TS転生して吸血鬼になったけど創作欲しか思い出せない (石化)
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1話
シャンデリアのキラキラと輝くホテルのフロアだった。
出版不況と言われながらも、年に一度の忘年パーティは開催された。
名実ともに、出版社の最後の意地の見せ所だ。
ようやく小説家としてデビューした俺は、憧れの空間に目を輝かせていた。
他の作家先生への挨拶とか、作家の間で交わされる小粋なやりとりとか。
そう言う憧れていた小説家の世界が俺の目の前にはあった。
血反吐を吐く思いで小説賞に投稿し続けていた甲斐があった。本当に良かった。
そして、俺には挨拶をしたい人がいる。
百式百田先生。
俺が、小説を書きたいと思った原点である小説「螺旋の塔」を書いた作家であり、自他とも認める大御所先生だ。
できれば一言、言葉を交わしたい。あわよくばお近づきになりたい。
そんな思いを編集に伝えたところ、今日、紹介してもらえる手筈になった。
緊張する。何を言おう。なんて言われるんだろうか。
もしかして俺の書いた小説を読んでくれていたりしないだろうか。
彼と会うまでは、舞い上がって天に昇っている気持ちだった。
会う。までは⋯⋯ 。
●
百式百田先生は、でっぷりしたお腹を突き出して、猜疑心たっぷりの目つきをしていた。
正直に言って怖いが、格好と性格は別物だ。
先生本人も、書かれた本と同じくらい素晴らしい方に違いない。
編集の紹介に続いて頭を下げる。
「ああ、君ね。読んだよ、君の小説。」
いきなりの言葉に、俺は驚いてしまう。
まさか読んでもらえているなんて。
「“螺旋の塔”に似ているよね。」
「はい!その小説、大ファンなんです。」
「なるほどねえ。でも、これ、ほとんどパクリじゃない?」
いきなり、百式百田先生の口調が変わった。攻撃的な調子だ。
「えっ?」
「仮にも本になる作品だよね? 中身も軽薄でスカスカだ。歴史に対する理解も感じられない。こんなにひどい内容の作品、よく出版できたねぇ?」
畳み掛けるように批判される。
尊敬する先生からの、自分の作品への批判。
それは、もはや自分がいじめられるよりも辛いものだった。
「そんな⋯⋯ 。」
「つまるところ、君の小説は、まったくもって面白くないんだよ。」
言いたいことだけ言って、百式百田先生はワインのグラスをあおった。
「ほら、目障りだから帰った帰った。」
犬を追い払うように手を振られる。
ショックで頭が鈍く痛んだ。
俺はふらふらとその場を離れることしかできなかった。
「あっ、じゃあ僕は用事があるので、失礼しますねー。」
編集は、俺に触れたくないようで、逃げるように俺のそばを離れていった。
ひょっとして百式百田先生の言い分を真に受けているのか?
俺の作品を一緒に作ってきただろ。
なんで言われっぱなしにしておくんだ。
不満がふつふつと湧いてくる。
作家を信じきれない編集なんて、意味ないだろ⋯⋯。
俺は裏切られたような気分になっていた。
多分これは逆恨みだ。
百式百田先生さえいなければ、彼は良い編集だった。
あの挨拶で、全てが狂ってしまった。
キラキラ輝くシャンデリアが、今はなんとも空虚に見えた。
●
以前は頻繁にやり取りをしていた編集が、メールを寄越さなくなった。
こちらがプロットを送っても、一ヶ月も帰ってこない。
嫌な予感に苛まれながら待ってみるが、流石におかしい。
ようやく取り付けた打ち合わせの約束も直前にドタキャンされた。
俺は完全に理解した。
パーティで、百式百田先生に、面白くないと突きつけられた時。俺の作家生命は終わっていたのだと。
今の文壇であの人は絶対的な影響力を持っている。
こんなペーペーの作家は切り捨てて、ご機嫌伺いをした方がいい。
編集はそう判断したのだろう。
ちくしょう。
小説を書きあげるためにしてきた努力。これから小説家として生きていくと言う俺の夢。
二つとも、あっさりと絶たれた。
さらに、俺は発見してしまった。
週刊誌に「盗作疑惑? ”螺旋の塔”に酷似した作品現る」と言う記事が載っていたのだ。
インタビューされた螺旋の塔の作者、百式百田の無駄に冴え渡るこき下ろしまで掲載されていた。
それはネットで拡散されて、俺のことも俺の小説も散々に叩かれていた。
「作者の品性を疑う」
「こんなつまらない小説、よく書く気になったな」
誰一人として百式百田の言葉を疑うものはいなくて、ただ俺が悪者だと言う論調が広がっている。
俺に一番影響を与えた小説の作者だからって、あそこまで全てを否定する必要はない。
俺を槍玉に挙げて、自分がえらいんだと言う事を証明するだけのために、こんな事を⋯⋯ 。
俺より早くに生まれて、俺より早くデビューして、俺より名声があると言うだけなのに。
クソ野郎。
俺が、もっと早くに生まれていれば。
俺が、文句のつけようもないほどすごい小説を書いていれば。
絶対に、こんなことにはならなかった。
でも、もう遅い。
出版した本の印税も尽き、本だけ書いてきた身で就職なんてできるはずもない。俺の実生活向きの能力は全て壊滅的だ。
コミュ障、ものぐさ、サボリ魔、運動音痴。
ありとあらゆる罵倒が俺に当てはまるだろう。
小説以外の全てに興味が持てずに、ただひたすら小説を書いていた人生だった。
頼るべき両親は数年前に交通事故で死んだ。
だから、俺には小説しかなかった。
このペン一本で世界を切り開いていけると確信していた。
その道が絶たれたのなら、肉体労働で食いつなぐしかない。
だが、小説一本のために捧げられた俺の体は虚弱そのもので、入った現場では怒られてばかり。しまいには事故に遭って、働くことさえできなくなった。
俺に待っているのは緩慢な死だけだ。
もう何日も飯を食っていない。
あっ面白い伏線を考えついた。メモしておこう。
震える手でメモ帳を取り出した。
そのタイトルは”最高の小説を作る”だ。
人生が終わりに近づいていても、俺はあくまで小説家だった。
それはそれとして百式百田は許さない。生まれ変わっても復讐してやる。
美しい女の影が、枕元に立ったような気配がしたが、俺にはもうよくわからなかった。
意識が薄れていく。
最後まで、手に持ったメモの感触だけが、残っていた。
●
頬を冷たいものがつたう。
上を見上げると、暗い空が覆っていた。
なら、これは雨だろうか。
篠しの突く雨が、どんどん威力を増して降ってくる。髪も体もびしょびしょに濡れて体温を奪う。
どこかで雨宿りをしなくては。
あたりを見渡して、首をひねった。
あまりに見覚えがない。
田んぼらしき、里山の柔らかな稜線。田舎にしても出来過ぎだ。
果たしてここはどこなのか。
ようやくそのことに思い至った。
頭がぼんやりしている。
ここに立ちつくす前のことが思い出せない。
どこから来て、どこへ行くのか。自分は何者か。
体の雨の感触に打たれながら、“俺”は、まだぼんやりと、そんなことを考えていた。
今俺は“俺”と言った。
この一人称から考えると、とりあえず男ではあるはずだ。
ようやく体に目線を落とす。
緩やかに膨らんだ胸元、あまりにも滑らかに曲線を描く股間。
意識を向けると、物事はあまりに単純だった。
体は、女だった。しかもなかなか魅力的な体型をしているようだ。
顔は、どうだろうか。目の前の雨粒に反射した姿を見る。
文句なしに綺麗である。怜悧な美人と言う言葉が一番似合うだろう。ぬばたまの黒髪は雨に濡れても美しく、腰のあたりまで伸びている。服装は、貫頭衣かんとういと言うのだろうか、昔風すぎる服装だった。それでも似合ってるあたり末恐ろしいものがある。
乏しい記憶を辿ってみたが、自分がこんな美人だったと言う記憶はどこをひっくり返しても出てこなかった。
ただ、それよりも大事なことがある。未だ思い出せていないものが、とんでもなく大事だと、妙な切迫感が心を震わせている。
だが、思い出せない。
思い出せないものをなんとか思い出そうと、俺はただ雨に打たれていた。
●
どれほどそこでぼうっとしていただろうか。雨はとっくに通り過ぎ、夕刻と言っても良い時間帯になっている。カラスの寝床へ帰る鳴き声が、帰宅を誘っているように思えた。しかし、どこへ。
自分がどこの誰とも思い出せないのに。どこへ帰ればいいと言うのか。
未だに俺は動けなかった。
物思いに沈む俺は、少しだけお腹が空くのを感じた。一旦それを感じればあとは早いもので、あっという間に腹が減ってたまらなくなる。まるで一千年ものあいだ飲まず食わずでいたような猛烈な飢餓感が、俺を襲った。
食事を手に入れなければならない。
しかし俺は誰なんだ。
未だ懊悩している俺の前に影が立った。
「お嬢ちゃん。迷子かな? 俺たちが面倒見てやろうな。」
影は三つ。
顔を上げると、極めて原始的な衣服を身にまとった男たちが、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「おおう。これは上玉だぞ。」
「おいらが手に入れるからな。」
「身ぐるみをはいで、犯してしまおうぜ?」
ごろつきの類だ。
下種な考えを隠そうともせず、彼らはバラバラに走りこんでくる。
手には、黒曜石らしき刃物が握り締められていた。原始的だが、刃物は刃物だ。
恐ろしい。
⋯⋯ 本当に?
よく見てみた。男たちの近づいてくるスピードは冗談かと思うほどに遅い。これじゃあ戦闘描写の練習にもなりやしない。
それより、彼らを見てから、空腹感が強まっている。それはご馳走を前にした気持ちにも似ていて。
なんだかとてもオイシソウ。
最初の男を足払いで転がして、次の男の腕と足を抑える。
とても柔らかくて、力を込めるとあっさりポキリと折れてしまった。
人ってこんなに脆かったっけ。
へっぴり腰になった最後の男の首筋に牙を突き立てて、飢えを満たす。
空になっていたエネルギーが、充填されて行くのを感じる。
「ひっ。化け物⋯⋯ !」
最初に転ばせた男がそう言って逃げ出していく。
あーあ。餌が逃げていく。
残念な気分になってしまった。
まあ、いいや。食事にしよう。
●
二人の男を吸い尽くして、正気に戻った。目の前には、盗賊たちの服だけが残されている。
俺は何をやってるんだ。
襲ってきた盗賊を返り討ちにして血を吸って飢えを満たした。
これは、客観的にみて吸血鬼と言うのが正確なのでは?
女だから吸血姫と言っておこうか。
化け物じゃん⋯⋯。
いいのか⋯⋯?
何も思い出せないけど、少なくとも体のスペックが高いのは悪いことじゃない。
二人を吸って腹いっぱいになったし、燃費はいいはず。ポジティブにそう考えよう。
それに、血を吸ったおかげで頭が随分スッキリしている。
自分が何者だったのか、その目的を思い出せた。
最後に握っていたメモの感触が蘇る。
俺は小説家だった。
必ず最高の小説を作ると決めていた。
だが、とても理不尽なもののせいで前の俺は夢を諦めるしかなかった。
その理不尽の詳細は思い出せない。
ただ、思い出そうとするとあり得ないほどの怒りが自分の中に宿っているのを感じる。
思い出そうとして、諦めた。
だが、俺の前世の目的である、最高の小説を作ると言うこと。
それは、吸血姫になっているこの体でも、達成可能なことだ。
もしかしたら寿命も長くなってるかもしれない。吸血姫だしな。
何年も書き続けることができるのならば、元の自分よりも良い物語を書くことくらい簡単だろう。
体に関してはとやかく言わない。
俺は、いつか最高の物語を書いてみせる。
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2話
自分の前世?のことはわかった。
だが、わかったからと言って、この状況に対する手立てが考えられるわけではない。
気づいたらここにいたというのが正しいのだ。
異世界という可能性もあるかもしれない。
ただ、盗賊の武器も服装もあまりに貧相だった。
異世界としても古代だろう。
古代かあ。古代はなー。ちょっとなあ。せめて中世くらいであって欲しかった。
おそらく吸血鬼に類するものに転生したと思うので、食事に関しては問題ないはずだ。
でも、文化的なものが何一つないと考えられてしまう。
例えば、本とか。⋯⋯ない気がするな。
日本最古の物語が竹取物語でしょ。あれ、平安か奈良時代のことだと思うけど、見た感じ、そんなに発達しているようには見えない。都会に行けばまた違うのかもしれないけど。
最終目標として、究極の本を作るというものがある以上、少なくとも製本技術があるのかどうかに関しては確かめた方が良い。
とりあえず、都会に向かうか。
どっちが都会なのかわからないけど、さっきのごろつきの言葉がわかったので、最低限の話は通じるだろう。
聞いていけば良いや。
幸い、この体の戦闘力はかなり高いと考えられる。
よっぽど不注意でなければ、死ぬことはないだろう。
とはいえもう夜だ。昼よりも明るく見えているから、このまま歩いて行ってもいいけど、その場合、あてもなく彷徨うのと変わらないな。
ここは適当な民家の戸を叩いて、宿を借りて、それと同時に都会の場所も聞くことにしよう。
●
藁葺き屋根の民家のドアを叩くと、訝しげな顔をした男が顔を出した。やっぱり貫頭衣だ。
もうこれは中世だと思うことを諦めた方が良さそうだな。
「すみません。道に迷ってしまって、一夜の宿をお貸し願えませんか?」
俺は下手に出た。ほとんど何もわからない現状、一番大事なのは情報収集だ。
友好的に接するのに越したことはない。
男は驚いた様子で、こちらをまじまじと見つめた。
そういえば、濡れたままだったな。
「急な雨で。ひどい目にあいました。」
「どおりで。わかった。一晩泊めてやろう。⋯⋯ 好都合だな。」
最後にボソリと呟かれた言葉はよく聞こえなかった。
中に入ると、彼の家族らしい女と子供がいた。土間に座っている。むしろ土間しかない。原始的だな。覚悟していたが、やはりか。
「妻と娘だ。」
手みじかに紹介される。
なかなかに口数の少ない男のようだ。
娘だという少女の目の中に、かすかな恐れの色があった。
女同士だから、そう恐がることはないと思うのだけど。
⋯⋯ ひょっとして、盗賊たちの血が付いてるとか?
血を残すような下手は打たなかったはずだ。
むしろ、全ての血を吸わなければもったいないと思っていたような感覚が残っている。
多分、別件だ。
「用事を思い出した。外に出てくる。お前たちは話し相手になっていなさい。飯は俺が戻ってからだ。余計なことは話すなよ。」
「大丈夫ですか。この暗い時間に。」
「慣れているから問題ない。」
大丈夫だと強調して、男は出て行った。
明かりが全くない時代だから、暗闇の密度がすごかったんだが、人間はすごいな。
慣れていればそれくらいできるか。
手持ち無沙汰になったので、自己紹介をすることにした。
「初めまして。私は⋯⋯ 。」
そして名前がないことに気がついた。
えっ。どうしよう。なんで俺は自分の名前を考えずに自己紹介を始めようとしているんだ。
考えなしにもほどがあるだろ。
「ええと。⋯⋯夜。そうだ。夜です。」
単に今の外の状況から連想しただけだけど、まあ、悪くはない名前だと思う。
俺は夜。俺は夜。よし。刷り込み完了だ。
「ご丁寧に。私はテナヅチと申します。こちらが娘のクシナダです。」
母の紹介に合わせて娘もぺこりと頭を下げる。
よしよし。第一コミュニケーションは良好だ。
「あの、お聞きしたいことがあるのですが、都はどの方向でしょうか。」
「都、ですか。」
「はい。私はそこを目指していまして。」
「聞いたことがないですね。」
首を捻っている。
⋯⋯ うーん。都という概念がないのか?
