魔法少女あすみ☆マギカ ~Rainy Ambivalence~ (Κirish)
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登場人物

はじめに

▼本項について
 以下登場人物紹介となりますが、お急ぎの方は省略のうえ次ページより本作を読み進めて頂いても支障はございません。



▼神名あすみ

 本作の主役。銀髪のボブカットをし、薔薇飾りつきのミニシルクハットをアクセントとして利かせ花嫁を思わせるヴェールを被り、ゴシックロリータ風の変身衣装に身を包み、フレイル(鎖鉄球)モーニングスター(鉄球鎚)の可変武器を振う魔法少女。固有魔法である『精神汚染』を用い、日夜人間のみならず魔女──果ては魔法少女を甚振り滲み出る『不幸』を嗜好の名の下に消費し尽くしている。

 

▼巴マミ

 見滝原のベテラン魔法少女。キュゥべえに選ばれた少女──鹿目まどか及び美樹さやかを魔法少女体験ツアーに連れ出す日々を過ごしている。ある日の夜、彼女が神名あすみに出会う事により物語は始まる。

 

▼佐倉杏子

 巴マミと仲を違え風見野を放浪する中にて千歳ゆまと出会い、魔法少女にしてしまった『オトシマエ』をつけるべく彼女を連れて美国織莉子を追っていた──。

 

▼千歳ゆま

 杏子がかつての亡き妹──佐倉モモに面影を重ねる幼き少女。美国織莉子に誑かされ、魔法少女の世界に足を踏み入れてから、杏子の妹分として扱われる。

 

▼美樹さやか

 クラス内にてテンションが男子と謳われる程にボーイッシュ寄りではあるが、内に秘めた上条恭介への恋心に気付かないか、それとも認めたくないのか燻ぶり続けている少女。そんな日々を過ごす中で魔法少女──巴マミに出会い、魔法少女の世界へと巻き込まれてく──。

 

▼志筑仁美

 鹿目まどか、美樹さやかの親友のお嬢様。彼女も同じく、上条恭介へと密かに思いを寄せている。キュゥべえの姿が見えない──つまりは魔法少女としての素質が無く、この世界においてはある意味では平凡と言える存在だが──。

 

▼上条恭介

 幼少期より弾けぬ曲は無いとまで評されたものの、交通事故によりその輝かしいまでの腕を失った悲運のヴァイオリニスト。美樹さやかが思いを寄せている男の子で、毎週の様にお見舞いとしてクラシックのCDを彼女の実費で買い与えられる日々を過ごすが──。

 

▼暁美ほむら

 時間遡行者。魔法少女──魔女化の運命に囚われた鹿目まどかを救うべく、自らも永久の迷路に身投げする事厭わない鉄の女──とみせかけた、誰よりも焔の如き熱き感情を秘める女。此度の彼女の旅路には、如何なる異物(イレギュラー)が立ちはだかろうか──。

 

▼美国織莉子

 自らの存在理由(レゾンデートル)()るべく、未来予知能力をその手に宿した白羽女学院のお嬢様。そのビジョンを以って終末の日(ドゥームスデイ)にて垣間見た、世界を(オワ)らせる魔女──救済の魔女(KriemhildGretchen)の顕現を阻止すべく、鹿目まどかの命を付け狙う。

 

▼呉キリカ

 美国織莉子の忠実な駒。その身は織莉子の為ならば、如何なる姿に変わり続ける事になろうとも構わない。

 

▼優木沙々

 頭の良い者、容姿の良い者、人望のある者、金を持つ者──等、彼女よりも優れた者を従わせる力と引き換えに魔法少女として契約を交わした三下の中の三下。とは言えその強力無比な固有魔法は厄介ではあるものの──?

 

▼百江なぎさ

 故人。自らの母にとってこの世で一番美味しいチーズケーキが欲しいと願うも、とある『殺人鬼』に母を目の前で惨殺され、絶望を経て魔女に堕ちた。以後、生前母が居た病院にお菓子の魔女(Charlotte)として巣食い続けている。

 

▼鹿目まどか

 キャリアウーマンの母親──詢子、専業主夫の父親──知久、そして弟のタツヤに囲まれ、美樹さやかと志筑仁美と共にごく平凡な学生生活を過ごす毎日の中、特筆すべき長所を自らに見いだせないまま、密かに劣等感を秘めていた。ある日キュゥべえの助けを耳にし、そこで魔法少女──巴マミに出会ってから、彼女の運命が一変する──。

 



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憎悪の物語 -Abhorrence-
プロローグ「神名あすみちゃん、って言うのね?」


"Ikmuarya on omja. Osno ussetiish ah umoosu."

 背を向けて、人の声ともつかぬ鳴き声をあげ、ジャングルジムに逃げ惑う魔女。傷だらけで、体力も尽き、体の至る所から赤黒い液が滴っている。往生際の悪い魔女とは対称に、私──巴マミは華麗に輪舞を躍る。

"Iyma ag ahbuekraek acrhaik ow umsa."

 こんな夜に誰もいない。

 こんな夜遅くとも明けぬ夜はない。

 こんな夜の世界でも確かに助けてくれる人が居る。

 あなたにも、分かって欲しかった事なの。

"Iyma !!"

 チェックメイトよ、魔女さん。打ち止まる魔女結界(迷宮)。もはや逃げ場なんてなく、私と向き合う他なんてない。

「……っ……うぅ……っ……、っひ……ぅ……!」

 こんな小さい子までをも襲うなんて。

 何のために、こんな子まで喰い散らかすの?

 成すがままに命を脅かすなんて、私許せないんだから。

「ふふっ。終わりよ」

 誰かを救う度、少しずつ自分のココロも救われる。

 私のしている事は、きっと正しい事なんだ。

 他の魔法少女の流儀なんて、私は気にならない。

 私は──今この子を救いたいんだ。

 砲口を突き付け──ちょっと表情も決めちゃいながら微笑む私は、きっと正義のヒロイン。

「──ティロ・フィナーレ!」

 ──爆破灯りが、まるで夜明けのように闇夜(結界)を照らす──。

"Omtot iyma ag ahbuekraek ... !!"

 (意義)を失くした亡霊は、天に召されるが如く霧散する。

 コロン──と、黒い宝玉(グリーフシード)へと魔女が還り、その狼藉にピリオドが打たれた。

 

◆◇◆◇◆

 

 現実世界へと────人気のない夜の公園へと塗り()えられる。

「ふぅ──」

 視界の端に映るもの。チラリ──と視線を移せば──。

「……っ」

 震える膝を抱えながら、声を漏らしつつ泣きじゃくる銀髪の──絹のように温かで柔らかなボブカットの少女。魔女結界に巻き込まれ、あわや使い魔に食べられちゃいそうで、けれど運良く助ける事が出来た女の子。

「さっ、立てる……?」

「う、うん……っ」

 小さな小さな手と繋ぎ、その手を引っ張って起こしてあげる。瞳は泪に潤い、下唇を噛み締めて我慢するその子は、今もひどく怯えてるよう。

「怖かったよね……。けどもう大丈夫っ。大丈夫だから……」

 しょうがないわよね。魔女に襲われたんですもの……。

 こんな小さな女の子が、夜に一人で魔女に襲われる。──けれど、この子のご両親は──?

「……ねぇ、お嬢ちゃん?」

「……?」

「その……、お父さんとお母さんは……?」

「……」

 こんな夜遅くに、小さな女の子がひとりで歩き回ってる筈がなかった。もしかすればこの子の両親は、先ほどの魔女の犠牲になってしまったのか──。

 ──だとしたら、私はまた──。

「──ずっと前に、おかあさん死んじゃった……」

「……!」

 魔女に食べられた訳ではなかった。けれど、だとしたらこの子はずっと──。

「……早く帰らなきゃ、新しいお父さんに怒られるっ……」

「えっ……」

「新しいお父さんにっ……、頭叩かれちゃうの……っ」

「そんなっ……!」

「でも、助けてくれてありがとう……」

 不意に私へ背を向ける女の子。まさか──こんな夜遅くに一人で帰ると言うの? ──いいえ。帰る場所なんて、あるかも怪しい。だって、今この子は言ったの。新しいお父さんに暴力を振るわれるって。それにそろそろ寒くなる季節なのに、薄着のままの女の子。そんな辛い事、あって良い筈ないんだから……!

 ──でもどうしよう。このままじゃこの子きっと、ずっとひとりぼっちかもしれない。

 なんとかしてあげなくては。そう思った時には──。

「──待って!」

「……?」

 体が勝手に乗り出てしまった。そして、そう思った気持ちが声として飛び出た。

 ──よかった。止まってくれた。

「あなた、お名前は──?」

 こちらへと振り向いてくれる、濡れたままの瞳の女の子。小さなお口がゆっくり、静かに開かれて──。

「──み──」

「うん──?」

 か細い、か弱い、若干舌足らずな甘やかな声色。

「──あすみ。神名あすみ」

 お耳を蕩けさせるようなその声で、この子の名前が告げられた──。

 ──また見捨てる(・・・・)の?

 確かに私は今日、この子の命()救った。でも──だからと言って、これからを見捨てて良いのか。居場所がないって分かってるのに、みすみすこの子を地獄へと返して良いものか。

 私の始まりは『見捨てる事』に依った。助けを乞い、惨めに生き残り、そして尚も『見捨てる事』によりまた始まった。自責の念に蝕まれる私は今度こそ「もう誰一人見捨てない」と駆り立てられた。そして今も駆り立てられ続けている。

 ──なのに、また見捨てる(・・・・)の?

 これからこの子と手をつないでくれる人なんて、きっともう誰も居なかった。だからこのとき掴んだ。

 ──あすみちゃんに出逢えて、良かったのかな……。

 私と出会った事で、この子の行く末が定められてしまったのではないか。どうして、この子を救えたのだろうか? どうして──。

 

「神名あすみちゃん、って言うのね?」

「……うんっ……」

 この日を以って、きっと私の行く末も決まったのだろう──。

 夜の大空に光を灯す満月に、私とあすみちゃんが照らされていた──。

 



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第1話「わがまま過ぎるぐらいがちょうど良いのよ?」

 ──私──巴マミの自宅にて。

「……わたし、何も持ってないよ……?」

 怯えを孕み、泪で潤わせた瞳。上げられぬ声を絞り出す、か細い声。洋菓子を目の前にする子供の反応でなく、どんな目に遭ってきたかなんて凡そ浮かんできてしまう。

「えっと……お金……? とかなんて気にしなくて良いのよ?」

「あとで怒ったりしない……?」

「……食べものを粗末にしたりとかなら、怒っちゃうかもね」

 ……などと、かつての弟子の女の子の受け売りを、微笑みながら冗談地味た口調で。けれどそれすら──。

「ひっ……ご、ごめんなさ……っ」

「あっ、ち、違うの……! その、えっと……投げ捨てたりとかそんな事したらイヤよ? ってだけで、お残しは絶対許さないとかそんなのじゃなくて……」

 ──まったく堪らなく見ていられなかった。痛々しくて、抱きしめたくなる程だった。

「……ほんと……? 食べても、怒らない……?」

「うんっ。もちろん」

「……残しちゃっても、怒らない……?」

「ちょっと残念かなぁって思うけど、あとで私が食べちゃうから心配は無用よ?」

 考えなしにふざけた私も、いや、自分が悪いのは間違いないとしても。けれど──どうして、どうしてこんなになるまで放っておいたのか。誰も、誰一人としてこの子を助けてくれなかったのか。なまじ己が孤独を知っているだけに、私は歯痒さに奥歯を噛みしめる。

「……いただき、ますっ……」

 あむ、と小さいお口にシフォンケーキを運ぶ。今まで数人ほどはお茶菓子をご馳走した事はあれど、お口に運んでくれるだけでもこれ程安堵した事は今までに無かった。どうしても食べられないとなったら、どうしよう、と。

「っ……ぅあ、ぐす……っ」

 不意に、あすみちゃんの瞼に溜まる雫。嗚咽を漏らす声。不味かった? それとも腐っていた? あすみちゃん……! と、焦りかけ寄らんとし──。

「もっと、たべていいの……?」

 ──重症だった。だからこそ、もちろん──。

「遠慮しないで、ね?」

「……」

 あむっ、と。小さいお口でもう一口、二口……。

「……ぅん。うんっ……ぐす……」

「あすみちゃん……」

 これからも、もっと食べさせてあげなくては。食べる事すら許してもらえない──なんて、そんな世界だけじゃない、って。教えてあげなくては。

 

「──ごちそうさまっ」

 腫らした赤い瞼のまま微笑むあすみちゃん。私としても、この上なくどういたしましてと言う他ないわ。

「……ふぁ」

 欠伸を漏らしつつ、瞼を擦る。……夜も遅く、いや、遅すぎるかもしれない。魔女退治を始めた時刻からして、子供ならもう寝ている筈だった。あれから大分と過ぎたのだから、遅すぎもいいところよね。

「もうおやすみしなきゃ……ね?」

「え……」

 きょとんと、ぱちくりと目を向ける。

「……ここで寝ていいの……?」

「だって、お外で寝たら危ないじゃない?」

「でも……」

「ふふっ。気にしなくて良いの! これからの事なんて、明日でも……ううん。明後日でも、ずっと一緒に考えたらって思うんだから」

「……ぐすっ」

 家に帰るのが嫌な女の子。こんな時間に帰してしまえば、何されるかなんて。こんな時間でなくとも、家の中で何されるかなどと。

「ありがとうっ……。マミお姉ちゃんっ……」

「……ううん」

 ──でも、礼を言われる筋合いなんてないのかもしれない。謙遜なんて美徳じみた意味合いなんてない。それよりも、もっと……もっと奥底の。見たくない、目を逸らしたい自分の──。

「──さて! もう早く寝ましょうっ? 夜更かしは女の子の天敵だし、成長しなくなっちゃうぞっ」

「……うんっ!」

 美味しいケーキに温かくて甘い紅茶。そして久しぶりの柔らかなお布団。

「じゃ、また明日ねっ。あすみちゃんっ」

「おやすみっ。マミお姉ちゃんっ」

 夜もちゃんと眠らせてくれる。おやすみって言ってくれる。これが、何と言う事のない『幸せ』なのだろうか。子供が過ごすべき、他愛ない『普通』。ああ、なんて──。

 

「──くッだらない」

 

 灯りも消える中──小さくつぶやく彼女の声など、私には聞こえようもなかった。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──自業自得。

 何かしらやらかせば必ず報いを受ける。このセカイに普遍する(コトワリ)とはこれこの四字しかないと、わたし──神名あすみは思ってる。たとえどれ程の理不尽に遭ったとしても、たとえどれ程の痛みを味わおうともそれには全てそこに至る理由(ワケ)がある。でもそんな理由は誰も知らない。虐げられたその人自身にしか──ううん、もっと言えば虐げられたその人自身にすら分からないかもしれない。でも理由のないモノなんてこのセカイには存在しない。あってはならない。

 ──その子が全て悪いの。その子が悪かったからこそ痛みを味わわされなきゃいけなくて、また報復を受けなくちゃいけないの。その子が悪かったからこそ虐げられなきゃいけなくて、また凌辱を受けなきゃいけない。その子が悪かったからこそ刑に処されなきゃいけないし、獣道に堕ちなきゃいけない。だから『理不尽』なんてこのセカイにはない。『理不尽』によって虐げられた善人なんて、この世界に在るはずもないんだから。

 ──そうして理由があればこそ、人間は安心できるのだから。そしてそれはこの結界の主も同じ。

「──甘い(臭い)

『耳を劈く』と言う表現があるなら、『鼻を劈く』なる言い回しがあっても良いんじゃないかしら? この魔女の住処(結界)に立ち込めるはおおよそ甘ったるい香りと言うにはほど遠くて、甘いのは甘いけれど蕩ける甘さでなく、グルコース(C6H12O6)を直接味わうかのような刺激臭。

"Ansaig laht hcinst mrhe kcuruz!"

 ああ、魔女(成れの果て)が何か喋ってるわね。

 身に余る願い(よくぼう)に魂までをも──もっと言えば魂レベルの売春を犯して獣になれ果てた魔法少女。獣が人類種と言葉を交わせないのと同じでその魔女の声(何が欲しいか)なんて人間に──いいえ、魔法少女になんて届くワケがない。

「かわいそう。そんな姿になって──」

 誰も人間を辞めたいワケなんてない。誰もが畜生に堕ちるなんてごめんだ。人間と言う名の支配種に生まれ落ちたからには、支配者であり続けたいのが人の性質(サガ)にして当然。

 でもね、わたしなら分かるんだ。

「──わたしになら、あなたの欲しいモノなんでも分かっちゃうんだよ? だからもう大丈夫っ……」

 わたしならこの魔女の声が聞ける。この子の名前も分かる。

 それに、きっとこの魔女も同じなんだ。獣に堕ちたくて願いを叶えた訳じゃない。魔法少女(わたしたち)と同じで、戦火に身を焼き尽くすに値する願いと引き換えにこの世界に来たのだから。

 

『この世でいちばんおいしい██████が欲しいのです』

 ああ、かわいそう。

『誰の話も聞かないし、誰のお願いも聞いてやらないのです! ███は、███のために。███だけのために!!』

 おかあさんに聞いてもらえすらしなくなった娘の声。そして慟哭。

『恩を着せるなら、後悔させられるなら、なんだってやるのです!』

 まさに理不尽。

 例え『理不尽』に虐げられようと、お母さんを護ろうとした。███が居なければ母は死んでしまう。ならば███が母を護ろう。魔女になど決して殺させてたまるもんか。それがこの娘の最期の矜持。けれど──

『この人って、███ちゃんのママだったんだ!』『もうママは死んじゃうから大丈夫! これどうしよっか? 本当は中身とか売りたいから、死体も持って帰らなきゃなんだけど』

 もう、生きる甲斐など無くなったんだ。

 頼みの母はもう亡くて、『自己主張』すべき、『執着』すべき相手ももう居ない。──願いに殉ずる。それが魔法少女。だったなら『願い』無き魔法少女はもう、(魔女)に堕ちる他なんてないんだから……。

 

「……っ。あなたも辛かったんだね、シャルロッテ──」

 誰にも知ってもらえない魔女の真名。口にされると、魔女の瞳が少し潤った気がした。

 欲しいものは全部で絶対あきらめない。いっぱいいっぱいお菓子を生み出せるけれど、それでも一つ……ソレだけは作れないの。

「……これ、あげるね……?」

 手の平に乗せられた一切れのチーズケーキ。

 これこそがこの娘の願いの結晶。絶対に作れなくて、それでも諦められなくて、ずっとずっと執着していたかつての自分の残滓。

「欲しかったんだよね……? いっぱいお菓子あるけど、これだけ無いもんね……?」

 誰にも聞いてもらえなかった。誰にも届かなかった。けれどわたしだけが聞いてあげられた。魔女に堕ちた魔法少女の、心の底から欲しいモノ。

「んふふっ。遠慮なんてしないで……ね?」

 この娘はかつてこの為に願ったんだ。──『お母さんが一番おいしいと感じるチーズケーキ』。何で忘れていたのかな。何で作れなかったのかな。これほどお菓子に囲まれているのに。これほど『自己主張』の出来る天国なのに、なんで──。

「──さあ、食べて……」

 決して手に入らなかった『願い』を手にすれば、もう一度戻れるのかな。渇望した願いの結晶を今口にすれば、この娘はもう一度█████に戻れるのかな──。

 ──お互い不幸せで終わってしまったけれど、このチーズケーキを食べていた頃は幸せだったんだ。そんな在りし日々を夢見て願い(チーズ)を口にし──。

 

「──サヨナラ勝ちってねェ!」

 

 ──イチゴジャム。

 飛沫するは、赤黒いカタマリの混ざった粘液。

「──はははっ。あははははっ──!」

 振り下ろされるは鉄球。棘の成る鎖に繋がれた槌。

「やっぱり釣られてるんじゃないか! あははははははははっ!」

ぐちゃり。ぐちゃり。じゅぶ。じゅぶ。音が拍子(リズム)良く立つ度、魔女が魔女でなくなってく。願いに堕ちた獣としての姿などそこにはなくて、肉塊でしかなかった。

「──一丁あがりっ!」

 そして魔女が最期に耳にしたものは肉が挽かれる音でなくて、飛散せしガラスが如く自らの世界が割られ、破壊される音だった。

 

◆◇◆◇◆

 

 そして、見滝原市立病院の屋上──。

「また酷くやってしまったね」

「──んふ♡」

 ぺろ──と。人差し指についちゃったイチゴジャムを舐め取り味わって、瞼を細めて蠱惑ぶった笑みをキュゥべえへと投げかける。ぬるりぬるりと。じっくり、粘り濃く、心を込めて。

「まったく、人間はいつだって理解できないものだよ。ここまで愉しんで魔女を狩る者なんて最近じゃあまり見かけたことがない」

「うん? 人間いたぶるの楽しくなぁい?」

 猫撫で声を猫モドキへと囁く。けれどこの猫モドキ、煽りも含んだ声色を耳にしたとて毅然とした態度で──。

 ──は、語弊があるわね。コイツには感情が無かったんだ。

 まるで機械のような態度を崩さない。

「そうじゃない。魔法少女は君たちと『同じ』だって、あすみは知ってるじゃないか。

にも拘わらず、どうしてそこまで過剰に虐げられるんだい?」

 あっけらかん、と。

 その『魔女』を造り出した張本人が何言っちゃってんのかしら。

 幼気な女の子を散々餌にし尽くしてきたクセに神様気取りなのかしら?

 ──まぁ、目につく魔法少女を魔女堕ちさせた挙句、その骨の髄までしゃぶり尽くしたばかりのわたしが言えた義理もない、か──。

 この白魚のように細い指を──ちょっとナルシズム入ってるかしら?──肉食獣が如く骨ばらせながら、ちょっぴり悦に入ってみて──。

「──だから、『人間』いたぶるのって楽しくなぁい? って言ってるの分からないの?」

「僕が人間の事が分かるのならこの個体はきっと即刻破棄されているだろうね。感情とは僕らで言うならば精神疾患の症状の一つさ」

 結局異星人インキュベーターに喋る意味なんて無かった。それこそ壁に向かって喋ってるみたいに。

 わたしって興が乗り過ぎるのも困りものよね──。

 自嘲気味に両掌を上に向け、やれやれと手のひらで喋るかのようになサインを作る。

「だがあすみ、君は基本的に『人間』の不幸を嗜好とする者だったね。それならあの嗜虐的な振る舞いも十分道理かもしれないね」

「じゃあ回りくどい言い方しないでよ」

 人の不幸。

 インキュベーターのご指摘の通りわたしが何よりも好むモノ。そしてわたしの『原点(ネガイゴト)』とも言えるモノ。

『自分の知る周囲の人間の不幸』。この願いを一度(ひとたび)口にし、わたしは精神汚染魔法──Gvneurguinnreiサヨナラ勝ち──を手にした。洗脳に始め、読心、読みこんだ心を映し出す心象風景結界の具現、トラウマ抉り、強制絶望、催眠、催眠を応用した任意の生体器官の停止、人格改竄、意識のスイッチ(On / Off)、人間操作、未知の精神病罹患──と好きに心を弄繰り回せ、逆に精神病の治癒、洗脳解除──など、前述の魔法群を打ち消す事も出来る、『心』を持ち人並みの常識や倫理観を持つ相手ならば万能とも言える魔法。

 その対象は──人間はもちろん魔法少女に留まらなくて、もともと魔法少女であった魔女にさえ猛毒となり得るの。心を持ちさえすれば、存在するのかどうかはさておきその対象は『人間の心を持った人ならざる者』であってもいい。

「ところであすみ。せっかく見滝原に来たんだ。巴マミは洗脳しないのかい?」

「……はぁ」

 何度言ったところでこの珍獣には分からないわよね。

 おおよそ溜息と呼べるか怪しいほどの、あえて聞こえさせる溜息の様な声を珍獣に吐いてやった。

「わたし、洗脳なんて使った事あった?」

「魔法少女でないただの人間相手でなら、金銭を持って来させたりホテルの従業員全員を洗脳し我が家の様に住みついてるね」

 精神汚染魔法のお陰で普段の生活でも金銭や食事には困ってないどころか、そこいらの平均的な会社員よりもよほどゴージャスな暮らしが出来てしまう。魔法少女じゃないただの人間を洗脳するワケは、その道具として使うためだけの事。けれど──。

「わたしの『シュミ』には一度も使ってないわよね?」

「……そうだね」

「オーケイ」

 わたしのシュミ。それは人間を徹底的に虐め抜いてあげること。相手は面白そうだったら誰でも良いけれど、適当に目についたひとに取り入って、その人のトラウマ・罪悪感・恐怖……などなどを穿り抉り出して、徹底的に甚振り尽くしては発狂させて、やがては自滅させて廃人にまで追いやる。

 これがわたしの大っ好きなコト。

 そうして壊れちゃった人間は、あとは使い魔を魔女へと育てる為の餌にしか使えない。魔女を養殖してグリーフシードにして使い潰して、使用済みはあえてキュゥべえに処理させる──なんて事はしなくて、ポイ捨てみたいにその辺に設置してまた孵化させて人間を食べさせて──の繰り返し。こうしてわたしの魔力は無尽蔵と言っても言い過ぎじゃない。もともとわたしは物理攻撃はからっきしだったけれど、このグリーフシードのお陰でどこまでも無理が効いちゃうんだから物理攻撃も汎用魔法もカバーできている。

 ──でも本当にオイシイところはココじゃないんだから。

「だが分かって欲しいんだあすみ。僕は君の事をとても評価している」

「ん~? どう言う事かしらぁ? どーゆー風の吹き回し? スッゴいキモいんだけどぉ……?」

「君は『魔女を故意に作っている』からね。これは我々インキュベーターとしてとてもありがたい。宇宙の寿命をさらに伸ばしてくれたことに感謝するよ」

 魔法少女の強制魔女化。

 さっきの精神魔法群──特にトラウマ再起、心象風景結界、強制絶望──を使って他の魔法少女のソウルジェムの濁りを加速させ、故意に『孵化』させ魔女にさせる。あくまでも魔力獲得のための事務的な流れ作業……なんてものじゃなくて、愉しみ尽くしながら魔女を作ってる。

 やっぱりわたしの大っ好きなモノは──人の不幸!

 魔法少女の憎しみ・怒り・悲しみ・愛憎・嘆き・恐怖・絶望……等々を嗜んで、果てには『オモチャ』が壊れ逝くその瞬間──まさに魔女が産まれる時──わたしは瑞々しい絶望の味に最上の恍惚に悶え、身震いし、達しそうになって、さらにはグリーフシードとして骨の髄までしゃぶり尽くして、ひとりの少女の人生をわたしの為だけに消費し尽くす。

 その為に洗脳を使っちゃうなんて勿体なくて邪道極まりないと思わないかしら?

 おいしい『ココロ』にカプサイシンマシマシのデスソースを掛けるみたいに台無しにするなんてナンセンスよね?

 これこそわたしの『もう一つの魔力源』にして『美学』──!

「わたしはそれシュミでやってるのよぉ? あなたの為だなんて己惚れるんじゃないわよ。弁えてっ☆」

「やれやれ、随分嫌われたモノだよ」

「あ、これ罵詈雑言だってコト流石に感情ナシナシ気取りの厨二病クソケモノでもわかるんだぁ☆」

「君の願いを叶えたと言うのにひどいじゃないか」

「『幼気な幼女騙くらかして餌にしてるクセにひどいじゃないか』」

 口を小文字のオメガ(ω)のように形作ってやりながら、目の前の獣の口調を真似て煽ってやる。

「いやいや、君だって魔女を作ってるじゃないか」

「それはそれ、これはこれっ」

 もう水掛け論ね。

 やっぱこの獣とのレスバトルなど不毛の極み。

 こうしている間にも人間の心を味わって(食って)た方がすごくいい。

「じゃ、そろそろ姉御かっこ笑いのトコ戻るわね」

「あ、待つんだあすみ」

「何」

「気を付けた方がいい。この町には魔法少女が多い」

 だから何だって話よ。

 魔法少女が束になったってわたしに勝てるヤツなんて誰一人居ないんだから。

「今更なによ。あすみがどんだけ魔法少女食ってきたと思ってるの? ゆうに百人は超えてるわよ? 現に隣町でもすっごくすっごく美味しかったし──」

「いや、イレギュラーと言える魔法少女が一人いるのさ」

 ──へぇ。

 さっさとキュゥべえの与太話とはおさらばしたい、と辟易しいたわたしの表情が移ろいゆくのを感じる。ぬちゃり、と粘着質に口角を吊り上げる音が聞こえる。

「彼女と契約した覚えは一切ないんだ」

「え? ケモノも痴呆になるの!? キモっ!」

「そうじゃない。そう言う個体は得てして破棄されるものだ。それはともかくとして、彼女の固有魔法も願いも未だ素性がつかめていない」

「いや単にお前が覚えてないだけ──」

「──そして一人の少女に執着している」

 遮るその言葉に高揚し頬が熱くなる。昂ってく──。

「──その子のコト、教えてっ」

「あぁ。イレギュラーの名前は暁美ほむら。そして執着している少女の名前は鹿目まどか」

「鹿目ってどう書くの? 必要の『要』?」

「いや、『鹿』に『目』だね」

「んじゃあほむらにシカメちゃん。で、執着って?」

「あぁ、鹿目まどかは前代未聞なレベルにまで素質を有しているんだ」

「あー、でも言って歴史上の英雄──例えば実は魔法少女だったジャンヌダルクとかよりもクッソ弱いんでしょ?」

 インキュベーターの魔法少女システムのおおよその概要は既に本人から聞いていた。各々の少女が素質を有し、優れた素質の者ほどエネルギーの質が良く、宇宙の資源として有用だとも。そして得てしてそういった素質を持つ魔法少女こそ歴史に変革をもたらす者が殆どで、言わずと知れた救国の聖女──ジャンヌ・ダルクも魔法少女であったと言う。けどこの国に、彼女レベルに歴史を変え得る者など産まれる余地がない。だからジャンヌに比べればどうせ大したことはなく、誇張気味に表現しているに過ぎないのだろうけど──。

「いや、それさえ凌ぐんだ」

 そうしたわたしの見立ては、その一言によりかき消される。

「──は?」

「彼女一人だけでも魔法少女にすれば、僕たちの役割はもう終わるんだ。この先の未来永劫、宇宙の寿命に悩まされる心配もなくなるんだ」

「──ジャンヌは最期どうなったんだっけ」

「火刑に処され、魔女となる事もなくその命を散らしたよ」

「あぁ魔女ったんじゃないのね。だったらジャンヌさえ魔女ってくれてれば今頃お前らも地球に居座ってなんてなくて──」

「いやタルトではまどかほど宇宙を維持し得ない」

 タルト。こいつはジャンヌダルクをたまにそう称す。けど……どうかしら? それ程の魔法少女なら──。

「……ん~」

 頬に人差し指を添え、首をかしげながら──ぶりっ子過ぎたかしら?──ちょっぴりシンキングタイム。

 ──それほどの素質なら、もしかして世界を壊してしまうのでは──?

「──どうしたんだい、あすみ」

「う~ん……」

 たぶんこの見立ては『当たり』。強い魔法少女だったなら強い魔女へと変貌する。なら世界最強の魔法少女となれば、世界最悪の魔女になるかもしれないのは当然。だったら──。

「……」

 この仮定はこいつには黙っておいた方が良いかもしれない。変に感付かれて『嗜好』の邪魔をされちゃ堪ったものじゃない。

「ま、大体分かったわ」

「あとそれから魔法少女狩りが一人いるね」

 まだ続くの……?

 危ないヤツばかりの街よね世紀末なの?

 でも、わたしだって人の事を言えないか。

「武器は鉤爪で、固有魔法は速度低下。周りの時流を遅らせ、相対的に高速移動を可能にさせる魔法少女だよ」

 疑似的な高速移動ねぇ……。

 視線を合わせて『トリガー』を引けなければ少し危ないかもしれないけれど、こっちには無尽蔵の魔力を使っちゃう物量物理戦法があるから心配無し。

「……じゃ、そろそろコンビニ寄ってから戻るわね」

「あぁ、巴マミの所にだね」

「あの姉御かっこ笑い、今頃わたしが居なくなってピーピー泣いてるわよぉ? 心配したんだからぁ~っ! きゃっ。て感じに絶対おせっかいぶちカマしてくるに決まってるわ」

「そうかい。それじゃあ今度のあすみの嗜好品はマミってワケだね?」

「……」

 これほど言ってもキュゥべえは分かってない。

「ううん、アイツ頂くのは最後にするわ」

「それはどうして?」

 巴マミ──マミおねえちゃん。少しだけ一緒に過ごしてみて分かった事があるの。それは──。

「アイツの顔、どんな顔してるか分かってるでしょう?」

「さっきも言った通り僕らには感情が無い、わからないよ」

「うふっ。なら教えてあげるわ……♡」

 半組みの腕。手の平に肘を乗せ、指をキュゥべえへと指し向ける。

「──傲慢」

「……ほう?」

「高い自尊心、他人より重要、魅力的になりたいという欲望。──賞賛をそれに値する者へ送ることの怠慢、過度の自己愛、ってところね」

「七つの大罪の一つとも言われるね」

「うんっ。わたしをアイツん家に誘う時の顔見た? ドヤってたわよ? 絶対わたしを憐れんでたわ。もう最っ高(最っ低)

「へぇ、それは分からなかったね」

 ただいま見滝原の外で目星をつけている魔法少女──優木沙々みたく、単に周りを下げてまで自分だけは強くなりたかった雑魚なら一日で消費してしまっても構わない。けれどマミおねえちゃんは違う。あのコの闇──とっても深そう。

「だから、最後にその愉しみはとっておくの」

 高らかに演説するかのように両手を広げつつ──。

「初めて味わう甘美とは、決まって感動するものよ? だから傲慢なアイツがわたし特製のビタースイーツを味わうところを想像すると、わたしはもう……もう……っ♡」

 金の睫毛に金の瞳。洋人形のような彼女の顔が絶望の涙と鼻水に汚れきるところを思い浮かべれば、これほどおいしいスイーツは他にないんだから……!

「まぁ確かにエネルギー収穫量は上がるだろうね。感謝するよ」

「……はぁ~~……」

 やっぱりキュゥべえに話してもダメだった。この嗜好、理解してくれるはずもないか……。

 

◆◇◆◇◆

 

 ああ、思ってた通りね。

「あすみちゃんっ……!」

 帰宅するや否や開口一番ふぎゅ、と抱きしめられた。

「こんな時間にどこ行ってたの!? 心配したんだからっ……!」

 いつからわたしは巴家の一員になったのかしら。心配される道理もないハズよね。──でも、そんな事言っちゃえば台無しになる。わたしはマミおねえちゃんに取り入らなきゃいけない。最後の最後にコイツの絶望を味わうために。

「っ……ご、ごめんなさ……ぐす……!」

 しゃくりあげながら涙を溢す。そんなわたしにマミおねえちゃんは、しまった──とばかりに瞳を見開き──。

「っ……! わ、私こそごめんなさ──」

「ひぐ…っ、あすみね……? マミお姉ちゃんにっ、お礼しなきゃ、って……」

「……私に……?」

「ケーキ、すっごくおいしかった……。あすみ、あんなおいしいの食べたの、初めてだったの」

「……っ」

 マミおねえちゃんの瞳がだんだんと潤ってくる。この潤い絶対溢さないんだから……とばかりに瞬きの回数が目に見えて増える。

「だ、だからっ、だからっ……! あすみ、マミお姉ちゃんの為にっ、コンビニで、ケーキっ、買おう、って……っ」

「……っ!」

 ぎゅ、と抱かれる体がいっそう締め付けられる。

「あすみちゃんごめん……っ。そんな事知らないで怒鳴っちゃって……。私なんかの為にお礼してくれるんだものね……?」

「っ……うん」

「許してくれる……?」

「っ……うんっ。ありがとうマミお姉ちゃんっ……。あすみ、うれしくてっ、だからっ……」

 ああ、ひどい茶番ね。

 ちょっと涙ぐんじゃったマミおねえちゃんのお顔が、これからわたしの正体を見て、絶望の涙に濡れる顔に変わろうなんて滑稽も滑稽よ。

 ──そうしてわたしを捨てるクセに。

「……ふふっ、ありがとうっ。お菓子も……ね?」

「あ……」

 ぱっ、と抱かれた体が離される。

 ようやく解放された。

 わたしの流した偽りの涙か、マミおねえちゃんの胸元が濡れてる。

「……はぁ、なんだか目が覚めちゃった」

「あ、えと……ご、ごめんなさ──」

「ううんっ。目が覚めちゃったついでにちょっとお腹が空いてたの。だから丁度良かったと思わない?」

「……」

 なんて白々しい。

 晩もかなり深過ぎる時間。こんな時間にお腹が空く筈ないじゃない。どうしてそんなにわたしに合わせてくるの?

 鼻に掛かり気味なこの声色も相まって、心底苛立ってくるわ。

 気持ち悪い……。

「……うん!」

「ふふっ、じゃあ食器用意してくるわね?」

 けれどこの女がチョロくて助かった。言い訳の末に不審がられて、わたしが不幸の使者だってバレたらどうしようものかと。

 まぁ、そうすればマミおねえちゃんのお味もここまで、と言う事で即刻イタダキマスしたところだけれど。

 存外、まだまだ闇が深そうで助かったわ。おねえちゃん……何でわたしの事をハナっから信じて、こうして心配してくれるのかな。

 

◆◇◆◇◆

 

「ま、マミおねえちゃんっ……。わ、わたしのケーキ……ど──」

「ん~っ! 美味しいっ!」

 何言ってんの? この傲慢お姉ちゃん。

 たかがコンビニの菓子が美味しいワケないじゃない。

 ぶっちゃけ馬鹿よね?

 おずおずと『わたしのケーキどうかな?』などと聞こうとすれば、わざとらしく頬に手を添える仕草で舌鼓を打つマミおねえちゃん。

「あすみちゃん、食べないの……?」

「あ、わたしは……その……」

 マミおねえちゃんの作るケーキ──正直かなりおいしかった──なら食べてあげても良いけれど、こんな安菓子食いたくもなかった。買ってくるんじゃなかった。

「マミおねえちゃんへのお礼だもん。全部食べてもらいたいな、って……」

「ふふっ。あすみちゃんすっごく優しいのね……。ありがとうっ」

「あ、え、そ、そんなことっ」

「でも……いっしょに食べた方がもっと美味しかったりするのよ?」

「え、う……」

「だから私ね? あすみちゃんと美味しくケーキ食べたいなぁ、なんて……」

 なんでこの人はこうも……気取ったクサい台詞が吐けるのだろう。わたしおねえちゃんと出会って間もないのに、どうしてこうも入れ込めるの……。

「……」

「だめ、かしら……?」

 まぁ、食べてやっても良いわよね。

 後で苦悶の表情に彩られた顔を見れると思っとけば、悪くは無いわね。

「じゃ、じゃあ……いただきますっ!」

「ふふっ。召し上がれっ。って言ってもあすみちゃんが買って来てくれたものだけれどね……」

 あむっ、とその安ケーキをひとくち口に含む。にこにこと笑顔を浮かべるマミおねえちゃんの前で、わたしは──。

「……」

 舌打ちしそうになる。

 ああ不味い。不味いわねこれ。死ねばいいのに。

「美味しいっ」

「ふふっ。でしょ?」

「あむ……っ」

 ああ、もう。死ね。何でわたしがこんなの食べなきゃいけないの。

「えっと……そうだ、あすみちゃんっ」

「ふぇ……?」

「あすみちゃんのケーキに合う紅茶選んでみたの。あすみちゃんも飲んで?」

「……」

 マミおねえちゃんの淹れるお紅茶。

 わたし……正直マミおねえちゃんの作るケーキのほうは嫌いじゃない。でも──。

「え、いいの……?」

「ふふっ。私の前で遠慮なんてしちゃダメなんだからねっ?」

「……」

 舌を火傷しちゃわないように空気を含ませ、その琥珀色の液体を啜った。

 

 ──温かい。

 

「……」

「──あすみちゃん……?」

 

『あすみ。今日のお茶どうかな……?』

『あったかい……』

 あの時も、温かかったかな。冷えた体も、心も、『氷』を溶かしてくれたかな。

 

「──あったかい……」

「冷える夜にはねぇ、こうして紅茶を飲むと落ち着くの……」

「……うん」

「……あすみちゃんも分かってくれるの?」

 わかってたまるか。

 どうして? マミおねえちゃんのお紅茶を飲むと、頭の中がざわざわする。

「あすみちゃん……?」

「……あすみ、毎日マミおねえちゃんのお紅茶……」

「……」

「……ううん、なんでもない……」

 ……マミおねえちゃんのお紅茶なんて、大嫌い。

 何でか分からないけど、飲んだらすごくイラつくの。

 この香りも、温かさも……。

「──あすみちゃん」

「え……?」

「私……あすみちゃんの為なら毎日だって紅茶淹れちゃうんだから、もうちょっとわがまま言っていいのよ?」

「……」

 ウソだ。

 微笑みながらそう言って……わたしが本当のわたしを見せたなら、きっとおねえちゃんは罵るんだ。

 この裏切り者。

 お前なんて信じるんじゃなかった。

 この人殺し、って。

 だから、おねえちゃんがいつだってお紅茶を入れてくれるなんて──きっとない。

「……ありが、とう……っ」

「ふふっ。あすみちゃんぐらいの歳の子って、わがまま過ぎるぐらいがちょうど良いと思うの。だから……ねっ?」

「……うんっ」

 ……マミおねえちゃんなんか大嫌い。

 分かった顔して、わたしに取り入って。

 取り入られてるなんて事、気付きもしないで。

 

 ──いつか、絶対魔女にしてあげる。

 



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第2話「どうかあなたを守らせて欲しいの」

 あの夜──わたしが保護されてからからしばらく日がたって。

「ふわぁぁ……」

 ちょうど朝ごはんが出来るころ、間の抜けた欠伸(あくび)がアラーム代わりになって今の刻を知る。

 そろそろマミおねえちゃんが学校の用意をする頃かな。

「……はれ……、あすみちゃん……?」

 回らぬ呂律と共に、瞼を擦り。

「あっ、マミおねえちゃん……。おはよ……」

「……もうっ。あすみちゃんひとりでやらなくて良いって言ってるのに……」

 こうして、いちいち要らない気遣いしてくる過保護なマミおねえちゃんがすごく嫌い。

 わたしはこう見えて、おかあさんから料理は一通り教わってるの。

 マミおねえちゃんに止められる筋合いも、気遣われる筋合いも、心配される筋合いもないんだから。

 それとも──。

「……わたし、ごはんつくっちゃだめ……なの……?」

「……っ!」

 瞳を潤わせながら上目を遣ってやった。こうすればマミおねえちゃんの反応がパターン化されるのよ。ほら……、たちまちマミおねえちゃんは『しまった』とばかりに口をおさえちゃってる。

「そ、そうじゃないのよ? で、でもあすみちゃんだけに煩わせる訳には」

「……やっぱり……作っちゃダメなんだ……」

「っ……! いいえ……、いいえっ! 私と一緒に作りましょうっ?」

「……! うんっ!」

 単純ね。

 すごくチョロい。

 マミおねえちゃん、わたしの言う事なら何でも聞いてくれそう。

 

◆◇◆◇◆

 

 またしばらくして朝ご飯の時。

「えっと、おねえちゃん」

「あすみちゃん」

「「ど、どうかな?」」

「あっ……」

「あ……」

 今日の朝食はマミおねえちゃんとわたしで作ったの。

 でもどうして「お味はいかが」程度でハモっちゃうかな……。

「うんっ、おいしいよ……?」

「うふふっ。私も言おうとしてたところなの」

「あ、あすみもなのっ。あすみも、マミおねえちゃんのごはんおいしいって」

「あら、今日はあすみちゃんも作ってくれたのに?」

「ううん、マミおねえちゃんも作ってくれたからっ……」

 わたしの言葉に背筋を撫でられたのか、頬を桜色に染めながらマミおねえちゃんは──。

「うっ、褒め過ぎよ?」

「ほ、ほんとだもんっ……」

「ふふっ。じゃあ、ありがとうっ。でも、もしお口に合わなかったりしたら直ぐに言うのよ?」

 また気遣いなのかな。

 それとも謙遜なのかな。

 わたしマミおねえちゃんのそう言うところ、気持ち悪いの。

「ううん。マミおねえちゃんのお菓子も、お料理も、すっごくおいしい」

 言った傍からまた褒め過ぎと、口を開こうとするマミおねえちゃん。でもわたしは──。

「──あすみ、ずっと独りだったから──」

 多少入れ込んでくる奴は、騙して取り入った人間や魔法少女にも居たけれど、おねえちゃんみたく親身になり過ぎるほど接して来る人なんて今まで居なかった。

 こうして誰かといっしょにご飯を食べた事なんて、おかあさんと以外なんて──ほとんど居なかったんだ。

「……大丈夫」

 ふぇ……? と声が零れ出る。

 わたしの髪の毛に、マミおねえちゃんの白魚のような指を持つ手が乗せられ──。

「もう独りぼっちじゃないもの。だって私がついてるから……」

「……おねえちゃん……」

「もしかして、私じゃ迷惑かしら……?」

「……」

 すごい迷惑。

 正直、マミおねえちゃんを次の嗜好として選んだのは失敗だと思ってる。

 それぐらいマミおねえちゃんが大嫌い。

 だから、大嫌いな人についてもらうなんて……わたしは──。

「……ううん、嬉しい。あすみうれしいよ……?」

 ぱぁ、とマミおねえちゃんの表情が晴れる。

「よかったぁ……」

「ありがとうっ。マミおねえちゃん」

「ふふっ、私こそ、ね……」

 本当、意味わかんない。

 なんでそこまでわたしに入れ込めるの。

 まだ会って数日も経ってない子供なのに、なんで?

「……っと、いけない……」

 時計へと移るマミおねえちゃんの視線。そろそろお出かけしなきゃの時間かな。

「マミおねえちゃん、学校の時間……?」

「あ、うん……。……ごめんなさい、今日もお留守番頼めるかしら?」

「うんっ」

 学校のお時間なら、さっさと出ていってほしいな……。

「……頼んでおいて言うのもなんだけれど、毎日お留守番って大丈夫だった……? 寂しくなんてない……? 何なら私、少しぐらいあすみちゃんと一緒に居ても……」

 ……この人は何で、こうも過保護なんだろう。

「あすみ、ちゃんとお留守番できるよ……?」

「でも……」

「それからっ。あすみね……? マミおねえちゃんには学校楽しんで行って欲しいの……」

「……」

 憂うマミおねえちゃんの表情が、わたしの胸をすごくざわざわさせるの。

 だから、早く出てって欲しい……。

「……ありがとうっ、あすみちゃん」

「えへへ」

 またあの夜の時みたく、ぎゅ……と体を、マミおねえちゃんの体全身の抱擁で締め付けられる。

 ちょっと息苦しいかな……。

「じゃあ、行ってくるわね?」

「うんっ、いってらっしゃいっ」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──そして、独りになった部屋で。

「──はぁ、ダルい。やっと出てったわねェあの姉御……」

 我ながら白々し過ぎるわね。

 そのうえ彼女に『ありがとう』だなんて──どんなギャグだと言うのか。

 口に出しひとりごちるわたしへ──。

「それは本心かい?」

 いつの間にか傍に座っていたキュゥべえ。いつだってこの獣は神出鬼没。神出鬼没にして残機無限。どれだけ潰しても甲斐なんて無くて、ただ生体サンドバッグを一個使い潰す以上の意味なんてない。

 けど、それよりも──。

「……なんの用よ」

「いや。人間の感情とは本当に分からないものだな、って思ったんだ」

 何が言いたいの──。

『僕らにも感情を与えてくれないか』とキュゥべえ自身と契約を交わすつもりなのかしら。

 そんな軽口じみた悪口をぶつけてみても──。

「それは勘弁願いたいね。遠慮したい以前に、僕らが僕ら自身と契約は出来ない。ルール違反なんだ」

「ふーん……」

 やんわりとお断り申し上げられてしまった。

「ところであすみ」

「んー?」

「──君は独りでいるとき、何かとマミに悪態をついているようだね?」

「……」

 ──それも独り言として、とも。

 キュゥべえが言うにはわたしの演技力は歳不相応に優れてる。相手の求める人物像をまるで自らの振る舞いに上書き──憑依させるが如く演じる事ができて、それだから人間関係を渡り歩くにも苦労はしなかった。今までそうやって幾多もの人間のみならず魔法少女をシュミに費やしてきた。証拠隠滅もオールオッケーで、突如としての神隠しの裏に神名あすみアリ──なんて誰も気付ける筈なんてなくて、また魔法少女から見てもおおかた魔女に食われでもしたんじゃないかしらと結論付けるしかない。そんな演技力をキュゥべえに称賛されるも──。

「僕の気のせいならば良いのだけれど──」

 と前置きし──。

「──マミとの朝食、満更でもない様に見えたんだ」

 感情を宿さない、ルビーが如き瞳であすみを見抜きながら──。

 

「──」

 

 わたしはここ最近、目立った不快感を催した事なんてない。せいぜいマミおねえちゃんのおせっかいさを馬鹿にしてココロの中で毒づいたり、マミおねえちゃんが大っ嫌い──たっぷり甚振り尽くしてからグリーフシードにしてやりたいと心中毒づいた程度。けれど今感じているものは違う。言い知れない不快感がわたしの首筋を撫でる。

「──キュゥべえさぁ」

「なんだい?」

「今ここでツブしちゃったらさぁ……あとで掃除大変なのよ? マミおねえちゃんにバレないよう、血痕をちゃぁ~んと拭き取らないとねっ」

 うふふっ。と姦しく、唇に人差し指を添えつつ可憐さを醸し出してみつつ。

「そうだね。それで?」

「うんっ? まだ分からないのぉ?」

 

「──潰されない内にキエロと言ってんの」

 

 表情の消えるわたし。感情のない獣も、色の失われた表情から不都合を感じたのか──。

「やれやれ、分かったよ」

「うんっ。消えてっ?」

「あぁ、そうさせてもらう」

 吐き捨てるように──とは言っても感情のないキュゥべえにはいささか語弊がある──、そそくさとわたしの前を退散するキュゥべえ。

 煽りにだけ来たのかな。

 せっかくの食後の余韻も台無しだ。

 お口直しでもしない限り、この機嫌が晴れそうにもない。

「……はぁ」

 マミおねえちゃんとの生活が満更でもない──ですって?

 冗談は止して。

「……ああ、気色悪い」

 わたしはマミおねえちゃんみたいな、さも正義ですと言いたげなあの態度が大嫌い。

 ──いや、大好き。

 ああして己が正義こそ全て──でしかないヤツが一度(ひとたび)その柱を折られでもすれば、あとは芋虫の様に惨めに這いつくばるしかない。わたしはそんな四肢を捥がれた魔法少女が何よりも大好きだ。そんな消耗品とわたしが懐いてるだなんて誤解されたなら、誤解であったとしても虫に全身の肌を這われでもしたかの様に鳥肌が立つ。

 それはそうとマミおねえちゃんが帰ってくるまでにはだいぶと時間がある、だから──。

「──ちょっと軽食(デザート)してこよ……」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──可愛い可愛い後輩たちとの、学校の屋上でのお昼ご飯の時。

「え~っ! なんでよマミさん!」

「さ、さやかちゃんそんな事言っちゃ…!」

「あ、え、えとごめん……」

「う、ううん、いいのよ」

 この子の元気な性格を表す天色の髪の少女、美樹さやか。そして包むように温かな優しさを表すような淡い桃色の少女、鹿目まどか。使い魔に襲われているところをかつて私──巴マミが助けた、大事な大事な後輩になり得る少女たち。──否、後輩になり得た少女たち、と言った方が適しているのかもしれない。と言うのも──。

「で、でも何で突然魔法少女体験ツアー中止なのマミさん……」

 魔法少女が如何なるものか、その目で体験してもらうべく二人を連れまわりながら魔女を狩り続けていた。だがそれも今日で、今日を以て中止とする事を宣言し、落胆にも落胆を重ねられている。私は思えばいつだって死地を踏んできた。そしてまた、あすみちゃんを死地から救った。──否、救った気になっていた。魔女に食われず済んだとしても、もはや居場所などどこにも残されてなどいなかった。

 ──本当に、それだけ?

 あすみちゃんの保護。ツアーの中止の理由としては十分で、変に誤魔化し、嘘をついたりする必要もない。だけれど、それだけか。それだけなのだろうか。私はどこか、胸中に重みじみたしこりを抱いた気がしたか、もしくは『ソレ』を見て見ぬ振りをしているのか。今は考えたくはなかった。──考えれば、自分の『深淵』を知る気がする。そうすれば、私と言う正義の味方は『終わってしまう』ような気がした。

「……それって警察に言った方が良いんじゃ」

「私もそう思ったけど、あの子すっごく怖がってるの。『また捨てられる』って……」

「え、じゃあそのあすみちゃん。まさか虐待……」

「ええ、恐らくは。あの子、ケーキ食べるのだって怯えながら遠慮してたのよ……? 本当に食べて良いの? って……。それに魔女に襲われたのに夜遅くに、お礼のケーキだって買ってきてくれるぐらいで……」

「そ、そんな……っ」

 小さい悲鳴をあげる鹿目さん。続いて美樹さんも──。

「ひどい……! なんでそんな良い子がそんな目に遭わなきゃいけないの!? ひど過ぎる!」

「えぇ、だからあの子にはきっと私が必要なんだと思うの。こんな私でどうにかなるなんて、わからないけど……」

「ううん! わたしマミさんが居てくれた方が絶対良いとおもいますっ!」

「鹿目さん……」

「まどかの言う通りですって! もし事案とかで通報されたらあたし等ぜったい証人になりますから! マミさんがやましい事なんてする訳ないって!」

「み、美樹さん……あはは……」

 事案通報案件はともかくとして、子守を理由にどうにか中止を受け入れくれそうで良かった。安堵が私の胸中を撫でる。受け入れてもらえた事で、今日の所は踵を返すことにした。

「……ごめんなさい。鹿目さん、美樹さん……」

 なぜ謝ってしまったのか。もちろん、中止について。けれどそうではない。自らの『闇』を恥じるが如く、見られたくない自分を恥じるが如く絞り出る謝罪。それがどう意味したのかは、『最期の夜』までずっと分からなかった──。

 

◆◇◆◇◆

 

 逃げる逃げるうつけ者

 走る走るとんま。

 尻振って後ろを見せるその少女。

 まるでピエロのよう。

「ッはぁ……! はぁ……ッ! はぁ……!?」

 絶え絶えな息は白く湿り、肩を上下に遊ばせる。

 逃げられるとでも?

「っガ──ぁう──!?」

 コイツの立つ地面──路地裏の薄汚れた地面が金属に抉られ、陰気に空気を染め上げる砂埃──そして破片と共に地に伏す。

 強いものだけを従える魔法少女の名はどこへやら──。

 さぁ、見せてよ。その固有魔法──。

「っく──!?」

 黄土の色した魔法陣描くコイツの青き瞳がわたしを射抜く。

「──今、何かしたかしらぁ?」

 蠱惑的に首を傾げてみるわたし。

 ちょっと自己愛的(ナルシズム)過ぎたかしら?

 クソピエロ──優木沙々のお顔はたちまち蒼くなりたじろいで──。

「な、何でッ……! なんで効かねえんですかッ!? わたしの魔法──!?」

 唾を振り撒き癇癪起こす。栗色の髪は汗まみれの額に張り付いている。

 ──強者操作魔法。

 優木沙々の固有魔法。自らが強いと認めたモノを己が手中に収める洗脳魔法。その対象は魔法少女のみならず魔女にさえ及び、たちまち強者のココロは沙々の意のままに染め上げられる。けれど──。

「フフフッ──! 何故でしょう? わたし、間違いなくお前みたいなクソ陰キャピエロよりもすっっっっごく強いのに……ねぇ?」

「──ッ! ホザいてんじゃねぇよ! このクソガキ──ッ!」

 欠けた六角形を描くような巨大な杖をわたしに大きく振りかぶる。挙動が丸見えな事それよりも──。

「な──!?」

 ──物理攻撃でなら、わたしに勝てると思ったの?

 左腕でその打撃を受け止める。

 正直今のはかなり効いた。多分腕の骨一本まるごと折れちゃってると思うの。

 ──魔力の無駄遣いを出来ない、普通の魔法少女だったなら──ね。

「──くヒ──!」

 痛覚なんて遮断すれば効いてないのと同じこと。魔力消費量が莫迦にならないけれど、わたしには無尽蔵の蓄えがあるものだからノープロブレム。

 さて──。

「っあぐ──!?」

 クソピエロの腹に一発、至近から砲弾が如き強烈な鉄球を一発くれてやった。コンクリートの壁にめり込み、無様に破片を撒き散らす。

 正直彼女の能力は強力かつ厄介で、捨て置くには惜しかった。

 でも──。

「さっきわたしのこと『クソガキ』って呼んじゃったよねぇ?」

「──!?」

「うん。それが証拠っ☆」

 目ん玉引ん剥いてわたしを見上げる。その蒼い瞳には、口角を吊り上げ嘲嗤うわたしの顔が映っている。

「──アナタの固有魔法は洗脳」

 一歩一歩、と……。

「く、くるな……!」

「け・れ・ど……♡ その対象が強者だけ(・・)ってのが残念よねぇ……」

 そしてまた一歩とにじり寄る。

「くるな……! くるなぁッ!」

「強力無比な魔法なのに、いったん相手を『弱者』だと見ちゃえばその魔法も──」

「来るなっつってんですよッ! このツ█ボがッ!」

 苦し紛れか、差別罵倒語と共に黒く靄の掛かった球体をわたしの顔面目掛けて投げつける。

 でも──。

「──なあに、これ? 使用済みのグリーフシードか何か? でも──いいの? こんな弾わたしにあげちゃって?」

 眼前で手の平でキャッチ。

 その様子に「ひっ──!」なんて喉から間の抜けた風の抜ける音を鳴らしつつブルつく沙々にゃん。

 ああそのお顔──! 堪らない──!

 やっぱりじわりじわりと慄然すると共に尊厳が削ぎ落とされるコの顔って芳醇な味わいがあるのよ……!

「そして操れちゃうだけじゃないんだぁ……。何考えてるかも目を見れば分かっちゃうし、何ならココロに猛毒を仕込む事だって出来ちゃうんだから……♡」

「は……ど、毒……?」

「──そ。わたしが植え付けておいたんだぁ……♡ 現にオマエは無意識下でわたしを弱者だと見ちゃってるの。だからお前の魔法も、もはやEDなワケ。あっ、これダブルミーニングねっ☆」

「──!」

 法悦に指を舐めずるわたしを前に、汗の雫がもう止まない沙々にゃん。

 ガタガタと震えあがるのが何と愛おしいこと愛おしいこと……♡

 ああ……♡ もうすぐよ……♡

「ぁぁああっ来るなっ。来るな……! 来るなぁあっ……! っぁぁあああっ……!」

「ふふフフフっ……♡」

 その惨め、その恐怖。

 ああ、なんて愛おしいこと。

 もう一歩一歩……と。

 この一歩こそ、優木沙々の絶望までの道のり。

「──さて、そろそろ食べごろかしら……♡ さっき言ったわよねぇ? 魔法少女って実は魔女だった、なんて……」

「──!」

 下顎をせり出し、引き剥き過ぎて目玉が飛び出そうな程に見開き、蒼いを通り越し黒く染まり始める顔面。

「ねぇ……♡ 今どんな気持ちなの……? 『自分より優れた者を従わせたいです』ってすごく汚いオリジナル笑顔を披露しながら折角願ったのに、自分だけ(・・)は優れないそのココロぉ──♡」

 黒く、黎く──。

 宝玉が染まりゆく。

 自分だけは強くなれずに、いつまでも有無を言わさず従わせるしか能のないその魔法。

 でも自分がチカラを奪われちゃえば、こうして新たなる強者に蹂躙されるのみ。

「魔女になるなんてイヤだァア──ッ!!」

 黒く深い絶望の靄に穢れ逝く宝玉()を天高く握り上げ、せめて人間のまま死にたい──と握り潰さんとして──。

「あハっ!」

 希望虚しく、パシッと平手で(はた)き落とされる。

「あ──」

 怖気に狂い、叫声をあげたさっきまでの沙々にゃんはどこかしら?

 ごはんを取られた犬猫のように、叩き落とされたソウルジェムを呆然と眺める。

 ──魂を握り潰して死ねるなんて、叶えてあげないんだから。

「──アナタはこれから魔女になるの。散々オマエが家畜扱いしてきた魔女になるの。家畜になんて堕ちることなく、人間のまま死ねるだなんて思わないで欲しいなぁ……♡」

「──あ──ああ──ッ」

 表情はもう真っ黒。ガタガタを通り越してガチガチと、歯と歯が小気味よく擦れ合う音を立たせ、震える足がジャリジャリとアスファルトと擦れ合う。

「──ねぇ、家畜」

 叩き落とされた魂は、もはや一片も透き通ってなんかなくて──。

 

「──これがわたしのサヨナラ勝ちよ」

 

 ──穢れ切った魂は、絶叫に破裂するかの様に破片と共に燃え尽きた。

 最後に紺碧の瞳へ写るは、その口を裂かんとばかりの笑みを浮かべた少女(わたし)だった。

 

◆◇◆◇◆

 

「──うフっ」

 たっぷり唾液をまとった舌を唇で舐め擦る。

「ごちそうさま……♡」

 こうして愉しんだ後はいつだって陶然。

 湿っぽい吐息として静かな余韻を燻ぶらせる。

「沙々にゃんの人生、なかなか美味しかったよ……♡」

 首を可愛くて傾げて──ちょっとぶりっ子だったかしら?──合わせるわたしのおてての中には、彼女の紋章付きのグリーフシードが収められていた。

 ──やっぱりコレよね。

 コレこそ魔法少女システムの醍醐味。

 宇宙の為だの正当かつ公平な取引と豪語するキュゥべえはいけ好かないけど、こればかりはキュゥべえに感謝しなくては。

 鮮度の良い魔法少女の絶望の味とは、どれも皆それぞれ違った佳味なもの。

 今回の優木沙々もクソピエロと称するに相応しく、他の人の家畜化を願ったけれども自分が家畜に堕ちちゃう……と言う文字通り道化者として滑稽なお味だった。

 まさに自業自得にして因果応報。

 こうして『不幸の使者』として力を振って人ひとりの人生を消費し尽くす度に、このセカイにはまだまだ『不幸』に溢れていて、ああ──またわたしは『不幸』を知らしめる事が出来ちゃったんだ、と悦楽に酔いしれる。

 わたしはまだまだ『不幸の使者』として、このセカイの愉楽を尽くせるわ……♡

「……はぁ♡ 達しそう……っ♡」

 でも、『不幸』なんてまだまだこんなものじゃない。

 もっともっと、色んな人に知らしめていかないと……。

 その為にも次は──。

「──見滝原中学、見物してみようかしら」

 マミおねえちゃんを頂くための下ごしらえをしないと、ね。

 

◆◇◆◇◆

 

「じゃあ私はお稽古がありますので」

「うん、頑張ってね」

 翡翠色の髪の乙女──志筑仁美。いくつもの習い事を掛け持ちしているからか、何かと忙しく、何かとあたし──美樹さやかと、まどかとの時間が合わない事も多々ある。そして、今日は──

「あ、っと……ごめんまどか、今日は──」

「また上条君?」

 にこっと笑いかけてくるまどか。それはどこか、恋人との待ち合わせなのかと茶化すようで──って言ってもまどかはそんなノリしないよね。

「へへっ、そんな所だね」

 ……と誤魔化し気味に言っておく以上の事は言えないってば。恭介──上条恭介はただの腐れ縁で、それ以上の意味はない。決してない。──筈なのだ、と、改めて自分に言い聞かせる。──分かり切った事を言い聞かす必要なんて、あるのかな──。

「じゃあまた明日っ、さやかちゃん」

「おう!またね!」

 まどかとの別れ際の、変わらぬ日常を当然が如くとするその言葉。変わらない『またあした』がいつまでも続けば、どれほど良かったのかな。この時のあたしは、まだ気付きようもなかった。また気付かなかった事はもう一つ。恭介の話をする時に、習い事に赴くべく先に立つ少し離れた仁美に振り返られ、こちらへと視線が投げかけられていたことも。

 

◆◇◆◇◆

 

「……よしっ」

 頬をぺちん、と軽く叩いて自分を奮い立たせる。単に友達の見舞いに行くだけの事に、そこまでの気合が必要な事自体おかしいかもしれない事には、気付かないのか気付かないフリをするのか、はたまた何となくではあるが考えたくもなく──。

「わっ!」

「う──!」

 何してんのあたし? 馬鹿なの? 自分の馬鹿さ加減を呪ってしまう。勢い立たせたつもりでさらに考え事をしていた最中、自分よりも二つから三つ周りも年が離れてそうな幼い女の子に正面からぶつかってしまうだなんて。

「だ、大丈夫!? ケガない!?」

 あたしは平均した女子に比べて背丈はちょっとばかし高めだと思ってる。なのに頭いくつか分も見下ろさなければ顔が見えそうにない女の子相手にぶつかって、下手すれば無事ではないかもしれない。尻もちをつく銀髪の女の子へと、すぐさま体を落とし──。

「──」

──ギロォッと、少女の引き剝いた銀の瞳が臙脂色に染まる。

「──え────あ────」

 頭の中を、金切り音に占められる気がしながら、あたし──の──意識──

 

◆◇◆◇◆

 

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◆◇◆◇◆

 

「──あれ? あたし今なにしてたんだっけ……」

 どうにもボンヤリしちゃってる。こうなる前までの記憶が無い。今こうして気付く前の。今こうして尻もちをつく事となる前までの──。

「──って! なんでコケてんのよあたし!?」

 たぶん躓きでもして気絶しちゃってたのか、しばらく気を失ってたのか。けど──。

「え? うーん……?」

 尻もちをつく前に比べて時計の針はそんなに進んでなくて──寧ろ一分も経っていない。なら、三十秒前後気絶してたのかな。

「あ~! あたしってホントばか! スカートも汚しちゃったじゃない!」

 こういう度に自分のガサツさに度々嫌気が差す。女らしくもなく、まどかや仁美以外からは男子からもテンションが男子っぽい女として扱われる始末。

 ──もっと女の子らしかったら、あいつに振り向いてもらえるのかな。

 ふと過る泡沫が如き思い。

「……あーもうっ。何変な事考えてんのよあたし」

 恭介は単なる腐れ縁。誰がなんと言おうと腐れ縁。特別な意識などないのだ。

「あ~ばかばかばかばかあたしほんとばか! さっさと病院行っちゃえもうっ~!」

 頬をぺちんと叩いての覚悟はどこえやら、半ばヤケになりながら病院の自動ドアに踏み込んで行く。

 

◆◇◆◇◆

 

「はいっこれ!」

「──」

 CDのジャケットを眺める少年──恭介は、かつて天才ヴァイオリニストだった。けれど不幸にも事故で現在入院ないし治療中であり、あたしはこうして毎週のようにお見舞いにCDを持ってきてる。

「いつも本当にありがとうさやか、レアなCDを見つける天才だね」

「あ、あはは~。きっとまぐれだよ。うん、まぐれ」

 どこか照れ臭く、髪をかきつつ、視線を斜め上に投げかけながら誤魔化す。

「この人の演奏はすごいんだ本当に。本当はスピーカーで聴かせたいとこだけど病院だしね」

「へぇ~、そんなに……」

 なんつー白々しさなのあたし。

 恭介の演奏を聴くたび、そして恭介の好みの音楽の話を聞く度に音楽についてそれなりの知識はつけていた。CDを見つけたのもまぐれでなく、あたし自ら恭介の趣味に合えるよう吟味し、また演奏者についてもリサーチ済みだった。

「聴いてみるかい?」

「え、でもイヤホン……」

「ほら、片方」

「え……えぇぇ……」

 頬どころか耳たぶまで真っ赤にしながらいそいそと恭介に肩を寄せ、片イヤホンを嵌めて──。

 

「じゃあまたねっ恭介!」

「あぁ、またねさやか」

 恭介の個室を背に踵を返す。背にした以上は、彼から今の表情を見られる事もなく

「うふ、ふふふ……っ。また恭介に喜ばれちゃったよ~」

 零れる笑みがやみそうにない。喜んでもらえるのなら、どれほど自費でCDを買い与えても構わない。いつかまた彼の演奏を聴けるその日まで、少しでも喜んでもらえるよう。

「次、なに買ってあげよっかなぁ……うふふふふ~」

 その様子を看護婦らに微笑ましそうに眺められながら、止まぬ笑みと共にスキップじみて小走った。

 

 ──その様子を、ヘドロの様に粘着質な笑みと共に向けられる──『銀の瞳』に射抜かれていたとも知らず。

 

◆◇◆◇◆

 

「……はぁ」

 止まぬ溜息。──最近、毎日ずっとそうだ。僕──上条恭介は、呼吸自体が溜息と化しているのではないかとばかりに、溜息の頻度が増えつつある。と言うのも──。

「……悪気はないのは分かってるけど……」

 僕にとってヴァイオリン演奏とは『解放』だ。自らの手でヴァイオリンを弾きたいと言う『欲求』を、演奏を以て『解放』する。魂の浄化と称しても良き事だろう。だがどうだ。毎回のように美樹さやかはCDを持ち込んでくるではないか。すなわちそれは『欲求不満』。今この腕でヴァイオリンを弾く事などままならない。それどころか、満足に動きすらしない。今の所看護婦には『大丈夫』だとは言われているが、薄々と、布が水分に染め上げられるが如く不安に染まっていった。

 ──もう、治らないんじゃないか。

 ──もう、弾けないんじゃないか。

 もはや弾けずの体となったにも拘わらず、音源と言う形で『欲求不満』が募り続ける。

 ──ああ、弾きたい。今すぐに弾きたい。

 されどその『欲求』を今すぐにでも『解放』したいのに、この腕では無理だ。なのに『欲求』ばかりが日々募る。自分はいつまで、コレに堪えられるだろうか。数秒ぶりの再度の溜息をつこうとし──。

「すみませーん」

 小気味よいノック──2回──と共に、聞きなれぬ声が呼び掛けられる。鹿目さんでもなく、もちろん先ほど帰ったばかりのさやかでもない。どうぞ? と上がらせて──。

「ふふっ」

「……えーっと……?」

 自らよりも二つ周り程は年下であろう、やわらかなボブカットをした銀の髪の少女の姿が。もちろん見覚えなどない。

「き、君は、だ、誰かな……?」

「……」

 ぽすっと傍らに、ベッドに座り、無言のまま、尚も僕の顔を凝視したまま──。

「……きヒ──」

「──!?」

 金属を切るかのような、漏れる笑い声に、ヘドロのように黒く粘り濃い笑顔。全身の毛穴が開き、鳥肌が立ち、全身の肌に虫が這うかの如き寒気を覚えた時にはもう遅く

「──ぐ────あ────」

 頭の中を『音』に()められ──。

 

◆◇◆◇◆

 

「──フフ、うふふフフ──!」

 にやつきが止まらない。

 零れる笑みが溢れ出ちゃう。

 今日は二人も記憶を覗いちゃった……!

