“継承”のセンブランス (飴玉鉛)
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原作開始前
人力転生システム起動


皆! 原作を見よう!

本作は毎週水曜日21時更新予定です。今回は書き溜め全放出の全8話投稿。原作本編開始までダイジェスト風駆け足で参る。


 

 

 人間は塵から生まれた――らしい。

 

 ()()()と口を窄めて言うのは、俺には歴史という奴に対しての関心がなく、お偉い学者様の下で学業に打ち込んでいる隣人から、伝聞という形で伝えられた知識に過ぎないからだ。

 

【人は塵から生まれた】

 

 それを聞かされた当時の感想は、隣人がとんでもない与太話を吹き込まれているな、という憐れみだった。

 お前は騙されている、そんな与太話を信じるな、そう忠告するのが善き隣人としての務めなのかもしれない。しかし俺はどこの誰が学者様を名乗り、素直さだけが取り柄の隣人を騙しているのかと憤りはしても、隣人が楽しそうにしているから構わないかとすぐに関心を払うのを止めてしまった。

 

 俺には学がない。何事かを学ぶという意欲にも欠けているし、騙されている隣人を窘めてやる人情も薄い。

 そんな俺が頭から否定しに掛かっても説得力はないだろうし、人間が塵から生まれた可能性を否定する材料を持ち合わせていなかった。そんな様で学者様に食って掛かっても、言い負かされるのがオチだろう。

 それに言い訳がましく聞こえるかもしれないが、俺には無害な与太話に構っている暇がなかった。俺の腹を満たしてくれるわけでもない事柄に、貴重な時間というリソースを割く余裕がなかったのだ。

 

 ――なにせ、俺のいる村の日常は、毎日が戦いの連続だったから。

 

 俺の村は寒い。

 【セイラム】という女から教えを受けている隣人が言うには、村があるのは【世界(レムナント)】の北端に位置するソリタス大陸だから、寒いのは当然らしい。東西南北という方角で、北は寒いものなのだという。

 だがそんなことはどうでもいいのだ。

 大事なのはその寒さのせいで作物が育ち難く、【グリム】という――悪霊に取り憑かれた動物ではないかと噂される――化け物と戦うため、戦う術を身に着け日々を訓練に費やさねばならない事だ。

 

 グリムとの対峙も、日々の糧を賄う労働も、避けては通れない戦いなのである。

 

 俺は戦士だ。村を守るために――グリムと戦い皆を守るために――他の皆よりも多くの物を食わせてもらっている。不毛に等しい田畑の世話を免除され、器量良しの女を嫁として与えられてもいた。

 代わりに危険な戦いを任され、普段は木こりとして薪を調達するか、狩人として動物を狩る事を生業にしているが、それでも他の人間よりも快適に過ごせるように世話されているのだ。

 そんな厚遇を受けていながら、必要でもない学業とやらにリソースを割けるわけがなかった。

 

 とはいえ、村を守る【戦士】は俺だけではない。

 そして俺が最も強い戦士というわけでもなかった。

 

 たまたま体格に秀でていて、【力】を持っていたから【戦士】に推薦されただけで、俺の力量は十人いる戦士の中で中堅といった処だろう。器量良しの嫁は、俺と親しかったから戦士の中で俺を選んでくれただけだ。

 【歴史】など知らなくても困らない、不要な知識だ。必要な知識とは罠の作り方、仕掛け方であり、そして武器の扱い方である。小難しい事は小賢しい知識人が考えればよく、雑事は世話役と嫁に任せ、頑丈で逞しい子供を育て、グリムと如何にして戦うかを考えればいい。

 

 しかし、グリムは強大で、手強い化け物だった。

 

 隣人に曰くソリタス大陸はグリムにとっても住み難い大地であるらしく、その数は他の大陸よりも少ない方であるらしいが、少ないのは何もグリムだけではない。人間にとっても、この大地は過酷なのだ。住人は少数である。

 人間は弱い。たった一匹のグリムを相手に、俺たちの村の戦士は総出で掛かり、数の差を活かして袋叩きにしなければ勝つ事は難しかった。勿論なりふり構わなければもっと少人数で殺せないこともないが、下手に怪我を負ってしまうリスクを犯すより、安全策として数の力に頼った方が良い。こんな辺鄙な片田舎に医者なんていないし、戦いの傷が病を呼んで死に至ることがないとは言えないからである。

 避けられる危険は避ける、無謀な行動を起こす者は戦士として不適格の烙印を押されて当然だ。戦士は大事な戦力であり、グリムの脅威から逃れられない村にとって生命線なのだ。だからこそ無駄に戦力を漸減させるリスクを犯すより、慎重に、そして確実に戦いを完遂することを選ばねばならない。人は少なく、資源と戦力は有限で、怪我人を生かしておけるだけの余裕も余力もないのだから、計って当然のリスクヘッジという奴だろう。

 

 俺たちは日々をそうして過ごし、グリムと戦い、次代を育成して、死ぬ。

 生活水準の向上を目指して何事かを研究し、技術とやらを発展させるのは頭の良い連中が勝手にやっていればいい。俺は村を守る、それだけを考えていればよかった。ひいてはそれが、自分の家族を護る事にも繋がるのだから。

 

 ――しかし、俺や同胞たちがどれだけ努力しても、死にもの狂いになろうとも、どうにもならない事がある。

 

 

 

 ()()()が、来たのだ。

 

 

 

 季節は冬。大粒の雪が降っている日、周辺の山中を見回っていると、俺は我が目を疑う物を発見した。

 ()()。春の時季が来た時だけ、瑞々しい葉と木の実をつける山の中に。赤い紋様が描かれている白い仮面を被った、黒くて大きな獣が――熊のようなグリムがいたのだ。それも、()()も。

 

 話には聞いた事があるが、俺はこれまでの人生で、複数のグリムが群れをなしているのをはじめて目にした。

 ただでさえ手強く、単独の個体を殺すのにも手こずるというのに、三体も同時に現れるとは――しかも見たことのない熊のようなグリムが。

 物陰に隠れ、白い息を吐いてしまわないように地面の雪を口に詰めて、息を潜めて観察する。……大きい。俺の倍は大きく見えた。首も腕も体も太く、分厚い。爪と牙も俺の持つ武器よりよっぽど鋭利で頑丈そうだ。

 熊型のグリムは体躯に見合った筋肉の鎧に覆われているようで、その膂力は人間である俺などより遥かに優越していることだろう。あまり考えたくはないが、軽く撫でられただけでこちらの骨は圧し折れるかもしれなかった。

 あんなもの、人間が単独で敵う相手ではない。俺が一人で相手をするのは無理だ。戦士全員で掛かっても、半数が死傷する危険性があるのは想像に難くない。俺は自分がその半数に入る事を覚悟しながら、急いで踵を返した。

 

 物音を立てずに走る中、遂に恐れていた事態が訪れるかもしれないことに、俺は内心恐怖を覚えてしまう。

 

 恐ろしいのは、己の死ではない。戦士として遇されるようになって、成人してから二十五年余りもグリムと戦いを重ねる内に、自らが戦いの中で死ぬことに対する覚悟を固めることができていたから。

 俺の親父は、グリムと戦って死んだ。息子の俺も、同じ道を辿るのだろうと漠然と思っていた。故に――恐いと感じているのは俺の死ではなく、村が壊滅してしまうこと。それに尽きる。

 

 あの村には、俺の全てがある。老いた母は既に亡く、これまで共に生きてきた友や、戦場を共にする戦士としての同胞がいた。そして妻と子供と、生まれたばかりの孫もいるのだ。それら全てが、俺の生きた証なのである。

 もしあの村が壊滅してしまえば、俺がこの世に存在していた証は消えてなくなるのだ。俺は、それがたまらなく恐くて仕方ない。

 村の壊滅は断じて許容できなかった。故に俺は懸命に雪の降り積もっている山を走った。――走り出す寸前に見たが、あの熊のグリムは二本足で立ち鼻を頻りに鳴らしていた。

 もしかすると人間(オレ)の発する匂いを嗅ぎ取ってしまったのかもしれない。もちろん臭い消しはしているが、グリムという奴を普通の動物と同じだと思ってはいけないだろう。アレは熊に似ているが、似ているだけで、実際の熊よりも遥かに感覚が鋭い可能性がある。

 

 グリムは、悪霊に取り憑かれた動物とも、かつて苦しめられた動物の魂とも言われているが、その真偽のほどは定かではない。要点は【尋常の生物ではない】という事実と、何が起こっても狼狽しない気構えを作ること。

 とはいえ追跡される危険を回避するために、取れる手は取っておくに越した事はない。俺は村へのルートを可能な限り遠回りしつつ、辺りを警戒しながらズボンを下ろし()()を出すと枯れ木に小便を掛け、敢えて人間の臭いを残しながら走った。目的はグリムの撹乱だ。そしてその際に随所へ仕掛けられているロープを引っ張る。村の周辺の山々には鳴子が張り巡らされていて、これを鳴らすと村の近くに待機している戦士が異変を察知してくれる。

 

 そうして暫く山の中を移動し続けていると、時折りグリムが追跡してきている気配を感じて冷や汗を流す羽目になりつつ――やがて山に侵入してきた仲間を見つけた。

 

「おい、グリムがいたのか」

 

 俺が近づいてくるのに気づいた仲間の一人が、鋭い声で問いを投げてくる。俺を含めた村の戦士が十人、いつものように全員が集結していた。

 それぞれが短槍と山刀、弓矢を装備している。雪山に紛れるために、白い装束を全員が纏っていた。

 俺は仲間の問いに頷き、言う。

 

「ああ。見たことのないタイプだ」

「……どんな奴だ?」

 

 戦士たちのリーダーが、僅かも緊張を見せずに横から訊ねてきた。

 

「熊だ。全長二メートルと半ばから、三メートル近い個体もいる」

「……なあダチ公、俺の思い違いか? まるでグリムが複数いるみたいな言い方だぞ」

「勘が良いな、兄弟。その通り、グリムは三体いた」

 

 俺がそう言うと、四人の若い戦士たちの瞳が微かに揺らいだ。

 動揺しているらしい。無理もないことだが、完熟した戦士たちは毛筋の先ほども動揺を表に出していなかった。

 今までに無かった事態とはいえ、敵の多さに狼狽える可愛げを、熟練の戦士たちは持っていないのである。

 俺はリーダーを見据えた。

 

「いつも通りの袋叩きは無理だ。どうする?」

「……こういうケースは初めてだが、最悪の事態として想定だけはしていただろ。悪いがダチ公……」

「オーライ。任せておけ、村の掟は【年功序列】だ。いつだって死ぬのは老いぼれ(ロートル)が先だと決まっている」

 

 判断は早かった。リーダーの言わんとしていることを察し、みなまで言わせず了解の意を示した。

 戦士たちが物悲しげな目で俺を見る。――歳の近い者は全員が友で、兄弟であった。若い連中は息子であり、娘であり、家族であった。

 故に俺は笑うのだ。

 

「そんな目をするな。告白するが、実は最近体にガタが来ていてね。昔のように動けなくなりつつある。だから気にすることはない、囮役は俺がやろう」

「………」

「じきに使い物にならなくなるロートルだ、最後ぐらい役に立ちたい。それから……代わりと言ってはなんだが、」

 

 リーダーが片手を上げて制止してくる。

 彼は一瞬だけ瞑目し、噛みしめるように請け負ってくれた。

 

「分かってる。お前の家族を、命を懸けて守り抜くと約束しよう」

「頼んだぞ、兄弟」

 

 五人の同胞たちと肩を叩き合う。覚悟は常にしていた。別れは速やかに済ませ、四人の未熟な戦士たちの目を見渡し、一度だけ頷いてみせる。

 昔、訓練を付けてやったことのある若い戦士から、短槍と山刀、それから投げナイフと竹筒を受け取る。固く栓をしてある竹筒の中身は人糞だ。臭いは強烈で、だからこそ立派な狩り道具にもなる。勿論グリムにしか使わない。

 

「俺のことは気にするなよ。恐らく俺は死ぬだろうが、お前たちも気を抜けば死ぬ。リーダーの命令に従え。掟を守り、村を守れ。ひいてはそれが、隣に立つ同胞(はらから)を救うことにも繋がる」

「掟……。……はい。【われらの(つるぎ)は善き隣人のために】」

「ああ。【われらの剣は善き隣人のために】」

 

 短槍を掲げる。すると戦士たちは各々の槍の穂先を同じように掲げ、俺の槍と合わせてくれた。

 キン、と硬いものが重なる音が鳴る。しんしんと降り注ぐ雪の中、肌を刺すほど冷たい空気が、その時だけ灼熱の熱気に替わった気がした。

 最期に見た同胞たちは、皆、戦士の顔をしている。

 安心した。俺がいなくなっても、同胞たちは大丈夫だろう、と。故に――

 

 

 

 

 

「強がって……見栄を張った……俺は……嗚呼、畜生……」

 

 

 

 

 

 ――熊の似姿であるグリムの豪腕が胸を掠めた時、情けなく未練を残した。

 

 このグリムは、鋭利な爪を持っている。その爪が俺の胸を抉って、鮮血を撒き散らす。獣のものとは思えない、凄まじい憎悪と怨念を向けられる中、俺は白い雪に夥しい赤色を塗布しながら弱音を溢してしまったのだ。

 

「死にたくない、なぁ……!」

 

 格好良く別れた仲間たちの姿は無い。作戦は上手くいっているのだ。つまり俺の情けない弱音は誰も聞いていない。そも、吐血混じりの声は掠れていて、まともに聞き取れはしないだろう。恥を晒さずに済んだ。

 

 

 

 

 

 ――戦士たちの先頭に立った俺が、三体のグリムの前に立つ。当然知恵のないグリムは俺に襲い掛かってくる。

 俺は竹筒の栓を外し、ナイフの切っ先を竹筒に突っ込んだ。すると必然、竹筒の中にある人糞が刀身に乗る。俺はその投げナイフを二体のグリムに投げつけ、俺の存在しか目に入らないように注意を奪った。

 そうして二体のグリムが俺に誘導されると、仲間たちは残りの一体に襲い掛かり、可能な限り迅速に殺さんと武器を振るう。俺はその間、二体のグリムを相手に逃げ惑い、獲物を始末した仲間たちが合流してくるのを待つ。

 早い話、グリムの各個撃破を狙ったのだ。どれか一体だけでも村を壊滅させられる化け物たちだ、纏めて相手をするなど不可能である。だからこそ俺が囮になり、仲間たちがグリムを殺すことを祈った。

 一体目は、仲間の一人が犠牲となって、なんとか殺したようだ。俺が引き受けていた二体のグリムの片割れに挑んだ仲間の数が減っていたから、その死を確信したのである。死んだのは――昔、散々手を焼かされた悪戯小僧で、まだ若い……前途ある若者だった。しかし俺にその死を悼む余裕はなく――仲間たちが殺意の塊となってグリムと戦うのを尻目に、息を切らせてしまっていた。

 

 体力の底が尽きていたのだ。二体のグリムから逃げ惑うのに力を使い果たしていた。だから、後はもう気力で逃げ続け、槍を投げ、山刀を擲ち、死にもの狂いでグリムから逃れようとしたが。とうとう精も根も尽き果てて、グリムの爪の一撃を食らってしまったのである。

 

 

 

 

 

 黒い巨体が、俺を見下ろす。

 赤い眼光は怨嗟の色、開かれた口腔は暗黒の奈落。暗闇への入り口にはずらりと白い牙が並んでいて、俺は、必死に地面を這いずりながらグリムから遠ざかろうとする。本能的な退避行動だったが、無意味だ。

 グリムが俺の背中を押さえつける。

 

「あ」

 

 ひらりひらりと雪が舞う視界の向こうから、同胞たちが駆けてきた。また一人、数が減っている。犠牲は出たが、どうやら二体目も殺せたようだ。俺が見積もっていたよりも犠牲が少ないのは僥倖だ。

 俺はそれを見て、安堵の吐息を溢す。

 鬼気迫る形相で駆けつけてくる同胞たちの先頭には、最も長い付き合いであるリーダーがいて。遅かったじゃないかと毒づこうとするも、俺ははたと思い出した事柄に、微かに笑みを浮かべる。

 

(ああ、そうだった……昔から俺は、お前より脚が速いことだけが……自慢、だったな――)

 

 ――後年。【アーサ・マイナー】と呼称される事となる熊の似姿のグリム。それが全体重を込めて老戦士の背中を押さえつけた瞬間、背骨が圧し折れ、肋骨が粉砕され、内臓の多くが潰れて。一人の老戦士が即死した。

 その頭部を【アーサ・マイナー】は後ろから噛み砕く。

 悲憤と憤怒の混ざりあった雄叫びを上げるリーダー。死んだ老戦士の薫陶を受けた若き戦士たち。そしてそれを迎え撃つ【アーサ・マイナー】。立ち込める血臭は白い大地を汚し、しかし僅かな間に消えてなくなるだろう。

 

 つわものどもが夢の跡――人類が、まだ無力だった時代。

 

 【ダスト】の力を発見し、グリムへ対抗するまでの原始時代。人は、日常的にグリムによって命を落としていた。

 戦士たちは辛くも【アーサ・マイナー】に勝利した。三名もの尊い命を犠牲に。そうしながらも、彼らの人生は続いていく。大いなる繁栄を遂げる、輝ける時代の到来を夢見るだけの希望も見い出せないまま。

 

 これは、ごくありふれた光景の一つだった。

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 ――そして。ひとりの戦士の魂が、長く、永い戦いの、始まりの一歩を踏み出した瞬間でもあった。

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 ――。

 ――――。

 ――――…………。

 ――………?

 

(……あ?)

 

 長い夢を見ていた気がする。

 ポツンと水面に浮いたまま河を下り、大海へと流れ着いて。流れに流されて漂っていく感覚と主観。

 やがて無数に枝分かれした河川に辿り着き、液体とも気体ともつかない自らの【主観】が、透明な筒を伝って肉の器に流れ込む。

 

 そうして俺は、あやふやな自我を取り戻した。

 

 俺は自らの状態に疑問を覚えることもなく、あたかも夢でも見ているかのような感覚で、自身の真下にいる()()を見下ろす。

 それは珠のように可愛らしい女の子だった。ソリタス大陸のような、極寒の地ではなく、麗らかな気候を感じられる。美しい女に抱きかかえられ、無愛想な男が女と赤子を見詰めている。

 どうやらその男女は赤子の父母であるようだ。安心しきった顔で眠る赤子を見守る夫婦。彼らに育てられ、赤子は驚くべき時間経過の早さの下、健やかな少女へと成長していく。俺はそれを、常に少女の真後ろから眺めていた。

 

 やがて少女は、俺が知るよりも遥かに豊かな大地で、田畑と向き合っていくこととなる。

 

 隣町から行商に来た男と、それに付いてきた少年と出会い、少女は次第にその少年と親しくなるにつれ恋をした。

 二人は逢瀬を重ね、ついには恋人になると、時を置かずして夫婦となった。順風満帆に二人は生活し、少女は女へ、少年は男へと成長し、その間に元気な赤ん坊をもうけた。

 

 だが、ある日突然、グリムが二人の暮らす町に襲来する。

 

 逃げ惑う人々。戦うために武器を持つ男達。だが邪悪なグリムたちに脆弱な人間が敵うことはなく、子供を抱きしめる女の前で夫が殺された。

 女は泣き叫ぶ。しかし嘆き悲しんでいる場合ではない。

 俺が早く逃げろと叫んでも女は動かず、抱き締めたままの赤ん坊と運命を共にすることになった。

 グリムが女を殺したのだ。

 

(……っ! ……?)

 

 途方もなく大きな悲しみは、女の発する激情なのだろう。それが俺へとダイレクトに伝わってくるのに必死に堪えていると、ふと女がこちらを見た。

 今の今まで一度も俺の存在に気づかなかった女の視線に、俺は束の間、動揺する。深い哀しみとグリムへの憎しみの籠もった、暗く沈鬱な眼差し。やがて女の魂は灰となって散り、得体の知れないエネルギーが俺へと流れ込む。

 

(………!)

 

 それは、魂だった。直感的にそう理解したが、俺はまたしてもどこかに流されていく。

 

 ――今度は、少年だ。

 

 質の良い衣服に身を包まれた男女の下に生まれた少年は、両親に厳しく躾られながら育った。

 厳しいのは躾だけではなく、教育面でも極めて厳格で、とにかく知識を詰め込まれているらしい。俺はそれをぼんやりとした感覚のまま眺める。相変わらず夢心地のままだが、この頃になってやっと俺は思い出していた。

 俺は、死んだのではないか? 俺が見ているこれはなんだ? これは夢なのか? それにしてはリアリティがある。グリムに殺された女の激情も、まるで自分の物のようであり、今またこの少年が感じている辛さも同様だった。

 少年が辛ければ俺も辛い。この奇妙な感覚の繋がりが一体なんなのか、疑問を覚えながらも少年の人生を見守る。幸いと言って良いのか定かではないが、俺の感じる時間感覚は恐ろしく()()になっていて、他者の人生を眺め続けることに苦痛を覚えたりはしなかった。

 

「いいか? 我々の研究が、多くの人々を助ける。私の代では難しくとも、お前の代で――それが難しくともお前の次の代までには研究を終えなくてはならない……! 我々人類には、グリムに対抗するための力が必要なのだ!」

 

 父親がそのような使命を毎夜、幼い少年へと刷り込んでいる。

 それは洗脳に等しく、少年はそれのためだけに生きていくことになった。

 少年が大人となり、妻を娶り、子をなす。やがて両親が他界した後は、自らが両親にされたように、子供へ使命を刷り込んでいく。

 この一族が研究しているのは、【オーラ】と名付けられた人類の力だ。

 それは十分な訓練を積んだ者なら誰でも扱える力で、俺もこの力を持っていた。とはいえオーラなどと名前は付けられておらず、ただ【力】とだけ呼んでいたのだ。これは戦士として最も重要な資質であり、魂を持つ者なら誰でも有するオーラは個々人によって内包する量に差が生じている。

 オーラの多寡が戦士の資質の全てというわけではないが、多いに越したことはない。なんせオーラは全ての道具を媒介し、絶大な力を発揮できるからだ。オーラで防御――バリアを張って致命打から身を守ったりできる上に、攻撃手段として衝撃波を発し、強いオーラなら自分や他人の傷を癒やせるのである。あって困るということはなく、なければ既に人間はグリムに淘汰されていたに違いない。

 

 男の父はそこまでを解明したようで、オーラを全ての戦士が扱えるように体系的な訓練項目に落とし込んでいた。

 そして俺が見守る男が研究していたのは、そのオーラの更に先にあるという力――発見例が僅かに報告されている力だ。

 

 男はその力を、便宜上【センブランス】と名付けた。

 オーラをより実体化、先鋭化させた力であり、人によって発現する能力が異なるだろうと推測している。

 俺にはそのセンブランスは無かった。そして俺が知る戦士の誰もが、センブランスを持ち得ていない。というのもオーラという力を誰も鍛えようとしたことがなかったからである。物質ではないオーラは鍛えようがないと、勝手に思い込んでいたのだとしたら――俺は、俺たちは、とんでもなく愚かだった。

 だがここまでで、俺は気づいていた。

 女の生涯と、この男の人生は、俺が死んだはずの時点から大分時間が経過している。つまり俺が見守っていた女と男は、俺から見ると()()なのだろう。ということは、俺が生きた時代は、確かに後の時代に繋がっている。

 

 男は生涯をオーラの研究に捧げ、時に自らも戦士としてグリムと戦い、センブランスの発現方法と、その体系化を目指した。

 やがて自身の子供を含め、何人かの弟子を取った男の試行錯誤は、男の寿命が尽きる寸前に形になる。長年の訓練の結果、男は死の間際に自らのセンブランスを導き出したのだ。

 

(………!?)

 

 その瞬間だった。

 

 男が、手から雷を発した瞬間、男の背後にいた俺が――急に男の方へ吸い寄せられ、男と完全に【一体化】してしまったのである。

 

「……なん、だ……?」

 

 俺は、唐突に夢から醒めた心地で、呆然と皺だらけの手を見下ろす。それは男の手だ。俺の物ではない。いや違う、【男】は【俺】だった。最初に見ていた【女】も【俺】だったのだ。そのことを直感的に悟る。

 【男】の性質によるものだろう、俺は未曾有の大混乱に襲われながらも、どこか冷静に自身の状態を分析していた。

 

 ……【俺】として生きた人生と、【女】と【男】として生きた人生。これらが渾然一体となりながらも、一切の矛盾なく完全に成立し融合している。なぜだ? 【女】は不明だが、【男】は自然現象であるはずの雷に関連するセンブランスを発現した。つまり今現在自らに訪れた現象は、【男】によるものではない。なら考えられる要因は――【俺】しか有り得なかった。

 

 【俺】によって、【女】も【俺】も知らなかった【男】は、二人の生涯と経験を得ている。なら【俺】は――実は自覚していなかっただけで、センブランスを発現していたのか? ならそれはどういった力なのだ。

 

 【男】は自身を含めた三つの人生を手に入れている。しかし【女】と【俺】の嗜好や性格には、余り影響されておらず、あくまでベースは【男】である。

 であるなら【俺】のセンブランスは死後に発動するものであっても、他人の体を乗っ取ったりする類いのものではない。では……【俺】はどんな力の持ち主だったのだろう? 刻一刻と迫りくる死の感覚が、寿命が尽きる寸前であることを報せてくる。どうやら【俺】と【女】の死の経験が、自身の命がどれだけ保つかを察知させてくれているらしい。【男】は電池が切れたようにプッツリと死ぬものと思われる。

 

 死ぬ前に答えを出さねば。

 ベッドに横たわる【男】は、弟子たちに囲まれて看取られようとしている。

 早く答えを出し、何かを伝えねばならない気がしていた。

 

(【俺】が私――【男】と一体化したのは【男】がセンブランスを発現した瞬間だ。つまりキーはこれだろう。【男】がセンブランスを発現したから【俺】の能力が【男】に対して効力を発揮した。これは間違いない。だが、【俺】は【男】を乗っ取っておらず、しかし同一人物であるようにも感じられる……つまり【俺】は【男】の前世? 生まれ変わりだとでも言うのか? 全て主観的で客観性の欠片もないが、そうとしか思えない。なら【俺】のセンブランスは生まれ変わり……と、言うには【男】の【俺】から受けた影響が少なすぎる。【女】を含めた【俺】の経験は実体験として感じられるが、【男】の根幹はあくまで私でしかない。そして【俺】と【男】のセンブランスは同時に存在している。なら【俺】のセンブランスは――後世に生まれ変わった自分自身へ、自らの経験を受け継がせること……か? なら……そのセンブランスの名は、差し詰め【継承】とでもいったところか……)

 

 【男】――私は失笑を溢しながらか弱い雷を掌に発生させ、それをかき消すと、周りにいる弟子たちに遺言を残す。もう、少ししか喋れないだろう。

 

「……オーラ、を……センブランスを、広めろ……戦士を志した者なら、誰もが発現できるように、訓練方法を、体系づけろ……!」

 

 その先に人の世の暗黒は払われ、夜明けが訪れるはずだ――(オレ)はそう言い遺し、息絶えた。少なくともグリムと人の力関係を拮抗させることぐらいはできるはずだと信じて。

 

 俺は、そうして【男】の遺体から弾き出される。【男】と一体化したことで得た知識と経験をそのままに、魂だけの存在となったのだ。

 

 ――再び時の流れに流され、別の人間として生まれ変わる。その中で【男】の知性を得た俺は、ぼんやりとした心地のままで思考した。

 

 死んで生まれて、そして死んで、また生まれる。

 このサイクルを仮に輪廻と呼ぶとしたら、【俺】という存在がそのまま特別な力(センブランス)なのだろう。

 

 俺は戦士であり、グリムを殺す存在である。ならばグリムが滅びるその瞬間まで、俺は来世の自分に【(センブランス)】を受け継がせ続けよう。

 

【継承】のセンブランスは、そのために存在するのだと信じる。

 

 なぜなら俺は戦士だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





用語集

・【セイラム】
いったい何者なんだ……。

・【レムナント】って?
原作世界の名前さ! 原作タイトルという意味ではない。

・【グリム】って何さ!
【グリム】または【グリムの創造物】。基本的に動物に近い姿をしているが、中にはドラゴンやらでっかい蠍やらバカでかい鳥がいたりするので、必ずしも現実準拠の動物に似た奴ばかりではない。ちなみに【アーサ・マイナー】はグリムの中だと雑魚に分類される(主観) グリムは負の感情の集まる場所に引き寄せられる性質があり、人類の敵である。グリムはめちゃくちゃ強い。オーラ覚醒後の人間や、センブランスを発現した人間でも負けることは多々ある。

・【オーラ】って? ああ!
一言で言うと魔力。またはMPやら気やら生命力やら。魂を持つ者なら誰でも持ってるよ! でもオーラの内包量には個人差があるぜ! グリムはオーラを持っていない。

・【センブランス】って意味わかんねえよ!
個人の持つ特性が実体化した、要するに超能力。ほとんどの場合、遺伝したりはしない。例外はある。なおオーラとセンブランスだけでは、人類はグリムを相手に圧倒的不利な戦力差を覆せない。なので本作中での【男】の最期の台詞は、「人類全体が武術を極めたらグリムを倒せるぜ!」と言ってるも同然の暴論。修羅の世界かな?

・【ダスト】ってゴミのこと?(※違います)
レムナントのエネルギー源さ! 火とか風とか雷とかの魔法みたいな自然現象を起こしたり起こさなかったりしろ! 用途は「なんにでも使えるぜ!」という万能具合で、むつかしい科学技術のエネルギー源はだいたいコイツ。コイツを動力化して武器に転用したりすることで人間勢力とグリムの力関係は逆転、人間は文明を築き始められるようになる。要するにダスト発見以前の時代が原始時代だと思ってくれたらいい(暴論) なお宇宙空間では霧散してしまう性質があるとかないとか。全然ファイナルではないffのマテリアみたいなもんと思えば理解も簡単。

・【ファウナス】って上品な響き……。
獣人。この単語だけでよく訓練された読者は全てを察する(なるほど、ケモミミか……)
※なおケモミミのないファウナスもいる模様。





老戦士
 ・伝達型と死霊術型のセンブランスの複合タイプ、とでも言うべき【継承】のセンブランスを発現した、まだ【ダスト】が発見されていない、【銀の眼の戦士】や【四人の乙女達】が存在していなかった原始時代の戦士。ハンターも国もない時代で、無名のまま死亡した。

 ・そのセンブランスは、一言で言うと「俺自身が、センブランスになるということだ……!」というもの。死の瞬間に老戦士の記憶・知識・経験・オーラを吸い上げたセンブランスが、老戦士の魂の複製を作り独立。老戦士の意識を複製した疑似意識まで持って、幽霊と化したものである。つまり老戦士本人は普通に死んでる。しかし死んだ老戦士の魂は、この幽霊に引き寄せられて、普通はしないはずの転生を果たす性質を持ち、どっかで漂っていた幽霊(センブランス)が転生した老戦士の下に帰還するサイクルを作り出した。そのため疑似的に記憶やらなんやらを保持した転生を繰り返せる存在となっている。なお作中で転生乱舞を見守っているのは全てセンブランス化した偽老戦士。
※なお転生体がセンブランスに覚醒し、幽霊(センブランス)の受け入れ体制が出来上がらないと引き継ぎ作業は行われない。現時点では。

 ・あくまで転生先の自分の人格がベースになるため、厳密な意味で同一人物ではあるが、別の観点から見ると「老戦士や以後の転生体の記憶・知識・経験を持つだけの別人」という見方もできる。なお人格的に未成熟な子供時代に覚醒すると、記憶や経験に引っ張られた性格になることもあるかも。少なくとも成熟した人格の持ち主なら、影響は最小限に抑えられる。

 ・これってつまり永遠に死ねない(滅びない)存在ってことかと言うとそうでもない。あくまでセンブランスという特異な力が転生の原因であり、転生をやめる(センブランスの発動をしない)という意思の下に死ねば自意識の持ち越しの転生は終わるし、なんならこの【継承】のセンブランス自体が保有者とともに滅び去る。終わろうと思えば終われる親切設計。






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深淵狩りの誕生

 

 

 

 ある時は西の大陸に男として生まれ、グリムに殺された。

 

 ある時は南の大陸に女として生まれ、人同士の諍いで死んだ。

 

 ある時は運良く天寿を全うし、平穏に死んだ。

 

 ある時は東で戦士として生きるも、特性を覚醒させられず死んだ。

 

 またある時はグリムに殺される寸前に特性を発現するも、時既に遅く【俺】を受け継いだ瞬間にグリムに殺された。

 

 そしてある時は、北で研究者として生きるも、何もなせずに死んだ。

 

 

 

 ある時は、ある時は、ある時は――

 

 

 

 延々と繰り返される無駄死にの歴史。俺はただただ幽霊として漂い続ける。

 

 時にはセンブランスを覚醒させた事で、現世に【俺】という存在を受け継いだ転生体が現れもしたが。転生先の肉体はお世辞にも才能豊かというほどでもなく、やはり無名の戦士としてグリムに殺される末路を辿った。

 そんな事を繰り返していると、必然的に気付かされた事がある。

 それは、便宜上【転生】と呼んでいる現象を繰り返す内に、センブランスを発現した転生体である【男】や【無名の戦士】などと統合され、【俺】の性格や性質が変化している事である。そしてそれに恐怖を覚えていない。

 また、統合された【俺】は転生体に受け継がれこそすれど、研究者であった【男】のセンブランス――詳細は不明ながら雷を発生させるもの――などは、後の転生体には持ち越せない。あくまで【俺】を受け継いだ転生体が、最初から持っていた特性(センブランス)を発現するだけである。

 

 特性を持ち越せない、後追いとなる転生体に受け継がせられないのは残念だったが、朗報と言える発見もあった。どうやら特性が覚醒した転生体に限りオーラ総量は蓄積されるようなのだ。

 

 平凡な戦士だった【俺】よりも、【男】や【無名の戦士】のオーラ総量は確実に上だった事、更にその後の転生体は歴代全てのオーラを足したかのような量を保持していたのである。つまりオーラだけは転生体に引き継げる。

 しかし覚醒するまでは転生体個人の資質に拠り、覚醒後に一気に歴代転生体のオーラ総量が加算されるため、覚醒前が凡人であれば無力なままグリムに殺されてしまう危険が付き纏うが――そこは諦める他にないだろう。

 なぜ特性は無理なのに、オーラは引き継げるのか。その差は一体何だ? そこだけは幾ら考えても今は答えを出せなかった。

 

 そうして自らの死を繰り返す内に、時代の変遷を見届ける。

 

 見聞を広めるにつれ、後の時代では以前よりもオーラを用いた戦闘術が洗練されていき、特性を発現する人間が明らかに多くなっていっていた。転生体が特性を覚醒させた後その実態を調査したが、どうやらオーラを用いた戦闘訓練が嘗てより効率的になり、特性を覚醒させ易い土壌が仕上がってきたようである。それはつまり百年以上前の転生体である【男】が目指したような、特性の発現が体系づけられた事を意味していた。

 

(無駄じゃなかった)

 

 もちろん俺や【男】が成した事など、時代の流れの中では極些細なものだったかもしれない。しかしその流れ、礎の一部になれていたのは確かだ。

 であるなら、やはり俺の働きは徒労ではない。

 後の時代に俺の生きた証を残し続けられる。

 長い時の旅は辛くなかった。なにせ転生体が【俺】を受け継ぐまでの間は、ほとんど夢を見ているような心地であり、覚醒した転生体として活動している期間も、死を経ると時間の蓄積による疲労は霧散してしまうからだ。

 疲れはしない、歩みを止めはしない。俺の根幹にあるのは、戦士として戦った原初の誇りであり、そして俺が戦士となった最大の理由であるグリムへの殺意である。グリムの滅びを確信するまで、俺が諦めることはないだろう。

 

 転生という生と死を積み重ねる。

 

 すると俺は、遂に時代の節目――転機とも言うべき時代に行き着いた。

 

 それは、人類がグリムに対抗するための力。【レムナント】に眠っていた資源。如何なる由縁か、後に【ダスト】と呼ばれる事になる、あらゆる用途に役立つ万能のエネルギー源だ。

 誰かがそれを見つけ出し、天然資源のダストを加工し武器として用い始めたのである。

 僥倖にも当時の転生体は、歴代の誰をも遥かに凌駕する戦士としての才覚に秀でており、十代半ばで特性を発現するほどの天才だった。これまで並以上の才覚を持ち合わせたことのなかった俺は、内心激しく高揚しながらも、天才的な才を躍起になって磨き上げ、蓄積してきた経験の全てを高次元の技術に昇華しようとしていた。この経験は必ず後の代の転生体に役立つという確信が、俺のモチベーションを常に最大化させてくれていたのだ。

 そんな時にダストの発見と、武器として転用を始めたという噂を聞きつけ、俺はすぐさまダスト発見の地に向かった。ダストという資源がどんな可能性を秘めているのか、知りたくて堪らなかったのである。

 

 そうして初めて目にしたダストは、外見上は鉱石資源だった。

 

 現時点で発見されているダストの種類は四つ。レッド、ブルー、イエロー、グリーンである。それぞれが順に炎、水、雷などといったエネルギー性質を有しているようで、鉱石状のダストは強い衝撃を加えたら爆発するようだ。これを粉末状に加工した場合、より危険性は増して、些細な衝撃を加えるだけで爆発してしまうため取り扱いには細心の注意を払う必要があるらしい。

 だがその爆発もまた、使いようによってはグリムとの戦いで大きな力になるだろう。ダストを用いた研究は他の人間がすればいい。俺は強烈な目的意識に従って、ダストの普及に尽力していくことにする。今生の俺の使命は、グリムと戦うための力を技術として固定し、経験に落とし込むことで次代の転生体に力を引き継ぐ事と、人類全体にダストという無限大の可能性を広める事だ。

 

 充実した人生を送った。目的に向けて大きな前進を遂げられたという確信がある。

 

 しかし天才的な才能の持ち主に転生したことで、運を使い果たしてしまったのだろう。以後の転生体はいずれも凡庸であり、また卓越した戦闘技術の体系化やダストの普及によって、戦闘職とそれ以外を明確に切り分ける事になった結果、ほとんどが平和に過ごす一般人や、戦闘を生業にしない科学者等になった為センブランスを発現せず、俺が現世に関われる機会が激減してしまった。

 悪いことではない。それだけ人類が力を付けた証拠であり、文句をつけるつもりは毛頭無かった。あるいはこのまま蚊帳の外に置かれ続け、グリムが絶滅させられるまで過ごすのも選択肢としては【有り】である。

 

 漫然と転生体の主観の中で過ごす。

 

 そうしているだけでも、色々な事を知ることが出来た。が、漠然とした感覚に夢心地のまま浸かっているためか、よほどのことでない限り印象に残らず、俺はひたすらに長い時を漂い続ける羽目になった。

 何やら【魔法】という、オーラやセンブランス、ダストとは異なる絶大な力を振るう男女や、その四人の娘たちが現れたり、銀色の眼を持った戦士が現れたりなどしたようだが、そういう超越的な存在と出会う機会はなかった。

 ――人間とグリムの力関係は逆転した。

 もう人間は、グリムに一方的に殺されるだけの存在ではない。

 オーラとセンブランス、ダスト。そしてダストを用いた科学技術の発展と、それに伴って開発されていく強力な兵器。それらが高度な次元に近づくにつれて、俺は次第に心境を変化させていった。

 

 もはや俺の出る幕はないのかもしれない、と。

 

 無論俺がいなければ、人はグリムの脅威を完全に消し去れない等と驕ってはいないし、むしろ俺が関わらないままグリムを駆逐できた方が喜ばしい気分ではあったが――俺はもう必要のない、過去の亡霊として大人しく消え去るべきなのではないだろうか。俺は次第にそう思うようになっていたのである。

 何故なら人の世の発展は、いずれ必ずやグリムという外敵を滅ぼすだろうと確信させてくれたのだから。いい加減、ロートルは立ち去るべき時が来たのかもしれない。

 

 だが……事の成り行きは、どうもきな臭い方向に進んでしまう。

 

 マントル、ヴェイル、ミストラル、ヴァキュオという四つの【王国】――村や町などの規模を大きく拡大した複数の都市が、勢力として纏まり新たな組織として成立したもの――が、建国されたのは良い。

 それだけ人間の数と力が増した証であり、グリムをより効果的に殲滅できる体制が誕生したのだから歓迎する。だが、前々から懸念していたことが、遂に醜い争乱の火種となって、やがて激発した事を知ってしまう。

 

 

 

 火種の名は、【ファウナス】

 

 

 

 それは人によく似た、しかし同時になんらかの動物の特徴を備えた、人とは違う別種の知的生命体である。

 ファウナスの存在を、俺は知っていた。と言っても転生が始まった初期の頃はまだ知らずにいたのだが、人間の勢力圏が拡大していくにつれ、自然とその存在を認知する運びとなったのだ。

 人間がグリムの脅威に見舞われない安全な地域を探し、版図を拡大していくと、同じように安全を求めていたファウナスの土地と接触し、土地の奪い合いが頻発するようになった。とはいえ同等の知性と、よく似た姿を持っていたことから、話し合い自体は可能だったため俺が彼らを恐れることはなかったのだが――生憎と全ての人間がそうだったわけではない。

 牙や爪などの、見るからに恐ろしげな身体的特徴を有するファウナスを、大多数の人間は恐れ、追いやり、差別をするのみならず、最悪の場合リンチなどをして殺害してしまうケースもあったのだ。殺害とは別のケースとして、ファウナスを奴隷としてしまう場合もあった。こうなるとファウナスも黙っておらず、人間と敵対行動を取るようになっていたのだが――ファウナスを同じ人間として見ていた俺は、当時の転生体として活動していた際に、彼らと協力してグリムと戦い二種族間の協調の流れを作り上げた。しかしどうも、人間はその流れを台無しにしてしまったらしい。

 

 事の発端はこうだ。

 切っ掛けを俺が知ることはできなかったが、なんらかの事件の後に人々が感情を抑えれば、グリムの発生や脅威を抑えられると考えたマントル王国が、自己表現を禁止する法律を制定した。この時点で臍で茶を沸かせるほどに滑稽であったが、なんと同盟国のミストラルもマントルに同調。人々を抑圧し不満を溜めさせてしまう。それから程なくして、ミストラルとヴェイルが空白地帯であったサナス大陸(※レムナントの東)の東部に勢力を伸ばし、ミストラルとヴェイルは互いの国土と主張してやまずに武力衝突を始めてしまった。

 斯くしてヴェイル・ヴァキュオ対ミストラル・マントルという四国間で【大戦】が勃発してしまう。これまで小競り合いはあっても、それらとは比較にもならない本格的な戦争が始まってしまったのだ。

 

 これは人類史が始まって以来初の、最悪の愚行だと言える。

 

 辺境に追いやったとはいえ、全人類共通の天敵であるグリムは依然強大な勢力を保持したままだ。人間同士で殺し合っている場合ではないはずである。にも関わらず戦争を起こすなど短慮という他にない。

 

 人間は手を取り合い、互いを尊重し合いながら生きていけるはずだと思っていた俺は、所詮は人間の数が少なかった時代の遺物に過ぎないのだろうか?

 

 俺は戦争を止めるべきだと判断した。人間同士で殺し合うなんて馬鹿げていると義憤に燃えた――のではない。()()()()()()()()、グリムがまだ滅んでもいないのに、何が悲しくて同士討ちなぞしているのかと呆れたのだ。

 人間は増える。繁殖力という点で、動物の中で並ぶ存在はいまい。しかし、無限ではないのだ。有限の存在であり、限りある()()()()である。  近代、伝説やお伽噺と見做されているが、伝承に語られる【銀の眼の戦士】や【四女神】が実在する存在だと俺は知っている。それは特筆すべき超越存在だろう。だがグリムの側にも同様の超越者が生まれない保証はない。いや既に誕生している可能性は十分にある事を考慮しなければならないだろう。

 今の人類は勢力という一点で上回っているが、必ずしもその差は絶対ではないのだ。逆転され、人間が滅ぼされる危険性は充分に考えられた。グリムを滅ぼすまで人間同士で相争う事などあってはならない。

 

 人間同士で争いたいなら、せめてグリムを絶滅させてからにしろ――戦争行為に対する俺の感想は、そうした苛立ちと失望が全てであった。

 

 当時の転生体個人の思想としても戦争を愚行と断じ、止めたがっていたのだから、停戦を目指すのは自然な流れだったと思う。

 しかし個人がいくら努力しようとも勢力同士の争いを止めるには至らず、政治家として活動していた俺は無数の政敵によって嵌められ、あろうことか裏切り者の非国民と謗られて処刑されてしまった。

 戦士や研究者としての経験値では誰にも負けないつもりでも、政治家としては当時が初代だったのだ。政治という陰謀を下地にした戦いでは常人としての力しか発揮できず、結果として何も出来ないまま終わってしまった。

 

 この段になって、俺は考えを改めた。

 

 人間同士が相争う。それはもういい。好きにすればいいだろう。

 グリムがいなくなった後の人間の敵は人間になるという事がよく分かった。

 俺は過去の影に過ぎない。今更現在を生きる人間の営み、時代の動きをどうこうしようとは思わない。だが俺は、グリムの殲滅を諦める気はなかった。

 同族同士で殺し合いたい愚か者は好きにすればいいが、しかし愚かではない人間――グリムの脅威から戦う力を持たない人々を守りたいと志す者達まで、くだらない戦争に巻き込ませはしない。

 国とやらの思想に縛られない、対グリムのみを念頭に置いた組織を作る。新たに転生体として覚醒した別人(オレ)は、歴代転生体の経験と思想を受け継いで同様の結論を導き出し活動を開始した。

 

 大戦は十年続いた。

 その間に水面下で啓蒙活動を含めた根回しを始め、俺は【ハンター・アカデミー】という制度を作り上げた。

 と言っても一人で何もかもを成せたわけではない。制度の制定に携わった一人というだけである。俺と同様の考えを持つ者達と協力しなければ、国の思想に囚われない対グリムの戦士を育てる機関は立ち上げられなかっただろう。

 大戦の終結に合わせて、平和や協調の現れとしてハンター・アカデミーの成立を各国に認めさせ――同時期に【大陸間通信システム】や、平和式典としての【ヴァイタル・フェスティバル】が生まれる。

 奴隷制は廃止され、ファウナスにはメナジェリー大陸(※レムナント南東)と共に市民としての権利が与えられた。これにより争乱は一応の終わりを見た――かのように思われたのだが。

 

 やはり俺や同胞たちの判断は間違っていなかった。

 

 個々人では善良でも、群衆となると悪質な性質を持つらしい人間は、再び愚行を繰り返したのだ。国の思想に囚われない【ハンター】を育て、活動させる組織を作らねばならぬと考えたのは間違いではなかったと確信させられる。

 俺の知らぬ間にマントル王国が消滅して【アトラス王国】に取って代わられた後、大戦を経てもなお燻り続けていた火種が燃え上がったのだ。

 ファウナスである。

 浸透してしまっている差別意識が再燃し、ファウナスは全てメナジェリー大陸に行くべきだと考え、一部の人間がファウナスを追いやり始めたのだ。ご丁寧にも大戦後、一度は認められたファウナスの権利を撤回までして。

 これに対してファウナスは当然のように反発、【ファウナス権利革命】と呼ばれる戦争が起こった。俺としてはまたか、と人間の愚かしさに呆れ果ててしまったが、全ての人間が偏見と差別意識に支配されているわけではない。俺は自身の転生体がファウナスを差別し嫌悪する様を、根気強く説得して考えを改めさせようとする人を見て、そのように希望を持つことも出来た。

 

 

 

 ――この頃になると、俺の意識は深刻なまでに人間から乖離していた。

 

 

 

 もしかすると【俺】という特性(センブランス)が成長し、能力が成長・進化したのかもしれない。いつしか【俺】と転生体の関係は、親機と子機のようなものになっていたのである。

 子機である転生体が特性を覚醒させておらずとも、必要分の経験と知識、知恵、オーラを提供して後は自律行動に任せるといった手法も可能となり、覚醒後も親機の意識を子機に降ろさず、子機の死後に収集した経験や知識を親機へフィードバックする事も可能となった。つまり、無理に俺が主体となって活動せずとも良くなったのである。歴代転生体のいずれかの影響で、転生体を別個人として尊重するべきだと考えるようになっていた為、このような変化――ともすると成長、進化とも言える現象が起こったのかもしれない。

 

 こうなると、いよいよ俺は自覚せざるを得なかった。

 

 もしかするとずっと昔からかもしれない。

 俺の人間としてのあらゆる情念が稀薄になり、たった一つの目的の為にだけ駆動する概念と化していたのかもしれなかった。

 それはグリムを滅ぼすという一念であり、それは普通人からすると執念、妄念と断じられる域に達している。

 ならば俺は、この世界に直接関与するべきではないだろう。

 俺は戦士であり、科学者であり、政治家であり、思想家であり、戦技研究者であり、人間だった。

 だがしかし、どう足掻いたところで俺は【過去】が残した影法師に過ぎず、今を生きる人々に益を与え続ける限りは自分で己の存在を容認できていたが、なんらかの暴走を起こして命ある人々に不利益や害を齎してしまえば――俺は自分という現象がただの怨念と化すだろうという自覚があった。

 

 つまり、グリムを滅ぼす為なら人間を滅ぼす事も辞さぬようになるだろう、と。

 

 それでは本末転倒だ。

 俺は自分がまだ正常な判断を下せる内に、自らを強く律する事にした。

 今後如何なる事情があろうとも、転生体に【俺】という自意識を降ろす事だけはしない、と。そして可能な限り今まで蓄積してきたオーラも、経験も、知識も降ろさない。過ぎたるは及ばざるが如しだ。

 転生体を通して世界を見守り、いつか俺の存在が不要になるまで、必要最小限の干渉しか行なわない。経験上俺はよく知っていたからである。妄執や怨念に突き動かされる者は、決して望むものを手に入れられはしない事を。

 

 故に、この選択は正しい。少なくとも俺はそう信じた。

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 ――そうして、群体(ひとり)の老戦士は自らの在り方を定義した。

 

 数千年にも亘る時の旅路を歩み、これからも歩み続けるモノの正体は、数百から数千もの人間の自我、経験、能力が集合して成立した精神情報体(ネットワーク)である。誤解を恐れず言うなら、それはある種、【神】のようですらあった。

 

 彼は、たった一つの目的しか見ていない。見る気もない。心変わりなど断じてありえない。故に彼は己の成した偉業、打ち立てた伝説に対してひどく無頓着であり、いっそ自らの事柄に関しては無知ですらある。

 だからこそ彼は知らなかった。

 知る気もなかったし、耳にする事があってもすぐに()()()()()()と忘却の淵に追いやった。

 時代の節目には必ず現れ、そうでない時にも数々の功績を残し続けた人間の中に、必ず背中に刻印のような痣を持っている者がいた事を――多くの人間達が認知するようになっていた、等と。そんな事態に彼は関心を持たない。

 

 ()()()()()()()()――それは原始の時代、【継承】のセンブランスを発現した老戦士の死因。熊の似姿のグリムに押し潰されて死んだ事に起因する、全ての転生体に共通する特徴だ。

 その特徴を有する人間は、凄まじい力と執念を燃やし、グリムを殺し続け、直接的・間接的に人々に貢献し続けた存在だ。故に人々は言い伝える。獣の刻印を背に負う者の名は――【深淵狩り】である、と。

 

 

 

 

 

 




・老戦士
おじいちゃんの人間離れ(故人)


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ヨナタン・ナーハフォルガー

 

 

 

 

 ――そして、現代――

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 レムナント最北にして極寒の地、ソリタス大陸。

 グリムをも寄せ付けない過酷な気候に支配され、開拓民が生き残る為にいち早くダストの採掘と、科学技術の発展に尽くした成果として、遂に旧きマントル王国は歴史の影に埋もれ後継国家アトラス王国が成立した。

 そのアトラスに本社を置くエネルギー製造会社があった。社名は今や知らぬ者のいない【シュニー・ダスト・カンパニー】である。そこには或る男が勤めており、男は今、大慌てで病院へと車を走らせていた。

 

「……えぇいッ!」

 

 渋滞に巻き込まれ、苛立たしげに愛車のクラクションを鳴らす男の名はパトリオット・ナーハフォルガー。入社とともにシュニー社の技術部に配属されて以来、僅か十年で技術部長の座に至った若き俊才である。

 

 シュニー社はレムナント最大のエネルギー製造会社だ。その本社で、多くのライバルを抑えて立身出世し、頭角を現したパトリオットは極めて優秀な社員であるだろう。それは主観的、客観的に見ても変わりのない評価である。

 その優秀さはシュニー社の社長ニコラス・シュニーも知るところであり、ニコラスが社長の座を退き娘婿のジャック・シュニーが跡を継いだ後でも評価が変わる事はなかった。だからこそ信頼の置ける部下を欲していた新社長ジャックはパトリオットに目をつけ、彼を部長職に就けたのである。

 

 故に()()()向上心の強いパトリオットの、ジャックに対する忠誠心と感謝の気持ちは強く、彼はジャックの信頼を勝ち取るに至っていた。

 ジャックも満足していたのだ。新社長として辣腕を振るうには、足場を固めて周囲の信任を得ると共に確かな実績が必要であり、その実績を上げる事でパトリオットを重用したジャックの評価も相対的に上がったからである。

 

(――子供の誕生に立ち会えないようでは夫の、父親としての沽券に関わるだろうが!)

 

 そのパトリオットは今、焦っていた。我が子を身籠っていた愛する妻が、今に出産の時を迎えそうであると連絡を受けたのだ。

 ちょうど手が空いていたこともあって彼は大慌てで退社し、こうして愛車を走らせて病院に駆けつけようとしている。しかし運悪く渋滞に捕まってしまった。我が子が生まれる時は必ず妻の傍にいると固く誓っていただけに、その焦りはパトリオットの心神を強烈に焼いている。

 

「……クソッ!」

 

 一向に解消される気配のない渋滞に、パトリオットは焦れて車から飛び出した。病院に向けて自身の脚で走り出したパトリオットは、運転代走業者に連絡して愛車を任せる。本音を溢すなら他人に自分の車を運転させたくはなかったが、そんな程度の低いこだわりで時間を浪費するわけにはいかなかった。

 オーラを纏う企業戦士。発動するのは【身体強化】のセンブランスだ。

 走り出してすぐ息が荒くなってくる事で、パトリオットは自身の体が鈍っている事を自覚する。だが()()()、幼少期から戦士としての技能を叩き込まれて育った彼は、元来体力という面では秀でていた。そして発現した【身体強化】の特性のお蔭でどんなに辛い業務もこなしてきたし、人一倍働く事で若さに見合わぬ地位を得られたのだ。鍛錬を積む時間を失くし、加齢によって衰えたとはいえ、この程度の無理は通せない事もない。

 

 息も絶え絶えで、なんとか目的の病院まで走り込む事ができたパトリオットは、彼の到着を待っていた看護師の案内の下、神経質なまでの除菌作業を受ける。当然の事だとしてももどかしく、気を逸らせるパトリオットは作業の終了と同時に陣痛室へと駆け込んだ。しかし、既にそこに妻の姿はなく、奥にある分娩室から妻の苦しむ声が聞こえてくるではないか。

 既に出産が始まっているのだ。パトリオットは泡を食って入室する。そこでは新たな命を生み出すために、担当助産師・医師・世話係が妻の出産のサポートをしており、とうの妻は産みの苦しみを味わって大粒の汗を流していた。

 妻はパトリオットがやって来た事にも気づかず苦悶の声を上げ続けている。堪らずパトリオットは妻の傍に行くとその手を握りしめた。漸く微かに目を開けて夫の姿を認めた妻は、少し安心したように微笑むも、すぐに苦しみを思い出して悶える。その出産の苦しみは、男ではショック死するほどの苦痛であるという。パトリオットは懸命に「頑張れ!」と励ますしかない己の無力さにほぞを噛む。

 

 普段は非力なのに、どこからそんな力を出しているのかというほど、妻はパトリオットの手を強く握る。それに応えて握り返す事しかできなかった。

 

 やがて、妻の苦悶の声が止む。と、同時に割れんばかりの鳴き声が轟いた。

 

「やった! 元気な男の子ですよ!」

 

 担当助産師が歓喜の叫びを上げ、それにも勝る歓喜と感動を味わいながら、妻は手渡された赤ん坊を抱き上げる。しわくちゃで、お世辞にも猿のようにしか見えなかったが、しかし妻は己の赤子が世界で一番可愛いと確信する。

 呆然とするパトリオットに、妻は赤ん坊を抱いてほしいと言う。それに応えて、ほぼ無意識に担当助産師を介して渡された我が子を、慣れない手付きで抱き上げたパトリオットは我知らず呟いた。

 

「なんという事だ……」

 

 出産は、死闘である。それを乗り越えた直後だった故に、担当助産師をはじめとする病院関係者や、目が霞んでいる妻は気づくのが遅れた。健康状態の有無であるなら即座に気づいただろうが、そうではないのだ。

 ある意味で部外者であったパトリオットだからこそ、いの一番に気づいたのである。

 

「あなた? この子の名前はどうします?」

「あ、ああ……」

 

 妻――トリシャの声に、パトリオットは呆然としながら応じた。

 

「ヨナタン……ヨナタン(Jonathan)ナーハフォルガー(Nachfolger)。それが私と君の、子供の名前だ……」

 

 ヨナタン、と。

 そう名付けられた赤子の背中には――特徴的に過ぎる【痣】が浮かんでいたのである。

 それは、パトリオットの一族に伝わる伝説の徴。

 起源すら定かではない旧き伝承の一つ、【深淵狩り】の特徴だった。

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 ヨナタンは才気煥発なる神童であった。

 

 誕生したその時から歯が生え揃っていたばかりか、類稀な才気の発露なのか生後10ヶ月にして言葉を発し、しかもその意味を完全に理解していた。

 それ以前にも必要のない時以外は全く泣かず、代わりによく笑って愛嬌を振りまきパトリオット夫妻を和ませ、生後半年でものを掴めば立ち上がる事もできるようになっていて――それのみならず、何にでも興味を示して屋内を歩き回り、トリシャが目を離した隙に家の外に出ようとまでした事もあった。

 それには流石に肝を潰したトリシャは監視の目を光らせねばならず、叱っても直らないその癖だけが唯一トリシャを悩ませたのであった。――それ以外では手の掛からない子供だったからこそ余計に悩んだものである。

 

 ――パトリオットの。ナーハフォルガーの一族は、多くの【深淵狩り】を輩出した一族だ。

 

 唯一ではないにせよ、なぜ彼の一族に伝承の存在が生まれ易いのかは定かでない。が、由緒正しき戦士の家門である事は公然の事実であり、アトラス王国内でも重きを置かれる名家であるのは確かだ。

 一説によるとアトラスの前身であるマントルで、大戦勃発の阻止や、大戦中にて和平に尽力したものの謀殺された政治家もまた【痣】を持っており、ナーハフォルガーの遠縁の親戚であったという。

 また【ハンター・アカデミー】の創設に向けて暗躍し、大戦終結後にファウナスの権利獲得に働きかけ、アカデミーでの教育の基本となるノウハウを構築した者も、【痣】を有していたのは教本にも記されている事実だ。

 その知名度は、【シュニー・ダスト・カンパニー】に勤めるパトリオットのスピード出世の裏には、社長であるジャックがその血筋に目をつけて、アトラス軍に対する伝手を手に入れようとしているからだと、まことしやかに噂されるほどに有名であり、ジャックとしてもその噂を否定する事はないだろう。

 

 実際にナーハフォルガーの名や血を有する者は、グリムとの戦いや他国との戦争で功績を挙げること著しく、その強さは常軌を逸し、勇猛果敢にして精強なる戦士または軍人との評を手にしていた。

 そうした家門であるから、ヨナタンもまた慣習に従って戦士としての英才教育を施されるのは必然である。とはいえパトリオットの例があるように、伝統として戦士の技能を叩き込まれこそすれど、必ずしも軍人やハンターになる事を強制されたりはしないが――パトリオットの親戚一同、特に【痣】を持つ者を直接知る老人達は、【痣】を持って生まれたヨナタンに過度な期待を向け、伝説の再来となる事を切に望んだ。

 

 

 

「懐古主義の老害共が……! 私達の子供をなんだと思っている……!」

 

 

 

 伝説の再来であろうが、そんなもの知ったことではない。ヨナタンは愛する妻との間に出来た初めての子供であり、パトリオットはそう憤慨したものだが現実は厳しかった。

 

 一族の分家の出であるパトリオットや、トリシャは可能な限り抗おうとはしたものの、アトラス内で根強い影響力を有する本家の親戚達への抵抗には限界があった。ヨナタンの幼少期が過酷なものになるのは必然だったのである。

 物心がつく以前から、教育係と称して訪れた元ハンターや元軍人の親戚に、武器の扱い方や戦略を教え込まれ、人間同士での戦闘行為全般はもちろん対グリムを想定した戦術も叩き込まれた。その教育工程は幼い子供の情操を歪ませるに足るものであったが――パトリオット夫妻にとって幸いだったのは、ヨナタンが想像を超える天才児だった事だろう。

 訓練を開始して早期にオーラに目覚め、更にセンブランスをも発現。普通の子供であれば難儀する苦難を平然と乗り越え、人格的に歪む事が全く無かったのである。驚くべき事に幼いヨナタンにとって、戦闘訓練に関する全てが大人達の()()に付き合ってやったという認識だったのだ。

 一族を通して連綿と受け継がれてきて、パトリオットにとっても思い出したくもないほど過酷だった戦闘教育の全てが、ヨナタンからすると()()()()()()()()にしかなっていなかったのである。

 

 ――当然だ。

 ヨナタンは教えられる事の全てを()()()()()()()()()のだ。誰に教えられるでもなしに。またヨナタン個人も才覚に恵まれ、何処(いすこ)から流れ込んでくる知識や経験、オーラの力で守られていたのである。

 

 言うなればヨナタンは、過去の亡霊という名の守護霊の加護を、これでもかと受けた天才児だったのだ。結果としてヨナタンからして見ると、自身よりも遥かに年配の教育係たちの指導は()()()()極まりないものとなり、体力的な厳しさを除けば遊びにしかならないのも道理であった。

 斯くしてヨナタンの存在は、一族内の老人によって喧伝され、アトラス王国の上層部に周知される事となる。それは政府と軍の注目を大いに集めた。

【痣】の持ち主は傑物揃いである。将来の有能さは約束されたも同然であり、ハンターや軍人、あるいは科学者になるかは未定であっても、今の内から自分たちの紐付きにするのもいいかもしれないと思うようになった。

 

 そしてそれは新たにアトラス軍を率いる事となった新将軍、ジェームズ・アイアンウッドも同じである。有能な人材は幾らいても足りるという事はないのだ。青田買いと同じで、能力と人格が保証されているに等しい【痣】持ちの存在を見過ごしては、多くの人の上に立つ者として失格である。

 

 五歳になると、軍部の戦技教導官をして「もう教えられる事は何もない」とまで言わしめ――正確には最初から他人の教えを必要としなかった――ヨナタンは、既に傑物の片鱗を見せ始めている。

 流石に大人の軍人に勝つ事は不可能である様だったが、それはヨナタンの体力や身体能力が必要水準に達していないからであり、肉体が成熟した暁にはアトラス随一の戦士になるだろうと指導した誰もが太鼓判を押した。

 特に刮目するべきは内包するオーラ総量である。それは五歳にして、成人した一流のハンターを超えかねないほどのものであり、アイアンウッドがそれを知ると将来的に軍へ引き込む事を目論んで策謀を巡らせた。

 

 有能な人材は必要不可欠だ。特にヨナタンの年代となると、次代を担う新世代である。それが他国に流出するような事態は避けるべきであり、アトラスに縛り付けるには相応のしがらみが必要になってくるだろう。

 アイアンウッドはヨナタンの両親を調べ、彼の父親がシュニー社の技術部長であり、社長であるジャックの信任厚い男である事を知る。――アイアンウッドが考えるに、人間を縛り付けるのは簡単だ。首輪を付けるのである。

 首輪の名は情と責任、財産と地位だ。

 失いたくないもの、離れたくないものを用意するのだ。

 もっと簡単な方法として洗脳という手段があるが、どうもヨナタンにはその手の教育は通じないようだ。それはヨナタンに限った話ではなく、【痣】の持ち主は総じて強固な自我を有しており、自己を曲げた試しがないらしい。

 

 ――それとは別の話として、シュニー社の社長ジャックは軍部への伝手を欲している。ダストを取り扱うシュニー社の性質上、取引の相手として軍を外す訳にはいかず、将軍であるアイアンウッドは顧客として最上に近い存在だ。

 

 故にジャックは、アイアンウッドがヨナタンに目をつけている事を聞きつけると閃いた。ヨナタンという【痣】持ちは、シュニー社の技術部長――自身の側近であるパトリオットの息子だ。それが軍に入れば強力なコネになる。

 だが忘れてはならないのは配慮と根回しだろう。ヨナタンはジャックの子ではなく、近い将来右腕になることを期待しているパトリオットの子である。誠実なパトリオットの反感を買ってまでやることではない。

 よってジャックは最初にパトリオットへ話を通した。すると案の定、パトリオットは良い顔をしなかったが、ジャックは彼が口を開く前に説得する。君の息子に強制する気はない、ただ選択肢を増やしてあげるだけだ、彼が何を選んでも尊重し意志を曲げさせようとはしない、と。

 パトリオットはそれに、一つの条件を付け加えるなら何も言わないと約束した。それは我が子がアトラス王国を一度離れ、外国で見聞を広められるようにする事である。

 

 ずっとアトラスに――本家やシュニー社、軍の近くにいたのでは良いようにされる事が自明だったからだ。ジャックはそれに同意し、約束した。

 

 どのみちヨナタンが完全に軍の所属となれば、そのコネは必ずしも有効に機能するとは限らない。心底から軍の忠実な下僕になってしまったら、必ずしもシュニー社に益する存在になるとは確信できなくなる。

 パトリオットを通してシュニー社に利益を齎す事も可能ではあるだろうが、先を見据えるならヨナタン本人とシュニー社で直通の人脈を築くべきだと判断していた。その為にはシュニー家と個人的な繋がりを持たせるべきだろう。

 しかしシュニー家の長女であるウィンター・シュニーはジャックの反対を押し切って、ハンター養成学校アトラス・アカデミー卒業後は軍属になる道を選び、シュニー家の相続権を放棄する意思を固めてしまっている。

 

 そこでジャックはヨナタンとほぼ同年代である次女――次期社長となる事を期待している令嬢ワイス・シュニーを使うことにした。

 

 ジャックとて人の親である。娘たちに対する愛情はある。しかしシュニー社の利益も同時に考える必要があり、愛情と社の利益を両立させるには、政略として娘を利用すると共に、ヨナタンと良好な関係を築かせねばならない。

 その点でジャックは心配していなかった。彼はヨナタンと直接会ったことがあるが、とても五歳とは思えないほど聡明で人格面も信頼できる。ワイスと引き合わせるだけで、自然と仲を深める事は想像が付いた。

 

 

 

 ジャックとアイアンウッドの思惑は一致した。

 

 

 

 可能ならヨナタンを軍部に引き込みたいアイアンウッドと、軍部との直接の繋がりを欲したジャック。ヨナタンという切っ掛けがあれば、シュニー社と軍の伝手は強化される。

 ジャックはアイアンウッドと密談を交わし、シュニー社と軍の未来を明るくするための布石とした。

 将来の活躍がほぼ確実視されるヨナタンと個人的な親交を結べば、次期社長であるワイスとの繋がりは必ず利を生むであろう。特にヨナタンとワイスは次世代なのだ、先を見据えて動くなら不利には働かない。

 と言ってもそれはあくまで未来の話だ。アイアンウッドとてシュニー社との伝手は欲しい。ヨナタンの件は切っ掛けに過ぎず、現在は個人的なチャンネルを作ったジャック相手の商談を纏める方に舵を切った。

 

 相応の責任を負う立場に立つ者は、如何なる情も利用して先を見据えるのが義務である。それにどう折り合いを付けていくかは本人たち次第だろう。しかしその点ではアイアンウッドも心配していなかった。

 何故なら現時点で大人の知性にも引けを取らないヨナタンと直接会話した時に彼は言っていたのだ。自分(ヨナタン)は将来、アトラスに益する存在になる。軍人になるにしろ、ハンターになるにしろ、それだけは約束する、と。

 直接言葉を交わしたなら理解できるだろう。両親の前でこそ無垢な子供らしさを見せるが、本質としてヨナタンは子供ではない。

 伝承で語られるように――歴代の【痣】の持ち主たちの経験と知性を受け継いだ存在、化け物の類いであるとアイアンウッドは確信していた。そしてその化け物も、有効に活用してこその将軍である。

 

 物事は合理的に思索し判断を下すべきであり、それは次世代についても同様だ。アイアンウッドはその次世代に関しては、ヨナタンこそが強力な指導者になる公算が高いと感じているのであった。

 

 子供の姿をした大人。それがアイアンウッドのヨナタンへの評価だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・ナーハフォルガー
歴代深淵狩り(転生体)の原作へのエントリーによるバタフライエフェクトにより発生した本作オリ一族。マントル時代からのアトラス王国の名門。

・深淵狩り
老戦士をオリジン(基幹)とした歴代転生体の皆さん。色々頑張り過ぎて地味に歴史に噛みまくった結果、【四女神】【銀の眼の戦士】と同列に扱われる伝承の存在と化した。ヨナタンの異常さの秘密。なお歴代深淵狩りのお歴々の能力値はオーラ量以外概ね地味。一部の人達を除いて怪物めいた能力は発揮しなかったり出来なかったりする。ヨナタンは歴代ナンバーワンの天才児。

・痣
獣の手型の形をした痣。深淵狩りの証。深淵→グリム。

・主人公
本作主人公はチートなヨナタン。ではない。あくまで老戦士である。
が、老戦士(故人)はヨナタンを通して出る力としてしか出演予定なし。
誰がなんと言おうと主人公は老戦士なんだ……!

原作のキャラクターにはモチーフがある。原作主人公のモチーフは赤ずきんちゃん。ヨナタンのモチーフは『オリ主』。これはひどい。



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少年よ大志を抱け

 

 

 

 

「ワイス。それだと上体が泳いでしまうよ。脚を半歩下げ、脇を締めるんだ。……よし、そうだ。上手だね」

 

 姉はハンター養成学校アトラス・アカデミーで寝食を取り、父は激務に追われ家にいる事は滅多に無い。故にワイス・シュニーにとってヨナタン・ナーハフォルガーという少年は、家族の誰よりも身近な存在であった。

 ヨナタンとは物心がついた頃に引き合わされた。そこに大人達のどういった思惑があっても、幼かったワイスからすれば関心のない事だろう。

 確かな事実として、父はワイスがヨナタンと親密になる事を望んでいたし、ワイス個人としてもヨナタンにマイナスの印象を持つ事などなく、常に優しく接してくれる彼を素直に慕っていた。

 

 家にいる時以外で、誰よりも何よりも時間を共有させられる事にも違和感や不満はない。仕組まれたものであったとしても、ワイスにとってそれは当たり前の事であり、ヨナタンが傍にいない時の方が落ち着かなかった。

 

 彼は何を質問しても明快に答えてくれて、新しい服も似合ってると手放しに褒めてくれる。父に新しい習い事をさせられても、その練習に嫌な顔一つせず付き合ってくれるばかりか、欲しいと訴えた物も手に入れてくれた。

 時に甘やかしてくれて、時に厳しくされても納得できるまで対等の目線で話し合ってくれる。それはもはや【兄】という他になく、ともすると父親のようでもあり、幼い社長令嬢の世界の中心にヨナタンはいた。

 必然としてワイスはヨナタンに関連する事柄には強い興味を持つようになった。ヨナタンがやるなら自分も、という子供にありがちな真似っ子である。

 その一つがヨナタンに課されていた戦闘訓練であり、教師役はヨナタンが担う事となった。なにせヨナタンときたら大人の先生よりもよっぽど教え上手であったし、ワイスの嗜好や癖を熟知していたから適切な指導を行えたからである。そして厳格な父、ジャックもそれに対して文句を言わなかった。

 

 シュニー社の跡継ぎに求められるのは、あらゆる分野で一流である事。その一つとして戦闘能力は欠かせない。

 

 【ホワイト・ファング】という第一級危険テロ組織に狙われる事も多いシュニー社だ、自衛能力はなくてはならなず、その点ヨナタンは理想的な教師だった。反感を持たれることなくワイスに慕われ、歳も近く、能力面では伝説的な戦士に相当するばかりか、政略に関してまで明るい。もともとワイスと親密になるように計っていたのだから、文句の付け所などあるハズがない。むしろ最大限に好都合であるとすら言える。

 そしてそうなるとワイスには刷り込まれた事がある。大人に聞くよりもヨナタンに訊いた方が正確で、分かりやすいという思いだ。そしてそれは事実で、ダンスにしろ戦闘訓練にしろ、礼儀作法や一般常識――果ては学問も全て血の繋がらない兄の方が上手に教えてくれたのである。

 今も、ヨナタンは戦闘の基本をワイスに教えてくれていた。

 グリムという恐ろしい【害獣】の脅威は、外に出たらどこにでもあるものであり、戦闘能力は身に着けておいて損のあるものではない。故に子供が武器を持っていてもおかしな光景ではなく――ワイスは身の丈に合ったプラスチックの棒をレイピアに見立て、武器の扱いを仕込まれていた。

 

「……お兄様、いったいいつまで()()()を続けるんですの? わたくしも早くオーラを使った()()()()がしたいですわ」

 

 頬を膨らませて訴える幼女に、彼女より二つ年上の少年は微笑した。……その柔和な笑みが、ワイスは大好きだった。

 

「基本は何よりも大事なんだよ、ワイス。疎かにしてはいけない。今のワイスがオーラを使っても、すぐに疲れてしまって訓練にならないだろう。今はとにかく基礎を固める時期なんだ。……と言ってもいつまでも同じ訓練ばかりじゃ飽きてしまうしね、ちょっと面白いものを見せてあげよう」

「面白いもの……?」

「ああ。見ているといい。基本が完璧になれば、ワイスも同じぐらい凄い事ができるようになるから」

 

 少し癖のある、柔らかなブロンド。ワイスと同じ、氷のような水色の瞳。同年代の猿みたいに五月蝿い少年少女とは、比較にもならないほど大人びている雰囲気と物腰。

 兄を構成する全てをワイスは好ましく思っていたし、尊敬もしていた。兄と同じ色の瞳はワイスの密かな自慢でもある。無償の慈しみを込めたヨナタンの眼差しはワイスの不満を溶かしてくれた。

 

 ――幼い子供にとって、親というものは無条件で信じ頼れる存在だ。にも関わらず多忙な父母とは滅多に会えず、共に過ごせる時間は限られた物でしかない。そのためどこか物足りない空虚さを覚える事はあったが、ワイスはその空虚を埋めるための相手役にヨナタンを据えていた。そしてそれは過不足なく応えられ、ワイスは今のところ満たされている――

 

 ヨナタンが真紅のオーラを全身に纏う。

 それはさながら炎の渦が巻き上がったかのようで、幼いワイスは目を瞠って驚きの声を上げた。

 寒い外の世界をも燃やし尽くすかのような紅いオーラに、幼女の目は子供らしくキラキラと輝いている。

 

「わっ……! もしかしてそれがオーラ、というものなんですの……?」

「その通り。オーラとは魂の顕現、魂を持つ生物なら誰でも宿している力だ。勿論ワイスも持っているよ。これは攻撃や防御に使えて、回復能力を高める効力も持っているから、戦う術を身に着けている人は大なり小なりオーラを使っているね。そして、この力を自在に操れるようになると――」

 

 ヨナタンは言いながら、暖房の役割を果たす暖炉に向ける。するとワイスは目撃した。薪の焚べられた暖炉の火が一際強く燃え上がり、飛び散った無数の火の粉が巨大化しながらヨナタンの傍まで飛来したのだ。

 驚いて声も出ないワイスの前で、大きな火の粉を集約して一つの火球にしたヨナタンが、気持ち楽しげな表情を浮かべつつ解説する。

 

「――こんなふうに、自分の特性に合った特別な力を手に入れられる」

「すごい……けどお兄様、熱くはないの?」

「全く。これは僕のオーラで支配しているからね。いいかいワイス、こうした力はセンブランスと言って、僕のこれは【火の触媒(パイロキネシス)】の亜種だ。火を生むだけじゃなく、操る事も出来るよ」

「わたくしもセンブランスを使えるようになりますの?」

「もちろん。ワイスは筋が良い、すぐには無理でもいつか必ず使えるようになるよ。僕が保証する」

「……ならわたくしもパイロキネシスがいいですわ」

 

 そう言ったワイスの瞳は、無自覚ながらも目に見えるヨナタンとの繋がりを欲しているようだった。

 家族よりも、よっぽど親しくしてくれる兄。血の繋がりのない他人である事を知っているからこそ、明確な絆を形としたいのかもしれない。ヨナタンは火球を片手で弄びながら、空いている手でワイスの白い髪を撫でた。

 

「僕とお揃いがいいのかな? だとしたら嬉しいけど、人によって特性は異なるものだし、ワイスはシュニー家の娘だからね……パイロキネシスの力に目覚める可能性は低いかもしれないよ」

「どうして?」

「それを説明するには、もっと訓練をしないとね。先の事を考えるより、今の課題を片付けてしまおう。……()()()()を守るためだ、訓練には手を抜けないからね」

「……ええ。分かりましたわ」

 

 ヨナタンの言葉の何が琴線に触れたのか、ワイスは見るからに機嫌を良くして従った。

 

 しかし幼女の身で長時間の訓練は体に障る。無理が祟る前に限界を見極めて訓練を打ち切ると、ワイスは疲れ切って眠ってしまった。

 空腹になったらお腹いっぱいに食べ、楽しい事には後先考えず全力で打ち込み、疲れたら寝る。丸っきり子供そのもので、ヨナタンはワイスを軽く抱えるとソファーに移った。そのまま腰掛けて自分の膝の上にワイスの頭を置く。

 

「……おにいさま……」

「………」

 

 眠りながらも自分を呼ぶ幼女の寝顔を見下ろす一方、少年はおもむろに溜息を溢す。その胸中にあるのは、およそ子供らしさの欠片もない、特異な背景を持つヨナタンだからこその憐憫だ。

 

(敬うべき姉は遠く、頼るべき父も同じ。意図的に僕と時間を共有させられ、僕と過ごした時間を大切な思い出にさせられている。僕は二年後にアカデミーに入学するから、それに合わせてジャックさんは僕と彼女を引き離して、ワイスの中の思い出を美化させるつもりだろう。そうしてある程度の期間を開けた後に再会を演出する……)

 

 監督はジャック、主演女優はワイス、助演男優はヨナタン。

 脚本はありきたりで、満たされていながらも空虚な境遇で育ったヒロインのワイスが、唯一暖かな思い出として記憶していた少年と再会し、旧交を温めていく内に惹かれていく――安いドラマみたいだ。

 

(ワイスはこれから先、何不自由なく籠の中の鳥として育てられ、望んだものを手に入れていくんだろう。ジャックさんの描いた絵図の通りに。親に人生の全てを決定づけられ、窮屈な思いを燻ぶらせていくだろうね。そうなると待っているのは従順な令嬢となるか、自分の置かれた環境に反発して飛び出していくか。はたまた性根の腐った我儘娘になるかの未来――それを可哀想だと感じるのは傲慢なのかな)

 

 以前までのヨナタンにとってワイスは、【父の上司の娘】でしかなかった。その相手をさせられるのはひたすらに面倒でしかなく、感情任せに突き放してしまいたくなることもあったものである。

 しかし感情の赴くままに行動できるほど、ヨナタンは純粋ではなかった。外的要因による外付けの知識と経験が、年齢不相応の自制心をヨナタンに与え、大事な父親の上司へと気を遣わせてしまった。

 つまりはそういうこと。ヨナタンは父の上司の意図を察していたから、こうしてワイスの面倒を見てやっているに過ぎなかった。はっきり言って雛鳥のように後をついて回ってくるワイスは煩わしかったし、相手の心象を慮る必要がないなら相手にもしなかっただろう。だが――父からの遺伝だろうか。ヨナタンは意外と絆されやすい気質だったらしく、ワイスの相手をしている内にすっかり蟠りが溶けてしまい、本当の妹のように思うようになってしまった。

 

 情が移ったのである。こうなるとヨナタンはワイスを心から可愛がり、いつしか家族のように大事にするようになっていた。だから可愛い妹分の将来や、そこに至るまでの境遇に想像がつくと、暗澹とした気分になってしまう。

 自分に何か出来る事はないかと考えても詮無きことだ。ワイスの抱える問題は彼女の家族のものであり、シュニー家は【ホワイト・ファング】という危険なテロ組織のターゲットにされやすい。故にワイスに施される教育や、置かれる環境は避けようがないものであり、同時に避けてはならないものである。

 

 組織的な地位、武力、財力、権力。そのいずれも有していないヨナタンには何もできず、手出しや口出しをするべきではないのだ。それがもどかしい。妹のように想ってしまったワイスの為に出来る事が何もないのが歯痒かった。

 

(僕の背中には【痣】がある)

 

 だから、ヨナタンは考えた。

 何もないのなら手に入れればいい、と。自分はそれができる人間のはずだ。

 

(父さんが言うには、【痣】はお伽噺の偉人の特徴そのものらしいし、そのお伽噺は現実にあった物なんだろう。実際に僕には【痣】の人のように、学ぼうと思った事への()()()()()()()()。そのお蔭でどんな訓練も不要だったし、専門的な分野を別にすれば勉強だってそうだ。せいぜい体と反射神経を鍛えるぐらいしかした事はない。オーラにだってもう目覚めているし、センブランスの力も使える)

 

 パイロキネシスとは、超心理学の超能力の一つである。それは体に帯電した静電気を強力な電磁波として放射し、発火現象を引き起こすとされる。【火の触媒】というセンブランスはその原理を内包し、その上で火を生み出し操るのみではなく、電磁波として放射する事で発火する工程を拡大し、静電気を烈しい電撃に変換して放つ事もできた。謂わば【火の触媒】とは、炎と雷の力を持つのだ。掛け値なしに強力な力であり、それを知るアイアンウッドやジャックも高い評価を下している。

 

 だが、違うのだ。この力は表向きのものでしかない。ヨナタンは自身の本当の力を隠し、偽っていた。

 

 ヨナタンの本当のセンブランスは【火の触媒】ではない。

 真の力は()()()()()センブランス、過去(おろし)――【過去降(ダウンロード)】だ。

 

 過去の情景を見たり、残留している死者の思念と対話したり、場合によっては器を与えて現世に召喚するのが本来の使い方である。

 しかしヨナタンは傑出した才覚によって、幼くしてこの力に目覚めた当初、正しい使い方が分からずに自分自身に向けて使用してしまった。

 結果としてヨナタンが読み込んだのは過去の自分――数千にも亘る前世の個体たちであり、ヨナタンは今の自分を通して過去の自分の力を扱える様になったのだ。【火の触媒】はその内の一つに過ぎない。

 と言っても【火の触媒】は過去群の中でも強力なものの一つではある。その扱いは困難を極めるものであったが、その扱い方も読み込めば十全に使いこなすのは容易い事だった。

 

(僕は皆の言う【深淵狩り】なんだ)

 

 その名は英雄。ヨナタンはお伽噺に登場するような英雄の生まれ変わりだ。

 

 だが人間である。確認されている歴代の【深淵狩り】は怪物であり、常人とは異なる行動原理と行動力を有していたというが、それらは総じて個々人のエゴを優先したもので、究極的には自己満足に帰結する傾向があった。

 その最たる例はアトラスの前身、マントル王国時代に現れた【深淵狩り】だろう。彼はグリムの脅威を完全に除いたわけでもないのに、人間同士で相争う大戦に反対の姿勢を崩さず、人間という人的資源を有効に活用する為の環境作りをするべきだと論じた。そのため大戦の早期終結を目指し、和平工作も積極的にこなした。だが政敵との政争に敗れ失脚すると、自らの強大な力を行使する事なく刑死する道を選んだ。国がそう沙汰するのであれば従おうと。いっそ清々しい程に国を見限ったのだ。

 どうせ自分には【次】があり、【次】の深淵狩りが活動しやすい組織の土台を確保できているので刑死しても問題ないと結論を下したのである。そうして彼の遺したものと、次代の深淵狩りの活動によって現在の【ハンター・アカデミー】の制度が作り出されるに至った。

 

 最期まで抗わず、流され、自分には次があるのだと達観し、自身の力よりも全体の力を伸ばすことを優先する。その在り方を人は高潔と称するが、ヨナタンは彼らの行動をエゴだと感じていた。

 そのエゴの方向性がたまたま大衆の利益に繋がっているだけで、本質的には自己満足の類いなのだと。そしてエゴを持つ者は人間であり、一つの怨念を突き詰めた人間の権化が深淵狩りである。

 

 ヨナタンはその系譜であるが、幸い歴代深淵狩りを支配していたという使命感を持っていない。外付けの知識や経験の上でしか知らないグリムは確かに恐ろしいが、それに対する殺意もない。

 故にヨナタンは自己の裡から生じた想いの下に行動できる。考えられる。それは間違いなく幸運な事だ。過去の亡霊は歴代にしてきた事とは異なりヨナタンを支配せず、ただ力だけを与える守護霊になってくれているのだから。

 

(深淵狩りは英雄なんだよね。なら……僕にだって、できる事ぐらいあるはずだろう)

 

 その()()()()は、自分が父にしてもらった事。すなわち()()()()()()だ。

 自分は軍に属してもいいしシュニー社に就職してもいい、ハンターになることだってできる。なんならそれらとは関係のない零細企業に勤める事もできるだろう。そうした選択肢を父は持たせてくれた。

 ワイスにはそれがない。あったとしても極めて限られている。故に、自分はその選択肢を広げるのだ。

 

(シュニー社のように大きく、軍のように強く、ハンターのように重要な組織なり団体なりを作って――そこにワイスが来る事も出来る理由を用意する。僕が彼女にしてあげられるのはそれだ)

 

 大袈裟かもしれない。

 求められていないかもしれない。

 見向きもされない事は充分にありえるし、なんなら途上にある障害に躓いてヨナタンの行動が頓挫する事もあるだろう。

 だが、

 

「………」

 

 穏やかな寝息を立てる幼女は、まだ自身を取り巻く思惑や未来を知らない。

 所詮は押し付けられたしがらみだ。しかし、妹のように想ってしまったのなら、兄のように行動しなくては嘘だろう。

 

(僕は兄貴だ。兄貴なら妹分にとって、最高に格好いいヒーローでいないと。最高に粋がって、守ってやれるって事を教えてやらないと。なら――)

 

 どうせやりたい事は何もなかったのだ。やってやろうじゃないか、と。

 ヨナタン・ナーハフォルガーは、ひとまずの目標を打ち立てた。

 その目標とは、ずばり。

 

(ハンター・アカデミーの卒業生だけで構成された、商行為を含む営利行為を業とした社団法人の結成)

 

 ハンター・アカデミーは、王国間のしがらみから脱するシステムだ。ヨナタンはその次の段階として、ハンターによる国家間の経済圏への参入を目指す。

 それが成れば様々な問題も生じるだろうが、同時に様々な益を齎せる――かもしれない。未開の地の開拓を請け負って、グリムを駆逐する道がより開けていくようにも思える。無論、何もかもが上手くいくとは限らないが、為さねば何事も成らない。試みの一つとしては充分に価値があると思う。

 少なくとも軍だけが力を持ち、ハンターの良心や挺身に任せるだけの現状よりはずっと健全で、多くの人々が安心できる仕組みになるはずだ。そしてそんな団体であれば、ワイスも望めばシュニー社のしがらみを振り切って、逃げ先として選べる存在になれるはずだろう。もちろん来なくてもいい。その選択はワイスの自由意志の下にある。

 

 要するにワイスが自由意志の下に『選べる』ものを作り、彼女が()()()()という認識を持てて、悔いなく真っ直ぐ生きられるようにしたいのだ。

 

 散々理屈を並べ立てても――結局はヨナタンも己のエゴの下に行動しようとしている。立志の理由も小さな視点で、子供らしい青さしかなかった。

 だがその立志は、確実に世界を動かすだろう。定めた目標や意志が途上で歪もうと、妥協に行き着こうと、動き出したのは怪物的な可能性を秘めた少年なのだから。

 

 

 

 

 やがて時が過ぎ去った果て。この時代が物語の題材にされるようになれば、この群像劇にも等しい物語の主人公の一人として、彼の――ヨナタン・ナーハフォルガーの名が挙げられるようになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・老戦士
歴代の人格とか混ざり過ぎて人間味がなくなった超自然的存在。暴走する前に自重することにした。転生体個人にも人権を、という感じで当代のヨナタンに老戦士インストールがなされなくなった。ただし蓄積してきたオーラとか知識とか経験とか技術とかは求められたら供給するタンクと化す。

・ヨナタン
老戦士との関係は【データベース(老戦士)と端末(ヨナ)】
状態としては何もかもまっさらな赤ちゃんが、桁の違うオーラ量と経験・技術を植え付けられたようなもの。能力は化け物だが育った環境次第で性格などは簡単に染まる。深淵狩りの皆さんのポテンシャルは一部を除いて凡人スペックだったが、当代のヨナタンは深淵狩りという転生群と相性の良すぎるセンブランスを持っていた為、歴代の力を自由に扱える。歴代深淵狩り最強のチートである。だが主人公ではない。主人公は老戦士……!(願望)

現地産主人公で転生(人力)をやった結果がこれ。

・ワイス
原作に舞い降りた天使。原作主人公チームRWBYの一人。今はまだ幼女。ワイスの幼女バージョンは確実に天使であることは確定的に明らか。なお本作の大人達の思惑で原作より悲惨な子供時代を送りそうな可哀想な娘でもある。




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井の中の蛙、実は龍

 

 

 

 

 

 悪戦苦闘、試行錯誤、妥協と改善、あるいは改悪。それに伴う停滞と苦悩が約束された立志の瞬間より二年――七歳となり幼年学校への留学を目前に控えたヨナタンは、繰り返し同じことばかりを考え続けていた。

 

(何事にも順序がある。既得権益に繋がるあらゆる組織の紐付きになるのは好ましくないから、やっぱり零からの出発になるだろう。となると最初に必要となるのは僕個人の実績と、僕の目標に賛同してくれる仲間だね)

 

 ――これまでもなんらかのアクションを起こした方が良いだろうかと考えたことはある。しかしヨナタンは一度たりとも行動を起こすことはなかった。

 

 なんせこの身は幼児だったのだ。中身と能力が不釣り合いであり、【痣】の持ち主であるとは言っても世間的には子供である事実に変わりはない。よって如何なる事情があってもヨナタンの考えに賛同してくれる大人なんて存在し得ないし、仮にいたとしてもヨナタンはその大人を信頼しないだろう。

 安いコミックではないのだ。幾ら驚異的な実力を有する子供がいて、その中身が大人だったとしても、体が子供なら大人の人間には相手にされない。相手にしようとしてくれる人間がいたとすれば、逆に怪しむべきだ。

 会話を交わして説得し、素晴らしいプレゼンをした結果、相手の大人が賛同してくれたとして。その大人が都合よく動いてくれる保証はないし、何よりもナーハフォルガーの本家やシュニー社、軍の目があるところで活動されて勘付かれたら目も当てられない。唯一人格的にも能力的にも信頼できる両親も、アトラスに生活基盤があるので無茶振りは出来かねた。よってヨナタンは最初の活動は必ずアトラス王国外であるべきだと考えているため、行動に移せる状況が来るまで大人しくしておくべきだと結論している。

 

 故にヨナタンは思案を重ねる事しか出来ていない。そして思うのだ、誰にも否定できない実績と、信用と信頼の置ける仲間が欲しい、と。

 

 しかし残念ながら、前者を手に入れるのは非常に難しい。

 ヨナタンの求める実績を積むには、ハンター養成学校を卒業後、正式に軍に入隊するかハンターとして活動するしかないからである。それ以前では何を成し遂げても認められない恐れがあった。

 人間とは汚いもので、少しでも自身に不利益を齎しそうだと判断したら、とことんまで邪魔立てしてくるものだ。既得権益に執着するのである。そのせいで挙げた実績・功績を握り潰されて無かった事にされては堪らない。

 そして実績がなければ多数の人間は付いて来ず、評価しない。評価がされなければ評判は生まれず、評判で外部からの印象は決まるため人も集まり難い。人が集まらなければ金も集まらず、金がなければ仲間を多く集めても離散を余儀なくされるだろう。理想はハンター達による社団法人の設立まで、その動きをどの勢力にも察知されない事だが、今は絵に描いた餅でしかなかった。

 

 故に優先するのは後者である。

 

 多数の人間を仲間に引き入れるのは、曇りなき信頼を置ける仲間を集め、それらの人員を中核に置いた団体を結成した後が望ましい。

 軍に入って派閥を作り独立するにしろ、ハンターとして活動し名声を高めるにしろ、信任できる仲間を募る事は今からでもできる。

 才能のある同年代の少年少女にターゲットを絞り、相手の信頼を勝ち取ってヨナタンの目標――新たなハンターの在り方――に同調させればいいのだ。幼い今の内から長い時間を掛けて意志を統一し、時を共有して過ごせば裏切りのリスクが限りなく低い仲間にできるだろう。

 では如何にして才能ある少年少女を探すのか。これに関しては考えがある。人間の才能は概ね遺伝するもので、名のある軍人やハンターの家系を総ざらいにして調べれば、一人や二人は早期に確保できるかもしれなかった。

 

 才能は環境によって培われるものである。しかし、才能という畑が小さければ、幾ら努力や環境という水をやっても大成しない。

 

 よく努力は才能を凌駕すると言うが、才能ある者が努力をすれば余程の奇跡が起きない限り実力差は崩せないものである。よってヨナタンは現実的に考えて、才能がないと感じた者は自分の手元に引き入れない事を決めていた。

 

 ――その姿勢は傲慢だろう。だが悪ではない。ヨナタンは人に関して、有能無能の差異はあれど等価の存在だと見做している。単に人には適材適所があって、人が無能となるのは適所を得ていないせいだと思っているのだ。

 人に貴賤はなく、職にもない。才能とは適所によって芽吹き磨かれるものだと、【痣】の先人の見識に共感していたヨナタンは、自らの仲間にハンターや軍人としての能力的素質を求めているに過ぎなかった。それ以外の資質に関して無駄とも、上下があるとも思っていない。ただヨナタンにとって魅力的かどうかが問題になっているだけである。

 

 そしてヨナタンの求める才能を持つ人間の家系。この点で真っ先に思い浮かんだのは、自らと血の繋がりがあるナーハフォルガーだ。ハンター・軍人として多大な功績を残した家系で、才気のある人間はそれなりにいるだろう。