まだ国ができていないとか。
ありえるかもしれない。
じゃあ、これを聞こう。
「なら、大きな街は知りませんか?」
「ああ、それなら。」
ガラリと、戸が開いた。
「戻った。あまり話をするなと言っておいただろう。」
「ごめんなさい、あなた。」
「まあいい。お前、客人の飯にこれをふりかけておけ。」
出て行ったとこにはなかった巾着を、タナヅチに渡している。
あれを取りに行ったのか。
「それはなんですか?」
「調味料だ。客人をもてなさないわけには行かないからな。」
ぶっきらぼうな口調の人だから誤解していたのかもしれない。
かなりいい人だ。
ただ、街についての情報を遮ったのだけは許せない。
後少しだったのに。
まあ、貴重な調味料をわざわざ手に入れてくれたのだから、文句をいうのもお門違いだろう。
ご飯も用意してくれるみたいだし。
普通のご飯の味がどうなっているのか知りたいところだったので、ありがたい。
玄米に木の実、それに何かの肉。彼らの住居から考えると、かなりのご馳走のはずだ。
それを道に迷っただけの一客人に振る舞うとは。
暮らしに余裕があるのかな。
それにしては顔色が悪い気がするけど。
まあ、いいや。ありがたくいただくことにしよう。
謎の調味料のかけられたご飯に箸を伸ばして、咀嚼した俺の意識は、次の瞬間途切れた。
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3話
意識を取り戻した俺は、後ろ手を柱に縛られていた。
⋯⋯ うん。騙された。
あまりに警戒心がなさすぎた。
盗賊相手に無双できたからって、毒に耐性があるとは限らない。
それなのに、勧められるままに怪しげなものを口に入れてしまうとは。
まあいい。過ぎたことは仕方ない。
切り替えの早さは俺の長所の一つだ。
問題は、なんでこういう事態になったのかと言うことだ。
俺を捕らえてこの家族になんの意味があるんだ。
盗賊の一味で、俺を売り飛ばそうとしているんだろうか。
でも、農業をしていることは確かだと思うんだよなあ。それ用の器具も何個か確認できたし。
じゃあ、どう言う目的なんだ。
わからない。
ただ、後ろ手で縛られている状態は、思っていた以上に体に来る。
どうにか脱出できないだろうか。
悪戦苦闘していると、誰かがそばに来た。
この子は、クシナダと言うあの娘だ。
「ごめんなさい」
その子の声は、涙で震えていた。
●
「本当はね。明日、あたしが生贄になるはずだったの」
この村では、山に住む神様に一年に一回、一番綺麗な少女を生贄として捧げる風習があるらしい。
選ばれた娘は献上品である酒とともに山神様の元に赴く。
どこかで聞いた話だ。だが、当事者にされてみれば、たまったものではない。
彼女の父母も散々手を尽くしたそうだが、この村に生きる限り、掟からは逃げられなかったらしい。農民は、自分の土地から離れられないのだろう。
そして、明日、自分の娘が生贄に捧げられる。最後の晩餐とばかりに、あかりを贅沢に使い、ご飯も豪華に用意していたのだ。そして、そんな日に、偶然見るからに美しい娘が訪ねてきた。
そりゃ、身代わりにする。俺でもそうする。
俺が捕まったのは、そう言うわけだったらしい。
うーん。美少女の身代わりになるってのは悪くないんだが、騙されたのは許したくないな。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
ただ、クシナダちゃんは、確実にいい子だ。
間抜けにも捕まった俺に対して、めちゃくちゃ謝罪してくれているし。
罪悪感で顔がぐしゃぐしゃになっている。
見ず知らずの人にそれほど感情移入できると言うのは優しさの証明だろう。
この子のためなら、頑張ってもいいなと、そう思ってしまう。
「気にしなくてもいいよ。私が生贄になる」
「でも!」
「ちょっとだけ、手を貸してくれたら大丈夫。私は強いから、きっとその神様も倒せるよ」
神様と呼ばれるほどの存在と対決するのは少し不安だけど、まあ、なんとかなるだろう。なんなら、さっきの毒を分けてもらえればさらに良い。
「私に飲ませた毒をその用意しているという酒にでも混ぜてくれれば、もっと盤石かな。あと⋯⋯ 。いや、これはいいや」
血を吸わせてほしいと頼もうとして、流石に引かれると思って踏みとどまった。
普通、人は血なんて求めない。いかに美味しそうでも、我慢しなくちゃいけない。
「私にできることならなんでもします!」
「なんでも、か。じゃあ、神様を倒せたらお願いするね」
今度こそ吸血させてもらおう。
それくらいのご褒美はあってもいいだろう。多分、この子の血は美味しいはずだ。
それに、こんな面白い体験をしたのなら、小説に活かすことだってきっとできる。
生贄にされかけたけどなんとか逃げ出しましたじゃ、話として面白くない。どうせなら全てを解決して終わりたい。
小説を作るには、自分の豊かな経験が必要だ。そのチャンスがすぐそこに待っているんだ。なら、そのチャンスを活かすまでだ。
これは最終的にはこれから書く自分の小説のためだ。何も論理に間違ったところはない。いけるに違いない。
よし。小説を書くためというお題目があると本当になんでもできそうな気がしてくるな。
この美少女吸血姫が悪い神様をぶっ潰してあげる! なんてね。
●
クシナダは俺のいう通りに動いてくれた。
献上品の酒に毒を混ぜる。そして、俺の縄を自分一人で解ける程度に緩めておく。
「あたしにはこれくらいしかできませんから」
そう言ってクシナダは俯いたけど、それだけで十分だ。
あと山神様が、巨大な蛇であるらしいという情報を得た。
うーん。なんだかそんな話を聞いた覚えがあるな。よく思い出せないけど。
まあまあ。類型化している物語は得てして名作なんだ。
それを自分で経験すればもっといい話が書けるに違いない。
翌日。
クシナダの父に連れられて山道を登ると、ひらけた広場についた。
「まあ、気の毒だとは思うが、諦めてくれ。じゃあな」
あっさりと俺を置いて帰ってしまう。
それだけ山神様が恐ろしいと言うことなのだろう。
俺は、緩めていた結び目を解いて自由の身になった。
普通、娘も覚悟していくので縛ることはないらしいから、別にこれでも怪しまれないだろう。
酒も飲みやすいように蓋を開けておくか。
まあ、大丈夫だろ。俺ならいけるさ。
根拠のない自信が湧き上がってきている。
この体では、何者にも負ける気はしなかった。
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4話
準備万端で待っていると、山が揺れた。
ズルズルと何かを引きずるような音が響いてくる。
道の先から巨大な蛇が顔を見せた。口は人一人丸呑みできるくらいでかい。
なーんか、頭の数がバグってませんかね。八本あるように見えるんですけど。
くそ。これじゃ一つの頭を眠らせたとしても、他七つは動くぞ。
難敵すぎないか?
とりあえず、酒の瓶の後ろに隠れよう。
思ってたよりやばい相手だった。
基本的にこの体のスペックだったら圧倒できると思ったんだけどなあ。
俺、何か特殊能力持ってないかな。例えば、霧になって物理ダメージを無効化したり、血で剣を作ったり。なんなら時間停止を使えるって言う感じでもいいよ。
⋯⋯ あるかもしれないが、わからない。
今の所わかっているのは、優れた動体視力と、化け物じみたパワーの二つだ。
これでなんとか戦っていくしかない。
山神様は、俺に気づくことなく、瓶の中に争うように首を突っ込んだ。
なんなら本当に争っている。一つの体にくっついた首同士で喧嘩している。
意識は共有していないらしい。よかったと見るべきか。面倒と見るべきか。
一杯飲んでふらふらになった首を押しのけるようにして、次の首が瓶に首を突っ込んだ。
おっ。これはもしかしたらもしかするかもしれないぞ。
このまま全員毒入り酒を飲んでくれればいいんだが。
●
そううまくはいかなかった。
途中まではうまくいっていたのだが、前後不覚に陥った首が4本を数えた時点で、山神の方もおかしいと思ったらしい。瓶から離れて警戒の態勢をとる。
舌が四つの口からチロチロと出ては入る。
微塵も油断はしていないらしい。
なんなら俺が隠れている場所を4本の首が見ている。蛇にはピット器官があって、熱を感じられるんだったか。
蛇たちの最初の気分が人じゃなくて酒で良かった。
しかし、こうなっては手詰まり感が否めない。
もう酒を飲むことはないだろうし、毒から回復したら他の四つの首も起きるだろう。
そうなったらどうしようも無い。
敵の戦力が半分になっている今のうちに勝負をつけるべきだ。
俺は、瓶の後ろから体を表した。
シューシューという蛇の音が、一層激しくなる。
おそらく好みの姿をしているんだろう。蛇なのに美醜がわかるとはなかなかの審美眼だ。
だが、こちらもみすみす食われてやるつもりは毛頭ない。
「お前の血を全て吸い取ってやるよ」
俺は笑った。鋭い犬歯が剥き出しになっているのを感じる。
蛇の化け物程度に、吸血姫たる俺が負けるものか。
なんなら日光の下でも生きていけるし真祖かもしれないまであるからな。
どう猛な戦闘欲が点火された。それとともに、手の爪が伸びて鋭く尖る。
「さあ、殺し合いと行こう」
俺の言葉に、山神は行動で答えた。
四つの頭が全てこちらを狙って飛び込んでくる。
酒の時と同じだ。こちらのことを被捕食者としか思っていない。
気をつけろよ。この獲物はお前たちを殺すに足る牙を持っているぞ。
バラバラな飛び込みはこちらの動体視力があれば、簡単にかわすことができる。
かわしざまに、一匹の喉を爪で引き裂く。
鮮血が飛び散って、俺を満たした。
美味い。
しかも体力が回復した気がする。血さえ吸えればなんとでもなるな。
できるだけ傷を多くつけてやろう。
俺が喉をさいた首はのたうちまわっている。他の首はそれにお構いなく俺に迫ってくる。
まだ、バラバラでも食べられると思っているのだろうか。
それは甘い。
のたうつ蛇の頭がもう一頭の腹に当たる。一頭は頭をのけぞらせて、スピードダウン。ついで伸びる二つの頭とその。
そのうちの一方に、俺は自分から踏み込んだ。
先ほどの喉の柔らかさなら、中からでも出てこれる。
すぐに爪で切り裂く。
大きく蛇が首を捻るが、こちらの速度の方が早い。上下が逆さまになることが、長い体感時間の中で容易に理解できる。重力が反転しようが、こちらの動きには何の制約も与えない。
なんども爪を振るえば、蛇の喉はズタボロになっていった。
「うりゃぁ!!」
思いっきり切り裂けば、外の光景が見えた。青い青い蒼穹(そうきゅう)が。
⋯⋯ 空だね。落ちるぞ。くそう蛇のやつのたうちまわって釜首をもたげるんじゃねえよ。
なんとか蛇の背中を足場にして地上に戻る。苔が生えていて、足場がしっかりしていたのは助かった。
喉を裂いた頭が二つ。毒でダウンした頭が四つ。
あとは二つだ。
ここにきて連携というのを覚えたらしく、二つの頭が、いやらしいタイミングで襲ってきた。
一方を躱せばもう一方からは逃げれらないそんな必中の構えだ。
蛇の牙が衣服を貫通して俺の体を貫いた。
背骨が圧砕される。
気持ち悪い感覚が腹に残る。
爪を思いっきりふりまわして足掻く。
まだまだ死なない。
血をかぶって回復するのと同時に横に回転して牙の位置から逃れる。
腹から血が吹き出しているけど、蛇の血は取り込めているからおあいこだ。
もう一度喉を引き裂いて、そして外へと飛び出した。
正面に驚いて動けない最後の蛇の顔がある。首の間で意識共有ができていないのが仇になったな。
爪を振り下ろせば、五つの爪痕がその頭を引き裂いた。
最後の蛇の頭が倒れたけれど、こちらのダメージも甚大だ。
なんとは言っても血が足りない。
吹き出している血飛沫を体内に取り込んでいく。
毒で倒れている方のとどめもさしていかないと。
血を啜っていく。
あれ、なんだか意識が遠くなっていくような⋯⋯。
そういえば、こっちの頭はあの毒が回っていたんだ。
ふりかけるだけで俺が簡単に昏倒した毒。
クシナダがどれだけ入れたか知らないけど、毒が回ったままの血を啜ったから、それはそうなるか⋯⋯。
それが俺の最後に考えていたことだった。
●
一年後、スサノオと言う人が訪ねてきて、山神様を退治すると言って山に分け入り、ヤマタノオロチの死骸を発見するのであった。彼はちゃっかりその手柄を自分のものにしたそうな。
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5話
起きた。
朝の日差しに小鳥の鳴き声。爽やかな陽気だ。季節は初夏あたりだろうか。
記憶は山神様と呼ばれていた頭が8つある蛇を倒したところで終わっている。
あのあと、毒入りの血を飲んで、意識を失ったんだったな。
思い返すと間抜けだった気がしてくる。
もう少し吸血衝動を抑える努力をした方がいいかもしれない。
まあ、起きたんだしもういいか。
クシナダに戦勝報告しに行こう。
そういえば、あの蛇の死体がどこにもないけど、誰か片付けたのかな。
●
山をくだって村について、俺は違和感を覚えた。
竪穴式住居ばかりだったはずの村に、木造のきちんとした住居が建てられているのだ。
その中に、一際目立つ建物がある。
よくみるとそこはクシナダの家があったはずの場所だ。
意識を失う1日前にいたから流石に覚えている。
⋯⋯ まるで浦島太郎のような体験だ。そんな感想が頭に浮かぶ。
浦島太郎って誰だっけ。
前世の記憶の気がするけど、思い出せない。
くそう。クシナダはなんでもするって言ってたんだぞ。せめて一目会いたい。
潜り込むか。潜り込もう。
俺は一瞬で犯罪者になる決意を固めた。
あの家のクシナダの親は、俺を罠にはめて捕まえたんだしおあいこだと思う。
そういや、山神と戦ってた時に服かなり破けてた気がするけど、いつの間にか直ってるな。
無意識に血で作ってるとかかな。ありうる。自分のスペックをまだ把握できてないし。あとでやってみよう。
とりあえず最初は正攻法で行こう。入れなかったら、壁を破壊しよう。
どんどん思考が人外じみてきている気がする。気のせいだ。
門を叩いた。
この前の焼き直しだ。
⋯⋯ 今度は不用意にご飯を食べないようにしないと。
それだけは固く心に刻む。
「はい。」
扉が開いて、気弱そうな男が顔を出した。
⋯⋯ 。見覚えがない。強いていえば、かすかにあのクシナダ父の面影がある気がする。
「この家にクシナダという人はいませんか?」
「⋯⋯ 聞いたことないです。人違いでは?」
男は、寝耳に水とでも言った調子でそう返してきた。
そう言われるとこちらも強く出れない。
嘘は言っていないようだし。
うーん。
様々な違和感が俺の脳裏を刺激する。
まず、倒したはずの山神の蛇の死体がどこにもなかったこと。
次に、村の様子が様変わりしたこと。
クシナダのことを知らない様子の男。
⋯⋯ 。これ、俺の休眠期間がめちゃくちゃ長かったということでは。
蛇は、分解されたんだろうし、村は発展したんだろう。
そしてクシナダはとっくの昔に死んでしまった。
そういうことなのだろう。
ちょっとどうだかなと思わなくもないが、今の俺は吸血姫だし、そのくらいの時間休眠しててもおかしくない。
クシナダは何でもするって言ってくれたのになあ。
「あのー、どうしました?」
気弱そうな男は固まってしまった俺を恐る恐る眺めながら、確認の言葉をかけて来た。
流石に不自然だったか。どうせだったら、そうだな。都会の場所でも聞いておくか。結局クシナダには聞けなかったし。
「いえ。お聞きしたいのですが、近くの大きな町に行くにはどうすればいいでしょうか。」
「ここも、割と大きいんですけどね。でも、そういうことなら、西に向かえばいいですよ。」
「⋯⋯ 。西はどっちです?」
「わからないんですか? どうやって生活してきたんだ⋯⋯。あっちです。」
おい今かなりの煽りを受けた気がするぞ。見た目に反して口が悪いなこいつ。
「あと、そこにはヤガミという姫がいるので、これからこのオオナムジが求婚に行くから待っていてくれと伝えてくれませんか?」
そしてリア充か。⋯⋯ まあ、恋愛小説も悪くはないし、暇があったら伝えておこう。
「善処します。助かりました。」
とりあえずお礼は言っておく。
何百年経ったか知らないが、ようやく本筋に戻ってくることができた。
都会で、小説もしくは、紙の存在を確認する。
時代が降ったのなら、小説が書かれるようになった可能性も高い。
結果オーライってやつだ。
「では。」
「ええ。兄達に見つからないうちに、早く行った方がいいですよ。あの人たちは女好きなので。」
「心します。」
襲われても何とでもなるだろうが、心遣いは受け取っておこう。
足がかりを得た俺は意気揚々と目的地へ向かうことにした。
るんるん気分で田んぼの間の道を歩いていく。
「あの女激マブじゃね。」
「因幡の方に向かってるみたいじゃん。」
「求婚の用意を整えよう。」
途中でそんな声を耳に拾った気がしたが、俺の心は、次の街へ行くことでいっぱいになっていた。
●
「俺、因幡に向かって女口説いてくるわ。」
「は?俺が先だし。」
「彼女は私のものだ。」
家に帰ってきた兄達が、口々にそんなことを言ったので、オオナムジは焦った。
このままでは、ヤガミ姫が取られてしまう。
彼は顔を青くして焦る。
基本的に兄達は横暴だ。強引に話を進められたらまずい。
早く行かなくては。
しかし、抜け出そうとした彼は兄達に見つかり、問い詰められ、気絶させられてしまう。
意識を取り戻すと、すでに兄達は出発した後だった。彼は取るものとりあえず駆け出した。
彼が求婚対象の行き違いに気がつくことはなかった。
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6話
言われた通りに西に進んで行くと、街が見えてきた。
とはいえ、さっきまでいた農村の3倍くらいの大きさでしかない。
市場が開かれているらしき広場もないし、少し規模が大きいだけの農村かもしれない。
俺は落胆を隠せなかった。
ようやく本に繋がる手がかりが見つかったと思ったのに。
気を落とすのはまだ早い。この街をとりあえず見回ってみよう。
木造に藁葺きの家。高床の倉庫に、見張り台。
一つの街として重要な部分はきちんと備えているようだ。
外からは市場として見えにくいが、露店も少しはあって、野菜を売っていた。
本屋はどこにも見当たらない。
一番古い紙はパピルスだろ? パピルスくらいなら作れそうな感じなんだけどな。
そのくらいの文明レベルはありそう。
仕方がないから、ヤガミ姫という人の家を訪ねるか。
仮にも姫と名がつく御仁だ。
もしかしたら庶民には手の届かないものであるところの本を所持しているかもしれない。
街の人に居場所を聞いたら簡単に教えてくれた。
その代わりこちらの名前を熱心に聞きたがっていたので夜と答えておいたけど、なんだったんだろう。
まあいいや。
薄々気づいていたが、この街で一番目立つ建物が、彼女の居場所だった。坂の上にあるということと、高床式の建物であるという二点で、他とは隔絶している。あそこに住むなんて怖くないんだろうか。支える板が崩れてしまったら一瞬で死んでしまう。
大丈夫だから住んでいるんだとは思うけど、なかなか勇気ある御仁だなと思う。
少なくとも俺は無理だわ。死にはしないけど不安で眠れなくなりそう。俺が繊細ってより、ここに住んでいる人が豪胆なだけだろうけど。
ちょっと、階段上がるのが怖いな。今は意識が戦闘モードじゃないし、割と風も吹いているし。
風に煽られて落ちたら洒落にならない。化け物だってバレてしまう。
慎重に行こう。
幸いにして警備の人とかはいないみたいだ。まだそこまで社会が発達していないのかな。
あり得る。
ゆっくりと歩みを進めて、家の前に作られた床板スペースで人心地をつける。
冷静になるとここも割と危ないな。
早く入らせてもらおう。
「ごめんください」
「はーい」
顔を出したのは、お手伝いさんらしきおばさんだった。
いや、母親かもしれない。
「ヤガミ姫はいらっしゃいますか?」
「おりますが、あなたは?」
「私は夜と申します。オオナムジ様からの伝言を預かっております」
「へえ。お聞きしましょう」
⋯⋯俺を中に入れない構えだな。いきなり訪ねてきた謎の女だ。そりゃ怪しいもんな。
このまま引き下がるのも悪くはない。
だが、一番確かめたいのはこの街で一番権力を持つ姫が、書物を持っているかいないか、だ。
なんとか言いくるめて、中に入って観察したい。
「オオナムジから直接姫にお伝えするようにと仰せつかっています」
言われてないけど。
それでもこれで信ぴょう性は増したはずだ。
「今、オオナムジって言ったわよね!」
奥から姫さまがすっ飛んできた。耳が良い。
ちょっともう少し落ち着きを持った行動をして欲しかった。さっきまでの言い訳じゃ入れないじゃん。
ここで直接言えば良くなっちゃってる。
いや。まだある。ここから逆転する手立ては残っている。
どうにか中に入れてもらう方法だ。
一番いいのはこのおばさんがいなくなることだ。彼女さえしのげば、ヤガミ姫は簡単に言いくるめられそうだ。
「はしたないですよ」
たしなめるおばさん。
多分従者だな。
「お母さんは黙ってて!」
違った。見立て違いだ。恥ずかしい。
「それで、オオナムジはなんて?」
「できれば二人っきりでお伝えしたいです」
「そうね。あなたとオオナムジの関係から聞く必要がありそうだし」
俺の上から下までジロジロ見ながらヤガミ姫は言う。
俺とあいつの関係を怪しんでいるようだ。
少なくともヤガミ姫も好きなのは間違いなさそう。今の俺は美しい女の姿をしているから、不安になったのだろう。
オオナムジとは両思いのようだ。
⋯⋯ 恋愛小説の参考にするためにもう少し観察していこうかな?
