Habsburgreich (gh0sttimes)
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プロローグ

1914年、サラエボを訪問中のフェルディナント大公とその妻であるゾフィー·ホテクがスラブ系のセルビア人青年のガブリロ=プリンツィプにより暗殺された。

これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに対して宣戦布告。

これは単なる報復戦争のはずであった。

しかし、複雑に絡まりあった安全保障条約が発動し、ヨーロッパ中を巻き込んだ大戦争に発展した。

1915年には大日本帝国がドイツ帝国に宣戦布告。

戦火は東アジアにまで及んだ。

しかし、山東半島の占領に失敗したことにより、極東での戦闘は沈静化。

その後はイギリス軍の攻撃により、山東半島は占領された。

その頃、欧州ではドイツ軍がシュリーフェン·プランを実行し、ベネルクス地方への侵攻を開始。

これを受け、ベルギーに独立保障をしていた英国がドイツ帝国に宣戦布告。

英仏連合軍はベルギー防衛のため、軍隊を派遣。

ベルギー戦線での防衛は見事に成功し、ドイツ軍を押し返した。

その2年後の1917年12月13日にドイツ帝国が降伏した。

その頃、中東では、負け続きのオスマン帝国でぶちギレたトルコ人の社会主義者の指導の下、トルコ革命が発生。

トルコ社会共和国を樹立し、協商陣営と単独講和を結び、戦争から離脱。

これにぶちギレたオーストリア=ハンガリー帝国はトルコ社会共和国へ宣戦布告。

トルコ西部を3か月程で制圧し、コンスタンティノープルを首都とするオスマン帝国を再興した。

これにより、トルコは東西に分裂。

その後、オーストリア=ハンガリー帝国はイタリアへの攻勢計画«イシュトヴァーン·プラン»を実行に移し、1921年1月13日にイタリアを降伏させた。

オーストリア=ハンガリー帝国は部隊をアルプス山脈に輸送。

フランスへの攻勢計画«アウスグライヒ·プラン»を実行に移し、1922年1月1日にフランスを降伏させた。

これを受け、協商陣営はオーストリア=ハンガリー帝国と講和を結び、第一次世界大戦は終結の時を迎えた。

その後の講和条約では、プロバンス地方をオーストリア=ハンガリー帝国に割譲。

イタリアについては、北部をオーストリア=ハンガリー帝国に割譲。

南部にはオーストリア=ハンガリー帝国の傀儡国家であるイタリア連邦が建国された。

これによって、世界が平和になる···

はずがなかった。

戦後、ドイツでは、ヒトラー率いるナチスが勢力を伸ばし、1933年1月13日に政権を掌握。

旧領奪還を目指し、軍拡を始めた。

イギリスでは、長く続いた戦争によって、国民の不満が爆発。

国王を追放し、イギリス共和国を建国した。

さらに、フランスでは北部のフランス共和国と南部のフランス=コミューンに分かれ内戦に突入。

北米では、米国政府が日本に接近。

日米同盟を結び、オーストリア=ハンガリー帝国のアジア植民地を狙っている。

最早、第二次世界大戦は避けられない。

 

国家紹介

 

ハプスブルク協定

 

·オーストリア=ハンガリー帝国

政治体制:同君連合型権威民主主義

第一次世界大戦の戦勝国。

世界中に植民地を持っている。

しかし、領土の拡大により、国内では、民族構成がカオスなことになっている。

ハプスブルク皇帝はインド洋諸島王位、シリア帝国皇位を兼任している。

 

·イタリア連邦

オーストリア=ハンガリー帝国の属国。

 

·オーストリア=ハンガリー領インド洋諸島王国

オーストリア=ハンガリー帝国の植民地。

 

·オーストリア=ハンガリー領シリア帝国

オーストリア=ハンガリー帝国の植民地。

 

·セルビア王国

政治体制:権威民主主義

オーストリア=ハンガリー帝国の同盟国。

 

·オスマン帝国

オーストリア=ハンガリー帝国の属国。

 

 

第三インターナショナル

 

·フランス=コミューン

政治体制:権威社会主義

第一次世界大戦後、革命が起きたことにより、成立した国家。

 

·トルコ社会共和国

政治体制:権威社会主義

オスマン帝国とは対立している。

 

 

連合国

 

·アメリカ合衆国

政治体制:自由民主主義

大日本帝国とは仲がよい。

 

·大日本帝国

政治体制:権威民主主義

極東の列強。

 

·ロシア連邦

政治体制:保守民主主義

アメリカの支援により、成立した国家。

 

·フランス共和国

政治体制:自由民主主義

南部のフランス=コミューンと対立している。

 

·奉天軍閥

政治体制:権威民主主義

日本の庇護下にある。

 

·フィリピン共和国

政治体制:軍事独裁

東南アジアの国家。

 

·インドネシア共和国

政治体制:自由民主主義

1935年のオランダ内戦によって独立した国家。

 

·ベトナム共和国

政治体制:自由民主主義

フランス内戦のどさくさに紛れて独立した国家。

 

·アイスランド共和国

政治体制:自由民主主義

日本と同盟関係にある。

 

·イギリス共和国

政治体制:保守民主主義

北アイルランドがない。

 

·ブラジル連邦共和国

政治体制:自由民主主義

南米の国家。

 

 

枢軸国

 

·ドイツ国

政治体制:国家社会主義

ナチス政権下のドイツ。

 

·イラク王国

政治体制:軍事独裁

中東の国家。

 

·イラン帝国

政治体制:ファシズム

中東の国家。

 

·イギリス王国亡命政府

政治体制:国家社会主義

カナダにいる。

本土奪還を目指している。

 

·パラグアイ共和国

政治体制:軍事独裁

周辺国によくタコ殴りにされる。

 

 

 

 

年表

 

1922年2月13日 オーストリア=ハンガリー帝国と協商国との間でプラチスラヴァ条約が締結される。第一次世界大戦が終結。

 

プラチスラヴァ条約

 

·イタリア王国政府はオーストリア=ハンガリー帝国政府にイタリア北部を割譲する。

·南部は親墺政権を樹立し、イタリア連邦の領土とする。

·フランス共和国政府は植民地を全て、オーストリア=ハンガリー帝国政府に譲る。

·フランス共和国政府はプロバンス地方をオーストリア=ハンガリー帝国政府に割譲する。

·ドイツ帝国植民地については、オーストリア=ハンガリー帝国政府が管理する。

·ドイツの太平洋植民地については、日本政府が管理するものとする。

·ポルトガル政府はアジア植民地をオーストリア=ハンガリー帝国政府に割譲する。

 

 



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第二次世界大戦

·ロシア連邦
ロシア革命が失敗したことで、資本主義のままになっている。
しかし、帝政は廃止されている。
ウクライナなどの領土は失っていない。

·大日本帝国
民主主義最後の砦と呼ばれている。
(えっ? 民主主義最後の砦はアメリカだって? ···内務人民委員部(НКВД)に連絡してきます。)

·アメリカ合衆国
カリフォルニア州のどこかの田舎町に日本軍の軍事基地がある。

·犬養毅
大日本帝国の首相。
今回は暗殺されずに生き残っている。
10年以内での女性参政権の実現に向け、あれやこれやと忙しくしている。

·コーデル=ハル
アメリカ合衆国の外交官。



1939年9月1日。ドイツ軍がポーランドに侵攻したことにより、ポーランドに独立保障を掛けていたオーストリア=ハンガリー帝国とロシア連邦がドイツに宣戦布告。

さらに、イギリス連合王国亡命政府は本土奪還を目指し、イギリス共和国とフランス=コミューンに宣戦布告。

フランスは国土統一を目指し、フランス=コミューンに宣戦布告。

第二次世界大戦が始まった。

 

その頃、日本国内では···

 

沖縄のとある米軍基地では、犬養毅首相とコーデル=ハル駐日大使とロシア連邦のモロトフ駐日大使が話しあっていた。

「オーストリアは社会主義の壁である。オーストリアが負けたら、赤化トルコが勢力を伸ばしてしまう。今はオーストリアに協力するべきだ。」

「だが、どちらかの陣営側で戦ったとしても、勝った方が肥大化する。独墺両国に宣戦布告するべきだ。」

「いや。オーストリアを打倒するべきだ。」

 

こんな感じで会談はヒートアップしていった。

しかし、最終的にはナチスの勢力拡大を防ぐという点で一致。

翌日、日米ロの3ヶ国はナチスに対して宣戦を布告した。

 

この時の日本の新聞(帝都新聞)

 

«本日未明、帝国政府はナチスへ宣戦を布告せり»

本日未明、帝国政府は悪しき侵略国家であるナチスドイツ政府へ宣戦布告を通達した。

我が友邦«アメリカ合衆国»のハリー=トルーマン大統領は我が国の方針を支持。

全力で協力するという声明を発表した。

 

«米国国防省が在日米軍に出撃準備態勢への移行を指示»

米国国防省は日本の対独宣戦を受け、嘉手納基地の米軍部隊に総動員を発令。

嘉手納基地では、緊迫した空気が流れている。

ダグラス=マッカーサー嘉手納方面軍総司令官は記者に対し、「戦争は全力でやる。さもなくば、敗北あるのみだ。つまりは何事も全力でヤることが大切だ。」と語った。

これを受け、帝国陸海軍にも総動員を発令。

前橋飛行場と上越飛行場は即時待機状態に移行した。

 

«ハリー=トルーマン大統領 日米合同軍の創設を我が国に提案»

本日未明、アメリカ合衆国のハリー=トルーマン大統領は首相官邸に日米合同軍の創設を提案する文書を送った。

帝国政府は即日、この提案を受諾。

来週の月曜日までに日米合同軍の創設を目指す方針を固めた。

日米合同軍の総司令官には米軍のジョージ=パットン陸軍中将が就任することとなっている。

 

«オーストリア=ハンガリー帝国政府 我が国に海軍部隊の欧州への派遣を要請»

9月5日午後2時頃、オーストリア=ハンガリー帝国政府は我が国に海軍部隊の欧州への派遣を要請した。

帝国政府は即日、この要請を受諾し、欧州に山本五十六長官率いる大西洋艦隊を欧州に派遣することを決定した。

 



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新たな仲間

1939年9月1日

オーストリア=ハンガリー帝国 ボヘミア王国 プラハホール

ホルティ=ミクローシュ視点

 

ボヘミア王国の都市であるプラハでは、第五回東西民族会議(第五回主要民族会議)が行われていた。

「では、第五回東西民族会議を始めさせていただきます。今回の議題はイタリア王冠領の設置についてです。3分間の時間をあげますので、各自、賛成か反対かを決めてください。」

 

私はそういって、近くの人と意見を出し合うことにした。

 

「あなたは今回の議題についてどう思いますか?」

「私は賛成です。しかし、イタリア連邦との国境を解放したほうがよいかと。」

「私も賛成だ。イタリア北部は現在、オーストリア帝冠領とされているが、イタリア人はゲルマン民族でもなければ、マジャール人でもない。我が国は多民族国家だ。イタリア王冠領の設置は重要と考える。」

 

2分後・・・

 

「3分経ちましたので、ケツを採ります。賛成の方はいますか? 1.2.3.4.5.6.7.8.9··· 22人。 反対の方はいますか? 1.2.3.4.5.6.7.8.9··· 10人。賛成が多数となりましたので、イタリア王冠領の設置を可決しました。」

こうして、イタリア王冠領の設置が可決された。

 

その頃、エカテリンブルグでは···

 

エカテリンブルグの飛行場では、米軍のB-29と日本軍の零戦が並んでいた。

その中に、日本軍の将校の軍服を着た者がいた。

坂井三郎である。

彼は大日本帝国海軍第一航空隊の指揮官だったが、軍部からの命令で日米合同防空軍の総司令官に就任した。

そんな彼の元に一人の兵士が駆け寄ってきた。

「司令官! 連合艦隊より入電! 我、マダガスカル沖にて、ドイツ海軍を発見。」

「そうか。では、これから、ドイツ占領下のトブルクに対する空爆を行う。海軍航空隊はB-29の護衛を行え。」

「了解!」

 

その後、大量のB-29と零戦が飛び立っていった。

その後、日米合同防空軍は途中でオーストリア=ハンガリー帝国空軍と合流。

トブルクを目指した。

 

2時間後、トブルクへの空爆は成功し、ドイツ軍の中東侵攻は回避された。

 

その頃、南米では···

 

南米では、パラグアイ共和国が隣国であるボリビア多民族国に宣戦布告。

ボリビアに独立保障を掛けていたブラジル連邦共和国がパラグアイに宣戦布告。

さらに、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、コロンビア、ベネズエラ、ペルーがパラグアイに宣戦布告。

南米での権益を得ようと考えたアメリカ合衆国、大日本帝国、ロシア連邦、オーストリア=ハンガリー帝国、インドネシア共和国、ベトナム共和国がパラグアイに宣戦布告。

このように、宣戦布告の嵐は一週間ほど続いた。

しかし、パラグアイ軍はゲリラ戦術で13日間ほど耐えた。

だが、戦争の流れは変えられず、1939年9月21日にパラグアイ共和国は無条件降伏を宣言した。

戦後、パラグアイはパラグアイ川を境にボリビアとブラジルに分割されることとなった。

 



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大東亜政略指導大綱

·南部省連邦
中国南部にある国家。
アメリカの傀儡国家である。
首都は昆明。

·南蒙古連邦
日本の傀儡国家。
首都は北京。

·中華民国
ドイツと密約を結んでいる。
首都は南京。

·殲撃01
ドイツ空軍からレンドリースされた中華民国空軍のロケット戦闘機。
me262の劣化版。



1940年11月5日。

ワシントンD.C.では、日米間である話し合いが行われていた。

 

「トルーマン大統領。大東亜政略指導大綱についてですが、極東を我々の勢力圏。ヨーロッパ、アフリカ、中東をアメリカの勢力圏に組み込むという形にしました。」

 

«大東亜政略指導大綱»

それは、日米を中心とした戦後世界の平和構想である。

史実では、大東亜戦争の戦後構想として出されていたが、この世界では、アメリカと対立していないため、日米を中心とした戦後世界の平和構想となっている。

 

「はい。ですが、ロシア連邦はどうしますか?」

「それについてですが、ロシアは日米共同の勢力圏とするという意見が先日の御前会議で出されました。」

「では、そのようにしましょう。我が国の議会では、このようなものになりました。」

アメリカ側の代表が日本側の代表に«環太平洋条約機構(PRTO)の結成»という書類を見せた。

「太平洋地域の安全保障ですか。ハワイ、ミッドウェーへの日本軍配備・・・。将来的に起こる対墺戦に向けての準備ですか?」

「はい。」

「では、そのようにしましょう。」

この話し合いによって、大東亜政略指導大綱が日米両国の間で採用されることとなった。

 

その頃、中華民国と奉天軍閥の国境地帯の街では···

 

瀋陽では関東軍と米軍が演習を行っていた。

 

「今回の演習では、ゲリラ部隊がデパートを占領したという想定で行う。今回はアメリカ側がゲリラだ。よろしく頼む。」

 

その時だった。

 

ビューーン!!

「うん? 何の音だ?」

レシプロ機の音が演習場に響いた。

「うん? 青い丸に太陽··· 中華民国空軍か!? すぐに迎撃機を出せ!!」

 

ドカーン!!

 

次の瞬間、その戦闘機は爆弾を投下し、日本軍の飛行場を破壊した。

これは、すぐさま電報で伝えられ、大本営は大混乱に陥った。

翌日、中華民国は大日本帝国に宣戦を布告。

日本と同盟関係にあるアメリカ合衆国も中華民国に宣戦布告。

その属国である南部省連邦、南蒙古連邦、奉天軍閥も中華民国に宣戦布告。

日中戦争が開戦した。

 

«ウーウーウー!!»

満州の市街地では、けたたましい空襲警報が鳴り響いている。

1940年11月10日。

満州は最悪の朝を迎えた。

中華民国空軍の戦闘機が市街地を無差別に攻撃。

最初はアメリカ空軍と大日本帝国海軍航空隊の迎撃機により、被害を抑えることができていたが、殲撃01の登場により、日米連合軍は苦戦を強いられた。

さらに、日本軍の初動対応の失敗により、尖閣諸島が中華民国の手に落ちてしまう。

 

次は沖縄だ。

 

そう確信した大本営は独自の作戦を決行する。

 

 

尖閣諸島上空

中華民国空軍戦闘機部隊

 

尖閣諸島上空では、日本本土攻撃のため、中華民国空軍の戦闘機25機が飛んでいた。

 

「本国から飛んできたが、日本の戦闘機が一機もいないな。朱雀(戦闘機のコードネーム)。これから、福岡を爆撃するんだろ? どういう風に行くんだ?」

「ああ。このまま直進する。」

 

そんな時だった。

 

ビューーン!!

 

「うん? あれは・・・ B-29!? 朱雀! 追いかけるぞ!!」

 

B-29は速度を上げ、中華民国空軍の戦闘機を引き離していった。

 

「我々を無視した? まさか、やつらの狙いは本国か!? 通信を繋げ!!」

「了解! 指令部!! B-29が本国に向かっています!」

「何だと!? すぐに迎撃機をだす!! 一旦戻っt」

「指令部? 指令部!? 応答せよ!!」

 

南京では、巨大なキノコ雲が現れた。

日本軍が使用したのは、大和型戦艦の砲弾を爆弾として転用したもので、B-29に載せられるようにしたものだ。

これにより、南京は壊滅。

この作戦が成功したことを受け、ロシア連邦が中華民国に宣戦布告。

ロシアの対支宣戦は中華民国に厭戦気分を蔓延させ、1941年1月13日のウルムチ陥落により、中華民国政府は日米ロに対し、講和を申し出た。

 

1月14日には停戦命令が発令され、日中戦争は終結した。

1月23日にはロサンゼルスにて講和条約«ロサンゼルス条約»が日米中の間で締結され、ウルムチはロシア領とされた。

また、日本に奉天軍閥との国境地帯を割譲し、上海はアメリカ領となった。

残りの土地は中華民国に存続となった。

 

 

 



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デジャヴ

1941年12月4日。

ナチスドイツはフランス=コミューンと独仏不可侵条約を締結し、西方の安全を確保。

その4日後に、ロシア連邦のムルマンスク軍港に奇襲攻撃を仕掛け、ロシア連邦に侵攻を開始。

ドイツの同盟国であるイランとイラクもロシアに宣戦布告した。

このことは日米両国にも伝えられ、日米ロ三国同盟条約の規定に従い、日本からは石原莞爾率いる奉天作戦隊(史実の関東軍)、アメリカからはダグラス=マッカーサー率いる欧州ロシア方面軍が出動した。

3日後には日本軍と米軍のロシア戦線への到着により、モスクワまで迫っていたドイツ軍をツァーリーグラード(史実のスターリングラード)まで押し返すことに成功した。

しかし、ドイツ軍のGWTigerの出現により、再びモスクワまで撤退した。

これを受け、日本軍は車輪型自走地雷を前線に投入。

これにより、ドイツ軍は撤退を開始。

1942年12月14日にはツァーリーグラード攻防戦が始まった。

ロシアの冬将軍は厳しく、ドイツ軍の戦車が低温で動かなくなったりとロシア優勢で進んだ。

1943年5月4日にはツァーリーグラード最後のドイツ軍部隊が降伏。

ツァーリーグラードの奪還に成功した。

 

その頃、日本では···

 

大日本帝国 阿頼度島

 

阿頼度島では牟田口陸軍中将が指揮する千島防衛師団が駐留していた。

 

「今日も平和ですね。ヨーロッパの連中が羨ましいです。」

「そうだな。この辺りにはロシア海軍やアメリカ海軍もいるからな。それだけ安全なんだ。」

 

しかし、その平穏は轟音とともに崩れさった。

 

「うん? あれは・・・ カナダ軍!? すぐに迎撃機を出せ!!」

 

それと同時に零戦が300機ほど飛んでいった。

しかし、一歩遅かった。

カナダ軍の戦闘機は日本軍の飛行場に爆弾を投下。

阿頼度島は大打撃を受けた。

その頃、米国でも同じようなことが起きていた。

 

アメリカ合衆国 五大湖南側

 

「敵機来襲! 敵機来襲!」

「第一航空隊発進せよ!」

「カリフォルニアの日本軍基地に連絡しろ!」

「了解! カリフォルニア陸軍基地へ連絡! 戦闘機を出動させてくれ!」

それと同時に零戦やヘルキャットが飛び立っていた。

その直後、飛行場にカナダ軍が爆弾を投下し、飛行場は破壊された。

カナダとの国境に近い町では、カナダ軍の爆撃が行われ、国境地帯の都市は火の海になった。

翌日の1943年5月14日。

イギリス王国亡命政府はオーストリア=ハンガリー帝国率いるハプスブルク協定の国々とアメリカ合衆国率いる連合国の国々に宣戦を布告した。



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予想外の出来事

1945年1月6日。

ウラジオストクでは日·米·ロ·墺洪の軍の司令官が集まり、話し合いが行われていた。

 

「山本司令官。アメリカ側では、このような提案が出ています。」

「ノルマンディー及びブルターニュ半島への上陸作戦ですか。」

 

フランス解放作戦の話し合いだ。

 

「はい。ゲオルギー=ジューコフ将軍率いるロシア連邦軍第一機甲軍団がノルマンディーへの大規模上陸作戦を主導。それと同時に牟田口廉也将軍率いる大日本帝国陸軍北方作戦隊がブルターニュ半島に上陸。北部のロシア軍部隊と合流し、そのままパリを目指すという作戦です。その間に我が軍がニュルンベルクへ原爆を投下します。」

 

そんな時、一人の米軍兵士が部屋に駆け込んできた。

 

「司令官! 緊急です!」

「どうした?」

「ウィーンがドイツ軍によって陥落しました! オーストリア=ハンガリー帝国政府はサラエボに首都を移し、徹底抗戦を表明。ドイツ軍はサラエボへ迫りつつあります。」

 

「何だと!?」

「となると、ノルマンディー上陸作戦を早急に開始する必要が出てきたな。バルカン戦線に展開しているロシア軍部隊は何個師団だ?」

「120個師団です。追加でイタリア連邦軍15個師団が前線に移動中とのこと。」

「そうか。インドネシア軍に連絡してくれ。バルカン戦線への派兵を頼むとな。」

「了解!」

 

1か月後の1945年2月6日。

大和と武蔵によるブレスト軍港への艦砲射撃と同時にアメリカ軍を主力とする大軍がブレストへ上陸。

パリを目指し、侵攻を開始した。

 

「ypaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 

ノルマンディーでは、日本軍の万歳突撃により、メルヴィル砲台のドイツ軍に多数の死者が出ていた。

さらに、増援としてインドネシア軍が来たことで、ドイツ軍は耐えられなくなり、1945年8月14日にメルヴィル砲台を放棄。

 

その頃、ニュルンベルクでは···

 

エノラ=ゲイ機内

 

「なぁ。これを投下すれば、戦争は終わるんだよな?」

「さぁな。投下!」

 

ドカーーン!!

 

ニュルンベルクは巨大なキノコ雲とともに消滅した。

このニュルンベルクへの原爆投下はドイツに対する効果は絶大であり、ドイツ国内では、厭戦気分が蔓延した。

1946年1月4日には米軍がパリを解放。

ロシア戦線では、1946年5月14日にロシア軍がワルシャワを解放。

オーストリア=ハンガリー帝国の支援に向かった。

 

オーストリア=ハンガリー帝国 セルビア民族領ボスニア=ヘルツェゴビナ共同統治国 プリイェドル

 

バババババ!!

