ』――それがこの世界の常識だ。たとえ同系統の能力があったとしても、100%同じものということは有り得ず、そこには必ず何らかの強み(個性)が発現する。ゆえに鍛え上げられた伐刀者の技は、起死回生の必殺技たり得るのだ。

 それをこれほど手軽に、いくつもの能力を再現できてしまうなどと……。

 つまりそれは、ほぼ全ての伐刀者の能力を自由に扱えること――すなわち、全ての伐刀者に対して無条件で優位を取れることを意味していた。

『一体何なんだ、その反則は!』と彼らは声を大にして叫びたかった。

 

「……だから、ね? ……こんなことも、できるんだ……」

「は? 何――あガあああ゛ッ!!?」

 

 言葉もなく呆然とする門弟たちへ向け、刹那はユラリと腕を伸ばした。その瞬間、いつの間にか呼吸が正常に戻っていた彼らは、再び喉を押さえてのたうち回ることになった。

 

「伐刀者の、身体は……魔力の塊の、ようなもの……。なら……、体内魔力の動きを……少し、いじってやれば――?」

「あがッ!? ぎああアアあ゛ッ!?」

 

 刹那の腕の動きに合わせ、門弟たちの身体がまるでボロ雑巾のように捩じくれていく。

 

「こうやって……生命活動を……阻害することも、可能なの」

「ひギュ!? ……や、やめ……あがああッ!?」

「キヒヒヒッ!」

 

 制止の声など全く意に介さない。表情を歪ませて苦しむ門弟たちを見下ろしながら、刹那は見せ付けるように……、真綿で首を締めるように……、さらにその右手を握り込んでいった。

 呼吸すらもおぼつかず、まともに返事を返すこともできない門弟たち。先ほどまでの敵愾心など何処(いずこ)へか、彼らは身体全体を地面に投げ出し、助けを求めて必死に懇願するしかない。

 

「ねえ……どう? 『雑魚ばかり』って言った……私の気持ち……、分かって、くれた……?」

「や、やめ……ッ、……もッ……これいじょ、は――ッ!」

「ね? 少し魔力を当てたら……、こんな風に……倒れちゃうん、だよ? ……程々に……手加減しなきゃ……、本気の勝負なんて……全然、できないんだ……。私の悩み……分かって、くれた?」

「……がッ!?」

 

 クイと曲げられた刹那の指の動きに合わせ、宙空から投射された魔力鎖が彼らの首を吊り上げていく。

 

「どうした、の……? Fランクは、劣等で……、あなたたちは……優等種、なんでしょ……? 『強い奴が正しい』って……黒鉄の不文律に従って……たった一人を……迫害して、きたんでしょ……? 『魔力の低い息子は要らない』って……当主の言葉に従って……寄って集って……、虐めてきたんでしょ? ――ねえどうなの? 答えてよ」

「が、かぶブ……ゴぉああ゛あ!!」

「ッ! 姉さん、ダメだ! それ以上は――!」

「なら今こそ! その信念を見せてよ! 生意気な小娘なんて……ボコボコにして……分からせて、やってよ! ……この程度の魔力、跳ね除けて……半死人の、子どもくらい……嗤いながら、殺してみせてよッ!」

 

 そして刹那は、酸欠と恐怖で蒼くなった顔を覗き込みながら言い放ったのだ。

 

 

 

 

 

 ――命の一つくらい……! 賭けてみせてよ、伐刀者ッッ!!

 

 

 

 

 

「ヒぃ……ッ!!」

「……む……む、り……! も……やめッ」

「あやまり、ます……から……ッ。……ゆ、ゆるッ」

「……た、たす……け……。おね、ガ――――はっ」

 

 血濡れの少女からの苛烈過ぎるお誘い。その声に門弟たちは、ついぞ応えることができなかった。

 血気盛んだった若者たちはあまりの苦痛に耐えきれず、血の気を引かせて次々に気絶していった。

 

「…………あーぁ。……やっぱり……この程度、かぁ……――――フンッ」

 

 その無様な姿にも大した落胆を見せることなく、刹那は『予想通りだ』と言わんばかりに、気を失った連中をリングの外へ放り投げた。彼らを見る少女の瞳には、もはや何の興味の色も浮かんではいなかった。

 

 

 

「ね? ……言った通り……だったでしょ?」

「……え?」

「エリートだ何だと……自称するくせに……、どいつも、こいつも……役立たずの、根性なしばかり……。ねえ一輝? これでもまだ……、私の言ったことに……文句、ある?」

「ッそ、れは……」

 

 反論などできようはずもない。

 Fランクの一輝より遥かに優れた才能を持つ伐刀者たち。今の彼では到底敵わない強者たちを、姉は満身創痍のまま倒してしまった。

 ……いや、『倒した』などという次元ではない。本来の彼女からすればあの程度、羽虫を掃うのと何ら変わらない、勝負以前の些事でしかなかったのだ。

 

 人の身を超越した膨大な魔力と、それを意のままに操る技術と、そして、素のままに伐刀者を打ち倒してしまう強靭な肉体。それら全てを合わせ持つこの怪物を前に、一体どんな諫言を投げかければ良いというのか……?

 先ほどの発言は慢心でもなんでもない。

 当たり前に存在する事実を、ただ正直に述べたに過ぎないのだ。

 

「フフ……そもそも、私から見れば……、どいつもこいつも……似たようなもの、なのにねぇ?」

「……え?」

 

 いつの間にかこちらを振り返っていた刹那は、跪く一輝の顔を至近から覗き込んでいた。

 

「そうでしょ? 肉体は、脆弱で……、技術もろくに、磨けてない……。魔力量に至っては……全員私の……百分の一以下だ……。――Aランク? Fランク? ハッ、笑わせないで。そんなものただの誤差、皆等しく劣等だ。……おまけに相手が格上となれば、噛み付く度胸さえない、ヘタレども。……これが天下の、黒鉄の精鋭? ――冗談! 解放軍のチンピラの方が、まだマシだったよ!」

「……ッ」

 

 徐々に熱を持っていく姉の言葉。一見すると普段と何ら変わりない無表情のまま……。

 しかし、これまで共に過ごしてきた一輝にはソレが理解できた。何の感情も浮かばないように見える瞳の奥には、抑えることのできない激情が潜んでいたのだ。

 

「その上! 昨日に至ってはッ!!」

「え?――あぐう゛ッ!!?」

「一度戦いに負けたくらいで! 強くなるのを諦めた、ヘタレがいたなあッ!!」

 

 そしてその激情は、ついに弟の身にも牙を剥いた。

 姉が叫ぶと同時、一輝の身体は激しく地面へと叩き付けられていた。重力が倍になったかと錯覚するほどの強大な魔力圧。先ほどまで門弟たちを痛めつけていたその凶器が、今度は一輝の身体に容赦なく襲い掛かる。

 

「私が、貴重な時間を割いて……鍛えてやったのに……! 奴らにリンチされてッ……負けたくらいで! その程度でッ、諦めやがって!」

「がッ、ぐぅうッ!?」

「ミソッカスのお前でも! 武芸の才だけは……多少マシだったから! いつか私の相手になれるかもと……期待して拾ってやったのにッ……あっさり折れて、諦めた! ここまでの苦労が……全て水の泡だ、軟弱者ッ!」

 

 訓練のときとはまるで違う。厳しさの中にも僅かな気遣いが感じられたような、柔らかい圧ではない。

『お前が気に入らない』という――否、『この世の全てが気に入らない』とでも言うような激しい感情の波が、一輝の心身を重々しく圧し潰していた。

 

「もう一度、言ってやる……! 連中とお前の違いなんて……ただの誤差だ! 皆まとめて、取るに足らない劣等だ……! 0.01が0.02を羨んで……一丁前に挫折だと? 烏滸がましいにも、程がある! そんな暇があるのなら……筋トレの一つでもしていろ、この未熟者めッ!!」

 

 あまりに酷薄で一方的な姉の言い分。

 浴びせられる容赦ない罵倒に、一輝は反論するべく顔を上げようとした。

 

「ッ~~! う……ぐぅううッ!!」

 

 けれども、それは叶わない。

 叩き付けられる重圧を前に、一輝は少ない魔力を掻き集め、身体が潰れないよう維持するので精一杯だった。

 ――姉の片手間の威圧に対してすら、全力を賭して抵抗しなければ意識を保つこともできない。

 その事実に改めて己の無才ぶりを突き付けられ、一輝は地面を睨んだまま、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。

 

「ハッ……! お前は戦いなんぞ諦めて……、違う道にでも進むといいよ! ヘタレがいつまでも、しがみ付いたところで……いずれ無様に死ぬのが、関の山! さっさと尻尾巻いて逃げ出す方が、身のためってモノだ! ――――この程度のハンデで諦める奴が……他の分野で大成できるとも、思えないけどね?」

「ッ!」

「どうぞ? 適当なぬるま湯の中で……、そこそこ満足な……惰性の人生を、送るといいよ。『自分は精一杯やったんだ』と……半端な達成感を後生大事に……一生自分を慰め続けるがいいよ。情けない落伍者には……それが一番、お似合いな未来だ! ――アハハハハ! アーーッハッハッハッハッ!!」

「~~~~ッ」

 

 激しく渦巻く魔力と、圧倒的暴威によって支配された会場。

 誰もが恐怖に震える静寂の中で、少女の狂ったような嗤い声だけが、いつまでもその場に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで、話は変わるが……。

 皆さんはこれまでの人生において、親や教師などに怒られ、説教されたことは多々あると思う……。

 そんな中でふと、こう感じたことはないだろうか?

 

 

 

 

 ――いや、なんでアンタにそこまで言われんといかんの?――と。

 

 

 

 

「まったく……とんだ時間の、無駄だった……。これまでの労力を……返してほしい、くらいだ……」

「…………ッ」

 

 そりゃあ確かに、こちらにも悪い点や落ち度はあった。

 注意されるのも叱責されるのも当然のこととは思う。

 ――だがしかし、そこまで悪し様に罵られるほどのことなのか?

 

「フ……、こんなんじゃ……将来の成長にも、期待できないね……? あの連中よりは……見所あるかと、思ったけど……、結局は同類の、ヘタレだった……!」

「…………ッ」

 

 今回のことだってそうだ。

 盛大に負けたのは事実だし、改めて才能の無さを嘆いたのも情けなかったし、それで妹に当たり散らしてしまったのも大いに反省すべき点だった。

 ……だがしかし、この姉にここまで偉そうに扱き下ろされなきゃならん筋合いがあるのだろうか?

 

「……これが本家の直系だなんて……、黒鉄の未来には、不安しかないね? クククッ!」

「…………い」

「……ン? どうした? ヘタレが行き過ぎて……ついには返事すら、できなくなったの……?」

 

 だいたいこの姉にしたって、周囲に迷惑かけまくって好き勝手生きている、超絶問題児ではなかっただろうか?

 しかもさっきの会話をよくよく思い返してみれば、自分を鍛えてくれた理由も別に親切心とかではなく、“愉しい戦いをしたいがため”という身勝手極まりないものだったという。

 なぜにそんな傍若無人な奴に、偉そうに人生の先輩面して怒られなきゃならないのか!?

 

「…………さい」

「なに? 聞こえないよッ。……肉体が脆弱なんだから……せめて口先だけでも、役に立ってみせたら?」

「…………、さいッ」

「ほら! 言いたいことがあるならはっきり! それともやっぱり、お前も奴らと同じ臆病者なの!? なんとか言ってみろ、このヘタレ伐刀者めッ!! ハーッハッハッハッ!!」

「~~~~~~ッ」

 

 まあつまりは結論として、何が言いたいのかというと……。

 

 

 

 

 

 ――――プチッ。

 

 

 

 

 

「さっきからうっさいんじゃ、このボケええええーーーッッ!!!」

 

「ッ!?」

 

 ――ビリビリビリッッ!!

 

「グダグダグダグダと勝手なことばかりッ! お前は一体何様だああああーーーッッ!!」

 

 気付けば少年は全てを振り払い、咆哮していた。

 魔力による重圧も、敗北による悔しさも、一度折れてしまった負い目も……、今は全てがどうでもいい。

 痛みも屈辱も恥ずかしさも、この瞬間だけは全て頭から消え去っていた。

 真っ白な思考の中、一輝が思うことはただ一つ、

 

 ――『この理不尽で暴虐な姉をブッ飛ばしたい!!』という、純粋で原始的な反骨心だけだった。

 

 

 確かにこれまで世話にはなった。鍛えてくれたことも感謝はしている。

 だがそれはそれ、これはこれ。いくら恩があるとはいえムカつくものはムカつくのだ。

 

 そうだ、以前珠雫に対してもカッコつけて説明したではないか。

 曾祖父に憧れて抱いた夢とはまた別の夢。地獄のデスマーチに放り込まれたあの日以来、新たに志したもう一つの目標!

 まさに妹に語った初心の通り。今は恩義や後先など考えず、ただただこの姉の顔面に特大の一発をカマしてやりたい気分だった!

 

「こん……ちくしょうがぁあッ!!」

 

 ――そのためにはどうすれば良い?

 

 決まっている。この鬱陶しい魔力の(とばり)を吹き飛ばし、あの憎たらしい顔と同じ高さまで立ち上がってやれば良い! 門弟たちが気絶したコレに打ち勝てば、自動的に奴らより上にも行けて一石二鳥だ!

 根性見せろ、黒鉄一輝! こんなのいつもの理不尽特訓に比べればなんてことないだろうッ!?

 

 ――魔力が足りない?

 

 なら身体中から掻き集めろ!!

 手足の先、髪の毛一本、血の一滴に至るまで振り絞れ!

 身体中の骨が圧し折れてもいい! 終わった後もうどうなったって構わない!

 今このとき、この瞬間だけ!

 ただ一振りに全てを賭けて、何もかも斬り伏せる修羅となれッ!!

 

「いくぞ、隕鉄ッ!!

 

 

 

 

 

 ――――一刀修羅あああああーーーーーッ!!!

 

 

 

 

 

 轟ッッ!!

 

 裂帛の気合に呼応し、少年の身体から夥しいほどの光が立ち昇っていく。

 普段の彼が纏うか細いオーラとは明らかに違う。Fランク騎士には到底生み出せない魔力の奔流が、効率など度外視して際限なく溢れ出す。

 一日で使える魔力全てを一瞬に凝縮した、文字通り捨て身の特攻技。

 瞬間の出力ならば、おそらく王馬や刹那(Aランク)にも匹敵する全魔力を霊装へ込めて――

 

 

「第七秘剣、《雷光》ーーッッ!!」

 

 

 ――気合一閃。

 目にも止まらぬ速度で振られた黒刀は、大地を切り裂き、大気を引き裂き、そして大空(そら)すらも割った。斬撃は刀身の遥か先にまで伝播し、闘技場に充満していた魔力を見事に両断。砕け散った魔力の残滓が、雪の結晶のようにリングへ降り注ぐ。

 人外の怪物によって為された呪縛。黒鉄の精鋭が何もできずに倒された魔力の檻を、落ちこぼれの少年が正面から打ち破ったのだ。

 まさしく偉業と言うしかない戦果だった。自分たちが見下してきた少年がそれを成したという事実に、重圧から解放された観客たちはただ瞠目した。

 

 

「――ゴフッ! あ……ぐッ……!」

「「ッ!?」」

 

 だが当然――代償もまた大きい。

 刀を振り切ったままの一輝の身体は、一目見て分かるほどの満身創痍となっていた。身体中の至るところ、手足や胴体だけでなく目鼻からも大量の血が噴き出し……。おそらくは内臓も痛めているのだろう、荒く呼吸を繰り返す口からは大きな血の塊を吐き出した。

 身の丈に合わない力を振るった代償――限界以上の魔力を引き出した余波を受け、少年の体内は死の一歩手前まで損傷していたのだ。

 

「……は……ははッ…………はははははッ……。あはははははッ! ――――どうだい、姉さんッ? 見てくれたッ!?」

 

 ――な……ッ。

 ――あ、あの子……、笑っ……てる?

 

 しかしそれも、当人にとっては些細なことだった。後僅かで死ぬかもしれないこの状況で、一輝は心の底から笑みを浮かべる。

 

 他人の称賛や罵倒なんてもうどうでもいい。

 先ほどまでの怒りも嘘のように消え去った。

 風前の灯火の命でさえ、今は意識の外だ。

 失血の影響で霞む視界の中、彼はただただその光景だけを食い入るように見つめていた。

 

 

 

「………………ヘタレの分際で、……生意気な……」

 

 彼が一心に見つめる先。隕鉄の斬撃が通り過ぎた姉の頬からは、僅かに()()()が流れ落ちていた。死力を振り絞った少年の一撃は、無敵の姉の肉体に確かな傷を刻んでいたのだ。

 

「は……ははははッ、どんなもんだい、姉さん! 僕のナマクラが……確かにあなたの身に、届いたんだ!」

 

 誰もが諦め、膝を折った埒外の怪物に、落ちこぼれの自分の力が通用した。

 遥か遠い頂に立つ姉の背に、この落第騎士の刃だけが唯一届いた。

 

 こんなに痛快なことがあるだろうか? これに勝る栄誉が他に存在するだろうか?

 

 もはや刹那の真意が何であろうと構わない。

 たとえ暇潰しだったとしても、体のいいサンドバッグ扱いだったとしても文句はない。

 ――今はただ、自身の胸の内に浮かんだこの宣戦布告(素直な気持ち)を、飾ることなく彼女へ伝えたかった。

 

「ハハ……、ハハハハッ……。覚悟しておいてね、姉さん?」

「……フン。……何の、覚悟?」

「決まってる、でしょ……? いつか僕が……あなたを超えたとき……。この手で姉さんを倒せると……確信したとき……ッ。そのときこそあなたを……正面からブッ飛ばしに……行くから……! せいぜい……その日までに……、落ちこぼれの弟に、負ける覚悟を……、決めておいて……、くだ……さい…………ねッ!」

 

 その言葉を最後に、力を振り絞った少年の身体は、糸が切れた人形のようにゆっくりと倒れていった。

 地面に落ちる直前、何かに受け止められたような気もするが、もはや相手が誰かも分からない。意識も視界もグチャグチャで、何を言われているかも判然としない。

 

 

 ――お、おに……さ……!? いやあ! ……ないでッ、…………さまッ!!

 ――落ち……愚妹がッ……っさと治癒…………けろ! ……おい……担架…………急い……ッ!

 

 

 けれども一輝の見間違いでなければ……、最後にこちらを見た彼女の表情は、あの日と同じ、穏やかな微笑みだったようにも思えて――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――……フン、愚弟め。……精々期待せずに……待ってて……あげるよ……。

 

 

(ッ……あぁ、良かった……。僕の刃は……確かにあなたに……届い、て……)

 

 

 達成感と満足感と、そして、よく分からない安堵感に包まれたまま、一輝の意識はぷっつりと途切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ――優しかった姉の突然の暴挙! 次回、その驚愕の理由とは――!?

 なんて、真面目にアオリを入れるほどの真相でもないんですが(笑)
 皆さん、だいたい予想は付いてらっしゃるかと思いますが、なんとかその期待値を超えていけるよう頑張りたいと思います。
 




 そして、感想欄でもちょくちょく疑問に思われていたオリ主の能力が、ついに判明です。

 答えは――『だいたいなんでもできる能力』――でした。

 鎖や盾を具現化したり(3話)、会話や気配を探ったり(7話)、軍の通信を傍受したり(5話)、翼を出して長距離を飛行したり(5話)、小技として水を出したり(2話)……。これらは全て固有の伐刀絶技ではなく、器用過ぎる魔力操作によって即興で行ったものでした。
 さすがに概念干渉系は(まだ)無理ですが、自然現象や体術系の能力なら一度見たものはだいたい再現できます。紛うことなきチートです。……正直、ちょっと盛り過ぎたかな?という感もありますが、そもそも原作からしてとんでもチート能力の宝庫なので、これくらいは可愛いモンですよね……?





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11話 つまるところ全員倒せば問題ない

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

「フ、フフ……。……うふふふ…………、……ウフフフフ……ッ!」

 

 

 ――黒鉄本家・敷地内。

 闘技場から2kmほど離れた森の中にて……。

 

 

「~~~~ぃやっっっったああああッ!! FUUUUUUーーー!!」

 

 

 白髪の少女が一人、ハイテンションで跳ね回っていた。両脚に魔力を集中して、高い木々の間を手加減なしに縦横無尽。普段の無表情と違って今は僅かに微笑を浮かべているため、その姿は歳相応にあどけなく可愛らしい。

 

 

「一輝が……立ち上がって、くれた! 私の顔に傷を付けてッ……いつか殺すと、宣言してくれた……! 嗚呼……なんて素晴らしい日ッ!」

 

 

 ……血濡れで物騒な発言を繰り返しているため、傍から見ればホラーも斯くやという恐ろしい光景だったが……。だいたい弟は『倒す』と言っただけで、『殺す』などとは一言も言っていない。なのに少女の脳内では自動で殺伐方向に変換されており、しかもそれを悲しむどころか喜ぶという異常さよ。

 彼女が人並みのコミュニケーション能力を得るには、まだまだ長い時間がかかりそうだった。

 

 

 

 ――閑話休題(それはさておき)

 

 

 あの騒動が終わった後のことを説明しよう。

 一輝が気絶した後、彼の身柄を王馬にポンと預けた刹那は、魔力の翼を展開してさっさと闘技場から飛び去った。あれ以上あの場に留まり続けていれば、般若みたいな顔した妹に襲撃されそうだったし、……何より、あそこで刹那がすべきことは全て終わっていたからだ。

 

 今回の騒動における刹那の狙い。

 模擬戦を行うに当たっての彼女の目的はいくつかあったが、それらは概ね達成されたと言って良かった。

 羅列すると以下の通りである。

 

 

 ① 魔力が少なくても格上に勝てることを証明する。

 :この騒動の一番の目的。魔力皆無の状態で赤座に勝利することで、Fランクの一輝に将来への希望を持たせた。

 

 

 ② 一輝に目をかけていることを大衆の前でアピールする。

 :以前、親戚の子ども連中にやった方法の拡大版。刹那への恐怖が大きくなればなるほど、比例して一輝への手出しは少なくなるだろう。加えて、全国放送で虐めをアピールしたことにより、風評を気にして一輝への迫害が下火になることも狙った。

 

 

 そして③、『自分なんかが騎士を目指してはいけないのでは?』という、一輝の自罰的傾向を払拭する。

 

 :これに関してのみ完全には達成できなかった。あの子が長い間受け続けてきた心的外傷が原因であるため、今すぐ元通りというのは難しい。

 ゆえに今回は、『理不尽に対する怒り&負けん気』という形で立ち上がってもらうことにした。『ムカつく姉をブッ飛ばす』という当面の目標があれば、しばらくは後ろ向きなことを考える機会も減るだろう。

 当然、根本的な解決にはなっていないが、そこは王馬と珠雫の二人に何とかしてもらう予定だ。同じく姉への反発心を持つ兄弟妹(きょうだい)で共に歩んでもらえば、一輝の精神が安定することも充分期待できるだろう。珠雫は元より、今日の様子を見る限り王馬の方も多少は気にかけてくれているようだし、悪いようにはなるまい。

 ……いわゆる丸投げとも言うが。

 

 

「ま……私は今回、で……確実に嫌われた、だろうけど……」

 

 本音を言うなら刹那だって仲睦まじい兄弟の輪に加わりたかった。

 ……しかし他に良い方法も思い付かなかった以上、この際贅沢は言ってられない。いろいろな問題が片付いた後、5年後(?)、10年後(?)、辺りにまた仲良くなれることを期待しよう。

 

「……だから、今は……、最後の仕事を……やらないと、ね」

 

 気配を察知した刹那は興奮を鎮め、正門へ続く道に眼をやった。彼女が昨日列挙した諸条件――弟の未来を開くためにクリアしなければならないハードルはもう一つ残っているのだ。

 

 そう――

 

 魔力が低いことへの諦観と……。

 迫害してくる親族たちの悪意と……、

 自分自身を否定する一輝の心と……、

 そして最後に残っているのが――一番大きなこの案件。

 

 最も困難なその障害を取り除くべく、彼女は再び元凶と対峙したのだった。

 

 

 

 

 

 

「……厄介なことをしてくれたものだな、刹那」

「お帰り……父上。……ずいぶん……早かったね? ホームシック?」

「答えろ、刹那。なぜこんな真似をした?」

 

 部下の一人も伴わず、帰宅したその足でここまでやってきた父・黒鉄厳。彼は娘の軽口に付き合うことなく、矢継ぎ早に質問を投げかけた。

 出張の予定を切り上げて急遽戻ってきただろうに、そんな焦りを全く感じさせず――それどころか、全身血濡れの娘を心配する素振りさえ見せない。

 

 これは冷徹な性格ゆえの子どもへの無関心なのか……?

 それとも、自分の子ならこの程度の傷は大丈夫、という信頼の証なのか……?

 

 判断に困るところではあったが、もはや刹那にとってはどちらでも良かった。むしろ前者の方が都合が良いと言えるかもしれない。

 ……何しろ彼女はこれから、父親への決別宣言(とんだ親不孝)をやらかそうとしているのだから。

 

「なぜこんなことを……したか? ……あの放送を、見たなら……分かってる、でしょ……? フフッ」

「…………」

 

 顔を顰めてこちらを睨む父に対し、刹那は意識して不遜な表情を浮かべた。

 

「あの小男が……私の所有物に手を出して……ムカついたから……。それと……最近相手になれる奴が、いなくて……退屈、だったから……。二重の意味での……ストレス、解消かな……? もちろんそのままだと……一瞬で、終わっちゃうから……ハンデは付けたよ……? おかげでアレ相手でも……そこそこは、楽しめたかな……。クヒッ」

「ッ……!」

 

 これまで見せたことのない娘の薄ら笑いに、鉄の仮面が微かに揺れた。

 初めて見る父の動揺する姿。狙い通りのその様子を見て取って、少女は外面と同様、内心でほくそ笑んだ。

 

(そうだ……父上。……もっと私を……不気味に、思え。……あなたにとって、……私はもはや、何をするか分からない……、得体の知れない、存在……。そう思われないと、いけない……)

 

 一輝に対する父の妨害を止めるために、刹那は今更、“父子の話し合い”なんて穏便な手段を取るつもりはなかった。

 当然、一輝と厳を直接対面させるつもりもない。どうせこの父は言葉足らずでまた誤解を招くだけだろうし……。よしんば、口下手な刹那がなんとか間を取り持ったとしても、笑えないことに、何の解決にもならないからだ。

 なにせFランク(一輝)が強くなることそれ自体が、父にとって不都合の塊なのだ。正確なコミュニケーションが取れたところで、傷心の一輝を余計に傷付ける結果になるだけ。

 ならば、刹那が今すべきは話し合い(そっち)ではなく脅迫(こっち)

 すなわち――自身の実力と風評を利用し、父と敵対してでも妨害を排除することだった。

 

「…………刹那、……一輝に言っていたあの言葉も、本心か?」

「ンン? どれの、こと? 『黒鉄の門弟なんて、雑魚』って……言ったこと? 『AランクもFランクも、誤差の範囲』って言ったこと? 『さっさと鍛えて強くなれ』って……命令したこと? それとも……、『いつか私を殺しに来い』って、派手に煽ったこと? ……ん~~……たくさんあって……どれだか、分かんないなあ?」

 

 空惚けて笑う刹那の顔を、厳の鋭い視線が射抜く。

 

「全てだ……。あの場でお前が言ったこと、全てが黒鉄の意に真っ向から反している。……以前私が言った言葉を、お前は聞いていなかったのか?」

「ああ……、一輝が下手に頑張ったら……困るって、話……? Fランクが強くなったら……秩序が乱れるとか、なんとか」

「そうだ……。お前の一輝への指導も、『弟の弱さに憤り、最低限の稽古を付けるだけ』と判断したからこそ私は黙認していたのだ。しかしお前の真意があの言葉通りだとしたら、もはや見過ごすわけにはいかん。……これ以降、一輝への指導は全て禁ずる。珠雫や王馬を関わらせることも許さん。そして一輝は元通り、一般人として生活させることとする。……文句は言わせんぞ?」

「…………」

 

 以前父から聞かされた、魔導騎士の秩序に関する話――

 正直、感情面を排して述べるなら、父の言うことも分からないではなかった。

 

 ――才能に乏しい者が枠を超えようと無謀な壁に挑んだ挙句、惨たらしく破滅する。

 ――仮にうまく行った場合でも、今度は増長した者たちが下克上などを企図し、世の調和が乱れる恐れがある。

 

 それらの歪みがいずれこの国に甚大な被害を齎すとすれば、確かに父の言うことも一理あるのだろう。そのために身を捧げる父の姿は立派なもので、刹那としても一定の敬意を抱いていた。

 

 …………。

 

 しかし――

 

 それら全てを理解した上で、しかし――――刹那はその言葉を言い放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなモン…………私の知ったことか」

 

「…………なんだと?」

 

 考える間もなく自然と声が出ていた。気を張って無理に演じていた先ほどとは違う。ここだけは彼女の、本心から出た言葉だった。

 

「……秩序? ……国の安定? ……ハッ! なんでそんなもののために……やりたいことを……邪魔されなくちゃ、いけないの……? 私は思う通りに……、したいことを、するよ?」

 

 ……そうだ。もっともらしく道理だの秩序だのと、小難しい理屈を並べたてられたところで、結局のところ彼女が動く理由など、たった一つに集約されている。

 すなわち――見知らぬ他人(そんなもの)のために弟が迫害されるなど、我慢ならない!――と。

 

「だいたい、さ……父上? 伐刀者の秩序、秩序って……言うけど……、そんなのすでに……割と崩壊、してるでしょ?」

「? ……どういう意味だ?」

「アハッ! 本気で……言ってるのッ?」

 

 本気で訝しげな厳に対し、刹那は失望混じりの嗤いを叩き付ける。やはり年頃の娘と父の価値観は、どこまでも相容れないようだった。

 

「民を守るはずの騎士や、その卵が……、『強者は何をやっても許される』って、笑いながら……一人の子どもを、迫害してるんだよ……? その上トップに至っては……そんな犯罪行為を……『ちょうどいいから』、なんて……黙認している始末……。――ねえ? これのどこを見て、『秩序が保たれている』なんて、寝言を言ってるの? ……教えてよ、良識ある伐刀者の元締め殿?」

「…………」

 

 刹那は聖人君子などではない。

 どころか、自身の楽しみの方を優先する愉快犯寄りの人間だと自負している。最低限の善性こそあれ、仮に『弟妹とそれ以外のどちらか選べ』と言われたら、躊躇なく弟たちの手を取るだろう。

 ましてや彼女にとって普段関わる“他人”と言えば、弟を虐げる黒鉄の親類たち(クズども)なのだ。そんな連中のために大事なものを犠牲にする奇特さなど、あいにく彼女は持ち合わせていなかった。

 

「……お前が何を思おうとも、黒鉄の方針は決して変わらん。国防を担う責任者として、我々は今後も調和に仇なす者を排除していく。……それがたとえ、ただ強くなりたいと願うだけの子どもであっても」

「ふーん? ……なる、ほど」

 

 それでもなお、父がそれを承服できないと言うのなら…………、仕方がない。

 

「だったら……さ、……父上?」

「……?」

「あなたがそんなに……心配だって言うんなら……、

 

 

 

 

 

 ――代替案を……提示しようか……?