こう言う人の感情の揺れ動きを観察することでより魅力的なキャラクターが作れるようになるはずだ。
「姫の部屋に上がらせていただけませんか?」
「いいわ!」
「姫!」
「いいでしょ。男性って訳でもないんだし」
「それはそうですが⋯⋯ 。くれぐれも気をつけてくださいよ」
あっ。押し通せた。ワンチャン気絶させようかなと思っていたから助かった。
「お邪魔させていただきます」
ようやく、風の強い外から中に入れる。
一安心だ。
●
上がった部屋には、俺が期待していたような本棚など存在していなかった。
どでんと鎮座した機織り機が目を惹く程度だ。
「純粋な疑問なんですけど、本って持ってませんか?」
「何よそれ?」
「わかりました」
⋯⋯ ダメみたいですね。
ダメじゃん。割と都会なここで一番の権力者の娘が本について知らないとしたら、本が作られていると考えることはできない。無理筋だ。
「で、オオナムジの伝言ってなによ? あとあなた達の関係も教えて」
彼女は気になって仕方がない様子だった。
まあ、口実とはいえここに潜り込むのに役に立ったし、伝えるのはやぶさかではない。
「これからこのオオナムジが求婚に行くから待っていてくれとのことです」
「求婚?! あの優柔不断男が?」
「確かに言ってましたよ」
「信じられない⋯⋯ 」
口ではそう言っているけど、隠しきれない喜びの感情が彼女の表情にはあふれていた。
幼馴染的な関係だったんだろうな。
「もう一つの質問に答えると、私は所用があって、オオナムジの家を訪ね、それからこちらに来る用事があったのでそのついでに伝言を頼まれただけの女なので、彼と特別な関係があるという訳ではないです」
「そうよね。わかってたわ」
露骨にホッとした顔をしている。うん。ずいぶんわかりやすくて可愛らしい姫だな。
「良ければですが、彼と姫の馴れ初めを聞かせてもらえませんか?」
「えー。恥ずかしいなー」
これは、もっと聞いてというブラフだな。
恋話を始める前の女子がよくやるやつだ。
「そう言わずに」
「仕方ないわね」
ちょろい。
という訳でn番煎じの恋物語を聞くことになった。
当事者から直接聞くのはやっぱりいいな。
表情の移り変わりを眺めるのが楽しすぎる。
恋愛は主軸とは言わないまでも、そこそこ取り入れて書くのが正解かもしれない。人間的な魅力を書く上では一番役に立つだろう。
そんなことを考えながら俺は長くなっていくヤガミ姫の話を聞くのだった。
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7話
面白かったけど、話は長かったな。
ヤガミ姫の恋愛話をなんとか切り上げて外に出た俺は思い返した。
まあ、ここより都会であるという場所の話を聞けたので良しとしよう。
創作にも役立ちそうだったしな。
俺の恋愛? それは無理。いかに小説には実体験が必要だって言っても、男に欲情なんてできる気がしない。
そこは諦めているよ。
この国で一番の都会は、東に進んで、オオナムジの村から南に折れてまっすぐ行った先にあるらしい。
オオナムジが教えてくれれば、ここに寄る必要もなかったのだが、あいつ、知らなかったんだろうな。
これが姫と一般人の差だろう。
ともあれ俺は気分良く、一旦来た道を引き返し始めた。
●
行く時に通ったんだが、ヤガミ姫の街と、オオナムジの村の間には砂浜があって、海に面している。
海を見るのは今世では初めてだったので行きは感動したんだけど、2回目になると流石に感動は薄れてくる。
それでも綺麗なことは綺麗なので、俺はしばらくそちらを見つめていた。
少し違和感に気づく。
水平線の方に、何かが並んでいる。
あの背びれは⋯⋯ 。サメだな。
サメが群れを作ることはあるかもしれないけど、あんなに一直線に並ぶことはあるのか?
不思議だ。
不思議な出来事を見つけたら観察するのが、創作のためには重要だ。
俺は何をやっているのか見ていることにした。
しばらく見ていると、サメの背中を踏みながら白い兎が飛び跳ねてくるのが見えた。
沖に島でもあるんだろうか。しかし、ウサギとサメの共同作業なんて、まるでおとぎ話だな。
言葉でも話せたりするんだろうか。
そろそろ兎が岸に近づいてきたので、俺は身を隠すことにした。
出待ちしているみたいで印象悪いだろうし。こうするべきだろう。
岸に着くか着かないかのうちに、兎が言葉を発した。
「お前たちの数なんて数えている訳ないだろバーカ。お前たちは騙されたんだよ。ありがとね。私のために橋渡ししてくれて」
ひたすらに相手をバカにした口調だ。メスガキじみた感じ。⋯⋯メスガキって何だ。
岸についてからいえば良いものを、最後の一匹の上でそれを言ったから、兎は怒ったサメに捕まってしまった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「あ? 泣いて謝っても助けは来ねえぞ?」
見ようによっては、サメが兎にひどいことをしているみたいだが、この非は兎にあるからな。
普通に数えておけば、別に足場として利用されても気にしなかっただろうに。
口は災いの元ってやつだな。まあ、兎はこういう役回りになる話が多い気がする。何でだろうか。
確かかちかち山とかもそうだったような。
まあ、俺は観察するだけで良いかな。助ける必要はないだろう。
最終的に、全ての皮を剥がれて、裸になった兎が一羽、砂浜の上に打ち捨てられた。
⋯⋯ ここまでくると哀れを催すな。
っと、誰か来たようだ。
もう少し様子を見るか。
砂浜にやってきたのは見るからにチャラそうなの男たちだった。
何というか、男として論外である。
⋯⋯ でも、本を書くならチャラ男の生態にも詳しくなくちゃいけない。全ての登場人物を魅力的に書けてこそ、一人前の作家だ。
「お、兎がいるじゃん」
「何かお困りのようですね。なんてな。ハハッ」
「なになに。皮を剥がされた? それなら良い手段があるよ」
「そっ、それは?」
「体を海水につけて、そのあと、山の頂上に行って強い風と日光に当たることで治るさ」
「なるほど。早速やってみます!」
親切を疑わない兎は、すぐさま海の中に入ってしまった。
いやちょっと待て。それあれじゃん。おいしい肉の作り方じゃん。
「最初は痛いかもしれないけど、そのうち痛みも引いてくるさ」
「はい!」
すっかり兎も信じ切ってしまっている。
流石に見過ごせなくなってきた。
皮を剥がされることまでは自己責任だけど、さらに悪意によってひどい目にあうのは、違う。
止めに行こう。
「ねえ、そこの兎くん」
俺はウサギに声をかけた。
だが、遮られる。
「あっ、あのお姉さんじゃーん」
「俺たち、チョッチお姉さんにお話あるんですけど」
「俺と付き合ってくれない?」
チャラ男に目をつけられた。
何でだよ。意味がわからないよ。これがナンパってやつか。
「朝村で見た時から激マブだなって思ってたんすよ」
「そうそう。一目惚れ的な」
「求婚の準備は整っているさ」
ゾゾゾと虫酸が走っている。
「嫌です。見ず知らずの男にどうして求婚されなくてはいけないんですか」
「俺たちこう見えて、名士の家だから金はあるよ?」
「そうそう。何なら三人でお相手しても良いし」
「3pか。悪くない」
「悪いわ!」
丁寧語の仮面を繕っている余裕もない。何だこいつら強すぎる。
「可能な限りの希望は聞くつもりだぞ?」
「ほんと? なら、本が欲しい!」
「本? ってのが何なのかわかんないすけど、探しますよ」
⋯⋯ 。ちょっと魅力的だな。
いやいやいや。それ以前にこいつらは、兎をからかって苦しめようとしていた。
性格的に受け入れられない。
「嫌です」
はっきりと拒絶の意思を伝えよう。
「下手にでりゃつけあがりやがって。一度体にわからせてやる必要がありそうだな」
「やれるものならやってみやがれ」
こちらも油断なく返す。
「女の身で何ができるって言うんだ」
「こっちは三人だぞ」
「やっちまえ!」
ボコボコにしようと拳を振り上げてくる三人組だが、実のところ、何一つ怖さを感じない。三人組によく襲われるなと考える余裕さえあった。一番最初のごろつきもこんな感じだったよな。
一体多戦闘の描写の礎になってくれると助かる。
⋯⋯ 。
三人は特に特筆することもなく倒せた。あの蛇に比べればまあ、どうしても見劣りする。
戦闘描写の訓練になったかと言われると、疑問符が着いてしまうな。
もう少し、手加減を覚えるべきなのかもしれない。
次に誰かと戦闘になったら、どう言う風に相手が動いているのかよく観察してみるか。
そうしよう。
「何ですかあなた。なぜこんなところにいるんです!?」
この聞き覚えのある声はオオナムジのものか。
こっちのセリフなんだけど。
振り返った俺の目に、衣服も顔もボロボロなオオナムジの姿が映った。
えっ。どうしたんだよお前。
「何があったんですかここで」
オオナムジは、倒れている男達を見ながら困惑している。
彼の見た目ボロボロなところがどうしても気になる。
そちらを尋ねたい欲を我慢して俺はとりあえず疑問の答えを返した。
「なんかかかってきたのでボコボコにしました」
「はあ。なるほど⋯⋯ 。とりあえず、よくやってくれたと言いたいですね」
「あなたの関係者だったりするんですか?」
「ええ。この前言った女好きの兄達です」
「なるほど⋯⋯ 」
何と言うか、深く納得した。
「僕もおっつけ彼女のところに行こうとしていたんですが、兄達に止められた上に殴られて気絶してまして」
「ボロボロなのはそのせいですか」
「はい。お恥ずかしい話です。だから本当によくやってくれたと言いたいんです。スカッとしました」
「かかってきたのを返り討ちにしただけですよ」
とりあえずそう答えておこう。
「すごいですね」
オオナムジは純粋な憧れの視線を向けてきてむず痒い。
そういえば、あの兎はどうなったんだろうか。
オオナムジの兄達が襲ってきてから意識から外してしまっていた。
キョロキョロと探す。
兎は岩の上で日光浴をしようとしていた。
「痛い痛い痛い。でも、これで治るんだから我慢我慢⋯⋯」
そんなことをしても良くならないぞ⋯⋯。
因果応報とはいえ哀れである。
「そんなことしても治らないって言ったでしょ?」
「親切な人が教えてくれたんです。我慢すれば治ります!」
その親切な人たち、俺の足下で伸びてるけど。見てなかったんだろうな⋯⋯ 。兎だもんな。
「それじゃ良くならないよ。今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門のの穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつけると良いよ。皮膚はもとのように戻り、必ず癒えるはず」
オオナムジが優しく言い聞かせた。こいつ、なかなか薬草の知識があるぞ。
「⋯⋯ 。わかりました」
兎は、オオナムジの言ったことを信じたみたいだ。
俺が言っても信じなかったくせに。
もう少し説得力のある話し方を研究してみよう。そしたら説得力のある文章作りができるはず。
オオナムジの言った通りにした兎は、元々の姿に戻った。効果が現れるのが早すぎる気もするが、まあ、そんなもんだろ。俺も多分おんなじ速度で回復するし。
兎は白い毛並みが美しい。
割と位が高い生き物なのかな。まあ、喋っているしそうかもしれない。
「ありがとうございました。お礼にあなたの恋の成就の保障をしてあげます」
「え?」
「早めに行くと良いでしょう」
「ヤガミ姫に伝えたけどいい感触だったよ。めっちゃ惚気られたし」
兎の言葉に俺も肯定材料を加えておく。
「早めに行くといいんじゃない?」
「わかりました。ありがとうございます。えっと⋯⋯ 」
「そういえば言ってなかったですね。夜と言います」
「夜さん。このお礼はいつか必ず」
「ええ。また会うことがあれば」
多分もう会わないと思うけど。
「それではこれで!」
オオナムジは幸せそうにスキップしながら西へ向かっていった。
まあ、いいやつではあったしせいぜい幸せになってくれ。
「さて」
「なんでしょう?」
「いやなんでしょうじゃないぞお前。あいつが何をしているか知っているみたいな口ぶりだっただろ」
「よそ行きじゃないとめちゃくちゃ口調が変わるわね」
「お前もな」
サメ相手にこの兎の口の悪さはすでに目撃している。
「で、あなたは何者なの。筋書きではここに来るのは八十神と、大穴牟遅神だけだったはずなのに」
「俺は夜。吸血姫だ」
「一人称が俺だなんて、野蛮な姫もあったものね。笑っていい?」
「やめろ。これは俺の最後の記憶に従ったものだ。他人にとやかく言われる筋合いはない」
「私を人扱いするんだ」
「まあ、こうして話しているからな。兎とも言いきれないだろ?」
「私も私が何者なのかわかってないんだけどね」
「そうなのか?」
「ある日突然使命が思い浮かんで沖ノ島からワニを使って渡ってきただけの兎だもの」
「どんな?」
「おおなむぢに予言をするようにってね」
「さっきの予言だったのか。単に励ましているだけかと思ったぞ」
「下手だった⋯⋯ ?」
「まあ、それなり」
「どう評価していいかわからないんだけど」
彼女はため息をついた。
なかなか感情表現が多彩な兎だ。
「これからどうするの?」
「高天原に向かうつもり」
「そこは?」
「神が住まう地」
「私もいっても良い?」
「いきなりよそ行きになったね」
「気にしないで」
「ふふふ。あなた面白いね」
兎に笑われて気に入られた。
よそ行きの性格の構築がうまくいきすぎているんだよな。
本当に俺の前世は男だったんだろうか。
知るすべはもはやない、か。
ともかく神が住む地と言う高天原には行ってみたいし、行く価値がある。
書物がある可能性も高いだろう。
南にあると言う都にも興味はあるが、神の住まう場所に行ける機会はまたとない。
こちらを優先しよう。
「それでどうやっていくの?」
「歩き」
「もっとこう何かなかったのかな⋯⋯」
俺のつぶやきは虚空に溶けていった。
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8話
兎も、詳しい高天原の場所は知らないみたいだった。ただ、俺を引き連れて山の方にずんずんと進むだけである。
ちょいと不安だが、まあ、いざとなればこいつの血を吸えば、飢えることはないだろう。
「何か変なことを考えてない?」
兎のくせに感覚が鋭敏だなあ。
「そんなことはないよ?」
外面を取り繕って澄ました顔をする。
こう言うことは不思議と得意だ。
こちらを怪訝そうに見つめる兎だったが、そのままでは何も進展しないことに気づいたのか、また歩みを進めることにしたようだ。
俺もそれを追って歩く。
新緑の広葉樹の葉が光を透かして、キラキラ輝いている。
あまりに普通の山道は、ずっと上まで続いているようだ。
一定の間隔で、高度を上げている。
雲の上にあるとか、そう言うことじゃないよね。
高天原と言う字面から考えると、十分にあり得るな⋯⋯ 。
●
いつの間にか雲海の上にいた。
鳥居があるとか、光に包まれるとか、そう言うこともなく、気がついたらここにいた。
どうやってここに行くのかと言われてもわからない。
類型的な結界物語にありがちだからこそ、個性的な入りを体験したかったのに。トンネルを抜けるとか、車に乗り込むとか、そう言う舞台装置はあってしかるべきだろ。
しかしどうやって雲の上に立ててるんだろうな⋯⋯ 。
深く調べると落ちそうな気がするので気にしないことにするのが唯一の正解だとは思うんだけど。
雲海の中で多方面に道が分かれている。
その脇に猿面をつけた男が立っていた。
「よしよし。話は聞いています。そこの兎。高天原に案内してあげましょう」
「よろしくお願いします」
話が早いな。まだ自己紹介も済んでいないんだけど。
とりあえず俺は兎の後ろをついていけばいい。
「ですが、そこの女性は話が別です。道祖神猿田彦の名において、素性の知れない人を高天原に迎えるわけには行きません」
俺? 自分を指さして首をかしげると、頷かれた。