 

プリイェドル市街では、墺洪·露連合軍がドイツ軍相手に苦戦していた。

 

「クソ!! こちら、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍第一歩兵師団! 公民館の近くの敵が多すぎる!! 増援を!」

「こちら、大日本帝国陸軍歩兵第13連隊!! そちらに増援を送る!!」

「了解!」

 

プリイェドルでは、牟田豊治将軍率いる大日本帝国陸軍歩兵第13連隊とヴェコスラブ=ルブリッチ将軍率いるオーストリア=ハンガリー帝国陸軍第一歩兵師団が協力し、ドイツ軍と戦っていた。

さらに、バルカン戦線へのインドネシア軍到着により、ドイツ軍はさらに不利になった。

1947年2月7日にプリイェドル攻防戦が終了。

1947年6月17日にウィーンを解放した。

これを受け、インドネシア軍、オーストリア=ハンガリー帝国軍、大日本帝国軍、ロシア連邦軍はドイツ本土に進軍するのであった。

 



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千年帝国の崩壊

1948年1月2日。

フランス=コミューン連邦の首都であるヴィシーでは、日・墺洪・米・仏の首相が話し合っていた。

 

「トルーマン大統領。我が国の国民はフランスの統一をのぞんでいます。」

「フランス統一は認めますが、プロバンス地方については返還できません。それでもよろしいですか?」

「はい。今のところは大丈夫です。その見返りとして、対独宣戦を行います。」

「それは頼もしい。では、オーストリア=ハンガリー帝国軍が南ドイツ一帯を占領したら、対独宣戦を行ってください。」

「わかりました。我が国はフランス統一のみが条件ですので、ドイツ領土はそちらの方で管理してください。」

「わかりました。」

 

このような形で会談が終わった。

この会談はヴィシー会談と呼ばれ、フランス=コミューンの対独宣戦が決定した。

 

1948年1月5日。

フランクフルト上空では、日本軍の爆撃機≪08式戦略爆撃機≫が飛んでいた。

 

「なあ、宏。ニュルンベルクでの原爆投下で沢山の人が死んだんだろ? なんで俺らは同じことをしようとしてるんだ?」

「さぁな。上の奴らからの命令だからな。軍人たるもの従うしかない。」

「はあ・・・。そろそろ目標だ。3,2,1、投下!」

 

ドカーン!!!

 

そんな轟音とともにフランクフルトは消滅した。

この爆撃によって、南ドイツ最後のドイツ軍部隊が壊滅。

それと同時にオーストリア=ハンガリー帝国軍が南ドイツへ一斉に侵攻を開始。

1948年2月13日には、ヴァルデンブルクを占領。

それと同時にフランス=コミューン軍がドイツへ侵攻を開始。

同盟国であるトルコ社会共和国もドイツに宣戦布告。

1948年2月21日にはケーニヒスベルクから西進してきたロシア軍と日本軍とインドネシア軍がゼーロウ高地に進軍。

1月7日にゴッドハルト・ハインリツィ率いるヴァイクセル軍集団と日印ロ連合軍が接敵。

ゼーロウ高地の戦いが始まった。

オーデル川付近では、ドイツ軍が防衛拠点を築いており、ゲオルギー=ジューコフ将軍率いるロシア連邦防衛軍第一歩兵軍団を苦しめた。

しかし、インドネシア海軍航空隊とアメリカ空軍によるオーデル川への爆撃により、ドイツ軍陣地は壊滅。

オーデル川を渡り、ヴォータンラインへ進撃を開始した。

ヴォータンラインではドイツ軍が長い塹壕や機関銃陣地、対戦車壕を構築しており、ロシア軍の戦車には手榴弾で対抗した。

そのため、ロシア軍や日本軍に多大な損害が出た。

これを受け、日本軍とロシア軍は一時的にゼーロウ高地まで撤退。

体制を立て直し、再び進軍を開始した。

 

ヴォータンライン

ドイツ軍

 

バババババ!!!

「撃て撃て!!」

「ギャア!!」

 

ヴォータンラインでは、マンシュタイン将軍率いるベルリン防衛隊とロシア軍が激しい戦闘を繰り広げていた。

 

「こちら、ベルリン防衛隊第一軍団!! 第二軍団、聞こえるか!?」

「こちら、ベルリン防衛隊第二軍団!! こちらは持ちこたえられそうにない!」

 

ちっ、砂漠のキツネでも無理か。ならば、プロイセン軍人として最後の一兵まで戦ってやる!!

マンシュタイン将軍はそう思い、部下に命令した。

 

「撃て!! 撃ち続けろ!!」

 

ババババババ!!

 

しかし、マンシュタイン将軍の奮戦もむなしく、ベルリン防衛隊は壊滅。

翌日にはインドネシア軍がライヒスタークを占領。

ライヒスタークにはインドネシアの国旗が掲げられた。

これは後に、ライヒスタークの紅白旗と言われることとなる。

1948年5月12日にはヒトラー総統が自殺。

翌日の朝5時13分にドイツ政府は無条件降伏を宣言した。



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鷲を狩れ

·阿修羅
大日本帝国軍のジェット戦闘機。
アメリカ軍のF-86セイバーを改良したもの。

·50式戦車
大日本帝国陸軍の現代戦車。
性能は61式戦車と同じぐらい。

·B-51ストラトフォートレス
アメリカ空軍のジェット戦略爆撃機。
史実より1年早く配備されたため、このような名称になった。

·朱雀
大日本帝国軍のジェット戦略爆撃機。
B-47ストラトジェットを改良したもの。


1950年2月4日。

ドイツ降伏の2年後、日米ロ土の四か国は枢軸国の生き残りであるイラクとイランへ侵攻を開始。

さらに、ロシア軍は枢軸寄りだったアフガニスタンにも侵攻。

アフガニスタン軍の装備の中にはドイツ軍の装備もあったが、旧式のものであったため、ロシア軍の敵ではなかった。

1950年8月7日にはカブールを占領。

アフガニスタンは降伏した。

イラクでは、アメリカ軍がF-86セイバーを用いて、イラク空軍を圧倒。

これの支援のため、船坂中将率いる日本陸軍第一歩兵師団がイラクに侵攻。

日本軍は50式戦車を用いて、同盟国であるサウジアラビア領から北上。

各地でイラク陸軍を圧倒し、1951年1月4日にはファルージャに迫った。

ファルージャでは、ドイツ軍の敗残兵からなるゲリラ部隊とイラク陸軍4個師団が防衛にあたっていたため、日本軍に大きな損害が出た。

 

ファルージャ中心市街

 

パンッ!

 

「ヒット。」

 

「ちっ。どこだ!?」

 

日本軍の状況を悪く思ったアメリカ軍は当時最新鋭であったB-51ストラトフォートレスを用いて、ファルージャを爆撃。

ファルージャに駐留していたイラク陸軍のほとんどが壊滅した。

その3日後には、アメリカ軍がバグダッドを占領。

イランは1952年5月6日に降伏した。

 

その頃、日本では···

 

大日本帝国 東京

霞が関 軍事司令庁ビル

 

ここは、軍事司令庁ビル。

1941年5月2日にアメリカの建設会社«スピーディーバード»と日本政府が協力して工事を進め、1943年8月4日に完成した20階建てのビルだ。

1950年1月2日に改装が行われ、電算機室などが造られ、内装も現代的になっている。

そんな施設の一階では、一人の男性が受付にいました。

 

「名前と階級をお願いします。」

「山下奉文。軍事統合司令部司令官です。」

「・・・はい。確認出来ました。」

「ありがとう。」

 

彼はそう言うと、受付を通過し、エレベーターに乗った。

 

「えーと、17階は・・・ これだ。」

 

«上へ参ります。»

 

機械音声とともにエレベーターは上に上がっていった。

 

15秒後···

 

«17階です。»

 

そんな機械音声とともに扉が開いた。

彼は廊下を進み、軍事統合司令部司令室と書かれた部屋に入った。

 

「戦況は?」

「はい。イラク戦線では、アメリカ軍がバグダッドを占領。イラン戦線では、全体的に我々が優勢です。」

「それは良かった。」

 

そんな時、一人の兵士が駆け込んできた。

 

「失礼します!」

「なんだ?」

「アンカレジにて核爆発を確認。それよりも前にカナダ軍の爆撃機が単機で現地に侵入していたとのこと。」

「原爆投下ぐらいじゃアメリカは死なない。」

「そっ、それが・・・」

「どうした?」

「ニューイングランドでアメリカの前線が突破されました! ワシントンD.C.まで20キロの地点までカナダ軍が迫っています!」

 

 

 

 

 

 

 



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決戦

1952年6月7日。

アメリカの東海岸の街は最悪の朝を迎えた。

カナダ軍の爆撃機がアメリカの主要都市に次々と爆弾を投下し、都市は火の海と化した。

さらに、ニューイングランド戦線が崩壊。

アメリカ軍はずるずると後退し、ニューイングランド全域が占領されてしまった。

さらに、その後も後退を続け、ワシントンD.C.まで20キロの地点まで侵攻された。

これを受け、大日本帝国は船坂中将率いる第一混成機動師団をアメリカに派遣。

ワシントンD.C.まで2キロのところで、カナダ軍を食い止めることができた。

それから2日後の1952年7月2日。

ロシア連邦軍とオーストリア=ハンガリー帝国軍がラブラドル半島南部に上陸。

カナダ本土戦が始まった。

さらに、1952年11月10日には南蒙古連邦軍15個師団と大日本帝国陸軍25個師団がアラスカから侵攻を開始。

北部に部隊を張り付けていなかったカナダ軍はアラスカ戦線を突破され、カナダ軍はタギシュ湖近くのタクまで撤退した。

タクではカナダ軍25個師団が日蒙連合軍の侵攻に対処するため、駐留していたが、アメリカ軍のB-51ストラトフォートレスの爆撃により、タクは火の海となった。

そこに、今村中将率いる大日本帝国陸軍北米軍団が侵攻。

この作戦は成功し、タクのカナダ軍部隊を排除。

占領した。

1953年1月6日にはアメリカ軍が国境付近のカナダの都市であるカルガリーに侵攻。

カルガリー攻防戦が始まった。

アメリカ軍は最新鋭の戦闘機であるYF-7Aを前線に投入。

これを受け、日本軍はジェット戦闘機«秋水改»をカルガリー攻防戦に参加させた。

秋水改は1945年1月7日に開発されたロケット戦闘機«秋水»を1949年9月14日に改良したもので、1946年の時点でロシア軍最強と呼ばれたMig-9との模擬空戦で25戦25勝という驚異の記録を出した。

 

カナダ カルガリー上空

アメリカ空軍&大日本帝国海軍航空隊&ロシア防空軍vsカナダ空軍

 

カルガリー上空では、日米ロ連合軍の戦闘機部隊とカナダ空軍が激しい空戦を繰り広げていた。

「こちら、カナダ空軍カルガリー防空隊! 敵が多すぎる!」

 

カナダ空軍は未だに改修したことのないグロスターミーティアを使っているのに対し、連合国軍側は第二世代型ジェット戦闘機を配備している。

技術面で大きな差が出たのだ。

これにより、カナダ空軍の戦闘機はどんどん撃墜されていった。

空戦は1953年1月7日5時25分に終わり、連合国軍の勝利であった。

その後、1953年8月4日にチャーチルが陥落。

4日後の1953年8月8日にオタワが陥落し、カナダは無条件降伏を宣言した。

 



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第八次対仏大同盟

カナダの降伏により、第二次世界大戦は1953年に終結した。

この戦争の死者はほとんどが核や空爆、大陸弾道ミサイルによって死亡した民間人であった。

この戦争の講和会議はウィーンで開かれ、その場で敗戦国の運命が決められた。

まずは、中国。

日本は民族問題解決のため、南蒙古連邦を解体。

中華民国に編入させた。

さらに、中華民国では、汪兆銘が総統に就任。

しかし、アメリカは南部省連邦を解体せず、そのまま存続。

これは、13年後に起きる民族紛争の原因となる。

次に中東。

アフガニスタンはロシア連邦領に編入。

イランはアメリカの委任統治領。

ロシア連邦はカフカース地方での民族問題を解決するため、ジョージアを独立させ、クルド連邦を成立させた。

イラクは北部をトルコ社会共和国に割譲し、それ以外の地域は日本の委任統治領となった。

次にヨーロッパ。

ドイツは東プロイセンをポーランドに割譲。

南ドイツはオーストリア=ハンガリー帝国の傀儡である南ドイツ連邦とされた。

ナチスドイツの同盟国であったオランダはフランスの傀儡であるオランダ社会主義共和国に再編された。

さらに、リトアニアがポーランドと統合。

ポーランド=リトアニア共和国が再興された。

東ドイツ地域はロシア連邦の傀儡であるドイツ連邦共和国、西ドイツ地域はフランス=コミューン傀儡のドイツ民主共和国となった。

ギリシャは北部をオーストリア=ハンガリー帝国に割譲。

南部はオスマン帝国領となった。

次に北米。

カナダはラブラドル半島をアメリカに割譲。

太平洋沿岸地域は日本に割譲となった。

さらに、イギリス王室は王位を剥奪され、カナダはカナダ共和国として独立した。

中南米では、パナマ共和国が独立したが、政情不安により、15年後にパナマ社会主義共和国が成立することとなった。

最後に南米。

パラグアイはアルゼンチンとブラジルで分割となった。

このような内容で第二次世界大戦は終わった訳なのだが、新たな問題が発生した。

日仏冷戦である。

これを受け、1960年8月4日に日本やアメリカを中心とする35ヶ国が第八次対仏大同盟を結成。

 

参加国

 

·アメリカ合衆国

·大日本帝国

·カナダ共和国

·ロシア連邦

·ベネズエラ共和国

·奉天政府

·イギリス共和国

·イタリア連邦

·オスマン帝国

·ポルトガル共和国

·オーストリア=ハンガリー帝国

·ドイツ連邦共和国(東ドイツ)

·南ドイツ連邦

·オスマン帝国

·セルビア王国

·インドネシア共和国

·ノルウェー王国

·クルド連邦

·ベルギー王国

·メキシコ合衆国

·カナダ共和国

 

これに対する対抗として、フランス=コミューンは第五インターナショナルを設立。

多数の社会主義国家が加盟した。



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険悪

·スペインの核ミサイル発射
スペインの核ミサイル発射はスペイン国軍が4回に渡って行ったオーストリア陣営に対する挑発行為である。
1960年1月6日にはICBM«カタルーニャ1型»をインド洋に向けて発射した。

·国際連合
1945年の国際連盟解散に伴い、1945年6月2日に新たに設立された。
現在の安保理の常任理事国は大日本帝国、アメリカ合衆国、イギリス共和国、ロシア連邦、オーストリア=ハンガリー帝国。
1958年8月2日には、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝であるフランツ=ヨーゼフ3世が国連に民族問題を解決するための組織として«民族共存委員会»の設立を提案。
全会一致で可決され、民族共存委員会が設立された。


1963年12月4日。

フランス=コミューンの首都パリにある国防省の指令室では、作戦会議が行われていた。

 

「今回の作戦は5つのフェーズに分かれている。まずはフェーズ1。核ミサイルをニューヨーク、フィラデルフィア、長崎、広島、大阪、京都、台北、ツァーリグラード、エカテリンブルクに向けて発射する。その後、ムンバイに駐留している日本艦隊を殲滅。同時に南ドイツ連邦、ドイツ連邦共和国に侵攻する。次にフェーズ2。ドイツ全土を手中に収めた後、第234飛行爆撃隊と第439飛行爆撃隊はボートゥールIINを用いて、サラエボ、バルセロネット、ロンドン、ワルシャワ、コンスタンティノープル、ウィーン、ベオグラード、リヤドに対して爆撃を行う。次にフェーズ3。トルコ社会共和国軍がサウジアラビア、イラン、二重帝国植民地であるシリアに侵攻。これを占領する。次にフェーズ4。潜水艦を用いて、米国本土を攻撃。同時に同盟国であるキューバに部隊を移動。米国本土各地に上陸。米国を殺しにかかる。同時に、トルコ軍はイランから、インドに侵攻。東南アジア侵攻作戦の準備を行う。最後にフェーズ5。トルコ占領下のカルカッタに大規模な航空基地を整備。東南アジアや中国に爆撃を仕掛ける。同時にトルコ軍にオスマン帝国への侵攻を行わせる。あとは、日本本土や米国本土に侵攻するだけだ。何か質問はあるか?」

「はい。」

「どうした?」

「フェーズ1で東京を攻撃しないのはなぜですか?」

「東京を攻撃した場合、日本の世論が炎上するからだ。他にあるか・・・ ないな。作戦は1年後の1964年2月4日に開始する。」

 

1964年1月10日

大日本帝国 東京

国防省

 

ここでは、統合司令部総司令官である小泉純也と陸軍大臣である吉田茂が話し合っていた。

「つまり、フランス=コミューン軍の活動が活発になっているということか?」

「はい。オーストリア=ハンガリー帝国軍からの連絡によると、フランス軍は核ミサイルを配備している可能性があるとのことです。」

「はぁ・・・。スペインの度重なる弾道ミサイル発射で苦労しているというのに・・・。国内に配備している迎撃ミサイルの数は?」

「はい。260発です。しかしながら、フランス軍は500発以上のICBMを展開しているとのこと。」

「アメリカに協力してもらうしかなさそうだな。アメリカに連絡してくれ。沖縄に迎撃ミサイルを展開してくれとな。」

「了解! あっ。あと、もう一つ連絡があります。」

「どうした?」

「オーストリア=ハンガリー帝国海軍地中海艦隊からの連絡ですが、ジブラルタル海峡にて仏西間の瀬取りを発見したとのこと。」

「えっ?」

 

 

 

 

 



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紛糾

·プロバンス危機
オーストリア=ハンガリー帝国領の帝国直轄領プロバンスとフランス=コミューンの国境地帯にて起きた小規模な武力衝突。
核戦争の一歩手前までいった。

·ゼロファイターA1
1947年頃に輸出用に作られた零戦をジェット戦闘機に改造したもの。
機体は緑色のままである。

·北樺太共和国
第二次世界大戦中にドイツから逃げてきたユダヤ人がロシアから提供された北樺太に建国した国家。

・マダガスカル共和国
アフリカの国家。
日本の貿易相手国の一つである。

・在阿機動艦隊
アフリカ地域の監視のためにアフリカ周辺で活動している日米連合艦隊。
ミズーリや武蔵などもこの艦隊に所属している。

·日本コモロ駐留軍

オーストリア=ハンガリー領コモロ諸島に駐留している日本軍部隊。



1964年1月12日。

ニューヨークにある国連本部では、安全保障理事会が開かれていた。

まず、最初に発言したのは日本側の代表である金子文六である。

「ですから、フランス軍が核ミサイルを配備しているのは明確です! 先日のプロバンス危機の際のことも知っているはずです! フランス軍は帝国直轄領プロバンスの民間人に対して機銃掃射を行ったのですよ! 直ちに国連軍を結成し、フランスに侵攻するべきです!」

「だが、確固たる証拠がない。兵士も一人の人間だ。無駄死にさせる訳にはいかない。」

 

このように、安全保障理事会は紛糾していた。

そんな時···

 

「んっんっ! 議長。発言の許可をお願いいたします。」

 

オーストリア=ハンガリー帝国の代表であるリカルド=テサリクであった。

 

「証拠ならこちらにあります。まずはこちらの写真をご覧下さい。」

「これは、プロバンスか?」

「はい。先日のプロバンス危機の際に我が軍の戦闘機«ゼロファイターA1»から撮影されたものです。あと、こちらも。」

「うーむ・・・」

「我が軍の諜報機関が撮影したフランス軍基地の様子です。こちらにはフランス軍の核ミサイルが写っています。」

「わかった。国連軍を結成しよう。」

その2日後、25ヵ国からなる国連軍が結成された。

 

参加国

 

·大日本帝国

·アメリカ合衆国

·ロシア連邦

·オーストリア=ハンガリー帝国

·ベトナム共和国

·クルド連邦

·オスマン帝国

·イタリア連邦

·ブルガリア共和国

·奉天政府

·サウジアラビア王国

·ポルトガル王国

·南部省連邦

·メキシコ合衆国

·カナダ共和国

·エジプト王国

·ドイツ連邦共和国

·南ドイツ連邦

·ブラジル連邦共和国

·中華民国(汪兆銘政権下)

·インドネシア共和国

·パラオ共和国

·ミクロネシア連邦

·北樺太共和国

·エチオピア帝国

 

後方司令部はロシア連邦のエカテリンブルクに置かれ、ここから、対仏戦の司令を行うこととなる。

そんな中、1964年1月13日。

アフリカで突如、モザンビーク社会共和国がマダガスカル共和国に侵攻を開始。

モザンビーク海峡戦争が始まった。

モザンビーク軍は1月14日午前0時3分にソアララの砂浜海岸から侵攻を開始。

マダガスカル軍との交戦はあったが、小規模なものであった。

1月14日午前4時23分にはソアララを占領し、アンタナナリボへ向け、進撃を開始した。

この頃になって、マダガスカル政府はようやく、日本との連絡に成功。

マダガスカル政府は日本政府に援軍を要請。

日本はこれに応じ、狩野雄介率いる在阿機動艦隊をモザンビーク海峡に派遣。

1月15日午前1時12分には在阿機動艦隊がモザンビーク海軍と衝突。

まず、日本の偵察機がモザンビーク海軍の軍艦を発見。

連絡を受けた在阿機動艦隊は大和や武蔵による砲撃を開始。

貧弱な装備しか持っていないモザンビーク海軍は3時間の海戦の末、壊滅した。

その後、日本の陸戦隊がコモロから出撃。

マダガスカル軍の海兵隊と合流し、モザンビーク南部のイニャンバネに上陸を開始。

モザンビーク分断のため、シクアラクアラへ進撃を開始した。

1週間後には分断に成功。

北部との連絡が取れなくなったモザンビーク政府はエチオピア政府の仲介を受け、1964年1月30日に日本及びマダガスカルに対して、講和会議の開催を申し入れた。

その後の講和会議はエチオピアの首都であるアディスアベバで開かれ、«アディスアベバ講和条約»が締結された。

内容としては、モザンビーク島を日本に100年間割譲するというものであった。

 

 



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第三次世界大戦

·GHQ
連合国軍最高司令官総司令部の略称。
日米ロ土の4ヶ国によって構成されている。
最高司令官はサイモン=B=バックナー=ジュニア。
肺ガンで病死したマッカーサーに代わって就任した。

·A25ムスタファ
トルコ陸軍の現代戦車。
1960年5月7日に配備された。
性能は61式戦車ぐらい。

·十六式二十一糎自走砲
大日本帝国陸軍の自走砲。
第二次世界大戦の時にドイツ軍から奪ったGWTigerを元にして作られた自走砲である。

·M75リトルモンスター
日本陸軍の戦車の機動力に注目したアメリカ陸軍がチハを元に作った戦車。



1964年2月10日。

この日は世界にとって、最悪な日となった。

フランス=コミューン政府がオーストリア=ハンガリー帝国政府に対して、プロバンス地方の返還を要求。

オーストリア=ハンガリー帝国政府はこれを拒否し、南ドイツ連邦やオスマン帝国などの同盟国に軍隊の総動員を要求。フランス=コミューンやベネルクス社会主義連合共和国との国境に軍を配備した。