 

 

 

 

 

「……なんだと?」

 

 訝しげな視線を寄越す父に対して、刹那は『会心の方法だ』と言わんばかりに、その秘策を言い放つのであった。

 

 

「――――、~~~~!!」

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 なお余談として……。

 娘がその“代替案”とやらを述べた瞬間、厳格で知られる黒鉄家当主が良いわけねえだろッ!(見事なツッコミ)を披露した、という噂があるのだが……。

 

 生憎その場にいたのが父娘二人(コミュ障)だけだったため、真偽のほどは定かではない……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

 ――そしてそれから、数年余りの月日が流れ……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てめえら! 死にたくなかったら動くんじゃねえぞッ!!」

 

 休日の昼下がり、とあるショッピングモールのイベント会場に、品のない叫び声が響く。男の手には霊装と思しき大剣が握られ、周囲には青い顔の買い物客が数十人、両腕を縛った状態で座らされていた。さらに壁際では武装した男たちが十人以上、蟻の子一匹逃がさないよう銃口を向け、血走った目を爛々と光らせていた。

 ……紛うことなき、人質立てこもり事件の現場であった。

 

「……あぁ、……最悪だ」

 

 そんな様子を物陰から眺めながら、少年は渋い表情で小さく呟いた。

 

 

 

 

 ―――

 

 

 

 

 少年は魔導騎士の卵だった。

 とある名門伐刀者家系の分家に生まれた彼は、将来立派な騎士となって人々を守るべく、幼い頃からひたすら鍛錬に打ち込んできた。伐刀者ランクはEランクと低かったが、『努力次第でいくらでも強くなれる』という有名な伐刀者の言葉を信じ、将来のために一歩ずつ着実に努力を重ねていた。

 

 ――が、そんな真っ直ぐな生き方は、ある日突然閉ざされることになる。

 

 少年が十歳になった頃。親戚の子どもたちが一堂に会し、交流会が開かれる機会があった。そこで彼は本家の子息と一対一の模擬戦を行い、完膚なきまでに負かされてしまったのだ。

 まあ、結果自体は順当なものだ。こちらがEランクであるのに対し、相手の子息はCランク。自分の攻撃は大したダメージも与えられず、逆にあちらの攻撃は造作もなく致命傷を刻んでくる。少年は生まれて初めて、ランク(才能)の差というものを実感して涙を飲んだ。

 

 

 ……それだけならば、まだ良かった。

 本家が分家より才能に優れるのは、誰もが知っている常識だったし、現時点で及ばないのは仕方ない。力が足りないのならば、また鍛え直せば良いだけなのだから……。

 

 彼が耐えられなかったのは、本家やその近縁の者たちが見せる、酷い立ち振る舞いだった。自分を特別視し、驕り高ぶることは当たり前。分家の者への暴言や奴隷扱い、理不尽な命令などは日常茶飯事だったし、酷いときには暇潰しに暴力を振るわれることすらあった。

 加えて、周囲の大人たちはそれを注意するどころか、当然とでも言うような態度でおもねり、追従する始末。分家の子が反抗しようものなら、まるで犯罪者を扱うかのごとく押さえ付け、罵倒し、本家のお偉方にペコペコと頭を下げる。そしてその場の誰も、そのことに疑問を抱く素振りすらない。

 おそらくはこの集まりも、分家の子らに自分の立場を理解させるための、親類総出での調教(躾け)のようなものだったのだろう。帰宅後、彼が両親へ不満をブチまけた際も、二人はただ申し訳なさそうに目を伏せるだけだった。

 

 

 

 ……彼は絶望した。

 己の非才にではない。そんな横暴がまかり通る伐刀者という世界に……。自分が憧れ、ひたむきに目指した夢の場所が、見栄と欲に塗れた俗物のように感じられ、心底失望したのだ。

 

 以来彼は、己を必死で鍛えることをやめてしまう。最低限のノルマは熟すものの、それは他人から見咎められないためのポーズに過ぎず、何ら身にはなっていなかった。誰に対して憤っているのかも分からず、空しい愚痴を口癖のように繰り返し、無為な時間を惰性で過ごす日々。

 そしてそれは今、この瞬間ですら変わらない。

 

 

 

「はははは! 勇気あるなあ、坊主! お馬鹿なお友達を庇ってやるなんてよおッ!!」

 

「…………あぁ……最悪だ。――コフッ」

 

 敵の伐刀者に反抗した挙句、一瞬で制圧されてしまった本家のドラ息子たち。彼らを助けようと飛び出し、返り討ちで叩き斬られたこの状況でも、少年は力なく同じ言葉をこぼすしかなかったのだ。

 

 

「(…………お、おいッ、どうすんだよぉ! このままじゃ俺たち殺されちまうぞッ!)」

「(し、知らねーよ! 俺に聞くなッ!)」

「(はあッ!? お前が最初にイベント行こうって言い出したんだろ!?)」

「(オメーだって乗り気だっただろうがッ! 人に責任押し付けんなや、ボケ!)」

「(ンだと!?)」

「(やめろよ、二人とも! 刺激したらヤバイッ!)」

「(うるせえ! 『テロリストくらい余裕!』って言い出したのは誰だよ! 一番の戦犯はお前じゃねえか!!)」

「(はあッ!? ふざけんな、ブッ殺すぞ!)」

 

 

 横たわる少年の後ろでは、ドラ息子たちが互いに責任を押し付け合っている。この状況で小声で叫んで罵倒し合うという、なんとも器用な真似を披露しているのを、笑えば良いのか嘆けば良いのか……。

 

(……いや、何も笑えないよ。……ああもう、なんでこんなことしちゃったかなあ、僕)

 

 そもそも……、助ける気なんぞさらさらなかった。

 少年が彼らと同じ場所に遊びに来てしまったのも偶然であり、幸いなことに存在を気付かれてもいなかった。物陰に隠れてテロリストの目からも逃れられていたので、隙を見てうまく逃げ出せば、誰にも見つからず危機を脱することも充分可能だったろう。

 自分の命を第一に考えるなら、間違いなくそうすべきだった。

 

「いや~~、少年の勇気にオジサン感動したぜ! ご褒美として、そいつらは全員同時に斬り殺してやろう。お友達といっしょなら向こうでも寂しくないだろ? ほら、喜べよ!」

「ヒぃッ!? ――まま、待って! こ、こいつでッ! 殺すんなら、この無能野郎の方でお願いしますッ!」

「そそ、そうっスよ! 俺ら良いトコの生まれなんでッ。い、生かしとけばいろいろ交渉材料になりますよ……!」

 

「………………」

 

 おまけに、助けに来た知り合いまで平気で犠牲にしようとするクズっぷり。こんな連中を命がけで守ってやる義理など、少年には欠片もないはずだった。

 

「お、俺らの家、分家からいろいろ取り立ててるんで、金なら腐るほどありますよ! ……あ! なんなら俺らだけでも解放してくれれば、今から実家に電話して金を――――ガは!?」

「――うるせえんだよ、クソガキども。テロリストが抵抗した人質を生かしとくわけねえだろ。てめえら三人とも、めでたくミンチ確定だ」

「ひ、ヒィッ!? だ、誰か……! 誰か助けてッ!」

 

「………………」

 

 ……そうだ。

 こんな連中を助ける義理など、塵一つだって有りはしない。むしろ消えてくれた方が今後の生活にはありがたい。幸いトドメまでは刺されなかったのだし、ここは大人しく引き下がって、救助が間に合う可能性に賭けるのが最善だ。

 

 

 

 ……そんなことは、……分かりきっているはずなのに。

 

 

 

 

 ………………。

 

「――――何の真似だ、坊主?」

「……へ、……へへへ……」

 

 なぜ自分は、テロリストの足を掴んでいる……?

 なぜ自分は、助かるかもしれない命を捨てようといる……?

 

「ゲホッ……。……ゆ、許してやって……くれませんか?」

「…………はあ?」

 

 ――勝てるとでも思っているのか? 何の抵抗もできず、一瞬で蹴散らされてしまった相手に……?

 ――ヒーローにでもなりたいのか? 情けなく諦めてしまった自分が、性懲りもなく今さら……?

 ――それとも……、本家の人間を助けることで、今後の人生を有利に進めようとでも?

 

 ……分からない。

 朦朧とする少年の頭では、なぜ自分がこんなことをしているのかも判然としない。

 

「彼らも……調子に乗ってただけでッ……、今はすごく……反省していますからッ。……どうか、命だけは……ッ」

「おいおい、本気で言ってんのか、坊主?」

 

 けれど、もしここで行動しなかったら……、

 もしここでまた逃げ出してしまったら……、自分はもうきっと、この場所にすら居られないから……。

 それだけはなぜか、朦朧とした頭でもはっきりと分かったから……。

 

「ッ――――どうかッ、お願いしますッ!!」

「…………」

 

 だから少年は、『今度こそ逃げずに立ち向かいたい!』と、その拳を握りしめたのだ。

 

「……はーあ。……馬鹿にゃ付き合いきれねえなあ。――――とりあえずお前、さっさと死んどけや」

「……ッ」

 

 テロリストは無情にも大剣を振り上げた。少年の苦悩も、命を懸けた抵抗も、男にとっては何の価値もない。おそらく三秒後には、少年の頭は粉々に砕かれるだろう。

 何の勝算もなく無謀に挑み、何の奇跡も起こらず無様に負けた、予想通りのつまらない結末。これではあいつらのことを何も笑えない。……いや、負けると分かっていてやった分、連中に輪をかけて愚かな行為だったろう。

 

「じゃあな、坊主。向こうでも馬鹿同士、ちゃんと仲良くやれよッ!」

「……ッ!」

 

 ――だがしかし、その愚かさを笑うことなかれ。

 何もせずただ俯くだけの軟弱者に、運命を変えることなどできない。どうせ無理だと蹲ったままの敗北者に、勝利の女神は決して微笑まない。

 無様だろうが、愚かだろうが、情けなかろうが……、自分の意志で立ち上がった者にのみその道は開かれる。

 ゆえに――

 

「最後まで、諦めてたまるか……ッ!!」

 

 彼の命を懸けたその数秒は、誰も死なない最善の未来を、確かに手繰り寄せたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よく、つないだ。……君の、勝ちだ』

 

「「…………はっ?」」

 

 瞬間、二人は同じ言葉を発していた。

 少年は、自分の霊装の前で止まった大剣に対して。

 そして男は、己の身体に巻き付いた無数の鎖に対して。

 

「なッ!? ……なんだ! なんだ、これは……ッ!?」

 

 白銀の鎖は男の霊装にも十重二十重と絡みつき、なんとか動かそうと力を入れるも、まるでコンクリートで塗り固められたように微動だにしない。

 

「リ、リーダーッ!? 助け――ッ」

「ッ! お前ら!?」

 

 さらに周囲にいたテロリストたちまでが、同じ鎖で次々と縛り上げられていく。咄嗟に人質を撃とうとするも、指一本動かせないよう全身を雁字搦めにされた上、銃火器類は一瞬でバラバラに切断されて為す術もない。簀巻きで地面に転がされたテロリストたちは、もはや完全な無抵抗状態だ。

 

「…………え?」

 

 ――変化はそれだけに終わらない。

 最初にそれに気付いたのも少年だった。唯一床に横たわっていた彼にだけは、その変化が最初から最後まで見えていた。

 開きっぱなしの口のまま、見上げる視線のその先では――

 

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

 

「は…………はああーーーッッ!?」

 

 否、ずれたのではない。――それは()()()いた。

 イベント会場の周囲、50メートル四方の空間をグルリと囲むコンクリート製の壁が、地上10メートルほどで斜めに輪切りにされていたのだ。景色がずれたように錯覚したのは、モールの天井が斜めにスライドし、隙間から青空が現れたからだった。

 やがて天井は重力に従って滑り落ち、地響きとともに敷地の脇へと落下する。超重量が地面を揺らす振動が、少年の背中をビリビリと震わせた。

 

「な、なんだ!? 一体、何が起こっているッ!?」

 

 誰もが抱いた疑問をテロリストが代弁する混乱の中――

 突如、その人物はそこに現れた。

 

 

『……みんな、……伏せて、いてね……?』

 

 

「「……ッ!?」」

 

 全員が空を見上げた空白の一瞬、彼女はまるで最初からそこにいたかのように、音もなく会場に立っていた。

 少年よりもさらに年下。おそらくは中学に上がったくらいの年頃の少女だろう。その右手には特徴的な髪色と同じく、純白の長刀が握られている。

 

(ま、まさか……! これをあの子がッ!?)

 

 自分よりも幼い少女がこんな真似ができるはずがない! 当然の疑念は行動を以て払拭された。

 

「フン……!」

「ガッふ!?」

「げあッ!!」

「リーダー! 気を付け――ガはあッ!?」

「な、なんだとッ!?」

 

 白の少女が腕を振ったと同時、周囲に倒れていたテロリストたちがまとめて壁に叩き付けられる。リーダーの声に反応できる者は一人もおらず、全員が残らず意識を失っていた。

 一振りで十人以上を倒すという、物理法則を笑い飛ばすような離れ技。そんな非常識な光景を当たり前のように見せ付けながら、少女は明日の天気を尋ねる気安さで問う。

 

「えっと……。あなたが……頭目で、合ってる……? 捕まえに、来たんだけど……」

「て、てめえ! 何モンだッ!? ど、どこから現れやがった!?」

 

 リーダーも彼我の実力差を一瞬で悟っていた。内心の恐怖を振り払うように大声で虚勢を上げるが、しかし彼女は全く取り合わない。

 

「あ……顔写真と……合ってる、ね。――じゃあ、さよなら」

「! ちょ、待っ――げぶらああッ!?」

 

 言葉通り、少女はなんとも軽い調子で右ストレートを叩き込む。当然のごとく、その動きは少年には全く見えない。おそらくは軽く音速を超えていたのだろう。何かが弾けるような音とともに顔面を殴打された男は、鎖で締め上げられたまま血を吐いて気絶した。

 

「……ン。……任務……終了」

 

 人々を恐怖のどん底に叩き落としたテロリスト。

 少年らにとって遥か格上だった歴戦の伐刀者は、こうしていとも簡単に制圧されたのだった。

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

「ッ…………す、ごい……」

 

 地面に倒れたままの少年は、呼吸をするのも忘れてその光景に見入っていた。

 初めて経験した死への恐怖も、ギリギリで命を救われた安堵感も、今は何も感じられない。

 代わりに心に湧いてきたのは、常識外の力への恐怖でもなく、天上の才能への嫉妬でもなく……、それらを遥かに上回る憧憬だ。

 

 

「…………た、助かっ……た?」

「…………う、うん」

「……犯人は、捕まって……人質も……全員無事? ……もう、終わった?」

「うん…………うんッ! 敵はもういない! ――生きてるんだよ、俺たち!」

 

 

 ――暴力によって相手を蹂躙する。

 本家の人間やテロリストたちが、私利私欲で行ってきた唾棄すべき行為。字面だけを見れば、彼女のやったことも同じ類の行いのはずだ。しかしその行為が今、多くの人々の命を悲劇から救い出していた。

 

 

「~~~~ッ、ぃやっっったああああーーーッ!!」

「こ、これでッ……家に帰れるッ……!」

「私たち助かったんだよ、お母さんッ!」

「うんッ、うんッ! 良かったねぇ……!」

「お姉ちゃん、ありがとうッ!!」

 

 

「…………ッ」

 

 ……ああそうだ。思い出した。

 この光景を見て、自分は騎士の道を志したのだ。

 正義でも悪でも、相手を倒すという行為は変わらない。力そのものに善悪などない。大切なのは、その使い方を間違えないこと。

 あいつらが間違った使い方で他者を害すると言うのなら、それよりもさらに強くなって、正してやれば良いだけのことだった。

 そんな初心も忘れ去り、現実から逃げてくだを巻いて、自分はなんと情けない奴だったのか!

 

「――――けど! ……まだ遅くないッ! ……僕はまだ……もう一度頑張れるッ!」

 

 折れた両腕が激しく痛む。……けれど少年は、より一層強く拳を握った。戦うことから逃げ、痛みを味わうことすらなくなっていた彼にとって、今はこの感覚こそが何より心地いい。

 

 ――たかがランクの差ごとき、努力でいくらでも覆してみせる!

 

 大切な夢を再確認できたこの日。少年は新たな決意を胸に刻むべく、もう一度力強く、拳を空に突き上げたのだ。

 

 

「…………あっ、そうだ! あの子にも、ちゃんとお礼を言わないと……!」

 

 最後に彼は、大切なことに気付かせてくれたあの子に――

 鍛えた力を人々のために振るう高潔な少女に、心から感謝を告げようと顔を上げた。

 

「あ、あの、君……! 助けてくれて、本当にありがと――ッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――余計な手間増やしてんじゃねえぞ! このボケどもがああッ!!

 ――あぎゃああああーーッ!?

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

「………………え?」

 

 助けたはずの知人たちが、なぜかまた死にそうになっていた。

 ……より具体的に言うと、『人間が鎖で締め上げられ空中で白目をむく』という、まさかの光景が展開されていた。

 

「え…………、えええええッ!? 力の使い方思いっきり間違えてるうううッ!?」

「ああんッ!?」

「ッひぃ!?」

 

 振り返った少女が眼光鋭く少年を睨み付ける。

 光の消えた黒目が滅茶苦茶怖いッ! ――が、このまま放っとくわけにもいかない!

 

「い……いやいやいやなんで!? なんでそんなことになってるの!? 僕らを助けに来てくれたんじゃないの、君ッ!?」

「あぁん!? 理由、なんて! 決まってる、でしょ……!!」

 

 代表して少年がツッコんだが、それはこの場の総意でもあった。歓喜に震えていた人質たちは、今や恐怖に震えながら互いに抱き合っている。

 それをつまらなそうに一瞥(いちべつ)し、少女は見せつけるように本家子息らの顔を引っ叩いていく。

 

「こいつらが、調子に乗って……!」

「へぶッ!?」

「あいつらに、反抗したせいで……!」

「げはッ!?」

「制圧に余計な手間が、かかった……!」

「あぶふッ!?」

「おまけに……注意を引くためッ、……天井を切り落とす、はめになって……! 余計な出費まで……かさんだッ!」

「い、いやッ、それはアンタが勝手に――へぶうッ!?」

「このッ……生まれ持った、才能だけのッ……、怠惰な、クズども……! 貴様らのような、無能は……、せめて他人様に、迷惑をかけないよう……、隅っこで大人しくしていろッ……ボケがあッ!!」

「「「ぐげええッ!?」」」

 

 

「え、えぇぇ……」

 

 少年の口からドン引きの声が漏れる。

 テロ現場に単身乗り込んできた高潔な(はずの)少女が、要救助者を吊り上げて殴る蹴るの暴行を加えている……。しかもその理由が『余計な出費を増やされたから』という、割と理不尽な八つ当たり。

 “正しい力の使い方”とは一体何だったのか……?

 

 

「そ、そこまでだ! ひ、人質を解放して、おお、大人しくしろおお゛お゛!」

 

 そこへ折よく?、武装した伐刀者部隊が突入してきた。全員が鬼気迫る表情を浮かべながら、恐るべき拷問現場へ霊装を構えている。

 少年は安堵の息を吐いた。――『あぁ、良かった。これでとりあえず騒動は収まる。…………ちょっと相手が違うけど』

 

「遅いんじゃ、ボケえええーーー!!」

「「「ぐはああああーーーーッ!?」」」

「えええええ゛ッ!?」

 

 まさかの事態、再びであるッ!

 よもやこの少女、公権力にまで手を出すとは……! 見かけに反してなんというロック・ユー!

 

「……お前らが、グズグズしてるからッ……! 危うく人質が死んでッ……スキャンダルになるとこ、だっただろ!」

「へぶうッ!?」

「普段から、サボってるからッ……こんなことになるんだ……! もっと気合入れて、仕事に励めッ……この、給料泥棒どもッ!!」

「い、いやッ、どこもだいたいこんなモn――ぶフぇえッ!?」

 

 少女の華麗なスマッシュが部下をまとめて吹き飛ばし、芸術的な胴回し回転蹴りが隊長を壁にめり込ませた。これではもう誰がテロリストなのか分からない。

 

「ちょッ! さすがにそれはやり過ぎだって! 君、落ち着い――ッ!」

「最後はお前だッ! 身の程知らずがッ!!」

「ぐべらあ!?」

 

 そしてまさかの三段オチ!

 仲裁に入ろうとした少年は、怒りの頭突きをくらって大の字で地面に転がった。

 

「会話で時間を、稼げば良いのにッ、……馬鹿正直に……正面から戦いやがって……! 何を……『自分はやれるんです!』……みたいな顔してやがるッ! ……ちょろっと決意しただけで……、これまでのツケが、一気に取り返せるわけないだろがッ……、このヘタレ挫折野郎!」

「ぐはあッ!?」

 

 頭部の鈍痛に加え、ぐうの音も出ないド正論。テロリストから受けたダメージも相まって、すでに彼の意識は風前の灯火だ。

 

「う、うぐぐぅ……ッ」

 

 それでも――このまま引き下がっては死んでも死にきれないので、彼は最後の最期、どうしても聞きたいことだけ尋ねることにした。

 

「け……結局……ッ」

「あん?」

「な、なにしに……ここに来たのさ……君……ッ」

「――ハッ。何を……分かり切ったことを……!」

 

『せめて……、せめて理由は、“人助け”であってくれ!』

『この胸の憧憬だけはどうか壊さないでくれ、いやマジでッ!』――という、切なる願いは、

 

 

 ――『気に入らない弱者どもを……! ブっ潰しに来たんだよ……ッ!!』

 

 

「ぐ、ぐふうッ!」

 

 見事粉砕され、少年の精神はトドメを刺されたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ……後に幾多のテロ組織を壊滅させ、現代の英雄と讃えられた伐刀者の青年。

 彼の在りし日の、忘れがたき思い出(トラウマ)の一ページであった。

 

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――テロ騒動収束後、崩れ落ちたモールのてっぺんにて。

 

「フ……、フフフフ……! ……ミッション……コンプリーートッ……!」

 

 駆け付けた破壊神(救いのヒーロー)こと黒鉄刹那は、自らの仕事ぶりに右拳を突き上げていた。

 

・迅速な現場急行による、犯行グループの即時捕縛。

・素行が悪い学生伐刀者を、苦言を呈した上でボッコボコ。

・仕事が遅い職業騎士たちへ愛の鞭を入れることもできた。

・そして最後には、将来有望そうな少年に気合を入れてやることにも成功した。

 

 まさに非の打ち所のない完璧な仕事。減点無しの百点満点回答であったと言えよう!(自己採点)

 

「フ……、また世間様からの……評価が上がってしまう……な」

 

 ……そう。

 これら一連の行動こそ、刹那が父に提言した“秩序安定のためのとっておきの秘策”。

 題して――

 

 

『ランクを鼻にかける愚か者も!

 職務を満足に熟せない怠け者も!

 無謀な挑戦で破滅する半端者も!

 能力を悪用して暴れる犯罪者も!

 全てボコボコにすれば問題ない作戦!』――である!

 

 

・黒鉄のクズどものような連中をブッ飛ばせば、素行の悪い伐刀者による被害も減る。

・給料泥棒やってる怠け者の尻を叩けば、業界全体の実力不足も解消する。

・半端な覚悟で枠を超えようとする未熟者を引っ叩けば、いたずらに人材を擦り減らすこともない。逆に、本当に限界を超えられる一握りの者なら、強者に負かされても簡単には諦めず、何度でも上を目指すだろう。むしろこれでふるいにかけられて一石二鳥。

・そして秩序崩壊を謀る者(違法伐刀者)については言わずもがな。殴り倒せば殴り倒しただけ、国の治安は改善する。

 

 これぞまさに十全十美。

 危険な奴は一掃できて、怠け者の尻にも火が着いて、無駄に破滅してしまう凡人も減って、そして本当に強くなれる金の卵は、より確実に強くなれる。父の懸念と国の安全――どちらもマルっと全部解決できる、これ以上ないブレイクスルー的発想であった。

 ついでに刹那個人としても、偶に強い奴と合法的に戦えるのでとても満足。その内何かの間違いで“暴君”や“十二使徒(ナンバーズ)”とも戦えないかなあ?といつもお祈りしているらしい。……やっぱヤベえな、この娘。

 

「……あ、いた! 刹那様ーーーッ!!」

「ン……?」

「はぁ、はぁ、はぁッ……! お、お一人で勝手に突入されては困りますよ! 現場の騎士たちとの兼ね合いもあるんですからッ!」

「ンー……。……でも、あのままだと……多分誰か……死んでた、よ……? それでも良いなら……構わない、けど……」

「うっ……。そ、そうは、言ってませんが……ッ」

 

 当然のことだが、秩序に真っ向から喧嘩売ってるこんな治安維持活動(物理)など、父は全く認めていない。手持ちの端末には事あるごとに掣肘の連絡が届くし(※出ないけど)、こうしてお目付け役の部下(赤座の後釜)まで派遣されてくるし。(※言うこと聞かないけど)

 ……そもそも直接宣言したあのときも、本人からは思い切り否定されているのだ。こんな行動をいくら繰り返したところで、厳が一輝関連のことを認めることは決してないだろう。

 

「あぁ……、また長官殿にお叱りを受けるぅ。なんで私ばっかりこんな目にぃぃ……」

「お気の、毒に……。心中……お察し……」

「誰のせいですか、誰のおッ!?」

 

 しかし刹那としては別段それでも構わなかった。

 そもそも彼女は、この活動で父のポイントを稼ごうだとか、功績によって一輝の自由を認めてもらおうだとか、そんなことは一切考えていなかった。あのとき胸中で決意した通り、これは話し合いではなく脅迫なのだ。

 

 ここ最近彼女が何度も行っている、『横紙破り全方位ブン殴り解決法』。普通こんな真似をしでかせば、多方面から反感を買って軋轢が生じるものだ。

 ――というか、正式な肩書きを持たない少女が勝手にテロ事件へ武力介入すれば、下手をしなくても犯罪者扱いである。すぐさま関係各所に連絡が入り、本人が捕まるか、親が呼び出されるかするだろう。

 

 しかしこの少女の場合、“黒鉄家長女”という立場がモノを言った。

 騎士連盟や警察上層部において、黒鉄の家名が持つ力は絶大だ。彼らは伐刀者の元締めである黒鉄家には頭が上がらないため、その娘を権力で強引に排除することは難しい。

 また現場の人員も、彼女に助けられて恩義を感じている者は少なからずいたし、何より――面と向かって本人に文句を言うのは怖すぎる!!

 

 というわけで……、刹那が何かしらの事件で大暴れした場合、現場からの苦情・陳情は全て黒鉄家へ直接届くのだ。加えて、クレーム対象者が本家の長女であるため、中間管理職や分家の者では立場的に掣肘などできず、必然的に連絡は全てトップへ――当主である厳のもとへ送られる。

 

 

 ――すると一体何が起きるのか?

 

 

 答えは簡単。

 

 

 ――“寝る暇もなくなるほどの、事後処理の嵐!”である。

 

 

 当主自ら関係各所へ頭を下げ、予め命じていたかのように書類や記録を書き変え、施設を破壊した際には黒鉄の財源から費用を捻出し、そして娘の出没場所が発覚した際には、速やかに事態収拾の人員を派遣する。

 長官としての通常業務(※これだけでも十分忙しい)に加え、これら余分な追加仕事も一人で熟さなければならないのだ。

 必然、業務外のことへ割く時間など厳には全く残っておらず……。

 これにより刹那が狙った“一輝の自由な生活”は、ある程度担保される運びとなったのである。最近黒鉄の実家では、幼い兄妹が仲良く鍛錬に励んでいるらしく、その姿を思い出すたび姉はほっこり息を吐いているという。

 

 ――また、もう一つ意外な成果として、『一般人への被害をゼロに抑えていることで、世間からの黒鉄家の評判はむしろ上がっている』という思わぬ副次効果も生まれていた。そのおかげか民間団体との面倒な折衝事も、昔よりだいぶやりやすくなっているとのこと。

 厳からすればまさに痛し痒しの結果であろうが、民意というものを決して侮ってはならないことを、経験豊富な彼はよく理解していた。

 

 ゆえに厳は、黒鉄が享受しているメリットと、無理矢理娘を止めた場合のデメリットとを勘案した上で、最終的に『刹那の活動を家の評判に繋げた方がマシ』と判断し、いろいろと後始末に奔走しているのであった。

 

 

 ……当人からすれば、甚だ不本意な結果であろうが。

 

 

 

 

 

「ンッフフフ……! これでしばらく……一輝の身は、安泰……。作戦、成功だッ……イぇいッ」

 

 薄笑いでダブルピースする娘は、そんなこと欠片も気にしない。むしろ『そのまま寝不足で倒れてしまうがいい!』と言わんばかりに、即座に次なる行動へ移る。

 

「さあ……、この調子で……、午後もどんどん……働いていくよ……! 次の任務の……準備はオーケー?」

「ええッ!? まだやるんですか!? テロ組織を潰したんだから、今日はもういいじゃないですか……!」

 

 部下は必死で異を唱えるが、鬼上司は全く取り合わない。

 

「ダメ、ダメ……。こんなんじゃ……全然、足りない……。最近、父上……謝罪行脚に……、慣れてきた、みたいだし……。今のままだと……、余計なことする……余裕が生まれる」

 

 厳がこれで諦めたなどとは、刹那は全く思っていなかった。現状では止むを得ず妥協を選んでいるが、決して彼が刹那の意に賛同したわけではない。いずれ態勢が整えば再び一輝に目を向け、あらゆる手段を使いその意志を挫こうとするだろう。

 そうならないためにも、刹那としては今後も同じく……いや、より一層ペースを上げて活動に励む必要があるのだ。

 

「クフフフ……、あと三年は……寝る間も、与えんぞ……? 覚悟しておけ、あの分からず屋親父めッ」

「さ、三年ッ!?」

 

 ――親不孝でけしからん……?