 また、ヨナタンは【痣】持ちだ。それを英雄視する人間ばかりで、同年代の少年少女ならヨナタンの太鼓持ちにする事は容易であるように思われた。ついでに血縁関係があるため、裏切りの心配もほとんど無い。

 

(――ナーハフォルガーは駄目だ)

 

 しかしヨナタンは自身の血筋に連なる者を選択肢から除外した。

 手駒という意味では最適の人選であろうと、ナーハフォルガーの血縁を利用すれば、すなわち本家の人間の紐付きになる事を意味する。

 そうなれば自覚があろうとなかろうと、本家へヨナタンの動きを報せる監視要員になる可能性があった。

 本家がヨナタンに英雄らしい振る舞いを求めていても、そんな期待の押しつけに付き合うつもりが毛頭ないヨナタンからしてみると、仮に期待通りになるにしても本家の人間の目に晒されるのは御免だった。

 そういう意味では、ナーハフォルガーの影響が根強く、軍も同様の条件を備えているアトラス王国で部下、あるいは仲間を探すのは不適切である。となるとアトラスへの愛国心、シュニー社への愛社精神を持たない仲間を募る為、ヨナタンが目指すべき所はアトラス王国のあるソリタス大陸の外になるだろう。

 

 じきにヨナタンはハンター養成学校の初等訓練校に入学する。

 名前の通り幼年学校のようなものであり、父パトリオットのおかげでアトラス王国外へ留学することができるので、ヨナタンはレムナント最大の大陸、サナス大陸にある【シグナル・アカデミー】に入学するつもりだった。

 そこを選んだ理由は一つ。サナス大陸にあるヴェイル王国は、アトラス王国に比べ科学技術の発展が遅れているものの、サナス大陸の広さは伊達ではなく人口が最も多いのである。

 人の数だけ思想があるように、ヨナタンの考えに賛同してくれる人もきっと出てきてくれるだろうと期待しているのだ。もちろんヨナタンの粗い目標を否定し、あるいは訂正案を叩きつけてくるのも歓迎するつもりだった。

 それは曖昧で具体的ではない草案を突き詰め、より現実に則したものにしてくれる。一番嫌なのは、見向きもされず無視されることだが……そうされないように努力するまでのことだ。

 

 ――とはいえ、シグナル・アカデミーがあるのは、サナス大陸を有するヴェイル王国の西に位置する小さな島だ。人口の多さを期待してサナス大陸に向かうのに、小さな島に有るアカデミーに留学するのには勿論理由がある。

 

 【痣】から組織作りのノウハウや、人心掌握術を読み込みたいのに、どうしてか【痣】の方に拒まれてしまっているのだ。他の知識や経験、能力やオーラの読み込みは受け入れられるのに、そこだけは弾かれてしまう。

 何故なのかは不明だが、そのせいでヨナタンの対人交渉力は初心者同然であり、失敗しても傷が小さく済みそうな小島で経験を積み、自力で人心掌握術を磨く必要があると判断した。

 取り返しの付かない致命的な失敗をしてしまったり、ある程度のノウハウを構築できたら、本命の人口の多い都会へ転校するつもりなのである。

 

 そして、それとは別の懸念事項もあった。

 

 というのもヨナタンの父はシュニー社の技術部長であり、外部から見ると明確にシュニー社の幹部の一人である。しかもちょっと調べれば分かるぐらいに社長に重宝され、客観的な評価として社長の右腕――専務となるのも時間の問題と見られているぐらいだ。あからさまにシュニー社の重鎮である。

 つまりシュニー社を目の敵にしているのではないかと思えるぐらい、頻繁に物資を略奪する為に襲撃を仕掛け、あるいはシュニー社の社員やその関係者を襲う過激派テロ集団【ホワイト・ファング】のターゲットにされる危険性があるのだ。そしてそのターゲットに、パトリオットの息子であるヨナタンも含まれる可能性がある。

 

 【ホワイト・ファング】とはファウナスによるテロ組織だ。【ファウナス権利革命】の後、人間とファウナスを結ぶ平和の象徴として結成されたのだが、人間によるファウナスへの差別が止まぬことで抗議活動は次第に過激化し、近年遂に反社会勢力の極みとも言えるテロ集団へと変貌してしまっていた。

 彼らの組織の創設には、歴史の動きにはほとんど関わってきた【深淵狩り】も携わっており、そういう意味でナーハフォルガー家や【深淵狩り】には敬意を持っていそうなものなのだが――テロ組織にそうした見境を求めるのはナンセンスだと言わざるを得ない。【深淵狩り】の中にはファウナスもいた事があるが、そんな事を考慮してくれるような手合いではないだろう。

 よってヨナタンが他国へ留学するに際し、その航空便に襲撃を仕掛けて来るなんて有り得ない等と、根拠もなしに断定は出来ない。ヨナタンは自衛のためにも、ある程度の武力を身に着けておく必要があると認識していた。

 

 そこでヨナタンは武器の自作を開始した。武器がなくても戦えるが、無いよりも有った方がいいのは自明だろう。

 

 既製品を買えば良いような話にも思えるし、なんとなれば護衛を雇った方が良いようにも思えるが、既製品は大衆向けに均質化された量産品ばかりだ。将来を見据えるならオーダーメイドの特注品を使った方が良く、それに留学予定のシグナル・アカデミーでは武器の自作が義務付けられている。

 必要な知識は【痣】から読み込み済みで、パトリオットという超一流の技術者がアドバイザーとしていて、武器制作の設備が揃っているのだ。予習として最高の環境がありながら、今回だけ自分で作らないでいる理由はなかった。

 

 歴代深淵狩りの経験値として、剣・刀・槍・盾・銃・弓などの基礎的な武器に精通し、特殊な武装の扱いも熟知しているが、ヨナタンの気質に合う武器は基本に忠実なオーソドックスな物だ。

 ハンターの多くは様々な状況に対応するために、自らの武装へ多機能を求める。そのため発展してきた武器の多くが変形機構や合体機構を有し、ヨナタンもまた先人に倣って、基本に忠実な兵装を考案した。

 基本形態として採用したのは短剣である。これはヨナタン自身の肉体が子供のそれであり、本格的な武器を持っても到底使いこなせないと判断した為で、肉体が一定水準まで成長すれば武装を更新するつもりだ。

 

 現時点で使用する短剣は、機構を埋め込むため強度を重視したマンゴーシュである。これは主に利き手の反対で持ち、盾代わりに扱う短剣であり、鍔や護拳を大型化し形状を工夫した造形をしている。

 この大型化した鍔から頑強な両刃の刀身に掛けて銃身を内蔵し、ダスト弾を装填・発砲するのに必要な機構を取り付けていた。言うなれば短剣と六連装大口径リボルバーを合体させているのだ。

 バレルは縦に二つ並設し、数十分の一秒の誤差で種類の異なる二発の弾丸を発射できる。先に発射された一発目で敵の体表を大きく傷つけ、同じ箇所に間髪入れず着弾した貫通力の高い二発目が敵体内に直接ダメージを与えるという設計思想に基づいている為、殺傷力はこの短剣だけで充分なものがあった。

 

 リボルバーと短剣を合体させた武器の名は【クラウ・ソラス】である。最終調整を兼ねて一度分解点検修理(オーバーホール)し、今のところ問題点がないのを確認し終えたため組み立て直しているところだった。

 部品を固定し、打撃力に秀でた【アース・ダスト】の弾丸、貫通力に長けた【グラビティ・ダスト】の弾丸を装填する。

 大幅な改造を加えたので、元にしたマンゴーシュは原型を失っていた。マンゴーシュは本来盾として使うものだが、ヨナタンは改造したクラウ・ソラスを超攻撃的に使用するつもりでいる。

 

「お兄様っ!」

 

 その時だった。完成したクラウ・ソラスを掲げて蛍光の照明で照らし、実用一辺倒の武器の握り心地を確かめていると――ヨナタンの部屋に血相を変えたワイスが飛び込んで来たではないか。

 

「ワイス。どうしたんだい、そんなに慌てて」

 

 工作机の上にクラウ・ソラスを置き、腰掛けていた椅子を回して体の正面を部屋の入り口に向けると、二年前からそこそこ成長したワイス・シュニーが愛らしい顔立ちを朱に染めて、双眸に涙を浮かべながら立っていた。

 幼い故に涙腺が緩いのだろう。感情が高まると自分でも制御できない激情に支配され、どうしようもなく目が潤んでしまうのだ。ワイスはずかずかとヨナタンへ詰め寄って来るなり、癇癪を起こしているようにも見える様子で捲し立ててくる。

 

「“どうした”ではありませんわっ! お兄様が遠くに行ってしまうと聞いて、わたくし、いてもたってもいられなくて! 嘘ですわよね? お兄様がわたくしを置いて遠くへ行ってしまうだなんて嘘ですわよね!?」

 

 ――この二年、ワイスはパトリオット宅に預けられていた。というのも彼女の実家はシュニー家で、父は多忙で家にほぼおらず、アカデミーの寮に泊まっている姉も同様で、母は生まれたばかりの末子の世話に忙殺されている。

 後はよそよそしい使用人しかいない。ジャックはワイスと末子ウィットリーを引き離しているため、肉親と触れ合える環境に置かれていなかった。

 そのくせ厳しい英才教育を受けているため精神的に疲弊してしまっている。空いた時間で度々パトリオット宅を訪ねてきてヨナタンの傍にいるのを見かねたパトリオットが、ジャックに直談判しワイスを我が家に迎え入れたのだ。それが、ワイスがヨナタンの家にいる理由である。

 

 三歳から五歳になった幼女のワイスにとって、もはやパトリオット一家はもう一つの家族に等しい。血の繋がりというものの重さを感じていても、ともするとシュニー家よりパトリオット家の方に愛着を感じているかもしれない。

 そんな環境で育ったワイスにとってヨナタンは実の兄のようなものだ。二年前から慕っていた兄が家からいなくなると聞きつけ、いてもたってもいられずこうして突撃してきたのだろう。

 

 彼女に対して微かな憐れみを懐きながらも、慈しみを込めてワイスの両肩に手を置いた。

 

「落ち着いて。そんなに取り乱していたら僕も話しづらい」

 

 両目を見詰めて、噛んで含めるように言い聞かせると、素直にワイスは口を噤む。しかし昂ぶった激情を持て余しているのは明らかだ。

 こういうのは大人が言い聞かせるものだろうに――と、都合の良い時だけ子供面をするヨナタンは卑怯である。が、えぇかっこしぃでもあるので、そうした内心をおくびにも出さず努めて優しげに口火を切った。

 

「その様子だと、僕が外国へ留学する話を聞いたみたいだね。誰から聞いたんだい? 父さんかな、それとも母さん?」

「……おじ様ですわ」

「父さんか」

 

 大方、事情を説明している途中で、ワイスはパトリオットの制止も聞かずにこちらへ走って来たのだろう。そこまで考えて思考を打ち切り、言葉を選んでワイスに厳しい決定を告げた。

 

「ワイス、よくお聞き。僕が外国に留学するのは、ずっと昔から決まっていた事なんだ」

「……どうしてですの?」

「理由は色々とあるけどね。そこはそんなに重要じゃない。僕が外国に留学するのと時期を同じくして、ワイスは元の家に帰ることになってるんだ」

「っ……!? な、なんで……? わたくしが邪魔に、要らなくなってしまったんですの……?」

 

 ワイスは驚きの余り、反駁の言葉をつっかえさせながら目を見開く。それは我が家から追い出され、途方に暮れた幼子のような反応だ。彼女がパトリオット家を自分の家のように大事に思ってくれていた証明でもある。

 彼女の脳裏には今、漠然とした思い出――広い実家の、冷たい空気が過ぎっているのだろう。途方もなく寂しそうな瞳をしていた。

 

 ヨナタンは彼女の疑問をはっきりと否定する。

 

「そんな事はない。ワイスは僕の大事な妹だ。捨てるなんて事はありえないし邪魔に思う事もない」

「だったら! だったら……どうして……」

「君のお父さん、ジャックさんのお仕事が一段落したみたいでね。自分の子供である君と、同じ家で生活するためだろう。元々ワイスのことは、僕の父さんが無理を言って引き取ってたんだ。その理由がなくなったなら、この家に留め置くことはできない」

「嫌! わたくしは嫌ですわ!」

「ワイス……」

「わたくしもお兄様と行きます! 会えなくなってしまうのは嫌ぁ……!」

「………」

 

 溜め込んでいた激情を決壊させ、とうとう泣き出してしまったワイスの手を握る。そうしながらヨナタンは掛けてやれる言葉を探した。

 

 ワイスはジャックによって、ヨナタンという【深淵狩り】とシュニー社を繋ぎ、社に利益を齎すために多くを許容されヨナタンの傍に置かれていたに過ぎない。そのヨナタンがソリタス大陸を離れ、サナス大陸へ留学する時期が来たのなら、ワイスをパトリオット家に預けておく理由はなくなる。

 ジャックとて人の親だ、ワイスに対する愛情はあるだろう。理由がないなら手元に置いておきたいはずだ。しかしジャックは厳格である。家に帰れば、ワイスに待っているのは今まで以上に息苦しい英才教育だろう。

 何せ彼女の姉が相続権を放棄している以上、シュニー社の跡継ぎはワイスになる。そんな彼女を甘やかして育てはしない。きっと、辛くて涙する。色々と我慢しなくてはならなくなる。だから今のワイスに必要なのは、希望だ。心の拠り所と言い換えてもいい。

 

「会えなくなったりはしないよ。毎年一度は必ず帰って来て、絶対にワイスに会いに行くから」

「……本当ですの……?」

「約束する。後――これから話すのは君の今後に関することだ」

「え……?」

「きっとワイスは、帰った先で過酷な教育を施されるだろう。けど勘違いしてはいけない。ジャックさんは君を愛している。厳しくするのはそれだけワイスに立派になってほしいからだ」

「………」

「それでも……何もかもが嫌になってしまうかもしれない。何もかもを決められた、雁字搦めの生活に息苦しくなってしまうかもしれない。だけどその時は思い出して欲しい。君には、僕がいる」

「お兄様が……?」

「ああ。君の人生は決められた事ばかりだけど、少なくとも僕だけは君の味方として、君が選べる選択肢を作ってあげられる。すぐにとはいかないけど、いつか必ず形にしてあげられるよ。……今のワイスには難しい話だったかな」

 

 理解の及んでいない表情のワイスに苦笑する。でも、それでいい。きっとこの約束はワイスの心を軽くする。今は空手形でも、ワイスは信じてくれる。

 口に出して本人に伝えたのだ、もう後戻りは出来ない。するつもりもない。ヨナタンはそっとワイスを抱擁し、その背中を撫でてやりながら嗚咽に震えるワイスを宥めた。

 

「僕を信じて。君は、自由だ。ジャックさんの期待に応えるのも、僕の作る選択肢を待つのも、重荷を放り捨てて飛び出すのも。何をしても、僕は君の味方をする。だから泣かないでおくれよ、ワイス。きっと大丈夫だから」

「……わかり、ましたわ……」

「ああ、良い子だ。それじゃあ父さん達の所に行こうか。実は秘密にしておいたけど、今夜はワイスと僕のためにパーティーの準備がされてるんだ。せっかくだし、二人でダンスでもしてみないか? 母さんなら絶対喜んでくれる」

「お兄様とダンス……」

 

 震えが止まったのを確かめて抱擁を解くと、ワイスは微かに頬を染めながら小さく頷いた。

 ヨナタンは微笑み、ワイスの手を取って部屋を出る。

 パトリオット宅もそこそこの広さの館である。小さな体と小さな歩幅だと、三階にあるマイルームから一階のリビングに向かうのにも少しだけ時間が掛かる。エレベーターを使ってもいいけど、今は歩いて行きたい気分だった。

 階段を降りる時は小さなお嬢様のエスコートをして、ワイスとヨナタンが来るのを待っていたパトリオットとトリシャの下に辿り着く。ワイスが飛び出していった事で、ヨナタンも一緒に来ると分かっていたのだろう。パトリオットは苦笑いをしながら――トリシャはほんのりと微笑みながら、雇われの家政婦たちを背に従えつつ優しく声を掛けてきた。

 

「すまないな、ヨナ」

「しっかりワイスちゃんをエスコートしてきたのね。偉いわ。さあ二人とも、今夜はパーティーよ。内々の小さなものだけど、うんと楽しみましょうね」

 

 説明を息子にさせてしまった事を謝るパトリオットに肩を竦め、ヨナタンの特異な内面を知っているのに包み込んでくれるトリシャに苦笑を浮かべる。偉大な二人だ、少なくとも自身の前身達よりもずっと。

 この人達の息子で良かったと、密かに思うものの。それを表に出すのは気恥ずかしく、ヨナタンは鼻頭を掻いて背を向けたパトリオット達の後に続く。外国に留学に行っても、ヨナタンはパトリオット達の事を片時も忘れないだろう――と、漠然とした安堵と多幸感を懐いた。今夜の事も、きっと忘れない。

 

 その日のパーティーは楽しかった。ワイスにとってもそうだろう。はにかみながら楽しみ、近く別れる事になるのを思い出して悲しそうに泣いて。しゃくり上げるワイスをトリシャが抱き締め、パトリオットが優しく声を掛ける。

 辛くなったらいつでもおいで、と。君は私達にとってもう一人の子供のようなものなのだから――と。声を上げて大泣きするワイスと、彼女を宥める二人を見ながら、ヨナタンは改めて決意を固めていた。

 

(やっぱり……何もかも放り捨てて行くには、父さん達も、ワイスも、重過ぎる……)

 

 自分を取り巻く環境やしがらみに嫌気が差したら、逃げ出す事も簡単だ。しかしそれは出来ない。何故ならヨナタンは両親の事を世界一愛していたし、ワイスの事を世界一大事な妹だと思っていたから。

 小さな子供の、小さな世界だ。だが今のヨナタンにとって、その小さな世界こそが全てである。自分の何もかもが詰まった世界を捨てる選択肢は最初から有り得ないものだ。

 

(僕は英雄になる。でもそれは、多くの人にとってではなくて――)

 

 この小さな世界の英雄になれたらそれでいい。だから、

 

(やろう)

 

 そして、成し遂げる。

 

 ヨナタン・ナーハフォルガー、決意の夜。極寒の王国、アトラスの一角にある邸宅での一幕だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天上天下唯我独尊…!

 

 

 

 

 空港に見送りに来てくれたのは、パトリオットとトリシャの二人。

 そしてワイスを迎えに来たジャックとSPの人達を含めたシュニー家の五人。

 必要な荷物は先に送っておいたから、軽い手荷物だけを持ったヨナタンは彼らを振り返る。

 

 穏やかに送り出してくれる両親に微笑む。当代の深淵狩りが思惑通り娘と親密になった事で、機嫌の良さげなジャックに目礼する。そして寂しげな、行ってほしくなさそうな表情のワイスに手を振って、小さく口を動かした。

 またね、と。

 毎日連絡してくれていいと予め伝えてある。だから直接会えなくても我慢できるはずだ。それにいつまで経っても本当の家族と疎遠なままなのは哀れだ。この別れは必要な事だった――そう思うようにしている。

 

 飛行機に乗り込む。彼らが帰りに【ホワイト・ファング】からの襲撃を受けたりしないよう気をつけて欲しいところだが、それは今後の自分にも言える事だろう。早ければ今回の航空便で襲われる可能性もある。

 ヨナタンは気を緩め過ぎないように意識しながら、彼らに背を向けて歩き出す。それと同時に自分に付いてくる薄い気配を感じるが、さほど気を配る事はなかった。気配の数は二つ、ナーハフォルガーの本家の人間だろう。

 元ハンターであり、ヨナタンの護衛のつもりと思われる。失念していたがヨナタンも名家の出であり、中でも老人達にとっては英雄の再来だ。昨今の不穏な情勢を鑑みて、念の為護衛を付けてくる事は充分に考えられた。

 

(水を差された気分だ……鬱陶しい)

 

 せっかくの旅立ちの日だというのに、煩わしい事この上ない。

 ちらりと視線を向けると、ギョッとした反応がある。まさか気づかれるとは思いもしていなかったのだろうか。だとしたら、些かナメ過ぎだ。ヨナタンの特異性は彼らも知っているはずなのだから。

 純粋な意味での護衛ではあるだろう。しかしその意図はなくとも監視要員にもなっている。物騒で血気盛ん、冷酷な【深淵狩りの亡霊】の一人がヨナタンに囁き掛けてきた。なら始末すればいいじゃねえか、と。

 それにヨナタンは内心で答えた。人殺しは、駄目だ。それに撒こうと思えばいつでも撒ける。()()()()()()()()()()()()()。いてもいなくても問題はない、都合の良い時だけ利用させてもらえばいいじゃないか――

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 拍子抜けするほど、空の旅は何事もなかった。

 

 何もかもが新鮮で、しかしその全てを識っている。

 初めて乗る旅客機も、そこから覗ける雲の上の景色も。降り立った先で初めて感じる温暖なる気候、大勢の人々の醸す雑多な賑わい、初めて見る街並み。それら全てが未知のそれで、同時に既知のものでしかないのだ。

 未知なのに既知で、新鮮なのに識っているのである。

 この手の感覚には慣れっこだが、恐らくこの世に共感してくれる人間はいないだろう。こうした未知と既知を内包した感覚の中で過ごしていると時折酷く虚しくなるが、だからこそ既知を孕まない未知はヨナタンの興味を引く。

 

 識っているよりも少し発展している街を好奇の目で眺め――その一方でヨナタンは自身の立ち居振る舞いを考える。

 

(可能な限り多くの人に好かれるべきだ)

 

 全員に好かれるのは不可能である。どう頑張っても頑張ったが故に妬まれ、謗られるのは人の世の常であり、そこはもう割り切って流すしか無い。好かれるのも嫌われるのも注目を集めるだろうし、目的はそれであった。

 知名度を上げる。その一環で品行方正に振る舞い、成績は常に上位に居座るようにする。そうして優等生を演じながら、心根の善良な生徒としてリーダーシップを発揮し、ある種のカリスマめいた存在になる。アカデミーという小さなコミュニティの中での話でしかないが、ゼロから始める以上最初の一歩から壮大に歩めはしない。これは妥当な切り出しだろう。

 

(僕は多くの人から好感を懐かれる性格をしている――というのは自惚れだ。誰とでも仲良しこよしなんてうんざりするし、下手に八方美人を決め込もうものなら逆に大多数から嫌われかねない。となると好かれやすいキャラクターを演じるべきなんだろうけど、下手な演技は却って不自然さを残してしまう。()()()演技が出来るならそれがベストなんだけど――)

 

 生憎と、将来の夢は俳優などではない。演技力に自信などなく、故に。

 

(こういうのは先人に倣う――いや、()()方が良いかな)

 

 カリスマ性、指導力、求心力。それらに秀でた自分の前身達は過去に幾人か存在していた。彼らこそが最高の教材だろう。

 しかしそれらを【過去降(ダウンロード)】するのはよろしくない。能力はともかく人生そのものを降ろしてしまえば、その分ヨナタンは彼らに()()()()()()事になる。嘗て一度だけ知恵に長けた亡霊を読み込んでしまった事で、現在の性格が形成されたヨナタンはその事をよく理解していた。亡霊に寄り過ぎれば自らの人間性を失うのは自明なのだと。

 故に模倣なのだ。あくまでデータを参照して参考にするに留める。それに今の自分は……自覚は乏しいが子供だ。置かれた環境もアカデミーの最下級生であり、多少の拙さは年齢相応のものとして誤魔化せる。

 人が言うカリスマ性、指導力は学べる。それは人の持つ天性の感覚を大衆が学び取り、体系化できる学問だからだ。それらが高じれば自然と求心力は高まるし、年月を積んでいくにつれて立ち居振る舞いの練習を終えれば良い。

 

 ――そんな事を考えていると、ヨナタンはシグナル・アカデミーの寮へ到着し、割り振られた部屋に届いていた荷物の荷解きをする。

 

 シグナル・アカデミーがあるのはサナス大陸ヴェイル王国の西、【パッチ】という小島だ。アカデミーに入ると自分と同じ新入生達を発見する。彼らの殆どは保護者が同伴しているらしく、大人の人数もそれなりに確認できる。

 

 入学式は簡素なものだ。これといって印象に残ったものはない。

 むべなるかな、シグナル・アカデミーとは通常の学校ではなく、ハンター養成学校の一つ――初等訓練校なのだ。最年少の七歳の少年少女ばかりで、17歳まで専門教育を受けるのである。一般的な学校とは訳が違うのも当然だ。

 

 シグナル・アカデミーでは十年を過ごす。十年――ひと言で言葉にすると短いが、多感な時期の青少年には長過ぎるように感じるだろう。しかしヨナタンから言わせれば短過ぎる。

 時間感覚の話ではなかった。七歳から専門的にハンターに必要な知識や技術を学び、機械工学や世界各国の環境地理、歴史を学ぶのだ。たった十年で詰め込むには些か短過ぎるだろう。おまけにシグナル・アカデミーでは武器の自作が義務付けられている。他者からの購入や譲渡は認められていない。ここでも才能や意識の高低が如実に現れ、格差を作られる事が容易に察せられる。

 まあ、そこはいい。ヨナタンが親密になるべきは能力が高く、意識が()()同級生だ。下手にハンターに憧れ、立派なハンターになりたいと志しているような者に声を掛けても、同調させるのは些か手間が掛かってしまうだろう。なんせヨナタンが目指しているのはハンターの営利組織化だ。そんなものはハンターじゃない! と近視眼的で正義心を燃やす人間には嫌われて当然である。

 

 しかし熟考してみると、ハンターこそ社団法人になるべきなのだと気づくはずだ。

 

 ハンターは国に縛られない国際的な組織だと謳っているが、その実態は当然のように異なっている。ハンターとて人の子であり、霞を食って生きているわけではない。国や企業から有形無形の支援を貰わねば生きていけないのだ。  支援の内容は金銭であったり特権であるわけだが――それはつまるところ国や企業に依存した存在である事を意味している。

 国、企業が結託してハンターを潰そうとすれば、簡単にハンターという存在には首輪が掛けられてしまうだろう。現にわが祖国アトラスでは、軍と政府とアカデミーが一体化し既にハンターは国に縛られつつある。

 これで『ハンターは国に縛られない』なんて、とんだお笑い草だ。形式的なお題目を大真面目に信じているのは余程の馬鹿か子供だけだろう。

 国とは人である、人である以上は多数の人間に縛られるものだ。それが評判や評価というもので、本当に国に縛られたくなければ一切の金銭を所持せず、武力を背景に相手を恫喝するか、あるいは山なり海なりで漁、狩りをして生きていくしか無いだろう。

 

 それが嫌なら将来(さき)を見据え考えるべきだ。グリムという強大な外敵がいるから現在のハンターが在るわけだが、未来永劫グリムと戦い続けるわけではない。何せ人とグリムは不倶戴天、必ずいつかはどちらかが絶滅する。

 人が負けた場合は考えるだけ無駄なので、グリムが滅んだとする。するとハンターは将来的に不要の存在と化し、容易くハンターという制度は解体されてしまうだろう。あるいは国に都合の良い軍学校に変遷するか、だ。

 それを防ぐには、敢えて自縄自縛に陥ればいい。ハンターの敵はグリムや凶悪な犯罪者、テロ組織――要するに戦う術を持たない多くの人々を害する存在だが――グリムがいなくなった後は、人の敵は人しかいなくなる。

 必然的にハンターは武力を売りにする暴力装置となるか、あるいは国家間の紛争を調停、世界の警察とでも言うべき存在になればよく、そうした未来を迎えるためにはやはりハンターの中立性を堅持しておく必要があった。

 自縄自縛に陥るのは、不自由になってこそ自由を得られるからだ。自ら国や企業の経済圏に参入し、経済圏のルールに組み込まれる事でこそ存続できる。ハンターは国の思惑に縛られないなんてお題目を真に受けず、自ら利潤を生み出す存在になる事で国や他企業に依存しない独立した組織となるのだ。

 

 ――長々(つらつら)と思考を綴りながらも、ヨナタンは同期生たちを観察する。

 

 見るのは授業風景、休み時間の何気ない言動、そしてグループ形成されたコミュニティの数々だ。誰が誰とつるむかによって、その性質も読み解く事が出来る。ノリの良い者は同じような性質の人間と固まる事が多々あり、逆に周囲の輪から弾かれ孤立する者には協調性と積極性が足りない事が分かる。

 シグナル・アカデミーに入る前には最低限、文字の読み書きはできるようになっているのが前提だ。基礎的な学力を身に着けていればなお良しである。そして大多数の生徒は自分の意志ではなく、親の教育によってほぼ強制的に入学させられているだろうから、その手の基礎学力は修めているだろう。

 この時代、ハンターになれば食うに困らず、軍に入れば花形の職業として持て囃されるのだ。親が我が子の危険を望む訳がないが、やはり高額な給与は魅力的で、可能な限り安定した生活を望むだろう。――生臭い話だが遺族年金を目当てに子供を死地に追いやろうとする者もいるかもしれない。

 

 そうした中でヨナタンが注目するのは、コミュニティから弾かれた面々だ。

 客観的に見てヨナタンの容姿は()()()レベルにあり、振る舞いは明瞭で()()()()喋り丁寧で成績優秀だ。生活態度も良好なので教職員からの覚えもよく、積極的に同期生の面々とコミュニケーションを取って遊びに付き合うので、明るい性格の者は自然と寄ってくるし頼ってくる。

 故に同期生はヨナタンをグループの中心に置いているし、無意識にリーダーだと見做しているのは分かっていた。というより、そうなるように立ち回ったのだから、そうなって当然ではあった。純粋な意味での子供達に囲まれるのは些か居心地が悪かったが――それはさておき何故グループから弾かれた、協調性や意識の低い生徒に注目するべきなのかと言うと。

 

 成績優秀者や心根の明るい人間ほど、ほとんどが物語に語られるハンターに憧れるか、もしくは親の教育に感化してハンターという存在に固定観念を持っているからだ。

 

 悪いことではないが、ヨナタンにとっては都合が悪い。そうした観念はヨナタンの目標へ忌避感やら先入観を持たせてしまうだろう。だからこそハンターになる事に意欲的ではなく、親の言うがままに入学してきた目的意識の薄い生徒が狙い目なのである。そうした生徒はやる気を出しておらず、惰性で授業を受けているだけで、上手く誘導すればヨナタンの側に引き込めるはずだ。

 理想よりも現実に則した性質の持ち主を仲間にしたい。才能や能力が伴っていれば言うこと無しであるが――

 

(……やっぱり、なんでもかんでも上手く行くわけじゃないか)

 

 ヨナタンは失望した。

 多数いる同期生を、入学後半年掛けて入念に審査した結果、誰も彼もが凡庸の域を出ない才覚・意欲の持ち主しかいなかったのだ。才能がなくてもやる気があれば能力は身に着くが、その両方を持ち合わせていないのなら論外だ。

 今年は不作の年である。ヨナタンは同期に恵まれなかった。それだけの話であり、身も蓋もない話をするなら運がなかった。

 仕方なくヨナタンは方針を切り替えた。同期はあくまでヨナタンの評判を宣伝する、生きた広報装置にしよう、と。来年以降の後輩に注目し、それまでは露骨に知名度を高め名前を売っていく事にする。後輩も無名のセンパイに声を掛けられるより、有名なセンパイに気に入られたいと思うだろうから。

 先輩方に声を掛けないのは、ヨナタンの年代の少年少女にとって、年上と年下の関係性は完全に上下のそれがあるからだ。年下の少年に何を説かれようと聞く耳を持つ可能性は低いし、なまじ優秀な者ほど年下のヨナタンに負ければ反発してくるのは目に見えている。ある種意固地になった者を説き伏せるのは面倒だし、確実なリターンを得られるわけではないのなら、積極的に知己を結びに行くメリットは薄いのである。

 

 ヨナタンは今年度のヴェイル地区のトーナメントに参加申込をする。

 

 【トーナメント】とは、ハンター養成学校に所属する生徒同士の模擬戦だ。ヴェイル王国の名の由来となっている首都ヴェイルで毎年開催され、自らの実力を喧伝するのにうってつけの舞台である。

 同様のトーナメントは各王国でも開催されているが、国際交流試合が組まれるのは高等訓練校からだ。初等訓練校に属している内は参加できないが――このトーナメントを高等訓練校に進学するまで、十年間連続で連覇していけばおのずとヨナタンの名声は高まるだろう。

 

 自分が優勝し、連覇し続ける事を欠片も疑っていないヨナタンだが、事情をよく知る者からするとそれは全く傲慢とは思えないだろう。大上段に構えるだけの能力がヨナタンにはあるし――そもそもの話、一対一の対戦をして、ヨナタンとまともに戦えるようなハンター見習いは存在していなかった。

 言ってしまえば苛烈な訓練を経験した軍人が、子供のちゃんばらに完全武装で乱入していくかの如き大人気の無さだ。それでも七歳の少年の申込みに教職員一同は無謀だと窘めたがヨナタンは引かない。名声を欲しているのだ、負ける要因が皆無と言えるトーナメントに参加しない道理はない。いわゆるボーナスステージという奴で、これを無視するのは愚の骨頂でしかなかった。

 

(初等訓練校に入学したその年から、十年間の教育期間中、ずっとトーナメントを連覇し続けた記録は存在しない。というか普通は無理だ。七歳そこらの子供が、十代半ばの優勝候補たちを捻じ伏せるなんてね。……僕だけズルしてるみたいで、普通の子たちには悪い気がするな……)

 

 そうは思うものの、譲るつもりはない。

 

 ヨナタン・ナーハフォルガー、七歳の冬。シグナル・アカデミーに入学した年は、何一つドラマを紡ぐことなく過ぎ去っていく。

 それはつまりなんの成果も得られなかった事を意味するが、何もしないで一年を過ごすつもりも毛頭なく――こうしてヴェイル地区のトーナメントは、ヨナタンの独壇場となる事が定められたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天才×天災×未熟時代=不発爆弾

 

 

 

 

 

「こん、のォ……ッ!」

「………」

 

 自らに叩きつけられようとしている鎚矛(メイス)を、ヨナタンは冷めた目で見ながら右手を掲げる。メイスの辿る軌跡を相手の体幹、目線、各関節の可動域と動作で瞬時に割り出し、先回りして掌を広げたのだ。

 掌とメイスが接触するインパクトの瞬間のみ、真紅のオーラをバリア状にして展開。ゴムボールの様な形質で放出したオーラ・バリアはメイスの打撃力を吸収し、その威力の向くベクトルをそっくりそのまま相手の方へ転換する。そうすることで厳つい殴打武器の直撃を受けた掌には一切の痛痒がなくなり、メイスはあたかも巨大な城壁に弾かれたように跳ね返された。

 

 驚愕に目を見開く、十代半ばの少年。ヨナタンは直立姿勢のまま一歩も動いていない。そうして不動を保ち左手に握っていたクラウ・ソラスの銃口を少年に向けるや、薄いプレートメイルに覆われた相手の胴体を銃撃した。

 自分の攻撃を跳ね返されたばかりで隙だらけだったのだ。ヨナタンの銃撃をまともに受けた少年は吐瀉を撒き散らして吹き飛んでいく。

 使用したダスト弾はアース・ダスト。本来の仕様とは異なり単発での発砲である。普通の人なら即死するが、オーラに守られているなら死にはしない。バレルを折って空薬莢を排出し、優雅にすら見える所作でダスト弾を一発だけ装填したヨナタンは、ちらりとバックスクリーンに映るゲージを見遣る。

 

 便利な時代になったもので、人の宿すオーラ残量は機器によって計測できるようになっている。そのお蔭でオーラ残量を見誤る事はなくなった。オーラが生物の防御力を上げ、オーラが尽きるまでは簡単に死ぬことがない以上、相手を殺してしまう心配は殆どなくなったと言ってもいい。極限まで自身を追い込む訓練が容易になった証左でもある。

 対戦のルールはなんでもありの一騎打ちだ。勝利条件は相手の戦意喪失、もしくは計器に映る相手のオーラ残量を零にすると勝利した事になる。スクリーンのゲージには、ヨナタンと対戦相手の顔とオーラ残量が表示されており、相手の少年は既に危険水域を意味する赤色にまでオーラを減らしていた。

 

 対するヨナタンは、全くの無傷――歓声が湧いた。

 

『――強いィッ! 強すぎるッ! シグナル・アカデミーの2回生ヨナタン・ナーハフォルガー、去年のトーナメントで優勝してのけた実績に偽り無し! 今年も準決勝の舞台まで無傷で勝ち上がって来た! この強すぎる天才少年の快進撃を止められる選手はいないのかァッ!? このままだと2連覇を果たしてしまうぞッ!』

 

 ここは首都ヴェイル。年に一度開催されるトーナメントの舞台。

 

 アリーナの中央には今、()()優勝者のヨナタン・ナーハフォルガーが陣取っていて、周囲四方を囲む高い壁と観客席、歓声を送る観客と場を盛り上げる実況席の薀蓄が垂れ流されている。

 ヨナタンは外野の野次を丸っと聞き流す。去年は誰も障害になる事なく無傷の優勝を果たしたが、どうやら今年も同じ結果になりそうだ。

 よろめきながら立ち上がった対戦相手へ、無造作に発砲してアース・ダスト弾を浴びせる。相手の少年はなんとかダスト弾をメイスで弾くも、立ち上がったばかりの所へ銃撃を受けた為さらに体勢を崩してしまった。

 

『ああっとぉ!? ヨナタン選手が懐に手を入れた! お馴染みの必勝パターン、詰みに入るつもりか!?』

 

 聞かず。ヨナタンは懐からなんの加工も為されていない、小さなファイア・ダストを取り出すと無造作に握り潰した。すると粉砕された赤いダストが秘めていた熱量を解放し、如何なる原理か眩い炎が手の中に発生する。

 ヨナタンはそれを特性(センブランス)【火の触媒】によって支配した。

 ダストは膨大なエネルギーを宿す鉱石資源だ。色合いによって宿しているエネルギーは異なり、レッド・ダスト、バーン・ダストとも呼ばれる赤いダストは炎を内包している。小さな欠片でも危険な代物だ。

 操った炎を火球として放ち、それを緻密な操作によって百の火弾に分散させる。それらを一切の過不足なく制御したヨナタンは火弾を対戦相手に殺到させた。銃撃の威力に蹈鞴を踏み、辛うじて体勢を立て直した直後の相手は、自身に襲いかかってくる百の火弾を視認して悲鳴じみた絶叫を迸らせる。

 

「クッソォ――!」

 

 直線的に当てに行くほど(やさ)しくはない。ヨナタンは相手の四方八方に火弾を散らし囲んだ上で、広げていた掌をグッと握り込む仕草と共に左右上下から面制圧を仕掛けた。

 果たして相手はろくな抵抗もできず、次々と被弾しオーラ残量を零にする。

 力尽きて倒れ伏す対戦相手。このまま追撃を加えたら殺してしまうだろう。ヨナタンはルール上の勝利条件を達成するや、即座に余っていた火弾を虚空で停止させる。そして余剰火弾を舞い上がらせて制御を手放した。

 すると、火弾は綺羅綺羅と輝く星のように煌めく。

 オーラの制御を失った火弾は、自然と燃え尽き消滅していった。火の粉がぱらぱらと舞台に舞い落ちていく光景は幻想的で――演出としてはなかなかに美麗なものだ。絵になる美々しさを計算した行為である。

 

『勝負ありッ! 圧倒的――正しく圧倒的と言う他ありません! 昨期優勝者ヨナタン・ナーハフォルガー、去年からこの準決勝に至るまでの全十七試合を完全無傷のまま突破しました! 今回の相手のジョナサン選手だけではありません、今までの対戦相手の中にまともな戦いを成立させられた選手が一人もいない! 優勝候補筆頭と目されるヨナタン選手、決勝進出決定……このままの勢いで2連覇も達成してしまうのか、ヴェイル地区に彼の快進撃を止められる選手は一人もいないのかァ――!?』

 

 熱を帯びる実況席の男。既にファンも付いているらしく、舞台から去っていくヨナタンの背中に気安い声援が送られてきた。ヨーナー! と。それに対し一度立ち止まり、折り目正しく一礼すると歓声は更に大きくなった。

 『ヨナ』とはヨナタンの愛称だ。

 父と母にしか呼ばれた事のないそれを、自身のファンとはいえ顔も知らぬ赤の他人に使われるのは、ほんの少し嫌だったが。自分の売名行為が実を結んできている証左なのだと、甘んじて受け入れるしかない。

 

 少年は少しずつ、目的に向けて歩を進める。

 売名行為はその一環であり――しかし、あくまで()()でしかなかった。

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 舞台裏の選手待機室に戻りながら、確か――と、ヨナタンは記憶を探る。

 

(確か――“ヴェイル地区トーナメント始まって以来の快挙! 七歳の天才美少年、ヴェイル・ミストラル・アトラス・ヴァキュオ地区の最年少優勝記録更新”……だったっけ? 美少年、ね……)

 

 去年の新聞の一面を飾った文句だが、変な持ち上げられ方をしていた。

 自分の容姿を褒められて悪い気はしない。が、美少年呼ばわりは過剰な気がしたものである。現にとある雑誌の表紙にヨナタンの顔写真が掲載されていたが、あれは少しばかり加工され実物よりも顔の造形が良くなっていた。

 称賛され持て囃されるのは、個人的にも目的に沿う意味でも喜ばしい。

 しかし本人より写真の方が美形なのはどうなのか。ヨナタン自身そこそこ顔立ちが良い方だという自覚はあるが、これでは実物に会った人が失望してガッカリしてしまうかもしれない。

 身も蓋もない現実問題として、顔の美醜やスタイルの良さは、生じる外聞に大きな差を生む。普通より少し顔が良い程度だろう、と自己評価していたが、【痣】から肉体改造の特性を【ダウンロード】して、違和感が出ないように年単位でじっくり顔の造形を整えていこうか悩んでしまった。イメージ戦略的には、外見の清潔さや美醜が疎かに出来ないファクターなのだ。手は抜けないし最善を尽くすべきだろう――

 

 と、去年の今頃は考えていた。

 

 しかし現在はその考えを捨てている。パトリオットとトリシャという、素晴らしい両親から授かった大事な体だ。それを戦いの結果や成長に拠らず、人為的に変化させるのは親不孝ではないかと思ったのだ。

 要するに。早い話、美形な方の写真のヨナタンに期待して、実物のヨナタンに会って失望するような手合いは、こちらとしても付き合いを持つのは願い下げにすればいいと、そう思っただけの話だ。

 

 ――ともあれシグナル・アカデミーに入って一年目は、ヴェイル地区トーナメントに出場し、予定調和の如く優勝した事以外に成果は何も無かった。

 

 シグナル・アカデミーには、超一流の元ハンターであるタイヤン・シャオロン、現在も現役であるクロウ・ブランウェンという教師がいるのだが、この二人とはまともに交流できていない。

 ヨナタンとしては避けるつもりはないのだが、不思議と二人の方から避けられているようなのだ。

 教師としてそれはどうなんだと思わなくもないが、実際問題としてヨナタンほど教え甲斐のない生徒もいない。人格面はさておくとしても、ヨナタンの能力的に見て教育自体が不要なのだから当然だ。ヨナタンに構うより他の生徒に労力を割くのは自然だったが――どうも何某かの思惑を感じないでもない。彼らの視線は子供を見るそれではなく、明らかにヨナタンの正体を識っているような素振りが見て取れる。

 その上で放置してきている以上、こちらからもなんらかのアクションを起こすつもりはないし、ヨナタン自身彼らに興味はなかった。彼らの実力は恐らく歴代深淵狩りの多くを上回っているだろう。しかし内面と志操が完全に成熟している為、ヨナタンの目的に完全な賛同をしてくれるとも思えない。

 それに――特にクロウ・ブランウェンの方にはヨナタンを見定めているような気配がある。

 向こう側がヨナタンの素性や事情を完全に理解し把握したなら、ヨナタンに教師と生徒という立場以外で接触してくるだろうと思われた。その時を待つ事にしている。こちらには特に思うところもないのだから。

 

「はあ……」

 

 選手控室から出るなり、すぐにマスコミに囲まれインタビューを受けた。

 不躾なカメラの光が焚かれ。彼らとの遣り取りで嫌な顔一つせず、愛想を振りまき、無難に謙遜しながらやり過ごすのは、率直に言えば面倒だったが。その思いを溜息に乗せて吐き出して、ひとまずは忘れることにする。

 

 ヨナタンは耳にヘッドフォンを付け、ジャズという種類の音楽を聞きながら首都ヴェイルの街に繰り出した。

 

 力強く、リズミカルな音楽が耳と心を楽しませてくれる。ヨナタンは様々な音楽に関心を持ったが、中でもジャズを好ましく感じていた。――独特な音調に耳を傾け、ヨナタンは自省する。

 どうもいけない、と。友人と呼べる者は全く無く、周囲の人からは『手の届かない存在』として距離を置かれ、それを良しとして人気稼ぎに奔走している為か、一人になると益体もない事ばかり考えている。

 トーナメント以外で、一年目から目立った成果を得ようとは思っていなかったが、それでも――甘い見通しだと自覚していたが――目ぼしい人物を何人か引き込めると思っていたのだ。なのに現実には、そんな人材は一人も仲間に出来ていない。これはなんとも期待外れ極まる。

 

 ――長じれば頭角を現す人はいるのかもしれない。しかし、ヨナタンの求める水準は無自覚ながらも高すぎるきらいがあった。並大抵では唾を付ける気にもなれないのだ。

 

(どうしたものかな……)

 

 時刻は夕暮れ時を過ぎ午後八時を回っていた。首都ヴェイルは祖国の首都アトラスほどではないが、初代深淵狩りの時代を原始時代と呼び捨てられるほどの発展を遂げ、発展した科学技術の恩恵で夜でも明るさを保っている。

 整然と並ぶ街灯。街中に緑を飾る街路樹。道路を走る車両に、男女のカップルだろうか? 仲睦まじく腕を組んで歩いている人達もいた。どの店も開店しており、積極的に客を呼び込む店員の姿もあった。

 ヨナタンはそれを見ると、いつもなんとも言い難い感慨を持ってしまう。

 【痣】を通して古い時代の深淵狩りの感覚が流れてきているのだ。古い時代の人からすると、文明が此処までの発展を遂げているのを見ると感動してしまうのだろう。しかし、いい加減に慣れてほしい。

 

 亡霊に引っ張られる感覚は()()のだ、亡きお爺ちゃんお婆ちゃんがはしゃぐ気持ちは理解するが、ジッとしていてほしいと切に思う。

 

 ――シグナル・アカデミーのある田舎の小島、パッチから都会のヴェイルに来るにあたって宿泊していたホテルに向かわず、その足で外を出歩いた。

 

 ヨナタンの目当てはダスト・ショップだ。

 今日の準決勝の試合でもダスト弾を数発、他にも欠片を消費した。本当なら何も使わなくても、それこそ武器を封印した素手の状態でも充分だが、流石にそんなナメた態度で公の舞台へ出る気にはなれない。

 年下に惨敗し、ただでさえ屈辱的な思いをしているであろう対戦相手に失礼だろう。相手の名誉を必要以上に傷つけ過ぎない為の必要経費と割り切って、毎試合一定量のダストは使用する事にしていた。ヨナタンなりに手を尽くして倒しているのだというポーズだが――それこそがナメていると言われればそれまでだ。しかしヨナタンからしてみたら、ナメられる方が悪い。

 

 ちなみに弾丸の形に加工された各種ダスト弾、エネルギー源としての未加工のダストは、既に一定量備蓄していたりする。それでも備蓄を満タンにしておきたいのは単なる性分だ。自室の棚に空きがあると落ち着かないのである。

 

「……?」

 

 不意に背中から脳へ矢が突き抜けたかのような……あるいは悍しい昆虫が、脊髄を伝って耳の穴から飛び出したかのような異物感に襲われる。思わず足を止め、ヨナタンは猛烈な不快感の正体を探るべく周囲に視線を走らせた。

 ――ヨナタンが常備(ストック)している特性は主に二つだ。一つが表向きの特性である【火の触媒】で、もう一つが第六感の特性……自分は【天啓】と呼んでいる不随意に発動する超直感だ。

 後者の超直感【天啓】は、発動するとヨナタンになんらかの行動を起こす切欠を与えてくれる。それは重要なものだったり、酷く下らないものだったりもして重要度にはバラツキがあった。だが無駄だった事は今まで一度もない。

 実態としては高感度のアンテナのようなものだ。【天啓】が働くと脳みそに鋭利なものが突き刺さったような違和感を覚えたりするのだが、能力の便利さを考慮すると軽すぎる代償だと言えるだろう。

 単に我慢して耐えればいいだけだなんて、実質的には代償とも言えない。

 

「………」

 

 パッと見て、周囲におかしなものはない。

 夜空は静謐な冷たさを保ち、平和な街にはヴェイルの日常が広がっている。ハンター見習い達によるトーナメントという、大きなイベントがある為か、それなりに人通りが多く喧騒を生んでいるが、さほど注目するほどでもない。

 アトラスは今の季節と極寒だ。同じ冬とはいえアトラスに比べると遥かに温暖な気候であるヴェイルが羨ましく感じつつ、ヨナタンはヘッドフォンを外し首に掛けた。目に見える異常がないなら、耳に頼るのだ。

 それとなく耳を澄ませる――車道の車のエンジン音、走行音、歩道を歩く雑多な足音や話し声を雑音として処理し、音の海を掻き分けた。探る音源はそうした平穏から掛け離れたものである。

 

 そうして耳に意識を傾けること一分。オーラで強化されたヨナタンの鋭敏な聴覚が、物騒な怒声を捉えた。

 

(聞こえた)

 

 音の発生源は、建物と建物の間。有り体に言うと、路地裏。チープなドラマにありがちな、如何にも何かありますよと宣伝しているかの如き、街灯の乏しい暗い道。【天啓】はそちらへ進むように促してきている。

 今、ヨナタンの思考に()()()()()と悩む余分はない。行くべきだと感じたら行く。それに今回の勘は、どうにも無視してはいけないという強い衝動を与えてきていた。――どうせ明日の午後六時から始まる決勝戦まで暇なのだ、無駄足になる事はほぼ無いと確信しているだけに即決して足を向ける。

 

 が、その前に。左右を一瞥し付いて来るなと身振りで指示する。ナーハフォルガーの本家から派遣されている護衛達が、今も尾行してきているのだ。とはいえこちらに位置は筒抜けだし、その事はこの一年で彼らも承知している。

 護衛達の顔と名前は知っているが、彼らには寸毫足りとも興味はない。そもそも頼んでもいない護衛に気を遣うほど親切ではないし、普段は許容しても付いてきて欲しくない時まで張り付かれていたのでは気分も悪くなる。

 ヨナタンは護衛に対して非友好的だ。一応は連絡先の交換ぐらいはしているが、親密な関係を構築するつもりはなかった。友好的になるまでもなく彼我の立場には明確な上下があるのだからそれで充分であるし、そもそも定期的に護衛の面子は入れ替わっている。彼ら個々人と親密になる意義は皆無である、とは言わないが、労力を割いてまで知己を結ぶ価値があるとは思わなかった。本家の人間は勝手な英雄偶像を押し付けてくる傾向はあるが、基本ヨナタンには忠実なのだし、やはり個人として付き合う気にはなれない。

 

 護衛達は仕方なさそうに散っていく。いつも視界に入らない程度に遠巻きに侍っているが、根本的に彼らは理解している。偉大なる祖霊を身に宿す深淵狩りに、そもそも護衛の類いなど無用なのだということを。故に職務放棄とも取れる行為にも、命令なら仕方ないと従順に従うのだった。

 

「………」

 

 護衛の目が離れたのを見計らい足を動かす。

 薄汚い路地裏には剣呑な空気が流れている。奥の方から複数人の気配が感じ取れた。

 

 ――気配とは、五感が取得する情報を総括して感じ取るものだ。

 

 空気の流れを感じる触覚、場にそぐわぬ音や臭いを嗅ぎとる聴覚と嗅覚、不自然な動きから意図を読み取る視覚など。味覚は余り役立つ場面はないが、他の四感は“気配”という曖昧な情報を脳に悟らせるのである。

 オーラで強化されるのは、一般に耐久力やら攻撃力やらと言われている。しかし肉体を強化するという一面を突き詰めれば、研ぎ澄ました五感にも適用できるのは自明であろう。ヨナタンが姿を視認しないまま遠くの“気配”の数を識別できる技能を有するのは、彼の特異性を鑑みれば保有していて当然である。

 

(十人前後……いや、きっかり十人だね。にしても……少し遠い)

 

 壁際に背を貼り付け、気配のする方向に意識を向ける。話し声は成人した男のもの。野太く、相手を威圧するかのように低い声音。時に恫喝も交えながら行なわれているのは……交渉? 手打ち、協定という単語も識別できた。

 もっと聴覚を強化すれば聞き取れるだろうが、これ以上強化すれば表通りの喧騒まで捉えてしまい、逆に何も聞き分けられなくなる。過ぎたるは及ばざるが如しだ。意識を絞って集中するにしても限度があった。

 暗がりに隠れ潜むヨナタンに、誰かが気づく様子はない。ちらりと壁際から顔半分を出して覗くと、位置の悪さを悟り内心舌打ちする。十人は路地裏の開けた位置にいて、周囲には隠れられる箇所がない。ヨナタンの現在地が最も近いが、それでも耳を澄ませないと話し声が聞こえない位置だ。

 

 やむなく彼らの風体を観察するに留める。自らを導いた【天啓】が、いったい何を指し示したのかを判別する必要があった。

 

 男達はほとんどが厳つい体格と面構えをしており、高級な黒と白のスーツに身を包みサングラスをしていた。堅気の人間ではない――五人は左右にそれぞれ別れて睨み合っており、友好的な間柄ではない事が察せられる。

 黒スーツ、白スーツ。なんとも分かりやすいチーム分けだ。

 中央には年嵩の男がいる。年齢は五十代手前かそこらで、黒スーツ四人を率いているようだ。虎髭を蓄えている白髪の巨漢で、身の丈ほどもあるメイスを背中に背負っている。そして白スーツの男たちを率いているのは、虎髭の男の孫と言っても通じる若い青年だろう。矢面に立って壮年の巨漢と対峙している事と、その自信に満ちた表情からそう判断する。

 

 右目を隠すオレンジ色の髪の青年は、赤いラインの入った白スーツを纏い、黒のロングパンツを穿いている。グレーのスカーフを首に巻き、黒のグローブを嵌め山高帽を被っていた。手には、杖。あれが武器なのだろう。

 

「………」

 

 この場で抜きん出た存在感を持つ青年に目を引かれるが、ヨナタンはこの場に長居するのはよろしくないと判断した。会話を詳細に聞き取れない以上、見つかる可能性がゼロではないのだから離脱すべきだと考えたのだ。

 決断したら行動は早い。懐から【携帯型情報機器(スクロール)】を取り出し、彼らの姿を秘密裏に撮影した。シャッター音はなく、フラッシュも焚かない。高性能なカメラ機能を内蔵しているから画質に問題はないだろう。

 

 目的を達したのなら速やかに、かつ静かにその場を離れる。表通りに出て人混みに紛れ込んだ。

 

 彼らの正体は、恐らく首都ヴェイルに根付く非合法団体だ。そんな輩になぜ【天啓】は反応した?

 疑問は尽きないが、それを晴らすには彼らのことを知る必要がある。ヨナタンはスクロールを操作して、先程撮影した写真を護衛達に送信した。メッセージも送る。『この二組のマフィアの拠点を調べ上げるように』と。

 するとダスト・ショップに寄り必要な買い物を済ませ、宿泊先のホテルに引き返していると護衛の一人から連絡が来た。スクロールを開き通話状態にするや、護衛の男が困惑しながら物申してきた。

 

『――マイ・アンセスター。ジャックハートです』

「やあ、マイ・ディセンダント。『()』からのメッセージには目を通したかな」

 

 少年の身空で大人のような言い様で、自身より二十年は長く生きている大人に対して偉そうに接する。傍から見れば滑稽に見えるが、ナーハフォルガー家に於いてはこれが普通なのだ。

 深淵狩りこそが自分達の祖先であると考え、歴代の深淵狩りが地続きの自意識を持っていたとされる為、ヨナタンもそうなのだと決めつけられている。そのため本家にとってヨナタンは父であり祖父であり、敬い崇めるべき師でもあるのだ。だからこそ彼らはヨナタンをマイ・アンセスター、我が祖と呼び。ヨナタンは彼らを我が子孫、我が末裔と呼び掛ける。

 繰り言になるが、ヨナタンは歴代とは異なり、深淵狩りの集合体による自我の坩堝に塗り潰されていない。ヨナタンの自我は彼だけのものであり、よって本家に対する認識はあくまで親戚でしかなく、間違っても自らの子孫と思ってはいなかった。ヨナタンに自覚はないが、彼はどこか超然とした佇まいをしているが――それは単に浮世離れしているだけであり、自らの特異性と才能、幼少期から本家に『降霊の儀式』と称される、特性の覚醒訓練を施された経験が混ざり合って、ヨナタンの自我を尋常の域から乖離させただけである。

 

 ヨナタンの本家に対する認識は、およそ一般の人間関係しか持たない者には想像の付かないものだろう。ヨナタン自身、彼らを自分がどう思っているのか正確には把握していない。

 

『無論。しかし我が祖、なにゆえにこの者らを調べるので?』

「私の意図を汲もうとする必要はない。言われたことをやっていればいい。それが正しく、正義だ。違うかな、ジャックハート」

『……ですが、明日でヴェイルのお遊戯会は終わり、翌日にはパッチへと戻られると聞いておりましたが』

「予定はキャンセルする。ヴェイルには私の要件が終わるまで滞在するから、それまで体調を持ち崩したとでもアカデミーには言っておくさ。君達の任務は私の護衛だが、私にそんなものは不要だと知っているだろう? 家の心配性な老人どもは、護衛として君たちを遣わせてきているが、他の者は小間使いとして私の近くに置いているのだと理解している。そしてそうであるからこそ、君たちが侍ることを許していたに過ぎない。こんな簡単なお遣いも果たせないようでは、とても我が末裔とは言えないね。それに口ごたえをするのも可愛くない。もしかして、私の()()()()()()()()()のかな?」

『そのような事はッ! ……そのような事は、断じて有り得ません』

 

 これだ。

 安い宗教のように、【痣】持ちを神聖視し、絶対視する。自らに流れる血を誇り、それを深淵狩り当人に疑われる事を何より恐れる。

 駒としては便利だが、やはりヨナタンは彼らを敬遠したくなる。深淵狩りとして振る舞う限りは従順だが、そうでないと逆に口やかましく『自らをお偽りになられることはありません!』などと、自分達の固定観念を押し付けてくるのだから。若者風にはっきり言ってしまうと、ウザいのである。

 

 ……とはいえ、彼らも優秀ではある。

 

 手掛かりが画像しかなくとも、近日中に調べ終えるだろう。ヨナタンが言ったように、言われた事しかやらないため、余計な事を仕出かす恐れもない。

 ヨナタンは嘆息してホテルの自室に戻り、シャワーを浴びて、軽くご飯を食べた後に歯磨きをすると就寝した。

 それから一日を置いた。その間に決勝は終わり、煩わしいインタビューを無難にやり過ごす。後は音楽を聞いて、テレビを見て、街を散策した。

 スクロールで実家のパトリオット達と話して、ワイスとも歓談したりして過ごしているとジャックハートから連絡が来る。標的の拠点を発見した、と。

 

 やはり優秀だ。有能なのは確かなのだから、個人的な観念は捨て置き多少のリスクも許容して、手駒にしてしまえばいいと思うが。しかしどうにも、自分でも分からない鬱陶しさに似た感情が邪魔をする。

 

 露骨に嘆息したヨナタンは、早速行動を起こす事にした。

 

 

 

 

 

 

 




スクロール
・原作中の携帯機器。ケータイ、スマホみたいなもの。生活必需品であり、同時に戦闘とかにも役立つ多機能っぷり。


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悪には華を

今回の投稿はここまで。


 

 

 

 

 黒と白のスーツの人達は、誰憚ることなく表通りに事務所を構えていた。

 

 黒スーツの方は、宝石店を。白スーツの方は、不動産を。前者は最近になって首都ヴェイルに進出してきた、ヴァキュオ王国に本社を置く会社らしい。後者は昔からある土着の不動産であり、一見後ろ暗い雰囲気はなかった。

 

 今日は雑踏の影に隠れて黒スーツの親玉らしき――オールバックに撫でつけた白髪と白い虎髭の、壮年の男。彼について回るとしよう。

 宝石店のオーナーをしているらしい彼は、午前中は店内にいたようだ。が、午後前に部下へ車を運転させて外出した。昼食の時間なのだろう。案の定というか車を()()()追っていくと、彼は高級レストランに入っていった。

 マナーを守った上品な食事風景である。

 会計を済ませ、さて店に帰るのかと思いきや――彼らは元来た道を辿らずに繁華街に向かっていく。

 ダスト・ショップや居酒屋、バー、ポルノ・セックス関連の店をつぶさに観察し、時には入店して店内で何事か言い争っているようだ。……いや、取り巻きの黒スーツが、一方的に店を恫喝しているらしい。怒声が聞こえる。

 穏やかではないが、割って入るような無駄はせずにその様子を写真に収めておく。店内から出てきた男達はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら車に乗り、走り去っていったが、このまま見過ごしたのでは片手落ちもいいところだ。彼らの正体に見当はついたが、所詮は物証のない憶測でしかない。何をしようとしているか特定せねばならないだろう。

 

 追いながら様子を伺っていると、今度は或るビルに入っていった。それは最近開店したという金融会社……端的に言ってしまうと金貸しだ。暴利で金を貸す悪徳な会社である。おいおいと内心呆れ、ヨナタンは嘆息する。

 こうも露骨だと隠す気はないようだ。精力的に働いているようだが、些か性急に過ぎるし、足元がお留守な印象を受ける。

 事務所に侵入しようと夜を待ってみたが、消灯せず数人ほどが寝ずの番をしていた。しかし障害にはならない。【痣】を通して過去の経験・能力を読み込んで、彼らの拠点に侵入し黒スーツ達に気取られないように行動する。

 事務所を漁ると――出るわ出るわ、裏帳簿が山のように。PCもあったのでクラッキングしてみると、ヴァキュオにあるという本店、親会社との遣り取りの履歴も発見できた。とっくに確信はしていたが、これで裏は取れただろう。

 

 彼らはマフィアだ。

 

 ヴァキュオから進出し、ヴェイルの裏社会に食い込もうとしている。であれば、あの白スーツ達の背後関係も察しが付こうというもの。

 白スーツはヴェイルの裏社会に根付くマフィアなのだろう。こうして自身の縄張りに粉を掛けてきた黒スーツ達と緊張状態にあり、あの日の晩にどういうつもりなのだと彼らの真意を糺していたわけだ。

 とはいえ余所者が我が物顔で動いているのだし、藪を突けば抗争待ったなしだろう。帳簿に記されている、彼らの武器と人員の一覧を確認しコピーを取ると、所在を掴んでいた他の拠点にも侵入して回ってデータを取り揃えた。

 

 どうやら汚い仕事もしているらしく、麻薬・売春なども扱っているらしい。

 ヨナタンは暫く熟考し、このデータを利用する事に決めた。

 

 マフィアだなんだと言って、いたずらに排除しようとするのは浅慮である。人間が人間である以上、汚い部分はどうしても出てくるものだし、潔癖にそれらを取り除いても後から必ず湧いて出るものだ。

 イタチごっこなんて不毛なのだから、逆に体制側に取り込むか、それが嫌ならある程度の筋を通し、裏の秩序を保てる面子を選定、それに管理を任せるのがベターな判断だろう。

 無論ヨナタンはそんな事を考えて実行するようなお偉い人間ではない。そもそもそんな立場でもなかった。一市民の一人として警察に通報するのが無難な行動であり、ヨナタンに都合の良いタイミングでそうするつもりだ。

 

 白スーツの男達の拠点に潜入し、『善意の協力者からのプレゼントです』と書き込んだメモと共に、入手していた全データを置いて行った。ヨナタンは情報を渡し、白スーツの勢力に黒スーツを駆逐させる事にしたのだ。

 

 置いてきたデータには、白スーツ勢力を攻撃する計画も含まれている。先日はお行儀よく挨拶していたようだが、黒スーツは同業者は邪魔者としてしか見ておらず排除を画策していた。それを知った白スーツの動きは自明だろう。

 情報の裏取りはするだろうが、事実なのだから困る事もない。一週間ほどで白スーツの勢力は動き出すと思われた。――が、予想に反して動きが早い。白スーツはどんな手を使ったのか、僅か二日で情報の裏を取り事実であると確信したらしい。すぐさま白スーツ達の首領(ドン)が号令を掛け、銃器や近接武器を手に黒スーツへと襲撃を仕掛ける準備を整え、あのオレンジ髪の青年が手下を率いて襲撃を掛けた。するとたちまち追い詰められていく黒スーツ勢力。襲撃の手際の良さから、白スーツは最初から黒スーツを駆逐するつもりでいた事が分かる。頭のキレる知恵者と、果断な行動力を併せ持っているようだ。

 

 ヴェイル警察も抗争の気配を察知して動き出しているが、そちらにはヨナタンの方から匿名で欺瞞情報をたれ込んでおく。白スーツではなく、黒スーツの武器が隠されている宝石店の所在を報せ、併せて白スーツへ反撃のために集まりつつある、黒スーツの兵隊達の所在も通報したのだ。これで警察は多少動きが遅れ、抗争の現場に駆けつけてくるタイミングを遅らせられただろう。

 ヨナタンはそこまで手配した後、白スーツの元へ向かう。黒スーツ勢力はなんの面白みもない、野心だけは一丁前なチンピラに過ぎなかった。消去法的に【天啓】が反応したのは白スーツと断定し、そちらを贔屓したまでである。

 

 ――こちらから接触して、何をどうするのか。

 何通りかのパターンを想定してはいるが、最も望ましいのはヨナタンの夢を叶える為に、有用な存在を発掘する事である。それが叶わないなら、適切適当に収拾を付け処理するだけのことだ。

 

 

 

 向かった先は首都ヴェイルの倉庫街(コンテナヤード)だ。

 

 

 

 元気にドンパチしているかと思ったが、意外なほど静かである。

 無言で歩を進めるヨナタンの靴が、ぺちゃり、と水溜りを踏んだ。視線を下に向けると、そこには血溜まりが小さな川となり流れてきていた。

 血が、下水路に流れ落ちていく。――既に決着が着いてしまっているのだろうか? だとするなら随分と仕事が早い。

 

 抗争の現場である倉庫街、そこには一組の男女がいた。

 先日も目にした、二十歳前後のオレンジ色の髪の青年。こちらは初見だが、青年より一回り以上小柄な、ヨナタンに近い年齢に見えるピンクと黒の髪の少女。右半分がピンクで、左半分が黒といった配色だ。

 右目を隠す髪型の青年は、先日と同じ衣装を纏っている。対して少女の方も配色の似通った衣服を纏い、パッと見て取れる差異は白のハイヒールタイプのロングブーツを履いている事ぐらいだった。

 

 彼らの足元には多数の――数にして十一の死体が転がっていた。凄惨だな、という思いを脇に捨て、足音を立てて近づくと、青年と少女が弾かれたように鋭い視線を向けてくる。

 

「……おやおやこいつは予想外の珍客だ。こんな所に何の用だい、お坊っちゃん。良い子はお休みの時間だろう? 早く帰って眠っちまいな」

「………」

 

 青年の深緑の瞳。その視線がザッとヨナタンの全身を走る。――身なりがよく、腰には革の鞘に収められた短剣がある。ダスト弾の帯もベルトに括られていた。初等のハンター養成学校の生徒だろう――と、判断したらしい。

 ヨナタンの正体を推察した青年の反応は瀟洒だった。しかしそれは皮肉めいていて、小馬鹿にしてもいる。

 微かな嘲りは、しかし色濃く。同時に予想外の闖入者に対する苛立ちも滲み出していた。少女に至っては完全に無言だ。だが対応に迷っているようで、青年の方をちらりと見て判断を仰いでいる。

 

「ガキに構うなよ、ネオ。無駄な事にいちいち目くじらを立てるのは『名誉ある男』のする事じゃあない。そうだろう?」

「………」

 

 ネオと呼ばれた少女は、改造杖を持つ青年の言葉に頷いた。『ネオ』はパラソルを改造した小さな武器を手に一歩下がる。

 名誉ある男と青年は言った。なるほど、響きからして意図的な揶揄かもしれないが、()()()台詞だ。シッシッと犬猫でも追い払うような仕草をする青年に向け、ヨナタンは微笑を浮かべる。悪戯に成功した小僧の笑みだ。

 

「――死体の身なりは似たりよったり。けど一人は貴方のように高級な服を着ている。互いに争っていたらしき痕跡から片方は()()()()で、偉そうな死体の彼は敵対者かな」

「――――」

「差し詰めここは目障りな余所者を始末した現場……付近に見張りも立てていなかったのは、余剰人員を用意するよりも戦闘に投入して、早期に決着を着けようとしたから。結果を見るに予想外に手強く、戦いに勝利したはいいものの……随分と苛烈な抗争だったようだね。悲惨なことに貴方達以外は全滅してしまった。貴方はマフィアの幹部、もしくは首領(ドン)の息子なんだろう。けど、後始末にはそれなりに難儀するんじゃないかな」

 

 白スーツの彼らもマフィアである。マフィアは主に殺人や暗殺、麻薬やダストの密輸、密造などの非合法な活動を主にしていると思われがちだが、一方で不動産業などの合法的な会社を有している場合もある。

 青年の言った『名誉ある男』とは、マフィアの一部が持つ志向だ。一般にマフィアは賭博、暴利金融、ポルノ・セックス関連、周旋業をしており、商売や賭博業をしたい人間にサービスを提供できる者を繋いで、対価として共同経営者となる仕事をしているが、目の前の青年のようなマフィアは『売春と賭博は名誉ある男のする事ではない』と嘯き手を出さないのである。

 

 高級志向の漂う衣服と武器。暴力の気配を隠しもしないくせに、子供の姿をしているヨナタンを見逃そうとする度量――いや、余裕。こんなにあからさまな抗争現場と、ヨナタンのこれみよがしな推理を否定する要素はない。

 

 突然現れた少年の台詞に、しかし青年は胡乱な反応を返した。

 

「ほほぅ……目端は利くようじゃないかお坊っちゃん。感心させられたよ。ずばり、図星だ。素晴らしい名探偵だと褒めてやってもいい」

「………」

「待て、ネオ。……だがここで推理を披露するのは賢くないな。私は推理小説の犯人よろしく、大人しくお縄につくような柄じゃあない。目障りな探偵はすぐに処分してしまうからだ。……犯人に襲われて痛い目を見る間抜けになりたくなかったら……これが最後だ。優しく諭している内に帰ってしまうといい」

 

 低身長ゆえに幼く見える少女が無言で殺気を纏うや、青年はすかさず制止してヨナタンへ()()()するように促した。

 

 殊の外、親切な対応である。しかしそれは優しさや甘さからくるものではない。青年は冷酷な目をしている。こちらが子供という事で無駄に殺すつもりはなく、最後通牒を出したのはあくまで一度は見逃すと言ったからだ。

 ごねたり、下手な動きを見せたら、気紛れめいた慈悲は撤回されるだろう。

 仮にここでヨナタンが引いてヴェイル警察に通報し、事件現場とこの青年達の風貌を教えても、彼らはどうとでも対処できる自信があるようだ。だから目撃者を見逃すという選択肢も出た。

 この青年はそうした自信、根拠がなければ、躊躇なく殺しに掛かって来ていた気がする。となると警察の追求から逃れられるだけの、相応の立場と組織がバックにあるのが察せられた。やり過ぎれば指名手配ぐらいはされるであろうが……やはりちんけなチンピラではなさそうだ。時間を掛けたくなかったら表面的な調査を怠っていたが、もしかすると彼のバックにいるマフィアは相当根深く浸透しているのかもしれない。

 

 ――彼らは人殺し、犯罪者である。この現場を見れば一目瞭然だ。であればハンター見習いとして、彼らを拘束し警察に突き出すべきなのだろうが――生憎とヨナタンはそんな事をするつもりはない。

 

 人殺しはいけない事だし、犯罪を犯したなら罰を受け償うべきだとは思う。だが死んでいる人間は全て見知らぬ赤の他人な上、両方とも生粋の無法者(アウトロー)なのだ。ハンター見習いではあっても、正規のハンターではないヨナタンに、彼らを拘束して警察に突き出す義理はあっても義務はなかった。

 これで死傷者が一般人なら対応も変わっただろうが、異形の精神を有する少年の価値観は徹底してエゴの塊である。自分や、情を移した相手、自分に関係のある人間以外がどうなろうと、その心には漣の一つも立つことはない。

 殊に、犯罪者は捕まえないといけない! なんて無邪気な正義心とは無縁という事もあり、ヨナタンの態度は淡々としたものである。ヨナタンがこの状況で思うことは、どこまでも己の利になる事柄であった。

 

(思えばほとんど収穫のない一年を過ごしていた。人生はたったの100年も無い。このまま成果を得られる見込みもないのに、漫然と過ごしてるのは時間の無駄……ここは一つアクションを起こすのもいいかもしれないね。いや、寧ろ彼らを仲間にしてみようかな? ……うん、物は試しとも言うし、勧誘するだけしてみようか。無理そうだったら素直に諦めたらいい)

 

「ちょっと待ってくれないかな」

「………?」

 

 帰宅を促された少年は、なおもその場に留まった。訝しげな反応は、あくまで予想外のリアクションに対するものだ。それはすぐに呆れへ転じ、呆れつつも敵対行動――というよりは愚かな少年を始末しようとするだろう。

 だから訝しまれている内に言葉を紡ぐ。

 

「僕は何も、貴方達の邪魔をしに来たんじゃないんだ。むしろ建設的で素晴らしい交友関係(フレンドシップ)を結びに来たんだよ」

「……分からないな。私は帰れと言ったはずなんだがね。お坊っちゃんのようなお子様に構っている暇はない」

「ああ、それなら大丈夫。今暇を作って上げ――いや、差し上げましょう」

 

 敢えて遜った物言いに言い換え、ヨナタンはおもむろにオーラを解き放つ。

 それは明らかな敵対行為。まさかヨナタンの歳でオーラに目覚めているとは思っていなかったのだろう、彼らは驚きながらも即座に臨戦態勢を取った。

 流石に青年は慎重な構えを崩さなかったが、少女は違った。瞬時にパラソルを構え、素早く踏み込んでくるやその先端を突き出してくる。ヨナタンは半身になりながら左手を掲げ、オーラ・バリアを展開してそれを受け止めた。

 

「っ……!」

 

 驚愕する少女の顔を横目に見遣る。

 思い切りの良さや、刺突の鋭さなど見るべきところはあるが、それよりも間近で見て取れた少女の肌年齢――張りと膨らみなどから、ヨナタンと同じか少し上程度の歳だと判断する。厳しい修練が読み取れるが師は青年だろうか。

 空けていた右手で――本当は手の動きで操る必要はないが――四方へ電磁波を投射。即座に複数の対象から発火させる。【火の触媒(パイロキネシス)】を行使し、瞬間的に発揮し得る最大火力で周囲の死体を燃やした。

 

「ほほぅ……」

 

 青年が面白げに吐息を溢す。

 またたく間に灰となった死体は、それを処理する手間を失くしたが、そんな事よりも青年が着目したのは、死体を燃やした少年の行為そのものだ。

 論より証拠、少年は言葉を費やすより行動で示したのである。こちらへの害意はなく、ただの子供ではないと力を見せた。それはつまるところ、本気でこちらに取り入ろうとしている証明である。

 『ネオ』は戸惑いながら跳び退く。青年の傍に戻った少女は、少年の行為が敵対に繋がるものではないと理解して、ひとまず静観する構えになる。青年がどう出るかを見るつもりらしい。

 

「確かに少しは暇が出来たが……それで? 坊やはいったい何を考えているのかな?」

「今のは軽いデモンストレーションです。僕が貴方達を害する意図はないと、これで分かって頂けたはず。こんな真似をしたのは、僕は貴方達に会いたいと前々から思っていたからです」

 

 嘘である。だが唐突に、偶然出会ったと言うよりも、こちらから接触する意図があったと言う方が彼らも納得しやすいだろう。それにこの方がより印象付けられる。このガキは見掛け通りのガキじゃない、と。

 睫毛の長い双眸を眇め戦闘態勢を解除する――ような素振りをするだけで、実際はすぐに動ける体勢のまま――青年は無言で先を促してくる。

 

「この記念すべき出会いを祝して自己紹介をさせてください。僕はヨナタン・ナーハフォルガー。去年と今年のヴェイル地区トーナメントの優勝者と言えば、もしかしたら耳にした事ぐらいはあるかもしれません」

「聞かない名前だな。生憎とガキの遊びには興味がなくてね」

 

 嘘である。青年は微かに反応した。平然と知らないふりをするのは、恐らく場の主導権を握る為だろう。そうした嘘を吐くという事は、多少はヨナタンの話に耳を傾ける気になった証左であった。

 

「だがまあお子様相手に名乗らせておいて、こちらが応じないようでは私の沽券に関わるかな? 私はローマン・トーチウィック、この無口な小娘がニオ・ポリタン……見所があるから傍に置いてやっている」

「ミスタ・トーチウィック、ミス・ポリタン、お会いできて光栄です」

 

 ニオ・ポリタンが会釈してくる。ローマンに倣ったのだろう。ネオというのは彼女の愛称なのかもしれない。

 胸に手を当て礼儀正しく、上品に一礼する。高級志向の強いこの青年には、こうした気品が好みなはずだ。すると案の定その姿勢が気に入ったらしく、青年、ローマン・トーチウィックは今思い出したような口ぶりで言った。

 

「ああ! そういえばナーハフォルガーの名は聞き覚えがあるな。なんでも御伽の国からこんにちは、なんて大真面目に囀るアトラスの名家らしいが、もしかしてお坊っちゃんはその?」

「如何にもその通りです。時代錯誤の英雄信奉者ばかりで、ほとほとうんざりしてました。僕がご先祖様と同じ【痣】を持っているせいで、さらに熱を上げてしまい……付き合ってやるのも億劫で、こうしてヴェイルまで飛び出して来てしまったんです」

「……痣、だって?」

 

 ローマンの表情が一変する。

 

 ナーハフォルガーの言う【痣】とは一つしか無い。

 それは【銀の眼の戦士】や【四人の乙女達】のようなお伽噺と同類項だが、しかし確実に存在した【深淵狩り】の特徴だ。実話に基づいた神話として、話の中身は盛っていると思われているが――それでも、【痣】の持ち主は総じて化け物ばかりというのは余りに有名な話であった。

 説得力、信憑性、それらをどの程度感じ取るかは個々人の感性に拠る。お伽噺の存在だと断定し端から信じないか、はたまた一定の真実は含まれているだろうと見做すか。ローマンは――後者だった。

 

 直前までは戦場神話や都市伝説のような物と思っていた。確かに実際の功績もあるにはあるのだろうが、所詮は自分の血筋に泊をつけようと浅ましい嘘で塗り固めた大法螺だろう、と。

 しかし眼の前の少年は目を掛けてやっている――将来は右腕になるだろうと確信している才女、ニオとほぼ同年齢でありながらオーラを高度に操り、センブランスまで十全に扱うばかりか、片手間でニオの刺突をあしらった。

 普通の子供、見かけ通りの子供と見るには実力があり過ぎる。ともするとハンターがセンブランスで幻影を作り、姿を偽っている可能性もあると考えていたが――目の前で炎を操られた以上はその可能性も消えた。であれば、お伽噺が真実であったなら辻褄は合うと考えられる。

 

 その思考を正確にトレースしているヨナタンは、補強材料を提供する。

 

「ああ――そういえば、僕からのプレゼントは役に立ちましたか? 善意からの協力だったとはいえ、役に立てていたならいいのですが……」

「………」

 

 ローマンはその台詞に目を細める。それは自分達の拠点に置かれていた、黒スーツ達の詳細なデータの送り主――その正体を露骨に暗示するもの。この少年がただのガキではない証明である。

 ヨナタンの行動、幼さに見合わない物腰、言葉の節々に感じられる知性、あのデータを人知れず送りつけてきた行為を含めた、デモンストレーションで見せられた能力。頭からお伽噺だと否定せず、この目で見て自分の頭で考え、冷静に分析したなら――頭の固い愚か者ではないなら、当然の結論に行き着く。

 

 すなわち、お伽噺は真実である、と。

 

「なるほど……まさに()()()()()()()()()()()と挨拶された訳だ」

 

 時間で言えば『こんばんは』だがね、と。

 ローマンは余裕のある態度を崩さない。寧ろ相手が普通の子供ではないと見做した瞬間に、体を弛緩させてすらいる。油断させたところで騙し討ちをされるかもしれない、なんて考えは霧散していた。

 複数の死体を一瞬で蒸発させる火力。あれだけの力を行使し得る存在が、そんな迂遠な戦術を取ることはない。正面から当たってもこちらを打倒し得る。ローマンはそう考えて、ヨナタンに敵意がないことを認めたのだ。

 となると俄然興味が湧いてくる。お伽噺の英雄様が、一体全体どうして自分に会いに来たのか、と。

 

「ええ、僕の挨拶を気に入って頂けたようで安心しましたよ」

 

 上品に微笑みながら、ヨナタンは冗長に間を空けずに切り出す。

 

「貴方達に会いに来た理由ですが、説明しても?」

「構わないとも。無論この場に長居する気はないんでね、手短に頼みたい」

「ではそのように。――単刀直入に言うなら僕の夢を叶える為に、貴方を利用させて欲しいと思いまして」

「……ほほぅ? この私を利用したいとは大きく出たもんだ」

「対等の関係で取引を、とは言いません。寧ろその逆、僕を貴方の仕事に噛ませて欲しい。それにあたって手下のように働きましょう。欲しいのは色んな経験と、貴方達の力。金やら利権やらは一切求めません」

「金は要らないが仕事は欲しい? つまり責任は負わない、表沙汰になる事は避けたい、お行儀よくお勉強をさせてください、ってわけだ。ハッハー、随分と図々しい坊やだな。そんな事をして私になんのメリットがある? 便利なのは認めるが、生憎と坊やの力を不可欠と感じてる訳じゃあないんだがね」

 

 ローマンとの会話に、ヨナタンは段々楽しくなってきていた。

 

 とんとん拍子で話が進むのが小気味よいのだ。こちらの言葉の真意を瞬時に読み取ってくれる知性に好感を持ちさえしている。相手がマフィアであるとか犯罪者であるとか、そんなことはどうでもいい。

 今のヨナタンは、【痣】からの読み込みを弾かれる組織作り、運営のノウハウを欲している。切れ者らしいこの青年の傍にいたらそれを学べると感じていた。喜ばしいのは彼が非正規な闇組織の存在だという事。表社会のそれとは異なり、子供の身でも現場の仕事を学べる。その予感を前にすれば合法とか非合法とか、悪とか善とか、そんな些末事など丸っと無視してしまえた。

 

 彼は確信した。目の前の青年にこそ【天啓】は反応したのだと。

 この邂逅を無下にしてはならない。これはある種の運命なのだとすら感じている。

 

「僕が貴方にコンタクトを取ったのは、そこそこの立場があり、能力があって知恵もあり、そして貴方が野心家足り得る上昇志向の持ち主だと判断したからです」

 

 この会話の中でローマンの気質は読み取れていた。立場は元より、能力と知恵、上昇志向に関しても現在進行形で察したのであるが、それを前々から知っていて接触したのだと――そういう方向性で行くことにする。

 嘘は吐く。嘘は悪ではない。騙される方が悪いというのはヨナタン自身にも言える事だが、()()()()()()喚くのは敗者か無関係の偽善者だけだ。しかし何事も嘘だけで凝り固めるのはよろしくないだろう。

 

「ミスタ・トーチウィックはマフィアだ。頭もキレる。今の首領の跡を継いだなら、ヴェイル王国に知らぬ者のいない悪党にだってなれるでしょう」

「お世辞は結構。要するに坊やは何が言いたいんだ? そちらの目的が見えて来ないんじゃあ、私としても返答に困るというものだ」

「ああ――つまりですね。このままいけば、貴方は()()()()で終わるだろうという事です。順調に行けばヴェイルの裏社会でのドンになるかもしれませんが、どこかで道を踏み外してしまうと単なる犯罪者として終わりかねない。貴方ほどの人が、そんな吹けば飛ぶような虫けらとして終わりかねないのは見ていられませんでした」

「――言うじゃないか、化け物め」

 

 忌々しげに吐き捨てたのは、ローマンがヨナタンの未来予想図に一定の信憑性を感じたから――ではない。いや、少しは感じたが、自分に限ってそんなヘマはしないと思っている。

 だがローマンはそんな些末なものより、もっと深刻な悟りを得た。ヨナタンと名乗った少年の、目に見える部分。言動と、力。それらを総括してローマンはふと気づいたのである。

 

 ――ヨナタンの身が宿す、およそ人間のものとは思えない、圧倒的という言葉すら生温いオーラ総量に。

 

 普通は見て分かるものではない。だがヨナタンほどに多すぎれば、ふとした拍子に透けて見えてもおかしくはなかった。

 ローマンが感じたヨナタンのオーラ総量は、感覚で言うなら――かつて見た名も知らぬ正規ハンターの、()()()()()()()である。言うまでもなく人間の持ち得る量を遥かに超えていた。

 この時ローマンは言語を超越した部分で察した。深淵狩りとは、一切の誇張のない存在である、と。伝承に語られるように、代を重ねるごとに進化を続けてきた怪物なのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは、アカデミー創設者の一人である深淵狩りの言葉らしいが、事実なのだろう。

 であれば、この少年もそのはずだ。見掛け通りのガキじゃない、どころではなく。下手をしなくても中身の実年齢はそこらの老人よりも上だろう。

 

 ――それは誤解だ。ヨナタンは能力自体は化け物で、亡霊に引きづられて精神も年齢に見合わないほど成熟しているが、実年齢は見た目通りに幼く視野も狭い。しかしその誤解はヨナタンにとっては都合が良かった。

 

 冷や汗を浮かべたローマンはヨナタンを誤解した。こんな化け物が言うのなら、有り得る未来なのだろう、と。

 

「僕は貴方を誘いに来ました。僕の夢の同志になってもらいたいから。大いなる器の持ち主である貴方が、取るに足りない犯罪者で終わるかもしれないなんて勿体ないでしょう? どうかミスタが裏と表の境なく君臨するお手伝いをさせてください。ひいてはそれが、僕の夢を叶える事に繋がる」

「……夢、ね。さっきから随分と持ち上げてくれるが、私がそれに乗る事でどんなメリットがあるんだ? 中身のないふわふわしたプレゼンは聞き飽きた。お伽噺の英雄サマは、いったいこの私をどんな道化に仕立て上げたいのか聞かせてもらいたいね」

 

 ローマンの反駁に、ヨナタンは微笑む。それは天使のように美しく――悪魔のように邪悪な笑みだった。

 知らず、悪魔の契約書の前に立たされたらしい。ローマンは思わず苦笑してしまった。抗争相手のマフィアが思いのほか手強くうんざりしていたのに、こうして悪魔にまで目をつけられるとは、今日は厄日なのだろうか。

 

「世界の警察ですよ」

「……はぁ?」

 

 ヨナタンの壮語に、ローマンは思わず間抜けな声を出した。

 話が飛びすぎて流石のローマンも理解が追いつかなかったのだ。

 

「警察という名前が気に入らないなら、国際連盟――国連、あるいはハンターによる社団法人の代表取締役でもいい。僕の夢はハンターを営利組織化し、四王国間の経済圏へ参入すること。そうすることで真の意味で国から独立し、後々には国同士の諍いや不法行為、不正を糺す中立機関の設立を目指しています。……貴方にはその頂点に立ってもらいたい。嫌なら僕がやりますので、補佐をお願いしたい。ちんけなマフィアや犯罪者で終わるより――ずっと有意義で大きな仕事だと思います」

「………ネオ。この英雄サマが何を言ってるか、分かるか?」 

「………」

 

 少女も呆気にとられている。首をふるふると左右に振った。

 

「ちょっと待て。……、……。……あー……つまり、なんだ。お前はもしかして――()()()()()()()()()()()()()を見据えてるのか?」

「――ああ、やはり貴方は素晴らしい、ミスタ・トーチウィック」

 

 ローマンの疑問に、ヨナタンは我が意を得たりと満面の笑みを浮かべた。

 やはり頭がキレる。今の話を聞いて、そこまで理解が至るとは。これは本当に同志になれるかもしれなかった。不都合があれば容易に切り捨てるような駒ではなく、本当の意味での仲間に。

 そう思えばこそ、俄然言葉に熱が入るというものだ。

 

「言うまでもなく、グリムと人間はどちらかが絶滅するまで戦い続けるでしょう。人間が負けた後の事なんて考えるだけ無駄です。なら戦後を見据えて早期に動いていた方が良い。何せハンターは、グリムがいるから成り立っている職業でしょう? 今ですら犯罪者を捕らえるような仕事をしてますが、それは本来警察の仕事だし、武力を用いた軍事行動は軍隊の仕事だ。ハンターはいずれは不要のものとなる。であればいずれ廃れるハンターという存在を、有益な存在として残すにはどうしたらいいのか? 現在の『国の思惑に囚われない』というお題目を真実のものとすればいい――恐らく貴方はハンターという()()()()()()()が気に入らないかもしれませんが、そうした存在を顎で使えて、かつ世界を股にかけた組織の長になれるとしたら……そこそこ興味を持って頂けるのではないでしょうか」

「………」

 

 熱の入った誘惑に、ローマンは沈黙で返す。

 熟考していた。頭のキレるローマンだ、ヨナタンの言葉は理解できる。そして理解が及んだが故に考慮し、天秤に掛けるのだ。

 何と? 今まで自分が描いてきた、未来予想図という人生の青写真と、たった今、目の前に広げられた栄光を、だ。

 

「ふ――クク」

 

 ローマンは溢れそうになる笑いを噛み殺す。

 なるほど、やはり悪魔の類いだったか、と。誘惑の仕方が、実にローマンの琴線に触れている。何より気に入ったのは、度々仕事の邪魔をしてくれるハンターを顎で使えるという部分だ。それにこの悪魔は承知しているだろうが、どんな組織も裏は汚いものである。癒着、不正、なんでもござれ。組織の大きさはそのまま闇の巨大さを示す指標でもある。

 ヨナタンの展望は、大いなる善を成す。しかし同時に大いなる悪も内包する矛盾に満ちたものだ。それは、つまり――合法的な社団法人も抱えるマフィアと、なんら変わりはないという事である。単にスケールアップされているだけで、本質的には大きな差はない。表では善人のふりをして、裏では自分本位のあくどい仕事ができるというのは――ああ、実に面白い絵図だ。

 

「――前期は世界的な正義の味方、後期は清濁合わせ呑む穢れた偶像、か」

「ええ。しかしまだ始まってもいません。だから最初の仲間に貴方を求めた。ミスタが応じてくれないなら……」

「心配するな。乗ったよ、その妄想に」

 

 ヨナタンの仮定を途中で切り捨て、ローマンは笑いながら即断した。

 ローマンはクレバーな男だが、しかし()なのだ。そこらの馬鹿が囀っても聞く耳は持たないが、目の前の悪魔にこんな面白い話をされて――心が踊らないと言えば嘘になる。

 

「ある程度形になってたら乗る気にならなかっただろうが、こんな面白い話がまだ手付かずだったなんて幸運だった。どうせお前の事だ……私が乗らなくても計画を練り、駒を集め、実行に移していただろう? そして恐らくそれはある程度は現実に、形として成せる」

「高く買ってくれてるみたいですね、僕のことを。普通はなんて誇大妄想をするガキなんだって笑うところでしょう」

「よく分かってるじゃないか。これは妄想だ、それもとびっきりの。だが――()()じゃあない。少しでも実現可能な余地があるなら……なるほど、確かに()と形容できるだろうさ」

 

 青年が少年に歩み寄る。

 身長差から、青年が少年を見下ろす形になるが、あくまで見た目だけ。

 

「だが私を抜きにして進めたら、お望み通りの大層な組織にはならないだろうよ。もしお前が駒になり、私をプレイヤーにすると言うなら……ああ。英雄サマが描いた夢が、このクソッタレな世界に歪まされる程度を薄め、より理想的な形になるようにしてやろうじゃないか」

「なら……これからよろしくと言ってもいいですか? ミスタ・トーチウィック」

「勿論だ。これから私達は同志になろう、()()()()()()、ね……ふ、クク……まさか私がこんな()()()台詞を吐くとは……」

 

 ローマン・トーチウィックが手を差し出す。同時にヨナタン・ナーハフォルガーも差し出していた。

 どちらともなく、握手を交わす。

 仲良しこよしではない。駄目そうなら、ローマンは即座にヨナタンを切り捨てるだろう。だが、それは逆説的に、ヨナタンが自らの利になる限り、決して裏切らないという事でもあった。

 

「さしあたり、お望み通りお勉強をさせてあげよう。その後は、私は私で。お前はお前で、裏と表で人を集める……それでどうかな?」

 

 ローマンの提案に、ヨナタンは頷きつつも苦言を呈した。

 

「異論はありません。学ぶ機会を設ける約束に感謝を。しかしですね……」

「ん?」

「お前だとか、英雄サマとか、坊やとか。そんな呼び方はやめてほしい。僕にはヨナタンという名前があるんですから」

「ふっ……くく、ああ……すまないな。じゃあ、ヨナと。そう呼ぼうと思うんだが、どうかな? ついでに下手に阿るのもやめていい」

「ではフレンドリーに接するという事で。僕も貴方をローマンと呼ばせてもらおうかな。それから……ミス・ポリタン、君の事を名前で呼んでも?」

「………」

 

 少女は薄く微笑みながら頷いた。話してくれないから分かりづらいが、どうやらローマンが認めたことで好意的な態度で接してくれるらしい。ヨナタンの要望に嫌な顔をせずに、自分を名前で呼ぶ許しを与えた。

 おもむろにニオが携帯型情報機器のスクロールを取り出す。それにローマンは連絡先の交換を失念していたと気づき、ヨナタン共々スクロールを取り出すと、各々の連絡先を交換する。

 

「ああ、ローマン。そういえば一つ伝えておくことがあるんだけど」

「なんだ同志ヨナ、そんな改まって。我々は何者にも替えられない大事な仲間だろう? 気安くいこうじゃないか。……ふ、くく……」

 

 自らの台詞に笑ってしまうローマンに、ヨナタンも笑ってしまう。小綺麗に取り繕った台詞が、なんでこんなに似合わないんだ、と。

 

「僕はそろそろ()()()()の時間なんだ。なんでも、親愛なる同志に曰く、()()()()()()()()らしくてね」

「――アッハハハ! それじゃあここらでお開きとしようか! 同志ヨナ、良い夢を! 明日改めて連絡しよう。スクロールだと履歴が残る、ネオを遣いに出そうと思うんだが、いつがいい?」

 

 笑いのツボに入ったのだろう。上機嫌に笑って、ローマンが訊ねてくる。それにヨナタンは真面目くさった面持ちで答えた。

 

「いつでも。僕はパッチにあるシグナル・アカデミーの生徒だし……向こうに帰った後、首都ヴェイルのアカデミーに転入手続きでもした方が良いかな?」

「同志が身近にいないようでは私も寂しいから、そうした方がいいかもな」

 

 シグナル・アカデミーにいる理由はなくなった。

 活動拠点を首都ヴェイルに移し、漸くヨナタンの記念すべき第一歩が踏み出される。

 

 一人の悪党との出会いによって、ヨナタンの夢はやっと少しの前進を見た。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

「………」

「ん……? ああ、心配するなよ、ネオ」

 

 くい、と袖を引かれたローマンは、立ち去っていく少年から視線を切る事なくニオ・ポリタンに答えた。

 ニオは、極端に無口である。周囲の連中はそれに苛立つが、ローマンは然程気にしていなかった。むしろ気に入っていると言える。

 なんせ他の能無しどもと違って五月蝿くない。静かなのは素晴らしい美徳だろう。加えて頭の回転が早く、残虐になれる素質があり、戦闘センスもある。今はガキだが、将来的に使える奴になるとローマンは確信していた。

 ニオが気にしているのは、ローマンが本気で子供の姿をした悪魔の話に乗ったのかどうか、だ。論理的に見て話の流れが脈絡がないし、客観的に判じるなら狂ってるとしか言い様がない。理解度が高く、柔軟な頭の持ち主でないなら置き去りにされる展開だっただろう。ニオの理解が及んでいないのは、まだ幼く未熟だっただけで、何年かした後なら完璧に追随して来れていたはずだ。

 

 ローマンは笑って踵を返す。悪魔の姿が見えなくなったからだ。

 

「あれで正解だったのさ」

「………?」

「話を呑んでなければ()()()()()()。話に乗った理由としては、この上なく分かりやすいだろう?」

「………!」

 

 ハッ、とローマンは鼻を鳴らし、愕然とするニオを連れて根城に戻る。

 その中で訳が分かっていなさそうなニオに教授した。ローマンはマフィアの首領の息子であり、次期首領である。そしてニオは幹部の娘であり、次代の幹部になる事を期待されてローマンの付き人をしていた。

 馬鹿の相手はしないローマンだが、物分りの良い子分には寛大になる事もある。

 

「お前はまだオーラに目覚めてないから分からなかったんだろうが……アレのオーラは化け物のそれだ。論理をすっ飛ばして、お伽噺が誇張なく真実だったと信じざるを得ないぐらいのな。見た目通りのガキだとナメてたら馬鹿を見るだろう。自分の為なら悪党ぐらいゴミみたいに殺しても良心が痛まない、最高にクソッタレな気配もするしな」

「………」

「誇大妄想を大真面目に語っていたのには面食らったが……お伽噺の英雄サマが本気なら、実現できなくもない。何かに躓いても、躓かなくても、そこそこ良い話ではある。なんせどう転んでも私の利にはなるからな。この場で殺されないという生存の権利と、あの化け物を手駒として用いられるメリットがあるんだ。仮に上手くいったなら、私は世界的な成功を手に出来る……上手くいかないなら、河岸を変えて再出発を図り勝手にいなくなる手合いだろう……これであの悪魔の話に乗らないなんて、馬鹿らしいな」

 

 それに、とローマンは呟く。その先は口にはしなかった。

 

(――マフィアのドン程度で終わる、か。確かにそれは()()()()()。こんな低能どもの中で埋もれてるよりも、大それた賭けをして盛大な花火を打ち上げた方が面白いに決まっている……)

 

 勝ち目のない賭けはしない主義だが、分は悪くても勝ち目があるなら乗りもする。配当金は目玉が飛び出そうなほど巨大とくれば尚更だ。

 ローマンは周囲の人間総てを見下している。何せ馬鹿ばかりだからだ。今回余所者が来ても、身内は穏当に交渉しようなどと言い出すし、ローマンが秘密裏に襲撃の手配をして、『善意の協力者』からのデータを見るや即座に本物と断じ行動しなければ、自分の組織は大打撃を受けていただろう。

 無能共が雁首揃えて死に絶えるのは笑えるが、その中に自分が入ってしまうなら笑えない。こうして大々的に攻撃できる口実を与えてくれただけでも、あの悪魔を評価していたが、それに付け加えて――

 

(やかましいヴェイルの犬っころ(警察)やハンターなら、とっくに現れてもおかしくない頃合いだってのに、そんな気配もない。ヨナの奴が手を回してるんだろう。……アレは少なくとも馬鹿じゃあない、それだけで存在を許容できる。つるむなら最低限、頭のデキがよくなけりゃあイライラするだけだ……)

 

 のんびり歩き、車に乗り、優雅に運転して帰る。想定していたよりもずっと穏やかな気分だ。身内も含めての塵掃除も綺麗に終わったのだし上々である。

 そう。ローマンが今回引き連れていたのは、身内で武闘派を謳う能無しがほとんどであり、吐き気がするほど頭の血の巡りが悪い塵だ。余所者の排除にかこつけて、身内の恥を消したのはローマンである。だからローマンと、腹心の部下に育て上げている最中のニオ以外は生き残っていなかったのだ。

 

(何より、誰かに使われるってのは性に合わない。敷かれたレールの上でならプレイヤーを気取れるだけマシってもんだ。ドロップアウトしても、お賢い英雄サマは筋と理屈が通るなら許容する。馬鹿じゃなければな……考える頭は私だけでいいが、従順じゃないだけスリルもある。ああ――御大層な夢の為に努力はするさ……私にとって面白い話であり続ける限りはな)

 

 ローマンは笑う。機嫌よく。

 掲げる野望は大きければ大きいほど良い。そこに駆け引きのスリルと、きちんとした勝算があるなら言うことはなかった。

 どうせ命は一つきり……あの悪魔を除いては。なら、必ずどこかで、一度は大きな勝負をしなくてはつまらないだろう。その大きな勝負で、勝ち目があるだけ面白みも見い出せるというものだ。

 おまけにプレイヤーの立場で色々出来て、自分に都合よく動いても、あの悪魔はある程度許容するだろう事を思えば、考えうる限り最高に愉快な賭けになるだろう。ハンターやアカデミー、軍や国の連中の鼻を明かしてやれたなら最高を超えた至福の気分も味わえる。

 

 ローマンは機嫌よく笑う。

 今夜は面白い話が出来たし、ついでに目障りな塵も掃除できた。

 綺麗好きなローマンとしてはやはり、何事もさっぱりしていた方が好ましく感じる。

 

 助手席のニオは、ローマンが機嫌良く車のハンドルを握るのを見て、上品に微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ローマン・トーチウィック
・原作キャラ。原作だと初期から活躍する。本作中だとまだ二十歳手前で若々しい。彼や後述するニオは経歴・年齢が不透明なので、苦渋の決断として独自解釈を挟まざるを得なかった。ヴェイル王国に拠点を置くマフィア。ドンの息子。身なりや言動から、本作ではそういう経歴にした。後々なんらかの犯罪でトチって指名手配犯になるはずが、ヨナタンと出会った事で運命が軌道修正される。個人的に原作男性陣で一番魅力的だったり。
結果、後に登場するシンダーの仲間にはならない事に。
今後原作で彼の背景が明らかになって本作のオリ設定が大外れだったら泣く。

なお日本語版の声優は某機動戦士ダブルのオーの狙い撃つ人で格好いい。


ニオ・ポリタン
・原作最可愛の一角。可愛い。低身長。可愛い。無口。可愛い。ドS。可愛い。可愛い。可愛いは正義なので彼女も正義。
原作での経歴が不透明な人。なので上記の人(ローマン)と同じく独自解釈を挟むしかなかった。身なりや人間関係から、後に登場するシンダーの部下とするか悩んだものの、ルビチビなどでニオがローマンを大事な人と形容。ローマンがニオを愛称で呼ぶなど、浅い仲とは思えなかったのでローマンがシンダーの仲間になる前から部下だった扱いに。立場としては、ローマンの親父がドンをしているマフィアの幹部の娘。跡取り息子のローマンの付き人。ニオが使える奴になると睨んだローマンに目を掛けてもらってる、という感じ。
ローマンとの関係は上司と部下、師弟。兄貴みたいに慕ってる的な……? 今後原作で彼女の背景が明らかになり、本作のオリ設定が大外れだったら泣く。







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拙速を尊べば取りこぼすものもある

来週水曜日の21時に投稿すると言ったな、あれは嘘だ。
久しぶりに筆が進んだので調子に乗って二話連続投稿だぁ!
もちろん水曜日にも投稿するので許して! お兄さん許して!