オスマン帝国はトルコ社会共和国との国境に軍を配備した。

これを受け、大日本帝国やアメリカ合衆国も大西洋やインド洋に大艦隊を派遣。

その2日後、フランス=コミューン率いる第三インターナショナルはオーストリア=ハンガリー帝国や大日本帝国に宣戦を布告。

第三次世界大戦が始まった。

早速、トルコ社会共和国軍は作戦の通りにサウジアラビアや連合国軍占領地域への侵攻を開始。

 

連合国軍占領地域 タブリーズ

日本陸軍

 

「国境警備部隊より連絡! トルコ軍及びフランス軍が越境を開始!」

「すぐに国境地帯の街に避難警報を発令しろ! GHQにも伝えてくれ!」

「了解! こちら、日本陸軍イラン占領軍第二軍団! GHQ! 応答せよ!」

「こちらは連合国軍最高司令官総司令部です。状況は司令官から聞いています。占領軍の一部をマシュハドから移動させ、前線に向かわせています。」

「了解! 早めに頼む!!」

 

その3分後、アメリカ陸軍3個師団がチャルドラーンに到着。

トルコ陸軍戦車部隊と衝突した。

 

連合国軍占領地域 チャルドラーン

 

チャルドラーン平原に出た米軍と日本軍はトルコ陸軍のA25ムスタファ戦車部隊と衝突した。

戦力はこんな感じ。

 

大日本帝国陸軍戦車部隊

 

·24式重戦車 50両

·十六式二十一糎自走砲 40両

 

アメリカ陸軍戦車部隊

 

·M60パットン 60両

·M75リトルモンスター 40両

 

トルコ陸軍

 

·A25ムスタファ 100両

 

フランス陸軍戦車部隊

 

·SP-4バルセロナ 50両

 

 

「10時の方向に敵!」

「よし! 1両殺った!」

チャルドラーン平原には大量の戦車の残骸が転がっている。

トルコ軍のA25ムスタファの性能は非常に高く、国連軍側に大きな損害が出た。

これを受け、アメリカ軍はB-51ストラトフォートレスを用いて、チャルドラーン平原を爆撃。

この爆撃により、連合国軍占領地域に侵攻してきたトルコ陸軍部隊は壊滅。

これを機に、日本軍はマシュハド空軍基地から爆撃機«阿修羅»を離陸させ、トルコ社会共和国領であるキルクークを爆撃。

キルクークには迎撃機が一機も無かったため、キルクークは破壊しつくされた。



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ブルガリア内戦

·ブルガリア王国
ハプスブルク協定の加盟国。
イラク北部紛争の難民が大量に流れ込んでいるため、自国民に手が回らないという事態が起きており、ソフィアでは、現地住民と警察との間で衝突が起きている。

·イラク北部紛争

トルコ社会共和国とイラク共和国の国境紛争。

·多目的小型電算機
所謂、パソコンのこと。
この世界では、1962年に軍用に開発された。
当時のディスプレイは単に映像を表示するだけのもので、スタンドアローン(オフライン)であった。
計算などはディスプレイに接続された高速情報処理装置が行った。
また、ソフトなのは入っていないため、毎回、一からプログラムを組む必要があった。
設置費用は15億円。


1964年12月12日。

ハプスブルク協定の加盟国の間で衝撃が走った。

ブルガリア王国の首都であるソフィアでデモをしていた民衆に対し、国家警察である首都圏特殊機動警察が発砲。

これにより、ブルガリア国民の不満が爆発。

民衆からなるブルガリア自由国民軍と政府軍との間で内戦が発生したのだ。

 

ソフィア どこかの路地裏

 

ここでは、ブルガリア自由国民軍の兵士が武器を準備していた。

「ほらよ。特製のモロトフ=カクテルだ。奴らにぶちこめ。」

「オーケー。」

そんな時、一人のゲリラ兵が駆け込んできた。

「た、大変だ!」

「なんだ!?」

「オーストリアが政府軍側で参戦した! 既にA-98(オーストリア=ハンガリー帝国空軍のジェット戦略爆撃機)がここに向かってきている!」

「何だと!? 対空ロケットランチャーを使え!」

「だが、爆弾を満載した爆撃機が落ちてきたら、ソフィアが吹き飛ぶ! 俺らも犠牲になっちまう!」

「クソッ! 全員、爆撃が終わるまで下水道に籠るぞ!」

 

ソフィア上空

オーストリア=ハンガリー帝国空軍A-98爆撃機隊

 

「こちら、A-98。目標に到達。指示を。」

「民間人及び政府軍の避難は完了している。爆弾を投下せよ。」

「了解!! 爆弾槽開け。」

「投下!!」

それと同時に10万発もの爆弾が投下され、ソフィアは火の海になった。

この爆撃により、ブルガリア自由国民軍の兵士15人が死亡した。

 

ブルガリア王国 臨時首都プロブディフ

対反乱作戦司令部(プロブディフ陸軍基地)

 

臨時首都となったプロブディフにあるプロブディフ陸軍基地にその司令部はあった。

 

「司令官。先ほどのオーストリア=ハンガリー帝国空軍による爆撃は全く効果がありませんでした。やはり、陸軍部隊を送り込むべきかと。」

「ああ。実は先日、増援として日本軍が到着した。ウィーンで待機しているらしい。日本軍部隊と連絡をとってほしい。」

「了解!」

その兵士はそういうと、無線機に向かった。

「こちら、ブルガリア王国陸軍。聞こえますか?」

「はい。こちら、大日本帝国陸軍欧州作戦軍団。こちらはウィーンに到着しています。」

「了解です。」

そういって、その兵士は無線機を置いた。

「司令官。日本軍部隊との連絡が取れました。」

「そうか。」

 

 

息抜き

 

ウィーンでは、牟田口陸軍中将と峯木十一郎陸軍中将が話し合っていた。

「しかし、ウィーンは歴史のある街ですな。」

「そうだな。シュテファン大聖堂はもう見たか?」

「ああ。なかなか綺麗な大聖堂だったよ。ゴシック様式の建物は日本ではあまりみないからな。」

 

 

 

 

 



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ソフィア解放作戦

1965年1月4日。

ブルガリア軍は日本軍と協力し、ソフィア解放作戦を開始した。

1965年1月4日午前7時頃にブルガリア=日本連合軍はイスクル川周辺でブルガリア自由国民軍と衝突した。

 

戦力

 

大日本帝国陸軍

 

チリ改 500両

レオパルトA1+ 500両

 

 

ブルガリア陸軍

 

ミサイル自走砲 500両

チハ改 80両

自走型奮進爆雷 50基

 

アメリカ空軍(後方支援)

 

B-51ストラトフォートレス 50機

F-4ファントム 600機

 

「こちら、日本陸軍第一混成師団!! イスクル川対岸からの砲撃が激しすぎる! 救援を求む!!」

「こちら、日本陸軍欧州作戦隊!! 戦車部隊を送る!!」

「了解!!」

 

ブルガリア自由国民軍は農民の集まりであるものの、ゲリラ戦術を使い、日本陸軍を苦しめた。

そこで、日本軍はサーモゴーグルを用いて、ゲリラ戦術に対抗。

これにより、1965年1月14日の午後にはイスクル川の防衛ラインを突破。

渡河に成功した。

その後、日本軍とブルガリア軍はソフィア市街に侵入。

ブルガリア自由国民軍は下水道に立て籠って抵抗するが、人数が減りすぎたブルガリア自由国民軍はジリジリと押し込まれていった。

 

ブルガリア ソフィア 下水道

大日本帝国陸軍歩兵連隊

 

バババババババッ!!!

 

「こちら大日本帝国陸軍!! 敵部隊は少ない!!」

「了解!! こちらも順調だ!! お前ら逝くぞ!! урааааааааааааааа!!」

 

日本軍による攻勢は驚くほど順調に進んでいった。

 

その頃、東京では・・・

 

大日本帝国 東京

国防省陸軍指令部

 

「状況は?」

「はい。非常に良好でソフィアの下水道に潜んでいるゲリラを撃滅しつつあります。」

「そうか。引き続き、攻勢を行ってくれ。」

 

そんな時、一人の日本兵が指令室に駆け込んできた。

「失礼します!! 朝鮮総督府より連絡! 平壌にて社会主義者が蜂起しました! 既に朝鮮北部が制圧され、北緯38度線を越え、ソウルにせまりつつあります!」

「その他の勢力は?」

「はい。確認が取れた限りでは蒋介石政府と中国共産党のみです。」

「蒋介石は第二次世界大戦中に我が軍が逮捕したはずだ。なのになぜ・・・」

「どうやら、蒋介石の跡継ぎのようです。」

「まあいい。朝鮮方面軍に連絡。反乱軍を撃滅せよ。」

「了解!! こちら陸軍司令部! 朝鮮方面軍全軍に告ぐ。反乱軍を撃滅せよ。」

 

京城

 

京城の中心市街では、日本軍とゲリラ部隊との間で大規模な戦闘が起きていた。

「こちら、朝鮮方面軍!! 敵が多すぎる!! 救援を求む!!」

「無理だ! こっちも敵がかなり多い!」

 

 

ヒトラー:さて、朝鮮での反乱を鎮圧を鎮圧することは出来るのでしょうか?

    次回「帝国の危機」 お楽しみに!!

(分かるよー。 ルーデンドルフ君。 君が欲しいのは戦力だろぉ?)

 

ルーデンドルフ:ハイジネタ止めてください。それと、すぐ近くまでソ連軍が来ていますよ。

 

ヒトラー:(\^o^/)オワタ



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帝國の危機

スターリン:ちょび髭の美大落ちに代わって実況をさせて頂きます!
      ( `・∀・´)ノヨロシク


1965年1月23日。

朝鮮での大規模蜂起を受け、アメリカ政府は日米同盟の規定に基づき、朝鮮に軍隊を派遣。

反乱軍の鎮圧にあたった。

 

大日本帝国 クァイル自治州西部の海岸

米第七艦隊

 

1965年1月23日午前0時15分頃、米第七艦隊と海兵隊輸送船団は黄海に侵入。

午前0時37分頃にはクァイル郡の沿岸に接近。

艦砲射撃を開始した。

それと同時に、アメリカ軍海兵隊が上陸。

午前2時23分頃には後続の陸軍部隊が上陸を開始。

朝鮮の反乱軍と衝突した。

 

バババババババババ!!!

ドカーン!!

 

「撃て撃て!! 前進じゃ!!」

「うっ・・・」

「って、隊長!! 誰か衛生兵を呼べ!!」

「アァーーーーーーーーー♂ 銃弾がケツに当たったーーーーーー!!」

 

朝鮮での戦いは熾烈を極めた。

しかも、アメリカ軍の橋頭堡の保持が困難になっているのだ。

これを受け、朝鮮で苦戦しているアメリカ軍の救援をするため、日本軍やインドネシア軍による連合軍がクァイルに派遣された。

 

 

アメリカ軍クァイル後方基地

 

ここでは、日本軍の榊司令官とアメリカ軍のスコット司令官が話し合っていた。

「只今到着いたしました!! 日本陸軍所属≪榊博人≫であります!!」

「ようこそ。榊司令官。私はアメリカ陸軍所属のスコット=J=ビナーです。早速、話を始めます。」

「はい。私の考えとしては、クァイル自治州南端の海岸に戦車部隊を上陸させ、沿岸部を確保。その後、京城で我が軍が全面攻勢を開始。2週間以内にクァイル自治州へ侵攻を開始します。」

「では、我々はB-51でクァイル全域を爆撃します。」

「分かりました。」

 

1965年1月25日。

日本軍は米軍の支援のため、クァイル自治州南端の海岸に上陸を開始した。

日本軍の後方支援のため、アメリカ空軍はB-51ストラトフォートレスを使い、空爆を開始。

 

「戦車部隊、前へ!!」

「B-51攻撃隊が見事にやってくれたようだ。敵が全くいない。全員進め!!」

 

さらに、オーストリア=ハンガリー帝国海軍もオーストリア=ハンガリー領ジブチの軍港から、ミサイル艇≪イシュトヴァーン≫を出撃させ、日本軍の後方支援を行った。

 

 

東シナ海

 

ジブチを出撃したオーストリア=ハンガリー帝国海軍のミサイル艇«イシュトヴァーン»は東シナ海に到着した。

 

「よし。目的地に到着。長距離弾道ミサイル発射用意! 目標、平壌!」

「了解! トラックナンバー1213。 撃ち方始め!!」

 

それと同時に30発ものミサイルが飛んでいった。

 

「弾着。 今!!」

3分後にそのミサイルは平壌に着弾し、反乱軍は壊滅。

反乱軍のリーダーである金正日は降伏を宣言した。




・オーストリア=ハンガリー領ジブチ
オーストリア=ハンガリー帝国の植民地。


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中東戦争

・オーストリア=ハンガリー領キプロス
オーストリア=ハンガリー帝国の植民地。


1966年1月2日。

シリアにてファシスト政権が成立。

シリアは大シリア連邦を宣言し、軍拡を開始した。

1966年2月12日にはシリア=スペイン=トルコ同盟を締結。

1966年5月6日。

シリア軍はオスマン帝国への侵攻を開始。

これを受け、オスマン帝国政府はオーストリア=ハンガリー帝国政府に救援を要請。

オーストリア=ハンガリー帝国政府はさらに、大日本帝国やアメリカ合衆国、ロシア連邦に救援を要請。

日米ロ墺による四ヵ国連合軍がシリアへの攻撃を開始。

中東戦争が始まった。

シリア軍は早速、ハタイへの爆撃を開始。

ハタイは壊滅した。

さらに、シリア軍は連合国軍占領下のイラクへも侵攻を開始。

しかし、イラク侵攻はアメリカ軍やロシア軍による防衛により、前線が停滞。

作戦を変更し、オーストリア=ハンガリー領キプロスへの侵攻を開始。

1966年5月8日に、シリア軍がキプロスの都市であるアヤナパへの上陸を開始。

キプロスにはオーストリア=ハンガリー帝国軍が全くいなかったため、わずか13日で陥落した。

 

オスマン帝国 コンスタンティノープル

連合国軍後方基地

 

ここでは、オーストリア=ハンガリー帝国陸軍の司令官とアメリカ陸軍の司令官が話し合っていた。

 

「状況は非常に悪い。シリア本土に直接攻撃を仕掛ける必要がある。何かいい案はあるか?」

「はい。」

手を挙げたのは、オーストリア=ハンガリー帝国軍のお荷物と呼ばれているレオンであった。

学生のころは、通知表はオール1で、テストは毎回零点。

しかし、運動だけは出来ていたため、第一次世界大戦の終わりごろに軍人になった。

しかし、軍隊に入っても、命令無視などで成績は最悪。

今は態度を改めたようだが、全く信用ならない。

ふざけた事を言ったら、シベリア送りにしてやる。

しかし、彼が言った意見はまともなものだった。

「まず、海軍に協力を要請。戦艦でシリア沿岸地域を砲撃。同時に黒海側からトルコ本土に上陸します。その後、ダマスカスに核攻撃を行い、シリア政府を混乱させます。それと同時に北のオスマン帝国領と南のサウジアラビア領から一気に侵攻。この際、第二次世界大戦中のドイツの電撃戦をモデルにします。」

「・・・おう。その作戦で行こう。マシュハドのGHQ本部に作戦の内容と必要な物資を連絡してくれ。」

「了解!」

 

1966年6月11日。

日米ロ墺の四か国を中心とする連合艦隊はシリア沿岸部への艦砲射撃を開始。

大和や武蔵、ミズーリ、テゲトフの砲撃により、シリア沿岸地域は壊滅状態となった。

同時にロシア連邦軍の海兵隊がシリアの同盟国であるトルコ社会共和国北部の都市ジデに上陸。

速やかに都市全体を確保。

その後、ロシア陸軍が上陸を開始。

隣町のバルトゥンに侵攻を開始したロシア軍はモスクに立てこもるトルコ軍を人海戦術で蹂躙していった。

ロシア軍はさらに奥地へ侵攻を開始するのであった。

 



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トルコ戦線の終結

>アクラム・アル=ホーラーニー

大シリア連邦の首相。

>アルジェリア連邦

アルジェリアとモロッコが合わさった国家。

>モーリタニア共和国

地味に強い国家。

>モロッコ王国
日本の独立保障が掛かっている。

>10式重戦車

第二次世界大戦中の1950年に開発された第一世代の現代戦車。
日本軍ではすでに退役している。


1966年6月19日。

東からシリアに侵攻してきたアメリカ軍はアブ・カマルへ侵攻を開始した。

同時に補給路である12号線を確保するため、トルコ社会共和国領であるイラク北部へ侵攻を開始。

トルコ軍は北から侵攻してきたロシア軍と東から侵攻してきたオスマン帝国軍の対処に忙しく、イラク北部に全く軍隊を置いていなかった。

そのため、わずか5日でイラク北部が占領され、本土侵攻を受ける形となった。

その後、トルコ軍は次々に敗北し、マラズギルトの戦いで組織的な抵抗は終了。

その後はずるずると後退していき、1966年11月13日に首都であるトラブゾンが陥落。

トルコ社会共和国は無条件降伏を宣言した。

これにより、シリアは西からエジプト、北からオスマン帝国、東からアメリカ合衆国という四正面作戦を強いられることとなった。

シリア軍は各地で焦土作戦を行い、シリア本土はWW2終結直後のベルリン並みに悲惨なことになった。

これを受け、ブダペストで日米ロ墺の3ヵ国による首脳会談を開催。

シリア政府に対して、無条件降伏を求めるブダペスト宣言を発表。

しかし、シリア政府はこれを拒否。

これを受け、アメリカ軍はB-51ストラトフォートレスを用いて、ダマスカスに原子爆弾を投下。

その後、ロシア連邦軍もダマスカスにサーモバリック爆弾を投下。

これにより、シリア政府の機能は消滅。

その後、シリア各地でアナーキストが一斉に蜂起。

シリア行政委員会を設立し、連合国に対して無条件降伏を宣言した。

1967年1月11日にシリア旧政府軍全軍が武装解除した。

 

舞台は北アフリカに移る。

1967年2月13日。

フランス=コミューン軍はアルジェリア連邦へ侵攻を開始。

戦前の武器しか持っていないアルジェリア軍は次々と敗走し、1967年3月15日に降伏。

その勢いでオーストリア=ハンガリー領リビアへ侵攻。

しかし、リビアにはオーストリア=ハンガリー帝国陸軍37個師団が駐留していたため、戦線は停滞。

フランス軍は作戦を変更し、西アフリカ全域の制圧を目指した。

まず、フランス軍は日本の独立保障が掛かっているモロッコ王国へ侵攻を開始。

モロッコ軍は日本から購入した10式重戦車を用いて徹底抗戦を行うが、フランス軍による無差別な空爆で瓦解。

モロッコはわずか10日で降伏した。

しかし、その2日後に日本軍がモロッコに到着。

モロッコ北端まで押し戻された。

しかし、フランス軍には秘策があった。

 

フランス=コミューン

カレー空軍基地

 

「よし。全員揃ったな?」

「はい。」

「よろしい。では、ICBM発射用意。目標、東京!



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皇国本土ヲ防衛セヨ

1967年4月12日。

日本本土は血生臭い激戦の欧州を感じさせないほど平和だった。しかし、その平穏はあるニュースによって一瞬で崩れ去った。

 

「番組の途中ですが、ここで国民保護に関する情報をお伝え致します。ミサイル発射情報。ミサイル発射情報。フランス軍が核ミサイルを発射した模様です。対象地域は、北支自治県、釜山自治県、新潟県、群馬県、長野県、東京都、樺央県、北海道です。あっ、新しい情報が来ました。政府は東京都への戒厳令発令を決定しました。」

 

これを受け、大日本帝国海軍日本海艦隊はミサイル艇<愛宕><雷電>阿修羅>の三隻による迎撃作戦を開始した。

同時にリトルネットでニュースを受信した米第七艦隊も太平洋にミサイル挺<ミシシッピ>を派遣。迎撃作戦を開始した。

 

大日本帝国海軍日本海艦隊

ミサイル艇<愛宕> 艦内

 

「対BMD戦闘用意!」

「了解! SC-1発射用意!」

「軌道よし! 発射!」

 

ビューーン!!

 

轟音と共に愛宕のセル*1からSC-3が発射された。

「頼んだぞ・・ SC-3!」

 

それから、しばらく沈黙の時が流れ・・・

 

「対象の消失を確認。 迎撃成功です。」

「ヨッシャーーー! 我が軍の新兵器は大成功だ!!」

 

こうして、ミサイル迎撃は成功した。

 

舞台は変わり、アドリア海。

ここでは、フランス空軍とオーストリア=ハンガリー帝国空軍*2が戦っていた。

 

「こちら、ドナウ01! 敵機多数!」

「クソッ! あいつらは本土の戦闘機を全部持ってきたな!!」

その時、一人の兵士があることに気づいた。

「うん? 敵本土から戦闘機をすべて飛ばしているということは・・・ ノルマンディ地方はがら空きじゃないか?」

「そうだな。日本軍に連絡。フランス本土への爆撃作戦を開始せよ。」

「了解! オーストリア=ハンガリー領リビア国空軍より在ブルガリア日本軍へ。フランス本土への爆撃作戦を開始せよ。」

「了解! 爆撃作戦を開始する。通信終了。」

 

エルザース=ロートリンゲン上空

大日本帝国空軍<富嶽改>爆撃機隊

 

「富嶽改爆撃機隊より大日本帝国空軍ブルガリア方面防空隊へ。 敵地上空に侵入。 場所はエルザース=ロートリンゲン上空。 確認。」

「確認完了。座標一致。進路維持せよ。」

「了解。通信妨害始め。」

「・・・爆撃開始!」

 

ピューーン!!!