「素性の知れた兎はいいの?」
「素性が知れてるので」
確かに。人間かどうかより素性が知れてる方が大事か。
「どうしたら許してもらえますかね」
「私からはなんとも。向こうで聞いてきましょう」
「つまりここで待ってろってことですか?」
「とりあえずは。まあ、一日あれば戻りますよ」
「1日ってのは、かなり長くないですかね⋯⋯ 」
ここには雲と道しかないんだが。
「ちなみに高天原には何をしに?」
「小説のネタ探しと、書物を探すと言う目的です」
「なかなかに奇特な方ですな」
「それほどでもないですよ」
俺は少し嬉しくなる。
「褒めてないですよ?」
そんなあ。
「じゃあね、夜。縁があったらまた会おうね」
「うん、それじゃあね、兎」
「⋯⋯ 名前ないとは言え複雑な気分だなあ」
兎の耳がピコピコと上下する。
「名付けてみようか?」
「それもいいかも。なんてつける?」
「えっ。白でしょ」
「そんなことだろうと思った」
兎はため息をついた。
「えー。いい名前でしょ。白って」
「絶対に見た目でつけたでしょ」
「わかりやすいじゃん」
この兎、めちゃくちゃ性格が似ていると言うか、気があうんだよな。
「もうそれでいいよ。これからは白って呼んで」
「わかった。また会おうね、白」
「こっちの台詞よ」
俺と白は握手をした。
めちゃくちゃもふもふしてるぞ。
もう少し、身体的接触を行うべきだったか。
正直途中までは食料としても考えてたから愛でるのは躊躇していた。
惜しいことをしたな。
「それでは明日まで待っていてください」
「わかりました」
まあ、アポなし訪問だったし、仕方ないか。
ゆっくりしておこう。
そんなに腹も減らないし。
白たちが離れていくのを見送った。
●
八つ辻の脇に座ってぼんやりと雲海を眺める。
もくもくと沸き上がり、風に流されてちぎれ、分裂し、合流し、新たな形に再生する。
雲の形を眺めるのは思っていたより楽しい。
周り一面雲なんて景色見たことなかったもんな。
これはあれだ。風景描写の練習になるぞ。
小説に風景描写は要らないと言う話もあるけど、美しく景色を表すのは良いアクセントとなると思うんだよ。
幸い、お腹の方はまだまだ持つみたいだ。吸血衝動に駆られることもない。
今のうちに眼に映るものを言葉で写生してやろう。
全てが、俺の教材だ。
⋯⋯ 純粋に、書くものが欲しいな。紙とか。
書物を手に入れてからにしようかな。
いやいやいや。ここで何かと理由をつけてやらないのは良くない。
書けるだろ俺なら。
例えばこの雲の道の上に雲のことを書いていくとか。
おしゃれな気がしてきたぞ。
書きつけていこう。
思い立ったら即実行。
俺は八つ辻のそれぞれの道に、その先の風景を描写していくことにした。
雲の調子は刻々と変わっていくけれど、その時間変化も含めて捉えることができるのが、文章の良さだ。
時間変化を一つの描写で捉えてもいいし、変わりゆくものとして、一歩ずつ描写しても良い。柔軟性に富んでいて、奥が深い。それが風景描写だ。一つ一つテーマを決めてやってみようか。
まずここは、サクッとした描写。
道の先には白い雲がぷかぷかと浮かんでいる。
次のこちらは状態変化を入れ込んだ描写。
流れる雲は次第に厚く、黒くなり、雨の気配を漂わせ始めた。
そして、心理描写を追加する。
俺は雨で濡れるんじゃないかと心配になってきた。いつの間にやら空の半分以上が暗くて灰色の雨雲だ。
さらに現象によって立ち位置が変化する様。
降りかかる雨を我慢して雨が止むのを待つ。すると、いきなり空が光って、俺の頭に雷が落ちた。
体が痺れて、動けなくなる。
アクシデントがあったようだが、すぐに回復したので描写は続けていこう。
続いては何がいいかな⋯⋯ 。そろそろネタ切れだ。
いや、そろそろ時間も遅くなる。つまり、夕焼けがある。
これは別の描写になるな。
それに次は夜もあるし⋯⋯ 。夜目が効くから、暗闇の描写だってお手の物のはず。
まだまだ描写できるんだ。
やってやるぞ。
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9話
ちょいちょいと肩を突かれた。
集中して道に膝をつきながら描写文を書いていたから、かなり驚いた。
「もしもし。いいですか?」
猿田彦の声だ
「あっ。もう一日経ちましたか」
振り返りつつすくっと立つ。
「うっ、あいた」
「いてて」
誰かの頭と俺の頭がぶつかった。
どうやら猿田彦の他に俺の文を覗き込んでいた人物がいるらしい。
向き直って、相対する。
「こんにちは。私は。知識と知恵の神だよ。オモイカネと読んでくれ」
優男風の彼は優雅に一礼して挨拶した。
「私は夜です。目標は最高の小説を作ること」
「へえ。大きく出たね。実力はまだまだのようだけど」
俺が道に書いていた文章から判断したらしい。
くそう。自分ではかなり上手くできたと思ったんだけどな。
「とはいえ、面白いね。口だけではないようだし、小説という概念は私にとっても興味深い。いくつか条件を飲んでくれれば高天原に滞在させてやってもいいよ」
「条件はなんですか?」
「簡単だ。滞在後にで、我らの歴史を書き記して欲しい。必死に覚えてもよいが、覚えなくても別に良い。どのみち全ての知識は強制的に与えてやるから」
⋯⋯ なんか、不穏な単語が聞こえた気がするな。
強制的に、か。
なんだろう。変なチューブを脳に繋がれて知らないことを理解させられそう。
オモイカネは微笑んでいるけど、どう見ても裏があることを隠している微笑みだ。
ちゃんと覚えよう。どのみち、知識はあって困ることはないんだ。
高天原に入れるのならその程度の条件、飲むべきだろう。
「わかりました。条件を飲みます」
「話は纏まったようですな。それではこの猿田彦が道祖神として道案内をしましょう」
さっきまで空気だった猿田彦がいきなり張り切りだした。
道祖神は確か、道の脇に立って、旅人を見守る神様だったか。道案内が好きなんだろうな。
大人しく二人の後をついていこう。
●
猿田彦は、高天原の中には入れないようで、門のあたりで別れた。
高天原は、ヤガミ姫のところで見た高床式の建物がたっぷりと点在していた。
とはいえ、文明レベルは、下界とあまり変わらないようだ。
服装も、少々グレードアップしているくらいで、ほとんど白が基調となっているというのは変わりない。
まだ染料が発達していないと見える。
一箇所、目立って高い空中にあつらえられた神社のような神殿のような建物があったが、あれが最高権力者の家だろうか。
高天原の最高権力者は、天照だったか⋯⋯ ?
前世でそういう記述を読んだような気がする。しかし前世の記憶のほとんどが思い出せていないので、確信が持てない。
神話じみた世界に迷い込んでいることだけは確かだった。
「あそこの人に挨拶をする必要とかあります?」
「⋯⋯ 今回は非公式なので必要ない、と言いたいところだけど、あの方に許可を取らないで住まわせると、燃やされても文句は言えないので、行こうか」
オモイカネは少しだけためらった後、自らを納得させるように言った。
「そんなに怖い人なんですか?」
「いや、おおらかな方ではある。ただ、機嫌を損ねると、世の中全てに関わってしまうので、慎重に対応して欲しい」
さすがは最高権力者。
確か太陽を司っていたはずだし、怒らせると怖いのは確かだ。
まあ、おおらかっていうのなら大丈夫だろ。
予想通り、高床式の仕組みを使って作られた空中の巨大な神社がその居場所らしい。
厳粛な雰囲気に身が凍る。
よく考えたら、俺ってどう贔屓目に見ても妖怪だし、出会い頭に討滅される可能性もあるのでは?
怖くなってきた。
落ち着こう。素数を数えてみよう。1、2、3、4。一番最初の素数じゃないところを踏んだんだけど動揺しすぎだろ俺。
平服して御簾の前に進む。大時代だな。
「をあげよ」
思っていたより、可愛らしい声が飛んできた。
言われた通りに頭をあげる。眩しい。
声の飛んできた方が光り輝いているようだった。
目を細めると、そこに、黒髪の少女があぐらをかいて座っているのが見えた。
頭の上に鏡らしき装身具を纏っている。
「わしが天照じゃ。オモイカネが連れてきたそちはなんと言う?」
「夜と申します。機会があったので、高天原に登りたいと考えてやってきました」
「ほ──。わしとは正反対の名前じゃの。それに、来ようと思ってこれるような場所ではないんじゃが」
「来れましたよ?」
「はは。確かにそうじゃの。それで、ここにて何を為す?」
「知識の吸収と、実体験の深化、そして、小説の執筆を」
「なるほど。悪心はないようじゃ。だが、肝に命じておくのじゃ。お主がここの秩序を乱した場合はただでは済まさぬとな」
天照の放つプレッシャー、並びにその身から発せられた輝きが強くなる。
「はい!」
逆らうことは考えられなかった。
大丈夫だ。吸血衝動とは向き合えるはずだ。
一日でも長くここに滞在して、自分の糧としよう。
こうして俺は高天原に住むことを許された。
そういえば、目覚めてから初めて一箇所に止(とど)まるな。
生活ってどうやるんだったっけ⋯⋯?
ちょっと先行きに不安を覚えながらも、俺の高天原生活はスタートするのだった。
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10話
俺の高天原生活が始まった。
住居は、オモイカネのところだ。
書物じみたものに初めて出会ったので夢中で読んだ。
知識を羅列したものだったのが不満だったが、それでも本は本だ。
どこまで行っても紙さえなかったことを思えばすごい進歩だと言える。
歴史を強制的に覚えさせる件だが、思っていたほど恐ろしくはなかった。
というよりこの体がハイスペックすぎるだけか。
一度聞いたことは忘れないとかどこの天才だよ。
割と分量はあったが、オモイカネが満足するくらいの歴史知識は簡単に吸収できた。どこか聞き覚えがあるようで、でも新鮮な話の数々は、とても興味深かった。
ヤマタノオロチとかいう蛇をスサノオという人が退治したらしいけど、俺が戦った蛇に特徴がよく似ていた。ああいう蛇ってどこにでもいるんだな。恐ろしいことだ。
自由な時間は、高天原を探索した。だいぶ広いが、それでも、2、3時間もあれば見て回れるくらいだ。なお体のスペック差による移動可能距離の違いについては考えないものとする。
白ともよく会う。
彼女はウサギのくせに屋敷をもらっていて、屋敷を借りている俺とはえらい違いだ。なんでも新しく自分で神社を持つらしく張り切っていた。
茶を啜って茶菓子を食べるというご隠居ムーブをかましたい時にはよく訪ねる。口では文句を言いながらも耳は跳ねてるので向こうとしても嬉しいのだろう。ツンデレウサギだ。
あとは、アメノウズメという友人が出来た。
白のところで茶を飲んでいたら、いきなりやってきたテンションの高い巫女っ子だったが、割とすぐに打ち解けた。
そのあと、歴史の勉強の時に彼女の名前が出てきたのには驚いたが、それ以前にオモイカネが自分の功績をひけらかしていたので、そのことはすぐ頭から消えた。オモイカネはなんで自分のことをそんなに誇らしげに言うかな⋯⋯。
天照を岩屋から引きずり出す策を考えたんだから確かに頭はいいんだろうけどさ。
そんなこんなで、天界での暮らしは悪くない。ただ、血を吸えないのだけが嫌だ。普通の食事をしていても、栄養は取れるんだけど、そろそろ新鮮な血が飲みたくなってくる頃だ。
流石にそれをやってしまったら高天原から追放されそうなので必死に我慢している。
●
「ねーねー夜っ! 面白い話して欲しいな!」
縁側で、ウズメが無茶振りをしてきた。
この程度答えられなくて小説家になれるわけがないと思いつつも、アドリブに弱いのも小説家だぞと思う。
そういえばこの頃は知識を詰め込むだけで、文章に起こす訓練をしてこなかった。
描写力と知識があっても、書かなきゃ小説は生まれない。
当然こう言うフリにも対応できない。
「なるほど。私の小説に向かう姿勢を指摘したってわけですね!」
納得した。ちなみにウズメの前では一応取り繕っている。バレている可能性は存分にあるけど。
「いや普通に話のフリだけど? 夜ってたまに脈絡ないこと言うよねっ」
「わかるー」
「その合いの手適当すぎない?」
「それなー」
白の返事がいつになく何も考えていない。さては何か悪いものでも食ったのか?
「白、大丈夫?」
「元気がないならウズメちゃんが裸踊りしてあげようかっ?」
「いやそれはいらないから。脱ぐのやめて」
ウズメは、オモイカネも自慢していた天岩戸の件で、裸踊りがくせになってしまったらしく、俺は矯正に苦慮している。
岩戸の前で飲めや歌えやどんちゃん騒ぎをして天照の気を引いて引きこもり状態を改善したって、いかに高天原の歴史書にそう書かれていても信じられない。
でも、当事者たちはここにいるしな⋯⋯。
なんならウズメが服を脱ぎかけてるし。
白い柔肌が非常に美味しそうに見えちゃうからマジでやめて。
「あんまりふざけてると、襲っちゃうからね」
「誰が、誰をっ?」
「私があなたを」
「ふーん。踊るウズメちゃんを捕まえられるってならやってみなよ!」
ああもう。
庭で踊り始めちゃったし。
仕方ない。いやこれはウズメが挑発するのが悪いんだって。
久々に全力を出してみよう。
新鮮な血が手に入るぞ。
「夜。ダメ!」
「白?」
俺に飛びついてきたもふもふウサギに怪訝な顔を向ける。
「そんなことをしたら、夜がここにいれなくなっちゃう。そんなビジョンが、さっき見えたの」
白には時々未来が見えるらしい。さっき反応が鈍かったのはそれを見ていたからだろう。彼女の自己申告だし、どこまで本当かわからないが、少なくとも、ウズメを吸血したらそうなることは目に見えている。
「ありがとう、白。頭が冷えた」
「よかった」
「とりあえずあのバカは止めるけど」
少なくとも裸踊りはやめろ。
吸血する気はなくなったが、取り押さえてやる。覚悟しろ。
俺は見事なステップを踏んで踊っている彼女に飛びかかった。
芸能の神様らしいし、踊りは本当にうまいし美人なんだけどなあ。本当脱ぎグセさえなければ非の打ち所がないのに。残念だ。
そして無駄に極まってるせいで、俺の速度を持ってしても捉えきれない。
くそう。踊り子って絶対戦闘職じゃないだろ。RPGじゃないんだから。
目がチカチカしてきて捉えきれないんだけど。こっちがフラフラしてきたぞ。くそう。負けてたまるか。
「へっへーん。ウズメちゃんの方が早いもんね!」
せめてドヤ顔のフレームを無理やり入れてくるのやめてもらえませんかねえ! めちゃくちゃうざい。格闘ゲームをやっていたとしたら明確に煽りに位置するよそれ。しかもそこを狙っても簡単に躱されるし。
俺の戦闘力はかなりのものだと自負しているんだけど、ウズメには敵う気がしない。
「おっと、お前たち。ここにいたか」
俺とウズメが一進一退の攻防を繰り広げているところに、オモイカネがやってきた。
「天照様がお呼びだ。付いて来い」
「私ですか?」
「お前とウズメだ。⋯⋯ウズメはそのダンスをやめろ」
「えーいいじゃん。オモイカネも楽しくやろうよ!」
「はあ。ともかく、天照様のところに行くぞ」
「私はどうなんですか?」
オモイカネには頭が上がらない様子の白が、尋ねた。
「お前は自前の神社があるだろう。しっかりはげめ」
オモイカネは幾分つれない。
「大丈夫だって白。すぐに戻るから」
未来視で見た内容に不安を覚えているであろう白を勇気付けて、俺たちは天照の元に向かった。
ちなみにウズメは踊り続けていた。疲れないんだろうか⋯⋯。
ともかく裸ではなくなったのでとやかくは言わないことにする。
●
「お前たちには孫のニニギノミコトと共に葦原中国に行って欲しいのじゃ」
天照は開口一番そう言った。
「ニニギ。入れ」
「はい。よろしくお願いします。みなさん」
ニニギの第一印象はエロゲ主人公だった。それも一昔前の。
なんだよその伸ばし切った前髪は。俺が切ってその下のギラギラした目を白日のもとに晒してやろうか?