 

 

 

 

 

 明け方のことである。コンコン、とドアがノックされた。

 

 洗顔を終えて歯磨きをしている最中だった事もあり、早くも来客が訪れた事に驚かされた。昨夜の記憶が褪せる間もない。

 急いで身支度を整えてドアを開ける。こんな早くに誰だろう、なんて疑問はない。心当たりは一人しかなく、部屋の外にいたのは案の定、遣いとして赴いてきたニオ・ポリタンだった。

 彼女の装いは昨夜と変わっていない。お気に入りの一張羅故に、何着か同じ物を取り揃えてあるのだろう。

 急ぎ足で出迎えてしまった事に申し訳なさを感じる。ジャックハート達を一足先にパッチへ向かわせた事を少しだけ後悔した。彼らを残していたらニオが訪ねて来た事を報せてくれて、こうも慌ただしく出迎える羽目にはならなかったはずだ。

 

「やあ、おはよう。随分と早いお越しだね」

「………」

 

 言ってみるもやはり無言のままだ。しかし挨拶への返答のつもりか、口角を上げて笑みを見せ、開いた掌をヒラヒラと振って来る。その所作は立場に似合わず可憐で思わず苦笑した。

 少女の小さな手がヨナタンの胸を押して、ずいっ、と踏み込み部屋に入ってくる。あまり人目には付きたくないのか、はたまた別の思惑があるのか。同年代の少女という事もあり、ヨナタンはその真意を図りかねて眉尻を落とした。若干困惑している少年には構わず、ニオは適当に見繕った椅子に腰掛けると、優雅に脚を組んで懐から手紙を取り出す。

 手紙を手渡された。この時代に随分とアナログな事だが、だからこそ痕跡は残らない。秘密はデジタルではなく、アナログな手法の方が守りやすいという思想が透けて見えた。こんなに早くニオを遣わせてきたローマンの動きの早さに、彼は知能犯の気質があるのを再認する。緻密なスケジュールを構築するには、緊密な連携が不可欠である事を熟知しているのだろう。

 

「………」

「………」

「……ニオ。君の上司は計算高く、そして冷酷だね。素晴らしいじゃないか」

「………」

 

 手紙にはぎっしりと文字が詰まっていた。

 二枚の書状の一枚目には、適当な挨拶を流し書き、ヨナタンが迅速にパッチへ帰還して、首都ヴェイルのアカデミーに転校の手続きをするようにと記してある。期限は来月までだ。昨日話した内容のおさらいのような物である。そして二枚目には入念かつ稠密な計画が記されており、その内容はなかなかに劇的で、エキセントリックかつニュース性に富んでいる。文末にリストが書き殴られていて、ヨナタンは笑みを浮かべた。

 少年の言葉を受けてニオは微笑したようだ。どうやら上司が褒められて嬉しいらしい。ニオの笑顔を尻目に【火の触媒】で手紙を燃やした。中身は総て、一読のみで暗記してある。

 

「返信は必須かな?」

「………」

「……ニオは喋れないの?」

「………」

 

 訊ねるも、やっぱり返答はない。所作と表情で返されるが、ヨナタンは微妙なやりづらさを感じた。喋れないわけではないらしいが、喋らない。何故こうも頑なに喋らないのか……。

 疑問だが、彼女の独特な個性か、あるいはもっと別の理由があるのだろうと思うだけに留める。返信は不要らしいので、ニオの目を見てローマンに宛てた返答をしておいた。

 

「了解した、ってローマンに伝えて」

「………」

 

 頷いたニオが軽やかに席を立つ。さっさと立ち去ろうとするのを尻目に、なんとなく気に掛かったことがあって呼び止めた。

 

「待った。ニオに一つ教えてほしいんだけど」

「………?」

「君って今何歳(いくつ)なんだい? 僕は八歳なんだけど……」

「………ハァ」

 

 あわよくば声を聞こうとしたのだが、露骨に溜息を吐かれた。

 やれやれとでも言うように首を左右に振りながら、ニオは退出していく。

 苦笑を深める。女は秘密を着飾って美しくなると言うが、ニオは幼くしてミステリアスな少女だった。

 肌年齢から察するに、だいたい同年代という事にしておこう。ヨナタンはそう思い、早速引越し先について思案を始めた。どこぞに良さげな物件が転がっていたらいいのだが……。

 

 そういえばローマンの所属しているマフィアは、不動産も運営していたはずだ。その伝手を使うのも良いかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェイル地区トーナメント2連覇。その功績を引っ提げてパッチに帰還すると、ヨナタンはいよいよヒーローの如くに持て囃された。

 小島パッチは、言葉を選ばなければド田舎である。話題に乏しい為、華々しいニュースは瞬く間に広まり、ヨナタンは一躍時の人となった。だからどうしたという話ではあるが。

 適当に手を振って愛想を振りまくヨナタンだが、既にその心はパッチには無い。帰還したその足でシグナル・アカデミーの校長室に向かうと、早速転校手続きの話を切り出した。

 当然事情を聞かれる。それにヨナタンは爽やかな笑顔で言った。

 

「ヴェイルで得難い友人を得たんです。そして叶えたい夢も見つけました。ここにいたのではそのどちらも遠のくだけなので、思い切って転校する事にしたんです」

 

 しかしだね、と渋る校長。

 ヴェイル地区のトーナメントで、二年連続の優勝を果たすという、ある種の偉業を成し遂げている少年を手放すのを惜しんでいる――というわけでもなさそうだ。

 ヨナタンの特異性を度外視し、表面と事実だけを見るならヴェイル地区トーナメント優勝者の最年少記録保持者だ。このまま飛び級制度を使用しなかった場合、十年連続の連覇を果たし得る規格外の天才である。そんな天才がいたらシグナル・アカデミーも脚光を浴び生徒数は増えるだろう。等号(イコール)で学費も増え、校長含めた教職員の収入も増える。

 

 だがそんな事よりも、校長はヨナタンを純粋に気遣っているようだった。

 

 ヨナタンは優等生である。上級生は『なんだか凄い後輩がいるぞ』という程度の認識だが、同級生や下級生からはスターめいた存在として慕われていた。比例して友人も多いと思われても不思議ではない。だからこの人の好い校長は気を揉んでいるのだろう、今いる友達と別れる事になるぞ、と。

 無用な心配だった。ヨナタンはシグナル・アカデミーで、誰のことも友人だと思っていない。卓越し過ぎた能力値は、嫉妬や僻みを超えた位置に人の心を追いやるものだ。周囲の人間はヨナタンを自分達とは違う生き物だと見做し、手の届かないスーパースターだからと距離を置いている。そんな者を友人だと思えるような精神性をヨナタンは持っていなかった。太鼓持ちや取り巻きを友人と言い張るなら別だが。

 

「僕に友達はいませんよ。だから友達のいるヴェイルに行きたいんです」

 

 そこのところははっきり明言しておく。

 校長は困惑して、何故か傍らにいる教職員の一人、クロウ・ブランウェンに視線を向けたが、彼は肩を竦めるだけで口を挟んでこない。

 というか本当に何故クロウ・ブランウェンはここにいる? ヨナタンも生徒の一人だが、殆ど関わり合いのなかった人だ。ちらりと視線を向けるも、意味深に目を細めてくるだけである。

 

「……僕の中ではもう決まってる話です。登校するのも今日限りにして、引越し先の手配と荷造りに専念します。二年間お世話になりました、失礼します」

 

 言うだけ言うと、校長は説得できないと諦めたらしい。なんとも言い難い表情の彼に背を向けて校長室を後にする。すると入り口のすぐ近くの壁に背を預け、こちらを見ていたクロウが囁いてきた。

 

「下手くそな学生ごっこは卒業か。()()()()()()()()()

「………」

 

 ヨナタンは冷めた目でクロウへと一瞥をくれて、音を立てて扉を閉めるとその場を後にする。思いの外、視線に圧を乗せてしまったのか、クロウは肩を竦めてそっぽを向いた。やり合うつもりはない、という態度だ。……今更こちらの正体を突きつけられても、感じるものなど何もない。なんとなく察せられているとは前々から感じていた。

 故に思いを馳せるのは――クロウが特殊な立ち位置に在る人物である事。

 彼は現役のハンターだ。彼が普通のハンターであるなら上に報告し、ハンター・アカデミーもヨナタンの正体を把握しているはずだ。であればなんらかの接触を計っていただろう。少なくとも放置だけは有り得ない。にも関わらず、今までなんのアクションもなかったのであれば、アカデミーは当代深淵狩りを把握していない事になる。ヨナタンの正体を知っている様子のクロウが報告していないとなれば――彼は表舞台に立っていない何某かの組織に属している可能性があった。

 

 クロウが直接戦闘を熟している所を見たことはない。が、一年以上も遠巻きに観察していたのだ。大まかな実力は大体察しがつく。恐らく現行世界トップクラスの腕前かもしれない。

 そんな彼が辺鄙な片田舎にいるのは、多くの人にとって損失としか言えないと思っていた。が、どんな強者でも休息は必要である。偶にどこかへ姿を消している事もあるのだし、今も休み休み任務を熟してはいるのだろう。

 

(どうでもいいね)

 

 ヨナタンは同期か下の学年のハンター見習いにしか興味がない。頭の凝り固まったハンターは、どれだけ言葉を費やしても説得するのは困難だからだ。おまけにクロウは得体が知れない。

 また会おう、と言ったということは、いずれ向こうから接触してくるという事である。ならその時まではノビノビとやらせてもらうさと思うに留める。

 

 寮に帰ったヨナタンは、自分で荷造りをする。山のようにあるダスト各種とダスト弾は慎重に纏めつつ、ローマン――ではなくニオにメールを送った。履歴は残るが、ローマンではなくニオ相手なら言い訳も出来る。ヴェイル地区のトーナメント中に親しくなった個人的な友人であり、彼女が何者かなんて知らなかったと。故に送るメッセージも当たり障りのないものだ。

 ヴェイル地区トーナメントは冬期休講時に開催される。今は冬期休講が明けて三日が過ぎた頃――新年を迎えて一週間が過ぎたばかりであった。つまり、まだ一月の中旬。ニオに送ったメッセージは『二月に入る前にまた会えるね』という、さも仲の良い友人に再会できる時期を報せたかのようなものだ。

 

 それからダラダラと過ごす。パッチでは本当に個人的な物はやる事がなく、そしてなんの収穫も得られなかった。ニオを介してローマンから送られてきたメッセージによると引っ越し先の宛も出来、後は雑多な手続きもやってくれているようだ。有り難い事である。

 その間、シグナル・アカデミーの同級、下級生から別れを惜しまれるが、それは身近なスターが都会に羽ばたいていく事を祝福するようなものだった。内心なんら感じ入るもののない送別会を無難にやり過ごし、ヨナタンは向こうに着いた直後から待ち受ける()()()を想うばかりである。

 

 ヨナタンは小島パッチを去った。なんの未練もなく。

 

 ――後年、彼は少しだけ後悔した。後少し待てば、新入生として才能溢れる少女が入学して来ていたのだ。更にその二年後には――銀の眼を有した、さらなる才気を有した少女も。

 性急に事を運び過ぎ、稀有な出会いを無にした。ヨナタンはそれをほんの少しだけ悔やんだのである。

 

 ヨナタンを後悔させた少女たちの名は、ヤン・シャオロン、ルビー・ローズという。

 

 シグナル・アカデミーの教員、タイヤン・シャオロンの娘達であり、クロウはルビーの伯父であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ルビー・ローズ
ヤン・シャオロン

原作主人公チームの二人。腹違いの姉妹。


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悪巧みは瀟洒に、盲目な親愛は病的に

二話目だ!


 

 

 

「申し訳ございません、お客サマ。どうも当社で手違いがあったようで……お客様が入居されるご予定でした物件に、先住者の方がいらっしゃるようなんですよ。恐縮なんですがお客サマ――」

「――茶番はいい。なんのつもりなのかな、ローマン?」

 

 この時の自分は、完全に冷めきった目をしていたと思う。

 

 親愛なる同志が、快適な住まいを提供してくれるという話だったはずだ。だがどうした事だろう、首都ヴェイルに着くと営業マンに扮したローマンが出迎えてきたではないか。

 メッセンジャーはニオが勤めるのではなかったのか? なぜローマンが直々に出向いてくる? ヨナタンが空港に到着するや、慇懃な口調でふざけた事を告げられ眉を顰めてしまった。

 

 ヨナタンが入居する予定だった物件は、ローマンに任せたという事もあって実物は見ていなかった。

 まさか悪いようにされたりはしないだろうと、一応信用してみた訳だが、それは呆気なく裏切られてしまったらしい。何せ手配されていた物件というのが――同志の属するマフィアの首領、つまり――ローマンの親父の住まいだったのである。こんな手違いなんてあってたまるか、そう毒吐きたくなる。

 おまけにヨナタンの荷物を運んでいる引越し業者は、なんらかのトラブルに見舞われ、荷物が届くのに後二日掛かる等と宣ってきた。ローマンが手を回したのは明らかだ。

 

 空港から所を新居予定地に移した途端の報告である。ローマンが人を食った笑みを浮かべて揶揄してきた。

 

「おぉ恐い。これから宜しくしていく同志への、ちょっとしたサプライズじゃあないか。あんまり凄まないで笑って流してくれよ、ヨナに睨まれたらビビっちまうだろう?」

「凄んでない、純粋に呆れていただけだ。それに、なーにがサプライズなんだか……心にもない戯言で煙に巻けると思わないでくれ。悪ふざけをするにも限度があると思う。何事も用法用量を大事に、節度も守って楽しくやらないと長続きしないんじゃないかい?」

「ハッハー……結構怒ってるじゃないか。なぁおい、機嫌を直せよ兄弟。どうせ私の浅知恵なんてお見通しだろう?」

「怒ってないよ。だから機嫌を直すも糞もないね。貴方の父の名前は()()()()()()()()()し、こんな間抜けな()()()をされたんじゃ僕に何をさせたいかなんて明白だよ」

 

 露骨に溜め息を吐き、少年はじろりとローマンのニヤケ面を()め付けた。

 

「まさかテストのつもりなのかい?」

「それこそまさかだ。白状すると石器時代の勇者サマが、この問題にどんな解決策を提示するか見ておきたかったのさ。ヨナの嗜好を知っておきたいと思うのは、同志として当然の心意気だろ?」

「……なんで深淵狩り(ボクら)の初代が石器時代出身だって知ってる?」

「テキトーぶっこいたに決まっているじゃないか。にしても、ヨナも冗談を言うんだな。お前みたいなのが石器時代から存在したなんて笑えないぜ。……冗談だよな? ……おい、冗談って言え」

 

 答えず、ヨナタンはローマンを促して歩き出した。

 いい加減同じ所に居座るのも馬鹿らしくなってきたのである。以前のようにホテルを借りて、当面の宿を確保しなければならない。これからどうするか、スケジュールを練る。

 ヨナタンは隣について歩くローマンを一瞥した。

 

「貴方に遠慮して手加減したりはしないよ。父君は逮捕して終了だ。罪状は違法薬物所持。おまけでダスト・ショップ襲撃の現行犯ってところが妥当だろうね」

「ほほぅ……意外と穏当だ。手加減しないと言ってはいるが、私の親父だからと気を遣っているんじゃあないか?」

「生憎だね。僕は無駄な瑕疵を経歴に残すつもりがないだけさ。それともローマンは、僕がリストに載ってる連中を、一人残さず全員殺すんじゃないかって思ってたのかい?」

「ハッハー、殺すだなんて(こわ)い言葉は使うもんじゃあないな、ヨナ。ソイツはスマートな男の言う事じゃあない。確かに殺っちまった方が手っ取り早く、後腐れもないがね……」

「お望みなら殺ろうか? それなら隠蔽は僕がやるよ」

「どぅどぅ、落ち着けよ同志。その()()()ってのも処理の仕方次第で上手く転がせるもんだ。火種が無いといざって時に寒くなるだろう? 湿気た花火じゃ満足できない事もある。だから私もヨナと同じ様に、親父殿には豚箱に()()して貰うつもりでいたのさ。――んなもんで、意外と穏当な手を好むらしいヨナには嬉しいニュースだ。私は綺麗好きな優しいお兄さんになる事にした。当面はな」

「優しいお兄さん? なーにを言っているのやら。貴方は前から『優しいローマンお兄さん』だったじゃないか」

「ハッハハハハ! そうだったそうだった! いやぁ自分の聖人君子っぷりを忘れていたなんて、私も謙虚になったものだ」

 

 ヨナの皮肉に、ローマンは笑いのツボを刺激されたのか声を上げて笑った。

 

「我々はクリーンでエコな、優良な企業に転身する。そのためにはまず、身内の()()を払って綺麗にしないとな」

 

 ローマンはそう嘯き、ニヤリと笑いながらヨナタンに言う。

 

「その為にはまず、ヨナの新居を確保しないとだ。()()()()()はそちらでやってくれ。先住者は()()()退()()()()()()()()()。物分りの悪い老人だが、先方(おまわりさん)には()()()()()()()()()()()()()()()が来たら快く立ち退いてくれるだろうさ」

「……未成年の子供に随分な()()()()をさせるね」

「おいおい、おいおいおい! 誤解されるような事を言うもんじゃないな。折角綺麗に飾り立ててやろうってんだ、逆に感謝するのが筋なんじゃないか?」

「お断りだね。僕は押し付けがましく恩を着せられるのが嫌いなんだ。それに偶像は望むところだけど、()()()()()()厚化粧は却って品を失くしかねない。あんまり覚えたい()()()()じゃないよ」

「ハッハハハ! ソイツは確かに覚えたくないな! 野郎の厚化粧なんざ見ていて気分の良いもんじゃあない! ……だがまあ、物は考え様って言うだろ? 中身はともかく、見た目はまだ坊やのヨナが化粧をする分には、少なくとも見苦しくはならないと思わないか?」

「………」

「適材適所は正義のハンター様や悪党にも当て嵌まるんだ。私が表に出るよりも、ヨナの方が幾分か見られる偶像だろうよ。……逆に余りにも嵌り役過ぎるんで新聞にも載っちまうかもしれないな? 『天才ハンター見習いが、ヴェイルの()()()()に多大な貢献をした! 市民の胸をすかせてくれた麗しの坊やに乾杯!』ってな」

 

 ポン、と少年の肩を叩いてローマンは脇道に逸れていく。それを横目に見送りながらヨナタンは溜息を吐いた。

 面倒な事を任されてしまった、と。こんな事ならアカデミーの寮にでも入れば良かった。

 しかし依頼相手が同志なら、投げ出せる仕事でもない。やらざるを得ないだろう。ヨナタンはローマンの思惑を察したからこそ陰鬱な気分になるも、諦めて()()()()()()になる事にした。

 

 後でニオあたりが遣いに来るだろう。そこで打ち合わせ、手順を確認しておこうと思った。

 今夜あたり警察は大忙しだろう、夜勤に駆り出してしまうのだから、申し訳なさ過ぎて涙が出そうだった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 ――きっとワイスは、帰った先で過酷な教育を施されるだろう。けど勘違いしてはいけない。ジャックさんは君を愛している。厳しくするのはそれだけワイスに立派になってほしいからだ。

 

 

 

 兄の残したその言葉を、信じた。

 

 

 

 いいや、信じたのではなく縋ったのかもしれない。気が休まるのは入浴と睡眠の時間だけで、後は総て過酷な英才教育を施される毎日だったのだ。縋れるものがなければ折れそうだった。

 

 朝の六時に起床させられ、身嗜みを整え、朝の食事のマナーを教え込まれ、常に粗相がないかチェックする採点役を身近に置かれた。午前中は基礎的な学問の教導がなされ、午後は護身術も兼ねた戦闘技術を、厳しい教官に叩き込まれて。ある程度の学力を身に着けると、帝王学というものだろうか? 大企業を経営する上で必要となる知識を詰め込まれた。

 誰も信じず冷酷に扱い、人を数値上のデータとして認識するように教え込まれ、時として情をも利用した策謀を、まるで洗脳のように教育される日々は辛く……心が凍って割れてしまいそうだ。

 ダンスのレッスンは嘗てより遥かに苛烈で、何度ステップを踏み間違えた足を鞭で叩かれて、ネチネチと嫌味を言われた事やら。特に――幼さを理由に無邪気を装わされ、社交界での人脈作りに奔走させられて、その実態が父の部下を使った予行演習だったと言われた時の虚脱感は酷かったものである。ああ、ワイスより遥かに年上で、経験豊富なはずの大人たちに媚び諂われ、得体の知れない粘着質な欲望の眼差しに晒された時の嫌悪感ときたら、ともすると人間不信に陥りそうだった。

 

 ワイスは、何度も泣いた。挫けた。だが父は冷たい目で、シュニー家の娘なら熟して当然だと言って、一度も褒めてはくれなかった。泣くのも、蹲るのも赦されなかった。

 もし父の目に、厳しくも暖かな光がなければ、ワイスは絶望して心を病んでいたかもしれなかった。いや――もしかするとその暖かな光は、ワイスの願望が見せた錯覚であるかもしれない。パトリオットのような人を理想の父親像として持っていただけに、自らの父がそうではないと思いたくなかったのだ。

 日に日に人を疑い荒んでいく自分に、ワイスは眠れない日々を過ごしたもので。……もし。もしも疲れ果てて眠る前に、ふと兄の存在を思い出さなかったら、ワイスの性格は酷く捻じれ果て、冷酷かつ冷徹な少女に変貌していたかもしれない。

 

 

 

 ――それでも……何もかもが嫌になってしまうかもしれない。何もかもを決められた、雁字搦めの生活に息苦しくなってしまうかもしれない。だけどその時は思い出して欲しい。君には、僕がいる。

 ――君の人生は決められた事ばかりだけど、少なくとも僕だけは君の味方として、君が選べる選択肢を作ってあげられる。すぐにとはいかないけど、いつか必ず形にしてあげられるよ。……今のワイスには難しい話だったかな。

 ――僕を信じて。君は、自由だ。ジャックさんの期待に応えるのも、僕の作る選択肢を待つのも、重荷を放り捨てて飛び出すのも。何をしても、僕は君の味方をする。だから泣かないでおくれよ、ワイス。きっと大丈夫だから。

 

 

 

 あの尊くも輝かしい、思い出の日々が堪らなく恋しい。

 それは未だに色褪せない、ワイス・シュニーの宝物だ。

 兄が旅立つ前日に残した言葉が、何度も何度も、ワイスの脳裏に蘇る。それが折れそうになるワイスを支えてくれた。

 ワイスはスクロールに手を伸ばして、無意識に兄に連絡を取った。無性に兄の声が聞きたくて、顔が見たくて、優しくされたかったのだ。ワンコールですぐに出てくれた兄の反応の早さが、何故だがとっても嬉しかった。

 

『……頑張ってるんだね。凄いね。偉いよ、ワイス。流石僕の妹だ。僕も負けてられないな、アトラスにも僕の名前が届くように、僕も頑張るよ』

 

 兄はワイスが何を求めているのか敏感に感じ取って、欲しい言葉を掛けてくれる。家だと誰も褒めてくれないのに、兄は手放しに褒めてくれた。その歓喜はワイスの心を満たしてくれた。

 抑圧されていた感情を露わにし涙を溢れさせるワイスを、兄は甘く、包み込むような目で見詰めて弱音を受け止めてくれる。もう嫌なのだと、逃げたいと嘆いても兄は咎めない。

 ただ支えてくれる。甘やかすのではなく、自らの脚で立てるように。

 

『ワイスは受け身になってしまってるね。いいかい? 忘れてはいけないよ。ジャックさんじゃない、()()()()()()()()。君は教育されてる訳じゃなくて、教えられて()()()()んだ。そこで得られる総ては君の為になり、君の武器になる。上から目線で見下ろしてやってもいいんだ』

 

 兄はそう言った。

 それは考えたこともない、抑えつけられてきたワイスでは思いつきもしないような見方だ。こういうのを、目からウロコというのかもしれない。

 

『良いんだよワイス、いつでも逃げて良いんだ。その時は僕が、どんな障害を乗り越えてでも君を守る。僕は兄貴だからね、ワイスが望む限り逃げ道になって上げられるし、どんな時でも君の味方をして上げられる。だけどね、逃げては良いけど、負け犬になっては駄目だ。一度負け犬になったら、それを払拭するのはとても大変だから。負け犬になったワイスも守って上げるけど――僕は負けない。何にも、誰にも。ワイス、君は負け犬として僕の傍にいられるのかい? ワイス・シュニーは、甘んじて庇護されるだけの負け犬なのか?』

 

 その言葉は、激励は、ワイスを奮起させた。

 ワイスは根っからの負けず嫌い、というわけではない。しかしワイスの中で兄は、世界で一番のヒーローなのだ。何にも、誰にも負けない、憧れの兄なのである。そしてワイスは、兄の隣にいて守られるだけのお姫様にはなりたくなかった。()()ヨナタン・ナーハフォルガーの妹なのだ、と。そう思われたい。そして、自分でもそう誇りたい。何よりも兄に、流石だ、って褒められたいのだ。――なら逃げるわけにはいかないだろう。負けるわけにはいかない。ワイスは兄に言われたように見方を変えた。

 

 次の日から家庭教師や教官に、教えられて()()()()()、とワイスは胸を張った。目を白黒させる彼らに構わず、ワイスは強がった。虚勢を張って背筋を伸ばした。

 それでも、所詮は小娘だ。幼女の身と心では、完璧に心に鎧を纏う事なんて出来るわけがない。故にワイスは、毎日、毎日、眠る前に必ず兄に電話した。その声を聞いて、褒められて、弱音も何もかもを吐き出した。励まされるとまだ頑張ろうと思えた。

 

「……お兄様は、いつ帰ってくるんですの?」

 

 度々、そう問い掛けた。その度に兄は苦笑して、もうすぐだとはぐらかす。急かす度に困ったような顔をして――その顔を見たくて、我儘を言った。もっと困らせたい、と。もっと構って、と。それは子供心に甘えられる存在を欲した行動で、二歳しか違わないはずの兄にとっては鬱陶しさしか感じないはずの言動だっただろう。だが兄は微塵も嫌な顔をしなかった。むしろ我儘を言われる度に苦笑して、どこか嬉しそうにしていた。

 

『テレビを見ていてご覧。近い内に僕がテレビに出ると思うから』

「――お兄様がテレビに?」

『ああ。ワイスがテレビで僕を見てから……多分次の日には一度そっちに帰ってると思う。お土産を持って真っ先にワイスに会いに行くから、楽しみにしていてほしい』

「分かりましたわ!」

 

 そう言われてから、ワイスは毎晩自室のテレビにかじりついた。眠気を堪えて必死にテレビを見詰め、退屈な番組を幾つも見て。ニュースやCMも余さず視聴し続けた。

 まだ、まだ? まだなの? と。ワイスの心の中心、柱となっている少年が登場する瞬間を心待ちにした。

 そうして一ヶ月が経って真冬が訪れた頃、痺れを切らせて焦れるワイスの目に、兄の顔が映る。パッと身を乗り出して画面を見詰めると、なんとヴェイル王国のヴェイル地区トーナメントで、兄が並み居る有力選手を薙ぎ倒して優勝を果たしたという。七歳での優勝は世界を見渡しても類を見ない快挙であり、偉業であった。称賛の言葉がコメンテーターやら何やらから吐き出され、ダイジェスト形式で兄の試合が放送されたりもして、ワイスは齧りつく勢いでそれを目に焼き付けた。

 

「――お兄様――」

 

 なんて、似合うのだろう。

 壇上に立ち、表彰される姿。万人からの称賛を一身に受けながらも、自分のよく知る穏やかな笑顔を浮かべて屹立する様が。

 ワイスは我が事のように誇らしくって、とにかくはしゃぎ回りたい気持ちでいっぱいだった。格好いい、世界一の自慢の兄だ。直後にワイスの部屋に訪れた父ジャックに驚き、ジャックが満面の笑みを浮かべて上機嫌そうにしているのに更に驚き。父に連れ出されて、久しぶりに会うパトリオット夫妻を招いて祝勝会を開かれた時――ワイスの中でただでさえ大きかった兄の存在がさらに大きくなるのを感じた。

 

 あの父が、自分の子供でもない――ワイス()()()兄の快挙を喜んでいる。あの、厳格な、父が。靄っとした黒い想いを微かに懐きかけるも、それより遥かに喜びが勝った。

 

 翌日、兄は約束通りに帰ってきた。

 ワイスの下に最初に来てくれて、予定のレッスンは総てキャンセルされる。

 紙袋を手に提げていた兄が来訪した事に気づいたワイスは、はしたなくも大急ぎで駆け寄って、勢いよくその胸の中に飛び込んだ。お帰りなさい、会いたかった、お兄様、と。つっかえながら何度も同じ言葉を吐き出す。すると兄も笑顔を湛えて言ってくれるのだ。僕もだよ、と。

 

「ほら、再会を祝してプレゼントを用意したんだ。受け取ってくれるかい?」

「もちろんですわ!」

 

 そう言って紙袋から取り出されたのは、丁寧にラッピングされた長方形の箱だった。幼い故に情緒もなくワイスがそれを開くと、中にあったのは青いリボンで。

 

「貸してご覧」

 

 兄は、優しい手付きでワイスの髪を梳き、青いリボンで髪を結わえると甘く微笑む。

 

「……うん。やっぱり、ワイスのキレイなプラチナブロンドには、青いリボンがよく似合う」

 

 この瞬間、ワイスはこのリボンを大事な宝物として認定した。

 夢のような時間だった。冷たく、窮屈で、辛さしか感じなかった家が、兄がいるだけで途端に色づき、鮮やかで温かいものに変貌したのである。

 ずっと一緒にいてほしい。ずっとずっと、一緒に。

 叶わぬ願いだと知っているからこそ余計に強く願った。叶わぬ願いだと知っているからこそ――1秒も無駄にしたくなかった。

 ワイスは兄と引き離されて以来、身に着けた総てを見せ、語った。知らない事もある、兄に及ばない技は山のようにあった。だがワイスの成長を兄は我が事のように喜んでくれた。ワイスが兄の活躍に歓喜したのと同じように。それが途轍もなく巨大な多幸感を齎してくれる。

 

 やがて兄は、再びワイスの前から去って行った。行かないでほしいと声を大にして叫んでも、兄は止まらない。

 

「また一年後に会おう。その時にワイスがもっと成長していることを願うよ。素敵なレディーになって、僕を驚かせてくれ。僕もワイスが驚くような大きな男になるから」

 

 どっちがより魅力的になるか競争だね、と。兄はそう嘯いて微笑んだ。

 競争――未知なる響きに、ワイスは束の間、別れの寂しさを忘れた。そしてなんだかいてもたってもいられない気持ちになる。

 兄は凄い。何が、とか。どこが、とか。そんな事を言われても簡単には説明できないぐらいに凄い。きっと1秒先には更に『魅力的』になってしまう。呑気に過ごしていたのでは置いていかれて、影も見えなくなるだろう。そうなれば兄の隣に立つのに相応しいとは言えない。

 

 ワイスは、奮起した。お兄様も驚いて、目を奪われるぐらい立派なレディーになってみせますわ、と。

 

 ――翌日からのワイスは、まるで別人のように熱の入った姿勢で、教官や家庭教師の方が音を上げるほどにレッスンを積んだ。

 ダンスも、戦闘も、学問も、社交性も、何もかもを貪欲に学んだ。

 辛かったけれど、ワイスにとって一番重要なのは、兄に失望されない事なのだ。失望されたくない、褒められたい。その為ならこんな苦痛なんてなんともない。幼き少女は盲目的に兄の軌跡を追う。

 

 彼女には――それしかなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




本日はここまで。

面白い、続きが気になると思って頂けたなら、感想評価などよろしくお願いいたします


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マッチポンプのご利用は計画的に

 

 

 

 

 とあるマフィアの首領が、ハンター見習いに凶悪犯罪の現行犯で取り押さえられた。多くの手下も打ち倒され、警察が彼らを連行していく写真が載った新聞がヴェイル王国にて報じられる。

 美辞麗句が並べ立てられたその記事を流し読んでいると、或る建物の出入り口が音を立てて開け放たれた。少女が合図を出してきたのを視界の端に認め、クシャッと新聞を握り潰す。

 

過去降(ダウンロード)――」

 

 夜。

 カラフルなイルミネーションに照らされて、優雅なる実業家へ転身した青年が嗤っている。

 だがそんなものは表向きの話だ。青年からは暴力の気配が拭い去れない。如何に綺麗事を述べ、見苦しくないように小綺麗さを装って着飾ろうとも、彼の本質は決して変わらないだろう。

 

 ――さあ楽しいお仕事の時間だ。

 

 制限付きとはいえ、青年を本当の意味での味方にするべく、力を魅せねばならない。敵対するのは馬鹿らしいと本心から思わせてこそ、心からの信頼が置けるようになるのだから。

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 姦しいカジノで、一喜一憂、悲喜こもごもの喚声が上がっている。

 巨額の富があっちにふらふら、こっちにふらふら。その様はさながら節操なしの尻軽女の如し。腕利きのディーラーが大金の流れを操り、お客様方の身も心もふらふらだ。

 合法の看板を掲げられているのを良いことに、悪い大人達は今日も今日とて平常運行。本日もそこそこに負け、そこそこに勝たせ、そこそこに稼ぐ楽しい賭博が運営されている。

 勿論お客様の不正は許さない。汚い手で掴んだ金に価値はないとばかりに、店の用心棒は炯と目を光らせる。お客様の心が汚れてしまわないようにと、心のケアにも余念がないプロの鑑だ。

 尋常な勝負しか認めないが、賭け金を回す店員が密かにイカサマを働いても見て見ぬふりをする。不正を赦さない正義の用心棒も人の子だ、親愛なる隣人を贔屓するのも仕方ない。

 

 ああ無情なるかな。あるお客様がイカサマを働いてしまった。抜け目なくそれを見咎めた店員が、強面の厳つい用心棒を呼び寄せて、マナー違反のお客様を裏手へ招待してしまう。

 哀れなまでに真っ青になったお客様。

 苛烈な制裁が加えられ悲惨な目に遭うのが目に見える。

 神も仏も眠っている、良い子は寝る時間なのだから当然だ。いけませんねぇと静かに猛るオーナーさんが登場し、立派な大人らしく社会の厳しさを懇々と不埒な客へ説き始める。ついでに指の一本も折ってしまうのは教育的指導だろう。不埒者の更生に手を抜かないオーナーは人間の鑑と言えるかもしれない。

 

 だがイカサマをしているのは客ばかりでもないのだ。カジノの運営者たちは総じて同じ穴の貉であり、片方が一方的に懲らしめられるのは間違っている。これはとんでもない欺瞞だ。

 

 ――故に小賢しい欺瞞を赦さぬ、正義の使者が参上するのも、勧善懲悪のお約束であろう。

 

 勢いよく開け放たれる出入り口。何事かとそちらを見遣る大多数。そんなものに構ってられるかとスロットにかじりつくお客様。――カジノの外は身なりの良い男達に取り囲まれている。すわ殴り込みかと、裏社会にどっぷり浸かっているオーナーは身構えた。

 そんな彼の正体は首都ヴェイルに根付く二大マフィアの一角、その幹部だ。白いスーツの男達はカジノに踏み込もうとしない。オーナーは怪訝に思いながらも屈強な用心棒達を呼び寄せて、困りますねぇと蛇のような顔を剣呑に歪めるも。オーナーが凄んでも子犬の威嚇ほどにも感じぬとばかりに、一人の巨漢がカジノに突入する。

 

 巨漢は、身の丈二メートルを超えている。全身を隙間なく黒甲冑で防護し、艶のある黒いヘルメットを被って、顔面には黒い仮面を宛てていた。その姿はさながら地獄を彷徨う黒騎士の如し。肌の露出は微塵もなく、コォ、ホォ、と重苦しい呼吸音を吐き出している。呼吸するのにも難儀する、重厚な威圧感を纏って歩む黒騎士の手には、剣の柄の如き鉄筒が握られていた。

 

 気圧(けお)されるのは、動物的な本能が危険を訴えているからだろう。おもむろに右腕を動かした黒騎士が、オーナーの首へ手を伸ばしたのに対して警戒する。無論手の届く範囲にオーナーはいない。

 だがその警戒は無意味だった。黒騎士の視界に収まるには、彼は無力に過ぎたのである。

 距離など関係ない。見えない手が添えられたかのように、オーナーは突如首を圧迫されるのを感じた。息が出来ない、声が出ない。違和感を覚えてもがくも、首に掛かる圧力は強まる一方。

 何事かと目を瞠る用心棒やお客様達。水を打ったように静まり返る彼らの前で、やがて異常は目に見える形で現れる。オーナーの足が地面から離れ、徐々に宙に浮いていくではないか。両脚をバタつかせ、両手で首を抑えるも、息ができないまま苦しさは増していった。

 唐突に始まったショーに場が凍りつく中、カジノに流れるBGMが騒々しく鳴り響いている。オーナーの顔は白を通り越して土気色だ。漸く黒騎士の攻撃を受けているのだと察して、用心棒の一人が警棒を取り出して殴り掛かる。だが黒騎士がその用心棒を一瞥すると、まるで見えない拳に殴り飛ばされたように吹き飛んだ。近くの客やカードゲームの台を巻き込んで、派手な音を奏でながら地面を転がる強面の用心棒。

 

 漸く黒騎士が危険人物である事を悟った無辜なるお客様達が悲鳴を上げ、我先にとカジノから逃げ出していく。アフターケアはお任せあれとばかりに白いスーツのお兄さん方が、惑うお客様達を誘導して無事に外まで逃している。なんと親切なのだろう。イカサマをして店に締め上げられていた客も、この機を逃すかと言わんばかりに、用心棒達の注意が逸れた隙に駆け出した。黒騎士の脇を通り過ぎ様、助かったぜ兄さんと媚びるのも忘れない。

 ファンサービスに余念のない黒騎士は、媚びてきた男へ無造作に裏拳を叩きつけた。あえなく転倒した彼の懐から札束が飛び出る。いつの間にか金を懐に呑んでいたのだろう。制裁されている最中でも金を隠し持つ根性は見上げたものだが、お店のお金を無断で持ち出すのは犯罪以外の何物でもなかった。

 

 やがてオーナーが完全に失神すると、黒騎士は乱雑に腕を振るい、糸に操られたマリオネットのようにオーナーの体が壁に叩きつけられた。

 

 この段になって、やっと用心棒やオーナーの手下達が気色ばむ。

 野郎、ブッ殺してやると吠えて――半数がマシンガンを。残り半数が近接武器の警棒を取り出した。

 カジノの中に突入してきたのは黒騎士のみ、たちまち蜂の巣にしてやらんと発砲するも、黒騎士はまるで意にも介さず歩を進める。弾幕が張られ黒騎士の全身を銃弾の嵐が打ち据えるも、黒騎士の全身甲冑に傷一つ与えられないどころか、銃撃の威力に体を小揺るぎもさせず全く怯まない。

 唖然とする裏社会の男達が黒騎士に歩み寄られると、暴力を生業とする者達は怯えを隠しながら襲いかかった。簡単に引くようでは面子に関わる。腰抜けだと思われたら職を失ってしまうのだ。

 

 警棒による攻撃の悉くが黒騎士に命中する。黒騎士は防御すらしない。全ての攻撃を受けながら、平然と反撃して丁寧に一撃につき一人の戦闘員を倒していった。まさに鎧袖一触だ。

 当たるを幸い薙ぎ倒し、遂には近接戦闘員を全て地に伏させてしまう。

 もはや恐慌状態に近い有様で、味方への誤射の危険も失念し銃器を構える残りの男達。それに対して黒騎士が右手を掲げるや、男達の手から銃器が勝手に飛び出して、地面に放り捨てられる。黒騎士のセンブランス、念動力によるものだ。

 

 黒騎士が勧告する。地割れのような重い声音で、地獄の淵から吐き出された怨嗟の如き殺気を放ちながら。

 

【――平伏せよ。さもなくば死ね】

 

 またたく間に場を制圧されて、誰もが悟った。こんな化け物に勝てるわけがない、と。

 戦意喪失した男達がその場に跪き、震えながら慈悲を乞う。果たして黒騎士は寛大だった。停止した事で狙いを付けやすくなった男達の首を念動力で圧迫し、優しく意識を刈り取ったのだ。

 

「そこまでだ」

 

 言いながら現れたのは、オーナーが高い金を払って雇っていた元ハンター。落ちるところまで落ちた落伍者。登場するのは遅きに失していたが、身に纏うオーラ量は他の有象無象とは桁が違う。

 

「人が折角()()()()()たってのによくもやってくれたな? あんまりにも騒々しいんで、女が機嫌を悪くしちまったじゃねえか。後少しで口説き落とせそうだったってのに……しかも俺の飼い主様までぶっ飛ばしちまってよ。後で大目玉確定だ。どう落とし前付けてくれんだ、ああ?」

 

【――よく喋る狗だ。半端に腕の立つ狗は要らんが、選ばせてやろう。生きて従うか、歯向かって死ぬか】

 

「ハン、んなもん決まってんだろ――テメエが死ねや」

 

 勇んで挑み掛かるのは、自らの力に確固たる自負があるからだろう。事実、彼は弱くなかった。センブランスこそ発現できなかったが、薙刀を用いた戦闘技術は練達のものであり、手練のハンターを手に掛けた事もある。実力は折り紙付きで、本来ならこんなところで燻っているような男ではない。

 彼には彼の、転落人生という名のドラマがあるのだろう。ハンターになっただけあり、心のどこかに正義の心を持っていた時期もあった筈だ。――大振りの薙刀を構えた男を黒騎士は冷たい目で見据える。彼が如何なる悲劇を経てここにいたのだとしても、やはり黒騎士は欠片ほども興味を懐けなかった。

 昔に何があったとしても今は悪党なのだ。自分は酷い事をされたのだから、他人に対しても酷い事をしていい、なんて理屈は見境のない子供の論理でしかない。悪事を働くのも善行を積むのも理由は全て個人のエゴである。黒騎士は戦闘の意志を持つ悪党に対して容赦という言葉を持たない。

 

 黒騎士が、左手に持つ剣柄にオーラを注ぎ込む。すると真紅のプラズマが迸り長大な刃を形成した。

 

「………は?」

 

 元ハンターの男は、黒騎士が念動力を使う所を見ていた。故にその現象に目を剥く。

 念動力をどう応用したら、あんな高出力プラズマ刃を形成できる? プラズマなのだから電撃系統の力のはず。電撃系のセンブランスで、念動力の真似事をしていたというのか?

 困惑しながらも男は思考を捨てる。戦闘の最中に細々と物を考えていたら反応が鈍る。油断のならない相手だ、最初から全力でいく。男は黒騎士の甲冑には関節部以外に隙間がない事を視認して、初速から最大速度で飛び出した。武術の達人である男の体捌きは、特別な力などなくとも充分に敵を殺傷できる。男は薙刀を最小限の所作で操り、牽制の刺突を放つ。

 黒騎士はその場から微動だにせず、不動のまま男を迎え撃った。視界を遮る意図の刺突をプラズマ刃で払い、右側に回り込みながら袈裟切りを放つ男に見向きもせず、腕を回して斬撃を止める。黒騎士の背後に回るなり遠心力と腰の回転を乗せた渾身の一撃を、黒騎士は半身になって躱し様体を反転させ男を正面に捉えた。男が怒涛の攻めを見せる。息も吐かせぬ猛攻を仕掛け、一気呵成に黒騎士の防御を破らんとした。

 

 だが、破れない。

 

 黒騎士は半歩ほども位置をずらさず、淡々と小蝿を払うように男の攻撃を処理し続けた。やがて男が微かに息を乱し、全く歯が立っていない事を自覚して冷や汗を噴き出すと黒騎士は宣告する。

 

【こんなものか。では、今度は私の番だ】

 

 言うや否や、黒騎士が始動する。咄嗟に飛のいて、そのまま男は逃げ出そうとした。だがそれよりも早く――速く、疾く黒騎士の巨体が迫る。

 目にも止まらぬ踏み込みは、人間の域を超えた身体能力によるものだ。それを見た男は驚愕し、頭の中に空白を生じさせてしまう。

 念動力に、プラズマ刃を生む電撃に――更に身体強化能力だと、と。

 果たして虚を突かれた男の最期は呆気なかった。反射的に薙刀を盾にするも意味を成さず、黒騎士の斬撃が薙刀ごと男の体を横に両断したのである。男は下半身と泣き別れた事で死亡する。

 傷口から血が溢れ、臓物が地面に撒き散らされた。黒騎士はそれを見ても何も感じていないようで、カジノ店を制圧した事を確認する。すると――外で中の様子を伺っていた者達が入店した。

 

「あーあー……なんてこった。人死が出てしまっているじゃあないか。おい、これを片付けろ」

 

 先頭に立っているのはローマン・トーチウィックである。

 彼は自身の部下に後始末を命じ、露骨に溜息を吐いた。無惨な死体など見飽きているローマンは平静そのものだが、部下の何人かは畏怖と嫌悪を黒騎士に向けている。

 ローマンは()()()()()()()()ローブの少年(ヨナタン)を一瞥する。ローブを纏い、フードを目深に被った少年は、ローマンの部下が忙しなく動き回って、気絶している店員達を拘束する様を見ていた。

 

「……なぁ、ヨナ。一つ聞いていいかな?」

「うん? 勿論。なんでも聞いてくれていいよ」

 

 小声での遣り取りは、誰も聞いていない。

 いや、さりげにローマンの後ろに控えているニオには聞こえているだろう。彼女もフードを被って顔を隠しているのは、まだ顔を晒していい時期ではないと言われているからだ。

 このカジノ店のオーナーが引き立てられてくるのに視線をやりながら、ローマンは確認する。

 

「今、幾つの特性を使った?」

「興味本位で聞くけど、貴方は幾つ使ったと思う」

「……3つ……いや4つか?」

「残念、ハズレだね」

 

 少年の姿をした英雄(バケモノ)は、微笑みながら説明する。まるで、唄うように。

 

「この黒い人形(ブラック・ドール)を作るのに一つ、ブラック・ドールを守る硬化が一つ、念動力(テレキネシス)が一つ、電撃系(エレキネシス)が一つ、ブラック・ドールに僕のオーラを分けて疑似人格を載せた精神操作系が一つ、以上の物をブラック・ドールに一時的に()()する力を一つ。正解は6つだよ」

「……わーお。お前、いったい幾つの特性を持ってるんだ?」

 

 ローマンは心底から絶句していた。

 センブランスは、一人に付き一つまでしか発現しないのが普通だ。それなのに、複数のセンブランスを当たり前のように使用するヨナタンは異常である。少年は青年に向けて肩を竦めた。

 

「ざっと千はあるんじゃないかな」

「……千?」

「うん。とは言っても強力な物は限られてるし、殆どは使い道がなかったり他の力の下位互換だったりする。極端に燃費が悪いくせに大したことのないものもあるね」

「ああ、そうかい。よぉーく分かったよ。――ヨナ、意地が悪いぞ? お前は自分の手札を見せて()()裏切らないようにしたわけだ」

「いけなかったかい?」

「ハッハー……いけないに決まってるだろ? 疑われて良い気分になる奴なんざいない。だが……見せてくれた事には感謝しておこうか」

 

 ローマンは確信した。

 こと武力という面で、この英雄サマに太刀打ちできる人間はいないと。この力を見て裏切る訳がなかった。裏切ったらその瞬間に命を狙われるとしたら、とてもじゃないが背信する気になれない。

 意識を切り替える。

 同志からの牽制を受けて、一周回って笑いだしてしまいたくなりながらも、閃くものがあったのだ。

 

「――このブラック・ドールとかいうのは使えるな」

「おっと。悪巧みかな?」

「そうだとも。嫌なら止めるが、どうするね?」

「いいや、止めなくてもいい。僕を好きに使えばいいよ」

「そいつは良かった。ヨナ、傀儡を長期間独立させて動かせられるか?」

「可能か不可能かで言えば、可能だね。そこそこリソースは食われるけど」

「結構。それが出来るなら仕事が大分捗るぞ。我々が正義の組織になり、コイツが悪の組織を率いたら、マッチポンプで荒稼ぎ出来る」

「――それは良い考えだね」

「だろう?」

 

 ニヤリと笑いながら、ローマンは連れてこられたカジノ店のオーナーを見下ろす。彼はまだ気絶したままだ。

 脅かされて少し鬱憤が溜まってしまった、憂さ晴らしに殴りつけて目を覚まさせてやりたかったが、ローマンはグッと堪える。

 

 進行しているのはヴェイルの全マフィアの統合だ。が、それは不可能ではないが非合理的である。一つきりの勢力は腐るのが早い。最低二つは勢力がなくてはならない。

 欲しいのは利権だ。

 他のマフィアが表に有する企業の利権である。ヴェイルの物流、服飾、食事処、カジノ、それら全てを手に入れたい。そして立ち上げて、作り上げる。大いなる妄想を現実にするための財源を。

 世の中は金で廻せる。裏社会で物を言うのは暴力であり、都合の良いことに最高の暴力装置がローマンの手元にはあった。悪魔的な策略を巡らす青年は、密やかに計算した。

 

(おいおい……見縊っていたつもりはないが、ヨナがいたら()()()粗方の土台が完成させられそうじゃないか……)

 

 笑うしかない。

 ヨナタンを敵に廻せば死あるのみだが。味方のままでいたら、とんでもない利が転がってくる。

 わかってはいたが、今、そのことが実感を伴って理解できた。

 

(こうなったら、本気の本気で……行けるとこまで、行ってみようって気になってしまうな)

 

 いいや、既になっている。

 

 自分は果たしてどこまで行けるのか。

 ともすると一切の妥協なく、以前聞かされた妄想の果てにも辿り付けるかもしれない。

 

 そう思えば、俄然、野心が燃え上がるというものだった。

 

 

 

 

 

 

 




最強で無敵で手の付けられないバグに見えるかも。
しかし幾ら無尽蔵のタンクがあっても、出力する機構は水道の蛇口程度なので無敵ではない模様。

面白い、続きが気になると思って頂けたなら、感想評価などよろしくお願いします。


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嘗て巡り会えなかった魔法使い

時間過ぎてた……ごめんなさい(震え声)


 

 

 

 黒い人形(ブラック・ドール)の正体は亡霊である。

 

 数ある特性の一つに、無機物へ死霊を取り憑かせる事ができる物があった。

 ヨナタンは無機物を別の構造体に変形できる【改造】の特性を用いて甲冑を作り出し、【痣】を通して適格と判断した死霊を呼び出して憑依させた。それがブラック・ドールである。

 ブラック・ドールに憑依させた亡霊はヨナタンの先祖とも、別個体の自分自身とも言える深淵狩りだ。彼にはヨナタンのオーラの半分と、念動力を始めとした無数の特性を与えた為、結果的にヨナタンは弱体化したと言えるだろう。しかしそれでもヨナタンのオーラ総量は、平均的なプロハンターの五十倍はある。オーラの量が必ずしも戦闘能力に直結する訳ではないが、数値だけを見るなら破格であった。()()()()()()()()()()、だ。

 

「――説明は以上だ。不明な所はあるかい? ない? よろしい」

 

 ブラック・ドールが小さく顎を引くように頷くのに、ヨナタンは満足する。

 彼の様子を見ていると自我があるように見えなくもないが、彼には感情は存在せずただ知能のみがある。命令を聞き、任務を遂行する操り人形その物だ。

 ――ヨナタンが思うに使役する被召喚物に感情などあってはならない。機械的に命令を聞く忠実さこそが肝だろう。曖昧で長期的な任務も、単独で遂行できる高度な知能があれば尚良しである。

 その点でもブラック・ドールは理想的だ。命令に忠実で、高度な判断を下せる知能を有している。数え切れないほど存在する自分の前世の一つで、ある意味自分自身であるブラック・ドールが、唯々諾々と命令に服従する様を見るのは中々に複雑な心境になりもするが……駒として使用するのが自分自身であるという一点で、他人に無理を強いる罪悪感を感じずに済むのは利点であろう。

 

 ――亡霊である彼に生身の肉体は存在しない。

 

 甲冑の中身は純然たる機械だからである。

 だが悲観する事はない。人体を再現した機体であり、眼球の働きをするカメラが搭載され、擬似的な嗅覚・触覚・味覚もあった。必要不要で考えると、意味はないが飲食も可能にしていた。

 彼という亡霊が憑依していなければただの鉄屑だ。が、機体の中に取り込んだ飲食物をオーラに変換する事すら出来る為、その機体に憑依している彼は人間のように生活する事も出来るだろう。人類の科学技術が、脳以外の人体を機械化できる域にまで達していたから、こうして生き物のように稼働できる。

 

()()()()()、貴方は生前の名前を名乗ってはいけない。何せ貴方は高名なハンターだったんだ。()()()()()()()()()()()()。死んだのも近代だし、お年寄りの中には貴方を覚えている人もいるかもしれない」

 

 黒い人形は再度頷く。

 

「そうだね……アッティラ。テュルク・アッティラ――そう名乗るんだ。理解できたなら直ちに行動を開始するように」

 

 ヨナタンが身振りで去るように示すと、先代の深淵狩りは漆黒のマントを翻し夜の闇の中に消えていく。

 

 彼は大戦末期の英雄的人物で、当時最強の呼び声も高かった戦士の亡霊だ。マントル王国の兵士として戦争に参加し、多大な武勲を挙げた事もある。

 だが彼はマントル王国への忠誠心など持ち合わせておらず、一時軍へ所属していたのは優れた戦士をハンターに勧誘する為でしかなかった。

 一定数の人材を一挙に引き抜き、自身の強烈なシンパに仕立て上げた彼は、志を同じくする同胞達と共に軍を抜けハンター制度創立に尽力した。彼は謂わば、ハンターという職業の祖の一人であろう。

 カリスマ性があり、実力もある。アッティラであればヨナタンの課した任務を過不足無く熟し、ヴェイル王国のみならず他の三王国の裏社会をも併合できるだろう。ゆくゆくは悪のカリスマとして、反社会勢力のシンボルにもなるかもしれない。そうなればいいとヨナタンは思う。アッティラの台頭は、ヨナタンの夢により現実性を伴わせる事になるのだから。

 

 アッティラが去ると、丁度カジノ店のオーナーとの()()()()()()を終えたらしいローマンがやってくる。彼はシニカルな笑みを湛え、友好的な仕草でヨナタンの肩を叩いた。

 

「よぉ、どうだった兄弟」

「すぐに行動に移ってもらった。当たるも八卦、当たらぬも八卦……過度な期待はしないでおくことをお勧めするよ」

「オーライ。当然だな。取ってもいない狸の皮を、さも手中にしているかのように振る舞うのは滑稽だからな。上手く行けば儲けもの程度に考えておくさ」

「それで。僕はこれからどうすればいいんだい? ローマンは僕をどう使う」

 

 一瞥すると、ローマンは何が可笑しいのか笑い声を上げた。

 

「自分で答えを出しておきながら、それを私の口から言わせようってのか? ヨナ、私がお前をどう使おうとしているのか分かっているだろう? 言ってみるといい、採点してやる」

「……そんなに僕は分かりやすいのかい?」

 

 ヨナタンは眉尻を落とす。出会ってまだ日は浅いが、既に何度か似たような遣り取りをしている。ローマンの観察力が秀でているのは分かっているが、こうも見透かされると自信を失くしそうだ。

 

「ああ。お前の欠点だ、ヨナ。如何にも()()()()()()()()ってなぁ面ぶら下げてたら、どんなに温厚なヤツでも癪に障る。おまけにお前さんは自分の賢さってものを隠そうともしていない。その必要もなかったんだろうがね、少しは謙虚に振る舞う事をお勧めする。今のヨナは小賢しい小僧そのものだ。少なくとも外見からそう見られる」

 

 図星を突かれたのだろうか。指摘は鋭く、決まりが悪い。

 何を言っても滑りそうで、ヨナタンは頷いた。

 

「……分かった。友達の忠告だ、素直に受け取るよ。でもローマン、どう振る舞えば謙虚って奴に見えるんだい?」

「ハッハー! 素直なのは良い事だが、ちょっとばかし馬鹿に見えるのが難点だな?」

「………」

「兄弟、そう難しく考えるなよ。要点を掻い摘んで言うが、半端は良くないってだけだ。お前さんは突き抜けて傲慢になるか、逆に気色の悪い聖人様になった方がいい。さもなけりゃ自分の才気を隠すんだな」

「金言だね」

 

 尤もだと感じたから彼の指摘を受け止める。確かに半端はよろしくない。

 事を終えた現場にいつまでも居座る事はせず、ローマンが乗り込んだ車の後部座席にお邪魔した。

 カジノ店から離れていく。手に入れた権利書やらはアタッシュケースに収められ、部下の手に渡っているのだろう。ローマンが車を運転するのに、夜の町の情景が流れていくのを眺める。

 

 ヨナタンとローマンの乗る車は、サイレンを鳴らしてカジノ店に駆けつけるパトカーとすれ違った。近隣住民、あるいは客の誰かが、カジノ店に何者かが襲撃してきたと通報したのだろう。

 だがもう遅い、襲撃班は既に撤収済みだ。ローマンの足跡を辿る為の手掛かりも残していない。ヨナタンはちらりとバックミラーに目を向けると、ローマンがこちらを見ているのに気づいた。

 

「さっきの話の続きだけど、ローマンは暫く僕に暇を出すんじゃないかな」

「その心は?」

「これから先は組織改革に没頭してクリーンな会社を作る段階だ。後ろ暗い仕事からは遠ざかるんだろう。なら僕に手伝える仕事は殆ど無いから、僕にしか出来ない仕事をさせた方が合理的だ」

「続けてくれ」

「……荒事の時だけ僕を呼び、そうでない平時では、僕を優等生らしく過ごさせるのが望ましい。表社会の人達とのコネクションを作り『クリーンな会社』への敷居を低くする。僕の評判がよく、知名度が高ければ高いほど、僕が貴方の会社に入った時の話題性も上がる。あわよくば有望な人材を引き込む事も期待してるんじゃないかな。違うかい?」

「ほほぅ……正解だヨナ坊や。流石の慧眼だ、私の所で勉強する事なんざないんじゃないか?」

 

 そうでもないが、ヨナタンは答えず再び外を見た。

 

 勉強したい事は山のようにある。だがローマンはそこにヨナタンを放り込む気はないだろう。役割分担だ、ローマンは頭として働き、ヨナタンは手足として働く。広報と兵隊も兼任だ。

 今のローマンの台詞の裏には、自分が頭を張るという約束をヨナタンが守る気があるかどうか試す意図があった。これから先の仕事は頭脳担当の領分で、それを侵す手足は邪魔でしかないのである。

 故にヨナタンは約束を守るという意味で黙った。無論、約束という点では、ローマンもヨナタンに学習の機会を与えねばならないのだが、それは今の所守られていると判断できる。

 

 随所での遣り取りがそれで、ローマンは自分がどう動き、どこにどのように働き掛けるかを見せてもいる。

 見て学べ、見て盗め、そういう事だろう。

 

「……そろそろ、来るかもね」

「あ?」

 

 ポツリと呟くと、ローマンが訝しむように眉根を寄せた。

 それに対して意味深に囁くと、彼は一瞬真顔になり、次いで破顔する。

 

「お伽噺が現実の物だと知ってる人がいるなら、そろそろ接触して来ないと間抜け呼ばわり出来る頃合いだって事さ」

「……なぁるほどぉ……友達の友達は友達だろう? もしラブコールが掛かったら私も噛ませて欲しいな」

「勿論さ。僕は小僧らしいからね、年長者の助言はいつでも歓迎だよ」

 

 ヨナタンがそう返すと、クッ、とローマンが喉を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

「――そろそろ良いだろう」

 

 友人である若い将軍が言うも、黒いレンズの眼鏡を掛けた男は背中を向けたまま応じなかった。

 男はマグカップを手に、呑気にも見える所作でココアを飲んでいる。それに焦れてしまいながら将軍は言った。

 

「彼は実力を示している。明らかに見習いの域に収まらない力をだ。彼の肉体は子供のものだが、中身は()()()()()年寄りだろう。変に手を拱かず我々の側に引き込むべきだ――()()()()

「――それは私も考えているところだ、将軍」

 

 所は、ビーコン・アカデミーの学長室。

 オズピンと呼ばれた男は将軍……ジェームズ・アイアンウッドの立体映像に向き直ると、彼に弱ったような目を向けた。

 

「だが困ったことに、()()()()()()()()()()()の頃から接触を求めていたんだが、巡り合わせが悪いのか……一度として直接会えた試しがない。果たして()()()()に会えるか、少し不安でね」

「何を戯けた事を。彼は非常に優秀な戦士だ、是が非でも味方に引き込むべきだ! 何のために私が幼い頃から彼に融通を図っていたと思う? こうした有事の際に、我々の側に立って貰うためだ!」

 

 悠長とも取れる反応に、アイアンウッド将軍は猛る。

 オズピンは薄く目を細め、それから学長室から一望できるヴェイルの夜景に目をやった。

 

「……確かに、躊躇う理由はない。彼が――深淵狩りが仲間になってくれたら心強いのは分かる。将軍が言うのなら、ひとまず会いに行ってみるとしよう。それでいいかな、ジェームズ」

「フン……それでいい。レムナントを守る為なら、彼も協力を惜しまないだろう」

 

 やっと決断したかと言うように鼻を鳴らし、アイアンウッドが通信を切る。すると彼の立体映像も消えて、オズピンは軽く溜息を吐き出した。

 ココアを更に一口呷る。それから、オズピンは呟いた。

 

()()()()()()()()()()()()、もしかすると長く付き合うパートナーになれていたはずだった。今度こそ会えるといいのたが……君もそう思ってくれているかな? 最初のハンター、()()()()()……」

 

 

 

 

 

 

 




・作中でヨナタンの使用したセンブランス

『過去降:読みはダウンロード。ヨナタンが用いる固有のセンブランス。本来は死者の残留思念を読み取り、死者の記憶や経験を取得するもの。直接戦闘に用いる事は全くできず、平時にこれを用いて自己を鍛えるのが本来の用途。しかしヨナタンが深淵狩りであり、歴代深淵狩りの全てを有する老戦士に繋がっている【痣】を持っていたため、そこを通して歴代深淵狩りの特性・知識・経験などを任意で読み取り使用できるようになってしまった』

『招聘:応じた人間の魂を一時的に召喚し、触媒としたものに宿らせる。遠方の人間と対話したりする。ぶっちゃけスクロールの電話機能などで代用できるので全く意味のない能力。しかも使用中は常時オーラを消費する。だがヨナタンは【痣】を通して繋がっている、歴代深淵狩りの中から選別した者を招聘し無機物に憑依させるという荒業を熟した。これにより常時ヨナタンのオーラは減り続けるが、そもそもヨナタンのオーラ量は実質無尽蔵なので問題ない』

『火の触媒:バイロキネシス。超能力の一つとして数えられるものに酷似しているが、投射する電磁波をピックアップして電撃を放つ事にも使える火と雷の異能。燃費・威力などの調整の容易さ、最大火力と応用性の高さから非常に強力な力で、ヨナタンが最も好んでいる特性でもある』

『念動力:テレキネシス。ポピュラーな超能力の一つ。ヨナタンの用いるそれは強力だが、作用できる範囲は本人から周囲十メートル以内と狭い。しかし出力に申し分はなく、周囲に念力の力場を形成して透明な防護壁を作ったり、範囲内の物を手で触れるかのように精密に操れる。現在はテュルク・アッティラへと譲渡されているため使用不可』

『発電能力:エレキネシス。ポピュラーな超能力の一つ。極めて強力な電撃を発生させ、放電して直接対象を感電させる事も可能。プラズマを発生させてエネルギー刃を形成する事や、電気を動力とする機械に充電したりもできる。現在はテュルク・アッティラに譲渡されているため使用不可』

『改造:触れた無機物を任意の形に変形させる。ヨナタン自身も理屈はよく分かっていないが、変形後のカラーリングを変更する事も可能な模様。精緻な構造物であろうとも形成てきるので、ヨナタンは適当な無機物を精密機械にも変形させられる。これによってテュルク・アッティラの黒甲冑と、中身の精密機械も作り上げられた』

『譲渡:自分自身のオーラを他者に分け与える力。本来はそれしか出来なかったが、深淵狩りは全て同一人物でもあるので、ヨナタンは招聘した過去の深淵狩り限定でセンブランスも譲渡できる。現在はテュルク・アッティラにオーラの半分と幾つかのセンブランスが譲渡された。アッティラが倒された場合、それらのセンブランスはヨナタンに回帰する』

『硬化:自分の体や武器など、触れている物の強度を飛躍的に向上させる他、衝撃などで怯んだりしなくなる。現在はテュルク・アッティラに譲渡されているため使用不可。これをアッティラは常に使用している為、精密機械である機体が破損する事は殆どなくなっている』





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運命加速の誘い

本日投稿一話目です。


 

 

 ヴェイル地区コンバット・トーナメントで2連覇を成し遂げると、夥しいまでの賛辞、賛美、礼賛が己の名に添付された。

 羅列された文字を馬鹿真面目に思い返すと、なんとも居たたまれない気分になるため思い出す気にならないが、嗚呼もゴテゴテとしていると自分の名前ではないように感じるのだから不思議である。

 

 小島パッチとは比較にもならぬ人口がある首都ヴェイルでは、どこを歩いても人の気配を感じる。故にどこを出歩いてもヨナタンは有名人として持て囃され、同時に距離を置かれていた。

 七歳だった去年と八歳だった今年、最年少で倍の年月を生きたハンター見習い達を薙ぎ倒し、最年少での連覇記録を樹立したのだ。少年の年齢を考えると今後も記録を伸ばす可能性は高い。

 故にヴェイルの市民は少年を褒め称えながらも、理解できない存在として遠ざけた。だってどう考えても才能豊かな10代半ばの少年少女の方が強い。何倍もの歳月を訓練に費やし、体も大人に近づいている彼らが勝つのが普通だ。まだろくに訓練を積んでいないはずの初等訓練校の新入生が、圧倒的に努力量と体格に差がある上級生を倒せるはずがないだろう。

 

 ――ヨナタンはそんな固定観念を打ち壊し、常識的に考えて有り得ない偉業を成し遂げた。

 

 トーナメントはヨナタンによる蹂躙の現場だった。誰も彼もがヨナタンに一切のダメージを与えられなかったのだ。プロハンターや兵士、目の肥えた観客から見ても、完成された技で立ち回っていたのである。ヨナタンが勝利しても当然の帰結としか感じられなかっただろう。

 七歳、八歳の子供が成熟した戦士であるかのように、十六歳の優勝候補達を簡単にあしらう様はまるで現実味のない光景だ。才能がある、天才だ、そんな言葉では片付けられない領域である。

 必然としてヨナタンは、転校先のアカデミーでも孤立していた。()()()()()()()()()()()()()()()()だから、どう接したらいいのか分からない――同年代の少年少女の心境はそんなものだろう。

 天才様なんだからどんな問題もどうってことないだろ? そう僻まれはしても、しかし妬まれはしなかった。どこか別世界の生き物を見ているかのような目は、決して嫉妬を孕まない。憧れはする、尊敬もしよう。だがそれらの感情は、総じて『丁重に天才という名のラベルを貼って他とは区別する』事で生じたものでしかない。友好的で親密な関係を築くには完全無欠に手遅れだ。

 

 だが尤もと言うか。あるいは案の定と言うべきか。ヨナタンは現状を微塵も気に病んでいなかった。極上の肉に集る蝿のような取り巻きはいても、本質的には孤独であるのに痛痒を覚えなかったのだ。

 寧ろ現状には感謝しか無い。

 こうした環境でも物怖じせず接してくる人間は、根っからの善人で衒いのない友好を結べるだろうし、突っかかってくる人間は反骨精神と向上心の高さを示しているようなものだ。

 彼らは雑多な人を篩に掛けてくれているのだと思えば、取り巻きを鬱陶しく感じる事もなかった。……残念ながら身の回りの学友は、漏れなく篩に落とされてしまっているからこそ現状がある訳だが、それはそれである。夢のために本格的に活動を始める前の、ある種のモラトリアムと割り切っているのだ。今はこの退屈を味わいまったりと過ごすのが大吉だと諦めていた。

 

 周囲の喧騒を右から左に聞き流しながら、ヨナタンはぼんやりと虚空を眺めている。

 

 昼休み休憩が間もなく終わろうとしている時の事だ。さぞ難解な事柄に思いを馳せているのだろうと周りからは思われているようだったが、少年は今夜の献立を考えているだけだった。

 何を隠そうヨナタン・ナーハフォルガーの料理は、三ツ星レストランのシェフでさえ弟子入りを熱望しかねない腕前である。自炊経験が云百年とあり、全深淵狩り共通の凝り性が働いた結果、料理の類いも達者になっていたのだ。生まれの良さ故か舌が肥えている事もあり、家を出て以来自分が作った物以外を口にする気になれずにいるのである。

 

(今夜はミストラルの独自料理……いやヴァキュオだったかな? ともかくレパートリーを増やす意味も込めてスーシ、スシー、シースー……うぅん()()だったかな。それを作ってみよう。ナットーもいいね)

 

 チャレンジ精神は専ら料理に向かっているヨナタンだが、彼は知らない。

 スシやナットーを一から作り出すのに、どれだけの手間暇と時間がかかるのかを。ついでにナットーは彼の味覚に嘗てない打撃を与えるであろう事を、今のヨナタンには知る由もなかった。

 作り方を調べる所から始めよう。時間が掛かるようなら、とりあえず昨日の残りであるボルシチで済ませようと決める。ヨナタンは極度の辛党であった、辛さが魅力の料理を作ると、自分以外に食べられる者は母親以外いない。極端に辛いものを好むくせに味覚が正常なままなのは、ヨナタン七不思議の一つと言えなくもないのかもしれなかった。

 

(甘いのはどうも口に合わないんだよね。ワイスが喜ぶから作りはしていたけど……待てよ、ワイスに辛味の良さを教え込――洗の――布教すれば、同志になってくれるかも……? 僕のボルシチは母さんしか喜んでくれないから、やはり嗜好の面でも同志を増やすのは急務だね……)

 

 母親譲りの味覚である。トリシャが赤い調味料を手に取って台所に立とうものなら、父パトリオットは瞬時に気配を消して外食に出掛けていた。その度にトリシャは悲しそうにしていたから、パトリオットの分もヨナタンが平らげる羽目になっていたのも今となっては良い思い出だ。

 

(流石に一年に一度しか帰郷しないのも悪いかな……? 後ろ暗い仕事にも手を出してるシュニー社の件もある。金を稼ぐのは良いけどファウナスのヘイトも稼ぎ過ぎているからね……ホワイト・ファングのテロも激化していくだろうし、父さん達に身辺に気をつけるよう言っておかないといけないな。ジャックハート達をそっちに回そうか? いい加減護衛の仕事もちゃんとさせてあげないとだし……ああ、そうだ。テロの激化は避けられないけど、そこに生じる混乱を利用すれば裏と表の勢力整備も出来るね。アッティラに言って……いや言うまでもないか。(ボク)なら動く、父さん達に危害が及ばないように伝えておけばいいか)

 

 料理と同じだね、とヨナタンは思う。

 灰汁が出たら除かねば、料理の味も落ちるというもの。

 

 今はまだ絶大な権力を誇るアカデミーの学長や軍、議員等は潔癖が過ぎる。染まり過ぎては駄目だが、敢えて汚濁にも手を突っ込み、社会の汚泥であるならず者も管理しなければならない。

 その点で言えばアトラスの将軍アイアンウッドが適任だが、彼の経歴を見るに些か独断専行が激しいし、仲間と歩調を揃えず行動する悪癖がある。自身の価値観を他者に押し付ける独善の気があった。

 彼の性格は目下の人間に慕われ、同僚や上司に疎まれるもの。リーダーシップがあると言えば聞こえは良いが、いたずらに和を乱して混迷を齎しかねないところがある。彼は行動するとなれば凄まじい加速力を生むアクセル足り得るが、今はまだ強力なブレーキ役がいなければならないだろう。そのブレーキ役は――と、脱線に次ぐ脱線をする思考を弄んでいると校内放送が流れた。

 

 自己に埋没していた意識が急浮上する。

 

『二回生のヨナタン・ナーハフォルガーくん、二回生のヨナタン・ナーハフォルガーくん。お客様がお見えです、学長室に向かってください』

 

「………」

 

 それを聞くと、ヨナタンは席を立った。

 

 周りの生徒達が好奇の目を向けてくるが、小指の先ほども注意を払わない。客とは誰だろう。学長室への道すがら考えてみる。個人に心当たりはないが、どんな人物なのかは想像がついていた。

 

 ――訪ねてきたのは十中八九、ヨナタンが深淵狩りだと確信している者だろう。ローマンやニオが来たとは考え辛く、アトラスにある本家やシュニー社の関係者、軍の人が訪ねてくる可能性も皆無だ。

 彼らは事前にアポイントメントをしっかり取るだろうから、お伽噺を現実のものと理解している手合い以外にヨナタンを訪ねてくる事はない。それ以外、例えば新聞記者などのマスコミが取材に来る事はあるが、それに関してもアカデミー側が追い払ってくれているので検討に値しなかった。

 

 お客様はどんな人なのか。考えられるのはまず軍、本家、シュニー社、ワイス、両親は除外して。それ以外でアカデミー側に、ヨナタンを呼び出させる事ができる立場の人間だろう。

 となると候補は絞られる。王国政府の議員か、はたまた()()()()強権を振るえるアカデミーの学長辺りだ。もし学長なら――最も近い位置にあるビーコン・アカデミーのオズピンが有力だろう。

 オズピンの顔は知っている。ローマンが渡してきた、覚えておいた方が良い人物の写真集で見た覚えがあった。

 

(オズピンか、或いは彼の遣いだろうね。……ん? 僕の背景を知っている、こうして接触してくる……そういえば前に、クロウ・ブランウェンが『また会おう』って言ってたな。もしクロウがオズピン勢力に繋がっていたんだとしたら、お客様は彼かもしれないね。まあ見ず知らずの他人の可能性もあるか)

 

 ――ヨナタンの推測は、ほとんど正鵠を射ていた。

 ほぼ情報のない状態から限りなく正答に近い予測を立てたのである。もしサイコメトリーで彼の思考を読み取れる者がいたなら、ヨナタンの思考が段階を飛ばして正答に近づく様に戦慄を覚えるだろう。

 客はヨナタンの背景を知っている。客はオズピンの勢力下にある者で、クロウは確かにオズピンの仲間だ。推測は外れていない。だが何故そのように飛躍した閃きを得られるのか常人には理解できまい。

 

 ヨナタンが学長室前に到着し、扉をノックする。すると中から入り給えと促され扉を開いた。

 

「――おや?」

 

 中にいたのはこのアカデミーの学長と、ビーコン・アカデミーの制服に身を包んだ若い女性だった。ヨナタンはクロウがいない事に眼を細め、学長達に恭しく一礼する。女性は少年を直視していた。

 

「はじめまして、僕はヨナタン・ナーハフォルガーです。貴女が……僕を訪ねてきたお客様ですか?」

「はい。私はビーコン・アカデミー三回生グリンダ・グッドウィッチ。突然の訪問にも関わらず、こうしてご足労頂き恐縮です。呼びつけるような真似をした事を謝罪します。申し訳ありませんでした」

「気にしていないので謝らないでください。ご覧の通り僕は若輩の身です。年長の方にそのように遜られたのでは居たたまれません」

「……若輩? ふふ……諧謔がお上手ですね」

「そうですか? 冗談を言ったつもりはないんですけどね……ところでグッドウィッチさん、本題に入る前に確認させてください。貴女は――」

 

 グリンダと名乗った女生徒は、見たところ二十歳手前といったところだ。今年が最高学年かもしれない。来年にはビーコンアカデミーも卒業してしまうだろう。彼女はショートヘアの金髪に碧眼、硬質な美貌に眼鏡を掛けた美人さんだ。生真面目そうで、少し神経質そうでもある。右足のブーツに取り付けてあるホルスターに馬術用の鞭を収納しているが、それが彼女の武器なのだろう。

 

 彼女は年下のヨナタンにも丁寧な物腰だが、オズピンの関係者なら納得だ。

 

 ヨナタンの実年齢を勘違いしているのだ。かなり年上だと思っているから畏まっている。それは間違っているが、間違っていない。ヨナタン本人も自分を何歳だと言い張れば良いのか解らなかった。

 

「――オズピン学長の遣いではないですか?」

「! ……ええ、どなたかから既にアポイントメントを取られていましたか」

「いいえ。そろそろ来るかなと思っていただけです」

「……なるほど。聞きしに勝る叡智をお持ちのようですね。私は確かに学長の遣いです。よろしければこれを」

 

 ヨナタンの反応が予想外だったのだろう。しかし驚きはしても冷静にグリンダは話を飲み込んだ。無駄に事情を説明する必要がないなら、単刀直入に切り込んでも問題は発生しないと判断したらしい。

 つかつかと歩み寄ってくると、懐から手紙を出して手渡ししてくる。ヨナタンは迷わず受け取った。

 

「これは?」

「中身は存じません。ですがナーハフォルガーさん、貴方から色よい返事を頂ける事を期待している――と、オズピン学長は言っていました」

「ああ……そう。これは学長さんからのアポイントメントなんだね。会って話をしたいわけだ。――分かりました。手紙を読んで不都合がなければ、決して無下にはしないと約束しましょう」

「ありがとうございます」

 

 前向きな返答を受けたグリンダは、微かに相好を緩めて微笑する。

 どうやらヨナタンに対して良好な印象を持ったらしい。なかなかお目にかかれずにいる隔意のない態度にヨナタンも好感を持つ。思えば正しい意味で、友好的に接してくる人は久しぶりだ。

 ローマンは友好的というよりは利害の一致した共犯者だし、ニオの事はよく分からない。グリンダとはここヴェイルで、何気にはじめて友人になれそうな気がしてきた。……気がしただけである。

 

「では、また会えることを期待しています。その時は改めてお話しましょう」

「ええ、()()()を楽しみにしておきます、先輩」

「……フフ。先輩ですか。……失礼。お邪魔しましたルーズベルト学長。私はこれで下がらせていただきます」

 

 事情が分からず、話の流れも早すぎて、同席していたルーズベルト学長は目を白黒させていた。

 グリンダが立ち去るのを見届け、ヨナタンも学長室から出ていく。

 一応、失礼しますとだけ声を掛けるのは忘れない。

 

 廊下を歩く。

 ヨナタンは受け取った手紙を指先で弄びながら、不意に苦笑を溢した。

 

(どうしてこう、アナログな手を使うんだか……オズピンは懐古主義者なのかな? それとも僕がアナログな手を好んでるのを知っていたとか? 僕がご先祖様達の影響を受けているのを知っている……いや、僕がご先祖様と同一人物だと仮定してみた場合、アナログの方が好感触を掴めると思ったのかもしれないね。学生を遣いに出してきたのは……単に彼女が優秀で、オズピンに自分の側に引き込んでもいいと思われるぐらいに信頼できるからだろう。体捌きは平凡だったし……センブランスが強力で、それを使いこなすタイプの女狩人(ハントレス)なのかもしれない)

 

 ともあれ、やっと面白くなりそうだ。ヨナタンは鼻歌を歌いながらスクロールを取り出し、ニオにメールする。毎度の事ながらローマンと直接連絡を取り合わず、ニオを間に挟むのも難儀だ。

 

 メールの内容は、『遊びに行くヨ!』だ。

 

 なんともいじらしく、子供らしいメッセージである。

 

 

 

 

 

 

 



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古代人は餅の絵を描き現実に食す 前編

本日投稿二話目です。


 

 

『本来ならこちらから出向き、挨拶に伺うのが筋だろう。もし不快にさせてしまっていたのなら申し訳なく思う。そして唐突な事であったのに、こうして手紙を開いてくれた事に感謝しよう。

 遣いに出したグリンダから聞かされているだろうが、私の名はオズピンという。ビーコン・アカデミーの学長であり、平和を愛する多くのハンターの一人だ。私のような立場の者が如何に輝かしい功績を挙げているとはいえ、一学生でしかない君に個人的なコンタクトを取ったのには勿論理由がある。

 もしよければ明日の午前11時に、私のいるアカデミーの学長室に来てくれないだろうか? ここでなら他人の目を気にする必要はないだろう。腹を割って話せば、きっと我々は素晴らしい友人になれると確信している。都合が合わない、もしくはなんらかの事情があって私に会う気がないと言うなら、今回の話は忘れて欲しい。願わくばハンターという職業を作り上げた同志の一人として、君と会う機会に恵まれる事を祈る。――()()()()()へ、親愛なる後援者のオットーより』

 

 

 

(オズピンなのかオットーなのかハッキリしてくれない?)