 

そんな音と共にエルザース=ロートリンゲンの街を次々と焼いていった。

*1
イージス艦に付いてるミサイル発射口みたいなやつ

*2
オーストリア=ハンガリー帝国空軍の主力はaus-02という戦闘機で、1963年12月6日に初飛行が行われた。



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東アフリカ戦争

1967年7月11日。

エチオピアの首都アディスアベバにて労働者が蜂起。

エチオピア革命が発生した。

革命軍はわずか3日で王宮を攻め落とし、国王を処刑。

エチオピア人民共和国の建国を宣言した。

これは、隣国であったケニア共和国に大きな衝撃を与え、ウガンダ=ケニア相互防衛協定締結のきっかけとなった。

そして、1967年11月13日。

エチオピア軍がケニアに侵攻を開始。

同時にケニアと同盟を結んでいたウガンダ共和国がエチオピア人民共和国に宣戦布告。

これを好機とみたタンザニア共和国がエチオピアに侵攻。

さらに、東パントゥー連邦がエチオピアへ侵攻。

東アフリカ戦争が始まった。

早速、エチオピア軍はケニア方面での大規模攻勢を開始。

トゥルカナ湖の近くでケニア=タンザニア連合軍と衝突。

トゥルカナの戦いが勃発した。

 

トードンヤング上空

エチオピア陸軍第4空挺団第32ヘリ空挺部隊

 

「総員降下!!」

 

司令官の合図と共にエチオピア空軍のヘリコプター<AP-34>から空挺部隊が降下。

トードンヤングを僅か6日で占領し、国境付近のケニア軍部隊を背後から奇襲。

さらに、トードンヤング・ロードを用いた補給を不可能にした。

背後からの奇襲によって大混乱となった国境付近のケニア軍部隊は瞬く間に壊滅。

その後、トードンヤングに降下してきた部隊と越境してきた部隊が合流。

体制を整え、ロウェアンガックへ進軍。

ロウェアンガックにはケニア軍2個師団が待機していたものの、新式の装備を揃えたエチオピア軍には歯が立たず、僅か12日でロウェアンガックは占領された。

1968年1月6日にはトゥルカナの戦いはエチオピア軍の勝利で終結。

しかし、ロドワルでの戦闘でエチオピア軍が敗北。

戦線は膠着状態となった。

この膠着状態は1971年の春まで続くこととなる。

 

その頃、東京では・・・

 

大日本帝国 東京

国防省ビル 指令室

 

「状況は?」

「はい。モロッコ方面の防衛は見事成功し、フランス軍の進軍を止めることができました。しかし、東アフリカ地域にて不穏な動きが・・・」

「ああ。分かっている。エチオピア軍によるケニア侵攻だろう?」

「はい。ヨーロッパでも不穏な動きがあります。まず、ポーランドについて。ロシアに奪われた東部地域にて共産主義勢力の動きが活発化しています。スペインについては、アナーキスト、共産主義、ネオナチ、カルリスタ王政主義、民主主義、超国家主義の6つの勢力が混在していて、政治内紛の状態です。最後にポルトガルについて。ポルトガルでは、民主主義のポルトガル共和国、王政主義のポルトガル王国、超国家主義のポルトガル国家共和国、国王の親衛隊による親衛隊騎士団国、警察による警察騎士団国、軍によるポルトガル軍政府、ネオナチのポルトガル鉄衛団に別れ、内戦が始まりました。さらに、それに便乗して、ポルトガル各地にソビエト評議会や赤軍組織が乱立しています。現在は赤軍組織である<リスボン=リバタリアン赤軍司令部>が優勢とのこと。」

「ヨーロッパの状況もあまり芳しくないようだな。」




ポルトガル鉄衛団

ナチスの思想を受けたファシズム政党。
この組織は1936年から存在していたが、あまりのヤバさにナチスよりヤバいルーマニア鉄衛団もドン引きした。


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エジプト内戦 前編

1968年1月19日。

エジプトにて、超国家主義を掲げるテロ組織<エジプト再生同盟軍>が首相を暗殺したことにより、エジプト政変が発生。

民主主義的な政権は崩壊し、超国家主義的な政権が樹立された。

しかし、これに反発する勢力がわずか3日で新たな首相を政権から引きずり下ろし、エジプト共和国を樹立。

しかし、さらにこれに反発した勢力が各地で蜂起。

内戦状態となった。

この情報は東京の国防省にも伝わった。

 

大日本帝国 東京

国防省 指令室

 

「状況は?」

「はい。エジプトにて起きた政変により、内戦に発展しました。現在の勢力はアレクサンドリア周辺を支配する政府軍であるエジプト王国、カイロ周辺を支配するエジプト共和国、ネオナチのエジプト国民団、シナイ半島にエジプト=アナーキスト連盟、東部に10以上の赤軍組織、ナイル川流域にエジプト=ケルティズム連盟、その他報告されているだけでも13の勢力があります。」

「うん? ビースティズムはフランスでの独自の考え方だったはずだ。なぜ、エジプトにも?」

「はい。どうやら、フランスのケルティストがエジプトに思想を広めたようです。」

「となると、かなり厄介だな。兎に角、我々もエジプト王国救援のため、エジプトに軍を送る。待機中の部隊はあるか?」

「はい。パレスチナ連邦の首都テルアビブに13個師団、エルサレムに12個師団が待機中です。」

「それらの部隊を直ちにエジプトに向かわせろ。」

「了解!」

 

2時間後、テルアビブとエルサレムに駐留していた大日本帝国陸軍に出撃命令が伝わり、エジプトに向かった。

戦力はこんな感じ。

 

戦闘ヘリコプター 260機

兵員輸送ヘリコプター 40機

戦車 400両

歩兵 1000人

 

エジプト=ケルティズム連盟 ベニスーフ上空

 

「降下!!」

服部卓四郎中将の合図と同時に日本軍のヘリコプターから兵士か次々と空挺降下をしていった。

 

「お世話になりました!」

すべてを確認した服部中将も降下していった。

 

ヘリコプターから降下した部隊は周辺を速やかに確保。

エジプト王国政府救援のため、北進を開始した。

 

エジプト王国 アレクサンドリア

仮指令部

 

「東部戦線より司令部へ!! 戦線が突破された!! 救援を求む!!」

「これ以上の救援は出来ない! 耐えてくれ!!」

 

エジプト王国軍の司令部には前線からの悲鳴が届いていた。

その時だった。

 

「うん? 司令官!! 在パレスチナ日本軍より連絡!! 我、貴国の救援のためにケルティズム勢力への攻撃を開始したとのことです!」

「それは本当か!?」

「はい。アレクサンドリアへ向け進軍中であるとのことです。」

「それは良かった。」




ケルティズム

政治思想の一つ。
人類は文明の発達により、自らをも滅ぼしかねない危険を生んだのだから、文明に頼るべきではなく、古代のケルト人のような文明に頼らない生活を行うべきであり、ケルティストは全人類を文明から解放するべきであるという思想。
別名はビースティズム。

服部卓四郎

大日本帝国陸軍ヘリコプター空襲部隊所属。
老兵である。
史実では、防衛庁顧問として勤務していた。


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エジプト内戦 後編

1968年1月28日。

エジプト王国軍救援のため、ナイル川流域にある街に降下した日本軍部隊はケルティズム勢力を殲滅し、共和主義*1勢力であるエジプト共和国に侵攻を開始。

エジプト共和国軍のゲリラ戦術により、多少の苦戦を強いられたが、日本軍による戦闘ヘリによる爆撃の結果、ゲリラ部隊は壊滅。

最後のクフの戦いにて、全軍が降伏。

ピラミッドには旭日旗がはためいた。

その後、エジプト王国軍と合流。

アナーキスト勢力との交戦を開始した。

日本軍は、アレクサンドリア方面とパレスチナ方面の2つの方向から攻撃を開始。

この攻撃により、エジプト=アナーキスト連盟軍は大混乱。

わずか3日で壊滅することとなった。

これにより、残るは赤軍組織のみとなった。

 

赤軍組織一覧

 

・アシュート農民赤軍

・白ナイル赤軍

・カッターラ赤軍司令部

・カッターラ=スターリン体制派赤軍

・自由エジプト赤軍

・エジプト=リバタリアン赤軍

 

しかし、これらの組織も日本軍とエジプト王国軍の攻撃によりあっという間に壊滅。

1968年6月13日にエジプト内戦は終結。

しかし、一難去ってまた一難。

今度はオーストリア=ハンガリー帝国の植民地であるリビアでアナーキスト勢力≪リビア自由連盟≫が蜂起。

リビア戦争が始まったのだ。

これを受け、撤収途中であった日本軍はリビアに出撃。

1968年6月15日。

ジャウフにて日本軍とリビア自由連盟軍が衝突。

ジャウフの戦いが始まった。

 

パレスチナ連邦 テルアビブ

日本中東軍司令部

 

「状況は?」

「はい。ゲリラ部隊の攻撃によりほとんど進軍が出来ていません。」

「作戦はあるのか?」

「はい。まずはこちらをご覧ください。」

そういって、彼はパソコンのキーボードでコマンドを打ち込んだ。

 

『ファイル≪1968-operation.runner≫を実行します。』

 

機械音声と共に前方のスクリーンに文字の羅列や地図、グラフが描かれた大量のウィンドウが表示された。

 

「まず、我が軍は戦闘ヘリ15機を用いてこの地域に攻撃を行い、敵地上部隊を壊滅させます。その後、装甲車に乗った部隊が奥地に侵攻します。その後、北部から進軍してきたオーストリア植民地軍と合流。これにより、アナーキスト勢力は完全に崩壊するでしょう。」

「ところで例の新兵器はどれぐらい完成しているんだ?」

「はい。スタードリーム(脳悪型レム睡眠誘発剤)は現時点で80パーセント完成しています。リーパー作戦までには完成するでしょう。」

*1
正式名称は共和抑制民主主義。




runner

拡張子の一つ。
初期型コンピューターの主要OSであるASHURAに対応したプログラムのファイル。


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リビア戦争

・スカンク弾
日本陸軍が使用しているガス弾。
本来は暴動鎮圧用に開発されたものである。


オーストリア=ハンガリー領リビア ジャウフ

大日本帝国陸軍攻撃ヘリコプター部隊

 

1968年12月1日。

日本軍は冬季攻勢を開始。

 

「ミサイル発射!!」

 

日本軍の戦闘ヘリから発射されたミサイルはジャウフの街と敵部隊を焼き尽くした。

それと同時に日本陸軍の部隊がスカンク弾をジャウフに撃ち込み、敵を混乱させた。

さらに、そこにガスマスクを着けた日本軍部隊が装甲車に乗って侵攻。

ジャウフを占領した。

その後、北のオーストリア植民地軍と合流。

最後の攻撃を開始した。

これにより、アナーキスト勢力は崩壊。

1968年12月12日にリビア自由連盟は降伏した。

 

舞台は代わり、ヨーロッパ。

ヨーロッパでは、東ドイツ軍が最終防衛ラインであるシュトラールズント=ノイガースドルフ線まで追い込まれ、瀕死であった。

 

ドイツ連邦共和国 エーバースバッハ=ノイガースドルフ

リッター川東岸

東ドイツ軍の塹壕

 

「司令官。リッター川に架かっている全ての橋を爆破しました。」

「そうか。朝鮮での戦いの時もそんなことをした米軍兵士がいたな。」

「リッチモンド将軍ですか?」

「ああ。ところで、後方のロシア軍から連絡は?」

「はい。現在、ロシア連邦陸軍のT-62機甲師団がパウッツェナー通りを南進中。5分後には到着するとのこと。」

 

ドカーン

 

「なんだ!?」

「仏軍砲兵部隊が北部の塹壕を砲撃しました!!」

「後方航空基地に連絡!! バンカーバスターを投下せよ!」

「了解!!」

 

ドイツ連邦共和国 ヘルムスドルフ空軍基地

 

「司令官。前線部隊から連絡です。バンカーバスターによる支援を要請するとのことです。」

「そうか。Ho229を出撃させろ。」

「了解! ホルテン爆撃隊! 発進せよ!」

それと同時にHo229が飛び立っていった。

 

3分後・・・

 

エーバースバッハ=ノイガースドルフ上空

 

「もうすぐ目的地だ。すでに部隊は地下に避難している。」

「了解!! 目標を視認!!」

「投下!!」

それと同時に一発のバンカーバスターが投下された。

 

ドカーン!!!

 

数秒後に閃光とともに大爆発が起きた。

これにより、塹壕にいたフランス軍部隊は壊滅。

東ドイツ軍による反攻が始まった。

さらに、ロシア軍の大部隊も到着。

ベルリンを占領し、ナポレオン並みの進撃を続けたフランス軍は劣勢に切り替わった。

1969年1月6日にはベルリンがロシア軍により解放され、1969年1月13日にはフランス軍占領下のフローレス島にも米軍が上陸。

フローレス島撤退作戦も失敗し、フローレス島のフランス軍部隊が全滅。

連合軍の反撃が始まった。

 

 



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アンデス戦争

1969年3月5日。

アルゼンチンにて共産党勢力がクーデターを起こし、民主政権を打倒。*1

アルゼンチン人民共和国が成立した。

この革命は南米の国々、特にチリ=パタゴニア連邦*2に大きな影響を与え、チリ=ボリビア同盟締結のきっかけとなった。

そして、1969年5月12日。

アルゼンチン軍がパタゴニア地方へ侵攻。

これを受け、チリ=パタゴニア連邦と同盟を結んでいたボリビア共和国がアルゼンチンに宣戦布告。

アンデス戦争が始まった。

アルゼンチン軍は早速、ペウェン=コへの上陸作戦を開始。

アルゼンチン軍海兵隊50万人が上陸に成功。

ゴンサレス=マルティネス通りを西に進み、アメヒーノ通りへ進撃。

ゴンサレス駅*3へ侵入した。

 

ゴンサレス駅 構内

アルゼンチン軍

 

ゴンサレス駅構内は地獄の様な光景だった。

ゲームセンターに置いてあったクレーンゲームのマシンや派手なパチンコのマシンは戦闘によりことごとく木っ端みじんになり、ショッピングモールにあった華やかなショーケースは原形が分からないほど粉々になった。そして、駅を埋め尽くすのは陽気な買い物客や利用客ではなく、ぐちゃぐちゃになった死体であった。

しかし、その死体を見て悲しむものは一人もいない。

いや、感情がないといった方が正しいだろうか。

奴らは人を平気な顔で殺していった。

なぜ、人はここまで残酷になれるのだろうか?

-逃げ遅れ、アルゼンチン軍に降伏したとある民間人の日記より引用

 

「こちらアルゼンチン陸軍第一小隊!! 1番ホームを占領!」

「こちら、第二小隊!! 2番ホームの敵が多すぎる!!」

「了解した。援軍を送る。」

 

チリ軍の激しい抵抗により、一部のアルゼンチン軍部隊が壊滅したが、無事にゴンサレス駅を占領。

これを受け、機甲師団がペウェン=コへ上陸。

パタゴニア戦争以来、全く戦術や兵器が進化していなかったチリ軍はずるずる撤退していき、僅か3日でペウェン=コが占領されてしまった。

 

チリ=パタゴニア連邦

国防司令部

 

前線の状況は悲惨であった。

それでも、いつも通り、前線からの通信に応えていた。

ところが、我々に光が差したのである。

-チリ軍司令官

 

「こちら、第一軍団!! 敵が多すぎる!!」

「こちら、司令部。支援は無理だ。どうにか耐えてくれ。」

「了解!!」

「うん? 司令官!! アメリカ政府が声明を発表しました。」

「どのような声明だ?」

「アンデス戦争におけるチリ政府の状況を鑑み、我々はチリ救援のため、アルゼンチンに宣戦布告をするとのことです。」

「そうか。」

 

後編へ続く

*1
アルゼンチン革命

*2
1955年5月13日から1955年5月20日の7日間続いたチリ共和国とアルゼンチン共和国の間で起きた戦争≪パタゴニア戦争≫に勝利したチリが勝利し、パタゴニア地方を併合したことで成立した国家

*3
架空の駅。規模はそこまで大きくなく、小さなショッピングモールやゲームセンターがあるだけ。



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アンデス戦争 後編

1969年4月13日。

アメリカ合衆国がアルゼンチン人民共和国に宣戦布告したことにより、戦争はアメリカ大陸全域に拡大した。

これを植民地奪還の好機と見たイギリス共和国もアルゼンチン人民共和国に宣戦布告。

これにより、一気に形勢を逆転することの出来たチリ軍は大規模攻勢を開始。

同時にブエノスアイレスに米英連合軍が上陸。

アルゼンチン軍は必死の抵抗を続けたが、沖合6キロの地点にいた米海軍のミサイル艇<ミシシッピ>から発射されたミサイルがブエノスアイレスに着弾。

これにより、ブエノスアイレスにいたアルゼンチン軍は壊滅。

同時にイギリス軍がアスンシオンに原爆を投下。

政府首脳陣が全滅したことを受け、アルゼンチン人民共和国は無条件降伏を宣言した。

その後の1969年11月13日に締結されたロサンゼルス協定により、南側はイギリス領南アメリカ、北側にアメリカ傀儡の南米共和国に分割となった。

さらに、ブエノスアイレスはチリ、アメリカ、イギリスによる分断統治が行われ、アルゼンチンという国家は完全に消滅。

もはや、アルゼンチンの復活は不可能だろう。

 

その頃、ロサンゼルスでは▪▪▪

 

ロサンゼルスでは、佐藤総理とニクソン大統領が話し合っていた。

「フランスの分割統治とスペインのレコンキスタ白紙化ですか?」

「はい。まず、フランスについては、ノルマンディー地方を英国、エルザース=ロートリンゲン北部をオーストリア=ハンガリー帝国領、南側を南ドイツ連邦、残りを3つに分け、東側を我が国、中央部はオーストリア=ハンガリー帝国、西部をさらに南北に分け、北側を貴国、南側をロシア連邦領とします。」

「パリはどうしますか?」

「はい。日米ロ墺英による分割統治とします。」

「了解しました。」

 

このようにして、日米首脳会談は終了した。

 

その頃、ヨーロッパでは▪▪▪

 

ヨーロッパ戦線では南ドイツ連邦軍元帥パウル▪ハウサー率いる戦車部隊がドイツ民主共和国の首都であるボンに迫っていた。

 

アルフタラー通り

パウル▪ハウサー機甲軍団

 

露へ向けた

我が刃は今は我が身に

帝はけふをいかにみるらむ

 

-パウル▪ハウサー

 

パウル▪ハウサー率いる戦車部隊はボンの入り組んだ市街地にいる敵を殲滅し、アルフタラー通りを南下。

西ドイツ軍の司令部となっているボン市庁舎へ進軍を開始した。

そして、1969年12月13日午後3時6分12秒にボン市庁舎に南ドイツ連邦軍歩兵部隊が突撃。

激しい白兵戦の後、12月14日午前2時31分13秒に市庁舎が陥落。

3日後にドイツ民主共和国は無条件降伏を宣言した。

その後、リーパー作戦を実行。

フランス本土へ侵攻を開始した。



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リーパー作戦

1970年1月16日。

日本軍の暗号<アサマヤマノボレ1016>が連合国の全ての国々に通達されたのと同時に米海軍の強襲機動艦隊がニューヨークを出港。

バルト海に停泊していた日本海軍、インドネシア海軍、中国海軍を始めとした15ヶ国からなる大艦隊が北海へ移動を開始。

リーパー作戦を開始した。

まず、第一段階目のオーヴァーロード作戦を開始。

コルシカ島のモリアニ=プラージュに日本軍とインドネシア軍、スペイン北部のカンダスに米軍と中国軍が上陸した。

両都市では、大量のマスタードガスやサリン、コーラップス精神ガスが使用され、逃げ遅れた市民までもが巻き込まれた。

あまりの惨状に精神が崩壊し、町中を奇声をあげながら走り回っている子供もいた。

 

蒙昧の戯言を気にするな!!

今こそ雲に乗って凱旋だ!!

ハハハハハハハハ!!!

 

-マドリード市内の精神病院に入院した5歳の子供が自殺の直前に言い残した言葉

 

その10日後、アメリカ軍の爆撃機B-51ストラトフォートレスがバルセロナに原爆を投下。

さらに、モロッコ軍がジブラルタルを占領。

同時にモロッコに駐留していた大日本帝国空軍が中距離ジェット爆撃機<菊花>によるフランス本土爆撃を実行。フランスを火の海にした。

 

その頃、東京では▪▪▪

 

大日本帝国 東京

国防省ビル3階

 

国防省ビルでは、一人の男が受付を受けていた。

「大日本帝国空軍司令官、益田兼利だ。」

「了解しました。お疲れ様です。」

 

司令室

 

「状況は?」

「はい。米軍によるカンダスへの上陸が成功。バルセロナへの核攻撃も成功しました。」

「そうか。第一段階は成功したのだな?」

「はい。」

「では、作戦第二段階へ。」

「了解! 各部隊に通達! バルセロナへ進撃せよ!」

 

その指示は連合国軍全軍に伝わり、AS-388号線を通り、バルセロナへの進撃を開始した。

 

8時間後、バルセロナにアメリカ軍と中国軍が突入。

パドラルベスに展開していたスペイン軍との戦闘が始まった。

結果はスペイン軍がビズべ=カタラ通りから侵入してきた米軍部隊を迎え撃った。

しかし、この部隊は囮であり、日本軍50個師団がバルセロナ港への入港に成功。

港からの攻撃を予想していなかったスペイン軍はずるずると後退していき、1970年11月13日5時42分28秒。

フランコのいたサクラダ=ファミリア大聖堂に日本軍の砲兵が発射した砲弾が直撃。

サクラダ=ファミリア大聖堂は崩壊し、フランコも死亡した。

これを受け、スペイン政府は無条件降伏を宣言。

スペイン戦線は終結した。



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ピレネー山脈へ進軍せよ

民は駒。政府はプレイヤー。
どこの国でもこれは変わらない。

-スコット=J=ビナー作≪大きな機械≫(1993年11月13日に漫画雑誌へ連載開始)


1970年12月26日。

スペインを降伏させた連合国軍はピレネー山脈にて大規模攻勢を開始。

フランス領であるアントラへ攻撃を開始した。

しかし、フランス軍は西仏国境に大要塞<ナポレオン線>を建設していたため、ピレネー山脈越えは難航した。

そこで、アントラからの集中攻勢を開始。

結果的にノルマンディーに上陸してきた米軍と二正面作戦を行うことになり、ナポレオン線を突破。

同時に占領下のスペインから米軍の爆撃機B-51ストラトフォートレスが離陸。

アルデンヌの森に枯葉剤を散布し、ドイツ軍の進路を開いた。

 

東ドイツ軍占領下 パーペンブルク

パウル▪ハウサー視点

 

ここでは、南ドイツ連邦軍元帥であるパウル▪ハウサーを中心に作戦会議が行われていた。

 

「まず、今回の作戦では、アルデンヌの森を突破し、そのままパリへ進軍する。先程、米軍がアルデンヌの森に枯葉剤を散布した。進軍はうまくいくだろう。向かってくる敵に対しては火炎放射器で対抗しろ。実行は明日だ。」

「了解!!」

 

翌日、南ドイツ連邦政府はオランダ共和国、ベルギー王国、ルクセンブルク大公国に対して、軍事通行権を要求。

しかし、ドイツに恨みのあるベネルクス諸国はこれを拒否。

これを受け、、南ドイツ連邦軍はベネルクス諸国を道路とすべく、侵攻を開始。

南ドイツ連邦軍の電撃戦やオーストリア=ハンガリー帝国軍による無差別な核攻撃や毒ガス攻撃によりオランダは2日、ベルギーは4日、ルクセンブルクは12時間で降伏。

このベネルクス侵攻では23発の原爆が使用され、戦後のベネルクス戦争の原因となるのであった。

 

その頃、東京では▪▪▪

 

「状況は?」

「はい。占領したスペインから侵攻を開始。ナポレオン線も突破し、東西からフランスを挟撃しています。さらに、西アフリカ連邦もフランス侵攻の準備をしているとの情報も入っています。」

「そうか。そういえば、リビアにて独立勢力の反乱の可能性があるという情報が入っているのだが、本当か?」

「はい。現地に駐留しているオーストリア=ハンガリー帝国軍からの報告です。」

 

そんな時、一人の兵士が駆け込んできた。

 

「失礼します! リビアにて独立勢力が一斉に蜂起しました!」

「直ちにモロッコに駐留している部隊に対処させろ。」

「了解!」

 

モロッコ王国 在モロッコ日本軍司令部

 

ここでは、益田兼利を中心に作戦会議が行われていた。

 

「リビアの状況は?」

「はい。現在、確認できた勢力はトリポリ赤軍、トブルク評議会共和国、共和派リビア、リビア王国、リビア自由連盟、リビア国家共和国です。」

「ファシズムにアナーキズムに共産主義。イデオロギーのサラダボウルだ。」

 

次回に続く。



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リビア戦争

天皇陛下のお膝元で騒ぎを起こすな。
-稲川聖城


1971年1月1日。

モロッコを出発した日本軍はトリポリ赤軍と衝突。

しかし、トリポリ赤軍は全て民兵で構成されていて、日本軍の空と陸の緊密な連携や大量の毒ガス散布により、僅か3日で降伏した。

アフリカ方面での優勢を受け、日本主導の陣営である大東亜連合に加盟している奉天政府、ベトナム共和国、インド連邦、オーストラリア連邦、ニュージーランド共和国、ミクロネシア連邦がフランス=コミューンに宣戦布告。

同時に中立を保っていたキューバ共和国、カリブ海連邦、ベネズエラ共和国、モンゴル帝国がフランス=コミューンに宣戦布告。

ミクロネシア連邦海軍が地中海に到着し、フランス海軍の戦力を大幅に削った。

さらに、日本軍も爆撃機からパリにマスタードガスを散布。

多数の市民が亡くなった。

これを受け、日本軍と米軍は占領下のスペイン等から全面攻勢を開始。

同時にインド連邦軍、インドネシア軍、奉天政府軍、ドイツ連邦軍、南ドイツ連邦軍、イギリス軍などが一気にフランス領に流れ込んだ。

同時にアメリカ軍と日本軍がル▪ペルテュに侵攻を開始。

ル▪ペルテュではフランス軍がゲリラ戦を行い、日米連合軍を苦しめた。

これを受け、アメリカ軍は街に大量のマスタードガス、コーラップス精神ガス、塩素ガスを散布。

コーラップス精神ガスによって発狂して出てきた人を軍民問わず射殺した。

これにより、フランス軍のル▪ペルテュ守備隊は全滅。

毒ガスによって汚染された街を進み、レ▪クリューズへ侵攻を開始した。

 

舞台は戻り、リビアへ。

リビアでは日本軍がファシズム勢力であるリビア国家共和国に侵攻。

まず、日本軍の爆撃隊がリビア国家共和国の勢力圏にあるベンガジに侵攻。

ベンガジではリビアのファシスト民兵組織<リビア国民軍>13個師団とムッソリーニ率いるファシスト民兵組織<リビア=ファッシ>が激しい抵抗を続けた。

これを受け、アメリカ海軍の戦艦<エンタープライズ><ホーネット><ミズーリ>の三隻が沿岸部を砲撃。

これにより、リビアのファシスト系の反乱軍はほぼ壊滅し、1971年5月13日にリビア国家共和国は無条件降伏を宣言した。

しかし、再び問題が発生した。

リビア南部の都市ジャウフにてケルティズム勢力<南リビア自由人民軍>が蜂起したのだ。

これを受け、日本軍は南下を開始。

同時にエジプトを通ってきたモンゴル帝国軍がベンガジに到着。

日本軍との共同作戦を開始した。

体制が整った日本軍はケルティズム勢力への攻撃を開始した。




▪モンゴル帝国
1969年2月21日の政変により成立。
ロマン▪ウンゲルンが皇帝として即位した。


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最後の戦い

最も技術が発展するときは戦争が起きている時だ。
戦争は地獄だが技術発展の礎となったのは皮肉にも戦争だ。
人間以外の動物に文明が無いのはそういった組織的で大きな戦争がなかったからではないか?