ともあれ、それは印象だけだ。口調は礼儀正しいから大丈夫だろう。
あとは、アメノウズメが毒牙にかからないかどうかだけが心配だな。
ちらりと確認したが、眼中にない様子だった。
わかる。メカクレって何がやりたいのかよくわからないよね。
どっかの海賊紳士が怒った気がしたが、よく思い出せないので気にしない。
「ちなみに異論は認めないからの。オモイカネはその知恵で、アメノウズメはその技で、夜は、その経験でニニギをサポートするのじゃ」
「はっ。天照様の仰せのままに」
「地上かー。楽しみだなー!」
「えっ? えっ?」
事態に順応できていないのは俺だけのようだった。
葦原中国って地上のことなの?
この安定した高天原生活から追放されてしまうのかよ。
「頼んだからの」
天照は話は終わりという風に打ち切ってしまった。
そりゃ最高責任者はそれだけでいいかもしれないけどさ。
白が言ってたのはこのことだったのか。
やはり未来視は外れないみたいだ。
くぅ。仕方ないな。
確かにいつまでここでゆっくりしていてもしょうがない。
俺は俺の話を生産するんだ。
白に挨拶したらすぐにでも行こう。
書物以外の物に執着がほとんどないから荷物がないのはいいことだ。
書物も一旦読んだら覚えるしな。
ウズメとともに白に挨拶に行ったら泣いて引き止められたけど、アマテラスの命令だから仕方がないと言ってなんとか納得させた。寂しくなるな。
●
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11話
久しぶりに高天原から出る。
この雲の道を行くのは何年振りだろうか。
あそこ時間感覚が曖昧だからよくわからないけど、100年くらい経過していても少しも不思議じゃないと思う。
この前足止めを食らった八本の道が交差するところには、やぱりあの猿面の男がいた。
「これはこれは。あなたが噂のニニギ様ですね。私は猿田彦。葦原中国までの道案内はお任せください」
随分俺の時と態度が違うな⋯⋯。俺は彼を半目で見つめる。
「なんでしょう。夜様?」
その様子を目ざとく見咎められる。うん。やっぱりこの人、油断できない。
「かっこいいね!」
「そうかなあ?」
ウズメの感性は人と違っているからなあ。
まあ、仕事人みたいな雰囲気は感じる。見ようによってはかっこいいのかもしれない。
ウズメは道案内する猿田彦にくっついて歩いていた。猿田彦の方も嫌がっているようには見えない。
へーえ。
俺は友人の意外な一面に驚いていた。あんなに積極的だったんだ。
さしあたっては、ウズメが取られて悔しそうなニニギに、ラブコメというものの素晴らしさを布教しておこう。ニヤニヤしながら眺めるのはいいものだよ。
●
俺たちはでっかい山の上に降り立った。
天孫降臨の地としてふさわしい地だな。
「アメノウズメ。猿田彦に礼をしなくてはならないから、彼について行きなさい」
ニニギは非常にニコニコしながら言った。
「良いんですか?! やった−!」
「私に感謝しときなさいよ?」
「なんで夜に?」
「私の布教のおかげだから」
「んー? よくわからないけどありがと!」
うんうん。幸せになりなさい。彼女には迷惑をかなりかけられたけど友人として好きだったからな。
ウズメの積極的な攻勢にタジタジな猿田彦は見ていて面白かったのでもっとやってほしい。
●
地上についてからの手配はオモイカネがいろいろやってくれた。
さすが知恵の神だ。
てっきり地上を観光してこい程度の命令だと思っていたのだが、ニニギに国を作らせるらしい。神の国か。まあ、高天原の書物のある文化が流入するのなら歓迎するべきだろう。
そう思ったので俺も協力することにした。
周辺の力のある豪族を従え、勢力を拡大していく。腐っても神の孫だ。ニニギは高スペックだった。やっぱりエロゲ主人公じゃないか。
どっかに出かけてきたと思ったら、コノハナサクヤヒメとかいう儚げな美人を嫁として連れてきた。やっぱりエロゲ(ry。
彼女の父のオオワダツミという神が言うには、姉のイワナガヒメを娶れば永遠の命が約束されたのに儚いコノハナサクヤヒメを選択したのだから、ニニギの寿命は短くなるらしい。
エロゲ主人公が選択肢ミスって死ぬやつじゃん笑う。
まあ、短くなると言っても普通の人間と同じくらいはあるらしくて、ニニギはそれでもいいやと公言して憚(はばか)らなかった。
純愛系ラブコメを布教しすぎたかな。
人外系ラブコメを布教すべきだったか⋯⋯?
まあ、いいや。
オモイカネは有能すぎるので、宰相的な役割を受け持ち、ニニギは自ら陣頭に立って剣を振るって勢力を拡大していった。俺は暇だったので、時折やってくる暗殺者に女だと油断させてはボコボコにする仕事に従事していた。
久しぶりに血が飲めるので満足である。
●
地上に降りて、書物の普及している勢力範囲を広げるのはいいんだが、今の所、公文書以外に紙が使われているのを見たことがない。
確かに、抵抗勢力はごまんといるから物語を書くと言う方向に紙を消費するのは難しんだろうと思うけど、やっぱり勿体無い。
せっかく紙があるんだ。誰かが描いた作品を読んで読まれて切磋琢磨したい。
そのために、やっぱり勢力拡大が不可欠だ。
この辺りの地方は大体片付いたんだし、そろそろもっと広い領域に目を向けるべきなのではないか。
俺はそんな感じで、目的をぼかしつつ、ニニギのひ孫のカムヤマトに進言をした。
そう。ダラダラしている間にいつの間にか代替わりが行われていたのだ。ちょっと時間感覚がおかしいような気もするけど、俺の中では普通だな。
長命種族特有の時間感覚だろう。ちなみにオモイカネは国が軌道に乗ったらいなくなっていた。いや俺を置いていくなよ。
仕方ないのでまだここにとどまっている。居心地は悪くないしな。
ひいおじいちゃんの代から生きている謎の女性と思われているらしい俺の意見は、普通に通った。顔色を伺われていたりビクビクされていたりするようだが、そんな怖い人じゃないからね。誤解しないでね。
にっこりと微笑んだら、カムヤマトの顔が青くなった。解せない。
●
カムヤマトは無事に東征を果たして、天皇という称号を作った。
天皇家。前世の記憶が曖昧だが、前世でもあったような気がする。
薄々気づいているけど、これ異世界じゃなくて、過去だよね?
いやでも、俺みたいな存在は想像上の生き物だったはずだし、神様なんていなかったはずだし⋯⋯。うん。やめよう。細かいことを考えるのは。
とりあえずこれで、初めてきちんとした国ができたんだ。まずはそれを喜ぼう。
ようし。小説書くぞ!
えっ? 紙が足りない?
そんなあ。
仕方がないから紙を作っているところに行って、もっと生産量を増やすように言ってみよう。
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12話
やってきました。こちらで紙を作っているみたいです。早速お邪魔して行きましょう。
失礼しまーす。
「あっ?なんだ女。ここは女の来るところじゃねえ。」
まあまあそう言わずに。
大変職人気質(かたぎ)の生産者さんみたいですね。
そこらへんはなあなあで押し通ります。
どうやって作っているんでしょうか。
「ああ?そりゃあこの大麻を刻んですりつぶすとこから始めるんだよ。」
見ればたくさんのお弟子さんたちが、何やら植物の茎を臼でひいていますね。
なるほどこれが紙の原料になる。そういうわけでしょう。
でもこれでは、ただ植物の繊維を細かくしただけです。これをどうすれば良いのでしょうか。
「次の行程はあっちだ。ついて行ってみな。」
職人さんがしゃくって示した先には、潰した繊維を運ぶ弟子さんの姿が。
早速追いかけてみましょう。
こんにちは。どこに運んでいるんですか?
「ウヒャア。綺麗な女の人?!」
とてつもなく驚かれてしまいましたが悪い気はしませんね。
むしろ良い気分です。なでなでしてあげましょう。
「いきなり何を。落ち着く⋯⋯。じゃなくて!」
恍惚とした表情からすぐに戻ってきました。
優秀なお弟子さんですね。
事情を話すと、ついてくるように言われました。
先から水音が聞こえます。
これは、川ですね。
川を使って何かやっているんでしょうか。
気になるところです。
おおっと。職人さんが一人一人真剣な表情で両手に器具を持ちながら何かの容器をのぞいています。時々器具を揺らしているようですが、あれは何をやっているのでしょう?
「あれは、繊維が均等になるように振っているんですよ。出来上がればわかります。」
お弟子さんが答えてくれました。
なるほど。麻の繊維はゴワゴワしていますもんね。
慎重に均(な)らす必要がありそうです。
あっと、一つ完成したようです。
職人さんが両手に持つ器具はちょうど盆のような形をしていて、竹でできた底に繊維が溜まっていました。濾過されて本当に紙みたいな様子です。
繊維を叩き潰していた時は影も形も想像できなかったですが、ここまでくると、これが紙の元なんだとわかりますね。
「あとはあれを乾燥させてしまえば完成です。完成形を見ます?」
ええ。ぜひ。
⋯⋯⋯⋯
うわあ。
紙がこんなに。ここは天国みたいですね。
一生ここに住みたいです。
「あははは。冗談ですよね。本当なら歓迎しますよ。」
●
完全に見知らぬ女としての見学だったけど、堂々としていたのがよかったのか、インタビューの真似事が出来た。
だいたい理解したぞ。
紙を大量生産するには、まず、材料である大麻の大量生産。
そして、紙職人の育成。
この二つが重要な要素なのではないだろうか。
あとは、製紙方法の改善もできるかもしれないが、俺に知識がない。
渡来人をとっ捕まえて、製紙の知識がないか聞くほうが早そうだ。
どうしてもこの国の技術は遅れているようだからな。
まずは大麻の大量生産に取りかかるとしよう。
俺は時の天皇に願い出て、土地をもらった。
そんなに怖がらなくていいから。これからは農家みたいな感じになって隠居するから。
せっかく暗殺から身を守ってたのに。ひどいやつだな。まあ、もう暗殺者なんて気にしなくても大丈夫だろ。国も十分大きくなったし。
こっから俺の農業系人生の始まりだ!
⋯⋯なんだか迷走しているような気がする。
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13話
麻の種籾をもらって、蒔いてみた。
大麻の成長はゆっくりだった。2年でだいたい1mくらいだろうか。一回目は実験と思って特に世話をしなかったからかもしれない。
刈り取って、紙工房に持っていくと大層喜ばれた。
なんでも、布に需要が集中して、紙に回って来る麻が減ったらしい。
いいことをしたな。
この調子でもっとたくさん麻を作っていくぞ。
この前は、きっちり一個ずつ植えて行ったけど、前回の様子を見ている限り、そんなに気を使わなくても大丈夫そうだ。丈夫な植物のはず。
あとやるべきは生産量をアップする試みだな。
なんだろう。肥料を与えれば問題ないと思うんだけど、どういう肥料がいいかな。まずは草木灰でも試してみるか。
収穫した大麻は、成長期間2年で大きさは2mだった。
うーん。成長は早くなったけど、できればもっと早くなっても良いんだよな。
なんだろう。あとは、肥溜めを用いるくらいしか思いつかない。
⋯⋯あれはできればやりたくない。流石にそこまで女を捨て去るわけには⋯⋯。
しかし、麻の安定供給が紙の安定供給、ひいては小説の普及に繋がるんだ。甘えたことは言ってられない。やれることはなんでもやらないと。
堆肥を混ぜてみた大麻の結果は2年で1、5mだった。
前のよりも悪くなってるんだが。なんでだよ。
ひょっとしてあれか?
連作障害ってやつ。
同じ場所で同じものを作り続けることで、育ちが悪くなるらしい。
土地を休ませる時期が必要という話だった。
なるほど⋯⋯。仕方ないな。
とりあえず農家は一旦休業しよう。
●
都の大路を歩きながら俺は考え事をしていた。
随分人が集まって活気が出てきている。ゆくゆくは本屋も簡単に開いているような世界にしていきたい。そのためにも大麻を大量生産しないといけない。
どうしていくのが正解だろうか。
ふと、気がつくと、街の一画に人が集まっていた。
興奮した声が漏れていて、活気がある。
何をやっているのだろうか。
「そこだ! やれ! 東王(あずまおう)!」
「躱せぇ! 都将(みやこのしょう)!」
二羽の鶏が互いに戦い合っていた。
闘鶏ってやつか。
自分以外が戦うなんてと思っていたが、なかなかどうして悪くない。
雄鶏たちは、飛んでお互いの爪を交錯させ、つつき合い、闘志を燃やしていた。
「東国から来たという東王は体が大きい。闘鶏においては体重が絶対の意味を持つ。この勝負、価値は揺るがないだろう」
「いやいやいや。都将だって、こっちで一番の雄鶏の子供を代々継承してきた一羽だぞ。この血統の強さは折り紙つきだ」
解説おじさんたちが訳知り顔で語っている。
なるほどなあ。面白い。闘鶏の世界にも色々なドラマがあるようだ。
と、決着がつきそうだ。
両方ともに疲れが見て取れる。次の一撃が最後だろう。
東王が突進を敢行した。思い切りの良い動きだ。
それに逆らわず、都将は、体を引いた。
それは、東王の動きを完璧に見切ったかのようなタイミングだった。
わざと置かれていたとしか思えない都将の足が、東王のバランスを崩し、東の王は無様に転がった。
「うおおおおー!」
「都将の勝利だ!!!」
⋯⋯。何あの鶏。そんじょそこらの人間よりも戦いの技術に長けているぞ。
「やはり都将か、強いものをより強く改良して行けば結果は違ってくるのだな」
「東王も強かったが、所詮は一代限りよ」
解説おじさんたちはしきりに頷いている。
暇なのかな⋯⋯。
他の人々はしきりに嘆いたり、賭け金の交換に勤しんでいるというのに。
いやこっちはこっちでロクでもなかったわ。
でも、闘鶏は面白かった。またやってたら見たいな。
今度は金を持ってくるか。
金は基本的にはいらないので放置している。
そんなものなくても俺は生きていけるし。
ただ、天皇家が謎の献金を毎年くれるので、腐る程金はある。
大丈夫? 不透明支出に当たらない?
というわけで金の心配はいらないのだ。
それはそうと、大麻の大量生産の答えが見つかったかもしれない。
そう。それはつまり、品種改良だ。
2年でやっと育つ。なら、それを一年で育つようにする。連作障害が起こる。
なら、連作障害を起こしにくいタネを増やす。これらを目標に品種改良をしてみれば、俺の考える最強の大麻ができるに違いない。
幸い、俺の持つ時間は無限だ。品種改良に充てる時間は長いほうがいいに決まっているから、有利すぎる。
大麻農家として頑張るぞー!