 肩や恋する健気な乙女──美樹さやか。以下ミッキー。どうもマミおねえちゃんと関わりがあるらしく、愛しの彼──上条恭介クンの亡き腕の為に契約しようか検討中、と言ったところ。それに最強の魔法少女候補──鹿目まどかとも幼馴染な様子。この子については今は保留。それにもう一人幼馴染として志筑仁美──以下ワカメ──なるお嬢様の存在も確認できた。ミッキーは感付いちゃいないけれど、恭介クンの話をされた時のワカメのあの表情……。まさしく恋するメスの顔そのもの。

 これも興じり甲斐があるかも。

 そしてもう片や腕を奪われし悲運の天才ヴァイオリニスト──上条恭介クン。彼はまだ恋愛感情なんてモノ知らなくて、それどころか彼にとってのヴァイオリン演奏とはまさしく自慰行為(オナニー)そのものなの。そんなカレのキモチなんてまるっきり分からないで毎回のようにオカズだけを買い与えてしまう。

 さて、オナニーを禁じられた男の子はどうなっちゃうのかな?

 もちろん、その欲求に耐え切れず睾丸(キンタマ)バンッ!(爆発)させるか、いつかフラストレーションが沸点へと達し、その沸騰した湯を周囲の人間に撒き散らす事よね。

「彼は既に不幸──だ・け・ど……♡」

 余計なことを思いついたとはまさにこの事ね。

 わたしの頭の中に、タイプライターの打鍵音が小気味よく立つ。白紙に刻み込まれゆくシナリオ。悲劇にして喜劇。わたしの得意とするジャンルのストーリー内容に──。

「アハッ☆」

 この零れる笑み、せき止められる訳がないよね──!?

 

◆◇◆◇◆

 

「──はぁ、今日もハズレね」

 溜息と共にひとりごちる。昼の魔女探しに収穫は無し。経験則として、日中に魔女が出没する事は頻度的にほぼ有り得ないものの、しょせんは経験に基づいたものでしかない。不安や猜疑心ある所に魔女はあり。故に真昼に魔女が現れたとしても不思議ではない事。溜息をついたものの、魔女なんて居るに越したことはなく、寧ろ収穫が無い事も喜ぶべきだ。ソウルジェムが濁ったその先に何があるかは未だ分からないけど、おおかた魔法が使えなくなる事だろう。魔女が途絶え、ソウルジェムが使えなくなる。そうすれば魔法少女はお役目御免となり、少し寂しい気もするけれど、魔女も魔法少女も居ない世界の方が、きっと今の世界より心地の良いはず。魔法少女も魔女も、本来居ない方が良い。そこへ──。

「──あら? あれは──」

 燃え盛る紅蓮の炎が如き髪色の、ポニーテールの少女。加えて、翡翠の髪を二つ括りにした、あすみちゃんよりも更に1~2歳は離れているだろう幼き少女。緑髪の方は存じ上げないけど、片方の真紅の髪の少女は──。

「佐倉さん──!?」

「げっ!? うわ!? マミっ!?」

 眉を眉をハの字に歪めつつ、露骨に嫌そうな態度をとる少女──佐倉杏子。かつて私の弟子だった少女。弟子だった少女にして──私の影。最後の時まで、彼女の苦しみを分かってやれる事など無かった。愛しき家族の為に願い、その身を戦場へと捧げた優しき少女。けれど、家族は彼女を置き去りに、地獄の炎に焼かれながらこの世を去った。それが自らの願いが齎した呪いであり、自らが家族を殺めたようなモノ。罪悪に混じる自棄に放たれた、弟子としての彼女の最後の言葉──『事故で家族が死んだオマエと、家族を殺しちまったあたしとじゃ全然違う』。そんな事はない。そんな事はなかった筈。愛する家族の為に願った優しき少女が、自らの手で殺めたなど有り得ない。その手を引っ張ってでも、私が面倒を見てやるべきだったのに、その手が払われてしまった。払われた手を、尚もつかんでやるべきだった。彼女は罪悪感に押し潰され、きっと壊れてしまったのだ。壊れきってしまい、今では利己的な──使い魔に人が食われるのを是とする──魔法少女へと変わってしまった。

 ──だからって、見過ごせない。

 その手をつかめなかった事は、今でも私の後悔。──いえ、つかめたとしても迷惑だったのかもしれない。彼女にとって私は『友達』でもなんでもなく、ただの一『師匠』でしかなかったのかもしれない。そんな口うるさい師匠に匿われたとして、おせっかいで迷惑この上ない事だったのかもしれない。けれど、それが魔女や使い魔を見て見ぬ振りして、今日も誰かの大切な人の命を奪って良い道理になどならない。だから──。

「──どうしてこんな所に居るのかしら?」

「──チッ。ウゼ──」

 舌打ち混じりに、悪態をつかれる。曰く彼女の狩場──風見野──の魔女が枯渇し、故に見滝原にまで再び赴いたらしい。だがこの町を、利己主義の魔法少女として乗っ取るつもりなら、そうはさせない。

「──そう」

「──ンだよ。またあの時みたいにヤろうッてのか」

 一触即発。互いに互いが、今にも点火させんばかりに、そのオーラを滾らせる。往来のここでは不味いか──裏路地に誘導すべきか。だが今度は、以前の様な生ぬるい──助けるための闘いになどなりはしない。互いに互いを殺し(語り)合う、まさに一切の抜かりが許されぬ戦いに──。

「キョーコをいじめるなぁ~っ!」

 ──翡翠の少女が割り込んだ。

 スカートに小さな手がかけられ──。

「──は」

「あ──?」

 バッと勢いよく捲る。はためく私のスカート。

「きゃぁっ!?」

「お、黒じゃん」

 何が黒よ。下着なんて人に見せた事なんて一度もない。突然の思わぬ攻撃にボンっと、焼きあがるように頬どころか耳たぶまで熱くなってしまった。

「キョーコをいじめるやつはゆまがゆるさないんだからっ!」

「ちょ、やめ……っ! やだぁ!」

「お~良いぞゆま。もっとやってやれ」

「佐倉さんっ!? あなたこの子にどう言う教育を──ってやめてぇっ!」

「このこのこのこのこの~!」

 何度も何度もカーテンのようにはためかせられる。スカートはカーテンじゃないわ。もう一度。スカートはカーテンじゃないわ! 黒いショーツを覗かせる為なんかじゃない。

 ──もうスカートじゃないボトムにしようかしら。

 そうすれば下着を露出させられる事なく済むだろう。ただし、佐倉さんのようにホットパンツは少しばかり恥ずかしく、また少々太めの太腿──お菓子の量減らさなきゃ──ではそれはそれで恥ずかしいので、そう言った類のモノはナシね。

「あ~もうそのぐらいにしてやれ」

 ──あなたが煽ったんでしょ!?

 そう怒鳴りつけたくもなったけれど、なんだかもう馬鹿らしい。拍子抜けた。

「でもキョーコ……!」

「あー大丈夫大丈夫。イジメられてなんてないよ」

「でもゆまの願いは──!」

「──あぁもう!」

 ガシっ、とその骨張り気味の手のひらを、ゆまちゃんの髪にのせてあげて──。

「ンな事ぐらいわかってるから心配すんな。な?」

「もぉ~!」

 少々雑めに撫でてあげる佐倉さんだった。

「──ふふっ」

「ンだよ。何か文句あんのか」

 どこかホッと、安堵が胸を撫で下ろす。別れ際同様、口調こそ悪態にまみれてしまって、もうあの頃みたく私を『マミさん』と呼んでくれも恐らくはしないよね。けど──。

「ごめんね? お邪魔だったみたいね」

「あ~良いって良いって」

「む~!」

 かつての佐倉さんの妹──モモちゃんぐらいだろう歳の子を、同じ魔法少女として潰し合うのでなく、面倒を見れるぐらいには、利己主義者になんてなりきってなどいなかった。

 ──よかった。やっぱり佐倉さんは佐倉さんなのね。

 あの時のようにかつての妹を世話する佐倉さんを重ねてしまったのか、もはや利己的な魔法少女・佐倉杏子──などと言う印象は、とっくに拭えてしまった。

「良かったら昔みたいにまた遊びに来てみない?」

「はあ?」

「はあ~?」

 佐倉さんの真似をするゆまちゃん。世話をするにしても、もう少し教育を怠らないで欲しいと思わなくもない。

「えっと、私ね? 丁度ゆまちゃんの少し上ぐらいの子と出会ってね? 一緒に住んでるの」

「はあ、そうかい」

 近頃の噂通りの利己的魔法少女だったなら、きっとここで『甘ったれてんじゃねえぞ。魔法少女が馴れ合うな』などと言われそうでもあったが、興味など無さげに、ぶっきらぼうに流される。本人もこうして幼い子供と共にしてるだけに人の事も言えないのか、はたまた少し『丸く』なったのかはさておき。

「だから、四人でお茶するのも悪い話じゃないと思って……。ゆまちゃんともお友達になれるかもしれないし」

「まぁ考えといてやるよ」

 ──佐倉さんが良いって言ってくれた──!

 表情がぱぁっと晴れる気がした。喧嘩別れしてしまった事が心残りだった。けれど今ではこうして、お茶会に来てくれる程にまで。

「あ、か、勘違いすんなよ!? ぜってー行く! なんてヒトコトも言ってねぇからな!? あくまで考えといてやるだけだぞ!? ソコんトコ勘違いすんなよ!?」

「すんなよ~!」

「うんっうんっ……! ありがとう佐倉さんっ」

「ばッ……あぁもう! 帰ろうぜゆま! こいつうぜえ!」

「うぜ~!」

「ふふっ。またね佐倉さんっ」

 ゆまちゃんの手を繋ぎ、背を向けながら若干ぞんざいげに手を振り返す佐倉さん。それでも──。

「……はぁ。佐倉さん……っ」

 ──よかった。

 安堵の溜息混じりに、『考えといてやる』が拒絶よりもどれほど嬉しかった事か。もう一年ぶり程だろうか、佐倉さんと共に紅茶とケーキを味わうのは。

「あ、いけない!」

 家できっとあすみちゃんがお腹を空かせている。こうしてはいられない。魔女探しも済ませた事だ、即刻帰宅をせねば。

 

◆◇◆◇◆

 

 私の手料理を頬張りながら、あすみちゃんが──。

「──マミおねえちゃんのおともだち?」

「……とは言っても、そう呼べるかどうか……」

 確かに、私としては友達と呼びたい。けれど当人の佐倉さんにはかつて『マミさんは友達って言うより──』と返された。私と彼女を繋ぐものは飽くまでも師弟関係でしかなくて、言わば戦いでしか繋がれなかった。今でももう、単なる旧知の仲以上のモノではない筈。この家に来てくれるかもしれない。そう喜んだにしても、浮かれすぎだったのかもしれない。

「……大丈夫っ。きっと来てくれるっ」

「あら、どうして?」

 キョトン、と首をかしげる私に。

「マミおねえちゃん、優しいんだもん……」

 優しい……? 私自身をそう思った事なんて一度もない。寧ろ自分はもっと──。

「優しいなんてそんな──」

「ううん、優しいっ」

 

「──なんか、おかあさんみたいで──」

 

 ──おかあさん。

 お友達を通り越して『おかあさん』。あすみちゃんが失ってしまった家族の一員。

「……もうっ、まだそんな歳じゃないのに」

「ご、ごめんなさ──」

「ううん──」

 ああ、なんて愛おしい。ぎゅっとあすみちゃんの小さな身体を抱きしめて──。

「わわっ……」

「むしろ嬉しいっ」

「……やっぱり、マミおねえちゃん優しいよ……」

「ふふっ、もうっ……」

「……」

 愛おしい愛おしいあすみちゃん。けれど──。

「ねぇ、あすみちゃん」

「うん……?」

「明日ね、大事なお話があるの」

「え……?」

 そろそろ明かさなくちゃいけない。自分が『おかあさん』などとはどれほど程遠い人となりか。『正義の味方』ぶった自分がどれほど『嘘』に塗れていたのか。

「あすみちゃんと私の、とっても大切なお話なの」

「う、うん……」

 私は決して褒められた人間なんかじゃない。けれど今明かすのはどこか怖い。だから明日。まだ──まだ心の決心がついていない。一晩明けて心の整理をつけてから、あすみちゃんに明かしてしまおう。

 ──幻滅、されるのかな──。

「ふふっ。だから今日はもうお休みねっ」

「……明後日は……?」

 大事な話。それは捨てられる事。明日を過ぎればきっと話のあとに捨てられてしまう。あすみちゃんは、そう思ってしまっているのか。今まで、捨てられることばかりだったのか。なら──。

「うーん。明後日は学校だから……」

「……っ」

「……ちょっとぐらいサボって、あすみちゃんと居るのも良いかもしれないわね」

「わぁ……!」

 ぱぁ、とあすみちゃんの表情が晴れる。けれどまた遠慮しがちに──。

「っ……、で、でも、マミおねえちゃん、わるいよ、そんなの……」

「ふふっ、冗談よ。……でも、意外と悪くないかもしれないわ」

「……あすみの為に、無理しないでね……?」

「うふふっ。はいはいっ……」

 これから私はあすみちゃんと共に居る。その為に自分の事を明かす必要がある。もし幻滅されれば──いいえ、幻滅されようとも見捨てて良い道理にはならない。幻滅されるのなら陰ながら守れば良い話。そして何より忘れられなかった。

 ──あすみちゃんの涙は、きっと私と同じ。

 誰に頼る事も出来ないままずっとひとりぼっち。ケーキや紅茶ひとつ頂くのにさえ、許しを乞う程に弱りきった女の子。ずっとずっと、涙にその瞳を潤わせた女の子。

 ──放っておけるわけないじゃない。

 怖くて怖くて泣いてしまうのなら、その涙のイミを変えてあげなくちゃいけない。嬉しくて泣いてしまえる程の涙に、変えてあげなくちゃいけない。この子にはまだ、いつだって輝かしい『未来』が残されている筈。ならばその未来、なんとしてでも守り通さなくちゃいけない。強がりなんていらない。そんなウソ偽りなんて、悲しさや、寂しさしか産まないから──。

 

◆◇◆◇◆

 

『──なんか、おかあさんみたいで──』

『……もうっ、まだそんな歳じゃないのに』

『むしろ嬉しいっ』

 

「──チッ」

 何でわたし、あのとき『おかあさん』なんて口走ったの?

 昔に幻滅された弟子を誘ったは良いけれど、来てくれるか不安になってしまってたマミおねえちゃん。

 彼女をいい感じに調子よく持ち上げて『ノせてやる』だけで良かった。

 でないと、その二人の魔法少女に来てもらえなくなる。

 来てもらえるなら、ソイツらも今まで通りわたしが『愉しんで』あげるに越したことはない。けど──。

『おかあさん』ですって?

 わたしにとって、おかあさんとはただひとり。片親になろうとも、最後までありったけの愛情を注いでくれたあの人ただひとりだけなんだ。わたしが色んな人の不幸を嗜む魔法少女になっても、あの人に対する愛情だけは変わらない。今までも、これからも──。だから、誰も『おかあさん』になんてなり得ない。なってはいけない。『おかあさん』の代わりなんて、このセカイに在りはしない。

 しない──ハズなんだから……。

「──まぁいっか。アドリブだけれど図には乗せたわよ」

 現にマミおねえちゃんにまた抱きしめられちゃった。

 自分をおかあさんだなんてカン違いしちゃって、目の前のわたしに庇護欲も母性も掻き立てられたに違いない。

 上から目線のその欲望、その傲慢、その闇こそわたしの糧。

 内に秘めるその闇をマミおねえちゃん自身に気付かせ、そして知らしめて思い知らせなければならない。

 わたしは──わたしとおかあさんを見捨て去ったこの世の中を、決して許しはしない。マミおねえちゃんには、その為の礎になってもらうんだから。

「やぁ、神名あすみ」

 ああ、真夜中のマンション屋上にて音もなく隣に座るインキュベーター。

「どうもクソ淫獣」

「またひどい言われようだね」

「だって事実だもん。クソはクソよ。調理して食えとか無理でしょ。クソは料理してもクソでしょ? 身の程弁えなさいよクソ」

「やれやれ……。で、どうかな? 何かわかったかい?」

 おおかた鹿目まどかおよび魔法少女狩りについて掴んだか、と言う事。こちらの情報を、あわよくばまどか契約の為に役立てたい。そんな魂胆。

「ミッキーとワカメがなかなか良さそうよ?」

「うん?」

 ああ、首を傾げる淫獣って何でこうも気色悪(キモ)いのかしら。

「……美樹さやかと志筑仁美」

「あぁさやかか。彼女も人並みには魔法少女の素質があるね。だが志筑仁美にはない」

「ふーん……」

 わたしは鹿目まどかの契約に協力してやるつもりは毛頭も無い。寧ろその逆。けれど、ミッキー周りの破滅には興味があって──。

「……素質のないコとの契約って──できる?」

「出来ないことはないよ。エネルギーの質が悪いから、僕らとしてはあまり進んで契約したくはないね。強いて契約を取り付ける必要もない訳さ」

「じゃあさ──」

 そのシナリオの全貌をキュゥべえに明かした。

 ミッキー本人どころかミッキー周辺を破滅させ、あの子自身も凄惨な破滅に追いやられると言うステキな──ビターチョコレートの様にほろ苦く甘ったるいシナリオを──!

「──うん。悪くはない案だ」

「でっしょお~?♡ コレでシカメも狼狽えるわよ♡」

「まったく、本当に人間と言うのは──いや、感情と言うのは分からない事だらけだ。あとシカメじゃなく鹿目(カナメ)だね」

 キュゥべえが言うに、サンプルにしてきた魔法少女の中でもわたしは極めて稀な例らしい。と言うのも、キュゥべえの正体そして目的を知ってなお協力的で居られた者など、かつてたった一人しか居なかったらしい。余談だけれどその子は、魔女の姿までをもキュゥべえを模した物と化す程にキュゥべえフリークだった様子。──とは言っても、わたしの協力は見かけ上で──だけれど。

「人間の倫理観で言うと、惨い──が当てはまるんだろうね。まったく、よく思いつける物さ」

「当然よ。融通利かなすぎるクソ淫獣とは違って感情を持つ人間だからこそ思いつくモノってのがあるのよ?」

「一理あるね。基本的に僕らは嘘を吐くのはルール違反なんだが、あすみの言うその方法でなら少なくとも『嘘』にはなり得ない。お手柄だよあすみ。これで鹿目まどかの契約はきっと目前の物となるだろうね」

 バーカ。

 ……と、心の中では舌を出しあっかんべ。

 わたしの目的としては今の所は幸せなミッキーの破滅と、ただでさえ不幸な恭介クンの更なる苦悶。

 鹿目まどかの契約なんてハナから考えてない。

「……」

「あすみ? どうしたんだい?」

 ミッキーのビジョン越しにわかったこと。それは鹿目まどかの人柄。彼女はきっと、自らの事は勘定には入れてない。いつだって誰かの為、人のためと先々に口よりも体を先に動かす。わたしにとっては、そんなヤツなんて堪らなく『つまらない人間』としか言いようがない。マミおねえちゃんは大嫌いな人間だから、出来るだけ出来得る限りの苦しみを与えた末に魔女に堕としたいけれど、鹿目まどかには正直関わりたいとすら思わない。もし鹿目まどかに取り入ってお友達のフリをして、今まで通り他の人間や魔法少女に対したのと同じくありたっけの虐待に遭わせて、そしてその末にわたしの正体を明かしたとしても、鹿目まどかみたいな人間は多分それでも許してくれる。けれどそのワケは同情するか情が芽生えたから、もしくはわたしに愛を抱いたから──なんてものじゃない。むしろそっちの方がまだ『マシ』。

 そんなヤツ、いる訳ないけれどね。

 でもヤツの場合は『誰に対しても慈悲深い』。誰に対しても優しく、自分のコトは決して勘定に入れない。それはきっと慈悲深き乙女と称せば聞こえは良いものの、その実は『狂人』に近い。どうしてそうにまでなり果てたのかは存じない事だけれど、大した悲劇的な過去もなく女神が如き慈悲深さであろうものなら天然ものの狂人と称すに他ならない。

 わたしは人並みの常識や倫理観を抱いた奴らが自分の(カルマ)に焼かれるところが大っ好きなんであって、正にしろ負にしろ常識の範囲外の連中はノーサンキュー。

 それはそれとして──。

「──ねぇ肥し」

「僕は肥料ではない」

「いいから。そう言えばジャンヌの最期は火刑よね。どうだった? すごい喜劇だった? 怨嗟の呪詛を吐き散らしながらイっちゃった?」

「そんなことはない。『すべてのことに(Merci)ありがとう(vraiment)』と言い残し、旅立ったよ」

「──は」

 なによそれ。

 信じられない。そして興ざめにも興ざめさせられる話。彼女は自らの国にその身を捧げ、戦争へと身を投げた。にも拘わらず最期に待ち受けていたのは、悪魔と交信せし魔女と断定され、薄汚い権力者に嬲られ、つまりは国に裏切られた末に凄惨なる死を遂げたもの。この世全てを恨み尽くした挙句、本当に魔女として災厄を振り撒いてやらんとしてもおかしくはない話。けれど──。

 すべてに感謝をしながらこの世を去ったですって?

 誰も、誰をも恨みなどしなかったと言うの──?

「──もうジャンヌダルクの話はしないで」

「わけがわからないよ。あすみ、君が切り出した話じゃ──」

「痴呆だけじゃなく難聴にでもなっちゃった? うるさいって言ってるのが分からないのかしら? とにかくジャンヌの話は金輪際禁止ね。わたし、ジャンヌダルクと言う人物がとっても嫌いなの。その在り方も、その心も──ね」

 キュゥべえが言うにジャンヌ──タルトは故郷を兵たちに襲われ全てを失い、我が国に同様の悲劇が訪れないよう『フランスに光をもたらす力』を求めて契約を交わした。悲劇的な少女と言えばそう言える。でもわたしはその結末に納得はいかない。一切納得してない。絶対に認めない。最期の断末魔と共にありったけの怨嗟と怨讐を振り撒きながら本当に魔女と化して、散々に魔女と罵った連中への復讐を遂げたのならどれほど痛快だっただろうか。どれほどの喜劇(ギャグ)と化したか。ジャンヌにはそうすべき理由も、果ては素質(チカラ)もあった。

 なのに──なんでやらないの?

 全然意味が分からない。

 オマエは復讐すべきだったんだ。

 復讐し尽くして、自分を嬲った連中を永久の呪いに沈めてやるべきだった。ジャンヌダルクの伝説なんて、まったくもって退屈だ。もう二度と聞きたくなんてない。

「やれやれ、分かったよ」

 一方で鹿目まどかには、どうもジャンヌに類する悲劇を経験した事は無さそうだ。と言うのも、ミッキーのビジョンには小学校の頃から鹿目まどかが写っていて、つまりは幼馴染であることが確定してる。何の変哲もない『普通』な人生でしかない。

 そんなヤツが何で最強の魔法少女の素質を?

 これじゃあトラウマの抉りようがないじゃない。

 でも魔法少女としては最強になり得る。トラウマを味付けとして植え付けたとしても、ジャンヌ以上の素質だったならトラウマ如きで魔女化するかも怪しい。

 これは下手に触れない方が良さそうね。

 触れるにしても鹿目まどかをダシにミッキーを破滅に追いやるための道具として使う以上の域を出ない方が良いかもしれない。

 どうして素質の高い魔法少女はどいつもこいつも『わたしの理解外』にあるの?

 あんな奴ら、頂くにもこっちから願い下げよ。

 考えるだけでも虫唾が走る。

「しかし、あすみがまどか契約の計画を立ててくれたのは感謝してるんだが、残念ながらそれでも懸念すべき事はあるんだ。大抵の子なら二つ返事なのに、まどかはそうじゃない」

 当然。かつてのわたしみたいに──もう他に頼れない、誰にも頼れない、後は掴む藁だけ。そんな娘ばかりを狙ってコイツは契約を交わしに来るけれど、鹿目まどかは違うもの。

「じゃあ契約せざるを得ない状況作っちゃえば?」

「と言うと?」

「いっそ周りの人間皆殺しにするとか、そしたら変化あるんじゃない?」

「いやいやそれはだめだよ。僕が直接手を下すのはルール違反だ」

「異星淫獣キュベ太郎の癖にヘタレねぇ」

 そんな事わかってる。インキュベーターを煽る以上の意味はなかった。

「じゃあいっそ誰かにシカメの周辺人物皆殺しにする様頼んじゃえば? あ、でもそれはわたしが計画言っちゃったわよね、さっき」

「いや、そんな直接的な方法じゃきっと無理だろうね。あすみの計画の方なら上手くいくだろうけれど」

 また何かヘタれた事があるとでも?

 ルール違反とか今のとかクドクドクドクドと!

 あまりにのっぴきならない淫獣に若干苛々したところで──。

「暁美ほむらだ」

「あぁこの前言ってたイレギュラー……。オマエが契約した覚えないとか言って痴呆ぶちカマしちゃったアレね?」

「この前まどかの所へ行こうとしたらまた暁美ほむらに個体を潰されたんだ。勿体ないじゃないか!」

 またか。

「ちょっとトロ過ぎない? きゅ~べ~ってそんな足遅かった?」

「そうじゃない。どうも僕の行動を全て知り尽くしているかのようだ」

「言い訳お疲れさまっ」

 最凶最悪の魔女を産んじゃいけない。

 一度知れば誰もが考えそうなこと。でも魔法少女の真実なんて知ってるヤツ、インキュベーター以外にはわたしを除いて殆ど居る筈もないけれど。

 そして魔女化の真実を知ってる事そのもので情報通を名乗れる程のはず。

「最強の魔法少女さんに産まれられるのが邪魔なのかな~」

「いや、どうもそうじゃないらしいんだ」

「ん?」

「『まどかは私が守る。契約なんてさせない』って僕を攻撃したんだ」

 ──甘いものが食べたくなってきた──。

 先ほどまでは吐き気が胃酸と共に込み上げてきてはいたものの、今では物欲しげに煮えたぎる。

「……へぇ」

 空腹とは食事に於ける最高のスパイスなの。

 それも皿に乗せられるは魔法少女の絶望。

 こんな甘苦しそうなデザートを前に、どうして食欲に堪えれば良いの?

 その香りにその味を想像なんてすれば、口も吊り上り眉も垂れ下がり蕩けちゃいそう……!

 暁美ほむらは鹿目まどかの契約を望まない。つまりは魔法少女の末路を恐らくは知ってる。世界滅亡を避ける為でもなんでもなく、文字通り『鹿目まどか』を守るため。聞くに真夜中の街が静まり返る時間での出来事で、一晩中眠ることなくキュゥべえにストーキング──もとい鹿目まどかにストーキングして、一体一体丁寧に淫獣残機を狩り続ける。

 そうまでして鹿目まどかの契約を拒むのなら、個人的にご執心なのは間違いない。

 暁美ほむらは鹿目まどかの魔女化阻止のために戦っている。毎晩魔女相手でなく、インキュベーターを相手取って──!

「っはぁ──たまんないッ……! すっごい美味しそう──ッ!」

「それじゃあ暁美ほむらをグリーフシードにするつもりかい?」

「愚問ね。そんなに美味しそうなヤツ、頂くほかないわ。素質もヘボいんでしょ?」

「もちろんまどか程じゃないね。だが気を付けた方が良い。彼女の固有魔法は謎に包まれている」

「それなのよねぇ~」

 逃げ足の速いキュゥべえを、一体ずつ容易く葬れる程の力。いざ暁美ほむらの前に立てば、訳も分からない内に一方的に狩られる──せっかく隠した、わたしのソウルジェムの位置まで特定されて砕かれる可能性だってある。

「……う~ん、あとでいっか」

「賢明な判断だと思うよ」

 暁美ほむらについてはひとまず保留。

 ヤツの人となりや態度を観察してからでも遅くなんてない。

 誰でも本人の意識しないところに見られるクセ──頭を掻いたり汗を掻いたり──が突破口になり得る事なんていくらでもあるんだから。

 人伝いに聞いた話だけをあてにして飛びつくほど、わたしは早計ではないつもり。

 鹿目まどかやジャンヌダルクだけは聞いているだけで苛ついて自分を保てそうにないけれど、それらは例外。

「それから困ったことに、僕は鹿目まどかの傍にあまり着けなくなってしまったんだ」

 鹿目まどかより大切な事がこの淫獣にはあると?

「なんで?」

「この前言ってた魔法少女狩りさ」

 黒き鉤爪使いの魔法少女。

「僕としては、魔法少女が魔女へと至らないままその命を散らすのは避けて欲しいんだ。せっかくエネルギーを得られる筈だったのに、もったいないじゃないか」

「じゃあほっとくのって?」

「いや、そうもいかない。ひとりの魔法少女が死んでしまうごとに、どれだけエネルギーの損失があると思っているんだい? 加えて、美国織莉子と言う魔法少女が居るんだが、彼女は魔法少女の素質を持つ者の存在がわかるらしいんだ。だから彼女の言う通り、契約を必要としている者の元へも赴かなければならなくて──」

 あぁコイツ……意外と馬鹿なのね。

「それいつの話?」

「どちらも最近から頻発してる話だね」

「ならほっといたら?」

「え、でも……」

「対して金も持ってない雑魚い客相手にしてばっかで、上客逃してどうすんのって話なんだけど?」

 恐らくその美国織莉子と魔法少女狩りは繋がってる。そして美国織莉子とやらも魔法少女の行く末を知ってる可能性は大いに有り得る。と言うのが、キュゥべえが以前ほど鹿目まどかの傍に居られなくなった事と魔法少女狩りはほぼ同時期。加えて美国織莉子の素質サーチ──なのかな……?──と言うキュゥべえも把握できてない妙な魔法によって、新たな素質アリの少女の所へ向かわざるを得なくなって、鹿目まどかの元から離れる事となる。これは美国織莉子もまた鹿目まどかの契約阻止が魂胆のハズ。けれど暁美ほむらと同じく鹿目まどかを守る為かどうかはいま一つこの場限りの情報からじゃ分からない。もしかすればわたしと同じように、いざとなれば首を撥ねさえすれば良いとも考えてるかもしれない。

「……あれっ」

「どうしたんだいあすみ」

 そこまで浮かんで過った話。

 鹿目まどか、狩れなくない?

 美国織莉子が鹿目まどかの敵サイドで且つ契約を阻止したいと仮定するなら、あの子を直接今すぐ殺せば良い話。けれど美国織莉子はそうしない。もしくはできない。やるとすれば、すばしっこいキュゥべえを一瞬で葬れる実力の暁美ほむらと真正面から戦うハメになってしまう。だったら美国織莉子を何らかの方法で葬り去る事も容易くて──。

「……あー……。ま、とにかく美国織莉子は多分陽動ね」

「なるほどね」

 ま、いっか。

 こうしてキュゥべえには美国織莉子の魂胆の仮説をばら撒いてやった。もうこれで陽動は効かない。

 あとは実力不明な邪魔者共には潰し合ってもらって一気に一掃されてくれたら都合の良い事この上ないもの。

 そいつらを『味わう』ことが出来ないのが残念でしょうがないけれど。そうして皆斃れてくれたら鹿目まどかをわたしが殺害する。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──次の日。

 今日のマミおねえちゃんは日曜で学校はお休み。

 朝ごはんの余韻に紅茶を嗜んでる。

 流石に拘ってるのか、紅茶の味自体は悪くはない。

 悪くはない──はずだけど──。

「今日も紅茶が美味しいわね」

「うんっ」

「ふふっ」

 温かい。

 そしてこの温かさがとても不愉快だ。

 いまさら溶かすべき凍てついた心なんて、わたしにはない。

 この温かさこそが、マミおねえちゃんのおせっかいさを表すかのようで気持ち悪い。

「どこ行こっか?」

「マミおねえちゃんの行きたい所なら、あすみどこでもいいよ……?」

「ふふっ。そういう返しって一番困っちゃうのよ?」

「ご、ごめん……」

「ううん、どこ行こっかなぁって迷っちゃうの」

 どこでもいいわよもう。

 心底興味がない。

 思い浮かぶ筈も無い。

 だからマミおねえちゃんに任せたって言うのに……。

 改めて『そう言う返し』をわたしに投げかけないで欲しい。

 ウザかった。

「じゃ、適当にお散歩でもしましょうか」

「うんっ」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──公園にて。

「ん~っ、良い天気ねぇ」

「だねっ」

 雲一つない晴天。

 澄み切った天色の空。

 でもわたし、本当のところは雨の方がいい。

 これほどまでに天が輝かしかったとしても、黒き『夜』は必ずそこにある。

 どこに居ても、いつまでも。隠し通すなんて出来ない。

 この天上天下で同じ空の下、今日も誰かが他人を嘲り貶めている。

 このセカイの『業』とは、この青い空ごときで掻き消し誤魔化すなんて無理な話。

 ならわたしは、そんな嘘偽りの空なんかじゃなく、いっそ空には泣いてくれていた方が心地良い。

「ねぇ、あすみちゃん」

「なぁに?」

「……昨日言ってた、大事な話なの」

 ああ、今日がそうだったよね。

 マミおねえちゃんの言う『大事な話』。

 昨日は明後日以降も傍に居てくれる……みたいな事言ってたけど、おおかたマミおねえちゃんの親戚にでも放り投げて捨てる、って話をしたい所かしら。

 なら結局マミおねえちゃんも、奴らと同類ってワケよね……。

「……」

 ……潮時かな。

 話の内容次第じゃ、今日でマミおねえちゃんの命日としよう。

 おねえちゃんのケーキを食べられなくなるのは少し残念だけれど、きっとマミおねえちゃん自身の方が美味しそうだから、それはそれでもう良いかな……。

「……あすみちゃん」

「……うん」

「あなたが居てくれて……本当に良かったと思ってるの」

「え……」

 何を言ってるの、コイツ。

「私もね、ずっと独りぼっちだったの……」

 私『も』。

 マミおねえちゃんは、わたし『も』独りぼっちだって思ってるって事。

 おねえちゃんに何がわかるって言うの?

 本当の『独りぼっち』なんて知らないくせに……。

「この前みたいにね……? あすみちゃんを助けたときみたいに、魔法少女として色んな人を……魔女や使い魔に殺されそうな人たちを助けてまわって、ずっとずっと戦ってきて……。それで正義の魔法少女であり続けるんだ、って意気込んでたの」

 そんなことする魔法少女、今までマミおねえちゃん以外にあんまり聞いた事ないよ。

 もちろん、正義のヒロインごっこに悦に入るコだって何人も居た。けれど魔力の採算が取れなくなって、いつしか苛烈なグリーフシード争奪戦に身を投じるしかなくなった。ごっこ遊びじゃなくなって、みんな使い魔程度なら見逃すか人間を食って魔女へと肥えるのを待つかする。

 マミおねえちゃん、あなたは馬鹿よ……。

 それも、すごく大馬鹿よ……。

「──でも、それも少しだけ……ううん。私、だいぶ嘘ついてた」

 ほら見て。正義の味方なんて務まる筈が無かった。

 正義の魔法少女として年単位で生き延びられるなんて有り得る筈が無かったもの。

 だからマミおねえちゃんも、そこらの連中と変わんなくて──。

「私ね? 本当はとっても怖かったの……」

 ──は。

「怪我もするし、恋したり遊んだりする暇もなくなっちゃう。無理してカッコつけて、それでも怖くって……。でも誰にも相談なんて出来なくて。だから毎日、夜には一人で泣いてばかり」

 ぽつりぽつりと、懺悔するかの様に溢されるおねえちゃんの言葉。

 ──なにそれ。

『正義の味方』って怖かっただけ……?

『ごっこ』じゃないって言うの……?

「けど、それでも戦わなくちゃいけないの」

「……どうして」

 分からない。マミおねえちゃんが何を考えてるのか理解できない。

 ──この人まさか、鹿目まどか(狂人)と同類?

 そこまで過って、わたしの眉間がかりかりともどかしさに震える。

「──私の責任だから。あのとき……お父さんとお母さんを助けてって願えば良かったの。でも私……っ、『助けて』ってだけ願って見捨てたの……。私がお父さんとお母さんを殺したの……!」

『同類』なんかじゃなかった。

 いたって『普通』の人間だった。

『普通』に『幸せ』で。『幸せ』から堕ちたおねえちゃん。

「……それからはこの公園で、魔女に食べられちゃう男の子を助けようとした。でも駄目だった……。おめおめと逃げて、また見捨ててしまったの。見捨てる事で、私だけが生き延びてしまったの」

「マミおねえちゃん……」

「どうして……? お父さんお母さんにも……あの子にも。ずっとずっと幸せな未来が待ってたはずなのに、なんで身勝手な私だけ生き延びるんだろう、って……。あの子の悲鳴が、断末魔が……今でも耳に残ってるの……」

「……おねえちゃんは勝手なんかじゃ──」

「ううん、とっても身勝手。だから私は贖わなきゃいけないの。もう誰も目の前で死なせはしない、って。もっともっと色んな人を助けるんだ、って」

 やっぱりマミおねえちゃんは大馬鹿。

『家族』なんて、血がつながってさえいなければ、すぐに霧散する曖昧で脆い絆にしか過ぎない。それにその男の子だって見ず知らずの他人。

 どうしてこの人は、自分だけでも生き延びられて良かったなんて思えないの?

「……」

 それに、なんでわたし……ここまでムキになってるの?

 いつもみたいに、軽く嘲笑えば良いのに。

 胸がざわざわする。すごく気持ち悪い。

「──でも、命だけ救ってもダメなの。心も救わなきゃいけないって思ったの」

「え──」

 心……?

 ココロを侵す呪いの魔法少女を前に、そんな戯言を──。

「命だけ助かっても、その後もひどい目に遭うんじゃ意味がないの。そんなこと知らんぷりなんてしちゃったら、見捨ててきた今までと変わらないんだから……!」

「──それって──」

「うん……。あすみちゃん、あなたの事よ」

 助ける?

 マミおねえちゃんが、わたしを?

「いっしょに居る時間がとても楽しくて、温かくて、心地よくて……。でも、あすみちゃんはきっと……今までずっといっぱいいっぱい傷ついてきたの」

「……」

「……ごめんなさい。わかったような口利いちゃって……」

「う、ううん……」

「でもね? あすみちゃんみたいな他人を想ってくれる子が不幸な目に遭うなんて、見てて堪らないの」

「で、でもマミおねえちゃん……。わたしとずっと居たら新しいお父さんがきっと追いかけてきて、マミおねえちゃんの迷惑にっ──」

 ……あのゴミ共はもう既に居ない。

 だから追いかけて来るなんて嘘。

 でも、例え追われるとしても──マミおねえちゃんは傍に居てくれると言うの?

「ううん、全然迷惑なんかじゃないの。それに追いかけられたとしても、きっと後からなんとかできるから。あすみちゃんがひどい目に遭ってからじゃ遅いもの……」

「……っ」

「だから、どうかあなたを守らせて欲しいの。この私に……。迷惑とさえ思わなければだけど──ううん、迷惑だって思ってくれても、陰ながら守るって言う事もきっとできるから……」

 いつになく、あすみを見据えるマミおねえちゃん。

 冗談、よしてよ……。

 あすみがひどい目に遭ってから?

 だったら何で、あすみが『こうなる』前に助けてくれなかったの?

 もう、何もかも遅いよ……。

 

『──そんなわがままな子供のためなら、どこまでも頑張れちゃうんだから……』

 

 まただ。

 またあの人の──温かくも儚げな声色が脳裏に浮かぶ。

 あの人とマミおねえちゃんは関係ない。

 あの人はわたしにとってのたったひとり。

 何で──どうしてマミおねえちゃんに優しくされると、あの人が過ぎるんだ。 

「──いいよ」

「──!」

 見開かれる、マミおねえちゃんの瞳。

「あすみ、ずっとずっと頑張ってきたマミおねえちゃんの居場所になりたいな……」

「……あすみちゃん……」

「守られるばっかりなんじゃなくて、マミおねえちゃんの助けになるの。魔法少女じゃなかったとしてもマミおねえちゃんと一緒に居る事ならできるよ……? ずっと……マミおねえちゃんに『おかえり』って、言ってあげる事ならできて──」

 その先の言葉は、温もりで遮られた。

 わたしの小さな躰が、全身で抱くマミおねえちゃんの温もりに包まれる。

「ありがとう、あすみちゃん……っ。こんなダメな私といっしょに居てくれるって……」

「……マミおねえちゃんはダメなんかじゃないよ。おねえちゃんの事、悪く言わないでよ……」

「でも……っ」

「でもじゃないっ。マミおねえちゃんがあの時居てくれたから、わたしは今ここに居るの。だからわたしのほうがありがとう、って……」

「っ……、あすみちゃん……!」

 瞳が潤み、目頭を押さえるマミおねえちゃん。

「……マミおねえちゃん、大好きっ」

「うんっ……。私も……!」

 

 ──そうだ。

 マミおねえちゃんは傲慢な女なんだ。

 マミおねえちゃんは『おかあさん』なんかじゃないんだ。

 マミおねえちゃんは所詮は魔法少女なんだ。

 ああ、まったくひどい茶番だったことね。

 本人も言ってたんだ。身勝手極まりない女なんだって。

 それに『独りぼっち』が怖いなんて大ウソ。マミおねえちゃんは独りぼっちが心地良いんだ。愉しいんだ。キモチ良いんだ。そうして悲劇のヒロインを気取って陶酔するのが堪らなく快いんだ。

 抱きしめられてお顔は見られてないから良いけれど、愉悦に嗤い、自分の口が裂ける音が聞こえそう。

 ああ駄目……っ! 堪えてわたし……っ!

 傑作にも程がある……!

 何だ。いつも通りマミおねえちゃんを嗤えるわね。さっきまでのわたしがどうかしてたんだ。

 マミおねえちゃんはいま、きっとわたしに依存しきってる。それも一度(ひとたび)口にした麻薬が如く。もはやわたしと言う毒無しじゃ生きられないカラダしてる。

 だったら話は早い。

 その麻薬となったわたしに裏切られ、身も心も滅ぼすシナリオに沈めてあげる。

 じわりじわりと……丹念に、念入りに殺してあげる。

 このセカイに偽物の優しさで塗りつぶすなんて出来ない『不幸』があるって事、思い知らせてあげる──!

 

「あっ! マミさん!」

「あら……」

 割り込まれる姦しい声。

 いつだっけ、病院で一人走りするまでに快活だったあの声は──。

「やっぱマミさんじゃん! こんちわっす!」

「えへへっ、こんにちはマミさんっ」

 ミッキーとその親友──鹿目まどか。そして世界最強の魔法少女候補にして──最凶の魔女の卵。

 未だ契約していない一般人相手──それも最強の魔法少女候補相手なら、先の考察の通りならわたしのシュミには合わないだろうけれど、やっぱり是非一度は覗いてみたい。

 でもやめましょう。マミおねえちゃんにバレちゃう。

 魔法少女相手なら記憶を消し去ってやる事も、出来ない事はないけど簡単じゃない。今ここで台無しにしてやるぐらいなら雌伏の時ね。

「えっと、そっちの女の子って……」

「あ、もしかしてマミさんの言ってたあすみちゃん?」

「わたし、鹿目まd「残念! 美樹さやかちゃんでした!」

 鹿目まどかに被せるように割り込むミッキー。

「ちょ、ちょっとさやかちゃんっ!」

「はっはっは!」

 ああ五月蠅い。

 困り笑顔のまどかに笑うミッキー。

 申し訳程度に横から「わ、わたし鹿目まどか。よろしくねっ」と、わたしの身長にまで体を落として名乗られる。

 名乗られなくても、ミッキーのビジョンを通してあなたの事も知ってるわ。

「……ん~?」

「……?」

 同じくわたしに視線を合わせて、じろじろと凝視してくるミッキー。

 何こいつ? わたしの真似でスキャニングするつもりなのかしら?

 おぉこわいこわい……。

「──あすみちゃん、どこかで会った?」

「……はあ?」

「え?」

 おっといけない。

「ご、ごめんなさい……覚えて、ないの……っ」

「……」

 自らの脳裏を見やるかのように、しばし視線を上方向に投げかけるミッキー。

「でっすよね~! ごめんねごめんね!」

 無駄に勘が鋭いって所?

 ウザったい……。

 もしかして記憶を消せてない──と、一瞬このわたしとした事が動転してしまい、声として表れてしまった。

 けれど、思いのほかバカっぽくて助かった。これが他の魔法少女──例えばマミおねえちゃん辺りだったなら、巻き返しなんて正直言って無理ゲーだった。

 でもあまり舐めちゃダメな様ね。

 馬鹿には変わらないけど、恐らくはコイツ自身が覚えてないにしても、わたしが一度ミッキーに会った事がありそうだとは察しはした筈。だからミッキーの前であまりチャチなウソはつかない方が身のため。ついたとしても誤魔化す手段を最大限に用意のうえじゃないと好ましくはない。

「それじゃ、あたし等まどかと出かけて来るから!」

「マミさん! あすみちゃん! また会おうねっ!」

「えぇ、またお茶しに来てね」

 こんなアホっぽいヤツとお茶なんて飲みたくない。

 マミおねえちゃん余計な事しないで。

 そんな邪悪なる心中を明かす訳にもいかず「う、うんっ、バイバイおねえちゃんっ」と媚びを売っておく。

「……さて、お家帰りましょうか」

「うんっ」

 



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第3話「お昼寝っていいことって、わたしおもうんだ」

「あすみちゃんっ」

「うん……?」

 昼に入る頃。

 マミおねえちゃんの『大事な話』の日からしばらくして。

「そろそろお腹空くわよね。何食べたい?」

「……ケーキ」

「ふふっ。すっかり遠慮しなくなっちゃって……」

「えへへ」

 もしもマミおねえちゃんは魔法少女でなかったら、多分わたし専属のケーキ職人奴隷として雇ってあげない事もなかった。

 人柄としては大っ嫌いだけど、ケーキ作る能があるなら、使い潰す為に傍に置いておくのも悪くはないわよね。

「でもダメよ? お昼はケーキじゃなくてちゃんと食べないと。まだまだ育ちざかりなんだから」

「む……」

 余計なお世話よ。

 今まで散々な目に遭ってきたのだから、今ぐらいは好きなモノを好きなだけ食べさせてもらいたい。

「ふふっ。ケーキは逃げないんだから……ね? いつでも作ってあげちゃうんだから、大丈夫よ」

「……マミおねえちゃんがそう言うなら」

「あら、おねえちゃんのごはんはお嫌いかしら?」

 知ってるかしら、おねえちゃん。

 そう言うの、意地悪って言うのよ。

 それも、ごはんもそこそこ美味しいだけにすごく意地悪。

 現にすごく意地悪げに微笑むマミおねえちゃん、鬱陶しい……。

「……大好き。おいしいし……」

「ふふっ。ありがと」

「……」

 あぁ、今日はケーキは無しなのね。

 たまにはそんな日があってもしょうがない。

 むしろそもそも毎日食べられる方がおかしかった。

 じゃなければ、いつの日か尿にまで甘い香りが漂いそう。

 そうなれば……魔法少女だし誰かに治癒魔法でも掛けてもらえば、多分治せない事も無いとは思うけれど。

「えっと……」

「……」

 あらいけない。

 困惑するマミおねえちゃん。

 わたしがすこし不機嫌だったの、伝わっちゃったかもしれない。

「……食後のデザートに食べちゃいましょうか」

「えっ、ケーキ!? マミおねえちゃんのケーキ!?」

「ふふっ。そんなに食べたがってるのに、お預けしちゃうのもかわいそうでしょう?」

「わぁい!」

 それってあなたも食べたいだけよね?

 心の中でのこの毒づきをいっそ吐き散らしてしまおうかしら……と度々過ったけれど、もう喜ぶフリの声で掻き消す事にした。

 実際、僥倖的に喜ばしい事ではあるけれど。

 殺す前に出来るだけマミおねえちゃんのケーキは味わっておきたかった。

「マミおねえちゃんマミおねえちゃん早く帰ろっ。ケーキっケーキっ」

「はいはいっ。もうっ……ふふっ」

 あれほど大っぴらに告白してきた、か弱き意地っ張りな乙女としてのマミおねえちゃん。

 でも──まだそれでも続きそう。

 花香る、綿のような温もりと共に抱擁するかのような母性的な優しさが。

 

 そうしてマンションの部屋の前にて、まさぐった鍵を差し込んだ時のこと。

「──」

「……マミおねえちゃん……?」

 瞳が見開かれる。

 誰にも聞こえないように、わたしにだけ聞こえるようにマミおねえちゃんが囁く。

「鍵、開いてる──」

「え──」

 単に物盗りか、それとも奇襲(アンブッシュ)か。

 前者ならマミおねえちゃんを予め魔法少女だと知った上で以外有り得ないにしても、こんな露骨な形跡を残す馬鹿が果たして居るのか甚だ疑問なところ。

 おおかた後者よね。

「……大丈夫、マミおねえちゃん……強いもんっ! だから泥棒さんなんかに、絶対負けないもんっ……」

「……ありがとう、あすみちゃん」

「えへへっ」

 別にお世辞でもなく、単なる物盗りが相手じゃなく並の魔法少女が相手だとしても、マミおねえちゃんが負ける所なんて想像はつかなかった。

 初めて出会った日に繰り広げられた魔女との戦闘を見るに、ナルシズムにして寂しがりの裏返しからか舞踏会の様に魅せつける戦法を取っていた。つまりは余裕がある事が伺え、余程の油断が無い限りはそうそう負ける相手なんて居ないハズ。居るとすればチート固有魔法を持つ奴か、もしくは──。

 わたしよね。

「でも絶対に私の傍から離れないで。いいわね?」

「……うんっ」

 わたしの背丈にまで体を下げ、両肩に手を添えて言い聞かせるように囁かれる。

 そしてマミおねえちゃんも、どうも魔法少女による奇襲を考えない事もなかったみたく、むしろ慎重にも慎重を重ねていた。と言うのも──。

 ──うわ、コイツわたしに何か仕掛けた。

 一瞬の仕草と視線から見逃さなかった。

 わたし……心を弄りまわす魔法少女だから、そう言う機敏には敏感なの。

 おねえちゃんのわたしに向ける視線が、一瞬だけどわたしの背後へと逸らされた。

 マミおねえちゃんの固有魔法はリボン操作──は名ばかりで、実際の所はもはやリボンを用いた偽装魔法の域に近い。

 単にリボンで拘束するのみならずマスケット銃まで錬成するわ、他に何をでっち上げられるか分かったものじゃない。

 理論上はワイヤー状にまで細めて敵を切り裂く事だって可能だろうし、そもそも不可視にして気付かない内に相手とリボンで接続しておく事も恐らくは可能。

 いま仕掛けたリボンについては、もしわたしに危機が及べば仕掛けたリボンが瞬時に盾代わりの何かに変化するか、繋いでおいたリボンでわたしを安全圏へと引っ張るかぶん投げるか──と言った具合かしら。

 正直、用意周到過ぎて流石にわたしも舌を巻く──を通り越して総毛立つぐらいにはドン引きしてる。

 とは言っても、いざ拘束されたとなれば手足の一か二本は犠牲にして逃れて、多量のグリーフシードにモノを言わせて生やせば良いから怖くはないけれど、ここまでの魔法少女は他にあまり見たことがない。

 それにしても、おねえちゃんはきっと良かれと思ってるのだろうけど、わたしに仕掛けられたリボン……わたしの行動範囲を狭められたみたいで──さながら金縛りに遭ったみたいで窮屈でしょうがない。

 他者の束縛。

 案外マミおねえちゃんの本質はそこにあったりして……?

「じゃあ、入るわよ──!」

「うんっ!」

 正直単なる物盗りであっては欲しかった。

 魔法少女による一般人への圧倒的暴力。それが済めばきっとこの掛けられた護身用リボン魔法からは即刻おさらばできるから。

 そうこうしている内に扉が風斬る音と共に開かれる。

「さぁ出て来なさい! 侵入者!」

『外敵』へそのマスケットの銃口が向けられ、でもそこに居たのは──。

「よう、邪魔してるよ」

「おね~さんこんにちは~」

 燃え盛るような真紅のポニーテールでいてケーキを素手で頬張る少女と、翡翠の髪の小柄な少女。

「はっ!? え!? さ、佐倉さん!? ゆまちゃん!?」

「へへっ」

「……はぁ~っ。びっくりさせないでよもうっ……」

 ふーん、こいつらが……。

 歯茎を見せたいたずらな笑みの杏子を前に、へたり込み溜息と共に肩を落として変身を解かれる。同時にわたしに掛けられた護身用のリボン魔法も解かれた。

 あぁ良かった。邪魔過ぎよもう。死ね。

 でも、相手さんから来てくれるとはね……!

 まだ見ないコイツらの持つ特有の『不幸』の味を想像するに心が躍る。新たに(まみ)えた魔法少女は、わたしからすれば全てが喜劇(悲劇)を奏でる楽器のよう。

 此度はどんな音色で鳴いてくれるのかしら。

「そんなことよりダメでしょ!? 勝手に入ったりなんかしちゃ!」

「うっせ。マミのガードがガバいだけだろーが。な~? ゆま」

「ふふん。キョーコのスゴわざ、おもいしったよねっ」

「……あぁもう……」

 蟀谷に手を当て深いため息をつくおねえちゃん。でも、そんな事よりも──。

 杏子、今わたしの指見たわね。

 その意図は同業者なら露骨に分かりやす過ぎると言うもの。

 けど抜かりはないの。こうして誰かに人畜無害な少女として寄生してる時には指輪(ソウルジェム)は装着してないもの。かと言って肌身離れないように細工はしてあるし、また爪に刻まれた紋章もマニキュアで消してある。

 ま、突如アセトンぶっかけられるでもされない限りバレる心配はそうは無いわね。

「おいマミ、お前ガキなんて連れて──」

「シー……っ」

「──!」

 見開かれる杏子の紅い瞳。マミおねえちゃんの視線も時折わたしへと向けられる。

 本人を目の前にしてナイショ話(テレパシー)かしら。良い度胸よね。

 陰口とかではない事は確かだけれど、こうも露骨に目の前でわたしに聞こえない話をされれば、もどかしさが鼻を撫でてあまり愉快じゃない。

「……はぁ~。わァったよもう。お人よし過ぎんだろ」

「あら、佐倉さんもそうでなくて?」

「ばッ……。ゆまはそんなんじゃないよ。あたしのケジメなんだよ」

「むっ、またキョーコをいじめるの……?」

「いいえっ。佐倉さん優しいねって」

「でしょ~?」

「おいコラゆま~!」

「きゃっきゃっ」

 杏子からは恐らく魔法少女が子守りをするな、など。でもマミおねえちゃんからおおよその生い立ちをバラされた、と言った所かしら。と言うのも──。

 憐れんだわね。

 同情の視線は今まで何度も目にしてきた。可哀相な少女を演じ、そして今度はそんな視線を向けてきた連中を可哀相にしてやった。今の杏子の目、まさに連中と同じ瞳をしてるわ。

「それと佐倉さんっ。このケーキは没収ね?」

「あ゛っ! おいマジかよ勘弁してくれよマミぃ~」

 不貞腐れながら尚もロッキーを煙草の様に咥え始める杏子。

「あっ! それも没収っ!」

「えぇ~! マミそりゃないよ~! クソぉ~!」

「いいえっ許しませんっ。これからお昼ご飯なんだから我慢しなさいっ」

「え? メシ食わしてくれんの?」

「せっかく来てくれたのに、何も無く帰すなんてひどいわよ。食べていって頂戴ね。あと今度からは侵入なんかじゃなくちゃんとした形で来ること! いいわね?」

「メシか!? メシなんだな!? おいゆま! メシ食えるぞやったな!」

「わぁい!」

 この子、ひょっとしてストレス旺盛?

 食に貪欲だけれど、かと言ってお行儀が良い訳でもない。

 汚く食い散らかす事で行き場のない衝動を発散しているの、きっと。

 ストレスのない魔法少女なんて寧ろ探す方が難しくて、そもそもキュゥべえに選ばれて魔法少女となる連中なんて、どいつも如何にもしがたいストレスを抱えるヤツに限るんだから。じゃなきゃエネルギー源にはならない。

 ただひとり、わたしが種を撒いておいた素質のないあの子だけは除いて。

 

 そしてマミおねえちゃんはご飯の支度に行った。千歳ゆま──猫ガキで良いか──も先に台所へと興味津々で駆け寄ってって、わたしもマミおねえちゃんを手伝いに行こうとした時の事。

「よぉガキ」

「あ、こ、こんにちは……っ」

 誰に向かって物言ってんのこの狂犬。

 よし、今からこいつは狂犬呼びね。もしくは駄犬。

 彼女からしてみれば自分より二から三歳は年下の子は全てガキなのだろうけれど、こうも面とガキ呼ばわりされると少し癪に障る。

 わたしはガキと称するお前なんかにひれ伏すんじゃなく、寧ろお前こそが不幸の使者・神名あすみに降伏するのよ。

「お前名前なんだっけ」

「……神名あすみ、っていうの……」

「へぇ、あすみねぇ。とりあえずコレ食うかい?」

 またもやロッキー。マミおねえちゃんに奪われたんじゃ……?

「へへッ。マミのヤツも馬鹿だよな。ああなる事ぐらい予想してんだよ」

 没収される前提で備えていた狂犬。変な所で用意周到なのね……。

 それはそれとしてこれが彼女なりの歩み寄りの一環なのだ、と。

 けれどロッキー? シケ過ぎてるわね。

 わたしは半分駄菓子みたいな菓子なんて好きじゃないの。味がチープ過ぎるから。

 と、罵ってやる訳にもいかなくて……。

「あ、ありがとう……っ」

「残さず食えよ~」

 ポリポリと前歯で噛み進めてゆく。

 うんっ! 不味いこれっ!

 どうしてこんなモノをタバコ感覚で咥えてられるのかしらぁ……?

 ふやけたりしないの? あなた味覚大丈夫?

「しっかしお前も災難だよな。マミの奴に拾われるなんてさぁ」

「どうして……?」

 きょろきょろ、と。辺りに誰も居ない事を確認する狂犬。

「マミの奴ってさ……」

「う、うん……っ」

「……ガミガミうっせえ姉貴みたいだろ?」

 ……姉かどうかはともかくとして、言いたい事はすごくピンとくる。

 マミおねえちゃんっておせっかいで、さっきのケーキ食べる食べないなんかも変に説教臭くて、そのうえちょっぴり意地悪だったりもした。

 やっぱり付き合い長いからなのか、マミおねえちゃんにピッタリ当て嵌まる表現に、頬が緩んで笑みが零れてしまう。

「ふふふっ」

「あ、分かるよな?」

「えっと……、どっちかって言うとおかあさん……? みたいな……」

「あ~言えてるよな! やるじゃんあすみさぁ!」

「えへへ」

 あ……。

「ん? どうしたあすみ?」

「あ、え、えと……っ」

 狂犬の背後に居るの。

 でも狂犬自身は気付かないまま。

 ちょっと放っておいてやってみよう。

「ンだよ? しっかし言えてるよなマミが母親みてえって。けどやっぱあたし的にはガミガミうっせえ姉貴だけどな! あははっ!」

 なおも背後に忍び寄る影に気付かない狂犬。そこへ……。

「誰かガミガミうるさいお姉ちゃんですって?」

「げッ!? マミ!?」

「もうっ。佐倉さんなんて知らないんだから! 今日はお昼抜きよ」

「はあ~!? ちょっと待ってくれよマミ~! そりゃ横暴じゃんかよ~! 大体あすみはどうなんのさ~!? こいつもお前の事『えっと、おかあさんみたい……っ』って言ってたのにさあ~!」

 当て擦りにわたしの声をしおらしく真似られる。けれど正直全然似ても掠りもしてなくて、まさに嫌がらせ以上の何物にもなってない。

 こちらにまで罪を被せないでほしい。

「ガミガミうるさいとまでは言ってないから良いのっ。ね~あすみちゃん」

「うんっ!」

「あ、テメ、あすみ裏切りモン!」

「て言うか佐倉さん? あなたずっと私の事そう思ってたの?」

「あ~うっせえな! クソウッゼエいけ好かねえ先公ババァとかよりかは良いだろ別に! とにかくマミは姉貴ポジな!? いいな!?」

「え……」

 ぽかん……と、不意にお口が開かれて。

「……でも、私のこと単なる師弟関係だって……」

「あ? そんな事一度も言ってねーし。大体マミいつまで師匠ズラしてんのさ、鏡見とけよ。も~アンタそんなガラじゃねえってハイハイ」

「……」

 流れる少しの間の沈黙。

 仄かに桜色に染まる頬。

 けれどその色は、恥じらいや憤怒なんかじゃなくて……。

「……うふふふふっ」

「は? え? ま、マミ? どうした?」

 瞼を閉じながら零れる笑み。

「佐倉さんっ」

「は、な、なんだよ気色悪い」

「今日はいっぱい……いっぱい食べてってね? 残しちゃイヤよ?」

「あ、い、いや言われなくてもそのつもりだけど……ってか昼飯抜きってさっき……どうしたんだオイ」

「うふふふふっ。なんでもないっ」

「え、あ、あぁそうかい」

「ふふっ。……ありがとう、佐倉さんっ」

「お、おう……?」

 エプロン姿のまま台所へ、小気味よく小走りして戻ってくマミおねえちゃん。

「……な、なんだったんだあいつ」

「さ、さぁ……?」

 不機嫌だったのが、打って変わっていきなり小躍り気味なマミおねえちゃん。

 でも、今のでハッキリと分かった事があるの。

 マミおねえちゃん、多分コイツの事もとても大切な子だって事が。

 そして狂犬にしても、聞いていたよりはまんざら険悪でもなさそうと言う事も。

「……わたしマミおねえちゃん手伝ってくるねっ」

「はあ? ンなの全部マミにやらせときゃ……ってゆま居ねえじゃん。アイツどこ行きやがった」

「ゆまちゃんならマミおねえちゃん手伝いにいったよ!」

「あぁ? あ~もうアイツ……」

「お手伝いしないの杏子おねえちゃんだけになっちゃうねっ」

「あ~クソっ! わかったよやりゃいいんだろやりゃ!」

「ふふっ」

 少しだけ風見野をリサーチした事はあるけれど、正直言って今の狂犬は聞いていた通りの利己的な魔法少女・佐倉杏子のイメージからは少しばかり掛け離れてる。

 妹分を手にしてから、些か丸くなったって所かしら。

 だからこそ、味わい甲斐がある。

 マミおねえちゃんの大切な子である狂犬。狂犬の大切な子である猫ガキ。

 まずは猫ガキから……といってしまおうかしら。

 順番に徐々に狭めてくように大切な人の命を奪い、マミおねえちゃんを憔悴させる。

 そしてわたしに頼りっきりになったマミおねえちゃんの顔面を蹴り飛ばす。

 どうしてか狂犬の固有魔法は不明だし、猫ガキの方も多分最近魔法少女になったばかりだから情報もつかめてない。

 それとなく下調べしておかなくっちゃね……。

 

 そしてご飯の出来上がり。メニューはオムライス。理由はお子様が多いからとの事。

「あら……?」

 不意に眉を顰めるマミおねえちゃん。

「あ? どうした?」

「えっと、もしかして味付け間違えちゃったかしら……って」

 マミおねえちゃんに限って料理の味付けを間違えるなんて有り得ない。

 ここしばらくの間、マミおねえちゃんの手料理に実際に舌鼓を打っていたわたしからしてもそれは流石に保証できる。

 現に狂犬だってこう言ってるの。

「そうかぁ? フツーにウマいと思うんだけど。な~ゆま?」

「あぐあぐあぐあぐ」

 特に猫ガキは久々のおいしい手料理だったのか、我を忘れてがっつき頬張ってる始末。

 あれだけロッキーのジャンキーにされちゃこんな温かいご飯、美味しいに決まってるわ。

「ゆまちゃん食べ過ぎよ?」

「ぅぐ!」

「あ、おい詰まったんじゃねえか?」

「もうっ! だから言ったのに……ほらこれ飲んでっ」

 喉を鳴らし、つっかえた食物を水と共に流し込む猫ガキ。

「ぷは……。おねえさんの料理が悪いんだもんっ」

「え、えぇ……? そんなに不味かった……?」

「おいしくって……」

 バツ悪そうに俯く猫ガキ。

「もうっ。うれしいけど、ちゃんとお行儀よく……ね?」

「は~い……」

 優し気に叱るその姿。まさに一家のおかあさんみたいで……。

 そんなマミおねえちゃんが、今度はわたしに気を掛ける。

「えっとあすみちゃん……美味しい?」

「……」

 まず特筆すべきは、舌の上で蕩ける玉子かな。固過ぎず、また適度に液状にまでは柔らかすぎず、玉子本来の甘味が舌を包み込む。ライスはオーソドックスにチキンライスではあるものの、わたしとしてはオーソドックスだからこそ舌を唸らせるには難度があると思ってるの。基本的な味付けはケチャップだろうけど、不思議と食べていて飽きない。

「……あ、あすみちゃん……?」

「……おいしいねっ」

「よかったぁ……。何か今日失敗したかと思ったの……」

「ううん。マミおねえちゃん失敗する訳ないから……」

「っつかコレでヘタこいたってんなら他の奴どうなるんだよ、なあ?」

「おねえさんありがと~」

「ふふっ。どういたしまして」

「えへへ」

 トマト本来の酸味を感じ、また別に旨味も感じる。バターかな。そして具材を炒める際に多分オリーブオイルを用いたか。ここまで詳細にマミおねえちゃんに言ってやりたい気もしたけれど、ここまで饒舌に話せば不審がられもするかもしれないから、簡単な感想だけ言っておいた。

「……こんな楽しい食事、なんだか久しぶりって感じがするの……」

「アンタあすみと食ってたんじゃないの?」

「そうだけど、なんだか『家族』みたいって……。お父さんとお母さん、まだ居てくれた頃のこと思い出しちゃったなぁ……」

「……マミ」

 どこか遠くへ見やりつつ、微かにその瞳を潤わせるマミおねえちゃん。

「……あー、えっとな、マミ」

「うん……?」

 バツ悪げに、気まずげに頬を紅潮させ視線をマミおねえちゃんから逸らす杏子。

「その……さ、毎日ってワケには流石にいかないけどさ。たまにメシ食いにだけ来るぐらいならしてやっても良いぞ。……多分」

「え……、泊まってってもいいのよ……?」

「いや、そりゃ流石にちょっと悪いっつーかなんつーか……」

「ううん、私ぜんぜん良いわよ……?」

「いや、でもさぁ……」

「じゃあゆまちゃんはどう?」

「うんっ! ゆま、もっとおねえさんのお料理食べてみたい! おいしいし!」

「それじゃあ決まりねっ」

「おいテメっ! ゆま使うとかセコいぞお前!」

「うふふふふっ。お姉ちゃんの言う事は聞いておくものよ?」

「お前ウザ姉貴扱いにキレてたろーが!? 都合良い時だけ姉貴ぶりやがって」

「だってお姉ちゃんって呼ばれちゃったんだもの。呼ばれちゃった以上、これからはお姉ちゃんとして佐倉さんを教育しますっ」

「うわウザ! これならメシ食いに来るなんて言うんじゃなかった! 勘弁してくれえ~!」

「うふふふふっ」

 戯れ合うその姿は、さながら本当の姉妹──『家族』そのものだった。

 けれど──。

「……」

「……あすみちゃん?」

『わだかまり』を抱えつつも、純真な子供として振る舞う。

「うん、わたしも泊ってって欲しいかな。杏子お姉ちゃんに」

「いやお前の家じゃないだろココ」

「あら、あすみちゃんはもうこのお家の一員なのよ? ね~あすみちゃんっ」

「えへへっ」

 わたしが一員。

『家族』の一員。

『家族』。

『家族』。

『家族』──。

 

 食後のデザートを終えて──。

「ふぁぁ……」

「マミおねえちゃん……?」

「ぅ……うん。食べすぎちゃったのかな……。ちょっと眠くって……」

 特製オムライスにケーキに紅茶。満腹も満腹にならない筈のないメニューだった。そして真昼も午後三時。眠くなるにはちょうど良い時間。

「佐倉さんは……?」

「えと……っ」

 わたしが指で指し示す先には──。

「……ぐぉ~……」

「……すぴー」

 二人揃ってソファの上で眠りに落ちる杏子とゆま。

 涎が滴る程に綻びた表情には危機感も無く、まるで母を前にする赤ん坊のよう。

「……もうっ。ちゃんと……お布団で、寝なきゃ……」

 時折かくん……かくん……と首を揺らすマミおねえちゃん。

 折れるまい、と支える首の力が睡魔を堰き止めているのかも。

「えっと、マミおねえちゃんっ……」

「ごめん、なさい……。お姉ちゃん、しっかりしてなきゃ、なのにね……っ」

 重い瞼は今にも閉じられそうで。

 潤う瞳はもはやわたしを見てなくて。

「……おなかいっぱいでしあわせ。お昼寝はその証拠って、おかあさん言ってたもん」

「……ふふっ。そうかもね……。あすみちゃんの……良い、お母さん……っ」

 さぁ、ふわっと浮いてしまいましょう。

 声の聞こえない、海の底へと沈むように。

「えへへっ。だからお昼寝っていいことって、わたしおもうんだ……」

「ぅ……ん。そう、……ね。あすみちゃ……」

 嫌な事も何もかもを忘れて。

 夢の世界に──。

「おやす、……み……」

 深く、深く、どこまでも深く。

 真綿に温かく包まれる眠りの心地。

 すー……。すー……。と眠るマミおねえちゃんの表情。

 心底の安心に身を委ねる少女の姿する洋人形のよう。

 そんな洋人形を眺めるわたしは──。

「────きヒ──」

 その口は端まで引き裂かれ、狂笑の色を浮かべてた事だろう。

 マミおねえちゃん、日々凝ったケーキを作っているからか確かな舌なのかもしれない。

『味』に気付いた時には流石に蟀谷に汗の雫を垂らしそうにはなったものの、佐倉杏子の舌が馬鹿寄りおよび千歳ゆまの舌がまだ子供だった事により『味』がバレずに済んだ。

 もちのろん自分のオムライスには『仕込み』なんてしてない。

 また魔法由来の仕込みなんてする筈もない。

 魔力でバレてしまう。

 そこいらの精神科医と薬局を洗脳して調達した睡眠導入剤を使ってやったわ。

 にしても──。

「──なにが『家族』よ」

『家族』。

 それは血がつながっているだけの他人。

 わざわざ口にしないと保てない程に脆く、罪人を縛り付ける縄が語源たる『絆』にも満たないハリボテの関係性。

 わたしのお父さんだってあのザマだったんだ。

 そのうえコイツら、血も繋がってすらいないんだ。

「──フフ、あハハ──」

 ああ、そう──。

 マミおねえちゃん、そう言う人間だったんだ──。

 特段、『家族』なのはわたしじゃなくても良い──。そう言う事よね?