-私の友人との雑談の中で友人が言った言葉(引用の許可は取得済み)


1971年5月16日。

モンゴル軍と日本軍はジャウフへの攻勢を開始。

ジャウフでの戦闘ではモンゴル軍の騎兵部隊が大活躍し、ジャウフ市内の要所を確保。

あとは日本軍が戦闘ヘリ、毒ガス、ロケット弾を用いて市街地に潜む敵を殲滅するのみとなった。

しかし、リビア反乱軍は非文明的な武器を使いながらも、激しいゲリラ戦を展開。

これに対して、日本軍はジャウフ市内の建物全てに毒ガスやクラスター手榴弾を投入し、ゲリラのあぶり出しを行った。

結果的に1971年6月1日にジャウフの反乱勢力は全滅。

連合国軍は全兵力を欧州に向けられるようになった。

これを受け、リビアでの作戦が完了した日本軍はベイダーからシチリア島経由でフランス南部の都市カンヌへの上陸作戦を開始。

オーストリア=ハンガリー帝国軍やイタリア連邦軍と合流し、パリを目指して北進を開始した。

同時に大西洋に停泊していたアメリカ海軍の空母艦隊から3000機以上のA-4スカイホークが出撃。

パリへの大規模空襲を開始した。

この爆撃には他にロシア空軍、イタリア連邦空軍、インド連邦空軍、オスマン帝国空軍、サウジアラビア空軍、ベトナム空軍、インドネシア空軍、オーストリア=ハンガリー帝国空軍、東ドイツ空軍、オーストラリア連邦空軍、ニュージーランド空軍、モロッコ海軍航空隊、イギリス空軍の13か国が参加するという最も大規模な空襲となった。

さらに、この爆撃により、エッフェル塔が倒壊。

多くの市民が犠牲となった。

結果的にパリは壊滅。

フランス各地で反政府運動が起きた。

そして、1971年8月13日。

連合国軍がパリ市内に突入。

 

俺は田舎育ちで都市を見たことがなかった。

なぜ、俺が見るまで残っていてくれなかったんだ?

 

-とあるフランス兵

 

 

1971年9月11日

パリ シテ=フロラル

 

リズロン通りを進軍してきた日本軍機甲師団はフランス軍のゲリラ戦術に悩まされている米軍を救助するため、市内の建物を全て爆破した。

この結果、建物に逃げ込んだゲリラ兵は瓦礫に押しつぶされる形で死亡した。

その後、日本軍はジャヴェルから侵攻してきた連合軍と合流。

そのまま、フランス軍の司令部があるノートルダム大聖堂へ進軍を開始した。

連合軍はパリに毒ガスをばらまきながら侵攻し、11月13日についにノートルダム大聖堂へ突撃。

激しい白兵戦の末、11月14日午後1時13分49秒にノートルダム大聖堂は陥落し、フランス軍は完全に壊滅した。

同時に民主派によるクーデターが発生し、フランス共産党幹部は全員処刑された。

その後、クーデター勢力により、無条件降伏が宣言された。



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戦後処理

フランス=コミューンの降伏により、1971年11月14日に第三次世界大戦は終結した。

この戦争の講和会議は東京で開かれ、敗戦国の運命がその場で決められた。

まずはヨーロッパ。

フランスは新しくフランス共和国として独立したが、アルザス=ロレーヌは南ドイツ連邦領、地中海沿岸部はオーストリア=ハンガリー帝国領、ノルマンディー地方はイギリス領とされた。

しかし、フランス共和国の領土の4割は毒ガスや放射能によって汚染されており、13年後に無政府状態となるのであった。

スペインはレコンキスタが白紙化され、多数の国に分裂。

もう一つのヨーロッパの火薬庫となった。

西ドイツは東ドイツと統合し、北ドイツ共和国が成立。

南側はハプスブルク家がドイツ皇帝を兼任する形でドイツ帝国が成立した。

後の日墺冷戦の最前線となった。

ロシア連邦はポーランドを自国領に編入し、国名をセーヴェルスラヴィア連邦と改めた。

しかし、後にトルキスタンやウズベキスタンなどの国々は北イスラム連邦として独立することとなる。

次に中東。

オスマン帝国は東西統一を達成したが、イラク北部はそのままオスマン帝国領とされた。

この国境線は13年後にイラク軍がトルコへ侵攻する原因となる。

しかし、オスマン帝国国内も悲惨であり、14年後に共和制に移行することとなる。

イラクとイランはそれぞれイラク共和国、イラン共和国として独立。

サウジアラビアはシリア共和国、パレスチナ連邦、エジプト王国を併合し、アラブ連邦を成立させた。

次に北アフリカ。

リビアは南部のみキレナイカ共和国として独立。残りは15年間二重帝国植民地とされることが約束された。

しかし、この約束は果たされず、3年後に独立戦争に突入することとなる。

次に西アフリカ。

スペイン植民地であったジブラルタルはモロッコ王国に編入。

モロッコ自身は10年後に赤道ギニア国やガボン共和国とともに西アフリカ連邦に編入されることとなる。

次に中央アフリカ。

中央アフリカではザイール連邦、ルワンダ王国、ブルンジ共和国、タンザニア共和国、ザンビア共和国がまとまり、中央アフリカ連邦が成立。

西アフリカ連邦とともにアフリカの盾と言われるようになった。

次に南アフリカ。

南アフリカ連邦はナミビア共和国を独立させ、南アフリカ共和国に国名を変更。

次にインド洋地域。

コモロは新しくコモロ連合として独立したが、この国の要所は二重帝国の大企業が制圧したため、経済は低迷。

大インフレが起きることとなった。

次に東アジア。

朝鮮は大韓民国として独立を果たしたが、20年後に反日極右政権が誕生。

21年後に日本軍が韓国へ侵攻する原因となる。

中国はアメリカの傀儡国であった南部省連邦を併合。

チベット王国もチベット特別自治区として大幅な自治を認める形で自国領に併合。

さらに、奉天政府も中国への編入を表明し、汪兆銘率いる中華民国の下、中国大陸は統一された。

カンボジアとラオスはタイ王国に編入された。

アジアは大日本帝国の下、安定した時代を迎えた。

このようにして、第三次世界大戦の講和条約≪東京条約≫は締結された。

この大きな領土変換は新たな領土問題や民族問題を生み、複雑にさせ、しばらくは

戦乱の世が続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年4月18日

オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン

アレクサンダー・フォン・ベック視点

 

ピピピピピピ・・・ ピッ!

 

僕は目覚まし時計の音を止め、ベッドから出た。

今日は日曜日。

学校はない。

宿題は昨日終わらせた。

 

「アレクサンダー? 今日はお墓参りなのよ。早くして。」

「あっ。今行くよー!」

 

僕は着替えてからリビングにいった。

 

「今日はあなたのお父さんの友達の命日よ。お墓参りのことすっかり忘れてた?」

「ごめん。寝坊しちゃって。」

「ハウサー将軍は天国で平和に暮らしているよ。」




アレクサンダー・フォン・ベック

オリキャラ。
老齢のパウル・ハウサーの友人であったシュティファン・フォン・ベックの子供。



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戦後世界編
戦後世界の幕開け 


新時代に古いものは必要ない。
それは人も同じで古くなった人は新時代に参加する意味はない。
全てが終わった。
司令官。あなたはここで私を殺しますか?

-ラインハルト=ハイドリヒ


第三次世界大戦に勝利した大日本帝国、ロシア連邦、アメリカ合衆国、オーストリア=ハンガリー帝国、イギリス共和国。

しかし、超大国となった彼らを待ち受けていたのは戦後の混乱と泥沼の政治内紛であった。

さらに、利害関係の衝突から日本率いる大東亜連合及びアメリカ率いるデトロイト条約機構対オーストリア=ハンガリー帝国率いるハプスブルク協定という形で日墺冷戦が発生。

さらに、オーストリア=ハンガリー帝国国内でも泥沼の民族対立が発生。

カール三世が全権統治官という役職を新設させ、ティトーによる独裁体制を確立させることで、辛うじて統率はとれているものの、彼が亡くなれば内戦が起きるのは確実であった。

日本では、財閥と労働者との間で激しい対立が起き、一部が共産党とのつながりを強めている。

果たして、この先の未来はどうなっていくのだろうか。

新たな時代の幕開けだ。

 

国家紹介

 

▪オーストリア=ハンガリー帝国

超大国だが、泥沼の政治内紛や民族対立により国内は悲惨。

ティトーによる独裁政治を確立させることで、安定しているが、彼が亡くなれば崩壊するのは必然である。

 

・オスマン帝国

オーストリア=ハンガリー帝国の傀儡国家。

しかし、国内でケマリストの勢力が強くなっており、革命が起きる可能性は高い。

 

・オーストリア=ハンガリー領リビア

オーストリア=ハンガリー帝国の植民地。

正式名称はハプスブルク国王統治国リビア。

独立戦争の機運が高まっている。

 

・キレナイカ首長国

リビア南部にある独立国家。

北のオーストリア=ハンガリー領リビアと5回に渡る国境紛争を行っている。

与党はファシズム政党であるリビア国民救済連盟。

リビア統一を目指している。

 

・西アフリカ連邦

西アフリカ全域を統治する連邦国家。

≪アフリカ防衛機構≫の盟主。

 

・中央アフリカ連邦

中央アフリカ全域を統治する連邦国家。

≪アフリカ防衛機構≫の加盟国。

 

・南アフリカ共和国

アフリカ唯一のデトロイト条約機構加盟国。

アパルトヘイト政策の廃止を目指している。

 

・ナミビア共和国

各地で共産主義勢力やファシスト勢力、ケルティスト勢力、アナキスト勢力など様々な勢力が群雄割拠している。

≪アフリカ防衛機構≫の加盟国。

 

・アラブ連邦

サウジアラビア王国、イラン共和国、エジプト王国が合わさって成立した国家。

 

・インド連邦

大東亜連合加盟国。

 

・ネパール共和国

大東亜連合加盟国。

 

・ブータン王国

大東亜連合加盟国。

 

・ミャンマー共和国

大東亜連合加盟国。

 

・タイ王国

大東亜連合加盟国。

カンボジアとラオスを領有している。

 

・ベトナム共和国

大東亜連合加盟国。

 

・中華民国

大東亜連合加盟国。

 

・マレー連邦

大東亜連合加盟国。

 

・シンガポール共和国

大東亜連合加盟国。

 

▪インドネシア共和国

大東亜連合加盟国。

 

▪パプアニューギニア共和国

大東亜連合加盟国。

 

▪パラオ共和国

大東亜連合加盟国。

 

▪ミクロネシア連邦

大東亜連合加盟国。

 

▪セーヴェルスラビア連邦

旧ロシア連邦。

スラブ民族の統一を目指している。

 

▪大日本帝国

大東亜連合の盟主。

国内経済は死にかけ。

 

▪大韓民国

大東亜連合加盟国()。

 

▪北ドイツ共和国

デトロイト条約機構加盟国。

 

▪ドイツ帝国

オーストリア=ハンガリー帝国の傀儡国家。

 

▪フィンランド共和国

ヘルシンキ協定盟主。

 

・スウェーデン王国

ヘルシンキ協定加盟国。

 

・ノルウェー王国

ヘルシンキ協定加盟国。

 

・デンマーク王国

ヘルシンキ協定加盟国。

 

・フランス共和国

国内の状況はおわかりの通り。

 

▪カタルーニャ共和国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

 

・カスティーリャ・イ・レオン共和国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

 

・カンタブリア共和国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

 

・カンタブリア=スペイン国家再生政府

カンタブリア共和国から離反した勢力。

キリスト国家社会主義という独自の思想を掲げている。

 

・カタルーニャ赤軍

カタルーニャ共和国から離反した勢力。

 

・アラゴン共和国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

 

・アストゥリアス共和国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

 

・アストゥリアス防衛評議会

アストゥリアス共和国から離反したアナキスト勢力。

 

・アストゥリアス革命戦線

アストゥリアス共和国から離反した共産主義勢力。

 

・アストゥリアス反技術評議会

アストゥリアス共和国から離反したケルティスト勢力。

 

・ガリシア国

レコンキスタ白紙化のあとに成立した国家。

ポルトガル王国と対立している。

 

・アメリカ合衆国

デトロイト条約機構の盟主。




キリスト国家社会主義

イェス=キリストを国家元首かつ絶対的な権力を持っているとする考え方。



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政権

地下資源に恵まれない日本が繁栄するにはまず自分の国を愛する愛国心を失ってはいけない。
その様なことを日本の総理がおっしゃっていましたが、第一次世界大戦で祖国が滅んでしまったのは愛国心が足りなかったからでしょう。

-ジュリオ=アンドレオッティ


1972年12月10日。

日本では第33回衆議院議員総選挙が行われ、自由民主党と国家自由連合による連立政権が成立。

これにより、政治面で大きな改革が行われた。

まず、道路法の改正と戦時港湾法、インフラ計画法の制定である。

これにより、道路について、高速自動車道、国道、県道などの規定がはっきりとし、戦時におけるインフラの扱いもはっきりとした。

 

当時のニュース(抜粋)

 

「サニーニュース。朝の放送です。本日、道路法の改正及び戦時港湾法、インフラ計画法が国会にて可決されました。これにより、国内のインフラに関する法律整備が完全に完了しました。」

 

翌年の5月6日には田中内閣が南西諸島鉄道計画を発表。

これは、沖縄と台湾の間にいくつかの人工島を作り、海底トンネルで台湾まで鉄道を敷くというもので、最終的にはアラブ連邦と協力し、インド経由でテルアビブまで鉄道を伸ばす。

しかし、欧州情勢は不安定であった。

カタルーニャ赤軍の鎮圧に成功したカタルーニャ共和国が突如、アラゴン共和国に侵攻したのだ。

これを受け、アラゴン共和国と同盟を結んでいた西アフリカ連邦がカタルーニャ共和国に宣戦布告。

イベリア戦争が勃発した。

カタルーニャ軍は早速、ヒナステへの侵攻を開始。

ヒナステでの戦闘では、まともな航空戦力を持たないアラゴン軍に対し、カタルーニャ軍は戦闘ヘリ、ジェット戦闘機、ジェット戦略爆撃機をフル活用し、サラゴサを徹底的に爆撃した。

これにより、西アフリカ連邦軍の支援が来る前にアラゴン共和国は壊滅状態となった。

しかし、西アフリカ連邦軍によるバルセロナへの上陸作戦が成功。

カタルーニャ軍は劣勢となった。

西アフリカ連邦軍は各地でカタルーニャ軍を包囲・殲滅した。

さらに、西アフリカ連邦空軍によるマリーサへの原爆投下により、中央政府の機能が壊滅。

カタルーニャ共和国は無条件降伏を宣言した。

その後に結ばれた講和条約<アルジェ条約>により、カタルーニャ共和国はバルセロナ共和国、ジローナ共和国、タラゴナ共和国、南リェイダ国、北リェイダ連邦に分裂した。

さらに、バルセロナは西アフリカ連邦の統治下に置かれた。

カタルーニャ共和国の復興はもはや不可能だろう。

その頃、アメリカでは、携帯ゲーム機<green poster>が発売された。

green posterは第一世代型ゲーム機の一つであり、2021年現在でも一部の人に愛用されている。

日本でもドラゴンスターズなどのアドベンチャーゲームで有名になった。

 



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アフリカ動乱

指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある。

-ネルソン=マンデラ


1973年1月6日。

南アフリカ共和国の首都の一つであるプレトリアにて国家社会主義を掲げるアフリカ自由人民政府が蜂起。

第二次ボーア戦争が始まった。

これを受け、モロッコに駐留している日本軍が即時待機状態となった。

さらに、ナミビア共和国も南アフリカ共和国との国境に部隊を展開。

自由人民政府軍は早速、ヨハネスブルグへ侵攻を開始。

これを受け、大日本帝国とナミビア共和国がアフリカ自由人民政府へ宣戦布告。

日本海軍の連合艦隊が南アフリカに出撃した。

日本海軍は早速、大和による自由人民政府軍占領下のダーバンへの艦砲射撃を開始。

同時に32式戦車200両、歩兵20個師団による上陸を開始。

しかし、自由人民政府軍は激しいゲリラ戦を行い、上陸してきた日本軍を苦しめた。

これを受け、日本軍はジェット戦略爆撃機<富嶽2型>300機によるダーバンへの大規模空襲を実施。

これにより、地上にいた自由人民政府軍の兵士は殆どが死亡。

一部は下水道などの地下施設に逃げ込んだ。

これに対して、日本軍は地下鉄や下水道など全ての地下施設に毒ガス、ダイナマイトを投入。

出てきた兵士には火炎放射器などで対抗した。

その頃、日本軍は自由人民政府軍占領下のヨハネスブルグへの空挺作戦を開始。

 

ヨハネスブルグの空には多数の戦闘ヘリコプターや爆撃機、爆撃機があった。

アフリカの空には苦しみと悲しみがあった。

我々にはどうすることもできなかった。

 

-南アフリカ共和国軍第32大隊隊長

 

日本軍による空挺降下を確認した後、南アフリカ軍はプレトリアへの大攻勢を開始。

日本軍は一つ一つの建物を爆破しながら前進し、1973年5月1日に南アフリカ軍歩兵部隊と日本軍戦車隊がユニオンビルに突入。

しかし、自由人民政府軍が激しいゲリラ戦を行ったため、日本軍は32式戦車でユニオンビルを砲撃。

ユニオンビルは倒壊し、中にいたゲリラ兵は全滅した。

その後も、自由人民政府軍は各地で強い抵抗を続けたが、1973年9月18日にすべての部隊が降伏。

第二次ボーア戦争は政府軍の勝利によって終結した。

しかし、国土は内戦の影響で焦土化し、国民のほとんどが家や職を失った。

さらに、南アフリカ共和国政府を見限った各地の勢力が共和国を離脱。

エスワティニ王国、ズールー共和国、コサ共和国、プレトリア緊急委員会、ケープタウン赤軍司令部、アフリカ黒衛軍、アフリカーナー中央委員会などに分裂した。

もはや、南アフリカ共和国の復興は不可能だろう。

 

 



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長崎事件

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1974年5月6日。

日本列島には衝撃が走った。

 

「臨時ニュースをお伝えします。臨時ニュースをお伝えします。国防省特務室午前3時発表。本6日昼頃、北九州炭鉱、筑豊炭田の労働者が大規模蜂起を開始しました。また、北海道での蜂起の可能性があり、札幌に軍隊が配置されました。」

 

何と、九州で一部の労働者が蜂起したのだ。

 

国防省 3階

司令室

 

「状況は?」

「はい。九州の炭鉱の労働者が決起。西日本でも決起の可能性があります。現在、確認されている勢力は四国赤軍、長崎評議会、鹿児島人民軍です。」

「すぐに陸軍を出撃させろ。武器使用を許可する。」

「了解!」

 

1974年5月7日。

本土に駐留している日本軍部隊に対し、出動命令が発令された。

 

「帝国軍全軍に告ぐ。歯を食いしばって塹壕を掘り、向かってくる元同胞を撃ち殺せ。腐った腕を切り落とせ。」

 

まず、日本軍は四国へ侵攻を開始。

四国赤軍は激しいゲリラ戦を行ったが、日本軍は建物に毒ガスなどを投入。

香川県の赤軍部隊はわずか2日で全滅した。

その後、日本軍機甲師団が愛媛に進軍を開始。

 

その頃、アメリカでは・・・

 

ワシントンD.C. ホワイトハウス

 

ここでは、ニクソン大統領とその秘書が話しあっていた。

 

「大統領閣下。極東に赤の脅威が生まれることは我が国の安全保障上問題です。直ちに参戦するべきではないでしょうか?」

「だが、それは内政干渉になるのではないか?」

「大統領閣下。米日同盟の規定には日本政府の脅威となる存在を排除するとありますが、この規定は現在の日本の状況に当てはまるのではないでしょうか?」

「・・・わかった。在日米軍を経由して日本の国防省に連絡してくれ。貴国の安全のため、合衆国政府は反乱鎮圧に参加する準備はできていると。」

「了解!」

 

その後、アメリカ海兵隊は沖縄を出撃し、赤軍占領下の長崎に侵攻。

赤軍部隊は火炎瓶や機関銃、投石器で対抗したが、日本軍のジェット戦略爆撃機<富嶽改>による絨毯爆撃により壊滅した。

その3日後の1974年5月20日に反乱軍は全て降伏。

反乱軍の司令官は裁判にかけられ、国家内乱罪により死刑判決が出た。

2日後に刑が執行された。

処刑方法はピアノ線による絞首であり、1937年の三月事件の際にリーダー格を処刑するときに初めて使われた。

以降、ピアノ線による絞首は日本では反逆者に対する処刑方法として一般的となっている(2013年11月13日に国連の勧告により廃止され、現在では電気椅子による処刑が一般的)。

 




日本政府の脅威となる存在を排除する

日米同盟の規定の一つ。
米国はこれを理由に五・一五事件の際に日本軍とともに反乱鎮圧にあたった。


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中東情勢

1974年8月5日。

オスマン帝国領であるキプロスで独立を主張するキプロス解放軍が蜂起。

キプロス自由共和国の建国を宣言した。

これに対し、オスマン帝国軍がキプロスに侵攻。

キプロスはシリア共和国に救援を求めた。

シリア政府はこれを受諾し、オスマン帝国に宣戦布告。

さらに、これを領土回復の好機とみたアラブ連邦もオスマン帝国に宣戦布告。

第二次中東戦争が勃発した。

シリア・イラク連合軍は早速、北上を開始。

これに対し、デトロイト条約機構軍は大西洋に空母13隻、戦艦18隻、潜水艦11隻、ミサイル艇25隻、駆逐艦46隻からなる大艦隊を派遣。

オーストリア=ハンガリー帝国海軍と睨み合った。

 

大西洋 アメリカ海軍大西洋艦隊

潜水艦<ミッドウェー>艦内

米海軍兵士視点

 

俺は大西洋にいた。

なぜかって?