 

 手紙を読んだヨナタンはそう思った。

 

 しかし後援者オットー、ジュリアス。この2つの名には覚えがある。

 

 ジュリアスとは現在テュルク・アッティラの名で暗躍している、約八十年前の大戦期の英雄だ。

 彼より一つ前の深淵狩りが遺した活動母体を下地に、アカデミー制度の成立に尽力したハンターの祖の一人と言えば分かり易いかもしれない。

 そしてその後援者にオットーという名の()()()()()()がいた。王は頻りにジュリアスに会いたがっていたが、王と会う手間と時間を惜しんだジュリアスは様々な理由を付けて終ぞ会おうとしなかった。

 

(つまり、オズピン=元ヴェイル国王だと言いたいのか? ハッ……)

 

 堪らず失笑を溢した。常識的に考えれば有り得ない。

 そう思いながら手紙をニオに渡すと、彼女もまた目を丸くして、次いで嘲笑を浮かべた。何を世迷言を垂れるのかと思っているのかもしれない。攻撃的な性が透けて見える笑みだ。

 所は元マフィアのボスの――現在はヨナタンの住処である広大な館、時分は夜である。メールを見て訪ねてきたニオを饗しているところだ。ニオは手紙を懐に仕舞いヨナタンを見遣る。

 

「どうやらオズピンは僕と()()らしい。コイツは奇遇だね? 是非仲良くなりたいよ」

「………」

 

 冗談めかして言うと、ニオは肩を竦める。

 優雅に紅茶を嗜む姿は一端のレディのものだが、これで一応は同年代なのだから年不相応だ。

 ニオの境遇では子供のままで居られず、大人にならざるを得なかったのだろう。ヨナタンのような特殊な事情もなく、こうも落ち着いているのは嘆かわしい事なのかもしれないが、ヨナタンにとっては付き合いやすい少女だった。姦しい少年少女に囲まれて生活を送っていると、こうした物静かな雰囲気は貴重なものに感じられる。特に、話していて考えを整理しやすい。もしかするとこのニオの佇まいも、ローマンに気に入られている由縁なのかもしれなかった。

 

「僕との共通項をでっち上げて共感でも持たせたいのか、はたまた本当の話でオズピンも特異な身の上なのか……どちらにせよ興味を引かれるね。仮に真実でも、出任せでも、向こうが取り入ろうとしてくる分には好都合だ。アカデミーの学長の立場は非常に権威があるし、利用する分には――ん?」

「………」

「……そうだね。取り入ろうとしてるんじゃなくて取り込もうとしていると見るのが普通か。目的は今のところ不明。コンタクトの方法からして、秘密裏に関係を結びたいけど、露見してもどうとでも誤魔化せると踏んでいる。下手に噂が広まっても、僕に飛び級を勧めたとでも言い張るつもりなんだろう。僕に取り入る意義はないし、取り込もうとしている場合、彼らになんのメリットがある? ……なんだっていい、少なくともこちらにデメリットはない。相手の懐に飛び込んで探りを入れる分には問題ないね。向こうは僕をジュリアスと呼んだんだし、彼のように振る舞って見せれば好感触を掴めるかもしれないな」

 

 言葉を発しないニオだが、時折り物音を立てて思考にノイズを入れてくる。それは思索の邪魔をしているのではなく、思考している相手に諫言しているのだ。ヨナタンはニオがソーサーにカップを置く仕草を見て些細な思い違いを修正し、声に出して今後の対応策に肉付けをしていく。

 利発であり、聡明な少女だ。今はローマンに乗り物の操縦技術を仕込まれている最中らしいが、ゆくゆくは万能なスパイにでも仕立て上げようとしているのかもしれない。意志の疎通には難儀するが、なんだかんだでヨナタンもこの少女の事を気に入っていた。細やかながらも贈り物をしたい。友好の証に。

 

「ニオはご飯はもう食べたかい? まだ? よかった。それじゃあ僕の夜食に付き合ってほしいな」

「………」

「心配しなくても味は保証するよ。ちょっと待っててね――」

 

 眉を落とすニオに笑いかけ、ヨナタンは特製のボルシチを用意する。

 数分後、テーブルの上に置かれたのは真っ赤なボルシチ。ニオは困惑してヨナタンの顔を見た。

 

 赤すぎる。臭いからして全力で辛さを訴え、覗き込んだニオが刺激にやられて目を潤ませた。

 

「……!」

 

 無言で皿を突っ返すニオに、ヨナタンは苦笑した。やはり駄目か、と。やむなく引き下がり、代わりにフレンチトーストを持ち出した。アカデミーからの帰宅後、ニオが来るまでに用意していたものだ。

 スシやナットーを作るのは、また別の機会に挑戦しようと思っているので、その時こそ食事を楽しんでもらいたいものである。

 

「ニオ」

「……?」

「もしよければなんだけど、暇があったら訓練を見てあげようか? 君は才能があるし、ローマンは優れた師なんだろうけど、別の教官がいてもいいと思うんだ。嫌だったら断ってくれていい。どうかな?」

「………」

「……?」

「………」

「………あ、うん。それじゃあ、よろしく」

 

 暫く考え込んでいたニオだったが、やがて微笑を浮かべる。それが了承のサインだと気づくのに一拍の間を要したが、ヨナタンは少しだけ嬉しくなった。友人と言うには歪だが、仲良くなれた気がしたのだ。

 ほんの少しだけ、距離が近づいた。孤独に辛さは感じずとも、それとは関係なく友人を欲する気持ちはある。一方的で独りよがりな関係ではなく、本当の友達というものになりたいなと思った。

 もちろんニオだけでなく、ローマンとも。打算で結んだ関係だが、どうせ長く付き合うなら親しくないたいと思うのが人情だろう。淡々とビジネスライクに接するのも悪くないが、それでも。

 

 ところでニオは、外見上は同い年に見えるヨナタンから指導されるのに抵抗はないのだろうか? ふとそんな事が気に掛かって問い掛けてみると、ニオは意味深な笑みを浮かべるだけで意思表示しなかった。

 

 つまり、まあ……そういう事なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 名高いビーコン・アカデミーの敷地を通っていると、在校生から盛んに物珍しげな目を向けられる。

 面白くはないが慣れたものだ。今更機嫌の良し悪しを表に出すような幼稚さなど持ち合わせておらず、無難に手を振ったり愛想を振りまきながら学長室に向かった。案内はなかったが別段不親切だとは思わない。

 約束の11時ピッタリに学長室に着き、ドアをノックする。時間に五月蝿く早すぎたり遅すぎたりするのを嫌うのが【ジュリアス】だ。彼の個性に合わせて来訪したわけである。

 

「どうぞ」

 

 声を掛けられ、入室した。

 

 学長室の窓際は、壁面のほぼ全体がガラス張りで、外の景色を一望できるようになっていた。そしてキャンパス内に設置されているクロス・コンチネンタル・トランスミット・タワー……【CCTタワー】の姿も確認できる。

 CCTタワーとは、アトラス王国の開発した大陸間通信システムだ。この世界(レムナント)の通信の要であり、各王国のCCTタワーを介して大陸間の通信が行なわれていた。これは各王国の領土外ではグリムの脅威に晒される為、メッセンジャーによる原始的な情報伝達や通信設備の設置が困難である事から開発されたものだ。

 

 屹立する機械の塔は、絶対不可侵の防衛対象である。王国内のネットワークと、タワーのシステムは繋がっており、スクロールなどの端末からでも他の大陸の情報を入手可能だ。小規模な中継塔も幾つか建造されているが、グリムの脅威に晒され続けているため警戒を強いられているのが現状である。

 ある意味で、各王国の心臓部と言える。なんせ各王国に一つずつ、計4つあるCCTタワーの内、いずれか一つだけでも停止するとレムナント全体のネットワークが機能しなくなってしまう危険性があるのだ。

 反社会勢力が破壊を狙う危険が付き纏う以上、CCTタワーの防衛の為にトップクラスのハンターが複数名張り付いておかねばならない。

 

 学長室に入ると、椅子に腰掛けていた男性がすぐに立ち上がった。彼一人の姿しか確認できない。白髪だが染めている印象はなく、眉が黒い事もあり、加齢によって自然と白髪になったのだろう。見た目は若々しいが年配なのかもしれない。彼がオズピン――黒いレンズの眼鏡が特徴的で、一目見たら忘れられない存在感がある。

 

「やあ。この出会いを心待ちにしていたよ、ジュリアス」

 

 友好的な笑みとともに手を差し出される。握手を求めているのだろう。

 ヨナタンは胡散臭いものを見た気分になりつつも、それを隠して応じる。

 見た目はまさに大人と子供で、握った手のサイズ差は如何ともし難い。

 

「――ハ。わざわざ()()呼びつけた()()()()()にしてはフレンドリーだな」

 

 ジュリアスの役を演じながら返答する。

 そして手を振り解くと露骨に眦を吊り上げ、オズピンを睨んだ。

 

「それと、今の俺の名はヨナタンだ。学長様ともあろう御方が、人の名を間違えるものじゃあない」

「ああ、失礼した。長年友好の握手を求めていたものだから、それが叶って興奮してしまったようだ。ジュリアスと呼ぶなという事は、やはり個体名に思い入れはないのかな?」

「好きに勘繰ると良い。名は幾万通りもある。どうとでも呼んでいいが、当代の名は尊重して然るべきだと思うだけの事だ。仮にも人の子として生まれ落ちているのだからな」

 

 居丈高な自信家。かつ合理主義者。

 子供の姿で演じているのに、傍から見て演技のようには見えない。極めて自然体のままだ。

 何故なら演じてはいても、モデルは別の自分だ。過去の己を思い出しながら振る舞うのと同じで、ちぐはぐに感じられるものはない。ヨナタンはこうしてジュリアスを演じながら思う。

 偉そうにするならジュリアス役がいいね、と。

 

 少年の言に一理あると頷いたオズピンが、ヨナタンを歓待用のソファーに招く。ドスンと音を立てて座り込んだヨナタンだが、それにオズピンは気分を害したりはせず寧ろ可笑しそうに頬を緩めた。

 

「ふ……話に聞くばかりだったが、ジュリアスらしい態度だ」

「………」

「おっと今はヨナタンだったね。――さて、急な招待に応じてくれて感謝しよう。(もてな)したいところだが、君はそういうのを無駄と切り捨てる質だと理解している。不躾で悪いが早速話をしたい。どうかな」

「ああ。だが腹を割って話そうと言ったのはそちらだ。アンタは迂遠な言い回しで伝えてきたが、アンタが()()()()である証拠を提示した訳じゃない。まずはソイツを見せて貰わなければ始まらないぞ」

 

 俯瞰して見るにお前何様だよと自分にツッコミたくなる。相手の誤認に付け込んで、対等どころか上から目線で話しているが、本来はヨナタンの方がはっきりと敬意を示さねばならない相手だ。

 その事に若干の後ろめたさを感じないでもないが、今は脳の片隅に追いやっておく。オズピンはヨナタンの正体は知っているようだが、彼の知るジュリアスという自我はヨナタンには含まれない。厳密には同一人物なのだからややこしい事この上ないが……沈黙は金という事にしておこう。嘘は吐いていないのだから。

 

 そんな事より、ヨナタンは期待していた。彼は自らが転生者である事を臭わせてきたが、証拠はない。しかしオズピンは下らない嘘を餌にして呼び出すような人間には見えなかった。

 少なくとも彼自身は自分を転生者であると思っているはずで、そうであるなら、仮にもアカデミーの学長ともあろう男が証明材料を用意していないとは思えない。それにこそ興味がある。

 

 オズピンはヨナタンの要求に、さもあろうと頷いた。

 

「君の背中には獣の手型のような痣があるんだったね。そしてそれが深淵狩りに共通する徴であり、証であると。これ以上無く分かり易い特徴だ。が、残念な事に私は見た目で解る特徴を有していない」

「ああ、それで?」

「【痣】を見せてくれないか。その後に私も証拠を見せよう」

「……まあ、いいだろう。だが人払いは万全だろうな? 他人に目撃されたら酷い絵面だ、ゴシップが飛び交う羽目になる。あのビーコン・アカデミーの学長が、いたいけな少年を裸に剥いている、とな」

「それは酷いな。誰にも見られるわけにはいかない」

 

 ヨナタンの揶揄にオズピンはくすりと笑う。しかし動きがないのは、人払いはしてあるという事だろう。嘆息して上着を脱ぎ、肌着も脱ぐ。そしてソファから立ち上がってオズピンに背を向けた。

 少年の背中には、獣の手型のような【痣】がある。オズピンはそれを間近で目にしながら囁いた。

 いや、うめき声に近い。

 

「……成る程、本物だ。見る者が見れば解る。これは入れ墨等ではない。人工的に造れはしない徴だ。途方もなく膨大なオーラが、ここではない何処かにあり、君の肉体に流れ込んでいるのを感じられる」

「まじまじと見るな。照れるじゃないか」

「すまない。ただ羨ましくてね。私にも見て解るような徴があればよかったのだが。……失礼して、痣に触れてもいいかな?」

「……俺にその気はない。妙な真似をしたら叫ぶからな。年頃の女の子みたいにあられもない悲鳴を上げて外に逃げてやる。社会的に殺してやるから覚悟して触れよ」

「……地味に恐い脅しはやめてくれ。君の言う妙な真似はしない、約束する。私は単に君が信じてくれるであろう証拠を、嘘偽りのない形で見せようとしているだけだとも」

 

 ならいい――と、背中に触れる許可を出すと、オズピンが痣に触れてきた。

 何をするつもりなのか、様子見する。無いとは思うが、隙を見て薬物を注入してきたり、精神干渉系のセンブランスで支配して来ようとしたら、即座に弾き飛ばして逃げ出す用意はしておく。

 戦闘は無しだ。場所が悪すぎる。下手に怪我をさせようものなら罪に問われるかもしれない。仕切り直して後日報復するしかなかった。――ヨナタンがそんな具合に警戒しているのを知ってか知らずか、オズピンは躊躇う素振りもなく言った。

 

「それでは、()()()()

「? 何を……、……ッ!?」

 

 瞬間だった。

 何か得体の知れないものがヨナタンの中に流れ込む。

 咄嗟に弾こうとして、しかしそれには及ばないと【天啓】が発動する。抵抗せず、受け入れろ、と。訳が分からぬ儘、しかしヨナタンは瞬時の判断で齎された超直感に従った。すると視界が暗転する。

 

 

 

 ――見えたのは、古代を生きた一人の男の生涯だった。

 

 

 

 

 

 




後編に続く。


【ニオ・ポリタン】
原作だと多分、ミストラル王国のヘイブン・アカデミーの出身?
本作だとヴェイルから入学先のアカデミーとしてヘイブン・アカデミーには籍だけを置いている。


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古代人は餅の絵を描き現実に食す 後編

本日投稿三話目です。


 

 

 

 次の瞬間。見えたのは、一人の男の生涯だった。

 

 男の名は【オズマ】――彼は一人の女と出会い、彼女と愛し合った。

 女の名は【セイラム】――彼女は傲慢な王の娘で、秀でた魔力を有していたため軟禁されていた。オズマは彼女を解放し、高慢な気質であったセイラムも彼に絆され相思相愛になる。

 やがてオズマが病で死去すると、セイラムは悲しみに暮れた。情の深い女であった彼女には、オズマ亡き世が堪え難かったのだ。故に哀しみに暮れる美しき王女は、光の神にオズマを蘇らせるよう懇願する。

 

 だが光の神はこれを拒んだ。輪廻転生の理に反するから、と。それでもセイラムは諦めきれず、光の神の弟である闇の神を欺いてまでオズマを復活せしめた。喜ぶセイラムだったが、神は甘くなかった。

 後に神を欺いた事が露見し、セイラムに対して苛烈な罰が与えられたのだ。

 まずオズマは、既に復活していたにも関わらず、実質的に殺害され魂の世界に還されてしまう。更に生と死の重要性を学ばせる為と称し、神々は不遜な王女を不老不死にしてしまったのだ。

 だがその罰を神の傲慢だと感じたセイラムは、怨みを懐くと権力者達を唆し神に戦いを挑んだ。

 言うまでもなくこれは無謀である。彼らの国が如何に【魔法】という力を下に栄華を極めた、非常に高度な文明と技術を有していたとはいえ、隔絶した力を有する創造神達に勝てる筈もない。果たして人類は神々を前に呆気なく敗れ去り、人類はセイラムを除き消滅させられる末路を辿った。

 

 

 

(――いやなんだそれ。罪に対する量刑釣り合い無さ過ぎない?)

 

 

 

 途方もないスケールの神話を見せられ、唖然としていたヨナタンだったが、セイラムの末路を知って冷静さを取り戻した。この兄弟神、思いっきり邪神そのものではないか、と。

 幾らなんでもセイラムが哀れ過ぎる。基本的に犯罪を犯した者には冷淡なヨナタンでも、そこまでする必要はないだろうとドン引きしてしまうほどだ。百歩譲ってセイラムを消滅させるのは……無慈悲極まるが良い。彼女に唆されたとはいえ戦いを挑んできた当人達を消滅させるのも。しかしセイラムを除き他の無関係な民衆をも根こそぎ消し去るのはどうなんだ。頭おかしい。

 

 ……話を整理すると光の神が兄で、闇の神が弟であり、彼らは人や物質を含む世界を創り出した創造神であるようだ。そして消滅させられた人々にはオーラの力はなく、代わりに【魔法】の力を持っていた。

 オズマは精悍な面構えの高名な戦士で、セイラムは美しき王女。彼らは共に強大な力を有しており、まるでお手本のような『騎士と姫の恋物語』のような熱愛をしたわけだ。……残念な事に二人が結ばれてハッビーエンドとはならなかったらしいが。

 

 創造神兄弟の所業に呆れたヨナタンであるが、これはオズピン――オズマの記憶と、後に知り得た記録が流れ込んできている感覚だと理解していた。

 こうした感覚は、前世を何度も読み込んでいる身には慣れ親しんだものである。取り乱しはせず、すぐに受けた力の正体を分析、害の有無から効力に至るまで大凡の検討を付けた。

 

(これは……オーラを感じなかった。つまり、これはセンブランスによる記憶の投影じゃない。オーラによるものなら僕は反射でレジストしてしまったはずだ。曲がりなりにも力まなきゃ弾けないと感じた以上、これは現行人類以前にも旧人類が存在し、旧人類がオーラとは異なる力を持っていてオズピンがそれを有していると考えられる。荒唐無稽で現実にこんな過去があった訳がない、なんて否定的に見るのが普通なんだろうけど、そんなものを感じさせないリアリティーがある。否定と肯定の観念を捨てて客観的に判断すると、オズピンが嘘を吐く理由はない、はずだ。信じがたいけど、これは本当の話なのか……。彼らの持つオーラに代わる力は【魔法】だったかな? ファンシーさの欠片もない魔法なんて、物騒なだけだね……)

 

 突拍子がない、現実的じゃない――そんな感情論を無視すれば真実の形は目に見える形として存在する。ありのままを呑み込み、相変わらず正鵠を射続けるヨナタンの推理をよそに追憶は続く。

 

 孤独になったセイラムは、闇の力なら自身を滅ぼせるはずだという希望に縋り、グリムを生み出す沼に身を投げた。しかし死ななかったどころか闇の力が使えるようになり、怪物のような姿に変貌する。おまけとして破壊衝動やらなんやらが異常に膨れ上がり、精神まで変容したようだ。

 そうして光と闇の邪神どもはレムナントを去り――って、おいおい……セイラムを解放してやれよと神々の身勝手さに絶句するヨナタンをよそに――記憶の中でセイラムは、現在の人類が発生すると、今度は自分が神になって人類を導こうと決意する。破壊衝動に苛まれていても、孤独には堪えられなかったのだろう。人を導く事で孤独を癒やしたかったのかもしれない。

 ――グリムを生む沼とか、闇の力とか、魔法とか魔力とか。ヨナタンも知らなかった情報が山ほどあるが突っ込みはしなかった。今、ヨナタンのオーラによる防御を貫通して見せられている光景は、恐らくオズピンの魔法の力によるものだろうと察しが付けられただけで充分だ。

 

(そういえば、最初の僕――初代の住んでいた村の隣人が、セイラムって名前の知恵者に学問を学んでいたんだっけ? 同姓同名の別人じゃない場合、セイラムは確かに人間を導こうとしていた訳だ……)

 

 ――やがてオズマが輪廻転生の理によって転生し、セイラムと再会する。セイラムは歓喜してオズマを迎え入れ、二人で神の如き者となって大国を築き君臨した後、四人の娘を生んだ。

 これが後に【四女神】と呼ばれる乙女達の出生の秘密だ。彼女達は両親の力を引き継ぎ魔法の力を持っていた。以後彼らは手を取り合って国を発展させていこうとしたが、ふとしたキッカケで破局する。

 オズマが旅立ったはずの光の神の依頼で、【レリック】なる物を用いセイラムを裁決しようとしている事を知り、セイラムは我を見失うほどに激怒。オズマと戦い、彼を自らの手で殺害したのである。

 セイラムはレリックを用いて世界を去った兄弟神を召喚し、自らの手で抹殺するべくレリックの探索を開始した。目的は復讐しかない。それだけがセイラムの全てになってしまった。

 以来オズマは幾度も転生し、セイラムを倒す使命の為に延々と戦い続けてきた。そして大戦期にヴェイル最後の国王に転生すると、グリムを倒すハンターという職業が生み出されそうな動きを知りこれを支援。自らも軍を率いてマントル、ミストラル軍と戦い戦士の王と讃えられる。彼は王の立場を利用して最も信頼できる部下達に各地域の学長を任せ、様々なパイプを遺し、以後世代を幾つか交代した後の学長、オズピンに転生した、と。

 

 今もお伽噺として残る、四人の乙女達。秋、冬、春、夏の名を冠した女神の力は魔法のそれ。であれば【銀の眼の戦士】も実在したと判断できる。荒唐無稽だが現行世界にも通じる神話に、最早溜息も出ない。

 

(あー……うん)

 

 そうして、追憶が終わる。

 

 

 

「今、俺が見せられたのは魔法とやらによるものか?」

「その通り。信じてくれたかな?」

「オーラとは違う力で、途方もない記憶の旅をほんの数分で終わらせるような現象を見せられて信じない奴は、とんでもない阿呆だろう。生憎と特殊な身の上でな、こうした超常現象にも理解は持てる」

 

 視界が現世に舞い戻ると、オズピンは汗を浮かべていた。

 どうやら消耗しているらしい。ヨナタンは微妙な面持ちで嘆息する。

 

「……闇の神の創造物とグリムを生み出す妙な沼。それを操れる魔女セイラム……まあ、有意義な事を沢山知れた事には感謝しよう。だが、その、なんだ。……アンタ、正気か?」

 

 見せられたものは幻覚でも、偽りでもないと感覚で理解している。だがヨナタンが最初に懐いた感想は、オズピンが狂気に囚われているか、あるいは精神支配を受けているんじゃないかという疑いだ。

 オズピンは訝しげにしながら、ゆっくりと呼吸を整える。

 

「正気かとは酷い言い草だ。今まで誰にも明かさなかった部分まで、詳細に私の来歴と使命を見せたというのに」

「………」

「悠久の時の果てまで君が共に戦ってくれると見込んだからこそ、無茶をしてまで腹を割ったのだよ。魔法も万能ではない、君の持つ痣のように、魂を辿れる道がなければ共感を成せなかった」

「俺を高く買ってくれているようだ」

 

 皮肉るように言えば、オズピンは至極真面目に首肯した。

 切実である。彼の境遇を思えば、実はオズピンも必死なのか。

 

「当然だろう? 私はこれまで、転生する度に何もかもを一から始めてきた。だが君が同志になってくれたなら、ゼロからの出発はなくなる。君を仲間に引き込む為なら、私の総てを知って貰うのを厭う理由はない。ましてや君は深淵狩りだ。深淵――グリムを狩る者である君なら、セイラムを討つ事に協力してくれると確信している」

 

 そうだ。ヨナタン以外の深淵狩りは、偉業を果たす辛さは感じなかった。何故なら総てグリムを滅ぼすという目的の為だけに生きていたわけで、それ以外は何も見ていなかったのだから。

 しかしオズピンは使命を抱えてはいても、深淵狩りほど人間味を失くしているわけではない。自我が連続性を持って転生をしている場合、何度も友人や恋人と死に別れ、一人きりになるのは辛かったはずだ。

 であれば――彼は長すぎる時の旅路で、同じ時間を生きてくれる存在を前にすれば、なりふり構わず仲間にしたいと思うのも当然なのかもしれなかった。ある意味ヨナタンは、オズピンにとって二人として存在しない同胞に成り得る存在なのである。腹を割って話そう――その言葉の裏には、切実極まる事情があったわけだ。

 

「………」

 

 確かにヨナタンは彼に協力はするだろう。しないという選択肢はない。ないが……。

 ヨナタンは口を閉ざし、押し付けられた情報の山を脳内で処理する。噛み砕き、飲み干し、理解に努めた。

 やがてヨナタンはオズピンを見遣り、重々しく口を開いた。

 

「色々と、言いたい事がある。俺も腹を割って話そう」

 

 誠意を持つべきだ。故に、思った事は言わねばならない。

 歴代とは異なり、未成熟で、かつ人間的にも青い部分を残しているヨナタンは、我知らずオズピンの熱意に押されていた。故に、そのように思ったのだ。

 

「歓迎しよう。なんでも言って欲しい。我々は相互に理解し合う必要がある」

「……こんなものを見せられて、はいそうですかと無条件に信じられるのは俺ぐらいなものだろう。人間は進歩し、成長し、発展してきた。グリムの側にも人間同様に超越者が生まれていない保証はないと、常々懸念を懐いていた訳だからな。そういう意味で俺を仲間に引き込もうと、初手から出し惜しまずに情報を与えてくれたアンタは信頼に値する。だからこそ言わせてもらうが……オズピン。アンタ、本気でセイラムを殺す気なのか?」

「……問いの意図が読めない。もっと噛み砕いて言って欲しいな」

 

 ヨナタンは服を着直した。いつまでも上半身裸では、格好がつかない。

 服を着込むとソファに深々と腰掛ける。

 

「まず俺の所感だと、アンタに使命を与えた奴はとびっきりの邪神だ。悪魔と言ってもいい」

「………」

 

 反論は、ない。何か言いたそうではあるが、とりあえず最後まで聞いてみる事にしたようだ。

 ヨナタンの対面に戻り、ソファに腰掛けた男は無言で先を促す。

 

「セイラムにした仕打ちもそうだし、よりにもよってセイラムを裁決する使命を、セイラムが唯一愛した男に任せた事もそうだ。こんな所業をやらかす連中が善なる存在であるはずもない。邪神どもを憎むセイラムなら、邪神の手先になりさがったアンタが裏切り者にしか見えず怒り狂うだろうよ。せっかく自分の破壊衝動を抑えて、なんとか穏便に人間を導いていたってのに、セイラムはアンタの裏切りで感情が振り切れて、暗黒面に囚われたようにしか見えなかった。可愛さ余って憎さ100倍という奴だな」

「………」

「まあそこはどうでもいい。セイラムに同情の余地があって、アンタの裏切りや邪神の玩弄があっても、グリムを生み出している以上セイラムは絶対に殺さねばならんだろう。その点では協力できる。だがその前に……アンタ、最初に転生してセイラムと再会した時にだな、自分から邪神に授けられた使命を告白して赦しを得ようとは思わなかったのか? 仮にも愛した女だろう。セイラムが怒り狂ったのは、露見するまで黙りを貫いた挙げ句、あくまで使命に殉じて裁決しようとしたからではないのか?」

「………」

 

 オズピンは何も言わない。彼自身も思うところがあったのだろうか。

 彼は善良な男だ。正義心が強く、不条理を良しとしない。故にセイラムも彼に惹かれ、愛したのだと思う。

 ところが、転生後のオズピン――オズマはちぐはぐな行動をしている。

 愛した女を裏切らせるような使命にも関わらずオズマは忠実に従ったのだ。何かあったとしか思えない。

 

「邪神共にセイラムを裁かねば、また人類を消滅させるぞと脅されていたのかもしれんがな……せめてアンタだけはセイラムの味方をしていないと駄目だろう。今更味方をするとか抜かせばこの場で殺すが、男としてあの対応は()()と思うぞ」

 

 ヨナタンの目には、神々とやらが邪神にしか映らなかった。

 奴らが全ての元凶である。死ねばいいのにと本心から思わなくもない。

 

 兄弟神はオズピンの記憶や実際の歴史を鑑みるに、どうも人類全体よりもセイラム個人に固執しているようだ。

 彼女に神の理を学ばせる為に旧人類を消滅させ、今またセイラムを苦しめる為だけにオズピンを利用している。神々はセイラムに対して偏執的で歪んだ愛情を持っているのかもしれない。

 

 ――とか、有り得そうな話に見えないだろうか?

 

「……すまない。落ち着いていたつもりだが、俺も混乱していたみたいだ。言い過ぎたばかりに、不快にさせていたなら謝る」

「いや……いいや、構わないとも。()()()()()()()が、()()()()()()()()()()()から気にしないでくれ」

 

 オズピンはヨナタンの不躾な物言いに微笑んでいた。

 明言は避けたが、オズピン自身も神々とやらに思うところがあったらしい。

 それはそうだろう。オズピンの立場にヨナタンがいたら、絶対にこんな使命は御免被る。オズピンも乗り気になるような性格には見えなかった。邪神どもに何事かを言い含められている可能性はある。

 邪神どもは男しか居ないのだし、セイラムを自分達に並ぶ女神にして伴侶にでもしたいのか、と思ったりしたが――その場合オズマ、オズピンからセイラムを寝取る為に壮大な自作自演をしている事になる。もしそうだとしたら流石は邪神だ、スケールが違いすぎて阿呆らしい事この上ない。

 

「で。こんな大事、なぜ秘密にしていた。アンタの使命はどうでもいいが、グリムを生み出し、操る存在は周知徹底しておくべきじゃないか? なんで今の今まで誰も知らなかったのか、そこが一番不思議だ」

「無闇に人々を不安がらせる訳にはいかないだろう。我々は影ながら戦わねばならない」

 

 学長の台詞にヨナタンは頭を抱える。

 マジかよと若者言葉で嘆きたくなるのを、気合で堪えて持論を説いた。

 

「……総括すると、アンタは信頼できる。

 が、邪神は別だ。使命とか考えるなよ。あくまで今の世界の、今の人間の為に、グリムを除く目的だけを持つべきだ。グリムを滅ぼせるなら最悪セイラムなんざどうでもいい。違うか?」

「……違わないな」

 

「だろう。違うと言ったらアンタを信頼できなくなる所だ。いいかオズピン。アンタはどうも人間を見縊ってるようだがな、グリムの脅威云々は元々あった話だ。今更倒すべき敵がいる事を知っても、大部分はああそうかとしか思わんだろう。敵の存在を周知しても無用な混乱を招きはしない。寧ろ団結し易くなると思うが、異論はあるか」

「ある。混乱を招くとは思っていたが、なるほど君の言う通り思ったほど悪い事にはならないのかもしれない。だが、それでもセイラムは危険だ。彼女は人間総てを滅ぼそうとしている訳ではない。自分の目的を果たした結果として世界を滅ぼす事はあるかもしれないが、その為に人を利用するのを躊躇いもしないだろう。例えば現行の国家の体制や、既得権益の破壊を目論む反社会勢力に手を伸ばし、自身の手先に仕立て上げる事ぐらいは容易に成すはずだ。既にその兆候はある。時間はまだあるだろうが、今の代の内に大きな戦争を仕掛けてくる可能性は濃い。セイラムの存在を周知すれば、反社会勢力が現行体制を打倒するのに利用しようと接近し、却ってセイラムの勢力を強めてしまう恐れがあるだろう」

 

「周知することで全体の目的意識を共有するメリット、反社会勢力が吸収され敵の勢力を強めてしまうデメリット、か。アンタはそこまで考えて、信頼できる仲間を集めている最中。今のところグリンダ・グッドウィッチを引き込んでいるようだが、クロウ・ブランウェンはアンタの仲間か?」

「クロウを知っていたか。その通り、他にもジェームズ……君の祖国のアイアンウッド将軍も私の善き友だよ。他にはまだ話していないが、ハンターであるなら協力してくれるはずだ」

「ああ? アイツがか……」

 

 予想外の名前が出され、ヨナタンは鼻頭に皺を寄せる。渋面を作った彼に、オズピンは眉を動かす。

 

「将軍を仲間にしていた事に不満でもあるのかな?」

「ああ、あるな。あの将軍は一国の大将足り得るほどに優秀だが、独断専行するタイプだ。なまじ優秀で行動力もあるものだから、自分の力を過信する傾向がある。その上アトラスの将軍という権力まで持ってるんだぞ。大々的に行動するのならともかく、少数精鋭を気取るのに奴は不適格だろう」

 

「だが時として果断さ、多数を動かす権力は必要になる。不適格に見えようと将軍が正義の人であるのは確かだ。そして自らを犠牲にしてまで献身する覚悟もある。信頼を置けるという一点で適格だと判断した」

「オズピン。忠告するが、こういう企みは何を置いても足並みを揃える事が肝要だ。先走るような輩を同志とするのは危険でしかない。ただでさえ大目的の為に動こうというのに、身内で不和を生じさせかねない輩がいるのは論外だ。多少能力が劣ろうと協調性のある人間を手元に引き込むべきだろう」

「一致団結し足並みを揃える事は大事だろう。だが考え方の違う者を近くに置き、多角的な視点から物を見られるようにするのも必要な事だ。思考が凝り固まり膠着する危険性を軽視してはいけない」

 

「………」

「………」

「……平行線だな。だが」

「ああ、こうして心置きなくディスカッションできるのは大きい。改めて、歓迎しよう。偉大なるグリム殺し、古き時より人々へ貢献し続けてきた英雄殿」

「こちらこそだ、大変な使命に振り回される苦労人殿」

 

 どちらともなく立ち上がり握手を交わす。

 ジュリアスを演じるヨナタンの言い様に、オズピンは乾いた笑みを溢した。

 オズピンにとってそれは、できれば指摘されたくない事柄なのだろう。随分と悩み通し、吹っ切れていても、蒸し返されたら面白くないのかもしれない。

 

 ――予想を遥かに超えて有意義な邂逅だった。

 

 こんな特大のネタを抱えた存在を、これまでずっとスルーしてきた深淵狩りが間抜けに思えてくるほどに。

 ヨナタンは得た情報を再度脳内で整理して、今後どう動くかを慎重に考え直す必要がある事を認めた。彼らの組織に名前はないらしいから、オズピン勢力とだけ呼称するが、彼やセイラムの存在を知って考えると――ヨナタンの構想する国際中立機関の設立は、少しばかり遠のく気がしてならない。

 

(何は置いても、今はとにかくグリムを根絶やしにしないといけない、か。その為には、セイラムとかいう化石人間をどうにかする方策を練らないと。そうなると色々と欲しいものが出てくるね。例えば僕が自由にできる、大きな拠点……欲を言えば都市レベルのものがほしい)

 

 ヨナタンはそう思う。もちろんそんな絵空事が叶う事などないと弁えているが、無い物ねだりの一つや二つは許してほしいものだ。――が、欲しいと思えば算段を立てるのがヨナタンである。

 オズピンと友好の握手を交わし、互いの連絡先を交換した後。

 ビーコン・アカデミーを出て、事の次第をどうローマン達に伝えたものかと頭を悩ませること一日。ついでに絵に描いた餅ではあるが、欲しい物を手に入れる方法を考えついた。

 

(――そうだ。()()()()()()()んじゃないか?)

 

 人様の土地を奪うなんて心苦しい真似はしないに限る。国益と自身の実益を兼ねる為、グリムの脅威が残っている土地を王国に取り込んで領土にさせればいい。ついでに爵位とか貰って領主になれば自分の物にできる。

 絵に描いた餅――しかし描いたのが魔法使いであったなら、絵の中の餅は額縁を飛び出して現実に食せる物となる。ヨナタンはザッと頭の中で算盤を弾いた。オズピン、ローマン、シュニー社、アトラス軍を参加させれば未開の地を開拓する事は可能だ。ついでに開拓地でローマンの会社を贔屓して儲けを出させれば、いずれその地はヨナタン勢力勃興の地となるだろう。

 

(案外、為せば成りそうだね……)

 

 自室でニオを饗しながら、ニヤリと笑った。

 

 

 

 ――英雄の条件とは何か。

 

 

 

 ヨナタンはそれを力と意志の強さを兼ね備えたものと思っていたが、それは違う。

 だがヨナタンは紛れもなく当世における筆頭株であり、英雄としての条件を兼ね備えていた。

 

 すなわち、運。

 

 運の良さこそが、人を英雄として祀り上げる最大の要因である。

 ヨナタンが青写真ながらも拠点獲得の計画を練った直後。それを後押しするかの如く、時が動いたのだ。不謹慎ゆえ喜びはしない、しかしそれは紛れもなくヨナタンへの追い風となった。

 

 追い風の正体は――皮肉にも、グリムである。

 

『――ヨナタン君、すまないが今現在の君の身分を気にしている場合ではなくなった。君の力を貸してくれ。――ミストラル王国の森林地帯にあるオニユリ村と、開拓地であるクロユリに()()()()()()が押し寄せているらしい。ミストラル軍の展開が遅く、既に最寄りのハンターには駆けつけて貰っているが、生憎数が足りない。開拓民はミストラルの一部の富裕層だ、避難はまだ終わっていないらしい。君も救援に向かってやってくれないか。もちろん君の存在を隠蔽し、目撃するだろうプロハンターにも箝口令を布こう。頼む』

 

 オズピンからの要請は、渡りに船だった。

 

 ――幸運の女神には引ける後ろ髪がない。機を見るに敏でなければ、独特な髪型の女神の前髪を掴めはしないのである。故にヨナタンは、幸運の女神の前髪を引っ掴むや組み伏せて、自分の()()にした。

 

 その強引なまでの力強さこそが、英雄を英雄たらしめるのだ。

 

 

 

 

 




【魔法】
なんだかよくわからん力。神に歯向かうのに使われたからボッシュートされて今の人間は持ってない。使えるのはセイラムとかオズピンとか彼から授けられたブランウェン姉弟ぐらい。

【オズマ&セイラム】
被害者兼加害者で物語のキーパーソン。前者は解説役の転生者(現地産)、後者は(たぶん)ラスボス。この二人が居なければそもそも原作は始まらなかった。二人の娘が四人の乙女達(伝説)である事から、彼らの強さも窺い知れようというもの。
なおオズマ≠オズピンではないかと思わなくもない。

【光と闇の兄弟神】
創造神。邪神。
ギリシャ神話のゼウスとクロノスとウラノスを悪魔合体させたような奴に見える不思議(偏見)
個人的見解では全ての元凶。


【オズピン】
秘密主義者っぽい。同じ(似て非なる)転生者ヨナタンには大部分を話したのは、なんとしても彼を仲間にしたかったから。逆にここまで話さねば真の同胞になれない可能性を危惧した模様。なおまだ隠し事はある。


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アビスウォーカーの槍

本日投稿四話目です。


 

 

 オズピンは気を遣ってくれたのだろうが、無用な気遣いだ。

 ヨナタンの名は伏せよう。

 だが今後の動きを考慮してクレバーに判断し、彼はナーハフォルガーの名を使う事にした。

 

 有事の際にまで個人の好悪を持ち出し、利用できるものを利用しないのはナンセンスだろう。

 何より人命が掛かった事件が起こっていて、それを丁重に利用させて頂こうというのに、一身上の都合で出し惜しみをするようでは、ヨナタンは胸を張ってワイス・シュニーの兄だと自認できなくなる。

 ご利用は計画的に。如かれど個人的な企みに無関係の人を巻き込んで、命を落とさせては片手落ちだ。利用するからには骨の髄まで、巻き込むからにはアフターケアも万全に。片方が得をして片方が損をしたり、両方揃って仲良く損をするよりも、互いに得をするwin-winな結果こそが大正義だろう。

 

 すぐさまアトラス軍の将軍、アイアンウッドに連絡し、彼に自分がオズピンの同志になった事を伝える。そして今回の件で自分も出る事を伝えると、早口に己の思惑も併せて利を説いた。

 

 それにアイアンウッドは即断で是と返答する。国益と共にオズピン勢力の利にもなると瞬時に理解したのだ。アイアンウッドという男は武辺者の軍人であるが、多少の政略も解さねば到底一国の将軍足り得る事はできない。理解してから決断するまでの早さが、彼の頭脳が一級品である証拠になっている。

 彼はアトラス政府に働きかける事を内約してくれた。心配する必要はない。次いでシュニー社のジャックにも連絡する。彼とは直通の回線があり、ヨナタンからの通信にジャックは直接応じると、アイアンウッドにしたのと同じ話を伝える。するとシュニー社も参入する事を確約してくれた。現時点では口約束に過ぎないが、彼は利となる約束を破る人間ではなかった。

 

 ――これでアトラス軍、政府、シュニー社はミストラル政府にも話を通す。同盟国の上層部と市井、両面から圧力が掛かっては頷くしかなくなるだろう。如何にミストラルが文化大国でも、同盟国であるアトラス、世界最大のダスト製造会社であるシュニー社を軽んじる事はできまい。

 併せてナーハフォルガー本家にも連絡して彼らに()()()。久方ぶりに戦闘に出る、と。その支援として自らを運ぶ()()を与えた。深淵狩りを神聖視する本家だ、偉大な祖としての行動に否の返事は有り得ない。

 

 その後、僅かに空いた時間を使ってローマンにも連絡した。

 

『――という事で、ミストラルに出張する事になったよ。時間がないから端的に言うけど、この開拓地には壊滅して貰って、ミストラルが放棄を決定した後にアトラスが再開拓する。開拓民は無傷で一時退去して頂き、入植を望むなら丁重にお迎えしようと思う。後はミストラルとアトラスの共同統治という形に持っていき、代表という事でナーハフォルガー本家の人間を置く手筈だ。シュニー社やオズピン勢力、アトラスやミストラルも噛む勢力になるだろうけど、代表はあくまで僕の意を汲む傀儡だよ。僕らの本拠地として運用するのに最適だと思うけど……どうする?』

 

 一拍の間があった。知能犯の気があり、実際に知力に秀でている男でも、流石に前ふりのない儲け話を呑み込むには時間が必要だったらしい。

 だがローマンが何より秀でているのは、判断の早さだ。状況を理解すればすぐに動き出せる行動力もある。ローマン・トーチウィックはヨナタンからのキラーパスを巧みにいなし、捌いた。

 

『……ハッハー! なんだそれは、数段飛ばしに行くじゃないか! 景気が良いにも程がある! 私の答えは決まっているな。全ブッパだ、その波に乗らない手はないだろう?』

『ああ。ゆくゆくは――』

『ミストラルとアトラスが頑張って発展させていき大都市になる、最初から参入していた企業はどんな弱小でも大手に成り上がれる好機だ。いったいどんなマジックを使ったのかご教示頂きたいものだな、兄弟』

『話が早くて助かるよ、流石ローマンだ。それから……ああ、面白い話もある。プロフェッサー・オズピンと友達になったんだ、彼は親友だよ。彼に秘密で動けば良い具合に夢に近づける』

『ハハハハ! なんとも有り難い()()サマじゃあないか! 友情ごっこで踊らせるつもりとは、とんだ悪党だよ、ヨナは。良い死に方はしないな』

『お生憎さまだ、()()()()()の経験はないから今更だよ。僕らのやる事で、オズピンは嬉しい、僕らも嬉しい、全世界歓喜の善行だ。誰も損をしない、悪党を除いてね。――アッティラにはすぐにでも裏社会、反社会勢力をまとめ上げる巨悪に成り上がってもらわないとだ。面白い獲物が網に掛かるかもしれない。その為にも協力をしないとね』

『あん? ……あぁ、オーケー、オーケーだとも。だがそちらは私に考えがある。任せてもらおうか。ただし後で()()()()も一緒に、全部話してもらうからな?』

『勿論だ。グッドラック、ローマンお兄さん。頼れる兄貴がいて嬉しいよ』

『抜かすな、ヨナ坊や。そっちこそ幸運を、だ。お前の功績は私にとっても美味な物らしいからな』

 

 ――暗躍はイージーモードだ。多くの人脈(パイプ)を持ち、計画を立てれば、後は優秀な人達が勝手に中身を詰めて肉付けをしてくれる。個人の知より全体の集合知の方が勝るのは自明であるとヨナタンは思う。

 建設的かつ合理的に、最短距離を最速で駆け抜け、なおかつ生じる(ひず)みは最小限で。その為にもこんな所で躓いてはいられない。久方ぶりの戦いだ、油断して死にましたじゃ格好悪いにも程がある。

 故に、だ。

 

「――今生初の、全力全開で行くとしよう」

 

 ヨナタン・ナーハフォルガーとしては、初の実戦である。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 装備の最終点検(チェック)

 

 

 

『――状況を説明します。四日前、突如としてCCTタワーの中継塔が倒壊。微弱な電波トラブルを検知したアトラス王国軍の偵察により、グリムの大群がミストラル王国の森林地帯に集結している事が判明しました』

 

 

 

 耳に被せてあるヘッドフォン、通信感度良好。

 外部の音を遮断しておらず、搭乗している飛空艇のエンジン音も聞こえる。

 高速で流れていく景色を尻目に点検を開始。

 

 

 

『ミストラル王国はこれに対し即時軍の出動を決定するも、部隊の編成が遅々として進まず先遣隊としてハンターへ出撃を要請。それと合わせてアトラス、ヴェイル、ヴァキュオにも救援を要請したようで、ヴェイルとヴァキュオはハンターを出動させました。アトラスは軍も合わせて出動した模様です』

 

 

 

 両手の甲から肘までを覆う手甲。両足を防護する靴型の足甲。両足首から膝までを固める脚甲。そのいずれもがアース・ダストを混ぜ込まれ、加工された鋼鉄の防具だ。

 手首の可動域、良し。肘の動作の阻害もない、良し。足首と膝も良し。防具は強度の割に軽い。生身のままでいるかのようなフィット感がある。これらは本家から取り寄せた大人用の防具だが不自由はなかった。

【変身】の特性で自らの肉体を二十歳そこらのものへ変化させているからだ。

 

 

 

『現在ミストラルのハンター先遣隊は、ヴェイル・ヴァキュオのプロハンターと合流。グリムの大群から逸れて行動していた個体や、どこからかグリムの大群に加わろうとやって来た個体を、確認できる範囲では全て撃破したとの事。作戦司令部は数の多いグリムの大群を殲滅するには軍が必須と考え、グリムの侵攻を抑える為に遅滞作戦を立てて実行しました。今の所は効果を挙げているとの事ですが、先程から何度も応援を請う無線が入れられています』

 

 

 

 次に肌に密着するタイツ型のバトル・スーツ。これは古くからの使用法である、ダストの織り込みが行なわれた一品で、オーラの使用に呼応して微かに発光する。それはダストを内蔵した装備の特徴だ。

 防具に余計な機能は不要。徹底的に機能性と防御力を追求した装備である。そしてそのバトル・スーツの上に滑り止め用のグローブを嵌め、簡略化されたプレートアーマーで胴体を守る。多量のダスト弾と各種ダスト結晶・粉末を容れたケース入れとしてベルトを巻いており、これらの装備を固定する金具やベルトにも弛みはない。

 

 

 

「――グリムの内訳は?」

 

『本隊となる大群に人狼型(ベオウルフ)105、熊型(アーサ)121、鳥型(ネヴァーモア)7、蛇型(キング・タイジツ)5、イノシシ型(ボーバタスク)84、スズメバチ型(ランサー)6――そして水妖人馬型(ナックラヴィー)が2……以上』

 

 

 

 ……人間勢力は強くなった。だからだろう、()()()()を大群などと呼べてしまう。

 昔に比べて軟弱になった、とは思わない。寧ろ強くなっているからこそ、より明確にグリムの脅威を認め、この程度でも大群と称しているのだろう。

 正直これぐらいの数なら、時間をかければ()()()()殲滅できる。が、その思いは油断であり慢心だ。()()と聞いて張り詰めていた緊張感が緩んだのを自覚して、改めて気を引き締め直す。

 

 

 

「有象無象ばかりに、大物が8か。まあ……それならなんとかなる」

 

 

 

 気を引き締めても、強気な発言は忘れない。

 これよりも半数の人間の軍の方が、ヨナタンとしてはずっと恐ろしい。

 

 ――防具は良しだ。次に武具をチェックする。

 

 折角肉体年齢を誤魔化しているのだから、わざわざ身元を特定されかねない愛用の短剣は持ち込んでいなかった。代わりに持ってきた武器は三つある。

 

 一つ目が拡散榴弾球。針の形に加工した無数のダストを内蔵した、蜂の巣のように穴だらけの鉄球だ。サイズはメロンほどもある。ヨナタンが発案し設計開発したお気に入りの兵器である。

 開発手段として【改造】を用いたので、開発費用は内蔵したダストと材料になった廃材などの調達料だけだ。財布に優しくグリムに厳しい、大軍殲滅の申し子だと自負している。

 もしも人に対して使用したらミンチになるだろう。

 

 具合良し。

 

 二つ目はシンプルな形状の長槍である。それは鋼鉄製であり、柄には古代語で【われらの(つるぎ)は善き隣人のために】と彫り込まれていた。ナーハフォルガー家に生まれた深淵狩りは、揃ってこの長槍を愛用していたという。穂先は両刃剣のそれで、切っ先は鋭利に尖っていた。

 伝家の宝槍とはいえ、ヨナタンには特に思い入れのない武器だ。自分の物として返還された以上は好きに使わせて貰うつもりであり、本家から恭しく差し出されたそれは既に好みな形に【改造】している。

 

【改造】した二つ目の武具は、長槍改め銃槍(スピアー・ライフル)だ。

 

 槍のグリップの根本にあるトリガーを引くと変形し、スナイパーライフルに変形する。この狙撃銃はアトラス軍の銃器の設計図を参考に、独自のアレンジを加えた代物である。射程は使用する弾丸にもよるが理論上だと最大一km。ヨナタンが狙撃手として用いたなら――この惑星の自転、銃口を向ける方向と角度、銃口のすぐ先で吹く風や天候、雨粒、標的と銃口の間にある距離の影響までを計算して――三km先の標的にも命中させられる。

 

 そして三つ目の兵装は、大型の丸盾だ。今は背中に装着している。

 盾とは武器である。鈍器である。この分厚い丸盾が最も重量があり、狙撃に際してのバイポッドとしても利用できる他、スピアー・ライフルと結合する事で破城鎚(ウォーハンマー)に変形させられる。斬撃や刺突、銃弾の効き目が薄い敵を、文字通り叩き潰すのに用いるのがヨナタンの流儀だ。

 

 

 

『ご武運を。もう間もなく作戦目標地点に到着し――っ!』

 

 

 

 全兵装安全確認完了(フルウエポン・オールグリーン)

 淡々と確認を終えて、お仕事の時間はまだかなと首を巡らせた時だ。

 ナーハフォルガーの名を持つ女オペレーターの、焦った声がヘッドフォン越しに鳴り響く。

 

 

 

我が祖(マイ・アンセスター)、大変です! グリム群が開拓地に襲撃を仕掛けた模様! ハンターの遅滞作戦を突破した強力な個体がいます、このままではクロユリが壊滅してしまい――あ、アトラス軍作戦司令部より任務(ミッション)が更新されました! 【前線のハンターに合流する必要はない、村落に着陸し次第、速やかにグリム群を撃滅せよ】との事!』

 

「――了解。だが着陸する必要はない。飛空艇から飛び降り次第、()も任務を遂行する」

 

『――了解! 開拓民の避難はこちらで主導します。ハッチ・オープン、作戦目標地点上空まで後10秒。……時計合わせ! ……3・2・1・マーク! 任務開始(ミッション・スタート)! コードネーム『アビスウォーカー』降下願います!』

 

 

 

 飛空艇のハッチが上に開く。すると激しい風圧に晒され、少しだけ目を細めたヨナタンは、肉体年齢二十歳そこらの自分の目元を、グリムの甲殻めいた仮面で覆い隠した。

 操縦席の方を一瞥すると、強化ガラス越しにパイロットが親指を立てているのに気づく。彼はナーハフォルガーとは無関係の、アトラス軍の飛空艇パイロットだ。彼に口元を緩めた笑みを返し、飛び降りる。

 

 高度は200メートル。空中に身を投げ出したヨナタンは辺りに視線を走らせて、戦場となる地点を見定める。――森林地帯の中にある開拓地は、周囲に防壁を築いているが街としての機能はまだ有していないらしい。

 開拓民の姿がそこかしこに散見され、防壁を破壊して侵入してきたグリムを目にしてパニックを起こし、逃げ惑っているようだ。そして肝心の開拓村クロユリに侵入したグリムは――四メートルはある馬の体に、逞しい人間の上半身をくっつけたような化け物――ナックラヴィーが2体。黒い大蛇のキング・タイジツが1体。人狼の如きベオウルフが13体。計16。ナックラヴィー達とキング・タイジツはまだ防壁を越えていないが、ベオウルフは既に侵入済み。

 結構な数の討ち漏らしである。ナックラヴィー1体だけで、こんな村など壊滅させられるだろうに、通してはならない個体に突破されるなどハンターの怠慢だろう。……いや、ハンターは仕事はしている。単に数が多すぎるだけで、対処するスピードと手が足りなかったのだ。責められるべきは展開が遅いミストラル王国軍である。

 

 そこまで考えながらヨナタンは早速、腰のベルトに括り付けていた拡散榴弾球を手に取った。

 

「――頭上注意だ。悪いが人命優先でね、畜生如きが人間様を殺めようとしているのは見過ごせない」

 

 嘯きつつオーラを込め、拡散榴弾球を虚空に放る。狙いは雑多なグリム、逃げ惑う開拓民を巻き込まない為にターゲット数を絞り、標的は13体のベオウルフだけにした。

 放られた拡散榴弾球が激しく光る。

 それはダストの光。球体にある無数の穴から、使用者のオーラを受けてダストの膨大なエネルギーが噴射される。針状のダスト結晶が激しく燃え上がり、炎の槍となって地上に降り注いだ。

 ――さながら炎の流星群である。オーラのミサイルが破滅的な破壊力を伴って飛来した。

 

「うっ……わぁァァアァァア! ……あ?」

「ヒィ! ヒッ、ヒヒ、ひぃぃいいっ!? ひ……?」

 

 開拓民の男女がベオウルフに接近され、あわやその豪腕で頚椎をへし折られる寸前。空から落ちてきた炎の槍が、ベオウルフを跡形もなく葬り去る。

 着弾した炎の槍は、外部に一切の熱を漏らさず、ただ標的を貫通して地中深くにまで浸透していった。触れた箇所だけが溶解し、地面は小さな奈落を作って、奈落の表面が硝子の如くに溶けている。

 

 目の前にした死に恐怖して両目を閉じ、手で頭を庇って蹲っていた男女は、いつまで経っても自らを痛みが襲わない事に気づいて我に返った。目を開いて恐る恐る前を見るも、そこにいた筈の化け物は既に()()

 代わりにいたのは、人だ。凄まじい衝撃とともに、空から降ってきた。

 完全装備の長槍を手にした成人男性(ヨナタン)である。

 長槍を地面に突き刺した姿を見て、ハンターだと男女は悟った。みっともなく蹲っていた彼らに、ハンターは優しく手を差し伸べはせず、二人の腕を掴んで無理矢理立たせると鉄壁の声音で言い聞かせた。

 

「立て。目を開け。怖くても最後の瞬間まで諦めずに逃げろ。ここは私が食い止める、さっさと行け。――行けッ!!」

「はっ、はいぃぃ!」

「あ、ありがとうございます、ありがとうございます!」

 

 呆然とした様子の男女を叱りつけると、彼らは一目散に逃げ出した。礼を言われているが無視し、ハンター=ヨナタンは槍を引き抜き廃墟と化したクロユリの町を見渡した。

(――良い具合に壊れているね。後が楽になる)と思うも、言葉にはせず。地面を陥没させて着地していたヨナタンは、クレーターの中心から動き出す。幾つか人間の死体があるが、いずれも頭が潰れていたり、体が上下で泣き別れていたり、腸を食い破られていたりとスプラッタである。救出が間に合わなかった彼らに対し、一瞬だけ瞑目した。

 

(すまない、遅れた。代わりと言ってはなんだが、ここから先は一つも人命を損なわないと約束する)

 

 別に悲しくはないし、罪悪感もない。彼らに対する感傷は皆無だ。

 それでも心の中で謝り約束するのは、ヨナタンなりの誠意である。ハンターや軍人は、彼らの働きによって戦士で在れる。対価として力無き者を守るのが義務であり、その義務を果たせなければ存在意義はない。

 戦士である以上、プロであるとかアマチュアであるとか関係ない。果たすべき責務を、当たり前に遂行するつもりでいた。ただそれだけの話であり、だからこそヨナタンは苛立つ。

 

「チッ……」

 

 舌打ちは、品がない。

 だが個人的にも、このクロユリでの人死にが出るのは不本意である。

 

「彼らは近い将来、僕の庇護下に置かれるかもしれなかった人だぞ……? それをお前は……全く、これだから畜生は嫌いなんだ」

 

 忌々しい。ヨナタンの怒りは普通の感性からズレているが、彼の中では論理的な損害として計上されている。経済的な利益を上げず損害ばかりを出すグリムという存在は、ヨナタンにとって甚だ不快だった。

 ヨナタンを載せて先行していた飛空艇に続き、四隻の飛空艇がクロユリの離れに着陸していく。そこからナーハフォルガー本家の元ハンター達が降り、クロユリの人々に飛空艇へ乗り込むように誘導を始めた。

 だがベオウルフ達が一瞬にして壊滅したのに気づきもせず、多くは未だに混乱して惑っている。その間にもベオウルフの一団に続いてクロユリの防壁を破り、ナックラヴィーやキング・タイジツが襲来してきた。

 その姿を見てさらなる混乱の坩堝に陥る人々。ヨナタンは嘆息して、大きく息を吸い――【ダウンロード】――【ただの大声(ビッグボイス)】――を吐き出す。

 

傾注(黙れ)ッ!」

 

 長槍の石突で地面を叩き砕き、【火の触媒】で電撃を発生させながらの大喝である。全ての喧騒をかき消し、群衆の鼓膜を打撃して、一瞬意識を空白にしてのける音の炸裂弾だ。

 静まり返ったクロユリ全土。全ての人とグリムがヨナタンを見る。それを感じながらヨナタンは指示を出した。

 

「総員、駆け足! 誘導に従い即時飛空艇へ乗り込め! 子供の手は離すな、順番を守れ、指示に従え、さもなくば死ぬぞッ、死にたくなければ――ただちに行動を開始せよッ!」

 

 再度、長槍の石突で地面を叩く。その轟音を合図に、人々はあっという間に統率が取られて飛空艇に向かう。グリムよりもずっと恐ろしい何かに睨まれ、魅入られたかのような集団行動だった。

 これで周りの被害を気にしながら戦う必要はなくなった、とヨナタンは息を吐く。だが――そうは問屋が卸さない。

 

「――ま、待って! 待ってください! うちの子がっ」

「何をしている、こっちに来い、早く!」

「離して! ()()が、ライがいないの! はぐれてしまってたのよ!」

「頼む、ライを……息子を探させてくれ!」

 

「………」

 

 荒ぶる人の親。彼らを抑え込むナーハフォルガー家の私設兵団。

 鋭敏な聴覚はその悲痛な声を聞き取り、ヨナタンは深々と溜息を吐いた。

 

 大方、混乱の中で親と逸れてしまったのだろう。この廃墟のどこかに、ライという名の少年が隠れ潜んでいると思われる。

 先程のヨナタンの声は聞こえたはずだが、ただでさえグリムの襲撃に遭い混乱し、人々のパニックの空気に当てられていた所に、ヨナタンの大声で腰を抜かしてしまっているのかもしれなかった。動こうにも動けない状況という奴だ。あるいは瓦礫の下敷きになったか、廃墟の出入り口を見つけられずにいるか……。

 

「安心してくれていい。その子は私が責任を持って保護する。お前達がいたのでは邪魔だ、さっさと退避する事がその子の生存確率を高めると弁えろ。――連れて行けッ!」

 

 ヨナタンの指示で、我が子を想う親の必死さに躊躇っていた元ハンター達が開拓民を連れて行く。夫婦が必死の形相で抵抗していたが、鍛えた戦士達に抗える訳もなく飛空艇に連れ込まれて空へ飛び立っていった。

 自身に最敬礼して去っていくナーハフォルガー本家の者達。そちらには一瞥もやらず、ヨナタンの殺意に呼応して近づいてくるグリム達を見渡した。

 ヨナタンは空気が淀むほどの殺気を纏っている。それを叩きつけられているグリム達は、怯んでこそいるものの逃げ出す気配はない。アレらにとっても、人間は滅ぼすべき敵なのだ。

 

「フン……【ダウンロード】……【音波探知(ソナー)】」

 

 遠巻きにするばかりで仕掛けてくる様子のないグリムを見据えながら鼻を鳴らした後、足甲でコツンと地面を蹴り叩く。そこから生じたオーラの波が周囲に広がっていき、動く物体の位置を特定した。

 動く物体。呼吸をしているなら、胸は上下する。その程度の動きでも充分であり、ヨナタンは一瞬怪訝な思いを懐いた。反応が二つあったのだ。ともあれ向かって7時の方角に跳躍する。ちょうど家屋の下に隙間があった。子供なら潜り込める程度の隙間だ。

 

 銃槍に丸盾を結合、大槌に変形させた武具を振りかぶり、横薙に一閃すると家屋を吹き飛ばす。

 パラパラと瓦礫と木材の破片が飛び散るも、下に居た子供は無事だ。

 ソナーに反応は二つあったが、案の定そこには二人の子供がいるではないか。

 黒髪の少年と茶髪の少女である。少年の身なりが良い、親が富裕層の人間だからだろう。しかし臆病そうな少女の方は薄汚く、さながら浮浪者の如しだ。

 二人は寄り添っていて、怯えた目でヨナタンを見ている。だがヨナタンは子供達に、わざわざ勇気づけるような事は言わなかった。

 

「位置が悪い、そこにいたんじゃあ巻き込みかねないな」

 

 ハンマーを振って邪魔な家屋の基礎を破壊しながら二人に近づく。

 

「こっちだ。ついて来い」

「ぁ……!」

 

 少女を脇に抱え、少年に指示をするとさっさと開けた場所に連れて行く。

 地面に少女を降ろして、怯えを隠せていない二人にヨナタンは言った。

 

「私は敵じゃない。守ってやるから大人しくしていろ」

「ぅ……守る……?」

「………」

「ハンターの仕事だ、これも」

 

 本当はまだハンターではないが、それは言わぬが華だ。

 ハンマーの連結を解き、丸盾を地面に置く。ドスンと音を立て、半ばまで地面に埋まった盾の後ろに二人を追いやった。

 

「そこにいるんだ。私がいいと言うまで動いてはいけない。親にまた会いたいなら言う事を聞け。分かったな?」

「……は、い」

「………」

 

 一拍の間を置いて、少年が首肯する。少女は黙りを貫いた。

 微かに浮かびかけた苦笑を誤魔化し、改めて向こう側にいるグリムに視線を向ける。

 

「――畜生の分際で『()()』が出来るとはお行儀がいいな。おめでとう、お犬様に一歩近づけたじゃないか」

 

 嘲笑を投げる。グリム――ナックラヴィー二体と、キング・タイジツ一体。後者の方が雑魚だが、ナックラヴィーは中々の大物だ。グリムの中では中の上ぐらいの歯応えはある。

 銃槍の穂先を畜生共に向ける。本当は分かっていた、奴らはヨナタンに気を遣って子供達の救出を見ていたのではない。()()()()()のである。

 肌で感じる、力の差。ヨナタンに挑めば死ぬという予感。しかし根源的な破壊衝動、人間に対する憎悪、それらが若く未熟なグリム達に逃走という選択肢を選ばせない。恐怖と憎しみ、天秤にかけて後者が勝ったからここに残り、死にたくないから仕掛けられずにいたのだ。

 

 グリムの生態は調べ尽くされている。不明な部分はあるが、アレらは魂の力であるオーラを持たない。すなわち魂がない証左であり、しかしながら動物的な本能はあるというチグハグな存在であった。

 半端な姿勢は侮蔑に値する。

 

「どうせ()()()()()なら、動物の本能など持たなければよかったのにな?」

 

 そうしたら、逃げるか戦うかを能動的に選べたはずだ。

 とはいえ仮にアレらが逃げたとしても、ヨナタンには見逃してやる理由はない。逆に駆除する理由なら山のようにある。

 長槍形態の銃槍の柄、狙撃銃形態時に銃身となる部分をスライドしてダスト弾を装填する。そうして穂先をグリム達に向けると、ヨナタンは背筋が凍りつくような残忍な笑みを浮かべ、宣告した。

 

「『灰は灰に。汝は(かお)に汗して食物を食い、終に土に還らん。其は其の中より取られたればなり。汝は塵なれば塵に還るべきなり』――要するにさっさと死ねと言っている。どぅーゆーあんだすたん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【オニユリ】
ミストラル王国の富裕層の一部が、お偉いさん達の色々に疑問を持ち、新天地を夢見て開拓地を作ろうとして開発されていた村。後々に大都市に発展していくことを夢見ていた。
原作に於いては壊滅。放棄されている。

【クロユリ】
上記とほぼ同じ。
ただここには富裕層の一人、リー・レン、アン・レンがいた。
彼らは原作キャラのライ・レンの両親だが、ナックラヴィーやらネヴァーモアやらによって村は壊滅。両親も死亡している。

『ライ・レン』
中華系っぽい技を使う原作キャラ。魅力的なキャラではあるが、その魅力が発揮されるのにちょっと時間がかかるスロースターター(偏見)
なお中国なんてものはこの世界には存在しない。文化的に多様なミストラルで、偶然中華っぽい服とか技とかが生まれたと思われる。 

『ノーラ・ヴァルキリー』
原作キャラ。ノーラ天真爛漫可愛い。主人公チームRWBYの面々にも勝るとも劣らないほど可愛い。めっちゃパワフル。モチーフは雷神トールだとかなんとか。
本作時系列だとライ・レンともどもショタとロリ。


なお本作にはナーハフォルガー家や深淵狩りが存在する為、バタフライエフェクトは普通に起こっている模様。特に深淵狩りがハッスルしてるので、セイラム側はかなり危険視している。
原作だとクロユリ・オニユリには小規模の襲撃しか仕掛けなかったのに、なぜ本作だとこんなにいたのかは現時点では不明という事にしておきたい。


本日の投稿はここまで。
感想評価よろしくお願いします。


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憧憬の導く末は

水曜投稿とか待てるかぁ!(逆ギレ)
書き上げたら即投稿! それが私のジャスティスだと気づいた!




 

 

 

 グリムの急襲を知ると、漠然とした不安が重石となって喉に詰まった。

 息苦しさを感じるのは、きっとそのせいだ。

 

 就寝の間際に、突如鳴り響いた警報。

 聞く者の心に漣を立て、強制的に鬼胎を呼び覚ます音は、グリムの来襲を告げるものだ。その事を知らずに居ても、立て続けに推移する状況は少年にも理解を与えた。

 逃げなければならない。ここにいてはいけない――慌てふためく両親に手を引かれて、どこに逃げているのかも分からないまま走った。訳が分からなくても現実は待ってくれないし、両親も何が起こったのか説明する時間を惜しんで兎に角避難していたから、ただただ理解させられているだけだったのだ。

 

 平和な時間が、どれだけ脆いのかを。

 

 外敵が現れただけで崩れ去る平穏。

 そして見知ったおじさんもおばさんも、父も母も、焦りと混乱、恐怖に突き動かされて走る姿に悟る。

 自分達は、常に薄氷の上に日常を築いているに過ぎないのだ、と。

 

 だが理解していても、少年は純粋で、心優しいが故に愚かでもあった。

 

 母に手を引かれて走る中、小さな少女が道の真ん中に蹲り、怯えて動けなくなっているのを見つけてしまった。少年はそれを見て、つい母の手を振り払って助けに行ってしまう。

 母は少年の行動に驚き、慌てて連れ戻そうとした。だが後ろから走ってきていた誰かに接触し転倒してしまう。父が気づいて妻を助け起こしていた間に、彼らは不幸にも少年を見失ってしまった。

 少年は純粋な正義心、親切心に突き動かされただけだ。決して悪し様に責められるべきではない。ただ、間が悪かった。運悪く人狼型グリムのベオウルフが近くにまで来てしまった為、彼は慌てて蹲っていた少女の手を引いて走り、適当な家屋の下にまで逃げただけだ。そのせいで両親を見失ってしまい、途方に暮れる事になっても後の祭り。ベオウルフの数がどんどん増えていき、下手に動けば見つかってしまう事に気づいてしまう。

 

 ――だから、だ。

 

 少年は命の危機を悟り、持って生まれた資質を開花させた。生存本能が少年のオーラを目覚めさせたのである。才豊かな少年が目覚めたセンブランスは、負の感情を沈静化させるもの。負の感情に吸い寄せられるグリムに気配を悟られなくなり、対グリムに対するステルス性に富んだ力だ。

 それは少年の中にあった恐怖や混乱をなくし、少年に触れられていた少女にも伝播して、二人はこの鉄火場にあって冷静さを取り戻した。故に下手に動くべきではないと理解し、その場に居座らざるを得なかった。

 

 だがいつまでここに隠れ潜めば良いのか。この町が壊滅し、グリムがいなくなるまでか? いったいどれだけ待たねばならない? こうしている間にも町の人達に置いて行かれて、両親は自分を探しているだろうからグリムに見つかり取り返しの付かない事になるかもしれない。

 センブランスによって幼さに釣り合わないほど冷静になった為、少年はそこまで考えが及び悩んだ。どうしたらいい? センブランスを――この時はまだその名も知らなかったが――使い続けると、とても疲れる事は体感で悟っている。少女を連れたままグリムの中を突っ切って、両親と合流するのは不可能だろう。では少女を捨てて行けば? ……そんな事を考えた自分を嫌悪する。そんな事はしてはならない、と少年は強く思った。だが、しかし、だけど、でも――少年は悩む。答えが見つからない。このまま無為に時間を浪費する訳にはいかないのに、いったいどうしたらいい?

 

 故に、少年と、少女の転機はここだった。

 

 空から降り注ぐ十三の流星群、悪鬼を討ち滅ぼす炎の槍が降り注いだのはその時の事で。直後、凄まじい轟音と共に何かが地面に激突し、クロユリ全土に鳴り響く大喝が人々の混迷を鎮めてしまったのだ。

 何事だ、と思う間もない。余りの大声に、少年達は咄嗟に耳を塞いで。恐る恐る外の様子を確かめるべく動き出そうとした瞬間、少年達が潜む家屋の間近に誰かがやって来た。

 

 その誰かは容易く家屋を打ち崩しながら少年達を見つけ出し、表通りに連れて行くと所持していた盾を降ろしてその後ろに少年達を隠す。そしてハンターと名乗った仮面の人は、長槍を手に提げた自然体のまま、あの恐ろしく巨大なグリム達に向き直った。

 

 ――少年、ライ・レンはこの時の光景を忘れない。

 

 飛んだのだ。

 馬の体を有し、人型の上半身を持つ、巨大で悍しい化け物が。

 まるで蹴飛ばされた鞠の如く。擬音を付けるなら、ぽーん、という風に。

 

 人形劇の操り人形が、乱暴に振り回されたかのような光景に、ライはぽかんと口を半開きにしてしまう。

 

 何が起こったのか。

 それは、豚の鳴き声のような馬の嘶き。破れかぶれ、無策の神風特攻。

 洗練された防具一式を纏う仮面の戦士が、赤いダスト光を発する脚部を撓らせ、ナックラヴィーという名を有するグリムを迎え撃ち。残像すら生じない超速の脚撃を馬の頭部へ直撃させ、嘘みたいに軽々と、地面から水平に飛翔させたのである。

 

「―――」

 

 唖然とする、間はない。

 自身の真横を通過し、外壁に激突したナックラヴィーAに代わり、ナックラヴィーBが細長い腕をゴムのように伸ばしたのだ。標的は当然仮面のハンターである。溢れ出る強烈な殺意は負の感情、この場の誰よりも負の想念を撒き散らす人間は、グリムからすると誘蛾灯そのものだった。

 

 であれば、その誘蛾灯(ハンター)に惹かれるグリムは羽虫なのだろう。

 

 二本の腕が代わる代わる撓り、伸縮自在な鞭のように乱打してくるのを、長槍を最小の動作のみで操って的確に弾き、弾き、弾く。壮絶な火花が繚乱し、夜の暗がりに咲く戦火となった。

 さながら槍の結界と化した領域へ、グリムが侵入するのを拒むかのように鉄壁を成す戦士。人外の質量、膂力、累積する遠心力、それらを児戯と嘲笑い捌く戦士と、周囲の家屋を薙ぎ払いながら猛攻に徹するナックラヴィーB。その様は、表情はないはずなのに必死のそれであり、打って変わってハンターは余裕を隠そうともしていない。

 有り得ない、認められない、彼我の質量差は小石と大岩のそれであるのに、なぜ小石(ハンター)大岩(グリム)の猛攻を一歩も動かず凌駕して(しのいで)いるのか。あべこべの力関係に逆上したナックラヴィーBの、人体部が有する仮面の角が伸び、禍々しく変貌するや口腔を開けて咆哮した。耳を劈く声量は衝撃波を発し、辺りの砂利が巻き上がる。

 

 ライの隠れるハンターの盾に、小石混じりの砂利が叩きつけられる。

 

 咄嗟に戦闘に魅入られていた少女の肩を掴んで、盾の内側に身を隠した途端だった。

 

 轟く咆哮が、次の瞬間には悲鳴に似た苦悶に変わる。ライと少女が戦場から目を離した瞬間、鼓膜を破らんばかりの音の暴力に対抗して戦士が吶喊したのである。戦士の雄叫びは真正面からナックラヴィーBの音の暴力を突き破り、グリムを怯ませる。弱腰を透かして見るや突撃したハンターが、へっぴり腰のグリムの迎撃を容易く見切り、薙ぎ払ってきた細長い腕を掴むや握り潰した。

 圧倒的握力で腕を粉砕されたナックラヴィーBの悲鳴――それをライ達は聞いたのである。好奇心によるものか、不用心にも盾の影から顔を出すライ達の目に、ハンターがナックラヴィーBを、先に吹き飛ばしていたナックラヴィーA目掛けて投げ放つ光景が飛び込んだ。

 小石が腕力で、大岩を片手で振り回し投げたのだ。凄まじい風圧と共に、振り回されて擲たれたグリムは、きっと何が起こっているのか理解できなかっただろう。傍観者のライ達すら呆気に取られていたのだから。

 

「――――」

 

 仮面の戦士が何事かを囁く。あるいはそれは、死に逝く怪物達への葬送の詩だったかもしれない。

 

 二つの巨体が折り重なる。

 

 上体を弓なりに逸らし、長槍を振りかぶった戦士が二度トリガーを引いた。すると長槍に装填されていたダスト弾が炸裂し、膨大なエネルギーが長槍へ充填される。

 轟――と紅蓮の焔が槍を包む。

 號――と紫電が焔の槍に充電される。

 焔と紫電が融合して、太陽の光の如き神鳴りの槍と化した得物を、ハンターは全力で投擲した。

 一直線に飛翔した槍が、軌道上の大気を摩擦し、刳り、灼熱の余波を生む。それはクロユリのアスファルトの地面を抉り、溶かした。神の怒りを体現したかの如き暴威の直撃を受けた二体のナックラヴィーは、果たして抵抗も儘ならず胸の中心を穿たれ、灼熱の業火で身を灼かれてまたたく間に灰燼へ帰す。

 擲たれた長槍は、グリムを貫くやエネルギーを使い果たしたのか、光を失い外壁の残骸に当たると跳ね返され、勢い余って地面に突き立つ。ハンターは悠然と歩み、残った1体の大蛇……キング・タイジツのすぐ傍を通過した。

 

 キング・タイジツは動かない。(ハンター)に睨まれた(ヘビ)のように、身動き一つ取れない。目の当たりにした力の差と、体を縛る死の恐怖に大蛇は束の間、人間に対する本能的な憎悪すら忘れたのだ。

 金縛りに遭ったまま、凝固する大蛇。戦士はその頭部をグリムの白仮面越しに軽く拳を当て、コツン、と音を鳴らす。すると全くの無抵抗の儘、キング・タイジツの頭部が膨張した。オーラを楔として無拍子で打ち込んだのだ。その拳打の威力は、軽い動作に見えても威力は絶大。キング・タイジツの頭部に次いで胴体から尾へ、連続して膨張し――内側から盛大に爆ぜる。

 

 ハンターは地面に突き立っていた長槍を引き抜くと、不意に半身になった。何気ない動作で空から飛来した無風の羽の矢を躱したのだ。

 

 彼方から鳥型のグリム、ネヴァーモアが襲来している。ハンターはそれを一瞥するとグリップを捻り、露出したスイッチを親指で押して狙撃銃形態へ変形させるや、ろくに狙いも付けずに立ったまま速射した。

 羽を撃ち抜かれたネヴァーモアが墜落する。期せずしてライ達のすぐ後ろに落ちたグリムに、少年たちは慄いた。ネヴァーモアはまだ生きている、体勢を立て直してハンターを威嚇するように翼を広げ――長槍形態に戻した得物を手に、いつの間にかライ達の近くに来ていたハンターが盾に穂先を突き込む。

 

 重い仕掛け音と共に接続され、巨大な戦槌に形態変化した得物を手に、ライ達の目の前からハンターが掻き消える。一瞬の内に距離を詰めたハンターが、ネヴァーモアが羽の矢を放つ前に、その頭部を下から豪快にカチ上げた。

 ネヴァーモアの巨体が宙空に舞う。その一撃で頭蓋が粉砕され大鳥は即死していたが、掌を開いて掲げたハンターは構わず電磁波を投射。照射を受けたグリムの体が空中で燃え上がり、灰となって微塵に散る。

 ひらひらと、燃焼した灰が舞い落ちる様は、歌劇の終幕を告げる桜吹雪を見ているかのようで、ライと少女はこれを戦闘だと思えなかった。これは戦いではない。まるで……そう、まるでお伽噺(ヒーローアクション)。グリムという恐ろしい化け物を蹴散らし、危機から市民を救う活劇だ。

 

「――作戦司令部、こちらアビスウォーカー。クロユリに侵入していたグリムを殲滅した。ミッションの更新を請う。……それから避難の遅れていた二人の子供を保護している。回収の為、人手を回せ。オーバー」

『こちら作戦司令部。了解しました、アビスウォーカーはオニユリで交戦中のアトラス軍に合流してください。道中で子供を回収しますので、それまでの護衛を頼みます』

「了解」

 

 ヘッドフォンに手を当て、通信を行なったハンター・アビスウォーカーがライ達に歩み寄る。そして、へたり込んでいた二人の目線に合わせるように、片膝をついてライ達に言った。

 

「無事だな?」

「ぁ……は、はい……」

「よし。では移動する。付いて来い」

 

 言いながらアビスウォーカーは、ライの腕を掴んで立ち上がらせる。

 そして少女の首根っこを掴むと、有無を言わせずそのまま肩に担いだ。

 少女を担いだまま歩き出すアビスウォーカーに、ライは慌てて着いて行く。

 仮面に覆われた顔を横から見上げ、ライは恐る恐る言葉を発した。

 

「あ、あの……」

「ん?」

「ありがとう、ございます。助けてもらって……」

「………」

「ハンターって……強いんですね。あの化け物を、ああも簡単に倒してしまうなんて」

 

 感謝を無言で流したアビスウォーカーだが、ライが続けた言葉に視線を向ける。その青い瞳が自身を射抜くのを感じたライが微かに震えたのに、仮面の戦士は鼻を鳴らした。

 

「感謝する必要はない。戦士が強く在り、弱者を守護するのは当然なのだから」

「え……?」

 

 強いのは当然。守るのも当然。

 当たり前の義務を熟しただけのように言うアビスウォーカーに、ライは目を瞬く。

 話を聞いている少女も、不思議そうにしていた。

 戦士の青い目は、真摯だった。ライと少女は、その目に何かを感じる。

 

「どうして……?」

 

 少女が問う。主語のないそれに、しかしアビスウォーカーは答えた。

 

「知る必要はない。戦士に成らない者は」

「……なりたい」

「……なに?」

「強く……なりたい……」

「………」

 

 か細い声で呟く少女に、ライは目を見開く。アビスウォーカーは訝しげだったが、ライは少女の気持ちを察した。少年は今日の昼に、少女が複数人の少年に囲まれ、虐められている所に居合わせたのだ。

 だから、なんとなく理解できた。少女の言葉にアビスウォーカーは嘆息する。暫く何も言わず歩き、やがて飛空艇が近付いて来るのに気づいた彼は口を開いた。

 

「……名前は?」

「……ノーラ」

「ノーラ。どうして強くなりたいのか、理由は訊かない。お前の聞きたい事にだけ答えよう。戦士が強いのは、時間を使うからだ」

「時間……?」

「戦士ではない人間が、友と遊び、惹かれた者と恋をして、愛を育み、子を成し、糧を得る為に働く。健やかに日々を過ごしていく中で平穏の内に在り、時に詰まらない事で友と諍いを起こし、和解し、或いは更に友情を深める――そう過ごせたかもしれない時間の全てを、戦士に成る為の訓練に費やす。人生を捧げ、己を高め、義務を全うし、目的の為に邁進する。得られたかもしれない財産を捨て、同志とだけ絆を深め、弱者の為に献身するから戦士は強い。強く在らねばならない」

 

 それは、余りに過酷な在り方だ。人の生きる道とは思えない。

 ライと少女――ノーラが息を呑むのに、アビスウォーカーは苦笑した。

 

「尤も、私は戦士ではないが」

「………?」

「私がよく知る戦士(ジブン)がそうだというだけの事だよ。私も戦士だったら良かったんだが……生憎と高潔に生きてはいない。だから私個人の見解としては、強くなる為のアドバイスは一つしか送れないな」

「それって……?」

()()()()()()。エゴを貫き通したいと望む想いが、人を強くする。エゴを貫く為に努力を惜しまない人間は強いし、私はそんな人間が一番恐い」

 

 飛空艇が近くに着陸する。ハッチが開いてアトラス王国の兵士がやって来るのに、ノーラを肩から降ろしたアビスウォーカーがライ達へ言った。その二つの小さな背中を、兵士達の方へ押しやりながら。

 

「強くなりたいなら、エゴを持て。それを貫く為の努力を惜しむな。そうすれば強さは得られる。だがノーラ、それから……」

「――ライです、ライ・レン!」

「……ライ。今の話を聞いて履き違えてはくれるなよ。弱さは罪だが、悪ではない。強さは悪だが、罪ではない。どっちが良くて悪いという事は無いんだ。我儘にエゴを貫こうとするなら、筋は通せ。いいな」

 

 返事は返せなかった。

 アビスウォーカーがそれを待たず、ライ達を兵士に預けて行ってしまったからだ。

 飛空艇が上昇を始めるのに、ライとノーラは窓から下を見下ろす。地を征く一人のハンターを見詰める。その背中はどこまでも堂々としていて、揺らぐ事を知らない強靭さの塊だった。

 

 ライは。

 ノーラは。

 

 今日というこの日に出会ったあの人の事を、決して忘れはしないだろう。

 幼心を懐く少年たちにとって、アビスウォーカーという人は鮮烈に過ぎる存在感があったからだ。

 ああ。余計な装飾を剥ぎ、懐いた想いを言葉にするなら――

 

 二人は、アビスウォーカーに()()()のである。

 

 故にライ・レンとノーラ・ヴァルキリーは、いつかハンターを志すだろう。

 まるで避け得ぬ運命を辿るかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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笑顔〜loveアンドPeace〜計画

地球上の読者の皆!オラに元気(感想)を分けてくれー!



 

 

 

 

「対人・対グリム問わず、一対一、一対多、多対多、多対一の戦術に求められる基本能力は概ね5つだ」

 

 説くのはヨナタン・ナーハフォルガーである。歳の割に鋭い拳打を放ち、息も吐かせぬ猛攻を仕掛けるのはニオ・ポリタンだ。

 ニオの華奢な体躯から繰り出される拳打には良く威力が乗り、体捌き、体重移動が秀逸である事が解る。にも関わらず、教示する為に言葉を紡ぐヨナタンの呼吸に乱れは生じず、動作にも一切の遅滞・迷いはない。

 隔絶した技倆の差が如実に現れている。

 ニオの拳を、手の甲に掌を添えて逸らし、拳打を肘で受け止め、足払いを半歩の後退で完全に躱しながらヨナタンは言う。ニオの指導を買って出たのだ、彼女の力量を高める為に手を抜くような不義理はしない。

 

「敵・味方の位置を常に把握する空間認識力、敵・味方の意識・視線の向きを洞察する観察力、敵・味方の流れを主導する支配力、敵の防御を挫く攻撃力、敵の攻撃を凌ぐ防御力だね。他にも味方との連携とか敵の連携を崩す戦術もあるけどそれは基本の範疇には収まらない。追々覚えていこう」

「ッ……!」

「そしてそうした戦術の基本を支えるのが、戦闘の基本だ。ニオはこの戦闘の基本が何か解るかい?」

 

 問を受けると一層激しさを増すニオの猛攻。小柄な拳闘士の如く攻め立てる彼女の無言の返答に、ヨナタンも慣れたもので簡明に答えとして受け取った。苦笑しながら彼は講義を続ける。

 

「そう。格闘だ。武器術を駆使した白兵戦技能にも格闘能力の高さを要求される。これを疎かにすると武器術も稚拙になるだろう。何故ならどんな武器も操るのは自分自身で、自分の肉体を効率的にコントロールできないようでは、優れた武器を持っていても宝の持ち腐れだ。畢竟、格闘術は全ての戦士にとって必修項目と言えるね」

 

 言いつつ、ヨナタンはおもむろにニオの拳を掌で止めた。そのまま握り締めて離れられないようにし、ヨナタンの手を振り払うために足払いを仕掛けようとするニオの手を引いて体勢を崩させると、そのままくるりとダンスのようにニオの体を操り優しく転倒させる。

 地面に叩きつけられると思ったニオの体が強張るも、ヨナタンは彼女の体を持ち上げて横抱きにしていた。目を丸くして驚く彼女の顔に微笑みかけ、すぐに降ろしてやると言葉を続ける。

 

「聞いた事がないかな? 武器の主たらんとするなら、まずは己自身の主となれ――自在に己の肉体を操れない者が、武器を十全に扱える道理はないって意味さ。そういう意味でニオはまずまず。よく鍛えられている」

「………」

「睨まないで欲しいな。僕は年季が違うし、僕を基準にするのは間違ってる。で……ニオは小柄だろう? オーラで身体能力を強化していても、基礎スペックは大柄な人間、グリムには圧倒的に劣ってる」

「………」

「じゃあどうすればそうした手合いに勝れるのか、答えは簡単だね。技倆と速度で圧倒し、触れられもしなければいい。だけど言うは易し、行なうは難し。実力の伯仲している相手を敵とした場合、あるいは格上と相対した場合に上手くやれる保証はない。だから別の対処法を用意しておく必要がある。今回はソイツを教えておこう。ニオ、手を貸して」

 

 (ソッ)、と手を差し出してくるニオの手を取る。

 柔らかく小さなその手を握ったヨナタンは、なんとなく彼女の身長はこのまま伸びないと予感していた。きっとニオは大人になっても今と変わらない可憐さを保ち続けるだろう、と。

 根拠は無い。強いて言うなら多くの人間を見てきた深淵狩りの勘だ。何処をどう見たら体の成長限界を見極められるのかと問われれば答えようはないが、そうした勘は外れた試しがない――と経験則は言う。

 ニオは可憐な淑女になる。だがそれは女性としての力であり、戦士としては不利な要素でしかない。体の小ささを利用して立ち回るのにも限界はある。故に、ヨナタンは彼女に修めて欲しい技があった。

 

「ッ……!?」

 

 ガクン、と。ニオは驚愕の表情で膝を折ってその場に跪く。

 手を握られているだけだ。なのに唐突に()()()()()()()()()。余りの重さにニオは身動きも儘ならず、顔を歪めて冷や汗を浮かべる。どうにか顔を上に向けると、ヨナタンが笑っていた。

 

「一応言っておくけど、特殊な力は何も使っていないからね? これはただの技術……とある非力な深淵狩りが、生涯をかけて編み出した武術だ」

「………!」

 

 これが武術? ほんとうに?

 何が起こっているのか全く理解できない。オーラを使ったセンブランスだと言われた方が納得できる。ヨナタンは混乱しているニオに掛けていた力を解いて、彼女を立ち上がらせながら言った。

 

「【合気】という名を付けられたこれは、どんなに非力な女子供でも、屈強な大男を屈服させられる。技で力を捻じ伏せられるんだ。ニオはこれを齧って、【合理複合武芸(マーシャルアーツ)】を修めてほしい」

「………?」

「マーシャルアーツは()()が培ってきた武術だよ。全部で221種類ある。()()は体型・性別・能力によって組み合わせて使ってきた。ニオにはたった今体感してもらった合気の他に、パンクラチオンを併せたものが合ってると思うんだ。で、これを一定の域まで極めたら武器術に移ろうと思ってる。どうかな、やってみないかい?」

「………」

 

 どうやら興味を引かれたらしく、微笑するニオにヨナタンも同様の表情を返す。ヨナタンの有する技術の一端を修めれば、ニオは飛躍的に対人戦闘能力を高められるだろう。

 対人を念頭に置いて鍛えるのは、個人的には好ましいとは言えないが。身に着けた武力は本人を守る力に成るし、グリムを相手にするのにも応用できる。グリム相手に必要なのは勝負度胸なのだ、対人戦闘力も身に着ける分には無駄にならない。

 

 熱心に研鑽を積む少女へ、真摯に向き合う世界最高の戦技教官。

 彼女がヨナタンの指導を受けて、どこまで強くなれるのか。自身の戦闘力は最初から頭打ちになっているからこそ、他者の成長に強い関心を持つ。生徒の成長はヨナタンにとって、非常に好ましいものだった。

 ヨナタンはニオに指導を施しながら思った。いつかニオの声を聞いてみたいなと。きっと鈴を転がしたような、可憐な声であるだろうと想像する。ニオの声を聞く事も、生涯の目標に加えてみても良いかもしれない。

 

 諸人が仰天する野望を懐く一方で、ささやかな目標も手に入れたヨナタン。特に深い考えもなく、思いつきで少年は画策する。――それはただの悪戯心でしかなく、しかし彼は考えが甘かった。

 人心掌握術も修めている彼が、本気で相手に好かれようとしたのなら、対象が絆されないように気を張るのは酷く困難であることを――ヨナタンは、この時ばかりは失念していた。

 

 ただ声を聞いてみたいと思っただけで、軽率に働き掛けるヨナタンの不覚が発覚するのは、まだ先の事である。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 芳しい香りが漂っている。紫煙が半開きの窓に吸出され、外に流れていた。

 窓際でオフィスチェアに腰掛けて、葉巻を吸う男はローマン・トーチウィックである。仕立ての良い一張羅を纏い、好んで被っている帽子を小脇のテーブルに置いている彼は、提出されたレポートを読んでいた。

 レポートの提出人はヨナタンである。オズピンとの邂逅で知り得た全てと、交わした会話を一言一句漏らさず記述されたノートに目を通し、何度か読み直しながら考え耽っていた彼は灰皿に葉巻を押し付けた。

 

「……よぉ兄弟。ネオの奴への指導は切り上げたのか?」

 

 ローマンが軽い調子で、対面のチェアに腰掛けた少年に声を掛ける。その視線は変わらずノートに向けられていて、熟考を重ねている様が伝わってくる。ヨナタンはそんな彼に肩を竦めた。

 

「いいや、まだ続けているよ。あっちには僕の【分裂体】を残してる」

「あん?」

 

 不可解な返答を受け、青年は訝しげに窓の外を見る。

 館の中庭にはまだ腹心の少女がいて――此処にいるはずのヨナタンが、中庭でニオを相手に格闘の指導を行なっているのを発見した。

 胡乱な目を、改めて目の前の少年に向ける。そして失笑を漏らした。

 

「……ハッハー、分裂だって? 分かっちゃいたが、人間やめてるな」

「そうでもないよ」

「謙遜になってないぞ?」

「そうかな……」

「そうだとも」

「……でも分裂した分、僕の力は半分になっている。数を増やす事はできるけど、増やせば増やした分だけ弱くなってしまうんだ。おまけに分裂体は些細なダメージで消えてしまう上に、時間経過で消えてしまう。実戦で運用できる力じゃないね。……それで、そろそろ考えは纏まったかい?」

「あー……まぁ、な……。……ヨナ、一応確認しとくが、」

「全部事実だ。信じられない?」

「そりゃあそうだろう」

 

 ローマンは乾いた笑みを湛えノートを放り投げた。脚を上げてテーブルの上に叩きつけると、虚空に舞った帽子を掴んで頭に載せる。そうしてテーブルの上に脚を組んでボヤいた。

 

「プロフェッサー・オズピンが転生者? 今の人間の前に旧人類がいて、ソイツらは魔法が使えた。オズピンはソイツとオーラも使える? グリムの親玉、四人の乙女、その他諸々……頭がおかしくなっちまいそうだ」

「僕という前例を知ってるのに?」

「それとこれとは話は別だ。だがまあ、お前が真実だと言うならそうなんだろうさ。……はぁぁぁ、お伽噺が全部本当の事で、それがこの世の成り立ちだってんなら受け入れるしかない。……どうも、お前とつるむようになってから、タフな話が続け様に舞い込んで来やがる」

 

 嘆かわしげに吐き捨て、ジロ、とローマンはヨナタンを睨んだ。

 

「それで?」

「それで、とは?」

「惚けんなよ兄弟。まさか気づいてねえのか? ヨナの()()はとんだ狸野郎だ、全部をヨナに教えたとでも思ってるのか」

「まさか」

 

 今度はヨナタンが失笑する。

 

「彼は秘密主義者らしいからね、明らかに僕に対して隠し事をしているのには気づいてるよ」

「ならよかった。学長サマはヨナを信用しているのかいないのか……はたまた()()()()()()()と決めているのか――」

「――あるいは時期が来れば話せばいいと思っている」

「どうあれ、面白くはない。ヨナがオズピンの記憶の中で見たらしい【()()()()】に、会話の中だと一切触れてないのは、腹に一物を抱えてる証拠だろう。ソイツが4つあるのは分かった、だが()()()()()? どうしてソイツの在り処を教えない? あからさまに重要人物だってのに、()()()()()とやらにも触れないのは何故だ?」

 

 不機嫌そうなのは、ローマンにとって信じ難い話が前提になっているからだろう。お伽噺が現実のもので、世界の成り立ちに関わっているだなんてこと、普通は信じられない。ヨナタンという実例を知っていてもだ。

 彼が深淵狩りの実在を信じたのは、ヨナタンの正体を誘導されたとはいえ自分の頭で推理し、理解したからだ。その力を自分の目で見る機会もあった。だから受け入れている。しかしオズピンに纏わる話は又聞きだ、信じようとしても理解を拒みたくなる気分なのだろう。

 しかし流石にローマンは切れ者である。どんなに疑わしくとも、信頼の置ける人物からの報告を頭から否定はせず、きちんと現実のものとして受け止めるつもりにはなっていた。

 

 面白がるように、ヨナタンは言う。

 

「彼は長く生き過ぎていて、自分が主体になって仕切る習性が染み付いているんだろう。真に対等になれる友人が現れても、その習性を中々なくせない」

「つまり持ちつ持たれつ、利用し合う関係がベストってわけだ。いいね、そういう分かりやすい奴なら歓迎してやれる」

 

 皮肉げに言い捨て、ローマンは虚空に目を向ける。

 それから彼は熟考を挟んで口を開いた。

 

「……。……ヨナ、確認しておくが、オズピンと話しても私達のユメに変わりはないんだな?」

「オフコース。そして今も、これからも君がプレイヤーだ。知能犯ローマン・トーチウィックはこの局面、この盤面でどう動く? 僕をどう動かしたい」

「…………」

「…………」

 

 沈思、黙考。

 形の良い顎に手を添えて、考え込むローマン。

 彼の中で様々な思考が錯綜している。それらを整理しているのだろう。

 

 ローマンはレリックの在り処を気にかけているようだが、ヨナタンには既に見当が付いていた。

 というのもオズピンとセイラムの関係と、セイラムの目的――レリックと高等アカデミーの数を照らし合わせれば、自ずと答えは導き出せる。ヨナタンはほとんど確信していた。

 レリックは――少なくとも4つの内の1つは――オズピンのいるビーコン・アカデミーにある。各アカデミーに多くの優秀なハンターが配置されているのだ、彼らは知らずの内にレリックを守る守護者にされている。

 秋の乙女、春の乙女、夏の乙女、冬の乙女。四人の女神の力を持つ者も、最低一人は確保しているはずだ。していないなら、ヨナタンはオズピンに対する評価を大幅に下降修正せざるを得ない。

 

 ヨナタンとしては、はっきり言ってオズピンに主導権を渡す気はない。

 彼は人類の守護者ではないからだ。セイラムの目的を阻むという点で、結果的に人を守っているだけで、彼の中の最優先事項は邪神に与えられた使命であるのは想像するに容易い。

 であれば彼が主導する権利は渡せないとヨナタンは思う。ヨナタンは自分側の勢力がゲームマスターになるつもりだ。そのために、密かに決意している事がある。4つのレリック、四人の乙女。――彼女らと秘宝を自分の下に確保して、保護するのだ。オズピンはなんのつもりか知らないが、重要人物であるなら絶対に手元に置いておかねばならないのは自明だ。

 

 レリックの使用法はなんだ? セイラムはそれを知っている、四人の乙女達とレリックの数が符合するのは無関係とも思えない。なら、やはり捨て置けない問題だろう。セイラムは周知されていない裏の存在だ、そんな超越者を相手にこちらも裏でコソコソして、暗闘を繰り広げる意味など皆無である。

 セイラムの存在を衆目に明かす必要はないにせよ、四人の乙女達はやんごとなき身分に祭り上げ、常に身の回りの防備を固めさせた方が良い。暗闘に敗れた結果、乙女達の所在を掴まれ奇襲を受けるリスクを冒すのは馬鹿らしいにもほどがあった。

 

 故にヨナタンは、『伝説の怪物や英雄による暗闘』というゲームを、人間による人間のためのゲームにすげかえるつもりになった。何故ならヨナタンは思うのである。彼らは主役を気取っているのかもしれない、だがこの世界の主役は彼らではなく、表社会に生きる人々だ。

 仮にそうでなかったとしても、そうさせるための努力は惜しまない。

 

「……オーライ。指し手は決まった。ヨナ、開拓地の確保は済んでるな?」

 

 ローマンの思考が終わる。開口一番開拓地について訊いてくるという事は、レリック云々に関してはどうでもいいと結論したらしい。問われるのに、ヨナタンは期待と共に肯定した。

 

「勿論。ミストラルはオニユリとクロユリの廃棄を決定した。アトラスはそれに待ったを掛け、新たに二つの廃棄地を共同で再開発しようと提案し、オズピンにも頼んで後押しをしてもらったよ。ついでにシュニー社からも、ミストラル政府に圧力を掛けてもらった。結果ミストラル・アトラス・アカデミーの勢力が噛んだ、新しい都市の建造を始める手筈になってる。そしてそこの代表はナーハフォルガーの人間で、僕の傀儡だ。【マドンナリリー】というのが、新しい都市の名前になる」

 

 懐いている期待は、実に身勝手なもの。

 【結果的にグリムが滅び人間世界が発展する】という大前提さえ敷いていれば、彼は自分にとって面白く、利になるように動く。彼の喜悦と利が大多数の益となるように調整するのがヨナタンだ。

 学ぶ意欲は未だあるにはある。だが、ローマンとの利害の微調整をしていた方がよっぽど上手くいくだろう。全てを自分でやる事はできないのだから、ローマンに任せていた方が良い。

 

「今のところ参入が決まってる企業はシュニー社だけ、と。結構。ところで親愛なるアッティラ卿の進捗は?」

「彼にはヴェイルから出て行ってもらったよ。ヴァキュオに進出後、粗方裏社会は掌握したらしい」

「そいつはご機嫌だ。どうやってこんな短期間で?」

「ならず者を集めて猿山の大将をして、腕っぷしで悪者を切り従えて、恐怖と痛みで教育し、利権を奪って経営者に転身したみたいだね。全体を完全に従えた後はミストラルに、その後ヴェイルに戻って来るらしい。仕事内容は非合法なもの全般、吹聴しているのは現行体制の打破だ」

 

 話題はテュルク・アッティラに移る。彼の動向を伝えると、ローマンは悪そうな顔で笑った。

 

「ほほぉ。実に素晴らしい。分かりやすい反社会勢力じゃないか。しかも腕はとびっきりの怪物……対抗する為に、自衛のための力を溜め込むのは当然なんじゃあないか?」

「そうだね。怖くて真っ当な商売もできない」

「暴力には武力を、だ。私は早速マドンナリリーに進出する準備を整える。開拓の為全力を尽くそう。善き人々の為にな。そうして悪者から自分の身を守り、ついでに余力があったら他の人間も守る」

「悪の組織に対抗する正義の組織を作る、と。でもそれは警察やハンターの仕事なんじゃないかな?」

「そこでお前だ、ヨナ。アッティラ卿と派手にやり合ってくれ。――アッティラ卿を止められるのはお前だけだと思われるぐらいにな」

「ワーオ。アンビリーバボー」

 

 酷いマッチポンプだ。

 実際、アッティラは強い。深淵狩りなのだから当然だろう。

 そうして――

 

「僕の名声を高め、君に協力的な姿勢を見せつつ、将来的に君の会社に就職して対抗を続ければ――」

「――ヨナを止められるのがアッティラ卿だけとなれば――」

「――――」

「――――」

 

 密談を続ける。有意義な策謀だ。

 裏社会を統一して整備し、管理する。

 こちらはそれを利用して組織作りの叩き台にする。

 ちょっと迷惑を掛けるが、長い目で見れば善良な人は得をして、悪い人達も要領が良ければ儲けられる。

 

 Win-Winだ、素晴らしい!