「家族が出来たと思った? でも残念──」

 そっちがその気なら教えてあげる。

『家族』ってのは、とても温かくて優しいモノ──だなんて限らないって事を教えてあげる。

 もっと──もっと醜い『家族』だって居るって事を、その身を以て教えてあげる。

「──結局オマエは独りなんだ」

 わたしの前で『家族』ごっこをしたこと、どこまでも悔やんで欲しい。

 偽りの幸せに頬を綻ばせたこと、どこまでも悔やんで欲しい。

 お前たちがそうして見て見ぬ振りをしてる間に、わたしは──。

 ──わたしたちは──。

「……さぁて、まずはオマエよ」

 

「──千歳ゆま」

 

◆◇◆◇◆

 

 おいしかった玉子。

 おいしかったあかいご飯。

 おいしかったオムライス。

「……ぁれ……」

 ゆま、食べすぎちゃったのかな。

 ふんわりふんわりと、柔らかいお布団の中で眠っちゃったみたい。

 それでね。お外を見るとね……?

「……ふぁ」

 もうすっかり暗くなっちゃった。

 夜になっちゃった。

 ゆま、どれだけ眠っちゃったんだろう。

 それにここは? ここはどこ?

「ぁ……」

 そうだった。

 マミおねえさんのお家。キョーコがゆってた。

『マミのメシ食いに行こうぜ』って、キョーコがゆってた。

 だからゆま、キョーコとマミおねえさんと、おいしいおいしいオムライスを食べたの。

「……うんっ」

 眠ってしまうまでのこと、よく覚えてない……

 ゆま、ちゃんと『ごちそうさま』ってゆったかな……?

 ゆま、キョーコからゆわれたもん。

 おいしいもの食べた時には『ごちとうさま』って、きちんとゆわなきゃダメだって。

「おねえさーん。マミおねえさーん」

「……」

 とてて、とマミおねえさんに走っちゃう。

 おねえさんは台所でお皿をあらってて。

 でも……、ゆまのほう、見てないの。

「ぁ、あのっ、マミおねえさんっ」

「──なに」

「……っ」

 おねえさん、忙しいのかな。

 お皿、洗うの邪魔しちゃったのかな。

 ゆまの方を見ないで、ずっとずっとお皿を洗ってる。

「オムライス、おいしかったよ……?」

「それで」

「っ……。ご、ごちそうさま、って……ゆま、ゆってなかったと、思うから……」

「……そう」

「うぅ……」

 ……やっぱり、邪魔だったんだ……。

 ゆま、マミおねえさんの邪魔しちゃった……。

 マミおねえちゃん、怒ってるかな……?

 怒ってるよね……?

 怒られちゃう、のかな……。

「……」

「うぅ……っ」

 マミおねえさんにごめんなさいしなきゃ。

 忙しいのに、お話しちゃったこと、ごめんなさいしなきゃ。

 だから、ゆま──。

「……ゆまも手伝うっ」

「いい。私一人でやれるもの」

「で、でもっ、ゆまっ、マミおねえちゃんの邪魔しちゃったもん……」

 マミおねえさんに、ごめんなさいするの。

 お皿のおてつだいして、ごめんなさいの代わりになるの。

「……じゃあこれお願い」

「……! うんっ!」

 ゆま、お皿洗うのはじめて。

 ママには、洗わせてもらえなかったから……。

 ゆまが邪魔だ、ってゆわれて、お皿すら触らせてもらえなかったから……。

「んしょ、んしょ……っ」

「……出来たらここに置いておいて頂戴」

「う、うんっ……」

 ゆま。頑張るもん。

 マミおねえさんに、ごめんなさいできるように、お皿洗い頑張るもん。

「で、できたよっ!」

「……じゃ、ここ置いて」

「は、はいっ」

 もっともっと頑張るからっ。

 お皿あらい、頑張って、ゆま、マミおねえさんにごめんなさいって。

 ごちそうさまって──。

「……次これ」

「ぅ、うん……」

 けど、お皿は──。

「あ──」

「──!」

 マミおねえさんの手から離れてしまった。離れたお皿がおっこちて──

 

 ──おさらが、ゆまの、あたまに──。

 

「ぃ、やあぁっ!」

 ゆま、後ろにこけちゃった。

 お尻をついてこけちゃった。

 さっきまでゆまが居たところにはガシャンと。お皿が地面にぶつかってめちゃくちゃになっちゃった。

 避けなかったらゆま……、今頃あたまは真っ赤になって血だらけで──。

「……」

「ぁ、ぁあっ……!」

 避けなかったら、ゆま今頃、あたまが真っ赤になって、血だらけで、でも──。

「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」

 ゆまが悪いんだ。

 ゆまがお皿をちゃんと持たなかったから。

 ゆまが、ちゃんとしなかったから……!

「──いい加減にして」

「ひっ……!」

 怒ってる。

 マミおねえさんに、怒られる。

「お皿ぐらい満足に持てないの?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」

「ねぇ、どうなの?」

「ぅ……ぐす、ぅ……うわああああああん……!」

 ゆまが、ちゃんと持たなかったから。

 ゆまがゆわれた通りにしなかったから!

 マミおねえさんを怒らせちゃった!

「泣いてちゃ分からないでしょう。ねぇ、どうなの? 満足に持てないのに、どうして手伝うなんて言ったの?」

「ぐすぐす……っ、っひ……ぅ……!」

「──どうなのッ!」

「ひッ──!」

 ごめんなさい……!

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!

 ごめんなさい……っ!

 ごめんなさいっ!

「ま、マミ、おねえさ……ごめ、なさ……っ」

「……気安くお姉ちゃんだなんて呼ばないで」

「え……っ」

 ま、マミおねえちゃん……?

「あなたにお姉ちゃんだなんて呼ぶ資格無いの。なんでかわかる?」

「……っ」

 分からない……!

 分からない分からない分からない!

 ゆまぜんっぜん分からない!

「私のね……? 大切な妹ってね……? 佐倉さんだけなの」

「……!」

 キョーコ……?

「今まで、ずっと今まで私……佐倉さんとはお友達になれなかったんだ……って、ずっと泣いてたの」

 キョーコはそんなのじゃない……!

 キョーコはマミおねえさんのこと、お友達じゃないなんてゆわないもん……!

「でもね? あの子はね……? こんな私をお姉ちゃんみたいって言ってくれたの……。お友達なんかじゃなくて……私たち、それよりもずっとずっと大切な、家族なんだって言ってくれたの……!」

 ほ、ほらっ!

 キョーコは優しいもん!

 マミおねえちゃんのこと、お友達よりも大切ってゆーもん……!

 

「──アナタはどうなの?」

 マミおねえさんがゆまを睨む。

 ずっと、ずっと嫌な……冷たい目でゆまを見るの。

 涙なんて、ぜったい流れそうにない程冷たい目──。

「ゆまちゃん。佐倉さんから何も言われてないわよね? 『妹』ですらないわよね……!? もちろん、ゆまちゃんなんて『妹』じゃないわ」

「っ……!」

 ゆま、キョーコの……お友達よりも『大切』じゃないの……?

「『妹』ですらないんだから、軽々しく私の事お姉さんだなんて呼ばないで……! お姉ちゃんって呼んで良いのは佐倉さんだけなの……! あなたなんかよりも、ずっとずっと付き合いの長い佐倉さんだけなのっ! 身の程を弁えてッ!」

「っひ──!」

 ぁ……ぁああぁあああ……!

 ぁあぁあぁあああああっ……!

「おいマミッ!」

「っ……!? 佐倉さん……!?」

 キョーコがマミを怒った。

 キョーコがゆまのところへきてくれた。

 キョーコが助けてくれる!

「テメエ……! ゆまに何言いやがった!?」

「っだ、だってこの子お皿落としちゃってっ……!」

「皿ぐらいまた買えば良いだろうが! なんでそこまで怒鳴り散らすんだよ! おかしいぞマミ!」

「……私が、おかしい……?」

「あぁそうだよ! 相手はまだガキだぞ!? あたし等よりどんだけ下だと思ってんだ!? 誰に怒ってんだよ!? なぁ!?」

「っ……」

 キョーコも怒ってる。

 マミに怒鳴り散らしてる。

「……元はと言えばあなたのせいでしょう?」

「はあ!? 何言って──」

「あなたの教育が悪いから、ゆまちゃん皿すら満足に洗えないじゃない!」

「ばッ──!?」

 違うの。

 ゆまが悪いの。

 ゆまが、ママのお皿洗ったことなかったから。

 ゆまがヘタクソだったから。

 だから、キョーコは悪くないの……!

「テメエ──! 言って良い事と悪い事があんだろうが! こいつはな、こいつは満足に皿さえ洗わせてもらった事が──!」

「じゃあ貴女が洗わせれば良かったじゃない」

「ンだと──!?」

 ──やめて。

「それとも何? またロクでもない物しか食べさせてないから洗う必要が無いって訳? またハンバーガー? それともジャンクフード?」

「──テメエ」

 ──やめてよ……。やめてよ……!

「……あたしだって、コイツに手料理の一つや二つ作ってやりたいさ……。でもな、でもなぁ……。母さんに、教えてなんてもらったこと──」

「私が教えたわよね。なんで作れないの」

「ッ……!!」

 もう──もう──っ!

 

「もうやめてよぉっ! ケンカしないでよぉっ!!」

「っ!? ゆま……!」

「静かにしなさい。これは私と佐倉さんの話で──」

「ふざけんな。コレはもともとテメエがゆまを怒鳴りつけたからの話だろうが!」

「キョーコっ、やめて──」

「もとはと言えばあなたの責任でしょう!? 子守りのひとつも出来ないで、どうして連れまわしてるの!?」

「あぁもういいよ! あたしの勝手にすっからよ!『妹』ひとり躾られやしねえクセに、何が姉だクソッタレが!」

「っ──! ま、待って──!」

「こんなゴミみてえな家、二度とおさらばだっての!」

「まって佐倉さんっ!」

「じゃあな! クズが!」

 怒ったキョーコが、玄関のドアを蹴って閉じて──。

「っぁぁ……ぁぁああああああっ……! 佐倉さん……っ! 佐倉さんっ……!」

 ドアの向こうのマミ、泣いちゃってた。

 ずっとずっと大きな声で泣いちゃってた。

 

「ったく……。くそったれがくそったれが。大グソッタレが……ッ!」

 ガシャン! とキョーコが道のゴミ箱を蹴り倒す。

 中身のカンが全部散らばってしまう。

「きょ、キョーコぉ……っ!」

「……っはァ。大丈夫。もう大丈夫だからな。あんなゴミみたいな奴、もう二度と会わなくて良くなったからな?」

「ぅ……うん……」

 ──ゴミ。

 違うの。

 マミはゴミじゃないの。

 悪いのはゆま。

 ちゃんと育たなかったゆま。

 だからキョーコは悪くない。

「ふぇ……っ」

「ど、どうしたゆま!?」

「キョーコっ、ゆまのっ、ゆまのせいでっ、マミおねえさんのっ、いもーとじゃ、なくなっ……うわぁあぁあんっ……!」

「……っ、ゆま……!」

 キョーコに抱きつく。

 キョーコが抱きしめてくれる。

 キョーコのお腹濡れちゃった。

 ゆまの涙で濡れちゃった。

「ごめんな……。そんな思いさせて、ごめんな……っ」

「ぇぐっ……。うぅ……。ぐす……」

「……大丈夫だ。今度はあたしが育てる。ゆまをちゃんと一人前に育ててやっから」

「ぐす……。ほんと……?」

「あぁ! だからさ? お前が大人に育ったらさ、またマミと一緒に住もうぜ」

「わぁ……!」

 ゆま、キョーコのために頑張る……!

 早くオトナになってまたマミはキョーコのおねえさん!

 仲直りできるようにゆま、もっともっと頑張るから……、だから……!

「……よろしくおねがいしま~すっ!」

「おうおう! その調子その調子! ンじゃまずは……っと」

 キョーコとゆまの最初のトレーニング!

 ゆま、頑張るよ!

 キョーコの宿題、どんとこいだもん!

 

「──あっちのコンビニでさ。食いモン取ってきてくんねーかな」

 

「──え」

「あ?」

 キョーコが、ゆまに『万引き』しろってゆった。

 ゆまに、物を盗めってゆった。

「で、でも、キョーコっ」

「何だ」

 ゆま、キョーコに『万引き』するな、って。

「……あー、そういやあたしお前に言ったっけな。まだ背伸びすんなって。勝手にはしゃぐなって」

「う、うんっ……」

「──でもな、今がその時なんだよ。早く一人前にならなきゃダメなんだよ」

「あ……」

 一人で生きてく方法。

 やっと、やっときたんだ。

 キョーコが真剣にゆまを育ててくれる時が……!

「ンじゃ行ってこい! あたしここで待ってるからな?」

「う、うんっ!」

 キョーコにご飯をあげるんだ!

 キョーコにおいしいもの食べさせてゆま一人前になるんだっ! 

 だから──だから『万引き』しないとっ……!

 

 そして、キョーコがいつも居るコンビニに着いたの。

「えっと……んと……! あった……!」

 キョーコがいつも食べてる、キョーコがいつも大好きな『ロッキー』。

 チョコがついててカリっとしてて、キョーコに食べさせてもらった思い出の味なの。

 ゆま、キョーコが好きなロッキーが一番好き!

「……っ!」

 お店の人にばれないように。ゆまの服の中に隠して見つからないようにしてっ。

「……っっ!!」

 今すぐにお店から逃げる! やった……! これでゆまは一人前っ! キョーコの大好きな大好きなおかしを届けて、ゆま……またキョーコとマミをいっしょに住ませられるの! マミはキョーコのおねえさんになって、それで──。

「──お客様」

「──!」

 だれかが、ゆまの腕をつかむ。怖い声で、ゆまを呼ぶ。ふりかえるとそこには──

 

「お金を払──」

 

 店員さんが。ゆまの腕をつかむの。

 掴んだ腕はとても熱くて、腕が火傷しそうで──。

「──卵、乱、蘭♪」

 お顔はガイコツさんみたいで、髪は二つぐくりで、その目にはお顔があって、ゾンビのようなお顔をした魔女だった。

「っい……いやぁああっ!! いやだっ! はなしてっ! ごめんなさいっ! やだぁっ!」

「濫、爛、嵐──♪」

「やだぁ! いやぁあっ! いやだぁあああっ!」

 その魔女は、キョーコをいじめた魔女。

 キョーコの手足をなくして、だからゆまは契約したの。

 キョーコを、今すぐキョーコを治してって……!

「ひぃっ──!」

 手足があつい……!

 いたい、あつい、いたい、やだ……! あつい……!

 あついあついあついあついあついあついあついあついあつい!

 やだぁあっ! ゆまの、ゆまの手足がっ……!

「っぁあ──ぁあああああああああッ!」

 このままじゃ、ゆまも、ゆまも手足がっ、キョーコ、キョーコみたいにっ……。

「──すけ──て──」

 キョーコっ……! キョーコぉ……! ──キョーコっ!

「──たすけてぇっ!!」

 

「ォラッ!」

 赤い声と一緒に赤い光がみえたの。

『光』が魔女をやっつけるの。

「乱──!?」

「ったく、見て『濫』ねえよ……」

 キョーコだ。

 キョーコが助けに来てくれた。

 キョーコがゆまを守りにきてくれた!

「──よく見とけ。コレが一人前の戦い方ってのをさァ!」

 それからは、キョーコすごいんだよ……!?

 びゅんびゅん飛び回って、じゃらじゃらくさりで魔女をしばって、とにかく、赤い光にしか見えなかった!

 キョーコ、やっぱり強い……!

「──ふゥ。一丁あがりってな」

「わぁ……!」

 魔女をやっつけて、黒い球──グリーフシードもゲット。キョーコはやっぱり、ゆまとちがってオトナなんだね……!

「──さて」

「──!?」

 でも、キョーコが見るの。

 

 ゆまを、ギロッ──と。

 

「ひっ──!」

「……ゆまさぁ。あたし言ったよな? 食いモン取ってこいってさ」

「ぁ……ぁあっ……!」

 キョーコに……。

 キョーコに怒られるっ……!

 っぁあ……ぁあああっ……!

「ご、ごめんなさっ──」

「しかもこれロッキーじゃん。あたしは言ったよな? 食いモン寄越せってさァ」

「っひ──!」

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!

「っやだ──やだ、キョーコぉっ……! ゆまっ、ゆまのことっ、き、きらいにならないでっ……!」

「っはァ~……」

 声に聞こえる溜息をつくキョーコ。

 キョーコ、ぜったい怒ってる……。

 いやだ……、いやだよ……。

「何で菓子取ってくるんだよ。何で食いモンじゃねえんだよ。何でメシじゃねえんだよ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──」

「ごめんなさいじゃないんだよ、なあ? あたし腹減ってんだよ。なあ? なんでメシじゃねえのかって聞いてんだよッ!」

「っぁああああああああああああああっ……!!」

 きらわれるキョーコにきらわれるおこられるすてられるキョーコにすてられるきらわれるおこられるキョーコにキョーコにすてられるきらわれてきらわれたおこられたすてられるキョーコに──。

「──大体さぁ──」

 ──キョーコが、槍を腕にあてる。

「キョーコ──!?」

 そして、その槍を──。

「ひぃッ──!」

 ぶしゃぁっ。って。

 赤い水がとびちった。

 飛び散って……キョーコの……キョーコ──のうで──が──。

「やだ──やだやだやだやだやだぁっ! やだぁっ!!」

 キョーコの腕が、また無くなっちゃった。

「なんでっ! なんでそんなことするのっ! キョーコっ! なんでっ!」

「あ? 何キャンキャン叫んでんだウゼエ。っつかよ。魔法少女ってさ──」

 

「──魔法少女って、こう言うモンだろぉ……?」

 

 そうゆってキョーコが嗤った。

 歯をみせて、ハサミで切り裂いたみたいに。

 お顔の端まで、口が裂けていて。

「──ぁ」

 血が噴き出る腕の切り口から伸びたの。

 うでが、グググっ、と。

 ニュルんっと。無くなった腕がすぐに、元通りに──。

「へッ。どーよ。魔法少女のカラダってベンリなモンだよなァ? こうやってすぐに治せんだしさァ?」

「──ぁ──ぁあぁ──!」

 やめてよ……。やめて……!

「あ? ンだよその目は? ウザってーなオイ……」

 やめてっ!

 キョーコがキョーコを傷付けないでっ!

 すぐ元通りに治せるからって、痛い思いしないでっ!

「ッつかよ? オマエの願いなんだっけか?」

「ゆ、ゆまの願いはっ」

「あー。あたしを助けるんだっけ? 手足もがれたあたしを?」

「う、うんっ! ゆまのねがいっ。 キョーコをたすけ──」

 

 ──あ。

 

「──っ。っっ……」

 魔法少女のからだだったら。手足がなくなっても、すぐなおせる。

 じゃあ、じゃあゆまのねがいごとって──

「──ハハッ! ナニ? 今更気付きやがったっての?」

「──ぁ──ぁぁ──っ」

「あぁ、そうだよゆま。魔法少女は最悪こうやって治るんだ。脳味噌シェイクされても、ありったけの血を引き抜かれてもな。だからさぁ……ゆま」

 

「──お前の願い、無駄だったんだよ」

 

「────」

 ゆま──おねがいしたいみ、なかったの──?

「この通り、手ェ千切られても無事だったんだよ。何なら腕だけじゃねえ、脚も試してみっか?」

「──ゃ──」

 ──やめて──

「っし、ンじゃ次はっと。根本から足を──」

 ──やめて──!

「見てろよー? ゆま。また血ぃ噴き出るぞー? 魔法少女のカラダがすげえベンリだっての、教えてやっからよ、もっと」

「やめてよぉっ!」

「──ア?」

「キョーコ! なんでそんなことするのっ! 魔法少女でも、ぜったい、ぜったい痛いよ! なんでっ! こんなっ……!」

「何言ってんだオマエ。て言うかさあ? あの時もさあ?」

 

「──あの時あたし、ガチで痛かったんだけど?」

 

「──キョ──コ──」

「オマエがもっと早く契約してくれりゃ、あんな痛い目見なくて済んだかもなァ……?」

「────」

「ま、どの道魔法少女だし、死ぬってこたァないけどよ」

「キョ──コ──」

「……なあ、何でお前まだいんの?」

「え──」

「だってさあ、オマエさあ……願い無駄っつったろ。お前要らねえんだよ。早く消えろよ」

「────キョ──」

 ゆま──無駄──?

「そうだ無駄だ。オマエなんか、居ても居なくても同じだ」

「無駄……? ゆま……役立た……ず……?」

「あぁ、役立たずだな。居ても同じ居なくても同じ。ならあとは役に立たないって言うしかないよね」

 ──ゆま────役立──たず──。

「──────」

「────お?」

 ゆまが──『黒』くなっていく──。ゆまが──ゆまのこと──わかんなくなってく──。ゆまじゃ──ないみたい──。

「──アハッ! すっかりソウルジェム濁りまくってんじゃねえか! こいつは丁度良い! あたし腹減ってたんだよなぁー!」

 ──ゆま──食べられちゃう──の──? キョーコ──に──たべられ──て──。

「なァ? 知ってっかァ? ソウルジェムってさァ──濁り切るとよ──」

 ──ゆま──黒くなっちゃう──と──

「──魔女になっちまうんだってよ! コイツは傑作だよナァ!?」

 ────ゆま──まじょ──に──。

「ンでからさァ! オマエがグリーフシードになっちまってさァ! あたしの魔力になるってワケだ! アハハハハハハッ! すげえ得だよなァ!? メシにも困らねえってさァ!? すげえよなァ!?」

 ゆま────キョ──コの──ごはん──に──。

「──魔女になれよ」

 ──ま──じょ──。

「さっさと魔女になっちまえよ……! そしてあたしの腹ァ満たしてみろよ! 捨てられたくなきゃあなァ!?」

 ────────。

「あたし腹減ってんだよさっさとしろよ──! それが役立たずのオマエが出来る、唯一のお手伝いだろうが──! テメエがあたしに嫌われない為の『一人前』ってヤツだろうが──!」

 ────────。

「──ハハッ。もう食べごろだな。ウマそうなグリーフシードだろうな。あぁ!」

 ──ゆま────もういい──よ──。キョーコに──キョーコに──食べられ──て──。

「さぁ──千歳ゆま」

 

「──サヨナラ勝ち、ってね」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──蒼白。

 巴マミ──いや、彼女のみならず佐倉杏子までもが、珍しく顔を蒼くしていた。

 仄かにつかみ取った二つの気配──そのうち片方は恐らく千歳ゆま──を追うにあたり、私──暁美ほむらは彼女達に協力を求めた。

「どこだ──!? どこだぁッ! ゆまァッ!」

「あすみちゃんっ……! ゆまちゃん……っ!」

 ビルからビルへと飛び乗り、街の夜空を駆け巡る。

 千歳ゆまが魔法少女であるならば、巴マミと佐倉杏子にとっては十二分に心強い。

 彼女だけは魔女化の真実に堪えられる。

『──いつかは今じゃない』。

 あの一言で、美国織莉子らを葬るべく魔法少女達は再び奮い立ち上がった。

 故に千歳ゆまを失う訳には決していかない。

 ワルプルギスの夜を斃し、この無限回路から逃れられる突破口となり得るのだから──!

『暁美さんっ……! あすみちゃんは!? ゆまちゃんは!?』

 テレパシーで連絡を取り合いながら千歳ゆまおよび神名あすみを捜索する。

 ──神名あすみと言う子供が何者かは知らず初耳で、巴マミの同居人と言う事しか分からない。

 ソウルジェムによる魔力探知は『パターン』で判定する。

 有り体に言えば、前述の通り気配とも呼ぶべきか。

 まばゆく光るアメジスト色をした宝石──私のソウルジェムが二つの気配を濃く嗅ぎ取った。

 一つは千歳ゆま。かつてイレギュラーにして悪夢の時間軸にて、一度だけ千歳ゆまのパターンは把握しその時の気配も全て覚えている。

 だがもう一方は正体不明。

 そして『首謀者』たる美国織莉子ではない。

『気を付けて。千歳ゆまと、もう一人居るわ』

『誰──!?』

『私にも分からない。この気配は初めてよ──』

『クソ──っ! 最近話題の魔法少女狩りか!?』

『いいえ──。それとも違う──』

 ましてやその手駒である呉キリカでもない。

 全く未知の、初めて遭遇する魔法少女──。

 美樹さやか、巴マミに佐倉杏子。千歳ゆまに美国織莉子に呉キリカ。

 この六者は既に種が明かされており、私の固有魔法──時間操作──で先手を取る事も容易い。

 だが『カンニング』が使えない。

 美国織莉子と魔女化した呉キリカの同様、初見では時間操作が通用しない可能性だってあり得る。

 リスクをとるべきか、それとも千歳ゆまを見捨てまどかを救うべく生き永らえるべきか──。

『あっちの廃工場よ。行きましょう』

 千歳ゆまを生かしまどかを救う戦力にする。

 その為なら多少のリスクなど上等で度外視してやる。

 けれど覚悟とは裏腹に、どうしても脳裏にてフラッシュバックされる忌々しきイレギュラーの記憶。

 すべての事が上手く運ばれていたとしても、救世主を自称する大罪人共の手一つにより、まどかの命が容易に刈り取られる。

 久方ぶりに再び(まみ)えるであろうかもしれないその存在に、私の額にこんな序盤では珍しい珠の汗がまとわりつく。

 

 ──廃工場前。

 いたるところの金属が汚くオレンジに錆び付き、鉄の香りと、煙のように埃臭い香りが鼻をつく。

 恐らく十数年は人の手など加えられておらず、稼働した気配もない。

『砂時計』を止めるスイッチにも気を配り、何時でも瞬時に時を凍らせる準備も出来ている。

 現代兵器の照準に狂いもなく、時を止めさえすれば相手のソウルジェムを瞬時に撃ち抜ける。

 私の前に、おおよそ魔法少女の敵など居ない。

 ──美国織莉子と魔女化した呉キリカ。奴らを除いて。

「──佐倉杏子。行くわよ」

「おう──」

「あすみちゃん、ゆまちゃん──! 無事でいて──!」

 怒りに奥歯を噛みしめる佐倉杏子に、目尻に球の涙を溜め、彼女の『家族』の安否を祈る巴マミ。金属の扉を蹴破り、轟音と共に奥へ奥へと突き進む。そこには──。

 

「ぁ──ま、マミ──おねえ──ちゃ──っ──!」

 傷だらけで流血すらも見られる、その小さな躰をガタガタと震わせ、アンモニア臭のする水溜まりを作り、ズボンにシミを作る銀髪の少女と──。

「────────」

ソウルジェムがひどく黒く濁り、その瞳に虚空を映す千歳ゆまの姿だった。

 

◆◇◆◇◆

 

 おねえちゃん達が来る少し前──数分前までのお話。

「……あーあ」

 せっかく良いところだったのに、わたしのソウルジェムが眩い銀に輝き、三人もの気配がこちらへと急接近してきてる事を示していた。

 タイミング的にはマミおねえちゃんと狂犬に間違いはない。

 でも最後の一人が予想付かない。

 ミッキーは未だ契約してない筈で、キュゥべえと共謀して仕込んだ『種』はまだその時じゃない。

 魔法少女狩りって線も多分無く、と言うのも多分あの一派は鹿目まどかに執着してる。

 もちろん優木沙々なんかじゃない。あの子はこの前頂いたばかり。

 そしてましてや糞猫こと千歳ゆまでもない。

 現にコイツは今まさに目の前で『孵化』しようとしていたんだ。

 このまま美味しく千歳ゆまの命をグリーフシードとして根こそぎ刈り取ろうと思ったのに──。

「──じゃあ暁美ほむら?」

 消去法ではそうなるけれど、コイツもコイツで鹿目まどかに付きっきりだから有り得ない……筈。

 もし有り得たとしたら、鹿目まどかを守るとは言いつつも言うほどの『ガチ』ではない事が伺える事になってしまう。

 少なくともまどかを取り巻く難攻不落の要塞──ではなくなる。

 何せ手段を選ぶタイプの人間(・・・・・・・・・・・)と言う事になるからだ。

 けれど依然と正体不明のイレギュラー。

 固有魔法不明。

 キュゥべえを瞬時に刈り取るその戦法。

 全てがヴェールに包まれ、出来れば『表情』を見るまでは敵対する事を避けたいその人。

「──こんな時に鬱陶しいわね──!」

 捨て猫の魔女となるのか。

 はたまた化け猫の魔女となるのか。

 それとも衣装のソレはお飾りで、ジレンマ(・・・・)()る泪の雫を散らす異形(Pistis)か。

 如何にその姿を『(マジョ)』へと変えるのか。

 その啜る苦く甘い蜜の味を想像しては胸を躍らせてたところだったのに。

 生殺しもいいとこよね──。

「──Gvneurldeuknブラックアウト.

 パチン、と小気味良く指を鳴らし千歳ゆまの意識を閉ざす。

 これでわたしがスイッチをオンに入れない限りは糞猫が再び目覚める事なんてない。

「さて──」

 ステージに立つはわたし。

 主役はわたし。

 いつだってそう。

 なら、主演はいつだって迫真の演技で振る舞わなくちゃいけない。

 割れたまま放置された窓ガラスの破片を手にして──。

「ッぐ────!」

 定規で線を引くが如く、腕に赤いライン(切り傷)を引く。

「く──ッぁ──グ──!」

 声をあげなきゃいけないほどの痛みなんて無い。

 痛覚なんて遮断しちゃえばいい。

 続いて太腿、指、ふくらはぎ──と、小さな小さな躰のいたる所へ自分から傷を刻み込んでく。

「っく──きもちわるい──」

 痛みはないけれど、痛み無くして血に溢れるなんて……。

 却って得も言えぬ不快感に、わたしの頭の中を唾液蓄え穢れた舌で舐め擦られる。

 それはそうと、聞くに奴の武器は鉤爪。

 そしてスピードタイプ。

 ならば魔法少女狩りの仕業だと思わせれば良い。

 瞬時に多量の切り傷を負わせる事なんて造作もないはず。

 また、同じくして──。

「アハハ──アハハハハ──!」

 千歳ゆまにも斬り傷を刻む。

 魔法少女狩りに見せかけるために。

「あははははッ! 楽しい……! 楽しいよぉ……! 糞猫のカラダ、みるみる内に赤くなっちゃう……! まだこんなに幼いのにねぇっ!?」

 赤い飛沫がわたしを昂らせる。

 わたしはココロの死──ココロが燃え尽きるその瞬間こそが美味しいけれど、こうしてカラダを甚振るのもそれはそれで心地良い。

 これで悲鳴をバックミュージックに出来たなら、どれほど爽快だったのかな。

「──これで──フフッ──!」

 これで彼女らの目に飛び込むは、昏倒した千歳ゆまとひどく怯えるわたし。

 誰にもわたしの手によりゆまが魔女化寸前にまで追いやられたなんて、気付くわけがない。

 わたしの気配はマミおねえちゃんにも、佐倉杏子にも知られてなどいないのだから。

 そして近々に齎されるは千歳ゆまの絶望。

 妹分を失った佐倉杏子の魔女化連鎖。

 家族を喪ったマミおねえちゃんは、その亡骸を抱え──。

 

『佐倉さんっ──! ゆまちゃんっ──!』

 

 ──どうして?

 鮮明に、幻視するかのように映し出されるビジョン。

 佐倉杏子とゆま(姉妹)の亡骸を抱きしめ、涙に喘ぐマミおねえちゃん。

『どうしてっ──、ねぇ、どうして──!』

 温もりを失った佐倉杏子の頬に、大粒の雫がこぼれ落ちる。

 それでも、冷えた皮膚が涙を癒してくれる事なんてない。

『もう一回、姉貴って呼んでよ……! もう一回、私のケーキ食べてよ……!』

 あるのはかつて佐倉杏子とゆまだったモノの、残り香だけ。

『っ……嫌よ……っ! 嫌……っ! 嫌嫌嫌嫌っ……嫌ぁっ……!』

 

「……」

 わたしはその為に戦ってる。

 もとよりコレこそが目的だった。

 マミおねえちゃんの嘆きこそわたしの糧となる。

 だから『いま幻視したモノ』こそ自らが心の底から望むモノよね。

 でも──だったなら、何でこうも──。

 こうもわたしをイライラさせるの。

 求めていた喜劇の筈なのに。

 想像するに、鼻先がツンと痛み、今すぐにでも堪らず瞼をぎゅっと瞑りたい気分──自分の知らない不快感がわたしを苛む。

「──フフッ。いいえ、まだだ──まだよ」

 糞猫を甚振ってた時の事を思い出せば良い。

 捨てられるなんて恐れてた、滑稽な子供のあの泣き声と悲鳴を。

 それがどれだけわたしを昂らせた?

 それがどれだけわたしを悦ばせた?

 それがどれだけわたしを愉しませた?

 そう、その感覚。

 胸から全身へと沁み込んでく陶酔感──!

 美酒に酔い痴れるかのようで、なんと夢見心地。

 またセカイを不幸と定義できた。

 その優越感をいつまでも忘れちゃいけない。

 ──もはや誰も、わたしを止められない──!

 白魚が如き白き細い指を、獣の様に骨張らせ、天高く捧げるが如く両手を挙げ──。

「──フフッ、さぁみんな──」

 

「──狂宴を始めましょう──!」

 



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業苦の物語 -Karma-
第4話「お前は誰だ」


 重体だ。白い肌に刻まれた、ぱっくりと赤く割れた幾重もの切傷。魔法少女でない一般人でならば凡そ即刻病院送りとなると見るが当然の傷。さもなければ感染症か失血死で、文字通り死神の鎌にてじわりじわりと、時間を掛けて傷を刻まれ、苦しめられ、楽しみ尽くされた後にはその首を刈り取られる。

 けれど千歳ゆまは違う。この子は曲がりなりにも魔法少女──それも、杏子に全治三か月の傷を負わせられたとしても即刻立ち直れる魔法──治癒魔術使い──を持つ美樹さやかをも上回る能力の持ち主だ。千歳ゆまが切り傷程度で斃れるなどほぼほぼ有り得はしないと言って良いだろう。

「ゆまっ! オイしっかりしろ! ゆまぁっ!」

 如何なる経緯で杏子がここまで肩入れするのかは、美国織莉子の時空以来未だ分からない。傷だらけの千歳ゆまの肩を持ち、前後前後の揺らし気付かせようとする。けれど凡そ意識と言える意識など無く、虚しく開かれた瞳は虚空を射抜くのみ。未だ魔女化していない事が不思議な程に、また杏子がグリーフシードを必死に押し当てても落ちない程にまで濃く濁り切っている。

「──おかしい」

 千歳ゆまの精神は、歳不相応に強靭なモノと言えた筈。

『いつかは今じゃないよ──』。私達魔法少女はいずれ魔女へと堕ちる。自らの手で狩り尽くさんとしてきた魔女が、全て自らの同族だった。『正義』の為に魔女を狩る事こそが巴マミとしての柱とも言える矜持であり、柱が折れれば後は瓦解する他なく、いつだってその最期は仲間を巻き込み心中を図ろうとする無残なモノだった。だが千歳ゆまは、そんな巴マミをあの言葉で思い留まらせる程にまで精神が強靭だ。そんな千歳ゆまが魔女化寸前にまで追いやられるなどまず考えられはせず、まして単なる魔力消費ごときで追いやられる線もない。ならばひとつ可能性として思い浮かぶ。『誰かに濁らせられた』と言う事。実際あるのかは存じないけれど、一つは自らの穢れを他者に押し付けるなどと言った固有魔法があるとするならば、こうして千歳ゆまを葬らんとする事も不可能ではない。次に一つは敵のみを穢れさせると言う魔法。だがこれはまず考えられない。魔法少女のソウルジェムが穢れる要因としては、魔力消費か若しくは不安や猜疑心、または憂鬱により精神そのものが穢れる事。その様な精神とは無縁の魔法少女を濁らせるなど、穢れを押し付ける等の魔法でなければ無理な話だ。最後の一つは、そもそも敵の精神自体を腐敗させる魔法。これであれば理論上魔女化寸前にまで追い込む事は可能。だがコレこそが一番厄介なパターンだろう。魔法少女の最大の敵──それは絶望。そのココロを腐敗しきらせてしまえば、穢れ切ったソウルジェムはグリーフシードとなり、言わばその存在そのものが魔女へと変貌し、事実上は人として死を迎える。だがそのような魔法を使う者は、これまでの時間軸の中では知らない。恐らくは『ソイツ(アンノウン)』が千歳ゆまをここまで追いやった事だろう。もとい、タネの未だ分からぬマジックを披露されているようだ。タネを暴くまでは迂闊に早計には動けない。さすれば奇術に魅入られ、その身を魔女として食われる他はない。そしてもう一点だけ、幾多もの時を超えた私からすれば不可解な事が。

「あすみちゃん……っ!」

 巴マミに涙ながら抱擁されている小柄な少女──神名あすみ。千歳ゆまと同じく切り傷に塗れ、運動靴と砂埃に汚れた床がザリザリと小うるさく擦れる程にまで、今も躰をガタガタと震わせ怯えている。股辺りには濃く濡れたシミを作り、アンモニア臭がツンと鼻を刺す。

「っく、くろのっ、ま……まほうしょうじょっ、ゎ、わたしたち……襲ってっ……。っ……ぅああ……っ! うわぁあぁあんっ……!」

「っ……! ごめんね……! すぐ来てあげられなくてごめんねっ……!」

 二人して抱き合い、声にあげて嗚咽を漏らす。

 黒の魔法少女?

 彼女は今そう言った?

 思い浮かぶは呉キリカ。魔法少女を散々刈って回った彼女なら、この様な行いに手を染めてもおかしくはなく、実際かつての時間軸では手を染めた。だが先の『気配』は違う。呉キリカのものではない。故に呉キリカの犯行ではなく、たまたま色が同じ『黒』だったのか、それとも──。

「今すぐっ、今すぐ治してあげるからっ……! だからじっとしててっ……!」

「うんっ……。ぐす……っ」

 治癒を掛けられる神名あすみ。指を確認した所『指輪』は見当たらず、『紋章』も見て取れない。と言うのも、おしゃれの一環か──私は長らく入院生活を過ごしていた為に疎い事ではあるが──爪に塗料を塗りつけている。よって今の所、魔法少女か否かは判別不能。それに──。

「──!」

 コンマ何秒レベルの一瞬ではあるものの、神名あすみの視線がこちらに向けられた。単に私を見ただけなのか、私が彼女を『見た』事に気付いての事なのかは、彼女のココロを覗くなどしない限りは分からない事。

「あすみちゃん立てる……?」

「……うんっ。で、でもマミおねえちゃんっ、ごめんなさいっ……! ゎ、わたしがっ、わたしが弱いからっ。弱くて、キュゥべえ見えないないからっ……! 契約できないからっ……!」

「ううん! あすみちゃんは悪くないの! 私だってすぐに気付いてあげるべきだった! 怖かったよね……?」

「っ……ぐす、マミおねえちゃん、悪くないもん……!」

 巴マミと思い合い、なおも頬を濡らす神名あすみ。あの獣を視認出来すらしない。つまりは素質が志筑仁美レベルになく、そもそも魔法少女の運命に巻き込まれる心配などとは一切合切と言って良いほど無縁のもの。

 そんな少女を巴マミはまた連れ回しているの?

 まったく懲りない女よ……。

 今周回においても、毎度のごとくまどかと美樹さやかを魔女結界に連れ出すなどと言う大変愚かしい事をやってのけていた。キュゥべえを──その『真の目的』を知らずして妄信しているからか、まさに文字通り契約営業の為にまどかにストーキングしている事を『選ばれた』などと聞こえ良く勘違いしたうえで、都合良き魔法少女の後輩を作らんとしていただけの事。だがどうしてか、今周回ではそんな愚かしい行いも中断された。これでまどか達は魔法少女の世界に深入りする事なく、今まで通りの、詢子さんや知久さん、そしてタっくんに囲まれる温かな『幸せ』とも言える日常を過ごせられる。だがどうだろう。その代わりに魔法少女の世界に踏み入れたのが神名あすみ。まどか以外はどうでも良い私としては、まどかを手放してくれた事が何よりもありがたい事ではあるものの、それにしても素質を持つまどかや美樹さやかを連れ出すよりも余程タチが悪過ぎる。訳が違い過ぎる。神名あすみには素質など無い。いざと言う時に契約──するべきではないものの──して生き延びると言う算段も取れはしない。巴マミはそんな事も考えずして、神名あすみを『この世界』に巻き込んだのだろうか。あまりに愚かだ。愚かし過ぎる。

「巴マミ、あなた──」

「話は後! 今すぐゆまちゃんも運ぶのを手伝って! 私はあすみちゃんを支えるからっ!」

「ぁ、ゎ、わたしっ、ひとりで歩けるよ……?」

「無茶おっしゃいっ! 言ったわよね? あなたを必ず守るって……!」

「っ、ぐすっ、マミおねえちゃん……っ」

 ふざけないで、と今すぐにでも巴マミに平手を打ってやりたかった。『守る』などと、そんな無責任な事を信じさせ、ましてや魔法少女になれなどしない普通の少女をここまで妄信させるなど言語道断。もし巴マミ自身が居なくなってしまえば、あとはどうなるか? かつてどこかの時間軸にてマミを失った事も、まどかが契約に走る要因となった。今度は巴マミを失ったと言う重荷を背負ったまま、神名あすみはこれから生きていく。契約は出来ない以上彼女より幸せである事は間違いないものの、それがどれほどに残酷な仕打ちか巴マミに分かったものか? 大切な人を失い、ずっとずっと心に孔をあけたまま生きる事が、どれほどにまで胸を締め付ける事か。

 この時間軸の巴マミは、きっともう駄目ね。

 脆弱な一般人少女が私たちと同じ世界に踏み込み、あんなにまで傷だらけにされて生きていられる事の方が、星の数ある中から選び抜かれた奇跡も奇跡同然だ。毎日のように魔女──最悪魔法少女に食われ犠牲となる人々の事を考えれば尚の事。人間など星の数ある『犠牲』の前では貧弱過ぎる。神名あすみも近々その『犠牲』に身を堕とすに違いない。すれば巴マミのココロは腐敗しきって、使い魔をリボンで緊縛する魔女へと堕ちる事だろう。さらに悪い事に佐倉杏子でさえ怪しい。千歳ゆまがこのまま魔女化すれば、彼女は『最期の希望』を失う。『希望』と言う名の理性失われし魔法少女は、同じく魔女となる。

 最低な時間軸ねこれは。

 もはや対ワルプルギスの夜の戦力としてはカウント出来ないかもしれない。戦力は私──暁美ほむらただひとりのみ。唯一の救いと言えば、まどかが早急に魔法少女から離れる事が出来た事だろうか。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──そして巴マミの自宅の寝室にて。

「クソっ! ジェムの濁りがまだ酷ぇ!」

 今回で何個めか。千歳ゆまの浄化に三個超えたあたりから用いたグリーフシードを数えるのを諦めた。浄化しても浄化してもこびりつくヘドロの様に、その穢れが霧散する事を知らない。

「なぁほむら! ジェムが濁ったらどうなるんだ……!?」

 情報通と見てか、佐倉杏子には似つかわしくなく瞳を若干に潤わせながら私に叫ぶ。巴マミがこの場に居る以上。魔女化の真実は伝えられない。伝えたらこのマンションの一室は即刻魔女の結界へと変貌するからだ。

「おおよそ死ぬと思って間違いはないわ」

「そんなっ──!」

「──クソっ!」

 時間──深夜だと言う事──も考えず、奥歯を噛みしめ八つ当たるよう壁に拳を叩きつける。ソウルジェムが穢れきれば死を迎える。そして魔女化は人としての死も同義。

 まるでキュゥべえね。

 上手く言い訳る私が宛らあのあれほど憎んだ獣と重なり、己を嘲笑いたくもなる。して、聞こえるべき音が聞こえぬ事への違和感が、彼女へと視線を移させる。

「っ……、っ……」

 神名あすみだ。巴マミと佐倉杏子の反応からして、ソウルジェムが限界を迎えれば死を遂げる事などキュゥべえから聞かされもしなかったと見える。にも拘わらずこの子──いや、コイツは声をあげすらしなかった。それに神名あすみは巴マミに依存しきっている筈。そして自己犠牲精神が旺盛で涙もろい。巴マミが遅かれ早かれ死を遂げるかもしれないとなれば、何らか反応を示しすのが当然だろう。何せ呉キリカ──なのだろうか──を前に小水をチビらせた程だ。

「──神名あすみ」

「ふぇ……っ?」

「少し私と話をしないかしら」

 目じりに球の涙を蓄え、赤く腫らした目を私に向ける。

「ちょっと暁美さん──!?」

 ほら来た。依存した娘を取られまい。この子に手を出したらただじゃおかないと言わんばかりに、唾が飛ばんが勢いで怒鳴りつけられる。

「事情聴取よ。あなただって知りたいでしょう? 神名あすみと千歳ゆまをひどく傷つけた犯人を」

「だからって……!」

「それに、神名あすみが拒むと言うのなら強制はしないわ。どうかしら、神名あすみ」

 巴マミに判断を委ねる事自体態度から愚問ということ。ならば神名あすみの意思を尊重するしかない。彼女本人が良いと言うのなら、巴マミとしても断りようがない。彼女の意思を踏みにじる事などきっと出来はしない。こいつが『黒』であれば、ここで拒まれてもおかしくはない。──いや、それとも──。

「……いいよ」

 意外だった。てっきり首を横に振られる物かとばかり。だが油断してはならない。これから屋上にて、二人きりなったのを良いことに、その本性を曝け出してくる事も大いに考えられ、ひとまずは第一関門を突破と称せただけの事。

「あすみちゃん──!? でもその人はっ──」

「ううん! わたしのせいでこんななっちゃったの。だから、今度はわたしが頑張る番だから……! だからわたし、ほむらお姉ちゃんの言うこと聞いて、ぜったいぜったい犯人を捜してもらうの!」

「っ……! あすみちゃん……っ!」

 目頭を押さえながら、その小さな躰を抱擁する。悪者なのは『犯人』に違い無いのに、己に責任を感じている巴マミ。加えこんな健気にも健気過ぎる良い子となれば涙を禁じ得なくて当然。これで『黒』ならば、私は心底神名あすみが恐ろしく、そして忌々しく、反吐が出る──。

 

◆◇◆◇◆

 

 白き風音がぴゅうぴゅうと耳を鳴らす、寒空の下──マンション屋上にて事情聴取。その瞳に何を見たのか。何が千歳ゆまを穢れさせたのか、何が神名あすみを傷付けたのか。その全てを彼女から聞く必要がある。そしてその犯人を探し出す為だけではない。神名あすみが『黒』の魔法少女でないかどうかを見定める。

「──神名あすみ」

「ひ……っ! は、はいっ……!」

 唇を噛みしめ涙を蓄え上目を遣いながら、肩を上下に震わせ尚も怯えられる。それでも怯えを堪え込み、気丈に振る舞わんとする。何を聞かれるんだろう。何をされるんだろう。自らが如何に悪者でなかろうとも、こうして詰問されようとなれば緊張は避けられない話だ。

「まず、あなた達を傷付けた魔法少女について教えてくれるかしら」

「えっとっ、く、くろのっ……」

「黒いのはあの時聞いたわ。もっと他に特徴が無かったかしら? 剣を飛ばしてきたりとか、水晶球から光線を浴びせてきたりとか」

 美国織莉子でもなく、ましてや美樹さやかでもない筈。前者はともかくとして、美樹さやかがか弱き少女をめった斬りにするなど、天地がひっくり返ろうとも有り得ない事。いつだってあの子は『正義の味方』としての巴マミを妄信し、いつだって私に罵声を浴びせてきたもの。そんな彼女が獣道に堕ちようなどとは、魔女化する時ぐらいしか有り得ない。──さて、この質問できっと『犯人』の正体か、はたまた神名あすみの『正体』が判り明かされるだろう。して、神名あすみはその小さな小さな、噛みしめた唇を震わせながら、ゆっくりと開いた。

「っす、すごく速くてっ。つ、爪でね……? ぶしゃっ、って、斬ってくるのっ。そ、それでっ、ゆまちゃんも、ゎ、わたしもっ……! っぁあ……あぁああっ……!」

 ──呉キリカだ。

『黒』の魔法少女にして、魔法少女狩り。その能力は速度低下。あたり一帯のあらゆる物体の速さを下げ、自分だけはそのままの速さでいられる。実質上の高速化魔法であり、その鉤爪で敵をズンバラリンに刻んでゆく。

「……そう、災難だったわね」

「っ……うんっ。ぐす……っ!」

 ゴキブリの様に『黒』く速く、また瞬く間に躰を生きたまま切り刻まれる。全身が紅く染め上げられ斃れ、最期はその首を跳ね飛ばされる。ああ、なんて災難。年端もいかない少女が、死を目前とする──そんな目に遭うなんて、どれほど恐ろしかった事だろう。速くては抵抗する隙すら与えられず、抵抗さえも許されない。そんな中で生き延びられた事こそ、まさに奇跡。

「なら、もう一つだけ聞くわね」

「は、はいっ……」

 瑞々しい恐怖を再起させられ、再び泣いてしまって濡れに濡れそぼった瞼を擦りながら頷く神名あすみ。そんな彼女に、私が問うべき事は──。

 

「──お前は誰だ(・・・・・)

 

「……」

「……」

 黒光るハンドガンを突き付け、しばしの静寂。沈黙。

『黒』の魔法少女にして、魔法少女狩り。その能力は速度低下で、武器は鉤爪。確かに、呉キリカそれそのものと断ずる他ない特徴と言える。だが私は──。

「生憎だけれど、魔法少女狩りの『気配』を私は知っている」

 それも忌々しい程にまで。まどかの命を奪った大罪人の手駒の気配を、私が忘れる筈もない。先の気配はそいつらとも違った、未知の気配。つまり導き出されるは、コイツがウソを()いたと言う事。

「もう一度聞くわ。お前は誰だ」

「──」

 黒光りする現代兵器の照準を当てられた少女。涙に濡れた泣き虫な表情はどこへやら。濡れた瞼は乾き切り、震えていた筈の唇は──発する言もなく閉じられる。表情などなく、さながら能面がごとく──。

「──フフ」

 ──なんだ、これは。

 表情が移ろい変貌してく。口角を、そのまま刃で引き裂いたような──。白い歯茎をも露出させ、銀の瞳は引ん剥かれた笑みに、全身の肌に虫が這うかの如き寒気を帯びる。

「──あーあ。迫真の演技のつもりだったのになぁ」

「──ッ!? あなたやっぱり──!?」

「でも、ま。バレちゃったらのならソレもやる必要ない、か。うふ……♡」

 ケタケタとゴキブリの羽音の様に、忌々し気な目の前の『人間』を翻弄し、邪気たっぷりに無邪気に嘲笑う神名あすみ。

「あなたなのね。千歳ゆまを魔女化寸前にまで追いやったのは──!」

「あらぁ? その様子じゃやっぱりもう魔女化はご存じなのかしらぁ? やっぱシカメに執着するだけはあるわねぇ……?」

「シカメ──? ……鹿目(かなめ)まどかの事──!?」

「ふぅん……? やっぱりシカメの事スキなのね? わたし知ってるわよぉ? そう言うのってレズビアン、って言うんでしょう? あぁ気持ち悪い……♡」

 コイツまどかの事まで知って──!?

 否、私がまどかを守ってる事まで知られている。誰にも知り得ない筈のその事実を。おそらくはキュゥべえから聞き出したのだろうが、そこを重点に聞き出せ得ぬ程にまで私は、かつてなく酷く心臓が鼓動を打っていた。羽虫の羽音の様におどける神名あすみを前に、脈打つ鼓動に、額に汗がまとわりつく。

「──ふふッ。えぇ、そうよぉ? わたしがあのガキを昏倒させたの」

「くッ──!」

 やはりコイツは『黒』──!

 指を添える引き鉄(トリガー)の、チャキ──と小気味よい金属音と共に照準を合わせる。

「あぁあぁもう。そんな物騒なモノ向けないでよ。みっともない」

「ゴタクは良いわ今すぐ戻しなさい! 千歳ゆまに掛けた妙な魔法を今すぐに解除しなさい!」

「解除しなかったら?」

 当然──。

「お前をココで殺す」

 神名あすみの固有魔法は不明。昏倒させたとある事から、恐らくは精神に利くに類する魔法。長引かせるは悪手も悪手。でなければ私が『喰』われる。要求を拒むなら即刻ここで時を凍らせ叩き潰すしかない。──だが、それにしても唯一のネックがまだ懸念される。コイツはソウルジェムを意図的に隠している。急所を狙って勝ち逃げる事を許されていない。

「殺しちゃうのに治せですって? 殺しちゃったら治せないじゃない? もしかしてお姉ちゃん、アホ?」

「減らず口を叩けるのも今の内よ。あなた程度、即刻今この場で叩き潰せるもの──!」

 ソウルジェムに手を掛け、眩い紫の光を漏れ出させながら魔法少女衣装を身に纏おうとし──。

「あ、待った」

 口角を吊り上げ、およそ微笑みとは程遠い嘲笑を向けられる。

「何?」

「今ココで変身しても良いワケ?」

「何が言いたいの? 命乞いのつもりかしら」

「ううん。どっちかと言えばそれはアナタでしょお?」

「は……?」

「さっきのマミお姉ちゃんの口ぶりからするに、アナタ……些か信用されてない様ね?」

「──だから?」

「これだけ言ってまだ分からないの? キュゥべえがイレギュラーって呼ぶ割にはフシアナ過ぎない? 超ウケるんですけど?」

「ゴタクは良いわ。その下衆い口を今すぐ閉じなさい」

 耳を傾けてやる価値も無かった。

「あら、せっかく警告してあげてるのになぁ……」

 時間稼ぎか、それこそ命乞いによる無駄口でしかない。私は構わず、本紫の宝石に手を掛けて──。

「あぁもうせっかちね! オマエ信用されてないのよ!」

「──!」

「いい? ここでアナタが今変身したところで、絶対わたしに襲い掛かってると思われておかしくは無いわぁ……? マミお姉ちゃんたちに──ね」

「……」

「当然よねぇ? 今の時点ではアナタより、わたしの方が確かな信頼を得てるんだから……! マミお姉ちゃんからありったけの愛情を注いでもらってるんだから……! それでなくても今のオマエ、その鉛弾を今にもブチ込みたいって顔してるもん……! アハハハハハハッ!」

 彼女の言う通り。今周回での私は巴マミの信用を得られていない。そのうえ、恐らく佐倉杏子でさえ私に懐疑的だろう。ここで変身をしてしまえば、間違いなく神名あすみを守らん──と、この屋上に飛び込んでくる。変身した私の『気配』を察知して。けれど──。

「──知れた事よ」

 制服姿にも似た、モノクロの魔法少女服を身に纏い、左腕には機械仕掛けの盾が、ガチガチと歯車が噛み合う音と共に造り上げられる。

「──本気なの?」

「えぇ、生憎『嫌われる事』には慣れてるもの──!」

「へぇ、そぉ……?」

『嫌われる』。それがどうした。

 まどかは運命にさえも嫌われている。嫌われる程度でまどかを守れるのなら、いくらでも嫌われてやる。私はかつてまどかの血でその手を濡らした。例え今更誰かを殺めその手を血に染め上げようとも、あの時の張り裂けそうな『思い』に比べればどうと言う事は無い。今ここで神名あすみの命が絶たれ、巴マミが絶望しようとも知ったことではない。今周回では巡り合わせが悪過ぎた。なら次からは抜かりなく執行すれば良い。この少女の姿をした、銀髪の『悪魔』の討伐を──!

「死になさい、神名あすみ──!」

 瞬間、神名あすみの姿が銀に染まり、割れる鏡が如く撒き散らされる。破片の雨が止んで現されるは、黒と暗き紅、そして灰を基にしたゴシックロリータ調の衣装に身を包んだ少女──神名あすみの、魔法少女としての姿。だがもう遅い。カチリ、と歯車が作動する小気味良い音と共に、世界はモノクロに染め上げられ、そして凍り付く。この世界では何人たりともその体を動かす事を知らない。ただ私一人──そして、私に触れる者を除いて。それからは毎度と変わらない。幾重にも弾丸の幕を張り、魔女の命を刈り取るのみ。そして目の前に居るコイツは人を絶望させる、まさに魔女と変わらぬ悪逆と言えよう。ただやはり変身後でさえソウルジェムを隠している。指輪ですら隠していたコイツが、みすみす急所を晒す筈が無かったという事。ならば威嚇に威嚇を、脅迫に脅迫を重ねて千歳ゆまに掛けられた呪いを解かせたのち、そのカラダを解体する他無い。些か気は進まないが、致し方あるまい。そして時は動き出す。世界がその彩を取り戻す。だが──。

「────!」

 銃弾の雨を浴びせられ、彼女が地に斃れるその瞬間見逃さなかった。私に向けられたその銀の瞳が、ルビーが如く臙脂に染まり輝くその瞬間(トキ)を──。

「っぐ──ぁ──」

 ドシャリと、紅い水溜まりに体を崩す神名あすみ。もはや歴然。他の魔法少女と同様、止められた時空間の前では彼女も無力。圧倒的な武力を手にしている以上、交渉においてはこちらに分があるどころでなく、もはや交渉とは名ばかりか、神名あすみが私の言うことを聞かざるを得ないと言う事。

「もう一度言うわ。千歳ゆまの魔法を解きなさい。さもなくば今度こそお前を殺す」

「……」

 ゆらり──と霊が舞うが様に膝立ち上がる。ドロリ──と水銀にも似た液状の魔力のようなモノが彼女を包み、元の”Love Me”と記されたシャツの、貧相な私服姿へと戻す──変身を解除した。両掌(りょうてのひら)を自らの頭上に上げ、拳銃を突き付けられたアメリカ人がよく見せるような、洋画でよく見かける降参のサイン──ハンズアップを示す。

 呆気なかったわね。

 口を開けば喧々囂々。放たれる音は罵詈雑言なる彼女であらば、もっと足掻くものかと思われた。それも、殺され損ねたゴキブリのように。

「──くヒ──」

 ──否。

 ゴキブリだったならどれほどマシか。ゴキブリはその見た目と生命力のみから忌み嫌われ、不潔で言えばハエやネズミの方が汚らしい。

「ヒヒッ──ヒハ──!」

 羽音はゴキブリ──いやそれよりもっと耳障り。さながら汚らわしさはドブネズミ──いや手を洗えば終いな汚らわしさをも上回る。神名あすみとは──。

「────グギキィィィィィィィィィィィィィィィィィィ────ッ!」

 ──黒板を爪で引き裂かんが如き羽音に、人ひとりの人生を消費する毒を持つ『悪魔』だった。

「何がおかしいの──!? 状況分かってるの──!?」

 銃弾の当たり所が悪く狂った、など結論付けて逃避したいなど愚の骨頂。ありったけの血を抜かれても、脳を磨り潰しさえされても、宝玉(ソウルジェム)さえ無事ならば生きていられるのが化け物(魔法少女)だ。耳を刺す不愉快な引き笑いに、全身の毛穴が開き、風穴と化した毛穴を吹かれ、寒気に侵される中、金属を断ッ斬るが如き高音で罵られる。

「──どれだけ繰り返してるのッ!」

 頭に文字が浮かばない。頭に文字が刻まれない。頭に言葉が浮かばない。私──暁美ほむらは、瞬く間だけその思考を停まらせた。

『繰り返す』? 何を言っているのこの子は?

 呆気にとられ小さな口が開き、愕然とした瞳孔が開ききる私を前に、神名あすみが口を開く。

「ッあぁ~っ……、イィ……っ、とぉっても良いっ……♡」

 フォンデュ(血溜まり)に指を突っ込み、纏わりついたチョコレート(神名あすみの血液)を愛おしく、粘り濃く、恍惚に舐め取り味わい、染まりあがった舌で唇を舐め擦る。

「──『愛』の時間旅行者」

「──ッッ!!」

 そこからはもう堪えられなかった。考えるよりも先に指が動いた。引き鉄(トリガー)を引いた。何度も。何度も何度も何度も──! 小さな躰──否、骨張るケモノじみた悪魔のカラダから、黒い血液が、花弁が如く散り迸る。痛みに堪え、呻きながらもなおも銀の悪魔が囁く。

「──『キュゥべえに騙される前の莫迦なわたしを、助けてくれないかな』」

「お前がそれを言うな──! 言うなぁッ!」

 悪魔の声色で同じ言葉が放たれるなど我慢ならなかった。その言葉こそ、私の『覚悟』の結晶──! あのまどかが初めて、こんな私を頼ってくれた時のあの言葉。あの言葉があるからこそ、今の私がある──! 今も私はまどかを雁字搦めの運命から解放すべく、この鳴り止まぬ心臓の鼓動を打ち続けている。そんなまどかの、まどかの言葉を愚弄するな──!

「っぐ──痛ぁい……っ。そんなんじゃ嫌われちゃうよ? 『ほむらちゃん』?」

「黙れッ!!」

 もはや蜂の巣。唇引き裂いて嘲嗤う悪魔のカラダは穴だらけ。穴なんて無い部位など探す方が難しく、その身を穢れた血に赤黒く染め上げる。

「う──。でもぉ……『愛』なんて言うには綺麗過ぎて、えぇと……あっそうね。お前はヤツの優しさを利用して(使って)いて、依存している。当然よねぇ……? 弱く、気持ち悪い自分に唯一構ってくれたんだもの──! ほんの少しだけの優しさを向けられたぐらいであの子に依存するなんて、まるでストーカー──いや、ストーカーそのものね。気持ち悪い」

 私の指(トリガー)は止まらない。

 胸が熱い──!

 頭の中が熱い──!

 怒りに染まりあがった私の視界は、血が沸騰しているのか淵が紅に染まっている。

「っフフ──! めでたいエゴイストさんですこと。だって『ほむらちゃん』へのお願いって、モロにパシられてるのにねェ……?」

「──!」

 まどかに頼られた私が、パシり──?

 赤く染まりあがった視界が開き、トリガーに掛かけられた指が止まる。

「えぇ、そうよ。アナタ、その程度の女だったのよ」

「──その、程度──?」

「そう。己が判断ミスから契約してしまった事の尻拭い。やっぱり魔法少女なんて嫌だった──。大切な人を殺すし、果ては一切の逃げ場がない程にまでその大地を呪いに染め上げる。そんな魔女になんてなりたくない──なりたくないから、『ほむらちゃん』にお尻を拭かせるの。『最高の友達』のほむらちゃんを利用して、ね──」

 ガキリと拳を骨張らせ、ケモノの形をした指で私を指しながら──。

「ふふっ──もうパシり確定ね。それも鹿目まどかの下痢グソがべっとり着いたクソ紙以下よ。下水道ループ、お疲れさまぁ……♡」

 蒼──。

 怒りに沸騰する体とは、その臨界点を超えると却って静まるもの。シン──と冷え切り、不思議と冷静さを取り戻すことが出来る。今の視界は蒼色。たった一発の弾丸が、神名あすみの腹を貫き、血塊を吐かせる。

「ごほ──ッ。……ふふっ。ほむらちゃん、その約束を律義に守ろうとして何度も繰り返してるのよね? それでね? それで聞いちゃうんだけどぉ……。──本当に、あの子を救いたいの?」

「──何」

「──フフッ。知ってる? 人を助ける時の条件。伸ばした手を掴み返してくれること。相手からも助けられちゃったって思われてこそ成り立つモノなの。けどアナタ、そう出来た試しがあるの?」

「……」

「あの子の為なんかじゃない。暁美ほむら──オマエ自身の為だけよ。もうそれって、独り善がりのエゴよね?」

「……」

 確かに、まどかにその手を握り返してくれた試しなどない。いつだって私は独り、まどかを救おうと救おうと、出口のない迷路を彷徨い続けていた。例えその手を払いのけられようとも、いつだって手を伸ばし続けていた。だからこそ──。

「──そう。そんなに死にたいのね」

「ううん。アナタにわたしは殺せない」

 殺す──。

 もはや千歳ゆまなどどうだって構わない。

 巴マミや佐倉杏子もどうなろうが知った事ではない。いずれはコイツの魔の手──文字通り悪魔の手は、きっとまどかにまで及ぶ。人殺しの罪を謂われようとも、いくらでも背負う。今すぐにコイツをここで始末しなければならない。

「今すぐ殺してあげるわ。神名あすみ──!」

 その脳天に照準を合わせる。引き鉄(トリガー)に掛かる指へ力を籠める。その脳を八分九分に分け、意識を奪い、身体の至る所からソウルジェムを探し出して砕いてやる。砕いただけでは飽き足らない。タバコの灯火を躙り消すが如く踏み躙り、その命の宝玉(ソウルジェム)を抜かりなく粉々にしてやる。

 

「っぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっっっっっ────!!」

 

 劈く悲鳴。耳を切り裂く金切り声。痛みに喘ぐ少女の悲鳴にして──眷属を呼び起こす悪魔の雄叫び。たじろいだ瞬間にはもう遅かった。今まさにこの時、引き鉄(トリガー)を引けば良かったのに。

「──何してるの! 暁美さん──!」

「ほむらテメェ──!」

 喉を叫びに枯らしながら、突入する巴マミに佐倉杏子。威嚇の鳴き声は私に向けられ、怒りに強張らせたその表情は外敵に敵意──否、殺意を向ける肉食獣かのよう。

「ッ──!」

 今ここで彼女達もろとも神名あすみを殺せば良かったものを、私はここで失敗したのだ。巴マミと佐倉杏子に、引き鉄(トリガー)を引く気などなれなかった。モノクロに凍った空間の中、惨めにビルとビル間を、闇空の中にて跳躍する私。

「──どうして、どうして──」

 どうして、私はこんなにも愚かなの──。

 巴マミも佐倉杏子も、どうでも良かった筈なのに──。

 

◆◇◆◇◆

 

「痛い痛い痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイイタイっ! 痛いよおおおおおおおおおおおおっっ!!」

「っ……、大丈夫よあすみちゃん! しっかり! 今すぐ治してあげるからね……っ!」

「ぁぁぁああああああっ──!!」

 痛みにのた打ち回り、その度にベッドを血で濡らし叫び喘ぐあすみちゃん。

 痛いよね。怖いよね。

 おおよそ人間の所業だなんて到底思えなかった。魔法少女が、魔法少女でもない女の子に──それも自らより遥か年下の女の子相手に実の銃弾を浴びせるなど、人間の所業とは思い難かった。体は孔だらけで、服は元々がそんな色だったかの様に隈なく赤黒く染め上げられている。人間に対する仕打ちではなく、人間のする仕打ちでない。

 暁美ほむらは『悪魔』よ。この見滝原と言う領土を欲しい儘にせん、と私たち魔法少女の仲間ならば、一般人に対してすら容赦はしない。意思持たぬ魔女をも超えた性質の悪い存在、まさに『悪魔』と称すが相応しい女だった。

「っふぐ……うぅっ……!」

「大丈夫っ……! 私は魔法少女! 信じてっ! これぐらいの怪我なんて、すぐ治せちゃうんだからっ……!」

「ぅ、うんっ……!」

 痛みは未だ取り去れはしないものの、歯を食いしばり痛みに堪え、気丈に振る舞える程には回復出来たあすみちゃん。

『命を繋ぐ魔法』。元はと言えばリボン魔法。主だった用途としては緊縛に留まらず、マスケット銃──構造を勉強した──の錬成にまで及ぶ。また、私の願い──『命を繋ぐ事』──が由来でもあるからか、その傷を癒す効果もある。並の汎用的な治癒魔法よりは、余程効果が見られると自負はしている。

「っぁ、ま、マミおねえちゃ──」

「ま、まだ喋っちゃ──!」

「ほ、ほむら、おねえちゃんと、くろの、おねえちゃんが、ゎ、わたしをっ、いじめてっ……! っひぐ……! うわああああああああん……!」

 黒の魔法少女狩り

 最近何人もの魔法少女が、身体に幾重もの傷を刻みつけられ葬り去られるという。現にあすみちゃんも、ゆまちゃんもその毒牙に掛かったばかり。

「……」

「──佐倉さん……?」

 いつになく神妙な顔をして、あすみちゃんを眺める佐倉さん。何か考え込むように──。

「──いや、何でも無いよ。けどあいつら何考えてやがんだよ──!? あたしら相手ならともかく、コイツ一般人じゃねえかよ!?」

 唾を散らしながら佐倉さんが怒鳴る。寧ろ私達が魔法少女だからこそなのかもしれない。今はキュゥべえの姿が見えないけれど、それも飽く迄も今の時点ではと言う事。将来キュゥべえに選ばれ、契約さえすればこちら側の戦力の向上となる。暁美ほむらと黒の狩人からすれば、それが邪魔で仕方がなく我慢ならないのだろう。鹿目さんの時も同じだった。自分より強い存在はすべてが邪魔者。その邪魔者を消し去った暁にはこの街の全てを食らいつくす。グリーフシードを手にして好き勝手に生きるべく──!