 知ったことかい!

 そもそも、最初に息子へ酷い仕打ちを行ったのはあちらの方なのだ。まだ幼い一輝に対して虐待紛いのネグレクト三昧! そのツケの清算だと思えば、この程度の負担など安いもの。

 それに、父が何より優先する連盟や黒鉄家の評判はうなぎ上り、差し引きで考えるならば圧倒的なプラスなのだ。親不孝どころかむしろ最高の孝行状態――つまりは何の問題もないのである!

 

「じゃあそろそろ……、次の場所へ行こうか! 北の方で……不穏な魔力反応を、検知したよ……!」

「え……!?」

「さっきの小物と違って……かなりの、大きさ! ……こいつは久々の、『当たり』だね……ッ! 気合い入れて、行こう……!」

「ひぃい!?」

 

 ガッシリ掴んだ部下の返事を聞くより前に、刹那は翼を展開し大空へと舞い上がっていた。

 気分はとっくに次の戦場へ。青褪める大人の顔色など気にも留めない。

 

「ままッ、待ってくださいッ! 『当たり』ってことは、解放軍とかの強い奴ってことでしょ!? わ、私はたぶん足手纏いになりますから、後でゆっくり合流しますよッ! その方がお互いのためですから! そうしましょ! ねッ? ねッ!?」

「大、丈夫! そのときはちゃんと、見捨てて戦うから……! 気に、しないで!」

「いや気にするわあッ!! 大丈夫なところ一つもないでしょうがッ!!」

「大、丈夫ッ……。ここ数年で……、魔力の扱い、うまくなったからッ……、肉体が欠損しても……ちゃんと、修理()してあげるから……! 死なない、限りは……何度でも組み立てて(救い出して)あげるから……! だから、安心して着いて来てッ!」

「字面が違ああうッ! 何一つ安心できないいッ!! ――って……ちょ、待っ……ほんとマジでッ……、冗談じゃなく命の危機だからッ、……いや本気でこれヤバいやつだからッ! お願いだから刹那さん勘弁してくだs――ッ」

「しゅっぱあああつ!」

「ぃぃいいいやあ゛あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁーーーーー……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――かくして黒鉄刹那は、今日も元気に空を往く。

 東に不良あれば駆け付けては蹴り飛ばし、西に犯罪者あれば飛んで行っては殴り倒す。大切な宝物を守るため、今日も少女は嗤いながら拳を振るう。

 誰に嫌われようが、誰に恐れられようが気にしない。たとえ当人たちから嫌われても、この気持ちは変わらない。

 ……きっと少しくらいは寂しいだろうけど、あの子たちの笑顔を遠くから見られるのなら、それだけで十分幸せだろうから……。

 

 

 

 ――も、もう嫌だあああ! 誰かこの悪魔から助けてえええーーーッ!!」

 

 ――え……、悪魔……? ……違う、よ……?

 

 

 

 なぜならば彼女は――

 

 

 ぶっきらぼうで無愛想で、

 

 

 何考えてるか分からなくて、

 

 

 いつも弟妹たちを好き勝手振り回してくれて、

 

 

 けれども、世界一優しくて頼りになる――

 

 

 

 

 

 

 

「黒鉄さんちのッ、ラスボス姉ちゃん、だからねッ! ――フヒヒッ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 最後までお読みいただきありがとうございました。
『黒鉄さんちのラスボス姉ちゃん』、これにて完結です。

 幼少期の一輝に味方がいたらどうなっていたか?――というテンプレな思い付きから始まった本作。もともとは短編一発ネタの予定でしたが、良い反応を貰えたことに気を良くし、あれよあれよとここまで続いちゃいました。
 しかもいろいろ独自色を出そうと節操なく肉付けしていった結果、なんだかヤベえお姉ちゃんが誕生することに……。
『こんなチートオリ主受け入れられるかな?』と不安でしたが、意外にもご好評を頂けたようでホッとしております。皆さまの懐の深さに感謝です。


 そして原作時間軸でのお話を期待してくれた方、申し訳ありません。オリ主がやりたい放題した影響で原作イベントがいくつか潰れたので、書くとしたらがっつりプロットを練り直さないといけません。
 ――おそらく序盤のテロ事件は起きないし、そもそもテロ組織がまた一掃されそうだし、平賀さんの暗躍もオリ主に見つかるだろうし、蔵人君もどこかでオリ主センサーに引っかかりそうだし、王馬はちょくちょく実家に帰ってきそうだし。
 何より、学園での一輝へのいじめが起きるかどうか微妙なところです。学園のクズ教師陣も軒並みいなくなっているでしょうし。厳パパが全力出して妨害工作すれば、ワンチャンあるか?ぐらいでしょうか。
 ……なんか嫌だな、そんなパパの絵面は(笑)。


 ――というわけで、誠に勝手ながら今回はここで完結とさせていただきました。
 いろいろと拙い作品ではありましたが、最後まで楽しんでいただけたのでしたら幸いです。
 それではまたどこかで。(2021/05/14)




 ※番外編を投稿しました。(2022/06/30)







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番外編(原作突入)
獅子は我が子を千尋の谷に落とし、上から伐刀絶技をブチかます


 

「もう一度言ってみなさいッ!!」

「……聞こえなかった? 『箱入りお嬢の実力なんて、高が知れている』って、言ったの……。分かったら、とっとと部屋に戻って……ストリップの続きでも、していたら?」

「ッこ、こいつ……コロスッ!!」

「わあああッ!? ま、待って、ヴァーミリオンさん! 一旦冷静になって!!」

「どいてクロガネ弟! そいつ殺せない!!」

「落ち着け、ヴァーミリオン! まだ試合は始まっていない!」

「なら早くして理事長! そいつ殺せないッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ステラ・ヴァーミリオンは憤慨していた。つい先だって故郷から日本へたどり着いた彼女の留学生活は、その一歩目から波乱の幕開けとなっていた。

 

 事の発端は今から30分ほど前、ステラが寮の自室で着替えていたときまで遡る。

 なんと彼女はいきなり部屋に入ってきた少年に裸を見られ、さらには理事長から『その少年と相部屋になる』などというふざけた宣告をされてしまったのだ。おまけに『断れば即退学』という理不尽な脅し付き。

 ステラは早速、日本に来たことを後悔しそうになった。

 

 ――が、この時点では彼女もそこまで怒っていたわけではなかった。

 自分の着替えを覗いた少年――黒鉄一輝は、ステラの姿を見ると即座に部屋を飛び出し、扉の先から誠心誠意の謝罪を行った。加えてその後の彼の話から、そもそも『この部屋は一輝の自室であり、彼は単に一人部屋に戻ってきただけだった』という事実も判明する。

 つまりこの行き違いの原因は、自分たちを同室にした上でそれを伝えていなかった理事長にあり、彼自身に何ら落ち度はなかったのだ。

 

 ……まあそれでも、乙女の柔肌を見られたことに思うところがないわけではないし、彼が裸そのものには大して動揺していなかった点も、ちょっと悔しい気がしないでもなかったが。この時点で彼女の怒りはほとんど収まっていた。

 ゆえに、理事長から提案された『親善のための模擬戦』を終えた後は、全て水に流して仲良くやって行こうと、前向きに考え始めていたのだ。

 

 

 

 ――試合直前に現れたこの女が、ふざけたセリフを言い放つまでは……。

 

 

 

『一輝とその皇女様が……同格? ……冗談、でしょ? 確かに愚弟は、未熟もいいとこだけど……さすがにその雑魚ちゃんよりは……マシな部類、だよ?』

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

 

『…………は?』

 

 この女は今……なんと言った?

 まさか『このFランクが私よりも強い』と言ったのか?

 さらに言うに事欠いて、この私のことを有象無象の雑魚であると……そう言ったのか?

 

 ……いや、愚弟という言葉から察するにこの女、一輝少年の姉なのか。

 なるほど、つまりさっきのは自分の弟を擁護したいという身びいきから出た言葉なのだな?

 ははーん。なんだ、口の割に弟想いなところがあるじゃないか。

 よし、気に入った、殺すのは最後にしてやる。

 

『は……はは……お姉さん? 弟さんを想ってのこととはいえ、言葉には気を付けた方が良いわよ?』

『? 何を、言ってる? 半人前が、雑魚よりはマシって……純然たる事実を、言ったまでだよ? ……もしや皇女様……頭まで弱い?』

『ッ! ……フ……フフフッ』

 

 落ち着け。

 物の道理も分からない女のただの妄言だ。こんなことで心を乱すようではヴァーミリオン皇国第二皇女の名が泣くぞ? 平常心を保つんだ、ステラ・ヴァーミリオン!

 

『ちょ、ちょっと姉さん! 何をいきなり失礼なことを! ご、ごめんね、ヴァーミリオンさん! この人、口も態度も悪い問題児でッ』

『そうだぞ、黒鉄姉、もう少しオブラートに包め。初日から国際問題を起こされてはさすがに私も困る』

 

 そうだ、二人もこう言ってくれている。ここは王者の度量を以ってカラリと笑い飛ばしてやるべきだ。それこそがヴァーミリオン皇女として相応しい、エレガントな振る舞いと言えるだろう。

 そう思ったステラが無理矢理に笑顔を作ってみせたところで――

 

 

『才能に胡坐をかいた愚者に……事実を告げただけ……。何の問題が、ある?』

 

 

 ――彼女の堪忍袋の緒は、爆炎によって焼き切れた。

 

 

『ふっざけんなああああーーーーッ!!!!』

 

 

 かくして事態は急転直下。ステラは弟ではなくなぜか姉の方と模擬戦を行うこととなり、物語は冒頭のシーンへと至るのである。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

「さあ理事長先生、早く試合を始めて! このふざけた女をアタシの炎で消し炭にしてやるわ!」

 

 第三訓練場のリング上にて、ステラは目の前の女――黒鉄刹那を睨み付け気炎を上げていた。なんとしてもこいつを公衆の面前で叩き伏せ、泣いて謝らせないと気が治まらない。

 この女はよりにもよってステラのことを、“才能に胡坐をかいた愚者”と言い放ったのだ。それは祖国のことを一心に想い、身を焼かれながらも必死の努力を続けてきた彼女にとって、最大級の侮辱であった。

 

「おい、ヴァーミリオン。あまり無茶な真似は……」

「止めたって無駄ですよ! 先に売ってきたのはあっちの方なんだからッ!」

 

 傍らにいた破軍学園理事長・新宮寺黒乃がやんわり宥めようとするも、ステラはにべもなく撥ねつけた。その頑なな態度に黒乃は頭痛を堪えるように額に手を当てていたが、やがては諦めたように溜め息をつく。

 

「はぁ、これは一回やらせんと収まりそうもないな。……黒鉄姉よ、お前の発言が発端なのだ。責任を持って収拾しろよ?」

「ン。どうせ愚弟を……揉んでやる予定だったし……、準備運動と思えば、悪くない」

「~~~ッ、言ってくれるじゃない。後で吠え面かいても知らないわよ!」

「……くれぐれも穏便に、な?」

 

 最後に一応の忠告を述べて黒乃は舞台上から退いていく。その先には一足早くリング脇に移っていた一輝の姿があった。あまりにしつこく模擬戦を止めようとしたため、鬱陶しがったステラによって無理矢理放り出されていたのだ。

 

「い、良いんですか、理事長? あのまま二人をやらせちゃって」

「仕方あるまい。ここで止めたらヴァーミリオンの奴、闇討ちでもしそうな勢いだったからな」

「そ、それは確かにそうですけど……。でもこのままじゃ、闇討ち以上の惨事になりそうな気が」

「それを防ぐために、わざわざ私とお前が待機しているんだろう? いざとなったら頼むぞ?」

「えぇぇ……」

 

 理事長の無茶振りに一輝の表情は渋く歪む。そりゃ全体の監督役は彼女だから、止めるのは自分の役目になるんだろうけども。

 

「はぁぁ、わかりましたよ。もしものときは僕が代わりに死んできます。さすがに僕も、姉が国際問題を起こすのは勘弁してほしいですからね」

「……済まんな」

「はは、気にしないでください。もう慣れたもんですから」

「…………済まん」

 

 

 

「…………」

 

 遠くから微かに聞こえてきた二人の会話。ステラは敢えてそれらを聞き流し、憮然としたまま身体を解し続ける。

 だがそれもひと通り終わって手持ち無沙汰になったのか、一つ深呼吸をすると、目の前に佇む女へ向き直った。

 

「ねえアンタ。アタシに何か、恨みとかあったりするの?」

 

 一応……そう一応ッ! あの女の暴言にも、何か真っ当な理由があるのではないかと思ったからだ。

 

「?? そもそも、君なんて知らないから……恨みを抱きようも、ないけど? 常識で考えて?」

「~~ッ」

 

 これは理由があった場合でもボコボコにして許されるんじゃないだろうか? 一瞬浮かんだ野蛮な考えをなんとか抑え込み、問いを重ねる。

 

「ッ……じゃあ、次の質問。アンタ魔力のランク、いくつよ?」

「? 戦う前に……敵へ能力を明かす馬鹿が、どこに? ……あぁ、君のこと?」

「~~~~ッ!」

 

 全自動で罵倒が返ってくる素敵仕様に何かが弾けそうになるが、培ってきた忍耐力でなんとか耐える。熟してきた模擬戦は多々あれど、試合前にこれほどの体力を使うなどステラの人生で初めてだった。

 さすがは神秘の国ニッポン、新鮮な体験が目白押しである。

 

「いいからッ! さっさと答えなさいッ!」

「ンー……。とりあえず……大したことは……ないとだけ」

「ッ! …………そう」

 

 しかしその甲斐あってか、ステラにはこの短時間で分かったことがいくつかあった。

 

・ひとつ、黒鉄刹那はステラ・ヴァーミリオン個人に対して恨みなどない。

・ひとつ、初対面から妙に突っかかり、ステラを“才能だけ”と揶揄する。

・ひとつ、Fランクの弟がAランクよりも強いなどと嘯く。

・ひとつ、極めつけに本人の魔力量は“大したことはない”と言う。

 

 これらの情報をまとめ上げステラは一つの結論に至る。僅かに残っていた相手を慮る気持ちも消え去り、彼女は目の前の女へ冷たい視線を向けた。

 

 ――結論。

 要するにこの黒鉄刹那という女は、才能豊かな者が憎くて仕方がない手合いらしい。

 ここまでの口ぶりから察するに、おそらく騎士として相応の実力はあるのだろう。それを磨き上げるために少なくない努力も重ねてきたに違いない。

 しかしそれよりも先、才ある者のみが行き着く領域には決して届かない程度でしかなかった。そのことに気付いてしまった彼女はいつしか自分の才能に絶望し、可能性を持つ者を忌み嫌い――妬み、僻み、扱き下ろし、そうして己の自尊心を保つようになったのだ。

 中途半端に実力を持ってしまった、ある意味可哀そうな者たちの一人と言えるだろう。

 

 

 ――ああ、本当に、……本当になんて……ッ、

 

 

 

「なんて、下らない連中……ッ!!」

 

 ステラは不快気に吐き捨てた。

 故郷にいた頃、山ほど遭遇したこの手の軟弱な輩を思い出す。

 誰も彼もが、『才能がなければ努力で補う』なんて、何の覚悟もなく言い放つ。自分は何でもできるんだと、希望に満ちた顔で努力を重ねていく。

 そのくせ結局は力及ばず夢を諦め、最後には非難めいた目でこう言い捨てていくのだ。

 

 

 ――いくら努力しても、結局は才能に負けるのか……!

 

 

「……ッ!」

 

 まるでこっちが悪いみたいにッ。

 まるでこっちが、努力してないみたいにッ!

 幾度も見てきたその光景を思い返し、ステラは苦渋の顔で奥歯を噛む。

 

「どうしたの、お姫様……? 何か気に障ることでも……あった?」

「ッ……なんでもないわよ。それより、早く始めましょう。あまり長くこの場にいたくないわ」

「えらく、ご機嫌ナナメ……。ストレスの溜め過ぎは……良くないよ?」

「~~~~どの口がッ」

 

 己の力を高めんがため希望を持ってやってきた憧れの国。そこでの記念すべき初試合が、よりによってこんな不快なものになるとは思わなかった。

 

 ……いや、これはこれで一つの修行と言えるのか。

 この先多くの敵と戦っていけば、その内どうしてもいけ好かない相手というのは出て来る。最初に一番不快な思いを体験できたことを逆に幸運と捉えよう。

 きっとこの後は上がっていくだけ。そう思わなければやってられなかった。

 

「理事長先生! 開始の合図を!」

「わかった……。ではこれより模擬戦を始める! 言うまでもないが、模擬戦は肉体的ダメージを与えず、体力のみを削り合うことを基本とする。固有霊装(デバイス)は幻想形態で展開すること。両者とも異存はないな?」

「ええ!」

「…………。分かっているよな、黒鉄姉?」

「ン。問題、なし」

 

 念を押されて刹那が頷いた直後、館内の照明が落ちる。正面スクリーンに両者のパーソナルデータが表示され電子音が鳴り響く。

 

 

 ――Let’s Go Ahead !!

 

 

「傅きなさい! 妃竜の罪剣(レーヴァテイン)!!」

 

 叫びに呼応しステラの魂が顕現する。吹き荒れる炎とともに具現化した固有霊装は、身の丈ほどもある美麗な大剣。彼女の尋常でない魔力量を象徴するような圧倒的な力の塊だった。

 ステラはその切っ先を地面に付け、いまだ動かない対戦相手を睨む。

 

「さあ、どうしたの? 早く固有霊装(デバイス)を展開しなさい! そのくらいの時間は待ってあげるわ!」

「…………」

 

 しかし刹那は無表情で両手を下ろしたまま微動だにしない。

 訝しげに見るステラをそのままに、十秒が過ぎ、二十秒が過ぎ、それでも彼女は動かず……。やがて数少ない観客がざわつき始めた頃、ようやく刹那はポツリと呟いた。

 

 

「私は、素手のままで良いよ。……早くかかってきて?」

「…………は?」

「十分な、ハンデじゃないけど……これ以上だと、試合が成立しなくなるから。……我慢してね、お姫様?」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………。

 

「…………ハハッ」

 

 ステラは生まれて初めて自分の堪忍袋が弾け飛ぶ音を聞いた。

 

「――ぶっっ潰すッッッッ!!」

 

 石の舞台を蹴り砕きステラは突貫した。未だに構えすら取っていない刹那に肉薄し、容赦なく大剣を振り下ろす。

 

「ハアアアアーーッ!!」

「おっと、危ない」

 

 刹那が半身を引き、空振った霊装がリングへ叩きつけられた。大型車どうしが激突したような轟音が響き、石板が粉々に砕け散る。

 あまりの威力に観衆が息を呑んだ。技でもなんでもないただの振り下ろしが、下手な伐刀者(ブレイザー)伐刀絶技(ノウブルアーツ)にも匹敵する。Aランクの天才という前評判に偽りなし、並みの相手なら即座にボロ雑巾にされるだろう。

 

「せえええいッ!!」

 

 観客の驚愕を他所にステラの第二撃が振るわれる。目の前の砂礫を振り払うように右上へ斬り上げ、返す刀で左胴。バックステップで距離を取られるも、即座に追い縋り、心臓を狙って突きを放つ。

 相手が左へ跳躍。袈裟斬りでさらに追い撃つ。ダッキングで躱されたところへ返しの斬り払い。

 

 重量級の大剣がまるで小枝のような身軽さで振るわれていく。その魔力量から大雑把なパワー型と思われがちなステラだが、技の冴えは一流の剣客と比べても何ら遜色ない。幼い頃から鍛錬を重ね、血反吐を吐く想いでモノにした皇室剣技だ。半端な力量のスピードタイプなど、その日輪の如き軌道によって絡め捕り幾人も粉砕してきた。

 この女も大口を叩いただけあってそこそこやれるが、もう動きは読めてきた。おそらくあと十数手以内には剣の檻に捉えられるだろう。そうなれば無手のこいつに抵抗の術などない!

 

「はああああッ!!」

 

 裂帛の気合とともに霊装を振り下ろす。刹那の肩口を大剣の切っ先が掠めていく。間髪入れずに横薙ぎ。風圧で長い白髪がはためく。

 明らかに最初よりも躱す距離が近い。余裕がなくなってきている証拠だった。刹那は今になって焦ったのか、左腕を伸ばし何かをしようとしているが、そんな暇など与えない。

 突き刺し、斬り下ろし、薙ぎ払い、その都度身体のギリギリを大剣が通り過ぎていく。もはや当たるのは時間の問題だった。

 

 ――そして数えて30回目の攻撃。再びバックステップで逃げた相手に対し、ステラが選択したのは下段からの斬り上げ。切っ先の一部をリングに掠め、砕いた砂礫を巻き上げて前方へ飛ばす。

 

「むっ?」

 

 着地直後の動きを阻害し、さらに相手の視界をも奪う。攪乱できる時間はほんの一瞬に過ぎないがステラにはそれで十分だった。

 

「ハアッ!!」

 

 刹那の懐へ一瞬で潜り込む。次の行動への出足が急に止められたことで、刹那は回避どころか咄嗟のガードすらできていない。

 

「これで――とどめよッ!!」

 

 特大の隙に最大の攻撃を叩き込むべく妃竜の罪剣(レーヴァテイン)を振りかぶった。

 

「アタシの誇りを舐め腐ったことを、存分に後悔しながら逝きなさいッ!!」

 

 そしてステラは獄炎を纏った大剣を刹那の身体に振り下ろし――!

 

 

 ……。

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

「――――ハッ!!?」

 

 気付けばステラの視界には白い光が広がっていた。

 一瞬の困惑の後、彼女はそれが訓練場の天井だと気付く。

 

「あ、あいつは、どこッ――痛づぅッ!?」

 

 咄嗟に起き上がろうとするも手足すら動かせず、頭部を襲った鈍痛でようやく自分が倒れていることを理解した。

 しかしそれ以外がどういうことなのかさっぱり分からない。

 

「……な、何が、……どう、なって…………?」

 

「あ、起きた?」

「ッ!?」

 

 不意に眩しさが遮られる。天井の照明よりなお白い髪を垂らしながら己を覗き込むのは、憎き仇敵のすまし顔だった。日焼けなど一片もない白い肌には、傷どころか埃の一つすら付いていない。

 

「あ、アンタ……!」

 

 試合前と寸分違わぬ詰まらなそうな顔。

 それを一目見ただけで試合の結果など明白だった。

 

「ダウンまで、1分22秒。……想像より、長くもったね? よく頑張った、お姫様」

「~~~ッ」

 

 決まり手を誇示するように、魔力を纏った左手を振る刹那。

 その舐めた態度にステラは何か怒鳴り返してやりたかった。

 ヴァーミリオン皇女の力を舐めるな!と今すぐこの女の胸倉を掴み上げてやりたかった。

 けれど……彼女はそれができるほど愚かにはなれない。

 

 ――なにせこの女の手には、最初から最後まで霊装が握られることすらなかったのだから。

 

 試合開始直後からステラは果敢に攻め続け、何度も相手の身体に攻撃を掠め、ついには追い詰めたと思っていた。

 

 ……けれど、全ては演出に過ぎなかった。

 刹那はステラの力量を正確に見抜き、常に追い付けるギリギリの速度で攻撃を躱し続けた。そうしてステラが勝てると確信した瞬間、今までを嘲笑うような動きで彼女の視界から消え去り、死角から顎への一撃を見舞ったのだ。

 ステラの圧倒的な魔力防御を撃ち抜くほどの力で……。

 そのくせ過度の怪我はさせない、気絶程度に収める力加減で……。

 つまり両者の間には、それができるほどの力量差があったということだ。

 

(結局ッ、全てはこいつの掌の上だった……!)

 

 霊装が要らないという発言も、ハンデが足りないという揶揄も、何一つとして間違っていなかった。刹那は事実に基づいてステラを高みから見下ろし、なんの意外性もなく格下を一蹴しただけ。

 試合前に告げられた『大した魔力量じゃない』というのは、つまるところ――『お前ごときに大量の魔力など必要ない』という意味だったのだ!

 

「じゃ、お姫様? まだダウン、しただけだから……ちゃんと決着、付けちゃうね?」

「ッ!」

 

 左手を振り上げた刹那が軽い調子のまま告げる。

 ステラがすぐに倒れたことを嘲笑しているのか、それとも敗者に鞭打つことに愉悦を感じているのか、その顔は薄く嗤っていた。

 ステラは屈辱に歯を食いしばるも、投げ出された手足には身じろぎする程度の力も入らない。

 

「じゃ、これで終わり」

「ッ!?」

「黒鉄ッ、待――」

 

 理事長が静止する暇もなく、刹那は何の気負いもなく致命の一撃を振り下ろした。

 風切り音すら聞こえない速度に乗せて、ギロチン(手刀)がステラの首に迫る。

 

 

 寸前。

 

 

「そこまでだよッ!」

「ッ!?」

 

 ――ガギンッ!!

 

 人体から発したとは思えない音を響かせ手刀が弾かれた。

 視界に飛び散った火花に目を見開くステラ。

 視認すらできない速度で彼女の眼前に躍り出たのは、絶望の純白に唯一届き得る漆黒の一刀だった。

 

「愚弟。……邪魔しないで、くれる?」

「その命令は聞けない……かな? さすがにこれ以上はやり過ぎだよ、姉さん」

「…………、そう」

 

 刹那が困ったように身体の力を抜く。それを見て観客は『危険な試合がようやく終わった』と、諦観と安堵が入り混じった息を吐いた。

 例外はほんの数人だ。黒鉄刹那を良く知る新宮寺黒乃と、至近距離で相対する黒鉄一輝は、彼女が()()()()()()()()を誰よりも早く察していた。

 黒乃は予想される負傷者の救出準備を……。

 そして一輝は静かに……死線を潜る覚悟を決めた。

 

「ねえ、愚弟?」

「……ッ!」

「一体いつから……、私に指図できるほど……」

 

 

 

 

 

 

 

 ――偉くなったの?

 

 

 

 

「ッ!?」

 

 

 前触れはなく。

 溜めも構えも解号すらなく、刹那の右手には純白の長刀が握られていた。

 音を置き去りに振られた斬撃は瞬間の九閃。

 

「グッ!?」

 

 この場の観客は全て伐刀者であるにもかかわらず、それを視認できた者は片手の指にも満たなかった。その数少ない内の一人――黒鉄一輝は戦慄とともに黒刀・陰鉄を構え直す。

 ステラを狙った三閃を弾き返し、自身の心臓と両手足を狙った五閃をいなし、最後に首を狙った一閃をギリギリで回避した。

 危ういところでなんとか二人分の命を拾う。しかし八合を受けきった一輝の両腕は、まるでフルラウンドを戦い終えたボクサーのように震えていた。

 たかだか小手調べの斬撃がなんと凄まじい威力か!

 

「フフッ……。よく、防いだ、ね……。訓練の成果、あり?」

「はは……アレが訓練? 拷問の間違いじゃない?」

「クヒッ……、どっちも似たような、ものでしょ?」

「いや、全然ちが――のわああッ!?」

 

 刹那が地を蹴り、刃を合わせた一輝をリングの端まで吹き飛ばした。

 

「さあ……行く、よ?」

「くっ、今日こそやってやるさッ!」

 

 そのままなし崩しに始まった姉弟間での殺し合――もとい訓練。喜悦と反骨心を以って、二人の姿はその場から掻き消えた。

 置き去りにされたステラは状況についていけずただ息を呑むしかない。

 一輝が自分の代役として戦い始めたこともそうだが、何よりその戦いの内容が彼女の常識の埒外だった。

 

「はああああッ!!」

「クヒッ!」

「ッ!?」

 

 倒れ伏すステラの前で展開されているのは、常軌を逸した速度で繰り広げられる極限の斬り合い。

 ……否、ステラには“斬り合い”と断定することすらできなかった。リング上を躍動する姉弟の姿が、彼女にはほとんど視認できなかったのだ。鋭い金属音と打撃音だけが断続的に聞こえ、ときおり影のようなナニカが視界の端に映ったと思えば、次の瞬間にはリングの逆側から同じ音が聞こえてくる。

 恐ろしいまでの疾さに視線どころか意識すらも追い付かない。

 

 何より恐ろしいのは、どこまでも洗練された二人の技の冴えだった。

 

 踏み込み、

 斬り結び、

 飛び退き、

 縦横に駆け巡る。

 

 あらゆる戦闘動作において一切の無駄や遊びがない。

 

 踏み込みでリングを蹴り砕く?

 斬撃の余波で外壁を斬り裂く?

 外した攻撃が観客に当たる?