オーハンの牽制といっていたが、俺が兵士である内は頼むから世界大戦は起きないでくれ。

「オーストリア海軍主力艦隊が真上を通過しました。突発音は確認できず。ミサイルなども探知できず。」

「了解。引き続き、監視を続けろ。」

 

大日本帝国 東京

国防省ビル 3階

司令室

 

中東戦争の報告は米国経由で日本にも伝えられた。

「司令官。米軍から連絡です。オスマン帝国との戦争のため、大西洋への艦隊派遣を求むとのことです。」

「そうか。モロッコに駐留している第5艦隊を出撃させろ。」

「了解。」

そんな中、大日本帝国政府に驚くべき情報が入った。

なんと、オスマン帝国の首都であるコンスタンティノープルでトルコ共和主義者が蜂起。トルコ共和国の建国を宣言したのだ。

トルコ共和国のリーダーであるネジメッティン=エルバカンはサウジアラビアへ救援を求め、サウジアラビア政府はこれを受諾。

サウジアラビア軍は直ちにエーゲ海に艦隊を派遣。

オーストリア海軍の殲滅にあたった。

その結果、オスマン帝国は瓦解。

トルコ共和国はサウジアラビアとともにデトロイト条約機構に加盟。

オーストリアとの国境には米軍が展開された。

さらに、トルコ国内には米軍やロシア軍、日本軍の核ミサイル基地が大量に作られ、それらは全てウィーンを標的に設定された。

 

 

終末時計は59分を指している。

悔い改める時が来たのだ。

俺はもう何もやり残したことはないから、いつでも死ねる。

お前らはどうだ?

 

死に場所に

響く銃声

我が子には

聞かせられぬ

死神の声

 

-スコット=J=ビナー作≪アポカリプスの日≫の一部

 

そんな中、米国では大きな技術革新があった。

大企業であるコールテクノロジーズ社より世界初のパーソナルコンピュータであるMORE1975が発売されたのだ。

しかし、ある程度安くなったものの当時のパーソナルコンピュータは非常に高価であり、個人が購入できるものではなかった。

そのため、機能を減らしたパーソナルコンピュータであるMORE1975FUTUREが開発された。

これは、MORE1975の価格の5分の1(約2296アメリカ合衆国ドル)で販売され、辛うじて個人で購入できるようになった。

MORE1975FUTUREは日本では発売されなかったが、1980年6月13日に米国で発売されたデスクトップパソコンであるMORE1980FUTUREは日本でも発売された。

しかし、このパソコンのOSであるASHURA80は電話回線での通信であったため、ネット接続が非常に遅かった。

安定的なインターネット環境が構築されるのは1981年のTCP/IPと呼ばれるプロトコルの標準化の頃である。

 

 



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高まる緊張

1975年11月13日

セーヴェルスラビア連邦 モスクワ

セーヴェルスラビア国家保安庁

会議室

 

会議室ではセーヴェルスラビア軍幹部が集まり、作戦会議を開いていた。

 

「ダジボーグ作戦はオーストリアとの戦争計画である。この作戦は米国か日本がオーストリアへの侵攻を開始した場合に発動される。まず、ロシア連邦空軍はオーストリア傀儡のブルガリア。空挺部隊はここを早急に確保し、ソフィアの飛行場を確保。その後、戦略核ミサイルをウィーン、ブダペスト、サラエヴォ、プリシュティナに発射。着弾が確認され次第、セーヴェルスラビア連邦軍全軍でガリツィア=ロドメリア王国に侵攻。全土を占領した後、南進し、ギリシャ方面から侵攻してきた連合軍と合流。北進し、ウィーンを目指す。この間も、オーストリア全土を爆撃し続ける。また、この戦争では新型戦車T-80や北ドイツから購入したV5ロケットが使用される予定だ。何か質問は? ・・・ないようだな。」

 

その頃、リビアでは、オーストリアによる支配にキレた

原住民が一斉に蜂起。

共和主義のトリポリ解放戦線、国家社会主義の北リビア国民連合、アナーキズムのリビア自由戦線、共産主義のジャウフ赤軍、その他25以上の赤軍組織、4つのアナキスト勢力が蜂起した。

 

≪オーストリア植民地連邦の瓦解≫

 

オーストリアにいた私は一つの誤りから別の誤りへと簡単に陥ることはできなかった。

議会は何の役にも立たないが、ハプスブルグ王家はそれ以上に役に立たないからだ。

 

-アドルフ・ヒトラー

 

 

これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国空軍はAU-74を用いて、リビア全土を爆撃。(ハプスブルク協定軍によるリビア爆撃)

 

その時だった。

なんと、西アフリカ連邦軍がリビア原住民の保護を理由にオーストリア=ハンガリー領リビアへ侵攻を開始したのだ。

これにより、各地で蜂起を起こしていた勢力とオーストリア植民地軍は崩壊。

1976年1月6日に西アフリカ連邦軍は全土を制圧。

2日後に西アフリカ連邦はリビアを併合。

北アフリカの大半を手にしたのだった。

さらに、1976年2月19日には中央アフリカ連邦との合併を決定。

大アフリカ連邦が成立した。

その後、大アフリカ連邦はアメリカ主導のデトロイト条約機構に加盟。

アフリカに大きな脅威が出来た。

 

そんな中、ウィーンでは・・・

 

オーストリア=ハンガリー帝国 ウィーン

国防省ビル 11階

会議室

 

「戦争計画第0号ですか?」

「ああ。エジプトとスイスに侵攻する。」

「しかし、それでは、米国や日本と戦争になる可能性が・・・

そうなれば、第四次世界大戦が始まってしまいます!」

「だが、エジプトがアフリカ連邦のやつらの領土に組み込まれてしまってはアメリカ陣営がアフリカを支配することとなる。それだけは避けたい。」

「・・・わかりました。2時間後に作戦会議を行います。長官殿

もご出席ねがいます。」

「わかった。少し休んでから行く。」

「了解です。」




V5ロケット

北ドイツ軍が1975年1月7日に開発・正式採用した大陸弾道ミサイル。
2021年現在、V8ロケットが使用されている。


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戦争計画第0号

1976年11月6日。

オーストリア=ハンガリー帝国軍はプシェムイシェル作戦を実行。

エジプトとスイスへ侵攻を開始した。

これを受け、デトロイト条約機構に加盟していたイギリス共和国はオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。

デトロイト条約機構の規定に従い、加盟国の全ての国がオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。

さらに、大東亜連合がオーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。

第四次世界大戦が始まった。

早速、大アフリカ連邦軍はシチリア島への上陸。

イタリア連邦軍は初動対応が遅れ、シチリア島はわずか3日で陥落してしまう。

そこに大規模な航空基地を建設。

昼夜を問わず、イタリア本土を爆撃した。

同時にモロッコを出撃した日本海軍地中海艦隊はアドリア海でオーストリア=ハンガリー帝国海軍地中海艦隊と衝突。

ここに、第一次アドリア海海戦が勃発した。

結果的に日本海軍は戦艦3隻、駆逐艦18隻、重巡6隻、軽巡2隻、ミサイル艇4隻を失ったが、オーストリア=ハンガリー帝国海軍地中海艦隊は空母2隻、駆逐艦13隻、重巡7隻、潜水艦4隻、ミサイル艇5隻を失った。

両者一旦退いて、翌日に再び衝突。

数に劣る日本海軍はシチリア島から頻繁に飛んでくる大アフリカ連邦軍の対艦ヘリコプター≪ANDRO-75≫やジェット戦闘機≪alge-1≫などの支援により、日本海軍は辛勝。しかし、この影響で日本海軍地中海艦隊は半壊状態となり、母港タンジェ港に帰還。その2日後にようやく米海軍第8艦隊が地中海に到着。これを受け、オーストリア=ハンガリー帝国海軍は全軍をもって、米海軍を迎撃。

米海軍を返り討ちにした。

しかし、欧州ではオーストリア=ハンガリー帝国軍は快進撃を続け、フランスとスイスを降伏させ、アナトリア半島に進出。

トルコ軍はもはや虫の息であった。

これを受け、アラブ連邦軍はトルコ防衛計画であるメッカ作戦を実行。

大量の爆撃機や戦闘機の大編隊がオーストリア=ハンガリー帝国軍占領下のコンスタンティノープルを爆撃した。

同時にイズミルへの上陸作戦を開始。

イズミルに上陸した部隊は艦砲射撃による支援を受けながら、ビーチに存在する敵軍をロケット砲などで殲滅した。

特にアラブ連邦空軍の戦闘ヘリコプターの攻撃能力が急激に高まった1970年代では、アラブ連邦空軍も戦闘ヘリコプターを数々の戦争で多用。

アラブ連邦空軍は今回の戦闘でも、A-25ムハンマドを50機、AH-1コブラなどを投入し、大きな戦果を上げた。

しかし、西欧では非常に劣勢であり、フランスが降伏。

これを機に、オーストリア=ハンガリー帝国空軍はイギリス共和国本土への大爆撃を実行。

1000機のAU-60や2000機のAU-74がイギリス共和国本土を強襲。

これに対し、英国空軍はF-15イーグルやF-4ファントムが迎撃に出動したが、オーストリア=ハンガリー帝国空軍の戦闘機であるAU-74はmig-25に匹敵する速度を誇っていたため、スピードに追いついていけず、英国空軍は瓦解状態となった。

グレートブリテン島はオーストリア=ハンガリー帝国空軍の継続的な爆撃を受け、国内の工場のほとんどが使い物にならなくなっていた。

これを受け、日本軍はモロッコのミサイル基地から短距離弾道ミサイルによるミラノへの核攻撃を計画していた・・・



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バトル・オブ・ブリテン

1976年12月4日。

現代改修された空母赤城から飛び立ったB-1ランサーによるパリ空襲と戦略核ミサイルによるミラノへの核攻撃をきっかけに二回目のバトル・オブ・ブリテンが勃発した。

同時に日本軍は両翼型輸送ヘリコプター*1を用いて、ノルマンディーなどへの空挺降下を実行。

モロッコ空軍の爆撃機隊の支援を受けつつ、パリへ向け進撃を開始した。

その頃、北ドイツ軍はベルリンが陥落し、スウェーデン軍やデンマーク=ノルウェー連邦共和国軍の支援を受けつつ、スウェーデン領内に撤退していた。

しかし、キール運河が南ドイツ軍により破壊され、ユトランド方面からの撤退は非常に困難となった。

これを受け、ノルトホルツ航空基地から輸送機を使った撤退を行った。

結果的にこの作戦は成功。

北ドイツ軍の大部分をスウェーデンに逃がすことができた。

しかし、英国本土の航空戦では数で劣る日本空軍は複数のオーストリア軍のジェット戦闘機に追い回される事態となっていた。

これを受け、モロッコ陸軍航空隊や大アフリカ連邦空軍がオーストリア本土を爆撃。

これにより、オーストリア空軍は本土からの支援を受けられなくなり、オーストリア空軍は劣勢となった。

これを受け、ジブチに停泊していた日本海軍は紅海からスエズ運河を通り、エーゲ海に到着。トルコ海軍の支援を行った。

 

その頃、東京では▪▪▪

 

長島広斗(ながしまひろと)視点

 

僕は買い物を済ませて、家に帰ろうとしていた。

今日もテレビは戦時放送ばかり。

テレビゲームもたまにある計画停電でまともにできない。

早く戦争が終わらないだろうか。

そうぼやいて、あるき出そうとしていた時だった。

 

ドカーン!!

 

帝都電波塔が爆発。根本から崩れ落ちたのだ。

このことは日本全土で伝えられた。

 

「番組の途中ですが、ここで臨時ニュースをお伝えいたします。大本営陸軍部が2分前に発表した情報です。6分前に帝都電波塔が爆発。帝国政府はテロリストにゆる犯行と見ています。これを受け、帝国陸海軍に出動命令が発令されました。また、東京全域に戒厳令が発令されました。」

 

〈帝都電波塔爆破事件〉

 

欧州の民主主義が国家主義者により脅かされている。

我が大日本帝国は民主主義のために戦わなくてはならない。

 

-東条英機*2がナチスドイツのポーランド侵略に対して出した声明

 

犯人は5ヶ月後に捕まった。

犯人は日本社会人民労働党の党員であった。

これを受け、日本軍は国内の共産主義系政党の本部に襲撃を行い、党員を次々と逮捕。

後にこの騒動は〈赤色の東京〉と呼ばれることとなった。

*1
オスプレイみたいなやつ

*2
この世界では陸軍のお偉いさん。



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フィリピン内戦

1977年1月2日。

フィリピン共和国の首都マニラにあるソルス駅爆破事件はフィリピン全土に大きな混乱をもたらした。

これだけならばよかったのだが、フィリピン復古主義者の仕業であるというデマが流れたのだ。

結果的に300人以上のフィリピン復古主義者が殺害され、これにキレた人々がマニラで暴動を起こした。

これに、フィリピン軍が介入。

内戦に発展した。

この情報は即座に日本政府にも伝えられた。

 

大日本帝国 東京

国防省ビル 3階

司令室

 

「状況は?」

「はい。20分前にフィリピンにて軍隊が蜂起。内戦に発展しました。現在確認されている勢力はマニラ=フィリピン復古運動、マニラ赤軍司令部、北ルソン人民革命評議会、その他5以上の赤軍組織です。また、ミンダナオ島南部は中立を宣言。南ミンダナオ中立地帯が成立しました。」

「そうか。フィリピンはアジア唯一のデトロイト条約機構加盟国だ。アメリカも黙ってはいないだろう。」

その時、一人の兵士が司令室に駆け込んできた。

「失礼します! 米軍から連絡です! 数時間前に台北の米海軍基地からアメリカ海軍の東シナ海艦隊が出港! 南下を開始しました! 目標はフィリピンと思われます!」

「やっぱりか。我が国も聯合艦隊をフィリピンに向かわせる。」

「フィリピン内戦へ介入するのですか?」

「ああ。あくまで米軍の支援だ。」

「了解!」

 

翌日、大日本帝国海軍の連合艦隊は米軍救援のため、呉港から出港。その翌日にフィリピンに到達。

アメリカ海軍と合流した。

日本海軍はセブ赤軍占領下のセブへの米海兵隊上陸の支援のため、大和や武蔵による艦砲射撃を開始。

無事にアメリカ軍はセブへの上陸に成功。

橋頭堡確保を目指し、アメリカ軍はセブ赤軍の拠点があるサン=ペドロ要塞へ攻撃を開始。

しかし、セブ赤軍の激しい抵抗を受け、攻略は難航。

これを受け、アメリカ空軍はサン=ペドロ要塞にナパーム弾を投下。

要塞は倒壊し、中にいたセブ赤軍兵士の殆どが死亡した。

橋頭堡を確保した後、日本軍の戦車部隊が海兵隊に続いて上陸。

当時、最新鋭であった74式戦車を大量に使い、セブ赤軍を圧倒。

わずか2時間でセブ赤軍は降伏した。

同時にマニラではフィリピン政府軍がマニラ解放を目指し、マニラ西部に空挺降下。

空挺降下したフィリピン政府軍は大日本帝国空軍のジェット戦闘機<光武15>の支援を受けつつ前進。

途中でマニラ赤軍の戦車に阻まれたが、対戦車ロケットランチャーを用いて撃破。

そのまま、マニラ赤軍の司令部がある市役所に突入した。

激しい白兵戦の末、1977年1月6日に市長室にフィリピン軍歩兵部隊が突入。

12分後にマニラ赤軍は降伏。

4日後の1977年1月10日にフィリピン内戦は終結した。

 

白かったはずのホワイトボードは真っ赤になりました。

我々は同胞を殺したのです。

我々は大きな過ちを犯しましたが、前進しなければなりません。

新たなフィリピンに向けて。

 

-フィリピン軍兵士が軍司令部に送った電報

 

内戦後、フィリピン共和国はデトロイト条約機構に復帰。

アメリカ軍や日本軍の協力を受け、国内の復興を開始した。



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ロシア内戦

私が恐れているのは混沌が訪れることです。




1977年2月13日。

セーヴェルスラヴィア連邦の首都モスクワで謎の爆破テロが発生。

犯人も不明であり、セーヴェルスラヴィア政府は首都モスクワなどに軍隊を配置。

戒厳令を発令した。

しかし、極東シベリアではモスクワでのテロにより、農民に多大な影響が出た。

その結果、1977年2月14日。

ウラル山脈以東の地域で農民が一斉に蜂起。

400以上の組織に分裂した。

この情報は日本にも伝わった。

 

大日本帝国 東京

国防省ビル 3階

 

「状況は?」

「はい。1時間前に東ロシア(ウラル山脈以東の地域)にて大規模な武装蜂起が発生。400以上の勢力に分裂しました。一部ではアーリア人とは精神的なものであると主張する勢力も確認されています。」

「わかった。とにかく変な勢力にロシアを乗っ取られては我が国にも影響がある。米軍と協力し、極東ロシアを確保してくれ。機甲師団を出撃させろ。」

「了解!」

 

現地のジャーナリストによると、満州所属の日本軍機甲師団が国境を越え、極東シベリアに侵攻を開始した。

既に日本軍は重要な戦闘で勝利を納めており、極東シベリアの反乱勢力が瓦解するのは時間の問題である。(新聞≪イングランド情報紙≫より引用)

 

日本陸軍はウラジオストクに上陸してきたウェストモーランド将軍率いるアメリカ陸軍戦車師団と合流。

同時にアラスカから米軍のB-52が緊急発進。

シベリア地域の爆撃を開始した。

しかし、反乱軍の被害が非常に少ないため、日本軍はシベリアに北ドイツ共和国から購入したV4ロケットをシベリア全域に発射。

着弾を確認した後、日米連合軍は進軍を開始。

暗視ゴーグルやカメラを装備した日本兵がゲリラ部隊の掃討を行った。

さらに、アメリカ軍はこの戦闘にラジコン型小型戦闘ヘリコプターを投入。

これにより、反乱軍部隊は5週間ほどで壊滅。

このタイミングで日本の同盟国である中華民国が参戦。

中国陸軍の戦車師団が満州から北上を開始した。

これにより、1978年5月6日に極東シベリアの反乱軍は降伏。

セーヴェルスラヴィア連邦との協議の結果、ロシア内戦終結まで日本やアメリカの管理下に置かれ、極東シベリア共和国が建国された。

その14日後にロシア内戦は終結。

セーヴェルスラヴィア連邦には再び安定が訪れた。

しかし、対墺戦線では内戦の影響で部隊の配備が難しくなり、ツァーリグラードが陥落。

モスクワ防衛作戦≪バグラチオン作戦≫を実行。

モスクワには有刺鉄線や地雷、ミサイル、戦車が配備された。

 




がロシア内戦の結果成立した国家

・ウラジオストク労働者運動
・南アムール共和国
・ハバロフスク国民委員会
・スタノヴォイ連合
・ロシア=ソヴィエト共和国
・ロシア極東共和国
・ロシア東方辺境ソヴィエト評議会軍司令官領陸軍独裁政権シベリア国
・臨時シベリア自由政府
・トゥバ自由連盟
・沿アムール評議会軍司令官領日本海艦隊委員会
・極東ロシア評議会
・極東ラテン語族ロシア居住地域
・極東ウクライナ人政府
・アイヌ民族政府
・カムチャツカ共和国
・極東クルド人同盟
・極東ドイツ人州労働者コミューン
・極東反文明協会
・極東軍政府
・タボリツキー体制派ロシア
・スターリン体制派極東ロシア
・極東アーリア化委員会
・ヒュペルボレイオス=ギリシャ委員会
・ロシア帝国
・山岳連合
・東シベリア自由地区
・ユーラシア国
・トムスク連邦共和国
・ゼルトロシア国
・ウランゲル島委員会
・ロシア労働者コミューン
・東ロシア山脈辺境軍共和国
・南東連合
・ベリヤ体制派ソビエト共和国
・北アムール連合
・マガダン軍政府
・自由飛行士団
・ロシア王国
・エカテリンブルク天命国
・天命オモロン
・シベリア正教会国
・千年王国派ロシア
▪東ロシア革命戦線
▪北シベリア共和国
▪東ロシア暫定統治局
▪ロシア国民連盟
▪極東ウクライナ人労働者コミューン
▪ロシア国民ソビエト共和国
▪前衛芸術ロシア自由国
▪加速主義派ロシア
▪ショスタコーヴィチ派ロシア民主共和国
書きかけ


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モスクワ防衛戦

1978年6月10日。

日米ロ華英印からなるモスクワ守備隊は南から侵攻してきたオーストリア=ハンガリー帝国軍と衝突。

モスクワの戦いが始まった。

ロシア軍はライオンヤセネヴォから進軍してきたオーストリア軍に対し、大規模なゲリラ戦を展開。

日本軍はジェット戦闘機<夜桜>を用いて、後方のオーストリア軍陣地に対して大規模な爆撃を敢行。

後方陣地は大混乱に陥った。

同時にトルコ軍がアメリカ軍の支援を受けつつ、バルカン半島に侵攻を開始した。

これにより、オーストリア軍はロシア戦線からの配置換えを強いられ、ロシア戦線の部隊は大きく減少。

これを受け、連合軍は反攻作戦<トド作戦>を実行。

日本軍はジェット戦略爆撃機をもって南部地域を爆撃。

南部地域への空爆の後、ウェストモーランド将軍率いる機甲師団は進撃を開始。

モスクワの解放を目指した。

最終的にオーストリア軍はロゴヴォにまで押し戻された。

しかし、この頃になると、オーストリア軍の援軍が到着。

戦線は再び膠着状態となった。

しかし、衝撃の出来事が起きた。

ボヘミア王国で現地住民が蜂起。

チェコ=スロバキア連邦の建国を宣言したのだ。

これにより、オーストリア軍は本国とロシア戦線の補給線を断たれ、後退を開始した。

しかし、バルカン戦線ではオーストリア軍が優勢であり、トルコ軍をバルカン半島から追い出し、アナトリア半島へ逆侵攻を開始。

すでに、アンカラまで30キロの地点まで迫っていた。

結果、トルコ共和国は1978年6月25日に降伏。

オーストリア軍はアラブ連邦への侵攻を開始した。

 