『いじめられっ子の発想』とはまさにこの事よ。

 その為ならばたとえ相手が魔法少女でなくとも、小さい子相手だろうと容赦はせず、いじめられっ子と称す方がまだ生ぬるい。まさに鬼の所業。悪魔の所業。けれど──。

「私達、これがダメになっちゃうと死んじゃうんだ……」

 ソウルジェム。これが穢れ切れば死ぬ──暁美ほむらが言っていた事。彼女の言う事である以上それだけならばにわかに信じ難い事ではあるものの、ゆまちゃんの容態を見る限り強ち嘘ではないのかもしれない。

 だったなら、私達はこれから──ずっと戦わなきゃ──。

「ソレが無きゃアンタは事故でくたばってたんだ」

「え──」

「そしたらあの冬の寒空の下、全部殺したあたしをアンタが見つけなけりゃどうなってたか分かんねえよ」

 ──そうだった。

 あの時契約しなければ、どのみち燃え盛るあの車の中で命を落としていた。それだけじゃない。冷え切った佐倉さんの躰を抱きしめ、家でジンジャーティーをご馳走してあげた。あぁしていなければ、全てを失った佐倉さんは今頃とっくにこの世を去っていたかもしれない。そして変える事の出来た運命はまたその一つだけじゃない。

「っ……、マミおねえちゃんっ……。あの時、わたしを助けてくれたよ……?」

「あすみちゃん──」

 あの時あすみちゃんに会えなければ、あすみちゃんが今こうして生きている事もなかった。このお家で私のケーキを美味しいと言ってくれる事も、お紅茶で温まってくれる事も無かった。

 ──そうよ。生きていて良かったんだ。

 いつまで戦えば良いのかは分からない。けれど、私が生きていられた事で、生き延びる事の出来た子達がいる。救い切れたかどうかはまだ分からないけれど、今この場で一緒に居てくれる子達がいる──!

「──ふふっ。まだまだ弱気になんてなれないわねっ」

「マミおねえちゃん……!」

「もう大丈夫っ。私、あなた達が居る限りいくらでも頑張れる。そんな気がするの」

「っハ! あたし居なくなったらどうすんのさアンタ」

「そんな事させないわ。あなたもずっとずっと生きるの。私達で、ずっと」

「……コレだからうるせー姉貴みたいなヤツはイヤなんだよ」

 言葉とは裏腹に、白い歯を見せて太陽の様に笑みを浮かべる佐倉さん。

 これで、良かったんだ。

 ずっとずっと、魔法少女なんて辛い物だと思ってきた。誰も味方なんて居なかった。でも今は違う──。

「──絶対ゆまちゃん、助けましょうね……!」

「もちろんだ。助けて──あのクソ共を叩き潰す」

「わたしもぐりーふしーど? をゆまちゃんに当てるの手伝うよ……!」

 だって、こうして思い合える人達がいるもの──。

 気張る事なんて、なかったんだ──。

 

◆◇◆◇◆

 

 丑三つ時も過ぎる頃──。

「──あほくさ」

 マミおねえちゃんと狂犬はとうに眠ってしまった。その中をわたしがクソ猫──千歳ゆまにグリーフシードを与え続けてる。

 やり方は知ってるわよ馬鹿じゃないの? ──と言いたい所だけど、ご丁寧に姉御共から聞かされた。

 それに──。

『辛いようなら起こすのよ? あすみちゃんも病み上がりなんだから……!』

『うんっ。でもマミおねえちゃんのお陰で……ほらっ、元気になっちゃった』

『……本当、無理しないでね……?』

 と、あそこまで気に掛ける? 普通……。

 気が抜けたのか、あの後すぐに寝ちゃったよ。

「あ~身に着けてなくて良かった」

 指輪の形にしておいたソウルジェムは、普段は財布の中のお守り袋に忍ばせてある。まさか人のお守りの中を覗き見したり取り出したりする罰当たりな人なんて、少なくとも日本人の中じゃなかなか居ない筈。万が一にも盗られたり紛失しないよう、ウォレットチェーンに繋ぎ留めたうえでポッケへと。そしてそのチェーンも普段はトップスに隠れて目立ちもしない。有事の際にはお守り袋に指で触れさえすれば、あとは粒子化の後に卵型のジェム形態を作るだけ。ここまで工夫してなければ、きっと今頃マミおねえちゃんから治癒を受ける時にでも露呈する所だった。

「──っと、もう真っ黒になっちゃった」

 お姉ちゃんたちからもらったグリーフシードもそろそろ半分尽きようとしていた。どんなに与えても焼け石に水だって事も分からないのか、はたまた分かっていてそれでも足掻くのか。

 どっちにしても滑稽で、お口の端が吊り上がってしまう。

「これはわたしが持っといて──」

 例え使用済みだとしてグリーフシードには使い道があると言うもの。普通は危険物としてキュゥべえに処理させるものの、敢えてどこかにポイ捨てして故意に孵化させて何人か人間を食べさせて肥えさせるなりすれば、また新鮮なグリーフシードとして収穫できる。もしくは魔女のココロを掴む事で、自らの兵力として使い潰すことだって容易い。ただ、今このグリーフシードを市内に設置するのはマズい。設置場所は見滝原でない場所にしておこう。それはさておき──。

「は~いお薬でちゅよ~」

 おどけながら新たなグリーフシードを押し当ててやる。残り半分のグリーフシードが底を尽きたとしても、わたしの貯蔵分を使えば半永久的に生き永らえさせるのも簡単なこと。なにぶんグリーフシードに関しては困る事のないぐらいの量を確保している。それも一個や二個──いいえ、十個ほど捨てても全然困らない程には。短命とも言える魔法少女だけれど、冗談でなくわたしこそが最長寿の魔法少女として、老女となるまで生き永らえる事すら出来るのでは? と思い上がってしまう。それもこのチカラで人間を餌に魔女を養殖出来るからこそのモノ。

「せいぜい苦しみなさい」

 ここでクソ猫に魔女化でもされて、眠ってる間にマミおねえちゃん達が食われでもしたら興醒めも興醒め。魔女堕ちしない程度に浄化してやらなきゃいけない。その間ずっと生死の狭間を彷徨ってると思うと……。

 あぁ、これ達しそうね。

 それにしても──。

「──っフフフフ!」

 ほむらちゃん、思ってたよりも煽り耐性ゼロだったのねぇ……?

 姿と態度通りの鉄の女だったなら、正直わたしの身は危なかった。けれどアイツの人生をスキャンしてみた限りでは、所謂陰キャの女と見て良い。あの子があの時なすべきだった事は、時間を止めてわたしのカラダを隅々までブッチャーばりに解体し尽くし、ソウルジェムを探し出して砕くのみだった。

 まぁ触れられたら時間停止から逃れられるから、その時はしがみ付いて妨害するけどね。

 それに愛しい愛しいまどかとの大切な大切な記憶を突っつかれたらもう赤子同然。怒りに身を捧げて判断能力を棒に振る。そのうえ魔法少女狩りの大罪をも着せてやった。今ではマミおねえちゃんからすれば一般人のわたしを蜂の巣にした正真正銘のガ〇ジ扱い。

「うふふッ。ざまあみろ♡」

 せいぜい潰し合うが良いわ。

 時間旅行者の不幸でこんなにもケーキとお紅茶が美味しい。今この場にケーキなんて無い事は置いといて……。

 今周回でもまどかが死ねばヤツは次の時間軸へと跳躍するに違いなく、だったらもはやチートと言うしかない邪魔者がこのセカイから消え失せるも同然で気が楽。

 けれど、そんな飯が美味しい話だけなんかじゃなくて──。

「──美国織莉子」

 ほむらちゃんのビジョンを介して垣間見た『救世主』。おおよその推論通り、まどかを世界の癌として排除せんとする預言者を気取る冷徹な女。よほど警戒すべきはほむらちゃんなんかよりもこの女。預言者を気取るだけはあり固有魔法は『未来予知』。かつての時間軸では垣間見た破滅のビジョンをもとに救済の魔女の生贄(鹿目まどか)をその手で葬り去ったもの。黒の魔法少女狩りこと呉キリカの速度低下と組み合わせれば、ほむらちゃんの時間停止相手に渡り合えるほど。

 だったら、既にわたしの行いを全てビジョンを通して把握済みですらあるかもしれない。だからほむらちゃんなんかよりも厄介と言える。知らずの内に先回りされている事だってあり得る。でも──。

「汚染しちゃえばこっちのものよね」

 美国織莉子の()るビジョンをわたしの固有魔法で汚染してしまえば良い。綺麗を汚い。汚いを綺麗。未来を見通す瞳を混沌に濁らせさえすれば、未来予知を実質上無効化出来得て──あれっ?

「あ、やっぱ無理だ」

 そもそもわたしに出会ったなら最期──汚染されると言う事を予知し、わたしとの接触を避け、避けて避けて避け続けるが美国織莉子の勝ち。

「うーん、だったらまぁいいや」

 救世主一派。彼女達が現れる事などほむらちゃんの経験上あまり例がない話。言わばイレギュラー因子。奴らが居る時間軸となれば、必ずほむらちゃんは殺し合う。その際にどちらかが斃れてくれるからわたしが手を出す程でもない。下手に触れれば間違いなく狩られる。

 けれど──。

「──わたしもイレギュラー、か」

 神名あすみと言う名の魔法少女──わたし。救世主一派などとは違って、ほむらちゃんの経験上一度も会った事が無かったらしい。

「他の時間でなら、おかあさん生きてるのかな」

 魔法少女でない、もしものあすみ。

 世界に捨て去られはしなかった、もしものあすみ。

 それって、今のわたしよりも『幸せ』なのかな……?

 それとも、ココでのわたしと同じように██な目に遭ってるのかな。

 そして、あすみがこんな自分に成り果てるなんて事には──。

「──わたしの『やる事』は決まってるんだから……」

 いつでも、今まで通り、これからも変わらない。

 知らしめるの。

 世界はこんなにも『不幸』に溢れてるの──って。

 わたしはその為の使者。

 そしていずれは神の名を欲する者。

 全世界の人間を一人残らず『不幸』に染め上げ、このわたしだけが──。

「わたしだけが、『幸せ』になるんだから」

 すべては、おかあさんの言いつけ通りに──。

 

◆◇◆◇◆

 

 あれから数日。

 クソ猫が依然と昏倒したままで、生命維持に要するグリーフシードの殆どが今ではわたし持ち。というのも──。

「私あっちの方角行ってくるわ──!」

「悪ぃあすみ! あたしも──!」

「うんっ、いってらっしゃい!」

 ま、そいつらわたしがばら撒きに撒きまくったモノなんだけどね。

 マミおねえちゃんと狂犬の狩ってくるグリーフシードの殆どが、わたしが使用して設置したもの。もちろん二人ぶんの魔力も確保できるよう、設置量の調整にも抜かりはない。生殺与奪の権はわたしに握られてる。今すぐ殺そうと思えば殺せるし、こうしてのうのうと生き延ばせる事だって。また、わたしが設置してるトコを見られちゃう──なんてクソマヌケなプレーをする訳ない。適当な人間を洗脳して、グリーフシードを持ったラジコンとして操って指定位置にポイ捨てさせてる。もちろん一連の行為の記憶は抹消──と証拠隠滅にも抜かりはない。さらにわたしながら抜かりなさ過ぎて惚れ惚れする所と言えば、わたしが持参した見滝原産でないグリーフシードを設置したが為に、おねえちゃん達にしてみればあたかも見たことのない新種の魔女が出没したとしか思われないところ。おねえちゃんから貰ったブツを設置したなら、如何にも神名あすみは巴マミと佐倉杏子から貰ったグリーフシードを使い回しちゃっております! と自ら高らかに宣言する様で迂闊にも迂闊でマヌケどころじゃない。

 それはそれとして──。

「──あの新種、狩りたいのよねぇ」

 ジメジメとした陰湿な自殺ショーを開くらしいあの魔女。その習性を用い、クズ共が死にゆく様を鑑賞するのも悪くは無い。是非とも娯楽グッズとして、鑑賞目的の芸術品として仕入れておきたい所。

 今この街に蔓延る魔女の大体の位置は、わたしが設置した物も含めて大体把握が完了してる。もっとも、後者以外のもの──新種については性質までは把握していない。あくまで出たらしいと言う事だけ。自ら出歩いて、アタリをつけた魔女を狩る際におねえちゃん達と鉢合わせしないよう設置場所もコントロールしていて、また出来るだけ二人が分散してもらえる様にも調整してある。

「っはぁ。あちこちポキポキ……」

 最近、体動かしてないからかなぁ。

 出歩かない時が多くなってきたからか、全身の至る所から小気味の良い音が立つ程に体がなまっている気がする。

 慣らすにはちょうど良い頃合かもしれないし、今日はわたし自ら魔女狩りへ赴く事にした。

 

◆◇◆◇◆

 

 埃の被ったダンボール箱。手の触れぬまま乱雑に放置された鉄くず廃材。塵が煙く積もる床。薄昏く照らす青白い灯り。

「ああ、そうだ、ダメなんだ。こんな小さな工場ひとつ、満足に切り盛りできなかった」

「親父、一緒に行こう……?」

「えぇ、行きましょう……」

 生気を失った声色の中年男性に女性に、若い男の子。魔女のキスを受け、魅入られ、口付け跡を首筋に刻まれた一家。他にも同様の紋章を刻まれた烏合の衆がちらほらと。けれど──。

「なにをしておりますの? これは神聖な儀式ですのよ?」

「やめてぇっ! それ危ないんだよ!? みんな、みんな死んじゃうんだよ!?」

 エラい時に遭遇したわね。

 魔女主催の突発集団自殺オフ会のメンバー中に桃色の髪の少女──最強の魔法少女候補・まどかの姿もあり、そしてその傍らにはミッキーの親友たるワカメ──志筑仁美の姿も。まどかにだけ『口づけ』が無い事から、多分ワカメの自殺を止めようとしたところを巻き込まれたか何かの筈。わたし個人的には、このまま自殺ショーを目の当たりにして拍手を送ってやりたい気もしたけれど──。

 ああ面倒くさい。こいつらに姿を見られるわね。

 わたしが魔法少女として魔女を狩る光景をまどかに目撃される。そして間違いなくコイツを通してマミおねえちゃんに知れ渡る。

 しょうがない……。ほむらちゃんにボコられない程度にやっちゃいますか。

「はぁい。皆様ご注目ぅ~」

 乾いたハンドクラップと共に両手をこちらへ扇ぎ、一同の視線をこちらへと釘付けにさせる。

「──!? あ、あすみちゃ──!?」

 はい、しめたわね。

 今ここに居る全員の視線は全てわたしを射抜いている。わたしの『瞳』を覗いている。あとはトリガーを引いてしまえばいい。

「──Gvneurldeukn眠れ. Nleöhsc忘却せよ.

 パタリパタリと、ひとりひとりずつ。糸の切れた人形が如く地に伏す自殺志願者たち。

「え、え……っ。あ、あすみちゃん……っ!? な、なにしたの……っ!?」

 せっかくね。ついでにコイツの記憶もモノにしてやるわ。

 如何にしてその慈悲深い人柄を得たのか。如何にしてほむらちゃんが我が身を捧げんまでに虜にするほどの魔性を持つのか。ミッキーと出会うまでに。一体コイツに何があったのか──。

「──Nsecnanスキャニング. Nsecfhal眠れ. Nleöhsc忘却せよ.

 桜色の瞳がわたしと共鳴し、紅に染まり上がる。その記憶の果てに、わたしが見たモノ──まどかの見たものは──。

 

◆◇◆◇◆

 

「──チッ」

 存外、つまらない記憶だった。

 自らだけが生き残り罪悪感を抱いたり、理不尽に虐げられるなどしてトラウマを抱いた訳でもない。

 家庭菜園に興じる父親に、日々一家を支える立派な母親。そして可愛い可愛い弟に囲まれる温かな家庭。

 あまりに普通過ぎる。

 普通過ぎてつまらない。ジャンヌダルクとは違い、特筆して何か悲劇を経た訳でも決してない。強いて言えば母の背中が大きく、さやかは自分と違って元気っ娘で、仁美は才色兼備なお嬢様。そして巴マミはカッコ良くて憧れの魔法少女の先輩。──と、周りに恵まれ過ぎて勝手に劣等感を抱いていると言った点。正直こんなヤツがほむらちゃんの記憶で見たような自己犠牲精神旺盛な魔法少女に何故至れるのかがまるで分からない。いいえ──。

 ──自己の犠牲とすら思わないだけに性質(タチ)が悪い。

 コイツは自らの苦悩や痛みを自覚せず、そして勘定にも入れず、あくまでも他人の苦悩や痛みに寄り添おうとする。例えそれが誰であろうとも──。

 やっぱりまどかにだけは関わりたくない。

 出来るならさっさと今すぐ首を刈っときたいわね。

 恐らくは天然モノと称して良い。何ら外的要因がほぼ無いまま自発的に狂気とも言える慈悲を身に着けた。この精神性では、多分わたしの精神汚染魔法も大して効果が無い事には間違いない。せいぜい契約前に記憶を書き換えて、ほむらちゃんを宿敵と設定したうえで虐殺──も出来るかどうかも怪しい。コイツは宿敵であろうともまず話し合いから入るだろう。どうしてそんなひどい事をするのか。何があなたを突き動かしてるのか──等、全て知ろうとする。否定から入りはせず、目に入るモノ全てがコイツの大切なモノなのだ。すべてを救いたいんだ。『周り全ての幸せ』を想う事こそ、鹿目まどかが鹿目まどかたる所以なのだろう。

 何が皆大切だ。

 考えるだけでも反吐が出る。

 気持ち悪い。

 こんなヤツさっさと死んで欲しい。

 わたしの目の前に二度と出て来るな。

 もう姿形も声色も表情も仕草も見ていて鳥肌が立つ。

 こいつにだけは魔法少女になられてはならない。きっと絶対に勝てない。素質も然る事で──わたしの物量戦法を以てしても恐らく押し切られるうえに、前述の通り精神魔法が恐らく効かない。

「……頼んだわよ、救世主」

 もう美国織莉子辺りに頑張ってもらうしかない。そうじゃなきゃこのセカイも終わり、また契約してしまえばわたしが渡り合える余地も無い。かつてほむらちゃんが経験したように契約前に是非とも美国織莉子にケリをつけて頂きたいもの。

「……気分悪っ。ほむらちゃん来る前にさっさと終わらせよっと」

 ついでにこの場でまどかの首を刈り取りたかったものの、今ここでほむらちゃんに来られたなら、即刻わたしが狩られる。だから本格的にまどかを殺すのはほむらちゃんに死んでもらってからか、もしくは美国織莉子に任せるかだ。

 

◆◇◆◇◆

 

 海底のように蒼く、海底のようにふんわりしていて、海底のように心地良い。ここには誰の言葉も届かない。ぷかりぷかりと静かに浮遊する。──そんな夢見心地を乱す者が二、三人。

"Ukoy ah ihnoont astatmauk en. Amta iiakti en"

"Okdon ah uoobten emtot uiok"

 ケタケタとネズミの鳴き声が如く耳障りで、ピエロのように張り付いた笑みの使い魔。

 ムカつくお顔ね。ニヤニヤしちゃってさ。

 ココロすら持たない使い魔がわたしを嗤うなんて何様なの?

 少しだけ、先ほどのまどかの記憶を覗いたせいもあってか胃のむかつきがこみ上げてくる。

 何そのブラウン管? 型遅れもいいとこよね?

 耳障りな使い魔に反し、ブラウン管テレビの形をした魔女は一切口を開かない。スクリーンドア(網目模様)の際立つCRT特有の光を、七色のカラーバーと共に無機質にぼんやりを放つのみ。

 だが、わたしのやる事はいつもと変わらない。

 どんな魔女、そしてどんな魔法少女が相手だったとしても──。

「──アナタの特性、覗くわね」

 魔女のココロを読み解き、解し、虜にさせ、屠殺し、肉塊に変え、グリーフシードに変えて消費する。

 けれど、この魔女に限ってはやめておくべきだった──。

「──!」

 テストパターンにノイズが走り──否、ノイズ混じりに、霧が徐々に晴れるが如く映し出されてく。色褪せたブラウン管に映し出されるは──。

 

 ──かつてのあすみだった。

 



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第5話「みんな不幸になっちゃえばいいんだ」(規制版)

『幸せ』なんて、失くして初めて気付くもの。

 誰が最初にそう言ったかなど知りもしない。知りもしないけれど──これはきっと事実なのだろう。

『普通』が一番なんて、異端となってから初めて気付くもの。

 誰が最初にそう言ったかなど知りもしない。知りもしないけれど──これはきっと真実なのだろう。

 これは、あすみが『幸せ(不幸)』で『普通(異端)』であった頃の話。

 これは、わたしが『不幸(幸せ)』で『異端(普通)』となるまでの話。

 

◆◇◆◇◆

 

 とある雲一つ無き晴天の空の五月の日。天色に浮かぶ白き太陽の光が、その温もりと共に家族──神名家を抱擁していた。鼻を透かす新緑の木々や草の香る中──。

「もうすぐあすみの誕生日よね」

 彩色華やかなフルーツサンドを口にしつつ、頬を緩ませるおかあさん。あすみ──神名あすみの誕生日は文月(七月)の一六日。おおよそあと二ヶ月ほどだった。

「そう言えばもうそんな頃だったか──」

 空の先まで遠く眺めるように呟く父

「あらもうっ、お父さんったら忘れちゃってたの?」

「──いいや、そんな事は無いさ。時間ってのは一瞬だな──と思ったんだ。にしても……そうか。あすみ、もうそんな歳なんだな。ついこの前まで赤ん坊だった気がするけど」

「あすみ赤ちゃんじゃないもん……!」

 あすみはどちらかと言えば背伸びをしたがるきらいがある。周囲の子供たちに比べ大人びたがろうとするとも。だから赤ん坊扱いされるなんて、あすみにとっては恥ずかしく堪ったものではなかった。

「ははっ、ごめんな。私が言いたいのはそうじゃなくてだね──」

「あすみ、ずっと早く大人になっちゃうものだからお父さん驚いてるのよ。ね?」

「まぁ、そんな感じだよ」

「……ほんと……?」

「あぁ」

「あすみ、赤ちゃんじゃないよね……? ほんとに赤ちゃんじゃないよね?」

「もちろん。こんなおっきい赤ちゃんが居てたまるか、と思わないか?」

 眉をハの字に、けれど頬を緩ませつつ困り気味に微笑む父。

「……うんっ。あすみ大人だよっ。おかあさんやお父さんよりもずっとずっと大人だよっ」

「ふふっ、頼もしいわね」

「参ったなぁ。ははっ」

 笑い合う娘に、おかあさんに、父。ちょっぴり背伸び気味な娘。ピクニックにお手製サンドイッチを作ってくれる母。一家を支える父。なんてことのない『普通』の家族。

 今あるこの姿こそが『幸せ』だったんだ、と気付くべきだったのか。

 否。気付いて『しまった』からこそ、全てが拗れてしまったのか──。

「それであすみ。誕生日プレゼント何が良いかだが──」

「──いっぱいいっぱいのお花がいい。薔薇がいいの」

 驚きか、見開き気味の父の瞳。

「そんなので良いのか? もっと他にも一杯買ってやれるぞ? ぬいぐるみなんてのも良いかもしれない」

「ううん、お父さん。薔薇の花言葉って何か知ってる?」

 花言葉には疎くてね──と瞼を細めながら困り笑む。

「『愛』なのよ?」

「──それはまた、どうして」

「あすみ、おかあさんとお父さんのこと大好きで、ずっとずっと一緒に居て欲しくてっ」

「……」

 呆気に取られたかのようにあすみの瞳を眺める。

 けれどその瞳は、どこかあすみを見ていないような気がして。

 空を見ていた時と同じく、遠くへ──遠くへと視線を投げていて。

「──でもそれなら、私達へのプレゼントと言う事にならないか?」

「良いじゃないお父さん。買ってあげましょうよ?」

「だ、だがしかし……」

「あすみにとっての何よりのプレゼントって、私達家族の絆なんじゃないかしら」

「えへへっ。うんっ」

 頬をほんのり桜色に染めつつ、満面の笑みを浮かべるあすみ。

 やっぱりおかあさんは、あすみの事分かってくれてたんだ……。

「ほらね? だから薔薇の花買ってあげましょう? 悪い話じゃないと思うの」

「──……」

 サンドイッチを持つ手を口に当て、しばし一考に耽る父。

「──分かった。考えといてあげよう」

「わぁい!」

「でも何で花言葉なんて知って──?」

「言ったわよねっ。あすみ、おかあさんよりもお父さんよりも大人なのよっ」

「ははっ。確かに父さんより物知りだよあすみは。これは敵わない」

「ふふんっ」

 

◆◇◆◇◆

 

 けれど、あれから一年ほどして──もう1回目のあすみの誕生日。

「お父さん、いつ帰ってくるのかな……」

 心細げに、か細い声で。

 あれから数か月ほどしてから父がこの家から居なくなった。おかあさんが言うには、外国へお仕事に行ってるからしばらくは帰れない、らしい。

「……おかあさん……」

 それからのおかあさんは、毎日のように仕事に明け暮れている。夜遅くに帰ってくるのが殆どで、あすみが眠りについてしまうまでに帰ってきてくれる方が珍しいほど。

 今日こそおかあさんに会えるのかな、今日こそおかあさんに温かく抱きしめてもらえるのかな、と……眠るその時まで毎日毎日心待ちにしてた。

「あすみ、だめな子なのかな……」

 おかあさんだって頑張ってる。

 あすみの為に今も必死にお仕事している。

 なのに、心細さに胸を締め付けられ、今すぐにおかあさんに会いたいと思ってしまっている。

「っぐす……。おかあさん……っ」

 あすみは頑張ってるおかあさんの邪魔をしたい悪い子なんだ。

 会いたい心細さと罪悪感に、あすみと言うココロが水の染む布の様に浸され、涙として溢れ出る。

「……っ、泣いちゃだめ。おかあさんに、心配かけてしまう……」

 卑しい卑しいあすみが嫌になる。

 今日もおかあさんに会えない……と先に眠りについたとして、濡れる睫毛に頬を伝う涙のあと、その全てがおかあさんへの寂しさ──依存を物語る事となる。

 例え言葉になんてしなくても、例え声として発する事が無くても、その涙こそがおかあさんを責め立てる。

 どうして早く帰って来てくれないの、と。

 今あすみに出来ることは、おかあさんの為にその涙を堪え、明日も変わらず学校に行って、いつの日か父も帰ってくる日を待ち続ける事。

 だから、今日が誕生日だとしても我慢しなくちゃいけないんだ。

 小さな小さな手で瞼を擦り、涙を拭い去り、今日のところも寝床につこう、としたとき──。

「──!」

 こんな音を聞けるなんて何日ぶりだろう。

 いや、何週間ぶりだろう。

 ガチャリ、と玄関から鍵音が響く。

「おかあさんだ……! おかあさ──」

 けれど、しばらく見ないうちに──。

「──あすみ……」

 あすみに向けてくれる、その包み込むように温かな微笑みは変わらない。だけどその瞼は隈に染まり頬はこけ、見るからに痩せ細り過ぎたおかあさんの姿があった。

「っ──おかあさんっ──!」

 泣いちゃだめだ。

 おかあさんも頑張ってるんだ。

 抱かれる胸の中を涙に濡らしちゃだめなんだ。

 でも目の潤みは止んでくれず、抱きしめるおかあさんの胸を濡らしてしまう。

「っ……ごめんね、あすみ……っ。ずっと、ずっと会えなくて……っ」

 おかあさんの声も涙に潤む。

 その抱擁はとても温かくて、冷えた心ごと……身体の芯まで温めてくれるみたいに心地良くて。

 それなのに、あすみが泣かしてしまった。

 今日も頑張ってくれたおかあさんを笑顔で迎えるべきだったのに。

 久々に対面する時には、二人とも笑顔であるべきだったのに。

「っううん……っ。あすみこそ、ごめんなさいっ……! わがままでっ、ごめ──っ!」

 わがままでごめんなさい。

 がんばってるおかあさんのこと何も知らないで、ただ会いたいだけのあすみでごめんなさい。

 心からの罪悪感に、こみ上げる熱さが収まってくれない。

 汚い泪で、ごめんなさい。

「馬鹿ね……っ。子供はわがままじゃなきゃだめよ……? わがまま一つすら言えない子供なんて、子供じゃないもの……っ」

「っ……でも、おかあさん……っだけ、頑張って……っ。あすみ、だけ……っ。うぅ……!」

「ふふっ。『おかあさん』ってのはね? そんなわがままな子供のためなら、どこまでも頑張れちゃうんだから……」

 いたたまれなかった。

 なんで、どうしてこんな──。

 少し触るだけでも崩れ折れてしまいそうな程に細くなってしまってるのに。

 そんなカラダになっても、涙を蓄えながらあすみに微笑みを向けてくれるの……。

「っ……うわぁあぁあぁん……!」

「……っあすみ。あすみ……っ」

 お互い抱きしめ合いながら、この夜を泣きはらした。

 ぎゅ、と抱かれる体がいっそう締め付けられ、ぽたりと雫が髪に滴った。

 

◆◇◆◇◆

 

 真夏も近いと言うのに、今宵の雨夜はいっそうシンと冷えていた。

 会えない人に会いたくて、それでも許してくれなくて。

 そんな二人のココロを表したかのような夜の雨。

 けれど、今夜は暗いだけじゃないんだ。

 灯される暖色のロウソクの光がぼんやりと温かくて、あすみの歳の数だけある。

「……それじゃ、あすみ……」

「……うんっ」

 ふわっと息を吹きかけ、火を掻き消す。光が失われ闇に染められたけれど、おかあさんがすぐに灯りを点けてくれた。

「お誕生日おめでとうっ。あすみ」

「えへへっ。ありがとうっ」

「……えいっ」

「わわっ」

 あすみの後ろから腕を回し、椅子越しに抱き着いてくるおかあさん。

「うふふふふっ」

「もうっ、おかあさんっ」

 ちょっぴりくすぐったくって。冷たい夜だけど、この時だけは温かかった。

「あすみ、いくつになっても可愛いんだからっ」

「もぉ! くすぐったいよっ」

「ふふっ。けど良かったぁ……。あすみとお話出来た……。お誕生日ケーキも間に合った……」

 冷えた体も心も、『氷』を溶かしてくれたんだ。

「あすみ、あなたは幸せになる為に産まれてきたのよ。だから、そんなあすみの誕生日……祝えちゃって本当に良かったぁ、って」

「……でも、おかあさん。明日もお仕事なんでしょ……?」

 おかあさんもあすみも、本来とっくに寝ているべき時間のはず。

 こんなにお話して、大丈夫なのかな……?

 あすみなんかのために……。

「もうっ。言ったでしょ? もっと私にわがまま言いなさいって」

「でも……っ」

「その代わり、私のワガママも聞いてもらうんだからね?」

 おかあさんの言う事……?

 だったらあすみ、なんでも聞くよ?

 おかあさんの言いつけだったなら、何だって守る。

 ぜんぶ守る。

 だから、おかあさんのわがままって何……?

 催促してみると──。

「あすみに今夜いっぱい付き合ってもらっちゃう事っ」

「え──」

「おかあさんもねぇ、結構寂しかったんだよ~? 帰ってくるとあすみ寝ちゃってるし、ずっとずっとお話する暇も無かったし……」

「う、あ、ご、ごめんなさ──」

「……ふふっ。冗談。むしろ今夜はこんなに起こしちゃって、私がごめんなさいしなくっちゃ」

 あすみよりもずっとずっと大人なはずのおかあさん。

 けれどこの時のお顔は、どこかいたずらっ子のように子供のようで、またその笑顔が眩しくって。

「──そうだ。あすみっ、これあげる──」

 おかあさんの鞄をまさぐり、机の上に出したもの。それは──。

「──! これ……っ」

 いつかあすみが誕生日に欲しがっていた薔薇──を模した髪飾り。太陽のように明るく、自由奔放なオレンジ色の薔薇。

「あすみ言ってたわよね……? お誕生日には薔薇が欲しい、って」

 薔薇の花言葉は『愛』。けれどそれは紅い薔薇のこと。

 オレンジの薔薇なんてあすみは見たことがなくて、だからその花言葉も知らなくて──。

「オレンジの薔薇はねぇ……『絆』を表すの。それに他にもたくさんあるのよ? 『信頼』に、あと……『幸多かれ』。あすみにぴったりだと思って、オレンジにしてみちゃいましたっ」

 やっぱり、おかあさんはあすみなんかよりもずっとずっと大人だった。

 あすみのココロをずっとずっと分かってくれていて、あすみよりも色んな事を知ってる。

 あすみはおかあさんよりも大人だ、なんて言い張ってた自分が馬鹿みたい、って思えてしまう程に。

「でも、本物の薔薇じゃなくてごめんなさいね……? あすみ、本当の薔薇をすっごく欲しがってたのに……」

「ううん。すっごく嬉しい……! これならずっと枯れないから……っ。ずっと、おかあさんのプレゼント着けてられるからっ……」

 おかあさん、覚えていてくれた。

 あすみの誕生日のこと覚えてくれてて、何が欲しかったかまで覚えてくれてた。

 ──ううん。欲しかった以上のものをあすみにくれた。

 家族の『絆』に『信頼』に『幸多かれ』。

 あすみの願ってたもの全部、おかあさんがくれたの。

「似合う、かな……?」

「うんっ。とっても──」

 これでずっとずっとおかあさんと居られる気がする。

 離れていてもこの髪飾りがある限り、おかあさんと繋がっていられる気がする。

 だからあすみも、どこまでも頑張れる気がするんだ。

「──せて、よかっ──」

「え──?」

 消え入るように小さな、おかあさんのつぶやき。

 けれど、その声はあすみの耳に届くこともなくて──。

「……なんでもないっ」

「う、うん……?」

「……さて、美味しい美味しいケーキ食べちゃいましょっか。あすみ果物好きだものね。見ての通りすっごくたくさん乗せてもらったからねっ」

「うんっ!」

 この時のお話は、きっとずっと忘れられなくなってるんだと思う。

「ふふっ、ケーキどう?」

「なんか、こんなにおいしいケーキ食べた事なくてっ……」

 ホイップが重くなくて、舌に乗っかれば即座に溶ける。

 甘すぎなくて、くどくなくて、上品な味のケーキ。

 それに──。

「あすみ。今日のお茶どうかな……?」

「あったかい……」

 おかあさんの淹れたお茶も、とっても温かくて──。

 さっきまで泣いちゃってたあすみがウソみたい。

 寒かったカラダもすっかりポカポカと温かい。

 隈にまみれたおかあさんのお顔も、少しだけいつものおかあさんに戻ってた気がした。

 

◆◇◆◇◆

 

「ごちそうさまっ」

「ふふっ。お粗末様でしたっ」

 お茶で温まってお腹もふくれて、瞼も徐々に重くなってった。

「……眠い?」

「うん……」

「じゃ、おやすみしちゃいましょっか」

「あ──」

 名残惜しくない。そう言ってしまえばウソになる。

 でも今のあすみにはこれがある。おかあさんから貰った薔薇の髪飾り。

 これがあれば、もう寂しくなんてない。

 この時のおかあさんの優しい微笑みも、温かさも、すべて……すべて思い出せるから。

「んふふっ。あすみ可愛いっ……。今日は抱っこして寝ちゃいましょ」

 抱きしめられながら寝てしまうなんて、幼稚園ぐらいの歳以来だ。流石に気恥ずかしくってしょうがないんだから。

「む……。あすみそんな子供じゃな──」

「──お願い」

 無邪気な子供のようでいたのに、一転して小さく震えた声で囁くおかあさん。

 声は小さいけれどそれは、どこか──縋るような、甘える子供のような、心細さに潤す瞳をしていて──。

「……」

 寂しかったのはあすみだけじゃないんだ。

 おかあさんも、きっと同じだった。

 涙のあとを引いたあすみの頬を見ながら、きっと触れ合えずの毎日におかあさんも頬を濡らしていたんだ。

「──うんっ」

 あすみだって、おかあさんを寂しくなんてさせない。

 おかあさんがあすみの為に頑張るのなら、あすみだっておかあさんを抱きしめてあげる。

 おかあさんが帰ってきたあと、あすみを抱きしめてくれたみたいに。

「──ありがとう、あすみ。愛してるわ──」

 今夜はずっと抱きしめ合ったままおかあさんと眠る。きっと今晩はココロが冷えることなんてなくて、きっと今日は怖い夢なんて見ない。誰もいない部屋の中で、冷えた朝の風を感じることもない。明日の朝の風はきっと温かで心地よい。

 よかった。おかあさん──。

 安堵に胸を撫でられて、おかあさんの腕の中でその意識を手放した。

 イヤな事も何もかもを忘れて、夢の世界に沈みゆく。

 深く、深く、どこまでも深く。

 綿に温かく包まれる眠りの心地。

 そんなあすみの頭を愛おしく愛おしく撫でながら、おかあさんは──。

「──渡せて、よかった」

 それはどこか(はなむけ)のようで。

 それはどこか自らの死期を予期していたようで。

 けれど──。

「──大丈夫。絶対に生き延びる。生きて、あすみと一緒にいるんだ──」

 死んでやりたい。

 そんな気持ちなんて毛頭も無くって──。

「あすみを置いてなんて絶対、いけないわ──」

 あるのは、その最期の(トキ)まで娘を思い続ける母の姿──。

 

◆◇◆◇◆

 

 そして、おかあさんがまた帰ってくることなんてなかった。二度となかった。だって──。

「なんで……っ。ねぇ、なんで、どうして……っ!」

 あすみのおかあさん、居なくなっちゃった──。この世界から。

 もう二度と──二度と、会えない。

「っ……おかあさんっ……! やだよ……! おかあさんっ……!」

 もっとあすみを抱きしめてよ。

 もっとあすみに抱かせてよ。

 おかあさんの温もり、もう一度感じたいよ。

 おかあさんの笑顔、また見たいよ。

 なのに、なんで──。

「やだぁ……っ! おかあさん……っ! いやだぁ……! やだよ……!」

 なんでそんなに体が冷たいの?

 なんで何もしゃべってくれないの?

 なんで微笑んでくれないの?

 あすみをもっと撫でてほしい。

 あすみともっとお話ししてほしい。

 あすみと一緒に笑い合ってほしい。

 あの夜が過ぎてから怖い夢なんて見なかった。朝の風が心地よかったの。

「っぁあっ……! おかあさんっ……! ぅぁ……ぁあああっ……!!」

 もっとあすみのわがままを聞いてほしかった。

 もっとあすみにわがままを言ってほしかった。

 だって──だってこんなにも──。

「ぁあぁあぁあぁあぁあぁあっ……!」

 ──おかあさんがくれたこの薔薇の髪飾り、まだこんなにも温かいのに──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──神サマ。

 いるとするなら、それは残忍で──あすみたち親子を嗤っていたに違いない。

 ううん、寧ろ神サマなんていないのかも。

 そこに在るのは神サマなんかじゃなくて『人間(カミサマ)』だけ。

 そしてその神様(ニンゲン)達は、あすみ達に許しすらしてくれなかった。

 ──おかあさんとの思い出に浸るひと時さえも──。

 

◆◇◆◇◆

 

 あの時、逃げていれば変わったのかな。

 ううん、逃げた先があのザマだった。

 あすみのおかあさん亡き後、母方の親戚の家に引き取られる事となった。

 大好きな大好きな──今でも愛してるおかあさんのお兄さんだから、きっと優しい人なんだって思った。

 でも、そんな証拠どこにも無かったんだ。

 ううん、寧ろ──。

 ──ここからが、地獄の始まりだった。

 

「こンのクソガキィ!」

「──っ! いや──!」

 咄嗟に腕で頭を守るも、そんなのお構いナシに男のゲンコツがあすみの腕を薙いだ。

「ぁう──!」

 地面に突っ伏す。

 じんじんと腕に熱を帯び、次第に痛みへと変わってく。おかあさんのお家だと感じた事のなかった痛みに、堪らず涙があふれる。

「わからへんの? ワシは仕事で疲れてんさかい! メシすら満足に作れんて、そりゃあテメエどう言う了見なんや!? なあ!?」

「っはは。あすみちゃんさぁ、何でここ住まわせてもらってんか分かってんの? もしかしてぇ、タダで住めるとか思っちゃった? あはは!」

 壮年の乱暴な口調をした、あすみを殴ったほうの男はおかあさんのお兄さん。つまりは伯父さん。大声で嘲る、伯父さんと同年代らしき男は伯父さんのお友達らしい。よくこのお家に来てアルコールの沁み込んだ壮年の臭いを振り撒きながら、葉を燻ぶらせる独特な鼻をつくニオイ──タバコ臭を浮かばせてる。

「ってなワケや。今すぐ作り直さんかい。ッたくアイツはメシの作り方すら教えへんかったんか使えへんなぁ!? 酒持って来んかいもっと!」

「っははハハハッ! おぉこわいねぇ~。コイツの趣味に合うメシ作るの今から勉強しないとだね! ブハハっ!」

 アイツとは、おかあさんのこと。

 父が外国に行くまで、あすみはいつだっておかあさんにお料理を教えてもらってた。特に大好きだったのはオムライス。包み込む玉子がすごくおいしいの。食べたらいつもおかあさんの包み込むような愛情を感じられて、あのご飯よりおいしいものなんて他にはなかった。

 なのにこの男、おかあさんから教わったご飯を──!

「あーマズマズクソマズゲロマズっ。こら酒のアテにもならんて」

 ザザッと、ごみ箱へと流し込んで──。

「っ……! やめて……!」

「あ?」

「──っ」

 振り返りもしないまま、ギロリと眼だけがこちらへと向けられる。その仕草一つからもひどく侮蔑されてるようで。あすみを心底鬱陶しがってるようで──。

「なぁ、お前今ナニ言うた? なぁ?」

「ぁ──あっ──」

 一歩一歩と、伯父が歩み寄る。

「お前今ナニ言うた? なぁ、もう一度言えや。なあ?」

 あすみへと詰め寄る。外敵を目前とした、穢れ切った肉食獣の様に。

「もう一度言えや。なぁ? どうなん? えぇ? どうなん言うとんねんゴルァ! なあ!?」

「ひっ──!」

 伯父の怒号は宛ら獣の威嚇のよう。怒号が空気を震わし総毛立たされる。重低音に響かされ、体の力が抜けきっていた。縮み上がってた。怖くて怖くて仕方が無かった。今すぐに逃げ出したかった。でも、あすみの小さな躰じゃきっと逃げ切れない。逃げようとすれば、きっとこの男共にすぐに追いつかれて、もっと酷い目に遭わされてしまう。

「あ~おやっさん」

 男が伯父に、咳払い混じりに──。

「その……あんましさ。イジメ過ぎちゃうとさ? そのさ?」

「ン? あ~オウオウ悪い悪い。せやったな」

「っ……ひっ、う……うぅ……っ!」

 よくわからないけれど、助かったの……?

 いいえ、違う。寧ろここで威嚇され、殴られてただけの方がまだマシだったのかもしれない。

「っつかヨ、テメェ『██』せえへんか?」

「──エ、いいンスか?」

 あすみには言ってる意味がまるで分からなかった。

 男が言うように何が『良い』のかも──。

「ただし、貰うモンは貰っとくさかいな」

「チッ。ケチクセぇくねえッスか?」

「あ? 割り引くにキマっとるやろがい。そこまで薄情ちゃうわ、ワシとテメエン仲やさかい」

「はァ~タダでいけっかと思ったんスヨね~。ホイよ」

「ヘイ毎度アリっとォ」

 男が火のついた煙草を咥えつつ伯父にお金をやっていた。

 あすみを震え上がらせるには充分な、酒に枯らした不愉快な声をしながら──。

「ンじゃ、あすみちゃんさぁ」

「っ……な、何ですか……っ」

 薄目でいて、口角を引き裂いたかのような下卑た笑みを浮かべながら男に見下ろされる。

「オレ、たった今キミを『██た』からさ」

『██た』……?

 ──まさか、こいつらは──あすみを──。

「ひっ──!」

『ソレ』が分からないあすみじゃなかった。

 大人の男性が、█を『█う』と言うのなら──。

「おめぇメシ作れんかったらソレぐらいしか使い道無えだろうが、なぁ? ちゃうか?」

「そうそうそうそうそう~。ンじゃおやっさん手伝ってよ。あっち運ぼうさ~」

 そう言って男は、あすみの手を掴んで──!

「やだ……やだぁっ! いやっ! やだやだぁあっ!」

「──ッチ!」

 色んな悪い想像が頭の中を駆け巡る。今すぐに逃げ出したくて、男の手を力いっぱいになんとか引き剥がそうとする。けど出来る訳ない。あすみの小さな手じゃ、大人の男の人の強い(汚い)手なんてかなうわけない。

「おいおやっさん! 手伝ってよ!」

「ッしゃ~ないなぁ~。ォラよっ!」

「いやぁっ! やだぁっ! 助けて! 誰か助けてぇっ! いやぁあっ! おかあさぁんっ!」

 いちばん助けに来てほしい人。けれどあの人はもうこの世にはいない。誰も助けてくれない。

 あるのは髪飾りに残る、温もりだけ。

 

◆◇◆◇◆

 

「ゃだぁあっ! いやぁあっ! 放してっ! 助けて! っぁああっ!」

 汗に汚く蒸れた男に覆い被さられる。視界はコイツしか目に入らない。息は荒く、湯気が立ち昇りそうなまでの悪臭が鼻を刺す。

「ゃだっ! 放してっ! ぃやぁあっ! いやぁあっ! やぁあっ!」

 コイツの息なんて吸いたくない。身の毛がよだつ。胃の中の内容物をすべて曝け出したくなる程にまで込み上げてくる。

「やだやだやだぁっ! 助けて助けて助けて怖い怖い怖いっ! おかあさん助けてっ!」

「お母さんなんてもう居ないよ」

 うそ言わないで!

 おかあさんはまだ居る!

 あすみの髪飾りに居るの……!

 この髪飾り、まだ温かいの!

 これがある限り、おかあさんはあすみの傍に居てくれる……!

 ずっとずっと見守っててくれる……!

「ア? ッつかコイツのアクセサリー邪魔やな。危ないし取らんとさかい」

 ──え──。

「ア~それ俺も思ってたんスよ。取りましょか?」

 ──やだ──。

「そうせえそうせえ」

 ──いやだ──。いやだいやだいやだいやだ──!

「──触らないでっ!」

 ぺち、と男の手を払いのける。

 この髪飾りにだけは触らないでっ!

 この髪飾りはおかあさんだからっ……!

 この髪飾りさえあれば、ずっとずっとおかあさんと繋がっていられるからっ!

 おかあさんとの絆の証だから!

 おかあさんが見守っててくれるからっ!

「ッ──このガキャァッ! 誰にモノ言うとんねん! もうちょい考えろやゴミィッ!」

「やだぁっ!! 触らないでっ!!」

「うっさいねん! 謝れやァ! お兄さんに謝れやァ! 叩いてごめんなさいって謝れェァ! 謝れ言うとるやろこのクソガキィ! 育ち悪いんじゃボケェ! 聞こえんのかこのツ█ボォァッ!」

「これだけはやだっ!! 嫌ぁッ!! やめてっ!!」

 喉が枯れるどころか、張り裂けそうな程にまで叫ぶ。もうあすみのカラダなんてどうなってもいい。でもこの髪飾りにだけは触れられたくない。おかあさんまでをも汚されるように思えて堪らない。

 おかあさんだけは守るんだ。

 おかあさんだけは『幸せ』にするんだ。

 おかあさんの絆を守るんだ。

 おかあさんに言われた通り、あすみは『幸せ』にならなきゃいけないんだ!

 おかあさんだけは──。

「オモチャ一つぐれえでキャンキャンやかましいんじゃボケェァッ! 発情期の雌猫かいなァ! 謝れやカス!」

 ドン──と蟀谷を侵す鈍痛に、瞬時のあいだ思考を止められてしまう。「ぁう──!」と呻くと共に『おかあさんを助けて欲しい』と言う叫びも掻き消されてしまう。

「おッ? 大人しくなったッスねぇ。はいコレ」

『おかあさん』が剥ぎ取られて──。

「ンなもんどっかにほっとけや。後でホカしとくさかい」

「はいよ」

 見向きもしないで、『おかあさん』を放り投げる──。

「それじゃ、あすみちゃん。キミはあんなオモチャ一つや二つ簡単に買えるぐらいに稼げるからね~? だから今日はお兄さん達の言う事聞こうね~?」

「……っひ……ぐ……っ」

 ──『おかあさん』があすみから離れてく──。

 ──『おかあさん』との絆が断ち切られる──。

 ──『おかあさん』の温もりが遠のいてく──。

「……っぅあぁ……ぁああっ……!」

 いっぱいいっぱい──伯父さんだけが私服を肥やすんだ。あすみはその為の道具。もう『おかあさん』が傍に居てくれない。もうあすみはもう二度と『幸せ』になんてなれないんだと思う。だって──。

「っあ、やべ。おやっさんどうしよう」

「かめへんかめへん」

 ──あすみ、きっとこれから『花嫁』になんてなれなくなるんだから──。

「──ぅぅううぅぅううううぅぅぅぅ──っ!」

 とっくに枯れ切った声を漏らし、唇を噛み締めながらしゃくり上げた。

 ──ごめんね、おかあさん──。

 おかあさんの言いつけ、守れなかった──。

『幸せ』になってって言いつけ、守れなかった──。

 

◆◇◆◇◆

 

「────」

 全部。全部終わった。

「────……」

 灯り一つない暗い闇の中、あすみは布団の上に捨てられてた。

「──おかあ──さん──」

 ──髪飾り、探さなきゃ──。

 ──『おかあさん』、探さなきゃ──。

 おかあさんとの『絆』の証。

 おかあさんがいつまでも見守ってくれている証。

 まだ、まだ大丈夫──。

 あの髪飾り──薔薇の髪飾りさえあれば、あすみはおかあさんと繋がっていられる。

 あすみはずっとずっとおかあさんと居られる。

 たとえ──たとえもう『幸せ』になんてなれなくても、どれだけ苦しくても、あすみは『おかあさん』さえ居ればどんな所でだって、もっともっと頑張れる。

「──!」

 窓から覗く月明かりを映し、一抹に輝く光があった。

 ──あった! おかあさんの髪飾り──!

 よかった……!

 あすみ、まだ『おかあさん』と一緒にいられる……!

 あすみ、大丈夫だよ……!

 あすみ頑張れるよ!

『おかあさん』と一緒に生きていられるよ!

 どんな所でだって、あすみ……ずっと『おかあさん』と一緒だから……!

「おかあさ──」

 

 ──ジャリ──とした、砂を掴むような手触り。

 

 この手触りが、あすみの最後の『希望』を砕いた。

「──おかあ……さん……?」

 赤い灯火のついた煙草を踏み消されるように。

 念入りにその灯りをかき消すべく、足先で躙るように──。

 

 ──髪飾りも、きっとそうして粉々にされたのだろう。

 

「──ぁ────」

 ──『おかあさん』があすみから離れてしまった──。

「ぁぁ──ぁぁああ──っ──」

 ──『おかあさん』との絆が断ち切られてしまった。

「っああぁぁ──ああああぁぁぁぁ──!」

 ──『おかあさん』の温もりが、とっくに感じられなくなってしまった──。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ──っ──!」

 涙に濡れる慟哭が、あすみの喉を──ココロごと引き裂いてしまう。

 

 おかあさんがくれたこの薔薇の髪飾り、今ではこんなにも冷たくなっちゃった──。

 

◆◇◆◇◆

 

「──ぁう──!」

 転校先の学校で毎日のように殴られる。

「クッソキモっ!」

「陰キャだ陰キャ! 陰キャ過ぎて幽霊か!」

「ギャハハハハ!」

 ボールを顔にぶつけられ、バケツいっぱいのワックスを浴びせられる。

「っ──!」

 子供の姿をした獣共──餓鬼畜生。目の色は宛ら──獲物を前に蔑み嗤う肉食獣のよう。あすみは涙を蓄えた瞳を向け、睨みつけようとも──。

「はア? そんな目して良いと思ってんの?」

「誰に向かって口利くつもりだよ? キンモ」

「言っとくけど、オレ素手で殴ってないから暴行には当たりませ~ん! ただボールで遊んでたら神名がぶつかって来ただけです~!」

「俺も掃除当番してたのにあすみが勝手に浴びに来たんやぞ~!」

「ぎゃははははははははっ!」

 餓鬼共は喜劇を前にするかの如く、大きく耳障りに嗤い転げる。

 涙に震えるしかなかった。奥歯を噛みしめて、濡れる瞼をぎゅっと瞑って、指を握りしめ、体をわなわなと震わせじっと堪える。じゃないと──。

「うわ~! 神名に殴られる~! 先生に言ってやろ~!」

「おぉこっわぁ~! 逃げろ~!」

 全部、あすみだけが悪者にされるんだから──。

 

◆◇◆◇◆

 

「神名さん? 原尾くんから言われたんだけど? 神名さんが彼を殴ったって」

 いつだって先生はあすみなんか見てなくて──いいえ、あすみを見下ろすの。

 流れ作業のように、仕事のように。

「そんなことしてないよ……っ」

「じゃあ何だって言うんです? 原尾くんがウソつきだと言いたいんですか? 私は神名さんと原尾くんどっちを信じれば良いんですか?」

「で、でもあすみやってな──」

「言い訳はしないッ!」

 いつもこうやって大声で遮られる。あすみの言う事なんか──声なんか聞きたくないってばかりに。喋らせるもんですか、とばかりに。

「とにかく! ちゃんと原尾くん達に謝る事! いいね!?」

「あすみやってないっ!」

「言い訳無用って聞こえなかったの!?」

「お願い聞いてっ! この前だって給食にシャー芯と鉛筆削りカス入れられて──!」

「それも神名さん自身がふざけてやった事でしょう!? なに他人のせいにしてるの! そう言う所でしょう!?」

 伯父さんからはロクに食べ物なんて与えられてない。お口に入れられるのは██か痰か██だけ。そんなあすみが──たとえ味が悪かったとして、おかあさんのお料理に比べたら臭くて食べられたものじゃなかったとしても、今の生活で唯一食べられる食糧を使って自ら遊んで無駄にするなんて馬鹿げてる。どうしてこの先生は──大人なのにあのガキ共の言う事だけを鵜呑みにするの──?

「──とにかく、私は神名さんの言う事も原尾くん達の言う事もどっちも信じたいんです。だから嘘をつく事だけはやめましょう! いいですね!?」

「……っ」

「返事ッ!」

 悪いのはあのクソガキ共。

 あすみは何もしてない。

 なのに、なんでこの人は信じてくれないの?

 なんであすみだけを見て見ぬ振りするの?

 なんであすみを『不幸』から救ってくれないの?

「そういえば神名さん、あなたの所のお父さん一度も家庭訪問させてくれませんよね? 一体どうなってるんですか?」

「……伯父さんは……」

 あんな悪魔がいちいち学校の家庭訪問に受け応える筈がない。

 興味があるのは酒にたばこに──それこそ売春婦だけ。

「……ご両親さんに言いつける事も出来ないなんてね。お父さんとお母さんと仲悪いのか何かは知らないけど、神名さんが信じてあげないからそうなるんですよ?」

 信じられるもんか。

 あの男は███も同然──いや███だ。

 それにアイツに何か言えばガラスの重い灰皿が飛んでくるか、もしくは夜の薄暗い部屋で██に███ながら『█████』だけ。

「これからの神名さんの課題はまず嘘をつかないこと。そしてお父さんお母さんとちゃんとお話しする事。じゃないと神名さんが辛いだけですからね? 全部神名さんの自己責任になりますからね? さあ、返事は?」

「……」

 もう、茶番にしか感じられなかった。

 いつもこうだ。

 あすみの言う事を大声で遮って、その目はあすみを見てなくて──絶対に見るもんかとばかり逸らして、威圧的に、高圧的に詰問する。

 もう、何もかも全部ばかばかしかった。

 はやく終わらせたかった。だから──

「……っ」

 口を噛み締めたまま黙って頷くしかなかった。

『はい、分かりました』なんて、死んでも言いたくなかったから──。

 

◆◇◆◇◆

 

 あすみの受ける責め苦は、これからも一生続く──。

 あすみの味わう悔しさは、これからも一生残る──。

 あすみの流す大粒の涙は、これからも一生滴る──。

 

 おかあさん──。

 あすみ、頑張ってるよ──?

 頑張ったねって、撫でてほしい──。

 大好きって、ぎゅっと抱きしめてほしい──。

 

 おかあさんが注いでくれたあの愛が、もっと欲しいの──。

 

◆◇◆◇◆

 

 とある雲多き石色の空の十一月の日。鈍色の雲に紛れる太陽の光は、冬の冷たさと共にあすみを芯まで凍て付かせる。鼻を燻ぶる枯れ木や草の香る中──。

「もうすぐ███の誕生日ね」

 湿った海苔もまた香ばしい握り飯を口にしつつ、頬を緩ませる母。███の誕生日まで、おおよそあと二ヶ月ほどだった。

「そう言えばもうそんな頃だったか──」

 空の先まで遠く眺めながら父が呟く。

「えぇ? お父さん忘れてた?」

「──いいや、そんな事は無いさ。時間ってのは一瞬だな──と思ったんだ。にしても……そうか。███、もうそんな歳なんだな。ついこの前まで小さかった気もするけど」

「███はガキじゃねーよっ!」

 ███はどちらかと言えば背伸びをしたがるきらいがある。周囲の子供たちに比べリーダーでありたがろうとするとも。故にただのガキ扱いされるなどと、███にとってはダサい事このうえなく気に食わない。

「ははっ、ごめんな。私が言いたいのはそうじゃなくてだね──」

「███、つくづく立派になったもんだからお父さん驚いてるんじゃなあい? ね?」

「まぁ、そんな感じだよ」

「……マジ……?」

「あぁ」

「███、ガキじゃねえよな? 俺ってすげえよな?」

「もちろん。こんなおっきい子供が居てたまるか、と思わないか?」

 眉をハの字に、けれど頬を緩ませつつ困り気味に微笑む父。

「……へへっ。俺サマこの家のボスだからなっ!」

「ふふっ、頼もしいね」

「参ったなぁ。ははっ」

 笑い合う男の子に、母に、父。ちょっぴり背伸び気味な息子。お弁当を作ってくれる母。一家を支える父。なんてことのない『普通』の家族。今あるその姿こそが『幸せ』なの? あなたは何故気付かなかったの──? ──どうして──。

「それで███。誕生日プレゼント何が良いかだが──」

 ──ねぇ、お父さん。

「──PS5! アレすっげえんだぜ!? マジでモノホン! Switchなんてもう時代遅れだよなー!」

 ──そいつら、誰なの。

「ハハッ。分かったよ。PS5だな。よし──」

 ──そこは、あすみの席なの。

「ほんと、あなたが来てくれて良かったわぁ。前までじゃこんな『幸せ』なんて考えられなかった──」

 ──そこは、おかあさんがいるべき場所だった。

「私もだよ。私こそ以前まではこんな『幸せ』、考えた事もなかったさ」

 ──お父さん、『幸せ』じゃなかったの……?

 おかあさんとあすみ。二人と過ごしていて『幸せ』なんて思ったことなかったの──?

 おかあさん、ずっとずっと頑張ってたんだよ──?

 あすみを『幸せ』にするって言って、壊れかけの体を引き擦ってまで、最後(最期)最期(最後)まで必死にお仕事頑張ってたんだよ──? 

 おかあさん居なくなっちゃって──死んじゃってからも、こわかった──!

 ずっと──ずっと助けてほしかった──!

 知らない人たちに、ひどいめに遭わされた──!

 なのに、お父さん──いや、オマエは──。

 

 ──おかあさんを、あすみを──! 捨てた(忘れた)な──!

 

「──る──せない──」

 許せない──。

「許──な──い──!」

 許せない──。

「──許せ──い──!」

 許せない──。

「──許せない──!」

 ──許せない──!

 許せない許せない許せない許せない許せない──!

 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない──! 

 許せない──!!

 みんな──みんなあすみを見てくれない──!

 あすみの『不幸』を、知ろうともしない!

 これだけ苦しんでるのに、これだけ『幸せ』を踏みにじられたのに、これだけ『不幸』なのに──!

 だれも──だれもあすみを見て見ぬ振りする!

 あすみは家族を喪った!

 あすみはおかあさんに会えなくなった!

 あすみは二度と『花嫁』になんてなれなくなった!

 あすみは、おかあさんのくれた『証』までも壊された!

 あすみは──あすみはもう全部失った!

 なのに──なのにオマエ等は──!

 オマエ等は全部──全部あすみのせいって言う!

 あすみだけが悪いんだって、あすみに押し付ける──!

 

『力が欲しいかい?』

 

 頭の中に少年のような声が聞こえる。

 みんな──みんな不幸になっちゃえばいいんだ──!

 あすみを捨てた人も!

 あすみをいじめる人も!

 あすみを見て見ぬ振りする人も!

 あすみの大切なものを壊した人も!

 ──あすみを捨てた世界、全てが『不幸』になればいい──!

 

「──あすみの知る周囲の人間の不幸──!」

 

 もうあすみは前が見えない──!

 目の前が全部怒りで染まってる──!

 目の前が紅い──!

 あすみのはちきれそうなこの気持ち(のろい)、ぶち撒けさせてくれるなら、もう誰だっていいんだから──!

 さあ、叶えてよ──!

「あすみのこの気持ち(のろい)、叶えてみせてよぉっ──!!」

 ──この瞬間から、もう後戻りは出来なかったんだと思う。

 

『契約は成立だ。君の願い(呪い)は、エントロピーを凌駕した──!』

 

 けたたましく、黒い塵と共に耳を劈くラバーとアスファルトが擦れるスキール音。

 目の前の風を斬り裂き、排気ガス香る鉄の塊が突っ切る。そして目の前には──。

「っ──! いやぁあああああああああああっ!!」

「お、親父っ! 親父ィッ! ぅぁああああああああああああああッ──!?」

 割れたザクロの果肉と紅い果汁(モトモトクソオヤジダッタモノ)が、辺り一面に散らばっていた──。

 

◆◇◆◇◆

 

 そして、あすみのもたらした因果はそれだけに留まらない──。

「せ、先生ぇ……! 先生ェッ!」

 泣き叫ぶ生徒たち。引ん剥かれた眼球に焦点の合わない瞳。黒髪は脂に垂れていて、肌は垢にまみれたか浅黒い。薄黄色く歯垢にまみれた口で、唾を撒き散らし(侵入者)が叫ぶ。

「俺にはもうこれしか──コレしか無いんだァッ!」

 胸に突き立てられる包丁。ケチャップの様に飛び散る赤い液体。糸の切れた人形のように崩れ堕ちるカラダ。こうして先生は、間もなくしてその命の灯火を消す事だろう。

「っヒハハ! 次は……次はァア!」

「──に、逃げろ原尾ぉ……! 原尾ォッ!」

「ぁ──ぁああ──ぁああああッ!?」

 ここで逃げていればまだ助かったものを──。恐怖の前ではその正常な思考すら汚染されてしまうのか。椅子を両手に掲げ、刃物男へと振り翳し──。

「──お前だァアァア!」

 ──して、地面が紅色に染まりあがった。

 

◆◇◆◇◆

 

 暴行の容疑で逮捕された二人の男を乗せる護送車が車に突っ込まれて横転した。一人は即死。だが生き残った方はこれはチャンス──! とばかりに、警官の腰から拳銃を奪い逃走を試みるも──。

「止まれッ! 止まらなければ撃つ──!」

「ヘヘヘヘッ!」

 アスファルトを抉る銃弾。間一髪で転がり回避する警官。壮年の犯罪者は高笑いと共に──。

「こんなトコで捕まる訳にはいかん! ワシにはぎょうさん味方がおるんや! 客がおるんや!」

「──ッ!」

 耳を劈く破裂音。硝煙の香りに、鈴の様に小気味よい音を立て地に落ちる薬莢。

「っぐぁああァアアアアアアアアアアァアアッッ──!?」

 ███の█辺りが抉れ、██の█の様な███が赤い汁と共に飛び散る。

「ヒギ──ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ──!?」

 溢したジュースの様に赤は多量に滴り、体の器官を一つ失う痛みが脳天ごと神経を焼き切る。

「っ──せ、先輩、私は──っ」

 人ひとりの命を奪いかねない程の傷を、いくら犯罪者相手でも刻み込んでしまった。己が行為の後、拳銃がその手から零れ落ち、震えに止まらず──。

「──よくやった、正当防衛だ。お前のお陰で俺らは全員残らず無事だ。運ぶぞ」

「っは、はいっ!」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──ミニシルクハットの、血の様に染まりあがった薔薇の飾りは、きっともう『後戻りが出来ない(Point of No Return)』と言う事を表しているのだろう。かつてのおかあさんの髪飾りの面影など──ない。

「──それが君の願いがもたらした結果だ。満足かい?」

「──」

 お父さんは轢殺されて即死。学校のクソガキ共と教師は、気の違った刃物男に全員惨殺された。そしてあの伯父──悪魔は、██と暴行の疑いで逮捕された挙句その途中で事故り、██を失いながらムショ行きと来た。単に死ぬよりも惨い。それに囚人たちのカーストでは、████は一番最下層に位置するのだそうで。せいぜい苦しみに苦しみ尽くす事ね、███野郎。また、奴を撃ち抜いた警官が咎められる事は無く、全て正当防衛として片づけられ、しかも警官の全員が無事だった。なおあすみを██た█共は、全員が何らかの形で死を迎え、特にあすみの██を██たあの█に関しては護送車の時に即死した様だ。

 ああ、なんて──。

「──フフ──アハハ────ッ──!」

 なんて、傑作な事なの──!

 わたしを虐げた奴らが、こんなにも──!

 あっけなく『不幸』に堕ちた!

 それも全て──全てわたしに都合が良く──!

「あぁ──堪らない──っ──! これがわたしの魔法──! これがわたしの因果──! これがわたしの『幸せ』──!」

 伯父にしてはどうだ?

 これからは酒もたばこも、ましてや██を失った体では█の味も愉しめない!

 わたしを自己責任と罵った教師もキ█ガイに殺された!

 わたしを虐めたあのクソガキ共も恐怖に怯えながら皆殺しにされた!

 そしてお父さんは、わたしを捨てて手に入れた新しい家族の前で死に散らし、間違いなく母子の心に一生消えない傷を負わせた!

 なんて──なんて愉快でしょうこと──!

「満足なようだね。けれど──どうするんだい、あすみ? 君の願いはもう叶えられたんだ。あとは魔女と戦うだけだが──」

 ──叶えられた、ですって?

「──まだよ」

 まだ──足りない──!

 みんながわたしを見てくれなかった。

 わたしの『不幸』を知ろうともしなかった。

 あれほど苦しんだのに、あれほど『幸せ』を踏み躙られたのに、あれだけ『不幸』だったのに──。

 だれもがわたしを見て見ぬ振りした。

 わたしはおかあさんを喪った。

 わたしはおかあさんに会えなくなった。

 わたしは二度と『花嫁』にはなれない。

 わたしは、おかあさんのくれた『証』までも壊された。

 ──世界はわたしと──おかあさんを捨て去った。

 ならば、わたしのやる事はたった一つ。

「──この世界を染め上げてやる」

 

◆◇◆◇◆

 

 このセカイは喜劇だ。

「いやぁっ! 助けてぇっ! ママぁっ! ママぁあっ!」

「うふふふフフフフフ……ッ!」

 少女のカラダが飲み込まれゆく。ギャリギャリと、骨ごと肉を擦り抉り断つ音が結界内に響く。

「っぎぃぁぁあああああああアアアアアアアアアアアアッッッッ!!」

「あははハハッ! そうよそうよぉ……? 良い声で鳴くじゃない? これだけ恐怖に染まってれば、使い魔も直ぐに魔女へと肥えるわよねェっ!?」

「ああぎぎギギぃぁぁあああああああああああああああアアアアアアアッッッッッッ!!」

 べつにこの少女、特段悪事を働いてた訳でもない。どこにでも居る普通の女子高生でしかない。不幸の使者となったわたし──神名あすみは、適当に目につけたソイツを使い魔の餌にしてやった。そうして魔女へと育て上げたうえでわたしの養分にするのが日課。

 下半身から徐々に物理的に食われるだなんて……予想だにしなかった理不尽に、今もこうして目の玉を引き剥いて、おおよそ女だってことを忘れたかの様な鬼のような形相で悲鳴をあげる少女の滑稽なこと滑稽なこと。

「あぎ──ィイ──ヒぁ──」

 でも、そんな悲鳴も長続きしなかった。電池切れのラジオの様に、その華々しい音色をプツン……と途絶えさせてしまった。

「……あーあ。ショックで死んじゃったの? 勿体ない」

 もうちょっとバックミュージックとして聞いてたかったのに。でもまぁ、しょうがないか。

 わたしとしては、こうして平和な連中がのうのうと生きていられる事自体を憎悪していた。だから死んだとしても結果良ければ全て良し、と言う事。

 

◆◇◆◇◆

 

「お、お母さん! やめてよ! なんで、なんで僕の事殺そうなんてッ!」

「う、うるさい! お、お前の為よ……お前の為よぉっ!」

「おかしいよっ! 僕の為ってわけわかんないよォッ!」

「こ、こここんな訳の分からない世界に居ても、どの道苦しむだけだよっ! だったらせめて、あ、あたしの手でお前をッ!」

 魔女結界の中、ナイフを手に互いに互いを刺すか刺されるかの戦いに興じる親子。

「ンふふッ……。あぁ最高ぉ……♡」

 この親子間のバトルロワイヤルで生き残った方がこの結界から解放される。そんなルールをとある家族三人に課し、ソレを高所から眺めるわたし。足を組みつつ、手の平でパチパチと……乾いたクラップを鳴らして。既に父親の方は、多量の血溜まりを広がらせながら俯せとなっている。このクソ息子、真っ先に母親を刺しに掛かったもので、家族愛など嘘偽り絵に描いた餅だ。

「っぁぁああああああッ!」

 母親が息子に飛び掛かり──。

「っがフ──」

 その心臓に刃を突き立てる。

「はァッ! アァッ! はぁアァッ!」

 ズブリズブリと……何度も、念入りにナイフを刺しては抜いて刺す母親。

「おかあ──さん──」

 紅い噴水に塗れながら、何度も……何度も何度も何度も。やがては父と同じく血の池を作りつつ、大地を紅く染めながら斃れる息子。

「っはァ……はぁっ……! やった……! やったわ……!」

「うフッ。()っちゃったわねぇ……」

 実の息子に『お前の為』だなんて言った母親がして良い顔ではなかった。目は血走り、口は吊り上がり、顔は紅く浮いている。まさしく狂気。生き残る為なら、我が子すらをも捧げるその汚らわしさ。

 あぁ……まさにわたし好み……!