⋯⋯なんか、間違ってる気がする。
気のせいだな。おそらく。
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14話
品種改良は遅々として進まなかった。
基本的に早く伸びるものに目をつけて、その実を撒いていく方針で行っているのだが、なかなか成長期間が減らない。
一握りの正解を見つけに行っているんだから当然だとはいえ、心が折れそうになる。また今回も2年で2mだ。これがデフォルトになってきてしまった。
どうにか名案が浮かばないものか。
そんなある日、俺は怪我をした。
置いてあった鎌を気づかず踏むという大惨事で、血が種籾が保管されている倉庫一面に飛び散ってしまった。ざっくりと切れて痛すぎて、久々に人から血を吸った。
すまない旅人の人。
「めんこい姉ちゃんだな、ぐへへへへ」と言って寄ってこなければ吸わなくても良かったんだけど、気持ち悪すぎて無理だった。
血を吸えば怪我は元どおりになったが、トラウマになって、その倉庫を使うのはやめにしておいた。
しかし、種籾はその倉庫にしか保管していない。
いつもの植える時期になってそのことに気づいた俺は、意を決して倉庫の中に足を踏み入れた。
俺の血の跡が壁一面に飛び散っていてまるで殺人現場だ。
これがドジってしまっただけとは誰が信じられようか。
血は見ないようにして、タネをひっつかむ。
ここにも血がべっとりだ。
まあ、血で種の性質が変化するわけでもないし、別にいいだろう。
タネを蒔くぞ。
いつものようにタネをまいて、肥料をやって、そして世話していく。
大麻には虫害が少ないのが救いか。じっくり育つ大麻は、虫の苦手な成分を放出しているようで、大麻の近くにいれば虫は寄ってこなかった。
そして、タネをまいてから4ヶ月が経った夏、俺は目を見張っていた。
あの、どれだけ品種改良してもダメだった大麻が、3mを超えるめちゃくちゃ大きな植物に変貌を遂げていたのだ。
変化が大きすぎて、ひょっとして別の植物なんじゃないかと疑ってしまう。
だが、どう見ても、自分の畑で育った大麻だ。この茎の形、葉の付き具合。どれを取っても見覚えがある。
「やった──!!!!」
嬉しくて、一人で飛び上がって喜んだ。
ここ数十年の努力が一気に報われた感覚だ。
この成長の早さなら、紙を一気に普及させることだって不可能じゃない。
早速紙職人の所に持って行こう。
きっと喜ばれるに違いない。
●
俺が作り出した大麻は、どんどん多くの地域で栽培されるようになった。
なんでも海を渡ってお隣の国にも運ばれたとか。
紙が増えるのはいいことなので、俺はニコニコしながら種籾を分けた。
ただ、早く成長するようになった代わりに、虫に弱くなってしまったので、そこは注意を徹底した。コガネムシがよく食べに来る。あいつ樹液を吸うんじゃないのか? いや、これはカナブンとの区別がついてないだけだな。
供給の急増により、ようやく紙の増産が始まった。職人たちの数がネックだと思っていたが、紙製作所に出入りする謎の美女の噂が流れていたらしく、弟子志願者が急増したみたいだ。あんたのおかげだと頑固職人が照れ臭そうに言っていた。美女である利点が発揮されたな。
ようやくここまで来た。ここまで長かった。
これでやっと、俺は本を作れる。小説を書ける。
誰かの小説が読める。
この後に起こることを想像もせずに俺はただ未来にワクワクしていた。
●
空が真っ赤な焚き火に照らされていた。
俺の目の前で、俺の大麻畑が赤く赤く燃え上がる。
「誰が、こんなばかなことを」
怒りで、声が震えている。
大麻の繊維をたっぷり含んだ煙が俺の肺へと吸い込まれていく。
ちくしょう。
とびっきりの愛着があったんだぞ。
せっかく俺が一から育て上げた大麻をこんなふうにめちゃくちゃにしてくれるなんて。絶対に許せない。
頭が沸騰しそうなほどに感情が暴発する。
ちらりと、何かが記憶の底を刺激する。
心が爆発する。体は跳ねるように動いた。
こんなことをした相手を始末するために。
絶対に許しはしない。
大麻畑の周りに、人が何人も倒れていた。
松明の燃えかすを持っているところから見るにこいつらが俺の農園を襲ったのだろう。倒れているのはよくわからないが、そんなことはどうでもいい。
俺のこの、どうしようもない感情の捌け口が欲しい。
長く伸びた爪を振るう。
鮮血が飛び散り、腹を満たした。
まだまだ、この程度では収まらない。
こいつらが本当の犯人かどうかも気にならない。
今の俺にあるのは、研ぎ澄まされ先鋭化した吸血衝動だけだ。
全てを殺して回りたい。
人間を裂くごとに、幸せな感情が心を満たしていく。
何かがおかしいと自分の中で警鐘を鳴らす音が聞こえたが、圧倒的な衝動が俺の行動を決定づけた。
爪を振るう。人を食らう。
それを繰り返して、近くで倒れていた人間は全員殺した。
まだまだ燃える大麻の煙が肺の中に充満する。
暗い衝動はいまだに治(おさま)らない。
俺の足は、街の方へと向いていた。
●
「やめてください!」
そう必死に叫ぶ見覚えのある製紙工場の若い男を、爪で思いっきり引き裂いたところで、唐突に意識が戻ってきた。
「俺は、何を⋯⋯」
記憶が飛んでいる。
「よかった⋯⋯。元に戻ったんですね」
致命傷を受けたはずなのに、彼は気にすることなくただ俺の心配をしていた。
「お前、大丈夫か?!」
それに応える声は聞こえない。
さっきの言葉が最後の言葉となったようで、彼は、事切れていた。
辺りを見渡すと、都大路が火に包まれていた。
そして、何かから逃げ切れなかったらしき人々が、恐怖の形相で息絶えている。
いや、現実は直視するべきだ。
死体の山は、俺の農場の方に続いている。
つまり、この地獄のような風景を作り出したのは、俺だ。
自制心をなくし、吸血衝動のまま貪り尽くした。
今の俺を一言で表すなら。
「あの化け物を討伐しろ!!! 女だと侮るな!!!」
バケモノ。その言葉が、正解だ。
ひゅーん
ひゅーんひゅーん
ひゅーんひゅーんひゅーん
朝廷の弓兵部隊が、山なりに矢を射かけてきた。
こんな大災害を起こした俺が、バケモノを言われるのは当然だ。
そして、俺は、開き直ることなどできなかった。
罪のない人々を、そして、付き合いのあった人を、ためらいもせずに殺戮できる。
そんな自分の体と精神に自ら恐怖していた。
体に弓が刺さっていく。
痛い。ただひたすら心が痛い。
「奴を殺せ!」
剣を持った近接部隊が近づいて来るのを見て、俺は、そちらに背を向けた。
どこか遠くへ。人が誰もいない遠くへ。逃げて逃げて、隠れてしまおう。
本のことを思い浮かべる気には、ならなかった。
こうして俺は、都から逃亡した。
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15話
武蔵国に、武甲山という名山がある。それを遥拝する地に、そこそこ立派な神社が存在していた。名を知知夫(ちちぶ)神社と言う。
その軒下に、俺は潜んでいた。
人に会うのが怖くて、夜の間移動して、ただひたすら都から離れようとしていた。なんでもできると思っていた吸血姫としての特性のその全てが今となっては恐怖の対象だった。都の火事と化け物の噂は聞かなくなったから、距離も時間もそこそこ空いたはずだ。それでも、俺はずっと隠れて過ごしていた。
都で無差別吸血を行なった影響か、何も食べなくても腹は減らない。
だが、それも罪悪感に繋がってしまう。
種族が吸血姫であっても、あくまで人としての価値観にどっぷり浸かっているのだ。良いことなのか、それとも悪いことなのか。俺の中では判断がつかない。
ただ、あの時みたいなことは二度と起こしたくない。
それだけは固く心に刻みつけている。
時が経ってゆっくりとあの時のことについて考える余裕ができてきた。
意識を受けてから何百年も経ったけど、あそこまで理性のタガが外れたのは初めてだった。確実に要因があるはずだ。
大切なものを傷つけられたからか?
大麻はめちゃくちゃ大事にしていたから、その可能性はなきにしもあらずだが、流石にそれだけが要因とは考えにくい。
もう一つくらい、何かあるはずだ。
あの時の状況を思い返す。辺り一面はもうもうと大麻から出る煙で覆い尽くされ、俺は思いっきりその煙を吸い込んでしまっていた。
思えばあれから俺の思考回路はおかしくなっていったように思う。
そういえば、大麻って前世知識で麻薬とか言われてたような気がする。
それが吸血姫に特異的に超絶作用して俺の理性を溶かしたのではないだろうか。
じゃあ俺が大麻作っている間、俺はずっといつ暴発するかわからない火薬庫だったのか? ここまで来るとあれだな。よく暴発しないで済んでたな。
実は俺すごいのでは。
まあ、紙づくりには燃やす工程なんて含まれていないから、煙が発生しようもなかったからだろうけど。
多分おそらく確実にそれが原因だ。
原因がわかったならあんまり気に病むことはない気がしてきた。
大麻が植わっているところに行かないことで対策可能だ。
ただ、俺が品種改良して広めてしまったせいで、大麻はわりとどこにでも存在しているんだよなあ。ひょっとして不可能か? 俺のせいで俺が詰んだぞ。
⋯⋯うん。如何にかこうにか消火能力を身につけるしかなさそうだ。
水を常備しよう。いや、水を掛けても煙が出るだけか?
煙を吸い込む方がまずいからこれは却下だな。ガスマスクを作成するしかない。
でもどうやるんだよ。前世知識があればまだなんとかなったかもしれないが、ほとんど忘れてるんだぞ。
やっぱり引きこもるしかない。
前世でもこんな感じだった気がするなあ。体のスペックは桁違いでも、運用する魂が同じなら、結局こうなるのか。悲しくて、悔しいけど、仕方ないや。
俺は、体育座りで、ただ時間が過ぎるのを感じていた。
何かやろうなんて思っちゃダメだ。俺はただの人間の害悪の化け物なんだから。
負の思考スパイラルは俺を捕らえて離さなかった。
ぽっと軒下に明かりが灯った。
外は真っ暗でおそらく真夜中。
妖怪がねぐらにしていたのだろうか。
それなら別のところに行って引きこもろう。
争う気は無かった。
「誰かと思えば、こんなところで何してるんだい、夜? 」
その声は聞き覚えがあった。
100年ぶりくらいに聞いた声だ。
「あなたは⋯⋯」
見上げた俺の目には、縁側の外に見覚えがあるような足が映っていた。
「久しぶりだね」
しかし足しか見えない。
「そんなところにいないで出ておいで。歓迎するよ」
のろのろと俺は這い出した。
「はっはっは。ひどい格好じゃないか。ひとまず社殿にお入り、ここは私の神社だからね」
そこにいたのは、優男風の知恵の神、オモイカネだった。
ニニギのところからいつの間にかいなくなって数百年。彼は自分の神社を手に入れていた。白も俺たちが下界に降りるときには神社持ちになる感じだったし、元々持っていた可能性も高いか。
オモイカネなら俺が多少暴走しても大丈夫だろう。
そんな信頼のもとに俺は彼の神社内に足を踏み入れる。
御神体であろう鏡と、その前のお祈りするための空間。
そこに、祭神と向かい合って座るのはなんだか変な感じだった。
「さて、君がそういう風になるのは想像していなかったが、理由は予想できるよ。何かやらかして排斥でもされたんだろう?」
「その通りです⋯⋯」
初っ端から看破された。本格的に排斥される前に抵抗せずに逃げ出したな⋯⋯。
「それでやることがなくなって引きこもっていると。天照様とどっこいどっこいだね」
天岩戸時点の天照はスサノオのいじめに耐えきれなくなって引きこもったんだったな。俺と同一視していいのか? 不敬じゃない?
ただ、その言葉自体には俺は何も反論できなかった。
夢を遠くに追いやって、ただ震えているだけの毎日は、恐ろしい深淵の淵に沈んでいくようで、でも、そこから浮かび上がる術もない。
ただ無為に日々を消費するだけの存在だったからだ。
「しょうがないね。もうしばらくしたらお前に連絡を取ろうと思っていたんだ。その計画を前倒しにしよう」
「計画とは?」
「夜。君は歴史書を作るんだ」
「今なんて言いました?」
「歴史書だよ。そろそろ神々の時代も終わりだけど、私たちの歴史も神話として残して置きたいんだ。そのためには、その歴史を知っているものがいることが必要不可欠だからね」
「なるほど?」
「お前を高天原に招いたのは、それを作らせたかったからなのさ。だから歴史を覚えてもらった。ひょっとして忘れてるって言わないよね??」
「いや、正直忘れてますが⋯⋯」
何百年前のことだと思ってるんだよ。大麻の品種改良で忙しくて忘れたわ。
「まあそれならそれでいいよ。また覚えさせるだけだから」
オモイカネはニヤリと笑った。それは強制的に学習させようとしていた初めて会った時のあの時の表情によく似ていた。まあ、一回覚えた知識だから、そんなに苦労せずに覚えられるだろう。なんとでもなるさ。
「あ、それと、その後の歴史に関しても補足があるので、そちらも覚えてね。大丈夫。同じくらいの分量だから」
優男風の顔立ちで意地悪な表情作ったらギャップがすごいな。
そして面倒臭いことになった。あれは元からかなりの分量が有ったと思うんだけどそれを二倍か。やめて欲しいぞ。
「もう逃がさないよ」
微笑む彼は悪魔のような顔をしていた。背筋がゾクゾクする。
でも、歴史学習をやっている間は、やってしまったことを思い返さなくて済む。
なら、これでいいか。
俺はそう考えることにした。
ちなみに大麻で頭がやられたか、歳をとりすぎたからかはわからないが、今回の歴史学習には手間取ることになった。もう、若くないんだな⋯⋯としみじみした。
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16話
奈良の都の朱雀大路で、一人の女が倒れていた。
とある化け物が暴れた夜から100年余り。道ゆく人々には彼女の顔に見覚えなどなかった。非常に美しい女だと考えた程度である。
声をかけるのにも気が引けて、皆、見なかったことにして去っていく。
彼女が倒れたのは、ひとえにこの夏の猛暑を侮っていたからだ。
この年は記録的な猛暑で、田畑さえ干上る寸前だった。
武蔵国からここまでの旅路で水が手に入ったことはほとんどなく、都にも水を商っている商人はいなかった。血でも飲めれば話は別だったのだろうが、あの事件以来、彼女は吸血に甚大な拒否反応を示していた。
「水を、ください⋯⋯」
そう言ったとしても、余裕がないのは誰も同じ。彼女を助けるものは現れなかった。
そこに馬に乗った貴族が通りかかった。
彼の名は太安万侶。正五位上の身分を有する貴族であった。
彼は、女が道に倒れているのを見て、馬を降りると助け起こした。
「おい、大丈夫か? 名前は?」
「冷えた、あれ⋯⋯」
吸血姫たる彼女は、朦朧として今一番欲しいものを言った。
当然、彼は誤解した。
「稗田阿礼か。とりあえず、俺の屋敷まで連れて行く。しっかりしろ」
太安万侶に下心があったかどうかは問題ではない。
ともかく、これで彼女は救われる。
水を飲ませてもらい人心地のついた彼女は、彼の屋敷に居候することとなった。
オモイカネに叩き込まれた歴史の知識を無意識に話していたところ、語り部としての地位を確立したのだ。
彼女の語る神々の時代から、天皇の祖先の時代までの歴史は生き生きとしていて、まるでそこで見てきたかのような臨場感があった。
屋敷の人々から評判になり、わざわざ彼女の話を聞きに太安万侶の屋敷を尋ねる貴族もいるほどになった。
夜に言い寄ってきた男も多かったが、太安万侶が全て撃退した。一旦助けた相手は彼の名に懸けて守る。それが彼の矜持だった。
太安万侶は見ず知らずの女を簡単に助けたことからわかるように、お人好しな人物だった。そのため、上から無理難題を押し付けられることになるのである。
壬申の乱に勝利した天武天皇は、神の時代から改めて歴史を編纂しようとした。
そこで白羽の矢が立ったのが太安万侶だった。度重なる戦争で、文官の層が薄くなり、半分武官のような彼にお鉢が回ってきたのだ。もちろん、彼の屋敷にいるという評判の神代の誦習者のことをあてにしたのものでもあった。
こうして現存する日本最古の歴史書『古事記』の編纂が始まった。
夜は、自分の頭の中にある余計な知識を語らずには居られなかった。
それを太安万侶は筆記する。
天地開闢の様子。伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の国生み神話に黄泉比良坂(よもつひらさか)の繰り言。
天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)の確執に天岩戸の物語。さらに八岐大蛇の伝説。大国主神の武勇伝の数々。葦原中国の平定。大国主の国譲り。天孫降臨。海幸彦と山幸彦の物語。
生き生きとした神々の姿が、夜の口から活写されていった。特に高天原の描写は真に迫るものだった。
古事記がどんどん出来上がる。ただ、彼女には自分が本を書いているという実感はなかった。話をしているだけだからだろう。
彼女自身の手で書いていないと、自分の小説と認めないらしい。
口述筆記だって一応執筆の一形態なのだが。
古事記の上巻が出来上がった。
神の名前の羅列と、歌と、物語。
話し言葉を漢文に起こすという困難があるとはいえ、太安万侶も懸命に頑張った。
次は、中巻の執筆に移ることになった。
中巻は神武天皇から、応神天皇までである。神武天皇の東征にヤマトタケルの冒険など。この辺りの歴史書は、蘇我入鹿暗殺事件の影響で燃えてしまった。だが、基本的にこの出来事もまた、そのほとんどは夜がその目で見てきた出来事である。話せないはずがなかった。もちろん、自分のことについては伏せてある。
ついでに何故か全てを語り終えるまで口の自由が効かなくるという呪いもかかっていたらしいが、オモイカネの仕業で間違いない。
まあ細かいことはともかく、物理的な問題としては、太安万侶の筆の早さにかかっていた。口述の速度に筆記は敵いようがないのだ。
夜もいい加減焦れてきていたが、こればっかりはどうしようも無い。
太安万侶は、干からびる寸前だった彼女に水を与えてくれた一種の恩人である。
オモイカネの呪いが発動したことを除けば、今の境遇は彼女にとっても悪くないものであった。仕方がないので、彼女は歴史をひたすら口述する作業を続けた。ここで逃げたりしたら、呪いが本格的に発動してひどいことになりそうだという予感があった。
ようやく中巻も完成した。
最後は下巻である。
本格的に夜が京の都から消えていた時代だ。仁徳天皇から、推古天皇の10代にわたる歴史である。彼女がオモイカネに歴史知識を詰め込まれている間の出来事だったので、オモイカネの方も認識が甘く、どうしても上巻と中巻の内容と比べると見劣りがしてしまう。
それでも、彼女の口は止まることを知らずに、知りうる限りの歴史を活写していった。
一応年代的にも近い時代だったので、今回の編纂に頼らなくても歴史書は存在している。それをいいことに、太安万侶もこれでいいかと考え始めた。手抜きである。最初の仁徳天皇あたりは真面目に書いていたのだが、それ以降はもう疲れが溜まっていて軽く流すことにした。すでに半年以上この作業をしているのだ。半分武人である太安万侶としてはもういっぱいいっぱいだった。
口述者と筆記者の間に無言の合意が交わされる。
手抜きの下巻は超スピードで完成した。
和銅5年。太安万侶が元明天皇に『古事記』を献上した。
上巻と中巻の見事な出来に、天皇は非常に喜んだという。
下巻は、まあまあだった。当然ながら手抜きを見抜かれている。
そんなこと言ったってしょうがないじゃないかと太安万侶は思った。
上巻と中巻を頑張っただけでも褒めて欲しい。
屋敷に帰った太安万侶は、お礼をしようと夜の姿を探す。
だが、すでに呪いから解き放たれた夜の姿はすでに屋敷から消えていた。
彼女の部屋に文が一つだけ、置かれていた。
「楽しかったです。どうかお達者で」
文を見ながら、太安万侶はわなわなと震える。
「こちらの、台詞だ」
怒りではなく涙で濡れた言葉だった。夜の語る歴史を毎晩聞いて、それを文字に起こす二人きりの作業は、何故だかどうしようもなく楽しかったのだ。
「せっかく宴の用意をしていたのに。台無しだ」
悔し紛れの捨て台詞だった。
だが、それを聞き逃さないのが、夜クオリティである。
恐ろしいほどの地獄耳でその言葉を拾った彼女は、ちゃっかり宴に顔を出してこっそり飲み食いしていたのである。いなくなったことを知っていたのは太安万侶だけなので、普通の屋敷の使用人達は普通にいるなあとしか思わなかった。
夜の方も、太安万侶に顔をあわせるのは気まずいので、こそこそと隠れながら飲み食いした。
宴の翌朝、使用人に昨日の夜さまはとても楽しそうでしたねと言われて初めて、太安万侶はそれに気づいた。
「あいつを見かけたら言っておけ。いつでもうちによってくれていいからな、と」
嬉しいのか寂しいのかわからなかったが、とりあえずそれだけは使用人達に噛んで含めた太安万侶だった。
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17話
都が平安京へと遷都された。
その間、夜は、基本的に都会近辺をうろうろしていた。
一旦やりきった古事記の口述は確かに彼女の中に良い影響を残していたが、それにも増して、親しくしていた人を自分の手で殺しかけたあの大麻の夜のトラウマは大きかった。人の中に入ることに積極的になれない。
オモイカネが呪いを用いてまで、彼女に古事記を語らせたのは、それを解決しようという意図もあったのだろう。
それは確かに彼女に良い影響を与えてはいた。
だが、ひところに構えて特定の人々と仲良くしようという気にはどうしてもなれないのであった。
古事記の評判を聞いても、自分の作品とは思えず、小説に関しても少しずつで始めたくらいで彼女にとっては少々物足りない。
竹取物語を読んだときには、作者のことを天才だと考えて、探し出す旅に出たが、どうしても見つからなかった。都で評判になる随分前に東国で書かれていたらしく、彼女の力を持ってしても、作者の消息は不明なままだった。
●
道中立ち寄った因幡国で、俺は、なんだか懐かしい気配を感じた。
気配を辿ってみると、白木でできた美しい神社があった。
規模はそこまで大きくないようだが、近隣住民からの信仰は熱いらしく、よく整備されている。
自分が妖魔に類するものであるという自覚はあるが、何年も高天原にいたため、神道系の聖域は、慣れ親しいものと言える。
あれだな。戦国時代になって、キリスト教が入ってきたら、危ないかもしれない。
本物のヴァンパイアハンターとかいるかもしれないし。
ちょっと気をつけておこう。
それより気になるのはこの懐かしい気配だ。
親しみと、柔らかな手触りを思い出す。
神社の名前を確認する。
白兎神社。
そう書かれていた。
高天原で仲良くなった兎の姿が目に浮かぶ。
久しぶりに会いたいな。
会えないかな。
ちょっと祈ってみよう。
2礼2拍手して、白に会えますようにと祈る。
一礼して下がる。
作法は多分オッケーだけど、行けるかな⋯⋯?