 

 ――あり得ない。

 そんなB級映画のような無駄な破壊など微塵も起こさない。

 持てる力の全てを、ただ相手を殺す(倒す)ためだけに十全に振るう。

 そこにはステラの今までの努力を嘲笑うかのような、研ぎ澄まされた“武”があった。

 

(これが、日本の学生騎士の最高峰……!)

 

 知らずステラは唇を噛み締め、総身を震わせていた。

 

 それは歓喜か?

 

 恐怖か?

 

 否。

 

 それは己への不甲斐なさであった。

 強くなるために故郷を飛び出し、遠い異国までやってきたというのに、一体自分は何をやっているのか?

 相手の見た目と言動だけで力量を決め付け、格下であると舐めて安易に手を出し、結果は何もできないままの惨敗。自分より強い者を求めていたくせに、実際にそんな相手がいることなど本気で想定していなかった。Aランク伐刀者としての自分の立場に無意識の内に驕っていたのだ。

 

 ――Fランクの落ちこぼれが自分に勝てるわけがない?

 どれだけ節穴だったのだ、この目は! 眼前の試合を見せつけられて、お前はまだそんな妄言を吐けるのか?

 霊装も無しにステラ(Aランク)を翻弄し、一撃で勝負を決めた刹那。

 その怪物に対し、魔力に頼ることなく純粋な体術だけで渡り合う一輝(Fランク)

 もはやどんな言い訳も利かない。才能も、努力も、経験も、実力も、……この姉弟によって全て上回られてしまった。

 

(なんて無様……! なんて、愚か……!)

 

 ステラは悔しさに奥歯を噛み締めた。

 しかし悲しいかな……、溢れんばかりの激情に身体はついてきてくれない。霊装を起動して無理矢理身体を起こそうとするも、魔力そのものが全く反応してくれなかった。

 顎への一撃の際に、体内の魔力にまで干渉されたのだろうか?

 だとすればなんという神業か!

 そしてなんと絶妙な嫌がらせ具合か!

 

(ちくしょうっ……立ち上がりたいのにッ! 立ってあいつをブチのめしたいのに……! どうしてアタシは、こんなに弱いのよ……!)

 

 俯いたまま無力感に苛まれる。

 生まれて初めて味わうどうしようもない挫折感に、少女の心はヒビ割れる寸前だった。

 

 

 

 

「――――があああ゛ッ!?」

「え?」

 

 ……だが、折れかかった騎士の心(それ)を再び燃え上がらせたのも、彼ら姉弟の姿だったのだ。

 

「カハッ……ぁ、ぐぅ!」

「ク、クロガネ……?」

 

 それは偶然だった。

 項垂れ顔を背けていたステラの視線が、偶然二人が切り結んでいた場所に向いたためそれが見えた。そこにあった有り得ない光景を目にして、彼女は先ほどの挫折感すら忘れ、呆けた声を零す。

 見開かれたステラの目に飛び込んできたのは……、自分を庇ってくれた少年が、身体を踏み付けにされ苦しむ姿だった。

 

「まったく……、いつまで経っても、進歩がない。……踏み込みが、甘い……腕の振りが、緩い……状況判断が、遅い。……総じて全ての技術が……なっちゃいない。こんなザマで……一体誰を、倒すつもりなの?」

 

 一輝は傷だらけの状態で床にうつ伏せ、その口の端からは少なくない量の血が流れていた。誰がどう見ても勝敗はすでに決している。

 にもかかわらず――

 

「な、……何をやってるのよ、アンタッ!?」

「ン? あぁ……まだ喋る元気が、あったの? ならさっさと……リングを降りて? そこで寝たままだと……邪魔、だから」

 

 相も変わらず神経を逆撫でする言い回し。しかし今のステラにはそんなものを気にする余裕などない。自分を助けてくれた少年をとにかく助けたい一心で叫ぶ。

 

「は、早くその足をどけなさいよ! 試合が終わったのに、それ以上痛めつける必要ないでしょう!?」

「? まだ勝負は……ついてない、よ? ……ほら……まだ霊装を、手放してない。抗う(戦う)意思が……残っている証拠……。この諦めの、悪さだけは……愚弟の数少ない、取り柄だ――ねッ!」

「ぐああッ!?」

 

 刹那はニヤリと笑うと弟の背に乗せた足へさらに力を込めた。硬い石の床にヒビが入り一輝が苦しそうに顔を歪める。

 およそ肉親に対しての行動ではなかった。情に訴えかけても無駄と悟ったステラは、今度は理詰めでの説得を試みる。

 

「あ、アンタ、そんな騎士道に(もと)る行為をしてるとタダじゃ済まないわよ! 教師の前でそんな非道をして、選抜戦の出場資格が取り消されても良いって言うのッ!?」

「あぁ、私の風聞を……気遣ってくれてるの? フフ……ありがたいけど、無用の心配だよ? ……何せこの愚弟には……何をしても一切……罰せられないことに、なってるから」

「なッ……何よ、それ!? そんな馬鹿な話があるわけないでしょッ!!」

「……ンン?」

 

 有り得ないと叫ぶステラを見て、刹那は今日初めて“嘲笑”以外の表情をその顔に乗せた。

 

「! ああそうか。まだ、聞いてないんだ……? フフ。じゃあ、不肖の弟に代わって……私が教えてあげる」

「おい、黒鉄! それ以上はッ」

「邪魔しないで……理事長」

「ッ!?」

 

 見かねてリングに上がろうとした黒乃に対し、刹那は左手の指をパチリと鳴らす。その瞬間彼女の指先から凄まじい魔力が放出され、一瞬でリング全体を覆ってしまった。

 基本の魔術ですらない、ただ魔力を放出して固めただけの結界術(小技)。しかしその薄壁一枚が、一流の伐刀者の伐刀絶技すら上回る圧を内包していた。おそらくプロの魔導騎士であっても短時間で破ることは難しいだろう。

 

「これは、ウチの家族の問題……。それに、遅かれ早かれ……この学園にいれば……嫌でも耳に入る、話だよ? ねえ……学生の風紀一つ、改善できない……理事長先生?」

「……ッ」

「な、何よ? 何の話だって言うの?」

 

 苦虫を嚙み潰したような黒乃にステラは困惑する。あのように悪し様に揶揄されてなぜ理事長は何も言い返さないのか?

 そして、黒鉄弟には何をしても良い、とは一体……?

 

「簡単な話、だよ……。落第騎士(ワーストワン)・黒鉄一輝……。こいつは学園全体から……寄って集って虐められている……、とてもかわいそうな、男なんだ」

「…………え?」

「……ッ」

 

 ビクリと、少年の身体が震える。

 

「黒鉄家は一応……名家って、やつでね……。優秀な伐刀者を、代々輩出してきた家で……日本の騎士の元締め……みたいなこともやっている。……で、そんな古い家ともなると……ベタなあれが起こるわけ。――『我々は選ばれし優秀な一族。伐刀者の才無き者は黒鉄にあらず!』……ってね」

「……!」

「そんな勘違い一族に……Fランクが生まれたもんだから、さあ大変! 偉大なる黒鉄家に……落ちこぼれが生まれるなんて、末代までの恥! 親族連中は……徹底して一輝を、いない者として扱い……伐刀者としての訓練を、受けることも許さなかった……。もちろん、両親もね? ……ていうかそれの筆頭が、あの父親なんだけど。……『無能は何もするな』って、直接一輝に言い放って……。確か……五歳の頃、だったかな?」

「! そんな……ッ」

 

 生まれ持った能力が足りないだけで、幼い子どもが実の親から排斥され、心無い言葉を投げつけられる。それは、両親からたくさんの愛を注がれ育ってきたステラには、想像も付かない恐怖だった。

 

「でも愚弟は、頑固でね……? そんなんじゃ諦められずに……自分で努力して、密かにこの学園に入っちゃった。……そしたら……後はもう、分かるでしょ? 実家から学園側へ、圧力をかけて……ひたすら学生生活を、妨害だよ。モラルのない生徒を扇動して……喧嘩や虐めを誘発したり、……こいつが授業に出られないように、規定を変更したり」

「な、何よ、それ! 学園が悪意を持ってそんなことをしたの!? クロガネ弟一人を標的にして!?」

「フフ……私も、驚いたよ……。特別招集から、帰ってみれば……いつの間にか、『低ランクは危険だから授業を受けさせない』なんて……新制度が、できているんだもの。……くふ。前理事長は、本当に勤勉だったなぁ。……もう引退したけど」

「……ッ」

 

 ステラは身体の痛みも忘れてリング外の黒乃へ視線で問うた。

 はっきりとした返答はない。

 けれど苦汁を舐めたような彼女の表情を見れば、事の真偽は容易に察せられた。

 

 

 

「まっ! そんなことは……どうでも良いんだけどッ!!」

 

 ――ドゴンッ!!

 

「ぐぁあ!!」

「ッ!? な、何やってんのよ、アンタ!」

 

 ショックを受けるステラを現実へ引き戻したのは、石床から伝わってきた激しい振動だった。弟を蹴り飛ばした姿に唖然とするステラを横目に、刹那は愉しそうに話を続ける。

 

「実家の見栄も、学園の腐敗も……私にとっては、全てどうでもいいんだ。…… 私はただ……見苦しい弱者を蹂躙できれば、それでいい。……父の企みも、弟の苦悩も……戦いの愉しさに比べれば、どうでもいい些事でしかない」

「ッ!? アンタ、本気で言ってるの!?」

「本気も本気……、あぁ、揉め事は戦いのタネになり得るから……スパイス程度の価値は、あるかもね……? そのために、留年させられそうだったコイツを……無理矢理二年に、上げてやったわけだし……。まぁ、今のところ……サンドバッグか、練習台代わりにしか……なってないけどね? クヒッ!」

「ッ~~~~!」

「まあ、弟が姉の奴隷なのは……紀元前から続く、摂理だから。特に心配しなくて……大丈夫だよ? クヒヒヒッ!」

 

 そう言って刹那は心底愉しそうに身体を震わせ、俯くステラへ嗤いかけた。

 

「…………そう。……よく、分かったわ」

「――お? なんだ……まだ、元気?」

「ええ……おかげさまでね」

 

 気付けばステラはその場に立ち上がっていた。

 身体は今も鈍痛が続き、手足もガクガク震えて立ち眩みも酷い。

 けれど、それらを遥かに上回る激情が痛みを忘れさせていた。

 

「姉が(下の子)を……奴隷にして当然……? ふざけんじゃないわよッ、この野郎ッ!!」

 

 歯を強く食いしばり、震える膝を殴り付けて、ステラは嘲笑う刹那を睨みすえる。

 こんなにも大きな怒りを内包できた己の心に彼女自身が驚いていた。

 震える両手で大剣を構え、嗤う怨敵へ切っ先を向ける。

 

「アンタみたいなヤツに、絶対に負けるもんかッ!!」

 

 それは自分の弱気へ向けた言葉でもあった。

 このような巨悪を前にして、お上品に挫折している場合か――と。

 思い出せ、なぜ自分は騎士の道を志した?

 家族を……、祖国を……、理不尽な暴力に晒される弱き人々を守るためだろう!

 

 相手が強いからどうした?

 ならばこっちも強くなればいい!

 

 一度負けたからどうした?

 その程度で心折れるほど、ヴァーミリオンの女はお淑やかではないッ!

 

 目の前にいるのはなんだ……?

 己の愉悦のため、家族にさえ苦痛を強いる人格破綻者だ。

 ならばやるべきことは一つだろう、ステラ・ヴァーミリオン!

 

「立ち上がりなさい、妃竜の罪剣(レーヴァテイン)!! 無法に泣く民を、この手で守るためにッ!!」

 

 折れかけた心に再び火が灯り、紅蓮の皇女(眠れる竜)は高らかに吠えた!

 そして溢れる感情のまま敵を強襲しようとし――

 

 

 

「よく言ったああッ、ヴァーミリオンさん!!」

 

 ――ズガアアーーンッ!!

 

「って、えええええーーーッ!?」

 

 誇りを取り戻した皇女が立ち上がり、さあ巨悪を打ち倒すぞ!と剣を構えた瞬間!

 刹那の視線が一瞬逸れたのを見て取って、黒鉄一輝は立ち上がり斬撃を放っていた。

 

「ええい、クソッ! この程度の不意打ちじゃやっぱり当たらないかッ!」

「ククッ。どうやら……役者の才能は、ないみたいだね……愚弟?」

「うっ……うるさいな!! 僕は剣に生きるから良いんだよッ!」

 

 背後からの一閃を容易く防がれ、一輝は仕切り直しにステラのもとまで後退してきた。

 その軽やかな身のこなしからは、戦闘で受けた傷も、姉の罵倒による精神的ショックも微塵も感じられない。

 

「ぜ、全然無事じゃないの、アンタ!!  あの傷付いたような顔はなんだったの!?」

「ハハッ、あんなの全部演技だよ! ボコボコにされるのも罵られるのも10年以上続く日常だからね! 今さらショックなんか受けようがない!」

「え、えぇぇ……」

 

 なんとも言えない顔で呻きを上げるステラ。

 ……端的に言えば若干引いていた。

 虐げられる弟を悪逆な姉から助ける、という割とヒロイックな場面。

 物語みたいな一幕にちょっとだけワクワクしていたのに、蓋を開けてみれば本人は全く気にしていない上、自分は囮として有効活用されていたという……。

 

「いやー、ありがとう、ヴァーミリオンさん! 君が時間を稼いでくれたおかげで助かったよ。あのままだったらいつも通り、背骨砕きからの内臓クラッシュだったからね! 命拾いした!」

「あ、ウン……どうも」

 

 いや、虐められていた少年が見かけよりずっと逞しかったことは喜ぶべきことなのだが……。

 なんというか、こう……アレだ。

 盛り上がった気分にバケツの水をぶっかけられたみたいで、ステラはちょっと釈然としなかった。

 

「――お話は済んだ?」

「「ッ!?」」

 

 ――ザンッ!!

 

 二人の間を通すように神速の斬撃が駆け抜ける。

 瞬間、少年と少女は弛緩していた空気を切り替え、素早く地を蹴った。

 

「ッ~~~~、ああもうッ!! この際利用されたことも勘違いも水に流すわ!! それよりも今はあの性悪女をブッ飛ばす方が先決よッ!!」

「気が合うね、同感だ!! ってことで、ここは共闘しないかいッ!」

「オーケー! 二人で吠え面かかせてやりましょう!!」

 

 この期に及んで『二対一はフェアじゃない!』と喚くほど現実が見えないステラではない。一人で挑んだところで再度一蹴されることは目に見えている。なら今は、プライドより実益を取る程度の融通は利かせられた。

 

 ――とは言ったものの、

 

「正直! まともにやって勝てるビジョンが思い浮かばないんだけどッ!」

「奇遇だね! 僕もだ!」

「じゃあダメじゃないのッ――ひやああッ!?」

 

 20メートル先から放たれた“飛ぶ斬撃”をステラは慌てて躱す。

 

「な、何よ今の! 魔力を全く感じなかったわよ!?」

「姉さんの遠距離技だよ! 魔術でも伐刀絶技でもない物理的な剣術! 光って飛ぶ斬撃が何もかも切り裂くよ! 注意して!」

「幻想形態なのにどういうことッ!?」

「そういうビックリ人間なんだよ、あの人はッ!!」

 

 本当に同じ人間なのか、あの女は!?

 奇しくも10年前に長男が抱いたのと同じ疑問だった。

 

「そんな化け物みたいな人だからチマチマ戦っても勝ち目がない! ここは短期決戦――いや、二人の全戦力を注ぎ込んだ一撃に賭けるしかないと思うんだけど、どうかなッ!」

「いいわ! アタシには方法なんて思い付かないし、アンタに乗ってやるわ! どうすればいい!?」

「最大火力ならAランクの君の方が遥かに上だ! 僕がなんとか時間を稼ぐから、君は自分に撃てる最強の一撃を練り上げてくれッ! そして準備が完了したら、僕ごとまとめて焼き払って!」

「ええ、分かったわ。じゃあ頑張っ――ってえええ!? 何言ってんのよ、アンタ!」

 

 条件反射で頷こうとして慌ててツッコんだ。

 そんな『買い物ついでにTSUT○YA寄って来て』みたいなテンションで何を言ってやがるのか、この弟君は!

 

「それくらいしないと一発当てることすら不可能だから! 幻想形態なんだし遠慮なくどうぞ!」

「覚悟キマり過ぎでしょ!?」

「死ななきゃ全部かすり傷だよ!」

「ああ、もうッ! 分かったわよ、この死に急ぎマン! 後で寝込んでも知らないからねッ!?」

 

 姉は姉で化け物だが、弟も弟でどっかおかしい!

 極東の異文化に戦慄しながら、ステラはやけくそで魔力を練り始めた。

 

「燃え上がれ! 妃竜の罪剣(レーヴァテイン)!!」

「良い魔力の圧だ! じゃあ僕も――――【一刀修羅】ッ!!」

 

 一輝の全身から()()()()()()蒼い光が漏れ始める。見た目にはほとんど変化はない。しかし今の臨戦状態のステラには、彼の力が跳ね上がったのが肌で感じられた。

 

「なりふり構わない魔力放出で身体能力を50倍! 制限時間は今のところ約5分! 終わったらブッ倒れるから後よろしくッ!!」

「伐刀絶技までキマってるわね、こいつ! ――良いわ! 勝利宣言で起こしてあげるから安心して死んできなさい!!」

「オーケー!!」

 

 野獣のような笑みで一輝が飛び出した。

 

「うオラアアアーーーッ!! 行くぞ、姉さんんんッ!!」

「クヒヒッ!! いいね、一輝! 付き合ってあげるッ!!」

 

 応じた刹那もまたこの試合で初めて魔力を纏い、その身を宙へ躍らせた。

 そこから始まったのは、今までの攻防が児戯に思えるほどの超次元戦闘。

 リングを縦横に駆けるだけでなく、今の刹那と一輝は空すらも翔けていた。おそらくは魔力で足場を創っての三次元機動だろう。

 一瞬の内の10閃、20閃など当たり前。激突する回数も斬撃の威力も遥かに増し、二人は訓練場の上空に数千に及ぶ火花を咲かせた。

 

(なんて動き……! アタシじゃとても……!)

 

 相も変わらずステラの眼には二人の影すら見えない。

 あまりの実力差を目で見えず(見て)理解させられ、彼女の内心は屈辱ともどかしさで溢れ返る。

 

(ッ……いや、焦るな。今はとにかく、全力で魔力を練り上げろ!)

 

 しかし、これで心折れるほど今の彼女は柔ではない。

 王族としての誇りのため。

 そして命賭けで血路を開いてくれる仲間のため、屈辱も悔恨も投げ捨てて霊装に魔力を込め続ける。

 Aランク騎士としての恵まれた力。

 平均の30倍と言われる魔力量。

 使いきるなら今ここだ!

 

「お手本ならついさっき見せられたでしょ! お前も根性見せろッ、ステラ・ヴァーミリオンッッ!!」

 

 ――轟ッ!!

 

 限界を超えた魔力が身体から溢れ、紅の大剣に吸収されていく。ステラが大技を放つ際のいつもの魔力収束過程。しかしその規模と熱量が段違いだった。

 幻想形態であるにもかかわらず、紅く輝く魔力は確かな熱を帯び、周囲の石床を赤熱・融解させていく。

 ステラにはまだ、魔力を全て無駄なく扱えるほどの技術はない。戦っている二人に比べれば目を覆いたくなるほど稚拙な魔力収束だ。

 

「う、あああああああ゛あ゛ーーーーッッ!!!!」

 

 しかし構わない。

 どうせできないのならもう気にしない。

 代わりに今できる全てを出し切れ。

 試合後に残そうなどと考えるな。

 死が囁くギリギリまで、細胞全てから魔力を捻り出せッ!!

 

 

「――4分30秒ッ! ステラああああッ!!」

 

 残り30秒。ボロボロになった一輝が空から叫ぶ。

 

「いけるわッ!! 動きを止めて、イッキ!!」

「了解! ――第四秘剣・蜃気狼おおおッ!!」

 

 五人に増えた一輝が空中から刹那に殺到する。五方向から同時に振り下ろされた隕鉄。音速を超えた()()()()()()()()リングを粉砕した。

 石板を叩き割り、派手に吹き上がる砂煙。

 微かに目を見張った刹那は自分を半包囲する一輝から逆方向へ跳躍する。

 

「その程度で、私に……」

「――取った!!」

「ッ!」

 

 距離を取った刹那の背後から、本物の一輝が現れ姉の身体を拘束した。

 幻影にまで破壊力を持たせた第四秘剣(隠し球)を囮に、本命は“抜き足”による背後からの強襲。残り全ての魔力を筋力へ回し、一輝は全力で刹那の身体を押さえ込みにかかった。

 刀を持った右腕を握り締め、離されないよう胴体を抱え込み、その場から動けないよう両脚でリングをブチ抜き錨とする!

 

「ステラッ!!!」

「【天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)】ーーーーーッッ!!!!」

 

 そこへ一片の遅れも躊躇もなく、見上げるような獄炎の大剣が振り下ろされた。即席のコンビネーションは完璧に決まり、動けない刹那に致命の一撃が迫る。

 

 命の全てを擲つような一輝の拘束のおかげで、この化け物とて後2秒は動けない。

 それだけあれば十分だ。

 今から大技を撃つことなどもう不可能。

 一輝を引きずって逃げたとしても爆炎の効果範囲からは逃れられない。

 どう足掻いても詰みの状態。

 取るに足らない弱者たちの二刀が、怪物の喉元を食い破ったのだ!

 

 ――会場の誰もがそう確信し、見事なジャイアント・キリングに称賛の声を送った。

 

 

 

 

 

 

 その中心にいる、ただ一人を除いて……。

 

 

 

「ま……、60点って……ところ?」

 

 

「「え……?」」

 

 

 唯一自由な刹那の左腕が――()()()()()

 音も衝撃も引き起こさず、分子の間隙を縫って繰り出された手刀は一瞬の内の100閃。

 魔力を纏って飛び出した白銀の刃たちは、やがて両者の中間点で獄炎の大剣とぶつかり合う。

 拮抗はほんの一瞬。

 数十メートルにも及ぶ極大剣と食い合った極小の刃たちは、実にあっさりと、何の抵抗も受けず、

 

 

 ――巨大な炎竜を1000の欠片に分断したのである。

 

 

「……う……そ」

 

 会場中が息を呑む――否、あり得ざる光景に恐怖する。

 Aランクの天才騎士が、命を削る勢いで繰り出した究極の一刀。

 アレとまともにぶつかり合って防げる者など誰もいないはずだった。

 その渾身の必殺技を……、それも、この土壇場で数段強化された奥義を、素手で切り刻まれたステラの驚愕は如何ばかりか。

 会場ごと時間が止まったように彼女は呆然と動きを止めていた。

 

「じゃ、今度こそ終わり、ね?」

「――ハッ! しまっゴフぇえ!?」

 

 正面に意識を戻した直後、振り切られた左腕から飛んできた鎌鼬に額を強打され、ステラの身体は空中へ巻き上げられた。視界がグワングワンと縦に五回転した後、第二皇女様は見事頭からリングに突き刺さる。

 

「あばフッ!?」

 

 生命力のギリギリまで魔力を出し尽くしていた彼女にとって、それはオーバーキルもいいところのKOパンチだった。もはや指先一つ動かせない轢かれたカエル状態だ。

 

(い゛……イッキ、お願い……! なんとか、最後に……一矢だけでも……!)

 

 視線すら動かせない暗闇の中、ステラは戦友へせめてものエールを送り……、

 

 

 ――で、……お前はいつまで……抱き着いてるの?

 ――ぐわああああーーーッ!?

 

 

(あぁ……、ダメだったかぁ……)

 

 最後に聞こえたギャグみたいな悲鳴で結果を悟り、ステラの意識は闇に沈んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ピッ……ピッ……ピッ……。

 

「…………ケホッ」

 

 消毒液の匂いで目を醒ます。とりあえず嗅覚は無事。

 天井が見えるから視覚もオーケー。

 電子音が聞こえるので耳もまあ大丈夫だろう。

 額に乗せられたアイス○ンはひんやりと心地良く、敗北の苦みも口いっぱいに広がっている。

 命と五感がとりあえず無事なことに安堵した後、彼らは相棒の安否を確認した。

 

「ねえ……生きてる?」

「いや……死んでる」

「奇遇ね、私もよ」

 

 即席の伐刀者コンビは病院のベッドに仲良く並べられていた。

 一輝は身体中の打撲、裂傷、及び一刀修羅の後遺症で……。

 ステラは生命活動に支障が出るほどの魔力放出で、それぞれ完全にダウンしていた。辛うじて減らず口だけは叩けるが、身体は亀よりも遅い速度でしか動かない。

 完膚なきまでの完全敗北であった。

 

「ッ~~~! あ~もう、悔しい、悔しい、悔しいイイッ!!」

 

 敗北を現実として受け入れたところで、悔しさが怒涛の如く押し寄せてきた。

 いや、悔しさだけではない。あの謎生物の理不尽さに改めて怒りが込み上げてきていた。

 

「もうッ、なんなのよ、あいつ! あの技、アタシの切り札だったのよ!? しかも試合中に劇的なパワーアップまで果たしたのよ!? こんなの普通はもう勝ち確の場面じゃない! なのになんでアレを腕の振りだけで消し飛ばせるわけ!? 頭おかしいんじゃないの、アンタの姉さん! ええい、日本の魔導騎士は化け物かあッ!」

「ごめん……。『姉さんだから』としか言えない」

「ものすごい説得力のある解説はやめてッ!」

「い、いやでも、ステラさんは十分凄いよ! 一回目の挑戦で姉さんとちゃんと戦いになったんだから! 僕なんて10秒以上生き残るのに何年かかったことか! ……うん本当に……何百回かかったことか。何度も何度もボコボコにされて、その度に素手で霊装を叩き折られて、頭を踏まれて罵倒されて……。いやもう……負けることに関しては世界一と言っても過言ではないかな、僕はッ。アハハハハッ! ハハハ……ハハ、…………はぁぁ」

「ご、ごめん」

「いや……こっちこそ」

 

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

 

「ン、ンン゛!」

 

 数秒の気まずさの後、ステラは咳払いしつつ問いかける。

 

「……アンタ、本気でアレに勝つつもり?」

「え?」

「だってそうでしょ? 七星剣武祭で優勝するってことは、あの怪物に勝たなきゃいけないってことじゃない。アンタはあいつに、本気で勝つつもりなの? いえ……、“勝てると思えて”いるの?」

 

 ステラは軋む身体を押して傍らへ顔を向けた。

 同時に一輝もそちらを向き、お互いの視線がかち合う。

 疲労と負傷で草臥れた、なんとも酷い顔色だった。

 しかし笑う気にはなれない。きっと自分の顔も似たようなものだから。

 

「そうだね。ここで『絶対に勝つ!』と言えればカッコいいんだろうけど。……正直、どうやれば勝てるのか未だに取っ掛かりすら見えないよ。今日なんてAランクの君と二人がかりだったのに一蹴――もとい、惜敗しちゃったし……」

「気を遣わなくて良いわよ。思い切りの惨敗だったわ。特にアタシなんてほぼ何もできずのお荷物だったし」

「そ、そんなことは……」

「いいの、自分が一番よく分かってるから。Aランクってことに無意識に驕っていたんでしょうね。あなたたちを見ていると、自分の鍛え方なんて全然足りなかったって思い知らされたわ」

「…………」

 

 一輝は何も言わなかった。ステラが自虐ではなく本当にそう思っていることは察せられたし、何より言い分には一輝も同意だったからだ。

 

 ……大丈夫だろうかと心配になる。

 圧倒的な存在を前にするとしばしば人は打ちのめされ、歩みを止めてしまう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()から大丈夫だったが、彼女がもしここで膝を折ってしまったら……、

 

「大丈夫よ」

「え?」

 

 煤だらけになった顔の中で、紅蓮の少女の笑みは輝いていた。

 

「不思議なの。人生で一番打ちのめされているはずなのに、『諦めよう』とか『もうやめよう』とかは全く思わないのよ。むしろもっと頑張らなきゃ、ってやる気が湧いてるくらい」

「えっと……それはどうして?」

「…………むー」

 

 純粋に疑問に思って一輝が問うと、せっかくの可憐な笑みが消えてジト目になってしまった。……なぜ?

 

「ここでそれを聞くのは野暮じゃないの? ここは無言で頷くとか、訳知り顔で笑うとかそういう場面でしょ?」

「え、えーと……? どういう……?」

「ッ~~~、あぁ、もう!」

 

 それでもやっぱり分からず聞くと少女の顔にサッと朱が差した。

 

「アンタの頑張る姿に心打たれたってこと! 凄い剣士のルームメイトとして、これからアタシもいっしょに頑張っていけたらなあ――って思ったの! 言わせんな、恥ずかしい!」

「へぁ!? ご、ごめん!」

「しかもこれ『Fランクが頑張ってるのに負けてられるか』っていう割と失礼な感想も入ってるんだからね!? 大きな声で言わせないでよ! もうッ!」

「は、はいッ、もう聞きません! ごめんなさい!」

 

 失礼で済まないと宣言されたのに、なぜにこちらばかり謝っているのだろう?