「こッ、これで解放してくれるのよね……!? この地獄からッ、あたしを出してくれるのよねェッ!?」

「あらァ? わたし、解放するとしか言ってないわよ?」

「──は」

 充血した白目に浮かぶ瞳が、点の様に縮こまる。もはや生存狂気に囚われた母親のカラダは──。

「っひギィイッ!?」

 まず半身から食われる。それも下半身ではない。上下でなく──左右だ。

「ぁギ──ッィィァァアアアッ!?」

「くヒィッ──! ほら見なさい? 家族なんてモノは所詮は他人! 血の繋がってるだけの他人でしかないのよ!」

 ゴキリゴキリと、肋骨の砕ける音と共に魔女の使い魔に肉として消費されゆく音。

「ぎギギ──っヒギぃいいいぃぃぃぃぃっ──!」

 下調べしたところ、この家庭も特別に異常と言う訳でもなく、寧ろどこにでも有り触れた家庭でしかなかった。愛情もお金もいっぱいいっぱい注がれた一人息子。それがこの異世界──魔女結界に放り込まれたらどうだろう? わたしが命じれば殺し合いを始めた。

 真心なんて、この世界には在りはしないのよ。

「じゃあね~♪ 善良ぶったクソババァ」

「ひギ──」

 間の抜けた──喉から風音がひゅっと抜ける声を漏らし、体の左右半分を超えた辺りを食われた所で、その命を散らしきった。

「うふ──♡ ごちそうさまぁ……♡」

 

◆◇◆◇◆

 

 わたしのやる事はたった一つ。

 それは、『不幸』を知らしめること。

 見て見ぬ振りであれ、本当に見えてないモノであれ、オマエ等のすぐそこに『不幸』はいくらでも転がっているのだと。オマエ等が気付かぬフリしていた『不幸』に自らが染まりあがる事だってあるのだと。オマエ等『幸せ』が当然のモノだからって、『不幸』に気付きすらしてないだけなんだと。

 わたしはソレを、身を以て知らしめてやらなくちゃいけない。

 オマエ等が『不幸』に塗れている事こそが『普通』なんだ、と──!

 わたしの味わわされた『不幸』は、オマエ等も味わうべき『普通』なのだ、と──!

 ──世界を蝕む、このチカラで──!

「──キュゥべえ」

「どうしたんだい?」

「どぉかしら? わたしのこのチカラ──!」

「良い傾向だね……。キミは故意に魔女も作ってくれるんだ。僕はその能力をとても評価しているよ」

 おかあさん。わたしやっと分かったんだ。

 わたしが心から望んだから──この魔法(呪い)を手にしたからこそ、今でもおかあさんの言いつけを守れるんだ。

『幸多かれ』と。

 ──だから、見ててねおかあさん──!

 わたし──この世界で一番『幸せ』になってみせる──!

 

「──これがわたしのサヨナラ勝ちよ──!」

 



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第6話「わたしのこと、大嫌いにさせてあげる」

 ──ブラウン管に映し出された、かつてのあすみ。

 母の亡骸に寄り添い、声を引き裂く慟哭をあげるあすみ。

 伯父に█され██に██れ、髪飾りごと尊厳を踏み躙られるあすみ。

 教師と学校のクソガキ共に嬲られるあすみ。

 そして──父親に捨てられたあすみ。

「──ざけ──な──」

 体の芯から震える。

 体の芯から絞り出る。

 体の芯から湧き起こる。

「ふざ──けるな──」

 憎しみに震える。

 憎しみに溢れる。

 憎しみが沸騰する

「ふざけるなァッ!!」

 魔女(ケダモノ)ごときがわたしを識るな。

 魔女(ケダモノ)ごときがわたしを視るな。

 魔女(ケダモノ)ごときがわたしを嘲るな──!

「殺す! 殺してやる──!」

 よくもあすみを視たな──!

 よくもあすみを識ったな──!

 よくもあすみを嘲たな──!?

「っははは──あははハハハははハハッ!!」

 機材を破砕する音。

 ガラスのモニタが破れる音。

 真空管が破裂する音。

 全て──全てを鉄球で磨り潰す。

「あはははハハハハはハはハハハハハ!!!」

 ジューサーのようにオマエを粉々に砕いてやる。

 一片も残らず、跡形なく潰してやる──!

「よくもッ! よくもあの時の──あの時のお話をッ──!!」

 魔女(ケモノ)の原型が失せてく──。潜むKirsten中身も、Elly外箱ごと粉砕される。

「死ね!! 死んでしまえ!! 殺す!! 殺してやる!!」

 まだだ。まだ足りない。

 コイツには死んでもらわなくちゃいけない。

「あははははははははは!! 雑魚の癖に私の心を見透かして!! 死ね! 死んでよ!! 早く死んでよ!! ねえ!?」

 原型を失せているとしても、とっくに死んでいたとしても、コイツだけは許さない。その肉片一つ残さないよう、粉砕に粉砕しなければならない。

「ははは!! あははははは!! ハハハヒヒッヒイヒヒイイヒイ!!」

 いつしか肉の潰れる音さえ聞こえなくなり、響くは硬く岩の様なコンクリートの音。

「はははははははははははははははははははは!!」

 視界が紅い。あの時のように──父親に捨てられ、()った時のように、視界の淵が紅く染まる。

 わたしの怒りはこんなものじゃ治まらない──!

「死んで! 死んでよ! 死んでよおっ!!」

 もっとだ──もっと!

 例え肉片の音が鳴り止もうとも、コンクリートが砕かれる音しか聞こえずとも、この魔女だけは生かしちゃいけないんだ!

 わたしを見透かした大罪人なんだ!

 魔女の(ケダモノ)クセに!

 ケダモノ(魔女)のクセに!

 潰してやる!

 潰してやる!

 潰して潰して潰してやる! 

「も、もうやめなよ!!」

 誰かがわたしにしがみ付く。

 ふざけるな。

 わたしの処刑を辞めさせるなど万死に値する──!

「ッなせェ!! ハナセぇっ!!」

「もう魔女居ないんだよ!? 何してるのあすみちゃんっ!」

 魔女が居ない?

 何を言っているの?

 この小うるさい声は美樹さやか?

 何故オマエがここに居るの──!?

 何故わたしの邪魔をするの──!

「落ち着いて! お願い落ち着いてって!」

「離せ!! 離せ離せ離せ!! 離せェァッ!!」

 オマエになんてこの魔女は渡さない!

 この魔女はわたしが殺す!

 わたしだけが殺さなくちゃいけないんだ!

 わたしを見透かした罰だ!

 それはこの世界でどの罪よりも重いんだ!

 世界を『不幸』で染め上げるべき、神の名を欲しい儘とするわたしに向けて良い狼藉じゃない!

 わたしが裁かなければならない!

 わたしが殺さなくちゃいけない!

 誰にも殺させない!

 わたしだけが殺す!

 殺す!

 殺す!

 殺してやる!

 殺させろ!

 殺させろォァッ!

「だめっ! 離さないっ! 今のあすみちゃん、見過ごす事なんて出来ない!」

 見過ごせ──!

 黙って指をくわえて見てろ……!

 ねぇ……!

「っなせェ……! っはナセぇ……!!」

「落ち着いて……。お願い、落ち着いて……」

 わたしはいつも落ち着いてるんだ──。

 わたしはいつも残忍なんだ──。

 わたしはいつだって『不幸』の使者なんだ──。

「っな、して……。離して……っ」

 なのに──ねぇ。

 どうして邪魔するの──。

 どうして誰もがわたしを見てくれないの──。

「っ……ぅ、ぅうう……!」

「あすみちゃん……」

 わたしだけが苦しいのに。

 わたしだけが踏みにじられてるのに。

 わたしだけが全部失ったのに──。

「っぅ、ぅぁ、ぁああ……!」

 なんで、あすみだけが悪いの──?

 なんで、あすみだけがこんなに泣いてるの──?

 なんで、あすみだけが泣かなきゃいけないの──?

 

「っぁあああああああああああああっ──!!」

 

◆◇◆◇◆

 

「……ぐす」

 涙に濡れた鼻を啜る。

 屈辱よね。こんな青二才──ミッキーの見てる前でギャン泣きしてしまうなんて。

「ほっ。やっと落ち着いてくれたぁ……」

「……ごめんなさい」

「ははっ、いいっていいって」

 困り笑顔で手の平をひらひらとはためかせるミッキー──美樹さやか。良くも無いし、落ち着いてもいない。あんな狼藉──わたしの全てを、そしてあの██を見透かす狼藉を働かれ、落ち着いてられるわけがない。

「ッ! あすみちゃん隠れてっ──!」

「ふぇ……?」

 白亜のマントにすっぽりとおさめられてしまう。ミッキーが振り向いた先には──。

「美樹さやかに──。──神名、あすみ──!」

 常日頃からの無表情はどこへやら。無色を保てずに奥歯を噛みしめ下瞼を怒りで震わせるほむらちゃんの姿。

「ふ、ふん! 遅かったじゃない転校生!」

 彼女のビジョンで見た通り、特にミッキーに対してだけは不仲も不仲らしい。その様まさしく犬猿で、出会うや否や罵詈雑言が飛び交っても普通と言えようそのお仲。

「美樹さやか。あなたソイツがどう言う奴か──」

「は……? アンタこんな小さなコにまで敵意を向けるの……? 流石に頭おかし過ぎじゃない──!?」

 眉を吊り上げ憤った表情が、今では蒼く唇も震え波打つ。怒りと言うよりは、有り体に言ってドン引きに近い。

「……っ!」

 苦虫噛み潰すような表情を浮かべながら、ほむらちゃんはその姿を消し去った。時間を凍らせ、いつものように逃げおおせたのだろう。

「……ふぅ。あすみちゃん、大丈夫……?」

 ざまあないほむらちゃんの惨めな逃走。善意の方向音痴とも言うべきミッキーの正義感。

 さぁ、せいぜい憎しみ合ってよ。

 ギャン泣きのお口直しとも言える喜劇っぷりに、今すぐにでも笑みが零れそうだ。

「……うんっ」

 か弱き乙女らしく、消え入るように小さい声で頷いた。

「けどまぁ、辛かったらあたしに言ってよね? どうやら治癒魔法がすんごい得意みたいだからさっあたし!」

「ありがとう……」

 けどすごい嫌。

 何かミッキーに頼るのだけは──治癒されるのだけは『負け』な気がして、今にも食道にまでゲロがこみ上げそう。

「しっかしまさかあすみちゃんも魔法少女だったとはね~」

 ……は?

「でもまぁマミさんに付きっ切りだったから当たり前よね~。うん、これからはさやかちゃんもついてるから、どしどし頼ってくれたまへ! あははっ!」

 ──マズい!

 マミおねえちゃんにバレる──!

 わたしが魔法少女だって事──!

 焦燥感にわたしの首筋を撫でられながら──。

「──言わないで」

「ん? どしたの? って言うか何を……?」

「やだぁ……! 言わないでっ!」

「わっ、ちょ……!」

 ミッキーのお腹に抱き着きながら上目を遣う。丁度涙に潤っていた所だ。この濡れた瞳でこう言う視線を使われればひとたまりもないハズだ。

「わたしが魔法少女だ、って……マミおねえちゃんに言わないで……!」

「えぇっ!? 知らないのマミさん!? でも何で──!?」

 何で?

 いざそう問われても少しの間ぐらい考えあぐねる。

 最悪、瞼を赤く腫らしながら『とにかく言わないで』と誤魔化すのもいい。この馬鹿相手なら十二分に通用する手法だろう。こんな小さな娘相手に殺意を向けるほむらちゃんは気でも違っていると言わんばかりに、あれほどの敵意を向けていたミッキーだ。わたしみたいな小さい娘の言う事にはきっと弱いに違いない。

 ──そうだ。ほむらちゃんだ。アイツを使えばいい!

「──ほむらお姉ちゃん」

 ミッキーの蒼い瞳が開かれる。

 いいぞ。取り込める──!

「わたし、ほむらお姉ちゃんからずっと狙われてるの!」

「っ……、アイツ……ッ! なんでそんな……ッ!」

 怒りに拳を握りしめ、布と布が擦れる音──白いグローブの擦れる音がする。

「だ、だからね……? わ、わたしが魔法少女で、ほ、ほむらお姉ちゃんに狙われてる、って……マミおねえちゃんが知っちゃったら……ま、マミおねえちゃんにっ、も、もっと迷惑……掛かっちゃって……っ!」

「で、でもこのままじゃきっと良くないよあすみちゃん! そ、そうだ……! あたしとあすみちゃんとマミさんで転校生をやっつければ──!」

 まったくもうこの馬鹿は──!

 少し──いや少しどころじゃない、かなり見誤った。失敗したとばかりに頭を抱えたかった。ミッキーが予想以上に馬鹿だった。人が嫌だと言ってる事にズカズカと性善説と共に土足で乗り込むその根性は流石過ぎる。わたしの魔力パターンは、わたしを襲った襲撃者の一味としてマミおねえちゃんに知られてる。よってあの人の前で変身するなど決して許されない。それに魔法少女だとバレたうえで、あの人の前で変身なんて一切しない──なんて手法も恐らく取れない。変身するのが怖いし戦いたくないと誤魔化したとしても、どこまでもお節介な彼女の事だ、きっと必殺技を叫ばせながらトレーニングを課すに決まってる。そこで襲撃者イコールわたし、つまりは自作自演なのだと魔力からモロにバレる。こうなったらこの馬鹿には、涙目を向けながらとにかく拒んで誤魔化す方が効果的だ。この手のヤツにはいくら論理で諭しても無意味だ。感情論が大事だ。

「やめてっ!」

「なんで──!」

「もうマミおねえちゃんに嫌われたくないっ! 捨てられたくないっ!」

「──けど!」

「お願いっ! 言わないで! マミおねえちゃんに言わないで! やだ! もう嫌なの! わたし、もう誰にも捨てられたくないの! だから……だからっ……! ぐす……うわぁあぁあんっ……!」

 これでダメならもう知らないっ☆

 ミッキーもろとも巴家の連中全員皆殺し直行だ。単にグリーフシードが四つぐらい増えるだけのこと。

 ──あ、そうしたら多分ほむらちゃんに殺されるか。

 でもその時はまどかを契約前に洗脳して、わたしのラジコンとしてほむらちゃんを切り刻んでもらえば良いか。流石にまどかを前にすれば、ほむらちゃんもガチモードで戦闘に応じるなんてしない筈だ。まどかだけは傷付けたくない。まどかとは戦いたくない。変身もしないまま、生身のまどかに目ん玉をくり抜かれ脳を切り刻まれるんだ。マミおねえちゃんやミッキーみたく治癒魔術が得意……と言う訳でもない。いくらジェムが無事で即死はせずとも、完全復活までには幾分かは猶予(タイムラグ)がある。その隙を突いて生身の未契約まどかにほむらちゃんのジェムを砕いてもらえばいい。

「──分かった、約束する」

 あ、やった。関門突破した。

 少々無理やりだった感じは否めないものの、これでマミおねえちゃんに魔法少女バレする事も無くなった。

 って事でさっきのシナリオはボツね。

「っぐす……ほんと……?」

「当然だよ……。そんなにも嫌がってるのに言える訳ないじゃん。だから絶対マミさんにも言わないって約束するっ」

「……!」

 ぱぁ、と晴れる笑顔を向けてやった。

 こう言う子供らしい表情を向けてやれば満足よね?

「あたしとあすみちゃんだけの、二人の秘密なんだからね!」

「ありがとうっ! さやかお姉ちゃんっ!」

「っははっ! さやかお姉ちゃん、かぁ」

「だ、だめだった……?」

「ううん! 何か気分いいわ! うん! お姉さんになんでも頼ってくれたまへ!」

「うんっ!」

 煽てれば即刻調子に乗るこのテンション。些か口の堅さには信用性が欠けそうにも見えるけれど、契約前にコイツの記憶を覗いた限りでは、イメージに反して案外口が堅くもある。けれど、いざ敵意を向ける相手──例えばほむらちゃんなんかだと感情的になり過ぎるきらいもある。よって口の堅さについてもやっぱり疑わしい。

「……あすみちゃん……?」

 あ、やば──。

「う、ううん! なんでもないよっ?」

「そ、そう……?」

 それに一見して馬鹿っぽく見えるものの、特有の油断ならなさがある。

 ──嘘には敏感、と言う事。

 勘の鋭いコイツ相手に長期戦は無謀。

 さっさとグリーフシードにしてしまったほうが賢明ね。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──ああ、またこの展開なのね。

 扉を開くや否や──。

「あすみちゃんっ……!」

 開口一番「どこに行ってたの……!」と抱きしめられる。胸の中に「ふぎゅっ」と鼻が埋まり、窒息しそうなまでの圧迫感が温もりと共に顔を覆う。

 なんだか久しぶりな気分。

 時間にして一日も経ってない筈なのに、こうしてマミおねえちゃんに抱きしめられるのが久方ぶりな気分。今まで長い夢を──悪夢を繰り返していたようで、温かく抱きしめられちゃうなんて本当に久しぶり。「っごめ、んなさい……っ」としゃくりあげながら言おうとすれば──。

「あ、あたしが連れまわしたんだよね~! 遊びにっ!」

 ミッキーに割り込まれ、マミおねえちゃんの暑苦しい抱擁が解かれてしまった。「チッ」と思わず舌を打ちそうになるも、どうにか堪え飲み込んだ。

「……」

 ……マミおねえちゃんの体温。こんなに温かかったっけ……。

「けど美樹さん、最近物騒だから……」

「あぁ、その事なら大丈夫ですって。ほら」

 若干得意げな(ドヤ)顔を浮かべつつ、嵌められたアクアマリンの指輪──ミッキーのソウルジェムを見せつけられ、マミおねえちゃんが見開く。

「だからこれからはマミさんと一緒に頑張っちゃいますからね~! あたし!」

「……」

「……あ、あの~? ま、マミさん?」

 口に指を添えながら少しの間一考するマミおねえちゃん。『あたし何か滑っちゃったかな~あはは』とばかりに自嘲的な笑みを浮かべる気まずげなミッキー。

「──なら、美樹さんの耳に入れておかなければならない事があるの」

「と、言いますと……?」

 そうしてミッキーは「こっちに来て」と奥へと招き入れられ──。

 

◆◇◆◇◆

 

「っ……ゆま。いい加減、目え覚ましてくれよ……」

 クソ猫──千歳ゆまのソウルジェムにグリーフシードを添えつつ、なおも介抱する狂犬──佐倉杏子。

「な、にこ、れ……」

 先ほどまでのお調子乗りとは一転し、意識なくして苦しむクソ猫の姿に、開いた口に手を当てて顔を青くする。

「……暁美さん一派の手でこうなったの」

「なっ──!」

「しかもこの前、あすみちゃんにまで銃を向けたのよ……!?」

「……」

 信じられない……と引き剥かれる目。クソ猫の元へと駆け寄り──。

「お、おい! 何しやがる!?」

 蒼の魔法陣にクソ猫が包み込まれる。

 ──治癒魔法。

 この前ほむらちゃんのビジョンで垣間見た、恭介クンの腕と引き換えに得た固有魔法。その威力は全治三か月の傷を瞬時に癒す程だけれど、クソ猫の持つ四肢切断を瞬時に治癒する程のモノには及ばない。

「ダメよ美樹さん! 治癒術を掛けてもゆまちゃんの目は覚めないわ!」

「で、でも! やってみないと分からないじゃん……!」

「いいえ! 何度もやったわ!」

「けどあたしの魔法なら──!」

「何時間も掛けたわ! けど何も変化はなかったの!」

 ようやく無駄だと分かったのか、苦虫を噛み潰しながら蒼に輝く手を放す。

「今は無駄な魔力を使う猶予は無いの……」

「……無駄、なんてひどいよマミさん……」

「ご、ごめんなさい……。けど今はとにかくソウルジェムの維持が必要で、あのままじゃ美樹さんも──」

「え──? 濁れば魔法が使えなくなるだけなんじゃ……」

「なら、今のゆまちゃんを見てみなさい」

 振り返るその先には、ソウルジェムを胸に今もなお眠り続ける姿。黒い靄はヘドロのようにこびりつき、澄まれる事は無い。

「──死ぬの……?」

「えぇ、きっと──」

「……」

 肩が上下に、わなわなと震え出す。

「──許せない……!」

 息も上がり、満面を朱に注ぎゆき──。

「許せないよこんなの! マミさん! あたしも戦うから!」

 暴発する砲のごとく、その怒鳴り声が空気を震わす。

「骨が折れるわよ……? グリーフシード集めも──」

「それでも、こんな事見過ごせるワケなじゃない! なんで──なんでこんな子達までこんな目に遭わなきゃいけないの!?」

「グリーフシードの争奪戦って所ね……」

「だったら猶更許せないよ! こんな子達まで殺してまで自分だけはそれで良いつもりなの!?」

 やっぱりほむらちゃんメモリーの言う通りね。

 一度でも第一印象を敵として固定した者に対しては一切の容赦がない。それはミッキー最大の悪癖でもある。これでもうミッキーの中でのほむらちゃん観は、ロリをもグリーフシードの餌とする悪逆非道の最低最悪魔法少女として固定されてしまった。

 うふっ、ざまあみろ♡

 わたしに歯向かうからこうなるのよ。

 せいぜい指くわえて、この世全てを不幸に沈めるその様を見ていなさい?

 ……と言いたい所だけれどやっぱナシ。

 さっさと別の世界線へ引っ越して欲しい。

「あんな奴らからこの街も! 恭介も! まどかやあすみちゃんやゆまちゃんも! そしてマミさんも絶対守ってみせるんだから!」

 声高らかなる正義の魔法少女宣言。致命的に魔法少女に向かない女の子──ミッキー。果たしてこの子がどこまで保てるか、是非わたしを心行くまで愉しませてね──!

「おい、あたしは?」

「……誰だかわかんないけどアンタも」

「お、おう……」

 ……狂犬の一言により、宣言はしまらないものに終わった。

 

◆◇◆◇◆

 

 あたし──美樹さやかが、魔法少女としてのあすみちゃんと出会って次の日。

「そっか、退院はまだなんだ」

「足のリハビリがまだ済んでないしね。ちゃんと歩けるようになってからでないと……。手の方も一体どうして急に動くようになったのか、まったく理由が分からないんだってさ。だから、もうしばらく精密検査が要るんだって」

「……恭介自身はどうなの? どっか体におかしなとこ、ある?」

「うーん……、まだやっぱり腕がよく動かない、かな……」

 てっきり、願いの力ですぐに治るものなんだって思ってたのに。

 やっぱりいくら魔法少女の願いと言ってもすぐに完治! ……なんていかないか。

 恭介の演奏、やっぱり聴けるにはもう少し掛かっちゃうのかな。

「……さやか?」

「あ、う、ううん! なんでも……」

「……昨日寝る前までは、元通りに動いてた気がするんだけどね」

「え……」

「ううん、きっと気の持ち様だね。いきなり動くようになったから、もしかしたら弾けるかも……なんて勘違いしただけかもしれない」

「そうなんだ……」

 でも、なんで……?

 あたし、確かに願ったのに。

 恭介の腕を治してって。

 恭介の演奏をまた聴きたいって。

 やっぱり、一字一句違わず願うべきだったのかな。恭介がまた演奏できる程に腕を治して欲しいって。曖昧な言い方だったから、こんな半端に治っちゃったのかな。

「……ごめん、さやか。もう少しだけそっとしておいてほしいんだ」

 ──だったらあたし、これじゃあ恭介に──。

「……うん……」

 ……ううん。

 邪な事考えちゃダメ。

 あたしはあくまで、恭介の演奏をまた聴きたいだけ。

 それ以外に、ないんだから──。

「……ごめんね、恭介」

「さやか……?」

 治った筈なのに、どこか空気が重苦しい。

 恭介を背に、病室の扉を閉じた。

 

 ──また、あの瞳に射抜かれてるとも知らずに。

 

◆◇◆◇◆

 

 恋心を取るか友情を取るか。常々板に挟まれていました。抜け駆けをするなど以ての外。ですが今日ばかりは──上条君の腕が治ったとお聞きし、私──志筑仁美は病室へ足を運ばずにはいられませんでした。が──。

「……さやかさん……」

 遠目から見るにも伺える沈んだ表情。さやかさんの顔色を一目見た時から、上条君の容態は依然と芳しくないことは悟れました。病院の方々から話を聞くにも『また少しずつ動かなくなってきている』との事。このままでは……また昨日までのように腕が動かなくなり、今度こそバイオリンの演奏など夢のまた夢に葬られてしまう。

「上条君……」

 お慕いする方の為に何かしたい。けれど、自分如きでは現状何か出来得る事などありません。何も出来ないままと言うのに、どの顔をお下げして上条君にお会いすれば良いのか。先程まで治ったとお聞きして舞い上がっていた自身が恥ずかしくなる程に。

「……傷心の隙に取り入るなど、人の道から外れてますわ」

 完治した暁には、この恋心を諦めずに先ずさやかさんに宣言する。そうしてさやかさんと彼が結ばれれば、却って諦めがつくと言うもの。ですが、だからと言って傷だらけの上条くんと私が結ばれようなどと、決して許されざるべき行為。寧ろ、入院中ずっと寄り添っていたのはさやかさん。さやかさんにこそ上条君と結ばれる権利があります。けれど、お慕いするこの気持ちは諦めきれない。でも──。

「……仕方ありません。私の出る幕なんて、無かったのですわ……」

 叶わない恋を前にするなら、せめて友情を取りたい。こんな状況で宣戦布告など、獣道を歩む者のする事。私はそんな獣には堕ちたくはない。涙を呑みつつ、踵を返そうとした時──。

「──君が、志筑仁美だね?」

 少年とも少女ともつかぬ声でいて、はたまた大人とも子供ともつかない口調。聞き覚えの無いその声の主へと、私は振り返り──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──それから数日後。

 みんなが眠りこけ、夜も深く更ける静やかな屋上にてわたし──神名あすみは──。

「えーっと? 残るわたしの獲物は──」

 マミおねえちゃん、狂犬、捨て猫の餓鬼。そしてミッキー。あとは──。

「……うーん」

 美国一派はもうどうでもいい。キュゥべえ曰く、素質膨大のまどかを狙ってるだけでしかなく、わたしに危害を加えて来ることはどうも無さそうだ。あとはこの前考えてた通り、ヤンデレズイレギュラーストーカーにしてロリ虐殺悪逆非道魔法少女ことほむらちゃん辺りに処理してもらうか、もしくは美国織莉子に処理されてしまえば良い。

 そして今は、そんな事よりも──。

「──キュゥべえ」

「何だい?」

「えっ。呼ばれたらすぐに来るって何? わたしをストーキングしてるの? キモっ!」

「わけがわからないよ」

 ……と、茶番はここまで。種を撒いておいた『例の件』についてそろそろ聞いておこう。本来素質がそれ程高くはないとみなされた魔法少女の契約に纏わるあの件だ。

「ワカメの契約どうなってるかな? イケた?」

「あぁ。どうにか取り付ける事は出来たよ。もちろん素質は高くなくエネルギー源としては期待できないけれどね。一個体としては如何せん効率が悪すぎるんだ」

「ふぅん。とか言いつつ結構やるじゃない」

「当然さ! まどかとの契約に結び付くと思えば、強ち徒労とも言い切れないよ。二つ返事と言う訳にはいかなかったから、少しは苦労したけれどね」

 キュゥべえにとっての魔法少女に向いている者。それは合理的に考えずに感情だけで目の前の契約を取る女。そう言う奴こそエネルギーの質が良く、宇宙の寿命を延ばすのに最適だと言う事。志筑仁美はそう言った連中からは少々外れているのか、キュゥべえの言う通り即座に契約と言う訳にもいかない事は想像に易い。だから──。

「それで? 言われた通り誘導はつけたんでしょうね?」

「もちろん」

「で、契約内容は──」

「事実上、美樹さやかの物とほぼ重複していると言っても間違いではない」

「はい上出来。クソケモノの癖にたまには役に立つわね」

 確かにミッキーの願いは叶い、恭介クンの腕は完治していた筈だった。けれど、次の日には恭介クンにはわたし自ら赴いて仕込んでおいてやった。マミおねえちゃんは学校に行ってて且つ狂犬がグリーフシード狩りに行ってる隙に『自分の腕は動かなくなる──』と、催眠術の応用で心の毒を仕込んでおいた。この呪いを解くには術者であるわたし直々に解いてもらうか、上条恭介の腕を治して欲しいと願うしかない。これで恭介クンの腕が動かないと言う状況が嘘偽りなく作られ、ワカメ──志筑仁美が『上条君の腕を治して欲しい』と願える状況が完成したと言う事。あとはキュゥべえの報告通り。

「これで万能の力で再び腕を治せる頼みの綱は消え去った訳ね。うふふっ」

「上条恭介と深く接点を持つ者は他に居ないからね。あとはあすみが言った通りにしてくれれば、まどかの契約まではすぐそこだ。ありがとうあすみ」

「まぁ害獣の力が無かったら、これからの劇も観れなくなっちゃうわよねぇ……。今回ばかりは礼を言ってあげてもいっか」

「いやいやとんでもない」

 魔法少女と化したミッキーとワカメと恭介クンで愉しむ気はあろうとも、依然とまどかまで魔法少女にするつもりはない。所詮はキュゥべえに動いてもらうための方便に過ぎず、今も心の中では『バーカ♡』と罵ってやってる。

 さて。じゃあさっそく三馬鹿の様子でも──。

「ところであすみ。千歳ゆまの事なんだが──」

「なによ」

「やはり、気のせいでは済まされないと思ってね。どうしてグリーフシードにしないんだい?」

 ──戯けた事を。

 当然、繰り返して言いつけた事に他ならない。

「……マミおねえちゃんが食われたら、興醒めしちゃうから」

「いやいや、マミが食われる心配はないさ。彼女はそこまで弱くはない。それに杏子もついているんだ。あの二人に勝る素質なんて彼女には無かったんだ。僕としても、織莉子に言われて仕方なく契約しただけなんだ」

 確かにそう。マミおねえちゃんがあのクソ猫如きに負ける筈が無い。あえて負けるとするなら、何らかの要因で調子に乗って元・百江なぎさ──お菓子の魔女ことシャルロッテに頭から食われて脱落するぐらい。寧ろあのチーズガキが相手だったとしても、油断さえしなければ突破は出来る筈。

「もう充分じゃないかな。グリーフシードにしてしまえば、連鎖的にマミや杏子だって魔女となるさ」

「言った筈よ。マミおねえちゃんは最後にするって」

 マミおねえちゃん。この見滝原の魔法少女の中でも大っ嫌いなひと。見てくれだけ優しくしてるくせに、悲劇のヒロインぶってる自分が心地良いだけ。だからわたしが正体を明かせば、きっとその化けの皮も剥がれる。だからいっそう、わたしと言う麻薬に依存しきった末に苦しんで死ぬところが見たい。その為にはもっと、もっと長引かせなきゃ──。

「それが分からないんだよ、僕には」

「──どうして」

「現状を見るに、これ以上マミに希望が湧く兆しはない。それこそあすみがゆまに掛けた魔法を自ら解かない限りはね」

 ──何?

「けれどそれだとあすみにとっては本末転倒だ。絶望させる為の事と言って解呪を施すならば、むしろ希望そのものを与えてしまうんだから」

「……何をアホな事を。そんな事するワケないじゃない」

「だろうね。今の状況のまま行けば寧ろゆまも消え、そして連鎖的に杏子も消える。彼女はゆまに佐倉モモの面影を重ねている節がある。二度も『家族』を失えば、その魂を穢れさせるに他はなく、あとは絶望するしかないんだ。少なくとも希望と絶望の差は今の時点で頭打ちになっていると考えられるよ」

 長々と──。

 感情なき異星人と嘯かれるけれど、どうしてか──時たまににご高説に酔ってる風にも錯覚してしまう。

 今だってそうだ。

 コイツはきっと、自分の言葉に酔っている。

「それはあくまでもお前の価値観よね」

「だが君の嗜好にも沿わない筈だよ?」

 ──理解できない。分からない。何が言いたい?

「言うなれば、幸せの絶頂にいるマミを奈落へと導くのが君の嗜好だ。けれど実際はどうかな? 今のマミは幸せかい?」

「……」

 ──今日も無理に『正義の味方』を張り続けている。

 未だ昏睡状態の千歳ゆまの為に、その命を擦り減らし続けている。学校もサボる事なく、帰宅よりも前に魔女探しに赴く。いいえそれだけでも、ましてやクソ猫の為だけじゃない。性懲りもなく使い魔すらも狩り、命散らし逝かんとする人々を助けに回ってる。その中で『家族』の安らぎを得る事もなく、あすみと狂犬と居ても常に極限状態。

「違う様だね? もちろんさ。ゆまも復活せず、そしていずれは杏子も消えてしまうんだ。やはり残されるは真なる絶望だ。これ以上希望と絶望の差異を大きくする事は不可能だ。──ただ一つを除いては、ね」

「──」

 ──やはり、コイツは悪魔だ。

 確かに、言おうとしているその方法でならマミおねえちゃんは魔女になり得る。

 けれど、それは絶対に認めない。

 考える事すら許さない。

 考える事もしたくない。

 さっさとコイツを黙らさないと──。

「いいえ、まだよ。まだミッキーとワカメが残っている。更なる死体を燃料にすればマミおねえちゃんだって──」

「自らの運命を恨み、魔女と化す。結果は杏子が消えるのと変わらないと思うね」

「言っとくけど、わたしは絶望こそが希望なの。まさかわたしの願い──忘れた訳じゃないよね?」

「『わたしの知る周囲の人間の不幸』──だったね。もちろん忘れる筈も無い。その願いを灯火にして宇宙を生き永らえさせるのが僕たちの役目だからね」

「なんだ、分かってるじゃん……! だったらわたしが絶望するなんてありえない。人間──ううん、人間に限らず心をもつ知性体がこの世に存在する限り、わたしの魔女化なんてありえない。もちろん魔力切れだって。だって──ほら、こんなにもグリーフシードがあるんだから」

「あぁ、そうだろうね。だから今一度、君に問いたいんだ」

 

「──君にはまだ、良心が残っているんじゃないか」

 

「……」

 わたしに、良心──。

「……巴マミに佐倉杏子、そして千歳ゆま。彼女達がグリーフシードと化す条件はもはや整い過ぎているんだ。けれど君は、賢明にそれを阻止している風にしか見えない。さっき言った通り、僕と利害が一致するのかと思えば節々に不可解な点が多数見受けられる。僕は君が一体何をしたいのかが分からないんだ」

 良心──全て置き去りにしたモノ。世界に見捨てられ、悪意に踏み躙られ尽くしたわたしが、侵食するチカラを以て『不幸』で塗り潰すべき忌まわしき心。

「──僕の勝手な憶測で済まされるのなら良いんだが、どうも僕の憶測通りにしか考えられない。だから君にはまだ、彼ら人間で言うところの良心──と言う物が残っているんじゃないかな?」

「……」

 ──莫迦莫迦しい。

 やっぱり異星人──いいえ、異星獣に人間の価値観なんて理解不能。融通の利かないキュゥべえとは違い、感情を持つ人間だからこそ考えられる蜜の味の『不幸』がある。

「──あーあ。ほんっと下らないわね。まるっきり分かってないんだから」

「どうしてだい? この推論に間違いはないと思うんだけど……」

 前にも思ったことだけれど、無表情ではあるものの、さも人間のように首を傾げる獣ってどうしてこうも気色悪いのか。

 わざわざ獣如きが人間サマの真似事などしなくても良い。

「決まってるわ。わたしはね? ただ絶望するの見てグリーフシード食べてはいおしまいっ☆ ってのがスキなワケじゃないの。虫螻(ムシケラ)の様に足掻き這いつくばるのを見たいだけなの」

「そうかい? 今も十分に足掻いているじゃないか」

「いいえ──まだよ。今のアイツらの不幸はまだどん底じゃないわ」

 今よりももっと──もっともっとだ。もっと苦しんでもらわなきゃいけない。己が業にその身を──果てはその骨の髄まで焼き尽くされてもらわなきゃいけない。魔法少女の──マミおねえちゃんの泣き声に悲鳴。それらをバックミュージックに啜る紅茶()ケーキ()の味を想像すると涎が滴り頬が落ちそう、蕩けそう。至大至高の甘美を想像し、味を帯びた唾液を噛みしめ、骨張らせる拳を握り潰し──。

「──奈落で這いずり回ってこそ、よ」

「……」

 しばしの沈黙に耽る淫獣。

「はぁ……」

 そして溜息をつくキュゥべえ。感情など無いのだから、わざわざ溜息をつく必要なんてないのに。

「まぁ、そんな所だろうとは思っていたよ。結局僕の推論は外れてしまったようだね」

「当然ね。人間には人間じゃないと分からない所があるのよ、おバカさん?」

「どうやらその様だ。失礼するよ」

「しっしっ」

 折角興に乗っていたと言うのに台無しだ。わたしは音楽を聴き耽る最中に人の話し声で割り込まれるのが大嫌いなタイプの人種だ。はたまた映画鑑賞中に、マナーの悪い客に携帯を開かれた灯りのせいで、没入感を掻き消される感じと喩えても良い。キュゥべえの茶々入れはまさにその手の不愉快をもたらした。興醒めも興醒めだ。

 ──さて、お口直しに──。

「悲劇の天才バイオリニストの所へ行きますかっと……」

 ミッキーとワカメの『不幸』、是非とも口にするべく──。

 けれどそんなわたしを射抜く獣の視線には、最後まで気付かず終いだった。

「あすみ。君には感謝しているんだ。今まで効率的に、魔女を産む為に働いてもらった」

「──けれど鹿目まどかが現れた以上、もう時の終わりは近い」

「美樹さやか、佐倉杏子、巴マミ、千歳ゆま。彼女達の絶望と共に、僕は望みたいんだ──」

 

「──神名あすみの絶望(希望)を──」

 

◆◇◆◇◆

 

 ──夜明け前の病院。

 灯りと言える灯りは殆ど無く、ところどころに薄暗い非常口の緑のライトで照らされるのみでしかない。

「──フフフっ」

 ここに来る前にあらかじめ『工作』はしておいた。恭介クン一人が騒いだところで、誰も駆けつけて来るなんて事はない。その病室だけが空っぽであるかのように、患者もスタッフも含めて全員の認識を改竄しておいた。そのうえ眠らせた。

「……こんばんはぁ~……♡」

 囁くような小声と共に病室の扉を開ける。見えるは恭介クン。恭介クンの病室なのだから、当然だけれど。

 けれどつれないわねぇ。

 こうしてせっかく挨拶をしてやってるのに、起きてくれもしないなんて。

 だったら、まぁ、しょうがないっか。

「フッ!」

 その瞬間、わたしの拳が恭介クンの腹へとめり込む。

「ごばぁッ──!?」

 きりきりと腹部が痛むのか、押さえながら辺りをキョロキョロと見まわす。

「な、なに……!?」

「うフっ。改めましてぇ……こんばんはぁ♡」

「き、君は──!?」

 ほんっとつれない男よねぇ?

 この前病室で会ったばかりなのに……。

 まぁ、その記憶もわたしが消しちゃったんですけど。

「──きヒッ!」

「ひっ──!?」

 ダメね。笑いが止まらない。

 多分、わたしの口角は今ひどいことになってる。

 口裂け女みたいにひどく裂けているに違いない。

 この子の行く末を思うと可哀相(滑稽)可哀相(滑稽)で堪らない──!

 (笑い)が溢れてくる──!

 そんなわたしの笑みに、本能的に恐怖したのか彼は──。

「こ、このっ──!」

「──Lvlearf止まれ.

「──ッ!?」

 立ち上がろうと支えた腕から、体が崩れ落ち──。

「ぁぐ──ッ!?」

 そのままベッドからゴロゴロと、岩を転げ落とすような音と共に派手に床へと落下する。

 可哀相だけれど、災難はこれだけじゃないわ。

「──な、んで──」

 ようやく『変化』に気付いた彼。

「ふふふッ──どうしたのかなぁ♡」

「さ、さっきまで動いてんだ……!」

「あらぁ?」

「どうして、な、なんで──ッ! なんで僕の腕──また動かないんだ──!?」

 血の気が引き顔は青白く、額に纏わる珠の汗。己の片腕を見る目は引き剥かれ、血に走る。

「な、なんで、な、ど、どうして──! どうして──ッ!?」

「うふふふふフフふッ──!」

『今度こそ僕の腕が治った──』。あなたはそう思ったかもしれない。

 けれどその有頂天からの急転直下こそ、まさにわたしの嗜好──!

 狼狽えるその姿にわたしは、甘ったるい電撃に撃たれたかのように体の痺れが止まらなくなるの……!

 立っていられなくなるの……!

 胸中から脳天へと脳内麻薬が電撃の様に浸透するこの陶酔感──!

 死んじゃいそうになるくらい良い……♡

「ねぇ……♡」

「ひっ──!」

「あなたにとってのバイオリンってなぁに?」

 片腕はもう実質捥いだ。

 ならば次は心までダルマ同然にして逃げられなくしてやる。

 最期は芋虫のように這いずるしか出来なくしてやる。

「く、くるな──! くるなぁっ!」

「わたしが当ててあげるわね……♡」

「くるな! こないでくれ! うああっ! 誰かぁっ!」

 チビりそうな程に体は震え、動かない片腕と共にズリズリと尻もちをついて後ずさる恭介クン。

 さながら胴体を捥がれた蟻っころみたいでかわいい……♡

 でもダメよぉ?

 病院の奴ら、全員わたしが眠らせてるもの──!

 誰もオマエなんかの助けになんて一人っきりも来やしないんだから……!

「──バイオリンとは、あなたの生きる意味。言うなればあなたの魂そのもの。つまりあなたがバイオリンで、バイオリンがあなたなの」

「──!」

 瞼のみならず瞳孔をもカッ開く恭介クン。

「け・れ・どぉ……♡ もうそれオシマイっ」

「──ぁ──ああ──っ──!」

 ガタガタと、開幕のドラムのように耳障りに震える足の音。

 カチカチとエナメル質が擦れ合い震える歯の音。

「もう、二度とアナタの腕は動かない」

「ぁあああっ!? ああああっ!?」

 その体の震え、もう痙攣のレベル。

「──うふッ♡ もう二度と、その輝かしい音を奏でる事は出来ないの」

「ッァアア──ヒィ──!!」

 最後は念入りに、じっくり……ゆっくり……ねっとりと。心を込めて、心の刃を差し込み擦り込んであげる。

「だ・か・らぁ……♡ もうあなた、人としてもね──」

 そして恭介クンの最期の瞬間。刃で心の骨を断つわたしは達しそうになる。

 

「──死んでるわね。何せもう二度と動かないもの」

 

「ッァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 夜明けの日の出と共に、少年の張り裂けた断末魔が木霊する。

 上条恭介のココロの灯火は、今日を以て鎮火された。

 

◆◇◆◇◆

 

「っふフふ、ク、フハ、アハはははハハハ……っ」

 またひとり絶望へと追いやった。

 またひとり心が死んだ。

「─────────ッひィ! 駄目っ、笑いが止まらないっ! ほんっと止まらないっ! 助けてっ!」

 人間が壊れる瞬間って何であぁも美しいのか。

 精巧なカラス細工を地面に叩きつけ、砕け散った色とりどりのダイヤモンドダストを眺めるかのよう。

「ほんっと最高ね──! ほんと! 最初に覗いちゃったみっきーを絶望させる為、とも最初は思ってたけれど、恭介クン一人でも充分噴飯モノよぉッ! あぁオカシいっ! 契約前のみっきーを覗いてよかったぁ……! 契約後だと記憶消しきるまでは厳しいものね!」

 そして破砕されたガラスは、もう二度と元には戻れない。

 たった一瞬の美しい瞬間を目の当たりにする為だけに、人ひとりのカタチを消費する。

 なんて──なんて冒涜的で背徳的なの──!

「──と、言うところでみっきーのトコ行きますかぁ」

 もうワカメも契約済。よって天才バイオリニストの腕を、彼周辺の女共の手により復活させる事なんて不可能。何せわたし特製のココロの猛毒で動かなくしているのだから。動かすには、わたしに無理やり解呪させるしかない。

「──さぁ、やってみせてよ。出来るのなら──」

 全部全部、わたしが全部悪い? 

 いいえ、違うわ。

 どいつもこいつも身に余る『幸せ』を知らずに手にしているオマエ等が悪い。

 所詮は自業自得にして因果応報。

 何もかもを見て見ぬ振りするオマエ等全員が悪い。

 恭介クンならバイオリンなんてものを魂──わたしたちで言えばソウルジェムにした時点で間違っていた。

 他に『幸せ』を見出せば、まだ『幸せ』で救われたかもしれないのに。

「まぁその場合、別の『幸せ』を消費しちゃうけど」

 さあ、明日のミッキーの反応が楽しみね。

 涙の海に溺れて死ね。

 

◆◇◆◇◆

 

 あたし──美樹さやかが契約し、魔法少女になってからしばらくして──。

「ッはなせ! 放してくれよぉっ!」

「お、落ち着いて上条くん! しっかりして……っ!」

「はなせえ!! はなしてよぉぉおおっ!!」

 ──なんで、こうなっちゃったのかな。

 あたし、何か間違えちゃったのかな……?

 病院へ足を踏み込むや否や金属を切るかのような──ううん、バイオリンの弦がはち切れそうな程の悲鳴をあげて暴れる恭介の姿があった。

「落ち着くんだ上条くん!」

「うわああああああ! 放せ! 放せぇぇええっ!」

「クソッ! 鎮静剤を!」

「うむ!」

 白衣の先生が恭介の体に注射針を刺し込む。薬剤が恭介の血管を通し、体に浸透し──。

「っはなせええええええええええッ!!」

「先生! 鎮静剤聞いてません!」

「何故だ……。どう言う事なんだこれは……」

 なおも暴れ尽くす恭介だった──。

 

◆◇◆◇◆

 

 途方に暮れながら、おぼつかない足を一歩一歩踏みしめながら道を歩く。

「……」

 看護師さんの立ち話を聞いてしまったんだ。恭介が何でああなったのか、って。

『気の毒よねぇ、あの子も……。せっかく奇跡的に腕が治ったと言うのに、また呪いの様に動かなくなったなんて……』

 ──やめて。

『しかもそれ、原因不明の精神疾患なんでしょう? 本当に気の毒でならないわ──』

 ──やめてよ……!

『今度こそ治る見込みもないし、ねぇ……?』

 ──やめてよ!

 恭介を憐れむな!

 恭介をそんな目で見るな!

 恭介を──恭介を──!

「……馬鹿だ、あたし」

 そもそも憐れんでたのは、あたしだった。

 良かれと思ってなけなしのお金でCDを買ってあげていた。けど、思えばそれがそもそも間違いだったかもしれない。もしかしたら恭介、弾けない曲なんて聞きたくなかったのかもしれない。だから『治して』なんて願っても意味が無かったんだ。半端だったんだ。あたしが恭介を追い詰めたから。あたしが癒してあげられなかったから。だからあたしがまた恭介を不幸にさせてしまったんだ。もう、ありがとうなんて言われない。そして『それ以上のコト』も、きっと言われなくて──。

「──って、何考えてんのよ……あたし……」

 あたし、ほんと嫌な子だ──。

 

◆◇◆◇◆

 

 それに、嫌な子って思っちゃうのはそれだけじゃなかったんだ。

「──ん?」

 すぐ遠くにヨロヨロとおぼつかない足で揺らぐ影。その娘は──。

「──あすみちゃん!?」

 ただ事じゃないのは影だけ見ていても分かった。すぐさま駆け寄るや否やあたしの腕の中に崩れ込まれる。

「さ、さやか……おねえちゃん……」

 酷いケガだった。全身が擦り傷だけじゃなく切り傷のみならず孔の様な傷にまみれていて、血が固まってくれる事を知らない。考えるよりも先にあたしの手を楽譜混じりの天色に輝かせ、あすみちゃんの体に治癒魔法をかけてあげた。紅い切り傷がみるみる内に塞がってく。

「っふぇ……、怖かった……っ!」

 この街に蔓延るこんな事する連中なんて決まってる……!

 転校生──暁美ほむらだ!

 奴と魔法少女狩りが組んであすみちゃんをまた傷付けたんだ!

「また転校生なの──!?」とあすみちゃんに聞けば、やっぱり涙を啜る声と共に頷いてくれた。

 あいつ、こんな幼い子相手に大人げないって思うどころか、自分のやってる事を冷酷無比とも思わない訳──!?

「それでね……? ほ、ほむらお姉ちゃんがね……? さ、さやかお姉ちゃんにお話が、あるって……っ」

 涙でつっかえる喉から言葉を絞り出すあすみちゃん。

 あたしに話……?

 極悪人がどのツラ下げてあたし等に話があるってのよ?

 上等じゃない!

「──分かった、あたし行くよ! いつまでもこんな真似絶対許せないもん! あすみちゃんも絶対に守ってみせるから!」

 初陣はあすみちゃんに取られちゃって、これでいよいよ本当の初陣。しかも相手は魔法少女──!

 ちょっと怖くて手の震えが止まらないけれど、あたしにはマミさんも居る。あと佐倉杏子……? って子も居るし、あすみちゃんだって居てくれるんだ。百人力なのは間違いないよ。あんなひどい連中相手に、正義の魔法少女チームが負けるわけがない──! そんな自らを奮い立たせるあたしに、あすみちゃんがニコッと微笑んで言ってくれたんだ。

「──ありがとう」

 けれど、その笑顔はどこか違和感があって──。

「──あ……れ……?」

 前々から薄々とは思ってたけど、あすみちゃんと話していると偶に『何かが変』と突然感じるタイミングがあるんだ。

 ──どこか、張り付いた笑顔に錯覚してるようで──。

「──ああもうっ!」

「さ、さやかお姉ちゃん……?」

 雑念を振り払うために首を振ってると、あすみちゃんに顔を覗き込まれた。憂いを秘めた瞳に、今にも泣きだしそうな幼い女の子の顔。

 やっぱり、あすみちゃんが変だなんてありえないじゃない……。

 こんなあたしを今も心配してくれる子なんだ。そんな幼いながらも優しい子だ、ウソなんてつく筈ないんだから。

 あたし、やっぱりすっごい嫌な子だ。

 嫌なあたしを今すぐにでも忘れたくて、あすみちゃんに「大丈夫」って伝えてから待ち合わせの場所を聞いて──。

「よしっ! あすみちゃんっ橋行くよ!」

「あ、待って! さやかお姉ちゃんっ!」

 転校生が待つらしい、高速道路の人気のない橋の上に突っ走った。

「──うふッ……♡」

 

 ──あすみちゃんの、その視線にも気付かず。

 

◆◇◆◇◆

 

 私──暁美ほむらにとって、これほど腸が煮えくり返る魔法少女も他にそうそうは居ない。美国織莉子や呉キリカについては、彼女にどう言う正義があってどんな目的でまどかを殺害したか何て知らないし知りたくもない。

『あなたは何故こんな戦いを挑んだの?』

『──わたしの世界を守るためよ』

 そう言い遺し、微笑みながらその真珠色の魂を散らせた。彼女達には彼女達なりの正義があっただろう事は推測に難しくはない。

 ──だが、コイツだけは違う。

「やっほ。メンヘラヤンデレズストーカーさん★」

「神名あすみ──!」

 前述の通り、真なる目的は知った事ではないが──曲がりなりにも『救世』なる正義を掲げて私に挑んだ美国織莉子とは違い、正義なんてあるはず無く以ての外で、コイツは明確な悪意をもって私を嘲笑いに来ている。ただ己の嗜好が為だけに──!

「おっとぉ? こんな往来で殺し合いなんてできないでしょお?」

「──っ」

 両手の平を広げながら煽られる。時間を止めて弾丸の雨を降らせれば、この前みたいに動きだけを止めるのは容易い。けれどその後はコイツの体を解体し、ソウルジェムの位置を特定する必要がある。だが私の魔法──時間停止──は触れているものになら効果を及ぼさない。常々私が拳銃やマシンガンやロケットランチャーを好む訳はそこにある。コンバットナイフや日本刀等の近接用の兵器で渡り合おうものなら、時間停止が解かれてこちらの足元を掬われる。ましてや殺し慣れているであろう神名あすみ相手ならば、体の一部を欠損させてでも、その刃を手の平で掴み取りながら私の体にしがみ付く事は予測に難しくはない。ならば無駄に時間停止を消費してしまう事を惜しんで正攻法で挑みコイツを惨殺しようものなら、私は一瞬で幼女惨殺凶悪犯・暁美ほむらとしてこの見滝原じゅうに名を轟かせてしまう。警察に追われながらでは、まどかの護衛にあまりにも支障が出てしまう。時間停止を使えば捕まる事はありえないものの、その前にワルプルギスの夜へのストック分が底を尽きてしまう。自分の奥歯がガキリと軋む音と共に歯がゆさを噛みしめながら、変身準備を解いた。

「ミッキー──おっと失礼。さやかお姉ちゃんがアナタにお話があるらしいわよ?」

 そんな事の為に、私に接触して来たのか。

「私には関係ないわ。どうせあなた何か企んでるんでしょう」

 ハコの魔女の結界に出遅れた際、遭遇した美樹さやかの反応は──芳しくないどころか最悪だった。顔を青ざめさせながらマジ〇チ扱いをされてしまった。絶対にロクな事を吹き込まれてない。一度(ひとたび)第一印象が芳しくなければ、容赦なく敵意を向けて来るのが美樹さやか。神名あすみが居らずとも、今周回も巴マミのせいで最初の時点で芳しくない印象を持たれていたのは自覚できている。だがもう無理だ。汚名返上なんて出来ない程に悪名を着せられている。そんな彼女にわざわざ好き好んで接するなんて、時間も魔力も無駄としか言いようがない。

「あらぁ? そんなコト言っちゃってイイの?」

「えぇ」

「やだぁ薄情者~♡」

 語尾を間延びさせた俗にいうぶりっ子的な態度を着込みながらの煽りは、心底私をイラつかせる。まどかを救う事以外に何も感じない機械であろうとはしているものの、コイツの声も態度も眉を痙攣させるには充分の不快感を含んでいる。薄情者? まどかをこの手で殺めてしまった私に今更薄情者なんて罵倒した所で全くの無意味なのが分からないのか。恐らくは私の記憶を全て覗いた癖に──。

「何とでも言うが良いわ」

「け・れ・どぉ……♡ それが放っておくワケにもいかないんじゃなあい?」

「くだらない。あなたと相手している暇なんてないわ」

 無駄にした物が時間だけで良かった。踵を返そうと神名あすみに背を向け──。

「──鹿目まどか」

「──!」

 どうしても、あの子の名前を出されれば全てが止まってしまう。首だけをコイツに振り向けば──。

「あなた鹿目まどかを救いたいんでしょ? もし美樹さやかに何かあっちゃったらさぁ……?」

 毎度の事ながら『くヒッ──!』と黒板をひっかくかの様なノイズじみた引き笑いを鳴らされつつ──。

「……」

「どうしたのっ? はやくミッキーのトコ行かないと! まどかが契★約ってしちゃうよ!? んっ!?」

 言われたとおり、高速道路上にかかる人気のない橋に向かう他なかった。

 

◆◇◆◇◆

 

 出迎えた美樹さやかの反応はまさしく予想通りだった。対面するや否や──。

「転校生ッ! あたしお前なんか絶対に許さないッ!」

 血走った眼を向けられながら、唾を飛ばされるかの様な勢いの怒号に耳を震わされた。

「あすみちゃんもゆまちゃんもあんな目に遭わせて──ッ! まだあんなに幼いんだよ!? 血も涙も無いの!?」

 あぁ、やっぱり──。

 神名あすみの方は事実にしても、私が千歳ゆまをも手に掛けようとしたと思いこまれている。あの時屋上へと駆け込んできた巴マミと佐倉杏子にもきっと同じ事を吹き込まれている。

「違う……」

「いいや違わない! アンタは鬼よ! 悪魔よッ!」

「私は千歳ゆまをやってない! 誤解よ──!」

「何が誤解なんだ! だったらなんであぁなってるの!?」

 私、案外甘かったのかもしれない。まどかを救う以外の事はどうでもいい、って切り捨ててきた筈なのに。私自身すら切り捨てた筈なのに。鬼だの悪魔だの呼ばわりされて、謂れのない罪に罵詈雑言を受けて、流石に黙ってはいられなかった。

「千歳ゆまは神名あすみに眠らされてる! そして神名あすみの傷は、恐らくは自傷行為で──!」

 嗚呼──。

 美樹さやかの誤解なんて解き様もないのに、何で私はここまで声を荒げて必死になっているのか。

「ア、ン、タ、ねぇ──ッ!」

 肩をわなわなと震わせ、歯を軋ませ、握った拳は今にも血に滲みそうで──。

 巴マミに殺されかけたあの時間軸(三週目)にて、インキュベーターが私達を騙しているなどと聞く耳も持ってくれなかった美樹さやかだ。そんな彼女が、私の弁明など聞く筈も無かったのは分かっていただろうに──。

「そんな支離滅裂な話があってたまるか!」

 そればかりは美樹さやかに同意したかった。

 こんな支離滅裂な話があってたまるか──と。

 どうしてこうなったか?

 寧ろ私が聞きたいぐらい。

「アンタを絶対に倒す! いや──殺してやる! お前だけは絶対居ちゃいけないんだ! アンタを消して絶対にあすみちゃんもゆまちゃんもどっちも助けるんだから!」

 血が昇った以上、もう彼女を止める術なんて一つしかない。

「──しょうがないわね」

 いつもの通り、時間を止めて気絶させた上で適当な所に放っておく。恐らくは私を付け狙うだろうけれど逃げ続ければ良い。けど、そこに予想しなかった子が現れて──。

「待ってさやかちゃんっ!」

「まどか──!?」

 美樹さやかと同じく私も目が開く。

 まどかがどうしてこんなところに──!

「──ッ!」

 ──神名あすみね。

 まどかにまでここの事を吹き込まれたのだ。

 汚物の分際でまどかに接しようなどと──!

「邪魔しないでよ! まどかに関係ないでしょ!?」

「ダメだよ……! こんなの絶対おかしいよ! 話し合えばきっと分かり合える筈だよっ! やめてっ!」

「うるさい! これはまどかの為でもあるの! だから退いてよ! そいつを──そいつを倒せない!」

 他の魔法少女とは違って今の所まどかにだけは敵意を向けられていない。──とは言ってもまどかは敵意なんて持つ事には縁が無く、何事にも理由がある筈と積極的に飛び込んでくる性分の持ち主だ。その優しさには今でも涙が溢れそうで、実際に私はそんな彼女に救われたからこそ今も心臓の鼓動が止まらない。だからこの子だけは魔法少女にしてはいけない。誰よりも優しいまどかを、魔女になんてしてはならない。けど──。

「さやかちゃんごめんっ!」

「──!?」

 美樹さやかのソウルジェムがまどかに奪われ──。

「えいっ──!」

 高速道路へと投げ込まれた。

 ──これは不味い──!

 私はすぐさま盾に手を掛け、時間を凍らせてソウルジェム(美樹さやか)を追い求めた。車から車へと飛び移りながら──。

 

◆◇◆◇◆

 

 もう目も当てられない惨状だった。

 戻って来た頃には、美樹さやかの肉体とソウルジェムのリンクはやはり切れていた。魔力を頼りにどうにか捕まえられたジェムを美樹さやかに返還したところで、インキュベーターの口から無情にもその真実が語られてしまった。

 ──私達魔法少女のカラダは抜け殻で、ソウルジェムと化した私達が操っているだけと言う事を──。

「そ、んな──」

 膝から崩れ落ち、地面に力なくへたり込む美樹さやか。

「むしろ感謝こそされるべきだと思うよ。心臓を破かれてもありったけの血を抜かれても生きてられる、便利な体にしてあげたんだから」

「ふざけないでよ……! それじゃゾンビじゃないあたし達っ!」

「わけがわからないよ。どうしてそんなに魂の在り処にこだわるんだい?」

 この獣共(インキュベーター)はそう言うモノ。酷いとさえ思うなんて有り得ず、人の価値観など一切通用しない異星獣。何もかもを奇跡の正当な対価だと言い張るのみ。コイツ相手に言い争っても仕方のない事。

「それじゃあ、今日の所はここで立ち去るとするよ。暁美ほむらに個体を潰されては堪ったモノじゃない。じゃあね」

 インキュベーターが姿を消す。残された私達は──。

「さやか、ちゃん……」

 消え入りそうに小さな声を掛けるまどか。それに美樹さやかは──

「……っ!」

「さ、さやかちゃんっ!」

 悲痛な呼び声を背に、どこかへ走り去ってった──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ああ、またなのね。

 美樹さやかが走り去ってから少しして。あの子があぁなってしまった──魔法少女の真実の一片を知ってしまった以上、もう健全に生存する事自体が望めなくなる。今までと同じく、遅かれ早かれ魔女へと身を堕とすだろう。せめてまどかをお家まで送り迎えしようかとも思ったけれど、まどかも美樹さやかを探しにそこら中を走り去って行ってしまった。本当は気絶させるなりして、時間を止めてる隙に家へと帰すなりするべきなのだろうけれど、私はまどかにそんな事はしたくない。まどかを守る為とは言え、まどかに少しでも危害を加えるような事はしたくない。考えるだけで手の震えが止まらなくなる。もう『夜明けの雨』のあの時みたいに、まどかを傷付けたり──殺めたりするのは二度とごめんだ。

「……まどか……」

 だったならせめてまどかの意思は尊重してあげたい。契約しない限りは──だけれど。美樹さやかを探させてる間にもキュゥべえと接触せぬよう、いつも通り監視はし続けるけれども──。

「──なんだ、こんなところに居たのか」

 ──迂闊だった。

 何故気付かなかった。黄昏ている場合などではなかった。背後より掛かる女の声──聞き覚えがあるにもある。恐らく私を狩りに来たのだろう。

 いかなる手段を以てしても、私に触れられる訳にはいかない。

 時間を止められると言う優位性は、何時だって誰にも明かさずに保たなければならない。でなければまどかをまた喪ってしまう。

 救世を誓ったあいつらの時のように──!

 我ながら煩わしい長髪を靡かせながら、くるりと背後を振り向き──。

「──貴女は──」

 

◆◇◆◇◆

 

「ッひィ──────っハひ────────ッ!!」

 助けて。

 誰か助けて。

 引き笑いが止まらない。

 金属をカッターに掛けたような声が我ながら耳障り。

 自分の耳にも響いちゃう。

「ま、まど、ま、まどかが、まさか、あんな素っ頓狂なアドリブに出るとは──ッ」

 苦しい。

 苦し過ぎる。

 苦し過ぎて最高よ──!

 笑いに笑い過ぎて、肺にまで空気が到達してくれずに苦しい。

 いつかは訪れる恭介クンの死により絶望を遂げるとも思ったけれど、まどかがミッキーの本体を投げ捨ててくれたお陰で舞台はより予想だにしない喜劇へと変わってくれる──! 

 期待に胸を躍らせながら、わたしは『その時』を心待ちにした──。

 

◆◇◆◇◆

 

 あたし──美樹さやかがゾンビだったなんて事が発覚して、次の日。

「……話って何よ」

 今日はあたしの親友──志筑仁美にバーガー屋へと呼び出されている。

 ──なんかもう、色んな話がどうでも良くなっちゃった。

 周りから聞こえてくる声も、なにもかもがあたしを素通りしてく。

 心ここにあらずって、こういう事を言うのかな。

 あたしが人間を辞めてまで恭介の腕を治したのに、恭介を追い詰めてたせいなのか半端にしか治らなかった。ううん、今ではもう二度と動かなくなった。きっと恭介は、今も病院で看護師さん達に取り押さえられながら暴れてるに違いない。もう──全てが元に戻らないこの惨状に、あたしの心はどこか遠くへと消え失せてった。

 ──この石ころこそがあたしだもんね。心なんてなくても、しょうがないよね。

「──ずっと前から、上条恭介君の事をお慕いしてましたの」

 あぁ、そっかぁ……。仁美もそうだったんだ……。

「んで。告白するっての?」

「──明日の放課後には」

「へぇ……」

 不思議と動揺しないあたしが居た。あーあ、恭介の奴も隅に置けないなあ……って。仁美みたいな才色兼備なお嬢様に惚れられるのも道理なんだなぁ、って。

 ──けれど、それ以上に──。

「──ってんの──」

「さ、さやかさん……?」

 今はどちらかと言うと、仁美──いや、コイツへの怒りすら感じるんだ。怒りってのは、転校生に対してみたく導火線に点火された爆弾の様に爆ぜるものだとばかり思ってた。けれどこの怒りは違う。『氷』なんだ。あたしの(ココロ)が、怒りによって氷へと変わった。恭介が今どんな目に遭ってるのか。やっと治ったと思った腕がまた二度と動かなくなっちゃって、今じゃ病院で鎮静剤を打たれてて──。そんな恭介を知って、なおもそんな話をしているの? コイツは?

「知ってんのって聞いてんの。恭介が今どんななってるかって……」

「と、言いますと……?」

 とぼけるその仕草が非常にイラついた。

 あたしらしくない──。仮にも仁美は親友の筈なのに──。

「恭介、また腕が動かなくなっちゃったんだ」

「え──」

 ああ……、とぼける仕草は素だったんだ。

 翡翠の瞳を見開いて、口をぽっかりを開けながら言葉を失う仁美。

「それで自暴自棄になっちゃって、もう壊れちゃってるんだ……」

 あんなになっちゃった恭介、一体誰が治せるって言うのさ……。

 誰かに願われても、すぐ動かなくなっちゃうんだから。追い詰められきった恭介(あたしの罪)を、一体だれが救ってくれるって言うのさ……。

「──ならば、なおさら上条君を支えなくてはなりません」

 はあ? と口溢してしまいそうだった。

 奇跡に頼りすらしても、恭介の腕が治ることはついぞあり得なかったんだ。

「今の私にはそうする(すべ)があります」

「……そう」

 我ながら、何ら感情のこもってない冷え切った受け答えだったと思う。

 仁美程度で、恭介の何を支えられるって言うのさ……?

 魔法少女とはなんら関係なくて、ましてやキュゥべえなんて見えもしない仁美で何が出来るって言うのさ……?

「けれど、あなたも私の大切なお友達ですわ。出来れば抜け駆けも、横取りもする様な事もしたくないんですの」

「……はあ」

 溜息とも了承ともつかぬ返事。

 もう……どうでもいいんだ。あたしも仁美も、恭介を救うなんて出来ない。ましてやあたしは──。

「丸一日だけお待ちしますわ。さやかさんも後悔のない選択をなさるよう──」

 そうして仁美は踵を返した。

 ああ、もうホント何もかもがどうでもいい……。けれど、そこへ──。

「あっ! さやかお姉ちゃんっ!」

 舌足らずで甘やかな声色の子に呼び掛けられる。

 ──ああ、あすみちゃんか……。

「どうしたの? お顔が暗いよ……?」

「……うん」

 こんな話、子供にしても仕方ないや。昼ドラの様なドロドロとした恋愛事情なんて、子供に言っても理解なんて出来るワケない。それに、大人げないし仕方がない。意味がない。

「えっと……、だったらわたしと一緒にご飯食べよっ? わたしのぶんもあげちゃうもんっ」

「……」

 その優しさが今は辛いんだ。あたしに優しさを向けられる資格なんてない。

 ──あはは。あれだけ仁美にシンと冷える怒りを抱いてたのに、もしかしてあたし罪悪感感じちゃってるのかな。

 すごい身勝手で笑えるよホント……。

 それに──。

「……ごめん、一人で食べてて……。あたし、ちょっと一人になりたいんだ……」

 あすみちゃんの顔を見てると、きっとまた『変』って思ってしまう。

 もう嫌なんだ。

 あたしが何か悪い気持ちを抱くなんて。

 悪者になるなんて──。

「……ごめん、なさいっ……」

 俯くあすみちゃん。

 ああ、やっぱあたしって最低だ。

 自分可愛さに、またこんな小さい子供までも傷付けちゃった。

 でも、今はそうしないと堪えられない。

 ごめん──ごめんね、あすみちゃん。

「気にしないで。それじゃ……」

 もう今は誰とも会いたくない。

 仁美の話も終わったんだ。

 このバーガー屋を離れる事にした。

「──っヒハッ!」

 ──そんなあすみちゃんの笑い声なんて、届きもしないまま。

 

◆◇◆◇◆

 

 あれから帰路に就いたミッキーの後を追ってみれば──。

「仁美に恭介とられちゃうっ……! なのにあたし何もできないっ……! ゾンビなんだもんっ……!」

「さやかちゃんっ……!」

 声を潤わせながら涙に頬を濡らすミッキーに、目じりに涙の雫を溜めながら優しく抱擁する鹿目まどか。

「こんな身体、で、抱き締めてっ、あげられない……っ! 触れる事、なんて、っ、できな、い……っ! キスなんてっ……! っっぁぁああっ……!」

 馬鹿な奴よねぇ──!

 噴飯モノよ──!

 ミッキーはワカメの契約を知らない。だからただの人間を相手にしてると思い込んでしまっている。人間を辞めたゾンビの自分じゃ、才色兼備の人間サマなんて相手にならない──と頭っから思い込んで塞ぎ込んでいる。だからバイオリニストを手にする事なんて出来やしない。一方でワカメは自分が人外なんて気付かぬまま、ミッキーを煽りに煽り散らした。

 まさに雌の獣同士の熾烈な醜い争い!

 人外対人外の滑稽なサーカスでしかないのよ──!