「夜—!!! 久しぶりー!!! 元気してた?」
神社が開いて奥から白い毛玉がみぞおちに突撃してきた。
えっこんなに簡単に会えるの?
神様なのに?
これならもっと早く調べるべきだったかもしれない。
あとでウズメの神社にも行ってみよう。
とりあえずひっついてくる白を強引に引き剥がす。
こっちも結構な剛力なはずなんだけど、かなりの抵抗があった。
「夜のことは気になってたけど、私も神社の運営があったから、探しに行けなくて。オモイカネさまから会ったって聞いたから、私も会えないかなって思ってたの」
「私も会いたかったわ」
白の毛皮がもふもふしていて癒される。
「夜それ好きね」
「久しぶりだから。やっぱり、白の毛並み気持ちいいもの」
「ふふふん。でしょう。天界一のおしゃれ兎なんだから」
凄そうな称号だ。兎の中では。
「とりあえず、積もる話もあるし、中に入ってよ」
白の招きに素直に応じることにした。
神職でもないのに、本殿の中に入る機会が多いぞ俺。
白が入れてくれたお茶を二人で飲む。
高天原の頃を思い出すな。
よく三人でお茶したものだ。
今の方が最高の小説を作るという夢に近づけている気はするけど、あの頃もどうしようもなく懐かしい。
「ねえねえ、夜。悩み事、あるでしょ」
「そりゃ、あるよ。悩み事の一つや二つ。人間だもの」
「人間かどうかは怪しいと思うけどね」
「ひどいこと言わないの。意識は人間なんだから」
「はいはい。だから、悩める夜を、私が神様らしく導いてあげようかなって」
「具体的には?」
「もうちょっと感動してもいいのよ! おほん。前に聞いた、あなたの夢。最高の小説を作る、だったよね。私の未来視の力を付与して、それが叶うかどうか、見せてあげる」
「そんな職権乱用許されるの?」
「大丈夫大丈夫。私は敬虔なる信者の祈りによってこの地に降臨したんだから奇跡の一つや二つ、起こせなくてどうするのよ」
「そりゃ、ありがたいけど⋯⋯」
確かに、どうなるか見てみたいってのはある。
いつまで経っても紙が普及せず、この五百年。小説の実力が伸びている気がしないのだ。このままで、究極の小説を作ることなんて本当にできるのか。
そのことに対する危惧や恐れがないと言ったら嘘になる。
攻略本みたいなものがあるのなら、俺は使う派だ。
「決まりね。どこが見たい? 何年後にあなたは最高の小説を書いていると思う?」
「それは⋯⋯」
俺は悩んだ。
この五百年のことを考えると、同じ時間で急激に小説の才能を伸ばすことができるとは考えにくい。やはり、刺激を与えあえるライバルがいてこそ、小説家は伸びる。なら⋯⋯。
「1200年後で」
なぜか俺の口はその言葉を紡いでいた。
多分それは記憶をなくす前の俺が生きていた時代。
いつまでに最高の小説を書かなくちゃいけないのかと問われたら、絶対にその時までには、書き終わっているべき時間だ。
「おっけー。ムラがあるから、ちゃんと1200年後とはいかないかもしれないけど、その辺りを観れるようにしてあげる」
白は自信満々に自分の白い胸を叩いて見せた。
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18話
なぜか白を抱いて布団に包(くる)まっている。
あったかくてもふもふしていて、落ち着く。
「未来視は夢と同調させるのが一番効率がいいの」
白はそう言っていた。
ついでに、白の一部に触っていないといけないらしい。
そういうわけで、二人で同じ布団に眠ることになったのだ。
「白、起きてる?」
「夜。目をつぶらないとダメよ」
「もう⋯⋯」
ちょっと恋人っぽい雰囲気を味わいたかっただけだって。
⋯⋯兎相手に何言ってるんだ俺は。
だいぶ疲れている気がしてきた。
旅から旅で歩き詰めだったし、久しぶりの柔らかい布団だ。
普通に眠たい⋯⋯。
寝よう。
「おやすみなさい⋯⋯」
「ふふ。おやすみ、いい夢を」
白に耳元で囁かれながら俺は、夢の中に落ちていった。
●
豪華なシャンデリアが頭上できらめくホテルの大広間だ。
出版業界は活気付いているようで、多くの人々が楽しそうに喋っている。
この間思いついたすごい伏線を自慢したり、お互いの作品の感想を言い合ったり。そうそうこれこそ、出版社の忘年パーティだと言いたくなるような光景が広がっている。
俺は、その光景を満足げに見つめていた。
俺がこれを作り上げたという充実感と自負が、芽生えている。
紫のパーティドレスを優雅に翻して、会場を見て回る。
小説談義に突っ込んで行きたいのも山々だが、俺が行くと相手が萎縮してしまう。節度はわきまえないといけない。
視界の端に、何かを捉えた。
でっぷりと太った男だ。
着ている物がスーツではないので、小説家だろう。
だが、その小説家を見た途端、とんでもない怒りと憎しみの波が俺を襲った。
普段の俺は、小説家なら無条件で好ましく思うというのに。
なぜだ。
自分でも心当たりがない。
意味がわからないなりに、そちらに近づく。
会話でも聞けば、わかるんじゃないかと思ってのことだった。
近づけば近づくほど、憎しみがふつふつと湧き上がってくる。
よっぽど相性が悪いか、前世の因縁があるかだろう。
まだ一言も喋っていないというのに。
近づいてくる俺を見た隣の編集が、そいつを突いた。
そいつも気づいたようでこちらを見ると満面の笑みを浮かべる。
まるで自分が褒められることを確信しているような無邪気な笑みだった。
その子供のような笑みでさえ、俺の怒りを増幅させる効果しか生まない。
つかつかと歩み寄った俺は、そいつの胸ぐらを掴んで宙に浮かせた。
いきなりのことに目を白黒させるそいつを衝動のままに床に叩きつけようとして⋯⋯。
目が覚めた。
いつの間にか、朝になっていた。
白い光が社(やしろ)に射し込んでいる。
夢、いや、未来を思い出す。
あれは、なんだったんだ?
なんであいつのことがあんなにも許せなかったのか。
わからない。
でも、あいつの顔を思い出すと、強い怒りが湧いてくる。
あいつにでかい顔をさせない。それが至上命題とまで思えてくる。
でもあれは未来の出来事で、あいつは未来の住人だ。
今考えても仕方がない。これ以上生産性のない思考を向ける必要はないだろう。
最高の小説を作る件だが、ヒントはあまりなかったと言わざる得ない。
出版社のパーティでも我が物顔で振る舞えるということはわかったが、それは作家としての成功を意味していても、どんな物語を俺が作り出したかに関してはわからない。
むしろ、あれは出版社の方を掌握していたような気もする。
編集たちがやけにうやうやしかった。
あの時代まであと千二百年あるんだし、出版社の整備、掌握も計画しておいて損はないかもしれないな。少なくとも、裏切らない編集は絶対に必要だ。
チクリと胸に痛みが走った。まるで一度裏切られたことがあるような⋯⋯。
まあ、いい。やることは決まった。
その1。最高の小説を作る。
いろんな経験をして、それを文章に起こして備えていこう。
その2。出版社を掌握する。
全てを自由にできるほどの権力やお金。もしくは、創立への干渉などで、俺に逆らえないようにする。終戦後を目処に行動に起こそう。その前に財閥になってても、解体されちゃうし⋯⋯。戦争を起こさせないルートもワンチャンあるか⋯⋯?
ここら辺は臨機応変に。
その3。あのいけ好かない男に復讐する。
多分、その1とその2が出来たら自動的に達成できるだろう。
あとはあいつがデビューするところを見張っていれば完璧だ。
絶対に地獄に落としてやる。最強の復讐プランを千五百年かけて練ってやるから覚悟しておけよ。
それはそうと、白がもふもふしていて気持ちいい⋯⋯。
彼女が起きないのをいいことにもふもふを堪能する俺だった。
●
白にお礼を言って出発することにした。
改めて目標が定まったんだ。白には感謝しても仕切れない。
寂しそうな白にまた来ると約束する。
「百年に一回は来てよね!」
「ちょっと多くない⋯⋯?」
「夜は時間感覚がおかしいよ、百年って言ったら一生に一度だよ。普通の人基準だと」
「確かに⋯⋯!」
俺はショックを受けた。
いつの間にか時間感覚が人外になっていたようだ。
このままでは、人の気持ちがわからない化け物になってしまって、小説を書いても登場人物の心情が共感できませんなどと言われるようになってしまう。
それは良くない。
時間感覚のリハビリをしよう。
「あ、そういえば、ウズメの神社、知らない?」
「ああ。多分、猿田彦の神社に行ったら会えるよ」
「なるほど」
そういう関係になってたわ。忘れてた。
別れを惜しむ白をなんとか振り切って、俺は再び、旅に出ることにした。
竹取物語の作者、どこにいるのかよくわからないから、一回京都に戻るとするか。ウズメと会うのは、その後かな⋯⋯?