アラブ連邦 中央アラビア州

イラク連邦軍管区 ザーホー

 

アラブ連邦軍、大日本帝国軍、アメリカ軍、イギリス軍、トルコ解放政府は中央アラビア州イラク連邦軍管区最北端の街ザーホーで北から侵攻してきたオーストリア軍と衝突。

ザーホーの戦いが始まった。

この戦いでは大量の塩素ガスやイペリット、ホスゲンガスが使用され、両軍に多数の死者が出た。

しかし、オーストリア軍はアラブ方面に大軍を配置し、戦線は膠着状態となった。

そんな中、衝撃の出来事が起きた。

オーストリア=ハンガリー帝国の属国であるイタリア連邦で独立勢力が蜂起したのだ。

独立勢力はわずか4日でイタリア連邦領土を掌握。

イタリア共和国が成立した。

イタリア共和国はデトロイト条約機構に加盟し、オーストリア=ハンガリー帝国に宣戦布告。

これにより、アラブ方面のオーストリア軍はイタリア共和国空軍の爆撃機の攻撃にさらされることとなり、アラブ方面のオーストリア軍は大混乱に陥った。

しかし、その裏ではインドに脅威が迫っていた。

 

 




トルコ解放政府

トルコ共和国がオーストリア=ハンガリー帝国に降伏した後にデリーに建てられたトルコ共和国亡命政府。


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グレートブリテン航空戦

1978年7月5日。

インド洋の北センチネル島沖には一隻の潜水艦がいた。

オーストリア海軍の潜水艦だ。

「司令官。3時間後にムンバイ港への攻撃を開始します。」

「わかった。」

 

その頃、ベトナム海軍は・・・

 

ベトナム海軍ミサイル艇<ホーチミン>

 

「こちら、AS-365ドーファン。インド洋にて国籍不明の潜水艦を発見。爆撃任務を開始しますか?」

「国籍コードは?」

「au-25です。」

「オーストリア海軍か。攻撃を開始しろ。」

「了解! 対潜誘導弾全弾発射!」

それと同時に、対潜哨戒ヘリ2機から6発の対潜ミサイルが発射された。

これにより、ムンバイを目指していたオーストリア海軍の潜水艦は沈没。

これと同時にフィリピン海軍が地中海に出動。

北大西洋で日本海軍やアメリカ海軍と合流し、地中海に侵入した。

その頃、オーストリア空軍はイギリス本土への大規模爆撃を実施。

これに対し、イギリス防空軍のジェット戦闘機<ブラックバーン=バッカニア>や<トーネード>が迎撃に出動した。

この空戦は大日本帝国空軍、アメリカ空軍、ロシア防空軍、インドネシア空軍、ベトナム空軍、北ドイツ空軍、インド空軍などが参加する史上最大の空戦となった。

これに対し、オーストリア空軍は最新型ジェット戦闘機<AU-78>を出撃させた。

これにより、イギリス防空軍は劣勢となった。

これを受け、米軍のB-51がウィーンを空爆。

米軍による爆撃を想定していなかったオーストリア=ハンガリー帝国は大艦隊をアドリア海に出撃させた。

しかし、これを伝える暗号が米軍により解読され、アドリア海にて米第6艦隊の大艦隊と衝突。

第三次アドリア海海戦が始まった。

しかし、遠方に待機していた米第6艦隊所属の空母ニミッツから発進した日本軍爆撃機がサラエヴォに原子爆弾を投下。

サラエヴォは壊滅した。

それと同時に日本陸軍はイタリア経由でオーストリア=ハンガリー帝国の領邦である南チロル伯領国へ侵攻を開始した。

日本軍は早速、ジェット戦略爆撃機≪富嶽改≫を用いて、ボーツェンへの空爆を開始。

この爆撃ではアメリカ空軍やロシア空軍も参加し、穏やかだったチロル地方は火の海となった。

 

その頃、日本では・・・

 

日本では宮城県沖を震源とするM7.4の巨大地震が発生。

日本陸軍が出動する事態となった。

この地震では、現地の日本軍の避難誘導により、死者は発生せず、行方不明者もその日のうちに発見された。

しかし、仙台市では建物の倒壊が発生し、後の建築基準法改正のきっかけとなった。

 

 

 



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スペイン戦争

1978年11月13日。

バルセロナ共和国軍がジローナ共和国へ侵攻を開始したことを受け、タラゴナ共和国と南リェイダ国がバルセロナ共和国に宣戦布告。

これを領土拡大の好機と見たフランス共和国がバルセロナ共和国を攻撃。

さらに、旧スペイン首都バルセロナを統治する大アフリカ連邦が報復のため、バルセロナ共和国に侵攻。

さらに、植民地支配への報復を理由にモロッコ王国が旧スペイン地域の国々に宣戦布告。

スペイン戦争が勃発した。

フランス軍は早速、バルセロナとの国境を越え、侵攻を開始。

大アフリカ連邦軍、タラゴナ軍、南リェイダ軍、フランス軍の攻撃を受けたバルセロナの本土部隊はわずか3日で降伏した。

その後、モロッコ軍がセウタとメリリャに侵攻。

モロッコ軍はまず、バリオ・デル・プリンシペス・アルフォンソ地区を爆撃。

その後、戦車部隊がガーディア国境検問所を突破。

これに歩兵が続く形で各地を占領していった。

 

バルセロナ共和国 セウタ

サン=ダニエル通り

 

「こちら第一機甲師団!! 敵が多すぎる!!」

「ガス弾を使え!!」

「了解!!」

それと同時に一人の兵士が塩素ガス入りの手榴弾を投げた。

さらに、電車に立てこもったカタルーニャ軍に対しては電車を倒し、殺虫剤や塩素ガスを流し込んだ。

 

その頃、せーヴェルスラヴィア連邦では・・・

 

せーヴェルスラヴィア連邦では、学者であったキリル=ケレンスキーが大統領に就任。

せーヴェルスラヴィア連邦は大改革を行った。

まず、カザフスタンなどのイスラム教徒に対し、宗教の自由を保証。

さらに、保険関連への支出を増やした。

そして、最後にキリル=ケレンスキーはこういった。

 

「ロシア革命は失敗した。だが、ロシアの民主主義革命は成功するだろう。今、ここに新しく完全な民主主義が生まれたのだ。ロシアはこれからもユーラシア大陸の守護者であり続けるだろう。」

 

舞台は戻り、スペイン戦線ではモロッコ軍がセウタを攻略。全軍でメリリャへ総攻撃を開始。

ジブラルタル海峡などを日本海軍に封鎖されているため、撤退できず、メリリャのバルセロナ軍部隊は壊滅した。

これにより、バルセロナとの戦闘は完全に終了。

モロッコは旧領を回復した。

その後、モロッコ王国国王であるハッサン二世は大アフリカ連邦との統合を宣言。

大アフリカ連邦はこれを受諾し、大アフリカ連邦政府とモロッコ王国王室はモロッコ国王州として、モロッコ国王がそのまま州知事を務めることを許可した。

そして、1979年1月2日。

モロッコの国力を吸収した大アフリカ連邦はオーストリア軍が占領しているトリポリに向け、進軍を開始した。



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コロンビア大反乱

えっ? 馬鹿が100人集まったらどうなるかって?
馬鹿の100乗でアホだ。

-スコット=J=ビナー作〈大きな機械〉より引用


1979年7月20日。

デトロイト条約機構加盟国であるコロンビア共和国でファシストによるクーデターが発生。

オーストリアが裏で手を回していたため、駐屯していた米軍は隣国ベネズエラへ退避した。

さらに、アメリカ大使が捕らえられているという情報もあり、アメリカ政府はアメリカ大使解放のため、B-51が緊急発進。

アメリカ合衆国はコロンビアとの戦争に突入した。

爆撃部隊の第一陣はデフコンⅠ発令の5分後にコロンビア上空に到着。

爆撃を開始した。

この爆撃は出来るだけ民間人を避けて行われたが、敵の被害は軽微であったため、キティホークの甲板からデルタダートが全力発進。

24時間体制での空爆を行った。

コロンビア軍は航空戦力を持っていたが、殆どが日本軍の初期の桜花ほどの性能であったため、制空権はすぐにアメリカに奪われ、コロンビア軍はただ焼き払われていくジャングルを呆然と眺めるだけであった。

その後、日本海軍も南米に到着。

アメリカ軍の支援を行った。

同時にアメリカ陸軍機甲師団がアメリカ自治領パナマ国から越境を開始。

一斉に南下を開始した。

アメリカ軍はベレダ・フアンチョに突入。

まともな武器を持たないコロンビア軍は時間ほどで敗走し、1979年9月13日に無条件降伏を宣言した。

 

その頃、日本では▪▪▪

 

この日、日本では帝都高速道路第一環状線から北関東自動車道が東京-埼玉間で開通。

関東全域を行き来することが可能になった。

以降、日本領であった朝鮮などにも高速道路が開通することとなる。

さらに、この年に話題になったのが中野アニメタウン*1での新作ゲームソフト〈siegfleet1〉の発売である。

このソフトは当時のグラフィック技術では到底再現できないと言われていた移動速度を実現し、話題になった。

さらに、ソースコードは現在でも完全に解読されたわけではなく、このゲームのソースコードを解読には日本軍も参加したが、日本軍でも解読はできなかった。

これにより、2021年現在ではこの技術はロストテクノロジーのような扱いになっており、今でも世界中の天才や各国の軍隊、アメリカのFBIなどがこれの解読に挑んでいる。

 

いやー。このソフトは30世紀まで解読できそうにないよwww

俺もソースコードをコピペして動かしてみたけど、挙動が動く点P並みに全くわからん!

このコード書いた人は人間じゃなくて神だろwww

 

それな。

日本軍でも解読できないやつをどうやって解読しろっていうんだ・・・

 

-とある解読者のやりとり

 

 

*1
アニメオタクが集まる商店街




・アメリカ自治領パナマ国
アメリカ植民地。





この頃の主要な出来事

ナチス残党情報局所属の日本軍部隊がサンパウロ州の自宅でシャワーを浴びていたヨーゼフ・メンゲレをスナイパーライフルで殺害。
その他、ナチスに関わっていた料理人や看守など400人を同組織所有の施設、通称〈処刑工場*1〉で殺害。

・無号薬
日本軍が開発した感情抑制剤。
非常に強力だが、副作用として以下のものが挙げられる。
▫顔が白くなり、常に笑った表情になる。
▫口数が少なくなる。
▫目が赤くなる。

*1
ベルトコンベヤに死刑囚を載せてその先のプレス機で処刑する全自動の処刑施設。ここの職員は無号薬と呼ばれる非常に強力な感情抑制剤の服用が義務付けられていて、職員全員がもはやただの処刑ロボットになっている。



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第五次バルカン戦争

番外編

1979年11月25日。
戦時下であるにも関わらず、中野アニメタウンは賑わっていた。
その中に軍服を着た兵士がいた。
「さてと、何を買うか・・・」
休憩中の日本兵だ。
「新作ゲームは外せないなぁ・・・。のらくろも・・・」
「おい。目が逝ってるぞ。それにそろそろ時間だ。」
一緒についてきていた日本兵の話を聞いた兵士は大慌てでグッズを買い、店を去っていった。




1979年11月26日。

オーストリア=ハンガリー帝国国内では衝撃の事件が起きたアメリカ軍特殊部隊によりティトーが暗殺されたことで、それまで抑えられていた民族対立が激化。

そして、1979年12月6日のベオグラード暴動を発端に非ゲルマン系民族の地域で武装蜂起が発生。

内戦に発展した。

 

 

全権統治官であるチトーの死去により、中欧の覇者であるオーストリア=ハンガリー帝国は完全に崩壊した。元々、国内の民族問題が深刻であった二重帝国は民族間の争いを宥めているチトーが消えれば長くはもたないだろうと予想はされていたが、まさか、こう直ぐに崩壊すると予想できた専門家がいるだろうか。

 既にブダペスト、プラハ、ベオグラードなど非ゲルマン系の都市では武装蜂起が発生している。また、共産主義やファシズムの勢力も各地で確認されている。最早あの栄光のときを迎えた二重帝国は存在しない。

 

-帝都新聞の一部

 

 

現在確認されている勢力

 

・チェコスロヴァキア連邦

・セルビア独立政権国

・東セルビア救国政府

・ベオグラード中央委員会

・サラエヴォ独立共和国

・ブダペスト自由戦線

・スロヴェニア国防軍戦線

・西クロアチア赤軍

・クロアチア国民戦線

・ハンガリー系スラブ人統一運動

・南スラブ人自由戦線

・全オーストリア労働者戦線

・モンテネグロ国民戦線

・国王親衛隊騎士団国

・ムスリム抵抗運動

 

これを受け、連合軍は全面攻勢を開始。

チェコスロヴァキア連邦民兵部隊と協力し、ロシアから一気に侵攻を開始した。

これを受け、日本軍がウィーンに水爆を投下。

この攻撃により、カール3世含む政府幹部は死亡。

オーストリアの中央政府はほぼ崩壊した。

1980年1月5日。

アメリカ軍がサラエヴォ、ブダペスト、プリシュティナ、ベオグラードに原爆を投下。

この日の攻撃でオーストリアの国家機能は完全に消滅した。

 

宣戦布告なしだと! 神よ、我らを助けたまえ

-ニコライ二世

 

 

セーヴェルスラヴィア連邦海軍地中海艦隊

旗艦〈ペトロパブロフスク〉

 

セ―ヴェルスラヴィア連邦海軍は日本軍支援のため、オーストリア沿岸地域への艦砲射撃を実施。

この艦砲射撃により沿岸部の都市は壊滅。

さらに、前線にインドネシア軍や中国軍、インド軍、サウジアラビア軍、ベネズエラ軍、大アフリカ連邦軍、南アフリカ軍が到着。

さらに、カナダ軍も到着。

一斉攻撃を開始した。

オーストリア上空には連合軍の戦闘ヘリや戦闘機、爆撃機が飛び交うこととなった。

そして、日本陸軍機甲師団が黒海側から上陸を開始。

青木中将率いる機甲師団は内陸への侵攻を開始した。



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崩れ行くルービックキューブ

1980年5月2日。

アメリカ海軍の空母打撃軍が地中海に侵入。

 

アメリカ空母打撃軍

第一機動作戦隊

旗艦〈イエローストーン〉

 

「艦長。まもなく時間です。」

「そうか。全艦に通達。コード〈Rapture〉を実行せよ。繰り返す。コード〈Rapture〉を実行せよ。崩れ行く帝国への哀歌を。」

 

それと同時に全ての空母からファントムが出撃。

オーストリア全土に毒ガスや生物兵器を散布した。

これにより、オーストリアは完全に焦土化。

また、この攻撃により、わずか2日でヨーロッパアナグマの大半が死滅。

バルカン半島の生態系は崩壊した。

その後、アメリカ軍はオーストリア軍残党によってオーストリア帝冠領南部からイリュリア北部に建国された国家〈オーストリア軍残党政府〉に侵攻。

まともな戦力を持たないオーストリア軍はわずか2日でコペルを取られ、イリュリア地域の大半を奪われた。

その後、日本軍がウィーンに2発目の水爆を投下。

この攻撃により、オーストリア軍残党政府首脳陣は壊滅。

1980年8月15日。

オーストリア軍残党政府は無条件降伏を宣言し、ここにオーストリア=ハンガリー帝国の歴史は幕を閉じた。

戦後、この地域は無人地帯となり、バルカン半島に住んでいた多数の民族はアジアやアフリカなどに離散。

多数の民族をまとめ上げていた帝国は崩壊した。

 

ルービックキューブは完全に崩壊した。

国王はその場で自殺した。

オーストリアの敗戦はブロックをバラバラにした。

もう元に戻ることはない。

バルカン半島に残ったのは無人の荒野だけだ。

 

-オーストリア陸軍将校

 

終戦直後

イタリア共和国 ローマ

日本軍後方基地

 

「カール3世国王陛下は見つかったか?」

「はい。しかしながら・・・」

「どうした?」

「丸焦げの状態で発見され、すでになくなっていました。」

「・・・そうか。我々はどこで道を間違ったのだろうか・・・。幸運を。死にゆく者への哀歌を。」

 

その後、カール三世国王陛下は日本軍によってウィーンの墓地に埋葬された。

 

 

誰もいない荒野。

予報どおり大雨が降り、雷鳴が鳴っていた。

その中を防護服を着て進軍していた。

ウィーンについた。

だが、そこに街はない。

正確に言うと住人は人間ではない。

苦しむ魂と影が住んでいる。

あまりの惨状に私はピストルをホルスターから抜いた。

しかし、近くにいた兵士に止められた。

私は生きなければならない。

 

-日本陸軍将校

 

 

こうして、1939年から続いた通称〈66年戦争〉は集結を迎えた。

 



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戦後

1980年。

この年はオーストリアの終わりの年である。

第四次世界大戦の講和条約はオーストリア=ハンガリー帝国の滅亡により行われず、ドイツ帝国は北ドイツと統合。

ドイツ連邦共和国が成立した。

トルコはアラブ連邦領に編入され、中東を統一する巨大国家ができた。

しかし、これは後にインドのイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立を激化させる原因となり、数年後に大東亜連合と戦果を交えることとなる。

アフリカでは大アフリカ連邦がアフリカを統一。

アフリカ合衆国が成立した。

イタリア共和国はオーストリアに支配されていたイタリア北部を正式に領土に編入。

その後、EUの主要国となる。

アメリカ合衆国では共産主義者のガス・ホールが大統領に就任。

大日本帝国との協調路線を維持し、自由主義的な共産主義を推し進めることを宣言した。

大日本帝国政府もこれを支持。

イギリスでは安定しない政治に対する国民の不満が増大し、一部のイギリス国民が国民投票を要求。

イギリス政府はこれを受諾し、王政への回帰を問う国民投票を実施。

結果的に王政への回帰が決定され、ノルウェーから国王を連れてきて即位させることで立憲君主制に回帰。

連合王国が復活した。

これは後に≪第二の名誉革命≫と呼ばれ、現代史で頻繁に扱われることとなる。

ロシアはイスラム教徒に一定の自治を認める形で和解。

内戦は免れた。

中国では蔣經國が中華民国総統に就任し、大改革を行った。

まず、国内である程度の影響力を持っていた馬家軍閥などを解体。

政治を安定させた。

そして、小作人制度を廃止。

これにより、農業は飛躍的に発展。

これによってできた資金を基に中華民国は高度経済成長を迎えることとなる。

フランスではスピリチュアル主義者が政権を握り、悪魔との宇宙戦争を宣言。

核開発を始めた。

これに対して、日英米は禁輸処置を実施。

デトロイト条約機構と大東亜聯合は核ミサイルの配備を進めた。

日本でも大変革が起きた。

皇道穏健派の日本王政連合が政権を握ったのだ。

これにより、長年、日本経済を支配してきた財閥が解体され、長年の夢であった女性参政権が実現。

以降、大東亜連合加盟国で大変革が続くこととなる。

スイスはフランスから領土を一部領土をかすめ取ることに成功したが、フランスとの対立が激化。

13年後にアルプス戦争が起きることとなる。

南米ではアルゼンチンを1933年から支配してきた親ナチス政権がアルゼンチン革命によって崩壊。

最後のナチスと呼ばれた政権が崩壊したのだ。

しかし、革命後の混乱により、アルゼンチンは内戦状態に突入することとなる。

このような形で世界は大変革を迎えた。

 



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人と金は早く落ちる

1987年10月19日。

帝都東京では騒動が起きていた。

日本製OSであるASHURA85をターゲットにしたコンピュータウイルス<moneycrasher>の流行により、日本銀行のシステムがダウン。

大東亜連合加盟国で大恐慌が発生したのだ。

これの影響は3日で中国、6日でユーラシア大陸、9日で世界に及んだ。

 

今日は日本、明日はユーラシア、明後日は世界が終わる。人と金はどっちが早く落ちる?

 

-日本銀行職員

 

この大恐慌は1ヶ月で世界恐慌を超え、東京では失業者の増加に起因する都心のスラム化により、凶悪犯罪が増加。

深刻な社会不安を引き起こした。

これを受け、活動範囲を首都圏のみに限定した特殊警察≪首都圏警察機動隊≫を設立。

独自に爆撃機や戦闘機、戦車を持ち、協力な戦力を備えた首都圏警察機動隊は1990年代に成立する本土防衛を主任務とする陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊、宇宙自衛隊、サイバー防衛隊の基となった。

結果的に最大の反政府ゲリラ≪日本人民革命戦線≫は壊滅した。

しかし、反政府ゲリラは離合集散の末、巨大反政府ゲリラ≪日本人民軍≫を生み出す事態となった。

 

この組織は2021年現在は壊滅し、メンバーはわずか13人となったが、1980年代では首都圏を中心に猛威を振るい、帝都電波塔爆破事件、新宿地下鉄イペリット事件、在日米国大使館爆破事件などを起こし、深刻な社会不安を引き起こしていた。

インドでは1940年代から続いていた特需景気による高度経済成長が終わりを迎えた。

さらに、インド南部で民族義勇団による武装蜂起が発生。

以降、インドは2003年まで内戦が続くこととなる。

中東ではイスラエルが建国された。

しかし、これに対して、アラブ諸国は激怒。

アラブ戦争が始まった。

これに、イギリスやトルコがパレスチナ連邦側、ロシア解放軍の残党がアラブ諸国側で介入。

戦争はとても大規模なものとなった。

バルカン半島では比較的放射能汚染の少なかったダルマチア地域にボスニャク人、スラブ人の国家であるダルマティア多民族共和国が成立。

以降、ダルマティア多民族共和国には離散した各民族が移住することとなる。

しかし、バルカン半島の大半が現在は立入禁止区域となっていて、目が12個ある牛、青色の巨大ミミズが住み着いている。

バルカン半島の復興はまだまだ先だろう。

アフリカ合衆国では日阿安全保障条約の締結により、アフリカ各地に日本軍が駐留することとなった。

 




moneycrasher

金融期間をターゲットにしたコンピュータウイルス。
2021年現在では完全な対策が施され、感染件数はゼロになっている。
4億行程度のC#やvbsで書かれているがわずか3MBほどの容量である。
どのようにして3MBに抑えているのかは現在でも解明ができていない。


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ロシアの瓦解

幸運を、死に行く者より敬礼を

-エージェント=バークレー(SCPより)


1987年11月1日。

セーヴェルスラヴィア連邦で起きた連続爆破テロはロシア全土を混乱させた。

この混乱に乗じて、ポーランド、極東、チェチェン、中東にて大反乱が発生。

100以上の勢力が蜂起する事態となった。

この情報は直ちに日本政府にも伝わった。

 

大日本帝国 国防省ビル3階

 

「状況は?」

「はい。ロシアにて大規模な反乱が発生。セーヴェルスラヴィア連邦中央政府は瀕死の状態です。」

「そうか。全軍に通達。ロシアの反乱勢力に攻撃を開始する。樺太方面軍は直ちに越境し、樺太を占領せよ。在中日本軍は中ロ国境を越え、ウラジオストク、ハバロフスクを占領せよ。中華民国政府にも参戦要請を出せ。」

 

翌日、大日本帝国は北樺太を支配しているロシア神道団、極東ロシア評議会政府、ロシア国民国。

沿海州を支配している極東シベリア社会主義共和国に宣戦布告。

極東ロシア戦争が始まった。

日本軍と中国軍はただちにシベリアに侵攻し、ウラジオストクを占領。

数ヶ月後に極東シベリアにロシア共和国を建国した。

ロシア共和国建国の数日後にはセーヴェルスラヴィア連邦中央政府は完全に崩壊。

連邦政府はロシア共和国に逃れ、本土奪還を狙っている。

 

この戦争により、ロシアに成立した勢力

 

 

・ポーランド本国軍

・西ロシア革命戦線

・執政ロシア

・モスクワ自治国

・ロシア=ブラックリーグ支配地域

・ブラックリーグ左派地域

・全ロシア評議会

・聖ゲオルク国

・アーリア同胞団

・カイン同胞団

・北ウラル黄金領

・ロシア千年王国騎士団国

・ヒュペルボレイオス黄金領

・カスピ海艦隊中央委員会独裁政権

・バクー黒衛軍

・地球評議会

・ユーラシア統一政府

・全宇宙黄金騎士団国

・ロシア労働者評議会

・ロシア国民評議会共和国

・オホーツク=ソヴィエト

 

 

切れかけた蛍光灯の光が質素だが手入れの行き届いた部屋を照らした。

私は手元のリストを見た。

リストに載っている都市は全て平和になっている。

私はホルスターから拳銃を抜き、目の前の男を撃ち殺した。

ロシア崩壊の後、ロシアの大地ではアナーキーと暴力が蔓延した。

殺すか殺されるか。

そんな世界になった。

頻繁に近くの勢力が略奪に来るようになった。

私は深い溜息をついた。

ロシアはどうなるのだろうか。

 

-執政ロシア軍将校

 

セーヴェルスラヴィア連邦の崩壊によって大混乱に陥った中央アジアでは新たに独立したカザフスタン連合がタジキスタン自由共和国に宣戦布告。

これを受け、ウズベキスタン国民共和国、北イスラム第三帝国がカザフスタン連合に宣戦布告。

中央アジア戦争が発生した。

世界は何処に行くのだろうか?