「よし……! そのまま自滅しちゃえばいいのよ! ミッキィッ──!」

 

◆◇◆◇◆

 

 僕──上条恭介にとってヴァイオリン演奏とは『解放』──のつもりだった。

 けれど違ったんだ。

「ハ、はは……は」

 精も根も尽き果てた。乾き切った無彩色の笑みが零れ逝く。

 もう一筋の光すら指し込まれやしない。

 僕の心はこの闇夜の様に、光の無い世界なんだ。

 ──いいや、心あるなんて自称する事がそもそもおかしいんだ。

 烏滸がましいんだ。

 ──僕はもう弾けないんだ。

 ──僕はもう死んでるんだ。

 ──僕はもうゾンビなんだ。

 僕がバイオリンで、バイオリンが僕なんだ。

 バイオリンを失った僕とは、即ちただの抜け殻だ。

 そこに生きる意味の一切が無い。

 弾きたい欲求に焦がれてた──なんて思ってた頃がどれだけ愚かしかった事か。

 ゾンビが欲求なんて持つ筈ないのに──。

 ──僕は、もう要らない存在なんだ。

 誰からも必要とされない。

 きっとさやかも僕をバイオリンの演奏装置だと思っているんだ。

 だから毎回の様にCDを持ってきたんだ。

 僕はCDの様に弦の音色を奏でる機械なんだ。

 でも、もうそれもお終いだ。僕の腕は二度と動かない。

 二度と弦を震わすなど出来ない。

 お父さんにお母さん、それにさやかにその音色を聴かせる事なんて出来やしない。

 ──なら、死んでも同じだよね。

 僕はもう壊れた機械なんだ。

 壊れてる事は死も同然なんだ。

 なら、死んでも同じことなんだ。

 だって、死んでる様な物なんだから──。

 こうして生きているフリしたまま生きて、こんなに辛いのなら──。

「もう、死ぬしかないじゃないか──」

 一歩一歩と近づいて()く。

 病院の屋上の淵が、さながら川岸かの様に思えた。

 川面に足を踏みしめてしまえば、僕はきっと今よりも幸せなセカイとへ()けるんだ──。

「──お父さん、お母さん。そしてさやか。今まで世話になったね。もう──僕は居なくなるんだ」

 僕の役目は、もう終わったのだから──。

「──さようなら。みんな──」

 そして僕は、闇へと身を投げた。

 この夜の様に重く深く──底のない闇へと──。

 

◆◇◆◇◆

 

 美樹さやかの騒動から数日経って。

「……恭介」

「さやかちゃん……」

 まどかに心配される、虚空を見上げる美樹さやかの姿。おおかた志筑仁美から宣戦布告を受けたのだろう。けれど美樹さやかは、自分が人間ではないとして志筑仁美になど太刀打ちできないと思っている。

 ──だから魔法少女には向かなかったのよ。

 この一件により、恐らくはこれからもその魂を穢れさせ続ける事だろう。彼女の契約を巴マミが誘発しなければ、甘酸っぱい恋物語としてその幕を閉じた筈。

 ──けれど、事態は思っていた以上に残酷だった。

「──早乙女先生……?」

 次は数学の授業の筈だ。ここに居るべき者は、中肉中背の冴えない眼鏡の男性教師の筈。英語の教科担当にして担任の早乙女和子先生が居るべき時間ではない。

「──皆さんに、お知らせがあります」

 その違和感に、胸をザワザワと執拗に触れられる様な胸騒ぎを覚えた。やがてはその触覚がテレビの砂嵐(ノイズ)の様に音を立たせ、焦燥感として私を苛む。

 ──やめて──やめろ。その先を言わないで。

 永遠にも似た──聞きたくないけれど、されど聞かずにはいられない一時のもどかしさ。そしてやはり──感じ取った不穏は現実となった。

 

「──上条君が、遺体で発見されました」

 

 後頭部を後ろから殴られた様な鈍痛を錯覚した。

 ──上条恭介が死んだ──。

「──え──」

「──あ──っ──?」

 馬鹿な。何故──!

 もちろん私だけではない。その理解不能な文字列に美樹さやかは口を開き、志筑仁美も絶句している。

「……っ…………っ!」

 上条恭介が死んだ。

 頭が理解しただろう頃には志筑仁美は嗚咽を漏らし──。

「っぁ……ぁああ……!ああああっ!!」

 美樹さやかは慟哭をあげた。

「ば、かな……っ!?」

 騒然となる教室の中、私は呆然と立ち尽くすしかなかった──。

 

◆◇◆◇◆

 

 更けた夜の描く、星の見えぬ寒空の下。

 ──かつて上条君の入院なさっていた病院の屋上。

 それにして上条君の死に場所。

「……来てたんだ、仁美」

 おぼつかぬ足でフラフラと揺らがせながら、私──志筑仁美へと寄せるさやかさん。

「──えぇ」

「……」

 交わす言葉無きまま、屋上を通り抜ける風に肌を冷やす。己が所業を思えば、文字通り紡ぐ言葉など有りはしませんでした。

 ──そんな沈黙を破ったのは、さやかさんの方でした。

「──見てよ、これ。とっても黒いでしょ。あたしの魂なんだって、ハハっ……ウケるよね……」

 ──それは、かつて天色をしていた宝玉。

 自嘲に笑うさやかさんのキモチを表したかの様に、この闇夜の様に深く黒く染め上げられていました。

「……さやかさんも、でしたか……。私だけかと思っていました」

『……は』と呆気に取られるさやかさんに、私もその穢れきった宝玉()を差し出し──。

「──なんだ、仁美もそうだったの」

 どこか……安堵にも似た色の溜息に混じるさやかさん。

「なんか……さ。分かっちゃうんだよね」

「……」

 返事も頷きもする事なく、彼女の話を黙って待ちまして。

「もうあたしたち、終わりなんじゃないかって」

「……」

「もう抜け駆けとかそう言うの、どうでもよくなっちゃったね。恭介……居ないんだし」

「……ですわね」

 ──うらやましさ。

 否定など決して出来はしない程に、確かに私の心の中に淀んでいました。

 上条君と共に在れる、さやかさんの存在が──。

 ──そんな羨望、とっくに捨て去ってしまえれば良かったですのに。

「これ、黒くなりきったらどうなるんだろうね……。どんな終わり方(死に方)するんだろうね……」

 さやかさんの魂──彼女は確かに、先ほどこの宝玉をそう言いました。己が業を表すかの様に、底など見えない程に深く穢れ切ったその魂。なら──。

「魔女になる──とかでしょうか」

「あは。なんかそれっぽいね。意外と当たってるかも」

 特に取り乱すと言う事もなく、なおも自らを嘲笑いながら肯定するさやかさん。──男の子の様に元気でありながら、その実は誰よりも繊細な女の子。彼女の自嘲癖は昔から見てもいられませんでした。自嘲する事で本来の繊細さを隠さずともよろしいですのに。

「……なんか、もう……どうでもいいや。二人で全部めちゃくちゃにしちゃおうか。だって、希望と絶望って──差し引きゼロなんだから──」

 自棄になった彼女の魂はもう既にひび割れて、その絶望(魔女)を吐き散らそう、と。涙に濡れた瞳を私に向け──。

「あたしって、ほんとバカ」

 その(タマシイ)を、爆風と共に燃やし尽くしました。

 

 女の子の悲鳴。

 魔物の雄叫び。

 どれともつかぬ劈く音色と共に、人魚の様な姿をした魔女がこの世界に顕現して──。

「──まさに、その通りでしたわね」

 私達、なんと愚かしい運命だった事でしょう。穢れ切ったさやかさんの魂から産み落とされた物とは、まさしく魔女その他なりませんでした。

 ──思えば、私の所為なのかもしれません。

 胸に燻ぶる羨望を捨てきれぬどころか、少しでも上条君を救う事が出来る力が己にはあると思い上がり、剰えそれがさやかさんを絶望に追いやってしまいました。

「──うふふっ。感じの悪い女ですこと、私──」

 嗚呼──。

 さやかさんの自嘲癖が移ってしまったのか、己が魂も燃え尽きようと言うのに笑みすら浮かんでくる私。

 ──そうですわ。こんなに──こんなにも感じの悪い性根の悪い女、まさしく魔女と言えましょう。これを魔女と言わずして──。

「──何と、言うのでしょうか──」

 なるべくして堕ちる獣道(魔女化)。最期に聞いたその音とは、宝玉()が砕け散るものでした──。

 

◆◇◆◇◆

 

 グリーフシードを新たに二個手にした。

「──ック、ふふふ! フフフフフ!! アはははははハハハハアハハハハあッ!!」

 深夜の病院に、劈くわたしの高らかな笑いが木霊する。

 美樹さやか、志筑仁美、そして上条恭介。一挙に三つのガラス細工がダイヤモンドダストに還る。またわたしは、その人ひとりずつの人生を消費し尽くした。

「アホよ! お前ら全員絶対アホよっ!」

 恭介クンの腕を再び潰したのはわたし──神名あすみ。けれど腕なんて有ろうとも、遅かれ早かれ恭介クンはその命の意味を見失っていたに過ぎない。

 ──ううん、元より命の意味なんて無かった。

 バイオリンを(ソウルジェム)とするならば、その存在の脆さは魔法少女──魔女共も同然。わたしは、その魂が如何に脆いかと言う事を知らしめてやったまでの事。己が業に魂を焼き尽くした恭介クンその者自身が悪い。こうして自滅する人間を見る度に『ああ──わたしは間違ってなかったんだ』とこのカラダ──ココロ全てに染み入る。

「ミッキーとワカメもクソアホよっ! 恋愛なんかに魂燃やしちゃって! 自分の股間が為にその命を散らしたとか傑作よもうっ! アハハハハハハハハッ!」

 この世界に『愛』など在りはしない。あるのは性欲を体良く言い繕った『恋』なる戯言のみ。そしてわたしはかつて、その性欲によって穢しに穢しに穢された。いくら恋慕だのと綺麗に装飾しようとも、その汚らわしさと悪臭は決して隠せはしない。

「アハハハハハハハハハハハハハハハッ──!」

 その汚らわしさを以て、あのクソ伯父やロリコンの客共と同じように身を亡ぼすなど、愚か以外に何と呼べば良いのか──。 そしてミッキー。お前はわたしの復讐の邪魔を──箱の魔女を殺す邪魔をしたのが運の尽き。

 あそこで邪魔さえしなければ、もっと優しく殺してあげた事でしょうに──。

「──ざまあみろ……♡」

 胸にて未だ沸騰が止まらない余韻を噛みしめようと、瞼を閉じ──。

 

『っ……美樹、さんっ……! ごめ、なさい……っ!』

 ──なんで、マミおねえちゃんなの。

『助け、られなくてっ……ご、めなさ……っ……!』

 ──なんで、マミおねえちゃんがそこに居るの。

『……っ……ぁぁああっ……!』

 ──なんで、マミおねえちゃんの慟哭が聞こえるの。

 

「──」

 たまらず舌を打ちつつ視界を開ける。思い浮かぶはミッキーとワカメの間の抜けた最期の表情だった筈なのに。瞼を閉じてみれば、美樹さやかの亡骸を抱えて涙に頬を濡らすマミおねえちゃん。

 おかしいな。今わたしは最高にハイだった筈。

 自業自得にその身を焼き尽くす(サマ)を眺めた時の、血が沸騰するかの様な高揚感は忘れられないハズだった。なのに──。

 ──どうして、こんなにも昂れないの。

 ──どうして、こんなにも高揚できないの。

 ──どうして、こんなにも虚しいの。

 きっと、もっともっと甚振り足りなかったんだ。

 もっと嬲りに嬲り尽くせば、こんなに白ける事も無くて──。

 ──ううん、わたしは充分愉しんだ筈。

 だから今こうして、二人の魔女を潰してサヨナラ勝ちだった。

 なのに、なんでこんなに虚しいの──。

「──やぁ」

 聞くに飽きた少年の声。

 ──なんだ、キュゥべえか。

 ただでさえ白けているのに、何の用なのかしら。

「二人ともグリーフシードにした様だね。この前の僕の推論はどうも勘違いだったようだ」

 お手柄だよ、と嬉しくもない美辞麗句の称賛をくれるスペースケモノ。はいはいどーも……とあしらうも、今日のケモノは求められてもいないのによく喋る。

「この調子で他の子達も頼むよ。巴マミに佐倉杏子。これで鹿目まどかの契約に持ち込めるんだ」

「──もう帰っていいよ」

 何かもう、今日はコイツに高説してやる気分も無い。とにかく独りになりたかった。雑音も無く、ひとりで──。

「いつもは語るのに、わけがわからないよ。それにしてもあすみはすごいね。なんたって君は──」

 

「──僕らと違って、人間の気持ちが分かる(・・・・・・・・・・)のだから」

 

 その機械音(エラーメッセージ)は、わたしの視界を赤に奪った。

「──は──」

 ──なによ、それ。

 わたしが──この神名あすみが、『不幸』の使者が、人の気持ちを理解出来るですって……?

「──れ──」

「うん? どうしたんだい? あす──」

「帰れッ──!」

 気分じゃなくとも、いつものように高説してやれば良かったのに。なのにわたしは、喉を張り裂かしてまで追い払いたかった。

「……やれやれ。分かったよ。それじゃあね」

 ──良かった、すんなり帰ってくれた。

 消えてくれてありがとう。

「……なんか、やな気分……」

 キュゥべえは消えてくれたけど、この胸のわだかまりは消えてくれない。何故今になってマミおねえちゃんを思い出しちゃったのかも。何故マミおねえちゃんのこと、こんなにも気になるのかも──。

 

◆◇◆◇◆

 

 マミおねえちゃんのお家。

「……ただいま」

「……あすみちゃん……」

 心配してくれたのかな……。

 どこか切なげなお顔のマミおねえちゃんが出迎えてくれた。

 あすみのお顔──晴れない表情から察してか、いつものように「どこ行ってたの」と駆け寄って抱き寄せられる……なんて事も無かった。

 ただ、その眼差しを向けてくれるだけ……。

「……また勝手に出ていって、ごめんなさい……」

「……ううん。あすみちゃんが無事なら、それでいいの……」

 やっぱり嫌だった。

 なんでかは分からないけれど、マミおねえちゃんがわたしを気遣う度に胸が締め付けられる。だからマミおねえちゃんの気遣いが、わたしにとっては一番嫌だった。

「……お紅茶が飲みたいな……っ」

「……」

 そして、なんでこんな事口走ったのかも分からない。

 わたしは、マミおねえちゃんのお紅茶が大嫌いだった。

 今でも大嫌い。

 あの香りも、温かさも、全部全部大嫌い。

 なのにマミおねえちゃん、いつも飲ませてきたんだ。

 わたしの大嫌いなお紅茶、お菓子と一緒に飲ませてきたんだ。なのに──。

「……今日は冷えたものね。待っててね……? すぐ淹れてあげるから……」

 わたし、なんでマミおねえちゃんのお紅茶が飲みたいなんて──。

 

◆◇◆◇◆

 

 今はゆまの介抱は佐倉杏子に任せながら、三角形のガラスのテーブルをマミおねえちゃんとあすみとで挟んで──。

「どうかしら……」

「……」

 ああ、やっぱりお紅茶が飲みたいだなんて言うんじゃなかった。

 マミおねえちゃんのお紅茶、とってもマズいんだもの……。

「温かい……っ」

「うん……。こうして寒い夜に啜ってると、心まで解れる気がするの……」

「……」

「ふふっ。あすみちゃんもこの感じ、好きって言ってたわよね……」

 ……大っ嫌い。

「……本当、いつでも言ってね……? いつでも淹れてあげるの、本当なんだから……」

 伏し目がちに頷くあすみに微笑むマミおねえちゃん。

 お紅茶も、マミおねえちゃんも大嫌い。

「──ねぇ、マミおねえちゃん」

「うん?」

「なんで、マミおねえちゃんってそこまで優しいの」

「えっ……?」

 鬱陶しいほどに優しい。

 この家でわたしの欲しい物全部くれるし、わたしが勝手にどこか行っても責めないし──心配はされるけど。

 それに、今日もお紅茶だって淹れてくれた。

 マミおねえちゃんに黙って、勝手にどこか行ってたのに──。

「……あすみがわがまま言っても、マミおねえちゃん文句ひとつも言わないから……」

「えっと、紅茶のことかしら。だったら前に言ったわよね……? 私、あすみちゃんの為なら毎日だって紅茶を──」

 そうじゃない。そうじゃないの……。

「……っ」

「あすみちゃん……?」

 静かに首を振って、マミおねえちゃんの言葉を掻き消す。

「マミおねえちゃんがあすみを守るからって、約束してくれたのも覚えてる」

「……えぇ」

「でも、なんであすみなの? マミおねえちゃんって、さやかおねえちゃんとまどかちゃんとも仲良かったよね……? なのに、なんであすみの為に……?」

「……」

 返事が無い。言葉に詰まり、しばらく黙りこくってしまうマミおねえちゃん。

「……マミおねえちゃん、大好きだよ? あすみ、マミおねえちゃんに優しくしてもらうの嬉しいの……。それに、マミおねえちゃんがあすみの事大好きでいてくれてるのもすごく分かるの……。ごはんもおいしいし、ケーキもおいしいし、お紅茶も温かくておいしいし……。色んなところからマミおねえちゃんの『大好き』が伝わってきて、あすみすごく嬉しいんだよ……?」

「あすみちゃん……」

「でもね……? マミおねえちゃん──」

 

「──あすみが魔女だったとしても、大好きでいてくれる……?」

 

 え……。と、マミおねえちゃんの目が見開かれる。

「……それって、どう言う──」

「あすみ、もしもすっごい悪い魔女で……誰も彼もが、あすみを悪いって。あすみだけが悪いって罵るの。だから、あすみがもしも魔女だったとしても──」

「っ……! あすみちゃんは魔女なんかじゃないっ……!」

 ううん……!

 あすみ、多分魔女よりもいっぱい人を殺してる……!

 だからっ……!

「もしもだからっ──!」

 マミおねえちゃんの言葉を遮って──。

「……お願い、マミおねえちゃん……。答えて……。あすみ……もしもいっぱいいっぱい人を食べちゃう魔女だったとしても、マミおねえちゃんは大好きでいてくれるの……?」

「……」

 お紅茶を啜って、なおも黙りこくるマミおねえちゃん。

 ──そうだよね。答えられる訳ないよね。

 それに……ここでマミおねえちゃんが『大好き』って言ってくれるなら、ぜったいうそだ……って言ってやるんだから。

「……人間のフリをする魔女なんて見た事ないけど、もしもで言って良い……?」

「……うんっ」

 本当のあすみを見て今まで罵らなかった人間なんて誰ひとりとして居なかった。

 泣き叫びながら、怒りに身を焦がしながら、呪詛を撒き散らしながら、みんな……みんなみんな魔女の餌になるか、魔法少女なら魔女になった。

 だから……あすみを『大好き』なんて言ってくれる人は、みんなうそつきなんだ。

「──私もね? あすみちゃんの『大好き』が伝わってくる度に、すごく嬉しく思うの……。色んなものをおいしいって言ってくれて、こんな私を頼ってくれて……。あすみちゃんが私を『大好き』でいてくれてるの、すごい分かるの……」

「……うん」

「だから私、そんなあすみちゃんのこと全てを嘘だと思えないの。だからまず、あの時『大好き』って言ってくれたのは嘘だったの……? って聞いちゃうと思う。もしも本当だって言ってくれたら、私……あすみちゃんのこと、魔女だったとしても大好きなままでいられると思う」

「……もしウソだったら……?」

「……きっと泣いちゃいながら戦うと思うわ。泣いて、泣いて、泣き腫らして……。嘘だったとしても、あすみちゃんのこと忘れられなくなっちゃって……っ」

 ──ああ、マミおねえちゃんも『ウソツキ』だ。

「……あすみのこと、殺しちゃうんだね……」

「あ、えっと……、もしも悪い魔女だったら、よ? でも……もしもあすみちゃんが魔女だったなら、良い魔女も居るんだなって思っちゃうわ」

「……なんで」

「だってあすみちゃん、誰ひとり殺してなんてないから……。それで私を大好きって言ってくれるのなら、例え魔女だったとしても私が守るの」

 誰ひとり殺してない──か。

 あすみのこと、やっぱり何も分かってないんだね……。

「やっぱり、正義の魔法少女だから……?」

 強迫観念からなる、あまりに不純な正義感。

 それは純粋な正義の為なんかじゃなく、かつて見殺しにしたと言うトラウマからなるもの。

 わたしは、その正義の魔法少女サマにいつか裁かれて──。

「……そんな良いものじゃないわよ。私」

「え……?」

「私、実は正義の味方なんかじゃないもの」

 ──どう言う、こと……?

 わたし、トラウマから正義の味方で居続けてるって思ってた。

 責任から正義の味方をしてるって思ってた。

 正義の味方をしているうちに、ずっと……ずっとずっと辛くなって──。

 そんな正義の味方に見せかけた、悲劇のヒロインで居る事が心地良いんだって思ってた。

 なのに、正義の味方なんかじゃない……?

 じゃあマミおねえちゃん、(なに)であすみを裁こうと……?

「……どういうこと? って思ってるでしょ?」

「あ、え……と、その……」

「ふふっ、でもごめんなさい……。今はまだ言えないの。でも、いずれ話すから……。──ゆまちゃんが助かってから、ね」

 ……ゆまはこの後、まもなくして死ぬ。

 だから、マミおねえちゃんが話してくれることなんて永遠に──。

「悪ィ。そろそろ……マミかあすみ」

 佐倉杏子に割り込まれる。ゆまの看病を代わってもらう為に。

「ごめんなさい佐倉さん。お疲れさま……」

「……ンじゃ。行ってくる」

 ベランダの窓から飛び立ち去り、佐倉杏子がグリーフシード稼ぎに出かけた。

「じゃ、ゆまちゃんの介抱しましょうか」

「うんっ」

「ゆまちゃん、絶対助けましょうね。それで今度もみんなで集まって、ゆまちゃんお目覚め祝いのケーキを食べるの!」

「……うんっ!」

 やっぱり、マミおねえちゃんのお紅茶を飲んで良かったのかもしれない。

 今日の最後に、ゆらゆらと揺らぐわたしは定まったんだ。

 マミおねえちゃんは──やっぱり『ウソツキ』。

 わたしが正体を見せたなら、きっとマミおねえちゃんはわたしの事を悪者だと罵るんだ。

 だから──。

 

 ──わたしのこと、大嫌いにさせてあげる──。

 



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償還の物語 -Redemption-
第7話「どこまでも哀れな子だった」


 在りし日の、夕焼けの温かな赤い光に包まれたある日の事。

「──この写真って?」

 手に取る写真立て。そこには、ウェディングドレスに身を包む幸せそうな笑顔を浮かべた女の人の姿があった。

「……それね、お父さんとおかあさんの結婚式の写真なの」

「へぇ~っ! これおかあさんなんだぁ! おかあさんきれい~」

「ふふっ。ありがとうっ」

 そんなおかあさんの微笑みは、この花嫁姿のおかあさんみたいに……太陽みたいに眩しかった。

「あすみ、おかあさんみたいになりたいなぁ」

 ふわっと馨しく散らす花弁雨の中、溢れんばかりのブーケを抱きかかえるおかあさん。

 白き薔薇の髪飾りに相思相愛、純潔、深い尊敬と共に彩られるおかあさんの白銀の靡く髪は、息を呑む程に麗しい。

 あすみもこんな『幸せ』の中で皆に喜ばれて、あすみも喜びたい。

「その前に良い人、見つけないとねっ」

「……いいひと……」

「あすみの事をどこに居ても、どこまでも想ってくれて幸せにしてくれる人のことよ」

 おかあさんを『幸せ』にしてくれる人──お父さんみたいな人……。

「あすみ、できるかな……? たいせつな人、見つかるかな……?」

「ふふっ。あすみならきっと大丈夫よ」

「どうして?」

「だっておかあさん、あすみが良い子だって誰よりも知ってるものっ。良い子ってねぇ、いつの間にか惹かれてしまって……好きになってしまうのよ。この子と一緒に居たいって。朝起きてもその子の事が忘れられなくって、そしていつの間にか日常を共に過ごせられるって程に思ってしまうの」

「……」

 あすみは自分のこと、とくべつ良い子だと思ったことなんて無かった。

 ただ毎日が楽しかっただけ。

 学校ではたくさんのお友達と一緒にあそんで、お家ではおかあさんを手伝ったり、いっしょにおいしいご飯作って食べて、お菓子も食べて、夜が怖かったらおかあさんに抱きしめてもらって。

 あすみにはそれが『普通』だったの。

「……ピンと来てないみたいよね?」

「うんっ……」

「えっとね、その……もし自分の事良い子だなんて思い浮かばなくてね? 自分なんて『普通』なんだって思ったりしちゃっててもね? その『普通』を好きでいてくれる子なんて、実はちょっと珍しかったりするのよ?」

「……!」

 あすみの思ってることを当てられてしまった、ちょっとビックリした。

 おめめが開いたのを見て、おかあさんは「あっ、やっぱり?」なんて……手をお口に当ててくすくすと笑ってしまったり。

「な、なんでわかったのっ!?」

「何年あすみのおかあさんやってると思ってるの? あすみの考えてる事ぐらい顔に書いてあるわよ~?」

「うぅ~……!」

 どうしてかちょっとお顔があつくって、お顔をぺたぺたと触ってしまう。

 でも──。

「……えへへっ」

 お顔はあついけれど、どうしてかイヤじゃない。

 やっぱりおかあさん、あすみの事なら何でも分かってくれるんだ。

 そんなおかあさんだからきっとお父さんも好きになって、今のあすみが感じてるみたいに、この胸を撫で下ろす安心感が温かくて心地よかったんだ。

「──だからね、そう言う『普通』を好きでいてくれる人の事をあすみも大事にしてあげてね? 言葉になんてしなかったとしても、大事な人から『大好き』が伝わってくる程嬉しいことなんて他にないんだから……」

「うんっ!」

「よしっ。じゃあこれからあすみはねぇ……そんな人の良いお嫁さんになって、それであすみみたいな可愛い赤ちゃんを授かって、幸せな家庭の中で過ごすの」

「むっ」

 おかあさん、あすみの事赤ちゃんだなんて言った。

 あすみは大人だもん。

「あすみ子供じゃないもん」

「ふふっ。ごめんごめんっ。でも可愛いのは事実なの~っ」

 そう言っておかあさん、急にあすみの事を抱きしめてくる。

 ちょっと苦しいけど温かくって、おかあさんの花の様な香りに包まれてて、くすぐったくって──。

「っわ! おかあさんっ!」

「ふふふっ! あ~なんでこんな可愛いんだろあすみって~! よしよしよしよし」

「もう~っ!」

 あすみの頭をわしゃわしゃと、ちょっと雑めに撫でてくるの。

 雑だけど……でも、これも何でかイヤじゃなかった。

 こうやってぎゅって抱き寄せられて、おかあさんに頭撫でられるのすごい好きだった。

 おかあさんの細くてきれいなおててがあすみに触れるの、嬉しかったんだ。

「──だからね、あすみ。私は信じてるの」

 

「あすみならきっと、幸せになれるわ」

 

◆◇◆◇◆

 

「……」

 在りし日の、大好きな大好きなおかあさんの夢。『花嫁』の事を忘れていたなんて事はなく、むしろずっとずっと心の奥深くに刻み込まれていた。けれど度々思い出して胸にこびりついて離れない……なんて事はなく、普段から思い浮かべる事なんて無かった。なのに──。

 ──どうして、こんな夢を今更見るの。

 マミお姉ちゃんのお紅茶を味わったから? ──違う。

 マミお姉ちゃんの優しさに触れたから? ──違うよ。

 マミお姉ちゃんに抱きしめられたから? ──断じて違う。

 違うのなら、何でこうして自分に言い聞かせるの?

 ──マミお姉ちゃんは『ウソツキ』と言う大罪人だから。人間は皆、自業自得にして因果応報にその報いを受けなきゃいけない。己が抱える業に焼き尽くされ、その命をわたしの為に消費され尽くさなければならない。

 ──でも、わたしは何回同じことを思っているの?

 それが人間である以上の当然の摂理なら、改めてこうして思い返す必要もない。ミッキーにワカメに恭介クンも、やっと自分の『不幸』に気付いたまでの事。だからこそ業火に焼かれてその命を散らした。すべては自業自得。

「……四時か」

 変な時間に目が覚めたものね。未だ夜が明けてすらいない。朝であるにも拘わらず闇夜のように深く暗く、布団から体を出せばたちまち体温が奪われてく。それに、起き抜けの口の中とは毎度の事不愉快だ。

「……水でも飲も」

 

◆◇◆◇◆

 

『今週は、全国的に雨が降る恐れがあります。ゲリラ豪雨に注意し傘を忘れない様に──』

 テレビが薄暗やかに暗闇を灯す中──。

「っん……」

 キンと冷えた水が、乾燥のこびり付いた喉を流し潤す。粘性に塗れた口はすっかり元通り。

 そこへ──。

「……起きてたか」

 同じく変な時間に目が覚めてしまった佐倉杏子。

「ぁ、お水……飲むよね……?」

「悪ィ」

 ゴクゴクと、喉を鳴らして口内を潤す。

 早いとこベッドに戻らなきゃ。

 今は誰とも話す気なんてなかった。誰にも話しかけられたくもない。狂犬に無駄話をされる前に、もう一度深い眠りにつきたいんだ。真綿の布団に包み込まれ、静かな水の中に沈むように──。

「──なぁ、あすみ」

「うん……?」

 遅かった。こうして少しでも口をきいていれば、どこかで眠気を掻き消されてしまうのが常だ。だから口をききたくなかったのに……。

「今から付き合えるか」

「え……」

「時間は取らせやしないよ。ちょっくら散歩に出るぐらいだからさ」

 少しでも、どころじゃなかった。今から長話を──こんな日の昇らない冷え切った早朝の内に、散歩へ付き合わされる。流石に『寝たい』とは言いたかったけれど──。

「……うんっ。いいよ」

 ちょうどマミおねえちゃんに心底嫌われようと思ってたところだった。そろそろコイツ辺りを狩って、『家族』を失ったマミおねえちゃんを絶望させる。目の前でわたしに裏切られて──だ。いつもとやることは変わらない。

 ──これで、良いんだ。

「じゃ、決まりだな。あたしはもう支度出来てる」

 すなわち、ハナっからわたしに話があるつもりで接触を図ってきたと言うこと。まさかコイツ如きにわたしの正体なんて知られてはいるまい。けれど、少しだけ鼻につく不穏の香りに胸がざわつく。とは言っても、いくら不穏だったとしても、コイツ如きにわたしに敵う筈もない。もしもの時もやっぱりいつも通り。

「……わかった」

 今日が佐倉杏子の命日。

 オマエの死こそが、マミおねえちゃんへの手向けだ。

 

◆◇◆◇◆

 

 雨が降りそうな、湿気を含んだ香り漂う──そんな朝の街中にて。

「なぁ、あすみ」

 淀む静けさを破ったのは杏子だった。

「……何」

「お前さ、早朝の空気ってどう思うのさ?」

 なによこいつ。

 そんな話をしたいが為にわたしを呼んだのか。実に下らない。

「──好きだよ」

「へぇ」

 これは本当。生活音も、排気ガスの吹き出る音も、臭いも、全てが静まり返る早朝の道中。世界にはわたしたったひとりしかいない──佐倉杏子が隣に居なければ、そんな優越感を感じられていっそう心地良かったはずなのに。

 それに、今朝の天気予報で言ってたっけ──。

 陰湿な湿気と鉛色の空が、早朝をより闇へと深める。けれど──。

「そんな話がしたくてわたしを呼んだんじゃあ……ないんでしょう?」

 一瞬、凍ったように沈黙の時が流れ──。

「──あぁ、そうだよ」

「だったら──」

「あぁ……まぁ、そう早るな。もう少し付き合え」

「……うん」

 

 見滝原からも少し外れてきた。どちらかと言えば風見野に近いだろうか。生活臭や音も感じられなくなり──とは言っても、早朝だからそんなモノはないけれど──人が住んでる気配も段々と薄れてきた。

「──あたしのコト、オマエに話したことあったっけ」

「……」

「……あぁ、無えよな」

 杏子本人からは、未だ語られすらしていないんだ。知っていた方がおかしい事。

「あたしさ、家族皆殺しにしちまったんだよ」

「……え」

「っハハ。薄情なヤツだろ? まったく、何回もイヤになったさ」

 そう言って自らを嘲笑う。──本人にはそんな意図が無くても、たった一人の家族共々世界に見捨てられたわたしからすれば、嫌味にしか思えなかった。

「……マミは違ぇって言ってくれたけどさ、違わないんだよ。父さんのキモチも分かってやれないで、独り善がりの願いを押し付けた。だから悪いのは全部あたしなんだよ」

「……」

「……どうやって殺したか、聞かねえのか?」

 聞かないのか、も何も──あらかた知ってる。残念ながら、わたしは『おかしい』方だ。杏子が家族を殺してしまったワケも何もかも、全てゆまの記憶から聞いている。だから、そんなわたしからすれば全てが消化試合。もちろん、そんな事を悟られるワケにもいかなくて──。

「なんで殺したの……?」

「……あぁ、そう来たか。まぁいいや。親父は教会の者でね。毎日のように新聞読んでは真剣(マジ)に悩むような、優し過ぎる人だったんだよ。今みたいな新しい世界を救うには、新しい信仰が必要だ──ってな」

「……うん」

「だから親父……ある日から教義にない説教を始めたんだ。でもな、ばったり信者の足が途絶えたよ。本部からも破門されちまって、誰も親父の言う事になんて耳を貸してくれなくなって、近所からは一家全員鼻つまみものさ」

 あぁ、なんと間の抜けた話だこと。

 信者さん達は己が信じる教義を聞きたいが為に足を運んでくれているに過ぎないと言うのに。それを反故にして新たな信仰を作ろうだなんて、まるで新興宗教のよう。

「親父の言ってることは何も間違ってないのに。親父の言ってることは誰にでも聞いてもらえる筈なのに。だからあたしは願ったんだ。『父さんの話を聞いてもらえますように』ってな」

 そうして得られた魔法が──なんだっけ。ゆまの記憶にもほむらちゃんの記憶にも無かった。

「親父は表から世界を救い、あたしは魔女と戦って裏から世界を救うんだって息巻いてたよ。けど、ある日カラクリがバレちまったんだ。ンでこっ酷く怒鳴られたものだよ。人の心を惑わす魔女だ──ってな。ホンモノの魔女と毎日のように戦ってるってのにさ……。全く──笑い話にもなりゃしないよ」

 一歩──また一歩と、踏みしめる度に街並みも寂れてく。

「それで親父はイカレちまって、一家巻き込んで心中さ。──あたしひとりだけを遺して、ね。だからあたしは誓ったんだ。もう二度と他の奴の為に魔法は使わない、って。あたしの勝手な願いが親父を追い詰めて、一家全員皆殺しにしちまったから……」

 いっそう寂れてく街並み。

 ──でも、この道って──

「──さて、もうすぐ着くぞ」

 ルビーに輝く指輪を嵌めた手で指し示す、その先は──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ひび割れたステンドグラスに、おおよそ役割を果たせると言えるか怪しい程に崩落した、鉛よりも深く淀んだ黒き闇夜を覗かせる屋根。祭壇には木々が煩雑に、乱雑に散らばっている。

 ──佐倉教会。

 ゆまの記憶でかつて垣間見た、佐倉杏子の実家。

「ここが親父の教会なんだ。──懐かしいな。ここに来ると今でも思い出すよ。親父の話を皆が聞いてくれるんだ、って言うぬか喜びがさ」

 ──見えない。

「──なんで、わたしをここに?」

 話が見えてこない。内容はすべて自分語りで、その全てをゆま経由で知り得た事ばかり。ゆまが死にかけていて、マミおねえちゃんも毎日消耗している。そんな寂しさをわたしに語り掛けてきたのかな──てっきりそう思うほかもなく──。

「──ヤキが回っちまったもんだなぁ、って思ったんだよ。皆殺しにしちまった筈の『家族』を、今でも夢に見てるあたしが居たんだ」

 自らを嘲るように笑みながら、ポツリポツリとこぼす。

「ゆまの子守りしてんのもさ、織莉子ってヤツのせいでこの世界にぶち込まれちまって──ってのも言い訳だな、あたしに情を抱かせたオトシマエってつもりだったんだ」

 溜息混じりに、杏子が続ける。

「──でもさ、誤魔化しきれるモンじゃねえなって」

「え……?」

「似てんだよゆまはさ。モモ──あたしの妹とさ。そんなゆまの世話しながらマミに小うるさく叱られたりしてさ。やっぱ悪いモンじゃねえなって思っちまった。出来ることなら、今度は四人で過ごしてみるのも悪かあねえってさ。……あぁ、やっぱヤキ回ってるなぁ、あたし」

 コイツにとって、マミおねえちゃんは何だったのか。旧知の仲──と言う事ぐらいしか察せられない。ほむらちゃんの記憶を覗いても、それ以上の事は分からなかった。

「……ねぇ」

「あ?」

「マミおねえちゃんって、杏子にとってなんなの……?」

「ってーかあすみ。マミの事どう思うよ?」

 質問に質問で返すなんて……。

 若干の苛立ちを表しそうになりながらも。

「その質問、前にも──」

「あぁ、そうだったよな。ウザったい姉貴みてえ──って言ってたよな。あたし」

「……うん」

 今回の改めてのこの問い。前と同じことを聞きたかったワケじゃないのは、問われた時点で察しはしていた。前にも聞いたよね──と誤魔化そうにも、そうはいかなかった。わたしの返事を消し飛ばすように遮られてしまった。

 ──マミおねえちゃん? 大嫌いだよ。

「……けどな、そんなおせっかいな姉貴が居るってのも、悪くないモンなんだよ。──そのおせっかいさに、救われた事もあるんだ」

 寒空を見上げながら、なおもポツリとこぼす。

「雪の積もる夜だった。マミが居なきゃあたしはとっくにくたばってたか、そうでなきゃ戦いでイラつきを晴らすようなロクデナシに堕ちてたろうさ。ま──生き延びた先がこんなデタラメな人生ってーのも、それはそれで『家族』に示しが付かねえけどさ」

 やっぱり話が見えそうにない。

 かつてゆまに自分語りをしたのもきっと妹の面影を見たからこそ。ほむらちゃんの記憶で垣間見た美樹さやかに対してのソレも、きっと美樹さやかに救われて欲しかったからこそのもの。だからこそ、分からない。今コイツがわたしに過去を明かし続けているその真意が。確かに杏子とはここしばらく同じ屋根の下にて暮らしていた。けれどわたしは、あくまでもマミおねえちゃんの『家族』としてあのお家に居たんだ。杏子がゆまと共に『家族』となったのはマミお姉ちゃんに対してだ。わたしではない筈。わたしをも妹同然として見てたにしても、マミおねえちゃん程よりは接点がない筈なんだ。だから──。

「……何が言いたいの」

「──あぁ。こう言うコト、だよ」

 ──突然だった。

「──ッ!?」

 右手で振られる液瓶。浴びせられる無色透明の水のような液体に、わたしは咄嗟に左手で顔だけは守って──。

「杏子お姉ちゃん!? 何を……──ッ!?」

 有機溶剤を思わせる、鼻をつく刺激臭交じりの甘い香り。これは──アセトン──? ──除光液!?

 マズ──ッ! 左手には──ッ!

「あぁわりぃわりぃ。これやっちまったらマニキュア溶けちまうもんな?」

「──!?」

「っつかよ。やっぱ何かあんじゃん。あすみの──いや、テメェの左手(・・)にさあ……?」

 ご丁寧に『左手』のところだけゆっくりと、活舌も良く、そして語気も強調された。

 ──なぜバレた?

 ──いつバレた?

 ──どこでバレた?

 息が迫り、視界が揺らぐ。佐倉杏子ごときにバレる筈が──!

「──その目、その息遣い、そしてそのツラ。やっぱテメェが『黒』か」

「……どこにそんな証拠が」

「ンなもん要らねえよ。 テメェのカラダに聞きゃ良いハナシなんだからさぁ」

「正気なの……!? こんな事マミおねえちゃんにバレたら、ただじゃ済まないよ……!?」

 ほむらちゃんみたいになりたくなければ言う通りにしろ。さもなきゃお前を村八分にしてやる。今後ともお前は、暁美ほむら同様に幼子を傷付けた精神異常者なんだ。

「──ッは! この期に及んでまだマミを盾にするかよ。つくづく薄汚ぇヤツだなァオイ」

 ああ、ダメか。

「それに……あぁ、好きにしなよ。別にマミにチクられても痛くも痒くもねぇよ。どうせ一回は裏切っちまったんだ。今更惜しいモンなんてねーよ」

 ほむらちゃんみたいにこの子も『キマってる』のね……。

「っつかどうしたよ? 今までのピーピー泣いてたツラは? アレ芝居だったのかよ」

「何? 泣けば良いの? ココで?」

「あぁそうだな。そうしてくれりゃよっぽど良かった。あたしの疑い、ウソになるからな。これから四人で過ごせるならどれほど良かったもんか」

「ふふッ。じゃあ過ごせばぁ?」

「ははッ。テメェもそろそろ隠す気失せてきたろ? ってか失せてんだろ?」

「うんっ。まぁね」

「そォかい」

 あすみを偽れない相手なら、もう猫被ってやる必要もない。常日頃からか弱く鬱陶しい暗い少女を演じるのはもうウンザリだったんだ。ここからは、いつものわたしで嗤って差し上げようかしら。

「──何でテメェを疑ったか、言ってやろうか?」

「なぁに? わざわざタネ明かししてくれちゃうの?」

「あぁ問題ねぇよ。生きては返さねえからな。冥土の土産さ」

「おぉこっわ。でもそれやられるフラグよね」

 両手の手の平を上に向けておどける。杏子程度なら赤子を大虐殺するかの様に軽くひねりつぶせる余裕から、ちっとも怖くなんてないけれど。

「アンタさあ──黒の魔法少女狩りにやられたっつったよな?」

「えぇ、そうね」

 確かに、ほむらちゃんと黒の狩人──呉キリカにやられ、全身を血まみれにしながら痛みにのたうちまわる演技はしてみせた。マミおねえちゃんも杏子も、まんまと乗せられたと思ったのに……。

「ならさ、何で銃痕しかなかったワケ?」

 ──なるほど。

 確かに、それはわたしのミス──と言うより、切傷を作ってる余裕なんて無かったと言った方が良い。あの時はほむらちゃんを煽りに煽り散らし、時間停止を使わせる事なく時間を最大限に稼いでおく必要があった。そもそもほむらちゃんが襲来する事もシナリオに無く、あの一連の出来事のすべてがアドリブだ。即興だ。ほむらちゃんに罪を擦り付けるのも、記憶を覗いてから銃弾の雨を浴びてる最中に思いついたまでの事。計画性なんてほぼゼロに近かった。

 情に訴えかければイケると思ったのにな。

 実際、わたしを溺愛してるマミおねえちゃんには効き過ぎるにも効いちゃった様だけれど、杏子の方はそうもいかなかった、か──。

 でも──やっぱりおかしい。わたしはあくまでも魔法少女ですらないか弱い女の子の筈。そんな女の子が理不尽に銃弾の雨を浴びせられたんだ。何故疑いの目を向けられる?

「……あたしも、こんな可能性は考えたくなかったさ。魔法少女に痛めつけられた奴──しかもゆまぐらいの歳のただのガキをさ、真っ先に『黒』って疑っちまうのは寧ろ人として終わっちまってんだろーが」

「……だったら何で疑ったの」

 その通り。前提からしてわたしはただの女の子。あまりにも不自然過ぎる。鋭すぎる。一体どうして──。

「──お前、『わたしが魔女かもしれない』とかなんとか言ってたよな。マミに」

 わたしが──言った?

 マミおねえちゃんに『わたしが魔女かもしれない』って──。

 ──違う。

 アレはわたしじゃない。

 あんなのわたしじゃない──!

 コイツは何を言っているんだ。

 馬鹿馬鹿しい──!

「どう言う風の吹き回しであんな事聞いたか知んないけどさ、ソコで確信したよ。『あ、こいつヤってるな』ってさ。だからそのうえで答えろよ?」

 口調に似合わない舌足らずな声色の鳴りを潜めさせ、来たるは唸る狼が如き低き声。

「──テメェだな。ゆまを昏倒させたのは」

「……」

「……テメェがヤったんだとしたら、あたしは容赦しねえ。マミに追い出されても、拒絶されても、殺意を抱かれてもカンケー無え。だからこそあたしに喪う物なんてもう無えんだ。だから腹ァ括って言えよ? テメェだろ。ゆまをあんな目に遭わせたのは──」

「──」

 鬱陶しい──。

 何を吠えてるのかしら、この狂犬は。

 あぁそうよ。こいつは狂犬だったのよ。

 日々餌を集るしか能の無い野良犬。

 野良犬の分際で、わたしを見透かした事を言うんじゃない。

 もう、どうでも良いや。

 コイツに付き合ってやる必要なんてない。

 だったならもう、念入りに──そして念入りに──。

「──ヒハ──!」

 ──念入りに、殺してやる。

 クソ猫にした仕打ちよりも、惨く、甘く、苦く──!

「えぇそうよぉ? わたしこそが呪いの魔法少女──神名あすみ。大っ好きなコトはぁ……いろんな人に不幸の味を知ってもらうコトっ。うふふッ♡」

「──テメェ」

「それで……どうするのっ? 今ココでわたしを殺しちゃう? あはッ☆」

 寧ろ殺したいのはわたしのほう。絶対にココで殺す。生きて返さないのはこちらの台詞。お前は今日ココでグリーフシードとなる。グリーフシードとなって、文字通りわたしの生きる糧となる。

「いいや。その前に取引だ」

「……へぇ」

 犬の分際でわたし様相手に取引ですって? 身の程を弁えなさい。

「一つ。ゆまを解呪しろ」

 あっらぁ、分かりやすい。あからさまに語気を強く、ドスを利かせようとも人並みの優しさは隠せない。こいつも所詮は魔法少女。わたしの餌でしかない。

「イ・ヤ・よ♡ と言ったらぁ?」

 猫撫で声で突きつける拒絶の意思。こうした甘い声で悪意を塗りたくってやると、カラダの芯から痺れそうになる。

「殺す」

「いやん怖い……♡ でも自分、ナニ言っちゃってるか分かってる? クソ猫を元に戻さなきゃ殺すですって? どの道元に戻らないわよね? 矛盾よね? 馬鹿よね? 脳味噌ほむらちゃん並かしらっ!?」

 実際、ほむらちゃんにも似たような事を言われた。千歳ゆまを元に戻せ。さもなきゃ殺す、と。ならば誰がクソ猫を治せるんでしょうか? 堂々巡りがお好きですこと。

 ──そうだぁ。もっともっと苦しめてさしあげないと……♡

「ねぇ……、知ってる? ゆまちゃんの最期の姿ぁ……♡」

「縁起でもねえ。ゆまは終わってねえよ。知らねえよそんなモン」

「……オマエに捨てられる悪夢見てたのよ」

「……」

「魔法少女ってぇ……、例え手足ブチ切られても、ソウルジェムさえ無事なら治せるモンねぇ……? その証拠にわたし。フツーあんだけ穴ポコだらけにされたら死ぬでしょ? マミお姉ちゃんに治してもらわずとも、わたし一人でなんとかなったのよ」

「……で、何が言いたい」

「夢の中のオマエ。自分で手足ブッ千切って、テメェなんざ要らねえって吐き捨ててたのよぉ……? お前の願いなんて無駄だった……って! それでゆまちゃんさぁ大変っ☆ 絶望しちゃう……ってさぁ! アハハハハハハハハッ!」

「……」

 あら? まさかの反応ナシ?

 面白くないの……。

 やっぱり白けたわね。

 一瞬で叩き潰すしか──。

「……あー、交渉とか考えたあたしが馬鹿だったわ」

「そうねっ」

 赤毛の髪を片手で軽やかに掻きむしりながら。

「……んー、じゃあ、まぁ……どうすっかな……。あぁ、そうだ……」

 その掻きむしる手を止め、ギロリ──と赤い瞳を引き剥いて──。

「──使うだけ使って捨て()るわ。オマエ」

「……へェ? どうやって?」

「四肢を捥ぐ。アゴを消し飛ばす。ゆまを解呪する魔法を引き出す肉塊として使う」

「わぁお」

 ああ、イイ──! 最ッ高にイイよぉ──!

 やっぱりつまらないなんてモノじゃなかった。最高に面白い──!

 待ってたよ……! その反応を待っていた!

 イキり散らした狂犬が、毒を食み地に伏す瞬間がわたしは見たいんだ──!

「もう慈悲なんざ要らねえ。テメェだけは殺す」

「いいの? オマエのお父さん……万人に救われて欲しかったとかじゃないの?」

「知るか。テメェは地獄行きだ」

「煉獄の炎に焼かれちゃうって言うの? おそろしいっ……♡」

「煉獄ってのは罪を清める炎の場だ。テメェは地獄直行だよ。己惚れんなカス」

「う──ふふふふふふふふふっ──♡ はあぁぁ……♡ わたしが地獄直行ですって……

♡?」

 降雨直前の湿っぽい空気の中にて蕩ける瞳に甘い吐息。引き剥く瞳、そして軋る歯に変えながら──。

「──地獄なんて散々味わったわよ。ゴミが喋んな」

 火蓋が切られる頃には、雷交じりの冷え切った(あめ)がわたし達の体を刺し始めた。

 

◆◇◆◇◆

 

 居なかった。

「あすみちゃんっ……、佐倉さんっ……」

 朝起きてみれば、二人の姿が忽然と消えていた。ゆまちゃんのソウルジェムに多量のグリーフシードが添えられたまま。私が起きるまでは自動的に浄化できるようにしておいてくれていたらしい。でも……。

「どこ行ったのかしら……っ」

 二人してお出かけならまだ良い。

 けれど、だったら何で私に言ってくれなかったの……?

 それに魔女のみならず暁美ほむら一派のこともあり──魔法少女のみならず一般人にとっても、今やすっかり見滝原は物騒な街へと変貌してしまった。佐倉さんが付いていたのなら余程の事が無い限りは大丈夫なのだろうけれど、それでも得体の知れない暁美ほむら等が相手であれば二人ともの命が脅かされる可能性だって大いに在り得る。あすみちゃんを連れての外出は今や自殺行為だ。

「っ……あすみちゃんと佐倉さんまで喪ったら、私っ……」

 あすみちゃん、私を頼ってきてくれて家族同然に接してくれた。そして佐倉さんも、せっかくまた一緒に過ごせるようになったのに。佐倉さんの妹代わりのゆまちゃんも、こんなところで死なせる訳にはいかないのに。

「やぁ、マミ」

 聞き慣れた少年の様な声色──キュゥべえ。今日の使用済みグリーフシードを回収に来てくれたのだろう。

「ねぇキュゥべえ……! あすみちゃんも佐倉さんも居ないの……!」

「……」

「ここのところ物騒だから、あの二人にもしもの事があったらって思うと……っ!」

 あすみちゃん、かつて私をおかあさんみたいって言ってくれた。佐倉さんも姉みたいだって。私達四人はこれから『家族』同然に過ごす筈なのに。私も含めて大事なものを失ってしまった子ばかりだけれど……だからこそ、欠けてしまっているところを埋め合わせながら、支え合って過ごすべきなのに。

 どうして──どうして私達から『幸せ』を奪うの?

 私達はただ、幸せに暮らしたいだけなのに。

「──マミ、心してよく聞くんだ」

「え──」

 ──何よそれ。

 まるで二人の身に何かあったみたいな言い方。

 やめて──。

 聞きたくない──。

 二人は私が守らなきゃだめなの。

 あすみちゃんと、佐倉さんは──。

「いいかい。神名あすみは──」

 キュゥべえから語られてしまったその事実。

 あすみちゃんは──神名あすみちゃんと言う名の少女は──。

 

◆◇◆◇◆

 

 雨の降りしきる教会の中で。

「──うふふッ」

 常に余裕をカマしてるのか嘲る笑い声がいちいち耳障りな中、地べたに突き立てた得物──モーニングスターを支えにポールダンスを踊るかの様に細い足を蛇が如くしなやかに暴れさせ、あたし──佐倉杏子の頭部に蹴りをぶち込もうとし──。

「──っハ!」

 槍を捌いて受け流す。柄に()が噛み付き、雨水繁吹きを散らす。単に力任せにモーニングスターを振うのみならず、なかなか工夫している。雨で視界がクリアでない事も相まって、尚のこと変幻的で鬱陶しい。

 コイツ、人の不幸が大好物っつってたっけ?

 ならどんだけの一般人(カタギ)魔法少女(同業者)を葬って来た事か。年齢に似合わずあたしやマミレベルにベテランと見た方が良い。それにコイツの得物は単なるモーニングスターじゃない。と言うのも──。

「踊れ──!」

 ハンマーかと思えば、先端の鉄球のみが鎖に繋がれながら宙を舞う。もといフレイル。あたしが近付こうとすれば得物をフレイルの形態に変え、鉄球を縦横無尽に舞わせ躍らせ牽制する。持ち前の俊敏さ、そして身軽さを活用し跳躍・前転を繰り返しながらあすみへと近付いてく。

「っあははっ! 人間サマの躾ってのはちゃんと受けとくべきなのよぉ? じっとしてなさいよ」

「テメエこそキャンキャンとイチイチうるせえよ発情期の猫かってんだよ!」

「猟犬気取ってんじゃないわよ。オマエはもう牙抜かれてんのよ? 強がらないでっ☆」

 そうする内に、あすみが槍のリーチ内へと入る。鎌鼬が如く刃を縦横無尽に繰り刻まんとすれば──。

「ふふっ──!」

 再びモーニングスター形態に戻し、その重量を以てあたしの刃に堪える。だったなら──。

「ォラァ──ッ!」

 首を刈り取る回し蹴りをあすみの顔面目掛けて食らわそうとするも──。

「ばいばいッ☆」

 鉄球を地面に突き立て埋め込んだまま、鉄球でなく柄だけを射出。それも柄を掴むあすみごとだ。射出の勢いをそのままにあすみとの距離があたしの背後へと遠のいた。バシャリ……と、大雨溜まりの水しぶきを立たせながら着地するあすみ。

「うふふ──っ。狂犬には脳筋戦法しか思い浮かばないかしらぁ? さっきから分かりやす過ぎんのよ」

「テメェこそ策バラしまくりだろーが。って言うかそれより良いのか? そんなあんまりにもアクロバティックな動きしてっと魔力が持たねえだろ」

 確かにあすみの動きはあまりにトリッキーで変幻自在だ。何かの──例えばロッソファンタズマみたいな──幻惑能力でないにも拘わらず、その細い四肢のみでムカデみたく無茶な曲線を描く動きで翻弄してくる。時折よく見れば、カラダが見るからに有り得ない方向に捻じ曲がってたりする程に。いや──。

「──あらホント」

 現に肘が反対側へと、これ以上曲がるべきでない方向へと百八十度を超える角度に曲がっていた。だが勇気と無謀は似ている様で雲泥の如く異なる。こう言った無茶な戦い方する奴は単なるアホか、それとも──。

「──えいっ☆」

「は……?」

 ──なんだコイツ。

 グギィッ! と骨と骨が擦り削られたか、それとも何かが折れた音と共に無理やり片方の腕で引っ張って形を修正した。そして、コイツの異常行動はそれだけじゃない。

「っあぁ──効く──」

「──オイ」

 奴の掌中に、いつの間にやら水銀色の宝玉──ソウルジェムが、グリーフシードと共に握られていた。グリーフシードに至ってはその数、優に十個は超えている。一挙にこれほどの数を手の中に収めるなど、魔法少女として生きていて今まで見たことが無い。

「──よしっ」

 負傷した腕も元通りになった事を誇示したいのか、ハンマーみたく元気よく嫌味に腕をぶん回す。

「うーん、これいらないっ」

 そしてその使用済みグリーフシードを、まるでゴミをポイ捨てるかのように投げ捨て、ポチャン……と、水面に黒き球体が沈む。

「テメェ……。そんな事したら──」

「もちろん孵化する」

「ア──?」

「けどぉ……♡ モってる間にわたしをぶッ潰せばイイわよねぇ? できるものならだけど」

「……」

 イカレてやがる。

 魔女が多量に孵化すれば、あすみ自身も無事じゃ──いや、無事なんだろう。ほむらから聞いた限りでは、あすみは恐らく読心系の能力。ならば、その能力を以て魔女を懐柔出来たとしたら──?

「──クソったれ──」

 魔女を兵力に出来るってコトか──。

 どうやら真剣(マジ)で早く叩き潰さねえと、流石に分が悪い。実体化出来る幻影とかが使えて複数体には複数体と出来れば話は別だが、生憎あんな願いはもう捨てた。

「うふふふふっ──! 早くわたしをやっつけちゃわないと、みんな孵化しちゃうよぉ……?」

「っつかよテメェ……、どっから出しやがったそのソウルジェム」

 思えばコイツの魔法少女衣装、ソウルジェムが着けられていない。ジェムを壊さない程度に一発ぶち込んでヒビでも入れてやり、脅してゆまを治癒させる事も考えない事も無かったが──。

「教える訳ないわよねェ──? 魔法少女の要とも言えるものだもの! そんなコトも分からないの? もしかして狂犬病か何かで頭までヤっちゃったかしらぁ? こわいこわい……っ♡」

 犬犬犬犬と──いちいち煽りがウザい以前に耳障りでしょうがない。挑発にしても安過ぎる。

 けど、コイツには結構ムカついてる。だから──。

「いいぜ。ノってやるよ」

「うんっ?」

「その安い挑発によ。洒落た燃料だ。ロケットをテメェのドタマにぶち込んでやる」

「来て……♡」

「──言ったな?」

 ラウンド再開。

 つま先を蹴り、あすみに向かって一直線に跳躍。このまま刃をぶち込んでやるにも、軌道としては丸見えで受けてもらえる筈もない。だが相手(あすみ)がこのまま突っ込まれると思う筈もない裏を書き、敢えて直線にぶち込む──と言うのも得策じゃない。着弾するその寸前まで出方を見ているどころか、敢えてまともに受けてもらってもあすみにとっては痛くも痒くもない。多分グリーフシードの量は無尽蔵。多少の怪我ぐらい──いや、どこか欠損したとしてもお構いなしに治して戦い続ける。こうして戦いながら策を練る事自体も茶番かもしれない。だが──。

「オラァッ──!」

 あすみの眼前の地面をブチ抜き、瓦礫と共に──水煙が煙幕の如く立ち昇る。

 生憎だが、今日がテメェ作の茶番の千秋楽ってんだよ。

「っく──!?」

 今日が大雨だって事、ラッキーだったのかそうでないのか──それはともかくだ。目眩ましに怯んだあすみの背後に潜り込み、延髄狙って刃を刺突で差し込んで──!

「──はい残念」

 ワンテンポ遅かった。刃が届くよりも先に、あすみが仰向けに倒れた。倒れる勢いを使い、そのまま後転し──。

「──ふッ!」

「がフ──ッ!?」

 マズい。

 腹部に走る鈍痛。手で支えながらの、低空からの後ろ足での両足キック。腹にモロに喰らった。よろめくあたしをよそに即座に体勢を立て直して、後転の勢いをなおも用いて、追い打ちをかけるように──。

「──キャハっ☆」

 上回りでの宙返り蹴り──いわゆるサマーソルトキック。だが普通のサマーソルトキックは、前方に居る敵目掛けてつま先を撃ち込むもの。だがこれは、背後に居る敵──あたしの脳天をめがけて撃ち込まんとされる。

「──チィッ!」

 槍の柄を水平に構えて阻む。咄嗟と言う程でもなく、こう出来るぐらいの隙はそこそこに空いていた。だがこの往生際が悪過ぎるクソガキの事だ。これで済む筈が無く──。

「──!」

 鉄棒で遊ぶが如く、あたしの槍の柄に足の甲を引ッ掛けられる。宛ら蝙蝠。逆しまにあすみの顔があたしの視界を覗く。このままあすみに抱き掴み掛かられれば面倒この上ない。だがよ──。

「──アホが!」

 仕込みの得物はテメェだけの特権かと思ったか?

 残念、あたしも使えるんだなコレが。

「──!」

 柄が鎖に分解される。あたしの槍と言う支えを失ったあすみは刹那、宙に放り出される。多節槍が獲物を締め上げる蛇が如くあすみを締め上げ──。

「死ねェッ──!」

 締まり上がったあすみごとハンマーを振う様に──それこそフレイルを振う様に力一杯ブン回す。垂直方向に弧を描き、細く小さな未発達な体が地面に叩き付けられ、水煙と共に大地が破砕された。

「かは──ッ!」

 内臓を損傷したか、口から咳と共に鮮血の花が咲いた。

「──詰んだな」

「あ──」

 もう一本槍を生成し、切っ先を拘束されたあすみの喉元に突き付ける。腕を胴体ごと縛られてしまえば、浄化も出来ずにお得意のグリーフシードにモノを言わせたキチ〇イ戦法もお蔵入りってワケでチェックメイト、ってヤツだ。今のあすみはもう、生殺与奪をあたしに握られているに過ぎない。あたしはコイツみたく、追い詰められた奴を甚振る趣味も無いし嗜虐目的で拷問する趣味もない。このまま喉元に刃を差し込み、首をカラダとオサラバさせてさっさと殺したいのはヤマヤマだ。だがそれではアイツが助からない。だから──。

「せめてもの慈悲なら掛けてやる。こんなナリでも、元々は教会の娘だからな」

「……」

「ひとつ。ゆまと解呪しろ」

「……ソレ、さっきも言ったけど?」

「状況が分かってないみたいだな。今すぐこの刃をぶち込んでも、四肢捥ぐのもあたしの勝手だよねぇ?」

「……」

「改めて聞いてやってんだ。解呪して五体満足のまま死ぬか。このまま四肢捥がれて拷問された末に解呪だけ絞り尽くされて苦しんで死ぬか、選ばせてやるってんだよ」

「……」

 いくら四肢を捥がれようとも、コイツが素直に応じるとも思えない。堪え忍んでは隙を伺い、あたしのみならずマミやゆまの命も刈り取ろうとするだろう。だから、屈服させるなら肉体のみならず精神までをも跪かせなければイミがない。だからこその『交渉』だ。交渉とは言っても、一方的過ぎて交渉とも言い難いものだが。だが、全てあすみが一方的にゆまを苦しめたからだ。そして次に狙うはあたし。そして最後にはマミだろう。一切譲歩してやる価値もコイツにはない。

 

 ──そう言う考えすら、甘かったのかもしれない。

 

「──クク──」

 そもそもコイツは『状況が分かる』人間でなどなかった。

「──くヒ──ヒハ──ッ」

 そもそもコイツは人の心を持ってなかった。

「──ッヒヒ──ハヒヒィッ──」

 そもそもコイツは常識など捨て去っていた。

「──あはははハハハハハハハハハハハハ──ッ!」

 血を吐き、紅く塗れた歯と舌を剥き出しながら、ケタケタと高らかに嘲笑うノイズ。このノイズを聞くよりも前に、さっさと刃をブチ込んでやれば良かったのかもしれない。

「──サヨナラ勝ちよ」

 銀色(臙脂)の瞳に、意識が吸い込まれる。

 視界が、土砂崩れる。

 あたしの心が、このセカイから零れ落ちる。

 

 あたし──佐倉杏子は──。

 

◆◇◆◇◆

 

 私──巴マミは──。

「っはぁ──はぁ──ッ、ッはぁ──!」

 大雨のなか傘も差さず、濡れる事構わずに走る。水しぶきをあげながら、足元が汚れるのなんて構わず走る。

 キュゥべえから聞いたの。

 どうして佐倉さんと朝が焼ける前に飛び出してったのか。どうして──今まで傷だらけで生きてきたのか。

「っ──あすみちゃん──っ──!」

 あすみちゃん、ウソをつき続けてたの。でも──あすみちゃんの全部がウソだなんて、とても思えなかった。

 私の作ったご飯もケーキも、おいしいって微笑んでくれたあすみちゃん。

 私の淹れた紅茶で安らいでくれたあすみちゃん。

 私の居場所になるって言ってくれたあすみちゃん。

『──あすみが魔女だったとしても、大好きでいてくれる……?』

 そしてあの時に見せた、とても悲しげなあすみちゃん。

 どうして分かってあげられなかったんだろう。

 きっとあの時あすみちゃんは、心の底から助けを求めてたんだと思う。魔法少女を殺し続け、ウソをつき続けて……。その心はきっとボロボロに爛れてしまってたんだと思う。なのに私にだけは向けてくれた。母を求める娘のような、あの笑顔も涙も。

 キュゥべえはこう言っていた。『周りの人間の不幸』を願った魔法少女だった、って。そしてこうも言っていた。お母さんを亡くしたあと、誰からも助けてもらえない中でずっと生きてきた、とも。

 けれど、だからと言ってあすみちゃんのしたことは、もちろん許されるべき事じゃない。でも、だからこそあすみちゃんには助けが必要なんだ。今あの子を助けてあげなきゃ、これからもずっと──ずっとずっと誰かを傷付けながら生きていく。その度に、自らの心もズタズタに引き裂かれてしまう。

 あすみちゃんがウソツキであり続けなきゃいけなかった理由を、あすみちゃん自身の口から聞かなくちゃ。あすみちゃんの心なんて、あすみちゃんにしか分からないんだから。現に私もあすみちゃんを分かってあげられてなかった。一緒に──『家族』みたいに過ごしてたのに分かってあげられなかった。だから今度こそ、あすみちゃん自身の口から聞かなくちゃいけない。あすみちゃんが本当に『魔女』同然となってしまったのか。人としての心を失ってしまったのか。もしそうだったなら、私はあすみちゃんを討たなければいけない。あすみちゃんのウソが忘れられなくて、泣いて、泣いて、泣き腫らしながらその命を穿つしかない。

 でも。もしも──あすみちゃんがあすみちゃんのままで居てくれたのなら。

 もしも──私に向けてくれた表情が、本当のまごころだったとしたら。

「──ッ、お願い──っ! 間に合って──っ!」

 雨の湿気も、濡れた肌も、なかなか辿り着けないじれったさのよう。

 ねぇあすみちゃん。

 一緒に帰ろう?

 こんな大雨の中、きっと凍えちゃうよ……?

 おいしいって言ってくれたケーキも、安らいでくれた紅茶も淹れておくから、今夜は一緒に温まろう?

 佐倉さんも、ゆまちゃんも一緒だよ?

 あすみちゃんの胸に到底癒しきれない傷があると言うのなら、みんなで埋め合わせていけばいい。

 魔法少女としては、もしかしたら私よりも先輩かもしれないけれど……魔法少女である前に、あすみちゃんは温かい家庭の中で過ごすべき、まだ幼い女の子なの。

 そんな女の子がひとりで生きなきゃいけないなんて、そのうえ虐げられながら生きてきたなんて……どれだけ辛かったかなんて、私にも想像できない。

 だから、ひとりぼっちでも良い……なんて絶対言わせない。

「──ッはぁ──っ、──あすみっ、ちゃん──っ──!」

 白い息を切らして、なおも走り続ける。

 ああ──暁美さんにも謝らなくちゃ。

 暁美さん、きっと私達を守ろうとしてくれたのよね?

 だったなら、なんてひどい事を思ってしまってたんだろう。

 ひどすぎる人だなんて思ってごめんなさい。

 虫が良過ぎるかもしれないけれど、あすみちゃんと佐倉さん、ゆまちゃんに暁美さん……と、今度はチームを組んでこの見滝原を守れたなら、とも思うの。そして、別に居たらしい魔法少女狩りにも負けないで、みんなでもっと輝かしい未来を過ごせたら……って、私、そう思うの。その為なら、私は──。

 

 ──正義の味方なんて、もういいかな──。

 

◆◇◆◇◆

 

 帰路につく度、胸が締め付けられる。

 母さん、父さんにつけられた傷が拡がり痛い思いをしていないか。

 モモ、顔を覆いたくなるぐらい怖い思いをしていないか。

 魔女退治に──自殺しそうになってた人を救った帰りに、ここの所毎日浮かぶんだ。

 なに考えてんだ、あたしは。

 全部あたしのせいだろうに。

 父さんは悪くないんだ。

 母さんやモモも、全部あたしのせいで傷ついてる。

 あたしが父さんの気持ちを知ろうともせず、自分勝手に願った結果だろうに。

「……父さん……、母さん……、モモ……」

 ああ、(帰路)が遠い──。

 この距離が、いっそ永遠になってしまえば今よりも心地良かったりするのかな。

 ──それはだめだ。

 であれば、もう二度と父さんにも母さんにも会えなくなる。

 て言っても、今更どの面を下げて会えば良いのかも、もう分からない。一歩一歩と……その重い足を踏みしめて、教会へと近付いた。

 

◆◇◆◇◆

 

 ああ──まただった。ここの所、いつもそうなんだ。

「あなた……。このままじゃ体が……」

 最近、テーブルに散らかる父さんの酒瓶の数がまた増えた。嗜む程の量なんてとうに超えてしまってるぐらいに。案じて寄り添う母さんをよそに、父さんは──。

「私の体だ……。私の好きにさせてくれ……」

 なおも杯にアルコールを注ぐ。回らない呂律を半開きの口から流しながら──。

「……いいえ。あなただけの体じゃないのよ? あなたが潰れてしまえば、私達はどうすれば……?」

「……そんな事、ソコの魔女に言ってやれば良いじゃないか。全部ソイツが悪いんだ」

 父さんが指差す先には──。──いいや、あたしが父さんに指を差された。

「っ……」

「──あなた、まだそんな事を──!」

 声を荒げる母さん。でもあたし、そんな母さんは見たくなくて──。

「母さんっ……。悪いのはあたしで──」

「っ──ごめん、杏子。流石にコレは言わなきゃいけないの」

 何で──!

 父さんの気持ちを知らないで、勝手な事したのはあたしで──!

「何を言おうと言うのだ。お前も魔女に惑わされたのだ。そんな言葉に、何の意味があると言うのだ」

「見てられると思うの……? 我が子を魔女呼ばわりなんてする人、黙って見てましょうって言うの……?」

「ああ──なんという事だ。我が愛する妻も、もはや魔女の毒香に染まり切ったと言うのか──。神よ。この様な所業を見過ごした私に、どうかご慈悲を──」

 両こぶしを抱き合わせ、天へと仰ぐ。そんな父さんに母さんは──。

「──あなたの言う『神』って、何だっていうの」

「──何だと」

 酔い定まらない視線はどうしたのか。 虚無を孕んだ視線を、母さんに突き刺して──。

「そうやって我が子に惨い仕打ちをする事を善しとするのが、あなたの信じる神だと言うの──?」

 ──やめろ──。

「何だ。我が妻とて言ってはならぬ事だってあるだろう。もう一度言ってみろ」

 ──やめてくれ──。

「大体そうやって酒浸りになって、酒代が尽きたらどうすr──」

 その先を、言葉として紡ぐ事など許されなかった。母さんの頬には、父さんの拳がハンマーのように振り下ろされたのだから。

「母さんッ!!」

 張り裂けそうな喉なんてお構いなしに、母さんを庇う様に覆い被さったけれど──。

「退けッ! 魔女ッ! 貴様如きが我が妻に触れて良い筈がないだろう!」

「ぁぐ──っ!」

 瞬く間にして、腹が重くなった。──いや、鈍痛だった。その重みと共に、あたしは蹴飛ばされて──。

「っ──。私を殴るのは良いの……?」

「それも魔女に喋らされているのだろう? この魔女に──! この──人を惑わし数多の命を喰らう、この魔女に──!」

 父さん──やめてくれ──。母さんは悪くない。悪いのはあたしだ。父さんの気持ちを無視して、勝手な事をしたあたしなんだ。だから、殴るならあたしを──。

「──何が魔女よ」

「何だと?」

「杏子、あなたの為を思って願ったのに……!」

 母さんもやめてくれ──。あたしなんかを庇うのは──。じゃないと──。

「人を幻惑する事が私の為だと──!? 世迷言も限度があろう!」

「いいえ世迷言はあなたよ! 元はと言えば教義に無い事を言い出して、あの時から私達家族おかしくなったんじゃないッ!」

 もう、堪えられない。二人とも、このままじゃ──!