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19話
夜は再び都に戻った。
世はまさに平安時代。王朝文化が花開き、牛車が都大路を行き交っていた。
出来るだけ身分の高いであろう相手に接触し、あわよくば書物を読もう。
白のところで立てた目標の一のために、夜は貪欲であった。
下働きの下女として入り、働きぶりを見込まれてどんどん出世する。
夜に眠る必要のない体は無理が効いて、このような仕事にうってつけだった。
貴族たちが和歌を詠みあっているのを聞きながら、夜はよくわからないけど、とりあえず声はいいなと考えていた。認識が非常に甘いと言わざる得ない。
地位が上がって、書物を扱う仕事をするようになった夜は驚愕する。
巷に溢れる物語には、必ずと言っていいほど和歌が挿入されていた。
竹取物語の頃は一つの話に一つが関の山だった和歌が、現在では事あるごとに挿入され物語の雰囲気を盛り上げている。伊勢物語も宇津保物語も、物語と名のつくものに例外はなかった。
世相を反映したものの重要性に夜は思い至る。
言われてみれば、屋敷の中で和歌を吟じる声を聞かない日はない。
日常生活の一部となっている動作が小説に入らないわけがないのだ。
食事と似たような位置付けだと考えていいだろう。
ならば、ないがしろにするわけにもいかない。
描写の上での重要な一部分をしめるのだ。
余人より精通していなければ話にならない。
夜は願い出て、子供の和歌の手習いの手伝いをすることにした。
仕事をしながら和歌のなんたるかを学べるという寸法である。
その甲斐あって、夜の和歌を詠む技術は驚異的な伸びを見せた。
著名な詠み手であるというだけで女性でも名が通った時代である。小野小町、伊勢、斎宮女御に中務(なかつかさ)。上げてみれば枚挙にいとまがない。
殊勝な心がけの侍女がいるという噂は広まり、仕えていた貴族家でも夜を重要しはじめた。中でも、貴族の子供である阿古久曽は、夜に懐き、よく呼び寄せた。
年月を経ても年が変わっているように見えなかったので、怪しまれることはあったが、夜の侍女勤めはそれなりに順調であった。
●
阿古久曽は成人し、紀貫之を名乗るようになった。
昔から世話をしてきた子供の成人なので、夜も自分のことのように嬉しく思っていた。貫之は、夜とともに行った研鑽で自分の歌の才能を開花させており、当代一とも呼ばれる詠み手であった。
古今和歌集の編纂を若くして引き受けるなど、帝からもその才能は高く評価されていた。
彼が夜の歌を古今和歌集に無理やりねじ込もうとして、夜が必死に止めたというのはまた別の話である。
彼女は自分の才能が、天才に比べれば一歩劣ることを自覚していた。努力の才はあるかもしれないが、最終的に大切な歌の要素が足りない。そう自覚し悩んでいたのである。
生まれながらの才覚でその要素を自然と加えることができていた貫之には全く持って理解できないものだった。
ただ、幼い頃から綺麗なお姉さんだった夜が、いつの間にか同年輩くらいの女性に見えてきて戸惑っていたのは確かだ。
身分の違いからおおっぴらに言えず、妻もすでに迎えてはいるが、彼の気持ちの一部は絶えず夜の上にあった。側女に手をつけるのはこの時代では一般的なことである。問題はないはずだった。だが、夜はやんわりと拒絶した。
夜は、当然のことながら男を恋愛対象から外している。貫之が振られるのは仕方のないことではあった。夜のことを諦めきれない貫之はそのまま夜を仕えさせ、貫之のことを可愛い弟くらいに思っている夜も、彼のそばにいるのは当然だと思っていた。書物も自由に読ませてくれる。少なくとも貫之に追い出されるか貫之が死ぬまでは出て行くつもりはなかった。
ただ、夜に関しては、随分と噂になってはいたようで、蓬莱の薬を飲んでいるだとか、物の怪の類だとかいうことがまことしやかに囁かれていた。
月日は過ぎ、貫之は土佐守に任命され、四国の南の果て、土佐に赴任することになった。住み慣れた京を離れるということで、多くのものが、着いていくのを断念した。
「夜さん、来てくれますか?」
「もちろん。いくに決まってます」
貫之はすでに50を過ぎた老齢で夜はいつも通り若々しい外見だったが、一番最初に付けられた序列はそう簡単に覆るわけもなく、貫之は夜に敬語を使っていた。
はたから見たら奇妙だが、二人の間では至極当然のことだった。
「土佐は行ったことないな。楽しみだ」
久しぶりの京都以外への外出にワクワクする夜だった。
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20話
国司の任は5年間もあった。
最初はワクワクしていた夜だったが、あまりにも毎日が代わり映えしないので、早々に飽きていた。文章も風土記があるくらいで、全くもって盛んではない様子だ。
やはり都は文化の要だったんだなとつい考えてしまう。
ここで貫之を見捨てて一人だけ京に戻るというのも悪いので、少なくとも彼が帰るまでは我慢することにした。
四万十川の上流へ遡って、河童と相撲を取るなど主人に仕える側女とは思えないくらい好き勝手にしていた夜だったが、貫之は全て鷹揚に許した。
長年の付き合いで、夜の性格は理解できている。未だ土佐にとどまっていること自体不思議なことだ。せめて早めに任期を終えて京に戻してもらえるように帝に奏上しようと貫之は考えた。
●
5年の任期は慌ただしく過ぎ去り、京へ帰る日取りとなった。
貫之は、京から連れてきた娘がこの土佐の地で亡くなったことを辛く厭わしいと感じており、早く京の都に帰りたいと考えていた。
とは言え、五年も暮らしてくれば、付き合いも増える。
別れの宴をすると言われれば貫之もいやとは言えなかった。
飲めや歌えの大騒ぎで、身分が上のものも下のものも関係なく飲み食い騒いだ。
頭の上に皿を器用に載せた小さな小僧と夜が親しげに話しているのを見かけた気がしたが、確かめる前に酔いが回って、貫之は眠りに落ちた。
夜はふと思い立って、この帰郷の様子を日記につけることにした。
幸い紙に関しては心配がいらないほどに流通し始めている。
そのくらいの自由はあった。
何より、そろそろ彼女も自分の物語を紡いでみたくなったのだ。
和歌の練習は嫌になる程積んだ。とりあえず手始めに日記という形で、文章を書くのを習慣にしていこう。夜はそう考えた。
書き出しは「をとこもすなる日記というものをわたしもしてみむとしてするなり」である。
男の人が書くという日記を女のわたしもやってみようと思う。
そういう書き出しであった。
彼女はこの数百年でようやく性自認が女に振れている。不意をつかれた時以外はわたしで通した影響かもしれない。ただ、恋愛対象だけはあいも変わらず女だった。レズっ気のかまたりである。
まずは宴の様子から書くことにした。
なお途中で貫之に見つかって恥ずかしい思いをすることになる。
だが、見つけた貫之の方も鬱々とした思いが溜まっていたので、からかうのもほどほどに自分も書こうと思い至った。あなたよりも面白いものを描いてみせるというのである。書き出しは同じ。題材も同じ。違いは書き手の感性だけ。
才能溢れる貫之には負けるだろうと思いつつも、彼の描いた物語を見てみたいと考えた夜は、それを歓迎した。
やるからには勝ちたい。物語に関する研鑽は、貫之が生まれる前の前から積んできたんだ。地力が違う。ひょっとしたら勝てるかもしれない。
夜はその考えを拠り所に日記を続けることにした。
十二月二十七日、沖へと漕ぎ出した。大津から浦戸までの旅路だ。
十二月二十八日、浦戸から大湊へ。二十九日、大湊に宿泊。
まだ外海と呼ばれる場所に漕ぎ出していないので、波もそれほど激しくはない。
そうして、元旦を迎えた。不思議と波が激しくなり、出航が不可能になってしまう。土佐から逃がさないと貫之の子供の霊が起こしているのだろうか。
二日、三日、四日、五日、六日、七日。
同じところに一週間滞在することになった。
船が脆弱で、漕ぎだすには頼りなく、出航は良い風を捕まえなければ自殺行為に他ならなかった。
そのため、時期が悪ければこのように長逗留を強いられるのもそう珍しいことではない。近隣の住人が食料を融通してくれたのでなんとかなった。
もしかしたら貨幣を用いているのかもしれないが、夜のあずかり知らぬところである。
八日。この日は物忌みで、出発はできなかった。
貴族たちは必要以上に迷信深いのである。
九日。ようやく風も収まったので、土佐国を後にすることになった。
五年ほど過ごしたとあって、流石に別れがたい。見送りの人々は、海岸に勢ぞろいし、熱心な人は船を仕立てて送ってくれる。
思ひやる心は海を渡れども文しなければ知らずやあるらむ
貫之はそんな歌を詠んでいた。相手を思う心は海を渡っても、手紙もないので、相手には知られないだろうと言う意味のようだ。
夜も対抗したかったが、こう言う場面で咄嗟に出てくるほどの域には達していない。
謎の敗北感を覚えながら、彼の横顔をぼうっと見ていると顔を赤くして逸らされた。未だ純情な貫之だ。もう結婚して子供もいると言うのに、稀有なことである。
宇多の松原を通り過ぎる。
鶴が松の枝に止まっていたが、飛び立つと同時にその枝が崩れ落ちた。
珍しいこともあるものだと人々は言い合った。
●
海賊だの、波が高いだの色々あって、結局河内に着いたのは2月に入ってからのことだった。ここから京都に帰るまで二週間ほどだ。
一行の足取りは徐々に軽くなる。
今日に待ち人を残していた人々は多いのだ。
貫之のように、我が子を連れて帰れなかったことを残念に思っている男がいなければ、もっと一行の進みは早かっただろう。
貫之の心は千々に乱れ、誰からもそれがわかってしまう始末だった。
夜も流石に放っては置けず、世話を焼く。
見た目は、二十代の夜が初老の貫之を甘やかしている様は、だいぶ倒錯的ではあったが、もう一行の中では常識となっているので、気にする人は居ないのだった。
今日に帰った彼らはボロボロになった屋敷を見て、様々な感慨に耽(ふけ)るのだが、今回は飛ばすこととする。
最後に、日記の最後だけ、ここに書いておく。
ある人と日記(にき)にて勝負しき。
比べ見るに、限りなくはづかし。
独りわびて、月を眺めけり。
とまれかうまれ、疾(と)く破(や)りてむ。
果たして、未来に伝わる土佐日記は、貫之のものか夜のものか。
それは神のみぞ知る真実である。
ちなみに、出来の差にショックを受けた夜は本当に日記を破り捨てたが、貫之が回収して元どおりにしたのだった。
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21話
貫之の死を看取った夜は、京都を離れることにした。
流石に、姿が変わらないまま五十年以上居続けることは、不可能だった。
しばらく考えた夜はウズメに会いに行くことにした。
白に百年ごとに来るようにと言われたのにも関わらず、五十年すぎてようやくである。やはり、時間感覚は人間のものと異なってしまっているのかもしれない。
確か、白によると、猿田彦の神社に行けば会えるということだったな。
五十年前のことだと言うのに優秀な記憶力を発揮した夜はそのまま、猿田彦神社の場所を聞き込み、伊勢にあることを突き止めた。
伊勢なら紀伊山脈を越えたらすぐだ。
旅行記を書くのもいいかもしれない。
そろそろ、旅をする商人も現れてくる頃だろうし、需要はあるはず。
⋯⋯、流石に無理か。
紙が潤沢なのは、相変わらず貴族社会だけのようだ。
あそこは特権階級だから仕方のない部分はある。
この前までその恵みを享受していたわけだし、文句を言うわけにもいかない。
大人しく、記憶のメモ帳に刻みつけておこう。
伊勢まではそこそこ遠かったが、この体のスペックなら問題ない。
襲いかかってくる盗賊を下し、言い寄ってくる男をはねのけ、大した障害もなく伊勢にたどり着いた。⋯⋯多分普通の人だったら波乱万丈の旅なんだろうけど、今は感覚が麻痺しているからわからない。特別なイベント起こりましたか? って感じだ。
伊勢に来て伊勢神宮に参らないのは、天照様に怒られそうな気がしたので、とりあえず伊勢神宮から参ることにする。
いきなり真新しい正殿に驚いた。たしか二十年毎に作り変えるんだったか。
さすが天照様。やることが違うな。
最高神だからできる贅沢だと言えるだろう。
二礼二拍手一礼をしていたら、天照様の機嫌の良さそうな声が聞こえてきた。
「ワシのところに参るとは感心じゃの。礼に、アドバイスを一つ。ウズメの提案に乗るかはよく考えたほうが良いぞ。結果は保証できんからのう」
天照様は、それだけ言って気配を消した。
おそらく高天原から直接飛ばしてきたんだろうが、相変わらず規格外だ。
そして、ウズメの提案に、危険性がある、とのことだった。
日本最高神からのアドバイスだ。
忠告に感謝して、できるだけ、提案されても用いない方向で行こう。ウズメには悪いけれど。
●
猿田彦神社は、民家の一角にあった。
それで神社と言えるのだろうか。
まあ、お参りに来る人には門戸を開いていたので、ぎりぎりセーフといったところだろう。
家の人の言うことには、自分たちこそが猿田彦とウズメの子孫と言うことだった。
ほーん。そうなのか。お盛んなことで。
俺は、何とも言えない表情になった。
自分でそういうことをしようとは思わないんだよな⋯⋯。
釣り合う相手がいないというか。
一人称が俺の吸血姫を貰ってくれる人なんてそうそういるわけがない。
というか、俺的には、女の子を嫁にもらいたいところだしな。
需要と供給が一致しないと言うよりないか。
悲しい。
さて、ウズメの祭壇の前で祈る。
二礼二拍手一礼。
「ウズメに会いたい」
あのテンションの高い彼女と話して、浮世のことを忘れてしまいたい。
そう、深く祈る。
「はいはーい。ウズメちゃんだよー! あっ、夜。おひさー!」
社から当然のように出現した彼女は、裏手でピースを作ってポーズをとった。
いや再会の感動、軽すぎない?
下手したら400年ぶりくらいなんだけど。
俺が胡乱な目を向けていると、ウズメはあざとく小首を傾げる。
「それで、何の用なの? わざわざ私に会いにくるなんて。もしかして、ウズメちゃんに会いたくなっちゃった?」
「もういいよそれで」
一面的には事実だし。と、声に出さずに思う。
「嬉しいなあ。そうだ。久しぶりにウズメちゃんの踊り、見ていく? 今なら、夜のためだけに踊ってあげるよ?」
「やだよめんどくさい」
「そんなこと言ってー。本当は見たいんでしょ?」
「まあ、多少は」
「やったー! 夜ちゃんがデレた!」
「デレてない」
「照れちゃってーこのこのー」
胸のあたりを突っつかないでくれます?
変な気分になるので。
「まあ、見てってよ。あれからウズメも成長したんだから」
そのまま彼女は流れるように踊り始めた。
最後に彼女の踊りを見たのは、高天原を離れる日か。
流麗な足運びだ。
高天原にいた頃も凄まじかったが、今のウズメの踊りには、不思議な色気がある。これが人妻の色気か⋯⋯。とてもえっちだ。
⋯⋯えっちといえば、確かウズメには、よくない癖があったような覚えがあるんだが。
「うんうん。いい感じの盛り上がってきたよー!」
弾けるような笑顔とともに、彼女の上着がはだけられ、前より成長した胸がお天道様の元に曝け出された。
そうだった。ウズメ、脱ぎグセがあるんだった。すっかり忘れてた。
「ウズメ一旦落ち着いて」
「なになにー? 夜も踊るの? 私を捕まえられるかなー!」
踊っている相手を捕まえる遊びと勘違いしたウズメは、その華麗な身のこなしで、俺の腕をするりと抜ける。
なんどやっても結果は同じ。
俺のスペックでも捉えきれないとか、本当にウズメの体さばきはどうなっているんだ。
最終的に俺が疲れてへたり込んでいるところを、ウズメが腕を引いて起こしてくれた。
「体力なくなっちゃった?」
「ウズメについていけるわけないでしょ」
この子を捕まえられるとしたら誰なんだろう。
生半可な人物では不可能だと思うんだけど。
「ま、とりあえず、社に上ってよ」
裸のウズメに手を引かれる。
そろそろ、服を着てくれないだろうか。
心の中の男性性が目覚めてしまいそうだ。
●
幸い、建物の中に入ったウズメはきちんと服を着なおした。
踊りを踊るときだけ気分が高ぶってあんなことになるんだよなあ。
いつもはそれなりに常識的なんだけど、これはもう、彼女の性分というよりないのかもしれない。
落ち着いたので、互いに、今まで何をやってたか話すことにした。
ウズメの方は、猿田彦に付いて行って、子作りと神社づくりと権能の共有化を行なっていたらしい。子作りは生々しかったので聞かなかったことにするとして、権能の共有化ってなんだよ。
詳しく聞くと、猿田彦の権能をウズメも使えるようになったということらしい。
流石に劣化は避けられないが、彼のできることはだいたい彼女もできるようになったとのことだった。
なんだかとっても高度なことをしている気がするんだけど、気のせいかな?
神の権能って、一つに決まっているものなんじゃないの? 特に日本神話なら。
天照なら太陽、ウズメなら芸能、オモイカネなら知恵。
なんで八百万の神がいるのかって、全能神がいないからだろうに。
統合できるのならワンチャン全能神が生まれるぞ。
なんか、神話の前提を揺るがしかねないものをやったって言っている気がするんだけど。いいのかな、見逃して。
まあ、ウズメなら大丈夫か。
こちらの方も、ここに来るまでの出来事を話すことにした。
天皇家の東征に付き合い、大麻農家になり、闇堕ちして、歴史書を書き、今は平安調の物語が書けないか四苦八苦している。
正直に伝えたところ、爆笑された。
「笑うことないでしょ⋯⋯」
「やっぱ夜っていいよね。大好き」
唐突な告白に勘違いしそうになるけどウズメは人妻だ。
友達として大好きという意味だろう。
まあ、俺も、ウズメのことは好きだしね。
おあいこだ。
「そーいえばさあ、一回、試したい術があるんだけど、夜、かけられてみない?」
「どんな術?」
なんか天照様が気をつけるように言ってたけど、ウズメが俺の不利益になるようなことをするとも思えないんだよなあ。だいぶ絆されている。
「えっとね。境界を浮き彫りにする術?」
「ちょっと何を言っているのかよくわからないんだけど」
「なんかさ、夜って、魂と身体が一致してないように見えるんだよね。位相がずれているというか。この術が成功したら、夜の力はもっと高まると思うよ」
「力が高まる、ねえ?」
俺はあんまりピンときていなかった。
「やってみよう? 体と魂で対話すれば、夜の抱えている問題の一つは解消されるから」
ウズメの耳触りのいい声に導かれるように、俺はいつの間にか、頷いていた。
「よし、決まりね。じゃあ、そこに正座して」
ウズメと向かい合って座る。
整ったウズメの顔が真正面にあって、少々気恥ずかしい。
ウズメは真剣な表情で祝詞(のりと)を唱えていく。
俺は、その厳粛な雰囲気に飲まれるように押し黙った。
体と魂、ね。
天照様の忠告を考えると、大変なことが起こる可能性はある。
でも、ウズメがわざわざ俺のために、やってくれることを、無碍には出来ない。
ウズメの身体が、左右に揺れ始める。
表情は変わらず真剣なので無意識だろう。トランス状態ってやつだろうか。
そのまま、祝詞の言葉が連なっていく。
徐々に大きく、徐々に早く。
今まで聞いていたはずの言葉の意味がわからなくなってくる。
意識が、この場所を離れるような、ぐるぐると回る酔いが進んでいく。
目の前が暗くなって、一瞬、意識が途切れた。
目を開ける。
正面に、赤の袿(うちぎ)を着た女がいる。
目元が爽やかで、怜悧な印象を与える美しい女だ。
服装的に、貴族か、貴族の女房だと思われる。
目をつぶって、動かない。
なぜ、今までいなかった女が現れたのか。どこか見覚えがあるような気もするが⋯⋯。
そして、さっきまでそこにいたはずのウズメの姿が見えない。
俺は、状況を把握しようと、膝を起こした。
胸が擦れる。違和感を覚えた。なんだか、いつもの胸の感触と違うような⋯⋯?
視線を下に向ける。
服装が、違う⋯⋯?
今の自分が着ている服は、ウズメの着ていたような、白の単に朱(あか)の長袴。
つまるところ巫女服だ。
ウズメの着ていたような⋯⋯?
俺は慌てて辺りを見渡して、ご神体らしき鏡で、自分の姿を映してみた。
「俺が、ウズメになっている⋯⋯?」
鏡の中で、ウズメの姿をした女が、パチクリと瞬きをした。
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