 若干の理不尽みを感じたが、一輝は決して嫌な気はしなかった。

 

「え、えっと……その、ありがとう? この学園じゃ今まで友達なんていなかったから、ルームメイトにそう言ってもらえると……その、嬉しいよ」

「……そうじゃないでしょ?」

「え?」

 

 ベッドの上で起き上がったステラは、仕方のないヤツを見る目で苦笑していた。

 

「これからお互いに切磋琢磨して、あいつを追い掛けようって言うのよ? だったら、アタシたちに相応しい関係は他にあるじゃない」

「ッ! ……あぁ、そうだね。確かに、僕たちの関係はただの“友達”じゃない」

 

 ニヤリと笑い、互いに手を差し出す。

 

「じゃあ、改めて自己紹介しましょうか? アタシの名前はステラ・ヴァーミリオン。才能に胡坐をかいて打ちのめされちゃったけど、何度でも立ち上がって強くなってやろうって決意した諦めの悪い女よ。――今の目標は、あの性悪女を倒すこと!」

「僕の名前は黒鉄一輝。才能が足りなくて絶望していたけど、それでもこの道以外を選ぶことのできなかった諦めの悪い男だよ。――今の目標は、あのムカつく姉さんをブッ飛ばすこと!」

 

 

 

「「これからよろしくね、好敵手(ライバル)さん?」」

 

 

 

 ボロボロの二つの拳が小さく、しかし確かな音をもって打ち鳴らされた。

 後に世界へ名を轟かせる二人の剣士、黒鉄一輝とステラ・ヴァーミリオン。

 彼らの輝かしい英雄譚は、今この瞬間をもって産声を上げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その英雄の卵たちに追い掛けられることになった、件のラスボスは現在――

 

 

「フッ……戦いを経て、新たに結ばれる、友情。……美しい」

 

 

 2km先の公園から病室を覗き見ながら、腕組みして木に背を預けていた。……いわゆる後方師匠面である。

 その満足そうな表情からは、試合中に見せた悪意や嘲弄など綺麗さっぱり消えていた。今の彼女は弟に友達ができたことを喜ぶ、(多少)行き過ぎたブラコン姉ちゃんに他ならなかった。

 

 なにゆえ彼女があんな真似をしたのか?――と問えば、偏に弟のためである。

 心を鬼にして(※それまでも十分鬼)一輝を導くことを決意したあの日から10年。一輝は王馬や珠雫と友誼を育みつつ、武芸者として順調に成長を続けていた。

 ゆえに刹那も、中学以降は当初ほどの悪役ムーブは控えつつ(当社比)、たまに三人に絡んでは訓練して揉んでやる、という“迷惑な親戚の姉ちゃん”くらいの立ち位置に落ち着いていた。

 

 ……しかし今から一年ほど前、ちょっとした計算違いが起こってしまう。

 父・黒鉄厳を仕事量で忙殺するため、刹那は精力的にテロリストを血祭りに上げ続けていたのだが、勢い余って少々頑張り過ぎてしまった。

 国外からの刺客も国内の不穏分子も、犯罪を企図した10分後にはスピード処理していたため、なんと一年前、ついに国内から違法伐刀者がほぼ壊滅しちゃったのである!

 

 世間一般からすれば万々歳。

 しかし刹那からすれば困ったことこの上ない事態だった。ただでさえ父が関係者への謝罪行脚に慣れてきていたのに、よりにもよって一輝が破軍学園へ入学する年にかち合わなくても良いだろうに……!

 案の定、厳は時間的余裕ができた途端、一輝への妨害工作を開始した。権威主義者の前理事長を抱き込んで一輝への虐めを誘発したり、子飼いの教師に命じて一輝にだけ厳しい評定を付けさせたり……。

 

 そんな状況をこのブラコン姉が許しておくわけもなく、高校二年時において、黒鉄さんちのラスボス姉ちゃんは満を持して復活した。活動内容は幼少期と同じく、『コレは私専用のサンドバッグだから手出し無用な?』という、もはや手慣れた手口。

 最初は反発していたクズ教師や不良生徒たちも、刹那が誠心誠意お話すれば快く了承。前理事長も【長女の慈悲(みねうち)】(※3話参照)を使って優しくお願いすれば涙を流して刹那の意に賛同し、辞表を提出して田舎へ帰っていった。

 そうして刹那は何の憂いもなく再びラスボス業に邁進し、今日も元気に弟を特訓(ブチのめ)しているのである。

 

 ……ちなみにステラに対していろいろ当たりがキツかったのは、黒鉄家が送り込んだ刺客や工作員ではないかと疑っていたからだ。

 コミュ障ゆえに直接聞くことができず、また、風聞維持のため事情を打ち明けることもできなかったため、なんとも意地の悪いやり方になってしまった。このポンコツ姉にしては珍しく本気で猛省中である。

 もちろん今では彼女のことは微塵も疑っておらず、弟に優しい友達ができたことに心からの喜びと感謝を抱いている。

 次に会ったときには誠心誠意謝る――――はキャラ的に無理だから、また模擬戦に付き合って限界を超えさせてあげようとお礼を画策している。

 ……世間ではそれを『恩を仇で返す』と言うのだが、生憎ツッコんでくれるような友達は一人もいなかった。

 

 

「クフフ。……これでますます……一輝は鍛錬に、集中できる。……頼もしいライバルも、できたことだし……さらに実力を、伸ばしてくれるはず。……そして来たるべき、七星剣武祭で……本気の私を、打ち負かし……今までお前を馬鹿にしてきた奴らを、一気に見返してやるんだ!」

 

 

 

 ゾワリッ!

 

 ――どうしたの、イッキ?

 

 ――い、いや今……さらに寿命が縮まったような気が……?

 

 ――え? 頭でも打った?

 

 

 

 弟が病室で謎の悪寒に襲われたことなど知る由もなく、今日も今日とてラスボス姉ちゃんは、脇目も振らずに我が道を邁進していく。

 

「さあ……次のトレーニングメニューを、組んでおこう……! 終盤……一刀修羅の制御、甘くなっていたし……、明日はもっともっと、命の危機まで追い込んで……効果時間を延ばさせて、あげよう。……きっとあの子も、喜んでくれるはず……! さあ頑張れ、一輝! じゃすと・どぅーいっと!!」

 

 

 

 ――ひぅッ!!?

 

 ――ッ!?  や、やっぱり顔色が悪いわよ、イッキ! とりあえず横になって! えーと、ナースコールは……ッ。

 

 ――だだだ、大丈夫だよ、ステラぁ! ここ、これくらいの不調で参っていたら、騎士として大成なんてとてもできなろろおぉおお??

 

 バタン。

 

 ――い、イッキいいいいーーーッ!!?

 

 

 

 

 

 これは、最強のポンコツ姉ちゃんが弟を幸せにするために全力で頑張る、hurtful姉弟愛ストーリーである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なお、弟の精神状態については考慮しないものとする。

 

 

 

 

 

 

 

 




登場人物紹介

黒鉄刹那:
 破軍学園三年。伐刀者ランクA。
 これまで数え切れないほどの違法伐刀者をその手で屠り、同時にそれ以上の一般伐刀者をボコボコにしてきたヤベー女。有名な二つ名は『黒鉄の白髪鬼』、『国家公認テロリスト』、『史上最悪の七星剣王』などなど、そのほとんどが天下に轟く悪名(※事実)。
 何者にも従わず、邪魔するものは力で排除し、それでも功績によって全ての罪を許されてきたその姿は、まさに最強最悪の学生騎士。

 その正体は、弟妹たちのことが大好きで仲良くなりたいだけのポンコツ残念(ざんね)ーちゃん。
 高校二年時、父が頑なに一輝のことを認めず、ついには妨害工作まで開始した姿を見て、『こりゃなんとかしなければ』と悪役ロールを再開。
 加えて、『一輝が七星剣王(最強)になれば皆から尊敬されて虐めも無くなるんじゃね?』という脳筋思考に至り、悪役ロールと並行しながらますます精力的に一輝を鍛える日々が始まった。
 弟ならいずれ自分を上回ってくれると本気で信じているので、本番でわざと負ける気などさらさら無い。来たる七星剣武祭本戦において、一輝が自分を正面から打ち破って名を上げることを夢見て、ワクワクしながら毎日を過ごしている。
 ……重過ぎる期待をかけられてしまった弟君の明日はどっちだ。




黒鉄一輝:
 破軍学園二年。伐刀者ランクF。
 元々覚悟ガン決まりの修羅系男子――が、オリ主によって10年間鍛えられたことでかなり強化されている。たぶん原作の七星剣武祭なら今の時点で優勝できる。
 学園入学後、しばらくは実家の工作による虐めが続いていたが、ぶっちゃけ姉の特訓の方が遥かに過酷だったため、同級生に多少殴られる程度大して気にも留めていなかった。
 むしろ姉の訓練が始まってからの方がキツい。一日最低一回、日課のように死線を潜らされるので『マジふざけんな!』と言いたい。けれど確実に強くなれているのも事実なので、強く文句も言い辛いというジレンマ。
 小学生時代から今まで、姉の優しい時期と厳しい時期と鬼の時期が頻繁に切り替わってきたので、その度に精神を揺さぶられて宇宙猫になることも多かった。最終的に『あの人が何考えているかなんて気にするだけ無駄』と、保留という名の現実逃避に至る。
 今も訓練と称して全身の骨を砕かれた後に、優しく回復魔術をかけられたりしており、その度に情緒が破壊されている。
 ――結局この人って優しい姉なの? 恐ろしい大魔王なの? 全然わかんないよッ!

 精神も肉体も容赦なくボコボコにされる姿が学園の至るところで目撃されるため、結果として不良生徒がドン引きして虐めの件数が減った、というのが原作との相違点。
 ただし受けているダメージ量は遥かに多いので、どっちがマシかは判断に困るところ。




ステラ・ヴァーミリオン:
 破軍学園一年。伐刀者ランクA。
 今話から初登場なので、原作とそこまで大きく変わらないメインヒロインさん。ただし一輝との出会い方にちょっと変化がある。
 姉とはいえ超絶美人の女の子といつもいっしょにいたため、一輝の女性への対応が原作よりややスマートに……。そのため『自分も裸になってフィフティフィフティ事件』も起こらず、二人の出会いは割と友好的なものに収まった。
 そんなわけで、羞恥心や反発心からの恋心昇華というジャンプアップも起こらず、結果、恋人というよりは戦友的コンビとなってしまった二人。ただし、好感度や敬意自体はお互いかなり高いので、今後の動き次第で恋人昇格も十分あり得る間柄。

 ステラから刹那への感情は、強いマイナスと超強いプラスが混在しているといったところ。伐刀者としての突出した実力は素直に認めており、なんなら無意識の内に憧れの気持ちすら抱いているレベル。
 一方で、普段の無礼な言動や弟に対する態度は到底許せず、人間的な評価値は最下点。ただ、当事者である一輝の反応が意外にも明るいので若干の肩透かし感を抱いている。そしてこの後の学園生活においても、一輝が迫害される場面が意外に少ない現状を見て、ますます困惑が深くなっていく。

 ――あれ? そんなに酷い虐めじゃない……? いやでも、陰口や嘲笑は一定数あるし……。でも、直接喧嘩を売られることはあまりないみたいだし。むしろイッキの方が偶にヤバイ目で見られているような……? う~ん、どういうことなの?

 皇女様はしばらくの間、異文化交流に手古摺ることになった。


 ……ちなみにこの世界線の一輝君は『ハラキリしろ』と言われたら割と躊躇なくやれてしまうので、出会いが穏便に終わったことはお互いにとって幸運だったことを記しておく。
『死ななきゃ全部かすり傷だよ!』
『冗談だからやめて!?』














 お読みいただきありがとうございました。
 原作時間軸のお話を書きたいと思い立ち、番外編としてアニメの第1話までを書いてみました。オリ主の存在による変化が無理なく描写できていたでしょうか? 違和感なく楽しんでいただけたのでしたら幸いです。

 今回突発的な思い付きでしたので、続きを書くかは全くの未定です。
 書いたとしても、原作の印象的なシーンを飛び飛びに描写する形になると思いますので、連載にはせず完結マークも付けたままにしております。
 作者にやる気が湧いてまた続きを書く機会がありましたら、暇潰しがてら読んでやってくださいませ。
 ではまたどこかで。










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楽しい破軍学園生活 ~異文化交流を添えて~

「ハッ、ハッ、ハッ」

 

 黒鉄一輝(くろがねいっき)の朝は早い。幼少期から行われてきた早朝の鍛錬は、16歳となった今も途切れることなく継続されていた。軽い準備運動から始まり、10km単位で行われる高速ランニング、重りを用いた筋力トレーニング、ミリ単位で修正を繰り返す素振り・型稽古・シャドースパーリング等々。一年毎にブラッシュアップされてきた鍛錬内容を黙々と消化していく。

 

「ハッ、ハッ、ハッ」

「ゼハァ、ゼハァ、ゼハァ……!」

 

 一般人なら見るだけで吐きそうな高負荷トレーニング。しかし一輝からしてみればこの程度、本格的な鍛錬前のウォームアップに過ぎない。努力という段階はとうの昔に通り過ぎ、これらのルーティンはもはや食事や呼吸に等しい彼の日常の一部となっていた。

 ゆえに――

 

「ゲッフ……! ゲホッ……ぜぇ、ぜぇ!」

「さてと、アップはこのくらいでいいかな」

「へぁッ!? ア、アップ!? これがッ!?」

 

 この修羅のごとき少年が、自らをさらに追い込む鍛錬に臨むことは必然であり、

 

「初日から無理し過ぎると危ないし、ステラは少し休んでから追って来てね? ――じゃあ、また後で!」

 

 ――ドンッ!!

 

「ッ! ハアッ、ハアッ……、待っ、イッキ……うォぇ……! あ、アタシも……ハァッ、ハァッ……アタシも……いっしょに、行…………k……ウッッッ!!!?」

 

 

 

 

 

 ――う゛オロrΔ♯×%&●♪$Λ§~~~ッ!!!!

 

 

 今日初参加の初心者(ステラ)虹色の光(竜王の焔)を解放することもまた、必然であったのだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「『死ぬ気で鍛える』って言ったって、限度ってモンがあるでしょうよ……、おぇッぷ!」

 

 入学式直後の一年の教室にて、ステラは今朝に引き続き蒼い顔のまま机に突っ伏していた。原因は言わずもがな、彼女のこれまでの自主練を遥かに上回る運動量、プラスその後に見せられた尊敬すべきルームメイトの頭おかしい鍛錬内容である。

 準備運動(?)の段階ですでに一流アスリートを嘲笑うほどの強度だったにもかかわらず、ステラを置き去りに開始されたメインの鍛錬はさらに常軌を逸していた。

 ただ漫然と走るだけでなく、全力疾走とランニングを交互に繰り返すことで心肺を鍛える高負荷走行――――を、一輝は学園に隣接する雑木林の中で行っていた。地面以外に木の幹や枝の上まで不規則に飛び回り、高所落下の衝撃や三半規管へのダメージにも耐えるという、クレイジー極まるロードワーク。加えて、時おり木陰からナイフや矢が飛んで来るので一時も気が抜けない、という素敵仕様だ。(※自作の罠。鍛錬後は取り外しています)

 何よりおかしいのは、それを()()()()()()()で行っているという点だった。

 ……おかしい。自分はルームメイトの鍛錬に同行していただけであって、決して自殺に付き合っていたわけではないのに。

 

『ひょっとして見た目に反して簡単なのだろうか?』と試しにやらせてみてもらったところ、ステラは開始十秒で木の幹に激突して鼻血を噴き出した。

 ――良かった。やはり普通にやっているライバルが頭おかしいだけだった。

 ステラは安心して素振りに戻りながら残りの鍛錬を見守り続け、何度血反吐を吐こうと全力疾走を止めない一輝の様子にドン引きし続け……。そして鍛錬開始から一時間後、ハードトレーニングを終えて文字通り力尽きた一輝の身体を抱き起こした際、その体重が普段の4倍近い(※服の中に重り200kg)ことに気付いて彼女は考えるのをやめた。

 

 

 

「でもまあ……あれくらいやらないと、クロガネ姉(あの女)には追い付けないのよね」

 

 しかしながら、やはりこの少女も天才――否、怪物と呼ばれることに疑いのない逸材だった。ライバルの鍛錬内容に常識を破壊されつつも、強くなるためには必要なことだと思い直し、まだまだ覚悟が足りなかったと内心で反省する。

 

 そもそも魔導騎士とは進んで困難に立ち向かい、自らの力でそれを打ち破っていく者。

 ――命がけ上等。

 ――頭おかしい上等。

 肉体を虐め抜くことで強くなれるのなら、ぜひ自分もその道行きに同行させてもらおうじゃないか。ステラは友への尊敬と憧憬をさらに深め、己もまた修羅の道に飛び込むことを決意したのであった。

 ……娘が異国でヤバイ男に引っかかってしまったと知ったら故郷(くに)のお父さんはさぞ嘆き悲しむことだろう。だが生憎そんな些事を気にする者など日本(ここ)には存在しないため、皇女様は進んで地獄へ堕ちていくのだった。……黒鉄家当主の胃腸についても心配されるところである。

 

 

『新入生の皆さ~ん、入学おめでとう~。皆さんの担任、折木有里(おれきゆうり)で~す♪』

「おっと、ガイダンスの途中だったわね。集中、集中」

 

 聞こえてきた担任の声に反応し、ステラは宙ぶらりんだった意識を教室前方へ戻した。教壇の上ではやや顔色の悪い女性教師がマイク片手に元気良く(?)生徒へ呼びかけている。

 

『みんな、入学式での理事長先生のお話は覚えているよね? 我が破軍学園での七星剣武祭代表選考は、生徒全員参加による実戦方式だよ!』

 

 かつて破軍学園では能力値によって大会出場者を決めていたが、今から()()()に実戦による選抜へと変更されていた。無作為に選ばれた生徒たちが一対一で戦っていく学内選抜戦。戦績上位者六名が学園の代表となる、シンプルにしてフェアなやり方だ。

 

『学内戦は来週から開始だよ。日程や相手は生徒手帳にメールで送られるからこまめにチェックしてね?』

「なるほど、誰と当たるかは完全なランダム。相性の悪い相手や上級生なんかと戦う可能性もあるわけね。フフ、面白いじゃない」

 

 同年代の伐刀者(ブレイザー)たちと忖度なく全力で戦える機会など、皇女という立場では滅多に体験できなかった。

 しかしここではステラも一生徒。周りも代表入りするため死に物狂いで挑んでくるだろう。激闘の予感を今からヒシヒシと感じ、ステラは紅蓮の髪を高揚に輝かせた。

 

『戦いたくない人は棄権しても大丈夫、成績に影響したりはしません。だけどね、誰にでも平等にチャンスがあるって、とっても素敵なことだと先生思うの。不幸にも去年は大惨事になっちゃったけど、今年は新宮寺理事長もいてくださるし、きっと平等かつ平和的に決められるわ。だからぜひ頑張ってみて!』

 

「…………大惨事?」

 

 高揚の中、聞こえてきた物騒な単語と折木女史の苦笑い。

 気になったステラは優等生らしくピシッと手を上げた。

 

「あの、先生」

『ノンノン! ユリちゃんって呼んでね?』

「…………ユ、ユリ、ちゃん?」

『はぁ~い! 何かしらぁ?』

「…………」

 

 話の腰をヘニャリと圧し折られつつ、ステラは気を取り直して質問する。

 

「……えっと、去年の“大惨事”って何の話ですか?」

『あ、そっか、留学生のステラちゃんは知らないわよね』

 

 留学生は知らない? とすると国内では有名な話なのだろうか?

 

『去年の六月頃だったかな? 前理事長が『やはり代表は能力値で選出する!』って言い出して選抜戦を突然切り上げて、自分が推薦した高ランク生徒を代表に捻じ込んじゃったのよ』

「な、なんですか、それ!」

 

 ステラは憤慨して立ち上がる。せっかく平等に実力で決められていたというのに、そんな理不尽な横紙破りが罷り通っていたとは!

 そういえば前理事長といえば一輝の虐めを主導していたクズでもあったか。なるほど、その結果実力の伴わない生徒が代表となって大会成績が“大惨事”に……、

 

『で、二年生だった黒鉄さんがキレて、『ランクだけの木偶の坊なんぞ要らん!』ってその子たちを病院送りにしちゃってね』

「……え?」

『さらに勢い余って『自分の攻撃を受けて立っていた者が代表だ!』って、残りの候補者たちに襲いかかっちゃってね』

「…………え?」

『それで生徒会メンバーを中心とした実力者たちが一皮むけてさらに強くなって。結果としてウチの去年の成績はかなり良くなった、っていう冗談みたいなお話なのよ~』

「…………一体何やってんのよ、あの女」

 

 そんなアホな……と思いつつ、昨日のあのヤベー女の一連の行動を思い返してみれば十分ありえる話だった。ついでに模擬戦の最後の一撃まで脳裏によみがえり、ステラは二重の意味で頭が痛くなった。

 

『まあ、結局優勝は二年連続で彼女が掻っ攫っちゃったから、最高成績は変わらなかったんだけどね? 全国放送の表彰台で詰まらなそうに『去年と同じ景色で飽きた』って言い放ったときは、さすがに先生たち一同肝が冷えたわ~』

「…………本当に何やってんだ、あの女」

 

 戦いに生きる者の常として、伐刀者という人種は基本的にプライドが高い。若くして頭角を現した剣武祭代表者ともなればなおさらである。そんな連中を軒並み打ち負かした直後、生放送で何の遠慮もなく煽り散らかすとは……。

 おそらく今年は各校が死に物狂いで黒鉄刹那の首を狙って来るだろう。そのついでに『坊主憎けりゃ袈裟まで』とばかりに他の破軍生徒まで目の仇にされるかもしれない。控えめに言って由々しき事態である。

 

『ま、去年の黒鉄さんはあの時期なぜか不機嫌だったからあんなことになっちゃったけど、今年は最高学年になったことだし、さすがに危険な行動は慎んでくれるでしょう。だからみんなも安心して選抜戦に挑んでね~?』

「………………」

 

 腕組みするステラ氏……、担任教師の楽観論を頭の中で吟味してみる。

 

 ――あの女が?

 

 ――立場を自覚して?

 

 ――己の行動を自重する?

 

 ………………。

 

「……ないない。ありえない。絶対いろいろやらかす。そして揉める」

 

 ボコボコにされた昨日の記憶を思い起こし、ステラは約束された軋轢の予感に今から頭を悩ませるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

「さて黒鉄さん、なぜこうして呼び出されたか……分かっていますね?」

「? 特に心当たり、ないけど?」

「~~ッ」(ピキッ)

 

 爆速でフラグ回収する女・黒鉄刹那、新年度初日にして生徒会室へと呼び出されていた。当人のボケっとした顔とは裏腹に、室内に佇む役員たちは一様に緊張、もしくはピリついており、とても平和的とは言えない状況であった。

 

「相も変わらずふてぶてしいッ」

 

 茶髪少女が奥歯を噛み締めるのに呼応し、空中でバチリと紫電が弾ける。まさに一触即発状態だった。

 

「落ち着いて、刀華。あくまで冷静に、冷静に、ね?」

「わ、分かってるわ、うたくん……ンン゛ッ」

 

 破軍学園生徒会長・東堂刀華(とうどうとうか)は、額の青筋を揉み解しながら引き攣った笑顔を浮かべた。会長としてなんとか威厳と平静を保とうとしているが、この時点ですでに限界は近そうだった。……ほら、こめかみがピクついている。

 

「オホン……、新宮寺理事長の方針で、代表選抜が実戦式に戻ったことは聞いていると思いますが」

「ん、知ってる……。今から、楽しみ……ンフフッ」

「聞いているとは思いますがッ!」

 

 不穏さしか感じない相槌を大声で押し流し、刀華は両手で机をブッ叩いた。

 

「今年は変な横槍や越権行為などは入らないようになっています! だからくれぐれも……く、れ、ぐ、れ、も! 去年みたいなことはしないようにお願いしますね! 今日はそのことを念押しするためにお呼びだてしたんですッ!!」

 

 同級生の激しい物言い、プラス鬼気迫る表情。さすがの刹那も『ここは真面目に答えなければ……』と腕を組んで考え、

 

「去年……? 何か、したっけ?」

「~~どッ、どの口がぁ――!」

「会長、どうか冷静に」

「私は落ち着いてるよ、カナちゃん!!」

「なら霊装(デバイス)から手を離そうね、刀華」

「そうだ、そうだ……。暴力、反対ー」

「Δ♯×%&●♪$Λ§~~~ッ!!」

「君も少し黙っててくれるかなぁッ、黒鉄ちゃん(#^ω^)」

 

 血走った目で刀に手をかける東堂刀華(ミニスカおさげ眼鏡っ娘)を、幼馴染二人が――生徒会会計・貴徳原(とうとくばら)カナタと副会長・御祓泡沫(みそぎうたかた)――が必死で押さえている。

 

(! あ……あのときのこと、か)

 

 その尋常でない様子に、ようやく黒鉄刹那(白髪ジャージ女)のポンコツCPUも該当する記憶を探り当てた。

 

 ――去年の七星剣武祭代表選抜戦における事件。

 一昨年の刹那の優勝と世間からの称賛に味を占めていた前理事長は、当時さらなる功名心を刺激されていた。

『個人優勝の次はぜひ学園全体での名声も欲しい。できるならそこに自分の手腕も加わればなお良い!』と分不相応な夢を抱き、自分の伝手でCランク以上の優秀な伐刀者を多く入学させ、代表メンバー枠を独占しようと画策したのだ。そうすれば連盟からの評価もさらに上がると期待して……。

 しかしコネで入ってきたランクだけの連中が強いわけもなく、早々に選抜戦で負けが込み代表枠から弾き出されてしまう。

 

 これに焦った前理事長は強権を発動して彼らを代表に捻じ込もうとし……、

 その横槍にキレた刹那が連中を軒並み病院送りにしてしまい(※前理事長含む)……、

 さらに止めようと駆け付けた生徒会メンバーを巻き込んで大乱戦に発展し……、

 最終的に、勝ち残っていた代表候補者たち全員が刹那の手にかかって大惨事に至る。

 

 ――と、こういう経緯であった。

 なぜ出場停止にならなかったのか不思議なくらいの不祥事である。

 

「確かに……去年のあれは……良くなかった、かもしれない」

「「「ッ!?」」」

 

 生徒会メンバーたちの怒りを理解し、自分の失態を認めた刹那は素直に頭を下げた。

 去年のあの時期、選抜戦への横槍に加えて、前理事長による一輝への授業妨害まで重なり、刹那の機嫌はかつてないほどに悪かった。それゆえ、あの傲慢な者たちを粛清したところまでは、まあギリギリ擁護できなくもなかっただろう。

 しかしその後、無関係の生徒たちにまで手を出したのは明らかなやり過ぎ、八つ当たりにも等しい行為だった。

 

「いきなりみんなに、襲い掛かったのは……確かに、良くなかった」

「く、黒鉄さん……。ほ、本気で、言ってます?」

「ン……反省」

 

 そうだ。犯罪者相手ならばともかく、気まぐれで無辜の民へ襲い掛かるなど、かつて刹那が嫌った無軌道な暴力に他ならない。弟が受けてきた理不尽(ソレ)を無くすため昔からいろいろ頑張ってきたのに、刹那本人が同じことをやったのでは本末転倒である。

 

「く、黒鉄さん……やっと!」

 

 ゆえに刹那も、心の底から反省の弁を述べて――

 

 

 

 

 

 

「次からは、ちゃんと……断り入れてから……攻撃するね?」

「…………は?」

 

 反省した結果、低容量の脳みそからアホみたいな提案を捻り出したのである。

 

「いきなり手を出すのは……確かに、マナー違反。……戦いはやっぱり……互いに了承してないと……楽しくないよね? フヒヒ」

 

 この脳筋女、程度の差はあれ基本的に『伐刀者はみんな戦い好きだ』と思い込んでいる。問答無用だとさすがに嫌がる者もいるだろうが、礼儀正しく『へい、殺ろうぜ!』と誘えば、いかなる時でも皆喜ぶと思っているのだ。……馬鹿じゃねえの?

 そんな頭おかしい連中なんて、自分の弟たちや、武者修行に来た皇女様や、実は戦闘狂の会長や、道場破りが趣味の剣士殺し、後はかつての悪童に、不屈の槍バカに、解放軍の連中に、他にはKOKリーグや闘神リーグの…………結構いるじゃねえか。どうなってんだ、この世界。

 

「あ、せっかくだし……詫び代わりに……、私がみんなを……鍛えようか?」

「は?」(二度目)

「大丈夫……いくら血反吐吐いても……私がちゃんと、修復する(治す)から……。安心安全で……みんな強くなれるよ? やったね」

「~~ッ」

「刀華……れ、冷静に(いった)ぁ!?」

 

 肩にかけた泡沫(うたかた)の手がバチリと弾かれる。まるで激発寸前の電気ネズミのごとく。

 

「あっ、まずは刀華ちゃんから……鍛えて、あげようか? だって君……まだまだ全然、伸び代大きいし(弱っちいし)

「~~~~ッ」

「か、かいちょー、ストップ! ここで眼鏡を外さないで! ちょ、待っ、止まってえええ!!」

兎丸(とまる)……諦めろ。それよりもみんな、急いでタイムマシンを探すんだ。去年の事件前まで戻って過去改変ををををWOヲぉ」

「あらあらどうしましょう、久しぶりに砕城(さいじょう)君のトラウマが」

「ちょっ、カナタ! こっち手伝って! もう刀華の我慢が限界に……!」

 

 もはや収拾が付かなくなった生徒会室にて、ポンコツ剣王からトドメの一撃が放たれる。

 

「今からちゃんと、鍛えれば……今年は、三位くらいには……なれるんじゃない?」

 

 

 ――ブチリ。

 

 

「轟けッ【鳴神(なるかみ)】いいいいいッ!!!!」

 

 

 生徒会室は白い光に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ――ザワ、ザワ、ザワッ!

 

 

 

 

 

                     告示

 

 以下の生徒二名について、無許可で私闘行為を行ったため、本校規則に基づき三日間の停学処分とする。

 

 

 ・三年一組 黒鉄刹那

 

 ・三年三組 東堂刀華

 

 

                          四月六日 破軍学園理事長 新宮寺黒乃

 

 

 

 

「おおぅ、もう……」

「や、やっぱりあの女やらかしたーーッ!」

 

 校舎入口に設置された掲示板前で、少年少女二人が頭を抱えていた。

 

「ちょっとイッキ、これって大丈夫なのッ? 生徒会長と七星剣王が私闘で停学とか、スキャンダルで本戦出場停止、なんてことに……!」

「う゛、う~~~ん。……まあ……たぶん大丈夫だと、思うよ? 奇跡的に怪我人は出なかったわけだし、物損事故も起きていないし」

 

 

 ………………実はもう10回目くらいだし(ボソッ)

 

「え?」

「い、いやッ、うん! きっと問題ないはず! 校内で終わった出来事だし、姉さんさえ素直に謹慎していればきっと!」

「そ……そうよね! あいつが部屋で大人しく三日間だけ過ごせば、特に問題なんて起きずに一件落着……」

「「…………」」

 

 

 ――あの姉が?