「母さんやめてくれッ! 父さんを悪く言うのは──!」

「貴様は出て来るなァッ!」

 叫びが耳を劈くと同時に焼いたのは、鼻の熱さ。それが何を意味したのか理解した(わかった)のは、再び叩き飛ばされ、壁に打ち付けられた時だった。触れてみれば、紅い血があたしの指を染め上げていた。

「杏子ぉっ!」

 喉が張り裂けそうなその呼び声。

 なんだか、あたしにそっくりだな──。

 そんな事をぼんやりと、みるみる内に紅く染まり上がる服を眺めながら放心していて──。

「──もう堪えられない」

「ああ。その苦しみを今すぐ癒せたなら──と私も思うよ。なんと私は無力な事か。魔女の毒に苛まれし我が妻を見ているだけで、何もできないとは──」

「いいえ。堪えられないのは貴方よ──」

 叫びからは一転して、低く、震える声が絞り出される。

 駄目だ母さん。

 何で、あたしだけを悪く言わないの。

 その先を言ってしまえば──母さんは──。

「あなた言ってたわよね。何故今も世の不幸が取り除かれる事なく、世界平和が実現されないのか──と」

「その通りだ。私は常日頃から世界の平和を願い──」

「だったら、不幸はあなた自身よ──! あなたの幸せを思って願った杏子の幸せには目もくれないくせに、世界平和は願うと言うの!? あなたの娘を犠牲にして、何が世界平和だと言u──」

 また、二の句紡ぐ事が許されなかった。いいや、もう二度と許されなかったのかもしれない。だって母さんは、父さんに馬乗りにされ──。

「ああ──神よ──。お許しを──。我が妻までをも悪魔に売り渡してしまった事を、どうかお許しを──」

 肌は痣に黎く染まり、瘤に顔は歪み──。

「母さんッ──!!」

 その呼吸の音も止み、手は力なく垂れさがった。

 父さんは今、母さんの命を──。

「──我が妻に触れるなァッ!」

 そう言って父さんは、あたしの着るパーカーのフードを掴み、全力でその拳を振り壁へと投げ叩きつけた。

「ッぃぎ──っ!?」

 一瞬息が出来なかった。息が止まった。肺が叩き潰されたかと紛う程に。

「っ──父さ──なん──で──」

「お前に穢されきったとあらば、せめてもの慈悲を与えるしかあるまい。解放してやる他あるまい」

「母さんは穢れてなんかっ……!」

「魔女が人語を喋るな──! 貴様は良心が痛まないのか──!? 毒に穢されきり、苦悶にのた打ち回る我が妻の姿に──! どうなんだ!? 言ってみなさい──!」

「っ……」

 あたしが願わなかったら、こうはならなかったのかな──。母さんもモモも、父さんに痛めつけられる事なんて無くて──。でも、それじゃあ父さんの話を聞いてくれる人なんて──。

「──おねえちゃんをイジメないでっ!」

 そこへ割って入ったのは、あたしよりも一回り年下の女の子──あたしの妹・モモで──。

「──モモ!? ダメだ! 離れ──」

 その手が、モモに触れるなんて事かなわずに──。足蹴にされて──。

「っぐ──っ、パパ──くる──し──」

 父さんの大きな手が、モモの首に掛かっていたんだ。

「ああ──可哀相に──」

「ぁ──ぐ──ゃめ──っ」

 大粒の雫を瞼から溢しながら、掌を強張らせる。ミシ──ミシ──と軋む微かな筈の音が、あたしにはとても大きく、劈く、耳障りな音に聞こえたんだ。

「モモ、お前もこの魔女に魅入られてしまったんだな……? そうなんだな……?」

「──ぁ──が──」

「──今、楽にしてあげよう──。愛しき娘よ──」

 強張った拳が関節を骨張らせ、最後にひとつだけ力を籠められる。ポキリ──と小気味よい音と共に、糸を切られた人形のようにモモのカラダが崩れ落ちる。

「──ッッ!」

 今にも『モモ──ッ!』と叫びそうになり、またモモの下へと駆け寄ってやりたかった。モモを守ってやりたかった。だけど──。

「──離れろ、と言おうとしたんだな? そうなんだな?」

「ひっ──」

「それでは、まるで私が殺人鬼の如く言いたい口振りではないか。私はモモを、妻を……! 己が手を血に染めてまで苦しみから解放したと言うのに──!」

 母さんの時みたいに、愛しき娘の体に触れるなど許さない──とばかりに、父さんはあたしを睨み付け、そしてあたしを罵倒する。

「我が妻のみならず、愛しき娘をも穢し、そして杏子を魔女に仕立て上げた! 魔女め! 貴様はどれだけ、私から家族を奪おうと言うのだッ──!?」

「っ……ちが……っ……」

 願わなければ、どうなってたのかな。

 願ってしまったから、父さんはここまで狂ってしまったのかな。

 願いさえしなければ、日々はもっと苦しかったろうけれど……せめて最期の時までは、心だけは穏やかに──。

「──憐憫の目か。魔女ごときに同情されるとは、屈辱この上ない。だが──」

 言って父さんは手にした酒瓶を掲げ、中身全てを自分の体へと浴びせ──。

「──私もきっと、裁かれなければならないのだろう」

 その瞬間、父さんの体は業火に包まれた。

「──父さんッ!」

 ──いやだ。父さんまでもが。二人と同じ様に──。

 父さんが何をした?

 父さんは裁かれるべきなの?

 父さんは──。

「っ──!」

 死の炎を掻き消すべく、駆け寄ろうと──。

「魔女如きが近寄るなァッ──!」

 総毛立たせるその怒号は、あたしの足を踏みとどまらせるには充分だった。

 あたしが『魔女』かどうかなんて、今はどうでも良い──!

 はやくしないと父さんまでもが──!

「──まだ分からないのか?」

 父さんの蔑む視線が、なおもあたしを射抜く。

「この炎は、お前の罪が齎したものに他ならない。だから、お前が消せるモノではない」

 あたしが点けた──?

 ウソだ。あたしは父さんの死なんて望んじゃ──!

「ああ──神よ。どうか私共を許して欲しい。愛しき娘を悪魔に売り、剰え妻とモモを共々その毒香に惑わせた事を──。そして私自らの手で、苦悶から解放するとは言えど殺めてしまった事を──」

 両こぶしを抱き合わせ、天へと祈り懺悔する父さん。

 ──煉獄の炎だって言うのか──。

 父さんが点けたのに……? 

 父さんが、母さんとモモを殺したのに……?

「黙れ──! 焼いたのは貴様自身の手でだ! 魔女!」

 それは、あたしのココロを見透かすかのように──。

「それに私達は大罪を犯したのだ。杏子が悪魔に売られるのを見過ごし、私の話が受け入れられた──と、のうのうと見て見ぬ振りをした大罪を──」

「で、でもあたしは──っ! 今日だって、死んじゃいそうになってた人たちを救ってっ──!」

「口答えをするなァッ!」

 空気が、怒号で震わされる。

「そうして『幻惑』するつもりか──!? 私の話を聞いてくださった者達は全て貴様の力に惹き付けられただけの事──! そうして惑わした人々を、お前は手に掛けたのだ!」

 手に掛けた──?

「っ──ちが──あたし、そんな事してな──!」

 

『弱い人間を魔女が食う。その魔女をあたしたちが食う』

 

「ッ──!?」

 脳を直接刃物で刺されるかのような痛みと共に、差し込まれる『誰か』の声。

 なんだ、これ──。

 あたし、こんなの思ったことなんて──。

「──ちが──あ、たし──あたしは──」

「どこが違うと言うのだ。貴様は世界の不幸を見て見ぬ振りをするばかりか、積極的に亡骸の山を積み上げている。それが命を奪う魔女と、魔法少女とやらの何が違うと言うのだ?」

 

『四・五人ばかり食って魔女になるまで待てっての。そうすりゃちゃんとグリーフシードも孕むんだからさ』

 

 違う──!

 違う違う違う違う違う──!

「私の話など聞く耳も持たれずして当然。そんな世迷言だと断じ、無能の父と罵倒し、信仰を蹂躙し惑わすばかりか、嬉々として無辜の人々を食い物とする。そのような姿を『魔女』と言わずして何と言うか──!」

 あたしが関われば、みんなが不幸になるんだ!

 だからあたしは、マミから離れたんだ!

 あたしだけが悪者でよかったんだ!

 父さんに刃を向ける為なんかじゃない!

 あたしだけが悪者で居れば、誰も、誰も傷つく事なんか──!

「そうして傍若無人に振る舞った結果、果たして誰を救えた?」

 誰──を──。

「──狩られんとする翡翠の少女」

 ──ゆま──。

「今もかの娘は、己が魂に悪夢を刻まれ、責め苦を受け続けている。それも、何ら罪は無いにも拘わらず──! 娘の恐声も、全てお前の所為ではないのか──!」

 あたしが──ゆまと関わってしまったから──。

「お前は生きているだけで害悪となる! 罪なき子供までをも責め苦に晒し、その嘆きこそを貴様の糧とする──!」

 あたしは──ただ──。──あいつを──大好きだった妹のように──。

「家族同然。物も言い様だ。そして詭弁にして魔なる呪詛──!」

 父さん──。『家族』を大切にするって、そんなに悪い事なのかな──。

 

「──誰でも良かったのだろう?」

 

 誰でも──良い──?

 あたしの頭じゃ、それがどう言う意味かなんて聞いて直ぐには理解できなかった。

 ゆまじゃなくて良いなんて、思った事なんてない。もちろんマミもだ。マミに至っては、新しく家族が増えた──姉のようだと思った事さえ──。

 でも、これもきっと悪い事だったんだ。

 だって、それは──。

「──お前はこの後も『家族』を求めるだろう。千歳ゆまが業苦の末に死に絶えたとしても、モモの代わりを求めるだろう──! 『家族』なんて誰でも良い──!」

 言の刃が、胸に突き刺さる。

「代わりさえ居れば良いのだ! 所詮は消費し尽くす為にな──! いずれは私──父親の代わり、そして我が妻──母親の代わり──!」

 刃が、あたしの胸を抉り出す。

「そして死に絶えればまた代わりを──亡骸を積み上げては家族と称する──! まさしく死の家族──! 嗚呼──! まさにまさにまさに──命を貪りし魔女の所業と言え様──!」

 今でも夢に見ていたんだ。夢でなら、せめて幸せでありたい。『アタリマエ』が温かな、人並みの夢を見たかった。あたしだけが悪者であれば良い──そう言いながら、心の奥底ではいつだって求めていた。

「──」

「──佐倉杏子。我が娘の体を借りた正真正銘の魔女。お前の罪を並べよう」

 あたしに似た奴が居たとして、そのときはきっと──ソイツの事も使って(消費して)しまうのかな──。そんなことを朧となりつつある意識の中で思いつつ、父さんの最期の説教に耳を傾けた。

「──傲慢」

 ああ──魔法少女として、ベテランぶったりもしたかな──。

「──強欲」

 グリーフシードを欲し、他人を押し退けてまで這いずり回る、ゴキブリの様にいい加減な生活だった──。

「──暴食」

 食い物を粗末にしちゃいけない。けれど何かを食ってる間だけは、どこか心地が良かったんだ。──その場凌ぎの憂さ晴らしにすらなりゃしないだろうに──。

「──怠惰」

 ゆまマミとで共に暮らすのも、悪くないかもしれない──。それは、あたしの『泥』から目を背け、向き合う事すらしない怠惰。

「──憤怒」

 ゆまを今も悪夢に見せた銀の悪魔。そして今にもマミをも喰らわんとしている。多くの人々や魔法少女の命を食い物にして──だ。けれどそんなモノ──思い返せばあたしも同じだった。棚に上げて、銀の悪魔と言う都合の良い大敵への怒りに身を任せていた。

「──嫉妬」

 マミが弟子を作るべく、カタギを連れ回していた。それを聞いて、得も言えぬ嫌な感じがした。きっと、それはそうなのだろう──。

「──そして、いずれは父親の代わりなるものを作り色欲に溺れる。貴様の罪は、ほどなくして完成されるだろう」

 ああ──。クソッタレみたいに罪だらけ。本当に、神父の娘である事が疑わしい程にまで──。いいや、言うなれば──どちらかと言えば──そうだ。

 

「お前は魔女だ。人の心を惑わす魔女だ」

 

 煤に塗れる音がする。煉獄の炎に焼かれ、『あたし』が黎く染まり逝く。

「──お前は未来永劫、霧の中を虚ろな足どりで彷徨う事となるだろう。傍に居た者が何であるかを忘れ、己が罪さえを忘れるのだ」

 これが『絶望』と言うのかな。

 何もかもを忘れ、霧に紛れてしまった方が、きっと心地が良い。

「──さぁ、魔女」

 きっとあたしはもう、魂はもう──終焉へと迎えられつつある。

 あたし自身の罪さえ忘れ、自棄にその身を沈め逝く。

 ──けど。

 

『──あなただけでも、生きていてよかった……!』

『──キョーコはゆまのヒーローだもん──!』

 

 ──あいつらを投げてしまう事は、『罪』じゃないと言うのか──。

 ──あいつらを亡き者にする事が、『罪』じゃないと言うのか──。

 ──あいつらの幸せを願う事さえ、『罪』だと言うのか──。

 

「なぁ、父さん」

「何だ。この期に及んでまだ命乞──」

「──あたしが死ねば、父さんは帰ってきてくれる?」

 そうして父さんも母さんも、そしてモモも帰ってきてくれるのなら、あたしが死ぬ事ひとつで罪が帳消しにされると言うのなら──。

 蔑み、廃棄物を見るかのような目をして見下す父さんの目が、ここで初めて見開かれた。

「何を言うか──! 貴様は死に絶えるべきだ! どれだけの罪を犯したと思っている!? お前如きが私達や妻、そしてモモと一緒に彼方の世で再び相見えるなと奢るなど──!」

「違うッ──! 死ぬのはあたしだけで良い。父さんも母さんもモモも帰ってきてくれるのなら、あたしはそうするよ。死ぬ事で償えると言うのなら、あたしは真先にそうするよ」

「──お、オマエ──何を言って──」

 バカなあたしが、家族みんなを滅茶苦茶にしたあたしが、本当に大事だったモノ何一つ守れない力を手にしたあたし一人の命で、みんなを還せると言うのなら、迷わず死を選んでいた。けれど──死んで帳消しにされないと言うのなら。死んでも父さん達は帰って来てくれないと言うのなら。死んでも何の役にも立ちやしないと言うのなら──。

 

「──あたしは背負う方を選ぶよ」

 

 今死んでしまえば、再び罪を重ねる事となる。妹みたいだって思ったあいつも水銀の悪魔の餌食となる。自分すら満足に守れやしなくなったあたしを、凍て付く雪の寒空の下で抱きしめてくれたあいつも、今こうして『罪』だのと御大層にくッちゃべってる悪魔によって、執行とは名ばかりの嗜好と言う名において消費される。ソレを罪でないと言うのなら、あたしは絶対に許さない。全てを喰らう魔なる者も、そしてあたし自身も──。

 

◆◇◆◇◆

 

 喀血した。

「────が──────はッ──」

 ──あすみが、だ。

 その小さな口から、泡沫混じりの鮮紅色な粘液が溢れ出る。その腹部は──。

「ッはァ──! はぁ──ッ! ッ──はァ──!」

 真紅の槍に、貫通されていた。ギチギチ──と金属が震え擦られる音と共に、握る拳が震える音と共に、触れただけで折れそうな程にまで細い胴体を穿っていた。

「──クソっ──!」

 刃の根本を掴み取り、その白魚のような指を骨ばらせ──。

「──グ──ァァァァァアアアアアアアアアッッ──!?」

 強引に、その腹から槍を引き抜いた。傷と呼ぶには拡がり過ぎる腹の孔からは、蛇口を捻った水道みたく鮮血が溢れ出る。同時に、服の下に大量に隠し持っていたグリーフシードが零れ落ちる。

「ッ──! なんで──! なんでソレで死なないの──!? わたしがお前の為に造った悪夢世界、完璧だったのに──!」

「ああ──。三流作家にしちゃ上出来だったよ」

 さっきまでの、余裕に浸り妖艶に笑む悪魔の声色はどこへやら。煽りにも満たないその軽口に、額に筋を作り眼球を引き剥きながら見開くあすみ。

「──全部図星だよ。テメェの作った悪夢の言う通りさ」

「だったらさっさと死んでよ……! わたしの為に死んでよ! お前が罪を認めるなら、あとは死刑しかないでしょォッ! それにわたし、悪夢の中にマミお姉ちゃんもクソ猫も紛れさせてない! なのに何で──! ねぇッ!」

 唾液の飛沫を散らしながら、喉を裂く金切り声で。確かにあたしは最後の瞬間、マミやゆまを幻視した。幻視しなければ、きっとあたしは危なかった事だろう。

 皮肉──とは、この時の為にある様なモノだろうな。

「──まさか」

 点となる瞳を浮かべ、震える唇で呟くあすみ。

 ああ。そうだ。

 あたしは()視した。

 あたしの、心からの願いが──。

「──真紅の亡霊(ロッソ・ファンタズマ)。テメェが開けちまったんだよ。鍵を、よ」

「嘘だッ──! お前は家族を皆殺しにした! お前は願いを否定した! お前は願いを捨て去った! そんなモノ、今更使える訳がッ──!」

「オオウソツキのテメェが、ウソみてえなマジを拒絶するってのも皮肉な話だよな」

「ッ──!」

 あたしは、ゆまを利用しているのかもしれない。あたしは、マミを利用しているのかもしれない。けれど、あいつらの命をみすみす消させる罪など重ねたくはない。今はあたしが目の前の水銀の悪魔──神名あすみの魔の手からあいつらを守る。あすみを我が子の様に愛でるマミは、きっとあたしに憎悪を向ける事だろう。『家族』を奪われた悲しみは、当然計り知れるものじゃないからだ。だが、あたしはそれでも良い。マミに恨まれたって構わない。例え離れていたとしても、想えるからこそ『家族』ってモノだ。だから──。

「なぁ、あすみ」

「──ッるさい──!」

「『家族』ってのは、嫌われてでも守るモンだと思わないか──」

「ッ黙れァッ──! ──何が分かる──! オマエに何が分かるって言うのッ──!」

 裏に返る叫びと共に、その得物──モーニングスターで一突きを撃ち込む。が──。

「ッ──!?」

 (くう)を穿つのみで、そこに花咲く鮮血などない。あるのは──。

「──遅ェよボケ」

 いつの間にやら、背後に立つあたし。あすみにはそう見えてる事だろう。そして抜かりもなく、あすみの落としたグリーフシードは全て回収した。奴の額に汗の雫が伝わり、見開かれた目は徐々に紅へと血走りゆく。

 ──全てを賭してあいつらを守る。そう決意した瞬間から、またこの魔法を使えるようになった。だがコイツを葬ったら最後、再びこの力は使えなくなるだろう。

 それにあたしの『罪』──さっきも言ったが、全て図星だ。言い訳も反論の余地もない。そして死ねば全てが赦される──もしそうだったのなら、迷いなくそうしていた。けれど、現実はそうじゃない。あたしが死んだとしても、あたしが殺してしまった家族は二度と還ってこない。だったなら、死とは逃げだ。そしてあたしはどこまでも苦しまなきゃいけない。生きて生きて、生き苦しんで、終わりなき生き地獄の中を生きなきゃいけない。この罪を絶対に忘れないために。だから、こんな物知り顔のお子様の自慰行為の為だけに、『はいそうですか』と死んでやる訳には決していかない──! この罪を一生抱え背負って生き抜く──! 例えそれが醜く虫螻の様だったとしても──!

 それがあたしの、最期に残された『ケジメ』──!

「──教えてやるよクソガキ。これが本当(マジ)のサヨナラ勝ちだ」

 ニッ──と、歯茎を見せた笑みと共にコールドゲーム野郎に向ける嫌味ったらしい煽り。あすみの歯はギリギリと軋り、瞳孔は開き、白目はクモの巣の如く充血する。

「──調子ツいてんじゃないわよ、狂犬ッ──!」

 不幸の使者としての仮面はもう割れ去り、見る影もない。もはや精神攻撃の効かないあたしの前では、ただただ駄々を捏ねるガキでしかない。耳を劈くガキの叫びを合図に、ファイナルラウンドのゴングが鳴った。

 あすみが後方へと跳躍しそしてその背後へ、魔女結界で度々目にする風の文字が刻まれし、臙脂に光る幾多もの魔法陣を展開する。その一つ一つずつ、中央からは鉄球の先端を覗かせ、宛ら戦渦に設置された砲台。

「良いぜ。かかって来いよ」

 恐らくこの後すぐに襲い掛かるは、多量の得物を用いた物量と質量両方を兼ね備えたデタラメ過ぎる弾幕。恐らく普段のあたしでは避け切れる余地なんて無かった事だろう。一人に対して範囲一掃魔法なんてあまりにも分が悪すぎる。でも──。

「──当てれるモンならなァッ──!」

 幾多ものあたし。幻であろうとも、確かにあたしはそこに居る。──幻影を用いた多重分身。今のあたしには、コレがある。

 本物(マジ)のあたしに狙い良く当てる事なんざ億年早ェんだよ──!

「──消えろァッ──!」

 予想してた通り、一斉にモーニングスターが射出される。宛ら鉄球の雨が如し。対してあたしは──。

「テメェがだッ──!」

 自らも跳躍しつつ、多節に分解した槍を鞭のように撓らせ、迫る鉄球を弾き飛ばす。それも、何人ものあたしがだ。歯を軋り表情を歪ませたあすみは、第二、第三波……と続けて射出。だが無意味だ。馬鹿の一つ覚えだ。少し前までのあたしからすれば、言うなれば幾重もの死の絨毯だっただろう。下敷きになれば一発で圧殺。だがもはやそれも意味を成さない。あたしの槍が、敷かれる絨毯を刻み破り続ける。幻影魔法と多節槍の併用は魔力消費量が馬鹿にならないが、こちらにはあすみから奪ったグリーフシードがある。

 対あすみ専用の火事場のクソ力ってワケだ──!

 それにこの分身戦法があすみに極めて有効なワケは、あすみは目と目を合わせて精神魔法を使う。だがあたしが多数居る様では、どれがホンモノかなんて分かるワケが無い。イチイチ一体一体毎にご丁寧に視線を合わせるしか攻略法が無い──!

「マジックはココまでかよ、クソ雑魚ッ──!」

 もはやあすみは眼前。ジャブとして刃を一発ブチ込んでやろうとするが──。

「ッ──!」

 武器をフレイル形態へと変え、鉄球を天井へと射出する。あすみはその柄を握ったまま鎖を用い宙を舞う。蜘蛛が糸を用い宙を舞うように、立体に機動する。

「生憎コッチもソレっぽい手は学んでんだよなァッ──!」

 負けじと天井に刃を錨の様に突き立て、さながら空を躍るワイヤーアクション。

「天と地って言うよなァッ──!?」

「──!?」

「テメェが堕ちるは『地』だよクソボケッ──!」

 鎖を縄に見立て、あすみの胴体目掛けて巻き付けてやらんとするが──。

「くッ──!」

 得物ごと捨て去り──もとい鎖から手を放し落下する事であたしの捕縛から逃れるあすみ。そう簡単に捕らえられてはくれねえか、と舌を打──つと思うか? あたしは一体だけではない。

「ぁぐッ──!?」

 もう一体のあたしの多節槍があすみに巻き付く。だがあたしはもう一体だけじゃない。二体目がまた巻き付け、三体、四体目がまたあすみを捕縛する。幾重もの緊縛。コレから逃れる術なんて、それこそ胴体ごと切り離すぐらいしか他には無い。が、そうなれば次は上半身を潰してやれば良いだけの事──!

『ブチギメ』となれば必然的に、そのあたしが本体と言う事にはなるが──。

「っ──!」

 ソコにも抜かりはない。あすみの顔面にも目隠しに鎖を巻き付けてある。コレで視線を合わせる手も潰されたな。

 そしてそろそろキメに入る。巨大化させた槍を足場に、切っ先をあすみに対し構えに入る。宛ら蠍が如し。放出させたありったけの魔力が、紅の炎として槍もあたしも包み込む。その蠍は刃を二又に分け、針を突き立てん──と鎖を撓らせあすみに迫る。炎を纏い、杭を打たん──と手にした槍と共にあすみ目掛けて急降下する。

「目ェ掻ッ穿ッてよく見とけッ──! コレが走馬灯のラストカットだよッ──!」

 テメェが何を悲しんだのかは知らない。

 テメェを何が狂わせたのかは知らない。

 テメェが何を信じてたのかは知らない。

 誰かの幸せを祈った分、他の誰かを呪うならまだしも、他人(ひと)を呪った分だけ、自分だけが幸せになれるなんて道理──ある筈ないよな、あすみッ──!

「──盟神抉槍(くがたち)ッ!」

 耳も風をも裂く音、魔を穿つ我が緋に染められし槍。断末魔など聴こえるものか。いや、聴きたくもない。着弾し解き放たれた魔力が、腹の底から響く重低音と共に炸裂する。圧が濃縮された爆風が、ステンドグラスを粉々に吹き飛ばし、ダイヤモンドダストの嵐を産む。

 

 ──魔法少女としての神名あすみは、きっとこの時初めて敗北を知ったのだろう。

 

◆◇◆◇◆

 

 パチパチと、塵混じりの砂埃が炎の燃え滓と共に晴れる頃。

「──雑魚過ぎたな。奇術師(マジシャン)さんよ」

 奪ったグリーフシードで浄化しながら見下ろすあたしの傍には、全身から鮮血を流す満身創痍のあすみが横たわっていた。

「────っカハッ──」

 泡立つ音と共に、血を吐きながら咳をするあすみ。その腹には貫通した槍が突き立てられ、地へと磔にされている。

「もう、悪足掻きする気はないよな」

「────」

「テメェはもう終わったんだよ。手品のタネも、魔法少女としてもな」

「────」

 心ここにあらず。放心しているのか、その血にまみれた唇を開こうとはしない。もう一回ガチであたしとやり合っても、またあすみは負け続けるだろう。もう我を押し通す力も余地も、あすみには残されていない。

「──ゆまを治せ」

「────」

「テメェあたしに償えと詰ったよな。だったらソレはテメェもだ。ゆまを治して懺悔しろ」

「────」

 けれど、それでもあすみは口を開こうとしない。表情も無くただ呆然と、視線が宙に浮かぶだけでしかない。

「……なぁ、頼むよ。もうマジで勝負ついたろ。ゆまを……元に戻してやってくれよ……」

「──ぃ──」

 僅かに、あすみの唇が震えた気がした。声は声にならず、肺から空気が漏れる音に聞こえなくもない。だが、その口の形は確かにこう言っていた。

「──────ィ──ゃ──」

 けれど、その時──。

「──!?」

 木材が破裂する音と共に、扉が勢いよく開かれ──。

「佐倉さん! あすみちゃんっ!」

 息を切らしながら、あたし達を呼び叫ぶマミの姿があった。そして──。

「──っ! おいあすみ──ッ!?」

 ズビュルッ──と肉を裂き、内臓混じりに粘り気のある血が噴き出る音と共に──。

「──っがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ────!!」

 劈くあすみの悲鳴。貫通された槍を、自ら腹から抜いてみせたのだ。肉体の損傷も顧みず。あすみのグリーフシードも、今や底を尽きている筈なのに。

「─────フゥ─────フゥ─────ッ!」

 ガチガチと音を立て歯を喰い縛ったまま荒く息をつき、ギロリと引き剥いた目で、鬼の形相でマミとあたしを睨み付ける。

「ひっ……!」

 こんなあすみの表情、向けられた事は無かったよな。小さく悲鳴をあげ、たじろぐマミ。そして──。

「あっ、おい待てっ!」

「あすみちゃんっ!」

 満身創痍にも拘わらず、飛び立つように逃走するあすみ。あの負傷具合では、逃げたとしても長くはもたないだろう。直ぐ近場で捕まえられる筈だ。だが──。

「──あ」

 チューニングの合わないラジオみたく、耳鳴りがあたしの頭の中を占める。視界が暗み、横へ下へと歪みゆく。

 あ、ダメだこれ。

 脚も最早支えである役割を放棄し、膝から崩れ落ちる。グリーフシードはまだあるとしても、少々無茶をし過ぎたらしい。

「佐倉さんっ……!? 佐倉さんっ!」

 悲鳴混じりに呼びかけるマミの声。

「……うるせえな。少し寝かせろ」

「っ……! 喋らないでっ! 今治すからっ……!」

「あー……そんなんじゃねえよ。ちょっと疲れただけだ」

「でも……っ」

 そして、どこか眠くもある。そうとなれば、マミの呼びかけも少し煩わしくも感じた。

 ったく……いつ何時(なんどき)だって、お節介さは変わらねえんだからコイツは。

「……なぁ、マミ」

「何……っ」

「そのツラ、もうあすみの事知ってんのな」

「……っ」

 涙混じりに、こくんと頷くマミ。あすみを傷付けた愚か者としてあたしが追い出される事も、もはやないだろう。だからこそ──。

「……アイツ、どうするんだ」

「決まってるでしょ……?」

「何だ。ぶっ殺すのか」

「ううん」

 首を横に振るマミ。

「あの子のお話、聞かなくちゃ」

「……お前を喰らおうとした奴だぞ。正気かよ」

「……掴んだ手、二度と放したくないから……」

 嗚呼──。コイツ、まだあの時の事……忘れられてなかったんだな。かつて放してしまった手──あたしの手。『アンタと敵対するよりはマシだよ』。そう言って振り払われた手。全くコイツは──。

「──っははっ」

「……私、なにかおかしい事言った……?」

「あぁ……傑作だよ。アンタ馬鹿だよ」

 それも最大級の大馬鹿だ。思わず笑いが零れる他無かった。例え敵意を向けられようとも、コイツはコイツなりに……『敵対するよりはマシだよ』を取ろうとしている。かつてあたしに手を差し伸べた時の様に──。

「──もう、馬鹿にはなりたくなかったから……」

「……そうかい」

「うん……」

 目の前で傷付いた奴を手放す馬鹿にはなりたくない。魔法少女なんて、まぁまぁどいつもこいつも腐りきった連中ばかりだ。あたしも含めて。けれどマミは、そんな中でも一際輝かしかった。例え廃墟であろうとも、賢明に咲こうとする一輪の花の様に。思えば、そんなマミにあたしは……。

「悪ぃ。そろそろ寝かせてくれ。マジ限界だ」

「絶対起きてよ……?」

「あぁ。起き抜けに美味い紅茶頼むよ」

「……えぇ!」

 暗がりの視界の中、微笑みを向けてくれるマミ。

 ──ごめん。あたし、ウソをついた。

 あたしはもう、マミを守り切った。あとはゆまを解呪するだけだ。

 けれど、あたしはマミと共に居るつもりはない。

『家族』を思う気持ち自体は、きっと間違いじゃなかった。

 それでもあたしは、いつの日かまたマミを殺すのが恐ろしい。

 独り善がりの『マミを思って』が、いつマミを傷付けるかは分からない。

 ゆまだってそうだ。ゆまと関わってしまったからこそ、こちらの世界へと踏み込ませる事となった。

 だったなら、やっぱりあたしは居ない方が良い。

 目が覚めたらマミが寝てる内にでも、ゆまと共に出ていこうと思う。

 だがマミ。また離れる事にはなっちまうけれど、今度は決別なんかじゃない。

 それに『家族』ってのは、離れていても想い合えるモノだろ。

 もう喋る余力も無いし、心の中だけでアンタに言っとくよ。

 

 ──じゃあな。マミ。元気でな。

 あたしが居なくても、きっとアンタは生きてける。それにアンタが覚えてくれてたように、これからもあたしはアンタの事を忘れないから──。

 

◆◇◆◇◆

 

 息が荒い。

 息が熱い。

 息が無理。

 胸が熱い。

 痛み()が息を通さない。

「ッハァ……! ハァ……! ……ハァッ……!」

 視界が紅い──!

 ──あの時と同じだ。

 目の前全てが染まる──!

 憤怒、憎しみ、怨讐──!

 それら総てに駆られたあの時と──!

「……ッこんなッ、馬鹿なァ……ッ!」

 こんな馬鹿な事があるか。

 わたし──神名あすみが負けるなどと──。

「有り得ない──! 有り得ない有り得ない有り得ないッ! ほんッとォにありえなイッ!」

 わたしは魔法少女には無敵──!

 最強にして最凶の魔法少女──! 

 嘆きを糧とする最凶の魔法少女!

 人の心ある限り神名あすみ在り!

 人の不幸ある限り神名あすみ在り!

 人の凄惨な死ある限り神名あすみ在り!

 相手に想うココロがあれば、いつだってわたしが負ける事なんて無い!

 なのに、そんなわたしが──負けた──!?

 

 ──ふざけるな。

 

 ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな──!

 ふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるなふざけるな──!

 ふざけるなァッ────!

「──ッァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア────ッ!!」

 空気を裂かんばかりのわたしの咆哮。

 冷えた雨粒を震わし弾け飛ばさんばかりのわたしの咆哮。

 裂ける喉など、もうどうだっていい。

 わたしは、今すぐわたしのこの憤怒を奴らへと貫きたい。

 わたしの邪魔をする者共を。

 わたしを嘲嗤う者共を。

 わたしを不幸にする者共を──!

 

「──愛は無限に有限(・・・・・・・)

 

 其は地獄からの呼び声。

「──ッ!?」

 地を──わたしごと震わすその低い声に振り向く。

「──だからこそ、私は彼女へと無限に尽くす」

 口の中が乾く。

「──ぁ、ぁあ──っ!?」

 口から声が漏れる。

 その赤黒い爪は、宛ら血に滴る骸骨顔をした死神の鎌のよう。

 その黒い襟は、骸骨顔をした死神が被る布のよう。

「──だから、キミを故人にすると言う事は、無限の中の有限に過ぎない」

 片方に眼帯をした、切れ長の目から金の瞳を覗かせるこの女。

「有限なりし命の中、無間地獄にてこの名を胸に抱くと良い──」

 爪を備えた魔法少女。

 そうだ──こいつ──。

 こいつこそが──。

 

「──私の名は、呉キリカ」

 

「──ぁ──ぁぁああ──っ──!」

 何を狼狽えている。わたし──!

 早く精神を操作しろ──!

 口角をニィッ……と歪ませ笑む魔法少女狩りの頭の中を、今すぐに弄り回せッ──!

「っハハ──っ!」

 後ろを振り向かれる。その回転の勢いをそのままに──。

「──ッハァ!」

「ぁぐ──ッ!」

 紅き薔薇が咲く。──わたしの血液だ。そしてなおも──。

「っふッ──!」

「ッぁあッ──!」

 二輪めの薔薇。鋭く焼ける痛み。わたしが──このわたしが二連も斬られたッ──!

「アハハハハハハハハッ! マインドリーダーさんは慎み深いのかなッ!? 私の攻撃を次々と受けてくれるッ! とんだドMだねッ! 正真正銘のマゾヒスト君だねッ!」

 瞬く間に全身に走る熱にも似た痛み。

「次もあるよ! 次ッ! 次々次次次ィッ!」

「ッぁぁああああ──ッ!?」

 切り刻み間際にいちいち回転を付けられて、魔法少女狩りと視線を合わせる事が出来ない。相手の目を見れない──!

 これじゃあ、わたしの魔法の発動が──!

「──やはり織莉子の言う通りだ」

 不意に、魔法少女狩りの動きが止まった。

 よし──! 今の内にコイツの目を見て──ッ!

「フフ──っ」

 ──クソっ!

 意図的に片目のみ視線を逸らされ、かと言ってもう一方は眼帯で塞がれていて見させてはくれない──!

「ぁぐ──っ!」

 また一筋、切傷を負わされた。目を見る事を許されないまま。

「キミの瞳を視なければどうと言う事は無い」

 そしてまた一筋。

「──君の能力は読心。および催眠、改竄、ブラックアウト。ひっくるめてソレを精神攻撃と呼ぶとする。そのチカラを得て、自らが最強の魔法少女だと豪語する──」

 更に痛みに焼かれると共に──。

「──笑わせてくれるネェ!」

「っぃ──いああっ──!」

 ──蛇口を捻るが如く鮮血が溢れる。

「──だが、彼女は違う。彼女──織莉子はキミの先を往く。心を読むその先の、未来を掴む。それが予知能力者、織莉子だ」

 その台詞っぽい語り口で高説した事を、改めて自らの脳内で反芻しているかの様に陶酔しながら語り掛ける呉キリカ。奴の瞳を見ようとすれば避けられるか、また回転を加えられてしまう。そして速過ぎて見ようにも見れない。

 キュゥべえから聞いていた通り、コイツの固有魔法は速度低下──実質的に時間操作魔術による加速に等しい。

 治癒が固有魔法である美樹さやかが経験値を積めば、身体機能のリミットを解除して己に治癒を用いながら多少無理を掛ければ、コイツに追いつける程には加速するなどと言う芸当はこなせるに違いない。

 さしずめ『アレグロ』と言った所だろうか。

 固有魔法でもなんでもなく、治癒は汎用魔法としてでしか使えないわたしであっても多少無理を掛ければ出来ない事はない筈。

 その代わり全身から出血させながら戦う事にはなるだろうけれど。

 でも駄目だ。

 ──このままじゃ勝てない。

 今コイツ相手には、絶対に勝てない──!

 そうやっていつものグリーフシードにモノを言わせた物量戦法を取ろうにも佐倉杏子に全部奪われた──!

 グリーフシードを保管してある隠れ家に辿り着けるまでは戦えない──!

 コイツを相手に出来るだけの余力が、今のわたしには全くない──!

 ──どうしよう──。

 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう!

 どうしようどうしようどうしようどうしようドウシヨウドウシヨウドウシヨウ!

 どうしようどうしようどうしようドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウ!

 どうしようどうしようドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウ!

 どうしようドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウ!

 ドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウドウシヨウ──!?

 

 アレもダメ。コレもダメ。頭の中を堂々巡る。浮かんでは消え、同じ迷路を何回もループする。けれど──。

 

 ──そうよ! コレなら──コレなら──!

 

 一筋の光が如く差し込まれる突破口。これならばきっと、コイツを丸め込む事が出来る。ならば──。

「──ふふっ。随分織莉子とやらにご執心の様ね」

「──!」

 ピタリ、と動きを止ませる。

「なんなの? 忠犬? 奴隷? どっちにしろ──」

 動きを止め表情を消した呉キリカへ、口角を吊り上げながら吐き捨ててあげた。

 

「──行き場の無い子供みたい」

 

「──だ、──」

 わなわなと震える。先ほどまでのクサい役者の様な、厨二病的な語りはどこへやら。

「──だ、れ、が──」

 そして、そう言う思春期の子と言うのはどうしても背伸びをしたがるモノ。だから、コイツも──。

「だれが──子供だァッ──!」

「ッ──!」

 子供扱いに激昂し、爪をいっそう鋭く、そして太く頑丈に固める。わたしに狙いを定めて迫る──!

「一手で十手だ! さぁ散ねッッッッ!」

 ──今だッ──!

Neeirnefir止まれ──ッ!」

「ぐ────ッ!」

 腕を振り上げたまま静止する呉キリカ。されど込めた力は変わらず、行き場なくその腕をギチギチと震わせる。

「っはぁ──! ──はぁ──!」

 間に合った──と。あと一歩で、もしかしたらカラダを両断されていたかもしれない──と、ガチガチに震えるわたし。

 ──暗示。

 今手持ちがないわたしには、これぐらいの足止めしか無理だ。効いても僅か数十秒程度と言った所だろう。その間に逃げなければ、と、呉キリカへ背を向けた。

「──な、んだ──! 逃げるのか──! 最強の魔法少女さんッ!」

 低めの声かと思えば、叫べば案外高いのね──。

「面白くない──! バカみたいっ! もっとやってよ──! やってみせてくれよォッ!」

 ──などと、心の中で軽口じみた捨て台詞を吐きつつ、血にまみれたカラダを引きずって走る。

「ッッァァアアアアアアアアアアアア──!!」

 忠犬の咆哮を背に、知るものかとばかりにわたしは逃げ果せた。もう二度と、この魔法少女狩りに会う事もないだろう。

 ──もう、二度と──。

 

◆◇◆◇◆

 

 その強張り緊張した体が解れるように崩れる。神名あすみ──死神を気取ったお子様の掛けたキリカへの暗示が解けたタイミングで、彼女の前へとわたし──美国織莉子は姿を現した。

「失敗してしまったようね」

「お、織莉子っ!? ぁ、あ……っ!」

 あわあわと狼狽えるキリカ。失敗──とは言っても、飽く迄もキリカに言って与えた命の事だけ。だから──。

「ご、ごめんよ! 怒らないで嫌わないでっ! きみに嫌われたら私は腐って果てるよっ! っぁぁああ!」

「いいえ、大丈夫よ」

 慌ただしいキリカに微笑みを向けながら──。

「もともと賭けみたいなものだったの。出来れば彼女を討つ事が出来たなら……と言った程度の物なのよ?」

「ごめんよ織莉子っ! 大っ好き!」

 頭が胸あたりにすっぽりと埋まる程の小さな身長のカラダで、ちょっと苦しい程に抱き着かれてしまう。

「いいえ、ありがとうキリカ」

 賭け──と言うのも嘘。現にキリカが神名あすみに敗走されてしまう事は、予め予知していた事。

「ねぇ織莉子」

「なにかしら」

「あの最強の魔法少女さんは放っておくの?」

「……あの子に関われば、私の未来予知までもが汚染されてしまうわ。そう言うビジョンが見えたもの」

「あ、そっかぁ! やっぱり織莉子が一番スゴいや!」

「ふふっ」

 はしゃぐキリカの頭を撫でてあげながら、キリカに言った事も、そしてこれからの事も反芻する。

 わたしが神名あすみと視線を合わせれば、未来予知が機能しなくなる。如何なる予知をしようとも、その認識を改竄させられ、鹿目まどか討伐への道筋の一切が断たれてしまう。それだけは避けたかった。

 ならば、何故キリカを神名あすみの下へと向かわせたのか。何故神名あすみに敗走されると分かっておきながら、神名あすみを仕留めることが出来ないと分かっておきながら向かわせたのか。それは──。

「──どこまでも哀れな子だった」

「……織莉子?」

「神名あすみの事よ」

「あぁ、そうだね」

 これで良い。総てはわたしの予知した未来の通り。キリカが担ってくれた役割は充分──否、十二分に果たされた。

 不幸の使者であろうとした、哀れな運命の操り人形(マリオネット)

 彼女──神名あすみの行く末は──もう──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──わたし、なにしてるんだっけ──。

 魔法少女狩りから逃げ果せたその足はもうとっくに折れ、地に伏し、雨水に全身を濡らしていた。

「はぁ──はぁ──っはぁ──っ」

 血の詰まる肺に、爛れた喉。

 息を継ぐたび、熱気のように喉を焼く。

 喉を焼かれると共に、視界が黒く染まり逝き、わたしと言う意識も遠のいてく。

 冷たき雨と言う針に降られ、突き刺さり、意識をじわりじわりと削り去ってゆく。

 こんな虫螻(ムシケラ)のみたいに這いずり回って──。

 ──なんだっけ。

 何のために生きてるんだっけ。

 これが、わたしの望んだ生き方なのかな。

「──っ──はぁ────ッ────は────ァ」

 いろんな人の愛憎、嘆き、絶望を食い物にして──。

 嗜んで、愉しんで。

 こうやって醜く、雨に揺蕩う血痕を刻む蛆虫として這う。

「はぁ──ッ────は────ッ」

 それが、わたしのたった一つの幸せ。

 そして、わたしの生きる意味──?

「──────は────────ぁ────」

 ──答えが知りたい。

 わたしの──わたし自身の生きる意味を知りたい。

 産まれ。

 喜ばれ。

 捨て去られ。

 罵倒され。

 虐げられ──。

 その苦い蜜を散らし、悦びとして──。

「──────」

 地べたを這うわたしって──。

 ──なんだったんだろう。

 いままでわたしが生きてきた意味って、なんなの?

『──あすみちゃん』

 ふと思い出す。

『──だから、どうかあなたを守らせて欲しいの』

 少し鼻に掛かった、優し気な声を──。

「──」

 ──来る筈ない。

 もう二度とあすみに、あの笑顔を見せる事もない。

 その柔らかな唇で、愛情を伝える事もない。

 わたしは、大量殺戮者。

 わたしは、裏切り者。

 わたしは、討つべき魔女。

 彼女にしてみれば、敵なのだ。わたしは──。

 だから、こうして──。

「──マミ、お、姉ちゃん──」

 金糸の様に温かな巻き髪に、雨粒を纏わり付かせ、湿気と共に濡らしながら──。

 時折雨に混じり、頬に落ちる、この温かい雫も──。

 唇を噛み締め、瞳を潤し、涙に頬を湿らせて、あすみを覗き込むこの人も──きっと最期に見た幻なのだろう──。

 



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第8話「永く生きている事を願うわ」

 佐倉杏子が私──暁美ほむらへ打倒神名あすみの話を持ち掛けて数日して今日。今頃、神名あすみとの決着が着いた頃だろうか。それとも……もう、佐倉杏子は──。

 ──もしそうであれば、結局は私一人でアイツに立ち向かうしかない。

 どの道一度は諦めた戦力だ。神名あすみに絆され、汚染されたモノと私の中で断じた。美樹さやかのみならず、まさか志筑仁美までもが神名あすみに葬られてしまった。となれば残るは巴マミだが、佐倉杏子とは違って本当の意味で懐柔されている事だろう。もはや戦力としては一切アテに出来ない。とは言え佐倉杏子が生きてたとしても、必ずしもワルプルギスの夜の討伐に協力してくれ得るとは思えなかった。彼女は利害が一致しなければこちらへ靡く事は無い。私が盗んできたアセトンと引き換えにワルプルギスの夜の討伐を、一応は口約束してはくれたものの、あくまでも今周回の彼女の利とは千歳ゆまの命だ。それ以上のリスクを、今後一切彼女が侵すとはとても思えない。

「……まどか……」

 闇夜に包まれた廃ビルから眺める景色は、街の灯りが宛ら星空の様──。

 そんな光景を眺めながら、愛する者の名を独り呟く私。

 神名あすみは私に、独り善がりのエゴだと言った。別に、特段それを気に病む事もない。私は私の道を歩むだけ。まどかが平和に人間として……いつまでも暮らせる世界を夢見て、無限回路を歩むだけ。

 でもどうしてか、少しだけ胸に蟠る。

『あの子の為なんかじゃない。暁美ほむら──オマエ自身の為だけよ。もうそれって、独り善がりのエゴよね?』

 舌足らずでありながら、されど嘲笑うあの幼げな声が、私の頭の中から離れずにいる。

「やぁ、暁美ほむら」

 いつだってコイツは神出鬼没ね。

 吐き気を催す程に聞き慣れ過ぎた、少年の声色。

「インキュベーター……!」

「……やはり、君は僕を敵視している様だね。君をそこまで駆り立てた覚えが僕には無いんだが……」

 相も変わらず白々しく無感情に悪意を向けるこの獣。──否、コイツに悪意と言う概念はない。そもそも感情が無いのだから。

「今日は君にお願いがあって来たんだ」

「私がお前の言う事を聞くとでも思うのかしら」

「いや、こればかりは聞かざるを得ないと思うんだ」

 そして、決まってコイツが私に話しかけて来る際の話題はどれもこれもがロクでもない事ばかり。それも『お願い』と言うなら猶更だ。と言うのも──。

「──神名あすみを討伐して欲しい」

「は──」

 どう言う風の吹き回しなのか。キュゥべえの事だ。神名あすみと対峙した一部始終もどこかから監視して既に知っているに違いない。だからこそ、こうして誰かに──それも私に肩入れする事は珍しい。そのうえ願ってもない神名あすみの討伐を──だ。言い知れぬ気味の悪さが背筋を舐めずる中、暫くは出方を待つ事とした。

「……」

「おや? どうしたんだい? 君の得にもなる話の筈だよ?」

「何のつもりかしら」

「僕はただ君の為にもなる提案をしたまでだ。君に害が及ぶことをしよう等とは思った事がない。それに彼女は鹿目まどかをも狙おうとしている。しかも契約前に殺害しようとしているつもりだ。僕としてはそれだけは避けたいんだ」

 ──ああ、そう言う事ね。

 確かに彼女であらば、まどかをも食い物にしようと奔放するだろう事は想像に難しくはない。ただ契約前に──と言う点だけが意外だった。彼女であれば、世界を不幸に貶めるべく全人類を殺害する兵器としてまどかを利用しそうなまではあると睨んだけれど──。自分の命だけは惜しい──と言った所だろうか。

 とにかく、神名あすみ討伐の件は──。

「言われなくとも、彼女は葬るつもりよ」

「それは良かった。君が彼女を倒してくれなければどうしようかと思ったよ。君以外に唯一彼女を亡き者に出来得るであろう織莉子は、あすみへの接触をどうも拒んでいる様子だったんだ」

 美国織莉子一派も彼女の危険性は認知していたと言う事となる。未来予知によるものなのだろう。それだけに、いっそう彼女らへの警戒が堅い物となった。

「けれど神名あすみを亡き者にすれば、巴マミからはいっそう敵視されるでしょうね」

「いや、マミにはすべてを伝えたよ。神名あすみが何をしていたのかをね──」

 こいつ──! 余計な事を──!

「あなた……! 自ら魔女化の話をしたと言うの──!?」

「やっぱり知っていたんだね」

「っ……!」

 迂闊だった。いや、もうそんな事はどうでも良い。どの道インキュベーターには知られる事だ。私が魔法少女システムの全貌を知っている事がコイツにバレる事など今更。それよりも魔女化の真実を知った事により、もう巴マミの心は──。

「生憎だが、彼女ら──巴マミと佐倉杏子には、魔法少女がいずれ魔女になる事は伝えてはいない。千歳ゆまだけはあすみの手により知ってしまった様だけれどね。僕はあすみが何人もの魔法少女を騙し、そして呉キリカとは別の──何の関係も無い、別口の魔法少女狩りだったと言う事だけを伝えたよ」

 強張った胸の緊張が解れる。これで巴マミの魔女化は避けられる。巴マミには、もう神名あすみが大量殺戮者だと言う事が知れ渡っている。言うなれば彼女からしてみれば忌み討つべき敵でしかない。上手くいけば、一度は諦めた更なる戦力として使う事が出来るかもしれない。千歳ゆまに魔女化を知られてもそれは些細な問題だ。彼女だけは、この残酷な真実を乗り越えられる事を私は知っているのだから。けれど──。

「神名あすみの魂は、もう限界に近い」

「──!」

 つまりは、神名あすみの魔女化──。

「彼女が魔女へと成長する事により、マミの魔女化が見込めるんだ。彼女の愛したあすみがよりにもよって魔女と化す。突如突きつけられる現実を前に、彼女は絶望する他無いだろうね」

 ──ああ、そう言う事──。

 何も神名あすみ討伐とは、私と利害が一致しているから──と言うだけではなかった。コイツらはいつでもそう。人間の価値観が通用せず、そして人間には思い浮かばない外道が如き所業を平気で成し遂げる。神名あすみですら、インキュベーターからすれば餌の一つでしかないのだろう。そしてコイツの口ぶりからして──神名あすみの正体を知ろうとも、巴マミは依然として彼女に肩入れしていると言う事。

「これでも僕たちは君たち人類の為に働いているんだ。感謝すらして欲しいぐらいさ。それに美樹さやかと志筑仁美のみならず、マミに杏子にゆま、そして神名あすみが消えるとなれば残る魔法少女は君だけさ」

「美国織莉子らはカウントしないのね」

「彼女達も処分対象だからね。まどかを亡き者にしようとしている事はもう分かり切っているんだ。そこで、君に彼女達の処分もお願いしたい」

「そして魔法少女は私だけになる」

「そうさ。これでまどかを守れる魔法少女は、この見滝原において君──暁美ほむらたった一人以外すべて居なくなるんだ」

「──つくづく下衆の者ね。あなた達は」

 巴マミの見ていない所で神名あすみを葬ったとしても、きっとコイツを介して伝えられてしまう。もう、全てが無駄だろう。巴マミはもう使えない。佐倉杏子も、きっとワルプルギスの夜の討伐には協力してくれない。我が身の方が一大事だろう。だったなら、例え巴マミが居ようとも私がこの手で神名あすみを葬り、まどかを守って──。

『あの子の為なんかじゃない。暁美ほむら──オマエ自身の為だけよ。もうそれって、独り善がりのエゴよね?』

 ──まただ。また頭の中にて繰り返される神名あすみの声。

 私はまどかの為ならば、永久の迷路に囚われたって良い。その思いを胸に抱いてここまで繰り返してきた。けれど、それは独り善がりだと言うの?

「どうしたんだい?」

 黙りこくる私に、首を傾げるインキュベーター。

「……神名あすみの討伐に、一つ条件を加えるわ」

「何だい? 僕に出来る事であれば良いけど……。それに鹿目まどかの契約をしないと言う条件なら受け付けられない」

「えぇ、どの道その手のお願いにはハナから期待してないわ」

「そうかい。で、条件と言うのは?」

「……」

 コイツにとっては人間とは、資源である以上の価値を見出してはいない。だが、それ故に私怨と言うものを抱かない。まどかを執拗に付け狙うのも個人的な恨みなどではなく、全ては宇宙の為。けれど──。

「あなたにとって、エゴってどう言うものかしら」

「おかしなことを聞くね。それは君たち人類が一番分かってる事なんじゃないかな」

「御託は良いわ。さっさと答えなさい。でなければ要請には応じないわよ」

「あすみがまどかをも害する可能性があるのにかい?」

「……」

「君に残された道は一つだ。あすみを排除するしかない──とは言っても、その質問に答えられない道理はないからね。分かったよ。答えるよ」

 ある意味ではこの世に於いて最も中立にして中庸な立ち位置に居るのかもしれない。であれば、そんな立場から見た人間のエゴとは如何なるモノなのか、少しだけ聞いてみたくはあった。

「エゴの無い人間が居ると仮定するにしても、それはおかしな話だ。人類種の全個体がとりわけ強い自我(エゴ)を持っているからこそ、我々インキュベ─タ─は目を付けたんだ。この様な種族は僕らの星には滅多に見られず、また感情を持つ事自体が精神疾患だったからね」

 結局、コイツはこう言う種族だったわね。

 至極当然な回答だった。人類の事を燃料以上にはどうでも良いからこそ割り出せる俯瞰的な見解。つまりは人間である限り、ひとりひとりがエゴを抱いている。エゴこそが人間らしさの証。

「──聞くにバカバカしい返答ね」

「聞いてきたのは君じゃないか。訳が分からないよ」

 ああ、本当に馬鹿々々しい。こんな当然の事をキュゥべえに諭されるとは──。苛立たしさを紛らわすべく溜息をつく。けれど──。

「問題は片付いたわ」

「そうかい。それは良かった」

 頭の中を占める神名あすみの『声』が聞こえなくなり、胸の蟠りが解れた。矢張り神名あすみとは、玩具を手にしてはしゃいでいるにしか過ぎない。至極当然であるモノを揶揄せずにはいられない、愚かしい子供(餓鬼)と称して言い過ぎではない。そしてそのココロについては、私からすれば殊更どうでも良い。彼女が如何にして藁を掴んだのかは興味が無い。美樹さやかや志筑仁美、巴マミに佐倉杏子を害し、ゆくゆくはまどかをも亡き者にせんとする。魔法少女ではあるが、この所業を魔女──否、魔女よりも性質(タチ)の悪い悪魔と言わずして何と呼ぼうか。

「さぁ、行くわね」

「ああ、期待しているよ」

 そして私の所業により、巴マミから恨みを買うだろう事は必至だ。だがそれがどうした。私は私の(エゴ)を貫く。

「────」

 三つ編んだ名残りか──二又に分かれた長髪を撫で、風に乗せて靡かせる。私はどんな犠牲を払おうとも、私自身を犠牲にしようとも、まどかが人間として幸せに暮らせる世界を掴んでみせる。それこそが私の(エゴ)であり、私が私らしくあれる証。美樹さやかに巴マミ、そして佐倉杏子。所詮は他人でしかない連中からどう思われようが知った事ではない。彼女達にどう思われようと私には関係ない。現に今では佐倉杏子も──ましてや巴マミも頼りにならない。だから今周回では神名あすみを殺す。

『アンタは鬼よ! 悪魔よッ!』

 かつて美樹さやかがそう言ったかしら。

 えぇそうよ。結構よ。

 まどかを付け狙う美国織莉子を葬る。そして神名あすみも亡き者とする。一切の慈悲など無い。まどかに仇なすモノは全て排除する。まどかをの幸せを害するモノは全て殺める。まどかさえ生きていてもらえるならば、私はまどか自身にすら嫌われたって良い。まどかの幸福こそが私の幸福。まどかだけが私に残された生きる意味。まどかが生きている事こそが私のたった一つの希望。その為ならば──。

 

 ──たとえ『悪魔』に成り果てようとも、私は構わない──。

 

◆◇◆◇◆

 

 不思議と体は軽かった。

 瞼はこんなにも重いのに。

「──んぅ」

 輪郭が定まらず、ぼんやりと差し込む光。

 ──わたし、死んじゃったのかな。

 居心地の良い温もりに、現世である事が疑わしい。

 わたしは杏子に貫かれ、そして呉キリカに痛めつけられたんだ。

 あの雨の路地裏の中、水溜まりを紅に染め上げながら息絶える筈だったんだ。

 だからこれは──きっと夢なんだ。

 だって──。

「──あすみちゃんっ……!」

「──マミ──おねえちゃ──」

 ──マミおねえちゃんが、こんなところに居る筈ないもの。

 わたしを抱きしめてくれるなんて、ありえないもの。

「よかったぁ……! 目が覚めてっ……!」

「……」

 こんなにも、あすみの肩を濡らしてくれるなんて──ありえないもの──。

「よかったっ……! 本当にっ、良かったっ……!」

「……」

 これが、死の直前に見せた幻だったなら──。

 これが、死の直前に味わう業だったなら──。

 これが、死の直前に償う罪々だったなら──。

「……うん、ごめんなさい……っ」

 ──なんて、温かくて残酷だったのだろう。

 

◆◇◆◇◆

 

「──ごめんね。杏子おねえちゃん。ゆま」

 眠りに落ちている杏子とゆま。指で無理やり瞼を開かせ、ひとりずつにわたしの瞳を合わせて共鳴させて──。

「これできっと大丈夫。二人共もう危なくなんてない。怖い思いなんてしない。だからあとは眠らせてあげてね……?」

「……よかった」

 精神汚染はもう解いた。グリーフシードを押し当てずとも、命を脅かす程にまで穢れる事も無い。その上ゆまには、かつての悪夢を打ち消す夢──杏子に必要とされる夢を植え付けておいた。魔女化の真実があろうとも、ゆまならきっと乗り越えられる。

「あの、マミおねえちゃ──」

「──その前に。ちょっとだけ待っててね? 今用意してくるから……」

「……うん」

 

◆◇◆◇◆

 

 窓の外を見やれば、遠くの景色は霞み、ぽたぽたと雫の滴る音と共にしんしんと雨に降られている。皮膚を冷やす空気は、そんな夜の雨により湿り気を帯びていた。

 ──『あの夜』も同じだった。

 おかあさんが『幸多かれ』と、橙薔薇の髪飾りをくれた最期のあの夜と──。

「はい、召し上がれっ」

 ことっ、とガラス張りのテーブルに置かれる紅茶とケーキ。

 でも、このケーキは──。

「……覚えてるかしら? あすみちゃんと、初めて出会った夜の──」

 ──そう。あのとき初めて食べた、マミおねえちゃんのシフォンケーキ。そして紅茶。

「……いただきます」

 フォークで一切れ、お口に運ぶ。

 初めての夜──。あの時わたしは、泣きながらケーキを味わってたんだっけ。もっと食べて良いの──って、ビクビクしながら味わってたんだっけ。

「美味しい?」

「……」

 そんなの、聞かなくても分かるのに。

 マミおねえちゃんのケーキは、いつだって──。

「……うん、おいしい」

「よかった……」

 にこっ、と微笑むマミおねえちゃん。

 その笑顔が、あすみには眩しい。

 ふんわりと甘く蕩ける──このケーキの味の様な優しさも。

「……」

 琥珀色の紅茶を啜る。胸を通って、体の中から──手足の指先まで温めてくれる香りと味。やっぱり、マミおねえちゃんの紅茶はこんなにも──。

「ふふっ。紅茶の淹れ方には自信があるの」

 ──こんなにも、不味かった(美味しかった)んだ。

 

「……ごちそうさま」

「はい、お粗末様でしたっ」

 食器をテーブルから下げ、洗うわね、と台所へと片していった。

「……」

 ソーサーにティーカップ……ケーキを彩ってた皿を洗ってく。その他に立たせられる音なんて無く、夜の静寂に漂うは沈黙と言って良い。言葉を紡がれる事のない空気がもどかしくもあり、でもどこか安らぎにも似た落ち着きを、カチャカチャと食器を洗う音と共にもたらしてくれていた。

「ねぇ、あすみちゃん」

「……なに」

 食器を洗う水音も、洗剤に擦れる音も止ませて。

「──全部、キュゥべえから聞いたわ」

 ああ、やっぱり──。

 マミおねえちゃんにも、全て知られてた。

 マミおねえちゃんにだけは知られてなかった──なんて、都合の良い話がある筈なかったんだ。

「聞かせてくれるかしら……? あなたが今までやってきた事の、本当の理由を──」

 ──話しても良かった。

 あすみの正体を目の当たりにして、呪詛を喚き魔女に沈んでった人達は大勢いた。でも、マミおねえちゃんは違った。こうしていつになく神妙な眼差しで、今でもあすみを見据えて話を聞こうとしてくれている

 けれど、優しい優しいマミおねえちゃんも──きっとこれで終わり。

 あすみのココロを話せば、きっとマミおねえちゃんにも嫌われる。

 だったなら、それはいつもと同じこと。

 いつもと同じことを──いつも通り繰り返すだけ。

 ──嫌われたわたしは、マミおねえちゃんから離れるだけ。

「……あすみね。おかあさんとお父さんが大好きだった。ううん……おかあさんは今でも大好き。愛してる。あたたかくって、やさしくて、しあわせで──自慢の家族だった」

 おかあさんの事を想うと、いつも胸が締め付けられる。

「けどお父さんとは離れ離れになっちゃったんだ。お父さん、外国にお仕事に行ってるんだ──って、おかあさん言ってた」

「……」

「それからは、おかあさんといっしょに二人っきりで──頑張って過ごしてた。帰ってくるのはいつも遅かったけれど、一緒に居られる間はとても楽しかった。幸せだった。おかあさんといっしょに頑張って生きる日々が、とても尊かった」

 締め付けられた胸の中で最期の夜を──あの髪飾りの事を思い出す。あの髪飾りが、今でもあすみの手元にあってくれたなら──あすみは──。

「──けど、死んじゃったんだ……」

「っ……」

「お仕事のし過ぎで、死んじゃった……」

 下唇を噛み、目を伏せるマミおねえちゃん。そう言えばこの人も、愛していた両親を──今でも──。

「それでね……? 伯父さんの家に連れてかれちゃったの」

「……まさか……」

「うん……。新しいお父さんって、前に言ってたよね……? 伯父さんのことなんだ。そこで毎日あすみはいじめられるの。殴られて、蹴られて、馬鹿にされ、罵られ──甚振られ、嬲られていじめられるの」

 どんな仕打ちを受けたかなんてまでは、マミおねえちゃんには言いたくなかった。でもあすみからしてみれば、別に言っても良かった。むしろ聞いてほしかった。あすみはこんな目に遭ってた。あすみはこんなにも辛かったんだ、って。──でも、マミおねえちゃんにだけは言いたくない。マミおねえちゃんには、あんな世界──知らないままで居て欲しかった。あんなにも汚れきった世界なんて、知らない方がいい。

 ──知らない方がいい、のに──。

「あすみ、毎日裸にされて……っ」

「──! そ、れ……って……」

 零れ出した言葉は止まらない。口を噛み締め妨げようにも、ポロポロと溢れ出てしまう──。

「毎日毎日っ……、伯父さんが、っ……」

 妨げたい唇は震え、呂律も回らない。あの時を思い出す度、あすみがあすみで無くなる感じがして──。

「し、知らない男の人を連れてきて、あ、すみの、っ……カラダを──っ」

「ひっ……!」

 マミおねえちゃんの小さな悲鳴。そこであすみは我に返った。

「──あ……」

 知らない方がいいのに、話してしまった。

 聞いてもらうことで、満足しようとした。

「っ、ご、ごめんなさ──っ」

「う、ううん……っ。大丈夫っ……」

 ──おかあさんとの、最期の夜と同じだ。

 あすみはいつも自分勝手で、わがままだ。

 無償の愛情だけを求める卑しい子。

 会いたい会いたいだけ言って、頑張るおかあさんを泣かせる悪い子。

「……それでね? お父さんに助けてもらおうって思って、お父さんのところに行ったの」

「……えぇ」

「けどお父さん、あすみの事なんて忘れちゃってたんだ。新しい家族を作ってたの」

「っ……そんな……!」

 あすみの誕生日も忘れ、知らない男の子と知らない女と共に、草原でピクニックに興じていたお父さん──いいえ、あの男。おかあさんとあすみを捨てたあの男。おかあさんが死んじゃったのに、何の感情も抱いていないあの男。あすみが毎日いじめられてるのに見向きもしないあの男。

 そしてあすみは毎日──毎日毎日毎日、伯父たち男共にカラダを弄ばれた。

 だからあすみは──あの男を──あの伯父も──学校の奴らを──!

「──みんな許せなかったっ!」

 決壊は止まらなかった。

 胸の底から焼ける──憎悪にあすみを内側から焼かれるこの感じ。

「あすみの苦しみを知らないでっ! みんなみんな、あすみを見て見ぬ振りするのッ!」

 あすみの声に、あすみの喉が引き裂かれる。

「知らない振りしてッ! 幸せな日々を悠々と過ごしてる奴らが許せなかったッ!」

 あすみの声に、あすみの喉が焼かれ切る。

「伯父さんも、あすみのカラダをめちゃくちゃにした男共も! そんな事も知らないでいじめてきた連中も、先生もッ……! そしてお父さんもっ……!」

 焼かれたあすみの叫びは止まらない。

 あすみだけが悪者にされるんだ。

 あすみだけが悪者にされたんだ。

 あすみと言う悪者を、誰も見てくれなかったんだ。

「みんな──みんな許せなかったっっ!! 不幸になっちゃえば良いんだって思ったっっ!!」

 あすみの声が、あすみの耳を劈く。

 こんなに叫んだの──『あの時』以来だ。

 あすみの声が──まるであすみの声じゃないみたい。

 そして『あの時』こそ──。

「──だから、キュゥべえにお願いしたの」

「それが、あすみちゃんの願い……」

 ──自分の知る周囲の人間の不幸。

 あすみが『あの時』に、一度(ひとたび)その願いを──ううん、呪いを口にして──。

「──呪いで産まれた魔法少女。それがわたし──ううん、あすみ。神名あすみ」

「……その人たちは……」

「もちろん死んだ」

「……っ」

 今度こそ、詳しい事は言いたくない。言えばマミおねえちゃんを、きっとびっくりさせちゃうだろうから……。

「それからのあすみは、色んな不幸を撒き散らした。希望に満ちた人々を──希望から産まれた魔法少女達を相手に──。その嘆き、その愛憎、そしてその絶望を糧としたの」

 ──でも全て──全てが正当化だった。

「──あすみが生きてきた、今までの日々(トキ)を『普通』にする為に──」

「っ……あすみちゃん……」

「人を甚振る事で、悲しい事も嬉しい事へと変えてしまえる。世界に『不幸』なんてないんだ、って思い込める。だからあすみの生きてきたセカイって──『普通』なの」

「……っ」

 ふるふると、首を横に振るマミおねえちゃん。唇を噛み締め、目を瞑り、目じりに珠の涙を溜めながら、首を横に振る。

「そうやって絶望と不幸に染まってしまった方が心地良い……からっ……」

「……違うっ……。そんなの違うっ、あすみちゃんっ……!」

「うん……。違うって、わかってるの」

「だったらっ……!」

「あすみのやってきた事、ぜんぶ無意味だったって事──わかってる」

 いろんな人を殴って、蹴って、馬鹿にして、罵って──甚振って、いじめて、嘲嗤っても──ぜんぶ──ぜんぶ虚しかったって、もうわかってる。あとは芋虫のように這うしかないって、もうわかってる。だから──。

「だから、もういらない」

「……あすみちゃん……?」

「あすみ、幸せなんていらない。もう、あすみに幸せなんてない」

「そん、な……っ」

「だって、あたりまえな事なの。あすみ、何人も殺して来た。──そして、ずっと作って来た。ニセモノのわたし(・・・)を作って、悦んだフリしてた。みんなを不幸にしてしまえば、あすみだけが幸せになれる。あすみが『不幸』だったことを、『普通』のことだったんだ──って思えたんだ。ぜんぶぜんぶ、自分のため。あすみのために──」

 こんなにも身勝手で、自分の為に人の人生を使い潰して、卑しくて卑しくて──。そんな売女が、幸せを手に出来るわけなんてない。マミおねえちゃんの可愛がってたさやかお姉ちゃんだって、あすみが殺した。そのお友達な仁美お姉ちゃんも、果ては二人が大好きだった恭介お兄ちゃんも──。

「だから、幸せなんてあすみにはこない。そしてもう、いらない。──だって、ないものなんて絶対に手に入らないから──」

 そうして、マミおねえちゃんに背を向けて──。

「あすみちゃん……?」

「……さようなら、マミおねえちゃん。ケーキおいしかったよ。紅茶もおいしかった……」

「……っっ」

 ──ここまで赤裸々にすれば、マミおねえちゃんにだって嫌われる。むしろ嫌われたかった。誰から見てもあすみは『魔女』。人々を喰らって生き永らえる『魔女』。マミおねえちゃんにとっても、他の人達みたいに罵るべき『魔女』でしかない。それに、マミおねえちゃん自身も言ったんだ。あすみが悪い魔女だったんだとしたら、泣きながら殺すって。だから、もう後腐れなんてない。あすみは、マミおねえちゃんを喰らおうとした悪い魔女。あすみを想ってくれる人なんて、居る筈がない。

 ──なんだ、いつもと同じだよね。

 あすみはいつだって拒絶されてきた。今更マミおねえちゃんに嫌われたとしても、あすみは痛くはない。

「──じゃあ、行くね──?」

 でも──こんなにお話を聞いてくれたのは、マミおねえちゃんが初めて。あすみのお話を最後まで聞いてくれたお礼に、殺さないであげる。──ううん。たとえ嫌われちゃっても、殺す気になんてなれない。

 ──だってマミおねえちゃん、優しいんだから──。

 ──マミおねえちゃん、おかあさんみたいだもん──。

「ばいばい、マミおねえちゃん──」

 ドアノブに触れれば最期、もう二度とマミおねえちゃんに出会う事はない。そして触れ合う事もない。

 ──それがマミおねえちゃんの為なんだから──。

 

「──え──?」

 ──温かみを帯びる左手。

 ──後ろから握られる左手。

 ──白魚の様に細やかな指に握られる、あすみの左手。

「──行かせない」

 ──なんで。

「行かせるもんですか──!」

「────……?」

 ──なんで。

 ──なんでなんでなんで──?