 

 やはり皆が幸せになれる、素敵な未来像を企画するのは楽しい。

 ヨナタンはそう思った。きっとローマンもそうだろう。だって実に良い笑顔を浮かべている。

 

「ハハハ、ハハハハ、ハハハハハハハ――!」

「クク……クハッ、アーハッハハハ!」

 

 笑顔を広めよう。それこそが正義だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




【合理複合武芸】
読みはマーシャルアーツ。現実のマーシャルアーツとは完全に別物。なんか良さげな名前が思いつかなかったから名前だけ引用。
中華拳法の八極拳、八卦掌、太極拳。日本の空手、柔術、合気。パンクラチオン、レスリング、ボクシング、ムエタイ、サバット――などその他無数の格闘術をはじめ、多くの剣術・刀術・槍術・銃術・戦槌術・馬術・水中兵法・空中兵法などを独自、または歴史に埋もれた誰かと共同開発。または教えを受けて習得するケースも。本人の資質に最適な武芸を選択して使用する、一人戦技博物館。クロスレンジなら、実は超能力(センブランス)使ってる時の方が弱いまである。

セ○ラム「深淵狩りに白兵戦を挑んではいけない(戒め) どっちかというとアウトレンジの方が弱いので徹底的に遠距離で戦いましょう。毒殺・窒息などは期待できないのできちんと物理で殺しましょうね。ちなみに殺してもいずれリスポーンしてきて同じ殺し方が通用しなくなってる模様(絶望) ふざけんな(声だけ迫真)」


【マドンナリリー】
オニユリ、クロユリを取り込んだ大都市(予定)
ユリの名がくっついてる二つに肖り、ニワシロユリの名を付けようと思ったけどなんか響きがアレだったので、ニワシロユリの別名マドンナリリーを正式名称にすることに。
ヨナタン勢力勃興の地(予定)。初等訓練校(アカデミー)も作られる。

ちなみにマドンナリリーの花言葉は「天上の美」または「派手さ、永遠の愛、無実、純潔、立派な仕事、無邪気さ」など他多数。


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アウトorセーフ

 

 

 ぎっ――と苦鳴する声。虎の耳を有する黒髪の女は、喉を圧迫されたことで呼吸が止まり、決死の形相で足掻くも彼女の手には武器はなく、空中に持ち上げられた為に両足が虚空を掻くばかりであった。

 じたばた、じたばた、と。水面に落とされた虫けらのように足掻く様を、せせら笑う声が無数に木霊する。

 浴びせられる嘲笑へ憤怒に燃える赤髪の少年が、鞘走らせた刀で女を拘束する敵へ斬り掛かった。だがそれは高出力プラズマ刃に軽々と受け止められ、反撃として繰り出された重い蹴撃を腹部に受けてしまう。その威力は、さながら至近で手榴弾が炸裂したかの様。吐瀉を撒き散らしながら吹き飛び、地面に倒れ伏した黒衣の少年へ幼い少女が駆け寄った。

 

「――アダムっ!」

 

 幼い少女が叫ぶ。ちら、と無機質で冷酷な目がそちらを一瞥すると、アダムと呼ばれた――赤い文様を刻んだ白い仮面の――少年は、腹を抑えながら力なく立ち上がり、いたいけな少女を背に庇った。

 虎のファウナスである黒い肌の女は、ファウナスの権利を訴える平和的な団体ホワイト・ファングを、強硬なテロ組織に路線変更した現リーダーである。

 彼女の名は、シエナ・カーン。そして彼女を五メートル前方から不可視の手で締め上げているのは、近頃勃興したヴァキュオの新興勢力【カオス】のリーダー、テュルク・アッティラ卿である。

 

 所はレムナントの南東に位置するメナジェリー大陸。

 大戦終了後、ファウナスに与えられた安住の地にして不毛の地。

 過激派テロ組織と化したホワイト・ファングの本部が置かれたその地は今、【カオス】の襲撃に遭い壊滅状態にされていた。

 

 襲撃者は、アッティラ卿と少数の荒くれ者のみ。彼ら――いいや、アッティラ卿は無人の野を往くが如く、屈強なファウナス達を悉く蹂躙し、視界に入る全てを地に叩き伏せていた。

 そこかしこから、苦悶の呻き声が上がっている。倒されているのは、人間を凌駕する力を持つはずのファウナスだけだ。カオスの構成員である人間は、嫌味なほど白いスーツに汚れ一つ付けていない。

 頭目たるアッティラ卿は地獄の王の如き波動を放ち、コォ、ホォ、と重苦しい呼吸音を響かせ、重厚な声音で宣告する。メナジェリー大陸にまで襲来した意図はただ一つ。報復である。

 

【小賢しくも我が膝下を騒がせた罪、贖う時が来た。貴様らに与えられる道は二つに一つ】

 

 愚かにもヴァキュオに支部を置いていたホワイト・ファングが、シュニー社の貨物列車を襲撃したのである。その積み荷の受取人は、正規企業であるダストショップを経営するカオスの傘下にあり、結果としてホワイト・ファングはカオスに損害を与えた。その報復としてアッティラ卿が直々に出向いたのだ。もはや抵抗も弱々しくなったシエナに向け、翳した手をそのままに掌を更に握り込む。喉の圧迫が強まり、シエナの頚椎は後一息でへし折られるだろう。

 

【服従か、死か。選ぶといい】

「ふざ……けるな……」

【………】

 

 シエナが死に体ながらも応じられたのは、オーラにより肉体を守護する力がまだ微かに残されていたからだ。そうでなければ、とっくに白目を剥いて意識を失っていただろう。

 女傑たるシエナは気丈だった。この場で殺される事になっても、武力によって屈服するのを良しとしない。それは手段はともかく、ファウナス全体の事を思って立つリーダーとしての誇りだ。

 

 だが、

 

「ファウ、ナスは……ホワイト・ファングは……決し、て……! 例え、殺され、ても、屈しは……しない……!」

【そうか。それが答えか。ならば死ぬといい。全てのファウナスを道連れに】

「な、に……?」

 

 ――だがアッティラ卿に情はない。慈悲はない。事実として彼は感情を有しておらず、本体から与えられた任務を遂行する為なら鬼畜外道、悪鬼羅刹にもなる。悪逆を為すのに一寸の躊躇いもない。

 

 アッティラ卿はホワイト・ファングを傘下に収めるつもりでいた。それが叶わないなら、今後も障害になると判断し鏖殺するのも厭わない。その過程でホワイト・ファングに属していない無辜のファウナスを皆殺しにするのも手段の一つと考えていた。

 悪は、より鮮烈に、残酷に咲く徒花でなければならない。ファウナスを殺し回る事で残虐性を誇示する事は、任務のためなら有益と判断している。ファウナスの虐殺は、差別主義者の支持を集める事にも繋がるからだ。故にアッティラ卿は淡々と勧告する。

 

【俺は俺に歯向かい、損害を与える者を看過しない。俺に降らぬと言うならホワイト・ファングに与する者を根絶やしにする。そしてファウナスは潜在的なホワイト・ファングの構成員と見做し、一切の例外なく殺し尽くそう。俺がやらないと侮るのは勝手だが……あの世で悔やむ事にならなければいいな】

 

 ちらりとシエナから視線を外したアッティラ卿は、プラズマ刃を消した鉄筒を、手を使わず腰のホルスターに戻す。そうして空けた左手をアダムに翳すや拳を作り、上から下に振り下ろした。

 アダムは見えざる手に叩きつけられ再び土を舐めさせられる。

 苦痛と屈辱に悶える少年の後ろで悲鳴が上がった――少女の悲鳴だ。白スーツの男達が二人掛かりで、少女の両腕を掴んで跪かせると、もう一人が少女の細首に直剣を突きつけたのである。

 

「ブレイク……! おのれ、その汚らわしい手でブレイクに触るな……!」

 

 アダムが激怒して立ち上がろうとする。だが彼のオーラは尽きていた。

 刀を支えにふらふらと立つアダムの喉を、念動力の冷酷な手が締め上げる。

 

「ガッ……!」

「アダムっ!? ……お願い、やめて! お願いだから……!」

「ッ……! 卑劣な……恥を知れ、人間、め……!」

 

 ゆっくりと腕を廻し、空中に吊り上げたアダムをシエナの横にまで運ぶ。

 シエナは少女――猫のファウナスであるブレイク・ベラドンナの悲痛な懇願を聞き、溢れ出る激情で視界を白熱させる。彼女の師範役を務め、親密な関係を築いていたアダムもまた一層激しく怒りに燃えた。

 だが、無力だ。

 彼らは敗北している。アッティラ卿ただ一人の前に敗れ去り、こうして命を握られていた。もはや何を言っても負け犬の遠吠え……非情なる頭目の所業を見ている白スーツ達は嘲笑し口々に罵った。

 所詮は動物園の畜生共だ、と。畜生が粋がってんじゃねぇよ、と。悔し涙を浮かべるブレイクを、機械の目が横目に見据える。

 

【貴様らにとっても悪い話ではないと思うが。憎いのだろう? 人間が。だが本当に悪いのは貴様らの境遇を黙殺し、改善しようとしない現行体制だ。それをこそ憎み、破壊すべきだろう。我々はそのために革命をしようというのだ。我が傘下に降る事は、体制の打倒を目指す上で有益なはずだがな】

「………ッ」

【戦力は多いに越したことはない。しかし必ずしも貴様らが必要というわけでもない。降らぬなら死んでもらい、潜在的な危険分子であるファウナスもまた絶えてもらう。最後にもう一度だけ聞こう――】

 

 アッティラ卿の声音は、無感動な機械そのもので。故にその全てに凄みと、真実味があった。

 この男はやると言ったらやるだろう。それだけの実行力と、実力がある。腕の立つファウナスの戦士の全てが、この男の前に敗れたのだ。黒い偉丈夫との力の差は痛感させられている。

 シエナは決断を迫られた。この決断に、ファウナスの今後の趨勢が掛かっていると言っても過言ではあるまい。本当にファウナスが殺し尽くされる事はないかもしれない。だが、少なくとも多くの同胞が殺されるのだけは間違いないのだから。

 

【――降るか。それともここで死ぬか。犬死を望むのなら選ばせてやろう、はじめに死ぬのは貴様でもいい、手始めにこの小僧から(くび)ってやるのも見ものだろう。ああ、】

 

 アッティラ卿の目は、ずっと無力な少女を見据えている。

 

【そこの小娘の喉を裂いてやるのもいいな。さあ――選べ】

 

 その圧力に、女傑シエナ・カーンは屈した。

 屈さざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

「え……?」

 

 ワイス・シュニーは、その報せに間の抜けた声を漏らした。

 

 実家で厳格な教育を受ける中で、いつしか心と体にゆとりを持てるようになれたのは、ひとえに彼女の努力が実を結んできているからだ。弛まぬ鍛錬は彼女の才を開花させ、ワイスの力になっている。

 そうすると、彼女にもほしいものは出てくる。心の背骨とも言える存在は、今までも、そしてこれからも血の繋がらない兄であるが、年相応の少女らしく同年代の、同性の友人がほしくなっていたのだ。

 娘のおねだりを、父ジャックは我儘とは言わない。当然の要求であると認めて、社交界のパーティーにワイスを連れ出すと、歳の近しい少女と触れ合う機会を設けた。ワイスは初めてとも言える同年代の少女との交流に緊張しながらも、おっとりとした雰囲気の少女――オルトリンデの性格がおおらかだった事が助けとなり、何事もなく親しくなれた。

 以後ワイスはオルトリンデとスクロールの通話を介して毎日のように話し、時にはパーティーの場などで直接会って贈り物を交換したりして、着実に仲を深めていった。やがて二人は仲の良い友達だと認め合うに至り、そのいじらしい様に大人達は相好を崩したものだ。だが――幼い少女同士の交流は長続きしなかった。

 

 オルトリンデの乗っていた列車がテロリストに襲撃され、少女が巻き込まれて帰らぬ人となってしまったのだ。

 

 怒り狂うジャックの横で、ワイスは呆然とする。

 父が怒っているのは、オルトリンデの父が経営していた会社と協定を結び、販路を拡大しようとしていたのに、オルトリンデの父もまたテロリストの襲撃で死んでしまったからだ。

 公の契約だ、社長が死んだだけで白紙になりはしない。だが列車にはオルトリンデの父娘のみならず、シュニー社の取り扱うダストも大量に載せられており、それらも奪われてしまったのである。損害は大きく、ジャックの怒りは計り知れないものとなっていた。

 何せシュニー社をターゲットにしたテロはこれが初めてではない。何度も、何度も、損害が生じてしまっている。髪を掻き毟るジャックに――ワイスは乾いた声で問い掛けた。

 

「……誰が」

「ん……なんだね、ワイス」

「誰が、やったんですの……?」

「………」

 

 娘の問いに、一瞬答えていいものかと悩んだジャックだが、ワイスは次期社長となるべく教育している娘だ。知る権利はあるし、知っておく必要もある。ジャックはそのように判断して答えた。

 

「ホワイト・ファングだ。……薄汚いファウナス共の仕業なのだよ、これは」

「ファウナス……」

 

 ワイスはそれを知っていた。

 人間によく似ていて、しかし人間ではない、野蛮で、恐ろしい獣だと教わった。本当にそうなのかと疑ってはいたが、今この時ファウナスが悪しき存在であると理解した。

 父の会社――自分の家の資産を奪う強盗で、自分の大切な友達を、はじめての友達を■した唾棄すべきもの。その存在を胸に刻み付け、しかしワイスは怒りや憎しみよりも深い悲しみに暮れる。

 ワイスは亡くなった友人を悼んで泣いた。自分の部屋で人知れず、声を殺して。聞けば死体も残っていないらしい。どうしてそんなことになったのか、原因を知る勇気はなかった。

 怖かったろうに……痛かったろうに……死んだ後にさえ、無事な母の下に帰れもしないだなんて酷すぎる……ワイスは一頻り涙を流した後、この想いを誰かに吐き出したくて堪らなくなった。

 

 そうした時、相手として思い浮かぶのは決まって兄だ。

 

『――そんな事が……辛かったね。傍に居てやれなくてゴメンね、ワイス』

 

 兄は沈痛な表情を浮かべている。

 スクロール越しに見る顔と、聞く声に、ワイスは安心感を覚えて、また込み上げるものを感じて涙を溢した。そんなワイスに兄は問いかける。

 

『犯人は誰か分かるかい?』

 

 ファウナス、ホワイト・ファング。

 その名を口にすると、哀しみの峠を越えていた為か、どす黒い憎しみが湧き上がり始める。深刻な怒りの火が、ワイスの心に灯ろうとしているのを見咎めたのか、兄は形の良い眉を顰めた。

 

『………』

「……お兄様? どうかなさって?」

『いや。それはいつの事か訊いておきたくてね。でも思い出すのが辛いなら、ジャックさんに確認を……』

「……大丈夫ですわ。テロがあったのは、三日前の昼頃と聞いてます」

 

 そう言うと、兄は少し――なぜか安堵したようだ。 

 

『三日前か。なら……』

「……? なら……なんですの?」

『ああ、これは僕とワイスの秘密の話なんだけど――』

 

 兄と自分だけの秘密。その響きに幼いワイスは惹かれ、無意識に耳をそばだてた。

 露骨ではない。しかし話を逸らされた。ワイスはその事に微かな引っ掛かりを覚えたが――すぐに忘れてしまう。小さな引っ掛かりが気にならなくなる、ビッグニュースを聞かされたからだ。

 

『――おととい。つまり2日前の事なんだけど、メナジェリー大陸にあるらしいホワイト・ファングの本部が襲撃を受けたみたいでね。ホワイト・ファングがとある組織の傘下に加わったみたいなんだ』

「……そうなんですの? その組織というのは……」

『ヴァキュオで急激に勢力を伸ばしている、カオスという反社会勢力だ。なんでも現行体制の打破、打倒を目指しているらしい。その為に同類項の連中を糾合して回っているようだ。各国にあるホワイト・ファングの支部も遠からず、カオスに取り込まれてしまうだろうね』

「カオス……」

 

 その名を、呟く。

 憎いファウナスをも手下に加え、どれほどの大事を成そうとしているのか想像もつかない。どこか空恐ろしい陰謀が蠢いているのを感じて、聡明な少女は冷たい予感を懐く。兄はどうしてそんな話をしてくれたのだろう。その意味を問うと、珍しく兄は即答を避けて別の話をした。

 

『カオスの存在を僕がどうやって知ったのか、どうして君に教えたのか。説明する機会はひとまず横に置かせてくれ。そんなことよりもワイス、友達の事は残念だし、テロリストを憎むのは正しい事だ。けどファウナス全体を蔑み、敵意を向けたりしないようにね』

「っ! ……なんで、そんな事を……?」

 

 その忠告を受けた瞬間、頭に血を上らせかけたワイスだったが、元々知能の高い少女である。高度な教育を受けてきた事もあり、彼の言わんとしている事を察してしまった。

 口惜しげに唇を噛む。案の定、兄は道理を説いてきたから。

 

『人間にも悪人はいる。ファウナスにもそうだ。彼らの中にも善良な人はいるんだよ。一部だけを見て、全体を悪人だと決めつける愚は冒さないで欲しい。分かるね、ワイス。憎むなら、悪を憎むんだ』

「………」

『それと話を戻すけど、僕がカオスの事を知ったのはつい最近だよ。耳の早い友人が居てね、彼から教えてもらった。いの一番にワイスに教えたのは、君に決めてほしいことがあるからだ』

「……わたくしに?」

 

 怪訝に思って反駁すると、兄は真剣な表情でワイスへ提案する。

 

『ミストラルの郊外で、四王国のいずれにも属さない中立都市が建造される。マドンナリリーというのだけど、そこに新しく初等科のアカデミーが作られるんだ。ワイス……そこの一期生になる気はないかい?』

「! ……で、でもお兄様……わたくし、家から離れられるかどうか……」

 

 予想外、望外の誘いにワイスは戸惑う。この一瞬だけ、友達を亡くした悲哀と、仇敵に対する怒りも失念した。それほどまでに意外だったのだ。――この頃になるとワイスも、兄とジャックが対等な関係である事に勘付いている。兄からの提案や要請を受ければ、ジャックは恐らく頭ごなしに否定はせず真摯に検討し、筋と利が通るなら応じるだろうと思った。兄は口元を緩める。ワイスが察したのを察したのである。

 

『恐らく君の意志が最後の決め手だ。マドンナリリーのアカデミーに通ってくれるなら、僕も年に一度とは言わず週に一度はワイスと会える』

「え……?」

『新設されたアカデミーが人手不足になるのは想像に難くない。そこでマドンナリリーの代表の親族である僕が、ボランティアで講師役を買って出たんだ。そこでならワイスを守ってあげられる』

「………」

『どうかな? よかったら考えていてほしい。腹が決まったらジャックさんに話してくれたらいいから』

「……分かりましたわ」

『よかった。それじゃあ――』

「待って、お兄様」

『………なんだい?』

 

 話を切り上げて、通話を切る流れになったのを敏感に察知して制止する。

 すると兄は意外そうに眉を動かし、ワイスの固い表情を見詰める。

 敬愛する偉大な兄に、これまでとは別種の我儘を言いたくて堪らなくなっていたのだ。

 

「お願いがありますの。……その、お兄様の立場を考慮していないワガママとは承知しているのですけど……聞いてくださいますか?」

『もちろんさ。ワイスのお願いなら、なんでも聞こう』

「でしたら! ……っ……ぁ、いえ、やっぱり……なんでもありませんわ」

 

 言い掛け、しかし撤回する。

 言って良いことと悪いことがある。そんなこと、ワイスも理解していた。

 ――友達の仇を討ってほしい、なんて。言えるわけがない。

 もし言えば、兄は本当に仇を討ってくれるだろう。万難を排して。あらゆる危険を掻い潜ってでも。そう、()()()だ。自分のワガママで、兄に危険な橋を渡ってほしくなかった。

 兄なら大丈夫だとは思う。けどそれとこれとは話が違う。故に、気遣わしげに問い掛けてくる兄に、繰り返しなんでもないのだと言い張った。

 

『……分かった。それじゃあ、また。何かあればすぐ連絡してほしい』

「えぇ、もちろんですわ」

 

 ワイスは無理に微笑んで、通話を切る。

 ……自分の友達なのだ。自分で――仇を討つ。

 ホワイト・ファングを倒す、そう決めた。その過程に立ち塞がるのなら、カオスという組織がどれほど強大でも打ち倒してみせよう。厳しいようなら、助けてもらえばいい。仇討を実行する頃には自分も、兄の足手まといにならない強さを手に入れてみせる――

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 本当は、ヨナタンはワイスをマドンナリリーに誘うつもりはなかった。

 だが親しい友を亡くした彼女が哀れで、どんな慰めの言葉も伝わらないと思ったから、新しい友人を得てほしかったのだ。

 しかしワイスは頑固な一面がある。きっと仇討ちを考えるだろう。情が深いと言えば聞こえは良いが、無謀だ。それに彼女はカオスの傘下に降ったホワイト・ファングを仇に定めている。

 となると、カオスともぶつかるだろう。

 悩ましい事だ。ワイスの友人が亡くなった事件は、ホワイト・ファングがカオスの傘下に入る前に起こっていた為、間接的にヨナタン(アッティラ)が殺害したわけではない事は不幸中の幸いだったが。

 

(……ワイスが道を誤らないように……いやその考えは傲慢だ。彼女の選択ならなんであっても尊重する。するけど……どうする? 今の内にホワイト・ファングを排斥……駄目だ、アッティラに彼らを使い潰すように言っても、下手に扱えば彼らは離散する。そうなると制御できない。……制御下に置きつつワイスに仇討ちの場を用意する? でもそれは……ああ、まずい。今までで一番の難問だよ、どうすればいいんだ?)

 

 思わぬ難題に見舞われ、ヨナタンは頭を抱える。

 こんな事ならホワイト・ファングを傘下に引き込ませなければよかった。ヨナタンが命じたわけではないが、アッティラから逐一報告を受けているのだ。動向を報され、是としたのはヨナタンである。

 とんだ不発弾を抱え込む羽目になったヨナタンは舌打ちしたい気持ちでいっぱいで。今後どうするかについて思索する。

 

(……こうなったら仕方ない。今はアッティラの采配に任せておいて……十年後を目処にホワイト・ファングを排除する舞台を作ろう。そこにワイスを噛ませて、僕が傍にいれば死傷はさせずに済む。ああっ、チクショウ! 他の事でなら幾らでもやってやれるのに、こんな形でマッチポンプじみた真似をしないといけなくなるなんて……!)

 

 苛つく。苛ついてしまう。

 これだから、管理されておらず野放図に暴れるテロ組織は嫌なんだ。

 軽はずみに被害を出すようでは、どんな大義名分を掲げても聞く耳を持つ価値もない。

 

(殺していいのは腐敗した層だけだ。そうした輩はえてして権力に守られているから司法が機能しない、だから必要悪として、表社会の汚職層を物理的に排除する。そのための管理だ、秩序を正すための悪だ!)

 

 その枠からはみ出る者が出ないように、全ての悪に首枷を嵌めてやる。可及的速やかに。

 

(何がファウナスの尊厳を勝ち取る、だ! ふざけるな、テロに手を染めた時点で戦争しか無いって分からないのか能無し共……! お前たちのせいで無関係なファウナスまで偏見の目で見られるようになるんだぞ! ――あぁ、いいさ。お前たちが自分の手で火種を撒き散らすっていうなら、僕がファウナスの尊厳とやらを手に入れて、恵んでやるよ――)

 

 ヨナタンは怒っていた。危うく妹分の友達を亡き者にした連中のテロに、加担していた事になりかけていたのだ。おまけにそんな連中がヨナタンの構想し作り始めていた必要悪に加わっている。

 こんな事は赦せない。理不尽? 不条理? 知ったことか。勝手に暴走したテロリストの言い分に価値はない。テロリストは死ね。ヨナタンが思うのはそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




力が…溢れる…高まるぅ!
感想ありがとうございます!もっとちょうだい♡(強欲)


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窮極のエゴは英雄の証

 

 

 

 

 間もなく三回生に進級する。しかし最近はアカデミーに出席する事は殆どなかった。

 

 優等生を気取る為には真面目な授業態度を見せるべきなのだが、そうも言っていられないほど忙しかったのだ。

 新都市の建設が開始されるのは春からだが、それまでにナーハフォルガー本家やジャック、アイアンウッドやオズピンと打ち合わせる事が多々あり、ローマンの会社を移転する手続きを手伝わねばならなかった。

 下準備は入念に行ない、新設されるニワシロ・アカデミーの特別講師の枠にヨナタンを食い込ませる為の働き掛けもしていた事もあり、ヴェイルにいる時間はめっきり無くなってしまっていたのである。

 そんなわけでヨナタンは今、ミストラル王国の都市アーガスにいた。やっている事は至って簡単な事。新都市マドンナリリーへの入植者を募集している。街頭でビラを配りながら、質問者がいれば懇切丁寧に魅力を説くのが仕事だ。こんな事はヨナタンの仕事として相応しくないように思えるが、顔を売るのも立派な戦略である。ヨナタンの名声は今のところヴェイル国内に留まっているレベルなのだ、世界的なスターに成るための下積みというわけだ。

 

「………」

 

 せっせと愛想とビラを配っているヨナタンであるが、流石に飽きが来ていた事もあり、彼はもう如何にサボるかの口実を考え始めていた。もっとド派手かつ効率的に顔を売ったんでも良いじゃないかと。

 朝方から夕暮れ間近まで頑張ったんだから充分じゃないか? オープンカーに乗って街頭演説でもぶち上げた方がまだ人の印象に残る気もする。こんな馬鹿真面目にビラを配るのはうんざりだ。

 なんならビックリ手品ショーでもやってやろうか――そんな益体もない雑念をどう処理するか、どう現実に出力(ジッコウ)するかを真剣に考え始めた時の事だ。ヨナタンはここで小さな出会いに恵まれた。

 

「………」

「ん……なにかな?」

 

 荷台に積んだビラの山が半分になった頃、健康的に日焼けした肌の、坊主頭の少年がやって来たのだ。固い表情で近づいてくるなり、物問いたげに見上げてくる。歳は7つになるかどうかだろう。

 少なくとも九歳になったヨナタンよりは年下だ。ヨナタンに限って言えば年齢など有って無いようなものだが――さておくとして反応を示すと、少年はおずおずと問いを投げ掛けてくる。

 

「……それ(ビラ)の事で聞きたい事がある」

 

 歳の割にはきはきと喋り、しっかりした意志を感じさせる声と、目だ。

 ヨナタンは事情持ちかなと思いながら応じる。

 

「ああ、いいとも。なんでも聞いて」

 

 優しい年長者のように振る舞うと、少年は一瞬躊躇した素振りを見せる。

 しかしすぐに意を決したのか、まっすぐにヨナタンの目を見て口を開いた。

 

「その、新しい開拓地ってところに、にゅうしょく? する人間を探してるんだよな」

「そうだね。名前はマドンナリリーだ」

 

 口の利き方が目上に対するそれではないが、ヨナタンにそれを指摘する資格はあるまい。多くの大人に対して対等な目線――ともすると上から目線とも取れる態度を取っているのだ。自分がされたからと怒りを露わにするようでは、それこそヨナタンの程度が知れるというものだろう。

 それに本心として、生意気なガキめ、なんて思ってもいない。子供ならこんなものだろうと思うだけだ。これが子供のスタンダードなのだから、一々目くじらを立てる方が大人気ない。

 

「噂で聞いたんだけどさ、その……そこで、アカデミーが作られるってほんとうなのか?」

「本当だとも」

「! な、なら……」

「ああ――」

 

 少年の聞きたいことを察する。

 貧農だろうか? 両手の爪の隙間に土が詰まっている。

 粗悪な身なりで、幼さの割に落ち着いた物腰。ニオとは別種の大人びた佇まい……子供が子供で居られる時間を失くしているのだろう。家庭環境が貧しく家計の心配をしているようだ。

 

「安心していい、学費は無料だ。他にも生活費や教材費もね。おまけに手当として、毎月25日に賃金が支払われる。基本賃金は最低額だけど、成績や生活態度によっては加算される事もあるね。将来の進学先の斡旋も抜かりはない、在学中の危険手当や各種保険も完備してる。詳細はこの資料(ビラ)に載ってるけど、いるかい?」

 

 先んじて答えてやると、少年の目の色が変わった。

 いらない、と少年は言う。悩む余地など無い、最高の条件だと判断したらしい。なかなかどうして、所詮子供と馬鹿にできない早熟な意志の強さがある。思わぬ掘り出し物になるかと期待を懐いた。

 

「俺は父さんや母さんを楽にしてやりたいんだ。アカデミーに入れてくれ」

「結構。だがそいつは勇み足だ。君がどれだけ気高い決意を固めても、親御さんに相談もしないで決めさせる訳にはいかないね。この紙切れを持って帰るんだ、裏面に契約条項と詳細な条件が書いてある。納得できたらサインをしてもらって、そこに書いてある宛先に送ってもらわないといけない。だからきちんと親御さんと相談するんだ。いいね?」

「――分かった。だが……ここに定員制って書いてあるぞ」

「当たり前だろう? 金が湯水のように湧いて出るなら定員なんて設けない。慈善事業じゃあないんだ、無制限に生徒を募集していると思っていたなら大間違いだよ。だけどまあ……」

 

 懐から取り出したメモ帳に、サラサラサラーと名前を書く。ヨナタン・ナーハフォルガー、と。綺麗に千切り取った頁を少年に押し付けると、にっこりと微笑みかけて優しいお兄さん光線を照射してやった。

 

「入学申し込みをするなら、ソイツを同封すると良い。抽選漏れしなくなる」

「……ありがとう! 良い奴だな、あんた!」

 

 少年はヨナタンのサインがどういう意味を持つかだけを理解して、ニッと破顔して走り去っていく。そんな真似ができるヨナタンの立場については考えが及んでいないようだがそこは仕方ない。まだ子供なのだ。

 あからさまな依怙贔屓だが、責められる謂れはないと思う。どうせなら退路のない、やる気のある子供に目を掛けてやって何が悪いというのか。貧しいだろうに文字を読めるという所から、親が愛情を持って教育してきたという背景も見える。早々下手な事にはなるまい。

 

 ――ニワシロ・アカデミーは、初等訓練校だ。飛び級制度はなし、卒業までの十年間様々な教育を施す。教育内容として文字の読み書きや各国の歴史、地理、数学に文学などもある。

 

 だが主要科目は戦闘訓練だ。規律も厳しく、甘えは許さない。軍学校よろしく厳格に育てる。その代わりに、よその初等アカデミーとは違って、賃金や保険を約束するのである。それはつまり子供であっても一人前として扱うという事であり、全てを隠し立てせず詳細に記した説明文も載せてある。

 来たくなければ、来なければ良いのだ。自分の子供を預けられないと思うのなら、応募しなければ良い。だがここを卒業した暁には、希望者はアトラスやミストラルの軍学校へ確実に入学できるし、ヴェイルのビーコン・アカデミーを初めとする、各国の高等アカデミーへの入学試験にも圧倒的優位に立てる。

 そしてマドンナリリーが発展すれば、ニワシロ・アカデミーにも高等部を作り、ビーコン・ヘイブン・アトラスの三校に匹敵するアカデミーにする。仕上げに就職先の選択肢の一つにローマンの()()会社を選べるようにしたら、ハンターの別の形も出来上がるという寸法だ。

 

 警察兼軍隊兼ハンター、最初はそこから。勿論ヨナタンがいの一番に入社して先駆けになる。ヨナタンが有名になっていればなっているほど、やり甲斐と魅力のある会社に見えるようになっている事だろう。

 

 そんな事を考えながら、ヨナタンは辺りを見渡す。

 

 黄昏時だからか人通りも少なくなってきた、そろそろ河岸を変えよう。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 “愛想とビラ”撒きを終え、視察を名目に足を運んだのは、ミストラルに間借りしている大講堂だ。都市部の一角にある講堂の一室で、新設アカデミー第一期生の採用試験が行なわれているのである。

 

 一期生の定員は二十名。アトラスとミストラルの他、ヴェイルとヴァキュオの二国からも応募者がいた。総数は意外にも約百人である。利に敏く耳が早い大人はどこにでもいるという事だろう。

 

 書類選考の段階で明らかに不適格な者は弾き、残りは面接で人格面を評価して絞り込む事になっているが、不適格と判じる基準は完全に大人の事情――金と政争絡みのドロドロとした案件――でしかない。

 まず無条件で失格対象になるのは、各国で高い社会的地位を有する者の子息子女である。議会の評議員の令息令嬢でも例外にはしない。保護者という名目で学び舎の運営に口を挟まれせたくないからだ。

 利に敏い者はどこにでもいるが、喧しい者もどこにでもいる。一度でも口を挟むのを許すと煩くなる一方で、百害を齎しておきながら一利も寄越さないのだから、徹底して防疫せねばならない。

 口ばかりよく回る評議会の雀ばりに、好き勝手に囀るのは結構だが、それをさも当然の権利を行使しているかのように、得意面をするような愚昧な輩に構う暇はないのである。

 ――次にダスト製造業を初めとした、よそに既得権益を築いている企業連に属する者の子供も失格対象になる。生徒の親類のマドンナリリーへの入植は優先的に認可されるため、企業の進出拡大の足掛かりにされかねないからだ。それはヨナタンとローマンが目論む、マドンナリリーでの利権独占の障害に成りかねない。故に問答無用で選考から漏らしてもらっている。

 

 それだけで半数が消えた。応募者の半数がそうした手合いだった事には流石に笑った。

 

 残りは面接試験を行ない、ハンターとしての資質を有するか、人格面を評価して合否を決定する。

 面接官はナーハフォルガー本家の元ハンターが二人。彼らはそのまま教職員としてアカデミーに勤める予定で、そんな彼らの前には面接中の三人の入学希望者がパイプ椅子に座っていた。ヨナタンは面接室に張られているマジックミラー越しに、隣室で面接の様子を見学している。

 書類選考をクリアした者のみを対象にした面接。記念すべき第一期生の選抜には慎重を期す一方、定員である二十名を確保する必要もある。選考を突破した子供は四十八人。数は充分だが、二十八人をここで(ふるい)に掛けて脱落させねばならない。

 

 ヨナタンは見込みの有りそうな者に見当は付けていた。選出基準は主に家庭環境、両親の犯罪歴や家計事情の他に志願理由も見ている。質疑応答は飾りと言っても過言ではない。

 今日面接試験を見学しに来たのは、面接を受けている面子がヨナタンの注目株だからだ。クロユリで救出したライ、ノーラ、ビラを配っている最中に良さげな意志の強さを見せた坊主頭の少年である。

 坊主頭の少年の名はセージ・アヤナというらしい。三人同時に面接している彼らには言っていないが、既に合格させる方向で話は纏めていた。セージに関してはヨナタンの贔屓だが、ライとノーラはマドンナリリーに名を改める前のクロユリ、オニユリの合併地に開拓民として居た為、彼らの両親が再び入植を希望していた事もあって優遇しているのだ。

 ノーラは浮浪児で素性は知れないが、身寄りがないのは当校の試験では有利な要素にしかならない。誰の紐付きでもない点が素晴らしく、退路もないので教育が厳しくとも逃げ出す心配がないからだ。

 

「マイ・アンセスター、こちらを」

「ん……」

 

 緊張した面持ちで面接官と質疑応答する少年少女を眺めていると、入室してきた男が資料を渡してくる。ヨナタンはそれを受け取ってちらりと視線を向けると、口元が緩むのを自覚した。

 資料の内容は志願書である。丁寧にジャックの私信も添付されていた。

 ワイス・シュニーが入学志願している。受付期間は既に終わっているが、ヨナタンの強権でどうとでも捻じ込める。資料を男に返しながら、その顔を見て名前を思い出した。

 

「ジャックハートか。久しいな」

「! 名前を……覚えていていただけたのですか……」

 

 ヨナタンの護衛として一時期張り付いていた男だ。ハッキリ言っていてもいなくても問題のなかった男だが、優秀ではある。本家が無能な男を深淵狩りの傍に置くはずもない。

 対本家用のペルソナを被りながら呼ばうと、それだけで感激したような表情をされる。若干ウザいが慣れたもので、綺麗に流して命じた。

 

「ジャックハート、定員の枠を一つ増やせ」

「……よろしいので?」

「既に合格が決まっている子供を除いては憐れだろう」

 

 自分で言っておきながら白々しい言い分だなと思ったが、関係ない。

 

「以後も目ぼしい子供を見掛けたら引き抜いて来る。お前もそうしろ。予め三十名まで受け入れられるようにしているのは引き抜く(その)為なのだから」

「畏まりました」

 

 一礼して退室していく男から視線を切り、再びマジックミラーの向こう側を見る。

 しかしヨナタンの思考は余所事に割かれていた。

 ワイスの為の訓練メニューや、彼女が実家から離れたせいで受けられなくなる英才教育の代替教育のプランを考える。その傍らでマドンナリリーに纏わる計画の全てを改めて思い返した。

 

 マドンナリリーに初期から噛む勢力はアトラス、ミストラル、シュニー社。

 それから下手に高尚な歴史を持っているせいでアトラスからも持て余され、マドンナリリーを体の良い放逐先にされたナーハフォルガー本家。ついでに歯牙にも掛けられていないローマンの財団。

 マドンナリリーの建設が始まるのは春。同時にニワシロ・アカデミーも始動するが、新都市建設中にも宿泊できるように宿泊・訓練・娯楽の校舎と施設をミストラルで建造し、浮力を発生させるダストを利用して()()()()()()()()()()()事を計画している。

 都市の建設中はグリムの襲撃を警戒してアトラス軍の一部隊と、ナーハフォルガーの私設兵団、ハンター達で警戒にあたり、ヨナタン自身もそこに加わる事になっていた。

 

 これから数年間は忙しくなるが、同時に語るべきものもない平坦な時間が過ぎ去っていく事だろう。

 二年後にはアッティラがミストラルに進出してくるはずだ。

 その頃には彼の悪名も世界に轟いているだろうし、ローマンの策の通りに踊る舞台も整えられている。勧善懲悪をテーマとした活躍を、可能な限り長引かせるのもヨナタンの役割であった。

 

(ファウナスの英雄(ボク)()()()()()()()()()……)

 

 本当はヨナタン一人でアッティラを食い止める役を演じるところだが、ファウナスへの差別と偏見を和らげ、彼らの尊厳を勝ち取る為には、もう一人の自分を作らねばなるまい。

 人間とファウナスが協力し合う姿を世界中に見せつけるのだ。

 一人三役とは中々気合の入った演出だと言えよう。人間のヨナタンがファウナスの英雄を友にし、稀代の巨悪を倒すのは演目の内容としても面白そうだ。後の世にファウナスが対等な隣人として扱われるようになった契機として伝わるようにすれば、さぞかし創作の題材として人気を博すと思われた。

 いや、むしろ自分達でその手の創作を広めるのも事業の一環としよう。

 

(ホワイト・ファングには()()()()()()けど、()()()()が排除したんじゃあ駄目だ。()()()()()()()が殺さないと意味がない。彼らは自浄作用でテロリストを駆逐したんだと世間には訴えないとね)

 

 自らの置かれた境遇に不満を持つファウナス達も、ヨナタンとローマンの企図する国際連盟――国連に参加して、世界的な要職に就ければ文句は言わないだろう。人間のファウナスを見る目も徐々に変わっていく。

 無駄に行動力と殺意がある有害な差別主義者は、アッティラに合流するであろうし、その時は合法的に()()()()()始末すれば、そちらも自浄作用だと宣ってしまえる。

 

(んー……エンリルでいっか、ファウナスの僕の名前は)

 

 姿形は違えど、自分である。格好良く作ってやろう。

 肉体を伴っているため物を食べ、喋り、血も流す上に死体は残るが、影分身の術と言っても過言ではない。というか過言も何も、アッティラもヨナタンであるのだから当然の事だ。

 

()()()()()()()()

 

 その頃にはほぼ確実に――セイラムが、アッティラに接触しているだろう。アッティラの存在意義には、敵の勢力の動向を正確に把握して利用する事も含まれているのだ。

 

(個人的なエゴに世界を巻き込むからには、最大多数にハッピーエンドを迎えさせて、割を食う少数の方に悪者を割り振る。――忙しくなるぞ、頑張って働こう。あなた達の息子が世界を多少は綺麗にした男なんだって、父さんと母さんに誇らせてあげたいからね。お兄様は凄いんだって自慢されたいってものあるし……)

 

 ヨナタンの動機は、あくまで情を懐いた人間に端を発するし、帰結する。

 深淵狩りは、人間なのだ。

 人間を突き詰め極限化させた存在である以上――エゴの完遂に躊躇はない。

 

 故にヨナタンの末路は英雄でしかない。

 彼は、()()()()()()()()()()()なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 



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【幕間】憤怒、怨嗟、策謀

 

 

 

「――馬鹿な。あの男に叛くだと?」

 

 アダム・トーラスは信じられない思いで、ホワイト・ファングの現リーダーであるシエナ・カーンを見詰めた。同組織の創設者、ギーラ・ベラドンナとの派閥争いに勝利してリーダーの座を奪った女傑は、決意を秘めた瞳で若きファウナスを見詰め返し、そして力強く肯定の言葉を紡ぐ。

 

「そうだ」

「馬鹿な」

 

 それに、アダムは吐き捨てるように繰り返した。

 アダムとてアッティラ卿に忠誠を誓ったわけではない。力で斬り従えられた身で、忠誠心など懐けるわけがない。寧ろいずれはこの手で殺してやると思っている。誇り高きファウナスとして、人間如きの風下に立たされる屈辱を、いつまでも味わっているつもりはない。

 だがアダムは戦士である。戦士として冷静に分析して勝算はないと考え、今は力を蓄えるべきだと考えていた。叛逆するにはまだ早い。遺憾ながらも認めている。アッティラ卿は強い……強すぎる。それこそホワイト・ファングの全精鋭が束になって掛かっても、殺せると思えないほどに。

 故にアダムは断じるのだ。シエナの叛逆は無謀であると。そんなこと、シエナだって分かっているはずだ。なのに何故今なのだ? もっと強くなって、武器を集め、信頼を勝ち取り、その上で不意に裏切って殺すのが最善にして確実な手である。アダムはその事を説こうと言葉を探した。言われるまで無い事を言わせるシエナに苛立ちながら。だが、シエナは言った。

 

「限界なんだ」

「限界? 限界だと?」

「そうだ」

 

 少なくとも今現在は、アダムは彼女に敬意を懐いている。

 シエナは武力行使を以てファウナスの尊厳を勝ち取ろうとしていた。人間よりもファウナスの方が優れていると信仰しているアダムは、故に人間如きに虐げられる世の中に過激な反感を持っていた。だからこそ、軟弱な平和主義者の前首領よりも、シエナを支持して首領に仰いだのだ。

 そんなシエナが限界だと言う。失望するよりも何故だという疑問がアダムの中に渦を巻いた。

 

「お前は強い。だから分からないのだろう」

「……何を言っている?」

 

 真剣に、意味がわからない。アダムが強いのは分かりきっている事だ。そうでなければ若き身の上で他者から尊敬される立場になど立てていない。シエナの言わんとする事が飲み込めず、ひたすら困惑した。

 そんな青年に、シエナは自嘲を込めて告げる。

 

「五十七。この数が何を意味するか、分からないお前ではないだろう」

「………」

「カオスはヴァキュオの裏社会を支配し、牛耳るところまで来た。だがその過程で我らの同胞は次々と倒れている。何故か? アッティラを除くカオスの戦闘員は、我らよりも弱いからだ。故にアッティラは私達を重宝し、率先的に戦闘に駆り出した。無傷で終えられる戦いはなく、必然として同胞は何人も死んだ。――限界だと言ったのはそういう事だ。私ではなく、ホワイト・ファングの同胞たちが、もう堪えられないと激発しそうなんだよ」

「……人身御供になるつもりか」

「その通り」

 

 口の中が乾き、アダムは喘ぐように呟く。

 笑みを浮かべて答えた女傑は、青年の肩にそっと手を置いた。

 

「勝算があろうとなかろうと、立たざるを得ないんだよ。私は――奴らを見捨てられない。だから激発しそうな連中を集め、決起する。今日はお前に、叛逆に加わるなと言いに来た」

「………ッ!」

「アッティラは冷酷だ。だが奴自身にはファウナスを差別する気配はない。一部が叛逆したからと、すぐさまお前達を始末しようとはしないはずだ。――忠誠を、示しさえすればな」

「俺に……! この俺に、仲間を売れと言うのか……!?」

「いいや。私達が成功したならそれでよしだが、失敗してしまった後の事も考えねばならない。アダム、お前は私が失敗したら、アッティラの片腕に上り詰めろ。働きで忠誠を示せ。それが残った同胞を守る事になる」

 

 血を吐くように怒鳴るも、シエナは否定し、憎き怨敵に媚を売れと言う。

 絶句するアダムに、彼女は申し訳なさそうに眉尻を落とした。

 

「誰にでも出来る事じゃない。お前にしか出来ない。だから頼む――」

 

 そう言って、シエナはアダムの目を見詰めた。

 

「これからはお前がリーダーだ。後は任せたぞ」

 

 

 

 

 

 ――ジ、ジ、ジ、ジ、ジ。

 

 

 

 

 

 電気の弾ける音。皮膚と肉、衣服の焦げる臭い。

 円柱状のプラズマ刃が、生物の心臓を灼き貫いていた。

 胸の中心に空洞のできた死体を前に、赤髪の青年は歯を食い縛る。

 

【裏切り者は粛清する。逃亡者は断罪する。カオスに属する者は皆同胞だが、そうでなくなった者を生かしておくほど俺は甘くない。我らが遵守すべきは国の法ではなく、俺の定めた掟だと知れ】

 

 二メートルを超える、黒尽くめの偉丈夫。ヴァキュオの闇を糾合し、頂点に君臨した彼の名はテュルク・アッティラ。今や国家上層部の議会も彼の存在を認知し、大々的に指名手配しているものの、多くのハンターや警察、軍隊までもが撃退されていた。

 彼は片手で持ち上げていたファウナスの死体を地面に投げ捨てると、黒メットと仮面に付着していたファウナスの血反吐を拭う。死してただの肉袋となった死体を踏みつけ、アッティラ卿が冷酷に告げた。

 場は水を打ったように静まり返って畏怖の念に支配されている。

 含有しているのは、憎悪、怯え、怒り、そしてそれらを凌駕する恐怖だ。

 粛清されたのはファウナスである。ファウナスだから殺されたのではない。裏切ったから――叛乱を企てたから殺された。叛逆者はホワイト・ファングのメンバーであり、そうであるからこそアッティラ卿は彼らの同胞であるファウナス達を粛清の現場に連れてきたのだ。

 

 踏みつけられたファウナスの死体はシエナだ。彼女と共に決起した三十名余りのファウナスが、アッティラ卿ただ一人に鏖殺された。殺された精鋭とシエナの実力を知るからこそ、ファウナス達は動揺し恐れている。

 アダムはシエナの死に顔が、自分に語り掛けているように感じ、必死にアッティラへの殺意を押し隠した。

 

「アダム……」

「………」

 

 震える拳に手を添える、黒髪の少女。アダムの弟子である、ブレイク・ベラドンナだ。恐怖に震えながらも、師父であるアダムを気遣える彼女の優しさに触れ、なんとか冷静さを保ったアダムは拳を解いた。

 

「後のことは、俺に任せろ。この時より裏切り者のシエナではなく、俺がお前たちのリーダーになる」

 

 アダムがそう言って、ホワイト・ファングの仲間達を見渡す。 

 自らの背中にアッティラの視線が突き刺さっているのを感じて鳥肌が立つ。怒りと、憎しみと、戦慄で。気が狂いそうなほどの激情を、ブレイクの手を握り返す事で懸命に抑え込んだ。

 有無を言わせぬアダムの宣言に、ファウナス達は頷く。人間なんかに、という反骨心は今はない。殺されたくないという恐怖が、若輩のアダムが頭目の座を継ぐ事を容認させた。

 

【アダム・トーラス】

「ッ……は、なんでしょうか」

 

 声が震える。だが、上辺だけとはいえ取り繕い、丁寧な物腰で応じた。

 アダムは激情家だ。しかし仲間の為の献身を求められれば、それを拒む男でもない。今は忍従の時なのだ、力を蓄えて機を掴むまで、憎き人間に媚び諂う事も是として飲み込めた。今は忠実な下僕を演じよう。愛しさを覚えている少女が傍にいる。彼女を守る事を考えれば、身を焦がす屈辱にも堪えられる。

 アッティラのくぐもった声。それに激怒しながらも表面上は忠実にうなずけたのは、傍らのブレイクが手を握ってくれていたからだ。

 

【薄汚い裏切り者共の死体を始末しろ。そしてシエナ・カーンの死体に鞭を打て。それをヴァキュオの広間に磔にすれば、お前たちの潔白を信じよう】

「そ……そんな!?」

「……ッ、ッ、……ッ!! ……黙れ、ブレイク。命令に従うぞ」

「アダム……!?」

「アッティラ卿、ご下命承った。言われた通りにしましょう」

 

 ブレイクの悲痛な声に、アダムが叱責を被せて封殺する。

 信じられない思いで師父を見る少女だったが、彼の内心はすぐに伝わった。痛いほど強く握られる手、微かに震える肩、それらがブレイクを沈黙させる。

 弟子の手を振り払い、虎のファウナスである女の死体に歩み寄ると、アダムは鞘に収めたままの刀を振りかぶった。それを振り下ろす。死体を何度も、何度も、何度も打ち据える。

 一度打つ度に怒りが増幅される。仲間の死体を打つ毎に憎しみが倍加する。誇り高きリーダーの姿を思い返す度、混沌とした悲しみがアダムの脳髄を焼いた。ファウナス達はその激情を感じる。彼は、新しきリーダーは、自分達の為に泥を被ってくれているのだと。

 憤怒する赤毛の青年は、やがて狂ったように笑い始めた。

 

「ハハ、ハハハハハ――!」

「………っ」

「アッティラ卿に叛くとは馬鹿な女だ! あの日、我らがメナジェリーで打ちのめされ、力の差を理解したのではなかったのか! 愚か者め、こんな女が俺達のリーダーであったなど、愚か過ぎて笑うしかない!」

 

 悪鬼の形相だ。今、アダム・トーラスは復讐の鬼へと覚醒した。

 その事を悟りはせずとも、不穏な変貌を目にしたブレイクは心が軋む音を聞く。

 恐ろしかった。アッティラが。

 憎かった。仲間を殺したアッティラが。

 だが今は、尊敬している師父が、狂ってしまったように見えるのが――ひたすらに、悲しかった。

 

「アダム……アダムっ! もう、もうやめて!」

「ハハハハハ! ハハハハハハハハ! やめろ? やめろだと!? 馬鹿を言うなブレイク! アッティラ卿が見て――」

「彼は去ったわ! あの男は、あなたを認めて、ここから去った! だからもういいの、もうシエナを打たないであげて……」

「――――、…………そう、か。あの男は、いないのか」

 

 いつの間に消えたのか、ブレイクも察知できなかった。我を忘れていたアダムも感じ取れていない。もしかすると、シエナの死体を打つように命じた直後には、ここから去っていたのかもしれなかった。

 見るまでもない、と。アダムの内心を見透かしたかのように。

 電源が落ちたように狂った哄笑を止めたアダムは、静かに辺りを見渡す。その目は――ゾッとするほど冷たく、しかし熱かった。純化した殺意が、彼の中に結実したのだ。

 

「……彼らの死体を、丁重に故郷へ送り返す」

 

 アダムは淡々と言った。

 

「アッティラ卿は、始末せよと仰ったが、どう始末するかまでは言われなかった。だから好きにしよう。だが、シエナは晒す。裏切り者の末路を、忘れないようにな」

 

 ホワイト・ファングのファウナス達は、うなずいた。

 彼らは狂信的にアダムを仰ぐ。彼の胸の内に共感している。あの男だけは赦せない。必ず殺してやると、言葉もなく誓い合っていたのだ。

 そんな彼らに、ブレイクは怖くなった。

 過激なテロを行なうようになった仲間達。巨悪に呑まれ、今、復讐鬼と化した仲間達。どうしてこうなったのだろう、どうしてこうまで変わってしまうのだろう。怖くて、恐くて、ブレイクは震えた。

 そんな彼女の肩を、強引にアダムが抱き寄せる。ぁ……と声を漏らしたブレイクの耳に、アダムが小さく囁いた。

 

「今は逃げるな」

「……え?」

「俺は奴の下を離れん。いつか奴の命を奪うまではな」

 

 それが、アダムの本心。

 決死の覚悟を固めたからこそ、彼は慈しんでいる少女の身を案じている。

 

「一人でも逃げられるまでに、お前を鍛え上げる。それまでは堪えろ。その後になら、逃げていい。どこまでも逃げるんだ。遠くへ――奴の手の届かない所にまで」

「ぁ……だむ、は……アダムは……?」

 

 嘗て無い恐怖が、ブレイクを貫く。

 アダムが、最後の優しさを見せている気がした。

 一緒に逃げよう、と言えない。

 声を震えさせて訊ねる少女に、青年は灼熱の籠もった声で応じる。

 

「言っただろう。奴を殺すのは、俺だ。今は下僕に甘んじよう、媚を売りもしよう。だが、ファウナスとして、男として、このままでいられるものか……! 俺の魂が叫んでいる……もっと力を、と……!」

「………っ」

 

 ――ブレイクは、この時の自分の愚鈍さを、臆病さを、一生許せなかった。

 掛けてやるべき言葉が見つけられない。逃してもらえるという約束に安堵してしまった。なんて、なんて弱い。変貌したアダムの怨嗟に怯んで、口を開けなくなるなんて。

 強く、なりたい。

 力を欲したのではなく、心を強く持ちたい。

 ブレイクは、心の底からそう渇望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【次に()()()()をするには、幾年か時間を掛ける事になりそうだ。その時にアダム・トーラスを殺せば、奴らの心は折れるだろう。さあ、次はどうする? ()()()()()()()

 

『おっと、私の名は出さないでもらいたいな、アッティラ卿。それから、ヴァキュオでの仕事が纏まったのなら――次はミストラルに来てもらおうか』

 

【いいだろう】

 

 冷たい声はくぐもっていて、やはり機械的だった。

 

 

 

 

 



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ご利用は計画的に、ヨナタンです。

 

 

 

 燦々と煌めく日輪が空を青々と映えさせ、春の訪れを感じさせる緑の匂いが風に乗り、この空の下に生きる人々に希望を齎す。心の澱みを払うかの様な清々しい晴天だ。遥か彼方まで見渡せそうである。

 だが、宙に浮く幾つもの巨大な物体が、折角の景観を台無しにしていた。

 野暮とは思わないし、誰も言わない。浮遊しているそれこそが希望の象徴なのだから。地上に影を落とすそれを見上げながら、ヨナタンは夢に向かって計画が動き出したのを実感していた。

 

 ミストラル郊外で建設した校舎や寮、各種施設をマドンナリリーへ運んで行く。建造物の基礎の埋まった地面ごとだ。非常に大掛かりで、莫大な予算が費やされているのが伺える光景である。

 裏で巨万の富が動き、生じる利権を巡って血腥い暗闘が繰り広げられたものだが、少なくともこの光景だけを切り取って見るなら夢と希望に溢れている。グリムの脅威が未だに残る現代、人類の生存圏を広げる土地の開拓は無関係の人間でも期待を懐くものなのだから。四王国のニュースで、マドンナリリーの開発計画に触れない日はないし、関心は否が応にも高まっているだろう。世界中が注目する事業に携われた人間は例外なく高揚し、何が何でも開拓を成功裏に収めようと使命感に燃えていた。

 

 この日のためにあらかじめ建てておいた建造物を、宙に浮かせて目的地まで運搬する為に、シュニー社に発注して卸したグラビティ・ダストをふんだんに使っている。重力を制御下に置ける特殊なダストは高価だが必要経費だ。

 グラビティ・ダストによって建造物を浮かせ、飛空艇で目的地まで牽引していく……一見荒業に見えるこれは、世界(レムナント)では珍しくないわけではないが可能とされている作業である。しかし流石にここまで大掛かりなものは前代未聞だろう。この光景を撮る為だけに、多くの報道関係者が取材しに来ていたり、構えられたカメラの前でリポーターが実況している様子がそこかしこで散見された。

 

 今回の件で多大な利益を叩き出し、今後の建設作業でも大量のダストが発注されたことで、今頃ジャックはほくほく顔でいることだろう。深淵狩りと誼を通じた、数年前の自分の先見性を自画自賛してもいるかもしれない。これからも宜しく頼むよ、なんて笑顔を見せられたものだが――ヨナタンとしても否はなく、こちらこそと笑ったものだ。

 ただ宜しくしたいのは、財布が自分やローマンの物ではない時に限るが。

 言うまでもなくマドンナリリー建設は国家事業である。予算の四分の三をミストラルが、残りをアトラスが出す。予算の負担が少ない代わりに、アトラスが必要分の人員を集め、開拓期間中の警備を買って出ていた。ローマンもそこに乗っかって利益を得ているのである。つまり、こちらの懐は全く痛んでいないのだ。笑いたくもなる。

 

 無論、そうした条件を整えるために、多少は骨を折って苦労を買った。

 

 アトラス軍のアイアンウッド将軍は、マドンナリリー建設の功績の多くは自分にあると主張し、議会の議席を二つに増やす算段をしている。有事に備えて発言力の増大を狙っており、ミストラルはそれを支持する声明を出す事を内密に契約していた。ヨナタンの意向でナーハフォルガー本家も後押しする取り決めもある。これによりミストラルはアトラスの軍部への貸しを作り、両国の同盟を改めて強固にする考えがあった。そしてそれらの流れを作り出したヨナタンも同時に、アトラス軍とミストラル上層部から高い評価を得る。

 計画の立案、立場の違う組織・機関の仲介、中立都市に赴任しても両国が納得する人物――ナーハフォルガー本家――の推薦、利益を生む循環へ噛める身分の提供。暗躍とは自らの利益を追求するのではなく、多方面に旨味を与えて自分が一番おいしい部分を食べる行為を最上とする。ヨナタンの計略は完全に人間の欲と使命感を刺激し、完璧に結実していた。

 ナーハフォルガー本家の微妙な立ち位置は有り難かった。改めて認めよう。ウザッたいが、彼らは使える。アトラス王国有数の名家であり、財界や軍部に大きすぎる発言力を有する彼らはアトラスとしても目障りで、しかし排除するには極めて難儀する相手だった。

 名声が高く、一門の者は殆どが優秀で、清廉潔白な人格者が多かった事もあり市民の声望を集めているのだ。彼らを悪者にして利権を分捕ろうにも、彼らを出し抜くのは簡単ではなく、陰謀が露見した場合は市民からの反発とナーハフォルガーからの反撃で叩き潰されるのだから――誰も手出しはしたくない。

 故にアトラスは合法的にナーハフォルガーを追い出せるマドンナリリー建設に諸手を上げて歓迎し、ミストラルもまた大戦期の盟友であったマントルの英雄の血族を信頼していたので、彼らが中立都市に代表として赴任するならと納得できたのだ。大きな権威を有するアカデミーの――オズピンの説得で頷いた――学長達の後押しも、スムーズにナーハフォルガー本家が代表に選ばれるに至った要因である。

 

 外的な成功に至る要素は揃った。

 

 ニワシロ・アカデミーの今後は、一期生とそれ以降の生徒をどれほど優秀に育て上げられるかに掛かっている。故に指導の質と量の比率には細心の気配りをせねばならず、ヨナタン自身も臨時講師として手を抜くつもりはなかった。その為ヴェイルの初等アカデミーには進級試験を受ける時以外では滞在せず、ヨナタンも今後はマドンナリリーに居座る事になっている。軌道に乗った新都市建設を、グリムやテロリストに台無しにされたのでは堪らない為、周辺地域の警戒は厳に行なう手筈だ。

 

 

 

「提案なんだけど、メナジェリー大陸からファウナスの入植を募集するべきなんじゃないかな」

 

 

 

 空を見上げながら出された意見に、ニオを背後に従えてヨナタンの隣に立っていたローマンは軽く応じた。

 

「いいんじゃあないか? ()()()()()()()は、人間様に根深い猜疑心を持ってはいる。が、オツムも動物レベルだからな、根は単純だ。きちんとした待遇を用意してやれば簡単に懐くだろう」

「ローマン。分かってるとは思うけど、」

「あぁはいはい。()()()()()を差別する物言いは控えろって言うんだろう? 分かってるから安心しろよ、ヨナ。私からしてみたら人間もファウナスも間抜けばかりなんでね、区別はしないとも」

「ハァ……言葉遊びをする気はない。差別は駄目だけど区別はするべきだ」

 

 他人に聞かせてはいけない会話だと判断したのだろう。興味深そうな目を向けてくる記者達を、ニオが殺気を込めて睨みつける事で追い払っている。

 可哀想に……ティーンエイジャーに睨まれ、顔を真っ青にする大人達が無様に見えてしまう。見えるだけで、実際には無理もない話だが。

 ヨナタンの指導によってニオの戦闘力は確実に向上している。ローマンの付き人をしていたのだから既に手を汚した経験もあるだろう。殺気は虚仮脅しではなく、見た目の可憐さに反比例して凄みがあるのだ。一般人なら恐れをなしても仕方ない。

 それを尻目に鼻を鳴らしたローマンに、ヨナタンは苦笑混じりに嘆息する。確かにと肯定しそうになったが、自分で自分を賢いと思い上がっているように聞こえる為、中々頷き難い台詞だった。実際知恵の回るローマンを窘める気はないが、不特定多数を貶す資格は自分にはない。

 

「……で、住民として募集するのは勿論だけど、マドンナリリーが建設されるに当たって、用いられる技術を学べる環境も用意しよう。彼らも故郷の大陸を豊かにしたいだろうから、必死になって勉強するはずさ。労働者として雇うに際しては雇用条件を事細かに明記し、それを絶対に遵守する事を契約条項として盛り込む。内容を信じられないファウナス向けに、ナーハフォルガーの名前を出すのもいい。ファウナスだって人間の中に味方はいない、なんて思っていないからね。深淵狩りの中にはファウナスもいたっていうのは、よく知られているお伽噺なんだし、それを蔑ろにするようならナーハフォルガーの名に傷がつくのは自明だ。それぐらいは彼らにも想像できるだろう。どうかな?」

「あぁ? 細かい事はいいが……もしかして私の会社で雇用しろと?」

「我ながら名案だと思うけどね。マドンナリリー建設が終わるまで臨時で雇って人手を増やし、終わった後も働くのを望むのなら正規に雇用する。帰りたいなら退職金も与えて帰らせればいい。帰ったら地元に良い噂を流してくれるだろうからね」

 

 一拍の間を空け、葉巻の煙を吐き出したローマンが頷いた。

 

「理には適ってる。『マドンナリリー及びローマン・トーチウィックは、ファウナスを差別せず正当に評価する』ってな看板も利に成るだろう。だがいいのか? アッティラくんは田舎のヴァキュオくんだりから上京してこようって段階だ。マドンナリリーに来る時期が早まっちまうぜ?」

「劇は華やかで賑やかな方が人の耳目を集めるってものだろう? 激動の時流でこそ映える物語もある」

「ハッハー、違いない! 私も聖人君子で鳴らす素晴らしい人格者だからな、富に貧しく知にも乏しい野生児共にも、平等に救いの手を差し伸べてやろうじゃないか。飼い慣らせば丁度良い番犬にもなる」

 

 折角手に入った楽園を、みすみす失いたくはないだろうからな、とローマンが嘯く。

 皮肉げな諧謔を諌める気にもなれずヨナタンは肩を竦めた。ローマンも人の目のある所では態度を改めるだろうから、わざわざ諌めるまでもないと判断したのだ。飼いならすと言ったら本当にそうするだろう。

 

 未来を見据えるならファウナスへの差別は悪手中の悪手だ。数は力である以上、今後の趨勢次第で人口は増える。グリム無き世の中がくれば爆発的に増加するのは簡単に予想できた。

 ファウナスと人間の数が増えて、グリムという共通の外敵が無くなれば、今度の戦争はファウナス対人間になる。

 勢力を二分にしての大戦の始まりだ。

 有利なのは肥沃な土地を有する人間側だが、勝ったとしてもファウナスを絶滅させるまでテロに悩まされるだろう。そして正体を隠して人間勢力内で暮らすファウナスを探す為に、国が愚かな政策を打ち出すのは想像に難くない。民間でも怪しい者を吊し上げての私刑が横行するようになるだろう。

 何十、何百年先の問題になるかは分からない。しかし差別問題は確実に後の世の大戦に繋がる火種となる。それを阻止する為などという綺麗事を吐くつもりはないが、ただヨナタンとしては思うのだ。

 

 ()()()()、と。

 

 人間、ファウナスという呼び方自体ナンセンスだ。ヨナタンからするとどちらもニンゲンであり、人だ。なら無駄に差別せず、同じ生物として手を取り合い発展していった方が有意義であろう。

 だから、どうせなら仲良くなれる土壌は作る。後世の人々がそれを台無しにするか、無駄にせず友情を築いて同胞となるかは知らない。良い方に転べる土台は残してやるのだから後は勝手にしろと思う。

 

 ――ローマンはそこまで先の事は考えてはいまい。自分が死んだ後の事などどうでもいいと、少なくとも若い今は思っているはずだ。故に彼が見据えているビジョンはあくまで数十年後までだろう。

 

 その段階では既に国連は作れている。ローマンやヨナタンが死んでおらず、また大きすぎる問題が発生さえしていなければ。ファウナスという勢力を取り込めば、単純に数――戦力や労働力になるのだ、自らの手駒として取り込むのに躊躇いなどしないだろう。自分で言ったように、ローマンは人間だろうが、ファウナスだろうが、大多数の者を平等に嘲っているだろうから。

 馬鹿か、それ以外か。敵か、味方か。面白いか、つまらないか。あるいは利用価値が有るか無いか。ローマンを傍で見続けて、彼の評価基準はそこにあると理解している。ある意味で彼は公平なのだ。

 

 例外は、ヨナタン。そして恐らく幼い頃から面倒を見ているニオ。ローマンはなんだかんだ、親になったら自分の子供を猫可愛がりして駄目にしてしまうタイプだろう。後継者の育成とか向いてなさそうだ。

 そんな余所事を考えて、くすりと笑みを溢す。ローマンから胡乱な目を向けられるが、なんでもないと誤魔化して、空飛ぶ校舎とそれを牽引する飛空艇を見上げた。

 ニオもニワシロ・アカデミーに転校してくればいいのに。彼女の年齢は忘れてそんなことを思う。アッティラも一年、二年後には遊びに来るだろう。楽しくなりそうだが、同時に忙しくもなる。周辺の哨戒もしながら働くのだ、少なくとも暫くは今までのように暇を持て余したりはしなくなるはずだ。

 

 それが、楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 現在のマドンナリリーは殺風景である。

 だが――新都市建設に向けて資材を搬入する大型トラックの長蛇の列、働き蟻の役を担う労働者に、作業計画を説明する建設業者などの姿で、活気だけなら首都圏にも劣らないものを感じさせた。

 間もなくだ。マドンナリリー創設の時が、ようやく来た。

 前日から駐屯拠点を築いていたアトラス軍の部隊が、グリムや無法者の接近を警戒して哨戒を行なっている。その中にはハンターも混じっており、人類圏の拡大の為に高い士気を保っているようだ。

 

 周辺にはまだ防壁はない。クロユリ跡地だった為、以前の名残として残っている部分はあったのだが、マドンナリリーに求められる強度に満たなかった為打ち崩されている。唯一残っているのはクロユリ跡地の中心にあった、立派な桜の木だけだ。これはマドンナリリーに入植予定の、元クロユリ開拓民の嘆願で残されているのである。

 

 ニワシロ・アカデミーの施設だけは完成しており、殺風景な中でポツンと並んでいると情景のミスマッチ感が際立ってしまう。

 しかしそんなものは些事だ。今は不自然さが付き纏うだろうがいずれ慣れるし、周囲も加速度的に発展して大都市らしい景観に仕上がっていくだろう。

 

 学び舎の敷地内、校庭には今、アカデミーに通う事になる栄えある第一期生が整列していた。青空の下に保護者の方々も参列している。

 彼らの四方を十名の教官が囲んでいる。もうすぐ開校と入学を祝う式が始まるのだ。

 そわそわと、落ち着かない様子で7歳の子供達が身動ぎしたり、小声で何事かを囁き合っている。彼らの中にはセージ・アヤナや、ライ・レン、ノーラ・ヴァルキリーもいた。都市建設の喧騒や、自分達を囲む厳つい教官達に圧倒されているのだ。私語は厳禁だが、今はまだ開校宣言も入学式もしていない為、軍学校も斯くやという厳格さを発揮する予定の教官達も見逃している。

 

 と、一機の飛空艇が空からやって来た。

 それは校庭の方に近づいてきて、何事かと目を瞠る一同の前に着陸する。

 教官達が一斉に動き出そうとする。しかしヨナタンが片手を上げて制し、飛空艇に歩み寄るのを見ると彼らは脚を止めた。教官を含む教職員一同は、全員がナーハフォルガーである。

 彼らにとってヨナタンは絶対の存在だ。逆らうという発想は、無い。

 ――そういう所がヨナタンの神経を逆撫でにしていたのだが、今となっては完全に意識しないようになっていた。ヨナタンは彼らを()()()()()()として受け入れ、苛立ちを懐くだけの気力も向けなくなっている。代わりに彼らの望む神聖にして不可侵、超越者であるご先祖様として振る舞っていた。

 

 

 

「――お兄様っ!」

 

 

 

 飛空艇から降りてきたのは、本校に入学する可憐な少女である。

 ワイス・シュニー。支給されたセーラー服を着込んでいた彼女は、ヨナタンの姿を認めるとスカートの丈を靡かせながら駆け寄ってきた。そして感極まったように熱烈なハグをしてくる。

 優しく抱き止めたヨナタンに、ワイスは溜め込んでいた激情を吐き出すように涙を流した。

 

「お兄様、お兄様……! やっと、やっと会えましたわ……! わたくし、ずっとお兄様に会いたいって! ずっと……!」

「僕もだよ」

 

 嗚咽混じりに訴えるのは、感激と、混沌とした激情。

 この時ばかりは兄の顔になったヨナタンの顔を、ワイスは涙に濡れた瞳で見上げる。

 

「ようこそ、ワイス。こうして君を迎えられたことを心から嬉しく思う」

 

 彼女は親しい友人を亡くし、その辛さと悲しさ、仇に対する憎しみを持て余していたのだろう。その上ヨナタンと久し振りに会えた喜びで胸の内はぐちゃぐちゃになっているようだ。

 微笑みを浮かべ、ワイスをあやすように背中を叩いてやりながらも、だが、と思う。彼女の澱みを受け止めてやりたいが、流石に場所が悪い。こんな所では落ち着いて話も出来やしない。

 肩を掴んで引き離し、周囲を示すとワイスは我に返ったらしい。はっ、と息を呑んで羞恥に顔を染めた。可愛らしい様子に相好が緩むのを自覚しながらも彼女に指示する。

 

「積もる話もあるだろうけど、それは後に取っておこう。今は式に参加しなさい。君の到着を待っていたわけではないけど、もうすぐ開校式と入学式を始めるから」

「は、はい……わっ、分かりましたわ……っ!」

 

 恥ずかしげに頬を染め、ワイスは涙を拭いながら駆け足で列に加わりに向かう。

 その後ろ姿を数秒見送り、ワイスに続いて飛空艇から降りてきた者達に目を向けた。

 そうして礼儀正しく胸に手を当て、恭しく一礼する。

 

「――ジャック・シュニーさん、貴方も歓迎しましょう。ようこそマドンナリリーへ」

 

 保護者として式に参列しに来た男は、ヨナタンに親しげな笑みを湛えつつ歩み寄る。

 彼はあらゆる場面でも私人としての顔を出さない。社の利益、家の名誉を常に第一としている。故に彼がこうしてやって来たのには、必ずなんらかの理由があるのは分かっていた。

 しかしそうした企みを、あけすけにしたりはしない。ジャックはヨナタンに握手を求めて言う。

 

「こうして会うのは何年振りだったかな? ともあれ、歓迎されているようで安心したよ」

 

 柔和な笑みの皮の下一枚に、俗な欲望と情熱が渦を巻いている。

 俗物だ、彼は。しかしだからこそこうまで熱意を燃やしてシュニー社を繁栄させてこられた。そして俗物だからこそ、ヨナタンにとって至極わかりやすい人物でもある。

 握手に応じてヨナタンも愛想笑いを見せる。話が長くなるようなら後にしてくれと暗に匂わせながら。折角のワイスの晴れ舞台を見逃しちゃうだろうが! と、らしくなく苛ついてもいたが、流石にそれは隠した。

 

「私にとって貴方は大事なパートナー(金づる)ですからね、蔑ろにする訳がないでしょう。それで、本日は何用で?」

 

 お前は娘を愛しているが、その愛は鳥かごの中の令嬢を愛でるものだ。

 実は余りお前の事が好きじゃない、とヨナタンは思う。

 

 ジャックは娘の晴れ姿を見に来るような親ではないのは分かっている。だから単刀直入に問を投げると、彼は言葉短く告げた。

 

「我が娘を送り出す先を見に来たというのが一つ、そしてもう一つは、カオスについて聞きたい事があってね。どうせ君の事だ、知っているんだろう? それこそ軍や政府の知らないことを、色々とね」

 

 そう言って笑うジャックに、ヨナタンは意味深に口元を緩めてみせる。

 

「――ええ。ではその話は後ほど。今はワイスの晴れ姿を見守りましょう。一生の内に何度も見られるものではありませんからね」

 

 ヨナタンは改めて思う。

 やはり、この男は()()

 知恵が回り、欲の皮が突っ張り、行動パターンが明確で。

 実に。

 実に、操り易く()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 




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無能な敵など飾り物にも劣る

敵よ、手強くあれ。


 

 

 

 

 (ニワシロ)アカデミーが始動した。

 

 マドンナリリーの代表と学長を兼任する事になった、ナーハフォルガー本家の当主が開校を宣言し、入学式を執り行なったのだ。これより生徒達には過酷極まる訓練と座学が課せられる。

 優等である事が義務とされて、彼らの中から劣等生が出ようものなら、該当生徒には教職員によるマンツーマン・ブートキャンプが開催される。是が非でも他の生徒に遅れを取らないように、親身になって教鞭を執る先生方には頭が上がらなくなること請け合いだ。

 とはいえヨナタン自身は気楽なものである。生徒の教育は教官の仕事でありヨナタンは専ら警邏に当たる事になっているのだ。建設業者や労働者同士の諍いを仲裁したり、グリムが襲来すれば撃滅するのが主な仕事で、臨時講師として週に一度は教鞭を執るが、他の教職員に比べればそこまで責任は重くない。そもそも臨時講師として働く事自体が完全に私情だ、ワイスの為に時間を割いているだけである。

 

 入学式が終わると早速校舎に移って、今後の授業内容をあらかじめ知らせておく為の概略的説明(ガイダンス)が施行された。生徒の総数は二十一名と少なく、クラス分けはしていないが、三人一組の(チーム)を編成してAからGまで編成したようだ。彼らの起こしたトラブルや成績は連帯責任とされ、如何に劣った者をフォローするかの必要性も説いている。

 Nアカデミーのカリキュラムは、七歳の子供には厳し過ぎるだろうが、彼らやその両親は全て納得づくで入学したはずなので泣き言は聞かない。それに今この瞬間も生徒達には給与が発生しているのだ、金をもらっている以上、子供であっても指導を受けるのは仕事である。なおさら文句を垂れる資格はない。

 厳しいカリキュラムで性格が歪む生徒も出てくるだろう。こんな所に来るんじゃなかったと後悔もするかもしれない。だが、頑張れ。ヨナタンにはそう言うしかなかった。契約条項にも明記されてあるように、途中下車は認められていないのだから。

 

 見るからに張り詰めた空気は、生徒達の緊張の表れである。教壇に立っている教官の一人、ジャックハートが過密なスケジュールを説明し、早速午後から体作りの為の訓練を始めると通告するのを見届けたヨナタンはNアカデミーを離れた。今週末に臨時講師として彼らの前に顔を出すが、それまでは通常の業務に従事する事になっているのだ。

 

(ワイスに関して技能と学力面での心配はしなくていい。問題は体力と――自分より劣っている同期に合わせるチームワークだね。どこまで鍛えているかによっては、今夜ゆっくり話せるだけの余力は残ってないだろう。夕方に今日のカリキュラムは終わるから、ご飯ぐらい用意してあげようかな?)

 

 一期生である彼らに限って、寮は一人一部屋の個室を与えられる。来期以降の入学希望者も見越して、寮は大きめに造られているのだ。現状では部屋が余りすぎているので、教官達も同じ寮に住む。

 ワイスの部屋にご飯を作って置いておこう。疲れ切っていても食べられて、冷めても味が余り落ちないものを。疲労困憊しているようならケアしてやるのも、再会を祝してのサービスという事にしておく。――ヨナタンはナチュラルに甘やかし度を全開にしつつ警邏に繰り出した。

 

 警邏と言ってもあちらこちらを歩き回りはしない。マドンナリリーの中心部と、三km間隔で東西南北に設置してある塔の頂上に移動を繰り返すだけだ。というのも見晴らしの良い高所に居れば、周囲を見渡すだけで細かい所を除いて警戒できるからである。ヨナタンの超視力はスコープを必要としない。

 各種ダストとダスト弾の入ったパッケージを担ぎ、愛剣と狙撃銃を装備して都市中央の塔に向かった。自前の特性である死霊術の副次作用で空を飛び、塔の内部に入る事なく頂上に降り立つ。

 空を飛んだのは、炎や風を用いた物理現象に拠るものではない。死霊術だ。ヨナタンは誰にも話したことはないが、彼の身の回りには常に誰かがいる。名前も知らない誰かはヨナタンの命令に忠実で、しかもヨナタンに触れる事ができるのだ。そのお蔭で重力や物理現象に縛られない彼らに運んでもらえば、空を飛ぶ事もできるのである。単純な速度で言えば普通に走った方が速いが、やはり飛行能力は便利ではあった。

 

 現在ヨナタンの近くにいる死霊の数は十。彼らが何者なのか聞いてみた事はあるが、彼らは黙して語らず忠義を示してくる。ヨナタンも無理に聞き出そうとは思わないので放っているのが現状だ。

 

「………」

 

 あくせく働く人々を見下ろす。周辺の警邏を真面目に行なうハンターやアトラス軍の部隊を見渡した。ここから見渡せる範囲内にグリムの姿はない。

 三kmがヨナタンの最大射程だが、それはあくまで武器性能の限界でしかない。肉眼の視力は十二であり、六km先の幅十五cmの切れ目まで識別できる。オーラで強化すれば更にその倍だ。幻術も無効化する透視能力を併せて駆使すれば、視認可能な範囲は最大で十二km四方である。そんなヨナタンが見渡す限りでは、今のところ敵影は確認できない。転移系の能力者や、ヨナタンの動体視力を超える超スピードの持ち主以外は、ヨナタンの目から逃れられないだろう。

 

 それからヨナタンは、北、東、南、西の順で塔から塔へ飛んで移動し、その間に一度だけ狙撃した。二km先をアーサ型グリムの群れが徘徊しており、その内の一頭の脳天を撃ち抜いたのだ。

 突然頭部が破裂し灰となった仲間に驚いて、逃散する群れを敢えて見逃してヨナタンは思う。

 

(グリムは畜生ながら経験に学ぶ。何度も狙撃しておけば、いずれここらへ不用意に近づかなくなるだろう。ま、所詮は畜生……危険地帯を覚えるのに何年掛かるやら……)

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 なに――と。驚嘆に値する一報を耳にした女が目を見開く。

 

 腰掛けていた椅子の肘置きに凭れ掛かり、形の良い顎に手を添えて思案する女は美しかった。

 

 稀代の名画を生んだ筆を走らせたかの如き眉。

 彫刻家が渾身の出来栄えと誇るに足る鼻梁。

 冷酷な光を宿した双眸は硬質な美貌に気品を孕ませ、豊潤な大地の恵みのようでありながら、均整の取れた肢体は女という性の権化と言えよう。

 冷厳な佇まいは彼女に女王の威厳を齎している。だが、女は異形であった。

 腕、脚、指、目、鼻、口。全てが人間の姿を象っている。しかし致命的に彼女は異形だ。

 姿が、というのもある。比喩でなく蝋の如く白い肌、赤い瞳と黒い眼球の色彩は人間、ましてやファウナスの有し得る特徴ではない。しかしそれらの外的要素よりも――その魂が。内面から伝わる波動、在り方こそが人間の形質から絶望的に外れていた。

 高慢な王女。しかして愛深き女の末路である。

 積年の憎悪、悠久の時、暗黒への変質が嘗て人間だった女を化生へと変貌させた。

 

 女の名はセイラム。

 

 グリムを生み、従わせ、復讐の悲願を追い求める者。

 絶え間なく精神を苛む破壊衝動を律し、求め続ける者。

 さながら童話の魔女の如き――救いようのない、救いを求めぬ者。

 セイラムは熟考の末に一つの解を導き出した。それは、己にとって非常に好ましくない解だ。

 

「……フン。裏切り者(オズピン)め、遂に深淵狩りと手を結んだか」

 

 数奇な運命だったが、遂にだ。セイラムにとって恐れていた事態でもある。

 深淵狩り、オズピン。双方共に己の悲願を妨げ続けている障害にして宿敵。彼らは永き時を跨いで、一度として交われずにいたが、セイラムの策謀が動き出そうとしている現在になって邂逅した。

 そうなるだろうとは思っていた。これまで彼らが巡り会えなかったの偶然ではない。セイラムが彼らの邂逅を密かに妨害し続けていたのだ。深淵狩りは何よりもグリムの駆逐を優先するという行動原理を把握し、オズピンが彼と接触しようとする度にグリムの大群を嗾けて引き離していたのである。

 だが人類は発展した。強くなった。いずれはグリムを嗾けても、深淵狩りが動くまでもなく打ち倒され、時間的空隙が生じてオズピンから深淵狩りにコンタクトを取ると確信していた。

 しかし、今。

 計画が大きく動き出そうとしている今でなくともいいだろう、と忌々しさを覚える。セイラムの宿敵達は一代限りの突然変異などではない、どれだけの時を経ても永遠に立ち塞がり続ける者達だ。安易に取り除きに動いても無意味である。構うだけ時間と労力の無駄でもあった。

 

「あのぉ……セイラム様?」

「……なんだ?」

 

 情報を持ち帰ってきた下僕が呼び掛けるのに、不機嫌さを隠しもせずセイラムは応じる。

 するとあからさまに恐縮した様子の男が、不思議そうに訊ねてきた。

 

「今の報告が、なんで奴らの話に繋がるんです……?」

 

 普段なら煩わしく思い剣呑に突き放す所だが、考えを纏める為にも簡単に説明してやる気になった。

 

「ミストラルとアトラスが新しい都市を築くのだろう? そこにあのナーハフォルガーめらが噛み、アカデミーからの後押しもあったとなればそこにオズピンがいない訳もない。深淵狩りに関しては勘だ」

「勘、ですか……?」

「人類の歴史の転換期、あるいは大きな動きがある裏に、奴らは高い頻度で潜んでいた。人類をより強く、より固く結びつけ、より効率的にグリムを討ち滅ぼす為にな。故に此度の一件にも噛んでいる」

 

 断定だった。確信があるのだ、絶対に()()と。

 

「そして私の妨げがなくば、オズピンが深淵狩りに接触するのは必然だ」

 

 根拠はない。物証もない。しかしセイラムは確信している。

 こんなにも簡単な推理だが、改めて口に出した事でセイラムの思考は整理された。

 どうするか、と指し手に悩む。

 オズピンの嗜好は知り抜いている。恐らく誰よりも知悉していた。故に何をどうするかについて然程悩む事はない。だが深淵狩りに関しては、グリムの殲滅という指針を掴んでいる点しか分かっていない。

 深淵狩りはこれまでセイラムの存在を知らなかった。だからセイラムを探し出し始末しようと動かなかったが、オズピンと結びついたのなら確実にセイラムの存在を知る事になる。となるとアレが今後どのように動き出すのか、叡智を誇るセイラムをして予想し難かった。

 どうする? と、セイラムは思い悩む。自分は不老不死だからと侮りはしない。油断も、慢心もなかった。万が一直接戦闘を強いられた場合、深淵狩りに勝つ自信はある。初戦であれば九割九分勝てる。

 だが駄目なのだ。奴と戦ってはならない。何故なら奴は死ぬ度に学習する。一度捕捉されてしまったが最後、奴は必ず何度でもセイラムに挑み、そしていずれ敗れるのは自分だと分析していた。

 そもそも初戦の段階でもそう上手くいく保証もない。深淵狩りはオズピンとは違い秘密主義者ではなく、倒すべき敵と見定めた相手に少数精鋭で仕掛けはしないだろう。必ず大軍を引き連れてくる。腕利きのハンターと訓練された兵隊を用意し、確実に勝てる状況と条件を揃える堅実さがあった。

 恐らく深淵狩りとセイラムの初戦は、奴の揃えた大軍を如何にして削り、深淵狩り本人を如何に早く討つかに掛かっている。奴は冷徹だ、未知の敵の能力を分析するために大軍を敢えて捨て石にし、ある程度の情報を暴けば精鋭のハンターをぶつけ、如かる後に自らも打って出るという戦術を取る。何人もの人間が犠牲になっても気にも留めないだろう。セイラムを倒せば戦いが終わるとなれば。

 

 セイラムは不死だ。故に深淵狩りはセイラムを封じ込めようとする。身動きを封じ、死ねない時の中を牢獄として縛り続けるはずだ。そうなれば――詰みである。最悪の展開はそれであり、一度でも戦ってしまえばバッドエンドへのカウントダウンが始まってしまう。

 

 どうする? とセイラムは知恵を絞る。どうするべきだ?

 計画を前倒しにする……論外だ。時期が早い。逸ってしまえば綻びが生じ、その綻びが取っ掛かりとなって狡猾な宿敵に察知されてしまうだろう。では計画を変更する……これも論ずるに値しない。

 深淵狩りは、セイラムの存在を知ったはずなのだ。もはや一刻の猶予もないと言っていい。

 彼女は自らの置かれた立場を理解していた。自分は人間世界の隙間に存在する闇、光に照らされれば追いやられるだけなのだと。故に持てる限りの知恵をあらんかぎりに絞り抜き――

 

「あのぉ、セイラム様。セイラム様は、深淵狩り? でしたっけ? ソイツが気になるんですよね?」

「……そうだが、それがどうした?」

「いやね。セイラム様が思い患うのは、ソイツの事をよく知らないからでしょう? なら一度話してみると理解できるんじゃありませんかね?」

「っ……痴れ言を吐くな、戯け――!」

「ヒッ……!?」

 

 あまりにも知恵のない発言に、セイラムは瞬間的に激昂した。

 殺してやろうか、と。身を焦がす破壊衝動に身を任せようとしてしまう。

 凄まじい殺気と怒気を受けた下僕が腰を抜かす。それを捻り潰してやろうと魔力を発して――

 

 はた、と手を止めた。

 

「ひ、ひ、ひぃ……!」

「………」

 

 セイラムの脳裏に予感、閃きに類する思考が奔ったのだ。それは彼女のあらゆる激情をせき止めるものであり、故にこそ彼女は怒りに任せて立ち上がったまま沈黙した。

 考える。思考する。思索する。そして、不意に魔女は笑った。

 

「――面白い。なるほど、確かにそうだ……奴はオズピンではない……であれば、()()()()()()()()

 

 惚れ惚れするような笑みだった。腰砕けになるほど邪悪で、甘美なる微笑であった。

 

 深淵狩りは、グリムの絶滅を希求する。対してセイラムは、人間の絶滅を企てている――わけではない。そんな事を考えるぐらいなら、遥か昔に今の人類を導く神になろうとはしなかった。世界を征服しようとしている訳でもない。いまさらセイラムが導き、支配するまでもなく発展しているのだ。以後の繁栄に介入する意義を見い出せない。

 セイラムの目的は常に一つだ。

 その為にグリムを利用し、他者を操り、策謀を巡らせていたに過ぎない。もし目的を達成できるなら、セイラムはグリムが生まれる端から世界の隅に移らせ、人々を襲わないように命じてもいい。

 それは――深淵狩りにとっても、悲願に近い状態ではないだろうか?

 

「なるほど……なるほどな。盲点だった……そうだ、そうだとも。奴はオズピンではないと私が言ったのではないか。ならば……必ずしも敵対する必要はないわけだ」

 

 失神してしまっている下僕になど目もくれず、セイラムは一人愉快そうに笑い声を上げていた。

 やがてそれは哄笑となり、彼女は動き出す。

 無論閃きの一つに拘泥するつもりはなく、並行して計画を動かすが、セイラムにとって愉快な想像が描けて否が応にも期待を懐いてしまう。

 その想像とは憎きオズピンが求めた信の置ける存在を、横から奪って自分の側に置く光景である。もしそれが達成できたなら、愉快過ぎて達してしまうかもしれなかった。

 

 久しく感じなかった愉悦の中、セイラムは深淵狩りにコンタクトを取る方法について考えを巡らせるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想評価等よろしくお願いします。作者の心の支えです…!