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中央アジア戦争

名前は控えておいてもらえますか?
・・・ありがとうございます。
敵戦車と激突し、爆発する戦車。
手榴弾に吹き飛ばされる兵士。
大通りは血の道となっていた。
子供が発狂して建物から出てきた。
それを撃った。
これが戦争だよ。
戦場の兵士に心はありません。
兵士は機械です。

-あるアメリカ兵の話(直訳)




1988年1月19日。

中央アジア戦争にアメリカ軍がタジキスタン側で介入したことにより、戦争はさらに大規模なものとなった。

アメリカ軍はカザフスタン連合南部の都市タシケントを500機のB-51が絨毯爆撃。

タシケントは火の海となった。

その後、アメリカ軍がタジキスタン国境から北上を開始。

エキバストス市街へ侵攻を開始した。

 

エキバストス市街

クネーヴ=アヴェニュー通り

 

アメリカ陸軍はクネーヴ=アヴェニュー通りにてカザフスタン軍と衝突。

大規模な市街戦が発生した。

 

「誰かグレネードを!!」

「ypaaaaaaaa!!」

「向こうの建物を制圧するぞ!!」

 

 

名前は控えておいてもらえますか?

・・・ありがとうございます。

敵戦車と激突し、爆発する戦車。

手榴弾に吹き飛ばされる兵士。

大通りは血の道となっていました。

子供が発狂して建物から出てきました。

それを撃ちました。

これが戦争です。

戦場の兵士に心はありません。

どんなに優しい人間でも戦場ではただの機械になってしまうのです。

 

-あるアメリカ兵の話

 

 

この6ヶ月後。

カザフスタン連合は降伏。

最終的にカザフスタンは35以上の国に分裂した。

これにより、中央アジアでの民族対立が激化。

以降、第15次中央アジア戦争まで中央アジアは燃え続けることとなる。

その頃、アフリカ合衆国では、南アフリカ地域の無政府状態化により、原住民国家群やアフリカ=カイザー主義者*1の国々、共産主義や無政府主義が跳梁跋扈することとなった。

これに対して、アフリカ合衆国中央政府は不介入を宣言。

これにより、アフリカ合衆国中央政府に対する求心力は下がり、30年後に全土が無政府状態となる。

日本では、アニメ【10年前の夏の恋】の放送が始まり、大きな話題となった。

これは、朝鮮語、ロシア語、日本語、中国語の4カ国語で放送され、中華民国などでも大人気となった。

アメリカでは中央アジア戦争介入により、国民の人気を失ったレーガン大統領が失脚。

新たにジョージ・H・W・ブッシュが大統領に就任した。

ブッシュ大統領は福祉面を徹底させたため、大人気となった。

その後、減税を実施し、日本での株価暴落から始まった大恐慌を脱出。

1990年まで続く好景気<ブッシュ景気>が発生した。

これにより、アメリカ内陸部に点在する農村の人々の生活も大幅に改善。

アメリカは史実以上の成長を遂げることとなる。

 

*1
アフリカにドイツ帝国を復活させようと考えている人々。基本的に人種平等を唱えている。



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アフガニスタン紛争

1988年2月11日。

アフガニスタンにてファシストが蜂起したことで内戦状態に突入。

これに対し、イタリア共和国国家党の防衛部隊である<イタリア国家親衛隊>、ロシアの軍閥の一つであるアーリア同胞団、イランの<アーリア解放戦線>がファシスト側。

アメリカ合衆国、大日本帝国、ロシア共和国、インド連邦、イタリア共和国、西ロシア革命戦線が政府側で参戦。

アフガニスタン内戦はついに戦争に発展した。

まず最初に到着したのはインド連邦軍であった。

インド軍は爆撃機、戦闘ヘリコプターなどを用いて、ファシスト勢力が支配しているヘラートを空爆。

最初は激しいものではなかったが、アメリカ軍、日本軍、イタリア軍、西ロシア革命戦線軍の到着により、ヘラート爆撃は激化。

ヘラートは火の海となった。

アメリカ軍はM1エイブラムスを用いて、ヘラート市街へ侵攻。

日本軍も米軍から購入したAH-64アパッチを用いて、ヘラートの米軍を支援。

そんな中、中央アフリカでも大規模な蜂起が発生。

 

アフリカ合衆国南部では軍閥主義と暴力が法律になっている。

アフリカがまとまるのはいつになるのだろうか?

 

-ウェストモーランド将軍(アフリカでの電報)

 

中央アフリカに成立した国家

 

・アフリカ連邦商業組合

・ボーア共和国

・アフリカ黄金パルチザン戦線(神の抵抗軍)

・オヴァンボランド共和国

・ボーア共和国

・カメルーン=アフリカ国

・アフリカ連合

・コンゴ共和国

・ベルギー軍残党

・プロイセン=コンゴ

・コンゴ国民国

・コンゴ人民共和国

・テケ解放連盟

・アフリカーナー抵抗戦線

・ルサカ=ザンビア空挺団

・コンゴ民主連合

・コンゴ軍政府

・ルバ共和国

・ルバ農民連合

・大アフリカアーリア化委員会

・連合アフリカ救済委員会

・プロイセン=ナミビア

・カバンゴ共和国

・ヘレロ国

・エンゲランド=ナミビア

・ダマラ民族国

・ギニア黒衛軍

・中央アフリカ赤軍

・カイ政府

・ソコト

・マリ国

・サルマランド

・アザワド

・アイル

・ジャド

・テネレ

・ホガール山地政府

・ティベスティ山地辺境軍

・トゥアレグ共和国

・アザワド独立軍

・サヘル共和国

・タウデニ塩鉱労働者戦線

・ゾンガイ自由氏族

・アガデス浄化軍

 

これに対して、中央アフリカ地域が荒廃するのを懸念したアメリカ合衆国が中央アフリカ戦争に介入。

アメリカ軍は早速、ギニア湾沿岸部の街ムビニに強襲上陸。

ムビニにはボーア共和国の民兵がいたが、アメリカ軍は機甲師団などで蹴散らし、わずか3日でムビニを占領した。

その2ヶ月後、中央アフリカにアメリカ傀儡の中央アフリカ共和国が建国され、中央アフリカの秩序は回復した。

 

 



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アフリカの憂鬱

<崩れ始めた砂像>

 

サダト大統領からは6ヶ月以上も音沙汰が無かった。

彼は執務室に籠り、狂信的に何かを書き殴っていた。

ドアのノック音が執務室に響いた。

彼の補佐は大量の書類を持ってきた。

おそらく、50枚ぐらいだろう。

 

「今度の粛清対象は・・・ はぁ・・・ また、あの家族か・・・」

 

今回もいつも通りだ。

いつも通り、収容所に政治犯を突っ込み、しばらくしたら処刑する。

いつも通りの仕事だ。

中央アフリカがアメリカに乗っ取られたというのに、首都アレクサンドリアは一つも変わらない。

最近、アルジェリア州兵の活動が活発化している。

次に暗転するのはアルジェリアだろう。

 

私の予想が見事に当たった。

1989年1月6日の午後6時30分13秒。

アルジェリア州兵が蜂起し、州都アルジェを占領。

アルジェには陸軍が待機していたが、殆どが寝返ってしまったらしい。

アルジェ占領から10分後。

アルジェ通信センターからの通信が途絶えた。

合衆国の経済の中心地であったアルジェリアは失われたのだ。

 

 

<アルジェリア自由共和国の指導者>

 

無政府状態になっても集団はある。

そこから、国家を作り直せばいい。

リアミヌ=ゼヌアル中将はアフリカ合衆国からの離脱を最も望んでいた。

現在、アルジェリア軍はトリポリに侵攻しつつあり、サダト大統領を凶弾が襲うのは時間の問題だろう。

彼はそんなことを考えながら、外を見た。

外にはアルジェリア自由共和国の国旗が掲げられていた。

港にはヨットから軍艦まで様々な艦船が停泊している。

彼らは旗を掲げた。

 

<アルジェ自由港政府の指導者>

 

カモメの飛び交う港町。

アメリカ海軍将校であったスコット=E=ヴァルターは中央アフリカ共和国海軍の艦隊を用いて、アルジェ港でアルジェ自由港政府の独立宣言を行った。

このスコット=E=ヴァルター将軍のアルジェ港占領は中央アフリカ共和国海軍のアフリカ統一計画の一環であったとされている。

当然、この行動にアルジェリア自由共和国政府は激怒。

アルジェリア自由共和国によるリベリア侵攻の原因となる。

そんな中、反乱はトリポリにも飛び火した。

 

<西リビア革命戦線の指導者>

 

アフリカ合衆国が崩壊したとしても共産主義者には利益がある。

ゲンナジー・ヴァーシリエヴィチ・コルビンはロシアから来た共産主義者で、アフリカで共産主義革命を目指していた。

アフリカ合衆国の瓦解により、彼の夢は叶ったのだ。

首都トリポリには赤旗がはためいている。

そして、ラジオからはインターナショナルが流れている。



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アフリカの最後

政治とは、可能性の芸術である

-オットー・フォン・ビスマルク


<イングランド・リビアの指導者>

 

この地獄のようなアフリカでは自由は貴重だった。

狂人しかいなかったからだ。

イギリス人であるアンソニー=リックマン陸軍中将はこの地を支配下に入れ、民主主義による統治を始めた。

しかし、彼自身は極端な人種主義者であり、原住民を虐殺するなど、イングランド・リビアの民主主義は全てに開かれたものではなかった。

そんな中、彼のもとに通信が入った。

「あぁ。俺だ。どうした?」

「司令官。リビア南部にて原住民が蜂起しました。」

「そうか。ガスを撒いてこい。」

「了解!」

その後、リビア南部の都市はほぼ壊滅。

これに反発した各勢力は団結して蜂起を開始した。

 

<リビア解放軍の指導者>

 

リビア南部で蜂起した各勢力は傭兵団を組織。

リビア解放軍を設立した。

そして、その指導者はモフタール・ベルモフタール。

武器などの違法な物品を大量に密輸したことで、「密輸将軍」と呼ばれた。

 

<北リビア戦争>

 

いや。戦争と呼ぶにはあまりにもアナーキーかもしれない。

西リビア革命戦線の民兵とイングランド・リビアの民兵が武力衝突を起こしたのだ。

俺が知ってる限りではイングランド・リビアの民兵は西リビア革命戦線から奪った土地で現地住民に対して、暴行を働いている。

俺らもそろそろイングランド・リビアを倒さなくてはならないな。

 

<リビア戦争>

 

俺は全ての傭兵団にアンソニー=リックマンを殺害するように命じた。

俺は出発前の兵士に<強化薬>を服用させた。

ワーウルフハンターの出来上がりだ。

作戦が成功することを祈ろう。

 

<神聖マリ帝国の指導者>

 

アフリカにもう一つの地獄が出来た。

摂政であるムール・トペリはマンサ・ムーサがまだ生きていると信じ、どんな手段を使ってでもマリ帝国を復活させようとしている。

そして、何よりも最悪なのは、究極人種主義と全体主義が合わさった超権威的国家主義*1を掲げているという点だ。

成立してまもなく、神聖マリ帝国はアルジェリア自由共和国に侵攻。

これを併合した。

この戦争は日本やアメリカがアフリカに侵攻する原因となる。

 

<大アフリカアーリア化委員会の指導者>

 

スーダン南部をナチズム信奉者が掌握した。

この地域は大アフリカアーリア化委員会が統治しており、超権威的国家主義の体制が敷かれている。

委員長はルドルフ・ヘスの孫である。

 

 

自由主義は合理主義の最も重要な副産物であり、その起源と理念を明確に示さなければならない。

 

-フランシス=パーカー=ヨッキー

 

 

<大悪魔サタン同胞団の指導者>

 

アレクサンドル=ガリリェフは熱烈なサタン信奉者だ。

彼は天の神々との戦いを宣言し、アフリカ各地で大規模なテロを起こしている。

 

<アフリカ合衆国の崩壊>

 

サダト大統領が亡くなってから数日。

首都アレクサンドリアでも騒ぎが起きた。

 

*1
ヒムラーやタボリツキーでさえ、失神するほどヤバい。



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ロシアの憂鬱

野良猫の死を可哀想だと思ってはいけないだって?
可哀想だと思えるのは人間の心ならではだ。
俺の後ろには猫やら犬やら狸やらの大行列が出来ている。
それを引き離そうとは思わない。
身寄りのない動物に寄り添うのが人間の役割だからだ。

-スコット=J=ビナー作<大きな機械>より引用


<北の死>

 

ロシアが崩壊してからしばらく経った。

最近、ロシアで日本発祥のカルト宗教勢力の活動が盛んになっている。

極東シベリアは既に奴らに乗っ取られている。

 

<サティアン騎士団国の指導者>

 

極東シベリアは麻原彰晃らによって乗っ取られ、サティアン騎士団国が建国された。

彼らは超越神力によって加速しています。

彼らはやがてロシアを加速させるでしょう。

加速せよ加速せよ加速せよ。

 

<シベリア黄金領の指導者>

 

彼らもまたロシアを加速させる存在です。

アメリカから来た指導者はロシアの救世主を自称し、ロシア統一の準備をはじめました。

彼らもやがてロシアを加速させるでしょう。

加速せよ加速せよ加速せよ。

 

<オジョルスク軍政府の指導者>

 

指導者であるセルゲイ・ステプキンはオジョルスク市の警備兵の司令官であった。

セーヴェルスラヴィア連邦の瓦解と同時に彼は警備兵部隊を使い、独立を果たした。

マヤーク原子力プラントは現在も稼働している。

 

<ロシア=ブラックリーグ>

 

老齢のヤゾフは最後にロシア崩壊の原因となっている(と彼自身は考えている)日本、アメリカ、イギリスへの復讐を誓った。

そして、彼の指示により、シベリアに存在する隠匿された地下研究所が稼働した。

そこでは、グレートトライアルでの勝利を保証するマスタードガス、ホスゲンガス、シアン化水素が製造されている。

さらに、それとは別に旧セーヴェルスラヴィア連邦の核兵器がこの地に集められた。

ヤゾフは世界を滅ぼしてでも敵を討てと言った。

 

<中央シベリア共和国の指導者>

 

エリツィンはこの混沌としたロシアを照らした。

しかし、中央シベリア共和国は大国の支援なしでは統治できないほど貧弱であり、大日本帝国の支援が唯一の生命線である。

 

<シベリア自由地区>

 

ロシアに再び、黒い旗が掲げられた。

彼らはここにシベリア自由地区を建設。

アナーキズムのコミューンが成立した。

ロシア人のみならず、全ての民族は自由でなくてはならない。

 

<極東コサック共和国>

 

西ロシアにいたコサックはセーヴェルスラヴィア連邦の崩壊により無政府状態となった西ロシアを去り、極東に移住した。

彼らも大日本帝国から支援を受けており、日本との関係は良好である。

そして、コサック騎兵隊は満州との国境付近に極東コサック共和国を建国。

国内に日本軍が駐留することを許可した。

この日本軍駐留はシベリアにおける権益を確保したい日本政府上層部の思惑があったが、ロシアに強大な勢力ができたのは確かである。



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ヨーロッパ

「合い言葉は《自由》。目標、リシャンカ、23時」

-エーリヒ=フォン=マンシュタイン


<西ロシアの戦火>

 

事態は非常に悪い。

セーヴェルスラヴィアから独立したポーランド本国軍は崩壊した西ロシアを統一するため、軍閥の一つであるリトアニア軍政府に侵攻。

西ロシア戦争が発生したのだ。

少なくとも、あの道路はただの軍閥に成り下がったリトアニアにとっては大国だ。

既に、西ロシア革命戦線もポーランド軍に押されつつある。

西ロシアがポーランドの手に落ちるのは時間の問題だろう。

そして、1993年1月13日。

ポーランド本国軍はウラル山脈以西の最後の軍閥を打倒し、ポーランド=ロシア王国の建国を宣言。

ポーランド国王にリトアニア王位、ロシア王位を兼任させることによって、ポーランド=リトアニア=ロシア共和国を建国した。

正式名称は<ポーランド王国及びリトアニア大公国並びにロシア王国の同君連合>である。

その数年後にはシベリア、中東に勢力を拡大。

最終的にポーランド国王はトルコ王位、サウジアラビア王位、イエメン王位、エジプト王位、ペルシャ皇位、キエフ王位、カフカース王位、モルドヴァ王位、ウクライナ王位、エカテリンブルク王位、モスクワ皇位を兼ね、ポーランドはアメリカや日本と並ぶ超大国となるのであった。

 

<極東の騒動>

 

1993年9月2日。

警視庁に緊急通信が入った。

「緊急通信です。こちら愛宕署。神谷地下駅にて不審な動きとのこと。警戒します。」

 

10分後・・・

 

「緊急通信!! こちら愛宕署。神谷地下鉄駅にてガス探知器が反応。G事案の可能性があります。」

 

2分後・・・

 

「確認が完了しました。G事案です。陸軍部隊の出動を要請します。」

「了解した。国防省に問い合わせる。」

 

3分後・・・

 

「国防省から連絡が入った。1個師団で東京を封鎖するとのことだ。」

「了解。緊急配備は行いますか?」

「ああ。東京全域で行う。機動隊の配備を進める。」

 

数分後、陸軍の戦車部隊や憲兵隊が東京の中心部に展開され、東京全域に戒厳令が発令された。

 

軍の通信

 

「こちら5001(ゴマルマルヒト)。歩兵部隊で日比谷線を封鎖します。」

「了解。現在、地下鉄は全線運転見合わせとなっている。確認せよ。」

「了解。現在、第一師団のヘリコプター部隊が帝都高速環状線上空を飛行中とのことです。確認してください。」

「確認した。渋谷スクランブル交差点に着陸するとのことだ。確認せよ。」

「確認しました。機甲師団を麹町に展開させます。」

「了解。国会議事堂方面にも陸軍が展開している。確認せよ。」

「確認しました。通信終了。」



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ボリビア=チリ戦争

平和は貴いものです。しかし、自由はもっと貴いのです。独裁の中での平和よりも混乱の中での自由の方がはるかに人間的であると私は思います。その自由のシステムが存亡の危機にあるとき、自由を愛し、自由の恩恵に浴している人間は立ち上がらねばなりません

-マーガレット=サッチャー


1993年8月6日。

ボリビア=コミューン連邦がチリ共和国に侵攻したことでボリビア=チリ戦争が発生した。

これに対し、南米での共産主義の台頭を防ぐため、大日本帝国がボリビア=コミューン連邦に宣戦布告。

在墨日本軍はチリ北部の軍港にてチリ軍と合流。

直ちにボリビアに侵攻を開始した。

この戦争では日本軍の新型戦闘ヘリコプター<瑞鶴>が活躍した。

この戦闘ヘリは制御コンピューターのOSにpenguineディストリビューションの一つであるtankineを採用している。

日本軍はエスタシオン・アバロアにてボリビア軍主力部隊と接敵。

日本軍はチリ空軍の爆撃機部隊の支援を受けつつ、12時間後にボリビア軍主力部隊の大半を包囲。

勝敗は決した。

 

 

南太平洋 イースター島北西部沖

大日本帝国海軍第3大艦隊

第1イージス艦隊

 

「ボリビア侵攻軍より連絡。ボリビア軍主力部隊の大半を包囲したとのこと。」

「そうか。全艦に告ぐ。トマホーク発射用意。目標、ラパス。撃て!」

それと同時にイージス艦から50発以上のトマホークが発射された。

3分後、ラパスに全弾着弾。

ラパスは壊滅した。

これにより、ボリビア政府は崩壊。

ボリビアは無条件降伏を宣言した。

その後、ボリビアはチリ軍、日本軍の占領下に置かれ、ボリビア軍事占領地域とされた。

その頃、日本では大日本帝国憲法の一部が改正され、陸海軍の項目に<侵略戦争の否定>が盛り込まれた。

この憲法改正は高く評価され、国民連合と国家改革党による連立政権は10年体制と呼ばれる長期政権となる。

アメリカではアメリカ軍のインド駐留に関する法律が制定され、アメリカ軍部隊がインドに駐留することとなった。

この2年後には日本軍が駐留しているオーストラリア連邦、インドネシア共和国、パラオ共和国にもアメリカ軍が駐留することとなる。

バルカン半島ではポーランド王国が大部分を掌握。

以降、ポーランドはシベリアや中東、アフリカへ拡大を続けることとなり、日米英に警戒されることとなる。

アフリカでは西リビア革命戦線がリビアを統一。

正式にリビア社会主義共和国を宣言した。

しかし、この国はリビア人民警察による独裁が行われているため、後にリビア問題が発生。

大日本帝国がリビアに侵攻する原因となる。

アメリカ合衆国では中央アフリカ駐留軍の追加の部隊を派遣することが決定された。

これにより、中央アフリカにはある程度の平和が訪れることとなる。

しかし、未だにアフリカに秩序はなく、中央アフリカ共和国によるアフリカ再統一までアフリカには戦火が飛び交うこととなる。




penguine

1971年に日本軍によって開発されたカーネル。
非常に軽く、ミニポット(2013年5月6日に日本の企業が発売した超小型ゲーム機。単純なパズルゲームがプレイできる。メモリはわずか16KBしかない)でも辛うじて動く。
なお、当初は軍用に開発されたものであったため、マルウェア開発環境がデフォルトで備わっているなど少々危ない面もある。
開発言語はC言語である。


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