 

 

 ――大人しく謹慎?

 

 

 ――反省の意を示す?

 

 

 ………………。

 

 

「ないわね」

「うん、ないない。あるわけない」

 

 昨日の姉の哂い顔がフラッシュバックして、二人は頭が痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ……酷いと、思わない? 最初に襲ってきたのは……刀華ちゃんなのに……私までまとめて、停学処分とか」

 

 手にした塊を放り投げ、次の一個をヒョイと持ち上げる。

 

「そりゃ、途中から楽しくなって……、いろいろ壊しちゃったのは……事実だけど……。でも終わった後で……ちゃんと全部、修復したのに……。むしろ備品は……新品なみに、綺麗にしてあげたのに」

 

 余計なことができないように意識をオトし、手足と口にも念のため荒縄を巻き付ける。

 

「なのに連帯責任で、処分とか……アレ絶対、日頃の恨みが……入ってるよ。あのドS理事長、め」

 

 十個ほど重なったそれらを最後に壁際へ放り投げ、少女は残りの敵へと向き直った。

 

「ねえ、そこんとこ……どう思う? 人生の先達として……ぜひアドバイスを、求めたいな」

「ひいいッ! く、来るな! 来るなあああああ゛!?」

「近寄るんじゃねえッ、化け物があああッ!!」

 

 返答は複数からなる鉛玉の嵐。――が、魔力も通っていない文字通りの豆鉄砲が彼女に通じるはずもない。

 

「公共施設を……破壊、するな」

「ぷべえ!?」

「あぶふ!?」

 

 黒鉄刹那は何ら気にすることなく突き進み、残像すら見えない速度で右手を振り抜いた。左右に動かすこと都合四回。乾いた音が一度だけ鳴り響き、アサルトライフルを乱射していた男たちは残らず壁にめり込んだ。

 ……お前が一番破壊してるだろ、とか言ってはいけない。

 

「ふぃー……。これで……終わり、かな?」

 

 ここは破軍学園から30kmほど離れた街の市庁舎、その二階にある大会議室である。体育館ほどの広さの室内には市民と思しき者たちが拘束され、その周りには銃で武装した男たちが10人余り、ボコボコになって床に転がされていた。

 

「おーい、人質の皆さん……。怪我とか、してない?」

「ッ……は、はいぃ! みみ、みんな、ぶ無事ですぅ!」

「で、ですからどうか、命ばかりは……!」

 

 なぜ刹那が平日の昼間から縁も所縁もない街のお役所にいるのかというと……見ての通り、犯罪者潰し(かつての日課)再びであった。

 謹慎生活二日目。暇潰しのダンベルカール(※バーベル300kg使用)にも飽きてきた刹那は、気分転換に広域魔力探査網(※7話参照)を起動し、久しぶりの犯罪者探しを行った。

 すると5分ほど前、何ともちょうど良いタイミングで不穏な反応を検知したので、即現地へ急行。庁舎の壁をブチ破って乗り込んだところ、どう見ても立てこもり中の事件現場を発見し、とりあえず犯人らしき連中を叩きのめしたのがつい今しがたのことである。……謹慎とは一体何だったのか。

 

「あ、ちょっと……聞きたいん、だけど」

「ッ!?」

「なな、な、なんでしょうッ?」

「この連中って……どういう立場の奴らか、分かる? どこに所属とか、言ってた?」

「は、はい! は、話しますからどうか、命だけは……!」

 

 ……テロリスト以上に怯えられているのはいつものことなので今さら気にしてはいけない。むしろ最近停滞気味だった悪評のプラスになるので好都合というものだ。

 刹那は気にせず犯人たちを壁から引っこ抜き、雑に蹴り転がしながら嗤いかけた。

 親たちは子どもの目を塞いだ。

 

「え、えっと……本当かどうか分かりませんけど、『自分たちは解放軍(リベリオン)所属だ』って、言ってました」

「世界を変えるために……せ、政府に何か要求する、みたいなことも」

「ほう、ほう。他には?」

「あとは……、『我らは選ばれし使徒だ』とか、『愚民は大人しく従え』とか、『糧となれることをありがたく思え』とか何とか……」

「おぉ、こりゃ当たりだ……。フヒヒッ、ラッキー」

「「ひぃッ!?」」

 

 この香ばしさ満天のセリフは本物の解放軍でなければありえない。あまりの手応えの無さに木っ端犯罪組織かとガッカリしていたが、どうやら逆転で“当たり”を引いたようだ。

 

「ありがとう……。じゃあお礼、ね?」

「へ?」

 

 ゆえに刹那はにこやかに人質たちに歩み寄ると、その喜びを表すように右手を振り上げ、

 

「あ、あの、なにk」

「そぉい!」

 

 ――ブチィッ!!

 

 目の前の女性の頭を、芋掘りのごとく引っこ抜いたのである。

 

 

 

 

 

 

「「「………………え?」」」

 

 痛いほどの静寂。

 

 ざわつくような困惑。

 

 そんなまさかという逃避。

 

 しかし目の前の惨劇は変わらず。

 

 やがて理解が及び――

 

 

 

「う……うわあああああーーーッ!? こ、ころッ、殺し……ッ!」

「なんでッ、なんでだよおッ!?」

「いやあああああ助けてええええッ!!」

「やっぱりあいつの方がやべえじゃねえかッ!!」

「逃げろおお! 早くッ!!」

 

 恐怖と混乱が弾け、人質たちは全力でその場から逃げ出した。不格好に走りながら、転がりながら、這いずりながら、出口を目指して大人も子供も我先にと雪崩れ込んでいく。

 

「あ、しまった。……インパクトが、強過ぎた」

 

 断面から()()()()が零れる首を持ったまま刹那はぼやく。()()()()()()()()()なら遠慮なく捩じ切って良いと思ったのだが、一般人には猟奇殺人にしか見えない点を失念していた。

 これはとっとと釈明しないと面倒なことになる。別に恐れられるのは全然構わない、というか望むところだが、この混乱で怪我人でも出たら父親辺りからどんな嫌味を貰うか分からない。

 

「というわけで……何か喋って、くれない? このままじゃ私……殺人犯って……ネットで、炎上しちゃう」

『………………、ク』

 

 両手に持った死体(?)を揺すること数秒、観念したかのように生首が震えだす。

 

『クッ……クフフフ! アハハハハ! いやいや、もっと気にするところがあるでしょうに。誤解で捕まってしまうなどとは考えないのですか?』

「その場合は……脱獄して……犯人の首を取ってくれば、問題ない」

『ンフフ、なるほど、なるほど、“公認テロリスト”の名は伊達ではありませんね。我々よりよほど破壊者やってますよ、あなた。……どうです? 良ければ破軍からウチに移籍しませんか? 歓迎しますよ』

「すこぶる心外……。撤回と謝罪を、要求す――るッ!!」

 

 ペラペラ喋り続ける首と胴体を高々と放り投げる。力なく宙を泳いでいたそれらは何かに引っ張られるようにバランスを取ると、人質たちの眼前へ綺麗に着地してみせた。

 進路を塞がれた人々が驚愕に目を見開く。

 

「な……!? 何よ、コレ!? なんで、死体が動いて……ッ!」

「死んでなかっ……ていうか、人間じゃないのかよ!」

「ば、化け物ッ!?」

「あ、あれも……解放軍の、メンバーなの?」

 

『Exactry! その通りでございますよ!』

「「「ッ!?」」」

 

 千切られた生首を抱えたまま、女性の身体は人々へ拍手を送った。

 

『初めまして、善良なる市民の皆様。当方は解放軍所属のしがない人形使いでございます。機密の関係上名乗ることができないのが心苦しいところですが、お別れまでの暫しの間、どうぞ良しなに』

 

 殺人以上に奇っ怪な状況を目の当たりにし、一周回って冷静になった人質たち。その様子を揶揄するように、死体(?)は自らの頭を放り上げつつ優雅に一礼した。

 

「ひっ!」

「な、なんだよ、こいつッ」

『おや? あまりこういった芸はお好きでない? 残念、私も道化師としてまだまだ精進が足りないようです』

「……ッ」

 

 本物の人間でないのは分かっている。

 今の行動にも手遊び以上の意図はないのだろう。

 しかし、自らの首をお手玉のように弄ぶ姿からは、隠そうとしても隠しきれない生命への冒涜が感じられた。

 単純な暴力などとは一線を画す、言い知れぬ不気味さと恐ろしさ。おそらく声の主がほんの気まぐれを起こすだけで、一般人など虫けらのように殺されるのだろう。いや、下手をすると死よりも恐ろしい何かに一生弄ばれるかもしれない。

 それを理屈ではなく肌で理解させられて、市民たちは銃で狙われたとき以上の恐怖に身を震わせ――

 

「そおおおいッ!」

『ごふうううッ!?』

 

「「…………え?」」

 

 そんなシリアスな空気など知らんとばかりに、刹那は首無し死体に拳を叩き込んでいた。

 この少女にとって、相手が快楽殺人鬼だろうと居直り強盗だろうと国家転覆犯だろうと関係ない。犯罪者退治による黒鉄ポイント(※世間から黒鉄家への評価)の獲得。そして強者との戦いで自らの力を高めること。重視するのはこの二点のみである。

 特に後者に関しては久しぶりに期待している。これほど高性能な人形を遠隔操作可能な伐刀者となれば、解放軍でもかなりの実力者に違いあるまい。ひょっとすると十二使徒の一人という可能性すらあるかもしれない。

 

「だから本体さん……? 早く出て来て、ね!」

『ごふっ!? ちょ、待ちなさ――へぶしッ』

 

 人間にしか見えないモノの肉体を、刹那は容赦なくバラバラにしていく。

 右ストレートで胴体部をブチ抜き、内臓(モツ)らしきものを掴みまとめて引っこ抜く。両手両脚は手刀で斬り飛ばし、小細工ができないよう空中で指まで切り刻む。

 最後に呆けたままの頭をむんずと掴み、胴体の大穴へ向けて思い切りシュート! 空気が弾ける音に乗せて赤い物質が四方へ飛び散り、その場はさながら屠殺場もかくやという有様になった。

 この間、わずか二秒の出来事である。

 

「おーい……終わったよー。……まだー?」

『…………』

 

 血溜まりのようになった床を足裏でコツコツ叩く。

 返事はない。

 ……いや、声が出ていないだけで、正確には“困惑”のような気配は感じ取れるのだが。

 と、そこで空間全体に声が響いてきた。

 

『く……くふふふふッ。……なんともはやまあ、容赦がありませんね? リアリティを出すため臓器に見立てたギミックも仕込んでいたんですが、気にもなりませんでしたか。う~ん、人形師としては自信を失っちゃいますねぇ』

 

 傀儡を失ったのに本人はまだ出てきてくれない。

 直接戦っても面白くなさそう、と思われたのだろうか?

 ならば助言の一つでもして興味を引いてみよう。

 

「ン……確かに、今のままだと……クオリティ不足……。もう少し、工夫した方が……良いと思う」

『……は?』

「温かさも鉄臭さも、感じられないし……鼓動や呼吸も、一定過ぎて……明らかに、人工物……。これじゃ……土塊(つちくれ)にしか、見えないよ? ……あと、単純に弱い」

 

 沈黙。

 数秒。

 空気の震え。

 

『ッ……フ、フフフ。なるほど……なるほど。これは何というか、貴重なご意見でしたねぇ?』

 

 ちょっとは喜んでくれたようだ。

 最後に応援の気持ちも伝えておこう。

 

「ン……もっと、精進すると良い……。そうすれば……テロリストなんかやめて……、サーカスとかに、就職できる……。真っ当な社会復帰……頑張れ、若人。じゃすと・どぅーいっと」

『…………』

 

 再びの静寂。

 困惑する人質。

 頑張れポーズの刹那。

 直後――

 

『では、大道芸の一つもお見せしましょうか?』

「ん?」

 

 ――パチン。

 

 指の鳴る音が響いた直後、会議室の床が広範囲に渡って弾け飛んだ。

 派手な破砕音と振動の中、(ひら)けた大穴からユラリと姿を現したのは――

 

『ヴ…………オ゛オオオオオーーーッ!!!!』

 

「ひっ!」

「な、なんだよ、コイツら!」

 

 身の丈は3メートル以上、手足は丸太のように太く、ヒト一人程度なら容易く握り潰せる威容。それらが合計50体以上、人質たちを取り囲むように隙間なく展開されていた。

 

『ホホホホッ、皆様には驚いていただけたようで何よりです! 私の伐刀絶技(ノウブルアーツ)で作り出した、土と石からできた人形――いわゆるゴーレムというやつですよ! ……と言ってもまぁ、おっしゃる通りこんなものはただの土塊(つちくれ)。殴る蹴るしかできない不完全な人工物です。……ええ、そう、人間を叩き潰す程度のことしかできない、稚拙極まる大道芸ですがッ』

 

『ヴ、オオオオオオ゛ーー!!』

 

「ひぃい!?」

「だ、誰か……ッ」

 

 ただの人間には抗うことも叶わない暴力の化身――それらが大群となって人々に襲い掛かってくる。身一つしかないただの伐刀者ではとても守り切れる状況ではない。

 

『さあ皆様! 私ごとき未熟者の舞台で恐縮ですが、最期までたっぷりお楽しみください! ああ、御代の方は結構ですよ? 演目が終われば自動的に徴収される仕様となっておりますので、どうぞごゆるりとお楽しみを、クククククッ! アハハハハハ!!』

 

 ゆえに刹那は――

 

 

 

 

 

 

 

「――止まって」

 

 つま先で地面を叩き、ただ一言だけ命令を発したのだ。

 

『……は?』

 

 瞬間、まるで時間が止まったかのように。

 

 走っている途中の姿で。

 跳び上がろうと踏み込んだ体勢で。

 今まさに人質に腕を伸ばそうとした状態で。

 全ての石人形たちがその動きを止めていた。

 

『なっ? これは……何が』

「ンン~~? こんな、感じ?」

 

 刹那は片目だけを閉じながら、何かを探るように虚空に視線を彷徨わせていた。整った顔立ちの少女が、左右に頭を揺らしながらムムムと唸っている。一見すれば可愛らしくも見える行動だ。

 しかし正面からそれを見る一人にとっては、どこまでも不気味で恐ろしい光景だっただろう。

 

『あ、貴方! 一体何をやったんですッ!?』

「おー……。君、人形使いというか……糸使い、だったんだね?」

 

 伐刀者としての刹那の能力。

 それは以前にも述べた通り、周囲の魔力を自在に支配・隷属させるというもの――これはすなわち、超精密な魔力操作能力とも言い換えられる。

 彼女が普段用いる鎖による遠隔攻撃もこの人外レベルの技術を遺憾なく発揮した結果であり、知覚範囲の魔力捕捉や物体操作において刹那の右に出る者は現状一人もいない。

 少なくとも彼女のこれまでの人生で、任務や私闘まで含めても自分以上に魔力操作を得手とする伐刀者に出会ったことはなかった。

 ゆえに――

 

「……この辺りに魔力を……通す感じ、かな?」

『!? まさか……ッ!』

 

 

『『ヴ……ヴオオオオオーーーッ!!』』

 

 

 

 ――高々50体程度の人形を操るなど、彼女にとっては造作もないことだったのだ。

 

 

 

「おっ、いけた」

 

 先ほどと同じく雄叫びを上げた石人形たちは、しかし先ほどとは全く逆の行動を取り始める。仲間どうしが二体一組となり、互いの身体に拳を打ち付け始めたのだ。

 

『あ、貴方まさかッ、私から傀儡の支配権を奪ったのですか!?』

「おー。単純命令なら……マルチタスクも、要らないんだね、これ。土塊なんて……卑下することないよ。超便利」

 

 何の躊躇も恐怖もなく、文字通り操られている動きでひたすらお互いを打ち砕いていく石人形たち。いかに頑丈に造られているとはいえ、同じ硬度の相手と手加減なしに殴り合えば遠からず限界はやってくる。

 

『オオオッ……オォォ、ォ……ォォぉ……ォォ……』

 

 見る見る内に石人形たちは原形を喪い、膝をつき、手足を落としていき……。やがて1分後、殺人兵器たちは一体残らず地に倒れ伏していた。

 全ての土塊から魔力が抜けたのを確認すると、刹那は人形に挿していた魔力糸を引き上げ、今度はおもむろに窓際へと移動する。

 

「じゃあそろそろ……こっちから、呼んじゃうね?」

『は? 何を……』

 

 その姿は、例えるならロッドを構える釣り人のごとく。

 狙いは庁舎の向こう側500メートルほど。魔力の線が目印のように延びているため、少し目を凝らすだけで容易にその場所を教えてくれる。ちょうどこの建物を見張れる位置にある、古びた雑居ビルの一画だ。

 

「せーーのッ…………そおおおーーーいッ!」

 

 右腕が勢いよく振り切られ、白く輝く鎖が高速で撃ち出された。不可解過ぎる行動に傍で見ている市民には何をしているのか分からない。

 だが――

 

『は……? う、おぉおッ、なんだコレ!? ま、まさか――ぅおあああああーーーーッ!!!?』

 

 通信(?)の先から聞こえてくる焦りを含んだ声。

 次いで、硬い何かが砕けるような音。

 

 ――ド…………ン。

 

 ――ボゴ…………ン。

 

 ――バゴォ……ン。

 

 ――ドガッ…アアアン。

 

 そして、この場にいる人間の耳にも直接聞こえてきた、徐々に大きくなってくる謎の破壊音。

 

「な、なんだ、この音?」

「なんか……だんだんこっちに、近付いてきてないか?」

「え? ま、まさかコレ……!」

 

 

 ――ドゴオオオーーーンッ!!!!

 

 

『ウゴアアアあッ!?』

 

「ひゃああああッ!?」

「こ、今度は何だあ!?」

 

 一際大きな衝撃音が響き、会議室の天井をブチ破って人間大の何かが現れた。それは頭から地面へ突き刺さると、首に巻き付いた鎖によって容赦なく段差を引き摺られ、最後に机の角で大きくバウンドして反対側の壁に叩きつけられた。

 

『おごっフぅ!!!?』

 

 本日何度目になるか分からない派手な土煙が会議室全体を覆う。しかし数秒もすれば、壁に開いた大穴からビル風が吹き込み、視界を遮る灰色の煙を晴らしていった。

 

「! あっ、あれは」

「ひ、人……なのか?」

 

 その人物は、なんとも表現に困る出で立ちをしていた。

 どこぞの学ランのような紺色の衣服を身に纏い、手足には同色の手袋とブーツをはめて肌全体を隠している。首回りには30cmほどの巨大な襞襟(ひだえり)が巻かれ、頭上には二又に枝分かれした特徴的な帽子――いわゆるジェスターハットが乗っている。そして極め付けは、笑顔の形に彫られた不気味な表情の白仮面。

 その外観を一言で言い表すなら、“パチモンくさい似非(エセ)道化師”といったところであろうか。

 人を煙に巻くこれまでの言動といい、隠れて傀儡を操る戦い方といい、他者を害して悦に入るやり口がこの上なく似合う風貌。まさに、“人々を弄ぶ邪悪な黒幕”といった佇まいだった。

 

「おいっすー……。今度こそ、初めまして……糸使いさん?」

『こ、こッ、この小娘がぁ……!』

 

 ……まあ今は黒幕というより、“絞首刑を待つ哀れな罪人”のようになっているので、恐怖を感じるのは些か難しいのだが。

 

『お、おのれぇッ……なんと風情のない女でしょう! 私みたいな暗躍キャラが相手のときは、正義側は力を発揮できず劣勢に陥り、人質を庇ってピンチを招き、最後は脅迫からの屈辱的扱いでジ・エンド!ってのがお約束の流れでしょうが!? ――それなのにあなたときたら、空気も読まずに力技で台無しにしてくれて! それでも一端(いっぱし)の伐刀者ですか! 美少女騎士の端くれですか! “くっ殺”こそが時代の求めているものだとなぜ分からないんですか、このけしからん小むすブへああッ!?』

 

 長々とした口上が強制的に切り上げられた。刹那が人の頭ほどの岩石を拾い、顔面目掛けて投げ付けたからだ。頭の半分が仮面ごと抉り取られ、断面から赤いナニカが激しく噴き出していく。

 

『ぐぉおああ!? な、なんて残虐な真似を! 人の心とかないんですか、この悪魔め!!』

「むぅ……これも、傀儡。もしかして本体……かなり、遠い?」

 

 ゴーレム(傀儡)を操っていた女術師(傀儡)を、さらに後ろから操っていた術師が、これまたさらに傀儡であったとは……。どうやら本体である人形使いはかなり用心深い性格をしているらしかった。

 再三に渡るハズレくじの連発に、ついに刹那は諦めたように溜め息を吐く。

 

「しょうがない……。今回はもう……(バラ)しちゃおう……。次のチャンスに……期待、だ」

『ッ!?』

 

 ――メキメキッ、バキボキッ。

 

 無表情で拳を鳴らしながら下手人のもとへ歩み寄っていく。

 相手は残虐非道な犯罪者。一匹残らず鏖殺すべし、慈悲はない。

 

『~~ッ……く……く、くふふふふッ! い、いいんですかぁ? もうそんな風に勝った気になっちゃって!』

「ン?」

 

 しかしながら、やはり腐っても解放軍のテロリスト。ここで大人しく諦めるような殊勝な性格はしていなかった。

 折れ曲がった腕で彼奴が懐から取り出したのは、新たな武器でも目くらましの道具でもなく、無骨な黒塗りの通信無線だった。

 

『この作戦に参加したのがここにいる連中だけだと、私が一言でも言いましたか? これを使って一声命令すれば、別の場所にいる部下たちが市内各所で一斉に爆弾を起爆します!』

「「――なッ!?」」

 

 衝撃の告白に市民たちの間に動揺が走る。

 幾人かは慌てて出入口へ駆け出そうとするが……。

 

『おっと! 余計な真似はしないでくださいね? この庁舎にも同じ物を仕掛けてありますから、逃げようとすればその瞬間ドカンですよ』

「そ、そんなッ!?」

「嘘だろ!?」

『フフフッ、ご覧の通りこちらは傀儡の身ですからねぇ。安心して自爆テロと洒落込めるわけですよッ!』

 

 人々が絶望の表情を浮かべるのを見て、人形使いは目に見えて喜色を取り戻した。

 最後の最後、策で上回ったのはこちらだ!――と、無言で佇む刹那をここぞとばかりに煽り散らしていく。

 

『ホホホホ、分かりましたか、お嬢さん? 切り札とはこうやって最後まで取っておくもの。相手を倒すのに真正面から堂々と挑むなんて、頭の足りない馬鹿のやることなんですよ』

「……ほーん?」

『まあ? 爆発までの僅かな時間でこちらの工作員を見つけ出し、爆弾を全て解体処理できれば話は別ですがね。ああ当然、小細工を察知すればその瞬間全て吹き飛ばしますので悪しからず。せいぜい我々の目を掻い潜って慎重に捜査してくださいね! 今からほんの数分の間に、あなた一人でそれができるならの話ですが! あはははははッ!!』

「……ねえ? その部下ってさぁ」

『市民に擬態して潜入工作を行う特殊構成員たち! 爆破だけでなく、各所で銃撃や立てこもりも行うよう指示を出しています! それをあと数分で見つけ出すなど、国の諜報機関でも絶っ対に不可能な「こいつらのこと?」って見つかってるううううッ!!!?』

 

「ひ、平賀さんッ! た、助けッ」

「こ、この女ッ、一体何も――はぎゅぅ!?」

 

 人形使いがあんぐりと口を開けたときには全てが終わっていた。会議室の宙空には老若男女様々な人間が鎖で縛り上げられ、関節を逆側に捻られ呻きを上げていた。

 所要時間、僅か30秒足らずの早業である。

 

『な、なぜッ!? どうやって!? この短時間で全員の正体がバレるはずがない! いやそれ以前にッ、彼らは市内全域に無差別に解き放っていたんです! 場所を見つけるだけでも数日はかかるはず! それを一体どうやって!?』

「どうって……。市内全てを……魔力で走査、しただけだよ?」

『…………へぁあ?』

 

 取り繕う余裕もなく動揺する人形に対し、刹那は淡々と告げる。

 

「だから……魔力の線を、街全体に伸ばして……怪しい奴らを……片っ端から、捕縛したの」

『はぁ!? ……なっ……そんな……馬鹿、あ、ありえな……ッ』

「というか、君の部下……銃火器持ってるの、バレバレだったし……同じ周波数の無線機あったし……おまけに目が、カタギじゃなかったし……すごく、分かり易かったよ? ……君もだけど……本当に訓練受けた、工作員?」

 

 素で煽るような物言いにも、平賀氏(推定)は言い返す余裕もない。

 折れた腕を振り乱し、掻き毟り、口角泡を飛ばす。

 

『あぁあ、ありえない! ただの学生騎士ごときがッ、これほど広範囲に魔力を広げるだけでなく、同時に数百カ所で操作しながら対象を見つけ出す!? それもほんの数十秒足らずで!? ――ありえない! フカしにしたってもう少し控えめに言うものです! 本当は一体どんな手を使ったんですか、小娘ッ!!』

「? 何、言ってるの?」

 

 心底分からないという様子で刹那は首を傾げた。

 

 

 

 

「――君にできるくらいなら……私にだってできるよ。……結構簡単、だったよ?」

 

 

 

 

『なッ、なッッΔ♯×%&●♪$Λ§~~~ッ!!!?』

 

 もはや声帯がブッ壊れてしまった人形師の元へ、今度こそ刹那はゆったりと歩み寄る。

 ……その右手の先に、崩落した天井の一部を引き摺りながら。

 

「じゃ、今回はこの辺で……さよなら、ってことで」

『ッ!?』

 

 ただの仮面のはずなのに、その目が大きく見開かれたように見えた。

 ……たぶん光の加減による目の錯覚だろう。

 なにせ彼の眼前には、五メートル越えのコンクリート片(※推定15トン)が高々と屹立していたのだから。そりゃ影くらいできたって仕方ない。

 

「次は本体で……相手してね? ……えっと…………平賀、君?」

 

 

 そして、必殺のコンクリート剣が振り下ろされた。

 

 

「N…………NOOOOOOOOーーーーッ!!!!」

 

 

 

 ……さすがに糸じゃ防ぎようがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 ブツリ……と回線が途切れる音が響き、脳内の映像が遮断される。

 少年は薄暗い部屋の中で目を開き、直前まで戦っていた相手に思い切り渋面を浮かべた。

 

「……えぇぇ? ……何アレ、ありえなくない? 平和ボケした国の学生(アマチュア)チャンピオンじゃなかったの? ガチもんの化け物じゃん」

 

 傀儡でない生の顔に浮かぶ表情は恐怖というよりも、どちらかと言えば“引いている”と言った方が正しいか。全ての能力を力技で破られ、最後はコンクリートで丸ごと叩き潰されたとなれば、その反応も無理はないが……。

 

「言っただろう? アレを相手に油断するな、と。この十年で何人が奴の手にかかってきたか、知らないわけじゃあるまい」

「……いやー、そりゃ噂には聞いてたけどさぁ。五歳の頃からテロリストを狩って遊んでた子ども――なんて与太話、実際見るまで信じられるわけないじゃん? それもスラムのある国ならともかく、あの日本(温い国)の子どもがさぁ」

「なら今回で正しく理解できて良かったな。次は精々気を付けることだ」

「あー、つめたーい。もっと慰めてよー」

 

 隣に立つ壮年の男が揶揄するように笑う。

 対して少年の方も特に怒るでもなく、むしろ同調するかのように愉快げに嗤った。

 その顔には傀儡を潰されたことへの怒りも、敗北したことへの悔しさもない。

 所詮、平賀玲泉としての感情など傀儡に宿っただけの紛い物。娯楽として味わうために造った模造品に過ぎない。一たび同調を解いてしまえば、記憶ではなくただの記録に成り下がる程度のものでしかなかった。

 

「ま、少しは面白い相手ってことが分かったし、リクエスト通りまた会いに行ってあげるさ。どうせ日本にはその内遊びに行くんでしょ?」

「ああ、どこぞの政治家自らのご指名らしい。それなりの大仕事になるだろうから、こちらの方も一段落させておけ」

「はいはい、りょうかーい。こっちもこっちで結構面白いからね。手を抜くつもりはないよ。どんなに小さな仕事でも、コツコツ真面目にってね、フフフ」

 

 ――全ては他者を破滅させ、絶望する表情を眺めるため。

 ただそのためだけに、少年は人を殺し、国を滅ぼし、気まぐれに誰かの人生を弄ぶ。

 そこに何か大それた理由があるわけでも、ありがちな悲しい過去があるわけでもない。

 ただ愉しいから。

 ただ()()()()()()()に生まれついてしまったがために、少年は退屈な人生に彩を加えるべく、今日もせっせと謀略に興じ、誰かの不幸に快哉を上げるのだ。

 そして今新たに、遊びがいのありそうな玩具が手元に転がり込んできた。要注意人物として渡された資料の一枚を光に透かしながら、少年は実に愉しそうに口元を歪める。

 

「ふふふ……待っててね、黒鉄さん? 僕の手で最高に楽しいショーにしてあげるからさ。そのときは精々、愉快に踊ってよね?」

 

 遠い異国の少女に恋するかのように、少年は悪意も殺意も感じさせない、無邪気な笑顔で嗤うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 …………やめときゃいいのに。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、先生? そんな走ってどこ行くの? …………ん? なんだ、コレ? 僕の糸が……光って? …………え? これって、日本に伸ばしてたブラックウィド――

 

 

 

 ――カッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 

 その日、某国にある解放軍のアジトが一つ、地上から消え去ったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて黒鉄さん? なぜ私が怒っているか……理由は分かりますね?」