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矢のように過ぎ去る時の中

お待たせしました。


 

 

 走らされた。午後から、延々と。正確な時間なんて覚えてないけれど、ひたすら腕を振って、脚と体を前に前にと運び続けて。余裕や気品など保てず、あらん限りの力を振り絞り走った。

 

 昼食は、予想に反して美味しかった。

 軍隊食のような味気ない物ではなく、栄養と味に気を遣われたきちんとした()()だったのだ。

 ――だからこそ一口だけしか食べずにいたのである。

 食べたら、吐く。午後の耐久マラソンで絶対に吐く。

 その様なはしたない無様さを、シュニー家の者として晒す訳にはいかないのだ。同期の子達と違って、物心が付いた頃から英才教育を施されてきたワイスだからこそ食を絞る選択ができた。

 過酷な教育を経ていたから、教官達の意図が汲み取れたのである。

 結果としてワイスを除く全員が、午後の耐久マラソンで胃の中の物を根こそぎ吐瀉してしまった。

 グラウンドを囲んでマラソンを監視する教官達は、まともに息も出来ないほど疲弊した子に関しては立ち止まって休むのを許した。叱りつけはせず、しかし息が整えばすぐにマラソンを再開させた。

 彼らが鬼の形相で叱責するのは、もう走れないと愚図る子達だけだ。尻を蹴りつけて無理にでも、どんなに走るのが遅くとも時間が来るまで走り続けさせた。

 

 午後は走るだけ。何をするにも足腰の強さと体力は重要であると説き、マラソンが終わった後には浴場での入浴と、食事を徹底させた。食欲がなくなるほど疲弊しても、食べる事も訓練である、と。

 教官は生徒が二十余名しかいないのを良い事に総出で指導を行なっている。ワイスをはじめとする生徒達が吐きそうになれば、吐くなと怒鳴りつけ。無理矢理に夕食を完食させた。

 

 初日はそこまでだ。だが明日以降も午前は座学を行ない、()()()慣れるまで午後のマラソンを続けると言う。初日の時点で恐らくほぼ全員が帰りたい、こんな所にいたくないと思ったはずだ。

 だが帰れない。そんな自由はここにはない。

 十年間、卒業までみっちりと教育は続けられる。そういう契約であり、納得して入学したのは自分達とその親なのだ。いまさら契約を白紙に戻せないし、仮に逃げ出しても連れ戻されるだけだろう。

 

 まるで囚人の収容所だ。

 

 入浴と食事の()()の終わりと共に整列させられ、解散を告げられると、ワイスは寮の割り振られた個室に向かった。一度も口を開かず、誰とも話さず、よたよたとした足取りで。

 部屋に向かったのはワイスだけではない。他の生徒達もだ。大多数がワイスよりも酷い有様であり、その場で崩れ落ちて動けなくなる生徒もいた。情けないとは誰も言わないし、言えない。

 辛いとか。苦しいとか。そんなものを感じられるだけの精神的余裕もなく、彼らの中にあるのは休みたいという一念だけだった。こんなに厳しいとは思いもしなかった子達ばかりだろう。

 まだまだ遊びたい盛りであり、甘えたい盛りなのに、どうしてこんな所にいるのか早くも分からなくなっているはずだ。彼らを気遣い、配慮して、優しく手を差し伸べてやるのがワイスの理想とする姿である。しかしその理想は余りに遠い事を実感した。

 

「やあ。お邪魔してるよ、ワイス」

 

 ワイスの部屋には、先客が居た。

 木の椅子に脚を組んで座り、自前の水筒に口をつけていたヨナタンである。

 何故ここに? と驚かされたが、自室に自分以外の人がいる事に不快さを覚えはしなかった。ここが自分の部屋であるという意識が無いからというのもあるが、兄と二人きりで会えて嬉しかったのだ。

 しかし今のワイスにはあらゆる意味で余裕がない。咄嗟に応じる言葉が見つからず、ポカンとした顔で立ち尽くしてしまった。そんな彼女の様子にヨナタンは苦笑を浮かべて立ち上がると、ワイスの手を引いて自分の座っていた椅子に彼女を案内する。

 

「座りなよ。疲れてるだろう?」

「……お兄様?」

「ああ、お兄様だ。本当はご飯を用意しておくつもりだったんだけど、訓練後に食堂で食事は済ませる事になっていたのを思い出してね。特にやる事がなかったからのんびり待たせて貰ったよ」

「………」

 

 兄がいる。それにえも言えぬ多幸感を覚え胸が一杯になる。色々と言いたい事、吐き出したい事が沢山あったのに、いざヨナタンを前にすると言葉が見つからない。ポロポロと涙が溢れるばかりだ。

 そもそも体力の限界を迎えてもいる。気が抜けた瞬間に何も言えなくなり、何かをしようとも思えなくなる。疲弊した肉体が休息を欲し、幼い故に彼女を襲う睡魔は強力な勢力となっていた。

 縋りつくようにヨナタンの手を握ったワイスに、とうのヨナタンは優しく微笑んだ。

 

「なんだかワイスは、僕の前だと泣いてばかりだね」

「……そんなこと、ありませんわ」

「そうかな? ならそういう事にしておこうか。今日は疲れただろう、明日に引きずらない為にも休むといい」

「ん……」

 

 嫌々をするように首を左右に振るワイスだが、体力は底を突いている。瞼が重くて仕方がなくて、意味もなく懸命に眠気を堪えていた。

 ワイスが限界に抗う様は微笑ましいが、ヨナタンは彼女に意味のない無理はさせたくない。彼女の髪を束ねているリボン――ヨナタンが贈った物――を解いて綺麗なプラチナブロンドを下ろしてやる。

 髪を指先で梳くと、気持ち良さそうに目を細める様は、血統書付きのネコが寛いでいる様子を彷彿とさせる。目一杯甘々に甘やかしてやりたくて、リラックスするように囁きかけた。

 

「分かった。じゃあこうしよう。オーラでケアしてあげるから目を閉じて。疲れが取れたら話をしようか」

「はい……」

「良い子だ。ああ、これは別に言い訳じゃないけど、今の僕は勤務時間外だ。兄貴として妹のケアをするのは依怙贔屓にならないから、他の子達より楽をしてしまったって気に病む必要はないよ」

 

 意識が明晰なら、目を閉じてしまえば眠ってしまうと気づいていたはずだ。いや、今も気づいてはいる。しかし有り余る疲労がヨナタンの誘惑に屈してもいい理由になった。

 もし自分が寝ても起こしてくれるだろう、という甘えがある。普段肉親にも見せられない弱い自分を、ありのまま受け入れてくれる兄になら、縋っても怒られないし、呆れられないと甘えているのだ。

 ワイスに刷り込まれているのは、一般的なそれとは掛け離れた環境で育った故の依存だ。彼女という雛鳥はヨナタンを、兄というよりも父親のように感じていたのである。彼だけが無条件に自分を愛し、庇護してくれる唯一無二の家族なのだと認識していた。

 

「さあ、目を閉じたね。息をゆっくり吸って……ゆっくり吐いて。吸って、吐いて。自分のオーラと、僕のオーラにだけ意識を向けて。僕を信じて身を委ねるんだ。そう……その調子だ」

 

 ワイスの頭を手を置いたヨナタンは、自らのオーラを伝播させるとワイスのオーラに波長を合わせる。そして彼個人にはなんら使い道のない特性を発動した。小規模な疲労回復のセンブランスだ。

 回復系のオーラの波動は暖かく、ワイスは体が軽くなっていくのを感じる。だがそれ以上に迫りくる睡魔の波に彼女の意識は段々遠のいていった。

 やがて穏やかな寝息を立て始めた妹に、優しく微笑んだ兄はワイスをそっと抱き上げ、寝台に運んで丁重に横たわらせた。

 

「お休み、ワイス……良い夢を見るんだよ」

 

 前髪を掻き分けて額に口づけを落とし、その寝顔が安らかなものになるのを見届けたヨナタンは部屋を出る。彼女の心身の成長が、健やかなものになる事を心の底から願いながら――

 悩んだり悔やんだりする余裕もなく、訓練に打ち込んでいけば、やがて時間の経過と共に辛い思い出も風化していくはずだ。忘れる事が良い事とは言わないが、彼女には幸せに生きて欲しい。その道を作れるのは、ワイス自身だけなのだ。ヨナタンには幸せになる手伝いしかできない。

 

 どうか、最愛の家族が世界で一番幸福でありますように。

 重力の井戸の如き想いを胸に、往く。

 夜勤の時間だ。

 これから十年間、ヨナタンは睡眠を挟まない。不休とはいかないが、不眠のまま活動を続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

 光陰矢の如し。

 ワイスが新しい生活へ慣れるのに要した時間は、実に365日である。

 1年もの歳月を経て、漸く慣れる事ができたのだ。

 

 恐らく他の生徒達もだろう。一朝一夕で体力や足腰の強靭さは身に着くものではない。少しでも訓練に慣れそうになれば教官達の扱きも苛烈さを増したのだから、中々体力的な余裕を持てなかったのだ。

 また耐久マラソンでの体力配分を覚えた段階で、スコップで穴を掘り、すぐに埋める作業を繰り返させる事で忍耐力を養うカリキュラムも追加された。それは無意味な作業で虚無感を覚えさせ、虚無に心を蝕ませないようにする心の強化訓練であり、マラソンよりもよっぽど厳し(キツ)いと涙する生徒もいたほどだ。それほどまでに壮絶なカリキュラムを積んだ生徒達は、今や技と知識を除けば一端の兵士に匹敵する精神力を身に着け、教官の指示に疑問を懐く事なく従えるようにまでなった。

 

「全ての基本は体力だ。戦闘の基本は走る事にある。スタミナ切れを起こして戦えなくなりました、なんて泣き言を敵が聞いてくれる訳がないからね。とにかく走って体力を養いなさい」

 

 臨時講師として週に一度顔を出すヨナタンもそう言った。

 歳上とはいえ歳の近い少年に扱かれるのに、反感を懐きそうな生徒もいそうなものだったが、誰もヨナタンが講師をする事に反発しなかった。というのも彼だけは耐久マラソンを強いてくる一方で、オーラを使った体のケアを施してくれるからだ。そのお蔭で大いに気と体を安らげられた生徒達は、ヨナタンを教官陣の中で最も慕った。

 ――飴と鞭である。他の教官が鞭であり、ヨナタンが飴なのだ。露骨な人気稼ぎだが、極限の疲弊地獄の中にいる者に気づける余地はない。仮に気づいても関係ないだろう。助けてくれるなら誰でも良く、自分のオーラを使って人を癒せるような人は、彼を除いてどこにもいなかったのだから。

 

 しかし訓練密度で言えば焼け石に水でしかない。彼らには娯楽施設を利用する暇はなく、マドンナリリーが見る見る内に発展する様になんらかの感動を覚える時もなく。故にこそ、一年が経過し後輩となる第二期生が入学しても、ワイスや同期達は先輩風を吹かせようとはしなかった。

 

 何せ一年間寝食を共にした、ある意味で戦友と言える彼らの事も殆ど知らなかったからだ。正確には知る必要も、知ろうと思える精神的余裕もなかったのだが、そんな事は関係ない。

 組まされた班員に劣等生が出れば連帯責任になる為、協力して勉学に当たっていくにつれて仲間としての信頼は強まっていたが、座学や体のケアに時間を宛ててばかりだった彼らは、ある程度余裕を持てるようになった今になって親睦を深めるようになっていたのである。

 ハッキリ言って、後輩に時間を割いてやる気にもならない。そんな暇があるなら同じ班員の彼ないし彼女は何が好きで、何が嫌いなのかを知ろうと思っていた。好物の食物は? 逆に嫌いな物は? 雑談に花を咲かせ、娯楽施設へ遊びに繰り出し、一年間の空白を埋めるかのように仲を深めた。と言っても彼らはこの一年で遊びというものを忘れてしまっていたので、ぎこちなく、手探りで年相応の遊びを模索する事になったのだが――そんな中でワイスが最も親しくなったのは、ノーラ・ヴァルキリーという少女であった。

 

 地味で、物静かで、どこか臆病そうなノーラ。

 

 同じA班に配属された彼女は最初、文字が読めなかった。当然座学の成績は最下位であり、もう一人のA班の班員であるライ・レンと二人掛かりで面倒を見なければならなかった。

 読み書きを教え、それができるようになると学問を教え込む。それは教官の仕事ではないか? と不満に思う事はない。彼らは彼らで多忙なのもあるが、仲間の不足を補えば成績に反映されるのだ。

 ワイスもライも、ノーラの成績が芳しくない状態であった為、A班としての平均成績を上げる為に労を惜しめる状況ではなかったのである。成績を上げる為なら仲間の世話をするぐらいなんて事はない。

 

 ……意味のない穴掘りを延々と繰り返す、拷問さながらの苦行に従事するのは御免だった。

 

 普通であれば手間を掛けさせ、負担になるノーラに対して隔意を持ち、到底仲良くなる事などなかっただろう。寧ろ足手まといだと見下して、最悪イジメにまで発展する可能性もあった。

 だがA班に限って言うならそんな心配は要らない。

 ライは生粋のお人好しで、同郷の少女であるノーラに悪意を持つ事はなく甲斐甲斐しく世話をしている。ワイスに至っては何をかいわんや――彼女は本質的に頼られる事へ喜びを見い出す気質であり、そして忙しければ忙しいほどに親友を亡くした悲しさを紛らわせられたのだ。成績にも関わるとなれば、寧ろ積極的にノーラの指導を買って出た。これはA班の問題だから、という大義名分を振りかざして。

 

 果たして同性であり、嫌な顔一つせず接してくれるワイスに、ノーラが心を開くのに長い時間は掛からなかった。

 臆病で自己主張の少なかったノーラだったが、それは本来の性格ではなかったのだろう。恐らくこれまで置かれていた環境で抑圧され、孤立していたから暗くなっていただけで、元々は明るく奔放な気質だったのではないか――と、ノーラの変化を見てきたライはそう分析した。

 

「あっ! 見て見て、レン! あっちあっち!」

 

 たったの一年で、立派な街並みが築き上げられているマドンナリリー。

 休日に出掛けた面子は、ワイスとライとノーラの三人だ。ノーラは快活な笑顔を弾けさせ、片手にクレープを持ち、はしゃぎ回りながら街にできた新しい店を見て回っていた。ライとワイスはそんなノーラに引っ張られるようにして歩いていて、ノーラの変化に微笑ましい気持ちになっている。

 あの地獄の訓練で自己の人格を抑制され、良くも悪くも年不相応に落ち着いた同期達の中で、彼女だけは逆に明るくなったのだ。体力面では随一の成績を持ち、自信が身に付いたからなのだろうが、根暗で陰気臭かった頃のノーラを知っていると今のノーラに対して頬を緩めてしまう。

 

「はいはい、そんなに騒がなくてもちゃんと見ますよ……、……っ!」

 

 中性的というより、少女的な容姿のライ少年が丁寧な語調で応じる。

 第二次性徴を迎え男性的な成長をする以前のライは、控えめに言って下手な女の子よりよほど可愛らしい。三人ともが屈指の美少女に見えるのが、栄えある第一期生のA班だ。

 私服として緑色の旗袍を着込んでいるライは、ピンクのスカートと茶色いパーカーを着たショートヘアーの少女――ノーラが指差した方向に目を向けて……硬直する。その反応にワイスは目を瞬き、釣られて同じ方向を見て目を見開いた。

 

「ねえねえ、あの人って()()()のハンターだよね!? わたし、ちょっとお礼言ってくるね! あの時は何も言えなかったし!」

 

 笑顔で言うノーラが指差していたのは――身長190cmほどの、特徴的な仮面を着けた男性狩人である。

 銃槍と盾を背負い戦闘服に身を包んだ彼は、かつてライとノーラを保護したハンター『アビスウォーカー』だ。ノーラが興奮して駆け寄っていくのに、ライもまた緊張を露わにして駆け寄っていった。

 彼らがいつどこであの狩人と知り合ったのか定かではないし、その物語を知らないが、ワイスはあの狩人を一目見た瞬間に奇妙な感覚を覚えた。まるでひどく慣れ親しんだ人物であるかのような……。

 いやまさか。自分の知るどの人とも、あの人の姿形は一致しない。気のせいだろうと思い、とりあえずライとノーラに遅れて付いていくことにする。何か失礼があってはならないと思ったのだ。

 

「あのー! すみませーん!」

「………?」

 

 ノーラが元気よく声を掛けると、シュニー社の支社であるダスト・ショップで、ダストを購入した所らしい狩人が振り返る。そして溌剌とした挨拶をしてくるノーラを見て訝しげに応じた。

 

「ハロー! えっと……そう! あなたはここがクロユリって呼ばれていた頃に、グリムが襲撃してきたのを撃退してくれたハンターだよね!?」

「ハロー、お嬢さん。その通りだが……君とどこかで会った事があるのか? すまないが全く思い出せないな」

「オゥ……なんて事だ、覚えられてなかった! レンぅ……わたしすっごく悲しい! この人に憧れて女狩人(ハントレス)になろうと思ったのに……」

()()?」

 

 あからさまに衝撃を受けた顔をするノーラが、半泣きになってライを振り返る。するとそちらに視線を向けたアビスウォーカーと目が合ったライは、ぎくしゃくとした所作で会釈をした。

 

「ど、どうも……私はライ・レンといいます。こちらはノーラ・ヴァルキリーと、それからワイス・シュニーです」

「ワイス・シュニー……」

 

 ライもまた他の同期と同じで、Nアカデミーでの日々で丁寧な物腰が染み付いてしまった口だ。慇懃な物腰でA班を紹介する彼を尻目に、アビスウォーカーはワイスを見つけて微かに驚いたようだ。

 またか、と思う。歳の離れた姉を除き、シュニー家になんら価値を見いだせなくなっていたワイスは、自分がシュニーの姓を持つ事に嫌な想いを抱えていた。シュニーの名は、ワイスを一人の少女ではなく、単なる令嬢に押し込めようとする呪いの名であるように感じ始めていたからである。シュニーの姓に対する反応にはほとほとうんざりする事件も()()()()あったばかりというのもある。

 それでもスカートの裾を掴んで恭しく一礼するワイスに、アビスウォーカーは目を細める。仮面越しの表情は、得体の知れない重力を秘めているような気がした。

 

「はじめまして。わたくしはNアカデミー二回生のワイス。この二人を入れたチームのリーダーですわ」

「……ああ、はじめまして。そこのライ・レンを見て思い出した。あの時オレが助けた子供達だったのか。あの時の印象と大分変わっていたからな、パッと見では気づけなかったよ」

 

 温厚な物腰と佇まいでアビスウォーカーがノーラに言う。すると嬉しそうにノーラが反応した。()()()()()()()()というのは、ライからの褒め言葉として最も喜ぶワードだったのだ。

 

「フフーン、なら仕方ないね! このわたし、ノーラ・ヴァルキリーは昔とは違うのだ!」

「ノーラ。嬉しいのは分かりますが、その前に言うべき事があるでしょう?」

「あ、そうだ! えーっと……」

「名乗っていなかったな。オレはルキウス・カストゥスだ。あの時はアビスウォーカーというコードネームを使っていた」

 

 アビスウォーカー改めルキウス・カストゥスの名乗りに、少年と少女は頭を下げる。

 その傍らでワイスはふとよく知る気配を感じて視線を明後日の方へ向けた。

 道路の向こう側から、ドコドコ、という独特なエンジン音を発する、一台のクルーザータイプのオンロードバイクが走ってきている。大幅な改造を加えられているらしく、車体には武器が格納できるようになっているのが遠目からでもはっきりと見て取れた。

 そのバイクに乗っている人物に、ワイスは明確に驚いてしまう。運転手が彼女の兄、ヨナタン・ナーハフォルガーだったのだ。

 

「ルキウスさん、あの時は助けてくれてありがとうございました。ずっとこうしてお礼を言いたかったので、ここでお会いできた事を嬉しく思います」

「ありがとう! ルキウスさん! わたしもいつかルキウスさんみたいに強くなるから!」

「そうか。わざわざ礼を言いに来るなんて律儀な奴らだな。だが悪い気はしない。お前たちが一人前になって、肩を並べて戦える日が来るのを楽しみにしておく――」

「――ルキウス。こんな所で道草を食っているなんて良い御身分じゃないか。グリムの団体様がお越しだよ。彼らに通行許可は降りていない、さっさとお引き取り願わないといけないから早く来るんだッ」

「おっと――」

 

 ヨナタンがブレーキを掛けて減速するも、停止はせずに追い抜いていく。すれ違いざまに声を掛けられたのはルキウスだ。またたく間に遠ざかっていく少年の姿に彼は肩を竦め、ノーラとライに言う。

 

「すまんが時間がない。ハンターとしての後追いに、何か手向けでもくれてやりたかったが……それはまたの機会にしておこう。それではな、ニュービー。また会おう」

「はい」

「まったねー! グリムなんかけちょんけちょんにぶっ飛ばして! わたしも頑張るから!」

「………」

 

 オーラを纏って走り出したルキウスは健脚で、バイク顔負けの速度で走り去っていく。

 そんな彼に手を振るノーラとライを尻目に、ワイスは何も言わずヨナタンの消えた先を見詰め続けていた。

 

「さっきのってヨナ先生だったよね? あの人も大変みたいだねー」

「そうですね。ジャックハート先生が言っていましたが、ヨナタン先生は誰よりも勤勉に働いているようです。彼の実力は、教官方全員を集めたよりも上だとか……ワイス?」

「んん? どったの、ワイス?」

「……いえ、なんでもありませんわ」

 

 ずっと同じ所を見続けるワイスに気づいた二人が怪訝そうにしていたが、ワイスは適当に誤魔化した。

 ルキウスに声を掛けて加速したヨナタンは、ちらりとワイスを一瞥したが何も言わなかった。毎日毎日、いつもワイスが寝る前に会いに来てくれる兄は、仕事の時間中は声も掛けてくれない。

 グリムが攻めてきているという。なのにマドンナリリーの静謐は守られていた。それは、多くのハンターが平和を守るために尽力しているからだ。ヨナタンもその一人であり、何も言ってくれなかったのはワイスがまだまだ守られる側であるからだろう。

 

(早く、お兄様の隣に立ちたいですわ……)

 

 強くそう思う。

 焦っても仕方がないという事は分かっていた。

 だが分かっていても求めてしまう。もっと頑張らなくては、と。

 

 開いた彼我の距離が、そのまま目標までの道のりを表している気がした。まだ遠い、まだまだ足りない。兄の隣に立って恥にならないハントレスになる日を迎えるには、もっともっと努力しないと。

 待っていて、とは言わない。

 日を追う毎に偉大さを増す兄の背中を、ワイスはずっと追い続けるだけだ――

 

 

 

 

 

 

 

 




英雄の友役のファウナス(偽)のエントリーだ!

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空白期間のモラトリアム

大変長らくお待たせしました。


 

 

 

 

 都市機能の開発。

 老若の別なく施されるべき教育問題。

 マンパワーは不可欠なため実施される人口増大策。

 様々な企業の発展のために為される規制の緩和。

 人を使い金を回す経済問題。

 土地柄、国柄に適した法改正。

 市民である人間とファウナスの権利拡大。

 市民らの経済状況を鑑みて課せられる、税金を調整する税制改革。

 

 ――名前だけとはいえナーハフォルガーの女と籍を入れ、一族入りした故に都市の運営に食い込めた。それ事態は予定通りである。マドンナリリーの中枢に絶大な発言力を有した今、弊社は安泰だ。

 もちろん全ての問題に携わる訳ではないが、やるべき事は山積みだった。とてもじゃないが悪巧みをしている暇はなく、故にローマン・トーチウィックは真っ当な仕事を日々捌いている。

 

 だからこそ、腹立たしい事案にどう対処するかについて、知恵を絞らされるのは億劫だった。

 

「はぁぁぁ……。……これで何度目だ? え?」

「す、すまねえ……」

 

 マドンナリリー建設に伴い立ち上げた合資会社【シンザシス・オペレート・カンパニー】のオフィスで、ローマンは部下である()()()()――本名ヘイ・ションを詰問していた。

 

 ジュニアは裏社会に通じる元斡旋業者だ。

 嘗てはヴェイルを拠点にしていたが、多くの利権を手中に収めたローマンによって引き抜かれ、その経歴と実績を評価されシンザシス・オペレート・カンパニー……SOCの警備部門の主任に抜擢した。

 ジュニアは有能と言い切れないが、少なくとも無能ではないと思っていたのだが――どうやらその評価を改めねばならないかもしれない。ローマンの呆れ返った眼差しに、大柄なジュニアは縮こまるばかりだ。

 

 なまじ裏社会に通じていただけあって、ジュニアはローマンのやり口をよく知っている。

 今でこそ真っ当な事業に専念しているが、彼の本質は何も変わっていない。機嫌を損なえば生きていけない事をジュニアは理解していた。故に顔を青くして、冷や汗を流しながら謝罪する。

 だがローマンが欲しいのは謝罪ではない。

 露骨に嘆息してみせたローマンにジュニアはビクリと肩を動かした。

 

「一度目は許した。誰にだってミスはある、一々目くじらを立てていたんじゃあ誰も付いてこないからな」

「………」

「二度目も、まあ許した。面白くはなかったが、色々とごたついてる時期だからだ。しかし三度も同じミスをしたとあっては、温厚な私であっても苛立ちを覚えてしまう」

 

 口にしていた葉巻を灰皿に押し付け、組んでいた脚を解いて前に姿勢を傾けると、ローマンは分かりやすく凄んでみせた。荒くれ者とビジネスマンの顔を使い分けるのにも慣れたものだ。

 

「どういう事なんだ、ジュニア? 一度ならず二度、三度と立て続けに積み荷を奪われるとは。警備は厳重にしたんじゃあなかったのか?」

「も、勿論だ、社長(プレジデント)……! だが――」

()()? だが……なんだ?」

「っ……! 積み荷の警備は通常の三倍に増やした! 部下にも気を抜かずに厳戒態勢を維持しろと命じてあった! 確かに積み荷を奪われたのは失態だ、だが必ず取り戻す! 今度はしてやられるだけで済ませてねえ、念のため積み荷には最新のGPSを潜ませてたんだ、だから奪っていった奴らの根城を突き止められた。プレジデント、もう一度だけチャンスをくれ。俺の部下達を連れて取り返しに行く!」

 

 ジュニアは無能ではない。

 彼の弁明に数秒の間を置いたローマンは、冷酷な目で彼を見据えた。その視線に生唾を呑み込みながらも、なんとか目を逸らさずにいたジュニアに社長は短く問う。

 そこまでしているのだ、下手人に対する調査ぐらいは終えているだろう。

 

「私に損害を与えた忌々しい盗人は誰だ?」

「シオンの付近にある渓谷に越してきた、ブランウェンの一族が犯人だ! ミストラルでも盗賊として指名手配されてる、マドンナリリーの警察を動かせばこそ泥どもなんざ簡単に捕まえられるさ!」

「――ブランウェン?」

 

 飛び出してきた名に、ローマンは眉を動かした。

 予想外な反応にジュニアが面食らっているのには構わず、若き社長は指先で机を叩く。トントン、トントン――と。自らの出した名に如何程の意味があるのかを、ジュニアは知らない。

 だがローマンは知っている。他ならぬ盟友から聞いた覚えがあった。そうでなくとも、もともと社会の溝鼠であった身であるのだから、他国とはいえ同業者だった者ぐらいは知っていた。

 暫し熟慮の間を置いて、ローマンは破顔する。一変した雰囲気にジュニアは目を丸くした。

 

「ジュニア、お咎めはなしだ。よく調べてくれたよ」

「え? あ……はあ?」

「真面目に働く者には正当な評価と報酬が与えられて然るべきだろう。お前とその部下――警備部門の連中は昇給だ。金一封も出してやろう。後はこちらで対応する。下がっていいぞ」

「な、なんだそりゃ……奴らは俺の面子に泥を塗ったんだ! やるなら俺がやるのが筋じゃ――」

()()()()

「っ……!」

 

 悪のカリスマ、というものをローマンは持っていない。彼は頭は切れるが大物ではなく、どちらかというと参謀タイプだ。しかし、だからこそローマンには出来る顔がある。

 それは冷酷な采配者としての顔だ。辣腕を振るう鉄血宰相めいた面こそが、彼という男の(こわ)さを際立たせる。ジュニアは言い募ろうとする口を噤み、恐々と頭を下げるしか無い。

 

「私は下がれと言ったんだがね」

「わ、分かった……プレジデントの命令だからな、社員は従うもんだ」

 

 ジュニアは半ば逃げるようにオフィスから去った。

 それを最後まで見送りもせずスクロールを取り出すと、目当ての人物をコールしながら嘯いた。

 

「ジュニアじゃ手に余る相手だ……どうせなら確実に、処分してしまわないとなぁ……」

 

 何せ鼠は害獣だ。利益を追求する弊社にとって、グリムと何も変わらない。

 彼の盟友が通話に応じる。

 ジュニアを相手にしていた時とは異なる、明らかな友好を孕んだ声音で呼ばわった。

 内心、優しいお兄さんを演じるのも大儀なもんだと嘆息しながら。

 

「よぉ兄弟。景気はどうだ?」

『――――』

「ハッハー! そいつは結構。ところで相談があるんだが、一つ仕事を頼まれちゃくれないか?」

『――――』

「そんな面倒臭がるなよ。忙しいのは分かってるが、臭い鼠がうろちょろと這い回ってるんだ。駆除するのに難儀する手合いでね、兄弟に焼却処分してもらわねえとこっちも商売上がったりなんだよ」

『――――』

「そう言ってくれると助かる。ああ、そうだ。ネオの奴も最近センブランスを見つけたらしくてね、中々使える力だ。タフな現場の空気を知る良い機会だろう? ついでに連れて行ってやってくれ」

 

 愉快げなローマンの頭の中で、既に盗賊の案件は片付いていた。

 何せ通話相手である盟友は、彼の知り得る中で最高の鬼札なのだ。レムナント広しといえど、盟友に勝る者など想像も出来ない。切れば確実に勝てるカードを持っているなら躊躇なく使う。

 

「鼠の名? ハッハー、聞いて驚け。あのブランウェンだ」

――――――――――(オズピンには報せないでくれ)

「あーはいはい、分かっているとも。おとぎの国のダンスに首を突っ込むほど暇じゃあないんでね。そっちの事は兄弟に任せるさ。良いように始末をつけてくれ。ああ、それじゃあな」

 

 通話が切れ、ローマンはスクロールを懐に仕舞った。

 まだ陽は高いが、仕事をしている気分ではなくなってしまったのだ。

 久し振りに気分転換でもするかと思い席を立ったローマンだったが――そういえばまだ、ニオへ話を通していなかった事を思い出す。

 ニオは便利だ。まだ小娘だが現時点でそこらの平社員より役に立つ。しかしその有用さは現場でこそ活かされるものだ。最近めっきり現場に出る事もなくなっていたからこそ気を遣う。

 

(私の所に置いていたんじゃあ宝の持ち腐れか……ヨナの奴に使わせとけば、何も言わないでも鍛えてくれるだろう。……ネオもまだガキだ、ガキの内から楽をさせてたんじゃ()()にならないだろうしな)

 

 あらゆる地位・名誉・装飾を剥ぎ取り、ローマン・トーチウィックという男を丸裸にすると、後に残るのは小賢しいばかりの小悪党だ。

 彼は決して大物ではない。その器はない。

 だが、なかなかどうして――ふんぞり返って気儘に振る舞うのが似合う男であった。

 悪党であり、冷徹であり、冷酷であるというのに。自分本位で、身勝手極まる男だというのに、だ。

 

 それはきっと――

 

「ん? ……チッ、またぞろ構ってちゃんの虫が騒ぎ出したのか? 嫌になるもんだな……」

 

 仕舞ったばかりのスクロールを取り出して、通話に応じると、映し出されるのはブロンドの美女である。

 生まれと育ちの良さを感じさせ、気品と知性を宿した瞳の美貌の女。ナーハフォルガーの末席に連ねる事を条件に、マドンナリリーの影の支配者の一人に君臨したのがローマンだ。

 ローマン・T・ナーハフォルガー。それが今の彼の名前である。早い話、婿入りしたのだ。彼自身は公の場でない限り、自ら進んでナーハフォルガーを名乗ったりはしないが。

 

「ゴホンッ……あー、あー……やあ! こんな真っ昼間から君の声を聞けるだなんて光栄だな! だが残念な事に私は忙し――子供が生まれそうだと!? 出産予定日までまだ日が……早産か! 糞ッ、すぐに行く! 救急車は呼んだのか? 呼んでない!? あぁもういい私が全て手配しておく! いいな、すぐに行くから少しだけ堪えておくんだ!」

 

 ――それはきっと、彼の器はあくまで小者で。斜に構えてのユーモアがコミカルで。信を置いた者の事となると、分かりづらくとも感情的になる――隠し切れない人間味があるからだろう。

 

 彼は、父親になる。

 レムナントが彼に注視しておらずとも、物語の裏側ではひっそりと作られるものもあるのだ。

 

 果たしてローマンは、以前盟友が予想したように、親バカになるのか。はたまたバカ親になるのか。神ならぬ身では想像もつくまい。いや、例え神であっても嘴を突っ込むのは野暮というものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 迫る弾丸を、ひょいっと指先で摘む。

 死角から襲い掛かってきた白刃を、反対の手で摘む。

 弾丸の方はさておき、後者の白刃の威力は並ではない。鋭い剣圧は触れるものを斬らずにおかず、斬撃は飛びアウトレンジからでも有効なダメージリソースを稼ぎ出すだろう。

 しかし、無為。凄絶な威勢を宿した斬撃は、少年の手に触れた瞬間に威力を殺された。刀身を摘んだ一瞬の間で小刻みに上下に振り、剣筋を殺した途端単純な膂力で固定されてしまったのだ。

 白刃を止めた少年本人は微動だにしていない。体幹は不動のままだ。姿勢を崩す素振りすらなく、あっと驚く声に次いで歓声が上がるのを制したヨナタンは堅苦しく言った。

 

「――結構。ユニ、ジャックハート。講義の実演に協力させてすまなかった」

 

 正面から銃撃したのが女狩人であるユニ・イハ・ナーハフォルガー。

 背後から剣撃を浴びせたのがジャックハート・イハ・ナーハフォルガーである。

 共にヨナタンの一門の人間だ。一門共通の特徴であるブロンドが目映い。

 彼らは双子だった。短髪に眼帯をしている精悍な面構えの女、ユニは双拳銃を下ろして頭を下げる。ジャックハートもそれに倣った。

 

「いえ、お構いなく。今後も必要とあらば何時でもお声を掛けください。愚弟ともども即座に駆けつけましょう」

「ああ、()()()()ようで何よりだ。下がれ」

「!!」

「は……ハッ! ほら、行くぞユニ! 嬉しいのは分かるが下がれと言われたんだぞ!」

「あ、あぁ……」

 

 相変わらず、血が濃いだの薄いだのが褒め言葉になるのは理解不能だ。

 

 嘆息するのは呆れたからではない。単なる意識の切り替えのためだ。ヨナタンは去っていく二人から目を切って、校庭で整列してこちらを見ていた生徒達に向き直る。

 今は、週に一度の臨時講師としての時間だ。第一期生――二回生であるNアカデミーの面々は、たった今目の前で見せられた光景に興奮しているようだ。年頃で言えばもっと騒ぎ立てても不思議ではないが、彼らは許可なく私語を交わす事はない。上がった歓声は驚きと高揚を抑えきれなかっただけで、それに関しては目くじらを立てるつもりもなかった。

 もともと、ヨナタンは鞭と飴で言うところの飴の役どころだ。厳しくはしない。――もちろん他所のアカデミーの基準では教鞭を執れないほど厳しいが、無駄な比較はするだけ無駄だろう。

 

「――さて、諸君。たった今、私が何をしたか理解の及んだ者はいるかい? 理解できた者は挙手しなさい」

 

 言うと、21名全員が手を上げた。

 それに満足げに頷く仕草を見せる。もちろん満足できるレベルではない。こんなのは今までの講義を理解していたら分かって当然なのだから。

 それでも敢えて満足したように見せたのは、所作の一つに至るまで、きっちりと『優しい先生』を演じる為である。ぐるりと生徒達の顔を見渡したヨナタンは、無事役割を演じられている事を確信した。

 

「では……そうだな。セージ、私のした事を分かりやすく説明しなさい」

「はいっ!」

 

 いつぞやヨナタンが手ずからビラを渡し、今や生徒の一人に加わった少年、セージ・アヤナ。健康的に日焼けした黒髪の少年は、以前のようなあどけなさを微塵も残しておらず、はきはきと返事をする。

 彼は見込んだだけの価値がある、優秀な才能の持ち主だった。トップのA班に次ぐ成績を有するB班のリーダーであり、ゆくゆくは一廉のハンターになるだろう。

 

「先生はオーラで身体能力を活性化させ、著しく強化していました」

「具体的には?」

「オーラとは魂の力です。肉体の力ではありません。だから肉体のように鍛えた分だけ成長する事はないので、オーラを扱う上で重要になってくるのは心と体の親和性です。体にどれだけオーラを溶け込ませられるか……これは集中力と根気強さが肝要で、オーラを肉体に纏わせる力が高まれば高まるほど、先生のように身体能力を高める事ができます」

その通り(イグザクトリィ)。素晴らしい回答だ。B班に五点評価を与えよう」

「ありがとうございます!」

 

 セージの顔が明るくなった。小さくガッツポーズも取っている。彼の班員も同様に喜んでいた。

 Nアカデミー独自の評価形態として、彼らの給与にダイレクトに影響するものがある。座学の成績や生活態度の他に、訓練中に教官から与えられる点数が影響するのだ。

 それを稼げば稼ぐだけ、給与の金額が増加する。家に仕送りをするためにNアカデミーに入学したセージは、こうした点数稼ぎに貪欲だった。据え置きの給与だけでは満足していないのである。

 実に結構。彼が無邪気に喜んでいるのに、微笑んで見せた。だが残念賞だ、彼の回答は物足りない。

 

「――だが満点とは言えないね。答えは分かっているはずなのに、言及していなかった。ケアレスミス……というのとは違うが、以後気をつけるように。言葉足らずで人に誤解を与えてはいけないからね」

「え……?」

「セージの回答に補足を加えられる者は?」

 

 ヨナタンの言葉を聞いてセージが固まる。

 はい! とセージを除く全員が手を上げた。ヨナタンは反射的に、最前列で手を挙げて存在を主張するワイスを指名しようとしてしまうが、なんとか堪えて別の生徒を見た。

 視線から外れたことで肩を落とし、悄気かえるワイスに胸が痛む。だがわかってほしい。先週の講義の時に二回も指名していたのだ。あんまり贔屓するようでは職務に差し障る。

 

「それじゃあ――っと、失礼」

 

 自信満々に手を上げているノーラ・ヴァルキリーと、姿勢正しく挙手しているライ・レン。彼らに答えさせるのもいいが、今回は別の生徒にしよう。とりあえず現状最下位であるG班の誰かが良い。

 班員の実力は平均で横並びになるようにしている。A班からG班にかけて、成績順に班位を繰り上げさせていく形だが、G班だからといってワイスのA班より遥かに劣るという事はない。

 全員に、均等に、チャンスを与える。そうでなければならない。ならないのだが――タイミング悪くスクロールが着信音を発した事で、ヨナタンは講義を中断せざるを得なかった。

 

 相手は……ローマンである。またぞろ仕事を押し付けようというのだろう。

 

 暇で暇で仕方なかった、ヴェイルにいた頃ならともかく、睡眠時間を丸ごと削らねばならないほど多忙な今は迷惑だ。こうして臨時講師をしている時だけが気の休まる唯一の時間だというのに……。

 行政機能の作成、アトラスとミストラルの介入を最小に抑えながら法整備全般に口を出し、手を出し、知恵を出す毎日。並行してマドンナリリー周辺の警備も行ない、ファウナスの受け入れを進める為、住民の理解を得ようと定期的に街頭演説もしている。普通ならとっくの昔に過労死しているはずだ。睡眠休息食事をしなくとも活動でき、人の域にはない精神力の持ち主であるヨナタンでなければ、到底今の彼の仕事量を捌けはしない。

 人が足りない。とにかく、マンパワーが必要だ。

 マドンナリリー建造には、ヨナタンがいなければどうにもならない。歪だとは思うがアトラスとミストラル、オズピンをはじめとするアカデミーの学長達などの力を借りればその限りではないし、今より百倍は楽が出来るだろうが、そういうわけにもいかない。マドンナリリーはヨナタンの夢が始まる地である。既得権益からの侵食は可能な限り排除しなければいけなかった。

 こんな糞忙しい時に何を、とは思うものの。火急の事態であったら対応しないわけにもいかない。よっぽどの事でなければ、アッティラ同様自分の分身体であるルキウスに対処させよう。そう結論づけて通話に応じたヨナタンは、盟友ローマンの話を聞いて眉をひそめた。

 

(ローマンの合資会社……SOCの物資を奪っていく盗賊。ブランウェンの一族だって?)

 

 ブランウェンと聞くと、クロウ・ブランウェンというハンターの存在が真っ先に思い浮かぶ。クロウはオズピンの手駒の一人で、彼が最も信頼を寄せている存在の一人だろう。

 クロウには双子の姉だか妹だかがいたはずだ。名は……確かレイヴン・ブランウェンだったか。元々クロウと同じくハンターとしてオズピンの手駒になり活動していたはずだが、ワイスと同い年の娘であるヤン・シャオロンが生まれた年に行方を晦ませていた。

 

 まさかハンターを辞めて、オズピンを裏切り、一族の寄り合い世帯である盗賊団の下に帰っていたのか? いったいなんのつもりなのだろう。オズピンに仕えていたのなら、裏の事情にも精通してあるだろうし、やもするとヨナタンの存在には細心の注意を払っているはずだが……なぜこうも不用意に、マドンナリリーに本社を置くSOCに手を出した? ――レイヴンが盗賊団にいる事は確信している。小者に過ぎない盗賊風情なら、とっくの昔にマドンナリリーの近辺から逃げ出しているはずだからだ。

 ローマンとヨナタンの関係は公になっていない。だがローマンはナーハフォルガーの女の下に婿入りしている。ヨナタンがさせたのではなく、ローマンが勝手にやったことだから身内意識はないが、唯一無二の共犯者であるという意識はあった。

 レイヴンやその一族が裏社会の情報に精通し、ローマンの事を調べたなら、藪を突いた結果ヨナタンという蛇が出てくる事を予想し得ないとは思わないのだが……。そもそもマドンナリリーにはアトラスやミストラルが出資し、特にアトラスの軍も隊を派遣してきている。普通は形勢悪しと判断して、ミストラル王国から出て行くのが盗賊として正しい行動のはずだ。

 

 となると、レイヴンが自意識過剰な自信家で、愚か極まる無能でも無い限りは、なんらかの思惑があってSOCに手を出したと判断するべきだ。ではその思惑とは?

 

(ま……なんだっていいけどね……)

 

 ヨナタンの頭脳が高速で回転する。

 レイヴンは恐らく馬鹿ではないはずだ。少なくとも――オズピンがヨナタンに対して伏せている情報も持ち合わせている。ならば彼女の身柄を確保する事は無駄にはならないし、たとえ彼女が稀代の女傑であっても一族である盗賊団を捕縛すれば人質にできるだろう。同時に焼け石に水でもマンパワーの一部に注ぎ込めるはずだ。これまでの罪を、マドンナリリー建設の仕事に従事することで恩赦を与え、特別に免罪するとでも言えばいい。

 そこまで考えて、ヨナタンは意を決する。

 

「みんな、すまないが急用ができた。空いた後の時間は自習に宛てなさい。休憩時間にしても構わない」

 

 ヨナタンは講義を打ち切る。仕事を投げ出すみたいで良い気はしないが、何事にも優先順位はあるのだ。半ば道楽に等しい臨時講師に現を抜かしてばかりもいられない。

 スクロールを操作して、遠隔でバイクを走ってこさせる。それに跨って、ヨナタンはアクセルを廻してNアカデミーを後にした。

 

 ローマンはニオをこちらに付ける事にしたらしい。彼女もセンブランスを発現したようだし、有用な能力なら積極的に活用させ、鍛えると面白いかもしれない。

 

 レイヴン一党を捕縛する。ヨナタンはその目標を胸に、耳心地のよいバイクの駆動音を聞きながらニオを回収しに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




感想評価本当にありがとうございます!
もっとくれてもいいのよ!(強欲)


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ターニングポイント

お待たせしました。





 

 

 

 ヨナタンの駆るオンロードバイクが、傾きつつある太陽の下を疾走する。

 

 舗装された道を走る事を前提に、加速性や乗り心地を重視したオンロードバイクの原型は、アクセルの握りとブレーキ、車体の形状の名残だけとなっている。分類で言えばオートバイに等しい。

 アトラス王国に属していた元科学者を複数名雇用している、SOCの開発部門から卸されたバイクの名はエッジトマホークだ。単純な速度と加速性に秀でているのは当然として、なんとエッジトマホークは宙に浮く。ヨナタンによって増設された燃料タンクの一つに粉末状のグラビティダストが満載され、オーラに反応してエッジトマホークの車体を宙に浮かせるのだ。そして前輪と後輪に増設した、ジェット機構によって宙を疾走できる。

 暴力的なパワーと、圧倒的なスピード、奇跡的な機動力を有し、乗り手を厳選するモンスターマシンと化しているのが、この改造エッジトマホークだ。普通のバイクでは満足できなかったヨナタンは、この上で更に車体を弄り、武器を携行できる格納スペースまで設けていた。

 

 無論、今年10歳となったとはいえヨナタンはまだまだ小柄だ。このモンスターマシンを乗りこなすには背丈が足りない。よってこのバイクに乗る時だけは、密かに肉体年齢を弄って肉体年齢を14歳時分のそれにしている。それぐらいの肉体年齢でやっと腕と脚の長さが要求水準に達するのだ。

 Nアカデミーの校庭から、マドンナリリーの外れにまで来るのに要した時間は、僅かに五分。一般車両では通常三十分は掛かる事を考慮すれば、非常識な速さであると言える。これで、まだ都市部での走行だからと抑え気味なのだから驚嘆に値する性能だ。

 

 間もなく国際協定上定められた、マドンナリリーの領域から出てしまう。ここに至るまで、回収するはずの少女の姿は見掛けなかった。メールを送ったのに反応がないのだから、途中で合流するつもりという意思表示だと解釈したのに、それは誤りだったのだろうか? それならそれで別に良いかと思うも、森の荒れた道に入るや聞こえてきた爆発音に頬を緩める。

 今のはダストが炸裂した音だ。流石に要領が良い――ローマンから連絡を受けた時には外れで訓練でもしていたのだろう。その脚でヨナタンが通りかかるだろう地点に先回りしていたらしい。日傘のように差したパラソルを手に、いつもの笑みを浮かべたニオ・ポリタンが物陰から姿を表した。彼女が優雅な所作で()っと手を伸ばしてくるのに、ヨナタンは目に掛けているゴーグル越しに微笑を溢す。

 

 すれ違いざまにその手を取って、減速する事なく駆け抜ける。軽やかに持ち上げた少女の華奢な肢体を背後に回し、ひらりと横座りになったニオがパラソルを閉じて片手をヨナタンの腰に回した。

 

「どこに訪問するか聞いているかい?」

 

 前を見たまま問い掛けると、なんとなく肯定の意思が返ってきた気がする。

 言葉要らずでスムーズに意志の疎通が出来るようになっている事には苦笑を誘われる。

 

「相手は盗賊だ。はっきり言ってしまえば社会の癌で、皆殺しにしても困らないろくでなし共だけど、彼らの労働力を捨てるのは勿体ない。いい加減盗賊団なんて()()()()()は卒業させてあげよう」

「………」

「ん、今笑った? 笑ったよね?」

「………」

 

 微かに耳に届いた笑い声に敏感に反応して振り返ろうとするも、あたかも前を見て運転しろとでも言うように背中を叩かれる。暇はないが折を見て訓練を見てやったり、食事などで胃袋を掴み、可能な限りコミュニケーションを取り続けた成果が出ているようだ。心の距離感が以前よりもずっと近づいている気がして、そろそろ声を聞けるんじゃないかと思う。

 物は試しだとヨナタンはアクセルを廻した。

 一気に加速しジグザグに走行しながらターボを作動、更にアクセルの横にあるボタンを押して粒子状のグラビティダストを放出し、宙に浮きジェット機構を起動。多段式に加速していくと、耳を打つ風切り音の中に微かな声が交じるのが聞こえた。

 

 笑っている。アクロバットな走りのスリルに、楽しそうに笑っている。ヨナタンは思った。やっぱり思った通りだ――と。鈴を転がしたような、瀟洒で可憐な声だ。歌えばさぞかし美しかろう。

 

 本当なら余計な仕事に向かう途上でしかないが、こうしてリフレッシュできるなら悪くない。一年以上もマドンナリリーに缶詰だったのだ、自分で思っていたよりも精神的に疲弊していた可能性はある。

 やはりたまには睡眠を取ろうかなとヨナタンは思った。人が睡眠を必要とするのは、脳が外部から受けるストレスで摩耗し、質の良い睡眠を取る事で脳の疲労と摩耗した部位を修復する為だ。ヨナタンが睡眠を取らずとも死なずに活動できているのは、自身の脳の摩耗をオーラで修復できるからでしかない。それでも一年以上も二十四時間昼夜問わずに働き詰めれば、自覚のない所で負荷が掛かっていたのかもしれなかった。

 

「そろそろ目的地付近だ」

 

 もう? というような雰囲気。

 アクロバットな走りをもっと体感していたかったのかもしれない。

 しかし一つ問題が有る。肝心要のターゲット、盗賊団の根城の所在地を知らないのだ。

 だがまあ……問題はない。

 

「――こっちか」

 

 シオンという町の付近にある渓谷、という情報は有るのだ。その近辺を探っていれば自ずと手かがりは見つけられる。ヨナタンとは窮極の個にして完全なる群でもあるのだ。

 ヨナタン本来のセンブランスは死霊術【過去降】だ。その力は何も、自らの起源である深淵狩りに接続し、能力を引き出すばかりが能ではない。本質は過去視であり、また亡霊を自らの従僕とするもの。それにより自らに付かず離れず常に付き従う、所縁知らぬ亡霊達に命じ散開させた。

 暫くシオン近辺を走り回り、自分の目でも痕跡を探すも特にそれらしいものは見つからず、複数の亡霊の内の一体が思念を飛ばして来ると車体を傾け、盗賊らしき者を見つけた地点に急行した。

 

「見つけたよ、ニオ。折角だから挨拶でもしてやろうじゃないか。彼らの流儀に合わせて、とびっきりアウトローな、ね」

「………」

 

 無言の応答は、パラソルを持ち直す仕草。

 亡霊は斥候としてこの上なく有能である。なんせ彼らは如何なる機器、如何なる生物にも発見されないからだ。ヨナタンと同系統の死霊術使いでもない限り、気付ける道理のない亡霊は重宝する。

 盗賊らしき者は単独だった。シオンの町外れにある酒場から出てきたところである。風体はみすぼらしく、如何にもアウトローといった姿だが、控えめに言って三下にしか見えない。

 疑わしきは罰せよ、と言うつもりはないが。マドンナリリーの市民、近隣の町人の戸籍データを記憶しているヨナタンの頭脳(データベース)に照合しても該当はない。推定有罪(ギルティ)だ。法令に従い身柄を確保しよう。

 

 バイクが走ってくる気配を感じ、男が振り返る。なんだ? とその貌が言っているのに構わず、その真横を通り抜け様に腕を横に伸ばすと、手を握ってきたニオの手を握り返し虚空に放る。

 疾走の勢いを乗せてニオの華奢な体躯がバレリーナの如く回転し、強烈な膝蹴りを男の顔面にお見舞いした。果たして錐揉み回転し吹き飛んだ男の前歯が砕け散る。ついでに鼻骨も粉砕した。

 急制動を掛けて停車し、男のすぐ傍に停まったヨナタンは、パラソルを開いて着地したニオを尻目に気絶している男を見下ろす。

 

「こんにちは」

 

 挨拶に、返事はなかった。死んでないから良いやと肩を竦める。

 早速聞き取りを開始しよう。善意の協力に期待する。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 接近するバイクに気づいた盗賊団の歩哨は不幸だったかもしれない。

 嘆くだろう。悔やむだろう。なんだって俺が当番の時に、と。

 だが正義の使者はそんな彼を慰めるだろう。寧ろ幸運だったよ、と。なぜなら君だけが悪い訳じゃない。人様の物を盗んで粋がるアウトロー気取りは漏れなく悪だ。

 ――止まれという制止を無視して突撃してきたバイクを躱せず、その車輪で顔面を整形された男が跳ね飛ばされ岩壁に叩きつけられる。ぐったりと気絶してしまった彼には構わず、無慈悲なる騎手は【火の触媒】による雷撃で根城の門を粉砕した。

 雷鳴を切り裂くように、盗賊の本拠地へと乗り込む。凄まじい轟音は来訪を告げるインターホン代わりだ。堂々と侵入を果たした騎手はハンドル横にあるスイッチを押して車体を縦に割ると、中からなんの変哲もない長剣を引き抜いた。

 

 何事だと飛び出してくる盗賊達を見渡しながら、ヨナタンは14歳相当の肉体年齢から10歳のそれへ回帰する。体が萎んでいく様は不気味の一言。怯む彼らに、少年はあくまで自然かつ気軽に訊ねる。

 

「御機嫌よう、こそ泥諸君。レイヴン・ブランウェンはいるかい?」

「なんだテメェは!?」

 

 盗賊の一人が怒号を発するが、なるほど尤もな誰何である。

 招かれざる客というものだが、しかしヨナタンには知ったことではない。ヨナタンが誰何してきた男を一瞥するや、彼の背後から飛び出した少女がパラソルの先端で男の胸を強かに打ち抜き悶絶させた。

 一気に殺気立ち、シミターや斧などの武器を持ち出す盗賊達を無視して、ニオがくるくるとパラソルを廻す。

 

「なっ――!?」

「僕らはお客様だ。ボスが出迎えるのが筋だと思うんだけど……流石は猿山のお猿さん達だね。ウキウキうるさい上に礼儀も弁えてないと見える。さてはバナナの一本でも投げ銭(おひねり)しないと、ボスを呼びに行く芸は見せてもらえないのかな?」

「あたし達が猿だと? ガキが……何が礼儀だ、大人を舐めてちゃ痛い目を見るって教えてやるよ! ――お前達、このふざけたガキ共を躾けてやんな!」

 

 ベリーショートの髪の、褐色の肌の女がそう号令を掛ける。途端に襲い掛からんとする連中は、なるほど確かに場馴れしているのだろう。だが悲しいかな……虚しくなるほど無力である。

 

 判断は正しいのだ。

 ヨナタン達が何者であるか聞き出すよりも、襲撃を仕掛けてきた一点で、まずは撃退を考えるのが正解である。制圧後に尋問でもして背後関係を洗えばいいとでも思っているのかもしれない。

 だがヨナタンが本気で殺すつもりなら彼らはものの数秒で全滅する……悲しいまでの実力差があるのに、それを解さないだけで彼らの程度が知れるというものだ。

 戦闘員としては落第だなと思うも、ヨナタンの外見は幼いのだから侮ってしまうのも無理はないと考え直す。言うまでもないが、ヨナタンのような存在は特例中の特例だからだ。

 

「――ニオ。危なくなったらフォローするから、お猿さん達に『待て』の芸を仕込んで上げるといい」

「………」

 

 完全に馬鹿にした物言いにイキり立つ盗賊団を前に、嗜虐心を滲ませた笑みを浮かべたニオが進み出る。無形の構えは武の一文字が芯となっている証であるが、ならず者共が武術を解する道理もない。

 ニオの力量が、自分達を遥かに超えるというのは完全に想像の埒外らしい。なまじ可憐で幼い容姿をしているものだから、薄汚い大人達は本気で掛かるのを躊躇してしまったようだ。――なんと救いようのない愚かさだろう。直前に一撃で()()()()仲間の事を忘れてしまっているとは。

 忘れたのなら、もう一度思い出させてやればいい。

 弛緩していた四肢が力んだ瞬間、迅雷の如き踏み込みで接敵。ニオは手近の男の懐に潜り込むやその手首に触れる。瞬間、男の視界が急転した。まるで大地がひっくり返ったかのように投げ飛ばされた男は、頭から地面に叩きつけられ一瞬の内に意識を失う。

 

 シン……と沈黙が広がった。その瞬間にヨナタンは盗賊団に殺意を叩きつける。ニオの為に、だ。

 

「何をしている? 殺す気で掛かって来ないなら――僕がお前達に躾けをしてやろうか?」

 

 折角の実戦なのに、間抜けばかりではニオの経験値にもなりはしない。どうせなら本領を発揮して、ニオに冷や汗の一つでも流させてみろ。そうでなければニオの糧にならないじゃないか。

 完全な私情による、筋違いな苛立ち。何のために彼らを挑発して馬鹿にしたのか、何のためにこうも堂々と真正面から乗り込んだのか。自分一人で片付けるなら、現時点で全員を戦闘不能に出来ている。そうしなかった意図も汲めず本気の本気、死に物狂いで掛かってこないとは何事か――そんな理不尽な、自分本位極まる憤懣。

 

 場が、凍りつく。

 

 重たい鉛が圧し掛かり、喉に固形物を押し込められたかのような息苦しさが盗賊団を襲った。

 身動き一つ出来ない。異能に等しい殺気の帳は彼らの自由意志を奪い去る。

 熱いのに冷たい、形容し難き苦痛。恐怖だけが感じる全て。ひゅ、と漏れた吐息一つに寒気を覚える。

 

 ――ヨナタン・ナーハフォルガーは『英雄』である。世が定義するところの英雄たる条件を満たしたが故の、名誉ある呼び名としてのものではなく。彼は『英雄』という名の種族なのだ。

 すなわち、人の人たるの臨界を極め、限界点の遥か先に進んでいる化生。此の世に在ること自体が何かの間違いとしか言えない、現行人類が生んだある種の突然変異体(バグ)なのである。

 そんな怪物である彼は本来、普通の人間の感性からは致命的に乖離していて如かるべきであるが、ヨナタンは古の老戦士の端末として異例の――自我を有する事が赦された者だった。

 

 だからこそ『英雄』としての性能を完全に引き出せる器でありながら、まだ人間味のある人格を有していたのだが――やはりその感性は、人の言う普通からズレていた。

 

 彼にとって、人間は味方である。守護するべきものであり、時に肩を並べられる同志でもあった。だが――最大多数の人間を害する少数には、その価値観は適用されない。

 つまりヨナタンからすると、作り出している最中にある必要悪と正義の天秤に乗らない盗賊なんてものは、駆除すべきグリムと同じ存在なのだ。根本的な部分で人間扱いしていない。

 せめてもの厚意で役に立たせてやろうというのに、それすら熟せないようでは生きている価値はないとまで断じる。

 故にヨナタンは偽りなく怒っていた。

 そして――『英雄』たるヨナタンの怒りとは、殺意を宿す。最悪の化生(システム・バグ)の恐ろしさは筆舌に尽くし難いだろう。蛇に睨まれた蛙どころの騒ぎではない。龍に睨まれたミジンコだ。

 

 途方もなく強大な、逆立ちしても敵わない存在に殺意を向けられた時……人間は動物的な恐怖に支配される。盗賊達は自らの死を幻視した。灰も残らず焼き払われる未来を悟った。

 故に、ヨナタンの叱声は、彼らから一切の余分を削ぎ落とした。

 

 

 

「全身全霊を賭して挑め。さもなくば死ね! さあ、敵は此処にいるぞ。死に物狂いで挑まねば命の保証はない!」

 

 

 

 ――戦え!

 

 ヨナタンの怒号によって、盗賊達は弾かれたように、泣き出しそうになりながらニオへと襲い掛かった。どうして、とか。何かヤバい奴に目をつけられたとか。そんな迷いも戸惑いもかなぐり捨てた。

 もはや狂乱である。訓練された軍隊ならともかく、脆弱な精神力しか持たない盗賊風情では、やむを得ない醜態であると言えた。ニオも嗜虐心をかなぐり捨て、鬼気迫る顔をしているが、同時に大きな余裕も持ち合わせている。張り詰めているのはヨナタンの怒気に当てられたからで、余裕は安堵の裏返しだ。――世界で一番強い人が味方である、という。

 その安心感は強い。それこそ実力差を無視して、死に物狂いで挑みかかってくる者達に、なんら気圧されず本来の実力を出せるほどに。

 ニオは舞う。舞うようにして、オーラのなんたるかを心得ぬ有象無象を蹴散らしていく。舞踏の武闘、膂力の差を無いものであるかのように、大の大人を片手で捻り投げる。相手が格下ばかりとはいえ多勢に無勢だ。対多数戦闘の濃密な戦闘訓練として、ニオの才気は秒刻みで洗練されていく。

 中にはトチ狂って背後からヨナタンを襲う者もいたが、それに対してヨナタンは振り向きもせず裏拳一発で昏倒させた。手の甲に、鼻の骨の砕けた感触が残る。そうして時には、随所でなんの変哲もないピストルで銃撃し、ニオが気づかなかった背後からの攻撃を防いだりもしている。肩を弾丸で撃ち抜かれた女が苦しむも、ヨナタンの視線を感じては遮二無二に立ち上がり再びニオに打ちかかっていく――

 

 そんな光景が、ニオが全員を打ち倒すまで繰り広げられた。

 

「……レイヴンは留守だったか」

 

 この期に及んでも出てこない女首領に、ヨナタンは失望の吐息を溢す。

 地面に倒れ伏した盗賊達が、そこかしこで苦悶の声を上げていると、凄惨な拷問跡地のように見えるが彼に省みさせるには到らない。

 どうやら無駄骨だったらしい。

 レイヴンが今どこで何をしているのか判然としないが、そのうち戻って来そうではある。ヨナタンは嘆息した後にまだ意識のあった男の下に歩み寄ると、長剣の腹でぺちぺちと頬を叩いた。

 

「合格だ。よく戦った。特別に更生の余地有りと認めよう。さあ、さっさと起きて仲間達に縄を打つんだ。手足を縛れ」

 

 優しい声音が、逆に恐ろしい。なまじ子供の姿だから更に恐ろしい。

 男は重い体に鞭を打つようにして立ち上がり、一人一人の手足を縄で縛っていく。手抜かりなく拘束されていくのを見届け、ヨナタンは微笑むと男を労ってやった。

 

「ご苦労さま。疲れただろう? これは褒美だ、ありがたく受け取るといい」

 

 言って、ヨナタンは長剣の腹で男の脳天を打撃し一撃で気絶させる。

 無慈悲だった。サドっ気のあるニオをして苦笑いを禁じ得ない。

 

「ニオ。悪いんだけどローマン――は、不適格か。マドンナリリーの警察に連絡してくれ。指名手配中の盗賊団を捕縛したって」

「………」

「それから……。

 ――ああ、やっと来たのか

 

 

 ――刹那の間。

 

 

 空を舞う一羽の鴉が頭上の位置にまで来るや、鴉が人間の女の姿を象った。

 

 重力に引かれ落下して来るなり、腰だめにした赤い刀を一閃する女。

 それは神速の抜刀術。この盗賊共とは比較にもならない、超一流のハンターに伍する武だ。相手が誰であれ、この奇襲は反応を赦さないだろう。どんな手練でも手傷の一つは刻まれたはずだ。

 だがヨナタンは尋常の理外を歩む者。彼の反応速度は人の域を超えている。仮に奇跡的な確率で不意打ちが成功しても、ヨナタンが動揺する様を拝めはしないだろう。鉄壁不動の精神に、瑕疵はない。

 

 おもむろに掲げられた長剣が、赤刀を待ち構えていたように受け止める。

 

 如何なる材質か、真紅の刀身と長剣が噛み合い、鋼同士の激突とは思えぬ音色を奏でた。

 

 ウェーブした黒髪の女が着地する。美しい女だ。クロウ・ブランウェンとは双子というが、全く似ていない。赤い瞳は妖しい魅力を宿し、女盛りの熟れた肉体は男の関心を買って止まないだろう。

 二十代後半に見えるその美貌は苦み走って、自らに返ってきた手応えに顔を顰めていた。

 長剣との接触の瞬間赤刀に返ってきたのは、木の棒で堅いクッションを殴ったかのような感触だ。鈍らでこそ無いものの、業物とは言えない長剣なら罅ぐらい入っているべきなのに、刃毀れ一つ無い。

 それが意味するのは一つ。自らの奇襲が、この上なく完璧にいなされ、無効化されたという事。女、レイヴン・ブランウェンは自らの一族が一人残らず地に立たず、捕縛されている様を見て舌打ちした。

 

「――私が留守の間にやってくれたわね。アンタは何者? 私の一撃をこうも簡単に捌くなんて……少なくとも見掛け通りのお子様じゃないようだけど」

 

 レイヴンは半ば、ヨナタンの正体を察していながらも問いを投げた。

 それに対してヨナタンは軽く応じ、迂遠に肯定する。

 

「分かっていてマドンナリリーに手を出したんじゃないのかな、レイヴン・ブランウェン」

「……自己紹介の必要はないようね。それで……お客様には丁重なおもてなしをしてあげたかったんだけど……私抜きでどんちゃん騒ぎをするのは失礼だとは思わなかった?」

 

 レイヴンは分かっていた。マドンナリリーに手を出す事の意味、危険性を。

 故に危機が迫る事は承知していたが、想定していたよりも事態の推移がずっと早い。()()()()()()よりも、一族である盗賊団の方を取った女は、もう少し早く帰ってくれば良かったと後悔した。

 だが事は既に起こっている。悔やんでも遅い。それに――レイヴンには切り札があった。宛てになるかは今のところ分からない……いや、はっきり言えば不安だが、ないよりはマシだろう。

 

 ヨナタンはレイヴンの揶揄に鼻で笑った。

 

「思わないね、君は社会通念的に見て屑だ。なんら礼を払う意義のない、ね。本当なら有無を言わさず叩きのめし、反抗する気力も湧かないようにしているところだよ。だけどそうしていないのは、僕が個人的に君へ聞きたい事があるからに過ぎない」

「叩きのめす? この私を? ……あながち冗談にも聞こえないけど……私がただやられるだけの女に見える?」

 

 レイヴンの実力は、全ハンターの中でもトップランクに位置する。現行世界を見渡しても、彼女と互角に渡り合える個人は少数だろう。

 そんなレイヴンだからこそ、ヨナタンの台詞が放言には聞こえなかった。

 薄っすらと彼の実力を読み取れる。とはいえそれは――岸壁に立って、雄大なる大海原を見渡しているような――途方もないオーラを感じ取れるという事でもあった。

 正確な実力はともかく。そのオーラ量だけは察した。

 レイヴンのオーラ量が百だとすれば、目の前の少年のオーラは一億……あるいはそれ以上。少なくともオーラ量だけで勝敗が決定されるなら、此の世のどんな者も彼には太刀打ちできまい。

 

 だが実際に戦えばどうか。セイラムですら最大級に警戒する『英雄』の力を試してみたい――そんな思いが全くないとは言えない。

 腕が立つからこその興味と、仄かな敵意。それを見透かす少年の目は酷く無関心だ。

 

「さあね。ああ、自己紹介が遅れていた。折角だし名乗っておこう。――僕はヨナタン。君のような事情通には【深淵狩り】と言えば伝わるかな?」

「!! ……そう。納得」

 

 レイヴンには、オズピンの仲間だった過去がある。

 だが彼女は秘密主義者のオズピンに猜疑心を持ち、そしてその宿敵……セイラムを知って、勝機は万に一つもないと思いオズピンを見限った。道具扱いされる事に我慢の限界を迎えたというのもある。もともとハンター・アカデミーに入ったのは、一族の為に役立つ力を手に入れる為という思惑もあった。

 そんなレイヴンだからこそ、オズピンの下を離れても独自に情報を集めるのはやめていなかった。故に、やがて知る事になる。セイラムが宿敵として定めているのはオズピンだけではないと。

 それこそが深淵狩りだ。その存在は、あのセイラムをして直接対決を絶対に避けようとする者だ。――絶対的な超越者セイラムに恐れをなしたレイヴンだからこそ、深淵狩りに接触し、庇護下には置かれずとも友好的な関係を築き上げようと考えるのは自然な事だったと言える。そしてそのための交渉材料も手に入れていた。

 

 レイヴンは深淵狩りの事を知ると、お伽噺の全てを学び、同時にレムナントの歴史も学び直した。そうして導き出した結論は、彼はオズピンよりも遥かに信用に値し、交渉の余地のある相手だという事。

 世界が暗雲に包まれている今、生き残るにはセイラムの目から逃れ続けるか――あるいは深淵狩りと手を結ぶ事。仮に後者との交渉が決裂しても、早急に命の危機に陥る事だけはない。

 

 その推論が正しいと証明するかのように、レイヴンの一族達は誰一人として殺されていなかった。

 

「――で、そこの物陰に隠れているのは誰だい?」

 

 ヨナタンが長剣の切っ先で指し示すのは天幕の中。ぎくりとしたのか、身動ぎする気配が垂れ流される。

 

 レイヴンのセンブランスは、特定の個人をマーキングし、それを頼りに彼我の距離を零にして移動する事の出来るゲートを開くものだ。

 最初レイヴンは天幕の中に()()()()を連れてやって来て、オズピンに与えられた魔法の力で鴉に変身し、ヨナタンの頭上にまで移動していたのである。気配を気取られた()()()()に女は舌打ちした。

 戦士としての才覚は下の下だ。

 本来なら()()の力がセイラムに渡らぬように、レイヴンがそれを奪い取るつもりだったわけだが――

 

「深淵狩り。今日ここに貴方がいるのは、私が貴方を招いたから――それは伝わってる?」

「もちろん。君がよっぽど阿呆じゃない限りはそうだろうと考えていた」

 

 レイヴンの問いに、ヨナタンは頷く。

 やはり頭がキレる。彼女は意を決した。一族に手を出された事に関しては、今回ばかりは目を瞑ろう。ここが自分達を最大限高く売りつける為の勝負どころだ。

 

「――取引しない?」

「しない。君は僕の質問にだけ答えるドールになればいい。その後は盗賊稼業から足を洗ってもらう」

「ああ、そう。でも話だけでも聞いてくれたら嬉しいんだけど。きっと退屈はしないから」

「ワーオ、大きく出たね。じゃあ僕が退屈したらどうする?」

「その時は戦う。私達の自由を奪おうとする全てと」

「ははは。セイラムに恐れをなして逃げた女が戦う? 逃げずに戦うだって? 面白いジョークを聞かせてもらった。お礼に話ぐらいは聞いてあげようじゃないか」

 

 魔女から逃げた――その断定はどこから来るのか。人間離れした――否、人間を極めた洞察力が、レイヴン自身も知らない、レイヴンその人の本質を見透かしているのかもしれない。

 

 ヨナタンの態度は一貫している。それこそレイヴンの奇襲を最初からなかったものとして捉えているかのように。

 あの手応えは異様だった。まるでハンターアカデミーの学生だった頃、はじめて教官だった者に手解きを受けたかのような感覚がある。それでもレイヴンは笑みを浮かべた。やはり、話は通じるのだ。

 

「取引の内容は簡単よ。私の知る全てを、貴方に話す。知識と情報の提供をする」

「論外だね。そんなものは力尽くで聞き出せばいい。力に屈しないのなら、ここにいる君の一族を人質にする」

 

 いとも容易く非道な案を口にするが、ヨナタンなら本当にやるだろう。

 その冷酷さは、しかしこの上なく分かりやすい意思表示だ。

 だが、だからこそ、彼という人間性を感じさせる。

 

(――合理主義。深淵狩りはリアリストであり、分かりやすい数字の羅列じみた感性の持ち主だと思ってたけど、ずばりだった)

 

 想像していたよりも大分人間味があるのは喜ばしい。

 こちらを見るなり怯み、ヨナタンの背後に隠れた少女、ニオ・ポリタンを一瞥しながらそう思う。

 

「続きがある。急いで結論を出さなくても良いんじゃない? もう一つ差し出せるものがあるんだから」

「……それは?」

「恐らく今、()()()()()()()()()()()()()()()を提供するわ」

「――ソイツはクールだ。君は僕のほしいものが分かってるんだね」

「ええ。取引……する気になった?」

 

 ヨナタンは一瞬だけ思考を挟んだ。

 しかしすぐに計算は終わる。悩むだけの価値は、レイヴンを除いた盗賊団にはない。

 もし本当に欲しいものを差し出すなら、取引するのも吝かではなかった。

 

「ああ。君が本当に僕の求めるものをくれるなら、取引に乗ってもいい。で、君はそこまでして僕に何を求める?」

 

 掛かった――レイヴンは会心の笑みを浮かべた。

 勝ったのだ、賭けに。もう誰にも支配されない為の権利を手に入れられる。

 

「自由よ」

「……? ……具体的には?」

「貴方は私達を追わない、売らない、捕まえない。それだけでいい」

「無欲だね。結構なことだ。けどそれだけじゃ足りない」

「……どういうこと?」

 

 まさか要求したものを『足りない』と言われるとは思わず、レイヴンは聞き直してしまった。

 だがヨナタンは意地悪く、しかし親切だ。隠さずに事情を話した。

 

「君達が盗賊稼業を辞めない限り欲する自由は決して手に入らない。理由を説明すると長くなるから、簡潔に要点だけを押さえて言うと、僕の築こうとしている世界の在り方は小悪党を野放しにしないものだ。小悪党はより大きな悪に吸収され、大いなる善と二分した勢力として立ってもらうことになる」

「………」

「よってどのみち小悪党を卒業しないとならない。どんな取引をしても、求められる対価を渡せないとなれば成立しないだろう? だから僕からの要求は、その対価の形を変える事だ」

「……どんなふうに?」

 

 一息には飲み干せない話のスケールで殴りつけ、思考を挾ませた上で食い付きやすい話をチラつかせる――その話術は百戦錬磨のハンターとはいえ聞き流せるものではなかった。()()()()()のだ。

 反駁して意図を理解しようとした時点で、レイヴンは受け身になってしまった。その上で納得させられたなら――やはり役者が違い過ぎるということだろう。

 

「土地を与える。開墾して慎ましく生きればいい。正当な働きには正当な報酬を約束する。稼ぎが足らず遊べないと言うなら、僕のところに来て出稼ぎ(アルバイト)すればいい。仕事の内容はこちらが提示するけど、受けるか受けないかは君達の方で選ぶ権利もある。これが最低ラインだ。どうする?」

「………」

 

 レイヴンは考えた。

 薄々気づいてはいたのだ。いつまでもケチな盗賊稼業は続けられないと。

 彼女は頭のキレる女傑である。情報収集も怠らない。故に、世界が大きな力でうねり、在り方を変えようとしている事を感じ取っていて、その先の世界に自分達の生きる場所がない事も予感していた。

 考えれば考えただけ、選択肢が無い気がしてくる。ヨナタンの話は、蹴る余地がない。話が美味すぎるが、同時に理解し妥協できる権利もある。彼女は、悟った。どうやら呼びつけて交渉すると考えた時点で負けていたのだと。今まで通りの在り方を頑固に貫けば、待っているのは破滅だ。

 

 それでもいいと思えただろう。だがそれは、破滅を知らなければの話。知ってしまった以上、それでもいいとは思えない。――レイヴンは背筋が凍る思いだった。まさか、と固い唾を飲み込む。

 より大きな悪に吸収される……大いなる善と勢力を二分する……ヨナタンは善に属するだろう。だが、悪は? そもそも、そんな話をなぜ深淵狩りが知っている?

 

「まさかアンタ……()()()はアンタの――」

「おっと。要らない詮索はなしだよ。雉も鳴かなかったら撃たれないんだ。それで……どうするかの返事はまだかい?」

「………」

 

 冷たい汗が頬を伝う。

 とんでもない化け物を目にした気分だ。

 返す返すも思う。この時ばかりは変に勘の良い自分を呪わずにおれない。

 関わった時点で負けだ。関わろうとした時点で愚かだ。レイヴンはもう笑うしかない。

 だから笑った。

 

「参った。アンタの条件を飲む。代わりに……」

「分かってるよ。約束は守る。ついでに明言しておこうか? 君達は世界一発展する都市の、世界一幸福な市民になる。望めば法に抵触しない範囲と、僕の力と気分が及ぶ範囲で大抵の事は叶えてあげよう。もちろん君が僕の望むものをくれるならだけど」

「……分かった、ボス。降参するわ、降参。どうやらセイラムを避け続けるより、持ってるチップを全部アンタに賭け(ベットし)た方が良さそうだから」

 

 分かってるじゃないか、とヨナタンは微笑んだ。

 どのみち人類の今後はグリムとの決戦に掛かっている。死ぬか生きるかしかないならば、生き残った後の方を考えるしか無い。死んだ後の事なんて考えるだけ無駄なのだから。

 レイヴンはそうした悟りを得て、苦笑いしながら天幕の方を振り向く。

 

「出て来なさい」

 

 命じる声。レイヴンの言葉に従い、天幕から出てきたのは一人の少女だ。

 とりたてて美しくなく、覇気もなく、閃く知性も感じさせない――地味で臆病そうな――平凡な少女。彼女を観察したヨナタンは目を細め、レイヴンに少女の正体を訊ねる。

 

「彼女は?」

「察しはついてるんじゃない?」

 

 レイヴンは常の強気な笑みを浮かべ、そして言う。

 

 

 

 ――ここが、これまで幾つかあり、これから先にもある――ターニングポイントの一つだった――

 

 

 

「今代の【春の乙女】よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




レイヴン・ブランウェン
 原作主人公チームのリーダー、主人公ルビー・ローズの姉であるヤン・シャオロンの実母。美人だけど育児放棄母。センブランスを一言で説明すると「どこでもドア」

春の乙女
 レイヴンが失望するほど戦いに向かない少女。原作ではセイラムに奪われるのを恐れたレイヴンに殺され、レイヴンが春の乙女の力を受け継いだ。今作の時系列だとまだ殺されておらず、代わりにヨナタンへの貢物に。



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突き詰めた合理性は慈悲をも孕む

 

 

 

 

「わたし……普通の女の子として生きたいんです」

 

 マドンナリリーに連れ帰った春の乙女に望みを訊くと、彼女は儚げな微笑を溢した。

 

「素敵な恋をして、可愛いお洒落をして、たくさんのお友達を作りたい」

 

 望みを聞いたのは、意思を持つ人間に対する最低限の礼儀だからだ。報酬もなしに便利使いするようでは、人が人と付き合うのに適切な関係を築ける道理はない。人に無償で奉仕する事に生き甲斐を感じるような狂人が相手でも、自らの都合の為に利用するなら対価を用意するのが筋というものだ。

 

「――家に帰りたい……! お父さんに会いたい、お母さんに会いたいよ!」

 

 先に断っておくと、別に同情なんてしていない。寧ろ失望している。何せ乙女は心身に至る全てが、争いに向かない平凡で穏やかな女の子だったからだ。そんな凡人に期待できるものなどない。

 

「恐いのは嫌です。痛いのも嫌です。戦いたくない、武器を持ちたくない。どうしてわたしなんですか? なんでわたしが……恐い人たちに狙われなくちゃいけないんですか?」

 

 体の性能が脆弱なのは仕方ない。だがその心まで平凡なようでは、戦を強要できはしない。

 

「お願いします、助けてください。助けて……」

 

 大いなる力には、大いなる責任が伴う――だが、弁えているだろうか?

 その力を持て余している者にまで、責任を果たさせようと迫るのは心得違いも甚だしい。

 却って迫った側こそが無責任の咎を負うだろう。

 いや、負わねばならない。

 人面獣心の所業は恥じ、厳に戒めるべきだからだ。

 

()()()()

 

 背負い切れない過酷な運命に落涙する乙女に、ヨナタンは真摯に頷いた。

 彼は自らのパーソナルスペースの外に関しては、最大多数の人民の味方だ。だがそれは、必ずしもマイノリティーを切り捨てる事を意味しない。必要に迫られでもしない限り、可能な範囲内で全てを救おうとする。どんなに困難に思えても、可能ならやるのだ。

 何故か? 理由は明快。必要でないのなら、()()()()()はしたくない。そんな個人的な嗜好が全てである。無論、必要ならば躊躇わずに実行し、後から悔やむ事すらしないだろうが。

 

 ――春の乙女……否、お伽噺の呼称に倣うなら春の女神と言うべきだろう。その能力の確認をした。結果、雷や強風を操る魔法の力である事が判明する。早速アルバイターとして同行してもらったレイヴンと乙女本人に話を聞くと、季節に纏わる天候操作に近しい力を行使できるようだ。

 

 強風、天候の変化、雷撃、凍結。これらを分析するに、天候の変化は雷雲を瞬間的に招く為のもの。強風はそれに伴う副次的なもの。雷撃は春の女神の名に因んで言うなら、春雷――立春から立夏までの期間に発生する雷を操る物。気象用語『寒冷前線』の通過時に発生する界雷、及び雹が関係して雷の他に凍結……氷結能力があるのかもしれない。立春の訪れは春雷からだ。故に能力強度に序列を付けるなら、天候の変化、雷撃、強風、凍結の順になるだろう。

 はっきり言ってしまうと――そんなものか、とヨナタンは思った。オーラに由来しない魔法の力、魔力は物珍しかったが、ヨナタンが思うに然程脅威にはならないと判断した。

 春、夏、秋、冬の女神の力は元々オズピン――オズマの力を分けたものだという。であれば春夏秋冬の女神の力を一纏めにしたものなら脅威足り得ると断じるが、その四分の一程度の力では恐れるに値しない。ましてやその使い手の技量はヨナタンに遠く及ばないのだから尚更である。

 

 よって、ヨナタンの興味は完全に失われた――わけではない。

 

「……つまり、女神は代替わりするけど、その力の相続は基本的にランダムで若い女性に宿る?」

「ええ。代替わりの条件は前任者の死……オーラ研究の進んでるアトラスの科学なら、人為的に女神の力を移せるかもしれないけど、その場合力の受け皿になる側の人格が変化しない保証はないわ」

 

 ヨナタンの問いにレイヴンが答える。

 所はマドンナリリーにあるヨナタンの館だ。

 盗賊団捕縛の一報は警察に対する何者かの悪戯という事にして、レイヴンの一党には暫く大人しくしててもらい、時勢が落ち着けば彼らに戸籍と土地を与える事になっている。

 一党の長レイヴンは、それまでの間ヨナタンが個人的に雇った秘書という事にしていた。

 

「他人の(オーラ)と融合してしまうからだね」

「その通り。で、まさか本気で春の女神を家に帰してあげるつもり?」

 

 人格の変化の原因を推測すると、レイヴンは腕を組んで肯定した。

 そんな馬鹿な真似はしないだろうと思っているようだが……ヨナタンが何も言わない事でその意思を悟り、渋面を作る。

 

「……セイラムに女神の力を差し出すようなものよ」

 

 彼女の目は、ヨナタンの寝室にあるベッドに腰掛ける乙女に向いていた。

 乙女はレイヴンの一瞥に緊張している。彼女の事が恐いのだろう。レイヴンの指摘を受けたヨナタンは、しかし応じるでもなしに独語した。

 

「死が力の継承の条件、ね……」

「殺すつもり?」

「ん……ああ、そんな事はしないよ。君は僕をなんだと思ってるんだ? 安易に人命を奪う選択はしない。ただ気になった事があってね……レイヴン、君は人の死についてどう思ってる?」

「……は? 死、って……そんな哲学的な事を言われても知らないわ」

「哲学じゃなくて、生物学的な死だよ」

 

 唐突な台詞に胡乱な表情をするレイヴンに、ヨナタンは苦笑する。彼はスクロールを操作して誰かに指示を出した。指示の内容は……塩や水、肉を50キログラムほど持ってくるように、というもの。

 意図が分からずに困惑する乙女とレイヴンを尻目に、ヨナタンは人差し指を立てて考察を口にした。求められてるのは相槌かと判断したレイヴンは、自身の頭でも考えながら応じる。

 

「まず僕の事を話そうか。僕は深淵狩りだ、たくさんの知識と経験を持ち合わせている。これは知っているね?」

「そうらしいわね。で、それが何?」

「科学知識もそこそこ豊富だ。けど僕は世界で三本の指に入るほど精通している経験がある。僕や他二名以外は知りようのない、活かしようのない体験だ。それはなんだと思う?」

「……さあ? 分からないわ」

「だろうね。普通は想像も付かないだろう。だからレイヴンに分からなくても無理はない。稀有で貴重な経験の名は、死だ。僕は有史以来数多くの死を体験している。自分自身のね」

「――――」

「僕ほど死んだ事のある人間なんて早々いないだろう。だから具体的に知りたいし、定義したいんだ。『女神の力は死によって他者へ継承される』なら、その死とはどういうものなのかをね。例えば仮死状態でも死んだ扱いになって力は流れたりするのか、とか」

 

 ヨナタンは乙女を見る。びくりと肩を揺らした彼女に、彼は柔らかく笑いかけた。

 なんでもないように、とんでもない事を言い放つ。

 

「君、とりあえず死んでみない? 死から蘇生したら、生き返った時には女神の力が無くなってるかもしれない。そうなれば君は家に帰れるし、ならなくても君の家族をマドンナリリーに呼び寄せる事も出来る。普通の暮らしだってさせてあげよう。全力でね」

「わ、わたし……」

「僕を信じて、とは安易に言うべきじゃないんだろう。はじめて会ったばかりの他人を簡単には信じられないだろうし、そも『信じてくれ』っていうのは説得材料の無い愚か者の妄言だからね。けど敢えて言おうか……僕を信じて死んでくれ。蘇生はきっちりやるから」

「………」

 

 怯える乙女に、ヨナタンはあくまで理知的に接する。

 親しくもない他人に優しく諭されても納得はしない、と。意外と論理的な面があるように見えたので切り口を変えた。

 

「はっきり言おうか。僕にとって君の持つ女神の力は脅威であっても危険じゃない。しかも使い手である君の戦闘技能と性格は脆弱、僕にとっては赤子同然だ。抵抗は無意味で、その気になれば君を殺す事になっても手こずるとは思わない。こうして君の意志を尊重しようとしているのは、ひとえに君の選択が君の今後を決めるからでしかないんだ」

「わたしの……これから……?」

「そう。君は僕に助けてほしいと言った。僕はそれを受け入れた。話はここからで、今は『じゃあどうしようか』って相談をしているんだよ。僕が君に提示する道は2つ。1つは僕の実験に協力するか、もう1つが春の女神の力を持ったまま市井に紛れて暮らすか、だ。後者から説明すると、常に僕が君に張り付いているわけにはいかないし、マドンナリリーの警察だって万能じゃない。セイラムが巧妙に侵入して、君を攫う可能性は零じゃないね」

「…………」

「前者の場合……もし僕の実験が成功すれば、君は晴れて春の女神という呪縛から解放され、普通の女の子として生きられるようになる。失敗したら自動的に後者の選択肢に戻る。時間は有限だ、悪いけど今すぐに選ぶんだ。僕はどちらでもいい。誤解されたくないから明言しておくと、君の力を僕が欲してるだけなら、何も言わずに君を殺しているって事だけだね」

 

 傍から聞いていたレイヴンが呆れてしまうほど、彼の物言いはあけすけもいいところだった。

 だがヨナタンは本当にどうでもいいと思っているのだろう。さほど女神の力を重要視していない――いや、違う。レイヴンは雇い主の思惑を悟った。彼は女神をどうでもいいと思っているのではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に過ぎないのだ。

 ゾ、と背筋が凍る。

 人の好さそうな顔をして。善意で話しているような口ぶりで。恐らく本心から親切を働いて。その上で、ヨナタンは自らの目的のために利用する一本道のレールに春の女神を導いていた。

 

 今代の春の女神にとっては、現状望み得る最高の道筋で。ヨナタンにとってはどちらを選ばれても目的には適い。そして世界にとっても、春の女神は深淵狩りという保護者を得てセイラムの脅威に対抗できるから文句なし、だ。どうなっても全員が得をする。

 凄まじいエゴなのに、それを阻むメリットがない。逆に阻めばデメリットばかりだ。レイヴンは理解した、これが深淵狩りという人間かと。敵対だけは絶対にしてはならないという思いを新たにした。

 権謀術数とは相手を陥れるばかりが能ではないという事だ。蹴りたくても蹴れない交渉の席に座らされたが最後、ヨナタン・ナーハフォルガーの弁論から逃れられる者はいないだろう。

 

 果たして、ただの小娘に過ぎない乙女は頷いた。

 

 普通の女の子になれる可能性があるなら、そちらに賭けたいという想いが強かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 えげつないと毒吐かれ、ヨナタンは心外とばかりにレイヴンを一瞥した。

 

「僕は僕に考えられる最善の道を提示しただけなんだけどね。それに、選んだのは彼女だ。選ばせてあげただけ親切だと思わないかい?」

 

 目の前にはヨナタンのベッドがある。そこには、乙女が寝ていた。

 ああ、いや、違う。寝ているのではない――()()()()()のだ。

 

「物は言い様だって事が、アンタと話してるとよく分かるわ。その出鱈目さもね」

「酷いな。傷ついたよ」

「フン……」

 

 レイヴンは鼻を鳴らし、乙女の遺体の傍らに立つ()()()を見る。

 それはこの館の使用人が持ってきた大量の塩と水、そして肉である。ヨナタンがそれを用いてブロンドの美しい少女を創り出し、その肉の器へ自らのオーラを注ぎ込むや自律稼働させたのだ。

 つまり、その美少女はヨナタンである。レイヴンは知らないが、アッティラの亜種であるルキウスと同類の分身体だ。その分身体は無言で乙女の手を握ったまま沈黙している。

 

 死の間際、ヨナタンは乙女に命じていた。その少女の顔を目に焼き付けて、想いながら眠るんだ、と。これも実験の一環なのだ。

 

「僕は人間だけど、過去にはファウナスだった事もある。女だった時もね。なら僕自身も女神の力を受け継げるんじゃないかな――って考えてみた」

「……ボス。アンタってもしかして、歴代の深淵狩りのセンブランスが全部使えたりする……?」

「よく気づいたね? その通りだけど他言は無用だよ。今のところそれを知ってるのは君を入れて三人だけだから」

「……了解、ボス」

 

 隠しもせずに微笑んだヨナタンに、レイヴンは苦い顔をしてしまう。

 なるほど、通りでセイラムも対決を避けるわけだ、と。センブランスの数やオーラの量で決定的な戦力になるとは言い難いが、それを扱うのが規格外の戦士なのである。しかも頭もキレると来た。

 有り体に言って、敵ではなく味方として存在してもらわねば、とてもじゃないが安眠できないだろう。直接戦えば結果は分からないが、セルフ・ゾンビアタックなんかされようものなら、さしものセイラムも音を上げかねない。

 

 ――乙女は今、死んでいた。彼女はヨナタンの死霊術によって死者の想念に囚われ、魂を肉体から引き剥がされている。加えて乙女の死体に死者の魂が同化し、肉体の方も心臓を潰していた。

 肉体的にも、魂的にも死んでいる。条件は満たしているはずだが、果たしてどうなるのか。興味深げに経過を見守るヨナタンの横でレイヴンは戦慄した。――乙女の遺体から、魔力が抜けるのを察知したのだ。オズピンから魔法の力を分け与えられている彼女だから気づいた。

 

 それは名も無き美少女に流れていき、そして――

 

「初手から成功したみたいだね」

 

 上手くいったと笑い、ヨナタンは女の自分の手を取ると腕を()()し、潰した乙女の心臓を再生する。そして死体に同化させていた死霊を退去させ、幽体離脱させていた乙女の魂を肉体に戻した。

 乙女が咳き込む。息を吹き返した。その頃には、もう一人のヨナタンの肉体は()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ん……()()()()()()。慣熟する必要はありそうだけど、存外使い勝手は良さそうだ」

 

 男の身で女神の力を宿し、魔法の力を手に入れた『英雄』が、双眸から光を灯して笑う。

 レイヴンも笑ってしまう。滅茶苦茶だ。だが、だからこそ確信する。

 もうセイラムに怯えて、逃げる必要はないのだ、と。

 ヨナタンは不意に悪戯げな笑みを浮かべ、レイヴンに振り返った。

 

「君の知ってることは全部聞いた。報酬は弾むよ。とりあえず今は仕事はないから、一度帰ってあげたらどうかな?」

「……帰る?」

「わからないフリはやめた方が良い。分かってるだろう?」

 

 ヨナタンは、親切だ。

 しかし裏があるんじゃないだろうかと勘ぐってしまいながらも、レイヴンは拒めない。

 何故なら彼の提案は、レイヴンの中のしこりを的確に突いていたからだ。

 

「――()()()()()()()()()()。暫くしたら君にはうんと働いて貰うことになる。今の内に過去の蟠りは清算しておく事を勧めるよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




面白い、続きが気になると思っていただけたなら、感想評価よろしくお願いします。


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時計の針を進める時

※!!注意!!※

下品、下ネタがあります。
苦手な方は読まないでください。
この話を飛ばしても、なんら問題はありません。


 

 

 

 

 ドタドタドタ。そんな慌ただしい足音が聞こえた時、ローマンは書類の決裁を行なっていた。

 SOCの開発部門から、開発費の増額嘆願書だ。申請するに至った経緯と、増額分をどのように使うかの計画書も添付されている。それに目を通して良さげと判断し承認したところであった。

 何事だと思った。ローマンのオフィスに来れるのは幹部のみ、自分の部下にこんな頭の軽そうな足音を立ててやって来る手合いはいないはずである。強いて言えば警備部門のジュニアなら、火急の事態に際して大急ぎで来訪する可能性はあるが……それならそうで、事前にスクロールへ一報入れてくる。

 億劫そうに顔を上げ、ローマンは「くだらない要件なら減俸ものだな」と、強権を有するワンマン企業特有の理不尽を振りかざした。

 

「ローマン! 大変だ!」

 

 果たして、ドアを蹴破る勢いでやって来たのはヨナタンであった。

 

「――ヨナ!?」

 

 若きローマンは動揺する。ヨナタンが血相を変えていたからだ。

 ()()ヨナタンが、だ。人類最終兵器こと無敵のロイヤルストレートフラッシュ――皮肉屋のローマンをして取り扱い注意の意識を持ち続ける共犯者、ヨナタンが明らかに狼狽している。

 ローマンの頭脳が高速で回転した。あのヨナタンが慌てるような事態とはなんだ。……だめだ、全く思い浮かばない。思い浮かばない事が尚の事ローマンを焦らせた。

 

 椅子を蹴倒して立ち上がったローマンは、なんとか冷静さを取り繕って問い掛けた。

 如何にしてヨナタンをも動転させる事態に収拾を付けるか――アトラスやミストラル、ハンター共の動員方法とその口実を複数通り考え、何を言われても慌てまいと心を強く持った。

 

「ヨナ……落ち着け、何があった?」

「あ、ああ……! 落ち着いてる、僕はこの上なく冷静さ!」

「分かった、分かった。で、どうしたんだ?」

「驚かないで聞いてくれよ……」

「もちろんだ」

 

 たっぷり溜めるヨナタンに、ローマンの顔にも隠し切れない緊張が走る。

 明日世界が滅びる、そう言われても良いように身構えた。

 

「……んだ」

「……なんだって?」

 

 掠れた声で言われ、聞き返すと、ヨナタンは迫真の表情で怒鳴った。

 

「だから! 精通したんだ!

「………………………は?」

 

 せい、つう……?

 ……。

 ………。

 

「………」

 

 呆然とし、のろのろと動いたローマンは、倒してしまった椅子を起こすと深く腰掛ける。

 それから、愕然とした。

 いや、まさか、と。そんな馬鹿なと。

 そんな馬鹿げた報告があるか? あったとして、なぜそれを自分に報せる?

 いやいや、待て。ヨナタンはそんなアホみたいな真似はしないはずだ。

 精通した。これを字面通りに受け取らずに考え――だめだ! どう考えても男児が性に目覚めたアレとしか思えない!

 

「ど、どうしたらいいんだ? 僕の男性器はどうなってしまってる? なんで久し振りに寝て朝起きたら僕の僕が怒張してたんだ? もしかして病気?」

「……なあ、ヨナ」

「ローマン! 僕は病気なのかい?!」

 

 よくよく見てみると、ヨナタンは半笑いだった。

 

「……私をからかって面白いか?」

 

 言うと、ヨナタンは破顔した。

 声を上げて笑っている様に、軽く殺意を覚えたローマンである。

 

「ハハハハハ! いや、すまなかった。でもちょっとした予行演習にはなったんじゃないかい?」

「……予行演習。なんの?」

「聞いたよ。子供が生まれたんだって? 双子の兄妹らしいじゃないか。将来兄の方が動揺して頼ってくるかもだろう? その時の予行演習だよ」

「………」

「水臭いじゃないか。子供が生まれたんなら教えてくれてもいいだろう? ほらこれ、出産祝いの金一封とベビー用品。一通り揃えてあるから不足はないはずだ。本当は奥さんの方に渡すべきなんだけど、彼女は僕の一族だろう? 深淵狩りである僕が会いに行ったら祝うどころじゃないぐらい興奮されてしまうからね、こうしてローマンに渡しに来たってわけだ」

 

 どこからともなく、なぜかコミカルな動きで取り出した大量のベビー用品が机の上に並べられ、ローマンは震える。盟友に祝われた気恥ずかしさ、嬉しさで感極まったのか?