 ──なんで……?

 振り向けばマミおねちゃんが、あすみの手を握ってくるの。

「あすみちゃん。嘘だったの……? 私のケーキも紅茶も、おいしいって言ってくれたのも……。泣いちゃいながら言ってたのも、あの涙も……。全部全部、嘘なの……?」

 それも、金色の睫毛を濡らしながら──瞼を赤く腫らしながら、なおもあすみの手を握ってくるの──。

「……っ!」

 ──あぁ、そうか。そう言う事なのね。

 この女。言って聞かせても分からないドアホだったのかしら。

 なら、話が早いわよね──?

「──だったら何だって言うのぉ?」

 握られる──白魚の様な指をした、マミおねえちゃんの手を払いのける。そうして口を裂き、嘲笑にあすみの表情を染め上げる。

 ──ああ、そうよ。またいつもと同じにすれば良いのよ。あすみは──いや、わたしは──!

「ここでわたしを殺しちゃう? 裁いちゃう? 正義の味方として? っアハ──! マミおねえちゃんって薄情者だったんだぁ!?」

「……」

 状況の分かってない白痴のアホ女。コイツに嫌でも話を分からせて、その涙を徹底的に嘲嗤ってやればいい──!

「──いいよ、やってみせてよ。ここで『魔女』を殺してみせてよ! あぁ……ずっと見たかったの……! マミおねえちゃんが裏切られてっ……、絶望の涙を流しながらわたしに殺されるところをさぁ!」

「……あすみちゃん」

「どうしたの? さぁ、早くやってよ。目の前に『魔女』がいるんだよ? 裏切りの『魔女』がいるんだよ? いつもみたいに、偽りの正義の味方みたいに裁いちゃってよ! ティロ・フィナーレってさぁっ! ねぇッ!?」

 ──なんだ、簡単な事よね。

 結局コイツは餌にしか過ぎないんだ。

 こうすればまだ、わたしはわたしのままで居られるんだ──!

「──もうやめて」

「はあ? 何を? 何が? どうやって? わたしは『不幸』の使者にして死神。何人もの命をこの手で食い散らかした呪いの魔法少女よ? さぁ、早く銃抜きなさいよ。でないとマミおねえちゃんも、わたしのデザートとして──」

「もう、やめて……っ!」

 あぁ……っ! 最高……!

 ついに、ついに見る事の出来たマミおねえちゃんの汚い涙──!

 わたしを前に泣いて縋る、正義の魔法少女サマの惨めな姿!

 まさに滑稽(可哀相)、そして可哀相(滑稽)

 わたしの嗜好とする極上のビタースイーツが、いまここに──!

「っあははっ! 何? 泣きたいの?」

 これよ……! わたしはコレが見たかったの……!

 わたしはこの為だけに! 何週間も掛けてマミおねえちゃんを育て上げたの!

 掛けた時間の甲斐があった!

 手を込めた甲斐があった!

 ここまで騙した甲斐があった!

「じゃあ泣いちゃえ! わたし、絶望の涙が蜜みたいに何よりも好きで──」

「ちがうっ……!」

「っあははははははっ! 何がぁ? どうしてぇ? 日本語分からないのぉ? マミおねえちゃん、どう見ても泣いて──」

「ちがう……っ。あすみちゃんっ……ちがうっ……。だって、だってっ──」

 

「──泣いてるの、あすみちゃんじゃない……」

 

「──……」

 ──は──。

「もう、無茶しないで……っ、お願い……っ」

 ──気付けば、雨に打たれていた。

「……」

 わたしの指で、頬に触れる。

 わたしの指は、濡れている。

 わたしの指で、拭い去った。

 けれど──頬が乾いてくれる事はない。

「あすみちゃん、不幸の魔女だって言ってたわよね……?」

 マミおねえちゃんの指が、頬に触れる。

 マミおねえちゃんの指も、濡れている。

 マミおねえちゃんの指で、拭ってくる。

 けれど──雨に打たれるように、わたしの頬が濡れてゆく──。

 マミおねえちゃんも同じで──。

「──だったら、何でそんな顔してるの……?」

 ──桜色の頬を濡らし、涙に濡らした瞳で──あすみのお顔を見つめてくるの──。

「っ……」

 ──なに、これ──。

 わたし、こんな──こんなのっ──。

「ねぇ……。なんで……?」

 ──るさい──。

「なんで私を殺さなかったの……?」

 ──うるさい──。

「……私のこと、いつでも殺せたのに……」

 うるさい──っ!

 だまれ!

「それに本当に死神だったなら、なんで……そんなにまで悲しそうなの──!」

「──ッ!」

 ──違う。

 ちがうちがうちがうちがうちがう!

 わたしは悲しくなんてない。

 わたしはマミおねえちゃんを殺したい。

 わたしは泣いてなんかない。

 わたしは──わたしは──っ!

「────……」

 ──殺せ。

「──えぇ、そんなにも──」

 ──殺せ殺せ。

「そんなにも──殺されたいのね?」

 ──殺せ殺せ殺せ。

「だったら殺してアゲル──!」

 そうだ殺せ。

 殺せ。

 殺せ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ──!

「お望み通り、殺してあげるんだから──ッ!」

 水銀状の魔力があすみを包み込む──変身を遂げる。

「……」

 マミおねえちゃんは変身しようともしない。

 いつもの歴戦の戦士としてのマミおねえちゃんはどこへ行ったの──!

 何もかもが遅い、遅すぎる(・・・・)──!

 隙だらけだ。

 ガラ空きだ。

 殺すチャンスだらけだ──!

「──死ねェッ!」

 握りしめたモーニングスター(鉄球鎚)を、マミおねえちゃん目掛けて突き付ける。

 今日がマミおねえちゃんの命日だ。

 今日はご馳走だ。

 今日はマミおねえちゃんの血と肉でパーティーだ。

 マミおねえちゃんの泣き声に悲鳴を聞けないのは残念だけれど、それよりも今は殺したい──!

 ──っあははッ!

 ──ざまあみろ巴マミ!

 ──お前はずっと独りっきりで──。

 

「……」

「……え……あ……っ……?」

 

 ──何で。

 何で、まだ居るんだ。

 何で、マミおねえちゃんは死なないんだ。

「……もう、やめよう……?」

 何で、武器が届かない。

 何で、武器が当たってくれない。

 なんで、わたし──武器を持つ手が、震えて──。

「ぁ……っ」

 ゴトリ──と鈍い音を立て、得物があすみの手から零れ落ちる。

「っ……ぅあ、えぅ……っ!」

 コレは何だ?

 頬に伝う温かさは何だ?

 この温かな雫は何だ?

 わたしは──こんなモノしらない。

 わたしはいつだって『不幸』の使者──神名あすみ。

 みんなに『不幸』を知らしめなければならない、呪いから産まれた魔法少女。

 そんなわたしが──この込み上げるモノなんて知らない。

 涙の理由なんて──知る訳が無い。

 なのに、なんで──。

「……あすみ、ちゃん……。あすみちゃん……っ!」

 なんでこんなに苦しいんだ。

 なんでこんなに切ないんだ。

 なんでこんなに悲しいんだ。

 なんで、なんでわたしを──。

「──なんで、あすみを──罵ってくれないの──?」

「っ……」

 なに泣いてるの──。

 マミおねえちゃんは、わたしを──あすみを罵る側なのに──!

 唇噛み締めて、大粒の涙を流して、あすみに大きい感情を抱く側じゃないのに──!

 さぁ──さっさとしてよ──!

「わたしを罵って。わたしを拒んで。わたしを蔑んで──っ!」

 じゃなきゃ──。

「あすみの『不幸』が全部ウソになってしまう。 あすみは『普通』じゃなくなってしまう──!」

 じゃなきゃ、わたしは──。

 ──あすみは──ずっと悲鳴をあげなきゃいけなくて──。

 

「──あすみはもう二度と、『普通』になんてなれなくなるんだからっ──!」

 

「……ばかね……っ」

 わたしを包み込む、柔らかで温かなマミおねえちゃんの体。

 ──何で抱きしめるんだ。

 ふざけるな。

 あすみは、あすみはっ──。

「あ、すみっ、……のろいのっ、……魔法、少女……だもんっ……」

「……ううん」

 首を横に振るマミおねえちゃん。

 喉がつっかえて、声が出てくれない──。

「っ、なんでっ、なんで今更あすみをっ、抱きしめ、てくれるのっ……!」

「なおさら行かせられないからよ……」

「……行かせて、よぉ……っ。マミおねえちゃんの傍、居たくない……っ、のろいの魔法、少女っ……、だもん……っ……!」

「……いいえ。ずっと一緒に居て……。お願いっ……」

「なんで……っ」

「そんなにいっぱい傷ついて、ひどい目に遭って……。私が居なきゃ……誰があすみちゃんの傍にいるの……?」

 もう、あすみは前が見えない──。

 目の前がぜんぶ、潤いで揺らいでる。

 視界がもう、涙色だけ。

「……あすみ、いっぱい、いっぱいひどい目に……っ、遭わせてきたんだよ……? いっぱいっ、人だってっ、……殺しちゃったんだよ……? なんで、あすみが傍に、っ……いられるの……?」

 喉が潤いに堰き止められ、声なんてもう出ない。

 声がもう濡れている。

 こんな声、あすみ──出したことない。

 出したく──なかったっ──。

 もう──いやだっ──。

「あすみちゃん。あの時言ってくれたから……。こんな私の傍に、ずっといっしょに居てくれるって……!」

「だって、それはっ──」

「だったら……! 『おねえちゃんの居場所』になってよ……! 『おねえちゃんの助け』になってよ……!」

 ──ズルいよ。マミおねえちゃん……。

 そんな、ことっ……。

 あすみ、あの時言った……。

 言った、けれど……!

「……あすみ。あすみを、っ……許せない……っ。許せ、るっ……わけ……っ……」

「うん……。だからね……? これからいっぱいいっぱい幸せになるの」

「あすみに、幸せなんてだめだよ……っ」

「ううん。いっぱいいっぱいひどい目に遭ったから、ひどい事をしちゃったの。だからもう、二度と悪さが出来ないように、私が『幸せ』にしてあげられたらな──って思うの……」

「っ……なんで……」

「……それがあすみちゃんへの、罰だから」

 ──あぁ、マミおねえちゃん。やっぱりいつものマミおねえちゃんだ。

 いつだって変わりやしないんだから……。

 いつも意地悪で。

 いつもクサい台詞が吐けて。

 こんなにも、あすみに入れ込んできて──。

 おかげであすみのココロ、土足で踏み込まれて丸裸っ──。

 だからあすみ、マミおねえちゃんのことっ──。

「っ……マミおねえちゃんなんて大嫌いっ……!」

 結局、いつもこうなんだ。

 あすみが、マミおねえちゃんの胸を濡らすんだ。

 声をあげて、涙に喉を濡らして、泣きじゃくるんだ……。

「マミおねえちゃんなんて大嫌いっ……! マミおねえちゃんなんてっ、大嫌い……っ! マミ、おねえちゃん……っなんて……っ……!」

「……もう大丈夫っ……。大丈夫だから……っ。あすみちゃんを虐める人なんて、もう居ないんだから……っ」

 だから、あの時も聞いたの。

 マミおねえちゃんなんでそこまで優しいの、って──。

 あすみ、そんなマミおねえちゃんがね……?

「っ……っっぅぁぁぁぁぁぁああああああああっ……!」

 

 ──マミおねえちゃんが、ずっと大嫌い(だいすき)だったの──。

 

◆◇◆◇◆

 

「……マミおねえちゃん」

「うん……」

 泣き疲れちゃって、ソファーにもたれ掛かりながら二人で肩を摺り寄せ合う。

 あすみとマミおねえちゃんも瞼がもう真っ赤になっちゃって……。

「ずっと思ってたこと、あって……」

「……うん」

「マミおねえちゃん、おかあさんみたいって……」

「……」

 うん。前にも言っちゃったこと。

 おせっかいで、世話焼きで、母性的。

「あの時言ってくれたこと、もしかして……」

「うんっ。ほんとのあすみ」

「……ふふっ。やっぱりウソじゃなかったんだぁ、って……」

「えへへっ……」

 そんなところが、おかあさんみたいなんだもん……。

 おかあさんはひとりしか居ないけれど、マミおねえちゃんは──あすみのおかあさんみたいな人。

「でもね、あすみちゃん。私ね……? やっぱりお母さんなんて柄じゃないと思うの……」

「う……」

 やっぱり本心からそう言っちゃったってなると、怒られちゃうのかな──。

「私……お姉ちゃんでも先輩でも、そしてお母さんでもないの……」

「あ、う……ごめんなさい……っ」

「ううん。そんな立派なものじゃないの。結局『正義の味方』なんて大嘘だったんだから」

 あの時はまだ言えなくて。それでも、いずれ話すって言ってくれたあの話──。

 ずっとずっと気になってた。マミおねえちゃんが──あすみよりもずっとずっと大人なのに、正義の味方なのに。それでも正義の味方じゃなかったのなら、なんだって言うのかな。

「私って……誰かと一緒に居たかっただけなの。正義の味方ぶってたのも、外面だけ良く繕ってただけ。嫌われるのが怖かった……」

「……」

 ……なんだ、そんなこと……。

 ぎゅっ……と隣から、マミおねえちゃんの柔らかくて温かい体を抱きしめて──。

「……あすみちゃん……」

 頬を桜色に染めながら、はにかんでくれるマミおねえちゃん。きっとマミおねえちゃん、そんな事でいつも怯えてたかもしれないけれど、あすみは──。

「……あすみは嫌われたかった」

「もうっ。大好きっ、なんて言ってくれる子……嫌いになんてなれる訳ないじゃない」

「だからっ、マミおねえちゃんは正義の味方じゃなくって……あすみのおかあさんみたいな人っ」

 正義の味方だったなら、あすみのこと──嫌ってしまえる筈だから。

「ふふっ……。もうっ、お母さんって歳じゃないのに……」

「えへへっ」

 ──ああ、そっか──。

「……ずっとずっと、楽しかったんだよ? 心の中で、あすみに言い聞かせるように色々いじわる言ってたけど──ほんとはね、マミおねえちゃんと過ごす時間、とっても楽しかった……」

「楽しい事なんて、これからいくらでもあるわよ。ずっとずっと、どこまでも──ね」

 最初からこうしてれば、『幸せ』になれたのかな──。

 あすみは──『幸せ』に──。

「ねぇ、マミおねえちゃん……」

「うん……?」

 マミおねえちゃんは、誰かと一緒に居たかった。そして一緒に居たい子に、あすみを選んでくれた。あすみを守ってくれた。あすみを抱きしめてくれた。あすみを愛してくれた。だったら、もう──。

「──これからのあすみはね……? マミおねえちゃんの中で生きてくの──」

「──え──」

 見開かれる、澄み切った金色の瞳。

「マミおねえちゃんの魂と、ずっと一緒に──」

「──あすみ──ちゃん──?」

 ピシピシと、亀裂の入る音。

 あすみと言う存在に、ヒビが入る音。

「あすみ、幸せになってもいいんだよね……? いっぱい……いっぱいいっぱいわがまま言っても良いんだよね……?」

 ──きっとあすみは、もう永くない。

 だから、最期に叶えたいお願い(わがまま)──叶えなきゃ。

「──ッ! あすみちゃん──! ソウルジェム──っ!」

 ヒビだらけの宝玉は、もう水銀色だなんてなかった。

 黒く深く、こびり付く様に黎く染まり上がるあすみの魂。

「答えて……。あすみ──『幸せ』に──」

「え、えぇ……! 幸せになって良いに決まってるじゃない……! さっき言ったわよね……!? ずっとずっと、私の傍に居るってっ……!」

「……よかった……ぁ……」

 視界が黒く染まってく。

 マミおねえちゃんが声を切る中、音も朧に淀みゆく。

 あすみと言う存在が、もはや希薄になってく──。

「最初で最期のあすみのわがまま──聞いてくれる──?」

「っ……! 最期って何よ……! そんなの、いつでも良いのにっ! いつだってわがまま聞くのにっ……! もっとわがまま言っても良いんだからっ!」

 でも、これで良い──これで良いの──。

「いかないで……! もっと傍に居てよ! 約束したじゃないっ! 言ってくれたじゃないっ! 私の助けになってくれるって! 私の居場所になってくれるってっ! ねぇ……っ!」

 泣かないで──。

 あすみ、やっと『幸せ』を知る事が出来たんだから──。

 これは別れなんかじゃない。

 あすみは、あすみの(グリーフシード)をマミおねえちゃんに使ってもらえる。

 これからずっと──ずっとずっと、マミおねえちゃんの傍に居られる。

 マミおねえちゃんの気持ちを、叶えてあげられる。

 だからね……?

 マミおねえちゃん──。

 

「あすみの分も、生きていてほしいな──」

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Entbehrliche

Braut

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 ──魔女が顕現した。

「──あ、すみ──ちゃ、ん──?」

 あすみちゃんのソウルジェムから、魔女が顕現した。

"Ektoirhos Iamsu ow─!!"

 結界に響き渡る──少女とも獣ともつかぬ叫び声。

 ──かつて、暁美さんに言われた事があった。

 ソウルジェムが黒く濁りきれば死に絶える、と──。

「──な、に──? なん、なの──?」

"Uhkaay esti─!! Odteina Nhaohmcuar in─!!"

 あすみちゃんのソウルジェムは、確かに黒く穢れ切った。

 そして穢れ切ったソウルジェムからは、こうして──花嫁の様な姿をした魔女が産まれた。

「──なん、で──ねぇ、──!? どうして──っ!?」

 魂の宝玉(ソウルジェム)

 灯台下暗し──とも言うべきその暗喩を、私の頭は拒んでいた。

 認めたくない──。

 ソウルジェムから──魂の宝玉から、魔女が顕現した。

 だったなら──あすみちゃんは──!

「──神名あすみ」

 音もなく傍に降り立つ、制服を思わせるモノクロ基調の魔法少女衣装の、無感情な声色をした少女──。

「──あ、暁美さん──!?」

 ──嫌な予感しかしなかった。

 魔女に対峙する魔法少女。

 こんな──こんな当たり前の構図が、これほどまでに悍ましく見える時が来るなんて、夢にも思わなかった。

 そして、カチッ──と何かのスイッチの様な音がしたと思えば、再び暁美さんの姿が忽然と消え──。

「──ッ!?」

 腹の底から震わせ響かせる、重低音が如き轟音。圧縮された空気に撃たれ舞い上がる塵が、火薬の臭いと共に私の頬を──全身を撲つ。

"Iiat─!! Ettaesku─!! AAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaa─!!"

 体を穿つ、幾多もの銃痕。先の爆発により、体の一部が削れ抉れる魔女の体。あすみちゃんの(ソウルジェム)変化(へんげ)して産まれた花嫁の魔女。であれば、あの魔女は──!

「──や、めて──」

「────ッ!」

 抱えたロケットランチャーの様なモノで、魔女──あすみちゃんのお腹に、風穴を開けてく──。

"Aidya─!! Ettaesku─!! Nhaohmcuar ankan in ukkoartoesra ina─!!"

 肉体を──魂を削がれたあすみちゃんの、耳を劈く痛々しい悲鳴。

 ──いやだ──。やめて──っ。あすみちゃん、あすみちゃんを──っ──!

「あ、けみさん……! やめ、て……!」

 一、二、三発──。

"Aidya oyraem─!! Iamsu ah Imma noanhece ot oihss in uirki n ad─!!"

 今度は三発同時に、どこからともなく砲弾が現れ、あすみちゃんのカラダを絶ってく──。

 ──だめ。これ以上は──あすみちゃんが──!

「やめて……! お願いっ! やめてぇっ!」

 喉なんてもう潰れていい。声なんて出なくなったっていい。叫びながら私は、暁美さんの足元へとしがみ付く。這いつくばって縋る。けれど──。

「ぁう……っ!」

 すぐさま足蹴にされる。なおもあすみちゃんへ、熾烈な猛攻が続く。

"Iiat oy ... !! Ettaesku ... !! Iamsu, Imma noanhece ot oihss in uir on ... !!"

 別の地点へとテレポートしながら、あすみちゃんのカラダを挽いてく──。

"Imma noanhece on asbo in eit aaygkean ... !! Imma noanhece on asbo in iiat on ... !! Ioange, uhkaay Iamsu ow ektoirhos Imma noanhece ... !!"

「……やめて……やめてよ……! あすみちゃんを、これ以上不幸にしないでよ……!」

 頬を濡らしながら懇願しても、攻撃が──轟音が鳴り止む事なんて知ってくれはせず、爆炎に照らされる砂埃に、視界が白く染められゆく。

 あすみちゃん。確かに重すぎる罪を犯してしまった。

 けれど、それは『幸せ』を知らなかったから。

 みんなに虐げられて、魔法少女になる前までのあすみちゃんが、一体何をしたって言うの──! どんな悪い事をしたって言うの──!

 ただ愛してもらいたかった! ただ誰よりも愛に飢えていた! たったそれだけだったのに、なんで──なんでこんな目に遭わなくちゃいけないの──!

「──次で決める」

 宣告者が告げる、冷酷な声。そこに一切の感情も、温もりも無い。

「……いや……っ……!」

「──神名あすみ。お前を──狩らせてもらうわ」

 下されるは、死刑。齎される贖いは、償いでなく死あるのみ。

 ──あすみちゃんが、殺される──。

「いや……いやいやいやいやぁ……っ! いやいやいやいやいやぁあっ……!」

 走馬灯のように、あすみちゃんの顔が次々と思い浮かぶ。

 怯えながらも、初めてケーキを口にしてくれたあすみちゃん。

 私なんかの為に、お礼のケーキを買って来てくれたあすみちゃん。

 紅茶を美味しいって言ってくれたあすみちゃん。

 いっしょに朝ごはんを作ってくれた、笑顔のあすみちゃん。

「やめて……!! お願いっ!! やめてぇっ!!」

 私を受け入れてくれて、私の居場所になってくれると約束してくれた、頬をほんのり桜色に染める微笑みを向けてくれたあすみちゃん。

 佐倉さんとゆまちゃんと、一緒にオムライスを頬張ってくれたあすみちゃん。

 涙ぐみながらも、悩みを打ち明けてくれたあすみちゃん。

 そして──本心を明かしてくれて、一緒にいっぱいいっぱい泣いて、肩を寄せ合って、瞼を赤く腫らしながらも微笑んでくれたあすみちゃん。

 そんな──そんなあすみちゃんを──。

"Ngeom en... Imma noanhece... Oihss in uikraanre et..."

 弱々しく、魔女の鳴き声を絞り出す──あすみちゃん。

 それを最期に、私の縋りも聞いてもくれずに、暁美さんの盾から──小気味よいスイッチ音だけが鳴り響き──。

 

「いやぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 ──魔女の肉(あすみちゃん)が、弾け潰された──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──結界が解かれ、いつもと変わらぬ光景──私のマンションへと塗り移り戻る。

「……」

 そして暁美さんの手には、あすみちゃんの魔法少女紋章のついたグリーフシードが握られていた。

「……あ……」

 膝から崩れ落ちた。

 あの魔女はもう、この世界には居ない──。

 だったなら──あすみちゃんは──もう──。

「──な、んで──」

「……」

 口を開こうともしない暁美さん。

「ね、ぇ……どうし、て……っ……!」

 それどころか、音もなく早足で立ち去ろうとまでする。

「ねぇっ!!」

 その脚にしがみ付く事で、ようやく止まってくれた。──あすみちゃんを殺すのは、止めてくれなかったのに──。

「……あすみちゃん、幸せになるべきだったの……」

「……」

「幸せに、なるべきだったの……っ!」

 あすみちゃん、さっき言ってくれた……。幸せになってくれるって。私の傍に、ずっと居てくれるって……! ソウルジェムにヒビを入らせ、魔女になっちゃいそうな中で言い遺してくれたの。あすみちゃんの分まで生きて欲しい、って。その最期の時まで、私なんかを想ってくれていたの。なのに──。

「……なのに、なのにあなたは……! 暁美さんは……っ!」

「……」

「ねぇ、なんで……?」

「……」

「な、んで……なんで殺してしまうの……っ……」

「……」

「……もっと、もっと幸せになってくれれば……っ……! 元にっ……戻れたかもしれないのにっ……!」

 魔女になったからって、元に戻れないなんて理由──あるはずなかった。花嫁の魔女の姿から、あすみちゃんの魂に戻れたかもしれなかった。

 それを暁美さんは、有無を言わさず殺したんだ。

 あすみちゃんを──亡き者にしたんだ。

 そんな一向に口を開いてくれない暁美さんを見てると、しがみ付く腕が力み、震える気がした。

「──彼女は敢えて、腐敗した世の中を受け入れた」

 やっとの事開かれた口は、相も変わらず氷のような声色を鳴らす。

「そして、歪んだ幸せを見出した。歪んだ正義に生かされていた魔法少女が、真っ当な正義や幸せを見つけた時──今までの自分が犯してしまった過ちに対する後悔と懺悔と共に、魔女へと成り果ててしまう」

 ──なによ──それ──。

 あすみちゃん、きっと──ずっとずっと悩んでた。

 自分は魔女なんだ、って。人殺しなんだ、って。

 あすみちゃん、本当はあんな事したくなかった筈なの。

 優しいお母さんに包まれながら、おいしいご飯においしいデザート──お紅茶を味わいながら、『普通』の暮らしがしたかっただけなの。

 なのに──『普通』になれたら、魔女になってしまうと言うの──?

 そんな──そんなの、惨すぎる──!

「希望から産まれた魔法少女が絶望を抱き、そして魔女となる事はよくある話よ。私──そして巴マミ、あなたもね」

 ──私も──いつか魔女に──?

「──彼女の場合『幸せを知って絶望する』と言う事になるわ」

「……」

「……キュゥべえの言っていた事よ」

 ──だったなら、あすみちゃんを助ける事なんて──あすみちゃんが、本当のあすみちゃんを曝け出してくれた時から……もう──。

「そもそも、彼女を救うと言う事自体──絶対に不可能(・・・・・・)。──だった事なのよ」

 ──違った。

 あすみちゃんは、誰にも助けられなかった。

 魔法少女になった時から、あの子の運命は決まっていた──。

「──けれど、まどかは違う。まどかだけは絶対に救える。──いいえ、救ってみせる」

 もう、暁美さんが何を言っているのか分からなかった。

 私の心はとっくに私の手から放されていて、言葉が私を素通りしてゆく。

 音と文字が、私の体をすり抜けてく──。

「できれば貴女達も救いたい。けれど彼女だけは──神名あすみを救う事だけは、絶対に無理」

 呪いの魔法少女を演じ、悲鳴をあげるココロに蓋をして、数多の命を──血肉を啜る事でしか、呪いと言う名の毒沼に浸る事でしか生きる事を叶えられなかった──。

 ──ああ、そうか──。

 また私は──。

「──悪いけれど、私はワルプルギスの夜を斃さないといけないの。必ず、この手で──。だから、このグリーフシード(カンナアスミダッタモノ)は頂くわ。そしてきっともう、貴女は決して永くはない。──けれど最期の時まで、せめて──永く生きていることを願うわ」

 仕舞われてしまう、あすみちゃんの印のついた黒い宝玉。

『あすみの分も、生きていてほしいな──』

 あの子のグリーフシードは、暁美さんにだけ消費される。

 だから──もう、あの子の遺言は──。

「──さようなら、巴マミ」

 零度をした声の残滓は、さながら冷気のように温もりを奪う。暁美さんの姿など、もう残されてはいなかった。あるのは、ひとりぼっちになった私と──部屋を包み込む冷気(・・)に殺された、冷え切った皮膚をしたあすみちゃんだけ。忽然と、いつものように──どこか遠くへと飛び去ってったのだろう。

「────……」

 あすみちゃんの魂はもうどこにも無く──あるのは、抜け殻と化した亡骸のみ。あすみちゃんの残滓──花嫁の魔女のグリーフシードも遺されてはいない。全部──暁美さんに奪われた──。

 もうあすみちゃんは居ない。

 もう二度と、あすみちゃんに抱きしめてもらえない。

 世界中のどこを探しても、あすみちゃんには会えない。

「っうぅ……ぅぅ……! ……ぅぅ……ぅぅっ……! ……ぁあ……っ!」

 そう気付いてから、止め処なく涙が溢れてきた。

 後悔と寂しさが、私の胸を締め上げる。

 息が出来なくなる。

 あすみちゃん、ごめんね──。

 私──あすみちゃんのこと、全然分かってあげられなかった──。

 あすみちゃんと、一緒に居てあげられなかった──。

「ぁぁ……! ……っああ……! ああっ……!」

 私は──その手をまた掴めなかったんだ。

 私は──その手を引っ張り上げられなかったんだ。

 私は──また自分だけが生き延びたんだ。

「ぅ……ぇう……っ……! ……ぐす……っ……ぅぅ……うう……っ!」

 ──また私は、大切な人を犠牲に(のこ)ったんだ。

 

「っぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああッ──!!」

 

 光差さぬ真夜中の部屋にて、慟哭が凍てつく空気を引き裂いた──。

 



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エピローグ「きっと、幸せになれると思ってた」

 ──また、ダメだった。

 私──暁美ほむらは、次なる時空へと降り立っていた。結論から言うとなれば前周回──神名あすみ時空での結果は散々なモノに終始した。見捨てる事となった巴マミはおろか、佐倉杏子に千歳ゆまも行方を晦ました。美樹さやかのみならず志筑仁美までもが魔法少女となり、全て神名あすみに喰われた。残る魔法少女はただ一人──私のみ。そして──。

『──また逃げるつもりなの』

 美国織莉子の魔の手からまどかを守れる者など、自分ひとりしか居なかった。救世などとは名ばかりの、大罪を犯すべく暗躍していた救世一派のタネはもうバレていた。私の時間停止と対等に渡り合えるとは笑止、未来予知と速度低下を組み合わせているに過ぎない。よって彼女達の討伐自体には、初見の時に比べて苦戦はしなかった。が──。

「──ッ」

 あの時と違う事。それは私に味方が誰一人として居なかった事。前述の通り私が神名あすみを葬った事により、恐らく巴マミは魔女化。佐倉杏子と千歳ゆまは行方不明。美国織莉子らと対等に渡り合う──それはまどかの護衛を度外視すれば、と言う事。最善は尽くした。──いいえ、私はいつだって最善を尽くしている。まどかを精一杯に守りながら救世一派を迎撃していた。けれど──。

「──なんで。どうして──っ」

 結果は言うまでもない。芳しくば、そもそもこの場には降り立ってはいない。あのまま美国織莉子らを、まどかを守りきりながら討伐出来ていたなら、きっとまどかは普通の平和な世界に生きる女の子としての人生を歩めていた筈。その為には、あの場には巴マミに佐倉杏子、そして千歳ゆまが戦力として要ったのだ。こうなったのも全て──。

「──神名あすみ」

 美国織莉子と呉キリカに次ぐイレギュラー。キュゥべえから聞いた通り、自らの苦しみの為に他者を喰い散らかす悪魔──否、餓鬼畜生だ。巴マミを蝕んだ超危険因子。奴までをも救おうなど愚の骨頂。絶対に不可能。そして経歴で言えば、あの歳にして巴マミや佐倉杏子と同じぐらいのベテランと言っても過言ではない。それだけに救う術が見当たらない。何故なら彼女にとっては、希望こそが絶望なのだから。

 ──ならば、もう消すしかない。

 彼女の性格上『夜明け』の為に戦ってくれるとは到底──思えない。

 そして彼女の存在は、決して許してはならない。彼女さえ居なければ、今頃まどかは──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──いつもと変わらぬ夜。カチリ──と歯車を小気味よく作動させ、世界をモノクロに染め上げ凍て付かせる。そんな世界で動ける者はたったひとり──私だ。やる事成す事はルーティンワーク。幾重にも弾丸の幕を張り、魔女の命を刈り取るのみ。硝煙を残り香に結界は解かれ、即さま現実世界へと──夜の公園へと塗り()えられる。

「……」

 視界の端に映る者。チラリ──と視線を移せば──。

「……っ……うぅ……っ……、っひ……ぅ……!」

 震える膝を抱えながら、声を漏らしつつ泣きじゃくる銀髪の少女。魔女結界に巻き込まれ、あわや使い魔に喰われんとし、星の数ある『犠牲』に身を堕としそうになっていた者。──だが、彼女の名は──。

「──神名あすみ、よね」

 か弱き少女の姿をした、糸を張り巡らせし女郎蜘蛛。前時間軸に於ける巴マミはコイツの(トラップ)に掛かり、溺愛する程にまで取り込まれたもの。けれど──。

「──」

 それも、この時間軸を以て未来永劫に(オワ)る。これより以降、神名あすみが喰い散らかす等と言う所業は断ち切られる。

 世界は再びモノクロに沈む。

 コイツの脳は粉々に砕いて意識を奪い、カラダを解体してソウルジェムを探し出し、タバコの灯火を躙り消すが如く踏み躙ってやれば良い。このような人気のない夜の公園でなら、問題も無かろう。

 ──そして、巴マミが神名あすみと出会うことはもう二度と──無い。

「──さようなら。『生贄の花嫁(Entbehrliche・Braut)』さん」

 

 静寂に染まる世界の中──火薬の炸裂する音が、虚しく響き渡った──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──繰り返す。私は何度でも繰り返す(罪を犯す)

「っはぁ……! はぁ……っ! ……っはぁ!」

 背を向けて、息を切らし、懸命に逃げ惑う女の子。傷だらけで、グリーフシードも恐らく底を尽き、体の至る所から赤黒い血が滴っている。走るこの娘とは対称に、私は歩いてこの娘を追う。

「っやだ……! やだぁっ! だれか……だれかぁっ!」

 こんな夜に誰も居ない。

 こんな夜遅くに誰も来ない。

 こんな夜の世界じゃ誰も助けてくれない。

 私達(魔法少女)なら、分かっていた事でしょう?

「ひっ……!」

 行き止まる魔法少女。打ち止まる路地裏(迷路)。もはや逃げ場なんてなく、私と向き合う他なんてない。

「っ……やめてよ……! 私が何したって言うのっ……!」

 ──ううん、何もしてない。何もしてないのよ……?

 あなたはただ、願いを叶えただけ。

 自分勝手な私なんかと違って、その尊い願いを胸に戦ってるだけ。

「っ……ふふっ……」

 頬に伝わるこの雫──私の、どこまでも汚い涙。

 私に泣く資格などない。

 私に涙を流す資格などない。

 私に──今更この娘を想う資格なんて無い。

 銃口を突き付け──涙を流しながら微笑む私は、きっとこの子には気狂いにでも見えている事だろう。

 でもね──?

「──優しく──」

「は……」

「せめて──優しく、優しく逝かせて(死なせて)あげるからっ……──」

 ──誰も、自分が魔女だなんて知りたくないよね──?

「──いやああぁぁっ──!」

 少女の甲高い悲鳴が最後まで響く事は無く、電源を落とされたTVの様に断ち切られた。──その引き鉄(トリガー)に、指を掛けてしまったからだ──。

「────」

 (たましい)を亡くした(むくろ)は、崩れるように地に堕ちる。

 パキン──と、首下の宝石(ソウルジェム)が破片に散り、その命にピリオドが打たれた。──魔女を孵らせる事もなく。

「────…………」

 薄汚れた路地裏の壁へと、ドサリ──と力なく尻もちをついてへたり込む私。

 今日もまた──私は繰り返し(罪を重ね)た。

 いつだってこの感覚には慣れない──慣れる訳がない。引き鉄(トリガー)越しであろうとも、確かにその指に感じるのだ。人ひとりの命をこの手で摘む、()を砕く硬さと脆さが──。

「っ……ぅぐ……っ! ひ……ぐ……うぅっ!」

 冷え切った皮膚した目の前の娘のみならず、目に浮かぶは──希望を抱いて一生懸命戦ってきた筈の、数多の眠る魔法少女──そして()()()。止め処なく溢れ出る涙を堪えられず、嗚咽を漏らしながら、立てかけたマスケット銃に縋りつく。

「……っごめ……なさっ……! ごめっ……なさい……っ! っう……ぅぅ……っ!」

 この旅路はいつまで続くのだろう。

 この殺戮はいつまで続けるのだろう。

 この業苦はいつまで私を苛むのだろうか。

 

 ──いいえ。これはきっと、私への罰なのだから──。

 

◆◇◆◇◆

 

 ──あの時(・・・)から数えて二度目の冬。凍て付く空気は澄み切り、そして灯りも無く月夜に照らされる。

 今日もまたここに──オレンジの薔薇の花束を抱えて来てしまった。

「──……」

 ──あすみちゃんが眠る場所。

 あれから私──巴マミは、ここで眠ってしまったあすみちゃんを毎日弔っていた。あすみちゃんの魂の残滓──グリーフシードは暁美さんに持ち去られてしまったけれど、あすみちゃんは──ここに眠ったから──。

「──あすみちゃん……」

 あのあと佐倉さんにゆまちゃん──二人とも行方が分からなくなってしまった。多分──また見限られでもしたのだろう。どこまでも甘くて、どこまでも弱くて、そしてどこまでも自分勝手な私は、きっと愛想をつかされたんだ。一度捨てられてしまった私が、二度もあの子達に一緒に居てもらえるなんて──無かったんだ。

 それに──。

「──私ね。今日もまた助けてあげたのよ……?」

 時を経て──今では高校生となった私。けれど今、あまり褒められない仕事をしている。と言うのも──。

「……あすみちゃんみたいに──魔女の運命へと囚われた娘を、また助けてあげたの……」

 ──魔女は魔法少女。

 ──魔法少女は魔女。

 私達魔法少女はソウルジェムを穢れ切らせたとき──いつか魔女へと身を堕とす。そして、あすみちゃんがそうだった。

「……っ、あすみちゃんっ……、……ひぐ……うぅっ」

 最期のあすみちゃん──肩を寄せ合って、私をおかあさんみたいって言ってくれたあすみちゃん。あの光景が、今でも目に焼き付いて離れない。──いいえ。あの光景だけは、忘れたくない。あすみちゃんは、確かにここに居たんだ。あすみちゃんは最後の最後に──本当のあすみちゃんとして、私に笑顔を向けてくれた。

 でも──。

"Iamsu ah Imma noanhece ot oihss in uirki n ad─!!"

 魔女になってしまうの、とても苦しかったんだと思う。じゃないときっと──あんな悲鳴あげないだろうから──。

"Ngeom en... Imma noanhece... Oihss in uikraanre et..."

 ──あんなに弱々しく、泣いて死ぬ事もないんだろうから──。

「っ……ごめんね……。ごめんね……っ……」

 死ぬときはせめて──微笑みながら死にたいよね。人間のまま、なんでもない幸せに包まれながら温かく死にたいよね。だからね……あすみちゃん……。

 私──もうあすみちゃんみたいに死ぬ子、誰一人として見たくないの……。

 魔法少女(魔女)さえ居なかったら、みんなもっと幸せになれたんだ。

 魔法少女(魔女)さえ居なかったら、あすみちゃんだって死んじゃうこともなかった。

 魔法少女(魔女)さえ居なかったら、あすみちゃんも今頃──幸せに──。

「……っ。っっ……」

 だから私は今──隣町にまで遠出して、魔法少女を魔法少女のまま死なせてあげてるの。魔女になる苦しみを味わうその前に、魔法少女として──苦しむことなく優しく殺してあげてるの。──それが、今の私の仕事。魔女(・・)の狩人。

「……ぇう……っ、……ひぅっ……!」

 それでも私は、人を殺してる事には変わりはない。死にたいなんて思ってしまう娘は居るかもしれない。でも殆どの娘は死にたくない筈。けれど──どちらも本質的には同じ事かもしれないのに、生きたいなんて常々意識する娘は、そうそう居ないのかもしれない。あの娘たちは、死にたいだなんてきっと思ってなかった。きっと死にたくなかった。もっともっと生きたかった。()を前に怯えるあの娘だって、あの時は生きたいと咽び泣いていたんだ。そんな娘たちの命を、私は摘み取ってしまっているんだ。だから、そんな私の手は──。

 ──いつだって(あか)く血塗られている。

「っ……ぁぁああ……っ! ぅぅ……ああぁぁっ! ごめんなさいごめんなさいっ……! ごめんなさいっ……うぅっ……!」

 生きたいあの娘達で積み上げられた死体の山に、私は立っている。山の頂上で、こうして膝を抱えながら噎び泣く。

 ──もういやだ。もう死にたい。

 されど、生きたいと思った事が私の『原点(ネガイゴト)』。そして──。

『あすみの分も、生きていてほしいな──』

 あすみちゃんが最期に私へ残してくれた、たった一つのお願い事(わがまま)。私は、あすみちゃんの言いつけを守らなきゃいけない。あすみちゃんの事を想うのならば、ずっとずっと生きなきゃいけない。どんなに苦しくても、どんなに死にたくても、どんなに両手を血に染めようとも──この生き地獄の中を生き続けなきゃいけない。だから──それまで、それまでは──。

「待っててね……あすみちゃん……、それまではごめんなさい……っ」

 魔女(魔法少女)が居なくなったのなら、私もそっちへ行って(死んでしまって)良いかしら──。

 今すぐにでもあすみちゃんに会いたい──穢れきった涙を流しながら、今日もまた──あすみちゃんの居るこの場所へ花束を捧げる。

 花言葉は『絆』──そして『幸多かれ』。

 橙薔薇の花束を照らすは、真夜中の澄み切った冬の大空に大輪の環を灯す、十二月の月光だった──。

 

◆◇◆◇◆

 

「おかあさんっ!」

「うんっ、なぁに?」

「どうかなっ? 似合ってる……かな……っ?」

 ひらりと切なげに靡くヴェールにフリル──ウェディングドレスに身を包むあすみちゃん。そのお顔は、ちょっと照れくさそうに──はにかむ笑顔。胸いっぱいの薔薇の──愛情たっぷりのブーケを抱えるあすみちゃん。明るく自由奔放なオレンジ色をした薔薇の髪飾り。その花言葉は──『絆』に『信頼』に──『幸多かれ』。幸せいっぱいに彩られるあすみちゃんのふんわりとした柔らかな髪は、かわいらしくも麗しい。

「えぇ、すっごく綺麗よ……。あすみちゃん……」

「えへへっ、ありがとうっ……!」

 はにかむ笑顔から、満面の笑みへ。目じりにちょっとだけ涙を溜めながらも笑むそのお顔は、まるで太陽みたいに眩しかった──。

 ──この笑顔の為に、私は今日まで生きてこれたんだ。

「──じゃあ、あすみ行ってくるね?」

 ふわっと馨しく散らす花弁雨の中、私に背を向けるあすみちゃん。

「えぇ、行ってらっしゃい」

 自分は『普通』かもしれない。

 けれど、その『普通』を好きでいてくれる子なんて、実はちょっと珍しい。

 あすみちゃんは『普通』を好きでいてくれる。

 そして『普通』を好きでいることを、とても大事にしてくれる。

 そんな大事な人から『大好き』が伝わってくる事こそ、最上の幸福。

 

 ──産まれてきてくれてありがとう。

 ──こんな私を想ってくれてありがとう。

 ──あすみちゃんに会えたこと、この世で一番の幸せだと思ってるわ──。

 

 だから、私は──。

 

「あすみちゃんならきっと、幸せになれると思ってた……!」

 

 

 

 

Fin.



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付録
補足情報・設定等&あとがき【読了後推奨】


注意

▼本項目について
 描写構成上の都合により劇中では描く事の無かった各登場人物のその後の動向や心理、一部設定および後書きを記載しております。そのためエピローグまでご覧になってから閲覧して頂く事をお勧め致します。



▼神名あすみ

 自らを取り巻く境遇を、そして禍中にて泣きじゃくる自分を助けてくれなかった世界を呪い『周囲の人間の不幸』を願った魔法少女。しかしながらその本質は、いつだって母性にも似た無償の愛情を渇望しており、もしも本当の自分を曝け出してなお受け入れてもらえる存在が居るとするならば、己が業を悔やむと共に自らの歩んできた昏い路が『普通』でなかったのだと突き付けられる事により、即刻魔女へと身を堕とすだろう。ただし一見して母性的であったとしても、その実『他者の弱さを理解出来ない、環境に恵まれた強者』等であった場合、他の魔法少女と同様に彼女にとっては嘲笑の対象であり且つ()とされるが為に注意されたし。

▼▼固有魔法:精神汚染

『周囲の人間の不幸』を願って手にした魔法。その力は強力無比で、洗脳・読心・読んだ心を映し出す心象風景結界の具現・記憶読み取りおよび改竄・認識改竄・トラウマ抉り・廃人化・強制絶望・催眠・催眠を応用した任意の生体器官の停止・人格改竄・人格乗っ取り・精神科による診断が不可能な未知の精神病の罹患──等、ココロにまつわる攻撃であらば凡そオールマイティであり、精神系統の魔法に於いては彼女の右に出る者はほぼ誰一人として居ない。ここで連ねた物はあくまでも一例であり、彼女自身が新たな精神攻撃法を思いつきさえすればそれも可能であると思われる。

 また上記の精神汚染魔法に加えて悪辣な事は、そうして荒稼ぎしたグリーフシードを用いるが為に多少──否、強引に無理を掛けた超物量物理戦法も可能としている為、精神系統の魔法を得意とするから物理攻撃は不得手──と言うセオリーは彼女に限っては成立していない。

 なおトラウマを抉って詰るとは言っても、それに伴うソースが被害者本人の記憶および神名あすみ自身の知恵や倫理観および常識に依存するが為に、それらの範疇から大きく逸脱した精神性を持つ者達が対象であった場合、単に精神力が強いが為に堪え切られるか、そもそも常人の価値観や倫理観を持たぬが為に神名あすみと言う名の常識人の繰り出す嫌がらせが全く効かないかして、精神汚染が上手く働かないか最悪無効化される恐れがあり、この類の者に対しては相性上不利になると考えられる。特に女神に至らんとする程の素質を持つ者や、救国の聖女と呼ばれし者、または己が特異な価値観を確固たる揺るぎない物とする類の本当の意味での狂人が相手となる場合には、神名あすみは手も足も出ないものと考えられる。後者について言うなれば、怨讐に浸る事へと逃げているだけの偽りの狂人が、本物の狂人には決して勝てない──と言う事。

 余談だが、彼女亡き後の隠れ家には、今も大量のグリーフシードが積み上げられている事は誰も知らない。

 

▼美樹さやか・鹿目まどか・呉キリカ・千歳ゆま

 本編および外伝コミックと同様であり省略。

 

▼佐倉杏子

 かつての幻影魔法──ロッソファンタズマは家族を皆殺しにしてしまったとも言える忌まわしき力であり、自らの願いを否定している事より基本的には使用不可能。本作劇中に於いては、今の自分を想ってくれている家族──千歳ゆまと巴マミを全力で守ってみせると言う想いから、神名あすみとの決戦時に限り一時的に再び使用が可能となった。

▼▼神名あすみの敗因

 家族の死。そして自らが愛していた父による宣告。間違いなく彼女自身のトラウマであり、本来であれば魔女化は避けられなかったものの、今の彼女が彼女であれる楔とも言える存在が千歳ゆまと巴マミだった。特に後者については、一度は雪の積もる中で絶望しかけた中にて繋ぎ止めてくれた事もあり、魔女でなく魔法少女として留まらせるに効果は絶大だった。よって巴マミの幻影を用いて詰ったのであれば魔女化の危険は考えられたが、あの時点での神名あすみにとっての巴マミ──例え自らが『魔女』であったとしても『大好き』と言ってくれる巴マミとは、愛すべき母同然の存在と思うか否かで揺らいでいた事から、悪夢に彼女の幻影が用いられなかったのは自らの巴マミ像を穢したくなかった事によるものと思われ、皮肉にもそれが杏子にとっては突破口となり得たのだろう。

 

▼美国織莉子

 原典である外伝コミックと同様、八重樫との諍いにより自らの背負う『大人』の重荷に堪えられず発狂寸前に追い込まれるが、公秀との実質上の和解により『大人』の重荷を下ろし、最期は鹿目まどかを殺害すべく、守護者である暁美ほむらとの決戦に挑んだ。劇中にもある通り、原典とは違い巴マミと佐倉杏子および千歳ゆまの不在により二対一の戦いとなり、暁美ほむらから見て初見ではない事から、彼女達の協力が無かろうとも同等に応戦する事自体は可能だった。だがリアルタイムでまどかを守りながらと言うのは困難を極めたのか、やはり彼女は死に際の織莉子の手により殺害され、本作時空に於いて救済の魔女が顕現する事は無かった。

▼▼神名あすみとの関わり

 神名あすみと対面すれば固有魔法である『未来予知』にて()るビジョンを認識改竄により汚染されるであろう事は予め予知しており、神名あすみとしても未来予知を用いて先回りされて葬られる可能性を予期していた事からお互いに遭遇せぬまま本作時空を終えた。また佐倉杏子に敗れ満身創痍であった神名あすみへと追い打ちを掛ける事により彼女の絶望──もとい魔女化・実質上の退場を期待出来た事から呉キリカを仕向ける事となった。

 

▼優木沙々

 毎度のごとく風見野にて自らよりも強い魔法少女を狩っては愉しんで、その過程で見滝原に乗り込み本来であらば呉キリカとの遭遇を経て美国織莉子と出会う筈が、神名あすみに魔女化させられ死亡。

▼▼固有魔法:強者操作

 自らよりも強い存在を洗脳し支配下に置ける厄介な魔法ではあるが、何を強者とするかは術者である優木沙々本人の主観による事が最大の弱点であると考えられる。と言うのも新約に於いてはやろうと思えば呉キリカを洗脳する事は可能である事を思わせる描写がある一方で、別編に於いては洗脳を用いて彼女を退けた訳ではない事から、当該時空に於いての呉キリカに固有魔法は効かなかったと考えられる。本作劇中に於いては認識改竄され、神名あすみをクソガキ──もとい自らよりも劣る存在、すなわち強者ではないと思い込まされた事により固有魔法を無効化されたまま嬲り尽くされる結果に終わった。

 

▼百江なぎさ

 いつかの時空にて、自らに貢ぐ女を『犬』と称したホスト──ショウと呼ばれた男が居た。彼に大金を注ぎ酔い痴れる魔法少女──伊津見尹縫が犬の魔女と化すとは、何たる皮肉な事か。なぎさの母の入院する病院に巣喰う『犬』を討つべく──そしてなぎさ自身の最期の矜持を貫くべく初陣に挑むも、『悪』を裁く殺人鬼により魔女を葬られる。だが葬られたのは魔女のみならず──なぎさの願い(母親)も同様だった。

▼▼巡り巡る因果

 Charlotteお菓子の魔女は結界内で好きなお菓子をなんでも生み出せる。だが自らが真に欲した筈のチーズだけは造れない。本来知り得ぬ筈の魔女の真名も、魔法少女だった頃の名前も──果ては魔女の持つ欲望も、あすみの固有魔法を以てすれば全てを知れ、また弱みに付け込む事でほぼ不戦にて狩れるもの。前述の魔女と巴マミとは本来相性が悪く、彼女が孤独な戦士でない限りはまず間違いなく敗戦濃厚だった事だろう。だがあすみに魔女は狩られ、結果として巴マミは生き延びた。

 ──これから業苦の(みち)を、呪い抱く生と共に歩もうとも──。

 

▼暁美ほむら

 劇中にもある通り、自らとは違う正義を以って対峙してきた──例えば美国織莉子等の魔法少女、または悪意すら無く理解不能な価値観を以って自分たちをあくまでもエネルギー源として消費せんとする異星人──キュゥべえには覚えがあるものの、明確な悪意に晒された試しは無かったが為に、対神名あすみ初戦に於いては冷静さに欠いた結果逃走してしまう。その際に巴マミと佐倉杏子および千歳ゆまごと消し飛ばせば、神名あすみを葬り去ることは容易かったものではあるが、暁美ほむらは自らが思っている程冷酷ではなく、巴マミは巴マミで、また佐倉杏子は佐倉杏子でほむらなりに大切な存在であった事により、上記の様な戦法は取れなかったと考えられる。そもそも鹿目まどか以外をどうでも良いと謳うのであれば、彼女以外の邪魔な存在を丸ごと葬り去れば手っ取り早い話ではあるが、そんな事に手を染めないと言う事は、暁美ほむらにとってはやはり皆は大事な存在なのだろう。

▼▼神名あすみの消去

 己が信条とする(エゴ)を改めて自覚した彼女からしてみれば、神名あすみおよびその魔女態である花嫁の魔女に負ける事は決して有り得ず、適切かつ高効率な手法を以ってその魂を解体する事だろう。今後の鹿目まどかを主役とする時空に於いては暁美ほむらの手により秘密裏に葬られる事から、神名あすみは二度と表舞台に上がる事は無くなると考えられる。言うなれば神名あすみは、その歴史から『消去』されたと言って良いだろう。だがもしも──彼女が『リボンを結ぶ』事があるのなら、神名あすみと如何にして対峙するかはまた別の話──。

 

▼巴マミ

 両親を亡くした事は誰が見ても不幸な事故にしか過ぎないだろうが、彼らを己の手で救えなかった事は──手を掴めなかった事は今でも彼女にとっての重荷であり、また罪である。ポータブル版と同様に最初は固有武器としてはリボンしか使えず、目の前で子供──男の子が断末魔を上げながら魔女に喰われるところを指くわえて見てるしか出来ぬまま敗走──と初陣は散々な結果に終わった。

『また私だけが生き残った』

 その罪悪感から、もう誰も目の前で死なせなんてしない、目についた人々を自分の手で救うんだ──と血の滲む努力を重ねた結果、現在の様にリボンから多量のマスケット銃を錬成する事に成功しており、また彼女の自罰から鍛練はそれに留まらず、さらに自らへの熾烈な苛めとも言うべき鍛練を重ねに重ね、RPGで言うなれば今も限界無くレベリングしている事と言えよう。故に少なくとも見滝原に於いては彼女を討てる魔法少女は居ないと見て良いと考えられる。

 無類の強さを誇る彼女ではあるが、そのココロは愛する両親を喪った少女のままで、大切な人を救えなかった罪滅ぼしですら無く、ただ誰かと一緒に──魔法少女となって手放したはずの温かな暮らしを心より渇望していただけだった。神名あすみにシンパシーを覚えた事も、九死に一生を得て例え命だけは助かろうとも、その後は大切な人が傍に居てくれないまま、救われないままずっとひとりぼっち──と言う自らの境遇と重ねた事によるものだろう。ひとりぼっち同士で、お互いの弱さを埋め合いながら『素敵な未来』を送る事が、彼女の何よりの夢だった。

 暁美ほむらの経たかつての時空に於いては、魔女化の真実を知ろうものなら発狂した末に心中を図ろうとすると思われており、現に暁美ほむらにとってはそれこそが巴マミを苦手とする要因となっている。だがよく見れば巴マミ自身に次いでベテランである杏子、時間停止能力と言う厄介な力を持つ暁美ほむらの順で狙った事から、極めて冷静にその命を刈り取ろうとしていたと考えられる。ただ唯一の誤算としては、鹿目まどかが己が感情と指先を切り離す事の出来る者だった事か。

▼▼魔女の狩人(Cacciatori di streghe)

 上記の事件にてもしも全員の命を砕いたのであらば、その後は自らの命も絶つか、魔女化する──暁美ほむらの見立てに沿えばこうなる。だが魔女化するのであれば、美樹さやかが人魚の魔女へと堕ちた光景を目の当たりにした時点──否、それよりも前に暁美ほむらの口から魔女化の真実を伝えられた時点で、自らもおめかしの魔女へと堕ちる筈であり、この事より暁美ほむらが評する程にその精神は惰弱──と言う事もないと考えられる。現に上記の如く極めて効率的に周囲の魔法少女を一瞬で狩り尽くそうとした。

 巴マミは長らく魔女を狩り続けていた。だが彼女にとってなにより堪えられなかったのは、自らが葬ってきた魔女が、あろうことか自分と同じ悩める少女の成れの果て──魔女は魔法少女であり、魔法少女は魔女でだった事。そして──かつて自らの手で魔法少女へと勧誘し、少なからずの少女達を破滅の道へ追いやってしまった事だろう。自分の手はいつだって、少女達の血で汚れていたのだ──。魔女(魔法少女)を狩らねば生きられず、また魔女によって命を奪われる人々が大勢いる事だろう。であれば魔法少女(魔女)を狩り続ける終わりなき旅路に赴く彼女も、ある時空によっては居たかもしれない──。大切な人を守れなかった手は、いつだって血に(あか)く染まるが如く幻視してしまい、魔法少女を狩った夜には部屋の隅っこで『ごめんなさい』と啜り泣き、それでも魔女に堕ちる程に穢れる事は出来なくて、また自分だけ生き延びてごめんなさいとむせび泣く。かと言って自ら命を投げ出せられる訳もなく、あの子の『生きて欲しい』との遺言が彼女を縛り付ける。そして夜が明ける(・・・・・)まで──幾多もの命が消え去る(サマ)に目を背け、涙を呑んで逃げ果せ、そして堪え切るしかなかった──。そんな彼女が総ての魔女(魔法少女)を狩り尽くした暁には、きっと今度こそ自死を選ぶだろう。

 ──尤も、ソレは決して叶えられぬ望み(しあわせ)なのだろうが──。

『待っててね……あすみちゃん……、それまではごめんなさい……』




あとがき

 先ずは長らくのお付き合いに感謝致します。

▼神名あすみについて
 2012年の7月16日にて、神名あすみが産まれてきてくれた記念すべきスレが立てられました。当該スレの>>1さんが言うに、魔法少女まどか☆マギカの映画が放映されるので、架空のキャラクターを作り上げてファンを釣ろうと言う事です。この手の安価を用いて架空キャラを作り上げるスレは、途中で異物が混じった途端に台無しにされるのが世の常ではありますが、この時は奇跡的に『らしい』安価が揃い、キャラ造形も設定も──そしてデザインしてくださった見知らぬ絵師様がたにより命が吹き込まれた末に、同年8月9日にてTwitter等でまどマギ新編のキャラクターとして拡散されました。当時のTwitter人口としてはそのRT数は凄まじいもので、およそ7000もの数を叩き出し、神名あすみと言う虚構から産まれた一人の少女の名を知らしめました。その勢いはなんと原作者である虚淵氏も言及された程で、スレ民であった筆者としましては言い知れぬ高揚感に打ち震えていた事でした。そして翌日である8月10日を以って、一連の騒動は釣りであり、神名あすみなる少女は存在しなかったのだ──と種を明かされ、その様は宛らシンデレラの魔法が解かれるかのよう。およそ1か月、同スレ内にてあすみが産まれ出づるその瞬間を目の当たりにしながら過ごすそのひと時は僅かながらではありましたが、とても楽しい夏の思い出として、入道雲から秋晴れに浮かぶうろこ雲の彼方へと霧散して逝きました──。
 ──そして幸か不幸か、私は神名あすみに魅入られてしまった。

▼当時のSSについて
 同年9月2日。当時のニュー速VIPに於いてはSS文化が盛んであり、まどマギのジャンルに於いても同様でありました頃でしょうか。確かに神名あすみの名は、確かにまどマギ界隈の歴史へと刻み込まれました。ですがかつて程の勢いは、件の騒動より一ヶ月を経た当時でさえ衰えていたものです。そこで私は、不束ながら筆を執りました。『神名あすみが生きた証を、もう一度刻みたい──』と言う思いを胸に抱きながら──。して、二日間ほどお掛けしまして、どうにか一スレ内にて収めつつ完結に漕ぎつけられる事となりました。神名あすみと言う女の子は、産まれた経緯も然ることながら、その生きた道筋もさらには性格も千差万別です。私は私の想う神名あすみと言う人となり、そして彼女の生きざまを書き記せたかと思います。神名あすみの生きざまを見てくださった方々には、心より感謝を申し上げます。
 また一つ余談ですが、あすみの武器はモーニングスターと安価で指定されておられました。しかしながらモーニングスターと言えば鎖鉄球と言うよりは、先端に鉄球のついた鎚を指す物と存じております。一方で実際にデザインとして起こされました際には鎖鉄球──すなわちフレイルを手にするあすみが見られました。ならばフレイルとモーニングスターの可変武器にすれば、戦略の幅が広がって面白いのではないか──と考え、当時より本作に於いては可変ハンマーとして描かせて頂きました。

▼リメイクにあたって
 2020年現在、元SSを書いた年より8年──10年近い間にも渡る長い時を経ています。流石にこれだけ経ってしまおうものなら、人々の記憶から薄れゆくか、はたまた神名あすみという一人の悲劇的な女の子が居た──なんて、ご存じでない方も居られて当然でしょう。何せ時代は令和です。神名あすみが産まれてきてくれた時代は平成。時代を跨いでしまえる程の長い長い時を経ました。その期間にて、神名あすみと言う名は徐々に徐々にと──少しずつ風化し薄れゆくのだろう──と、時の無常さそして残酷さを肌で感じつつ、自らの中に今でも燻ぶる思いが胸の中に淀んでいた事は常々自覚していました。
 ──神名あすみは死んでいない。
 ──神名あすみは生きている。
 ──神名あすみは確かに居た。
 神名あすみの名をもう一度刻み込みたい──と、はちきれんばかりの想いを胸に再び筆を執りました。台本形式のSSが決して劣る物だと言うつもりもなく、寧ろ私は台本形式SSの世界で育ってきており、漫画を読むが如き馴染み深さや懐かしさを今でも感じており、常々恋しく思っている程です。一方で地の文が無ければ表現出来ず──地の文があればこそ表現出来得る『想い』もある筈です。実際のところ、以前より常々この形式を以って『神名あすみ』を記したいと心に秘めていました。されど筆が乗らず、ダラダラと、筆を執っては筆を投げ、今か今かとあすみを想う日々。ですが、令和の時代に突入して暫く経った事もあってか、どうしてか導火線に火が灯され、アフターファイア(スポーツカーのマフラーもとい排気ガス口から火を噴くアレ)をぶっ放しながら突っ切って、改めて神名あすみの人となり、そして生きざまを刻み付ける事が可能となりました。地の文地の文とは申し上げましたが、不束者である事には変わりはないのだろうと自責の念に囚われております。ですが、これが今の私の全力。これが今の私のあすみへの想い。これが今の私が出せる神名あすみへの愛の結晶なのだ、と声高らかに宣言したい所存です。

▼私の想う神名あすみ
 神名あすみとは誰よりも愛情が信じられず、そして誰よりも愛情に飢えていた娘でしょう。と言うのもあすみはマザコンの気があります事から、母親からは止め処なくこれでもかと愛情を注ぎ尽くされていたかと考えられます。あすみんは可愛いですしね。しょうがないですね。けれど父には母子とも捨てられ、果ては母を亡くししてその後は凄惨な虐待をその身に受ける訳です。そこで不幸中の幸いならぬ、寧ろ不幸中の不幸であってしまった事と言うのが──神名あすみは自尊心が高めと言う事。母親に対してだけは些か自己犠牲そして自罰的な側面を垣間見せるでしょうが、それでも母親からは目一杯愛情を注ぎこまれている事より、自分は愛してもらえる女の子であり、そして自分が酷い目に遭うなんて一切我慢ならないワケです。わたしなんかこんな目にあって当然──そう淀んだ思いに堕ち、果ては凌辱の末に発狂してしまえたならばどれほど一元的でラクだった事でしょう。ですがあすみは()()()()()()()()()()()()()のです。だからあすみは凶行に走ったのでしょう。わたしがこんな目に遭ってるのに、何でわたしだけが悪者なんだ──と。わたしがこんな目に遭ってるのだから、オマエ等全員不幸になってしまえばいいんだ──と。そのためのソウルジェム。その為の固有魔法。母親との温かな暮らしから一転し、まさに文字通り金と暴力と███、そして金と暴力と███に塗れた世界へと沈め込まれたあすみは、目につくものすべてを自分の藻掻き苦しむ毒沼へと引き摺り込もうとします。綺麗は汚い。汚いは綺麗へと。幸せが不幸へと転じた世界を実現すべく、日々呪いを振い振り撒く神名あすみ。人と人の悪意と悪意がぶつかり合う様だったり、自業自得の業に自滅する者だったり、はたまた不幸とは無縁だった者が突如として不幸へと垂直落下する者を見ては嗜好として嘲嗤ったり──と、その所業はまさしくド畜生のソレであり、端から見れば狂人そのものと言える事でしょう。ですがもともとは母親想いの優しい女の子だっただけに、根は真人間のソレとも考えられます。そのココロは、世界は残酷と定義する事で、自分の遭ってきた境遇を『普通のコト』として正当化したい一心。自分をこんな境遇に追いやって、その上誰も助けてくれなかった世界への復讐心からあのような願いが引き出された事であろうな、と。かと言って『人間』としての自分を忘れる事も、また不幸にも狂う事すら出来ないまま見た目だけ狂人として振る舞う事でしか生きられない、毒沼で永遠に藻掻き続けるが如き可哀相すぎる人生。更には今更善人に戻ろうなんてしても──再び幸せを掴もうなんてしても、優しい娘としてのあすみがその業に、また自分が『普通』などではなかった事に堪えられる筈もなく魔女化直行──と、どの道毒沼に沈んで逝くと言う、誰の手を借りようとも救えない人生でしょう。涙を禁じ得ません。そしてあすみ本人からすれば、その涙も侮辱同情に値し堪ったものではなく一発で魔女の餌行きとなる事でしょう。泣いてくれるなら何で助けてくれなかったの。あなたが助けてくれるの? なら助けて見せてよホラホラホラと人間を魔女に生きたままバリバリ食わせるのが神名あすみ。そして嗤うんです。嘲嗤うんです。『不幸』の正当化の為に嫌々狂人として振る舞ってる──かと思えばあすみちゃん、実際のところ人が苦しむ様を見て少なからず楽しんで──いや大分と愉しんでます。それこそが神名あすみの()()()()()たる所以です。かと思えば根は真人間。そんな真人間に繋ぎ止める唯一の楔が『母親』の存在だったのだろうな、と。あすみからすれば神聖視されている『母親』ですが、自分たちを捨てた父親の行方を海外出張と誤魔化してしまったのも巡り合わせの悪さであり、これが無ければきっとあすみの復讐心はそこまでは育たなかったものかと。と言うのも糞親父と再会するまでは、あすみの中では優しいお父さんでしかなかったものかと。しかし自分たちを捨てて新しい妻と餓鬼をこさえてる所を見れば『反転』する筈です。自分はこんな目に遭ってるのに──と、真っ当な愛情を抱いてただけに憎過ぎて、ついぞ「自分の知る周囲の人間の不幸」を撒き散らしたと考えられます。可愛さ余って憎さ千倍とは末恐ろしい……。以上を持ちまして、神名あすみは誰にも救えない──果ては女神にすら救えない可哀相な生き物です。女神にすら──と言うのは当時のスレ内でも囁かれていた事で、あまりにメタ特攻過ぎるかとも思われますが、あすみちゃんよりも後に続々と「この子って女神に救えるんですかね……? 願いを受け止めてもらえるんですかね……?」と思わないでもない子が増えてまいりましたが、それはそれとして。
 余談ですがあすみちゃん、魔法少女として契約しないとしてもそれはそれでこれからも不幸な人生を歩んでく事だろうと存じます。彼女の芯は不幸の正当化にあり、魔法少女も魔女も人間も喰い散らかすのはあくまでもその為の手段の一つなのであって、自らが魔法少女でないなら別の手段を以って己が不幸を正当化する事だろうと考えられます。例えば自ら██に走る等の事により、伯父から受けた██が当然の事なのだ、と。だからそれが当然な世界に浸る事で不幸を正当化するかと思われます。もうあすみが救われる世界線なんてどこ探してもなさそうです。もしもあったとしても『まっとうに幸せなあすみ』は私の知る神名あすみでないので……。
 最後にもう一度、自分の遭ってきた目が『嘘』になる。神名あすみにはそれが一番堪え難い。だから、是が非でも自分が不幸だった事が当然で普通な世界を作らなきゃならない。不幸で無くて済んだ、つまり今の自分は普通じゃないなんて世界があってたまるか。それが神名あすみ。
 小さな躰の中で、ずっとずっとそのココロをズタズタにされたまま、そして自らズタズタにしながら藻掻く神名あすみが私は大好きです。愛してます。I’m addicted to KANNA Asumi.

▼最後に
 およそ20万もの文字に及ぶ中、最後までお読み下さり、ここまで長くお付き合い頂き誠に感謝致します。そして私の思う神名あすみの生涯・生き様を見届けて下さり本当にありがとうございました。今まで読んで下さった貴方の心の片隅に、神名あすみと言う一人の少女の存在を置いてくださるのならば、それこそ私にとっては幸いです。彼女は確かに、存在したのだと──。


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