「? 何か、やったっけ?」

「~~ッ」(ピキキッ)

「と、刀華……抑えて、抑えて」

 

 救急車とパトカーのサイレンが響く市街地の一画に、破軍学園の生徒たちが勢揃いしていた。その内訳は、

・怒りの生徒会長一名。

・胃痛の副会長一名。

・微笑の会計一名。

・白目を剥く庶務と書記が各一名。

・そして最後に、元凶たるアマチュアテロリストが約一名。

 要救助者(※犯人のみ)が次々と搬送されていく傍らで、彼らはいつも通り姦しいやり取りを繰り広げていた。

 

「ええ、ええ、では一から説明してあげますとも! ――まず前提として、あなた停学食らって謹慎していたはずですよねッ?」

「ン……お揃い、だね」

「~~ッ」(ビキキッ)

 

 青筋、二本目。

 

「刀華……冷静に、冷静に」

「ンン゛! ……そして今も停学期間は継続中。本来なら寮の自室で大人しくしておく義務があるッ」

「それも、お揃い」

「ッ~~~にもかかわらず、あなたは無断で学園を抜け出し、テロリストと勝手にドンパチやっていた!」

「刀華ちゃんも、お疲れ……。アッチの方から元気に……“雷切”の音、聞こえてたよ?」

「我々は理事長から正式に要請を受けています!! あなたの傍迷惑な日課といっしょにしないでください!!」

「刀華! ステイ! ステイ!」

 

 青筋、三本目。

 もはやいつゴングが鳴ってもおかしくない。

 

「ハァ、ハァ、そしてッ――何よりも!!」

 

 刀華は怒りを(ギリギリで)抑え、自分たちの傍らにある()()()()をビシリと指差した。

 

「テロリストを捕縛するついでに! 他所様の市庁舎を解体しているとはどういうわけですかッ! 納得できる理由があるなら言ってみなさいッ!!」

 

 そこに鎮座したるは、無惨に破壊し尽くされた建物の残骸と、その天辺に突き刺さるこの市のシンボルマークだった。

 巨大なコンクリートブロックによる衝撃は、軍事施設でもない一般の建物には(こく)過ぎたようだ。平賀何某(なにがし)を叩き潰したトドメの一撃は、勢いそのまま背後の支柱と鉄骨まで粉々に打ち砕き、中心部の支えを失った市庁舎は自重により見事圧壊してしまったのである。

 

「なんでテロリスト連中より大きな被害を出してるんですか!? 幸い死傷者は一人も出ませんでしたけど、一歩間違えればとんでもないことになっていたんですよ!?」

「ね……? まさか行政のハコモノが……こんなに脆いとは」

「建物の造りにケチ付けてるわけじゃありませんッ!! いい加減にしとかないとあなた本気でブッタ斬りますよッ!?」

「痛い、痛い……刀華ちゃん、電流漏れてる」

 

 綺麗なおさげ髪が静電気で逆立ち、ヘッドロックを掛けられた頭からガンガン電撃が流れてくる。

 ――ヤベえ、こいつは久しぶりのマジギレだ、早く弁明しなければ。

 

 別に空母や島を沈めたわけでもないのに少々怒り過ぎな気はしないでもないが……、そこはまあそれ、個々人によって価値観の違いがあるのだろう。刹那は異文化に対する寛容さを身に着けた。

 

「待って、待って……。正当な、理由がある」

「む?」

 

 一瞬拘束が緩んだところでグリンッと首を回し、刹那は立て板に水の勢いで自己弁護を始めた。

 ――曰く、敵の傀儡術で庁舎の大部分は穴だらけになっており、あの時点でおそらく解体するしかなかった。

 ――曰く、ヤツを釣り上げるには建物の被害を度外視する必要があり、そうでなければあのまま逃げられていた。

 ――曰く、人形である平賀に拘束など無意味であり、無力化するなら完全に破壊するしかない。そのためには圧倒的破壊力の一撃が必要だった。

 ――曰く、それでも人質を傷一つなく助ける自信があり、事実、自分は全員を連れて無事に脱出している。

 

「つまりこれは、コラテラルダメージ……。目的のための、致し方ない倒壊(犠牲)……。全員を助けるためには……他に方法など、なかったということ」

「ぬっ、ぐぅぅ……ッ」

 

 手を変え品を変え虚実を織り交ぜ、自分しか見ていない状況を最大限都合良く解釈し、己の責任を最小限に留める。

 シラーっとした顔の副会長の視線は無視だ。

 

「あ、それと……学園近くのモールでも……新たにテロが、起きてるっぽい」

「な、なんですって!?」

「そっちは現場にいたイッk――オホン! ウチの後輩たちが……対応してる、みたい。……無駄話、してないで……早く行った方が、良いんじゃない?」

「どうしてそれを早く言わないんですかあッ!?」

 

 仕上げに、より重大な情報をブン投げて話をすり替える。人の良い刀華ならば必ず後輩の身を案じて救援の方を優先するだろう。

 実際、怒り心頭であった少女は瞬時に感情を鎮めて理事長に確認の連絡を取っている。さすがは頼れる生徒会長、私情で優先順位を間違えるような愚は犯さない。

 後はドサクサ紛れに話自体を有耶無耶にし、最終的に事後処理を全て親父殿へ押し付ければ万事解決である。自身の目論見がうまくいったことを察し、刹那はヘッドロックの腕の中でニヤリと笑った。

 この女、戦闘狂の部分を除いても中々にクズであった。

 

 

 

(さて……。じゃあ、一輝たちの様子でも……見てみよう、かな?)

 

 おそらくこの後、自分たちも急行するよう指示を受けるだろうから情報の収集は必須である。刹那は地面の下の魔力糸を操作し、件のショッピングモールの様子を覗き見た。今回は自分以外の面々もいるため、特別サービスで空中に映像を投影しての生中継だ。

 

「相変わらず凄いよね、黒鉄ちゃんのその魔術。……ホント、どういう超絶技巧(変態技術)なんだい、ソレ?」

「変態とは、失敬……。修練と執念の、賜物」

 

 弟妹たちの可愛さを記録するため、血反吐を吐く想いで修得した光学魔術だ。完璧な精度で脳内保存できるだけでなく、空中に投影しての映像再生や、今のようなリアルタイムでの中継も可能である。

 

(機会があれば……上映会でも、してみようかな? ……そうすれば一輝の評判も、珠雫(しずく)の人気も……あっという間に、鰻登りになるはず……。フフフ、そのときが楽しみだ)

 

 そんな、若干気持ち悪い内心などおくびにも出さず、刹那は現地とこちらで映像を繋げる。まずは生徒会メンバーを相手に試験的上映会。一輝と珠雫が華麗にテロリストを捕縛する姿を見てもらい、あの子たちの人気上昇のための第一歩となってもらおう。

 

「繋がった。……さぁて、愚弟たちの様子は~~」

 

 魔力で形作られた85インチ画面に、緊迫の事件現場が映し出された。

 

 

 

 

 

 

 

 ――この腐れテロリストが! その指一本ずつ切り落としてやりましょうかッ!

 ――ひいいいッ、お助けえええ!!

 ――ス、ステラ、落ち着いて! 捕虜に拷問とかしちゃダメだよ!

 ――問題ないわ! 死んだテロリストだけが良いテロリストなのよおおお!

 

 ――このド腐れ狩人が! お兄様への侮辱、万死に値します!

 ――ぐあああッ、黒鉄くん、助けてえええ!  と、友達じゃないかぁッ!

 ――珠雫、冷静になって! スカートでロメロ・スペシャルはダメだよ!

 ――そのときは目撃者も消しますから大丈夫ですッ!

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

「…………どういう状況?」

 

「あ、新たな問題児が二人もッ!?」

 

 

 生徒会長の胃痛の種が増えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




登場人物紹介

東堂刀華(とうどうとうか)
 破軍学園三年、伐刀者ランクB。
 生徒会長にして学園序列第二位の刀使いの少女。同じ養護施設で育った子どもたちを勇気付けるため日々頑張る努力家であり、入学後も厳しい鍛錬を重ねてメキメキ実力を伸ばしてきた。学業成績も優秀で、生活態度も品行方正。多方面から将来を嘱望される、まさに騎士の鑑というべき少女である。
 ……が、何の因果か、あの黒鉄刹那(ヤベー女)と同学年になってしまったのが運の尽き。
 入学直後から様々な騒動に巻き込まれ、生徒会に入ってからその頻度はさらに増加。事件収拾のために奔走する姿が学園のそこかしこで目撃され、付いたあだ名が“黒鉄刹那被害者の会・会長”。……無論、これは非公式な名称なので本人の前で口にするのは厳禁である。雷切される。
 優しい性格なのは原作と変わらないが、刹那関連に限り血の気が多くなってしまうため、生徒会長なのに停学経験が豊富――という訳の分からない状態になっている。卒業後の進路に悪影響を及ぼさないか……とても心配されるところである。


御祓泡沫(みそぎうたかた)
 破軍学園三年、伐刀者ランクD。
 因果干渉系能力者であり、自身の力や行動で可能な範囲の事象を自在に操れる、という割とチート染みた能力の持ち主。
 ……が、残念ながら刹那(あのバグ)相手にはほとんど有効に作用したことがない。単に”遠くから偵察する”程度のことですら容易に気配を察知されて躱され、逆に背後から『……何か用?』と肩ポンされたのは密かなトラウマとなっている。
 最近のもっぱらの悩みは幼馴染(刀華)の性格がだんだん苛烈になってきていること。一般の生徒には今も変わらず優しいが、刹那が相手となると初手で霊装を抜いて襲い掛かることもしばしば。
 ――『え? だってこの方が早いし』とは、苦言を呈された際の本人の言葉。
 冷徹な態度でもなく、むしろ普段通り穏やかな顔で語っているあたりが余計に恐怖を感じさせ、確実に刹那(アレ)の影響であることがうかがえる。
 彼の胃痛が治まる日はいつになるのか、それは誰にも分からない。


兎丸恋々(とまるれんれん)
 被害者その三。
 伐刀絶技【マッハグリード】によって音速越えで動く自分の横を、ただの身体強化のみで並走された過去を持つ。そのときの恐怖は筆舌に尽くしがたく、特に至近距離からジーっと観察してくるベンタブラックの瞳は今でもたまに夢に見る。
 その幻影を振り払うべく鍛錬に打ち込み、結果として七星剣武祭本戦で好成績を残せたのは怪我の功名か。一応は成果に繋がっている分、被害者の中ではまだマシな部類である。


砕城雷(さいじょういかずち)
 被害者その四。
 伐刀絶技【クレッシェンドアックス】の一撃を額で受け止められ、さらに固有霊装を頭突きで粉々に破壊された。舞い散る斬馬刀と視界を覆う白髪が瞳の奥に焼き付き、以降彼は白い物がかなりの苦手となってしまう。
 たまに自分の制服にすら恐怖を感じることもあり、もはやトラウマというよりPTSDのレベル。精神科かお祓いに行った方が良いかもしれない。


貴徳原(とうとくばら)カナタ:
 昨年の大乱闘事件の日に所用で休んでいたため、生徒会メンバーで唯一直接の被害を受けていない。それ以外でも危険がありそうなときは敏感に察知して距離を取るため、大きな被害に遭うこともほとんどない。
 要領の良さは大事だ――という当たり前のことをみんなに教えてくれる得難い人材。会長はぜひ見習うべき。



謎の人形使い:
 傀儡を使って世界中で騒ぎを起こしている迷惑系ブレイザー。『日本に凄い学生騎士がいるらしいぞ』と聞いて興味を持ち、テロリズムがてらちょっと遊んでみてやることに……。
 結果は、何もさせてもらえずの完封負け。さらには自身の傀儡術を初めて他人に乗っ取られ、内心ちょっとヒヤリとしていた。
 それでも『ま、所詮は傀儡越しだし~』と余裕を見せていたら、最後に糸を伝って魔力爆弾をプレゼントされて病院送りとなった。久方ぶりに“怒り”という感情を思い出し、『いつか絶対痛い目見せてやる!』と鼻息を荒くしている。

 ――退屈だったはずの僕の人生が、君との出会いで色づいた。
 字面だけ見れば完璧なボーイミーツガールなのが笑いどころ。
 実際はクレイジーどうしの衝突事故なのに。













 お読みいただきありがとうございました。番外編第二話でした。
 今回は生徒会の皆さん(+1名)が初登場です。彼らもオリ主との関わりのせいで性格とかちょこちょこ変わっています。キャラ崩壊とまでは行かないくらいの変化を目指してみたんですが、うまく描写できていたでしょうか?

 ラストでプロレス技を披露していた妹も描写ミスではありません。この世界線ではこんな感じになっています。
 詳細については次話で書けたら良いなぁと思いますが、書けるかどうかはやっぱり未定です。気長に見守っていただければ幸いです。(2023/01/25)






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弱い者イジメはやめておけ

 黒鉄珠雫(くろがねしずく)はブラコンである。

 そんじょそこらのブラコンではない。

 敬愛する兄・黒鉄一輝のためならばどんなことでも――それこそ犯罪行為であろうと18禁行為であろうと、彼が望むあらゆることをしてあげたいと願うガチタイプのブラコンだ。兄妹の枠を超えてもっと仲良くなりたいし、むしろとっとと手を出して手籠めにしてくれないかと常々思っている。

 血の繋がり(世間体)なんて何のその。

 有象無象どもが何を言おうが関係ない。

 兄が心から望んでくれるなら全ての障害を打ち払い、この世界の誰よりも幸せにしてみせよう。自らの気持ちを自覚したあの日から一時たりとも変わることのない、彼女の原初の誓いであった。

 

 誓いを叶えるためには“力”が必要となる。想いだけでは……、ただ叫ぶだけでは何も叶えられないことは、赤座の事件の日に十分過ぎるほど思い知らされた。

 伐刀者(ブレイザー)として頂点を目指すという、この先一輝が歩んでいく茨の道。その隣を共に歩みたいと望むなら自分にも大きな力がいる。これまでのような、『ただ兄といっしょにいたいから』という受け身での修行では全く足りない。

 何を犠牲にしてでも強くなる鋼の意思と、どんな相手であっても勝機を見出せる自分だけの強みが必要だ。

 

 珠雫は考えた。

 自分に何ができるのか。

 何が足りないのか。

 勝つためには何が必要なのか。

 その明晰な頭脳で穴が開くほど考え尽くした。

 

 そうしてある日、ついに彼女はその結論に至ったのだ。

 

 

 

 ――そうだ、プロレス技を極めよう――と。

 

 

 

 

「ってことでお話はもう充分ですよね? 早くお兄様たちと合流しましょう、ステラさん」

 

 そう簡潔に呟き、珠雫は化粧室を後にしようとする。

 

「ちょいちょいちょい、待ちなさい、シズク! なんで終わったような空気出してるの!? 何も十分じゃないんだけどッ!?」

「?? 重要なところはもう話したでしょう? 何か不明な点でもありましたか?」

「不明な点だらけよ! どういう経緯でそのエキセントリックな結論に至ったのか、過程のところが丸々すっ飛んでるわ!」

「そのくらい言わずとも分かるでしょう? あなたも筋肉の教えに帰依した一人なのですから」

「そんな謎宗派に入信した覚えはないんですけど!?」

「むぅ、仕方ないですね」

 

 咳払いを一つ零し、珠雫は続きを話し始めた。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 改めて『強くならなければ』と決心した黒鉄珠雫であるが、ここでまた一つの悩みが出てくる。すなわち、“自分はどのような力を身に付ければ良いのか”。より具体的に言うなら、“近接戦においてどのような戦い方をするべきなのか”という悩みである。

 姉や兄の戦いぶりを散々見せ付けられておいて、この期に及んで『武術など重要ではない』と考えられるほど珠雫の頭はおめでたくない。得意とする遠距離魔術を磨くのは当然として、プラスしてクロスレンジでのスキルも身に付けなければあのレベルの相手とはとても戦えないだろう。身体能力および近接戦闘技術の向上は急務であった。

 

「やはり、剣術をもっと磨くべきでしょうか?」

 

 まず候補として浮かぶのは当然、剣術である。生家である黒鉄家でも大半の伐刀者が剣術を修めており、何より、彼女自身の固有霊装(デバイス)宵時雨(よいしぐれ)】も小太刀型なのだ。一見すると悩む余地などないようにも思える。

 

「……剣術で、あの人たちと渡り合う?」

 

 しかし、ここでまた新たな壁にぶつかる。普段の鍛錬から模擬試合に至るまで、一輝・王馬・刹那らの戦いを何度も見た上で理解させられてしまったことがある。一輝ほどではなくとも、彼女にも高レベルで備わっていた戦いの審美眼により判断できてしまった残酷な現実。

 

 曰く――黒鉄珠雫に剣術の才能はない。

 

 もちろん人並み程度には熟せる。騎士の名家たる黒鉄家で幼少から英才教育を施されてきたのだ。一通りの基礎は学んできたし、一般の伐刀者から見れば十分と言える水準で各種技術は修めている。

 がしかし、それはどこまで行っても秀才止まりでしかない。一流である長兄(王馬)、超一流である次兄(一輝)、もはやバグである長女(アレ)らに比べれば、所詮は凡才と変わらないレベルでしかなかった。

 

 珠雫は苦悩した。

 いくら鍛えても亀の歩みでしか向上しない技術。遥か先を飛ぶように強くなっていく姉や兄たち。日々開いていく実力差に焦りばかりが募っていく。形だけをなぞる無意味な鍛錬を繰り返し、心配する兄に下手な笑顔で大丈夫と返し、そんな情けない自分に忸怩たる思いを抱く。

 誰かに相談しようにも、一輝を相手にこんな情けない内心を吐露することは憚られ……。さりとて家付きの教師たちも、魔術だけを磨けと一辺倒に主張するばかりで頼る気も起こらず。ついには悩むあまり、日課である鍛錬をサボって自室に引き籠るまでになってしまう。

 

 珠雫は自己嫌悪に沈んだ。

 ……ああ、なぜ自分はこんなにも弱いのか?

 身体能力だけの話ではない。

 呆れるほどに精神が弱い。

 親族全てから虐げられても決して諦めなかった兄に比べ、こんなことで心揺らいでしまう自分はなんて情けないのか。

 

 もっと強くなりたい。

 身も心も強くなりたい。

 兄を隣で支えられるような、何事にも揺らがない強い女性になりたい。

 でもどうすれば良いのかが分からない。

 

 悩み、藻掻き、苦しみ、懊悩する日々が続いた。

 

 

 

 

 

 ――転機は唐突に訪れた。

 鬱屈する気持ちを切り替えようと出かけたとある休日のこと、何気なく視線を向けた街の一画で、彼女は()()を目にした。

 確かそこは、何かの競技場が取り壊された跡地だったか。だだっ広い原っぱの真ん中に、見慣れない舞台が天幕に囲まれてポツンと建っていた。当時箱入りだった珠雫には、それが格闘技のリングだということは分からなかったが……。

 しかし、何か心惹かれるものを感じた。なぜだかは分からないが、自分を変える何かがそこにある気がして、直感に従うまま珠雫は会場に足を踏み入れた。

 

 

 

「ッ!?」

『ゼヤああああーーーッ!!』

『うおおおおおーーーッ!!』

 

 ――ワアアアアアーーーッ!!!

 

 そうして、彼女は出会ったのだ。

 

 会場に立ち込める熱気に。

 ぶつかり迸る汗に。

 呼応して沸き上がる歓声に。

 そして、それら全てが一身に注がれる――戦場(リングの上)の漢たちに。

 

「な、何……コレ? ……プロ……レス?」

 

 とある新設の団体が、ファンの裾野を広げようと無料で開催したプロレスイベント。野っ原に作られた特設のリング上で、屈強な男たちが雄叫びを上げながら激しくぶつかり合っていた。

 照明もない。テレビカメラもない。ド派手な演出もない。観客だってそう多くはない。脚光とは無縁の小さな闘技場。

 けれども彼らは、そんなことなど知らん!とばかりに咆哮し、躍動し、鍛え上げた肉体と技を競い合う。

 

『うおおおおッ!!』

『おらあああッ!!』

 

 拳が交差する。

 蹴りが叩き込まれる。

 鍛え上げた筋肉が跳ね返す。

 腕を取る。

 肩を極める。

 力づくで振りほどく。

 回り込んで抱え込む。

 投げ飛ばす。

 叩き付ける。

 押さえ込む。

 跳ね起きる。

 引っくり返し、また組み付く。

 逆転し、仕切り直して立ち上がる。

 リング中央で再び組み合う。

 一進一退で繰り広げられる熱い攻防に、いつしか珠雫は見入っていた。

 

「……す……ごい」

 

 それまで珠雫が知っていた“戦い”とは違うものがそこにあった。

 相手の攻撃をあえて受ける。逃げずに真っ向から組み合う。どちらの肉体と根性が強いか、防御など知らんとばかりに殴り合う。伐刀者として珠雫が教えられてきた、相手を倒すためのスマートな戦い方とはまるで違う。

 ともすれば愚かとも揶揄されそうな非効率な戦いがそこにあった。

 

 

『決まったあああッ!! ブレーンバスター炸裂ううう!! これは大ダメージだ! 果たして立てるのかあああ!!』

 

 

 ――ワアアアアアッ!!

 ――立て! 立つんだ、仰木!

 ――油断するな、後藤! 戦闘態勢を崩さずに待て!

 ――呼吸を整えるんだ! あいつは絶対立ってくるぞ!

 

 

「…………ばれ」

 

 

 ――ダメージは大丈夫か!

 ――頼む、勝ってくれええ!

 ――頑張れ! まだやれるぞ!

 ――立って! 立ってえええ!!

 

 

「ッ…………んばれ」

 

 

 倒れても倒れても何度でも立ち上がる姿に、

 

 痛みに耐えて困難に立ち向かうその精神に、

 

 子どもたちの声援に全力で応える彼らの心意気に、

 

 

 

「ッ……がんばれ! がんばれ、仰木いいいい!!」

 

『うおおおおおッ!!』

 

 

 強さというものを体現する彼らの背中に、

 

 

 黒鉄珠雫は――心から憧れたのだ。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 ゆえに――

 

 

 

 

「このクソテロリストめ! 小さな子どもを蹴り付けてんじゃねえですよオラああああ!」(※可憐な東○奈央ボイス)

「ぐああああッ!?」

 

 市民に暴力を振るう解放軍(クズども)の所業など、到底許せるはずもなかったのである。

 

「珠雫ううう!? その人もうタップしてるから! 決着後の攻撃はルール違反だから!」

「いいえ、お兄様! 今の私はダーク魔導レスラー、SHIZUKU! このような無法な連中相手に、守るべきルールなど持ち合わせていません死ねエエエッ!!」

「ぐああああッ!?」

「ダーク魔導レスラーって何!?」

「法で裁けぬ悪を潰すダークヒーローなんですって。可愛い顔して男の子みたいな趣味よねぇ」

「微笑ましそうに見てないで止めてよ、アリス! 妹が闇堕ちしちゃう!」

 

 鍛えられた両脚から繰り出される見事な三角絞めが、モヒカン男の首を締め上げ白目を剥かせる。同時に発動した氷魔術が男の体温を低下させ、締め技と合わせて加速度的に意識を奪っていった。

 

「その技すごいわね、シズク! 後で私にも教えてくれないかしら!」

「いいですよ! レスラー仲間が増えるのは大歓迎です!」

 

 これこそが、悩みに悩んだ末に辿り着いた黒鉄珠雫独自の戦法。小柄な身体とフットワークを活かして相手の懐に潜り込み、組み技で動きを封じると同時に魔術で完全封殺する合わせ技だ。

 今回は首締めと体温低下による気絶という穏便な?方法だが、やろうと思えば関節を凍らせた上で文字通りへし折る残虐ファイトも可能である。かつて参加した特別招集において、沈めた敵の傍らで両手を突き上げ雄叫びを上げていた姿は、“ローレライ”ならぬ“ウォークライ”と一部界隈で呼ばれているとかいないとか……。

 

「ステラさんは脚もガッチリ太いからきっと使いこなせるでしょう!」

「ふ、太いとか大声で言わないでよ!? ちょっと気にしてるんだから!」

「何を気にするんですか! これまで必死に鍛え上げてきた努力の結果でしょう! 誰に憚る必要もありません!」

「うぐぅ……本気で言ってるっぽいから怒るに怒れない。これが“筋肉の教え”か」

 

 自信満々だった解放軍(リベリオン)のテロリスト連中は、一輝たちが駆け付ける前にすでに全員片付けられていた。

 子どもに手を出されてキレた珠雫がDQN野郎をワンパンで沈め、釣られて飛び出たステラが敵の首魁――ビショウを大剣の一撃で吹き飛ばした。選ばれし使徒を自称する男は『罪と罰がなんたら~』と得意げに指輪型霊装を誇示していたが、今のステラがそんな小細工に引っかかるわけもなく。『なんかカウンター技っぽいな』と勘を働かせた結果、横から両腕をバキボコに圧し折って地面に転がしておいた。

 さらに珠雫は、人質の中に潜んでいた敵の伏兵まで即座に看破・捕縛している。幼い頃からの修行で魔力探知がありえないレベルに到達しているため、ショッピングモール程度の規模なら誰がどこにいるのか完全に把握できるのだ。

 

 

 つまり――

 

 

「ハッ!? お兄様、避けてッ!」

「え? ――うわッ!? なんだ、今のはッ」

 

 出番がなかったからと、憂さ晴らしで兄を狙う不届き者の攻撃を見逃すわけがないのである。

 

「い、今のは……矢? まさか、さっきのは……桐――」

「お兄様ッ、そこどいて!」

 

 矢が飛んできた方向から隠れ場所に当たりを付け、珠雫はクラウチングスタートの態勢を取った。

 

「アッハッハ! ごめんね、黒鉄くぅ~ん? つい手元が狂っちゃって狙いが「貴様か、桐原あああッ!!」――うごはあッ!?」

 

 何もない空間から突如姿を現した男、桐原静矢(きりはらしずや)。厭らしい笑みを浮かべる優男の襟首を引っ掴むと、珠雫はそのまま地面へ叩き付けた。

 

「ぐええッ!?」

「このチキン野郎がッ! 救いようのないクズだとは思っていましたが、まさかこのような場で暴挙に及ぶとは!」

「な、何をするんだお嬢さんッ、その手を放し――ぐぼあッ!?」

 

 そのまま倒れた背中にストンピングの一撃。

 流れるように両手脚の関節を極め、相手を宙空へ吊り上げる。

 

「このド腐れ狩人が! 昨年に続いてお兄様への侮辱と加害、万死に値します!」

「ぐあああ、腕がああッ! く、黒鉄くん、助けてぇ! と、友達じゃないかぁッ!」

「珠雫、冷静になって! スカートでロメロ・スペシャルは危険だよ!」

「そのときは目撃者も消しますから大丈夫です死ねエエエッ!」

「ぐあああ!? 脚も折れるううッ!!」

「何も大丈夫じゃないよ珠雫うううッ!」

 

 

 かくして、テロリストに続いて学園の先輩も血祭りに上げながら、前回の引きに至るのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「はい。……はい。では後のことはよろしくお願いします、理事長先生。はい、失礼します」

 

 ――ピッ。

 

「……ふぅ」

 

 理事長との事務処理に関する会話を終え、ステラ・ヴァーミリオンは小さく息を吐いた。

 現場となったモールに伐刀者の特殊部隊が雪崩れ込んだのが30分ほど前のこと。テロリストたちは迅速に捕縛され、人質も大きな怪我がないか確認の後、順次医療施設へ移送されていった。怒れる魔導レスラーによってすでに犯行グループが制圧されていたとはいえ、到着までの早さといい、突入後の手際の良さといい、さすがは世界一と名高いサムライの国の精鋭部隊であった。

 ……蒼い顔の隊員たちが『白髪鬼が……』だの『今回はセーフ……?』だのと呟いていたのは少し気になったが、たぶん触れない方が良い話題な気がしたのでステラは全力でスルーした。

 

 

 ――閑話休題(それはさておき)

 

 

「で? あの男は一体誰なのよ、シズク」

 

 今一番気になること。広場のベンチで一輝と話す軽薄男の正体を問えば、不機嫌顔の友人から答えが返ってくる。

 

「……桐原静矢。破軍学園の二年生で、昨年の七星剣武祭の破軍代表に()()()()()男ですよ」

「――なりかけた? なった、じゃなくて?」

「ええ。去年の選抜戦で途中までは無敗だったそうですが、例の大乱闘事件で」

「あっ……」

 

 察した。

 あいつもヤベエ女の犠牲者か……と十字を切るステラ。

 ――が、先ほどの所業を思い出し、必要ないなとキャンセルする。

 聞こえてくる会話もその行動の正しさを証明していた。

 

 

「まったく、酷い目にあったよ、黒鉄君。あの姉といい今日の妹といい、黒鉄家ってのは物騒な奴しかいないのかい?」

「それについてはちょっと否定しづらいけど……。でも君のやったことも褒められたものではないと思うよ、桐原君?」

「ハッ、格上の僕に対して説教かい? Aランクのお友達ができたからってずいぶん調子に乗ってるようだね?」

「そういう問題じゃないだろう。さすがにさっきのは悪ふざけにしても度が過ぎているよ」

「おいおい、何を言ってるんだい、あれはちょっと目測を誤っただけの事故だよ、事故。警察にも説明して分かってもらっただろう? それをいつまでもネチネチとしつこく根に持って。あーあ、嫌だねFランクは、心まで貧しくなって」

「…………」

 

 

 ………………。

 

 

「なるほど? とりあえず、あまり仲良くなれそうにないタイプっていうのは分かったわ」

「ええ、今からでもへし折りたくなってきました」

 

 実際やっても許される気がしてきた。テロ事件の最中に同級生を背中から撃つなど、一歩間違えばその場で手討ちにされてもおかしくない所業だ。(※端からあの男の証言など信じていない)

 それを遊び交じりの嫌がらせで実行するなど、騎士というよりも人としての倫理観はどうなっているのだろうか?