 断じて否だ。なおもお祝いの言葉を並べ立て、あたかも高名なオペラ歌手の如く祝福の歌を唄い出したヨナタンに、ローマンは久し振りに()()()と何かが切れる音を聞いた。

 

「帰れッ!!」

 

 机の上のベビー用品の山を腕で払い落として怒鳴ると、ヨナタンは笑いながら退出した。

 ヨナタンの笑い声が廊下の向こうから聞こえて来て、それが遠ざかりやがて聞こえなくなると頭を抱えた。この時の気持ちを言語として出力する事は、博識多才なローマンをして叶わなかった。

 

 その後、ベビー用品やご祝儀の中に潜んでいたメモ書き――盗賊団の処遇と春の女神確保後、魔法の力を獲得した旨を分かり易く纏めた報告書を発見し、ローマンは無性に腹が立ち髪を掻き毟った。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 精通した。

 

 破廉恥にもローマンをからかうネタにしたが、実を言うと結構焦っていたりする。今までの人生でここまで焦った事はないというほどに。何を大袈裟なと思われるかもしれないが、精通は一大事なのだ。

 もちろんヨナタンの肉体は人間だ。心もそのつもりである。自らの前身たちに男は数え切れないほど居て、同じ数だけ同じ経験をしていた。故に精通を迎えた程度でパニックに陷るような事はない。

 問題は、ヨナタンであってヨナタンではない、深淵狩りという存在の核だ。古代を生きた老戦士の意志が命じてきているのを、本能が感じている事が何よりもヨナタンを焦らせていたのである。

 

 ――深淵狩りの根幹は転生という死霊術の極みに位置するセンブランスだ。

 

 そしてセンブランスとはオーラであり、オーラを別名で記すなら魂で、魂は血縁によって似通うもの。早い話、遺伝子によってある程度オーラの性質が似てしまう。ナーハフォルガー家に深淵狩りが多く現れるのは、それだけ老戦士の血脈を色濃く受け継いでいるからに他ならない。

 深淵狩りの転生は、老戦士の魂に近い性質の持ち主に行なわれるからだ。

 古代、最初に転生が行なわれた際の空白期間はそこそこ長かったようだ。しかし時代を経るにつれ、転生のサイクルは徐々に短くなっていった。時の変遷と共に老戦士の血脈が各地に広がり、血の分布が広がったからだろう。そのメカニズムを把握して以来、以後の深淵狩りは例外なく子沢山だった。積極的に子孫を残し、残弾を作れという老戦士の意志が働いている証左である。

 深淵狩りは常に初代である以上、深淵狩りが転生を繰り返す限り、血が希釈され過ぎて自然消滅するという事はない。人類が一人残らず絶滅しない限りは深淵狩りも不滅なのだ。

 そしてその特性を理解しているからこそ、老戦士は自身の写し身に課した使命で妥協はしない。例外的に固有の自我を有する事を赦されたヨナタンであっても、稀な例外になる事はなかった。

 

 つまり。

 

(……ヤバい)

 

 ヨナタンは、ヨナタンが深淵狩りという存在である宿命として。

 

(チ○コが滅茶苦茶痛い……!)

 

 性欲過多で生殖行為に並ならぬ情熱を持つという事だ。

 

(痛い! チ○コ! 洒落にならないぃ……!)

 

 さっきからずっと勃起しっぱなしのヨナタンである。

 痛いほど勃起していた。ちんこちんこと小学生じみて連呼するほど痛い。

 幸いにも下半身の膨らみが判じ難い、ゆったりしたズボンと裾の長い胴衣を着ていたから誰も気づかず、数百年単位で磨いた熟練のチンポジ調整の達人でもある事が世間体を救っていたりした。

 もはや女とみれば誰でも良いぐらい目が血走っている。理性が蒸発しそうであり、その情欲は無欲にして清廉、不能者に等しい聖人を強姦魔にクラスチェンジさせかねない強さだ。ヨナタンの精神力が人外の域になければ女漁りに出掛けてしまいかねない。

 

(痛い!)

 

 だが、痛い。

 我慢していても痛いものは痛い。

 ありとあらゆる拷問を受けても笑っていられるだろうに、この痛さは耐え難い。なぜなら痛覚が痛みを発しているのではなく、深淵狩りとしての本能が発する強迫観念だからだ。

 その痛みを常人の男のそれに変換して例えるなら、ペニスの怒張により感じる痛みを何億、何兆倍にも増幅させているかのようだ。控えめに言って地獄である。男なら発狂してしまうだろう。

 いっそ睾丸ごと切り落としてやりたくなるが、絶対駄目という老戦士の厳命が本能に落ちてきて実行できない。男も女も極め尽くした数百年単位の自慰の技を行使もできない。くどいようだが転生のメカニズムを把握してしまって以来、深淵狩りは生殖行為を使命の一つにしている。無駄打ち等できない。

 このままでは不味いとヨナタンは確信した。

 ぶっちゃけ女を見たら我慢できなくなる可能性がある。ワイスをはじめとしたNアカデミーの女児たち、親しくして心を開いてくれたニオ、彼女達にだけは絶対に会えない。

 

(――なんで僕なんだ!?)

 

 思うのは、それだ。

 

(僕じゃなくても、ルキウスでもいいだろう!?)

 

 抗議する相手は自らの原点だ。聞く耳は物理的に無い相手だが。

 

 ルキウス・カストゥス。『アビスウォーカー』として活動したヨナタンの役を担わせた、ヨナタンの分身体であるファウナスの男。機械の体しか有さないアッティラはいいにしても、ルキウスは生身の体を持つもう一人のヨナタンなのだし、生殖活動を積極的に行なわせるのあちらでもいいはずだ。

 なぜ本体のヨナタンにやらせようとする。あれか、ルキウスは所詮オーラとセンブランスで人為的に造られた仮初の生命だからか? ヨナタンの意志一つで自壊する人形だから? なら納得だ。

 

(ルキウスは駄目……なら僕はどうしたらいい? まぐわえる女の宛てなんて僕にはない!)

 

 ――ヨナタンが正常な自我と良識と良心、善良な性質である事が災いした。

 ヨナタンは商売女を孕ませるような無責任な真似はしたくない。

 子種をバラまくような、精子脳丸出しな所業に手を染めたくもない。

 まして親しくしている女の子や、いたいけな少女、妹分のワイスをそうした対象にするのはハッキリ言って御免だ。泣かせたくない。だいたい妹に手を出す兄貴は兄じゃない、そんな兄貴は死ねばいい。

 では全自動ヨナタン肯定血統、ナーハフォルガー家の女はどうだ。押し倒したら頼むまでもなく股を開いて全力で受け入れるだろう――だから嫌だ。というか人としてそんな真似をしてはいけない気がした。

 なら、なら……交渉して子供を生んで下さい! と頼むしかない。赤の他人だと「頭大丈夫?」と言われかねないので、ここは顔見知り且つ交渉のできる女に頼もう。

 

(「――レイヴン。子供ほしくない?」『死ね』)

 

 スクロールを取り出して連絡した経産婦、レイヴン。彼女に打珍しようとして、その遣り取りがどのように帰結するか秒で予知できたヨナタンはまだ辛うじて冷静だった。

 なんとかレイヴンに連絡しようとする自分をねじ伏せ、ヨナタンは悩む。

 やはり風俗。男の楽園に行くしかない。金を山のように積んで交渉したら一人ぐらい「子供生んであげてもいいよ!」と言ってくれる天使のような女性がいる可能性が微粒子レベルで存在する。

 なおその可能性は金で子供を生む天使という、天使とは? と疑問を懐く相手で。肉体年齢10歳の少年の子供を生める事に興奮する、度し難い変態天使ぐらいなのだが。あとよほど金に困っているかどうか。

 

(淫乱な天使も変態天使も嫌だ! 金に困ってる女性の弱みにつけ込むような真似も嫌だ!)

 

 ヨナタンは善人だった。意図的に悪事も行なえるが根っこの部分では善人であり、えっちな事をするのは好きな人が良いという、これまでの行ないや性格、立場や能力に反比例するピュアな面もあった。

 そんな一面を自分が持っていることを発見したヨナタンは複雑な心境だが、もう悠長な事は言っていられない。ヨナタンは起死回生、この股間の高ぶりを沈静化させる一手を閃いた。

 

(そうだ! オ○ホを作れば良いんだ!)

 

 思い立ったが吉日。

 自慰は無理、生きてる女の人相手もこんな精神状態では無理となればやるしかない。ヨナタンは大量の肉と水を用意して館に帰ると、使用人達に誰も近づくなと厳命して自室に閉じ籠もった。

 女の肉体を人体錬成し、そこに精を吐き出す――史上初、女の自分の体をオナホールにする男が誕生した。

 

「……死にたい」

 

 夕方から始まって事が終わったのは夜明け。

 何十発も発射してやっと回復した理性は、ヨナタンを猛烈な自己嫌悪に誘った。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 建設中のマドンナリリーに根を張って、多種多様且つ大量の仕事に忙殺される数年間を、ヨナタンはそうして過ごす事になる。

 時代を進める時の針が、その動きを重くしたのは、マドンナリリーが完成した年のこと。

【カオス】がミストラルの裏社会を完全に掌握し、マドンナリリーにまで進出してきた頃だ。

 

 ヨナタン・ナーハフォルガー、14歳。いよいよ、表舞台で鮮烈にデビューする時がきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※ヨナタンは限りなく真剣でした。


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混沌の前夜

 

 

 

 

 白いコートの一張羅をビシッとキメて、高級ホテルの最上層で夜食を採る。

 

 ナイフでステーキを切り取り、上質なソースと絡めて口に運んだ。ゆっくりと咀嚼して飲み込むと、口の中に残った脂を流すために、値の張るワインをちびりと舐める。そうしながら眼下に広がる夜景を見下ろすと、ローマンは皮肉げな笑みを浮かべた。

 我ながら陳腐な『金持ちの優雅な一時』を過ごしているが、なかなかどうして悪くない気分だ。昔では考えられない立場に成ったなと、感慨深い気分にもさせられる。

 

 嘗てヴェイルのケチなマフィアだった。それがどうだ? 今や新設された中立都市マドンナリリーの有力者の一人だ。マドンナリリーでも利権を二分するSOCの社長の座にあり、妻子まで出来ている。

 今のローマン・トーチウィックは世界的に見てもまずまずの成功者だろう。だがここで終わりではない。寧ろこれからが本番なのだ。凡人は守るべきものができると守りに入り、保守的な人物に変わりがちだがローマンは違う――子供は可愛い、妻にもそこそこ愛着はある、だがそれよりも胸が踊って仕方がない。世界の片隅で粋がるだけだった鼠が、どこまで行けるか気になってしょうがないのだ。

 

 マドンナリリーは、完成した。

 

 世界に打って出る橋頭堡、活動の主軸となる根拠地が完成したのである。

 斯くなる上は踊り狂おう。もはや立ち止まれない所にまで来ている。そも、最初から止まるつもりもない。世界を舞台にしたゲームで遊び、自分の手で良いように転がしてやろう。

 何。ジャンル違いの骨董品ども、知性が足りず頭の軽い野蛮人どもの相手なら盟友が勝手にしてくれる。ローマンと盟友の仕事は綺麗に棲み分けできていた。どちらにとっても互いの存在は有用であり、競合して敵対するような事には絶対にならない。

 

【気分が良さそうだな、トーチウィック】

 

 丸ごと貸し切ったホテルのフロアに、唐突に闇が現れる。

 傍らにはレイヴン・ブランウェンの姿があった。

 

 この四年間で盟友の信頼を勝ち取り、計画の中心部にまで食い込んできた女のセンブランスによって、遠方から遥々やって来たのは今をときめく悪の首領【テュルク・アッティラ卿】だ。

 ヴァキュオ王国を掌握後、四年前からミストラル王国に勢力を伸ばし、今や二国間にも留まらずアトラス・ヴェイル王国でも危険視される者。桁外れの実力で障害を捻じ伏せ、軍やハンターを返り討ちにすること数知れず、ミストラルでも【カオス】の構成員は堂々と表通りを歩くまでになっていた。

 警察も、軍も、ハンターまでもがアッティラとカオスを掣肘できない。事態を重く見た各国が、彼らの検挙に本腰を入れても捕まるのは末端のみ。それすらカオスの奪還部隊に襲撃され、逮捕された者もすぐに身柄を奪い返される始末だ。カオスに関連するニュースが流れない日はない。各国の権威や求心力は日に日に低下し、アッティラを打倒できない事を批判する市民はどこにでもいた。

 

 カオスの魔の手は、アトラスとマドンナリリーにはまだ及んでいない。手つかずだったヴェイルに勢力が伸びるのは時間の問題だ。順調に――カオスは世界の敵になりつつある。いや、もう成った。

 カオスの勢力は余りに強く、チンケな小悪党を赦さない。従属か死を迫るのだ。場所によってはカオスが支配する事によって治安が回復した地域もあり、却って国よりも支持する輩まで出てくる始末。国としてはアッティラの存在は認められないだろう。だからこそ映えるものもある。

 

 内心アッティラと直接会っている所を他人に見られたら、没落不可避だなと笑った。そんなヘマをするローマンではないが――既に充分な富と名声を得ていながら、枯れる事のない野心家は立ち上がって巨悪を迎えると、剽軽な態度でおどけながら一礼する。

 

「やあ! 待っていたよアッティラ卿! それから……ヨナの右腕さん?」

「私には構わないで、さっさと要件を済ませてくれる? こっちはまだ仕事が残ってるんだから」

「ハッハー、仕事のデキる女は大変だな? オーケー、そういうならさっさと済ませちまおう」

 

 レイヴンとローマンの関係は、良くもなければ悪くもない。どこまでもビジネスライクな間柄で、互いにそれをよしとしていた。深く関わり合いになるのは避けられないが、かといって親密になる気もない。

 しかしレイヴンがローマンをどう思っているかはさておくとしても、彼はレイヴンに対して好意的だった。何故なら彼女のセンブランスは極めて有用で、レイヴン自身も有能だ。ハンターとしての技能を有していても本質的には自分本位で、ヒロイックな精神を有していないのでローマンの神経を逆なでもしない。ヨナタンもそうした彼女の在り方を買い、情ではなく徹底した利益と安全で彼女の忠誠を得ていた。

 不変の忠誠ではない。金で買った契約だ。だからこそ信頼できる。レイヴンとしてもヨナタンと敵対すれば、自身の能力の事もあり真っ先に殺されるのは理解しているので、秘中の秘であるアッティラとの関係性を誰かに告げるつもりはなかった。また、カオスを利用した世界再編計画にも同調している。なぜならその方が旨い立ち位置にいられるのだから。

 

 悲しむべきは、レイヴンが有能過ぎる事だろう。優秀であるが故に、ヨナタンから彼女に対する仕事の依頼はなくなる事がない。仕事を受けるか受けないかはレイヴンの自由意志によるが、自身の一族に与えられた土地を豊かにするには金が幾らあっても足りないのだ。忙しくて目が回りそうだろう。

 

「アッティラ卿。マドンナリリーは、遂に完成した。アンタを迎え入れる準備が整ったんだ」

【であれば、計画通りにオレも動こう】

「いや、その前に一つ頼まれてくれ」

 

 アッティラは機械だ。プログラムされた使命の為に、自ら考え行動する『感情のないヨナタン』である。彼の実力は無条件で信頼するに値した。故にローマンは彼に依頼するのだ。

 

「くどいようだがマドンナリリーは完成した。警察機構は万端で、ハンターも数多く駐屯しているから軍事面での防備は充分だ。政情は完全に一本化してるから割れる心配もない。()()()()()()()()()()

()()()()()()()()()()と?】

「その通り」

 

 当意即妙、打てば鳴る鐘のように真意を読み取るアッティラに、ローマンは笑みを浮かべて肯定した。

 

「私のSOCをはじめとした企業は商業面でも高度成長期に入った。こうなったらもうシュニー社は邪魔でしかない。ダスト産業のシェアを独占されてるせいで、その方面での業績の伸びもイマイチだしな。SOCと正面からやり合える奴がいるのは旨くない……叩き出してくれ」

 

 シュニー社は本当にマドンナリリーの発展に大きく寄与してくれた。彼らがいなければあと五年はマドンナリリーの成立は遅れていただろう。そういう意味では恩人だが、これから先は競争相手でしかない。

 消せるなら消す。ローマンは冷徹だった。だが、経営者としては正しい。手段は非合法だが、目障りな相手に掛ける情けなどは微塵も持たないのだから。アッティラもまた頷いて同意を示し提案する。

 

【構わんが、シュニー社だけを狙い撃ちにする口実がない。やれと言うならやるが、貴様の所にも挨拶に行く事になる。ダミーを幾つか用意し、必要経費として割り切れる範囲で本命も交えておけ】

「話が早くて助かるね……了解してるとも。テキトーに情報を流すから、ソイツを襲ってくれたらいい。シュニー社をマドンナリリーから叩き出した後は、前に決めた通りの手筈で動いてくれよ」

【ああ。オレはミストラルから動かん。貴様らがカオスを蹴散らした頃に、ミストラルで待ち構えるオレの所に乗り込んでこい。祭りの準備はこちらで済ませておこう】

 

 言って、アッティラがレイヴンを一瞥する。

 嘆息した女が赤刀を振るうと、空間が縦に割れて別の空間に繋がった。

 その闇の中に黒甲冑の偉丈夫は消えていく。それを見送ったレイヴンがゲートを消し、また別のゲートを開くとローマンを横目に見る。

 

「私も人の事は言えないけど、ろくな親じゃないわね」

「ハッ……」

 

 やれやれと首を振りながらゲートの向こう側に消えていくレイヴンに、ローマンは失笑する。

 ろくな親じゃない? それがどうした。ソイツを決めるのはお前じゃない。

 ローマンは椅子に座り直して、つまらない諧謔を口にした。

 

「私の所の子供(チビ)が、まともな親で満足するかよ」

 

 可愛い盛りで元気盛りの四歳だが、誰に似たのか小賢しい上に口が回る。

 快楽主義めいて娯楽を貪るガキに善も悪もありはしない。ろくでなしの親からも、平然とオモチャをせびるぐらいだ。神経も太くて悩ましい限りである。そこらのクソガキと同じ尺度で図れるものか。

 

子供(チビ)達も、家内(オンナ)も、私にとってはただの道具さ……世間様は単純だからな。良い夫で良い父親だって見せかけるだけで、私の株が面白いほど上がる。まったく、都合の良い駒だよ」

 

 言いながら懐中時計を取り出す。その内側に仕込んだ小道具(シャシン)に写る、双子の子供とその母親を見るローマンの顔は――台詞とは裏腹に、ほんの微かに緩んでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 

『――やはり強い、強すぎるゥッ! ヨナタン・ナーハフォルガー、大勢の予想を覆す事なく無傷のまま優勝を決めました! ヴェイル地区バトルトーナメント八連覇を成し遂げたのです! 無敗の王者が現れて八年……あと二回、あと二回優勝するとナーハフォルガー選手が十連覇という大偉業を成し遂げてしまうッ! 頼むから早くプロになってくれェッ!』

 

 淡々と試合を終わらせると、喝采が浴びせられる。

 しかしそれは最早、『ああまたか』『まあヨナが勝つよな』という、ある種の予定調和を見た事に対するお愛想でしかなかった。

 ヨナタンは嘆息する。

 裏で繰り広げられるトトカルチョは、ヨナタンの対戦相手が試合で何秒立っていられるかという内容に切り替わってしまった。それはどうでもいいが、微妙な罪悪感から目を背けられない。

 背けてはならないとも思う。前途ある選手が脚光を浴びる機会を、自らの名声の糧にしているのだから。今頃落ち込んでいる少年少女が居たら慰めてやりたいのが正直なところだ。

 僕に負けたからと腐らないでほしい、僕に負ける事は恥ずかしい事じゃないんだ、と。

 そう言えば、きっと顰蹙を買ってしまう。勝者からの慰めは傲慢なセリフにしか聞こえないのだ。ヨナタン自身も己が傲慢な人間である自覚はあるが、かといって直そうとも思っていない。

 顰蹙を買ってまで晴らしたい罪悪感でもなかった。なら沈黙を金としよう。

 

「はぁ……」

 

 八連覇もしていると、流石にヨナタンの名と顔はレムナント全体を見渡しても著名な部類になっていた。あけすけに言うと有名人になっている。ヨナタンの顔写真を雑誌の表紙にしたものや、ポスターの類いもそこそこ貼り出されており、堂々と出歩いていると人の耳目を集めるようになっていた。

 だが変装はしない。どんなに煩わしくても、自分という存在は隠さない。物憂げに嘆息して辺りを見渡すと、女性の黄色い歓声が上がった。レストランで夜食を採るポーズをしていると、ヨナタンから視線を向けられた女性客が興奮してしまったらしい。苦笑しながら手を振ると、友人同士でキャッキャと陽気な笑い声を上げて笑顔を向けてきた。

 

「やあ。人気稼ぎに余念がないじゃないか、ジュリアス。いや……ヨナタン」

 

 近づいてくる気配には気づいていた。

 杖をついて傍に立った白髪の男が、黒いレンズ越しに自分を見ている。

 ヨナタンはそちらには視線を向けず、彼に着席を促した。

 

「久し振りだね、オズピン」

 

 椅子を引いて対面に座った男、オズピンの顔を見ずに言う。彼は苦笑した。

 

「オーケー。私が悪かった。もうジュリアスの名は出さない約束だったね」

「分かってるならいい」

 

 フン、と鼻を慣らしてオズピンの顔を見る。

 ヨナタンは眉尻を落として笑みを浮かべてみせ、彼の顔色を軽い口ぶりで揶揄した。

 

「相変わらず辛気臭い顔をしているね。その見るからに不幸でございって顔はやめてほしいな。せっかくのディナーが不味くなる」

「手厳しいな。生憎この顔は生まれつきだよ。――それで、何の用があって私を呼び出したのかな?」

()()()。僕達の大目的は一致している、行動を共にしていなくとも僕達は同志だ。話し合いなんて必要ない。こうして僕に()()()()()()のは君だ、オズピン。『何の用だ』は僕の台詞だよ」

 

 ヨナタンはマドンナリリーに確たる地位を築いているが、アカデミーの籍は未だにヴェイルに置いている。深い意味は特にないが、移籍していないのはオズピンへの単なる義理立てだ。

 オズピンはヴェイルにあるビーコンアカデミーの学長である。謂わばヴェイルこそが彼の膝下であり、ヨナタンの『ヴェイルにあるアカデミーの生徒である』という肩書を利用して呼び出せるのだ。

 こうしてヴェイル地区トーナメントの開催日だけ渡航して来るのは例年通りの事。そんな時期を狙ってコンタクトを取ってきたのはオズピンであり、会って話さないかと言ったのはヨナタンだ。

 ()()()()()を鑑み、総括的に状況を俯瞰して判断すれば、何某かの相談に見せかけた駆け引きを仕掛けてくるのではないかと踏んでいた。その読みが的中したと確信したのは、オズピンが一人で来たからである。

 彼が伴を連れていれば、ヨナタンは彼からの話はないと思っていたところ。そうでない以上は何を言っても白々しくしか聞こえない。――ヨナタンの目を見てオズピンは苦笑を深めた。

 

「流石だ、と言っておこう。私は確かに君に話したい事、話してもらいたい事があってコンタクトを取った。場所を変えなくてもいいのかな?」

「構わないよ。顔色を変えず、平素の声音で話していれば、意外と人は気にしないものさ。その程度の腹芸はこなせるだろう?」

「では――ああ、すまないお嬢さん。ココアを一つ頼む」

 

 オズピンがウェイターを呼び止めて注文する。それから、注文の品が届くまでの間は沈黙が二人の間にはあるのみだった。無言でディナーを済ませていくヨナタンは、ちらりと視線を他の客に向ける。

 男女四人の友人グループだろう。彼らは口々に不安や憤りを話していた。ミストラルやヴァキュオの現状、カオスの跳梁。それらを制せない王国の不甲斐なさを詰り、対応策を会議している。自分が議会に議席を持っていたらああするだのこうするだの。市民としてはヴェイルにもカオスの手が伸びてくるのではないか不安だの安心だの。

 

「――相談したいのは、まさに彼らの話している内容についてだ」

 

 オズピンが言う。

 

「カオスについてかい? そんな事は議会の能無し共にでも聞かせてやると良い。プロフェッサー・オズピンなら正しい対応策を取れるだろう」

「買い被りだよ。議会は私などより遥かに冷静かつ理性的だ……だが君は議会の能力を信用していないようだね」

「していないさ。彼らは無能だよ。今の在り様は衆愚政治だと断言する。けど今の世界情勢には相応しくない政治形態でも、後の時代になら適切なものだろうとは評価しているけどね」

「――王がいた方がいい、と?」

「オフコース。今は非常事態の只中だ。呑気に議論している暇があるなら、絶対的権力を持つ統率者が強権を振るい衆愚を引っ張っていく方が良い。もちろんこれは僕の個人的な思想で、それを世界に広めようとは思っていないよ。世界を混乱させる事態は僕も望んでいない」

 

 それで、と言いながらナフキンで口を拭き、ナイフとフォークを置く。

 

「――結局、カオスの件で僕に相談したい事っていうのは何かな?」

 

 ヨナタンの見透かすような眼差しは、多くの人間が心的負担を覚えるもの。隠そうにも隠しきれない叡智と、類稀なる精神の重厚さがそうさせるのだ。だがオズピンは臆さない。

 現行世代の中でも数少ない、ヨナタンと対等に話せる人間がオズピンだ。

 

「カオスは、ヴァキュオ発祥の反社会勢力だ」

 

 口火を切る声音は、凪いでいる。

 

「謳う題目は現行体制の打破。無能な国家上層部、議員を粛清し、アカデミーの権威を失墜させる。その後に統一国家を樹立し、力を以て締め付け、グリムという共通の敵に相対すると彼らは言っている」

「そうだね。それが?」

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ようじゃないかな」

 

 ポーカーフェイス。

 互いに、表情にはなんの色も浮かんでいなかった。

 コーヒーを口に含んだヨナタンは、一拍の間を空けて応じる。

 

「うん。言いたいことは分かった。でも僕の答えも君は知っているはずだね」

「もちろん。真実はどうあれ、君は否定するだろう。証拠はないし、私も君と決裂してまで追求したいとは思っていない。ただ、少なくとも君はカオスに関与しているのではないかと私は思っている」

「根拠は?」

「カオスが()()()()()()()()()()()()()()からだ」

 

 ヨナタンは、笑っていた。心底楽しんでいるかのように。

 いや、事実この遣り取りを楽しんでいた。

 同じ条件でカードを配りゲームをしたいと思うほどに。

 だが、悲しいかな。彼我に配られたカードは、中身も、数も違い過ぎる。

 今のオズピンの手札では、到底ヨナタンを暴けない。

 

「ヴァキュオを掌握し、ミストラルを侵食し、次にヴェイルを狙っている。だけどミストラルとヴェイルの間にあるマドンナリリーに手を出さないのは不自然な動きだ……そう言いたいわけだね?」

「……その通り。君は何を成そうとしている? 私達は同志だろう、打ち明けてもらいたいものだ」

「誤解しているようだね。僕は悪い事はしていない。それに、隠し事があるのはお互い様だろう? そちらが僕に隠していることを話してくれるなら、僕も秘密を打ち明けてもいい。けど君は話してくれないだろうね。君の秘密主義の根幹にあるのは()()()()()()だからだ。心の奥底では、この僕にも疑惑を懐いている。()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 人外の洞察力は、オズピンの思想と行動から彼の内心を掴んでいた。

 

 オズピンは頻りに教え子へ人を信頼する事の大切さを説いているという。それは正しい。だが些かくどかった……。レイヴンからの情報提供、彼の普段の態度、ヨナタンには秘密を明かしたように見せかけて話していない部分があること……総括してみれば分かりやすい。実に、人間らしい男だ。

 ヨナタンはオズピンに好意的である。素直に評価している。彼の功績は偉大であり、その力は人類にとってなくてはならないものだと認めていた。しかし――彼は致命的なまでに、人間で在り過ぎる。

 幾度も転生を繰り返した彼は、セイラムと戦う中で何度も裏切られた。そんな背景が透けて見える。故に、ヨナタンはからかうような口ぶりで、彼の心をえぐった。

 

()()()()()()()()()()()()()?」

「………」

「それを僕に明かしていないのは何故だ?」

「……っ」

「レリックの在り処と、使い方、女神の力を持つ乙女はどこにいる?」

「――――」

「ついでにレリックを揃えたら何が出来るのか、何が起こるのかも知りたい。――ほら、隠し事が多いじゃないか。そんな様で僕にだけ秘密を話せというのは虫が良すぎるね。僕は信頼には信頼で応えるけど、そうでないなら最低限度の態度しか取るつもりはない」

 

 実を言うと、レリックの在り処だけは見当がついている。故に奪おうと思えばいつでも奪えるだろう。そうしていないのは、単にオズピンと敵対してまでレリックを奪う意義を見い出せていないからだ。

 ()()()()()()()()()

 だからヨナタンは微笑む。精神的な弱点を抱えたままのオズピンでは、自分との駆け引きで勝つことは出来ない。弱点を克服したなら油断ならないが、それならそれで愉しめるから歓迎しよう。

 

「……私が誤解している、というのは?」

 

 痛い点を突かれたからだろう、オズピンは露骨に話題を逸らした。

 いや、論点を戻したと言うべきか。

 彼の質問に、ヨナタンは肩を竦める。

 

「カオスと僕は無関係だ。()()カオスに何も指示していないし、取引もしていない。ついでにカオスが結成されるに至った経緯も知らないね。徹頭徹尾、僕は彼らの活動に関与していないよ」

「では彼らはなぜマドンナリリーを襲わない? あそこは新設都市だ、だからこそ富は集まっているし、自らの存在を誇示する為に襲うのは充分に有り得るだろう。彼らの粛清の対象も多い」

 

 粛清の対象とは、主にシュニー社をはじめとする既得権益の連中だ。アトラス軍の最新軍事兵器やそのデータもある。マドンナリリーを失陥させ手中にしたなら、確かにカオスの利益は大きいだろう。

 それに対してヨナタンは告げた。

 

「それは、僕とカオスのリーダーが知り合いだからだろうね」

「……なんだって?」

「彼らはマドンナリリーを襲わないんじゃない。もう襲ってる事が明るみに出る瀬戸際で、僕が食い止めた。そして()()()()()()カオスのリーダーは攻撃命令を出さないんだろう」

「……カオスのリーダーは、テュルク・アッティラという名だった。その彼と戦った、と……? なら何故、彼は今も生きている?」

「単純な話だよ。アッティラは強かった。それこそ()()()()()()()()()()()()()()ね」

「――――」

 

 何度目かになる絶句。だが今回のそれは、オズピンをして心底から驚愕させた。

 

 深淵狩りと戦い生き延びるのみならず――互角? 引き分けた?

 そんな馬鹿な。それが事実なら、アッティラはどれほどの怪物なのだ。

 疑わしい。だが真実なら納得できる。辻褄が合うのだ。それほどまでに強いなら、確かにヴァキュオやミストラルの軍、ハンターでは太刀打ちできまい。良いようにされているのも理解できる。

 同時に、オズピンの肝が冷えた。

 それほどの強さを持つと知られたら――いや、知られずともカオスの勢力は強大だ。セイラムが目をつけないとは思えない。もしアッティラがセイラムと手を組んだら……悪夢だ。

 

 それが分かっているのかいないのか、ヨナタンは呑気に笑っている。――もちろん、ヨナタンは何もかも分かっているのだが。何せ実際に交戦した訳ではないが、()()()()()()()()()()()

 謂わば、先の予定の話をしているのだ。さも過去の話をしているかのようなヨナタンの欺瞞である。だがオズピンには想像もつくまい。彼は誰も信じていないが、誰を疑ってもいないのだから。

 

「ああいう天然のモンスターがいるから人間には呆れるよ。彼は僕にしか止められないし、逆に彼もそう思っているかもね。だからリスクを犯してまでマドンナリリーには手を出さずにいるんだと思う」

「……世界は今、混乱の極みに至ろうとしている。なのに君は何もしないでいるのか?」

「心外だね。僕はこれでも忙しいんだ。色々と片を付けてから対処しようと考えていただけで、何もしないつもりはないよ。アッティラは僕が殺る……ああ、捕まえるなんて甘い事は言わない。殺すよ」

「………」

 

 はっきりと断じるヨナタンに、弱気はない。

 戦い続ければ勝てる確信がヨナタンにはあると理解したオズピンは席を立った。

 

「もう話は終わりかい?」

「ああ、意外な展開だったが有意義な話ができた。だが最後に確認したい事がある」

「なんでも聞いていいよ。答えるかはさておきね」

「なんてことはない質問だよ。君の進路に関してだ、ヨナタン」

「僕の?」

「ああ。今のアカデミー卒業後、君はどこに進学するつもりなのかな? 段階を飛ばしてプロになる道もあるが……」

()()()()()()()よ。僕だって人間だからね、一度きりの青春を溝に捨てたくはない」

 

 ヨナタンの台詞を諧謔だと思ったのか、オズピンはくすりと笑って立ち去って行く。

 そんな彼を見送って、会計にいった。

 このレストランのディナーは、まずまずな味だった。二度と来ないだろうが他人に勧める選択肢の一つには入る。値段相応だから食べても損はしない、という評価だ。

 

(プロローグは終わり。これから先はメインテーマを語る時間だ)

 

 ひそやかに呟き、ヨナタンも軽い足取りで去った。

 

 

 

 

 

 

 

 




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開幕前夜

悲しみを背負う男、ヨナタン。




 

 

 

 

 

【氏名、ヨナタン・ナーハフォルガー。性別、男。十四歳。血液型A型。

 身長181センチメートル。体重82キログラム。

 癖のある薄いブロンド、青い眼が特徴。

 ヴェイル地区バトルトーナメント最上位記録(タイトルホルダー)保持。

 マドンナリリー在住、Nアカデミー特別講師、兼、ハンター。

 なんらかの役職を歴任している模様。詳細不明。

 恐らくいずれかの企業にてオブザーバーを務めているものと思われる。

 使用武器は自作の噴射機構内蔵型大剣『ガラティーン』

 公式に登録されているセンブランスは火と雷を生み操る『火の触媒』

 備考として、ナーハフォルガー家の人間が稀に有して生まれる痣を持ち、

 お伽噺の深淵狩りと同一視され、一族から神のように敬われている。

 戦闘記録からの戦力評価は下記の通り。要閲覧。

 ・近接格闘技能:不明。該当人物が公の場で格闘技能を披露した例、無し。

 ・近接白兵技能:特級。該当人物との戦闘記録で一合斬り結べた者、無し。

 ・中遠距離技能:特級。公の場で銃撃を外した試し、無し。

 ・センブランス:特級。操作性、火力、持続性、いずれも並外れている。

 ・オーラ量:不明。公の場でオーラ切れを起こした例、無し。

 ・総合評価:我々の中で該当人物と戦闘を成立させられる者、無し】

 

 ――それが標的のデータである。

 

 女は失笑した。

 

 何が深淵狩りだ。古い家柄の人間は時として現実と空想を混同してしまうらしいが、この一族はとびきりの阿呆だろう。現実に伝説上の英雄サマが存在するのなら、こんな世の中にはなっていまいに。

 まあいい。所詮は数いる標的の内の一つに過ぎない。これまで始末してきた旧時代の遺物のように、この輝かしい才能の持ち主にも消えてもらうだけのことだ。崇拝する首領に授けられた使命の為に。

 標的は現在ヴェイルからマドンナリリー行きの航空便に乗り込み、一時空の人となっていた。どれだけ優れた戦闘能力の持ち主も、飛行中の航空艇の中では檻に入れられた獣畜生と同じ。無力なものだ。

 あの航空艇には巧妙に偽装した時限爆弾が仕掛けてある。どんなグリムも跡形もなく吹き飛ばす威力の物だ。脆い人体を破壊するには過剰であり、例えどれほど膨大なオーラで守っていても意味はない。

 じき、あの航空艇は此の世から消え去る。幾人もの道連れと共に。標的もたくさんの乗客と共にあの世に逝くのだ、寂しくはないだろう。女は皮肉げに笑いながらその時を待ちわびた。そして――

 

「………?」

 

 ――航空艇は、爆散しなかった。

 設定していた時間は過ぎている。にも関わらず、航空艇には何事もない。

 これはどうした事か。まさか時限爆弾が動作不良を起こした? いや、そんな間抜けな話はない。なら……航空艇の床下に隠し、機体の一部のように偽装していた爆弾が発見され無力化されたとでも?

 だが発見していたなら騒ぎになっていたはずだ。通信も傍受していたが特に何事もない様子だった。だとすれば、なぜ起爆しない。女は舌打ちして結論づけるしかなかった。

 

 どうやらあの、空前絶後のジーニアス・ボーイが何かをした――らしい。その()()というのが見当も付かないのが問題だが、ともかくそうとしか考えられないし、考えるべきでもない。

 

(……気づかれた?)

 

 暗殺。これは一人につき、一度限りの奇襲でなければならない。

 女はプロフェッショナルだった。故に標的に気づかれた可能性に思い至ると撤退を選ぶ。プロフェッショナルではあるが、プロであるからこそ専門としている事柄以外には手を出さない。

 女は標的を爆殺するのが専門……というより爆発物全般を取り扱う専門技能者だ。である以上、女は内心の悔しさと屈辱はよそに潔く失敗を認めた。女の担当する仕事は、入念な調査と潜入技能、緻密な計画と厳密なる計算が必要なのだ。一朝一夕の準備で事は成らず、場当たり的に行動するのはナンセンス極まる。

 

 だが――仕事そのものを投げ出す気はない。

 女は自分の妹にスクロールで連絡する。失敗した、この一言で血を分けた妹は舌打ちした。

 

 姉がしくじるような手合いは、えてして凄まじいまでの危機察知能力と、危機を脱する能力に長けている。しかも航空艇が爆破されたというニュース速報も流れてこない事から、標的だけが航空艇から逃れたのではなく爆弾そのものを無力化したのだと悟った。

 姉の爆弾は、巧妙に偽装されている。その道のプロが見ても判別は困難なほどに。妹である若い女は標的の評価を更新した。爆発物を解除する知識と、プロですら発見するのが難しい隠された爆弾を見つけ出す観察力があり、なおかつ敢えて騒ぎにしていない事から自分を狙った犯行であるとも見抜いている。他人に無駄な不安を与えたくないのだろう、空港に着いたらすぐに人の居ない地点に逃れるつもりかもしれない。

 

 そうであるなら、暗殺の二の矢を放つ最適のタイミングは空港に着いた直後だ。

 

 人を巻き込みたくないなら、周囲に他人が多くいる時を狙う。一度防いだのだ、緊張や警戒はしていても、続け様に仕掛けてくると思わないはず。その思考の隙を突く。女はただちに移動を開始した。

 と言っても、最初から配置に着ける場所に待機していた。

 ポジショニングは完璧、隠れ潜む技術も一流、その道に適した透明化のセンブランスも持ち合わせている。姉からの連絡が入ってより数時間、女は息を殺してその時が来るのを待った。

 

 やがて待望の時が来る。航空艇が着陸し、ハッチが開いた。乗客が次々と降りていく。それを見ることなく素早く、しかし静かに動き出す。取り出したのは狙撃銃――静音性と貫通力が凄まじい、アトラス製の最新タイプだ。スコープを覗き込み標的を視認する。今、出てきたのが標的だ。

 壮麗なる少年だった。

 異様な“気”を宿した青い眼光は鋭く、癖のあるブロンドをウルフカットにしている。顔立ちは少年の身である事が信じられないほどに強壮で、その佇まいは傑出した戦士の風格を滲ませていた。

 纏った黒のライダースーツの下には、ワイヤーの如き強靭な筋肉が編み込まれ、見掛けよりも遥かに体重があるのが視覚情報からでも伝わってくる。ライダースーツの上には赤いトレンチコートを羽織り、ギターケースに似た重厚な荷物を背負っているが――あのケースの中に『ガラティーン』という大剣が納められているのだろう。油断なく辺りを見渡した後に歩き出した標的を見て、女は無意識の内に生唾を呑み込んだ。

 

(な……んだ、アレは……?)

 

 見ただけで、気圧される。

 はっきりと確信した。手を出せば死ぬ――と。

 カタカタと鳴っているのが己の歯である事に気づいた女は愕然とした。

 怯えている、恐怖している、ただ標的の姿を確認しただけで。

 

 だが――悲劇だ。女はプロだったのだ。

 

 己を襲うあらゆる感情と、指を切り離して動けてしまう狙撃の名人であり、崇拝するボスに託された仕事を投げ出さない生真面目な女でもあった。故に、その結末は必然だったのだろう。

 合理的かつ現実的な計算に基づき、回避・防御が不能なタイミングで始動。

 管制塔の頂上にうつ伏せになり、標的に定めた狙いをそのまま、必中の魔弾を発射する。

 あ、と漏らした声は、自らの体が無意識に仕事を為した事に対してのもの。やってしまったという後悔、なんとかなるという楽観を叱りつけ即座に離脱しようと動き出す体。狙撃銃を仕舞い透明化のセンブランスを発動したまま立ち上がって離脱しようとする。

 

 その間も、ずっと女の目は標的を見ていた。目が離せなかったのだ。だから――絶望した。

 

 必中のタイミングだった。

 標的は狙われている事も知らず、そのこめかみから侵入した魔弾に脳髄をかき回され、即死して脳漿をぶちまけるはずだった。だのに標的は――死角から飛来した弾丸を、見もせずに掴んだ。

 無造作に。片手を上げて。ひょいっ、という擬音が聞こえてきそうなほど、あっさりと。弾丸の有していた運動エネルギーによってか、微かに体が揺れたが……影響はそれだけだ。

 そして。

 

 標的が、女を見た。

 

「…………!!」

 

 声を上げなかったのは、己が透明であるからだ。声を上げれば居場所がバレてしまう。

 そう思った。だが、間違いだった。

 標的――ヨナタンは狙撃のタイミング、銃弾の口径、銃弾が飛来した方角を瞬時に把握するや、狙撃の威力から狙撃手との距離を導き出し、位置を正確に把握していたのである。そちらを見ても姿を確認できなかった時点で、ヨナタンの膨大な経験値が導き出した答えは『不可視の敵がいる』という正答。

 ガコンッ! とケースが重厚な音を立て開かれる。そしてそこから取り出されたのは噴射機構内蔵型大剣ガラティーンだ。薄い橙色の刀身は特殊金属製であり、両刃の刀身の中心に割れ目がある。柄はアクセル状になっており、ハンドガードのようなレバーも付いていた。

 冗談のような重量感。それを――ヨナタンはまたも無造作に投げ放つ。いや無造作なのではない……()()()()()()()()()なのだ。果たして我武者羅にその場から離脱しようと背を向けていた透明な女の背中、その中心からやや下の部分に大剣が突き刺さり、女の身体を管制塔に縫い止めた。

 

(ばか、な……!?)

 

 悲鳴すら押し殺しての、断末魔じみた現実逃避。

 ここからどれだけ距離が離れていると思っている……? 五百メートルだ。位置の高低差もある。これだけの重量物を投じていながら届かせるのも有り得ないが、それが殺傷力を保っていた事も有り得ない。

 横目に見えた大剣の軌跡は放物線を描かず、文字通り一直線に向かってきた――透明で見えない狙撃手に対して。

 ふざけている。なんだそれは。女は暴れた。とにかくこの剣を抜かねばならい、逃げねばならない、死にたくない――とっくに致命傷であるのは悟っていても、死の縁に立った生き物は生き足掻く。

 

 だが。

 

「やあ。今日だけで二回目だね」

「ぁ……?」

「サプライズのつもりなら、僕の神経を見事逆撫でにしている。一回目の爆弾の件で、僕はともかく無関係な市民を巻き込もうとしたのはよろしくない。そうは思わないかな」

 

 遠く離れた所にいたはずの、標的の物らしき声が()()()()()()()

 唖然とした。愕然とした。今、気づいた。――すぐ後ろに人の気配がする。

 自らを串刺しにし、管制塔に縫い付けている大剣の柄の上に立っている。

 

「どぅ……ゃって……?」

 

 透明化が切れる。オーラが尽きたのだ。

 

「うん? 『どうやって此処まで来た』って?」

 

 有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない有り得ない!

 化け物。この標的は、化け物だ。

 女は恐怖と絶望に震える。迫る死の瞬間に怯える。

 

「【引き寄せ(アポート)】だよ」

「………?」

「センブランスだ。面白い特性でね、マーキングした物品を引き寄せる事ができるんだけど、対象が固定されていると僕の方が引き寄せられてしまう。投擲したガラティーンにマーキングして、管制塔に突き刺し固定していたから僕が引き寄せられた。だから此処にいるわけだ。理解できたかい?」

 

 センブランス。……センブランスだって?

 なんだそれは。標的の特性は【火の触媒】だったはずだろう。公式映像にも残っている。なのにその言い様……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「その反応……まるで今はじめて知った、みたいな感じだ。古い情報を掴まされていたみたいだね。僕が複数のセンブランスを使うことは、それなりに知られ始めた情報のはずなんだけど」

「………?」

「さては君、捨て駒か。アッティラも酷な真似をする……」

 

 捨て駒と言われた事よりも。女は、標的が敬愛するボスの名を口にした事に驚愕した。

 

「マドンナリリーに侵入できていたのに情報を集められていなかった事……透明化するセンブランスの持ち主である事……スパイとして定住していた訳ではなく、当日になってやって来た口か。それなら僕の事を知らない理由にも説明がつく。差し詰め君は……」

 

 アッティラからの合図かな? とは口には出さなかった。

 女が吐血して、苦鳴を漏らしたからだ。

 

「が……ぐ、ぅ……っ」

「もういい。下手に苦しめて悪かった。苦しまずに逝かせて上げるから、来世では善人として生まれて善人として生きると良い。きっと今よりは、正直者が馬鹿を見る場面は少なくなってるはずだからね」

 

 言ってヨナタンは大剣の柄から飛び降り、女の身体から大剣を引き抜いた。

 引き抜き様にアクセルを廻し、レバーを握り込んで内蔵していたダストを燃焼させる。噴射機構からバイクのエンジン音の如き轟音が鳴り、壁面の欠片と血飛沫が散った。

 女に苦痛はなかった。それを感じるよりも先に、大剣が帯びた超高熱で全身を発火され即死したからだ。瞬く間に灰となって飛び散った女の名残を払い、ヨナタンは嘆息する。心底、憂鬱そうに。吐き捨てた独り言はらしくなく苛立たしげだ。

 

「よりによって『女』を差し向けてくるなんてな。やってくれる……」

 

 愚痴はそれだけ。敵とはいえ人間を殺した事に罪悪感はない。

 彼女の反応を見る為に即死させなかった事以外では、寸毫たりとも悪いとは思っていなかった。

 ただただ腹の底から湧いてくる雄の獣性を押し殺し、ヨナタンは思考する。

 

(航空艇に仕掛けられた爆弾。空港について航空艇から降りた途端に受けた狙撃。二段構えの襲撃。襲撃者は二人以上のチーム、あるいはコンビ。こうして片割れを僕に始末させた意図は……僕が僕を襲うんだったら、最初は捨て駒をぶつけ、残った片割れにやる気を漲らせる布石にする。もしそうならアッティラは僕にチームをぶつけて来ないな。返り討ちにされるのが目に見えている所で、優秀な人員を無駄に削りたくはなかっただろうからね。暗殺者は二人組のコンビで、二人は血縁者か恋人同士、親密な友人関係にあったと見るべきだ。残ったのが爆弾を使った側だから、次からはもっと厄介な使い方をしてくるだろう)

 

 どうせなら狙撃手の方を残したかった。爆弾は、面倒である。仕掛けた人間を探し出すのはなかなか骨が折れる作業だからだ。しかも身内の仇ともなればやる気も段違いになっているだろう。

 楽しませてくれる、なんて馬鹿みたいな事は思わない。面倒な駆け引きは御免だ。相手が他人ならともかく、何が悲しくて自分の分身と知恵比べをしなくてはならない。そんな無駄な労力は――無駄?

 

(――アッティラに感情はない。なのに、無駄なことをしたのか?)

 

 ヨナタンの脳裏に、閃くものがある。センブランスではなく、純然たる知能が叩き出した答えだ。

 

(無駄が()()()()()()()()()……つまり、()()()()()()わけか)

 

 唐突に行動パターンを転換したという事は、なんらかの意図があったという事。

 思い返せば直前に殺めた女は不可解だった。女はプロだったにも関わらず、死に瀕していながら疑問をぶつけて来たのだ。暗殺のプロなら尋問されて情報を漏らすリスクを消す為に自害する筈なのに。

 あの遣り取りの真意がこちらの情報を得る為のものだったとしたら……? 跡形もなく灰燼に帰してしまったため証拠は無い。無いが、恐らくスクロールを通話状態で隠し持っていた。そしてあの遣り取りを聞かれていたとすれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ではその相手は誰か。こんな迂遠な遣り方をアッティラがした以上、答えは明白である。元々想定していたのだから。

 

(裏で名の知れた悪党には、必ず食い付いてくると踏んでいたけど……まさかこのタイミングで接触してくるとはね――()()()()

 

 ヨナタンは下を見下ろした。

 管制塔の窓から顔を出し、声を掛けてくる空港の職員に肩を竦めて見せる。そこからは死角だ、狙撃手が殺された現場は見えていまい。航空艇の乗客の目も、大剣の放った爆光で眩んでいただろう。

 まさか犯人が殺されているとは思っていない証拠として、乗客達は派手なアクションを見せたヨナタンに向けて歓声を上げている。ヨナタンは片手を上げて応えてやりながら空港の職員を見下ろして言った。

 航空艇を爆破しようとして、更には乗客の誰かを狙っていた狙撃手を現行犯逮捕した――そう放送するようにと。職員が従ったのを見て、ヨナタンはその場を後にする。ヨナタンが直々に犯人を連行した事にし、適当な身代わりを用意して、適当なタイミングで脱走されて行方知れずになった事にしよう。

 

(――軽率だった。意図の読めない襲撃だったから、反応を見る為に会話しながら探りを入れてみたけど……アッティラの名を出してしまったのは失言だった。けどまあ……誤魔化せる範囲か)

 

 アッティラの方で勝手に誤魔化すだろう。ヨナタンがオズピンに対して働いた欺瞞のように、既に交戦経験があるとでも言うかもしれない。いや、言うはずだ。ヨナタンと思考回路は同じなのだから。

 

 面倒な手続きが待っている。犯人役はニオに頼もうと思った。彼女なら変装も容易いからだ。ニオの姿を思い浮かべ露骨に溜息を吐く。近頃めっきり、異性に自分からは近づいていなかったからである。

 性欲を持て余すからだ。ヨナタンはひどく憂鬱であった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 ひりついた緊張感には、驚嘆と畏怖といった成分が含まれていた。

 映し出されていた映像は狙撃された少年――尤も『少年』と称するには余りに『戦士』然としていた――が、死角から迫った銃弾を見もせずに掴み、大剣をケースから取り出すや投擲して、凄まじい勢いで飛来した大剣が映像の送り主に突き刺さるところだった。

 手がブレた、そう思った一秒後に着弾したのである。

 当事者でないにも関わらず、その決定的瞬間を理解するのに更に三秒を要して、その頃には標的となった戦士が接近を終えていた。大剣の柄の上に立つ死神が、平素な語調で探りを入れてくるのも聞こえた。

 やがてスクロールごと燃やし尽くされた事で映像は途切れる。だが場に落ちた沈黙の重さは変わらず、やっとの事で口を開いた女の声は戦慄に震えているようだった。

 

「あれが――深淵狩り」

 

 自分ならどうなっていた?

 分かりきっている。正面からやり合えば、暗殺者など敵ではない。しかし、不意の所を狙撃されたら、何も出来ないまま死んでいただろう。もし奇跡的な偶然に命を救われたとしても、暗殺者を取り逃がしてその脅威を除けないまま日々を過ごす羽目になったはずだ。

 いやそもそも航空艇に潜まされていた時限爆弾で死んでいた。狙撃手の待ち構えている地点にも辿り着けない。黒髪の女は慄然としたままシミュレーションするが、死の一文字を前に唇を噛むしかない。

 

【そうだ。所詮は小僧と侮ったままならば、貴様も同じ轍を踏んでいたな】

 

 硬い印象のオフィス、遮光カーテンに囲まれた空間。

 漆黒の鉄人形の如き偉丈夫が、色のない冷徹な声音で言った。

 

 テュルク・アッティラだ。

 

 ヴァキュオ王国を形骸化させ、実質的に支配するに及んだ巨悪。王国の名を冠していながら王を戴かず、議会を設置している四王国の一つを手中に収め、実質的な王となった悪のカリスマこそが彼。

 その手腕は単純な武力のみには拠らず、悪も正義も従わせる統率力、知略を併せ持つ傑物だ。力を信奉する女、シンダー・フォールをして畏敬の念を懐いてしまう闇の英雄である。

 

 シンダーは自らの主人であるセイラムの使者としてアッティラに接触し、その類稀な武力と叡智を知った。故に彼の力を認めているのだ。アッティラはセイラムに服従していない。ただの協力者としてしか、恐るべき魔女を見ていない。それを赦されるだけの力が彼にはある。

 正確には赦さざるを得ないのだが。

 セイラムが直々に出向けばアッティラは敗れるだろう。だが慎重で狡猾なセイラムが本拠地から出張る事はない。そしてセイラムの部下にアッティラを掣肘できるだけの実力者もいなかった。故にこそ協力者として遇する他にない。セイラムに次ぐ圧倒的な力の持ち主であるアッティラに、力を信奉するが故にシンダーは敬意を懐いていた。そのアッティラが油断のならぬ怪物として名を挙げたのが深淵狩り。ヨナタン・ナーハフォルガーである。

 

 所詮小僧ではないかと侮るシンダーに、では彼奴の危険性を見せてやろうと言ったのが事の始まりだ。果たしてヨナタン・ナーハフォルガーの力の一端を見せつけられたシンダーは、しかし疑念を口にした。

 

「……奴は貴方の名を口にしていましたが、既に交戦経験がお有りに?」

【ああ。伝説上の英雄とやらが真実、伝説の通りの力を持つか試すためにな。看板だけは立派な雑魚であれば血祭りにあげ、オレの力を示す材料にしていたところだが――伝説に偽りはなかった】

「……勝ったのですか?」

【引き分けた】

 

 端的に言ったアッティラだが、シンダーの受けた衝撃は大きかった。

 使者としてカオスに来訪したシンダーは、当初アッティラの力を図りかねて腕試しを申し出た。

 形式としては胸を借りるだけのものだったが、故あれば倒してしまい、主人セイラムに自分の価値を示そうと考えていたのだ。なんとなればアッティラに対しても優位に立ってやろうとも。

 だがシンダーはアッティラに敗れた。

 赤子の手をひねるようにあしらわれ、以来シンダーはアッティラの力を認め心服している面があったのである。恐らくセイラムを除いた何者にもアッティラが敗れる事はない。魔法や四女神の力を伝聞とはいえ知っているが、その四女神ですらアッティラに敵う事はないとまで予感していた。

 そのアッティラが――引き分けた?

 深淵狩りの脅威を漸く実感として理解したシンダーは、顔を引き締める。

 

「今……セイラム様が脅威として見做す所以を理解しました。私ではとてもではありませんが太刀打ちできないでしょう。……アッティラ卿は勝てますか、深淵狩りに?」

【互いに全力では無かった。故に断言はできん。が、彼我の戦力にさしたる差は無いように感じた】

 

 そう言うアッティラに、シンダーは思う。

 げに恐るべきは、セイラムすら敬遠する伝説上の英雄と互角に戦えるというアッティラだ。

 伝説やお伽噺に由来しない英雄とは、このような男の事を言うのだとすら思い感銘を受ける。

 

【オレの方から仕掛けておきながら退いたのは、互いの力に差は無くとも、戦場となったのが奴のホームグラウンドだったからだ。奴は間違いなくオレの障害になる……無論セイラムにとってもな。これ以上奴の力が高まる前に手を打ち、除かねばならんだろう。そのための計画も立てた】

「計画? それに奴の力とは? まさか……更に奴は強くなると……?」

【戦闘能力の話ではない。深淵狩りの実力が伝承の通りなら、奴の力そのものは既に頭打ちだろう。オレが言っているのは、奴が世界に対して有する影響力の話だ】

 

 指先で遮光カーテンに隙間を作り、外の様子を眺めていたのだろう。背を向けて立ったまま佇んでいたアッティラが、漆黒のマントを翻してシンダーへと振り返る。

 その赤い眼光に見据えられた女は背筋を正した。

 彼の言う計画を拝聴する構えだ。シンダーは野心的な人物だが、現状で格上と認めた相手には心から敬意を抱ける性格だった。その上でいずれは超えてみせるという気概にも富んでいる。

 セイラムの元から離れて行動している今、彼女が最上の敬意を向けるのはこの巨悪だ。

 

「影響力ですか」

【オレは大義を掲げ、カオスを立ち上げた。故に世界の在り方を掴んでいる】

「ええ。私も、アッティラ卿の掲げる理想には共感しております」

【おべっかはいい】

「おべっかなど申しておりません」

【……ともあれ、世界を見詰めていると分かる事がある。今、世界は急激にその在り様を変えようとしているのだ。オレの手に拠らぬところでな】

 

 アッティラはそこまで言って、シンダーの理解を待つ。

 彼女が頷くと、巨悪は語った。

 

【深淵狩りによってだ。奴はマドンナリリーを作り、新たな秩序を生み出そうとしている。オレにとってそれは邪魔なものになるだろう。奴は人を制する仕組みを生み、やがてはオレとは違う形の王になりかねん】

「……深淵狩り当人の力に、集合知と勢力の武が加わる。それを避けなければ我々の目的は達成できないのですね?」

【如何にも。オレの目的と、セイラムの目的は別だろうが、邪魔になる事は間違いあるまい。故に奴には死んでもらわねばならん。その為にマドンナリリーを襲う。オレ抜きでな】

 

 シンダーは眉を顰めた。

 彼の言が正しければ、深淵狩りに対抗ないし打倒できる存在はアッティラを置いて他にない。なのにそのアッティラを抜きで攻めかかるのは、まるで負けに行くようなものではないか。

 そんな疑問に、闇の英傑は頷く。

 

【そうだ。負けていい。敢えて敗れ、オレの所在地を捕虜となった者に報させる。そしてオレの待ち構えるミストラルに奴を誘引し――奴をホームグラウンドであるマドンナリリーから引き離した上で、ミストラルを戦場にしてやる。その時は全力で戦おう。オレと奴が全力で戦えば、戦場には破壊が撒き散らされるだろう……そうなればミストラルも深刻な損害を被り、人心は乱れる。仮にその場で決着を付けられずとも、ミストラルにカオスをより深く浸透させる切っ掛けは掴める。それがオレの作戦だ】

「なる……ほど……」

 

 シンダーは驚嘆し、彼の策略の一端を聞けた事に高揚する。

 どう転んでもアッティラの計画は上手く行くだろう。アッティラさえ無事ならば。

 

【シンダー。貴様もマドンナリリー襲撃に加わるか?】

「それは……私に深淵狩りの力を直に見る機会を与えるという事ですか?」

【その通り。直接貴様が戦う必要はない。どれほどの敵か見ておいて損はないだろう。セイラムも深淵狩りの戦闘力を把握できると思えば拒みはしまい。どうだ、行ってみる気があるなら融通しよう】

「……分かりました。ご厚意に感謝しましょう、アッティラ卿。我が主の意向を確かめたく思いますので、今日の所はひとまず失礼させていただきます」

 

 頭を下げ、シンダーはアッティラのアジトを辞去する。

 まだ二十歳そこそこの若い女の背中を見送ったアッティラは、機械的に計画を修正した。

 ――己の本体が想定していた通り、セイラムが己に接触して来た。

 下手な動きは見せず、忠実ではなくとも協力的な存在として、セイラムに接近する……それこそがもう一つの使命だ。アッティラの血の通わぬ精緻な頭脳が状況を演算する。セイラムの居場所を掴む為に。

 

 それにしても……と、アッティラは不意に思った。

 

(オレの名を口走るとは……本体にしては迂闊だな。何かあったのか? この微妙なズレは好ましくない。今は何を置いても、このズレの正体をはっきりさせておかねばな……)

 

 アッティラは慎重だった。

 故に、些細な違和感にも気を払う。

 計算が狂う可能性のある要素は唾棄すべきだからだ。

 

 後日、本体から『性欲を持て余す』という愚痴を受け取ったアッティラは、感情がないはずなのに呆れ返る事になるのだが、それはまた別の話だろう。意識が散漫になっている事だけを彼は了解した。

 さっさと女の一人や二人、情婦として抱えればいいだろうに。本体はそれが出来る人間のはずだ。

 それをしない時点で――考えるだけ無駄な葛藤があるのだろう。

 

 アッティラはそれっきり、本体の事情に関心を失った。

 

 

 

 

 

 




感想いっぱい待ってるんだからね!


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悪魔の兵器

面白い・続きが気になると思っていただけたなら感想評価よろしくお願いします…っ!マジで作者の生きる糧になります…!


 

 

 

 

 

 おい、聞いたか? ――それは如何にも根拠が薄弱そうな切り出し方だ。

 だが仕事の片手間に流す雑談なら、それぐらい軽い方が取っ掛かりやすい。

 男は態とらしく潜められた同僚の声に適当な相槌を打ちつつ、大型飛空艇の補給作業を続けた。

 

(ここに三機の飛空艇が来て、燃料を補給してるだろ? こいつら、ヴァキュオから来てるらしいぜ)

 

 おいおい、マジかよと笑う。

 世情に疎い馬鹿でも知っていることだが、今のヴァキュオの情勢は混沌そのものであるらしい。なんでも世界的大罪人に国は牛耳られ、評議会の議員もその息が掛かった者しかいないらしいのだ。

 今やヴァキュオ王国のあるサナス大陸は不法者の楽園であるとかなんとか。

 だが楽園は無法地帯を意味しない。犯罪者や反社会勢力の武装組織が跋扈しているというのに、ヴァキュオの治安は極めて良いらしい。犯罪は殆どなく、法を犯した者はすぐに捕まるという噂がある。

 捕まった者は凄惨な拷問の末に死体を晒されるというが、証拠となるスクープ写真、映像の類いはない。

 犯罪天国という訳ではなく、行き場のない者が最後に行き着く場所であり、倫理や情けを無視した厳罰主義が横行してもいるようだ。混沌の中にも秩序がある……そして結果論を重んじる部分もあり、ほとんどが今のヴァキュオを支配している独裁者の意向で片がつくという。

 

 法を守るも守らぬも、独裁者の意志一つでどちらにも転ぶ……まるで一昔前の封建制国家の暴走のようだ。

 

 そんな情勢だからヴァキュオからの観光客はイコールで亡命者であるとまで言われている。観光客が帰国したがらず、長居しようとする者はいつの間にか姿を消している事も噂に真実味を持たせていた。

 

(ここだけの話、おれの従兄弟が勤めてるスタンドにも大口の客が舞い込んでるみたいなんだが……ソイツらもヴァキュオから来てるらしい)

 

 お? と同僚の言葉に目を見開く。この男は噂話は好むが陰口や嘘は嫌う。従兄弟がよそのスタンドで働いているのは本当だろう。という事は、従兄弟から聞いた話とやらも真実かもしれない。

 

(もしかしたら亡命者かもな)

 

 ハハハ、まさか! と――再び声を上げて笑った。民営のガソリンスタンドであるため、積載している荷物を検める権利はないが、この大型飛空艇を所有し操舵を務めていた男は明るい人柄だった。

 話しかけても気さくに応じてくれるので印象もいい。とてもじゃないが国から逃げてきた人間のようには見えなかった。彼は運搬業者を名乗り、大口の取引が待っていると言っている。そしてそれを自分達は疑っていない。疑う理由など存在しないし――()()()()()()()

 

 同僚の呑気な様から目を逸らし、冷たい汗が頬を伝う感覚を無視する。

 

 亡命者? そんなちんけなものではない。男は顔を強張らせたままだ。同僚がこのまま気づかない事を祈る。万が一にも気づいてしまって、変に騒がれでもしたら、まずい事になるという予感があった。

 給油を終える。早く行っちまえと男は念じた。

 自称運搬業者の操舵手が給油の料金を支払う。早く済ませろ、早く、早く、早く――! 念じる男に、操舵手が微笑んだ。そして彼は男に向けて小声で囁く。

 

「――賢明だな。何も見ず、知らず、聞かない。下手な正義心を振りかざす阿呆でない分、お前は長生きするだろう」

 

 は、は、は、と。操舵手が離れていくと呼吸が荒くなる。

 頭の中は真っ白だった。離陸していく大型飛空艇を見送りもせずに、男はスクロールを手にして通報しようとして――やめる。そんな事をしたら、自分の身に良からぬ事が起きる気がしてならない。

 男はスクロールを仕舞った。そして、忘れる事にした。

 自分は何も見なかった。何も知らなかった。そういう事にする。

 

 ちょっとした出来心で荷物を覗いてしまったが、もう二度とそんな事はしないと神に誓った。

 

 一機の飛空艇の中から、獰猛な獣の唸り声などしなかった。

 一機の飛空艇の中に、多数の武器弾薬があるのを見つけたりしなかった。

 一機の飛空艇の中に、大量のダストが積まれていたなんて事はなかった。

 

 大型の飛空艇が空の彼方に消えていく。その行き先を、しかし男は考えようとも思わない。

 好奇心は猫を殺すが、正義心は人を殺す。下手な詮索はしないに限ると男は思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 それは、なんてことのない平凡な日だった。

 

 往来を多様な職の人が忙しなく行き交い、客引きをする接客業の店員や、取引先に急ぐセールスマン、人と待ち合わせ時間を待つ者などで賑わっている。その繁盛ぶりは目を回しそうな程。

 他では例を見ず、とても平時のそれには見えない。だがマドンナリリーでの平凡とはこの喧騒を指し、とにかく活気があった。うるさく、姦しく、慌ただしい、天井知らずに発展しアトラス王国にも匹敵するほどに成長する――まさに高度成長期とでも言うべき未曾有の繁栄だ。

 近代的、現代的という形容はもはや相応しくない。一ヶ月前の最新機器が型落ちし、最新のファッション、最新の兵器、最新のプラン、最新の物流が後を押されながら更新される。まるで時代そのものが生き急いでいるかの如く前のめりとなり、近未来的な世界の創造を成さんとしているかのようだ。

 世界で最も科学技術が発展しているのはアトラス王国だ。だがそれに次ぐ第二位はどこの国家でもなく、ただの一都市でしかないマドンナリリーであり、そこはもはや都市国家とでも形容すべき域に達している。

 

 何がそうしているのか、何がそうさせるのか。彼らを突き動かしているのは只管に自らの利だ。誰に強制されるでもなく、働けば働いた分だけリターンがあり、成果に応じた報酬を得られるから労を惜しまない。

 全員がライバルだ。他者より早く、他者より先へ、他者より上へ――際限のない人間の欲望が正の方向へのスパイラル、循環を生み出して作用し続けている。負の方に傾けば取り締まられ、破滅する一方で、正の方向に車輪を回し続ける限りは身の破滅がないのだ。法を守っている限りどう転んだところで最終的には利益しか齎されない以上、彼らは善良なる人で在り続ける。

 人が人である限り犯罪は無くならない。だが、マドンナリリーの警察は病的なまでに有能だった。どんな些細な犯罪も見過ごさず、時には未然に防ぎもする。抜け道を探そうにも法律に穴はない、取り締まる人間や機械の目を欺こうにも()()()必ず見つかり、計画して準備を始めた段階で露見してしまう。なぜ? どこから監視されている? トリックは簡単だ。多忙なる深淵狩りの触手――無限のオーラを最大限発揮し、姿なき数千もの亡霊が都市全体を見張っているのだ。

 

 完全なる人力の防犯機構。ヨナタン以外の何者にも成せない検挙率百パーセント。この実績だけを盾に抑止力とし、自然、人は不正を働かなくなった。ライバルとの競争で敗れても、発展期にあるマドンナリリーはどこでも常に人手を欲している。都市の拡張と土地の開拓を常に推し進めているのだ、仕事はどこにでも転がっている。落伍しても再起は叶う故に破滅を恐れる必要はない。

 

 人が生活している以上ゴミは溜まる。路傍に投げ捨てられるゴミもある。それらを拾うのは清掃用アンドロイドだ。本格的な人型や、大きなバケツにローラーをくっつけたような玩具じみた物もある。アンドロイドにも様々なタイプがあり、戦闘用のそれも実戦配備され都市外縁部を警邏していた。

 軍人やハンターが搭乗して操る戦術機動兵器まで開発され配備されているのだ、マドンナリリーは既に小さな国家と言っても過言ではない軍事力も有していた。故に――その防衛意識も比例して、極めて高いレベルで維持されているのも当然といえば当然である。

 

「――! ソナーに感あり! 未登録の航空艇が多数マドンナリリーに向かってきています!」

「おや……珍しい仕事が入りましたね。どうなさいますか、局長?」

 

 都市中央に建造され聳え立つ塔――世界で五つ目となるCCTシステムの搭載された通信専用塔――には、様々なレーダー類が完備されている。今のところマドンナリリーの四方に一つずつ建てられた支塔から送られてくるデータを受け取り、高度なAIが危険を報せると職員はすぐさま応じた。

 通信局長は電気が走ったような空気の中――ギラギラとした目でこちらの判断を見守る副局長を横目に――落ち着き払った所作でコーヒーのカップを置いて、職員へ訊ねる。

 

「警告を出しなさい。所属と来訪目的を明らかにせよ、応じたなら空港の緊急着陸スペースを確保する、従わないようなら国際協定に照らし合わせ、最悪の場合は撃墜する――と」

 

 局長の判断は峻烈だった。だがそれが正しいと指導され、正規のルールだと言われている。

 彼もまた局内の過酷な出世レースを勝ち抜いてきている有能な男だ。そしてそんな彼だから理解している。些細な失態一つで局長の座は脅かされる。ライバルはそこら中に掃いて捨てるほどいる、と。

 誰にも隙は見せられない。故に、自分の給料を脅かす存在に掛ける情けもない。下手を打てば失点だが、上手く片付けたら加点材料になるのは明白だからだ。局長は冷酷かつ機械的に仕事を処理する。

 

「了解。――こちらマドンナリリー、所属不明機に通告する。現在貴君らは当方の領空を侵犯している。所属を明かし、こちらの誘導に従うなら着陸許可を出す。従わない場合は撃墜する。速やかに応答せよ」

 

 苛烈な警告だ。有無を言わせず撃墜する方向に舵を切るのはやり過ぎだと言う者もいる。しかしマドンナリリーではそれが赦されていた。それはひとえに昨今の世界情勢――カオスの存在を警戒する外政官が、四王国と協議してその弁論を振るい、強硬な対応策を是認させたから執れる姿勢だった。

 だが、応答がない。

 数秒経つごとに緊張感が高まり、オペレーターが局長に振り返る。

 

「……もう一度警告を」

「了解。繰り返す――」

 

 オペレーターの発する全周波の警告。しかし、応答はない。

 それどころか――レーダーに掛かる航空艇の数は増す一方であり、その数は()()を超えた。

 

「きょ、局長……!? この数は普通じゃありません……!」

「……! やむを得ん、中央委員会(ナーハフォルガー)に委任された権限に於いて宣言する……! アンノウンを敵性飛翔体と断定! ML防衛部隊に通報後、大至急市民に向けて避難警報を鳴らせ――!」

「りょ、了解っ!」

 

 風雲急を告げる。

 さながら一国が侵攻してきたかの如き緊急事態に、マドンナリリーの自衛軍が動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 市街の店という店、あらゆる非戦闘目的施設に、地面からせり上がった高強度シャッターが自動で掛けられていく。市民はアンドロイドの誘導に従い整然と地下シェルターへ避難していった。

 こうした有事に備え、年に三回の避難訓練をしていた成果だろう。これは訓練ではない、と危機意識を煽る放送を聞いても辛うじてパニックにならずに集団行動が取れていた。

 

「ん……?」

 

 都市の外縁を覆う円周の防壁は、さながら万里に亘る長城である。

 拡張が続けられる都市を守る防壁は、この数年で二重のものとなり防備を過剰なまでに強めていた。その城壁の上に現れたのは遠隔操作型のトーチカ、搭載砲はリニアガンとレールガンだ。都市中枢にあるCCTタワーからの操作で、城壁の内部に具えられていた迎撃兵器がハッチを開き押し上げられてきたのである。

 その銃口が上空の航空艇に照準され、弾丸を雨霰と投射し始める。地面にもばら撒かれる薬莢と、轟音。それをBGMに展開される戦闘用アンドロイドと陸軍の軍人達。そして義勇軍と銘打ったハンター部隊。

 それらを尻目にしながらも、目に入った物にヨナタンは首を傾げた。

 

「……へぇ、勤勉だね」

 

 それは、ドローンである。武装を具えず、カメラのみを搭載した飛翔体の小型航空機だ。

 ドローンの数は二十機余り。それは主に戦闘用アンドロイドや軍人達、ハンター部隊の周りに向けて飛び立っていき、その上空で滞空している。ドローンを操作している人間の正体を察したヨナタンは笑った。

 あれは恐らくNアカデミーの物だろう。同タイプのドローンがNアカデミーに導入されたのをヨナタンは知っていた。避難したはずの生徒達がドローンを飛ばせたのは、教官であるジャックハート達が許可したからであり、実戦というものを見せてやろうとしていると察する。

 

 情けないところは見せられないなと苦笑した。

 

 遂に始まったパーティー……その前哨戦。派手に開幕の花火を上げ、世界に戦いの火蓋を切った事実が報される舞台だ。これを機にカオスは裏社会から表世界に打って出て、アッティラが西に東に、北に南にと飛び回って活躍していく事になり、ヨナタンもそれを追う体で世界を駆け回る。

 ヨナタンにしか止められない最強最悪のヴィラン、それがアッティラの役割である。この前哨戦を終えた後にミストラルで一度アッティラと戦う必要があり、計画では数年後に相討ち気味にヨナタンが勝ち、アッティラは傷を癒やすために潜伏する状態に持っていく。その時が――マドンナリリーが本当の役割を発揮し始める瞬間だ。

 

 ともあれ、先の事は今は置いておこう。こちら側の人的損耗は限りなく減らし、可能なら戦死者はゼロに抑えたいところだ。そしてカオス勢力は半数までなら殺してもいい。

 なぜなら現在の世界バランスを見るに悪の側が強いのだ。その証拠に、有象無象を集めたとはいえカオス勢力の軍勢は、まるで一国の軍隊が攻め寄せてきたかのように膨大だ。正義が弱い状態を維持していた方がやりやすいが、今は悪の方に比重が大きく傾き過ぎている。難易度調整のためにもここで間引く必要があった。

 

 攻め寄せてきたカオス勢力は空軍ばかりではない。空挺団が運んできた陸軍が、戦車タイプの機動兵器やロードバイクを駆りマドンナリリーを目指している。それの迎撃をマドンナリリー(ML)……ML防衛部隊が行なっている。危険な白兵戦は分厚い装甲とガトリングガン、ブレードを装備した戦闘用アンドロイドが請け負い、敵機と敵兵を斬り殺していた。

 人間とファウナスは主に射撃に専念し、白兵戦は防衛線を抜けてきた敵に対してのみ行なう。MLの戦士たちは精強だ、数ばかり多いカオスに簡単に遅れを取る弱卒はいない。城壁の上に展開されたリニアガン、レールガンが次々と敵航空艇を撃墜していく。そこそこ良い具合に戦闘は推移している。

 

 攻め寄せる端から溶けるように駆逐されていく敵勢力。例外的に、生身の人間でありながら白兵戦を仕掛けるファウナスの男――ルキウス・カストゥスが華々しい活躍を魅せつけるのを遠目に、ヨナタンは外縁部の城壁の上で思案した。

 

 今回のカオスによる襲撃は、嘗て水面下で交戦したヨナタンを、アッティラが殺すために仕向けたもの……という筋書きに修正されていた。故にヨナタンを打倒し得ると客観的に判断できる戦力を用意してあるはずなのだが、それらしきモノが出てこない。このままだとヨナタンの出る幕もなく終わってしまうだろう。それは……少し下手だ。

 アッティラはどうしたのだろう。いざとなればアッティラ自身が仕掛けてくるものと思っていたのだが、そんな様子もない。消化試合のようにすんなりと終わらせてしまってもいいのだろうか?

 

(……計画の進行はローマンとアッティラに任せてるんだけど、細かい展開を知らないとやきもきするね……)

 

 こちらの人的損害が出ないのは喜ばしいのだが、MLの完全勝利で終わってしまうのはよろしくない。多少は装備や防壁を壊してくれないと――アトラスからの支援が引き出し辛くなる。

 前線で戦う自軍には申し訳ないが、少しは手加減してやってほしいものだ。外交戦略を有利にするカード作りも考えている身としては、外政官たちが仕事を果たしやすい状況が欲しいのである。

 アトラスの軍事技術の供与を引き出したいのに、今のままでいいではないかと言われてしまう。どうしたものかと悩ましさを覚えつつ、ヨナタンは嘆息して大剣ガラティーンを足元に突き刺した。

 

 代わりに取り出したのはアンチマテリアルライフル――変形機構を具えない普通の銃火器だ。ダスト弾や怒号、悲鳴の飛び交う鉄風雷火を遠目に、何もしないで突っ立っているだけというのも外聞が悪い。

 ちょうど一機のドローンがヨナタンの近くに来てしまった事もある。カメラ越しに教え子が見ているかもしれないのだ、仕方ないから射撃のお手本でも見せるとしよう。

 

 ――最近MLで放送されているアニメで、『正確な射撃だ……それゆえに読みやすい!』と言い放つ歴戦の戦士が登場した。その歴戦の戦士は作中で敵の射撃を次々と華麗に躱し、一度も被弾していない。

 以来射撃よりも白兵戦の方が確実だというイメージが市井に広がっている。

 馬鹿か、とヨナタンは思うのだ。こんな時にアニメの事を思い出すのは緊張感が足りず、ヨナタンの方こそ『馬鹿か?』と呆れられるかもしれないが、それはさておくとして誤った認識を広めたくはない。

 一般人がどう思おうと自由だが、そうしたアニメを見て育った子供の認識を拭う手間を、アカデミーの教官に押し付けるのも可哀想だと思う。同じアニメ内で否定的な台詞を主人公に吐かせたら良いのかもしれないが、とりあえずは実演してみせるとしよう。

 

 狙うのは、正面。防衛線を抜けてMLの兵士に肉薄しようとする敵兵。敢えて弾速の遅いダスト弾を使用する。オーラを使える人間にとって、銃弾はなんら脅威たりえない。見てから弾くのは容易だ。

 恐らく普通に撃ったのでは、Nアカデミーの生徒……子供でも音速の弾丸を武器で弾いてしまえるだろう。ましてや弾速が遅いとなれば豆鉄砲に等しい。しかし……ヨナタンが放った弾丸を敵は防げなかった。

 脳天に直撃し、死亡する敵兵。

 仰天してヨナタンを視認する正面の敵勢。

 彼らにもヨナタンの姿が視認できる距離だ。注意を向けてきていなかった敵にも弾丸は見て取れていただろう。にも関わらず最初の一人が射殺されたのはひとえに不意打ちだったから……と想ったようだ。

 雑魚とはいえ必死の形相で押し寄せる敵軍。戦闘用アンドロイドの被害も馬鹿にならないが、あれらは旧式だ。処分ついでに戦闘データを集められているのだから文句はない。

 そんな事を思いながら、再び発砲する。今度は狙撃手であるヨナタンにも注意を向けている敵を狙った。弾丸は見えている、そして狙いは正確だ、防ぐのは容易い……はずだった。

 

 敵兵は心臓を貫かれ即死する。

 

 構わず次弾を装填。狙いをつけ、発砲。装填、照準、発砲――それを淡々と繰り返す。

 的中率は百パーセントだ。敵は見えているはずの弾丸で仲間が殺られていく様に戦慄し、前線中央部に攻め寄せる脚が遅くなってきている。

 

「射撃というのはただ狙って撃てば良いというものじゃない」

 

 傍らに滞空するドローンに向けて言う。データは残るだろうから、今は一人しか見ておらずとも後で全員にも閲覧させられる。故に教導のつもりで分かりやすく解説してやった。

 

「射撃というものはね、如何にして標的の隙を突くかが肝要だ。躱せないタイミングで、防げない箇所を狙い、敵が移動して行く地点に()()()()。これが出来れば誰も防げない。僕でも直撃する。()()()()()というのはそういうもので、そんなものに狙われた時点で標的は詰むんだ。だから躱された時点でその射撃は正確ではなかったという事になる」

 

 そして、その()()()を実現するのが困難だからこそ、人は戦術として弾幕、制圧射撃を行なうようになり、それが充分な戦果を稼いでいくから正確な射撃というものを蔑ろにしていっている。

 ヨナタンが想定するNアカデミー卒業生は、この正確な射撃を狙って撃てる技術を具えている。近接戦闘よりも射撃の方が強いという事を骨の髄まで理解してもらいたい。

 とはいえ、そういうヨナタンは近接戦の方が強いのだが。ヨナタンは判断の基準に出来る存在ではない。

 

 ――やがて敵勢力は減退し、あちらこちらで降伏していく様が展開される。

 

(……おいおい、こんなものなのかい? ローマン……)

 

 所要時間、一時間と十分。

 MLの損害は、生身の人間とファウナスに負傷者少数、戦死者ゼロ。戦闘用アンドロイドは2百機中九割が大破。しかし戦闘データを得られた上に、大破したのは型落ちした旧式のため寧ろ収支はプラスだ。

 

(それとも、この局面はこの程度でいいと考え直した……?)

 

 対するカオス勢力の損害。

 総数千名弱の内、六百人近くが死亡。投入されてきた百機以上の航空艇は、中身が空ばかりだったとはいえ全滅。三十機もの機動兵器も同様。残りは降伏し始め、終戦の様相を呈し始めていた。

 MLの被害が軽微なのは大変結構だが拍子抜けも良いところだ。

 ヨナタンはそこそこ失望した。せめてMLに肉薄する程度は期待していたからだ。分身体ルキウスの戦果こそ華々しいが、これでは到底今後に活かせる成果とは言えない。

 

 だが――まだ終わりではなかった。

 

『――上空より敵影――!』

「ん……?」

 

 耳につけていた通信機越しに警告を聞き、上を見上げる。

 ()()は高度十八キロメートルより、雲を突き抜けて現れた。

 

 十機の大型航空艇だ。それは遥か上空より大量のダスト爆弾を投下し――しかし、ML上空に張り巡らされたバリア発生装置のエネルギーバリアに阻まれた。爆風までも防がれ地上に影響は出ない。

 MLは拡張を続けるその政策上、地上をバリアで覆う事はできない。しかしその代わりに上空へ張ることの出来るバリアの強度は、ヴェイルのビーコン・アカデミーにあるバリアよりも高いものだった。

 断続的に爆発する目映い爆弾。それは多少の罅をバリアに入れる事に成功したが、それだけだ。

 

「……綺麗な花火だ」

 

 次いで投下されたのは無数のグリム。

 アーサー型をはじめ、捕獲しやすいグリムばかりが次々とバリアの上に着地し、バリアを破壊しようと殴打し始める。中にはバリアの展開していない部分に向けて走っていく個体も居た。

 総数はパッと見で四十あたりだろう。割と捕獲を頑張った方かもしれない。バリアに罅が入ったから、グリムの膂力で殴り続けたらいつかは破壊されてしまうだろう。

 

 が、それまで。思いのほか迅速な接近に爆弾やグリムの投下を許してしまったが、待機していたハンター部隊が急行しバリアの上のグリムを次々と掃討していく。ヨナタンが手を出す間もない。

 今のが奥の手だったとしたら失笑ものだ。しかしこの段取りを俯瞰して見るに、それはないと言える。小型の爆撃機が航空艇の蔭に隠れ接近して来ているのだ。

 

 ヨナタンは、思う。

 

 僕がアッティラの立場だったら、切り札の投入はこのタイミングでするだろうな、と。

 最初にド派手な軍勢をぶつけ、次に花火を咲かせ、グリムを投下することで意表を突き――敵の手と意識をあちらこちらに分散させた後に、思いっきり殴りつける。一撃で立ち上がれないようにKOするのだ。

 そう思いながらヨナタンは目を細める。

 ヨナタンをして意表を突かれたからだ。爆撃機が投下した、一つの爆弾。それは想像以上に小さい。全長3.12mで、最大直径0.75m……総重量約5tほどだろうか? 一応自分が対応するつもりで高所に移動しておいたが、果たしてあんなものが脅威になり得るかは疑問でしかない。

 

 しかし、アッティラが投入した切り札なのだ。それはつまり、アッティラ(ヨナタン)がヨナタンを殺し得ると判断した力があの爆弾にはあるという事だと考えられる。そして切り札の形が爆弾という事は、この一撃を以て世界のアッティラに対する悪のイメージを絶対のものにし得る、破滅的な破壊力を秘めていると思われた。

 

 ヨナタンは念の為、【透視】する。迂闊に迎撃しては何があるか解らない。あれはヨナタンをして未知の、恐らく現行最新の科学兵器だ。遙か上空から落下してくる、ミサイルとも呼べない爆弾の内部を透かして視る事で、まず胡乱に思ったのは一ミクロンもダストが使用されていない事だ。あんなものでどれほどの破壊力が叩き出せるというのだろう。気を取り直して搭載している薬品や、配列、電板を視認し如何なる効力が発揮されるか暗算する。そして――顔色を変えた。

 

「ッッッ――!?」

 

 なんのつもりか、刻印されていた爆弾の名称はガンバレル型ウラニウム活性実弾リトルボーイ――後に言う核兵器――原子爆弾であった。

 想定される破壊力、齎される副次作用、それらをヨナタンの叡智は一瞬にして弾き出し、明確な命の危機を感じ取った。そんな馬鹿な、そこまでやるのかと唖然としたのは刹那の間のみ。あれは深淵狩りが培ってきた知恵と知識の全てを総動員すれば、辛うじて実現できる兵器だ。恐らく現時点だとヨナタンやアッティラしかその脅威を理解できまい。

 ダストを用いない、純粋な科学の数式が齎す破壊の爪痕。それが今後の世界に如何なる影響を与えるのか想像に難くなく、故にヨナタンは心の中で渾身の罵声を上げながらも怒号を発した。

 

「――こちらヨナタン・ナーハフォルガー……ッ! 総員、対ショック体勢を取れェッ!」

 

 言って、ヨナタンは生まれて初めて全力を振り絞った。全霊を擲った。

 密かに訓練を積んでいた魔力の使用、四女神の一角の権能を全開にして空を飛び、一度に出力できるオーラを注ぎ込んで歴代の深淵狩りの内、最も強力でありながら過剰戦力として使用して来なかった切り札を切る。

 原子爆弾の考え得る効果範囲三キロメートル四方をカバーする。発動させたのは【深淵(アビス)】――空間遮断。平らな円盤形で出力して、漆黒の遮断面を創り出し、次の瞬間――ML上空で史上初、核兵器が炸裂した。それは、ピカリと光り――光と音が、絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、核兵器は完璧に防がれた。

 即座の人的、物的損害は皆無であったのだ。

 だが世界は衝撃を受けた。

 核兵器の齎す副次作用――放射能による大気汚染など――が甚大な悪影響を残し、除染作業に多大にして莫大な労力を要したからだ。 

 そしてヨナタンという規格外が核兵器を防いだ後、ML全土を黒いオーラ【深淵】により覆い続け、齎されているだろう副次作用への対策を提示され実行した所、驚愕に値する検証結果が出された。

 その破壊力は元より、推定される効力は当然として、あれがダストを用いない科学兵器だと判明したのである。個人に防がれたとはいえその個人は評価に困る最強生物であり、もしも彼が居ない所で使用されていたなら、爆心地の生き物は死に絶えていただろう。奇跡的に生き残っても半年以内に死に至る。

 

 あれはまさに悪魔の兵器だった。

 

 市井には情報統制が敷かれたものの、世界各国の上層部は恐怖とともに確信する。

 

 テュルク・アッティラ――あれは、何を於いても殺さねばならない、絶対悪であると。

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔王 (上)

感想評価ありがとうございます。マジのガチで生きる糧になっております。お蔭様で更新速度が回復してまいりまして、毎日更新をしていた以前の勢いに近づけている実感があります。
重ねて、ありがとうございます。







 

 

 

 

 流石に過労死するかと思った。

 

 一連の出来事を経ての感想は、全てその一言に集約される。

 戦闘自体はどうという事もなかった。しかしあのリトルボーイとやらを防ぐ為に【深淵】を張り、放射能を遮断する為とはいえML全土にセンブランスを展開する羽目になるとは思っていなかったのだ。

 しかも一日二日どころの話ではない。

 一ヶ月だ。一ヶ月もオーラを最大出力で放出し、センブランスを発動し続けて、朝も昼も夜もなく、未知の概念【放射能】への対策をMLの全部門に通達し、市民への説明や外部への道を封鎖した事で生じた不満を和らげ、損失の補填の為の施策を練ったのだ。

 休まず眠らずだ。そうして放射能対策の装備と、除染作業の完遂までに一ヶ月も掛かった。アトラスに次ぐ科学技術を有するMLですらそれだけ掛かったのである。

 払った労力は甚大であり、さしもの超人も疲労困憊だ。

 

 まず危険性の周知が大変だった。次いで、それに対する対策チームと、除染に使う機械の開発、作業工程とそれを行なう人員の選抜や最適のセンブランス持ちの投入が死ぬほど億劫だった。

 何せなんのノウハウもない未知の存在に対する対策だ。ヨナタンは自分の計算や想定に間違いはないはずだという自信はあったが、それでも一抹の不安はあった。何事もなく済んだ時は安心した。

 とまあ、そんなわけで【深淵】を解除した後はヨナタンもダウンした。極度の疲労で立ってもいられず、目を覚ましたのは二日後で、病院の個室だった。【深淵】は陽の光も遮断していたものだから、一ヶ月ぶりの日光を窓越しに見た時はそれなりに感動したものである。

 

 自分一人だけだったらどうという事はなくとも、保護すべき人間がいるとなると話も変わってくる。その事をよくよく痛感させられ、今回ヨナタンが犯した()()()()()が災難を招いた事を悔やまされた。

 幾ら咄嗟の事であったとはいえ、些細な判断ミスのせいで一瞬で済ませられた仕儀に一ヶ月も掛ける羽目になったのだ。あの時ヨナタンはML全土へ【深淵】を張りドーム状に展開したが、そうではなく【深淵】で核爆弾そのものを包めばよかったのである。そうすれば、【深淵】が空間遮断であるという特性上、放射能やらの副次作用が齎される事はなかったのだ。

 過ぎた話を悔やんでも仕方がない。次があればそうしよう。ヨナタンはそう結論づけた。

 

「………」

 

 一応ヨナタンは病人という事になっている。久方ぶりの休暇代わりに、病院で休ませて貰おうとベッドの上で横たわっていた。無論他の病室に空きが無いようなら、迷惑にならないように退院するが。

 そんな現状だから、ごろごろとして手持ち無沙汰を楽しみ、頭の中で今後に纏わる方策を思案するところなのだが……今のヨナタンにそんな余裕はなかった。

 

 いるのである。

 

 ベッドの横に椅子を引っ張ってきて座っている、ニオ・ポリタンが。

 

「………」

「………」

 

 会話はない。以心伝心というよりは、ヨナタンの方が一方的に小さな反応を読み取って意志を疎通させている少女だ。相変わらず一言も話さないが、まあそれも個性の内だろうと思っている。

 数年前から容姿に変化はない。肉体的な成長は打ち止めしているらしい。しかし瞳の奥に有る知性の光と顔つきからは、着実に幼さが抜けていっていた。そう――ヨナタンに『女』を意識させるほどに。

 思えばここ四年は遠ざけていた。いや、遠ざけては居ない。単に接し方を変えただけだ。思春期を迎えた男女が当たり前のように持つ距離感を持っただけのこと。だから僕は悪くない……と、ヨナタンは下腹部に集まる血を感じながら劣情から目を逸らす。

 

 忙しかったとはいえ一ヶ月の禁欲も、ヨナタンの精神に疲弊を強いていた要因だ。ヨナタンを苛む性欲の強さは尋常ではない。気を抜けば女と見た瞬間に襲い掛かりかねないのである。

 小柄なニオが相手でも、だ。

 そんな事はしたくない。性行為に忌避感があるのではなく、己の本能――深淵狩りの根源にある使命に突き動かされ、ニオに欲望をぶつけたくなかったのだ。そう思うぐらいにはニオに対する情もあった。

 

 ――だが、そんな事情などニオにとっては知った事ではない。

 ニオのボスはローマンだ、敬意と忠誠は彼に向けられているし、それが曲げられる事は無い。無口で何を考えているか分かり辛い少女ではあるが、彼女は意外と義理堅く……執念深いのだから。

 

 しかしそれはそれ、これはこれだ。

 

 ニオにとってボスはローマンだが、ヨナタンは師である。そしてローマンを除けば唯一、自らの素を出して接しても円滑なコミュニケーションを取れる相手であり、同い年の異性だった。

 そしてニオはその育ち故か、力を信奉する面もある。彼女の知る限りこの世で最も強いヨナタンを特別視するのは当然の帰結だろう。そしてそうであるからこそ、ここ数年自分との接し方を変えたヨナタンに対して積もりに積もった不満がある。ジッとヨナタンを見る目は、どこか厳しい。

 

「………」

「………」

 

 が、ヨナタンはニオに対して何も言わない。必然無口極まるニオとコミュニケーションが取れるはずもなく、場には沈黙だけが敷き詰められていた。

 ニオが膝の上で拳を握り、顔を俯かせる。

 彼女には分からなかった。なぜヨナタンが自分を見ないのか。なぜ突然、自分との間に壁を作るようになってしまったのか。誰にも相談できず独り悩み続けてきたが、今まで答えをくれていたヨナタンは何も言ってくれない。二人が揃った場面で、ローマンに対し声なきSOSを出しても、その問題には曖昧に笑われるだけだった。なぜ? どうして? 悶々と悩んだまま、今に至る。

 

 ヨナタンはニオの幼い苦悩に気づいてはいた。だが、気づいたからとできる事はない。変に触れようものならゲス野郎になってしまう確信がある。頼むから一人にしてほしかった。今はダメなのだ、せめて明日以降ならかなりまともに話せるが、今だけは無理である。だって一ヶ月も息を抜いてない。普通の思春期男子が持つ欲望を、万倍累積させたかの如き獣性を爆発させてしまう。

 

 どれほどそうして沈黙していたか。やがて――ニオが席を立つ。

 帰ってくれるのかと安堵しかけたヨナタンに、しかしニオは意外な行動に打って出た。

 

「―――」

 

 ニオはヨナタンの手を取り、耳元に唇を寄せてきたのだ。

 そして凝固するヨナタンに囁きかける。滅多に話さないニオの声は、甘い。下手をすれば生涯で一度も喋らないのではないか。そう思うほどに稀な発声だが掠れていなかった。

 彼女は一言問い掛けた。どうして? と。その意図は明白だ。

 声を発してまでの問いは、ニオから切実な想いを感じさせられる。ヨナタンは必死に己を抑えながら――しかしニオの腕を無意識に引っ張ってしまっていたが――華奢な体躯を抱きそうになりつつも言った。

 思えば身長差も大分開いたな、と現実逃避しながら。

 

「ニオを抱いてしまいそうだからだ」

 

 端的に、事実を言う。

 それにニオは目を剝いた。今度は彼女が固まる。

 強靭な理性で死に物狂いにニオの腕を離して突き放すと、彼女は椅子にぺたりと腰を落とす。

 そうして、俯いた。頬を赤く染めて。

 

「………」

「………」

 

 今度の沈黙は、別の意味で重かった。

 これでニオもヨナタンの事情を察し、距離感を弁えるだろう。

 さしものニオとて気まずさを覚えるだろうから。

 

 そう思っていると、信じがたい行動にニオは打って出た。

 再び椅子から腰を離すと、ニオはヨナタンの顔を小さな両手で挟み、その顔をニオの方に向けさせたのだ。

 唖然としてされるがままになったヨナタンの目を、ニオは薄弱な意志で見詰める。

 