 ……いじめが横行しているあの学園で、人の道を説いても詮無いことかもしれないが。

 

「まあ良いさ、本題はこんな下らない話じゃない。生徒手帳は見たかい、黒鉄君?」

「え?」

 

 ベンチに座ったまま相手を見下すという器用な真似を見せる桐原。唐突な話題転換に戸惑う一輝だったが、この時期にこれ見よがしに生徒手帳を提示する案件など一つしかない。言われるまま液晶の画面を開いてみれば案の定、

 

 

『黒鉄一輝様。選抜戦第一試合の対戦者は、2年3組 桐原静矢様に決定しました』

 

 

 一輝の初戦の相手が、桐原静矢に決まった旨が通知されていた。

 

「君が……僕の相手」

「ああ。このことを伝えるために、僕の方からわざわざFランクの君に声をかけてあげたってわけさ。感謝してくれよ?」

「……ああ、伝えてくれてありがとう」

 

 どこまでも尊大に相手を見下し、桐原静矢は静かに宣戦布告を行った。

 

「フン、あのときみたいに無抵抗で情けなく震えてくれるなよ、落第騎士(ワーストワン)? 雑魚は雑魚なりに頑張ってくれないと試合が興ざめになってしまうからねぇ」

 

 対するこちらの反応は三者三様だ。

 

「安心してくれ、桐原君。試合では全力を尽くすよ」

 

 黒鉄一輝は静かに闘志を燃やし、目の前の相手を真っ直ぐ見据えた。

 

「ふん、イッキがあんなのに負けるわけないでしょ。楽勝よ、楽勝」

 

 ステラ・ヴァーミリオンは憧れた男の勝利を疑いなく信じた。

 

「ガルルルルッ、キリハラコロスゥ!」

 

 そして黒鉄珠雫は怒りの臨界点を超えて今にも飛びかかろうと――

 

 

「って、ちょ、待ちなさい、シズク! どうどう!」

「離してください、ステラさん。あいつの背骨へし折れない」

「いや折っちゃダメだから。試合が中止になっちゃうから。ていうかアンタだって選抜戦の途中でしょ。違法行為で失格になっちゃうわよ」

「……むぅぅ」

 

 風船のように膨らむ珠雫の両頬。

 ステラは苦笑しながらそっと手を添える。

 

「ほら、むくれないの。あんな奴イッキの敵じゃないわ。試合であの男が叩き斬られるのをドーンと待ってりゃいいのよ」

「それは……そうですけど」

 

 反応こそ違えども、二人に共通しているのは友(兄)の強さに対する絶対的な信頼だった。

 ――あの異次元の強さを持つ剣士が木っ端伐刀者ごときに負けるはずがない。

 慢心でも油断でもなく、確かな実績から一輝の勝利を微塵も疑っていなかったのだが……。

 

「二人とも、ちょっと楽観し過ぎじゃなくて?」

「「え?」」

 

 そこに冷や水を浴びせたのが、珠雫のルームメイトであるアリス――有栖院凪(ありすいんなぎ)だった。

 

「本人の性格はともかく、能力の方はなかなか……侮れないみたいよ?」

 

 彼からの冷静な指摘に、少女らはハタと首を傾げる。

 

「あいつの能力? シズク、何か知ってる?」

「いえ、私も弓を使うということくらいしか……あ、でもさっきは姿を消していたような?」

「アリスの言う通りだよ」

「あっ、お兄様」

 

 桐原との会話を終えた一輝が頷きつつ戻って来る。試合の日程が決まり、モチベーションが高まったその顔には油断など欠片もない。

 

「対人戦に限るなら、彼はこの学園で最も厄介な能力の持ち主だ。僕との相性については……最悪と言っていいだろうね」

「ッ……」

「さ、最悪って……」

 

 戦いにおける観察眼で一輝の右に出る者などいない。その彼がこうまで言い切ったことで、ステラたちの中にあった慢心が一気に消えていく。

 

「というわけで、その辺りのことも含めて作戦会議をしようと思うんだけど、どうかな?」

「……ええ、ぜひ協力させてもらうわ」

「お兄様のお役に立てるならいくらでも」

 

 一輝の助けになれる上に、あの優男をボコボコにできるのなら願ったりである。

 二人は一も二もなく頷いた。

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

「桐原静矢、破軍学園二年、Cランク。所有する固有霊装(デバイス)は弓型の【朧月(おぼろづき)】。得意戦法は霊装から分かる通り、遠距離から敵を射抜く弓兵(アーチャー)……いや、彼の場合は狙撃手(スナイパー)と言った方が適切かな?」

「スナイパー?」

「うん。桐原君の代名詞とも言える伐刀絶技(ノウブルアーツ)狩人の森(エリア・インビジブル)】がその所以だよ。見てごらん」

 

 ところ変わって一輝とステラの自室にて。学園のアーカイブから去年の選抜戦のデータをダウンロードした一輝たち四人は、その内の一つを鑑賞していた。

 画面に映るのは桐原静矢と対戦相手の女子生徒。鬱蒼と茂った森の中で、剣士と思われる少女が覚束ない手付きで霊装を構えている。

 

『うあッ!?』

 

 そこへ、どこからともなく飛来した光の矢が突き刺さった。少女は桐原の居場所を捉えられていない様子で、動揺のまま落ち着きなく周囲を見回している。

 そこへ一度ならず二度、三度と、次なる矢が着弾する。

 

『あぐ!? うああ!?』

 

 角度と方向を変えながら嬲るように、少女の体表面を削るように何度も何度も攻撃が当てられる。

 

『い、いやッ……どこ……どこなのよ!? 姿を見せなさいよ!』

 

 それは、“戦い”というにはあまりに一方的なものだった。接近戦しかできない少女では姿の見えない桐原に反撃することは叶わず、遠距離からの狙撃でひたすら嬲られる展開が続く。

 当てずっぽうで剣を振るうも、そんなもので状況が打開できるはずもなく。

 

『いや……や、やめて……! もう嫌ぁ!』

 

 最後は抵抗の意志すら挫かれ、震えながら蹲る少女の身体が射抜かれたところで試合は終わった。

 

 

 

 

「……な、何よ、コレ。ただの一方的なリンチじゃない! こんな下衆な真似をするようなヤツが騎士を目指そうっていうのッ?」

「決して戦いの矢面には立たず、姿を隠して一方的に相手を嬲る騎士らしからぬ戦いぶり。付いた二つ名が『狩人』ってわけね」

「そんな上等な呼び名もったいないわ、アリス! こんな奴チキンで十分よ!」

 

 ただ遠距離から攻撃するだけならばステラもこんなことは言わない。判定狙いの塩試合であろうと、それが勝つための戦法なら文句はない。

 この男はその気になればいつでも勝負を決められたにもかかわらず、いたずらに試合を引き伸ばし、相手を嬲ることを楽しんでいた。その非道で卑劣な戦いぶりがひたすら気に食わなかった。

 

「あーもうッ、思い出すだけで腹が立ってきた! アタシの相手だったらボッコボコにしてやるのにぃい!」

「もしステラと戦うことになったら彼は棄権するだろうね。高威力かつ広範囲を攻撃できるステラの伐刀絶技は桐原君にとっては天敵だ。彼は確実に勝てる戦いしかしない主義だから」

「やっぱりチキンじゃない! ますます恐れるに足りないわ!」

 

 なぜこんなヤツが女子にモテているのだろうか? この世界線では代表にもなっていないわけだから、ただの女の子嬲り変態クソ野郎なのに。

 やはりあれか? 年頃の女の子はちょっと悪い男に惹かれてしまうのか? 真面目で優しい平凡男よりも、モブを虐めるヤンキーの方がなぜかモテてしまうあの謎現象なのか? 理不尽過ぎるだろ、チクショウめ。(※個人の感想です)

 

 

 

「ただ、能力が厄介なのは確かですね。お兄様との相性で言えば……確かに最悪に近い」

「あっ……」

 

 口惜しそうに呟かれた言葉にステラも息を呑む。

 ――広大な森を形成し、姿を隠して飛び道具で敵を射抜く桐原静矢。

 ――剣技と体術は超人的とはいえ、接近戦しか選択肢がない黒鉄一輝。

 確かに桐原との相性は最悪と言っていいだろう。下手をすれば最初から最後まで何もできずに嬲り殺しにされる可能性すらある。

 

「それに、弓の威力そのものもなかなか侮れないからね。去年身を以って味わっているし、本番で食らわないように気を付けないと」

「は? 味わったって、どういうこと? ……シズク?」

 

 過去に模擬戦でもやったのだろうかと首を捻るも、珠雫の阿修羅顔を見るにそんな穏やかな話ではなさそうだった。

 そして返答は予想の三つくらい上を行っていた。

 

「去年の今頃、彼に校内で襲撃されたんだ。Fランクってことで目を付けられて背中からひたすら撃たれて……。さすがに幻想形態だったけど、あれは痛かったなぁ」

「は、はあッ!? なんだってそんなことに!?」

 

 ステラは思わず立ち上がる。

 因縁とか確執とかそういうレベルではなかった。

 ――無許可で霊装を展開し、無抵抗の同級生を攻撃して甚振る。

 それはもはや退学というか、逮捕される案件ではないのか……?

 

「入学してからしばらくの間、僕が前理事長から妨害を受けていたって話は覚えてる?」

「そ、そりゃ覚えてるけど、それとなんの関係が――――ッまさか!?」

「なるほど。最初からグルだったってわけね?」

「うん……そういうこと」

 

 こればかりはさすがに一輝の顔にも苦いものが浮かんでいた。

 

「黒鉄本家と繋がっていた前理事長は、ウチからの命令で僕を退学させようとしていた。だから桐原君に話を持ち掛けたんだ。僕を攻撃して反撃を誘発し、退学に足る理由を作り出せって」

 

 そもそもからしておかしいのだ。いくら一輝が落ちこぼれとはいえ、霊装を抜いて同級生に襲い掛かった者がただで済むわけがないし、桐原自身もそれを分かっていないはずがない。

 あの男は下衆な人間だが決して馬鹿ではない。勝てない相手からは臆面もなく逃げ出せる辺り、自己保身には優れているタイプだ。

 つまりあれは、事に及んでも自分は無事で済む確信があったということ。前理事長から依頼なり密約なりがあった上での、後ろ盾がついているからこその暴挙だった。少なくとも一輝はそう睨んでいた。

 

「まあ、彼自身の嗜虐趣味も大いにあったんだろうけどね。相手が無抵抗だと普通は手が緩んでしまうものなのに、彼は最後まで愉しそうにやっていたから。……ある意味大物なのかも」

「……あの野郎、やっぱり今からでも焼き払ってきてやろうかしら」

「それはステラが失格になっちゃうからやめようね?」

「お兄様、ちょっと首圧し折りに行ってきます」

「それは警察案件だからもっとやめようね?」

「う~~~ッ! だからって仕返しの一つもできないのは悔しいわよ!」

 

 抑えきれぬ激情が炎の魔力として発露する。放っておけばこのまま桐原の居室へダイレクトアタックでもかましそうな雰囲気だった。

 憧れた相手の名誉が不当に貶められている現状。それに対して何もできない自分に唇を噛みしめるしかない。

 

「ッ~~イッキ! 明日は絶対勝ってよね! 万が一のことがあればアタシ相手の控室にカチコミかけるかもしれないから!」

「あはは、じゃあそうならないためにも、いっしょに攻略法を考えてくれるかな?」

 

 そう言って一輝が差し出したのは一枚のDVDだった。公式の商品というわけではなく、数売りのディスクに個人的に何かを記録したであろう手製品。おそらく中身は去年の選抜戦か模擬戦のどれかだと思われるが……。

 

「う……またあいつのリンチ映像を見せられるのは嫌なんだけど」

「心配しないで、これはそういうのじゃないから。新聞部の人が個人的に撮影してくれた、ある非公式戦の記録映像だよ。超絶技術の連発だからきっとステラの参考にもなるよ」

「そう? それならまあいいけど」

 

 開いているネットのページを閉じ、ディスクトレイを開けてDVDを乗せる。

 心なしかワクワクしているようにも見えるルームメイトの背中に、ステラの期待も少しだけ高まる。一体どんなすごい戦いなのかとこちらもワクワク。

 

「……まあ、ある意味もっと酷いリンチ映像かもだけど」

「へ? ちょっとイッキ、それってどういう意味――ぅア゛ッ!?」

「どうしたんですか、ステラさん? そんな絞められた鶏みたいな声エゥあッ!?」

「あらまぁ」

 

 最後まで言いきる前に少女たちの口から淑女らしからぬ濁声が漏れた。ついでに顔の方もモザイク必須の形相になってしまっているが、それも無理のないことであろう。

 

「さてと……じゃあいっしょに見て研究しようか?」

 

 なぜなら、白いディスクの表面に記載されていた文字は――

 

 

 

『○○年度学内選抜戦、乱闘事件詳細』

 

 

 

 昨年の選抜戦がブチ壊しとなった原因。

 すなわち、あの女がやらかした例の大乱闘事件だったのだから。

 

「何かアドバイスがあれば遠慮なく言ってね?」

「「ウヴェぇぇ……」」

 

 少女たちはチベットスナギツネみたいな顔になった。

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 桐原静矢には才能があった。

 Cランクという、一般家庭出身にしては高めの伐刀者ランクもそうだが、何より固有能力が凶悪だった。彼が有する伐刀絶技【狩人の森(エリア・インビジブル)】は、術者の姿だけでなく匂いや足音、果ては気配までも消し去ることができる完全ステルス能力だ。一対一の対人戦においてこれほど凶悪な能力も他にあるまい。

 事実、小学生時代に出場したリトルリーグの試合では、ただの一度もこの能力が突破されることはなかった。こちらの姿を見失った相手を遠距離からただ撃ち抜くだけで全ての敵を封殺できる。

 さすがに広範囲攻撃を有する相手との試合は棄権していたため全戦全勝とはいかなかったが、逆に言えば出場した試合については全て勝ってきたということだ。

 

 桐原静矢は調子に乗った。

 ただでさえ伐刀者は希少能力者として一目置かれるのに、中でも特に優秀だということで殊更にチヤホヤされるのだ。思春期に入ったばかりの男子が調子に乗るのも無理からぬこと。それはもう、だんじりの頂上に乗るレベルで調子に乗った。

 

 成長し、破軍学園に入学してからもそれは変わらず。

 入学の前年から再開されたという選抜戦においても、彼は対人無敵の固有能力を存分に振るい、労せずして勝ち星を重ねていく。

『能力頼りは止せ』という指導者の苦言もどこ吹く風。

『騎士としての誇りがない』という敗者の負け惜しみなどスパイスにしかならない。

 軽く力を振るえば弱者どもは膝を折る。

 笑いかければ女たちは黄色い声を上げて傅く。

 落ちこぼれのFランクをいたぶってやれば、相手は碌な抵抗もできずに無様に屈する。当然自分は何のお咎めも無し、むしろ雑魚を処理する手際を褒められたぐらいだ。

 

 ――ああ、やはり自分は特別な存在! 人の上に立つべき選ばれし天才! 有象無象のお前たちとは生きるステージが違うのだ!

 

 桐原静矢はこの世の春を謳歌していた。

 

 

 

 

 

『これで……完全ステルス? 名前負けが……過ぎるね』

『ひぃいいい!?』

 

 ――春の終わりは一瞬だった。

『選抜方法を能力値基準に戻す』という前理事長の宣言に端を発する大乱闘事件において、桐原静矢は人生初の挫折を味わうこととなった。

 

『まず……姿を消すのが、遅過ぎる。……今の間に、20回は殺せる』

 

 桐原がいつも通りに姿を消そうとしたところ、他の生徒を蹴り飛ばしていた刹那は即座に彼の行動に気付き、一瞬で近付いてボディブローを叩き込んできた。これまで開幕速攻(似たような真似)を行おうとした対戦相手は多くいたが、文字通り瞬きの間に懐に入られるなど初めての経験だった。

 胃液と涙に濡れて這いつくばり、白髪の戦鬼を見上げる。

 

『ま、いいや……。とりあえず……狩人の森……使ってみて?』

『ひぃいい!? お、おぼろづきいいいいッ!!』

 

 言われるがまま霊装を展開し、桐原は自身の姿を隠してその場を逃れた。

 このまま迷彩に紛れて刹那を攻撃する?

 ――否! こんな頭がおかしい女にこれ以上付き合っていられるかッ。乱闘がお望みなら生徒会辺りの暑苦しい連中と死ぬまでやっていろ!

 心中でそう吐き捨てた桐原の、ステルスを全開にしての逃亡は、

 

『やっぱり……消えが甘い、ね』

『ッッ!? な、なんで僕の位置が分かっ――ぐええッ!?』

 

 後ろから襟首を掴むことであっさりと阻止されていた。片手で吊り上げられたまま至近から顔を覗き込まれ、修羅場を経験したことのない男の全身が震え上がる。

 

『自分の周りだけ、消せても……身体から離れたものが、残ってる。魔力の残滓を、消さないと……地面に足跡を、残してるようなもの』

『ッ!?』

 

 桐原は戦慄した。

 そのような些細な変化を肉眼で捉えられる人間など想定できるわけがない。

 というかまず“魔力の残滓”とはなんだ!? そんなもの聞いたこともない!

 

『……じゃあ、次。……攻撃、してみて?』

『うわ!?』

 

 混乱する桐原に構わず刹那は彼をリングへ放り投げた。その間にも他の生徒たちを魔力の鎖で薙ぎ払いながら、片手を桐原へ向けてクイクイと手招きする。

 無表情でも分かり易すぎる挑発。

 ――攻撃しないでやるから全力で撃ち込んでみろ。

 ――無抵抗な相手じゃないと戦う度胸もないのか?

 そう言外に桐原を煽っているのだ。

 浮足立っていた彼もこれには怒りが恐怖を上回った。

 

『ッ……後悔するなよ、人形女が! ――射抜け、【朧月】!!』

 

 今できる最大まで姿と気配を殺し、生い茂った密林の奥に紛れて刹那の背中を狙い撃つ。亜音速の光矢が空気を切り裂いて着弾、石床を破壊、粉塵が高々と舞い上がった。

 

『まだまだぁ!【驟雨烈光閃(ミリオンレイン)】!!』

 

 一発だけでは終わらない。

 背後から、側面から、頭上から……。時間差で角度も変えながら数え切れないほどの矢を浴びせかける。

 アフリカゾウの群れでもミンチになるほどの飽和致死攻撃だったが……しかし構うものか。なにせ相手は七星剣王様だ、新入生の拙い攻撃など余裕で防いでくれるだろう!

 

『あっはははッ、これならさすがにあいつも――』

『……矢のステルスが、できない……論外』

『なぁああッ!?』

 

 悪意に塗れた自己弁護の言葉は、最強の手であっさり現実のものとなった。

 素手のみで打ち払われた雨矢(うし)の残骸が空気に溶け、その向こうに佇む刹那の指にはいつの間にか四本の矢が挟み込まれている。

 

『返す』

 

 ――ドドドッ!!

 

『ひあああッ!?』

 

 少女の右手がぶれ、何かが飛んできた。避けようとする間もなく顔の横に突き立ったのは、刹那が掴んでいた光の矢だ。

 

『な、なんでッ!?』

 

 姿も見えないのになぜこちらの居場所が分かったのか? ステルスは全力で発動し続けているし、先ほど言われた“魔力の残滓”とやらも辿られないように木の上まで一息に跳躍したのに。

 当てずっぽうか?

 いや、ありえない! それならどうして顔の周りを囲うように正確に狙えたのだ!

 

『揺れと、振動と……後は……熱源? 身体から離れた要素の、制御が甘いから……ちょっと気配を探れば、簡単に追跡できる』

 

 

 

 

 

 

『――ほら、また空気が揺れた』

 

 

 闇色の瞳がこちらをジッと見ていた。

 

 

『ひあ゛あああーーーッ!? ば、化け物ぉお!!』

 

 桐原の混乱が極致に達する。とにかくあの怪物から距離を取ろうと、なりふり構わずその場から逃げ出した。

 足音も、匂いも、呼吸も、気配も、心臓の鼓動さえも! 追跡されないようにあらゆる足跡(そくせき)を消し去り地面を蹴る。

 攻撃など冗談じゃない。とにかく移動しながら攪乱し、隙を見てこの戦場から逃げ出す。その一心でひたすらに森の中を駆け抜けた。

 最後の木の枝を踏み越え、視線の先に会場の入口が見えた……あと少しでここから逃げ出せる。

 

『よ、よし! 生き残っ――』

『じゃあ、ステルスの性能も分かったし、

 

 

 

 ――終わりにするね?

 

 

『がッ!?』

 

 全ての希望が絶望へと叩き落とされた。

 それは文字通りの意味で。空中へ飛び出していた桐原の身体が、重力が倍化したかのような負荷でリングに叩き付けられたのだ。

 

『がっはッ!? ……な、なん……これ……魔力ッ!?  ……動けな……ッ』

 

 全身にかかるあまりの重圧に指一本すら動かせない。それは桐原だけではなかった。リング内外にいる他の生徒たち全て、桐原と同様蒼い顔で地面に縫い付けられ這いつくばっている。

 ――埒外のパワーを誇る砕城雷(さいじょういかずち)も。

 ――音速を越えて動ける兎丸恋々(とまるれんれん)も。

 ――彼らを率いる生徒会長、東堂刀華(とうどうとうか)すらも。

 ありえない!と心で否定しながらも、魔力制御に長けた桐原には理解できてしまった。人一人から溢れ出した魔力の奔流が、その場の人も、物も、伐刀絶技さえも、全てを支配下に置いてしまっていたのだ。

 

『こうやって、魔力で覆えば……位置特定、できる。……人間型の空間があれば……そこが、居場所。…………ン、いたね』

『……ハ……ハハハ』

 

 もはや乾いた笑いしか出てこない。

 闘技場全てをプールのように魔力で覆い満たすなど、人間に可能な芸当ではない。

 確信した。

 目の前のコレは化け物だ。

 Aランクだろうと、Cランクだろうと、Fランクだろうと関係ない。自分のようなただの伐刀者(人間風情)が手を出していい相手ではなかった。

 黒鉄刹那が会場で暴れ始めたとき、彼は何を置いてでもその場を逃げ出すべきだったのだ。全力でステルスを展開し、他の連中が肉壁となっている間にとにかく走って会場の外へ出る。それで確実に逃げられたかは分からないが、少なくともこんな、一対一で化け物と対峙する事態だけは避けられたはずだ。

 

 だがその仮定にももはや意味はない。

 確かな事実は今、この瞬間、桐原静矢の命は眼前の化け物の顎に捉えられているということだ。

 

『じゃあ……ね? もう弱い者イジメ、するなよ? クヒヒッ!』

『お……お前が言うぐわああああーーーッ!?』

 

 最後に口だけでも反撃を、と思ったがそれも叶わず。

 見上げるような魔力の波濤に押し流され、桐原静矢の意識は闇に沈むのだった。

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

「………………」

 

 映像が終わり、先ほどよりもさらに静かになった寮の一室にて。

 視聴を終えた面々は各々のやり方で今の戦いを噛み締めていた。

 一輝は相変わらずヤバイと戦慄しつつも対戦相手の攻略法を探り。

 珠雫は桐原ではなくなぜか姉の方の倒し方を模索し。

 アリスはそんなルームメイトに苦笑しながら頭を撫で。

 そして最後に皇女様は――頭を抱えて机に突っ伏していた。

 

「……本ッ当に何やってんのよ、あの女。ありえないでしょ」

「それは能力が? それともやった内容が?」

「両方に決まってんでしょうが!?」

 

 バンっと机を叩き立ち上がる。

 

「そりゃ話には聞いてたわよ!? 選抜戦の途中で生徒たちに襲い掛かったって聞いて、『ああ、あいつならやりそうだなぁ』とは思ってたわよ!?」

 

 しかし話を聞くのと映像で見せられるのでは大違いだった。

 

 ――能力値選抜なんぞ認めない。これからこの場で選抜を行う。

 

 一方的にそう宣言して同級生に襲い掛かり、逃げ惑う生徒を一息に薙ぎ払う様はまさに万夫不当のテロリスト。“史上最悪の七星剣王”の名に違わぬ悪辣ぶりだった。あの穏やかな生徒会長があそこまで目の仇にするのも納得の不良生徒である。

 

「けどやっぱり実力はすごいんだよねぇ。こことか、ほら見てよ、ステラ。桐原君が走り抜けた直後、踏み込みでコンマ何秒か床がたわんでいるんだ。それを見逃さず進行方向に攻撃をしかけて……あ、リングを砕いて粉塵でシルエットが分かるようになって。そういう方法もあるのか。……お、こっちじゃ見もせずに他の生徒たちをあしらって……う~ん、やっぱり八方目とマルチタスクは必須かぁ」

「……(こっち)(こっち)で目を輝かせてるし」

 

 戦闘技術の高さに感心する気持ちは分からないでもないが、毎度骨を圧し折られている相手によくもまあそんな目を向けられるものである。普通だったら確実に負の感情に支配されているところだ。

 

「……相変わらず魔力総量と出力が桁違い。……局所に絞れば魔力放出で相殺できる? ……いや、それよりは氷壁で物理的に防いだ方が効果的? その隙に水蒸気に乗せた魔力を体内に忍び込ませて……でも内臓の防御力も高そうだし……むしろ血液からのアプローチの方がブツブツブツ」

「……(こっち)(こっち)でガチで殺りにいってるし」

 

 姉から始まって妹に至るまでこの調子だ。何なんだろう……やはり黒鉄家とは頭のおかしい奴らの集まりだっただろうか? この分だと残っている長男もどうせヤベエ奴なのだろう。

 桐原君と同じく失礼な感想を抱いてしまった皇女殿下を誰も責められまい。

 

「それで、ステラ。何か攻略の糸口は見つかったかな?」

「…………」

 

 こちらの気持ちも知らずに笑顔で聞いてくる元凶(友人)

 なんかもう疲れが溜まってきていた皇女様は、やさぐれ顔のまま適当なアドバイスを送ることにした。

 

「もうレベルを上げて物理で殴ればいいんじゃない?」

「…………なるほど」

 

 身も蓋もねぇ結論だった。

 

 

 

 

 

 





長くなりましたので前後半に分けます。
皆さんお待ちかねの桐原君の活躍は次回になります。





登場人物紹介

黒鉄珠雫(くろがねしずく)
 破軍学園一年、伐刀者ランクB。
 自他共に認めるブラコンであり、血の繋がった兄と○○○○することも辞さないヤベエ一途な妹。愛する兄のためなら自分にできるあらゆること(※非合法含む)を為す覚悟があり、一輝を幸せにすることが彼女の人生における至上命題。
 そのために力を付けようと幼くして決心したが、自分には剣術の才が乏しいことに気付いて早々に挫折。一時は道を見失って迷走するも、街角でプロレスイベントを観戦したことで近接格闘に光明を見出した。

 ――結果、誕生したのがグラップラー珠雫である。

 素早い身のこなしで敵に近付いて関節を締め上げ、そのまま氷の能力で封殺するのが基本戦術。幻想形態であれば意識を失わせる程度で済むが、実像で行えば“関節部を凍らせて力尽くで捩じ切る”という割とえげつない絵面が展開される。生で見ると大抵の人がドン引きするが、当の本人は『闘いが命がけなのは当然では?』とあっけらかんと語った。
“黒鉄の血族は全員ヤバイ”という業界の共通認識が生まれた瞬間だった。

 入学後に出会ったステラは良き友人。原作と違って一輝に恋心を抱いていないため敵愾心も生まれておらず、純粋に兄の実力を認めてくれたことから好感度はとても高い。幼い頃から肉体を鍛える喜びに目覚めているため、ステラの鍛えられた太い脚や肉付きの良い身体もプラス評価。自分もあれくらい立派な身体になりたいなぁと憧れており、今後も良い関係を築いていけたらと願っている。



ただし、兄に恋愛感情を抱いた場合はこの限りではない。 






有栖院凪(ありすいんなぎ)
 破軍学園一年、伐刀者ランクD。
 珠雫のルームメイトであり心は乙女のイケメン男子。心の機微に敏感で人との距離の取り方が抜群にうまい。その社交性は人間嫌いの原作珠雫とも良好な関係を築けるほどだが、本作の珠雫は割とイケイケの性格になっているため、逆に自分から距離を詰めていってアリスの方がちょっと驚いた。『あらやだ、この子見かけによらずグイグイ来るタイプだわ』

 見た目は儚い美少女なのに趣味が男の子みたい(※プロレス、特撮ヒーロー物)、けれど服や小物は可愛いものが好きという珠雫の性格は、実はアリス的に好感度大。性別によるステレオタイプな区分けに囚われず、好きな物を好きと言い切る姿勢には一人の乙女としてシンパシーを感じている。もしかしたらこれが後の○○○に何らかの影響を及ぼす…………かもしれない。
 たぶん呼び戻すときには拳やサブミッションが飛び出すので、今の内に身体を鍛えておくことが推奨される。





桐原静矢(きりはらしずや)
 破軍学園二年、伐刀者ランクC。
 みんな大好き自称天才系噛ませ犬、桐原君。一巻に登場して以降長らく本編に出ていないにもかかわらず、なぜかカルト的人気を誇る嫌味キャラ。悪役として清々しいほどの下衆っぷりもそうだが、たぶん中の人の熱演によるところも大きいと思われる。――松〇さんは神と言わざるを得ない。
 前理事長の依頼で一輝を虐めるなどやりたい放題だったが、能力を恃みに調子に乗っていたところを化物(刹那)にボコボコにされて鼻っ柱を圧し折られた。以降一年ほどは大人しく目立った動きも見せなかったが、今回テロに便乗して一輝たちにちょっかいをかけて、早速逆襲されて酷い目にあった。
 目に見えた地雷には手を出さなきゃいいのになぜ人はやらかしてしまうのか?
 もしかしたら作中で最も一輝のことを好きなのは彼なのかもしれない。







 後半もなるべく早く更新できるよう頑張ります。







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