 その、目は。その目は、まるで――

 

「………」

 

 ――()()()()()()と言っているかのようで――

 

「ッ……!!」

 

 恥ずかしさに潤み、求めているかのようだった。

 プツン、と何かが切れる。いや、切れそうになった。

 寸でのところで堪えられたのは――堪えてしまったのは――来客があったからだ。

 

「……お兄様?」

 

 病室の戸を開き、入り口に立っていたのは、花と果物を持って見舞いに来たヨナタンの妹――の、ようなものの――ワイス・シュニーだった。

 

「お兄様、何をして……そちらの方はどなたなんですの?」

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

「わ、ワイス……」

 

 そっとニオの身体を離し、嘗てなく声を震えさせるヨナタンは今世紀最大の気まずさを覚えていた。

 

 兄の顔を両手で挟み、濡れた瞳で見詰めていた少女。それに腕を広げ、今まさに抱きしめようとしていた兄。ワイスが見た光景はそれであり、ヨナタンは筆舌によって表現し難い心境だった。

 とはいえワイスは困惑しているだけで、彼らが何をしていたかを察してはいない。というのも、ワイスはまだ十二歳だ。七歳でMLのNアカデミーに入学し、最初の二年は余所事を考えていられる余裕はなく、以後も一般的な知識を体験に移す工程を経ていない。自己研鑽の意識が強いが故に空いた時間は専ら戦闘訓練に費やし、友人や班員との付き合いでしか遊びというものも経験していない。

 故に、ワイスは知識として性行為については識っていたが、識っているだけで現実に見たものをそこに結びつける想像力がないのである。よく言えば純粋だが、悪く言えば歪つな成長を遂げていた。

 

 しかし、若干の胸のむかつきを覚えたワイスである。

 兄を兄としてしか見ていないワイスだが、それはそれとして明らかに異性と親しげな様子を見ると、なぜだか機嫌が悪くなって仕方がない。自分で自分の気持ちが分からないまま、ワイスはつかつかと靴音を鳴らしてヨナタンに歩み寄り、ベッド横のテーブルに花と果物を置いた。

 

「お兄様、こちらの方は?」

「……友人のニオ・ポリタンだよ。こう見えて僕と同い年だ」

「あら、そうなんですの。御機嫌よう、ミス・ポリタン。わたくしはワイス・シュニー。お兄様とは血の繋がりはありませんけれど、実の兄のように思っています。よろしくお願いしますわ」

「………」

 

 ワイスの刺々しい態度でニオは一瞬真顔になったが、すぐにいつもの微笑みを湛えて会釈をした。

 それに対して形の良い眉を顰めたのはワイスである。家柄の関係上、礼儀作法に関して叩き込まれて育ったからだろう。挨拶に対して会釈だけで済ませ、名乗り返しもしないニオの態度は失礼に見えた。

 

「ミス・ポリタン? わたくしは名乗りましたのに、お返事をして頂けないんですの?」

「ワイス、彼女は()()()なんだ。許してやってくれないかい?」

「………」

 

 ニオのそれは完全に他者を拒んでいるようにしか見えない。初見でなくてもそうなのだから、ワイスにも当然そのように見えた。ヨナタンが仲裁するように言うものだから、一層印象が悪い。

 ワイスは思った。と、言うよりも感じた。この人とは仲良くなれない、と。寧ろ嫌いだ。兄のような偉大で優しい人の友人としても相応しいとは到底思えなかった。

 

「………」

 

 一方のニオは何を考えているかまるで感じさせない表情で、ミステリアスな雰囲気を醸している。しかし長年彼女を見てきたヨナタンは察する。どうも、ニオの機嫌が悪いらしい……。

 なぜ? とは思わない。なんとなく察しがついた。そしてヨナタンにはこの期に及んで惑うような優柔不断さは無い。その逆で即断即決を好む気質だ。果断な姿勢は損なうことはない。

 故にヨナタンは嘆息してワイスに告げることにした。ワイスにとってそうであるように、ヨナタンにとってもワイスは妹なのである。それ以外の何者でもないし、妹以外の何かになるとは思っていない。

 

 ワイスにニオを嫌ってほしくない。そう思ったからフォローする事にしたという面もある。

 

「すまない、恥ずかしくってつい嘘を吐いてしまった」

「嘘?」

「ああ。ニオは僕の友人じゃない」

「……っ」

「友人ではない……? なら、なんなんですの?」

「ニオは言うなれば――僕の()()だよ」

 

 言うと、ワイスは驚愕に目を見開いた。

 ニオもまた同様の表情をしているが、満更でもないふうに見える。

 

「こ、恋人……?」

「ああ。彼女の機嫌が悪いのは逢瀬に及ぼうとした所にワイスが来たからだ。間が悪かったんだね」

「………」

 

 言ってしまった以上、後には引けない。

 自意識過剰、自惚れ、イタい思い込み……その手の類いの妄想でないことを祈る他にない。

 もしニオが嫌がるようならすぐさま訂正するつもりだったが、

 

「………」

 

 ――そうでないなら訂正する必要もないだろう。

 こんな形ではアレなので、後で改めて交際してほしいと申し込もうと思う。

 ニオは、ヨナタンを好いている。――自惚れでなければ、そうだ。そうでなければ、先程のような状況になどなるはずもない。理論的にそう考え、ヨナタンはらしくなくも照れてしまいそうになる。

 

 兄のそんな顔に、ワイスは衝撃を受けた。

 恐らく彼女の受けたショックを理解できる人間は、本人以外には存在しないだろう。

 

「そ、そうなんですの……? な、ならわたくしは……あ、いえ……お見舞いに来たばかりなのに慌ただしくして申し訳ありませんが、後で出直させていただきますわ……っ!」

「あ、ワイス――」

 

 ヨナタンが呼び止める前に、混乱した様子のワイスは病室から飛び出してしまった。

 呼び止めて……何を言おうとしていたのか。ヨナタンは伸ばしかけた手を見詰め首を傾げる。

 改めて言葉を探しても、特に言う事もない。

 ワイスの混乱は、知らぬ間に兄に恋人ができていたお兄ちゃんっ子な妹のそれだろう。

 

 ヨナタンはそのように結論したが、事実その通りである。ワイスは只管に混乱していただけだ。兄は自分だけの兄で、自分以外の誰かにとっての『特別』になる未来をまるで想像していなかったから驚いてしまって、驚かされた猫が飛び跳ねるような挙動に出てしまったのである。

 

「………」

「あ、ニオ……そういう訳だから……いや、違う。えぇと……」

 

 くい、と袖を引かれてニオの方を見る。

 するとニオは微かに期待するような眼差しで、言葉を求めていた。

 喋らない少女の、精一杯の自己主張を無下にはできない。ヨナタンはなし崩しな台詞を吐こうとしてそれを止め、飾り立てた言葉を組み立てていきながらも棄却し、率直に伝える事にした。

 

「ニオ。僕は君を、女の子として好ましく思っている。よければ僕と交際してほしい」

 

 将来の生活は約束するとか、そういう無粋な台詞は口にしない。言うまでもなく当たり前の事であり、そんなものよりも伝えるべきものがあったからだ。果たしてニオは微笑み、小さくうなずいた。

 思わず抱き締め、その蕾のような唇を奪う――前に。

 ヨナタンはやはり、理性の人だった。理性あってこその人間だと信仰している。だから盛りの付いた猿のような真似はせずに、懸命に理性を奮い立たせてニオ・ポリタンに告げた。

 

「ありがとう。君を絶対に幸せにする。僕を選んだ君を、後悔させたりはしない」

「………」

 

 ハッキリ言って、ヨナタンはニオとそういう関係になるとは欠片も思っていなかった。

 その場の雰囲気や、性欲に突き動かされて、発散させてくれるだろう異性に飛びついただけではないか……そのように指摘されたら、非常に情けない事に否定はできないかもしれない。

 だがそんなものだろうと思う。ヨナタンだって人間なのだ、そういう事もある。大事なのは切っ掛けではなく、どのようにゴールするか、どのような過程を経たかだろう。

 

 元々異性として意識していた。ニオといて苦痛に感じた事はない。これから生涯を共にしても悔やむ事もないと断じられる。

 好意はあるのだ、愛する努力はする。愛される努力もする。人と人とが繋がり関係を継続するにはそう在るべきだった。例え今ある情が愛でなくても、それは関係を深めれば自ずと生まれるものである。

 

 ――そうした経験談を、ヨナタンは切り離した。

 

 それこそ無粋な経験と知識だろうと思ったからだ。

 色々ゴチャゴチャ考えたが、理屈なんざどうでもいいと割り切った。

 ……さっきから下半身が怒張しっぱなしだが、意地と根性で耐える。脳が沸騰しそうだが死ぬ気で耐えた。今、理性を手放したら、ヨナタンは獣に堕ちる自覚があった。

 だいたい、病院で盛るなど節操なしの不埒者以外の何者でもあるまい。

 ニオはそっと身を寄せてくる。そして目を閉じて、顔を近づけてきた。紳士であれ、紳士的であれ。ヨナタンは自らにそう言い聞かせ、口づけを交わす程度なら紳士なままだろうと理論武装する。

 そうして、ヨナタンはニオと情を――

 

 

 

「――ヨナッ!!」

 

 

 

 ――交わす前に、またも来客が訪れて停止した。

 思わず舌打ちしたヨナタンである。ニオも珍しくあからさまに顔を顰めた。

 だが戸を蹴破る勢いでやって来た人物を認めると、面白くない思いも霧散する。

 

「……ローマン?」

 

 やって来たのはローマンだった。

 常の斜に構えた余裕がない。肩で息をしていて、場の雰囲気と距離感からヨナタンとニオが何をしようとしているのか察しても茶化しもしない。皮肉も嫌味も揶揄もせず、ちらりとニオを一瞥しただけだ。

 敬愛するボスのそんな様子を見てニオの顔が張り詰める。私事を一瞬で切り離した。ヨナタンの瞳にも冷酷な光が戻る。只事ではないと理解した以上、彼らの頭には仕事しかなくなっている。

 こうした切り替えの早さは、ハンターならば具えていて然るべき素質であった。

 

「急にどうしたのか、なんて無粋な問いは控えようかな。スクロールを使わないどころか、部下を寄越さず自分の脚で来たという事は……」

「ああ、相変わらずの勘の良さは嫌いじゃないぜ。いいかヨナ、お前相手に前置きは要らないだろうから単刀直入に言う。――問題が起きた。とんでもない大問題がだ」

「………」

 

 ローマンの言を重く受け止める。

 彼の言う問題とは、言うまでもなく例の計画についてだろう。

 そちらに関しては完全に任せ、こちらはそれに合わせて踊るだけだったはずだ。にも関わらずローマンが現れた。彼の知恵や力だけでは処理できない事態が起こったのは明白。

 故に落ち着いた声音で反駁する。

 

「……オーケー。何があったのか聞かせてくれ」

 

 言うと、ローマンは応じた。それは――静かな衝撃としてヨナタンを撃ち抜いた。

 

 

 

「――核が撃ち込まれた」

 

 

 

 核。

 核が、撃たれた。

 ここではないどこかにだ。

 ()()()()()()()()場所へと。

 それが引き起こす大問題に、自然、ヨナタンは返答するのに間を要した。

 

「………………どこに?」

「アトラス王国の前身、旧マントル王国の首都だ」

「………」

 

 一瞬、気が遠くなる。目眩すらした。なるほど効率的で、効果的で、合理的だ。撃たれた場所を聞いただけでヨナタンは打ち込んだ側の思惑と、それが齎す効力の全てを悟る。

 だが動揺もまた一瞬。瞬きの間で鉄壁の声を発した。

 

「一応確認しておこうかな。それは……ローマンとアッティラの計画通りなのかい?」

「そんな訳あるか。全く……嫌になるぜ。二発目の核の使い途は決まってたんだ。ヨナとアッティラの野郎の決戦で、奴が自爆で使う事になっていた。そこで悪党共を削って、ヨナが善玉を守る。悪と正義の比率を二対八にするのが理想的な形だった」

 

 ローマンが吐き捨てるように本来の計画を言う。

 それはつまり、そうする事がもう出来なくなった事を意味した。

 悪と正義のバランスの理想。それは政党で例えるなら野党と与党だ。与党は正義を為し、野党は悪として監視する……そうしたかったのだろう。なるほど確かに理想的だ。

 野党は悪でなければならない。だが悪ではあっても(ワル)ではダメだ。必要悪を為し、正義の穴を突くことで過ちを正す役回りを熟すのだから。それが本当の意味での正義と悪であると思っていて、ローマンもその思想に行き着いていたらしい。ローマンならその結論に至ると信じていたが、その信頼を彼は裏切っていなかった。

 

「アッティラの独断か」

「ああ。事前の相談も報告もない。今は箝口令が敷かれてるだろうから、この情報が出回るのは後になるだろうぜ。なあ……アッティラの野郎は暴走したのか? それが聞きたい」

「いや、それはないね」

 

 ローマンの疑念を否定する。

 それだけは絶対に無い。断言する。

 アッティラはヨナタンの分け身だ。裏切らない。本体を乗っ取ろうと画策するような、ありがちなフィクションめいた事も有り得ない。なぜならアッティラもまた深淵狩りである。深淵狩りである以上、始まりの戦士の軛から逃れる術はない……もし逃れられるならその方法を教えてもらいたいものである。

 

「暴走は有り得ない。アッティラはローマンや僕に連絡も、相談もする時間がないまま行動した事になる。今のアッティラにそんな真似を強要できる輩がいるとしたら、それは一人しかいない」

 

 だからヨナタンは冷徹な目をしている。鉄のような声を出している。

 ローマンは察したのか、露骨に舌打ちして額を押さえた。

 

「……ハッ、それならお前の管轄だな、ヨナ」

「……遺憾ながらそのようだね」

「なら後は任せた。分かってるだろうが、アトラスからヨナに要請が来てる。除染やらをどうやるのか教えてくれだとよ。あと被爆者に対する対処法も知りたいらしいぜ」

「分かってる。仕事ばかり増やしてくれて……この礼はたっぷりしてあげないとだ」

 

 溜め息を吐くヨナタンに、やっとローマンから緊迫感が消えた。

 

「それじゃあ、邪魔したな。ヨナ、それからネオ」

「………」

「いいさ。ローマンも、わざわざ報せてくれてありがとう。感謝するよ」

「ハッハー、私達の間に()()()()()()()だったよな? 式には呼べよ?」

 

 最後に揶揄を残したローマンに、ヨナタンは苦笑する。

 ほんとうに……忙しくしてくれる。うんざりだ。少しは楽をさせろと言いたい。

 言いたいが……仕方ない。

 ヨナタンは、おあずけを食らった。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 核爆弾とやらの破壊力は、不老不死の魔女をして瞠目させられた。よもや純粋な科学技術のみで過去のあらゆる奇跡を凌駕し、神の領域に片足を踏み込ませるとは思いもしなかったのである。

 そう、神の奇跡だ。所詮は小手先の戯れに等しいレベルでも、その領域に近い技術を獲得した。その事実は痛快であり、今後の研鑽は神の御業を人の業に塗り替え得るとなれば喝采を上げたくもなる。

 だが……所詮は人の業でしかないのもまた事実。愉快ではあったが、まるで足りない。あれは防禦を捨てた不老不死たる肉体をも跡形もなく消滅させるであろうが、正しく神の呪いにより結実した不老にして不死の肉は、蒸発した器をも瞬時に再構成してしまうだろう。自らの手で己の五体を滅した事もある魔女には、核により己を滅却した場合の顛末も想像がついた。

 

 そして、手駒のシンダー・フォール。あの小娘の持ち帰った映像を観た魔女は憂鬱でもあった。

 

 深淵狩りはやはり怪物である。核の炎をも完全に防ぎ切った様には感動すら覚えた。

 アレを殺せるモノなど、人の世には存在し得まい。魔女――セイラムはMLを覆ったあの漆黒の殻を見た時に決断を下した。もはや冗長にして迂遠なる手法に拘ってはおけない、と。

 この数年、何度も深淵狩りに接触しようとした。だがその悉くが失敗している。恐らく深淵狩りはセイラムが自身に接触しようとしている事に気づいてさえいまい。グリムを使おうものなら近づいた時点で処理される、人を介して伝えようにも相応の立場がなければ話せもせず、任務で移動する途上に待ち伏せさせようにも()()()()()()()()()()()()()()()エンカウント不能。

 

 どう足掻いても会えない。セイラムはそれでも気長に立ち回ろうとしたが、ことここに及べば是非に及ばず。魔女は類稀な経験則とそれに拠る直感によって感じ取っていた。このまま自らの計画を進めては、いずれ近い内に深淵狩りとの敵対は避けられないものになる、と。あの怪物の勢力は日を増すごとに拡大し、人界を侵食していくのだ。ともするとセイラム自身の計画が潰される事も考えられる。

 

 ――セイラムは現在唯一、深淵狩りと対等に渡り合える存在だった。

 

 武威に呑まれず、知恵や弁舌に踊らされない。

 オズピンとは違い深淵狩りに突かれる弱点もない。

 故に魔女が行動に移れば、深淵狩りであろうと虚を突ける。伊達に長年に亘って人の世に存在せず、数多の人間を操ってきた訳ではないのだ。魔女の叡智もまた人としての臨界に達しているのだから。

 数千、下手をすれば万の歳月を生きた。

 無為に過ごした時は多くとも、有為であった時もまた膨大である。

 セイラムは深淵狩りと戦いたくはない。ないが――時にリスクを犯してでも行動すべき時を、怯懦により見誤るような愚鈍さを持ち合わせていなかった。故にセイラムは人界の協力者に依頼した。

 

 どこぞの国でも良い、核とやらを落とせ、と。

 

 アッティラ。テュルク・アッティラ。セイラムをして心胆寒からしめる偉容を誇る威容の怪人物。セイラムはアッティラを高く評価していたが、その一方で()()()()()()()()()()()()とも感じている。

 ただの勘だ。だが、少なくとも数千もの時を経た魔女の勘である。狡猾にして慎重、知恵のみで人の世に巣食ってきた歴史が魔女の審美眼を磨いた。その眼力が訴える。アッティラには欲がない、と。

 ありとあらゆる私利私欲が存在しない。にも関わらず悪を束ねる。人が人である所以の欲望を持たぬのは異常であり、そうであるのに一廉の勢力の頭領となっているのなら――()()()()()()()()()()()()()()証左に他ならない。

 真に欲を抱えたエゴの塊がアッティラを操っている。それはセイラムの確信だ。で、あればこそ、セイラムがアッティラを信じる事はない。誰かの操り人形へ信を置くのは愚かに過ぎるというもの。

 

 ()()()アッティラに依頼したのだ。二発目の核を撃てと。

 頷かねばカオスを敵として、アッティラを除いた全ての人員を殺し尽くすと脅した。

 無論脅しに屈するアッティラではなかろう。故に脅す一方でメリットも提示した。グリムを操れるセイラムである、以後のカオスの活動にグリムを戦力として遣わすと約したのだ。そしてその上で――

 

【何が目的だ?】

 

 アッティラのその問いに、己の思惑を話した。無論、奴の背後にいる黒幕に伝わっても構わない。その黒幕が仮に――普通に考えれば有り得ないが――深淵狩りだったとしても問題はなかった。

 いやもしかすると、もしかするかもしれないとすらセイラムは思っている。もしアッティラが深淵狩りの手の者だったとしても、それはそれで有り得ない話ではない。常人の尺度では有り得ずとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 果たしてアッティラは、熟考の末にセイラムの要請に従った。

 核を撃てば、深淵狩りはMLから出て来ざるを得ない。アレの英雄としての声望が、外に出る事を強要する。絶対に出てくるのだ。となれば、セイラムの目的は達成されるだろう。

 

 なぜなら――

 

「ふ……何が目的か、だと? 無論、決まっているとも。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そうして直接、深淵狩りとティータイムを設けよう。リスクを犯してでも会わねばならない。この私の盟友になれと誘うために、な」

 

 大胆にして不敵。潜む時と潜めぬ時を嗅ぎ分け、自ら動く度量と行動力を、神の如き魔力を誇る魔女は具えていた。

 ただ、それだけの事なのだ。

 

 最初から最後まで己の城から離れない置物のような魔王――そんなものは幻想だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔王 (中)

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お気に入り登録も数話ぶりに増えた(歓喜)
喜びの余り更新!皆さんありがとうございます!


 

 

 

 飛行船(エアシップ)の窓から見たマントルの惨状は、目を覆わんばかりに悲惨なものだった。

 瓦礫の山と、焼け野原。嘗て人が住んでいたとは思えない灼け爛れた空気。自然環境の崩壊したヴァキュオの砂漠がマシに見えるほど、生けとし生きるものが死に絶えている。

 見れば地面のそこかしこには人の影だけが残っている。肉体は蒸発したのに影だけが残る様は煉獄を地上に描いたかのようで、死霊術を己が力の根幹とするヨナタンは眉を顰めた。

 マントルは亡霊の街と化している。怨念は、無い。

 それが寧ろ悲劇だった。地上に犇めく亡霊は、ほぼ全てが己が死んだ事にすら気づいていないのだ。地面に横たわる亡霊は就寝したまま焼かれ、街を歩いていた亡霊は夜勤を終えて帰路についていたのだと思う。逢瀬を楽しんでいた者、同僚と酒盛りしていた者達――数え切れない日常の残影がそこにあった。

 

 必要な犠牲だったと割り切れてしまう自分の精神にこそ、ヨナタンは静かな衝撃を受ける。

 

 自らの行動の結果、広げられた地獄絵図。罪悪感に押し潰されて然るべきなのに、些少な罪の意識があるだけで全く堪えていない。自覚はしていたつもりだが、ヨナタンはこの時こそ真に痛感した。

 どれほど人間ぶっても、己は所詮、非人間なのだ。

 深淵狩りだから。精神強度が高いから。そんなものはなんの言い訳にもならない。根本的に赤の他人への共感性が欠如している。身内にだって執着心はあるが、果たしてそれはまともなものなのか。

 と、そんな具合に悩むふりをする己の滑稽さに、ささやかな失望を覚えるぐらいで――ヨナタンは無駄な思考の一切を切り捨てる事にした。こんなふうに悩む素振りを見せて死んだ人が蘇るわけでも、慰めになるわけでもない。自分に酔う気色の悪さを見せたくもない。ヨナタンの精神はマントル市民の犠牲をやむを得ないものとして計上した。

 

「――久し振りだな、ヨナタン君。大きくなった……いや。()()()器に成ったと言うべきかな」

 

 アトラス軍の飛空艇に厳重な警護を受け、エアシップがドックに誘導されて着桟し、船から降りたヨナタンを出迎えたのはアトラスの将軍ジェームズ・アイアンウッドだった。

 言われてみれば確かに久し振りだ。幼少期に会って以来だから、十年近く彼を見ていなかった。彼が握手を求めてくるのに対し、背丈が同程度にまで育ったヨナタンは微笑を湛えて応じる。

 

「ええ、久し振りですね。閣下も些か窶れましたか。腐敗した議会の俗物と付き合うのはストレスなようだ」

「ハハハハ! これは痛い所を突かれた。……君の方が私よりも歳上で、偉大な英雄だろう。そうまで腰を低くしないで接してもらいたいものだ」

「そんなわけにはいかないでしょう。私が何者であれ、私は市井に住まう一市民に過ぎず、閣下は将軍としての職責を負っている身です。立場が違うのに対等な口を利くものではありませんよ」

 

 幾つかのエアシップがドックで整備を受けている。整備員や船員が行き交って、喧騒に包まれているのを背景にそう言うと、アイアンウッドはバツが悪そうに苦笑した。

 ヨナタンの議会批判とも取れる……否、罵倒そのものな皮肉は聞き流したようだ。アイアンウッドにも思う所はあるらしい。本来ヨナタンの皮肉は失言以外の何物でもないが、それは聞き手によって受け取られ方が違う物言いでもある。アイアンウッドが受けた印象は、恐らくヨナタンに対する期待だろう。もしも()()()()()()ヨナタンを味方に引き入れられるかもしれない、という。だから聞き流したのだ。

 聞き流すだろうと思っていた。そして、聞き流したなら判断のつくものがある。ヨナタンはこの瞬間にもアイアンウッドを分析し、解析している最中だ。彼という人物像を把握し直す。

 

「……耳に痛いな。であれば私も倣うとしよう。私は軍人だが市民に居丈高に接するのが正しいと信じている訳ではない。招いた客人に対して礼を尽くさないのではアトラス軍人の名折れだ」

 

 言って、背筋を伸ばして敬礼をしたアイアンウッドに微笑を深める。

 ヨナタンの背後には、MLで実際にヨナタンが指示して放射能などの副次作用を取り除いた対策チームの面々だ。傍らにはニオがいて、ヨナタンの秘書という立場に就いている。

 ニオを除いた対策チームは将軍からの最敬礼に虚を突かれ、恐縮したようであった。

 

「――よく来てくださいましたな、MLの方々。我が国に落とされた原子爆弾なる非人道的な兵器、その置土産を排除する為の手段、技術の全てを学ばせていただく。相応の対価は支払いましょう」

「よろしくお願いします。では私の連れてきた対策チームをそちらに貸し出しましょう」

「助かります。それにしても――」

 

 ヨナタンが手振りで対策チームの班長に、アトラス軍人の先導に従うよう指示すると、彼らは粛々とヨナタンの傍から離れていく。それを横目にして、その場に残ったヨナタン達に言うでもなく、アイアンウッドは心底忌々しげに顔をしかめた。

 

「――原子爆弾。あれは悪魔の兵器だ。存在してはならない」

 

 早くも丁寧な口ぶりをかなぐり捨てたのは、公人としての対応は不要という意思表示である。それに倣ってヨナタンも肩から力を抜く。アイアンウッドはいっそ憎しみすら募らせているようだった。

 

「そしてあんなものを我が国に撃ち込んだテュルク・アッティラ……奴だけはなんとしても始末しなければならん。奴は世界の敵だ……ッ! アッティラやカオスを野放しにすれば、いつ原子爆弾が降ってくるか市民は不安に駆られ、安心して日々の営みを送れはしないだろう……!」

 

 咆哮に近い怒声――建前に本音を混ぜるのが上手いなと思った。

 将軍はこう言っているが、彼はもし原子爆弾の製造法を知れば躊躇なく作り出すだろう。兵器としての評価と私情を混同するような男ではないのだ。アイアンウッドは喉から手が出るほどアレを欲している。

 その事を察していても指摘はしない。ヨナタンはアレを世間に広めさせる気はなかった。代わりに開示するのは極秘情報だ。無表情で佇むニオを一瞥し、それから周りの耳を気にする素振りをする。

 

「ここでは人の耳目が多い。閣下、ひとまず場所を変えましょう」

「――分かった」

 

 ドックから離れる。アイアンウッドも何事かを察して先導を始める。

 道すがら雑談のつもりなのか、彼はふと呟くように言った。

 

「……ヨナタン君のご両親はご健勝かな?」

「お蔭様ですこぶる健康ですよ。二年前に弟が生まれたと聞いた時は耳を疑いました」

 

 そう、ヨナタンには弟が生まれていた。12歳年下の弟である。両親の仲睦まじさを思えば、今まで生まれてこなかった事の方が驚きであったが、ヨナタンにとっても可愛い弟だ。

 頻繁に会えるわけではないし、この数年は忙しかったこともあり直接は会えていないから、幼い弟は己に兄がいるとは思っていまい。残念だが仲良くなる機会が訪れる事はないかもしれなかった。

 

「そうか……家庭の円満は尊いものだ。我々はそれを守らねばならない」

「閣下もそろそろ身を固めても良いのでは?」

「私にその気はない。私のような男に家庭を持つ資格はないだろう」

「資格云々は関係ないでしょう。甲斐性の有無と愛情の深度の問題です」

 

 言いながら見たのは彼の副官らしき女性――ワイスの姉であるウィンター・シュニーだ。ヨナタンとアイアンウッドが並んで歩き、その後ろをそれぞれニオとウィンターが付いてきている。

 ウィンターはヨナタンの目に気づいていないふりをして、ポーカーフェイスのままだ。アイアンウッドはそもそも気づきもしていない。――ウィンターとヨナタンの関係は複雑だ。ヨナタンは微塵も気にしていないが、彼女は妹のワイスに姉らしい事を何もしてやれていないのに、血縁のないヨナタンが実の兄のように慕われている事を知っているのである。その事でウィンターは密かな苦手意識をヨナタンに懐いているようだ。

 

「――ところでヨナタン君は聞いているかな」

「何をでしょう」

「アトラスが誇る最高の頭脳、ピエトロ・ポレンディーナ博士が亡くなった」

「……それはまた、惜しい人を亡くしましたね」

 

 ピエトロ・ポレンディーナ。オーラ研究の第一人者であり、機械にオーラ、つまり魂を宿らせる試みを行なっていた者。ヨナタンは彼の訃報を聞いて素直に惜しむ。一つの才能が失われたのだ。

 しかしアイアンウッドは淡々とした語調で言った。

 

「ああ。彼はマントルにいた」

「……アッティラに殺られた訳ですか」

「そうだ。彼は天才だった……アトラスは、惜しい人物を奪われたわけだ」

 

 ヨナタンには面識もない相手である。悲しさはない。アイアンウッドも悲しんではいないようだ。純粋にピエトロ・ポレンディーナの才覚を惜しんでいるだけだろう。では、何が言いたい?

 

「彼の研究成果はまだ出ていなかったが……彼の遺していたデータは驚嘆に値した」

 

 マントルに居たのにデータが残っていたのか?

 邪推しそうになるが、単にアトラスにも研究所を構えていたのかもしれないと思い直す。

 

「或る物の設計図は完成し、後は組み立てるだけといった所だったようなのだが……どうにも最後のピースだけは設計図にも書かれていなかったようでね。このままでは彼の遺した物が無駄になってしまう」

「残念です。しかしそれを私に言う意味は? 彼の研究していた分野を考えれば、何が足りないのかもおおよそ察しはつきますが」

「恐らく君の考えている通りだ。――彼は無機物にオーラを宿す技術を完成させていたが、その肝心要のオーラを宿す術が分からない。ポレンディーナ博士の頭の中にだけあったのだろう。そこで彼に次ぐ、あるいは並ぶ工学知識と、オーラについての造詣が深いであろう君に研究を継いでほしい」

「………」

 

 アイアンウッドの言いたいことを察してヨナタンは嘆息した。隠そうともせずに。

 彼はポレンディーナ博士の研究を口実に、ヨナタンとアトラスの結びつきを正式に強化したいらしい。アトラスの研究を持たせられれば、それだけ関係は深くなるのは避けられない。

 正確にはアトラスとMLのパイプの強化をしようとしている。それ自体は一向に構わないし、寧ろ大歓迎なのだが、そこにヨナタンが噛ませられるのは避けたいところであった。

 

「私以外に適任はいないのですか?」

「残念だがいない。いるならとっくに打珍しているとも」

 

 それもそうだ。アイアンウッドの気質からして最初からヨナタンを目当てにしてはいなかっただろう。この話だって本心から誰かにポレンディーナ博士の研究を継いでほしいだけで、ヨナタンが受けてくれたら儲けもの程度に考えているはずだ。彼は不器用に誠実で、国益を第一とする軍人の鑑なのだから。

 断る。――つもりだったが。いや、断りはするが、話の向きを変えよう。

 

「公人としての私はお受けする訳にはいきません。しかしアトラスを祖国とする一市民としてなら考えてみましょう」

「――本当か?」

「ええ。ただし、あくまで個人的にです。それでもよろしいですか?」

「もちろん。我々が最も避けたいのが博士の研究が無為となることだ。その結末を避けられるだけでも重畳だとも」

 

 すんなり頷かれたのは、アイアンウッドはあらかじめ妥協案も考えていたからだろう。

 ヨナタンが公人として付き合うなら良し。だが私人としてならアイアンウッドが個人的に繋がりを持てる。なぜなら今、ポレンディーナ博士の研究は彼が預かっているだろうからだ。であればアイアンウッドからヨナタンに引き継がれるという形になる。

 アイアンウッドに対してヨナタンは良い印象を持っていなかったが、それは改めた方が良さそうだ。もともと能力面は高く評価していたが、人格面で信頼を置けないと考えていたにしろ、接し方を間違えなければ都合の良い方向に進んでくれそうである。

 

(オズピン、悪く思わないでくれ。アイアンウッドは君よりも僕の方を取るだろう。彼は間違いなく友情より国益を欲する。公人としての面が強い彼を味方にしておけないのなら、それは君自身の怠慢だ)

 

 心の中でそうこぼし、ヨナタンはアイアンウッドと約束する。ポレンディーナ博士の研究を引き継ぎ、完成させると。

 というか、無機物に魂を宿らせる工程は経験済みだ。アッティラがそれである。あれは写し身しかできない特異点の能力だが、ポレンディーナ博士の研究資料があれば一週間とせず完成させられるだろう。

 一から研究し直すなら非常に困難だが、原理の分かっている技術の発展型を掴めばいいだけならお安い御用であると言える。故に、本題はここからだ。移動を終えて個室に移った四人だが、アイアンウッドはウィンターを退出させ、彼女を見張りとして部屋の外に待機させた。彼が副官を出した以上、自分もそうせねばなるまい。ニオに視線を向けると彼女は頷いた。

 

 ニオが出て行くのを待って、ヨナタンは口火を切る。

 

「――貴方に伝えようと思っている事は二つです。比較的良いニュースと、非常に良いニュース、どちらから聞きますか?」

 

 すると、アイアンウッドは顔を綻ばせた。意外と顔に出ている――これならいける。

 確信を胸に、ささやかな悪戯を仕掛けた。

 当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。

 

「この状況下で良いニュースしかないのか。実に喜ばしい。では……あまり宜しくない方のニュースから聞こう」

「ではお望みの通りに。ご存知の事でしょうが過日、当方MLがカオスの襲撃を受けました。その折にカオスの幹部らしき男を捕虜とし、重大な情報を吐かせる事に成功したのですが……現在アッティラはミストラルに潜伏しているようなのです」

「ほう……」

 

 それを聞いたアイアンウッドは軍人らしい、重要な作戦目標を立てたような顔になった。

 

「確かに朗報だ。――ヨナタン君、無論君も動くのだろう?」

「ええ。段取りとして希望するのは、我々が奴らを炙り出し、アトラス軍はミストラル近辺を包囲。逃れようとするならこれを捕縛、ないし殲滅する構えで待ち伏せる事ですね」

「――ミストラルにアトラスが軍を動かす事を承認させるのも私の仕事か。いいだろう、ではそのように取り計らう。ヨナタン君、君はハンターだがまさかアッティラを逮捕しようとは思っていないだろう」

「はい。殺害を前提にしています」

「……そうか」

 

 アイアンウッドは満足げだ。ここで変に綺麗事や甘っちょろい事を言わない事に好感を覚えてくれたらしい。鉄のような男だなと内心苦笑してしまいたくなる。えてして『鉄』とは、存外脆いものだ。

 空気が微かに弛緩する。ここだな、とヨナタンは思った。仕掛けるなら今しかない。軽いジャブ、些細な悪戯。茶目っ気たっぷりのユーモアだ。笑って流してくれていい。

 

「ではもう一つのニュースを」

「拝聴しよう。だがその前にヨナタン君……いい加減そう堅苦しくしなくてもいい。聞けばオズピンの友なのだろう? それなら私にも遠慮はいらない。私もオズピンを信じた友なのだ」

「……なら甘えさせてもらおうかな? だけど僕にも面子と立場がある。公の場だと他人行儀に接するけど悪く思わないでほしいな」

「もちろんだ」

「気を取り直して、話を戻させてもらうよ」

 

 ああ、と頷くアイアンウッドは笑みを浮かべている。

 彼は巧みな駆け引きができる男ではない。強固な志を胸に突き進む重戦車の如き男だ。正面から立ち向かう限りは強烈な一手を打てるが、側面からの攻撃には弱い。無論、並の将よりは上であろうが。

 ヨナタンはアイアンウッドを不意打つ。あくまでも自然に。含意のない流れとして口にしたかの如く。

 

「ヴァキュオ、ミストラル、ヴェイル、そしてアトラス。この四カ国にそれぞれレリックがあり女神がいるのは知っているかな?」

「――いや、初耳だ」

 

(――嘘が下手だね、将軍)

 

 些細な顔色の変化は、無表情を作った。ポーカーフェイスのつもりなのだろうが、変に取り繕った時点で意味はない。更に返答までに空いた間が、人が虚偽を働いた時のパターンに符合する。

 知っている。アイアンウッドは女神とレリックの在り処を。後者はどうでもいいが、前者については恐らく……アイアンウッドの気質から見るに、保護と銘打って拘束、もしくは軟禁しているだろう。

 自身の手駒に女神の力を受け継がせようともしている。候補は……ワイスの姉ウィンターか。となるとアトラス軍の基地内に四季の女神のどれかがいる。アトラスに相応しいのは冬の女神だろう。

 アイアンウッドが知っているなら手間が省ける――という程度の探りだったがビンゴだったらしい。ヨナタンは声のトーン、視線の向き、話の運びを『深く受け止めていない人』のパターンに沿わせる。聞き手がそう判断するように仕向けて、アイアンウッドの注意が無意識に逸れるように。

 

「そうなのかい? まあそれはいいんだ。朗報というのは、僕が春の女神を発見、保護したということだよ」

「なんだと? それは――まさかヨナタン君が連れてきていたあの少女か?」

「オフコース。彼女が春の女神だ」

 

 さらっとニオを女神だと詐称するが、もちろんあらかじめ話は通してある。

 アイアンウッドに伝えれば、オズピンにも伝わるだろう。ニオがヨナタンと常に居ても不自然ではなく、むしろ自然な事だと感じるようになるはずだ。時間が経てば経つほど、思い込みは深まる。

 

 そうする理由は、単に彼らが――特にオズピンがヨナタンの力を理解しているからだ。アイアンウッドは現実的な物の見方や尺度に囚われがちだから、ヨナタンが個人で守るよりも、強力な軍隊の下で守っていた方がいいと考える。いずれ軍で保護したいと思うようになるだろう。しかしオズピンはそれを否定しヨナタンの傍に起きたがるはずだ。そうした見解の相違が軋轢の元になる。

 離間の計とは小さな布石をコツコツと積み重ねて行なうものだ。彼らは広義の意味合いに於いては同胞だが、やり方や足並みが揃っていない……それならいっその事、ヨナタンがコントロールして一致団結させた方が良い。そのためなら一時的な決裂もやむを得ないと判断した。それだけの事だ。

 

「今のニオは僕が傍に居ないと安心できなくてね。過酷な幼少期を送ったせいで、声も出ない。僕が保護しておくから閣下も……あー、失礼。名前で呼んでもいいかい?」

「……ああ、構わない。私は既にファーストネームで呼んでいるのだから」

「ではジェームズと。ジェームズ、彼女は僕が責任を持って保護する。安心してくれていい。それから……僕の考え方を伝えておこうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()けど……ジェームズは?」

「………。………そう、だな。私もその方が守りやすいと思う」

 

 どうやらジェームズは、とりあえずオズピンの方針通りに情報は可能な限り秘匿しておくつもりらしい。だが迷いが見て取れる。ヨナタンの意見に惹かれるものがあるからだろう。

 自分や軍に自信があるからこそ、尚更だ。

 彼はどちらかと言えば、オズピンよりもヨナタンの方に考え方が近い。であれば――そう遠くない将来に、こちら側へと心が寄ってくるのは想像がつく。ヨナタンは微笑して彼に告げた。

 

「……そろそろ僕も、爆心地に向かわせて貰うよ。連れてきた部下達ばかりに仕事をさせていたんじゃあ、上司として面目が立たないからね」

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 そうして、爆心地のマントルに降り立った。

 

 ヨナタンはニオを連れて二人で歩く。生身で徘徊するのは極めて危険だが、ヨナタンの周囲には薄黒い膜が張られ、外気を完全に遮断しているため問題はない。酸素ボンベを持ち歩いていればいいだけだ。

 ヨナタンとニオを囲っているのは【深淵】だ。空間遮断という事にしてあるセンブランスであり、ヨナタンが行使できる特性の中で最強の力だが、その本質は空間遮断などではなかった。

 これは文字通りの深淵なのだ。黒い膜は位相の異なる空間に繋がっており、触れたものを異相へと堕としてしまう。底のない穴へ堕ちていくのだ。ヨナタンはそれを形を問わずに展開できる。

 

 例えば、伸縮自在の鞭の様に。例えば、広大な範囲を覆うドームの様に。

 

 線の細い形態であれば、『触れたものを異相に送り落下させ続ける』という性質上、禦ぐ術のない絶対斬撃として機能する。幅のある形態であれば如何なる干渉も通さない盾になる。

 故に【深淵】はヨナタンの保有する最強の力なのだ。

 無闇矢鱈と使わないのは、余り知られたい力ではないから。切り札は隠しておきたい性分なのである。とはいえMLに撃たれた原子爆弾のせいで世に広く知られてしまったわけだが……。

 

 ――本来ヨナタンを含めた深淵狩りのセンブランスは、そこまで強力なものではない。

 

 それがこうまで非常識な効力を発揮するのは、深淵狩りが【継承のセンブランス】から供給される、歴代を経て蓄積されてきたオーラがあるからだ。その総量はヨナタンをして認識できない域にあり、人智を超えて膨大極まるオーラの出力で無理矢理に効果を引き上げているからに他ならない。

 【天啓】もまた、その一つだ。

 未来予知そのものとも言えるセンブランス【天啓】は、ヨナタンをローマンと出会わせた。基本的にどうでもいい事に反応してばかりだが、これまで一度も外れた事のない予知である。

 もしヨナタンが常人として【天啓】を有していたなら、精々が嫌な予感を感じる、虫の報せとしか感じられなかっただろう。それが深淵狩りとしての能力強度を得たからこそ、未来予知の域に達しているのだ。

 

 故に、ヨナタンは不意に懐疑した。

 

(――あれ? なんで僕は……爆心地に来ているんだ?)

 

 正当な理由、正当な仕事としてやって来た……というのは建前にしかならない。ヨナタンは数瞬、自らの行動で我を見失い、次いで脳裏に閃く稲光に貫かれる感覚を覚えた。

 これは――そう。【天啓】が齎された感覚だ。ヨナタンは悟る。いつもより深度があり克明に形を感じられたのである。それこそローマン・トーチウィックと邂逅した時よりも遥かに。

 

(僕自身が来る必要はなかった。対策チームに全部任せて、僕がやるべきなのは他にあった。なのにこうして、無意識に足を運んでしまったのは――)

 

 あぁ、と。

 吐息を溢して虚空を見上げた。

 そこには何もない。何もないが、()()()()()のを幻視した。

 ヨナタンの自我を塗り潰して余りある、強大にして巨大な意識。

 

 “継承”が、降ってきた。

 

「………?」

 

 ニオが訝しげにヨナタンの様子をうかがう。一瞬、びくりと肩を震えさせていたからだ。

 ややあってヨナタンがニオを一瞥する。

 そこにある温度のない目に、ニオは固まった。誰……? と。そう思ってしまったからだ。

 

 だがヨナタンはニオの怯えた眼差しに頓着せず、前へ前へと足を運ぶ。

 背負っていたケースから噴射機構内蔵型大剣ガラティーンを引き出し、ケースを捨て、ガラティーンに視認すら叶うほどの莫大なオーラを纏わせながら歩み、唐突にその姿がニオの視界から掻き消える。

 

 

 

「――ようこそ、待っていたぞ。深淵狩ッ――」

 

 

 

 地面に丸まって這いつくばっているアーサ型グリムに腰掛け、悍しいほど魔力の奔流を滲ませながら呼ばわったのは白髪白肌の女。たおやかな女主人、古き王族とも取れる威厳と気品に満ちた者だ。

 その首が、口上の途上で空を舞う。

 宙に飛んだ頭部が縦に割られ、横に割られ、粉微塵に切り裂かれ、胴体も間を置かずに蹴り飛ばされた。――かと思えばアクセル状の柄を廻し、レバーが引かれた大剣の刀身が縦に割れ、太陽の如き輝きを噴出させる。刃が噴射するのは太陽の表面温度に匹敵する光の柱だ。天をも衝かんばかりの長大な剣である。ガラティーンが日輪となって、女の肉体を跡形もなく消し去った――

 突然の凶行だった。ニオでは反応もできなかった。ヨナタンに殺気はまるでない。あたかも挨拶代わりのハグをしたかのような佇まいで虚空を見上げ、別人のような風格を醸し出しながら鼻を鳴らした。

 

「――フン。なるほど、確かに不死だ」

 

 虚空には、影も形も残らず消え去ったはずの魔女が浮いていた。

 不快げにヨナタンを見下ろし、しかし魔女のそれは愉快さに転じる。

 

「そう来ると思っていた。我らは未だ不倶戴天、斯様な無礼も一度限り水に流してやろう。それで――()()()挨拶はここまでとして、ひとまず刃を置き私の茶会に招かれる気はないか? 深淵狩り(アビスハンター)

 

 ニオはその魔女を視認した瞬間、その身を凝固させていた。

 恐怖だ。恐怖しか感じない。堪らずヨナタンの影に隠れるも、彼はニオを庇う素振りすら見せなかった。そうして、悟る。今、ヨナタンは――ヨナタンではない。ニオは立ち竦んで事の成り行きを見守るしかなくなったが、一つの確信が彼女を襲った。

 もしもこの二人が戦闘を始めれば――ニオは余波だけで死ぬ。どこまで逃げても今からでは間に合わない。親からはぐれた迷子のような心細さに、ニオは震えて自分の身体を抱き締めた。

 

 ヨナタン――否、深淵狩りは舌打ちする。彼の持つ全知と全能を振り絞り、新たに得た魔力を運用して敵戦力を測定した故に、結論を出さざるを得なかったのだ。

 

「……今はまだ、奴をどうこうする事はできん、か。今代の器をこんな所で台無しにするのも惜しい。……気に食わんが、敵と交わす言の葉も、嗜好を探る意味があるなら無駄にはならん」

 

 呟きには、桁外れの威が籠もっている。

 存在し、そこに立っているだけで、重力が強まったかのような重さがある。

 ヨナタンという、深淵狩りとしては未熟な自我では扱い切れていなかった性能を、完全に引き出して十全に振るえるモノ――深淵狩りの遺志。それは大剣を手にしたまま、淡々と魔女の誘いに応じる。

 

「いいだろう。不味い茶を振る舞うようなら席を立つが(つまらん話しかしないようなら撤退するが)、ひとまずは招待に与ってやるとしよう」

「――フフフ。存外、話が通じるようで助かるな。では……精々持て成されるといい」

 

 魔女――セイラムは嗤う。

 セイラムは人払いなどしていない。誰に目撃されても構わないからだ。

 そしてそれは深淵狩りも同様ではある。あるが、しかし。

 

「――小娘」

「………!?」

 

 ニオをはじめて見た、()()()()()()()()

 彼は億劫そうに、彼女に命じる。

 

「俺はどうなろうとも構わんが、今代の俺にとって他者へ知られれば不都合な会談となるのは確かだ。俺とて今代に嫌われたくはない。【深淵(アビス)】の膜は維持しておいてやる。さっさと行って人払いを済ませろ」

「………っ!!」

 

 ニオは、堪らず駆け出していた。

 逆らえない。反感も抱けない。こわい、こわい、こわい――!!

 ニオは漠然と理解した。あれは、あれが……! 深淵狩りという存在の、根源――ヨナタンを依り代に現界する亡霊の王――

 

 半ば逃げるように立ち去ったニオに関心を失ったのか、深淵狩りはセイラムに向き直る。

 するとセイラムは微笑み、くい、と人差し指を動かすと、深淵狩りの足元から一体のグリムを召喚した。生み出したのではない、地面に潜めていた個体である。深淵狩りは最初から気づいていたかのように大剣でそれを突き刺し、グリムを地面に縫い止めると、その背中に傲然と腰を落とした。

 

「流石に豪胆だ。それでこそ、深淵狩りだな」

「戯れるな、セイラム。――()()()()()()()()()()()()、分からぬ訳ではあるまい。何用だ」

「ふ……」

 

 今までの深淵狩りは、セイラムを知らなかった。

 だから存在を暴き、探し出そうともしていなかった。

 しかし今オズピンとの邂逅を経て既知とした以上、深淵狩りは永遠にセイラムを追い続けるだろう。

 関与した人物(オズピン)を思い浮かべたセイラムは、一瞬赫怒の念で我を見失いかけるが、微笑みの裏に完璧に怒りを隠してのける。深淵狩りですら読み取れぬほど、完全に。

 

「なに――そう急くこともあるまい。まずはゆるりと私の()を楽しむといい」

 

 そう言って、魔女は嗤った。

 

 ――魔王、二柱。地獄絵図の中心での邂逅。

 

 相対する両者の間には、不気味な静けさと穏やかな空気が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※久し振りに主人公がログインしました。


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魔王 (下)ターニングポイント

いつも感想評価ありがとうございます。
生きる糧やでほんま…。




 

 

 

 

 一般に分かりやすい勧善懲悪の物語に於いて。あるいは英雄伝説、神話の伝承、童話のお伽噺に『欠かせないファクターとは何か』と論じれば、実に幅広く語る事ができるだろう。

 

 しかし敢えて絞れば虐げられる弱者、虐げるヴィラン、救い出すヒーローが三つの柱となる。

 仮にこのレムナントでの現実を物語に見立てても、役者は既に揃っていると言えよう。

 虐げられる弱者とは市民であり、虐げるヴィランとはカオスであり、救い出すヒーローとはハンターを指す。国軍や各国の政情などは場を賑わせるファクターの一つに過ぎない。

 

 だが、ただのヴィランとは言えないモノもあった。

 

 それがグリムだ。

 

 人と見れば見境なく、善悪の一切を考慮せず殺し、喰らう、絶対的な人類の天敵である。獣人と揶揄されるファウナスにとっても同様に脅威であり、その存在はもはや絶対悪としか言い様がない。

 そんな悪の親玉だと語られるのが、魔女セイラムだ。グリムを操れる不老不死の怪物であり、オーラとは異なる魔力を有する神の如き者である。伝承の四女神を束ねたよりも強大な力を誇る魔女は、自らの目的の為なら何であっても利用する純粋悪であり、まさに魔王と言える。この世で最も邪悪な存在とも言えるかもしれない。

 

 だがしかし――それに相対する者もまた、魔王と称するに足る『英雄』だ。

 

 彼こそは人の内より生じた奇跡の産物。グリムへのカウンターとして生まれ落ちた天然自然の人工物――グリム絶滅を希って、その為なら如何なる悪逆も成す人界無辺の超越者――深淵狩りだ。

 セイラムが純粋悪なら、深淵狩りは人類悪である。

 彼は英雄的な化け物だった。その力が、ではない。何よりもその、強烈無比なる目的意識がだ。彼はグリムを滅ぼす為ならなんでもやる。比喩ではなく本当になんでもしてきた。

 目的の為に最も近道で、最善で、最短な方法として。人類の発展、団結が望ましいと考えたが故に人の世の趨勢に関与してきた。自らの精神性が人の規格から乖離したから、子機とも言える転生体に一代限りの自我の保有を赦した。その方が円滑に物事を進められると判断したからである。

 それが間違っていたなら、彼は子機から自我を奪い自ら動くだろう。

 

 魔女が核を撃つように仕向けたと知っている子機なら、セイラムが話を持ち掛けてこようと一蹴してしまう。折角の機会をふいにされては勿体ないと考えたから一時的に子機の自我を凍結して現界した。

 深淵狩りと魔女は似た者同士だ。違いは、魔女のように弱者を踏みつけ、踏みにじり、利用するか。深淵狩りのように弱者を肥えさせ、利用するか。要は害を為すか利益を与えるか程度しか差異はない。本質的には魂の双子とも言えるほどに似通っている。故に――魔女は不可思議な心地を味わっていた。故に深淵狩りは不可思議な心境に陥っていた。

 

 シンパシー。

 相対して()()()()()挨拶を交わした両者の胸に去来するのは、生き別れた兄弟姉妹と再会したかのような心地よさである。魔女は困惑し、魔王は戸惑う。しかし、次の瞬間にはそれらを脇に退けた。

 同族嫌悪はない。同類相憐れみもしない。望む成果だけを求める。

 

「お前の目的を問おう。何を求め、何を成さんとする?」

 

 グリムを椅子にするという暴挙。

 グリムをテーブルにするという愚挙。

 不倶戴天であるはずの敵対者と対話する――快挙。

 今、彼らは運命のターニングポイントに立っている。

 

 セイラムが問い掛けるのに、深淵狩りは端的に応じた。

 

「グリムの殲滅。根絶。この地上から奴らを絶滅させるのが俺の目的だ」

「愚問だったな」

「ああ。貴様を殺せばグリムが滅ぶと言うなら、刺し違えてでも貴様を殺してやるところだ」

「出来るのならやってみせるといい。だが悲しいかな……仮に私を滅ぼせたとしても、グリムは滅びない。私はあれらを操れるが、創造しているわけではないからだ」

 

 会談の滑り出しは、不自然なほど自然だった。

 深淵狩りの目的を聞いても、セイラムに驚きはない。深淵狩りにも驚きはなかった。魔女が滅んでもグリムが滅びないというのは、オズピンの過去を知った時から想像がついている。

 

「――貴様の目的は?」

 

 今度は魔王が、魔女に問う。

 お互いに察しが付いているが、それでも目的を問うのは初対面だから。

 もっと正確に言うなら、会話の取っ掛かりを探っているだけである。

 問いに、魔女は隠し立てせず歌うように応じた。

 

「枯れぬ叡智の泉たる『知識』――欲する物が無くば新たにできる『創造』――我が渇望を癒やす『破壊』――久遠の旅路に終焉を招ける『選択』――それらのレリックを蒐集し封印を解く鍵を回収する」

「集めて何をする?」

「光と闇の兄弟神を召喚し、奴らを殺す。私の目的はそれだけだ」

「………」

 

 手慰みに機械剣の柄を握り、アクセルを吹かせる。

 ダストの赤光が目映く光った。機械剣を突き刺されていたグリムが苦悶の声を上げて藻掻く。

 深淵狩りは嘲るように鼻を鳴らした。――無論、あけすけな感情を見せるような幼稚さはない。鼻を鳴らしたのはポーズだ。セイラムから感情を引き出そうとしている。それが分かるからセイラムも、己の悲願を嘲笑われようと腹を立てたりはしなかった。

 

「オズピンの魔法により、俺は貴様の過去を識っている」

「……ほう」

 

 しかし怨敵の名を出して揺さぶられれば、唯一のウィークポイントである故に眉を動かしてしまう。だが分かりきった反応であり、許容範囲だ。セイラムは無言で顎に手をあて話の先を促す。

 深淵狩りは怨念に等しい怒りの心の動きを見て、さもあろうと首肯した。裏切り者に怒りを懐く正常な感性は持ち合わせている、さりとてそれが風化しない異常性も。それも判断基準に加わるのだ。

 

「だが識っているだけだ。想像はできるが、理解してやろうとは思わん」

「それでいい。私の裡を探るのはいいが、共感など示されようものなら怒りの余りお前を殺してしまうだろう。深淵狩りであろうとも、今代の器は惜しいのだろう? 精々私の機嫌を損なわないことだ」

「さもしいな。容易く逆上する玉ではあるまい。そんな可愛げがあるなら口説いてやるが……まさか俺を誘っているのか?」

 

 失笑、二つ。

 魔王と魔女は示し合わせたように肩を竦め、あるいは構えを解いた。

 

「……よく分かった。くだらん探り合いでは遅々として話が進まんな」

「同意してやろう」

 

 互いに長居したい場所でもない。両者は腹を割って本題に入った。

 切り込んだのは、主催者であるセイラムだ。

 

「深淵狩り。私の同志になれ」

「――ん。条件を飲むなら考えてやらんでもない」

「条件? よかろう、聞くだけ聞いてやる」

「俺の問いに隠し立てせず答え、俺の駒になれ。さすれば形だけの同志として遇してやろう」

「ハッ。論外だな」

 

 魔女が嗤うのに、魔王もまた嗤った。

 空気が軋む。放たれる威圧感は魔力とオーラ。瀑布の如き力の発露に世界の方が悲鳴を上げた。

 伝説の英雄――大魔法使い足るオズピンは娘達に力を分け与えた為、その力は大いに衰えている。故に有史上、拮抗した力関係を持つのは互いしか存在していなかった。

 久しく感じていなかった緊迫感を楽しみ、深淵狩りは相好を崩す。人間らしく振る舞っている己の滑稽さをも楽しみながら。真実の自分には、既に人らしい情動など燃え尽きていると弁えているのだ。

 

「如何なる仕儀であれ、貴様が識っているであろう知識を明かさねば、俺の出す結論は何も変わらん。多少は譲歩してくれてもいいだろう?」

「ふむ……まあ、よかろう。問いを投げる事を特に許す。その儀を以て私の慈悲としよう」

 

 セイラムもまた愉快だった。

 摩耗し果てた人間性、その名残が息を吹き返している。

 まるで王女であった頃のような、鮮明な感情の波……■■■と共に戦った時のようだ。

 恐らく清々しいこの想いを抱けるのは、古今を見渡しても深淵狩りしか居まい。その確信がある。

 

 在り方の回帰。不思議と、心が震えた。

 

 深淵狩りは魔法の実在を知って以来、ずっと気に掛かっていた事を問う。それはヨナタンが知らず、知ろうともせずに『どうでもいい』としていた、一つの核心に至る問い掛けだ。

 

「貴様の目的が復讐だろうというのは察していた。だがどうやって復讐を成そうとしている? 貴様は過去、自らの所業によって旧人類を滅ぼしている。なんの策もなしに神に挑まんとしているなら、貴様は自らが痴愚の狂人であると自白しているに等しいぞ」

「辛辣だな。だが、尤もな疑問でもある」

「レリックの齎すそれぞれの力は? 四つ揃えば何が起きる? 俺の目的はグリムの絶滅を除いて他にない。闇の神を殺せばそれが成るなら、俺と貴様の目的は一致していると言えるかもしれないな。真に俺を同志に誘うのなら、これらの一切を誤魔化すことは赦さんぞ」

「………」

 

 セイラムは沈黙した。

 神に挑む。それは、人の尺度で図れる偉業ではない。いや、偉業ではなく愚行である。

 人は四季の乙女を神と号する。だが本物の神とは、四季の女神を塵芥にするのに手こずりもしない。彼女達を吐息一つで滅ぼせてしまうのが、本物の神である兄弟神だ。

 強大な力を有するとはいえ、セイラムに神々が討てるとは思えない。彼女の不老不死も神に与えられた呪いだ。兄弟神がその気になれば不老不死も取り上げられ、只人の如く殺される結末が待っている。

 

 ややあって、セイラムは口を開いた。どこか疲れたように。

 

「……奴らが私を滅ぼすなら、それはそれで良い。私はそう思っていた」

「貴様の壮大な自殺に人類を巻き込むつもりか? 旧人類だけでは道連れとして物足りず……現行人類も死出の旅路に付き合わせるのが貴様の望みだったわけだ」

「フフ……そうなるならそうなるで、私は構わんがな。……私は永く生き過ぎた……死ねるならどれだけ他人が死のうと気にもならん。それが偽りのない本心だ。だが――我が殺意もまた本物だよ

 

 神々の姿を思い浮かべたのだろう、セイラムに壮絶な殺気が宿る。

 魔女の本気は伝わった。だが、深淵狩りは無言で先を促す。

 

「レリックの持つそれぞれの力は――」

 

 セイラムが、語る。語ってしまう。知られたところで何も困らないと。

 ――もしもセイラムが虚偽を働くか、あるいは黙して語らねば、()()()()()()()()()()()()だろう。

 運命の分岐点が、ここなのだ。

 果たして、深淵狩りの叡智が全開で稼働する。

 

「――そして四つのレリックが揃えば、神々を召喚できる。神々の再来は審判の時だ。現在の人類が、神と共に生きるに能うかを判じ、能わぬならば滅ぼすと奴らは宣っていた」

「………」

「そして――レリックの真価は他にもある。四つのレリックは、揃えた者に神の如き力を授けるという。あれらは嘘は言わん……あれらにとって人は塵だ。塵に嘘を吐くような者などいない」

「神を人の尺度で図るのか?」

「あれは嘗て私に容易く謀られ、死者蘇生を成している。騙そうと思えばさして苦労はせん」

「知恵の足りない神だな……」

 

 伝えられた神の醜態に可笑しさを覚え、深淵狩りは再び失笑した。

 数秒、間が空く。

 深淵狩りが、開示された情報を咀嚼し、呑み込んでいるのだ。

 彼はふと戯れに想像する。もしこうして魔女と相対していたのが子機(ヨナタン)であれば何を考え、どう結論するだろうか。ヨナタンであれば……そもアッティラに原子爆弾を使わせたセイラムに最初から剣呑に接し、会談は成り立たなかっただろう。そうして即座に撤退を選択し、アトラス軍に連絡してセイラムに攻撃させ、その魔力がどれほどのものか観察していたはずだ。

 なんだ、と深淵狩りは嗤った。

 どちらにどう転ぼうと、人でなしには変わりないではないか。今後の趨勢を占う深淵狩りも、アトラス軍を当て馬に敵戦力を探るであろうヨナタンも。であればどちらが有益か考えれば良い。

 客観的に判断して、己の方が最善の道を選べる。深淵狩りは意を決した。決して、しまった。

 

「――要求を変更する」

「ほう? それは、つまり……私の同志になるという事か?」

()()()。俺は貴様の自滅に付き合わん。貴様の無謀で、自暴自棄な計画には賛同できんな」

「そうか……ならば、」

「結論を急くな。人の話は最後まで聞くものだぞ」

 

 交渉は決裂した。そう判断し俄に殺気立つセイラムを制し、深淵狩りは己の策を開陳する。

 『その場の思い付き』では片付けられない急造の奇策――献策必中の智慧は自他の啓蒙だ。

 数万もの英邁な脳を抱えているに等しい精神体。現存する全てのコンピュータを並べた物よりも、明白に上回る演算速度と精度を深淵狩りの頭脳は有していた。

 遠大なる智能は妙手を描き、魔女が、瞠目する。開いた口が塞がらない。驚嘆し、感嘆し、そして顔を伏せて声を殺して嗤う。拍手喝采し小躍りしたい内心を矜持の裏に押し隠して、品のない無様な哄笑を轟かせるのは良しとせず。

 

「――よかろう――()()()()()()――()()()()()()()

「それでいい。俺は貴様を()()()()()()()()()()()からな」

()()()()()()()()()()。そしてお前は――」

(ヨナタン)()()()()()()。殺せるものなら殺してみせろ。存外(ヨナタン)は手強いぞ。何せ歴代でも類を見ない()()()()だ」

「フ、フフ……では此度は退こう。私は機嫌が良い。その命を長らえた幸運、無駄にしない事だ」

「ああ。さらばだ、セイラム――」

 

 立ち上がり様にアクセルを吹かし、椅子にしていたグリムを今度こそ灰にして、深淵狩りは魔女に背を向けた。次に会う時は殺す、と。冷厳なる結論を互いに叩きつけて。

 しかし、別れ際に深淵狩りは魔女へ告げた。

 それは福音。あるいは、予言。終末に向けた契約の禍福。

 

「――()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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抑圧による変革

たくさんの感想ありがとうございます!
もっとくれてもいいのよ?(乞食) くれ(強盗)
たくさんの評価ありがとうございます!
もっと寄越せバルバトス…!





 

 

 

 

 

 薄く繊細な硝子細工が割れ、しかし現れたのは変わらぬ景色である。唯一の違いは、離れた位置に小柄な少女がいる事だけ――魔女が去る際に、薄氷の如き幻の壁が砕けたのだ。

 

 これはニオ・ポリタンのセンブランスだ。幻を生むオーラによって殻を造り出し、それを対象に被せる事で対象物を偽装できる力――それによりニオは全くの別人に変装する事も、小型船舶を軍艦に見せかける事もできる。今回は周囲からの完全な人払など不可能と考え、『深淵狩りと魔女が居ない元の風景』を周囲に被せる事で人目につく事を避けたのだ。

 ヨナタンは、幻が砕かれた音で我に返る。

 突然の事に僅かな混乱に襲われたが、直後に飛来した情報で現状を悟った。

 脳裡に落ちてきたのは、あたかもレポートに纏められたかのような、魔女と深淵狩り(オリジン)の会談内容。ほぼ全ての内容が記されていたが、あからさまに最後の密約だけは添削されている。

 歯噛みしたくなるも、ヨナタンは諦観に支配された。

 

(――まるで抗えなかった)

 

 自分の身体を奪われたくない一心で、堕ちて来た意識を押し返そうとした。だが一つの惑星が微生物を押し潰すかの如く、ヨナタンの抵抗などなかったかのように蹴破られてしまった。

 分かっていたつもりではあった。ヨナタンが己の自我を有しているのは、始まりの戦士を模し、歴代の活動経験を統合して変異した【継承】のセンブランスが認可していたからに過ぎないのだと。

 所詮はヨナタンも連綿と連なる流れの一部に過ぎない。その事を痛感させられる。どれだけ己だけの己を渇望し、確固たる自分を希求しようとも、意思の力なんて曖昧なものではどうにもならない。

 

(僕は人形なのか……? 僕が創り出したルキウスやアッティラと同じ、原点の力から零れ落ちた欠片に過ぎない……?)

 

 悲嘆に陥りそうになるも、ヨナタンは軟弱な精神の持ち主ではない。並の人間なら自分のレゾンデートルに思い悩み、苦悩してしまうのだろうが、そんな惰弱さとはヨナタンは無縁であった。

 ()()()()()()なら仕方ないと即座に認め、受け止める。強靭なる精神耐久力の成せる業だ。

 

(まあいいか。僕が使っている力の代償がそれなら仕方ない。幸い、早々何度も()()()()()気はないみたいだし、セイラムがやって来るような緊急事態が発生しない限りは安心してもいいだろう)

 

 抗えないのはよく分かった。ならば希望的観測で前向きに捉える他にない。

 レリックの在り処、力、使用方法さえ分かったなら問題なかった。

 どうやら深淵狩りサマはヨナタンにレリックを集めさせたいようであるし、深淵狩りサマの意図に沿っていれば自我を凍結される恐れはない……という願望を胸に、ヨナタンは嘆息して頭を振った。

 そこで、はたと気づく。

 ニオが棒立ちになってこちらの様子を伺っているのだ。殺風景な爆心地に、薄い闇の膜に囲われたまま立つ少女の目には怯えがある。ヨナタンはそれに気づくと我知らず焦燥に駆られ彼女に駆け寄った。

 

「ニオ……」

「っ……」

 

 びくりと肩を揺らして、後退る少女。そんな反応にこそヨナタンは強い衝撃を受ける。

 堪らず彼女の両肩に手を置くと、華奢な少女の顔を覗き込んだ。

 どうしても、ニオの怯えた顔は見てられない。原因が自分にあるとなれば尚更に。

 

「怯えないで。僕だ」

「………」

 

 もっと気の利いた言葉はないのか。要らない時ばかり回るくせに、大事な時に限って働かない舌に虚しくなる。何が彼女を怖がらせたのかなんて深く考えるまでもなかった。自分だ、自分が元凶なのである。

 あれは別の自分だなんて言いたくはない。どんな来歴があろうと身から出た錆だ。ヨナタンは懸命に訴えようと智慧を絞るも、思い至るのは至極どうでも良い事ばかり――そういえば過去の深淵狩り(ボク)は、血統や財産目当ての女や、英雄的功績を挙げた人物への忠誠や崇拝を懐いた女しか抱いていなかった――などと。本気でどうでもいい()()()だ。

 

 まともな恋愛など一つもした事はない。役に立つ経験がない。

 だからニオに接するのは、剥き出しのヨナタン自身だけ。

 こんなところで能無しを露呈させるようでは、ヨナタンは自らを軽蔑するしかないだろう。

 故に、ヨナタンは必死になるよりも、真摯に述べる。

 

「僕は――」

 

 だが、ニオは少年の言葉を止めた。

 彼女が彼の顔を両手で挟んで、雄弁な瞳で見詰める。

 その()()()に自らの慕う師の姿を認めたのか、淡く微笑んで彼の手を掴む。

 言葉は不要、ニオはそう言っているようだ。

 

「ニオ……」

「………」

 

 積み上げた信頼と、時間がある。最早あらゆる言葉は互いの理解には必須とされない。

 ニオはもう、ヨナタンがどういう存在なのかを知悉していた。

 普通の人間ではないと受け入れていた。

 その上で、彼のパートナーになる道を望んだのである。今更謝罪も、後悔も不要。

 たとえ彼が世界に犠牲を強いる悪党であろうとも、自分と敬愛するボスだけは全てを知っている。知った上で共に同じ道を進んでいる。ならばパートナー以上に共犯者であり、至上の家族だろう。

 不覚があるとすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()。それ以外に悔やむ事はない。

 

 ニオの瞳と、ヨナタンの瞳。交わされた視線が、以心伝心の下で結ばれる。

 

「………」

「………」

 

 二人は頷いて、何も言わずに帰路についた。

 ひとまずアトラスでの仕事を済ませ早くMLに帰ろう。さらなる仕事と、逢瀬の時が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

  †  †  †  †  †  †  †  †

 

 

 

 

 

 

 

 けだもの――思惟に弾けた声なき声。

 

 荒げ、絶え絶えな吐息。抑圧からの解放と、絶えない圧制を打破した革命の悦びは正に法悦。

 汗を拭う所作で、歪む口角を隠す。愉悦ではなく、自嘲で歪んだから。

 ああ、弁えているとも。

 この力、未だ到らず。目指す頂きは遥か彼方。幾ら磨けど、怨敵の影すら斬れぬ鈍らの剣。

 牡牛の獣人、アダム・トーラスは今宵もまた人間を斬った。断末魔の罵倒は意にも介さず、袖で額の汗を拭った腕は固く得物を握り締めたまま。弟子として連れ、片時も離れず傍に置いたままの少女、ブレイク・ベラドンナは悲痛な顔をしているが、アダムは彼女を気遣う余裕を持たない。

 

「――無事だな?」

 

 だが。それでも。無理を押して、アダムはブレイクを気遣う。

 最早そうした部分でしか、己はヒトらしさを示せないと自覚するが故に。

 同胞を護り、愛する者を守護する為には、ヒトとしての最後の(よすが)を手放すなと魂が叫ぶのだ。

 だが、同時に魂はこうも叫ぶ。――足りない。こんなものでは。もっとだ、もっと力を、と。

 

「……ええ。ありがとう、アダム……それと、ごめんなさい……」

 

 己を呼ばう少女の声だけが、剣鬼に堕ちんとするアダムを押し留める最後の一線だった。

 数多くの仲間の屍を踏み越え、憎むべき仇に侍る屈辱を噛み締めながら復讐の刃を研ぐ。アダムは強くなっていた。任務のない時は形振り構わず鍛錬に明け暮れ、一秒でも早く怨敵の首に刃を届かせられるようにと()だけを見て走り続けている。その一方で愛する人をこの煉獄から逃し、一人でも生きていけるように鍛える事も忘れていない。

 今はまだダメだ。ブレイクは幼さもあるが弱い。彼女は心を鬼にして自らを鍛える青年に対して隔意を持たず、懸命に耐えて修行に打ち込んでくれているが、今の実力ではカオスから脱走させられない。

 逃げたが最後、粛清される結末しかなく、アダムが共に逃げる選択肢は最初から無い。今のホワイト・ファングの残党は、アダムがリーダーとして率いているが故に辛うじて生き残っているのが現状なのである。アダムが逃げれば、カオス内部のファウナスは、ただでさえ擂り潰されるようにして絶えているのに、更に酷使されて全滅してしまうだろう。

 

 だが、ブレイクが力を付けているのは不幸も招いた。目聡くアッティラはブレイクの成長を見破り、アダムに命じたのだ。ブレイクも連れて、任務に出ろと。訓練期間を終え実戦を体験させろ、と。

 

 怒りで腸が煮えくり返った。それは、アダムとブレイクにだけ出動を命じたアッティラへの憤怒。今や世界の敵にまで成り上がったテュルク・アッティラは、彼らにMLに物資を運ぶ貨物列車――シュニー・ダスト・カンパニーへの襲撃を命じたのである。

 それだけなら、アダムはアッティラに命令されたという部分に反発し憎悪を燃やすだけだっただろう。シュニー家のファウナスへの仕打ちは非道の一言であり、奴らを害する事を躊躇うアダムではない。

 問題は別にあった。アダムは数年もの間アッティラに仕えて任務に従事してきたのだ。知らぬ筈がない。――MLへ向かう貨物列車の全てに、アトラス軍やSOCの警備部門が武装して同行しているのである。間違ってもたったの二人で襲撃を仕掛けていい相手ではなかった。

 

 だがアッティラへの抗議は通らない。反抗や意見をしようものなら粛清される。故に従うしかなく、アダムはブレイクを連れて貨物列車を待ち伏せ、高所からレールを走る列車の上に飛び乗り襲撃した。

 

 任務は、襲撃。目的は物資の強奪だが、その際に敵は皆殺しにしろとも命じられていた。

 ブレイクは優しすぎる。彼女に人を殺せるとは思えず、だからアダムが代わりに己の手を汚した。結果としてアダムは満身創痍となりながらも、向かってきた全てのSOCの人間を斬り捨てた。

 肩で息をする、全身傷だらけの青年。個々の練度も高い警備員だった。武装も充実しており、アダムは苦戦を強いられあわや討ち死にする危険のある場面もあった。敵は人間だけではなく、戦闘用アンドロイドであるアトラシアン・ナイト130の一個分隊もいたのだ。苦戦は必至である。

 

 アッティラなら。

 

 アッティラなら掠り傷一つ負わず、いとも容易くこんな雑魚など殲滅する。そう確信できるだけに、アダムは歯を食いしばる。やはり足りない、力をもっと付けねば。もっと、もっと、もっと力を――!

 

「アダムっ!」

「………!」

 

 血が出るほど唇を噛み締め、無力感に打ちひしがれるアダムだったが、ブレイクの悲鳴じみた声で意識を現実に回帰させる。12歳になったブレイクは、戦闘員として最低限の力しか持たない。無力でか弱い庇護すべき同胞であり、アダムが才能を認め直々に鍛える唯一の弟子だ。

 そんな彼女に対してアダムは愛おしさを覚えている。異性愛ではなく庇護する対象に向ける親愛だ。

 ――もしカオスが存在せずホワイト・ファングが独立独歩で在れたなら、牡牛の獣人である彼は歪んだ思想の下、彼女に執着していく事になっただろう。しかしカオスの支配下にあるアダムは純粋に仲間達の為だけに刀を振るい、仲間達の敵を討つ事を至上として鍛錬と忍従の日々を過ごす内に純化していた。

 

 未だ四半世紀も生きていない若輩でありながら、アダム・トーラスはカオス内のファウナスにとって無二の英雄となっていたのだ。強い意思と、武勇に拠るカリスマ性を持ち、絶対的な恐怖の対象であるアッティラとの矢面に立ってファウナス達を守ってくれる、頼れるリーダーなのである。

 恐らく単純な強さなら、カオス内でもアッティラに次ぐだろう。そんな英雄的な獣人を、弟子であるブレイクもまた素直に尊敬し、幼い思慕の念を懐いていた。そして常に傍に置かれ、守られ続けていたブレイクだからこそ、アダムの精神が限界を迎えつつある事を悟れた。

 このままだと、アダムが壊れる――剣の鬼に堕ちる。

 ブレイクをこんな所にいさせられないと、逃してやろうとする優しい師が、ただ摩耗し壊れていく様は見ていられない。ブレイクはカオスという悪逆無道なる組織から抜け出したがっているが、一人で逃げたいと思っていなかった。逃げるなら、アダムと。他の皆と逃げたい。

 今はアダムがアッティラへの復讐を捨てる事を願っている。だって――

 

 ――だってあんな化け物に、勝てるわけがないのだから。

 

 幼いブレイクの心は、折れていた。アッティラの残虐な所業、圧倒的な力、悪魔のような智慧、それらの一端を見てきたから。そしてアッティラが製造した悪魔の兵器が齎した惨劇が、回り回ってカオスに属する者達に災禍を招くだろう事も予感していた。

 

「アダム、やめて。もう……死んでるわ」

 

 アダムが無意識に、刀の切っ先で人間を突き刺し続けていたのを止める。

 残酷だ。列車の中に血の臭いが充満し、噎せてしまいそうだ。首が飛び、腕が飛び、脚が飛んでいる無数の死体が屍山血河となっている地獄の有様に、ブレイクは吐き気と罪悪感を覚える。

 だが何より愚かで弱く、残酷なのは自分であるとブレイクは思った。人を殺す勇気がない自分の分までアダムが人を殺したのである。――自分の罪をも大切な師に背負わせてしまったのだ。

 なんたる無知蒙昧。後少しで、アダムが死んでしまうという危機的状況下でも、ブレイクは竦んで動けなかった。足手まといでしかなく、アダムの重荷にしかなれなかった己が情けなくって仕方ない。

 

「……ねえ、もうやめよう? これ以上は……無理よ」

「……フン。無理かどうかは、オレが決める事だ。それより、そろそろ時間だろう。スクロールを出せ、奴に報告する」

 

 にべもなくブレイクの弱音を切って捨て、アダムは催促する。

 彼が翻意することはない。彼の背骨になっているのは仲間だ。元々仲間想いなファウナス達の中で、アダムもまた例外ではなく仲間意識が強い。ブレイクは密かに決意した。ボロボロのアダムを見て、やっと。

 彼ではなく、周りの仲間達を説得しよう。そして皆で説得すれば、アダムも頷いてくれるはずだ。

 そう思いながら、ブレイクはスクロールを取り出す。嫌々ながら、指定された相手をコールした。

 

『――俺だ。任務はどうした?』

 

 虚空に出力される立体映像。

 実物ではないのに、あらゆる物を吸い込む暗黒の穴のような存在感は、心胆を凍らせるに足る。

 即座に跪いたアダムが、映像越しに震えるブレイクを見もせずに応じた。

 スクロールを構えているブレイクの姿は、漆黒の魔人アッティラからは見えない。

 

「は、恙無く完了致しました。手筈通りシュニー社の物資を運んでいた列車は走行を継続させておりますが、内部にいた人間、戦闘用アンドロイドの全ては沈黙させてあります」

『……見たところ五体満足なようだ。フン、意外と言えば意外だな。お前の事だ……どうせ同伴させた弟子を庇い、死ぬか腕の一本でも失くすと思っていたぞ』

「っ……お戯れを、アッティラ卿。オレは弟子を庇ってはいません。彼女は未熟なりに立派に戦いました」

『嘘だな。あの小娘にそんな気概はない。想定より腕を上げている事を褒めてやろう、アダム・トーラス。大儀だった、その場を離脱しろ。物資の回収は他の連中の仕事だ』

 

 見透かされている。

 ブレイクの臆病さも、アダムの力も。炯々と光る赤い眼光に晒されながら、伏せた顔を上げないままアダムは呪詛を秘めた。こんな所でオレは死なん、貴様を殺すその時までは、と。

 だが、そんな殺意も知られている。そして知られている事を、アダムも知っていた。

 

 その上で、アッティラは告げるのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()。精々、牙を折らんことだ』

「……何を仰る。オレの忠誠は、アッティラ卿一人に向いていると証明し続けているつもりですが」

『ああ、それでいい。()()()()()()()()()()。でなければ、躾けをくれてやらねばならんからな』

 

 映像が消える。

 アダムがこうまで諂うのは、相手の油断を誘うためではない。殺意を知られているのに忠実に振る舞うのは、アッティラの面子に傷を付けないためだ。もし傷を付けてしまえば、自分ごと仲間達が粛清される。どれほど屈辱的であろうと耐えるしかない。

 無言で立ち上がったアダムが、刀を一閃して列車に穴を開ける。そして憎しみと怒りで淀んだ目でブレイクを促した。

 

「……行くぞ」

「………」

 

 頷き、走り続ける列車から飛び降りる。

 地面を転がって受け身を取り、何事もなかったように立ち上がったアダムが助け起こしてくれるのに、ブレイクは願わずにはいられなかった。

 誰か――と。

 

(ファウナスの英雄……)

 

 昨今、名を上げたMLのファウナスのハンター。ルキウス・カストゥス。

 もしかすると彼なら協力してくれるかもしれないと、猫の獣人の少女は思った。

 

 MLという、人とファウナスの垣根のない、公正で平等な施策の行われている都市。

 今のブレイクにとって、そこは夢物語のような理想郷だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幕間【啓蒙】

難産な繋ぎ回。次回から本番へ。
感想…評価…ほしい…(絶息)
作者に燃料を焚べてくれぇ…!(飢餓)




 

 

 

 

 

「ガシャンガシャン」

 

 擬音である。

 

「ガチャンガチャン」

 

 擬音である。

 

 まるで幼児退行しているかのようだが、これは無意識に付いた癖のような物だ。

 

 一人きりで設計図を引き、武器を作る。

 多様なセンブランスによって無機有機問わず構造体を任意の形に改造できる故に、どんな廃材も製品に使用できる能力がありながら、ヨナタンは既存の部品を用いての武器製作を好んでいる節があった。

 そして組み上がった武器の仕掛けを試す為に、変形を繰り返すのを密かな趣味にしているのだ。そこに高尚な意味などない。あるのは酔狂だけである。そして当然ながら擬音を口走る事にも意味はなかった。

 傍から見れば狂ったようにしか見えないだろう。だが、ヨナタンは狂ってなどいない。寧ろ彼の狂態を無視すれば、驚嘆に値する技術の結晶が手元にあるのに、武器マニアなら瞠目するに違いない。

 

 彼の手で変形を繰り返すのは、ヨナタン作の射撃武装『多目的銃火器ミストルテイン』である。

 

 通常形態は噴射機構内蔵型大剣ガラティーンの白鞘だ。ガラティーンの抜剣と同時に変形し、第一形態である散弾銃と化す。オーラで強化していようと並の膂力なら発砲時に肩が外れる反動を有するが、桁外れの膂力も有するヨナタンであれば最大限に性能を引き出し、秒間三発もの散弾を吐き出せる。

 これを下から上に振り上げれば変形機構が作動し、下部に備わっていた大口径の銃身が持ち上がり、第二形態の突撃銃となる。そしてトリガーの前に飛び出たスイッチを押せば銃身が伸び、第三形態の狙撃銃となり――左右に切り離せば第四形態の短機関銃が二挺現れるようになっていた。

 その火力は現行の携帯火器の中でも最高峰に位置する。間違っても擬音などを口走りながら弄んでいい代物ではない。下手に扱えば誤爆し、握っていた腕が跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。

 

「ガションガション」

「………」

 

 そんな危険物を弄ぶ兄の姿に、幻想を破壊されたような微妙な貌でワイスは佇んでいた。

 休日、ではない。ワイスは休校日だがヨナタンには仕事がある。事実ヨナタンの私室にあるLED映像表示装置には、彼がこれから携わるという仕事についての会議が開かれている様が映し出されていた。

 それはヴァキュオを除いた三カ国の首脳部と、各国にあるアカデミーの学長達が参加しているテレワークによる会議の様子だ。ML上層部の一人として、ローマンも参加している。

 

 オフィスにいるらしいローマンの後ろにはニオがいるのが確認できる。またそれ以外にはグリンダ・グッドウィッチを傍に控えさせているオズピンや、アトラス軍の将軍アイアンウッドも画面端に映っていた。

 無論、ヨナタンの様子も向こう側には見えているだろう。真剣な会議の場でふざけているようにしか見えないヨナタンの姿に、一応画面に映らないようにしているらしきワイスは気が気でなかった。

 率直に言って、無礼である。空気が読めていないにも限度があった。ただでさえ憧れの兄だった人の微妙な振る舞いに目眩がしているのに、恥を晒し続ける兄を見るのは妙な忍耐をワイスに与えている。

 

「……お兄様!」

 

 たまりかねて、小声で怒鳴るという器用な真似をしてヨナタンを諌める。

 質が悪いことに擬音を口にするヨナタンは、本気で恥ずかしいと思っていない。それが分かる表情で振り向いてくる兄に、身内の無様さでワイスは羞恥に駆られるまま言った。

 

「ん、何かな?」

「何かなではありませんわっ! こ、こんな重大な会議の場にわたくしを招いた不可解さはさておくとしても、お兄様の態度は相応しいものとは思えません! 早急におやめになってくださらない!?」

 

 至極まっとうな台詞に、ヨナタンはふっと笑って集音マイクに手を押し当てた。

 

「安心しなよ。僕の側から送られる映像はフェイクだから。画面の向こうの皆様には、真面目くさった貌で話を聞く僕が見えているはずさ。ガション」

「……そういう問題ではありませんわっ! お兄様の態度が場に相応しくないのが問題なんですの!」

「そうは言ってもさ……」

 

 擬音を用いるのに羞恥は覚えておらずとも、客観的に見れば軽薄な態度で不真面目にしているように見えるのはヨナタンも承知していた。が、しかし。いまいち真面目になりきれないのだ。

 ちら、と映像表示装置を一瞥すると、そこでは会議が踊っていた。

 

『――故にカオスの問題はアトラスやML、ミストラルだけの話ではないと何度も申し上げている。動員可能なハンターや軍を動かし、総力を挙げて叩くべきだと納得して頂きたい』

『そんな大掛かりに動けばミストラルに潜伏しているというアッティラに勘付かれてしまう! ここで逃し行方を晦まされたらどう責任を取る? 少数精鋭で急襲し、電撃的に始末を付けるべきだろう!』

『だが事に当たるのがアトラス軍というのはどうなんだ。ミストラル王国内の問題であるなら、当政府が作戦を決行するべきだ。同盟国アトラスの申し出は検討するが、ミストラルの主権を冒しかねない。わたしはオズピン学長の意見を推させてもらおう』

『現実的に考えろ。アイアンウッド将軍の意見は行き過ぎているというのは同意するが、相手はヴァキュオ王国を傀儡にまでした裏世界の首領(ドン)だ。ミストラルだけで対処できるとは思えんし、ヴェイルや他国のハンターの応援を待っている間にアッティラが所在を晦ませない保証もない。であればアトラスとミストラルが協同し速やかに動くべきで――』

 

「――ほら、ご覧の有様だ。オズピン教授とアイアンウッド将軍は意見を対立させ、他は自分の意見を述べず当たり障りのない物言いに終始している。こんな会議でやる気なんか出ないね」

 

 ヨナタンが露骨に失望して見せると、ワイスはなんとも言えず口籠る。

 だがワイスはワイスなりに、この会議の重要性を理解していた。故に兄に対して言うのだ。

 

「……ですがこの方たちはこの方たちなりに、事態の重さを理解して真剣に話し合ってるんですのよ。それにわたくしからすると、当たり障りのないと酷評するような内容の会議ではない気がしますわ」

 

 秘密裏に各国首脳部が顔を突き合わせ話し合っているのは、悪名高きテロ組織【カオス】の首領を如何にして捕殺するかについてだ。

 カオス。それはヴァキュオを傀儡にまで貶め、他国にまでその影響力を広げつつある世界最悪の武装組織。()()ホワイト・ファングをも傘下に収め、暴虐の限りを働くばかりか、遂には()()()()()を独自に開発し一国家に投下した外道の巣窟である。

 もはやグリム同様、世界の敵だ。世界の敵であるという事は、ハンターを志すワイスにとっても敵である。元々ホワイト・ファングに対して最低の心象を懐くワイスは、カオスを倒すべき悪と見做していた。

 

 ワイスは思う。ヨナタンはワイスの知る限り、並ぶ者のないハンターだ。ワイスにとっての憧れであり、ヒーローでもある。そんな彼がカオスと戦うのは自然であるし、きっと打倒してくれると信じている。

 だが、どうだ。兄のこの――乗り気ではない様は。

 まるでやる気の感じられない態度は、人々を守るはずのハンターには相応しいものとは言えない。カオス打倒の為の会議なら、真剣な態度でいないといけないのに。

 もどかしいような、なんとも言えない心境でワイスは兄を見詰める。するとヨナタンはフッと表情を消した。

 

「ワイス。どうして僕が、君に会議を見せていると思う?」

「え……?」

 

 唐突な問いは、しかしワイスにとっても疑問だった事だ。

 何故なのか。考えてみても、分からない。

 しかし『分からない』と簡単に口にするようでは、頭の中身の価値を落としてしまう。分からずとも考え、思考を途絶えさせないようにNアカデミーで教わってきた。

 

「えぇと……わたくしがこの方たちを通して国や軍、アカデミーがどのように意志を統一するかを見て学べるようにしてくださっている……?」

「流石ワイス、概ね正解だ」

「概ねという事は、一部は違うんですの?」

 

 褒められて気分が良くなるも、聡明な少女は増長せずに反駁した。

 するとヨナタンは無表情で告げる。

 

「火急の事態に際して、強力な決定権を持つ人間がいない会議が、どれだけ無駄に時間を浪費するかについても見せておこうと思った。ハンターは現場の判断を強いられるだろう? 上の人間の腰の重さを知っておくのは必要な事だ。そして――」

 

 一瞬口籠り、意を決したようにヨナタンは言った。

 

「カオスとの戦いは長引く。たとえアッティラを捕れたとしても、一度纏まった組織が簡単に離散するとは思えない。しかも奴らは()()を持っている……()()をチラつかされたら、及び腰になる国は絶対に出てくるだろうからね。ワイスが一人前になった時、どう考えて行動するべきか判断し易くしてあげたいから、僕が勝手にこの会議を見せているんだ」

「……職権乱用ではありませんの?」

 

 あけすけな身内贔屓に気恥ずかしくなり混ぜっ返してしまうと、ヨナタンは明らかに用途の異なる方便を述べた。意地悪な笑顔を覗かせながら――

 

「権力は使うためにあるんだよ、ワイス。それにバレなきゃ犯罪じゃない」

 

 ――その顔は。そういう顔は、今まで見せた事のない表情だった。

 兄は近頃、急激に稚気を見せ始めている。それはヨナタンに恋人ができた時期と符合した。

 良い変化だとは思う。以前までの、どこか超然として、浮世離れした佇まいも好ましがったが、今のヨナタンはこれまでよりずっと親しみやすい人間性を発露し、身近に感じられる人になっている。

 ワイスが当たり前と思っていた、「完璧で清廉潔白な超人」という偶像が、実は遠くて理解のできないモノを見ていたという事で。以前の兄よりも、ずっと魅力的な風情を湛えているという事。

 それが、なぜだか面白くない。

 自分を全肯定して、受け入れて、かと思えば正しい道に導いてくれて、尽きない愛を無条件に注いでくれる唯一無二の「家族」だった。自分の、自分だけの兄だったのだ。

 なのに、いつの間にか兄は自分のものではなくなっている。画面に映っている少女――ニオ・ポリタンのものになっていた。耐え難い情動が心の芯を揺らし、胸のざわつきがこうした新しい兄の姿を見ると発生して、つい拗ねたように唇を尖らせてしまう。

 

「わたくし、その考え方は嫌いですわ」

「そうなのかい? 潔癖だね。でも一つ賢くなったろう? 好きか嫌いかで物事を捉えられるのは今だけなんだ。それを知る事が出来たのは重畳だよ」

 

 口の上手さでも、どう足掻いても勝てない。けれど反抗するように言ってしまう。

 

「使わなくともいい時に権力を乱用し、一学生に過ぎないわたくしに重要な会議を見せているのは、それらしい理屈を並べても正しい行ないとは言えませんわ。お兄様の行ないは誠実とは言えません」

「はは、言うようになったね。確かにその通りだ。けれどワイス、君は一つ思い違いをしている」

「……何をですの?」

 

 ワイスが反駁すると、ヨナタンは肩を竦めて多目的銃器ミストルテインを変形させ、通常形態の鞘にした。それに噴射機構内蔵型大剣ガラティーンを納めると、なんでもないように肩を竦める。

 

「僕は聖人なんかじゃない。君が僕をどう思い、どう捉えるかも自由だけど、僕は僕だ。僕が君の望む偶像で在り続ける保証はどこにもない。だからねワイス、そろそろ兄離れをして探すんだ」

「兄離れだなんて、まるでわたくしがブラコンみたいな……それに、何を探すんですの?」

「君はブラコンだよ。僕がシスコンであるようにね。探すべきなのは――その答えを探すのもワイスのしなければならない事だよ」

 

 ヨナタンは慈しみを込めてワイスを見る。

 自らをシスコンと称する兄、ワイスをブラコンと断定する兄。少女はそれに赤面してしまいながら、聡明な知性は疑問符を浮かべていた。兄離れしろと言うからには自分は妹離れをしているという事。しかしシスコンを自称しているという事は、ブラコンである事は否定していない。それに何を探せというのか。

 ワイスは兄を世界で一番尊敬している。世界で一番家族として愛している。だからその事実を指摘されても恥ずかしくはないし、他者から揶揄されてもなんら恥じる事もないと断言できた。

 なんなら公言もしている。ワイスがヨナタンを如何に敬愛しているかはNアカデミーでも周知だ。

 

 自分の言葉を受け考え耽る妹にヨナタンは微笑を向ける。

 そうして彼は、結局会議で一度も発言しないまま時を過ごした。

 所詮は茶番だ。会議がどれだけ踊ろうと、やるべき事に変化はない。

 ヨナタンはワイスとの憩いの時を過ごして――翌日、ローマンからの通達を聞きMLを発つ。

 

 結局、以前の手筈通りに動くことになっていた。

 あの会議は「皆さんの意見も聞きましたよ」という、各国の面子を立たせるための舞台に過ぎない。

 故にあらかじめ決められていたプラン通りにアトラス軍は展開し、ヨナタンはミストラルへと向かうのだ。

 

 壮大な茶番、非道なるマッチポンプの始まりだ。

 全ては一言で収められないエゴと、使命の為である。

 

 区分けと、腑分けの時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ヨナタン・ナーハフォルガー最終装備

・噴射機構内蔵型大剣ガラティーン
レッドダストのみを大量に搭載した両刃の大剣。バイクのアクセル状の柄が特徴。最大出力を発揮すると変形し、刀身が真ん中から左右に割れ、太陽の表面温度に匹敵する光刃が噴射される。
光刃は最大で三百メートルまで伸びるが、故障を覚悟すれば四百メートルまで伸長可能。全長百八十センチ、刀身長百四十センチ、柄四十センチ、刀身幅も四十センチ。赤を基調としたカラーリング。

・多目的銃火器ミストルテイン
通常時はガラティーンのメタリックな鞘。白色。散弾銃、突撃銃、狙撃銃、短機関銃二挺の四形態に変形可能なよくばりセット。ガラティーンとの合体機能もある。

・短剣クラウソラス
最初期の愛剣。もはや無用の物だが最初に作った記念品として常に所持している。現在は改良を加え、リストバンドに擬態して手首に巻いている。何気に初見で武器とは判断が付かず、探知機に掛けても反応しない優れもの。


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